【初心者歓迎】風林火山質問スレ7【途中参戦歓迎】

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1日曜8時の名無しさん
戦国時代に詳しくない人、登場人物の関係が分からない人、先週の放送を見逃した人、シーンの意味が良くわからなかった人 みんなで教え合って最終回まで頑張るでごいす。
あくまで初心者、途中参戦組向けなので、専門的な話は極力本スレでやるでごいす。

今後の展開などネタバレは極力禁止。楽しみに待つでごいす。
それでもネタバレ質問したい方は↓こっちで聞けばよいずら。
【ノベライズ】風林火山ネタバレスレ 7【BS-hi】
http://live25.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1191139178/l50


質問する前に、よくある質問は>>1-20あたりにテンプレがあるので確認するのがよいずら。

次スレは>>950が立てて欲しいでごいす。

前スレでごいす。
1 http://live25.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1170613820/
2 http://live25.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1173495881/
3 http://live25.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1176605558/
4 http://live25.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1179317808/
5 http://live25.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1181756091/
6 http://live25.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1186547817/

それではいってみるら。
2名無しさん:2007/10/15(月) 20:41:53.55 ID:kDUz4dpJ
2
3日曜8時の名無しさん:2007/10/15(月) 21:04:46.72 ID:A1fHRmbI
3
4日曜8時の名無しさん:2007/10/15(月) 21:16:10.47 ID:TeV+UNY7
 ___  富士トヨタGP
‖    |     ∨
‖糞尿 ∧_∧   .ヘ∧
‖ \ ( ・∀・) (゚A●)
|| ̄ ̄⊂   )   (  と)
凵    し`J   U U
 ___  富士トヨタGP
‖    |     ∨
‖糞尿 ∧_∧   .ヘ∧
‖ \ ( ・∀・) (゚A●)
|| ̄ ̄⊂   )   (  と)
凵    し`J   U U
5日曜8時の名無しさん:2007/10/15(月) 21:59:51.24 ID:/tkTK1+w
断片的に語られてはいますが、越後の長尾家にとっての信濃出兵の
意味を語って頂きたい。海運で栄えた長尾家が信濃の陸路を自分の
影響下においておきたかったという議論はこのスレで拝見したことが
ありますが。宗教の違いなどもあったのでしょうか?いくら戦国時代
とはいえ、わざわざ他国に出兵するには国内外が納得する大儀名分
があるはずです。劇中で語られるような、そして一般的な見解である
景虎の信仰心とカリスマだけではどうも説得力がないし、納得できま
せんね。
6日曜8時の名無しさん:2007/10/15(月) 22:15:33.87 ID:Ju/d2Pue
越後の品の出兵の意味なら簡単な話、
武田が越後に向かってどんどん進出してきてるから
越後的には信濃で叩いておきたい。

武田は海が欲しい。で、太平洋側は駿河がいて
当時駿河は強国だし同盟国なので攻める理由が無い。
じゃあ反対側を見れば信濃・川中島があり
その先にはすぐ春日山城・直江津がある。
越後側は当然攻め込まれたらたまったもんじゃないので
旧信濃豪族を援護して戦う。
7日曜8時の名無しさん:2007/10/15(月) 22:27:32.55 ID:v6uBGWlP
>>5
他の上杉家を語るスレとか、史板で聞いたらと思うんだけど。

教えたがりの人がいるから構わないわけねw
8日曜8時の名無しさん:2007/10/15(月) 23:48:05.12 ID:8XxtgHHU
大河ドラマのFAQにしてくれよ。
9日曜8時の名無しさん:2007/10/16(火) 00:00:44.01 ID:OhwJnVGC
河越夜戦の回の時に上杉憲政様と上杉朝定様は出たのに、なぜ足利晴氏様だけ出なかったか。
その理由を教えてください。
10日曜8時の名無しさん:2007/10/16(火) 00:04:10.08 ID:Vmu/67R9
武田に関係ないから。
11日曜8時の名無しさん:2007/10/16(火) 11:19:31.70 ID:QEMve7Og
はいはい教えたがりが来ましたよ

>>5
宗教の違いといっても加賀一向宗のように「百姓の持ちたる国」じゃないから
善光寺は大して問題じゃない。
ここを押さえられると越後府中は目と鼻の先な上、川中島は孫子でいう衢地(ちょっと違うが)
に近くて、只でさえ大会戦が起こりやすい戦略要所。
古くから豊かでもあり、延喜式では信濃六十二郷のうち二十八郷、信濃式内社(主要神社)の
三十一/四十八社が川中島。
今の片田舎感覚で考えない方がいい。
実際源平時代の木曽義仲の初戦がVS城資茂との川中島合戦で、城は越後の大族だったにも関わらず
川中島敗戦一発だけで越後まで木曽に奪われてしまった。
川中島=越後絶対国防圏を否定出来る家臣はいないと思うよ。
対外的にも武田が川中島に手を出した時点で「越後が黙っちゃいないだろう」と思われるだろうし。
12日曜8時の名無しさん:2007/10/16(火) 23:56:31.23 ID:HyGiaPAc
・2ch大河板でよくみかける特殊な用語

赤マフラー:
大河ドラマ「北条時宗」で、時宗の兄「時輔」が史実で死んだ後も
赤マフラーをつけて大陸・日本を駆け回って大活躍したことから、
史実で死んだはずの人間をドラマのみの設定で生き続けさせることを「赤マフラー」と呼ぶ。

サニー:
板垣信方(千葉真一)のこと。
千葉真一がハリウッド進出時にサニー千葉という芸名を使ったことから。

デスラー(総統):
太原崇孚雪斎(伊武雅刀)のこと。
伊武雅刀が宇宙戦艦ヤマトでデスラー総統の声優だったから。

カピバラ、カピ様、カピ信:
武田晴信(市川亀治郎)のこと。
アマゾンに生息する世界最大のネズミ「カピバラ」に亀治郎の顔が似ているから。

両津(姫)、眉(姫):
由布姫(柴本幸)のこと。眉毛がこち亀の両さんに似ているから。

クマ、クマー:
今川義元(谷原章介)のこと。
谷原章介がテディベアの収集家であることから。
前回出演の「新選組!」以来そう呼ばれ続けている。

キャンペーン:
真田幸隆(佐々木蔵之介)のこと。「キャンペーンなんだよ」のCMに出ていたから。

日本三大がっかりおっぱい:
星野真理 ・池脇千鶴 ・京野ことみが出演した、
・「ジョゼと虎と魚たち」
・「さよならみどりちゃん」
・「TAKESHIS'」
を見て下さい。
13日曜8時の名無しさん:2007/10/16(火) 23:58:01.75 ID:HyGiaPAc
・年齢対照表
花倉の乱(天文5年/1536年):信虎追放(天文10年/1541年):
河越夜戦&勝頼誕生(天文15年/1546年):勘助越後から帰還&砥石城落城 (天分20年/1551年):
景虎出奔(弘治二年/1556年):第四次川中島の戦い(永禄4年/1561年)

*大河スタートは信虎弟戦死なので天文4年(1535年)、
 最終回は永禄4年(1561年)第四次川中島の戦い。
*表中の年齢はドラマでの扱いに従って数え年
 (生まれたときが1歳で以後正月が来るごとに1歳ずつ年齢が上がる)。
*現代的な満年齢に直したい場合は、その年の誕生日前ならば-2、誕生日の後ならば-1をすればよい。

山本勘助:36歳:41歳:46歳:51歳:56歳 :61歳(享年61歳)
武田晴信(信玄):16歳:21歳:26歳 :31歳:36歳 :41歳
由布姫:7歳?:12歳?:17歳? :22歳?:亡(享年25歳?)
三条夫人:16歳:21歳:26歳 :31歳:36歳 :41歳
於琴姫(油川夫人):9歳:14歳:19歳:24歳:29歳 :34歳
武田義信(太郎):−:4歳:9歳:14歳:19歳 :24歳
綾姫(嶺松院):−:1歳?:6歳?:11歳?:16歳? :21歳?
武田勝頼(四郎):−:−:1歳:6歳:11歳:16歳
梅姫(黄梅院):−:−:4歳:9歳:14歳 :19歳
武田信虎:43歳:48歳:53歳 :58歳:63歳 :68歳
大井夫人:40歳:45歳:50歳 :55歳:亡 (享年56歳)
武田信繁:12歳:17歳:22歳 :27歳:32歳 :37歳(享年37歳)
武田信廉:5歳:10歳:15歳:20歳 :25歳 :30歳
寅王丸(長岌):−:2歳:7歳:12歳:17歳:22歳(没年や消息の詳細不明)
板垣信方:??:??:??:亡: (享年?歳 甘利と同世代)
甘利虎泰:39歳?:44歳?:49歳?:亡: (享年51歳?)
飯富虎昌:33歳:38歳:43歳 :48歳:53歳 :58歳
諸角虎定:57歳:62歳:67歳 :72歳:77歳 :82歳(享年82歳)
小山田信有:18歳:23歳:28歳 :33歳:亡 (享年34歳)
駒井政武:16歳:21歳:26歳 :31歳:36歳 :41歳(ドラマ上の設定は晴信と同い年。実際は不明?)
馬場信春(教来石景政):22歳:27歳:32歳 :37歳:42歳 :46歳
原虎胤:40歳:45歳:50歳:55歳:60歳 :65歳
香坂虎綱(春日源五郎):10歳:15歳:20歳 :25歳:30歳 :35歳
飯富昌景(飯富源四郎・山県昌景):8歳:13歳:18歳:23歳:28歳 :32歳
秋山信友:10歳:15歳:20歳 :25歳:30歳 :35歳
真田幸隆:24歳:29歳:34歳 :39歳:44歳 :49歳
相木市兵衛:21歳:26歳:31歳:36歳:41歳 :46歳
真田信綱 :−:5歳:10歳:15歳:20歳 :25歳

長尾景虎(上杉謙信):7歳:12歳:17歳:22歳:27歳 :32歳
桃姫(仙桃院):9歳:14歳:19歳:24歳:29歳 :34歳
長尾政景:11歳:16歳:21歳:26歳:31歳 :36歳
宇佐美定満:48歳:53歳:58歳 :63歳:68歳 :73歳
直江実綱:28歳?:33歳?:38歳?:43歳?:48歳? :53歳?
柿崎景家:24歳?:29歳?:34歳?:39歳?:44歳?:49歳?
大熊朝秀:20歳:25歳:30歳:35歳:40歳:45歳
本庄実仍:26歳?:31歳?:36歳?:41歳?:46歳?:51歳?
長尾晴景:28歳:33歳:38歳:43歳:亡(享年45歳)
高梨政頼:29歳:34歳:39歳:44歳:49歳:54歳
村上義清:36歳:41歳:46歳:51歳:56歳 :61歳
上杉(山内)憲政:14歳:19歳:24歳 :29歳:34歳 :39歳
長野業政:46歳:51歳:56歳 :61歳:66歳 :71歳(享年71歳)
14日曜8時の名無しさん:2007/10/16(火) 23:58:42.76 ID:HyGiaPAc
今川義元:18歳:23歳:28歳 :33歳:38歳 :亡(享年42歳)
今川氏真:−:4歳:9歳:14歳:19歳 :24歳
寿桂尼:47歳?:52歳?:57歳?:62歳?:67歳?:72歳?(1505年頃に今川に嫁ぐ)
太原崇孚雪斎:41歳:46歳:51歳 :56歳:亡 (享年60歳)
庵原忠胤:??:??:??:??:??:??(但し、雪斎の兄なので50歳:55歳:60歳くらい?)
庵原之政:??:??:??:??:??:??

北条氏康:22歳:27歳:32歳 :37歳:42歳 :47歳
北条氏政(新九郎):−:4歳:9歳:14歳:19歳 :24歳
北条綱成:22歳:27歳:32歳 :37歳:42歳 :47歳
清水吉政:?(北条氏康の傅役なので氏康より10歳以上は年上)

小笠原長時:23歳:28歳:33歳 :38歳:43歳 :48歳
津田算長(監物):39歳?:44歳?:49歳?:54歳?:59歳?:64歳?
後奈良天皇(知仁):40歳:45歳:50歳:55歳:60歳:亡(享年61歳)

織田信長:3歳:8歳:13歳:18歳:23歳:28歳
羽柴秀吉:−:5歳:10歳:15歳:20歳:25歳
松平元信(徳川家康):−:−:5歳:10歳:15歳:20歳

参考 ノベライズによれば、第一話(勘助35歳)時点でミツ18歳・伝兵衛24歳
ミツ:19歳:亡 (享年19歳)
伝兵衛:25歳:30歳:35歳:40歳:45歳:50歳
15日曜8時の名無しさん:2007/10/17(水) 00:00:33.26 ID:HyGiaPAc
簡易年表・・・注:史実とドラマは微妙に違うし、史実も諸説有り

1515■北条氏康誕生。…誠だよ♪
1519■今川義元誕生。…クマー

1521■武田晴信(信玄)誕生。…カピバラ

1530■長尾景虎(上杉謙信)誕生。…ガクト
1534■織田信長誕生。
1535■山中湖の戦い。信虎弟・勝沼信友、北条に攻められて戦死。←大河スタート
1536■今川義元、花倉の乱に勝利して家督継承。晴信、三条夫人と婚姻。
1537■羽柴秀吉誕生。晴信、佐久海ノ口へ初陣。
1538■武田義信誕生。

1540■諏訪頼重、信虎三女(信玄妹)禰々と婚姻。
1541■晴信、父信虎を追放して家督継承。北条氏綱死亡し、氏康も家督継承。
1542■晴信、諏訪攻め。諏訪頼重死亡。徳川家康誕生。
1543■晴信、由布姫と婚姻。晴信、高遠頼継を攻める。
1546■今川義元と北条氏康、晴信の斡旋で和睦。氏康、河越夜戦に勝利。武田勝頼誕生。
1548■上田原の戦い。←板垣信方&甘利虎泰死亡

1552■武田義信、今川義元の娘と婚姻。晴信、砥石城で敗北。小山田信有死亡。大井夫人死亡。
1553■村上義清追放。第一次川中島(布施の戦い)。
1555■第二次川中島(犀川の戦い)。太原雪斎死亡。由布姫死亡。←今ここ
1557■第三次川中島(上野原の戦い)。朝比奈泰能死亡。

1560■桶狭間の戦い。←今川義元死亡
1561■第四次川中島(八幡原の戦い)。←山本勘助&武田信繁&諸角虎定死亡 ←大河終
1564■第五次川中島(塩崎の対陣)。原虎胤死亡。
1565■飯富虎昌死亡。
1567■武田義信幽閉。
1568■寿桂尼死亡。晴信、駿河に侵攻。

1570■三条夫人死亡。
1571■北条氏康死亡。
1573■三方ヶ原の戦い。晴信(信玄)死亡。
1574■武田信虎死亡。真田幸隆死亡。
1575■長篠の戦い。←馬場信春&山県昌景&内藤昌豊死亡
1578■上杉謙信死亡。香坂(春日)弾正死亡。
16日曜8時の名無しさん:2007/10/17(水) 00:01:29.88 ID:yMyaDYHH
┏━━━━━━━┓ ∧_∧       ∧_∧
┃ 武田二十四将 ┃( ・∀・)ニヤニヤ (・∀・ ) ニャルホド♪
┣━━━━━┯━┻○━○━━━┯∪∪━━━━━━━━━━┯━━━━━━━━━━━━┓
┃甘利虎泰  │あまりとらやす  ...│信虎配下の猛将       .│[1548 享?] (敗死)上田原....┃
┃板垣信方  │いたがきのぶかた...│増長した軍略家        .│[1548 享?] (敗死)上田原....┃
┃横田高松  │よこたたかとし  ...│沈着冷静な横田備中    ..│[1550 享62] (敗死)砥石城....┃
┃武田信繁  │たけだのぶしげ ....│敵からも死を惜しまれた勇将│[1561 享37] (敗死)川中島 ..┃
┃山本勘助  │やまもとかんすけ....│謎多き異彩の軍師     ....│[1561 享?] (敗死)川中島 ..┃
┃小幡虎盛  │おばたとらもり   ..│多数の感状を拝した勇将  │[1561 享71] (病死)      ┃
┃多田満頼  │ただみつより   ...│夜襲の名手         ....│[1563 享62] (病死)      ┃
┃原虎胤   │はらとらたね    .│北条から帰参した猛将    .│[1564 享68] (病死)      ┃
┃飯富虎昌  │おぶとらまさ    .│家中随一の宿老       . │[1565 享62] (自害)      ┃
┃真田幸隆  │さなだゆきたか  .│智略に長けた攻め弾正   .│[1574 享62] (病死)      ┃
┃馬場信春  │ばばのぶはる   │不死身の鬼美濃      .....│[1575 享61] (敗死)長篠  ..┃
┃三枝守友  │さえぐさもりとも  ..│奥近習から大出世      │[1575 享38] (敗死)長篠  ..┃
┃真田信綱  │さなだのぶつな   │先鋒隊として活躍     ......│[1575 享39] (敗死)長篠  ..┃
┃土屋昌次  │つちやまさつぐ   .│川中島で信玄を守り抜く   .│[1575 享31] (敗死)長篠  ..┃
┃内藤昌豊  │ないとうまさとよ  .│前線を支えた内政家     .│[1575 享54] (敗死)長篠  ..┃
┃原昌胤   │はらまさたね   ...│信頼厚き陣馬奉行    .......│[1575 享45] (敗死)長篠  ..┃
┃山県昌景  │やまがたまさかげ │諸大名が畏怖した赤備え  │[1575 享47] (敗死)長篠   ┃
┃秋山信友  │あきやまのぶとも ...│知勇兼備の猛牛       . │[1575 享49] (処刑)長良川 ┃
┃高坂昌信  │こうさかまさのぶ . ..│戦術に優れた逃げ弾正   │[1578 享52] (病死)      ┃
┃一条信龍  │いちじょうのぶたつ.│花麗を好んだ伊達者   ......│[1582 享?] (敗死)上野城....┃
┃小山田信茂│おやまだのぶしげ...│関東平氏を継ぐ名族     .│[1582 享44] (処刑)善光寺....┃
┃武田信廉  │たけだのぶかど  │影武者を務めた文化人  ....│[1582 享51] (処刑)古府中....┃
┃穴山信君  │あなやまのぶきみ .│確かな内政手腕の知将   │[1582 享41] (敗死)木津川....┃
┃小幡昌盛  │おばたまさもり . . . .│父と共に合戦を渡り歩く   │[1582 享49] (病死)      ┃
┗━━━━━┷━━━━━━━━┷━━━━━━━━━━━━┷━━━━━━━━━━━━┛
17日曜8時の名無しさん:2007/10/17(水) 00:02:02.99 ID:HyGiaPAc
○オープニングの映像で出てくるムカデにはどんな意味があるのでしょうか?
●簡単にいうと、この後信玄が戦場で各部隊に連絡を伝えさせる伝令将校を
「百足(むかで)衆」とネーミングします。
その百足衆の指し物 (背中に背負っている旗)のデザインがあのムカデの絵です。
たくさんの足でどんな戦場にも素早く指令を運ぶ、という意味合いでしょう。

それまで各部隊各指揮官がめいめい勝手に戦っていたのを、
本陣の指揮系統にのっとって組織的に動かす傾向を強めたのが信玄の時代です。
戦場を駆けめぐり御屋形様の下知を触れて回る「百足衆」は、
繊細で緻密な戦いをする無敵武田軍のシンボル扱いされました。
決して後退しない、前進あるのみ、という点から戦国武将に好まれたという説もあります。

●仕官って何ですか?間者としてあちこちに遣わされている段階の勘助は、
「就職」したことにならないのでしょうか?
○仕官とは、武士が主君に召抱えられ、給料をもらう立場になることです。
昔は、俸禄(お給料)は米でもらったので、禄を食む(ろくをはむ)とも言いました。
主君が「毎年○○石」を米や金であげたり、
確実に○○石の収穫が計算できる土地を与えたりするのが「仕官」というわけです。

合戦のたびに駆り出される兵は、一時的な雇用関係のアルバイトや契約社員のようなもので、
正規雇用の関係ではありません。
勘助はこれまで主君をもたず戦のおこぼれをもらって食べていたものの、
いつかは軍師として身を立て、名を上げたいと思っていました。
しかしどの戦国大名も簡単に家来の数を増やすことは難しいので、
よほどの武功を立てるまでは浪人として機会をうかがうしかなかったのです。

一方「食客」は、契約とは微妙に異なる立ち位置で、
特に定められた仕事を要求される雇用関係ではなく、
ただの居候として小遣い程度の扶持しかもらえない例もあります。
しかし甲斐から追放された信虎のように、
国を追われた元大名が歓迎されて置いておかれる場合もあり、
必ずしも地位が低い人ばかりではありません。
18日曜8時の名無しさん:2007/10/17(水) 00:02:21.25 ID:yMyaDYHH
●コッペパンって、なんですか?
○マジレスすると、本スレで、
「OPを『コッペパ〜ンたららったらら〜ら〜』と歌ってしまう、なんでコッペパンなんだろw」
などとレスした某氏がいた。そこからの引用かと。


●これは誰が考えたの?
┏━━┓
┃侵其┃
┃掠疾┃
┃如如┃
┃火風┃
┃不其┃
┃動徐┃
┃如如┃
┃山林┃
┣━━┛


○中国の思想家、孫子。
軍隊の進め方について説いている。
移動する時は風のようにすばやく、止まる時は林のように静かに、
攻撃する時は火のように激しく、防御する時は山のように動かずに、
という意味です。

●「武田二十四将」とは ?
○「武田二十四将」は、江戸時代の初期に「甲陽軍鑑」がブームとなって作られたモノといわれます。
どうして二十四かというと、中国に「唐太宗二十四将」や「光武帝二十八将」といわれる
名将たちの伝承があって、そこからパクったモノらしいです。
複数存在する「武田二十四将図」などは、そもそも軍談から派生したモノでなので、
歴史的な検証などはいい加減です。
しかも大体のメンバーは決まっているものの、作者がこっそり自分の先祖や、
先祖が仕えた武将を入れてしまったりするので、
各将の活躍した時代も、二十四人のメンバーも、図によってバラバラという事態になっております。
19日曜8時の名無しさん:2007/10/17(水) 00:02:39.36 ID:HyGiaPAc
●小山田信有が「郡内領主」と言われていましたが、どういうものですか? 
 板垣信方など、他の家臣とはどう違うのでしょう。
○小山田氏は桓武平氏の流れを組む名門で、守護武田氏が内紛で弱体化していた戦国初期には、
甲斐国東南の都留郡(郡内)を治める統領として「郡内守護」を自称していました。
地形的にも甲府など甲斐国中心部からは隔絶された郡内を支配下におく小山田氏は、
信濃において守護小笠原氏に従属していない諏訪氏や村上氏と同様に、
甲斐において守護武田氏には従属しない独立した国人領主としての道を歩んでいました。

板垣・飯富・甘利らの諸氏も、自らの支配領域を持つ領主ですが、
元々武田一族(甲斐源氏)でもある彼らは政治的に武田宗家を主君として仰ぎ、
軍役などを負担しています。
しかし信虎が14歳の時に武田宗家の後継者争いに勝って、
その勢いで小山田領に攻め込んだ際には、
小山田氏は信虎に対して臣従するいわれのない独立領主として戦います。
そして痛み分けのような形で信虎が妹を嫁に出す形で
武田氏と小山田氏の「同盟」が結ばれた形になりました。
この相手が今ドラマに出ている小山田(出羽守信有)の父親にあたる越中守信有です。

その後、信虎が行った中央集権化によって、
小山田氏も本拠地の郡内を離れていわば江戸時代の参勤交代のように甲府に住まわされ、
軍役などの負担も求められる家臣に近い位置にねじ伏せられます。
しかし信虎も、小山田氏の格式を立てて他の「部下」とは別格の扱いをしていました。
ドラマでの小山田信有の発言は、そういう状況下で付かず離れずうまく泳ぎきっている
小山田氏のプライドと屈折の表れと見てよいでしょう。
ドラマでは板垣信方や甘利虎泰よりも下座に位置していますが、
この時小山田信有は数え17歳(ドラマ開始時点)の若輩もいいところなので、
下座でもおかしくないようです。

●平賀源心の娘婿の大井氏と、第19回に出てきた大井貞隆は違う人ですが同じ一族なのですか?
 大井夫人とは関係あるのでしょうか?
○第19回に出てきた大井貞隆は、平賀源心の兄。
信濃の大井氏は、鎌倉時代に小笠原氏から分かれた家。
甲斐の大井氏は、南北朝時代に武田氏から分かれた家。
よって関係はありません。

●輿入れの際(三条・禰々・由布)が首に下げていた筒は何?
○あれは「懸け守り」といって、文字通りお守りです。
嫁入りだけではなく、社寺詣での時にも懸けたりしていました。
20日曜8時の名無しさん:2007/10/17(水) 00:03:45.06 ID:HyGiaPAc
●「古河公方」「関東管領」とは?
○公方=将軍家(またはその代理人)。管領=公方を補佐して政務全般を取り仕切る役職。
この時代、当然京都にも公方(室町幕府将軍)と管領がいますが、
ここでの「公方」「管領」はそのことではありません。
室町幕府成立後、かつて鎌倉幕府の本拠地関東を治めるため、
京都の室町幕府から将軍の代理人である「関東の公方」(「鎌倉公方」)として
足利将軍家の親族が派遣されました。
また上杉氏は「関東の管領」(「関東管領」)として、この鎌倉公方の補佐役の地位を世襲しました。

しかし関東管領の任命権は鎌倉公方でなく室町幕府(将軍)側にあり、
鎌倉公方が幕府と対立したりした場合には、関東管領は幕府側に立って働くことが多い存在でした。
のちに鎌倉公方は幕府と対立して関東管領を含む幕府軍に滅ぼされ、
その後一時的に復興しますが、再び幕府と対立して鎌倉を追い出されてしまいます。
そして鎌倉を追われた鎌倉公方の子孫が
下総国古河(現茨城県古河市)へと移ったものが、「古河公方」です。

当時の関東は独立の気風が強く、中央の権威が届きにくい状況でしたが、
鎌倉公方の血筋は関東の武士たちに対し、大きな影響力を誇りました。
一方、関東管領も公方以外では関東における最高の地位としてその権威を誇りましたが、
上杉氏内部での山内上杉氏(嫡流)と扇谷上杉氏(庶流)の度重なる内紛や、
後北条氏の関東進出によって勢力を衰退させていきます。
関東管領上杉憲政は河越夜戦に負けることによってさらに権力を失い、
最終的に越後の長尾景虎(上杉謙信)を頼って山内上杉氏の家督と関東管領職を譲ります。

●北条氏と上杉氏は何で対立しているの?
○後北条氏(小田原北条氏)は、関東での覇権確立を目標として
氏綱の時代に苗字を元の「伊勢」から「北条」に変えました。
しかしこの「北条」という苗字は、明らかに鎌倉時代に
公方(鎌倉幕府将軍)の補佐役(執権)として実権を握った鎌倉北条氏を意識したものでした。
つまり後北条氏にとって「北条」を名乗ることは、
自らが公方(古河公方)の補佐役として関東を支配する正統性を主張することだったのです。

後北条氏のこの姿勢は、古河公方の存在自体を直接的に否定するものではありませんでしたが、
それまで関東管領を代々世襲して関東における公方の補佐役を自任してきた上杉氏側にとっては、
絶対に容認できないものだったのです。
こうした理由から、この時期の関東においては、
北条vs上杉というのが基本的な対立の構図となるのです。

●河越夜戦の直前に、武田晴信の斡旋で今川義元と北条氏康は和睦しましたが、
これは武田・北条・今川の三者の間に三国同盟が成立したということですか?
○「和睦」と「同盟」はイコールではありません。
この段階では「河東一乱」と呼ばれる後北条氏の東駿河への侵攻が停止され、
駿河全域を今川領とすることで、今川義元と北条氏康の和睦(停戦)が成立しただけです。
これから暫くして、三者の間で正式に同盟関係(甲相駿三国同盟)が成立します。 (40話「三国同盟」)
21日曜8時の名無しさん:2007/10/17(水) 16:31:32.13 ID:gceS4H1u
スレ立て、よ〜した、大儀である!
22日曜8時の名無しさん:2007/10/18(木) 00:13:04.15 ID:m6IoPQ7s
初心者過ぎてちょっと申し訳ないくらいの質問なんですが
謙信公ご愛用と伝わる琵琶が紀行で映りましたが
「朝嵐」と書いて何と読めば良いのでしょうか?
「あさあらし」?「ちょうらん」?
一応ググってみたのですが読み方は見付けられませんでした。
宜しくお願いします。
23日曜8時の名無しさん:2007/10/18(木) 00:17:01.88 ID:HEy8MUbj
ドラマでは、
勘助は50過ぎてもまだ官職を名乗ってないけど、何故ですか?
他の人はみんな、箔付けのために官職名乗っていたんでしょ?
兄が死んだとき、兄の官職を受け継がなかったのかな?
24日曜8時の名無しさん:2007/10/18(木) 00:20:47.99 ID:YYohzs87
>>22
「朝嵐(あさあらし)」という熟語があるが、
琵琶の名前をそれにちなんでつけたと思うので「あさあらし」だろう。
25日曜8時の名無しさん:2007/10/18(木) 00:36:40.20 ID:S+MRXsYk
>>23
山本 勘助 晴幸だから名乗ったら勘助じゃなくなっちまう
26日曜8時の名無しさん:2007/10/18(木) 00:50:29.90 ID:DAj0ZXjh
昭和40年代に発見された古文書によって、
「書状内に名が挙がっているので、山本菅助という人物は居たらしい」
ということ以外は究明されていない未だに詳細不明の人物。
そんな人物の(史料的裏づけのとれる)官職名など伝わっていない。

小説「風林火山」内の設定としても、官職など名乗っていない。
27日曜8時の名無しさん:2007/10/18(木) 22:06:33.74 ID:CBgcwL+8
勘助には子がいたみたいですが誰の子ですか?
28日曜8時の名無しさん:2007/10/18(木) 22:24:25.93 ID:n7EkvVee
>>23
箔付けといえども、
主君からの許可が要る。
官職名を名乗れる人とそうじゃない人とで、
差別化を図ったんだろうね。

独立独歩の国人なら、
勝手に名乗ることもできたかもしれないが、
勘助の場合、そうじゃない。

いずれにせよ、朝廷・幕府(幕府をとおすから)の関知しない官名詐称ではあるが。
2922:2007/10/18(木) 22:50:06.78 ID:m6IoPQ7s
>>24
ありがとうございました。
「朝嵐」は辞書によれば「朝吹く強い風」って。そのまんまw
何故に「朝嵐」と名付けられたのか?
謙信公のお心が凡人の私には計り知れぬのが残念です。
30日曜8時の名無しさん:2007/10/18(木) 22:52:46.55 ID:DAj0ZXjh
>>27
文献や書状できちんと裏づけられる子はいない。

>>28
山本勘助の場合は、創作物の中でも官職名をもっていないはず。
せいぜいが、山本勘助晴幸、入道して道鬼・・・という創作。
戦国武士の官命詐称の前に「伝わっていない」のだから。
31日曜8時の名無しさん:2007/10/18(木) 23:36:11.62 ID:krLicvXj
>29
謙信公が朝に弾く琵琶の音は春日山から遠く佐渡まで響いたと言われる…。
朝嵐という名の琵琶だから付いた伝承か
朝にいつも謙信が弾いていたので朝嵐と名付けられたのかは知りませんが。
32日曜8時の名無しさん:2007/10/21(日) 07:56:33.78 ID:VcYA10ra
今までスタパでどれくらい風林の裏側が放送されましたか?ゲストで出た人は?

スタパを忘れていたり運が悪かったりで、甘利さんの回しか見ておらず(´・ω・`)

見た時に限って関係ない特集してるんだよorz
昨日はケイソコスギだし…全く関係ねぇ。
33日曜8時の名無しさん:2007/10/21(日) 12:50:45.48 ID:5FEmsx/4
ようつべでみられるよ。
亀や勘助や由布姫や板垣や平蔵や寿桂尼様が出たよ。
そのほか千住明氏など作曲家の人も。
朝の「この人にときめき」という番組では、勘助の化粧の様子やロケ風景や
剣術道場で真剣で居あい抜きしてる様子がみれる。
オープニング製作風景など、検索すれば、今もみれるよ。
3432:2007/10/21(日) 13:46:58.74 ID:VcYA10ra
>>33 うわぁありがとう…。やはり出まくってたんですね…
35日曜8時の名無しさん:2007/10/21(日) 19:09:46.75 ID:ZFP8xDFJ
>>25
通称と官途名は別なので、官職を得ると通称が消滅するわけではない。
36日曜8時の名無しさん:2007/10/21(日) 19:33:37.82 ID:PCOZyquw
立場、上下の違いで尊称の別も使い分けられるが
・公の場 官職があれば官職名で呼び合うケース多し。
・私の場 関係性によって多少変わってくるが、親しい者同士なら通称で呼び合う。

余談ながら、晴信とか景虎、義元等の「諱」で相手を呼ぶケースは極めてイレギュラー。
というのも「諱」は「忌み名=真名」であり、みだりに呼ばわることは避けられたため。
つまり諱は口語として使用されるケースは滅多になく、時に目上の立場の者が蔑む
ニュアンスで配下を諱で呼ぶとか、あるいは本人が同席していない場で、やはり蔑むように
諱で他者を呼ばわる場合にほぼ限られると思う。「言霊信仰」等も影響していると思う。
諱を用いるのは公式的な文書に通常は限られると考えてよい。
37日曜8時の名無しさん:2007/10/21(日) 21:05:17.76 ID:4f5Pkdp2
由布姫の墓に書いてあった字は何でしょうか?
一緒に見てた父親が「凡字だ」と言うのですが、ぐぐっても良く分かりません。
3837:2007/10/21(日) 21:06:36.61 ID:4f5Pkdp2
梵字でした。すいません。
39日曜8時の名無しさん:2007/10/21(日) 21:46:31.79 ID:90HXDk03
>37
梵字で「由布姫の墓」って書いてあったよ。
40日曜8時の名無しさん:2007/10/21(日) 22:00:06.33 ID:EdNXh5gd
なんで大河ドラマ一本で、こんなにスレッドがあるんですか?
(´・ω・`)フシギダナ〜
41日曜8時の名無しさん:2007/10/21(日) 22:20:50.19 ID:at7QJ+TT
>>40
それだけ奥の深いドラマだということさあ!!

ま、実際には
史実好き、超展開好き、ガク好き、内野好き、どこでも武者震っちゃう人、乱捕り大好き、なにがなんでもエロニヒルetc
性質の違いすぎるの住人が多いから、から住み分けないとトラブルになっちゃうからじゃないかなと思う
42日曜8時の名無しさん:2007/10/21(日) 22:24:23.59 ID:SNkVyuJA
高野山に謙信の墓があるのはどうしてですか?
納骨はされてますか?
43日曜8時の名無しさん:2007/10/21(日) 22:33:06.04 ID:EdNXh5gd
>>41
ちょっとスレ違いな質問に、
丁寧なお答え有難うございます。
44日曜8時の名無しさん:2007/10/21(日) 22:52:08.83 ID:0zTitOKy
>>39
ありがとうございます。
45日曜8時の名無しさん:2007/10/22(月) 00:09:03.44 ID:Vf+zKSv2
長尾家家中の派閥争いの説明は
途中参加組にはわかりにくかったかも。
46日曜8時の名無しさん:2007/10/22(月) 00:18:45.54 ID:cOLTmwAC
質問です
今日、高野山のお坊さんが、
勘助と謙信に対して
「一方は自分を高く見すぎ、一方は自分を低く見すぎでいる」
とおっしゃってましたが
どっちがどっちなのでしょう?
おしえてください
47日曜8時の名無しさん:2007/10/22(月) 00:22:26.11 ID:NND/NOfb
でも譜代派と上杉派って言ってなかったけ? 分かりやすく別れて
座ってたし。その二大派閥があるんか。管領は越後にいるんか。
でだいたいいいんじゃないかな。
48日曜8時の名無しさん:2007/10/22(月) 00:29:32.98 ID:jy/ePiD0
越後から高野山への経路と所要日数を教えて下さい。
同じく甲斐(もしくは諏訪?)から高野山へも。
49日曜8時の名無しさん:2007/10/22(月) 00:58:36.72 ID:DwJ4Uo9U
はづきが伝兵衛に、敵の情報を得るためには男とも寝ると言っていましたが、この当時のくの一は避妊や性病防止はどうしていたんですか?
孕んだり、病気になっては任務に差し支えると思うんですが。
50日曜8時の名無しさん:2007/10/22(月) 01:04:50.69 ID:Vf+zKSv2
>>49
魚の浮き袋をコンドム替わりにしたとか
交渉前に和紙を詰め込んでおくとか
よく言われている避妊性病予防はこんなところ。
51日曜8時の名無しさん:2007/10/22(月) 01:10:33.02 ID:OZEFTz+J
10月発売の「ISプレス」の佐治良太ネームのDIMEのメディアヲッチ?だかで書いた記事が日系エンターテインメントに乗せた記事と同じなんだけど。

「秋のテレビは男性ばかりの男祭」とかいうやつ。

これって編プロとしてありなん?

