【EU・ロシア】エネルギー対ロシア新協定、EU内の調整難航…ポーランド「ロシアの外交圧力へ対抗措置をとるべき」[11/22]
2 :
七つの海の名無しさん:2006/11/22(水) 21:39:11 ID:IJJZNNR6
ポーランド除名すれば?
そのほうが利益出るだろ。
3 :
七つの海の名無しさん:2006/11/23(木) 01:52:26 ID:xTpGsNzJ
ポーランドが変な反ロ政策やめればいいだけの話やんけ…
ポーランド頑張れ。ロシアの横暴に負けるな。
リトアニアもポーランドについたぞ。
糞ロスケに一発食らわせてやれ
頑張れポーランド!
ポーランドは、1994年に調印したヨーロッパエネルギー協定をロシアが批准するよう求めている。
EU全加盟国、日本、オーストラリアを含む49カ国の間で調印されたこの協定は、貿易、投資の保護、国際輸送に関するものである上に、
さらに紛争を多国間ベースで解決するための強制力のある手続きについて規定している。
ところが、プーチン政権およびその支配下にあるロシア連邦議会は、同協定の批准を拒否し続けている。
>>6 つまりはだ、ポーランドがやってるのは、日本の利益の保護でもあるんだよ。
日本だってサハリンの油田開発で痛い目にあってるだろ。
ポーランド1国に頼るのはよくない。
この協定の関係国全てが一致団結してロスケに圧力をかけるべきだ。
8 :
七つの海の名無しさん:2006/11/23(木) 03:34:22 ID:NnfT90sz
同感。
日本はロシアの西側からもこういう問題で
圧力や外交攻勢をかけるべきだよ
9 :
七つの海の名無しさん:2006/11/23(木) 13:52:24 ID:KbvBy2vu
>>2-3 ポーランドをけなしてるおまえらって無知すぎだわ。
12 :
11:2006/11/23(木) 15:30:45 ID:KbvBy2vu
アンカー間違えた。自分にレスしてどうすんだ。俺もアホだorz
>>9じゃなくて
>>10
13 :
七つの海の名無しさん:2006/11/26(日) 02:04:39 ID:t0Bcfkhj
14 :
七つの海の名無しさん:2006/11/26(日) 03:04:06 ID:q5vUfGvd
<イラク反戦広告>全米15紙に掲載「彼らがウソついた」
【ワシントン及川正也】「彼らがうそをつき、彼らが死んだ」。22日付の米ワシントン・ポストなど
全米15紙にイラク反戦団体「ウィン・ウィズアウト・ウォー(戦争なき勝利)」のイラク戦争反対を
訴える見開き2ページの広告が掲載された。
(中略)
新聞広告は左面が「彼らがうそをついた」という見出し。ブッシュ大統領、チェイニー副大統領、
ラムズフェルド国防長官、ライス国務長官の写真の下に「(大量破壊兵器の)ありかを我々は知っている」
(ラムズフェルド国防長官)、「我々は大量破壊兵器を発見した」(ブッシュ大統領)など過去の発言録を引用、
現実とのかい離を印象付けている。
ポーランドの歴史
9世紀頃、ポラーニェ族が統一国家を形成。
これがポーランド国家の起源である。
1018年、ルーシ(後のロシア)と戦いキエフを占領。
1025年戴冠した「武勇王」ボレスワフ一世の代には
当時の欧州最強の国家の一つとなる。
1241年、レグニツァでモンゴル軍に敗戦。
元寇(1274/81年)の前に、元から日本に送られた国書にこの件が触れられており
ポーランドの名が日本に伝えられた最初とされる。
1385年、隣のリトアニア王国と同君連合王国となる。
ポーランドの支配はドニエプル川のはるか東に、北はバルト海、
南は黒海並びにアドリア海に及ぶヨーロッパでも最大版図の大国となる。
1410年、タンネンベルグでドイツ騎士団を壊滅させた。
この戦は中世ヨーロッパ最大規模のものであった。
この頃がポーランドの歴史を通して最も輝かしい時代であり、
「黄金の世紀」と呼び、経済的にも文化的にも繁栄を謳歌した。
16世紀からはシュラフタ民主主義と呼ばれる独自の民主主義政体が発展した。
この頃のポーランドの武力の名声は最高潮となる。
1584年ロシアのイワン雷帝の死による混乱に乗じ、偽の皇太子を仕立ててロシアに侵攻。
ジグムント3世がモスクワを占領した(1610-1612)。
1683年にはヤン3世がオーストリアのウィーンを包囲していたオスマン・トルコ軍を破り、
トルコのくびきから西欧全体を救い全ヨーロッパに勇名を高めた。
17世紀になると大貴族による内戦状態となり、18世紀末に
ロシア、プロイセン、オーストリアによる分割でポーランドは消滅。
ナポレオン戦争時代にワルシャワ公国が創設されるが、ナポレオンの
敗戦でロシアに併合される。
後に独立の英雄となるピウスツキが、日露戦争中の1904年夏、反ロシア決起の
武器援助を求めて来日。兄のブロニスワフはしばらく日本に滞在して
二葉亭四迷らと親交を結んだ。
第1次大戦(1914-18)後に独立。1920〜1921年、ソ連と軍事衝突(ポーランド・ソビエト戦争)。
ポーランドが勝利したこの戦いは世界の運命を変えた十数の戦闘の一つに数えられる。
1939年、ドイツ・ソ連の密約により分割。
ソ連は占領の邪魔になるポーランド将校たちをカチンの森で虐殺。
1944年ワルシャワで対独蜂起するがソ連は支援せず壊滅。
その後ソ連に「解放」され共産国に。
1981年ポーランド人ローマ法王が民主化運動「連帯」を支援したことでソ連による暗殺未遂。
2006年元子役の双子が大統領と首相になる。