【初心者歓迎】風林火山質問スレ2【途中参戦歓迎】

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1日曜8時の名無しさん
戦国時代に詳しくない人、登場人物の関係が分からない人、先週の放送を見逃した人
シーンの意味が良くわからなかった人 みんなで教え合って最終回まで頑張るでごいす。
あくまで初心者、途中参戦組向けなので、専門的な話は極力本スレでやるでごいす。

今後の展開などネタバレは極力禁止ずら。楽しみにまつでごいす。
それでもネタバレ質問したい方は↓こっちで聞くずら。
【ノベライズ】『風林火山』ネタバレスレ【BS-hi】
http://live25.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1169128002/l50

質問する前に、よくある質問は>>1-10あたりにテンプレがあるので確認するのがよかんべ。

次スレは>>950が立てて欲しいでごいす。
前スレでごいす。
http://live25.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1170613820/

それではいってみるずら。
2日曜8時の名無しさん:2007/03/10(土) 12:05:33.83 ID:evz1eMel
・2ちゃん大河板でよくみかける特殊な用語

赤マフラー:大河ドラマ「北条時宗」で、時宗の兄「時輔」が史実で死んだ後も赤マフラーつけてモンゴル・日本を駆け回って大活躍したことから、史実で死んだはずの人間をドラマのみの設定で生きのばす行為を「赤マフラー」と呼ぶ。

サニー:板垣信方(千葉真一)のこと。千葉真一がハリウッド進出時にサニー千葉という芸名を使ったことから。

デスラー(総統):太原崇孚雪斎(伊武雅刀)のこと。伊武雅刀が宇宙戦艦ヤマトでデスラー総統の声優だったから。

カピバラ、カピ様、カピ信:武田晴信(市川亀治郎)のこと。アマゾンに生息する世界最大のネズミ、カピバラに亀治郎の顔が似てるから。

両津(姫):由布姫(柴本幸)のこと。眉毛がこち亀の両さんに似てるから。

クマ、クマー:今川義元(谷原章介)のこと。谷原章介がテディベアの収集家であることから。前回出演の「新選組!」以来そう呼ばれ続けている。
3日曜8時の名無しさん:2007/03/10(土) 12:07:26.42 ID:evz1eMel
954 名前:日曜8時の名無しさん[] 投稿日:2007/03/09(金) 14:29:28.73 ID:gQ27joYd
いくつか質問まとめて見ました。長いんでできれば添削してくれる方ドゾー。

○オープニングの映像で出てくるムカデにはどんな意味があるのでしょうか?

●簡単に言っちゃうと、この後信玄が戦場で各部隊に連絡を伝えさせる
伝令将校を「ムカデ衆」とネーミングする、そのムカデ衆の指し物
(背中に背負っている旗)のデザインがあのムカデの絵。たくさんの
足でどんな戦場にも素早く指令を運ぶ、という意味合いでしょう。

それまで各部隊各指揮官がめいめい勝手に戦っていたのを、本陣の
指揮系統にのっとって組織的に動かす傾向を強めたのが信玄時代で、
戦場を駆けめぐり御屋形様の下知を触れて回る「百足衆」は繊細で
緻密な戦いをする無敵武田軍のシンボル扱いされました。
決して後退しない・前進あるのみという点から戦国武将に好まれた、
という説もあります。
4日曜8時の名無しさん:2007/03/10(土) 12:07:49.10 ID:evz1eMel
955 名前:添削ヨロ[] 投稿日:2007/03/09(金) 14:30:06.07 ID:gQ27joYd
●仕官って何ですか?間者としてあちこちに遣わされている勘助では、まだ
  「就職」したことにならないのでしょうか?
○仕官とは、武士が主家に召抱えられ、給料をもらう立場になることです。
昔は、俸禄(お給料)は米でもらったので、禄を食む(ろくをはむ)とも言いました。
主君が「毎年○○石」を米や金であげたり、確実に○○石の収穫が計算できる
土地を与えたりするのが「仕官」というわけです。今の感覚でいうと、正社員です。

合戦のたびに駆り出される兵は、一時的な雇用関係のアルバイトや契約社員の
ようなもので、正規雇用の関係ではありません。
勘助は、これまで主君をもたず戦のおこぼれをもらって食べていたものの、いつかは
軍師として身を立て、名を上げたい。しかしどの戦国大名も家来の数を増やすことは
難しいし、よほどの武功を立てるまでは浪人として、機会をうかがうしかない。

いっぽう「食客」は、契約とは微妙に異なる立ち位置で、特に定められた仕事を要求
される雇用関係ではなくただの居候として小遣い程度の扶持しかもらえないものも
ありますが、追放された信虎や斉藤竜興など、国を追われた元大名が歓迎されて
置いておかれることをいう場合もあり、必ずしも地位が低い人ばかりではありません。
5日曜8時の名無しさん:2007/03/10(土) 12:08:28.23 ID:evz1eMel
956 名前:添削ヨロ [] 投稿日:2007/03/09(金) 14:30:42.74 ID:gQ27joYd
●「花倉の乱」の発端となった今川家の当主・跡継の急死は、ほんとうに福島方による
毒殺だったのでしょうか?

○劇中でも不明となっています。ただし本編第5話でも、福島方はその事件には
全く触れていません。にもかかわらず、武田方も寿桂尼も福島が手を下したものと
確信しています。劇中で福島方による謀殺と思っていないのは、雪斎(何故か第3話で
初出) と梅岳承芳(義元)だけのようです。
ノベライズ小説では、二人が死ぬことが分かっていたかのようにあらかじめ手を売って
いる雪斎・承芳を寿桂尼が疑う場面がありました。 義元を4歳のときから教育していた
雪斎がついにその知略をもって手塩にかけた義元を当主の座につけたとも考えられる
ようになっています。

伊勢氏?─┬北条早雲──氏綱──氏康
..       │ 
..       └─北川殿
            ‖    福島氏
            ‖..     ‖───玄広恵探
            ‖───氏親
         今川義忠    ‖──┬氏輝
                 寿桂尼  │
..                       ├彦五郎
..                       │
..                       └梅岳承芳
6日曜8時の名無しさん:2007/03/10(土) 12:13:30.00 ID:evz1eMel
10 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2007/02/05(月) 10:53:47.34 ID:fsqejn/l
コッペパンてなんですか?

11 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2007/02/05(月) 11:05:21.94 ID:vzeDMx9F
>>10
マジレスすると、
本スレで、
「OPを『コッペパ〜ンたららったらら〜ら〜』
と歌ってしまう、なんでコッペパンなんだろw」
等とレスした某氏がいたから、そこからの引用かと。

29 名前:日曜8時の名無しさん[] 投稿日:2007/02/05(月) 16:59:20.89 ID:gOHJE7xQ
上杉Gacktはいつ出ますか?

32 名前:日曜8時の名無しさん[] 投稿日:2007/02/05(月) 17:41:30.64 ID:fThiOaOT
>>29
1536年(花倉の乱)の時点で謙信(長尾影虎)は六歳で登場は当分先。
NHK公式によれば、上杉Gacktは中盤から登場との事。
(現在未定との事)
ただし、その前に子役などによる幼少期の登場があるかも。

38 名前:日曜8時の名無しさん[] 投稿日:2007/02/05(月) 18:29:39.00 ID:ndx0z0Fq
オープニングの映像でムカデが出ますが、
どんな意味があるのでしょうか?

39 名前:日曜8時の名無しさん[] 投稿日:2007/02/05(月) 18:37:04.46 ID:vv1tpMob
簡単に言っちゃうと、この後信玄が戦場で各部隊に連絡を伝えさせる
伝令将校を「ムカデ衆」とネーミングする、そのムカデ衆の指し物
(背中に背負っている旗)のデザインがあのムカデの絵。たくさんの
足でどんな戦場にも素早く指令を運ぶ、という意味合いでしょう。

それまで各部隊各指揮官がめいめい勝手に戦っていたのを、本陣の
指揮系統にのっとって組織的に動かす傾向を強めたのが信玄時代で、
戦場を駆けめぐり御屋形様の下知を触れて回る「百足衆」は繊細で
緻密な戦いをする無敵武田軍のシンボル扱いされた。

映像で確認なさりたいのなら、大河の「武田信玄」DVDの「川中島
血戦」の回を御覧になると、走り回る絵があって分かりやすいかと。

280 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2007/02/11(日) 22:03:27.50 ID:zzhedwWC
あと日本三大がっかりおっぱい ・星野真理 ・池脇千鶴 ・京野ことみ とは
どうゆう意味ですか
283 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2007/02/11(日) 22:11:51.27 ID:XBLx1nT3
>>280
「ジョゼとなんたら」
「さよならみどりちゃん」
「Takeshi's」
を見て下さい。


7日曜8時の名無しさん:2007/03/10(土) 12:14:00.86 ID:evz1eMel
172 :日曜8時の名無しさん :2007/02/08(木) 08:31:52.63 ID:4l+c6kWZ
┏━━┓
┃掠疾┃
┃如如┃
┃火風┃
┃不徐┃
┃動如┃
┃如林┃
┃山侵┃
┣━━┛



これは誰が考えたの?


173 :日曜8時の名無しさん :2007/02/08(木) 08:57:13.43 ID:X7SmDwYl
>>172
中国の思想家 孫子
軍隊の進め方について説いている。
移動する時は風のようにすばやく、止まる時は林のように静かに、
攻撃する時は火のように激しく、防御する時は山のように
という意味
8日曜8時の名無しさん:2007/03/10(土) 12:16:03.97 ID:evz1eMel
9日曜8時の名無しさん:2007/03/10(土) 12:21:34.51 ID:evz1eMel
書き込みのはやきこと風の如く
他人と会話せざること林の如く
ネットで煽ること火の如く
部屋から動かざること山の如し
       ,ィ                      __
      ,. / |´ ̄`ヽー- 、 ト、        , -‐、/./.- 、
    / | |    ヽ   l l        ( 火◇風 ノ
  /o ̄`ハ._.ゝ===┴=く.ノ- 、      ノ ◇ ◇ (
  /o O / l´ ⌒    ⌒  lo ',ヽ      ( 山◇ 林 }
  \___/. ト、( ●)  (●) ハ  ∧      `⌒/7へ‐´  
 / ,イ   レ::::⌒(__人__)⌒l~T--‐彡    /./      
/ ̄ ̄l.  彡、  |r┬-| ノ'l  l::::::::::彡ー7⌒つ、     
彡:::::::::::l  ト、__ `ー' /|  l::::::::::::ミ  {,_.イニノ   
彡ソ/ノハ   ト、 \  / ,イ  川ハ ヾー‐'^┴
10日曜8時の名無しさん:2007/03/10(土) 12:37:23.85 ID:scMG424J
>>1 乙です
11日曜8時の名無しさん:2007/03/10(土) 13:40:28.77 ID:jLfmqBLs
さっそく質問
ノブトラは、そもそも、どうして長男を嫌って次男を可愛がってたの?
1211:2007/03/10(土) 13:47:06.46 ID:jLfmqBLs
今、劇中でやってたわ。
ノブトラ夫婦って、去年の秀吉と茶々状態なんだ。
13日曜8時の名無しさん:2007/03/10(土) 14:00:43.42 ID:fSMBrTZq
>>1おっ立ておって乙じゃ
14日曜8時の名無しさん:2007/03/10(土) 14:04:26.18 ID:zavgazsk
流れ読まないで質問するけど、
明日から初めて見ても、まだついて行ける?
1511:2007/03/10(土) 14:16:47.82 ID:jLfmqBLs
今、亀本人が答えてくれてるわ(笑)
16日曜8時の名無しさん:2007/03/10(土) 14:39:47.40 ID:evz1eMel
>>14
間に合う これまでは主要登場人物の紹介と、信虎vs父・晴信の対立の説明
明日から、晴信(信玄)が信虎を追放しにかかる
17日曜8時の名無しさん:2007/03/10(土) 14:40:54.80 ID:zavgazsk
>>16
ありがとう、見てみるよ。
18日曜8時の名無しさん:2007/03/10(土) 14:49:45.87 ID:vw92Ukvs
>>12
次男を可愛がる理由にはなってない
19日曜8時の名無しさん:2007/03/10(土) 16:14:17.19 ID:lSm4KO2j
名前:花倉の乱(1536年):信虎追放(1541年)
*大河スタートは信虎弟戦死なので1535年
*戦国時の歳の数え方は数え年(0歳がなく、正月で1歳年をとる)なので気になる方は−1歳しましょう。

山本勘助:35歳 :40歳
武田信玄:15歳 :20歳
三条夫人:15歳 :20歳
武田信虎:42歳 :47歳
禰々:9歳:14歳
大井夫人:39歳 :44歳
武田信繁:11歳 :16歳
板垣信方:?? :??
甘利虎泰:38歳 :43歳
飯富虎昌:32歳 :37歳
飯富源四郎(山県昌景) 7歳:12歳
教来石景政(馬場信春)21歳:26歳
小山田信有:17歳 :22歳
原虎胤:39歳 :44歳
諸角虎定:56歳 :61歳
高坂弾正9歳 :14歳
内藤昌豊14歳 :19歳
真田幸隆:23歳 :28歳

上杉謙信:6歳 :11歳
上杉憲政:13歳 :18歳
今川義元:17歳 :22歳
寿桂尼:46歳? :51歳?
太原雪斎:40歳 :45歳
庵原忠胤:??:??(但し、 太原雪斎の兄なので50歳:55歳くらい?)
朝比奈泰能:39歳 :44歳
北条氏康:21歳 :26歳
北条氏綱:49歳 :54歳
諏訪頼重:20歳 :25歳
由布姫:6歳 ?:11歳?
村上義清:35歳 :41歳
織田信長 :2歳 :7歳
20日曜8時の名無しさん:2007/03/10(土) 16:16:21.71 ID:lSm4KO2j
>>1
乙でがんす。
21日曜8時の名無しさん:2007/03/10(土) 17:16:03.33 ID:HqNS8HIG
>>19
数えの場合は、満年齢プラス1、な!
22日曜8時の名無しさん:2007/03/10(土) 17:30:32.41 ID:BJeBYJUq
簡易年表・・・誰か補足よろしく

1515■北条氏康誕生(博多人形)
1519■今川義元誕生(石田純一の孫の儀父)

1521■武田信玄誕生(カピバラ)

1530■上杉謙信誕生(ガクト)
1534■織田信長誕生
1535■山中湖の戦い 信虎弟・勝沼信友、北条に攻められて戦死 ←大河スタート
1536■花倉の乱
1537■豊臣秀吉誕生 武田晴信、佐久海ノ口へ初陣
1538■武田義信誕生

1540■諏訪頼重、信虎三女(信玄妹)禰々と婚姻
1541■武田信虎追放 北条氏綱死亡
1542■信玄諏訪攻め 諏訪頼重死亡
1543■由衣姫と晴信の婚姻 高遠家と戦争 徳川家康誕生
1544■真田幸隆 武田に仕える
1545■河越の合戦 今川と北条、武田の斡旋で和睦
1546■武田勝頼誕生
1548■上田原の戦い←板垣信方&甘利虎泰死亡

1552■武田義信結婚(今川義元の娘) 砥石城で武田敗北、小山田信有死亡 大井夫人死亡
1553■村上義清追放 第一次川中島(布施の戦い)
1555■第二次川中島(犀川の戦い) 太原雪斎死亡
1557■第三次川中島(上野原の戦い) 朝比奈泰能死亡

1560■桶狭間の戦い←今川義元死亡
1561■第四次川中島(八幡原の戦い)←山本勘助&武田信繁&諸角虎定死亡
1564■第五次川中島(塩崎の対陣) 原虎胤死亡
1565■飯富虎昌死亡
1567■武田義信幽閉
1568■寿桂尼死亡

1570■三条夫人死亡
1571■北条氏康死亡
1573■武田信玄死亡/三方ヶ原の戦い←家康ウンコ漏らす
1574■武田信虎死亡 真田幸隆死亡
1575■長篠の戦い←馬場信春&山県昌景&内藤昌豊死亡
1578■上杉謙信死亡 高坂弾正死亡
23日曜8時の名無しさん:2007/03/10(土) 17:32:08.83 ID:BJeBYJUq
┏━━━━━━━┓ ∧_∧       ∧_∧
┃ 武田二十四将 ┃( ・∀・)ニヤニヤ (・∀・ ) ニャルホド♪
┣━━━━━┯━┻○━○━━━┯∪∪━━━━━━━━━━┯━━━━━━━━━━━━┓
┃甘利虎泰  │あまりとらやす  ...│信虎配下の猛将       .│[1548 享?] (敗死)上田原....┃
┃板垣信方  │いたがきのぶか ...│増長した軍略家        .│[1548 享?] (敗死)上田原....┃
┃横田高松  │よこたたかとし  ...│沈着冷静な横田備中    ..│[1550 享62] (敗死)砥石城....┃
┃武田信繁  │たけだのぶしげ ....│敵からも死を惜しまれた勇将│[1561 享37] (敗死)川中島 ..┃
┃山本勘助  │やまもとかんすけ....│謎多き異彩の軍師     ....│[1561 享?] (敗死)川中島 ..┃
┃小幡虎盛  │おばたとらもり   ..│多数の感状を拝した勇将  │[1561 享71] (病死)      ┃
┃多田満頼  │ただみつより   ...│夜襲の名手         ....│[1563 享62] (病死)      ┃
┃原虎胤   │はらとらたね    .│北条から帰参した猛将    .│[1564 享68] (病死)      ┃
┃飯富虎昌  │おぶまさとら    .│家中随一の宿老       . │[1565 享62] (自害)      ┃
┃真田幸隆  │さなだゆきたか  .│智略に長けた攻め弾正   .│[1574 享62] (病死)      ┃
┃馬場信春  │ばばのぶはる   │不死身の鬼美濃      .....│[1575 享61] (敗死)長篠  ..┃
┃三枝守友  │さえぐさもりとも  ..│奥近習から大出世      │[1575 享38] (敗死)長篠  ..┃
┃真田信綱  │さなだのぶつな   │先鋒隊として活躍     ......│[1575 享39] (敗死)長篠  ..┃
┃土屋昌次  │つちやまさつぐ   .│川中島で信玄を守り抜く   .│[1575 享31] (敗死)長篠  ..┃
┃内藤昌豊  │ないとうまさとよ  .│前線を支えた内政家     .│[1575 享54] (敗死)長篠  ..┃
┃原昌胤   │はらまさたね   ...│信頼厚き陣馬奉行    .......│[1575 享45] (敗死)長篠  ..┃
┃山県昌景  │やまがたまさかげ │諸大名が畏怖した赤備え  │[1575 享47] (敗死)長篠   ┃
┃秋山信友  │あきやまのぶとも ...│知勇兼備の猛牛       . │[1575 享49] (処刑)長良川 ┃
┃高坂昌信  │こうさかまさのぶ . ..│戦術に優れた逃げ弾正   │[1578 享52] (病死)      ┃
┃一条信龍  │いちじょうのぶたつ.│花麗を好んだ伊達者   ......│[1582 享?] (敗死)高遠城....┃
┃小山田信茂│おやまだのぶしげ...│関東平氏を継ぐ名族     .│[1582 享44] (処刑)善光寺....┃
┃武田信廉  │たけだのぶかど  │影武者を務めた文化人  ....│[1582 享51] (処刑)古府中....┃
┃穴山信君  │あなやまのぶきみ .│確かな内政手腕の知将   │[1582 享41] (敗死)木津川....┃
┃小幡昌盛  │おばたまさもり . . . .│父と共に合戦を渡り歩く   │[1582 享49] (病死)      ┃
┗━━━━━┷━━━━━━━━┷━━━━━━━━━━━━┷━━━━━━━━━━━━┛
24日曜8時の名無しさん:2007/03/11(日) 07:18:11.64 ID:K8EpG/20
勘助の悪い方の目って、右目・左目どっちが正しいの?
大河では左目が悪い設定だけど、自分なりに調べた資料では右目の方が
多かったんだけどな・・・。
なにか決定的な資料を基にNHKは左目にしたのかな?
25日曜8時の名無しさん:2007/03/11(日) 11:44:34.79 ID:RBihGwHh
実在自体が疑問視されてるんだから
そんなのどうでもいいじゃん?
26日曜8時の名無しさん:2007/03/11(日) 11:46:56.68 ID:AwWxji1r
内野さんの利き目が右、とか?
27日曜8時の名無しさん:2007/03/11(日) 14:39:08.67 ID:oYMKh0qZ
このころの正室・側室の呼び名ですが、側室はみな「地名+御寮人」でしょうか?
身分の低い側室だと違うのかな。
正室には「夫人」がつくようですが、家臣は奥方様と呼ぶとして、
他国の人、たとえば寿桂尼が信虎の奥さんの話題をするとき
「大井夫人は云々」みたいな言い方をしてたんでしょうか。
28日曜8時の名無しさん:2007/03/11(日) 15:32:04.31 ID:G3YtrZOK
単に信虎室とか信虎正妻とかじゃないの。
29日曜8時の名無しさん:2007/03/11(日) 16:26:34.70 ID:+dIxbE6T
オープニングのクレジットに、撮影協力で福島県とか岩手県と書いてありますが、どの辺で出てくるのでしょうか?
30日曜8時の名無しさん:2007/03/11(日) 16:33:43.04 ID:mCQkkL4F
前スレより

>ねねが嫁いでいく時の輿の中のシーンで、
>胸元に首から下げた巻き物のようなものが見えたのですが、
>あれは何でしょうか?

> 摩利支天

>たしか三条夫人も下げてたと思うけど、
>高貴な女性が旅に出る際
>旅の安全を願って身に着けるお守り袋。
>ねねのは中身がマリ支店かもしれんが。

先回の「勘助討たれる」で武田家の新年の祝いの席上
お正月飾りが三方の上に載っていて、そこにも兜と一緒に円筒形のコレがあったのですが
なんという呼び名なんでしょうか?

31日曜8時の名無しさん:2007/03/11(日) 17:11:07.49 ID:INGpSlmr
>>29
真田が「さて、ここで問題です。わたしはどうやって村上をやっつけたでしょうか」
とクイズを出した川は、北上川らしい。
32日曜8時の名無しさん:2007/03/11(日) 21:00:59.18 ID:Vw0n0RIr
「荻原常陸介」の名前がまた出たんで貼っとく。

195 名前:日曜8時の名無しさん 投稿日:2007/02/09(金) 08:47:11.94 ID:kXn/lHyO
>>193
「荻原昌勝」で調べるといいよ。荻原 常陸介 昌勝。
信虎の祖父、武田信昌から昌の字をもらったとされる名将。
今川との飯田河原の戦いで今川を打ち破る策を与えたなどいわれる。

大河ドラマでも「ドラマが始まる前年(1535年)に亡くなった信虎の軍師」
と勘助の前身として語られてるね。大井夫人が月に例えた軍師。
若い信虎や晴信の教育もしたという。

ちなみに、一説には没年74歳。
生年が怪しいといわれても主君に対してかなり高齢であったのは事実で、
まさに勘助と似てる部分がある。

ただし、資料が甲陽軍鑑しか出てこないから存在を怪しむ声もある一方、
子孫が江戸時代に旗本家で残るから実在してたという説のが強い。
あ、活躍が甲陽軍鑑しかなく、いたかいないか微妙なのも勘助と同じだな。
33日曜8時の名無しさん:2007/03/11(日) 21:19:03.57 ID:Wea5Pyeu
大井夫人が不動明王の前で唱えていたのは、
勝利祈願と安寧や救済祈願のどちらでしょうか?
あるいは、これら以外のものでしょうか?

大井夫人の心境を知りたいので、よろしくお願いします。
34日曜8時の名無しさん:2007/03/11(日) 21:23:09.74 ID:Fk9qMqvQ
前回見逃してしまって、今日いまいち意味が分からなかった(ノД`)・゜。 誰か前回の内容を教えて下さい
35日曜8時の名無しさん:2007/03/11(日) 21:27:19.73 ID:oPBywC6I
>>34
本家も良いけど、ヤフーテレビが見やすいから行ってきなさいw
トップ > ドラマ特集 > 風林火山 > あらすじ
36日曜8時の名無しさん:2007/03/11(日) 21:35:31.81 ID:sYysgE24
今日勘助が荒寺を不法占拠してニートしてた時
お金くれた人は誰?今川何とかしか理解出来なかった
37日曜8時の名無しさん:2007/03/11(日) 21:36:33.72 ID:RpMy13f9
弟1回の桶狭間見逃しました。
それはともかく、今更気付いたんだけど、桶狭間って今放映してる
ときよりずっと後の話じゃないですか。ということは、弟1回ではある程度
先の山場をやっておいて、そこから過去に戻って物語が始まるという
展開なんでしょうか。だとすると、1回目では今よりも成長した晴信や勘助
の姿がみられたのでしょうか。あと、1回目だけ再放送もう1回やって欲しい
んですが誰に言ったらいいですか?
38日曜8時の名無しさん:2007/03/11(日) 21:40:36.20 ID:dYBJcmyP
>>36
庵原之政(武者震いがするのお!の人)。
勘助の大叔父で今川家家臣・庵原忠胤の長男。
39日曜8時の名無しさん:2007/03/11(日) 21:40:50.65 ID:G3YtrZOK
>>37
??
40日曜8時の名無しさん:2007/03/11(日) 21:42:35.75 ID:zcMIQUX7
>>36
庵原之政
今日のラストで勘助に信虎を迎えに行くよう命じた人の子供
花倉の乱のときに勘助と一緒に今川方として闘った
一応勘助とは親戚
41日曜8時の名無しさん:2007/03/11(日) 21:45:46.36 ID:6eXxMa8B
>>38に補足すると、初陣で武者震いしてたとき、一緒にいたのが勘助。
それをふまえて、初陣の家来の面倒見てやって欲しいとか言ってたのだと思われる。
42日曜8時の名無しさん:2007/03/11(日) 21:47:19.08 ID:sYysgE24
>>38
>>40

ありがと
43日曜8時の名無しさん:2007/03/11(日) 21:48:02.72 ID:zcMIQUX7
弟→第?これ打ち間違いってレベルじゃねーぞw
しかも山本勘助が主人公で桶狭間が山場なわけないし

第一話で桶狭間が見たけりゃ功名が辻でも見てろ

>>41
「城攻めは初めて」とは言ってましたが、花倉の乱が初陣かどうかは明言されてないんじゃ?
44日曜8時の名無しさん:2007/03/11(日) 21:53:30.30 ID:sYysgE24
>>41

ようやく武者振るいがするのぅの意味がわかった!
皆様速レスd!
45日曜8時の名無しさん:2007/03/11(日) 22:00:06.33 ID:mf1pHRQy
八重様は出ないのですか?
46日曜8時の名無しさん:2007/03/11(日) 23:23:03.22 ID:gpLAdUkg
弟が乗り込んできたとき、晴信からみて右手側が既に配下で
左手側がこれから自分の下につくよう下令するメンツかな
47日曜8時の名無しさん:2007/03/11(日) 23:26:13.71 ID:zclhOtOa
>>46
弟?小山田でしょ。
48日曜8時の名無しさん:2007/03/11(日) 23:27:09.33 ID:gpLAdUkg
そうか。今週からだからまだよくわかってない。
49日曜8時の名無しさん:2007/03/12(月) 01:04:41.14 ID:3nRK7SKr
訂正

┏━━━━━━━┓ ∧_∧       ∧_∧
┃ 武田二十四将 ┃( ・∀・)ニヤニヤ (・∀・ ) ニャルホド♪
┣━━━━━┯━┻○━○━━━┯∪∪━━━━━━━━━━┯━━━━━━━━━━━━┓
┃甘利虎泰  │あまりとらやす  ...│信虎配下の猛将       .│[1548 享?] (敗死)上田原....┃
┃板垣信方  │いたがきのぶかた...│増長した軍略家        .│[1548 享?] (敗死)上田原....┃
┃横田高松  │よこたたかとし  ...│沈着冷静な横田備中    ..│[1550 享62] (敗死)砥石城....┃
┃武田信繁  │たけだのぶしげ ....│敵からも死を惜しまれた勇将│[1561 享37] (敗死)川中島 ..┃
┃山本勘助  │やまもとかんすけ....│謎多き異彩の軍師     ....│[1561 享?] (敗死)川中島 ..┃
┃小幡虎盛  │おばたとらもり   ..│多数の感状を拝した勇将  │[1561 享71] (病死)      ┃
┃多田満頼  │ただみつより   ...│夜襲の名手         ....│[1563 享62] (病死)      ┃
┃原虎胤   │はらとらたね    .│北条から帰参した猛将    .│[1564 享68] (病死)      ┃
┃飯富虎昌  │おぶまさとら    .│家中随一の宿老       . │[1565 享62] (自害)      ┃
┃真田幸隆  │さなだゆきたか  .│智略に長けた攻め弾正   .│[1574 享62] (病死)      ┃
┃馬場信春  │ばばのぶはる   │不死身の鬼美濃      .....│[1575 享61] (敗死)長篠  ..┃
┃三枝守友  │さえぐさもりとも  ..│奥近習から大出世      │[1575 享38] (敗死)長篠  ..┃
┃真田信綱  │さなだのぶつな   │先鋒隊として活躍     ......│[1575 享39] (敗死)長篠  ..┃
┃土屋昌次  │つちやまさつぐ   .│川中島で信玄を守り抜く   .│[1575 享31] (敗死)長篠  ..┃
┃内藤昌豊  │ないとうまさとよ  .│前線を支えた内政家     .│[1575 享54] (敗死)長篠  ..┃
┃原昌胤   │はらまさたね   ...│信頼厚き陣馬奉行    .......│[1575 享45] (敗死)長篠  ..┃
┃山県昌景  │やまがたまさかげ │諸大名が畏怖した赤備え  │[1575 享47] (敗死)長篠   ┃
┃秋山信友  │あきやまのぶとも ...│知勇兼備の猛牛       . │[1575 享49] (処刑)長良川 ┃
┃高坂昌信  │こうさかまさのぶ . ..│戦術に優れた逃げ弾正   │[1578 享52] (病死)      ┃
┃一条信龍  │いちじょうのぶたつ.│花麗を好んだ伊達者   ......│[1582 享?] (敗死)上野城....┃
┃小山田信茂│おやまだのぶしげ...│関東平氏を継ぐ名族     .│[1582 享44] (処刑)善光寺....┃
┃武田信廉  │たけだのぶかど  │影武者を務めた文化人  ....│[1582 享51] (処刑)古府中....┃
┃穴山信君  │あなやまのぶきみ .│確かな内政手腕の知将   │[1582 享41] (敗死)木津川....┃
┃小幡昌盛  │おばたまさもり . . . .│父と共に合戦を渡り歩く   │[1582 享49] (病死)      ┃
┗━━━━━┷━━━━━━━━┷━━━━━━━━━━━━┷━━━━━━━━━━━━┛

※×一条信龍は高遠城にて戦死
  ○一条信龍は甲斐上野城にて戦死
50日曜8時の名無しさん:2007/03/12(月) 01:44:28.36 ID:DHbDYmOa
武田の会議みたいなのに晴信が参加しないのはなぜ?
もう用無し認定されたから?
51日曜8時の名無しさん:2007/03/12(月) 02:25:39.37 ID:UhtCqoUr
今回名前が出てきた「大井」は、
海ノ口の援軍に来ていた平賀の婿殿ですか?
52日曜8時の名無しさん:2007/03/12(月) 02:56:58.13 ID:DXSkkIVa
>>48
弟は、諸角の隣に座ってた人。
53日曜8時の名無しさん:2007/03/12(月) 05:34:32.34 ID:3gGcHB+O
勘助が道中で幸隆に謝ってましたが
最初は5年前の晴信に負けたこと謝ってるのかと思ったら
直ぐに幸隆が「うぬぼれるな!」とか言って
今回の戦に参加しなかったことを言ってたような気がしたのですが
あの勘助の謝罪はなんに対してのものだったんでしょうか?
54日曜8時の名無しさん:2007/03/12(月) 06:05:37.53 ID:tpHy4VXc
>>53
慌てて駆けつけるも既に真田が敗れたあとだったから、と考えるのが普通でしょう
勘助にはほかにもいろんな思いがあるんでしょうけど
55日曜8時の名無しさん:2007/03/12(月) 06:10:17.73 ID:tpHy4VXc
>>50
数回前に、元服したのに嫡男である晴信は評定(つまり会議)の場に呼ばれない、というやりとりがある
つまり晴信はずっと評定には呼ばれていない。
56日曜8時の名無しさん:2007/03/12(月) 08:40:06.09 ID:wvGTWTqO
>>53
「そちがいれば真田の城は落ちなかったと申すか、うぬぼれるな!」

が全文だと思ったので、
軍師一人で戦争の勝ち負けが決まると思ったら傲慢だぞ!って意味でしょ。
で、勘助自身が傲慢だなぁと思ったので「申し訳ござらん」と言ったと。

ガンダムのウッディの「ガンダム一機で戦争の勝ち負けが決まると思うな!」に似てるというレスも。
57日曜8時の名無しさん:2007/03/12(月) 09:59:15.98 ID:dSblq5vi
これって何話まであるんですか?
58日曜8時の名無しさん:2007/03/12(月) 10:47:04.52 ID:+mtpzcAF
>>57
公式サイトも見れないほどアホなのか?
59日曜8時の名無しさん:2007/03/12(月) 11:01:07.87 ID:nTb33Yx7
>>53
5年前、海の口城に触覚と遣わせた時に
幸隆が「必ずもどってこいよ」といったが
まずはそのことに対しての謝罪じゃないかと思った。
加えて、あの時真田の元へ戻っていれば
今回の陥落はなかったという意味なんじゃないのかと。
60日曜8時の名無しさん:2007/03/12(月) 11:09:27.57 ID:jl8m22jD
>>53
原シナリオでは

「そちがおれば、村上・武田の軍勢に勝てたと申すのか。うぬぼれるな。
 そちに『戻れ』と言うたことなど、今の今まで忘れておったわ。
 …義理堅いの、そちは…」

とあります。勘助を気遣っての言葉なのですね。
61日曜8時の名無しさん:2007/03/12(月) 12:12:34.36 ID:jl8m22jD
>>36
ちと長くなるよ。覚悟して。

あの<武者震い>庵原之政の父親が今川の重臣・庵原忠胤。<ツチノコ
研究家>石橋蓮司が演じている。この人は勘助の母親の叔父さんで、
子供の頃の勘助が出家させられそうになった時も、自分の弟のいる
建仁寺に預けるのを勧めたことがある。(ちなみにその「弟」というのが
デスラー伊武雪斎!)

今川の重臣でありながら、福島に仕えてしまった義弟の山本家が没落して
行くのを救うことが出来ず、さらに勘助が兄と武田の内通を知らせに
駿河にやってきた時にも既に今川では緘口令が引かれていた事もあって
勘助の動きを抑えるしかなく、 その後も勘助を今川に仕官させてやる
ことができず、結果的に浪人の身に落としたままにしていることを内心
すまなく思っている、というのが今回の息子と勘助の会話。

だからせめて生活に困らないようにと色々口実を設けては勘助の収入に
なるようなアルバイト仕事を回してやっている。勘助が武田に仕官すると
なれば、彼らとも別れがやってくるわけで、さてドラマではどう描くか。
62日曜8時の名無しさん:2007/03/12(月) 12:47:23.04 ID:AowUcqkv
武田に仕官したあとも、駿河に出向いたときに会うんだけどね。
63日曜8時の名無しさん:2007/03/12(月) 16:25:16.86 ID:2NbcRjbM
>>59
既に海ノ口から5年も経ってたのか・・
64日曜8時の名無しさん:2007/03/12(月) 16:37:56.79 ID:fXm0zHfX
現在の武田家や信濃の有力豪族達の保有兵力数ってどれぐらいになってるん
でしょうか?
65日曜8時の名無しさん:2007/03/12(月) 19:10:28.63 ID:OpUPokxK
>>63
今回の大河は時間経過の解説が不親切だと思う
前回なんて話中に海ノ口攻めと頼重婚姻の間で3年が経過してるのに
年号をナレーションで入れるだけでどれだけの時間が経過したのか解説してない
66日曜8時の名無しさん:2007/03/12(月) 20:43:29.92 ID:zeVxlLdX
>>65
たしかに、何年経ったかはわからんかったが、
晴信の子の成長具合見れば、数年経過したんだなということは、すぐわかったぞ。
67日曜8時の名無しさん:2007/03/12(月) 21:12:21.40 ID:5XhYFAb9
武田信虎は上洛するのが目標だったのでしょうか?
どうして上洛したかったのでしょうか?
68日曜8時の名無しさん:2007/03/12(月) 23:08:09.21 ID:ht5gvFv0
小山田の立場と、軍議での席順が合わない気がするのだけどどういうこと?
「別格」なんでしょ? 教えてエロイ人。
69日曜8時の名無しさん:2007/03/12(月) 23:09:43.74 ID:em9X/e0E
>>67 上洛自体その発想はなかったでしょう。
とにかく自分の領地を守る→敵が浸入してくるのを防ぐ→その前に敵になり得る者を攻める
→とにかく自分の領地を守る

のループだったのでは。
70日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 00:57:23.20 ID:cGGVoajY
すいません 前にも出たようだが女性の名前〜子がつく人は高い位の女性?そもそも三条夫人など名前が幼名しか無く今現在その幼名すら伝わって無いみたいな感じなのかなあ?教えてください
71日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 01:37:34.78 ID:ncjGYXw2
>>69
信虎は上洛志向だったはず
今川にちょっかいかけてたのも、上洛のためだったし
信長が上洛した後、信玄に「お前も早く上洛しろコラ」的な
手紙も出してるし。

>>68
評定を「グループ会社の会議」と考えると

信虎:グループの長
板垣、甘利:本社の重役
小山田:子会社の社長

だから、あの席次なんじゃねか
72日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 02:43:19.96 ID:00FAfcEY
>>70
当時、名前はみだりに呼ぶものではない、という考えだったので
男性に比べ表に出ることの少ない女性の名前は伝わってないことが多いです(特に武田のように滅亡した大名の女性は)
三条夫人の名前は不明ですが、さすがに名前はあったはずです
貴族の娘では○子という名前が一般的なので、左大臣の娘である三条夫人もそういった名前の可能性はあります
〜子がつく人は高い位の女性、というのは時代劇においては正しいと思って問題ないでしょう

あと、武家の女性では「瀬名姫(今川義元の妹)」「帰蝶(斉藤道三の娘)」などがあるので
○子と決まっていたわけではなさそうです
73日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 04:55:18.92 ID:AeXxj9Yg
板垣甘利飯富
この三人は一心同体みたいなこと言ってたけど、特別な関係があるんですか?
74日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 05:12:55.48 ID:+24bnurc
武田四天王
75日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 05:18:31.41 ID:s6spyoeX
>>73
三人ともに甲斐源氏の庶流らしい。


76日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 05:47:21.96 ID:NtlXQAt3
アーッ!
77日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 06:38:31.16 ID:dwURoqLR
>>33
平賀夫妻も唱えてたよね、あっしも気になったんで調べてみた
唱えているのは不動明王の御真言の一番短い
のうまく さんまんだばざらだん かん (あまねき金剛尊に帰命したてまつる。ハーン)

御真言自体の意味が分からずとも唱える事で仏と通ずる事ができる
ってのが真言宗だったと思うから真言の意味からってのはなかなか難しいかも
でもお不動さんなんで、どうぞ迷いや障害、苦難を断ち切りたまえ
みたいな感じだろうね

78日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 06:45:52.01 ID:pvx3sKd9
優しい方教えて下さい。
武田信玄は城を作らなかった。と聞きますが、何故作らなかったのでしょうか。よろしくお願いします。
79日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 07:05:04.30 ID:HLYyJb8v
OPの着うたフルどこかないかなぁ?
配信なさそうだけどあったら教えて下さい
80日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 07:35:39.76 ID:blpjrEO0
>>78
幾つか説がありますが、
・城を作って攻められるような状態になっては負けという思想
(いちばんメジャーな人は城〜ってやつです)
・甲府は京都を模して作られた町なので最初から城は想定してない。
(すくなくとも躑躅崎館を作った信虎はこの考えだったらしい)
・国人領主連合体のような武田家で城を作ってほかの国人に不信感を与えないため。

こんなところでしょうか。
8179:2007/03/13(火) 07:40:34.71 ID:HLYyJb8v
絞り込みでハケーンしました
82日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 08:01:03.57 ID:BY74oFEH
信虎のセリフに出てきた「おぎわらひたちのすけ」とはどんな人物?
83日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 08:02:25.04 ID:BY74oFEH
「ひたちのすけ」はガイシュツでした。スマソ
84日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 08:20:51.66 ID:1xpE5Z3R
>>77
どうでもいい豆知識。
信玄といえば不動明王を信仰したことが有名だが、
ドラマでも使用される、恵林寺の不動明王像。
これは、信玄と等身大に作られたと言われている。
さらに、不動明王像の胸毛は、信玄本人の胸毛を切って、貼り付けたといわれている。
85日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 08:26:36.03 ID:drb1QCT5
戦国時代期(1500〜1600年)の主な世界情勢を教えてください。
誰それがこんな国を治めてたとか、こんな芸術家・天才がいたとか。
86日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 08:30:47.54 ID:+24bnurc
>>78
城は作ってますよ。躑躅が崎の館の裏にあるそうです。

城を作らないというのは多分、後世の創作でしょうね。
勝頼が新府城をつくって財政を逼迫させた事を揶揄しているのかもしれませんね。
87日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 08:47:14.06 ID:wV4qCo2r
>>86
信玄生誕の地とされる「要害山」(要害山城)ね。
あそこは、攻められたときに移動する城で「予備の城」というべきところだから微妙。

そもそも躑躅ヶ崎館自体が曲輪や馬出を持つ「城のような館」というべき存在だからな。

信玄が「主城を持たなかった」という表現は意味の取り方によるな。
88日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 09:21:15.92 ID:qMOjQQwg
躑躅は平時の居館で、要害山はもしもの備えという認識でいいよね。
すごく理に叶ってる方法のような気がする。信玄もヤバイと思えば勝頼
のようにもっと頑丈な城をこさえたろうけど、ヤバクならないような
領国経営をしていたから、ってだけの気がする。
89日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 10:09:40.42 ID:fwH1T5ps
>>72
帰蝶も説のひとつにすぎない。
本名は不明
90日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 10:56:04.71 ID:ZmzGDeFy
>78
信玄は日本初の水洗便所を作った御仁です!!

