【考古学】「邪馬台国畿内説」に弾み 卑弥呼宮殿の一角とみられる特異な張り出し柵や建物跡出土 奈良・纒向遺跡

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1依頼スレの353@おっおにぎりがほしいんだなφ ★
邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、
3世紀前半の建物跡(柱穴)や凸字形の柵(さく)が見つかり、市教育委員会が20日発表した。

過去に見つかった建物跡とあわせ、3棟が東西に整然と並ぶことも確認。
当時、方位に合わせて計画的に建てられた例は極めて珍しい。
女王・卑弥呼が活躍した時期とほぼ一致しており、卑弥呼がまつりごとを行った
宮殿の一角との見方が浮上、邪馬台国畿内説に弾みをつけそうだ。

調査は、約100メートル四方の高台のうち、西端約400平方メートルで実施。
新たな建物跡は一辺が6メートル以上あり、昭和53年に見つかった建物跡(一辺5メートル)の
東側で見つかった。その西側で以前、見つかっていた柱穴は同様の建物跡と分かった。

3棟が高台の西端に位置することから、さらに東へ発掘を進めれば、
神殿のような中心的な建物が見つかる可能性がある。
柵は、全体の長さが約40メートル。53年発見の建物跡を凸字で囲むように南北へ伸び、
東に折れ曲がっている。
3棟は、西端の一棟がある「外郭(がいかく)」と、凸字形の柵に囲まれた2棟がある
「内郭(ないかく)」に分かれた宮殿構造だった可能性もある。
市教委は「建物群が特別な施設であることは間違いない」としている。


ソース:産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090320/acd0903201931003-n1.htm
纏向(まきむく)遺跡(手前)。黄色いポールが建物の柱跡、白色ポールが柵の跡とみられる
http://sankei.jp.msn.com/photos/culture/academic/090320/acd0903201931003-p2.jpg
http://sankei.jp.msn.com/photos/culture/academic/090320/acd0903201931003-p3.jpg
http://sankei.jp.msn.com/photos/culture/academic/090320/acd0903201931003-p4.jpg
2名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:07:13 ID:0vt/43t50
卑弥呼か
3名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:07:24 ID:7JD8P8o/O
九州泪目
4名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:07:53 ID:qVNPju/l0
〈丶`∀´〉 邪馬台国の起源は・・・
5名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:08:16 ID:DyZAb3A40
邪馬台国はどこですか?
6名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:08:55 ID:m54OKOdyO
ぼくのチンコもマキムクしてきますた
7名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:10:34 ID:lokq+4uQO
卑弥呼が有名なだけで当時似たような国が百国くらいあった件
8名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:11:09 ID:yfYCMOUiO
↓ここでハニワ幻人が一言
9名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:11:27 ID:qWKBcpKu0
こういうのが発見されて
徐々に歴史が解明されていくのは面白いね
10名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:12:06 ID:F7V4CVolO
11名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:13:44 ID:vBKMlmX00
この時代って、天皇はなにやってたの?
12名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:14:49 ID:xxSbpGMyO
アメリカの漫画ネタで、社会の大きなニュースがあると、
視聴者の興味は、それがセレブの生活(パリスヒルトンとか)と、
どう関係があるのか知るのが最優先だ、というのがあってな。

日本のマスゴミの歴史報道が、まさにそれなんだよ。
なんでんかんでん卑弥呼卑弥呼、パリスヒルトン報道と同じや。
13名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:15:29 ID:ZCnWLMcji
狭い日本とは言えまだまだ未解明の歴史ってのはあるもんだな
邪馬台国は九州だとずっと思ってたよ
14名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:15:50 ID:9ETmkIKj0
記紀に神武東征として語られているように、
九州から畿内に移動したものと考えれば何の不思議もないのに、
なんでこんなことでずっともめてるんだろう。
みんな暇なんだな。
15名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:18:19 ID:UcajQhGT0
邪馬台国は、大韓航空畿内にあります。
16名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:18:20 ID:IQr3kMzs0
捏造してたカス考古学者は今何してんだろ
17名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:18:24 ID:eX9QJVBm0
纏向遺跡は全国からの土器が出土されるんでしょ。
18名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:18:59 ID:CNqB/Ry20
神武東征を信じると、邪馬台国は九州から近畿に行った
後ってことなのかな。
19名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:19:02 ID:JXOO+58S0
>>11
まだ天皇はいないんじゃないの
20名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:19:51 ID:KjhCWvdS0
畿内にあったのを九州からきた神武一族が滅ぼしたのかなn
21名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:21:05 ID:IlTsjFq90
>>11
畿内の豪族だったんじゃないの?
最初期の日本って大和国や吉備国なんかの豪族による連合国家だったはずだし。
22名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:21:09 ID:6YsYL+UHO
バカチョンが卑弥呼は韓国人ニダ!!って言い出しそう。
もう言ってるか!?
23名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:21:14 ID:84iy+S330
世の中に、南紀に いらないもの 売国奴 二階俊博経済産業相 害毒

ことごとく はずす 東大地震研究利権 3000億

NHKの津波の映像 東海、東南海・南海地震のような海溝型の大地震

スーパー林道  農林利権の1兆円

同和利権  15年で 15兆円

高速道路 8キロの新宮 勝浦ー二階俊博 バイバス 1240億円 

熊野ー新宮 活断層の巣 地すべりだ !! 

24名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:21:57 ID:3gzrekg70
もうかなり前から
纏向が邪馬台国の本命と見られていた


九州説論者のみなさん残念でした
25名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:22:11 ID:3yihmBCoO
奈良県民だけど間とって四国でいいよ
26名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:22:21 ID:kd/iK0RnO
>>11
ここが邪馬台国の都確定なら、天皇は卑弥呼の弟か卑弥呼の夫で王(国政担当)
27名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:22:31 ID:AWvJTC230
劉備=燎宇
燎宇=卑弥呼の恋人
28名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:22:33 ID:f9VCsq4HO
戦後直後の反皇国史観といわゆる自虐史観と階級闘争史観が主流となった歴史学
会では記紀はろくな研究をされず否定された。
その影響の一つが邪馬台国論争。
29名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:23:07 ID:iKxiDRGG0
ゴッドハンドは誰?
30名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:23:25 ID:PThb3DkR0
>>11
記紀では崇神朝最末期
大和王権の確立を議論するには少しだけ早い時代かも
(もちろん四道将軍実在説とかもあるけど)

続く神功・応神朝が実在のものとするならば
その元になった豪族権力が中央王権としてではなく、
一豪族として存在していたと考えることは不可能ではないなのかな…
31名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:24:21 ID:LKbtJhTuO
外国のいいかげんな記述をもとにしたものを正史に組み込むんじゃねー
だあほ
32名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:24:38 ID:WpGwEuDPO
おいおい、出雲が鼻で笑ってますよ。
33名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:24:52 ID:qVNPju/l0
>>22
もう言ってます
34名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:26:24 ID:AIR7LY1AI
Ghgj
35名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:28:07 ID:3gzrekg70
>>26
実際、この地が邪馬台国だったとすると
同じ三輪の地に都を置いていた崇神天皇は
卑弥呼となんらかの血縁関係にあった可能性がかなり高い

そういう意味では
、卑弥呼の一族が皇室の直接の祖先だったかもしれない
36名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:28:11 ID:IlTsjFq90
>>30
広開土王碑の内容を考えると
神功・応神朝は実在した可能性が高い気がする。
37名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:30:41 ID:vitsSjZxO
38名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:32:01 ID:mlsUoLCiO
卑弥呼さまー
39名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:32:17 ID:C7+5uNGu0
鋼鉄〜ジ〜グ〜
40名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:32:57 ID:M1eFVeL60
伝統の国とか自慢してる割には歴史が浅いよね。
町おこしとか余計なノイズを排除してさっさとケリをつけてくれ。
41名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:33:24 ID:4ReZxfwr0
皇国史観=古代朝鮮人支配史観
42名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:34:37 ID:ETjwokYQ0
大和朝廷の成立は4世紀前半ぐらいだと思うが、それ以前に畿内から九州に
またがる連合国家が存在していたことになるな。
それともヤマト=邪馬台=大和なのか? 
卑弥呼に該当する人物は誰だ?
43名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:36:32 ID:IlTsjFq90
>>41
日本は伽耶の任那日本府を通じて百済、新羅を属国にしたと
高句麗も記録してるし、隋も百済、新羅は日本を大国と見なすって
隋書に書いてるから、日本が古代朝鮮人を支配してたのは間違ってないだろうけどさ。
44名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:38:23 ID:PThb3DkR0
>>36
問題はその三韓征伐が九州の勢力によるものか
近畿の権力主導によるものかですよね。
当時の近畿と九州の関係は「敵-味方」「支配-被支配」のような単純なものでは
割り切れない微妙なもののようですね。
神功皇后は九州人か、近畿人か、あるいはそのどちらにも所縁をもつ人物なのか…。
興味は尽きません。
45名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:38:25 ID:CNqB/Ry20
畿内から北九州は瀬戸内海を伝っていけばすぐだし安全な航路だから
交流も深かったし姻戚関係もあったのかもわからんね
46名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:38:28 ID:9sxdcCFSO
俺は考古学は無知だが、どんな大規模な建物跡が出土しようが、遺跡群が発掘されようが、文字の記録が残っていない以上結局、学者の推測の域を出ない答えがない水掛け論だと思うんだが。
47名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:39:02 ID:IiVP8m8T0
なんか閃いた、この形のパチンコ台設計していいか稟議あげてみる

48名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:39:20 ID:3gzrekg70
>>42
卑弥呼の陵墓ではないかと思われる
箸墓の主とされているヤマトトトヒモモソヒメなんかはどうかな

記紀の系図上では崇神天皇の大叔母にあたる
49名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:41:11 ID:ZPFjWXFe0
>>42
邪馬台国畿内説とは表現を変えれば大和王権の
2世紀末〜3世紀初頭成立説とも言える。
九州説は、大和王権の4世紀成立説。

考古学的には、2世紀末から3世紀初頭にかけて大和王権が完成していった証拠が
次々と発見されている状況で、これに伴い邪馬台国畿内説が徐々に優勢になりつつある

というのが今の考古学会の趨勢だな
50名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:45:10 ID:6JVxEeFCO
こういう論争はいいよね。
ロマンチックだよ。
でも俺、九州だから九州説も頑張ってほしい。
51名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:47:16 ID:PThb3DkR0
>>46
宮内庁管理の陵墓を発掘できたらいいんだけどね。
地面の下に埋まってるこうした遺跡とは
比べ物にならないほどの質と量の遺物が出てくるでしょうね。

ただ、天皇陵発掘は日本人にとってパンドラの箱になりかねないような気も。
着手の前に国民的コンセンサスが必要なように感ぜられます。
そうしたものを構築していくためにも、こういう地道な調査は大切でしょうね。
52名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:48:58 ID:kd/iK0RnO
記紀や古墳などを考慮すると、ここと出雲と日向(宮崎)の首長には、この時代にはすでに血縁関係があったとしか考えられない。
53名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:49:13 ID:s+H6o8Gt0

邪馬台国は、倭=祖国日本=九州 であり、大和は、帰化人GHQの国である。

http://utukusinom.exblog.jp/9867313/
54名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:49:15 ID:ce1Jn9kJ0
かなり巨大な建築物だなぁ。
当時としたら凄いものだったろうな。
55名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:49:32 ID:dwOZ11Cz0
8世紀に書かれた3世紀の出来事にどれだけ真実が含まれている
と思ってんだ?
しかも日本書紀が書かれる100年前まで紙はなかったんだぞ。
56名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:50:22 ID:NhigMceE0
記紀編纂時でさえ「これって神功皇后かな?」とか正体不明だった卑弥呼を実在の
人物とか思うほうがアホ。
57名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:50:44 ID:/4A/VO+BO
>30
記紀は年代捏造してるでしょ。
推古帝の時に、推古帝即位から1260年さかのぼって神武の即位年を決めた。
平均在位年数で推計したら神武即位はAD250年ぐらい。
58名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:51:09 ID:sRqoOXUoO
>>51
知り合いの考古学に詳しい人が言ってたが、掘ったら2ちゃんねらーの好きではない人達が祖先だと判明してしまう為、不可能だと
59名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:51:10 ID:FOU+63As0
朝鮮人が大阪起源説を推してるんでしょう。
民団は日本人に電磁波を当ててるテロリスト。
東京無線を使って日本人にストーカーをやってます。

60名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:52:09 ID:Z/XC12Mi0
でも近畿内説は「ゴッドハンド」で半分以上の遺跡がやらせになった。
未だに近畿と九州どっちかはっきりしないのは胡散臭い発見が多すぎるからだ。
捏造なんて朝鮮人だけの特殊技巧と思っていたんだが残念だ。
61名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:53:14 ID:wgV7XgDYO
邪馬台国はデカくて、九州から近畿までくらいの広さがあったんだけど、本店が近畿か九州かで争ってるっていうことでオケ?
62名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:53:23 ID:IOtbVOQH0
伊都国や奴国が旧郡のひとつかふたつ程度の領域に広がっていたとするならば
邪馬台連合の30の傍国もそのくらいの領域に広がっていたことでしょう
烏奴国=大野郡、支惟国=基頴郡、邪馬国=八女郡、鬼奴国=玉杵名郡
呼邑国=児湯郡、弥奴国=三根郡、斯馬国=杵島郡・・・
蘇奴国、対蘇国、華奴蘇奴国あたりは阿蘇郡およびその周辺にあった国ではないでしょうか
また大宰府から出てきた文書の「末ロ国より西南百里に島があってそれは伊邪国に属する」という記事から
伊邪国が今の伊万里近辺にあった国であることはほぼ確実だと思われます
邪馬台はこの北部九州一帯の国々を束ねていた国でしょう

この時代、畿内、出雲、吉備、越、毛野などにも
邪馬台連合と同等もしくはそれ以上の規模を持つ連合国家があったことはほぼ確実かと思われます
そのなかでもっとも大陸に近い位置にあった邪馬台が魏や呉に使いを送っていたということではないでしょうか
倭人の条に描写されている風俗からは女王国がきわめて暖かい地域であったことがわかります
神戸生まれ神戸育ちの私には、これは関西の気候を描写したものというよりは
暖かい九州の気候を描写したものではないかという感じがします

63名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:53:38 ID:PThb3DkR0
>>57
興味深い
それってまさに邪馬台国の時代ですね
64名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:54:03 ID:CNqB/Ry20
>>50
神武東征ってのがあるから、邪馬台国が近畿でも特に問題は無いんじゃないかね
結局は九州勢力と親戚&同盟関係ってことになるし
65名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:54:42 ID:ZPFjWXFe0
>>61
いや、邪馬台国畿内説は近畿から北部九州、
ひょっとしたら朝鮮半島南部まで含む大勢力だったって説だが
九州説は北部九州の地方王権だったって説で、それらが争ってる。
66名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:54:59 ID:dwOZ11Cz0
>>57
推古帝の時に倭に来た髄の使者は天皇は明確に男だと言ってる。
推古帝がいた事も疑わしい。
67名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:57:34 ID:ETjwokYQ0
卑弥呼死後の内乱で反トヨ派が畿内に移動(神武東征)したという説もある。
68名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:57:51 ID:ZPFjWXFe0
>>66
聖徳太子を天皇と誤認したんじゃないか?

って、そういえば聖徳太子も実在が疑われてたな。
じゃあ蘇我馬子で
69名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:59:47 ID:x78vVDPW0
>>65
真実はいいから、とにかく朝鮮半島はいらない
それが事実でも、なかった事にしよう
どうせ本当に真実なんて誰も判らないんだから
連中が参加してきてウザい
70名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 07:59:54 ID:PThb3DkR0
>>56
卑弥呼は魏志倭人伝に登場するわけで、
少なくとも「魏国に使者を送った倭国権力者」は実在するでしょうよ
71名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:00:18 ID:aGblBUK2O
火巫女
72名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:00:24 ID:LeUT7XrE0
>>66
使者はちゃんとチンコ確認したの?
73名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:00:36 ID:IlTsjFq90
>>64
神武東征は作り話の可能性が高い気がするけどなぁ。
個人的には畿内の豪族が天皇家になったんだと思うよ。
故郷が九州ってのは、ある意味プリンス・オブ・ウェールズ的な話なのかも。
74名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:01:31 ID:IOtbVOQH0
>>44
あるいは神功皇后は朝鮮半島人ではないでしょうか
半島南部にあって歴史から忽然と姿を消した多羅国
そこの亡国の王族たちが大挙集団を引き連れて九州北部に上陸したのではないかという感じがします
上陸地点は「筑紫の日向の小戸の・・・」と祝詞にもその名を残す現福岡市西部の小戸ではなかったでしょうか
その近くの神社に祭られている壱岐真根子は壱岐国の王であったような気がしてなりません
タラシ系の侵入者たちは壱岐で王を人質に取り、地元の航路をよく知る壱岐の海人たちに
筑紫までの水先案内をさせ、上陸後用済みとなった王を人気の無い海岸で斬ったのではないでしょうか
あのあたりには神功という地名が最近まで残っていましたし
「姪浜」という地名も神功皇后の上陸伝説にその由来を持つといいます
75名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:02:39 ID:dwOZ11Cz0
>>68
誤認ではなく蘇我馬子とされている人物がその時代の倭王
だったと思ってる。
76名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:02:48 ID:F+4+XZk4O
奈良地方で遺跡が発掘されると、
すぐに邪馬台国と結び付けたがるよな。
マスコミって。
発掘した当人たちが否定的であってもさ。
77名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:03:59 ID:rtwIZJPaO
纏向以外に考えられんだろ
78名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:04:53 ID:aGblBUK2O
和の民の火の巫女、大和にあり
79名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:05:06 ID:DzltMuQr0
>>60
藤村は旧石器時代専門だろ。
卑弥呼関係ねーじゃん。
80名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:06:08 ID:uZBksgTMO
そもそもヒミコって個人名なのか?
81名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:07:11 ID:CNqB/Ry20
>>69
まぁ少なくとも大和の豪族は加羅の国王兼任ってのが多いから
何かしら関係があるのは間違いないんだけどね
82名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:09:22 ID:kd/iK0RnO
>>57
古代日本の暦の基準が今とは違うという説が有力になってきてる。

>>73
ここと時代も形も相似形の古墳が宮崎にあるのよね
83名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:10:08 ID:3gzrekg70
>>80
そりゃあ個人名ではない可能性はある
隋書でも天皇の日本語称号を
姓はアメで名がタリシヒコと思ってるぐらいだし
84名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:10:57 ID:/hTypVW5O
そもそも邪馬台国は実在したのか?
結論ありきでは見誤りかねない。
85名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:11:31 ID:h/BiPDvW0
>66
神武の即位年捏造のくだり
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/051/0462/05106230462024a.html

○参考人(直木孝次郎君) の発言
86名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:14:31 ID:PThb3DkR0
>>81
朝鮮南部の鉄資源確保が
王権の確立には必須であったという話も聞きますね
87名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:15:35 ID:W5Jj/FNs0
邪だの卑しいだの
中華思想は昔からろくでもないな
88名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:17:58 ID:BgjBACEZ0
魏志の記す時代に畿内に関東から九州までの物資を集められる強大な権力が存在した。
これが考古学上の真実、これが邪馬台国であり後のヤマト王権であることは状況証拠から明らか。
魏志の記述の矛盾など、この「真実」に前では僅かな綻びにすぎない。
89名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:18:53 ID:Q4rxGv5H0
映画まぼろしの邪馬台国の評価がまた一段下がりました
90名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:19:25 ID:KEaOQppe0
卑弥呼は朝鮮半島を起源とする巫女姫(神子姫)一族のなかの
一人に過ぎないことが最近の研究により判明している

当時、地方の一蛮族である倭族を統括するために韓半島より
派遣された巫女である。

その事実を隠蔽し、倭王の起源と結びつけようと工作している
右翼勢力は恥をしるべき。

もう一度いうが、卑弥呼等の巫女姫達の起源は朝鮮半島である。
そして、それら巫女姫の頂点に君臨していたのが火病呼という名の女王である。
倭人どもはゆめゆめ忘れてはならない。
91名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:22:15 ID:Yc6sKDbTO
倭も背の低い人って意味
92名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:24:26 ID:IOtbVOQH0
>>83
隋書に出てくるアメノタリシホコは九州王朝=倭国の王である可能性があるのではないでしょうか
唐・新羅の連合軍に倭・百済の連合軍が負けたときに九州王朝=倭も滅び
東にあった日本が倭を併呑したのではないかという感じがします
万葉集にその名を残す柿本人麻呂(柿本沙流)や山上憶良などからは
その名の響きから九州人=倭人であった可能性を感じます
九州北部には背振(セブリ)、早良(サワラ)、加布里(カフリ)など半島系の音を残す地名が散らばっています
あるいは任那、加耶と呼ばれている地域はこの九州王朝の領土であったのかもしれません
というより半島南部と九州北部は対馬海峡文化圏とでも呼ぶべき地域なのではないかという感じがします

アメノタリシホコ=蘇我馬子=聖徳太子であるという説もあるようですが
あながち大きく外れてはいないような感じもします
93名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:29:50 ID:rJiWIJlHO
妄想、捏造、感覚でものをいう


素人の浅ましさ
94名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:30:26 ID:3H9F+4fbO
>>91
おとなしいって意味だよ
95名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:34:24 ID:loc5+vIB0
>>46
『親魏倭王』の金印が出れば別だろうが。
96名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:37:45 ID:BgjBACEZ0
曹操の息子が卑弥呼に送った金のハンコか……たとえ出土しても偽物だと言い出す奴が出て結局、水掛け論になるようなw
97名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:38:56 ID:kd/iK0RnO
>>92
今となっては、九州王朝説の根拠は、倭人伝ぐらいしか無いのよね
実証的・考古学的根拠が無い。
98名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:39:53 ID:tblRNBbY0
卑弥呼さんにはお世話になった・・・・。
99名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:40:09 ID:3gzrekg70
>>95-96
邪馬台国は魏のあとの晋にも朝貢してるから
そのときに親魏倭王の金印は返した可能性が高い
100名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:41:33 ID:XOo2AaIc0
跡って穴ぽこだけなんだな
大変だな、発掘する人も
101名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:44:23 ID:BgjBACEZ0
>>99
返した例なんてあるのか?
また新しい金印が授与されるだけなんじゃねーの?
見栄っぱりの支那人が、一旦あげた物を「返せ」なんて言うとは思えんw
102名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:45:58 ID:l2HWL1i5O
>>82
一年に三つ歳とるってやつだっけ
103名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:45:59 ID:tblRNBbY0
「親魏倭王」の金印な。これが仮に出土すれば、九州説は壊滅。

>>99 金印を返還した例があるのか? 『漢那倭国王』志賀島でハケーンされたと云うことは返還しとらんぞ。
104名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:47:26 ID:kM7BT6i80
東北説ってのはないのか?
105名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:49:19 ID:Ss7gMfuF0
だから言ったろう。九州は今も昔もド田舎なんだよ。
106名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:50:56 ID:7GORtn1i0
邪馬壱国は九州だろ。
107名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:52:59 ID:4gPGX//QO
耶馬美人が美味いのは確かなんだぜ
108名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:53:16 ID:wqsVrpk00
九州北岸〜半島南部を勢力圏としたヤマト勢力が、九州を南下したあと
今度は瀬戸内海を渡って畿内に移動した可能性はないの?
109名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:53:42 ID:BOqFusk30
>>103
バカか。そんなものがどこで出ようと無関係。

壇ノ浦で三種の神器が見つかったら、そこがミヤコだったと
主張するのと同じ
110名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:54:19 ID:tFn54mfh0

確実に言える事は、支那の史書に日本人が初めて登場した時点ですでに畿内に支那の帝国の首都のような高度な建造物が存在したということだ。

そして、倭国に対する魏国の扱いは蛮族に対する扱いではなく、大月氏のような対等に近い特別扱いだ。

同じ時期に朝鮮半島では国家すら存在しなかった。

それでよくもまあ文明は朝鮮半島から伝わったなどと言えるよなバカサヨども。
111名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:55:10 ID:NhigMceE0
>>92
朝鮮語の音価なんかハングル以前は殆ど不明なのに"半島系の音"とか脳ミソに
蛆でも湧いてるんですか?
112名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 08:55:25 ID:rOfzLF5b0
この時期にこれだけの規模の建築物がまだ九州から発掘されてないんだっけ
113名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:00:22 ID:f9VCsq4HO
>>102
春と秋で二回
114名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:01:21 ID:dMimlvXy0
邪馬台国が魏に朝貢したのは、
南の国に攻められて負けそうだから
援軍を送ってとかいう理由だぞ。
日本を代表する大国どころか、弱小国、
それも外国軍を呼び込もうという売国奴。

しかも卑弥呼のあと1回使者を送って、その後連絡なし。
普通に考えて、戦争に負けて滅亡したんだろ。

大和朝廷は朝貢などする邪馬台国の末裔ではない

115名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:02:25 ID:NS4nMXjn0
>>112
西都原古墳群の周辺に纏向以上の建物群があるはず。
116名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:02:51 ID:f9VCsq4HO
残念なことに直木孝次郎氏ですら古代天皇を想像を前提にした論拠で否定している。
117名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:03:26 ID:WpLFmOjTO
邪馬台国は今の韓国って在日が言っていたよ
118名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:03:55 ID:/9dVdFlS0
>>112
八女に怪しいところがあるそうだが、おもいっきり住宅街の下だから
手が出せないって
119名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:04:03 ID:gnUZ675l0
近畿だったとしたら卑弥呼=アマテラス説にも弾みがつくな
120名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:04:20 ID:VihvzX6O0
                       _/彡三三三ミァrェ、 
                      /彡彡ニ三三彡ソハヘ\\
                     /彡二三三三ニ彡f;;;;;;;;;;;;;;;;;},
                    |//彡三三ニ==! !|ヘ;;;;;;;;;;ヽヽ     ,-,
                    .|///´ ̄´゙    `ヽヘ',',ヘヘ;}     / |
                    ∨;f           ヾ;;ヘ;;;ジュ     l  |
                    `{リ 、,,,,,_    __,,,,,,、zィ  ヾ'゙テリ       |  |       
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                      |  `~´..:i |:::.` ~ ´`   r-'      |  |    
                      ',   /::i i::::::、 、    |    !´ ̄ ̄ ⌒〉
                      '、 '´ヽ(_>ィヘ丿 /  |  〈⌒r‐‐'''''' ̄  〉
                        ヽ `トエエエエイノ . | :::/^i ∨|─ー''''' ̄  |
                        \ .ヾ三シ ノ ,'::::/  ,ハ | \>〈     |
                         ハ    /:::ィ゙   /⌒'、   /      |
                        ノ ィ^'ヽ┬‐'´   //   ヽ  |       |
                     /^ / |__八   //      \|      |
                    / / / /: : : | >//         ヽ     |
                   /  /  |/: : :///            |     |
                  ノ   |  |: :///              |      |
卑弥呼さまー
121名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:06:10 ID:Oj0B7mP9O
>>115
そりゃそっちは天孫ニニギの命の領地だもの。
122名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:07:41 ID:IOtbVOQH0
>>114
邪馬台国が南の狗奴国によって滅ぼされた可能性は非常に高いと思われます
その時期にちょうど皆既日食も起きているようですが
このことが何らかの形で邪馬台軍敗戦につながったのではと考えられます
「天の岩戸」はこの皆既日食のことを伝えているのでしょうか
123名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:08:19 ID:f9VCsq4HO
戦後直後のイデオロギーに巻き込まれ記紀の検証はろくにされなかったのが実情だ。
また、中国側史料もろくな検証をせず受け入れていた実情。
さらに自虐史観により朝鮮系学者の説を無批判に受け入れていた実情。
恐ろしいことに、長らく日本古代は学者の創作の場となっていた。
この影響を素人邪馬台国研究者も無自覚に受け入れていた。
124名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:09:02 ID:2vDbyiqI0
鋼鉄ジーグで 「邪魔大王国」 ってのが出てきたよな。
125名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:09:40 ID:3gzrekg70
歴史にイデオロギーを持ち込もうとして点では
愛国者気取りの右翼も同罪
126名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:10:43 ID:3BKHFrdI0





アマテラス=卑弥呼=日巫女




決まりだな

127名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:11:13 ID:8pwS54k0O
邪馬台国=大和だろ普通に考えてw

単純すぎる
128名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:12:03 ID:VihvzX6O0
>>123
>戦後直後のイデオロギーに巻き込まれ記紀の検証はろくにされなかったのが実情だ。

戦前、皇国史観を公認イデオロギーとしていた大日本帝国政府は、記紀の科学的
研究を行った津田左右吉を言論弾圧したけどね
129名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:12:16 ID:t38SIlP90
卑弥呼の墓とか無いのかよ?

