>> 日本の道徳について考える <<

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1mannaka ◆sfmh9zaJHs

日本は、戦前戦中の国家神道時代へのアンチテーゼから、
宗教一般そのものを否定的に考える傾向が強い。

しかし、伝統的な宗教は共産圏主義国を除くたいていの国や
地域ではその共同体の倫理の源となっており、道徳を語る
上でも非常に重要な基礎となっている。

犯罪が増加し、児童虐待に象徴されるように家族は崩壊の危機にあり、
共同体も消滅する方向に向かうばかりのこの日本の文明論を
宗教的、倫理的観点から考えたい。
2朝まで名無しさん:04/04/24 09:49 ID:8r1jynKo
> 宗教的、倫理的観点から考えたい。

どうぞ、ご自由に。

ところで、2GET
3mannaka ◆sfmh9zaJHs :04/04/24 09:53 ID:aR1eJNRL

世界の国々(各国の宗教の項目は面白い)
ttp://homepage1.nifty.com/ptolemy/nations/nations.htm

梅原猛の授業 仏教
ttp://www.atc.ne.jp/seikindo/html/umehara.htm

カルトに関する基本的理解
ttp://www7.ncv.ne.jp/~church/what'scult.htm#d

宗教カテゴリー
ttp://dir.yahoo.co.jp/Society_and_Culture/Religion/Faiths_and_Practices/
4朝まで名無しさん:04/04/24 09:57 ID:dzx+Sbcf
糞スレ巡礼の旅
第38番札所「道倫寺」
5朝まで名無しさん:04/04/24 09:59 ID:L8jGXU9h
宗教を否定的に考える傾向は満たされている証拠でもあるんじゃないかな。
勿論立派に信仰を仰いでいる人もいますけどね
6【自由主義の道徳】:04/04/24 10:01 ID:N56nmkcB
自由主義は伝統道徳からの自由な立場を提唱しますが、
「他者に危害を加えない」という決意をもっています。

「個人は他者に危害を加えない限り、自由に行為する正当性がある。」
ttp://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=Liberacion
7朝まで名無しさん:04/04/24 10:04 ID:TmQ3xo/2
道徳を考えると言うタイトルで目を引いておきながら、
>>1で宗教的、倫理的と言い出し、
いきなり>>3で宗教のみの話題にしてしまうのは
誘導としても露骨すぎないか。
8朝まで名無しさん:04/04/24 10:06 ID:TmQ3xo/2
道徳は宗教のみから生まれるものではない。
9mannaka ◆sfmh9zaJHs :04/04/24 10:10 ID:aR1eJNRL

新渡戸稲造は外国の公人との会席の際、日本で宗教教育(道徳教育)が
無い点について問われ、返答に窮した経験から比較文明論敵視点
に重点を置いて日本文明を他国に理解してもらうべく「武士道」を著すが、
その武士道も今の日本では機能していない。

新渡戸稲造からの伝言
ttp://www.ne.jp/asahi/kojo/bunko/index1-21.html

10mannaka ◆sfmh9zaJHs :04/04/24 10:15 ID:aR1eJNRL
基本問題部会における「宗教教育」に関するヒアリングの概要
上田閑照氏(京都大学名誉教授・宗教哲学)

「 宗教と教育について、両者には結びつきがあるが、
 両者を結ぶには難しいことも多い。アプローチとしては、
 歴史的な既成宗教についての十分な知識を与えることがまず必要だ。

 それを学ぶ場としては家庭科でも地理でも歴史でもいいと考えるが、
 それはいずれにせよ「宗教教育」とは言い難いのではないか。

 なぜなら、宗教教育とは人間の真実、すなわち、人はどう生き、
 どう死ぬべきかであるかについて教えることであると考えるからだ。」
11mannaka ◆sfmh9zaJHs :04/04/24 10:18 ID:aR1eJNRL
12mannaka ◆sfmh9zaJHs :04/04/24 10:25 ID:aR1eJNRL
かなりライトサイドからの見方だと思いますが、
なかなか威勢がいいので・・・。

思想新聞
「宗教教育」妨害を画策」
ttp://www.ifvoc.gr.jp/new_page_520.htm

「教育基本法見直し
宗教教育の重要性が欠落」
ttp://www.ifvoc.gr.jp/new_page_62211.htm
13朝まで名無しさん:04/04/24 10:25 ID:JvRTFf2F
欧米のように、長い間キリスト教一筋、アラブ諸国のようにイスラム教一筋
という所に比して、日本なら一体何を伝統宗教として教えればいいのか?
江戸時代は国家的宗教としては仏教が基本的に機能していて、一般人も仏教
の論理で生活していた。中世は寺院と神社が両立、平安期も両立、古代の
ある時期仏教が入ってきたが、その前はアミニズムとタオイズムの混合。
どの時期を取って伝統宗教としたいのか?いっておくが、現代の神道は一部の熱狂者が
いうような古代のアニミズム=神道ではなく、中世以後、吉田家によって形作られた
新興宗教だ。
みなさんならいつの時代を選んで「伝統」とします?おれは難しすぎて選べません。
14朝まで名無しさん:04/04/24 10:48 ID:FnOA1tuR
日本というのはもともと武士道、つまりサムライの道徳が基本であり、
それに民衆が影響を受けたから世界でもっとも優秀な倫理を持ちえた。
これは日本の民衆に古来からある御上に任せとけば大丈夫と言う伝統
であり、御上に信頼が置けなくなった今この形で倫理を取り戻すのは
難しい。
神道的なことは手を洗うとか感謝の気持ちを持つとかそういうことで
あって日本人の倫理観を形作るだけの教義も哲学もない。
血を嫌ったりのケガレの思想でありこれは感覚的な部分。
善悪の判断はおそらく仏教からの影響だろうが、それ以上に日本人の
倫理観に重要なのはやはりサムライ階級の存在だったろうと思う。
15朝まで名無しさん:04/04/24 10:58 ID:JvRTFf2F
>>15
もともとって、サムライなんてたかだか1000年ほど前にでてきた連中で、
武士道に至っては「葉隠」って本が出てから、まあ300年くらい前のもんでしょ。
それで伝統っていわれてもねえ。キリスト教も仏教もイスラム教も2000年前からあるんだから。
それにサムライっていわれても、出てきた当初は単なる荒くれものの殺戮集団だったんだから
それを伝統なんていわれても…
16朝まで名無しさん:04/04/24 11:10 ID:wOdMhZi4
大河内先生や里見先生みたいな人が世の中に増えれば良いのにね。
17朝まで名無しさん:04/04/24 11:16 ID:JvRTFf2F
>>16
それって誰
18朝まで名無しさん:04/04/24 11:53 ID:8OwHdYpm
自分はまったく悪くない、
社会悪があるのは、持てる者(資本家、国家権力、今では、グローバリズム、米帝国主義)と持たざる者(プロレタリアート、労働者、今では、義務を果たさなく権利のみ主張する国民)という経済不平等があるからだ。

