>>1の続き
七田氏は「吉野ヶ里の構造は、土塁の上に柵(さく)を設けた環壕があるなど、魏志倭人伝
(ぎしわじんでん)の記述通りだ」と主張。これに対し橋本氏は「纒向は4つの大型建物が方位を
軸にして建つなど、卑弥呼が女王となった倭連合国の首都であったと考えている。倭人伝にある
楼館跡も発掘が進めば出てくるだろう」と反論した。また、近畿説の根拠のひとつとなっている
三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)について玉城一枝・奈良芸術短大講師は「魏の
皇帝から卑弥呼(ひみこ)に贈られたとする人もいるが、鏡の文様などから中国の工房で作られた
とは、とても思えない」と述べた。
橋本氏は「“敵地”でやりにくかった」と苦笑しつつ「邪馬台国という夢のある話を伝えることが
できてよかった」と語った。(おわり)
3 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 19:09:07 ID:Pd9WG2+kO
まだやるんかい
4 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 19:09:26 ID:SWB7rtdi0
九州だろ
5 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 19:09:33 ID:Cf4Z7y0eO
最有力は釜山説だろ。
韓国無しには日本の歴史は語れない。
こんなのがニュースなのか?
7 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 19:11:02 ID:h70uQ8owO
九州王朝が邪馬台国だっけ?
ジャマイカだろ!
韓国には豚が力士の格好したマークの
邪馬とんというトンカツ屋がある
10 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 19:14:29 ID:pElCzEQsO
キター九州だろう
11 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 19:17:28 ID:fhgjmU4Q0
マジレスすると、
みんなの心の中にあった、でいいじゃない。
12 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 19:19:03 ID:a3ndYWRo0
* *
* うそです +
n ∧_∧ n
+ (ヨ(* ´∀`)E)
Y Y *
13 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 19:20:13 ID:c5RiVVK60
邪馬台国がどこかより
その時、奴隷で中国に行った
我らの同胞がどうなったかのほうが
大事なことだろう?
何故★7も
15 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 19:29:07 ID:mBOh6Bjh0
まだあったのか?
16 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 19:29:27 ID://s1gNQp0
★映画:「氷雪の門」上映、各地に広がる 渋谷などで36年ぶり公開 /東京
旧ソ連の侵攻を受けた日本の樺太(サハリン)を舞台に、電話交換手の女性たちの悲劇を描く「樺太
1945年夏 氷雪の門」の上映が各地に広がっている。この夏、36年ぶりに劇場公開され、渋谷区の
「シアターN渋谷」がアンコール上映しているほか、横浜市の「シネマ・ジャック&ベティ」も29日
まで上映する。
「氷雪の門」は当時の真岡(現ホルムスク)の郵便局で、ソ連軍の脅威にさらされながら最後まで通信
連絡を行い、9人の電話交換手が自決した実話を題材に、村山三男監督が74年に映画化。原作者は
樺太出身の元新聞記者、金子俊男さんだ。
同作品の助監督を務めた新城卓さん(66)が12年前にフィルムを発見。劣化していたフィルムを
デジタル化して上映を呼びかけてきた。
シアターN渋谷では7週間のロードショーで約5500人を動員。先月18日からアンコール上映を
始めた。新城さんは「戦後65年。改めて知る戦争の不条理がみなさんの心に響いたのでは」と話す。
配給元の太秦によると、これまで京都や大阪、札幌、仙台などの10館以上で公開され、観客総数は
1万4000人を超える。「10月以降も沖縄など全国約20館で上映される。自主上映の希望も
あるので今後はそうした窓口役も兼ねる」という。
問い合わせは太秦(03・5367・6073)。【明珍美紀】
17 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 19:31:32 ID:QfP0TWLX0
18 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 19:49:47 ID:QLTgEGDY0
九州以外のどっかだと思う。
卑弥呼スレが急激に伸び始めたなw
21 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 19:55:03 ID:/l7s8Xs20
知っているけど教えてあげない。
九州に決まっとろうが
法隆寺は九州の観世音寺に返せょ
邪馬台国?九州以外ならどこでもいいよ。
24 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 20:12:01 ID:ultFcn2F0
御許山が卑弥呼の霊場
107年 倭国王帥升が後漢に朝貢
(以後130年間、倭の記録なし)
?年 その国、もとは男子の王であったが、倭国乱れ互いに責め合う。
一人の女子を共立して王とした。その名は卑弥呼。
238年 卑弥呼が初めて朝貢。
魏は詔書して倭の女王に報じて曰く「親魏倭王卑弥呼に制詔す」
240年
帯方郡太守・弓遵(キュウジュン)の部下の梯儁(テイシュン)が倭を訪問。
2年前に下賜された「親魏倭王」の金印や証書を届ける。
243年 卑弥呼が2回目の朝貢。魏は、倭の使者に銀印を与える。
245年
帯方郡にて、倭の使者・難升米に黄幢(軍旗)を賜う。
黄色は魏の皇帝の指揮下にあることを示す。
247年 卑弥呼、3回目の朝貢。
南の狗奴国と戦争していることを訴える。
魏は塞曹掾史の張政を倭に派遣。
?年
卑弥呼死去。男王が継ぐが内乱になり、1000人以上が死ぬ。
13歳の宗女・台与を立てておさまる。張政は台与を「檄をもって告諭す」。
265年 西晋が魏を滅ぼす。
266年 倭の女王が西晋に朝貢。(台与と思われる)
(以後150年間、倭の記録なし。次に登場するのは倭の五王)
413年 倭王讃が朝貢
26 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 20:16:19 ID:r3PKcjUg0
邪馬台国=大和国
卑弥呼 =日巫女=天照大神
248年 卑弥呼没
318年 崇神天皇没
389年 神功皇后没
427年 仁徳天皇没 賛(讃)
432年 履中天皇没
437年 反正天皇没 珍
454年 允恭天皇没 済
4**年 安康天皇没 興
489年 雄略天皇没 武
27 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 20:18:26 ID:F8IulaC2O
半島人が最初にたどり着いたのが九州だったんだから、そりゃ北九州なんじゃなかろうかと思うがどうなの?
28 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 20:19:47 ID:r3PKcjUg0
3世紀前半 卑弥呼による大和支配
3世紀後半 台与による大和支配
4世紀前半 天皇家による大和支配が始まる
4世紀後半 三韓征伐
5世紀 「倭の五王」の時代
●238年、邪馬台国から魏への朝貢品
男の生口4人
女の生口6人
班布2匹2丈
●それに対する魏の答礼品
親魏倭王の金印
赤地に2匹の龍を描いた錦布 5匹(10反)
赤地の縮み毛織物 10張
茜染めの布 50匹(100反)
濃紺の布 50匹(100反)
●卑弥呼個人への贈り物
紺地に三角の模様をあしらった錦 3匹(6反)
細かな斑点入りの華やかな毛織物 5張
白絹 50匹(100反)
金8両 約111グラム
刃渡り5尺の鉄刀 2振り
銅鏡 100枚
貝玉と鉛丹(赤色顔料)それぞれ50斤 約11キロ
ちなみに、卑弥呼より131年前の107年、
倭国王帥升が後漢に献上した生口は、160人
30 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 20:28:28 ID:NE4GqCEvO
\(^o^)/佐賀県の何処か?奈良県の何処か?
31 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 20:28:44 ID:K6Rxty6C0
だからエジプトだってば!
まだこのスレ、ニュー速+にあったのか。
日本の考古学は炭素年代測定法とかの科学的検証を無視して、
都合のいいようにしか解釈しないからな。
権威のある人の学説以外は黙殺するし、どうしようもない学界だ。
普段中国や韓国について、歴史捏造だなんだと騒ぐ割には、
日本だって他国のことを言えないな、と思わざるを得ない。
33 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 20:30:00 ID:ARwzMtKcO
近畿から中国や朝鮮へ行き来するなら瀬戸内海を通り
北九州の海岸沿いを西に抜けて海を渡るんでしょうから
北九州の権力を抑えておかなければ都合が悪いよね。
34 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 20:32:08 ID:aUMUjawmO
畿内
3世紀の絹の出土した遺構ありますか?
ないでしょ?
35 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 20:37:49 ID:kuxkvONI0
邪馬台→ヤマタイ→山たい→たい=熊本の方言
九州に まちがいない
36 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 20:38:10 ID:r3PKcjUg0
>>34 絹って、土に埋もれて1700年経っても
分解されずに残るものなの?
37 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 20:39:47 ID:lHbADOOC0
九州は残ってたね
大分の耶馬溪は、江戸時代に頼山陽が名づけたと言われている。
だが、もともとも山国(やまくに)と呼ばれていた場所で、頼山陽がそれに耶馬とあてたものだ。
耶馬溪を流れる山国川は、英彦山(ひこさん)から中津(なかつ)市へと注ぐ川で
英彦山はもとは「日子山」と書いた。
英彦山の近くには日田(ひた)市があるが、ここにおもしろい話がある。
神武天皇が東征へ出発したとされる日向だが、
今の宮崎を日向と名付けたのは、景行天皇が九州へ行った時と
古事記に書いてある。
では本当の日向はどこか。
九州で、「日向」とつく地名の一覧
http://www.hisatuhime.com/1-himuka.html 宮崎県には、延岡と日向市の2ヶ所しかなく、九州北部に集中している。
「日向」とはその名の通り、日に向かった所。
これらの中心に日がある
と考えると、それらを線で結ぶと大分県の日田が浮かび上がる。
日向は古くは「ヒムカ」と読んでいたが、卑弥呼を「ヒミカ」と読んで
これと結びつける説もある。
さらに日田は、宇佐・中津と隣接している。
http://travel.rakuten.co.jp/group/hojintiku/prefecture/images/Oita_x.gif 宇佐神宮は神道のルーツとも言われ、卑弥呼の墓説まであるところ。
そして中津だが、天孫が降臨した豊葦原(とよあしはら)の中国(なかつくに)こそ、
この豊前の中津ではないかという説もある。
大分の旧国名、豊を、卑弥呼の後継女王・トヨと関連させる人もいる。
前スレ866
そうですよ。そして739の内容というのは東夷伝から導く記述です。
そこにある倭人に関する記述は当時の中国人の認識であろう、ということで話が始まっていたからです。
東夷伝の記述であるはずのものを開陳しているのに、東夷伝とは違う事を書いていたなら訂正が必要でしょう。
東夷伝自体が当時の中国人の認識をまさに正確に記録しているかどうか、または当時の情勢や事情を正確に
記録しているかどうかと、東夷伝になんと書いてあるかは別問題です。
記録を疑ってほしいという事なら心配に及びません。東夷伝の記録が全くの正確な記録である、なんて全く思ってませんから。
ただそれと、記述内容がどのようであるかは別の次元の問題だ、というだけのことです。
40 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 20:44:51 ID:226rBusY0
なんだマルタイラーメンの話か
邪馬台国はやまたい?
常用漢字の発音で解釈して
どうするんだよw?
朝鮮半島の東ではなく、会稽東冶の東の海上、つまり福建省の東の海上。
沖縄あたりでしょうかね。
43 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 20:47:15 ID:FOA+xcPG0
じ…邪馬台国
44 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 20:49:11 ID:ARwzMtKcO
ジャワ島です。
邪馬台国=ヤマト国=大和国
投馬国=ヅマ国=イヅマ国=出雲国
狗奴国=クノ国=許乃国(クノ国)・・・宇治のあたり(山城国風土記逸文より)
卑弥呼=ヒメミコ=モモソ媛命
台与=トヨ=豊鋤入姫命
男弟=イニエ命=崇神天皇
難升米=ナシミ=梨迹臣(なしとみ)・・・中臣氏(大中臣氏、藤原氏)の先祖
狗奴国王・卑弥弓呼=ヒミココ=ヒコミコ=彦命=武埴安彦命
狗奴国官・拘右智卑呼(コウチヒコ)=河内彦(武埴安彦命の外戚)
46 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 21:00:42 ID:lHbADOOC0
邪馬台国までは帯方郡から万2千里
一里435mの南方向
若干の誤差はあるが、パプアニューギニアしかあり得ない。
これが違うというなら、万2千里か一里435mが
間違っていると考えるしかない。
47 :
45修正:2010/10/13(水) 21:00:59 ID:cyWjcXhR0
邪馬台国=ヤマト国=大和国
投馬国=ヅマ国=イヅマ国=出雲国
狗奴国=コノ国=許乃国(コノ国)・・・宇治のあたり(山城国風土記逸文より)
卑弥呼=ヒメミコ=モモソ媛命
台与=トヨ=豊鋤入姫命
男弟=イニエ命=崇神天皇
難升米=ナシミ=梨迹臣(なしとみ)・・・中臣氏(大中臣氏、藤原氏)の先祖
狗奴国王・卑弥弓呼=ヒミココ=ヒコミコ=彦命=武埴安彦命
狗奴国官・拘右智卑呼(コウチヒコ)=河内彦(武埴安彦命の外戚)
よって、狗奴国の乱=武埴安彦命の乱
50 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 21:10:23 ID:ultFcn2F0
中津には日本のお神輿の発祥の薦神社があるね、祭神も宇佐神宮と同じ
51 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 21:15:06 ID:ARwzMtKcO
邪馬はシャーマンと読みます。ツングース語です。
52 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 21:21:48 ID:pElCzEQsO
畿内はないな
53 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 21:23:10 ID:6pq8WUw/0
ジンバブエ
54 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 21:24:21 ID:vrOG7pH90
九州もう決定的な敗北だろ
そろそろおとなしく白旗挙げろよ w
56 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 21:29:04 ID:mDsctxP80
現代ポンゲレ語の発音ではこう聞こえます。
邪馬臺国:んこぴんぴんぺっぺ‘
邪馬壹国:ケチョンガケレケレ
卑弥呼:ペニス
57 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 21:30:25 ID:veXCKK2pO
どっちでもよいが
卑弥呼か…あれは良かった、20世紀後半には大分世話になった。
58 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 21:31:21 ID:mDsctxP80
古代フポン酢ポンゲレ語の発音ではこう聞こえます。
邪馬臺国:ひspvfjkwんcjj‘
邪馬壹国:きjdhfytgるs
卑弥呼:ふぉえいつryd
卑弥呼姉さんは誉めると、確実に駄目になるから、
基本放置が一番。
60 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 21:32:28 ID:ARwzMtKcO
投馬國の投馬はトウマ→ツマ→妻
現福岡の三潴(みずま)です。
61 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 21:32:48 ID:W8FSQcudO
邪馬台国=ヤマト國=大和國
宮津=投馬國から水行10日、大和へ陸行一月
投馬國=トウバ國=稲葉國=(訓読み化)=因幡國
伊都國=idum國=出雲國
不弥國=経島(フミ島)
那國=神那月の那=出雲(宍道湖の西・東岸(含松江))
末羅國=江津(松浦氏の故郷)
一大國=見島(対半島・大陸の防衛拠点(かつて防人が置かれ現在も自衛隊が置かれている))
對馬國=対馬
狗邪韓国=木浦周辺(前方後円墳が存在するかつての倭の領域)
62 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 21:32:49 ID:ZBL5aWi30
63 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 21:35:00 ID:6pq8WUw/0
だから邪馬台国が大和朝廷と同じな訳がないだろう?
中国に朝貢しているのもおかしいし、そもそも年代が合わない
大和朝廷は近畿付近に別にあったと考えるのが普通
帯方郡がどこかってのも重要な気がする。
北チョンにあったのなら今は全然手出しできん…
66 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 21:41:54 ID:A3Xel3sZO
読み直ししたがやはり九州説だな。
67 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 21:41:58 ID:VaME9+HtO
伊都国は糸島だろ
出雲なわけない
69 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 21:42:16 ID:rw3BLHOyO
淡路島!
70 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 21:42:58 ID:ARwzMtKcO
狗奴國には王が居るのに倭人伝での扱いはしょぼいよね。
おー、すごいw
まだ続いてるー
楽浪郡がピョンヤンにあったのは考古学的にも間違いない
帯方郡はその南半分を割いて作った郡だからソウルも候補地の一つ
まだやるの?
みんな古代史にロマンを感じてるんだねw
九州の候補地の一つとして
>>1で出てくる吉野ヶ里は
邪馬台国の時代である三世紀には衰退期に入っていたことがわかっている
ほかの候補地も考古学的にはまったくお話にならない
75 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 21:50:23 ID:VDZplUh50
畿内だろ。ガチで。
九州? んな馬鹿な。
77 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 21:50:57 ID:h2KVyGNH0
>>28 神武が大和を征服したんだから卑弥呼は直接関係ない。
九州勢の大和支配は4世紀ね。
79 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 21:55:08 ID:VMu3EnIB0
どっちにしろ関東土民には無関係な話
80 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 21:55:30 ID:r3PKcjUg0
>>77 ん?
九州勢(=天皇家?)の大和支配が4世紀なら
>>28と同じだよな
だったら、3世紀(卑弥呼の時代)の大和を支配してるのが卑弥呼の一族で
なんの矛盾もないんだが?
かつて3世紀に卑弥呼・台与が支配していた大和を
4世紀に神武(=崇神?)が征服した
麻婆豆腐は100年の孤独でないと分からない味。
婆が死んでから味が分かるってもの。トクメイ調査。
82 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:00:24 ID:h2KVyGNH0
>>32 その炭素年代測定法(AMS)がいい加減であることが、学会で明らかにされただろ。
第二の旧石器捏造事件と言われているんだよ。
>>78 確かに記述からは朝鮮半島南端にも倭がいたと受け取れるが
それが倭の全域ではないことに注意すべき
対馬国より先はあきらかに朝鮮半島よりも南方の地域だ
84 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:04:22 ID:VaME9+HtO
伊都国(糸島)の東南に奴国(春日)があり、その東に不弥国(宇美)があるってのはほぼ正解
東はどちらかきちんと分かってる
で、不弥国の次は南に行くんだぜ
どうやっても畿内に行けない
それに、不弥国〜邪馬台国の記述をはしょりすぎ
かと思えば、邪馬台国に着いてからはまた周辺国の羅列が始まるんだよ
つまりどういうことか
対馬→一大→末盧→伊都→奴→不弥→(500キロの区間全く記述なし)→邪馬台→周辺の国々やら狗奴やら
不奴国〜邪馬台国だけぽっかり空くなんておかしいだろ。出雲や瀬戸内海や四国は完全無視かよ
これはおかしいだろ
実は500キロも空いてないんだよ
不弥国と邪馬台国は近いと見るのが自然だろ
畿内説は無理がありすぎるわボケが(´・ω・`)
もうPK戦で決めろよ
86 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:06:55 ID:/K950/PDO
記紀か…
聖徳太子の記述とかと同じで出来過ぎなんだよなぁ
後付けトレースにすら感じる
87 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:06:59 ID:ARwzMtKcO
狗奴國はクシャーナ國と読む。編纂中に別の地域の資料が
混ざってしまったわけです。時代も丁度あってます。
88 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:07:24 ID:mDsctxP80
89 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:07:28 ID:W8FSQcudO
>>67 一言で出雲って言ってるけど、出雲には二つの領域があったんだよ。
一つは島根半島の南西部、出雲大社から諏佐神社にかけての地域(伊都國)、
もう一つは境港・米子から松江、揖伊川東岸にかけての地域(那國)があったんだよ
90 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:08:06 ID:MqTifLYrO
>>82 一番いい加減なのは年輪年代。
あれこそ完璧に電波。
何故このスレがここまで伸びてるのか、誰か教えてくれんか
92 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:08:42 ID:r3PKcjUg0
>>84 では、なぜ近いはずの邪馬台国まで
不弥国から2ヶ月もかかるんだ?
※不弥〜投馬 水行20日、投馬〜邪馬台 水行10日+陸行1ヶ月
1.書き間違い
2.実は現地まで行ってない
のどちらかだろ
>>91 知らん。邪馬台国の話題はちょくちょくみかけるけど
こんなに伸びたのは初めて見たな
95 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:16:54 ID:r3PKcjUg0
>>93 現地まで行ったら正確な位置が書けるのか?
使者は測量のために来てるわけじゃないんだぞ
一回往復しただけでは正確に位置を把握するなんて普通できないだろ
96 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:17:35 ID:/K950/PDO
言っちゃなんだがオレが書き込むとよく伸びるぜ
97 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:17:46 ID:pElCzEQsO
>>92 おい、頭大丈夫か?今みたいに道路は整備されてないぞ
>>93 日本人の認識:倭=当時の日本
陳寿の認識:倭=朝鮮半島より南にある国々
日本人の認識:邪馬台国=日本のどこか
陳寿の認識:邪馬台国=朝鮮半島より南・福建省の東の海上
この齟齬があるって話かなと。
100 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:19:17 ID:+6yHP6oBO
九州勢の東遷説にはあんまり説得力がないな。
九州が鉄器の量において優勢だったのは間違いないだろうけど
だったらなぜ征服した畿内にわざわざ引っ越して政権を建てるのかって事になる。
神武の東征神話も元々畿内から都落ちしてきた皇子がまた畿内に帰還する話のように読める。
101 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:19:19 ID:r3PKcjUg0
>>97 そりゃ、アスファルトの道路は整備されてないだろうけど
人が通る道くらいは普通にあったよwww
でなければ、どうやって道案内するんだよww
>>98 記紀というより、「日本書紀の編纂者」ね。古事記には魏志のことは出てこないので。
103 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:21:30 ID:r3PKcjUg0
>>100 >だったらなぜ征服した畿内にわざわざ引っ越して政権を建てるのかって事になる。
なんでわざわざ、せっかく征服した土地を捨てて九州に帰るの?
104 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:21:53 ID:ufUjtnIO0
産経新聞社はキモ左翼 こんな左巻き新聞いらない
105 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:24:35 ID:/K950/PDO
>>98 そこよ
ついでに書かせた天皇は
九州や半島に距離を持ちたいわけよね
106 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:24:53 ID:pElCzEQsO
>>101 あれ?倭人伝には厳しい道のりが書いてなかったか?読み直してきなよ
>>100 九州と畿内はイギリスとアメリカみたいな関係だろ
畿内への進出は長期間に数次にわたって行われたんだろう
108 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:26:24 ID:ARwzMtKcO
>>100 西は日本海と朝鮮中国しかない。勢力拡大するなら東に進む。
>>99 齟齬があるとは思わんけどな。
たしかに古代であっても緯度は測れるけど、一介の使者がそんな知識を持ってるわけがないから
おそらくは気候風土を見て緯度を推定するはずだ。
倭人伝に記された風俗習慣と長江下流域(セッ江省・福建省あたり)にいた越族の風俗はよく似ている。
また、気候分布を見ても、長江下流域と日本列島の本州は同一の温暖湿潤多雨気候帯に属する。
また、このころの植生もシイ、カシなどの照葉樹林が中心だったはずでこれも同じだ。
これだけの判断材料がそろえば、日本列島の緯度が実際よりも南にあると判断しても少しもおかしくはない。
110 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:30:10 ID:4BxTyIKqP
未だやるのかよw
いや楽しいからいいけど。
邪馬台国は畿内ね。
崇神は同時期に畿内に居た。
111 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:30:57 ID:hbmvdnxy0
>>109 日本の人は、必ず全て日本の事を書いている、と思ってる。
けれど向こうは「倭」について書いてるだけで、その倭の範囲がどこまであるのかも分からない、と書いてたりする。
つまり日本の人が「必ず全て日本の事」としているようには、肝心の「倭人伝」に限ってはっきりした全体像が無いんですよ。
倭と日本とは違うという記述もあるしな。
113 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:33:41 ID:4BxTyIKqP
そもそも産経なんて東京の新聞だろ、
九州で産経なんて見てる奴一人もいないんだけど
九州に土地勘無い産経に九州の事語る資格はない。
114 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:33:46 ID:vrOG7pH90
【再掲】倭に関しては『魏志倭人伝』と『後漢書』倭伝の2つがあり、『魏志倭人伝』が先に書かれたから『後漢書』は写しと良く言われるが
2つの書は1つのソースから書かれている可能性が高い。
@【ソース】西暦240年魏の使者が倭国を訪れた際の報告書
↓ ↓
A『魏志倭人伝』 B『後漢書』倭伝
【特記事項】
Aから削除されたと思われる内容抜粋
●國皆称王世世傳統其大倭王居邪馬臺國
→中国で倭にわざわざ大を付けることは考えられない為、「大倭」は名称と思われる。
小日本のくせに「大」なんか付けやがって削除してやれ。(推測)
●建武中元二年倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬 安帝永初元年倭國王帥升等獻生口百六十人願請見
→百六十人という生口の多さは、卑弥呼が魏に献上した生口十人、台与が献上した三十人に比べ桁違いに多い。逃亡や反乱の可能性のある百六十人もの生口を、
何千キロと離れる洛陽まで送り届けるのは、一大事業である。
そのような大事業が、単なる中国王朝へのご機嫌伺いや、思いつきによる近隣外交の一つであるはずはない。明確な目的を持つ朝貢である。
魏への朝貢がすくねーじゃん、カッコ悪いから削除しとこっと(推測)
Aに追加された部分
・邪馬台国までの航路
→これが混乱の元凶
餌場の場所は教えてやんねー、これ信じて船出した奴いるの?超ウケルー(推測)
あ、倭人伝じゃなくて倭人条と書けば良かった。
116 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:35:55 ID:+6yHP6oBO
>>108 しかし東遷説ってほぼ証拠がないでしょ。
東征神話も解釈のしようがいくらでもあるし。
中央政権の権力浸透が畿内から拡がっていったのは古墳の伝播から言ってもほぼ間違いないだろうし。
それ以前に九州の豪族が長征して畿内を征服したなら、何らかの考古学的証拠が残ってそうなもんだけど。
ヒミコだって言葉的には日巫女あたりなんだろうし
言葉どおりの”山”が”平”(山の上?盆地?)になったところに最初あったんじゃねーの?阿蘇?
”ヤマタイ”転じて”ヤマト”が後な感じがする。遷都してるかもしれない。
>>116 なんかおかしな宗教を信じてる人たちなのかよくわからないけど
ここに出没する九州説の人たちは
前提抜きでいきなり神武東征が史実だと決め付ける人たちが多いんで正直怖いよ
119 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:41:49 ID:pElCzEQsO
120 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:43:04 ID:4BxTyIKqP
>>107 おまえ産経読んでる関東人だろ、
関西人と九州人は水油、
関東人こそ関西人の亜種。
121 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:43:17 ID:ARwzMtKcO
邪馬台国が朝鮮半島の辺りにあるとしたら…
>>119 証拠が一切ないのは「邪馬台国が日本にあった」ことについてです。
九州説のほうは「九州もありなんじゃね? 宇佐っぽくね? 東遷とかロマンじゃね?」程度なのに
畿内説のほうは「畿内以外あり得ない。九州説を唱えるのはバカでキチガイ」なんだもん。
畿内説の人こえーよ。
>>121 それはないですね。帯方郡から半島の南をつたって海を越えた、と記述があるし(そこからの道程が物凄く長い)
東夷伝の他の条には主に朝鮮半島の事が詳述されていますから。
125 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:47:45 ID:4BxTyIKqP
畿内説の俺でも山門の地名はぐぐっと来るものはある。
本州四国って山門の地名あるいはヤマトと読める地名は
ないの?大和以外で。
ただ、九州沖縄って本州四国と断絶してた歴史長いから
方言とか読みが違うのよ。原なんかバルって読むからね、
本州四国で一件も原をバルって読む地名聞いたことない。
他にも九州沖縄にしかないものとして宝満神社とかあるよ。
九州沖縄ではゴーヤーも昔から食べてたしね。
126 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:48:19 ID:pElCzEQsO
128 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:50:11 ID:ultFcn2F0
武力で言うと、兵器としての鉄を持っていた九州勢に部があると思うが
129 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:50:21 ID:4BxTyIKqP
九州説を唱える人の殆どは実は九州なんて一切知らない
関東人が多い、前近代に教わった稲は半島からきた、
朝鮮人が九州から進入して東に広がったという大正ロマンを
そのまま引き継いでる。
実際には関東人はプサンから出雲の土井が浜あたりから
広がった朝鮮人の子孫。
>>116 ただ、イメージだけで考えると、邪馬台国の3世紀頃は中国大陸の文明は、
日本を完全にぶっちぎってたわけで、その進んだ中国文明の受け入れ窓口
だった九州北部は、日本の中でも最先端の文明を持ってたはず。武器も
戦術も農耕も行政も。本州内部の畿内の国より、はるかに進んでたはず。
だから、古代の日本は九州北部にあった国が最強だったはずだが、
4世紀ごろには、日本の中心は畿内に移ってる。とすれば、最強だった九州北部の国が
畿内を征服したはず、という発想に行ってしまうような。
131 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:51:41 ID:+6yHP6oBO
>>119 言葉が足らんかったかも知れないけど、邪馬台国がどこにあったかは現段階では畿内、九州どちらとも断言できない。
新しい証拠が出てこない限りは推論同士の水かけ論にしかならないからね。
俺が疑問なのは邪馬台国ではなく天皇家に連なる大和王朝が九州豪族による征服によって出来たという東遷説。
これは証拠もないのに既定事実みたいに一人歩きしてる観がある。
ちなみのオレ東北だけど古い地名の呼び方が残ってると思う。まーアイヌ語も含まれてるけど。
”平”は”タイ”って読むところが多いんだよな。(他の地方のことはわからんけど)
全然関係ないけど”アスカ”という地名も平らなところが多い。山を”森”ということも多いけどな。
134 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:55:07 ID:Wj/EMEnF0
135 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:56:32 ID:4BxTyIKqP
>>131 神武は母系のみ九州人、父系は出雲出身のテンソン族。
九州人は馬鹿スカタンだから
加藤清正、黒田如水を九州人と思ってるが
120%九州人ではないw
考古学のことは何も知らないのだが
卑弥呼って書かれた墓碑銘とか出てくるとか
そんなわかりやすい形での判明は多分ないんでしょ?