神社掘り返してみろよーw
130名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:12:51 ID:QY2M9ORr0
邪馬台国は別に九州でいい。

中国から金印もらって喜ぶような国が
日本の原型になったとは思いたくない。
131名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:13:33 ID:dwOZ11Cz0
>>127
ほんとに単純な奴だな。
北九州にも山門がある。何て読むんだ?
132名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:13:44 ID:Oj0B7mP9O
>>11
第十代崇神天皇がおられました。
箸墓の倭迹迹日百襲媛命は第七代孝霊天皇の皇女で
倭迹迹日百襲媛命は崇神天皇の時代に武埴靖彦の謀反を察知し四道将軍(よつみちいくさがみ)がこれを討伐しました。
この四道将軍の一人吉備津彦命は倭迹迹日百襲媛命の実の弟であり桃太郎のモデルと言われている人です。
133名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:15:42 ID:CNqB/Ry20
発掘が進むにつれて神話がある程度正しかったことが
証明されてきたりしてな
134名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:19:30 ID:bXIkIXqM0
おまえらとりあえず卑弥呼様に様と猫耳をつけろ。
話はそれからだ。
135名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:19:51 ID:Frsj2mRj0
どっちでもいいや しらんがな
136名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:21:26 ID:3gzrekg70
>>130
動機が不純すぎる ww

そもそも邪馬台国九州説を最初に大々的に唱えた国学者本居宣長も
そういう動機に基づいてる
シナに朝貢するような政体がわが大和王権のはずがないってな
一部に熱烈な支持者がいる九州王朝説もそうだろう
倭の五王を日本の王権の代表者とは認めたくないからだ

ナショナリズムを歴史検証にもちこむと
半万年の歴史を誇る隣りの民族と同じ体質になってしまうから勘弁してほしい
137名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:21:30 ID:IOtbVOQH0
>>129
宇佐神宮の下を発掘できれば
そこから凄いものが出てくるのではないかと思いますよ
138名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:23:47 ID:t38SIlP90
>>133
何かベースがあるんだろうなあ。

シュリーマンのトロイも、「〜と言うお話だったのさ。」だったが、実際掘ってみたら、
「ぎゃああああああ!!!神話は本当だった!」ってのも良くある話w
139名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:24:47 ID:1XLrL6+PO
最初は西日本一帯邪馬台国だったけど九州の西邪馬台国と近畿の東邪馬台国に分裂し
西邪馬台国はすぐ滅亡したが東邪馬台国は存続し後の大和になった
これだとどっちの顔を立てれて良いじゃん
140名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:25:01 ID:/+dhfBZw0
>>136
さっさと寝ろ
141名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:25:43 ID:biQopti30
>>124
邪魔大王国が邪馬台国
ヒミカが卑弥呼
であることぐらいは分かる奴は多いが。

幹部の
イキマが伊支馬=邪馬台国で卑弥呼の次に偉い人(位?)
ミマシが弥馬升=伊支馬の次に偉い人(位?)
に由来することを知る者は少ない…
142名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:28:03 ID:ZuXLrKEF0
ということは熊襲は熊野だったのか!
熊本人存在価値ないじゃん
143名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:31:02 ID:wqsVrpk00
九州のヤマトと畿内のヤマトが別物じゃないと辻褄が合わないの?
144名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:31:06 ID:trSRDTYi0
近畿には畿内説で突っ張る学者が多いからのぉ
145名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:31:55 ID:rOfzLF5b0
>>142
南九州の地名と奈良・和歌山の地名って似たような地名が多いんだよな
146名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:34:34 ID:lfRXijpN0
唐以前の中国の辺境部族社会に関する記述を信用するのはどうかと思うぞ。
147名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:35:14 ID:wqsVrpk00
九州のヤマトも畿内のヤマトも、中の人は移り変わってるかも試練が同じヤマトでいいよもう。
148名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:36:21 ID:/5/rBCy90
邪馬台国論争が活況なようなのでここで一つ眉唾な資料を

http://www11.ocn.ne.jp/~jin/GAZO2.html
墓碑から卑弥呼を確定する
http://www11.ocn.ne.jp/~jin/HIMIKOK.html
古墳と陵主-1
http://www11.ocn.ne.jp/~jin/RYOS1.htm
149名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:37:06 ID:QY2M9ORr0
>>142
つーかあそこって元々熊野って地名だったのか?
地名の由来になったであろう熊野三山って元は出雲の熊野大社だろ。
150名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:38:49 ID:ljE2vF/zO
例えば、九州で拓いたけど、安全のために遷都した、とかは考えられないの?
151名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:40:50 ID:946kRpi60
>>145
南じゃなくて北九州じゃね
http://inoues.net/club/chimei.gif
152名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:41:12 ID:ZNibvYk70
>>126
イザナギ=中島朱美
イザナミ=白鷺弓子
153名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:42:11 ID:QaGK99mvO
>>143
部族違うから、信仰を含めた古代の歴史解明に、
指針が出来ると言うことでしょ
154名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:43:32 ID:t38SIlP90
>>151
凄い酷似の仕方だなあ…
155名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:43:48 ID:g5AVdH3/0
>>145
古代天皇の秘密とかいう小説でも指摘されていたね
156名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:44:09 ID:wqsVrpk00
>>153
縄文系と弥生系の争いとかなんとかでいいよもうw
157名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:45:49 ID:gMe27hLF0
張り出し舞台があったというなら


ゼタ〜イ ここだ。
最近は京都東寺なんかに残ってる らしい。


ヒメコ様はそこで生本番をおやりになったわけでつ。
158名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:47:34 ID:PpsLN1JM0
九州から畿内へ(もしきは反対)の遷都が途中であった、という考えはないの?
まぁ、魏志倭人伝で書かれている時の邪馬台国がどちらにあったかは別問題だが。
159名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:47:46 ID:3BKHFrdI0
>>156
どうでもいいならこのスレのぞくなよアホw
160名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:49:15 ID:QaGK99mvO
>>156
その縄文も複数の部族がいたし、
弥生も複数の部族がいたから、
簡単に縄文と弥生で区別出来ないとか。


また、縄文と弥生が争った痕跡と特定出来るのもないから、
その辺りの歴史が空白になっているとか
161名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:49:36 ID:QY2M9ORr0
>>151
位置関係にかなり無理があるよ、それ。
ほとんどこじつけレベル。
162名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:49:36 ID:EEgpr4+X0
そもそも中国の歴史書にしか出てこない卑弥呼に何でこんなに必死になるのかね。
こんなことより古事記や日本書紀の記述の考古学的証拠を見つけることのほうが
よっぽど有意義だろ。
中国のいわゆる正史の外国(夷テキ)記述がいかにいい加減なものかは、
少しでも読んだことがある人間にとっては常識なのに。
163名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:49:52 ID:g5AVdH3/0
>>151
そうそう、北九州だった。アカデミックな歴史学者の間では、
地名の相似性は注目されているのだろうか?
164名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:51:02 ID:DqyUMZ9gO
奴隷10人とボロ布だけで
官位、金印、莫大な下賜品を貰うなんて何というぼったくり
165名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:54:17 ID:03v0XpCj0
吉野ヶ里は、どういう位置付けなの?
166名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:54:48 ID:f9VCsq4HO
今の考古学ではかつてのような縄文、弥生の区分けをしなくなってきている。
いわゆる縄文人の弥生遺跡が複数でているからだ。
連続が認められるのだ。
167名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:54:52 ID:AZJTenNg0
そもそも邪馬台国なんてあったんですか?
168名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:56:51 ID:wqsVrpk00
>>160>>166
なるほど、じゃあ縄文vs弥生じゃなくて、縄文+弥生vs縄文+弥生なのか。
169名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:57:34 ID:3gzrekg70
>>165
九州説論者でも吉野ヶ里を邪馬台国の都と見る向きはほとんどいないだろう
規模が小さすぎるからだ
170名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:57:52 ID:Oj0B7mP9O
>>167
ヤマト国ならあったんじゃない?
171名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:58:49 ID:iue1uRCL0
>>151
やっぱり卑弥呼の湯がある甘木だな
172名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:58:53 ID:QaGK99mvO
>>158
縄文時代も各集落間で貿易や交流をしていたから、
地図無い時代に理由もなく遷都する必要が考えられないとか
173名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 09:59:30 ID:UqK87t2q0
卑弥呼はヤマトモモソヒメなのかいのぅ。
174名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:00:00 ID:03v0XpCj0
>>169
そうなのか。発見当初は、邪馬台国との関連が!なんて見出しを
しょっちゅう見た記憶があるんだが
175名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:00:32 ID:zwYM7ESQO
日本が関西から始まったのを認めたくない嫌関西厨のみなさん〜、お元気ですか〜?
176名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:02:37 ID:Sy5qM0x50
>>175
大阪が嫌われてるだけで京都をリスペクトしない奴はいないと思うぞ。
それに大阪だって在日、同和、ヤクザが消えれば戦前の水の都に戻れるはず
177名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:03:02 ID:wqsVrpk00
>>172
色んな部族の吸収合併繰り返してたら奈良まで行っちゃったとかはないかな?

あの時代って半島の伽耶諸国が潰されたり吸収されたりしたころだっけか。
北からところてんの様に押されたとかw
178名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:03:11 ID:5ToKKepC0
もし卑弥呼が畿内の人ならアマテラスや天皇家と関係ないんじゃないでしょうか
天皇家に深くかかわる神話では神々は最初は南九州に居を構えています。
卑弥呼が畿内の人なら邪馬台国は近畿地方を治めた一国家だったのでしょう
宮崎・鹿児島は面白いですよーうちの地区にもニニギノミコトが川で溺れてたって話が残ってます。
179名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:04:08 ID:QaGK99mvO
>>168
ヤマト朝廷の前身部族VS多部族です
180名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:04:26 ID:OBjeAEuB0
>>169
それ以前に佐賀が日本の首都だったなんて言語道断もいいところだろ
181名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:06:09 ID:wqsVrpk00
>>179
物部派vs蘇我派だっけか
182名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:07:01 ID:g5AVdH3/0
>>175
少なくともこのスレで、そんな低レベルの煽りはあなた以外にいないと思うが(笑)。
183名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:12:45 ID:QaGK99mvO
>>177
吸収合併はあるだろうけど、
どこが指導したかによって話が変わるとか。

どうして遷都したのか、吸収合併ならば元を大きくすればいいとか
184名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:14:28 ID:yY//bm/y0
みなさんごくろうさま(^o^)
宮内庁がさっさと古墳を調べさせればいいのだw
今の朝鮮人とは違う人たちのDNAが出るさwww
つ「DNAでたどる日本人10万年の旅」
185名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:17:56 ID:5ToKKepC0
>>184
もう盗掘とかあけてある所ならいいがあけてなかったらどこぞのカビで壁画が・・・ってな事態になるぞ
186名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:18:43 ID:QaGK99mvO
>>181
それは朝廷内の争いで、
宗教戦争ですね
187名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:20:25 ID:Bbw2+0oy0
>>5
東北地方。
八幡平=ヤマタイ
188名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:24:36 ID:UqK87t2q0
神武の東征伝承が事実を含んでいるとすると
その時期は卑弥呼よりだいぶ遡りそうなんだよな。
189名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:27:14 ID:pOB5ZFgz0
>>151
これはwwww
190名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:28:14 ID:WxIiEjVL0
俺は最初から畿内にあると分かってたけどね、
俺だけだったね100%畿内と言ってたの!
191名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:29:46 ID:wqsVrpk00
>>187
八幡とくれば宇佐八幡宮を思い浮かべるところ。
>>186
中華の(黄巾の乱〜三国時代)勢力争い、半島の(三韓〜)勢力争い、が飛び火して、
ヤマトの国々も(倭国大乱)大いに乱れたのだろうなぁ。
で、部族、宗教対立、朝廷の勢力争いっと、全部関係してるんだろうなぁとか。
192名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:29:48 ID:eOdR/Ud60
ヤマトだもんな。地名に残ってる。
193名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:30:03 ID:4BycqeW6O
>>178
神話の加上が行われたと考えられている。
実際は九州から畿内に進出したのではなく、神話の順番と逆が進出ルート。
畿内から出雲、南九州と自分達より古い神話をどんどん吸収した。
By内藤コナン
194名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:30:30 ID:KPh4qS0JO
親魏倭王のハンコを早いとこ見つけようぜ
195名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:32:39 ID:qA9rigeT0
196名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:37:44 ID:Ta2A7+hD0
>>180
地理的には九州北部の広い開けた豊かな土壌の平野、ってことで悪くはないんだがな
197名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:39:34 ID:3BKHFrdI0
>>160
おいおい、嘘つくなよw

考古学的には、弥生人が大量に移住してきて、縄文人大虐殺が
起きたことが証明されてるわけだがw
198名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:43:19 ID:CNqB/Ry20
機内の銅鐸文化が2世紀くらいで消えてるんだけど、あれと神武東征って関係あるのかな
199名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:44:14 ID:4BycqeW6O
>>191
日本は農耕によって発展し緩やかな都市国家(邑)連合まで成長。
朝鮮半島南部まで進出したところで楽浪郡郡と接触。
中原王朝の文化的、経済的影響が進歩をもたらす一方争乱の引き金に
200名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:48:32 ID:NU7Ngy5y0
日本史板の邪馬台国関連スレを見ればわかるけど
なんで九州派はあんなに必死なんだろうね?
観光客が減るからかなぁ?
201名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:49:34 ID:9YPPPKiU0
卑弥呼って名前は日本の史書には出てこないから、個人名じゃないね。
俺が考えるに
御姉→姉御→アネゴのように
御姫→姫御→ヒメゴ→卑弥呼(シナ人の耳)
下町界隈では親しみをこめてヒメゴと呼んでたんだよ。
202名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:50:44 ID:4BycqeW6O
>>197
縄文式土器を使ったのが縄文人。
弥生式土器を使ったのが弥生人。
みんな洋服を着たから日本人はいなくなったみたいな珍説は通じない。
弥生人と言う種族が侵略し、日本を併呑した証拠はない。
203名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:54:10 ID:3BKHFrdI0
>>202
あるんだってw
おまえ何にも知らないんだなw
204名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:54:49 ID:kd/iK0RnO
>>197
それはずいぶん昔の説。
2003年に学界全体で弥生時代の開始時期が、約600年さかのぼり、今は連続していたと考えられている。
205名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:55:11 ID:v/SWf6wDP
ここまで今回の発掘結果に誰も言及してなくてワロタ。
実際大したものは何も出てきてないです。
柵がちょっと大きめなくらい。

>>165
吉野ヶ里は大きな遺跡ですが、
三世期頃には縮小してしまっているんです。
大和だと鍵・唐古が全く同じ状態です。
弥生晩期以前は環壕もあって戦闘状態だったことが分かるのですが。
206名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:55:56 ID:vVtFtoGPO
そろそろ邪馬台国や卑弥呼にマジレスするのは止めるべきだろう。
そのアプローチだと永遠に解けんよ。
207名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:56:26 ID:f9VCsq4HO
大量とみられるほどにいわゆる弥生系の特徴を持つ人骨は出土していない。
水田稲作の定着による人口爆発が起きたとみる方がまだ自然である。
また、そのころの九州のいわゆる縄文系の弥生遺跡が見つかっている。
争いもあったが、弥生系による虐殺でもなかった。
208名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:56:38 ID:rOfzLF5b0
まぁもっと古墳を発掘できたらいいんだろうけどな
陵墓だなんだとみみっちいこと言ってないでさ
209名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:57:46 ID:biQopti30
>>205
>弥生晩期以前は環壕もあって戦闘状態だったことが分かるのですが。

それが魏志にある「倭国大乱」なんでしょうな
210名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:58:18 ID:03v0XpCj0
>>205
詳しいレスありがとう
吉野ヶ里、一度行きたいけど遠いんだよなー
三内丸山はがんばって行ったけど、遺跡ってよりも公園だった
211名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:58:34 ID:zX0Aw1Mp0
卑弥呼
212名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 10:58:46 ID:P+VZh1gu0
ライバルの南にあった狗奴国が大和に侵入した神武王朝って説もあったな・・・
213名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 11:02:24 ID:3ScQ7Tub0
>>208
ソレダ!

古墳を弄れたら色々わかりそうだものなぁ。
どうせ、いずれは掘るんだから、早いとこ許可しないと、
無駄な論争で人生終わる学者多すぎるw
214名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 11:04:24 ID:co4ldTxPP
>>208
別に解明を急がなきゃいけない理由はまったくない。
今発掘しても、高松塚古墳やキトラ古墳のように、
破損してしまうのがオチ。
保存技術が確立してから発掘すればいい。
215名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 11:05:44 ID:UkWe8CB+O
>>201
ひめみこ、とかじゃないのかなあとときどき思う
216名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 11:05:55 ID:CNqB/Ry20
大量殺戮の跡と言ったら居徳遺跡が思いつくな
217名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 11:06:08 ID:xxSbpGMyO
小出しに発掘するから、学者がいつまでも研究で食えるんじゃんか。
天皇陵の発掘は、いよいよネタが無くなった時のためにとってあるのよ。
218名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 11:06:52 ID:f9VCsq4HO
倭国大乱があったとみられる時期には世界的な気候変動がありあちこちで混乱が発生している。
神武天皇は日向の田舎ではうだつが上がらないと豊かな土地を求め一族郎党を率いて出国した。
先祖は筑紫はいいところだと降臨したのにだ。
219名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 11:10:08 ID:/J1KrmmR0
>>205
そうですね、物証みたいに報道されていますが、
状況証拠のそのまた推定程度の確認ですね。

ただ、この地域にそれなりの文化を持った
集落が割と大規模にあったことの裏づけとは言えます
かね。。。?

>>206
興味や疑問がある限りアプローチすべき事だと思うし、
決して解けない問題でもないと思うけど。
220名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 11:12:24 ID:5YMO3ECpO
8('A`)8
221名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 11:12:54 ID:bjkDUO5/0
手塚治虫の「火の鳥」はどこまで信じたらいいですか?
あと諸星大二郎の「暗黒神話」はどこまで信じたらいいですか?
222名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 11:18:57 ID:03v0XpCj0
>>220
ワロタ
223名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 11:24:52 ID:aDQ4SF270
バンバラババンババンバンババンバンバラババンババンバンババンおーれがやらねばバンババン
224名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 11:26:48 ID:kd/iK0RnO
>>221
火の鳥の元になった騎馬民族征服説自体が、今では荒唐無稽のトンデモ説。
暗黒神話は、ああいう解釈もありでしょ。傑作。
225名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 11:27:40 ID:7QVIzMHE0
>>187
カシスシャーベットを貰おうか。
226名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 11:33:27 ID:uMC+sFHS0
この論争は税金のムダ使い

邪馬台国はヤマト国に決まってんだろ
卑弥呼は姫子か姫皇子に決まってんだろ

学者は馬鹿すぎ
論争で熱くなりすぎて天皇陵を発くなんて馬鹿なことすんなよ糞学者ども

227名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 11:36:57 ID:8pwS54k0O
>>226
前半完全同意

どう考えてもヤマト=ヤマタイw
228名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 11:38:47 ID:P7bKDYPq0
>>220
不満そうな顔すんなw
229名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 11:41:04 ID:sWlSnPxV0
九州は一致団結しないと関西人には勝てないぞ。候補地大杉。
纒向は宮殿を見つけようとしているようだから、
もし、それらしき物が見つかれば万事休すだ。
230名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 11:41:13 ID:uMC+sFHS0
8<丶`∀´>8
231名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 11:43:45 ID:v/SWf6wDP
>>210
> 三内丸山はがんばって行ったけど、遺跡ってよりも公園だった

乾燥すると崩壊してしまうので、遺構は埋め戻すんですよ。
写真のたくさん載った本をしっかり読んでから行った方がおもしろいよ。
この二つは話題になったから古本屋にたくさんあるよ。
吉野ヶ里、三内丸山はすごく広い範囲を保存できたし、
まだ発掘するところは残ってるし、国の宝。
232名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 11:43:58 ID:uMC+sFHS0
>>229
VANKを見習おう!
233名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 11:44:05 ID:0bWdZ+6bP
どー考えても九州ですさようなら http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jfuruta.html
捏造された皇紀2600年やね
234名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 11:47:05 ID:v/SWf6wDP
>>219
言えないなあ。
同じような遺構が少し西の巻向小学校近辺で、
大量に出ているので、新しい知見はなにもない。
ああまた出たのねって感じ。ただし柵は大きめ。
235名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 11:52:00 ID:u21bjBPM0
朝鮮人の祖先は満州族等と同じく
ツングース系のエペンギ族です。

完全な異民族なのでわれわれ
日本人とは全く関係がありません。

236名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 11:52:32 ID:4FztnPGq0
>>230
そういうのもたくさんいたと思うよ、当時w
237名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 11:55:01 ID:u21bjBPM0
エヴェンキ族でした。


エヴェンキの文化には、朝鮮民族の文化と類似しているものが幾つか存在する。
チャンスンとエヴェンキの木像、ソッテとエヴェンキの鳥のトーテム、タルチュ
ムのタル(仮面)とエヴェンキの仮面劇用の仮面、またムーダンと呼ばれる巫女
とエヴェンキの巫女などが挙げられる。 朝鮮民族とエヴェンキ族の文化の共通点
は更なる研究が待たれる。

238名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 12:00:22 ID:NhigMceE0
>>197
おまえは鮮人か?どうしてそういう嘘を息をするように平気でつけるんだ?
239名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 12:18:49 ID:o50vyQfG0
ヤマタイ国は九州だと思うよ
要は九州勢力が東征して
畿内の巨大都市に遷都しただけのことだろ
明治政府が江戸を東京にしたようなものだ
240名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 12:20:15 ID:IVnp2HR10
>>239
遷都するメリットは?
241名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 12:22:39 ID:g5AVdH3/0
>>239
大筋では俺もそう思うんだけどなあ。九州説と畿内説って、
学閥とか面子みたいな話なんだろ?
242名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 12:23:02 ID:o50vyQfG0
>>240
軍事的にも政治的にもいろいろあるだろ
織田信長だっていろいろ本拠地を変えてるわけだし
243名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 12:24:25 ID:bn/rCt9N0
弥生文化が海外から渡来したというなら
弥生土器が大量に出土する故地が
大陸側のどこかになければ
おかしい件について。
244名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 12:24:57 ID:QY2M9ORr0
>>239
東征はあっても卑弥呼の時代じゃないから。
245名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 12:25:52 ID:o50vyQfG0
>>244
だから卑弥呼が東征したなんて言ってないからww
246名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 12:26:43 ID:4BycqeW6O
九州説は科学的な検証方法がない江戸時代に本居宣長らが提唱確立した説。
科学的検証や発掘による新事実で現在は畿内説が有力。
247名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 12:27:31 ID:bn/rCt9N0
古田九州王朝説なら、遷都でなく分家と本家の跡目争いだろ。
尾張徳川家が幕府を乗っ取ったようなもんか?
248名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 12:28:07 ID:uMC+sFHS0
>>244
東征前は、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原
249名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 12:28:23 ID:IOtbVOQH0
邪馬台連合30か国のうちのひとつ、弥奴国の遺跡ではないでしょうか
肥沃な土地と暖かい気候に恵まれて非常に豊かな国であったと思われます
そこに呪術と鉄器を背景にした「野蛮」な新興国家、邪馬台国が出現し
一気に北部九州一円をわがものにしていったのでしょう
邪馬台は耕作にむいた土地をもたない比較的痩せた土地に出現したように思います
自身が豊かな国家ではないからこそ、他の国々を侵略してゆく必要があったのでしょう
250名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 12:29:06 ID:JfSf89A60
東遷があったにしても勇ましいものかどうかは疑問だな 東征ってほど

積極的な理由としては、のちのヤマト王権の及ぶ地域支配をもくろんで、
より中心となるような場所を選んで移ったのかな?とも思えるし、消極的
な理由としては大陸や半島がきな臭くなってきたのでちょっとでも距離的
に離れようかな?と逃げたとかの側面が強いのかもしれん

自国の歴史はよく書くものだ
251名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 12:30:02 ID:o50vyQfG0
>>246
畿内がヤマタイ国ってどこに科学的証拠があるんだよ
ただ古代都市の遺跡があっただけでしょ
吉野ヶ里にも出雲にあったんだから
畿内だって掘ればみつかるでしょ
252名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 12:32:17 ID:D8RJN+Br0
卑弥呼は東京だろ。最初は地方出身の方がなんとなくいいからって長崎出身としてたが後にばれた
253名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 12:33:27 ID:IOtbVOQH0
>>165
邪馬台連合30か国のうちのひとつ、弥奴国の遺跡ではないでしょうか
肥沃な土地と暖かい気候に恵まれて非常に豊かな国であったと思われます
そこに呪術と鉄器を背景にした「野蛮」な新興国家、邪馬台国が出現し
一気に北部九州一円をわがものにしていったのでしょう
邪馬台は耕作にむいた土地をもたない比較的痩せた土地に出現したように思います
自身が豊かな国家ではないからこそ、他の国々を侵略してゆく必要があったのでしょう

254名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 12:34:16 ID:o50vyQfG0
>>250
俺は軍事的な理由だと思うけどね
本州ですらまだ統一されてたわけじゃないし
中央集権国家だったわけでもないだろ
255名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 12:38:35 ID:g5AVdH3/0
>>240
だってさあ、事実として京都が栄えたのは事実なんだし、どこかの時点で
日本の中心は京都になったんだし。
256名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 12:40:44 ID:viLqLPPt0
現在のチョンの先祖は、この頃はシベリアの奥地の土人か
257名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 12:41:25 ID:rOfzLF5b0
>>221
俺は安彦良和のナムジを推す
258名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 12:41:40 ID:co4ldTxPP
>>240
総大将(大王)が陣頭に立って日本全土の征服を行おうとしているとしたら、
主戦場に近いところに本営を築くのが中世以前の戦の常道ではないのかな?
遠征先に定着してしまって、そこが本拠地になることだって珍しくない。
遠征先の本営に大王がいるならそこが首都とも言える。
大宰府のことを古くは「大王の遠(とほ)の朝廷(みかど)」と呼んでいたようだから、
大宰府がただの支配地の出先拠点だったとも考えづらい。鎮守府などについては
「朝廷」なんて呼んでないから。
「大王の遠(とほ)の朝廷(みかど)」=「旧首都」と考えるのが自然な気がする。


259名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 12:42:00 ID:z04blDt70
邪馬台国があったんは、東京とちゃうん?
260名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 12:49:17 ID:+nyXhn3nO
証拠も無いのに、遺跡が出たら、邪馬台国に結び付ける報道して、既成事実を作ろうというやり方を
そろそろ改めたらどうかね、学会さんよ。
予測報道が多過ぎ。
年代だけで邪馬台国認定かよ。
261名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 12:49:36 ID:co4ldTxPP
『○○たい』ってのは、どう考えても九州の方言だろ!
262名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 12:51:29 ID:rOfzLF5b0
>>261
いや、○○台って新興住宅地の定番だろ
263名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 12:55:00 ID:nrHfx8WU0
韓国のせいで歴史を純粋に楽しめなくなった。
264名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 12:55:25 ID:bn/rCt9N0
「楽浪海中に倭人あり、分れて百余国」

卑弥呼は三十国連合のアタマに担がれてただけ、「百余国」全体は統べてない。
倭国王あつかいして貰えたのは、
魏(曹氏)→晋(司馬氏) の政変で
いちはやく晋(司馬氏)を支持する使者を送ったことで
外交的配慮してもらえただけ。
この三十国連合は大和朝廷に直に発展した勢力でなかったから
古事記日本書紀から記録が削除されてるという事。
だから卑弥呼の邪馬台国も三十国連合も畿内でなかった可能性が高い。

http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn4/004_01.html
奴国 伊都国 卑弥呼 邪馬台国
>司馬懿率いる魏軍によって公孫氏一族は滅ぼされる。238年のことである。
> 「倭国」はそれまでおそらく公孫氏に帰属していたと思われるが、
>卑弥呼は機を逸せず翌年直ちに魏に遣使朝貢し、魏への服属を誓った。
265うりゃ:2009/03/23(月) 12:57:41 ID:QW3vYY2O0
<女王国より北は、特別に一大率を置き、
諸国を検察させており、諸国はこれを畏れ憚っている。
常に伊都国で治め、国の中では刺史の如くある。>

この記事からする限り、どうみても耶馬壱国は
北部九州だと思うんですが。
伊都国が吉備や河内とか西日本一帯を監視
できるのかどうか。

あと耶馬壱なのか耶馬堆なのか
266名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 12:58:29 ID:LdmzdNPXO
苅谷俊介発進!!
267名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 12:58:32 ID:f9VCsq4HO
まあ、日本書紀は「一書に曰く」と複数の資料があれば列記し、よくわからない
ものがあれば、後世の研究に委ねるという意味の言葉を付けている。
かなり素朴に編纂され、中国的な史書と趣が違う。
いわゆる魏志倭人伝でも魏略という先行史書からの書き写しがあり、これは魏志
にその旨書かれていないが、後世の学者が付けた注釈に書かれている。
こういうねが普通なわけ。
今の学会は日本書紀の編纂者の意図にたいして捏造だ創作だと穿ち過ぎではない
かと危惧する。
日本書紀の編纂は、天皇の正統を求める意図が中心である。
しかし、内容は矛盾が多い。創作や捏造をしたならもっと整合性があるだろう。
用語の統一などは編纂時に行われているが、内容は国内外の資料の整理をしただけに見える。
年齢なども伝承のままとし繋ぎ合わせた結果が皇紀2660年ではないだろうか。
魏志と突き合わせた時、卑弥呼の時代に当たるのは神功皇后の頃だった。
しかし、皇后には即位の伝承が無い。しかし、天皇が崩御し一時的に代わりを務めた逸話はある。
二つの伝承を突き合わせた結果、皇后には特別に「紀」を立て、魏志からの引用をもって疑問としている。
他にも一時的に天皇の代わりを務めた女性皇族はいたが「紀」は立てられていない。
やはり、魏志との突き合わせの結果ではなかろうか。
編纂者は現代の学者より真面目に見える。
268名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 12:59:37 ID:V0A/xtq50
えー、八幡平じゃないの?
269名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 13:02:57 ID:89en0aXMO
>>264
>「楽浪海中に倭人あり、分れて百余国」

この文句懐かしい。
大声で叫びたい
270名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 13:11:28 ID:+we3jiXaO
>>25同意
近所に住んでたけど、こまごました古墳が有りすぎて、ロマンがない。
九州にあってくれたほうが、ロマンを感じる。
271名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 13:11:29 ID:VfRZ4eiC0
邪馬台国が畿内にあったとしたら,
馬も無い時代に,どうやって九州を支配できたの?
272名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 13:11:49 ID:I+KisjBd0
邪馬台国とは関係がない気がするが
大和朝廷の起源を明かす重要な物だと思う
273名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 13:12:49 ID:JUsYILkc0
町内会がどこにあったかレベルの話、どうでもいい。
274名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 13:13:53 ID:/9H1d/iu0
ずばり邪馬台国の遺稿だろう。
275名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 13:14:01 ID:JfSf89A60
>>269
許可する
顔や体に入墨がわりの文様をマジックで書き散らし、じゃまな毛唐の
衣服を取り払って街に出て大声で叫べ 古代人の熱狂を今に伝えろ
276名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 13:14:28 ID:eDZL0a440
古墳を調査すれば一発でわかる話なんじゃないの?