DIMEからすれば日系の盗作みたいになるわけだし。
52日曜8時の名無しさん:2007/10/22(月) 01:13:32.79 ID:f6WFYDc4
政景が直江に「政景様」と呼ばれていましたが、
景虎の従兄弟で義兄の政景は、殿でなく様づけされるほど偉いのですか?
53日曜8時の名無しさん:2007/10/22(月) 01:16:07.47 ID:1Ehw5gb9
それと流すことも比較的普通だったぽい。
鬼灯の茎で刺して掻き出すなんて荒業もあったが、
いずれ人為的に「流す」堕胎は結構広く行われていたぽ。
54日曜8時の名無しさん:2007/10/22(月) 03:59:40.26 ID:38ah7Mr4
長尾家の家臣にとっては政景は主筋だろう
この当時はNo2だったはず
55日曜8時の名無しさん:2007/10/22(月) 05:03:47.03 ID:SmSPI6C7
上杉影勝の親父は長尾政景だったっけ?
56日曜8時の名無しさん:2007/10/22(月) 06:11:15.39 ID:f1ENY2E8
>>36
一般的には、
武田大膳大夫殿、
今川治部大輔殿、
北条左京大夫殿、
長尾弾正少弼殿、
で事足りるね。
57日曜8時の名無しさん:2007/10/22(月) 06:27:56.44 ID:VH3+/eV9
>>52
直江は長尾本家の陪臣で、傍流とはいえ長尾政景は格上ってところ
58日曜8時の名無しさん:2007/10/22(月) 06:41:05.97 ID:eNk9D0sx
昨日の見逃したんだが、土曜までまたずに視聴できるとこしらない?
ようつべとニコニコには当然のことながらなかった。
59日曜8時の名無しさん:2007/10/22(月) 10:11:48.69 ID:yf0iJ+xX
>>42
高野山は宗派を限らず「日本の宗菩提寺」といわれる聖地、霊場だから。
実質ご当地の菩提寺や埋葬墓とはまた別に、
供養や回向のための墓を建立するような聖地、霊場。
平安末期から戦国有名人、江戸期の大名家の供養塔、参り墓
おびただしい墓塔が参道沿に並んでいるいことはかなり有名。

例えば戦国期だけの有名人でも、信玄・勝頼、謙信に
信長に光秀に柴田勝家に後北条家に、千姫に崇源院(お江与)に
まだまだ多数の大名家(いちいちその名を書き出すのも大変なほど)
高野山のガイドブック等を見れば、地図として載っている。

謙信の墓塔内の埋葬物までは知りません。
60日曜8時の名無しさん:2007/10/22(月) 16:41:53.71 ID:YpqHfOyl
>>46
ヒント:坊さんの目線
61日曜8時の名無しさん:2007/10/22(月) 17:40:30.41 ID:Z4ACib8E
影虎が、鎧を着けずに敵の城に突入していくエピソードは、
ラストまでに出てくる可能性はあるんでしょうか?
62日曜8時の名無しさん:2007/10/22(月) 18:42:46.63 ID:JoIy1QcM
関東出兵があるみたいだからもしかしたらあるかもね。
63日曜8時の名無しさん:2007/10/23(火) 00:42:32.13 ID:ab42kZs+
>>62 ありがとう。
あるといいなあ〜。
64日曜8時の名無しさん:2007/10/23(火) 01:30:08.82 ID:2WzxgbL9
アレ? 確か勝頼も上州の城を肌着だけ?かナンかで落としてるよね。
けっこうあるエピソードなのか。
65日曜8時の名無しさん:2007/10/23(火) 15:39:13.26 ID:wKBH+7qe
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2007/10/inspectors-map-of-ulleungdo-shows.html
竹島に関するまじめな英語のブログです。
ここ2〜3日「ネチズン」に知られて竹島はどっちに属するの投票で、日本圧倒的有利が大きく逆転されました。
投票といえば、まずこっちを投票しましょう。
竹島が日本に属すると思う方は、サイト右側のJapanをクリックしてください。
他のスレでも応援よろしくお願いします。
66日曜8時の名無しさん:2007/10/23(火) 16:07:12.46 ID:CiIou1GJ
>>59
ただ甲斐武田氏に関しては、そういう普通の大名家以上に高野山と深い繋がりがあるね。
信玄の直接の先祖に当たる人物が20年間くらい高野山で暮らした過去もあるし。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%87%8D
6759:2007/10/23(火) 22:20:22.17 ID:SNAkZMAa
>>60
そう。
諏訪御料人の没年の立証をするのに重要だったのが、高野山の過去帳。
勝頼、信勝、北条夫人の3人の画像が高野山に残るのは、
勝頼の意志を受けた武田旧臣によって、死後あげられたもの。
信玄の末男、信清が一時逃れたのも高野山。

で、ごめんなさい。自分はwikiは見ないんだよね。
68日曜8時の名無しさん:2007/10/23(火) 22:41:37.84 ID:mToRqFtr
>>66は信玄の5代前の武田信重の話だよ。
69日曜8時の名無しさん:2007/10/24(水) 00:23:21.72 ID:tDnW66bE
>>66
武田信重(たけだのぶしげ、1386年(元中3年/至徳3年)−1450年(宝徳2年))は、
室町時代中期の守護大名。甲斐武田氏の第14代当主。父は第13代当主・武田信満の
長男。母は小山田弥三郎の娘。武田信長の兄。

通称は武田三郎。1417年、上杉禅秀の乱で父・信満が縁者の上杉氏憲に与して
敗戦、自害を余儀なくされた後、剃髪して高野山に入ったため、一命は助けられた。
このとき、光増坊道成と号している。
ちなみに武田氏は叔父の武田信元が継いでいたが、無能だったため、甲斐源氏
嫡流の座を取り戻そうとし鎌倉公方足利持氏と結び反抗を続ける逸見有直を
押さえきれず、また国政を重臣の守護代跡部明海に牛耳られており、上総の
武田信長の子伊豆千代丸を養子に迎え、信長の力で跡部氏を排除しようとしたが
果たせなかった。
還俗した信重は1440年、結城合戦を契機に復帰し、この合戦で結城持朝を
討ち取るなど武功を挙げた。その後、家督を継いで当主となり、将軍足利義教と
信濃守護小笠原氏の後援の下で叔父の時代に専横を極めていた跡部明海・景家
父子を降参させて甲斐に入国したが、その後も領内経営は安定しなかった。
1450年11月に死去し(穴山伊豆守に殺害されたという)、後を子の武田信守が
継いだ。
墓所は成就院(山梨県笛吹市)。ここは信重の館跡でもある。
70日曜8時の名無しさん:2007/10/24(水) 02:31:51.63 ID:ob8vXxkW
>>64
どうだろうね。
よくあったら膳城素肌攻めは鎧着けるヒマがなかっただけにせよ
伝説級武勲にはなってないだろうし
前田利家が晩年
「近頃の若い者は籠り者(民家に立て篭って暴れる人)に装束整えて出て来やがる」
「ワシの若い頃はみんな着流しでスッ飛んで来てブツクサ…」
なんて事言ってるから、すわという時は裸でもカチ込む根性が当たり前でもあったぽいし。
71日曜8時の名無しさん:2007/10/24(水) 02:39:37.59 ID:3+kO1SpG
でも近世の後半には、本格的な戦闘でも鎧兜なんてほとんど身につけなくなるし。
72日曜8時の名無しさん:2007/10/24(水) 02:57:53.49 ID:yZRgfY3B
膳城攻めはやけのヤンパチというか、勝頼のストレス発散を
兼ねたデモンストレーションだったんじゃね?w 
もちろん、いかにも弱そうだったのを見極めた上で。田舎だから
評判になって周辺の城も武田方で収まったんじゃなかったか。
大局的には、もう武田も末期で西方から崩れるからあんま意味
なかったけど。

73日曜8時の名無しさん:2007/10/24(水) 13:05:38.93 ID:b2YcQxE/
勘助が晴信に、いとまをお願いする書状の最後、
山本勘助の署名の後・・・・なんかマーク(絵?)みたいなのが
書いてあるのですが、あれはなんなのでしょうか?
印鑑の代わりみたいなもの?
どんな意味があるのでしょうか?
74日曜8時の名無しさん:2007/10/24(水) 13:09:00.74 ID:u3XZ+krn
>73
花押(かおう)。役割は印鑑の代わりみたいなもの、で正しい。
各人が「これは自分が書いたものですよー」ってサインする。
75日曜8時の名無しさん:2007/10/24(水) 13:11:48.57 ID:b2YcQxE/
>>74
ありがとうございます!そうですか、すっきりしました。
76日曜8時の名無しさん:2007/10/24(水) 18:40:09.41 ID:xMdgzZCU
なんでリツ姫は勘助のことを「だんな様」、勘助は「リツ殿」って呼ぶんですか?
「父上」「リツ」だと思うんですが。
77日曜8時の名無しさん:2007/10/24(水) 19:56:17.08 ID:iwtTg4R9
 越後守護代長尾家ですが、あの実朝を暗殺した公暁を討った長尾氏の一族なのですか?
だとしたら結構血塗られた家系だと思うが。もしそうだとしたら、そこから上杉謙信が
生まれるのは歴史の皮肉?
78日曜8時の名無しさん:2007/10/24(水) 20:13:16.38 ID:9m0gfCtZ
>>77
長尾氏は坂東八平氏の一流で、鎌倉氏や大庭氏と同じ一族。三浦氏の被官で、公暁を討伐した
長尾定景は三浦義村の家臣。宝治合戦で主家の三浦氏宗家ともどもほど殲滅されてしまった上に、
生き残りの長尾基景にも子がなく、姻戚関係にあった上杉氏より藤景を長尾氏当主に迎える。
この藤景にも男子がなく、その後を弟の上杉藤明が継ぐことになる。以後、藤明の子孫から越後や白井、
総社などの各長尾氏が派生する。
79日曜8時の名無しさん:2007/10/24(水) 21:11:05.75 ID:iwtTg4R9
 >>78
ありがとうございます。三浦氏とともに滅びたのか。さみしいのう
80日曜8時の名無しさん:2007/10/24(水) 21:21:36.45 ID:q3V7Z2bA
寅王丸が後の徳川家康になるの?
凄い勉強になったよ。
武田家の血を引いてるなんて
81日曜8時の名無しさん:2007/10/24(水) 22:11:54.95 ID:A7n2himf
>>80
ネタで言ってるのかマジなのかわかりませんw
82日曜8時の名無しさん:2007/10/24(水) 23:40:59.00 ID:uxr9Nb2E
もちマジ
83日曜8時の名無しさん:2007/10/24(水) 23:47:29.19 ID:smUgpybx
>>76
養子関係でしかも縁組したばかりじゃあまり馴れ馴れしくはできなかろうて。
84日曜8時の名無しさん:2007/10/25(木) 08:40:36.93 ID:LZQZFtmW
家康なら先週出てきただろが
85日曜8時の名無しさん:2007/10/25(木) 10:06:15.15 ID:n7giOCsL
>>80
このドラマ的には寅王丸→松平元信→徳川家康だね。

ただ、当然史実とは違うと思われる。
あと武田の血を引いてるとはいえ、女系だからあまり意味がない。
86日曜8時の名無しさん:2007/10/25(木) 10:12:26.69 ID:caVSKYEO
寅王丸→松平元信なんて全く説明されてないが
その妄想はどこから。
87日曜8時の名無しさん:2007/10/25(木) 10:15:19.65 ID:Qyy4M+aE
家康は41回に出てきて
成長後の寅王丸は44回に出てくる
作中でも明らかに別人として描写されてる
88日曜8時の名無しさん:2007/10/25(木) 15:31:02.04 ID:laF9jEXY
天界和尚か根治因数伝かもしれないぞ、滝川一益もある

六平太かも
89日曜8時の名無しさん:2007/10/25(木) 16:13:57.37 ID:rVtURt0T
85ってスゲェww
90日曜8時の名無しさん:2007/10/25(木) 16:40:10.57 ID:PEFwbzp3
なぜ内藤昌豊は登場しないのでしょうか?
91名無し募集中:2007/10/25(木) 16:56:36.20 ID:SrbvwrDH
ドラマの中で気になったシーン

・ドラマの中で、由布姫が勘助と晴信に「攻めた木曾にお琴姫の
娘を嫁がせる事」を提案していたけどこれで信濃国内(川中島以
北の北信濃を除いて)に武田家に反抗する勢力はいなくなったっ
て事?

・ドラマの中で、お琴姫(晴信のいとこ)が武田家の側室になったけ
ど信虎が追放された後の甲斐は、まだ統一されてなかったの?史実
では後に、油川夫人になるけど側室なのになぜ正室の三条の方(また
は三条夫人)と同じ「夫人」なの?あと、勝頼の母は諏訪御寮人と
呼ばれているけどそれはどうして?
92日曜8時の名無しさん:2007/10/25(木) 17:27:57.62 ID:LqUCMHU8
三条・諏訪の二人がいなくなった後は正室待遇だったとか?
諏訪氏は信濃の現地妻で甲府にはいなかったとか?

勝手な想像だけどな
93日曜8時の名無しさん:2007/10/25(木) 18:08:20.99 ID:zdnMeYMm
>>91
夫人やら御寮人やらそれほど意味はない。

そもそも、三条夫人が「正室」かどうかも実もあやしい。
なぜなら、晴信は三条夫人以前に正室を扇谷上杉から迎えてるから。
その夫人は若くして亡くなる。
94日曜8時の名無しさん:2007/10/25(木) 18:46:50.38 ID:c2I+05PE
このドラマ的って、85はどのドラマを見てるんだよw
風林火山じゃなさそうだけど
95日曜8時の名無しさん:2007/10/25(木) 19:02:13.38 ID:JQM3hE0R
原虎胤って小弓城を真里谷氏に追われて、その真里谷氏の本家筋にあたる
甲斐武田氏に仕官したってことであってますか?
敵だった家の本家筋に仕官って裏切り者っぽく見えるけど、
本家と分家といっても別の家感覚なんでしょうか?
96日曜8時の名無しさん:2007/10/25(木) 21:08:16.67 ID:EhIy8pwU
戦国時代はそもそも裏切ったり裏切られたり。
昨日の敵は今日の味方。
だから敵の本家筋だからとか、血族だからという感情は全くないよ。
97日曜8時の名無しさん:2007/10/25(木) 21:44:42.11 ID:d91QuZBm
大友宗麟や斉藤道三の息子は実の父親を殺してるし、伊達政宗は目の前で敵の捕虜になった
父親を見殺しにしてるし、家康や信玄は実の息子や妻を殺してるし、政治の為なら血縁関係は
何の意味もないんじゃないかな。
親戚や兄弟は領地や財産をめぐってライバル関係にあるから、かえって敵なわけだし、
本当に信頼できるのは、血判の誓約書をかわした家臣や乳母や守役や側近。

貴族は子育てにノータッチで、三条も乳母任せで実の子に乳をやる習慣はないし、
太郎や四郎も実の父親より、守役の緒富や勘助(守役ではないが)のほう身近で、緒富は最後に
太郎と運命を共にするし、信玄の葬式を取り仕切るのは寵愛した小姓の源五郎だし、
戦国武将の身内に対する感情はクールで冷たい印象がある。
98日曜8時の名無しさん:2007/10/25(木) 22:14:57.91 ID:Zav74Z7F
ノベライズとやらはどうすれば入手することが出来るのでしょうか?
99日曜8時の名無しさん:2007/10/25(木) 22:43:05.53 ID:CBKrQc4L
>>97
>政治の為なら血縁関係は
>何の意味もないんじゃないかな。

何の意味もないのだとしたら
何故婚姻関係を元にした同盟を結ぶのでしょうか?
(甲駿相の三国同盟とか)
100日曜8時の名無しさん:2007/10/25(木) 22:47:29.22 ID:c+UihGxP
101日曜8時の名無しさん:2007/10/25(木) 23:00:54.45 ID:d91QuZBm
言い方が極端すぎた。同盟の為には肉親の情を殺して生き延びるしかなかった。
102日曜8時の名無しさん:2007/10/25(木) 23:38:38.23 ID:c2I+05PE
>>98
「風林火山」全4巻(NHK出版)
普通に本屋で売ってる書籍なので、どこででも入手できる。
103日曜8時の名無しさん:2007/10/25(木) 23:49:06.73 ID:LZQZFtmW
>>97
オブさんの字は「飯」富だよ
10498:2007/10/25(木) 23:56:39.46 ID:Zav74Z7F
>>102 ありがとうございます。そんな秘本が出版されているとは知りませんでした。
105日曜8時の名無しさん:2007/10/26(金) 06:44:29.54 ID:WPWqEIUn
>>97
>伊達政宗は目の前で敵の捕虜になった父親を見殺しにしてる

あれは「見殺し」とは言わんだろ。
106日曜8時の名無しさん:2007/10/26(金) 09:39:53.64 ID:5ZWAKvCs
伊達政宗は弟も殺してたろ。
107日曜8時の名無しさん:2007/10/26(金) 10:27:06.95 ID:TVg1r/Ai
伊達政宗・・・弟を殺した
上杉謙信・・・兄を追放
武田信玄・・・父を追放、長男を殺した
織田信長・・・弟を殺した

源頼朝・・・・弟を殺した、義経と範頼
足利尊氏・・・弟を殺した

武家の相続争いは血を見ること多い
108日曜8時の名無しさん:2007/10/26(金) 11:26:29.13 ID:7IpnCLpW
>上杉謙信・・・兄を追放
捨て扶持やって隠居させただけだから失脚させただろう
109日曜8時の名無しさん:2007/10/26(金) 11:33:31.55 ID:TVg1r/Ai
毛利元就は周囲の人間が親族・家臣・敵国かかわらず
なぜか都合のいいときに死んでいく
110日曜8時の名無しさん:2007/10/26(金) 13:08:31.21 ID:+gpIAYKO
元就みたいなのは信用が置けないな。

…と、心からそう思う吉宗であった。
111日曜8時の名無しさん:2007/10/26(金) 14:26:29.24 ID:AcBmr55r
伊達政宗は母親に毒を盛られて領国追放。
変わりに弟を殺害。でも朝鮮出兵中も手紙のやり取りはしてたらしい。
母親の兄の娘は秀吉に殺害され、世渡り下手で実家は滅亡。
112日曜8時の名無しさん:2007/10/26(金) 14:49:42.08 ID:xza4FfmU
身内を死なせてない謙信が凄い義の武将に思えてきた。
113日曜8時の名無しさん:2007/10/26(金) 16:05:40.31 ID:AcBmr55r
風林歴史紀行で北条家が、めずらしく骨肉の争いのない大名だと紹介されてたな。
謙信みたいに無理やり兄から家督を奪ったりしなかった。
114日曜8時の名無しさん:2007/10/26(金) 16:29:01.56 ID:xza4FfmU
そりゃ氏康は氏綱正室の長男だからなw
信虎みたいに氏綱が氏康の器量を心配していたにせよ
弟に継がせようとしなかったのはありがたかったな。
あと無理やり家督を奪ったってのは語弊があるぞ。
115日曜8時の名無しさん:2007/10/26(金) 17:51:40.95 ID:CT0VuWQJ
先週、勘助と影虎が高野山で斬り合いをしていましたが、
・勘助が持っていたのは仕込み杖?
・最初の内勘助は刀を抜いていないですが、鞘で刀を受けて多のですか?
・影虎はなぜ勘助(道庵)だと気付いていきなり斬りかかったのですか?
この3つが気になったのですが。
116日曜8時の名無しさん:2007/10/26(金) 18:12:13.39 ID:gEJuBw/z
勘助が持ってたのは仕込み杖。
景虎は後ろからこそこそ近づいてきた不審者に杖で打ち掛かったら
顔見たら勘助だったから自分の命を狙った武田の刺客だと思って
仕込み杖を抜いて斬り掛かった、んだと思う。
117日曜8時の名無しさん:2007/10/26(金) 22:09:55.00 ID:DS86gudh
>>116
あと、「せっかく現実逃避出来たのに! ムキー!ヽ(`Д´)ノ」もあると思う。

勘助=武田家=俗世の権化

…に見えたんだろう。
118日曜8時の名無しさん:2007/10/26(金) 23:15:24.40 ID:3M50Npd2
>>112
野尻池ダイバー宇佐美と一緒に溺死した政景は
謙信の指示で殺されたのかね?
119日曜8時の名無しさん:2007/10/26(金) 23:28:58.88 ID:gEJuBw/z
政景の死が謙信の陰謀なんて信憑性無いでしょ。
謙信がいない間春日山城任せたり政景も忠実に仕えてるし
政景死後は景勝引き取って育てて大きくなったら上田長尾領そっくり返してるのに
謙信が政景をあのタイミングで謀殺する動機は薄いよ。
120日曜8時の名無しさん:2007/10/27(土) 00:44:32.57 ID:IU92dy4u
>>91
何か、歴史上のことと物語内のことを混乱させている?
於琴姫が油川夫人になる・・・のでは無いよ。

実名不詳の信玄側室・油川氏が油川夫人と通称されていて
井上靖「風林火山」で於琴姫、新田次郎「武田信玄」で恵理と
作中命名されているという事。さんざん概出な話だけど。
於琴姫は「風林火山」の物語内ではずっと「於琴姫」

>>93
晴信が天文2年に上杉朝興の娘(懐妊して翌年死亡)を
娶っているのはそうだけど、
だからといって三条が「正室」では無い・・・なんて。
そんな説を書いてる人がいるなら、名を教えて欲しいくらいだな。
清華七家の転法輪三条家の姫で、国内の名僧を集めた葬儀が行われ
甲府五山でもある円光院という立派な菩提寺があるといのに、
>「正室」かどうかも実はあやしい   のかwww
121日曜8時の名無しさん:2007/10/27(土) 00:45:57.48 ID:b/eXY2QP
>>119
いや、タイミングとしては最高の時に政影は死んでるよ。
景勝を後継候補にした時点で実父の政影は危険な存在。
122日曜8時の名無しさん:2007/10/27(土) 00:47:50.18 ID:83IXM2o1
武者震いの人ってどうなるんですか?

やっぱり義元さまと討ち死に?
123日曜8時の名無しさん:2007/10/27(土) 00:53:51.09 ID:Ghrhggqx
>>122
放送をお楽しみに。
気になるならネタバレスレへgo
124日曜8時の名無しさん:2007/10/27(土) 01:30:59.95 ID:zh6P8Rqd
次回で信玄が誕生するそうですが誰の子ですか?
125日曜8時の名無しさん:2007/10/27(土) 01:38:19.61 ID:i8ktKrAm
>>124
仏の子
126日曜8時の名無しさん:2007/10/27(土) 01:56:06.97 ID:ZZsyelnC
信長は誰が・・・??
127日曜8時の名無しさん:2007/10/27(土) 04:58:49.30 ID:kzLVTvxM
この時期になっても話題にならないって事は
顔出しはないのか、特筆するほど有名な役者じゃないんだろね
128日曜8時の名無しさん:2007/10/27(土) 05:03:50.32 ID:DI3o8tFK
>>93
三条夫人は正室と見てまず間違いないだろう。
だいたい武田氏のような一介の守護大名家クラスが、清華家クラスの公家の娘を
側室に迎えるなんてあり得ない。

>>95
甲斐武田と上総武田の分立時の構図でいえば、
甲斐武田=京都の幕府支持派、上総武田=古河公方支持派、
って感じだな。

>>109
毛利元就も弟を殺しているね。
129日曜8時の名無しさん:2007/10/27(土) 05:10:06.13 ID:DI3o8tFK
>>120
まあ一介の大名クラスが公家の娘を側室にすることはできないな。
武家でも将軍家クラスならあり得なくはないが、将軍家の場合、朝廷内の序列に
おいて最低でも摂関家と同格扱いだから別だな。

あと例外的に大内義隆が公家(というか地下官人)の大宮伊治の娘を側室にした
例があるが、この場合も大内義隆のほうが大宮伊治より官位が上。
130日曜8時の名無しさん:2007/10/27(土) 05:31:56.80 ID:b/eXY2QP
>>129
寿桂尼とか
131日曜8時の名無しさん:2007/10/27(土) 07:16:05.36 ID:qmHHt3wT
>>126
佐久間二郎

カットされなければ、11/11放送回に出演予定
132日曜8時の名無しさん:2007/10/27(土) 07:34:05.71 ID:dmoFslUG
>121
タイミング最高も何もいくらでも殺したければ殺せるし
いつでも最高じゃねーかw
景勝どころか最初の義景が産まれた時点で
謙信の最も近い血縁は仙桃院の子なんだから
政景の子=謙信の後継候補は確定だろw
133日曜8時の名無しさん:2007/10/27(土) 11:09:04.88 ID:O9v/UQ7Z
>>129
高帥直は関白の妹を側室にしていた
正式な関係ではないので愛人というべきかな
134日曜8時の名無しさん:2007/10/27(土) 13:39:47.17 ID:vipdH8Pd
>>129
北条氏綱も摂関家、関白の近衛尚通の娘(近衛前久の叔母)を妻にしてる。
関白の娘って一番位高くね?
135日曜8時の名無しさん:2007/10/27(土) 14:42:28.86 ID:69SO42Wg
すみません、風林火山の本スレはどこですか?
136日曜8時の名無しさん:2007/10/27(土) 14:45:16.36 ID:69SO42Wg
すみません、見つかりもうした。
【】がなかったのねorz
137日曜8時の名無しさん:2007/10/27(土) 17:36:05.29 ID:RGtplxuF
>>130
寿桂尼は年齢的に氏親の後妻の可能性が高いが、正室であることには
変わりないと思うが。
花倉の乱に際して、玄広恵探より年下の梅岳承芳に支持が集まった理由だって、
こちらが正室の所生の子である(そして氏輝の同母弟である)ことが大きい
わけだし。

>>133
高師夏の母の二条の君か。
しかしこれは師直が二条家の娘をさらって、ことが発覚したときには
すでに懐妊していたというパターンだから、周囲の同意の上での縁組では
ないことは確かだし、その後も正式な関係ではないだろう。

まあ、あとからもっと身分の高い人を正式に迎え入れた場合には、そのときから
そちらが正室になると考えたほうがいいだろうけどな。
例えば「源氏物語」における夕霧の正室が雲居雁から落葉宮に変わったような
感じだ。
138日曜8時の名無しさん:2007/10/28(日) 00:18:02.05 ID:uH3//vri
第1話から見られるサイトはないですか?
PANDORAは現在頁を表示できない状況なので・・・。
139日曜8時の名無しさん:2007/10/28(日) 05:40:30.02 ID:FFU9C9ft
>>91
長野県(信濃国)の4大区分。
北信・・・高井・水内・更級・埴科
東信・・・佐久・小県
中信・・・安曇・筑摩・木曽
南信・・・諏訪・伊那

まあ北信以外は完全に武田勢力圏だな。
140日曜8時の名無しさん:2007/10/28(日) 13:23:03.56 ID:HIy5HRnd
>>139
木曽郡なんてないぞ?
この当時、木曽は筑摩郡の一部なんだがな。
141日曜8時の名無しさん:2007/10/28(日) 14:21:33.84 ID:eCu7HT48
桃姫の髪型が変わって、着物も豪華になってましたが、
結婚したら変わるものなんですか?
142日曜8時の名無しさん:2007/10/28(日) 14:33:39.78 ID:LZsYj1Ee
基本的に未婚の女性と既婚の女性は別物。
後は嫁入りした先の格とかもあるし。
143日曜8時の名無しさん:2007/10/28(日) 22:43:39.31 ID:vETClLjo
この物語で歴史に存在しない架空の人物は誰ですか?
144日曜8時の名無しさん:2007/10/28(日) 22:52:24.65 ID:T2DQcEyV
本編で信玄(晴信)が策略で出家するわけではないって言ってましたが
他の戦国武将で策略で出家した人っているんですか?
145日曜8時の名無しさん:2007/10/28(日) 23:57:44.45 ID:yHrgsDik
>>143
・矢崎平蔵一家
・ミツ
・葛笠一家
・葉月
146日曜8時の名無しさん:2007/10/29(月) 00:09:00.99 ID:jpjDCMef
>>111
>母親の兄の娘は秀吉に殺害され
って誰のこと?
147日曜8時の名無しさん:2007/10/29(月) 00:13:12.61 ID:POkJA67N
>>146
秀吉が養子で甥の関白秀次の側室が最上の娘なんだよ
一族皆殺しにされちゃったんだ
148147:2007/10/29(月) 00:14:33.13 ID:POkJA67N
酔ってて「てにをは」間違えたスマヌ

×秀吉が
○秀吉の
149日曜8時の名無しさん:2007/10/29(月) 00:21:51.93 ID:lNlFBx5M
>>145
ありがとうございます
伝兵衛、矢崎十吾郎も架空の人物でしょうか?
150日曜8時の名無しさん:2007/10/29(月) 00:29:16.95 ID:TynSXVpW
>>149
伝兵衛は、飯富弟の家臣に同名の人がいる。
そこからとった名前っぽい。

矢崎父はどうだろう?諏訪の家臣に矢崎家は実在したらしいが。
151日曜8時の名無しさん:2007/10/29(月) 00:48:26.63 ID:lNlFBx5M
>>150
なるほど。どちらもキャラクター自体はフィクションっぽいですね。リツもおそらく。
152日曜8時の名無しさん:2007/10/29(月) 00:52:53.36 ID:b/NiwLct
いやいやその前にw架空の人物ってことになると……
主 人 公 自 身 が 架 空 の 人 物
だったりするんだが……
153日曜8時の名無しさん:2007/10/29(月) 00:55:05.88 ID:TynSXVpW
リツについては、勘助の妻が原美濃の娘か姪という説がある。
勘助自体の事がほとんどわかってないから、伝説かもしれないけど。

リツはそこから創作したんじゃないかな。
154日曜8時の名無しさん:2007/10/29(月) 05:01:34.96 ID:jpjDCMef
>>146
ありがとう。すっきりした


風林火山の時代は婚姻関係があちこちにあって家系図萌えにはたまらないわ
155日曜8時の名無しさん:2007/10/29(月) 05:09:08.43 ID:PxIoIj3O
>>140
てゆうか>>139はどこにも“当時の郡名”とは書いてないぞ。
単に地域名として挙げただけだ。

あとこの時期の木曽は、まだ美濃と信濃のどちらに属するか未確定の地域。
当時の木曽については、これを
・美濃国恵那郡に属するという考え方
・信濃国筑摩郡に属するという考え方
・信濃国に属するが筑摩郡の一部ではないという考え方
の3つが錯綜していた。
なお武田信玄は、木曽を信濃国の一部とは考えていたが、筑摩郡の一部とは
考えていなかった。

駒井政武の『高白斎記』天文15年8月19日条には、武田信玄が
勅使三条西実澄に対して
「信濃国12郡を手に入れたら禁裏御料所1万疋を献ずると約束した」という
旨の記述があるが、信濃は元々10郡なので、本来の信濃10郡とは別に
さらに木曽に2郡あるものとして数えていることになる。
これは中世の木曽に存在した小木曽庄と大吉祖庄の領域をを別々の郡として
数えている可能性が高い。

因みに木曽を信濃のうちの2郡と数えることは、武田氏滅亡後の織田信長も
行っていることが、『信長公記』天正10年3月29日条から分かる。
なお天正18年に秀吉が行った知行割りでは、木曽を信濃国のうちの1郡として
扱っている。
156日曜8時の名無しさん:2007/10/29(月) 08:21:21.24 ID:IiUzbWj/
今週、平蔵が村上義清も越後に所領を得て・・・と言ってましたが、
長尾家によそ者の村上に分け与える領地があったのでしょうか?
微禄というわけにも行かないと思うのですが。
157日曜8時の名無しさん:2007/10/29(月) 08:44:14.51 ID:AtQKTPxv
>>156
村上義清が得た領地は、
現在の新潟県糸魚川市あたりの根小屋城・栗山城・上城山城といわれ、
小さい城なので三つまとめて大きな「根知城」といわれ、
根知城城主が村上義清でした。

この根知城は信州長野県との国境にあたるところで、
高禄ではあるが対武田の最前線でもあるところです。
だから、義清にこの土地を防衛線として城を与えたと思われます。
158日曜8時の名無しさん:2007/10/29(月) 09:06:56.10 ID:ZRBxO9Ne
糸魚川周辺というと西頸城郡だな。
そうすると相対する信濃側は北安曇郡だから、村上の本来的な根拠地だった
川中島周辺とは、若干場所が異なるね。

北安曇郡のあたりは当時は仁科氏の勢力圏だね。
159日曜8時の名無しさん:2007/10/29(月) 19:09:15.03 ID:aYxq4ifq
第三次川中島合戦の後、勘助が「市川殿は見事であった」、晴信「勘助を使者に書状を使わした」との会話がありましたが、もしかしてこれって市川文書のことですか?
160日曜8時の名無しさん:2007/10/29(月) 19:14:04.96 ID:BoEIUClu
ミツ・ヒサ・リツ・マキ

こも時代にカタカナ名前のやついたのか?
161日曜8時の名無しさん:2007/10/29(月) 20:26:38.74 ID:POkJA67N
当時漢字の名前持っているのそれなりのお嬢様だけだと思われ
女の人の名前の記述方法の格は

漢字+子>漢字(真名)>片仮名>平仮名

だったと習った(国文科)

ドラマでもそのあたりを意識しているのかと。
だから三条夫人や寿桂尼様など公家のお姫様は、伝わっていないけど本名は○子という名前だったはず、
由布とか美瑠とか浪とか漢字の名前をもらっているのは領主・家老クラスの娘で
リツとかヒサとか武士でも足軽大将より下のクラスの家の娘はわざと片仮名にしてるんじゃないかな

あと志摩とか萩乃など侍女は本名でなく、通称の可能性も大
162日曜8時の名無しさん:2007/10/29(月) 20:56:18.91 ID:4iBJqYmE
>>159
たぶんそのつもりなんだろうな。
163日曜8時の名無しさん:2007/10/29(月) 20:58:52.42 ID:mrlci1aA
いきなり市河云々言われても一般の視聴者は混乱するよな
164日曜8時の名無しさん:2007/10/29(月) 21:05:06.44 ID:aYxq4ifq
以前の紀行で市川文書のことがちらっとでてきたよね。
165日曜8時の名無しさん:2007/10/29(月) 21:37:46.51 ID:IUTxlh4L
脚本の人は細かい逸話ネタを入れて知ってる人にニヤリとさせるのが
好きみたいだが今回は市川文書を知っていても
流石に「テラ無理やり」と思った。
166日曜8時の名無しさん:2007/10/29(月) 21:40:02.11 ID:bBfvbFvN
市川文書が山本勘助実在の唯一の物証
167日曜8時の名無しさん:2007/10/29(月) 21:46:59.96 ID:1jHYKQe7
強引に市河を絡めてきたなとは思ったなw
168日曜8時の名無しさん:2007/10/29(月) 21:52:25.67 ID:ffxKYDqX
>>144
出家した人といえば
斉藤道三,北条早雲,大友宗麟・・・
ほらみんな策略っぽいだろ?
169日曜8時の名無しさん:2007/10/30(火) 00:39:31.43 ID:iYSaU+gp
ドラマ上、宇佐美が上杉憲政に入れ知恵したという考え方はないのか?>関東管領後継の件
170日曜8時の名無しさん:2007/10/30(火) 01:50:02.27 ID:u5krxMK/
無いなー。
憲政はあれで憲政なりに息子の敵討ちたかったり長野が待ってるの気にしていて
無い知恵絞って「関東管領職しかもうやるもんないしやるから早くなんとかして」と
言い出したと思う。
171日曜8時の名無しさん:2007/10/30(火) 03:19:19.48 ID:8hWZBGsz
>>164
今回の紀行に入れれば、ああそうだったのかで一般視聴者も納得したんじゃね?
172日曜8時の名無しさん:2007/10/30(火) 23:28:17.65 ID:tg6tNlUu
たしか関東管領を譲るが上野守護は自分がやるという条件だったのでは?
173日曜8時の名無しさん:2007/10/31(水) 00:33:48.95 ID:VNxRhHHO
関東に全く守護職を持たない関東管領ってどうなのよ?
174日曜8時の名無しさん:2007/10/31(水) 05:29:24.07 ID:UPO41qyO
>>169
おれもそう思った。
わざとらしく軍議を退席して、そのあと管領職譲渡のシーンだったもんで。
てっきり根回しにいったのかと。

憲政に言われて景虎と顔を見合わせたところも「宇佐美、わざとらしいw」
と思っちゃったが・・・それもこれも緒形拳の放つあやしいオーラのせいだなw
175日曜8時の名無しさん:2007/10/31(水) 11:29:18.67 ID:7HzQK+y6
質問です。
平蔵、というか矢崎家は長尾家の家臣になったのですか?
それとも村上義清の家臣のまま?
生活費は誰から貰ってるのでしょうか?
176日曜8時の名無しさん:2007/10/31(水) 11:42:30.21 ID:1TfF6R43
ヒサが、
「平蔵!」と、呼び捨てにしていましたが、この態度は子供の教育的観点からいかがなものでしょうか?
177日曜8時の名無しさん:2007/10/31(水) 12:07:16.65 ID:fQfQ8sQE
>175
矢崎家は村上家臣で、村上は長尾家臣になり、
景虎から村上が貰ってる給料から村上が平蔵達に給料出してると思われ。
景虎から見たら家臣の家臣ってとこじゃないかね。
晴信から見た太吉や伝兵衛みたいなポジション。
178日曜8時の名無しさん:2007/10/31(水) 12:14:47.56 ID:szllQErc
>>176
非常にいただけないと思いますが、夫婦共に切り替えができないというか、空気の読めない性格のようなので、
仕方ないかと・・・
179日曜8時の名無しさん:2007/10/31(水) 12:27:17.20 ID:ETZ/yfmj
>>175
生活費は「このまま農民でも・・といっていたから、農業っぽい。

まあ、元農民だし。
180日曜8時の名無しさん:2007/10/31(水) 12:43:25.92 ID:3fN5mceE
>>177
越後における村上はあくまで客将扱いだろう。
181日曜8時の名無しさん:2007/10/31(水) 13:18:44.79 ID:fQfQ8sQE
風林火山では土地貰ってるのに客将で良いの?
182日曜8時の名無しさん:2007/10/31(水) 16:35:21.57 ID:ncf6ENqZ
北条早雲は今川から城までもらっているぞ
183日曜8時の名無しさん:2007/10/31(水) 17:00:31.27 ID:seerOe6r
茂吉の母ちゃん 武家やったの?
184日曜8時の名無しさん:2007/10/31(水) 17:05:37.94 ID:WbgAUFHN
夫が百姓辞めて勘助配下の足軽になった時点で、一応、という事でしょw
185日曜8時の名無しさん:2007/10/31(水) 17:46:27.09 ID:OzxK2/dv
出家についての疑問です。
辞書で調べると
【世俗の生活を捨て、僧となって仏道を修行すること】と書いてあります。
しかし、晴信も勘助も幸隆も鬼美濃も名前を変え剃髪はしても
「世俗を捨てた」ようには見えません。これからも戦をする気満々なわけですし
寺で修行を積んでいた様子もなかったし。
世俗を捨てたのは浪だけのような気がするんですが
あの当時の出家とはどう捉えればいいんでしょうか?
186日曜8時の名無しさん:2007/10/31(水) 21:50:05.06 ID:XSJezTAG
某真理教でいうと在家信者だなw
187日曜8時の名無しさん:2007/11/01(木) 00:05:02.95 ID:7nYHSx+b
あの当時、もなにも
今の寺の住職だって普通にテレビ見たり世俗的な趣味持ってたりするぞ
もちろん9日間断食不眠不休の修行とかを真剣にやってるような坊さんもいるけどさ
188日曜8時の名無しさん:2007/11/01(木) 00:20:12.23 ID:RHTApyvu
むしろ今じゃ俗世以上に
〜〜回忌キャンペーンだの卒塔婆だの灯篭だの供養塔だの
何だかんだで檀家から金むしる事しか考えてないよーな
生きながら餓鬼道・畜生道まっしぐらな奴らが多い。
もちろん女犯・生臭・酒どんと来いだ。
189日曜8時の名無しさん:2007/11/01(木) 01:27:05.00 ID:OhO4KJtD
>>185
出家には、完全に俗世間から離れる出家と、
単に形だけ法体になり法衣を着て法名を名乗る出家の2つがあり得ます。
場合によっては、法名を名乗るだけで、外見は俗人と変わらないようなケースも
あります。
190日曜8時の名無しさん:2007/11/01(木) 16:38:46.74 ID:ykgFXKiS
次男の竜芳は出家とはいえ半俗生活をし、出家聖道という形。
一応「お聖道様衆」という配下をもち、妻も子もいたわけだ。
191日曜8時の名無しさん:2007/11/01(木) 18:14:12.75 ID:brOWxaXZ
【芸能】ヨン様の後継者のガク様、謙信役のGackt オバさまの間で大ブレーク
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1193908082/
192日曜8時の名無しさん:2007/11/01(木) 18:33:13.41 ID:3Q+lUiSn
>191
マルチポストやめろよ
193日曜8時の名無しさん:2007/11/01(木) 21:28:50.17 ID:72A9Cb/6
武将会議の場面で、信玄の後ろに立ててある10本くらいの矢は
何を表してるの?気になる。
194日曜8時の名無しさん:2007/11/01(木) 23:09:06.14 ID:cTuB/QT1
あの矢は、1本だと簡単に折ることができるが10本まとまっていると決して折れない、ということを意味してます。
195日曜8時の名無しさん:2007/11/02(金) 00:34:50.10 ID:BGqManRE
信玄が信濃守護になると、元々信濃守護だった小笠原様はどうなるんですか?
信濃守護が二人?それとも小笠原様はお役御免?
196日曜8時の名無しさん:2007/11/02(金) 01:52:37.27 ID:MCQP4HFe
板違い承知で聞いちゃうよ☆

風林火山が大好きです。
そんでもって真田家が好きなんだけど
たまに道路に
○○○
○○○
って印が白い塗料で書かれてあるけど
あれは一体なんだろうかと最近、気になった
誰か教えてちょーだい
197日曜8時の名無しさん:2007/11/02(金) 05:03:31.50 ID:/XfYGEHU
>>195
当然お役ご免です。
守護に誰を任命するかは幕府の意向次第。
198日曜8時の名無しさん:2007/11/02(金) 07:28:22.34 ID:1UNXbvoq
幕府は小笠原様に対して
信濃守護の解任通知を出しているのかな。
それとも武田が信濃守護に任命された時点で小笠原様は自動解任?
199日曜8時の名無しさん:2007/11/02(金) 09:35:27.30 ID:3QxQpS0T
>>198
いつごろかは知らんけど、上洛した時点で自然消滅じゃないか?
200日曜8時の名無しさん:2007/11/02(金) 10:19:02.46 ID:TDbhy/s8
200
201日曜8時の名無しさん:2007/11/02(金) 11:41:17.38 ID:4A+ZDw1M
朝廷の官職は自称だらけなのに
幕府の役職(管領や守護)は自称しないのだな

北条氏康など皇族を買ってきて征夷大将軍にして
自分が執権になり幕府を造ればいいのに
202日曜8時の名無しさん:2007/11/02(金) 14:54:29.41 ID:V1vyf9uP
>>201
戦国時代は別に無政府状態というわけではないよ
生まれつきの地位や身分のランクはあったし
そういう権威まで否定していたわけじゃない
戦国大名はそれぞれ自分の領地を守るだけで精一杯で
それぞれの土豪たちだって自分の領地を守ってくれる方につく
自分の判断で
203日曜8時の名無しさん:2007/11/02(金) 16:16:37.55 ID:aEPNa5lR
凄いな、何故に氏康なんだよw 後北条じゃ無理だろう、皆知ってるし。
まぁ、ホントの血筋でもかなり乱暴な手法だけどw
204日曜8時の名無しさん:2007/11/02(金) 17:33:25.70 ID:ghPKVFve
でも伊勢さんは初代が幕府申次衆やってた一応名門ではある
205日曜8時の名無しさん:2007/11/02(金) 19:33:58.70 ID:+L78R/SW
散々ここで既出だけど、後北条初代の早雲は、幕府政所執事・伊勢氏の出身が最有力

その伊勢氏の出身は大きく分けて2説あり、京都出自説と備中出自説(幕府申次衆・伊勢新九郎盛次)とがある
京都出自、備中出自いずれにしても、応仁の乱の以前には京都で足利義視に仕え、義視に従って伊勢に下向、
伊勢からは妹の嫁ぎ先である駿河の今川義忠のもとに移ったとされてる

一介の素浪人というのは現在ではほぼ否定されてる
206日曜8時の名無しさん:2007/11/02(金) 20:58:21.88 ID:CQsQrZdK
すいません質問させて下さい。
明日急遽日帰りで風林火山の名所巡りをする事になりました。
諏訪湖と善光寺恵林寺妻女山は絶対行くとしてその辺りで他にオススメのスポットがあったら教えてください。
ちなみに車でいきます。
207日曜8時の名無しさん:2007/11/02(金) 21:37:15.39 ID:xwlwrvsg
>206
妻女山行くなら近くにスポットたくさんあるよ。

海津城(松代城)
川中島古戦場(信玄&謙信の一騎打ち?)
典厩寺(信玄弟の墓)
勘助の墓
など。

まとまってるので車あるなら一度に回れる。
208日曜8時の名無しさん:2007/11/02(金) 21:41:12.13 ID:djZV5rgD
>>198
別人が補任された時点で自動解任でしょう。
補任状の実物ならいくらでも残っているけど、解任通知なんてみたことがない。

>>205
今川義忠室は、早雲の妹ではなく姉という説もある。
209日曜8時の名無しさん:2007/11/02(金) 21:45:49.30 ID:djZV5rgD
>>201
後北条氏の関東における公方はあくまで古河公方。
だから古河公方の身柄さえ自分の目の届くところに確保しておけばよいという発想。
後北条氏と関東については>>20のまとめが分かりやすい。
210日曜8時の名無しさん:2007/11/02(金) 21:45:51.15 ID:CQsQrZdK
>>207
ありがとうございます!
その辺り巡ってきます!
211日曜8時の名無しさん:2007/11/02(金) 21:56:10.00 ID:xwlwrvsg
>207
地図はこちらを参照してください。
http://www.furin-kazan.jp/nagano/map/maplist.php

古戦場周辺、恐ろしいほど史跡ある……
212日曜8時の名無しさん:2007/11/02(金) 22:47:46.42 ID:jaqbw8+0
>>206
日帰りだと、かなりハードな行程ですね。
風林火山と関係ないけど、恵林寺から近い塩山駅前(南側)に美味いラーメン屋あります。
店の名前が思い出せない…
213日曜8時の名無しさん:2007/11/02(金) 23:05:58.03 ID:CQsQrZdK
>>211ありがとう!
参考にするよ。
>>212
そうなんだよね。
だから出来ればここだけは行けってところしか行けないかも。
たくさん行って堪能出来ないのも嫌だし
まあ上に書いてある辺りにここだけは行けと言うとこがあれば教えて欲しいです。
214日曜8時の名無しさん:2007/11/02(金) 23:11:07.39 ID:CQsQrZdK
>>212
ごめんラーメン屋は行けそうにない。
なんか一緒に行く奴が勘助も食べたほうとうが食べたいって言ってるので
ほうとうなんて近くにあるのかな?
215日曜8時の名無しさん:2007/11/02(金) 23:48:16.61 ID:jaqbw8+0
ほうとうなら山梨なら店が沢山あるよ。ただ当たり外れが大かなぁ?個人的には「小作」(チェーン店)だけは止めた方がいいかも。
塩山からR411南下して右側にある店で、超ウマイほうとうを食べたので是非案内したいんだけど、ごめんこっちも店の名前忘れた(スンマソ
自分で行けば、ラーメン屋もほうとう屋も場所分かるんだけど、隣県でいつも気軽に行っているので、店名とか覚えてなくて…
塩山付近に住んでいる方がスレ見てくれてたらなぁ…
216日曜8時の名無しさん:2007/11/03(土) 00:14:41.10 ID:VE5vw7Lr
>>201
守護の自称はあるんじゃないかい?
小山田の“郡内守護”とか。

あと後北条は早雲段階だとむしろ中央の幕府の意を受けて活動しているような傾向が強い。
茶々丸討伐とか。
217日曜8時の名無しさん:2007/11/03(土) 01:26:16.21 ID:nIletqs9
10月発売のISプレス佐治良太の小学館DIMEメディアウォッチングだかで書いた記事、日経エンタの取材内容まんま転用。
「秋のテレビは男主役の男祭」ってやつ。
タイトルもまんまパクリだし。ったく。

これじゃ、DIMEが日経の盗用した形になるし、取材された側は日経だと思ってしゃべってたことが全然関係ないとこに掲載されてるわけで。
ISプレスの佐治良太には要注意な。
ただでさえテレパルなくなってリストラで大変なのに、これじゃIS自体なくなっちまう。
記者パスの発給を検討してる局もあるってよ。
218日曜8時の名無しさん:2007/11/03(土) 01:40:38.72 ID:w5KMqyxJ
伊勢盛次?伊勢盛時じゃなかったっけ?
それと幕府申次衆だったのは文明年間からで将軍義尚の時代。義視の伊勢出奔と共に
伊勢へ→そのまま駿河下向ではない。最初の駿河下向も、今川氏内紛を調停するため
幕府吏僚として赴いているとするのが今日では妥当。>>216も触れているが、後の足利
茶々丸討伐も、茶々丸とは腹違いの兄弟関係にある清晃=足利義澄を将軍位に就けようと
細川政元・日野富子らが画策をした「明応の政変」と連動したもので、やはり幕府の意を
受けての行動と推測する意見が学会等で結構支持されてたと思う。