何がどうなると「確かにここにあった」って判断するの?
137 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:58:33 ID:A3Xel3sZO
久留米辺りから山ん中ごまかし歩けは宇佐辺りに1ヶ月って事だろ。
南は敵地だしな
138 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 22:59:05 ID:ltuJvq1I0
以下 「日本にあった」 などのレスは 絶対禁止!
>>136 魏から卑弥呼に贈られた「親魏倭王」の金印でも見つかったら、決定的だろうけどね。
140 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:00:27 ID:pElCzEQsO
>>131 大和=邪馬台にしたい、ゴッドハンド畿内説ですよ。 九州の地名は鮮明に書かれているのに、まったく無視して、畿内とかありえませんね
奈良に行きたいなら佐賀で上陸するんじゃねーよ、と伝えてもらえますか?
141 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:01:02 ID:+6yHP6oBO
>>130 弥生後期まで九州勢が鉄器の量ににおいて圧倒的に優勢だったのは発掘から言っても間違いない。
だが、鉄砲が種子島に伝来したからと言って九州勢が中央に勢力を伸ばしたかというとそうはならなかったわけで。
そもそも大陸に近い事が九州勢の優位なら、なぜわざわざ交易に不便な畿内に権力基盤を移すのかという疑問がある。
東遷説が事実として勢力を伸ばすにしてもなんらかの基盤は九州に置いておくのが自然だと思うけど。
ここまで読んできた感想としては
専門的に勉強をしてきた人・素直な解釈をする素人 = 畿内説
素人歴史マニア = 九州説
みたいな感じだな
143 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:04:40 ID:hbmvdnxy0
>>132 それは<魏志東夷伝倭人条が言うには>という倭人条の記述の紹介であって
隋書を書いた人が会稽の東にあるんだと認識しているということじゃないんだと思いますけど
「倭国」が唐の人にとっても日本列島よりも南にあると認識されるものであったなら、
やはり日本人が思う「倭国」と大陸の人の認識している「倭国」にズレがあるってことですわな。
144 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:05:52 ID:4BxTyIKqP
畿内説の俺でも山門の地名はぐぐっと来るものはある。
本州四国って山門の地名あるいはヤマトと読める地名は
ないの?
大和以外で。
ただ、九州沖縄って本州四国と断絶してた歴史長いから
方言とか読みが違うのよ。原なんかバルって読むからね、
本州四国で一件も原をバルって読む地名聞いたことない。
他にも九州沖縄にしかないものとして宝満神社とかあるよ。
九州沖縄ではゴーヤーも昔から食べてたしね
昔、卑弥呼の歌とか言うお菓子あったな
うまくはなかったが♪
>>143 そこにズレを感じるのはわれわれが現代人で正確な世界地図の知識がすでに頭の中にあるからだろ。
むしろ植生や風俗が同じなのに実際はもっと北にあると考えるほうが不自然じゃないのか。
だから当時としてはこれでも正確な記述をしたのだともいえる。
>>141 その仮説なら九州残存勢力はハヤトだろ。野放しに疑問が残るしハヤトの態度もでかい。
148 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:13:30 ID:ultFcn2F0
山国川を挟んだの中津の対岸に唐原地区遺跡群があるけど、ここがおお化けするかもしれません
149 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:16:13 ID:hbmvdnxy0
>>146 風俗ですか。大和の人は体中に刺青を入れたりしませんし、お風呂代わりに海に入る、なんて慣習もないでしょう。
船で行き来するのに一人ものすごく不潔な状態にしている人を必ず加えておく、なんてことも古典を見たって出てきません。
記述が不正確である、と言ってるんでなくて
日本の思う倭国の範囲と向こうの思う倭国の範囲が違うんじゃないか、ってことなんですけどね。
(まぁ東夷伝の記述内容が全く以て正確である、なんて事も思ってませんが)
150 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:17:55 ID:ARwzMtKcO
広開土王碑?によると300年代に倭は朝鮮で
百済や新羅などと戦ってるんだろう?
そのために九州勢は衰退した。その間に東側が力を蓄えた。
151 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:18:44 ID:IWDW1tR40
>>119 帯方郡から狗耶韓国まで7千余里、女王国まで1万二千余里と
はっきり書いているのに、九州を突き抜けて、太平洋に出てしまう
とかの低脳が多すぎる。
方角を変えなくても、この距離なら、北九州から出られない以上、
畿内などというタワゴトは止めて、邪馬台国とは別のヤマト王権
ということを認めろよ。
>>13 その如何によっては、中国全土がわが国の固有の領土となる可能性もある?
153 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:20:40 ID:0Ds90JNJO
>>136 >>139の場合でも簡単に運べるから違うという奴が出てくるから無理
都の後みたいなのが出てきて卑弥呼の家って表札が出てくるか、
倉庫みたいのから卑弥呼に献上という紙か板がでない限り終わりは無い。
154 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:20:52 ID:r3PKcjUg0
>>141 だったらなんで鎌倉幕府は鎌倉なんて辺鄙なところで開いたんだ?
そもそものところで九州or畿内という議論に無理があると思う。
とくに海路の移動距離を日数から推測するのはどう考えても無理があるよ。
帆船なのだから、海流や風向きによって同じ航路でも日数は全く違ってくる。
陸路ですら雨天では移動しなかった日が含まれている可能性があるのに・・・
現状の研究は素人でも分かるような不備が多すぎる。
156 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:22:59 ID:r3PKcjUg0
>>149 その風俗は使者がみたものだから日本列島のどこで見たものであってもおかしくない
むしろ庶民の生活が垣間見られたのは大和に行く途中じゃないのかな。
あきらかに海に面した地方だから九州北部や瀬戸内沿岸のような。
刺青の風習がなくなったのはむしろ中国との交流が始まってその影響を受けたとは思わないのかな。
律令では刺青が刑罰の一つになってるけど、これは明らかに中国からの輸入されたものだ。
158 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:23:40 ID:nnmPYKEHO
何故か熊本では工事中にたまたま発見された遺跡があっても
調査もままならずに埋め立てられるんだが、
これは表に出ちゃマズイ遺跡だからか?
>>158 へたに考古学的なものが出土したのがわかっちゃうと
補償もなしに、工事がストップさせられるんで業者がいやがるらしいよ
熊本に限らずよくある話だそうだ。理由はそういうことで経済的理由
161 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:27:46 ID:Cs7radB40
工事がスケジュール通りに進まないと困るからだろう
京都でもよくあることだ
>>154 鎌倉は辺鄙じゃないと思うが・・・
毛野氏や平将門を見ての通り、武門は古来関東に地盤を置いているし、
(おそらく当時の日本で馬を豊富に供給できる最北端なのだと思う)
その周辺で陸路海路の利便性を考えると鎌倉くらいしか拠点とする候補地がない。
九州説がウザいのは、九州邪馬台国が東征して後の
大和朝廷になったと主張するとこだな。
それさえ無ければ邪馬台国は別に九州でもいいんだが
164 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:29:00 ID:+6yHP6oBO
>>154 鎌倉の勢力が京に登って政権を奪取したからだよね。基盤のある土地に戻った訳だ。
これに従えば九州勢が畿内を征服したらやはり九州に戻って政権を開く事になる。
逆に畿内の勢力が九州を征服もしくは服属させたなら、大陸に遠く交易に不便でもやはり政権の基盤は畿内ということになる。
九州から民族大移動で故郷を捨てて畿内に引っ越したという説には、あまり必然性が感じられないし考古学的な証拠が乏しすぎる。
165 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:29:07 ID:0Ds90JNJO
>>141 戦国は名古屋が貿易、岐阜が農業の中心
食料生産拠点の方が強いからな七万戸の農業地域があるかという話。
気候で北九州は駄目
方角で奈良は駄目
後は適当な解釈でこじつけしているだけだよ。
>>158 陣内孝則が、バンドで売れない頃
遺跡発掘のアルバイトやってたと話していた。
何か見つかると、上に報告したり人を呼んだり場所を保全したりと
めんどうなので、それっぽいものが出ても
そのままゴミ箱のほうへ放り込んでたと言ってた。
「まさに時代を変えたロックバンド」だって
>>151 その一万二千理と書いてる人が、道里を計算して会稽東冶の東方としてるんですよ。
そして女王国の北の事、つまり帯方郡を出て半島を南へ伝い海を渡ってから、さらに南へ女王国へ至るまでの道程ならわかるが、
それ以外はわからんと書いてる。
168 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:30:41 ID:3rMPOCMV0
神武と祟神の間の人たちって、〜ヒコじゃなくて〜ミミだったらしいんだけど
なんか関係あるんかな?
〜ミミって官職名らしいが
こういう時こそ、霊能力者じゃないの?w
交信してみろ
なにこれなんで★7ナノ?
畿内には、九州を真似た地名がたくさんありますが
風俗からみて邪馬台国は
沖縄あたり
距離的に問題なら奄美群島あたりだろ
173 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:33:40 ID:0Ds90JNJO
>>151 北九州じゃ冬でも半袖半ズボンで生活できるのか?
都合の良いところを取り出すのは感心しないな。
174 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:35:15 ID:V/eU8yY+0
だから日本史板行けと言うとろうが
>>158 そんなもん出たら、全部国にとられるからな。いっぱいあるよそんなトコ。
農地でも差し押さえられるもん。
子供の頃オレはそんなところでよく土器やら矢じりやら掘ってたけど。
卑弥呼の子孫 = 元ちとせ
>>164 鎌倉にしたのは、京にいたら、義経みたいに、
公家にたぶらかされるのが出てくるからだろ
征服された畿内が、のちに大きくなって
逆に九州を飲み込んだんじゃね。
イギリスとアメリカみたいな関係。
九州から来たはずなのに、その後、
熊襲の反乱を受けてる。
これって明治政府に対する、薩摩の反抗みたいな感じじゃないか。
仲哀天皇、景行天皇と、天皇がみずから
鎮圧に乗り出してくることも、九州が重要だったことがわかる。
とにかく、観光産業ありきの研究を前提にした推測は却下した方がいいと思う。
ここは損得勘定無しに議論する場。
なんで神宮皇后の三韓征伐が四世紀ってことで確定してるの?
馬韓・辰韓・弁韓の制圧だったとしても何の矛盾もないんじやないかと思うんだけど。
180 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:38:28 ID:hbmvdnxy0
>>157 大和には無い風俗でしょ。
倭人条曰く、その体中の入れ墨は鮫に襲われないようにするためのものらしいので
仏教伝来やらにまつわる大陸との交流に依って失われるようなものではないと思いますよ。
181 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:38:46 ID:ultFcn2F0
神宮皇后の三韓征伐はフィクション
学者連中の間ではほぼ畿内説になってきとるんじゃねえの?
必死なのは九州でも佐賀県だけだしな。
183 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:40:58 ID:pElCzEQsO
>>180 反論するつもりなら俺のレスちゃんと読めよ。ったく
>その風俗は使者がみたものだから日本列島のどこで見たものであってもおかしくない
>むしろ庶民の生活が垣間見られたのは大和に行く途中じゃないのかな。
>あきらかに海に面した地方だから九州北部や瀬戸内沿岸のような
おれも大和に行く途中の海沿いのどっかの風俗だと書いてるじゃないか。
それを倭国の風俗として紹介してもぜんぜんおかしくないだろ。
奈良以外でそれらしい遺跡や痕跡が無いのがなぁ・・・
九州で巨大古墳でもあれば信じるんだけど
>>181 だからその理由は何なのか聞いてるんだ、ボケッ
>>177 だから『馬』だってw
馬は第一次世界大戦まで兵器としての世界的にすごく重要視されていて、
日本でも『苦い』あるいは『毒がある』などとして、けして食べてはいけない動物だったんだよ。
それに加えて後の『南部馬』に代表されるように馬の繁殖には東北以北の寒冷な気候が適しているからね。
武門が古来、関東に拠点を構えたのは『馬の供給』に拘ったと推察するのが自然だと思う。
>>183 嘘ついてねえよ。
九州説唱えてた学者も半分諦め気味だぞ。
>>184 「今の奈良県の大和国のことじゃなくて大和(日本)に無い風俗でしょう」に改めます。
ていうか
>刺青の風習がなくなったのはむしろ中国との交流が始まってその影響を受けたとは思わないのかな
これへの反論なんですが。
191 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:43:36 ID:IWDW1tR40
>>46 帯方郡から狗耶韓国まで7千余里
とあるから、1里が400m以上あるはずがない。
1里が60mくらいだね。
192 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:44:23 ID:fro8cXcI0
九州説は後付け、亜流ということで
そもそも本当に日本にあったの?
194 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:45:09 ID:ultFcn2F0
>>188 倭人伝では、倭には馬・牛はいない
と書いてある。
当時でも、東日本にはいたんじゃないのか。
(畿内なら、入っててもおかしくないと思うが)
あれだぞ。
ホメロスの「オデッセイ」だって数十年におよぶ壮大な放浪で
銀河の果てまで行ってそうな勢いだけど、地図に落とすとエーゲ海を
フラフラしてただけ、みたいな。
>>157,
>>180,
>>184 仮に畿内だとしても、瀬戸内海経由はないな。
瀬戸内東部、明石のあたりの蛸壺漁は、中国大陸にない漁の形態なのだ。
細かい人文地理学的観察をしている倭人伝の報告者が、見逃すはずはないのだ。
197 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:46:52 ID:wU60FKqZ0
元々邪馬台国を作ったのは韓国人なんだよね
これは有名な話
198 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:46:56 ID:8rlRyaRxP
支那に朝貢してたんで、それが大和朝廷の前身だと面倒
日本は支那領土だとか言い出すぞ
だから記紀にも出てこない
なんかそういうのがあったらしいけど、どうなんっすかねえ?と
とぼけるのが得策
北部九州は古代から戦争ばかりやってて、巨大遺構はない
片田舎の畿内 日向は平和な分、奴隷がたくさんいたんだろうね…
種禾稲紵麻蚕桑緝績出細紵縑緜其地無牛馬虎豹羊鵲
兵用矛楯木弓木弓短下長上竹箭或鉄鏃或骨鏃所有無与儋耳朱崖同
地域の産物動物は儋耳朱崖と同じだと中国人が言っている
儋耳朱崖は中国の南国リゾート海南島
これと同じ属性の所を朝鮮から船を渡って探していけば
奄美、及び沖縄&台湾しかないわ
>>194 なぜフィクションと断定できるのか、その理由を示して下さいませ
畿内なら、九州からトコトコ歩かずに、船で直接行けばいいじゃない。
203 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:50:50 ID:pElCzEQsO
>>189 大人の事情を知らないのか?この話しはやめとこう
204 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:50:53 ID:eLeGGubv0
>邪馬台国の3世紀頃は中国大陸の文明は、
>日本を完全にぶっちぎってたわけで、
2世紀末AD184年に黄巾の乱が起きてから
中原は戦乱と飢饉で壊滅的打撃を受け、
脱出した華人により周辺地域へ文明の担い手は移った。
隋書倭国伝でも「東に秦王国あり、その住人は中華に同じ」とかあり
既に列島は文明の一大継承地と化していたと考えていいのではないか。
205 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:51:03 ID:zOLPC9tw0
280年ごろまでは大宰府にあったんじゃないかな。
あそこをショベルカーでザクザクほれば何か出てくるよ。
300年ごろヤマトに大移動したんでしょう。
>>164 あの、神話にも民族大移動の如き記述はありませんよ。
よく「九州勢が近畿を制圧!制圧!」なんて書く人もあるけど、戦闘になったのも河内から大和に入ろうとした後のことだし
それまではぶらぶら旅して婚姻を結んだり、主従関係を結んだりするエピソードばっかですから
大和に入るまでに味方が増えてんですね。
>>200 倭人伝には、もっと南のポリネシアっぽい国まで
紹介してあって、南方の風俗がプンプンする。
逆に東日本、蝦夷などに関することはまったく出てこない。
しかし九州説の人達ってなんでそんなに必死なんだ?
別にどこでもいいだろにw
なんなら間とって広島あたりでもいいぞ。
それか、さっきから必死にトンデモ説唱えてるヤツが言ってる台湾や沖縄でもいいぞw
209 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:52:18 ID:ARwzMtKcO
両陣営とも伊都國が糸島だと比定してるんだろう?
伊都國は帯方郡からの使者が常に駐在する所、つまり大使館だよね。
魏の使者が倭国内を1ヶ月もいくらも歩き回るには
宿が必要だし通訳も道案内人も警備員も必要よね。
女王のテリトリーの範囲でしか公式な使者は動けないだろうと思う。
だから王が居るにも関わらず親魏倭王と対立する狗奴國の説明がしょぼい。
卑弥呼は北部九州から畿内まで広大な範囲を治めていなければ
ならない。
>>190 それでも反論になってないよ
刺青を忌諱し、コン刑として罪人に刺青を入れるという刑罰があったのは中国のものだ。
大和時代以前の古代日本列島にも同じようなタブーがあったことをなんでそこまでかたくなに主張できるんだ。
たとえば古事記には神武天皇の家臣が目のまわりに刺青をいれてたことが記されてる。
>>208 あ、言っておきますが私は九州説も取ってませんので。
212 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:54:11 ID:ultFcn2F0
213 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:54:55 ID:KI2ifuVs0
心のなかにあったのさ
>>207 魏志だしな。
呉からならもっと近道で書いたかも知れないが
魏からの南の島への行程書いたら
こうなる罠
琉球の事いってんだよ
おまえらわかったか
216 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:56:40 ID:fro8cXcI0
壮大なフィクションだと思うが、九州はないな
217 :
名無しさん@十一周年:2010/10/13(水) 23:58:27 ID:hbmvdnxy0
>>210 刺青を悪いものとしているのが中国だから何なんでしょうか。
大和に体中に刺青を入れる習俗が無いことと何も関係が無いですよ。
ちどりましととの歌の大久米命の目元の入れ墨が示すように、刺青がタブーなわけでもなくて
体中に刺青を入れる習俗が単に無かったんでしょう。
>>217 いや、そうでもないのよ。
玄界灘の宗像の民なんか、胸の刺青(胸形)がアイデンティティだぞ。
219 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:02:37 ID:NhFt6OVm0
倭人=弥生農耕民
と考える根拠は特に無く、
海洋民族の倭族が弥生農業国家群を征服して倭国だったかも知れないので
倭人の風俗と
倭国の風俗と
微妙に区別が要るかも知れない。
>>212 竹内宿禰って言って欲しいの?
倍歴採用時代なら妊娠期間が21ヶ月あったとしても何の不思議もない。
倭人伝から風俗を読み解けば
畿内説はどうしても否定される
盆地は寒いんだぜ
222 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:05:52 ID:b0a4r+Sb0
>>220 応神天皇は半島から馬と一緒に亡命してきたというのが事実じゃないのかな、
取り巻きの秦族と共に。
刺青の風習は、古くは東夷と呼ばれた斉の東方や、戦国時代では呉(上海辺り)や
百越(福建省あたり)の風習。ちなみに、百越の一部が日本に来たと言う可能性を
指摘してる学説もある
225 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:07:01 ID:VApCm8Nd0
刺青問題は、何故後にそれが文化の中心から消えたのかや
それがいつまで残滓となって残ってたか、などを検証した方が複眼的に
歴史的事実を捉えられて良くないか。
江戸期の一部で行なわれてた刺青(自発的なものは彫り物と言うべきか)などについては
歴史の途中で一旦中断して再開してるのではないかなどとも思えるのだが。
>>224 受動史観じゃ無くまたがる勢力が居たと考えろよw
朝鮮や基地外中国に舐められぱなしじゃないか。
>>212 父親はヤマトタケルの息子だろ
クマソ退治に行って死んじゃったさ
4世紀には半島の南半分が倭人の勢力圏だったのだから
応神以前を否定すると新羅その他はヤマトですら無い日本の名もなき勢力に負けたってことになるわな
>>218 宗像の由来は三女神の鎮座の時にうんたらってあるみたいですが
その胸の刺青ってのはどこに根拠があるんですか。
>>221 倭人伝に書いてある風俗が大和盆地のものだとどうして決め付けられるんだ
>男子は大小と無く、皆黥面文身す。古よりこのかた、その使の中國に詣るや、皆自ら大夫と称す。
>夏后小康の子、会稽に封ぜらるるや、断髪文身して以て蛟龍の害を避く。
>今、倭の水人、好んで沈没して、魚蛤を補う。文身は亦以て大魚・水禽を厭う。
海にもぐって魚介類を捕るのは海人の風俗だし海沿いのものだ。
さっきも書いたがこれは女王国の風俗ではなく、使者が船に乗りながら途中で垣間見た庶民の様子だろ。
>>222 神功皇后の両親とされている人物の出身地はどこ?
232 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:13:25 ID:7T3FJRxpO
センター試験にケイタイ天皇が出てたけど架空の人物だよね
個人的にはヤマト政権の前身と考えるから
近畿?
現在の大和地区は奈良だが
234 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:16:04 ID:r6ZBwICK0
お歯黒塗って蹴鞠して、眉剃って
おじゃるって言う風俗が書いてあったなら
邪馬台国は畿内で決定だな
>>228 根拠っていうか傍証なんだが、「胸形」の表記と彼らが潜水漁を
なりわいにしていたことは記紀の記述や考古学的にあきらかにされていて、
その手の海人が刺青をしていたことは倭人伝をはじめ、埴輪などから伺われ、
かつ、その風習は東南アジアや環太平洋の海洋民族に広く分布している。
てな感じかと。
>>234 蹴鞠の起源はサッカーで紀元前十数世紀。
眉剃の起源はヤンキー。
お歯黒・おじゃるの起源は知らん
>>221 北九州なんて房総や静岡・愛知なんかより遥かに寒いじゃん。
238 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:22:31 ID:CWQ0qOAW0
( ・(エ)・) まだやってるクマ。。。
>>47 だいぶ駒が揃ってきたようですね。でも、その場合畿内説では。。。
( ・(エ)・) クマソは邪馬台国とは全く関係ない後代の話となるんですか?
239 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:22:47 ID:b0a4r+Sb0
>>230 応神は百済出身だから応神の母親も百済じゃないの
>>230 息長は近江坂田の地名。
神功こと気長足姫尊は開花天皇子孫、気長宿禰王と
天日矛子孫、葛城高額媛の子
>>222 応神外来説を採るとだな
なぜ邪馬台国発祥の前方後円墳にのんきに収まったのかという疑問が生じてくる
半島に前方後円墳が現れるよりはるか昔にな
>>233 畿内説の有力候補地である纒向は崇神、垂仁の初期大和王朝の根拠地でもあるので
平和裡に政権交代したか、もしくは邪馬台国が大和王朝の前身そのものである可能性は十分にあると思う。
九州からの東征説を唱える人たちは、この間に戦乱があったことを証明しなければならないわな。
243 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:25:35 ID:D5KQ6lqyO
ニダ
>>240 ついでに、天日矛は新羅出身。
>>235 漢字表記を当てにした推論ってことですね。でも胸形と書いてあるものがあるとしても
それは当て字(借字)だと思いますよ。
>>240 記紀によればアマノヒボコは新羅の王子だったな
神功皇后の母方に半島の血が入ってた可能性はあるのか
246 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:27:02 ID:r6ZBwICK0
海人 = うみんちゅ
やっぱり沖縄でねえ?
247 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:27:04 ID:b0a4r+Sb0
>>241 応神と邪馬台国は合体したんじゃないか
軒下を借りて母屋を取る
>>245 半島というかはっきりきっぱり「新羅」ですけどね。母方の先祖の出身地とされている場所。
249 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:28:54 ID:IvN9gbb4O
なんでいちいち戦わなくてはならないのか?不思議な発想するよなー
親戚付き合いがあったかもしれないだろう。
250 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:30:44 ID:OZ0UsDGGP
コンビニで猫缶買ったら箸ついてきた
251 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:32:43 ID:/t+TS+xQ0
住んでたことあるけど、北九州はありえないと思う。
冬は雪だって降るし年中素足で過ごすなんて無理。
風俗とか習慣だと九州なら熊本とか大分でしょ。
四国もありそうだけど。
畿内だと、稲作のことが全然書かれてないのが変。
この時代の中国の史書に書かれた方位とか距離が
どれくらい正確なのかが知りたいな。
>>249 考古学的な証拠がまったくといっていいほどなのになお、東征を信じてるのは記紀が根拠だろうし
その記紀には大和の在地勢力と神武との間に戦いがあったことがしっかり記されてるじゃないか。
それを平和裡の政権移譲の可能性もあったと言い張るのはいくらなんでもズルいだろう。
もうそうなったらなんでもアリじゃん。
なんか面白いな。
朝まで生テレビで邪馬台国の場所で議論してほしいな。
>>244 ううむ。
でも、
>>210の古事記なんか、「イハレビコ(神武天皇)の家来のオホクメが
刺青を入れててた」とか書いてるわけで、そのオホクメさんってのは久米氏の
先祖なわけで(大和朝廷の重臣の家系)、決して刺青がタブーだったわけじゃないと思うぞ。
>>247 もしそうなら太陽神は崇めないし物部氏や大伴氏を残しておくはずがない
大陸の文化だと太陽とか月を崇める文化がないからな
よって前方後円墳は不要ということになる
日本の神話と大陸文化の親和性がないってのが外来説を否定できる一つの根拠だな
256 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:39:47 ID:CWQ0qOAW0
しかし、そうなると畿内説もあながちトンデモではないかもな。
気になって古事記を調べてみたのだが。
ヤマトモモソヒメ(ヤマトヒメ倭姫)の記述がかなり淡白。
これって「倭」の呼称を、ウッカリか、圧力に負けてかで、受け入れて
しまった・受け入れざるを得なかった屈辱と考えると、古事記での表記が
淡白なのもうなづけるかもな。
敵に誉められる人は、味方からそしられるしな。
たまたま、天皇が病状とかで、実質的な外交を、ヤマトヒメがやって(後々
王権としては言い逃れが出来るように)結果的に屈辱的条約と成ってしまった
ので、次の二つの形で責任を取らされた。。。とすれば、ありえなくはない。
@「倭」姫というネーミングの始祖となった。(条約の是非はどちらでも、
とりあえず、「倭」のキッカケの重要人物のヒトリだから)
A同世代から後代にわたって、「倭姫」批判が高まる→陰部に箸の屈辱的な死
(同時代暗殺の可能性→或いは、口承で後代蔑まれた)
外交の始まりとしてのエポックメイキングでもあるので、表記は避けないが、
かといって「でかした!」という内容ではないので、存在以外は表記を薄くし
死に方は屈辱的という表記方法になっていったのかもね。
257 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:40:20 ID:IvN9gbb4O
>>252 東征とか信じてないけど、邪馬台と大和は別だと考えている、ただ親戚付き合いがあってもおかしくないわな、と考えただけ
258 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:40:22 ID:a438Xr0x0
>>252 記紀において、長脛彦や兄ウカシやらとは戦いましたが
長脛彦が仕えていた天神の子・饒速日命とは戦ってません。
長脛彦は妹が饒速日の妻になってたんだっけ。
>>対馬か隠岐かは失念したが、某神社の伝承に半島帰来の記述はあったな。
渡来ではなくあくまで帰来だ。
しかし新羅という記述はなかった。
三韓(馬・辰・弁)らの帰来ということを否定する根拠にはなっていない。
>>254 刺青が中国でタブーで云々とか言ってたのは相手方の方で
こちらはタブーだなんて言ってませんよ。
>>251 そう、気候から言えば、宮崎・鹿児島・高知・和歌山・三重・静岡・千葉と
いう黒潮の影響がある海沿いの地域しかあり得ない。
南という記述なら宮崎か鹿児島だが7万戸を養う産業が無い。
いづれにしても北九州はあり得ない。
>>260 でも、「日本にはその風習がなかった」と言ってるんだよね。
>>262 はい。漁をするために全身に刺青を入れる習俗はありません。
264 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:46:00 ID:IvN9gbb4O
産業がないって、いつの時代の話しだよ、わざわざ佐賀に上陸しなさんな
265 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:46:31 ID:plpPWh0oO
266 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:46:38 ID:8OnJSG+r0
>>217 倭人は非対称の弓(上部が長く下部が短い)を使っていると書いていたんじゃなかったか?