宮内庁は知ってる?
277名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 13:14:57 ID:Pv01gzSQ0
宗教観念が、古神道と邪馬台国では違い過ぎるというのも、
魏志倭人伝が捏造の可能性が高い理由の一つ。
神道は不浄を嫌うが、邪馬台国では不潔な奴隷を神に捧げる。

また、邪馬台国の人々は全身に刺青をしていたそうだが、
日本書紀には犯罪者に罰として刺青を入れるという記述がある。
刺青が珍しくないのだとすれば、罰にはならないだろう。
278名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 13:15:47 ID:co4ldTxPP
>>271
馬がないと広い地域を支配できないの?
インカやマヤは馬がないのに日本列島より広大な地域を版図にしていたんだが?
279名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 13:16:16 ID:JfSf89A60
>>270
ウチの近所の小さな古墳も普通に蜜柑山だしな カキとかも植えてるし
某前方後円墳の掘りもだたのザリガニ釣りの池にすぎない
たいそうな名前がついてるが
280名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 13:16:32 ID:D5zY6JwX0
邪馬台国ジャマイカ説はどうなった?
281名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 13:17:57 ID:HAReYwl/O
邪馬台国は韓国が起源ニダ
日本人は韓国を宗主国とした奴隷国家ニダ(>`∀´< )
282名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 13:19:36 ID:JfSf89A60
>>277
後半のなんか普通に中国の影響を受けただけでもなんら不思議はないな
魏の時代と記紀の時代にどれだけ時間差があるか
江戸の終わりの丁髷廃止なんてあっという間だぞ
283名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 13:20:48 ID:KPh4qS0JO
だから古墳を掘って親魏倭王の印授を探そうぜ
284名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 13:22:09 ID:rOfzLF5b0
>>272
資料がほぼないから、その辺の解明は古墳を直に掘るしかないよね
285名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 13:25:00 ID:UDucQ9wO0
時砂の王を教科書に載せるべき
286名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 13:27:05 ID:2Fb5aEooO
畿内説
筑紫説
肥後説
但馬説
出雲説
鹿島説
沖縄説
台湾説
インドネシア説
エジプト説

次は、あなたの町にも邪馬台国を。
287名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 13:38:28 ID:bn/rCt9N0
>>267
日本書紀は大陸側にも持って行き朝廷の権威の正当性を示す狙いもあって編纂された。
ところが大陸側にはすでに魏志倭人伝があり卑弥呼が「親魏倭王」と明記されていた。
卑弥呼が大和朝廷の祖なら問題はなかったが、
卑弥呼が大和朝廷の祖でないなら、朝廷が新興勢力でしかないと明白になってしまう。

しかしながら、日本書紀の編纂者は皇族ではなく官吏でしかない、
皇族や皇族の祖先について、記録を改竄するのは畏れ多い。
そこで苦肉の策を講じたと推定するのが当然だろう。
日本書紀は西暦でなく干支で記されており、絶対年代を記しているわけではないし、
前後関係も明言されているわけではない。
そこで官吏たちが、ところどころ干支一巡分を前後関係を無視して差し込んで、
絶対年代で60年のずれを読者の勝手な勘違いを誘おうと狙ったのではないか。
単純に逆算すると神功皇后が卑弥呼の時代の人物という事になり、
魏志倭人伝の卑弥呼とは神功皇后の事でないかと読者の勝手な推定を誘う。
だが応神紀は干支二順120年繰り下げると『三国史記』の対応記事と一致するという。

「プラス・マイナス120年構想」に説得力がある。
http://www3.plala.or.jp/kuranishigakumon/books1.html
倉西裕子の著作1
>本書では、日本書紀の紀年法には、プラス・マイナス120年構想が設定されており、

応神天皇陵や仁徳天皇陵の周囲から出土する埴輪の形式も、単純な逆算より
約100年(120年?)ほど後の編年上の形式のものだと指摘されている。
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku244.htm
288名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 13:43:41 ID:iwJOOnda0
今思ったけど
邪馬台国って実は無かったんじゃないか?

もとは大和朝廷が出来る過程で
勢力争いが起きて、九州と大和に
分裂して、卑弥呼の派閥と今の天皇の基となる勢力
に分かれてたとか
289名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 13:45:21 ID:XVmxz58u0
>>260
新聞の文化欄担当が畿内派で占められておって
十年一日のごとく同じことをぐだぐだと書き続けている。
てのが鬱陶しい。

三角縁神獣鏡(笑)とか。
290名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 13:48:06 ID:Pv01gzSQ0
中国人は、漢字の「音」ではなく「意味」を重視する。
卑弥呼なんて名前は、とにかく外国を貶めようとして作り出したものだ。
こんな事をするのは品性下劣な証拠だが、これが中華思想というものだ。

捏造伝記の作者も、まさかこの文書をありがたがって
卑弥呼を無理矢理に日本語読みにし、ひみこ→日巫女だ!
なんて超解釈をされるとは思っても居なかっただろう。
291名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 13:53:01 ID:03X1H7sK0
邪馬台国のあった時代って、俺の想像よりもずっと文明的だったんだね。
布切れ被って、粗末な槍持って、高床式の宮殿を囲むように配置された竪穴式住居に住んでるイメージだったんだが。
海を渡った中国まで遣い送れるし、中国の情勢は早く入ってくるし。海渡れるってことは地図なんかも存在したんだろうね、その地図の範囲はどの位のものだったんだろうか。
後の時代でも難破したりして大陸まで渡るの大変だったと教わった気がするのに、古代人すげーよね。
292名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 13:55:43 ID:J1CgLaNj0
>>281
異常だな。何でそんなに韓国にこだわる。
293名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 13:58:14 ID:rOfzLF5b0
>>290
え、中国って漢字の音を同じ読みで違う語に転じさせるのって好きじゃないか?
韻を踏んだりするのもその流れでしょ
294名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 13:58:26 ID:bn/rCt9N0
>後の時代でも難破したりして大陸まで渡るの大変だった

白村江の戦いで唐に完敗して
大型船の建造を禁止された説あり。
295やるぽ ◆Lck3x2OY72 :2009/03/23(月) 13:58:26 ID:yfW+dDy00
邪馬台は「ヤマト」の音を当てただけだと思うんだが
296やるぽ ◆Lck3x2OY72 :2009/03/23(月) 14:00:39 ID:yfW+dDy00
ついでに言うと
卑弥呼は「姫ひめ」を当てたんだと思うな
297名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:02:44 ID:qO/3kQZi0
>>286
伊豆半島の山の中の洞窟が卑弥呼の墓だって言い出した人がいましたね。
大昔、トゥナイトっていう番組で特集をやった。
TVの記者が現地へ行って、言いだしっぺの地元のオヤジを一緒に
伊豆の山中にある洞窟へ探索に行った。
洞窟前で記者がオヤジに「何でここが卑弥呼の墓だとわかったんですか?」
のお質問に、オヤジは「そうだったらいいなぁ〜と思ったからです」と答えた。
298名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:03:19 ID:64DYsBw10
お前のそのイメージは、縄文時代と混じってるぞ。
299名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:03:40 ID:JfSf89A60
>>289
鏡の数がおかしいことを問題にしてるの?

最近だって中国にもらったトキは合計でも7羽なのにいまでは121羽だぞ
300名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:05:34 ID:ni9z1+750
考古学者の言うことなんて信用できんわ。これはいつ埋めたんだ?
301名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:07:00 ID:JfSf89A60
1700年くらい前の捏造考古学者が埋めたんじゃない?
302名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:10:27 ID:qO/3kQZi0
>>25
兵庫の桃太郎伝説って知ってますか?
桃太郎は天皇の皇子で徳島にいる姉に会いに大和の国から旅をする。
兵庫まで来ると鬼が暴れていることを聞き、桃太郎は鬼退治に行く。
驚くのは、姉が徳島にいたということ。
その姉とは「ヤマトトトヒモモソヒメ」なんですよ。
ヤマトトトヒモモソヒメの墓は奈良の箸墓古墳と言われていて
ヤマトトトヒモモソヒメ=卑弥呼だと言われていますね。
徳島には最古の前方後円墳があります。
徳島、難波、マキムクは邪馬台国に関係あるでしょう。
303名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:12:00 ID:rOfzLF5b0
岡山といえばあの辺には大陸風の石垣の要塞?跡があるらしいね
いつの年代のものかは忘れたけど
304名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:12:16 ID:lkz9xO6n0
九州と畿内は、船で行けばすぐじゃないか。
当時は、陸上交通は発達してないから、海を中心に考えるべきで、
今の感覚だと、新宿駅と東京駅とか、大阪の北と南みたいなもんだろ。

305名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:12:54 ID:bn/rCt9N0
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1066222528/l50
【捏造】藤村新一さんって、今、何してるの?
306名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:12:57 ID:iwJOOnda0
ヤマトトトヒモモソヒメ

これを連続で噛まずに三回言える人
挙手
307名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:14:30 ID:JfSf89A60
>>303
鬼ノ城のことなら一般には古代山城(朝鮮式山城)といわれてるな
白村江の戦いで負けた後に防備の備えとして作ったというのが有力な
説ではあるがそれ以上の域を出ない
308名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:14:58 ID:tbliQvRn0
これもウリジナルなの?
309名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:15:48 ID:7meNOEZ20
そもそも卑弥呼ってほんとに存在したのか?
310名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:16:53 ID:DWkBx77P0
ひめみこ→卑弥呼?
311名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:17:17 ID:bn/rCt9N0
>朝鮮式山城

これの分布圏が倭王の勢力圏だと思ってたが
三重県に1個あるらしいな
312名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:18:01 ID:tbliQvRn0
そういや自分で埋めて自作自演してた朝鮮考古学者がいたけど,あれはどうなったのだろうね
313名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:18:36 ID:9YPPPKiU0
すでに農業技術は確立されていたんだから、大国になれる地域ってのは限定されると思うんだよ。
だから、日本国政治経済のコア地域が近畿だというのは、何の不自然もない
不思議なことに、歴史上の中心地域は必ず大きな湾があるんだね。大阪湾、東京湾、三河湾、津軽湾とか。
九州説の人には残念だけど。
314名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:18:45 ID:rOfzLF5b0
>>307
それそれ
不明なのか
315名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:20:42 ID:tbliQvRn0
>>313
近畿が日本の中心地域になるのはもう少し先の話では?
316名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:20:50 ID:bn/rCt9N0
>>313

つ 博多湾 有明海 鹿児島湾
317名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:21:00 ID:JfSf89A60
>>311
明記してる大野城は確実だろうが、ほかに関しては書記などにあるのは12の
城を作ったことだけ
どの時代だとははっきりとは言えないな
まあ、卑弥呼ほど古いものじゃないのは確かで、そんな時代のことも全然わか
らんわけですよ
318名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:21:06 ID:qO/3kQZi0
【天照大神=卑弥呼は韓国人女性!】
天照大神は日本で最高位の神様である。
著者のチェ・ユギョンさん(30歳)は日本の800万の神様のうち、
最高位であるこの神様が韓国女性だったと主張する。
歴史的史実に作家の想像力を加えたフィクションなので可能な仮定である。
天照大神は生前の日本の開国始祖である卑弥呼(149〜248) 女王であった。
死んでから太陽神となった。邪馬台国の女王で189年に約30国を統合し、
日本皇室の母胎を作った女性である。 邪馬台国は約7万の壕で出来た大国だった。
当時の他の国は1000〜4000の壕の規模だった。 (中略)
卑弥呼に関する客観的な歴史記録は多くない。更には卑弥呼が本名なのかも確かではない。
我が国から渡った巫女で、首露王の娘という説もある。
チェさんは卑弥呼が天照神話のモデルという説に惹かれた。
「インカ、マヤのような高度文明を持った国で発達すると言われる太陽神が、
当時韓半島よりも水準の低い邪馬台国で生じた事も変だが、
それに女性?天照大神のモデルが卑弥呼だったと言う斉藤の主張は
この質問に対する返事になるに十分だ」と言うのである。
319名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:21:51 ID:mBc+eV1TO
桜井みたいな所とはな
しょうもな
320名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:21:58 ID:BdQOoGBo0
で、邪馬台国と大和朝廷に因果関係はないのか?

321名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:22:59 ID:92IOBJj5O
>>312
事件後に山奥で暮らしてなかったっけ
322名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:23:42 ID:sKT+lcTPO
少なくとも倭人伝に出てくる邪馬台国は九州としか考えように無い。

南方系の風俗、温暖な気候、海と密着した生活、
登場して詳しく紹介されている倭の諸国は北九州のクニばかり。
その北九州の諸国ですら、やっと支配しているという程度の危うい国家体制…

どう考えても九州への旅行記にしか読めない。
倭人伝では九州以東の記述があまりにも薄い。

邪馬台国を畿内にもっていくなら、いっそ倭人伝の記述を否定して
「後漢の頃に北九州のナ国へ金印を持っていった時の旅行記」を引き写しただけで
倭人伝の記述は実際の邪馬台国とは無関係だ、と言い切るくらいしないといけない。
あるいは、使者は北九州までしか来ていなくて、引き返したから九州の様子を倭国の様子としてレポートした、とか。
そのくらい言い切らないと邪馬台国を畿内だと説明できない。

海洋的で南方的な邪馬台国の光景に該当する地域は
北九州が北限。南九州の可能性もある。南方の敵国クナ国ともども邪馬台国は九州島内。
どんなに頑張っても倭人伝の倭国の情景は奈良県の風景じゃない。
323名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:24:49 ID:xbwn1dIS0
マスコミだけでしょ、喜んで卑弥呼、卑弥呼
と差別用語を喜んで連呼するのはw
324名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:25:42 ID:8pVbtWR80
>>307
同じ主旨で作られた城が対岸の香川の屋島山頂にも去年になって発見された。

ただ鬼ノ城に関しては吉備津彦がほぼ実在した可能性が高い事から
その事以前から城がそこにあった可能性が高い。
廃棄していた城を天智天皇が改修したのでは?

城と言うと石垣と天守閣みたいなの思い浮かべる人多いけど
この当時の城は適当に積んだ石の城壁の上に木の柵程度の造りだよ。

昔は井戸で水の確保出来る山の山頂に立て篭もった。
325名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:26:08 ID:tbliQvRn0
実際のところ邪馬台国ってのがなんなのか,どこにあったのかってのはわからないんだよね
文献の内容があいまいだから
326名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:26:55 ID:sKT+lcTPO
邪馬台国畿内説支持者は今すぐ倭人伝を窓から投げ捨てるべきだ。

海洋的で南方的な倭人伝の記述はどうみても九州。
倭人伝の邪馬台国が海ナシの奈良県だって?悪い冗談だろ。

邪馬台国畿内説を成立させるならば

1三国志の著者陳寿がズボラかまして後漢時代の九州ナ国への旅行記を邪馬台国旅行記としてコピペした

2使者である張政がズボラかまして北九州のナ国あたりでお茶を濁して邪馬台国まで行かず引き上げた

3北九州のナ国近辺のクニが勝手に日本代表としてヤマトと名乗って外交してた

4敵国である呉に「南方のクニまで服属した」とアピールするため示威行為として邪馬台国を南国にみせかけた

5朝鮮のように占領されるのを恐れて邪馬台国政府が首都の位置を北九州だと偽った


このくらい言ってのけて倭人伝を全否定するべき。

重ねて言うが、
邪馬台国畿内説支持者は今すぐ倭人伝を窓から投げ捨てるべきだ。
327名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:27:26 ID:jeoTmfrS0
古事記をどう読んでも畿内説は無理だね
328名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:29:07 ID:bn/rCt9N0
>>312 >>321

だからここを読めと

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1066222528/l50
【捏造】藤村新一さんって、今、何してるの?
329名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:29:26 ID:5ToKKepC0
>>302

とんでもですか?
多分その鬼ってのが天皇の勢力に従わない国とか豪族じゃないですか?へたしたら鬼が島とかの勢力が邪馬台国かも・・・・
330名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:30:07 ID:JfSf89A60
>>324
古代史の興味があるような人が中世の城を思い浮かべたりしてないだろ

それに「適当に積んだ石」って・・・精緻に積まれてた場所もあるし、
土塁だって現在の土俵づくりにもつながるようなしっかりとした作りかた
をされてる そんな適当なものなら遺構としてのこらないよ
331名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:31:03 ID:8pVbtWR80
その説でいくなら「山門」という地名が残る
山口県が邪馬台国でもおかしくないよね。
どちらにしても北九州ではないよね。
332名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:31:15 ID:qO/3kQZi0
邪馬台国はマキムクだよ。
鹿男あをによしに出てきたじゃん。
333名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:31:33 ID:bn/rCt9N0
> 3北九州のナ国近辺のクニが勝手に日本代表としてヤマトと名乗って外交してた

いやこれは三十国連合のアタマでしかなかった卑弥呼の実態そのものだと思うが。

卑弥呼は三十国連合のアタマに担がれてただけ、「百余国」全体は統べてない。
倭国王あつかいして貰えたのは、
魏(曹氏)→晋(司馬氏) の政変で
いちはやく晋(司馬氏)を支持する使者を送ったことで
外交的配慮してもらえただけ。
この三十国連合は大和朝廷に直に発展した勢力でなかったから
古事記日本書紀から記録が削除されてるという事。
334名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:31:47 ID:sKT+lcTPO
平安時代から鎌倉時代にかけての日本の首都はどこか?

考古学資料だけで推測してみればいい。

当時の日本の首都は京都なのか鎌倉なのか。
南北朝時代はどうか。
335名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:31:48 ID:FdEnK6560
邪馬台国がどこにあろうが最終的に畿内の大和朝廷に繋がる訳で
大和朝廷と邪馬台国の区別がつけられんと畿内の遺跡を根拠にするのは難しいんじゃないの
336名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:34:24 ID:Oh55W5la0
いっきに畿内説にもっていかれるなこれは・・・

九州組みがんばれ!
337名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:37:19 ID:6Lj6iAvAO
なぜ選挙前のこの時期に・・・
何らかの政治的な意図が働いていたことはまちがいない
338名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:39:14 ID:jSFnsZ+4O
やまたい国は
宮崎の日向。
だって神武天皇が出征した所だよ。
339名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:40:17 ID:bn/rCt9N0
>>334
明が「日本国王」と認めた懐良親王の居た太宰府が南北朝時代の日本の首都

http://www.bekkoame.ne.jp/~gensei/zuisou/sujime.html
>1361年に征西府を熊本の菊池武光の居城・隈府から大宰府に移している。この時
>九州は一時的には独立王国のようになり、中国大陸からみて懐良親王は「日本国王」
340名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:41:28 ID:rOfzLF5b0
>>337
俺もおもた
341名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:43:28 ID:JfSf89A60
>>339
邪馬台国の卑弥呼とマキムクの勢力との関係についていろいろ示唆させる
事実だよな いろんなパターンの力関係を想像させる
まあ、小説的なお遊びとしてだがw
342名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:43:52 ID:5ToKKepC0
>>336
いや逆だろwww東征後の天皇勢力の遺跡と天皇勢力が来る前の建物の遺跡と区別ついてないだろ
畿内説の人も出てる遺跡が大和朝廷でもホントに初期のころのの遺跡じゃないんですかと聞かれたら100パーセント
立証できる人いないでしょ
343名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:44:15 ID:CNqB/Ry20
確かに馬はなかったが、舟さえあれば九州から畿内なんてすぐだからな
北九州から吉備−畿内と、穏やかな瀬戸内海を陸伝いに頻繁に行き来したんだろう
344名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:44:15 ID:MsvbOQS10
鮮人嫌いのあまり、畿内説に拒否反応を示すのはどうかねぇ。
当時の半島の韓人(カラビト)は和人であって、満州・シベリア原産の鮮人ではないんだし。
345名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:45:58 ID:sKT+lcTPO
日本の首都が近畿から関東に移ったのはいつか?
誰か答えてくれ。

平将門が創始した関東政府の系統が発展して近畿の政府を倒したから
現在の東京政府の始祖は将門か?

鎌倉幕府成立後の武家政権が京都の政府を倒して発展したのだから
現在の東京政府の始祖は頼朝か?

徳川幕府が江戸にて成立した時点で首都となったのか?
徳川幕府が建造した江戸が日本一の都市になった時点で首都となったのか?

いやいや、江戸の幕府は京都から来た官軍に倒され
勝った明治天皇が改めて東京に移ったから
幕末まで首都は京都か?
京都人は現在でも日本の首都は京都だと言っているが?

邪馬台国ならぬヤマトの国ニッポンの首都ですら
こんなに曖昧なんですよ、実際。
346名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:47:44 ID:bn/rCt9N0
曖昧こそ「和を持って尊し」の日本国家の本質
347名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:49:08 ID:dSUv8hX40
大和国の日巫女
348名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:49:46 ID:FdEnK6560
>>345
曖昧でも何でもない
首都が関東に移ったのは明治になってから
349名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:49:58 ID:JfSf89A60
>>344
現在の韓国人も決して均一なものじゃないよ
地域差や差別もあり、かつての国や民族の違いに由来すると言われることもある

同じ地域で住み続ける以上、まったくの連続性がないなんて逆に不自然
縄文系と弥生系をきっちり分けれるとか主張するのと似てる
350名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:50:29 ID:o50vyQfG0
>>345
春休みだねぇ
351名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:50:42 ID:IRg1kKVa0
>>345
天皇の所在が京(みやこ)でしょ。
352名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:51:22 ID:Oh55W5la0
宇佐神宮が卑弥呼様の墓
353名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:52:17 ID:bn/rCt9N0
>>348

遷都の儀式をまだやってないらしいw

http://chinachips.fc2web.com/repo5/051220.html
東京は首都ではない〜異例中の異例、東京遷都
>「今でも京都が日本の首都」・「東京の皇居は別荘で、京都の御所が本宅」。
>現在も、京都の人達の中にはこのように考えている人が少なからずいます。
354名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:54:37 ID:HgPprL0M0
>>334
アンタの力説は、素人には響かないね。説得力なさすぎ。
玄人同士で、争ってくれ。
355名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:54:46 ID:5ToKKepC0
>>349
でも韓国ってすんごい一極集中してるから田舎をのぞけば都会ではある程度均一になってるとおもわれ
356名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:55:19 ID:92rx79HK0
邪馬台国が畿内にいっちゃったらトンカラリンの立場はどうなるんだよ
357名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:58:43 ID:JfSf89A60
>>356
清張が面白おかしく物語を作っただけで、ある程度調査した人なら卑弥呼の
時代ほど古いものだと思ってる人はいないよ(たぶん彼自身も)
何のためなのかはまた謎になってるけど
358名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 14:59:42 ID:s5vWZlFxO
新潟があやしい
359名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:00:00 ID:bn/rCt9N0
>>349 >>355

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/03/29/2882428
韓国の地域対立は古代まで遡るか?
>韓国における嶺南(慶尚道)・湖南(全羅道)の地域対立は有名です。
360名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:02:28 ID:GMNUqIAE0
今時、九州説なんて唱えてるのは、
ちょっと、頭がおかしいのしか、いないだろ。
361名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:02:38 ID:b9aESQt7O
邪馬台国と大和朝廷の違いがわからんです
解説おねがい
362名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:04:15 ID:bn/rCt9N0
>>356 >>357

これの説明は?

http://www.ntv.co.jp/FERC/research/20020616/m003.html
>しかし1994年、トンカラリンの造られた目的の謎を解く鍵となりそうな物が、
>トンカラリン周辺の前原長溝遺跡から発見された。それは変形頭蓋骨。
>発掘した別府大学の坂田邦洋助教授によると、この変形頭蓋骨の人物は、
>弥生時代中期ころの支配階級の女性であり、変形は人工的になされた物だという。
363名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:04:25 ID:jm0VxA3f0
相変わらずだな、ここは。畿内で決まり。それどころかずばり邪馬台国の遺跡の可能性が
高いだろうな。
364名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:04:55 ID:2tPNvjA00
>>345
首都の定義なんて、いい加減なもんだよ。
カペー朝以来フランス革命までのフランス王国で、
王様がパリにいた時期は意外に少ない。
ロンドンに至っては、そもそも国王がなかなか居つかなかった。
二重丸で首都が明記されている世界史地図帳のイメージというのは、
都市伝説に近い。

>>349
ありゃ世界的に見れば全くの均一だよ。
近親憎悪なのか、儒教の宗族主義の拡張なのか。
人種的にほぼ均一、方言も大して違わない。

>>339
よい例だなあ。それだよそれ。
中華帝国としては、海の向こうの野蛮人が「自称国王ですが何か」と言って
朝貢してくれれば、それで満足なんだ。
倭国が攻めてくる心配は当面無いから、ポジションの確認は不要。
彼・彼女が、その島でどんなポジションかどうかはどうでもいい。
こんな調子だったから、
あんなデタラメ地理記述の「歴史書」が出来た。あんなものはガリバー旅行記と同じ。
あんなものを「歴史記述」だと思っている奴の脳味噌を疑うw
365名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:04:55 ID:/N5Upr5a0
建設現場なんかで遺跡が見つかった場合、国はいくらで土地を買い上げてくれるの?
それとも没収されるの?国鉄用地買収みたいに、ゴネれば価格がつり上がるの?
366名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:06:13 ID:CNqB/Ry20
韓国には全羅道差別ってのがあるが、百済人への民族差別が今まで続いてるらしいな
百済はともかく加羅諸国は倭人の国だったらしいし
367名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:07:49 ID:rOfzLF5b0
話が細かすぎてついていけない
368名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:08:08 ID:bn/rCt9N0
新羅も国王の祖先は倭人だったろ
369名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:10:58 ID:GANqQyMsO
うわー行ってみてー
でも金ねー
モヤシ定食続き杉ワロスwww
370名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:15:45 ID:/FCUy/9S0
ここで金印が出たら本物やね。
371287:2009/03/23(月) 15:18:52 ID:bn/rCt9N0
九州では金印が出てる、
畿内では金印が出ない、

優劣は明らか。
372名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:19:51 ID:vlyRRiLY0
>>353
東京は首都だよ
少なくとも大正天皇の時代から東京=首都になってる
関東大震災直後ノ詔書
http://www.geocities.jp/nakanolib/shou/st12.htm
詔書の中には「東京ハ帝国ノ首都ニシテ政治経済ノ枢軸トナリ
国民文化ノ源泉トナリテ民衆一般ノ瞻仰スル所ナリ」と書いてある
から、東京は日本の首都
373名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:22:15 ID:rOfzLF5b0
>>370
金は加工しやすいからなぁ
374名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:22:20 ID:bn/rCt9N0
<女王国より北は、特別に一大率を置き、
諸国を検察させており、諸国はこれを畏れ憚っている。
常に伊都国で治め、国の中では刺史の如くある。>

<伊都国に王あり>

卑弥呼、一大率、伊都国王、摩訶不思議な権力構造トライアングル・・・
375名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:22:39 ID:XOjx2xpU0
当時の人口って日本全部でも数千人程度だろうし
どこにあろうが小さい集落でしょw
376名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:24:25 ID:o50vyQfG0
>>375
レス乞食乙w
377名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:24:38 ID:o5h3zSqI0
 >>361 :名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:02:38 ID:b9aESQt7O
> 邪馬台国と大和朝廷の違いがわからんです

違いも何も両者がどのような関係にあるか発見したら論文が書けます。

一躍、時の人になれます。 3世紀中ごろの邪馬台国のことが魏書に記録があり
大和朝廷の存在がハッキリするのは5世紀ころです。4世紀は謎の世紀です。
378名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:24:41 ID:bn/rCt9N0
百余国だから、一国平均5千人の小国でも50万人以上。
379名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:25:49 ID:vlyRRiLY0
>>375
2桁足りませんよ
380名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:26:57 ID:bn/rCt9N0
> >>361 :名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:02:38 ID:b9aESQt7O
> > 邪馬台国と大和朝廷の違いがわからんです
>
>違いも何も両者がどのような関係にあるか発見したら論文が書けます。

この人の説はかなりいけてると思う。

ttp://www.amazon.co.jp/失われた日本古代皇帝の謎-学研M文庫-斎藤-忠/dp/4059012149
381名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:27:08 ID:lItYN/nS0
今の日本はチョンとかチョンカルトに汚染されてるからこう言う話は眉毛に唾付けて見ないとな。
382名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:28:12 ID:rOfzLF5b0
まぁとにかく、空白の4〜5世紀につながる建築物だってことは確実なんじゃね?
383名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:28:15 ID:ASbZiEafO
金印クルー?
384名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:28:36 ID:8T2aXdhj0
魏志倭人伝の風俗描写からのイメージでは九州なんだよな。
でも、アクセスの説明が分かりにくいのは近畿にあったからかもしれん。
385名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:28:48 ID:XOjx2xpU0
それなりの規模の国で中国と交流があったなら
必然的に文字によるやり取りがないとおかしいんだが
なんで文字が残ってないんだろうな
386名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:29:25 ID:03v0XpCj0
>>278
マヤでは、広大な版図を持った国家はなかったよ
数十キロ程度の範囲が勢力圏の都市国家が乱立してた
387名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:29:38 ID:bn/rCt9N0
>なんで文字が残ってないんだろうな

焚書したから
388名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:31:38 ID:JfSf89A60
>>384
イメージで語るなよw
そのイメージはいつの時代のものだ? 気候などの自然条件すら今と違うぞ
389名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:31:45 ID:XOjx2xpU0
>>387
紙なんかないだろ
390名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:33:07 ID:Gy6TiWUq0
>>384
当時の気候風土が今と同じとは限らんわけでして
391名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:34:36 ID:vlyRRiLY0
>>389
関係ないけど、始皇帝時代も紙で製本された書籍はなく
燃やされたのは竹簡
392名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:35:06 ID:bn/rCt9N0
木簡竹簡でも焚書って言うの!

http://mizutani.cocolog-nifty.com/book/2009/02/index.html
>「続日本紀」に山や沢に武器をかかえて逃げ込み、禁じられた文書を隠し持つものが
>百日たっても出頭しない場合は恩赦を認めないという脅し文句が載っています。
>「日本書紀」以外の書を焚書にした行為があったようです。