トリビアですが・・
91日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 11:33:11.53 ID:Sj5MoBzp
そして便所が書斎がわりだった。

信玄は俺か。
92日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 13:34:24.79 ID:YEbV4o/s
便所と言っても槍で壁を突いても中まで届かない広〜い部屋だからなあ。
しかも温泉水洗便所。中には貴重な本がどっさり。

そんな広い便所、俺の家の中には作るスペースもない。
93日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 13:50:06.54 ID:3RuxD0NS
>>85
簡単にいえば、現在の中国は明王朝が治め
16世紀初頭にはポルトガルがゴア、マラッカを占領
16世紀半ばにイギリスのエリザベス一世が即位。
インカ帝国が滅びる等々。
この時代の著名な人の活躍ではコペルニクスの地動説。
マゼランの世界周航、ルターの宗教革命等。

こんな感じに近くにあった辞書には載っていた。
94日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 14:13:17.43 ID:LndK5bJR
>>85
いくらなんでも甘えすぎ。例えば今の世界情勢を教えろと言われて教える気になるか?

質問スレなので質問自体は問題ないが、まず自分で出来ることは自分でやる、質問は
わかりやすく具体的に、などの礼儀はあってしかるべき。
95日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 14:28:56.62 ID:00FAfcEY
そもそも85の質問はドラマと全く関係ないじゃん
96日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 17:39:44.34 ID:ME6vn9hj
質問です。既出ならスルーしてください。

三条夫人は晴信を「さん」付けで呼んでいますが、「さん」という敬称はこの時代の宮中の人々の間では
一般的だったのでしょうか。それとも、公家の生まれであるというキャラ付けのために劇中ではそういう
言葉遣いになっているだけなのでしょうか。
97日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 18:03:48.23 ID:ZMhZ/wlV
関西は今でも「さん」を多用してるけど
98日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 18:21:14.85 ID:HeEpa1jJ
質問です

前々回の、海野口城と今回地図で出た海野城は何か関係あるの?

また放置した海野口は、その後どうなったんでしょうか?
99日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 18:29:58.66 ID:ly9qmXW+
お豆さんとかお稲荷さんとか言ってるね。
100日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 18:52:50.47 ID:hYTKjYVj
>>86
なるほど・・・
信玄と勝頼を比較する文脈で云われた言葉と考えると、その意味するところがよくわかりますね
織田の侵攻を意識して新府城を造った勝頼に対して、信玄は偉かった…本拠地を攻められるような心配はなかったのに、ということでしょうか
額面通りに受け取って、信玄が一切城を築かなかったとか考えちゃいかんわな
付け加えれば、躑躅が崎館は城
信玄時代にかなり強化されているようです
101日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 18:57:59.78 ID:9o4LGtqj
>>100
逆に考えれば、信玄時代は大規模な城を築ける地盤が無かったとも言える。
所詮国人連合の盟主な訳で、多大な負担となる築城が困難だったのでは?
勝頼時代になって戦国大名としての地盤が固まり新府城を築城したと。
でも実際はそれ程強固な地盤でもなく、長篠後は離反者続出に・・・
102日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 19:14:58.37 ID:OBV8556l
関西では、ちょっと昔は「殿様」というのも「殿さん」といっていたようだ。
103日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 20:29:43.39 ID:OBnY8mGA
今上さん
104日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 21:19:01.40 ID:hYTKjYVj
>>101
築城するだけの経済的社会的基盤がなかったとするのは、いくら何でも考えすぎでしょう
ただし、城下の町割り等、広い意味で言えば、当たっている部分もあるかもしれません
それと、私は信玄は勝頼と較べて偉かったと主張しているわけではありません
それは、信玄は城を造らなかったという俗説が流布した理由を考える過程で、その言葉を発した人の見解を推察したものです
その点、誤解の無いように
105日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 23:24:55.89 ID:VIVkmbhu
>>96
そもそも「さん」は「様」が訛った言葉らしい。京訛りかどうかは分からないけど。
ちなみに「殿」が訛った言葉が、昔話に良く出て来る「どん」。

晴信さん=晴信様(目上の人への敬称)
晴信どん=晴信殿(目下の人への敬称)

うろ覚えなので、間違ってたらスマソ。
106日曜8時の名無しさん:2007/03/13(火) 23:51:45.90 ID:ly9qmXW+
ほーなるほどね。
107日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 00:10:12.45 ID:Cf539KoA
>>105
>>96です。レスありがとう。
OPのスタッフロールで「御所言葉指導」(うろ覚え)という人がいるようなので、
当時の禁裏で話されていた言葉についての資料があるのかと思っていたのですが、
それっぽさを出すための演出と考えたほうがいいのかな。
劇中で「〜さん」と聞くと、個人的になんだかすごく現代的な感じがしてしまうので
質問させていただきました。

>ちなみに「殿」が訛った言葉が、昔話に良く出て来る「どん」。
これは知らなかった!w
108日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 00:16:42.61 ID:4NLjQak/
>>77
密教に対する勝手なイメージで、
もしかして、晴信の必勝祈願してる?と思ったのですが、

真言の内容からは、
自らの心の整理をするため
あるいは、
父追放という罪を背負う晴信が、今後出会うであろう困難に対して
唱えている場合もあるということでしょうか。

予告に、大井夫人のセリフもあったので、
彼女の心境にも注意して観ようと思います。

ご回答、ありがとうございました。
109日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 00:20:42.29 ID:Cf539KoA
>>107に事故レス
>当時の禁裏で話されていた
というのは自分で書いといてちょっと違和感あるので、
>今よりも古い時代(江戸〜明治初期くらい)に禁裏で
と訂正
110日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 06:45:26.77 ID:WG3SvOCv
何故 信玄は城を作らなかったのですか?
と 質問した者(78)です。
みなさん、丁寧に教えていただきありがとうございました。みなさん、教えて貰え嬉しかったです。
いろんな説があるのですね。勉強になりました。
また質問させていただく事もあると思いますがよろしくお願いします。
111日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 08:46:10.62 ID:Fz2yaXyF
ゲームでもつつじがさき館は作りがショボイ。
112日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 10:17:08.98 ID:ZgDErzYo
ドラマでは「府中」、原作では「古府」となっています。
wikiでは、1519年に「甲府」となっています。
実際は、どうなのでしょうか?
113日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 11:29:05.82 ID:BIaAo09a
質問ですが、何千人もいる兵達の
鎧(よろい)、兜(かぶと)はどうやって調達したのでしょうか?
専門の職人さんが作っているのですか?材料は?
114日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 11:40:42.52 ID:ALxJaXnR
>>92
>そんな広い便所、俺の家の中には作るスペースもない。

発想の転換だよ。
自分の部屋を便所にすればいい。
115日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 11:54:26.60 ID:G8dEVo+r
>>112
甲斐府中=甲府
駿河府中=駿府
長門府中=長府
周防府中=防府
他にもあるかもしれんがあとシラネ。

府中とは今で言う県庁所在地。国衙のあった場所。
甲府が何故古府中というかと言うと、勝頼が韮崎に新しい府中(新府)を
1582年に築いたから。正確には新府が機能する前に滅亡したので
消滅したが。だから1582年以降、甲府を新府に対して古府中と呼ぶ。

よって、原作の設定年代の人物達には古府中なんぞ存在しない。
原作者が現代目線で甲府を古府中と呼ぶのはアリだろうけど。


116日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 12:05:01.32 ID:ZgDErzYo
>>115
早速のご回答、有難うございました。勉強になりました。
地名は、年代によって呼び名や表記が変わるので本当に難しいです。

そう言えば、現在でも東京都府中市と広島県府中市とありますね。
117日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 13:24:49.52 ID:G3YW2Cic
広島県には府中市と府中町がある。
長年の疑問が今氷解しました。安芸と備後の府中だったのか。
118日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 13:41:29.01 ID:scccs2qX
>>113
兜を被る様な香具師のは職人が作るとしても、
雑兵の鎧はリサイクルが中心じゃね?

ドラマだと絵面が悪いから、統一するだろうが、現実は
落ち武者や戦死者から剥いだ物を着けてたんだとオモ

軍隊が兵隊に装備品を支給するようになったのは
いつごろなんだろう?

織田徳川間では、貢物としての馬鎧数百とかあったよな?
119日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 15:58:45.14 ID:97qX6OyH
>>115-117

町名変更ブームのお陰で、現在の山梨県は「甲斐市」「甲州市」
「甲府市」「山梨市」というどこが県庁所在地かわからない
名前のオンパレードです。
それも「南アルプス市」のインパクトが大きすぎて隠れ気味ですが。
120日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 16:24:16.92 ID:Akyd078y
>>113
戦国時代の足軽の陣笠は菅や竹編みに紙を張ってを漆を塗ったものや革製のもの
が多かった。江戸時代に入ってから鉄製のものが使われ始めたそうだ。
今日、たまたま本屋で見つけて買った本の受け売りなんだが、足軽の実状がイラ
ストを織り交ぜながら紹介されていて面白い。詳しくは下記
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31840747
121日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 16:41:05.85 ID:ALxJaXnR
>>117
映画「仁義なき戦い・代理戦争」で、
「こいつのオヤジも府中の方の極道で、、」というせりふがあるが、
どっちの府中か、おそらく備後府中とは思うが。
122日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 16:45:12.19 ID:z+Y7zO6s
そうすると武蔵国の府中は甲州街道沿いの府中?
地理的にかなり南西に寄ってるね。
123日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 16:47:10.02 ID:64P2WP53
>>120
大好きなミリタリーイラストの上田信先生が絵を描いているずら
さっそく注文するでごいす
124日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 16:54:26.81 ID:G3YW2Cic
>>119
武田信玄が苦労したのもわかるわ。
ほっときゃすぐに群雄割拠しそうw
125日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 16:59:19.61 ID:Akyd078y
>>123
最近発行された本だから本屋に置いてあると思うよ。
もし通販を使うなら、この本も上田先生がイラストを担当しているので
買ってみては?
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31430195
126日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 17:06:19.84 ID:8A946JcH
ふちゅ〜ってそういう意味だったのか。ふちゅ〜
大阪にも和泉府中があるでな。
127日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 17:16:44.09 ID:ybeL6Vsp
>>122
今の都心なんて、江戸以前では海か大規模な湿地帯だったからね
江戸城なんて最初は単なる出城みたいなもんだし

その点今の府中は鎌倉までの街道があるし、交通の要衝といった意味合いもある
今の地理を昔にそのまま当てはめちゃうのはいけないってこと
128日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 17:22:32.07 ID:z+Y7zO6s
いや、交通の要衝という点では本来なら川越あたりが
地理的に妥当だったんじゃないかと思ったんだけどね。
街道が四方八方に広がるいわゆる衝地でしょ。
平安時代頃はまだ発展してなかったかな。
129日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 18:11:40.16 ID:rCE44P5e
えらい人は鎧兜も都の有名な職人とかに頼むんだろうけど
借り出された百姓とかだと大変だろうな。
130日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 18:14:46.40 ID:NisrWB7h
鎧兜職人さんたちは
「最近戦くすなくね?」とか「戦キター」とか言ってたんだろうか。
131日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 18:56:49.66 ID:ZgDErzYo
>>130
「もしも風林火山の時代に2chがあったら」スレにパクって投下したずら。
申し訳ねぇでごいす
132日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 19:47:31.23 ID:H0TG/Ssi
>>119 中央市も入れとくれー
133日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 22:40:32.54 ID:neybuqxY
質問します。
なぜ、信虎さんは諏訪や今川さんとこに行くのに馬乗ってるのですか?

かごはなかったの?
134日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 22:51:31.61 ID:P1IU+x/I
かごって江戸時代じゃないの
135日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 22:58:26.50 ID:KP2kEh3z
>>133
籠は公家や女性が乗るものって意識じゃなかったのかな?
でも、戦国時代の武将で足が悪くて籠に乗って合戦をした武将は居る事はいます。
136日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 23:02:09.41 ID:neybuqxY
>>135さん

諏訪さんところに行くのに雨でカッパ着てて
なんか???だったのです。
137日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 23:03:19.20 ID:5cyT3Q6c
籠じゃなくて「輿」だと思うんだけど・・・
138日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 23:15:36.00 ID:cMMJdE3B
>>113ですが、回答有難うございます<(_ _)>
>>120さん、本の紹介有難うございます。
139日曜8時の名無しさん:2007/03/14(水) 23:16:42.18 ID:VVHYmppg
>133
輿……ってことで一応レス。
輿はハッキリ言って乗り心地も悪いし、乗っている人の疲労も大きい。
休憩も何回も取らなければならないし、不便この上ない。

馬に慣れていたら誰でも馬を選ぶってことで。
140日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 01:11:45.93 ID:hPcSxLCp
半身不随の雷神立花道雪や盲将大谷吉継なんかが輿に乗ってたけど
足萎えの軍師黒田官兵衛って馬乗れたんかいな

今思いついたんだけど山本勘助の足萎え説って黒田から来てるのかな
でなきゃ孫濱とか あれか海賊だったら片目眼帯で片足は義足、片手は
鉤爪の義手じゃなきゃだめだろみたいな
141日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 01:19:25.90 ID:Ov3Rm2g5
上杉謙信なんてのはどうだろうね
謙信は1559年の上洛の折に、将軍家から塗輿の使用を許可されたそうだ
謙信って、そういうの好きそうだよな・・・あるいは(笑)
142日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 01:21:23.36 ID:InKmn9/o
>>72
「瀬名姫」や「帰蝶姫」は、いずれも幼名や通称名に当たるようなもの。
平安中期以降、女子の諱(正式な名前)は原則として「〜子」が普通になるが、
中近世の場合、女子で諱が必ず必要になるのは宮中に仕える場合や、朝廷から
官位を貰うような場合に限られてしまうので、上記のような人物の場合、
そもそも諱がないケースが多い。
なお男子の場合、武士以上の身分の者なら元服の際に諱を名乗るのが普通だが、
男子でも農民以下の階層では諱がないことのほうが普通。

あと、瀬名姫(築山殿)は今川義元の妹ではなく姪。
「瀬名」というのは、彼女の父親の関口親永の実家である瀬名氏の苗字に
由来する通称と考えられる。
瀬名氏は今川氏の有力な一族で、南北朝期の今川貞世(了俊)の男系子孫に
当たる。
143日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 01:34:20.95 ID:InKmn9/o
>>142補足
女子で低い身分から成り上がった人物の場合、元々は諱などなかったけれども
朝廷から官位を貰う立場になった段階で初めて諱を名乗ったなんてケースも
結構ある。
豊臣秀吉の正室(高台院)の「吉子」や徳川綱吉の生母(桂昌院)の「光子」は
明らかにこのような例に該当している。
またこの時期の女子の諱で、必要になったから便宜的に付けたものの中には、
父親や夫の諱の一字と「子」を組み合わせただけという単純なものも多く、
前記の「吉子」(秀吉の「吉」)や「光子」(家光の「光」)などもこれに
該当している。
144日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 01:45:06.26 ID:InKmn9/o
>>105
訛ったでも間違いではないが、もう少し厳密にいうと音便化というものだな。
中世以降の日本語では単語の語中や語尾の発音が簡略化される現象が見られ、
これを音便化という。
音便には、母音が脱落する促音便・撥音便と、子音が脱落するイ音便・ウ音便が
あり、「さま→さん」や「どの→どん」は撥音便化といえる。

>>107
「〜さん」は近世の御所言葉としてはかなり一般的な部類だと思う。
また近世の御所言葉では、「〜さま」というよりも、敢えて「〜さん」といった
ほうのが、より敬意が込められていると認識されていたらしいという説も
聞いたことがあるが、この辺は専門外なので真偽は知らない。
145日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 01:53:14.03 ID:THAz0Ymi
>>143
> 豊臣秀吉の正室(高台院)の「吉子」

てことは、「きちこ」じゃなくて「よしこ」なんだぁ。
ん?「寧子」ではなかったの?
146日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 02:00:17.90 ID:InKmn9/o
>>115
甲斐の場合がこれに該当するかは分からないのだが、全国各地に存在する
「古府」の地名については、元々は「国府(こふ)」だったものに、
「いにしえの府」という意味が加わって「古府」の字が当てられるように
なったケースもあるらしい。
なお「古府」「国府」は、現代発音では「こう」(旧仮名表記なら「こふ」)に
なる場合も多く、神奈川県の国府津、千葉県の国府台、愛知県の国府宮などの
地名はこれに由来する。

>>122
武蔵の国府は、古代に律令制による国郡制が発足した当初の頃は、現在の
埼玉県深谷あたりにあったと言われているが、奈良時代末期の770年に
武蔵国が東山道から東海道へ移管された際に、現在地に移ったとされる。
147日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 02:03:41.52 ID:St+LX5Sd
>>144朝臣?だっけ あすおみをあそみって省略したのか?メアドみたいに
148日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 02:12:39.89 ID:InKmn9/o
>>145
「寧子」というのは当方は知らない。
ただ「吉子」の名前で朝廷から官位を貰っていることは事実。
あと諱は原則として訓読みなので、「きちこ」のように重箱読みで読むことは
普通はない。
高倉天皇中宮の平徳子(建礼門院)や足利尊氏正室の北条(赤橋)登子の場合、
「とくこ」「とうこ」のような読みが一般に通用しているが、これはあくまで
後世の軍記物や小説なんかが勝手につけた読みであり、本当の読み方は
分からないというのが真相。
149日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 02:22:30.46 ID:InKmn9/o
>>147
それは音便化とは違う。
音便化が起こるのは平安期以降だが、それとは別に古代日本語においては、
母音が連続する場合には、発音上その連続する母音が融合して一つの短母音に
なってしまうことがあった。
例えば、「たかいち(高市)→たけち」とか「ながあめ(長雨)→ながめ」の
ようなパターン。

なお和歌の字余りについても、本来的にはそれぞれの句中において、母音が
連続する発音になっている箇所がある場合に限られていた。
なおこの字余りのルールは、鎌倉期くらいまでの和歌では、ほぼ完全に
守られているが、それ以降になると母音が連続していないのに字余りが起こる
ケースが出てくるようになる。
150日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 03:17:08.69 ID:p48g+8Um
>>149
「〜といふ」→「〜てふ」
「〜といへり」→「〜てへり」
なんかも、母音連続が融合して中間音の単母音化した例だな。
151日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 04:08:49.83 ID:lU9911zU
今週カンスケが立ち聞きした会話してた2人って誰と誰だった?
一人はオブジョイトイっぽかったが…

まだあんまり顔覚えてない。
152日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 04:24:51.53 ID:68/vd71Z
>>151
飯富虎昌と教来石景政
153日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 05:37:04.57 ID:HlPHMRT9
現在ドラマに登場している武田の諸将で、のちのち
畳の上で死ねた人と、そうじゃなかった人とを分別してくらはい。
154日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 06:35:23.05 ID:DZd1fSeT
すみません、教えて下さい!
田辺誠一がやってる家臣は、他の家臣達よりエラそうにしてますが別格なのでしょうか?
155日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 11:15:26.69 ID:St+LX5Sd
>>149>>150ありがとうござる では以前に〜子が高い位の人というのはだいたい正解なのかな 昭和初期くらいでも〜子は金持ちがつけたと聞いた事がありますが
156日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 11:30:10.53 ID:aXyk1dkE
田辺がやっている小山田は元々甲斐の郡内地方を治める有力豪族で、
純粋な家臣と言うよりは同盟者。
武田家を始め重臣の板垣・甘利・飯富は源氏の血筋、
小山田は平氏の血筋という違いもある。
現代風に言えば武田商事の重役が板垣ら、
武田商事が筆頭株主である小山田物産の社長が小山田、という感じ。
157日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 11:38:24.03 ID:4bxRELli
>>153
ネタバレは遠慮汁

>>154
>>71

次スレから、>>156もテンプレに欲しいな。
158日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 11:45:38.60 ID:NK7R/PxU
>>157
というか、小山田については前スレでテンプレもできていたけど、
「一国の主ってのは言いすぎ」みたいなクレームが入って没になった。

957 名前:添削ヨロ 投稿日:2007/03/09(金) 14:31:31.35 ID:gQ27joYd
●小山田が郡内領主と言われていましたが、どういうものですか?
板垣など、他の家臣とはどう違うのでしょう。

○小山田氏は桓武平氏の流れを組む名門で、武田が内紛で弱体化していた
戦国初期には、甲斐国東南の「都留郡」「郡内」を収める統領として「郡内守護」を
自称していました。郡内は地形的、政治的に甲斐とは別の国と言っていい状況に
あり、信濃の小笠原、駿河の今川らのような「一国の主」だったわけです。

板垣、飯富、甘利らも自分の土地を持ついわば貴族領主ですが、政治的に
武田を自分たちの上にある国主として仰ぎ、税を差し出しています。
しかし信虎が14歳の時に国主の後継争いに勝ってその勢いで小山田領に
攻め込んだ時、小山田は信虎に税を差し出すいわれのない「隣国の国主」と
して国家間戦争を戦ったわけです。そして痛み分けのような形で信虎が
妹を嫁に出す形で甲斐国と都留国の「同盟」が結ばれた形になりました。
この相手が今ドラマに出ている小山田の、父親にあたる越中守信有です。

以後信虎の中央集権化にともない、本人は自国の郡内を離れていわば江戸
時代の参勤交代のように甲府に住まわされ、税も取り立てられる家臣に
近い位置にねじ伏せられますが、信虎も小山田の格式を立てて他の「部下」
とは別格の扱いをしていました。ドラマでの田辺小山田の発言はそういう
状況を付かず離れずうまく泳ぎきっている小山田勢のプライドと屈折の
表れと見てよいでしょう。
ドラマでは板垣や甘利より下座に位置していますが、この時小山田信有は17歳
(1536年当時)。 若輩もいいところなので、下座でもおかしくないと言われています
159日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 11:45:52.81 ID:aXyk1dkE
>>153
ネタバレになりそうなので直接の名前は避けるが、
現時点で登場している人物の中では2名のみかな<畳の上で大往生

戦場での傷が元で屋敷内で死亡とか自害とかを含めれば更に2名増えるけど。
160日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 12:24:03.81 ID:XPc5N4zw
>>153
49をみろ
161日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 14:48:00.15 ID:DF8n4iHD
「武田武士の系譜」という本を持ってるので
ほとんどの人物の没年がわかってしまうのだけれど、
(歴史ヲタとは別に)
貴一信玄を見てて記憶力の良い人々も同様だな。
162日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 15:33:05.63 ID:CcgiLoWw
>>155
近代の女性名における「〜子」は、名前に付く接尾辞のような側面もある。
例えば明治・大正期の女学校の生徒の名簿なんかを見ると、学校によって、
全員の名前に「〜子」を付けて統一していたり、逆に全員の名前から「〜子」を
除いたものに統一していたりする(実際の戸籍名に関わらず)。

あと明治後半期以降なら、さほど身分の高くない人でも名前に「〜子」をつける
ことは結構あると思う(近代には諱と通称名の区別が曖昧になるのもあって)。
大正初年生まれの私の祖母(実家は下級士族の家)の名前にも「〜子」がつくし。
163日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 15:53:24.24 ID:HlPHMRT9
昔の中国の偉い人にも孔子、孟子、老子、荘子…
と子のつく人が多いけど、それと何か関係ありますか。
164日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 16:37:32.47 ID:IXI3n6EZ
子とはもともと子爵の意味、それが敬意を表す言葉になった、殿や様と同じ
中国では男に対して用いていたが、日本でいつの間にか女性の名前になった
165日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 18:35:08.74 ID:MHSClkPP
実況でよく貼られる
可愛いウマーたちのAAはどこで得られるでしょうか。

保管庫をみても、探し方が悪いのか、見当りませんでした。
166日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 19:51:23.36 ID:U3XejGYz
       ∩∩
   〃∩ /`・ ・ヽ   
   ⊂⌒/    エ )  
     `ヽ_っ⌒/⌒c
        ⌒ ⌒

これ? 俺は、気に入ったAAは保管してるお
167日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 19:51:49.33 ID:QWgFKJ0v
武田の海ノ口城攻めの時、勘助は本当に海ノ口城にいたのですか?
168日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 20:11:10.30 ID:dINeP3FC
>>167 つタイムマシン
169日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 20:48:45.39 ID:B67IFQbd
>>167
言うまでもなく創作。ものの本では真田の応援はあったぽい。
170日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 20:56:02.79 ID:GTcmFFXw
>>167
その前に海ノ口攻め自体が本当にあったかどうか微妙。
171日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 21:19:24.59 ID:MHSClkPP
>>166
まとまって置いてあるところは無いんですね…残念
172日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 21:33:22.86 ID:2iT0YG6x
そもそも山本勘助自体の存在がよくわからんのでそのへん
なんとも言えない
173日曜8時の名無しさん:2007/03/15(木) 23:40:36.22 ID:DZd1fSeT
>>156>>158
ありがとうございます!
海ノ口城攻めの撤退の時、しんがりを志願した晴信を見下したようにせせら笑った顔が忘れられませんでした。
信虎追放にはすんなり賛同するのでしょうかね?
174日曜8時の名無しさん:2007/03/16(金) 00:07:47.92 ID:hYYA7Ks1
>>164
日本語の女性の名前で「〜こ」という発音になるものは、かなり古代からあった。
例えば聖徳太子の妃の名前の「刀自古(とじこ)」など。
やがて時代が下ると、この「〜こ」という女性名に「〜子」という漢字を当てるのが一般的になった。
175日曜8時の名無しさん:2007/03/16(金) 00:15:46.13 ID:wkotdY66
勘助の足はどうして悪くなったのでしょう?
確か2話で勘助母が「足が悪くなったのは厳しすぎた父のせい」と言っていましたが、
行き過ぎたしつけのせいだったのでしょうか。
176日曜8時の名無しさん:2007/03/16(金) 11:55:44.17 ID:lRhkEPSS
>>165
どのAA?AA辞典系のとこに無いの?
177日曜8時の名無しさん:2007/03/16(金) 12:30:23.69 ID:jFgKJdJ4
>>176
風林火山の実況時によく書き込まれているAAの数々です。
とにかくウマばかり集めてあるもの、と思って探したのですが、ありませんでした。

一個だけ、クマーのところにウマーのAAは有りましたが…。
178日曜8時の名無しさん:2007/03/16(金) 12:37:07.48 ID:ix7QkRM0
>>177
AAは馬じゃなく、カピバラだよw
179日曜8時の名無しさん:2007/03/16(金) 12:39:21.81 ID:7l9jcxLj
実況見たことないや。
今度そのAA見学に行ってみよう。
180日曜8時の名無しさん:2007/03/16(金) 12:47:57.21 ID:jFgKJdJ4
>>178
カピバラとはどういったものでござろうか。
詳しく語ってはいただけますまいか。
181日曜8時の名無しさん:2007/03/16(金) 12:56:11.28 ID:ix7QkRM0
182日曜8時の名無しさん:2007/03/16(金) 13:29:37.66 ID:UmRuHsRs
晴信が平賀源心を討って甲斐に退いたあと、
海の口城はどうなったんでしょう。

軍事施設として再利用できないように火でもかけたかな。
183日曜8時の名無しさん:2007/03/16(金) 13:40:54.10 ID:cNoboKeW
3月17日(土) 15:05〜15:35 NHK総合
武田信玄・父追放の謎〜なぜクーデターは起きたか
184日曜8時の名無しさん:2007/03/16(金) 13:56:11.17 ID:UmRuHsRs
信玄主導ではなく家臣一同の造反劇だったみたいなことを
いってたが、その時歴史は変わったでは。
185日曜8時の名無しさん:2007/03/16(金) 15:28:21.14 ID:IlyudkAU
ドラマとかでは「個人の愛憎」を軸にしないと盛り上がらないので
いつも晴信と信虎の不和、信虎の暴君ぶりを基本にするけど、
学問の世界では別に二人の仲が悪かったわけではなく、甲斐の
国では守護も「領主会議の議長役」程度の重みしかなかったため
領主たちににらまれたら追い出されたり首をすげかえられたり、
要するに領主たちがどっちをミコシ代わりにかつぐかが、国守
交代の歴史だとはわりと大っぴらに語られていた。

だからNHKの歴史解説番組でも「別に個人的な感情で争って
いたわけじゃない」とかなり昔から放送されてたね。この間の
「その時」みたいに露骨なのは少なかったかもしれないがw
186日曜8時の名無しさん:2007/03/16(金) 15:40:38.69 ID:IlyudkAU
>>175
隻眼のハンディを乗り越えて、武士として仕官できるだけの
剣術の腕前を身につけさせようと特訓をさせすぎて、足を
折るか潰すかしてしまった、ということのようです。

目に加え足のハンディまで負ってしまった息子を見て、父も
心を鬼にして出家の道を薦めたわけですね。もっとも、それ
までの教育が効きすぎて、本人は武士の道をあきらめられず
軍師の道を模索し、おまけに武術の腕前は妙に立つという
変な浪人が出来上がってしまったわけですがw
187日曜8時の名無しさん:2007/03/16(金) 18:25:03.10 ID:hHMV9okJ
>>180
カピバラとは世界最大のネズミ
子カバくらいの大きさのモルモットだと思えばよい
南米の沼地に住んでいる、温泉が好きらしい
188日曜8時の名無しさん:2007/03/16(金) 19:52:50.74 ID:8psSsKAA
>>185
近江浅井久政・長政父子のようなものでそうかね

そういえばあまりドラマ・講談などでもこの二人が格別不和という話はないような
189日曜8時の名無しさん:2007/03/16(金) 19:56:26.86 ID:7522ok3J
携帯からなんで公式見れないんですけど、風林火山は第何話まで続くんですか?
190日曜8時の名無しさん:2007/03/16(金) 19:57:42.18 ID:nNbVFJW7
武田の家臣の名前に「昌」のつく人が多いのはなんで?

晴信・信虎どっちも昌つかねーじゃん
191日曜8時の名無しさん:2007/03/16(金) 20:02:27.82 ID:zbVXxr28
>>190
>>32
信虎の祖父の名が武田信昌。

さらに、その「昌」をもらった荻原昌勝という信虎の軍師がいた。
192日曜8時の名無しさん:2007/03/16(金) 20:17:03.40 ID:4El8ESDn
>>189
49
193日曜8時の名無しさん:2007/03/16(金) 20:20:02.40 ID:7522ok3J
>>192
そんなに続くんだ
どうもっす
194日曜8時の名無しさん:2007/03/16(金) 20:20:12.61 ID:10NTX9uL
高橋一生さんがでないー 泣
195日曜8時の名無しさん:2007/03/16(金) 20:29:17.26 ID:nNbVFJW7
>191
なるほど、よほど優秀な人だったんでしょうね。
196日曜8時の名無しさん:2007/03/16(金) 21:22:01.69 ID:c9vUFBqo
この間の軍議というか、信虎が駿河からの招待状を受け取ったシーン
今まで晴信がいた席に信繁がいたのは、家督を譲るのが事実上決まったということなんですか?
あの時晴信がいなかったのはなぜでしょう。
197日曜8時の名無しさん:2007/03/16(金) 21:36:22.56 ID:AoKMrorV
晴信が家臣たちと席を並べた場面は、今のところ新年祝賀の席のみで
評定には一度も参加させてもらっていないと思うんだけど。
詳しく覚えている人よろしく。
198日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 01:09:57.83 ID:Z/fq/Hzw
>>191
そういえば、信虎の父の信縄から「縄」を貰っている人は少ないね。
信縄が当主だった期間が僅か2年だから仕方ないのかも知れないけど。

あと、信玄の家臣の中には、どう考えても信昌存命中には生まれてなさそうな
世代なのに、「昌」の字を使っている人が結構いるよね。
これはどういうことなんだろう?
晴信が当主だと、将軍から貰った「晴」も、武田本家の通字である「信」も、
家臣に与えるわけにはいかないことと関係するのかな?
199日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 06:51:33.52 ID:hjOCUwd+
たまに他のスレで見かける、〜フラグってなんですか?フラグの意味と理由を教えてください。


200日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 07:24:33.81 ID:rykVLgq5
旗(Flag)
 RPGなどで、取った行動がイベントの発生に関わる場合に
有効な行動の有無・回数等の履歴をメモリ・チェックシート上に
チェックすることを「フラグを立てる」という。
 ギャルゲーを通じて「フラグを立てる・ブチ折る」等の表現が
広く人口に膾炙することとなった。
201日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 07:43:26.96 ID:Zu+c1jBV
>>174
>日本語の女性の名前で「〜こ」という発音になるものは、かなり古代からあった。
卑弥呼もかな?
202日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 09:10:22.79 ID:/XFgLn9C
>>198
>晴信が当主だと、将軍から貰った「晴」も、武田本家の通字である「信」も、
>家臣に与えるわけにはいかないことと関係するのかな?
そう思います。将軍の「晴」は与えられないってのが最大の原因かと。
さらに、父信虎を追放したから虎の名は使いにくく、
曽祖父が使い、名軍師がつかった「昌」の字は縁起がよかったんだと思います。

それと意外と信玄は過去の家や名将のあやかり好きだからね。
鬼美濃を原から馬場に次がせたり、馬場家など旧家を復活させたり。



>>200
ギャルゲーか?
フラグはアドベンチャーゲーム(ポートピア連続殺人事件)とかで頻繁に使われたと思うが。
この手のゲームは「○○に○○を聞く、調べる」とかの塊で頻繁に「フラグ」って言葉を使った。
その後、ギャルゲー関係がアドベンチャーゲーム方式だったので多くつかっただけ。
203日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 10:03:17.12 ID:KyFAFeQ2
信虎追放フラグ立った

信虎追放に繋がる出来事が起こった

…って意味ですね、要は
204日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 10:57:57.23 ID:HSrvKpmu
最もベタなフラグってこれだよな?

戦争映画で「これが俺の女房と子供さ。来月2人目が産まれるんだ・・・」
と写真を見せたら

→次の戦闘で100%死ぬ
205日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 12:18:29.09 ID:QUO/Nk18
死亡フラグキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!!
206日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 12:29:06.79 ID:RpU4Sz1h
>>204
今回の信虎でいうなら
甘利の軍師認定がそれに当てはまるかなw

もっとも信頼する部下に優しい言葉→裏切られる

御館様カワイソス
207日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 12:54:01.35 ID:rykVLgq5
>>202
元々、アドベンチャーゲームを本やコンピュータで自作したり
解析したりする連中はフラグを使ってたけど
日常で使ったりはしない良識があったと思う。
そういったオタク内用語から一般に広がったきっかけは
ギャルゲーではなかろうか。
208日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 13:38:56.59 ID:eVh5wGFq
フラグとギャルゲーの関連については、
ここではそんなに熱く語らなくてもいいよ。
フラグの意味がわかれば解決でしょ。
209日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 13:45:27.83 ID:rykVLgq5
それもそうだな。まあ確かに>>200の時点で
コンピューターゲームを通じて… と書くべきであったか。
210日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 13:52:54.68 ID:h/+BLmo4
1.嫡男が跡取りになるのはいつ頃からですか?江戸時代の少し前ですかね?

2.カピ晴は演技がウマイのですが、顎のラインが中年のようで生理的に受け付けないのですが
  どうしたらいいですか?
211日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 13:59:37.87 ID:orsovIOk
テンキューって誰のことですか?
212日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 14:17:43.15 ID:Ofp3aIcZ
>>201
>卑弥呼もかな?

ひみこは「姫ご」を聞いた中国人が悪字を当てたともいいますね。
「邪」馬台国も元は「山田国」だったそうですし。
中国を神聖視する時代だったので、大和朝廷がそれを無理やり自分たちの
ことにしようと変な読み方にして話がややこしくなったとか。
213日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 14:30:22.61 ID:DJsg5Z3g
>>212
近年では、この時代の中国語漢字音の解明もかなり進んだから、
学問的に解明したいのならば、
まずは「卑弥呼」とか「邪馬台国」とかが、
この時代の中国語でどのような発音であったのかを考えた上で、
さらにこの漢字表記が古代日本語のどういう音を当てたものなのかを考える、
っていう手順が必要になる。
もっとも、この時代の日本語の詳細を知る術はないが、
資料も豊富で研究史も膨大な奈良時代の日本語との比較において、
時間の経過による妥当な範囲内での変化を考慮に入れた上で、
それ以前の日本語をある程度推測することは可能。
214日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 14:38:48.38 ID:/XFgLn9C
>>211
信玄のすぐ下の弟、武田 信繁のこと。(今、大河に出てる弟)
この信繁が通称「典厩(てんきゅう)」と呼ばれていたことから。

信繁は左馬助という官位を持ち、
左馬助という官位の元になった唐名という唐の官位に合わせたものを「典厩」と呼び、
俗称としてよく使っていた。

215日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 14:46:15.60 ID:orsovIOk
>>214
よく分かりました!ありがとうございました。
216日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 15:11:33.77 ID:DJsg5Z3g
「典厩」は、もともと朝廷の左馬寮・右馬寮の唐名だな。
転じて、左馬頭・右馬頭・左馬助・右馬助などの官途の唐名としても使われる。

特に室町時代だと、細川氏の一族で右馬頭を代々官途とした家系のことを一般的に典厩家と称するのも有名。
また左馬頭・助と右馬頭・助とを区別する場合には、「左典厩」「右典厩」のようにいうこともある。
217日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 15:33:33.38 ID:/XFgLn9C
>>216
そこまで細かいならついでに、
信繁はその子「信豊」も典厩と名乗ったので区別のために「古典厩」と呼ばれることも多い。

ちなみに、このような唐名で有名なのは
水戸「黄門」。
これは水戸光圀が、「中納言」の官位を持ち、この唐名が「黄門侍郎」で、
で、通称「水戸黄門」

もっと近いとこだと去年の「功名が辻」で
徳川家康を「内府様」という表現あったのも、内大臣=内府という唐名から。

218日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 19:10:51.88 ID:7ZW72n2H
晴信が伝べいに書状を受け取ったとき言ったおぶひょうぶとは何でしょうか?
219日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 19:14:33.13 ID:4/ropjBi
飯富虎昌(おぶ・とらまさ)へ書状を託す事を言っていた。
220日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 19:21:05.19 ID:bx7g8i4k
>218
漢字で書くと飯富兵部だね
221日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 19:25:09.35 ID:4qLrjUTN
>>218
飯富兵部少輔虎昌
この時代に武将を呼ぶ時は苗字+官位又は通称で呼ぶのが一般的。
例:
板垣信方→板垣駿河守殿
甘利虎泰→甘利備前守殿
な感じ
222日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 19:28:05.39 ID:7ZW72n2H
>>219>>220>>221
なるほど。分かりやすくて助かります
223日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 20:15:31.40 ID:1CKdCgBJ
>>217
室町時代の3管領のうち、
細川氏の嫡流のことを「京兆」or「京兆家」、
斯波氏の嫡流のことを「武衛」or「武衛家」、
などということも多いが、
これは、
細川氏の嫡流が右京大夫、
斯波氏の嫡流が左兵衛督、
をそれぞれ代々の官途にしていたからである。
因みに、
「京兆」は左京職・右京職、
「武衛」は左兵衛府・右兵衛府、
のそれぞれ唐名である。
224日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 20:23:52.59 ID:1CKdCgBJ
>>221
「官位」ではなく、「官途」もしくは「官職」といったほうがいいよ。
「官位」という言葉は、官途(官職)と位階との両方の意味を含んだ言葉だから。

例えば>>217の徳川内府様でいえば、関ヶ原の戦い直前期の家康の官位は
従二位内大臣だった。
この段階だと、
「家康の官位は?」と聞かれたら、「従二位内大臣」と答えるのが正解、
「家康の位階は?」と聞かれたら、「従二位」と答えるのが正解、
「家康の官途(官職)は?」と聞かれたら、「内大臣」と答えるのが正解、
というふうになる。
225日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 20:30:17.93 ID:6r70C5f4
従二位足軽
226日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 21:19:25.21 ID:Z+qqZqR+
>>37
風林火山の第1話の内容は「桶狭間の戦」ではないですよ。
それは、前作「巧名が辻」の第1話なので、勘違いでは?
227日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 21:26:46.50 ID:qTCHyEkr
ついでに言うと、武田家臣の連中などの、
大名の家臣クラスの官職はほとんど自称。
別に信繁が朝廷から左馬助に任命されたわけじゃないよ。
晴信の大膳大夫はちゃんと叙任された記録はあるんだっけ?
信虎の左京大夫は確実なようだが。

主な人物の通称、官名の類も、まとめてテンプレ化したほうがいいかもしれないね。
228日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 21:47:36.49 ID:J0s2HCWO
朝廷から見れば、自称には違いない。
ただ、自称というより、大名が名乗りを許すんだな。
もちろん、そんなことを許す権限は守護であってもないんだが、
この時代には、一般的な習慣になっていたようだ。
229日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 22:10:40.13 ID:+DSmyj9X
>>29
激しく亀だが、
晴信が板垣に謀反を打ち明けるシーンも北上川らしい。
美しき里、真田の庄は遠野のふるさと村。
伝兵衛と勘助の茶屋のシーン・京の小路・信虎が馬に乗ってた小路
明日の追放の柵は、えさし藤原の郷。
たぶん、前回真田様と勘助が再会した道も岩手。
勘助が謀反を盗み聞きした湖は、福島だと思う。
230日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 23:09:53.98 ID:04dUx46m
>>227
守護家の当主レベルなら自称はないと思うよ。
守護家ではなくても、例えば織田信秀の三河守なんかは正式な任官手続きを
経ている。
ついでにいうと、晴信の大膳大夫は本来的には若狭武田氏の官途名だったが、
晴信があえて望んだらしい。
231日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 23:38:49.37 ID:BVJOJ2q2
三河守がなんで尾張に住んどるんじゃ。とっとと任地へ行かんかい!!
232日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 23:48:55.48 ID:6IDIZukf
有力守護家のレベルだったら、しっかり正式に叙任されてると思うけど、
信秀の三河守任官だって1541年のこと。信秀は1510年生まれ。
つまり、結構な期間、自称の期間があったということ(このころは弾正忠でいいのかな)
信長の上総介、尾張守も自称(後追認)
信虎も左京大夫叙任は1521年(生年は1494)
このクラスは、当主になったから即正式に官位を貰ってるわけじゃない。
なので、晴信の場合、ちゃんといつ叙任されたか確認できる史料あるのかな?と思ったわけ。
233日曜8時の名無しさん:2007/03/17(土) 23:55:27.94 ID:6IDIZukf
>>231
当時織田信秀は、かなり激しく三河に侵攻してた。
三河守も、三河支配を正当化するために願い出たものと考えられている。
というわけで、ほんとに結構任地に行ってたんだよ。
234日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 00:09:45.02 ID:B+pmpjjg
しかし、守より守護の方が上位やろうな
235日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 00:12:34.31 ID:1kqVfBwU
越前の守はよくきくけど越後の守はきかんなあ。
236日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 00:19:28.96 ID:a/ERJ+mF
越中がはずれて隣の国(越前)を出し
237日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 00:52:13.97 ID:jI6bHVcg
今の官助の眼帯はあれは貝殻ですか?
238日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 00:54:34.33 ID:BBEDiaAN
やっぱりラストは上杉家の家臣になった平蔵に
首をはねられるのかな??
原作だと若武者にやられるみたいだけど。
239日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 01:00:59.36 ID:p82GLf8z
>>236
それ、越中がふんどしということはわかるけど、
隣の国はどういう意味なの?
240日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 02:13:55.60 ID:HhbNXrWn
>>231
桶狭間前に義元兄さんも三河守に叙任してるし領国切り取りするための
大義名分のために官職を得るパターン
241日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 04:26:50.04 ID:yx4gjFPl
曖昧な記憶、プチネタバレスマソ