持たざるものが経済を管理する体制(プロレタイアート独裁=共産主義国家)を
暴力を持ってしても確立すれば、
理想社会が来ると言うことも、実際は破綻していることが、
歴史的に証明されてきていると思います。

共産主義社会の前段階である社会主義社会でも、
成立までは、いいように見えましたが、ひとたび、プロレタリアートと称する人が、
政権をとると、その人自身の罪の問題が解決していないので、
彼らは、自分が神だと信じきっていますので(そのこと自身が罪だと思います)
スターリン、毛沢東、ポルポト、チャウシェスク、キムジョンイル
などの例を見るまでも無く、
大量の、それこそヒットラーのユダヤ人虐殺以上の殺戮がありました。

今残っている、社会主義社会は、中国、北朝鮮、キューバ、ミヤンマーぐらいなのでは?そこでは、人権があると言うのは、宣伝で、人権が抑圧されています。
特に、中国、北朝鮮に、人権が無い事実があります。

共産主義、 および、それにもとずく市民運動は、徹底した義務を放棄した
被害妄想だと思います。
言葉は悪いが、良識で住みやすい社会を作るためには、
5馬鹿の数組の両親の様に、加害妄想に踏みとどまるべきだと思っています。
19朝まで名無しさん:04/04/24 11:57 ID:T5K8MGGz
正月には神社に初詣
お盆にはお墓参り
結婚式はチャペル

それが日本人なんだから別にいいじゃないか?

欧米・アラブのように無理に一神教にすることもあるまい。

あるがままを生きればよいのであり、何も恥じることは無いと思うが。
20朝まで名無しさん:04/04/24 15:58 ID:GiPHknmj
ひきこもりは天使である。
21朝まで名無しさん:04/04/24 16:12 ID:DJDcCyWX
 神道の中心的存在である天皇家が飛鳥・奈良時代以降
仏教を保護した時点で、統治者自身がいろいろな宗教の価値観を
認めたわけで。
 神道にも仏教にもたくさんの神・仏がいることも影響している。
「アラー」など唯一絶対の神を信仰する国とはここが決定的に違う。
22朝まで名無しさん:04/04/24 17:36 ID:SJoPOVa7
今の日本人道徳観が荒れているのは
宗教を軽んじているところから来ると説く前に、
戦争は宗教から生まれるということを
考えてほしい。
23朝まで名無しさん:04/04/24 17:50 ID:Fn27MFyO
>>22
日本の場合は違うと思う。戦争に宗教が付随するのは一神教ゆえのことだろう。
24朝まで名無しさん:04/04/24 18:00 ID:SJoPOVa7
>>23
そう、だから日本は他国との戦争経験が少ないのさ。
絶対的な神の存在を位置付けていないから他国に比べて平和なんだよ。
人間は自分のとは違う神を信じるやつのことは認めないんだから。
もし日本が一神教になったら、今とは違う問題が生ずるに決まってる。
25自衛隊はアメリカの殺人幇助のためにイラク行き:04/04/24 18:01 ID:ZFZZyJnI
押し込み強盗殺人集団のアメリカに金(米国債購入)と飛行機(アメリカ兵を運んだ)を提供した小泉政府は、
日本を、押し込み強盗殺人の共謀共同正犯へと貶めた。

唾棄すべきは小泉首相。
26朝まで名無しさん:04/04/24 18:38 ID:KsUnCn0t
>>1
昔からある「都合のいい時だけ都合のいい神様に」
って考え方は残ってるでしょ?

日本人の本質である「和」はなくなってないよ。
27朝まで名無しさん:04/04/24 18:39 ID:fDX9CH95
日本人の宗教って
皆の心の中にある良心=社会規範・道徳なんじゃない?
そんで神=未知のもの・自然の脅威って感じ。

日本の神さんて人を律するものじゃなくて
守ってくれる者、恵んでくれる者で日本人は乞食なんだよ。

日本人を律してきたのは集団の総意=長の決定だったけど
民主主義と称して決定権を長ではなく個人に委ねた事で
多様な価値観を持つことが出来たけど
長の決定に従ってきた日本人には合わず
多様な価値観の数だけ良心が生まれてしまったから
道徳が壊れた様に見えている。

少数意見も尊重しようなんて世迷言を無くしてしまえば
道徳は復活する。
28朝まで名無しさん:04/04/24 19:07 ID:Fn27MFyO
>>27
乞食じゃないだろ。当たるも八卦当たらぬも八卦。できれば願いを叶えてください程度のもの。
神様に全部寄りかかろうとしないだけ。
29朝まで名無しさん:04/04/24 21:26 ID:aR1eJNRL
ageます。
30朝まで名無しさん:04/04/24 21:27 ID:aR1eJNRL
失礼しました。
31朝まで名無しさん:04/04/25 10:08 ID:QzrbWE64
>>27

> 少数意見も尊重しようなんて世迷言を無くしてしまえば
> 道徳は復活する。

いや、少数意見の尊重は近代立憲主義の大事な柱だよ。
議論して、少数意見も尊重してそれで最後に多数決で決めるって
ことね。

それと、公共の福祉を脅かすような少数のテロリストを
取り締まるというのは別の問題だよ。
32朝まで名無しさん:04/04/25 11:04 ID:AtGwrbvi
家族の崩壊に関しては、宗教・倫理よりも家長以外の家人の経済的自立の産物のような気がする。
日本経済の成長により、家長に依存せずとも各人が日々の暮らしを営めるようになった。仕事を持つ嫁は夫に依存する必要がなくなった。
家族間・夫婦間での意見の対立があっても、それを抑え込むだけの絶対的な権力がなくなり、一家離散や離婚が珍しくなくなってきたというのが真相だろう。
33朝まで名無しさん:04/04/25 11:16 ID:KPTE6b58
>>32
それだけじゃなくて、共同財産の共同管理という訓練、習慣が減ったからだよ。
34朝まで名無しさん:04/04/25 16:21 ID:QzrbWE64
>>32
家庭は社会の最小の単位でしかも
人が育つ一番大事な場所だから、そこを
しっかりしないと、ますますバラバラでモラルが壊れた社会に
なるとう思う。
35朝まで名無しさん:04/04/25 19:44 ID:HzihHIl9
すべてひきこもりのせいだ。
ひきこもりが日本の価値観を台無しにした。
もう過去には戻れない。
ひきこもりという言葉が死語にならないかぎり。
しかし、この言葉は多くの人に、あえて好まれて使われている。
よって、この言葉が死語になる日は来ないだろう。
36朝まで名無しさん:04/04/25 23:00 ID:QzrbWE64