非対称弓は日本では弥生時代には既に使われていた筈(土器に描かれている)。
倭=日本が自然では?
邪馬台国の子孫が移動したってなら
九州で
そのまま定住してたってなら畿内?
移動したって歴史ってあったかな
268 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:48:48 ID:IvN9gbb4O
倭人伝を否定しといて、都合のよい部分だけは引用する畿内説は、おかしい。学者のメンツで歴史を歪めようとしているのがミエミエ
>>263 あるよ、土偶や埴輪に残っている。
アイヌや奄美以南では明治まで刺青の風習がある。
勿論、鮫よけじゃないけど一族を識別する意味での
刺青は日常的だよ。
270 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:49:40 ID:CWQ0qOAW0
ひょっとして、日本神話に登場する。
「陰部損傷」女性って、何か共通項があるのではないだろうか?
そうまで思えてきた。。。あ、別にオ○ンコマンセー教ではありませんがw
271 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:50:36 ID:Em3X2eP80
まだやってたのかよ、このスレ、すごいな
>>268 北九州も都合のいい説なんだけどな。
信仰だろ。
273 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:51:39 ID:w3ooa/NmO
八幡平だな。
>>271 カレー論争と似たような
答えの出ない論争だろう
275 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:52:30 ID:RwH4cAIQ0
ある程度の量の鋼鉄の武器を継続的につくる生産力がないと邪馬台国は成立せん
大和−河内以外の地域で鋼鉄の武器をムキになってつくったらモアイ像つくりで破滅したイースター島みたく滅亡する
276 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:52:47 ID:IvN9gbb4O
>>266 土器?銅鐸じゃないですか?銅鐸の絵からは非対称かどうか分かないというか
上部と下部の区別があるように見えないですが。
このスレ適当に読んでたら今まで気がつかなかったことに気が付いてしまった。
ヤマタイ国ってヤマト国とことば似てるよね。
邪馬台国ってのは大和国だったのかな???
刺青については
>>224でも書いたけど、中国でもタブーなんかじゃないよ
ただ、蛮族風(古代シナ人にとっての)ってだけだ
ローマ人が、ズボンはいてる奴を見て蛮人だと思うのと同様。
ただ顔に刺青されてたらそれは古代シナにおいては
刑罰を受けた受刑者なので、その場合は人から蔑視されるが、
今言ってるのはそれとは違うだろ
>>263 そう断言できるのが不思議。倭人伝の該当箇所をみればわかるけど
文身(いれずみ)をサメなどが嫌うと書いてるのあるのは
中国の異民族越族の伝承からの推測で
倭人がそのように主張していたとは断定できない。
「後やや以て飾りとなす」とはっきり書いてあるから
その当時でもすでに装飾的な意味しかなかったと見るべきだろう。
>>13 あの献上された奴隷は倭が朝鮮半島での戦闘で獲得した朝鮮人捕虜ということで決着付いたはずだが
282 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:54:08 ID:/t+TS+xQ0
>>261 産業?(笑)
この時代に人が食って行けるかどうかは食い物が沢山取れるか
どうかでしょ?
熊本は海の幸も山の幸も豊富だよ。気候も温暖だし、大分とか
宮崎でもおかしくないけど。
畿内説に違和感感じるのは、稲作のや水田の記述が全然無いこと。
284 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:54:16 ID:b0a4r+Sb0
>>255 日本最古の前方後円墳は応神天皇在位の時に作られているようだけど、、
285 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:54:36 ID:/BeBqMT/0
卑弥呼の邪馬台国は八女か山門だろう。
台与のときにクヌコクと和睦・併合して
西都原に遷都。記紀で言うところの日向三代。
290〜300年ごろに大和に移動。
286 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:55:02 ID:8OnJSG+r0
>>277 ああ、銅鐸でしたか。
でも、和弓は非対称弓だよね。
287 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:57:08 ID:IvN9gbb4O
288 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:57:40 ID:CWQ0qOAW0
>>280 倭の若者「じっちゃんの頃はー、サメ対策で入れ墨してたらしいっスけどぉ、
今は俺たちワ人サーファーのファッションだね(笑)」
↑インタビューウィズ倭人若者(こんな感じ?)
>>287 3世紀の畿内がどんな気候だったかにもよるかと
今より温暖だったのか?
寒かったのか?
>>269 >土偶や埴輪
無いでしょ。
>アイヌや奄美以南では明治まで刺青の風習がある。
奄美も中国人から見て倭国の内であったということですか。
291 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 00:59:49 ID:IvN9gbb4O
>>283 幕末に日本にきたペリーの一行がこんなことを記してる
私が見聞した異教徒諸国の中では、この国が一番淫らかと思われた。体験したところから判断すると
、慎みを知らないといっても過言ではない。婦人達は胸を隠そうとしないし、歩くたびに太股まで覗かせる。
男は男で、前をほんの半端なぼろで隠しただけで出歩き、その着装具合を気にもとめていない。
裸体の姿は男女共に街頭に見られ、世間体などはおかまいなしに、等しく混浴の銭湯に通っている。
(サミュエル・ウィリアムズ著『ペリー日本遠征随行記』)
これとは別に当時の日本の風俗を描いたものにも半裸姿の飛脚などが見受けられる。
女性の上半身裸も珍しくなかったようだ。日本列島は温暖湿潤なので、
庶民は明治維新直前まできっちり着込む習慣はもってなかった。
これらはもちろん南九州や紀伊、房総などのような日本でも暖かい地域に限らず見られた姿のはずだ。
たぶん邪馬台国は今の高知県だ!!
あったかいしなw
>>282 7万戸って事はね、主人に嫁が複数+爺に婆+餓鬼ってのが
魏志に書かれた一般家庭、がき3人嫁2人の平均家庭としても
8人×7万で56万人いるって事。
狩猟採取生活じゃ不可能、農業・流通などの産業が発生して
いないと56万は養えないぞ。
>>290 宇宙人やサングラスにも見えるので有名な遮光器土偶の文様は刺青をかたどったものだとも言われてる。
一部の埴輪にも刺青らしいものがあるそうだ。
>>287 できないね。
つまり、機内でも北九州でもあり得ないって事だな。
日本の夏を体験すれば欧米人でも裸で過ごしたくなると思うよ。
298 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:04:46 ID:CWQ0qOAW0
>>292 アメリカはピューリタニズムバージニアの精神で建国したからな。
普通の風習だけでもエロく見えたんだろう。
エロとは、その人の心の中にある!(ビシッ!)俺みたいに有段者になれば、
木の股、石畳、山の稜線を見るだけで、興奮できるぞ。
>>280 夏王朝のことは例示であって、倭人が魚などを取るのに刺青をするのは夏朝の帝の子がそうしたように
大魚や水鳥をさけるためだと書いてあると思いますが。
>>290 オイオイ、土偶や埴輪の模様が刺青ってのは常識だぞ。
奄美どころか沖縄も文化的民族的に日本だぞ
301 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:06:05 ID:b0a4r+Sb0
古事記や日本書紀に、卑弥呼のことが触れられていないのを疑問に思わない人はいないよね
302 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:06:29 ID:yW4DPAms0
邪馬台国なるものはなかった。
易姓革命の国、シナの歴史書は信用できない。
日本人なら、記紀を虚心坦懐に読んだらよいではないか。
古事記にも日本書紀にも、ヒミコなるものの存在はない。
崇神天皇の陵墓をヒミコなるものと強引に結び付けているのが、真相だろう。
そもそも、邪馬台国とか卑弥呼とかの漢字をよくみるがいい。
このような明らかな蔑視を伴った当て字をみて喜んで論争するなんて、自虐史観そのものではないか。
こんなものは教科書に書いてはいけない。
百歩ゆずってあえていえば、邪馬台国は大和国であろうし、卑弥呼は日の御子であろう。
重ねていう。邪馬台国などは存在しなかった。
303 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:06:41 ID:w3ooa/NmO
>>286 和弓が上下非対称なのは、倭人伝にも書かれてるよね。
日本は弓の素材だったり、威力を増すために世界最大の弓になったと言われてるし、
大陸とは決定的に異なる文化だと思う
304 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:06:59 ID:dttbnVTe0
もう邪馬台国板でやれ
305 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:08:35 ID:kuW+Ci2o0
たしかに日教組とかが好きそうだ
306 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:08:42 ID:CWQ0qOAW0
>>301 俺は今、「屈辱外交だから隠した」ってのはありかと考え始めている。
307 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:08:47 ID:sXYV08FEO
まぼろしのやまたいこくは名画
308 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:09:24 ID:a438Xr0x0
>>300 上:埴輪には服装、髪型がはっきりありますが鯨面は見えませんし
手足にも刺青が見えません。土偶もどれが刺青なのやら。
下:なるほど、奄美、沖縄も倭国の内と。
これには異論は挟みませんよ。
309 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:09:45 ID:IvN9gbb4O
>>301 だから大和朝廷=邪馬台国とは、考えられない。九州国にいた教祖様が卑弥呼ちゃん
310 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:10:24 ID:DgW9eING0
卑弥呼が出てくる魏志倭人伝の「魏」とは
あの三国志の「魏」
日本ではなにやらまだ神話の時代のオーバーラップしてしまう卑弥呼だけど、
三国志(正史)を読むとその頃の中国は日本の飛鳥時代と同程度の文化文明レベルを
持っており、魏や西晋と関係していた卑弥呼も中国から様々な技術を輸入したに違いない。
そんな具体的な存在であった卑弥呼が後に
どうやら別の名前で神話に仕立て上げられたような話が多いのはなぜなのか?
そこらへんが天皇家成立の鍵だと思うよ。
>>299 倭人伝に書いてあるのは中原にあった夏王朝のことじゃないって。
春秋戦国の越という国のことを知ってるだろ。
この国は長江下流域にいた非漢民族の越族が建てた国だけど
中原の夏王朝の末裔を名乗ってたんだ。
だからこれは長江下流域にいた異民族の風習なんだよ
そこの風習のことは漢民族はよく知ってるから、
彼らからみれば同じように見えた倭人の風習のところでそう記したわけだ。
312 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:11:57 ID:IcgdBYGw0
関裕二の説が最も説得力がある。
邪馬台国は九州の山門。
山門の反乱により九州に派遣されたのは住吉(竹之内すくね)と神功皇后と妹のトヨ媛、
北九州制圧後、畿内宗家と決裂
畿内で疫病等発生。神功皇后一派の祟りのしわざとされ、息子の応神が畿内に召喚される(神武東征)
王に擁立され大和王朝誕生
┐(´ー`)┌
>>308 見えないのは勝手、考古学者の見解を覆す理論を
示してくれれば済む話。
森浩一氏を初めとする考古学者の著書がデタラメと
いうなら考古学がひっくり返る大発見なので是非学会で
発表してくれ。
315 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:13:28 ID:b0a4r+Sb0
天皇家と卑弥呼は直系ではなく、邪馬台国を滅ぼしたのが応神天皇という図式なんじゃないかな
百越も知らない人相手じゃ、刺青について説明しても判る訳ないんだよなあ
317 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:14:51 ID:8OnJSG+r0
318 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:15:04 ID:CWQ0qOAW0
>>311 呉越由来のじっちゃんが、サメ対策のために、入れ墨していて、それを見ていた
子孫が、やがて、ビッグウェーブに乗って九州上陸。その頃は、入れ墨は(サメ
がいないので)ファッションになっていて、その若者の一人が、イワレヒコと
して東征。。。うーん、それも筋が通っている。。。
319 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:15:37 ID:kuW+Ci2o0
傍証ばかりじゃ埒があかないから、考古学のほうが説得力があるね
邪馬台国の存在なんて信じてないけど
320 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:15:48 ID:IcgdBYGw0
>>301 神功皇后のところで卑弥呼について触れられてるが?>日本書紀
>>311 夏帝少廉の子が会稽に封じられた時に断髪して刺青を入れて
蛟竜の害を避けたとあると思いますが。
あと習俗は?耳、朱崖と同じと書いてある。それが夏王朝の子孫でうんたらなんかは書いてませんね。
322 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:17:02 ID:OLfvFBdhO
とりあえず九州説が有力やな
>>316 うーん、今でも奄美以南の民族資料館に行けば、
明治時代の刺青の写真が見られるし、埴輪や土偶
との関連を示す資料もあるんですけどねぇw
プロレスのロック様の刺青と同じ理由なんですけどね。
>>301 日本書紀の神皇后紀に
卑弥呼や台与が魏や晋に使いを送った記事が引用されてるよ
記紀にぜんぜん記述がないわけじゃない
>>325 なんか、基礎的な知識が足りないんですけど。
森さんが考古学入門の本出しているんで読んで
から来られた方がいいですよ。
>>326 それちゃんと魏志の引用の体を取ってるんですよね。
「魏志に曰く」と書いてある。
329 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:21:33 ID:plpPWh0oO
>>321 ほかの人も書いてるようだけどさ
「百越」ってのをググるなりなんなりして調べてみたらどうかな。
風俗の話をする気ならそれからでもいいと思うよ。
331 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:23:26 ID:CWQ0qOAW0
あ、古事記を読んでて、イワレヒコの東征で、もう一つ、キニナッタ事が
あってね。
「いづこにまさば、ひらけくあめのしたのまつりごとをきこしめさむ。
なほひがしにいかむ」
この部分なんだけど、「なほひがし」って「更に一層東」ってことだよね?
てことは、高千穂に座した(ました=拠点とした)ニニギ→イワレヒコで、
既に「東に来て」それで辿り着いたのが高千穂なんだが、「地上支配の
ために」「更に一層東」を目指そう、と読めるんだよね。
古事記の高千穂が現在の高千穂と同じ場所かどうかはワカランが、少なくとも
近畿上陸の熊野よりは西に、このイワレヒコが座した「高千穂」があるのは
これは、確定でいいでしょう。
332 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:23:38 ID:IcgdBYGw0
神武東征の逸話について、考慮しなければいけない点がひとつある。
交通機関の発達してる現代と違って南九州と畿内は遠い異国の地だ。
なぜそんな地の果てまで神武は向かったのか。
それ相応の事情があったから地盤の無い畿内へ行ったわけで。
それはつまり神武(応神)の行動が、
>>312に書いたように東征ではなく、召喚だったからなのだ。
333 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:24:13 ID:b0a4r+Sb0
>>320 倭の女王と記されていますがこれが誰なのかは明記してないのでは
暗に神功皇后だとほのめかしていますが
334 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:24:15 ID:kuW+Ci2o0
古文書を読み解こうとしても、それ自体の信憑性が疑われてるのに
無駄な労力を使ってるな
まあ、飯の種の人もいるんだろうが
西に居られなくなったから東に向かったんでしょ
336 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:26:18 ID:RwH4cAIQ0
邪馬台国は鋼鉄の武器と中国兵法で強かった
大量の鋼鉄の武器の再生産を支えることができるのは大和+河内の余剰農業生産物しか考えられない
>>330 321の内容は「倭人条」に書いてあることですよ。
>>321>>299です。
それに陳寿が断定して書いてるんですよ。
魏志東夷伝倭人条、ちゃんと読みましたか?
338 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:26:50 ID:CWQ0qOAW0
参考:古事記におけるイワレヒコ(=神武)の、上洛ルート
高千穂→宇佐参り→岡山→吉備→淡路・波速→熊野
よくわからんけど徳島説って言うのが気になる
何か交通の便も良さそうだし、
奈良あたりへは川をちょっと遡上すれば近いし。
それはともかく卑弥呼って姫巫女の事って言う話あるけど
太陽信仰で日巫女って言う可能性はないの?
341 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:31:01 ID:DgW9eING0
>>332 まず日本海を渡るほどの大きな船の造船技術がドコからやってきたかといえば
その後の遣隋使の資料からわかるように間違いなく中国から。
歴史として残ってないだけで
日本は三国志や卑弥呼の時代以前に一度は大陸側から侵略を受け
支配下に置かれているはず。
そうでないと、中国の造船技術を日本側が扱えるようになるわけないし。
天皇家の神話はその辺の残っていない歴史を
神話化しただけだと思うけどね。
342 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:31:56 ID:IvN9gbb4O
日に向かうと書いて、日向=ヒムカ
343 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:32:10 ID:0XKpPRNU0
>>334 そういう考え方によって戦後全否定されていた
記紀が
近年の発掘によって
かなり史実と近かったんじゃないか(2600年とかはともかく)
と考えられるようになってきたのが、ここ10年ぐらい
やまたいこくとじゃばだいこく、同じ字だが読み方が違う二つの国があったとすれば
弥生人自体が渡来系ですよねえ
確か
>>337 少康うんぬんの陳寿の記述は史記の越世家を下敷きにしたものだ。
だから当時の中国人が読めば、これは越の伝承上の祖先の話のことをさしてるんだとすぐにわかったはずなんだよ。
君は議論の相手としては最低だな。自分の知識のどこが不足してるのかも理解できないようだ。
今の南極点が当時も南だったのか?
羅針盤読めないから誰か教えて
348 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:35:18 ID:IcgdBYGw0
古代の倭人は九州から韓半島南端にまたがって活動する海の民です。
応神(神武)の東征は海の民である住吉一派(武内)や豊の一族が関わっています。
内陸中心の中国よりも倭人のほうが造船技術や航海技術が高かったと考えたほうが自然でしょう。
349 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:35:42 ID:DgW9eING0
ついでに。
邪馬台国がドコかなんてのはどーでもいい。
日本側の歴史資料がなさ杉な状態で
こんなもんがドコにあったかを推測するだけ、もはや似非学問。
ただ、中国側は腐るほど資料があって卑弥呼とほぼ同時代の三国志みたいな
膨大な史実が残っているのに、日本にはほぼ何も残ってないのは残念だね
というだけのこと。
それでも邪馬台国の場所が気になるのは
病気か観光誘致目的の人かくらいでしょ。
350 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:36:21 ID:Sq+d6xqWO
誰か教えてほしい。邪馬台国がどこに存在したかが分かると、何がどう変わるの?
351 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:36:41 ID:0XKpPRNU0
>>345 近年
弥生時代の始まりが
紀元前10世紀に遡ったことは知ってる?
352 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:37:29 ID:NVcDS5Po0
わーこのスレまだ続いてるー
353 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:37:36 ID:CWQ0qOAW0
日本始祖女王が最大限にスーパーガールだった場合の仮説
(空想としてお楽しみを♪)
実はアマテラスも神功皇后も倭モモソ姫も卑弥呼も同一人物説(ババーン!)
@実際の治世の良の部分&始祖としての部分&日蝕伝説→アマテラスと表記
A朝鮮半島征伐&外交及び戦争の良の部分→神功皇后と表記
B大陸外交の負の部分&内政における批判要素→倭モモソ姫と表記
C外交先で残ってしまった記録→卑弥呼と表記サレ
これなら、同一人物として、問題無い。@は国内賛成派の見解。Aは朝鮮外交
を成功と見る人の見解。Bは対外外交も内政も懐疑的な見解。Cは外国の記録。
同一書物に書かれていると言って、鏡が一つとはかぎらない。右の角度もあれば
左の角度もある、昼の顔もあれば夜の顔もある。
>>217ちどりましととの歌の大久米命の目元の入れ墨が示すように、刺青がタブーなわけでもなくて
体中に刺青を入れる習俗が単に無かったんでしょう。
>>263漁をするために全身に刺青を入れる習俗はありません。
>>269あるよ、土偶や埴輪に残っている。
>>339 どこにあるんですか。「全身に刺青を入れた土偶や埴輪」。
>>347 磁石の南北に関係する地球の南北磁極は常に動いてるけど
東が南になるほど大きな変動はないだろ w
357 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:40:22 ID:kuW+Ci2o0
358 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:41:08 ID:0XKpPRNU0
>>350 日本の古代史や
日本(倭)の国の始まりが
ほぼはっきりとわかるようになる
ここをクリアすると
記紀についてもあるていどクリアになる
卑弥呼の正体がわかってしまうと困る人たちがたくさんいます。
360 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:42:27 ID:CWQ0qOAW0
>>343 そうなのじゃ。長寿の薬は当時、絶対有った。。。
祟神天皇、168歳没も、これも事実じゃ。多分無理すれば人間、そこらへんまで
生きられるのじゃ。
361 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:42:41 ID:IvN9gbb4O
>>349 その通り、魏志の行程を読めば、北九州・機内は無理。
気候でも北九州・機内は無理。
人口でいえば機内か出雲以外無理。
中国の史料では日本に存在しない、役に立つのは、
当時の風習や官職、人口などのみ。
363 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:43:49 ID:e+8OWKGEO
弥生と来たら出雲だろ
>>349 中国は何度も支配民族が変わってます。
その度にその支配者に都合の良い歴史に書き換えられ、都合の悪いものは焚書されてしまってます。
天照大神=日巫女=卑弥呼
もうこれでいいよ
>>354 もう少し基本的な知識、身につけてね。
信仰じゃ会話は無理。勝手に勝利宣言してね。
>>346 >少康うんぬんの陳寿の記述は史記の越世家を下敷きにしたものだ。
下敷きというか単純に例示として夏王朝の少廉の子の説話を出してあるだけ、その後に倭人の風習はこれと同じ理由だと断定して書いてます。
そもそも
「文身(いれずみ)をサメなどが嫌うと書いてるのあるのは
中国の異民族越族の伝承からの推測で
倭人がそのように主張していたとは断定できない。」
これがおかしいんです。倭人が主張してたかどうかなんて関係ないですし、陳寿は説話を例示してこれと同じ理由だと断定して書いてるだけなんですから。
368 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:46:30 ID:b0a4r+Sb0
369 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:46:57 ID:KZNlOgSJ0
370 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:47:37 ID:kuW+Ci2o0
>都合の良い歴史に書き換えられ
中国と日本で行われているだろうから、変数が多すぎることに気づけよ
371 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:47:40 ID:IvN9gbb4O
埋蔵金がザックザック出るぞ
372 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:47:41 ID:CWQ0qOAW0
>>356 でもね、「あ、今日は平日だ」と思って、出社するまで休日と気付かなかった
事って、時々あるよ。
そう言う事って、あるんじゃないかな?磁石のない時代だし。
船長が「こっちに行くんだ!こっちが南に決まっているんだバカヤロー!」
って言えばそっちが南になっちゃうのが船乗りの世界だし。
373 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:48:50 ID:Sq+d6xqWO
>>355 > 中国の歴史書が何書こうが、日本の歴史を語るのに記紀を
> 基準にしないなんてあり得ないって基本が分かってないんだよ。
そうか?
歴史書が書かれた時代に近い時代なら、そのとおりだろ
しかし、書かれた時代から500年近く昔の話
しかも、口頭で伝えられた話だ
どれだけ正確に伝えられたかわからないし、
そもそも正確に伝えようという概念すらなかったかもしれない
それよりは、不完全でも、同時代の歴史書の方を基準にした方がいいんじゃないか?
375 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:49:51 ID:DgW9eING0
>>358 倭とは漢がはじめて魏で成った冊封体制の過程で出てくる「名称」
だから倭がどうやって誕生したかは「日本列島付近を倭と当時の漢族が認識したから」が
答え。
倭が実際、どんな国だったかなんてのは中国と違って日本にはその頃の史実を
伝える資料がまったくないので永久にわかりません。
まだ非公開になっている天皇家の古墳が発掘でもされたら
少しは何か出てくるかもしれないけど、
日本はその当時でも木簡を使って記録したケースが多いと推測されるため、
そんなものが温暖湿潤環境下で2000年もたったら完全に腐って何も残りません。
377 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:52:02 ID:CWQ0qOAW0
>>368 やはり徐福さんが登場しましたか。。。
これで、蓬莱国→邪馬台国(過渡期、或いは大和の音読み)→大和王権
が、成り立ちましたな。。。フフフ。このスレで真実に近づいているのは、
どうやら、俺とおぬしの二人だけのようだ。
>>367 君は倭人伝の記事が黄河流域にあったとされる夏王国ではなく、
華中の地で誕生した越王国の話だということも理解できてなかったんだからすでにして論外だろ。
そもそも会稽という地名を持ち出して倭人伝の風俗は日本のものではないと示唆してたのは君のほうじゃないか。
それでいて会稽山が発祥の地といわれる王朝の風俗も知らないんようじゃ話にならないだろ。
379 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:52:30 ID:IMowmatZ0
やっぱ関西じゃないかって気がするな。
>>366 すみませんね、あなたの「邪馬台国」に対する信仰心を阻害してしまっているんでしょうね。僕。
381 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:52:58 ID:0XKpPRNU0
卑弥呼=モモソヒメっていうのは
ものすごく説得力があって
他の説ではもう
簡単には肩並べられないよね
382 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:55:28 ID:kuW+Ci2o0
天岩戸や因幡の白ウサギレベルを肯定しているのかと思うと
かなり、痛い
383 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:56:23 ID:0XKpPRNU0
>>375 ん????
バカ???????
今回の纒向の発掘で明らかになってるのは
対中国がどうこうという話ではなくて
纒向がヤマト政権の礎となったと
その初期に魏志倭人伝にて「卑弥呼」と呼ばれる人物がいた
とそういうことよ
384 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:56:56 ID:OZ0UsDGGP
>>370 倭國の存在で中国にとって都合の悪かったことってあった?
晋書以降の倭國に関する記述は魏志・呉志・蜀志からの抜粋(晋にとって都合の悪いものは焚書されて取り除かれてるが)と見るべき。
>>374 例えば、戦国時代でも、中国史における秀吉の記述
「木から落ちて織田に拾われた。」に始まってデタラメの極地
実際に戦争してもこの程度。家康や信長についてもデタラメ
で天皇なんか存在しないぞ。
信長なんて本能寺もなければ裏切りも無しに頓死したって記述。
距離が離れているとしても、デタラメすぎるだろ、3世紀の
史料がどれだけ信用おけるか分からないだろ。
>>378 >君は倭人伝の記事が黄河流域にあったとされる夏王国ではなく、
>華中の地で誕生した越王国の話だということも理解できてなかったんだからすでにして論外だろ。
それ全く関係ないですね。例え話なだけであって、今の夏王朝の子孫と風俗が同じだとか書いてるのではないですから。
>そもそも会稽という地名を持ち出して倭人伝の風俗は日本のものではないと示唆してたのは君のほうじゃないか。
それは女王国の場所について、陳寿が会稽東冶の東と書いていることを言ったのです。
そして倭人条の風俗については日本にそういう慣習はないでしょうという話を延々しているに過ぎません。
前者後者は何の関連もありません。別々の話です。
389 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:59:46 ID:IvN9gbb4O
で、モモソヒメが卑弥呼だって?ありえんわ(笑)
390 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:59:56 ID:4dkMOA14O
391 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:00:01 ID:CWQ0qOAW0
>>382 否定するイワレも無いイワレヒコ。イワレヒコ=神武。イワレ=由来。
何も無い所から、卵は生まれない。火の無い所にウワサは立たない。
「物語が存在する」と言う事は、少なくとも、その物語が出て来るべき何かが
あったと考えるのが、冷静な味方。
392 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:00:14 ID:0XKpPRNU0
>>382 >>384 ?????