>>238
若武者だっけ?
やられる描写は無かった気がする。
義信とちょろっと話はしたが。
242日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 05:57:53.99 ID:EbYeP7OG
>>232
『歴名土代』のなかで、天文5年1月17日に甲州武田信虎の子である晴信が
従五位下に叙された旨が明記されている。
243日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 06:04:33.04 ID:EbYeP7OG
>>240
今川義元の三河守は、本人が自ら望んで任官したというより、将軍義輝が
無理矢理押し付けて任官させたという説もある。
その理由は、三河守に叙任された後も、義元本人がこの官途を名乗った実例が
ないからという。
専門外なので詳細は知らないが。
244日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 06:40:48.25 ID:qdEWub7q
>>232
信虎の場合、最初の官途が左京大夫とは考えにくいんじゃないかな。
室町期の甲斐武田氏の場合、元服時or家督継承時に名乗る最初の官途名は、
普通は刑部大輔とかだし。
信虎と信縄は記録が判然としないけど、信昌以前は基本的にそう。
245日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 09:28:15.46 ID:1+qSBjx9
>>239
越前=包茎(皮かむり)のこと
   越前の殿様の行列は槍の穂先に獣の皮を被せていたからだという
246日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 09:46:24.62 ID:doLrFbZt
>>244
>最初の官途名は、普通は刑部大輔とかだし
初名「信直」時代はそうだったかもしれんね。


247日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 10:52:18.45 ID:lgSVQFq+
>>244
そう、だからその最初の官途が、武田家クラスは
ちゃんと正式に任命されたものだったのかな?ということ。
248日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 11:57:58.90 ID:7gplzZdT
>>245
_〆ヾ( ̄(エ) ̄ メモメモ・・・
249日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 12:54:51.61 ID:xefLEMo/
>>247
やっぱ正式な手続きを経た任官だったんじゃないか。
だって彼らこそ朝廷にとって一番の収入源だったろうし。
250日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 13:59:49.81 ID:gugEqN2n
前島一族が誅殺されたあと、奉行衆一同が甲斐を離れたと
先週やってましたが、その主なメンバーを。
つか晴信の代になってから戻って来て
重用された人なんかもいるんですか。
251日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 17:32:51.96 ID:BBEDiaAN
>>241
若い武士に
「山本勘助とお見受けしたが、名を乗れ!」
って言われて
「いかにも武田の軍師、山本勘助」
って答えて、若武者に討たれるなら本望だ、
みたいな感じで殺される原作だよ。

平蔵っていう架空キャラもここで劇的に登場する若武者だっていう
手の込んだ伏線なら納得出来るかなって思って。
252日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 17:35:38.90 ID:Vs7yhv64
帰参組で一番の有名どころは内藤昌豊
親父がぬっころされての出奔→帰参組だが。
253日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 17:37:50.55 ID:RGfhuGt0
平蔵も川中島の頃には壮年なんじゃないか?
254日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 17:47:39.54 ID:UpKm35Q6
>>251>>241
>>1
プチでもネタバレはネタバレなんでやめれ
255日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 17:51:52.87 ID:BBEDiaAN
ネタバレすいませんでした。消えます。
256日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 18:34:43.33 ID:Sy1t6gdo
武田の日の丸のような大きな日輪の旗は何なのでしょうか?
257日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 19:01:57.60 ID:Q2eeCKTM
御旗だな。
258日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 19:03:52.80 ID:muwu17KR
259日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 20:43:35.89 ID:YojcCD6M
あんな戦い方やってたらすぐ刃がボロボロになる
260日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 20:58:23.86 ID:mA8SvpB2
>>156
甲斐と駿河の国境にも小山田は来ませんでしたね。
やっぱり別物なんですね。
261日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 21:10:57.90 ID:UFJUDRsC
今週の俳句の訳(〜もどる甲斐なし)がいまいちわかりません。どなたかお願いします。
262日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 21:12:25.01 ID:M6V0Dp0m
見る人の 心のそこに すむ月や
ちりもくもらぬ 老いし身のほど
世をうつし 思い捨つぬる 心もて
晴れた心に もどる甲斐なし

この連歌、意味が分かるところと分からないところがあります。
特に義元の歌は何を表しているのでしょうか?
263日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 22:08:47.91 ID:1pjSnf37
「義元に捨て駒にされるぞ、わかってるのか」
と勘助に忠告していたのに、
武者震い侍こと庵原之政は、なぜ勘助についてきたのでしょうか。

庵原氏の嫡男で今川家的にも、勘助と違って、重要人物だと思うのですが
危険を冒してついていくのを(父親も含めて)許してくれたのでしょうか。
264日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 22:48:46.53 ID:GamFTwqb
武者震い侍といえば、
「お前は青木大膳!」と言っていたけど、
いつのまに知り合ったんだろう。
二人が会ったことあったっけ?
265日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 23:15:19.97 ID:qsCop3Hh
>>264
画面に映らないところで、北条VS今川の小競り合いがあって、
そこで同じ今川方として、面識があったんじゃね?
荒寺に乗り込んで来た時の青木の台詞からの推測だが。

つか、それを言い出すと、先週の庵原父の
勘介が甲斐の若殿を気にかけている云々も、
劇中では庵原父の知る所では無い筈。
266日曜8時の名無しさん:2007/03/18(日) 23:55:12.80 ID:mnwOF0pp
>>264
何年も飼い殺しにされていれば知り合う機会もござろう
267日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 00:08:54.49 ID:oR+qiYKi
>>262
多分ドラマのオリジナルだと思うが直訳的には
「月を見る人の心に映る月とは、さてどんな月でしょ?」
「その老いたる年齢ほど、汚れも曇ってもないでしょうなぁ」
「世の中を広く見渡し、邪心をすてる清い心を持たんとね」
「その心も晴れて改心してみても、まあ無駄だけどね」
普通なら、義元の番にもっと賞賛の句がくるはずなのに、信虎は「ん?」
あるいは「戻る甲斐なし」が意味わからなくて「ん?」
そこで考えた信虎
「ははぁ・・・(晴れた心を晴信と解釈してか)甲斐には戻れんよ、ってことですな
晴信をよしなに」
義元プゲラ
「あんたのことだよw」
268日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 00:20:48.03 ID:OZdUwTZD
>>264
花倉の乱の後、今川への仕官を断られ海で不貞腐れてる時に会ってるだろ。
本間江州が間者だという情報を青木大膳から聞いた。
269日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 00:30:40.92 ID:kZQJKWFT
>>262
自分も考えてみた。

↓一応のやり取り。
見る人の 心のそこに すむ月や
(澄んだ月の美しさはそれを見ている人の心にあるんでしょうなあ)
ちりもくもらぬ 老いし身のほど
(私なんか老いぼれちゃったから、心の中は塵さえ舞い上がらないね)
世をうつし 思い捨つぬる 心もて
(じゃあ私のシャバへの思いを捨てた心に浮き世を写して見ましょうか)
晴れた心に もどる甲斐なし
(晴れ晴れとしたお気持ちになったんだから、 過去を振り返っても意味無いでしょう)
ちなみに3句目を読んだ大井老人は信虎に「思い」を捨てさせられた人物。

↓そんで嫌みな義元が一人で悦に入る。
「『晴』信によって甲斐の人心は晴れ渡っちゃったから、
あんたの帰るべき甲斐の国はもうなくなっちゃったんだよね」

そんで関所前で信虎は知ることになる。
甲斐の統治者が代わって(=世を移す)、
老いた身となって権力への煩悩を捨てなければならないのは本当は誰だったのか、
甲斐に戻れなくなったのは本当は誰だったのか。

そんでたぶん信虎も気づいていない意味↓
ドラマのラストでは信虎自身は「ちりもくもら」ない、ある種「晴れた心」に到達する。
(だから虚心に晴信の力量を認めることができた。)
270日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 00:32:11.94 ID:pkXqJOQs
>>268
あの台詞はレンジの息子が言ったから、息子知ってるのか?って聞きたいんじゃないか
まあ青木もかなり今川にこき使われてたから、レンジ息子も知ってはいただろうけどナ
271日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 00:55:45.41 ID:FwNZ5w3r
締めの句は義元が詠んだのは覚えてるけど
誰がどの順で詠んだのか覚えてない(orz)ので解説plz
272日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 01:09:09.12 ID:Bm7x5cMq
>>271
信虎→飛鳥井→大井夫人の父→義元
273日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 01:10:26.44 ID:M2dNfSTD
堂々とした>>268の答えっぷりに赤面した
274日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 01:18:25.37 ID:FwNZ5w3r
>>272
ありがと。信虎に負け出家した大井信達が「思い捨つぬる」か
「晴れた心」の信虎にもどる甲斐はなし・・・
275日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 01:24:37.58 ID:66aGXdhc
この連歌のやりとりは創作だよね?
276日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 01:31:49.12 ID:PQ3h89Lg
>>268の読解力のなさに勘助が泣いた
277日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 01:33:42.04 ID:q1FS/ly0
>>263
多分、名も無きニートと使用人だけで迎えに行ったら、
武田側(信虎、晴信)に無礼だし、身元証明ができないからかな。

一応、それなりの身分のものということで武者震い侍が選ばれた。
というか、自ら志願。  武者震いがする(ry
278日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 01:47:21.63 ID:my7NBX3o
武者震い侍は一応今川側の「お目付役」なんじゃないか。
勘助が暴走しないように&暴走しても止められるように。
279日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 01:52:42.82 ID:8OcgPqSD
>>232
 信長は最初、上総守を自称していたんだけど、上総で守になれるの
は皇族のみなので、こそーりと上総介に自称を変えた。
>>234
守は朝廷の官職。守護は幕府のなので、形式上も守のほうが上。
280日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 02:26:17.87 ID:qNk7EZnt
>>278
たしか先週レンジが、うちの家中からも腕の立つものを同行させる。
みたいなこと言ってたよね。
281日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 10:47:14.85 ID:T7SmSt27
>>264
勘助が小田原へ出奔するシーンで、浜辺で取り残されたのが、
北条を出て今川に行きたい青木と勘助の馬を引いていた庵原家臣。
そのあと、青木は庵原家臣に連れられて庵原邸に行ったとしても
不思議ではないだろう。
282日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 11:55:42.32 ID:QndKdjs6
これから仲代さんの出番は有るのでしょうか?
283日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 12:45:56.93 ID:ubvj8Ab4
三条夫人のお祈りの時、侍女に抱かれてた赤ちゃんは誰ですか?
284日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 12:53:07.51 ID:1rUDjf0G
>>283
信玄次男の「信親」と思われる。

義信の弟なんだが、盲目だったために僧になり竜芳と名乗った。

ちなみに、この信親の子が武田家滅亡後も生き残り、
高家武田家として信玄直系の血筋を残した。
285日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 12:54:59.19 ID:bRm08Zad
諸角虎定という名前ははじめて聞いたのですが、
諸角昌清の別名ということでおkですか?
286日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 13:34:03.35 ID:1rUDjf0G
>>285
そうです。諸角虎定=昌清。
最近話題の信虎祖父「武田信昌」の子とされる場合は「昌清」と呼ばれます。
別人説もありますがね。
287日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 14:22:33.53 ID:5sWAbgeQ
すいません、名刀宗三左文字は、劇中では今誰が持っていますか?
288285:2007/03/19(月) 14:31:04.19 ID:bRm08Zad
>286>
ありがとうございます!
289日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 14:36:31.83 ID:p8BCoxgN
>>260
いや、あれは信虎から一字を賜った家臣が行っただけ
小山田は貰ってないから関係ない
290日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 14:51:02.16 ID:sZkmHkbV
信繁はもう結婚してますか?
それとも独身?
291日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 14:59:59.13 ID:xlVbhtmv
信虎が使用していた業物名は何ですか?早く教えろ
292日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 15:09:04.08 ID:hCTgKS61
サザエさん風に)
さ〜て今週の風林火山は〜?

○板垣、何しに駿河へ?
○勘助、またまた就職活動〜
○青木大膳よ、逝ってよし!!

の三本です〜
ウグッムグッ。

293日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 16:10:22.35 ID:mRgdV8f0
死の床で氏綱が書き残した遺書について、
原文並びに解釈を教えてください。
それと、今もつたえらえているのですか?
それらしきナレーションがついた気がしましたが。
294日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 16:51:48.62 ID:sHkYnzJl
最近見始めました。
・何でミツは信虎に殺されたんですか?
 何かカンにさわることでもしたんですか?

・「武者震いがするのぉ〜」がイマイチよくわかりません。
 前後の流れを教えてもらえませんか?
295日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 16:53:17.36 ID:noJXkdJI
勘助と真田が再会するのは
いつごろですか?
296日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 17:01:55.04 ID:NMezST89
>>294
家臣とともに鹿狩りに出かけるも、信虎ちゃんだけ上手くいかず、
ムシャクシャして近くにいたミツを殺してしまったと。

武者震いは
まだまだ武者震いがするのお!震度参
http://live25.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1173098533/2
こちらを参照。
297日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 17:07:42.25 ID:CYa8zsCz
>>295
ライターのみぞ知るってところでしょ。数年後になるんじゃないかな?
あまり詳しく書くとネタバレになってまうw 勘助と真田を会わせるエピ
をライターが作ればもっと早く顔だすかもね。
298日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 17:28:07.13 ID:eK43slXJ
青木が信虎を斬りつけたのはなぜなんでしょうか?
ホントに殺すつもりだった?
ただ単に暴れるのを(当て身かなにかで)止めたかった?
299日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 17:37:22.82 ID:VmuX5FIO
ノブトラと同盟を結んでいた人達は今川だけじゃないですよね。その人達と晴信との関係は険悪になったりしないんですか?
300日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 17:55:08.06 ID:wzUZ7Q6V
>>289
?
301日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 17:56:07.18 ID:bcYZavAx
>>287
詳しくは知らんが、娘が今川へ嫁入りするときに一緒に送ったそうだから
今は今川義元が所持しているのでは。

そういえば、晴信が信虎に鬼鹿毛を貰いに来た際
いずれ左文字を譲ると言ってたのに、結局今川に送ってたのね。
302日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 18:19:58.45 ID:IUioVhqe
>>293
本スレ48からコピペ↓
621 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2007/03/18(日) 21:10:25.56 ID:W6tdwdMy
氏綱が氏康に伝えた五箇条の訓戒

一、大将から侍にいたるまで、義を大事にすること。たとえ義に違い、国を切り取ることができても、後世の恥辱を受けるであろう。
一、侍から農民にいたるまで、全てに慈しむこと。人に捨てるようなものはいない。
一、驕らずへつらわず、その身の分限を守るをよしとすべし。
一、倹約に勤めて重視すべし。
一、いつも勝利していると、驕りが生まれ、敵を侮ったり、不行儀なことがあるので注意すべし。

Wikiより

さらっとぐぐったが原文は出てこないな。
御書置で浚えば出てくるかも。
303日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 18:38:25.63 ID:u0t6Xl0h
カピ信が欲しがっていた馬は、昨日の信虎が乗馬してた馬ですか?
駿河に持って行った?
304日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 19:15:13.27 ID:035NDxub
>>247
一般的に守護クラスが官途を自称することは考えにくい。
このクラスの者なら、幕府を通して朝廷に任官を申請すれば拒否される
ことはまずない。
また>>242のいうとおり、晴信が元服とほぼ同時期に朝廷から位を
もらっていることは『歴名土代』から確認可能。

なお甲斐武田氏の場合、家が滅亡したために家伝文書が全部消失しており、
武田氏側の史料からは正式な任官を窺わせる直接的な証拠が何も
残っていないのも事実だが、同様に遠隔地の守護であった島津氏や
室町段階では守護職ではない有力国人レベルの毛利氏なんかの場合は、
子孫の家に伝わった文書類から、ほぼ代々正式に任官していることが
確認可能。

また武田氏の場合、分家の若狭武田氏や安芸武田氏が畿内周辺でかなり
活躍していることは周知の事実だし、本家である甲斐武田氏も中央の
記録に度々登場してくる(微妙だが応仁の乱以前には在京している
こともあり得た可能性がある)ので、京都とコネは常に維持していたと
いえる。
また例えば応仁の乱が起こる少し前の寛正年間に、将軍義政によって、
武田信昌(信虎の祖父)は今川義忠(氏輝・義元の祖父)とともに、
古河公方足利成氏の討伐を命じられたりもしている。
305302:2007/03/19(月) 19:26:07.33 ID:IUioVhqe
第二条(の一部?だけ、それっぽlいの見つけた。
ttp://www.city.odawara.kanagawa.jp/encycl/neohojo5/005.html
より引用

>その者の役に立つところを召しつかい、
>役ににたたざるところをつかわず候て、
>何れをも用に立て候をよき大将と申すなり。
306日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 19:31:57.04 ID:/Vm/bUzr
原文は漢文らしいので見つけにくいかも
307日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 19:34:27.46 ID:035NDxub
>>279
自称を変えたという表現は正しくない。

親王任国である上総・常陸・上野の場合、「介」に実質的な「守」としての
権限が与えられていただけでなく、この3国の「介」は、文字表記上は
「介」だが、実際に音声として読む場合には「かみ」と読んでいた。
また官職に相当する位階も、この3国の「介」に関しては、他国の「守」と
ほぼ同格の位階が与えられるのが通例だった。

そういうこともあってか、「上総介」を「上総守」というふうに
書いている事例は、信長だけに限った話というわけでは決してなく、
古くは平安期から戦国期に至るまで数多く事例が存在する。
実際、言葉に出して発音する場合は、どちらにしても「かづさのかみ」と
なるので、こういうことをあまり気にしない人が書いたものだと、
朝廷の制度をよくわかっているはずの公家クラスの人物が書いたものでも、
平気で「上総守」と書かれる。

信長に関する史料を検索しても、ある時期までは必ず「上総守」で、
ある時期からは必ず「上総介」というふうに綺麗に分かれるわけではなく、
実際には同時期に両方の文字表記が混在しているというのが実情。
308日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 20:08:57.33 ID:035NDxub
>>305-306
『群書類従』の武家部あたりにあるかも知れない。
あとは『神奈川県史』や『小田原市史』なんかが載せている可能性がある。
明日あたり図書館で調べて見るか。
309日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 20:26:40.40 ID:lasq+PWn
>>308
おそらく、原文はこの本に載ってる。
武家家訓・遺訓集成増補改訂
北条氏綱書置―北条氏綱
http://item.rakuten.co.jp/book/1588111/

ただ、7000円もするんだよなー。
俺のもってる資料も一部しかのっておらず原文は相当長いようだ。
310日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 20:53:39.36 ID:6rrHbLxE
一応、北条氏綱書置で俺の知ってる分の長いバージョン。
読み下しだったり、現代文だったりするのは資料が違うから。
だから、違っても責任とらんので参考程度に。


第一条(ドラマと一緒)
第二条 
侍から農民にいたるまですべて慈しむこと。人に捨てるものはいないこと。
その者に役立つ所を召使い、役に立たざる所を使わず候て何れをも用に立て候を良き大将と申すなり。

第三条
驕らず、諂わず、その身の分限を守るをよしとする

第四条
亡父入道殿は、小身より天性の福人と、世間に申候。さこそ天道の冥加にて之在るべく候共、
第一は倹約を守り、華麗を好み給はざることなり。
惣別侍は古風なるをよしとする。
当世風を好むは、多分は是軽薄者なりと、常々申され給ね。

第五条
合戦の心掛けは常に勝利すると驕りの心が生まれ、
敵を侮ることは不行儀なことはおこるので注意せよ。
古来、このように滅んだ家が多い。
勝って甲の緒をしめよということ、忘れたまうべからず。
311日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 21:02:45.98 ID:g1XLUM+z
宗三左文字って、桶狭間の戦利品として信長がパチって
本能寺の後、秀吉のところにいってその後徳川将軍家で、
今は神社だっけ?
312日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 21:03:12.48 ID:QEXdlK1E
このスレを読んでいるだけで、色々な知識がついてくる。
本当に勉強になります

ちゃねらで「大日本史」を編纂したら、凄いことになりそうですね。
313日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 21:06:02.29 ID:QEXdlK1E
314294:2007/03/19(月) 21:53:25.87 ID:mrp+a0OK
>>296
ありがとう。
315日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 22:07:08.69 ID:1X5swzmR
>>302 GJです!
316日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 22:44:54.57 ID:CRU7h4l6
>>262
連歌は前の流れをうけて作るわけですが、義元はこの時進行中だった事変のことで信虎を揶揄し笑いのめしてやりたくなった
そのため、前の三人の句は義元によって、句を詠んだ人の作句の意図を超えて、表向きの意味とは異なった意味に読み変えられている
以下は義元が作句する上での、前出の句の解釈
信虎:後継者問題も解決して、私の心は澄んだ月のように、一点の曇りもなく、まったくいい気分であることよ
飛鳥井:何の疑念も抱いていない老いぼれの身の上は可哀相過ぎだw
大井:世嗣(晴信)を配流し、後継者を信繁と定め、後継者問題の気苦労や晴信への愛憎や恐れの感情から解放されたつもりになって
これをうけて
義元:晴れやかな気分になっている信虎ではあるが、そんな彼に帰る国はもうない
と皮肉った
誤解のないように付言すれば、隠れて進行中の陰謀は、義元以外の三人は知らないと思われます
317日曜8時の名無しさん:2007/03/19(月) 23:28:58.01 ID:i0nFYU4F
>>309
国会図書館のOPACでの書誌情報では、その本の定価は7800円になっているので、
7000円でも多少は値引きされていることになるよ。
ただ日本史のこの種の史料集でこの値段は、さほど高いとはいえないと思う。
なお「日本の古本屋」のサイトでも検索してみたところ、古本でいいなら
3千円台からある模様。
318日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 01:09:53.67 ID:95pbfqU+
>>262>>269
それドラマ中で詠まれたものと2カ所ほど字句が違ってるよ。

× 思い捨つぬる
○ 思い捨てぬる
字幕では「思い捨ぬる」となっているが、「おもいすてぬる」と詠んでいた。
また「ぬる」は完了の助動詞「ぬ」なので、直前の単語は連用形でなければ
ならず、この点からも「おもいすてぬる」が妥当。

× 晴れた心に
○ 晴れし心に
和歌は古典文法準拠だから、「晴れた心」はマズい。
319日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 01:25:04.80 ID:KQdgvDbS
重臣のなかで「小山田」とかいうのは他の重臣とちょっと毛色がかわっていますが、
なぜですか?
若いのに、他の高齢の重臣を見下しているような感じがする。
晴信をも見下しているような感じだが。
「ぐんない」とかいわれていたけど、「ぐんない」ってなんですか?
320日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 01:31:54.50 ID:JUwzvMYD
>>319
武田信虎は甲斐を統一したけどその仮定で小山田とも戦った。
しかし完全完璧に討ち果たす事ができずに同盟に近い臣下の礼を
小山田が武田にとったので普通の家臣とは少し立場が有利なんですね。
だから他の家臣はまぁちょっとした遠慮を含んだ言葉で「郡内」というのですね。

郡内とはhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A1%E5%86%85%E5%9C%B0%E6%96%B9
甲斐国中ではまぁそれだけ広い領地=高い立場を持っているという意味ではないだろうか?
321日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 01:33:47.19 ID:JUwzvMYD
>>319
補足説明するとこのように自分の国の土地の支配権を全て握ったのが戦国大名
臣下や配下を経て土地の支配権を分散して国を治めてるのが守護大名
なんですね。
322日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 01:48:57.91 ID:JUwzvMYD
何も反応がないと自分のいい加減な説明で不安になってくる。
323日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 01:53:12.24 ID:WUz6DNwO
>>320-321
どうもありがとう。
小山田領以外は、「戦国大名」だったわけですね、信虎は。

だから、信玄死後、織田が武田領に侵攻するときは、裏切るんですね。
324日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 01:54:13.94 ID:MRyFtG1U
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                              第1弾:知らぬは信虎一人のみw

        ∩___∩                     / ̄`''''"'x、               ∩___∩
    ♪   | ノ ⌒  ⌒ヽハッ            ,-=''"`i, ,x'''''''v'" ̄`x,__,,,_      ハッ   / ⌒  ⌒ 丶|
晴       /  (●)  (●)  ハッ      __,,/    i!        i, ̄\ ` 、    ハッ (●)  (●) 丶  信
       |     ( _●_) ミ     __x-='"    |   /ヽ         l,   \ ヽ     ミ (_●_ )    |  
 ___ 彡     |∪| ミ    /(        1  i・ ノ       Ф  |    i  i,    ミ、 |∪|    、彡____
 ヽ___       ヽノ、`\   | i,        {,      ニ  ,    .|    |  i,     / ヽノ     ___/
       /       /ヽ <  .l,  i,        }   人   ノヽ   |    {   {     〉 /\    丶
信     /      /       },  '、       T`'''i,  `ー"  \__,/     .}   |      ̄♪   \    丶 繁
     /     /    ♪    .} , .,'、       },  `ー--ー'''" /       }   i,           /⌒_)
     (_ ⌒丶...        | ,i_,iJ        `x,    _,,.x="       .|   ,}           } ヘ /
      | /ヽ }.         `"            `ー'"          iiJi_,ノ             J´((
        し  )).                                                    ソ  トントン
          ソ  トントン 



440 名前:日
325日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 01:55:34.75 ID:pdyUE6xd
>>320
質問者じゃないけど青木並みに横槍御免。
小山田って単に性格が悪いだけかと思っていた。
戦国時代の序列って複雑でありながらなおかつ露骨なんですね
326日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 01:56:09.58 ID:feTfVC8G
>>319
この板のなかに小山田スレがあるので、
そこを読んでみたほうがいいかもね。
327日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 01:57:55.70 ID:MRyFtG1U
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                              第1弾:知らぬは信虎一人のみw

        ∩___∩                     / ̄`''''"'x、               ∩___∩
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晴       /  (●)  (●)  ハッ      __,,/    i!        i, ̄\ ` 、    ハッ (●)  (●) 丶  信
       |     ( _●_) ミ     __x-='"    |   /ヽ         l,   \ ヽ     ミ (_●_ )    |  
 ___ 彡     |∪| ミ    /(        1  i・ ノ       Ф  |    i  i,    ミ、 |∪|    、彡____
 ヽ___       ヽノ、`\   | i,        {,      ニ  ,    .|    |  i,     / ヽノ     ___/
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信     /      /       },  '、       T`'''i,  `ー"  \__,/     .}   |      ̄♪   \    丶 繁
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        し  )).                                                    ソ  トントン
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440 名前:日
328日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 02:04:09.27 ID:JUwzvMYD
>>323
>小山田領以外は、「戦国大名」だったわけですね、信虎は。
ちがう!でもこれ以上しったか説明するとよけいひどくなるので
小山田スレいきましょう。
329日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 02:10:52.44 ID:95pbfqU+
>>321
>臣下や配下を経て土地の支配権を分散して国を治めてるのが守護大名

守護は元々一国の支配権を持っているわけではない。
単に幕府(将軍)の現地における代理人として、現地の国人領主間で紛争が
起こった際にそれを調停したり、幕府が下した判決・裁定を強制執行したり
するのが守護の普段の仕事。
またその国あるいは周辺国で、戦争・反乱などが起こった場合には、やはり
将軍の代理人として、現地の国人領主たちに軍事動員をかける権限なども
有していた。

戦国期の今川や武田の場合は、こうした元々の守護としての立場を最大限
利用しながら、さらに軍事的に他を圧倒することで一国全体に対する支配を
強めて、戦国大名化に成功した。
しかし国によっては、守護の活動実態が元々ないに等しかったり、あっても
在地性が乏しいケースもあり、そういうところでは戦国期には守護代クラスや
国人領主連合の盟主的な存在に当たる家(毛利氏など)が、元からの守護に
代わって守護の立場・権限を吸収し、さらにそれを強化する形で戦国大名化した。
330日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 02:18:12.52 ID:MRyFtG1U
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                              第1弾:知らぬは信虎一人のみw

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晴       /  (●)  (●)  ハッ      __,,/    i!        i, ̄\ ` 、    ハッ (●)  (●) 丶  信
       |     ( _●_) ミ     __x-='"    |   /ヽ         l,   \ ヽ     ミ (_●_ )    |  
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        し  )).                                                    ソ  トントン
          ソ  トントン 



440 名前:日
331日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 02:21:51.61 ID:95pbfqU+
>>329補足
但し、元々守護は単なる将軍の現地における代理人とはいっても、現地において
守護の活動に有効性を持たせるには、それ相応の軍事力が担保されなければ
難しい。
だから、守護はその国内において他の国人領主を圧倒する規模の所領を元々
持っていることも多いし、幕府も守護がその国内において自らのところに所領を
集積するのをある程度は容認している。
また古代の律令時代に各国の国府がその直轄地として持っていた国衙領なんかも
南北朝以降は多くの国で実質的に守護領と化していた。

そうした立場を背景にさらに元々主従関係にはない国人領主に対しても、支配を
強めていったのが、戦国期における武田や今川といえる。
332日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 02:34:23.00 ID:MRyFtG1U
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       |     ( _●_) ミ     __x-='"    |   /ヽ         l,   \ ヽ     ミ (_●_ )    |  
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440 名前:日
333日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 02:34:29.74 ID:JUwzvMYD
>>329
>>331
では質問「戦国期における武田や今川」これは戦国大名?守護大名?
私が学校で習ったときは確か武田は守護大名で織田は戦国大名とならったけど。
南北朝からの大名が守護大名で下克上に成功した大名を戦国大名といって
中身もやってることも殆ど同じと思うのが正解かな?

今まで家臣に対して土地などの支配権を大名が一括して持ってるのが戦国大名と思っていたが
間違いだったか。
でも信長の家臣に小山田みたいな奴ってぜったいいないだろう
334日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 02:44:38.02 ID:JECAzJqW
武田と小山田
織田と徳川
335日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 02:49:26.49 ID:95pbfqU+
>>333
守護から戦国大名に転化した大名が武田や今川。

それに普通の日本史の教科書なら、戦国大名をいくつかの類型にわけた解説が
載っていると思うぞ。
だいたいは以下の4分類くらいが一般的かと。
1.守護やその一族から転化・・・今川・武田・大内・大友・島津・佐竹など。
2.守護代やその一族から転化・・・織田・長尾・朝倉・尼子・龍造寺・三好など。
3.国人領主クラスから転化・・・毛利・浅井・長宗我部・松平・伊達など。
4.その他・・・北条・斎藤・松永など。
336日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 02:54:02.98 ID:pdyUE6xd
なーるほど
じゃあ、風林の小山田は国人領主クラスかな?
337日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 03:08:46.32 ID:95pbfqU+
>>334
信長から離反する前の浅井や北畠も、徳川と似たようなものかと。
338日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 03:28:18.40 ID:xhm4Sgv8
幕府から、その国の守護職をもらってる大名は守護大名
もらってないヤツは大名なんじゃね?
339日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 03:36:38.10 ID:9Hdi0h5i
信虎: 見る人の心のそこにすむ月や
  →「恋人のこころの月(愛情)は澄んでいる(偽り無い)だろうか…」

    @妻(大井夫人)の真意はいかに?
    A我が盟友義元殿の本心はいかに?
    B晴信の心境はいかに?

飛鳥井:ちりもくもらぬ老いし身の程
  →「歳を取るほどに、これっぽっちも曇っちゃいない(偽り無い)」

    @Aあなた様同様(=老いし身の程)少しも邪念はございません。

大井: 世をうつし思い捨ぬる心もて
  →「時が経ったら愛情を捨ててしまうような心持では…」

    @A時が移れば、もうむかしの嫌なことは忘れてしまいなさい。

 (義元の邪意) 武田の家は代替わりするのだから、未練を棄てる覚悟をしておけ

義元: 晴れし心に戻る甲斐なし
  →「相手の真意を確認して疑念を晴らしたとて甲斐が無い」

    @Aさもなくば信頼関係を取り戻したとて意味が無い。

    B晴信殿はもう甲斐に戻らぬ覚悟でおられましょう。 
      信虎:「歌会では見事にわしの心中を見抜かれたのお」  

 (義元の邪意) おまいが甲斐の国に晴れ姿で戻ることは無い
      義元:「(゚Д゚)ハァ?」

飛鳥井も大井も実は信虎が追放されることは別に知らんのだろうね。
こいつらは@Aの意は汲んでる。
飛鳥井と大井が晴信の駿河行きを知ってるかどうかは不明。
340日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 03:36:59.27 ID:WrhHmLK0
>>333
戦国大名といえども、自らの力だけに依って立っているのではなくて、勢力下の
国人領主層の支持がなければ成り立たない。
戦国期というのは、中央政府(室町幕府)が機能不全を起こして地方の末端で
起こった紛争の処理(調停)なんかが出来なくなっている状態。
だから中央政府に代わって、それをやってくれる人が必要になる。
それが各地で地方政権とも思えるような戦国大名領国の形成される根本要因。

しかしそうした調停なんかをやる人が、普通の国人領主たちと完全に同じ
立場ではやりにくい。
だから元々幕府の指示のもとでそれをやっていた守護に不都合がなければ、
元々国人領主たちより立場が上である守護が引き続きそういう立場を維持して
戦国大名化する。
ただこの時期は中央政府がまともに機能していないため、以前にも増して
紛争は激化するし、分権化も進む。
そうしたなかで、それぞれの地域で国人たちが自らが生き残るために、あえて
大きな権限を持った戦国大名を盟主として担ぎ上げていったようなイメージ。
341日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 03:39:19.47 ID:WrhHmLK0
>>340続き
もっとも、担がれる戦国大名側も、担がれるからにはそうした紛争の解決を全て
完全に自らの手に委ねることを国人領主側に要求するようになり、いわゆる
分国法なんかも、このような中で出てくる。
この結果、ある土地の“どこからどこまでが誰の所領か”といったようなことを
決める最終的な決定権や、また分国法に違反した者の処罰権なんかも、
戦国大名に委ねられるようになる。

ただ国人領主たちの立場からすれば、あくまで強大な戦国大名を担いでいる
ほうが自らの生き残りにとってもプラスになるから担いでいるという側面も
強く、戦国大名に絶対的な忠誠心を持っているケースは稀。
そのため桶狭間の戦い後の今川領国や長篠の戦い後の武田領国などのように
戦国大名の権威が著しく傷ついたり、本能寺の変後の織田領国のように突然
権力の空白が生まれたりすると、戦国大名領国そのものが空中分解してしまう
ことになる。

因みに各地の戦国大名がやっていたこうしたことを全国規模で行おうとし、
全てを自分の手に委ねるように全国の大名や国人領主たちに要求したのが、
豊臣秀吉が天下統一の過程で出した
「総無事令」(別名「私戦禁止令」「豊臣平和令」)といえる。
342日曜8時の名無しさん :2007/03/20(火) 03:44:06.55 ID:MQeodqQx
>>341
貴方から見た武田・織田の体質の違いってどんなとこ?
343日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 03:51:31.05 ID:WrhHmLK0
>>338
戦国期でも、元々守護だった者や新たに幕府に申請して守護と認められた者は
守護職を持っている。

しかし歴史学のテクニカル・ターム(学術用語)としての「守護大名」は、
戦国になる前の室町期の守護を想定している概念なので、戦国期の大名を指して
使うことは(その大名が守護としてのルーツを持っていても)普通はしない。

ただ近年では、日本史の研究者は一般的に「守護大名」という言葉は
使いたがらないようだ。
その理由は、そもそもこの言葉が「戦国大名」という言葉をもとに、その
前段階である室町期の守護を指す言葉として使われるようになったという背景が
あるのだが、実際には室町期段階の守護は、戦国期の大名なんかと比べれば、
その権力基盤は遙かに弱体で、これを守護“大名”と呼ぶこと自体に疑問が
出てくるようになったから。
344日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 03:59:31.51 ID:WrhHmLK0
>>342
戦国大名としての本質にさほど大きな違いはないでしょう。

ただ織田信長の場合は、ある段階から全国統一ということが明確な目標と
なっていくので、その段階で、織田氏が他の一般の戦国大名とは若干性格の
異なるものに変質していったというようなイメージかな。
345日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 04:07:36.27 ID:PJNCeC3n
晴信の子供時代は後見人?補佐役?のような立場に板垣で
信繁(晴信の弟)は諸角で、
義信(晴信の嫡男)は飯富というのがわかったんですが
勝頼は誰に可愛がられてたんでしょうか?

後、どなたか>>298にお答え願いたいです。
346日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 04:23:52.54 ID:JUwzvMYD
解説ありがとう、ためになりますよ。

>>345
漫画知識でよければ「長坂長閑サイ」(漢字忘れた)
347日曜8時の名無しさん :2007/03/20(火) 04:36:55.17 ID:MQeodqQx
>>344
織田はトップダウンで武田は合議制、みたいなイメージも過度に誇張されたものってこと?
>>345
青木の件
@勘助が一度くらいは信虎を殺そうとしないと、死んだ娘が浮かばれない(物語として)
 でもホントに殺す訳にはいかないので、何か工夫が必要
A青木自体は、空気読まないキャラの究極体なので、本気で殺そうとしていた
 というか、何も考えずに体が動いちゃったみたいな感じ
B何の計算もしてない馬鹿が、偶然全てを丸く収めちゃった というユーモア・皮肉
俺の解釈はこんな感じ。
でも、青木が深謀遠慮であれをやったという読みをすると、今後の青木の化けかたに期待できる。
原作通りだと、次回あたりに死んじゃうけど
348日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 04:44:45.27 ID:rUMYR9Us
今川歌会の信虎以外の3人は、今回のクーデター事前に知ってたんでないかい?
砦で虎が歌を3つとも思い出してるし、飛鳥井のはまだしも大井のは上の句で、皮肉たっぷりなんだが。
その辺はどうなんでごいす?
349日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 05:43:33.48 ID:tAmT8mEr
>>348
どう?と言われてもあの歌会自体がドラマ上の演出で、史実じゃないから特に正解が明記されてることはない
ただ大井や飛鳥井には謀反情報の入手経路がないはず
今川家が政治上の極秘情報を歌人に教えるとは思えないし

大井の皮肉ってのはどこ?
自分は信虎に戦で負けたんだからそういう点での皮肉ならあってもおかしくない
350日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 07:18:25.57 ID:32h+QG2h
>>348
大井は信虎に対し過去の遺恨があるだろうしな

仮に謀反というか異常を知っていたとして、それは晴信が追放されると言うこと
信虎が何故この時期に駿河に来たんだ?という疑問は当然あるわけで、
晴信追放の下打ち合わせということは、飛鳥井も大井も承知していて不思議はない
だからあの歌は晴信追放を前提にして意味が通じる無いようになってる
それが国境で実は自分のことだったのか・・・と気付く信虎
今川義元もグルだったのか、と気付くわけ
351日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 07:40:28.59 ID:tSS5uDHb
ある意味信虎って可愛いね。晴信を駿河にやることに夢中で、謀反される
とも疑わず、出て行っちゃうんだもの。あれだけの小勢で信繁に継がせる
ことを匂わせたあとに出ちゃうって、少し慎重になればヤバイよね。
352日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 07:58:42.11 ID:JUwzvMYD
慎重な信虎は信虎なんかじゃないやい。
353日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 09:05:19.50 ID:XLuVTNr7
>>345
勝頼は、元々諏訪家を継いでいたので、飯富や諸角にあたる、
子供のころからの後見人という形では、「諏訪頼豊」などの諏訪衆。
このあたりはドラマでもやるとおもう。

しかし、信虎、晴信、義信と違い勝頼は力を持って前当主を追い出すことをしなかったので、
特に力を持つことはなかった。

むしろ、他の国人衆に担がれて武田家全体の当主になると元々諏訪家を継いだ者として侮られないように
逆に諏訪家は冷たくしたといわれる。
354日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 09:36:05.56 ID:n4+9fuqd
>>347
戦国板には織田信長関連のスレが山のように乱立している。

一部のマンガや読み物の天才イメージにしがみついている人間を除くと
もう最近では、信長といえども在地領主たちの合意の上で担がれている
ごく普通の議長型リーダーに過ぎず、兵農分離も他の大名程度のもので、
楽市楽座や鉄砲の普及度なども特に抜きん出ていたわけではなかったと
いうのが事実だったらしいと認識されているようだ。鉄張りの軍船と
いうのも後世の捏造らしいし。

結果的に勝った者だから、何か他と比べて違っていたと思いたい民衆の
欲求で「革命児」という夢がでっち上げられたというのが信長の現実
らしい。強いて言えば尾張の家臣団全体に、他国へ打って出て自国以外の
領地をかっさらいたいという欲求が特別強かったということかもしれない。

川越の氏康が配下の領主たちの軍勢を指揮できず、「旗本」と称する
自前の兵だけで突撃をかけざるを得なかったと言われるが、桶狭間や
一乗谷で信長が旗本数百程度の兵だけで先行したのも、他の配下領主
たちがあんまり言うことを聞いてくれなかっただけの事かも知れない。
355日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 10:16:32.61 ID:ShRbMU2Y
>>347>>354
まあ戦国大名本人が自身への権限の集中を指向することは珍しくないけど、
麾下の国人たちはいろんな意味で極端に戦国大名個人への権力集中は望まない
(自分たちが安泰でいられる程度にそこそこ強ければそれでよい)ので、
そこに軋轢が生じることもなくはない。
356日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 10:28:52.93 ID:9Hdi0h5i
@ラストの信虎的苦笑解釈

見る人の心のそこにすむ月や
 ワシは無邪気にも心の底から自信に満ちていたのか

ちりもくもらぬ老いし身の程   
 自分が嵌められていることなどこれっぽっちも疑わず…この老いぼれは…

世をうつし思い捨ぬる心もて  
 駿河へ住処を移したら(or武田は代が替わりor浮世の乱世を反映して)親子の情や国への思いは捨ててしまえ

晴れし心に戻る甲斐なし
 (すでに親子の情を切ってしまった)晴信の意向によりワシが甲斐に帰ることはない
357日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 10:31:58.95 ID:3xoffaGl
>>354
史料/資料などを読んで自分なりの考えを書くならともかく、
「戦国板での認識」とかなんだそりゃ。
しかも、「…らしい」「…ようだ」「…しれない」

きちんとした自分の考えも書けないなら、
最初から質問に答えようとするなよ。
大体風林火山と何の関係も無いだろ。
358日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 10:49:26.13 ID:n4+9fuqd
歴史を語るのに「自分の思い込み」を書いてもしょうがないと思うが。

「歴史に関する認識っていうものは右肩上がりに進化して行くのでは
なく、ずっと水平線を保っていたものがある日を境にガクンと一変
する踊り場状の変化をする」とはよく言われること。
学会なんかじゃ逆らうに逆らえない権威あるセンセイが亡くなった
ことでやっとモノが言えるようになるってことも多いそうだがw

それよりもむしろ、昔からの「常識」ってやつにとらわれていない
若い層がいっせいに物を言い出して、それまでの常識だった古い
理論が夢から醒めるみたいに忘れられるってことが多いみたい。

その若い奴らの常識ってものを作るのは、ドラマやマンガ、小説
などの娯楽メディアが圧倒的に強いのは言うまでも無いこと。
今川がマロだとか、信玄が下膨れ親父だとか、信長が「古きを
焼き尽くす革命児」だとかいうイメージってのは、メディアに
よって作られ、メディアによって簡単に壊されもするということ。
そういうイメージが今どういう方向に行っているかを無視しても
つまらないと思うが?
359日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 11:18:43.83 ID:9Hdi0h5i
>>348-350
あの歌は義元が全て把握しているということであれば成立する。
飛鳥井は客人で歌人だし大井も客人。
二人は純粋に歌会に呼ばれただけと考えて良いと思う。
大井が信虎に敗れ娘を奪われたことは皆知ってる。
しかし今更憎しみを引き摺っているとは思えない。
そもそもあの歌は歌い出しが信虎自身であり、
他の3名が続けて歌っていったわけで、そんな展開を予測することはできない。
義元はたびたび京の公家文人と歌会を開き実力も認められていたそうな。
義元の機知に飛んだ絶妙な歌で、ああいう結果となった。
あの歌会は運命の皮肉を演出したもんだな。
360日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 12:07:30.67 ID:GiUruGcc
>>298
今更だが、あまり深く考える必要は無いとオモ

信虎の首を獲って仕官するぜ。in荒れ寺
           ↓
カンスケに斬りかかってキター!!
これはもう、やっちまってヨシだねw
           ↓
カンスケ、何たらたらやってんだよ。
つか、ここはやっぱり、この俺様が(ry
361日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 14:21:08.03 ID:avEVmamc
青木大膳の強さは野武士の強さだな。
362日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 16:31:25.83 ID:NOQPa6yr
この時代の「出家」について教えてくだされ。
少年勘助は出家をすんごく嫌がってたのは、武士でなくなるからですよね?
でも、俗世を離れたはずのじゅけいにさまもデスラーさんも、おもきし生臭ですね。
出家してた息子同士で家督争ってたし、あとついだ義元は還俗したし。
大井夫人は出家したら、息子と離れて暮らすの?
じゅけいにさまはずっとおうちにいるよね?
すんません、ぐちゃぐちゃしてますが、なんでもよいので教えてくだされ。
363345:2007/03/20(火) 17:10:20.26 ID:PJNCeC3n
>>346-347>>353>>360
いろいろ、お答え有り難うございました〜!