これはまあ冗談だけど

http://www.syamashita.net/history/kodaishi/saiban/saiban3.html
日本書紀捏造事件裁判【3】
393名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:35:27 ID:X6D925+L0
邪馬台国が畿内なんてありえない
魏志倭人伝が偽書なら別だが
394名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:35:56 ID:XOjx2xpU0
邪馬台国は始皇帝の支配下だったんだね
395名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:36:19 ID:o50vyQfG0
>>389
竹とか木簡を紙の変わりに使ってたのだよ
書簡とか残っててもいいはずだが
腐ったか燃えたか
燃やされた可能性が高いな
396名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:36:49 ID:0PZ6dxw0O
卑弥呼の後継者の台与はたいへんな美少女だったらしい。
397名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:37:52 ID:rOfzLF5b0
木簡さえ出れば赤外線判別機?外力を発揮するのにな
398名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:38:25 ID:JfSf89A60
>>393 魏書ではあるが

>>396
だどしても当時の価値観でだろ 平安美人よりも前の美人・・・
399名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:38:31 ID:+Yum43rd0
・考古学的遺物の分布から、弥生時代には、北九州を中心とする銅剣・銅矛文化圏と、畿内を中心とした銅鐸文化圏とが存在した。
その後の大和朝廷には、剣を尊ぶ伝統は残ったが、銅鐸の痕跡がまったく残っていない。
これは、銅剣・銅矛文化圏が、銅鐸文化圏を征服したためと解釈できる。

・弥生時代(邪馬台国時代)では中国との交流、遺物は九州が圧倒的に多い。

・倭人伝には、「兵には矛、盾、木弓を用う」「倭錦上献す」「宮室、楼観、城柵」「棺有りて槨無し」の記述がある。
以下のように、これらの記述は北九州の遺跡・遺物と整合する。

・卑弥呼の時代・3世紀の遺物として発掘される、鉄製武器、鉄鏃(てつぞく)、矛、絹などは、九州での出土数が、畿内よりも圧倒的に多い。
大和では、弥生時代の鉄器はほとんど出土しない。

・弥生時代の絹が発見されるのは北部九州だけである。

・佐賀県吉野ヶ里遺跡には、魏志倭人伝に描かれている宮室、楼観(物見やぐら)および城柵跡の3つがそろって発見されている。
畿内にはこれら三点セットがそろった遺跡は発見されておらず、倭人伝は九州の国の様子を描いたものだろう。

・「棺ありて槨なし」の埋葬形式は、北部九州に多い箱式石棺の形式に一致する。奈良盆地での埋葬形式は、
ホケノ山古墳のように「木槨」が出土しており、倭人伝の「槨なし」の記述とは異なる形式である。
400名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:42:05 ID:CNqB/Ry20
401名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:42:19 ID:qRnk0ZRL0
邪馬台国の所在地なんてどこでも良い。

「マキムクが当時日本最大の都市で一番古い古墳がある」

この事実が、どれほどすごいことなのか理解できない奴に
歴史の話しても無駄。マスコミといえばインテリだろ。
「邪馬台国抜き」でマキムクのすごさを説明するのがマスコミの
仕事なのに、それを怠っているのは一般人を舐めている証拠。
402名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:42:32 ID:B+7r7hXN0
箸墓古墳を発掘すれば白黒はっきりすんだけどね。
403名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:43:06 ID:dcDBKdCJ0
ゴッドハンドでチョチョイのチョイです
404名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:43:50 ID:bn/rCt9N0
銅鐸文化人は楽浪郡の廃止で列島に流れて来た連中らしい。

http://www.rekihaku.ac.jp/research/p060608.html
405名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:46:58 ID:4K4Bcqv+0
文化があったならちゃんと文字にして残しておいてくれればいいのに
406名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:48:16 ID:Oh55W5la0
>>403
怖すぎるわwwww
407名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:48:32 ID:o50vyQfG0
>>405
文化はあったけど
文字はなかったんだよ
408名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:51:44 ID:feTZoA3S0
これが日本人のミッシングリンクですねわかります
409名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:54:39 ID:dcDBKdCJ0
ミッシングリンクとかオーパーツなんて各国のゴッドハンドが後先考えずに頑張りすぎた結果だろ
410名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:54:49 ID:J8bwC1ZY0
> 「邪馬台国畿内説」

藤村新一「ゴッドハンド!! …そして歴史(とき)は動き出す!」
411名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:55:02 ID:XOjx2xpU0
土器に名前くらい書くだろ普通w
412名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:56:52 ID:rOV0EE+H0
箸墓が卑弥呼の墓なら
卑弥呼=媛命(ひめみこ)=ヤマトトトヒモモソ媛命。

だとしたら、自動的に、
魏志倭人伝の西暦240年代と、日本書紀の崇神紀の1〜10年くらいの
記述が、同じ時代ということが分かってくる。

古事記や日本書紀に書かれている大まかな年代が分かってくる。
413名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:57:42 ID:JfSf89A60
油性マジックの発明には7世紀後半を待たなきゃならんから消えたんじゃない?
木簡とかのは残ってるわけだし
414名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:57:59 ID:0PZ6dxw0O
だから〜、卑弥呼の後継者の台与はスタイルがバツグン!でスゴイ!美少女だった。
415名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:58:40 ID:qz68jSDN0

トヨタン・・・・・・・・・・
416名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:58:58 ID:Ds7yhs80O
吉野ヶ里遺跡公園とか作っちゃった佐賀どうすんのwwwwwwww
417名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 15:59:29 ID:rOV0EE+H0
邪馬台国論争が畿内説で終結してしまうと
邪馬台国九州説論者は、アマチュアの歴史学者や歴史愛好家が多いから
これまで書いてきた書籍の売り上げにも影響してくるので
九州説論者は、彼らの生活にかけても
畿内説を否定しようと必死になってくる。
418名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:01:03 ID:JfSf89A60
>>414
当時のスタイルバツグンは亀ヶ岡遺跡の遮光土器みたいなのかもしれんぞ
419名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:01:36 ID:XOjx2xpU0
さっさと天皇の墓を開けてしまえばいいのに
420名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:01:41 ID:rOV0EE+H0
在野の歴史愛好家に多い九州説論者にとって
彼らが記してきた九州説の書籍の売り上げ、印税に影響してくるから
もう必死になって、畿内説を叩くしかない。
421名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:03:52 ID:rdhjQHSM0
邪馬台国は九州だと思う。しかし台与が神功皇后なのだ
独自に魏から承認得た卑弥呼を恨んだ大和系の神功皇后が
気比あたりから出陣して責め滅ぼした。これが真相。
422名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:04:04 ID:RnhdsC4p0
ふざけんな。誰がなんと言おうと卑弥呼は四国で道後温泉に漬かったんだ
423名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:05:25 ID:02uiwo1YP
じゃあ邪馬台国は九州に上陸した朝鮮人の大和朝廷に滅ぼされて蝦夷になったのか
424名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:05:54 ID:XOjx2xpU0
文字も持たないような国が中国と対等にやり取りをしていたというのは考えずらい
言葉だけでやり取りしてたのか?それで対等な関係になるわけないだろ
一部の人間だけが漢字を学んで王の言葉を代筆してたのか?
他国の文字文化に触れて結局文字を持たなかった?あほなのか?
425名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:07:07 ID:ovtuf6FbO
ID:rOV0EE+H0
何の工作?お前まさかここ初めてか?
426名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:08:08 ID:TyjwYWIp0
>>7
それが正解
427名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:08:14 ID:xmKeIHWx0
>>371
金印って偶然見つかったようなもんだろ
それをもって畿内に金印を授かった勢力はいなかったとは言い切れんだろ
しかも那国のだし
428名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:08:21 ID:8pwS54k0O
近畿ではあるけど現在の畿内ではないんだろ
普通に徳島説が有力だと思うよ
429名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:09:47 ID:5ToKKepC0
このスレみてると学術的な事や歴史的な事で論争してるのは九州説論者だけで417のような中身の無い煽ってくる
のは畿内説論者という不思議・・・・畿内説論者ってバカなのかそれとも畿内説を貶めたい人がいるのか・・・
430名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:10:14 ID:1G9WpxswO
場所はソウルだよ
431名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:12:02 ID:kd/iK0RnO
>>405
琉球には文化はあってさかんに中国との国交があったが、13世紀に日本からひらがなが入るまで文字はなかったんだよね。
432名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:13:59 ID:8pwS54k0O
マキムクっていう語感だけでただ者でない土地だとわかる
433名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:14:06 ID:rOV0EE+H0
邪馬台国=ヤマト国=三輪山周辺
投馬国=ズマ国=出雲国

高天原=葛城
高千穂=宮崎
434名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:16:02 ID:dcDBKdCJ0
よし、今日は久々に雷火でも読むか
435名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:16:10 ID:5YMO3ECpO
8('A`)8人8('A`)8
436名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:16:36 ID:AOCy0e75O
考古学利権!ゴットハンドを長年奉ってきた輩が何をいってもねえ。
437名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:18:24 ID:rOV0EE+H0
なぜ、纏向遺跡が注目されるのか?

簡単だ。

邪馬台国時代にばっちりの年代というだけではなく、
その遺跡の規模がでかすぎるから。
後の藤原京などに匹敵する大きさだから。
しかも、北九州から関東まで、
広範囲から人が集まってきたであろう首都のような存在で
しかも、庶民が暮らす横穴式住居の跡が見つからず
身分の高い人が住む高床式住居の痕跡が多くみつかるから。

そして、これによって、日本書紀や古事記の記述と
魏志倭人伝などの中国の歴史書の記述が一致するから。
438名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:18:58 ID:qO/3kQZi0
>>432
マキムク→マ=真、キ=古語で東、ムク=向く
真東の方向を向くという意。
マキムクの東には三輪山、伊勢、神島という古代太陽の道がある。
439名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:19:54 ID:XOjx2xpU0
>>431
だから琉球も王朝が出来たのと同時に文字を導入してるでしょうに
440名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:20:26 ID:kX6Pygx90
魏志倭人伝と東方見聞録どちらを信用していいのかな?w
441名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:20:27 ID:mFiDDpRB0
なぜ、纏向遺跡が注目されるのか?

簡単だ。

邪馬台国時代にばっちりの年代というだけではなく、
その遺跡の規模がでかすぎるから。
後の藤原京などに匹敵する大きさだから。
しかも、北九州から関東まで、
広範囲から人が集まってきたであろう首都のような存在で
しかも、庶民が暮らす横穴式住居の跡が見つからず
身分の高い人が住む高床式住居の痕跡が多くみつかるから。

そして、これによって、日本書紀や古事記の記述と
魏志倭人伝などの中国の歴史書の記述が一致するから。
442名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:20:54 ID:feTZoA3S0
34.997027,135.807066 天智天皇陵
34.468212,135.807924 天武持統天皇陵
34.502030,135.807409 藤原宮跡
34.456005,136.721892 伊勢神宮
34.514124,135.805864 耳成山
34.509377,136.788315 二見浦
443名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:20:58 ID:JfSf89A60
ミヤコにする前に槇と椋が生えてただけかもしれん

葛城・甘樫とかにしても植物を連想させる地名多いよね
444名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:24:05 ID:84iy+S330
あの有森裕子、高橋尚子育て上げた名指導者!金哲彦コーチ!
445名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:25:19 ID:bbXSxLCk0
それより三韓への倭人の進出具合のほうを研究してくれよ
弥烏邪馬国とか明らかに怪しい
446名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:25:41 ID:kd/iK0RnO
>>438
語源を言うなら、その東の語源が、日向(ひむか―日に向かう―今の宮崎)
447名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:25:48 ID:Oh55W5la0
天照大神の天の岩戸は沖縄の伊平屋島にあるから、地理的にも近い九州説が正しい
448名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:26:35 ID:dwOZ11Cz0
纏向は単にでかいだけでなく都市そのものだった。
環濠の内側には田んぼがなかった。食物の生産は環濠の外で
行われていた。
449名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:26:53 ID:Gy6TiWUq0
なんでお前等の卑弥呼はヒキオタみたいに一か所にじっとしてるんだ?
450名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:27:21 ID:HFLtqqJr0
いつのまに、マキムクが3世紀になったんだろう?
いろいろ操作ができる土器年代で4世紀、
C14炭素年代で5世紀というのが常識だったはずだが。

土器年代で3世紀に比定してしまうと、日本中に同時期の
遺跡が乱立するはずなんだが、いいのかな?
451名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:27:32 ID:iwJOOnda0
何時も思うけどなんで
大和朝廷、邪馬台国 並存説ってないの?

452名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:29:52 ID:JfSf89A60
>>451
普通にあるぞ
大和朝廷という言い方はされずにヤマト王権と言われることが多いがな
453名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:30:07 ID:w4n9YwLf0

 九州だと朝鮮の王朝であったのがモロバレだから産経畿内に必死wwwwwwwwwwww


454名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:30:25 ID:iue1uRCL0
せっかく村おこしでフリーに使えるネタなのに
こんなの解明しようとするなよ
卑弥呼は宇佐人でいいよもう
455名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:30:34 ID:feTZoA3S0
34.514124,135.805864 耳成山
34.509377,136.788315 二見浦
34.511790,135.649395 推古天皇陵
34.511225,135.635748 敏達天皇陵
456名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:33:16 ID:sHZG+g060
>>132 武埴靖彦って?
457名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:33:27 ID:9YPPPKiU0
>>407
大規模な稲作農業生産をやってるわけだから、そのための暦、在庫管理の計算、記録など
文字が無かったとは、考えられないんだが、でもインカのキープとかあるからそうでもないか。
でも日本人の天才能力からいって、ミステリーだなあ。
458名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:34:05 ID:Z7khnszU0
武は、五十六億七千万年後の未来で弥勒になったのかもしれない…
459名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:34:31 ID:feTZoA3S0
460名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:37:18 ID:Oh55W5la0
>>458
暗黒神話は九州説だったよね。当時は九州説有利だったのかな。
461名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:37:49 ID:03v0XpCj0
>>431 >>457
キープで思い出したけど、沖縄にもキープあったよな
462名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:37:59 ID:rOV0EE+H0
>>453
九州説を唱えたのは、本居宣長や
その影響を受けた戦前の大日本帝国。
むしろ、産経みたいな新聞は、邪馬台国九州説論者だったよ。

邪馬台国畿内説に熱心だったのは、意外にもアカヒw
463名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:39:37 ID:JfSf89A60
>>460
諸星自体がどっちの説をとるのかというよりも、九州説のほうが面白い
物語が描きやすかったという要素の方が強いんじゃないかな?
全国を巡って空間的に広がるし
464名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:40:11 ID:f9VCsq4HO
日本にもキープはあったよ
465名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:40:53 ID:bbXSxLCk0
文字があって当然、ってのはそりゃ現代人の視点だろう
466名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:41:51 ID:okl7w3Wn0
遺跡が出たからってなんで邪馬台国になるの?門柱かなんかに書いてあるの?
467名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:42:22 ID:v/SWf6wDP
>>437
纏向は全然でかくないよ。
それに倭人伝と合うならば、
生活の痕跡がないとおかしい。
身分の違うものが同居して、
道で出会った時の様子がかかれているのだから。
ところが纏向には生活の痕跡が皆無に等しい。
468名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:43:48 ID:kd/iK0RnO
>>439
朝鮮半島にもハングル成立の15世紀まで、ほとんど文献が無いのよ。中国側が表記したものばっかり。
469名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:44:56 ID:4WhzQS1LO
キターっ!
妖怪ハンターワールド
470名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:45:15 ID:KPh4qS0JO
倭人伝には、文書を以て伝送す、みたいな文が無かったっけか
卑弥呼やら支配階級は文字を使ってたんでないの
471名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:45:26 ID:M71WgleC0
>>12
うむ、深い意見だな〜。
歴史の教科書とか見ても、結局は権力者の歴史であって、それは間違いではないにしても
庶民の実態みたいなものはオマケ程度にしか書いてない。書かれても権力者に虐げられた
民衆みたいな構図だったりするし。
472名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:45:44 ID:ayNXs8E10
普通に九州だろ。
大和=大きい和(倭)だからな。
大和はNEW YORK見たいなもんだ。これなら神武の東征も説明がつく。
473名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:45:51 ID:lKEaHbHk0
2ちゃん日本史板には、いくつも専門スレがあります。みなさん、ぜひお立ち寄りください。

◆【ヤマト】纏向は王権の礎の地か【マキムク】その5
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1231414308/l50
「2世紀末頃、纏向に各地の文化の集合体である「ヤマト」が新設され
それが王権の礎になったってことです。
その母体は、参加時期や規模の差はあるが
北部九州、吉備、出雲、阿波、讃岐、播磨、大和、丹波、東海などのクニであり
いわば技術、文化、物流の集積地となった纏向が王権化して各地を凌駕したものが
後の大和朝廷だと考えられています。
そこには西日本のありとあらゆるクニの技術とモノが集結しています。
問題はそれだけの勢力を「どこが」主導したかなのです。
それは北部九州かもしれませんし、吉備や畿内かもしれません。
そのあたりは過去に散々議論されていますし、各説一長一短があります。
伊都国主導というのも有力説ですし、また阿讃、東海も一概に否定できません。
ただ、どこかの任意のひとつの勢力が、単独の力で征服や建国を成したとは考えにくいですね」

◆謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!27
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1236962486/l50
其國本亦以男子為王住七八十年倭國亂相攻伐歴年乃共立一女子為王名曰卑彌呼
事鬼道能惑衆年已長大無夫婿有男弟佐治國
自為王以來少有見者 以婢千人自侍唯有男子一人給飲食傳辭出入
居處宮室樓觀城柵嚴設常有人持兵守衛

魏志倭人伝に記されてる「卑弥呼」なる女王の正体とは?
又、天皇家との関り合いは? 古代最大のミステリーに挑む!


◆♪邪馬台国 ドンと来い♪ 40
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1237602647/l50
九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い!
出来るだけソースを出して後はお好きに!
474名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:47:01 ID:l2HWL1i5O
>>454
こうしよう、卑弥呼は複数人居た!w
475名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:47:29 ID:Wl9GCw900
>>429
俺にはまったく逆に見えるが?
印象操作乙
476名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:48:05 ID:Oh55W5la0
>>463
ああ、そう言う考えが正しいのかもな。
オリオン座を描いてたからな。
オリオン座→スサノオ→馬頭星雲だったからな
477名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:49:30 ID:rdhjQHSM0
>>466
文字で書かれたものこそが歴史
ヨーロッパや中国の感覚で言ったら、文字で書かれたものが出てこない以上は歴史じゃないだろうなー
ネアンデルタール人や北京原人の研究と変わらない・・
478名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:49:51 ID:owDTRwe60
あの時代に方角を誤るのは致命的だから、ありえないと思うが・・・
下手したら命に関わるぞ

魏書の距離はまだしも、方向は正しいと思うがな〜
479名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:50:01 ID:A6uJqf3oO
邪馬台国は沖縄
480名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:50:03 ID:rOV0EE+H0
神武東征ばかりクローズアップするが
神武は畿内に着いたときに
自分たちの先祖は、葛城出身だって言っているわなw
神武一家が九州南部にいたのは、
彼の曽祖父の代から。
それ以前は、畿内の葛城(高天)出身。
481名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:50:55 ID:jCzbOtJE0
つか、朝鮮嫌いのねらーが九州説支持ってのがよく分からん。
地理的に朝鮮から遠い畿内の方が喜ばしいんじゃないの?
482名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:51:48 ID:Q8V9UgOG0
神武東征は、

和歌山の徳川吉宗が、江戸に東征して、征夷大将軍になるようなものw
483名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:55:21 ID:feTZoA3S0
>>477
馬鹿ですねわかります
484名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:55:39 ID:owDTRwe60
神武東征時には大阪辺りに有力な国はあったんだろうな。

でないと、なぜあんな南周りを取る必要があるんだ?
かなりのリスクを背負っての外海での船旅。
しかもこっそりと行ってるし・・・
485名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:56:22 ID:Oj0B7mP9O
>>482
ちょっと違うのはこの場合既にニギヤハヒが畿内で勢力を持っていたということ。
486名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:57:37 ID:JfSf89A60
>>481
宣長のように邪馬台国と畿内の政権は全く関係ないといいたいんだから
問題ないだろ のちの天皇家が魏に使いなどよこして朝貢する筈がない
487名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:58:43 ID:xmKeIHWx0
>>471
ピラミッドを作ったのはファラオではなく民衆であると言いたいのですね
488名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 16:59:37 ID:FdEnK6560
神武東征時の大阪平野は大部分が海の下で広大な干潟です
489名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:01:27 ID:JfSf89A60
>>488
それと熊野まで回ることに何の関係が?
旅行とかで行ったことがないまでも、地図とかを一度見てみようぜ
490名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:01:43 ID:Q8V9UgOG0
ニギハヤヒ(物部氏の先祖)と火明命(尾張氏、海部氏、津守氏などの先祖)が
同一人物なのかは議論が分かれるところ。
新撰姓氏禄では、別人物認定で
物部氏は天神、尾張氏らは天孫とされている。

ただ、仮に同一人物だっとしても
正室の子供の子孫は、尾張氏のほう。
491名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:02:00 ID:w4n9YwLf0
縄文人と弥生人で骨格がぜんぜん変わったのだけでわかるだろ?

 おまえらは朝鮮人の末裔なんだよwwwwwwwwwwwwww

492名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:03:05 ID:KPh4qS0JO
本居宣長的には、倭の五王はいいのかな
あれも大和朝廷とは関係ねー、って事にしたかったんだろか
493名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:04:23 ID:5ToKKepC0
>>480
つまりアマテラスは畿内にいて瓊瓊杵尊を九州南部に派遣したと?

へーすごいねwwwwじゃあなんで東征っていうの?帰るんじゃないの?なんで征なのwwwwww
494名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:04:24 ID:8T2aXdhj0
今の考古学界は注目されて予算獲得しやすくなるからなんでも邪馬台国と卑弥呼を出す?
それとも新聞がそうするのか?
495名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:05:05 ID:8pwS54k0O
>>487
エジプト説の方ですか?わかります
496名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:05:50 ID:Q8V9UgOG0
神武東征って、軍事的にはありえんらしいな。
あれは、どうみても神武軍の大負けで
あれで勝利するほうが難しい。

でも、あの戦争の主人公が、畿内の別の人物で
その主人公の分家筋で九州にいた神武軍が
援軍として、かけつけただけだったと考えれば、全てが説明がつく。
しかも、いっきに援軍として、かけつけたのではなく、
任地を転々として、瀬戸内に赴任していた時に
畿内で内乱が起こって、参戦したと考えれば、納得がいく。
497名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:06:14 ID:w4n9YwLf0
九州南部の濃い顔が本来の日本人

朝鮮人は九州北部に上陸したが南下できずに本州に向かった
つまり九州南部以外おまえら全部朝鮮人

498名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:07:48 ID:zCGTaJ500
どうせ場所が特定したら
「邪馬台国饅頭」とか「卑弥呼煎餅」とか作って
くだらん金儲けにはしるだけなので

そのままにしておくのが太古のロマン
499名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:08:01 ID:JfSf89A60
耳垢がべっとりしてて腋臭が多いのが本来の日本人
500名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:08:08 ID:ohb/MBxo0
>>493
というか、神武は河内上陸戦で戦っている時に
「自分たちは天津の出身なのに、天津を向かって攻めるのは何事だ」
見たいな事を言っているよw
つまり、その天津とは、高天(葛城)
501名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:08:32 ID:owDTRwe60
>>480
神武東征は一代で成し遂げたのではないのかもしれん。
神武は長生きしすぎ。127歳としたら・・・下手したら4代くらいだ。
当時の平均寿命はわからんが、30〜40歳くらいでないの???
502名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:09:16 ID:KmbaDoIj0
九州説の人は取りあえず吉野ヶ里か宇佐のどっちかに絞って、
皆で周りを掘ればいいんじゃない。
特に宇佐神宮はかなり怪しいよね航空写真で見ると前方後円墳ぽいし・・・
http://map.yahoo.co.jp/pl?p=%B1%A7%BA%B4&lat=33.531225&lon=131.35233&type=&ei=euc-jp&v=2&sc=3&gov=44211.141
503名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:10:02 ID:rdhjQHSM0
卑弥呼も邪馬台国も中国語、しかも土人を適当に記述した信用ならない文献
日本の歴史書にそれに対応する文献や文字出土がない以上特定するのはムリ
卑弥呼が本当に卑弥呼なのか、邪馬台国が本当に邪馬台国なのか確認の仕様がないじゃん
504名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:10:36 ID:5ToKKepC0
>>497
あほがって言いたいけどビミョーな話だな
俺は鹿児島だが隼人はもともとは南方系海洋民族でで日本人じゃない
もともとの日本先住民はアイヌなどだ。あと確かに南北以外の日本人は大陸との混血なのはたしか
505名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:11:10 ID:9YPPPKiU0
朝鮮人は日本人と蒙古のmixだろ。倭は当時から軍事大国だから、日本国百済郡。
506名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:11:58 ID:6+9Bp2Q30
>>57
神武天皇とか日本武尊は流石に実在しないんじゃないの?
507名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:12:17 ID:A6uJqf3oO
普通に巻向遺蹟から発掘されたものだけを書けばいいのに
なんでいちいち、「邪馬台国」だの「卑弥呼」だのを出してくるのか訳がわからない
508名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:12:33 ID:o5h3zSqI0
 >>503 :名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:10:02 ID:rdhjQHSM0
> 卑弥呼も邪馬台国も中国語

魏志倭人伝をもう一度しっかり読め。漢字で表記されていても知名や人名は
明らかに日本固有の特徴を持っている。
魏志倭人伝を自分で読みもせずに書き込みするな。
509名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:13:46 ID:KPh4qS0JO
倭人伝の頃の半島なんて
北は中国の帯方郡で、南は倭の勢力
まだ半島の国家は小国家ばかり
その後、四世紀に所謂好太王碑が立つけど
それによれば倭が百済も新羅もやっつけてる
その後、倭がやられた、て筋書きだけど
510名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:13:52 ID:w4n9YwLf0
>>504
南方系海洋民族とアイヌこそ元祖日本人だよ

九州南部以外すべて朝鮮勢力に駆逐されたけどな
511名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:14:35 ID:lgqzCoox0
>>491
まだ言ってるのか?w
百済人、新羅人、高句麗人と現代の韓国朝鮮人は違うんだよ。
ましてそれ以前の半島人なんて今の韓国朝鮮人とまったく関係ない。
現在のギリシャ人と古代ギリシャ人は別物だっていうのと一緒だ。
512名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:15:00 ID:Gce6X0fB0
ゴッドハンドふたたび

なんて事はないよな
513名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:15:37 ID:JfSf89A60
いや、アイヌは無理だろ
東北あたりまでは普通にいただろうし、そのあたりの昔に出てくる民族とは
連続性はあるだろうけどな
514名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:16:19 ID:PmqBMBkEO
♪いまにみていろ 邪魔大王国 全滅だ
515名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:17:22 ID:w4n9YwLf0

 そして古来日本人は「エタヒニン」の階級を得たわけだよwwwwwwwwwwwwwww


516名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:17:23 ID:tFAeFnY00
邪馬台国は九州の弱小国家って事でいいじゃん。
そいつらは熊襲に滅ぼされて、歴史から名を消したって事でOK。
517名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:18:28 ID:lgqzCoox0
>>510
全共闘が唱えていた日本原住民論だなw
あのね、現在のアイヌの成立は13世紀頃なんだわな。
えみし、えぞとアイヌは別だからね。
518名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:19:00 ID:5ToKKepC0
>>510
ごめんなさい大和朝廷に征伐されてしまいました・・・・まぁ人口減っただけで外からはあんまり人入ってないからいいけど

でもエラはったの多い北九州や本州とは明らかに身体的特徴がちがうので一緒にされたくは無い。
519名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:19:39 ID:rOfzLF5b0
ギリシャで思い出したけど、半島の何とか人はギリシャとのかかわりが深かった!なんて番組があったな
520名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:19:49 ID:KPh4qS0JO
とにかく古墳を掘って、親魏倭王の印授を見つけて欲しい
箸墓とか掘ったらダメなん?
521名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:21:47 ID:w4n9YwLf0

 古来日本人は狩猟民族であった

 そして「エタヒニン」は? 畜生を扱う種族だよな?