「天岩戸」神話の現実性については
今世紀に入って
天文学的にいくつかの大学で知らべているんだけれども・・・・
393 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:00:57 ID:b0a4r+Sb0
>>380 謝る必要は無いよ、余りにも基礎的な知識が無い人間を
相手にしてしまった自己批判だから、勝手に勝利宣言しておいてね。
プロの研究家でさえ、分っていないというのに
オマエラと来たらw
396 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:04:51 ID:8OnJSG+r0
>>384 そうしなければ、各々独立した軍隊を持つ国々(藩)を解体し、
近代的な統一国家を建国できないのだから仕方が無い。
のような感じで、明治政府を建国した人は考えていたんじゃないかな?
397 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:05:32 ID:CWQ0qOAW0
>>386 ま、しかし、そのギャップがあるからこそ、「朝鮮では」織田信長をどう見て、
豊臣秀吉をどう見ているか?が、一目瞭然にもなるんだな。そして、その
ギャップが、通説では見れない「両者の対朝鮮外交の違い」なども類推する
一要素には成り得る。
海外からの目線は「ギャップが生じる要素」として見れば、むしろ、通説を
補強したり、補完したり、矛盾解決の一助とは、なるかもしれない。
>>395 おれは、判らないが正解って言ってるよ。
この時間帯若干名同意見の奴がいるし
声のでかいキチガイが何人かいるから
判らないかも知れないがノイズ除去してみな。
399 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:05:53 ID:0XKpPRNU0
だから
モモソヒメ=卑弥呼で
その伝説にアマテラス神話が混入している
つまり
記紀、魏志倭人伝にて
モモソヒメ=卑弥呼=アマテラスとみなすことのできる部分がたくさんある
纒向が邪馬台国なら(考古学会は現在9割がたそういう説になってる)
こういうことになるわけよ
>>394 おつきあい頂いてありがとうございました。
>>388 じゃあその手の予備知識を仕入れたという前提の下で
もう一度
>>109 オレの反論を見てみな
そうしたらなぜ陳寿が日本列島の位置を会稽東冶の東と推定したのか
その理由がわかるはずだから
402 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:06:31 ID:kuW+Ci2o0
>>385 364 :名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:43:49 ID:plpPWh0oO
>>349 中国は何度も支配民族が変わってます。
その度にその支配者に都合の良い歴史に書き換えられ、都合の悪いものは焚書されてしまってます。
おまっ、何いってんの?
加えて、日本にも都合の悪いことがあったんだろ
重ねて言うが、邪馬台国や卑弥呼の存在を積極的に認めていない
403 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:09:51 ID:a438Xr0x0
>>401 陳寿は道里を計算すると会稽東冶の東になると書いてます。
風俗から推測して会稽東冶の東になるだろう、とは書いていません。というか
そのように推測し書いてるのは他ならぬあなた自身でしょう。
そして、風俗から推定して会稽東冶の東に位置する島のことを書いているのだろう、とあなたが推測なさるなら
それに対して僕は反論しません。その可能性はあるなと思うからです。
404 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:10:14 ID:DgW9eING0
>>383 馬鹿はお前だ。
初めて日本列島を倭と呼称したのは
冊封体制を強いていた当時の中国人。
その冊封体制の中で魏や西晋が倭の卑弥呼と関係していたのは別に今更なこと。
ここらへんの時代の日本の考古学、特に古墳発掘でわかるのは、
「そういうことがあってもおかしくない文化や文明の痕跡があるようですね」←ココまで。
おまえは
何を
妄想しているんだ?
>>401 うーん、頑張るのはいいけど、論破されたって認識できるにも
ある程度知能がないと無理だし。。
相手はぐぐりもしないし、どうみても。。。。
止めはしないけどね、知的な会話ができない電波と会話は
考えた方がいいよ。
406 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:11:26 ID:CWQ0qOAW0
不平等外交結んだ、井伊直弼なんて、暗殺されちゃうんだぞ。
魏の脅しに屈して不平等外交を結んだ人間だって、近いレベルで国内批判浴びる
かもしれないよな。
だとしたら、日本の記録で「HIMIKO」なる人物が、どういう扱いになる
か>も、推して知るべしともなる。
407 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:12:16 ID:9Wt1D9RGO
自閉かアスペが多そうなスレだな
408 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:12:59 ID:0XKpPRNU0
>>ID:DgW9eING0
こいつ
日本語が「わからないキチガイなんで
以下専ブラであぼーんするわ
409 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:14:17 ID:Qd1aMHn10
馬鹿ャロー
邪魔大国は日本にあったんだよ そんな事もしらねえのか?
410 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:15:05 ID:CWQ0qOAW0
そこで、やまとととととととととととももももももももものひめだが!!!
え?とが多い?もが多い?そういえば、もとみちゃん元気かな。。( =ω=)
411 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:15:09 ID:IvN9gbb4O
蛇男と毎晩エロエロしていて、そのうえ箸で陰部を刺して死んだ、架空だと言われている、モモソヒメが卑弥呼とかだったら、笑えるよな
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・) はいはい、さっさと証拠となる遺跡を発掘してこい
`ヽ_っ⌒/⌒c
⌒ ⌒
当時の日本に中国に取って美味い交易品ってあったのかな?
414 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:16:54 ID:0XKpPRNU0
>>399 に続けて書くと
前方後円墳がのほぼ大元がモモソヒメ箸墓ということがわかると
その後のヤマト政権の前方後円墳を全国に作っていく理由なども
だんだんわかってくるようになる
おまいら主催者の罠にまんまと引っかかってるなw
416 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:17:38 ID:DgW9eING0
>>408 お前は考古学が文系であると同時に理系であり、
日本のこの頃の年代を対象にした出土頻度や年代測定でわかるのは
他国の史実で部分的に記述されてる特定の人物の存在などでも
他国の史実で部分的に記述されてる特定の地名の存在などでも
ないと、よーく頭に叩き込んでおけ。
それがわからないといくらやって似非考古学と同じだよ。
>>410 いやー。
>>397でまともな話ができると思ったら、ID:a438Xr0x0みたいな電波は
ものの見事にスルーして遊んでる、いいね、その肩の力の抜き方。
マジで羨ましい。
>>308 これは間違いですね。鯨面の埴輪はあるが倭人条にあるような全身刺青のものはないと訂正すべき。
謝罪して訂正させていただきます。
419 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:19:03 ID:SHEqa6bFO
倭迹迹日百襲姫=卑弥呼なら、台与の前の男王は誰?
崇神?大田田根子?それとも大物主?
420 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:19:31 ID:CWQ0qOAW0
>>411 蛇男が魏なんじゃね? 曹操って蛇みたいじゃね?
>>404 「倭」という呼称をそのまま受け入れるって事は、間接的に中国の 冊封体制を
受け入れる(受け入れた)とも成りかねないって事だよね。そこなんですよ。
さて、「倭人」とは、どこからどこを指した言葉でしょうかと、そこが
キニナッテ来ます。(え?俺だけ?)
>>403 君はいろんなことを信じてないけど、
その一方で、隋書倭国伝に「東夷の人は里数(距離)を知らない、ただ日を以って計っている。」という記述があっても
一万二千里という距離は正確だと考えたり、一般には緯度を正確に測定する方法も知られてないのに
緯度に関する記述は正確だと考えてるようだね。
わかりやすく言えば
君の主張の根拠となるものは、たとえ正確な記述を期すつもりであっても実際に正確に測定するのが難しいものだ。
しかし風俗や習慣を見たまま記すのはさほど難しくないだろう。いかがかな
422 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:20:08 ID:s7xOOKI2O
>>340 「姫巫女」も「日巫女」も無いだろ。
「みこ」は「御子」で、子供に付けられた呼び名。
「皇子」「皇女」と書いてどちらも「みこ」と読んでるように、「みこ」は女性限定の呼び名じゃない。
「神の御子」として「巫女」を「みこ」と読むのはもっと後の話じゃないかな。
書くなら「姫御子」「日御子」だろう。で、
雄略紀に「姫御子」という単語が出てくる。
423 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:22:44 ID:IvN9gbb4O
実際問題モモソヒメって架空人物だろう、しかも宮内庁管轄だから発掘許可も出るわけないし、それをわかっていて、畿内説をおしているんだから
要するに、ずる賢いよね
424 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:23:03 ID:u6rBsS8Y0
北京あたりから来て対馬経由はあり得んよ。
済州島、五島列島経由だよ。
425 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:23:14 ID:CWQ0qOAW0
>>414 問題は、後代のどの天皇が、陵墓セールスマンの「いや〜円墳より前方後円墳
の方が、カッコイイッスヨ!」と言う言葉に騙されたか?が重要になって来
ますな。俺個人は、仁徳天皇あたりが、アヤスィと思う。
>>340 つーかそもそも、「姫」=「日女」だから(男は「彦」=「日子」)、
どっちでも変わらんと思う。
まだやってた
日本史板も宜しくね
神武とかかっけー名前つけたのが悪い
嫌でも神格化しちまうぜ
だって神武だぜ?どんだけ強そうなんだw
>>429 知ってるかもしれないけど、神武って名前つけたのは奈良時代だからな
もっともカムヤマトイワレヒコでも十分神々しいけど
>>421 違います。陳寿が書いている事は書いている事とし、実際にそれが正確かどうかとは区別しているのです。
だからあなたが、倭人条は風俗的に見て会稽東冶の東の事を書いているのだろうと推測するなら
それは可能性があるなと応じたでしょうし、また陳寿が道里の計算を間違えていると根拠を交えてお話になるなら
そうなのかと聞くだけのことなんです。
>>420 朝貢という慣しもしくは制度は間違いなく中国に残っている複数の資料から
あったといえるワケで、そこを否定するとそれこそ三国志(正史)のクニとクニとの
取引関係の基盤すら崩れてしまう。
後に日本になるクニが成立していく仮定で
大陸の文明の洗礼を受けていないと考えるほうが不自然。
受けたと考えたほうがその後の遣隋使から後につながる日本の文化発展過程も
創造しやすい。
日本は昔、中国の属国だったのだーとかそういう話じゃないよ?
そんなことはどうでもいい。
432 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:28:10 ID:0XKpPRNU0
>>425 仮説だけれども
ヤマト政権というのは武力もそりゃあっただろうけど
それ以上に
纒向を手本にして
「前方後円墳」を作るという宗教的公共事業+水田づくりで
全国に力を伸ばしていったと考えられるのよね
仁徳天皇陵なんかはまさにそれでしょう
「前方後円墳」と稲作をセットにして
人びとを食わせる
433 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:28:19 ID:CWQ0qOAW0
>>422 ミコに関して、それはわかるけど、ミメとかヒメという言い方もする。
古代において少なくとも音としては「そもそも区別は無かったんじゃないか?」
とも考えれるわけで。
漢字にするようになって「あれ?男女が(音として)同じなのはマズくね?」
となった可能性は、あるかと思うよ。
つまり、古代(漢字未然)=音読みで、男のミコも女のミコも、全く同じ。
それが、古代(漢字以降)=音読みは温存で、漢字表記だけは、男女を分けた
の、可能性ね。
434 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:28:34 ID:OZ0UsDGGP
/|〇_〇|
||. (・(エ)・´ | 話は聞いた
||oと. U|
|| |(__) J |
||/彡 ̄ ガチャ
___
/|○⌒○|
||. ( | じゃ、そういうことで
||oと. |
|| |(__) J|
||/彡 ̄ ガチャ
435 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:29:37 ID:plpPWh0oO
>>402 文章理解力のライフがもう0になってしまってるみたいだな。
もう寝たほうがいいんじゃないか?
436 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:30:47 ID:CWQ0qOAW0
>>428 ( ^ω^)クスクス。記紀の編纂者の思惑にはまりすぎw
437 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:30:59 ID:0jPtyq0X0
だから、モモカヒメは小倉優子でこりん星だってのに
438 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:34:47 ID:DgW9eING0
>>432 そういう、古墳の形状が時代とともにどう分布されていてどうのこうのってのは、
あくまでもその年代ではこういうのが一般的だったとするだけの話で
特例とかそういうのをまったく無視しているし
実は発掘結果の傾向とは「それまで発掘が終わっている遺跡の傾向」でしか
ねーんだよw
だから年をおって発掘が進むごとに定説がコロコロコロコロとかわるwwww
ついでにこういう傾向がわかったので→(ものすごい飛躍)→ここが邪馬台国だ。
とか平然といっちやうのが典型的な「エセ考古学者」
お前もそんな風にならないようにな。
439 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:35:17 ID:s7xOOKI2O
>>429 アマ(天?)のタリシヒコみたいな名前だよね。
名前の前に仰々しい前置きを付けるのが流行ってたのかな?
440 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:38:14 ID:CWQ0qOAW0
>>432 「立派な墓を作り敬え」⇔稲作⇔「そうすれば神となって平安に養ってやる」
という王権神授説的契約の開始だったのかも。皇室(豪族)と民の間の契約?
雷・イカヅチ=稲妻=稲の妻=稲作と日本神話、こう言う構図ですな。
日本シャーマニズムの雨乞いや地鎮祭や新嘗祭、等々を連想させますね。
意見は色々あるけど、神話があるっていいなと思った
442 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:41:49 ID:ZXAV0zqg0
邪馬台国は大和ということで間違いありません。
もし、邪馬台国が九州だったら、
どうしてその直後に大和に大和王権ができたのでしょう?
そこですぐに九州から東征したとか言う人がいますが、
それこそ大きな意矛盾です。
なぜ、東征して都を移す必要があるのか?
東征があった考古学的証拠は何も無い。
文献では、大和は九州をなんども攻撃している。ヤマトタケルを派遣するなど。
邪馬台国が九州にあったと言うのは簡単ですが、
その後の歴史をまるごと捻じ曲げないと、成り立たない説なのです。
443 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:42:25 ID:kuW+Ci2o0
>>435 なにがあー
魏志倭人伝の信憑性は疑わしいし、方位や距離もはっきりしない条件下で
邪馬台国はここにありましたなんて常識的に言えない
加えて、ここに至る前に恣意的な捏造(創作)の可能性もある
この一文が指し示しているなんてことは、掘り起こして検証して初めて通説として言える
あると仮定するならば、纒向(まきむく)遺跡の連続性の検証のほうが有益
科学でなく物語として楽しむのは自由だが
444 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:44:29 ID:CWQ0qOAW0
>>442 東征が遷都なら、成り立たないかもしれないけどさ。乗っ取りなら、充分可能
じゃね?
>>439 マサカアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト
むしろカムヤマトイワレビコは短くなったバージョンなんじゃ
ニギハヤヒも長い名前があったよな
アマテルクニテルなんたらかんたらニギハヤヒノミコトとかいうの。
447 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:47:48 ID:ZXAV0zqg0
歴史上、九州は何度も大和に叛乱をおこしてるわけです。
九州説も、いってみればその流れで、中央を批判してるだけです。
九州は、古代から大和と敵対してて、
もしも、東征があったなら、やっと大和を支配した九州陣営が、
どうしてそのまま大和を九州の支配下におかないのか?
大和が九州の支配下にあったなら、その後の九州の叛乱は起きるはずがありません。
歴史というのは、前後の歴史を説明できてこそ歴史と呼べるわけです。
「九州に邪馬台国があった」だけででは、
「畿内に大和王権ができた」ことの説明は何もできません。
東征があったという事実はありませんから。
とにかく、矛盾の多い九州説は信じるに足らない妄言なのです。
448 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:49:56 ID:CWQ0qOAW0
>>419 卑弥呼と台与の間の男王は、(その仮定の上だと)祟神天皇が、有力候補かと。
祟神天皇時代は、周辺制圧戦争・内乱鎮圧戦争の連続ですし。
>>432 古墳の造成って農地開拓で生まれた残土の処理じゃないかって気もするんだよね。
古墳の大きさ=開拓した農地の広さ=天皇の功績を示す指数、みたいな感じで、、、
だれも埋葬されてない古墳とかもあったよね。
それは途中で失脚してしまった天皇ってことで。。。
450 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:53:48 ID:IvN9gbb4O
>>442 よし、わかった、すごい妄想でお話してあげよう
高千穂の天岩戸の日本神話はわかるよね?
天照大神が引きこもり、八百万の神々が天照を外に出す為に会議をしたんだ
その神々が東征し、各地に国を作った、その一つが大和王権となった
だから邪馬台=大和の必要性はまったくない
451 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:54:46 ID:CWQ0qOAW0
>>419(
>>448続き)
卑弥呼と台与の間の男王は祟神天皇が有力候補かと。祟神天皇時代は周辺制圧
戦争・内乱鎮圧戦争の連続ですし。
それに、魏志倭人伝における「この時期乱れた」は、あくまでも、外国の外人
目線の判断だから「制圧戦争」も「鎮圧戦争」も、日本に対して「隙あらば」
と思っている国にとっては、「乱れた」と判断しても、おかしくはない。
外国高官にとっては、「隣国につけいる隙があるか?」が最重要関心事
でしょうね、当時も今も。
452 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:57:40 ID:ZXAV0zqg0
前方後円墳について教えてあげましょう。
大和王権発祥の象徴である前方後円墳は、もちろん、大和発祥です。
九州ではどうかというと、弥生時代に繁栄していたはずの福岡あたりには、
初期の前方後円墳は、ありません。
博多の近くに前方後円墳ができるのはずっと後の時代で、しかも数も少ない。
それは九州の方ならよくご存知のことじゃあありませんかね?
それなのに、東征があったとか、邪馬台国は九州だったとか、
どこからそんな発想がでてくるのでしょう?
453 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:57:52 ID:IvN9gbb4O
>>442 さらに、なぜ?九州を攻撃した、それは邪馬台国を支配したかった、それだけ卑弥呼ちゃんは畿内でも有名な存在だったんだよ
妄想ですけどね
>>450 ふと気づいた。
神話に因ると、八百万の神が集まるばしょって出雲だよね。
ってことは、、、
455 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 02:59:51 ID:z3nZlfmW0
>>275 河内に鉄が獲れて精錬できるような鉱脈があったけ?
単純に鉄といえば真っ先に思い浮かべるのが出雲なんだが。
>>442 >なぜ、東征して都を移す必要があるのか?
マキャベリズムを理解しろ、征服者より大きい勢力を支配下に
置いた場合の統治方法の基本。
その他に前統治者の一族皆殺しの方法とその地域からの追放
もあるけど、皆殺しや追放ができないなら、相手の首都に移動
して支配するのが王道。
457 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 03:01:14 ID:IvN9gbb4O
458 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 03:02:17 ID:ZXAV0zqg0
>>450 7世紀の作り話を真に受けて、史実のように語るのは、
頭がおかしいとは思いませんか?
九州で、古い前方後円墳が多いのは、日向ということは知ってるでしょう?
大和王権は、九州の中では日向と古いつきあいがあったわけです。
そこで、日向の神話を日本神話に取り入れたということはあったでしょう。
しかし、日向には邪馬台国はありません。
日向の遺跡からは「鏡」すら、まともに出てこないのですから。
>>455 丹の生産地は何処かな?
神功皇后の敦賀の丹生、あおによしの奈良。
高野山。。。。
日本では倭人条ばかり取り上げられるけれど・・・
魏志東夷伝は殆ど朝鮮半島の記述だよね
>>457 高千穂って具体的には何処のことなんですか?
462 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 03:06:48 ID:CWQ0qOAW0
>>449 「残土」と言う言い方はあまりに現代的で、そこだけは納得できないが、主張
は大部分理解できる。
「野山を切り開く」と言うのは当時「野山に神々がいる」と考えていた当時の
日本人にとって「切り開かれた後の残土」は、上げるも下げるもむつかしい
シロモノではなかったかと思います(例えは悪いですが、今で言う産業廃棄
物や原子力発電の放射性廃棄物のような)野山の神様が祟らない(タタラ
ナイ)とも限りませんからね。
それを、天皇陵・豪族凌という名目で、皇室・豪族が大量に買い取ってくれて
公共工事として活用する、という高図は、充分ありうるかもしれませんね。
463 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 03:06:58 ID:ZXAV0zqg0
>>454 >神話に因ると、八百万の神が集まるばしょって出雲だよね。
それは、出雲大社が中世にでっちあげた作り話です。
日本神話にも、出雲風土記にもどこにも、八白万の神が出雲に集まったなんて話はでてきません。
そもそも、神無月を出雲では神有月ということからそういう話になったわけですが、
神無月が、「神がいない月」という意味ではなく。
「神の月」=「かんなづき」に、漢字を当てて「神無月」になっただけです。
「無」では縁起が悪いと思った後の人が、「有」に変えたのです。
同じ例は、「亀有」が昔は「亀無」だったとか、梅雨である「水無月」が「水の月」を意味するとか、
いろいろあります。
わかりましたか?
464 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 03:07:17 ID:QwCmf6jt0
まだやってたのかよこのスレ
どこだっていいよもう
水無月は太陰暦での呼称だから
本当に水が降らない時期に当たるんじゃなかったかな
466 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 03:08:52 ID:0XKpPRNU0
>>458 纒向=邪馬台国
箸墓=卑弥呼の墓で決着がつくと
いちばんミステリーになるのが日向なんだよね
西都原は景行天皇-ヤマトタケルとシンクロしているとして
(つまり卑弥呼とは関係ないが)
宮崎平野に西都原よりもっと古い巨大前方後円墳がある
467 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 03:10:27 ID:ZXAV0zqg0
今出せる答えは、「判らない」が結論だけど
可能性をあれこれ探って、夢があって楽しいじゃん
そういや水田の稲作の稲の遺伝子って江南と一緒なのに
なんで地理に詳しくないんだろう
470 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 03:12:09 ID:LCm0i4I7O
方角をいじらないと機内説はなりたたない
距離をいじらないと九州説はなりたたない
距離は正確だが方角が間違っている
方角は正確だが距離が間違っている
どちらもおかしな話である
ならば答えはひとつだ
邪馬台国は記述通りの場所にあり今は海の底に沈んでいる
そう邪馬台国とは一夜にして海に沈んだムー王国の事なのだ
そして天孫降臨とは大災害を生き残ったムー人が日本に来たことを伝説化したものであり
我々日本人はムー人の子孫なのである
471 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 03:14:55 ID:IvN9gbb4O
>>458 はい?誰が日向が邪馬台と言った?しかも7世紀?それは出雲だろうに
>>461 高千穂でくぐれ、つーか行け、パワースポットだぞ
472 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 03:16:24 ID:kuW+Ci2o0
九州が押しが強いのだけはわかった
>>470 いつのムーに記載してあって妄想?
韓国の雑誌でも『ムー人は韓国人の先祖だと
世界の学者に証明されている世界の常識』と
いうヤツと同じレベル。
韓国人の祖先が熊をレイプした物語知ってる?
でも、これは事実だよ。
474 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 03:17:48 ID:CWQ0qOAW0
>>470 あ、そろそろムーなお時間ですね。時間限定で、そのノリも俺的にはOK。
では、この時間だけ、沖縄説とか、南方洋説に、遷都してみるか(神=ω=)よいしょっと。。。
>>467 水無月って今は確かに梅雨に当たるけど、近代以降の暦は太陽暦だから
昔の暦とは違うでしょう?
確か五月雨ってのが梅雨の雨のことだったと思うんだけど。
476 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 03:19:53 ID:LcdTjG+u0
卑弥呼の時代に行くことの出来るタイムマシーンとかがあったら、
二度と現代には戻れないという条件でも、家族も友人も財産も仕事も
全部捨てて行ってしまう考古学者とか考古ファンって、たくさんいそうだよね。
477 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 03:19:59 ID:F9vYHp2n0
ヤマト国なんだから九州はないわ
>>463 神無月とは元は神那月なんです。
つまり神々(緩やかな国家連合の首長)が那國に集まって定例会議を開く月のことなんです。
その那國に該当し得る場所は一ヶ所しかありません。
邪馬台国がドコにあったか分かると誰得?
俺、何の特もないんだけど。
いっそ、韓国でいいよ。めんどくさい。
どっかの新聞で、『実は半島にあったのかも?』
と、一言書けばあとは勝手に朝鮮起源にしてくれるよ。
481 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 03:22:53 ID:LCm0i4I7O
>>473 ムーじゃないよ
ワンダーランドって雑誌に連載してた飛鳥昭雄のマンガ
482 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 03:23:10 ID:CWQ0qOAW0
南方説だと、
邪馬台国=沖縄あたり?=竜宮伝説?
邪馬台国=沖縄あたり?=海底遺跡?⇔(ムー諸島、或いはムー大陸の沈没)
邪馬台国=台湾・フィリピンあたり?=呉越との古典記録上の関係性が補強?
邪馬台国=東が東南か南=大和あたりを、筆者が大誤解?(或いは当時。。)
この四つくらいの可能性でOK?足りないのある?
483 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 03:23:27 ID:BJegzChN0
なんだ? バイストンウェルの物語か?
高知高知。もう高知でえいじゃいか。高知高知。
485 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 03:27:51 ID:tcMNq3MGO
朝鮮説とかw
>>482 なんでウリナラが含まれてない?
99%の確率で韓国にあったことは世界の常識ニダ!
ヤムダイコックが後に日本語で邪馬台国になったニダ!
487 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 03:28:04 ID:IvN9gbb4O
九州説の勝ち逃げってことで、おやすみ。
俺が邪馬台国だ
韓国がとか中国がとかくだらねーこと言ってるのが想像できたから
ずっとスルーしてたが7スレ目で開いてみた。
つまんね
卑弥呼の古代発音は
ピミカ、又はプィムィファ
前歯二本を抜いてたからね
この様な発音状態で口伝がどう変化したかも考慮したいところだね
491 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 03:32:26 ID:z3nZlfmW0
>>424 魏の時代に北京なんてあるかよ。
許だろ、都は。
492 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 03:32:48 ID:CWQ0qOAW0
>>485 >>486 うけたからマジレスすると当時朝鮮半島は九州(や近畿)より南にあったのか?
と。。。;^^A
「南方説だと」と言ったわけで、「それ以外説」と言ったワケじゃない。
「それ以外説」だと、当然、四国説や北東九州説や東南九州説も語らなければ
ならなくなる。
>>489 つまんねとか言いながらこのスレ開いた上に
書き込みまでしてるお前が・・・・・・
『最高につまんねー人間』だと気づけよ。
あと、世の中の批判ばっかしてないで、
部屋から出て一般社会に溶け込む努力
しろよ、金田くん。
494 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 03:39:09 ID:0KK7LWza0
埼玉県の行田だろ常識的に
495 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 03:40:25 ID:v7RYbdkl0
北京は無いけど薊城はあるぞ。
496 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 03:41:04 ID:z3nZlfmW0
>>459 丹って水銀のことだろ?
鉄となんの関係が?。
497 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 03:41:52 ID:LCm0i4I7O
邪馬台国は海の底に沈んだ幻の国ってロマンがあって好きなんだけどなぁ
498 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 03:42:40 ID:v7RYbdkl0
倭は楽浪郡の隣にあった。
つまり、倭は帯方郡にあった。
もちろん九州北部にもあった。
朝鮮と九州を跨ぐのが倭。
そもそも、魏の使者が九州まで来るわけないだろ。
漢字はほぼ当て字だから騙されるな、みんな。
平仮名も似た様な発音を当てはめただけ。
一番の近道は・・・・なに?
500 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 03:55:07 ID:7WmECaOOO
>>480 お前は、
二十代前半。
妹がいて、実家暮らし。
学業コンプレックスを持ち、母親とはいまだに喧嘩をする。
もしタイムマシーンで観に行って、
実は卑弥呼は頭のイカれた新興宗教の教祖で、
邪馬台国が実は鳥取にあるすっげー田舎の原始的な
しょぼい所で、各地の王族がただの馬鹿の集まりで
風俗店が邪馬台国にあって、みんなヤリ目で集って
ただけだったら、日本国民みんな死にたくなるかも。
卑弥呼がインチキ教祖の風俗店経営者なんてヤダ!