青木に関してはスレまで立ってたみたいですねw
http://live25.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1174218041/l50
364日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 17:22:46.74 ID:K3kXmt3h
>>362
出家させられるってのは、まず第一に家督争いへの考慮かなあ。足利将軍家の場合、
後を継ぐ嫡子以外は基本的にどこぞの寺院の名跡を継いでいる。で、然るべき後継が
居ない場合、出家させた連中の中から出す。家督争い回避と、跡継ぎのストックを
兼ねていた感じかな。今川氏は足利将軍家の分流(正確には、足利の分流の吉良の分流)
なので、それを踏襲していたんだと思う。ただ、この方法でも跡継ぎ候補は複数できるので、
義元兄弟のように争いに発展することもあった。
ただし、嫡子以外の子を他家の養子に出し、養子先の家を
取り込むという方法も多く用いられている(例:伊達稙宗など)

勘助の場合、片足が不自由な上、隻眼ということで、武士としてやっていけないと判断され
出家させられるというパターンだろうと思う。武田信玄の次男、竜芳(母は三条夫人)は
盲目だったため、武田の後継者候補から外れ、出家して半僧半俗という身分になっているから、勘助に近いパターンかな?
あとは、家を滅ぼされ、出家というパターンなど。

ただし、当時の僧侶は、権力者の招聘をうけたり、師事されるので、その関係で信任を得て政治に参画するパターンも
あった。雪斎や安国寺恵瓊などが有名で、主に外交面での活躍が目立つ(外交上僧侶という身分が活きてくる)

女性の場合、夫が亡くなったらその菩提を弔うべく出家する場合が多い。ただし、お市の方や島津忠良母のように、再婚
するという場合もある。出家したのち、大井夫人は躑躅ヶ崎の北曲輪に住み、「御北様」と呼ばれてるから、息子などに
然るべき住居を城(館)内ないし近隣に与えられていたんだろうな。
女性でも寿慶尼などのように、当主が政務を出来ないときに政治に参加したりしている。


俺も上手に説明できるほど知識があるわけじゃないけど、こんな感じでしょうか。長文すいません
365日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 17:31:38.81 ID:PJNCeC3n
出家するのに宗教的な思考は関係ないの?
仏教心みたいのなくてもいいの?

なんか戦国時代のお坊さん達って今と全く違ってやたら戦闘的だ。
わけわからん。
366日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 17:55:36.62 ID:Hq1k8YpZ
>>365
>出家するのに宗教的な思考は関係ないの?
>仏教心みたいのなくてもいいの?
ぶっちゃけるとYES

坊さん、尼さんにもいろんな香具師がいるって事で。

熱心な信徒もいれば、現実からの逃避行動として
入門する場合もある。

>なんか戦国時代のお坊さん達って今と全く違ってやたら戦闘的だ。
そりゃ、そう言う坊主の方がドラマに絡めやすいから。
367日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 18:33:47.15 ID:cEvDdFG4
一休さんだって本人の意思で出家したわけじゃなく政治的な理由だしね
368日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 18:39:36.43 ID:CrQ+iYV4
この話では、剣術においては青木が最強ですか?
369日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 20:07:17.45 ID:Qy6YK8uh
野暮なことを言うと、戦国時代は江戸時代以降と違って剣術が重んじられたわけではないので
(合戦は弓と槍によるもの)
誰が剣術最強かはさっぱりわかりません
370日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 20:09:12.00 ID:Qy6YK8uh
なんたって晴信も信玄入道になるんだしな
371日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 20:20:01.56 ID:E3BBiMpb
>>360
>二人は純粋に歌会に呼ばれただけと考えて良いと思う。
同意。
自分も「飛鳥井&大井は知ってなかった」派だな。
今回は信虎が、「俗世」→「遁世」と心身共に移行する話だから、
飛鳥井&大井があんまり生臭いと信虎が引導渡される時のインパクトが弱くなる。

>あの歌会は運命の皮肉を演出したもんだな。
ここも同意。
今回、後半はかなり展開が「マクベス」に似てた。
(「運命を悟る」→「運命に一矢報いようとする」)
ただその後マクベスは信虎みたいに「運命を受け入れる」の段階は無かったけど。
372371:2007/03/20(火) 20:22:42.99 ID:E3BBiMpb
すみません。アンカーミスです。
>>370は、>>359宛。
373371:2007/03/20(火) 20:25:51.09 ID:E3BBiMpb
また間違えた。
>>371は、>>359宛。
返す返す申し訳ない。
374日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 20:38:10.29 ID:wI0tWuZM
↑武者震いでもしとるのかのぉ!
375日曜8時の名無しさん :2007/03/20(火) 20:44:17.11 ID:MQeodqQx
む、む、む、む、む、む、む、む、む、む、む、む、む、む、武者震いがするのう
376日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 21:07:10.83 ID:40cazfLt
>>362
>>364氏に付け加えると、仏門に入ると基本的に子孫ができないはずだから、
争いの種が減るということもあるだろう。

皇室でも、平安中期以降はほとんどの皇子が出家している、
これは争いの種を減らすという意味もあっただろうな。
ただ、一番の理由は、皇族が増えすぎて皇族が困窮するという社会問題が生じたので、
子孫が増えないようにという理由であったようである。
377日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 21:14:36.02 ID:F6evRL8r
>>368
「長野業正の下へ向かう。」と真田幸隆が
カンスケに劇中で言っている以上、それはない。
378日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 21:22:21.71 ID:JUwzvMYD
>>369
剣は古墳時代の出土品から出てくるようにむかしからメジャーというか
身近な武器だよ、この時代は直刀(剣道の竹刀のようなやつ)
でもそのうち一般兵士クラスは弓と薙刀がメインになってくる。
剣は馬に乗る指揮官クラスが持つように「反り」がはいった馬上刀になる。
 しばらくコレが続くけど元寇の役と応仁の乱以降散兵的な戦い方が通用しなくなって
薙刀に替わって槍が出てくるここで始めて組織戦が出来上がる、そして長槍と鉄砲三段ができると
騎馬の価値が下がって槍に対抗するために「剣」が再びよみがえる。
ちなみに剣は大小とわかれて間合いや目的によって使い分けたりするように発展していく。

かなり端折った説明です。
379日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 21:27:27.33 ID:+dzrErPs
槍に対抗するために剣ってのが良くわからないな。
首落とすか非常時用くらいじゃなかったの?
380日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 21:27:28.29 ID:Qy6YK8uh
>>378
そんな常識をひけらかしても恥ずかしいだけだぜ
381日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 21:32:13.47 ID:Qy6YK8uh
剣術の洗練は戦国時代が終了して合戦がなくなってからのほうが大きいわけで
戦国時代どまんなかでの乱戦中心の時代に剣術誰が最強なんて議論は無意味だべという話をしているのに
刀剣についての知識をひけらかしてもしょうがないぜよ>>378
382日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 21:34:40.69 ID:bnPhpclU
詳しいことはわからないが、
ツッコミ入れられてID:Qy6YK8uhが恥ずかしがってるのだけはよくわかった
383日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 21:37:10.64 ID:JUwzvMYD
>>380
そうさ俺はhentaiさでも槍に対抗が剣ってのがわからないひともいるのさ
384日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 21:39:52.34 ID:JUwzvMYD
>剣術の洗練は戦国時代が終了して合戦がなくなってからのほうが大きいわけで
剣豪が出始めてきたのは戦国末期からだ終わってからってことはないぞ。
武具の進化で剣が再び必要になってきたのは間違いないだろいう。
でもそれがはっきりしないんだよね。
俺は槍の懐に入って殺傷に向いてる武器は脇差あたりとおもうんだけどね。
385日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 21:50:35.67 ID:F6evRL8r
おまえら…

上泉 信綱 永正5年(1508年) - 天正5年1月16日(1577年2月3日)?
塚原 卜伝 延徳元年(1489年) - 元亀2年2月11日(1571年3月6日)

の事も、たまには思い出してあげて下さい。
386今後の見所:2007/03/20(火) 21:56:26.38 ID:Tw662F0a
アレコレ気になったので、NHKに

@内藤昌豊・小幡虎盛・多田満頼・秋山信友といった
 その他の有名な武田家臣は登場するのでしょうか?

A今後武田家と争う事になる、信濃の葛尾城主・村上義清と
 上野の箕輪城主・長野業正は登場するのでしょうか?

B今作に、織田信長・徳川家康は登場するのでしょうか?

って3つ質問してみた。
そしたら、こんな返事が来たぞ。

1)全てではありませんが、後半に何人か出てくる予定です。

2)村上義清と長野業正は重要な役どころでこれから登場します。

3)まだ決めていませんが、難しい問題です。
もちろん「桶狭間」はやりますが、今川義元の最期の芝居場として
描きますので、信長は影として描くことになると思います。家康は
幼年時代(竹千代)に人質として雪斎のもとに預けられています。
思いがけない形で登場する予定です。


村上はちゃんと登場するし、長野業正も出るそうな。
その他家臣も数人登場。ぜひ片手千人斬りを出してホスィ!(・∀・)

ますます目が離せませんのう!武者震いがするのう!!
387日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 22:00:03.87 ID:F6evRL8r
>2)村上義清と長野業正は重要な役どころでこれから登場します。


                〃  /   ,          \    ヽ   i    Y
                  / / /  / /  / / |  ヽ   ヽ    ヽ  |    l
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               |│ l  i|  |  /|! ! |  |  | j   l  l !  j   │
               |│ |  ||  | i !│|  |  l. |   |  l│  .|    |
               |│ |  ||  | | |,」 ! l. | L. 」 !    |  | !   !     !
               |│ |!   !>七i´ !」」 l」 ! |`i¬─ァ‐-リ |   |    !
               ト、! 」ヽ__|‐'´ ,二..、     ̄ ,.二ニ、`7 ‐    |=、、 l
           r'⌒i  |   ヘ ∧ひリi       化ドij ヽ,|    j  リ   !
             /   !   !i    i ゝゞ:ツ        ゞ ツ ソ|    l /l  l
          j   |   | !     l         ,            |    K  l  !
       , -─ム   ヘ. l ト.   ゝ      ヽ          |    l i  l  |
     /    \   l ! l i    \     ___,      l    / |  l   l
      ノ __   ヽ ヾ ! |     |> 、        , -1   l`\  |  !
    i      `ヽ/   !│!ト     l  ∧`‐ .__, ‐'    |   l   !「 \│
    j  ____  ノ   /_」/ム     l  ヽ.          j   |  /.|   iヽ
    l       `Y   / \\!     l   ヘ         l   !  / !  j!  ヽ
    ゝ -── イ、  /\  \ヾ    !   ヽ          |   /  / /   / /  i
     i   _,ノ   〈  \  \!   l    ヽ      | / //  / /   !
388日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 22:22:51.68 ID:05IpXDnm
戦国最強と言われる理由がここに

武田信玄戦績
ttp://shingen3.hp.infoseek.co.jp/shingen/shin_kassen.html
389日曜8時の名無しさん:2007/03/20(火) 23:04:30.57 ID:RxVr7+p8
晴信が受け継いだ時点の武田は何万石ぐらいですか?
390日曜8時の名無しさん:2007/03/21(水) 00:17:23.61 ID:UT2QmiTW
@歌会

信虎 : 見る人の心のそこにすむ月や

   「我が心境はいかに〜?」

飛鳥井: ちりもくもらぬ老いし身の程

   「老境に至って栄華に疑いなし」 

   よくある御世辞。本気でそう思いこむのは単に脇が甘いということ。
   信虎は国境で息子と家臣たちに追い返されて初めてそのことに気付かされた。

大井 : 世をうつし思い捨ぬる心もて

   「戦国乱世だから過去の思いを引き摺らない潔さを持て(持とう)」 

   思いの解釈は人によりさまざま。
   武田と今川、大井が敵対関係にあった頃の憎しみあう思いかもしれないし、 
   大井にとっては略奪同然で奪われた娘(大井夫人)への思い“親心”かもしれないし、
   信虎は息子晴信への“親心”確執を思ったかもしれないし、
   義元はこのあと信虎に起こる大どんでん返しを知っているのでそれを思ったかも。

義元 : 晴れし心に戻る甲斐なし

 解釈@「晴信殿は甲斐にはもう戻らぬ覚悟でしょう」(表の意)

 解釈A「晴信殿の意向であなたが甲斐に戻ることは無い」(裏の意)

 解釈B「今更晴信殿と和解しても無駄ではありませんか(駿河廃嫡は既に決まったことです)」

  信虎 : 「見事にわしの心中を見抜かれたのお!」

    たぶん信虎は義元の歌をBのように解釈したんではないか?
    つまり依然として信虎の中に息子晴信と和解したい気持、子への愛(親心)があった。
    それを義元に見抜かれ諭されたと思ってちょっぴり感激してしまった信虎。しかし…
    
  義元 : 「はあ?」

    義元のあのピンと来ない感じの表情が謎だったが
    おそらく義元には@Aの解釈は頭にあっても、Bの解釈が無い。

歌会のシーンで義元は全ての事態を把握しているようでいて、
ついに信虎の「心のそこにすむ月」を見抜くことは出来なかった。
そういう「はあ?」じゃないかね?
391日曜8時の名無しさん:2007/03/21(水) 01:15:35.37 ID:gRFU9/9W
>>389
大体甲斐一国に信濃の一部くらいかなあ。確か、太閤検地の段階で甲斐一国で
22〜3万石くらいだけど、当時はもっと少なかったと思われる。
ちなみに、駿河は太閤検地で15万石と、甲斐より少ないものの、海がある事や
東海道(=交通の要衝)があることを考慮する必要があるので、一概に石高だけで
国の貧富を判断できない。

ただし、信玄の時代はまだ、石高制ではなく、貫高制が
採用されていた(「年貢が銭で〜貫とれる土地」という意味。石高制に比べ、
実際の土地面積、収穫量に関してはかなり曖昧)
392日曜8時の名無しさん:2007/03/21(水) 01:18:08.58 ID:rQavNGnp
>>365 >>366
夫が死去して妻が仏門に帰依するのは、
武家の後家の役割みたいなものだったんだよ。
殺戮を業とする武家だからこそ、
佛弟子になって故人の冥福を祈るのが重要だった。

また戦等である一族が滅びた場合、その一族の子女は生かすのは
亡者の霊を供養回向させるために生き延びさせるという考え。
男をみな殺しにしても、妻や娘を助けておいて供養役にさせれば
滅ぼしたほうも祟りなどの心配なく安穏というわけ。
393日曜8時の名無しさん:2007/03/21(水) 01:47:26.22 ID:Pm4TYlEQ
>>376
皇室が跡継ぎ以外の皇子を積極的に寺に入れるようになるのは院政期以降。
これは後三条や白河あたりが父子直系相続に執拗に拘ったからとされる。
394日曜8時の名無しさん:2007/03/21(水) 02:07:11.56 ID:Pm4TYlEQ
>>392
詳しくは忘れたけど、前近代における「出家」って、これだけでいくつも論文が
書かれるほど、難しいテーマらしい。
一口に「出家」といっても、その実態は様々で、論者によっていくつかの
パターンに類型化されることが多いようだ。
例えば、現代人が一般的に考える「出家」というのは、完全に俗世間との関係を
絶って仏門に入るようなイメージだけど、昔の「出家」の中には、形式的には
僧体になるものの世俗の世界からは離れない「出家」もあり得た模様。

老年に達した人物の隠居による「出家」や夫を亡くした後家の「出家」の多くは
後者のパターン。
後者の場合、当然ながら出家後も世俗の政治や軍事に関与し続けることも
珍しくないし、また鎌倉幕府や室町幕府においては、出家して入道身分に
なっている人物が、普通に幕府の役職に就いているケースも多い。

逆に、政治的な敗北者となって出家するようなケースでは、その人物を
俗世間から抹殺するために、勝利者の側が出家を強いることも多く、こういう
場合の出家は前者の例に当たることが多い。
395日曜8時の名無しさん:2007/03/21(水) 04:11:30.14 ID:euvazvrj
>>384
鉄砲三段、敵との間合いで使い分け、槍の懐に入ってって、
ただの妄想で語ってたのかよw
396本日:2007/03/21(水) 05:52:37.09 ID:ffBmD21v
深夜1:30〜2:02 NHK教育 NHK高校講座・日本史[再]
「戦国大名・合戦と領国経営」
397日曜8時の名無しさん:2007/03/21(水) 10:09:30.64 ID:02rd6GV2
>>390
>歌会のシーンで義元は全ての事態を把握しているようでいて、
>ついに信虎の「心のそこにすむ月」を見抜くことは出来なかった。
確かにここの義元には、才走っているけど根本的には底の浅そうなところが感じられた。
398日曜8時の名無しさん:2007/03/21(水) 10:10:02.25 ID:aPl6A78k
>>395
武器学とか武器歴史ってあんまり聞かないだろ?
とくにその武器の時代背景による必要性とか発展とかってRPGのサブカル雑誌
にパラパラとあるだけでさ。
399日曜8時の名無しさん:2007/03/21(水) 13:17:02.00 ID:8et8Vktf
まあ鎌倉武士にとっては、嗜みとして必要な武芸の一番は「弓馬の道」だよな。
流鏑馬・笠懸・犬追物はどれも乗馬と弓矢の技術が試されるものだし。
400日曜8時の名無しさん:2007/03/21(水) 13:32:31.49 ID:UgvdjZTN
甲斐の場合、米だけでなく雑穀の収量が多かったようだから、
石高だけでは人口を測れないところがある。
信玄の時代の最大動員可能兵力数はどれくらいだったろう。
ドラマで海の口城攻めに動員した八千人が限界じゃなかろうか。
実際はそれじゃ甲斐の国がからっぽになるから、
その半分くらいの兵力でせめたんだろうけど。
401日曜8時の名無しさん:2007/03/21(水) 13:52:37.74 ID:FK6ADaxg
>>390
納得した。
「見抜かれたのお」の後に続いた信虎のセリフが、
いかにも「息子のこと心配」「親心」という感じだったのが、印象に残ってたんだけど

「世をうつし思い捨ぬる心もて」
を受けての
「晴れし心に戻る甲斐なし」

は、そういう信虎の心を見抜かれた…と信虎は思ったんだろうね。

しかし義元は、ただの争い・いがみ合いと受け取っていて、
(親子間の微妙な感情を想像できてない。いやドライな人なのかもしれないけど)
二つの意味を込めることで、その状況を皮肉っただけのつもりだった。
じゅけいにさんなんかは、親子の争いに「身の毛がよだつ」とか言っていたし、理解不能という感じだったな。

草原に座り込んでの、信虎の最後のあのセリフと相まって
信虎・晴信の中の人が、インタビューなんかで言ってたような、
二人は本当に憎みあってるのではない…ってこと、
あの親子の微妙〜な関係が、はっきりわかる場面だったのかも。
402日曜8時の名無しさん:2007/03/21(水) 14:06:39.81 ID:vttLV3tc
風林火山………
功名が辻………
義経……………
新選組!………
武蔵……………
利家とまつ……・
北条時宗………
葵徳川三代……
元禄繚乱………
徳川慶喜………
毛利元就………
秀吉……………
八代将軍吉宗…
花の乱…………
炎立つ…………
琉球の風………
信長……………
太平記…………
翔ぶが如く……・
春日局…………
武田信玄………
独眼竜政宗……
いのち………….
春の波濤………
山河燃ゆ………
徳川家康………
峠の群像………
おんな太閤記….
獅子の時代……
草燃える……….
黄金の日日……
花神……………
風と雲と虹と…・.
元禄太平記……
勝海舟…………
国盗物語………
新・平家物語…・
春の坂道………
樅の木は残った.
天と地と………・
竜馬がゆく……・
三姉妹…………
源義経…………
太閤記…………
赤穂浪士………
花の生涯………
403日曜8時の名無しさん:2007/03/21(水) 14:20:28.92 ID:lCGYsxOQ
こんな質問 くだらないかもしれないけど、
このドラマってやたらと重要なシーンに勘助が絡んでますよね
これはやはり演出ですか?それとも各種文献にそういう記述があったんですか?
404日曜8時の名無しさん:2007/03/21(水) 14:30:29.20 ID:4JXfHSiT
最近、実在したことを裏付けるような文書が出てきたけど
想像上の架空の軍師扱いされてたような人だから
文献に記述は無い。
だから演出といえば演出だけど、屁理屈として
「文献に残らないような活躍ならそこにいてもおかしくない」
が、成り立つ。
405日曜8時の名無しさん:2007/03/21(水) 15:05:43.46 ID:TSbD5wiV
>>401
誰を指して言っているのかで趣が深いよね
以前、板垣の句でも晴信を「月」と称していたし
月の陣羽織からも晴信の比喩だろうと思われる
だが月その者のことなのか、月の心中なのか・・・
信虎は月そのものと解釈した

追い返された時に怒りに狂ったがこの歌を思い出して
静かに駿河に引き帰ることする
それが「ちりもくもらぬ老いし身の程 」を知り
家臣達の総意である謀反に「世をうつし思い捨ぬる心もて 」と
そして「”晴れ”し心に”戻る甲斐なし”」だと

ちなみに山梨は別名月見の里だそうだ
「山無し」って皮肉とも取れる洒落でw
406日曜8時の名無しさん:2007/03/21(水) 16:35:52.26 ID:UT2QmiTW
>>401
>理解不能という感じだったな

そうそう。今川の人々(義元や寿桂尼ら)にしてみれば、
武田家中の詳しい内状にまでは通じていないし、
一般には暴君として知られる信虎に息子晴信への情愛があるなんて、
まったく想像を絶してたんだと思う。
→不意を突かれた義元の「はあ?」

もし義元がBの意味で歌ってたと仮定した場合は、
信虎の「良くぞ見抜かれた」のセリフに対して内心、
「(嘘つけ甲斐の山猿ごときに人の情などあるものか)」的な、
→信虎の厚顔さに呆れて軽蔑を込めた「はあ?」 だったことになる…

でも知ってて歌ったならああいう露骨な反応はしにくいかなって思う。
つうわけでやっぱ前者だと思う。

ちなみに>>390解釈Bのウラの意味は、
解釈C「今更気付いて改心しても(手遅れ)甲斐には戻れない」
407日曜8時の名無しさん:2007/03/21(水) 17:13:13.35 ID:XXbxcFYG
あの連歌会は史実?
408日曜8時の名無しさん:2007/03/21(水) 17:51:31.76 ID:UT2QmiTW
>>407
いや演出。
409日曜8時の名無しさん :2007/03/21(水) 19:05:27.56 ID:lBm2xqSl
脚本家と演出家の役割の違いって何?
例えば前回の放送内容で言うならば
410日曜8時の名無しさん:2007/03/21(水) 22:12:55.80 ID:mGJBWFUk
>>409
前々回の川原の場面が簡単だから、そこのシーン。

脚本だと、ただ、晴信が板垣に、
信虎に対する謀反の決意表明をする
だけのシーンだったそうな。

ところが、実際に撮り始めてみると、
何だか太陽の位置が凄く良い。
で、逆光で撮ることになって、この状況で撮るならと、
板垣に晴信の太刀を抜かせ、
板垣にも決意を迫るシーンが追加された。

とか何とか、亀がスタジオパークでのたまってた。


↑はかなり特殊な状況だと思うが、
脚本は基礎を作り、演出は文章で綴られた物を
映像上で、どう言うふうに見せるかを考えるのが
仕事かと。

411日曜8時の名無しさん:2007/03/21(水) 22:13:12.45 ID:jpiKnzmQ
>>409
脚本家は建築に例えると設計図を書く。
演出家は組み立てる建設会社・現場監督みたいなもの。

連歌のアイディアは脚本の大森さんのものでしょう。
勘助と信虎の一騎打ちのカメラワークは清水Dと撮影監督の佐々木氏のお仕事
参考
ttp://www.nhk.or.jp/taiga/topics/16_special/kodawari.html
ttp://wwwz.fujitv.co.jp/saiyo/divisions/hensei_newf01.html
412日曜8時の名無しさん:2007/03/21(水) 22:24:23.21 ID:mGJBWFUk
ついでに>>408を補足させて貰うと、

○演出
◎演出をする上での、脚本家による和歌指導者の助言の下での(?創作。

ではないかとオモ
413日曜8時の名無しさん:2007/03/21(水) 22:25:23.18 ID:mGJBWFUk
被ったorz
スマソ
414日曜8時の名無しさん:2007/03/22(木) 05:03:40.58 ID:xNeg4CAM
北条のオヤジさんが遺言でこんなこと↓を言ってたと思うんですが
http://live25.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1170586411/393
要約すると、どういう意味のことをおっしゃっているのでしょうか?
415日曜8時の名無しさん:2007/03/22(木) 05:21:48.39 ID:JHiHo9nw
>>414
636 名前:日曜8時の名無しさん メェル:sage 投稿日:2007/03/18(日) 21:11:39.76 ID:DAuC/00f
ひとつ、大将によらず諸侍とも、「義」を専らに守るべし。

義にたがえては、たとい一国二国切り取りたりと言うとも、
後代の恥辱いかがは(せむ)。

天運尽き果て滅亡をいたすとも、「義・理」たがえまじきと
心得なば、末世に後ろ指を指さるる恥辱はあるまじく候。

大将の心底、たしかにかくのごときにおいては、諸侍(も)、
義理を思わん。

古き物語を聞きても、義を守りての滅亡と、義を捨てての
栄華とは、天地格別にて候。

その上、無道の働きにて利を得たるもの、天罰、ついに
逃れがたし。


一部改変
416日曜8時の名無しさん:2007/03/22(木) 05:35:13.71 ID:sVm4bRDd
417414:2007/03/22(木) 06:11:59.99 ID:xNeg4CAM
>>415-416
有り難うございます。既出でしたね。
でもこのスレ初心者の自分には(話が難しくほとんど興味のない話題&長文連発で)
もうついていけなったというか、その上ペースも速いので
全く読む気がなくなってしまってて・・・スミマセン。
418日曜8時の名無しさん:2007/03/22(木) 09:04:56.88 ID:xDVdHqgX
つctrl + F
419日曜8時の名無しさん:2007/03/22(木) 09:47:52.39 ID:zHilesw+
>>415
一部改変て、どこを改変したの
420日曜8時の名無しさん:2007/03/22(木) 09:52:29.53 ID:fO4dct0A
細かいことだけど、たとえば4話の若殿・勘助初対面のシーンなど、
大森シナリオでは晴信が自分から駒井のところに行って刀を奪って
それを抜いていたのだけれど、現場でリハーサルをしていた段階で、
刀剣の扱いをよく知っているサニー千葉が「それはありえない。
駒井が常に側で刀を差し出していて、若殿はただ抜くだけ、鞘に
収める時も若殿は差し出すだけで、駒井がそれを受け取って収める」
と指示して、演出もそれを受け入れてああいう画面になったとか。

>>411のシーンも、シナリオに無かった「板垣に刀を渡して自分を
斬れ、と言う」場面を撮影しようとしたものの、どうしても
抜いた刀を板垣に握らせるというのがうまく行かず、その場で
「晴信が刀を抜くように見せてその手で板垣の手を取り、板垣に
刀の柄を握らせて自分が後ずさりして鞘から刀身を抜かせる」
という形に工夫したとか。千葉真一はちゃんと刀が鞘から
抜けた時の刀の重みを演技で見せていましたね。

アニメで言えば文字のシナリオを絵コンテに起こす際に人物の
表情や動きを演出し、芝居ならば役者に当たるアニメーターが
細かい演技をつけて完成させる、と言うようなものでしょう。
アニメでは文字のシナリオはしばしば平然と改訂&無視されて
しまうそうですが。

そう言えばこの間の回、寿桂尼さまの「多少ならかまわぬ」のセリフ、
シナリオでは「信虎殿を」になっていたものが「供の衆を」に入れ替え
られてしまっていましたね。こういうこともあるようです。
421日曜8時の名無しさん:2007/03/22(木) 09:57:24.71 ID:fO4dct0A
>>419

板に書きこんだ当人です。
えー、ビデオで字幕と比較していただくと分かりやすいのですが、
たとえば原典では「たしかに」「ついに」などの文字が現在では
判りにくいものになっていたので勝手に直してしまっています。

最大は「大将の心底…」の段落と「古き物語を…」の段落を
入れ替えてしまっています。文字で読むとこの二つの部分が
話題が善悪入れ替わってちょっと難解かなと余計な気を回して
しまったもので。画面では晴信と信虎を入れて分かりやすく
なっていますが。
422日曜8時の名無しさん:2007/03/22(木) 10:13:24.11 ID:zHilesw+
段落いれかえちゃうのはさすがにまずいんじゃないの
423日曜8時の名無しさん:2007/03/22(木) 10:44:47.49 ID:fO4dct0A
まずいんですよ。

話のとっかかりになってくれれば、そのうち誰かが原典を
全文引用してくれるだろう、などとと甘く考えていて…
だもので貼り付けるときはだいたい「一部改変&入れ替え」
と表示はしていたんですが。すみません。
424409:2007/03/22(木) 11:26:45.43 ID:FLzvjqgG
>>410>>411
面白いドラマは脚本家の力、とずっと思いこんでたので
参考になりました。ありがと。
425日曜8時の名無しさん:2007/03/22(木) 15:20:55.97 ID:+M6PNtGm
風林火山の旗は何時からつかいはじめたんですか?
426日曜8時の名無しさん:2007/03/22(木) 15:36:54.56 ID:33VtvvWr
元は孫子だけど、、
次々回くらいかな、タイトルがそんなだったらそれ見たほうがいんじゃね?w
427日曜8時の名無しさん:2007/03/22(木) 15:38:35.42 ID:5tt6pwIg
>>425
ようつべに大河武田信玄のときのエピソードが
あった希ガス

調べて
428日曜8時の名無しさん:2007/03/22(木) 15:49:01.13 ID:5tt6pwIg
429日曜8時の名無しさん:2007/03/22(木) 16:22:37.03 ID:VQ7i4DNK
>>425
確か、史実的には「何時から使われた」はよくわかってないと思った。
逆に信玄が亡くなった時に風林火山の旗を横にして弔ったという記述はあるから、
それまでには有名になるほど使っていた程度しかわかってない。
一説には川中島あたりから使ったというのもあるが、記述がないからもっと早くてもおかしくない。


また、現存する風林火山の旗も多いし、よく使われていたのは確かだけど、
そのほか御旗(いわゆる日の丸)、諏訪の旗、武田菱の旗、ムカデの旗など
多数の旗を使っていて、風林火山の旗ばかりをメインにしたわけでもない。
その後の江戸時代の軍記物で語呂がよく多様されたのがメジャーになった原因。


また、風林火山の旗は200年近く前に北畠顕家が使っていたのもの有名で、
信玄はこれにあやかった説もある。
430北条氏綱公御書置:2007/03/22(木) 17:03:48.97 ID:veaHJdhr
(追而書)其方儀、万事我等より生れ勝り給ひぬと見付候得ハ、不謂事なから、
古人の金言名句ハ聞給ひても失念之儀あるへく候、親の言置事とあら
は、心に忘れがたく可在哉と如此候、
一、大将によらす、諸侍迄も義を専に守るへし、義に違ひてハ、たとひ一国二国
切取たりといふ共、後代の恥辱いかゝわ、天運つきはて滅亡を致すとも、義
理違へましきと心得なは、末世にうしろ指をさゝるゝ恥辱ハ在間敷候、従昔
天下をしろしめす上とても、一度者滅亡の期あり、人の命はわすかの間なれ
は、むさき心底努々有へからす、古き物語を聞ても、義を守りての滅亡と、
義を捨ての栄花とハ、天地各別にて候、大将の心底慥於如斯者、諸侍義理を
思ハん、其上無道の働にて利を得たる者、天罰終に遁れ難し、
一、侍中より地下人百姓等に至迄、何も不便に可被存候、惣別人に捨りたる者ハ
これなく候、器量・骨柄・弁舌・才覚人にすくれて、然も又道に達し、あ
つはれ能侍と見る処、思ひの外武勇無調法之者あり、又何事も無案内にて、
人のゆるしたるうつけ者に、於武道者、剛強の働する者、必ある事也、たと
ひ片輪なる者なり共、角ひ様にて重宝になる事多ケれハ・其外ハすたりたる
者ハ、一人もあるましき也、その者の役立処を召遣、役ニたゝさる処を不
遣候而、何れをも用に立候を、能大将と申なり・此者ハ一向の役ニたゝさる
うつけ者よと見かぎりはて候事ハ、大将の心にハ浅ましく、せはき心なり、
一国共持大将の下々者、善人悪人如何程かあらん、うつけ者とても、罪科無
之内にハ刑罰を加へ難し、侍中に我身は大将の御見限り被成候と存候得者、
いさミの心なく、誠のうつけ者となりて役ニたゝす、大将はいかなる者をも
不便に思召候と、諸人にあまねくしらせ度事也、皆々役ニたてんも立間敷も、
大将の心にあり、上代とても賢人ハ稀なる者なれハ、末世には猶以あるまし
き也、大将にも十分の人はなけれハ、見あやまり聞あやまり、いか程かあら
ん、たとヘハ能一番興行するに、大夫に笛を吹かせ、鼓打に舞ハせてハ、見
物なりかたし、大夫に舞ハせ、笛・鼓それゝゝに申付なは、其人をもかへす、
同役者ニて能一番成就す、国持大将の侍を召遣候事、又如此候、罪科在之輩
ハ、各別小身衆者、可有用捨事歟、
431北条氏綱公御書置:2007/03/22(木) 17:05:28.99 ID:veaHJdhr
一、侍者驕らす諂らハす、其身の分限を守をよしとす、たとへは五百貫の分限に
て千貫の真似をする者ハ、多分ハこれ手苦労者なり、其故は、人の分限ハ天
よりふるにあらす、地より沸にあらす、知行損亡の事あり、軍役おほき年あ
り、火事に逢者あり、親類眷属多き者あり、此内一色にても、其身にふり来
りなは、千貫の分限者、九百貫にも八百貫にもならん、然るにケ様の者ハ、
百姓に無理なる役儀を懸るか、商買之利潤か町人を迷惑さするか、博奕上手
にて勝とるか、如何様にも出所あるへき也、此者出頭人に音物を遣し、能々
手苦労を致すニ付、家老も目かくれ、是こそ忠節人よとほむれは、大将も五
百貫の所領にて千貫の侍を召遣候と目見せよく成申候、左候得ハ、家中加様
の風儀を、大将ハ御数寄候とて、華麗を好ミ、何とそ大身のまねをせむとす
る故、借銀かさなり、内証次第につまり、町人百姓をたおし、後者博奕を心に
よせ候、さもなき輩ハ、衣裳麁相なれハ・此度の出仕ハ如何、人馬小勢にて
見苦敷けれは、此度の御供ハ如何、大将の思召も、傍輩の見聞も、何とかと
思へとも、町人百姓をたおし候事も、商賈の利潤も、博奕の勝負も無調法な
れハ是非なし、虚病を構へ不罷出候、左候得者、出仕の侍次第々々にすくな
く、地下百姓も相応に華麗を好ミ、其上侍中にたおされ、家を明、田畠を
捨て、他国へにけ走り、残る百姓ハ、何事そあれかし、給人に思ひしらせん
とたくむ故、国中悉貧にして・大将の鉾先よハし、当時上杉殿の家中の風儀
如此候、能々心得らるへし、或ハ他人の財を請取、或ハ親類縁者すくなく、
又ハ天然の福人もありときく、加禄之輩ハ、五百貫にても、六七百貫のまね
ハなるへき也、千貫の真似ハ、手苦労なくてハ覚束なし、乍去これ等も分限
を守りたるよりハおとり也と存せらるへし、貧なる者まねをせは、又々件の
風儀になるへけれは也、
432北条氏綱公御書置:2007/03/22(木) 17:07:56.21 ID:veaHJdhr
一、万事倹約を守るへし、華麗を好む時ハ、下民を貪らされハ、出る所なし、倹
約を守る時ハ、下民を痛めす、侍中より地下人百姓迄も富貴也、国中富貴な
る時ハ、大将の鉾先つよくして、合戦の勝利疑ひなし、亡父入道殿ハ、小身
より天性の福人と世間に申候、さこそ天道の冥加にて可在之候得共、第一ハ
倹約を守り、華麗を好ミ給ハさる故也、惣別侍ハ古風なるをよしとす、当世
風を好ハ、多分ハ是軽薄者也と常々申させ給ぬ、
一、手際なる合戦ニて夥敷勝利を得て後、驕の心出来し、敵を侮り、或ハ不行儀
なる事必ある事也、可慎々々、如斯候而滅亡の家、古より多し、此心万事に
わたるそ、勝て甲の緒をしめよといふ事、忘れ給ふへからす、
右、堅於被相守者、可為当家
繁昌者也、
天文十年五月廿一日                氏綱(御判)



この本文は管見の限り、
『小田原市史』史料編中世U小田原北条1(192頁144号文書)、
『神奈川県史』資料編3古代・中世3下(269頁6742号文書)、
小澤富夫編『武家家訓・遺訓集成』(ぺりかん社、1998年)
に掲載されている。
また原本が見たければ、東京大学史料編纂所にある「宇留島常造氏所蔵文書」の影写本の閲覧を申請すれば、その中にあると思われる。

なおここに書き込んだものは『小田原市史』に掲載のものに依拠している。
以上>>293>>302>>305-306>>308-310>>414-419>>421-423の期待に応えて全文掲載。
誤字脱字があったら失礼。
433日曜8時の名無しさん:2007/03/22(木) 17:14:20.74 ID:veaHJdhr
>>430-432補足
一部に「、」を「・」に間違えて読み取っている箇所がありますが、
斟酌して読んでくださいませ。
434日曜8時の名無しさん:2007/03/22(木) 18:15:16.53 ID:5qcdtWiF
北条氏綱はほんとうにそんな遺言残したの?
毛利元就とぜんぜん逆じゃないか
435433:2007/03/22(木) 18:20:46.53 ID:3DmUGI4K
>>434
『小田原市史』には一応「本文書は、検討を要する。」とある。
まあ原本自体が「写し」であり、正文や案文ではないので、これ以上のことはいえないだろう。
436302:2007/03/22(木) 18:24:08.18 ID:Q+GhaDfx
>>431
                  ∩
                  ( ⌒)      ∩_ _ グッジョブ!!
                 /,. ノ      i .,,E)
             / /"      / /"
  _n  グッジョブ!!   / / _、_   ,/ ノ'
 ( l     _、 _   / / ,_ノ` )/ / _、_    グッジョブ!!
  \ \ ( <_,` )(       / ( ,_ノ` )     n
   ヽ___ ̄ ̄ ノ ヽ      |  ̄     \    ( E)
     /    /   \    ヽ フ    / ヽ ヽ_//
437日曜8時の名無しさん:2007/03/22(木) 18:33:29.60 ID:fO4dct0A
>>430-433
       GJ!
                〃  /   ,          \    ヽ   i    Y
                  / / /  / /  / / |  ヽ   ヽ    ヽ  |    l
              / / /  / /   i /!  !   ! i   Y    i  |    |
              !│ /  !  !  j| i│ ト.  ! |    l  i l  |    |
               |│ l  i|  |  /|! ! |  |  | j   l  l !  j   │
               |│ |  ||  | i !│|  |  l. |   |  l│  .|    |
               |│ |  ||  | | |,」 ! l. | L. 」 !    |  | !   !     !
               |│ |!   !>七i´ !」」 l」 ! |`i¬─ァ‐-リ |   |    !
               ト、! 」ヽ__|‐'´ ,二..、     ̄ ,.二ニ、`7 ‐    |=、、 l
           r'⌒i  |   ヘ ∧ひリi       化ドij ヽ,|    j  リ   !
             /   !   !i    i ゝゞ:ツ        ゞ ツ ソ|    l /l  l
          j   |   | !     l         ,            |    K  l  !
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438日曜8時の名無しさん:2007/03/22(木) 18:44:05.43 ID:3DmUGI4K
>>430-433訂正
読み返してみたところ、誤植を2箇所発見してしまいましたので、お詫びして訂正いたします。

>>430
× ひ片輪なる者なり共、角ひ様にて重宝になる事多ケれハ・其外ハすたりたる
○ ひ片輪なる者なり共、用ひ様にて重宝になる事多ケれハ、其外ハすたりたる

>>431
× 又ハ天然の福人もありときく、加禄之輩ハ、五百貫にても、六七百貫のまね
○ 又ハ天然の福人もありときく、加様之輩ハ、五百貫にても、六七百貫のまね

まだあるかも知れませんが、とりあえずこれだけ見つけたので訂正です。
439日曜8時の名無しさん:2007/03/22(木) 20:39:00.96 ID:SsasBkpA
>>431
GJ

>>434
同時に「早雲寺殿二十一個条」って初代早雲の覚書もあって、
これも似た内容になってる上に、
北条直轄地は戦国はおろか、日本史上もっとも安いと言われる四公六民(年貢4割)を行っており、
江戸時代より早く目安箱などを設置したりもした民政家として成果から、

また、北条家が家族内紛は殆ど起きないことから、
氏綱覚書は真偽はともかく、少なくとも北条家はかなり守っていたと言われる。

ちなみに、この北条の領国経営はほぼそのまま徳川政権に受け継がれ江戸幕府の基礎となった。

440日曜8時の名無しさん:2007/03/23(金) 00:38:22.13 ID:sBimgC6O
武者震いの父親が雪斎より義元の近くに座っていましたが、あの人はかなり
偉い人なんですか?
441日曜8時の名無しさん:2007/03/23(金) 01:04:42.37 ID:QMaP53Af
>>440
結構偉い人っていうか、雪斎の兄者

442日曜8時の名無しさん:2007/03/23(金) 01:17:23.60 ID:HdUtwW4n
>>440

ついでに、庵原殿は勘助の大叔父
だから勘助母と武者震いは従兄弟同士
443日曜8時の名無しさん:2007/03/23(金) 01:23:41.14 ID:jxgLUGD8
親類だが、従兄弟ではない。
444日曜8時の名無しさん:2007/03/23(金) 01:26:38.96 ID:HdUtwW4n
>>443
そうなの? 勘助の母親が庵原殿を「叔父上!」って呼んでたけど
従兄弟ではなく、従姉弟だっ!ってのはなしでマジレスぷりーず
445日曜8時の名無しさん:2007/03/23(金) 01:45:12.13 ID:jxgLUGD8
>>>444
勘助の母親と武者震いが従兄弟同士。
従って勘助と之政は従兄弟関係ではない。
具体的に何と言うかは知らんw ハトコじゃねーし何だろ?
まあ取り合えず親類だ。
446442:2007/03/23(金) 01:47:18.77 ID:HdUtwW4n
>>445
いや、だからオレ、>>442で「勘助母と武者震いは従兄弟」って書いてるやん
447日曜8時の名無しさん:2007/03/23(金) 01:48:03.92 ID:CCnTt1+9
>>420
>そう言えばこの間の回、寿桂尼さまの「多少ならかまわぬ」のセリフ、
>シナリオでは「信虎殿を」になっていたものが「供の衆を」に入れ替え
>られてしまっていましたね。こういうこともあるようです。
そうだったんだ、共がいなくなるからジュケイニに発言した言葉が意味が解らなかったよ。
経緯はしらんけど改悪だな。
カンスケの共(武者震いと空気読めない)が死んでもいいよと言ってると思った。
448日曜8時の名無しさん:2007/03/23(金) 01:50:13.36 ID:jxgLUGD8
>>446
ホントだ・・・・・・・・・
さようなら人生・・・・・・・・・・・
449日曜8時の名無しさん:2007/03/23(金) 02:07:30.17 ID:wNpzMans
>>448
 自ら地獄へ参れ
450日曜8時の名無しさん:2007/03/23(金) 02:12:54.73 ID:plGLpIkz
男色が武士のたしなみだった戦国の世
信玄のそっちの趣味はつとに有名だったそうだが
上杉兼信のことはどう思っていたのでしょうか?