スレ違いスマソ。
219日曜8時の名無しさん:2007/11/03(土) 10:39:35.05 ID:6ChefntW
というか晴信が信濃守護職になるまで消臭殿は名目だけでも信濃守護だったのかが気になる
220日曜8時の名無しさん:2007/11/03(土) 10:49:43.59 ID:wlPLhHzk
ほんと名目だけだったからな小笠原
平定のへの字も出来てないし
221日曜8時の名無しさん:2007/11/03(土) 13:45:26.68 ID:5cbbUQj+
信濃、豪族風情の割拠が凄いな。
面積あるし。小笠原じゃなくても平定するのは容易じゃなかっただろう。
222日曜8時の名無しさん:2007/11/03(土) 17:20:34.64 ID:crWkanMQ
 基本的に山で、谷あいの街道筋にぽつぽつ集落、
で佐久平(だいら)とか松本平とかの散在する平地が
ちょっと開けてるという土地柄だから小群雄割拠に
なりやすい。
 村上が真田にちょっかい出したみたいにすぐ隣に
手を伸ばす勢力拡大はできても、峠越えて遠くまで
攻めに行くのは小勢力じゃキツイだろうし。
223日曜8時の名無しさん:2007/11/03(土) 17:41:15.34 ID:ReYMEQEj
安芸の守護武田は土豪の毛利元就に討ち取られているよ
元就はそれが初陣らしい、弱小の守護もいたようだな
224日曜8時の名無しさん:2007/11/03(土) 18:04:03.56 ID:w5KMqyxJ
>>223
ちなみに当時の安芸武田は半国守護。
てか守護大名は大名として眺めると寧ろ「弱小」が多い。下克上で守護代なり国人なりに
倒されている守護がかなりいる。越前守護代の朝倉、尾張下四郡守護代の宿老・織田に
取って代わられた斯波とか、守護代の斎藤に追われた土岐とか枚挙に暇もない。
225日曜8時の名無しさん:2007/11/03(土) 19:21:16.02 ID:OjJEGsKu
>>219-222
そもそも室町幕府ができたときに小笠原が信濃守護になった当初から、
村上なんかは自分ではなく小笠原が守護に補任されたことに不満があったと
いわれるよな。
要は最初から小笠原の信濃守護としての立場は不安定だったし、南北朝の
後半期には、いったん小笠原は解任されて犬懸上杉や斯波に守護が交替していた
時期もある。
その後、小笠原が守護に返り咲くけど、小笠原の信濃入国に対して、
守護小笠原vs信濃国人連合の合戦が起こって、後者が勝ったりもしている。
226日曜8時の名無しさん:2007/11/03(土) 19:22:51.81 ID:OjJEGsKu
>>224
東半国は備後と一緒に山名が守護だっけな。
でもって毛利は、東半国側の国人だから、最初から武田に気兼ねはしない。
227日曜8時の名無しさん:2007/11/03(土) 19:58:11.00 ID:w5KMqyxJ
>>226
だね。地勢的には石見にも近いから余計にそうだったかも。
それと毛利の場合だと、結構早い時期(応永年間)に周辺国人らと「一揆」を結んでいるから、
域内経済活動やら何やらを背景に「守護」の持つ権威と実力を乖離させる要素は安芸国内では
強かった気もするね。安芸武田の本家筋が若狭守護補任を契機にそちらに移ってしまうのも、
結局は安芸国内に地盤を固められなかったのが大きな一因だったりするし。

尤も、それは信縄以前の甲斐も「事情」としてはさして変わらず、ではあったが。
228日曜8時の名無しさん:2007/11/03(土) 23:37:52.77 ID:YRqpIPTL
石見は銀山あるから争奪激しいのはわかるが
信濃ってそんなに争奪したい国なのかね。
山あり谷ありで国人は多いし
取っても逆に色々面倒だと思うが。
まぁ、劇中では信濃は肥沃な地という表現が何度も出てくるけど。
229日曜8時の名無しさん:2007/11/04(日) 00:54:11.46 ID:NGGnDD+r
確か太閤検地とか見ると、けっこう石高あるんだよな。あと、武田の
場合は消去法でここしか出るとこがなかったかんねw
230日曜8時の名無しさん:2007/11/04(日) 05:48:01.32 ID:AhqTZ28k
>>227
毛利の系図を見ると、15世紀の熙元・豊元は山名からの偏諱とおぼしき名前。
で、次の弘元以降は大内の偏諱。
武田なんて最初から眼中にないことがよく分かるw

あと石見といえば毛利本家以上に吉川だな。
吉川って本拠地は安芸だけど、領地の半分くらいは元々石見にあったし。
毛利は吉川の取り込みが石見進出への第一歩だったんじゃないかな。

因みに吉川の本拠地の大朝は、山県郡で武田側の地域だね。
武田一族の山県氏の名字の地もここ。
ついでにいうと山県有朋も武田一族の山県氏の子孫を称していたっけ。
231日曜8時の名無しさん:2007/11/04(日) 05:53:22.47 ID:AhqTZ28k
>>228-229
甲斐に接する国のなかでは、信濃は武蔵に次いで2番目に石高多い。
まあ面積も広いけど、山だらけだから、農耕可能な面積に対する収穫量も
決して悪くはないのだろう。

あと内陸性の気候だから冬に気温が下がるのは仕方ないけど、ただ最北部を
除けば積雪量は大したことないから、雪に閉ざされるということは、少なくとも
謙信に荒らされずに武田が安定的に支配可能な地域においてはないのだろう。
232日曜8時の名無しさん:2007/11/04(日) 06:45:25.11 ID:ug6wArKE
>>227
安芸武田の本家が若狭に移転しちゃうのは無理ないよ。
安芸なんて所詮半国だけだし、大内と山名という2大勢力に挟まれて不安定な
国情の安芸に比べたら、小国だけど半国ではなく一国守護で、なおかつ京都にも
至近の若狭のほうが魅力でしょう。

でも安芸武田氏に若狭の守護職を与えた足利義教って、全般的に武田一族を
優遇しているみたいだな。
甲斐武田氏も、上杉禅秀の乱(1416−17)でいったん取り潰されたけど、
ちょうど同じ頃に義教によって家の再興と甲斐の守護職継承が
認められているし。
このときの甲斐武田の当主信重は、このことを非常に恩義に感じて義教が死んだ
後も、その供養を欠かさなかったらしい。
233日曜8時の名無しさん:2007/11/04(日) 20:45:54.67 ID:XNZdslY/
本編と関係無いかも知れませんが教えてください。

某所で↓のような文を見掛けたのですが

>昔、一向一揆という仏教原理主義の危険な宗教組織がありました。これもアルカイダと
>同様に厄介なものですが、昔、戦国大名でこういうテロリストに手を貸し自分の敵対
>勢力を荒らし回った連中がいました。この大名の名を武田信玄と言います。織田信長は
>武田一族を仏教原理主義の一向一揆以上に憎み、最終的に根絶やしにしました。

>テロリストを利用して美味しい汁を吸っている奴らとは、武田信玄と同じぐらい最悪な
>連中と言って間違いないでしょう。

信玄がらみの善光寺は浄土宗だし、菩提寺の恵林寺も臨済宗で一向宗とは
関係無かったはずですが本当でしょうか?
他国の一向宗門徒をけしかけて他国の領内で一揆を起こさせたとか
私は今まで聞いた事が無いのですが、撹乱工作を行なったような事があったと言うような文書が
最近発掘されたといったような事はあったのでしょうか。
234日曜8時の名無しさん:2007/11/04(日) 21:03:50.35 ID:hC+qm3sw
>>233
悪意が混じってはいるが概ね間違ってはいない。
信玄は本願寺にとりなして越中の一向門徒をしょっちゅう蜂起させてたし。
235日曜8時の名無しさん:2007/11/04(日) 21:06:21.09 ID:9VNysU9C
三条の方の実の妹が本願寺顕如に嫁いでるから・・・
236日曜8時の名無しさん:2007/11/04(日) 21:13:01.86 ID:ksfUtYht
>>233
一般論として言えば、一向宗門徒は今日のイスラーム原理主義テロリストとは同列に
扱えないと思うが……まあ確かに武力集団であるし、一大政治勢力だったのは確か。
235も指摘するように武田晴信も門主の顕如とは姻戚筋にあったし。それは別としても
利用出来る政治勢力であれば無論利用すると思う。例えば234の言うように越後の長尾
(上杉)と対峙関係にあれば、長尾の軍事行動を牽制する意味で越中の一向宗勢力と
連繋するし、実際そうしているわけで。その長尾にせよ、後に対織田戦略として、やはり
一向宗勢力を利用している。
237日曜8時の名無しさん:2007/11/04(日) 21:20:56.24 ID:XNZdslY/
>>234-236
ありがとうございます。
238日曜8時の名無しさん:2007/11/04(日) 21:27:00.18 ID:cH1eWSOM
来週のあらすじみたら1、カンスケは義元の事信長に討ち取ってほしい。
2、織田側が桶狭間周辺の事調べてる事カンスケが知った。
3、カンスケは義元に桶狭間周辺通らない事進言。
4、でも義元はカンスケ嫌いだから言う事聞かないで桶狭間通過。
5、義元あぼーん



みたいな感じだったんですがこれはカンスケは桶狭間じゃ信長は義元の事
討ち取れないから義元に別の道通らせようとする。
でも義元は桶狭間で討ち取られる。結果信長の考えの方がカンスケより上。
みたいな感じなんでしょうか。

それともカンスケは義元は自分の言う事は聞かない(自分の言った事と別の行動を取る)という事まで
計算したということなんでしょうか。


読みにくい文章&ここで聞く質問じゃないかもしれませんがお願いします
239日曜8時の名無しさん:2007/11/04(日) 21:29:18.19 ID:G/4aiQvA
>>238
回答したいんだが、君が日本語を理解できるか不安
240日曜8時の名無しさん:2007/11/04(日) 21:44:49.51 ID:l5Fy/Rbj
>>238
そのような流れなのなら多分後者だろうな
241日曜8時の名無しさん:2007/11/05(月) 01:15:43.83 ID:+bkUprVn
もしかして信濃って1560年時点では駿河と並ぶ近代都市だったのかな。
242日曜8時の名無しさん:2007/11/05(月) 01:22:20.81 ID:UaS1rr3n
すんません、先週号見逃したんですが
なぜ御館様と勘助が丸坊主になってたのか教えてくださいm(__)m
243日曜8時の名無しさん:2007/11/05(月) 01:33:03.93 ID:suhhNO5g
>>242
出家したから
244日曜8時の名無しさん:2007/11/05(月) 02:01:05.70 ID:jxbX0/Mb
>>243
家出したの?
245日曜8時の名無しさん:2007/11/05(月) 02:04:16.59 ID:x9sQcrSF
突然晴信の目が(一時的だが)見えなくなったり、家中に不幸が相次いだりした。
これは無念の内に亡くなった由布姫の祟りだろうということで、
晴信を筆頭に配下の何人かが出家することで姫の霊を鎮めようとした。
246日曜8時の名無しさん:2007/11/05(月) 02:09:48.83 ID:jxbX0/Mb
>>241
信濃全体が一つの都市って凄いね!
247日曜8時の名無しさん:2007/11/05(月) 04:59:57.31 ID:dVkFHUGv
今週、信玄暗殺に失敗した寅王丸は寺に閉じこめられましたが、
その後どうなったのでしょうか?
よく考えたら坊主は寺にいるのが当たり前で、あまり意味がないように思うのですが。
248日曜8時の名無しさん:2007/11/05(月) 09:14:03.85 ID:1oQe3e5D
来週の放送をお楽しみに
249日曜8時の名無しさん:2007/11/05(月) 09:35:59.71 ID:Y5bkc+BC
>>247
史実では勝頼が諏訪に入った時点で殺されたという説が一番強い。

異説で逃げて生き残ったという説もなくもないが、どうなったかは不明。
250日曜8時の名無しさん:2007/11/05(月) 09:39:50.24 ID:WEOpG1mN
ちょっと質問させてー!

虎夫埋まるはどういうつてを使って積翠寺に潜り込んだんでしょうか。
なぜいきなり雄琴姫の近くに行くことができたんですか。
見終わってからすごく不思議でした。
誰か納得できるように教えてください。
251日曜8時の名無しさん:2007/11/05(月) 09:49:02.01 ID:D76Js3op
太郎義信夫人の周囲には今川の間者もいたはずだから
手引きした奴がいるのでは?

実は三条・太郎・雄琴姫も共謀した信玄抹殺計画
失敗したので三条の侍女を口封じした
252日曜8時の名無しさん:2007/11/05(月) 10:21:54.10 ID:MxlIXzZr
すんません、基本的な質問なのですが
史実では勘助と勝頼ってドラマのような面識はあったのでしょうか?
253日曜8時の名無しさん:2007/11/05(月) 10:35:02.10 ID:D76Js3op
勘助そのものが史実ではすべて謎
武田家に山本管介なるものがいたらしいがそれ以外は不明
254日曜8時の名無しさん:2007/11/05(月) 10:38:24.09 ID:WEOpG1mN
>>251
手引きっていうと、平家物語の語りがうまい坊主がいます
姫のおなぐさみにでもっていう感じだったんでしょうか。
坊主という立場を利用して、姫にというよりは
まず寺に近づいたというべきなんでしょうか。
255日曜8時の名無しさん:2007/11/05(月) 16:13:26.95 ID:HH6RwEOx
>>252-253
史実的には謎だが、仮に諏訪御寮人の付き人だったとしたら、面識ないほうがおかしいということじゃないかな?
256日曜8時の名無しさん:2007/11/05(月) 16:47:52.90 ID:Q72UoNAX
>>247 >>249
寅王丸の去就や最後について
殺された説にしろ、生き延びた説にしろ、
信憑性のある歴史史料はほんとうに何も無いはず。

「定本武田勝頼」にも、紹介されているのは
いずれも「伝説」「伝承」の域を出ない、裏づけのとれない逸話。

>>250
僧侶や山岳修験者などの宗教者や、
流浪の芸人は国境を行き来しやすく
(ドラマでも、間者や諜者は山伏や芸人を装うこと多し)
駿河を出て甲斐に潜入するのはたやすいはず。

そして、当時は軍記物語を語って諸国を放浪する聖や
琵琶を弾じて平家を語る盲僧などが、
(軍記を好む風潮もあいまって)芸を披露するために
貴人の家を訪れたり、逗留することはあった。
そういった聖や盲僧たちは、アポ無しでも貴人の家の門前に立って
家の中に入り込んだり、長居することも充分に可能。

そういう事を踏まえてのドラマ内設定かとは思うけど
寅王丸の下手さと潜入までの経緯省略は、製作上の手落ちかと。

>>252
そういうことを考え出すと、もうキリが無いのでw
知りません。
257日曜8時の名無しさん:2007/11/05(月) 17:12:27.79 ID:B8/nBn2k
信玄が虎王丸に殺されたとして得する人
すべての周辺諸国・三条と太郎とオブ

信玄本人以外にとっては悪くない話だ
虎王丸や平蔵などは使い捨ての駒にすぎない、もっと巨大な陰謀
258日曜8時の名無しさん:2007/11/05(月) 19:37:12.70 ID:WWFC+zHh
>>241
少なくとも善光寺周辺は当時の流行の最先端の場所
いまでいったら、渋谷か原宿あたりかな?
259日曜8時の名無しさん:2007/11/05(月) 20:12:57.82 ID:WEOpG1mN
>>256
丁寧なお答えありがとうございました。
>僧侶や山岳修験者などの宗教者や、
流浪の芸人は国境を行き来しやすく
そう言えば、あの時の平蔵は山伏になってましたね。
勘助もそうだったし。
260日曜8時の名無しさん:2007/11/06(火) 05:40:25.94 ID:zGj9WLno
武田家の重臣・家臣はお互いに仲良かったのでしょうか?
今のように気軽に合うことはないだろうし、電話やメールもない。
コミュニケーションが取れないと思うのですが。
基本的に当主の信玄との関係で、重臣・家臣相互の関係は希薄なんでしょうか?
261日曜8時の名無しさん:2007/11/06(火) 06:06:33.51 ID:1xTiAdVY
甲斐、駿河、信濃、相模、越後
現代だと相模以外は田舎のイメージしかないな
262日曜8時の名無しさん:2007/11/06(火) 12:58:54.88 ID:phQrTO/g
>>260
良くない。
基本的に武田家は有力国人連合体で中央集権できなかった。
信虎は中央集権国家をつくろうとして追い出された説も強い。

甲州法度を無視しろいった小山田家
勝手に首実験をした板垣家
武田家に素直で仲がいい武将はむすろ少ないくらい。

川中島の合戦は、国人領主をまとめるためのパフォーマンスにすぎないって説もある。
第四次川中島は霧の中の不運な遭遇戦という説。
263日曜8時の名無しさん:2007/11/06(火) 13:53:46.19 ID:hirGVIw7
>>261
貴方、不思議な感性の持ち主ですね。
「相模」ってことは現在の神奈川県から横浜・川崎の大部分を除いた地域なわけだけど、
横浜・川崎以外の神奈川県に都会ってイメージはあまりない気がするが。
264日曜8時の名無しさん:2007/11/06(火) 13:59:14.34 ID:NrM0MQXb
現代の静岡県は全国の平均値とほぼ同じ。
適度に都市部と農村部が混在しているから、いろいろなデータにおいて
静岡県の平均≒全国平均になる。
新商品の試行販売なんかで静岡県が選ばれることが多いのもそうした理由。
265日曜8時の名無しさん:2007/11/06(火) 17:01:32.83 ID:wH4wrGPz
>>261
中世は陸路が発達してないから海運が重視されていて
大きな港があるところは大体物資・情報の集積地で都会だぞ。
三津七湊調べて見ろ。
266日曜8時の名無しさん:2007/11/06(火) 21:00:47.56 ID:ZBcmeS4u
>>265
wikiで見たら、敦賀が入ってなかった。
バックに京都があるから重要な港かと思ってたのに・・・
267日曜8時の名無しさん:2007/11/07(水) 01:35:59.50 ID:PKKOvBgl
>>262
息子を不行跡で殺されて信方死後5年で断絶した板垣家
信玄の第二は傲慢な振る舞いが目立ち信虎の代に謀反を起こしてる飯富家。
宗教問題で北条家に鞍替えした原美濃家

とにかくまとまりが無い
268日曜8時の名無しさん:2007/11/07(水) 01:52:10.97 ID:KADOogTB
>>266
三津七湊なんて数合わせで選んだという側面もなきにしもあらずだから、
三国湊が入っている以上、越前から2つは選べないって感じじゃない?
もちろん選ばれている港は、それなりにどれも有力な貿易港だろうけどさ。
269日曜8時の名無しさん:2007/11/07(水) 01:55:37.54 ID:WO/aYa32
小沢さんが風林火山の熱烈な視聴者だってのは本当ですか?
270日曜8時の名無しさん:2007/11/07(水) 01:57:06.64 ID:8VvFdlci
271日曜8時の名無しさん:2007/11/07(水) 02:27:05.23 ID:RjyAw95D
海無し、作物取れない、国人強い、糞田舎ってことで甲斐はどこも欲しくないんだろうな
272日曜8時の名無しさん:2007/11/07(水) 04:19:22.67 ID:BNmy1jXG
太閤検地段階での国別石高順位
1.陸奥1,672,358
2.近江775,379
3.武蔵667,126
4.尾張571,737
5.伊勢567,105
6.美濃540,000
7.常陸530,008
8.越前499,411
9.上野496,733
10.大和448,945
11.豊後418,313
12.信濃408,358
13.越後390,770
14.越中380,298
15.上総378,892
16.下野374,082
17.下総373,255
18.播磨358,584
19.摂津356,066
20.加賀355,570
21.肥後341,220
22.伊予336,200
23.筑前325,695
24.出羽318,095
25.肥前309,935
26.三河290,750
27.薩摩283,488
28.筑後265,998
29.丹波263,887
30.遠江255,160
31.紀伊243,550
32.河内242,105
33.甲斐227,616
34.山城225,266
35.備前223,388
273日曜8時の名無しさん:2007/11/07(水) 04:20:15.70 ID:BNmy1jXG
36.能登210,000
37.相模194,204
38.安芸194,150
39.出雲186,650
40.備後186,150
41.美作186,017
42.阿波183,500
43.備中176,929
44.大隅175,057
45.周防167,820
46.駿河150,000
47.和泉141,512
48.豊前140,000
49.長門130,660
50.讃岐126,200
51.日向120,087
52.但馬114,235
53.石見111,770
54.丹後110,784
55.伯耆100,947
56.伊賀100,000
57.土佐98,200
58.因幡88,500
59.若狭85,000
60.伊豆69,832
61.淡路62,104
62.安房45,045
63.隠岐40,980
64.飛騨38,000
65.志摩17,853
66.佐渡17,030
壱岐・対馬・琉球・蝦夷地を除く。
274日曜8時の名無しさん:2007/11/07(水) 08:03:35.72 ID:CFUoCDyg
>>271
甲斐源氏が土着して長いから譜代や国人は武田の庶流ばっかりで
プライド高いのばっかりだし国人の強さは越後とそんな変わんねえべ
275日曜8時の名無しさん:2007/11/07(水) 12:11:46.55 ID:raBLML5A
>>267氏、もしくはどなたかご教授下さいm(_ _)m

>息子を不行跡で殺されて信方死後5年で断絶した板垣家

具体的にどんな悪さをしたんでしょうか?

>信玄の第二は傲慢な振る舞いが目立ち信虎の代に謀反を起こしてる飯富家。

飯富は信虎の時代にも謀反を起こしてるんですか?

>宗教問題で北条家に鞍替えした原美濃家

宗教問題?
いつ頃の事ですか?
276日曜8時の名無しさん:2007/11/07(水) 13:23:06.09 ID:fraOUl9n
>>275
悪いことをしたから断絶したわけじゃないよ。
晴信が断絶させたくて、また出来る環境だったから断絶しただけ。

信虎を駿河に追放してるでしょ。

北条家に出奔していたのは1553年〜1557年。
番組中の「今」は1560年(桶狭間の戦い)
277日曜8時の名無しさん:2007/11/07(水) 14:05:28.15 ID:q3/Jrrs5
>>275
飯富は1531年に今井兵部、栗原兵庫なんかと信虎に謀反起こしてて
良くドラマで言われるような忠臣と言うわけではない。
278日曜8時の名無しさん:2007/11/07(水) 14:12:00.13 ID:q3/Jrrs5
>>275
 一、千年法福寺合戦の際、仮病をかまえて出陣しなかったため、小山田左兵衛射の人数が空しく日を送り、小笠原勢との合戦を遅くさせたのは曲事だ。
 二、諏訪の郡代は境目を守る役なのに、遊芸にばかり耽ってけしからん。
 三、同心・被官につらくあたるのもふらち。
 四、馬場民部、内藤修理など弥次郎より先輩の武将が戦をしているのに、これを見物していた。
 五、甘利左衛門射は当年十九歳だがよく働き、感状を持っている。だがそのほうはよき同心・被官を持ちながら一度も手柄を立てたことがない。これはこの信玄を大切に思わぬ証だ。
 六、陰でこの信玄の噂や悪口を言っているそうではないか、けしからぬ。
 七、仲間のつきあいも怠けているというではないか。

とりあえずこれが板垣jr表向きのの不行跡
279日曜8時の名無しさん:2007/11/07(水) 14:18:55.13 ID:1dIa09UV
>278
晴信が難癖付けて板垣家潰した臭がするな。
280日曜8時の名無しさん:2007/11/07(水) 14:28:50.94 ID:raBLML5A
>>276
レスd

晴信が断絶を望んでたんですか、複雑だなぁ

追放、そうでした、その回は観ました
飯富は武田を二度も裏切ったという事ですね
なんてこったぁ・・・

原美濃は宗教で脱落、でも四年後に出戻り
戦国時代は複雑過ぎて難解っすw

ありがとうございましたm(_ _)m
281日曜8時の名無しさん:2007/11/07(水) 14:38:32.28 ID:raBLML5A
>>278
dクス

まじっすか
文献というか資料があるんですか?

これが事実なら断絶は正当です、私でもそうしますw


しかしこのスレは勉強になります
ありがとうございますm(_ _)m
282日曜8時の名無しさん:2007/11/07(水) 14:44:22.58 ID:raBLML5A
こんな飯富によく跡取りの子守をさせたもんですね
人間性とか分かりそうなものを
奥が深すぎる

連投失礼しましたm(_ _)m
283日曜8時の名無しさん:2007/11/07(水) 14:57:01.63 ID:6Ieca7dW
信虎の施政が当時にしては相当強引だったから揉めたわけであって、
飯富の人間性が卑怯だったとは限らないよ

ここや今までのスレでも語られていたけれど、
信虎はそれまで普段は自分の所領に住んでた家臣達を府中に集めて住まわせたり、
農業と切り離した強い兵制を作ろうと、当時の人には受け入れられない手法で
中央集権化を図ろうとして反感を招いてたから
284日曜8時の名無しさん:2007/11/07(水) 15:27:44.79 ID:raBLML5A
>>283
なるほど、解りました
ありがとうございますm(_ _)m

自分はおのれおのれの回の馬上の飯富さんが好きですw
カッコいい(>_<)
285日曜8時の名無しさん:2007/11/07(水) 17:12:05.86 ID:MU7ez3Af
>>282
人間性というより、晴信の守役板垣同様、
有力譜代を抱え込まなきゃいけない状況の武田家だから飯富を義信の守役にする必要があったともいえる
286日曜8時の名無しさん:2007/11/07(水) 21:56:10.50 ID:raBLML5A
>>285
ドラマの中でもそれなりに伺えるけど、信玄って相当気を遣って家臣を動かしていたんですかね
イメージがあったんで意外です

レスありがとうございますm(_ _)m
287日曜8時の名無しさん:2007/11/08(木) 04:08:49.22 ID:rhc0z3uw
>>281
>文献というか資料があるんですか?

史料といってくれ。
288名無し募集中:2007/11/08(木) 22:42:53.31 ID:FmefdXWR
ドラマの中で気になったシーン

・前回リツの婿探しのシーンで、茂吉の妻おくまが「勘助が2人の息子(熊吉
と与吉)を勘助の所領に送って(つまり養子)、二人の娘(ヤエとトメ)も嫁が
せた」って言っていたけどそれは勘助が勝手に1人で決めたの?それとも、
晴信と相談して決めたの?2人の息子(熊吉と与吉)が養子に行った場所って
以前「風林火山紀行」で紹介された北杜市のこと?

・このドラマでは、信虎がミツを殺された事が原因で伝兵衛・太吉が武士に
なった(平蔵はそれが嫌で甲斐を出奔して諏訪の矢崎家に仕えた)けど、
実際この時代農民が武士になったり、武士が農民になったりする事は可能
だったの?
289日曜8時の名無しさん:2007/11/09(金) 08:29:54.84 ID:BFJHEiGw
>>288
・オリジナルキャラのゆくえは作者しかわからん。

・秀吉をみれば明らか。というか、足軽のほとんどは農民。だから、農閑期は戦はできない。
信長の兵農分離、秀吉による刀狩り、家康による人別帳になどによって少しづつ武士と農民が分かれていった。
290日曜8時の名無しさん:2007/11/09(金) 13:33:32.77 ID:EiV22J0T
>>289
農繁期の間違いでは?
291日曜8時の名無しさん:2007/11/09(金) 13:54:51.87 ID:nPumqSGJ
>>288
>289と同じになるが、
太吉の一家兄弟の去就については、脚本家や制作陣に、
「どういう設定になってるんですか?」って聞くしかないよ。

農民が手柄をたてて武士にとりたてられ
徐々に家格をあげていくことはできる。
それは主の考えやその家の判断もあるだろうし、
また主家が戦国期をどう生き抜いたかでその先も変わるだろうけど。
また、武士が帰農することは出来る。

292日曜8時の名無しさん:2007/11/09(金) 16:12:39.86 ID:Hr6r8NWX
>>288
「信虎が(に?)ミツを殺された事が原因」というのはつまり、紆余曲折の末に
板垣に採り立てられたことを指しているんだろ? 板垣クラスの人間なら充分可能じゃないの?
293名無し募集中:2007/11/10(土) 00:10:24.97 ID:+0a78OrD
ドラマの中で気になったシーン

・ナレーションで「長尾は、4月に出陣し9月に帰国した」と説明して
いたけど、長尾は半年しか信濃にいれないのになぜ武田はこの寒い時
期に信濃まで出陣(海の口や上田原でもそうだったけど)することが出
来るの?

・以前、長尾景虎が京都に上洛したけど天皇家や将軍家に拝謁するとき
の礼儀作法は誰が指導するの?また、戦国大名が自国の家臣に拝謁す
るときは誰がそういう礼儀作法を指導するの?

・あと前回、長尾景虎が2度目の上洛する前に留守を宇佐美に任せたけ
ど、武田家や北条家では誰がそれを担当するの(今川家ではそれを寿
桂尼と息子の氏真が担当している)?
294日曜8時の名無しさん:2007/11/10(土) 01:11:18.58 ID:UoMib+0B
>>293
いつもの人?
少しは自分で調べなよ
特に3番目なんて、武田・北条は少なくともこのドラマでは上洛しないのだから
ドラマとはなんの関係もない質問だし
それと質問するなら少しは答えてくれた人に礼を言うべき
295日曜8時の名無しさん:2007/11/10(土) 02:32:30.86 ID:UoMib+0B
あと2番目もなんでそんなことが気になるか理解に苦しむし
大名が自国の家臣に「拝謁」とか意味不明
296日曜8時の名無しさん:2007/11/10(土) 03:33:09.38 ID:iDLB14pV
>>289
織田政権段階での兵農分離なんて実際にはかなりあやしいといわれる。
ただある程度以上の勢力になり、元々の動員兵力自体が大きくなれば、農作業に
かなり人手をとられたとしても、残りの人員だけである程度の軍事活動は行える。
297日曜8時の名無しさん:2007/11/10(土) 03:44:26.67 ID:iDLB14pV
>>293
一つ目は積雪量だろう。
冬季の信越国境はかなりの積雪量があるから、冬に大軍で越後から信濃へ
向かうのは無謀だろうし、また信濃に攻め込んでいる場合には、雪が深くなる
前に帰らないと本国からの補給路が遮断されて自滅する恐れもある。
一方、甲信国境の場合は内陸なので寒さは厳しいだろうが、積雪量は信越国境に
比べれば遙かに少ないので、雪が原因で長期に渡って交通路が遮断されることは
まずないのだろう。

二つ目については、そんなもの守護クラスの大名なら、一通りの礼法なんかは
元々わきまえていると考えるのが普通じゃないか?
無論、各大名家にそれなりの礼法指南みたいなことをする者もいるだろう。

三つ目はケースバイケースとしか言いようがないと思うが。
298日曜8時の名無しさん:2007/11/10(土) 03:50:17.94 ID:yOUxbiJf
上野もかなり雪ふるよな。
299日曜8時の名無しさん:2007/11/10(土) 03:53:48.89 ID:XAbTjZJ1
北部の山間部だけな。だからやっぱり謙信は苦労するわけだな。
一方、平野部が主に勢力圏の北条は余裕とw
300日曜8時の名無しさん:2007/11/10(土) 10:36:23.53 ID:C/v70xS1
謙信が峠が雪で埋もれて身動き取れなくなるのはいつもの事。
その間に武田や北条は頑張れば楽々。
301日曜8時の名無しさん:2007/11/10(土) 11:21:09.86 ID:AcfJcKvz
関東管領なんてならない方が良かったんじゃないのか。いくら長尾が金持ちといっても相当無駄な金かかっただろう。
302日曜8時の名無しさん:2007/11/10(土) 12:18:55.94 ID:46yvSv/k
>>301
もともと越後守護代の弟にすぎないのでビッグな称号が欲しかったのだろう
北条を討伐する大義名分にもなる
303日曜8時の名無しさん:2007/11/10(土) 12:40:16.20 ID:kgKuFToR
そういや伝兵衛って板垣死後は勘助家臣なの?武田家臣で与力として来てるの?
史実だと山県の与力ですよね?
304日曜8時の名無しさん:2007/11/10(土) 12:47:36.22 ID:p/hPm0z9
>>301
もともと越後守護上杉がいて長尾家臣と旧上杉家臣が権力争いしてる事を考えれば
越後平定の為には山内上杉の名は必要だろ。
関東管領職は国防に北条武田を牽制する役にも立つし。
305日曜8時の名無しさん:2007/11/10(土) 13:46:10.74 ID:3Q5Q+Rt8
今再放送見てるが、何で寅王丸は義信に斬りかかったの?
ありのままの私を見て欲しい・・・と言いつつ斬りかかるのはキチガイとしか思えないのですが。
306日曜8時の名無しさん:2007/11/10(土) 16:23:14.98 ID:dWoDdMDf
>>303
山県性に変わるのは勘助死後4年後だから勘助死亡後与力設定でも何の問題も無いでしょ
307日曜8時の名無しさん:2007/11/10(土) 16:32:26.24 ID:+tb10e4c
>>305
一言で言うと【ジェラシー】。

最初は信玄を殺すつもりで潜入したが、いざ斬りかかると信玄の人間の大きさに圧倒され感服。
そこに小賢しい義信が登場、更に母親の三条夫人まで登場して武田家の幸せを見せつけられることに。
それに対し自分は出家、父親は切腹強要、母親は病死・・・
あまりの自分の惨めさに逆上し、義信に斬りかかったというわけだよ。
308日曜8時の名無しさん:2007/11/10(土) 17:07:31.22 ID:CrU2PdRN
ま、あの義信の空気の読めなさは、寅王丸でなくとも切りかかりたくなるw
309日曜8時の名無しさん:2007/11/10(土) 17:43:27.13 ID:ZZLSaw59
史実のトラオーはどうなったの?
310日曜8時の名無しさん:2007/11/10(土) 18:07:24.52 ID:ugdl/WCD
創作部分が多く演出過剰とあちこちから批判が出ている事は
聞いていたが、先週は温泉場の大衆演劇を見ている様だった、
ひどすぎるよ、演技以前の問題だ、
言いすぎかも知れないが、まさに田舎役者の猿芝居そのものだよ、
到底一流の役者とは思えないよ、ここまで落ちたのかと思った。
311日曜8時の名無しさん:2007/11/10(土) 18:35:55.84 ID:OiZO2tee
>>310
スレ違い。
312日曜8時の名無しさん:2007/11/10(土) 19:42:01.88 ID:aQMt6FMH
でも、
信玄に刺客を送るのに、何もトラ王丸を持ち出さなくてもいいんじゃまいか?

側室の家に入り込んで信玄に接近するのにトラ王丸でなければできないってことはないし、
というより、
昨日まで坊主やってた奴より、もっと腕の立つ殺し屋を送ったほうがいい。

今川にしても、トラ王丸の使い道はもっと他にあったはず。
313日曜8時の名無しさん:2007/11/10(土) 19:55:44.87 ID:dWoDdMDf
>>309
1546年に死亡あるいは東北に逃れた説。
まあ、あんまり良く分かってないから脚色されたんだろ。
314日曜8時の名無しさん:2007/11/10(土) 20:06:09.63 ID:ugdl/WCD

そのとおり、虎王丸はその立場上、いくらでも利用価値あった、
刺客として使うなどは軍師としては失格だろう、刺客の候補は
恨みを持った剣客など何にも当時はいた、解せないストーリー
315日曜8時の名無しさん:2007/11/10(土) 20:14:01.33 ID:p/hPm0z9
結局宇佐美の一人勝ち
316日曜8時の名無しさん:2007/11/10(土) 20:17:33.49 ID:UoMib+0B
桶狭間に勘助を絡ませるために無理矢理作ったストーリーだな
今川としたら義信が廃嫡されそうな訳でもないのに、
そんなに慌てて信玄殺す必要もないし
317日曜8時の名無しさん:2007/11/10(土) 21:42:38.56 ID:Hvr4CXcp
>>297-300
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E9%87%8E%E7%9C%8C
ウィキペディア「長野県」の「気候」の項に県内各地の平均降雪量が載っている。
しかも参考として、高田(現上越市)と浜松のデータも載っているので分かりやすい。

長野県でも中南部は雪の影響はさほどでもないことが分かる。
但し気温は内陸なので新潟よりも低い。
318日曜8時の名無しさん:2007/11/11(日) 00:25:48.28 ID:CjQzhnZL
>>309 >>313
史実の寅王丸の事跡は、わかっていないというか
信憑性のある記録が残っていないというのがホントのところ。
禰々御料人の死後、文献書状等の史料から
寅王丸のその後についての記述が発見されていない。
生存説とか長笈という名などは残念ながら伝説の類に入りそう。
319日曜8時の名無しさん:2007/11/11(日) 00:40:25.23 ID:8DXgYDJS
>>297-300
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E3%81%AE%E5%B3%A0
岩明均の漫画にズバリ「雪の峠」がある。
関東の佐竹から見た謙信が描かれているが、皮肉にも佐竹も雪国に国替えになるお話。
中編集『雪の峠・剣の舞』に収録。
武田VS長野の最後の戦いを描いた「剣の舞」もおすすめ。
http://www.amazon.co.jp/%E9%9B%AA%E3%81%AE%E5%B3%A0%E3%83%BB%E5%89%A3%E3%81%AE%E8%88%9E-%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%BF%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%83%B3KC%E3%83%87%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E5%B2%A9%E6%98%8E-%E5%9D%87/dp/4063343871/ref=sr_1_1/503-4538091
320日曜8時の名無しさん:2007/11/11(日) 02:08:59.75 ID:J2G3L+D8
>>308
義信はポチたまでも空気読まないで、
ゲストの話し中あらぬ方向をぽかんと見てたりするから問題ない
321日曜8時の名無しさん:2007/11/11(日) 03:22:49.01 ID:/cBxlJfr
同じ空気読めないアホでも、氏真ならきっと虎と友達に
なってたはずだw
322日曜8時の名無しさん:2007/11/11(日) 04:48:06.66 ID:lcifTkRB
氏真って信虎を駿河から追い出したんじゃ?
323日曜8時の名無しさん:2007/11/11(日) 05:03:35.91 ID:lcifTkRB
>>304
謙信って、単に上杉の名字と関東管領職を継いだだけじゃなくて、厳密に
上杉氏のなかでも山内家の家督をちゃんと継いでいるんだね。
こないだ上杉家文書を見ていたら、謙信宛の書状の宛名書きに「山内殿」って
書いてあるのを見て、凄く感動した。
324日曜8時の名無しさん:2007/11/11(日) 14:25:48.98 ID:+wuBI4w1
信玄といえば獅子の兜?(白いフサフサのやつ)が有名なんですが、あれはなんなんですか?
325日曜8時の名無しさん:2007/11/11(日) 19:10:33.90 ID:7O+EMzMs
松平「元信」と岡部「元信」って、どうして同じ名前にしたんだろ?
紛らわしくなかったのかな?
326日曜8時の名無しさん:2007/11/11(日) 19:31:34.32 ID:MGfUlxO4
>>325
それは「諱」であって、日常的に使用する「名乗り=通称」ではない。諱を使うのは
主に公式文書等に限られ、この場合も例えば
・姓+諱or官途名+諱and so on....
で表記するので何ら問題ない。
(例えば武田晴信であれば「源朝臣晴信」とか「大膳大夫晴信」など)
327日曜8時の名無しさん:2007/11/11(日) 19:54:55.07 ID:TLAYNFJ6
>>324
あれは諏訪法性兜(すわほっしょうのかぶと)というもので、
諏訪に伝わった兜をわざわざ信玄は使っていました。

白いフサフサは飾りともタケミカタナの表してるなど諸説あります。
328日曜8時の名無しさん:2007/11/11(日) 21:04:35.55 ID:YRtrkwA+
今日の放送で桶狭間後の松平元康が「信長方に寝返ったらしい」と言われてましたが
この時点で本当に裏切っていたのでしょうか?
ただ騒ぎに乗じてもとの領土を取り返しただけでしょうか?
329日曜8時の名無しさん:2007/11/11(日) 21:05:57.43 ID:4BJEGdda
>>326は「古文書学」が分かってなさそうだ。
330日曜8時の名無しさん:2007/11/11(日) 21:10:31.12 ID:lfyengpu
今夜の疑問

ナレーションで、「今川義元は鳴海城の山口教継を殺し、代わりに岡部元信を入れた」と言ってたが、

山口はもともと尾張の土豪。その家来も山口家の譜代だろう。
何故、城主をだまし討ちされた上、唯々諾々と岡部を新しい城主として受け入れたのだろうか?

それとも、岡部は自分の家来を引き連れて城に乗り込み、山口の家来たちを追い出したのだろうか?
だとすれば、それなりの数の軍勢の動きがあったはずで、織田方の砦は何をやっていたのだろうか?
331日曜8時の名無しさん:2007/11/11(日) 21:46:56.64 ID:MGfUlxO4
>>329
「古文書学」はズブの素人だけど何か問題あった?w
つか>>326の訂正と捕捉orz
× → 主に公式文書等に限られ
○ → 主に文書等の署名で
てことで諱で互いに呼び合ったりする場面は殆んどない。
332日曜8時の名無しさん:2007/11/11(日) 22:16:20.41 ID:G71jrgGe
このドラマだと元々山口教継を追い落とすのが
織田方の策略の狙いって漢字だと思うけど
333日曜8時の名無しさん:2007/11/12(月) 00:03:20.67 ID:lfyengpu
>>332
策略によって、今川義元に山口教継を殺させても、代わりに岡部元信が入るのなら、
織田方にとって、あんまり意味がない。
334日曜8時の名無しさん:2007/11/12(月) 01:35:50.74 ID:lfDL8UTE
>>332
元々そっちがメジャーな話だったからね
義元が信長が施した反間の計に引っかかったという話を
ドラマじゃ噂に乗じて統治強化するために外様を粛清したとアレンジした

335日曜8時の名無しさん:2007/11/12(月) 02:39:03.91 ID:qWmlkZqN
>>334
信長の謀略で、義元が家臣を殺した話しは二つあって、両方とも真実かどうかわからんけど。
1)笠寺砦の戸部新佐衛門
2)鳴海城の山口教継
ドラマでも、山口の前にも織田の小細工で小領主を殺しことがあると触れていた。
しかし、山口は尾張の土豪で外様だが、戸部は駿河の譜代の家臣だったはずだが。
本格的尾張侵攻の前に、元尾張土豪の山口を粛清するのはある意味冷徹な合理性がある(w

ところで、誰か、>>330の疑問に回答を!
336名無し募集中:2007/11/12(月) 13:00:43.39 ID:TUZr5LpT
今回の放送で気になったシーン

・このドラマでは今川義元の子供は、義信に嫁いでいる綾姫と家督を
譲った氏真しかいない(娘の隆福院と息子の一月長得は出家した)けど
武田晴信や北条氏康のように側室に子供を産ませなかったの?それと
も、子供が少ないのは出家していた事と関係しているの?