まああれだ
地名の発音が似てるとかいうのはあまり根拠にしなくていい
似ててもいいが、似てなくても不思議はない
>>500 ありがとう、俺に関心を持ってくれて。
ただ、申し訳ないが1ミリも分析が当たってないのが
残念だが。
まぁ、これに懲りないで頑張って立派な金田イルになってください。
504 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 04:06:41 ID:7WmECaOOO
505 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 04:09:52 ID:6nntotMpO
506 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 04:14:04 ID:aXVWWc5E0
>>501 惜しいな。
それ島根に設定するなら
鷹の爪団の人が映画化してくれてただろうに。
507 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 04:14:08 ID:SHEqa6bFO
>>481 ワンダーライフでは?
宇宙皇帝の小島さんは、20世紀の内に政権を取る!
と、テレビのワイドショーで宣言してましたね。
で、何故かセックス教団を作っちゃいました(笑)。
508 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 04:14:10 ID:JrFiIAZB0
>>442 邪馬台国を大和と仮定した場合も、その後の歴史の矛盾も決して少なくない
旧唐書には日本は倭国とは別の勢力であり倭国よりも日本の方が小さいく
倭国よりも東にあると記されている、そして日本と中国の交流は581〜600年末と書いてある
そして小さな日本が西にある倭国を合併したと記されている。
邪馬台国が大和なら中国との交流はもっと古いはずです。
対馬壱岐から東の海岸線沿いに若狭へいたり、
そこから琵琶湖まで歩いて琵琶湖からまた船で淀川下って大阪湾に出て浪速から歩いて生駒こえればいい
510 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 04:21:38 ID:LCm0i4I7O
>>507 ああ!ワンダーライフだ!
知ってる人がいて嬉しいw
511 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 04:25:42 ID:JrFiIAZB0
>>452 前方後円墳があるから=邪馬台国は大和だいう考え方なら危険すぎる。
邪馬台国の時代を考えると前方後円墳よりも円墳の可能性のが高いと思う。
なぜなら前方後円墳は日本特有の墓だからです
中国と交流していた邪馬台国なら円墳を造る方がむしろ自然です
円墳は大和にもありますが岡山や九州にも存在しています。
512 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 04:26:04 ID:Y53be2+/0
前方後円墳のデザインが、そもそも環濠集落的。
水田稲作カクイイ!と天皇家が積極的に推進した水田開拓ゼネコン王朝。
513 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 04:43:00 ID:JrFiIAZB0
>>463 でっちあげた作り話かどうか分かりませんが、はっきり言えることは
現在でも出雲大社は伊勢神宮を頂点とする神道の管理下に入らず
独自の宗教的地位を貫いていること。
出土物でいえば、場所でいえば銅鐸は畿内に多く分布し銅剣、銅矛は九州に多く
分布していますが、数で考えた場合は出雲周辺が多くなります。
見方を変えた場合、出雲から東西に広がったという解釈も可能なのです。
どこでもいいよ
九州から近畿に移転したという話だけは嘘だがね
515 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 04:46:15 ID:LCm0i4I7O
前方後円墳って本当は前円後方墳だったりしないんだろうか
516 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 05:13:19 ID:boc1j9Gb0
517 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 05:35:53 ID:LCm0i4I7O
>>516 じゃ左方右円墳の可能性もあるのか
考古学は奥が深いな
宇治山田=ウジャマダ=ジャマダイ=邪馬台
って誰の説だったか忘れた
中途半端な知識の歴史マニアほど九州説を唱えたがるみたいだね
520 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 06:32:15 ID:5Mxb/NZn0
比売神=卑弥呼で大分周辺。
茂顕、互いのチンチンの匂いを嗅ぎ合おう!
互いの肛門の匂いを嗅ぎ合おう!
俺は茂顕のために毎日チンチンを鍛えてる。
大陸の帰り尾行に成功して、
茂顕の居場所を特定できた。
茂顕、訪問してもいいか?
俺は、訪問したら、
茂顕の股間をグッと握る。
そしたら、茂顕も俺の股間をグッと握ってくれ。
そして互いに、「もっこりもりもり!」と叫び合おう!
草皆茂顕、ビキニブリーフは買ったか?
俺は買った。
互いのモッコリを存分にしゃぶりあおうではないか、堪能しようではないか!
草皆茂顕、ビキニブリーフを取って直に互いのチンチンをしゃぶりあおう!肛門をしゃぶりあおう!
俺は準備出来てる。
二丁目のプラチナでいいか?
無視するなよ、我が愛しの草皆茂顕!
さあ、草皆茂顕、パンツを脱げ!
522 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 06:40:31 ID:c+fizYIlO
・不彌国までは東と南をほぼ正しく認識してるのに、なんでその先は東と南を取り違えているのか
・倭人のことを記さにゃならんのに、不彌国〜投馬国〜邪馬台国をはしょりすぎ。邪馬台国から先はいっぱい国を書いてるのに、なんでその500キロもの区間は完全スルーなんだ?
・不彌国までは距離を記しており、船の場合は渡一海と書いてるのに、そこから先は水行・陸行表記だけ。水行10日ならだいたいの距離書けね?あと、九州から本州へは海を渡らにゃならんのに、何で海を渡ると書かないの?
・近隣国との争いでヒイヒイ言ってる畿内の小国家連合が、はるか遠い伊都国に出先を置けたのか
・伊都国に出先置けるくらいのちゃんとした国ならもっと奴隷献上しろや
畿内説のよりどころは「水行」「陸行」だけじゃん。こいつらは「水行」「陸行」と書いてあるから近畿ニダって言ってるだけ
氏ねや
523 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 06:41:08 ID:KQMkxEerP
>>27 その半島っていうのが戦後在日が広めた最大のデマだろうね
弥生人の正体は春秋戦国時代の中国からの漂流民(前期)
後期は徐福に代表される移民(後期)だから
これなら稲作、絹や麻の織物、鉄や青銅が既にあったことの説明もつく
>>523 まぁ半島から人がやってきた理由は食糧事情だろうな
出雲・吉備には鉄も出ることが分かってから一気に増えたかもな
>>523 弥生人の正体は稲作が始まって10世紀程経って体格が変わった縄文人です。
527 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 06:59:01 ID:Du16X/1jO
>>524 鉄鉱の産出は半島で、日本からは産出されてない。
砂鉄からの製鉄技術が日本に定着するのは五世紀から。
528 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 07:24:21 ID:2kXDinX2O
クナ国と一触即発の状況で、のんびり畿内から瀬戸内海通って
魏に援軍求めるのは不合理じゃないか。
529 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 07:24:28 ID:tzXWmlj30
530 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 07:38:39 ID:WWZRaWtJ0
魏志倭人伝の創作。
信じ込んで論争を熱く繰り広げている奴ら、「釣られるな」
531 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 07:42:18 ID:KQMkxEerP
>>340 卑弥呼の権力の正当性を大物主と見るか
太陽と見るかの違いが出てくる
俺は大物主だと思うけど
2010年になってもまだはっきりさせられないとは歴史も当てにならんな
俺がタイムマシンで実際に見てきたけど、どっちも正解だったぞ
途中で移転したっぽいな
>523
それは無い
中国から来たとなると、弥生式土器、などに漢字の痕跡が残っているはず
>>530 いまだに倭人伝の解釈で論争してるのは素人さんたちだけだろ
いまは考古学的な検証のほうに研究の主体は移ってる
記紀と倭人伝に接点を考える方が無謀なんだぜ
モモソ姫が卑弥呼は無いな
536 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 07:57:08 ID:KQMkxEerP
>>533 兵役も税もなく為政者の居ない楽園を求めて移住してた
神仙思想かぶれの集団だったから
漢字とか鉄は嫌いだったんだろう
大体、当時の漢字は句読点もなく解釈で混乱するような欠陥品だし
記紀の記述の取捨選択を駆使した政治創作説、政治反映説、騎馬民族征服説、等々の呪縛は
日本において、記紀にだけかけられたものだとばかり思っていました。
しかし、魏志東夷伝倭人条にも同じ方向性の同じものがかけられてたんですね。
ご都合主義の取捨選択。
やはり史書は原著の全文を自分で読まないとだめですね。日本の歴史教育に於いては。
539 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 08:12:05 ID:E7yockCWO
一昨日、邪馬台国の痕跡が宇佐から見つかったのは知らんのか?
540 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 08:17:31 ID:njCEg31XO
>>533 作った人間が大陸由来かはわからないが、土器に漢字が一つ二つと刻まれているものがちらほら見つかっている。
今のところは呪術やおまじないとして解釈されている。
541 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 08:20:27 ID:CWQ0qOAW0
卑弥呼を後世の脚色イメージを先行して語る人多いけど。よく考えてみ?
卑弥呼って、魏志倭人伝の数行にしか登場しないんだぜ? しかも他国の書物。
学者間でもどこにあったのか?ではなく、こちらにあったことにしたいっていう思いが先行していて
その為の状況証拠集めや理論武装をしてる状況だからなぁ
決定的な証拠って金印くらいでしょ
543 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 08:23:02 ID:njCEg31XO
卑弥呼って、魏志倭人伝で書かれた当て字だろ?
実際の文字って、日巫女って事?
>>542 どちらの立場の人たちもそれは理解してるから
3世紀半ばの日本の実態を解釈するほうに移ってる
よーするに女王国の位置そのものよりも
この頃の日本に西日本全体を連合国家としてまとめうるような
政治勢力があったのかなかったのかという点での論争
これは日本の歴史の上をまとめる上でも大いに意味があるからね
>>470 そもそも
記述が本当に正しいかどうかの検証がいるわけで。
そのまま素で信じても意味がナイと思う。
547 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 08:33:46 ID:CWQ0qOAW0
モモソヒメが、古事記では→伊勢宮 とあるが、もし仮に、最初の任官が
宇佐宮で、そこで魏の外交官と面していたら、どうだろうか?
そこでの「外交」が、後々国内世論を二分してしまい、とりあえずご生前に
伊勢(勝手しないように謹慎幽閉)され、その後死ぬ(謎の死?暗殺?)
この空想仮説なら、モモモモソ=ヒミコと呼ばれた女性でも、可能。九州で
有数の「偉い人」だから外交説明もOK。天皇の娘だから内政説明もOK。
「女王の国」とされたのも、赴任先の国だからOK.当時まだクマソや筑紫
が完全服従でもなかったので、魏志倭人伝に描かれた、邪馬台国の近隣状況
もOK.
まきむくとか、はしはかとか、さんかくとか
ももそひめとか
言っちゃいけないフンイキなのかな?
もう足りないものは無いよね?
>>544 当時の日本には文字がないんだから、日本の言葉を文字で表そうとすると、
全部当て字になるだろ。
>>548 この板では文献的な解釈が中心で考古学的な論争はあんまり好まれないみたいよ
そっち方面の話になると九州説の人はケチつけるしかやることなくなって
自分たちの論の補強はほとんどできなくなっちゃうからね
>>543 魏書東夷伝夫餘条、?婁条、東沃沮条、?条、高句麗条、韓条、弁辰条、そして倭人条。
地方官が置かれた帯方郡、楽浪郡があったから東夷伝があるのでは?
所詮九州説は関西人嫌いのアホ教授がたきつけるために喚いてたのが
真相だからな。整合性なんて元からないよ
553 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 09:15:30 ID:8vrigq1hO
年代がおかしいかもだが朝鮮の『三国史記』新羅本紀に
173年に倭の女王卑弥呼が新羅へ使者を派遣し国交を
結んだとあるらしい。倭と新羅は友好関係にあったとします。
古代最大の反乱と言われる磐井の乱の筑紫国造磐井の祖は
ミカヨリヒメという人で(筑後国風土記)、このミカヨリヒメが
卑弥呼かその末裔ではないかという説がある。
九州王朝説のひとつに倭国王は磐井だったというものがある。
さて527年(継体21年)にヤマト軍近江毛野は6万の兵を率いて
新羅に奪われた加羅を取り返しに任那へ行こうとする。
そして福岡の三井で磐井はヤマト軍物部アラカイと激突し敗北。
倭国王磐井の側に立つと、この事件は継体天皇の反乱ということに
なります。この頃から実効力を失った磐井は衰退していく。
554 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 09:17:17 ID:Otqmc3vF0
卑弥呼が死んだのは247〜249年だから『三国史記』はアテにならない。
555 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 09:18:09 ID:Otqmc3vF0
倭国大乱は西暦180〜238年な。
556 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 09:19:06 ID:Otqmc3vF0
磐井は倭国だろうな。
557 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 09:19:43 ID:7okcvnC30
三国史記は1145年成立だからお呼びでない。
559 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 09:21:26 ID:8vrigq1hO
>>554 確かに年代はズレてる。
問題のひとつは新羅と倭国(卑弥呼)の外交関係はどうなっていたのか。
560 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 09:22:28 ID:zJ7rkC1r0
現在の佐賀城跡がある場所が邪馬台国の中心、少し北へ行けば旧大和町、旧富士町がある
561 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 09:26:15 ID:8vrigq1hO
6世紀に九州の実権を握る磐井を差し置いてヤマトは
朝鮮中国と国交できませんでしょうから、磐井が
ヤマトの権力下になければならない。だがどうもおかしい点が多々ある。
562 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 09:30:08 ID:qZ5h9e+M0
近鉄電車のすぐそばじゃなかったっけ?>邪馬台国
こういうスレは知識とか発想とか思考を持ちよった『人脳のグリッドコンピューテイング』みたいで面白いから好物だな
いいぞ、オマエラもっとヤレ!
九州だろ、多分
565 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 09:32:34 ID:CWQ0qOAW0
>>555 当時の「倭」の指す範囲が朝鮮〜九州〜瀬戸内海なら、九州と朝鮮の大戦争も
中国的な視点から見れば「倭国大乱」になるのではないだろうか?
566 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 09:34:54 ID:klSWjAyI0
イザナギの尊が禊ぎをした地名が古事記に載っている。
そこは川で上流は瀬が速い、下流は緩やかであるとあるから
川の中流である。
場所は筑紫の橘の小戸のうんぬん。
調べた結果、福岡県朝倉市原鶴温泉と出た。 これ信じて良い。
567 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 09:35:39 ID:8vrigq1hO
3世紀の卑弥呼が畿内にいたとして、魏等に使者を
派遣するにしても九州の豪族を軍事的にも政治的にも
抑えておかなければならない。すると卑弥呼はとてつもなく
広い範囲を支配していたことになる。
>>557 モモたんとテンテルが同じ、というのがどうも納得いかんのよね。
記紀の記述を信じれば、崇神天皇が世話になったモモたん(=
テンテル)を崇めるために娘の豊鋤入姫を伊勢斎王にしたことに
なる。いや、それでもいいのかなあ。
まあ、ヒミコとテンテルは同じだと思うんだけど。
邪馬台国はオレのキンタマの中に在るよ。
ちょっとした小宇宙だから。
570 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 09:49:37 ID:NY5skzg20
邪馬台国は九州だろ
ニッチな地方勢力で
571 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 09:51:33 ID:njCEg31XO
>>559 卑弥呼当時は宗教連合が成立したばかりだから、外交の全てを中央(卑弥呼)が管理していたかはわからない。
記紀では呉に使節を派遣するのは大和が半島に独自の拠点を設けた応神天皇の時で4世紀後半。
その前の神功皇后の時に三韓征伐。
大和はそれまで直接半島と外交していたかは不明。
記紀は基本的に大和関連の記録なので、邪馬台国が大和の場合、半島外交は九州や出雲、吉備などが握っていた可能性がある。
邪馬台国が大和でないなら、大和は4世紀まで直接半島と外交がなかったかもしれない一方、邪馬台国の半島外交は不明。
572 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 09:57:16 ID:CWQ0qOAW0
しかし、またマクロな話になって申し訳無いが、後々の、大和王権の、新羅や
朝鮮に対するこだわりは、現代人としては異様とも見えるが、さてそこで視点
を少し変えてみよう。
先述のようにもし「倭人」の指す範囲が朝鮮半島〜九州〜瀬戸内海と仮定した
場合、当時は、「新羅も百済も」九州王権(若しくは大和も含んだ瀬戸内海
王権)から見たら、辺境では有るが、れっきとした「属国」という認識だった
のではないだろうか?
つまり「倭」の指す所は、「当然うちらと同朋であり、同文化である」と
いった文化共有感覚。ヒミコ当時、ヒミコと称する人物が仮に九州の大物の
ヒトリの場合は、加羅のみならず新羅・百済も当然「うちら」という感覚
だったのではないだろうか?
俺が蔑称ではあるが「倭人」という言葉の指した範囲がどのくらいの大きさ
なのか?に拘るのは、当時の「倭」という物が、民族的な物か?それとも、
行政的な区分までをも含んだ物か?という、とらえかたによっては、当時の
外交や行政範囲にも深くかかわる物だからだ。
蔑称では有るが、もし「倭人」が単なる野蛮人というだけの意味ではなく、
「朝鮮〜九州〜瀬戸内海」一体に、ゆるやかに連合体制を敷く「あいつら」と
言う意味だった場合、後々の大和と百済や新羅の関係も、かなり違った物に
見えて来るの。
573 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 10:00:13 ID:Ozh6K+5vO
考古学ではほぼ終わった話でも素人の間ではこんなにもスレが伸びる。そりゃやめられんわな
574 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 10:00:18 ID:7okcvnC30
>>568 >記紀の記述を信じれば、崇神天皇・・・・
崇神の記事はひょっとすると孝霊からの四代分がごちゃごちゃにまとめて記述されているのではないか? とかんぐったりしている。たとえば吉備津彦が崇神の時代に生きているとか常識ではありえない。その辺の考察はこれから・・・・
575 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 10:09:52 ID:CWQ0qOAW0
>>574 孝元天皇の子供の武内スクネさんなんか、ヤマトタケルの時代まで生きてるしね。(応神まで行ってたかな)
四代分くらいの武功だけを祟神に集結させたのかもね。
タケウチスクネさんとキビツヒコさんは、妖怪なんですwきっと。
>>565 陸続きの大陸なら国境をどこに置くかっての微妙だけど、海でしょ
普通に分けるだろ
>>575 応神天皇誕生のときにも武内スクネはいた
100年以上の在位の天皇の世を何世代も生き抜くなんてすごいよね
578 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 10:12:14 ID:8vrigq1hO
卑弥呼の後継ぎの壱與から白村江まで300年の間には
平均して四年に一回朝鮮半島に軍勢を送ってたらしいが
出典は不明。
579 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 10:14:18 ID:njCEg31XO
>>574 また、欠史八代の記録の幾つかは編纂時に神話に入ってしまった可能性もある。
雄略天皇の時、葛城で一言主神と会う神話的な話がある。
一言主神は天皇と直接絡んだので歴史に入ったが、編纂者に歴史と認識されない内容だったら神話に入った可能性がある。
580 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 10:15:08 ID:E7yockCWO
あほだなお前ら
タケウチスクネなんかは世襲制だっての
無知はこわいわー
581 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 10:15:44 ID:CWQ0qOAW0
>>576 その論理だと、イタリアの都市国家やスペインやイギリスが、海外に領土を
求めたという実際の歴史現象が説明できない。
海洋沿岸国家は必ずしも陸続きだけを経由に影響力を拡大するとは限らない。
むしろ、隣国に内陸性の強国がライバルとして存在する場合、海を回り込ん
だりするのは、歴史上ざらに良くある事。
>>579 その意味じゃ古事記に描かれてる雄略自体が生ける化け物みたいじゃない
若い頃に雄略が結婚の約束をした少女がずっと待ってたらバアさんになっちゃっとか
583 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 10:28:35 ID:CWQ0qOAW0
>>577 そうしてみると、神話時代の、異様なほどの長寿。次の三つの可能性を提唱
します。
@長寿の薬の存在。(或いは、薬は無かったが、実際ご長寿村?)
A神話時代の大王の寿命は、個人の天皇の寿命でなく、王朝その物の寿命。
(つまり、孝安天皇123歳没は、孝安天皇という血統上世襲職が続いた年数)
B記紀編集時の編集マジック
無知で申し訳ないんだけど、邪馬台国は九州で滅亡して
はしはか古墳は、大和のアマテラスさんの墓て事ないの
実は別人だったとか
585 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 10:29:28 ID:7okcvnC30
>>580 >あほだなお前ら
>タケウチスクネなんかは世襲制だっての
>無知はこわいわー
誰か
>>580をムチでしばきまくるAAを貼って
586 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 10:31:29 ID:2q5/Pj460
朝鮮半島から九州へ渡来してきて日王になったのでは
587 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 10:32:14 ID:7okcvnC30
邪馬台国は千葉にあったってばっちゃが言ってた
589 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 10:36:13 ID:zJ7rkC1r0
邪馬台国は、近畿説が主流で九州説は数人しかいないんじゃなかったっけ
591 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 10:39:01 ID:195OrOExO
592 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 10:41:46 ID:pQLCSkFR0
>>544 火の御子(阿蘇山の子)って意味だろ、
肥前・肥後もその名残でしょ。
邪馬台国はその後の大和王朝に連なる各地の部族、国々からの集合国家だよ。
卑弥呼自体はそれらの部族、国々から選ばれた代表者。
勢力範囲は九州から関東の手前までで大きな連合国家だった。
卑弥呼の宮殿の場所は奈良の桜井周辺だよ。
邪馬台国ってヤマトだろ?
ヤマトってな連合だろ
当時は新羅や高句麗あたりもヤマト連合の一部だろ?
卑弥呼ってのは皇女だろ?
595 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 10:48:54 ID:CWQ0qOAW0
>>587 もがりって長いんだよね。あと、天皇(在位)ってのも、基本的には「没後」
に指す物だしね。
「死=崩御」を認めるのに時間がかかる文化で、「死=崩御」を認めるには、
それなりの時間と手続きがかかるワケですね。
ま、そこらへんわかった上で、当然可能性を遊んでいるのだが♪こちらは。
596 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 10:52:11 ID:yGuh8QWHO
>586
日中韓いずれの史書にも記述がないからその可能性は低いだろう
旧唐書では、中国側は倭と日本の二つ国があったと
認識してるんだろ。
九州と畿内、別々に好き勝手やってただけと考えた方が納得できる。
まあ、九州は白村江でサツヤマさんが捕らえられて壊滅するけど。
そのあとも、距離が遠いのか、残存兵力が残っているせいか
あまり支配らしい支配してないね。
左遷先になっているように、むしろ切り捨てたい感じ。
>>593 そうなのか
女の人で、しかも王でも政治家でも軍人でもない、祭司だから、各部族も安心して祭り上げたんだね
バチカンの法王みたいなものだったのかな
そう考えると、日本人って頭いいよね〜
中国みたいに、絶対俺が覇王になるばっか自己中をやってると、内戦は収まらない
その内に外国に付け込まれる事になる
ちゃんと安定して抑える策を考えたんだね
のちの天皇制がそうだもんね、天皇は外国向けに据え置いて安定させて
内政は幕府が舵とったりして、国家は滅亡せずに続いてきたし、本当にお利口さんな日本人
599 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 10:53:06 ID:njCEg31XO
>>582 偉大な存在は神格化されやすからね。
当時の偉大さを表す為のテンプレが今でいう怪奇現象だしね。
それと、当時は現実として意味が通った言い回しが、後世意味不明になって不思議になることもある。
>>594 高句麗や新羅は邪馬台国じゃないよん
邪馬台国の及ぶ範囲は対馬からだからね。
戦国時代にローマ法王に使節を派遣した
伊達という王がいたそうだ
当然、日本の支配者だったろう。
まさか、どっかの一地方領主がそんなことができるわけない。
602 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 10:54:05 ID:8vrigq1hO
北の女王國と南の狗奴國に境界がある。単純に考えると
地理的な境目。川か海か山。北部九州説なら筑後川、矢部川、
背ぶり山三瀬峠、南関などかな。南関は古代からあったとか。
603 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 10:55:44 ID:zJ7rkC1r0
>>594 新羅や高句麗あたりもヤマト連合の一部だろ
単なる属国か友好国だろ
だって半島とはず〜〜〜っと戦争してるじゃんか
仲良い国があったとしても同盟国てレベルじゃないの
>>602 当時の表記の仕方が正確じゃないので「南」としてもそれは東だった
可能性も高いよん。
隋書には倭国の大和の都は
魏志に言うところの邪馬台国の地だという記述がある
この板の九州説の人たちにはどうやら
古代の日本は九州と大和の二つの権力が並立して存在したという古田説の信者が多いようだけど
この説は同じ邪馬台国九州説の立場の安本氏からも痛烈に批判されてるぐらいだし
今のところトンデモ説の域は出ないなあ
遅レスだが
>>284 晋書に邪馬台国のトヨの使者が前方後円墳を完成させたと報告してきたと記載されている
つまり応神の200年前には既に作られていたことになる
>>606 九州じゃないのは当時の推定人口を考えればわかるお
魏志倭人伝に書かれてる人口を見れば九州じゃあり得ないのが解るぽ。
609 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 11:03:11 ID:CWQ0qOAW0
ちなみに、トヨタマ(タマヨリ)=山彦の奥さんで、神武の母である、
いわゆるトヨタマのトヨの国にあります宇佐神宮ですが、戦勝祈願のたびに、
天孫から後代大王まで、悉く戦勝を願って参拝するワケですわ。
大王といえども、この宗教的権威から逃れる事はできないんですわ。なぜ
なら、神武天皇も東征の出発前に、戦勝を祈願してお参りしてますからね。
わかりますか?宇佐の加護がなければ、神武の東征も戦勝かなったかどうか?
という論理構造なのですわ。
例えで、西洋の教皇と皇帝との関係を出しますが、大和大王と宇佐神宮も古代
においては、この聖俗のヒエラルキーの枠の中。
さて、祟神の頃、宇佐の一番偉い人と、奈良盆地の大王と、はたして、
「どちらが当時の人々にとって偉かったのか?」と、言う事ですわ。
魏に朝貢してたのが天皇の先祖である訳ないから大和王朝とは別物と
したい右寄りな方々の感情的な書き込みが九州説の大半ですお。
>>601 その言い方は面白い
ただ政宗の頃の日本って独立国の集まりだもんな
つーか明治までは藩ごとに別の国
薩摩とイギリスが戦争したりもするし
まあ卑弥呼が日本のトップとは限らんゆーのは同意
612 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 11:09:51 ID:lHwMwtVY0
人口の話だと、平野面積を考える必要があるね
もちろん山岳地に住んでいる人間も相当数いるだろうけど
やはり平野に住んでいる人間のほうが多いだろう。
その平野面積は北部九州と畿内東海がずば抜けてる。
当時の人口が三百万人とか五百万人とか言われているけど
北部九州に百万人、畿内東海に百万人くらいいても
おかしくない面積がある。
それと比べれば、出雲、吉備、広島は小規模な平野だ。
あとは殆ど山岳地になる。
当時の九州にそんな人口はいないぽ
>>609 宇佐の勢力はともかく神宮自体の成立はかなり後の時代だぞ
崇神の時代なら信仰の中心は宮中に祭られたアマテラスだろうな
615 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 11:15:32 ID:195OrOExO
倭人伝の数字はいい加減で定評があるんでしょ?
しかし中大兄がやらかさなければ、日本の歴史はどこから始まってたか危ういよな
617 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 11:19:49 ID:pQLCSkFR0
>>615 数字は相当信頼度が高いと言うことで定評が有るよ。
618 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 11:20:52 ID:CWQ0qOAW0
つまりな、大和王権が当時押しも押されぬ「ナンバーワン」なら、別に、
九州で反乱起きても、ましてや、朝鮮半島で紛争が起きても、わざわざ
出張する必要はないんよ。
じゃあなんで出張したの?