やっぱり、憲法上の政教分離の原則は重要だけど、
なんらかの形で、国権が特定の宗派あるいは宗教法人を
利さない形でやんわりとした宗教教育を制度化する必要があるだろうね。
でも腐れ日教組がそれを猛然と阻むんだろうなあ・・・。
37妄想性人格障害:04/04/25 23:11 ID:HzihHIl9
顔がよければ、何もかもが手に入る。
財産も、恋も、セックスも、地位も、名誉も、なにもかも思い通りだ。
顔がいいというだけで、なんでも思い通りになる。
わがままは通るし、異性は自分の奴隷にできる。
以前、誰だかがテレビでいっていたが、「顔だけは妥協できない。
顔さえよければ、バカでも貧乏でもかまわない」のが現代である。
顔さえよければ、それだけで、労せず、人生の勝者になれるこの社会を
諸氏はどう思うか?
38朝まで名無しさん:04/04/25 23:20 ID:KPTE6b58
>>37
なまじっか顔がよくてプロポーションが悪いと致命的だけど・・・
39朝まで名無しさん:04/04/25 23:52 ID:FdFg1vP1
現在の高校社会科の教科書では、日本の伝統宗教
(なぜか神道。さっぱりわかりません)も含めて
宗教教育の単元があります。
でも、神道が伝統的日本の宗教だと言われても、
現在の神道は鎌倉以後に生まれたわけで、
教える方も困り果てております。
40朝まで名無しさん:04/04/26 08:34 ID:8wq0wo6r
>>39
え?マジで?
国家神道復活の兆しか?

詳細きぼう。
41朝まで名無しさん:04/04/26 09:10 ID:5yl5krIM
>>40
シッシッ
42朝まで名無しさん:04/04/26 09:38 ID:Pfz7+J5H
>>40
実教出版『新訂版 現代社会』(平成12年)
「日本の宗教」という単元があり、そこでまず初めに
「原始時代の宗教をアニミズムという。弥生時代になると、人々は、稲の
実りを確実にするために春の祭りや秋の祭りをおこなったり、祖先の神を
まつったりするようになった。これがのちに神道(神社神道)となった。」
と説明したあと、仏教については、
「仏教は6世紀に異国の文化として大和の豪族によって受け入れられた。
(中略)また仏教は、日本の神道と融合し、寺院に神社がたてられた。」
と説明している。
この教科書によれば、日本人の原始信仰…→神社神道ということになるな
43朝まで名無しさん:04/04/26 20:08 ID:8wq0wo6r
>>42
内容的には間違ってませんね。
純粋に社会科の中の自分たちの文化理解の
ひとつのアプローチって感じですね。
44朝まで名無しさん:04/04/27 08:56 ID:FqJEm9jl
>>42
そこまで書くなら、他国の宗教についてや
日本における本願寺派やキリスト教徒への弾圧、
戦前戦中の国家神道時代もやるべきでは。
45朝まで名無しさん:04/04/27 09:40 ID:HcQu4ANA
宗教板でやってくれ

激しく板違い
46朝まで名無しさん:04/04/27 10:22 ID:yRNMJNc7
日本の道徳は、常識に元づく希薄なものである
47朝まで名無しさん:04/04/27 10:47 ID:minRe6Wq
37
顔が良いか悪いかは、好みの問題もあるよ。
顔より頭の悪い方が困る。。。
顔が良いだけで思い通りにはならない。
48朝まで名無しさん:04/04/27 14:46 ID:yRNMJNc7
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040427-00000024-mai-bus_all
<新入社員>「良心に反する仕事でも行動」 初めて4割超に
49朝まで名無しさん:04/04/27 19:30 ID:FqJEm9jl
>>45
宗教でくくろうとする戦後のあり方が問題なんだろ。
50朝まで名無しさん:04/04/27 21:09 ID:2DogyapH
まあキミ達、これでも見てこの国の事を考えてみ給え:

質問者:hanahira

昔付き合っていた彼女はクリトリスを動かすことができました。
大きさは普通なのですが、男のペニスのように動かせました。
いま妻に「動かして」とたのんでも、「無理」と言われます。
昔の彼女のようにクリトリスを動かせる人はいるのでしょうか?
それとももと彼女は奇形か何かだったのでしょうか?


回答者:andrea

クリトリス単独…ではないですね。申し訳ない。ま○こと一緒です。
でも、肛門閉める時の筋肉とは違います。
動かせない人にどうやって説明したらいいんでしょう…。
ま○こ閉めるカンジでしょうか。それだとクリトリス単独ではないですしねぇ…。
申し訳ない。

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=748114
51朝まで名無しさん:04/04/28 00:35 ID:zuVGorMM
日本では仕事>道徳だな
52朝まで名無しさん:04/04/28 17:24 ID:UPbt0aKM
>>51
いやその仕事にもいろいろとモラルがあるようで。
53段造 ◆b5w5DanzOU :04/04/28 17:58 ID:joXKR5Og
宗教意識の乏しい日本人の道徳観はやはり武士道に由来するんじゃないのか。
潔さ、とか結果よりも過程を重視する、とか。

あと神道ね。
神道は教義も体系も無いから。知らず知らずに神道している。
ただ、祖先を敬え、とか、清浄とか。
日本人が意識しているいないに関わらず、日本人の価値観を構成している。
54朝まで名無しさん:04/05/02 21:11 ID:yfnHdNe/
パッション、正直すごかった。
55校長が強盗:04/05/04 03:11 ID:4HWhPHPp
この事件は報道されていません。教育委員会も校長を処分しません。
皆様の力でこの事件を広めてください。
被害者先生のサイト
 http://www.geocities.co.jp/NeverLand/8595/
事件究明を求める署名サイト
 http://chiba_273.at.infoseek.co.jp/
    ∧_∧
  (  ^^ )< ひろめよう
ここはまじめなサイトです。事件をひろめるために
 このコピーをあちこちにはってください。<(_ _)>
56朝まで名無しさん:04/05/05 12:46 ID:dLSABUE+
小中の道徳の時間てやっぱり文科省で大枠を決めているのかな?
けっこう大事な問題な気がする。
57朝まで名無しさん:04/05/05 12:49 ID:IRuWOopu
>>51
だから今も根強く密売があるんだろうな。日本は。
58朝まで名無しさん:04/05/10 00:40 ID:dRmd848T
学校の道徳の時間は、サヨの先生の独壇場でございます。
59朝まで名無しさん:04/05/11 08:29 ID:nAsQXR4A
>>58
無いとは言えない。
60朝まで名無しさん:04/05/11 08:32 ID:K9m/y7Cw
>>58
真の道徳の時間は国語の先生が請け負っております。
国語の先生が左巻きならご愁傷様。
61朝まで名無しさん:04/05/11 08:38 ID:zoS2Yztc
大阪人なら道徳といえば「にんげん」
62朝まで名無しさん:04/05/11 08:48 ID:3L3DAjV2
『心の教育』はいらない!市民会議
http://sugakita.hp.infoseek.co.jp/newpage26.htm