・あと史実では、息子の今川氏真に北条氏康の娘を娶らせ、人質である
松平元信(後に松平元康から徳川家康に改名)に姪の築山殿を嫁がせたの
だから、彼らは実質的にはいとこ同士になり、武田家や北条家とは遠戚
関係になるのでは?
337日曜8時の名無しさん:2007/11/12(月) 13:54:46.02 ID:T71lKjk/
風林火山はユーチューブでみれますか?録画してなくて・・
キーヮ−ドは何を打てばヒットするんでしょうか?
338日曜8時の名無しさん:2007/11/12(月) 14:05:07.27 ID:DCHKyXlE
今週放送分なら土曜日に再放送があります
過去放送分なら近日発売予定のDVDを購入してください
339日曜8時の名無しさん:2007/11/12(月) 17:15:04.70 ID:bTqvdnTU
>>335
別に城主が首切られても、家臣の地位が安泰なら新しい城主に従うのはそんなに珍しくない。
まして、規模が小さければ小さいほどよくあること。

逆に、城主は家臣の安泰を条件に首をはねられたり切腹することはよくある。

340日曜8時の名無しさん:2007/11/12(月) 17:42:53.89 ID:TwFi9t1F
葉月はクノ一だから、色香で敵から情報を出させるけど、年取ってきたら
忍者は定年とかはあるのかなあ。
341日曜8時の名無しさん:2007/11/12(月) 18:09:54.80 ID:m+oO8r9o
>>336
下のに関しては親戚の親戚は親戚、って理論じゃ
どこの大名も仲良く親戚にならないか
342日曜8時の名無しさん:2007/11/12(月) 20:17:36.40 ID:3R0W+7FE
>>336
またドラマ内での疑問なのやら、
実際の閨閥の疑問なのやら、あいまいな質問。

>>340
忍者・・・というか間者、諜者、草、忍び、らっぱ、すっぱ
女でも男でも、体が動かなくなったら各国を動きまわったり
城や館に潜入して情報を得る仕事は控えるだろうけれど、
その土地に根付いて地元民になりきって、情報を流すことは出来るよね。

「真田太平記」のお江は、永遠の美女だけどw
343日曜8時の名無しさん:2007/11/12(月) 23:05:30.71 ID:DsZkEItE
>>336
まあ遠戚ではあるかも知れないが、血の繋がりのある血族ではなく、婚姻関係を
介した姻族だからな。
因みにどうでもいい話だが、現在の民法での「親族」の定義は、
“6親等以内の「血族」と3親等以内の「姻族」”となっている。
この定義なら妻の従兄弟の配偶者は「親族」とはいえないだろう。

ただ家康が駿府で人質生活を送っていた頃、同様に人質としてして駿府にいた
北条氏規や吉良義安は、駿府時代に家康との面識を持ったことが、のちの人生に
大きく影響している。
344日曜8時の名無しさん:2007/11/13(火) 00:10:46.58 ID:deb8npzw
>>339
レス、さんくす。
城主は家来のために切腹することがあるのに、家来のほうはドライだなー(w

それで、ドラマでは、
岡部元信が義元の首を受け取って帰って来たけど、鳴海城の兵隊たちはどうなったんだろう?
もともと鳴海城の周辺の農民だと思うが、駿河に連れて来られても困るよね。
345日曜8時の名無しさん:2007/11/13(火) 00:14:46.12 ID:8DdAqi0A
336は「そんなこと、製作スタッフに聞いて見れば?」的な疑問と
それがドラマの進展に何の関係が?みたいな、妙な疑問だ。

ドラマに顔の出ない定慶院の産んだ降福院の名まで知ってるんなら
自分でもっと調べるか、
本格的に史板や戦国板で質問すればいいんだ。
346日曜8時の名無しさん:2007/11/13(火) 00:51:52.43 ID:8YjRpXu4
>>344
城主は権力争いに負けた時に腹を切るが、
家臣は権力争いに勝つためにポコポコ死んでいくんだぜ
347日曜8時の名無しさん:2007/11/13(火) 03:28:02.15 ID:jMk//ruf
>>328
この時点では松平の動向は微妙。
岡崎の城には元々今川方の武将がいたのだが
この武将が駿府に逃げ帰る?のを待ってから
元康は岡崎城に入っている。
つまり今川方に離反したととられないように
気をつかっている。
348日曜8時の名無しさん:2007/11/13(火) 03:39:36.26 ID:99C3p6VR
慎重なんだよな、家康らしいw この時点では織田がどう出るかも
分からないもんね。弔い合戦すべきだ、先鋒仕る、みたいな書状も送ってる。
結局駿河の腰が重いのと、織田が自分を取り込みたいらしい事とか
情勢を見て寝返るわけだけど。
349日曜8時の名無しさん:2007/11/13(火) 08:28:39.33 ID:26xlQfl7
>>344
兵は鳴海城においてきたろ。

届けたのは譜代の家臣でも十分だし、
トップにあえるのは農民では珍しいし。

たくさんいたのは弔意のためと。

それと、城主と家臣の関係は>>346のいうようにもちつもたれつだよな。
350日曜8時の名無しさん:2007/11/13(火) 12:18:19.72 ID:uBclT+FE
351日曜8時の名無しさん:2007/11/14(水) 00:44:46.18 ID:8VkhR4wg
>>230がどうした?
352日曜8時の名無しさん:2007/11/14(水) 17:57:07.62 ID:AVPlgac9
武者震いどのが軍議であの位置にいるということは親父(蓮司)は死んだか隠居しちゃったの?
353日曜8時の名無しさん:2007/11/14(水) 18:40:02.21 ID:GIHEn49V
前に勘助が武者震いを訪ねた時に、親父は隠居して家督を譲ったって話が出てたよ。
354日曜8時の名無しさん:2007/11/14(水) 19:34:18.57 ID:af6Ykhtk
しかし○○王子と同じで、武者震いで済んじゃうと名前売れないなw
355日曜8時の名無しさん:2007/11/15(木) 01:52:02.08 ID:FVLmgcoB
歴史好きな人ってどんな本読んでるの?
356日曜8時の名無しさん:2007/11/15(木) 08:07:26.19 ID:pg2/DIax
>>355
興味を持った人物が主人公の小説が入門になってるケースが多いような気がするが
そこからの発展は人によって違うだろう
357日曜8時の名無しさん:2007/11/15(木) 09:39:11.66 ID:IaFIwwKK
小説読む→歴史読本系を読む→そのうち自分で史料も調べだす
358日曜8時の名無しさん:2007/11/15(木) 10:36:15.83 ID:xazTWEUl
>>355
流れは二つあって、

いきなり文学として本を読む(司馬や池波あたり)→その中の歴史モノにはまる→歴史好きになる。

ゲームやドラマで歴史上の人物や時代が好きになる→それに対応した歴史小説・歴史ムック・漫画などを読む

この二つだよね。
ちなみに歴史文学好きと歴史好きは微妙な溝があるんだよね。
この原作「風林火山」もそうだが、文学好きは「史実」が違っても小説としての面白さが重視したりする。

歴史好きは意外と小説よりムック系や古文書系に走る人も多く、案外小説を読まなかったりもする。

359日曜8時の名無しさん:2007/11/15(木) 10:57:41.47 ID:n7Xos+xm
自分は溝ないなあ
歴史ドラマ→その時歴史が動いた系歴史ドキュメンタリー→史跡巡り、博物館通い→古文書
     →時代小説→講談・古典

史実を知ることにロマンを感じるし、フィクションならではのおもしろさもある。
どっちも自分の中に取り込んで、比較するとおもしろいよ。
360日曜8時の名無しさん:2007/11/15(木) 11:50:25.40 ID:dlhb8R3f
小学生のときに「風よ雲」という仁科信盛(盛信)を主役にした
少女漫画(りぼん連載w)を読んで、武田にはまった。

自分の場合、歴史も創作もちゃんと区別して愛せる。
361日曜8時の名無しさん:2007/11/15(木) 14:44:15.15 ID:MOVyIDAe
この風林火山が終わったらすぐ「真田太平記」を読むといい
武田滅亡の天目山の戦いから始まって地続き感が味わえる
高遠城・砥石城といった馴染みの城が舞台で出てくるし

本当は長篠の戦いとか省いちゃいけない事象があるんだけどね
362日曜8時の名無しさん:2007/11/15(木) 15:24:27.73 ID:pg2/DIax
「覇王の家」「関ヶ原」「城塞」戦国時代を楽しむベースとして、この3部作は読んでおいて損はないと思う。
363千早城のチンチン大将:2007/11/15(木) 16:26:09.49 ID:HI1MlJTU
>>362
あんた突っ込むようやけど「国盗り物語」忘れとるで
しかし何やな、久しぶりにこのスレ覗いたけど、相変わらずワシの質問には誰もレスポンスしてくれてないようやな
何やかんやでもう風林火山放送終わってまうで、しかし
364日曜8時の名無しさん:2007/11/15(木) 16:32:13.19 ID:REOKy0a+
>>360
おお、同士!
あの信盛は良かったよねえ。
漫画的展開だけど、京だったか、堺で知り合った信長も器量を認めていたし。
でも一番印象に残っているのは、桔梗の蛇。あれは怖かった。
365日曜8時の名無しさん:2007/11/15(木) 16:47:07.14 ID:wDpp/7sk
戦国や幕末はいろいろあっていいなあ。特にドラマ。駄作も多いかもしれないが。
源平とかにはまると自然と歴史の本とかに行ってしまう。滅多にテレビでやらないし、創作系で名作って少ないから・・・
でも先に歴史を知ってから楽しめることもある。
366日曜8時の名無しさん:2007/11/15(木) 17:53:07.62 ID:afsDX1dZ
ドラマの中で今川義元が桶狭間で休憩したのは庵原之政殿の差配との描写でしたが、
もしかして桶狭間で休憩させたのは勘助の指示、というか差し金?
その前に勘助が駿河を訪ねる描写がありましたよね?
仲の良い2人の関係だから、勘助が之政に「桶狭間という休憩にもってこいの場所がある」
くらいのことは吹き込めると思うのですが。
さすがに後のことを考えたら露骨過ぎて拙いでしょうか?
367日曜8時の名無しさん:2007/11/15(木) 19:05:59.84 ID:dlhb8R3f
>>361
新田次郎の「武田勝頼」があるじゃないか。
井上靖の短編「天目山の雲」「信松尼記」もお薦めする。
ものすごい淡々とした小編ですけど。

>>364
この板に「風よ雲」贔屓が居たとは嬉しい。
あれはほんとに少女漫画なのだが、武田を描いた傑作。
信玄の死から始まって高遠落城まで、
最後は尼姿の松姫で静かに締めくくるのが良い。
・・・って、スレからずれてすみません。
368日曜8時の名無しさん:2007/11/15(木) 20:06:01.05 ID:GrKydjdL
小説なら、池波正太郎の「夜の戦士」が秀逸だよ
369日曜8時の名無しさん:2007/11/15(木) 20:09:15.00 ID:c6Lg5fb5
>>358
文学として歴史小説を味わうという発想の強い人と、知識欲としていろいろな
こと(「史実はどうだったのか?」とか「どういう学説があるのか?」とか)を
調べたいという傾向の強い人の違いだな。

>>365
南北朝・室町の場合、ドラマ化されることは究極的に少ないから、最初から
通史・研究書・史料集なんかにいってしまうよな。

文学も現代の小説なんかには正直大したものはないから、文学作品を読むにも、
最初から「太平記」などの古典文学・軍記物の類のほうに行きやすい。
まあこの時期の軍記だと、原文のままで読んでも平安文学なんかを読むよりは
遙かに読みやすい(語彙などの面で特別な知識がなくてもかなり分かる)って
こともあるが。
370日曜8時の名無しさん:2007/11/15(木) 23:11:26.00 ID:cubR2K3T

「武田信玄」なら知ってるのですが、
「武田晴信」って誰ですか?
371日曜8時の名無しさん:2007/11/16(金) 00:20:04.82 ID:uhJ5XtEp
>>370
武田晴信でググれ
372日曜8時の名無しさん:2007/11/16(金) 01:42:50.08 ID:Phy7rcgQ
>>366
当然勘助が武者震い殿に桶狭間で休憩するよう指示を出してる。
その上で織田から武田家を訪れた僧にその旨伝えてる。
樹桂尼は勘助の謀略だと気付いたが、同時にその前の寅王丸の件の意趣返しだと気付いてるので
表立って何もいえない状態。
373日曜8時の名無しさん:2007/11/16(金) 09:07:00.74 ID:jEUPexP2
当然て…ノベライズに書いてたのか?
勘助は武者震いが同席してる所で清洲城攻めを進言してるのに
一方でそんな指示出してたらいくらなんでも不審に思うだろ
374日曜8時の名無しさん:2007/11/16(金) 14:43:16.36 ID:NJWKLhtP
明らかに仕組んでながら今川方に「自分で桶狭間に行ったんだろ」といううそぶけるように勘助はうごいていたわけで
証拠を残しててはお粗末だな
庵原に誘導させるなら、義元を挑発する必要もなかったことになる
375日曜8時の名無しさん:2007/11/16(金) 14:50:14.57 ID:thqwsqql
>>373
おまえドラマの表側しか見てないというか、裏読みが出来てないね。
勘助の表情とか台詞回しで真意が判るだろ。
それにその前に庵原が勘助に尾張攻めのことを洗いざらい話した描写があったろ?
当然攻略経路や進軍経路、街道の状況とかの話になるだろ。
そしてあのトロイ庵原殿が自分の判断で桶狭間で休憩することを選択したと思う?
土地勘もな位訳だし、誰かのアドバイスを元に決定したと考えるだろ、誰だって。
このドラマでの庵原之政殿は、何でも勘助に話し相談する人なんだぜ?
376日曜8時の名無しさん:2007/11/16(金) 16:06:11.37 ID:3Da+19+I
バカ正直な武者震い殿が、義元殿の死の後で寿桂尼様に
「実は勘助に『桶狭間で休憩せよ』と忠告されていまして」
なんて喋る可能性もあるだろ
そんなことも読めないのか>>375
377日曜8時の名無しさん:2007/11/16(金) 16:32:15.23 ID:68Sf4Cmr
いきなりですけど何故 桶狭間 で休憩したの?

378日曜8時の名無しさん:2007/11/16(金) 16:33:18.08 ID:68Sf4Cmr
いきなりですけど 何故 桶狭間 で休憩したの?

379日曜8時の名無しさん:2007/11/16(金) 17:20:16.70 ID:PSPu3t4L
>>378
よくわかってない。
休憩は疲れれば何時でもするものだし、
そもそも、休憩していないという説もある。

380日曜8時の名無しさん:2007/11/16(金) 17:20:27.45 ID:Sgq2pw9J
高速道路をドライブ中におしっこしたくなったら、
手近なサービスエリアを見つけ次第停車する。
それと同じこと。
381日曜8時の名無しさん:2007/11/16(金) 18:47:03.16 ID:adadOZO1
ドラマ中、義元が桶狭間の小屋?で休息していたんだけど…
一般には天幕張って休息している描写が多いよね?
(昔の大河「武田信玄」では小屋だったような気もするが)

実際には、どうだったのですか?
382日曜8時の名無しさん:2007/11/16(金) 19:51:40.32 ID:czQAH495
ドラマで、伝ベエと太吉が、
「桶狭間か、あそこは入り組んだ山あいの土地で・・・」とかしゃべってたけど、
甲斐の山奥の百姓が、なんで尾張の土地勘あるんですか?
諸国放浪した勘助のほうが知ってるはずでは?
383日曜8時の名無しさん:2007/11/16(金) 19:56:20.43 ID:F1n1wUqO
伝ちゃんはほとんど諜報員化してるんじゃんね?
384日曜8時の名無しさん:2007/11/16(金) 19:57:37.28 ID:sC9MzRHS
火縄銃買いに行ったとき知ったんじゃね
385373:2007/11/16(金) 20:02:50.88 ID:jEUPexP2
>>375
>勘助の表情とか台詞回しで真意が判るだろ。
あのさ、もしかして俺が「勘助の真意は清洲城に向かわせてること」
だと考えてると思ってる?
>374がすでに書いてるが、庵原に桶狭間で休むように指示するなら
義元に会って挑発する必要なんてないだろ
自分の口から一切「桶狭間を通らないように」と言わずに
義元に桶狭間を通らせるための挑発だろ
386373:2007/11/16(金) 21:10:19.21 ID:jEUPexP2
>>385間違えた

×自分の口から一切「桶狭間を通らないように」と言わずに
○自分の口から一切「桶狭間を通るように」と言わずに
387日曜8時の名無しさん:2007/11/17(土) 01:11:56.70 ID:Kh2UI9EJ
>>381
陣幕張って露営ということはまずないですよ。
一般的にはその場所の有力農家や寺、神社等で休憩するのが普通。
または移動組み立て式のプレハブ小屋を持参する。
388宜しく頼みます:2007/11/17(土) 03:48:11.57 ID:gHyXljqY
桶狭間 での一連の流れと解説をお願いしたいのですが。
389日曜8時の名無しさん:2007/11/17(土) 05:03:36.83 ID:rjSnpbm3
風林火山ストーリー的には

直江が平蔵を使わして、虎王丸による信玄暗殺を企てる
                ↓ ↓
  義元承認の元、寿桂尼が平蔵・虎王丸の動きを許す
                ↓
信玄暗殺失敗、三条の侍女死亡、平蔵が寿桂尼の名前出して逃走
                ↓
         勘助「おのれ、寿桂尼」
                ↓ 
        虎王丸、飯富により処理
                ↓
        虎王丸死亡報告に勘助が駿河へ
                ↓
        武者震いが勘助に尾張大侵攻を話す
                ↓
      勘助が大嫌いな義元へ 
          勘助「清洲直行がいいよ。それ以外はアフォ(笑)」
                ↓
       義元は逆の行動を取る
                ↓
               ><
390日曜8時の名無しさん:2007/11/17(土) 05:08:27.24 ID:rjSnpbm3
桶狭間付近で織田の斥候が盛んに動く情報
       ↓
       ↓     尾張からのお坊さんによる信長情報(信長派遣ヵ)
       ↓          ↓
    勘助「義元を桶狭間に誘導してやる」
391日曜8時の名無しさん:2007/11/17(土) 08:22:59.86 ID:03AjrW9z
>>389

×直江が平蔵を使わして、虎王丸による信玄暗殺を企てる

○宇佐美が平・・・・・
392日曜8時の名無しさん:2007/11/17(土) 08:45:03.57 ID:1Du8G/lF
改めて>>366にレス
勘助的には義元が桶狭間を通りさえすればよかった
もちろん休憩してくれた方が討たれる確率は増えるが
どちらにしろ織田任せだし戦の上で100%はない
たとえ討たれなくても証拠さえ残さなければ次の機会を狙えばいいのだから
成功確率を上げるより証拠を残さないのが大事
393日曜8時の名無しさん:2007/11/17(土) 10:01:36.80 ID:eQ9Tkt7M
>>381
「実際には」と言い出すと、「史実」ではってことか?
桶狭間の戦いは新しい研究によって、それまでの通説が常に変わってる。

過去の一般的な桶狭間のイメージは、
「桶狭間という細長い谷で陣形を伸ばした今川軍が休憩をとり、信長がそこを谷の上から奇襲する」
というもので、これまでは谷の中なのでドラマでは陣幕を貼って休憩してる描写が多く取られた。
これを元にドラマでは、この休憩場所を知らせたり、休憩させるために今川軍に現地民をつかって酒を振舞うという表現をよくドラマでされた。
谷から奇襲のほうが、ドラマ的にかっこいいしな。前作、功名が辻でもそうだったし。

が、これは現在では戦前の日本軍が作った過去の軍歴の教科書に最初に載った創作、もしくは間違いとされている。

で、現在の研究、特に「信長公記」は「桶狭間山」とされ、谷ではなく山その他「信長記」では「田楽狭間」を記され、
その他の説でも桶狭間がすくなくとも「陣形を細くするような谷」である証拠や実際の場所は特定はできてない。
現在では「豪雨の中を正面から奇襲をしようとした信長軍が視界がなく偶然に沓掛城から大高城へ出陣したばかりの今川軍に遭遇して討ち取った」説が強い。
その他、乱捕りを行っていた最中に奇襲されたなんて説もある。

戻って、ドラマの中の表現では、今回は「庵」中で襲撃されたという形をとっていて、
注意してみると、「桶狭間」といってるが、「桶狭間という谷、細長い土地」の類のことは一言もいってない。
沓掛城から西へ向かった大高城との間に「桶狭間という場所」があるという表現。
ここに勘助は誘導したというわけだ。

「豪雨の遭遇戦」という説はとってないが、今までの「桶狭間という細長い谷」という間違ったらしい説は採用しせず、
桶狭間という土地で庵にしたのはギリギリ現在の史実と刷り合わせた作りだと思うよ。

でも、前述の「一般的な桶狭間のイメージ」を持った人にはちょっと地味でわかりにくいという感想もあるそうだ。






394日曜8時の名無しさん:2007/11/17(土) 10:15:17.14 ID:3v38uRuI
>>393
新史太閤記での記述では
「織田家の被官で沓掛の小領主・梁田政綱が信長に
田楽狭間で今川軍が休憩中との諜報を与えた。
戦後の論功行賞で信長は政綱に三千貫という大禄で宿老級に列した」

ってあるんですがこれは史実に合致してるんですかね?
395日曜8時の名無しさん:2007/11/17(土) 10:31:37.87 ID:gHyXljqY
>>389-391ありがとう!の流で>>392-394勉強になりました!

余りの軍勢の差に

 ん〜 今川が慎重に攻略していたら起きえなかった のかな
396日曜8時の名無しさん:2007/11/17(土) 10:42:43.65 ID:eQ9Tkt7M
>>394
史実がソースの組み合わせだから、新史太閤記がソースである以上は史実に合致するという表現は矛盾するよな。
新史太閤記を含めたソースを元に史実が作られるわけだから、
「他のソースと合致する、矛盾する」かどうかは重要だが一次ソースに史実と合致するという表現はできないと思うよ。
そもそも田楽狭間も桶狭間も完全には特定できない場所だから同じ場所の違う表現の可能性もあるし。
でも、梁田政綱が出世したソースがあるのでかなり信憑性はあると思うけど。
ただ、その情報が桶狭間、田楽狭間が「細長い谷であった」ということは書いてない。
だから庵で休憩中に襲撃されても現在の史実ではおかしくはないということだな。

また、>>393に書いたことも時代がたてばまた新しい史実が出てるかも知れない。


397日曜8時の名無しさん:2007/11/17(土) 16:27:32.14 ID:3v38uRuI
>>396
ご丁寧に有難うございました

>>395
因みに新史太閤記には以下の様な事も記述されてます
・義元が極端な胴長短足の為に乗馬が苦手で行軍は駕籠か輿がデフォ
よって行軍速度も緩やか
・輿での移動は2時間程度が限度で頻繁に休憩が必要

・織田方兵力3千人、今川方の呼号兵力4万人(実際には2万5千程度?)
・前哨戦で織田方の鷲津、丸根の両砦陥落
・織田方の諜報で今川方が田楽狭間(桶狭間)で休息中との情報入手
・折からの暴風雨で山中を行軍する織田軍の騎兵が敵側から遮断された

圧倒的戦力差、前哨戦の勝利で今川方としては信長が清洲城に当然篭城するとの観測が
あったんでしょうね
又信長はこの桶狭間の奇襲での奇跡的勝利にも慢心せずに、その後尾張平定、隣国美濃切り取りによって
地歩を固めていく訳ですが、基本戦略は秀吉等を使って敵方を調略し充分に大勢が整ってから敵を落としていく
やり方でした
桶狭間以来の奇襲戦であった越前・朝倉攻めでは功名が辻でもありましたけど
後方の北近江・朝倉氏の寝返りで信長は命からがら逃げてます
398日曜8時の名無しさん:2007/11/17(土) 16:57:52.50 ID:ONw2MlUF
>>397
・義元が極端な胴長短足の為に乗馬が苦手で行軍は駕籠か輿がデフォ

これは行軍速度とは全く関係ないです。
乗馬でも並足が普通だし、何より軍勢には荷駄隊が良い割合でいるのですよ。
それに義元本人の個人的戦闘能力は意味がないです。
極端なことを言えば寝たきりでも頭脳明晰なら問題ないです。
もうこの辺が義元を蔑む先入観によるものだと判ります。
判りやすくいえば関ヶ原の大谷義継と比較するといいです。
義継は盲目で輿に乗っていましたが、なぜか猛将のイメージですよね?

・輿での移動は2時間程度が限度で頻繁に休憩が必要
これは全く逆。頻繁に休憩が必要なのは人間じゃなく馬です。
399日曜8時の名無しさん:2007/11/17(土) 17:32:29.21 ID:NgEHUTLW

「武田信玄」なら知ってるのですが、
「武田晴信」って誰ですか?

400日曜8時の名無しさん:2007/11/17(土) 21:42:07.84 ID:BTs2udDa
>>398
極度の肥満体だった西郷隆盛が薩軍の司令官として有能だったようなもんだな
401日曜8時の名無しさん:2007/11/17(土) 21:45:02.57 ID:1Du8G/lF
>>397
Wikipediaの受け売りですまないが、
信長公記には義元が肩高5尺5寸の馬に乗っていたと言う記述があるそうだ。
5尺5寸というと約167p、日本に生息していた馬は4〜5尺が標準だから
それよりかなり大きく、今のサラブレッドとほぼ同じぐらい。
また輿で移動するにしてもそれは足利家から与えられた特権であって、
乗馬が苦手というのは江戸中期以降の説で信憑性が低いとのこと。
402日曜8時の名無しさん:2007/11/17(土) 22:17:31.26 ID:DfzB+rhC
>>16で馬場信春が不死身の鬼美濃と書かれてるんですが
鬼美濃って原虎胤のことじゃありませんでしたっけ?
403日曜8時の名無しさん:2007/11/17(土) 22:44:28.57 ID:BTs2udDa
二人いるんです
404日曜8時の名無しさん:2007/11/17(土) 23:22:38.16 ID:R99AXnF7
・肥満体で馬に乗れない龍造寺隆信
・短足で馬に乗れない今川義元
===============
・半身不随で馬に乗れない立花道雪
・ハンセン病で馬に乗れない大谷吉継

405日曜8時の名無しさん:2007/11/18(日) 01:31:10.33 ID:wVsBr2d7
>>402
風林では原美濃死ぬ所まではやらないから馬場の鬼美濃はスルーしていい
406日曜8時の名無しさん:2007/11/18(日) 09:37:07.98 ID:ieljYAqG
>>393
>戻って、ドラマの中の表現では、今回は「庵」中で襲撃されたという形をとっていて、
>注意してみると、「桶狭間」といってるが、「桶狭間という谷、細長い土地」の類のことは一言もいってない。
ドラマでも伝兵衛が、沓掛から大高城への道は、馬が通れるのは細い谷間しかない
そこが現地では「桶狭間」と呼ばれるという説明なのでベースは昔ながらの谷間説なのでしょう
407日曜8時の名無しさん:2007/11/18(日) 10:06:36.88 ID:dMmOvAfZ
>>397
事前の調略なんて、信長に限らず誰だってやることだよ。

あと、大河板で史実云々を追求しても仕方ないとは思うけど、一応文献などから
大筋でこれが史実だろうというものを復元したければ、だいたい以下のような
手順かな。
例えば桶狭間の戦いの場合なら
・まずは実際にその合戦に従軍した者の日記や手記のようなものがあればベスト。
 →但しこうした史料が豊富に残っている合戦は滅多にない。
・次に出来るだけ同時代かあまり時代の下らない時期に書かれた史料を集める。
 →なるべくなら16世紀段階で書かれたもの。下っても17世紀前半までに成立しているもの。
・江戸中期以降の文献にしか現れないような話は、情報としては基本的に無価値。
 →但しもっと早い時期に書かれた文献の逸文などがそのまま囲繞されている場合は、その限りでない。
408日曜8時の名無しさん:2007/11/18(日) 10:08:39.73 ID:dMmOvAfZ
>>407
× 囲繞
○ 引用
409日曜8時の名無しさん:2007/11/18(日) 10:19:08.70 ID:ZKfa39VN
義元って首をとられる間際に織田兵の指を噛み千切ったってエピソードが有名だよね
鉄砲で撃ち取られるってのは何か出典があるのだろうか
410日曜8時の名無しさん:2007/11/18(日) 11:03:31.23 ID:AmuQ5YbE
>>410
ドラマは鉄砲で死んだわけじゃなかったよね
あのあと襲い掛かる織田兵と立ち回る義元を脳内保管すればおk
411日曜8時の名無しさん:2007/11/18(日) 14:01:49.12 ID:8Dx6mdHB
あの場面からなぜ武者震い達が生きて帰れたのかを考えれば、
義元殿が床に無数の刀を刺して大立ち回りを演じながら、
「わしのために命を落としてはならん!」と時間を稼いだのは火を見るより明らか
412日曜8時の名無しさん:2007/11/18(日) 14:16:27.29 ID:Qvj82UZx
青木大善が空気よめとか言われてますが、何かおかしなことしたんですか?
413日曜8時の名無しさん:2007/11/18(日) 14:35:02.95 ID:KMnydFVt
>>411
それなんて剣豪将軍?w
414日曜8時の名無しさん:2007/11/18(日) 17:04:12.17 ID:qy2AyqaA
天澤が使者としてわざわざ来てたが
織田と武田との間で何らかの工作(勘助が桶狭間に義元を誘導するから
その間を奇襲しろといったような)はあったのでしょうか?
415日曜8時の名無しさん:2007/11/18(日) 20:45:58.10 ID:xFVbPP9R
今回の最後の成田って人、何するの?
416日曜8時の名無しさん:2007/11/18(日) 20:49:58.25 ID:zA7waAm7
>>415
上杉に降伏したかと思えば北条についたり
かと思ったら上杉に人質差し出したり
上杉に臣従したり北条に付いたり豊臣に寝返ったり。
417日曜8時の名無しさん:2007/11/18(日) 20:51:49.58 ID:Ucz/AO+6
早速質問!
今日八幡宮のシーンで竹に雀の家紋がでてきましたが、
あれはもともと関東管領上杉家の家紋なんでしょうか?長尾家の家紋はなんなのですか?
418日曜8時の名無しさん:2007/11/18(日) 20:55:07.37 ID:ZccrBT8g
>>417
お前の目の前の箱は、2ちゃん専用機なのか?
419日曜8時の名無しさん:2007/11/18(日) 21:00:12.25 ID:OnJohh8V
>>417
山内上杉の家紋「竹に飛び雀」です。
420日曜8時の名無しさん:2007/11/18(日) 21:03:12.15 ID:D31ZsVIR
>>418
なんでそんな嫌味言うの?
男だったら「ググレカス」ってハッキリ言えばいいのに
421日曜8時の名無しさん:2007/11/18(日) 21:43:29.63 ID:KMnydFVt
>>417
長尾家の家紋は九曜巴紋
422日曜8時の名無しさん:2007/11/18(日) 22:58:28.56 ID:183UJ58d
戦さのシーンを見ながら、娘(小学生)にしつこく
「ね、どーして敵の数がわかるの。どーやって数えるの?」
と聞かれました。
数千とか数万の数をどーやって把握したのですか?
現代の野鳥愛好会みたいに、当時も数をかぞえる専門の人が
いたのでしょうか。
423日曜8時の名無しさん:2007/11/18(日) 23:06:28.73 ID:Mll4RYdj
>>420
ハリウッド映画的小粋な会話の応酬にござるよ

>>422
そういえばそうだ
424日曜8時の名無しさん:2007/11/18(日) 23:42:22.00 ID:KX8Yd3Di
>>422
これ以前、調べたことがあって
(ある研究家の推測の域を脱しないのですが)
一つは物見が実際に概算で数えたケース
なぜ可能かというと、数千数万の人を道なき道で移動させるのは不可能に近く
必ずめぼしい街道を細長く行軍することになるから、そこをざっと数える
もう一つは武将の持っている兵数をかねてより調べておいて
誰が参加したかでざっと概算するパターン
武将の位(何人口とか)や領地の規模や馬の数で雑兵まで大体把握できる
日頃こういう諜報活動も忍者?に小まめにやらせておかないと、
いきなり訳解らん大群に襲われてしまうアホ領主ってことで
まあ残ってる文献によっては誇張されてる場合も多いらしいですが
425日曜8時の名無しさん:2007/11/19(月) 00:12:00.48 ID:WJuHFeGm
物見を遣わせたが10里近くは離れておろう
その殿を若殿が務めておるそうじゃ。

海之口での相木様の言葉。
よく武田軍の殿が若殿でその若殿の初陣だというのもわかるな。
426日曜8時の名無しさん:2007/11/19(月) 00:22:44.55 ID:iSFx1Vng
>>425
それなら「酒でも飲まぬか、道安、いや、 山本勘助」
ってことでw
宇佐美の軒猿なんかは龍若丸の謀殺まで知ってたわけでw
ドラマ上の誇張にしても、有名人くらいは調べがついてるかと
427日曜8時の名無しさん:2007/11/19(月) 01:58:55.85 ID:Yh4LFbZ4
まあ、敵勢の数や鉄砲の数くらいは調べてないと戦争はできないだろう。
敵を知るの基本の基本だろうな。
428日曜8時の名無しさん:2007/11/19(月) 02:00:20.25 ID:+gLEv32l
まぁ実際問題、敵の数を事前にチェックしたり、目測である程度概算できないと野戦なんてできないからなぁ
429日曜8時の名無しさん:2007/11/19(月) 09:22:23.82 ID:HMBPIFYf
ウィキで調べると成田長泰の妻は長尾氏出身、つまり政虎と同族
伊勢は正室ではないのかな?

テレビは成田があえて下馬しなかった理由を説明しなかったな
八幡太郎義家に成田の祖先が下馬せずに挨拶した故事にしたがったそうな

成田って空港や成田山の領主なの?
430日曜8時の名無しさん:2007/11/19(月) 09:48:38.45 ID:8jLw9VwT
重臣会議の席順が、馬場、真田、原となっていましたがコレは偉い順ですか?
431日曜8時の名無しさん:2007/11/19(月) 09:49:51.70 ID:nzDfvQDP
成田は忍城城主で現在で言う埼玉県行田市。弟が少し東にいったところの騎西城城主になっていたはず。
妻は長尾景春の乱(祖父と父が上野守護代だったのに自分を守護代にしなかった上杉に怒り古河公方足利成氏とともに上杉氏と戦う)で有名な景春の末子で白井城主長尾景英の娘のはず。
伊勢姫は厩橋城だったか?で家臣の反対にあい禁じられた愛ゆえに絶望し自殺した伊勢姫というのがいて失意の景虎が不憫に想って生涯結婚しなかった理由として出てくる。
成田のムチ打ちは江戸期の講談話に出てきて扇で叩いただけ。史実からは確認できず実際には千葉氏と小山氏が関東の主座の地位を争い関東諸将が分解したらしい。
小田原城前で酒は、おそらく弁当を敵前に喰ってた話…また戦場で矢が届こうが平気で馬上杯で飲んでたが(馬上杯の大きさはかなりデカい)基本的にいつでも飲んでた酒好き。
景虎は弁当の味にうるさかったと言われてる。兵士達にうまいものを食べさせたかったんだろう。
普段の景虎はあまり飯を食べない為に(酒と梅があれば1人でチビチビやってた)大食いになると家臣達が出陣が近いなとわかったらしい。
三国峠をテレビでは簡単に越えると誤解するかも知れんが雪が3mを越えるほど積もる地で峠越えで景虎が手が震えて字がうまく書けないからハンコを作らせたと言う。
432日曜8時の名無しさん:2007/11/19(月) 10:11:38.87 ID:HI0iseek
>>429
>成田って空港や成田山の領主なの?

そういう事実は無いみたいです(成田山は平安時代から成田山新勝寺の寺領)
成田氏が何時頃から「成田」を姓にするようになったかは不明ですが、
武蔵の国人領主の出身ということから武蔵(河越)にあった成田山新勝寺の別院に因んでいるのかもしれません?
実は、名門という割りに現在では戦国時代以前の成田氏もハッキリしたことは不明なんです。
433日曜8時の名無しさん:2007/11/19(月) 10:15:03.88 ID:nzDfvQDP
ちなみに成田山新勝寺は平将門の乱を平定すべく祈願する為に作られたらしいです。だから子孫は絶対に成田山には行かないらしいです。
434日曜8時の名無しさん:2007/11/19(月) 11:54:45.36 ID:8t4vzpq8
大河ドラマの昨日のコントみたいなシーンですが、
金玉を蹴って「ちーん」という効果音まで流れたのは初めてのことでしょうか?
いやちょっと話題になってたので気になったので。
大河でチーンは凄いなあ。
435日曜8時の名無しさん:2007/11/19(月) 13:53:08.90 ID:FJU8HbLa
>>430
武田家の序列は下のようになってるから偉い順だよ。

・一門衆(信繁、信廉、小山田)
・譜代家老(飯富)
・侍大将(高坂、源四郎、馬場、秋山)
・先方衆(真田、相木)
・足軽大将(原美濃、勘助)
436日曜8時の名無しさん:2007/11/19(月) 14:13:34.68 ID:eD0yxj+0
成田氏が源義家の故事に習い、下馬しなくていい家柄とのことですが、
そもそもこの事実は当時の一般常識として広く知れ渡ってた事なのでしょうか?
あまり有名でない話ならば、政虎が知らなくても仕方がないと思うのですが。
勿論だからといって公衆の面前で打ち据える事の是非は別ですが。

あと、下馬しなくていい件ですが、相手はどの辺まで対象なのでしょうか?
・関東管領
・関東公方
・将軍
・天皇
更にその後成田氏は江戸幕府下で大名になったようですが、
その頃もこの特権は維持されてたのでしょうか?