そりゃ当然「宇佐神宮」から言われたからでしょう。もっともアマテラスに
近い宇佐神宮、東征の時に戦勝祈願したので奈良をいただけたあの宇佐神宮
から言われたら、出張断れないがな。
宇佐と奈良の関係が、完全に逆転するのは、神功皇后の時代。そう考えたら
かなり多くの部分がシックリ来る。
魏志倭人伝ってことは他の国記述もあるんだよね。
それらの信ぴょう性ってどうなの
620 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 11:24:20 ID:LcdTjG+u0
箸墓から墓誌でも出れば、一発できまりなんだけどな。
邪馬台国が倭国の最大勢力と考えるから話がおかしくなってるんだと思う。
畿内に最大勢力があって、北部九州にもそれなりの勢力があった。
その上で倭人伝の邪馬台国は北部九州だと思う。
既述にある風俗や周辺諸国との関係を見ると、畿内説は矛盾が少なくない。
622 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 11:24:38 ID:195OrOExO
右翼にしたりチョンにしたり
権威を持ち出したり
批判のための批判で思考停止を狙ったり
このやり方がどうもな
朝鮮カルト風味で
>>622 つかあんたみたいに
日本の歴史書にも中国の歴史書にも疎いくせに
論争の場にイデオロギーを持ち込む輩がいるから話がややこしくなるんだよ
624 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 11:29:58 ID:zJ7rkC1r0
>>619 三国志に関しては編者が怪しい伝文などを全てカットして簡潔にまとめているため
他の歴史書よりは信憑性が高い
それゆえに弱小だった蜀には厳しい内容になり演義派から文句を言われる羽目になっている
>>623 イデオロギー以前に村興しがあるんで、変にややこしくなっていると思う。
627 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 11:31:55 ID:lHwMwtVY0
狩猟採集生活だと、山岳地に相当広がらなければ生きていけない。
必然的に人口密度は低い。
米で発展してきた弥生人は、平野に集中して住んでいたと
考えるのが妥当だろう。
当時とは違うだろうが、今の地図からでも
平野部だけを取り出せば、
国の勢力図が見えてくるのではないかな。
628 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 11:32:06 ID:195OrOExO
隋書は
あの日出とこのナンチャラだろ?
で、聖徳太子が送ったことになってるけど
隋側は言及してないし
誰それ?状態
日本側の小野妹子は返書紛失してる
とにかく隋は無礼な手紙が来て
使者が言っても
お前がそう言うならそれでいいよ
と、いう立場
629 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 11:32:29 ID:CWQ0qOAW0
そこで思い出されるのが、仲哀天皇と神功皇后の、政治的ポジション。
仲哀天皇=朝鮮出兵懐疑派
神功皇后=朝鮮出兵積極派
そして、結果的に、託宣で仲哀天皇は崩御してしまう。つまり、託宣で「朝鮮
出兵せよ」と、こうなるワケだ。この託宣は海を渡る前、つまり北九州で
行なわれた。
以降、(ま、神話的超人要素は置いておくとして)神功皇后の血脈が、その後
現在の天皇まで続くわけだ。
天智天皇までの古代天皇がなぜ朝鮮争奪戦に拘ったかが。かなり見えて来る。
>>619 『魏志韓伝』には、
弁辰十二か国の名がのっている。
その中には、不斯(ふし)国とか、弥烏邪馬(みあやま)国、
狗耶(くや)国、安耶(あや)国、斯盧(しろ)国などがあり、
その斯盧国が強大になり、やがて新羅国になる。
弁辰十二か国の中に、涜盧(とくろ)国というのがあって、
その国は「倭と界を接す」とある。
これは海の向こうは倭というようにもとれるが、
界を接すとは陸上で国境を接してることで、倭人の領土が
南朝鮮にあったのではないかと考えられる。
弁韓には鉄を産し、
「韓・わい・倭、みな、ほしいままにこれを取る」
と書かれているから
倭人が南朝鮮で活躍していたことは確かだろう。
>>598 祭司王じたいはそんなに珍しいもんじゃない
キリスト教が普及して唯一神以外が否定されたから、類似の例が少ないように
みえるだけ
朝鮮の歴史書ないのが痛いよな
なんであいつら捨てちゃうかね
633 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 11:46:20 ID:CWQ0qOAW0
「朝鮮半島の土地は当然我々の物」という共有概念が、神功皇后までは、九州
だけに存在し、神功皇后の後は、大和王朝もそれを共有する。
この事が、見えない全てを物語っているとも思えてくる。まさしく、九州合併
であり、奈良大和合併でもある。
従ってこれ以降、九州の利害関係は、奈良大和も共有し、逆に奈良大和の全国
制覇にも九州は積極支援するようになって行く。→ヤマトタケルの東西征服。
ザックリだが、ツジツマ合いすぎ。
>>632 捨てる以前に王朝が滅びると宮廷に庶民がなだれ込んで根こそぎ持って行ってしまうのがデフォの土地柄だからな
635 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 11:51:01 ID:8vrigq1hO
宇佐神宮はクニサキハントウの付け根にある。
国東とかいてクニサキ。倭国の東。別府、伊予など
倭国の府の出張所のような地名や、壱與(いよ)を
思わせる地名がある。臭いね。匂いますよこれは。
636 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 11:51:26 ID:CWQ0qOAW0
>>633続きてか、訂正)
ちゃうちゃう、間違えた、ヤマトタケル東西征服で東西の利害が合併し→その
結果神功皇后(仲哀天皇)の朝鮮出兵な。
大事な所で、順番間違えてしまった。。。orz
>>636 それ突っ込もうと思ったけど
もともと電波だからまいいかと思って放置しといたよ w
638 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 11:56:39 ID:195OrOExO
やっぱ鉄だろ
鉄がなければ軍事力はもちろん
田畑の開墾、材木切り出し、治水整備にも必要
ヤマト国を作るには
九州に拠点は絶対に必要って
防人の人から聞いた
>>638 防人がいってるんなら必要だな
てか拠点があることは吉野ヶ里で証明されてるじゃんw
640 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 12:01:06 ID:MsGjAUMy0
神功皇后の動きは面白いね。
畿内から熊襲を征伐にいって、途中で旦那の仲哀天皇が崩御。
熊襲を征伐するなら新羅を討たなきゃってことになって
出産を遅らせるために石を詰め込んで、新羅を征伐して、日本に帰ってきて
大和に戻った時には新たしい天皇として応神天皇が登場する。
応神の次の仁徳天皇の時代になると熊襲のうわさが消えて、蝦夷の反乱がはじまる。
熊襲が消えて蝦夷が現れる。
大和ではなく河内に巨大古墳が出現する。
このガラッと変わる情勢が王朝交代説の原因になってるんだよな。
3種の神器が九州発祥の道具だって時点で察しろよww
642 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 12:07:25 ID:CWQ0qOAW0
>>637 やれやれ、理解出来ない物は電波か。楽な思考形態でいいのぅ。
ま、確定を見つける作業なんて、辿り着くまでは、あるいは辿り着いた先が
間違いであった場合は、どっちも電波にはかわりないしな。
当時、奈良大和が宇佐に頭が上がったのか?ってのだけ考えて見るといいよ。
先に人を電波呼ばわりした電波な君も。
旧唐書東夷伝を読むと倭国と日本は併記されてて
日本は倭国の亜種とある
別々の国家との認識が中国ではあったんだろう
魏志倭人伝の説明を晋書四夷伝も受け継いでいるし
宋書の倭の5王も結局倭国の話。
梁書・隋書も魏志とそんなに変わらん
新唐書でやっと大和政権がまともに認知されとる
つまり大和政権は比較的新しいぱっと出の政権なんだろうな
記紀は後付で必死こいて作ったんだろう、なので史実じゃなく作文。
宇佐の祭神を無理に邪馬台国に結びつける必要はないだろうに
応神にしろ神功にしろ実在したとしても邪馬台国より後の時代の人物だ
まだここでやってんの?
646 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 12:19:19 ID:IJpHpTi10
>>644 卑弥呼のやっていた「鬼道」が宇佐の祭神を祀ることなんだろ。
宇佐の存在なしには畿内のヤマト王権は論じられんよ。
なぜ畿内は宇佐を重視したのか、重視せざるえなかったのか。
647 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 12:20:10 ID:CWQ0qOAW0
だめだ。。。理解力なさすぎる。。。
君さ、宇佐を出す人間はみんな九州説だと思い込んでない?俺は普通に記紀
読んでるだけなんだが?記紀の記述が「魏志倭人伝の把握している邪馬台国
時代」に有効だとした前提で、じゃあ「邪馬台国や女王の国は記紀で言えば
どこにあたるか?」を考えているだけなんだが。
>>646 三国志では「鬼道」という同じ言葉が道教の教祖とされる五斗米道のところでも使われてる
そこから類推するにシャーマニズムもしくは超能力に関する宗教的行為を指していたのだと考えられるけど
それを宇佐の神道と結びつけるのは何か根拠でもあるのかな
ないのに「鬼道」が何かを勝手に定義されても困るんだが
649 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 12:25:17 ID:lHwMwtVY0
歴史書を編纂するのは、
中国で政権交代が起こったときの、
新政権の正当化のための常套手段。
倭国から大和朝廷が正当性を奪うための行為
お便器のシャーマンのほうにより近いよ。
>>647 じゃあまとめて聞くけど
神功皇后は実在したとしたら何世紀の人だと考えてるの
そして宇佐の祭神として祭られるようになったのはいつのことなんだ
>>644 考古学的に実在性が認められる最古の天皇が雄略天皇で、これが5世紀ごろの人間。
記紀の系図で行けば、雄略天皇の祖父が仁徳で、仁徳は応神の子であり神功の孫。
5世紀の雄略天皇の祖父ということから、仁徳はおそらく4世紀ごろの人間。その父と
祖母の世代は、3世紀ごろまで遡る可能性はあるんじゃないの?となると、神功や
応神は邪馬台国時代の末期と重なってくる可能性もあるような。
653 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 12:32:52 ID:7okcvnC30
明太子=メンタイコ
邪馬台国=メンタイコ
邪馬大国→邪馬台国→邪馬国→山国
推定地は大分県山国町
耶馬溪の麓は山国川が流れており付近に台の地名も残存する
日子山や宇佐神宮とからほぼ直線上に位置する
655 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 12:35:11 ID:MsGjAUMy0
考古学的にいえば邪馬台国は九州ではありえないので
邪馬台国=ヤマト国としか解釈できないのはもはや当たり前なんだよな。
656 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 12:36:21 ID:CWQ0qOAW0
>>651 やれやれ、また誤解のサングラスをかけたまま俺を見てるねぇ。質問意図が
すすけてるが、しかもその先がアサッテなので、答える必要を感じない。
魏志倭人伝の執筆時点で、「倭人」という範囲が、どこからどこまでか?
これだけだよ。俺の興味は。
権威の共有と未共有では、当然当時の利害も変って来る。そこが理解できて
いないから、そういう修辞上の話から出れないのだよ、君は。
権威の共有があったか?無かったか?を論じたいから(記紀上の)宇佐出した
り、神功出したりしているのに、悉く誤解してくれてるねぇ。。。
逆に想像の国で
そもそも存在しなかったとは考えられないのか?
>>652 仁徳天皇が倭の五王の讃か珍にあたると仮定すると仁徳は5世紀前半の人
仁徳天皇稜とされる大仙陵古墳の築造年代も4世紀前半〜中葉なのでこれと矛盾しない
系図上は仁徳の祖母が神功皇后なのでそれを3世紀半ばまで引き上げるのは無理がありすぎ。
>>656 あんたが考えてる奈良大和が宇佐に頭が上がらない理由ってのはなんのさ。
659 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 12:40:24 ID:0XKpPRNU0
宇佐近辺は遺跡が足りない
3世紀(卑弥呼の時代)前後の大きい遺跡が出てきていないので
それを掘り当ててからじゃないと
学術上俎上に上がることはない
宇佐から宮崎県全域をひとつの地域としてみるなら
可能性が無いことはないけどね
660 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 12:40:29 ID:MsGjAUMy0
>>656 でも記紀を読めば九州が中心ってことにはならないだろ
>>658 訂正
×大仙陵古墳の築造年代も4世紀前半〜中葉
○大仙陵古墳の築造年代も5世紀前半〜中葉
>>632 ・ウリナラが日本人に占領されていたニダー
・ウリナラの祖先は日本から来たニダー
・キムチも日本由来ニダー
みたいなことがたくさん載ってたんじゃないのかw
663 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 12:47:01 ID:MsGjAUMy0
>>659 九州には遺跡が足りないね。
可能性があるとしたら西都原の古墳群をつくった勢力は誰なのか?を解明することだと思う。
時代的に少し遅いという話もあるが、天孫降臨の舞台に近い大規模古墳群なのに
あれをつくった勢力が生活していた空間が謎。
664 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 12:49:41 ID:CWQ0qOAW0
>>660 そこはかかわってくるけど、一概にはできないと言う立場。最終敵に奈良大和
が「記紀編集時には日本の中心」であったとしても、その途中期である、魏志
倭人伝の頃も、ずっと充分に中心であるかどうかは疑問。なぜなら、記紀にも
書いてあるとおり、当時はどう見ても大和王権は「拡大期」だし。拡大期
という事が確定なら、その拡大期の際に、ずっと充分に文句無く(というの
は、外の敵国から見てもという意味で)中心であったかどうかは、これ疑問。
つまり、風船が膨らむ前なら、当然「小さな風船」だし、風船が膨らんだ後
なら「大きい風船」と言える。魏志倭人伝がかかれた頃、記紀の主人公で
ある大和王権が、大きい風船だったのか?小さい風船だったのか?は、これは
記紀からだけでは検証しづらい。だから、記紀から都合のいい要素やウソの
要素や隠している要素をえりわけていかなければならない。
665 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 12:51:28 ID:8vrigq1hO
倭国王磐井は527年にヤマト軍に敗れ衰退が始まる。
600年に第1回遣随使を行う。外交儀礼に疎かったとある。
また自らの出自は正統であると言わんばかりのことを言っている。
倭国王に変わり東のヤマトが政権を担いますのでよろしく。
という意味に捉えられないこともない。
そして第2回遣随使でヤマトは皇帝に向かって自ら天皇を名乗る。
日出ずる所のうんちゃらで随ブチギレしイモコ涙目。外交失敗。
遣随使は決定的に意味深いように思う。
666 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 12:54:08 ID:c+fizYIlO
邪馬台国=ジャマ大国
つまり、呉か蜀のことだ
どうも畿内説だと、ヒミコ(=テンテル?)とモモたんの立場の相違
がしっくりこない。
魏書と記紀を付き合わせると、モモたんと弟(崇神天皇?)、あるいは
そのあと男王がたってその国が乱れたから台与(豊鍬入姫命)を立
てて国を治めた、という説明がちょっと苦しい気がするんだけど。
逆に言えば、そこさえ説得力のある説明がつけば、畿内説でいいよ。
668 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 12:56:19 ID:MsGjAUMy0
>>664 選りわけると神功皇后は符合しないと思うんだよな。
神功皇后自体、魏志の卑弥呼を参考に創作したともいわれるが、
卑弥呼には好戦的なイメージはないし、新羅を征伐するとか時代的にも
邪馬台国の時代より新しい。
むしろ祟神天皇の頃からはじまったアマテラスのシャーマンである斎王が
卑弥呼のことだと思うんだよな。
669 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 12:57:50 ID:cLoCQQA20
朝鮮半島に決まってんだろ糞共
とか言いだしそうだな
670 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 12:58:37 ID:0XKpPRNU0
>>663 西都原古墳群は
上に俺が書いているけれど
景行天皇-ヤマトタケルの頃の
ヤマト政権の九州拠点だと考えられる
(九州平定の為に天皇そのものが居した可能性もある)
古墳の築造時期も景行天皇期が中心と考えられる
一番九州で不思議なのは
時期的に卑弥呼の時代と重なる可能性のある
現在発掘中の生目古墳群(宮崎平野)の一号墳
古墳前期時代九州最大の前方後円墳
ここの調査で箸墓との相関関係が解明されれば
邪馬台国関連の古代史の謎は9割がた解決する
671 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 12:59:24 ID:AzmoK2zv0
奈良県桜井市で決まったんだろ?
672 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 12:59:34 ID:c+fizYIlO
九州は遺跡が足りないニダ!だから畿内ニダ!
そりゃ畿内じゃなければ遺跡調査の予算たいして付かないからね…(´・ω・`)
>>665 稲荷山の鉄剣の銘から、雄略天皇の治世の5世紀後半には、畿内を中心として、
関東から九州に渡る一大中央政権が出来てるはず。
674 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 13:05:04 ID:4iBB2xlF0
畿内邪馬台国(笑)
大和王朝(笑)
未だ九州王朝説を信じてるやつもいるんだな
古文書は何でもとっておく日本において九州視点の記紀にあたる文書が出てこない時点で可能性は無に等しいよ
676 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 13:05:46 ID:CWQ0qOAW0
>>668 >選りわけると神功皇后は符合しないと思うんだよな。
符合するとは一言も言ってないはずなんだが。。。orz
君達、ひょっとして、俺で遊んでるね(T_T)
神功を考えるための一助として持ってきている事はあるけど、神功=卑弥呼
は一回も言ってないんだが。神功皇后は卑弥呼のずっと後の時代の認識です。
あ、でもどっちも実在の認識ね。そこはハッキリ言っておく。
677 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 13:08:26 ID:lHwMwtVY0
宮崎は宇佐を経て、瀬戸内海方面に接続する。
熊本方面に行こうとすると、えらく困難。
ごく少数が九州山地を抜けて、熊本方面に
到達することは可能だが、軍隊を移動させられる
場所じゃない。
宇佐、日向は、いわゆる北部九州とは
断絶していると考えて良い。
678 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 13:10:00 ID:4iBB2xlF0
あ
>>676 なんで神功についてしつこく訊いてるかというと宇佐という名前を持ち出したのはあんたの方だからだよ。
あんたの考えてる3世紀当時の宇佐というのはどんなものでどういう権威があったの?
もしもそんなものがないなら、後の時代に権威づけられたものを邪馬台国の議論の場に持ってきても意味ないじゃない
681 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 13:13:09 ID:0XKpPRNU0
>>677 そう
北部九州や熊本とはまったく別勢力で
しかもヤマト政権との関係が3世紀ぐらいから深い
>>678 ヤマト政権は
日本中隅々まで焚書し尽くせるほどの
考えられないほど超超強大な政権だったのかと
>>681 大和王権なんてものが有史以来存在するのか俺は知らないが
大化の改新以後の天皇王朝の力が絶大なのは言うに及ばずだな
畿内、九州は言うに及ばず関東を越えて東北や蝦夷にまで進出した。
それは俺等が学んだ通りだろ
683 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 13:19:08 ID:8vrigq1hO
>>677 戦国時代に大分の大友氏絡みをみると案外移動できるような…
宮崎から熊本は厳しいかも。薩摩はそのルートを
進軍したんだっけ?
684 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 13:19:17 ID:CWQ0qOAW0
>>680 ん?大和王権拡大期前からあるが?宇佐は。神武の東征前からあるんだが?
それを、
>後の時代に権威づけられたものを
って、そっちの理解の方がおかしくね?もし、宇佐に権威がなかったら、
当然、その宇佐に必勝祈願して奈良盆地に攻め込んで王権を築いた大和王朝も
無いんだが。。。???
ひょっとして、神武の東征までも「5世紀以降」という立場の方ですか?
そっちの方が電波じゃね?
685 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 13:20:11 ID:7okcvnC30
>>667 初期の天皇の歴代の相続関係を見ると 長子が祭祀を担当し、次男が天皇になるケースが多い。つまり”祭祀”と”政治”では 祭祀のほうが上にくると考えられます。ヒミコは当然この最上位の祭祀を担当していた巫女だったと考えます。
倭国にやってきた郡使が「倭国で一番偉い人は誰か?」との質問に対してこのヒミコと答えたのではないかと私は想像しています。
この回答を郡使は 政治上で一番偉い「王」と解釈してしまったために「女王卑弥呼という政治上の支配者」が作り上げられてしまった。
ま、こんなとこかな
686 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 13:20:31 ID:zJ7rkC1r0
古墳の上に神社を立てる行為は歴史的にどういう意味?
>>675 仮に九州王朝があったとしても、どんなに遅くとも6世紀前半で滅んでるでしょ。
5〜6世紀の日本で、文字で記録を残してるような国はなかったかと。
九州王朝があろうがなかろうが、九州王朝視点の文書なんざ出てくるわけないと思うけど。
688 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 13:24:06 ID:IJpHpTi10
>>680 邪馬台国が九州にあって、畿内に大和王権として東遷したと主張する人の論拠は
九州東北部と畿内の地名の一致があるってこと。
宇佐(うさ)は伊勢(いせ)じゃ無いのかな。
邪馬台国人の祭神が畿内に引っ越すにあたって伊勢に遷宮したと。
とすると卑弥呼はやはりアマテラスだと思うし、
宗教拠点としての邪馬台国は宇佐にあったと思う。
宇佐はプレ伊勢神宮ではないかと。
689 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 13:26:14 ID:pQLCSkFR0
>>652 考古学的には歴代天皇の実在は判らんよ。
ただ古墳と記紀の記載が一致しているってことで記紀は信頼できるって話だけ。
それに年代はもっと判らん。倭の五王が誰なんだ?ってのも確定しとらんぞ。
適当に当たりを着けているだけだからね。
つか九州王朝ってレッテルを止めて欲しいよね
「魏志倭人伝から読み取れるのは、邪馬台国の首都は九州にあると推定できる」
ってだけだから。
その後の4世紀なんて分かりゃしないし
邪馬台国が王朝かどうかも断定できねえし
弥生時代邪馬台国があったとされる時代ってさ確かに隣の中国は三国志の
時代で文明は発達してたがその陸続きの朝鮮半島 当時の日本って勝手に
原始的な文明レベルと思われてるけどさ実はそうではないのは少し調べれば解る。
その文明も半島から渡って来たものばかりじゃなくて日本半島で独自に発達
した技術も多々あるし半島と近いから九州だとする説には俺は大きな疑問を感じる。
692 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 13:27:24 ID:mPtLsx4nO
宇佐から東が女王国だ。
邪馬台国とは今でいう(徳島、泉南、奈良辺り)の事だよ。
>>684 神武東征が疑いのない史実であると考えてるようだけど、具体的にはそれが何世紀の出来事だと考えてるわけ。
神功皇后が実在したとすれば、日本書紀に記されてる3世紀よりもあとの人だというのはさっき自分から認めたよね。
系図的に見てもそれと矛盾しない結果でなければおかしいことになるけど。
>>691 まぁ昔からガラパゴス化が得意だからな
身分制度律令制度からひらがなカタカナにいたるまで
695 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 13:31:24 ID:0XKpPRNU0
だからさ
宇佐は遺跡の裏付けが今のところゼロなので
お前たちが掘れ
そうじゃないと伝説や記紀だけを元にした妄想っていうことになってしまう
>>689 稲荷山古墳と江田船山古墳から見つかった鉄剣の銘から、ワカタケル=雄略天皇の
実在は、考古学ではほぼ一致した認識じゃないの?
当時の倭国(日本)は色んな様々部族、国家から成り立つ連合国家だった。
その中で中心が邪馬台国(女王国)でありその国を治めてた卑弥呼が連合
国家の統治者だったとする説が一番解り易い。
九州の国々もその一部で女王に忠誠を誓ってた。邪馬台国は畿内にあった。
>>687 記紀と同様に口伝で後の世に文書化したものでもいいんじゃないかな
その観点で言えば一応記録は残ってるんだが
筑紫領主磐井のところにある日突然中央の軍が攻めてきたという内容であって
王朝が大和によって滅ぼされたという内容ではないんだよな
普通地方の話だと地元びいきが入るはずなんだけどね
南千住でいいよ
700 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 13:34:58 ID:IvN9gbb4O
畿内派になりたくない理由の一つに、奈良より福岡は田舎だと、思っている(笑)現代も知らない人達ばかり
もう一つ、蛇男と付き合い、箸が陰部に刺さって死んだ、モモソヒメは架空人物の可能性が高いのに、モモソヒメ=卑弥呼 だと、理由は考古学的らしい(笑)
畿内にも北部九州にもそれぞれ大きな勢力があって、規模は畿内>北部九州。
但し、魏志倭人伝で語られている邪馬台国は北部九州。
そもそも邪馬台国を過大評価しすぎなんだと思う。
どうしても出雲と吉備が無視される件
この時代の最先端は間違いなくこの近辺
>>697 意味わかんねー
もしかして宗教だけで国家を統治できると思ってるんじゃないだろうな
>>701 遣唐使の時代になっても博多は日本屈指の経済都市だったわけですが
畿内が最大勢力という根拠はなんすか???
704 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 13:38:37 ID:IJpHpTi10
>>692 全行程は12000里だよ。
不弥国(福岡東部)までに10700里を消化している。
あと1300里で畿内までは行けない。
邪馬台国はやっぱり宇佐半島辺りじゃないの。
水行10日とかの文言に惑わされすぎ。
>>696 その見解については支持するよ。つまり雄略天皇は実際には5世紀後半に実在し
熊本から埼玉までの広い領域を実効支配していた大和王朝の大王であると。
稲荷山鉄剣の銘文に刻まれた辛亥年は471年のことだと考えられている。
もちろん言うまでもなく教科書にも載ってる現在の定説なわけだが。
706 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 13:39:27 ID:zJ7rkC1r0
707 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 13:40:19 ID:CWQ0qOAW0
>>693 さっきから因果転倒してばっかですね?
もう一度言いますよ?
はい、宇佐が大和王朝発生以前からあります。大和王朝の国書もそれを認めて
います。宇佐の神社もそう言ってます。で、大和王権の始祖とされている
神武さんは、大和地方のその時の王権に対して争奪戦争(制圧戦争)を仕掛け
るにあたり、宇佐参りをしています。例え仮に万が一、その時に宇佐にお宮が
無いとしても、宇佐にて逗留して地元豪族と会ったりして、軍備を整えて
います。
大和王朝の誕生期によしんば権威が無かったとしても、少なくとも、神武の
子や孫の代には、権威なくちゃならないんじゃないの?
ずっと後に宇佐神社を立てたの?
あなたのモニュメントを、あなたの子供の子供の子供の子供のそのまた子供
くらいが、必ず立ててくれると思うの?
因果転倒も甚だしいんだけど?
>>703 殺し合いじゃなく話し合いで国々がまとまった(その前に殺し合いもあったんだろうな)
それと福岡、博多が発展してようが統治してるのは常に畿内じゃん。
709 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 13:43:09 ID:195OrOExO
出雲から山の向こうがヤマトなんだろ
山の入口、山陰と山陽が交わるから山口県
山の門で山門(ヤマト)
発想は基本的に同じじゃね?
