・2ちゃん大河板でよくみかける特殊な用語
赤マフラー:大河ドラマ「北条時宗」で、時宗の兄「時輔」が史実で死んだ後も
赤マフラーつけてモンゴル・日本を駆け回って大活躍したことから、
史実で死んだはずの人間をドラマのみの設定で生きのばす行為を「赤マフラー」と呼ぶ。
サニー:板垣信方(千葉真一)のこと。
千葉真一がハリウッド進出時にサニー千葉という芸名を使ったことから。
デスラー(総統):太原崇孚雪斎(伊武雅刀)のこと。
伊武雅刀が宇宙戦艦ヤマトでデスラー総統の声優だったから。
カピバラ、カピ様、カピ信:武田晴信(市川亀治郎)のこと。
アマゾンに生息する世界最大のネズミ、カピバラに亀治郎の顔が似てるから。
両津(姫):由布姫(柴本幸)のこと。眉毛がこち亀の両さんに似てるから。
クマ、クマー:今川義元(谷原章介)のこと。谷原章介がテディベアの収集家であることから。
前回出演の「新選組!」以来そう呼ばれ続けている。
954 名前:日曜8時の名無しさん[] 投稿日:2007/03/09(金) 14:29:28.73 ID:gQ27joYd
いくつか質問まとめて見ました。長いんでできれば添削してくれる方ドゾー。
○オープニングの映像で出てくるムカデにはどんな意味があるのでしょうか?
●簡単に言っちゃうと、この後信玄が戦場で各部隊に連絡を伝えさせる
伝令将校を「ムカデ衆」とネーミングする、そのムカデ衆の指し物
(背中に背負っている旗)のデザインがあのムカデの絵。たくさんの
足でどんな戦場にも素早く指令を運ぶ、という意味合いでしょう。
それまで各部隊各指揮官がめいめい勝手に戦っていたのを、本陣の
指揮系統にのっとって組織的に動かす傾向を強めたのが信玄時代で、
戦場を駆けめぐり御屋形様の下知を触れて回る「百足衆」は繊細で
緻密な戦いをする無敵武田軍のシンボル扱いされました。
決して後退しない・前進あるのみという点から戦国武将に好まれた、
という説もあります。
955 名前:添削ヨロ[] 投稿日:2007/03/09(金) 14:30:06.07 ID:gQ27joYd
●仕官って何ですか?間者としてあちこちに遣わされている勘助では、まだ
「就職」したことにならないのでしょうか?
○仕官とは、武士が主家に召抱えられ、給料をもらう立場になることです。
昔は、俸禄(お給料)は米でもらったので、禄を食む(ろくをはむ)とも言いました。
主君が「毎年○○石」を米や金であげたり、確実に○○石の収穫が計算できる
土地を与えたりするのが「仕官」というわけです。今の感覚でいうと、正社員です。
合戦のたびに駆り出される兵は、一時的な雇用関係のアルバイトや契約社員の
ようなもので、正規雇用の関係ではありません。
勘助は、これまで主君をもたず戦のおこぼれをもらって食べていたものの、いつかは
軍師として身を立て、名を上げたい。しかしどの戦国大名も家来の数を増やすことは
難しいし、よほどの武功を立てるまでは浪人として、機会をうかがうしかない。
いっぽう「食客」は、契約とは微妙に異なる立ち位置で、特に定められた仕事を要求
される雇用関係ではなくただの居候として小遣い程度の扶持しかもらえないものも
ありますが、追放された信虎や斉藤竜興など、国を追われた元大名が歓迎されて
置いておかれることをいう場合もあり、必ずしも地位が低い人ばかりではありません。
956 名前:添削ヨロ [] 投稿日:2007/03/09(金) 14:30:42.74 ID:gQ27joYd
●「花倉の乱」の発端となった今川家の当主・跡継の急死は、ほんとうに福島方による
毒殺だったのでしょうか?
○劇中でも不明となっています。ただし本編第5話でも、福島方はその事件には
全く触れていません。にもかかわらず、武田方も寿桂尼も福島が手を下したものと
確信しています。劇中で福島方による謀殺と思っていないのは、雪斎(何故か第3話で
初出) と梅岳承芳(義元)だけのようです。
ノベライズ小説では、二人が死ぬことが分かっていたかのようにあらかじめ手を売って
いる雪斎・承芳を寿桂尼が疑う場面がありました。 義元を4歳のときから教育していた
雪斎がついにその知略をもって手塩にかけた義元を当主の座につけたとも考えられる
ようになっています。
伊勢氏?─┬北条早雲──氏綱──氏康
.. │
.. └─北川殿
‖ 福島氏
‖.. ‖───玄広恵探
‖───氏親
今川義忠 ‖──┬氏輝
寿桂尼 │
.. ├彦五郎
.. │
.. └梅岳承芳
10 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2007/02/05(月) 10:53:47.34 ID:fsqejn/l
コッペパンてなんですか?
11 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2007/02/05(月) 11:05:21.94 ID:vzeDMx9F
>>10 マジレスすると、
本スレで、
「OPを『コッペパ〜ンたららったらら〜ら〜』
と歌ってしまう、なんでコッペパンなんだろw」
等とレスした某氏がいたから、そこからの引用かと。
29 名前:日曜8時の名無しさん[] 投稿日:2007/02/05(月) 16:59:20.89 ID:gOHJE7xQ
上杉Gacktはいつ出ますか?
32 名前:日曜8時の名無しさん[] 投稿日:2007/02/05(月) 17:41:30.64 ID:fThiOaOT
>>29 1536年(花倉の乱)の時点で謙信(長尾影虎)は六歳で登場は当分先。
NHK公式によれば、上杉Gacktは中盤から登場との事。
(現在未定との事)
ただし、その前に子役などによる幼少期の登場があるかも。
280 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2007/02/11(日) 22:03:27.50 ID:zzhedwWC
あと日本三大がっかりおっぱい ・星野真理 ・池脇千鶴 ・京野ことみ とは
どうゆう意味ですか
283 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2007/02/11(日) 22:11:51.27 ID:XBLx1nT3
>>280 「ジョゼとなんたら」
「さよならみどりちゃん」
「Takeshi's」
を見て下さい。
172 :日曜8時の名無しさん :2007/02/08(木) 08:31:52.63 ID:4l+c6kWZ
┏━━┓
┃掠疾┃
┃如如┃
┃火風┃
┃不徐┃
┃動如┃
┃如林┃
┃山侵┃
┣━━┛
┃
┃
これは誰が考えたの?
173 :日曜8時の名無しさん :2007/02/08(木) 08:57:13.43 ID:X7SmDwYl
>>172 中国の思想家 孫子
軍隊の進め方について説いている。
移動する時は風のようにすばやく、止まる時は林のように静かに、
攻撃する時は火のように激しく、防御する時は山のように
という意味
19 名前:日曜8時の名無しさん[] 投稿日:2007/03/10(土) 16:14:17.19 ID:lSm4KO2j
名前:花倉の乱(1536年):信虎追放(1541年)
*大河スタートは信虎弟戦死なので1535年
*戦国時の歳の数え方は数え年(0歳がなく、正月で1歳年をとる)なので気になる方は−1歳しましょう。
山本勘助:35歳 :40歳
武田信玄:15歳 :20歳
三条夫人:15歳 :20歳
武田信虎:42歳 :47歳
禰々:9歳:14歳
大井夫人:39歳 :44歳
武田信繁:11歳 :16歳
板垣信方:?? :??
甘利虎泰:38歳 :43歳
飯富虎昌:32歳 :37歳
飯富源四郎(山県昌景) 7歳:12歳
教来石景政(馬場信春)21歳:26歳
小山田信有:17歳 :22歳
原虎胤:39歳 :44歳
諸角虎定:56歳 :61歳
高坂弾正9歳 :14歳
内藤昌豊14歳 :19歳
真田幸隆:23歳 :28歳
上杉謙信:6歳 :11歳
上杉憲政:13歳 :18歳
今川義元:17歳 :22歳
寿桂尼:46歳? :51歳?
太原雪斎:40歳 :45歳
庵原忠胤:??:??(但し、 太原雪斎の兄なので50歳:55歳くらい?)
朝比奈泰能:39歳 :44歳
北条氏康:21歳 :26歳
北条氏綱:49歳 :54歳
諏訪頼重:20歳 :25歳
由布姫:6歳 ?:11歳?
村上義清:35歳 :41歳
織田信長 :2歳 :7歳
22 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2007/03/10(土) 17:30:32.41 ID:BJeBYJUq
簡易年表・・・誰か補足よろしく
1515■北条氏康誕生(博多人形)
1519■今川義元誕生(石田純一の孫の儀父)
1521■武田信玄誕生(カピバラ)
1530■上杉謙信誕生(ガクト)
1534■織田信長誕生
1535■山中湖の戦い 信虎弟・勝沼信友、北条に攻められて戦死 ←大河スタート
1536■花倉の乱
1537■豊臣秀吉誕生 武田晴信、佐久海ノ口へ初陣
1538■武田義信誕生
1540■諏訪頼重、信虎三女(信玄妹)禰々と婚姻
1541■武田信虎追放 北条氏綱死亡
1542■信玄諏訪攻め 諏訪頼重死亡
1543■由衣姫と晴信の婚姻 高遠家と戦争 徳川家康誕生
1544■真田幸隆 武田に仕える
1545■河越の合戦 今川と北条、武田の斡旋で和睦
1546■武田勝頼誕生
1548■上田原の戦い←板垣信方&甘利虎泰死亡
1552■武田義信結婚(今川義元の娘) 砥石城で武田敗北、小山田信有死亡 大井夫人死亡
1553■村上義清追放 第一次川中島(布施の戦い)
1555■第二次川中島(犀川の戦い) 太原雪斎死亡
1557■第三次川中島(上野原の戦い) 朝比奈泰能死亡
1560■桶狭間の戦い←今川義元死亡
1561■第四次川中島(八幡原の戦い)←山本勘助&武田信繁&諸角虎定死亡
1564■第五次川中島(塩崎の対陣) 原虎胤死亡
1565■飯富虎昌死亡
1567■武田義信幽閉
1568■寿桂尼死亡
1570■三条夫人死亡
1571■北条氏康死亡
1573■武田信玄死亡/三方ヶ原の戦い←家康ウンコ漏らす
1574■武田信虎死亡 真田幸隆死亡
1575■長篠の戦い←馬場信春&山県昌景&内藤昌豊死亡
1578■上杉謙信死亡 高坂弾正死亡
23 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2007/03/10(土) 17:32:08.83 ID:BJeBYJUq
┏━━━━━━━┓ ∧_∧ ∧_∧
┃ 武田二十四将 ┃( ・∀・)ニヤニヤ (・∀・ ) ニャルホド♪
┣━━━━━┯━┻○━○━━━┯∪∪━━━━━━━━━━┯━━━━━━━━━━━━┓
┃甘利虎泰 │あまりとらやす ...│信虎配下の猛将 .│[1548 享?] (敗死)上田原....┃
┃板垣信方 │いたがきのぶか ...│増長した軍略家 .│[1548 享?] (敗死)上田原....┃
┃横田高松 │よこたたかとし ...│沈着冷静な横田備中 ..│[1550 享62] (敗死)砥石城....┃
┃武田信繁 │たけだのぶしげ ....│敵からも死を惜しまれた勇将│[1561 享37] (敗死)川中島 ..┃
┃山本勘助 │やまもとかんすけ....│謎多き異彩の軍師 ....│[1561 享?] (敗死)川中島 ..┃
┃小幡虎盛 │おばたとらもり ..│多数の感状を拝した勇将 │[1561 享71] (病死) ┃
┃多田満頼 │ただみつより ...│夜襲の名手 ....│[1563 享62] (病死) ┃
┃原虎胤 │はらとらたね .│北条から帰参した猛将 .│[1564 享68] (病死) ┃
┃飯富虎昌 │おぶまさとら .│家中随一の宿老 . │[1565 享62] (自害) ┃
┃真田幸隆 │さなだゆきたか .│智略に長けた攻め弾正 .│[1574 享62] (病死) ┃
┃馬場信春 │ばばのぶはる │不死身の鬼美濃 .....│[1575 享61] (敗死)長篠 ..┃
┃三枝守友 │さえぐさもりとも ..│奥近習から大出世 │[1575 享38] (敗死)長篠 ..┃
┃真田信綱 │さなだのぶつな │先鋒隊として活躍 ......│[1575 享39] (敗死)長篠 ..┃
┃土屋昌次 │つちやまさつぐ .│川中島で信玄を守り抜く .│[1575 享31] (敗死)長篠 ..┃
┃内藤昌豊 │ないとうまさとよ .│前線を支えた内政家 .│[1575 享54] (敗死)長篠 ..┃
┃原昌胤 │はらまさたね ...│信頼厚き陣馬奉行 .......│[1575 享45] (敗死)長篠 ..┃
┃山県昌景 │やまがたまさかげ │諸大名が畏怖した赤備え │[1575 享47] (敗死)長篠 ┃
┃秋山信友 │あきやまのぶとも ...│知勇兼備の猛牛 . │[1575 享49] (処刑)長良川 ┃
┃高坂昌信 │こうさかまさのぶ . ..│戦術に優れた逃げ弾正 │[1578 享52] (病死) ┃
┃一条信龍 │いちじょうのぶたつ.│花麗を好んだ伊達者 ......│[1582 享?] (敗死)高遠城....┃
┃小山田信茂│おやまだのぶしげ...│関東平氏を継ぐ名族 .│[1582 享44] (処刑)善光寺....┃
┃武田信廉 │たけだのぶかど │影武者を務めた文化人 ....│[1582 享51] (処刑)古府中....┃
┃穴山信君 │あなやまのぶきみ .│確かな内政手腕の知将 │[1582 享41] (敗死)木津川....┃
┃小幡昌盛 │おばたまさもり . . . .│父と共に合戦を渡り歩く │[1582 享49] (病死) ┃
┗━━━━━┷━━━━━━━━┷━━━━━━━━━━━━┷━━━━━━━━━━━━┛
●小山田が郡内領主と言われていましたが、どういうものですか?
板垣など、他の家臣とはどう違うのでしょう。
○小山田氏は桓武平氏の流れを組む名門で、武田が内紛で弱体化していた
戦国初期には、甲斐国東南の「都留郡」「郡内」を収める統領として「郡内守護」を
自称していました。郡内は地形的、政治的に甲斐とは別の国と言っていい状況に
あり、信濃の小笠原、駿河の今川らのような「一国の主」に近いだったわけです。
板垣、飯富、甘利らも自分の土地を持ついわば貴族領主ですが、政治的に
武田を自分たちの上にある国主として仰ぎ、税を差し出しています。
しかし信虎が14歳の時に国主の後継争いに勝ってその勢いで小山田領に
攻め込んだ時、小山田は信虎に税を差し出すいわれのない「隣国の国主」と
して国家間戦争を戦ったわけです。そして痛み分けのような形で信虎が
妹を嫁に出す形で甲斐国と都留国の「同盟」が結ばれた形になりました。
この相手が今ドラマに出ている小山田の、父親にあたる越中守信有です。
以後信虎の中央集権化にともない、本人は自国の郡内を離れていわば江戸
時代の参勤交代のように甲府に住まわされ、税も取り立てられる家臣に
近い位置にねじ伏せられますが、信虎も小山田の格式を立てて他の「部下」
とは別格の扱いをしていました。ドラマでの田辺小山田の発言はそういう
状況を付かず離れずうまく泳ぎきっている小山田勢のプライドと屈折の
表れと見てよいでしょう。
ドラマでは板垣や甘利より下座に位置していますが、この時小山田信有は17歳
(1536年当時)。 若輩もいいところなので、下座でもおかしくないと言われています
49 名前:日曜8時の名無しさん[] 投稿日:2007/03/12(月) 01:04:41.14 ID:3nRK7SKr
訂正
┏━━━━━━━┓ ∧_∧ ∧_∧
┃ 武田二十四将 ┃( ・∀・)ニヤニヤ (・∀・ ) ニャルホド♪
┣━━━━━┯━┻○━○━━━┯∪∪━━━━━━━━━━┯━━━━━━━━━━━━┓
┃甘利虎泰 │あまりとらやす ...│信虎配下の猛将 .│[1548 享?] (敗死)上田原....┃
┃板垣信方 │いたがきのぶかた...│増長した軍略家 .│[1548 享?] (敗死)上田原....┃
┃横田高松 │よこたたかとし ...│沈着冷静な横田備中 ..│[1550 享62] (敗死)砥石城....┃
┃武田信繁 │たけだのぶしげ ....│敵からも死を惜しまれた勇将│[1561 享37] (敗死)川中島 ..┃
┃山本勘助 │やまもとかんすけ....│謎多き異彩の軍師 ....│[1561 享?] (敗死)川中島 ..┃
┃小幡虎盛 │おばたとらもり ..│多数の感状を拝した勇将 │[1561 享71] (病死) ┃
┃多田満頼 │ただみつより ...│夜襲の名手 ....│[1563 享62] (病死) ┃
┃原虎胤 │はらとらたね .│北条から帰参した猛将 .│[1564 享68] (病死) ┃
┃飯富虎昌 │おぶまさとら .│家中随一の宿老 . │[1565 享62] (自害) ┃
┃真田幸隆 │さなだゆきたか .│智略に長けた攻め弾正 .│[1574 享62] (病死) ┃
┃馬場信春 │ばばのぶはる │不死身の鬼美濃 .....│[1575 享61] (敗死)長篠 ..┃
┃三枝守友 │さえぐさもりとも ..│奥近習から大出世 │[1575 享38] (敗死)長篠 ..┃
┃真田信綱 │さなだのぶつな │先鋒隊として活躍 ......│[1575 享39] (敗死)長篠 ..┃
┃土屋昌次 │つちやまさつぐ .│川中島で信玄を守り抜く .│[1575 享31] (敗死)長篠 ..┃
┃内藤昌豊 │ないとうまさとよ .│前線を支えた内政家 .│[1575 享54] (敗死)長篠 ..┃
┃原昌胤 │はらまさたね ...│信頼厚き陣馬奉行 .......│[1575 享45] (敗死)長篠 ..┃
┃山県昌景 │やまがたまさかげ │諸大名が畏怖した赤備え │[1575 享47] (敗死)長篠 ┃
┃秋山信友 │あきやまのぶとも ...│知勇兼備の猛牛 . │[1575 享49] (処刑)長良川 ┃
┃高坂昌信 │こうさかまさのぶ . ..│戦術に優れた逃げ弾正 │[1578 享52] (病死) ┃
┃一条信龍 │いちじょうのぶたつ.│花麗を好んだ伊達者 ......│[1582 享?] (敗死)上野城....┃
┃小山田信茂│おやまだのぶしげ...│関東平氏を継ぐ名族 .│[1582 享44] (処刑)善光寺....┃
┃武田信廉 │たけだのぶかど │影武者を務めた文化人 ....│[1582 享51] (処刑)古府中....┃
┃穴山信君 │あなやまのぶきみ .│確かな内政手腕の知将 │[1582 享41] (敗死)木津川....┃
┃小幡昌盛 │おばたまさもり . . . .│父と共に合戦を渡り歩く │[1582 享49] (病死) ┃
┗━━━━━┷━━━━━━━━┷━━━━━━━━━━━━┷━━━━━━━━━━━━┛
※×一条信龍は高遠城にて戦死
○一条信龍は甲斐上野城にて戦死
13 :
>>11:2007/04/15(日) 12:14:27.24 ID:x5dTP16l
×駿河の今川らのような「一国の主」に近いだったわけです。
○駿河の今川らのような「一国の主」に近い立場だったわけです。
>>8 数え年は−1歳ではなく+1歳
前レスで指摘が入ったはず
コピペする前に確認してほしい
>>12 毎回このテンプレの
飯富虎昌 │おぶまさとら
が気になって仕方ないので次回は直して頂けると幸いに存じまする
┏━━━━━━━┓ ∧_∧ ∧_∧
┃ 武田二十四将 ┃( ・∀・)ニヤニヤ (・∀・ ) ニャルホド♪
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┃甘利虎泰 │あまりとらやす ...│信虎配下の猛将 .│[1548 享?] (敗死)上田原....┃
┃板垣信方 │いたがきのぶかた...│増長した軍略家 .│[1548 享?] (敗死)上田原....┃
┃横田高松 │よこたたかとし ...│沈着冷静な横田備中 ..│[1550 享62] (敗死)砥石城....┃
┃武田信繁 │たけだのぶしげ ....│敵からも死を惜しまれた勇将│[1561 享37] (敗死)川中島 ..┃
┃山本勘助 │やまもとかんすけ....│謎多き異彩の軍師 ....│[1561 享?] (敗死)川中島 ..┃
┃小幡虎盛 │おばたとらもり ..│多数の感状を拝した勇将 │[1561 享71] (病死) ┃
┃多田満頼 │ただみつより ...│夜襲の名手 ....│[1563 享62] (病死) ┃
┃原虎胤 │はらとらたね .│北条から帰参した猛将 .│[1564 享68] (病死) ┃
┃飯富虎昌 │おぶとらまさ .│家中随一の宿老 . │[1565 享62] (自害) ┃
┃真田幸隆 │さなだゆきたか .│智略に長けた攻め弾正 .│[1574 享62] (病死) ┃
┃馬場信春 │ばばのぶはる │不死身の鬼美濃 .....│[1575 享61] (敗死)長篠 ..┃
┃三枝守友 │さえぐさもりとも ..│奥近習から大出世 │[1575 享38] (敗死)長篠 ..┃
┃真田信綱 │さなだのぶつな │先鋒隊として活躍 ......│[1575 享39] (敗死)長篠 ..┃
┃土屋昌次 │つちやまさつぐ .│川中島で信玄を守り抜く .│[1575 享31] (敗死)長篠 ..┃
┃内藤昌豊 │ないとうまさとよ .│前線を支えた内政家 .│[1575 享54] (敗死)長篠 ..┃
┃原昌胤 │はらまさたね ...│信頼厚き陣馬奉行 .......│[1575 享45] (敗死)長篠 ..┃
┃山県昌景 │やまがたまさかげ │諸大名が畏怖した赤備え │[1575 享47] (敗死)長篠 ┃
┃秋山信友 │あきやまのぶとも ...│知勇兼備の猛牛 . │[1575 享49] (処刑)長良川 ┃
┃高坂昌信 │こうさかまさのぶ . ..│戦術に優れた逃げ弾正 │[1578 享52] (病死) ┃
┃一条信龍 │いちじょうのぶたつ.│花麗を好んだ伊達者 ......│[1582 享?] (敗死)上野城....┃
┃小山田信茂│おやまだのぶしげ...│関東平氏を継ぐ名族 .│[1582 享44] (処刑)善光寺....┃
┃武田信廉 │たけだのぶかど │影武者を務めた文化人 ....│[1582 享51] (処刑)古府中....┃
┃穴山信君 │あなやまのぶきみ .│確かな内政手腕の知将 │[1582 享41] (敗死)木津川....┃
┃小幡昌盛 │おばたまさもり . . . .│父と共に合戦を渡り歩く │[1582 享49] (病死) ┃
┗━━━━━┷━━━━━━━━┷━━━━━━━━━━━━┷━━━━━━━━━━━━┛
ぶっちゃけ上のAAいらないよね
早速の修正いたみいります。
>14
数えは0歳が1歳になるからその表が数えの表なら今の年齢に直すのは
-1歳であってるんじゃないか?
諏訪はいつ頽勢になったの?
出し抜いたんじゃなかったの?先週までは
高遠は途中までは傍観だったのなら
武田と一戦打ってはよかったのでは
なんでいきなり篭城になったのかが
よくわからんたれかおしへてplz
>>19 それはね西片衆有賀氏(ヒサの嫁ぎ先)が裏切ったからだよ
勘助はなんでそんなに信玄に忠義を持ってんの?
ミツが死んで、信虎が追放されて、信玄なら甲斐を豊かにしてくれそうだと思ったから?
>>21 軍師としての自分を最も理解してくれる存在だから。
>>22 じゃあ、あんなに黒いことするのは全部自分の自己顕示欲の為なんだな。
まあ、それも格好いいけど。
>>23 それもそうだし、常に最善を(手段を選ばずに)尽くそうとしてるとも取れる
個人的には心酔して見える
ドラマではカットされてたけど、ノベライズの温泉シーンでは
勘助の人生観みたいなのが描かれてる。
よく関東管領の名前が出てきますが、(山内)上杉憲正のことですね。ところが
関東管領には扇谷上杉もいます。まずQ1関東管領がなぜ二人いるのですか。
Q2扇谷上杉がその頃直接支配していた地域はどの辺りになるのでしょうか?
27 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/15(日) 22:17:43.78 ID:WoDMHuiP
>>26 Q1、
関東管領は上杉家が代々世襲していて、
その上杉家が住んでる地域によって山内・扇谷・犬懸・詫間と呼ばれていたが、
基本は全部上杉家だから、関東管領になる権利は持っていた。
ただ、その中で山内が一番力が強かったので独占するようになっており、
扇谷のは基本は自称の関東管領。でも、上杉家に違いはないから関東管領になる権利は持ってるってこと。
Q2
元の本拠地は相模。それと武蔵(江戸)。
しかし、北条に相模を追われて江戸城を本拠にして、
その江戸城も氏綱に落とされて、河越城に逃げ、
さらにその河越城も当主上杉朝興が亡くなった後、
13歳の朝定が継いだタイミングで攻め落とし、
埼玉の松山城まで逃げ落ちた状態なのが今の大河ドラマの状態。
つまり、扇谷は埼玉の一部の松山城くらいしか勢力がない。
最後のシーンでパニクりました。
とらわれていて、勘助に斬られそうになった人=教来石だよね?
自分はなぜか彼を平蔵と誤解(・・・「裏切ったの『け』?」というせりふがあったため)
で、その後勘違いに気づくも、
その場に平蔵も居たのかどうかと混乱してしまいました。
どなたか親切な人助けてくだされ。よろしくお願いします。
>>28 おっしゃる通り、勘助に殺されそうになったのは教来石。
で、捕縛された教来石を引っ立てて来たのが矢崎と平蔵。
「勘助、裏切ったのけ」は平蔵が言ってました。
>>27 早速の返答ありがとうございます。
お世辞抜きで本当に詳しいですね。調べたくてもどの本を読めばよいかも
分からなかったですし。また機会があればよろしくお願いします。
>>29 ありがとう。
ようやくすっきりしました。
ふと思った事。
勘助が晴信から与えられた足軽25人の経費は、当然200貫の知行地の上がりで賄うということになるはず。
だが、勘助が武田家に仕官したのが、晩秋から冬にかけての時期(に、画面上では見える。果し合いのシーンで雪降ってたし)。
と、いうことは、もらった知行地からの年貢の取立ては既に終わった後で、次の収穫まで収入源としては期待できないはず。
で、ほとんど無一文だったはずの勘助は、当座の必要経費をどうしたのだろう。
晴信が一時金でもくれたんだろうか。
あるいは、この場合の知行200貫というのは、200貫分の領地をもらうのではなくて、
「200貫分の領地から取れるだけの年貢にあたる米や金」を、「武田家の蔵から支給される」という意味なのか?
江戸時代の中下級武士みたいに・・・。
でも、そういう場合も「知行」と言うんだっけ?
いまさらのようだが気になるので、意見を聞かせて欲しい。
一時金、つか仕官後に、支度金支給、
に一票。
>>18 >8の表は満年齢
数えなら信虎追放時の信玄は21歳、勘助は42歳
>>27 関東の動向を詳しく知ろうとすると、諏訪攻めの100年以上前の永享の乱あたりからの
関東の勢力争いを理解せねばならず、もう何がなにやら…ということになってしまいますのう
多治比時代の毛利元就が確か300貫だよね
知行200貫ってかなりでかいな。
37 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 05:37:47.34 ID:eV2yov8o
>>26>>27>>30 扇谷は他の3家より早くに分離しているし、正式に関東管領になったことは
ないので、関東管領になる権利を有する家としては見られていなかっただろう。
逆に山内・犬懸・詫間の3家はいずれも関東管領を出した実績がある。
ただ詫間は早くに絶家し、犬懸も室町中期の上杉禅秀の乱がきっかけとなって
没落したため、関東管領は山内の独占状態になった。
もっとも犬懸は没落したとはいっても関東の地盤を失ったというだけで、
鎌倉公方持氏の幕府に反抗的な態度が明確になってくると、逆に禅秀の子孫は
将軍義教によって保護されて永享の乱の際に持氏討伐の先鋒になったり、
その後に伊豆に下向した堀越公方政知の側近になったりしている。
なお室町中期段階では、「両上杉」といったら普通は山内と犬懸を指すのが
一般的だった。
その後の古河に移った足利成氏が山内と対立している時期が長く続いたため、
山内への対抗上、古河公方成氏は他の上杉一族を取り立てる必要が生じたが、
禅秀の乱や永享の乱の経緯もあり、京都や堀越公方との繋がりも深い犬懸を
取り立てるわけにもいかず、結果的に扇谷の家格を高めようとした形跡があり、
その結果、「両上杉」が山内と扇谷を指すような認識も生まれたと見られる。
しかしそれでも、扇谷を関東管領にはできなかったところを見ると、扇谷には
根本的に関東管領になれる資格がないと認識されていたと考えたほうがよい。
>>32 新たに知行分けできる様な土地がない場合は後者だと思われ
甲斐は耕作可能な土地が著しく狭かっただろうし
晴信直轄の旗本だし、知行地に見合うだけの禄米・給付金を与えられたと見る方がいいかも
>>32 現物支給は蔵米、扶持と呼ばれて知行取りとはハッキリ区別されていた。
その身分差はかなり大きく、扶持侍が大名に目通り(直接会える)なんて「絶対」ない。
正規の武士身分だが、「扶持侍の忠義は当然」と思われていた基本的に消耗品レベルの兵士。
知行地の収入についてはおそらく晴信直轄地だろうから前年の年貢、または相当の支度金(米)付きで与えたものと思われ。
勘介に手持ちが無いの分かり切ってんのに、そんな御無体なことはしない。
後の豊臣政権下で越後の引き継ぎでこれが問題になって堀が上杉嫌いになったりしてる。
堀→年貢付きだろ
直江→違うよ。年貢会津に持ってった
堀→だってさ。蒲生(堀旧領)、年貢よこせや
蒲生→もう使っちゃった
堀→ムキャー!
蒲生じゃないな
小早川秀秋か。
41 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 14:05:51.10 ID:YsPzIcjd
湖衣姫と由布姫ってどう違うんですか?
>>41 一緒。
名前が分からんから創作で適当な名前が付けられてるだけ
43 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 15:09:49.66 ID:6dXZ7jo5
論文で触れるときには「諏訪御寮人」と書いておくのが無難。
44 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 15:28:38.14 ID:peJZgZsg
諏訪の西方衆とはどんな人たちですか?
名前のとおり諏訪湖の西岸を治めていた諏訪氏の一門。
うろ覚えですが最後のシーンで勘助が笑っていたように見えたんですが
あれはなんだったんでしょう?どういう意味の笑み?
直前では由布姫にキツイこと言われてたのでもっと厳しい顔で返すのかと
思ってたら、内野さんの演技?なのか最後の顔アップは笑っていました。
47 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 16:11:28.70 ID:CjA0hZjM
>>46 「ワシの詭弁を見抜いたとて、どーせお前は殺されるんだよ。小娘がいきがっておれ。ば〜か。」
って思ってるのかとオモタ。
…違う意見よろしく。
48 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 16:14:27.35 ID:shipGCBg
守護の小笠原氏が出てこないが、
当時どれくらい信濃に影響力があったのですか?
>>46 「ヤベー、策略を見抜かれちゃった。そうだ、ここは笑顔で取り繕おう」
と思って、必死にニコニコしていました。
>>46 生意気に爪立ておってかわいい子猫じゃ、喰ってしまおう( ̄ー+● ) ニヤリ
かわいくないけどね・・・。U姫。
>>46 悪鬼上等、んな事は重々承知。ま、わしの詭弁を見抜くあたり
ただの気が強いだけの小娘じゃなさそうだ。
>>51 目つきの悪いブスネコ大好きだ。うちのネコもドブスで愛しい。
一部のマニアの愛情は深いぞ。勘助もその類だろ。
9条は改憲してはならない。日本の為にならない。
日本人ではない朝鮮総連や民団でさえ、日本を心配して改憲への反対運動を行ってくれている。
私は日本人だが、「改憲すべき」などという者は、日本人として彼らに恥ずかしいと思います。
Q.中国から身を守る為、戦争に対する抑止力が必要では?