恥ずかしながら私も今回の風林火山放送に伴い下調べして知った次第です。
437日曜8時の名無しさん:2007/11/19(月) 14:21:41.58 ID:CIKFh9TQ
>>435
飯富や秋山は甲斐源氏なんだから、一門だろ。
438日曜8時の名無しさん:2007/11/19(月) 14:22:08.19 ID:nzDfvQDP
有名でないどころか講談話。
関宿城主の簗田(古河公方の外戚)に謙信は
「関東は不馴れなので関東政治事情はいろいろとご指南ください。何でもあなたに相談して決めます」
と言ってるから、もし実話だったら簗田にも責任がある。
439日曜8時の名無しさん:2007/11/19(月) 14:32:15.47 ID:wcsRa2OG
ただ話聞かされてたとしても、目の前で騎乗姿見せられたら
許されてるからっていい気になんなよボケがみたいな気持ちにはなるかもなw
440日曜8時の名無しさん:2007/11/19(月) 14:59:25.48 ID:FJU8HbLa
>>437
その論で行くと板垣や甘利も一門になっちゃうよ。
441日曜8時の名無しさん:2007/11/19(月) 15:37:51.40 ID:Rjd11GuQ
昨日敵兵の数え方を質問した者です。
ていねいな解説ありがとうございました。
娘も「おーっ」と言っていました。
442日曜8時の名無しさん:2007/11/19(月) 16:00:04.81 ID:nzDfvQDP
兵数はだいたいは目視での概算把握だね。
自家の動員なども見てるから自家の兵数3000だとこのくらいの規模に見えるとか目で見てわかってる。
あと現代に残る兵力概算は戦前の日本陸軍が石高などで、当時の状況とを考慮してだいたいこんなもんだろ!ってのが公式となってるから実数がわからないケースがほとんど。
443日曜8時の名無しさん:2007/11/19(月) 19:31:00.37 ID:YKb62FLq
昔から勤めてた原より寝返り組の相木、真田の方がえらいのか。やってられないだろうな
444日曜8時の名無しさん:2007/11/19(月) 19:45:06.35 ID:BDWK+0MO
>>443
原は出奔して更に出戻りだから、微妙だよ
445日曜8時の名無しさん:2007/11/19(月) 20:08:41.89 ID:hBU/K9NS
>>436
成田氏のその話は全くの大嘘。
江戸時代の講談本(黄表紙)の創作だよ。
少し考えれば判るが、源義家の時代から500年近く経ってるわけで、
そんな特権があったとしても既に無効。
そもそも鎌倉幕府下で成田氏にそんな特権があったという伝承も史実もない。
446日曜8時の名無しさん:2007/11/19(月) 20:48:10.44 ID:kgNlcQHj
しかし西のほうではいよいよ織田信長が本領を発揮し始めて家柄や古臭い権威が
根元から崩れ去ろうとしているときに、鎌倉での関東管領の仰々しい行列は、
関東の後進性を如実に物語っているようで複雑な気分だ。
447日曜8時の名無しさん:2007/11/19(月) 21:19:13.16 ID:HXUCgGD3
原作が単行本一冊なので、ストーリーを膨らませるために
ドラマでのオリジナル逸話を盛り込む点で、
地域の伝説や伝承、江戸期の軍記や読み本レベルを題材にして
逸話を作りこむパターンが「風林火山」」では目立つな。

「妙法寺記」という記録に端が見えるにせよ、
どーんと尾ひれのついた小山田の「駒橋の妾」話やら
ほんとに伝説レベルの寅王丸→長笈の刺客話やら
伊勢姫話の別バージョンやら。
もともと大衆向けに伝えられた話の数々梶だから、
ネタ元として美味しい分野ではある。
448日曜8時の名無しさん:2007/11/19(月) 21:27:32.24 ID:4NbK04Cy
>>443
しょうがないだろ。営業成績がいいんだから。
勤務年数よか業績w
449日曜8時の名無しさん:2007/11/19(月) 21:53:30.25 ID:nzDfvQDP
>>431
厩橋城でなく平井城に訂正です。
謙信は平井城を自ら破却して本拠地を厩橋城に移しました。
これは鉢形城が北条方であり信濃からは碓氷峠を越えてくる武田に見事に挟撃される地勢で退却するにも背後の利根川に叩き落とされる危険性からでしょう。
また佐竹や小山・結城・太田・里見・簗田らの旧古河公方勢力圏への救援で東進する理由もありやはり利根川以西の守備は非常に難しかったのでしょう。
ちなみに関東管領山内上杉氏を継いだ謙信には扇谷上杉氏の旧領である武蔵国にも領土的野心がまるでなく松山城には扇谷上杉家臣の太田氏に返却したりしてます。
450日曜8時の名無しさん:2007/11/19(月) 22:03:13.40 ID:8jLw9VwT
>>448
真田はともかく、相木はwドラマ内でス真田家で飲んだくれてセクハラ発言
しかしてないんじゃねえ?
451日曜8時の名無しさん:2007/11/19(月) 22:14:19.54 ID:CCQA6yUz
>>450
なんだとー
大井氏落としたのは相木タンの功績だぞ
ドラマで描かれてないところでもきっと大活躍してるんだよお
452日曜8時の名無しさん:2007/11/20(火) 00:07:09.58 ID:95LUyCNe
>>437
甲斐源氏ってだけで一門認定してたら何百年もいて庶流が多いんだから
譜代の大部分が一門衆になってしまう。

島津とか大友とか何百年も続いてるところは家臣団が一族ばっかり。
453日曜8時の名無しさん:2007/11/20(火) 00:47:28.35 ID:5X+48ex4
ムラ社会という感じだな。
454日曜8時の名無しさん:2007/11/20(火) 00:57:12.34 ID:70SrbWr1
俺の地元、一部の名字がやたら多いんだけど
元は同じ一族なのかもな…
そう考えるとなんかキショイわ(;´Д`)
455日曜8時の名無しさん:2007/11/20(火) 04:00:47.54 ID:GrFtXn+U
>>454
人間というか生き物ってそういうものだよ
俺だけみんなと違う異星からやってきましたなんて奴いねえ
456日曜8時の名無しさん:2007/11/20(火) 09:14:57.58 ID:jcztdDdb
>>454
江戸時代までは農民に苗字は無かった
明治になって全国民が苗字を名乗ることになったとき、
地元の名士が自分の権勢を示すために使用人らに同じ姓を名乗らせた
という経緯がある だから同じ地域で同じ苗字だから遠い親類という訳ではない
457日曜8時の名無しさん:2007/11/20(火) 09:30:15.78 ID:v3lTb159
苗字を付けるときにいいのが思い付かなくてみんなで神主さまの苗字をいただいたりとかあるから一概に同姓は一族とはいえない
458日曜8時の名無しさん:2007/11/20(火) 10:00:43.36 ID:THWfb3cE
>>452
足利氏なんて義康以降に分かれた一族はみんな一門扱いしているじゃん。
459日曜8時の名無しさん:2007/11/20(火) 13:46:05.55 ID:JbghEFhr
>>458
足利と武田じゃ規模が違うんじゃ‥
460日曜8時の名無しさん:2007/11/20(火) 13:56:15.95 ID:Q/zHDNn8
>>456
>江戸時代までは農民に苗字は無かった

それは違う!
江戸幕府の政策として平民(農工商)が公式の場で使えなかっただけだし旧家の庄屋や名主などは公式の場でも許されていた。
大部分の平民は私的に名字(苗字)を使っていたし古文書などでも、それは証明されている。
よく明治の「平民苗字必称義務令」の時に大部分の平民が名主などによって名字を付けられたなどと思っている人がいるが、
そのような例は極一部にすぎなかったことが現在では定説になっている。
461日曜8時の名無しさん:2007/11/20(火) 15:29:15.80 ID:1F/TT31i
>>460
だいたい、
坂本竜馬の坂本家も元の家は農家で武家の身分を買ったわけだし、
土方歳三も土方家はガチ農民だけどしっかり苗字があったもんな。

462日曜8時の名無しさん:2007/11/20(火) 15:33:39.14 ID:NMMlGI1I
江戸時代前は武士だった人多いんだもの
両者が明確に分かれるのは兵農分離・刀狩以降
463日曜8時の名無しさん:2007/11/20(火) 15:56:06.44 ID:I3nM2vZc
父が、元服のときの烏帽子親はもっと偉い人がするもんだと言ってました。
やはり、ドラマ上は勘助が主役ということで出しゃばっちゃたんでしょうか?
勘助が重用されてるということでしょうか?
464日曜8時の名無しさん:2007/11/20(火) 16:06:24.91 ID:P3E4Ivnn
主人公だから勘助が出しゃばったんだとおも。
465日曜8時の名無しさん:2007/11/20(火) 16:14:10.34 ID:8gDai7Mm
あまりこういう事は書きたくないのですが、明治維新の際に新規に名字をつけたのは被差別部落民。
一般の農民・町人はちゃんと名字と屋号を持ってました。
それを持たなかったのが被差別部落民、それもその中でも最下層のみ。
だから関西から西に変な名字の家が多いでしょ?
466日曜8時の名無しさん:2007/11/20(火) 17:10:51.90 ID:AH00PeRv
「北条時宗」では鎌倉幕府の執権時宗の息子の時貞が元服するとき、乳母父の平頼綱と
時宗の叔父(時宗の妻祝子の兄)の安達泰盛が烏帽子親を争っていた。
結局安達が烏帽子親を勤めたが、のち平頼綱に滅ぼされる。

武家社会では、上流階級は夫婦で子育てはしない。
子供が生まれたら、まず烏帽子親は身分の高い人を選び、子供は家臣に育てさせる。
乳母父夫婦の家臣は女は主人の子供に乳をやり、男は教育を担当したようだ。

勘助は足軽大将だから身分が低いから烏帽子親はおかしいが、戦国時代で秩序が崩壊してた
せいか、信玄に特別の寵愛を受けてたから、物語として烏帽子親になったのかもしれない。
467日曜8時の名無しさん:2007/11/20(火) 18:46:15.48 ID:5X+48ex4
>>460
ほとんどの家で、というのも極端なんじゃないかな。

実際、明治になって、新たに苗字をつけてもらったという話もあるしな。
ちなみに、俺の母方の苗字は全国的には奇姓に属すると思うが、
その地域にたくさんいる。
やはり、明治になって小作に名乗らせたんだと、聞いている。

これは、明治になって、それまで私的に伝えてきた苗字があったとしても、
その土地の有力者の都合で、その有力者の苗字を名乗らされたり、
その有力者の一族でありながら、その苗字を名乗れなかったということなのかもしれないが。

このあたりに関しては、戦国時代も似たようなものだったかもしれないな。
468日曜8時の名無しさん:2007/11/20(火) 21:55:33.68 ID:1iy0OAf1
あと、江戸時代の間に苗字を忘れたという家も、明治になって苗字をつけた
469日曜8時の名無しさん:2007/11/20(火) 23:25:37.27 ID:j0Pee14R
へいぞうって人は本当に実在した人?
聞いたこともないんだけど、ドラマ用に架空で作っただけ?
470日曜8時の名無しさん:2007/11/20(火) 23:26:04.58 ID:rQ1bbh3Z
東京の多摩地区には、江戸時代には帰農した
武田や後北条の武士の家がたくさんあったしな。
471日曜8時の名無しさん:2007/11/20(火) 23:49:36.09 ID:S0LP1DL8
相模や武蔵の有力農家は、徳川が来る前は
北条方の武士やってましたってのが多い。
そのあたりの百姓は、北条の善政もあって安定した
結構良い暮らしをしてたから、武士で立ち行かなくなったら、
みなあっさり帰農しちゃう。

472日曜8時の名無しさん:2007/11/21(水) 09:20:21.08 ID:Yc+UGkcz
>>469
架空です
六平太やうつぼや捨助やお通や桐子と同様に架空の人物です

・・・と書いたところで思ったが、としまつって、功績捏造はあったけど、架空人物っていないよね?
473日曜8時の名無しさん:2007/11/21(水) 09:30:31.41 ID:I80xNUsY
>>472
架空といっても、六平太やうつぼやお通は原作小説から
(厳密に言うと「うつぼ」は村上元三作品)に登場する作中創作人物。

平蔵は原作「風林火山」では登場しない、ドラマ版オリジナル。
同じ架空といっても、立ち居地は微妙に違う。
474日曜8時の名無しさん:2007/11/21(水) 10:07:30.77 ID:dqkDXkKR
>>459
規模の大きな足利でさえ大量の一族をみんな一門扱いしているんだから、
況や武田・・・ってことでしょう。
475日曜8時の名無しさん:2007/11/21(水) 10:50:59.92 ID:j+OSb9XO
足利と武田の一門云々、ヒントつーか答えは惣領制な。
476日曜8時の名無しさん:2007/11/21(水) 12:30:32.43 ID:s12bPfHf
>>464>>466
ありがとうございます。
「北条時宗」は見てませんが、安達泰盛は有力な御家人でしたよね。
平頼綱も執権の有名な家来だったような。
勘助、重臣みたいでかっこいいですね。
477日曜8時の名無しさん:2007/11/21(水) 12:34:49.76 ID:XvcOQW5S
>>475
武田氏は甲斐源氏の惣領家です。
478日曜8時の名無しさん:2007/11/21(水) 14:00:23.84 ID:TBZQKmUl
佐竹義重と武田信玄で源氏の嫡流について手紙で争ったよね。
479日曜8時の名無しさん:2007/11/21(水) 14:49:46.38 ID:+1MxC5UB
・ご親類衆(○信繁、○信廉、小山田、木曽)
・譜代家老(○×板垣、○甘利、○×飯富、○駒井)
・侍大将(○×諸角、高坂、○山県、○馬場、○秋山)
=======越えられない壁========
・先方衆(真田、相木)
・足軽大将(×原美濃、勘助)

○:甲斐源氏
×:信玄の代で断絶あるいは失脚した家
480日曜8時の名無しさん:2007/11/21(水) 14:56:06.83 ID:i75WUPzw
>>472
バーカ。

捨助は実在だよ。
なまくらな知識ひけらかすな、ボケ。
481日曜8時の名無しさん:2007/11/21(水) 16:30:48.26 ID:jaVq/4NB
>>480
松本捨助は実在しますが、滝本捨助は実在しません。
さらに松本捨助は切り死にしていません。
482日曜8時の名無しさん:2007/11/21(水) 16:55:25.47 ID:sJhAWRPg
ぶはははh!

久しぶりに寒波を見た!
483日曜8時の名無しさん:2007/11/21(水) 20:56:31.94 ID:0pDy87r9
>>478
どっちが嫡流なの?
佐竹の領地はもともと源義光の本拠らしいけど
484日曜8時の名無しさん:2007/11/21(水) 21:28:48.97 ID:8zMKPzzU
源義光の三男、源義清が甲斐源氏の祖
源義光の嫡男、源義業が佐竹氏の祖
ということになっとるようです。
485日曜8時の名無しさん:2007/11/22(木) 00:06:23.51 ID:toeYwaJP
清和源氏と甲斐源氏、佐竹源氏はどう違うの?
486日曜8時の名無しさん:2007/11/22(木) 00:25:31.43 ID:UvRdnlY0
そもそも武士階級ってなんなんだ? 欧州の騎士とどこがちがうの?
487日曜8時の名無しさん:2007/11/22(木) 00:30:12.37 ID:N7POIESw
清和源氏は源氏全ての総称。清和は源氏の祖清和天皇の事。
武田は甲斐に土着した源氏一族だから甲斐源氏。
佐竹は常陸に土着した源氏一族だから常陸源氏。
488日曜8時の名無しさん:2007/11/22(木) 02:13:36.52 ID:aZ9viPL2
>>483-484
義光の嫡子ではなかった義清が、甲斐へ移住して(一説に罪を得て甲斐へ配流されて)、
土着したのが甲斐源氏ですね。
武田の苗字の地についても、甲斐国内に比定する説と常陸に求める説の2つがある。
489日曜8時の名無しさん:2007/11/22(木) 07:30:49.80 ID:4j1WHw0v
>>483
佐竹も武田も源氏の嫡流を意識したのは室町時代以降。
鎌倉幕府成立時は源氏の嫡流は言わずと知れた源頼朝なわけで、
武田も佐竹も源氏とは意識していない。(意識してたらこの時点で源を名乗ってる)
そもそも当時から武田や佐竹は源氏と思われておらず、要は単なる土豪にすぎない。
それが戦国時代になりどさくさに紛れて系図をごまかし源氏を名乗っただけ。
当時世間から源氏と認められていたのは足利家とその一門くらい。
490日曜8時の名無しさん:2007/11/22(木) 09:06:10.39 ID:4jPDjb20
佐竹も武田も本当に源氏かどうか怪しい。
その辺の地侍が自称しただけと思う。
491日曜8時の名無しさん:2007/11/22(木) 09:53:02.15 ID:DpkUYGne
それを言い出すと、清和源氏そのものが非常に怪しげな家系ということになるんだろうと思う。

ただ、実際の血統がどうであるかより、
朝廷を大本として、歴史上同認識されてきたかが重要なんだろう。
その意味では、いわゆる清和源氏は、清和源氏と認識されてきたから、OK.
次に、その清和源氏の将軍家から、一門と認識してもらえるか、
特に頼朝の代にどういう位置づけであったかが非常に重要。
後は、その先祖から、自分までの系譜がきちんとしていればいい。

で、その点に関しては、佐竹も武田も清和源氏ということでいいだろう。
492日曜8時の名無しさん:2007/11/22(木) 10:48:05.02 ID:DGYEKU1S
おまいら>>1を100万回嫁w
493日曜8時の名無しさん:2007/11/22(木) 12:08:09.94 ID:uFFgkmuX
>>489
ただ佐竹氏や武田氏と同系の平賀氏が、鎌倉初期に源氏将軍家断絶後の
清和源氏嫡流と目されたこともあるので、彼らが嫡流に近い位置に元々いたのは
事実だろう。
ただ佐竹氏に関しては当初頼朝に敵対したことから鎌倉期を通じて
冷遇されているし、武田氏についても頼朝に危険視されて粛清されたあとは
それほど勢いがない。
また上記の平賀氏も承久の乱で京都方について潰れたということがあって、
鎌倉の後半期には“清和源氏嫡流は足利流”という意識に一本化されてくるって
感じでしょう。
494日曜8時の名無しさん:2007/11/22(木) 13:05:56.11 ID:tbtBUD1d
上野岩松家は新田源氏じゃナカタ?信濃木曾家と同じで怪しいけどw
495日曜8時の名無しさん:2007/11/22(木) 13:09:26.97 ID:Idn38BKF
>あくまで初心者、途中参戦組向けなので、専門的な話は極力本スレでやるでごいす。

いいかげんにしろ。
ドラマから離れすぎだ。
496日曜8時の名無しさん:2007/11/22(木) 13:10:50.75 ID:lR0J5XF4
>>479
板垣と飯富の潰された理由は過去ログにあるけど諸角と原は何で潰されたの?
497日曜8時の名無しさん:2007/11/22(木) 13:50:53.81 ID:lp4op5iH
>>494
岩松氏は足利義兼の庶長子義純の子孫なので、男系では足利一族。
義純は当初、新田義兼の娘と結婚して岩松氏の先祖である時兼を儲けたが、
後に畠山重忠の未亡人(北条時政の末娘)と再婚して源姓畠山氏の祖になった。
その結果、前妻の子である時兼は母方である新田氏によって養育され、
新田本家から所領を分与されて岩松の家を興した。
室町期の当主岩松満純は、本当は新田義宗(義貞三男)の子であったが
養子として岩松氏に入ったともいわれる。

なお岩松氏の被官から戦国期に下克上でのし上がった横瀬(由良)氏も新田氏の
流れを称しているが、こちらはかなり怪しいとされる。
498日曜8時の名無しさん:2007/11/22(木) 20:31:08.30 ID:RsgiAI+H
諸角虎定は、武田信昌(晴信の曾祖父)の庶子って説があるんだっけ?
499日曜8時の名無しさん:2007/11/23(金) 00:04:33.03 ID:2gzRwH/R
清和源氏であるかどうかは
武士としてそんなに重要なのけ?
500日曜8時の名無しさん:2007/11/23(金) 00:38:41.66 ID:Qk8/7OdT
>>496
原の息子と諸角の息子が領地争いで刃傷沙汰起こして両方断絶。

>>499
戦国時代は下克上の時代とはよく言うが家柄悪いと人が付いてこないよ。
家柄によって貰える官位やなんかも限界があるし。
景虎が家柄悪いからって越後守護職を断られた事があるのなんか良い例。
501日曜8時の名無しさん:2007/11/23(金) 03:19:39.49 ID:3hri/Xy/
家系捏造できた家康なんかはともかく、誤魔化しようがない秀吉なんかは
凄く苦労しとるよねw
502日曜8時の名無しさん:2007/11/23(金) 06:38:08.52 ID:Qk8/7OdT
>>499
それと鎌倉、室町両方とも将軍が源氏出身だから普通に考えれば源氏ってだけで武士にとっては
高ステータスって訳だ。肝心なところ答え忘れてたorz

>>501
家康も最初はそんな家格じゃ官職やれねえよって言われる様なご身分だったしなw
503日曜8時の名無しさん:2007/11/23(金) 06:49:51.36 ID:ldxIqWgX

「武田信玄」なら知ってるのですが、
「武田晴信」って誰ですか?
504日曜8時の名無しさん:2007/11/23(金) 10:34:07.41 ID:YSUadW5W
上杉謙信なら知ってますが
上杉輝虎って誰デスカ?
こんな感じで理解してね。
505日曜8時の名無しさん:2007/11/23(金) 11:42:15.14 ID:7KprqZlg
あれ?諸角って前(信繁にブン殴られた回) 息子はみんな討ち死にしたっていってたけど

あの歳で作ったのか?それとも養子?
506日曜8時の名無しさん:2007/11/23(金) 11:51:42.32 ID:nTNXGlLe
>>505
そこはドラマの創作
507日曜8時の名無しさん:2007/11/23(金) 13:53:22.31 ID:Fxbn3zhJ
忍者って誰でも雇っていたの?出てこないだけで。
それとも、真田とか宇佐美が特殊なの?
508名無し募集中:2007/11/23(金) 14:30:07.33 ID:k6JR3Mpr
今回の放送で気になったシ−ン

・ドラマの中で景虎が厩橋城で正月を迎えているシーンがあったけど
8月に出陣してからその間まで景虎たちは何をしていたの?

・ドラマの中で、北条が長尾軍の兵糧を奪われて補給が停まった
けど、小田原城を包囲している間はどうやって食糧を補給した
の?越後から来た兵糧は、どこの城で備蓄されていたの?

・ドラマの中で、景虎が関東管領になるために、鎌倉にあっさり
入ってたけど三浦半島には北条の出城(小田原城を除く)はなか
ったの?
509日曜8時の名無しさん:2007/11/23(金) 15:19:00.95 ID:YSUadW5W
上野や武蔵を傘下に治めて地ならししてたんじゃないかな?松山城なんかも落城させてたはずだし。関白近衛さまもやってくるはずだし。
食い物は関東諸将が補給を受け持ってたはずだから上杉軍は心配いらなかったんじゃないかな?
謙信は武田が来ても無視して包囲を続けたがったが、たぶん大軍の補給は大変だった為に関東諸将は長い包囲を嫌がったはずで鎌倉で即位して古河へ移動。
小田原包囲中には北条は兵糧補給の邪魔はできなかったはず。
北条はたしか最後尾の関東諸将の空になって一番最後についてきてた補給部隊を襲ったくらいなハズ。
何しろその時の謙信は古河城で関白近衛や前関東管領憲政や公方の外戚の簗田氏らと共に北条の擁立した足利義氏を排除して将軍も認めた古河公方足利藤氏の正式な即位の式典を敢行してたからね。
謙信は大船駅近くの玉縄城を包囲したりしてるね。何しろすぐ近くに長尾台なる長尾氏の名の元になった長尾郷があったからお参りしたのかも。
旧三浦新井城はもっと南の果て。
玉縄(相模)と笹下城(武蔵か?)との間に関城(国境か?)という支城ネットワークがあり笹下城は川崎方面から転用された間宮林蔵の先祖の間宮氏が対里見水軍用(鎌倉焼討ちされた経験がある)に守ってたはず。
510日曜8時の名無しさん:2007/11/23(金) 15:34:08.28 ID:nq4CkuQI
上杉謙信の祖先は相模の国の発祥なんだ。
大船とかめちゃくちゃ親近感ある。
勉強になるスレだ、横からトン。
511日曜8時の名無しさん:2007/11/23(金) 16:38:32.98 ID:BnRoQz/5
宇佐美氏は、伊豆の宇佐美が苗字の地だな。
室町時代の伊豆の守護が山内上杉だったから、その縁で山内上杉の親戚筋の
越後上杉の被官になった。
512日曜8時の名無しさん:2007/11/23(金) 16:40:15.72 ID:BnRoQz/5
>>509
即位ってなんだ?
513日曜8時の名無しさん:2007/11/23(金) 16:42:43.16 ID:irQKb9Pv
>>507
多分どこの大名も情報収集を担当した連中はいたはず。
北条ではおねいさんで御馴染みの風魔衆がいたし、
武田も諸国を巡る歩き巫女を望月千代女(信玄甥の
未亡人)に統括させていた。

江戸時代にも、七代家継の時代に、時期将軍を巡って
水面下で尾張と紀伊が動向を探り合っていたらしく、
紀伊藩の密偵が出没したと尾張藩士の日記にあるらしいし
514日曜8時の名無しさん:2007/11/23(金) 18:52:19.62 ID:q88WYTn0
>>508
>ドラマの中で、景虎が関東管領になるために、鎌倉にあっさり
 入ってたけど

鎌倉の寺社は、鎌倉幕府が倒れた後度々戦乱のために火災にあい
長年荒廃していた。その焼けちゃってた鶴岡八幡宮を再建したのが
北条氏康の父の氏綱。鎌倉五山の寺も、氏綱&氏康父子が修復して
整備している。
せっかくキレイに整えた鎌倉の街を、また兵火に巻き込みたく
なかったので、氏康はあえて手出しをしなかったのかもしれない。

また三浦半島には、房総半島側に本拠地を持ちながらも
北条方に組みしていた豪族(正木氏の一部とか)の領地があり、
それらは関東管領軍が来たところで、この時点での勝ち組側に
寝返っている。
ちなみに、関東管領軍が相模国から去った後、寝返った豪族たちは
三浦半島側の領地を没収されて、北条領内から追放処分となったようだよ。
515日曜8時の名無しさん:2007/11/23(金) 19:23:14.65 ID:8c4nzgaI
>>512
「即位」は王位または帝位に就くときの用語

征夷大将軍や管領は「宣下」
516日曜8時の名無しさん:2007/11/23(金) 19:24:46.21 ID:8c4nzgaI
正確には「宣下」され、「就任」する
517日曜8時の名無しさん:2007/11/23(金) 21:07:10.69 ID:5W/cLU7G
>>515
マジレスもなんだが、何で謙信の話で「即位」なんだとつっこみだろ
518日曜8時の名無しさん:2007/11/23(金) 22:17:39.82 ID:8c4nzgaI
>>517
長文で連呼した509に逝っとくれ
519日曜8時の名無しさん:2007/11/24(土) 00:46:38.15 ID:TUL1yW6C

「武田信玄」なら知ってるのですが、
「武田晴信」って誰ですか?

520日曜8時の名無しさん:2007/11/24(土) 00:55:39.72 ID:Iy7n0IfR
>>518によれば、公方も管領も「即位」らしいw
521日曜8時の名無しさん:2007/11/24(土) 00:56:06.58 ID:Iy7n0IfR
>>518じゃなくて>>509だった
522日曜8時の名無しさん:2007/11/24(土) 01:11:17.30 ID:xf7IvlaY
よしおれも自宅警備員に即位するぞ
523日曜8時の名無しさん:2007/11/24(土) 02:12:25.67 ID:sb+eaANw
面白くねぇ
524日曜8時の名無しさん:2007/11/24(土) 02:17:56.17 ID:0980Ir0w
源氏も平氏もどっちも天皇の子孫だろ。
なら格としては同じなわけで。
でもなんで平氏よりも源氏の方がモテ生やされてんの?
525日曜8時の名無しさん:2007/11/24(土) 02:24:39.10 ID:57bd89BY
格+力が大事なのでは? 分かりやすいところでは、
平清盛の頃は平氏がもてはやされ、源氏は肩身狭いっすよ。
526日曜8時の名無しさん:2007/11/24(土) 02:32:44.53 ID:sb+eaANw
>>524
平安期の宮廷には、賜姓皇族のランクとして平姓よりも源姓のほうが格上という
意識はあるな。
実際、源氏に関しては、村上源氏や宇多源氏なんかが
中央貴族(しかも中〜上級貴族)として中近世にも生き残って行くが、
平氏については清盛の政権下でその親戚筋ということで取り立てられた
桓武平氏系の一部の家系が下級貴族として残るほかは、全て受領階級以下に
落ちている。
527日曜8時の名無しさん:2007/11/24(土) 08:57:51.88 ID:K3EJq85F
>>524
清和源氏が武士の中で支持を受けてきたのは、
「平忠常の乱」を収めて関東に勢力を得た源頼信、以来
「後三年の役」の時、私財を投げ打って関東武士に恩賞を与えた源(八幡太郎)義家
など清和源氏(の中の河内源氏)が関東武士の代表として朝廷に対峙してきたから

だからこそ関東武士は源頼朝の下、鎌倉幕府を作ったわけだし
南北朝時代も足利尊氏が全国に拡散した関東武士の末裔たちに支持された。
武士にとって源氏を支持するのは天皇の末裔だからだけじゃなくて
代々、武士の代表者だったという歴史の重みがあるから
528日曜8時の名無しさん:2007/11/24(土) 10:37:55.87 ID:vsDRgKl7
>>519
お前の母親の浮気相手だよ。
529日曜8時の名無しさん:2007/11/24(土) 12:08:08.05 ID:cahDWD4K
>>526
一般的には、源氏の方が、どうしても格上になるよな。

皇族といっても、天皇の子や孫と、
それ以降の子孫である三世王以下とは
処遇の点で大きな開きがある。

で、源氏というのは、原則として天皇の子や孫に与えられるから、
いい条件でスタートを切れるわけだな。
530日曜8時の名無しさん:2007/11/24(土) 12:20:29.19 ID:XDud/ZRp
ただ清和源氏に関しては、皇統が文徳系から光孝系に変わったことによって
旧皇統の血縁者を強制的に親戚降下させた結果として生まれたという面も強く、
当初より中央政界から排除されているので、中央に残っても、まず出世は
見込めなかった。
だから早い段階から地方に下って武家の棟梁として生きる道を選択したって
感じだね。
531日曜8時の名無しさん:2007/11/24(土) 14:02:14.83 ID:fRBuhi1Y
「即位」ってbkk ww
532日曜8時の名無しさん:2007/11/24(土) 14:25:54.56 ID:yrb5optn
>>530
地方では武家の棟梁だが、中央では藤原か上皇の走狗
533日曜8時の名無しさん:2007/11/24(土) 14:27:05.99 ID:6vG//KxS
史実では武田家重臣の仲は良かったのでしょうか?
親族衆、譜代衆、信濃先方衆、その他・・・
534日曜8時の名無しさん:2007/11/24(土) 14:42:17.34 ID:mLmTjpkF
>>508
八月に出陣して九月に上野に入り、一ヶ月で沼田城、岩下城、明間城を落とし、
九月中に厩橋に入って、十月ごろに厩橋城の厩橋氏(長野氏で箕輪長野と同族だが、また別の勢力)が降伏、
十二月十二日に北条方の那波氏(今の伊勢崎)を滅ぼし、上野で関東諸侯の結集を図りつつ越年。
他にも倉賀野城や平井城が北条の手にあったはずで、これらの城を奪還していたとも考えられるが、正確な史料がない。
また河越城は先遣隊によって十二月初旬に包囲されている。
535日曜8時の名無しさん:2007/11/24(土) 18:01:05.36 ID:Nla5t4xr
>>533
普通に仲は悪いです。
仲間づきあいを碌にしない板垣jrとか>>502の話とか
別格扱いを受けて逆上せ上がってる小山田や穴山とか人は石垣〜が空々しく聞こえるほどです。
536日曜8時の名無しさん:2007/11/24(土) 18:27:50.46 ID:cahDWD4K
>>530
清和源氏の場合、孫王も三世王の扱いだったようだしな。
源姓を賜った初代の官途の先が見えているから、
自然、子孫も中央貴族としての発展は望めんかっただろうな。
537日曜8時の名無しさん:2007/11/24(土) 18:44:20.13 ID:XEsdgg+j
千葉胤富(重臣原氏が後北条に内通し千葉本家は乗っ取り滅亡寸前にまで圧迫されてる下克上前夜の現状を打破したいはず)と
小山高朝(古河公方権力を支えた小山持政という名将が有名。また結城合戦で有名な結城氏は同族で伝統的に反上杉勢力)とが
古河公方政権(利根川以東の下野・常陸・下総・上総)での関東諸将の首位の座を争い、
関東管領山内上杉(上野国)を継いだ謙信の仲裁(公方の外戚関宿城主簗田氏のアドバイスであろう)によって千葉胤富が首座となった事に小山氏は不満だった。
むろん同族の深谷上杉氏や岩槻城の太田氏は扇谷上杉(武蔵・相模)家臣団なので謙信に従った。
今の群馬県太田市付近は山内上杉氏が伊豆国を譲渡し後援し成立した堀越公方派と古河公方派に家内が分裂した
新田系の岩松氏(のちに重臣由良氏改め横瀬氏に下克上され乗っ取られる)など両勢力の最前線だった歴史の流れがあり
太田・佐野・足利・館林あたりは利根川・渡良瀬川に挟まれた大湿原地帯でパワーバランスが露骨にでるため背反が多く面従腹背で生き延びてきたのだろう。
この争いで関東諸将がバラバラになったのであって成田ムチ打ちで関東諸将が謙信を見限った話を捏造。
単に北条側の鉢形城や川越城からの松山城総攻撃(武田との連合軍)に前後しての示威行動が弟の騎西城や忍城に強大な圧力をかけられたからだろう。
また里見・太田連合軍が松山城救援に失敗し翌年には国府台で正月から酒盛りをして夜襲を受けての大敗により
太田資正の岩槻城まで喪失し上総の久留里城まで里見勢力が押し込められたパワーバランスの後退ってのが大きい。

538日曜8時の名無しさん:2007/11/24(土) 19:50:07.10 ID:TUL1yW6C

「武田信玄」なら知ってるのですが、
「武田晴信」って誰ですか?

539日曜8時の名無しさん:2007/11/24(土) 21:20:51.42 ID:J2dxIggL
相手にされなくて必死な人が一人いるみたいですねw
540日曜8時の名無しさん:2007/11/24(土) 21:44:47.19 ID:fRBuhi1Y
>>539
相手にしてるおまいもbkk
541日曜8時の名無しさん:2007/11/24(土) 22:14:59.42 ID:TUL1yW6C

「竹中半兵衛」なら知ってるのですが、
「池中源太80kg」って誰ですか?
542日曜8時の名無しさん:2007/11/24(土) 22:43:28.23 ID:f/wWhAaF
>>536
まあ源姓を貰えたことがせめてもの救いってところだろうね。
543日曜8時の名無しさん:2007/11/24(土) 23:40:32.91 ID:TUL1yW6C

「上杉正虎」なら知っているのですが、
「三杉淳」って誰ですか?
544日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 01:17:30.73 ID:mDA6HS3q
>>543
「上杉政虎」なら知っていますが、「上杉正虎」なんて知りません。
545日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 01:47:57.53 ID:NhB8WuDl
>>544
つ「政」の略字
歴史知識なさ杉
546日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 01:58:55.51 ID:mDA6HS3q
「政」を略して「正」になんてしません。
もし本来「政」であるべきところが「正」で書かれていたら、それは単なる誤記かもしくは適当な当て字として書かれた場合です。
以上
547日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 02:10:04.19 ID:NhB8WuDl
>>546
「上杉正虎」という本人の略字筆跡が残っています
歴史知識なさ杉
もぐりヲタ乙
548日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 02:28:17.70 ID:FBA5UXwV
それは当て字じゃないの
549日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 03:14:17.97 ID:X4G2SBCK
要するに544の段階で無知と
550日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 03:30:38.08 ID:EWbfAKi2
つうか、揚げ足取りするスレじゃねえだろうがウゼえな
551日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 03:42:25.77 ID:pBTwSlDV
>>547
ほう。それでは具体的に何の史料のどこにあるのかソースを出しなさい。
552日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 03:50:10.98 ID:0Y2VTHCi
>>548
それもあり得るな。この時代の史料の表記なんて結構いい加減だから、
自分の名前ですら、漢字かけなくて平仮名にしちゃってるような例もいくらもあるし。
さらに他人の書いたものなら、当て字・誤表記なんて当たり前のようにある。
553日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 04:51:47.47 ID:4IjoQmvZ
よほどよくない字でもなければ、音が合ってりゃオッケー的なノリ
554日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 04:58:03.25 ID:NhB8WuDl

「板垣信方」と「板垣退助」の関係を説明してください。
(ニヤニヤ)
555日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 08:08:11.72 ID:eZx7/BiZ
あぁ有名だね。新政府軍が江戸進撃した時に甲斐まで進軍した時に乾退助がワシは板垣の裔だって言ったら現地の反乱が収まったんだよな。
556日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 10:00:49.63 ID:bRAkhcVe
お前らいい加減、歴史板へ御帰宅下さい
557日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 10:05:03.13 ID:x6ZzNk0L
まぁ、確かに変なスレにはなっているが
初心者の質問には返答しているんだから
別にいいんじゃね。
558414:2007/11/25(日) 11:26:09.74 ID:kOR6Jl8r
そろそろ俺の>>414の質問に釣られてくれないかね
559日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 12:23:24.44 ID:T255PUt2
>>548>>552>>553
同意。
音さえ合っていれば、字はかなり適当な当て字で書かれる。
逆にそうした適当な当て字と本当の正しい表記との間に共通する読みは何か、というようなところから人名の読み方が判明することもある。

ただ「正」が「政」の略字とかいってる人は頭がおかしいだろう。
歴史に詳しいという自負があるような人なら、普段からよく丹念に史料とかを読んでいるはずだろうから、「正」を「政」の略字みたいに使うことなんて普通はないのは経験則から分かるでしょうに。
だから仮に本来「政」であるべきものが「正」で書かれている事例がごく少数あったとしても、それは略字としてではなく当て字や誤記として処理される。

例えば史料本文を引用するときに、本文に明らかな略字が使われている場合には、それを現在通用の一般的な字体に勝手に直してしまっても、それは改竄ではない。
しかし本来「政」であるこのが「正」で書かれていたら、それを勝手に「政」に直すことはしない。
「正」の字の横に括弧書きで正しい表記が示されるか、「原文ママ」のような校訂註が加えられるかして、処理される。
560日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 12:23:25.71 ID:WE44QUWy
本スレで先週と今週を間違えてばかなことをしたものですが、
質問スレってここでいいのかな。期待して待ってます。
561日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 12:23:43.95 ID:x6ZzNk0L
本スレで質問していた人へ。
関東を揺るがす事件のところをだけど
そこは公式のあらすじに書いているよ。

ドラマ終盤、関東の庶将達が新しい関東管領を
沿道にて下馬して出迎えたんだが
成田だけ下馬しないことに景虎が激怒。
鞭で何発もぶっ叩いているところでまた来週。
562日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 12:26:28.17 ID:bRAkhcVe
>>558
「信長公記」のちょうど桶狭間の直前にある「天沢長老物かたりの事」と「六人衆と云ふ事」のエピ
どっちかというと関東に赴く天永寺天沢というお坊さんが、甲斐を通過した時に奉行から
信玄に会うよう促した(おそらく信玄からすすんで招いた)
「何処から来たの?おお尾張か(多分知ってる)、じゃ信長知ってるよね?どんな人?」
で小唄の話と鷹狩の話をした
小唄の話では、「結構、文化人だね〜」と感心し(信玄もそこら辺は理解者かな?)
鷹狩の話では、六人の家来をつかった緻密な戦略に通ずる様を聞き、感心
(ドラマでの「良き知らせをもたらすものに褒美・・・」がここかな)
「尾張に帰る時はまたよってね」で別れる
信長関係の小説では信玄を登場させるクダリとしてよく使われている
「信長公記」的にもそれらしきクダリはなく
ドラマでも勘助が桶狭間を知ったのはその後だから、そこまで深い策略は無いかと
ただ、信長が大事が目の前にも関わらす天澤を送った?かは
信玄に一目置かせる役目を果たしたとも言える
滅ぶかもしれないのに、信玄に友好や義元の弔い合戦をけん制すると読めば・・・
563日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 12:28:46.34 ID:x6ZzNk0L
細かい結果報告をすると

○信玄の四男、四郎が元服した。
○勘助が北信濃近辺に海津城を立てる。
城主候補は香坂殿。
○小田原出兵の時に長野業正登場。
しかし咳き込んでいてなんか病気みたい。
564日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 12:33:47.08 ID:x6ZzNk0L
あとは、先週で長尾景虎が上杉政虎に改名。
鶴ヶ岡八幡宮で関東管領職に就任する。
565日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 12:49:59.65 ID:ccinMW2t
補足

北条は各地の兵はそれぞれの持ち城に篭らせて上杉軍を小田原城まで誘い、
城を包囲した上杉軍の後方でかく乱したり補給を断ったりして
長期戦で上杉軍の士気を低下させる作戦

武田はたしか国境近くまで兵を出すだけ出して動かず
>>563にもある通り川中島対策で海津城を建てる
いくさで直接北条に加勢するのではなく
「北条にいつまでも構ってると北信濃とっちゃうぞ〜」て感じで
背後から上杉に揺さぶりをかける作戦 もちろん自国の利益の為でもある
566日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 13:38:38.94 ID:WE44QUWy
>>561>>563>>564>>565
昼飯作って食ってる間にレスがいっぱい。ありがたい。・゚・(ノД`)・゚・。
細かく教えてくれたおかげで、今日の放送は疑問を持たずにすんなり見れそうだ。
城が建ってるところだけでも、こんなのあったっけ?いつのまに?と首をひねっただろうし、
武田は北条を加勢せずになにをやってるのだろうと悩むところだった。
ほかのこともあとであれ?と思わずにすみそうだ。
氏康好きなんで映像で見られなかったのは残念だが、脳内補完しておくよ。

先々週の予告で景虎が誰か叩いてるシーンがあったような気がしたんで、
今週のあらすじを見ても違和感を覚えなかった。
…言い訳です。すみませんでした。今日は忘れずに見ます。

教えてくれた人ありがとう。
567日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 15:37:52.93 ID:m39uKyK8
>>563
細かい事言うと「城主」じゃなく「城代」ね。
武田の軍制だと譜代は城主になれないから。
568日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 20:46:37.83 ID:jxA5Js1H
今日の番組中、政虎が景勝に書道の手ほどきをした場面で「イ」「ロ」「ハ」とカタカナを書いてました。
確かカタカナは韓国のハングル起源で、この時代にはまだ日本に伝来していなかったと思うのですが?
秀吉の朝鮮出兵の際に日本に伝わったハングルがカタカナの起源のはず。
その辺どうなんでしょうか?今回のは単なる脚本家のミス?
569日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 20:47:25.84 ID:FBA5UXwV
>確かカタカナは韓国のハングル起源で、この時代にはまだ日本に伝来していなかったと思うのですが?

おいw
570日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 20:49:32.22 ID:zfwCOTNl
カタカナも漢字起源
阿→ア、伊→イ、宇→ウ、江→エ、於→オ
571日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 20:50:01.37 ID:XPbldUZ8
伝べえ何貰ってたの?
チョコが入ってるの?
572日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 20:51:37.04 ID:+q1cj//q
>>568
釣りでつか?
573日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 20:52:52.98 ID:k3Jvy8+Q
>>570
マジレスする恥を知れ
574日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 20:54:23.42 ID:JNfur53j
>>571
金貨。甲州金の刻印の無いバージョン。

http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/history_06.htm
>甲州金
>戦国時代随一の産金地甲斐(甲州)を領有していた武田氏が、
 領内 通用の目的で発行した、わが国初の額面表示金貨(計数貨幣)。
575日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 21:00:29.92 ID:GU1li9+b
>>571
メダルチョコは確かに金貨を模したものですけど、あれは金貨(というか小さな金塊)です。

「甲州碁石金」で検索すればわかります。
576日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 21:23:42.70 ID:3ZI4McyY
河原村伝兵衛が甲州金3すくいを褒美でもらうって記述が甲陽軍鑑にあるんで
そのエピソードを拝借したんでしょうね
577日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 21:44:40.46 ID:a/BmpyTr
>>570
厳密に言うと、片仮名の「エ」はヤ行に由来するな。
平仮名の「え」(もとの字は「衣」)はア行に由来だが。

まあア行とヤ行の「え」の区別は、いろは歌成立以前に消滅しているけどね。
578日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 21:56:40.20 ID:+HaFSK18
甲州金3すくいで今で言うといくらなんだろ?

1個いくら?
579日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 22:17:44.97 ID:Qf7RSuKU
鬼美濃はあれで死んだのけ?
中井信玄では夜道で暗殺(相打ち)されたんだよね。
580日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 22:22:42.81 ID:m39uKyK8
>>578
3すくい約150万円だったかな確か。

>>579
川中島から3年後1564年に病死
581日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 22:57:43.82 ID:ArvPoQYQ
今日の放送で誰のセリフか忘れたのですが、『にごころ』とはどういう意味なのでしょうか?
確か関東管領の息子が北条に討たれた時にも聞いたと思います。
582日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 23:01:50.54 ID:NhB8WuDl

ねえ、上杉家と米沢ってどういう関係があるの?
どうして米沢???
583日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 23:04:57.36 ID:zfwCOTNl
米沢といえばあき竹城
584日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 23:08:03.83 ID:klrzYF5m
>>581
「竜若丸〜!!」の回ですね。
そういえば言ってましたね「煮ごころ」。
よく覚えてましたね。
585日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 23:27:08.63 ID:SMFElO8N
>>582
上杉景勝は慶長3年に秀吉の命令で、越後から会津120万石に転封。
この際、上杉家家臣の直江兼続が米沢城を拝領している。
その後慶長6年、景勝は関が原の戦いで西軍に属したことによって
兼続の領地であった米沢30万石に減封されてしまう。
以来、上杉家は幕末まで米沢藩主であり続けた。
歴代藩主の中には、有名な上杉鷹山公なんかもいるね(養子だけど)。
>>581
「二心(ふたごころ)」のことかな?
「二君に仕えて(つまり先君を裏切って)恥じない、不忠義な心根」のことでは。
586日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 23:32:48.43 ID:NhB8WuDl
>>585
ぷぷぷ。釣られてやんの。
知ってまーす。
そんなの知ってるでしょ?
何マジメに説明してるの?(笑)
そんなこと、
義務教育終えてる普通の日本人なら誰でも知ってるでしょ?