451日曜8時の名無しさん:2007/03/23(金) 02:48:14.80 ID:8SxO5TXo
>>439
むしろ「早雲寺殿廿一箇条」のほうが氏綱の置文より知名度は高いと思う。
こっちは一応いわゆる分国法の一種と見なされているようだし、
『続群書類従』に入っていたから、結構一般にも流布していたみたいだしね。
『中世法制史料集』でも、氏綱のほうは載せていないけど、早雲のほうは
分国法の一種と見なしてか、「武家法」のところに収録している。
452日曜8時の名無しさん:2007/03/23(金) 04:12:38.99 ID:x7tUBQLR
オマエライバル会社の社長が異性だったとして、興味持つのかよ?
頭の中洗濯してこい、気持ち悪いよ。
453日曜8時の名無しさん:2007/03/23(金) 04:23:01.45 ID:ZNhC92s0
腐女子なんだよ、そっとしておいてあげろよ
454日曜8時の名無しさん:2007/03/23(金) 07:01:10.97 ID:k5vkZxcL
今夜20:54〜新説!?みのもんたの歴史ミステリー第2弾
▽信長が信玄・謙信を毒殺!?謎の黒幕の正体
ttp://www.tv-tokyo.co.jp/nihonmystery2/

日本のさまざまなミステリーを検証する第2弾。
戦国時代の二英傑、武田信玄と上杉謙信は共に、その最期は病死とされている。
しかし2人の死により、人生最大のピンチを切り抜けたのが織田信長だった。
信長の都合に合わせるように亡くなった2人が、実は暗殺されていたという説に迫る。
455日曜8時の名無しさん:2007/03/23(金) 10:01:07.63 ID:wKDjjhCU
信長はどれだけ完璧超人なんだよ、って話だよな・・・
456日曜8時の名無しさん:2007/03/23(金) 12:53:58.79 ID:it4PRRtV
信長の背後には南蛮が居たからな。
さいきんその線で謎解きする書籍番組は多いな
457日曜8時の名無しさん:2007/03/23(金) 12:56:52.86 ID:njCqqwsO
>>440
明確な表記はないが、今川家の重臣であるのは間違いなく、
前回、カンスケに信虎引取りを、義元が命じるシーンでの席次で見ると
劇中では筆頭家老クラスの予感。

但し、当主が義元になってからは、
雪斎のみが重用される状況ため、放置されぎみ。
Wikipediaによれば、駿河国庵原城主。
458日曜8時の名無しさん:2007/03/23(金) 14:07:17.42 ID:F1u7fZrA
じゃあ武者震いってけっこうな御曹司だったんだ。
馬鹿にして悪かったw
459日曜8時の名無しさん:2007/03/23(金) 14:19:37.34 ID:e2FdBpX3
>>457
庵原氏は、岡部氏などと同様に、元々は今川氏の一族でも被官でもなかった
独立の御家人。
この地域の郡名である庵原を苗字としていることからも、有力な国人領主で
あったと考えられる。
守護今川氏との関係は室町の初期の頃からあることはあるが、完全に今川氏の
被官に組み込まれるのは、戦国になってから。

なお庵原郡は現在の富士川町から静岡市清水区にかけての地域。
460日曜8時の名無しさん:2007/03/23(金) 16:43:09.94 ID:dwuzKM6W
武田信玄って本当に強いのか?
村上や長野のような小領主に負けてばかり

自分よりはるかに巨大な敵を次々滅ぼした元就のほうがすごい気がする
461日曜8時の名無しさん:2007/03/23(金) 17:39:45.86 ID:lISSvXvM
スレタイ読める?
462日曜8時の名無しさん:2007/03/23(金) 18:52:20.53 ID:gHt48+N7
あれは戦国板に張り付いているダニだ、華麗にスルーしれ。
463日曜8時の名無しさん:2007/03/24(土) 01:42:45.13 ID:VH04JkuR
今川家中における庵原や岡部って、本来的には武田家中における小山田と
大差ない感じなんだよな。
ただ小山田ほど反抗的ではなく、守護家である今川との関係は割と良好だけど。
464日曜8時の名無しさん:2007/03/24(土) 12:50:30.94 ID:qXuL3MBP
>>463
今川と武田じゃ単純に当主の権力がダンチだからだろ。
465日曜8時の名無しさん:2007/03/24(土) 13:14:37.98 ID:n5h8P+e3
今川だって氏親の相続以前はかなり弱体だよ。
466日曜8時の名無しさん:2007/03/24(土) 14:01:15.59 ID:K2zw6ShP
再放送見た。改めて歌会のシーンを見ると、飛鳥井も大井も、
結構腹ん中では何考えてるかわからんような、意地悪い感じの芝居してたな。
或いは信虎追放を知らされてたのかしら?いやそんなことは無いかな…
あまり細かく詮索しないで良いのかもしれないが。
467日曜8時の名無しさん:2007/03/24(土) 14:21:29.85 ID:kGMhirE/
次回の時に流れる太鼓は海ノ口城攻めの時、武田軍が叩いていた太鼓のもの
と同じものなのでしょうか?
468日曜8時の名無しさん:2007/03/24(土) 15:13:17.78 ID:3Hx5Lo4n
>>467
同じといわれると微妙。
武田信玄は、軍を鼓舞するために、
諏訪の神楽で使われていた太鼓を元に、
「御諏訪太鼓二十一人衆」というものを作り、
七人一組×3で演奏させる形態を作り上げた。
これが武田家滅亡後も諏訪の伝統として残っていたが廃れ、
それを昭和に入り、小口大八が譜面を解読して諏訪太鼓を復活させた。
信玄の七人一組をベースに、複数の太鼓を使う複式複打法の「和太鼓のオーケストラ」として完成させた。
この御諏訪太鼓は長野オリンピックでも演奏され海外でも高い評価を受けてる。
で、この御諏訪太鼓演奏者と千住明が作ったのが予告編の太鼓の音。

ということは、海ノ口攻めの太鼓は、
「晴信が家督を継ぐ前、それも諏訪を支配してない状態で諏訪太鼓と呼べるか微妙だし、同じものとは言いにくい」
となります。

ただ、太鼓、諏訪太鼓は武田信玄に縁が深いものであるのは間違いないです。







469日曜8時の名無しさん:2007/03/24(土) 17:09:53.17 ID:qXuL3MBP
氏親の前じゃ戦国時代以前のお話にならねえか?
そんな所からカウントすんの?
470日曜8時の名無しさん:2007/03/24(土) 17:41:45.07 ID:kGMhirE/
>>468
丁重なご説明ありがとうございます。
諏訪太鼓という伝統ですね。
471日曜8時の名無しさん:2007/03/24(土) 19:28:40.76 ID:B7h7SxAa
3月25日(日) 23:00〜23:30 みゅーじん
作曲家千住明…大河ドラマの音楽裏側▽厳格な亡父に隠した音楽への情熱
ttp://www.tv-tokyo.co.jp/m-jin/

作曲家の千住明氏に密着。
千住氏はドラマや映画の音楽を数多く手掛け"映像音楽の魔術師"とも呼ばれる。
だが、彼が現在の地位にたどり着くまでには苦悩の日々があった。
付属高校で音楽一色の生活を送り、そのまま慶応大に進学した千住氏。
しかし、入ったのは音楽とは無縁の工学部だった。
その後、悩んだ末に音楽への道を志した彼は中退を決意。
東京芸大の作曲科に進み、正統派の純音楽を学んだ。
亡き父に一流ではなく超一流を目指せと言われ、
その言葉が千住氏の人生を変えたという。
472日曜8時の名無しさん:2007/03/24(土) 20:43:03.44 ID:3a/M7m3+
>>469
戦国時代の開始は何年ですか?
473日曜8時の名無しさん:2007/03/24(土) 20:57:48.50 ID:qXuL3MBP
>>472
1467年応仁の乱からと言うのが一般的なんじゃね?
その換算で行くと義忠の治世は戦国時代の話としては微妙なんじゃないかと。
474日曜8時の名無しさん:2007/03/24(土) 21:46:55.38 ID:M5KW8SPt
ウィキで北条氏康について
氏綱は若い氏康の器量を心配して、天文10年(1541年)5月に氏康に対して5か条の訓戒状を伝えている
。しかしよほど心配だったのか、一時は氏康を廃嫡して綱成を後継者にしようとまで考えたとされている。

とあるのですが遺言で
其方儀、万事我等より生れ勝り給ひぬと見付候得ハ、不謂事なから、とありますが
これはお前の資質が良いと私は見ているから以下の事はわざわざ言わなくともいいと思うが念の為って意味ですよね
矛盾してると思うのですが氏綱は息子についてどう思ってたんでしょうか?
475日曜8時の名無しさん:2007/03/24(土) 22:26:04.24 ID:oECyLnqr
歌会についてなんだけど
信虎の「心の底にすむ月かな」ってお題でしょ
これに参加者が答えていく
476日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 00:43:30.19 ID:OMef+BjC
>>473
最近の学説では、
関東では享徳の乱から、
それ以外では明応の政変から
というのが一般的では?
477日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 01:09:34.77 ID:EOgjBC+l
>>430-433を書いた者ですが、間違いがボロボロ出てきてしまったので、もう一度書き直します。
あと『武家家訓・遺訓集成』に載っているほうは、底本が違うため、若干字句が異なっているようです。
478日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 01:10:37.22 ID:EOgjBC+l
(追而書)其方儀、万事我等より生れ勝り給ひぬと見付候得ハ、不謂事なから、
     古人の金言名句ハ聞給ひても失念之儀あるへく候、親の言置事とあら
     は、心に忘れがたく可在哉と如此候、
一、大将によらす、諸侍迄も義を専に守るへし、義に違ひてハ、たとひ一国二国
  切取たりといふ共、後代の恥辱いかゝわ、天運つきはて滅亡を致すとも、義
  理違へましきと心得なは、末世にうしろ指をさゝるゝ恥辱ハ在間敷候、従昔
  天下をしろしめす上とても、一度者滅亡の期あり、人の命はわすかの間なれ
  は、むさき心底努々有へからす、古き物語を聞ても、義を守りての滅亡と、
  義を捨ての栄花とハ、天地各別にて候、大将の心底慥於如斯者、諸侍義理を
  思ハん、其上無道の働にて利を得たる者、天罰終に遁れ難し、
一、侍中より地下人百姓等に至迄、何も不便に可被存候、惣別人に捨りたる者ハ
  これなく候、器量・骨柄・弁舌・才覚人にすくれて、然も又道に達し、あ
  つはれ能侍と見る処、思ひの外武勇無調法之者あり、又何事も無案内にて、
  人のゆるしたるうつけ者に、於武道者、剛強の働する者、必ある事也、たと
  ひ片輪なる者なり共、用ひ様にて重宝になる事多ケれハ、其外ハすたりたる
  者ハ、一人もあるましき也、その者の役立処を召遣、役ニたゝさる処を不
  遣候而、何れをも用に立候を、能大将と申なり、此者ハ一向の役ニたゝさる
  うつけ者よと見かぎりはて候事ハ、大将の心にハ浅ましく、せはき心なり、
  一国共持大将の下々者、善人悪人如何程かあらん、うつけ者とても、罪科無
  之内にハ刑罰を加へ難し、侍中に我身は大将の御見限り被成候と存候得者、
  いさミの心なく、誠のうつけ者となりて役ニたゝす、大将はいかなる者をも
  不便に思召候と、諸人にあまねくしらせ度事也、皆々役ニたてんも立間敷も、
  大将の心にあり、上代とても賢人ハ稀なる者なれハ、末世には猶以あるまし
  き也、大将にも十分の人はなけれハ、見あやまり聞あやまり、いか程かあら
  ん、たとヘハ能一番興行するに、大夫に笛を吹かせ、鼓打に舞ハせてハ、見
  物なりかたし、大夫に舞ハせ、笛・鼓それゝゝに申付なは、其人をもかへす、
  同役者ニて能一番成就す、国持大将の侍を召遣候事、又如此候、罪科在之輩
  ハ、各別小身衆者、可有用捨事歟、
479日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 01:11:38.81 ID:EOgjBC+l
一、侍者驕らす諂らハす、其身の分限を守をよしとす、たとへは五百貫の分限に
  て千貫の真似をする者ハ、多分ハこれ手苦労者なり、其故は、人の分限ハ天
  よりふるにあらす、地より沸にあらす、知行損亡の事あり、軍役おほき年あ
  り、火事に逢者あり、親類眷属多き者あり、此内一色にても、其身にふり来
  りなは、千貫の分限者、九百貫にも八百貫にもならん、然るにケ様の者ハ、
  百姓に無理なる役儀を懸るか、商買之利潤か町人を迷惑さするか、博奕上手
  にて勝とるか、如何様にも出所あるへき也、此者出頭人に音物を遣し、能々
  手苦労を致すニ付、家老も目かくれ、是こそ忠節人よとほむれは、大将も五
  百貫の所領にて千貫の侍を召遣候と目見せよく成申候、左候得ハ、家中加様
  の風儀を、大将ハ御数寄候とて、華麗を好ミ、何とそ大身のまねをせむとす
  る故、借銀かさなり、内証次第につまり、町人百姓をたおし、後者博奕を心に
  よせ候、さもなき輩ハ、衣裳麁相なれハ、此度の出仕ハ如何、人馬小勢にて
  見苦敷けれは、此度の御供ハ如何、大将の思召も、傍輩の見聞も、何とかと
  思へとも、町人百姓をたおし候事も、商賈の利潤も、博奕の勝負も無調法な
  れハ是非なし、虚病を構へ不罷出候、左候得者、出仕の侍次第々々にすくな
  く、地下百姓も相応に華麗を好ミ、其上侍中にたおされ、家を明、田畠を
  捨て、他国へにけ走り、残る百姓ハ、何事そあれかし、給人に思ひしらせん
  とたくむ故、国中悉貧にして、大将の鉾先よハし、当時上杉殿の家中の風儀
  如此候、能々心得らるへし、或ハ他人の財を請取、或ハ親類縁者すくなく、
  又ハ天然の福人もありときく、加様之輩ハ、五百貫にても、六七百貫のまね
  ハなるへき也、千貫の真似ハ、手苦労なくてハ覚束なし、乍去これ等も分限
  を守りたるよりハおとり也と存せらるへし、貧なる者まねをせは、又々件の
  風儀になるへけれは也、
480日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 01:12:46.41 ID:EOgjBC+l
一、万事倹約を守るへし、華麗を好む時ハ、下民を貪らされハ、出る所なし、倹
  約を守る時ハ、下民を痛めす、侍中より地下人百姓迄も富貴也、国中富貴な
  る時ハ、大将の鉾先つよくして、合戦の勝利疑ひなし、亡父入道殿ハ、小身
  より天性の福人と世間に申候、さこそ天道の冥加にて可在之候得共、第一ハ
  倹約を守り、華麗を好ミ給ハさる故也、惣別侍ハ古風なるをよしとす、当世
  風を好ハ、多分ハ是軽薄者也と常々申させ給ぬ、
一、手際なる合戦ニて夥敷勝利を得て後、驕の心出来し、敵を侮り、或ハ不行儀
  なる事必ある事也、可慎々々、如斯候而滅亡の家、古より多し、此心万事に
  わたるそ、勝て甲の緒をしめよといふ事、忘れ給ふへからす、
   右、堅於被相守者、可為当家
   繁昌者也、
  天文十年五月廿一日                氏綱(御判)



この本文は管見の限り、
『小田原市史』史料編中世U小田原北条1(192頁144号文書)、
『神奈川県史』資料編3古代・中世3下(269頁6742号文書)、
小澤富夫編『武家家訓・遺訓集成』(ぺりかん社、1998年)、
に掲載されている。
底本については、
『小田原市史』『神奈川県史』のものは東京大学史料編纂所の「宇留島常造氏所蔵文書」(影写本)、
『武家家訓・遺訓集成』のものは国立公文書館内閣文庫の『半日閑話』、
となっており、両者の間には若干の字句の異なるところがある。
ドラマに出てきたものは前者に基づいていると見られる。
なおここに書き込んだものも前者(『小田原市史』に掲載のもの)に依拠している。
481日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 01:17:07.64 ID:PUFnQREj
>>474
若いころヤンチャしていた子供が、
落ち着いて仕事し始めた親の気持ちでしょ。

>>476
関東だけは鎌倉公方の反乱があるから享徳の乱という話だが、
応仁の乱を切欠に混乱したのは事実だからそこでいいでしょ。
関東だけ別にするとややこしいし、
幕府の権力は戦国の間も残っているのも事実だし。

一説には北条早雲が一国を切り取ったときからという話もあるが。
482日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 01:31:23.90 ID:EOgjBC+l
>>481
北条早雲の伊豆侵攻が明応の政変と同じ年(明応2年=1493年)である上、
この両者は密接に連動している事件ってことが明らかにされてからは、
政治史的には、関東もそれ以外も全部まとめて明応の政変があった年で
いいんじゃないかっていう意見も強くなってきている。

ただ地方の在地秩序が大きく混乱するきっかけになったのが応仁・文明の乱と
いうのも動かし難い事実なので、在地を中心とした社会史的な観点からは、
従来通り応仁・文明の乱を契機とする考えも根強い。

要するに、応仁・文明の乱をきっかけにして社会が大きく変化し始めてしまい、
その結果として政治権力のあり方自体もその社会の変化に引きずられるように
徐々に変わっていった、という感じのイメージが妥当なんじゃないかと思う。
483日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 04:06:22.77 ID:z4p6HW69
永原慶二氏の『戦国時代』よりまとめると
応仁の乱からの時代区分はいちおう適当だといえるが
義尚の代までは、室町幕府の存在、
幕府−守護の体制がまがりなりにも維持されていた。
つまり、まだ室町時代的要素が強く残っていた。
しかし、
1486年 尼子経久、守護京極氏の月山城を奪う
1488年 加賀一向一揆。
1491年 北条早雲、堀越公方殺害。
1493年 明応の政変
この立て続けに起きた事件は、いずれも幕府守護体制そのものに対する
根本的な反逆という性質を帯びていた。
下克上の時代、室町時代的権威の積極的な否定がはじまった。
そして、このうち前三者が地方の事件に対し、
明応の政変は、中央の将軍の実権と幕府体制にとどめを刺したという意味で
より一つの時代の区分にふさわしいだろう。
ということである。
484日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 04:13:24.54 ID:z4p6HW69
応仁の乱は小学校の教科書から扱われる有名な事件だけど、
明応の政変なんて、普通の戦国時代ファンはほとんど知らない事件。
学者さん的には明応の変の意義の方がより重視されるかもしれないけど、
一般にとっては、みんな知ってる応仁の乱の方がわかりがいい。
というような事情もあるだろうね。
鎌倉幕府の始まりは、研究者の間ではいくら他の有力な意見があっても、
世間一般では、いまだに「いいくにつくろう鎌倉幕府」みたいな感じかな?

まあ、戦国時代の終始の区分については諸説あります、ということだ。
485日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 05:30:49.70 ID:WZMCc106
>>483
ちょっと永原さんのそのへんの話は、学説としてはもう古すぎなんじゃ・・・。

>1486年 尼子経久、守護京極氏の月山城を奪う
尼子経久の月山城奪取は、この当時京極氏自体が2つに分裂していた事情も
あるし、最終的に家督争いに敗れて出雲にやってきた嘗ての主君京極政経の
晩年の面倒を見ていたのは、紛れもない経久。
また尼子氏は元々京極氏の有力な一族だし、経久の祖父持久の名前は将軍義持の
偏諱と見られることからも、場合によっては本家とは別に単独で守護職などに
就任してもおかしくないくらいの家格ではあった。
実際、後に尼子晴久が将軍義輝から山陰・山陽諸国の守護職に補任された際は、
元々京極氏の守護国だった出雲・隠岐に関しては、京極氏の惣領職を分割して
尼子氏に両国の守護職を与えるという手続きが取られている。
486日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 05:43:20.61 ID:WZMCc106
>1491年 北条早雲、堀越公方殺害。
これについては、堀越公方政知が死んだのは1491年でよいが、
伊勢盛時(早雲)が伊豆に侵攻したのは明応の政変と同じ1493年である
ことがほぼ判明している。
また足利茶々丸は、伊勢盛時の伊豆侵攻時に殺されたりしたわけではなく、
その後も伊豆大島や三浦半島などを転々としており、最終的には1497年に
甲斐に潜伏していたところを幕府から指令を受けた甲斐守護武田信昌によって
討たれたことが分かっている。

>明応の政変は、中央の将軍の実権と幕府体制にとどめを刺したという意味で
ここも微妙で、将軍家が2つに分裂してしまい、廃された
前将軍義材(のちの義稙)のほうを支持する勢力(畠山尚順や大内義興)が
出てきたという点では、政治的には混乱が始まっているけれども、
それでも細川政元政権の時代にはかなり全国政権的な要素を残している。
また永正の政変で細川高国に政権が変わった後も、船岡山合戦等の終了後は
高国が晩年に弱体化して戦死するまで畿内周辺ではほぼ平穏が保たれている。
487日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 06:16:14.86 ID:SGJNrirL
非常に有意義な議論だが、スレタイを100回声に出して読んで欲しい気持ちもある。
488日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 06:36:31.49 ID:YFs0yW2U
>>440-446あたりの血縁関係のことは史実なんでしようか?
(史実といっても甲陽なんとかに書かれてたとか、そんなんでOK)

抜粋すると、
武者震いの父親(庵原)が雪斎の兄者ということや
その庵原が勘助の大叔父にあたるとか、だから勘助母と武者震いは従兄弟同士など。

これが本当なら勘助って結構いいとこのお坊ちゃんみたいな感じじゃないですか?
それとも演出?かなにかでドラマに絡め易くするため創作した話なのかな?
489日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 06:58:25.40 ID:0Dx0z79r
太原雪斎

太原 雪斎(たいげん せっさい、明応5年(1496年) - 弘治元年閏10月10日
(1555年11月23日))は今川氏の家臣。諱は崇孚(すうふ)。
庵原政盛(左衛門尉)の子、母は興津正信の娘。

父方の庵原氏は駿河庵原(現在の静岡県静岡市)周辺を治める一族。
母方の興津氏は横山城を本拠に海運を掌握し海賊(水軍)も率いていた。
両家とも今川氏の重臣。


庵原忠胤

庵原 忠胤(いはら ただたね、生没年不詳)は、戦国時代の武将である。
通称、安房守。今川氏の家臣。由比忠任の子で、庵原忠職(忠次とも)の
養子。駿河国庵原城主。

由比氏から庵原忠職の養子に入り、家督を継いだ。なお今川義元の側近
として有名な太原雪斎は義叔父にあたる。
490日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 06:58:33.26 ID:IDx9VdWU
自分も歴史に疎いので・・・
487の絶妙な言い回しに武者震いがしたw
491日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 08:12:21.26 ID:YlFtFFtU
>>488
442ですが、もちろんドラマ上の設定でしょ
庵原殿と雪斎の関係は489氏が書いてくれてるように(義叔父とは
知らなんだが)
見た目の年齢設定も含め、ドラマはドラマと割り切って見てるけど
492日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 08:34:30.36 ID:nA00qDxC
すみません、刀についてお尋ねします。

先日の放送では、青木が腰にぶら下げて?居た模様なのですが、
刀の持ち歩き方というか、差し方の変遷はどうなるのでしょうか?
詳しい資料など、ありましたらお教え下さい。
493日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 08:40:33.02 ID:aAZP4f3v
>>492
最近、あまりに大河ドラマでなく歴史一般質問が多すぎ。
そーゆー全体の歴史風俗なら歴史板で聞くべし。

すこし「大河ドラマの初心者向け」ということを
質問する側も
答える側も
思い出すべき。
494488:2007/03/25(日) 08:56:20.80 ID:YFs0yW2U
>>489>>491
お答えサンクス。なんと!やはり創作でしたかw>勘助の出目
でもちゃんと言われなければ信じちゃうところでした。聞いといてよかった。
495日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 09:17:51.76 ID:ln17F3Vp
荒れ寺で酒を煽っていた頃で武者震いから施しを受ける前の
勘助の収入源は何なのでしょうか
本も沢山持っていたような気もしますが当時かなり高価だったのでは
ないでしょうか
個人的には犯罪に走っていたような気がして仕方ないのですが?
496日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 09:29:26.69 ID:WRggc+kY
ライターオリジナルストーリーであり、ドラマでも描かれてないことを
誰が知っているのかw 勘助は小知恵回るから、犯罪系だと詐欺とか
得意そうだが。
497日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 09:46:53.83 ID:VW4WwKHC
>>493
しごくもっともな意見。

>>492
故に 太刀 と 打刀 でぐぐれ、とのみ回答す。


498日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 10:14:47.78 ID:mQDm7Zmf
>>495
あれ以前にも武者震いからバイトを斡旋してもらってたんじゃないか
499日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 10:27:53.07 ID:WRggc+kY
ひもだよ、ひも。ルックスで侮らせ、したでに出ていつのまにか後家の元
とかに居座るw ドラマではミツ一人でしたが、駿河周辺には沢山のミツ
がいるわけですよ。
500日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 10:30:26.34 ID:JoAkFL6N
>>494
山本勘助自身がフィクションに近いから、、、

モデルになる人物が存在したのかもしれないが、
話に尾ひれが付き捲っているだろうし、
係累と称する家もあるが、おそらく後世の付託。

ただ、そういう前提を受け入れてドラマを楽しめるというなら、
庵原の親類でそのつてで今川家に関わるというドラマの設定は、
なかなかうまいんじゃないかと思える。
501sage:2007/03/25(日) 10:50:07.98 ID:Y9WW6iid
>>495
青木が我が家のように押しかけていたところから見ると
つるんでろくなことをやっていなさそうだな

まじめな話、ああいった連中というのはいったい何をやって
暮らしていたんだろう
502日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 12:40:39.10 ID:GS7rZMGt
裕福な商人の用心棒とかじゃない?
503日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 13:41:21.04 ID:RJO8Wmo0
>>501
現在のヤクザと一緒

勘助や青木はヤクザ事務所に転がり込んでるチンピラ
危険な任務や鉄砲玉要員として重宝される
だから普段は少々の小遣いやって、手なずけておくということ
504日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 14:24:12.64 ID:xe0ww8os
あたしもマリシテン欲しいんですけど高野山って女人禁制ですか?
505日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 15:07:02.94 ID:DiaMpjt+
>>495
花倉の乱あたりでは庵原家の食客だったろう
あとは氏康公の「入り用なものはなんでももっていけ」のお言葉を真に受けて
金目のものも書物もたくさんもらっちゃったのではw
506日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 15:23:59.53 ID:9Bw4rpTQ
>>504
ググレカス

つ ttp://www.shukubo.jp/
507日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 15:29:19.57 ID:T4iKZrD/
>>488
『甲陽軍鑑』に武田への仕官前の勘助は、庵原氏のところに居候していた
みたいな話があるところから膨らませたのではないなかな?

ただ雪斎が庵原一族の出身なのは史実。

>>492
刀の差し方は、古い時代だと刃を下にして差すのが一般的。
しかし戦国期頃から、個人戦としての剣術が流行始めると、現在の剣道と同じ
ように刃を上にして差すのが一般的になった。
508日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 15:32:37.43 ID:tugonsft
>>507
太刀は刃を下、打刀は刃を上に差す。
剣術とは無関係。
剣術と関係あるのは脇差に差し方のほう。
509日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 16:14:47.50 ID:Nirw15+l
>>508
俺、昔剣道をやってたときに、>>507のように習ったよ。
510日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 16:19:15.35 ID:HxnY7Q0Q
ところで当初配役リストにあった片瀬那奈はどうなったの?
511日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 16:19:25.33 ID:tugonsft
>>508
例えばこの辺の説明
ttp://www.toukenhataya.jp/guide/spe.html
512日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 17:10:01.62 ID:1qqxLxeQ
>>503
だね。
むしろ江戸時代の浪人の生活の方に疑問を持ってもらいたいね。
513日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 19:02:11.51 ID:sZca8ThR
>>495 > 勘助の収入源は何なのでしょうか

本日の放送 第12回『勘助仕官』で説明が入ります。
514日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 19:13:27.22 ID:ln17F3Vp
真田の郷で平蔵やんが”止めてくりゃ〜”と叫んだ場面で
勘助が暴れ馬に飛び乗って??制御したようなのですが、
生涯者がこんな事を行うのは音竹小学校教諭が逆上がりをするより
難しいのではないでしょうか
515日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 19:23:29.47 ID:Qp7Dnd2F
>>494

> お答えサンクス。なんと!やはり創作でしたかw>勘助の出目

すまんが、出目とは?
516日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 19:28:38.18 ID:ln17F3Vp
サニーとあまり〜とおぶサンが”一心同体”であるようなのですが
肉体的にも深い繋がりがあることを暗示しているのでしょうか
517日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 19:37:27.81 ID:xMF3QMO+
>>515
読めないまま何となく意味を知って
使っているのかと。   多分「出自」
518日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 19:43:22.65 ID:OomK3p4q
>>516
数字板にお逝き下され。
同じ腐女子として恥ずかしいでごいすorz
519日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 20:37:11.32 ID:GV6S8Smd
>>514
手の不住な方は足で文字を書く方もいます。
生錠者にはできない人の能力を引き出す何かがあるのでしょう。
520日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 20:49:38.53 ID:kCOn9zB/
>514
Q物語の主人公は何故強いのか?
A主人公だから。
521日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 20:55:44.30 ID:72BYUDBV
「ぎょうりゅう」って何ですか?
522日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 20:56:57.33 ID:wjEDPbHL
勘助が奥義の話をしている時に、小山田が横から
「おなごだったら云々」とか嫌味を入れてたけど
どんな意味があったんですか?
523日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 20:57:35.48 ID:Vkh9AKVk
>>521
「行流」でググレ
524日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 20:59:19.07 ID:wCAjoWIt
200貫とは現在の価値にしていくらぐらいですか?
525日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 20:59:26.82 ID:rNJY6m1n
>>521
剣術の流派の一つだろ。武田家の主流は心刀流(漢字違うかも・・・同音流派多し)
で、勘助はそれを修めていないことから「こいつダサくね? 使えなくね?」って
遠まわしに嫌味言われた。
526日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 21:03:13.41 ID:Vkh9AKVk
>>522
勘助「我が奥義を知るものは御屋形様のみ」
小山田「それが女子なら殊勝な心がけじゃ」

つまり女だったら「自分のマ○コのことを知ってるのは
御屋形さまだけです」って揶揄したということ
527日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 21:08:37.72 ID:EvYpUuSn
鬼美濃って、強いらしい事はわかるんですが、どれぐらい強いんですか?
528日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 21:09:39.17 ID:wjEDPbHL
>>526
さんくす。つか小山田なんちゅう皮肉だw
529日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 21:15:27.54 ID:iSfiPnRa
>>522
それをゴリさんが言ってたら、「イヤー雷太サイテーエロジジイ」ておなご視聴者から叩かれてただろうな。
530日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 21:21:47.80 ID:kU72tZjt
エロジジイは脚本家だろwwゴリさんカワイソスww

>>527
生涯38回の合戦に出て53箇所の矢傷を受けながらも戦功を立て続けた猛将
それでいて宗教問題で武田家を放逐された事もあるちょい悪親父w
531日曜8時の名無しさん:2007/03/25(日) 21:26:01.19 ID:kjhfUuL5
>>521
行流って、勘助が使ったといわれるが、一般的には呼ばれない(存在しない)流派。
が、行流→京流ともいわれ、
これは京八流のことではないかと思われる。

京八流は、鞍馬流ともいわれ、鬼一法眼が祖。
つまり、源義経が使った剣法。
これはその後、宮本武蔵で有名な吉岡流の元になったといわれ、
佐々木小次郎の中条流もこの流れを汲み、関西系の剣術の基礎になった
また、鬼一法眼が行者だからの「行」より「行流」ともいわれる説もある。

ちなみに、甲斐は関東七流で、これは鹿島七流といわれ
鹿島大明神の宮司達が祖とされる。
(だから、剣術道場には鹿島大明神の掛け軸がある)

だから、甲斐にはその一派であり当時有名で、足利将軍も学んだ
塚原ト伝の「新当流」しかいないということなってる。
(ただ、これはあくまで原作の創作です)
532521:2007/03/25(日) 22:00:33.88 ID:XnaLp6Iy
>>523 >>525 >>531
ありがとう。
533日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 00:12:57.01 ID:eA+lRBJn
>>524
物の価値とか、当時の武田家の経済状況とか、織田と武田の軍体系の違いとか、
色々ややこしいから、本スレからコピペ↓


921 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2007/03/25(日) 21:02:14.07 ID:qtmHqrjW
光秀5000石より下だが、一豊が最初にもらった石高よりは上かな?

927 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2007/03/25(日) 21:03:08.22 ID:lAUjVOQz
一豊は50石だっけ

77 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2007/03/25(日) 21:21:36.64 ID:6Lk14ImO
>>56
換算が難しいけど、だいたい1貫=約4石くらいのレートで語られる事が多い。
534日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 00:33:46.89 ID:jZH/lTAo
勘助の下に付けられた足軽の禄は、勘助が200貫の中から捻出することになるんでしょうか?
それとも武田家持ちで、勘助は指揮権だけを持つことになるんでしょうか?
535日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 01:29:29.40 ID:BOSL8xW6
孫子の兵法ってこの頃みんな読んでたんですか?
それともごく一部の知ってる人だけ知ってるみたいな感じですか?
536日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 02:03:06.98 ID:F2rc+MAB
>>524
1貫=10疋=1000文だっけ?
現代の金額になおすと1貫=10万円くらい?

>>533
功名は太閤検地前なのにどうして貫高制じゃなくて石高制なのか不思議だった。
537日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 02:17:36.79 ID:A7oz85VQ
>>535
武将の多くは読んでいたみたいだ。
538日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 05:19:42.28 ID:HB/rlUYY
冒頭で家臣団を前に晴信が号令?のようなものをかけていたんですが
なんと言っていたのでしょうか?よく聞き取れなかったもので・・・
「みはたけけなし〜」←こんな発音だったかと思います。

>>536
1貫=10万円ってすごいですね。
じゃあ勘助は年収1000万〜2000万でいきなり召抱えられたのか。
世間一般だとこの年収は凄いが
野球だとまだ大物ルーキーか有望新人ぐらいのペーペーだから
どちらかというと勘助的にはこちらに近い感覚なのかな?
昔から就職先に関してすごい欲張ってたし。
539日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 05:41:11.39 ID:Sye++YNe
>>538
「みはたたてなしも ごしょうらんあれ」と言ってる
ウィペからのコピペだけど
ちなみに御旗(みはた)と呼ばれる義光から受け継いだ日章旗
楯無(たてなし)とは、源義光の鎧とされ甲州武田家に伝わる大鎧の名称
二つとも武田の家宝である。武田氏当主はこの鎧と旗に「御旗楯無も御照覧あれ(みはたたてなしも ごしょうらんあれ)」と誓って出陣した。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%AF%E7%84%A1
540日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 06:07:37.30 ID:/rMqmhWf
「功名が辻」が石高制なのは、原作がそうなってるからだよね。
司馬がそうしたのは分かりやすさ優先ってことかな?
541538:2007/03/26(月) 06:58:59.86 ID:HB/rlUYY
>>539
どうも。補足説明もすごく助かりました!

昨日は冒頭のシーンや青木が暗闇でいつのまにか勘助に殺されてたり?
全然意味わからんかった。
(後で大河スレ読むと勘助がなにか罠?にハメてたみたいだけど・・・)

他にも晴信から着物をもらって勘助が突如大喜びしてたのですが
これにはなにか特別な意味があったんでしょうか?