A.前提から間違っています。そもそも、中国は日本に派兵しようと思えばいつでもできました。
なぜなら、日本には9条があるため、空母や長距離ミサイル等「他国を攻撃する手段」がない。
つまり日本に戦争を仕掛けても、本国の、命令をだした幹部の命は絶対に安全なのです。
「安心して戦争を仕掛けられる国」を、中国は、今まで攻めずにいてくれたのです。
Q.それは日米安保によるものでは? そして、その日米安保も絶対ではないのでは?
A.中国の良心を信じられないのはなぜですか? そして、日米安保は絶対です。
知り合いの韓国人の評論家も「絶対だ」と言っていますし、私も同じ考えです。
更に、9条が消えても米国の戦争に協力する義務は発生しませんが、米国が被害者の場合は別です。
米国は日本を守る為に戦っても、(9条があれば)日本は米国を守る為に戦う必要がないのです。
Q.9条が本当に「平和」憲法なら、世界中で(日本以外に)1国も持とうとしないのはなぜか?
A.これは、日本以外のすべての国が誤っているとも言えます。
「敵国に攻撃が届く国は攻められづらい」というのは、誤った負の考え方です。
(もっとも韓国や中国の軍に関しては、日本の右傾化阻止の為でもあるので例外ですが)
更に日本の場合、隣国が韓国・中国・ロシアと、GDP上位の安定した信頼できる国ばかりです。
Q.「9条改憲派」は「戦争反対派」。侵略者に戦争を挑発する、戦争憲法(9条)を撤廃したいのです。
A.それは、貧しい考え方ではないでしょうか?
中国や北朝鮮を信じる「強さ」があれば、そんな考えにはならないはずです。
日本が信じれば、彼らも信じるでしょう。そして、真に美しい関係が始まるのです。
>>54 さすがにそんな意味は、あの笑みに含まれてはいないだろう
いやわからんぞ、本スレの少数派によれば反戦思想勘助らしいから
次回はニヤリの続きの場面から始まるのかな。
どんな会話の続きがあるか楽しみじゃ。
58 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 18:14:48.57 ID:7YAJc1lZ
初心者につきお手柔らかに。
登場人物の髪型ですが、総髪で月代を剃っていないのはどうしてでしょうか?
昔の絵図ではほとんどの人が月代を剃っています。兜の中で蒸れないようにするためだと
聞いたことがあります。
59 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 18:52:12.21 ID:y+hoejwg
諏訪氏の館の場面で、背景の床の間の掛け軸が
諏 「方」 大 明 神
になってます。
諏訪じゃないんですか?
60 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 19:01:16.12 ID:M0y5vQ+a
>>58 髪型にも流行り廃りがあります。
剃るのが流行するのは、もっと後の時代です。
>>59 「方」でも全くOKです。
守屋家文書にも「諏方」という字が見られます。
信玄はこの後、諏訪社の祭礼を復興し、社殿を建立し
諏訪社を篤く保護し、
「南無諏方南宮法性上下大明神」の旗、
よく略して「諏訪法性旗」をおしたてて戦うことになります。
62 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 19:41:37.43 ID:EGty6cHJ
>>58 あなたがおっしゃっている髪型は、織田信長好みの髪型です。
織田信長は、あの髪型以外だとかなり不機嫌になるようだったので、
外交関係のある大名たちもその髪型になっていった。
また、織田家にゆかりのある豊臣家・徳川家が天下を統一し、旧織田家家臣たちが多くは大名になったので
あの髪型に事実上統一されていった。
諏訪攻めの際には、当然各大名家によって髪形が異なっていた。
月代って自分で剃るの?カガミとかないんでしょ?やっべ伸びてきちゃったよって触るのかな。
>>39に同意。
てか当時、一般に西国では「石高」表示、東国では「貫高」表示が主流だったって説って
覆されてない? 大丈夫??? 最近新しい学説に疎いから……。
>>63 鏡くらいあるよ。高級品だし、今のものほど良く映らないやつだけど。
月代は、剃るのが定着する前は、毛抜きで抜いていたらしい。
近来稀に見る面白い大河と言われて見だしたのですが、その割に低視聴率なのはなぜですか?
面白さと視聴率は必ずしも比例しないし、面白さは人それぞれだし、
キャストはガクトぐらいしか話題性がなく題材もオーソドックスだから
新規の客も掴めなかったし、てな感じか。
68 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 20:37:33.86 ID:lG5risWO
>>66 面白すぎて、何度も見直そうとするため録画取りがデフォ、
なもんでリアルタイムで見る人が少なくなっちゃう。
69 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 20:40:08.51 ID:Tnrzb8rz
前スレが見られないので既出質問だったら申し訳ない。
今回のオープニングを演奏しているのがワルシャワフィルだけど
NHKにはN響あるのになんででしょう?
きになって仕方ないので、わかる方お願いします。
70 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 20:42:09.85 ID:Qiz5raPu
確か1貫=5石だったっけ?
つーかこの換算率でいいのかな?
74 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 20:49:17.66 ID:lG5risWO
>>70 俺は経費の面でワルシャワフィルになったんだと思った。
いわゆるベルリンの壁崩壊後以降、
かつて国家の強力なバックアップのあった東欧のオーケストラは、
自力で収入を獲得せねばならず、結構財政的には厳しい状態。
そこで色々変な仕事を引き受けなければならない。
一方仕事を頼む方は安くていいオーケストラに頼めるわけだ。
両者の利害が一致したかな、と思っていた。
75 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 20:50:16.24 ID:lG5risWO
>>69 話は簡単、N響に比べて格段にギャラが安いから。
ちなみに国立ヴァルシャヴァ・フィルハーモニーは、旧東欧圏では
チェコ・フィルハーモニー、ブダペスト祝祭管弦楽団に次いで
知名度・演奏水準も高いが国際的知名度は低く、クラシカルな
音楽業界内でのギャランティ水準も低い。またポーランドのGDPとか
所得水準、物価水準も日本国内や米国、西欧に比べ格段に低いので
その辺りからもギャラの安さは推して知るべしって感じ。
15話から見始めた俺が1〜14話を見るためにはどんな方法がありますか?
録画してる人からDVDのコピーを実費+手数料で送ってもらう。
身近にそういう人がいないか聞いてみる。
など
80 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 21:48:29.12 ID:Bb1LZ5vL
>58で月代の話が出たのでついでにお伺いしますが。
通常の出仕の際に侍烏帽子をかぶらなくなったのはいつぐらいからですか?
(もちろん、何かの儀礼の際にはかぶるようですが)
10年前の毛利元就では、若い頃は普通にかぶっていたようでしたが、壮年期になるとかぶらなくなっていたと記憶しています。
81 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 22:05:19.89 ID:q00PcVCf
僕も、月代の話が出たのでついでにお伺いしますが。
勘助のちょんまげのさきっぽのふさふさした部分ですが、
頭全体と同じくらいありますが、大きすぎないでしょうか?
女の子のポニーテールの髪を見ても、あんなに大きくふさふさしていないと思うのですが。
以前武田は鉄砲をどれだけ使っていたかという話があったので、
ちよっとそれとの絡みで。
ドラマで最終回に当たる川中島の戦いの一年後、永禄5年10月、
知行228貫の大井左馬介は、軍役として自分の所領から45人の
兵を出すことを要求されている。
それに加えて馬5頭、長柄槍31本、弓5丁、手槍2本、そして
鉄砲1丁を義務づけられている。
これが上洛戦といわれる戦い近くの元亀2年3月になると、知行
397貫の武田兵庫は、兵28人、馬3頭、長柄槍10本、弓2丁
そして鉄砲は5丁を義務づけられている。
勘助も40人の兵をひねり出すことになったかもしれないわけで、
太吉を酷使するのだろうか?
83 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 22:20:19.41 ID:Spz6F4di
諏訪は、関東管領と勝手に和議を結んで「武田に勝ったのじゃ」とか言ってたくせに
武田を裏切り者呼ばわりするのはなぜ?
自分のしたことはなかった事になってるのですか?
>>83 「夜討ち朝駆けは武士の習い」という言葉があった位で、基本的に出し抜くことは悪いことではなかった。
今回の武田のように意図的に罠に嵌めて裏切ったというとは若干違う。
86 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/16(月) 22:31:17.65 ID:Spz6F4di
>>32だけど、意見ありがとう。
>>39 そういえば、関ヶ原の後の黒田と細川も、それで揉めたんだよね・・・
史実に関する質問ではないかも知れなくて、すみません。
これまでの諏訪家のシーンに、於琴姫が全く登場しておらず、
伏線もないように見えますが、なぜでしょうか。
他家に預けられているとか、原作では設定があるのでしょうか。
於琴姫は諏訪家とは関係ないんじゃ…
於琴姫=油川夫人なので諏訪氏とは無関係です
於琴姫(油川夫人)の祖父は
武田信縄(信虎の父)の弟の油川(武田)信恵。
信虎は叔父である信恵を討って甲斐を統一した。
信恵の子が油川信守、その娘が於琴姫。
武田の氏族では?
>>88〜
>>91 仁科五郎、松姫、菊姫の母が側室の油川氏で、
井上靖「風林火山」での作中命名が於琴姫
新田次郎「武田信玄」での作中命名が恵理。
油川氏も武田の一族。
94 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/17(火) 02:57:31.10 ID:eq+DjSUp
>>59>>61 室町幕府の奉行人をしていた家にも、諏方という苗字の家があるけど、こちらは
子孫の家の現在の苗字の表記も「諏方」になっている。
全国の電話帳を調べれば、「諏方」と書くスワさんも相当数いると思われる。
96 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/17(火) 09:53:50.14 ID:xe5wdhu4
日常的に烏帽子を被るかどうかに関しては、下層階級では南北朝くらいから
怪しくなる。
応仁・文明の乱以降になると、武士ではかなり上層部の階層でも儀礼的な場面
以外では被らなくなることが多い。
しかし日常的に月代を剃るようになるのは、織豊以降だろう。
朝廷、幕府の権威失墜に伴って、て事か。d!
98 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/17(火) 11:17:40.35 ID:xe5wdhu4
>>97 なぜそういう結論になるのか意味不明。
社会習俗の変化と朝廷・幕府の権威云々が直接的に結びつけるのは飛躍しすぎ。
それに織豊期は室町期に比べて朝廷の権威は高まっているといったほうがいい状態。
99 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/17(火) 11:45:50.67 ID:ni2kGAgF
以前、読んだ本に甲斐の武田氏(信虎、晴信の流れ)は武田家全体では分家筋で
若狭(福井県)の武田氏が武田総本家だと書いてありましたが。詳しい方いらっしゃいますか?
ここ3回ほど見てはまった者です
実況で小山田が出てくるととてもウケていましたが、
あまり出番がないのに?とよくわかりません。
かっこいいとは思うんですが……
小山田は以前は出番が多かったのですか?
それとも他の理由があるんでしょうか?
>>98 いや、なるだろ。朝廷はあんま関係ないが。
室町幕府は統治目的でわざわざ無茶苦茶細かい武家礼式作ったんだし
純粋な社会習俗ではないぞ。
似たような事は幕末でも起きてる。
山梨県知事は甲斐守護職なの?
103 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/17(火) 12:40:55.88 ID:iEeBlbxK
>>100 このドラマ的には、駿河との同盟を裏でおこなった人物として活躍。
歴史的には
>>11を
小山田はすました顔して、けっこうノリがいいのじゃ。
105 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/17(火) 14:13:56.66 ID:sL00BmmD
>>99 南北朝期の武田信武(延文4年没)の
長男の信成が甲斐武田氏、
次男の氏信が安芸武田氏(但しこの家系の嫡流は永享12年以降若狭に転出)、
のそれぞれ祖になる。
ただ室町期における両武田氏の共通の祖である武田信武は、
室町幕府成立以前には安芸の守護職しか持っておらず、鎌倉後半期から
建武政権期には、甲斐源氏の本貫地である甲斐には別系統の一族が守護職に
なっていた可能性を指摘する論文があったはず。
106 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/17(火) 14:17:05.94 ID:sL00BmmD
>>101 室町の武家故実的な礼式が大きく壊れ始めるのは、基本的に永禄年間以降だろ?
村上義清役の永島敏行が坂城を訪れた
108 :
100:2007/04/17(火) 17:07:17.26 ID:PjjUIpqd
>>103 >>104 ありがとうございます
ドラマでも史実でもなんだか一癖ある
キャラみたいですね小山田
これから出番が増えてくれるといいな
109 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/17(火) 19:38:29.98 ID:XH8Y4rVT
110 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/17(火) 21:38:12.26 ID:6hWF6nXL
>>102 甲斐守と甲斐守護職とはまったく違う職分。
甲斐守を無理やり現代の役職に当てはめれば、山梨県知事。
守護職は、その国の警察と軍事を統括する人。
無理やり現代風にいえば、山梨県県警本部長兼、甲府師団長。
そもそも甲斐守=国司は律令制機構における地方官だし、
甲斐守護職は頼朝が後白河院を恫喝して手に入れた警察権を
国単位で行使する権利代行職みたいなもんだしな。
113 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/18(水) 00:40:45.58 ID:U+ieuWjk
>>110 いいたいことはもっとしっかり書きましょう。
114 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/18(水) 00:53:08.27 ID:Dbi/3OzN
田辺誠一は徳川慶喜の藤田小四郎の時からかっこよかった
諏訪攻めの回を今みていますが、竜雷太はなんであんなに怖い顔で勘助を睨み付けるの?
115 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/18(水) 00:57:26.12 ID:OuBfwlDp
新羅三郎義光の嫡系て
武田?佐竹?
どちらなのでしょうか?
>>115 武士の嫡流は、その時その時で、威勢のいい家が名乗ることが多い。
インチキ源氏の徳川家も、天下を取っちゃえば源氏の嫡流になれちゃう。
すまん
勘助の孫子は付け焼刃なのか?
親父と見てたんだが、温泉で風林火山を語るシーンで
ここのシーンの意味がわからんと悩みだして
しばらく考え、アレはいきなり聞かれて焦った挙句その場しのぎ的に答えたのか
とか一人で納得していたんだが
…そうなのか?
つか親父、第1話から見てるくせに、信虎追放の回から見始めた俺に聞かんでくれw
>>118 いきなり聞かれて焦ったというより、「(孫子の)どこが気に入った?」って質問を
晴信のどこが気に入った?と勘違いして・・・ってシーンだと思うけど
>115
佐竹……義光長男・義業の子、昌義の流れ
武田……義光三男・義清の流れ
一応、こういうことになってるみたい。
>>118 カピ 「お前どの辺が好き?」
眼帯 「…なっ!そ、そんなの言えるわけ無いじゃない(モジモジ」
カピ 「いいじゃんかよー、言えよなー」
眼帯 「えっと、そ、その目…かな…(*/∇\*)キャッ」
カピ 「バァーカ、俺の事じゃネーヨ、孫子だよ。あと詭道ももういいから」
眼帯 「え、えっと…其の疾きこと風の如く、其の徐かなること林の如く…」
カピ 「…地を廓むるには利を分かち、権を懸けて動く。迂直の計を先知する者は勝つ」
眼帯 「(先知する者は勝つ…先知…先に知る、見通す… こ れ だ !)
それこそが孫子の目よ!
べ、べつにアンタのこと言ったんじゃないんだからね!」
122 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/18(水) 03:46:40.75 ID:WgVX6agv
>>114 勘助嫌いだから
信虎時代は自分が武田家の軍師格と認められつつあったのに、
その地位を勘助に奪われた嫉妬。
他、新参者ということやその容姿に対する嫌悪感。
その上勘助は板垣が連れてきたということに対する反感。
でも小山田だけは、勘助の行動に理解を示したりするんだよねぇw
ドラマの中で小山田だけは、「これから武田晴信家臣団は
どうなるかのー」と、傍観することができる立場にいるからね。
今夜の「その時歴史が動いた」
▽海の関ケ原▽村上水軍信長家康と戦う▽CG戦国大海戦
ttp://www.nhk.or.jp/sonotoki/ 関ケ原合戦に伴う三津浜の戦いで
西軍に属した村上水軍が東軍に敗れた1600年9月16日に焦点を当てる。
天下分け目の戦いとなった関ケ原合戦は陸上だけで勝敗が決したわけではなく、
東海沖や瀬戸内海などの海上戦闘もあった。
戦国時代の海戦は船団を組んで戦う水軍が主役。
中でも、村上武吉率いる水軍は戦国最強と呼ばれ、瀬戸内海で勢力を誇っていた。
海上で略奪行為をする海賊から脱皮することで一族の結束を図った武吉は、
厳しい規律を課して一族を統率。交易船から護衛や
水先案内の対価として通行料を取ることで収入を安定させ、
かつての海賊を水軍へと変容させた。
戦国の世を、海を舞台に戦い続けた村上武吉の誇りと夢を探る。
126 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/18(水) 10:19:40.65 ID:GrzmPjJF
>>111 >甲斐守を無理やり現代の役職に当てはめれば、山梨県知事。
知事の任期4年というのはここからきているのか?
>守護職は、その国の警察と軍事を統括する人。
>無理やり現代風にいえば、山梨県県警本部長兼、甲府師団長。
地頭もそういう役割だったはずだが、
荘園領主から領地の支配権を奪うのも出てくるな。
127 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/18(水) 12:10:50.15 ID:AfgKVsPg
現代人の中で戦国大名としても伍して行けるのは誰だと思う?
理由もヨロ!
ふと思ったんだけど肝の据わった人ってあまり居ないような気がするんだよなぁ。
>>127 127かな。きっと行けるよ。
理由は、そんな意味不明なことを堂々と聞ける度胸。
130 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/18(水) 14:51:31.92 ID:PibRLkDR
>>129 何回か既出だが、小山田は完全な家臣ではなく『同盟者』色がまだ強いから。
要は臣従してから日が浅い。
更に地理的にも郡内は国中から遠く、今後離反して北条とか他国と同盟することも可能。
>>130なるほど
ありがとうございます。 番組内でそのあたりの説明なり台詞などがあればいいですね
第三話より
「それがしの主君は御屋形様にて、その意を汲んだまで。忠義と言うより道理でござる」
「郡内領主とは思えぬ心得にござるのう」
「甘利殿、いまの世に内輪争いほど愚かしい事はないと存じまするぞ。確かにそれがしが
父は武田家に刃向かい、御屋形様に負け申した。しかし今となってはそれがしの願いは
ただ一つ、御屋形様に強き国をお作りいただくこと、他には無いと存ずるが…そこもとは
如何に?」
「申すまでもなきことじゃ!武田家と『同じ』甲斐源氏の流れを汲む『我ら』にとって、
目指すところは一つじゃ!」
133 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/18(水) 17:45:43.00 ID:ZU25FwCc
日曜日まで待ちきれないです
>>127 海音寺だったか誰だが忘れたが、ある時代小説の泰斗が自民党本部を訪問した時、
居並ぶ政治家を眺めて「一人だけ剣客がいるねぇ」と感想を漏らしたそうだ。
そいつが若い頃の小泉純一郎だった、てェ話だけどね。
一瞬「刺客」に見えて納得しちまったぞ
>>136 スーツ姿で居並ぶ中、一人だけ羽織袴で刀背負ってればそう言われるよ
別の事(このキ○ガイ野郎 他)言われる可能性も大だが
>>126 地頭をその例に当てはめると警察官兼軍人だろう
地頭を統括して監督するのが守護の役割なんだし
139 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/18(水) 21:58:29.70 ID:ydE1Vl/g
地頭は税務署長兼世話好き民生委員ってところじゃないか?
配下の足軽が死んだら、そいつの家族の面倒まで一生見ないといけないんでしょ?
だったら配下いらないじゃん。配下0で調略と一番槍で稼ぎまくればすっげー金持ち。
その金で調略。
142 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/19(木) 00:13:41.16 ID:04F8Acm7
>>141 軍役という物があり、足軽何人連れて行かなければならないか規定がある。
だから勝手に足軽の数は減らせない。
勿論、槍や弓、鉄砲の数も規定されている。
あの、どうして真田の殿さま一家は
キャンペーン家族って呼ばれているんですか?
幸隆が「キャンペーンなんだよ!!」のCMに出てたから
145 :
143:2007/04/19(木) 01:15:51.13 ID:DbXAFMu1
思い出した。
あのバブリィでトレンデェなCMでつねw
そういえば出てたかも・・・
ありがとうございました。
家族層に訴えるのは真田一家が一番かもな。武田ファミリーは夫婦仲が
怪しくなってきたし、諏訪一家は暗すぎるし、主役は独身。家族の結束
と展望ということでは真田イメージいい。
147 :
今夜:2007/04/19(木) 06:08:43.65 ID:mC/supbb
22:45〜22:55 NHK総合 見どころNHK 「大河姫役・柴本幸」
秀吉ってHのやり方しらなかったってほんとですか?
あの時代エロ本がないからやり方知らなかった人も多かったって聞いたんですが(教授)
ここで聞くより教授を問いるめるほうが先だな、多分
百姓なんて農作業かセックスくらいしかする事無いんじゃね?
憎悪は高遠にかぶってもらうつもりじゃないの勘助は
由布姫が初めてそれを見抜いた感じで
という解釈なんだけどOK?
どうも実況しながらだと理解力が劣って困る
153 :
名無し募集中:2007/04/20(金) 00:32:00.49 ID:wIqGyIhF
・今川家と武田家が和睦したけど、その事に対して北条家はどういう対策を取
ったの?
・上杉憲政はいつ登場するの?
第5話で義元が「相模は、関東管領家や関東公方との戦いで精一杯」みたい
な事を言っていた。また、北条氏綱は氏康に「今川は蛸みたいな奴らだ(今川
は北条の事を亀に例えていた)」と言っていた。更に、氏康は本間江州を関東
管領家に間者として送り込んでいる。
154 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/20(金) 08:46:42.16 ID:P77RPOQ3
>>153 ・今川家と武田家が和睦したけど、その事に対して北条家はどういう対策を取 ったの?
A.「ザケンナ、コラ」とキレて駿河にかちこむ。富士川より東の駿河領を攻める。
義元が信虎の娘を嫁にしてから、わずか一ヶ月で富士川から箱根まで間(河東)まで奪う電撃作戦だった。
北条側は周到に情報収集をし、攻撃するタイミングを図っていたと思われる。
この「河東」を巡る争いを「河東一乱」はよばれる。
ちなみに、この「河東一乱」から元々今川家家臣、一門のような空気があったが、それが完全に独立した瞬間でもある。
・上杉憲政はいつ登場するの?
06月03日第22回『三国激突』………………………
06月10日第23回『河越夜戦』………………………
おそらくこのどっちか。もしかしたら21話あたりのラストで出るかも。
ちなみに、河越合戦(1545)の時に上杉憲正は「22歳(数え23歳)」です。
演じる市川左團次との年齢差に注目です。
155 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/20(金) 09:57:18.81 ID:e9/xYtKu
>上杉憲正は「22歳(数え23歳)」です。
演じる市川左團次との年齢差に注目です。
ちょwwww
左團次って60くらいじゃww
156 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/20(金) 10:02:30.76 ID:P77RPOQ3
>>155 市川左團次:1940年(昭和15)11月12日生まれの66歳。
158 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/20(金) 10:22:33.62 ID:DjqOIfzV
沖縄県の方へ(命に関わる注意事項です)
沖縄県での選挙ですが、どうか民主党だけは避けてください。県民の生命に関わる可能性があります。
民主党の最大の公約は一国二制度(※)ですが、一度「一国二制度 沖縄 三千万」で検索をお願いします。
この際、民主党のHPで調べても良いです。以下の注釈↓と矛盾することは書いてないはずですから…
※一国二制度
簡単に言えば沖縄を中国と日本の共有物にし、そこに3000万人の中国人を入植させます。
(つまり沖縄人口の 96% を中国人にして、実質、沖縄を中国人の居住地とします。)
さらに「自主」の名の下、沖縄で有事が起きても自衛隊は干渉できません。
3000万人の中国人が、少数派となった130万人の日本人に何をしても、です。
そして反日教育を受けた中国人の反日感情の強さは、ほとんどの日本人の理解を超えるものです。
今回の選挙で民主党が勝った場合、「自主」「発展」を連呼しつつ段階的に進めていくことになります。
自主と言っても、自主を認めるのが「住人の96%が中国人となった」後だということに気をつけてください。
発展と言っても、新沖縄の少数派となった「少数民族日本人」の発展ではないことに気をつけてください。
159 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/20(金) 10:45:56.33 ID:HW/bv8Gg
>>149 >あの時代エロ本がないからやり方知らなかった人も多かったって聞いたんですが(教授)
多かったことはないだろう。
ただ、やり方を知らないという民話もあったことだし、
一方で、権力者になれば、やりたい放題だし、
セックス格差は今とは格段の差があったかもしれない。
今みたいに部屋がいくつもある家に住んでる人が多数派ってわけじゃないん
だから、孤児や寺の子でもない限り自然と覚えるだろ
あんな暗い部屋で何してるかわかるのかと。百姓は早く寝るから
ズッコンバッコンいつやってるのかな。ある程度の家柄なら体で教えてくれるお手伝いさんがいそうだけど。
田舎の農村なら夜這いとか平気であっただろ。
寧ろ武将とか良家(?)のお子様の方が、オクテだったんジャマイカ
乳母が筆おろしの相手をしたりする。
そのまま側室になったりってこともあったらしい。
>>143-144 次スレにて
>>2に追加しては
↓
・2ちゃん大河板でよくみかける特殊な用語
赤マフラー:大河ドラマ「北条時宗」で、時宗の兄「時輔」が史実で死んだ後も
赤マフラーつけてモンゴル・日本を駆け回って大活躍したことから、
史実で死んだはずの人間をドラマのみの設定で生きのばす行為を「赤マフラー」と呼ぶ。
サニー:板垣信方(千葉真一)のこと。
千葉真一がハリウッド進出時にサニー千葉という芸名を使ったことから。
デスラー(総統):太原崇孚雪斎(伊武雅刀)のこと。
伊武雅刀が宇宙戦艦ヤマトでデスラー総統の声優だったから。
カピバラ、カピ様、カピ信:武田晴信(市川亀治郎)のこと。
アマゾンに生息する世界最大のネズミ、カピバラに亀治郎の顔が似てるから。
両津(姫):由布姫(柴本幸)のこと。眉毛がこち亀の両さんに似てるから。
クマ、クマー:今川義元(谷原章介)のこと。谷原章介がテディベアの収集家であることから。
前回出演の「新選組!」以来そう呼ばれ続けている。
キャンペーン:真田幸隆(佐々木蔵之介)のこと。「キャンペーンなんだよ」のCMに出てたから。
>>161 村祭りは乱交パーティーでもあったわけだが
時代がずれるかもしれんが、農村漁村には男小屋、女小屋とかもあったわけだが
>>149は西洋の話では?
双子とか5つ子とかの戦国武将とか大名いたんですか?
双子は忌み子とされたらしいからね!怖いね!
マナカナもガクブルだね!
ちょっと!ちょっとちょっと!
二人一緒に生むのは動物と同じ、という価値観だったらしいね
双子を生んだ母親は畜生腹と蔑まれたらしいよ
双子が生まれた事実そのものが皆隠蔽されたんじゃないかな
うちの親戚には昔
男女の双子を産んで自殺した人がいたらしい
男女の双子は心中者の生まれ変わりとか言われて
昔は双子の天皇なんていたぐらいだから
そこまで忌み嫌われてたのかな?と思うけど。
昭和天皇の弟(三笠の宮?)は男女の双子だったらしいけど
女の子の方は尼僧にされちゃったらしいね。
昔も片方は出家とか養子にいくことが多かったんじゃないかな。
174 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/21(土) 17:39:22.35 ID:eLVM+wN+
双子が嫌われる理由は、嫡男の順位がわからないから。
ただでさえ、風林火山の武田家がごとく兄と弟の順位が問題になるわけで、
双子だと継承順位が例え仮に兄と弟と決めても同時に兄か弟がわかりにくい二人がいれば家督争いになることは必定。
入れ替われても困るから双子は生まれたら一人は殺すか、かくして寺に預けたりすることが多かった。
五つ子位まで行くと、自然妊娠事態が稀な上、自然分娩で母子共に
無事に生まれてくる事自体がまず難しいと思われ。
先に腹から出て来た方が継承すれば良いのに
後から生まれたほうが、兄もしくは姉では?
一卵性の双子ってさ、
親は、生まれてすぐに見分けがつくようになるのかね。
乳飲み子のうちに、どさくさで入れ替わってたりしないのかな。
一卵性双生児でも意外と似てないけどな
180 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/21(土) 22:06:15.84 ID:3KzkpaLi
>>177 何かの本で読んだが、“後から産まれる方が兄(姉)”とする地方もあるとか。
エレベーターみたく先に入った方が後から出て来る、という理屈らしい。
181 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/21(土) 22:12:59.85 ID:yr9Es+3c
戦国武将だと、結城秀康なんかが
双子だったらしいな。
とうぜん不吉だから、母親の実家の神社に預けられて
そこの神主になった?そうじゃないか。
182 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/21(土) 22:42:41.34 ID:fK3FjJOe
双子というより、家康が自分の子かどうか疑っていたといった方が正確だろう。
>>180 地方とかいうより、昔は後から生まれた方が兄(姉)とされてたんでしょ
今でもそういう考えの国もあるみたいだけど オランダとか
前にサッカーのデブール兄弟の弟(ロナルド)が、「僕の方がちょっと
だけ先に生まれた」ってインタビューで言ってたな
神奈川西部だが、双子は後から生まれた方が兄とされてるよ。
理由は
>>180の通り。
ことわざで『三つ子の魂百まで』とあるから、三つ子自体は稀なこととはいえ事例はあったのかな?
五つ子とかは自然妊娠ではまず無いだろうけど・・・
その三つ子は三歳の子って意味だって
>>184 マジで?
現在の日本の戸籍法上では、先に生まれた方を兄(姉)と
せにゃならんと思ってた
187 :
虫藪 涙:2007/04/21(土) 23:32:57.41 ID:maFMOVle
>>174のとおりです。何か障りがあるとかではなく、要は家が分裂することを恐れた。
ちなみに大きな家とかでは、昭和初期まで、双子の一方を養子に出していました。
188 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/21(土) 23:34:02.88 ID:1Aeiy5wD
今の秋田市長が佐竹の後胤とかいう話を聞いた
事あるな(ほんとかどうかは知らんが)
190 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/21(土) 23:40:32.56 ID:1Aeiy5wD
>>126>>138 守護には一国規模での軍事指揮権や警察権(検断権)がある。
地頭の場合は原則的には個別の荘園なり公領なりの管理権があるに過ぎない。
もっとも地頭職のほうがそのまま領主権に転化し易く、領主が自分の領内の
警察権を持つのもある意味当然。
そういう意味では、守護は国ごとにおかれた将軍の代理人と考えればよい。
将軍の代理人という立場なら、本来的に自分の従者ではない者に対しても、
自分の軍事指揮権に服させることができる。
191 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/21(土) 23:41:49.54 ID:1Aeiy5wD
>>189 佐竹の有力な4分家(東西南北)のうちのどこかの末裔だったと思う。
192 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/21(土) 23:45:21.33 ID:1Aeiy5wD
193 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/21(土) 23:48:02.21 ID:1Aeiy5wD
>>186 きんさん・ぎんさんも先に生まれたのはぎんさんのほうらしい。
>165
ミツの子云々の辺りからして
父親は事実はともかく娘の指名した相手がなる、ってな状態なわけだな
最もミツの芝居に全員ひっかかってたんだから
あの段階では誰もヤってないようだがw
鬼小島って誰でしょうか?