真っ向から道徳を否定しているが。
63朝まで名無しさん:04/05/11 08:56 ID:jT8jNwFc
道徳観念は人によって違うので共通のものを考えるのは無意味。
そのために法律がある。
64朝まで名無しさん:04/05/11 09:05 ID:3L3DAjV2
最低限の社会道徳は必要だと思うが。
法律には抵触しないが、電車の床にウンコ座りしないとか、
朝出社したら無言で座らずに「オハヨウ」と挨拶するとか。
人間社会の一員となるんであるなら、道徳は必要。
65朝まで名無しさん:04/05/11 09:07 ID:zoS2Yztc
>>64
電車の中で床に座るのが当たり前な国もある。
普遍的な道徳じゃない。
66朝まで名無しさん:04/05/11 09:13 ID:FoqwvutW
道徳
指導的立場にある政治家が今の状態では
北朝鮮や中国などとたいして変わらぬ。
身をもって範を示すものが日本にもいない。
67朝まで名無しさん:04/05/11 09:15 ID:3L3DAjV2
>>65
どこの国かは知らないし韓国とは言わないけど、
外国でもやっているから他人がやっているからといった理由で黙認するのはどうだろうか。
68朝まで名無しさん:04/05/11 09:20 ID:hWV+YOGZ
やはり修身教育が必要だということだ。
69朝まで名無しさん:04/05/11 09:29 ID:3L3DAjV2
>>68
その中身の問題もあるけど、道徳力が衰退するとシンガポールみたいに法律になる。
そうならない為にも一定の秩序を保つ為にも、ある程度の道徳は必要。
70朝まで名無しさん:04/05/11 09:40 ID:jT8jNwFc
>>64
最低限のものは確かに必要だがそれは誰が決めるのか?
十人いれば十通りの生き方があるしたぶん自分以外の生き方を人は理解できない。
程度の違いこそあれ多少の賽はあるのでどれが正しいとかは誰にもいえない。
しかしだからといって全てを認めてしまうと社会が成り立たないので正しいとか間違ってるとか関係ない純然たるルール、法律がある。
71小泉支持派 ◆8HAMY6FOAU :04/05/11 10:09 ID:ZAzyh0fc
>>70
「道徳」とはコミュニティーを円滑に動かす約束事。
そのコミュニティーの「道徳」を守れないなら、そこを脱すれば良いだけ。アメリカのスラム街や、中華街とかのように。
さて、学校教育における「道徳教育」だが、これは基本的に地域単位で考えている。
そして道徳教育に関しては恐ろしい程、慎重に取り扱っている。
例えば自民党から共産党まで反対しない様に教育課程を組んでいる。世界でも一番脆弱な道徳教育と言える。
だから現在行なわれている道徳教育に反対の立場に居る人間に対しては理解出来ないし理解する必要もない。
72朝まで名無しさん:04/05/11 10:34 ID:sLQo0Xv5
まぁ俺ら戦後教育に多かれ少なかれ影響されてるから
その呪縛から離れて論議するのは困難
嫌な事や面倒な事から逃げてるだけじゃん
電車の床に座ってる連中なんぞケツを蹴り上げて
「立て!クソガキ!」と言えるのが戦前の道徳
漏れはアリだと思うがなー
73nihility:04/05/11 10:49 ID:ZMvFE5Eg
>70
わけわかりませんが?
極論すぎなんだよ。w

「道徳」は個々の規準の総体をであって、社会のルールじゃなんだよな。
守る守らないじゃない。
自分の良心によって、善と悪を判断して行くこと。
だから、人間1人に1個の道徳があるのだと思うのだか。

確かに、今の日本にはその道徳が低下してる
非文化人が多いかも知れないがね。

時代と環境かもなぁ。

74朝まで名無しさん:04/05/11 11:05 ID:5LOqzdGo
小泉純一郎「婦女暴行逮捕歴」
http://www.jca.apc.org/~altmedka/2003aku/aku768.html

首相がこれじゃあ、道徳もクソもあるか!
75朝まで名無しさん:04/05/11 11:20 ID:y8sILK/v
小泉なんてコミュニティー破壊者の1番手じゃないの?
彼が仕事をやり遂げた後は日本は立派なグローバル国家に
なっているはず。コミュニティーはがたがたになってるだろうけど。
76朝まで名無しさん:04/05/11 11:28 ID:po0zCPhC
みんな、クソも味噌も一緒だな

倫理、道徳、宗教、法律

個々の違いをわかったうえで
議論したらええよ

77朝まで名無しさん:04/05/11 12:07 ID:ZAzyh0fc

「電車内でヤンキー座りする人間」…
…マナー=電車内では座席に座るか、釣り革を握って立っている事。

…道徳=他人に迷惑を掛けているかどうか意識しなさい。掛けているなら己を恥よ。
…倫理=ヤンキー座りは、他人のスペースを奪い非効率的。不健康。
…法律=耐えられない腰痛に襲われる人間も居るだろうから禁止までは出来ない。
…宗教=人様に迷惑を掛けたら神様が罰を与えますよ。
78朝まで名無しさん:04/05/12 20:39 ID:Jgal1vba
>>76

> 倫理、道徳、宗教

これらは、諸外国ではあまり差はないんですよ。
法律は法源をどこから求めるかで決まりますね。
79朝まで名無しさん:04/05/14 22:59 ID:Bz5D9klm
ラスト・サムライ
80朝まで名無しさん:04/05/15 19:07 ID:PttaGElU
80
81朝まで名無しさん:04/05/15 19:17 ID:guUZqpg+
78の言うとおりだよ。
82朝まで名無しさん:04/05/15 20:22 ID:p8J1spuX
文化の違い、ってありません?
83朝まで名無しさん:04/05/16 13:41 ID:/ptYtUaO
>>82
> 文化の違い、ってありません?