なんなのこのスレ?
ヲタ知識を披露したくてたまらない、
低脳キモ歴ヲタの集いですか?(笑)

あ〜、キモー!!
>>1-585 ぜーんぶ知ってまーす!
587日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 23:42:08.89 ID:kl86+T1v
あはは、よっぽど正の件が堪えているようだねw
588日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 23:42:32.16 ID:aKYavVnN
>>586
……キモ
589日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 23:44:53.28 ID:VIf1xdvQ
まあ、スレの主旨を越えて
歴史知識を披瀝したい人々が居るのは事実だな。
590日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 23:50:00.82 ID:cHbx/f20
>>586
白扇を渡す。
591日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 23:50:01.83 ID:zfwCOTNl
2ちゃんのおかげで鎌倉の北条氏と小田原の北条氏が関係がないのを初めて知りました
592日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 23:55:00.60 ID:NhB8WuDl

はい、じゃあ、骨のある質問ね。

上杉家の子孫が健在なんだけど、
上杉○○さん(28歳・女性)が、
現在、勤めてる企業はどこでしょう?
(ヒント:東京都港区)

593日曜8時の名無しさん:2007/11/25(日) 23:57:04.41 ID:zfwCOTNl
関電工かな
594日曜8時の名無しさん:2007/11/26(月) 00:02:04.16 ID:+KxDnBhy
>>591
それはよかった。

もっとも、ドラマを注意してみていれば、
違うということがわかったかもしれない。

「ありゃ、伊勢じゃ」
595日曜8時の名無しさん:2007/11/26(月) 00:17:03.08 ID:ctvz9tzf
まぁ、2chの日本史板にいると嫌でも多少は詳しくはなるわな。
周りに歴史に詳しい人なんてそんなにいねぇもの。いても話す相手いないから黙っているかもしれんけど。
596日曜8時の名無しさん:2007/11/26(月) 00:20:05.61 ID:G5wEsvll
>>581>>584>>585は自演なんだ…ごめんよ>>586
597日曜8時の名無しさん:2007/11/26(月) 00:21:30.55 ID:rOGFSpu9
また、初期にいた、釣りと言えばいいと思っているキチガイが復活したみたいだな・・・
598日曜8時の名無しさん:2007/11/26(月) 00:33:08.14 ID:M/A+0+OP
>>596
>>581ですが…
真面目に質問したのですが、びっくりしました。
自演ではありません。
教えて下さった方、ありがとうございました。
599日曜8時の名無しさん:2007/11/26(月) 00:39:31.92 ID:BGcUiWJL
NhB8WuDl無視
600日曜8時の名無しさん:2007/11/26(月) 00:59:14.52 ID:2cHykWPv
>>598
釣りじゃなかったのかw
601日曜8時の名無しさん:2007/11/26(月) 01:09:19.73 ID:xzPHSdR0
日本史詳しくないのですが
有名な真田を始め滋野とか海野とか望月とか相木だとか穴山だとか当時の領主の名前
が地名になっているのはその名前を取って地名になったんですか?
602414:2007/11/26(月) 01:12:40.53 ID:Ujs9IgEe
>>562
ああ、元ネタあったんだ。
「信長公記」の首巻から取ってきた話なんだねぇ。
ありがたう。
603日曜8時の名無しさん:2007/11/26(月) 01:15:46.90 ID:uKGZ35vt
>>601
支配した土地の名称を、支配者が名乗ったのが多いと思う。
604日曜8時の名無しさん:2007/11/26(月) 01:45:46.56 ID:AyqqAM3Q

勝頼に盛信っていう弟がいたらしいのですが、
母親は誰ですか?
605日曜8時の名無しさん:2007/11/26(月) 01:46:36.57 ID:2cHykWPv
油川夫人、風林火山では於琴姫
606日曜8時の名無しさん:2007/11/26(月) 02:08:06.66 ID:VpZyfrEU
油川夫人は『武田信玄』では恵理と作中命名。
同母妹に松姫と菊姫(上杉景勝正室)。
北信の仁科氏の名を継いで仁科五郎盛信。
長野県歌の「信濃の国」では『信盛」と歌われている。

好きな人物だが、長くなるとなんなので詳細は書かないけど、
武田家の歴史では非常に人気のある人物だよ。
607日曜8時の名無しさん:2007/11/26(月) 02:15:20.39 ID:AyqqAM3Q
>>605-606

知ってます。
608日曜8時の名無しさん:2007/11/26(月) 02:20:57.57 ID:2cHykWPv
それは良かったね
609日曜8時の名無しさん:2007/11/26(月) 02:50:02.92 ID:709J1Pyq
先週は勘助と高坂弾正のアッー!な話に気を取られて気がつかなかったが
「海津城は平城なれど堕ちにくい」とか
「味方の数が読まれにくい」とか(>>422にもあったよね、この話)
色々言ってたのが今頃気になった
戦略的要素は勘助は自分で説明していたが(川中島の押さえっつーこと)
戦術的要素について解説plz
610日曜8時の名無しさん:2007/11/26(月) 05:16:25.72 ID:AyqqAM3Q

「真田虫」の由来は、真田家から来てると聞きましたが、
具体的ないきさつを教えてください。
611日曜8時の名無しさん:2007/11/26(月) 07:41:09.82 ID:zAFTEgEk
>>610
真田虫は寄生虫で宿主の養分を吸い取り、最後には死に至らしめます。

真田家は武田家に吸い付き、その結果宿主の武田家は滅んでしまいました。

真田虫は真田家のようだ、ということで真田虫と呼ばれるようになりました・・・
612日曜8時の名無しさん:2007/11/26(月) 07:42:46.08 ID:QveAM0JI
景虎の関東出兵に参集した諸大名を教えてください
ぱっと思いつくのは太田、成田、里見、長野、佐野、那須、宇都宮、佐竹、小田、結城、横瀬、簗田、皆川、安中あたりですが…
613日曜8時の名無しさん:2007/11/26(月) 09:04:22.05 ID:0FSayHwD
>>609
海津城に限らず、城一般として土塁(技術や余力があれば壁や石垣etc)で覆ったり
虎口(入り口)に屈曲をつけたり馬出しを設けたりするため、攻め手側からは中の動きが見えにくい
籠城戦の場合、守り手は少ない兵力を有効に使うために敵の攻撃ポイントに戦力を集中するが
その間に攻め手が守りが手薄な攻撃ポイントを探すのを防げる
また、縄張りとして廓や堀の形状を複雑にして攻め手を迷わせたり、十字砲火を発揮できるポイントに呼び込んで
出血を強要する戦術で城の地図を相手に作成させないよう隠す効果がある

しかし、こういった城情報の秘密保持は敵が同高度以下にいる場合の話であり
近くのより高い山なんかを確保して上から見下げられると兵力配置も縄張りも敵にバレバレになる
614日曜8時の名無しさん:2007/11/26(月) 10:51:51.86 ID:2wYeRAyj
>611
知らなかった! 寄生虫とは、嬉しくない語源になっちゃったものですね。
古い名前は寸白(すばく)だったっけ。
615日曜8時の名無しさん:2007/11/26(月) 11:10:29.88 ID:AaPA7w6P
>>611
嘘つくなw
真田幸村(信繁)が九度山に幽閉されている時に作ったという伝承のある真田紐に似ているからサナダムシ(真田虫)になったんだろーが!

>>614
知ってるくせに……よい子が信じたらどうするんだ!
616日曜8時の名無しさん:2007/11/26(月) 12:20:08.01 ID:+uzwOuR2
どっちにしろ真田に関係あるのか
しらんかった
目黒寄生虫博物館の標本は圧巻だよ
617日曜8時の名無しさん:2007/11/26(月) 18:18:34.43 ID:hYYAbHh1
>606
>長野県歌の「信濃の国」では『信盛」と歌われている。
盛信は信盛とも呼ばれたの?
それとも単に作詞者が間違えただけ?
618日曜8時の名無しさん:2007/11/26(月) 20:12:04.96 ID:O1EfIup9
徳川家康が2度も煮え湯を飲まされたことから、いやがらせ的に名付けられたと聞いた
619日曜8時の名無しさん:2007/11/26(月) 20:17:56.93 ID:AyqqAM3Q
>>618
正解。
620日曜8時の名無しさん:2007/11/26(月) 20:38:21.03 ID:3ykqiA9e
>>601
例えば同じ県内に親類がいる場合とか親類同士がみんな同じ苗字だろ。そしたら地域名で呼び分けた方がわかりやすい。
>>612
鎌倉以来の名門中の名門である千葉氏や小山氏に各地の長尾一族も参加。
里見と千葉とか小山と宇都宮とか佐竹と小田など呉越同舟だからうまくいくハズがないんだわ。
621日曜8時の名無しさん:2007/11/26(月) 23:44:49.11 ID:8fF0SiSt
聞き間違えだったらすみませんが、昨日の風林火山でナレーターがその後
上杉と北条が手を組むみたいなことをいっていましたが、あの二国って
同盟を結んだりしたんですか?風林火山を見ていると完全に敵国で
絶対に同盟なんて組め無そうに見えたのに...。おそらくスレ違いには
なってしまいますが、ご存知の方いましたらぜひお聞かせいただきたいのですか。
急に戦国時代にはまったばかりなので同盟とか全然わからないので...。
622日曜8時の名無しさん:2007/11/27(火) 00:43:05.11 ID:o8QTl+kd
桶狭間で義元が戦死→後継の今川氏真がご存知の「アホウ」
→家臣離反、三国同盟の均衡アボーン
→信玄、謙信との戦いとなる北上策から駿河への南下策に転換
→氏真追放、相模(氏康)に助けてーー
→氏康が危機感、同盟破棄、武田との戦い開始
→旧敵越後と越相同盟、関東を上杉と分割
→信玄も北条と対立してた房総の里見氏と同盟
→だけど、何年か後に結局、越相同盟はアボーン!!
→氏康死後に武田とまたまた同盟お友達になる

623621:2007/11/27(火) 00:48:13.37 ID:mm+LtZkc
>>622 わかりやすい説明ありがとうございました。
越相同盟という同盟が上杉と北条の同盟ということでいいのですか?
624日曜8時の名無しさん:2007/11/27(火) 00:49:00.58 ID:55F+8uYA

山本勘助の息子で、山本勘蔵というヤツがいて、
長篠で死んだらしいんだけど、何者でつか?
625日曜8時の名無しさん:2007/11/27(火) 01:08:02.90 ID:t6HW1gCg
雨宮の渡しを車の中からちらっと見たのですが川など跡形もなかったのですが
どうしてですか?
626日曜8時の名無しさん:2007/11/27(火) 01:23:54.99 ID:9W5yEJLJ
>>625
千曲川の川筋が当時と変わったから
627日曜8時の名無しさん:2007/11/27(火) 01:27:19.68 ID:mcBKHkp9
>>617
盛信名で残っている記録文献のほうが圧倒的に多く、
また仁科家の名が盛○で踏襲されているので
盛信という名が通っていて、
信盛は間違いなんても言われていたが。
「信盛」と署名した文書も、1点だけ存在している。

>>624
勘助の子というのは眉唾レベル。
628日曜8時の名無しさん:2007/11/27(火) 01:34:10.63 ID:55F+8uYA
>>627
知ってます。
629日曜8時の名無しさん:2007/11/27(火) 01:38:28.99 ID:mcBKHkp9
>>628
いい加減にしなよ。そういう態度。
何が面白いの?
630日曜8時の名無しさん:2007/11/27(火) 01:41:43.80 ID:4rYxDiIe
おそらく、これを繰り返すことによって
説明してくれる人を呆れさせて、説明等の書き込みを少なくしたいのだろう。
631日曜8時の名無しさん:2007/11/27(火) 01:48:28.57 ID:mcBKHkp9
そういう単純な魂胆なのはすぐにわかるけどねw

>知ってます。
と、失礼な答え方するんなら、
何をどう知っているのか、どういう文献で立証されているのか
出典は何なのか、逆にご高説を伺ってもみたいよな。
632日曜8時の名無しさん:2007/11/27(火) 01:48:57.64 ID:55F+8uYA

知識をひけらかしたくて、うずうずしてるヤツらがキモイので、
からかってるんだよwww
633日曜8時の名無しさん:2007/11/27(火) 01:50:57.63 ID:9W5yEJLJ
>>632
……病か?
634日曜8時の名無しさん:2007/11/27(火) 01:52:07.38 ID:+3DD1tXd
小学生みたいだなw
実際はいい年なんだろうけど。
635日曜8時の名無しさん:2007/11/27(火) 01:53:31.99 ID:iyRazo44
このスレ的には、新しい課題のネタふりになるので
よろしいのではなかと。

なにも質問の無いところにいきなり書けないスレッドだし。
636日曜8時の名無しさん:2007/11/27(火) 02:19:14.23 ID:t6HW1gCg
三増の合戦以降、厚木ではそばを作らなくなったとかいう逸話のほかに
とうもろこしを作らなくなったとかいう話があったと思うのですが
これは何でしたっけ?
637日曜8時の名無しさん:2007/11/27(火) 02:55:43.61 ID:mcBKHkp9
>>635
でも、実際にやられるとムカつくもんだよ。
ネタふりなんてもんじゃない、悪質。

Qのスレ主が>632だったら?と思うと書くのを躊躇するよな。
638日曜8時の名無しさん:2007/11/27(火) 03:04:40.41 ID:iyRazo44
>>637
質問者が釣り師であっても、いい回答が書き込まれた場合、
回答の内容自体はROMな人が楽く拝見してますんで。
徒労になってるわけでもないし。
639日曜8時の名無しさん:2007/11/27(火) 03:20:29.37 ID:nXKbzbqC
キツツキ戦法っ何?
古来のもの?
640日曜8時の名無しさん:2007/11/27(火) 04:07:49.17 ID:55F+8uYA
>>637
ごめんよ、涙。
ヤマザキ春のパン祭りシール1点あげるから、許しておくれ。
641日曜8時の名無しさん:2007/11/27(火) 08:17:26.51 ID:Z2XYJwRy
>>639
基本的に川中島以外で使われたという記録はありません
642日曜8時の名無しさん:2007/11/27(火) 09:18:55.92 ID:F7wpM+ir
まああれだ。
「知ってます」ってのは「ありがとう」って意味だからそれ以上は深入りしなくていいんだよ。
643日曜8時の名無しさん:2007/11/27(火) 09:57:21.23 ID:EnhwLfG6
>>629
アホに構うなよ。
644日曜8時の名無しさん:2007/11/27(火) 17:49:05.64 ID:+3DD1tXd
知ってるんなら、それはそれで良かったってことで。
645日曜8時の名無しさん:2007/11/27(火) 19:03:56.40 ID:fTF03a2a
   i:;:;:;:;:;:;;/_|;|_|i;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:ノ
   /:;:;:;:;:;:;lト''l;| !リ;:;:;:;:;:;、;:;:;:;:;:}   ま 知
  i゙:;:;:;:;:;:N ! ヾ ヾヾ',;r''⌒ヽ.)  す っ
  .|:;:;:;;i'゙'゙  ,;;   《''ー'゙,,.    }  よ て
  !;:;:ヽ´`''''《   .:/Z三卉≧=)
  ヾ;:;}ィ=ヰ=〉  彡''" ̄  `''ー、_,、__、_,,
    i゙ ´'''⌒7   ,,   ∵ ‥.;;彡''゙>ヽ l
   .|.   /  爻,,  ∴ ∵ /.::::::::::';;;ノ/
    l::.   (_,r、_)へ、.   /.:::::::::;;{-‐'゙
     l:: /  ,,ィー-:=:._7 ,.::::::::::/:l
    ヽ ヽんrェェエエダi .:::::::::/:::l
     ヽ. ヾー==-'''´  ,':::::::;;::::::::|
      ヽ.      ,,.:':::,,-‐''..゙゙ ̄`フ、
        ヽ(_,,;rイ´.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:/,:;:;.ヽ
646日曜8時の名無しさん:2007/11/27(火) 20:08:49.12 ID:4BYSoe2I
長野市松代町柴の山本勘助の墓は吉池家の宅地内にあるとホームページで見ましたが
墓のある場所ははどう見ても千曲川の土手の下の河川敷ですが
吉池さんの宅地内というのはどういうことなのでしょうか?
647日曜8時の名無しさん:2007/11/27(火) 20:47:03.34 ID:kEUCDhYw
>>646
吉池さんが河川敷に住んでいるってことだろう
648日曜8時の名無しさん:2007/11/27(火) 21:40:24.91 ID:lAPpWbxv
予告に八つ墓村の祈とう師ばばぁみたいなのがでてましたが誰ですか?
649日曜8時の名無しさん:2007/11/27(火) 22:07:41.04 ID:l0pap81Z
予告に出てきたということは次の週に出てくる人物なのでしょう。
次回を楽しみにお待ちください。
650日曜8時の名無しさん:2007/11/27(火) 22:36:57.02 ID:lAPpWbxv
え〜、どうしても八つ墓村に見えてしょうがないのでそこをなんとか教えてもらえないでしょか?
651日曜8時の名無しさん:2007/11/27(火) 23:24:05.07 ID:55F+8uYA
>>650
緑マコさん。
往年の美人大女優。
652日曜8時の名無しさん:2007/11/28(水) 00:21:27.72 ID:KchzOOAs
>>651
あれ、>知ってます の人じゃん。
653日曜8時の名無しさん:2007/11/28(水) 00:54:33.31 ID:Fuifigt0
武将の出自を調べてみると
大体は清和源氏、平氏、藤原北家の3つなんだな。
654日曜8時の名無しさん:2007/11/28(水) 02:48:48.37 ID:5YGD9+mc
自称もいるけどな
655日曜8時の名無しさん:2007/11/28(水) 02:51:22.72 ID:EqJpn/0j
いや、ほとんどが自称
656日曜8時の名無しさん:2007/11/28(水) 04:06:49.67 ID:LmzdAWEM
知ってます
657日曜8時の名無しさん:2007/11/28(水) 09:10:02.49 ID:ni4Jg4nH
だが自分がバカだとは知らないようだな
658日曜8時の名無しさん:2007/11/28(水) 12:30:35.62 ID:RIhLSMJg
素破ってなんですか?
659日曜8時の名無しさん:2007/11/28(水) 13:39:50.50 ID:fbJ6+Vkc
>>658
諜報部隊まぁ忍者。
660日曜8時の名無しさん:2007/11/28(水) 19:57:27.13 ID:LmzdAWEM
織田信長に黒人が仕えていたと聞いたのですが、
こんな感じですかね?

http://hugecocksfree.com/6382/091104/14.jpg
661日曜8時の名無しさん:2007/11/28(水) 21:24:41.81 ID:ERebF2nh
>>651
知ってます。

知識をひけらかしてキモい。
662日曜8時の名無しさん:2007/11/28(水) 21:36:57.09 ID:88R92fxS
「信長」に出てた弥助はもっとイケメンだったな・・・
663日曜8時の名無しさん:2007/11/28(水) 21:37:04.22 ID:s5vr6NYN
知識をひけらかすためのスレで何を言ってやがる。
664日曜8時の名無しさん:2007/11/28(水) 21:37:51.20 ID:w1EJT/+4
>>663
>>651のID辿ってみ?w
665日曜8時の名無しさん:2007/11/28(水) 22:49:38.39 ID:GBdr0ouO
伊勢姫はもう出ないのでしょうか?もっと見たいです。
666日曜8時の名無しさん:2007/11/29(木) 00:00:23.50 ID:afyvTCR6
知識をひからかしているんじゃなくて
日本史の話をしたいだけだと思うけど。
日常生活で日本史の話をする場所や相手なんていないでしょうし。
667日曜8時の名無しさん:2007/11/29(木) 02:40:03.98 ID:dkuRqf17
>>665
後は合戦しかないから出番ないでしょ
668日曜8時の名無しさん:2007/11/29(木) 06:36:11.10 ID:TbA2/Vfe
北条高広っていますよね?上杉家に。
あれは、小田原北条家と関係あるの?
669日曜8時の名無しさん:2007/11/29(木) 10:55:42.04 ID:CY3ncKpw
>>668
言っておくが北条高広は「ほうじょう」じゃなくて「きたじょう」だからな?
670日曜8時の名無しさん:2007/11/29(木) 11:02:01.23 ID:Qwu0mlac
元は大江氏でキタジョウと読みます。
安芸の毛利元就も大江氏です。
平安期の学者として名を成した家系で八幡太郎義家に兵学を教え、源頼朝に仕えて鎌倉幕府の中枢にいたのが大江氏です。
三浦の謀反に荷担したか何かで家勢が衰え、鎌倉末期には河内国で楠木に兵学を教えた後に兵乱を避けて安芸に移住したって伝説もあります。
後北条は元は備中国の伊勢氏で本家は室町幕府の中枢にいました。
のち管領細川政元のクーデターで擁立した足利義澄の母と弟の仇討ち指令で伊豆国に早雲が侵攻し堀越公方を滅ぼし、
ついで小田原城を奪い三浦氏を滅ぼして相模を平定し次の氏綱の代で鎌倉幕府執権北条氏の名を利用するようになりました。
671日曜8時の名無しさん:2007/11/29(木) 14:12:34.13 ID:kJx3QHJT
伊勢氏が北条氏の名字を使うメリットなんてあったのかね。
風林の描写でもあったが
余所者が北条と名乗ったら
そんな馬の骨、関東管領を始めとして
多くの関東武士からウザがられるだけではないのか。
672日曜8時の名無しさん:2007/11/29(木) 14:45:47.94 ID:TbA2/Vfe
>>669-671
知ってます。
673日曜8時の名無しさん:2007/11/29(木) 15:06:46.93 ID:5XC7/19H
伊勢氏の本家ではないので別の姓を考える必要があった
三浦氏を滅ぼしたあと相模の国主にふさわしい姓を名乗った
関東管領に対抗するため執権の姓を名乗った
衰微していた北条氏の子孫がいたので名前をもらった
関東公方と友好関係にあったときその執権として名乗った

どれが正しいでしょう?
674日曜8時の名無しさん:2007/11/29(木) 15:15:50.56 ID:cOfw6fhh
>>600
2ちゃん

うまだし?てなんですか?
675日曜8時の名無しさん:2007/11/29(木) 22:04:16.33 ID:9R9apmfl
>>672
>>671は質問なんだから知ってるなら教えてくれりゃいいのに
676日曜8時の名無しさん:2007/11/30(金) 00:06:49.04 ID:2sGvyihZ
>>674
虎口(城、郭の出入り口)の前に作る、堀、土塁、塀などを使った防御設備。
敵が門を攻めるのを妨害したり、うって出る時にこちらの行動を見えにくくしたりする。
丸馬出は武田流築城術の代表的なもの。


門 )←丸馬出
677日曜8時の名無しさん:2007/11/30(金) 01:41:13.40 ID:c4S6BRIK
千葉県にある佐倉城で検索をかけたら馬出しの写真が見れると思います。
678日曜8時の名無しさん:2007/11/30(金) 07:45:04.03 ID:/nLgLyrV
>>671
関東の武士にとって理想の政治形態は鎌倉幕府。
しかも執権政治の中期以降。
そういうわけで北条を名乗ると言うことは、当時の鎌倉北条氏の政治を継承するという意思表示。
だからこそ関東の各武士が北条氏に従ったわけ。
679日曜8時の名無しさん:2007/11/30(金) 09:05:41.67 ID:v89gLwVd
>>671
北条が伊勢から北条と変えた目的NO1は、関東管領山内上杉の分家扇谷上杉家と戦うため。
相模は当時は扇谷上杉家の支配下だった。
伊勢氏=後の北条氏は伊豆が本拠地。
最近の研究では上杉家は最初扇谷上杉家の半分家臣(半分は今川)のような扱いで相模に入っていたらしい。
ちょうど上に出てる>>19の武田における小山田家みたいな感じ。

それが同じような有力家臣を内紛のように三浦氏を滅ぼすまでになり、相模を実質支配してしまった。
これにより「他国凶従」と罵られた(おそらく伊豆から相模という意味での他国だと思われる)。

で、今までは「上杉家の家臣(同盟領主)同士の内紛」みたいな言い訳してたけど、
今後武蔵(今の埼玉県)の上杉家と全面戦争する場合は言い訳が立たない。

そこで伊豆は元々北条氏の出生であり、
さらに北条も伊勢も同じ平家で「三ッ鱗」の家紋(有名な三角の家紋)を使っていたと思われる。
そこで、関白近衛家に頼んで「北条」の名乗る許可を得たらしい。
近衛家は後に秀吉に関白を与えたり節操がないしな。
北条を名乗ることにより、扇谷上杉との全面戦争、さらに山内上杉、そして上杉謙信との戦いに繋がっていく。


ちなみに本家北条は正三角だが、後北条は少し潰れた二等辺三角形。
これは分家という意味をもっていたと思われる。


680日曜8時の名無しさん:2007/11/30(金) 09:21:45.60 ID:EhOfg4Nr
>上杉家は最初扇谷上杉家の半分家臣(半分は今川)
もちろん伊勢氏の間違いだよね?
681日曜8時の名無しさん:2007/11/30(金) 09:33:29.75 ID:v89gLwVd
>>680
そうです、書き間違いです。申し訳ない。

ついでに、ドラマの時代の小山田家は武田家だけなく北条家にも他国衆として認めれられてます。
当時の伊勢氏が今川と扇谷上杉の間でこの状態だったらしいという話です。




682日曜8時の名無しさん:2007/11/30(金) 09:53:05.47 ID:OwgsqQd/
>>679
深いな。
683日曜8時の名無しさん:2007/11/30(金) 11:52:08.05 ID:NtGZ/f/E
ところで当初に早雲が今川から与えられた興国寺城は相模占領後はどうなったの?
独立大名になったので返還したの?もらったまま?
684日曜8時の名無しさん:2007/11/30(金) 12:08:45.41 ID:addXcckP
ここはドラマの内容や登場人物、周辺事情に関する疑問のスレだよね?
またドラマ関連歴史に詳しくない人や
ドラマを途中から身始めて経過のわからない人向けだったはず。
この板にも北条スレがあるし、そっちで聞けばいいのに。

なんてコトを書き込むと、
「過疎ってるから別にいいんじゃない」とか
「質問あってのこのスレだから、いいんじゃない」とか
「歴史好きが喜んで答えてるんだからいいんじゃない」とか
スレがつくんだろうな。
685日曜8時の名無しさん:2007/11/30(金) 12:23:58.11 ID:6dJVMk/F
歴史ドラマの質問スレというのは
どうもこういう流れになる。
歴史ドラマはその根本がわかっていないと理解しにくいからな。
だから一度説明しだすとスレ趣旨とは関係のない話で盛り上がることもある。
686日曜8時の名無しさん:2007/11/30(金) 12:27:26.95 ID:6dJVMk/F
風林的に北条の質問しただけで
鎌倉幕府の話にまで飛ぶことだってある。
でもこれはおかしな話じゃない。
そこまで話を飛ばさないと説明出来んから。
これが先週のあらすじを教えろってスレなら
こんな雰囲気にはならんのだが。
687日曜8時の名無しさん:2007/11/30(金) 14:29:44.57 ID:RBBOl21x
>>684
要は歴史も分からんバカは大河見るなって事だろ?
688日曜8時の名無しさん:2007/11/30(金) 17:21:54.95 ID:RuIvVmKD
>>684知ってます。
689日曜8時の名無しさん:2007/11/30(金) 17:38:38.29 ID:qeS76FHw
「知ってます。」のこと最初うっとおしいヤツだと思ってたけど
いつの間にかちょっとかわいいと思ってる自分がいる
690日曜8時の名無しさん:2007/11/30(金) 19:42:35.10 ID:EhOfg4Nr
>>684
俺もちょっとウザイと思うときはあるけど、たかが数レスをスルーすればいいだけだし
「義経」のときより遥かにマシ
あの時はあまりに「初心者のための」質問スレがマニアックになって
「本当の初心者のための」質問スレが別に立てられるほどの事態だったからw
691日曜8時の名無しさん:2007/11/30(金) 21:09:15.85 ID:yGLhxSxS
知ってます、を見るとなぜか頭の中で
いいえ、ケフィアですを付け足してる
692日曜8時の名無しさん:2007/11/30(金) 22:29:21.61 ID:XHs2tmW2
第四次川中島の合戦では武田軍2万が海津城に集結したみたいですが、今の海津城跡を見る限り2万人も入れるスペースありません。埼京線も真っ青の乗車率になってしまいます。
なのでおかしいと思いますがいかがですか?
693日曜8時の名無しさん:2007/11/30(金) 22:53:08.32 ID:eSv0/FFO
全員城に入るわけじゃないし
694日曜8時の名無しさん:2007/11/30(金) 23:08:12.71 ID:E8wKWejL
実際は武田一万二千vs上杉八千くらいだったんじゃないっけ。
695日曜8時の名無しさん:2007/11/30(金) 23:19:30.70 ID:rs71YuK8
>>692
越後勢1万2千がこもるには妻女山はせますぎるって話もあるな
696日曜8時の名無しさん:2007/11/30(金) 23:25:11.41 ID:6FbqeMyH
>>1-695
知ってます。
697日曜8時の名無しさん:2007/12/01(土) 00:54:22.05 ID:+zv/7JvI
香坂弾正は34まで女性を知らない童貞だったということなんですか?それとも衆道というやつ?
698日曜8時の名無しさん:2007/12/01(土) 01:14:05.05 ID:KtRpBuyD
>>623
>越相同盟という同盟が上杉と北条の同盟ということでいいのですか?

正解です。越後(上杉)と相模(北条)の同盟の意味です。
1568年の武田信玄の駿河侵攻とほぼ時を同じくして、今川氏支援という名目で
越相同盟が成立します。
今川氏は、義元の時代に武田氏と長尾(上杉)氏の和睦交渉を仲介した
ことなどから、元々武田・北条両氏の同盟者でありながら越後とも交渉ルートを
持っていたようで、三国同盟破綻後の上杉氏と北条氏の急接近は、今川氏を
紐帯とした武田包囲網を意図していました。
ただこれはちょうど織田信長が将軍義昭を奉じて入京し、畿内近国に勢力を
拡大し始めた時期にも当たっており、結果としてこうした包囲網による縛りが
この時期の武田氏の畿内方面への行動半径を狭くした側面もあるでしょう。

なお越相同盟が廃棄される要因の一つは1571年の小田原北条氏の
代替わり(氏康→氏政)と思われます。
北条氏康は、三国同盟を破棄した上に氏康の長女(早川殿、今川氏真室)の
嫁ぎ先でもある駿河に攻め込んだ信玄の行動に激怒し、即座に武田氏と
断交しています。
そして嫡子氏政に対しても、信玄の長女である正室(黄梅院、ドラマ中では
梅姫)との離縁を強要しました。

しかしこの離縁が明らかに氏康の一方的な強要によるもので氏政夫妻の意に
反したものであったことや、氏政の子供達(氏直など)にとっては信玄は
紛れもない外祖父であることなどから、氏政への代替わりの後の北条氏は、
武田氏との関係修復へと傾き始めます。
また越相同盟は、当初から関東(特に上野)における上杉・北条両氏の境界を
どうするかを協議する話し合いが不調に終わったりと、所詮は一時的な
呉越同舟状態の同盟に過ぎず、短期間での破綻が目に見えていました。
そうしたなかで、氏康の死を契機として武田氏と北条氏の同盟復活への流れが
出来てきます。

その後、武田氏と北条氏の同盟が復活すると、氏政は正室である黄梅院(離縁後
失意のうちに甲斐で死去)の遺骨の一部を貰い受けて、それを小田原北条氏の
菩提寺である箱根の早雲寺に収めたりしています。
また一方で、北条氏の元に居候していた氏真夫妻を相模から追い出しています。
699日曜8時の名無しさん:2007/12/01(土) 01:39:07.00 ID:04ZTi9V+
武田信玄で氏康が死に際に
あやつ(景虎)はダメじゃ、信玄と組めとか話してたけど氏康からすれば越相同盟は失敗だったの?
700日曜8時の名無しさん:2007/12/01(土) 01:40:57.45 ID:4djCq8QM
>>670
源義家の話に出てくるのは大江匡房、源頼朝に重用されたのは大江広元。
初期の鎌倉幕府では、事務・法曹官僚的な役割をしていたのは、頼朝が京都から
スカウトしてきた学者達(大江広元、三善康信、中原親能など)だった。
但しその後、彼らの子孫の多くは御家人化して代々幕府内にとどまる。

大江氏は、広元の長男の親広が承久の乱で後鳥羽上皇方について流罪となり、
四男の季光(毛利氏の祖)は妻が三浦氏の出身であったため、
宝治合戦(三浦泰村の乱)に巻き込まれて死亡している。

毛利氏の苗字の地である相模国毛利庄(現厚木市)は、おそらくこのときに
没収されており、以後毛利氏は安芸国吉田庄を拠点とするようになる。
701日曜8時の名無しさん:2007/12/01(土) 01:41:22.89 ID:+IHosGwS
>>698
俺のあそこは、オティンティーヌ伯爵、まで読んだw
702日曜8時の名無しさん:2007/12/01(土) 02:11:14.32 ID:4djCq8QM
>>678
もう少し具体的に言えば、関東の武士にとっての一番の理想の政治形態は
北条泰時の時代、つまり得宗専制が始まる以前の執権政治期。
まあこれは、元々室町初期に足利直義や基氏が理想としていたものでもあり、
その意識がとりわけ関東に強く残ったといえる。

>>679
>最近の研究では上杉家は最初扇谷上杉家の半分家臣(半分は今川)のような扱いで相模に入っていたらしい。
>ちょうど上に出てる>>19の武田における小山田家みたいな感じ。

家臣という表現はマズいよ。
信虎に屈服する以前の小山田氏は、本来的に武田氏と主従関係にはない独立した
国人領主。
もちろん守護家と主従関係にない者が、守護の下知によって守護の指揮下で
動くことは遥か以前からあり得るけど、それはあくまで相手が幕府から
公認された守護であるからにすぎず、守護家との私的な主従関係に基づいている
わけではない。
つまり守護の元で働くことがあったとしても、それは守護を任命した幕府に
対する忠節であって守護個人に対する忠節ではないという発想。
意識のなかでは、あくまで守護被官ではなく将軍直臣のつもり。
早雲時代の北条(伊勢)氏だって、基本は(今川に対しても上杉に対しても)
これと同じはず。

>そこで、関白近衛家に頼んで「北条」の名乗る許可を得たらしい。

氏綱が北条を名乗り始める時期って1520年代前半だと思うけど、関白近衛家って
具体的に誰のこと?
近衛家って、尚通が永正11年(1514)に関白を辞めてから、稙家が
大永5年(1525)に関白になるまで、関白の地位にはないような気がするが。
703日曜8時の名無しさん:2007/12/01(土) 02:24:33.96 ID:PV75qZS5
小田原の虎朱印最中と足利の古印最中は美味しい。
と、いう内容の長文の数々なのだと理解した。
704日曜8時の名無しさん:2007/12/01(土) 03:23:40.35 ID:EE2lqWax
>>687
分からないならスルーすりゃ良いじゃんなw
歴オタの語り場スレいらねw
705日曜8時の名無しさん:2007/12/01(土) 03:30:25.37 ID:04ZTi9V+
でもここを質問スレオンリー厳守にしてそれが機能した場合、おそらくかなり過疎ると思う。
そうなったら質問スレとしてはうまく機能しないでしょう。
706日曜8時の名無しさん:2007/12/01(土) 08:00:28.96 ID:cdHC96I8
>>699
武田信玄は超武田贔屓だから深く気にするな。
707日曜8時の名無しさん:2007/12/01(土) 08:35:58.67 ID:NsmMI6m3
カピバラ  カピバラ  カピバラ  カピバラ  カピバラ  カピバラ  カピバラ  


   蚊           ピ          婆            羅


カピバラ  カピバラ  カピバラ  カピバラ  カピバラ  カピバラ  カピバラ  
708日曜8時の名無しさん:2007/12/01(土) 10:36:38.63 ID:EcZRy1El
>>699
その言葉自体が氏政や氏直が捏造した説がある。
また早雲は中央政治に絡んだ行動をしてる(細川政元のクーデターで足利義澄を将軍に擁立し新将軍に父母弟を殺戮した義兄の伊豆堀越公方を追討)
これは明らかに将軍の意向を汲んだ行動で今川家の客将の立場で今川軍の協力を得る大義名分になったろう。
その後は相模守護扇谷上杉定正や小田原の大森氏頼(相模国西部)や三浦の三浦時高(相模国東部)が相次いで死去して弱体化した扇谷上杉の河越城を関東管領山内上杉顕定が攻めた為に困窮した扇谷上杉が早雲に支援を頼んだ。
この時期になると甥が今川当主として成長し早雲と共同して扇谷支援で(山内上杉は武田信虎に援軍要請してる)
山内上杉の実弟上杉能房が越後守護なのでこの援軍が来る前に撃破して引き上げてる。
謙信の祖父の長尾能景が南下すると八王子→平塚まで侵攻しこの時期に相模守護代になっていた上田正忠を捕らえ河越城で扇谷を降伏に追い込んでるが早雲は越後勢と戦うのを嫌ってか傍観した態度を決め込む。
この前後に早雲は扇谷が背後に新たな敵を作りたくない弱みにつけこみ小田原城を奇襲して奪いとり不問にさせ、三浦方面へ進出し武蔵国権現山城では上田正忠の息子を内応させてる。
さらに越中で援軍なく討死した長尾景能を見捨てた上杉能房を息子為景が殺すと実兄関東管領が越後に攻め入り敗死し管領後継を巡り2人の養子が争い、養子を出していた古河公方もどちらを支持するかで親子で争う。
関東はこんな感じで家督を巡り内紛だらけで背後の北条は漁夫の利を得て関東を浸食してる。
709日曜8時の名無しさん:2007/12/01(土) 11:19:03.59 ID:6CsFfsek
>>702
679だが、まあ、正確を記すなら1524年前後が北条に改姓したわけで、
その時期は確かに太政大臣時代の近衛尚道だね。
でも、近衛前久をはじめ、近衛といえば関白ってイメージだからわかりやすく書いた。

細かくいうなら、近衛尚道の娘を北条氏綱は後妻として迎え入れている。
姉妹は12代室町将軍足利義晴の妻であり、
将軍家に近い伊勢氏とはいえ、これは破格のこと。

あと、「家臣」については表現はあくまで「半分」と書いてある程度配慮したんだが・・。
小山田家に例えたのはドラマで一番近いから。
小山田家のように屈服してはいないというのはその通りだし、
国人領主と幕府出向の伊勢氏は違うということに反論もないが、
あくまで「初心者向け」なので、
「独立してるけど、複数の大国から対等な同盟をしてるわけではない小山田家に近い」わかりやすさを重視した。
710日曜8時の名無しさん:2007/12/01(土) 12:45:28.71 ID:8JgKjBnY
>>709
室町時代あたりで関白っていうと、近衛家よりも二条家や一条家の
イメージのほうが強いような気も・・・。

あと「半分」とつけても「家臣」はマズいよ。
例えば信濃において守護小笠原氏に対する諏訪氏や村上氏の立場を考えてみれば
分かりやすい。
彼らは状況次第で守護と敵対することも守護の協力者になることもあり得たが、
守護の被官にはなり得なかった。
永正期以前の甲斐における小山田氏だって基本はそうだし、駿河や相模における
早雲時代の伊勢(北条)氏も守護の協力者や後見人ではあっても、早雲と
守護との間に主従関係が生じたという認識は、早雲側にも、守護家側にも、
まずないと思うよ。
711日曜8時の名無しさん:2007/12/01(土) 13:33:30.53 ID:Zbv0uqIn
>>702
>つまり守護の元で働くことがあったとしても、それは守護を任命した幕府に
>対する忠節であって守護個人に対する忠節ではないという発想。
>意識のなかでは、あくまで守護被官ではなく将軍直臣のつもり。

織田政権下での軍団長と与力大名の関係も似たようなものだな。
前田や佐々は柴田の配下に与力として付けられてはいるが、彼らは意識の中では
あくまで柴田ではなく信長に仕えているつもりだろうしな。
712日曜8時の名無しさん:2007/12/01(土) 14:15:05.44 ID:6CsFfsek
>>710
主従関係があったなんて一言もいってないんだけどな・・。
「家臣」という表現から拡大解釈しすぎだと思うが。
小山田家は武田と北条の両方の家臣団に入ってるが、ある程度独立して対等に近い関係という意味なんだが。
それに家康と秀吉の主従関係みたいに従属関係というも表現意味広いし。

じゃあ、逆に「扇谷上杉氏と伊勢氏は完全な対等な関係だったか?」と考えればそれはNOだと思うけどな。

でも、表現の違いはあるけど、伊勢氏が幕府出向で将軍直臣のつもりだったというのは同意。
だからこそ、伊勢の名では関東管領上杉と正面から戦うと「他国凶徒」と呼ばれても反論しにくかった。
そこで「北条」という氏に変える必要性があるんだと思うがな。
713日曜8時の名無しさん:2007/12/01(土) 14:43:43.65 ID:EcZRy1El
北条発祥の地である伊豆には鎌倉北条氏の末裔がいたろうから(北条高時の母の覚海円成尼とゆかりの女性達が一族の冥福を祈って移住したはず)
許可を取りその菩提寺を篤く敬い鎌倉鶴岡八幡宮を再建し相模の武士達からの異論のない支持を受けて北条を名乗ったんじゃないかな?
714日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 00:06:13.57 ID:PV75qZS5
ごめん、歴史好きの個人的な議論は場を変えてしたら?
この板にだって北条のスレはあるんだしさ。

質問がなくて過疎になるならなら、それはそれで良いじゃん。

自分も歴史好きの部類にはいるけど、何だか個人の自己満足で
スレ違いの議論をしているようにしか思えない。
715日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 00:11:56.20 ID:X+Yq+QNq
それ以前に質問してる奴全部釣りに思えてならない。
716日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 00:19:39.35 ID:qdrG/MRf
今川家が滅んだあと、
今川氏真はけっこう生きたと聞いたのですが、kwsk!
717日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 00:24:23.07 ID:mz35+Pdi
>>714
質問スレで質問に答えてくれる人がいなくなって過疎になる場合があるから。
ここで色々雑談しながらたまにくる質問にレスしていくのが自然だと思うよ。
ついでって感じでさ。
普段は別スレで話していて
質問レスがついたらそれに素早くレスするなんていうのは難しいし。
718日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 01:13:02.47 ID:qdrG/MRf
ところでおまいら。
明日は「風林火山」見るの?
それとも、星野JAPANの「日韓戦」見る?
どっち見るの?

俺は大河は録画してあとで見る。
719日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 01:43:53.43 ID:DqV5NvKK
野球なんて、風林火山がなくても見ないよ
興味ない
720日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 02:01:12.72 ID:XRMmpFRT
正しい実況民はこうだろ
福岡国際マラソン
 ↓
ラグビー早明戦
 ↓
フィギュア男子フリー
 ↓
野球
 ↓
バレー
 ↓
ガキ使
 ↓
風林火山(録画)
 ↓
24:30就寝
721日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 03:25:52.34 ID:WEv817tT
>>712
「家臣」とか「被官」とかって言葉は、主従関係を前提にした言葉だろ。
722日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 10:11:20.51 ID:qUgRpHb8
忙しくてここ2週分見逃してしまったのですが、今夜見てもすぐ付いて行けそうですか?


あと、レンタル開始されるのはいつ頃でしょうか…。
1シーンたりとも見逃したくない、そんな大河です。見逃してしまったがw
723日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 10:20:33.40 ID:mz35+Pdi
>>722
おそらくすぐついていけますよ。
ここ2週は関東出兵の話でしたから。
今週から最終回まで川中島の戦いです。
724722:2007/12/02(日) 10:50:31.60 ID:qUgRpHb8
>>723 ありがとう!レンタル待たずに見る事にします。
725日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 11:22:01.20 ID:P6AL6tn0
>>724
2008年01月25日発売NHK大河ドラマ 風林火山 完全版 第壱集 44,100 円 第1回から第27回までを収録
2008年03月21日発売NHK大河ドラマ 風林火山 完全版 第弐集 37,800 円
↑らしいから、後日レンタルを考えるなら参考に
726日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 12:01:38.21 ID:9Mnj1sWr
家来・家礼・家の子・郎党・家臣・被官・・・
意味はそれぞれ違うのかな?

727日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 12:13:23.78 ID:+FKVDKym
>>726
違います
728日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 13:01:06.90 ID:qdrG/MRf
>>727
知ってます。
説明しなくていいからね。
長い説明、いらないからね。
ウザイだけで、キモイからね。
729日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 13:34:17.69 ID:+l6iF+Ck
>>716
ウィキペディアで検索→今川氏真で検索
このくらいは自分でやれよアホ
730日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 14:09:26.51 ID:qdrG/MRf
>>729
あ、ごめん、それ、釣りだからw
松方弘樹ばりのw
731日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 17:32:01.86 ID:42ERY2RV
戦国時代は美少年を侍らすのは普通だったみたいですが若いおなごを侍らすことはあったんですか?
732日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 17:35:15.11 ID:NVm35kyC
そうだね、プロテインだね
733日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 17:45:02.14 ID:l3yBK5oF
ID:qdrG/MRfは無視して下さい。
734日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 18:27:38.26 ID:uvd+W548
若い女を男装させ
735日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 18:55:22.46 ID:qdrG/MRf
先発・成瀬だねーw
ドキがムネムネしてきたよwww
736日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 21:19:08.18 ID:qdrG/MRf
前評判でも仕上がりが良いとは聞いてたけど、
川上けんしん、仕上がりいいねー。

1点差だよ。
胃が痛いなー。

これから上原・岩瀬・藤川が出てくるのかなあ?