>>195 上杉家家臣小島弥太郎
山県昌景と一騎打ちするなど豪勇の士として伝わる
ただし、実在したかどうかは諸説分かれている
197 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/22(日) 03:06:51.89 ID:w3/Ua3f1
鬼小島の「鬼」は鬼美濃の「鬼」と同じパターンか。
>>193 ということは今の時代だったら、きんさんがぎんさん、
ぎんさんがきんさんと名づけられるわけか!?実にややこしい!w
何はともあれこのスレ面白いわ。良スレ。
199 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/22(日) 04:38:33.06 ID:hd9vMnSQ
>>154 伊勢宗瑞(北条早雲)は、永正4年(1507年)を最後に今川氏の軍事行動に
参加しなくなるため、この段階で今川氏と伊勢(後北条)氏は別の勢力に
なったという見方も強い。
それに元々宗瑞は、今川氏のお家騒動(「文明の内訌」または「小鹿の乱」)を
収めるために幕府から今川氏親の後見人として派遣されたわけだから、
今川氏との間に主従関係があるわけではない。
武田も北条も謙信が来たら逃げ回ってどこに本隊がいるかわからないように
してたってほんとですか?武田は川中島でにらみ合ったりしてたけど
北条はすぐ小田原に篭ってたんですか?北条綱成とかすごいひとは何してたの?
201 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/22(日) 10:39:03.73 ID:/2It3VQs
>>200 そんなことはないよ。本隊を隠すときも隠さないときもあります。
ただ、謙臣は頼まれての出陣が多いので、
武田も北条も、そんなに相手したくなったという側面もあります。
本当に戦いたい相手ではないと。
だから、謙臣とはやり過ごすことをメインにしたかったという説もある。
川中島はあくまで遭遇戦で本意でなかったいう説。
あと、小田原征伐は関東管領の軍事パフォーマンス的なとこがあったので、
無理に互いに攻めなかった。
>>198 今も先に生まれた方=弟(妹)じゃないのか
少なくとも20年ぐらい前はそうだったはず
203 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/22(日) 10:51:26.31 ID:PwbNOp3J
>>200 逃げ回っていたということは無い。
馬印を隠したという事実もないので、本陣の位置を判らないようにしていたわけでもない。
ただ実際は当時は望遠鏡等も無いわけで、遠距離から敵の馬印を見つけて本陣の位置を特定するのは困難。
巷間言われるように上杉が戦国最強という事実も無いし、武田にしても同じ。
後に徳川氏が天下を取った際に、
徳川家康を三方原で破った武田最強→その武田と川中島で引き分けた上杉も同じくらい強い
ということにしただけ。
本当に上杉最強なら上州・信濃攻略成功してるし、川中島で武田を破ってる。
勿論越中・加賀方面で織田に苦戦する事もない。
北条が籠城するのは主戦術。
小田原城という堅城を擁している以上、当然の選択。
ただ守りっぱなしと言うわけでなく、敵が撤退する際にはちゃんと追撃してる。
204 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/22(日) 11:06:54.37 ID:QyoSvZSy
宮中女官の姫小松(あずまわらわ)は三つ子から選んだとか聞いたけど、双子はよくないのに三つ子はめでたいの?
>>202 1874年(明治7年)12月13日に以下の様な太政官布告が出されたとある
「双子の場合は、先に産まれた方を兄・姉、後から生まれた方を弟・妹とする」
>>200 謙信が相手だから逃げ回っていた と言うよりも、
勝てるかどうかも判らん敵主力を相手に真正直に正面からブツかるのを避ける、というのは常套手段。
損害を恐れることを忘れたら、将と名乗る資格なんか無いっしょ。
>>203の言うとおり当時の索敵能力が乏しくて結果として本隊同士の接触が避けられたケースも多いけど
無駄な損失を避ける努力も怠っていなかったハズ。
207 :
名無し募集中:2007/04/22(日) 11:59:53.46 ID:K69m6Ui9
・なぜ今川の本拠地駿府は、山城ではなく館なの?武田の本拠地甲府は、
山に囲まれているから躑躅が崎館で十分なのはわかる。北条の本拠地小
田原も交通の要衝だから山城なのもわかる。
・これから登場する上杉氏の春日山城、織田氏の本拠地清洲城、徳川氏の
本拠地岡崎城は館それとも山城?
・去年の大河ドラマ功名が辻で出てきた岐阜城は、天守閣がなかったけど
それはどうして?
208 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/22(日) 12:31:03.01 ID:PwbNOp3J
>>207 駿河国内に有力な対抗勢力が無く城を築く必要性が無かった。
また対抗勢力は三河・甲斐方面な訳でそれぞれ大井川・富士川を防御ラインに出来る。
その辺の事情は甲斐と一緒。
春日山・・・山城
岡崎・・・平山城
清洲・・・平城
巧妙は考証がいい加減なので何とも言えない。
4月23日(月) 16:05〜16:50 NHK総合 その時歴史が動いた[再]
>>125 海の関ケ原▽村上水軍・信長家康と戦う▽CG戦国大海戦
210 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/22(日) 13:47:00.47 ID:aFc9OaMH
>>208 戦国時代初期は、戦闘に耐えるために山城を築城。
しかし、南北朝の動乱も終了し、ある程度平和が確保された室町時代中期は、
領国支配の観点から、平城というか館を大きくしたものを構える場合が多かった。
要は、その大名の勃興時期によって山城・平城などが決まる。
守護大名系
土岐氏:加納…平城
今川氏:駿府…平城
斯波氏:清洲…平城
戦国大名系
北条氏:小田原…平山城
齋藤氏:稲葉山…山城
織田氏:小牧山…平山城
浅井氏:小谷…山城
>>207 >去年の大河ドラマ功名が辻で出てきた岐阜城は、天守閣がなかったけど
>それはどうして?
信長は山麓御殿に居住していたので天守閣は必要ではなかった。
(いちいち登るのがめんどくさいし)
・・・と一応巧妙を擁護w
>>207 いわゆる天守閣ができたのは松永久秀の多聞山城以降だから、当時の岐阜城にはまだなかったんじゃね?
213 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/22(日) 15:22:49.62 ID:25qTygtD
>>207-208 元々今川氏の地盤は花倉城ある葉梨庄(現、藤枝市)を中心とした西駿河。
さらに西隣の遠江も東部のほうは南北朝期から今川一族の勢力が強かった。
その点で、駿府が西側から攻められる可能性は極めて少なかった。
また東側は、清水から富士川西岸くらいまでは、かなり海岸線ギリギリまで山が
迫っている地形なので、防御は比較的し易かった。
南北朝から戦国にかけて駿府が東側から攻められたことは何度かあるけど、
こういうときに今川側は駿府を維持するための最終防衛ラインを基本的に
静岡市清水区と由比町の間の薩?山に設定している。
逆に薩?山を突破されてしまった今川氏真は駿府を放棄して西へ逃れている。
なお今川氏が本拠地を葉梨(花倉)から駿府へ移すのは
応永初年頃(1400年前後)といわれる。
214 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/22(日) 15:27:33.45 ID:25qTygtD
頼重の辞世の句の意味を教えてください
切腹って何時ぐらいから形が決まったの?
おのづから 枯れ果てにけり 草の葉の
主あらばこそ 又も結ばめ
葉っぱは自ら枯れちゃったけど、主があればまた(花や実を)結ぶだろう
上の句は自滅していく諏訪勢と自らの不明を恥じて。
下の句は虎王丸に諏訪再興を託す心情。
「草の葉」と「又も結ばめ」を関連付けて、冬来たりなば春遠からじみたいな希望を持たせている。
家臣への強いメッセージとも取れるし、後の運命に儚い期待をかけるしかない絶望とも取れるし。
>>215 本スレから転載
459 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2007/04/22(日) 21:26:50.17 ID:tQM6DGHo
>>276 頼重自身は自らまいた種で自滅するけども、残った虎王丸が父の無念を晴らしてくれる
その望みを託して、潔く死にますよ・・・という感じでしょうか。
今回初めて頼重がいい奴に見えました。泣けます。。。
>>217 下の句の「結ぶ」は、「草を結ぶ」、
(=幸運が巡ってくることを祈るという予祝の行為)とも取れるんじゃないかな。
(でもたぶん無理ぽ・・・な「後の運命に儚い期待をかけるしかない絶望」な感じ。)
同じく刑死した有馬皇子の
「磐代の浜松が枝を引き結び真幸くあらばまた還り見む」
をどこか連想させる。
そういうのもあるのかな?とも思った>結ぶ
自分神事はサッパリですわw
諏訪頼重と東光寺にいたのが勘助というのは、武田家家臣の序列からしたら
いくら敗軍の将とはいえ、頼重に対して非礼じゃないの?と感じたのですが。
222 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/22(日) 22:22:54.66 ID:SuY13M+8
ユウ姫が持ってたお守りみたいなの「マリシテン」であってる?
実況で不幸を呼ぶ代物な扱いだったけど、そうなの?
>>223 勘助からマリシテンを貰ったミツは斬殺され、
今の持ち主の平蔵は何故か仕える主人が次々と滅ぼされ…
呪いのアイテムかも。
225 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/22(日) 22:41:45.83 ID:9dE4WlAo
スレ違いだったらスミマセン
諏訪大明神に仕えていた由布姫が、魔利支天のお守りを身に付けたりするものでしょうか?
まあ、ねねのやさしい気持ちがうれしかったというのもあるかもしれませんが。
戦神だからいいじゃん
日本の神様はみんな心が広いからな。
晴信から魔利支天もらった禰々も、禰々からそれをもらった由布姫も
子供を残して早世するしね
>224サンクス
昔のエピソードとして重要なものだったわけね
SF的な呪いの小道具かと勘違いして萎えるところだった
>>223 武田信玄も、ドラマ中にちょくちょくでてくる不動明王への信仰が有名だけど、
諏訪明神や、飯縄明神、毘沙門天と様々な神仏を信仰してる。
特に一本に絞る必要は無く、複数の神仏を信仰するのが当たり前だった。
神社でも、よそから別の神様を連れてきて(分けてもらって)一緒に祀ったりして、
複数の神がいるのは普通だし、神仏習合で、仏教・神道の出自もあまり問われない。
多神教世界ならではのおおらかさで、得に問題ではないと思われます。
まあ、マリ支店付けてたから
ミツ思い出して殺されなかったわけだし
寅王丸についてなんですけど
その後の情報何にもないですよね
やっぱ勝頼が生まれて邪魔になってしまったのかな?
そうだとすると諏訪さんカワイソス
233 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/22(日) 23:37:59.71 ID:QRkD/GG0
寅王丸は成人するのですか? 勝頼が跡取りになるんだから彼はどうなったの?
ガイシュツなら (´・ω・`) スマソ 回答おながい。。。・。
資料的には寅王丸の行く末は不明
いつの間にかいなくなってる
原作ではそもそも出てこない
ノベライズではそこまで書かれていない
よって、どうなるか分かりません
切腹の刀に柄が付いていないのは何故ですか?
それから、今回頼重には介錯はなかったんでしょうか?
はっきりしてるのは諏訪を継いだのは寅王丸ではなく勝頼だということだけ
>>235 そういや、いつも切腹のやつは柄がないよね。
柄が血で汚れるからとかか?
238 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/22(日) 23:49:20.83 ID:9dE4WlAo
>>227>>230 レストン
あー、なるほど!
日本の神様も、日本人も、確かに他宗教に対しておおらかですよね。納得できますた。
>>232、
>>233 山梨の鰍沢町・本能寺に一応、虎王丸の墓がある
言い伝えでは諏訪切腹後、禰々の姉である穴山氏南松院に
禰々が届けようとしたが信玄の追っ手にこの近くで殺されたらしい
しかし、高遠攻めに諏訪衆参加をさせるため担ぎ出されたって話もあるし
主だった文献に殆どその後の話が無いのが現状
>>233 本スレでもしつこく書いたけど、
高遠勢との戦いのお神輿(大義名分)に擁立されたけど、
それ以降は武田家の文献にも、
諏訪上社神官の記録にも登場しなくなる。
墓所も戒名も不明だよ。
柄があると逆上して襲い掛かる奴がいるから。持つところを無くせばあきらめもつく。
嫡男等重要人物が不自然に系譜から消えていった場合は
暗殺のパターンが多いね。
243 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/23(月) 00:01:14.42 ID:xLbid8zo
>>235 自分も気になった
介錯無しだとつらいよね…
245 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/23(月) 00:06:43.51 ID:AqK+Qz53
寅王丸ははやり病で死にましたとさ。とかな。
少なくとも元服するまでは生きてなかったろう。
246 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/23(月) 00:11:26.06 ID:AqK+Qz53
この時代の切腹はまだ鎌倉式。
諏訪家は神代から続く名族で切腹も伝統的スタイルがお好き。
腹を十文字にかっさばいて、自分の手で内臓をつかみ出し
投げつけて自死。他人の助けは一切なし。
江戸時代のちょこっと刺したら
後は介錯人が手伝ってくれるのとは全然ちゃう
切腹してから喉を切る方式もあったような気がするけど
作法って何通りあるんだろ
>>246 医学的にどんな人間であろうも十文字切る前に痛みで気絶するそうです。
>>246 そういう壮絶な切腹死の逸話も、
実は江戸時代の創作が多いんだよ。
臓物が出る切腹を無念腹といって嫌う習慣もある。
切腹の話題も本スレでさんざん概出なんで、
本スレの過去レスみればいいよ。
また、切腹、割腹については綱淵謙譲の直木賞受賞作「斬」に
色んな逸話や引用がでているよ。
250 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/23(月) 00:26:08.67 ID:CJ2aubm8
>>230 諏訪家ならやはり建御名方の一択でないの?
大祝=建御名方(生き神様)だし。
>>233 諏訪家譜・神家系図だと
頼満―頼隆―頼重―長岌になっている
諏訪の惣領にも大祝にもなることも無く
寺に預けられ「長岌」と言う名前になったらしい。
>>248 医学的にというと正しそうだが、刃物の切れ味、斬る速度、深さにも
よるのではないですか。絶対はないと思う。
253 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/23(月) 00:36:38.07 ID:CJ2aubm8
>>249 >切腹、割腹については綱淵謙譲の直木賞受賞作「斬」に..
d クス 読んで三益
柄の目的は切り愛した時にずれた刃先が手元に来ないためだよね
とするのなら、切り愛が目的じゃない小刀には必要がないって事じゃないだろうか
>>251 その寅王丸の生存・出家の件だけど、
著名な武田氏研究家の上野晴郎氏の著書には
信憑性があまり無い、と書かれている。
本スレ読みきれてないし、も一つ関係ない気もするが、
介錯の際に首を斬りおとすと、介錯人の首が危うくなる、
皮一枚、は誇張だが、背後から首の骨を切断できる程度の
深さで行わなければならぬ、
と、前に何かで読んだ希ガス
本当に初心者ですいません…。
勘助は脚と目を怪我したんですか?
>>257 目は子供の頃、疱瘡でつぶれた。
足は、片目がつぶれた息子を不憫に思った実の父親が
息子に厳しく武道を仕込んでいて、怪我した。
>>240 文献に残ってないというのは
故意の沈黙だろうな。
少なくとも袴をつける前に
この世にはいなかったんだろう
戦国時代の常識として
敵方の男の子を残すなんてありえない。
261 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/23(月) 02:16:30.56 ID:e+kaUjKv
介錯がいないのは頼重は科人ではないからでは?と、あてずっぽうで言ってる。後々の為にも武田としては御下言で腹を切らせるのではなく、あくまでも頼重がこっそり自発的に自刃したという形にしたかったのではないかな。
ああそうか、介錯しちまったら1人で自発的に腹切ったことにならんもんな。
それにしては準備が整い過ぎてはいるが。
263 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/23(月) 04:27:47.29 ID:XC53UgKy
まあ近代まで下ると、諏訪の子孫は子爵家の華族様になるけど、武田の子孫は士族止まり。
長い目で見ると諏訪の勝ちかな? やはり諏訪明神の神慮か。
264 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/23(月) 06:38:22.93 ID:BUdc7Lk0
>>235、244
自分も介錯無しが気になったですよ。苦しいのが長くて可哀相だ。
介錯してあげたかった。
>>234 ノベライズは立ち読みしかしてないけど
禰々の人物紹介のページで「彼女の死後想いはまたも裏切られることになる」
みたいなこと書かれてなかったっけ
266 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/23(月) 09:06:05.68 ID:qzGA0OKB
>>265 あったな・・・
ということは寅王丸殺害もやるんだろうなぁ。
今年の大河ならやりそうだ。
267 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/23(月) 09:13:19.76 ID:snI1/W75
信玄周りが功名化してないか?(´・ω・`)ウザくね?
オープニングに表示されていた能のシテやワキの
役者の名前が知りたいのですが
録画していた方、教えてくださるとありがたいです
それからもし能に詳しい方がいらっしゃったら、
演じられていた曲が何か、もお願いします
自分、能の初心者ですが何の曲かわからず……
269 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/23(月) 09:54:09.24 ID:iaCJFzIX
頼重の切腹は十文字腹切った後、心臓に刀を叩き込んで仰向けに
倒れこんで凄絶死、っていう当時の記録がなんか残ってなかったっけ?
新田次郎の創作か?
>>268 コピペだけど演目についてはこんなやつ
>「千手」 あらすじ
http://www.nohbutai.com/contents/05/03sa/4senjyu.htm > 頼朝の家臣狩野介宗茂は一ノ谷で生け捕られた平重衡を預かっている。
そこに頼朝の命により千手の前が慰めのために通ってくるが、重衡は心を開かない。
更に千手から出家も許されぬとの報告を聞き、南都の仏事を焼き討ちした報いと
心沈むが、宗茂と千手は酒を勧めて慰める。
やがて興に乗った重衡も琵琶を弾き千手と心通わせるが、無上にも
頼朝の命が下り重衡は再び都に送られ、千手はそれを涙ながらに見送る。
271 :
235:2007/04/23(月) 10:35:21.40 ID:mi1p5OiL
切腹の刀と介錯について質問した者です。
本スレの前スレをざっとスレ検索してみたところ、
>>261さんの説と、「諏訪は神の眷属とも言えるので、介錯は畏れ多い」
という書き込みがありました。
どちらも納得出来るのですが、現実的に考えると
あのままほったらかして、絶命させるのは
時間がかかるし、何より苦痛が・・・。
ある程度体裁を保った後、こっそり急所を
やったのではないかと考えたりもしました。
色々と回答ありがとうございました。
紹介された書籍もあたってみます。
シテ 佐久間二郎
ツレ 角当直隆
ワキ 森常好
273 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/23(月) 13:40:09.33 ID:iaCJFzIX
777 :日曜8時の名無しさん :2007/04/22(日) 22:30:33.85 ID:A6Jf6azB
しかし「千手」ってことは、見ていた禰々と頼重には自害を命ぜられる事は
予測してて、今生の別れの手つなぎだったのかな。
こういうサラッと流しそうなところまで神経使ってるから
二度も三度も見てしまうんだよな。
780 :日曜8時の名無しさん :2007/04/22(日) 22:31:09.78 ID:ib1VcxBc
能「千手」、敵方に捕らわれた身分の高い敗残の将(平重衡)を
描いた作品なのか。さすがにチョイスが深いね。
諏訪夫妻はそりゃ自分達と重ねてしまうわな
784 :日曜8時の名無しさん :2007/04/22(日) 22:31:40.93 ID:ujeEJ1k7
あの能にそんな意味が込められてたとは
神大河は伊達じゃない
274 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/23(月) 14:56:44.91 ID:qpZyzwbP
>>263 >まあ近代まで下ると、諏訪の子孫は子爵家の華族様になるけど、武田の子孫は士族止まり。
>長い目で見ると諏訪の勝ちかな? やはり諏訪明神の神慮か。
頼重の子孫ではないというのが、悲しい。
>>263 >諏訪が華族の子爵さま
諏訪家は小大名として存続したため爵位は当然のこと。
武田は大きかったぶん、紆余曲折が激しく江戸期は高家の扱い。
(大久保長安事件にも関係する。家康側室お都摩の方の件もある)
結果的にどっちが勝ちか決めるなんざ、馬鹿らしい。
それと、何度も書いてるけど
信玄の諏訪社への篤い信仰と保護は歴史家みな記述するところ。
それに、祟りで滅ぶ家なんぞない。
もし祟られるとすれば社殿を焼い織田信忠じゃないのかね。
>>269 その新田の「武田信玄・風の巻「戦国に涙なし」の章、
頼重の死の描写中の文章にちゃんと出典が示してあるよ。
辞世の和歌も掲げてある。図書館とかで見てみたら?
>>271 介錯なしの件は、当時の切腹の作法云々以前に、
展開上の効果を狙っての演出だと思っている。
激流に飲み込まれて死を選ぶしか道のない名家の若き当主が
孤独にこと切れるほうが劇的だからね。
・・・現実的ですみませんが、私感ですが。
由布姫の母親はどんな人だったんでしょう?
諏訪明神の巫女を勤めているのを見る限り、姫は庶子とは思えないのですが、
禰々の前に正室(もしくはそれなりの家の側室)がいたんでしょうか。
277 :
269:2007/04/23(月) 15:29:19.98 ID:iaCJFzIX
>>275 サンクス。通勤中に読もうと風の巻だけ持ち出して行方不明のため
読めなくて地団駄なのですよ。古本屋とかでいまこの時に買うのは
なんか恥ずかしいしw
頼重の「酒と肴」とか千野兄弟奮戦の場とか確かめたいのですけど
悔しい限りで。あいすみません。
>>276 諏訪御料人の母は、信濃の小見(麻績)氏の娘。
後、勝頼に保護されて
天正十年までは生存していたか?との見解が普通。
由布姫が巫女的なのはドラマの設定。
しかし、上社大祝家の一の姫(長女)なのだから
祭祀にかかわるという設定もありかと思う。
>>276 >>278に補足すると、武田勝頼(頼重の孫に当たる)に保護されており、
武田家が織田信忠(信長嫡子)に攻められた際、勝頼たちと落ち延びる
途中で消息が途絶えるので、途中ではぐれ、武田家滅亡のドサクサの中で
死んでしまったと見るのが妥当かと。
連投すみませーん
>>277 >古本屋とかでいまこの時期に買うのは何だか恥ずかしい
あっ、何となくわかります。なんか恥ずかしい気持ちw
柴辻氏や笹本氏の武田関係の新刊が、大河効果で出てますけど
(下らない便乗本と違い、優れた研究書なのに)
なんか手にするのがこそばゆいんですよね。でも、買っとこ
能について質問した
>>268です
>>270 >>272 >>273 ありがとうございます
その場にふさわしい演目だろうとは
予想したのですが、「千手」、なるほど!
そう来たか!と納得しました
(本スレもさかのぼって見ました
あれで曲名がわかった人はすごいな……
「千手」はまだ習っていないけれど
謡本買おうと思います)
観世九阜会系統の方々の出演なんですね
教育テレビの伝統芸能入門講座の関係かな
質問があります。
「おおほうい」も頼重と共に自害した など
「おおほうい」というセリフが良く出てきますが人の名前なのでしょうか?
大祝 おおほうり … 現人神(生き神)。中世においては政治・信仰面で頂点にあったが、
江戸時代には、 諏訪社の神事等に専念する存在になった。明治期に廃止。
よく言われるけど、目の前の便利な箱で
自分で検索して調べるのも面白いもんなんだけど・・・ね
ドラマでも説明あったしな。
286 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/23(月) 17:25:55.18 ID:qpZyzwbP
>>284 「おおほうい」で検索かけても引っかからなかったんで、訊いているんじゃないかな?
祝(はふり)がだいたい神職のことだな。
>>284 ま、でも聞き取りが出来てないと検索してもねえ・・・
4月24日(火) 朝8:35〜9:25 NHK総合 生活ほっとモーニング
「この人にトキメキっ!」 ゲスト:内野聖陽(生放送)
大河ドラマ『風林火山』の主役“山本勘助”が大好評の内野聖陽さん。
若手実力派俳優として数々のドラマや映画に出演する一方、
舞台でも活躍、「今もっとも公演に客を呼べる俳優」と言われています。
内野さんは元々ジャーナリスト志望でしたが、
大学時代に英語サークルで体験した英語劇で、演じる面白さや
引っ込み思案な自分が変身できる楽しさに夢中となり、文学座へ進みました。
研修生時代にNHKのドラマでデビュー、『ふたりっ子』での天才棋士役から
トレンディドラマや「蝉しぐれ」など時代劇まで幅広い役を演じてきました。
知的な印象とは裏腹に、「頭を使うよりも筋肉派」
「踊りや動きのある演劇が好き」だといいます。
そんな内野さんに演じることへの熱い思いについて、「風林火山」のほか、
懐かしい映像や、スキンヘッドにまゆ毛までそり落として挑戦した
初主演映画「あかね空」の撮影風景などを交えながら、じっくりと伺います。
>>289 ほとんど記憶がおぼろなふたりっこの騎士役映像みたい!
>>286 ここまで言ったらスレ違いなんだろうけど、
「はふり」って「屠り」と音同じ?贄を捧げる神官の意?
>大祝
公式サイトにも説明載ってるぜ。トピックスの諏方家のトコ。
>>291 元は「はふり」で変化して「ほうり」らしい。
語源がどうだかは知らんけど。
辞書だと以下引用
はふり 【▽祝】
神主・禰宜(ねぎ)に従って祭祀(さいし)をつかさどる神職。
また、広く神職の総称。はふりこ。はふりべ。
だいたい他人の質問にケチつける奴ってレスしないよな。 ( ´,_ゝ`)プッ
>>278>>279 どうもありがとうございます。
という事は、娘の死後も母親は結構長く生きてたんですね。
何か切ないなあ。
遅レスだけど、そうかやっぱり「千手」だったかぁ
もうあの能見るだけで「死刑宣告」だった訳ですな
二人が今生の別れ、と手を繋いだのも自然なことだったんですねぇ
信玄も結構キツイw
なんていうんだろ、この演出の芸の細かさにはホント驚きますな
分からなくてもストーリー進行そのものには差ほど影響ないけど、分かる人が見ると
「おおっ」となったり「ニヤリ」とする部分が結構あるよな。今年のは。
視聴後にこのスレに来て「おおっ」とか「ニヤリ」とかしてる\(^o^)/
>>297 同じく!
特に歌とか能とか全然知らないから、このスレはありがたい
姫は死にたくない!って生き延びるわけですが、
頼重が死なない道は一切なかったのでしょうか?
仮に頼重が自害なんかしないもん!って言い張ったら暗殺?
あの時代ってなにかと出家するイメージあるんですけどダメかしら。
>>300 後に嫡男さえ幽閉する晴信だからね
頼重自害の五年後には、信濃の佐久で三千人の敵を皆殺しにしている
助かる道は一切ないとは言わないけれど、
最終的に暗殺される可能性は結構あったんじゃないかな
そうやって許していると体制も強固なものにならないからね
302 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/24(火) 04:29:09.31 ID:FCWo9KwL
>>300 出家して恵林寺あたりで軟禁状態とかなら・・・
ただ反武田の御輿になりえる存在なので難しい。
その後の武田のやり方を見ると、とても生かしておいては貰えないと思う。
頼重が生き残る道は、信虎時代に完全に家臣になることだね、小山田のように。
そもそも頼重が切腹した、というのも怪しいわけで。
実際は殺しておいて、切腹したお!ということにの可能性のが大きいだろ。
信玄は同時代人にも冷血漢とかいわれてたらしいね。
まあ、孫子からして命令に従わなかった女を殺してるんだからな
305 :
今日:2007/04/24(火) 07:52:41.20 ID:aEcDAB3E
孫子の場合、空気読めなかった女の方が悪い。
307 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/24(火) 10:45:26.70 ID:9osVZJ+4
武田八洲満の小説辺りだと、諏訪のうかつぶりを嘆いてる感じになってる。
というのも諏訪は「武田信虎の同盟者であり娘婿」だったから。
「信虎体制を否定する」という旗印で再結束した晴信&家臣団が作った
新体制なんだから、信虎の同盟者だった諏訪(武田八洲満は「国内の家臣
たちに圧力を加えるための、信虎の警察軍」とまで書いてる)を攻める
という形で信濃侵攻がスタートする事は火を見るより明らかだろう、と。
ましてもう一方の佐久口が史実ではなかなか侵攻できないでいたのだから
無警戒な諏訪から攻めるのはきわめて常識的。
まあ実際は信虎と組んで関東に侵攻したものの思うように土地を奪え
なかったせいで、諏訪内部が完全にバラバラになっていて、領主は別に
武田が手を入れなくても離反続き、領民は逃散が続いていたという
ヒサンな状態だったらしい、諏訪は。もう実質的に内戦状態だったと。
そりゃ高遠がそんならオレ様が、と出てきて当然だったわけで。
武田としては仕掛けて、というよりは火事場泥棒的に上がりをくすねた
というところだったらしい。まあそこは田舎侍なので、一気に血族を
伐採して諏訪明神を手に入れちゃったわけだけど。なにしろ信玄は
諏訪本社の人事や決算まで全部自分で管理したそうだから。天皇家より
古い歴史を持つといわれる諏訪は、まさか大祝まで斬られるとは思って
なかったんだろうなあ。
308 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/24(火) 10:49:30.85 ID:Rq6sV1Ln
>>306 >孫子の場合、空気読めなかった女の方が悪い。
空気を読んでいたんじゃないかな?
孫子が、女を斬って空気が、ガラリと変わったんだろ。
すべて 村上が成敗します
310 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/24(火) 11:22:58.10 ID:Bh70yPU0
>>307 史実では、晴信は諏訪御料人を側室にした後も
御料人と勝頼を晴信が住む甲府ではなく、諏訪に置いているね。
武田の血を引く勝頼に諏訪家の旧跡を継がせようとしていたみたいだ。
のちに信玄が長男を謀反で切腹させ、四男勝頼を家督者に迎えようとした時も、
そういういきさつから家臣団は勝頼を武田の嫡流として認めようとせず、
そこで信玄は勝頼の嫡子を家督後継者とし勝頼に総覧させようとしたが、
実質信玄が死ぬと武田家は空中分解してしまった。
勝頼に諏訪を継がせようとした事が裏目に出たのか。
311 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/24(火) 11:35:34.57 ID:9osVZJ+4
まあ血筋は京の高家、将軍個人ではなく足利代々の「義」の字まで
もらった誰もが認める嫡男がいきなり亡くなるんじゃそりゃ混乱も
するという。誰がどう見たって諏訪四郎勝頼が跡を継ぐとは思って
なかったろうから。
結局諏訪を統治する帝王学を学ばされていた勝頼は大慌てで府中に
やってくるものの、当然から自前の「諏訪官僚組織家臣団」を移行
させる形で治世を行おうとするわけで、そりゃ旧来の「甲斐府中
官僚組織家臣団」と骨肉の争いになるのは当然。そこで一度内戦でも
やって反対派を黙らせるという手もあったのだろうけど、時代が
それを許さなかった。もう国同士の天下統一トーナメントが進んで
しまっていて、国内の争いをする国なんか簡単に呑み込まれる段階に
入っていた。しょうがないから烏合の衆みたいな「家臣団ではない
同盟領主集団」を利権で釣って対外戦に討って出るしかなくなった。
今川義元が花倉の乱で非主流派を粛清できたっていうのは、やっぱり
雪斎に先見の明があったということなんだろうね。
>>310 勝頼自身が「諏訪四郎神勝頼」と名乗ったことは
書状や寄進状で明らかなこと。
>勝頼の嫡子を家督後継者とし
勝頼陣代説は、賢明な学者はみな否定してると思う。
>>300 戦国時代の一般的な取引として
城主とその男系だけが犠牲になって
部下である武将や侍は助命され(基本的には領地もそのまま)
明日から相手側の戦力となって働くことになる。
だから頼重はどう転んでも生き残ることはありえない。
314 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/24(火) 17:00:20.54 ID:on/fkmAu
他国に落ち延びる選択肢くらいは無いの?