出雲より東の山の向こう側のヤマトは
日出ヤマト
こうだろ
711 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 13:45:53 ID:IJpHpTi10
>>703 >もしかして宗教だけで国家を統治できると思ってるんじゃないだろうな
できるよ。
過去に実例なんかいっぱいあるじゃん。
イスラム教国なんか、いまだに宗教で民族を統一しているし。
中世ヨーロッパでは法王にローマ皇帝がはだしで許しを乞うたカノッサの屈辱なんて事件もあったし。
宗教王>>>政治王なのは古代社会の典型。
邪馬台国連合も宗教王の卑弥呼の下で、クニを統治する酋長が連合した国家だったんだろ。
712 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 13:47:15 ID:0XKpPRNU0
帥升の都というのを
吉野ヶ里だと推定すれば
史実(後漢書、魏志倭人伝における倭国大乱)
などと時期が一致するんだよね
もちろんここは倭国大乱で急速に力を失っていった都で
邪馬台国ではない
713 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 13:47:19 ID:IvN9gbb4O
>>706 山深い、小さな神社に奉られている姫様?一度、行ってみたいとは思ってんだよね〜
>>707 歴史議論の場に伝承や神話を持ち出して
これが史実だと言われてもそれ以上議論の進めようがないじゃない。
もしも中国人が正史であり国書でもある史記に三皇五帝の本紀があるから
彼らの実在は厳然たる史実だと主張したら、そいつとはまともに歴史論議はできないとは思わないか。
だからせめて神武が実在したとしてその東征がいつごろに行われたかについて
あんたはどう考えてるのかヒントぐらいはくれよ w
715 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 13:51:04 ID:8vrigq1hO
>>690 卑弥呼が魏から親魏倭王の称号を得てるのが大きいんでは。
それ以前の漢のなの倭国王の金印とか。
国交やってる証拠だし公式ルートの外交権がある印だし。
だだの豪族の長ではないお墨付きを皇帝にとりあえず認知されてる。
宇佐の話も古来からあった宇佐の勢力と
宗教拠点としての宇佐神宮は分けて考えないとおかしな解釈になる
宇佐の勢力の力を借りて東征した神武の勢力がやまとで大きくなって
後の時代になってから一部が九州に逆進出しその時持ち込まれた神を祀ったのが神宮と考えるのが自然
>>711 でましたよ無知の見本が
世界史勉強した事無いようですね
イスラムはムハンマドは当時中東で最大規模の軍事指導者でもありました
中世ヨーロッパの宗教統治の原資は何か?ローマ帝国による圧倒的な軍事力です。
東ローマから分離したローマ教会は、常に軍事力の保護を求めようと「皇帝」の存在を求めました。
ちなみにカノッサの屈辱のあと、ハインリヒが教皇に再度軍を差し向けたのは有名ですね。
背景に軍事力の無い宗教の興隆は有り得ません。
>>76 日本国は北京語で
「re ben guo」
⇒ジパング
⇒ジャパン
に繋がるね☆
719 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 13:58:23 ID:CWQ0qOAW0
>>714 え?東征がいつかって?決まっているじゃない。大和王朝が成立する直前だよ。
それと、伝承や神話を持ち出して、それを史実と言ってるワケじゃない。
「伝承と史実でこう語られてますよ?」と言っているだけ、でそれを是とした
上で無いと、「大和王朝の後の歴史はこれこれこうです」は逐一、ウソにしか
ならないと言ってるんだよ。
因果転倒ってのは、そういった君のそそっかしさを指している。
原因となるものを否定した段階で、その結果でもある「大和王権での歴史登場
人物」は、ほとんど成り立たなくなる。ハシゴの上に登ろうとするのは構わ
ないけど、その自分の上っているハシゴの足を自分で切る事は、百害あって
一利無いんだが。
720 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 13:58:57 ID:195OrOExO
邪馬台国はオーナーフランチャイズで
大物がバックに居るからと
魏銀行から借り入れしたけど失敗。経営権を奪われる
日出ヤマトは経営は大成功
セブンイレブンよろしく
フランチャイズ親会社からフランチャイズ権も買い取り
さらに出資会社でもある
オーナー親会社の経営権すら握ると
こういう逆転現象だな
>>703 その時代の関係は遺跡から推察するしかないんだけど、一つの傾向がある。
畿内の遺跡が集中しているのに対し、北部九州はそうとしか表現仕様が無い程広範囲に散在している。
結局その後、畿内に政権というか政治の中心が逢ったのは事実だからな。そこで生まれたか移動してきたかは別として。
このスレ7まできてたのかwwwwwww
723 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 14:02:36 ID:JlQw9Cgk0
かつて、俺のふるさとにも邪馬台国は存在していた。
が、俺が中学生のときに潰れちまったよ、、、
ホテル「邪馬台国」
724 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 14:03:28 ID:aR6px7zAO
>>721 広範囲に散在してるのは魏の記録と合致するな
>>719 で、大和王朝が大和に成立したのはいつごろなの?
そこまで言わないと歴史の議論にはならないよ。
神功皇后を4世紀後半に実在したとして、記紀の系図も正しいものだと仮定すると
神武天皇はその13世代前の天皇でなければならない
邪馬台国で言われる祭祀による連合の統治って殷王朝が近いんだよな
あそこも中華王朝としての顔と連合国の一国に過ぎない商という顔の両方を併せ持っている
727 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 14:09:28 ID:8vrigq1hO
飛鳥時代が六世紀から始まる。北部九州を治めヤマトに
従わない筑紫君が衰退するのもこの頃。古墳時代末期。
飛鳥が百済や新羅などの文化を取り入れられるなら
地理的通過点の北部九州が文化的に発展していて何ら
不思議ではないよね。大宰府なんかは大した建物があったんじゃないか。
>>675 あにいってんだ?両方とも奈良時代の書物だぜ?
バカなの氏ぬの?
>>725 記紀の系図を、当時の一般的な在位期間にあわせると、ひとつの道が見えてくる。
こじつけかも知れないけどな。
>>728 口伝でも残っていれば誰かが後から文書化しただろってことをさっきおれが書きこんだばかりだw
731 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 14:15:50 ID:CWQ0qOAW0
>>714(>719続き)
>神武が実在したとして
この発言がすでに貴方が、記紀を100%ファンタジーとしてしか見ていない
証拠。なら、ファンタジーとしてしか見ていない人に、それこそ「いやそれの
この部分はある程度当時の事件を表しているんだ。だから歴史的にも意味が
出て来るんだ」と言っても、ノレンに腕押しにしかならないんでしょう?
貴方自身が100%歴史資料にならないと見ているって事だから。
ま、確かに「神話部分」であり、「神話物語」という書かれ方をしている書物
ではあるが。しかしだからと言って、それを「実際あったかもしれない歴史
事象からとんでもなく離れている」とか「まったく架空の物を書いてある」と
しか考えない立場のあなたのような人に対して、私が「どの部分が信じれて、
どの部分は、信じれないが何かを暗喩していて、どの部分は嘘を言っている」
と独自の見解を述べても、あなたは「ほれ電波だ」と言うだけでしょう?
資料の基礎部分を1%も認めていない貴方に、何か俺が言って上げれる事あるかい?
何度も言うけど、記紀は、大和王権の成立の条件である東征を「あった」と
しているんだよ?言ってる意味わかるかい?それを「あったかどうか?
むしろなかったんじゃない?」と言う仮定を前提として、その後に登場する
祟神や神功や仁徳をどう語るんだい?
その立場なら、記紀が編集された以降の時代からしか歴史検証できない話に
なるよ?
親魏倭王の金印を天皇家が持っていれば
邪馬台国=大和政権と認められるが
持ってないから。
733 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 14:18:30 ID:f81vQccr0
宇佐神宮と伊勢神宮の立地条件が似てる気がする。
どっちも半島の根っこだし。
734 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 14:19:15 ID:pQLCSkFR0
>>701 畿内には邪馬台国時代に巨大な勢力がないんだよ、
特に大和にはね。
また使者に銀印青綬してる記録があるのだから
どっかの公家が銀印持ってるはずだが、持ってないから。
邪馬台国と大和政権はまったく別勢力だろJK
737 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 14:23:10 ID:pQLCSkFR0
>>714 えーと、その昔は商(殷)すら実在は疑われていたんだが
そう言う歴史事実を君は知らないのか?
現代では夏ですら実在が信じられているのに。
賢しらに過去を壟断する態度は改めた方が良いよ。
みんなの心の中にあるよ
>>733 位置関係だけで言うなら
筑紫 - 奈良
宮崎 - 伊勢
宇佐 - 京都
熊襲 - 熊野
こんな感じの方がしっくりこないか?
740 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 14:29:13 ID:CWQ0qOAW0
>>725 >神武天皇はその13世代前の天皇でなければならない。
さあ、それはどうかな?これはいくつかのアプローチで、必ずしもそうでない
というとらえかたもできるし、また、それをそれとしてそのまま考える事も
できる。
仮に実際に13世代前だって、充分ありうる。何か問題あるのか?
印に関して言えば、明治時代まで国璽って無かったんだよな。
鎌倉時代以降、天皇家が外交に関わる場面が少なかったとはいっても、
金印の痕跡くらいあっても良さそうなもんだが。
>>731 とりあえず、雄略天皇=ワカタケル=倭王武の上奏文の記載と好太王碑文から、
4世紀末から5世紀にかけての朝鮮半島侵攻は大和朝廷によるものだと考えても
いいと思われるんで、遅くとも4世紀後半には大和朝廷が成立してたと考えても
いいんではないかと。
九州邪馬台国が東征して後の大和朝廷になったという無理な設定は、
日本の起源は九州ニダと言ってるようにしか聞こえない。
744 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 14:34:37 ID:Y1z4NbYP0
学会にとってはさぞかし邪魔台国なんだろうな
745 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 14:39:24 ID:8vrigq1hO
外務省と別個に外交やろうと考えて組織作ってやろうとしても
多分外国から門前払いされるね。上手く行っても公式文書には
まず残らないだろう。
地方豪族が勝手に外交しても記録は残らないと思う。
壱與以降倭の五王まで影が薄い。その間に朝鮮で戦争。
そっから六世紀まで100年は何してたんだろ?
古墳造りに忙しかった?
>>743 そういう考え方というか、根拠も示さず「俺がそう思うから」という理由だけでの言論封鎖こそ
ニダーさんの真骨頂な訳だがw 「ウリに反論する奴は皆ウヨク」ってかw
>>744 確かに邪魔だろうねw 村興しにも気を配らないといけない。
一方そこから研究資金が流れてるのも事実なんで、痛し痒しか。
>>745 大陸の方の都合もあるからな
西晋滅亡から隋成立までの300年間は統一王朝が存在しなかった
>>745 その時代の半島や大陸との外交は、任那でやってたんじゃね?
6世紀半ばに任那が滅んだ後、隋が成立したら、大和朝廷は隋と外交はじめてるね。
749 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 14:44:44 ID:E7yockCWO
>>580 あほだなお前ら
タケウチスクネなんかは世襲制だっての
無知なID:7okcvnC30はこわいわー
>>737 何えらそうに言ってるんだよ。
殷は殷虚、夏は二頭里という遺跡を考古学的に調査することが可能になって
初めてその実在性が信じられるようになったのだろう。
神武東征のあともその都のあとも何一つ確認されてない段階で
歴史論議の対象にするわけにはいかない。
だから「つくる会」の日本史教科書でも神武東征は史実ではなく神話として扱われているのだ。
751 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 14:46:42 ID:CWQ0qOAW0
答えがないようなので、では、勝手に続けよう。
13世代これを、単純に金現代の平均的在位機関として、仮に一代40ねんくらい
としよう。
どんぶり勘定で520年くらいになる。直系血脈での皇位継承の場合、これね。
次に、いくつかレトリックな仮説で、いろいろ可能性を試して見よう。
まず、記紀が編集された時代は、すでに中国の継承方法論が入って来て
しまっていて、それによって、解釈したために、当時の皇位継承を勘違いして
それで、記紀の編集者が、次の大誤解を行なっている場合。
その大誤解とは、当時は長氏相続ではなく、兄弟相続だった場合だ。これを、
のちの解釈で間違えた場合、13回の皇位継承=13代の世代が存在するとなるが、実際は、13回のうち、半分以上は「兄弟相続」だったかもしれない。
もし、半分が兄弟相続だった場合、現在人が考える「在位周期」よし、更に
短くなるかのうせいが高い。
子供が10人くらいいる場合は、13代目など、超うまくいけば100年ほどでも
おはちが回ってくる。
752 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 14:49:50 ID:pQLCSkFR0
>>743 記紀を読めばそう判断せざるを得ないだろ。
少なくとも九州の勢力が畿内を制圧したって事は確かなんだから。
753 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 14:51:05 ID:E7yockCWO
あのねー、卑弥呼ってのは蔑称で本来は姫巫女が本当
おまえらヴァかもんにおしえちゃらあぬ
>>750 まあ、神話の中にも、何らかの史実が紛れ込んでることはあるわけで。
神武東征が史実ではないという立場に立つとしても、「他国の神話や歴史を参考にして、
記紀の編纂者が一から十まで作り上げた話」ととるか「東征そのものは神話だが、大和朝廷の
ルーツが九州にあるという事実を示している」とるかは、微妙なところだし。
755 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 14:52:10 ID:ICWWhpT1O
>>690 温暖化の今でさえ半裸で生活できないのに北九州って無理があるぞ
756 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 14:54:09 ID:uP/04vLoO
東京じゃないの?
757 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 14:55:09 ID:8vrigq1hO
神武東征って筑後川を北上したんだね?
日向峠を出て筑紫を通り原鶴温泉で休憩し天ケ瀬温泉で
また休憩して宇佐まで行くルート。
759 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 14:57:11 ID:IvN9gbb4O
>>757 そんな面倒なルートで宇佐に出たん?そのまま上に進んだんじゃないん?
760 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 14:58:46 ID:0XKpPRNU0
>>752 九州の勢力と言っても
倭国大乱を機に滅んでいった吉野ヶ里(筑紫平野-北九州)と
神話に謳われている日向の勢力とはまったく別モンだよ
>>751 うーん。今シャワー浴びてたからちょっと間があいたけど
「実際あったかもしれない歴史事象からとんでもなく離れている」とか
「まったく架空の物を書いてある」としか考えない立場のあなたのような人」ではないよ。
>>737のいらぬ指摘がなくともトロイの遺跡の実例もあるし、
将来神武東征が歴史の議論の対象になる可能性はある。
だが、現在は考古学的な傍証が何もない以上、神武東征は歴史論議の対象にはならないということだ。
あんただって聖書に書かれたことはすべて史実と考えてるファンダメンタリストと歴史談義をする気にはならないだろ。
762 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:00:43 ID:8vrigq1hO
>>759 途中で筑紫に寄ってるようなので。出発点は宮崎ではないと思う。
763 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:00:47 ID:CWQ0qOAW0
「13代あるから、最低でも500年前後あるはずだ」←これは先入観にすぎない。
13人の大王着任者がいたという事以上でも以下でもない。
もちろん記紀にある、Aの子はB、Bの子はC、という表記も無視はでき
ない。だが、記紀編集者自体が、先ほどの誤解をしている場合、あるいは、
中国を意識して、「無理に長子相続制」にわりふった場合、「親子関係」を
後で調整してしまう可能性は充分ある。
つまり「長子相続でなければいけない」→「大王は必ず先代の子である筈」
こういう決めツケで編集されてしまう可能性はある。
この大誤解とツジツマあわせのために、何人かの「兄弟天皇」が、
「親子天皇」へと、揃えられたとしたら?
神武天皇から景行天皇までの期間は、現代の我々が想像しているより、カナリ
短い期間だったという可能性は生じてくる。
764 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:00:59 ID:MsGjAUMy0
>>731 遺跡がないのは最強の説でもあり最弱の説でもあるんだよな。
魏書と記紀を掛け合わせても、史料の中の推察であって
それに遺跡が伴わないと考古学にはならない。
記紀を読むとこう判断できるんだよといったところで
それが事実かどうかとなると遺跡がないと証明できないんだよな。
>>755 魏志倭人伝の風俗の描写部分は実態よりも
山海経(ほとんどが作り話)の描写をパクってるような気がするんだよな
邪馬台→やまたい→マルタイ→棒ラーメン
九州で間違いない
>>702 銅剣、銅矛、銅鐸出土量 日本一だからね
面白い事に青銅文化がヤマタイのオロチョン族(鉄器民族)を駆逐したんじゃないかと考える
768 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:07:35 ID:IvN9gbb4O
>>751 1代40年なんてあり得ない。
昔は晩婚じゃないし、今で考えても長すぎ。兄弟相続の場合もある。
吉本美典の調査でも、権力に近い場合、10年かそこららしい(ま、この人への批判はあるだろうけど、この調査は、客観的なものだろう)
だから、13代なら、せいぜい200年。
770 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:07:54 ID:0XKpPRNU0
>>759 筑紫平野と宮崎平野はまったく別の勢力で
卑弥呼の時代3世紀から4世紀にかけて
奈良ヤマト政権(纒向)と関係が深いのは日向
おまけに前述したように筑紫平野(吉野ヶ里)は
倭国大乱を機に力を失っていった
筑紫平野→奈良
は古墳・出土物の分布や史実を元には
結論付ける証拠がまったくない
>>765 山海経に出てくる倭については
>蓋国は鉅燕の南、倭の北にあり。 倭は燕に属す。
という地理的な説明をそのままに受け取ると中国の華北あたりにあったとしか思えない。
よって同じ倭という名称で呼ばれたとしても日本列島にいた倭とはまったくの別民族のことだろう。
九州から畿内へ住人が集団移住したような形跡が、考古学的にまるでないからねえ。
そういう意味では、神武東征って怪しすぎるんだが、ただ、朝廷の権威を基礎付けるための
記紀を編纂するときに作られた話にしては、古事記での神武東征の描写って、神武は
かっこ悪すぎだからなあ。
畿内に近づくまでは戦いらしい戦いの描写はないし、畿内に近づいた後は、負けた描写か、
卑怯な作戦で勝ったりする描写ばかりで、勇敢に戦って力でねじ伏せた描写がまるでない。
記紀のために作られた話なら、もう少し神武がかっこよくてもよさそうなもんなんだが。
773 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:08:41 ID:CWQ0qOAW0
774 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:10:09 ID:E7yockCWO
おまえらって宇佐神宮いったことないだろ
あそこには大木があって
775 :
769:2010/10/14(木) 15:10:28 ID:anyHfFjL0
吉本じゃなくて、安本ね。
久しぶりの名前で間違えた。
あと日本の場合、戦前から戦後への歴史観の揺れがまだ収まってない印象だな。
右から左へ極端に振れた。
神武東征はあったに違いない。あんな悲惨な戦いを乗せてるんだから。
776 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:11:48 ID:0XKpPRNU0
>>702 出雲と吉備は古代からヤマト政権と友好的な関係にあったと考えられる
これは日向も同じこと
777 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:13:24 ID:8vrigq1hO
>>770 公家がお歯黒するのは邪馬台国から南に船で一年行った
黒歯國の南方の風習を引き継いだんですね!
>>772 >九州から畿内へ住人が集団移住したような形跡が、考古学的にまるでないからねえ。
本当にそうなのか?
>>772 ぱっと思いついただけなんだけど、安曇族なんかはどうなるのかな。
あれ、九州から近畿、信州の奥にまで移動してると思ってたんだけど、
やっぱり考古学的には認められてないのかな?
記紀の話が、全くの荒唐無稽の作り話なら、
ワザワザ神武東征なんて物語を書く必要性が無い。
すでに畿内に権力が成立しているんだから、
天孫降臨も畿内で良いし、アマテラスの子孫がそのまま畿内のヤマト王権になっただけでいい。
なぜ記紀に神武東征が書かれているのか?。
その時代の人たちにとって無視できない歴史的共通認識があったってことだ。
781 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:17:23 ID:MnOwn2ZU0
>>776 大和政権は出雲の指導者を虐殺して、タタリを恐れて、
鎮魂のために出雲大社を造営したのではなかった?
782 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:17:33 ID:8vrigq1hO
大分に宇佐神宮がある。四国高知に宇佐という場所がある。
西から東に勢力が伸びてるような印象を受ける。
783 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:19:12 ID:Yku5SLfu0
784 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:19:40 ID:+SAfJjhB0
もう奈良の桜井市に決定しているのに
その他の地域のやからたちのきたら・・・・・
785 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:19:52 ID:5Mxb/NZn0
倭をうばい乗っ取った大王と取り巻きの渡来豪族勢力が
昔蹴散らした敵対勢力に正面きって表に描くのは、
まあどこかで手討ちはあったのかもしれないが、
自らの基盤を危うくするから冷たい扱いとなる。
最恵国待遇で「親魏倭王」なのにな。
だから、自らの系図に卑弥呼を取り込もうと必死になる。
その墓は「塚」で「古墳」でなはい。しかし近畿皇国派は無視。
韓国ニダ
787 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:21:28 ID:mPtLsx4nO
もうお話はいいから物的証拠を出せよw
>>775 いやむしろ今は振り子が逆にぶれすぎだろ。おれは日本のためにそっちを真剣に危惧するよ。
少なくともこの板にはそういう人間が増えすぎだ。日本全体や歴史学の世界はまだそこまで色に染められてないが。
歴史学も純然たる学問の一領域なのだろから、左右どちらにしろイデオロギーの侵食を許してはならない。
物証もなしに存在を信じるというのはもはや科学ではなく宗教の領域だ。
一番大切なのは、過去のわれわれがどのような姿をし、どのような生活をしていたかを確かめることであって
それが事実であるなら、その姿を冷静に受け入れられることこそが日本人としての真の誇りだろう。
韓国や中国にもそうした傾向が見受けられるが、自民族の誇りのために歴史を勉強するというのはまったくもって本末転倒だ。
ひとたびそういう目的意識をもってしまうと、自民族の都合の悪い歴史を隠蔽したり、糊塗したり平気でするようになるからな。
790 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:28:16 ID:Yku5SLfu0
>>771 >同じ倭という名称で呼ばれたとしても日本列島にいた倭とはまったくの別民族のことだろう。
周代にも「倭」が朝貢した記録があり
正史に記録されている以上、
魏志にまた「倭」という字で別な集団の記録が為される場合は
「周代の倭とは同字だが別」と
必ず注釈が入るはずなんだそうだ。
周代の「倭」が海を越えて来たような記述が無いので、
よって、
「倭」は黄海東シナ海全体を股にかけて活動した海洋民族。
周代には黄海東シナ海の大陸側に大きな拠点があり
そこから陸路で朝貢していた、
三国志の時代には戦乱の大陸から拠点を列島側へ移していた。
791 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:31:11 ID:0XKpPRNU0
>>789 危惧する心配はないと思うよ
少なくとも西暦の物差しでの紀元2600年みたいなことを
学術的なレベル語る人は
もういない
792 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:35:18 ID:w9SnIkXP0
近畿、中国、九州で、円墳のような地形をあたれば見つかるよ。グーグルマップで探してみるよ。
793 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:36:35 ID:Yku5SLfu0
>近畿、中国、九州で、円墳のような地形
ごまんとありそうw
794 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:36:54 ID:4WIi1OCPO
九州が一番有力
795 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:37:44 ID:zJ7rkC1r0
歴史なんて戦勝国の都合がいいように作り変えられるから2000年前のことなんて調べようがない。
昨日喰った晩飯のおかずも思い出せないのに。。。
>>789 確かに、遺跡が出たと言うだけで、これで邪馬台国決まり、
なんてバカな連中が多いねえ。根拠無しに。
邪馬台国の海を渡った東の倭種の国の可能性が一番高いってのに。
797 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:40:45 ID:8vrigq1hO
お釈迦さんが紀元前500年ぐらいの人だから天皇家も
同じぐらい古くしないと釣り合わないと昔の大和朝廷は
考えたんだろう。
798 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:41:03 ID:KlPBlNHTO
>>771>>790 倭は朝鮮半島にあったという説がある
今日の下野新聞の書評でちょうどそのこと書いた本が紹介されてる
>>798 朝鮮半島の南部にも倭人がいたという説ならすでにこのスレでも紹介されてる。
わりと知られてるんじゃないかな。倭の本拠が朝鮮半島にあったという話なら興味はあるけど。
800 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:43:53 ID:g5WmWNG10
> 【レス抽出】
>
> キーワード:九州
> 抽出レス数:152
>
> キーワード:畿内
> 抽出レス数:73
やはり九州説が圧倒的か!
>>771 >倭は燕に属す。
これは地理的な説明ではなくて、政治的な関係だろうから、地理的な位置は分からんよね。
802 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:44:55 ID:+CbxGkhe0
803 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:45:00 ID:s6tWJQqV0
まあ、民俗描写がひつこいのはその国の血統の証明が必要だからだろ。
得体の知れん民族を「倭」に仕立て上げる事は可能性としてあるがな
804 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:45:26 ID:f81vQccr0
任那とか出先機関があったからね
805 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:46:21 ID:Yku5SLfu0
だから
「倭」は黄海東シナ海全体を股にかけて活動した海洋民族。
とうぜん朝鮮半島にも活動は及び
三韓時代の記録にも「倭人がすこぶる多い」といった記述がある。
新羅王家も開祖は倭人との伝承があったろ、確か。
807 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:46:49 ID:yGuh8QWHO
倭はにんべんがついてるから蔑称というほどではない
昔適当に天皇家関係の墓だって決められて調査できない古墳を調査できるようにしろよ
日本の古代史のなぞの解明が一気に進むだろ
>>808 盗掘でろくなものが残ってないから見せられないのかも知れんぞ?
810 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:49:19 ID:Yku5SLfu0
>>807 というか、
他の異民族が動物扱いの卑字とか充てられてるのに
倭だけ人間扱いされており
破格の好待遇。
811 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:49:20 ID:7pT3HhPWO
栃木県にイピョ
814 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:54:25 ID:E7yockCWO
>>808 それやったら現代天皇家の正統性が失われる可能性があるので宮内庁が許可しない
815 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:55:51 ID:8vrigq1hO
卑弥呼はひよこと読む。福岡県民は気付いている。
倭に、にんべんが付かなきゃ委で「ゆだねる」。
人にゆだねられたのか???
817 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 15:57:09 ID:s6tWJQqV0
>>810 中国は朝鮮と違って煽り呼称に「倭」系を使って来ないもんな。小日本、鬼子?w
たぶん使わない理由がある。
呼称にも国家戦略が潜む場合がある。
何が出てきても、正当性に疑問が付くことはないと思うけど。
1300年以上は実際に帝位にあったんだから。
絹の一切れ、銅鏡の一欠片、ちょっとした壁画ででも、手がかりになると思うけど。
>>814 そんなもん気にしてるのは保守派くらいだろ^^;
形式上とはいえ1000年以上トップにいるんだから権威は保てるってw
820 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:00:43 ID:Yku5SLfu0
>>817 華人(漢民族)より正統な夏人の末裔と認識していた可能性がある。
311 :名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 01:10:32 ID:6kesrJ6k0
>>299 倭人伝に書いてあるのは中原にあった夏王朝のことじゃないって。
春秋戦国の越という国のことを知ってるだろ。
この国は長江下流域にいた非漢民族の越族が建てた国だけど
中原の夏王朝の末裔を名乗ってたんだ。
だからこれは長江下流域にいた異民族の風習なんだよ
そこの風習のことは漢民族はよく知ってるから、
彼らからみれば同じように見えた倭人の風習のところでそう記したわけだ。
821 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:02:14 ID:Sq+d6xqWO
近畿か九州かで、何が違ってくるん?
822 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:03:57 ID:tyFMbXPe0
500年もさかのぼれば歴史も何もない栃木県ワロス
その点、奥州藤原氏のいた福島はそんなことはない
>>817 お前が知らないだけ。俺、旅行で一時期中国にいたが
平気で打倒倭寇だの言い出す、糞みたいな抗日の歌をテレビでバンバン流してたぞ。
所詮ネット経由の情報じゃ、ある程度スポイルされてるんだっつうの。
>>820 越族じゃなく百越な。単独で越と言うときは春秋戦国時代の国家を示すんで
微妙にに間違ってるそれ
824 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:06:07 ID:MZvMDPE7O
神武東征なんて、征服された九州をなだめるための神話で事実ではない。イギリス皇太子がプリンスオブウェールズを名乗って、ウェールズの君主がイングランド王になる体裁をとってるのと同じ。実際はウェールズはイングランドに征服されてる。
>>819 その保守派がいたから現代まで保たれた訳で。
近代では権威だけじゃ軽んじる風潮があるから
826 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:06:57 ID:5G9CABH30
このスレどんだけマニアックだよ
詳しい奴大杉
828 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:07:44 ID:8vrigq1hO
邪馬台国と同時代の中央アジア・北インドにあった
イラン系のクシャーナ朝は漢字で貴霜。
公用語のひとつはギリシャ語。今更、世界史面白いなw
829 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:09:27 ID:b0a4r+Sb0
卑弥呼の墓が前方後円墳というのはむりぐり感がある
宇佐神宮の亀山の頂上に葬ったとする説を支持する
>>826 おまえがVIPでチンコマンコ言ってる瞬間、
裏では激論が交わされている事実を知ったおまえは自殺するしかない
831 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:11:36 ID:Yku5SLfu0
邪馬台国かどうかは別にしても
宇佐神宮には何かあるだろ
さっさと発掘調査するべきだな
弥生時代から大和王朝に至る時代の流れを解明しなきゃ話は進まないよな
弥生時代には日本列島には様々な小さい国があったとされる事実はあり、
魏志倭人伝によると小国を幾つも越えて邪馬台国に辿りついたと書いてある。
しかもその小国は女王国(邪馬台国)の支配が及ぶ国々であるとも。
834 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:13:49 ID:E7yockCWO
>>832 宇佐神宮の管理は宮内庁から外れているはずだから、
大規模な署名でもあれば動く可能性もあるな
>>825 天皇家はそんな弱い存在という認識なのか^^;
いろんな証拠があるかもしれないのになあ・・・
>>829 卑弥呼の墓は元々円墳
トヨの代になって祭壇が付け加えられたのが前方後円墳
奈良のアレが卑弥呼の墓といわれるのは明らかに方墳部分が別工事で追加されてるから
837 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:18:18 ID:Yku5SLfu0
>>822 >打倒倭寇
この場合の倭寇って蔑称かな?