737日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 21:45:08.52 ID:35d15obY
>>728
知ってますといってるけど
あんたおそらくそんなに日本史詳しくないでしょw
738日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 21:47:14.38 ID:EiR2F6Ff
今日から突然ふさふさ兜を漬けていましたけど
あの兜には何か謂われが有るんですか?
739日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 22:01:00.96 ID:qdrG/MRf
>>738
舶来品です。
740日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 22:11:44.07 ID:UBBeaEmV
>>737
レスする前に、ID:qdrG/MRfがこのスレにどんなことを書いているか、全て確認して下さい。
そうすれば、黙殺すべき相手だということが分かるはずです。
741日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 22:43:07.92 ID:Td4hAvuD
>>740
知ってます。
742日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 22:47:25.09 ID:qdrG/MRf
あと・・・あと・・・あと、1イニングだよ!!!!!
743日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 23:01:38.04 ID:9EGdpEDf
>>742
知ってます。
744日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 23:11:26.73 ID:qdrG/MRf
やったーーーーー!!!!!

こ、これは・・・試合内容から言っても、
WBC並みの視聴率(40%)行ったんじゃねえ???

745日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 23:14:59.65 ID:/odgXfXC
そろそろ伊庭義明が登場する頃だよね。
746日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 23:16:48.94 ID:l6Cs4095
>NHK大河ドラマ「風林火山」オープニングのゲジゲジみたいのは何?
>途中にハサミ虫かゲジゲジのようなものが回転して出てくる瞬間がありますが、あれは何でしょうか?

ハサミムシでもゲジゲジでもありません。ムカデです。武田の軍団が強かった理由の一つに「ムカデ衆」と呼ばれる
場での情報伝達部隊の存在があります。各部隊間の連絡もさることながら、全軍の詳細な状況を
幕僚本部である信玄のもとに伝え、信玄からの命令を各部隊に伝える機能を持った部隊です。
この戦場でのコミュニケーションの機動性を持った情報伝達機能が武田軍を強くさせていました。
各部隊が各自ばらばらに戦うのではなく全軍が統率された意思で動いたのです。
「ムカデ衆」に選ばれる若者には、事実の沈着な掌握力に優れていること、的確に状況を言葉で表現できること、
冷静であること、そして馬の扱いに秀でていること、以上が求められました。彼らの戦功は抜群ですが、
常に縁の下の力持ちで、決して武田軍の表舞台に登場することの無いプロ集団でした。
その「ムカデ衆」が戦場で背中に背負っていた旗のマークがムカデなのです。彼らは自由に各部隊を行き来し、
信玄の本陣にも馬に乗ったまま入ることがゆるされていたようです。
747日曜8時の名無しさん:2007/12/02(日) 23:42:12.79 ID:l2cGeksa
748日曜8時の名無しさん:2007/12/03(月) 02:53:53.34 ID:jWmTfe1w
そこ見るとムカデは後退しないって言うけど、後退できる虫っているの?
749日曜8時の名無しさん:2007/12/03(月) 03:41:53.32 ID:tbqTsZ1j
水虫
750日曜8時の名無しさん:2007/12/03(月) 05:12:38.37 ID:HEyrG+fc
普通にいくらでもいるだろ
後退し続けるより転進した方が早いから
人も虫もそうするのが多いだろうが
751日曜8時の名無しさん:2007/12/03(月) 08:06:25.73 ID:ozvK/obu
ID:qdrG/MRfは「構ってちゃん」なんだね
氏ねばいいのに
752日曜8時の名無しさん:2007/12/03(月) 09:45:57.66 ID:CfFghutp
煽るな煽るなw
753日曜8時の名無しさん:2007/12/03(月) 10:33:00.40 ID:7wCCKYZB
>>748
おしりかじり虫
754日曜8時の名無しさん:2007/12/03(月) 10:40:20.28 ID:2+GNqYiW
初心者質問スレを荒らす奴ってどういう心理なんだろうなw
まあ何つうか「ご苦労さん」って感じだ。
755日曜8時の名無しさん:2007/12/03(月) 11:36:53.50 ID:Ex4dC3cX
友達いなくてさびしいから荒らして構ってもらいたいだよ
756日曜8時の名無しさん:2007/12/03(月) 11:53:17.70 ID:WSSX6YS+
>>751
IDが飯富さんだ。
757日曜8時の名無しさん:2007/12/04(火) 01:59:08.81 ID:739QjrKL
飫富ってそのまま漢字変換しても出ないね。
珍しい苗字なのかな?
758日曜8時の名無しさん:2007/12/04(火) 02:06:02.58 ID:1qMHHcsp
ロード・飯富・ザ・リング
759日曜8時の名無しさん:2007/12/04(火) 10:00:48.72 ID:IrFfFj8c
バンプ・飯富・チキン
760日曜8時の名無しさん:2007/12/04(火) 10:16:12.48 ID:U7WnPhf5
原美濃はこのまま活躍しないまま終了ですか?
761日曜8時の名無しさん:2007/12/04(火) 10:47:43.18 ID:ixxSnivx
3年後に病死だからそうでしょう。
762日曜8時の名無しさん:2007/12/04(火) 12:36:41.91 ID:y9/cNqht
教えて下さい。
上杉政虎の本陣に
【龍】と【毘】の旗がそれぞれありますが、何で【龍】の方だけ草書体なんでしょうか?
【毘】の方は楷書体ですよね?
【龍】の方だけ崩してるのは何か意味があるのでしょうか?
763日曜8時の名無しさん:2007/12/04(火) 13:59:48.78 ID:IrFfFj8c
龍の旗は突撃するときに掲げる「懸かり乱れ龍」の旗です
荒れ狂う龍をイメージして字を崩し(乱し)ました
764日曜8時の名無しさん:2007/12/04(火) 14:18:44.98 ID:2QJim4XQ
毘…毘沙門天
龍…不動明王
このふたつは仏教では
常に対の関係で祭られていた背景があるそうです。
765日曜8時の名無しさん:2007/12/04(火) 16:28:20.22 ID:bI16e0tE
>>762
龍の字は使うことも多く知ってる人が多いので崩しても読めますが、
毘の字は日常的に使わないので知っている人が少なく崩すと読める人がいなくなる。
昔の人は今ほど漢字に詳しく無く、同音字の当て字が当たり前の社会だったので仕方ないのかも。
当時は自分の名前を漢字で書くのがやっとの人が殆どですからね。
漢字を読めるのは寺の坊主か教育を受けた上流階級のみ。
例えば越後勢の武将で漢字が読めたのは恐らく上杉謙信だけ。
武田家でも信玄と信繁、義信の武田家一族の他は駒井くらいのはず。
武士階級に漢字が普及するのは江戸時代以降ですよ。
766日曜8時の名無しさん:2007/12/04(火) 17:23:58.37 ID:D3TnbtOj
多分そうだと思った。
武士階級が戦専門の戦士から官僚になるのが、平和な江戸時代の儒教が普及
して幕府が武治政治から文治政治に切り替えてからだと思う。
それまでは殉死が横行し、美少年を取り合ったり仇討ちの為の決闘が盛んで
野蛮な感じがする。
勘助が鬼美濃と湖で決闘したとき、「兵は機動なり。」を掲げたときも
武田家臣団の皆さん読めるのかな?って疑問に思った。
勘助は最高学府である高野山で修行したらしいから、インテリで漢字も読めたらしいが。
越後で捕まったときの影虎と勘助のやりとりも、文字が読めないなら越後家臣団のみなさんも
わけ分かんなかっただろう。そこは物語だから。
767日曜8時の名無しさん:2007/12/04(火) 20:47:33.26 ID:MU4A3Ik4
>>765-766
平安や鎌倉初期ならいざ知らず、この時代の武士(しかも有力国人領主とか
大名家の重臣クラス)なら、漢字で書かれているものでも余程特殊なものでない
限りは大筋は読めていたと思うぞ。
ただ漢文体のちゃんとした文書を作成できるのは、専門の右筆とかを除けば
かなり少数だっただろうけどな。

読んでその内容を理解する能力と、表記・文法的に正しい文章を書く能力とは、
本質的に違うものだよ。
書く能力がしっかりと身に付いている人はそんなに多くない(将軍クラスでも
直筆書状は漢字が少なく仮名だらけだっだりすることもある)けど、読む能力に
ついては、大半の武士はある程度は訓練されているはずだよ。

そうじゃなければ鎌倉・室町期の幕府発給文書が、大して身分の高くないような
一般の御家人とか国人領主なんかを階層を対象にしているものでも、基本的に
漢文で書かれている理由が説明できない。
最初から受給者側が全く読めないことを分かっていてそういうものを出すかって
話になる。
768日曜8時の名無しさん:2007/12/04(火) 20:55:39.41 ID:fCgsbcfW
決戦前夜の回で伝兵衛が海津城で褒美をもらったところあたり
はためく赤い幟に書かれている日本語ではない文字は何の文字ですか?
769日曜8時の名無しさん:2007/12/04(火) 21:03:07.52 ID:MU4A3Ik4
梵字か何かじゃないの?
770日曜8時の名無しさん:2007/12/04(火) 21:34:57.83 ID:FbZk/W+L
龍は行書で書くと龍っぽいからじゃね
771日曜8時の名無しさん:2007/12/04(火) 22:11:23.42 ID:gkXgljfK
「弱い者をいたぶることはしない」とか言って、
兵が充分に集まってない段階の海津城を攻撃しなかった政虎が、
さらに弱いはずの地元農民に対して乱取りをさせるなんて、
(武田方を挑発するためとはいえ)矛盾してると思います。
当時の人は誰も矛盾してるとは思わなかったのでしょうか。
772日曜8時の名無しさん:2007/12/04(火) 23:13:20.16 ID:7XLqbQiO
誰も思わんだろうな。
武田だって乱取りしまくるし、北条だって乱取りしまくり。
農民もそれが常識。所詮物資の現地調達。

本当は妻女山じゃなくて西条山に陣を敷いていたと言われるので
実際にやったのかどうかはわからんが。
773日曜8時の名無しさん:2007/12/04(火) 23:27:11.84 ID:HZ0ytZbs
>>766
ウッドベキア発見。
さすが、某板で「当時は男の書かない仮名文字を謙信は使っていた」と
とんでもない妄想勘違いを書いてたけに、すごい認識w

>勘助は最高学府である高野山で修行したらしいから、インテリで
あの、高野山とてあの当時は学識の高い階層の僧から、
下級の勧進聖まで、色んな階層の僧侶が存在していた集団ですが?
また、京五山や「学問面の建仁寺」など禅寺を中心に
高い知識階級を養ってた寺院は他にもあるんですけど?
774日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 01:49:39.08 ID:DvPlTkst
大熊はあれだけ越後のために戦ってきたくせに、手の平を返したように
ちゃっかりと武田の家臣に腰をおさめていましたな。
武士としてなにか信念や忠義に欠けていると思われます。
775日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 01:54:52.02 ID:IS+bMHMZ
>>774
しかし越後で邪魔者扱いされた自分を拾ってくれた武田氏に対しては忠節を
尽くして、最後は武田勝頼の滅亡時にそれに殉じたんだから、大目に見てあげて。
776日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 03:52:28.46 ID:NZwkqTJC
>>774
武士は二君に仕えずとか言いだしたのは江戸時代以降ですよ。
戦国時代当時は状況により仕える主君を変えるのは悪いことではない。
777日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 04:01:10.39 ID:gwd9czqy
つか大熊は長尾家臣じゃなくて越後上杉家臣だからね。
だいたい大熊氏は父の代でも謀反して許されてるんじゃなかったっけ?

この人は上野国の長野氏を滅亡させて後釜に座った説もあるんだよな。
778日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 04:02:06.80 ID:vRtnFiYj
まあ武士か平民かなんて
まだあやふやな時代だしね
779日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 04:19:43.50 ID:JrV5u1av
てゆうかこの時代の戦国大名の「家臣」っていうのは、
大名の一門や先祖以来の私的な繋がりの深いいわゆる根本被官・郎党にようなタイプと、
元々は守護などの権力から独立的であった国人領主層が戦国大名権力が形成される過程で家臣かしたタイプの、
2つがあるだろう。
後者の場合、国の統治者が変われば新たな支配者に服属しても、当時の感覚ではそれは裏切りとはまず見なされないよ。
780日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 08:24:46.97 ID:dXezexI0
>>767
オイオイ、適当なこと答えるなよ。
この時代読み書きなんか出来る奴なんか滅多に居ないよ。
国人領主や重臣クラスが誰から何を使い字を教えて貰うんだ?
しかも毎日教えて貰わなければ字なんかとても覚えられない。
現存してる当時の文献資料を見てもその階層の文書は一つもない。
歴史常識のない奴はこれだから困るよな・・・
一度大学の史学科の公開講座でも受けたら?
781日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 11:02:58.14 ID:mY4Fu6Jf
お坊さんに習うんじゃないのん?
782日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 11:12:45.43 ID:T2+0AVjm
じゃあ市河藤若は信玄からもらった市河文書を読めなかったのん?
783日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 11:14:39.43 ID:KG0aiEiP
秀吉でさえひらがなは書けたし
その妻ねねは信長から手紙をもらっている、つまりねねは字が読めた
侍大将クラスで文盲は少ないだろう
784日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 12:42:56.77 ID:3oIw/8Tj
書くのは無理かも知れんが読む事はだいぶ下層でも読めたんじゃないかな?
前に金沢文庫博物館に行った時に鎌倉時代か?領地をもらった親父が立派な衣服を着て、家のみんなを(ガキの服は乞食並み)集めて領地を与えられたって内容の文書を読んで聞かせる絵があったぜ。
785日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 13:38:08.82 ID:T2+0AVjm
>例えば越後勢の武将で漢字が読めたのは恐らく上杉謙信だけ。
>武田家でも信玄と信繁、義信の武田家一族の他は駒井くらいのはず。

本気で書いてないよね?釣りだよね?
786日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 13:58:36.31 ID:Vv2zd8U9
>>782
当然読めないよ。
近所の寺の住職に読んで貰うのが普通。

>>783
いや、だからその秀吉の手紙とかは右筆の書いた物だから。
まさか直筆だと思ってた?
787日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 14:53:45.58 ID:mY4Fu6Jf
近所の寺で勉強しないんかな?
秀吉くらいならともかく
侍大将くらいの子供のこと
788日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 15:13:37.90 ID:3oIw/8Tj
朝廷や幕府の官僚や役職をもらうくらいの地位あるやつは読めるだろうし、読めないと恥をかくと思うよ。
算術は得意不得意はあるだろうが。
789日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 16:07:13.69 ID:NZwkqTJC
>>787
それでもせいぜい平仮名止まりでしょ。
解る漢字は自分の名前と親の名前、主君の名字くらいで。
寺で勉強といってもテキストがある訳じゃないですからね。
論語とかの漢文の書籍を持ってる寺も限られるだろうし。
790日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 16:48:35.12 ID:T2+0AVjm
>>789
じゃあ近所の寺の住職はどこで勉強したの?
791日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 17:35:50.06 ID:FigKHs+R
天皇陛下のお言葉が全てを語ってる

>天皇、皇后両陛下がグエン・ベトナム国家主席夫妻と皇居にて会見
>大統領が「日本の経済発展は驚異的だと思います。できればその秘密を探りたいと思います」と話すと、
>天皇陛下は「日本は江戸時代、鎖国をしていましたが、その結果国内で平和が保たれ、生活や文化が
>進んだことが大きかったと思います」と答えた。
792日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 17:38:06.38 ID:FigKHs+R
江戸時代、職(仕官口)を失った侍が、寺小屋を開いて文字を教えていた。
戦乱が続く戦国時代に、一体誰が文字を教えるんだ?そんな暇あるのか。
寺の坊さんでさえ戦に関わってたのに。
793日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 19:27:29.24 ID:Lt/Y+ryB
>>786
お前の783へのレス、話かみあってねー。
機能性文盲は今もいるんだな。
794日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 19:56:08.16 ID:6nFxkCfc
怒られるかもしれませんが、
42話が録画されてませんでした
youtobeみたいなサイトでどこがで視聴できる場所を知りませんか?
795日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 20:18:56.21 ID:DUQ5wS9z
寺子屋は平和な江戸時代になって初めて庶民もそろばんと漢字を習えたもの。
戦乱で荒れ果てた世の中にそんな余裕はないと思う。
ただ一揆を起こすとき、決議文を百姓もカタカナで書いてるから、カタカナとひらがな
はできただろう。豪農クラスは。
祐筆がいて手紙の代書屋がいて、普通の人はそういう人に頼んだと思う。
信玄の息子の義信が反乱を起こして粛清されたあと、信玄は家臣200名あまりから、忠誠を誓う血判書を
とってるけど、家臣たちが文字に明るいと思えないから、寺の坊さんあたりに代筆してもらったのでは?
公家出身の寿桂尼は公文書を領内に発行するから漢字はよめただろう。
三条とか一部で、あとは謙信も信長も部下の女房との手紙のやりとりはひらがなだった
のではないかな?
江戸時代は識字率が世界一だけど、徳川の平和250年の幕末の数字だと思う。
あと何回も謙信は男の使わない女文字を云々は私じゃないよ。
結構よその人の書いた文も決め付けてるけど、土佐日記だって男が女の振りして書いてるし
謙信は正真正銘の男だと思ってる。
796日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 20:23:01.59 ID:7qCTv+T8
単発ばっかりで議論されてもワケワカラン
797日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 20:38:48.74 ID:3oIw/8Tj
謙信は和歌ができて源氏物語の大ファン
吉川元春は月山富田城包囲中に太平記を書き移してた。
信玄は孫子を知っていた。
松永久秀はエロスな説明を書いた。
798日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 20:57:08.39 ID:kZzFfcF+
ねえ、なんで柴本幸はあんなにボロクソ言われてるの?
799日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 21:18:04.92 ID:LATiXFS2
かわいいからじゃね?
800日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 21:27:05.46 ID:IQ0WHwQq
>>705
>女房とのやりとりはひらがなだったのではないかな?
そんな何を今さらのことを・・・

>土佐日記だって男が女のふりをして
「男もすなる日記と・・・」と、教科書にも載る
有名な序文の作品であり、しかも平安時代という
戦国とは文化背景の異なる時代の文芸を
なんで比較に持ち出すのかね。

生島足島神社へ、神仏への起請という形をとるような
名を自署し血判をおす証文類まで、みなが代筆と思ってるのか。
多少の当て字があるのは普通だが、自分の名くらい書けるよ。

>>797
>謙信は和歌ができて、源氏物語の大ファン
あのクラスの武将なら、ほとんど和歌のたしなみはある。
書に絵画に和歌に連歌を学び、能楽師を抱える、
大名にとって文化知識の吸収も役割の一つだし、
源氏物語を文庫に持つことも珍しいことじゃない。
801日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 22:02:13.98 ID:iKfinsuS
香坂弾正が信玄からもらったあの際どい内容の誓詞を近所の寺の住職に読んでもらってたり
直江や柿崎が謙信からもらった手紙を読めなかったりしたら嫌すぎるよ

うちにある網野義彦の「日本の歴史をよみなおす」って本には
「ほぼ鎌倉時代の後期から室町時代にかけて侍クラスの下層まで
平仮名まじりの文書は書けるようになっていることは確実」
って書いてあったお

あと、風林火山展に行ってきたんだけど、家臣に出した感状や起請文・命令書の類がたくさんあった。
図録によると、武田氏関係の文書は領国エリアに1,350点も残っているらしい(偽文書もたくさんあるらしいけど)
武田家一門衆と僧侶・一部の祐筆しか読み書きができなかったからこんなに残ってるとは思えないんだが

誰か詳しい人いないの?当時の家臣レベルの教養レベルってどうだったんだか教えてほしい
802日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 23:06:34.64 ID:iOnsPs3k
甲斐や越後はどうだか知らないけど、
この時代の北条領では、文書で通達、文書で報告。
氏康は、村の管理者や百姓にも北条の関係者が不正を行うようなら
書類で訴えを提出するよう求めてるから、識字率はそこそこ
高かったと思うが。
803日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 23:14:46.35 ID:IQ0WHwQq
書くはともかく、漢字に読みが不自由だったらできなかったら
ありがたい感状も読めない部分があるわけだし、
禁制の制札も読めないわけだよな。意味ないじゃん。

合戦前の着到状も読めないわけか。
いちいち、近所のお坊さんに読んでもらってから
出陣の支度するのかぁ? 間に合わないぞw

804日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 23:36:47.65 ID:AONHak6M
江戸時代初期ですでに戸主クラスには漢字まじりの村への通達や年貢納入の請け書を読まして署名させてるから
そいつらが全員読めたとは限らんし、戦国時代はその100年ほど前だが
ある程度読める事前提に村運営がなされたことは確かだろう
805日曜8時の名無しさん:2007/12/05(水) 23:39:26.03 ID:P1NYymMg
謙信は甥っこにイロハの手本数種に漢字のお手本、手紙の書き方講座などなど送ってるなw
14世紀ごろで庄屋や組頭といった村の有力者クラスは
ひらがなカタカナの識字率はかなり高かったと聞いたが。
806日曜8時の名無しさん:2007/12/06(木) 00:23:58.79 ID:l4laHpy2
大学の時のノートを発掘しますた
教職の教育史でさらっとやっただけなのですが
当時の武士は寺で初等教育を受けるのが一般的だったと書いてあります

玉木吉保という毛利家に仕えた武将が「身自鏡」という自叙伝を残していて
13歳〜16歳の時に寺に入って論語、六韜、歌学などを習ったと書いてあるそうです
また、往来物と呼ばれる実際に取り交わされた教養人の手紙の文例集が用いられたらしい

>戦乱が続く戦国時代に、一体誰が文字を教えるんだ?そんな暇あるのか。
寺の坊さんでさえ戦に関わってたのに

寺の坊さん、忙しかったけど教えてたみたいっすね
807日曜8時の名無しさん:2007/12/06(木) 00:24:34.20 ID:8B5yLTi7
ウッドベキアの本物なんだか、似てる妄想家なのか不明だけど
奇妙な独自知識をもとに、勘違いな長文を書き続けているようだな。
808日曜8時の名無しさん:2007/12/06(木) 00:44:19.15 ID:ZrClYhOl
村に立つ禁制の札は読めるヤツが必ずいただろ。知らんヤツがお前ちょっと何書いてるか教えろみたいな。
あと戦国期は年がら年中に渡り戦争していたわけじゃねーしヒマはいくらでもある。
809日曜8時の名無しさん:2007/12/06(木) 01:57:16.97 ID:scd3IHxL
近所の寺の坊さんは
親の坊さんとか師匠の坊さんとか
本家?に修業行くときに
習うんやん
お経読むでし
漢字も勉強するでし
それとも口写しするんかいな?
稗田アレイかよ
810日曜8時の名無しさん:2007/12/06(木) 02:10:55.28 ID:scd3IHxL
外国人に日本語少し教えてるけど
ある程度会話できる香具師はひらがなとカタカナは
読む書きはそんな時間にかからんよ
日本の小学生のアルファベットみたいなもんだ
100少しの文字を音にあてあめるだけだから
彼らは漢字はダメだけどね
これは毎日修業しないとダメみたい
漢字しないと仮名でさえも使えるのは彼らの日常会話だけで終わるしね

だから当時の人はよほどの貧乏でなければ
寺とかでかな程度は読み書きできると推測
日本人だから会話は外国人より深いでし

漢字は親に余裕があって教育に感心があれば
修業してると推測するなこれは時間かかるよ
男なら元服するくらいの年までは毎日じゃないのん
811日曜8時の名無しさん:2007/12/06(木) 07:12:20.42 ID:je7qaJ9H
日本にひらがな・カタカナがあったから庶民も読み書きできたんだね。
中国では漢字しかないから、文盲率が高く近代化の足かせになった。
韓国も北朝鮮もベトナムも難しい漢字は捨てたし、日本と中国・台湾だけだね。
812日曜8時の名無しさん:2007/12/06(木) 09:52:22.20 ID:O96OAnph
いへやす
ちくせん
てるもと
かけかつ
秀いへ
813日曜8時の名無しさん:2007/12/06(木) 11:03:13.06 ID:9KY8YTFu
ガクトは何故ブーツを履いているのですか?
当時、日本にブーツがあったということですか?
ブーツを履いているガクトは宝塚みたいに見えます。
814日曜8時の名無しさん:2007/12/06(木) 11:46:49.91 ID:P5+2OTqu
>>813
しってます
815日曜8時の名無しさん:2007/12/06(木) 12:58:55.86 ID:ZrClYhOl
しがない茶坊主のガキだった石田三成が豊臣政権中枢にいたんだし字が読めない事はないだろ。
当時から識字率は高かったはずだ。小西みたいな子飼いでさえも元商人の出身で字も算術もできたはずだし。
藤堂高虎などは縄張りの名人だがこいつらも字の読み書きくらいはできたろう。
816日曜8時の名無しさん:2007/12/06(木) 16:53:11.80 ID:8IKK4PUy
細川藤孝は読み書きできたのかな?
817日曜8時の名無しさん:2007/12/06(木) 17:41:56.69 ID:liYrfmWF
>>816
ここまでひどい釣りも珍しい。
818日曜8時の名無しさん:2007/12/06(木) 18:03:21.85 ID:kyJxVheD
【結論】
・戦国時代武士階級は平仮名程度は読み書きできた。
・漢字となるとそれなりに教育を受けた者でないと読めなかった。
・具体的には寺の住職が教育係で上級階級の武士まで。
・下級武士や名主、農民は読み書きはできても平仮名と自分の名前、簡単な漢字のみ。

■漢字読み書きできる人
・信玄や謙信といった大名
・香坂や馬場、板垣や甘利といった武将クラス
・寺の住職
□平仮名は読み書きできるが漢字は苦手な人
・豊臣秀吉
・伝ベエ等の足軽クラス
・名主クラス
□平仮名の読み書きも苦しい人
・農民
819日曜8時の名無しさん:2007/12/06(木) 18:58:09.92 ID:GrJAcQ07
当時の人は、平仮名は書けなくても簡単な漢字は書ける場合もあるよ。
820日曜8時の名無しさん:2007/12/06(木) 19:13:05.06 ID:GrJAcQ07
前近代の日本人の文字習得順序は片仮名→簡単な漢字→平仮名の順が普通。
片仮名は実用的な文字、平仮名は文学用みたいな感じがあるからね。
片仮名に変体仮名がほとんどない(早くに字体が一本化された)のに
対して、平仮名には大量の変体仮名があるのもそうした理由だろう。

例えば鎌倉時代の農民の直訴状なんて、ほぼ全文が片仮名で書かれ、
時々簡単な漢字(現代なら小学校低学年で習うレベルのもの)が混ざる
程度。
前近代の最底辺の識字層が理解できたのは、片仮名と簡単な漢字ってことに
なる。

逆に平仮名の読み書きができる階層なら、漢字もある程度のレベルまでは
分かるのが普通。
特に和歌とか連歌とかの会なんかを普通に開催するような武士階層ならね。
もっとも漢文体の文章の場合は、読めても書けなそうな武士は多いが。

因みに戦前の日本の学校教育で平仮名より片仮名を先に教えていたのも、
そうした歴史的背景があるから。
それに、現代でも日本語を全く知らない外国人に仮名を教える場合、
明らかに平仮名より片仮名のほうが覚えやすいっていうしな。
821日曜8時の名無しさん:2007/12/06(木) 19:18:17.11 ID:GrJAcQ07
>>780とか>>789とかは明らかに嵐目的の釣りだろう。
「正」が「政」の略字とかいってた奴と同一じゃないの?

当時の庶民階層で、「片仮名のみ分かる」という人ならいるかも
知れないが、「平仮名のみ分かる」ということは、常識的にあり得ない。
822日曜8時の名無しさん:2007/12/06(木) 19:59:58.95 ID:ZrClYhOl
女性と男性では識字率は違うのかな?あと女性は漢字を使わない文化的風習ある?
和歌とか一般の民草の読んだものとか収録されてるのは昔はかなり上下にわたり流行してたの?
823日曜8時の名無しさん:2007/12/06(木) 20:10:43.35 ID:8B5yLTi7
>>820
そういえば、よく紹介される戦前の國語教科書の冒頭は
「サイタサイタ、サクラガサイタ」であったりするね。

>>821
>766や>795の文体はたぶんにウッドベキア臭いので、
あの思い込みの異様さは、釣りではなく本気かも。
824日曜8時の名無しさん:2007/12/07(金) 00:07:16.71 ID:yjYJHq+p
当時の識字レベルを低いほうが順に挙げるとこんな感じだな。
1.片仮名のみ読み書き可能
2.片仮名と簡単な漢字の読み書き可能
3.片仮名と簡単な漢字に加えて平仮名も読み書き可能
4.ある程度以上の難しい漢字も分かり日本式漢文も読める
5.日本式漢文を自分で書ける
6.中国漢文の読み書きも可能

農民の多くは読み書きできても1か2のレベルだが、
有力農民クラスは3もあり得る。
武士の場合は、教育を受ける機会が十分になかったような場合だと3だが、
大半は4だろう。
5は公家の場合は大半が該当するだろうが、
武家の場合は余程学者タイプの人か貴人の右筆なんかをする人くらいか。
6は代々学者の家として成り立っているような一部の
公家(菅家流や日野流など)と、漢文漢籍ヲタみたいな人が該当するか。
825日曜8時の名無しさん:2007/12/07(金) 00:16:04.86 ID:yjYJHq+p
>>820
平仮名の場合は、実際問題として変体仮名のバリエーションを
ある程度覚えていないと読み書きできないから、
一般農民レベルだと厳しいだろうな。

まあそういう点では現代人の大半も、当時の知識人から見れば
平仮名文盲だが。

>>822
万葉集とかにある古代の庶民の歌は、実際に庶民が詠んだとしても、
その人が本人で文字化したとは思えないよ。

もちろん戦国期の歌会とかなら、武士がやってるものでも、
口に出して詠むだけじゃなくて本人が自分で短冊とかに歌を書いているだろうけど。
この時代の武士は連歌とか大好きだし。
826日曜8時の名無しさん:2007/12/07(金) 00:25:28.07 ID:yjYJHq+p
>>822
>あと女性は漢字を使わない文化的風習ある?

この時代の女性が書いたものっていうと、
例えば「お湯殿上日記」なんかは、基本的に大半が平仮名だけど、
漢字も適当に混ざっている。
貴族の女性なんかは、確かに平仮名主体の文章を書くことが多いけど、
漢字を全く使わないわけでもない。
ただこれはあくまで貴族の女性の場合で、
一般の農民の女性が平仮名を知っていることは、あまりないだろう。

当時の文字に対するイメージとして、
平仮名=みやび、芸術・文学的、上品・高尚
片仮名=実用的、無機質、深い趣はない
って感じ。
こういうイメージで考えると、近代以降に西欧からの外来語を片仮名で
表記するようになるのもなんとなく分かる。
そうした外来語には、実用的なイメージはあっても、みやびなイメージはない。
827日曜8時の名無しさん:2007/12/07(金) 00:39:23.70 ID:6Gtnc+75
>>822
万葉集のなかの庶民の歌は、
もともと愛唱歌のように詠われていた作者不詳のものを
編者が後に「まとめて編集」したものも多いのだから、
直接書いてないのは当たり前だよ。
専門家が漢字で記述して編集されたのだしね。

戦国期ならもちろん、短冊に書いた武将の和歌が多数残っている。

>>826
天正十年の武田崩壊のさいに、勝頼後室の北条夫人が書いた
あの有名な武田八幡宮への願文は、少し漢字が混じっている。
828日曜8時の名無しさん:2007/12/07(金) 02:12:29.43 ID:a2eyrEWc
制作費は幾らくらいですかね?
829日曜8時の名無しさん:2007/12/07(金) 11:16:35.94 ID:/Q+IaQcv
碁石金100すくいぐらい
830日曜8時の名無しさん:2007/12/07(金) 11:55:46.54 ID:ygt/qdP6
海津城(松代城)はもともと天守閣はなかったんですか?
831日曜8時の名無しさん:2007/12/07(金) 12:56:11.71 ID:IcMTB/qh
>>828
全50話で割るとたしか1話3000万くらいだって読んだな。
832日曜8時の名無しさん:2007/12/07(金) 13:04:37.70 ID:8TZcCWZt
>>830
海津城の創建時には、天守閣はない。
天守閣(五重以上のもの)の一番最初は、織田信長の安土城から。

因みに四階櫓だったら太田道灌の江戸城。松永久秀の大和多聞山城や信貴山城など。
833日曜8時の名無しさん:2007/12/07(金) 13:16:24.92 ID:a2eyrEWc
>>831
あんまりお金掛かってないんですね。50億位かけてほしいもんです。
834日曜8時の名無しさん:2007/12/07(金) 14:35:19.99 ID:IcMTB/qh
ん?邦画でさえ10億前後だぜ。
ハリウッド並み予算だな
835日曜8時の名無しさん:2007/12/07(金) 14:58:20.09 ID:VB3KPhKa
>>833
君が30億程負担してくれるなら希望の出来に近づくんじゃないか?
836日曜8時の名無しさん:2007/12/07(金) 16:19:29.63 ID:a2eyrEWc
NHKの収入は約6000千億もあって、大河は年間を通し放送し、尚且つ看板番組なんだから、そのくらいかけてもいいと思いますが。
837日曜8時の名無しさん:2007/12/07(金) 16:36:48.67 ID:yjYJHq+p
>>789>>795>>805>>811
既出だが、当時の平仮名はそれぞれの字について何通りもの変体仮名が
通用しているから、庶民階層で平仮名の読み書きが不自由なくできる人は
少ない(変体仮名のほとんどない片仮名なら庶民にも容易に習得可能)。
ただ戦国段階だと、武士身分に属する者なら末端でも平仮名を解する人の
割合はかなり高いはず(平安〜鎌倉初期とかだと厳しいかも)。

まあある意味、平仮名の読み書きができるっていうのは、自分が教養階級に
属するというステイタスを示すものでもあるし、平仮名自体に“みやび”な
イメージが付きまとうから、身分の高い女性なんかは好んで平仮名主体の
文章を書いた。
もっとも平仮名を不自由なく読み書きできるというのは、大量の変体仮名
すなわち漢字の草書体を覚えているのと同じことだから、平仮名ができる
人なら漢字もある程度は読み書きできたと考えるほうが自然。
まあ漢文体の文章の場合は、読めても書けないってことはありえる。
838日曜8時の名無しさん:2007/12/07(金) 16:45:59.23 ID:yjYJHq+p
>>810
変体仮名を覚える必要のない現代だと、平仮名と片仮名にそれほど難易度の
差はないかも知れないが、それでも小さい子や外国人に仮名を教える場合、
片仮名のほうが短期間での定着率は高いと聞く。
理由は、片仮名の文字は直線的でシンプルなものが多いのに対し、
平仮名には曲線的なものが多いので、イメージを脳裏に刷り込み、
バランスよく書けるようになるまでにある程度時間がかかるという。
839日曜8時の名無しさん:2007/12/07(金) 17:17:22.94 ID:YtZg7EYq
>>837
自分も平仮名より片仮名の方が簡単というイメージだったんだけどね、
室町以後に残っている文書でカタカナで記されたものは
すごく少ないらしいんだよ。全体の2%程度なんだって。
庄屋等の上級農民が記したものでも、ほとんどが平仮名だそうだ

で、その残っている少ない片仮名の文書は寺関係の物に固まっているらしい
(僧侶が書いたものや寺領の荘園の文書等)
字の格付けが漢字>>>片仮名>>平仮名だから、かなあ?

初等教育を片仮名中心で行うのは「サクラサクラガサイタ」とかの明治以降の近代教育制が始まってから
みたいなことをその学者は書いてる。

ただ自説が真実のように書く学者もいるし、定説はその後の調査で変わるものだから
一冊の本で鵜呑みにするのは危険だよね……
これが珍説だったらスマン
840日曜8時の名無しさん:2007/12/07(金) 17:42:16.97 ID:yjYJHq+p
>>839
上層農民なら中下級の武士とさほど変わらない程度の教育機会はあると
考えられるから、平仮名の読み書きは普通にできるんじゃないかな。
彼らは純粋な庶民よりはワンランク上の階層だよ。
そして平仮名ができることがステイタスなら、平仮名の読み書きが可能な
人は、基本的に平仮名で書こうとするのが普通だろう。
あとは、本当に片仮名しか解さないようなレベルの階層が、後世に
残っていくようなものを書き残す機会がどの程度あるかを考えれば、
残存率の偏りについても十分に説明はつくと思うよ。

ついでにいえば、書いた人が誰かということが問題ではないような
事務処理的な文書では片仮名の出現率が割と高いと思う。
そういうもので例えば漢字表記が分からない固有名詞なんかを音だけ
聞きとって記した場合なんかは片仮名が使われる傾向が高い。
現代で擬音語・擬態語や外来語を片仮名で記すのと同じで、本人の脳内で
音だけでは意味を成さないようなものは片仮名で書かれる傾向がある。
結局、片仮名=無味乾燥なものというイメージだからね。
841日曜8時の名無しさん:2007/12/07(金) 17:51:15.78 ID:yjYJHq+p
>ただ自説が真実のように書く学者もいるし、定説はその後の調査で変わるものだから

その人がどういう人かは知らないが、自分の説について「実は違うかも
知れません」なんて前置きしながら書くような学者は普通いないよ。
内心では多少不安があったとしても、表面的には堂々と自信があるという
風を装って書くのが普通。

そうしたなかでそれまでの定説と異なる見方を提示して、それが容易に
覆らないということになれば、その人の学者としての評価に繋がる。
逆に、センセーショナルなことを書いてもそれが突っ込みどころ満載だと、
トンデモ説として扱われ、そういうことを繰り返し過ぎると、そのうち
誰からも相手にされなくなる。
842日曜8時の名無しさん:2007/12/07(金) 17:52:59.71 ID:cuuzmiZx
俺は、839氏が紹介する意見に同意だな。
片仮名=簡単というのは明治以降の初等教育のイメージかと。
もともと片仮名は漢文の送り仮名を書くときに用いたものだから、
漢文とセットで覚えるものだったのかもしれない。
843日曜8時の名無しさん:2007/12/07(金) 18:08:27.36 ID:yjYJHq+p
俺は、大量の変体仮名を覚える必要のある平仮名が、
最底辺の識字層の最初に覚える文字とは、絶対に思えないけどな。
844日曜8時の名無しさん:2007/12/07(金) 20:17:29.83 ID:LMWIX7Sc
そういう書き方しないで
俺はこれを最初の覚える文字だと思うって
書けばいいじゃない
845日曜8時の名無しさん:2007/12/08(土) 02:41:46.62 ID:HNu5Zx3P
友人のひいおばあちゃんに、おしんみたく教育を受ける機会がなくて
カタカナしか書けない人がいた。手紙でもカタカナだけらしい。
女工哀史でも新聞記者が社会問題にしようと、便所の落書きを探したら、
彼女達は文字を知らなくて、不満を表す落書きもなかったと歴史書にあった。
戦前は凄い格差社会で貧富の差も激しかったらしいが、戦国時代も識字率は
身分によってそうとう差があったんだろうな。
江戸時代の寺子屋と藩校と私塾と明治の義務教育で文盲は激減したけど。
自分もカタカナを最初に覚え、そのあとひらがなと漢字で、漢字を読めるが書ける人は
少なかったと思う。

846日曜8時の名無しさん:2007/12/08(土) 02:49:09.30 ID:TsDVa9xP
まあいろいろいわれているが、
例えば、二条河原の落書とか、「今堀日吉神社」所収の地下掟とか、みたいな
庶民まで含んだ多くの人の目に触れることを前提に書かれたものが、
どうして漢字片仮名混じりの文で書かれているのか、考えたらいいよ。
あと時代は多少遡るが、阿テ河庄の百姓申文が片仮名と平易な漢字だけで
書かれている理由は何故か。
こうしたことから、当時実際に最下層の識字層が理解できたのが
片仮名と基本的な漢字だけだったという推測が成り立っている。

>>839
中世後期だと「太平記」とか「応仁記」とかみたいな軍記物なんかだと
漢字片仮名混じりの文章は一般的だし、
近世の庶民向け出版物にも片仮名主体のものは普通にあるような気がするけど。
847日曜8時の名無しさん:2007/12/08(土) 04:37:14.18 ID:O7GvdyFo
風林火山展の図録に、謙信が当時7歳くらいの景勝に送った「字が上手になったね。
でももっと上手になるように手本を送るね」の書状と、おそらくその時に贈った仮名の見本の
画像があったんで参考にうpするよ。
(スキャナーもってないんで、携帯の汚い画像でスマソ)
景勝当時7歳ぐらいだけど和漢混交文読めたのか。すげえな
手本には字の左側に読みと字の意味を片仮名で書いてある

ttp://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org9052.jpg

文字習得の第一段階は片仮名だけど、片仮名の表音文字としての役割が
今のローマ字のように特殊で、手紙や公式文書に使われなかったということも
あり得るかも、とか根拠もなく思ってみたりした
848日曜8時の名無しさん:2007/12/08(土) 04:48:46.80 ID:uQhXY22i
前近代の片仮名には発音記号的な要素がかなりあるだろう。

ルビみたいなものは基本片仮名で書かれるし、筆者がよく分からない発音を
とりあえず音だけ聞き取って転写したみたいなものは片仮名で書かれやすい。

ただ片仮名しか分からないような階層なら別だが、
まともな武士とか上層農民クラスになると、
片仮名主体の手紙なんて書こうものなら逆に失礼になるとか、
そういう世界じゃなかろうか。
849日曜8時の名無しさん:2007/12/08(土) 07:43:57.13 ID:itk0F/IX
てか識字率の話って、ちょっと前に今川義元スレでも出てなかったか?
850日曜8時の名無しさん:2007/12/08(土) 08:05:55.17 ID:AzMaIfhz
罵倒言葉なしで議論がなりたっているスレは、久々に見た気がする。イイヨイイヨ
851日曜8時の名無しさん:2007/12/08(土) 11:07:50.55 ID:t2ieiy89
江戸庶民は里見八犬士とかみんな読めたのかな?
野口英雄の母も猪苗代のド田舎から手紙書いたんだよね。
852日曜8時の名無しさん:2007/12/08(土) 11:28:53.84 ID:AM3Qa0zq
あれは息子に便りを送るために、村長さんか誰かから字を習って書いたんだろう
853日曜8時の名無しさん:2007/12/08(土) 12:22:34.16 ID:HNu5Zx3P
戦前の新聞や大衆文学の本なんかは基本的に、漢字全部にルビが振ってあったそうです。
新潮社の「風林火山」の文庫にも、難しい漢字にはご丁寧に全部ルビが振ってある。
大河でも人名などにルビが振ってあり、いまでも大変助かるから、
江戸時代は庶民は貸本屋から本を借りたりして、よく大衆文学を読んだそうだが
ルビが振ってあったのでは?
あと一人が声を出して読むのを皆で聞いて楽しんだとか?
854日曜8時の名無しさん:2007/12/08(土) 12:28:17.61 ID:03WyCCSv
元禄以降の江戸庶民はかわらばんを読めたんジャマイカ
みんなじゃないけど
855日曜8時の名無しさん:2007/12/08(土) 13:46:58.50 ID:2vHvSINA
>>851
野口英雄→野口英世