後、5年前の初陣で晴信が自分が活躍できたのは
「勘助のおかげだ」みたいなこと言ってたのも結局意味わからなかった。
誰かここらへんのやりとり説明してほしいです。
542日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 07:13:09.64 ID:mvz5Rn+W
>>541
原作では、カンスケが板垣に近づくための策略
仲間の青木をだまして板垣を襲わせ、逆に青木を殺して板垣に恩を売る
という作戦。

しかし、このドラマでは、板垣とカンスケはすでに知り合い・板垣のほうがカンスケより強い
ということになっているので、話がこんがらがってしまった。

着物をもらって喜んだのは、単に晴信の心遣いが嬉しかったから。

五年前海野口で、というのは、晴信の嘘。
カンスケを雇うことに反対の重臣を納得させ、かつ、カンスケに恩を売るためについた法螺
543日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 07:48:57.44 ID:PrVrSRLB
次回予告の最後の言葉って何なの?
544日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 09:44:02.17 ID:RKgpsSCq
>>538
中井貴一の「武田信玄」にも同様のシーンが出てくるよ。
545日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 10:53:03.64 ID:5hRcAfrG
>>541
海ノ口の話は、原作にもある晴信の嘘で、
原作では海ノ口とは言わず、理由は>>542と同じながら、
反対する家臣に「過去に仕官を約束をした」ととっさの嘘をついた。

それを、大河では微妙にずらして採用してる。
546日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 11:21:08.97 ID:NyFrvIEy
>>545
ドラマでは、8千(だったか)もの大軍を率いてきた信虎を、わずか数百の手勢で
数ヶ月持ちこたえたのは勘助を軍師とした部隊。晴信もそれに気づいていたと
いう設定。自分の初陣の武勲も、信虎軍の撤退なしには存在せず
ただ勘助は、武田軍の反対勢力だったので大っぴらにできないという事もある
547日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 12:53:46.41 ID:BOSL8xW6
瀬沢の闘いは史実に有るのですか?
548日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 13:30:55.10 ID:vkikFOio
勘助が青木大膳を切ったシーン
勘助がおびえるふりをして罠にはめたということはわかったのですがどんな罠だったのでしょうか?
何かが足に刺さってたようにも見えましたが暗くてよくわかりませんでした
549日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 13:31:20.05 ID:KtpPfYVy
>>543
私には「おぬし、逃げるって算段か?」
としか聞こえない。
550日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 13:47:29.84 ID:N/DYuA5p
>>548
刀の刃を地面に埋め込んであった。これが大膳の足にグサリ。
更にその先には、大膳が倒れこむ事を想定した短い竹槍が仕込んであった。
551日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 14:13:35.28 ID:vkikFOio
>>550
なるほど
サンクス
552日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 14:43:50.46 ID:TOXD6vAr
>>550
足に刺さったのも短い竹槍だと思われる
>>526
勘助「某の奥義を知るものは御屋形様が初めてでございます」
小山田「女子ならより心がけじゃ」
と聞こえるので

処女である ということだろう
それ以前の縄張り、陣立ての経験がないとの発言にも呼応している
553日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 14:51:51.02 ID:Y5lnLzKO
読むだけで足が痛い('A`)
554日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 15:12:42.85 ID:4gkis1uG
ああいった罠に糞尿を擦り付けて、
傷口を化膿させると昔忍たま乱太郎で読んだ
555日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 16:43:36.57 ID:ATBYvYGx
真田はもうすぐ仕官するんですか?
556日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 16:51:48.74 ID:5hRcAfrG
>>555
ネタバレは対象外です。
史実を言えば真田は上田原の戦いまでには仕官します。
557日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 17:11:22.30 ID:r99KJBy/
勘介が青木に斬りつけられる瞬間、目線を右に流したのは何か意味があるのでしょうか?
あまりにもわざとらしかったので・・・・
558541:2007/03/26(月) 17:35:24.16 ID:HB/rlUYY
>>542>>545
お答え有り難うございます。
しかし、勘助と晴信の嘘?のやりとりはさっぱりわかりませんな〜
もう再放送で改めて最初っから言葉のやりとり見るしかないですね。
559日曜8時の名無しさん :2007/03/26(月) 17:38:26.18 ID:wHZgGrgQ
>>548
あたり一面の竹を全部、根元の所で斜めに切って竹槍状態に。
それを大膳が踏み抜いてイタイイタイ。
勘助いわく「兵は兵は奇道なり」
560日曜8時の名無しさん :2007/03/26(月) 17:39:16.41 ID:wHZgGrgQ
561日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 19:29:02.71 ID:uhR62KlZ
昨日の実況で源五郎が出たとたん「アッー!」の嵐だったのですが、
もう「うほっ」よりこっちが主流なんでしょうか?
「アッー!」って発音不可能だと思うのですが・・・
562日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 20:46:53.18 ID:D5v4T/65
>>561
汚い釣りだなぁww
563日曜8時の名無しさん:2007/03/26(月) 20:56:39.76 ID:gMzTssA/
>>561
元ネタのビデオを見れば理由がわかるぜ
あれはまぎれもなく「アッー!」
564日曜8時の名無しさん:2007/03/27(火) 00:45:17.88 ID:EtEC8VhP
武田二十四将の末裔で徳川期に大名・旗本、または他家に仕えて家名が残った家はどれぐらいありますか?
565日曜8時の名無しさん:2007/03/27(火) 00:53:20.22 ID:BXrwOUzT
>>557
青木が(勘助から見て)右に動こうとしたので、それも目で追ったということ
片目だと(目のある方の側でも)視野角が大幅に狭くなるし、
立体感がかなり失われる

左眼をつぶった状態で、手を目の前から右の方に動かすのを見るということを
すればわかるかもしれないけど、顔ごと、手の動きについて行き易い

両目を開けて同じ動作をするのとは明らかに違うはず

>>558
>>542の説明で何の問題もないと思うのだけれども。。。
566565:2007/03/27(火) 00:57:01.19 ID:BXrwOUzT
それも(×)→それを(○)
視野角が大幅に狭くなる→大幅を削除

567日曜8時の名無しさん:2007/03/27(火) 01:00:15.94 ID:qaLfvs0H
よく、武者ぶるいがするのお!っていう言葉が書いてあるけど、誰のセリフですか?
568日曜8時の名無しさん:2007/03/27(火) 01:02:11.81 ID:Djapi3HH
>>564
大名だと真田さん、土屋さん。番外で保科さん、柳沢さん、諏訪さん、依田さんも居たっけ?
旗本では高家信玄次男系武田家、番外で初鹿野さん、真田さん、岡部さん、
跡部さんぐらいかな有名どころは。
569日曜8時の名無しさん:2007/03/27(火) 01:05:24.68 ID:aFDgklRV
>>564
武田家自体が、高家(儀礼などを担当した旗本。名門多し)として
残っている。
武田に仕えた連中で、大名になった家では、保科や土屋、真田が挙げられる。
ほかにも旗本は多い。
570567:2007/03/27(火) 01:07:42.97 ID:qaLfvs0H
瀬川亮の事ですねm(._.)mスレタイ見ました
571日曜8時の名無しさん:2007/03/27(火) 01:08:34.64 ID:QopJ3/Bc
572日曜8時の名無しさん:2007/03/27(火) 01:13:01.71 ID:qaLfvs0H
>>571
ああ!!何だろ?ごめんなさい携帯で見れないからすごくみたいです〜〜!!(>_<)
573日曜8時の名無しさん:2007/03/27(火) 01:14:12.02 ID:BXrwOUzT
>>495
今回の巻で庵原家から捨扶持をもらっていたことがはっきりしたね
あと、あの感じだと書写した本とか売ってそう
574日曜8時の名無しさん:2007/03/27(火) 01:14:42.98 ID:yVEw6JfL
>>572
眼帯で見れない、に見えた。
575564:2007/03/27(火) 01:31:11.49 ID:EtEC8VhP
>>568>>569サンキューです
真田ともうちょっとで大名の横田しか思いつかなかったけど、やっぱり数多く生き残ってるんだ。
武田旧臣の名の威力なのかねー。
576日曜8時の名無しさん:2007/03/27(火) 04:06:08.56 ID:sPq5WJnj
>>567
グランセイサーとかいうジャリ向けのヒーロー主人公です。
だから画面に出てくると未成年と大人になっても特撮が好きなオタが
嬉しさのあまり武者震いして「武者震いするのうー」って喜ぶの。
577日曜8時の名無しさん:2007/03/27(火) 08:09:35.03 ID:RfspyIRO
>>575
徳川家康の性格に由来するところが大きいんじゃないかな。
普通の人間であれば、武田の遺臣なんぞ顔も見たくないと思うだろうが、
逆に大量に召抱えているんだな。しかも単なる懐柔策という程度を超えて。
578日曜8時の名無しさん:2007/03/27(火) 08:20:36.83 ID:VdPuolN2
家康にすれば信長・秀吉より信玄のほうに手本を感じるんだろうな。
適度に保守で重農主義で学問好きでタイプが似ている。
579日曜8時の名無しさん:2007/03/27(火) 10:26:17.58 ID:v/My8er+
武田をほめればほめるほど
その圧力に負けなかった、徳川が凄いって事になる
580日曜8時の名無しさん:2007/03/27(火) 11:27:53.94 ID:b+LTQoe5
557です。
>>565さんありがとう。
なるほど、その前の青木の「その隻眼でオレと闘えるかな?」的なセリフに
釣られてやったとも考えられますね。

581日曜8時の名無しさん:2007/03/27(火) 12:10:30.75 ID:uIcFfmyI
>>577
武田旧臣の大久保長安を官僚のトップとして重用したり、
彼の進言を容れて武田旧臣を中心に千人同心作らせたり。
あとは司馬遼『城塞』の主人公小幡景憲なんかもいるな。

秀忠は秀忠で、隠し子を信玄の娘や保科家に託してたし、妙に頼りにしてるなw
582日曜8時の名無しさん:2007/03/27(火) 12:38:47.34 ID:Jtx0y+zD
祟りが怖いという当時としてはかなり切迫した理由もある。
快川和尚が武田残党とともにあんな感じで燃えてるし。
武田を滅ぼした織田信長が直後にあんなことになってるし。
子孫がいなくなるということは菩提を弔うものがいなくなる
ことなので、当時の感覚からいうと非常にまずい。
583日曜8時の名無しさん:2007/03/27(火) 14:40:57.45 ID:iWqia0pQ
>>564
秋山家も大目付を輩出してる
584日曜8時の名無しさん:2007/03/27(火) 16:52:54.84 ID:3I0rlPMs
高校日本史に出てくる勘定奉行の荻原重秀は信虎の軍師・荻原常陸介の子孫
585日曜8時の名無しさん:2007/03/27(火) 21:51:10.75 ID:vkQBo3rg
祟りは日本の歴史を長いこと支配してるな
586日曜8時の名無しさん:2007/03/27(火) 22:18:29.25 ID:qMS39Hc4
テレビではよく確認できなかったんだけど、青木大善は何故急に倒れたんですか?
587日曜8時の名無しさん:2007/03/27(火) 22:20:53.17 ID:Ly4KQm0S
>>586
  >>559
588日曜8時の名無しさん:2007/03/27(火) 23:34:02.23 ID:qaLfvs0H
>>574
(・_●)?
>>576
ありがとうございます(^ω^ )
589日曜8時の名無しさん:2007/03/28(水) 04:36:22.60 ID:+QL1d4Fq
アゲ
590日曜8時の名無しさん:2007/03/28(水) 04:52:35.41 ID:8MGB0WMP
武田家=老舗の地方財閥
織田家=ベンチャー企業
徳川家=織田家傘下の下請け企業
だったとムリヤリ解釈すれば、
オダエモンは老舗財閥の価値が理解できずにぶっ潰した
家康は、老舗には老舗なりの豊かな人脈があることに気づいて
老舗の元幹部職員を残らずヘッドハンティングして
自分の企業を大きくさせた
といったところか。
591日曜8時の名無しさん:2007/03/28(水) 06:55:11.98 ID:KEVPotrG
青木が勘助に無心していた場面で青木が”もう一枚よこせ”といったら
勘助は貧乏そうなのに、気前よく3枚投げてよこした。
青木の取り分は4枚(死、しまい)になったわけで、家族が
”死亡フラグ立った”みたいな事言ってたんだけど、どうなのかな

駒井さんの言うような”考えすぎ”としか思えないのだけれど
そういう遊びを含んだ脚本なのかなあ
592日曜8時の名無しさん:2007/03/28(水) 08:10:16.69 ID:SQpypPWw
>>590ムリヤリ過ぎ。その解釈は恥かくと思う。
593日曜8時の名無しさん:2007/03/28(水) 08:37:05.71 ID:j0TFsJ+E
>>591
あのシーンは原作にあるから挿入されてる。
594本日:2007/03/28(水) 10:42:29.41 ID:qWAzZEv2
深夜1:30〜2:00 NHK教育 高校講座・日本史[再]
「信長の天下統一策・“天下布武”に向けて」
595日曜8時の名無しさん:2007/03/28(水) 11:59:26.50 ID:wGyT37o7
>>593
軒先で、刀で草履を放っぽり投げると言う細かい悪戯は原作にありますか?
596日曜8時の名無しさん:2007/03/28(水) 12:03:54.04 ID:UjLiw8xm
>>585
 勝手なもんで、生き残りが居ればいたで不安だし、滅亡させる
とこんどは怨霊が怖い。病で全盲になった次郎君が武田の血脈を
残すことになるなんて、何が幸いするかわからんね。
597日曜8時の名無しさん:2007/03/28(水) 12:44:50.38 ID:UlWsAO4y
カンスケや平蔵が歌ってた、おらといかねかどんきなどんあのやまーこえーてー♪
どんな歌なの?よく出てくるけどこの大河と関係性あるのかな?
598日曜8時の名無しさん:2007/03/28(水) 12:52:54.61 ID:po4Whiq+
「ウホ」とか「アッー」てのがモッホっぽい表現なのはわかりますが、どこに由来してるんですか?
599日曜8時の名無しさん:2007/03/28(水) 12:58:39.37 ID:IokImjxP
600日曜8時の名無しさん:2007/03/28(水) 13:26:41.56 ID:Jq71TEMO
>>591
そういう地口は江戸時代ならばおおいにありそうだな
曲亭馬琴ならそんくらいのことはやる
601日曜8時の名無しさん:2007/03/28(水) 14:29:23.79 ID:d3vl1WTk
>>592
「オダエモンは老舗財閥の価値が〜」ってところはどうかとおもうが、
家康が武田を活用したというのは、そのとおりだと思う。
602日曜8時の名無しさん:2007/03/28(水) 15:56:34.71 ID:Suz4NY3p
まあ徳川って家名に箔を付けたかったのかもしれん
かなり眉唾な家名なんだしね
603日曜8時の名無しさん:2007/03/28(水) 16:56:42.81 ID:07KjaA5t
>>354
信長と石山本願寺の海戦の大安宅船が、確かに鉄甲船だったかはわからない。
多聞院日記で、鉄船だという噂を聞いた、というのが根拠だからな・・・
が、10年後の秀吉の時代には書状・宣教師による鉄甲船の記述が残っており、可能性は高いと思う。
後装カートリッジ式の仏郎機砲3門と、銃身長が2m近い大鉄砲を多数装備していた。
朝鮮の役では、日本側の大鉄砲が朝鮮軍の船体を貫通して、中の人員を殺傷し悩ませている。

朝鮮の役のときは安宅船を装甲するため、鉄板を全国から徴収している。
江戸初期には、イギリス人が鉄板を張り巡らした幕府の軍船を見たという記録もある。
604日曜8時の名無しさん:2007/03/28(水) 18:17:05.50 ID:KqSYhhyQ
>>597
「大きな栗の木の下で」とか、「coming through the rye」みたいなもんじゃね?

ドラマとの関係性は…こう頻繁に出てくるんだからあるんだろうが、
最終的には敵対する筈の両者が、共にくちずさんでいる以上、
終盤での、かなり強烈な小道具として扱われる可能性もあるから、
今の時点では推測したくないな。
605日曜8時の名無しさん:2007/03/28(水) 21:05:10.89 ID:Xk1ULZW3
>>591,>>595
なるほど草履(仕官探し)四枚(しまい)か w
腐った草履とポスター貼りで、引き篭もりが激しいのはわかっていたど、
言われて見ればいささかお遊びが過ぎると存じますな。<演出のおや?過多さま w
606日曜8時の名無しさん:2007/03/28(水) 23:35:05.89 ID:aVEs8SuH
ムリヤリ過ぎ。>>605は恥かくと思う。
607日曜8時の名無しさん:2007/03/28(水) 23:52:10.23 ID:MR48v6NQ
>>605
晴信と初対面の時、「書物に依らず軍略を極めた」って言い張った勘助が孫子の書写してたんだ
そのへんから晴信への傾倒ぶりを感じ取ってやらんと
あれだけ派手にやっても気が付かんとは・・・
608日曜8時の名無しさん:2007/03/29(木) 02:34:59.72 ID:6znl0cNH
信玄=デブ 謙信=やさおとこ


というイメージがありますが、史実ではどうだったのですか?
609日曜8時の名無しさん:2007/03/29(木) 03:55:58.85 ID:MJOwnbMy
風林火山OPの最後の転調部分
武田の旗立ち上げ4連発の映像での旗の色だけど
白=風
緑=林
赤=火
黒=山
を表してるの?
それとも史実として何かいわれがあるの?
教えて勘助さん!
610605:2007/03/29(木) 04:06:17.00 ID:qhtB3FvH
ああ失礼失礼、新入生スレだったな。
それで思い出したが、時期も時期「めざせ○○」とか「○○祈願」とか
「勝つ!!」とか、お父さんの時代には部屋中に貼ったもんだ。
今の引き篭もりというか独身は、憧れのアイドルの写真を部屋中に貼って
自分の世界に浸らんのかのぉ。そんな部屋に青木のような奴や親が入って
きてグダグダ言うと勘助のような目になっだんろうな。
ま前レスと同じ、じゃれごとだ許せ。
画面の壁紙には貼るようだが。
ま、じゃれごとだ許せ。
611日曜8時の名無しさん:2007/03/29(木) 05:41:54.68 ID:E0i2WAdt
大河ドラマ「風林火山」時代には馬はいなかった模様。
NHKは嘘を放映している。

そしてその嘘で、明治維新以降のニセモノの天皇制を擁護している。
現在の天皇およびその一族はかつての「馬」だ。
「馬」として三文芝居をさせられているに過ぎない。

この歪を健全化するには現在の皇族には皇居を退去してもらって
宮内庁を廃止するしかないのである。

【日本史における「馬」とは何か?】
http://www.megabbs.com/cgi-bin/readres.cgi?bo=sci&vi=1170024269&rs=833&re=848&fi=no
【環境病の背景の一つとしての奴隷制度を把握する鍵の一つは、「馬」】
http://www.megabbs.com/cgi-bin/readres.cgi?bo=sci&vi=1170024269&rs=901&re=907&fi=no
【東北の曲がり屋における厩舎で飼育されていた動物は本当に「馬」か?】
http://www.megabbs.com/cgi-bin/readres.cgi?bo=sci&vi=1170024269&rs=534&re=542&fi=no
612日曜8時の名無しさん:2007/03/29(木) 07:35:45.27 ID:qa4xg4kV
スゲえ屁理屈だな。ここまでいうと感心するわ。
613日曜8時の名無しさん:2007/03/29(木) 09:18:40.78 ID:ZEE8hQsq
コピペに反応しちゃいけません
614日曜8時の名無しさん:2007/03/29(木) 09:54:53.43 ID:FSGfuDSP
馬刺しってうまいよね
615日曜8時の名無しさん:2007/03/29(木) 13:49:11.32 ID:mhTQv72l
>>609
黒澤映画の「影武者」では
武田軍は「風の部隊」「林の部隊」「火の部隊」「山の部隊」の
四つの部隊で編成されていて、
それぞれ旗の色が紺、赤、緑、黒だった。
史料的な裏づけは無しで、たんに黒澤の脳内イメージなのだと思われる。
そのイメージが「赤と黒とのエクスタシー(ゼプラーマンじゃないよ)」を経て、
NHKに至ったと思われる。
616日曜8時の名無しさん:2007/03/29(木) 13:54:55.93 ID:mhTQv72l
間違えたけど直すのめんどくせ
617日曜8時の名無しさん:2007/03/29(木) 19:58:27.45 ID:MgGJkzHJ
おはつです。
さっそくですが、
兵は「きどう」なり、の正確な意味を教えてください。
618日曜8時の名無しさん:2007/03/29(木) 21:26:03.22 ID:cDeVFZAG
>>617
孫子 計篇三より
兵とは詭道なり(兵法とは敵を騙すことである)
故に、
能なるもこれに不能を示し、(出来るのに出来ないフリをしたり)
用なるもこれに不用を示し、(いるのにいらないフリをしたり)
近くともこれに遠きを示し、(敵に近づいても遠いフリをしたり)
遠くともこれに近きを示し、(敵に遠くても近づいてるフリをしたり)
利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、(敵が利益をあるようにして誘って乱して奪い)
実にしてこれに備え、強にしてこれを避け、(敵が充実してるときは備えておき、それで敵が強いときは避ける)
怒にしてこれを撓し、(敵を怒らせて乱れさせ)
卑にしてこれを驕らせ、(卑屈になって敵を驕り油断させ)
佚にしてこれを労し、(敵が楽にしてるときは、疲れさせ)
親にしてこれを離す(敵が親しくしてる人や物から離れさせ)
其の無備を攻め、その不意に出ず。(敵の備えて無いとこを攻め、不意に現れる)
此れ兵家の勝にして、先きには伝うべからざるなり。(こうやって勝つが、先に敵や味方に伝えてはいけない)
*最後は「勝ち方はこうだけど、戦は臨機応変なモノだから勝ち方を先に決めてはいけない」って感じかな。
619日曜8時の名無しさん:2007/03/29(木) 22:21:50.15 ID:MgGJkzHJ
ありがとうございました
620日曜8時の名無しさん:2007/03/30(金) 00:04:02.37 ID:42+JMJFx
孫氏スゴイな
621日曜8時の名無しさん:2007/03/30(金) 17:35:43.44 ID:6GCIX6mQ
なんか、やたらと祟りにこだわっている人がいるが、
徳川が武田の家臣を雇ったのは怨霊が怖かったからだ
などと本気で信じているのか。
井沢元彦だってそこまで無茶なことは言わんと思うぞ。
622日曜8時の名無しさん:2007/03/30(金) 22:22:24.99 ID:xlCquDLI
ほとんどの昔の人々は怨霊や仏罰を恐れて生きていたよね。
戦国大名もみんなそう。

家康は武田遺臣と同様に北条浪人も多く召抱えているし。
勝頼や信勝の供養という点では、景徳院を建立して篤く保護している、
松姫が養育した勝頼の姫の縁談もまとめてるし、問題は無いだろう。
623日曜8時の名無しさん:2007/03/30(金) 22:37:41.93 ID:NHLGTUeU
偏りすぎだよ。怖れはあるが、それは寺建てて供養ということで解決してる。
武家は殺すのが仕事なんだからw 生き物料理したりして商売する人が
供養して祈ってるのと同じ理屈。奈良・平安の昔に比べてずっと割り切っ
てると考えるべき。
遺臣を雇うのは領地が広がれば家臣を増やす。その土地から雇えば地理に
も詳しく現地感情の慰留になる。滅びた家のノウハウを自家に取り入れる、
などそれなりの理由がある。
624日曜8時の名無しさん:2007/03/30(金) 22:42:57.67 ID:NHLGTUeU
付け加えると、家康は特に名家好き。それなりの敬意を払って捨扶持
あげて保護してやるようなとこはあったな。
625日曜8時の名無しさん:2007/03/30(金) 23:18:04.09 ID:VYZN7V/P
1話でもトラップに嵌めて敵を殺したっけ?
626日曜8時の名無しさん:2007/03/31(土) 04:57:25.34 ID:IB7gJltH
再放送って何話遅れでしょうか?
627日曜8時の名無しさん:2007/03/31(土) 07:31:07.24 ID:2JhGjjb8
「跡継ぎがなく断絶した家は祟る」という信仰・迷信を
徳川家の人が信じていたのだとすると、
どうして幕府のはじめごろに次々と、跡継ぎの絶えた大名家を断絶させていったのかが
理解できなくなる。

徳川家の人たちは、絶家の祟りなど信じていなかった。
これが結論。
628日曜8時の名無しさん:2007/03/31(土) 08:02:45.23 ID:mQfCCjUY
「成り上がり豊臣」を裏切って手に入れた天下を正当化するためには
「血統支配が正義」を流布する必要もあったんじゃね?
629日曜8時の名無しさん:2007/03/31(土) 08:40:05.50 ID:ipIqN1Qt
>>627 > 再放送って何話遅れでしょうか?

話数の遅れはナシ。
日曜日 本放送
 ↓
土曜日 再放送
630日曜8時の名無しさん:2007/03/31(土) 09:08:40.43 ID:kPuIK1HD
注意

ここは「質問に答えるスレ」、特に「初心者向け」です。
特に質問に答えるのでもなく、専門的な話になり、
勝手に議論するなら戦国板なりオカルト板なりでどうぞ。
631日曜8時の名無しさん:2007/03/31(土) 09:23:58.07 ID:PSdhcRBb
初心者の質問に、誰かが答えた内容が、正しいか正しくないかを議論する
・・・必要なことだろ
632日曜8時の名無しさん:2007/03/31(土) 09:25:32.22 ID:TOPopgIm
>>630
お前みたいな低脳が必死に仕切ろうとしても無理w
633日曜8時の名無しさん:2007/03/31(土) 09:26:23.33 ID:TOPopgIm
>>630
どうみても、お前がオカルト板に行くべきだな。
634日曜8時の名無しさん:2007/03/31(土) 14:05:12.34 ID:cukMDDhZ
>>541です。
今、再放送を見たんですが
「五年前の海野口で勝てたのは〜勘助のおかげ」あれこれの
晴信の嘘の場面は、勘助を今川側?に送り込んでて
スパイとして内通して使ってたんだよって意味?
(だから簡単にスキついて勝てたという。)
もちろんこれ自体は大嘘のようだが、
晴信がこういえば(採用する理由として)確かに家臣は納得するか・・・
それとも解釈全然間違ってる?
635日曜8時の名無しさん:2007/03/31(土) 15:03:24.87 ID:8e6DOrRD
海野口ってのは甲斐の北にあるんで、今川勢とは関係ありません。
636日曜8時の名無しさん:2007/03/31(土) 15:14:23.96 ID:+mtZ0Vzi
つまり勘助がいなかったら簡単に信虎が落としてしまっただろうから晴信が勝てたのは
勘助のおかげかと。そして晴信が手勢で落としたおかげで重臣も晴信の器量を知ったわけだから。
637541:2007/03/31(土) 15:18:58.54 ID:cukMDDhZ
あーなるほど!ようやくわかった!!!
638日曜8時の名無しさん:2007/03/31(土) 15:19:11.71 ID:rDN7L570
家臣で、板垣・駒井以外は
海野口で勘助が軍師をしていたことは知らないんだよね?
639日曜8時の名無しさん:2007/03/31(土) 15:21:49.80 ID:nfEGvkkg
>>636
嘘にちょっとのホントを混ぜてあるだけで、そんな穿った見方をしてるわけじゃなかろ?
640日曜8時の名無しさん:2007/03/31(土) 15:24:11.32 ID:tm5x/k0g
>>637
わかったのはよかったけどいちいちレス番コテつけなくていいから
641日曜8時の名無しさん:2007/03/31(土) 15:35:20.49 ID:CBq2GBE7
>>637
あんたも地理ぐらい把握しようや。ネットにいくらでも出てる。
642日曜8時の名無しさん:2007/03/31(土) 19:46:33.72 ID:7Bmpz0NG
小山田さん他の家臣団と比べると随分若いのに一番偉そうで、
他の家臣達もそれを認めてる風なのは何故ですか?
643日曜8時の名無しさん:2007/03/31(土) 20:14:07.65 ID:+mtZ0Vzi
小山田の郡内集を怒らせると北条に寝返っちゃうから。板垣より兵力あるから。
でも若いから一応末席でしょ?
644日曜8時の名無しさん:2007/03/31(土) 20:20:54.90 ID:cjgFx/Vr
郡内についてもテンプレ化したほうがいいな
645日曜8時の名無しさん:2007/03/31(土) 20:36:37.74 ID:I24bSDlP
議論がまとまらなくてテンプレ化されなかったんだっけ

とりあえずWikipedia「小山田信茂」の中の「小山田氏の立場」を参照されたし
646日曜8時の名無しさん:2007/03/31(土) 20:44:45.99 ID:cjgFx/Vr
郡内を一国と見るかどうかみたいなことで異論が出てテンプレ入りがはしょられたんじゃなかったかな
647日曜8時の名無しさん:2007/03/31(土) 20:46:43.94 ID:cjgFx/Vr
前スレのテンプレ候補は以下の通り。

●小山田が郡内領主と言われていましたが、どういうものですか?
板垣など、他の家臣とはどう違うのでしょう。

○小山田氏は桓武平氏の流れを組む名門で、武田が内紛で弱体化していた
戦国初期には、甲斐国東南の「都留郡」「郡内」を収める統領として「郡内守護」を
自称していました。郡内は地形的、政治的に甲斐とは別の国と言っていい状況に
あり、信濃の小笠原、駿河の今川らのような「一国の主」だったわけです。

板垣、飯富、甘利らも自分の土地を持ついわば貴族領主ですが、政治的に
武田を自分たちの上にある国主として仰ぎ、税を差し出しています。
しかし信虎が14歳の時に国主の後継争いに勝ってその勢いで小山田領に
攻め込んだ時、小山田は信虎に税を差し出すいわれのない「隣国の国主」と
して国家間戦争を戦ったわけです。そして痛み分けのような形で信虎が
妹を嫁に出す形で甲斐国と都留国の「同盟」が結ばれた形になりました。
この相手が今ドラマに出ている小山田の、父親にあたる越中守信有です。

以後信虎の中央集権化にともない、本人は自国の郡内を離れていわば江戸
時代の参勤交代のように甲府に住まわされ、税も取り立てられる家臣に
近い位置にねじ伏せられますが、信虎も小山田の格式を立てて他の「部下」
とは別格の扱いをしていました。ドラマでの田辺小山田の発言はそういう
状況を付かず離れずうまく泳ぎきっている小山田勢のプライドと屈折の
表れと見てよいでしょう。
ドラマでは板垣や甘利より下座に位置していますが、この時小山田信有は17歳
(1536年当時)。 若輩もいいところなので、下座でもおかしくないと言われています。
648日曜8時の名無しさん:2007/03/31(土) 21:06:29.56 ID:7Bmpz0NG
>>643->>647
なるほど何となくわかりました。
めちゃくちゃ大ざっぱに考えると、家臣というよりも、
休戦協定を結んだ同盟国の主という感じですか。
文献探してみます。
649日曜8時の名無しさん:2007/03/31(土) 21:43:47.90 ID:cjgFx/Vr
国主扱いするのは郡内にたいする過大評価だ、という物言いがついて
テンプレからはずれたのです
650日曜8時の名無しさん:2007/03/31(土) 22:01:16.20 ID:I24bSDlP
同盟者と一口に言っても、今川のように自分から信虎を招いといて
平然と上座に就いているような立場の強い同盟者もいれば、
諏訪のように下座に回って「父上」と頭下げなきゃならん同盟者もいる
小山田はそれより更に家臣寄りの扱いにされてるってことでおk?
651日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 00:29:47.46 ID:jl8ppLb4
>>650
小山田氏と武田氏の関係は根が深くややこしい。
元々小山田氏は今の山梨県の面積で半分を占める力をもった国人だった。
信虎の祖父武田信昌は名将として有名で、当時武田家を仕切っていた跡部家を倒した。
信昌には二人の息子がいて、
その跡部氏の娘を母とする嫡子「信縄」と
油川家を名乗っていた小山田氏の娘を母とする油川「信恵」。

信昌は嫡子「信縄」を嫌い(病弱であり、跡部の娘の子だから)、
弟「信恵」を跡継ぎにしようとした。(小山田氏の力が必要だったからとも)。
で、「信縄」と「信恵」の間で争いが起きる。
この争いで小山田氏は当然信恵についた。
しかし、信縄は病弱ゆえに病死し、「信縄の息子、信虎(当時信直)」が継いだ。
そして信虎は叔父信恵と小山田信隆(信有祖父)を討ち取る。

その小山田信隆の息子、信有(大河信有の父)は伊豆に追放されるが、
信虎妹と婚姻することで甲斐に帰参して一門として家臣となる。
このときに、一国の主というより家臣レベルにまで落とされた同盟だった。

しかし、それに納得しない信有(信有父)は勝手に今川と和睦して信虎と対立。
さらに勝手に「郡内領主」と名乗る(ここが一国の主といえるか微妙なところ)
このときは信有妻や信虎弟信友(一話で戦死)などの仲介で和睦はしたが、以前よりは独自性を保ってるともいえる。

つまり、一度は信虎に破れ、服従気味に帰参して、その後やっぱり背いたけど結局同盟みたいな微妙な関係なわけです。

ちなみに、信虎が殺した叔父の油川信恵の子孫が信玄側室の油川夫人です。



 
652日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 03:02:10.52 ID:7eBeRH6o
小山田、甲斐大井、穴山の劇中でのランクを知りたいです><ノ
653日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 14:09:23.48 ID:buVB22Rb
質問です。
『花枠』って何ですか?
654日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 14:10:26.45 ID:DZboO9N9
晴信謀反の時も重臣たちが小山田が今川に寝返らないか心配してたから
今川北条とも欲しい存在であったんでしょうね。後々信玄の娘をもらった信茂が
どんな態度を取るか見ものです。
655日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 16:25:08.86 ID:sZF8zcWa
>>653
OPでキャスティングが流れる際、[花]の字の画面で紹介される人物枠の事。
今までは勘助の恋人だったミツが紹介されていたけれど
由布姫役の柴本幸さんがその後その枠を占めてます。
656日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 16:36:34.40 ID:p2gVrZzh
カンスケ晴信の後にでてくる空のとこは、1回目のガクト以来、ずっと空いてるよね。
何気にガクトの扱いスゴイな。
657日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 17:22:23.23 ID:4DHQTHHZ
>>568
岡部は大名で残ったと思う。

>>627
しかし初期の江戸幕府が取り潰した大名って、関ヶ原での敵対が原因の改易分を
除くと、ほとんどが織田政権・豊臣政権によって取り立てられた成り上がりの
大名なんだよな。
要するに大名家としての歴史も浅く家臣団の層も薄い大名たち。
逆に、前代からの由緒があり、なおかつ石高が数十万石規模の大大名の場合、
最上氏を例外とすれば取りつぶしにあったケースはほとんどない。
658日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 17:29:18.29 ID:4DHQTHHZ
>>647
それはわざわざ「一国の主」なんていう議論が分かれることが明白な表現に
するから、案の定議論が加熱・紛糾したわけで、小山田氏に関しては単に

“もともと甲斐守護武田氏の一族でも被官でもなく、本来的には武田氏と
主従関係にない独立した有力国人領主”

とでも言っておけば不毛な議論の火種はなかった。
659日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 18:08:16.26 ID:W02HwjOW
そうだな。658に胴衣。
わかりやすくいうならば、武田にとっての小山田は
たんなる国人以上大名以下で、敵にまわすと厄介だが味方になれば心強い存在ってかんじじゃないか?
この大河ではその関係性がうまくでている。
660日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 18:41:36.14 ID:xhultAbo
>>656
空はしばらく三条夫人の枠になってたが。
661日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 19:04:19.78 ID:buVB22Rb
>>655
オープニングを見直したら確かに[花]という字の画面がありました。
教えていただきありがとうございました。
662日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 19:42:48.27 ID:2Q5XzStr
室町段階での小山田は、家格という点では守護家としての家格を持つ
武田・今川・小笠原なんかと同格とはどう考えても言い難いが、かといって
どこかの守護家の被官になっているわけでもないというような家だね。
ただこういう立場の国人領主は、室町段階では全国にいくらでもいるわけだし、
そうした連中を如何にうまく組織して自らの指揮・統制下に組み込めるか
どうかで、この時期の守護や守護代クラスの家が戦国大名化できるかどうかが
決まると言っても過言ではない感じだね。
663日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 20:47:19.87 ID:p2gVrZzh
>>660
ホントだ、ごめん、勘違いしてたわ。
664日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 20:49:34.87 ID:WnMhEiSQ
「ちいさがた」って何県何市?何郡何町?

さっぱり地理的な位置がわからんので楽しみようがないです。
665日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 20:59:01.49 ID:Ol/eEq1D
長野県小県郡だよ。
町村合併で今は正式に小県郡〜〜町(村)という
言い方はしないけど
上田・真田・丸子・長久保あたりが含まれてた。
地理的には長野県佐久郡の北西に隣接ってとこかな。
666日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 21:00:42.25 ID:8TJlpOcQ
関東官領上杉家と、謙信の上杉家とは違う上杉なんだっけ?
667日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 21:04:32.01 ID:FJL5Po1C
まったく同じ上杉ずら。
謙信(長尾影虎)が上杉憲政の養子となって跡を継ぐ。
668日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 21:07:26.51 ID:WnMhEiSQ
>>665
ありがとうございました。甲斐からみたらメチャクチャ遠くですね・・・
そりゃききんの時に出兵したら領民が怒るわけだ。

http://maps.google.co.jp/maps?f=q&hl=ja&q=%E9%95%B7%E9%87%8E%E7%9C%8C%E5%B0%8F%E7%9C%8C%E9%83%A1&layer=&ie=UTF8&z=9&ll=36.024668,138.430481&spn=0.930722,2.120361&om=1
669666:2007/04/01(日) 21:09:38.28 ID:8TJlpOcQ
>>667
かたじけのうござった。
670日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 21:14:37.53 ID:Vu3xY+1m
今日のカルトウィットは馬場&猪木だったのですか?
671日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 21:18:10.41 ID:x+IriQGJ
勘助は病気で失明したと言ってたけど、何で額から頬にかけて傷があるんですか?
672日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 21:19:56.17 ID:juR1BljP
>>671
一話目?で首を取った武田の家臣に斬られてなかったか?
673日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 21:30:28.92 ID:x+IriQGJ
2話から見始めたので・・ありがとうございました!
674日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 21:58:03.48 ID:tA5myEfV
勝頼は最後小山田に裏切られて武田家滅亡。今も山梨は甲斐源氏武田の国中と坂東平氏小山田の郡内地方で別の県の様な違和感がある。そもそも小山田氏のルーツは町田の地名の小山田であり、小山田は武蔵相模の血が濃い。
675日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 22:03:39.95 ID:954/YWEE
↓別に小山田が裏切ったから武田が滅びたわけじゃない。

126 :人間七七四年 :2007/03/21(水) 12:53:10 ID:J39epiWA
天正10年
1月6日 ●木曾義昌、謀反
2月6日 ●下条九兵衛 謀反
2月14日 ●小笠原信嶺 謀反
2月14日 ●坂西織部・保科正直 逃亡
2月16日 ●武田逍遥軒信廉 謀反
2月16日 ○今福昌和、鳥居峠で織田軍と戦い戦死
3月1日 ●穴山信君、謀反
3月2日 ○仁科盛信、高遠城で戦死
3月2日 ○海野龍宝、入明寺で自害
3月3日 ●勝頼、新府城を破棄。人馬徴用の命令に集まった者皆無
3月9日 ●小山田信茂 謀反
3月10日   勝頼、地侍の襲撃を受ける。お松ら落ちる
3月11日 ○勝頼、信勝、家臣44名戦死
3月12日 ●武田信豊、城代に謀殺さる
3月12日 ●一条上野介、家康に殺される
3月12日 ●武田信貞、家臣に謀殺さる
3月19日 ●武田左衛門佐、信長に殺される
3月19日 ●武田信廉、信長に殺される
3月19日 ●小山田信茂、信長に殺される
3月20日 ●木曾良昌、信長に祝賀言上
3月20日 ●穴山信君、信長に祝賀言上
3月29日 信長、甲斐を川尻秀隆・森長可に配分
4月3日 ○恵輪寺・快川国師、焼かれる
4月5日 ●森長可、地元の一揆に会う
6月2日 ●本能寺の変。穴山信君謀殺さる
6月15日 ●川尻秀隆、一揆により戦死
6月末  ●森長可、一揆により逃亡
676日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 23:10:29.19 ID:aGQZh7Rn
鬼美濃がカナヅチだということ、勘助は本当に知らなかったのでしょうか?
677日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 23:13:12.54 ID:aOwxCaoW
晴信の子供、赤ちゃんなのに次郎と呼ばれていたけど、そういうものなの?
次郎は後の仮名で、最初はXX丸みたいな幼名だったと思うんだけど。
あと、なぜか晴信の元服前の名前は、仮名っぽい太郎じゃなくて、幼名っぽい勝千代だった。
678日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 23:19:28.34 ID:GDQOUfGp
>>676
さあどうでしょうねー
679日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 23:27:23.35 ID:VJPaNTUP
知らなかったとしても、大抵の人間はあの時期に水泳はしたくないだろう。
680日曜8時の名無しさん:2007/04/01(日) 23:46:38.94 ID:gg8NVzD5
>>677
義信も幼名が太郎だしそういうモンなんでしょ
681日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 00:04:33.69 ID:Bnxx5rDY
太郎・次郎は幼名じゃないけど?
信玄は出家するまで武田太郎晴信。
任官すれば武家の慣しで、太郎は省略されて受領名の大膳大夫と呼ばれただけ。
義信も死ぬまで武田太郎義信。
ドラマでは義信・龍宝ともに幼名不明だから
便宜上赤ちゃんから太郎次郎にしてるだけだろ。
682日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 00:21:35.34 ID:yXGC9VST
太郎つながりで便乗
草燃えるで、和田義盛(伊吹吾郎)が最初「小太郎」って呼ばれてたけど、
後年では「太郎」になってた  年取ったら変わるもんなのか未だに疑問
683日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 01:00:09.67 ID:Ahrc1nKE
>>682
詳しくは知らないが、「小太郎」が「太郎の息子」という意味で付けられた
ものであるのなら、「太郎」が死んだときに「小太郎」から「太郎」に変名
しても不思議じゃない。
684日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 01:12:01.78 ID:HD3I0y5S

竜宝、お聖道様、海野二郎信親
685日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 02:54:10.52 ID:SFae0ab+
週末を利用して甲斐の山里をウォーキングしに行こうと画策してるんですが、
既に風林火山ブームでビジネスホテルとかも予約がいっぱい、ということは
ないですか? っていうか、そもそもこういう質問をこのスレでしていいもの
なんでしょうか?
686日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 02:58:37.95 ID:N5OZbQC4
ここで聞くより旅行系のHPとかで調べた方が早いんじゃないか?
687日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 03:01:49.74 ID:m/S+IR1x
この当時の有力上杉氏は
関東管領-山内上杉氏、扇谷上杉氏と二つある。
のちに登場するであろうイケメン上杉朝定様は
扇谷上杉氏の当主。覚えといてね♪
688日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 03:57:58.70 ID:8pDWFnv6
>>655>>660
これまで全然気にして見ていなかったので、気付きませんでした。
ところで「花」枠と「空」枠以外にも、文字画面の枠ってあるんですか?
689日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 04:07:27.62 ID:m/S+IR1x
あとは「水」枠と「土」枠がある。
水枠は信繁とか真田、土枠は諸角が入る場合多い。
690日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 04:54:51.88 ID:8pDWFnv6
>>689
どうもありがとうございます。
あとついでなのですが、「花」「空」「水」「土」の出てくる順番も、
教えていただけないでしょうか。
今度は見落とさないようにじっくり確認したいので。
691日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 07:20:21.00 ID:Dn8dyCgw
>>675
>3月9日 ●小山田信茂 謀反
>3月10日   勝頼、地侍の襲撃を受ける。お松ら落ちる
>3月11日 ○勝頼、信勝、家臣44名戦死

ここしか見えない、目先の見えない者が多いんじゃないかな。
で、信長としては、そうした者の心理を利用して、
武田家滅亡を小山田のせいにしたと。
いわばスケープゴートを作ったんだろう。
692日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 07:23:26.00 ID:YyDWvk+9
快川和尚は殺されたのに信玄の次男はなんで殺されなかったの?
その時どこにいたんだろう・・・
693日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 08:03:57.45 ID:XGyyZqzO
>>685
甲府に拘らなくても、特急停車駅の石和温泉、韮崎、山梨市でも
紀行に出てきた史跡や寺があるから大丈夫だとオモ、甲府も大丈夫じゃないか?
が、4/7は信玄公祭りがあるので注意されたし。
694682:2007/04/02(月) 08:03:57.62 ID:yXGC9VST
>>683
レスさんくすです
和田義盛が小太郎と呼ばれてた頃、父親の椙本義宗は既に討ち死にしてた
から、太郎はいなかったですね    まあ、ドラマ設定といえばそれまでか
695日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 08:08:44.72 ID:NuUOUnkX
>691>692
その辺は掘り下げだすと大河板の初心者質問の域をこえるぞ。
696日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 08:26:29.67 ID:kgdm6gEU
>>692
殺されたというか、勝頼が死んだ時と同時期に次男竜芳は自害してますよ。
その息子が逃げて、存命して、高家武田家として江戸時代も残ったということ。
697日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 10:25:26.51 ID:D/ezBvcD
わぁ竜芳、自害しちゃうんですね。
「武田信玄」の時の超能力持ってたあの人、死んじゃうんだ。
ちょっとショック。
ちなみに宗派は日蓮宗でOKなのでしょうか?
そして子供がいたという事は還俗して嫁(誰だろう・・・?)を
もらったわけですよね?
698日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 10:38:10.42 ID:BgiLCsJi
>>687
扇谷上杉は関東管領じゃないだろ。

>>694
新田義貞も小太郎。
699日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 10:46:05.17 ID:Dn8dyCgw
>>697
半僧半俗ということじゃないかな。
700日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 12:14:15.11 ID:wLS1mJYC
>>690
見落とすような字のサイズじゃないだろ。
701日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 12:29:38.35 ID:D/ezBvcD
>>697
dクスです。
あ、自分でもちょっとだけ調べたら判った事が。
竜芳は、いらしたお寺(現光沢寺)からみて
どうやら浄土真宗なのですね。
これって母上つながりですね、きっと。
702日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 12:43:28.53 ID:kgdm6gEU
>>697
竜芳が出家し、自害した寺、入明寺は浄土真宗=一向宗。
これは三条夫人の妹は本願寺蓮如の妻であり、
その関係で作られた寺。
竜芳は一向宗を率いた半僧半俗の存在だった。

信玄は一向宗との結びつきを強くするために
もともと法華経(日蓮宗)強かった甲斐で、一向宗(浄土宗)を増やし、家臣を改宗させた。

ちなみに、法華経(日蓮宗)だった原虎胤は、信玄の浄土宗改宗命令に背き、
甲斐から追放され、北条家に引き取られた。

その後、四年間北条家の家臣になっていたが、許されて武田家に戻る。
703日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 12:55:47.52 ID:kgdm6gEU
>>697
後、竜芳の嫁は、諸説ありますが一般的には海野氏の娘であり、
それにより竜芳以前は、海野信親と名乗っていました。

この海野氏は、来週が戦場の佐久小県の豪族です。
真田もこの海野氏の家臣であり、
海野棟綱は幸隆の父という説もあります。
704日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 13:43:11.63 ID:D/ezBvcD
さっきうっかり自分にレスつけてしまった697です。(バカバカ!!)
>>669>>702>>703
有難うございました。
身延山抱えていた武田家と一向宗の関係。
宗教が政治的によく使われた事がわかりました。
それとお嫁さん説海野氏の方かもしれないんですね。
「武田信玄」の時とても心に残った人物なので
教えていただいてすっきりしました!