315 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/24(火) 18:07:31.11 ID:10SkpZu8
無い。そうなったらキャンペーン家族のように間違いなく戻ってくる。
頼重は甲斐に行っちゃった時点でアウト。自殺か殺されるしかない。
その前なら諏訪から逃げるという手も無くはない。村上義清がそうした
ように。ただ、甲斐に行ったのは、武田の属領となっても諏訪家残れる
かも?と僅かな望みながら思ってたからで、行ってから武田の思惑を
知るわけだからしょうがない。
結局、どこまでも晴信という人物を見誤ってるんだよな
さるべきにやありけん(そうなる前世からの宿縁であったか)という感じだ
318 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/24(火) 19:32:28.25 ID:L4cGdmOv
あの信長でさえ、信玄だけは恐れていた・・・
どんな人物だか、想像できるでしょ?
誰が想像すんの? 頼重が?w 頼重は凡庸かもしれんが、その理由だと
無理だろ。晴信の侵略被害者第一号なんだから。
情報収集と判断が己を生かしも殺しもする時代
今も戦国の世も変わらんな
ねねが妻でなければ、
頼重も、「あわよくば生き残れる」とは思わなかったろうに
>>319 信虎追放してる時点で、勘のいい奴は警戒するでしょ
だから凡庸と言うておるにw
信玄て美少女の巫女集団作って諜報活動してたんだってね。
>>317 妻に宛てた手紙で、頼高と力を合わせ云々の部分が一層哀れ。
ホント武田は悪鬼の群れだな!
・諏訪は関東上杉がサクに出陣したとき上杉と和議を結び一時期サクを手に入れられたけど
武田はサクに城主を置いて無かったの?
・勘助はなぜ高遠と諏訪が戦ってるうちに諏訪と手を結ぶことを進言したの?
諏訪と手を結んでもサクは手に入らないような…
史実でもないことに対して議論しても無駄だとおもうけど。
>・勘助はなぜ高遠と諏訪が戦ってるうちに諏訪と手を結ぶことを進言したの?
諏訪を滅ぼすのは簡単。
けど、問題は滅ぼした後の話。バックには神様ついているから信長の比叡山焼き討ちのようになりかねない。
加えて、ねねを助けたかったわけだから、
ベストは
高遠と諏訪を共食いさせているうちに、和議を結んでねねを救い出し、
そうした上で高遠に諏訪を滅ぼさせ、ついで謀反だのと難癖つけて諏訪の遺児であるトラ王丸を立てて高遠を撃つ
んで、トラ王丸は病死。
こんなストーリーでも考えていたんだろう。
最悪の展開としては、高遠と諏訪が和議を結び共通の敵として武田にたてつく展開かな。
勝てばねねが死ぬだろうし、負ければしなのへの足がかりを失う。
そしてそのどちらにせよ、神の敵となる。
>>326 Q1
それは漏れも疑問。
信虎追放時に城代の家臣を呼び戻したにしろ、
空にする訳はないよな。
説明台詞がうざいので、守備隊全滅報告が省かれたのか?
Q2
高遠が進撃を続けると、和議の際、
それだけ領地の配分を多くしてやらなければならなくなる。
つか、追い詰められた諏訪勢が全員自害したら今回の戦は失敗。
>諏訪と手を結んでもサクは手に入らない
取りあえず諏訪を押さえないと、佐久への侵攻は軍事的にも
財政的にも厳しい。
信濃の国人集をそのまま置いておいたんじゃないの?それか地元の人間とか。
評定で佐久に出陣しないと他の国人集も晴信を軽視して寝返るって忠告してたし。
いや、だから、フィクションなんだってば。>上杉のサク侵攻。
だから、そのフィクションの中での話。
んじゃ、村上義清でFAでしょ。
甲斐と信濃の地形的な制約から、領国化されてない今の段階だと城代って維持するのも難しそうな感じがする
武田家が悪鬼の集団ということが良くわかりました。
頼重のみならず諏訪大社の大祝まで自害に追い込むとはまさに
神をも怖れぬ悪鬼の仕業・・。
なぜフィクションの上杉侵攻という出来事を入れたのかな?
普通に諏訪が晴信を侮っていきなり佐久へ侵攻した、で良いのでは
あと教来石は前回マターリ他の重臣達とお話してたけど、いつの間に戻ったの?
336 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/24(火) 23:05:15.50 ID:1t0rWB5C
信濃守護家は見る影ナシだな。
>>335 気合いをいれた川越合戦しても「管領上杉?ハァ?」にならないように今のうちから上杉上杉言っておいた。
ライト視聴者のための心配り?
>>335 史実に嘘を混ぜた方が、面白くなるからじゃね?
>戦いに敗れた海野棟綱は上野〔こうづけ〕へのがれ、
>失った領地を取り戻すことを願って、上野国の平井城(藤岡市)にいた、
>関東管領の上杉憲政を頼りました。
>上杉憲政も棟綱の乞いを入れて自領復帰のために力を貸すことを約しました。
>上杉憲政軍は、海野氏支援のため、佐久に入りましたが、
>武田・村上軍の出陣の手立てはなく、上杉軍は芦田郷(北佐久郡立科町芦田)を
>荒らしただけで関東へ帰ってしまったのです。
ttp://museum.umic.jp/ikushima/history/shinano-unnodaira.html から引用
・教来石
頼重が降伏した以上、教来石の身柄は、どうしようと武田の勝手。
もとは武田の家臣だから武田で処刑するとでも言えば諏訪勢が口を
出せる状態じゃないだろ。
>>338 ほお、そういう史実があったんだ
もちろん脚本家は調べ済みで参考にしたんだろうね
なるほど〜ありがとう
しかし出兵しても領地を広げる気は全くないんだね上杉は。
あくまでも手伝いで敵が出てこなければ帰っちゃうのか
>>337みたいな理由もありそうだね
教来石、捕まえた方としては渡したくなかったろうね…
佐久の武田駐留軍は、ノブトラ追放の政変が起こった時に、
本国にいないと何が起こっているのかわからないし発言権も確保できないので
甲斐に帰還したらしい。
で、地侍たちは、自分自身が大名化したいと野望を持っている真田みたいな家を除いて
上位権力者による政治的な裁定を必要としているため、関東管領の山内上杉の傘下に入ることにした。
晴信らが気がついた時には、佐久や小県は山内の勢力圏になっていた。
川越で大敗する前の山内上杉は五カ国から兵を動員できる大国なので、
武田はビビッて佐久に兵を入れられなくなった。
しかし、武田はすでに「常にどこかを侵略していないと体制が持たない戦国大名」と化していたので、
仕方なく諏訪に攻め込んだ。
ところが諏訪占領戦争の途中で山内上杉が大敗したため、今度は諏訪を半ば放棄して佐久に攻め込んだ。
すると諏訪の元同盟軍の高遠や連峰軒が挙兵したため、佐久占領を途中放棄して諏訪に軍を戻した。
すると今度は佐久勢が・・・以下延々と繰り返しで、信玄は一生かけて信濃一国に係わりつづけることになる。
秀吉に信玄はバカだと笑われることになる。
>>335 パワーバランス的におかしい(諏訪よりも武田のほうが軍事的には上)のと
明確に「敵」にすると諏訪勢の悲劇が演出できないからだろう。
敵じゃないけど、どうも諏訪は武田を侮ってるなあ・・・邪魔だなあ、ぐらい
の扱いにしたかったんでしょう。
>>340 最後の一行言いたいがために説得力ない長文乙w
343 :
300:2007/04/25(水) 01:06:12.39 ID:4KUUh6fp
皆さんレスありがとうございました。
頼重さんが生き延びる方法はほぼなかったということですね。
武田側が主役だけど今回はつい悲劇的に描かれた諏訪側に感情移入して観てしまいました。
でも時代が時代ですものね。
史実はひとつでも描き方や見方でもイメージって良くも悪くも変わるんですねぇ。
諏訪頼重はまったく何もしていないないよ。
そもそも何かをするだけの軍事力がない。
当時、頼重や大祝の金串を支援していたのは信虎だった。
晴信らが何を考えて諏訪家の解体に乗り出したのかは
当時も今もさっぱりわからない。
いま、大河ドラマ”天と地と”の第50回川中島の戦いを見終わったところ
何だけど、その中で信繁さん諏方大明神の旗を持って討ち死にするとき
”兄上、諏訪殿のところに先に参ります”
みたいなことを言っていたんだけど、これって頼重さんのことなのかな
作家(海音寺)が想像するほど、諏訪ってそんなに大きな存在なのかなあ
諏訪の初代のミナカタ様の骨を全部集めると
神様が復活するんだぜ。
何かの川中島系のドラマで武田の軍に「諏訪神軍」みたいな名前の部隊が出てた覚えがるけど実際に実在したのでしょうか?
そして今回の大河でも登場するとお思いでしょうか?
私が推測するのは彼らは自軍の士気高上で存在する部隊で、いつだったか太鼓を叩いている人らが今回の大河でも登場したのですが
そいうい細かい描写は好きです
諏訪御陣太鼓なら、角川の天と地とや、さいとうたかをの漫画なんかにも出てくる。
武田がピンチになると叩き出して、それを聞くと武田の兵は
「我らには諏訪明神がついているぞ!」と気張りだすようだ。
>>340 一応勢力圏になったというメリットもあったんだね。乱捕りだけして帰ったのかと…
>>344 佐久に侵攻したこともフィクションなんだ。解体した理由付けでフィクション
が入るんだね
信玄が他国から冷血漢みたいに言われてたのって、大祝の諏訪氏を解体という
暴挙に出たからってのもあるのかな
ウィキペディアによれば諏訪氏ってかなり別格の家柄な感じだね
その後、間者でなく武将として活躍する教来石と
諏訪衆の邂逅シーンはあるのかな。
教来石は間者として働いてたんだから捕まるなんて言語道断。捕まる前に死ぬべき。
間者以前に家臣失格。あいつのせいで下手したら諏訪の降伏交渉もあぶなかったんだし。
だから武田家の為に勘助に斬られてもしょうがない。
>>344 つまり具体的な軍隊がないから、残したままでよかったと?
諏訪が一方的に侵略されたのは気の毒だが、晴信にとって動機はあるだろ。
信州に領土拡張したいってことで充分。諏訪の土地は欲しいのだ。
諏訪家安泰で果たして領土だけ取れるものか。取れたとして内政はうまく
いくか。領民にとって頼重という精神的支柱はデカいぞ。排除したほうが
憂いを残さないという計算は分からんではないがな。そのフォローは
勝頼で対処している。
354 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/25(水) 04:07:00.97 ID:f3yvGClR
>>353 いや、でも諏訪を攻めた時点で勝頼は存在していないわけで、諏訪御寮人の存在を晴信が知っていたかも怪しい。
晴信はかなり酷い奴なので、後先のことを考えずに欲だけで諏訪を滅ぼしたんだろ。
355 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/25(水) 06:16:07.89 ID:Gjko0afp
356 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/25(水) 06:25:52.96 ID:nyJZjZW9
寅王丸=諏訪の民の希望の星。諏訪の人心を武田に従わせるための担保。
勝頼が生まれた時点で虎王丸はいなくなっても構わない存在になったのかな。
由布姫が女子しか生まなかったらどうなったろうね。
今夜の「その時歴史が動いた」
▽大奥最後の闘い▽天瑶院篤姫▽江戸城無血開城の立役者
ttp://www.nhk.or.jp/sonotoki/ (ちなみに来年の大河は篤姫が主役です)
江戸城無血開城を陰で導き、江戸の町を戦火から救った
13代将軍徳川家定の正室、天瑶院篤姫に焦点を当てる。
島津家の政治的使命を背負い薩摩から大奥に入った天瑶院だが、
幕末の政治的混乱によりその使命は挫折した。折しも夫の家定は、若くして病死。
大奥の厳しいおきてで夫の死後も故郷に帰れない天瑶院は、
同じく政略結婚の犠牲となって朝廷から嫁いできた和宮を支えることで
大奥をもり立てていこうと決意した。だがそのころには幕府と薩摩藩との関係は
悪化の一途をたどっていた。やがて薩摩藩は朝廷と組んで倒幕に立ち上がり、
京都から大軍勢を率いて江戸城へ進軍。実家の裏切りと嫁ぎ先である幕府との間で
板挟みとなった天瑶院は、西郷隆盛のもとへ命懸けの説得に向かう。
子供の死亡率は高かったので、勝頼誕生後も
保険として扱われたと思う。
実際保険になったし。
最近見始めたのですが、摩莉支天てこの物語でどういう意味があるのですか?
360 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/25(水) 09:27:22.78 ID:SdgWF1So
>>349 諏訪に思い入れのある(信州出身)新田次郎は「武田信玄」で、井上靖と
また違った形で諏訪を大きく取り上げていて、クライマックスの川中島にも
諏訪衆を絡めたいという思いから、諏訪からの部隊が命を顧みず「御諏訪
太鼓」を叩いて劣勢の甲斐軍を鼓舞し続けるというシーンを作った。
大河「武田信玄」を作る際、東京御諏訪太鼓を継承している人たちが
ドラマと提携して、南野湖衣姫を慰めるために演奏するシーンが収録
された際にメンバーが大挙出演、(川中島合戦のシーンでは出なかった
ものの)お茶の間に強烈なインパクトを残す。
ところがこれが気に入らない「自分を謙信の生まれ代わりと信じていた男」
角川春樹は(←大河「天と地と」世代)、自身の映画版でわざわざ諏訪神軍を
画面に出してただやられる役で憂さ晴らしをしている。角川は「信玄」で
大地真央が演じた女武者も気に食わなかったらしく、映画で女武者が全く
意味もなく現れて謙信に鉄砲一発で射殺されるシーンを作っている。
勝負をかけなきゃいけない大作映画でこんな自己満足ばかりやっているから
「蒼き狼」が大コケして「顔面蒼白〜客尽き金果てるまで」などと言われる
ことになるのだ。
361 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/25(水) 09:43:44.56 ID:3M/SmH06
>>359 持つ人が不幸な死に方をする呪いのアイテム
>>350 関東管領出兵時に諏訪頼重が出兵したのはフィクションじゃないぞ。
和議を結んだのも。
ちょっと出典は思い出せないが。
ドラマはその史実を動機付けに使っただけ。
>>359 元服前の晴信が、「かく在りたい」と思った、理想の君主像
364 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/25(水) 10:12:13.54 ID:NOFeCUXl
>>359 摩莉支天(戦の神)→元々、勘助が持ってた
→他人に心を開かない勘助が、唯一と言っていいほど心を許した女性、妻のミツにあげた
→ミツ殺され形見となる→現在、平蔵が持ってる
別のきれいな摩莉支天→晴信が諏訪家に人質として嫁ぐ、妹の禰々の幸せを願ってあげた
→禰々から由布姫へ→勘助、由布姫の摩莉支天を見て、ミツとかぶる
うろ覚えなので間違ってたらすみません。
365 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/25(水) 10:20:02.36 ID:liCQj69U
>>359 勘助が信仰していた戦いの神として信仰していて、ドラマ開始時から勘助はマリシテンペンダントを持って大事にしてた。
しかし、その大事なペンダントを妻のミツにあげた。
この時点で「マリシテンペンダント=勘助」。
が、妻ミツが信虎に惨殺されて、無念の念からマリシテンペンダントを平蔵に渡す。
しかし、この時点から大体
「マリシテンペンダント=妻ミツ(との思い出)」となる。
由衣姫がもっていたのは、晴信がミツのマリシテンペンダントを見て作ったレプリカで、
妹ねねに渡したものを、姫がもらったもの。
正直、「ペンダントをみてミツを思い出す」ための、逆算した偶然というかご都合主義な展開ともいえる。
>>362 正確に言うと。
関東管領出兵して諏訪頼重も出兵したのは史実だが、
それは信虎追放以前(直前)であり、時間的にはフィクション。
>347
妖魔夜行リプレイ(w
>>361,363,364,365
何となくわかりました、どうもありがとう
最近見始めたのだけど、
・平蔵と勘助ってどういう関係なの?
・教来石の読み方は「きょうらいせき」でいいの?
・DVDは出てないみたいだけど(出る予定も無い?)
・これまでの内容を知るための何かオススメアイテムはある?
よろしくお願いしますm(__)m
文章の切り方間違えたorz
・DVDは出てないみたいだけど(出る予定も無い?)
これまでの内容を知るための何かオススメアイテムはある?
>>370 おお!ありがとう!
ちなみに、
>平蔵と勘助ってどういう関係なの?→元恋のライバル(平蔵が片思いしてた相手が勘助に惚れた)
この相手ってのが妻のミツって事だよね?
侍大好き♪ 農民?( ´,_ゝ`)プッ って感じです。
>373
は?
初回から見てないの? 373じゃないが分かるだろ。ミツの好きな男への
スタンスだよ。
>368
ノベライズ本を読めばよくわかる。
■NHK大河ドラマ 風林火山 一. 風の巻
■大河ドラマ 風林火山 二. 林の巻
青木が乱捕りの際、みつを襲うところをかんしゅけ!!が助ける・・・・
これもかんしゅけの策だったら笑えるw
そして村で板垣にちょっかいだして覚えてもらうのも、すべて計算済み!!
青木はミツを襲ってないだろ
赤部下野守(寺島進)だったorz
>>365 >無念の念からマリシテンペンダントを平蔵に渡す。
勘助がミツの墓の上に置いて村を去った後
平蔵が勝手に持っていったんじゃなかったっけ
383 :
382 :2007/04/25(水) 22:06:39.58 ID:QR4drEF+
いや待てよ、勘助が見てる前で平蔵が持っていったんだったか
勘助は黙認していた→勘助が平蔵に渡したと言えなくもないな
384 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/26(木) 00:57:17.85 ID:NEBwVu1Z
マリシテンダントって何ですか?
鬼武者の中ボスの名前
>>365 >由衣姫がもっていたのは、晴信がミツのマリシテンペンダントを見て作ったレプリカ
この辺りの回を見ていないので質問させていただきます
ミツは殺される前から晴信と知り合いだったのですか?
父が殺してしまった娘のお守りのレプリカを作って、人質になる妹に渡すのは縁起が悪くないのでしょうか
>>386 2話で晴信(子役の勝千代だったけど)は勘助が殺した赤部の死体を検分しに
葛笠村近辺に来ててミツとも会話している。
その時に摩利支天のペンダントに興味を持った様子だった。
禰々にあげた摩利支天ペンダントを晴信がどうやって手に入れたのか描写がなく
どこかの寺から取り寄せたのか、有名な仏師にでも作らせたのか
晴信の手作りグッズなのか本当のところは定かじゃない。
でも普通の仏像型じゃなくペンダント型にしたのは、ミツのが印象に残ってたからだろうね。
388 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/26(木) 07:08:32.89 ID:jn6y2Bhg
>>386 >2話で晴信(子役の勝千代だったけど)は勘助が殺した赤部の死体を検分しに
>葛笠村近辺に来ててミツとも会話している。
この後、晴信はミツを側室にしようとしてる。
でも、子供が腹にいる(勘助の子とは知らず)として辞めた。
まあ、マリシテンペンダントのレプリカをあげたのは、
由衣姫の手に渡ってミツの幻影をみせるための脚本家の都合と思ったほうがいいよ。
>>384 丸い、まさにペンダントようなマリシテンって神様が彫ってあるもの。
経緯は過去レスよんでくれ。
>>386 >父が殺してしまった娘のお守りのレプリカを作って、人質になる妹に渡すのは縁起が悪くないのでしょうか
結局は信虎に殺されてしまうのですが、信虎が最初に射掛けた矢は摩利支天の御守りに命中しミツは死ななかった
おそらくその様子を見ていた晴信は摩利支天のただならぬ功徳を感じたのに違いないとおもわれます
陽炎のように実態がなく小さくて素早く動き傷つけられることがない
晴信と勘助の大好きな孫子の兵法の奥義にも通じる神様ですね
また常に太陽(不動明王のごとき信玄)の前を進みその威光を届ける
陽炎、月影ってまんま勘助のようです
>>386 摩利支天について、最初の頃を見てないのでアレなんですが、
たまたま見かけたから、簡単にレプリカ作って渡すような物ではないと思う。
摩利支天は光の化身→捕らえられない(他色んな理屈)ということで、
それこそ鎌倉時代から武士にとって大切な守護神。
ああいう小像を武士がお守りとして戦に持って行くことは珍しい話ではないと思う。
村娘が持っているのは不思議。
どっかの寺から取り寄せて妹に渡したのだろうけど、その意味は脚本家の人に聞いてみないと何ともかとも。
リロってなかったから微妙にかぶってしまった。済みません。
何にしろ摩利支天は武士にとっては、戦国時代よりズーーーット前から守護者と
見なされていたと。
394 :
390:2007/04/26(木) 12:09:27.89 ID:wglUgzKE
付け足すと身体が不自由でまともに戦ったら勝ち目のない勘助だからこそ
摩利支天や孫子にシンパシーを感じているのだともいえるのでは
さすがに大森脚本、小道具もいい使い方するなあと感心してます
諏訪頼重は禰々を正室に迎えて以降は、側室を一切置かなかったのでしょうか。
万一側室がいたとすると、前回描かれた二人の仲睦まじさも興ざめ(現代の価値観では)。
>>395 信玄の側室となった娘を産んだ小見(麻績)氏、
そしてねね。
これ以外の女性の「記録」は残っていないはず。
>>396 ありがとうございます。安心しました。
ウィキペディアによると、禰々との婚姻以前に迎えた側室の小見(麻績)氏(由布姫の母)の
没年は不明となってるけど、ドラマでは頼重が諏訪に来た禰々に由布姫を紹介する際、
「由布姫の母はすでに亡くなった」とか言ってませんでしたっけ?
禰々に由布姫を紹介するシーンなんてあったっけ?
諏訪ちゃん老けてるけどまだ27歳だったもんね。ネネも16歳。
天寿まっとうしてたらあと2,3人いてもおかしくない。
あ、信虎に由布姫を紹介するシーンだったかな
あのシーンは苦労した
>>397 >「すでに亡くなった」
そう台詞があるなら、ドラマ上はそれでいいんだよ。
ドラマ上はそういう設定なんだよ、きっと。
麻績(小見氏)氏は勝頼に保護されて長生きしている。
それは残されてる書状から確かなことだ
(メンドくさなので、その書状の詳細は略す)
しかし、天正十年以降、どこでいつ死んだかは不明。
それと、wikiにはまるでガゼの情報や大嘘も詰まっている。
小説ネタを事実のように書く奴もいる。
全面的に信用しないほうがイイ・・・と思う。
403 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/26(木) 17:27:21.96 ID:e2t9R+NM
今川義元って信虎の事を義理の父(舅)と呼んでたけど
晴信の姉ちゃんが嫁いだのかな?
ドラマの中では出てきてないよね。何て人なのでしょう…
404 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/26(木) 18:01:42.85 ID:IVhOcfS3
孫子も足が無かったんじゃないかな?
ライバルに陥れられて刑罰を受けた
足がなかったのは孫子を書いた孫武の子孫の孫?
「?」の字は膝のお皿のとこから下を切る刑罰の名前と
漫画で読んだことがあるなあ。
>>404 足を切られたのは、孫武ではなく、
子孫の孫月賓(ピン)の方ね。
いわゆる『孫子』は孫武の作。
>>405 手塚治虫監修の『中国の歴史』かな?w
確か、一番最初がこの話だった。
408 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/26(木) 18:42:39.66 ID:Z4949qkU
>>403 定恵院といって、信虎に看取られて32歳で駿河で亡くなる。
駿河での信虎の相手はこの定恵院がしていたらしい。
定恵院と吉本の婚姻が切欠で北条と今川が戦をおこし、
定恵院の死が切欠で今川と同盟を強めるために、
三国同盟の切欠になる、今川娘の嶺松院と義信の婚姻が結ばれた。
まあ、そうすると従兄弟同士の結婚になるわけだな。
409 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/26(木) 18:57:13.05 ID:4fP/tfjA
初歩的なことかもしれませんが、「ゴリさん」という用語はどういう意味ですか?
>>409 竜雷太氏が演じた『太陽にほえろ!」石塚誠刑事のあだ名。
甘利役の竜雷太氏のこと
伝説の刑事ドラマ「太陽にほえろ!」で氏が演じていた石塚刑事のニックネーム
ちなみに「ゴリラ」ではなく「ゴリ押し」のゴリ
そうか、ゴリさんを知らないのか。もうそんな昔か。役フルネーム
出てくる410も凄いけどw
そういう時は色んな世代が風林を観てると思えばいいずら。
>>402 すんません、某サイトで第9回を確認視聴したら、由布姫の母が死んだとは
誰も言っていなかった。
でも、生きているという設定だと、劇中で由布姫がまったく母親に言及しない
のも不自然なような気がする。
海ノ口攻めの回を見返したけど、ミル姫は無事に逃げ延びたのですか?
後に登場するのですか?
>>387、388、390、391、393
遅くなってすみません、みなさん詳しくありがとうございました
晴信の子供時代から勘助との因縁めいたものがあったんですね
ミツといい摩利支天といい由布姫といい…二人の魂の通う部分を感じます
摩利支天が陽炎を意味することも知りませんでした
細やかな演出が気持ち良いですね
417=386でした
>>416 公式サイトに、勘助と意外な形で再会とある。
海野口からは、大井なにがしかが自害を止めて連れ出した。
大井の城も後の三者連合(信虎・村上・諏訪)攻撃で恐らく落城
しているので、そこからも落ち延びたのだろう。
>>402 小見夫人(お大方)は我が地区(長野県茅野市)に墓があるよ。
手元の本から抜粋
1/3
我が地区のある家の過去帳に没年月日が不明の謎の仏様が二人いた。
一方、寺の裏の墓地に「高貴の方の墓」として語り継がれている
家型の石塔が有り、これも由緒不明で謎だった。
昭和63年、大河ドラマ「武田信玄」ブームのなか
たまたま、この墓のことが東筑摩郡朝日村古見に伝わった。
ここでは「勝頼の祖母は新府城を出たものの、故郷古見に帰れぬまま、
八ヶ岳の裾野のどこかで亡くなった」と言う伝承が有った。
調査の結果、謎の仏様は「お大方とその侍女」で間違えがないと判断された。
つづく
2/3
天正10年、勝頼が新府城退去の際、
お大方は生まれ故郷に帰りたいと申し出て、
勝頼の一行と別れて八ヶ岳山麓の道を諏訪の地に入った。
しかし、織田軍の勢力下になっており、
ようやく信玄の家臣が開基した寺へ逃げ込んだが
家臣はすでになく、その息子は身の危険を感じて逃避しており寺は無住。
しかたなく寺隣の家に身を寄せたが、故郷に帰れぬまま
この地で他界し、侍女と共に墓地に葬られた。
つづく
422 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/27(金) 01:08:08.76 ID:yiNMwY30
>>411 > ちなみに「ゴリラ」ではなく「ゴリ押し」のゴリ
風林に関係ないところで目から鱗が落ちたw
3/3
昭和63年5月30日、お大方の意思をかなえてやろうと、
元古見城主、上条佐渡守の子孫ならびに関係者から
分骨の申し込みが有り同意。
県当局の「該当は歴史上の人物故慎重に、そして添え状をつけること」
の指導を受け、7月10日に分骨し法要を執り行い、
朝日村古見の上条佐渡守の室(お大方の妹)の眠る墓地に埋葬された。
おわり
424 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/27(金) 01:47:46.16 ID:xCqFOy79
>>423 情報ありがとう。このスレは本当に勉強になります。
426 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/27(金) 07:26:18.91 ID:DXkoQpLv
>>419 一回だけの出演にしては扱いが丁寧だなと感じていました。
楽しみです。
ありがとうございました。
美瑠姫を助け出したのは相木です。
ぶっちゃけ、由布姫より美瑠姫のほうが可愛い。
ミル姫って誰?中の人はどんな人?
高坂弾正って宦官でちむちむ切られたってほんとなの?腐女子向き?
そもそも日本に宦官の習慣ねーし。
434 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/27(金) 15:50:17.69 ID:dDYj5vhe
>>432 うそ。
シナ皇帝での宮中の慣習だから、日本で宦官をやった事例はない。
加えて、嫡男も二人いますからね。
そなんですかーありがとございますぅ。
由布姫の鼻の穴が気になるんだけど
ヒクヒクさせるし
437 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/27(金) 20:25:00.59 ID:Mo2aBkEr
438 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/28(土) 00:10:12.67 ID:jWs8ZlIG
これまで大河なんて見たこともなかったのですが、仕事の関係で録画したのがきっかけで
見事にはまってしまいもうした。
忘れもせぬ「晴信初陣」の回でございます。
さて、DVD化されるのを今から心待ちにしておるのですが、フルハイビジョンで発売されるのでしょうか?
その場合、メディアは何になると思いますか?
それによって、購入する再生機を何にするか決めねばならないので・・・
あ、でもその前にTV本体を買い換えねばですが。
大井夫人より三条夫人のほうが偉そうですよね 確かに公家出身の三条夫人のほうが格上だと思うんですが、仮にも姑に 事ある毎に意見するっていうのは…有り得るんですか?
>>439 現在の当主の妻ともう引退してる追放された先代の妻だという事を考えれば別におかしくない。
勿論各人の性格もあると思うが。
奥の責任者は現当主正室の三条だしね。
>>438 DVDが出てからでも機器購入は遅くなかろう。
海外ではブルーレイとHDのコンパチが出てるらしいから
それを待つのも手であろう。
ちなみにTV買い替えは必須ではない。
板垣の兜の上に止まっている「とんぼ」ですが、何で「とんぼ」が止まっているんですか?
千葉ちゃんが可愛くみえるんですが。
445 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/28(土) 08:08:40.11 ID:bVakYagk
ほぼ日刊イトイ新聞 - 虫博士たち。
http://www.1101.com/dr_insect/2006-01-01.html >トンボ
>勝虫(かちむし)とも呼ばれ、
昔から縁起の良い虫とされているトンボ。
その言われは、雄略天皇(在位456年〜479年頃)が、
吉野に狩に出かけた時、腕を刺したアブを
トンボがくわえて飛び去った故事から、
強い虫、縁起の良い虫ということで勝虫と呼ばれ、
兜の前立てや武具に用いられたということです。
また、前へ前へと飛び、後ろに下がらないことからも、
勇猛果敢で勝負強い虫として、勝利を呼ぶ虫と
言われていたりもするようです。
>>445 おお!なるほどそんな縁起を担いでたのでしたか!
有難うございます。
さすが大河〜細かいなあ
>>444 そうそう!
合戦の真剣な場面でも千葉ちゃんのトンボ見るとプッ!
となってしまう。
癒されてます。
448 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/28(土) 14:14:51.10 ID:+8NJ0r57
黒澤明の『影武者』で、ほとんど本邦初公開の「西洋(南蛮)鎧」を
身にまとった信長(隆大介)が長篠に姿を現しますが、その時、南蛮
兜の前立てにこの「トンボ」をつけていたのがずいぶん評判を呼んだ
もので、以後マンガなどでもよく使われメジャーになりました。
しかし黒澤映画においてはトンボの歴史は古く『蜘蛛巣城』(1957年)
ですでにでっかいトンボをつけている武将が目立っています。
黒澤明は「あれはあの通りのデザインがあったんだよ。前立ては実際に
あるものを基本にして作ってるんだけども、多くは壊れやすくて残って
ないんだ。兜は残っても取れちゃって現存してない」と言ってますね。
449 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/28(土) 16:36:51.48 ID:XrZkor3n
じゃあ、かんすけの
頭飾りは何?
>>449 今は槍の穂先
初回のは「山」の字を図案化したもの
452 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/28(土) 16:45:42.14 ID:XrZkor3n
ありがと!
なんかザクについてるものかと
おもったよ!
453 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/28(土) 16:57:17.61 ID:XrZkor3n
甲冑氏?とかに発注してるんだろうか
意匠とかもかんすけ自身がデザインしてるんだろうな
きっと・・・
ちょいワル親父を気取るおっさんみたいに
当時のファッション誌?なんかを
捲りながら、デザインしたんだと妄想してみる。
再来年に備えて「どんど晴れ」を見てみたのですが全く面白くありません。
どうすればいいですか?
455 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/28(土) 18:44:31.55 ID:2QTd/zs4
>>454 今を楽しめ。
来年のことをいうと鬼が笑うぞ、
再来年のことなんか考えるな!!