   そう そういうことなんだwwwwwwwww
   わかるだろ?朝鮮人の末裔の君たちwww

522名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:22:00 ID:rOfzLF5b0
陵墓を直接発掘できるようになったのはごく最近じゃね?
しかもかなり限定的
523名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:22:14 ID:h2RiXcXsO
日本そのものが邪馬台国だったり
邪馬台国自体が架空の国(当時の人気同人もので出土品は関連グッズ)という説はないのか
524名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:23:28 ID:JfSf89A60
箸墓に期待してる人が多いな〜
オレも掘って欲しいのは同じだが、もし許可されても過度な期待はするなよ

あのレベルの目立つ古墳が盗掘されてないはずはないんだから金印とかが残
ってるわけないんだから・・・
525名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:23:42 ID:rdhjQHSM0
>>508
当て字であることぐらい誰でもわかる
ヒミコ、ヤマタイコクという名称を日本側の文献から出せるか?
もちろん魏志の引用したもの以外で
526名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:24:11 ID:g14vI9g90
卑弥呼が百襲姫なら巻向ではないだろ
巻向が都なのは垂仁・景行天皇のとき
527名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:25:14 ID:Dist00tx0
日本の邑なんか、いっぱいあったんじゃないのかな。桜井だけなら当時日本人の人口何人。
528名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:25:19 ID:ohb/MBxo0
卑弥呼=ヤマトトトヒモモソ媛命なら
神武天皇は紀元30〜40年くらいの生まれの可能性が高い。
その4代前の天忍穂耳命(葛城の豪族)だと
紀元前40年〜30年くらいの生まれか?
529名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:26:44 ID:tFAeFnY00
>>524
意外と盗掘されてないんじゃね?
仁徳天皇陵から鏡や刀が出土品するくらいだし。

とはいえ、昼は人が作り、夜は神が作ったとされる
神聖な古墳を掘るわけにはいかんだろう。
530名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:27:10 ID:qioMei5Z0
まあ昔なら邪馬台国つったら、イラストにもいかにも環濠集落って感じの竪穴式住居が並ぶ中に
高床式建物の神殿があり、そこに勾玉のネックレスかけた卑弥呼が立っている。

・・・と言うのが定番だったわけだがw

畿内説って言うのはそう言う昔のイメージを根底から壊すからなあ・・・

さてさて邪馬台国とは
「弥生時代最後のクニ」であったか?はたまた
「古墳時代最初のクニ」であったか?
・・・と言う対立軸もあるわけだwww

もっともリアルの九州説って言うのは今じゃその主流は九州の邪馬台国と
畿内の纏向は並存していたとする方向だと思うが。

ただしこれを絶対認めない、認められないのは「邪馬台国東遷説」なわけだがw


531名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:27:29 ID:ohb/MBxo0
>>526
というか、あのあたり全部、至近距離だから
纏向という名前のつく宮だったのは、その二代の天皇だけど、
その前後、数代の宮も、ほぼ纏向遺跡圏内だよ。
532名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:27:31 ID:feTZoA3S0
>>525
ヒミコ姫娘
ヤマタイコク大和国
ですねわかりません
533名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:28:56 ID:5ToKKepC0
つーかそもそも九州南部に隼人いて熊本らへんに熊襲いて天皇が東征ってへんじゃない?
その後にわざわざ九州征伐にきてるっことは従わない奴らがいるってのは分かってたのに攻めないで
534名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:29:46 ID:0PZ6dxw0O
卑弥呼の後継者の台与は蛯原友里より美人だった。
535名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:30:21 ID:feTZoA3S0
台与は宇佐神宮
536名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:30:21 ID:JfSf89A60
>>529
そんなの時代時代、人それぞれの部分もあるし当てにならないな
戦国時代とかも陵墓を壊して陣地にしたり、石を持っていって城の石垣
にしたり平気でしてる
それよりはマシな扱いとはいえ盗掘ぐらいはあり得る
537名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:35:53 ID:kd/iK0RnO
弥生人の人骨とされるものだけど、単に当時の中国系渡来人の人骨じゃないかという説が現在は有力。出土例が少なすぎ、出土地も偏りすぎ。
2003年の学界の弥生時代の完全改変に、まだ研究が追いつかない状態。
538名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:36:55 ID:rOV0EE+H0
卑弥呼が、ヤマトトトヒモモソ媛命ならば
トヨは、豊鍬入姫命。
539名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:40:01 ID:XJu4q3bl0

トヨタン・・・・・・・・・・
540名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:40:34 ID:PvfxjAtR0

ID:w4n9YwLf0
↑こいつきもいな。
民族学校の歴史教育はおまえの書き散らしている通りなのか。
歴史のねつ造しか出来ない哀れな民族だ。
朝鮮学校への税金の補助反対。
541名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:41:28 ID:feTZoA3S0
>>538
伊勢神宮ですねわかりません
542名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:53:19 ID:ObM6cXXz0
>>364
>ありゃ世界的に見れば全くの均一だよ。

北方系6割、南方系4割というDNAの調査結果を見たことあるぞ。
実際資料的な観点からも古代半島には様々な勢力が流入、混在してる形跡が見られるし。
543名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:56:19 ID:5ToKKepC0
とりあえず邪馬台国畿内説は願望であり間違いだと思う
遺跡の数を見てもわかるとおり太古の時代、九州が一番進んだところであり畿内などは後進地域なのは間違いなく
他の勢力のいない北へ北へと行って武器の発達など遅い畿内などの後進地区へ移住したとしか考えられない。
その畿内に先に高度な海も渡れる文化があって九州に移ってから再度北へなどとばかげている。
しかも邪馬台国畿内説論者の印象操作の酷い事・・・複数なのか自演なのか知らんがひど過ぎる。
544名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:57:50 ID:BaKNf2/+0
だから最初九州にあった邪馬台国が近畿に進出し、そこを征服して本拠地を近畿に引っ越ししたんだろ?
545名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 17:58:23 ID:feTZoA3S0
見てきたようなことを言いますね
546名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:00:02 ID:aqmZWPnYO
卑弥呼が日巫女だとか姫巫女だとか言う人が多いけど、まずこれは「ヒミコ」と読めないんだよ。
これは明らかに「ひみを」であり、当時の発音ではピミウォだ。
「呼」は3世紀には「Ho」(Hはhの濁音)のような発音であり、さらに渡り音が入って「Huo」のように発音されていた。
当時の中国語ではwが無かったため、ワをHuaや?ua(?は声門破裂音)のように聞こえの弱い子音の漢字で代用した。
奈良時代の万葉仮名でも、呼は「を」に使われている。
古くはハ行子音がpであり、hが無かったため、日本人が中国語を聞いたとき、pはハ行で、hとkはカ行で受け入れた。
北京(ペキン)、上海(シャンハイ)、香港(ホンコン)などの例を見ればよく分かる。
だから平安時代以降、呼は日本語ではコと読まれるようになった。
だが3世紀の中国人が、koという音を聞いて呼という漢字で書き取ることは考えられない。
考えられるのはhoかwoであり、当時の日本語にhがあった可能性はかなり低いからwoに絞られる。
547名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:03:53 ID:sCUXoghb0
上岡龍太郎 涙目
548名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:05:33 ID:toVLBczEO
>>543
>遺跡の数を見てもわかるとおり太古の時代、九州が一番進んだところであり

太古の時代って西暦で何年くらいの話し?

>畿内などは後進地域なのは間違いなく

根拠ないな。
549名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:06:26 ID:lgqzCoox0
>>519
新羅は古代ローマ人の国ってやつですね。
高句麗、百済とは共通点が少なくて
古代ローマの遺物が発掘されてる。
というか、橿原の古墳からもローマングラスが出土してる。
ローマングラスが出土してるのは橿原の古墳と新羅の古墳だけらしい。
550名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:08:05 ID:3gzrekg70
考古学的検証の結果
どんどん劣勢になっていく九州説論者哀れ ww

つか候補地ぐらい絞れよ
九州全県にあるだろ
551名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:11:20 ID:nrHfx8WUO
邪馬台国がどこにあったかよりも、明日俺の仕事があるかの方が大事だ。
552名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:11:57 ID:b/wNh5c40
「邪馬台」はヤマトだわな。
魏志倭人伝を読んでも九州からはそれなりの距離にあるんだから
どう考えても畿内だわな。

これをヤマタイと読んで、奈良と切り離そうとする学者は
さすがにどうかと思う。
553名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:12:45 ID:KwFgkQ1a0
N速のくせにコピペ馬鹿も少なく、比較的良スレな件
554名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:13:44 ID:rOV0EE+H0
>>543
先進国とか後進国とかの概念って
近代の産業革命以降の概念で語るべきではないね。
農耕社会では、実質的に先進国も後進国もないわけだから。
たとえば、国家の強さに、漢字が書ける書けないは関係ないし
あと、鉄の多い少ないは、人口動員力の優劣ほど、国家の国力に影響しない。
なぜなら、邪馬台国時代、福岡の次に鉄が多く出土するのは
北陸の福井県だったりする。
555名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:16:46 ID:VQNWl78ZO
ヤマタイコクなんて、まる子ポーロの東方見聞録のジパング並の信憑性だ。
ヒミコなんていない。
556名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:17:17 ID:ovtuf6FbO
関係者曰く宇佐神宮には色々隠されてるようだぜ
まぁ近畿じゃなきゃ皇室が都合悪いから今の状況はしょうがない
宮内庁たいがいにしろよ
557名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:20:22 ID:omMvXRzI0
いつまでチャンコロにコケにされた当て字を使うのかと
558名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:21:02 ID:is6hcUHiO
詳細はイタコに聞けばよくね?
559名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:21:23 ID:3gzrekg70
>>555
じゃあ魏の年号を記した銅鏡が実際にたくさん出土してる件についてはどう考えるんだ

あれが中国で作られたものか、日本で作られたものなのかは別問題だとしても
当時の副葬品として価値があるものだと考えられていた証拠だろう
560名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:22:49 ID:5ToKKepC0
>>554
>>先進国とか後進国とかの概念って近代の産業革命以降の概念で語るべきではないね。

これは何でもおかしい。実際に金属で武器を作れた国が残り、また作れても硬度に欠ける金属しか作れなかったところは滅ぼされている。
自分たちで植樹をできる所は栗やどんぐりを植え、知らないところは狩猟に頼って飢餓に苦しむ。技術や文化の先進、後進はあったのを
近代経済用語として語っているのはそちらでは?
561名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:23:32 ID:KmbaDoIj0
宇佐はかなり怪しい、
西都原や吉野ヶ里一体も可能性はある。
でも福岡じゃないから駄目かな・・・
562名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:24:52 ID:YdmAu2js0
>>401
たしかに、前方後円墳ないしそれに準ずる古墳の分布範囲こそが
ヤマトの王権の勢力圏だしね。
563名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:25:15 ID:qioMei5Z0
>>560

鉄がそんなに万能なら

古代エジプトはヒッタイトに滅ぼされていたって話だなw

564名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:25:32 ID:3gzrekg70
>>560
そりゃまた極論を
ならヒッタイトはエジプトより
先進国だったという結論になるな
565名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:26:46 ID:rOV0EE+H0
ヤマトトトヒモモソ媛命=卑弥呼なら
日本が統一した時代というのは、かなり古いことになる。
神武天皇は紀元1世紀の生まれになるし
それ以前だと、出雲国譲りは、紀元前1世紀くらいになる。

実際に、魏志倭人伝によると
卑弥呼が擁立される前には、歴年争いがあり
それ以前は男王の時代が続いていたそうだし。
566名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:29:00 ID:rOV0EE+H0
>>560
ヒッタイトは鉄の最初だが
同時期のエジプトを越えることはなかった。
鉄があると有利だが、それは絶対的なものではない。

たとえば、朝鮮半島では、加羅諸国が鉄がもっとも多い地域だったが
実際に強かったのは、それらよりも鉄の少ない地域だった。
567名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:32:12 ID:5ToKKepC0
>>563
問題は他から技術の伝達が来るだけの交流とそれの運用方法に供与をうける側の発展具合。
っとまぁ逃げの一手を書いといてなんですが万能ではなくてもその当時の最新技術を持つ国が歴史に名を残す強国になるのは今も昔も一緒だと思いますが

568名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:33:39 ID:mdX2acZkO
>>1
なるほど立派な遺跡だというのは分かるけど、
「だからヒミコだ」
っつーのは、やや飛躍してんじゃね?
569名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:34:40 ID:ovtuf6FbO
>>561
俺は宇佐から今の北九州辺りにかけた一帯だと思ってる
「豊」の字がつく地名が嫌なほどあるし何より宇佐神宮だ
570名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:37:41 ID:Oh55W5la0
>>569
宇佐神宮とか調査できんのかな。あそこ掘ったら決定的なものがでてくると思うよ。
卑弥呼そのものとかな。
571名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:37:44 ID:v/SWf6wDP
>>568
> なるほど立派な遺跡だというのは分かるけど、

いや、この発掘では全然。
縄文末期にもっと大きな大型建物がある。
572名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:40:40 ID:CNqB/Ry20
邪馬台国が畿内だと、九州から畿内への神武東征やらが
邪馬台国以前にさかのぼることになるな
573名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:43:02 ID:A6uJqf3oO
200年代の巻向(奈良県桜井市)に柵を伴った大きな建物があった

って話なのに。
好太王碑文より年代が100年古いのかな。
574名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:43:35 ID:IrmC6Iou0
九州説とかもはやオカルトですから
575名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:43:37 ID:Oh55W5la0
だいたい魏志倭人伝なんてあてになるかよ。水行何日、陸行何日って適当に書いたかも知れんだろ。
他の国の行き方とごっちゃになったかも知れんし、そんな辺境の田舎国まさか中国に牙剥いてこないだろって
思えば、どうでもよかったんじゃないかな。
576名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:46:40 ID:YIUf4he80
混一疆理歴代国都之図では日本が時計回りに回転して記述されてるので、
地図上での「南」が実際の「東」に対応しているわけだが、
古代地図や古代の製図法・方位決定法なんかを研究した例ってあるのかな?

つまり陳寿も、日本が回転した地図を見ながら魏志倭人伝を書いたんじゃないか、ってこと
古代中国の製図法で、洛陽を中心として製図した場合に、周辺部がどう歪むのか気になる

当時は緯度経度の考えが無かったらしく、方位と距離のみで地図を作ってたらしいが、
洛陽から離れた場所で方位を決定したときに、どういうふうに歪むかも検討が必要じゃね
577名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:47:48 ID:v/SWf6wDP
>>573
> 柵を伴った大きな建物があった

柵が大きいのは確かだけど、
建物が大きいかどうかはまだ分からない。

ここは2メートル四方、5メートル四方の建物が
山のように出てくる地域。今回出てきたのもそう。
米作に関する使い捨て祭祀用だと考えられている。
併設の井戸から米穀が出てくるので。
578名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:50:57 ID:tk+F0abg0
>>575
そりゃそうだw てか”卑弥呼”っていう漢字も単なる当て字だし、日巫女か姫皇子(これでどちらもヒミコと呼ぶ)
の一般名詞を中国人が深く考えずに固有名詞として記録したと考えられてる品。
更に邪馬台国も当時の発音とかを考えると”ヤマト”と発音できなくもないらしいからかなり表意文字である
漢字の表現限界から適切な情報はかなり欠落した記録になっているのはしょーがねーべ。

連中にしてみれば所詮野蛮人の話なんだし、テキトーに記録しとけみたいなノリだったりなw
579名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:51:13 ID:A6uJqf3oO
>>575
てか、同定しようのない邪馬台国や卑弥呼を出さないと気が済まないって態度が
すでに病的な気がする。
「金印紫綬が見つかった!」ってんならいざしらず・・・
580名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:53:12 ID:b/wNh5c40
>>570
宇佐は隋書に出てくる秦王国だと思う。
筑紫とヤマトを結ぶ玄関だったと思うな。
581名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:55:05 ID:V/lIvVIS0
ん〜?これのどこが邪馬台国と結びつくんだ?
考古学者ってのは結論ありきで調査するのか?
582名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:55:11 ID:A6uJqf3oO
>>577
今回は宮の跡かも、って記事に出てるけどね。

好太王碑文より年代が早いなら、景行天皇か、それとも垂仁天皇かな?
583名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 18:56:13 ID:KPh4qS0JO
ヒッタイトはエジプトと戦争して、どっこいどっこい
そんとき結ばれたのが、世界最初の休戦条約でなかったか
584名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:01:03 ID:b/wNh5c40
>>575
事実ではないにしても、九州からは海を渡った相当な距離がある場所に邪馬台があるわけだから
邪馬台国が九州にあるなんてのは、三国志を全否定しないと解釈できないわけで。
585名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:02:57 ID:1kV0yovCO
今の近畿説論者の手法って嘘も百遍言えば真実になるの類だな。
発掘情報を何でも近畿説に関連づけてマスコミに発表していけば、一般の人間は
信じるから、既成事実を積み重ねて近畿説を政治的に補強しようとしているだけ。
586名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:03:18 ID:v/SWf6wDP
>>581
予算のため派と頭おかしい派と二種類いる。> なんでも邪馬台国
587名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:04:18 ID:rOV0EE+H0
魏志倭人伝を読んだら、普通に
投馬国、邪馬台国のあたりから
水行○日っておいう記載にかわる。
もし、邪馬台国らが、奴国、伊都国と同じ
九州なら、こんな書き方をするかよ。
588名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:05:00 ID:r0aTpgTkO
倭→和→大和
やまたい→やまと

大和の読みが「やまと」だから畿内説が正しいと感じる
589名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:06:39 ID:A6uJqf3oO
>>584
沖縄ってことにしておけば?
590名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:07:16 ID:oG+AnxxD0
大神神社に車をおいて崇神陵あたりまでのんびり散歩最高
591名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:07:21 ID:b/wNh5c40
>>585
九州に規模的に決め手になる遺跡が出てこないのも事実。
マキムクを越えるものが出てこないと、むしろ九州説が
君の言うような状態になってる。

592名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:08:56 ID:UNtwnHS50
おれ、鯨統一郎先生の『邪馬台国はどこですか?』で勉強したけど、
「邪馬台国=陸奥八幡平(ヤマタイ)」なんだぜ?
593名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:09:33 ID:SvxZVS560
永遠のナゾでいいだろう?とことん決着つけねばならんものでもあるまい。
九州、畿内、おなじくらいの可能性がある。どちらでもおかしくない。
いずれにせよ古墳や歴史建造物を掘り起こせないかぎり決着はつかん。

理系をニヤニヤさせるだけしか脳がない歴史学者はもうすっこんでろ
594名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:10:13 ID:JfSf89A60
>>590
石上くらいまでは歩いて電車で戻って来い
595名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:10:28 ID:qioMei5Z0
そもそも、マスコミの宣伝によって大衆人気を博してきたのが九州説w

小説、コミックetc・・・最近じゃあ映画「幻の邪馬台国」なんてものもあったっけ?w

邪馬台国のおかげで一躍時の人、スターダムにのし上がって一儲けしたのはどう見ても九州説の方が多いだろうwww

確かに纏向を紹介するのに一々邪馬台国の文字を出すのはどうかと思うが
そんな物は大衆の耳目を集めるためのマスコミの常套手段。

アカデミズムで畿内説に押され大衆の認知でも畿内説に押されるのが嫌なのかな?www
596名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:12:27 ID:0bWdZ+6bP
宇佐神宮ってアレだよね、2礼4拍1礼。
他の神社とはちっと違う感じ。
それとも作法の違いって珍しくないものなの?
と思って今グルッたら出雲大社もそうなんだ。
597名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:12:32 ID:Oh55W5la0
>>588
>倭→和→大和(やまと)

今でも青森や沖縄では自分の事をワかワーって言う。
倭人ってのは中国の人が来たとき「この国は何て国?」
って問うたら「ワー(自分)の国」って答えたのを
そのままワー(倭)だから倭人って名づけたって聞いたことがある。
倭はヤマトにはならない。
598名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:12:45 ID:biQopti30
邪馬台はヤマタイではなくヤマトと読む。
最初からヤマトと書いてあるのに熊襲隼人の末裔どもは何を騒いでおるのか!
599名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:13:16 ID:YdmAu2js0
邪馬台国九州説の考古学者って、佐賀女子短大の高島忠平氏以外だと
誰がいるの?
600名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:13:33 ID:VQNWl78ZO
>>559
舶来信仰。
日本人ダセー!
601名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:14:03 ID:YNnpQIO1O
耶麻台国→やまと
投馬国→いづも
602名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:14:32 ID:v/SWf6wDP
>>591
というか不定でいいんだよね。
学問としては。分からなければさ。

一般書とかエンターテイメントなら
いろいろやってもいいけど。
603名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:15:00 ID:co4ldTxPP
>>303
鬼ノ城(キノジョウ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E3%83%8E%E5%9F%8E
7世紀後半、城村江敗戦後に唐軍の襲来に備えて造営された建築らしい。
604名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:15:27 ID:A6uJqf3oO
>>595
どちらもうざい・・・
605名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:15:53 ID:5ToKKepC0
>>584
それはじめての異国での記録だろ
しかも迎えるほうは使者を案内し世話をしながらの記録。
韓国の王を膝まずかせて謁見する使節団をだす所の使者の歩むスピードに
昔の船でしかも大陸人を渡航させての記録を今の考えられるスピードで換算
してどうするのかと・・・・
606名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:17:04 ID:wqsVrpk00
>>597
八島  (Wikipedia)
日本の呼称(雅称)の一つ。大八洲国、略で大八洲とも呼ばれる。
『古事記』では、本州・九州・四国・淡路・壱岐・対馬・隠岐・佐渡などの「八つの島」の総称とされている。
しかし、日本神話においては八は聖数とされ、また漠然と数が大きいことを示すことにも用いられた。
よって本来の意味は、「多くの島からなる国」である。

ヤ ワ の国とかどうだ?
607名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:17:24 ID:b/wNh5c40
>>596
2礼4拍1礼は出雲大社と同じだから
宇佐はヤマトに征服された神の鎮魂の場と解されるかもね。
608名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:19:05 ID:A6uJqf3oO
>>606
聖数・・・

キモっ
609名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:21:12 ID:5ToKKepC0
いま、もう一回上から読んでいたんだがホントにここは=ニュース速報+なのかと・・・wwwww
610名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:23:31 ID:b/wNh5c40
>>605
九州内の距離の表記との比較だよ。
確実なのは九州からは相当な距離があること。
そして九州から邪馬台国に行くには船を使うこと。
611名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:23:48 ID:qioMei5Z0
>>591
いや、遺跡の一つが出てくる出てこないより話は深刻だろうw

弥生末期には九州が衰退していると言うことに加え
そもそも、30カ国のまとまりを想定できるような痕跡が九州に見られない。

例えば、もし前方後円墳や東日本の前方後方墳、山陰の四隅のような地域色のある大型首長墓が九州にあれば
その分布に重ね合わせて30カ国を想定できようし、説得力もあるだろう。



612名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:24:44 ID:YAc58jmlP
魏志倭人伝の記述から邪馬台国を推察してもダメらしいよ。
解釈によっては、どこにでも可能性が出てきちゃうとか言ってた。
あと、卑弥呼が死んだ年は、皆既日食があった年と一致している
そうだ。
何にしても、4世紀の中国が内乱で史記がないのが痛い。
ただ、魏志倭人伝で伝えている国を古代中国音で読むと「ホカタ」
「トス」と読むというのを聞いたことがあるんだけど。
それでも畿内なのかなあ?

613名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:25:58 ID:5ToKKepC0
>>610
たぶんもうそこから間違っていると思うのですが・・・
614名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:26:09 ID:IOtbVOQH0
>>580
同感です
あの一帯は京都(みやこ)郡と呼ばれていますし
宇佐が皇室に何らかのゆかりを持つということはほぼ確実でしょう
615名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:26:15 ID:wqsVrpk00
>>612
博多や鳥栖を経由したことは経由したのかな。
616名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:29:46 ID:5VRqoQ4M0
>>576
そんなことを考える以前に、

「魏志の地理的記述は信憑性が全く無い」

と考えるのが常識だと思うがw
それでも尚、魏志倭人伝を必死で読むのは、
聖書に書いてあるからと言って、
「地球はよく考えれば平らだ」とか「天地創造は紀元前4817年に違いない」
と「信じる」のと同じ態度なんだ。
「そう信じる宗教なのだ」と言われれば、
信教の自由で憲法上保障されるわけで、宗教としては迫害しないけど。

ID:rOV0EE+H0とか、もう見てらんないよ。
どうみても「魏志倭人伝を根本経典とする卑弥呼原理主義カルト」の信者としか思えない。
「魏志の他に経典は無く、卑弥呼こそが唯一絶対の神である」
「魏志にある神の言葉は絶対の真実である」
復唱でもするがよいww

おれはあんなものは、宇宙戦艦ヤマトのイスカンダル星への宇宙航路と同じ
ファンタジーだと思っているが。
617名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:30:12 ID:Oh55W5la0
なるほど「ホカタ」→博多 「トス」→鳥栖か。

618名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:31:44 ID:3gzrekg70
>>612
博多なんて地名はこの時代よりずっとあとのもんだろ
博多大津の初見は8世紀の続日本記らしいし

奴国のあったところだから
奴の津(なのつ)などの呼び方のほうが古い
619名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:33:41 ID:SvxZVS560
>>618
今夜は卑弥呼に思いを馳せながら元祖でも食いにいくかなw
620名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:34:33 ID:b/wNh5c40
>>614
宇佐一帯が京都郡と呼ばれるようになったのはいつからかわからないけど
聖武天皇の奈良の大仏の製造に宇佐神宮の神を祭ったり
道鏡事件で和気清麻呂が神勅を受けて道鏡の皇室乗っ取りを排除したり
少なからず関係はあっただろうな。
621名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:35:24 ID:DqyUMZ9gO
箸墓を発掘調査すれば金印がでるはず
622名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:36:31 ID:8dy6P3pf0
>>616
シナの方が圧倒的に先進地域だもの。
当時それ以外の史料なんてあるのかなw
623名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:37:52 ID:dKBNzcJX0
歴史学って答えが出ない点で理系にはるかに劣るよね。
624名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:41:16 ID:AGtWlASY0
>>623
それだけ複雑な問題を相手にしてるっていうこと。
理系みたいな単細胞では太刀打ちできないw
625名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:41:53 ID:IOtbVOQH0
>>620
景行紀に出てくる宇佐の女首長、神夏磯姫こそ
狗奴国に滅ぼされ宇佐に逃げてきた邪馬台の王族の末裔ではないかという感じがします
神夏磯姫は三種の神器を持っていたわけですしタラシ系の一族はこの邪馬台の末裔と姻戚関係を結び
東進を開始したのではないでしょうか
626名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:43:09 ID:5VRqoQ4M0
>>622
「おまえの曽祖父はデスラー総統である」という中国史書がでてきて、
おまえの曽祖父に関する資料がもし「それが唯一のものだった」としたら、
おまえは、自分の曽祖父はデスラー総統だと信じるのか??


どんな「先進文明」だろうが、史書の「伝統」なるものがあろうが、
まともに読んだら南大東島の絶海の孤島に女王国があるなんて「歴史書」は、
それだけで信用に値しない。

「一つ文字史料があった」→「信頼に値する史料は何も無い」
これが合理的な態度だと思うがね。
627名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:43:19 ID:qioMei5Z0
>>623
そう言う思考は柔軟性に欠くと言われるぞw

自然科学にしたってあらゆる説は反証可能な仮説に過ぎないんだからwww
628名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:43:35 ID:A6uJqf3oO
>>622
先進国なら、正確に書きゃよかったのにね・・・
噂話程度の確かさしか無いのはどうしたものか。

鉄剣名と碑文、書紀、遺蹟の符号の方がよく一致する
629名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:43:38 ID:XW3OpzX20
・・・ぁ
>>601
> 耶麻台国→やまと
↓あとどこかでで読んだ記憶が(;ーー)ゞ

卑弥呼→日巫女もしくは日御子 
神話にもそれなりの裏づけがあると聞いたことがある

これでスタンスとしては畿内説でOKジャマイカ
630名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:44:15 ID:rOV0EE+H0
宇佐は神功皇后がらみでしょう?
卑弥呼とは無関係。
631名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:44:49 ID:Z1JvphTP0
まだ九州なんて言ってる馬鹿がいるのかwwwwwwwww
632名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:45:25 ID:AGtWlASY0
理系の学問って事象の最底辺を相手にしてるだけだもんなw
ウンコについて語ってるようなもんだw
633名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:45:29 ID:pFtOyJntO
ハニワ幻人
634名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:45:59 ID:waFDsqty0
>>616
だったら、「邪馬台国」なる国の存在自体がどうでもいいって事になる。
635名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:46:19 ID:6xFKPKl90
>>633
それはもう全滅した
636名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:49:43 ID:Oh55W5la0
>>625
なんか貴方の言ってることはいちいち気になるのでちょっと調べてみます。
天の岩戸=皆既日食 は可能性としてはあると思う。
何かの自然現象って事は確かなのかなって思う。
637名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:49:52 ID:ATbUWEod0
ところで、まんこに箸が刺さって死ぬってどんな気分なんだろうね。
638名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:50:28 ID:nq/pUXDJ0
日本古代史って、なんかこう、スッキリしなくてじれったいんだよなぁ。
そこにロマンを感じるんだろうけど・・・。
でも、このじれったさは何だろな?
「卑弥呼」や「邪馬台国」を示す文字資料が遺跡から出ないからかな?



素朴な部外者の疑問だけど、何故「記紀」に「卑弥呼」は登場しないの?
教えて、エロくない人!
639名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:50:57 ID:b/wNh5c40
>>625
>狗奴国に滅ぼされ宇佐に逃げてきた邪馬台の王族の末裔

これがわからないな。
そこまで話を広げるとファンタジーでは?
秦王国であったなら、そのこ長で、熊襲退治に協力しただけかも。
邪馬台国はヤマトで畿内だと思うし。
640名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:51:52 ID:Oh55W5la0
>>631
むしろどんどん増えてると思うよ^^
641名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:52:39 ID:wqsVrpk00
>>638
「敵」だったからとかかもね。飲み込んで無理やり先祖にしちまうにはメジャーで無理があった人物とかだったりして。
642名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:53:45 ID:82f2DMdd0
文系の学問には嘘つきも多いけどねw
上下の差が激しい学問だな。
643名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:54:55 ID:RmscqRhm0
投馬国 → 丹馬国 (丹波)
邪馬台国 → 大和国 (奈良)

です
どうみても
644名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:55:32 ID:rOV0EE+H0
上で皆既日食がどうのこうとか言っているのがいるが
その説はとおの昔に否定されている。
なぜなら、その時代に日本では皆既日食など無かったから。
それは市販ソフトの結果であって、誤差が含まれてないw
645名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:55:37 ID:qioMei5Z0
>>640

それはどんなところで感じておられるんでしょうか?
646名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:55:42 ID:5VRqoQ4M0
>>634
そう。その通り。
あんなデタラメの地理の描写の挙句に出てくる
「邪馬台国」なんて、「イスカンダル星」と同じ。


ただ、巻向遺跡の考古学的研究の意義は全く別。
天文学者が大マゼラン星雲を観測して研究していたところ、
ある惑星2つを発見したとする。
そんなときに、
「これはイスカンダル星に違いない」「隣の星にはあのデスラー総統はいるのか」
などとマスコミが騒ぎ出したら、ただの迷惑だろ?
それとまったく同じなんだよ>邪馬台国と卑弥呼
647名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:56:48 ID:3gzrekg70
>>638
上のほうのレスにも出てるけど
日本書紀の神功皇后紀の注に
魏志倭人伝の記事が引用されている

つまり日本書紀の編纂者は
神功皇后と卑弥呼を同一視していたとも考えることができる
648名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:56:55 ID:Oh55W5la0
>>645
ネット^^
649名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:58:46 ID:qioMei5Z0
>>648

なるほど、学問の世界じゃあ劣勢著しく
市井の歴史愛好家の間でも畿内説が優勢になり
ネットが最後の牙城となっているわけですねwww
650名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:59:12 ID:qRnk0ZRL0

「邪馬台国とマキムクを切り離しても充分楽しめる」

これが初心者と中級者の境目。
651名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:59:12 ID:A6uJqf3oO
>>634
「どうでもいい」。
652名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:59:23 ID:OQbNK0hKO

しかし、まだあまりに狭いな!