705日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 14:53:42.86 ID:woyTCVLj
>>700
意識して見ていなければ、あの文字枠にそんな意味があるということには気付かないってだけでは?
俺もこの板の関連スレでいろいろ言われてるのを見るまでは、そんなこと考えもしなかったし。
706日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 16:15:13.87 ID:v5yLj6fA
浅田美代子が教来石と勘助に「下がりなさい」とか言ってて
違和感を感じたんだけど、もしかして姫の世話役って結構いい身分なんですか?
707日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 16:20:33.33 ID:t3dLvJLA
与えられたお屋敷にいた、「たきち」と「おくま」ってのはどういう因縁の人達なんですか?
先月ぐらいから観始めたもので・・・
708日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 16:23:06.16 ID:TE/NGZTK
>>707
勘助が浪人の頃に居候していた村の住人です。
709日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 16:27:42.70 ID:woyTCVLj
>>706
まあ京都から三条についてきた人なら、武田の一家臣レベルよりは身分は上だろう。
710日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 16:35:14.07 ID:t3dLvJLA
>>708
ありがとうございました
711日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 17:04:45.18 ID:VerZxYtV
小川真由美だったらもっとコワイ
712日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 17:48:41.60 ID:3ouLppyt
>>707->>708
もう少し補足するなら、太吉は伝兵衛(先週一緒に温泉に入ってた人)の友人。
伝兵衛は勘助の想い人、ミツの兄。
ミツは勘助の子を宿していたが、鹿狩りの邪魔をしたというだけの理由で信虎に殺され
それを機に勘助は武田を恨むようになった。
713日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 18:28:47.28 ID:v2x8aWfJ
勘助と一緒に三条夫人に挨拶してた人は、海の口城攻めの時
穴を掘ってた人ですか?
714日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 18:37:19.84 ID:sFbQk9I6
>>713
その通りです
715日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 18:48:23.58 ID:eaeyHLlR
>>713
あの青二才が漫画「センゴク」では、武田家臣団をまとめ、
わずかな手勢で織田信長の領地に侵入し、一万もの織田勢を
「後ろも見ずに岐阜城に逃げ込」ませて信長を発狂寸前に
追い込む名将扱いされるのですよw

人に歴史あり。名将も一夜にして成らず。
716日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 19:03:38.99 ID:v2x8aWfJ
>>714
>>715
御答え、有難うございました。
717日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 19:22:40.10 ID:t3dLvJLA
>>712
補足ありがとうございました
「これからはわしが一番の家来だ」と言われたときに、勘助が頭を抱えていたのは
よほど頼りにならない知り合いだって事ですね
718日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 19:27:22.35 ID:YcKO+swc
まあ戦闘向きではないのは確かだ。
719日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 19:59:57.19 ID:v5yLj6fA
>>709
レスどうもです。
なるほど。そんなもんですか。
そういや駒井に対しても上からの口調だったな。
720日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 21:12:09.55 ID:3ouLppyt
>>717->>718
確か海ノ口攻めの時、ちょっと矢がかすめただけで
「もうダメじゃあ〜」と死にそうなセリフを吐いてたなw
721日曜8時の名無しさん:2007/04/02(月) 21:27:16.04 ID:HD3I0y5S
>>702 >>703
竜宝は海野二郎信親として、
お聖道様衆という騎馬の配下ももっていた。
継いだ海野氏について、北信の海野氏というのは軍艦の記述だが、
別の海野氏ではないかとの説もある。

また、>701の言う現光沢寺に住んだのは竜宝ではなく、
息子の信道・道快のほうじゃないかな。

>>696
信道・道快は大久保長安事件の連座で大島で死に、
高家になったのは次世代の信正だよ。
722日曜8時の名無しさん:2007/04/03(火) 00:16:16.62 ID:1mDMALzi
三条の方は高級公家である清華家出身のお嬢様。
このお方と比較したら武田の家臣レベルなんぞカス同然。
723日曜8時の名無しさん:2007/04/03(火) 00:42:54.75 ID:/3R2abe/
>>720
707=717でごいす。
重ね重ねありがとうございます。
724日曜8時の名無しさん:2007/04/03(火) 01:11:45.73 ID:ySdo9qFm
>>689 空水花土
725日曜8時の名無しさん:2007/04/03(火) 01:40:50.04 ID:4Y64xElG
>>724
それって、四字熟語ではないよね?
風林火山と同様に中国古典か何かに元ネタがあるの?
726日曜8時の名無しさん:2007/04/03(火) 02:23:01.45 ID:6NKL2/fX
>>702
一向宗ということは
お坊様も妻帯できるはず。
727日曜8時の名無しさん:2007/04/03(火) 03:21:11.51 ID:wvBIQfcE
>>712の補足というわけではないけど
ミツを殺すのも狩の邪魔をされて立腹したというより
面白半分に虫でも殺すかのようにミツを射たように見えた
728日曜8時の名無しさん:2007/04/03(火) 07:45:22.25 ID:JeZTn1bu
>>727
ミツが殺されたのは、勘助が贈った、首からぶら下げている
マリシテンの飾り物?のせいだろう。

信虎の夢から始まっていることで、マリシテン見つけて、
ものに憑かれたように射る
寄って行ったら怪我すらしていないので、恐怖込みで逆上
のパターンだと思われるけど
729日曜8時の名無しさん:2007/04/03(火) 08:59:44.79 ID:wLG4RUJE
ところで鞠支店は今、どこに行ってんだっけ? 平三が持ってるっけ。
巡り巡ってまた勘助のとこに戻ってくるオチな気がするんだがw
730日曜8時の名無しさん:2007/04/03(火) 09:25:18.21 ID:v415+6tl
信虎が鹿を仕留めそこなった時にたまたま近くにいたから
八つ当たりで殺されたってことだと思う

邪魔したならまず怒鳴りつけ、平伏してるところに近づいてバッサリじゃないかな
まあ今大河の信虎はそんなストレートな反応しないかもしれないが
731日曜8時の名無しさん:2007/04/03(火) 11:50:33.65 ID:TYf+kL+/
>>706
>浅田美代子が教来石と勘助に「下がりなさい」とか言ってて
>違和感を感じたんだけど、もしかして姫の世話役って結構いい身分なんですか?

姫の権威という虎の威を借りているという設定のようにも見える。
ただ、考えようによれば、この人自身、中下級の公家の出かもしれない。
732日曜8時の名無しさん:2007/04/03(火) 11:58:13.98 ID:SzDvNZnE
それでなくとも京の人間にとって関東、しかも山国の甲斐なんてド田舎だろうからな。
態度が高飛車になってもおかしくない。
733日曜8時の名無しさん:2007/04/03(火) 11:58:42.10 ID:7CV1iD62
おれもあれは八つ当たり説と思う。
信虎の夢に出て来てる晴信イメージって
麻利視点じゃなかった気がするし・・・。
麻利視点ペンダントがアップになったのは
晴信に身とを認識させる為のカットだとオモタよ。

734日曜8時の名無しさん:2007/04/03(火) 12:06:03.92 ID:Sl1mywdS
昔なにかの読みもので、信虎は胎児の成長過程をみたいから
何人かの妊婦を殺したってあったけどね
735日曜8時の名無しさん:2007/04/03(火) 12:08:59.97 ID:7CV1iD62
すまん、俺733
晴信に身とを認識させる為・・・×
晴信にミツを認識させる為・・・○
736日曜8時の名無しさん:2007/04/03(火) 13:01:31.54 ID:v50gXU2T
>>731
水戸黄門の助さん格さんみたいなものでは。
737日曜8時の名無しさん:2007/04/03(火) 14:22:19.14 ID:W8+iDHPj
>>734
胎児の成長を見たいとかいって、妊婦の腹を割くのって
たしか殷のチュウ王なんかにも記述のある
典型的な暴君の悪行パターンですよね。
あまりに典型的なやり方で、信虎暴君像を形成するための作り話くささを感じるのですが
実際この事件は信憑性のある史料に見えるのでしょうか?
738日曜8時の名無しさん:2007/04/03(火) 14:26:27.09 ID:Sbm+5Z18
>>722 >>731
当主の正室であるのだから、武田家中で最も格の高い女は三条夫人。
(かざりを下ろして隠居扱いの大井夫人はまた別格)
そのうえ太郎は正室の産んだ嫡子、大切な身。
館内で、ああいう少し不穏な空気の場で、奥の主付きの側近が
家臣を下がらせるのは別に可笑しくもないと思う。
739日曜8時の名無しさん:2007/04/03(火) 14:41:01.65 ID:Sl1mywdS
>>737
確かに作り話くさい
ただ今回のドラマでは「信虎様がお腹の子を・・」
みたいな台詞があったように思うから
胎児目的の部分もあったかもしれない
740日曜8時の名無しさん:2007/04/03(火) 18:17:59.71 ID:FmCwAV8d
4月4日(水) 22:00〜22:45 NHK総合 その時歴史が動いた
「上杉謙信・信長が最も恐れた男」▽激突!手取川の戦い
ttp://www.nhk.or.jp/sonotoki/

天下統一を夢見た織田信長が恐れた戦国武将、上杉謙信の知られざる実像に迫る。
生涯70回以上に及んだ合戦にほとんど負けなかった謙信は
天才戦略家のイメージがあるが、その戦いは私欲で臨んだものではなく、
乱世からの秩序回復を本気で目指した願望によるものだった。
争いをなくすために奔走し越後を経済大国に押し上げた謙信を恐れた信長は
「洛中洛外図屏風」を贈った。そこには足利邸に向かう謙信の姿が描かれており、
謙信に必死にこびを売る信長の心がうかがい知れる。
その後、信長の勢力が拡大するにつれて両者の関係は崩れ、
謙信は信長と対立する足利義昭や毛利氏の勧めにより
反織田同盟の盟主として立つことになる。
741日曜8時の名無しさん:2007/04/03(火) 19:07:39.91 ID:r+XdQT9C
三条のお父さんは左大臣にまでなってるし、そこの姫の筆頭侍女なんだから
萩野の実家も公家だろう。
742日曜8時の名無しさん:2007/04/03(火) 20:31:23.96 ID:+tSmq19m
正式に位階持ってたりするかもな。
743日曜8時の名無しさん:2007/04/03(火) 20:40:01.73 ID:Sbm+5Z18
>>741 >>742
大臣家の侍女に下級公家の娘はいるかもしれないが、
別に公家の出でなくてもお側付きの侍女にはなれます。
744日曜8時の名無しさん:2007/04/03(火) 20:55:40.40 ID:+tSmq19m
可能性を言ってるだけですよ
745日曜8時の名無しさん:2007/04/03(火) 21:36:25.77 ID:r+XdQT9C
そりゃ公家の出じゃなくても侍女にはなれるけど
三条の侍女という設定だと、萩乃も公家の出の方が面白い。
京と甲斐、武家と公家の対比として。
746日曜8時の名無しさん:2007/04/03(火) 21:55:04.01 ID:/e97Zyom
>>741
三条が信玄に嫁いだ段階では大納言。
で、信虎が追放されたのと同じ頃に内大臣に上がっていたように思う。
今手元に『公卿補任』がないので、うる覚えで間違ってるかも知れないが。
747日曜8時の名無しさん:2007/04/03(火) 22:07:10.16 ID:LpV+W9Dn
『公卿補任』探す前に国語辞典探して「うる覚え」をひいてみた方がいいよ
748日曜8時の名無しさん:2007/04/03(火) 22:17:23.82 ID:Sbm+5Z18
うる覚えって「うろ覚え」の2ちゃん用語みたいなもんだろ。
749日曜8時の名無しさん:2007/04/03(火) 22:37:05.68 ID:bGaWrVt0
由布姫はまだ武田家に来ていないけど
この時点で晴信には側室はいるんですか?
おそばの女性は三条夫人だけ?
750日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 01:00:04.79 ID:nJkjh4bJ
>>737
ドラマガイドにもあるけど根拠は無い。
洋の東西を問わず、悪逆非道の行いの例としてポピュラーな行為。
751日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 01:03:29.68 ID:nJkjh4bJ
ところで勘助は夕餉を日が暮れてから食べていたけど
当時は日没前に食べたんじゃないのかね。
今でも親戚の農家は日の出と同時に仕事に行くため夜明けに朝ごはん食べて、
晩御飯はまだ明るい6時ごろまでに済ませて8時には寝てしまうんだが。
752日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 02:04:39.31 ID:btbfmZcx
>>749
側室の存在というのでも、
あくまで、創作「風林火山」内での側室か。
文献等で確認される実在の側室か。
で、回答が違ってくると思われます。

>>751
あの頃はまだ一日二食の時代だったと思うけど、
別にそんなコトまで気にしなくてもいいじゃん。
753日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 02:22:35.20 ID:ybw93Iyn
もうよい、山本勘助、
あいわかった

これって、どういう意味?
戦国とか武士の話でよくでてくるけど
754日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 03:04:22.50 ID:uOp+a/N5
>>748
方言みたいなものと理解しているけど違うの?
「おととい」と「おとつい」なんかと同じじゃない?
755日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 03:12:45.29 ID:weEhLLnX
むしろ、うろ覚えなんて使ってる奴はどこの田舎者だよって感じだ
756日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 06:06:31.35 ID:tnJbppXh
>>694
ひょっとして、その和田小太郎義盛と春日源五郎とショウタロウコンプレックスって因果関係があるんですか?
757日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 06:34:20.65 ID:AcE62t8S
>>754
オフィシャルな場で使うとバカにされます。
寡聞ながら「うる覚え」という方言が存在するとは聞いたことがありませんが
言語学的な立場からは、いかなる言葉遣いも「間違い」ではありませんし
日常生活や2chでよく使われているからそのうち定着するでしょう。
758日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 08:22:56.24 ID:mOxFVmBP
それより
>むしろ、うろ覚えなんて使ってる奴はどこの田舎者だよって感じだ
↑がショックなんだぜ 俺は田舎者じゃ〜アヒャヒャ
759日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 08:29:34.61 ID:XHM+eEOW
>>757
>>日常生活や2chでよく使われているからそのうち定着するでしょう

ちょっとまてw 2chはともかく、日常生活で「うる覚え」なんて言ってる
奴に今だかつて会った事がないオレの方が珍しいのかw
760日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 10:59:00.08 ID:aa4i2CID
>>751 農家はもう辞めたって言ってませんでした?これから槍でかせぐと。
761日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 13:05:43.33 ID:FaeB/Ffr
>>760
江戸時代の煮炊き屋や飯屋も日没前に終業、
日没後も営業してるとこは特別料金だよ。
灯火も無料じゃないし、暗い所での作業は効率悪いし。
まああの日は勘助の到着が遅かったからかもしれないが。
762日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 13:12:33.93 ID:je3LhZ74
なんで、農家、煮炊き屋、飯屋を例に出すの?
勘助は新参とは言え武田家家臣だよ。自分の屋敷だよ。

>まああの日は勘助の到着が遅かったからかもしれないが。

そういうだろ。主人の勝手w
763日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 13:14:54.23 ID:btbfmZcx
勘助の食事時間については、
食べ損ねたのかもしれないし・・で済む些細なことだ。
ドラマの展開上の伏線になるわけでもなし。
764日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 13:15:36.62 ID:GdON2er+
太陽は規則正しくめぐるから、百姓は昼働いて夜寝ればいい。
しかし、戦を仕掛ける方は気まぐれだから、侍には夜も昼もない。

ただ、一般には今と違い、昼働いて夜寝るというのが徹底していただろうから、
夜襲というのが、非常に効果がある戦術だったんだろう。
765日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 13:25:50.95 ID:XF8GYqXA
ミツの腹裂きについては、ノベライズで信虎が晴信にその「真意」を
語るシーンがある。次郎の弓矢の腕の筋がいいのを諸角が褒めている
シーンだ。収録までされたのに時間の関係でカットされたのか、
シナリオ段階で「これはちょっと」と収録台本の段階ですでにカット
されていたのかは分からない。

とりあえずそのシーンで
・信虎は正しい意味で狂っているわけではない(これもワケワカだが)
・晴信がアホのふりをしていることなど信虎はお見通し
・そうして韜晦していることが信虎には気に食わない
・晴信は信虎に底意を見抜かれていたことに気づく
・同時にミツの氏に自分の責任があることも知る

という流れになって、晴信は伝助に頭を下げ、ただ父親に反発する
だけではダメだと「大望がなければ…」と自分にも言い聞かせ、
同時に信虎と真正面から対峙する決意を固める。
暴虐悪王伝説をうまくひねったいいシナリオだったのだが、やっぱり
刺激が強すぎると遠慮したところもあったんだろうな。
766日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 13:27:19.11 ID:pInZCiL7
源五郎は地侍の息子だそうですが、地侍と侍は何か違うんですか?

また、勘助の実家も山本村の地侍ですが、
源五郎の家のほうがずいぶん狭く、貧しく感じました。
これは甲斐と駿河の国力の差なのでしょうか?
767日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 14:10:09.19 ID:f5RhxYca
>>766
地侍は、有力農民が武装化して大名や国主、領主に仕えてその土地に暮らしながら(農民しながら)侍の身分をもらったもの。
農民と侍の中間的な存在。

侍は直接領主なり主人に仕えるもの。農業は基本的にしない。

地侍といってもピンからキリまであるので、
単純に貧しい地侍と裕福な地侍だったというだけかと思います。

ちなみに、秀吉の「刀狩」は、このような地侍から刀を取り上げて、
農民に戻すという意味もあった。





768日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 14:20:39.58 ID:Y6b2WwE7
>>766
つかドラマでは地侍の息子となっているけど実際の春日源助は
武家の出ではなく百姓の出だよ。百姓といっても大百姓だが。
晴信が領地見回りで石和に行った時に見初めたと言われている。
源助は本当に美男だったらしくあまりの美男ぶりに絵師がその顔を
書くのをはばかったたとか、女にもかなり人気があったようで
彼が躑躅ヶ館に出退勤する時は門の所で待ち構えていて通るたびに
春日様〜、源助様〜キャーキャーという黄色い声が絶えなかったと
いう逸話も残っている。

ちなみに織田信忠の小姓山口小弁も美男として有名で本能寺の変で
二条城が攻められた時に死に際しその美しい顔に傷がつくのは忍びないと
信忠が面あてを付けさせたという記録が残っているぐらいなのだが
(そんな余裕があったなら織田家とお松のためにも逃げろよ!)
この小弁も源助と同じ百姓出で小姓に上がった経緯が源助と全く同じ。

織田と武田、妙なところで似たもの同士だったのかもしれん。
769日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 14:34:24.15 ID:gwFY1qZL
>>765
>同時にミツの氏に自分の責任があることも知る

これはどういうことだったんだろう。
信虎て、晴信がミツを気に入ってたことを知ってたんだっけ?
摩利支天を見てそれに気づいて、腹の子は晴信の子だと思った、とかか?
770日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 14:37:33.07 ID:YAoz53jR
>>757-759
俺は>>755に似た感覚だったな。
一応、東京出身&在住で両親・祖父母も全員首都圏(除、北関東)出身だが、
小さい頃から何の違和感もなく使っていたし、それを間違いと訂正されたことも
なかった。
たぶん首都圏では話し言葉レベルではかなり浸透していると思う。
おそらく「ら抜き言葉」よりも浸透度は高いだろう。
771日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 16:16:43.33 ID:GziedVs0
いい加減「うろ覚え」「うる覚え」議論はスレ違いだと気づいてくれ。
772日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 17:45:42.53 ID:btbfmZcx
>>768
つか、中井貴一「武田信玄」で
村上弘明は農民状態で初登場します。

高坂の美男逸話は、ほとんどが江戸時代の創作だろ?
子弁の話も信憑性のある同時代史料に載ってないんじゃね。
773日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 17:53:41.81 ID:rp+5tpGW
>>772
子弁ではなく小弁。
官職由来の通称。
774日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 18:02:51.48 ID:Y2ROG/WZ
大河ドラマの予算ってどれくらいですか?
合戦の描写とか前半に多すぎたら後半ちゃちになるってホント?
775日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 18:06:00.08 ID:wgCcjGTV
高坂の仕官エピが気になったのでWikiを見てみたら

 大永7年(1527年)、甲斐石和の豪農・春日大隈の子として生まれる。天文11年(1542年)、
 16歳の時に父が死去し、姉婿と遺産の田畑の問題で訴訟となり、
 敗訴して身寄りが無くなってしまった折に武田信玄に奥近習として召抱えられた。

とあった。
>>768といいWikiといい、諸説あるってこと?
776日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 19:27:41.22 ID:Y6b2WwE7
>>772
香坂は何とも言えんが小弁の美顔話はあの当代記に載ってる話だぞ。
777日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 21:31:41.96 ID:kwoo5oBP
>>769

ノベライズ立ち読みなのでうろ覚えだけど。

・勝千代が次郎相手に剣道でわざと負けた(第2話のエピ)
・晴信がわざと弓の的を外した(放送ではなかったかも)

これは晴信が「父上に殺されとうない」という理由で、わざと愚か者のふりを
してたんだけど、信虎にはそんなことはお見通し。

「的を人だと思って射てみよ」
「的を外せばわしが喜ぶと思うてか」
「そのような甘い心構えで生き残れると思っているのか」
「正しい心構えをお前に教えるためにあの女(ミツ)を殺したのだ」
「あの女がわしに殺されたのは、お前の態度のせいなのだ」

みたいな台詞があった。カットされたのが残念。
778日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 21:37:54.61 ID:m/3RrpwF
>>777
その台詞があれば、信虎の「晴信はワシが育てた」がさらに生きてくるのにね。
しかし、脚本家は凄いな。
どこまで伏線張ってるんだ。
779日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 23:37:23.05 ID:zE0WEMOS
いろんなところに伏線ありまくりで面白いんだが
OPに甲斐の山の空撮が折角あるのに何故甲斐駒ケ岳を
取り上げなかったのだろう。あそこには摩利支天という大岩があるのに。
山を知ってる人間ならニヤリとするんだがなぁ
780日曜8時の名無しさん:2007/04/04(水) 23:47:44.02 ID:epkfxSJi
それは伏線じゃなくてただの小ネタだろ…
781日曜8時の名無しさん:2007/04/05(木) 16:28:06.84 ID:jufp9j3h
>>779

いまのところマリ支店は「持った人を不幸にするアイテム」
と化しているので、視聴者の無病息災を祈ってのことだろう。
782日曜8時の名無しさん:2007/04/05(木) 18:01:11.38 ID:Sg9CIkVF
>>753
「あい」の意味なら辞書を引くのじゃ。
783日曜8時の名無しさん:2007/04/05(木) 22:41:35.59 ID:d8J+SrQd
鬼美濃は第四話で勘助と板垣の互角の立ち合いを間近で見ていたはずなのに
どうして今回勘助を身障者として見くびったのでしょうか。
784日曜8時の名無しさん:2007/04/05(木) 22:50:50.48 ID:7LUkXeeE
その後も職歴付いてなかったからじゃね?
785日曜8時の名無しさん:2007/04/05(木) 23:04:46.78 ID:xaZOaS24
>>783
てか、鬼美濃はミツが勘助の嫁だったことも知ってる。
案外手加減してやるつもりだったのかもな。
786日曜8時の名無しさん:2007/04/05(木) 23:18:46.64 ID:D9pRS01u
体育会系だから、いつまでもそんな昔のことは覚えていない、でどうだw
787日曜8時の名無しさん:2007/04/05(木) 23:52:16.69 ID:JNABsHk3
サニーより俺のほうが腕が立つぜと思い上がっていたのかもしれませんぞ
だからあの場で「俺がやるぜ!」とばかり出てきたと
788日曜8時の名無しさん:2007/04/06(金) 00:12:28.83 ID:PUZKyTgc
ネタバレしちゃうけど
鬼美濃は武田家中で自分が一番最初に勘助に会ったことや
勘助とミツとのことも覚えてる。
789日曜8時の名無しさん:2007/04/06(金) 01:46:07.90 ID:5XcB3AtF
手加減してないじゃん?船に乗り移るときに奇襲かけてたし。さすがに御前で
手加減したらまずいっしょ。
790日曜8時の名無しさん:2007/04/06(金) 07:58:11.78 ID:k+pmndRY
>>788鳥肌たった。wktkして待つわ。
791日曜8時の名無しさん:2007/04/06(金) 10:24:13.73 ID:sF26pFbh
鬼美濃も元々甲斐の者じゃないと言うことで、
同じく他国者の勘助と仲良くなっていくという流れなんだろうか。
ネタばれスレで聞くべきだろうが。
792日曜8時の名無しさん:2007/04/06(金) 11:13:52.81 ID:BsQ/K8tN
>>769 >>777 ノベライズなどから引用。

 ふだんからうつけのふりをして「父上は書物にうつつを抜かすよりは
 笑うて下さろう」と言う晴信。信繁に続いて弓を引くがわざと的を外す。

「待て、今一度構えよ」と信虎が晴信に近づく。
「あれを人と思うて射かけてみよ」硬直する晴信。

「戦で射るのは人じゃ。ためらえば己が死ぬ!
 さように思うて鍛錬せねば 役には立たぬぞ。放て!」

 見事、的の真ん中を射抜く晴信。
「よい〜、それでよい〜」
 父親らしく微笑む信虎。
793792:2007/04/06(金) 11:14:34.78 ID:BsQ/K8tN
「矢を外せば、この父が喜ぶとでも思うてか?」 たじろぐ晴信。

「…そなたの好む書物の中には、戦のむごさ醜さなどは書かれておるまい。
 せいぜいが人をたぶらかす事くらいじゃ。

 …そなたに、まことの弓矢を教えたかった。
 そなたの小賢しい振る舞いが、罪もなき領民を一人、死なす羽目に
 なったのじゃっ!」

 背を向ける信虎。憤怒の晴信、思わず弓をへし折る。信虎振り返り

「よい。それでよいのじゃ〜。はじめてそなたの目が、こわっぱなりに
 人らしゅうなった。…いかなる言葉より、その目がそなたの性根を
 語っておる」と不敵な顔。
794792:2007/04/06(金) 11:15:28.35 ID:BsQ/K8tN
 これにショックを受けて晴信は勘助に
「書物にて得た兵法ではないのか?書物によらずして兵法を極めたと
 申すか?まことに頼もしいの」と関心を示し、
 伝兵衛には
「そなた<も>さぞ御屋形様を恨んでおろう。
 されどその心鎮めてはくれぬか」と語りかけ、

「失望の中にこそ誠の大望は生ずる」
「大望がなければ怨みを晴らしたとて何になろう」
「この国を良くするため…」

と信虎への私怨をただぶつけても仕方ないと、よりよい解消・昇華を
自分自身にも言い聞かせるようになるというわけですね。
795日曜8時の名無しさん:2007/04/06(金) 13:48:47.12 ID:FZQxGHqG
ここの>>14だけど……あれからずっと見てる。
面白くてたまらん!!なんで見逃していたのか。

1〜3月の前半のを見る方法は、
再放送を頼む以外にないのだろうか。
NHKアーカイブスには昔の大河しかないし。
DVDは、全放送終わってからBOXでしか出ないのですか??
796日曜8時の名無しさん:2007/04/06(金) 13:57:49.31 ID:No1IoBQ8
797日曜8時の名無しさん:2007/04/06(金) 18:15:17.58 ID:FZQxGHqG
>>796
紹介ありがとう。
NHKにも、夏ぐらいにでも、前半一挙再放送してくれとか
たのんでみる
798日曜8時の名無しさん:2007/04/06(金) 21:23:52.88 ID:5XcB3AtF
いつも大河が終わったあとなら総集編やるよね。
799日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 04:46:47.19 ID:qWwrl7/m
>>791
原氏って甲斐源氏じゃないの?
800日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 05:19:17.64 ID:1NvlccnS
あい【あい】
名前を呼ばれたときに答える語。
801日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 05:38:18.16 ID:lfvy1mJe
>>799
違うよ。原虎胤は元は下総(千葉県)出身で原氏の傍流。
原氏は平氏が祖先で、もともと千葉氏の家臣。

父友胤は下総の小弓城城主だったが、
虎胤20歳のときに、古河公方足利晴氏の叔父の足利義明に父友胤とともに小弓城を落とされる。
足利義明はこの小弓城とって自ら小弓公方と名乗り、古河公方と対立した。

で、友胤と虎胤は甲斐に落ち延び信虎に仕えた。

ちなみに、小弓公方足利義明は北条氏綱・氏康と第一次国府台合戦で滅ぼされ、
原氏本流はこれより北条氏に仕える。
だから、原虎胤は宗教問題で信玄に追放されても北条氏に仕えられた。
802日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 07:36:02.56 ID:XBBfaSTM
『陣場奉行』の原昌俊・昌胤は清和源氏土岐氏流と言われる。
803日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 08:07:57.44 ID:KEoGnkb/
>>802
あー、原昌俊・昌胤は、
原虎胤は別の原氏です。
確かに土岐氏の傍流といわれてるね。

だから勘違いしたのか。
同じ原氏で別一族はたしかにややこしいね。
804日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 08:12:01.02 ID:KEoGnkb/
>>803
×原虎胤は別の源氏
○原虎胤とは別の原氏

だから、千葉で海沿い出身の原虎胤は泳げそうなもんだけどね。
まあ、海沿い出身でもカナヅチはいるか。
805日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 11:04:33.54 ID:G4a1RbvY
>>804
服着てると泳ぐの大変だし刀も重いよな。
泳ぐときはフンドシ一丁だと思う。
806日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 13:29:00.96 ID:ccseC5p7
山梨県立博物館の「風林火山」展、躑躅ヶ崎館跡、要害山城跡、新府城跡と
行きたいところが沢山あります。(東京在住です)
1日ではとても回りきれませんが、泊りがけデートはまだできないので、
1日で行けるところ絞らないといけません。展覧会は5月20日までですから決定ですね。
あともう1ヶ所どこがいいでしょうか? 躑躅ヶ崎以外はそもそも不可能ですかね?
807日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 13:35:24.34 ID:xVrCEXsU
ああそうか。原氏は千葉一族だから通字が「胤」なのか。
808日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 14:13:37.84 ID:J2jwKQfV
>>806
これを機に泊りがけデートに踏み切るのはいかがでしょう。
親に言えないなら「女友達の家に泊まる」という常套手段がありますよ。
兵は詭道なり。
809日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 14:22:49.44 ID:HvIy+TI+
>>801 千葉氏って川越夜戦で唯一北条側についたんですよね?
第一次国府台合戦では千葉氏と原氏って北条と戦ったの?無知ですいません。
810日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 15:24:44.89 ID:HYWm7r/Y
>>806が女性である保証はあるの?
811日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 17:43:03.39 ID:WZOvcfFr
>>779
それは自分も思った。まぁ山屋なら皆思う罠。
甲斐駒の摩利支天が映ってる空撮があった。始まってすぐのお椀型の岩峰
http://www.sannichi.co.jp/moviegallery/movie/sky01/001.wvx
812日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 17:50:17.37 ID:HdOrTvkZ
4月9日(月) 16:05〜16:50 NHK総合 その時歴史が動いた[再]>>740
「上杉謙信・信長が最も恐れた男」▽激突!手取川の戦い
813日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 17:53:46.00 ID:XwbOERot
>>806
躑躅ヶ崎館跡=武田神社は甲府市内で駅からいけ、観光地らしいが
新府城は車がないといけない山奥で、結構離れてる。
5年くらい前にいったときは整備されてない鬱蒼とした山の中でした。
デートでいけるような空気でない。


>>809
闘ってないというか、
千葉と原の領地を回復するために北条を引き入れたという形。
814日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 20:00:03.52 ID:t36h7AhQ
次週から武田方武将の甲冑が当世具足にシフトする件
815日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 20:01:59.82 ID:8wFeIEez
なんで信虎追放の回で信有だけ姿をみせなかったんですか?
あと今日の軍旗披露の時も信有いませんでしたよね?これもなぜでしょうか。
816日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 20:24:11.25 ID:ccseC5p7
郡内領主・信有は譜代家臣とは距離感あるという設定ですから、それを強調すればそういう絵柄になります。
817日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 20:41:34.48 ID:qdiKf6hs
「兵はキドウなり」のキドウってどのキドウ?
818日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 20:42:02.17 ID:8wFeIEez
>>816
ありがとうございます
819日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 20:43:43.46 ID:tw2rS/WN
>>817 鬼道だよ。
鬼道をもって衆を惑わせていたらしいよ。
魏志倭人伝に書いてあるズラ
820日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 20:43:52.76 ID:CBeTwb+x
「兵は起動なり」
    ハインツ・グーデリアン
821日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 20:46:15.24 ID:t36h7AhQ
>>817
マジレスすると詭道w
822日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 20:47:37.85 ID:co9e6x/5
きょう、おやかた様が風呂に入ってるときに
なにか黒い布を肩にかけてたけど、あれはなんですか?
823日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 20:49:00.00 ID:FsNIWn9l
>817
「機動」だよ。
「機動隊こそが兵(つわもの)」とあさま山荘事件の突入前に隊員たちを鼓舞したことに由来する。
824日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 20:53:20.19 ID:FXNBCYUK
平蔵って、みつやん殺された後、真田に雇われるまでどこにいましたっけ?
825日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 20:56:05.52 ID:XBBfaSTM
ちょっとまて・・・こんなスレだったかorz
>兵は鬼道
>兵は起動
>兵は機動
826日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 21:16:17.40 ID:jvsRpmU6
>>824
甲斐の村から傷心の旅立ち→真田で勘助と再会 じゃないの。
腹へって真田庄の農家に盗みに入った本人の述懐以外、その前はドラマで
描かれていましぇん。
827日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 21:19:47.82 ID:FXNBCYUK
ありがとうでごいす
828日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 21:23:50.41 ID:HdIdnnMr
>>822
手ぬぐいだと思う。
829日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 22:27:45.25 ID:co9e6x/5
あーただの手ぬぐいか!!
包帯かなんかに見えて……どうもありがとう
830日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 22:48:57.54 ID:1NvlccnS
今日、晴信が

バーーーカwwwwwwww


っていいました。
831日曜8時の名無しさん:2007/04/08(日) 23:41:44.21 ID:cFQWJrQo
>>817
>>618

「兵は詭道なり」もテンプレかな。

そろそろ次スレ用テンプレ作りの時かな。
832日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 00:45:09.26 ID:3nPk2Au5
Q この時代、孫子は広く知られていた?

↑結構頻出質問だが、

木版印刷について、まるっと転載↓

発明以降
現在確認されている最古の木版印刷による印刷書『金剛経』は868年のものである。
木活字が開発されるなどしたが、印刷の主流は木版印刷であった。
その地位は17世紀からの西欧諸国の東アジア進出から、
グーテンベルクに淵源する鋳造活字が市場を覇すまで続いた。

日本では、百万塔陀羅尼以降印行の記録がないが、
平安時代の春日版や鎌倉時代・室町時代の五山版などの
寺院版が印刷、ひいては木版印刷の主流であった。

以上Wikipediaより。

経文のように、総本山があるわけじゃなし、基本は写本の悪寒。
実際のところ、紙媒体の末端は地方豪族、
あとは武家が奉納した寺社を探し当てて読ませて貰うか、
諳んじている人間に口伝して貰うかしか、思いつかんがどうだろ?
833日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 00:47:36.34 ID:qmZT7PV4
>>832
自前印刷写本だけじゃなく、本家本元中国での印刷物を輸入した可能性は?
834日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 00:52:34.92 ID:wwUghP2o
戦国期の識字率がどの程度のモノだったか知らないのでアレだが、
写経・写本の類は文字の手習いの延長で嗜みのある手合いは普通に
やっていた希ガス・・・
なんで結構地方でも書写伝播はあったんじゃまいか?
口伝は逆に文字情報化してダレでも接することが可になるのを
憚る記録に限ってた気もしたりで・・・う〜ん、教えてエロイ人!w
835日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 01:00:28.71 ID:oQ2p0KWa
>820

字ぃ間違ってるぞ韋駄天よw

ウマでバシバシ移動するから「機動」だと
それがしも少し思っていました。
お恥ずかしき次第にて。
836日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 01:07:05.71 ID:3nPk2Au5
>>833
流通と販売のルートがあったとして、応仁の乱以降、
維持できたかは疑問。

>>834
適当にぐぐって見つけたとこだから、真贋は不明だが、
ttp://maneuver.s16.xrea.com/cn/sonshi.html
手習いの最中にこれ全部書き写すのが普通に行われていた…のか?
837日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 02:13:15.43 ID:80Z11orv
写本といえば吉川元春と『太平記』40巻
838日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 02:20:28.05 ID:4B2Tz24S
セリフでしか出てこなかった有賀家って名門なんですか
839日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 02:48:55.75 ID:80Z11orv
諏訪の支族だから名門といえば名門か
メル欄にネタバレ書いとく
840日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 03:29:56.63 ID:qGEzf89n
>>806
車だったら日帰りで全部回れるよ。
なんならここ↓も回れる
http://www.city.hokuto.yamanashi.jp/hokuto_wdm/html/sight-sec/59690776730.html
841日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 03:39:47.30 ID:GyeuRFa/
>>813
>デートでいけるような空気でない。

当人と相方の趣味嗜好によっては何の問題もない。
842日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 03:49:15.99 ID:IjrQIUfW
>>841
さてはおまい、そこでめっさデートしたな。
843日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 03:56:10.40 ID:aJu5xROn
>>841
さてはおまい、そこでめっさ青姦したでごいすな。
844日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 05:09:35.66 ID:+BFkMc6H
弾正って簡単にもらえたの?3人もいたらしいじゃん?
てかもう朝廷ってないんでしょ?官位欲しいっす。
845日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 11:14:55.54 ID:VWU1oHmQ
>>844
まず、朝廷は存在してた。
だから、正式に任命された官位もあったが、
しかしその「弾正」は、「百官名」とか「武家官位」と呼ばれるもので、
朝廷が関与してない官位であることが多かった。

一般的に先祖が名乗っていたら、朝廷の許可なく勝手に名乗ったケースが多い。

まあ、だから今から「俺は弾正上だ!」って言い張っても問題はない。

846日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 11:31:15.90 ID:xcfaGCqx
>>844
>てかもう朝廷ってないんでしょ?官位欲しいっす。

昔の官職名は勝手に名乗ればいいだろう。
官名詐称で刑事責任に限らず法的責任を問われることはない。

位階は、今でもある。
戦後廃止されたが復活。ただし、死後に贈位されるという形。
だから、生きているうちに勝手に従五位下とか名刺に書いても、
誰も本気にしないから、何の危険もない行為ということで法的責任を問われない。
ちなみに、四位以下にあった上下は明治になって廃止されているから、
従五位下は従五位と紛らわしいが存在しない位階ということからも、
誰も本気にしないといえる。
847日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 14:56:44.75 ID:+BFkMc6H
じゃあその辺の人が今日から俺は関白豊臣秀吉だ!!って名乗って
選挙出てもいいのかな。天皇家の名前騙った人は逮捕されたけど。
848日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 16:18:35.92 ID:XBW2SHVM
今「その時歴史が動いた」で謙信の回再放送して、
「青そ」の生産・販売ルートの確立について触れてたけど
越後って布や衣料で定評あったの?
849日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 16:22:33.49 ID:jLko1VrG
>>848
結構論文があったと思う。
850日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 17:21:12.04 ID:rma3jVD7
あそこでも紹介されていた「青そ」を越後から関西方面に出荷する
船にかけた税収「だけ」で、上杉家(長尾家)に入ってきた金は
年に四万貫。いまでいうと十億円くらいだったらしい。

「甲州法度之次第」は農地からの年貢に対する規定が大半だけど
謙信の出した政策をしめす記録には農地の事はほとんど無くて、
都市部に対する楽市楽座に関わる貿易関係のものが大半だとか。
実は上杉家って「米の産地信濃」というのも「佐渡金山が軍資金」
というのも後世の伝説で、実は海運貿易によって信長もうらやむ
巨万の富を蓄えていた都市型大名だったらしい。

領土に執着を持たなかったのも管理が面倒な農地なんかに興味が
なかったためらしいし、川中島の武田に執念を燃やしていたのも、
従来の「義」などという問題ではなく、越後最大の貿易港直江津まで
川中島はあと50キロという至近距離だったのが原因だとか。
我々の戦国合戦観をかなり覆してくれる説明ではある。

まあガクトが一生懸命、商品の開発と流通ルートの確保に精を出して
金勘定ばかりしているビジネス大名ではイメージぶち壊しなので、
ドラマでは軽く触れる程度に済ませると思うけどw
851日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 17:22:07.20 ID:yKbJBfAE
>>848
「青そ」の生産・販売ルートを確立できたから、
安定した供給が可能になる。
            ↓
需要がそこに集中して、越後の布や衣料の定評があがる。
て感じ?
852日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 17:38:48.12 ID:3KKcN+Q+
親父を追放した前の回から見てるんだけど
昨日出てきた平三って、何で武田に恨みを持ってるの?
勘助との関係は??
853日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 17:41:35.67 ID:nTkxKKlU
平蔵はみつと同じ村の百姓で、みつを好いていた。
でもみつは勘助が好きだったから、平蔵は勘助に嫉妬していた。