どういう視点で?
84朝まで名無しさん:04/05/17 15:44 ID:XlMyjhuJ
ただの修身の焼き直しだったら意味ないけど、
それにかわるものってなんだろうね。
85朝まで名無しさん:04/05/17 17:47 ID:roOs2t7l
日本の道徳は、村社会が関係している
という、サイトを見たきがする
どこだったかなぁ

86朝まで名無しさん:04/05/17 17:50 ID:cpR0hV7e
和を以て尊しとすべし。
87長文 (1/5):04/05/17 23:40 ID:0ZKwX5i4
 要は、善悪の判断基準だ。道徳(倫理も同じ)とは、カントが言うような超個人的な側面と、
ヘーゲルが言うような(?)社会的側面がある。

 法律だからって無批判に従ってるだけじゃなくて、本当に正しい人間が同じ状況に遭遇
したらどう行動するのだろう?と常に自問する誠実な態度と精神性。これが超個人的側面。
正しさの源が誠実な鍛えられた個人の心にあるといった考えかな... 良心と言える。
 教わらなくても善悪を判断できる心の働きがだろう、っていうロマン主義的な...

【道徳】 人のふみ行うべき道。ある社会で、その成員の社会に対する、あるいは
    成員相互間の行為の善悪を判断する基準として、一般に承認されている
    規範の総体。法律のような外面的強制力を伴うものでなく、個人の内面的な原理。
    今日では、自然や文化財や技術品など、事物に対する人間の在るべき態度もこれに含まれる。

 この「内面的な原理」って所に引っかかっている人達ね。人間の心に神の性質が宿って
いると信じているか、言葉の意味にとらわれてしまっているだけ。道徳を非常に理想的で
うそ臭いものにしている。それじゃ、自己愛全開の我侭なバカしか生まれない。>>73

 完全な認識を持つことが不可能な人間の存在を理解すれば、完全な判断ができない
ことも自ずと解る。そんな不完全な個人が、道徳なりの原理の源になり得るのか?
絶対無理と言えるだろう。そんな人間が自分の良心を無制限に信じることは単なる
独善/自己陶酔だ。
 そもそも善悪の判断を求めて生きているわけではなく、楽しさや快楽を求めているし、
いかに道徳的な動機から行動しようとしても、実現不可能な現実に直面せざるを得ない。
実現されない理想を信じたいがために、その現実的挫折に対峙せず、理論の中に逃げ、
相手を批判することでのみ自己の理論的完全さを保とうとするなら欺瞞/空論だ。
行動による挫折をさけ、その逃げている理由を「道徳的な理由」によって納得させ、
自己正当化して満足する。それを心の平安と呼ぶなら山奥にすっこんで隠者やってろ。
88長文 (2/5):04/05/17 23:41 ID:0ZKwX5i4
 現実の非常に限られた選択肢と認識の中で、生きて行かざるを得ないのが人間の存在。
行動しなければ生きていけない現実の前に、善悪の基準は簡単に軽視される。道徳を
求める事を第一の事としろなんて、頭の悪い理想論でしょ?
 だが、善悪と無関係に生きているわけでもないんだ。それは人の中で生きざるを
得ないから。社会で生きるために善悪は常に必要とすらされる。一人で好き勝手にやって
良いなら誰もそんなことは言わない。つまり、個人の意識の内で終始するわけじゃなく、
行動が他者に影響する以上、干渉し合うのは当然なんだ。個々人が善悪の基準を作くった
だけでは、道徳とは呼べない。
 善悪の基準って、理想論がまず在って、善悪について議論が交わされ、その結果、
輝かしい宣言文ができる訳じゃない。それは例外だよね?現実/行動が先んじてあって、
何やってんだこの野郎くらいの勢いで、怒鳴りあっているのを何とか納得させた結果が
善悪の基準だ。
 現実的な状況を加味した、多数の視点/批判/判断を経て、鍛えられた善悪の基準が
共同体には備わっている(いく)。そう、共同体とはそういった判断を共有していることに
他ならない。道徳が独善/自己陶酔でないためには、この他者の批判を受け入れたり
和解したりして、鍛えられ高められることによるしかない。

 自分の行動の原理を誠実に人に公開し問うことができ、人の意見を受け入れる態度こそが
道徳的態度だ。この過程によって独善はやっと、社会的意味を獲得できる。単なる理想論の
独善から先に進める。
「武士道」を引用した人がいたけど、道徳を社会的に鍛えられる事を受け入れる態度と
捉え直せば、まさに道徳といってよいだろう。新渡戸稲造は、武士道を個人的意識では[ない]
と言っていたはずだ。そういった個人のあり方を潔いと許容する[社会の合意]と合わさって
成り立つ意識なのだ。
89長文 (3/5):04/05/17 23:43 ID:0ZKwX5i4
 善悪の集大成が一箇所にまとまっていれば話は早いのだけど、いくつかの次元で蓄積されて
いるのだろう。個人/家庭/近所/特定の施設・場所/地域/地方/社会/法制度/国家。それぞれに
分散されて蓄積されている。
 >>70 のように、社会的意識はあるが、法律の文言が全てだと言い切るのは無理があるのは
解るよね?現実の方が先を行っているからだ。文章は小さな一部であって状況に応じ、思考に
よって補完するものだから、明文化できる部分に限界がある。その補完をことさら無視して、
文言のみを利用する態度には嘘がある。その嘘を自己正当化のためにもみ消したいだけだ。
 つまり徳育とは具体的な事象を学ぶことも重要だけど、それを導く態度を習得させることが
本質的なことである。教科書読んで、終わりとしか考えられない人には教えられない。
人の中にあって学ぶものだ。長かったが、社会的道徳の説明というわけだ。
 徳育はポリスでは社会的な関心事、中世では教会に任され、現代においては神のみぞ知る
といった態度だ。日本人にとって「社会」や「国家」「民主主義」は輸入品に過ぎない。
 日本には社会や国家でない、村なり地域なりの道徳の機能をになっていた、何かしらの
共同体があったはずだ。法律の文言ではなく、それを補完する思考の部分 ― 日本人が
精神性を重んじた民族とするなら ― そういった明文化されない部分に本質があった
はずではないか?
 ひたすらに輸入品で埋め尽くされていく明治以降、当時はまだ、和魂と呼べる日本的なものの
中に、異物を受け入れる状況であったろうが、和魂は消え去ってしまった(和魂のみが日本人観
であると言いたいのではなく、儒学輸入後の江戸時代の日本人像が、日本人観の全てという
時代劇に影響されたような軽薄なものには反感を覚える。和魂は日本人が継承していた何かで、
ことさら美化したくはないが、少なくとも輸入ものとは異なった人間観で、輸入品との比較が、
当時の日本人には多少なりともできたであろう)。
 歴史とは、過去に人間が持ちえた人間観を学ぶことに他ならないはず。そういった比較から
人間を知っていくことだと思う。暗記科目しか教えないなら Web の遠隔教育で十分だ。
90長文 (4/5):04/05/17 23:47 ID:0ZKwX5i4
 宗教は社会を築く礎となった人間観が含まれた重要な思想であると思う。中世ヨーロッパに
おいては完全なる社会の根幹をなしたであろう。しかし、宗教的教義と社会が一致していない
現代において、徳育を宗教に一任することは理想論だし、無理があると思う。
 宗教を信仰しない一個人的である私にとって、人間観が宗教的である必要は全くない。