653名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 19:59:37 ID:SLwG72WaO
こういう調査してる人の給料ってどうなってるんだろ
654638:2009/03/23(月) 20:00:04 ID:nq/pUXDJ0
>>641
邪馬台国は大和政権に滅ぼされたのかな?
「宋書倭国伝」あたりに、「あの卑弥呼と言ったおばちゃんの子孫は元気にしてるのだろうか?」
ぐらい書いとけばよかったのにぃ!と思うこの頃・・・。
655名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:02:41 ID:X/cogRBo0
>>654
いや、だから、邪馬台国=ヤマト国=大和王朝
656名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:02:51 ID:YdmAu2js0
>>638
卑弥呼の名こそでないけど、神功紀に倭の女王が朝献したとする
魏志の記事を引用している。
書紀の編纂者は卑弥呼を神功皇后のことと考えていたらすい。
657名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:03:25 ID:SvxZVS560
光学迷彩とタイムマシン開発まで待たねばならぬか
658638:2009/03/23(月) 20:03:54 ID:nq/pUXDJ0
>>647
>>656
thx! 
659名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:03:56 ID:yodbBjEZ0
>>646
その通りだね。考古学では卑弥呼も魏うよ志も全く関係無い。
考古学で用いるのなら(考古学者や行政内研究者が口にするのなら)まず徹底的な文献批判が必要。
660名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:04:21 ID:3gzrekg70
>>641
隋書にこういう記述がある

其の地勢は東高西下、邪靡堆(ヤマト)に都す、則ち『魏志』に云うところの邪馬臺なり

つまり中国側はヤマトが邪馬台国の後継だとみていたことになる
661名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:04:54 ID:4vcpZdqn0
>>654
大和政権の起源はせいぜい4世紀後期だろう。
卑弥呼の国とは断絶があるね。
662名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:05:15 ID:4x93xV6L0
畿内に相当な勢力があったのは確かだろうけど
マキムクってあんまり中国がらみの品が出てきてないんじゃないの?
邪馬台国だとしたらちょっと腑に落ちないなあ
663名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:06:38 ID:X/cogRBo0
>>661
いいや、だから
少なくとも、このスレタイトルから考えて
大和王朝の10代目の天皇の時代=卑弥呼の時代
という解釈になりつつあるんだよ。
664名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:07:33 ID:52Ysu0mF0
マキムクは自然発生ではなく、人為的に作られた都市なのがハッキリしている
どこからか遷都してきて宮殿を建てのだろう

九州からやってきた豪族が作ったとすれば神武東征とも合致するやん
665名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:08:12 ID:W4pGylQmO
岩手八幡平じゃねえのか
666名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:08:25 ID:waFDsqty0
>>649
しかし、魏志には銅鐸に関する記述が一切出て来ない事や、
畿内からは鉄器が余り出土しない問題については、畿内説を
主張する考古学者は一切スルーしているんだが。
667名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:10:57 ID:A6uJqf3oO
>>647
おまいは>1のナニを見ているのかと。
668名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:11:16 ID:uavtwV910
魏志倭人伝の記述は伝聞で結構適当だろうから、あまり信じすぎるのも良くない。
それでもヤマト=邪馬台という音の近似から、日本に地域大国的な国家があったことは確かだろう。
そして場所はヤマトという音が示すように現在の奈良県。後の大和朝廷の母体になったと思われる。
669名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:11:56 ID:4x93xV6L0
東征説を取るとすれば
アグレッシブな狗奴国が東征したんだと思う。
670名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:12:53 ID:X/cogRBo0
>>664
マキムクにおける九州の比重は小さい。
マキムクの出土品で、近畿以外で多いのは
東海地方と吉備地方。
671名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:13:50 ID:uilEh+xA0
>>668
距離の記述が、九州説のとりででもあるのだが、
当時の水運技術ははっきりわかってないんだよね?

陸路はそう誤差がないだろうが、水路は非常にあやふやだからね。
672名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:14:20 ID:/1N0q5LV0
どう考えても九州に決まってるだろ
いいかげんにしろ畿内厨
673名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:14:46 ID:4vcpZdqn0
>>666
なんなんですか、そのまじめくさった嘘w
674名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:15:04 ID:X/cogRBo0
>>668
後の大和朝廷というよりも
大和朝廷そのものでしょう?邪馬台国って...
675名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:15:50 ID:YdmAu2js0
>>661
その説は古いよ。
前方後円墳の出現が3世紀中葉とされているんだから。

>>670
たしか半分が東海系のものだとか。
676667:2009/03/23(月) 20:15:50 ID:A6uJqf3oO
間違えた・・・>>647じゃなくて>>661へのレス

>>663
ナニを根拠に10代目と?
677名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:16:02 ID:v5CYXrq9O
>>660
奈良は盆地なのに東が高くて西が低いって記述されてるの?
普通、大和を表現するなら海から離れて山に囲まれて……とかになるのに。
これじゃ浪速じゃん。
678名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:16:08 ID:FAGTb7cz0
桜井ってそうめん以外にもあったんだな
679名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:16:56 ID:4vcpZdqn0
>>674
そうだよ。神武東征なんて大嘘だなw
大和朝廷は昔から大和の地にあった。
680名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:17:01 ID:HFLtqqJr0
銅鐸文化の断絶は、ゆっくり融合支配していたのではなく、
かなり大規模かつ早く占領されたことを示している。

銅鐸文化圏を支配したのはかなり大規模な勢力だ。
それ以前の支配階級はほぼ殲滅された可能性が高い。
681名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:18:04 ID:wqsVrpk00
鉄器については淡路島の話が出てたな。続報に期待。

淡路に最大規模の鉄器工房群 邪馬台国論争に一石
http://www.asahi.com/culture/update/0122/OSK200901220082.html
682名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:19:41 ID:3gzrekg70
>>681
そんな記事も最近あったね

大陸から持ってきた鉄を加工する工房
瀬戸内海が大きな意味を持っていたことになる

これも畿内説に有利な材料
683名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:20:22 ID:waFDsqty0
>>673
じゃ、ソースを示して、「本当の事」を言って下さいよ。
少なくとも俺が知る限りでは、銅鐸の件と鉄器の件について
明確に答えている畿内説の考古学者は全くいません。
684名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:21:24 ID:I2jjRBMSP
>>638
既に何人か答えてるが…

記紀が編纂されたのが8世紀、纒向に政権の拠点が置かれたのが3世紀
500年ぐらい時間差がある。今から鎌倉時代ぐらいを振り返るような感覚
しかも最初のうちは文字もろくに使ってなかった
人々の記憶から当時の政権のことが消えたとしても無理からぬこと
685名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:22:00 ID:uilEh+xA0
>>682
鉄そのものは大陸から入れる必要なないんでないかね

製鉄技術が問題であって。
そうであっても、湾岸で海風があり、木材資源の豊富な畿内でよいのだけど
686名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:23:31 ID:Oh55W5la0
>>682
瀬戸内海は重要だと思うけど、畿内説に有利になる良かったら教えてください。
687名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:23:54 ID:A6uJqf3oO
>>684
おまいは記紀を読んでないな
688名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:24:09 ID:HFLtqqJr0
伊都国今宿付近の長垂周辺に
鉄器製造跡があるよ
いまでもあのあたりの砂浜には砂鉄の層がある。
689名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:24:47 ID:Rq4irPrn0
>>683
書いてないから無かったという証明にはならないよ?こんな事常識なんだけど。
そもそも魏志に出てくる倭人の風俗記事は北部九州の事だよ?もしかして知ら
ないの?近畿の考古学者は馬鹿らしくて答えないだけだよ。
690名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:25:41 ID:v5CYXrq9O
邪馬台の台は今も昔もタイと読む。
大和のトでは無い。
両者は全くの別物。
邪馬台国の他に邪馬国とかの記述もある。
けっこうポピュラーな名前。
691名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:25:54 ID:N4bH5blw0
そろそろ実家に代々伝わる金印を出すか。
692名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:26:44 ID:3gzrekg70
>>683
銅鐸の製造は2世紀の段階ですでに終わってるだろう

銅鐸の役割についてはいまだに不明な部分が多いけど
出土状況からみてなんらかの理由で廃棄されたと考えられるものが多いから
この当時の外国の使者が見られるような状態ではなかったのでは
693名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:27:27 ID:4x93xV6L0
中国人「あなたの国はなんという名前ですか?」
倭国人(九州訛り)「ヤマたい」

ということらしい。
694名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:27:40 ID:52Ysu0mF0
>>684
当時は文字がなかったからこそ、口承が発達していた
口承を生業とする人間は崇められていたし、記紀も口承をまとめた事が記されている
今現在の常識で当時を語るのは止めとけ
695名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:28:44 ID:waFDsqty0
>>689
その論法を使うのなら、魏志の記述を云々する事がそもそもナンセンスになる。
つまり、畿内説を主張する人は、自分に都合の良い点ばかり持って来ているっ
て事ですね。

まあ、九州だろうと畿内だろうとどっちでもいいが、畿内説の主張者の御都合主
義には反吐が出るわ。
696名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:28:46 ID:A6uJqf3oO
>>694
おまいは記の前文しか読んでないな。
697名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:31:40 ID:Kz6yp7nBP
>>690
そもそも漢字の音は、日本語の音としてでなく、
中国語の音として考えなきゃいけない。

日本語の音を中国人が聞いて、それを中国語の近い音で転写したのが
「邪馬台」だろうから。

我々が英語の音を聞いて、日本語に近い音に転写すると、
英語の発音とはしばしば別物になってしまうのがいい例。
そう考えると、台が日本語のトに対応していてもおかしくはない。

母音というのは子音に比べると揺らぎやすい。
前に英語でしゃべらないとで、英語の音をできるだけ忠実にカタカナで
書けというコーナーで、英語では「メイトリックス」(Matrix)と言ってるのに、
出演者全員が「マトリックス」と音写していた。
698名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:32:04 ID:4x93xV6L0
畿内王朝が朝貢していたかどうか疑問だな。
九州なら朝貢せざるを得ない状況だったことは
容易に推測できる。
699名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:32:05 ID:A6uJqf3oO
>>693
コーヒー返せっ

なんだ、その妙な説得力はっ
700名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:32:12 ID:tFAeFnY00
邪馬台国なんて九州でいいんだよ、それの方が都合がいい。

そもそも間近に敵国があって女首長一人死んだくらいでモメるような
弱小連合国家がヤマト王権の前身だったなんて、あってはならない事。
701名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:34:24 ID:ImVW4M1x0
古墳を掘り返してほしい
702名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:36:03 ID:A6uJqf3oO
>>700
だから、同定しようのないものを引っ張りだす必要そのものが、どこにあるのかと。

せいぜい金印紫綬を見つける努力でも
してりゃーいいんだよ、引っ張りだしたくて仕様のないひとたちは。
703名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:36:15 ID:I2jjRBMSP
>>694
ん、口承が発達してた割には記紀の内容と考古学の知見が一致してないような
つまり崇神から2代前までの大王のことだとか水にまつわる儀式だとか
数百年前のできごとを文書を使わずに正確に伝えることが本当に出来るのなら、
政権の都合に合わせて伝承を曲げたということかな
704名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:37:48 ID:HFLtqqJr0
九州は有明海沿岸、博多湾沿岸の西九州と大分、日向の東九州で分かれていたように思うな。
九州山地険しいから、あまり交通が容易ではない。
たまに少数が行き来するくらいで、お互い別の国という感覚ではないかな。

で、西九州が倭国、東九州と瀬戸内海(畿内まで)が大和に連なる国である。
さらに、別格として出雲国。

などと妄想を書く。
705名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:40:33 ID:qRnk0ZRL0
マキムク石塚とかホケノ山とかあそこらへんの初期古墳の被葬者って
具体的にどういう人物なの?倭国大乱の大功労者たちの墓だと思うんだけど、
もっと地味なの?ヤマトの在地首長とか?卑弥呼が箸墓だとすると
石塚やホケノの被葬者は血縁関係あんの?
そのへん妄想でも良いから答えてよ。
706名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:40:37 ID:wl+Mr5930
親魏倭王の金印を隠し持ってる奴いるんだろ?
出せよ。
707名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:41:59 ID:52Ysu0mF0
>>703
部族ごとに口承が異なるのだから、マキムクのように異なる地域をまとめた場合
統一感が無くなるのは当然だと思うよ

そして卑弥呼についてはしっかり記述されてるって説があるよな
アマテラスとして
708名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:42:45 ID:6ltJXiC+O
すごいな
709名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:42:58 ID:A6uJqf3oO
>>703
書紀を書いた連中の中の人は、資料も見てたよ
紀の内容と考古学の知見、蘇我邸宅跡だの、なんだの、一致。
710名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:43:57 ID:uilEh+xA0
>>707
卑弥呼=アマテラスだとしたら、スサノオとツクヨミはだれ?

アマテラスは国名で、後の大和、
スサノオは出雲というネット説もあったなぁ
711名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:44:53 ID:KUBdOKEa0
九州説の人は九州のどこかを言わないとな。
畿内説は纒向という候補を挙げてる。
712名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:45:24 ID:3gzrekg70
>>677
倭國,在百濟、新羅東南,水陸三千里,於大海之中依山島而居。
魏時,譯通中國。三十餘國,皆自稱王。夷人不知里數,但計以日。
其國境東西五月行,南北三月行,各至於海。其地勢東高西下。
都於邪靡堆,則魏志所謂邪馬臺者也。

其の地勢東高西下ってのは日本列島全体の地勢のことだ
東日本に高い山が多いってこと

都於邪靡堆,則魏志所謂邪馬臺者也。
(ヤマトに都す。すなわち魏志のいわゆる邪馬台なり)

という記述が隋書倭国伝にあるのは事実だよ
北史にも同じ記述が見られるから、中国側の認識は 大和=昔の邪馬台国
713名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:45:39 ID:4x93xV6L0
スサノオはクヌ国王、月読は卑弥呼に仕えた男子だろう。
714名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:46:01 ID:A6uJqf3oO
>>707>>710
なんだこのデムパ
715名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:47:13 ID:g/FA2bA2O
女王国と邪馬台国は別物だと知らない素人ばかりか
716名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:48:45 ID:3imn4vpjO
伊都は北九州
水行とは瀬戸内海
陸行は丹波から畿内まで

卑弥呼は葛城氏の葛城日女命ことモモソ姫。
鬼道とは陰陽道の事。鴨氏は葛城。
日女命の妹の旦那は祟神。
弟王とは義弟の祟神。
紀記にもモモソに祟神が吉凶占いを頼んでいたとある。

建内スクネやその末裔の蘇我、巨勢、平群が
天皇並の権力を有していたのは
彼等が卑弥呼の末裔の葛城氏だからだ。

欠史八代は葛城出身の大王。
悪く書かれたりしているのは三輪大王ではないから

相撲の発祥伝説の当麻ケハヤと野見スクネの
戦いは葛城と三輪の争いの事であり、
倭国大乱とはこの戦いの事。
大王は三輪、祭神は葛城という事で折り合いがついた。
717名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:50:11 ID:/ZN1YyyH0
九州の山門と近畿の大和の前身が並立していた

山門=邪馬台国だけど、近畿がこれを滅ぼして
大和(倭)=「ヤマト」を名乗るようになった

神武東征は大和が正当性を主張するために作ったんだろう
718名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:51:00 ID:I2jjRBMSP
>>709
それはわりかし新しい出来事だな。あと葛城氏のこととかか。
さらに古い、例えば欠史八代の話だともうミステリーの世界だな
719名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:51:39 ID:i3UtzOwKO
邪馬台国→倭国→ヤマト国→大和国
720名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:51:42 ID:52Ysu0mF0
アマテラスが卑弥呼ってのは江戸時代から唱えられてる説だ
はっきりと否定できた学者なんぞ一人もいない
電波とか言ってるヤツは自分の考えをハッキリ示すなり、反証せえや
721名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:52:05 ID:T+P1udLM0
卑弥呼を日巫女と考えると=天照ってのはあるかもしれないね。
722名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:53:32 ID:Tx45tTvbP
邪馬台国なんて日本史において本当にどうでもいい存在なんだよ
そう考えると全ての辻褄があるから不思議
723名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:55:35 ID:i3UtzOwKO
山門→山都→ヤマト→倭
水門→水都→ミナト→港
724ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/03/23(月) 20:56:10 ID:iTL7DVJa0
曲学阿世の輩が
方角を90度も変えやがって

邪馬台国は沖縄
魏志倭人伝の記述をそのまんま追うと沖縄にたどりつく。
琉球神女も適合してるし。
725名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:56:43 ID:DWxIENPwO
某テーマパークのネズミだってみんなの心にいるって、いってるんだから邪馬台国も日本人の心にあるって言っとけよw
726名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:57:12 ID:A6uJqf3oO
考古学畑も
シューキョーな人が
入り込んじゃってるんだねぇ

>>716
ももそは崇神の叔母
727sage:2009/03/23(月) 20:57:20 ID:wUgSqlCO0
魏志倭人伝は主に二つのパートからなっている。
前半の倭国の地理風土。後半の女王国のレポート。
で、前半部分の漢字の用法は後半部分より古いとのこと。
つまり、金印の奴国王の頃のレポートかもしれん。
だとすると、風土風習が九州あたりしか出てこないのもわかる。
後半は魏志が書かれた直前のもの、同時代資料だ。
中国史書では昔の資料からのコピペはよくあること。
728ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/03/23(月) 20:57:36 ID:S5wjrwSw0
畿内で冬に生野菜とれたんですかあ?
嘘吐き学者さんよお
729名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:58:42 ID:Pv01gzSQ0
「始めて一海を渡ること千余里、対海国に至る、」

対馬に第一歩を記した旅人は開口一番、第一報で

「其の大官を卑狗と云い」

大官は、長官とか重臣を意味する。王が居なければトップの権威者だ。
その名は 「捨て犬」 または 「乞食犬」。これほど人を馬鹿にした言葉が
あるだろうか。ところが日本人の学者で、これを唯一の文献として有り難
がっている人も少なくない。いい加減に書いた物だと早く気付いて欲しい。

次の文言に進もう。

「副を卑奴母離と曰う」

大官が長官なら、副は次官のことだ。二番目に偉い人を、「卑しい奴隷」
その上に「みなし子」という字をあてている。賤しい孤児の奴隷と呼ばれた
副官は、どんな顔をすればよいのか。普通の人ならばこんな悪態は思い
つかないし、もし思いついても口にする勇気は無い。

この思い付きがよほど気に入ったのか、副官の名が出ている七カ国の
うち四カ国に使っているのだから、有頂天の様子がまざまざと示される。
この編者の程度の悪さが推量できるではないか。

これでも貴方は、こんな著述を信用しますか、大切にしますか。
730名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:58:47 ID:tFAeFnY00
>>720
卑弥呼が天照大神ならスサノオは誰だよ。
731名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 20:59:49 ID:HFLtqqJr0
伊都国は平原遺跡周辺の集落が首都かな。
いまでもあのあたりは平野の真ん中にぽつんと集落があって変な感じがする。

奴国は須恵、金の隈、太宰府、このへんは出土物多すぎ。掘ると必ず何か出る。

筑後なら、甘木、朝倉、久留米(高良大社?)、特に、高良大社は支配者の住む場所という感じはする。
久留米市内には櫛原(くしわら)でよく何か出土しているらしい。ここは久留米市内の中心地。

佐賀なら、もちろん吉野ヶ里があるが、佐賀市大和町の肥前国庁跡の東側の集落は遺跡の宝庫
船越遺跡なんていう前方後円墳や築山公園なんていう小さい古墳が住宅地の中に並んでいたりする。

日向の古墳群、宇佐神宮は当然の候補

もちろん、他の県にも候補はありそうだが、さてどこにしようか?
732ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/03/23(月) 21:00:01 ID:S5wjrwSw0
>>730
卑弥呼の弟
733名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:00:34 ID:vGgntTE70
ホントかよ、これ。
あんな穴だけの地面を見ただけでなんで卑弥呼の宮殿云々と特定できるんだよ。
根拠はなんじゃ、根拠は?
734名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:01:33 ID:Oh55W5la0
>>733
なにもない
735ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/03/23(月) 21:02:07 ID:S5wjrwSw0
邪馬台国は調停者だっただけで、別に最強国家だったわけではないです。
畿内説の歴史学者は馬鹿ばかり
736名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:02:12 ID:A6uJqf3oO
>>720
立証不可能な説を唱えたデムパに感化されたデムパが
怒ってやがる。
737名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:02:31 ID:52Ysu0mF0
>>730
卑弥呼には弟がいると記されてるよ、倭人伝には
738名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:02:40 ID:i3UtzOwKO
鬼道→カミ道→神道
739名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:02:49 ID:t6agbd+30
3世紀前半ごろは高度な建築物は邪馬台国でしか作れませんでしたって事か
740名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:02:57 ID:TfdVIYRl0
>>726
宗教というか学閥争いじゃないか?

日本も本格的に考古学を文系学部から理系学部にシフトしていかんと、
大事な手がかりが荒らされ尽くされてしまう。
741名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:03:24 ID:0bWdZ+6bP
ここらでひとつ日田説なんていかがでしょう
http://www.hisatuhime.com/index474.html
筑紫平野は広いぞ
742名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:05:03 ID:4x93xV6L0
畿内説がなぜ「邪馬台国」に拘るのかよくわからないな。
「九州よりすぐれた国があってそれが大和朝廷になった」
でいいじゃまいか?
743ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/03/23(月) 21:06:26 ID:S5wjrwSw0
・ 倭と大和朝廷は別の勢力
・ 邪馬台国は沖縄
・ 倭(連合国家群)は白村江の戦いの敗北で瓦解した。 変って本州の大和朝廷が台頭した

744名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:06:51 ID:eOdR/Ud60
>>729
「卑」弥呼に「邪」馬台国だもんな
745名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:07:06 ID:HFLtqqJr0
>>741
日田もいいですねえ。
スサノオが高天原に入っていくときの原風景みたい。
あそこにも遺跡があったはず。

なんていっているから、九州説は候補が絞れないんだけどね。
746名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:07:36 ID:xE8UlSbk0
邪馬台国が九州と畿内のどちらにあったのか(どちらか一方だけにしかなかったはず)
という考え方がすでに過去のもの。

九州に出現した邪馬台国が大和へ本拠地を移したと考えるのが自然だ。
したがってどちらにも卑弥呼の王権の遺構が存在する。

これは神武天皇の東征神話とも合致する。
747名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:07:52 ID:r5Vpx8/m0
3、4年後には邪馬台国は纏向って教科書に載ってそう・・・
748名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:08:04 ID:qZfB0nrb0
ゴッドハンド「邪馬台国はワシが育てた」
749名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:08:44 ID:5ekrz4fO0
>>441
>後の藤原京などに匹敵する大きさだから。

さすがにそんなには大きくないwww

藤原京じゃなくて藤原宮な。
750名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:08:53 ID:3imn4vpjO
北九州説の人に伊都の比定を
聞いたら、アホな答えしか帰ってこない…
751名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:09:01 ID:52Ysu0mF0
実際の政治を司っていたのは卑弥呼の弟
この一致に目がいかない人間の方がどうかしてると思うわ

まあ、あまりにも合致しすぎてるから逆に目を逸らしたくなる気持ちは分るが
752名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:09:08 ID:QvDJZLEo0
謎だから惹きつけるのに
753名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:10:10 ID:wqsVrpk00
>>712
倭国は百済、新羅の東南にあり。水陸三千里、大海の中において、山島に依っている。
魏の時、訳を中国に通ずるもの三十余国、皆自ら王と称す。夷人里数を知らず、ただ計るに日を持ってす。

その国境は東西五月行、南北は三月行にして、各々海に至る。その地勢は東高くして西下り、邪靡堆に都す。
則ち『魏志』のいわゆる邪馬台なる者なり。
754名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:10:57 ID:rJiWIJlHO
沖縄?

(ノ∀`) アチャー

755名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:11:27 ID:4x93xV6L0
日本は倭国の別種なり
756名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:12:33 ID:v5CYXrq9O
>>697
発音は中国のことを言ってるんだけど……
普通語ではタイだし広東語ではトイだし。
757名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:12:51 ID:Oh55W5la0
途中で休んだりしばらく滞在して接待うけた日数も含まれてるかもよ。
水行○日=距離とは限らない。
758名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:13:44 ID:loc5+vIB0
大和が、ヤマトだったかも分からんぞ。
759名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:15:12 ID:QvDJZLEo0
耶馬台国のそのまた300年前ぐらいに
カエサルが書いたガリア戦記は残ってるのに
日本の昔の事はわからん事だらけだ
760名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:15:14 ID:uavtwV910
>>756
現代中国語(普通話)の発音じゃ意味ないんだが。
魏志倭人伝が書かれた当時の発音で考証しないと。
761名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:15:35 ID:xE8UlSbk0
>>746

たとえば神武天皇は『古事記』では神倭伊波礼琵古命(かんやまといわれひこのみこと)、
『日本書紀』では神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと)、
などと記されているが、その子孫が「〜のヒコノミコト」と名乗っていたのを
シナへ伝わるうちに訛って「ヒミコ」という音に簡略化されたものと
考えられる。
762名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:16:31 ID:HFLtqqJr0
正直言って、巨大国家に統一なんてする必要ないんですよ。
自分らの村で食って行ければ。

九州の場合、比較的温暖でそれぞれの村で飢えないだけの生産力があれば
奪い合う必要はない。だから、卑弥呼のような宗教的信仰的な緩いまとまりで良かった。
勝つ組織ではなく、近隣の集落での争いが起きなければそれで良かった。

しかし、どこかはわからないがクナ国と呼ばれる全面戦争の相手が出てきてしまえば、
支配力の強い国家に変貌せざるをえない。

勝って支配したのか、負けて吸収されたのかはわからない。しかし、それで国のあり方は
大きく変わってしまったのです。
763名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:16:40 ID:Tlp/baoy0
>>737
先日のスーパーモーニングで作家の若一光司氏が
香川県高松市鬼無町に伝わる桃太郎伝説の地を訪ねるのですが、
その桃太郎伝説が面白いのです。桃太郎にはお姉さんがいて
お姉さんは徳島に住んでいます。
香川県の伝説では、桃太郎は五十狭芹彦命(吉備津彦命)のことで、
お姉さんは倭迹迹日百襲姫で父は孝霊天皇、母は倭国香媛です。
スーパーモーニングでは、お姉さんの墓は天理の箸墓古墳ではないか、
と言っていました。卑弥呼=倭迹迹日百襲姫とも言ってましたね。
魏志倭人伝の内容と香川県の桃太郎伝説と共通部分があるんですね。
764名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:16:44 ID:v5CYXrq9O
>>697
あと、トに当たる発音は伊都国があるからヤマトをヤマタイと聞こえたなんていうのは変。
そういやタイってのは昔の東南アジアでは人を意味してたから山の人って意味だね。
ヤマトの意味とはかなり違うね。
765名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:17:45 ID:tFAeFnY00
女王国東渡海千余里復有国皆倭種

これこそが日本の元となったヤマト王権の事だろ?
つーか、出雲も吉備も記載されてない魏志倭人伝に
何の信憑性があるのか。
766名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:17:57 ID:5ekrz4fO0
>>742
別にそれでもかまわんから、話をしてるときにちょっかいを出してこないでくれるか。
邪馬台国はおいといて畿内王権がどうやって成立したかを話してると九州説がよってきて
わめきたてるんで邪魔でしょうがない。

そもそも、なぜ九州説は九州説同士で話をすることができないんだ?