456 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/28(土) 19:06:35.03 ID:vop8oGvx
>>453 いや、でも一応板垣様より派手なのはマズイとか、色々しがらみがありそうだ。
457 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/28(土) 19:07:43.92 ID:BIYHxdN1
だいたいの感じでいいんですが
勘助が川中島で死ぬところで終わると仮定して
その年と、由布姫が死去する年は、何年ぐらい開きがあるのでしょうか?
基本的に由布姫は途中退場なんでしょうか?
由布姫死去は1555年、勘助が死ぬのは1561年
由布姫は途中退場ではあるけど、11月ぐらいまで出るんじゃないのかな。
>>452 隊長機のツノかよ!!
おまけにモノアイだしなw
460 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/28(土) 21:47:23.92 ID:nUmQBrqv
質問です。
諏訪頼重の辞世の句の意味を、教えて下さいm(__)m
おのづから枯れ果てにけり草の葉の 主あらばこそ又も結ばめ
>>460 どっかのブログの受け売りだけど・・・
「私の身はこのようにあえなくなってしまいますが、主(種と掛けてる)が残っていればまた草葉が茂ることであろう」
すなわち私(頼重)が死んでも種(寅王丸)が居るのできっとまた諏訪家は栄えるはずだという意味。
462 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/28(土) 21:59:17.29 ID:nUmQBrqv
後ろ盾になってくれる「主」(=武田晴信)がいれば、枯れ草(諏訪)も
また葉を結ぶ(寅王が再興する)こともできるだろうから、ここは
怨みはあっても晴信に逆らわないでおとなしくいう事を聞いていろ、
という含みも持たせているかもね。
とんぼってそんな意味があったんだ。勉強になるね〜板垣は着物もトンボ柄
で可愛い(いつも同じ白いのしか着せてもらってないけどw)
諏訪について調べたら武家の中では相当格式の高い家柄とされてたようだけど、
正室・側室という立場を抜いて武家的な感覚で考えても、やはり公家の名門出身の
三条夫人のほうが身分は上という感覚なのかな
>>465 身分だけなら公家の姫>>>>>>>>>>>>>>武家の名門の姫だろう。
>>465 いや、板垣の蜻蛉柄は色違いで白地、黒地、青地の3色を確認。
意外におしゃれさんだw
『武田信玄』で、宇津井さんが演じていた上杉方の武将って誰で、『風林火山』では誰が演じるのでしょう?
『武田信玄』では、謙信の一番の腹心みたいな描かれ方だった記憶があって、気になってます。(史実はどうなのか知らないので、今回も同じポジションなのかも気になります)
>>469 直江景綱。
軍事ではなく内政や外交面での腹心
風林火山では誰が演じるかわからんし登場するかも分からん。
471 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/29(日) 07:19:49.14 ID:Tx6TlCNy
>>465 当時は同じ柄で何着か作るのが普通だから、板垣の蜻蛉柄の着物も複数枚あるんじゃね?
今のように大量生産じゃないし、まして蜻蛉柄なんて板垣のフルオーダーだろうし。
473 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/29(日) 12:30:51.53 ID:0llT5MpE
┌──┐
│掠疾│
│如如│
│火風│
│不徐│
│動如│
│如林│
│山侵│
└──┤
│ キコキコ
/■ヽ┤ /■ヽ
(・∀・) |(・∀・)
| ̄ ̄ ̄|-□|( O┬O
` ̄◎ ̄ ≡◎-ヽJ┴◎
474 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/29(日) 14:33:54.34 ID:HuJmMd52
>>465 ところがどっこい諏訪大社は古来国内最高ランクの神社で、
その大祝は祭神の神託により、身体に神が宿るとされ代々、
正一位の神階を継承してきたそうな。
よって全く遜色なし。
むしろ歴史の古さと本来の家格では諏訪氏の方が上。
出雲国造家みたいなもんか
>>474 その格式って地方レベルじゃなく全国レベルだったの?
477 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/29(日) 17:38:34.43 ID:FyrWRtUr
正一位が正式な受任ならそうだけど・・・まあ違うからねぇ
実際諏訪頼重は腹切ってるわけだし
まあ信者には崇められるだろうけど、そうでない奴にはそれ程でもないだろ
神社の格式も諏訪大社は官幣大社・信濃一宮だけど、要は三嶋大社とか浅間神社とかと同格。
それほど絶対的な格式じゃない。
ただ特殊なのは諏訪の場合は神主(大祝)=領主なことで、これは日本全国余り例がない。
近い例で本願寺といったところか。
まあ一向宗と神道じゃあ帰依の度合いも違うから、全国的な影響は段違いに諏訪は小さいよ。
当時の甲斐では、諏訪家は京の名門に負けず劣らずの家柄という認識って感じか
479 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/29(日) 18:40:28.98 ID:tc+nfkGj
>>476 現在、諏訪神社の数は全国に一万と言われ、
戦国当時でも相当の数の諏訪神社が存在した。
地図で検索かけると、自分の住んでる地域にも諏訪神社が意外とあったりする。
京の名門っていうより「天皇家より古い血統」を売りにしていた
家系だからねえ。天皇家もシーボルトやペリーに「関西の一部
地域にのみ残る土俗宗教」とまで言われていた時代もあるわけで、
諏訪もやっぱり神聖にして侵すべからざる存在だったんだろう。
時代が悪かったというべきか、先代(祖父)が有能すぎて時代に
深入りしすぎたというべきか。
武田の攻略ポイントは、1に諏訪神社、2に善光寺、3に直江津
だったというのは、「戦国時代ってのは農地を争っているだけ」
という古い考えではピンと来ない考え方なんだろうな。
神主の武士化は結構ある
482 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/29(日) 19:31:00.34 ID:7orghXzs
勘助ってドラマ見ている限りでは、
あまり有能な軍師に見えないけど、
本当のところはどんなもんだったんでしょうか?
竹中半べえより有能?
ヒサ様>>>>>>由布姫
諏訪家の歴史
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/suwa_k.html 諏訪神社の力って相当強かったから、晴信も欲しかったんじゃないの。
信濃一国が奉仕してたからね、人とか金品が半端じゃなかったらしい、
頼重も神長官に借金するぐらいw
戦国期はパワーダウンしてたみたいだけどね。
それに信濃のいろんな情報を把握していたから。
晴信も諏訪を手に入れてから信濃の武将に
「俺のバックには神様が付いてるんだけど、負けとこうよ」
みたいなこと言ってるし。
>>469 直江景綱は外交、内政の人と思われがちだが、天正三年上杉軍役帳では
景勝、山吉豊守に次いでNO.3の動員力を持っていたりする。
また信長が必死こいて謙信の御機嫌取ってる時期、直接景綱宛てに洛中洛外図屏風(国宝)を
送ったりしてるんで、家中序列はそこそこなものの、内外の実力は相当なもの。
ドラマに出てくるなら間違いなく腹心だね。
ちなみに軍記の川中島合戦では荷駄奉行なんでイマイチ地味。
486 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/29(日) 22:10:09.24 ID:JkK8BW0V
>>482 かんしゅけは、ほとんど架空の人物だから
487 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/29(日) 23:37:03.68 ID:jBWzR2G0
板垣の兜に止まっている黄金に輝くトンボ。
あれは大きさといい、風格といい、絶対に銀ヤンマだ。
竹中半兵衛もほとんど架空の戦歴だし。
軍記物にまつわる史実は暴露ものの感覚で楽しまないと辛いよ。
ふう・・・・
宮地直一「諏訪史」
藤森栄一「諏訪大社」
金井美典「諏訪信仰史」
信州の古代祭祀、土着神、ミシャグチ神、龍蛇神、
風の神、狩りの神、タケミナカタ神と古事記神話
これらの説明が済んだうえでないと諏訪氏は語りえないし、
金刺家や高遠家や守屋家が絡み、祭祀と武力と統治が絡む。
諏訪社の歴史と信仰史を語るのは実はすごく大変。
そのぶん面白いんだけど、時おり整理がつかなくなる。
神氏の末裔を称する家であることは相違ないけど
477氏や480氏のような見方が妥当な気がする。
転法輪三条家と比較・・・という事もするもんじゃないな。
>>489 これも追加しといて
細田貴助「守矢文書を読むT・U」
↑ 守矢を知っとるとは、キサン、諏訪市民だな?
微妙な立場だね、諏訪氏って
すごい成り立ちでいて正式な受任はなかったり
しかしいくら格式が高くても俗世の権力に近づくと滅ぼされることもあるってことか
政治ってのは生半可にはできないね
色々教えてくれてありがとう
>>480 そのポイント見てると天下取ったのが織田ってのは分かる気がするね
>>491 諏訪社のことを書いた本には普通に出てくるよ、
守屋氏も、歴史書には守屋文書も。
ついでに、諏訪市立博物館の前庭の足湯は良いよね。
>>491 不正解!隣の市だ。
地元民て意外と地元の歴史とか信仰に興味ない人が多いんだよね。
阿蘇神社大宮司の阿蘇氏や宗像大社大宮司の宗像氏なんかが
似たような立ち位置だったのかな?
ここ数回晴信の近習としてチラ写りしてるのは源四郎&源五郎(山県&香坂)ですが、前までいた駒井はどうなったんですか?
今回晴信が諏訪桑原(上原?)城待機で駒井っていっていたのは同一人物ですか?もしそうだったら出世したことになるのかなあ…
497 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/30(月) 07:58:44.56 ID:WLrOYq4O
>>495 まあそういうこと。
その土地ローカルの権威だね。
天皇家の権威が日本国内に及んでいたのに対し、諏訪家は諏訪地方限定。
しかも絶対的なものではないし。
× 諏訪家は諏訪地方限定。
天皇家の「権威」と比べるのはちと気の毒だと思うが、諏訪大社が出雲大社と並ぶ
日本で最も古い神社であることは確かです。
その権威が少なくとも信濃国全土に及んでいたことは確かだし、権威とは違うが
諏訪信仰自体は日本中に広まっていて、分社が全国に1万社以上もあることを
考えれば、その影響力は
>>497が言うほど、そう侮れるものでもない。
信濃全土を攻略しようとしていた晴信が、この権威をどうしても手に入れたかった
ことを考えれば諏訪明神のご加護は絶大だったんでしょうね。
ちなみに、諏訪と善光寺は、信濃の国の二大商業圏でもあった。
尾張では熱田が最大の商業圏だし、
大坂の門前町は日本最大の市場(イエズス会調べ)で、
中世日本では、僧兵や神人が治安維持をしてくれる宗教都市は
安全に商売の出来る場所だった。
ちなみに瀬戸内海の海賊も、大三島という「日本総鎮守」に使える下級神官でもある。
中世の武力集団と宗教の関係は、けっこう複雑に絡みついてる。
>>498 天皇家のような権威はなかったのだが、天皇家より古いと
言われる家系と神の末裔としての神格を持ち合わせていた。
これが武田の軍事力と結びついて強大な影響力を持っていた。
>>496 ドラマ上は同一人物だろう。
駒井はああ見えても元々かなりの地位の人だよ。
今で言えば「事務方のトップ」というか。
502 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/30(月) 11:37:06.68 ID:f4gmTBOw
質問です。
諏訪のだんな様にあの場面で脇差しを賜るという事は、平蔵は下人からお侍さんに出世した、と考えていいのでしょうか?
503 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/30(月) 12:41:34.36 ID:Ms221t75
>>502 それどころか矢崎家(ヒサの実家)の跡取りにするということ。
504 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/30(月) 12:47:23.16 ID:vtvGirbw
確か、板垣が、河原村伝兵衛(当時、伝助)に脇差を渡していたな。
駒井は数話前にすでに武田家家臣とテロップで紹介されていたよ。
506 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/30(月) 13:15:17.32 ID:1VgfCl/6
新田次郎著の「武田信玄」では、駒井は甘利・板垣の両職の次に位置するとのこと。
507 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/30(月) 13:20:55.70 ID:ukznIc4S
川原伝兵衛という人物も実際いたようだね。
今大河では駒井は若い側近だが、調べると生没年未詳なんだな
信虎の代から仕える重臣であることには違いないみたいだけど
>>498 他の社家と違ってただの神官じゃないからね
大祝=建御名方で現人神
全国1万社の祭っている神様そのものだから。
ちなみに頼重も5歳〜14歳まで大祝職に就いている。
諏訪はすごいと思う人には神と同じぐらいすごくて
そうでもない人にはそこそこの評価ってことか。
宗教関係ってそういうものだし。
>>502 与える俸禄とかはないが正式に家来、
くらいの意味だと思う。
ドラマでは「先に裏切ったのは諏訪」というのが大義名分になってましたが、
あれ(関東管領と勝手に和睦)は史実ですか?
諏訪家の内紛に乗じた武田が一方的に攻め込んだんだとばかり思っていたのですが。
あと、寅王丸ってこの後どうなるの?
513 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/30(月) 18:30:14.38 ID:TRPDb3Ap
>>512 勝手に和睦したのは不明ですが、
関東管領と諏訪氏があのように攻められて和睦はした。
ただし、これは晴信が信虎追放する直前で、時間的にはオリジナル。
寅王丸がどうなったかは諸説あるが不明。
平蔵>>みつやん?誰それ?農民の娘? ( ´,_ゝ`)プッ おいらは武家のおなごが好きや。
これに限らず主役側に都合の良い脚色をするのは良くあることだよね。
史実どおり、武田の一方的な侵略をドラマ化すると、視聴者が反武田の
方向に振れてしまい、ドラマ的には非常にマズくなるわけでね。
516 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/30(月) 18:41:29.10 ID:OffMsEBa
反武田に振れるにはあれでもう充分な気が
517 :
日曜8時の名無しさん:2007/04/30(月) 19:43:07.89 ID:AzeyEAJn
実際は何の落ち度もなかった諏訪氏を奇襲して滅ぼしてるわけで・・・
同盟破り、しかも妹婿を切腹に追い込んでる。
まさに義理も道義も無い鬼畜の所行。
同盟相手の諏訪を突如奇襲
↓
妹婿の諏訪頼重切腹
↓
禰々死亡
↓
嬰児の寅王丸殺害
↓
諏訪領完全占領
信虎vs諏訪
↓
信虎攻め切れず、諏訪と同盟
↓
信虎+諏訪+村上、共同で佐久を攻める
↓
信虎追放 関東管領上杉が佐久へ援軍の送るも遅すぎ(信虎追放と佐久援軍はどっちが先か不明。同年の出来事らしい?)
↓
晴信の諏訪攻め(名分としては諏訪家の内紛(200年くらいやってる)の調停のため)
史実の時系列的にはこんな感じ?
正邪論を置いとけば、ドラマとしてはよくまとめたと思う。
520 :
512:2007/04/30(月) 20:27:20.19 ID:Jw+Fmhc0
みなさん、どうもありがとう。
そうですか、やはりかなりの脚色があったわけですね。
ドラマだからある程度のフィクションは仕方ないのかもしれないけど、
歴史的事実は出来る限り忠実に伝えて欲しいなぁ。
最低でも、「史実では〜」みたいなのを
風林火山紀行(だっけ?ラストの解説コーナー)で説明して欲しい。
あれじゃ、諏訪頼重があまりにかわいそうだ。
主役の美化と言えば、組!は酷かったね。
近藤が殺したやつ全部芹沢その他の仕業になってたし。
>>520 関東管領上杉が佐久へ援軍の送った記録はあるんだけど、どういった処理をして引き上げたかは不明瞭。
だから今回のドラマのような解釈が成り立たないわけではないのよ。
まぁ、村上がどうしてるのか?というのに意図的に目をつぶってるけど。
ドラマ制作で地元の協力を得る以上、武田を悪く描けないから。
>>520 それ言い出すと大河ドラマ作れないからwww
>近藤が殺したやつ全部芹沢その他の仕業になってたし。
組!の話はスレチガイだが確実な資料が無い限り捏造とはいえない。
ドラマの設定に限らず、歴史書だって勝者の論理で書かれたねつ造ばかりだよ。
ただ実際となると武田の場合、同盟国を騙した汚い奴ということで他国の不信感を
買って激しい抵抗を受けた為、信濃攻略にえらく時間がかかってる。
地元の人は別として、騙まし討ちって日本人の道徳観に合わないんだよね。
>>524 武田が信濃攻略で手間取るのは佐久で虐殺をやらかすから。
諏訪は勝頼を立てることによって地元の土豪はあらかた武田に帰順してる。
武田は信用できない風評立つのは桶狭間以降の今川に対する浸透策のせいでしょ。
侵略者が道徳に反することを口に出して正当化しちゃあ駄目。引け目を感じてもらわんと…
そういえば、同盟国今川に対しても酷いことしてるんだねー。
諏訪頼重公は武田晴信に謀殺されたと、まあそういうことだね。
同盟国を突然侵略し、実妹の亭主を切腹に追い込むのだから
相当腹黒いわな、晴信という男は。
しかも頼重の娘を側室にするというのはまともな神経の持ち主
とは思えん。
>>525 武田に下ったのは生き延びるため、子孫を絶やさないためであって
選択肢はなかったし、喜んで従ったわけではないでしょう。
それをさも当たり前のように加害者側が言うと反感を買います。
戦国の価値観では当然だったとしても、それは暗黙の了解であり、
現代人がそれを美化すると「盗人猛々しい」と、こうなります。
うーん、このスレは勉強になるなぁ
そりゃ養父を殺した斎藤義龍に勝てない信長ちゃん。
いらいらしてきて一向宗を皆殺し。
実父を追放した晴信、志賀で皆殺し。
宇喜田直家、毛利元就、北条早雲、伊達政宗。
>>528 そもそも諏訪氏が戦国大名化する過程にあっては周りの豪族を打ち平らげているわけで。
義や忠を語る場合でもどこまで遡るかという問題はあるんですよ。
で、諏訪恩顧の豪族、諏訪の家来筋の豪族が武田に士官するに当たっては、諏訪時代の
功名を言い立てて少しでも知行地を増やそうとしてるわけで、まぁ、単純に善悪では語れな
いですね。
スレ違いなことばっか。
史実では由布姫って勘助より先に死ぬんじゃなかった?
確かに諏訪御寮人は山本勘助より先に死ぬけど
それがどうかした?
今日の高遠が寺? を本陣に反乱を起こしたのはマジ話ですか?
諏訪の件もあるので一応確認したかったのです。高遠城にいたのに
難癖つけて滅ぼしたのが史実、ということもあるかとw
>>536 諏訪攻めの後始末でもめて高遠頼継が諏訪に侵攻して来て
安国寺合戦が起きたのは一応史実です
駒井とか甲陽軍艦では悪者の長坂とかが活躍した話が残ってるな
>>532 「加害者側」が開き直っちゃ駄目という「極当たり前」の事を言ってるだけだがね。
戦国時代のものさしでは、武田が勝者なんだから、勝者が懐の広さを見せろよ。
物分りが悪いんだな。そういう抗弁を美化というんだよ。
>>537 ありがとう。そうか、今回は本当に高遠から動いたんだね。
武田にとっては逆にやりやすかったかもしれんね。寅王丸にしろのちの
勝頼にしろ、武田系の後継者以外は排除したかったんだろうから。
540 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/01(火) 07:58:59.93 ID:9DezygYf
戦国大名=現在の暴力団、だと思えばいいよ。
やってることやメンタリティはほぼ同一。
それを美化して描写しようとするとすると、色々と創作・脚色する必要が出る。
今回の諏訪攻めも諏訪側に何らかの落ち度を設定しないと、武田が悪者になる。
その辺は脚本家の腕の見せ所。
541 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/01(火) 08:02:45.79 ID:9DezygYf
>>539 いや、だから高遠から動いた、というのはあくまで武田側から見た歴史。
何故諏訪攻めの後始末で揉めたのか?
武田が約定を破ったり、挑発した可能性もあるわけだ。
その辺の武田側に都合が悪い歴史は残っていないということ。
>>540 だからさ、ループしてるようだけど、現在になっても尚攻めた方が
「アレは攻められた方に落ち度があって、こちらに非はない。」
と口に出して言ってしまうから問題だって話じゃないの?
当時の感覚では普通だった事も、今の感覚では非道なんだから
やられた方を刺激するような発言は慎むべきだと思うよ。
武田に思い入れがある人達の特徴として、当時は勝ち組だった
はずなのに、言ってる事がとっても小者臭いのよね。
勝ち組が言う必要のない敵の悪口なんて言ってるから鼻につく。
「小賢しくないから敗けた」諏訪殿の方に「敗者の美学」を
感じるよ。
織田オタは敵を滅ぼす度にいちいち女々しい言い訳をしたりしないわなw
悪逆非道の何が悪いと大きく構えて黙ってるわな。武田オタ小物すぎw
信玄のファンは、なぜか信玄に「王道」を見ている。
「織田や徳川は「覇道」だけど信玄だけは「王道」だ」
とか、へんなことを普通に言うんだよな。
全国でも有数の痩せ地(果樹栽培が盛んなんてのは痩せ地の証明)の飢饉で飢えた
農民たちが当時有数の米所だった信濃に食い物を求めて殺到した
国を挙げての乱取りだったのに。
諏訪攻めの理由にも
晴信が父親追放した翌年に諏訪・小笠原・村上の三者連合
(木曽を含めて四者とも)が韮崎に攻め込んだ、これの報復という説や
諏訪に目をつけた武田が諏訪領内の不安定
(神長官の守矢頼真・禰宜の矢島満清の対立、諏訪下社の金刺氏
との対立など)
さに乗じて突如、高遠との連合で攻め入ったという説もある
だからここら辺確実にいえそうな事は「武田は高遠と連合して諏訪を
滅ぼし、その後の高遠の諏訪進攻を撃退して諏訪を平定」だけ
余談だけど、あくまで個人的見解だけど、
「実はこの頃、武田は板垣の傀儡政権で信虎追放から諏訪攻めまで
板垣の画策だったのでは?」と考えている
サニー板垣はドラマではとてもいい人なので・・・凄く心苦しいがw
ヤクザを「王道」だなんて妄想してるから、少しの批判さえ受け付けないんだろうなw 哀れwww
549 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/01(火) 09:32:47.62 ID:8c6iEwmc
どうせ侵略されるなら甲斐の山猿より信長公のほうがまだマシだろ
なんか質問のふりして武田を非難したい人が紛れ込んでる気がするが
スルーするのが吉なんだろうな。
甲州人は、ほとんどが熱烈な信玄マンセー信者だが、
一割ぐらいの割合で「信玄と聞いただけでヘドがでる」というアンチがいる。
キモオタは非難される理由が解っていない模様
武田オタほどキモくてお花畑なんは他にないわ
553 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/01(火) 10:23:30.79 ID:1+WB/abZ
>>512は諏訪の裏切り→武田の諏訪攻めは史実?
という質問なんだから、あながち的はずれでもないと思う。
この辺の史実は固まっていないわけだから、様々な考えがあるのは仕方がない。
ただ確定してるのは、大河ドラマはあくまでドラマで、その辺の事情は武田に都合良く脚色されてるということ。
ここは初心者質問スレなんで誰が誰のオタなんてのは関係ない。
どっちが悪いみたいな話をさせると信玄厨の器の小ささが良くわかるネ
>>554 本スレで誰にも相手にされなかった、
可哀相な子なんだよ。
生暖かい目で見守ってあげて下さい。
557 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/01(火) 11:32:55.35 ID:asvYbIqr
山猿らしい了見だなw
震源しか誇るもんがないからなw
信玄は真っ黒なところが魅力なんであって
要するに孫子の体現者だからな
黒くなかったら魅力半減だぜよ
559 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/01(火) 11:46:54.74 ID:asvYbIqr
なのにいかにも正義であるかのような美化をする山猿の小ささが失笑を買ってるw
織田だって豊臣だって真っ黒なことやってるけど
それを非難されたからって、いちいち敵の所為にしたりはしない罠。
武田オタはその汚い根性が叩かれてるんだと解らんようだね。
561 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/01(火) 12:08:11.50 ID:asvYbIqr
>>560 そーゆーことw
土地と一緒で小さいねんw
562 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/01(火) 12:28:57.41 ID:TP3yobAF
>>547にも書かれてるけど、諏訪攻めの直前には瀬沢合戦があって、武田が諏訪に攻め込まれてるんだから、
「罪の無い諏訪を武田が盟約を破って一方的に攻めた」というのは間違いじゃないの?
1541 晴信、父信虎を駿河に追放/武田八幡宮の本殿を再建/穴山梅雪誕生
1542 3月 瀬沢合戦(晴信vs小笠原・諏訪・村上・木曽)
7月 晴信vs諏訪頼重の合戦で、晴信御射山を陣所とする。頼重甲府で自刃。
ドラマ上で上杉との和睦を盟約破りと説明してるけど、瀬川合戦の方が決定的。
なぜこっちを取り上げなかったのか不思議だ。
563 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/01(火) 12:35:04.22 ID:asvYbIqr
堅物がまだ言ってるしw
そんな小さな話はしてませんのwww
>>562 >>560を声出して100回読め
諏訪攻めに限らずどんだけ悪逆非道やってんだよ?
侵略者が開き直ったら責められて当然だって話だ。
>なぜこっちを取り上げなかったのか不思議だ。
そら甲陽軍艦だからでしょ?ワラ
566 :
562:2007/05/01(火) 12:47:35.38 ID:TP3yobAF
>>563-564 さっそくのレスありがとう。w
俺は武田オタでもなんでもないんだが、純粋に大河ドラマ「風林火山」のファンだよ。
ドラマの筋立てとしてどうなんだろうな?という話をしているわけ。
武田が悪か善かということを言いたいわけじゃないんだよ。
567 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/01(火) 12:47:44.97 ID:4OXRm0op
いいかげんにスレ違いはやめろ。
ここは「初心者の質問に答えるスレ」だ。
信玄信者って狂信的だな。
ドラマを見てふと感じた疑問。
禰々が由布姫に摩利支天のお守りを渡すけど、神道の大神官の家の娘が
仏教の神の御守りを身に着けることなんてあるのかな。
マキと、先週落城寸前の城の中で由布姫を守ろうと
長刀を振り回していた侍女は別人ですか?
今後、勘助を慕う女性が現れるそうだけど
サニー娘?
>>570 神仏習合の時代でござる
天照大神の子孫と称する天皇家の葬式は明治以前は仏式で執り行われてたんですよ
>>570 ちょっとさかのぼるが、平安時代は
日本の神さんの大元締めである天照大神の子孫が出家して
「法皇」になってたわけだし
天皇家の親族が坊主や尼僧になる門跡寺院というのもあった
だから神道の大神官の家の娘が毘沙門天のお守りは
ありなんジャマイカ
>>570 宗教云々はさておき、禰々の心遣いが嬉しかったんじゃないかな、と思う。
いくつID使っても今日も華麗にスルーされているな プゲラ
ひょっとしてアンチ=馬鹿ってことを印象づけたい逆工作員か
577 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/01(火) 15:45:25.02 ID:asvYbIqr
と山猿が申しておりますwww
578 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/01(火) 15:50:36.47 ID:asvYbIqr
甲斐の山猿は妄想のスケールも小さいのうwww
というかlここは質問に答えるスレである
スレ違いも程々に
あのー、今、大河進行中が1542年ぐらいだと思うんですが
>>8見ると由布姫がまだ11歳〜13歳?って計算になりますが本当なの?
ちょっと柴本見てたら普通に20歳ぐらいの設定だと思ってたからビックリ・・・
>>581 信虎様や板垣、諏訪殿なんかの実際の年齢を調べてみるとびっくりされると思います
晴信もまだ二十歳そこそこだしな
>>581 「利家とまつ」でも松嶋菜々子がそのくらいの年齢を演じている
大河ドラマじゃよくあることですよ
>>584 だって本来の年齢にあわせてキャスティングしたら
まず間違いなく学芸会。
586 :
581:2007/05/01(火) 16:55:40.79 ID:zPsTX2SL
信虎様や諏訪殿は以前から年齢差指摘されてたので事前に知ってましたが
(晴信も古キャラなのでまだ20過ぎってのは知ってた)
由布姫は最近出てきたキャラなので、ふと年齢表思い出して見てみたらビックリ。
後、今気付いたんですが禰々様も非常に若い!普通に母親として見てたのにw
年齢についての疑問は毎回でるようだけど、
大河を何作か見ているうちに
「役者の年齢と実人物の年齢の相違」について、
そんなもんだな・・・と思えるようになるのでしょう。
松嶋七個どころか、冨士純子が輿入れ時以前からの篤姫を
演じてたりするのが、大河ドラマなんですよね。
お市の方だって、大地真央以前に元NHKアナの寄近さんとかw
この頃の平均寿命っていくつくらいなのかな
現代は年齢の七掛け=精神年齢っていうけど
戦国時代は逆に三割増くらいかもしれない
信虎さまもちょと老けすぎに見えたよね
司馬遼太郎のような若白髪とでも脳内変換して見てたよ
>>588 平均年齢は短かったわけだけど、
70〜80代までの長寿を保つ人も散見できる。
お産がもとで死ぬ女性、幼年時代の病没は
時代に拘わらず多いだろうけど、
男の場合の戦国期は合戦で大量に死ぬからね。
女性史の本を読んでも、十代子持ちの後家は少なくない。
武田晴信も十二、三で初嫁の川越氏(妊娠→死亡)を懐妊させてるけど。
>>589 見かけも、映像なのでまあ重要ではあるけれど
「役の性根」をつかんで演じていたらそれで良しと思ってます。
改めてみてみると、飯富虎昌と弟・源四郎の年齢差がすごいな
まぁどっちも生年不詳だからいいけど
大河の配役は実年齢に合わせてるんじゃなく、精神年齢に合わせてると思うしかない。
>>592 大島弓子かなんかのマンガでそんなのあったなw
>>587 16歳の西田敏行とか、タッキー義経と2歳しか違わない財前政子とかなw
頼重と同時に大祝の人も死んでしまったようだけど、
その後は、諏方大社は誰が切り盛りしているのでしょうか。
後任の大祝は寅王丸?だと思うけど、まだ若いし。
諏訪御寮人は軟禁されてるし。
例えば、凍った諏訪湖を渡ったり、丸太を斜面から落としたり
する祭りとか、誰が責任持って仕切っているのでしょうか。
寅王丸後見人の晴信ですか?
諏訪家の惣領と諏訪上社の大祝職とは、頼重の直前の代(頼満・頼重の祖父)まで2重構造(権力)になってたらしい
元々は惣領家の嫡男・または近縁者が大祝職についていたが、次第に本家・分家で権力構造が分離していった模様
で、本家の惣領家と分家の大祝家とで抗争が続き、長らく諏訪地方が混乱
頼重の祖父・頼満の代で惣領と大祝を統一し、混乱が収束したのが信虎の諏訪侵攻のちょっと前あたり
頼満は大祝職を兼務してたらしいので、次代の頼重も惣領と大祝職を兼務してたんじゃないのかな
↓参考
ttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/suwa_k.html
その辺はドラマでは来週出てくるよ。簡単に言えば、そもそもこの頃は
維新後の江戸の祭りみたいなもので「それどころじゃない」という状態
だったと考えてもらっていい。
これまでにも書かれているけど、諏訪は中興の祖・諏訪頼満が反抗する
高遠・矢島・金刺らを制圧し、信虎も撃退して戦国大名化したものの、
頼重の代には異常気象と遠征の失敗で国内でも離反され、晴信統治後も
全国の諏訪社からの上納が途絶えた状態、早い話ほぼ無収入になっている。
これにつけこんでというか、弘治から永禄年間にかけて武田の介入が
強くなり、人事予算まで武田の骨がらみになる代わりに、武田の力で
古い祭礼の調査発掘そして復活復興がなされてその後にいたっている。
(御柱祭復活にどの程度晴信が関与しているのかは、地元の方のレスが
あったと思う)
598 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/01(火) 22:35:45.46 ID:6MFGpS+6
>>591 飯富兄弟は身長差も凄い。
実際には源四郎こと山県昌景は身長が低かったらしいから、
あの身長差は実はあってない。
昌景は虎昌の甥だったらしいな
山本勘助は最近まで架空の人物説もあったくらいよく実体が分からない人らしいけど
山本五十六が子孫だとか、そんな話もあるんだよね?