数少ない国際的偉人の名を間違えんなよ
856日曜8時の名無しさん:2007/12/08(土) 13:53:39.99 ID:ehtkrQPE
川中島の合戦が戦国最大の戦いっていう話なんですが、関が原とかの方がよっぽど兵士数多いように思えるんですが、本当に最大だったんですか?
857日曜8時の名無しさん:2007/12/08(土) 14:04:29.77 ID:dQ/p96x8
「はいはいワロスワロス」でおk
858日曜8時の名無しさん:2007/12/08(土) 14:05:30.26 ID:TG0tLX0J
関が原は戦に出てきたやつと実際に戦った人数がかなり違う。
859日曜8時の名無しさん:2007/12/08(土) 15:34:15.28 ID:ughLSTKO
>>856
知ってます
860日曜8時の名無しさん:2007/12/08(土) 15:57:16.94 ID:ZZgG728n
今日の再放送も見逃しました。・゚・(ノД`)・゚・。
まだついて行けますか?
861日曜8時の名無しさん:2007/12/08(土) 18:27:40.02 ID:t2ieiy89
前回は川中島が急遽3話でやる事になり明らかに1話分ムリヤリ伸ばしたような回なので中味がありませんでした。
見なくても大丈夫です。
862日曜8時の名無しさん:2007/12/08(土) 19:38:14.26 ID:5z1aqeOw
3度に分けてやるのはなんかダラダラしてるよなあ。
葵徳川三代の初回、総括関ヶ原みたく、風林火山も
初回の時に90分の番外編やればよかったのに。
最終回の後でもいいし。
863856:2007/12/08(土) 21:18:48.95 ID:Nkn5G7Ts
えーっと、私はしってます君ではないので安心してレスしてくださいな。
川中島のでは動員兵士数ではなくて、実際にぶつかり合った兵士の数が最大ってことですか?
864日曜8時の名無しさん:2007/12/08(土) 21:43:28.37 ID:cce3wrLr
川中島は戦国時代。
関ヶ原は安土桃山時代
865日曜8時の名無しさん:2007/12/09(日) 00:49:30.25 ID:pnyCeNah
>>856
とくに明確な根拠はないと思うけど・・・
単純に参加兵数だったら戦国時代でも河越夜戦とかもっと多い戦いあるはずだし
武田信玄と上杉謙信の両将のネームバリューとかで適当に言ってるだけかと
866日曜8時の名無しさん:2007/12/09(日) 00:57:22.92 ID:GVGrZAGL
川中島合戦なんて単なる地方の田舎侍のショボイ戦いだって誰かがレスしてたな
867日曜8時の名無しさん:2007/12/09(日) 01:00:38.90 ID:xaQDCU3s
戦死率が戦国一とか。
868日曜8時の名無しさん:2007/12/09(日) 10:14:04.35 ID:ehYC6Euo
もちろん日本史的にも関が原のほうが圧倒的に影響ある事件。
だけどなぁ、つまんないだろうロマンがないとw 報道番組だけ見ないで
ドラマスレに皆来てるわけで。
869日曜8時の名無しさん:2007/12/09(日) 10:30:23.72 ID:/H6QYfM2
両本軍同士が衝突して全軍が乱戦に参加したのは
第四次川中島だけと言われてなかったか?
全軍言うても上杉軍は越中等の牽制に越後に残してきた軍と
撤退戦用に後方に残した軍がいるからほんとは全軍じゃないが。
川越夜戦も関が原も本軍同士が衝突して全軍大乱戦→死傷者膨大
なんてことはしてないわけで。
870日曜8時の名無しさん:2007/12/09(日) 10:42:00.08 ID:6gr0jW/0
関ヶ原・・甲子園決勝だがワンサイドゲーム

川中島・・甲信越大会決勝で乱打戦の末、引き分け
871日曜8時の名無しさん:2007/12/09(日) 12:37:02.65 ID:R7wSHEFu
そもそも河越夜戦ってのは講談話。
歴史的にはすでに戦国時代ではない関ヶ原では徳川本軍は井伊などの例外を除けばほとんど戦闘に参加してない→戦後に豊臣恩顧大名の石高が拡大する皮肉。
西軍も吉川の策謀で毛利など戦闘に参加しないで望見してたり立花宗茂・小早川秀包義兄弟コンビなどの朝鮮征伐で明軍の大軍を撃退した最凶猛将達が大津城攻略へ派遣されていた。
武田・上杉の両巨頭が川中島で4回目になってついに満を持しての全面衝突で死傷率が非常に高く武田側は弟など大将格が討死にするという(大将が討死するのは非常に珍しい)稀有な戦いだから。
基本的に決戦する事自体が珍しいのに非常に大規模だからね。
のちに武田の滅亡を考えた時に勝頼の為にも良き補佐役として弟は必要だった。生きていたら秀吉の弟の秀長にも匹敵する働きをして武田家を支えたろう。
872日曜8時の名無しさん:2007/12/09(日) 13:01:49.58 ID:2xTUFs5+
関が原は歴史に与えた影響は大だが、家康の西軍の武将への手紙攻勢など
戦争まえの調略活動がメインで、裏切りが原因で1日で終了。近所の百姓
も弁当持参で見物してたという話も聞くイベントと言う感じだ。
川中島は地方大名の争いだが、全軍がまともにぶつかって戦い、死傷者
も多く戦いの凄惨さが、のち頼山陽の漢詩に歌われたり、後世の日本人
の精神世界に及ぼした影響は大きい。

873日曜8時の名無しさん:2007/12/09(日) 13:03:46.61 ID:H88Eqv2K
関が原は規模はデカイんだが、わくわくするものが皆無。
小早川秀秋のワンマンショーだしな。
874日曜8時の名無しさん:2007/12/09(日) 15:38:45.20 ID:K4YU6BSK
四回目もそれほど死者は出てなかったろうな
誇張されてるのより全然しょぼいよ川中は
875日曜8時の名無しさん:2007/12/09(日) 15:41:42.23 ID:H88Eqv2K
>>874
おまいは見てきた来たのか?
876日曜8時の名無しさん:2007/12/09(日) 16:21:03.29 ID:vbDcj9Uw
そこは噛んだらあかんとこやろ
877日曜8時の名無しさん:2007/12/09(日) 16:26:20.64 ID:0gojAKNX
それにしても武田の名のある武将の戦死率は異常
878日曜8時の名無しさん:2007/12/09(日) 16:40:05.30 ID:7euU7eFy
合戦中にうんこしたくなった足軽は、持場を離れてうんこしていいんですか?
879日曜8時の名無しさん:2007/12/09(日) 17:51:08.97 ID:R7wSHEFu
ダメです。ウンコは貴重なタンパク源なので食料代わりになります。
880日曜8時の名無しさん:2007/12/09(日) 21:50:25.01 ID:IzHZDZQ5
>>877
甲斐武田氏の衰退&滅亡を考える上では、長篠での戦死率もバカにならん。
881日曜8時の名無しさん:2007/12/09(日) 21:53:04.19 ID:GVGrZAGL
上越市に柿崎というところがありますが柿崎景家と関係がありますか?
882日曜8時の名無しさん:2007/12/09(日) 21:58:55.57 ID:qbCW5tVk
>881
もちろんです。
ちなみに同じ上越市の直江津は直江兼続から来ています。
883日曜8時の名無しさん:2007/12/09(日) 21:59:43.59 ID:/H6QYfM2
>>881
柿崎景家のご先祖様が柿崎宿(柿崎区)地頭を務め
柿崎姓を名乗った。と言われる。
884日曜8時の名無しさん:2007/12/09(日) 23:04:24.19 ID:IzHZDZQ5
>>882
地名が先にあって、あとからそこを拠点とした一族がその地名を苗字にするのが普通。
885日曜8時の名無しさん:2007/12/09(日) 23:19:55.55 ID:ScGllj5/
数百年後の歴史書に南セントレア某が登場する未来が見えた
886日曜8時の名無しさん:2007/12/09(日) 23:41:57.30 ID:8cElIJzT
碁石金は越後でも流通していたのですか?
887日曜8時の名無しさん:2007/12/10(月) 01:04:32.52 ID:QrV4yWnm
素朴な疑問なんですが
1万8000が山に陣取るって可能なことなんですか?
888日曜8時の名無しさん:2007/12/10(月) 01:22:02.54 ID:JX+HNI+6
今回登場した春日源之丞は、春日源五郎(香坂虎綱)とはどういう関係?
889日曜8時の名無しさん:2007/12/10(月) 01:26:47.21 ID:i6qrXAeJ
山本勘助は名軍師と言われてますが、なぜ夜霧に乗じた越後勢の攻撃が読めなかったのですか?
また、相当数の斥候を放ってると思うのですが、霧が晴れるまで気付かないのはおかしくありませんか?
890日曜8時の名無しさん:2007/12/10(月) 01:42:00.52 ID:vvm368/p
>887
史実の話をするなら上杉軍は18000もいない。
軍役帳から概算しておよそ8000ほどだったと思われる。
本当は妻女山ではなく西条山に陣を敷いていたのではないかという話もある。
普通に考えれば18000が妻女山に籠もるのは無理ぽだが
上杉軍18000が妻女山に陣取ったと言う有名な話をドラマでは採用したものと思われる。
891日曜8時の名無しさん:2007/12/10(月) 04:52:57.10 ID:swa6IgoS
1万3千では?
892日曜8時の名無しさん:2007/12/10(月) 05:06:57.62 ID:CXEtw8xs
おいテメエら
あたかも戦国時代にいたかのように書いてるが、本当なんやろなあ?
おいらが確かめてやるぜよおおおおおおおえ
893日曜8時の名無しさん:2007/12/10(月) 07:41:16.07 ID:CE1FfD7D
>>889
相当数の斥候や忍びは両軍とも放っていた。
これはお互いに捕獲されていたらしい。
また、上杉政虎は妻女山を降りる際、篝火と旗指物を残し、あたかも布陣し続けてる様にカムフラージュを行った。
武田の奇襲本隊はこのムフラージュに引っかかってしまった。
上杉軍は、馬に飼葉をかませ嘶きを抑える等、とにかく音や気配を消して進軍したため
直前まで武田は気がつかなかった。
894日曜8時の名無しさん:2007/12/10(月) 08:20:57.17 ID:upq7qX0v
秋山信友って川中島に参加してないって聞いたんだけど昨日いなかった?
895日曜8時の名無しさん:2007/12/10(月) 13:59:06.06 ID:yo/zUHki
>>888
香坂弾正(春日源五郎)の従兄弟。
896日曜8時の名無しさん:2007/12/10(月) 14:41:05.00 ID:msLwC+0P
>>894
どうもいたようだがそれを言ったら
第四次川中島合戦には直江も宇佐美もいないし。
897日曜8時の名無しさん:2007/12/10(月) 18:36:46.28 ID:ZMwY2xEt
村上義清がいないのは不自然だな
898日曜8時の名無しさん:2007/12/10(月) 18:46:59.66 ID:xvs8dX2F
大熊の兜に書いてある文字はなんですか?
899日曜8時の名無しさん:2007/12/10(月) 21:43:20.52 ID:GUE/KkOq
>>898
900日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 00:09:18.80 ID:uj8s61RI
前田亜季って「千年の恋」とかって映画に出たときに脱いでるって
どっかのスレにあったんだけど、本当?
901日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 01:26:22.32 ID:AK9yy1I3
第四次川中島では両軍が激しくぶつかったにもかかわらず
武田の重臣ばかりが死にまくってますよね
これは戦闘に関する能力は上杉の方が高く
武田は雑魚かったということでしょうか
902日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 01:33:38.68 ID:bsqqhOAY
別働隊が駆けつけるまで無理に踏みとどまってなきゃいけなかった
からじゃないか。不意をつかれ無理したほうが不測の事態が起きやすい
と思うな。霧が晴れて上杉方もビックリしたかもだが、上杉方は戦闘
部隊全部、武田は半分だからね。別働隊が駆けつける事が上杉は
分かってるから逃げ時を計算できるし。このドラマというか、
啄木鳥があったと仮定した場合ね。現実にはよく分からんのだろうから。
903日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 02:18:53.60 ID:2tGh6rG4
雑兵たちは地元の農民とかなんでしょうか?
地元民としては武田・上杉のどっちにつこうが農地を荒らされて迷惑千万という感じだと
思うのですが。
904日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 02:22:24.20 ID:gJfWRE9i
一度祭りとか動機作って、妻女山に1万3千人詰めて夜大移動させて検証してみたいな。
テレビ入れて、住民動員すりゃ1万ぐらいすぐ集まりそうな気もする。
905日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 02:39:47.93 ID:FtmzcBvC
武田は大将格が自ら
奮戦せんと兵も戦わねえのかな?
あんまやる気なしな兵たち
上杉て他の戦いでもあんまり大将格は
打ち取られてないん?
906日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 02:57:51.88 ID:sNHB1/wZ
>>896
直江は善光寺に残した後詰、宇佐美は春日山で留守番だったっけか?
907日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 03:10:53.82 ID:UHEt+14n
>>899
ってことは直江兼続と同じ?
908日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 03:37:57.65 ID:oLEbpC7m
武田軍はなんで自分から動いたのかねぇ。
前回勘助が言ってた通り、兵糧を食い尽くした上杉軍が山下りてくるの待ってりゃ
よかったのにと思うんだが。
あと、武田の一門衆のほとんどが本隊側にいたのも不思議。
別働隊に全軍の半数以上を割くなら、万一のこと考えてそっちにも入れるだろ、常考。
909日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 04:01:19.22 ID:9iiWBr8U
>>907
直江は恋
910日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 04:40:49.85 ID:F3zewdiQ
>>909
上杉謙信とは愛人関係だったんだよね。
911日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 06:46:35.05 ID:Vbkibg5g
質問スレで嘘ばっか書くなよ
912日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 06:55:30.71 ID:z7bWaiQ6
勘助は最終回でなんかすごい策とかだすんですか?孔明みたいな
913日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 09:23:44.66 ID:hEMBH+5v
最終回を見てから質問してください
914日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 12:15:20.19 ID:9D+FE0mW
>>908
夜中に山登りなんて辛い嫌な役目は外様の仕事。
915日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 13:03:49.47 ID:mL7q5gEE
>>904
本能寺の変を検証する番組でも明智勢の深夜行軍に疑問を呈してたな。
大部隊が京都を移動したら大音量になりきずくんじゃねーのって具合に。

>>908
山上の相手陣地に攻撃をかけたら普通は大損害を食らうわけで。
この手の汚れ仕事は下っ端の役目です。
916日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 15:36:39.48 ID:/kUPFe+G
>>914
飫富さんもいたよ。
917日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 15:38:39.70 ID:FtmzcBvC
3人で飯食べてた時は
勘助が生き残りそうな感じだったんかな?
918日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 15:59:24.70 ID:VrbhdR3H
>>912
その孔明も最期は
戦に勝てなくて戦場で死んだわけだし。病死だけど。
919910:2007/12/11(火) 16:01:53.58 ID:F3zewdiQ
>>911
ぐぐってごらんよ。
920日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 16:23:06.55 ID:jRtlENWI
不思議な点
・いつもと違う時間に飯炊きなんかしたらバレバレですよね?
・相手も霧の存在を知っている とは思わなかったのですかね?

ドラマ的に解釈願いたいです。 前は軍師同士 裏を読みあっていただけになんか
921日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 17:25:59.02 ID:bTLri6E0
>・いつもと違う時間に飯炊きなんかしたらバレバレですよね?
夜だからばれないと思った。発生する煙も灯り火に誤魔化せると思った。

>・相手も霧の存在を知っている とは思わなかったのですかね?
川中島は武田領だから上杉軍は地理気候に疎いと思ってた。
これほど早く情報収集できるとお思ってなかった。
武田の斥候は情報収集が甘く上杉がはるかに上だった。

勘介は上杉に正体を見抜かれた経験があるのに相手の情報力に関心を
持てなかったみたいだね。強烈なカリスマ謙信ばかりに関心がいって
上杉軍師の能力に関心がなかったんでしょ。宇佐美の笑顔にまんまと騙されてたと。

現代に生きる俺達は過去の戦争や三国志孔明の活躍で気候や地理の影響を
重視するが、当時の人はどれくらい関心をもってたんだろうか。
旧日本軍もイイカゲンなことやってたしorz
922日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 18:10:03.72 ID:jRtlENWI
>>921宇佐見の存在を意識してない感じはありますよね。 煙にしても霧にしても もう少し駆け引きがあってほしかった。


今 一番事実だろうと思われる第四回川中島の戦いの詳細(照らし合わせた個人の考えOK)を誰か語っていただけたら勉強になります。
923日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 21:22:12.96 ID:7Z5e1jGG
2つの摩利支天ペンダントって、現時点で
誰が持っているのかわからなくなってしまいました。
ご存じの方お教え下さい。
最終回には、からんでくるんですかね?
924日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 22:02:42.49 ID:fcA91BA1
>>921
実際の上杉方には、元々北信濃出身で武田に追われて越後に転がり込んだ
やつ(例えば村上とか)がゴロゴロいたわけだから、越後方があの地域の
地理や気候について知識を持っていないと考えるほうが不自然ではあるな。
925日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 22:39:06.98 ID:n8zitK4Z
>>923
信玄→ねね→由布姫→四郎(現在の持ち主)
勘助→ミツ→平蔵→勘助(現在の持ち主)
勘助→リツ(マリ支店像)
926日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 23:01:53.71 ID:7Z5e1jGG
>>925
ひとつは勘助が持っていたんですか。
2つのペンダントが出逢うようなことはなさそうですね。
ありがとうございます。
927日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 23:11:23.15 ID:n8zitK4Z
川中島に出かけるときにマリ支店も持って出かけてたから
勘助は今胸につけてるでしょ

926はドラマを見てないんですか?
928日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 23:22:58.22 ID:KNtd8II0
番組中上杉政虎は兜を被っていませんが、実際もそうだったのでしょうか?
そういわれてみれば上杉謙信の画や像で兜をつけてる物は無いような気もします。
また髪型も髷を結わずにあのような髪型だったのでしょうか?
929日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 23:31:00.54 ID:h28Dd/4x
勘助→ミツ→平蔵→勘助(現在の持ち主)→hz
930日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 23:36:16.80 ID:n8zitK4Z
>>929
ブーブー間違いです
931日曜8時の名無しさん:2007/12/11(火) 23:45:06.91 ID:VrbhdR3H
>>922
ttp://www.furin-kazan.jp/nagano/index.php
川中島現地の特設サイト。ここのフラッシュが出来がいいよ
時系列になっているから合戦になってからのあたりけっこうドキドキする。

そういえば、史実では車掛かりの陣で戦えるかは不明と書いてあった。
あれってトラック何周もするようなもんで兵は疲れるだろうな…
932日曜8時の名無しさん:2007/12/12(水) 00:15:11.37 ID:+D0Dxfrk
>>931
八幡原の戦いは、霧の中の遭遇で、両軍とも十分に陣を組む間も無く戦闘になってしまったので、
攻撃側の上杉軍は行軍体制からいきなり突撃をかけることになり、部隊単位で
バラバラに、正面からでなく四方八方から突っ込むはめになった。
普通なら各個撃破されるが、武田も迎撃準備が整ってなかったので、時間差で繰り返される攻撃に
翻弄され、陣地深くまでえぐりこまれてしまった。

このように戦場の条件が引き起こした偶然だったのが、いつのまにか
「武田軍を苦しめた上杉の必殺戦法」と誤解された、という説がある
933日曜8時の名無しさん:2007/12/12(水) 00:23:28.00 ID:9fLT3Hrm
謙信の兵術の神髄がそう簡単にわかろうはずがない。
陣立てからその変化までは千差万別で変化は即ち水が上から下に流れるが如く自然。
934日曜8時の名無しさん:2007/12/12(水) 00:38:23.27 ID:H8QJb1hP
偶発的遭遇により戦いが起きたというのはどうでしょうか。
上杉軍は霧を利用して退却しようとしたというわけでその行動の説明が
つきますが、武田軍(それも総大将信玄みずから)はなんであそこにいたのでしょうか。
退却しようとしていた上杉軍を壊滅させようとしていた。
そう考えないと、つじつまがあわない。霧を利用して上杉軍が
退却しようとするのではないかと武田は考えた。
退却しようとしないかもしれないが、それでも妻女山にいる上杉軍
の後方を襲い、八幡原のほうにおりてくるようにしむけようとしたと
考えるべきでしょう。撤退にかかったところを襲われるのは極めて
まずい。また上杉軍が撤退してしまっていたとしても、そのまま追撃する形で
八幡原に向かう。ただ山道をいくことにてまどり、八幡原への到着が
かなり遅れてしまったので、信玄の率いる部隊が大打撃をうけてしまった。
こう考えるべきでしょう。
935日曜8時の名無しさん:2007/12/12(水) 01:40:40.15 ID:KRlfsgmi
偶発的遭遇っていうなら、桶狭間だって土砂降りが終わった直後に偶発的に
衝突したって話もなきにしもあらず。
しかも織田方は偶発的に遭遇した相手が義元の本隊とは分かっていなかった
みたいな・・・。
936日曜8時の名無しさん:2007/12/12(水) 01:48:51.11 ID:vuEue+/S
>>934
退却する上杉軍を迎え撃ちに行くなら八幡原の武田本隊は八幡原到着時点で臨戦態勢のはず
兵ももっと連れて行くだろうし大将格の武将が戦死するほどやられるわけが無い
937日曜8時の名無しさん:2007/12/12(水) 02:03:03.08 ID:J9le/Zg/
>>936
じゃあナンで八幡原にいたかそれを説明しないとw
臨戦態勢じゃないのは追い出される筈と思ってたか、霧でまだ
いないと思っていたでも説明はつきます。
938日曜8時の名無しさん:2007/12/12(水) 02:56:50.57 ID:fxWO40C9
戦場ではありとあらゆる最悪のケースを想定するし
物見の兵も多方面に飛ばしています。
霧が濃ければなおさら索敵を強化するんじゃないでしょうか?
939日曜8時の名無しさん:2007/12/12(水) 09:49:47.58 ID:SKcG2ueF
上杉軍は霧を利用して撤退するつもりだった
しかし武田軍がそれを察知して追撃してくることも計算していた
武田軍は二隊に分かれて退路をふさぎながら挟撃しようとしたが
準備していた上杉軍に逆襲されて大損害を出した

上杉謙信は撤退時に追撃する北条軍を撃破したこともあったはず
940日曜8時の名無しさん:2007/12/12(水) 16:49:20.17 ID:bGaV4grf
>>931ありがとう。

いろんな意見をみると真実というかは 想像の域 なんですね。
941日曜8時の名無しさん:2007/12/12(水) 18:51:58.00 ID:cbeXbQF5
信玄の戦歴が49勝3敗20分(勝率9割4分)って聞いたんだけど
3敗の内容分かりますか?
(「知ってます」って言わないからマジレス頼みますw)
942日曜8時の名無しさん:2007/12/12(水) 19:50:35.91 ID:cpt0L6h6
943日曜8時の名無しさん:2007/12/12(水) 20:04:18.52 ID:JN/GssJD
>>942
通算72戦49勝3敗20分け
勝率:6割8分
負率:0割4分1厘
勝or分け率:9割5分8厘

よくまとまっていて面白いな。
最終的には負けたが、村上義清って強かったんだね。
944日曜8時の名無しさん:2007/12/12(水) 20:35:13.44 ID:nOUFMQSJ
武田の本体が少なすぎって相木に言われて、追い落とす側、別働隊が少ないと意味無いじゃん?
みたいに言ってたから。
945日曜8時の名無しさん:2007/12/12(水) 22:37:57.48 ID:cbeXbQF5
>>942
ありがとうエロイ人
946日曜8時の名無しさん:2007/12/12(水) 22:44:55.68 ID:vkLGAhOg
武田も啄木鳥とか欲張らず、夜襲だけでいいのに
八幡原を経て善光寺を経て越後へ逃走する上杉軍を武田が追えばいい
947日曜8時の名無しさん:2007/12/13(木) 02:27:45.13 ID:BJT5J2+L
小規模でジャブだけだして
なぜ兵糧攻めしない
秀吉ならどんな作戦するんだろか
948日曜8時の名無しさん:2007/12/13(木) 08:37:57.13 ID:RgJ88ATN
調略 調略 調略 調略 土下座 調略
949日曜8時の名無しさん:2007/12/13(木) 13:02:28.24 ID:lYosCsyg
月毎に番組の最後に出て来た武田家臣団の旗印なんですが

ttp://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org11854.jpg

2月と4月がわかりません
2月が駒井で4月が甘利という気もするのですけど……
教えていただけないでしょうか
あと、その他も下で間違ってないでしょうか?

1月 信玄
2月 ?
3月 板垣
4月 ?
5月 諸角
6月 飯富
7月 小山田
8月 馬場
9月 原
10月 真田
11月 春日
12月 勘助
950日曜8時の名無しさん:2007/12/13(木) 13:29:32.09 ID:F+h45Nts
武田はこの戦で上杉の息の根を止めたかったんだろ?

三方が原の戦いでも決戦を誘ってたから
決戦思想の国なのかもしれない。


「風林火山」のなかでは上杉の忍び>>>>>武田の忍び なんだろうな。
武田は忍びを城を落す工作員としか捉えてなかったのかもしれん。
上杉は情報戦がメインなのかもしれん。勘介の正体を見抜いているし。
951日曜8時の名無しさん:2007/12/13(木) 18:58:11.95 ID:hCely0dV
甘利が弓を射ていたのは何話ですか?
たしか初めの方だったとおもうのですが・・・
952日曜8時の名無しさん:2007/12/13(木) 21:59:22.71 ID:/E6rjRot
息の根止まるわけねぇだろ、辺境でやってんだからw
本国に攻め入った家康のときとは違うっつの。
953日曜8時の名無しさん:2007/12/13(木) 23:28:44.47 ID:EZuejJiv
で信玄、謙信が戦国最強ツートップって言うけどどうなの?
おまいらの見識を是非!
954日曜8時の名無しさん:2007/12/14(金) 01:34:24.37 ID:KYMHPWt/
>川中島第四回合戦の史実といわれているのは、こんな感じらしい。(改訂版)

新たに関東管領となってブイブイ言わせたい上杉政虎、ここらで信濃の所領を
武田から分捕って旧領主たちにばらまき、大いに名を上げたい。かつて第2回
川中島合戦、通称「二百日の対陣」のにらめっこで粘り勝ちし、和平合意の際に
武田から土地を奪うことに成功した経験に味をしめていたので夢よもう一度と
武田の領地の奥深く深〜く入り込んで、妻女山にたてこもる。これで信玄が
真ん中あたりの境界線で手を打ちましょうと申し出てくれれば万々歳。
軽い気持ちで和議の使者を待っていた。

しかし管領になった政虎を警戒し、義元亡きいま南に矛先を向けるためにも
川中島の小競り合いに決着をつけておきたい信玄はいつもの慎重居士とは
違っていた!「土地なんか一カケラもやらんずぉおおお」と気合いをほとばしらせ、
逆に越後国境戦近くの茶臼山に入り込んで越後勢の退路を断つ意地の張り合い。
和議を申し込んでくる気配なんててんで無いことに気づいた政虎はさあ大慌て。
功成り名を遂げたいま、生きるか死ぬかの大決戦なんてする気はこの新人
管領にはサラサラない。とはいえいまや事実上包囲された銀行強盗状態で
逃げるに逃げられない。
955日曜8時の名無しさん:2007/12/14(金) 01:35:13.35 ID:KYMHPWt/
信玄は「寝起きに不便で困る」と海津城に移動してくれたものの、まだ上杉軍は
糞尿処理もままならない山の上で立ち往生。下から丸見えなのでうかつに下山
しようとすると袋叩きに遭う。困っていたところへありがたいことにこの季節特有の
猛烈な濃霧が発生!帰国命令にやれうれしやと上杉軍はいっせいに帰り支度。
まっすぐ北の越後を目指し、山を降りたら一気に川越えを狙ってやる気満々。

ところが妻女山と海津城は目と鼻の先。大きな声なら会話も出来たという至近距離。
鎧兜や鍋釜をガチャガチャやっていればすぐばれる。武田軍はたちまち臨戦態勢。
まっすぐ北を目指すであろう上杉軍の前に立ちふさがるべく、横一列の鶴翼の陣を
敷けとの命令に海津城から兵が繰り出される。しかし30センチ先も見えない霧で
上杉軍はウロウロ下山の道を誤り、武田軍もどこを守っていいものかわからず、
お互い川の水音だけを頼りに手探りの暗闇布陣劇になった。
956日曜8時の名無しさん:2007/12/14(金) 01:36:13.06 ID:KYMHPWt/
かくして夜が明けてみると、両軍は犀川沿いにおいて、陣構えもろくに出来ていない
状態でまともに顔を合わせてしまった。かくして上杉勢は川を越えて越後を目指す
ために渡し場に殺到し、うっかりその近くに移動してしまっていた諸角虎定、山本勘助、
典厩信繁といった、本来なら下っ端兵など寄せ付けないはずの重臣の陣地がいきなり
バーゲンコーナーのように人が殺到する場になってしまい、気の毒に彼らはその気も
なかった越後の「復員軍団」にひき逃げ同然に押し潰され殺されてしまう。

ハッキリ言ってそのまま放って置けばよかったのに、ここで政虎に恥をかかせて
新管領にミソをつけておきたい信玄は無駄にやる気満々。様子を見てきた斥候が
「越後勢は戦う気がありません。わが軍の陣地をよけるように走り抜けていきます」
と報告しても、ここで兵達が傍観しちゃたまらんと「バカモノ、それは相手が大きな
車輪のようにグルングルン回りながらわれらを皆殺しにしようとする車懸かりの陣と
いう必殺技だっ。殺られる前にやらないとおめーら死ぬぞ。行けぇーッ」と、その場
しのぎの口からデマカセで兵を鼓舞して無理やり迎撃させる。
957日曜8時の名無しさん:2007/12/14(金) 01:36:59.07 ID:KYMHPWt/
しかし天罰テキメン、そう言っていた信玄もバーゲンセール軍団の通過コースに
乗ってしまい、通り過ぎたいだけの乱入軍団に行きがけの駄賃と切りつけられる
ブザマな醜態。一方の政虎も敵中突破、いつの間にやら護衛とも離れてしまい
管領ともあろう者が自分で武器を振り回さなければならない惨めな逃避行。
かくしてこの全然関係ない二つの場面が合体して「三太刀七太刀」の名場面が
デッチ上げられる事になった。ついでに言うと霧の中で救援に駆けつけられずに
いた遠方待機の小山田郡内勢が昼過ぎにもなってようやく現場に駆けつけ、
半日近くもカバディのように通すの通さないのとせめぎあい疲れきっていた
上杉勢に襲いかかり、オヤジ狩りのように大活躍。これが何をどうしたのか
「啄木鳥戦法」と語り継がれることになる。
958日曜8時の名無しさん:2007/12/14(金) 01:37:33.09 ID:KYMHPWt/
かくして越後勢は指揮官クラスはまんまと渡河に成功して全員脱出。しかし
兵はかなり無駄死に。ほとんどインパール作戦のごときアホらしい顛末。
いっぽうの武田軍は当時の戦争の常識では考えられないほど指揮官クラスが
バタバタ無駄死に。だもので「はぁーとてつもない激戦だったんだねえ」と
誤解が誤解を呼んで伝説の闘いになってしまった。

政虎は結局タダ働き。だもので頑張った部下にも「よくやった。あげられる
土地は全くないが、俺の気持ちを受け取れ」と感状だけ押し付け、信玄は
「まったく高い買い物になったわいトホホ」と言いつつちゃんと土地を分配。
以後上杉勢は川中島に近寄らなくなったので実質的に武田の完勝。

文献やらを照合するとこういうことになるらしい。「甲陽軍鑑」の信玄の言葉が
あまりに状況とぴたりと一致したので調べていた時は驚いたものだw
ま、現実なんてこんなものでしょ。
959日曜8時の名無しさん:2007/12/14(金) 01:54:48.34 ID:+vS4dj6p
全く説得力ない。悪意や偏見フィルターかかりまくりにしか見えん。
960日曜8時の名無しさん:2007/12/14(金) 03:33:42.44 ID:7t/ZondM
ネタコピペだよ
くだらん
961日曜8時の名無しさん:2007/12/14(金) 07:52:27.07 ID:JNj+nN6h
第四次川中島で信玄が傷を負った事、謙信が自ら太刀を振るった事は間違いない。
しかし関白近衛の書状から他の大将に比べ謙信は自ら太刀を取って率先して戦う事は
川中島に限らずよくあることであり、
それを関白近衛は「天下の名誉である」と讃えており
別に大将自ら戦う事は何ら恥じる事ではないと分かる。
962日曜8時の名無しさん:2007/12/14(金) 10:27:41.14 ID:KSScsc3K
妻女山を掘り返したら、ウ○コの化石とか出てくるかな
963日曜8時の名無しさん:2007/12/14(金) 11:52:01.82 ID:9CYv4ZeS
読ませてもらったが面白かった。
霧の中で両軍が偶然に出会い、戦闘状態になってしまったというスレをいたるところで
見かけるが、他は全部睨み合いだし、そんなものだろうな。
武田は重臣は失ったが、川中島は確保。上杉も消耗し引き分け。
川中島に年月を消耗してる間に、勢力を伸ばしていた新興の信長や秀吉や家康に
今川や北条と同じく、最後は両家ともやられるんだね。
戦国の下克上の面白いところだね。
964日曜8時の名無しさん:2007/12/14(金) 12:10:34.85 ID:ZDe4HkwM
今年最も検索されたキーワードは「パスモ」「風林火山」
http://news.ameba.jp/domestic/2007/12/9430.html
965日曜8時の名無しさん:2007/12/14(金) 13:59:47.00 ID:5XW1Py3y
>>953
武田・北条は父が統一した甲斐、伊豆・相模などの地盤と3代以上にわたる譜代家臣がいた。
謙信の父は越後統一に失敗に破産状態にして死去。兄や謙信と家督相続に越後守護上杉の介入が行なわれた。
書状にも「あとで守護から正式な手紙がくると思う」などと最終決済権が越後守護。
もちろん越後は統一どころかバラバラに瓦解中。
こんな中で北条が上野国を北上、武田が信濃国を北上。
ふつうの大名なら滅亡確定状況から謙信はスタートしてる。しかも最強の野戦能力のために
みんな正面衝突の合戦は嫌い篭城策にしてる。唯一といっていい霧の中の遭遇戦になった川中島第4回は
謙信にとって千載一遇の好機になり正面衝突に切り替わる。その越後勢の戦闘力で陣を打ち破り諸角・信繁を討ち死に追い込む。
信玄にとっては信繁は秀吉の弟の秀長なみの補佐役。これを失ったのは痛い。
それ以後の謙信の野戦挑発行動はいずれも相手側が野戦にならないようにしている。
最後の野戦となりそうだったのが手取川合戦での織田軍だが謙信の侵攻にビビッて撤退中に追撃され手取川へ叩き落とされた。
966日曜8時の名無しさん:2007/12/14(金) 17:00:57.41 ID:BmzpkLAC
手取川の織田軍は信長こそいなかったが柴田・佐々・前田など精鋭だよな
967日曜8時の名無しさん:2007/12/14(金) 19:18:09.24 ID:5XW1Py3y
秀吉は上杉に勝てないのを知っていたから総大将の柴田とケンカして離脱。
明智や丹羽など織田軍フルメンバーで後方には後詰めとして信長本体がいた。
968日曜8時の名無しさん:2007/12/15(土) 00:05:59.56 ID:7yLsizyj
>>898
969日曜8時の名無しさん:2007/12/15(土) 00:53:15.10 ID:oM2NJuci
肉、とか掲げてた武将がいたら、面白かっこいくね?w
970日曜8時の名無しさん:2007/12/15(土) 14:22:19.23 ID:/VdKJ4tv
それ、筋肉マンじゃん。
971日曜8時の名無しさん:2007/12/16(日) 00:21:52.60 ID:+8EnHF1W
川中島の霧がはれたら上杉軍がぐるぐる回っていましたが、
あんなことしてたら兵が突撃の前に疲れてしまうのではないでしょうか。
972日曜8時の名無しさん:2007/12/16(日) 02:06:59.82 ID:LGpwgEiE
溜まった汚れ物を洗濯してるんだよ
973日曜8時の名無しさん:2007/12/16(日) 03:36:55.07 ID:2y0Rbt8y
>>967
信長は出陣してないだろ。
してたらさすがの秀吉も勝手に戦線離脱とかできるわけない。
974日曜8時の名無しさん:2007/12/16(日) 05:13:05.61 ID:0OUyQMDw
>>971
肉弾ヒット&アウェイ方式だよ
疲れるだろうけど攻撃の直後に一気逃げて
別の隊が攻撃してる間に列を整えて準備して
また自分らの番が来たら一斉に攻撃して
またさっと退く
自分らが逃げる時には別の連中が攻撃に掛かってるから
退く際の負担や後ろをとられる心配が少ない
975日曜8時の名無しさん:2007/12/16(日) 05:13:51.04 ID:0OUyQMDw
あ、もちろん話を盛り上げるための創作説も強いよ
976日曜8時の名無しさん:2007/12/16(日) 10:23:16.97 ID:wNmej4MC
後詰に信長がいたのはマジです。
977日曜8時の名無しさん:2007/12/16(日) 10:49:22.42 ID:hVmzWBjq
秀吉も手取川で勝手に帰ったことで信長に「次は無いぞ」って扱いだったみたいだし。
許されたわけじゃーないんだよな。
978日曜8時の名無しさん:2007/12/16(日) 10:52:59.52 ID:m7YmV2Kx
でも事実上、平気なとこが世渡りうまいわw 秀吉とか若き利家とか
やっぱ限られたお気に入りの特権だよ。
979日曜8時の名無しさん:2007/12/16(日) 10:59:13.16 ID:wNmej4MC
でも中国戦線担当に栄転です。
まぁ与力をあんまり付けてくんないけど。秀吉は姫路と黒田如水が手に入って播磨経略が可能になったのが大きいね。
但馬路から山陰へ、淡路から四国へ十河支援。
そして宇喜多が服属…ドンドン戦線拡大マジで神レベル。
980日曜8時の名無しさん:2007/12/16(日) 20:36:36.40 ID:rxRywCvQ
今年の大河ドラマってカーチャンJ( 'ー`)しから聞いたんだけど
高校生達が観ているっていうんだけど、本当ですか?
ひょっとしたらその世代の新たなムーブメント?
981日曜8時の名無しさん:2007/12/16(日) 22:32:59.09 ID:iKJSNJIc
>>980
知ってます
982日曜8時の名無しさん:2007/12/16(日) 23:52:22.93 ID:vv/zQ08O
あの後、平蔵はどうなっちゃうんですか?
983日曜8時の名無しさん:2007/12/17(月) 00:04:32.08 ID:ABa4m4St
らすとだ勘助が本陣からはなれて単独一部隊で突撃するけど
どういう戦術的意図で突撃したの?
984日曜8時の名無しさん:2007/12/17(月) 00:05:19.87 ID:Yql2lvYr
すいません。カッコいいかなぁ、と思ってw
985日曜8時の名無しさん:2007/12/17(月) 00:36:44.50 ID:qdKTqtzK
>>982
1
追剥ぎババアに原美濃みたいに手当てされて助かる。
2
矢が背中に2本も刺されてるし野たれ死ぬ。
3
落ち武者狩りに殺される。
986日曜8時の名無しさん:2007/12/17(月) 00:44:37.77 ID:cxabapqK
>>982
家族に会いたい一心で刺さった矢が回転しだして
越後まで飛んでいく
987日曜8時の名無しさん:2007/12/17(月) 00:57:24.98 ID:lSKWqcN2
来週日曜日のNHK総合 15:50 ロボコン風林火山・いざ出陣!
ってあるんですが 何ですか? 想像がつきません
988日曜8時の名無しさん:2007/12/17(月) 01:05:03.19 ID:GfUOq51l
>>987
紅白の旗取り合戦です。
風林火山と入っているのは、NHK主催だから。
989日曜8時の名無しさん:2007/12/17(月) 01:05:53.89 ID:8dMaNmiK
ロボコン:山本カンスケ
ロビンちゃん:由布姫
ガンツ先生:武田晴信
ロボガキ:馬場
ロボガリ:駒井
ロボドロ:相木
ロボペチャ:リツ
990日曜8時の名無しさん:2007/12/17(月) 01:59:42.05 ID:rqWzBHbt
>>988
おとといだったか、ロボコンのCMにほんとに勘助が出演して
口上を述べていた。
991日曜8時の名無しさん:2007/12/17(月) 02:04:10.91 ID:lSKWqcN2 BE:271560555-2BP(86)
>>988
どうもありがとうございます
ロボットコンクールの事 で良いんでしょうね きっと
ちょと 紛らわしいw
992日曜8時の名無しさん:2007/12/17(月) 02:09:31.49 ID:eaUYHYqo
しかし本気で上洛を考えているのなら、第4次川中島以降の方針は今川領は
捨て置いてさっさと木曽から美濃方面に侵攻すべきだったような気がする。
今川領については、武力征服よりも氏真の後見人のような形で事実上の
保護国みたいにしてしておけば十分だったのではなかろうか?
信玄は一応氏真の叔父でもあるのだし。

駿河への武力侵攻は三国同盟崩壊と越相同盟成立という副産物をもたらして
結果的には敵を増やしただけのような側面もある。
しかも征服した駿河もなかなか支配が安定しないし。
あの段階では最早駿河のほうから甲斐を脅かすようなことはないし、越後側も
川中島以北の北信地方を影響下に置くことが精一杯で、それより南の
中信・東信方面まで信濃に深く食い込んで安定的に支配することは不可能。
信濃の最北部や東海道諸国は放置ということにして西進したほうのが
よかったような。
993日曜8時の名無しさん:2007/12/17(月) 02:12:01.44 ID:0F0q11JD
>>982
だから、海が欲しかったんですよ。
994日曜8時の名無しさん:2007/12/17(月) 02:45:04.65 ID:hhZq1fp0
戦国時代に生きる哀しみを感じたよ
995日曜8時の名無しさん:2007/12/17(月) 03:09:20.47 ID:wICMlQ8w
もうこのスレも終了か
996日曜8時の名無しさん:2007/12/17(月) 03:17:45.42 ID:tMhbCiCF
>>992
経済的利点(国力増強)から見れば、美濃より駿河
国力を蓄えなければ兵も集まらないし上洛も見えない
997日曜8時の名無しさん:2007/12/17(月) 03:18:32.66 ID:aljrP+5z
駿河より美濃のほうが生産力は遙かに高いと思うが。
998日曜8時の名無しさん:2007/12/17(月) 03:30:50.79 ID:PPo169rV
よかったよ
999日曜8時の名無しさん:2007/12/17(月) 05:34:02.23 ID:lEVnBK/8
このスレもここまでじゃ…ここまでじゃ…
1000日曜8時の名無しさん:2007/12/17(月) 06:00:09.49 ID:QP/b5JgU
お屋形様に1000を…
10011001
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