九州説って九州説を語ることがないんだよな。
連中がやってるのは、畿内説が間違ってるとわめきたてることだけなんだ。
不思議だろ。
767名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:19:17 ID:uavtwV910
>>764
台という漢字ががタイと当時読まれたという証拠はないわけで。
そもそも当時の日本語の音韻体系(上代特殊仮名遣い含めて)と中国語の音韻体系の
両方が分からなきゃなんともいえないんで、確定的なことは誰にも分からないよ。
768名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:19:22 ID:wUgSqlCO0
そもそも、卑弥呼は「女王」なの?
当時の魏の人の世界観でよその土地で一番偉く見えるのは「王」だと思い込ん
でいただけではないかい?
倭の方は「王」の言う事聞けん、となって「じゃ、巫女さんに神様からの言葉
貰うようにたのむわ、それで勘弁して」となっただけかもしれん。
魏の人には巫女さんが一番偉く見えるから「女王」として、「王」は他にいる
はずがない、へこへこしてるわけないってなったかもしれん。
769名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:20:39 ID:3MW6lGIjO
>>764
台が当時の中国語でタイと読んでいたのか確かなのか?
770名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:20:41 ID:YIUf4he80
>>765
出雲と吉備のどっちかが投馬国なんだろ
771ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/03/23(月) 21:23:44 ID:S5wjrwSw0
772名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:23:52 ID:wUgSqlCO0
>>770
但馬かもしれんよ、古代では重要な土地だ。
773名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:24:23 ID:52Ysu0mF0
>>762
卑弥呼は三十数カ国の女王に担がれるだけの存在だったのであって、ゆるいまとめ役ではない
当時は宗教そのものが政治だったし、卑弥呼の声は神託だった
米を中心とした農業は強大な力を産んだし、実際に卑弥呼は大陸に使いも送っている
774名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:24:34 ID:feTZoA3S0
777
775名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:24:45 ID:Oh55W5la0
>>771
凄い!!
776名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:24:54 ID:loc5+vIB0
大和が、文字記録のない時代から「ヤマト」という音だった根拠のほうはあるのか?
777名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:25:34 ID:jSLAeSncO
>>756
支那の現代と当時の発音もさる事ながら、支那語の発音自体カタカナで簡単に表せるもんじゃないだろ。あと、日本語の発音も今と卑弥呼の時代は変化してるだろうしさ。
778名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:27:08 ID:i3UtzOwKO
金印は誰の物か?
779名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:27:13 ID:3gzrekg70
>>770
経路的にも矛盾はないし
また戸数の点からからいっても
投馬国は女王国に次ぐ大国だからね

瀬戸内海経由だろうから
吉備の可能性のほうが高いけど
780名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:27:14 ID:tFAeFnY00
>>772
投馬国が但馬なら出雲がスルーされてるのはなんでよ?
781名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:28:21 ID:v5CYXrq9O
>>760>>769
古代の文字の読み方なら資料があって学者がタイと読むって言ってたよ。
時代によって変遷する漢字の読み方を纏めてる資料が中国にはある。
まぁ当たり前の話だけど…………
782名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:28:23 ID:yLe6jLK+0
書簡が見つかるのが一番
783名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:29:00 ID:vGgntTE70
こういう古代のことを探る学問がいまいち信用できないのは、古代の文献を疑いも
しないことなんだよな。作り話を書いてある可能性だって皆無じゃないし、第一当時の
中国に海の向こうの小国日本の事情がそんなに詳細に伝わることすら怪しい。

てか、倭国からの使いは当然当時の中国語で話したんだよな。通訳なんかいなかった
時代だし、どうやって意思の疎通をしたのかと疑問だらけだ。
784名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:29:31 ID:wqsVrpk00
>>780
国を「譲られ」たら都合が悪いからじゃね?
785名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:31:14 ID:wUgSqlCO0
>>765
「海」は伊勢湾との説もある。当時の伊勢湾は美濃の方まで海で船なしに今の
東海道にあたるルートは通れなかった。
東海道が相模から房総に行くのは江戸あたりが川や湿地で徒歩で行きにくい所
で、船で房総に渡るしかなかった。
同じように尾張三河は海の向こう。
786名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:31:46 ID:wqsVrpk00
ああ、なんかわけ分からんレスしてしまった・・・
787名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:31:48 ID:i3UtzOwKO
驚くことに、漢字を纏めた字典は日本人が最初
788名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:32:08 ID:Loa6I7cx0
>>768
張政らは日本に20年滞在し、
卑弥呼の死、男王をたてたが内戦、13歳の女王でようやくおさまる
という一連の出来事を見ている
789名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:32:36 ID:v5CYXrq9O
まぁどっちにしろ冬は温暖で野菜も採れる地がヤマタイ国だよね。
あの当時は世界的にはまだ温暖期には入ってなかったはずだけど奈良盆地は温暖だったのかな?
奈良時代は温暖期だけどね。
790名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:32:59 ID:rJiWIJlHO
>>771
(ノ∀`)  見事な机上の空論
791名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:33:02 ID:uavtwV910
>>781
そんなものは無い。もちろん資料はあるだろうが、決定的なものではない。

そもそもある言語の音韻体系は、別の言語で分析されないと謎につつまれたままだ。
例えば日本語の「か」という音がどういう音か、別の言語の文字を持ってこないと説明が難しいだろう。
日本語の音韻体系だって、戦国期に来日したポルトガル人の書いた辞書などが一級の資料になっているように。

中国語の音韻体系を中国語だけで内的に表現するのは難しい。
792名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:33:29 ID:wUgSqlCO0
>>780
投馬国は確か二つでてくるよ。誤記か脱字かもしれない。
793名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:33:50 ID:xE8UlSbk0
魏志倭人伝は3世紀の日本のうち、ある断片だけを取り出し、その地の
支配者が「ヒミコ」という女性だと記述したと考えるべきだ。

この記述が、3世紀の日本のすべてと想定すること自体が間違い。
おそらく3世紀の日本はすでに近畿〜九州を中心に多数の地方権力を
含む緩やかな王権ないしはそのネットワークにまとまっていたと
考えるべきだ。その一地方勢力に「女性支配者」が君臨していた
と考えること自体はあり得ることだが、それだけが、唯一の日本の
王権だったわけではなかっただろう。

卑弥呼(ヒミコ)という名前についても、神武天皇の子孫を名乗る
天皇家が各地に散らばり、皆「〜ヒコノミコト」といった名を持ち、
周辺地域や海外へその名が簡略化して伝わったものだと考えられる。

現代だったら、「〜のミヤ」と名乗っているが、それが海外へ伝わり
訛ったうえ簡略化されて「ノミヤ」みたいな部分音が、単独で天皇を
表す語になるようなものだと思えばいい。

邪馬台国も卑弥呼も、3世紀の日本の全体をもれなく記述していると
思い込むのは間違いだ。むしろ、それは日本の政治地図のごく一部を
訛った簡略化されたかたちで表現したものにすぎないと想定しておく
のが正しいと思う。
794名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:33:55 ID:I2jjRBMSP
>>781
学者って誰っすか。
と一応訊いてみる
795名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:34:09 ID:3gzrekg70
>>783
邪馬台国からの使いには
終始帯方郡の付き添いがついている

帯方郡は朝鮮半島にあった魏の領土
このあたりとの行き来はそれ以前からあったと考えられるし
おそらく通訳のようなこともやってたのだろう

魏からの使いはすべてこの帯方郡から派遣されている
796名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:34:25 ID:3MW6lGIjO
>>759
古事記、日本書記よりも古い天皇記、国記はあったとされるけどね。
歴史の中で葬られてる。
文字の伝来が早くなかったこともさることながら、
時の権力者によってそういった書物は消されたりするからな。
797名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:35:46 ID:il4zYU4dO
ばあちゃんが卑弥呼に仕えてたって言ってた。
798名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:35:47 ID:6PGXnkOsP
>>787
そうなの?
説文解字は字典じゃないのか
799名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:35:48 ID:8T2aXdhj0
オレが畿内説に抵抗感があるのは、三角縁神獣鏡関係の説。
800名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:35:53 ID:4x93xV6L0
まあ帯方群にはバイリンガルが普通にいたと思う。
801名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:36:37 ID:KtenIyA5O
>783
それはない
802名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:38:02 ID:Oh55W5la0
>>797
大事にしてあげてな。
803名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:38:40 ID:tk+F0abg0
>>781
だからヤマトという倭人が発言した発音を中国人の耳ではヤマタイと捉えたとも考えられるジャン。
日本人とシナ人とは根本的に発音体系が全く違うんだし。例えば今の中国では語尾にgの発音がつくケースが多い
けど、日本人にはそれらは聞こえない(というか無視して)聞いているだろ?
その倭人が地方出身者だったら、更に訛もあっただろうしなw
804名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:38:51 ID:Mqy74VKS0
>>762
勝ってたら、せっかくパイプのできた中国とのつながりを
やめるわけない。権威付けに使える金印までもらってるし、
なにより朝貢といっても、日本から送ってるのはほんとにショボいものばかりなのに
それに対する中国のおみやげはもの凄い。自分たちの力を見せ付けるかのよう。
それがパッタリなくなったということは、邪馬台国は負けて滅亡した。
勝ったクヤ国にとっては、中国は邪馬台国を支援してた敵だし
そんな外国を利用しなくても十分権力を保持できたんだろう。
805名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:39:04 ID:4x93xV6L0
結局、畿内王朝は朝貢してなかったから
魏志でも取り上げられなかったんだろう。
のちの大和の知識人が魏志を読んで
九州にコンプレックスを抱いたんだと思う。
その結果、三角縁神獣鏡を作って喜んでいたのではなかろうか。
806名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:39:31 ID:v5CYXrq9O
>>794
(。・_・。)ノ 知らねっスよ、名前なんて。
807名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:39:53 ID:NS4nMXjn0
>>797
卑弥呼の古墳に埋められたんだろ。
808名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:40:14 ID:Hz1Zlqes0
>>793
奈良平安時代ですら、天皇は近畿の主にすぎなかったんでないの?
809名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:41:38 ID:o9xTqrd70
>>781
ドとかダイに似たような発音では?
810名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:41:39 ID:Tlp/baoy0
そして倭人は朝鮮半島南部を支配していた。
白村江で唐・新羅連合軍に破れるまでね。
811名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:41:45 ID:3MW6lGIjO
>>793
いくつかの地方勢力があったことは魏志倭人伝の中でも記されていること。
その中でも邪馬台国が巨大な勢力であったことは明らかだろう。
それが大和朝廷(最近はヤマト王権と言うのか?)と繋がっているのか、
それとも消えてしまったのかが最大の関心事なわけで。
812名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:41:58 ID:IOtbVOQH0
>>730
狗奴国の狗古智卑狗(河野越智彦?)でしょう
813名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:42:10 ID:v5CYXrq9O
>>803
ヤマタイ国だけうまい具合に聞き取りミスか!
814ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/03/23(月) 21:43:09 ID:S5wjrwSw0
>>811
力の政権だったらなんでホイホイ交代したんですか?
815名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:43:45 ID:wUgSqlCO0
当時の半島には倭人がいたから、通訳にはことかかない。
>>788
うん、邪馬台国までいったという説と張政は北九州にとどまっていたとの説
があるね。
二十年もあれば誤解することはないだろうとは思うが・・・
ただね、レポートを書く時に都の人が理解できる内容にするんじゃないかと
も思うんだ。
816名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:43:55 ID:wqsVrpk00
どっかの本に、当時から倭の国々には華僑がたくさん来ていて、華人のコロニーまであったのだろうと書いてあったな。
817名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:45:11 ID:v5CYXrq9O
>>793
ヒミコの名はヒミコ以降は全く見かけない。
ヒコは卑狗という官名だから関係無し。
818名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:45:35 ID:5jNjkqkS0
倭人伝みるとどう見ても九州だからな。
しかも、今の大和朝廷とは全く関係ない国だよな。
女系だし。
819名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:45:42 ID:o9xTqrd70
邪馬臺国だからヤマトだろう
820名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:46:44 ID:HFLtqqJr0
>>804
それも説としてあり得る話だと思います。
卑弥呼時代に朝貢しているのにもかかわらず
のちの遣隋使、遣唐使では、命がけの航海になるていたらく。
技術がつながっていない。ある種の断絶がある可能性はありますね。

金印など、後の天皇家では存在などしていないかのようです。
これは記録が同じく残っていない銅鐸文化と同じです。
821名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:47:13 ID:i3UtzOwKO
説文解字は陰陽五行に沿った字の解説書で字典のようで字典ではない。
呪術や占いでは重要な書物。
822名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:47:25 ID:9YPPPKiU0
しかし文字は偉大だな。ただ不幸だったのはその文字が漢字だったことだな。日本にとって。
823名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:48:35 ID:loc5+vIB0
>>813
いや、だからヤマトは「ヤマトィ」とでも言っていたのではないか?当時は。
その後、「ヤマト」と訛ったのかもしれない。
824名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:49:10 ID:o9xTqrd70
>>818
卑弥呼が天照って考え方もあるけどな
825名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:49:34 ID:tk+F0abg0
>>793

>卑弥呼(ヒミコ)という名前についても、神武天皇の子孫を名乗る
>天皇家が各地に散らばり、皆「〜ヒコノミコト」といった名を持ち、
>周辺地域や海外へその名が簡略化して伝わったものだと考えられる。

これは素直に日巫女とか、姫皇子とか姫御子とかを意味するヒミコという一般名詞を中国人が
人名(固有名詞)として捉えてしまったと考える方が自然。

倭人の従者に、「アンタの国は一体誰が治めているの?」と聞いた際、倭人は「カミからの託宣を受ける
日巫女様でございます。」と名前でなくて尊称で答えたのを中国人は個人名と思っただけの話。
〜ノミコトの語尾だけを省略したなんてのはどうにも無理がありすぎる。
他の中国の記録を見ると、倭の五王なんか全て中国式の名前を強引に振り当てていたりする品。
826ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/03/23(月) 21:49:44 ID:S5wjrwSw0
>>820
船の竜骨になる巨木をとりつくしたと思われる
827名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:50:08 ID:kOz335TC0
これだけじゃ何だか判らなくね?
828名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:51:01 ID:3gzrekg70
>>818
そもそも卑弥呼は独身で
子孫はいない(はず)だから女系相続とはいえないだろ
トヨだって単なる親戚で娘じゃないよ
829名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:51:05 ID:Hz1Zlqes0
しかしあれだよな、わずか数百年で国のトップが誰かということすら
忘れられるのが人間の歴史なんだわな。
830名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:51:19 ID:N1AIbyIrO
金印も九州で発見されてるし邪馬台国は九州だろ
831名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:52:11 ID:wUgSqlCO0
>>808
天武朝から奈良時代にかけての天皇は日本史上最大の権力だったよ。
まあ、地方行政は地元の有力者一族を取り込んだけどね。
ただ、この構造は現代に至るまでずっと変わらないし。
緩いか統制がとれてるかの違い。
832名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:52:16 ID:biEP/ALD0
ただ邪馬台国=ヤマト朝廷だとシナの册封体制に入った事が明らかになって
国内のバカが騒ぎ出してチベットと同じ道をたどる可能性もなきにしもあらずなんだよな。
宣長も悩んだことだろう
833名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:52:16 ID:ARF+2q2G0
>830
「漢倭奴国王」
834名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:52:35 ID:feTZoA3S0
>>829
数十年いや数年でもあやしいけど
835名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:53:55 ID:YIUf4he80
>>793
狗奴国は邪馬台国とケンカしてたって魏志倭人伝にも書いてあるからな
当時、邪馬台国連合以外にも勢力があったことは確かだろう

それはともかく、ヒコって男って意味だから、
女王「ヒミコ」が「〜ヒコノミコト」の省略ってことはないだろ
836名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:53:57 ID:5jNjkqkS0
>>816
つーか鎖国していたわけでもないし、縄文時代の船でも余裕で
津軽海峡や対馬海峡を渡っていたことがわかりつつあるわけで。

シナの人や朝鮮人が九州近辺にたくさんいても全然おかしくない。
その逆で、倭人が朝鮮南部にいても全然普通。
837名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:54:45 ID:biEP/ALD0
>>830
存在してはならない過去の汚点を捨てたんだろう多分w
838名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:55:02 ID:i3UtzOwKO
アイヌ語と琉球語の源流に古代の日本語が眠っている気がする
839名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:55:23 ID:wqsVrpk00
>>833
そういやどう見ても奴国だなオイ。

東南のかた奴國に至ること百里。官をシ馬觚と日い、副を卑奴母離と日う。二萬余戸有り。
東行して不彌國に至ること百里。官を多模と日い、副を卑奴母離と日う。千余の家有り。
南のかた投馬國に至る。水行二十日。官を彌彌と日い、副を彌彌那利と日う。五萬余戸ばかり有り。
南、邪馬壱國(邪馬台國)に至る。女王の都する所なり。水行十日、陸行一月。官に伊支馬有り。
次を彌馬升と日い、次を彌馬獲支と日い、次を奴佳テと日う。七萬余戸ばかり有り。
女王國より以北はその戸数・道里は得て略載すべきも、その余の某國は遠絶にして得て詳らかにすべからず。
840名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:55:24 ID:2l00m3xy0
>>832
あきらかになってもくそも倭の五王も朝貢しまくってるだろ
841名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:55:32 ID:0REJH9+UO
金印は遺跡から見つかったの?
842名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:55:32 ID:tk+F0abg0
>>820
なんでヒミコ(敢えてこう書かせてもらう)の時代に命がけの航海をしていないと
考えられないんだ? 何が技術がつながっていないだよw
その途中過程の遭難の記録が全く残っていないだけの話だろ? 遣隋使とかになると日本の国情が安定して
自分達の派遣団記録をつけるようになってそれらの損害等も記録するようになっただけの話。
ヒミコの時代だろうが、余計命がけの航海だったろうさ。
更にいうとヒミコ以降、倭国は多いに乱れたのは記録にあるとおりだが、だからといって
ヤマタイ国が滅びて・・・・・ なんてのも想像の域に過ぎないし。
843名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:56:14 ID:3gzrekg70
>>830
志賀島で見つかった金印は奴国(なこく)のもので
その奴国は魏志倭人伝にも出てくる
当然九州にあると考えられている
今の福岡県春日市付近にあった比較的戸数の多い国だが
当然、女王国とは違う国だ

このあたりは畿内説でも九州説でも共通の認識だろう
844名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:56:34 ID:ARF+2q2G0
>834
1年でも怪しい。
麻生の前の首相って誰だっけ?安倍だっけ?
なんかいたような…
845名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:56:55 ID:loc5+vIB0
遣唐使が命懸けなのは、半島避けてるから。
846名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:57:50 ID:iKEpCBfEP
そもそも魏志倭人伝を信じる事の方が間違いw
847名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:58:23 ID:uwy0sl810
>>842
倭国おおいに乱れたのは、卑弥呼より前じゃなかったっけ。
それで卑弥呼を立てておさまった
848名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:58:33 ID:4x93xV6L0
倭国の王権は奴国→伊都国→女王国へと移ったのだよ
849名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:58:34 ID:RBtfdShTP
>>502
http://maps.google.co.jp/maps?f=q&source=s_q&hl=ja&geocode=&ie=UTF8&ll=33.523463,131.376507&spn=0.002218,0.003943&z=18
台地状にはなってるけど、流石に前方後円墳には見えないぞと。
つか、その時代ってまだ円墳の時代じゃね?

俺は邪馬台国は九州にあって、その当時はまだ大和王権は畿内の勢力で
全国統一しておらず、纏向遺跡はその当時の大和王権の遺跡で、邪馬台国
とは別物だと思ってるわけだが。

つか、大宰府が遠の朝廷(とおのみかど)と呼ばれていた時代よりもっと
古いわけで、その地域ごとに半独立政権があってもおかしくないし、
反乱鎮圧みたいな事があったら、当然軍事的に進駐することになる。
3〜4世紀なら、まだ独立勢力圏と考えても良いのではないかと。

というと、ほとんど偽僭説状態だけど、わからない以上可能性を広めに
もっておかないと、わかっている証拠を全て一つの答えに結びつけよう
として捻じ曲げてしまうわけで。それが嫌なんだよなぁ。
850名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:58:50 ID:52Ysu0mF0
>>838
琉球語は1300年前ほど昔に日本語から派生した言語であることがハッキリしている
つまり琉球人は元々日本人。アイヌ語は系統不明
851名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 21:59:27 ID:2l00m3xy0
>>848
講談社の日本の歴史ではそんなこと書いてたな
852名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:00:00 ID:HFLtqqJr0
>>842
まあ、命がけだろうけどね。
壱岐や対馬の人間は穀物が余りとれないから
船で朝鮮半島や九州に交易してきているようだよ。
そう考えると、少なくとも島の人間にとってはそれほど
難易度が高いようには見えないんだ。
853名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:00:04 ID:o9xTqrd70
>>818
アイヌ語には眠ってはいないだろう。
琉球語は日本語と同系だから眠っているだろうが…
854名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:01:10 ID:tk+F0abg0
>>847
ヒミコ亡き後、フヨを立てて権力を維持したみたいな事を書いてあるけどどうにも
ゴタゴタの跡があるような気がするけどな。
855名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:01:53 ID:9YPPPKiU0
アイヌが縄文人と同じ時代に生きていたという証拠はあるのかな。
アイヌ人は弥生以降日本に渡ってきたという可能性はないの?
856名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:02:32 ID:7OGhBm3S0
>>840
でも倭の五王時代になると、自分を朝鮮半島も含めた支配権を認めて
将軍に任命しろとか要求してるし、聖徳太子にいたっては日出処の天使だし、
大陸と対等にというプライドを感じる。
邪馬台国のペコペコで、このままで滅亡してしまいます、どうか援軍を
と言う態度とはかなり違う。
857名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:02:37 ID:feTZoA3S0
石原さとみかわいい
858名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:03:28 ID:tk+F0abg0
>>852
遣隋使やら遣唐使等は直行便で言っているんだから逆に進歩しているじゃんw
まあ、遭難も多くなったけどw てかルート変更しなくちゃならない国際情勢(てか半島情勢)
のなんらか日本に不利な変化があったとみるのが筋。
859名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:05:01 ID:IOtbVOQH0
>>848
「世々有王・・・」とある伊都国こそ北部九州を統べていた国家ではなかったかと思います
新興の邪馬台国は南からこの伊都国連合に侵攻し、配下におさめたのでしょう
伊都国の戸数が奴国、不弥国などにくらべて著しく少ないのが非常に気になります
当時は邪馬台軍が駐留して軍事要塞化していた国家だったのでしょうか
860名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:05:27 ID:feTZoA3S0
>>856
援軍を送ってもらったは良いが
その援軍に滅ぼされたんだろう
861名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:05:33 ID:IE7lc4zI0
未だに畿内だの九州だのやってるのか、何か宗教じみてちとアレな感じがするわ
何処にあるはずではなく、本居宣長などの先駆者の研究も(良い意味で)疑って、
一からデータを総合的に分析して割り出すような学者は居ないのかねぇ
862名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:06:27 ID:o9xTqrd70
>>855
古モンゴロイドだからたぶん縄文人と同じ系統だと思われる。
骨格からして縄文人。

>>858
新羅と仲が悪くなったからだよ
863名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:06:34 ID:wqsVrpk00
>>858
百済滅亡か。
864名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:06:48 ID:YIUf4he80
卑弥呼は「鬼道に事へ能く衆を惑わす」とあるし、
台与も即位時13歳の少女だ

卑弥呼も台与も女王で、東アジアではシャーマニズムが普及してたことを考えると、
鬼道とはシャーマニズムのことのような気がするが、
だとすると、いつごろ記紀的な神々の世界観に移行したのか気になるとこだな
865名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:07:17 ID:4x93xV6L0
>>861
エジプト説もあります
866名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:07:41 ID:5ekrz4fO0
>>849
上から見て前方後円墳に見えない前方後円墳なんていくらでもある。
867名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:10:35 ID:4x93xV6L0
>>859
そのとおり。
一大率はマッカーサー元帥のような
ポジションだったのです。
868名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:10:43 ID:Pv01gzSQ0

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.         i.! l .:::::     ソ;;:..  ヽ、._     _,ノ'     ゞ)ノ./
         ` ー==--‐'´(__,.   ..、  ̄ ̄ ̄      i/‐'/
          i       .:::ト、  ̄ ´            l、_/::|
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            ヽ     、__,,..             /:;;:   .!; \
             ヽ      :::::::::::           /:::;;::  / 


大変な事実に気付いてしまったぞ!

まず、一見意味不明な文字列である卑弥呼。
これを日本語読みにし、さらにアルファベットに変換する。

HIMIKO これにWAJINを足してアナグラムを解読すると、
KINAIHMOJI となる。

余計な文字はノイズなので消去すると KINAI

邪馬台国は畿内に有ったんだよ!!!
869名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:11:06 ID:RBtfdShTP
>>796
天皇記・国記は蘇我馬子と聖徳太子だっけ?
乙巳の変で焼けちゃったけど、国記は一応助かったはず。

帝紀・旧辞ってのもあるよ。

>>820
遣隋使・遣唐使が命がけだったのは、半島経由じゃなくて直接行こうと
したからじゃないかなと。

>>832
聖徳太子が独立宣言しているから大丈夫。
870名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:13:02 ID:D2oODQHj0
>>826
後世の寺院には立派な巨木が使われてますが?
871名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:13:18 ID:feTZoA3S0
>>859
日田ですね
872名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:14:05 ID:ijgMd/6/0
aaaa
873名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:14:36 ID:vGgntTE70
>>868
おっさん、そういうのはアナグラムとは言わないよ!
874名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:14:48 ID:v5CYXrq9O
ヤマタイ国九州説でおk?
女王国連合以外は遠くでよくワカンネらしいし、東に行ったら何か国があるらしいけどどうでも良さげだし。
ずっと南に行ったら黒い何かの国もあるけど行く気無いし。
875名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:16:11 ID:OQbNK0hKO

継体以前の権力構造が謎だからな!
墓だけ残して…

876名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:16:55 ID:7OGhBm3S0
>>816
伊都国とか、好古都国などいい字を使ってる国には
中国人がいたかも
877名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:19:41 ID:ijgMd/6/0
魏志倭人伝に記されている金印は、卑弥呼の墓に副葬品として納められているはず。
盗掘などで紛失されていなければ(この可能性が高いが)、古墳など調べれば残っているはずだ。
天皇陵とされる古墳の中には、卑弥呼の墓とされる古墳も存在するから、これを調べる事ができれば
もしかして邪馬台国論争が一機に解決する可能性はゼロではないがね。

>>864
中国の殷王朝がそうであったように、古代国家の多くが神権国家だよ

>>869
現在まで内容が残っている国史は、古事記と日本書紀が最古であり
それ以前のものは、全て紛失し、内容も引用などで一部が判明しているかも知れないけど
ほとんどはわからない
878名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:19:48 ID:Tlp/baoy0
>>855
現在、アイヌといわれている人達の成立は14世紀頃。
えみし、えぞとアイヌは違う。
えみしやえぞから枝分かれしたのが現代のアイヌと言われている人達。
えそやえみしと言われていた人達にはイロイロな種族がいた。
現代のアイヌは、それらのほんの一部といえる。
879名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:22:41 ID:wqsVrpk00
>>877
>金印は、卑弥呼の墓に副葬品として納められているはず
印ってそういうもん?国じゃなくて王のものなんだ
880名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:25:53 ID:wUgSqlCO0
アイヌの中で一番新しいのはロシア人やポーランド人だな。マジだよ。
881名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:26:53 ID:v5CYXrq9O
>>878
原アイヌはコーカソイドぽいのがいたような………
882名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:27:19 ID:o9xTqrd70
邪馬台国は畿内だろうな
883名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:28:19 ID:ijgMd/6/0
それまで畿内など本州の王朝の祭器だった銅鐸が、ある時期に一機に廃れ
代わりに九州の祭器だった銅剣が日本中に広まっている
この事実などから、ある時期に九州から畿内への政治の大移動があったのは間違いないというのが、ほとんどの考古学者の一致した意見だ。

これらの歴史的事実が、神武の東征という神話に反映されたのでしょうね。
それで何故、九州から畿内への政治移動があったかと問われたら、私は九州勢力が規模を伸ばしたというよりも
九州での勢力争いに敗れた勢力が本州に大移動したのではないかとさえ思っている。

だってさ、大和武のクマソ討伐や後のイワイの反乱など見ればわかるように、九州の勢力は長らく畿内王朝の悩みのためだったのだからな
九州で勝利を収めて本州まで勢力を伸ばしたと考えるには、多少、辻褄が合わないし。
このように国家の対立で、敗れた側が大移動して、その後勢力を蓄えた何て話は、歴史上、幾らかある事だから
日本であったとしても不思議はないだろ。

だから神武東征は、日向を拠点としていたクニが九州での勢力争いに敗れて、大移動した結果だと私は睨むね
しかし、その後も長らく、畿内の王朝は出雲の王朝の勢力下にあったのだろう。
そうでなければ、国譲りの神話も理解できない。
884名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:28:38 ID:hPCxg+JCO
どっちにしても今の関西地方の人にはまーったく関係のない話だよ。
885名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:30:41 ID:MEvFlgIq0
どんなに発掘したって、「此處者邪馬臺国也」なんて書いた
標識が埋まってるわけもなく。
886名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:31:08 ID:wUgSqlCO0
>>879
あくまで個人の関係だよ。皇帝と王のね。
それに今のような法人みたいな国家像は近世あたりからのもので、それ
以前は人と人の繋がり、集団と集団の繋がりだったんだ。
887名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:31:45 ID:Hz1Zlqes0
>>878
今アイヌといわれる人たちの先祖も日本語系じゃなくアイヌ語なのはなんで。
888名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:32:46 ID:ijgMd/6/0
>>879
金印は卑弥呼を倭の王と認めるというものだよ。
それに金印が卑弥呼の墓に収められたというのは、私の推論ではなく
ちゃんと歴史書、つまり魏志倭人伝に記されている事だったはずだ
それを突っ込まれても困るが

>>881
アイヌ民族はしばらくの間は、コーカソイドかモンゴロイドかあるいは新たな人種かで論争が分かれていたが
結局、モンゴロイドと断定されたよ
それはアイヌ民族は毛が多く、彫が深い顔立ちなど、コーカソイドの特徴があるが、モンゴロイドの特徴もあったからだよ。
しかし調査の結果、彫が深い顔立ちとか毛が多いとかは、人類の基本形態であり、日本人を初めとする新モンゴロイドは失っただけのものに過ぎなかっただけとわかった
889名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:33:36 ID:tLrF4rgy0
>>879
むしろ自分のバックには大陸がいるぞという権威の象徴なんだから
男王、台与と代々受け継いだんじゃね
魏が滅亡して不要になったら、鋳潰してしまうとか、
家臣に褒美としてやるとか、どっかの神社にでもおさめるとか
金印が見つかったとしても
倭人伝に書いてあることが本当だったという証拠にはなっても
場所の特定には使えない
890名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:33:53 ID:o9xTqrd70
>>887
大和王権の勢力外だったからでは?
891名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:34:23 ID:D2oODQHj0
>>883
>九州での勢力争いに敗れた勢力

半島に居た倭人じゃない?それがゴッソリ畿内に移った。
で、後の遣唐使や遣隋使は半島を避けて直接行ったと。
892名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:36:16 ID:ijgMd/6/0
>>885
江戸時代、金印が九州で発見され
長年の論争が一機に終息したが
そのような決定的な考古学上の発見がなされるのは、奇跡に近く
卑弥呼の金印が今後も発見される可能性は皆無に近いでしょうね。

だから邪馬台国論争は今後も続いていくでしょうが
ただ、一時期は北九州説に押されていたが、近年では急速に畿内説に傾いているようですけど
893名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:37:08 ID:feTZoA3S0
>>891
倭人じゃなくてもいいんじゃない?
894名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:38:19 ID:v5CYXrq9O
>>883
はげどー
それしか無いよね。
895名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:39:24 ID:SSunmfZZ0
>>888
金印を卑弥呼の墓に入れたなんて記録はないよ。