妻子はいたの?読んでないが原作設定ではいないっぽいけど、史実なんかでは。
>>599 そういう説もあるね
>>600 妻子も何も、史実では「使者にそういう名前の人がいた」くらいしか確定していない
>>572 平賀源心入道の娘じゃね?
海野口城の坊主の娘。
ヒサ様かわいいよヒサ様
>>595〜
>>597 以前、諏訪信仰の研究書名を並べた者ですが、
手元の本をもとに以降の諏訪家を簡略して書きます。
・諏訪頼重の弟・頼高の死亡後は、
彼らの叔父満隣の子・頼忠が大祝となる。
(勿論、以前のように統治力は持たない)
・天正十年、織田軍諏訪に侵攻。その後、信長の死により
甲信地域は再度の混乱。徳川と北条のにらみ合い。
・頼忠と旧諏訪家家臣団、当初は北条と与するが
情勢の変化により、徳川に加担することとなる。
・その徳川とも旧領を巡っていざこざがあったのだが、
徳川と北条の和睦後、頼忠・頼水親子が家康に閲する。
一冊の本からの抜書きなので、間違ってたら勘弁。
諏訪家についてはきちんとしたHPなどあったと思いますので、
そういうのを見て補足して下さい。(wikiの全面信用はしないでね)
また、笹本正治「戦国大名の日常生活」に、
守矢氏向けの書状など信玄の諏訪社復興の説明があります。
>>600 >山本五十六が子孫。
単に山本なんで、誰かが言い出した程度の話と思う。
与太説のひとつかと。
山本五十六の「山本」は越後長岡の山本家を五十六が継いだものだから
血縁関係ないだろう。
そうそう、本名?は高野五十六だったっけ
606 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/02(水) 12:25:44.07 ID:9aANX2oY
甲陽軍鑑などでは勘助の嫁は原美濃の娘
勘助の子孫を名乗る人間はずいぶんいて、現在も何家か存続している。
確認されているものでは、徳川家光の代に幕府の公認を取り付けた人間が
いるが、後年子がなくて家計が絶えた。この辺りは現在では調べにくい
状況にあるようだけれど、偽書俗書の類も含めて、かなり早い段階から
武田家家臣に「山本」という人間がたくさん存在していた記録が見られる。
「軍鑑」あたりにははっきりと勘助の子供の記録が残っている。もちろん
「妙心寺の僧」という(武功雑記にしか載っていない)人種ではなく、長篠で
戦死しただの妾腹の子の子孫が徳川に帰服した記録があるだのまあ百花繚乱。
今年はヨタ本を含めて史料が書店に山積みされるいいチャンスなので、色々
比べ読みしてもらえると面白いよ。
608 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/02(水) 13:02:43.45 ID:BUUX6/O2
>>603 >諏訪頼重の弟・頼高の死亡後は、
>彼らの叔父満隣の子・頼忠が大祝となる。
そのせいかな?満隣が武田に通じていたのではないかといわれるのは。
大きな組織で家臣でいるより、小さくとも殿様になりたいひともいるだろうからな。
609 :
600:2007/05/02(水) 15:28:13.01 ID:T/l1wzLP
どうもありがとう!
そうか、とりあえず五十六は全く関係ないんだね。
真偽は確かめようがないだろうが、現在存続してるって家も勘助の資料が
少ないのを良いことに…ってパターンぽいな。始祖にしたいくらい魅力
があるってことか
戦国時代の軍師に興味あるから書店で色々探してみるよ
610 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/02(水) 17:06:05.30 ID:D8zbb2N7
義経見てるんだけど甲斐源氏ってどこでどう繋がってるの?
611 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/02(水) 17:30:32.68 ID:UmuYsiDa
一の谷のとき、安田なんとかっていただろ。
あれ、甲斐源氏だよ。
源平合戦では、多くの甲斐源氏の武者が参加したんだが、
いちいち挙げるのも煩雑だし、主役でもないから、
安田なんとかで代表させたのかな。
>>609 戦国時代の軍師は占いで吉兆を見る人のことな・
義経のひい爺さんが前九年・後三年の役で活躍した源義家、
その弟義光の子・義清が武田姓を初めて名乗った。
ちなみに室町将軍足利家は義家の子のひとり義康が初代。
615 :
名無し募集中:2007/05/02(水) 19:08:53.52 ID:Gej5+6SD
勘助と原虎胤は、他国者だけど、武田家の家臣達は山梨県のどこ辺りを
治めてたの?
板垣信方
甘利虎泰
飯富虎昌
諸角虎定
小山田信有
教来石影政
春日源五郎
駒井政武
あと、晴信の母は、大井氏出身だけど彼らはどこを治めていたの?これか
ら登場する油川夫人は、山梨県のどの辺りから出身なの?
>>615 全部教えろってかw
小出しに聞いたほうがいいと思うよ
でないとあの言葉で一蹴される・・・
ググれ!ググれ!
618 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/02(水) 21:58:46.82 ID:mcjGxsXj
ピザ侍女まだ?
>>615 地元衆の漏れが、すぐに思いつく地名を挙げてみるが。
甘利は韮崎市に「甘利山」なる山がある。周辺の小学校の遠足の定番。
飯富は身延町(旧中富町)に地名がある。但し呼び名は「いいとみ」飯富虎昌の墓もあるようだ。
教来石は山梨県北杜市(旧白州町)に上教来石、下教来石という地名がある。
621 :
603:2007/05/02(水) 23:50:56.47 ID:wbXQsnxV
>>607 山梨には、武田家臣の末裔と称する家がゴマンとある。
まあ、武田の領地でもあったのだから当然なのだろうけど、
中には妖しい家もかなりあるはず。
勿論、江戸時代に帰農した家、家康に起請文を提出し
幕臣となった家、きちんと系譜の辿れる家柄も多い。
しかし、山梨の名物や名産や旧跡やもろもろ、
なーんでも信玄発祥に結びつけることが多い場所なので
系譜の不確かな家筋もあるわけだ。
>>609 便乗与太本買うのはお金の無駄かも
あの小和田哲男先生のw「呪術と占星の戦国史」(新潮選書)
信玄謙信の戦神から、軍配者、気をみること、星を見ること
縁起かつぎに勝どきの儀式等々、なかなか面白いのでお薦め。
>>621 小和田大センセじゃなかったかな?
「功名」の脚本家に、『戦国時代の日本人は、絶対に魚を食べない』と教えたのは。
>>622 小和田氏の名を出すと、
すぐにこういうスレがくるとは思ってたけどね。
2ちゃんには武功の件で、安直に小和田叩きが多いけど
あれはあれじゃん。出版社との経緯もあろう。
朝倉や今川の研究では良いものを書いている。
そういう点を認めてる人は大勢いると思うが。
大センセイとかちゃかす前に、「呪術と・・・」読んでみれば?
「魚の件」は知らないけど、そんな事実際にあったんだ?
大河の考証の仕事は名が出るだけって程度だけどね。
小和田さんは武功があまりにも痛かったな。
初心者の私に「武功」の件とは何か教えてください
626 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/03(木) 03:30:08.63 ID:vkQqOyZv
マキを見てふと思ったんだけど、姫お付の侍女達って生涯独身で過ごすの?
>>625 武功夜話は戦後発見された史料で、一部が刊行されている
一時期時代モノによく出た「織田信長の寵姫、吉乃」はこの文書に拠るもの
しかし武功夜話には矛盾も多く、昭和の合併で生まれた地名が見られるなど、
近年では偽の史料だとみられるようになった
しかも原本は非公開で、史料として詳しく検討することも出来ない
そこで大河ドラマの時代考証でもお馴染みの小和田哲男静大教授だが、
小和田氏は実際に原本を見たうえで、史料的価値を認める発言を行っている
江戸時代後期に書かれた家伝史料・軍記物の類、という言い方だが
要するに偽書疑惑のある文書に史料価値を認めたため不評を買っている
ただし、文書の一部に史料価値を認める学者が他にいるのも事実で、
一概に全てを否定してしまうのが現時点で暴論なのも事実ではある
もっとも、小和田氏が土蔵で見ただけで江戸時代後期のものと判断した根拠は謎だが
628 :
本日:2007/05/03(木) 07:46:25.70 ID:holcvhZI
深夜2:20〜3:05 NHK総合 その時歴史が動いた[再]
>>357 大奥最後の闘い▽天瑶院篤姫▽江戸城無血開城の立役者
(関西は深夜0:10〜0:55)
武功夜話
伊勢湾台風で古い土蔵が崩れ、そこから出てきた古文書
という触れ込みで発表されたニセ古文書。
功名が辻で石倉三郎が演じた前野家の子孫が江戸初期に書いたという触れ込みで、
信長・秀吉・家康の時代の裏事情が克明に書かれていたので歴史学者も大喜び。
新人物往来社が大々的に取り上げて売り出したので、
歴史マニアもまさかニセ史料だとは思わなかった。
その後、地名が昭和に作られたものだったり、明治の歌が引用されていたり、
閏月が無視されていたり、絵に矢印が描かれていたり
いろいろとおかしい部分が発見されて、今では捏造されたものだとされている。
>>604-609 長岡藩士の家から出た高野五十六が養子に入った山本家は、旧長岡藩
牧野氏の家臣だった家。
ただし譜代大名の牧野家とその家臣・山本家が長岡藩に移封されたのは
戦国期よりずっと後で、長岡以前に色々な土地を転々としている。
慶長期までは三河に牛窪城城主として在地していた史料は現存している
ようで、家老格の「山本帯刀」「山本清右衛門」が牛窪に屋敷を持って
いた記録も残っている。ここまではほぼ史実として認められている。
問題は勘助の養父・大林勘左衛門が仕えていたのがこの牛窪城主・
牧野右馬允の家臣だったという説や、勘助の子孫で文禄・慶弔の役に
参加した山本清左衛門がこの牛窪の家臣だったという説があって、
この二つが結びついて「山本五十六が養子に入った山本家は、
勘助の先祖の山本家とルーツが同じ」という話になったらしい。
ただの与太話ではないけれど、「子孫」というのは無理、という
ところらしい。
>>607 >徳川家光の代に幕府の公認を取り付けた人間
『大猷院殿御実記』
「寛永十二年十二月、山本九兵衛正重 召し出され、御側衆支配 国廻役に
なる。是は武田家にて名を得たる山本勘助晴幸が四代の孫なりといえり」
越後で「山本庄助正忠」の息子として生まれたこの山本正重は二百俵取りの
直参旗本となり、上州に知行地を与えられて貞亨二年十二月没。宝暦年間に
子孫が出奔して山本家は断絶している。以上江宮隆之の著書より。
632 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/03(木) 12:23:17.98 ID:XTnMYYDA
質問です。
偉い人に進言する時に「恐れながら申し上げます。」って言うけど
現代語だとどう言うのですかね?
「あのさぁ、言っていっかな?
いや、別にアンタ等舐めてる訳じゃ無いけど、
いい案がアルんだよ?・」
あはあ、東日流外三郡誌みたいなもんですか<武功
>>632 三分間、お時間をいただけますでしょうか?
アナタは神を信じますか?
武功夜話は朝鮮出兵のあたりの信憑性は高いらしいが、それ以外は創作だろうな。
でもその創作部分のエピソードを基にして「秀吉」とかは作られてるし
大河に与えた罪は大きいよ>小和田先生
639 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/03(木) 18:57:50.34 ID:3ir1ajGx
>>632 俺は会社では、かなり上の上長に話しかけるときは
「今お時間よろしいでしょうか?」
会議で発言するときは、
「素人の質問ですいませんが、・・」
「お話を聞いていて質問があります。」
あたりだな。
晴信上洛の時って謙信とか攻めてきたの?謙信と信長が同盟結んでたってそのとき歴史が
なんちゃらで言ってたんで、約束どおり兵出したのですか?
あとなんで朝倉さんは撤退しちゃったの?浅井さんも一緒に撤退しちゃったの?
雪が降ると越前に帰れなくなるからその前に帰った
642 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/03(木) 22:25:01.40 ID:3ir1ajGx
足利義明があれだけの信長包囲網を作ったのに結局信長に追放されたのは
信長がすごいということなんかな?
包囲する側の足並みもそろわなかったみたいだが。
まぁ原書が公開されて調査が入らない限りなんともいえないかな
事象の日時の混乱とかは当時って地方ごとに暦が違ってたらしいし、その部分は妙なんじゃないの
武功夜話→東日流外三郡誌×
→竹内文書○
>>640 雪で上杉軍が出兵できない冬に上洛を始めた
646 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/04(金) 00:07:12.61 ID:yqCNO48N
姫の涙の回の一番最後のシーンなんですが
カンスケが眼帯をむしりとって振り返るシーンは
どんな意味があるんでしょうか
>>642 確かに信長は凄かったんだが、賭け的な意味合いよりは、
反信長連合を相手に戦えるだけの十分な国力と軍事力を築いていた点だと思う
ぶっちゃけ、武田信玄は急死しなくても勝てるかどうか怪しいものがある
ちなみに将軍は足利義昭ね
足利義明は関東の大物として別に実在するから気をつけて
>>646 眼帯が汚れたので交換
来週からニュー眼帯。
やはり勝負眼帯はあの藁で編んだやつですか?
>>644 竹内文献って書誌学以前の問題でトンデモなんじゃなかったっけ
9:00〜9:32「はなまるカフェ」に美瑠姫の菅野莉央ちゃん出演
652 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/04(金) 07:54:39.16 ID:6u8am7mH
>>647 織田厨乙!
西に東に挟み込まれてピンチだったのはどこの誰だっけw
>>642 >647の言うとおり、国力・装備の点で足場固めがしっかりしていた信長の国策だからこそ
包囲網を跳ね除けられた、と思う。
他の大名なら包囲網どころか二カ国に挟撃されただけで瞬殺されるからな。
その辺りにこそ他の大名には無い 信長の凄みがある。
東西の挟撃が信長をピンチに陥れたのも事実だけど
個々の大名の思惑もあって包囲網の足並みが揃っていないから、信玄の上洛が成功出来るかどうかってのも確かに懐疑的。
甲斐周辺でしか戦ってこなかった武田にとって、上洛は兵站路が長すぎるから
岐阜を抜いたあたりでヘトヘトになったところで反撃くらって壊滅したんじゃないかと。
秋山信友が岩村城落としたとき、信長は岐阜城で見てただけ?援軍送らなかったのかね。
遠山景任奥さんもかわいそう・・・・
>>650 644は「武功夜話は東日流外三郡誌に喩えるよりも、
竹内文書に喩えるほうがふさわしい」と言っているかと。
656 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/04(金) 11:43:29.60 ID:7yEy+mSK
>653
というか
その頃の信長に反撃する余裕なんて
まず無かったと思われ
それにとりあえずこの時点では岩村城もまだ武田方だしさ
甲府拠点だと遠いが岩村拠点ならまた変わってくるだろ
>654
そんな余裕はなかった
657 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/04(金) 11:50:48.59 ID:A90ghoTH
ちょっとズレるかも知れないけど、武田の重臣に昌が付く人が多いのは何でですか?
信虎の時代の虎はわかるけど、晴信の名前は昔は信昌だったのかな。
658 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/04(金) 12:21:15.11 ID:9hrkKjYK
信昌は爺さんの名前
晴信の晴の字は将軍からもらった字なので気安く名乗れない
信長と信玄の優劣の比較論争は
戦国板、三戦板などへ移動して、思う存分お願いします。
>>657 信昌は晴信の曽祖父。
以前、晴信の「晴」の字は将軍の一字で家臣にあげれないから、
代わりに信昌の「昌」をあげたとかいう説明があったけど、信憑性あるの?
なぜ祖父の縄じゃない?とか、飯富虎昌はどうなの?とか
色々疑問が残るのだが。
名前といえば・・・
諏訪家の赤ん坊は「寅王丸」ってたいそうな名前がついてるのに
晴信の子供は「太郎」「次郎」ってえっらいあっさりした名前なのは何故?
ちゃんとした幼名は別にあって通称で「太郎」って呼ばれてるんですか?
661 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/04(金) 20:54:01.59 ID:t/s74Hnm
>>660 甲斐源氏嫡流の武田家では代々太郎・二郎・三郎・・・・・・という
名のりの決まりみたいなものがあったらしい。
(時代は遡るけど頼朝兄弟もこんな感じ)
ただ、戦国期あたりになると子供の数も見栄の一種みたいな感じだったから
実際は十人目じゃないのに十郎とか名づけたという話もあるから
三郎以降になると結構いい加減だったのかもしれない。
信長の長男は「奇妙」で、次男は「茶筅」で三男は「三介」だ。
親が子にどんな名前をつけようと勝手っつーか、そんな感じ。
まあ幼名が珍妙でも、元服したらちゃんとした名前にしてもらえるしな。
664 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/04(金) 22:02:07.02 ID:N8Flr+bx
>>585 >だって本来の年齢にあわせてキャスティングしたら
>まず間違いなく学芸会。
新選組がまさにそんな感じだったな。
665 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/04(金) 22:12:52.04 ID:N8Flr+bx
>>613 >義経のひい爺さんが前九年・後三年の役で活躍した源義家、
義経の曾祖父は義親。
義家はさらにその1代前。
>その弟義光の子・義清が武田姓を初めて名乗った。
武田名字の初出は義清の孫の信義。
ただこの時期は、まだ代々世襲される名字なのか個人の通称なのかが微妙な段階。
>ちなみに室町将軍足利家は義家の子のひとり義康が初代。
義康は義家の孫(義家の子である義国の子)。
666 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/04(金) 22:26:22.97 ID:N8Flr+bx
>>659 信縄は病弱かつ武田氏の当主だった期間が2年しかない人物。
要は存在感の薄い人物。
一方、信昌はそれまで専横を極めていた守護代跡部氏を退け、
上杉禅秀の乱以来ほとんど無力な状態だった武田氏の甲斐守護家としての
威信を回復した、いわば甲斐武田氏中興の祖みたいな人物。
667 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/04(金) 22:28:55.33 ID:N8Flr+bx
>>663 男子の場合はそうだけど、女子の場合はこの時代だと朝廷から位階でも
貰わない限り諱は付けないから、一生ものになる。
>>661 太郎とか二郎とかいうのは成人後も名乗るよね
源九郎義経とか織田二郎三郎信長とか
だから「幼名」とはちょっと意味合いが違うのかな
669 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/05(土) 01:30:00.47 ID:LmrChdmf
>>668 源義経の幼名は牛若丸でしょ。
九郎は自分で名乗った別名。
>>669 だから、晴信の息子の太郎・次郎てのは幼名とは違うんじゃないか
という話なんだけど
671 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/05(土) 03:15:28.96 ID:8tTeRm17
そういえば、信虎の初名は「信直」だけど、武田家中に「直○」という名前の人っている?
672 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/05(土) 03:17:10.29 ID:8tTeRm17
>>668 次郎三郎って名前は、次男(次郎を名乗っている人)の三男って意味だよね?
信長は三郎じゃなかったっけ?
家康の影武者の話か
信昌(五郎)
│
信縄(五郎)
│
信虎(不明) 2男・勝沼信友(次郎五郎)※1
│
晴信(勝千代) 2男・信繁(次郎)※2 4男・信廉(孫六) 5男・松尾信是(源十郎) 7男・川窪信実(不明)
│
義信(太郎) 4男・勝頼(四郎) 5男・仁科盛信(五郎) 6男・葛山信貞(十郎)
※1
勝沼信友(次郎五郎)
│
勝沼信元(五郎)
※2
信繁(次郎)
│
信豊(六郎次郎)
あんまり法則性はないみたいだね
>>668 次郎三郎は家康の通称。信長は三郎。
太郎や次郎は嵯峨天皇が皇子に与えた幼名に始まり、
仮名または幼名として広く使われるようになった。
源氏の場合、源義家も頼朝、義経も幼名は別にあり、仮名として名乗っている。
武田信玄も仮名は太郎だが、幼名は勝千代。
ただ息子たちの幼名はどうなんだろうね。
義信の三歳下の穴山信君が勝千代を名乗っているため、
義信が勝千代を名乗っている可能性は薄そう。
幼名も仮名も同じなのかしらね。
幼名というよろ元服順のような気もするな。
義家 八幡太郎
義綱 賀茂次郎
義光 新羅三郎
幼名、仮名と言うより通称(正式な意味での)じゃないのか?
正式名の方は諱。
あのー素朴な疑問なんですが、上洛ってどんな意味があるんでしょうか?
信玄なら単に信長をぶっ潰すだけじゃダメなの?
なんで戦国大名はわざわざ京都?大阪?奈良?よくわからんが都?ってとこ目指すの?
今で言ったら高校球児が甲子園を目指す感じ???(絶対違うと思うが・・・)
当時の日本は、朝廷、武家政権、各宗派の大寺院など
いくつもの「政権」が互いに協議しながら日本を治めていたので、
それらのボスがいる畿内に行くしか政権参加の方法がない。
>>680 権門体制論乙!
後北条の東国国家なめんなヨ!
2ちゃんねるだなぁ・・・
683 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/05(土) 11:40:53.08 ID:jYKN6XdP
武田義信の傳役は飯富虎昌だったらしいのですが、武田勝頼と仁科盛信
は誰が担当したのでしょうか?
684 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/05(土) 15:31:33.99 ID:StFKqRH3
>>677 長男でなくても嫡子を太郎としたり、庶長子を次郎にしたりすることはある。
685 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/05(土) 15:32:57.14 ID:StFKqRH3
>>680 戦国期に権門体制論を適用するのは無理があるだろう。
あれは院政期〜鎌倉初期くらいの政治体制を説明するための概念なんだから。
スレチ気味の質問で申し訳ないのですが…。
「風林火山」の駅貼りポスターがデザインがカッコ良くて、
欲しくて仕方がありません。
あれって駅員さんにお願いすれば貰えるものでしょうか。
「ポスター掲示期間が終わるときにください」といって、
その期日にきちんともらいにいけば、99%もらえると思う。
くださいって言う人はよくいるけど、実際に剥がす日に
取りに来ない人が多いです。
ぱくったりするのは、やめてね。ガチで110番しますよw
>>687 おおっ、即レスありがとうございますm<(_ _)>m
それでは駅員さんに頼みに行って来ます。
>>679 >上洛ってどんな意味があるんでしょうか?
旧体制を尊重し前例を重んじた場合、
幕府(今でいう政府)を開き全国の武将に号令する立場を得るためには、
朝廷(天皇)から武家の頭領としての称号を授けてもらう必要があった。
そこで都(天皇のいる都市)を武力で制圧し、朝廷を掌握したかった
といったところ。
ただし、旧体制の例など気にせず、朝廷からの称号もさして欲しがらず、
そのため上洛には興味なし。かといって朝廷を軽視したわけでもなく
うまく付き合い、半独立国のような状態で海外との貿易を独自に行い、
文化的な領国経営に邁進したのが北条。
つーか、いわゆる鎌倉幕府は、朝廷や藤原荘園体制の東国支配を否定するところから始まった政権だから。
武士は武士だけ、東国は東国だけでやっていくから構わないでね
というのが鎌倉幕府の意思。
それじゃイカンだろうと思った実朝は殺された。
しかし、時代がさがって、武家政権が外交まで担当するほど政治力がついてくると
武士は武士だけと言ってもいられなくなる。
日本は武士がいないと天皇家の代替わりのトラブルまで解決できなくなる。
解決にしくじると鎌倉幕府みたいに天皇家やその他の権力に叩かれて潰される。
そんなこんなで、室町幕府や上洛を目指す戦国大名は、朝廷の権威や
市・座の支配権を持つ大寺院や神社との折衝のために京都に入る必要があったんだわ。
姫を助けにきた勘助が、馬から下りる時に
何か投げ捨てていましたが、あれは何ですか?
>今で言ったら高校球児が甲子園を目指す感じ
地元じゃ負け知らずでも、他地方にも強豪チームがワラワラ
いきなり強豪と対戦してコールド負けしないように
シード権をもらいに都へ行きます。
693 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/05(土) 21:39:03.60 ID:jlMk15OK
>>690 鎌倉幕府は荘園制を否定していないよ。
むしろそれまでの荘園公領制に乗っかるような形で、麾下の御家人たちを各地の
荘園や公領の地頭職に設定し、彼らを荘園公領制下での領主階級の一翼に
入り込ませたというイメージだろう。
言葉を単語としてしか理解できない人がいるな
>>683 仁科盛信はわからないが、勝頼の守役は阿部勝宝
百足隊の1人だったそうだ
697 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/06(日) 02:09:14.58 ID:iGCFZEzA
「武田信玄」にも勘助が出てきた記憶がありますが誰でしたか?
幕府朝廷に全く権威がないかといえば決してそうでもないみたいだよね
>>697 西田敏行
>>698 応仁の乱で秩序は混沌としている。
権威を感じる者もあれば、権威を無視する者も。
>>696 ありがとうございます。仁科盛信かっこいいですね〜織田信忠と仲良くて
降伏できたのにせずに玉砕とは。
権威はあるよ。独自の権威と言うより利用価値ある権威としてだが。
実力の裏付けのない権威など祭の神輿にしかならんわな。
権威がなけりゃ、わざわざ官位をもらったり
公家の姫を嫁にしたりはしないわな。
朝廷もなく、華族もいない現代でも、名家の血は喜ばれる
それだけに、多くの実力者が朝廷や幕府の権威を奪い合い、都は泥沼だった
そこで見切りをつけ、都を去り独立王国を目指したのが北条
北条の誤算は、権威の利用価値を知った上で泥沼を収められる、
実力と野心を持った男が存外早く現れたことだ
704 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/06(日) 14:32:44.48 ID:gPKIUHNK
後北条は「北条」と名乗ること自体が自らに対する権威付けなんだが。
かつての執権北条氏が鎌倉将軍を推戴することで実質的な関東の覇者になろうと
したのにならって、後北条氏は古河公方を公方として推戴して関東の覇者に
なろうとした。
しかし当然ながら、それまで関東管領として関東の舵取りをしてきた
山内上杉氏からは、自らの存在を脅かす危険な存在と見なされ、抗争が
繰り広げられる。
705 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/06(日) 14:35:03.31 ID:gPKIUHNK
>>704 質問に対して都に関する権威の話をしているのであって、
北条が権威一般を否定したなんて馬鹿なことは言っていないのだが
北条は京都・朝廷の常識で言えば北条よりも格上の名門。
北条を名乗ったのは、言ってみれば甲斐で武田を名乗り
土佐で長蘇我部を名乗ったようなもの。遠い権威よりも、
その土地の人間になじみのある家を名乗ってその土地への
定着をはかったという意味では確かに旧来の権威をただの
道具として使ったということにはなるが。
そういう意味でも上洛は「甲子園」じゃないんだよな。
別に京都になんか行かなくても地元で潤えばいいという
感じで、日本の企業が目指すニューヨークみたいなもの。
日本で商売が繁盛するなら、別に渡米する必要なんか
感じていない人がほとんどなのと同じ。
たまたま「渡米」した信長−秀吉のラインが勝ち残ったから
上洛・渡米は必需品、当時日本の誰もが夢見ていたみたいな
言われ方してるけど、京なんか知ったこっちゃないっていう
武将が圧倒的多数だったのは間違いないだろう。
たとえば大内や毛利が天下を取っていたら、京の権力争い
なんていまでいう松永・三好・筒井の争い程度の扱いを
されていたかもしれないわけで。
中央に権威の裏づけのある権力を握った者が現れたら
地方の実力者なんて吹っ飛ばされるんじゃないか。
全国チェーンの大型店に地元の商店がつぶされてるように。
信長なんかは、足利将軍を無視して参内&公卿を連れて進軍(自軍の官軍化)なんつーのをサラッとやって
自身の権威を高めてるので、上洛にどのような意味を見出し、どのように利用しようとしたのかは各大名ごとに
異なる。
各大名で事情が異なるのは当たり前。
個別の事例を無理に一般化しようとするから訳分かんなくなるんだよ。
毛利は、石見銀山を戦でぶんどった時、
他の勢力に奪われるのを防ぐため、
京都の有力貴族に寄進して、その貴族の持ち物ということにし、
自分は銀山の管理人 という立場になった。
そうすれば、京の朝廷の権威を恐れる地方大名が攻めてこないから。
いろいろと事情があんのよ。戦国時代にも。
711 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/06(日) 22:24:09.36 ID:OoXw60d5
高坂弾正、内藤修理、馬場美濃守は分かったんですが、
山県昌景の官位は何だったんですか?
三郎兵衛
713 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/06(日) 23:10:42.15 ID:+HprAJE/
三郎兵衛尉、、、
強いて言えば、右兵衛尉だろうか。
714 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/06(日) 23:12:10.36 ID:2pHa9W1b
躑躅が崎の館で重臣たちが信玄の左右に並んでいるのになんで勘助だけが信玄の正面なんですか?
こうしてテキトーな官職を勝手に名乗っているのを並べてみると、
「甲斐の山猿」って感じがヒシヒシと伝わってくるなぁ・・
晴信が由布姫に送った和歌の内容を現代訳で教えて下さい。
>>714 テレビの画面上の都合。
勘介クラスの下級家臣は、本当なら、
甘利の背中の方にある部屋に座っていて、お屋形さまのお姿は見えない。
予告の竜笛を吹いている由布姫の、小指が立っているのが気になった
んだけど、竜笛はああいう風に吹くものなの?
フルートやってたんだが、小指は普通立たないので…
歴史と関係なくてすみません
勘介って平蔵に討ち取られちゃうの?
>>716に便乗
パッと読んで下手だと分かるものなのでしょうか
晴信の実際の実力は?ウケ狙いで下手くそな歌を読んだのでしょうか
>>716,720
本スレに行ってみるべし
解レスがかなり出てるよ
723 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/07(月) 00:30:01.42 ID:iyD6gJUW
>>719 川中島でも両者は戦うらしいから、意外とそういうこともあるかも。
あるいは、命を救おうとするとか。
>>718 俺もあんなにピーンとしてるのおかしいと思ったけどプロの演出指導が入ってるんだからアレで正しいんじゃないかなぁ
本スレにあった一番わかり易い解釈を投入
254 名前:日曜8時の名無しさん メェル:sage 投稿日:2007/05/07(月) 00:12:43.56 ID:ga2SdHci
君のいる 我が山里をつらく見て 心のうちに 待ちし春風
私の故郷甲斐で、つらい思いをしている貴女へ
私は貴女を待ってます。(側室になってね はあとw)
いきなり「君」って・・・露骨で奥ゆかしさに欠けるw
「我が山里」で多少自国(武田)を下に表現しているのかな?
「つらく見て」。これも心情を察しているというには知己に欠ける。
他に表現方法なかったの?w
「春風」で晴信と春の風を掛けてるんだけど、(-ω-;)ウーン
全体的に露骨で、下手が下手なりに頑張りました。ってのがよく分かる。
これでセンスがあって聡明な君主って・・・・ぷぷぷw
まあ、こんな感じかぁー
726 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/07(月) 01:03:30.94 ID:zTpf45R9
「恨みを捨て大望のために生きる」がこのドラマのテーマになっていくんだけど、
「最後まで恨みを捨て切れなかった」平蔵に勘助は討たれる、というオチか。
>>725 歌の内容は見ててなんとなくわかったけど、それを見て三条は急にキレたの?
単なる嫉妬?
でも殿が由布姫を側室に望んでる事は承知の上で慰め行ったんだよね?
あの変節はどういう心境なんだ?
てっきり、あの歌には2つの意味があって、
由布姫は最初その表面の意味しか気付かず、
三条のリアクションで歌の本当の意味に気付いた。
って感じなのかと思ってたんだが…
国を奪われ、無理やり側室にされようとしている、
可哀想な姫君、を慰めに行ったら、
自分の旦那と楽しそうに歌のやりとりをしていました。
(Uが返歌をしたかは知らんが、晴信の歌を床の間に貼っている、
時点で、頭の沸点を超えたとオモタ
歌の意味自体は、晴信の釣りだとオモ
>>729 う−ん、やっぱそんな感じなのかね。
それが丸々、晴信の計算…なわきゃないか。
俺、13話目くらいから見始めたからか、
勘助に比べて晴信にあまりカリスマ性を感じないんだが、
最初から見てれば勘助が晴信に仕える事も納得できるの?