ノブとらがむつを射殺してからは、平蔵と勘助は武田への敵討ちを
誓い合った仲。
854日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 17:53:57.60 ID:AkSbc6lB
ドラマ内の設定でいいんですが現在15??年なんでしょうか?
平蔵と勘助は何年ぶりの再会だったんでしょうか?
勘助と晴信は最初に出会ってからすでに10年近く経過してるのでしょうか?
(大望あれこれから、だいぶブランクあって召抱えられたと思うのですが・・・)
855日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 18:07:54.20 ID:YK/PG5bQ
勘助がはじめて葛笠村でミツに出会ったのは1535年夏
海ノ口城の出来事は1536年12月末。その時、平蔵と分かれる。
平蔵にめぐり合って勘助・教来子が諏訪に入ったのは1541年の年の瀬。
856日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 18:09:56.67 ID:yKbJBfAE
信虎追放が天文10年(1541年)の秋だから、天文11年の2月頃じゃね?
857日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 18:13:28.15 ID:yKbJBfAE
被った。
おみわたりと「この春に嫁ぐ」発言から、年は明けたとオモ
858日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 20:31:45.81 ID:/WgVIwvz
>>850
だからこそ、
「敵に塩を送る」のは、民衆ためでなく、
「貿易国家越後」には「流通のストップ」はそのまま税収の低下になり、
年貢からの収益がメインの駿河などと同調はできなかったんだよな。
859日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 20:34:02.38 ID:YK/PG5bQ
信虎追放は天分10年(1541年)の6月。
家督を継いだのが天分10年6月28日です。
一応ノベライズでは勘助が諏訪に入ったのは1541年の年の瀬となってます。
今回はそれで終わりでしたね
860日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 20:34:40.27 ID:y6hraS+8
1561年6月14日 信虎追放
1561年6月28日 晴信が家督を継ぐ
 数カ月後の秋 勘助が武田に仕官
 冬?(雪が降ってる) 勘助、原美濃と決闘
1561年7月 上杉憲政の軍勢が碓氷峠を越えて信濃の佐久に進軍
1561年冬 勘助と教来石が高遠頼継に会う
1561年12月 勘助が5年ぶりに平蔵と再会、教来石が矢崎家にもぐりこむ
1562年4月4日 諏訪家に寅王丸誕生

このドラマの時間経過、いったいどうなってるの?
861日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 21:05:10.63 ID:/WgVIwvz
>>860
まず、年号を落ち着いて見直してくれ。大河ドラマ終わってるし。
で、1541年として、
上杉憲政が海野氏のために佐久に攻めたのは5月頃(7月じゃないと思うが)で
本当は信虎追放前の話だと思われます。
おそらく、そこの部分が脚本の都合上の嘘かと思われます。

ちなみに、原作で天文13年(1544年)2月に諏訪頼重と討つと堂々と嘘書いてるので、
数ヶ月単位の入れ替えはまあ演出の範囲内でいいのではないでしょうか。
ドラマだし。

862日曜8時の名無しさん:2007/04/09(月) 21:15:56.59 ID:YK/PG5bQ
上杉が侵攻をきめたのが天文10年5月
碓氷峠を越えて侵攻を開始したのが天分10年7月

ノベライズではこうなってます
863857:2007/04/09(月) 21:19:35.10 ID:XV0tYApM
スマソ、寝ぼけた。
×この春
○春になったら
だった。

それと太陰暦なのをすっかり忘れてた。
だから年の瀬でも御神渡りが起こるのかも。
864日曜8時の名無しさん:2007/04/10(火) 00:03:18.49 ID:kKIgzVpd
オープニングで花や水などの漢字が出てきますが、
土の直前に出てくる記号のようなものってなんですか?
865日曜8時の名無しさん:2007/04/10(火) 00:21:09.59 ID:EN/t0+7R
他の字の前にも出てくるね。
水のときは水しぶきっぽい感じで。
筆さばきのイメージ映像じゃないの。
866日曜8時の名無しさん:2007/04/10(火) 01:02:18.40 ID:gQqaaevD
あのー時代劇を真剣に見るのってはじめてなんでよくわからないのですが
晴信を中心に会議を開いてるところで、重臣っていうんですか?千葉さんとかゴリさんが
縦に並んで座っていますよね。なのに仕官したばっかしの勘助が正面に一人でいるって
なんか意味があるんですか? たんに主役だから? 
それとももう軍師として意見を聞かれているということだったんでしょうか?
867日曜8時の名無しさん:2007/04/10(火) 01:08:01.91 ID:8RLQPNrU
意見を聞かれてたんじゃないの。確かに、序列で行ったら一番遠いとこに
座ってなきゃならんはずです。
868日曜8時の名無しさん:2007/04/10(火) 01:09:28.15 ID:qm8/bkXq
勘助、部屋の中じゃなく板の間に座ってたんじゃ
869日曜8時の名無しさん:2007/04/10(火) 08:58:54.40 ID:Bel5cInw
身分の高い人ほど殿様近くに侍るのです。一番近いところに座ってるのは弟の信繁様。
870日曜8時の名無しさん:2007/04/10(火) 09:58:44.18 ID:1D2HZzEX
>>868
そうそう、末席も末席。
871日曜8時の名無しさん:2007/04/10(火) 10:13:00.33 ID:gQqaaevD
みなさん、教えてくれてどうもありがとう。 
そうかあの席は末席なんですね。板の間まで気がつきませんでした。
他にも聞きたいことがあったんだけど、今時間がないのでまたよろしくお願いします。
872日曜8時の名無しさん:2007/04/10(火) 12:54:42.67 ID:FpOLcV+b
本当だったら、板垣らの座る部屋の外に「次の間」や「二の間」と呼ばれる板の間があって、
そこに足軽大将や下級の地侍らが詰めているはずなのだが、
予算の都合かカンシュケしかいないから変な感じではあった。
次の間は信繁やオブたちの背中のほうに広がっているはずで、
カンスケが座っていた場所は伝令などが報告する時に座る場所だ。
873日曜8時の名無しさん:2007/04/10(火) 13:02:50.34 ID:EN/t0+7R
晴信はもちろん、他の家臣たちと
エライ距離はあったな。
874日曜8時の名無しさん:2007/04/10(火) 14:50:24.50 ID:kZ2VNWK3
勘助が信濃の諜略について万事首尾よくいったと報告したとき
晴信がとても厳しい顔になったのは何故だろう。
それまでは源五郎を近衆に召抱えて驚かせたりして
とても上機嫌だったのに・・・。ちょっと気に掛かるなぁ
875日曜8時の名無しさん:2007/04/10(火) 15:16:00.51 ID:Vmu5Uli1
>>874
そこ気になった。
守備良く進んでいる=間もなく戦が始まる
ということだから?
876日曜8時の名無しさん:2007/04/10(火) 15:36:35.16 ID:Tw+uPofi
>>874
勘助の含み笑いっぽい顔への反応だったよね。
「首尾よく?ほんと?筋書き通りに動くといいが…」って表情。

これは読み方としては反則だけど、予告を見る限り
高遠が勘助と教来石の思惑通りに動いてくれないんじゃないかと思う。
それの予兆と見た!

877日曜8時の名無しさん:2007/04/10(火) 15:37:26.07 ID:Bsq/7IZX
ま、戦は理屈通りにはいかんからなぁ。妹のこともあるし、妹婿と
グチャグチャなってゆくことは確かだからじゃね。
878日曜8時の名無しさん:2007/04/10(火) 15:44:46.45 ID:EN/t0+7R
諏訪の地図をじっと見つめて考えてたしな。
ヨメに言われたことも引っ掛かっているんだろう。
879日曜8時の名無しさん:2007/04/10(火) 15:50:30.07 ID:ie5jWZMH
関東管領様が小県に攻め込んだとき諏訪単独で動いたらしいけど村上とかおがしゃわらは
どうしてたの?信虎追放した武田家とはすでに縁を切ってたとか?
880日曜8時の名無しさん:2007/04/10(火) 21:53:57.77 ID:fuuBT8MF
教来石と勘助の身分はどっちの方が上なんですか?
881日曜8時の名無しさん:2007/04/10(火) 23:52:51.90 ID:hFcG4r56
>>879
そもそも諏訪が裏切った
というのはフィクションで、
武田が一方的に侵略した
が正しい歴史なので、
ドラマ内の設定で村上や小笠原が何をしていたのかは
NHKのスタッフしか知らない。
882日曜8時の名無しさん:2007/04/11(水) 00:52:27.94 ID:iIcaUyvj
>>880
>生年に関しては永正11年(1514年)とも永正12年(1515年)とも言われる。
>天文15年(1546年)に(ry50騎持の侍大将となり、名も景政から信房と改めた。
Wikipediaより
つまり、天文10年現在、侍大将ではない?

が、武川衆(?と言う地域勢力を統率できる立場にある以上、
単純な軍事力としては、勘介より明らかに上。

しかし、一回り以上年上で晴信のお気に入りの勘介とは、
どうつきあえばいいか、とまどってる感じ。

883日曜8時の名無しさん:2007/04/11(水) 00:57:28.51 ID:7qOHgh/a
板垣とあまーりには子どもは居ないの?
884日曜8時の名無しさん:2007/04/11(水) 09:29:07.75 ID:LAEBcO35
>>883
いるよ。
板垣には信憲という子供がいる。
でも、無能だったからとも、板垣家が増長していたからなどの説から、
1553年に信玄に殺され、板垣家は断絶する。

甘利には昌忠という子供がおり、
逆にこっちは有能で、川中島の戦い、三方が原の戦いで活躍した名将とされる。
885日曜8時の名無しさん:2007/04/11(水) 11:44:45.83 ID:0XYCq1te
>>881
瀬沢の合戦は完全に否定されているのですか?
886日曜8時の名無しさん:2007/04/11(水) 15:36:56.46 ID:dTijYjFq
合戦のときって旗印を背中にさして戦わないといけないんですか?
かなり動きにくそうなんですが。それとも一部の家臣だけですか?
山内一豊のときも本人が、旗印は絶対離さないとか言ってたし。
887日曜8時の名無しさん:2007/04/11(水) 15:47:49.06 ID:V2qiONrB
軍政に曰わく、
「言うとも相い聞えず、故に鼓鐸を為る。視すとも相い見えず、故に旌旗を為る」と。
夫れ金鼓・旌旗なる者は人の耳目を一にする所以なり。
人既に専一なれば、則ち勇者も独り進むことを得ず、怯者も独り退くことを得ず。
紛々紜々、闘乱して見るべからず、渾渾沌沌、形円くてして敗るべからず。
此れ衆を用うるの法なり。
故に夜戦に火鼓多く昼戦に旌旗多きは、人の耳目を変うる所以なり。
888日曜8時の名無しさん:2007/04/11(水) 16:30:35.72 ID:LAEBcO35
>>886
>>887
要約すりゃ、旗は目印として使ってるってことだ。
通信兵もいないし地図も配れない時代じゃ旗という情報伝達手段は非常に有効だった。
とりあえず、旗の近くにいれば迷子にはならないしな。
逆に、旗がないとその軍は全滅したと思われたりもする。

当然、旗持ってる奴は邪魔なので戦闘には不利。
889日曜8時の名無しさん:2007/04/11(水) 17:05:08.80 ID:nvr09PEc
晴信初陣の時代にはまだ戦闘が小規模だったので、旗竿は発明もしくは
普及はしておらず、笠や鎧の肩あたりにしばりつけてある布などが
旗の代わりをしていたそうで。

戦闘が大がかりになって山のような軍勢がひしめくと、頭や肩あたりじゃ
なにがくくりつけてあるかなんて見分けることも出来なくなる。
どうしても人の頭越しに見えるくらい高いところに、ちよっと泥や血に
まみれたくらいでは見分けられなくなるということのないような目印が
欲しいということでああいうものが発明される。

でも>>888さんの言うように、全員が全員つけている必要はないわけで
数人ひとチームになっているうちの一人が挿しているところに固まって
いればよいわけで、背に太鼓を背負っている者や矢箱を背負っている
物と同じような扱いだったのかも知れませんね。
890日曜8時の名無しさん:2007/04/11(水) 17:15:33.98 ID:vAy9UyG2
乃木が軍旗を奪われて自殺しようとしたり、
キグチコヘイハ テキノ タマニ アタリマシタガ
シンデモ ラッパヲ クチカラ ハナシマセンデシタ と伝えられたりするのは
むかしはそれらが戦闘の要だったから
891日曜8時の名無しさん:2007/04/11(水) 17:17:32.89 ID:8VImulFI
大河初心者というか三条夫人の喋り(口調)が一向に慣れないんですが
過去の大河(例えば武田信玄とか)でも
三条夫人はこんな喋り方で設定されてたんでしょうか?
あるいは三条夫人のような立場にあたるキャラ
(なんか京都から嫁ぎにやってくる公家とか?)で、
過去にもこのような喋り方のキャラはいっぱいいたんでしょうか?(戦国時代モノで)
なんか戦国知識のない自分にとっては
三条夫人が一人現代劇に聞こえて馴染めないんです・・・
892日曜8時の名無しさん:2007/04/11(水) 17:56:36.20 ID:Pi8x50UP
ナガシノの合戦の時、敵中突破して織田軍と通信しようとした鳥居すねエモンは、
穴山ノブキミの部隊と偶然鉢合わせしてしまい、
咄嗟の機転で穴山隊の臨時雇い足軽のふりをして切り抜けようとするのだが、
モモヒキの色が違ったので
ばれてしまったそうだ。
そのことから当時の武田軍は、旗や合印ではなく、モモヒキで所属部隊を示していたらしい
ということがわかった。
893日曜8時の名無しさん:2007/04/11(水) 18:10:14.29 ID:yz37F4sx
>>891
自分は、大河ドラマはこうではならぬ、というこだわりとかないので
どうおかしいと思うのかよくわかりませんが
例えば、フジテレビでやってた大奥で
たしか、安達ユミの和宮が京言葉であんな感じだったのではないでしょうか。
894日曜8時の名無しさん:2007/04/11(水) 20:22:54.07 ID:5HpKpL8J
>>847
>じゃあその辺の人が今日から俺は関白豊臣秀吉だ!!って名乗って
>選挙出てもいいのかな。

関白かどうか知らんが、羽柴秀吉と名乗って選挙に出ている人はいるな。
財務大臣とか大蔵大臣というのはまずいだろうが大蔵卿とかならOKじゃないか?

>天皇家の名前騙った人は逮捕されたけど。

皇族は今でもいるから、自分の名前に親王とか王とかつけるのはまずいだろう。
895日曜8時の名無しさん:2007/04/11(水) 21:15:27.00 ID:CYAZdIB6
>>894
戦後は少なくとも名乗る分(自称)は問題ない。
逮捕されたのは皇族を騙って金を騙し取ったから詐欺罪で捕まるわけだ。

皇族の場合にはすごい有名な事件があり、
戦後すぐに、熊沢寛道、俗に熊沢天皇といわれる自称天皇が現れた。
南北朝時代に分かれた南派の天皇だと自称したんだが、
結局、歴史学者などから矛盾の指摘や証拠なしと言われ、熊沢もそれ以上に証拠を出せなかった。
しかし、熊沢は天皇を自称し続けたが、特に逮捕されたりはしなかった。

896日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 00:03:06.31 ID:dVkdIyQA
役職を名前として名乗るのって、
鈴木が苗字で営業部長が名前の鈴木営業部長さん
みたいなもんだが、それでいいのか。

もっとも助や介や輔なんかも元は律令の官職だけどな。
897日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 00:26:25.98 ID:CW0hk14H
>>896
むしろ、会社員が部長とか課長とか官庁風の役職名を使うのが、
戦国時代に官職名を名乗るのに近いものがあるな。

会社の使用人は本来「番頭」「手代」と名乗るべきはずであるのに、
部長とか課長とか言っているが(ちょっと前までは商法でも「番頭」「手代」とあった)、
やはり課長とか部長とかの方がかっこいいもんな。
898日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 00:31:03.97 ID:m2dlt3hE
香坂は結局水害はどうしろと言ってたんですか?
899日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 00:33:26.20 ID:/s26k981
>>898
支流の流れを変えて、本流に注ぎ込む場所をずらせって事でしょ
900日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 00:33:26.18 ID:vMhcN6I6
>>898
放水路みたいな奴を築け ってことじゃないの?
水は形が無いんだから、形を変えてやればいい。→川の流れを変える
901日曜8時の名無しさん :2007/04/12(木) 00:51:45.67 ID:O8I/yQsB
>>885
甲陽軍鑑は武田贔屓に書かれてるんじゃないの?
主人公に体裁の悪い話は伏せると思う
902日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 02:13:34.62 ID:obrfAUUU
大井夫人のところに信繁が来たシーンで、小さい弟が顔をこわばらせていたんですが
この兄弟は仲良くないの?
903日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 02:53:34.73 ID:n7jq4Chh
信繁だけじゃなくて、
いかめしい顔をしたおじさんたち(家臣)が大量にやって来たから
子役の子が自然とあんな表情をしてしまったのでは?

ノベライズだと孫六は大人たちの会話をよそに
甘利をスケッチしている。
904日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 04:28:55.62 ID:JoofMONe
孫六→信廉は、凡将ですか、良将ですか?
905日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 05:58:49.75 ID:sJEobnmt
画才や文才があって、文化財級の作品を残してるみたいだけど
武将としての才能は、あんまり無かったんじゃないかな。
織田の武田攻めの時に、城を捨てて逃げたりしてるんだよね。
906日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 06:50:18.06 ID:vMhcN6I6
兄弟が兄弟だからなぁ。
907本日:2007/04/12(木) 08:04:26.76 ID:hjwrVGYZ
深夜2:00〜2:45 NHK総合 その時歴史が動いた[再]
「上杉謙信・信長が最も恐れた男」▽激突!手取川の戦い
(関西は深夜0:10〜0:55)
908日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 08:05:23.64 ID:zA6AR1/K
支流の流れを変えても合流地点でまた洪水がおこりますがな\(^o^)/
909日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 08:44:49.90 ID:csTKL+pK
>>905-906
あと三男だし、小さいうちに厳格な父が追い出されちゃったから
育てられ方からして上の二人とは違うんだろうね
910日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 08:46:57.51 ID:ucyxaCGl
908
洪水を起こす場所が変わればいいんじゃないの?
堤防が決壊しそうになったら
人家や田畑に被害がいかないところの堤防切って
そこから水を逃がせばいいわけで。
あるいは支流をわざと蛇行させて大雨から水位があがる時間をずらす
という方法もあったらしい
911日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 10:33:16.45 ID:TFCU6p15
>>905-906
よそのスレで信廉の武将としての力量が云々されたときに、
「本業はイラストレーターなんだから勘弁してやれ」
という書き込みがあって場がなごんだ。
912日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 12:28:17.18 ID:YcEUaMhD
信廉は嫡子で三男なのに、庶子で四男の勝頼に家督がいったのは、将器に大きな差があったからですかね。
913日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 12:34:08.26 ID:pAKdkk/P
>>912
信廉は信玄の子供じゃなくて、弟。
信虎の三男。

信玄三男は10歳で病没の信之。
914日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 12:46:16.23 ID:csTKL+pK
信玄の三男も信廉って名前なのかと思って調べちゃったじゃないかw

勝頼が家督を継いだのは、長男義信が晴信と違って父子ゲンカに勝てず、
次男が失明で出家、三男が早世のため
915日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 12:54:00.23 ID:y8k2Ls5z
すみません、晴信と勘助が温泉で歓談する所で
勘助の「動かざること山のごとく」の後に晴信がもう2つ続けてますよね。
よく聞き取れなかったので、御存知の方教えてください。
あと、旗にはその2つはなんでボツになったのしょうか?
916日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 13:18:17.99 ID:sVPlsd1H
>信廉は嫡子で三男

意味不明w
917日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 13:25:53.13 ID:pAKdkk/P
>>915
知り難きことは陰の如く、
動くことは雷の震うが如く、

郷を掠むるには衆を分かち郷うところを指すに衆を分かち、
地を廓むるには利を分かち、権を懸けて而して動く。
迂直の計を先知する者は勝つ。
此れ軍争の法なり


なぜ没になったかのかは旗のスペースの問題ともいわれるし、
畠山氏が信玄より前に使っていて、そのときにすでに四つだったとも。
918日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 13:30:49.66 ID:zA6AR1/K
なれば・・・ゆえにその速きごと風の如く その静かなるごと林の如く
侵略するごと火の如く 動かざること山の如し

晴信>>知りがたきこと陰のごとく、動くこと雷霆(らいてい)のごとし,

勘助>> 迂直(うちょく)の計を先知する者は勝つ。これ軍争の法なり。これぞ孫子の目にあります。
919912:2007/04/12(木) 13:40:43.38 ID:YcEUaMhD
皆様、レス有難うございました。勘違いしてました。(汗
信玄の嫡子三男は早世してたんですね。調べが足りませんでした。すみません。
920日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 13:54:36.16 ID:6BDQWPiN
>>916
人を笑う前に自分の知識を疑うことから始めようや
921日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 14:33:24.22 ID:gsa5d/jh
>>920
その人はこの板にずーーーっと張り付いている人だから
マスコットみたいに可愛がってあげてくれ。
922915:2007/04/12(木) 15:16:14.21 ID:/41MyXm+
>>917
>>918
ありがとうございました。
風林火山の旗は武田が最初じゃなかったんですね。
923日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 16:03:57.18 ID:TFCU6p15
藤本正行あたりによると、畠山画像と別の、信廉直筆で勝頼が
奉納した「ホンモノ」の武田信玄像がもう確定したみたいだけど、
本当にあれがそうなのか?

今流布している若い頃のオタク顔晴信はいいとして、こちらは
本当に「水野晴郎」と言われても否定できないご尊顔だからなぁ…
924日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 16:53:16.37 ID:obrfAUUU
>>911
武将として向いてないからこそ、影武者として使うしかなかったのかな
ちょっと不憫な気もする

考えてみれば、なんで影武者だって知れ渡ってるんだろう?
こういうのは内緒にするものじゃないの?
925日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 17:50:34.45 ID:jHs0E+2x
>>917
> 畠山氏が信玄より前に使っていて、そのときにすでに四つだったとも。
北畠の間違いでは?
926日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 18:57:43.04 ID:F86L8kxY
>>916
関係ないけど、信長は嫡子で三男だな
927日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 19:14:24.03 ID:TFCU6p15
>>924
一瞬石原の息子とか宮崎駿の息子とかのことを考えてしまった。
信廉スマン。
928日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 22:24:17.21 ID:H5Q9TDY/
この時代の人はナンバ歩きだったのですか?
929日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 22:41:21.55 ID:sJEobnmt
「「風林火山」と対を為す「陰雷衆利」の軍旗を新たに掲げ、
天正10年6月、小県の隠れ里より復活を遂げた信玄が、ついに上洛!」

こういうifモノがあります
930日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 22:59:40.17 ID:zA6AR1/K
これ? 鯨を焼いて食べますといか読めない。いやっいやっ
其疾如風
其徐如林
侵掠如火
難知如陰
不動如山
動如雷霆
掠郷分衆
廓地分利
懸権而動
先知迂直乃者勝 
此軍争乃法也
931日曜8時の名無しさん:2007/04/12(木) 23:04:01.43 ID:TmHfINRC
>>930
少し前のレスくらい読もうよ。
>>917
意味は、

疾風のように迅速に進撃し、
林のように静まり返って待機し、
火が燃え広がるように急激に侵攻し、
山のように居座り、
暗闇のように実態を隠し、
雷鳴のように突然動きだし、
偽りの進路を敵に指示するには部隊を分けて進ませ、
占領地を拡大するときは要地を分守させ、
権謀をめぐらせつつ機動する
迂回路を直進の近道に変える手を敵に先んじて察知する者は勝つ、
これこそが軍争の方法なのである。
932日曜8時の名無しさん:2007/04/13(金) 00:04:48.70 ID:aeheWa4h
>>895
そういえばアメリカ合衆国皇帝なんてのもいたな>>908
933日曜8時の名無しさん:2007/04/13(金) 00:29:04.49 ID:79Gyx7gJ
最強のボケ潰し
それはマジレス返し
934日曜8時の名無しさん:2007/04/13(金) 02:27:58.11 ID:Dlt9cV6Z
>>931知ってるよ 933のいうとおりにボケだよ(((( ´,,_ゝ`)))) ププッ プルプルッ
935日曜8時の名無しさん:2007/04/13(金) 02:29:28.32 ID:6Krb82WF
>>931
なんか意味が違うぞ。
936日曜8時の名無しさん:2007/04/13(金) 06:50:53.96 ID:sQ17e+jD
孫子の言葉を信玄に伝えたのは快川紹喜
937日曜8時の名無しさん:2007/04/13(金) 09:44:58.42 ID:Uv2xWYuJ
明代は遣明使が盛んだった時代で、当時中国に送られていた留学僧は
日本に戻るといったん甲斐に滞在させられた。3年から5年くらい
いまでいう「研修」の名目で思想調査というか危険思想を持ち込まないか
様子を見た上で、京や鎌倉に戻されたとか。

しかしおかげで甲斐の文化や学問の水準は国内最先端を行くことになった。
暴君といわれた信虎の時代でさえ、現存するものから見て絵画・音楽・
芸能の水準は既に信玄の時代を凌駕するレベルで、おかげで晴信くんは
日本最高レベルの家庭教師が周囲にゴロゴロいる贅沢な生活を送れた。
(だからトイレに引きこもる勉強オタになっちやったわけだが)

釜無川治水工事も、晴信や香坂の力というよりはこうした最先端技術の
情報・資料が蓄積していたことによる部分が大きいんじゃないかと
武田八洲満なんかは言ってる。「晴信が『書経』にある禹の治水事業を
研究していたと言ったって紀元前の工事の記述なんかが役に立つか」って。
938日曜8時の名無しさん:2007/04/13(金) 16:46:41.56 ID:LPR2C+vQ
オブジョイトイって誰のことですか?
またその由来も判りましたらお願いします
939日曜8時の名無しさん:2007/04/13(金) 17:14:18.92 ID:QZpmkr1n
飯富(おぶ)虎昌の事。
由来は、単にタレントのインリン・オブ・ジョイトイを捩ったものだと思われる。
940日曜8時の名無しさん:2007/04/13(金) 18:18:58.53 ID:LPR2C+vQ
飯富でおぶと読むのですね
本当に初心者で。。ありがとうございます
941日曜8時の名無しさん:2007/04/13(金) 18:44:27.16 ID:oOLz7wtn
孫子って中国ではこの時代も有効な教科書だったの?
それとも、もう古いよあんなモノ。扱いだったの?
942日曜8時の名無しさん:2007/04/13(金) 19:19:50.89 ID:Wb+nxpBl
これ? 鯨を焼いて食べますといか読めない。いやっいやっ
其疾如風
其徐如林
侵掠如火
難知如陰
不動如山
動如雷霆
掠郷分衆
廓地分利
懸権而動
先知迂直乃者勝 
此軍争乃法也
943日曜8時の名無しさん:2007/04/13(金) 19:31:26.59 ID:YyRloSYK
>937 
快川が恵林寺に招かれたのは川中島の数年前。 
そして孫子の旗が武田軍で初めて使われたのが実は川中島 
ちなみに武田軍の孫子の旗のほとんどが 
快川自らの手書きだったそうだ。 
武田が滅んだ後も織田に降ることなく最後まで 
意地を貫き通した立派な坊様だっただけに 
彼の偉業を勘介の手柄にする風潮は 
正直いただけんよ。原作がそうだから 
まぁ仕方ないけどな。
944日曜8時の名無しさん:2007/04/13(金) 19:54:43.12 ID:bzhF2yE2
心頭滅却すれば火もまた涼し。

うーん、見ていたやつがいるのか?
945日曜8時の名無しさん:2007/04/13(金) 20:57:13.29 ID:ALItg+J1
>>908>>910
西からの支流みだい川を二分三分して本流の合流点を釜無川の東岸にある岩山にぶつけて
水威を減ずる。さらに西側に跳ね返る水流を作り東側(甲府側)に水を流れにくくする。
そんな意図があるようです。

>>937
信玄は晩年甲斐を日本の仏教の中心する野望もあったようですし。
今の身延山久遠寺を諏訪の善光寺に移転して、焼き討ちされた延暦寺を
久遠寺跡に移転しようとした記録もありますね。
延暦寺から打診があっても、久遠寺の僧侶が日蓮の墓前でくじ引きして
結果、断ったとか。

946日曜8時の名無しさん:2007/04/13(金) 21:29:40.53 ID:GE01AYqc
>>941
当時のしな(←なぜかryは知らんが、ナポレオンは愛読していたラスィ。

非常に実用的な兵法書だと思うが、あくまでも
臨戦する将官のための兵法書であり、
国を治める君主のための帝王学でも
国交を憂う政治家のための外交指南書でもない。

基本思想は「不信」
優れた間諜こそを重く遇せよ、
敵は言うに及ばず、味方の兵卒すら、逃げ出せぬ状況で使えと言い、
果ては君主からの進退命令さえも、
それが国益となるなら違背せよ、と言っている。

個人的に、この話の晴信の孫子に対する傾倒ぶりは、
如何なものかと
947日曜8時の名無しさん:2007/04/13(金) 21:49:16.16 ID:QezgbnDb
>>941
孫子の兵法書は、現在でも有効だよ。
948日曜8時の名無しさん:2007/04/13(金) 22:44:01.77 ID:vbtSJtgA
>>941
孫子というか、武経七書は当時も読まれていたと思う
でも、三国志演義のような当時流行した物語の方が、兵法書としては一般的だったかも

ちなみに孫子が世界的に評価され有名になるのは近代以降で、
今では各国の軍事学校・研究所で実用が試みられている
たとえばイラク戦争におけるアメリカ軍基本戦略は
「衝撃と恐怖作戦」という、孫子を参考に作成されたもの
ただし、これは省コスト主義であるラムズフェルド・ドクトリンとの
抱き合わせに過ぎず、孫子における政治思想の側面を無視しており、
イラク軍撃破という軍事面では成功したものの、
戦後統治という政治面では見事に失敗してしまった
949日曜8時の名無しさん:2007/04/14(土) 08:02:43.34 ID:hvk5I7Lk
ここで聞くべきことか微妙ですが・・・
クレジットで撮影協力かなんかで会津若松が出てきますが、どのシーンで
使われてるかわかりますか?
武田の屋敷の庭園が、会津若松にある御薬園になんとなく似ているので
ここかなとも思ってるのですが、幼少のみぎりに会津を離れて今では戻れぬ地
となっており、遠い昔の記憶だけでは頼りない。地元の方だったらローカル・ニュース
とかでロケしたとか情報持ってないでしょうか?
http://www.towninf.co.jp/p/07/110154/index.htm
950日曜8時の名無しさん:2007/04/14(土) 08:49:36.42 ID:lcTexA0E
>>949
会津ロケ関連参考
ttp://www.tif.ne.jp/jpn/ati/SearchColumnDetail_a-1-g-22-c-2246.pst
ttp://www.tif.ne.jp/jpn/ati/SearchColumnDetail_a-1-g-1-c-2043.pst
ttp://www.tif.ne.jp/jpn/ati/SearchColumnDetail_a-1-g-15-c-1873.pst

9/18(金)〜9/20(水)9/23(土)9/25(月)会津若松フィルム・コミッション
9/29(金)村上軍×今川軍の合戦シーン撮影(福島県猪苗代町林道)
9/30(土)行軍シーン撮影(福島県猪苗代町国営牧場)

オープニングの馬の疾走場面は磐梯山の高原で撮影しています
猪苗代湖は水際の撮影にいろんなところに出てきてますね
武田家の庭園は名前は忘れたが東京にある寺です。
951950:2007/04/14(土) 09:35:02.55 ID:lcTexA0E
新スレ建てできなかったずら
誰か、お願い。


【初心者歓迎】風林火山質問スレ3【途中参戦歓迎】

戦国時代に詳しくない人、登場人物の関係が分からない人、先週の放送を見逃した人
シーンの意味が良くわからなかった人 みんなで教え合って最終回まで頑張るでごいす。
あくまで初心者、途中参戦組向けなので、専門的な話は極力本スレでやるでごいす。

今後の展開などネタバレは極力禁止ずら。楽しみにまつでごいす。
それでもネタバレ質問したい方は↓こっちで聞くずら。
【ノベライズ】『風林火山』ネタバレスレ【BS-hi】
http://live25.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1169128002/l50

質問する前に、よくある質問は>>1-10あたりにテンプレがあるので確認するのがよかんべ。

次スレは>>950が立てて欲しいでごいす。

前スレでごいす。
http://live25.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1173495881/
http://live25.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1170613820/

それではいってみるずら。
952日曜8時の名無しさん:2007/04/14(土) 13:35:13.42 ID:hhJoOVJc
>>941
常識みたいなものだから敢えて言われてないだけで、兵法を習えば必ず読んでるよ。ただ、普通の人は軍記物を好んだみたいだな。
953日曜8時の名無しさん:2007/04/14(土) 13:58:52.45 ID:uuc9m64T
初心者の質問です。
勘助の足はどっちが不自由なの?
954日曜8時の名無しさん:2007/04/14(土) 14:43:48.54 ID:PAbgAzZi
左足。 で・・・勘助ってどこで孫子学んだのだろうか。まじめに仏門入ってないみたいだし
写本買う銭もなさうだし。信虎出迎え行ったときの報奨金で買ったのかね?
955日曜8時の名無しさん:2007/04/14(土) 15:00:46.98 ID:DWRZG4Gk
>>954
荒れ寺にひきこもってた時。
孫子の本が散らばってて、勘助が書いた孫子の抜き書きを壁に張り付けてた。
寝転がる勘助の顔の上には「其疾如風、其徐如林、侵掠如火、難知如陰、不動如山」の習字がかぶさっていた。

高野山で摩利支天の像を貰ったと言ってたから
文字の読み書きはできるんだろう。
956日曜8時の名無しさん:2007/04/14(土) 18:18:07.47 ID:J5gu1DRi
>>944
辞世の句だからその場で聞いていた人がいても不思議ではないかと
957日曜8時の名無しさん:2007/04/14(土) 18:39:37.89 ID:uuc9m64T
>>954  
有難うございました。
958日曜8時の名無しさん:2007/04/14(土) 19:39:35.26 ID:hnswbsTG
1〜3話で勘助が背負っていた鎧櫃にも兵法書はあったことになってる。(ドラマストーリー前編より)
孫子かどうかはわからんけど。
959日曜8時の名無しさん:2007/04/15(日) 00:02:46.97 ID:SzwWSkfL
>文字の読み書きはできるんだろう。

勘助の出自は百姓じゃなくて地侍の嫡男なんだしw

ところで勘助と教来石が高遠の屋敷で着てた素襖は
行き帰りの道中は一体どうやって運んでたの?
二人が背負ってる布包みに入れるにはかさばり過ぎるし…
960日曜8時の名無しさん:2007/04/15(日) 00:24:02.44 ID:DxH09T/6
絵を描いていた信廉は大井夫人が産んだ子どもですか?
晴信の長男とあまりかわらないくらいの歳みたいでしたが。
961日曜8時の名無しさん:2007/04/15(日) 00:36:49.63 ID:NXEkg+Go
>>960
そう、同母弟
当時十歳くらいかな、晴信とも十くらい歳が離れてる
ちなみに義信は晴信17歳の時の子で、当時3〜4歳くらい
962日曜8時の名無しさん:2007/04/15(日) 00:51:56.91 ID:DxH09T/6
>>961
ありがとうございます。
側室の子を育ててるのかなぁと思ったのですが、信虎も大井夫人も
このドラマでの役者さんの見かけより実際はずっと若いんでしたね。
信廉もいい絵を残しているとのことだし、
この夫婦の子ども達はそろってすばらしかったんですね。
963日曜8時の名無しさん:2007/04/15(日) 01:08:28.66 ID:maSJNoSl
ネネは異母妹だったが、大井夫人に丁重に育てられたよね
964日曜8時の名無しさん:2007/04/15(日) 01:10:53.37 ID:+nmx4rq+
>>962
信廉さまは絵画の方は文化財級の腕前ですが武将としては(ry
965日曜8時の名無しさん:2007/04/15(日) 01:20:28.98 ID:DxH09T/6
天は二物を与えずで、一芸に秀でているだけで充分だと思うけれど、
この時代の領主の息子としては芸術家では生きにくかったかもですね。
966日曜8時の名無しさん:2007/04/15(日) 01:30:08.33 ID:NXEkg+Go
むしろあれほどの腕前なら、武田家に生まれなかった方が幸せだったかもね
967日曜8時の名無しさん:2007/04/15(日) 01:56:33.53 ID:zsxGryoA
江戸時代の高家武田家に生まれていれば良かったのにね。
酒井抱一くらいにはなれたかも
968日曜8時の名無しさん:2007/04/15(日) 02:00:44.08 ID:IpaVHziA
>>964
とはいえ逍遥軒は姿かたちが信玄に似ているから
影武者としては必要な存在
969日曜8時の名無しさん:2007/04/15(日) 02:31:24.89 ID:e4i5REZB
>968
板部岡江雪斎が、見抜けなかったって話があるね。
970日曜8時の名無しさん:2007/04/15(日) 07:24:44.20 ID:REZM3LT2
>>950
ありがとうございます。
猪苗代湖畔でロケしてるのは知らなかった。滝沢林道は遠足で歩いたことある。
録画見直してみます。
OPの滝も猪苗代のだったんですね。
971日曜8時の名無しさん:2007/04/15(日) 12:06:34.15 ID:x5dTP16l
次スレ

【初心者歓迎】風林火山質問スレ3【途中参戦歓迎】
http://live25.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1176605558/
972日曜8時の名無しさん:2007/04/15(日) 12:09:05.38 ID:x5dTP16l
テンプレどこまで貼ればいいか判らんかったから、
いらんもんまで貼ったかも知れん。

足りない分は補完ヨロ
973日曜8時の名無しさん:2007/04/15(日) 12:18:55.41 ID:ycNkMZwP
>971,972
乙であります。
974950:2007/04/15(日) 12:54:32.20 ID:wJYryLks
>>971
ありがとうでござる
975日曜8時の名無しさん:2007/04/15(日) 13:27:10.03 ID:DunhFVq5
>>971の顔が乙に見えるわ。
976日曜8時の名無しさん:2007/04/15(日) 14:13:05.90 ID:1JPWWC+n
このスレ、よがうめてくれよう
977日曜8時の名無しさん:2007/04/15(日) 15:09:05.56 ID:TzFxkZLj
おもさげながんす
978日曜8時の名無しさん:2007/04/15(日) 16:44:59.64 ID:V0dxqxR5
中井貴一の壬生義士伝もよかったよなぁ
979日曜8時の名無しさん:2007/04/15(日) 19:07:12.58 ID:DunhFVq5
やめてくれー、埋めるなんてひどいことはやめてくれーっ
980日曜8時の名無しさん:2007/04/15(日) 22:17:28.91 ID:zZ7siRNT
次スレを見てまいれ



まて皆まで行くな
981日曜8時の名無しさん:2007/04/15(日) 22:26:11.49 ID:nsPUFLuD
亥の刻、巳の刻、四ツ、八ツとか、ドラマに登場する
時間が分からない人は、ここ参照
http://ammo.jp/monthly/0211/03.html
982日曜8時の名無しさん:2007/04/15(日) 22:54:52.72 ID:tdvYKdst
それがし埋めは初めてじゃ。

武者震いがするのう!
983日曜8時の名無しさん:2007/04/15(日) 23:01:53.93 ID:k0l/I2mh
>>982
ヤマイか?
984日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 02:20:20.84 ID:mq9vrB2b
新スレ建立から半日以上経っても埋まっておらぬ…


ますます身震いがするのー !!
985日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 11:10:50.46 ID:B5uz0CqU
なぜじゃ!平蔵はなぜ埋めんのじゃ!いやじゃ!
986日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 11:12:46.82 ID:B5uz0CqU
ageてしもうた・・・諏訪もこれまでじゃ
987日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 12:59:44.40 ID:8H1CZjdy
諏訪の跡取りかなにかの虎太郎?って将来誰になるのですか?
あれが勝頼ですか?
988日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 13:03:48.77 ID:Eyzekyap
虎王な。幼児で病死した事になってるけど、
状況から考えるとぬっ殺したんだろうな。
989日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 13:13:09.64 ID:B5uz0CqU
勝頼は由布姫に晴信が産ませる子。
元々嫡子ではなく、また武田家が滅ぼした諏訪家の血を引く事から
・譜代家臣の勝頼への感情は微妙
・諏訪統治の適任者
という二面性を持っていた。
晴信の後継者の座に関しても
「勝頼の子信勝を武田家の正式な後継者としその後見者となる」ものだったという説がある。
ノベライズは読んでないんだが、原作の風林火山から脚本への変化っぷりは凄まじいものじゃ・・・
武者震いがするのぉぉう!
990日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 14:31:35.16 ID:XEw//R6p
三方ヶ原の戦いって北条氏政が加わってたってほんと?
991日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 14:36:51.81 ID:B5uz0CqU
信玄は以下のような外交政策を展開し、出兵の準備を行っていた。

元亀2年(1571年)、相模国の後北条氏の当主・北条氏政(北条氏康の子)との同盟関係を復活させる。
これは武田側から持ち込んだものであったが、一方で氏康の遺言にもよるものともいわれる。

元亀3年(1572年)10月3日、信玄は本拠である甲斐国古府中(甲府市)を進発、徳川家康の領地であった遠江に侵攻を開始した。
徳川領への本格的出兵は約2年ぶりである。
兵数は、北条氏からの援兵2000を含め、約3万弱といわれており、武田氏が動員できるほぼ最大数であった。

wikiより
992日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 15:17:58.24 ID:XEw//R6p
なるほど、、ありがとごじゃいます。
993日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 19:29:13.42 ID:SlREv8Rd
うめーじつにうめー
994日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 19:29:37.60 ID:SlREv8Rd
なーればうめじゃー甘利
995日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 19:30:01.02 ID:SlREv8Rd
諸角よーうめたー
996日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 19:33:29.55 ID:SlREv8Rd
何事かうめてまいれ
997日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 19:33:48.12 ID:SlREv8Rd
まーたわしにうめさせる気かー
998日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 19:34:08.59 ID:SlREv8Rd
コリッ
999日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 19:34:25.94 ID:SlREv8Rd
コリッ
1000日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 19:34:37.15 ID:SlREv8Rd
コリッ
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