日本人の感覚で言えば「元寇」を持ち出したくらいの感じ??
畏れはあっても軽蔑はないような。
宇佐神宮近いよ
おとといの記事ってどんな記事?
しらなかった
こんなのゴッドハンドの手に掛かれば一発
曹操の墓を発見したアル(*`ハ´)
↓
いや夏候惇の墓かもしれない(`ハ´;)
↓
* *
* うそアル +
n ∧_∧ n
+ (ヨ(*`ハ´)E)
Y Y *
日本でもこんな話が出てこないかなあ
>>835 おれ自身はそうは思っていないんだけどな。
だけども、その程度の認識ってのはいまの国民認識、マスゴミの刷り込み、戦後の象徴天皇制が表していると思う。
神話時代を読み解きたいけれども、
それに付随していまの天皇制(天皇家)が揺らぐようならこのままのほうが善いかもと思う矛盾がある。
844 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:20:58 ID:8vrigq1hO
そういや筑紫君磐井の墓と言われる八女の岩戸山古墳の
石人石馬は阿蘇山の石で作られてるらしいので肥後の文化が
北上してるってことだな。
>>831 >加多支鹵(カタシロ)
コーヒー返せw
>>842 夏候惇の墓は残念ながらないけどキリストの墓なら
848 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:23:18 ID:MZvMDPE7O
>>827 神武東征は無い、大和朝廷の西征があったと言ってる。
849 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:23:35 ID:s6tWJQqV0
>>822 そんな社会科学院にコントロールされたアフォ庶民の事言ってんじゃない。
850 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:24:07 ID:E7yockCWO
>>847 まだハッキリした結論は出ていないのが現状
851 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:25:17 ID:IvN9gbb4O
神武東征を認めると、畿内説が崩壊するわけ?そんな感じを受けるな
853 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:26:55 ID:E7yockCWO
俺が生きている間には答えが出そうに無いな。
>>854 箸墓掘ればその時点でゲームオーバーなんだけどね。
まぁ箸墓が守られてきたからこそ邪馬台国論争なんてのが出来るわけで。
九州派の人は宮内庁に感謝しないといけないと思うよ。
856 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:31:25 ID:E7yockCWO
しかしひとつの話題からこれだけ派生して論じられる話題ってのもロマンがあって楽しい
いざ真実となるとその真実を知るまでは善いが知ってしまったらと思うと…
やはり知らぬが善いのかも、な
857 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:33:09 ID:IvN9gbb4O
>>853 わぁー、畿内説は脆いなー予算重視だから、しょうがないんだろうけどね
858 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:33:14 ID:Yku5SLfu0
数年前にオープンした兵庫県の歴史博物館では邪馬台国は畿内にあった
ことを歴史的事実とした上で全ての展示物の説明をやってたよ。
古墳掘っちゃえばそこに答えがあるかもしれないのに古書の解釈であーだこーだって日本史学者ってドMだなw
>>851 それで困るのはどちらかというと天皇家の祖先筋が魏からハンコをもらったと認めたくない国粋主義者でしょ
記紀に従って卑弥呼をとらえている場合畿内説と東征は普通に両立する
862 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:34:34 ID:E7yockCWO
>>855 おまえ厚かましい
感謝とかあほの極地だわ
仮に畿内、九州じゃなかったら誰得って話しになるわ
863 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:35:25 ID:lHwMwtVY0
箸墓を完全に調べ上げれば確かにゲームオーバーだろうな
邪馬台国に繋がるものは何も出てこないという意味で。
そういえば巻向168回目の発掘だそうだが
今までになにか使えそうなのあったか?
はっきりしてるんだよ、畿内説じゃ卑弥呼の墓は箸墓
それ以外の選択は無い。
つまり発掘して卑弥呼の墓である可能性がゼロなら
邪馬台国畿内説は完全に否定される。
そういう単純な話なんだよな。
865 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:37:05 ID:E7yockCWO
しかし文字がないんだったら
何が出てくれば決定的証拠になる?
印鑑?
>>866 「親魏倭王」の金印が出てくれば、決定的かと。
868 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:38:49 ID:zJ7rkC1r0
このすれは無印のν速みたいに地名出たら面白いのになあ
870 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:39:45 ID:f81vQccr0
記紀編纂時は畿内が都なのに、わざわざ東征神話を書いてるのは当時の皇室への共通認識だからじゃ
ないの、東征が無かったんなら奈良あたりで興り勢力を伸ばしたと書くはず。
871 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:39:46 ID:lHwMwtVY0
872 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:40:23 ID:E7yockCWO
箸墓、宇佐神宮の同時発掘、検証が望ましい
873 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:42:12 ID:8vrigq1hO
争乱を抑えるからには武力がいるだろう。80年近く
ドンパチしてたのを鬼道のみで鎮めるとは考え難い。
周りを敵に囲まれた場所だと都合悪い。よって背後が山で
川など交通網もあり平地で稲作や野菜が採れ海の幸が採れ
人口が多く武器の生産が出来るような所。
すなわち八女。
874 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:43:06 ID:IvN9gbb4O
>>863 もうすぐ出ます、の段階から、全然出ないからな〜予算を引っ張れるだけ引っ張って、ゴッドハンド再びか、宮内庁に責任を押し付けて終了だろうね
875 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:44:24 ID:zJ7rkC1r0
>>873 久留米、八女あたりだろうね
あそこを起点に東西南北に道が分かれてるし
>>873 そこで姫巫女が登場
彼女はある程度の地位、権威が隣国に伝聞されるほどあった
そこで身体を張り、指を落とし、身を擲って纏めた
海の底だよ
880 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:46:13 ID:lHwMwtVY0
7世紀一杯まで、九州の権威は大きかった。
8世紀になって、政権が機内に移っても
まだ、九州に拠点を持っていたり、九州関係者も多い。
九州王朝関係者も存命だったろう。
また、旧唐書によれば、中国は九州のほうを
正統な倭の代表者と見ているフシがある。
そのため、多少なりとも九州にルーツがあると書かなければ
倭の後継政権とは認められにくいという理由があった。
これが神武東征を記述した理由だ。
神武東征が事実だろうとおとぎ話だろうと
都合が悪ければ記紀に記載しないだけのことだ。
それをあえて記載しなければならないのは
それだけの理由があると言って良い。
>>757>>759>>762 古事記 (中つ巻)
「すなわち日向より發たして筑紫に幸行でましき。故、豊国の宇佐に到りましし時、そのくにびと
名は宇沙都比古、宇沙都比賣の二人、足一騰宮を作りて、大御饗たてまつりき。
其地より遷移りまして、筑紫の岡田の宮に一年坐しき。」
築後川ってどこに出てくるの。
日本書紀は日向から速吸水門(豊予海峡)に出て舟で宇佐行き
882 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:49:04 ID:IvN9gbb4O
日本の歴史を歪ませた、ゴッドハンドに気付かない考古学者達、一緒になって考古学的に大発見だと喜び合う、教科書にも載り、試験にもでる
あー、ゴッドハンド再び、畿内説で炸裂する日は近い
883 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:50:51 ID:E7yockCWO
>>876 何が情報操作?あほだろ
直接的物証やら出てないから言ったまで
どちらかと言えば九州説寄りだが、畿内にも可能性はあるかもしれんとは思ってるんだがな
884 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:51:20 ID:Yku5SLfu0
たぶん
倭族(海洋民)が男系継承で
弥生農耕民が女系継承で
ニニギとコノハナサクヤの結婚で
一時的な連合王国が成立したのだよ。
その後の世代で男系も女系も条件を満たす王と女王で
連立政権を立て続けてれば良かったが
男系の王が単独で立とうとしたので
反発した農民たちが女系の卑弥呼や壱与を擁立し
内乱になったのだよ。
卑弥呼の弟はたぶん男系の継承権があったので
卑弥呼と弟の連立政権で
一時的な妥協が成立したのだとおもう。
倭王の金印でもあれば決定的ではあるけど。
弥生時代の列島が幾つもの国の連合国家っていうのは、間違って無いと思う。
連合国家であるからこそ、邪馬台国がそんなに大事か?という疑問もある。
連合国家もしくは並立国家群と考えれば、邪馬台国は魏の時代に勢力をもっていた一国家にすぎない。
886 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:54:52 ID:8vrigq1hO
>>881 筑紫から宇佐に行くには筑後川を登るのが早い。
浮羽、日田のへんかな?地図みないとわかんねーけど。
887 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:54:58 ID:E7yockCWO
>>885 うん、それ考えると神武天皇以降、姫巫女と必ずしも繋げようとする必要性はないんだよな
>>883 金印のような直接証拠がでなきゃ一切認められないという立場なら
それ以外の何が出土しようとしょうがないわな。
おまえら、墓に入って掘ってこいよ
890 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:58:01 ID:zJ7rkC1r0
卑弥呼の墓は大宰府メモリアルパークで見たような気がする
>>888 伝聞検証がほぼで発掘がままならない今、それはどちらも同じでしょ
だから現状、どちらにも可能性はある
邪馬台国の奴らも住所ぐらい残しておけば良いのにww
893 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 16:59:59 ID:8vrigq1hO
伊都國から南東方面。伊都が糸島として、背後が山になる陣。
九州説なら九州山脈の西側斜面のどこか。
894 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:01:37 ID:lHwMwtVY0
>>886 高速道路の大分自動車道ですか?
確かに下道で大分に抜ける道あるけど
あんな険しい山道、鳥栖から歩きだと一週間はかかりそうだな。
895 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:02:31 ID:zJ7rkC1r0
近畿にあってそのまま大和王朝に変化してったんだろうな邪馬台国は。
お前ら難しく考えすぎ。
邪馬台国を中心に連合国家があった。それが魏に朝貢し登場したと。
その邪馬台国には当時卑弥呼という女王が居て国を治めていたと。
昔って女帝は別に不思議でもなんでもない。
897 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:04:00 ID:lHwMwtVY0
太宰府政庁跡は、まさに背後が山になる場所に作られている。
紀元前の遺物もごろごろしているから、
かなり古い時代からの拠点と思って良い。
太宰府天満宮は別の場所
898 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:04:50 ID:E7yockCWO
しかし見事に九州説、畿内説を分けたいんだなおまえらは
899 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:05:11 ID:Yku5SLfu0
>>895 魏志倭人伝に「倭国には牛馬がいない」と書いてある
九州は西南戦争のときでさえ道が悪くて行軍が難渋したぐらいだから
3世紀の話ならなおさらだろうな
馬が通れるような横断道があったとはとても思えないけど
901 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:06:25 ID:8vrigq1hO
>>894 鳥栖から宇佐までたぶん150キロぐらい。高速で二時間掛からない。
下道は険しい山。1800年前は一週間じゃ絶対無理と思う。
902 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:06:42 ID:IvN9gbb4O
夜なら、地図を見ながら話しを進めていけるんだけど、このスレも、もう終わりやし、次のスレ立てばいいけど・・・
903 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:07:15 ID:lHwMwtVY0
>>895 ウマが行けるような整備された山道があったのだろうか。
大分自動車道は、結構急坂があって、
軽自動車だと登りで80キロを維持できないところがある。
九州説にせよ畿内説にせよ、すごい必死な奴がいるから
見てるだけで笑えるけどな
大体、どちらかの説がただしいとなったらヤマトタケルの伝説とかも全部嘘になるの?
そう考えるとどっちでもいいと思うんだが。
だが栃木、お前はねえよ
しつこいと女子に嫌われるぞ
906 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:08:41 ID:E7yockCWO
907 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:09:14 ID:Yku5SLfu0
日本の道が悪くなったのは江戸幕府の政策(反乱軍が移動しにくいように)。
これ吉野ヶ里の遺跡の前まで伸びてて、原型は相当古そうなわけだが。
http://kodaikando.yoka-yoka.jp/e152854.html 1300年前のハイウエイを探る −古代官道ロマン−
鴻臚館 〜 大宰府・古代ハイウェイを探る!―古代官道ロマン―
日本に文化を運んだシルクロードの玄関、鴻臚館・大宰府から九州各地や都へと続く
8世紀の古代官道は、予想以上に道幅広く、直線の大道でした。
908 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:09:32 ID:0XKpPRNU0
>>851 >>853 >神武東征を認めると、畿内説が崩壊するわけ?
いやちっとも崩壊しない
九州王朝東遷説が神武東征とセットになってるから
そう感じるだけで
(九州王朝東遷説はもう今や何の説得力もない)
普通に記紀を読み解くと
日向の勢力が
ある時期に畿内で王朝を作った
というだけの話
近畿より中国地方だろ。
>>880 九州勢力のおもねって、天孫降臨と神武東征を書いたって無理があるな。
当時は律令制の成立と中央集権の確立の真っ只中。
そこに、九州勢力を独立させる口実を与える「作り話」を記載するか?。
911 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:11:44 ID:ICWWhpT1O
>>814 おい、チョン。
日本は半島を支配していたんだから、貢ぎ物として半島由来の
物が出てくる可能性はあるが、半島を支配していたという
文献が正しかった証拠にはなるが天皇がチョン由来って証拠には
一切ならないぞ。
なんで、カタシロでコーヒー吹くのかな。
ニニギ、とか、アジスキタカヒコとか、オオナムチ、じゃ吹かないのか?
913 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:13:03 ID:BuSMakIDO
別にどこでもいいじゃん。
邪馬台国が栃木にあって遺跡から兀突骨の骨が出てきたって別に困らないじゃん
914 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:13:16 ID:E7yockCWO
まとめ
ここまで三つの有力説
九州説
畿内説
栃木説
916 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:15:12 ID:b0a4r+Sb0
917 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:15:42 ID:lHwMwtVY0
記紀を編纂する立場としては、神武東征を書いても書かなくても良い。
九州勢力にこびる必要が無ければ
天皇家や編纂者自身に、書きたいという強い動機があったと言うことだろう。
案外編纂者自体が、九州勢力から引き抜いてきた人材だったりして。
919 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:17:28 ID:0XKpPRNU0
古事記を編纂したときに
各国の風土記の中で
あきらかに畿内の伝承より古いものがあり
それが日向神話と出雲神話だった
より古い伝承である日向神話が天地開闢の話となった
日向神話には南方系神話の影響が濃く
南九州に流れ着いた南方系黒潮の民=海人=原始縄文人の伝承を伝えているという解釈ができる
920 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:18:59 ID:92wkI6vD0
邪馬台国論争。
結論を出すのは簡単。
マクモニーグル級の超能力者100人に総当たりで透視してもらって帰納的回答を得る。
それが邪馬台国の場所だ。
>>908 まあそうだよな。
神武が日向や九州一帯の王である必要もない。
日向のイワレヒコって将軍が畿内に攻め入って征服し、
そこの勢力を引き継いで独立したともかんがえられる。
923 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:21:38 ID:0tmMY8BsO
そもそもヤマタイが存在したかどうかすら怪しいのに、場所がどうとか
924 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:21:38 ID:lHwMwtVY0
神武にしてもヤマトタケルにしても
基本的な戦いはゲリラ戦
国を背負って、大軍を率いた戦いではない。
925 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:21:52 ID:Yku5SLfu0
縄文人は北方系だよ。
倭人が南方系の海洋民族で
日向には天照一派の天孫降臨より以前から倭人が入植していて
親戚筋なので征服でなく政略結婚で同化策を取った
と考えた方がいいのでは?
邪馬台国だけ見るから分からなくなるだけだろ
前後の時代見たら簡単だろ
邪馬台国は九州南部か四国
大和朝廷は近畿だろ
邪馬台国=大和朝廷に無理があるだろこれ
>>916 馬の伝来ついては、東北の方が最初という説もある。
>>611 > ただ政宗の頃の日本って独立国の集まりだもんな
> つーか明治までは藩ごとに別の国
モンテスキューの「法の精神」によれば、日本の皇帝が出てくるが、
デイロ(内裏=天皇)とは別に記載されているので、これは将軍のことだな
西洋人(フランス人)からみたら、将軍が皇帝、大名が諸侯王という風に見えたんだろう
デイロの方が理解困難だったかもしれない
中国の制度を取り入れても、日本独自の統治制度を作り上げたんだが、
これが、中国の制度を取り入れる前の邪馬台国の統治制度だともっと独自だっただろうな
それを中国人が正確に理解できたか?
自国の過去の制度や周囲の蛮族の制度にひきつけて描写してないか?
こういう疑問が生じるな
929 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:25:04 ID:IvN9gbb4O
畿内説は、大和=邪馬台でないと、具合が悪いらしい
930 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:26:50 ID:f81vQccr0
鐙は西晋時代の発明らしいね
931 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:27:10 ID:zJ7rkC1r0
>>929 筑紫平野にはヤマトと読める地名はいくつもある
932 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:27:10 ID:Yku5SLfu0
>>917 >案外編纂者自体が、九州勢力から引き抜いてきた人材だったりして
それ十分ありえそうだね。
古事記(成立西暦712年)
日本書紀(成立西暦720年)
古田史学の連中によれば最終的には
704年に九州側の天皇が近畿側に譲位して権力移動完了したような話だし。
近畿側は人材不足だから
官僚機構がそっくり引越したような印象だし。
933 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:27:26 ID:0XKpPRNU0
934 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:29:30 ID:zJ7rkC1r0
4世紀の歴史がうやむやなのは天皇が百済出身だということを隠すためだったんだろ
古事記:日向から築後方面へ北上、宇佐へ。
日本書紀:日向から出て東を征ち舟で北上、速吸水門で海人で国津神の珍彦を拾って宇佐へ。
937 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:31:47 ID:0XKpPRNU0
アイヌが完全な北方系民族だと勘違いしている連中もいるようだが
風俗にはまったく北方系の文化には見られない
南方系民俗の影響も色濃いので
当然ながら黒潮の民とオホーツク系の混血だった可能性もある
>>928 魏志倭人伝の描写から見ると
ものすごく殷に似てるんだけどな
その殷は元々夏の祭司だったわけで倭人の伝説にもつながる
自分たちが持っていた伝説に邪馬台国を当てはめたんじゃないかと思う
>>930 ああ、そうそう。鐙がないと踏ん張れないから
両脚で馬腹をしめつけないと馬を走らせることさえできない
生まれながら馬に乗って育ってる騎馬民族でないと騎乗は難しかっただろうな
940 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:33:12 ID:oa7aw5Pn0
朝鮮半島説が定説です
>>934 百済は日本の属国。
属国から指導者を迎える国なんてない。
942 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:34:03 ID:zJ7rkC1r0
>>930 中原の遺構から出土したのが4世紀のものというだけで
鐙自体は紀元前からあるものだよ
北方ルートなら古くから入ってきていても不思議はない
944 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:36:47 ID:b0a4r+Sb0
>>922 その古墳が作られたとされる年代に偽りがあるのかもね
945 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:37:53 ID:Yku5SLfu0
>>938 殷に似てると感じるのは亀の甲を使った占いの部分とかだけじゃないの。
中原の中心である殷と倭が風俗的に似てるところはあまりないと思うんだがな。
気候や植生もぜんぜん違うし。
それに、もともと南方系の非漢族は自分たちの先祖を中元の王家の末裔と結びつけることが多かったんだよ
たとえば春秋の呉は先祖が周王室と同祖だと主張してたし、
倭人もそう称していたことが中国の史書に書いてある。
同じように越は夏の末裔を称していた。
>>941 当時の日本が中国の属国に近いのは無視ですか?
948 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:39:39 ID:blRGWBji0
そもそも邪馬台国が本当にあったという証明すらないだろうが。
950 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:40:01 ID:/kJc+LNjO
スレの流れからすると栃木で決まりか
951 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:40:29 ID:0XKpPRNU0
952 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:40:53 ID:a438Xr0x0
>>925 あのな、縄文人と弥生人が違っていて天神や皇別が渡来した人々だってんなら
その天神らの名前の呼称が、物凄く大和言葉の美称だらけなのはどう説明するのさ。
縄文人の方が大和言葉とは違う言語を話していた事にでもすんの?勢力的に縄文の人の方が多いだろうに?
縄文土器時代の人と弥生土器時代の人を別の人種とさせるのはもう無理があるよ。
稲作開始時期も紀元前10世紀までいってしまった。
953 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:41:11 ID:lHwMwtVY0
万葉集で太宰府のことを「遠の朝廷」って呼ぶのは
そのときはまだ、九州にいた人が残っていて
懐かしがっているような印象だな。
>>936 詳細は不明だが、東北に在来主がいたか沿海州から持ち込んだかのどちらかだろう。
東北の蝦夷は古くから沿海州と交易してたからね。
わかっているのはヤマト王権が東北に初めて行ったとき、すでに馬の大規模な牧畜がされていたこと。
さらに高度な騎馬技術を蝦夷が持っていた。
955 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:43:26 ID:lOCbByMy0
日本書紀の記述は考古学の発見と共に正しさが裏付けられてきたけど、
支那史は白髪三千畳だろうな。
邪馬台国の記述が日本書紀にないんだから、卑弥呼は村長レベルだったんだよ。
>>947 それと百済と何の関係が?
日本から中国の指導者になった奴いた?
大体、中国と日本の関係は名目上のものだからね。
日本と百済は、実際の支配だから。王子を人質にしたりして。
957 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:44:10 ID:b0a4r+Sb0
>>922 馬がいない邪馬台国なので巻向はアウトってこと
958 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:45:55 ID:lOCbByMy0
959 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:47:30 ID:pQLCSkFR0
>>932 日本書紀は帰化人と倭人が共同で作成したことが、国語学の研究で判っているよ。
「日本書紀の謎を解く-述作者は誰か」森博達著、中公新書を読んでごらん。
要旨は、完璧な漢語を理解する帰化人(恐らく中国人)が書いた部分(α群)と倭人又は帰化百済人が書いた部分(Β群)に分けられる。
って事だ。
960 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:47:31 ID:f81vQccr0
中央アジアで鐙が発明され、4世紀には中国で普及し、7世紀には東ヨーロッパに伝わっている。
鐙を使用することにより、騎兵は馬と鎧を纏った自身の体重を手に持った槍や矛の矛先に集中させ
攻撃することが可能となり、騎兵は機動力に増して強大な攻撃力を期待できるようになった。
WIKIより引用
962 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:49:29 ID:8vrigq1hO
文明の進歩場所から集団で海を渡ってくるとしても
一代で周辺土着豪族を制圧し強力な力を付けられるとは考え難い。
>>858 え、もしかして分かってないの。なんで僕がコーヒーを吹いたか。
>>963 なんで吹いたの?
ま、別にどうでもいいが。
>>961 「漢人」は中国系、というか中国皇帝の子孫を称した帰化人が多い
966 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:55:33 ID:IvN9gbb4O
ちょ、次スレは無理?
>>965 いや、それが「漢人」かどうかも分からないわけで。
968 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:55:48 ID:zJ7rkC1r0
969 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 17:55:57 ID:Yku5SLfu0
>>952 縄文人と弥生農耕民はかなり血筋が重なってると思ってるよ、
倭族が弥生人と別だと思うんだよ。
紀元前10世紀ごろに農耕民の小規模な移住を起源に
九州北部の限られた地域で千年近く熟成されたのが弥生文化だと思う。
その間に民族的言語的には周辺の縄文系と同化が進んだんだと思う。
ある時期から急に弥生文化が列島各地に広まったのは、
「大型船による定期航路が設定され」(たぶん徐福の船団から転用)
大型船への保存食糧(コメ)提供のため
(登呂遺跡なんか、人口に対し水田が狭すぎて、コメが主食とは考えられない)
稲作技術者である弥生農耕民が各地に招聘された結果。
各地に農地が広がり人口が増え農業国家群が形成されたところへ
海洋民族の倭族が天照の指揮で進攻して来た。
一方的な征服でなく
土着の支配階級と政略結婚で一体化する方向性を狙ったため
土着の称号もやたら取り入れた。
>>962 そう。
食料調達とか住居の問題が大きいと思う。
>>969 「倭族」なんてものは、歴史上存在しない。
どこかの歴史学者の頭の中にしかない。
>>964 「獲加多支鹵大王」=わかたけるおおきみ←大泊瀬幼武天皇
加多支鹵←かたける
>>965 東漢氏だとか秦氏だとかはそうだな
実際は漢民族系というより百済系の帰化人だった可能性のほうが高そうだが
そう自称してた以上漢語を理解してたのは事実なんだろうな
>>957 おまえさんは邪馬台国海外説の人?
倭人伝には馬だけでなく牛もいないと書いてるけど日本には縄文時代より前から野生の牛が生息してたんだよ
つまりその辺は町の中にはいないって程度の話だろう
974 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 18:00:53 ID:8vrigq1hO
徐福は若い男女を3000人連れて始皇帝の下を去る。
そして少し離れた場所で集団生活w
>>967 漢人というのは漢字を書く人とでも思い給え。あやひとに漢人を付けたのはあやひと自身かもしれんが。
気にするな、彼らが何を自称していようと百済やら新羅やらから来た連中には違いない(笑
>>971 それが何か?
それとは違う読み方をしてるんだが。
定説マンセー、異説は一切認めないって人ですか?
そういう人は、世の中にいない方がましなんですが。
九州か近畿かそれ以外かは判らないが
確実に言えるのは
ハニワ幻人は居たということ
>>975 お前、さっきからみてるが、論理能力に欠陥があるんじゃないか?
元レス
>>959をよく見ろ。
「漢人」だとの断定なんかないぞ。
>>976 うわ、まじかよw
あーはいはい。獲加多支鹵の獲の欠かした「加多支鹵」を
何の基準に依ってかしらんがカタシロと呼んで別の王にさせたいなら
そうし続ければw
980 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 18:05:49 ID:Yku5SLfu0
結論
みんな邪馬台国ネタでワイワイやりたいので
決着は永久につかない方がいい
>>938 >>946 だから、全く架空の話をでっち上げたということはないんだろうけど、
制度を理解するときに、頭の引き出しに、殷周や周囲の蛮族の制度とかしかないだろうから、
どうしてもそういう制度のアナロジーで考えてしまうんじゃないかと
憲法や法律で制度が書かれてあっても、制度というのは究極的には人間の頭にしかない
いわんや、邪馬台国憲法とか倭礼とかってあるわけじゃないから、
さらに理解が困難だったかもと
気候や植生は、客観的な事実だから、間違えようもないということだろうな
千葉かハワイのどっちかだね
>>979 お前は何の基準があって、支をケって読んでるの?
鹵をルと読む理由は?
大体、定説しか認めないんなら、こんなスレにくるなw
984 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 18:10:11 ID:8vrigq1hO
網野善彦が言うには弥生時代に日本列島に数十〜数百万の
移民が来た。四世紀には倭國は朝鮮と戦争ばかりしてる。
帰化人とかいうレベルじゃない。
985 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 18:10:58 ID:Yku5SLfu0
>>984 それだと、人類学的に大幅に変わったはずだけど、大して変わってないんだよね、縄文から弥生。
>>980 何をもって卑弥呼の墓とするかも決まってないので
永久に決着は付かないのは確かだ
989 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 18:12:11 ID:pQLCSkFR0
>>971 何だよそれはワカタキルは「若猛」でしょ。
990 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 18:13:07 ID:DlvkPV3/0
たぶん日本にあったんじゃね?
>>989 タケルを一文字で表すなら「武」だろ
だから武を自称した雄略に比定するのが定説になってる
993 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 18:14:42 ID:f81vQccr0
1000なら栃木で大発見!
994 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 18:14:59 ID:a438Xr0x0
>>978 759に対して
>>961なんてレスを書くあんたがおかしいんで
帰化人を指してそれは漢人(あやひと)のことだろうと書いてるだけだよ
995 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 18:15:09 ID:8vrigq1hO
>>987 機能的な文化になったとか…器はゆとりがなく味気ない
996 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 18:16:00 ID:aR6px7zAO
卑弥呼の墓は福岡と大分の境の日子山(彦山)
997 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 18:16:05 ID:yGuh8QWHO
縄文時代にすでに粗放な農業やってたから移民から稲作学んで増殖したんじゃない
998 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 18:16:08 ID:Yku5SLfu0
古田は「倭武天皇」伝承が大好きw
あー、地図
1000 :
名無しさん@十一周年:2010/10/14(木) 18:17:04 ID:zDI25bxsO
で8スレ目は。
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。