今のところ、威厳のある色好みのカピバラ…というイメージ。
カリスマ性というよりか、魂が似通ってるという感じがする。
ずっとドラマの流がふたりを近づけるように仕組んできてるし
勘助関連するシーンが絡むと
晴信から勘助への求愛を感じてしまう・・・
なぜ晴信は会ったことも無い(ですよね?) 由布姫に執着するのでしょうか。
家臣が言うように、諏訪勢の反発や寝首をかかれるおそれがあるというのに。
この劇中でも晴信は実は寅王丸を排斥する気満々なのでしょうか?
晴信は「なぜ勘助が姫を助けたか」に興味を持ったのだろう
そのうえで晴信なりに諏訪統治に絡んで戦後処理として
姫の処遇の一番安全な方法を模索した結果なのだと思うよ。
答えはこれからの回で少しずつ出してくるんじゃないの?
板垣と勘助が出会う場面、板垣が勘助を殺さなかったように、
あの勘助が殺せなかった姫だから・・・かな?
>>707 >北条は北条よりの名門
意味不明すぎてワロタ
736 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/07(月) 15:13:25.29 ID:gmhi5lYu
実際、伊勢氏は前北条氏よりも名門になるのかね?
737 :
720:2007/05/07(月) 15:52:07.35 ID:wbypwBE7
>>722、725
ありがとうございます
勘助に歌を渡した晴信の様子から見ても、やはりわざと率直に書いたのでしょうか
この辺り人心掌握に長けた晴信の深さが見えるような
頭悪い質問なんですが教えて頂けますか
1.いくら諏訪方に配慮しているといえ
ゆう姫の負けた側の姫としての扱いは厚遇すぎるんではないでしょうか
あんなもんなんですかね
てか、なんであんなに文句言ってそれが通るんですか
2.諏訪方の感情操作ツールとしてのゆう姫の立ち位置が分かりません
諏訪方は寅王丸で手を打ったっって事だと思っていました<前回の高遠攻め
3.晴信様がなんであんなに側室にしたがっているのか分かりません
今回説明していましたが、諏訪との戦い前は深く言及してなかったので
後付に聞こえます
やっぱ美人が判明したからですか。でも会った事ないよね
要は、ゆう姫がなんであんなに威張っているのか分からないってことなんです
分からないので、側室になりたくない→我慢して側室になる
の一連の流れに感情移入できませんでした(今回致命的)
1と2は誰か頭のいい人お願いします。
3について言えば・・
晴信は勘助が生かした・・って事に引っかかってるんだろうな。
ミツといい源五郎といい、孫子も然り。同じもの惹かれる傾向がある。
その勘助が一目おいた→これは側に置く価値がある人物、となったんじゃないか。
晴信と由布姫にケータイもたせて見たいw
メール交換w
勘助が姫に言った
「そして、その和子様にどのような魂を吹き込まれようと、
それは姫様の御一存にござります」
ってせりふだけど、
「生まれた子供に敵討ちさせるって手もあるじゃん」
って聞こえるのは間違い?
>>741 「その気になれば次代は武田家そのものを乗っ取れますぜ」
ってことではないかと思った
どうなんだろうね
どっちも近いんじゃない? 由布姫はとにかく武田に屈するのが嫌。
勘助はどうしても晴信の思惑通り説得したいし、姫にも有意義に生きて
欲しいのだから、姫の同意を得られるほうに持っていきたい。屈する
ように見えてそれが一番の屈さない方法を強調したいんじゃないか。
暗にそういうことを示唆はしていると思う。
結局、もし逃げていても勘助が来なきゃ遅かれ早かれ
ヒサみたいな目にあうわけで無力。
(そー言う意味ではヒサが顔だけ泥まみれになったシーンは重要。)
まして今の武田の監視下で危険要因である姫に活路は無い。
側室になって男児を産めば力を持つ道も開け、
思うように生きることもできる(かもしれない)し、
息子の手を通じて諏訪・武田の状況を自分が望む姿に
できる(かもしれない)。
姫も気は強くてもお馬鹿さんではないので趣旨は理解したが
言われたとおりにするのも気に入らないので拒否。
その後アマリーとがっかりの訪問を受けて晴信に興味を持ち
マットに上がる決意をするわけです。ッしゃー!来いやおらーー!!
でも武田の家臣にあるまじき危険な発言だな。
だれか密告してやれw
これが体毛というものなのか!すごいぞ勘助w
741じゃが、皆の者、どうもありがとう
ま、きっかけはどうあれ、お館様を深く知ればきっとそのお人柄に云々という計算あっての発言と
勝手に解釈した次第です
由布姫に思い入れを持ってしまった勘助。(逃がそうとした)
↓
勘助の判断に興味を持って甲斐に呼んだ晴信。(勘助に対する信頼から?)
↓
由布姫を生かすなら側室にするのが良いと判断した晴信。(いきなり重臣に発表)(それを聞いてにやつく勘助)
↓ ↓
重臣はあり得ないと案を出し合う。 勘助は由布姫を晴信の側室にして生かそうと画策し始める。
姫を側室にできれば、確かに生かすことはできると思う。
由布姫を気に入った勘助を信頼する晴信。こういう図式なら理解できる気がする。
>738
1の由布姫厚遇は、敗将の姫ってよりも諏訪大社の巫女だから…
てのが大きいんじゃないかな?
大祝自体は諏訪満隣が後継者となったとは言え、
諏訪惣領家の血筋の巫女って存在は無視できないだろうし。
初登場シーンでも領民がありがたがって拝んでたし。
>>738 1 家中の意見はまとまっていないが、板垣の屋敷に入った段階で、
晴信の側室に上がる事が、大前提としてある。
故に、U姫の立場は、
敗将の姫<<<<いずれ世継を産むかもしれない側室候補
で、晴信としても無理やりつっこむ気はなく、合意の上で睦みあいたいw
ま、レイープして自害されたら諏訪に遺恨も残るし。
て感じだとオモタ
2 評定場面で勘助が言ってた。土曜の再放送見れ。
流れぶった切ってすまんのだが・・・
甘利が由布姫のところに行ったことを聞いた勘助が慌てて駆けつけるシーン。
途中ですれ違った人物が引いていた荷車。
あれ、何て名前?
「大八車」は、たしか江戸時代になってから出来たはずだし・・・
だれか、知ってる人教えて。
実在したU姫は、当時12歳ぐらいなので、
生きるも死ぬも、側室に入るのかどうかも、
全部、周りの大人が勝手に決めたことだったろう。
本人の意思なんかほとんど反映されなかったに違いない出来事を
本人の意思を中心にしてドラマ化するから
U姫というキャラクターの性格がメチャクチャになってしまうんだろう。
「親を殺した男の側室になる」などという事件を
本人の意思中心に描いちゃ、グタグタになるに決まってる。
753 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/07(月) 23:15:11.73 ID:4frFl59N
>>736 鎌倉北条氏(時政以前の系譜関係が判然としない)よりは、系譜関係はしっかりしているかもな。
>>751 荷車でいんじゃね ?
牛車が平安時代からある事を思えば、
整地された町中で車輪を使った運搬手段が
発明されててもおかしかないと思われ
755 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/07(月) 23:49:50.74 ID:CuErNk+k
初心者ゆえにお手柔らかにお願いします。
久々に大河を楽しく見てます。
質問です、武田二十四将は有名ですが、実際「いつごろ」「誰が」命名
したのでしょうか?。
亡くなった方や、若い方が一緒になっています。
24名が一斉に活躍していたとは思えないのですが・・・。
どうかよろしくお願いします。
756 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/07(月) 23:50:49.33 ID:4qYxFH/p
>>751 オレの読みだと、あれは『死人が出るかもしんねーぞ』的な空気を出す為の演出に見えたんだが、考え過ぎか?死体をあれで運ぶ事はよくあるし、あえて空荷だったし〜
武田二十四将は、江戸時代の初期、こうようぐんかんがブームとなって
作られたモノであるらしい。
どうして二十四かというと、中国に、唐太宗二十四将や、光武帝二十八将といわれる
名将たちの伝承があって、そこからパクったモノらしいです。
武田二十四将絵巻は、そもそも軍談から派生したモノで、歴史検証などいい加減で、
だいたいのメンバーは決まっているものの、
こっそり自分の先祖や、先祖が仕えた殿様を入れちゃったりするので、
各将の活躍した時代も、二十四人のメンバーもバラバラ
という事態になっております。
>>757 江戸初期まで遡れるかなあ?
記憶では江戸中期(家斉あたりだったか?)、甲斐の内藤某が初出だと思ったが。
講談、浮世絵等庶民文化から発生したものなので「誰が」というのは
特定出来ないと思う。
>>755 とりあえず、記憶だけで答えますが、
・○○将は江戸時代の甲陽軍艦や武田軍学の流行をうけて、
武田三代に渡る武将からの選択で、活躍した時代もばらばら。
・歌舞伎の名作「本朝二十四孝」は1766(明和3年)の上演
・武田二十三将や武田十二将、武田四天王、他にも多様な括りがある。
・単なる絵師の好み・・・・という人選もあり、
軍艦や類似の軍記物語から好き人や武田贔屓が選んだのでしょうか。
また、数合わせ好きの日本人の嗜好にあったものでもあり、
武者絵の流行とあいまって江戸中期には流布していた模様。
主たる将と、その経歴を知る手がかりとはなるのでしょうが・・・
自分は誰が○○将にふさわしいか論にあまり興味が無いんです。
(すみません)
でも、勝頼、小山田信茂、勘助の3人は採用の有無が顕著らしいけど。
>>756 でもさ、それだと勘助とおんなじ方向に行かなきゃだめだよな。
ところで、諏訪の姫の弟はどうなったん?
死んじゃったのか?
そんな描写無かった気がするけど・・・。
諏訪の姫の弟の寅王丸は元気に生きてる。
諏訪の殿の弟は自害した。
>>761 自害したって報告がくるシーンがあったよ
妻と娘と弟の年齢があまり変わらない諏訪さん一家
波平じゃねーか
フネ(52)、サザエ(24)、カツオ(11) desu
>>762>>763 dクス。
あれ弟だったのか!!(スケートの高橋大輔に似てる人)
若いなぁ・・・。
このドラマって濃いので絶対一回見ただけじゃ情報消化しきれないから
気をつけねば!
DVD買わなきゃな、俺も
あの時代、孫子はひろく読まれていたんでしょうか?それとも一部の人だけですか?
勘助の知行200貫って今のどのくらいに相当するんでしょうか?
771 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/08(火) 09:43:13.86 ID:0FahOjoo
>>752 それは川中島合戦伝説から
・人質となったわがままな姫
・恵まれない半生を生きてきた醜悪な影の軍師
というキーワードを見つけ出して組み合わせ、
日本版「美女と野獣」「オペラ座の怪人」を作ろうとした
大文豪・井上靖に言ってやってくれw
けど今も昔もそういうとこにロマンを見出すのが大衆というものだし
だからこそ風林火山や山本勘助・諏訪御寮人という存在が今日まで
特別なヒーロー、ヒロインとして生き延びてきたともいえるわけで。
この大法螺ロマンスが無かったら、我々も武田・諏訪の史実をあえて
掘り下げようとは思わなかったという人も多いだろう。
史実の面白さも虚構の面白さも味わう、でいいと思うよ。
今の時期の上杉家の人々は何をしてるの?
>>770 簡単そうな質問だが、石換算も難しいので現在の貨幣換算はもっと難しい。
アバウトに一貫=五石(そう外れてないと思う)とすると1000石で
しかも知行であるから、かなり破格の待遇なのは間違いない。
ちょっとした旗本クラスで、無理矢理今に例えるといきなり有名一部上場企業の
次長課長(しかもCEO直属で前例無し)ぐらい。
そりゃ重臣も反対する罠
774 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/08(火) 12:28:12.40 ID:IcETXmS0
>>772 その質問は、二つの意味にとれる。
後の上杉謙信こと長尾景虎の家、すなわち「長尾家」のことなのか。
関東管領上杉家(山内上杉、扇谷上杉)のことをさすのか。
長尾家なら越後国内の反乱鎮圧。
山内上杉家・扇谷上杉家なら、北条と交戦中。
勘助の知行は諏訪平定戦後、300貫に加増されたはず。
776 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/08(火) 12:39:08.47 ID:+6gX5e5z
大河の中で、北条氏康の剣術の指南役らしき人が出てきましたが、
晴信の剣の指南役とか武田家の剣術指南役って誰だったんですか?
信繁の弓術は諸角?が見てたみたいですが、武田家は守役が指南してたんでしょうか?
信虎に馬術なんたらって言われたので板垣に教わってなかったのかなって・・・・
778 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/08(火) 12:54:23.25 ID:IcETXmS0
>>776 信虎・晴信と二代にわたって軍略を教えたのは荻原昌勝といわれてるね。
信虎が再三「荻原が生きていれば」とドラマ中にいっていた軍師。
それと、「剣術指南役」というか剣術ってのは江戸時代に入ってから家康の剣術好きと、
合戦がなくなったなかでのスポーツというか護身術の一環で広まり、
大規模合戦の戦国時代では弓や槍のがメインの武器で、刀は江戸時代ほど重要視はされず、
当然、「剣術指南役」もいたかもしれないが、それほど一般的でない。
>>769 一般的ではないはず。
少なくとも浪人風情が読めるようなものではない。
入ってきた時から秘伝扱いで書物を代々受け継ぐという流布しにくい文化があった。
細川幽斉はそういう家伝の書物を人質扱いして城守った事あるし。
武田家が持っていたのも名家だったから。
江戸初期の軍学の隆盛も、先ず胡散臭い戦国期の体系化から始まってるのは
漢籍兵法書へのアプローチが難しかったから。
「じゃああの旗何よ?」と思うだろうが、「俺はお前らの知らない孫子解ってるんだぜw相手すんなら覚悟しろよ」
という示威的な意味もあったんじゃないかな?
そう言う書物が置いてあるのが寺以外にほとんど無いから
雪斎のような僧がインテリとして珍重された経緯にもなってる罠。
>>738 1.ドラマ中にもあったけど諏訪とは「和睦した」とあったので
敗北者というよりは(一応)同盟先の姫という扱いなのでは?
ミツやんはどうしてあんなに石礫のコントロールがいいのですか?
第二話で平蔵やんを木に縛り付けて石つぶてを投げつけている
場面がありました。(カットされましたが。)
子供の頃から、からかい甲斐のある平蔵に石や木の実を投げつけて
コントロールを鍛えたのでしょう。
平蔵w
ほんと意気地なしだw
でもなるほど、この人おてんば娘が好きなんですね。
>>783 782でごいす
ありがとうございました
つまり日頃から平蔵を的に鍛えていただけの事はあったって事ですねw
786 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/08(火) 18:08:04.65 ID:mYjnpPXv
>>774 たぶん既出だと思うが、扇谷上杉は関東管領ではない。
犬懸上杉が没落した上杉禅秀の乱(応永23年/1416年)以降、
関東管領職は完全に山内上杉の独占状態。
787 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/08(火) 18:34:08.25 ID:NkpesuD9
三条について不思議に思ったことがあります。
戦国時代の京の公家の姫のファッションといえば
白塗りに眉をそり落としている人が多いのですが
池脇の三条はそのような装いではありませんが、何故ですか?
(ちなみに、80年代の武田信玄での三条は眉をそり落としていました)
788 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/08(火) 19:36:51.05 ID:rLC4ozyF
今の視聴者にうけないから。ぐらいじゃないの実際。
そんなん言い出したらキリがない。礼法や衣装だって、厳密に言えば間違い
だらけだし、食事や登場人物の思考も現代人に伝わりやすいよう工夫されて
いる。
合戦のやり方なんかもそうだし、勘助が100貫以上の高級将校なのに部下
が少ないのも当時の常識から言えば異常。
>>787 公家の姫ながらも、甲斐に馴染もうという心構えの装いってのはどうでしょう。
>>789 おはぐろ入れてないのはおかしい、とか自前でマゲ結ってないのはおかしい、とか幾らでも言えるよなw
>>787 このころの武家の嫁さんは、立て膝&股間おっぴろげで座るのがデフォだったりする。
無論、下着は腰巻。
とても放送できない。
でも裸足にだけはこだわってんだな。参上の方
794 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/08(火) 21:42:31.22 ID:GZ0rWE7m
遅れまして・・・
756さん
757さん
758さん
759さん
760さん
武田二十四将についてのお答え、ありがとうございました。
大変勉強になりました。
795 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/08(火) 22:05:27.50 ID:2YuJyyDS
どうせ ガッカリ陰毛
797 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/09(水) 01:12:54.30 ID:EyhAK85g
池脇のM字開脚キボンヌ
>>787 確かに、武田家に輿入れ当初の紺野三条は
置き眉をしていたけど、いつの間にか普通眉になっていた記憶が。
他の人もレスしてるとおり、昔をそのまま再現・・・なんて
やりようが無いことです。
戦国時代なら、プロトタイプ今川義元以外にも男のお歯黒は居たし、
概出のように、女性も立てひざ座り(肖像画にも多く描かれている)
帯は細帯前結び、小袖の形や仕立てからして違う。
すべての面で風俗考証をする必要は感じないな。虚構なんだから。
だいたい、江戸時代のドラマのいわゆるお姫様の扮装、
あのビラビラ下げた簪や、ふき輪の大袈裟な髷・・・
あれらは歌舞伎の衣裳扮装から引き続いてのこと。
月代部の綺麗に伸びた浪人型の頭も舞台扮装から引き続き。
そんなもんです。
実はタイムマシンは存在するんだ。
だけど、それを開発し実践した科学者は、
余りに己の過去の認識と現実のギャップに戸惑って、
タイムマシンを封印したんだな。
実は、上杉謙信は女だったし、
ワシントンは桜の枝を折って無いんだよ。
キリストは復活しなかったけど、
チンギスハンは源義経なのは本当だよ。
それを見たタイムマシン開発者が公開できるはずも無いよ。
歴史がそっくり変わる。...だが、我等はそれを許すはずも無い!!
800 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/09(水) 11:37:22.81 ID:8PltWxVL
関東管領は正式な幕府の官職なの?
もともとは関東公方(足利基氏系)が関東管領だったらしいし
関東公方家が二つ、管領家が3つに分裂しているのなら勝手に自称しているのでは?
まぁ、今川義元も普通の顔だしな
個人的には麻呂顔希望
802 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/09(水) 12:41:08.65 ID:l8B4MlZU
>>800 違う。
関東管領はあくまで当時幼かった亀若丸こと足利基氏鎌倉公方を補佐するもの。
鎌倉公方=関東管領ということはない。
ただし、鎌倉府という独自組織中で任命権が京の幕府にあったために、
鎌倉公方も手が出せない存在でしばしば鎌倉公方対立し、争った。
あと、上杉家は山内・扇谷・犬懸・詫間の最大四つ。
関東公方は古河・堀越・小弓の最大三つに分かれた。
803 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/09(水) 12:53:58.99 ID:6Zv96jLr
>>802 >関東公方が3つ、関東管領が4つ
それ、全部京都の幕府が任命したの?
804 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/09(水) 13:54:59.84 ID:Qt8l76o8
>>802 室町幕府の初期の頃は、のちの関東公方(鎌倉公方)のことを「関東管領」、
のちの関東管領のことを「関東執事」ということがあった。
その後、基氏を「関東公方」、その執事を「関東管領」という呼称で統一された
背景としては、中央の幕府でも「執事」が「管領」になったことがあるだろう。
また同時期に「鎮西管領」「奥州管領」も、「九州探題」「奥州探題」に
呼称が変わっている。
805 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/09(水) 14:01:03.47 ID:Qt8l76o8
>>803 従来の関東公方家が幕府と敵対して古河に移ったのが古河公方。
それに対抗して幕府が新たな関東公方として派遣したのが堀越公方。
戦国期に古河公方の分裂によって生まれたのが小弓公方。
但し小弓公方ができたときには、既に堀越公方は滅亡したあと。
上杉は単に家が4分裂しただけ。
関東管領職は、その各家から交代で就任する形だった。
但し扇谷上杉は、他の3家より家格が低かったためか、一人も関東管領に
就任していない。
また詫間上杉は南北朝段階で断絶、犬懸上杉も上杉禅秀の乱が原因で
没落したため、室町後半〜戦国期の関東管領は山内上杉の独占状態。
(通称)北条早雲ものに欠かせないのが足利茶々丸
関東三国志に欠かせないロマンスといえば小弓公方家の青岳尼
807 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/09(水) 23:43:06.47 ID:grEy42Bb
北条早雲の伊豆侵攻も、実体としては将軍義澄の生母と同母弟を殺害した茶々丸の討伐を幕府から命令されてやったということで、決着してるんだよね。
808 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/10(木) 00:40:26.62 ID:JPMINs9H
平賀の娘は逃げ延びたの?
また出てこないかなぁ。
810 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/10(木) 02:45:18.11 ID:uSMbr9V7
>>807 幕府は早雲に、茶々丸討伐を命じても、
そのまま伊豆を侵攻して自分の領土にすることまでは命じていないんじゃないかな?
関東は幕府にとっても悩みの種ですなあ
812 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/10(木) 15:07:23.36 ID:qaaYtPtT
この前の甘利の行動がいまだによくわからないのだが…
結局は姫を殺そう(自害)としたかったのかな?
>810
まあでも、功を挙げれば恩賞を出さなきゃいけないし
>>812 刃物持たせた状態で怒らせ、自分を斬らせようとした
ま、釣りに失敗したって感じだろうかね
甘利が命賭ける必然性が希薄なんで、俺は白けたけどね。甲斐豪族の盟主
に過ぎない武田家の側室云々で、当主が死んだら甘利家も合わないわなw
戦に命賭けてたまたま死ぬのとは、少し違うよね。
>>813 いやでも堀越公方をおんだせということになっちゃうと
817 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/10(木) 19:16:30.25 ID:ihfSSK7Q
>>813 早雲は、茶々丸を討ち取ってない。逃がしたか、逃げられた。
茶々丸は逃げ回ったあげく甲斐で武田(?)に討ち取られたと、どこかのスレで読んだが?
>>815 Uに刺されれば、死ぬのは甘利だけで、家名は残るし、
晴信は、その衷心を思い、息子を重く用いるかもしれない。
甘利が刺せば、行き過ぎた衷心を疎み、
甘利家は遠ざけられるかもしれない。
前者を行動に移したのは、
勘助の出現で、発言力の低下を憂いている甘利の
起死回生の策なのか ?
と俺はオモタ
甘利の忠心は上田原で晴信を庇って死ぬ伏線じゃないかな…と思った
ヤなヤツが急に良いことをすると死亡フラグが立つというか
いや、上田原まであと数年あるんだけどさ
>>817 茶々丸の最期は結局のところよくわからない
ただ、甲斐に落ち延びて数年生きていた場合でも、
早雲が侵攻し、捕縛殺害したと言われている
820 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/11(金) 00:35:57.11 ID:7i5AdfjI
茶々丸は、堀越を追い出されたあと、伊豆大島、三浦半島などを転々とし、
最終的に1497年に甲斐に潜伏しているところを
守護武田信昌(信玄の曾祖父)に討ち取られたというのが、最新の研究成果と
記憶しているが。
>>820 >最新の研究成果
・・・かなり前からその説はあるのだが。
822 :
787:2007/05/11(金) 03:24:30.50 ID:gRhJAch2
自分頭がかたすぎますねorz
公家と言えば眉なし、白塗りだろ?といった思い込みがありました。
郷に入れば郷に従えということで、
甲斐にあわせているのではないかという考え方も頷けます。
それにしても、股間おっぴろげには驚きましたw
武士たるもの、目のやり場に困ったりなどしないのでしょうねw
私も本を沢山読んで勉強します!
たくさんの回答、ありがとうございました。
823 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/11(金) 07:37:00.97 ID:pOYcy7xU
武田家の分家って何で武田を名乗らないの?
晴信の叔父も勝沼信友だし。
逆に弟の信繁は何で武田なんだろ?
茶々丸って、「元服前だったから幼名」と記されてるとこもあるけど、
「元服後の名がわからないから、とりあえず幼名で記載」って事が
正解でいいの? 反乱の頭目が元服前ってのもなんか違和感
あるし 前から疑問だったんだけど、便乗質問させて頂きます
>>820 この辺は細々した部分でも諸説紛々としてるので、主張するなら
「最も有力であると認められた」くらいの説得力あるソースが欲しいな
>>823 一族いっぱいいるのに、みんな「武田」さんだとややこしいでしょ?
そうやって生まれたのが「苗字」。「武田」さんだって本来は「源」(は苗字じゃないけど)さんだ。
そして名乗る名乗らないは、与えられた領地を苗字として名乗る(勝沼信友はそう)とか、
家を継いで名乗る(息子の勝沼信元はそう)とか、そういうのが理由。
逆に武田家の中枢で活躍する信繁なんかは、武田を名乗った方が自然じゃないかな。
>>824 元服前に亡くなったと言われていたが、この辺もよくわからない
やたら悪逆と言われる辺り、北条氏が歴史から抹殺した可能性もある
>>823 諸家の名跡を継いだ、あるいは在地の名を名乗った信玄の弟たち
信是・・・松尾
信親・・・川窪
信竜・・・一条
信玄の息子たち
竜宝(信親)・・・海野
勝頼・・・諏訪
盛信・・・仁科
信貞・・・葛山
信清・・・安田
>>824 史板の足利スレとかで質問してみたら、詳しい人がいるよ。
自分が茶々丸の名をこのスレに出してしまったけど、
多少スレ違い雰囲気に寄ってしまったかな? 申し訳ない。
827 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/11(金) 11:07:10.21 ID:0mRRyh3L
800超えたので、テンプレ修正案を幾つか。
>>8 名前:花倉の乱(1536年):信虎追放(1541年)
●次の区切りを「1542年諏訪侵攻」「河越合戦(1545年)」など何処にあわせるか?
信虎追放(1541年)(諏訪侵攻1542年)としておく?というか、今何年?
*大河スタートは信虎弟戦死なので1535年
*戦国時の歳の数え方は数え年(0歳がなく、正月で1歳年をとる)なので気になる方は+1歳しましょう。
●+1でいいよね?
山本勘助:36歳 :41歳
●たしか、劇中42歳(今で言う41歳)っていったのが41年だから1501年生年説だよな?
ちなみに、甲陽軍鑑によると1493年生まれ。
>>2は
>>164に変える?コッペパンもまとめる?
>>9の年表の
1544■真田幸隆 武田に仕える
は微妙じゃね?上田原の合戦までに武田に仕えたというのが史実で、何時仕えたはよくわからんし、
河越合戦(1545年)に真田出るみたいだから1544年真田仕官は消したほうがいいと思うぞ。
あと、
>>5もそろそろいらなそう。
>>6 ガクト出演は?
06月03日第22回『三国激突』………………………
06月10日第23回『河越夜戦』………………………
06月17日第24回『越後の龍』………………………
おそらく6月17日。もしかしたら6月10日のラストとかにチラッと出るかも。
>>823 前の世代になれば、板垣、甘利、飯富なんかも「武田」だった人間で、
それぞれ移り住んだ土地の名前で呼ばれる。例は卑小だがオレなんかも
父母合わせて16人の兄弟が山梨を中心に散らばって暮らしていたので、
みんな苗字が同じだから「塩山の」「竜王の」「埼玉の」と呼ばれてた。
これが例えば「諏訪四郎神勝頼」が武田宗家を継ぐとなるとあらためて
「武田勝頼」になるわけで、たとえば信虎との家督争いに敗れた叔父の
油川信恵も、信虎を討って家督を継いでいれば「武田信恵」になっていた
わけで、例えば板垣が自分にも武田の血が流れているからと、晴信を
立てずにクーデターを成功させていたら、いきなり「武田信方」を名乗った
可能性さえあるわけです。(織田とか徳川あたりのいかがわしい経歴に
比べれば、まだ素性はクリアーな方ですからね)
>>829 >>飯富なんかも「武田」だった人間で
飯富って、始祖が誰かは諸説あるけど、いずれにしても
河内源氏の出じゃないの?
>>830 ああああ、飯富さんはそうだ、すみませんすみません。
「よしきよさん」こと義清以来山のように枝分かれした武田の家系の中で、
名家の名を誇っていた逸見のほか、今回のドラマでは出てこないけれど
有名な穴山、栗原、それに宗芸(信達)が1回だけ出てきた大井なども
武田の系譜に連なるものだと思います。
信虎時代にかなりの要職を占めていた浅利氏もこの系列でしょう。
「風林」の諸角虎定、「信玄」の倉科三郎左衛門などがハッキリこの
血脈に乗った人間なのかまで確認していません。重ね重ね失礼。
晴信弟の信繁は、ずっと晴信に尽くして仕えるのですか?
結婚はしないのですか?
>>832 勘助と共に川中島で時間稼ぎしてアボンヌ。
豊臣秀長と武田信繁は戦国「良くできた弟」「地味系凄武将」の双壁。
後に真田昌幸があやかりたいんで、と子に名を貰ったりしている。これが幸村。
子は数人いて信豊が有名。
長篠合戦で真っ先に退却始めたり、ろくでもない死に方したりでパパには似てない。
信繁は古典厩、信豊は後典厩ともいわれた。
>>827 >●たしか、劇中42歳(今で言う41歳)っていったのが41年だから1501年生年説だよな?
1500年説だよ。1501年生まれじゃ、1541年時は満年齢で40歳になっちゃうだろ
>>833 ありがとうございます。
いい奴なんですね!
>>831 たしか諸角は信虎の祖父(武田信昌)の弟だかにあたるはず。
839 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/12(土) 04:27:12.81 ID:lYr5yz6x
板垣家も甘利家も、上田原で死んで、息子は両方とも重く用いられないんですよね?
やはり、晴信の謀略で両家の大黒柱を殺したのか?
もし、カンスケの確固たる軍師地位をえるために、NHKが描いたら、風鈴=神大河
内藤昌豊って出るんですか?
分かりません
板垣信憲(いたがき のぶのり)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣。
武田晴信(武田信玄)の重臣・板垣信方の子として生まれる。天文17年
(1548年)の上田原の戦いで父が戦死したため、家督を継いで諏訪城代と
なった。
しかし父と違って有能ではなく、晴信からは疎まれていたとされる。このため
天文21年(1552年)、晴信によって不行跡を理由に城代を解任されて押し込
め処分に処せられ、天文22年(1553年)には殺されてしまった。このため、板
垣家の嫡流は断絶した。
甘利昌忠(あまり まさただ)は、戦国時代の武将。武田氏の家臣で、
武田二十四将の一人として数えられることもある。また奥近習六人衆
にも名が挙がる。天文3年(1534年)、甲斐武田氏の重臣・甘利虎泰の
嫡男として生まれる。
天文17年(1548年)に父が上田原の戦いで戦死したため、その家督
を継いで信玄に仕えた。若年であったが父に劣らぬ勇将で信玄から
の信任は厚く、信玄の信濃平定戦から川中島の戦いなどで大いに活
躍し、武功を挙げた。また武勇のみではなく、信濃・上野の領国支配
の政務にも功績を挙げている。
武田軍中で武名は高かったが、昌忠の没年は不詳である。一説では
永禄9年(1566年)に落馬死したとも、元亀3年(1572年)の三方ヶ原の
戦いに参加して戦功を挙げたものの、直後に病死したとも言われている。
後を弟の信康が継いだ。
美談ばっかで確たる史実は無いのだが
どうもこの二人は無血クーデターの功労者の割には
その後の嫡流の扱いが今一厚遇で無いんだよねぇ
実は信方ってドラマや美談ほどの
いい人では無かったんじゃないかと・・・
>>823 信繁も武田氏の庶流吉田家を継いでます。
846 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/12(土) 11:24:28.40 ID:yyU+9Gdb
>>844 というか、史実では板垣の末期の増長振りは「甲陽軍艦」やそれ以外の文書に書かれる史実。
勝手に首実検やったりして信玄から諌められるが言うことを聞かなかったりと文書に残る。
ドラマだけが美談を出してるだけ。
オブも、義信に絡んで切腹させられた時、
「俺が若かった頃、俺を小馬鹿にしていて、呼びかけても返事をしなかった」
と晴信に弾劾状を書かれているな。
大井夫人が晴信に、寝首をかかれても〜 と言ったのは自分も晴信を介して結果的に信虎を追放したから…という読みでいいですか?