 では何を教えるべきだろう? 社会性と私は言おう。

 社会人は常に成果を問われる。取引先なり顧客なりからの要求に応えることが求められる。
プロジェクトX のような皆が賞賛してくれる成果でなくたって、ATM が止まる/不正処理/
業務遅延があればニュースになる。手抜き工事/管理ミス/運転ミスで事故がおきれば死者が出る。
 社会人として大切なことは、責務を果たすことの意味を自覚できることだと思う。
手を抜いて良い事と、そうでない事がある。その区分けは何によって行われるか?
自分の行動の結果がどんな影響を持つか、考えることによって決まるだろう。他を意識して、
評価を予想する/できる感覚=社会性というわけ。

 優等生として育って、結果教師となった。教師になったが教育の成果は問われない。生徒は
教え方に文句はいわないし、授業の知識を詰め込んで吐き出す形式的作業で過ごし、
そこそこ私生活を楽しんで過ごす。おそらく、標準的サラリーマン教師の人生観。
 彼らは、勉強した知識を応用して製品に結実させたり、実学として駆使したことがあるか?
「学校で勉強することが実際役に立たず無意味だった」が良くある感想だが、その知識を
使っている職業がある。学んだことが実際に何かの役に立つ具体的な像があれば、学校は
社会から孤立した異世界ではなくて、延長線上に社会とのつながりが見える。その上で、
別の道に進むやつが大多数だろう。社会での人間の在り方をリアルに感じ/考える一つのモデル
すら、与えられてない。責任を持って役割を果たし達成感を得るという社会人の姿を
見せてやれない。
 学ぶことは試験で評価されることと教わって、その成果は超個人的範疇の自尊心にしか、
還元されず自尊心のみ肥大化...この空想的な反社会的モデルしか教えられない教師が
多数ではないか?

91長文 (5/5):04/05/17 23:52 ID:0ZKwX5i4
 これが学校で身近に接する数名の大人の姿であるなら、社会に出て求められる態度を学ぶ
ことなんてそうそうできないのでは?もっと身近に接する、両親や地域が学ばせてくれても
問題はなんだけど...
 社会的責務を果たす意識の存在が、感じられるか/伝えられるかという一点を問いたいわけ。
私はそれを社会性と呼びたい。教師に全ての責任を転嫁したいのではなくて、今の狂死では
教えられない事を教えるべきだといっている。
 裁判官や医師等、成果を問われにくい/批判されにくい職業が他にもあると思う。
評価の基準(ノルマ制)に疑問のある警官のような職業もあるかもしれない。
 成果が問われなければやる程度にやるだけ。現実的な問題意識は湧かない。改善の必要が無い。
評価が現実に則さない無意味な基準によっいるなら、形式と現実のギャップに悩むかもしれない。
 こういったことが実社会で問題視されているのではないか?そういった問題意識、自浄
機能について語れる誠実さが根本/理想にあってよいのではないか?

 現代社会の現実から教えればよいだけだと思う。疑問をもてば解消したくなる。
なぜ現状があるか歴史を探らなくてはならない。簡単な答えの無い問題を考える分析/応用力。
 人のためにやらねばならない状況を与える。勉強は私的なことだから、協調的ではないし
責務も感じない(変な責任感じる子もいるだろうけど)。そしてその責務に応えられるのか否か、
応えるためにどうすれば良いのか考えること、言い方が大げさすぎるが、これが社会に出て
最も必要な資質でしょう。

 教育者には現実感がないのだ。社会の中で生きることの現実感が。経験/実感もなく考えようと
するから全てが推測/一般論で空回り、個人を中心に考えれば社会的意義になんて辿り着かない
我侭/独善に終始するしかない。
 教師が話し合って社会に納得してもらえる答えなんて出せるのか?知識量の問題の前に、
本当に学ぶべきことを知っているか?当然、地域がその教えられない部分を教えるのも
ありだろう。
92朝まで名無しさん:04/05/17 23:54 ID:UvpH+k0x
ユダヤ教社会ではサバイバルすること(生き残り)が最高の徳とされているんだよね。
キリスト教社会では希望をもつことが最高の徳とされていて、教会のことは別名、ホープ・ビジネスと呼ばれている。
他方で、日本では生きることよりどう死ぬかが特に戦前までは論議されていたから、
現在の中東情勢のように話が噛みあわなくなってしまうんだよね。
俺はやっぱり、自分の幸福を追求しながら生き抜くことが人間としての最高の徳だと思う。
93朝まで名無しさん:04/05/18 00:00 ID:/KF3cTIk
戦前でも大多数の人間はどう生きるかを考えてたよ・・・
94朝まで名無しさん:04/05/18 18:51 ID:aphMnNVS
>>87
ほんとに長文だなあ。
せめて見出しくらいつけれ。
95朝まで名無しさん:04/05/21 20:02 ID:nrnH4QCc
道徳とあらためて言われると確かに困ってしまうなあ。
96朝まで名無しさん:04/05/21 20:18 ID:rHkoubHn
誰だ、こんな低脳なテンプレでスレ立てた1は?

1のいう「伝統的宗教」っていったい何よ? 仏教?
それを明示しないで論じられるわけないだろ?

共同体とか倫理とか文明論とか、聞きかじったような言葉は
散りばめててもサパーリ中身がない。
97朝まで名無しさん:04/05/21 20:21 ID:Q23A9B1x
お天道様が見ているなんて死語だよね〜
98朝まで名無しさん:04/05/27 19:32 ID:fgQf9FZN
http://www.pitout.net/nikki/2003/nikki.html

こないだ、家の近所に居た猫にRS125のクラッチプレート咥えて盗まれた時、
瞬間的に頭きて、おもいっきり、猫蹴っ飛ばしたら、屋根まで飛んでった。。。
それ以来、近所のネコに避けられてます。。。。hi.