こんな説もある

>そもそも、中国では王朝交代時には諸外国に対して
>新王朝への忠誠の証として前王朝の印綬を返上を求め、
>その替わりに新王朝の印綬を与える慣例となっていた
>(前漢から新への王朝交代の際に印綬の交換を巡ってトラブルが生じて
>匈奴などの離反を招いている)。

>卑弥呼の後継者とされる壱与が西晋王朝成立の翌年である泰始2年(266年)に朝貢を行っており、
>これは王朝交代に伴うものと考えられていることから、
>「親魏倭王」の金印はこの時に回収された可能性が高いと見られている
896名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:42:12 ID:v5CYXrq9O
そういや昔の記述(いつ頃かは忘れた)で奈良のことを「漢の国のようだ」って書いてあったっけ。
そんだけ中国人が多かったとの事。
山口あたりでもそういうのがあったそうな。
897名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:42:23 ID:0KS8fVB7O
>>884
いや、あるだろ
898名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:42:49 ID:ijgMd/6/0
>>559
三角縁神獣鏡は、以前は国産説が有力だったけど
最近、科学技術の発展で微量な成分を分析し比較対照できるようになり、その結果、中国の銅山から掘られた銅で作られている事がわかっている
だから中国産である可能性がかなり高くなっているよ

>>566
ヒッタイタは製鉄技術を確立しているけどね
ただ、その時代の製鉄は極めて非効率的なもので、量産が難しかった
それだけにヒッタイタ王国が鉄で勢力を拡大したってのは、ほんの一部の事実であり
兵器としては鉄が決定的に作用できるほど、当時は大量生産が出来なかったのだよ

>>575
当時の中国にとって、日本は海の向こうにある僻地も僻地だ
興味がないのは当然だ
中国の史書での日本に関する記載が極めて少ないことでもわかるだろう
その少ない記載で調査しなければならないから、邪馬台国論争も延々と続くわけだけどね
899名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:43:08 ID:3gzrekg70
>>895
ああそうそう。思い出した

>(前漢から新への王朝交代の際に印綬の交換を巡ってトラブルが生じて
>匈奴などの離反を招いている)。

王莽がどさくさに紛れてランクを落とした印綬を
匈奴の単于に渡したのがばれて、あとでトラブルになってるんだよな

つまり金印は他の官印と同じように
王朝が交代すれば前王朝のものと交換されるのが原則

個人が死蔵しておくものではない
900名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:43:15 ID:6M0Li8wA0
考古ネタにしてはよく伸びてるな。
やっぱ、邪馬台国がらみだからかな。
遺跡に関わってる自分としては気になるニュースではあったが。
901名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:43:24 ID:wqsVrpk00
なるほど、印は柵封される王個人が皇帝から授かって、君臣関係にあるという証になるのか。ふむ。
902名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:43:58 ID:3imn4vpjO
>>896
都の造りが漢朝に似せてるってだけ。
903名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:44:29 ID:YIUf4he80
>>883
記紀神話からすれば、むしろ畿内が出雲を支配していたと見るべきだろう

スサノオは出雲でヤマタノオロチを退治するが、
オロチの体内から草薙剣を見出し、これをアマテラスに献上している

金属器文明以降に、出雲で治水工事が行われ、生産が拡大し、
その後、軍事力で畿内政権に降伏したとか、そんな感じだろ
オオクニヌシの国譲りの話も、結局は出雲が負けた話

スサノオがアマテラスの弟であり、暴力行為により高天原を追放されたって設定も、
出雲のローカルヒーローも、ヤマト神話的には大したこと無いんだよって言う内容だから、
ヤマト神話が出雲神話を取り込んだっていう趣旨だろ
904名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:44:48 ID:wUgSqlCO0
>>891
遣隋使、遣唐使は単に当時は半島諸国が敵国だったり非協力だっただけ。
聖徳太子の弟皇子が将軍となって任那奪還の部隊を率いた。
九州で病死しちゃたけど。
小野妹子は帰りに百済によったら国書なくしちゃったとか。
白村江の戦いの後、新羅が唐と戦したものの怖くなって倭国に擦り寄ってきた
けど、唐の臣下に戻れたら非協力的になった。
だから遣唐使は半島経由を避けた。
905名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:45:10 ID:8uIt85ER0
宇佐神宮の本殿の下を探知機で調べてみようぜ。
906名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:48:40 ID:3imn4vpjO
大国主は出雲に幽閉されて死んだと見るべきだろうね
だから祭り上げて静めてる。
出雲大社の御神体を参拝者の方に向けられてないのは
負けた国の王だからかな?
907名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:48:55 ID:+0Yxf6sW0

印綬が墓から発掘されたなんて話、聞いたことない

どっかの役所(石上神社等)に保管されていたんだろ
908名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:48:56 ID:kzYDoX+00
邪馬台国と同時代に、近畿に同程度の王朝があっても不思議じゃないだろ>1
全然証明になっていない。
909名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:51:19 ID:3imn4vpjO
>>907
日本の神社や寺は門外不出が多過ぎるよね。
910名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:52:10 ID:ijgMd/6/0
>>903
国譲りの神話を見れば、どう考えても、出雲の王朝側の方が優勢だったのだがな
そうでなければ、わざわざタケミカヅチの神を派遣して、出雲の神と戦い国譲りに承諾させた
何て神話が作られるわけないし

加えて、三輪山に祭られている神「オオモノヌシ」は、出雲の神のオオクニヌシと同一の神とされている。
崇神天皇の時代から何代かは、出雲の神さまを大和の神も祭っていたわけだ。
この事実は、大和の神のアマテラス。まあ、このアマテラスが天皇家の神となったのは、あなり後のことだが
そのアマテラスを最高の神として、全国で祭るようになった事実でもわかるように
最高の地位にある神さまとは、最高の位置にある王朝や王権の神さまであるということだよ
そのことが、王権を強化することになるのだからな

これを考えれば、出雲側に大和が、少なくとも崇神天皇から何代かは服従していたのではないかと思う
それが逆転したから、数百本の銅剣が出雲で出土した、これは畿内王朝に出雲が屈服した後の武装解除だと言われているが
その時代に逆転したのだろう
911名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:54:01 ID:+0Yxf6sW0
>>909
流石にもう消失しているだろうけど
912名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:54:29 ID:o50vyQfG0
>>825
じゃ伊予は?
913名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:54:59 ID:3imn4vpjO
>>910
大国主は大和にいて、
黄泉の国に追い出されたんだけど…
914名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:55:19 ID:TJECfx7KO
自分で土器を埋めては発掘して
世紀の大発見を連発しまくった
遺跡発掘の第一人者のオジサン元気かな
915名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:55:34 ID:OPV6jCNJ0
>>881
アイヌはY染色体のD系統 日本人で一番多いタイプ
約6万年前に3系統の男が出アフリカした

C系統 モンゴル アボリジニ 北アメリカ
D系統 日本人 アイヌ チベット人
FR系統 白人 中国人 韓国人 東南アジア 南北アメリカ
916名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:57:00 ID:5NnHfeT/0
>>152
当時のパソコンで悪魔召還プログラムが組めるなら
現代のパソコンならもっとすごいものが呼べそうだよな
917名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:57:46 ID:+0Yxf6sW0
>>903
崇神天皇の頃までは、権威では天照大神や天皇よりも大国主の方が上
だったと思われる
918名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:59:43 ID:ijgMd/6/0
>>904
白村江の戦いの前にイワイの反乱がある
イワイは筑紫の国造であり、大和朝廷と一年にも渡り戦っているよ
つまり大和朝廷と互角に戦うほどの強力な王朝が筑紫にあったわけだ。

さらにイワイの一族は、その後も筑紫を支配していた。
つまりイワイとの戦いには大和側は勝利したものの、唐や新羅との戦いもあったので、決定的な勝利は決める事はなかったのだろうし

それにこの後、防人が北九州に配備されている
これは大陸からの侵攻に備えてと言われているけど
それにしては新羅や唐の大規模な侵攻が白村江以降はなかったにもかかわらず、ずっと続いたわけだし、大陸への睨みとだけ考えるには無理がある

北九州に大規模な兵力を置かないといけなかったのは、もっと切羽詰った事情があったのだ。
それは当時は、大和朝廷に服属していない、イワイの一族、筑紫の一大勢力に睨みを利かすためだったと考えればすっきりする。
大規模な兵力を配備するのは、民衆も大変だが、王朝にとっても多大な負担だ
何年もない大陸からの侵攻を阻止するために配備する何てありえないことだからね
919名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 22:59:47 ID:o50vyQfG0
>>825
>これは素直に日巫女とか、姫皇子とか姫御子とかを意味するヒミコという一般名詞を中国人が
>人名(固有名詞)として捉えてしまったと考える方が自然。


じゃイヨとかも人名じゃいよな
いったいイヨとは何のことだ?
920名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:00:19 ID:Na9hpIwo0
古来より栃木県が所在したとされる位置について絶え間ない議論が交わされてきた。
現在の学会における有力説は以下の2説である。
1つは北関東説、もう1つは畿内説である。
90年代には、さらに北九州説も存在したが、偽装が発覚して以後は急速に支持者を失った。
921名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:01:23 ID:feTZoA3S0
>>912
まだ16です
922名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:01:31 ID:gLASSr0e0
近畿説の人は,399の意見に反論は無いの?
923名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:02:06 ID:wUgSqlCO0
神話は歴史と違い記憶の集大成。物語の時系列が実際の時系列とは限らない。
同じ話に百年前の記憶と十年前の記憶が同居していたりする。
なので、>>910の可能性だってある。あるいは時代違いの記憶が混ざったもの
かもしれない。

ああ、それと、金印もらったのは卑弥呼だから、他に王がいても魏にとっては
「親魏倭王」ではない。
で、倭人にとっては卑弥呼は巫女で王でないなら、伝承に女王がいなくても不
思議ではない。
924名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:02:21 ID:v5CYXrq9O
>>915
へぇーへぇーへぇー

黒人は?
925名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:02:40 ID:cpXk4BXS0
出雲風土記には、有名な出雲の神話はまったく出てこない。

スサノオは出雲西部の飯石郡須佐郷の郷土神に過ぎず、
ヤマタノオロチの話など一切書いてない。
大国主も、因幡のウサギなど古事記と共通する内容は一切ない。
逆に新羅の土地に縄をつけて引っ張ってきたなど、古事記にはない
神話が書かれている。

古事記にある出雲神話は、どこか他の地方の神話を適当にもってきたものではないか

926名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:04:16 ID:3imn4vpjO
>>922
見てない
927名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:04:16 ID:L2WwZ6Sr0
何をもって卑弥呼の宮殿と断定してるのか分からん。
同じ時期に威張ってた地方豪族の宮殿じゃないって根拠が何かあるのか?
928名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:06:10 ID:ijgMd/6/0
>>919
イヨもある種の巫女集団のことだったのではないかと言われいてる
巫女集団の中から選ばれた十三歳の女性が、新たな姫巫女となったのだろう
日本語もよくわからない、大陸からの使者が、その辺の微妙なニュアンスが理解できなかったとしても不思議はない

あるいは、姫巫女の尊称の一つに戸女とよばれるのがある。例えば、日本書紀にあるサホヒコオウの乱で、サホヒコオウの母親は大闇見戸女と呼ばれているように、これも姫巫女など高貴な女性の尊称として古い時代使われていた
イヨというのも、トヨと呼ぶのが正しいとの説もあるし
このトメがなまって、トヨと記されたのではないだろうかと、私は考えるけどね
929名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:06:44 ID:3imn4vpjO
>>927
圧倒的な規模。
大きさは山野辺の道を経て桜井市〜天理市にまで及んでいる。
んな地方豪族いないだろ(笑)
930名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:06:45 ID:OPV6jCNJ0
驚くことに、父系では日本人と中国韓国人より白人と中国韓国人の方が近い

日本人と中国人韓国人 68500年前に共通の父系先祖を持つ
  白人と中国人韓国人 53000年前に共通の父系先祖を持つ

A系統 コイサン(ブッシュマン)
B系統 黒人
C系統 アボリジニ・モンゴル・シベリア・北アメリカ
D系統 日本・アイヌ・チベット
F系統 白人・中国人・韓国人・東南アジア・パプアニューギニア

BR 8万2000年前

CR 6万8500年前 出アフリカしたY染色体
C系統 オーストラリア・モンゴル・シベリア・北アメリカ
DE系統 Dアンダマン・チベット・日本・アイヌ  Eアフリカ(稀)・ヨーロッパ(稀)
FR系統 ヨーロッパ・南アジア・東アジア・東南アジア・北アメリカ・南アメリカ

DE 3万8300年前
FR 5万3000年前

DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?
http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/4812207533/sr=1-1/qid=1231350588/ref=dp_image_0?ie=UTF8&n=465392&s=books&qid=1231350588&sr=1-1
931名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:07:07 ID:5NnHfeT/0
>>221
「孔子暗黒伝」ふくめて全部信じなさい
932名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:07:45 ID:kzYDoX+00
>>923
その後段の解釈は不自然すぎる。
倭人にとっての王が、中国に対しても王だったはず。
中国の使者は倭人に説明されたのだから。
卑弥呼が王だよ。特定の個人だと思う。
933名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:07:53 ID:vLi3jQc70
>>919
卑弥呼の敵のクヤ国の男王の名前が卑弥弓呼というのも、
なんでこんなに似た名前なのかちょっと変だな
934名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:09:15 ID:feTZoA3S0
奈良から京都に遷都してくれれてよかったね
おかげで遺跡が残ったようなもんだし
935名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:10:06 ID:+0Yxf6sW0
>>922
銅鐸の消滅は、卑弥呼よりも前の時代じゃないの?
936ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/03/23(月) 23:10:29 ID:S5wjrwSw0
>>925
はっきりしてる
出雲は新羅の移植地だった。
937名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:10:53 ID:Tlp/baoy0
>>907
石上神宮は物部氏の武器庫跡じゃないの?
マキムクノ宮ってことだと大神神社じゃないのかね?
938名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:11:01 ID:MGEcq6L30
邪馬台国はどこですか?は面白かった記憶があるが、内容が全く思い出せない・・・
939名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:11:14 ID:L2WwZ6Sr0
>>929
根拠も出さずに「いないだろ(笑)」で済むなら歴史学は要らない。
940名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:11:30 ID:NFKRBzwz0
また、畿内論者が妄想宣伝してるなw
941名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:11:49 ID:wUgSqlCO0
>>932
祭司を王とするかいなか。ローマ法王は神聖ローマ皇帝より偉いな。
942名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:12:31 ID:I4crycbN0
国譲り神話は嫡子コトシロヌシを暗殺されて心が折れた大国主を
失脚させて出雲に追いやったり大国主派のタケミナカタを諏訪に追いやったりした事を
一纏めにして面白おかしく都合よく脚色したもの
だったりして
943名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:12:32 ID:3imn4vpjO
>>935
だろうね。銅鐸はどう使われたかも
よくわからないものだし。
944ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/03/23(月) 23:12:38 ID:S5wjrwSw0
朝鮮半島の住民の一部が出雲に入植し、集落を作った。
出雲近辺の勢力の源は朝鮮。
945名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:13:15 ID:kzYDoX+00
こういうところでは、圧倒的に九州説だなw
普通に読めばそうなんだから、当たり前だが。
946名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:13:17 ID:YdmAu2js0
>>922
邪馬台国の時代は弥生じゃなくて古墳時代の草創期だと思う。
947名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:13:41 ID:vLlcnBckO
死ねぇ!
948名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:13:51 ID:vLi3jQc70
>>928
張政らは日本に20年滞在し、
卑弥呼の死、
男王をたてたが内戦になり1000人以上死ぬ、
13歳のイヨでようやくおさまる
という一連の出来事を見ている。

さらに張政はイヨに対して「激をもって告諭す」と、
認証式みたいなことまでやってる。

949名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:14:01 ID:o50vyQfG0
>>928
推論に無茶ありすぎる

しかも卑弥呼の後に国を治めたのは男だぞ
950名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:14:17 ID:E9m/9zvP0
おまえらマキムク遺跡の話をしないのかよ
951名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:15:39 ID:6M0Li8wA0
>>946
古墳時代も3世紀前半にさかのぼるし、
前方後円墳の原型ではないかといわれる
墳丘墓も見つかってるな、。
952名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:16:12 ID:NFKRBzwz0
>>948
> >>928
> 張政らは日本に20年滞在し、

その根拠は?
953名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:16:16 ID:3imn4vpjO
>>939
地方豪族で片付けられる
大きさの規模のモノじゃないって意味。
954名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:16:40 ID:4x93xV6L0
マキムクこそ日本の始まり。
邪馬台国などとは違う
955ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/03/23(月) 23:17:01 ID:S5wjrwSw0
・倭    九州を中心とした連合国家群 朝貢や柵封が大好き 白村江の敗北で消滅
・出雲  半島起源の勢力 大和に滅ぼされる
・大和  現在の日本の直系国家
956名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:17:08 ID:gxPMV2nu0
自国の史書を持たない国は
過去の王国の場所さえはっきりわからない
歴史は大切だな
957名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:17:11 ID:ijgMd/6/0
国譲りの神話は、日本を支配する神様の地位を、出雲の神であるオオクニヌシから
ニニギノミコトしいてはアマテラスに譲るってものだ。
つまり出雲の神が古い時代には、アマテラス以上に日本で崇められていたと考えるしかない。

その時期は、記紀の神話では神武以前になっているけどね。
しかし神武以前と考えるよりも、神武以後と考えた方が歴史的な事実ではすっきりする。

出雲の神さまではなく、天皇家が崇めるアマテラスを日本の神さまに差し替える
一大宗教改革が、当時の日本で行なわれた
もちろん政治的な理由でだが。
それに納得させる理由付けをするために、昔、オオクニヌシがアマテラスに国の支配権を譲るという約束を交わしましたとする
国譲りの神話が創作されたのでしょう
958名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:17:33 ID:hxzkxorF0
いやはや、おまえらもすごいよw
「大マゼラン星雲のある星の天文学上の観測結果」を元に、

「これはイスカンダル星である」
「デスラー総統の存在を確信した」
「いや、これはメーテルの話に違いない」
「銀河鉄道999のストーリーと全て符合する」
といって、
マゼラン星雲「宇宙戦艦ヤマト論者」と、「銀河鉄道999論者」のアニヲタが
論戦を戦わせているのと、全く同じレベルなんだが。
アニヲタよりよほど始末が悪いのは、
アニヲタはフィクションだと知って遊んでいるが、
このスレの馬鹿どもは、魏志倭人伝を真実だと固く信じている点だな。
指し示す地理が、あそこまで滅茶苦茶で荒唐無稽な話を、
真実だと信じられる感性がいやはやなんともw
959名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:17:52 ID:3gzrekg70
>>955
つまんねえな
ただの九州王朝説の焼きなおしじゃないか
960名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:17:56 ID:fY7tUS6q0
>>603

なるほど、桃太郎伝説の『鬼』はチョソじゃねえかよ!!!!!
昔から、くだらねぇ民族だったんだな。強奪や強姦癖は血筋なんだな笑

鬼ノ城の地名の由来

 鬼ノ城は,古代の正規の歴史書には登場しないが,後世の文献である
鬼ノ城縁起などにでてくる。それによると「異国の鬼神が吉備国にやって来た,
彼は百済の王子で名を温羅(うら)という。彼はやがて備中国の新山(にいやま)
に居城を構え,しばしば西国から都へ送る物資を奪ったり,婦女子を掠奪したので,
人々は恐れおののいて「鬼ノ城」と呼び,都へ行ってその暴状を訴えた・・・」。
これが,一般に温羅伝承と呼ばれる説話で,地名もこれに由来している。
961名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:17:59 ID:kzYDoX+00
壱岐対馬の記述を見ても、中国の使者がかなりの観察眼の持ち主だったことが分かる。
机上で創作されたものだという説は、それこそ机上の空論。
連中はちゃんと仕事してるよ。
962名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:18:26 ID:L2WwZ6Sr0
>>953
いや、「地方豪族が100%例外なく小規模である」という根拠が
単なる偏見以外に何かあるのかなと。
963名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:19:52 ID:+0Yxf6sW0
>>944
釣られてやる
新羅は、倭国から渡ってきた瓢公が、統一した国
話が逆
964名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:19:59 ID:A87eOazq0
邪魔大王国のハニワ幻人も畿内説が有力ですか?
965名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:20:29 ID:wUgSqlCO0
祭司を王の上においても、系統が変わるわけではない。
祭司は祭司、王は王。祭司が祭司のまま王より偉くなれば王に即位したとの
伝承はない。王の親戚であっても身分は祭司として伝承される。
966名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:21:01 ID:pCK0hYrK0
>>952
藤原カムイのマンガじゃねーかw
967名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:22:27 ID:R/AfejdF0
>>960
今、鬼ノ城に由来を書いた看板が立ってるんだが、
最後に「でも温羅は、本当はやさしい人だった」
などととってつけたように書いてある
968名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:23:02 ID:3imn4vpjO
>>962
イワレは地方豪族だよな(笑)
969名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:23:35 ID:E9m/9zvP0
>>965
祭司と王を兼ね備えることはないの?
出雲大社は出雲国造だよね? 神社の長=国主にみえるけど。
970名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:23:47 ID:ijgMd/6/0
日本神話で活躍する神様。
タケミカヅチは中臣氏さらにはその同族である藤原氏の神さまだったように
記紀編纂の過程で、重要な位置づけにあった豪族の神さまが、やはり重要な位置付けを担っていることがある。
そのことを考えれば、記紀で重要な位置づけに置かれている神様は、その崇める豪族は、当時の大和朝廷には畿内あるいは地方を問わず重要な豪族だったと考えても良いとおもうが
971名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:25:24 ID:r5Vpx8/m0
桜井市のHPを覗いたら、既に卑弥呼の里って名乗ってた。募金も募ってた。
市長のあいさつ文によると、纒向の世界遺産登録を目指すそうだ。
奈良は既に3つの世界遺産がある上に、藤原京も暫定リストに登録されている、
この上まだやるかーって感じ・・・
考古学会っていうのは完全に関西人に牛耳られてるんだな。
972ココ電球 _/::o・ν ◆tIS/.aX84. :2009/03/23(月) 23:25:33 ID:S5wjrwSw0
邪馬台国ハワイ説がでてきてないな
冬でもバナナ食ってた
973名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:27:33 ID:3imn4vpjO
裸歯黒族はサイパンかグアムだろうね。
九州にしろ、畿内にしろ
南に一月だったらそんなもんじゃね?
974名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:29:34 ID:3gzrekg70
>>958
この時代より1世紀あとの
畿内の実力者たちが
魏の年号が刻された銅鏡を
権威があるものと考えて大切に副葬していたのは間違いなく考古学的な事実
975名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:30:14 ID:3imn4vpjO
>>971
現に大和朝廷があったんだから仕方ないだろ。
ひがまれても困る。

栃木や茨城の人が東京に文句言ってるようなもんだ。
976名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:30:22 ID:Ps4S3kZC0
>>743
琉球は、別にちゃんと記録があるんじゃなかったっけ
977名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:30:42 ID:+0Yxf6sW0
>>969
大国主は、国連事務総長のようなもんだろ
勿論、チョソという意味ではない
978名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:30:54 ID:YdmAu2js0
>>951
関わってる遺跡ってどのあたりですか?
979名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:32:42 ID:wUgSqlCO0
>>969
その場合ももちろんあるよ、東ローマ皇帝とかね。
天皇は当初はあくまで政治権力だったが、宗教対立の結果祭司を兼ねるように
なったかもしれない。
出雲国造は皇統の親戚筋でオオクニヌシを祭ることを命じられ、そのまま出雲
の権力も握った。律令下では権力は半減したけどね。
980名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:34:57 ID:3imn4vpjO
>>977
元々畿内を治めてた人。
国譲らんかい、殺すぞって脅されて
息子は自殺、もう一人の息子には信州に逃亡されて
出雲に島流しされて幽閉された可哀相なパパ。
981名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:35:28 ID:1kV0yovCO
>>818
それでは都合が悪い連中が学界と組んで、畿内説が有力だ通説だと宣伝している
のだろうね。
982名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:35:47 ID:41NdZygx0
上のほうでトンデモ説のオンパレードだなw

出雲、大和、ともに、日本国内の勢力だよ。
だいたい、戦国時代だって
最後のほうは、中央部の織田家と、中国地方の毛利家との
二大勢力の決戦になったじゃん。
983名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:37:24 ID:qioMei5Z0
>>981
はい、出ました陰謀論w

もはやまともな考古学的資料を出して対抗できない九州説の末路www
984名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:37:34 ID:IVnp2HR10
箸墓   =卑弥呼
西殿塚 =台与
メスリ山=イハレヒコ

だったらいいなと思っている
985名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:37:53 ID:3gzrekg70
>>981
歴史にイデオロギーを持ち込んで
汚してるのはむしろおまえらのほうだ
986名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:38:28 ID:TH98rnBD0
こういう所から、勾玉とか金冠とか出てこないのかな。
土器とかでもいいんだけど。
987名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:38:54 ID:Oh55W5la0
タケミナカタ
988名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:38:58 ID:3imn4vpjO
>>981
これは陰謀だ〜!!
か?(笑)
989287:2009/03/23(月) 23:39:03 ID:MroJ7Rjd0
先に成立し普及していた三国志の魏志倭人伝に卑弥呼がいて、
その存在を知りつつ後から成立した古事記日本書紀に居ない。
これが全てを物語る。
卑弥呼は皇室の一族ではない。

「楽浪海中に倭人あり、分れて百余国」

卑弥呼は三十国連合のアタマに担がれてただけ、「百余国」全体は統べてない。
倭国王あつかいして貰えたのは、
魏(曹氏)→晋(司馬氏) の政変で
いちはやく晋(司馬氏)を支持する使者を送ったことで
外交的配慮してもらえただけ。
この三十国連合は大和朝廷に直に発展した勢力でなかったから
古事記日本書紀から記録が削除されてるという事。
だから卑弥呼の邪馬台国も三十国連合も畿内でなかった可能性が高い。

http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn4/004_01.html
奴国 伊都国 卑弥呼 邪馬台国
>司馬懿率いる魏軍によって公孫氏一族は滅ぼされる。238年のことである。
> 「倭国」はそれまでおそらく公孫氏に帰属していたと思われるが、
>卑弥呼は機を逸せず翌年直ちに魏に遣使朝貢し、魏への服属を誓った。
990名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:39:16 ID:41NdZygx0
>>957
>その時期は、記紀の神話では神武以前になっているけどね。
>しかし神武以前と考えるよりも、神武以後と考えた方が歴史的な事実ではすっきりする。」

すっきりしない。
どう考えても、出雲国譲りは、神武以前でしょう?
出雲国譲りで、畿内王朝(首都は高天原=葛城)が出雲を併合して国家統一後
九州統治のためにニニギ命(神武の曽祖父)を高千穂(宮崎)に派遣したんでしょう?
991名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:39:41 ID:kd/iK0RnO
>>898
逆だ。三角は国産というのが、最新の研究。
992名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:39:42 ID:fY7tUS6q0
卑弥呼 = 姫巫女
邪馬台国 = 大和国
魏志倭人伝の糞シナ人のヤンキー当て字に皆釣られ過ぎ
てか、漢字変換でも左が先に出てくる辺り、シナと在日の陰謀だな。
すでにこの国は汚染されている。。。
993名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:39:47 ID:Ncgjyu61O
ここで、







邪馬台国なら俺のよこで…
994名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:41:28 ID:Oh55W5la0
>>989
なるほど。
995名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:41:47 ID:3gzrekg70
>>991
最近の分析でわかったのは
銅そのものが中国産ってことね

これ九州説には都合が悪いので
いろいろケチをつけてる
996名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:41:54 ID:nWtZY8RT0
邪馬台国が魏の権威をほしがったのは
対朝鮮半島情勢のほうでしょう?
日本国内向けには、遠い海の向こうの魏の権威など
あまり重要ではない。
997287:2009/03/23(月) 23:43:40 ID:MroJ7Rjd0
日本書紀は大陸側にも持って行き朝廷の権威の正当性を示す狙いもあって編纂された。
ところが大陸側にはすでに魏志倭人伝があり卑弥呼が「親魏倭王」と明記されていた。
卑弥呼が大和朝廷の祖なら問題はなかったが、
卑弥呼が大和朝廷の祖でないなら、朝廷が新興勢力でしかないと明白になってしまう。

しかしながら、日本書紀の編纂者は皇族ではなく官吏でしかない、
皇族や皇族の祖先について、記録を改竄するのは畏れ多い。
そこで苦肉の策を講じたと推定するのが当然だろう。
日本書紀は西暦でなく干支で記されており、絶対年代を記しているわけではないし、
前後関係も明言されているわけではない。
そこで官吏たちが、ところどころ干支一巡分を前後関係を無視して差し込んで、
絶対年代で60年のずれを読者の勝手な勘違いを誘おうと狙ったのではないか。
単純に逆算すると神功皇后が卑弥呼の時代の人物という事になり、
魏志倭人伝の卑弥呼とは神功皇后の事でないかと読者の勝手な推定を誘う。
だが応神紀は干支二順120年繰り下げると『三国史記』の対応記事と一致するという。

「プラス・マイナス120年構想」に説得力がある。
http://www3.plala.or.jp/kuranishigakumon/books1.html
倉西裕子の著作1
>本書では、日本書紀の紀年法には、プラス・マイナス120年構想が設定されており、

応神天皇陵や仁徳天皇陵の周囲から出土する埴輪の形式も、単純な逆算より
約100年(120年?)ほど後の編年上の形式のものだと指摘されている。
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku244.htm
998名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:45:05 ID:qioMei5Z0
>>996
当時の首長らの権威を表す威信材としての銅鏡を入手するため
あるいは半島の鉄資源を確保するためにも
大陸との交渉は外せない。
999名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:45:24 ID:kd/iK0RnO
>>995
銅鐸などを日本でリサイクルしたものというのが最新の研究。
1000名無しさん@九周年:2009/03/23(月) 23:46:01 ID:S8HpQlsd0
1000なら藤井九段が卑弥呼
10011001
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。