849 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/12(土) 17:27:36.65 ID:/bCAM1zm
>>823 >武田家の分家って何で武田を名乗らないの?
>晴信の叔父も勝沼信友だし。
>逆に弟の信繁は何で武田なんだろ?
レスにもあるように、
武田だらけだと区別がつきにくいという消極的な理由が主要なものだろう。
積極的な理由としては、「武田」の名乗りを特別なものにする意味があったかも。
武田家の場合よくわからないが、
戦国大名では、織田家、徳川家等は、
織田、徳川を名乗ることができる人間を限定しているな。
北条四兄弟みたいに氏政以外北条を名乗ってないのに
全員北条と書かれるのと同じじゃねえの?
851 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/12(土) 20:37:13.70 ID:dcAacDFe
>>849 武田自体にはそこまで特別なものはない。
信虎の頃まで甲斐国内でも絶対的な存在ではなかったわけだし。
>>844-847 アレクサンドロスとパルメニオン、秦王政と呂不偉の関係みたいだな。
適当な時期になると擁立の功臣は邪魔なだけ。
得川なんか一度滅亡したんだから
もっと特別じゃないよな
すみません、『首実検』とは何でしょうか?
つ Google
消防の頃は「くび実験」だと思っていて、くびを実験ってどういうことかな?
回すのか?回してどうなる?とか思ってた。
857 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/12(土) 21:55:23.04 ID:HmilBxL1
>>856 私も最初は、六神丸に使用する
脳髄に関する実験か何かかと思ったよ。
>>855 今Google見てきました。ありがとうございました。
>>849 >>851 前に、海野、仁科、葛山・・・と、他家の名跡を継いだ
信玄子息の名を挙げたけど、
支配下に入れた名族の名跡維持という目的もあったのだと思う。
>>850 蛇足になるが、
北条氏照は名族大石氏の滝山城にはいり大石氏の娘を娶り
(婿入りというより、北条家による支配権獲得)
大石家の名跡を継いだ当初は「大石源三」を名乗っている。
守矢頼真てどこに出てました?
861 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/13(日) 16:55:11.51 ID:DXNVJnuZ
>>823>>849 この時代には、元々の本家(あるいは祖先)の名字と、現在の自分の通称とを
並べて名乗っているようなケースも結構ある。
例えば、
佐々木六角、佐々木京極、佐々木朽木、佐々木尼子、
土岐世保、土岐池田、土岐明智、
上杉山内、上杉犬懸、上杉扇谷、
のような表記は同時代史料のなかでは結構よく現れる。
この場合、正式な名字はあくまで前半部分で、後半は通称という意識みたいだが。
あと武田氏の場合がどうなのかは知らない。
862 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/13(日) 16:56:11.66 ID:DXNVJnuZ
>>860 先週のオープニング音楽の前のプロローグ。
よく言われるけど、「武田菱」というのもよく見られる直線の
平行四辺形は武田本家は用いない。「花菱」とよばれる花弁が
四枚集まった形が武田本家の旗印。
直線の菱形は、それこそ「一族」「親族」レベルの人間にあてがう
もので、武田の統領はこんな低い次元のものは用いないというのが
当時の常識だったらしい。
よく言われるけどほんと歴史を再現するのは大変だ。女性の衣服や
座り方の話が良く出ているけど、「晴信」「信長」なんていう本名を
呼び合うことはありえなかったとか、もう根本から難しい。
馬がポニーなんていうのは小さな問題でしかないんだな。
864 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/13(日) 19:54:12.65 ID:j5UXdeMc
>>863 花菱は信虎の旗に描かれていたものですか?
てっきり直線菱が信玄、信虎が花菱だと思っていました。
菱でもクラスが分けられているのですね。
見栄えは直線菱の方がシャープでいいような気がしますがw
865 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/13(日) 20:57:27.95 ID:6bZRTWJ+
終盤飯富のセリフ教えてくださいっm(_ _)m
>>863 ちと外れるが、日本馬って蒙古馬の血統だから、代表的なポニーであるシェットランドポニーより結構大きいよ。
サラブレッドでいうと440キロクラス程度の大きさはある。
(440キロ前後のサラブレッドの例:ライスシャワー、ディープインパクト)
鈴木説の「長篠の戦で鉄砲三段打ちが無かった」というのは正しいと思うけど、騎馬が役に立たなかったという
のは間違いだろうね。
検証する時にまともに調教した馬使わなかったとしか思えない。
867 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/13(日) 21:12:34.09 ID:j5UXdeMc
868 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/13(日) 21:19:16.49 ID:6bZRTWJ+
>>865 小山田「美しき諏訪御寮人と、夜ごと姫と睦みあえるのじゃからのう」
飯富「しゃれど、夜ごと笛を吹かせるだけでは、和子は出来まい」
一同「ハッハッハ…」
すまん訂正。
小山田「その板垣殿を諏訪に送ってまで所望された側室じゃ。
それをもたらした勘助を、頼もしく感ぜられてもおかしくはあるまい。
美しき諏訪御寮人と、夜ごと睦みあえるのじゃからのう」
飯富「しゃれど、夜ごと笛を吹かせるだけでは、和子は出来まい」
一同「ハッハッハ…」
871 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/13(日) 21:31:05.85 ID:j5UXdeMc
>>865 すみません、大変失礼しました〇| ̄|_
ハッハッハッ
873 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/13(日) 21:41:10.21 ID:6bZRTWJ+
>>870前後の流れまでありがとうございます。小山田はやっぱりそっちネタ担当なんですねw
>>871いえ、そこまで言われるとかえって恐縮です 最初から理由を言えばよかったと反省です
875 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/13(日) 21:45:09.45 ID:tKe1+Vvb
長尾景虎の登場は来月?
花倉の乱のあと今川家ってなにやってるんですか?
他国侵略とかしたりしてんの?
877 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/13(日) 21:52:47.03 ID:6bZRTWJ+
あと富士川以東の領地をめぐって北条と抗争。
881 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/13(日) 22:15:28.17 ID:QXgHajy9
>>875 >>827 ガクト出演は?
06月03日第22回『三国激突』………………………
06月10日第23回『河越夜戦』………………………
06月17日第24回『越後の龍』………………………
おそらく6月17日。もしかしたら6月10日のラストとかにチラッと出るかも。
882 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/13(日) 22:23:32.94 ID:VVoAQSRm
>>881 はっきり答えよう。
6月10日はまったく出ない。
6月17日は100%出る。
ノペライズに書いてあった。
ガクト紀行に出るかもしれないしな
885 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/13(日) 23:41:37.60 ID:jCE20CXg
出るってどういうシーンで出るんだろうな。
河越えの来週となると
家督を継いだあたりで登場ってか。となるとまだ18〜19になるな
24話、26話は出演確定済。
本格的に出番が増えるのは、勘助が越後に向かう32話あたりから。
平賀の娘婿の大井と、今回出てきた大井は違う人だけど同じ一族なんですか?
大井夫人は関係あるんでしょうか?
諏訪が武田を裏切ったというのに
諏訪やその娘である姫は晴信に対して不遜な態度や恨みを
あらわにしていました
これは逆切れというものですよね
なぜ自ら裏切って敗れているのに大きな態度がとれるんでしょうか?
>>888 史実では一方的に裏切ったのは武田なのに、
ドラマでは変な脚色を入れてるから話の咀嚼がおかしなことになってるだけ。
890 :
キチガイ晒しage:2007/05/14(月) 01:01:45.53 ID:sQaz4A/v
740 名前: 日曜8時の名無しさん 投稿日: 2007/05/12(土) 13:49:00.32 ID:8FsDoERn
大 爆 笑 !!!
何だ何だ?いつのまにか風林火山に嫉妬しまくってるアホウが巣窟
してるっての?
残念だけど、世間での評価(特に玄人目)では近年まれに見る大河
だってのは誰しも認識してるんだよ〜〜〜
そこら辺のチャラチャラしたドラマとはわけが違うの、分かった?
841 名前: 日曜8時の名無しさん 投稿日: 2007/05/14(月) 00:21:15.33 ID:lFygoP6c
また武田に嫉妬してるどっかの田舎大名マンセー君が噛み付いてるの?
戦国時代ってのはねえ、武田家を語らなければ戦国ではないんだよ、分かる?
君達も下らない3傑中心ばかりでいい加減飽き飽きしてるだろう
891 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/14(月) 01:02:43.60 ID:s0+6WbV2
>>888 姫にとっては父の行動を裏切りとは思ってないのでは。
頼重パパは、ちょっとおちゃめが過ぎただけ
劇中での説明が無いからワケワカメ
今回教来石が評定に出席していたのは、
>信玄が武田氏の当主となり、
>その直後から諏訪・伊奈(いずれも信濃国)攻めが始まると、
>これに参加して武功を挙げた。
>このため信玄から、天文15年(1546年)に(ry
>信虎50騎持の侍大将となり、(Wikipediaより
しかし、改名はまだ。
て事?
894 :
893:2007/05/14(月) 10:33:19.51 ID:4vRmAZ7M
コピペ失敗。「信虎」はスルーして orz
895 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/14(月) 11:52:54.11 ID:NFLGmW2T
>>895 それだと悲劇でも薄幸でも無くただの馬鹿じゃね?
論理と感情は別だろ。自分の身内の敵なんだし。
>>897 そうじゃなく客観目線で見て悲劇でも薄幸でもないじゃん?
自業自得だろ?ナレーションで悲劇とか言われても何でやねんとか思ったし。
やっと義清が動くのか!!
900 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/14(月) 13:19:35.46 ID:Wu6PqK0w
>>896 それは何とも・・・
事実は、武田が一方的に諏訪を裏切り奇襲で攻め込み、頼重を甲斐に拉致し切腹させたこと。
そして頼重の妻は程なく死亡、嫡子の寅王丸も行方しれずで諏訪の嫡流は滅亡。
その後諏訪御寮人が諏訪の跡取りとして、晴信の子を産んだこと。
それこそレイープ紛いかもしれんし、自ら惚れて股を開いたのかもしれん。
ただそんな鬼畜な内容だとドラマにならないので、いかに諏訪を悪者にし諏訪御寮人の股を開かせるかは
脚本家の腕次第。
>>881 はっきり言って24話・26話の景虎は「武田信玄」第1話並みの
「顔見せ」に過ぎない。ガクトがやるとこんな感じになりますよ、
というプロモ映像のようなものと思ってくれ。
とにかく期待しているのは以前から語られている、日本海海運貿易で
巨万の富を蓄えている「あきんど大名・長尾家」なのだが、さすがに
ガクトにそれをやらせたら怒って降りてしまいかねないだろうし。
>>898 現代的な価値観でいえば親父の失敗であって自業自得ではないわな
そういえば「白練絹の行人包み」という格好の上杉謙信は、「武田信玄」
の柴田恭平もも末の番組予告などでは演じていたな。
「そして、生涯最大のライバル、越後の虎・上杉謙信!」というナレと
ともに、ヒゲも生やしていない恭平が行人包みの鎧姿で単騎信玄の本陣
(予告専用映像なので護衛は四人ほどしかいない)に突入し、あぶ刑事風
怒りの表情で剣を振り下ろすと、これまた予告用のためヒゲもつけてない
信玄がふぞろいの林檎風苦悶の表情で軍配を差し出すところで大井夫人の
「わが子晴信、これより戦国の世を生きまする」のナレで締め。
ガクトが本編ではどんな姿で出てくるかまずは楽しみ。
武田と言うか甲斐連合軍の諏訪攻めについては、ドラマが諏訪侵攻に
入った辺りの過去ログ60〜65辺りが詳しいぞ。
巨人・諏訪頼満の負の遺産が孫の頼重にツケとなって返って来る
歴史の綾や、その後の武田による諏訪本社の経営などについて
色々な情報が寄せられていて充実している。
905 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/14(月) 14:12:12.74 ID:AUBuPzw3
三条家が笛管絃者とはいえ、やんごとなき姫君の三条夫人が多少笛を嗜むって本当?女は弾き物はしても吹き物はしないのでは??
源五郎の「お方様の呪い」というセリフは笑える部分なのでしょうか
忠義に反するようで肝が冷えました
908 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/14(月) 16:20:13.38 ID:YOwFqmBk
三条って甲斐へ来る前はずっと京都にいたの?
909 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/14(月) 16:27:35.76 ID:vAmNiIlX
>>901 河越夜戦の次なら、黒田秀忠の謀反による黒滝城攻めだろ。
黒田氏は謙臣(当時長尾景虎)兄の長尾晴景が病弱だから謀反したというわかりやすさだし。
>>908 そういえば彼女の父親の三条公頼は、1551年には大内義隆の庇護を
求めて山口くんだりまで行ったあげく、陶晴賢の謀反に巻き込まれて
死んでたんだっけ。でも京にいなければ受けられないはずの官位昇進が
永正 7年(1511年) 権中納言
天文10年(1541年) 内大臣
天文12年(1543年) 右大臣
天文15年(1546年) 左大臣
と進んでいたという事は、三条夫人も京都から離れる事はなかったと
思えるけど…。
>>909 それと思われるシーンが、なんだかイメージビデオみたいだったという
噂が…長尾→上杉家臣の役者もしばらく出て来ないようだし。
911 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/14(月) 18:53:02.58 ID:bol8T1Ae
>>907 そのセリフを晴信と懇ろな源五郎が言うから笑えるんだよ・・・
俺はあのシーン、声だして笑ったなw
913 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/14(月) 21:50:08.32 ID:R7ft7vbc
この前は、たくさんの方に教えて頂きありがとうございます。
また疑問が生まれてしまいました、教えていただき・・・
来週、遂に勘助が軍師になるようですが、軍師の仕事というのは
戦において献策する事でしょうか?。
勘助が立てた作戦は、史実において実際にどの戦場だったのでしょうか?
川中島の啄木鳥戦法は、勘助の意見ではないというのを聞いた事があります。
どうぞよろしくお願い致します。
914 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/14(月) 21:52:07.88 ID:4me4FKkU
>>911 同意。
「お方様呪いではないかと」と言った時の仕草が
心なしか拗ねているようにさえ見えたw
実際はこの時点でウホッホな関係になっていたのだろうか?
もう家族で見ているのは俺だけになってしまった。
両親も姉も難しくてついていけないそうだ。
去年はわかり易かったとボヤいてる。
どうすれば再参加させることができるかな?
916 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/14(月) 22:03:42.69 ID:S0gZWm3g
>915
まずはおめぇさんが歴史背景について説明してやる。武田関連はネットで調べれば山ほどでてくるからな。
そんでなんとなく興味持ち始めたら両親を風林火山ツアーにでも招待してあげろ。百聞は一見にしかずだからな。
ねーちゃんには勘助キティでもあげればよい。
917 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/14(月) 22:14:39.54 ID:ZcMD8Rx6
>>915 ガクト出演あたりで呼び戻せば?
とりあえず、ガクトがどうなるか見ておこうと誘う。
918 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/14(月) 22:15:43.69 ID:DB8hJREY
>>887 今回でてきた大井貞隆は、平賀源心の兄
信濃の大井氏は、鎌倉時代に小笠原氏から分かれた家
甲斐の大井氏は、南北朝時代に武田氏から分かれた家
なので関係はない
919 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/14(月) 22:16:13.74 ID:4me4FKkU
>>915 見やすい大きな戦国地図を置いてみては。
ドラマとあわせて見るととても解り易いです。
山の位置、湖の位置などを正確に知って見ると
戦略の素晴らしさもよく理解できます。
>>913 戦争は政治の延長もしくは一部だから、軍師の献策は外交、内政調整も含めもっと広範囲
孫子信奉者ならなおのこと。
とはいっても日本では軍師的ポジションはあっても軍師なんぞは存在しなかったが。
史実では…といっても存在はした、くらいしか分からんし>勘介
どこまで真に受けていいか分からんけど「武功雑記」では
三河牛久保の牧野家臣に山本勘介という高慢な兵法者がおり、上泉伊勢守と牧野殿の前で
仕合をしたが、伊勢の弟子にあっさり負け、主家におれなくなり甲州へ行った。
勘介は山県(昌景)に召し抱えられたが、甲州者で勘介の名を知ってる者は居なかった。
川中島合戦で山県は勘介を物見に出したが、その報告を受けていると信玄が
「あれは何者だ」と尋ね
「あれは山本勘介なる三河の者です。口おも(落ち着いたの意)な者で山県が扶持しております」
と申しあげた。
これだけ。
921 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/14(月) 22:33:15.33 ID:R7ft7vbc
920さん>
ありがとうございました
前作の大河「武田信玄」の山本勘助が、本物ぽいという感じですね。
連投ですいませんが・・・
1:本物の軍師は誰だったのでしょうか?
2:戦争の作戦を立てたのは、信玄の独裁だったのでしょうか?
本当に立て続けですいません
戦国時代でもっとも軍師っぽいのは雪斎なんじゃない?
なんつってもちゃんと権限があった。
他は君主の相談相手つーか、某臣止まりかも。
で、通常軍議の場では君主が既に内心決定している事柄でも出席者全員にとにかくなんでも喋らせる。
これは後に遺恨を残さないようにする措置で、信玄や信長でもこういう風だったらしい。
勿論、最終的に決定するのは君主だけど。
これの例外が謙信。
部下には状況報告だけさせたら毘沙門堂に籠もって1人で決定。
雪斎はまさしく軍師だな
戦やらせても相当なものだし。
信玄も(ある時期までの)信長も強めの連合盟主くらいの立場だったんで特定人物だけを
重用してしまうと差し障りが大きい。
今川は早い時期から知行制を確立して強力な支配体制を持っていたから
そういう事を出来るわけだが。
>>913 軍師本来の仕事は戦争の吉凶を占ったり、
戦争にまつわる神事・祭事を取り仕切ったりすること。
津軽為信に仕えた沼田祐光や大友宗麟に仕えた角隈石宗あたりは
そういったことをしていたと言われている。
「風林火山」で勘助がなる軍師は他の人が書いてる通りなんだろう。
>>924 >軍師本来の仕事は・・・
軍配師でしょ。
926 :
907:2007/05/15(火) 00:37:30.51 ID:LmGfnyOx
>>911、912、914
ありがとうございます
晴信の度量を示す場面かと思いましたが、その辺りの事情wを忘れてました
と、いうか手紙の年代からもっと先の話かと…細かい人間関係も目が離せませんね
927 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/15(火) 01:06:43.75 ID:d3OGJne3
922さん
923さん
924さん
925さん>
ありがとうございました^^
また勉強になりましてん。
独裁政治だったのですねー、やっぱり。
でも、雪斎がそれほど優秀だったとは・・・あの爺さんやるなぁ。
大河ドラマ「風林火山」では、最近側近が集まると下ネタばかりで。
諸角や小山田・・・なんかなぁって感じです。
閨、閨って・・・御館様が聞いてたら切腹物ですね^^。
928 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/15(火) 01:37:26.71 ID:V+xJJFdd
晴信「謀ったな!勘助!」
勘助「君の父上が悪いのだよ」
このシーンはいつ頃ですか?
930 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/15(火) 02:01:36.81 ID:1o+8xo1K
むしろスピンオフで勝頼ガルマ対信茂シャアがみてみたい。
独身の勘助はセックスの処理どうしてたの?
やはり遊郭みたいなところが甲斐(とか各地)にもあったのだろうか。
真面目な質問です。
遊女はどこにでもいるよ。
晴信のお使いでどこかの家をお泊り訪問した時などは、酒などとともに夜の接待用の女性が用意されたりもするし。
春日家に泊まった時は酒を持ってきたのは源五郎だったけどw
933 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/15(火) 08:30:44.44 ID:dFUB9iKn
ゆう姫ですが、何故越し入れ前にも関わらず、打ちかけをきていたのですか?
ねねやミル姫は小袖だったのに。
ヒロインだから衣装も特別なんです
935 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/15(火) 08:45:38.99 ID:DtUYQl7e
>>931 まじめに答えると、
当時は「夜這い」という風習が一般の村では公認とされていた。
夜、女の家(人妻も含む)に忍び込んで女が同意すればセックスするのは認められた。
だから、セックスしたかったら夜に女の家にいけばいいだけ。
ただし、女性が断ったらあきらめることも同時に風習としたあった。
現在の貞操観念とだいぶちがうわけだ。
「夜這い」を一般化しちゃまずいんじゃないか?
当時は避妊の技術がなかったので
ほんとに夜這いだの乱交だのがあったのかあやしいよな
未婚女性はやりまくりっていう俗説はやはり俗説だろう
>避妊の技術
一応あるよ。100%避妊できるってわけじゃないだろうけど。
でなきゃ遊女なんか出産してばっかりで仕事にならない。
当時は年頃になると母親から教えられた。
939 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/15(火) 10:32:59.69 ID:DtUYQl7e
>>936−937
少なくても、現在の貞操観念と、戦国時代の、特に庶民の貞操観念はだいぶ違う。
支配者階級はまた別だが、少なくとも庶民においては、
無理に売春などしなくても、セックス機会は多くあったし、別に「タブー」ではなかった。
また、当時は村内同士の婚姻だと現在ほど人の行き来がなく、みな親戚になるリスクがあったので、
旅人の男と村娘とセックスさせて「村の女から生まれた子供は皆村の子」という「女系家族」という風習もあった。
そこまでいかなくても「村の女から生まれた子供の父親を詮索する」ってのは大きな問題にならなかった。
放送禁止民謡とかにもセックスに対しての歌もあったりして、セックスに対してかなり奔放であることは証明されるし。
あと、夜這いは「戦国自衛隊」とかでも描かれていたな。
勘助の話に戻ると、勘助のような仕官してる身分の男が村の女に
夜這いをかけるってあり得るの?
遊女を買うとすると、やはりそういう特別な場所(廓?)へ
行くのか、それともデリヘルよろしく自宅へ呼ぶんですか?
そもそも大河ドラマで、夜這いとか、武士が遊女と寝る場面とかが
描かれたことはあるんでしょうか?
941 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/15(火) 11:11:01.86 ID:DtUYQl7e
>>940 可能性論ならあんな放浪するくらいなら十分あると思うが、当然逆に、そのような行為をしなかったかも知れないし水掛論だな。
後、廓などはあくまで江戸時代の平和な時代で都市文化のモノであって当時は殆どなかった。
なぜなら、セックスに金なんか払わなくても、
風林火山では珍しく描かれたが「乱捕り=敵国村などでの強盗」が合法であり、
勘助のように足軽になればセックスしたかったらレイプすれば十分だったし、
戦国時代で売春して、金を払わないで相手が逃げたり、殺しても防ぐ方法は少なかった。
組織的な売春には法律なり暴力なりのバックボーンがないとできないもん。
大河ドラマ的にセックスは御法度なのに、風林火山で乱捕りやったのは画期的。
942 :
887:2007/05/15(火) 13:03:07.60 ID:iNgtsuAw
>>918 大井貞隆が平賀の兄、ということは晴信は弟の仇なのね。
領土争い以外にもこういう事も含まれていると
更に面白く観れます。ありがとう。
>>939 そこまであけっぴだと、もっと梅毒とか蔓延ってそうな気もする
944 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/15(火) 13:57:19.00 ID:5CPrfjWK
梅毒が日本へ伝わったのも戦国時代ですしね。
>>943 × あけっぴ
○ あけっぴろげ
ちゃんと書いたつもりだったけどミスってた
>924
キングオブジバングに登場した・・・誰だっけ。名前忘れた。
こいつも占い師として描かれていたね。
>941
巧妙が辻でも落城した混乱のなか襲われる女性が登場した。
服剥がれてチチみえていたような。
乱捕りというか戦地の女性が襲われるシーンはこれまでもあったように思う。
948 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/15(火) 14:32:43.36 ID:/TOosBt6
>>943 梅毒は充分驚異的な速さで国内に広まったと思うが
949 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/15(火) 14:35:05.16 ID:/TOosBt6
>>947 徳川家康でモロ乳出しレイプシーンがあったよ。
しかもかなりアップで。
由布姫が祝言の時、晴信を見てかすかに微笑んだのは
「おやかた様は見目麗しき御方ではあらしゃいません」という
三条の言葉を思い出して、相違ないと思ったからですか?
>>948 死因が梅毒疑惑の大名も何人かいるくらいだしな
>>950 微笑んでるかどうかは微妙だけれど、ノベライズにあればそうかもね
952 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/15(火) 17:06:58.78 ID:hBXaO+ax
>>910 永正7年から天文10年まで昇進に30年ものブランクがあるのは怪しくない?
転法輪三条は清華家(しかも閑院流)なのだから、公頼の内大臣への昇進に
そんなに極端に時間がかかるとも思えない。
永正7年段階だと三条夫人はまだ生まれていないし、
天文10年段階だと既に武田に嫁いだ後。
三条夫人は本当に幼少期を京都で過ごしたのかどうか・・・。
ドラマの中では由布姫は諏訪神社の巫女もやってるようでしたが、
そういう女性(巫女=神に仕える?)を側室にするということに
タブー意識はなかったんでしょうか?
周囲にそれに触れる人がいなかったようなんですが…
954 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/15(火) 17:25:03.31 ID:r+Nj14kp
下級の巫女が売春をやっていた時代だから、
現在の宗教観と違うのかもな。
伊勢神宮に仕える皇女の斎宮でも
斎宮位を退いた後は、普通に結婚したりしてました。
由布姫が巫女を降ろされた後なら、側室になってもいいのでは。
956 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/15(火) 17:41:56.08 ID:6WL6L6WN
>>921 司馬遼太郎は、
「大村益次郎」こそが、日本史史上、唯一と言って良い軍師だ、
と言っている。
巫女や尼って娼婦も多かったからね
958 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/15(火) 18:33:52.69 ID:/TOosBt6
>>953 コスプレに萌えるのは今も昔も変わらないということ
953です。皆さんレスありがとうございます。
巫女という設定に何か伏線があるのかと思ったのですが、
そういうわけではなさそうですね。
勉強になりました。
960 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/15(火) 22:13:31.28 ID:xbCa7sgg
NHKの歴史捏造は、関西テレビと同じじゃないの?
駿河とかやってるけど、駿河など地味なものは、興味ない。
話も捏造だらけが、丸わかりでもうNHKは見ない、いらない。
金かえせ、NHKめ。
>>956 司馬遼太郎は「将才」というのが世界的にももっとも得がたい才能といっていて
其れを持っていた人は日本歴史上では義経と大村だけと言ってたような。
軍師=将才ではないのかもしれんが。
将才てか、「軍事的才能」な。
1民族に1人出れば上出来つってた。
日本には3人もいるらしいがw
963 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/15(火) 22:44:03.27 ID:mmbjukY1
>>962 実際はもっと沢山いると思うよ。
ただその才能を発揮する機会がないだけで。
実際に司馬の書いたものを読めば分かるが、1人出れば上出来つーのは、時と場所を得た人物が実際に
軍事的才能を持っているのは非常に稀って意味。
裏を返せば、日本にはそれだけ時も場所もあったってこと。
>>962 3人だっけ。
もう一人は誰だろう・・・
まさか秋山真之か?
一級の能力を持っている政治家兼、戦略家兼、戦術家=軍師
ってワケでもないんだろうが。
なんか、軍師というと超絶的な天才じゃないといけない
みたいな誤解があるな。
つーか、そもそも孔明だって本当は
戦国時代にはいわゆる参謀ってポジションが無かっただけ。
政治分野の相談相手(某臣)は多いんだけど。
雪斎の名前が出るのは、彼が実際に三河方面軍を動かす権能を持っていて、しかも鮮やかに三河を制圧したからだろ。
「軍師 = 戦が好きで好きでどうしようもない人間」 って、
郭嘉も言ってるやんけ 漫画の中でだがナー
969 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/16(水) 01:01:50.71 ID:OH0Yx1Ew
>>960 ちょっとよく分からないので、具体的にお話下さい。
>>966 >なんか、軍師というと超絶的な天才じゃないといけない
物語で軍師扱いされてるのは大体そういう存在だな
その思考内容が妥当かどうかを超越して自在に未来を都合のいいように誘導してしまう存在w
太原崇孚雪斎は間違いなく軍師といえる存在だろうな
>>970 軍師像の象徴的存在である演義の孔明先生がそんな感じですから
日本の軍師のイメージだって、「今孔明」竹中半兵衛の影響がでかい
973 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/16(水) 06:47:31.73 ID:iMbAP5cf
軍師ってさ、結局自分が脳内妄想で考えた机上の空論を実際に試してみたくて仕方のない自己顕示欲の強い人達なんだよ。
で、実際に試してみて、それが机上の空論で終わらずに上手くいってしまうという能力の有無が名軍師に求められる資質。
元首の代わりに政治や戦争を行う人=軍師
という定義づけなら、明治以降の政治家や軍人は
みんな天皇の軍師だよな。
占いをしていたかどうかは知らぬが。
>>973 なにが「結局…なんだよ」なのか
えらそうに
>5は削ってもいいよな。作った俺もそう思う。
3悪人でないしなあ。
そんじゃ、>5抜きで立ててみる。
981 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/17(木) 00:00:04.78 ID:WvKubGrC
毎回思うのだが、ドラマの中でも登場人物の年齢は数え年を原則にしているのだから、
テンプレの年齢表は数え年によるものを掲出して、
「満年齢に直す場合は、その年の誕生日の前なら−2歳、誕生日の後なら−1歳と考えて下さい」
というような注記にしたほうがいいと思うよ。
次々スレでの課題になるが。
乙でごいす。
983 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/17(木) 02:42:09.40 ID:JuJObAGj
大儀であった
おもさげながんす
諸角!!よーした!!
986 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/18(金) 07:19:17.16 ID:GWWz84Qz
勘助の足不自由な設定って過去の大河や民放でも
勘助が出てる戦国モノは基本的に足引きずった設定なの?
普段、内野の顔演技が絵的にメインなので急に立ち上がったりするとき
(引きのカメラで)足引きずった絵が入ると、ちょっとテンポが悪くなと思ったので。
>>986 それも含めて勘助のキャラクターなのに、見場が悪いと否定されてもなあ・・
この大河の登場人物キャラ立ち過ぎ。
個性的で面白い。
信玄・謙信・勘助・由布姫・三条と前の大河のキャラ破壊し続けてる。
強烈すぎて当分このキャラ脳内にすり込まれそう。
すぐ漫画化できそう。
あの信虎追放の時点で甲斐はもう平定終わってたのでしょうか?
あと家臣ともども、信濃信濃って言ってますが、今川、管領上杉と手を結んで武蔵の北条を
攻めるとかは考えてなかったのですか?やはり領主がばらばらの信濃のほうが攻めやすいと
考えたのでしょうか?
991 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/18(金) 17:10:32.36 ID:mjvIM2zh
そんな感じ
自分も左足が不自由な為動く勘助を見る度に身につまされ…っていうのは置いといて。初回冒頭の「それがしは青き月影の如く…」を「其疾如風…」のような漢文で表せるなら教えて欲しいのですが… お願いします
993 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/18(金) 19:04:29.33 ID:KAkgekLC
某如青月影
じゃないの?違う?
レスありがとうございます。 そういう感じで冒頭全部を教えていただきたいんです… でも「恋は散りふる…」は無理ぽいですよね;
995 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/18(金) 20:18:37.76 ID:KAkgekLC
御屋形様如燃日輪
恋如散降花
心如仄暗森
宿敵如天駆龍
戦如我人生 あくまでも勘です。まんまですね。
それでいくなら最後の一行は
我人生如戦
では。
ありがとうございますm(_ _)m
並べてみたら、かっこいいので文字画作ってみようと思います
998 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/18(金) 23:58:01.44 ID:P95iIfnC
6月17日Gackt出陣!!!
999 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/19(土) 00:02:01.53 ID:uUxh4gIz
あ
1000 :
日曜8時の名無しさん:2007/05/19(土) 00:02:36.95 ID:P95iIfnC
やっかいなことになったのぉ…
1001 :
1001:
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
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