早速、野良猫とピットをハイカイしてたノラ経太(虎刈りモード)をGET!!!

早速、しっぽつかまえて、ジャイアントスイングして遊んでたら、
すっぽ抜けて、空中に猫が飛んで行ったよ。
あれれ???

ふーーーん。猫って、空飛ぶんだ!!!
高さ3mくらいは楽勝で飛んでた。。。。すごーーーーい。
飛んでる姿を激写!!
<<ぶん投げられる猫の写真あり>>

やった香具師のプロフィール
http://www.pitout.net/driver/index.html

掲示板
http://6602.teacup.com/hironobu_1970/bbs
99朝まで名無しさん:04/06/02 16:27 ID:KGNoRA//
今の小学校でも「道徳」の時間てあるのか?
わしらの時(20年前)は道徳の教科書もあったし
週に1〜2回は時間割りに「道徳」というのがあったが、
すべて算数や理科の時間に割りふられてしまってた。。。
低学年の時、道徳の時間て遅れている教科の補習の時間だと思ってた。

道徳心を育てるよか、算数や理科の知識を叩き込んだほうが
良いという先生方ばかりだったね。

ホントに道徳の時間ってのが記憶にない。
まぁ、道徳の教科書は「読み物」としては面白かったが。。
100朝まで名無しさん:04/06/02 16:57 ID:Ax80JlYY
100
101朝まで名無しさん:04/06/02 17:36 ID:YX45gwDW
まあ小学校の低学年くらいに基本的な
生活道徳教え込むのはいいかもしれないが、
反抗期の先生なんてなめきっているクソどもに
いきなり教えても、現状じゃかえって逆効果に
なるような気もするが・・
102朝まで名無しさん:04/06/02 19:50 ID:Ik3eZP/J
>>1
戦後、アメリカによって大麻を禁止にされた事により、
日本神道の象徴である神社の意味が失われたから。

今では、神社へ通う人もへり、戦後世代は神社が立てられる意味さえ知らない


大麻解禁にして、日本神道を取り戻したい。
103朝まで名無しさん:04/06/04 09:15 ID:UG2V/AmU
>>102

いや、大麻が問題ではなくて、それを含む村落共同体の崩壊が
神道衰退の決定的要因でしょ。

近代化と日本の文明の葛藤とでもいうかな。
104朝まで名無しさん:04/06/05 13:11 ID:2obQsHlO

佐世保の事件もいろいろと考えさえられるな。
なんだか、メディアで加害児童の内面がもれ伝わって来るにつれ、
「津山三十人殺し」と類似性があるように思えてきた。

あれも、日本の古い村社会が近代化で変質していく過程で
起こってるんだよな。
105朝まで名無しさん:04/06/07 20:54 ID:kxACqIDL
保守
106朝まで名無しさん:04/06/08 01:08 ID:HVy6WPTv
2万近い、「新興宗教」が乱立する国。

明かな「宗教政党」が政権に入り込んでいても、誰も不思議に思わない国。

車内の吊り広告が、宗教宣伝でも驚かれない国。

マスコミの中にも大量に信者がいる国。


……日本は宗教のない国家?どころか、

    世界でも有数の 宗 教 好 き 好 き 国 家

ですよ。
107朝まで名無しさん:04/06/08 09:33 ID:qtq4qxL8
>>106

しかもそれが破壊的カルトときている。
困ったもんだ。
108朝まで名無しさん:04/06/08 09:59 ID:eKTPPz+I
麻原が存在したために死んだ人:数十人
キリストやムハンマドが存在したために死んだ人:数千どころじゃねぇだろ
109朝まで名無しさん:04/06/08 14:05 ID:IG3/eiQI
>>108
> 麻原が存在したために死んだ人:数十人
> キリストやムハンマドが存在したために死んだ人:数千どころじゃねぇだろ

ついでに仏陀もね。それからマルクス・エンゲルスも。
110朝まで名無しさん:04/06/08 14:25 ID:SsvQ9WuG
>>109
仏教には、キリスト教やイスラムのような 「教敵を倒す聖戦」 という概念が無い。

あれこれ事情で殉職した者は多いだろうが、他の宗教とは桁が違うだろうね。
111朝まで名無しさん:04/06/08 14:34 ID:n8ymM00k
>>110

たいしたご理解で。
112朝まで名無しさん:04/06/08 14:45 ID:Kk9H+AMS
日蓮宗に関しては、そうとも言えんよ。折伏の教えだからな。
あと一向宗。日本に仏教絡みの紛争が無かったとは全く言えない。
113朝まで名無しさん:04/06/08 15:23 ID:SsvQ9WuG
>>112
今、述べているのは 「聖戦」 の有無。
宗教にはカネと権力がからむ。 「紛争」 があるのは当たり前。

折伏は、失敗した場合、相手を殺す?
一向一揆は、一向宗を広めるために起こされた?

勉強汁っつーよりも、文意を読むようガンガれ。
114朝まで名無しさん:04/06/08 18:20 ID:oLMtUSK8
>>113
> >>112
> 今、述べているのは 「聖戦」 の有無。

今、「聖戦」などと言っているのはイスラム教過激派くらいのものだと
思うが。

歴史年表
ttp://www.aura-press.com/scriba/

これを見るとわかるとおり、歴史的にわが国でも
仏教伝来、仏門各派による宗教紛争は枚挙に暇が無い。

同時に、近代以前は国家体制と宗教が一体であったため、
そもそも宗教だけ切り離して考えても意味が無い。

115朝まで名無しさん:04/06/08 19:23 ID:SsvQ9WuG
>>114
> 今、「聖戦」などと言っているのはイスラム教過激派くらい
単語「聖戦」 を使わない限り、十字軍なんかもセーフですか。そうですか。

> これを見るとわかるとおり
普通の世界史年表で手ぇ抜くなよ・・・

> 近代以前は国家体制と宗教が一体であったため
宗教と政治の指導者が両方兼ねている状態を、一体と言います。つまり指摘は間違い。

>>110、ほんの5レスほどを遡れば、問題としているのは、単語「聖戦」 じゃなく
「宗教のために行われる戦争」 を意味する事ぐらい理解してしかるべきだと思うが・・・
重箱の隅ばっかりだ(疲
116朝まで名無しさん:04/06/08 20:55 ID:oLMtUSK8
>>115

勝手に定義を作る時点で児童決定だな。
そもそも議論する前提で間違っているねえ。

> 単語「聖戦」 を使わない限り、十字軍なんかもセーフですか。そうですか。

あのね、現時点て言ってるでしょうが。
十字軍出すんだったら、それこそ仏教伝来に伴う内乱や、
戦前戦中国家神道のもとで行われた侵略行為や自国民への
圧制はどう評価すんのかと・・・。



117朝まで名無しさん:04/06/08 20:56 ID:AeCmYeZw
日本における道徳人ってだれ?明治の人?
118朝まで名無しさん:04/06/08 20:58 ID:N0EOW9YS
http://news.tbs.co.jp/headline/tbs_headline975682.html
こんな、馬鹿がでないように、必要
119朝まで名無しさん:04/06/08 21:35 ID:Qc0/lZbC
>>106
それで宗教「ヤジ馬・もの好き」という表現なら当たっているかも。
しかしテレビ伝道師まではいない。やはり宗教のない国だと思うよ。
120朝まで名無しさん:04/06/08 21:37 ID:SsvQ9WuG
>>116
あのさ。権力が宗教介入で 「一体」 とか言っててどーすんのよ?
政教分離は相互不干渉だけど、干渉すれば政教一致ってワケじゃないのよ。

> 勝手に定義を作る
レスに困る。 >>114の 「国家体制と宗教が一体」 というのも定義でそ?
「相互干渉 = 一体」 だ!って言うなら、勝手にそう思えばいいけど・・・

> 戦前戦中国家神道のもとで行われた侵略行為や自国民への圧制
仏教の話をしてて、ナンデ神道@戦時中の追求になるんだか。

> 仏教伝来に伴う内乱
そういった事実だけを積み重ねても、征伐遠征のない仏教の被害は軽いと言ってる。
121朝まで名無しさん:04/06/08 21:48 ID:oLMtUSK8
>>120
ま、いいから、自分の「宗教批判」が
いかに軽薄で子供じみたものだったかわかったね。
よかったよかった。よしよし。

122朝まで名無しさん:04/06/08 22:01 ID:SsvQ9WuG
まぁ何だ。
「お前の言ってる事はデタラメだ」 としか言えなくなったら終わりなワケですよ。

単純な死傷者数で言えば
マルクス・エンゲルス>>>キリスト教・イスラム>>>[越えられない壁]>>>仏教
だろうし、争いの歴史で言えばキリスト教がダントツだろう。

もともと 「神と悪魔」 の二元論的対立を抱える宗教と、
人生の輪廻・円環を説く宗教と、どちらが 「激しい」 かは言うまでも無いワケで。

しかし道徳がカルト宗教に結びつく流れがイマイチ読めなかったりする俺・・・
123朝まで名無しさん:04/06/08 22:15 ID:oLMtUSK8
>>122

> マルクス・エンゲルス>>>キリスト教・イスラム>>>[越えられない壁]>>>仏教
> だろうし、争いの歴史で言えばキリスト教がダントツだろう。

ソースと根拠は?

> もともと 「神と悪魔」 の二元論的対立を抱える宗教と、

キリスト教といえども旧教と新教各派で数十億の人間がいるのに、
それを一からげとはまた立派なご理解で。

> 人生の輪廻・円環を説く宗教と、どちらが 「激しい」 かは言うまでも無いワケで。
> しかし道徳がカルト宗教に結びつく流れがイマイチ読めなかったりする俺・・・

坊や君はここで何をしたいの?
単純に「仏教えらーよ、やばい、すごいって」って言いたいだけなのかなあ・・・。

124朝まで名無しさん:04/06/08 22:36 ID:SsvQ9WuG
>>123
> ソースと根拠は?
Web化されたソースを根拠にしないと持論を述べてはイケマセンかね。

> 旧教と新教各派で数十億の人間がいる
キリスト教としての根幹、つまり宗教的世界観は、あまり変わらんよ。

> 坊や君はここで何をしたいの?
今は子供の相手をしてる。成り行きだけどね。
125朝まで名無しさん:04/06/08 22:55 ID:oLMtUSK8
>>124

> Web化されたソースを根拠にしないと持論を述べてはイケマセンかね。

根拠とかソースは社会一般の平行領域で語られるべきものであって、
つまりは、客観的データや信頼できる専門家の論文などが理想だ。
掲示板上で部地理的書籍を貼り付けられない以上、
WEBを介したやりとりが基本となる。

あたりまえでしょうが・・・。

> > 旧教と新教各派で数十億の人間がいる
> キリスト教としての根幹、つまり宗教的世界観は、あまり変わらんよ。

2000年間大きな改革の波にされされながらも未だひとつの大教会として
活動するカトリックと大小2万にもなるというプロテスタント。
それが「同じ」でかたずけられるとは、ずいぶんと「わかりやすい」
歴史観をお持ちで・・・。

比較的良質なソース

カトリックとプロテスタントの違い
ttp://www.al-pha.com/fp/seisho/3seisho.htm

カトリックとプロテスタント、どこが同じで、どこが違うか
ttp://theology.doshisha.ac.jp:8008/kkohara/reportdb.nsf/0/333f34264249a87149256cda0047d52a?OpenDocument

ウィキペディア「プロテスタント」
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%86%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%88


126朝まで名無しさん:04/06/08 22:57 ID:oLMtUSK8
>>125

×部地理的
○物理的
127朝まで名無しさん:04/06/08 23:14 ID:SsvQ9WuG
>>125
些末な枝葉の違いだけを取り上げて 「ほら、こんなに違う」 なんて言ってたら、
季節が違うだけで、同じ樹木でも違う木に見えちまうだろーさ。

引用URLでも、根幹の部分が全く異なるなど一言も述べてない。 墓穴掘ってない?
128朝まで名無しさん:04/06/08 23:18 ID:CMmtQYt0
自分自身も、そして自分の子どもも
道徳の時間に学んだ事は
もっともらしい感想を言う(書く)ことだけ

手抜きと言えば手抜きだが
中学ではプロジェクトXをよく見せていた
結構感動して色々話してた
命の大切さとかぐちゃぐちゃつまんない話よりよかったみたい
飼い猫が死んだとき、オイオイ泣く奴が
人殺しするんだからね
129朝まで名無しさん:04/06/08 23:19 ID:oLMtUSK8
>>127
> >>125
> 些末な枝葉の違いだけを取り上げて 「ほら、こんなに違う」 なんて言ってたら、
> 季節が違うだけで、同じ樹木でも違う木に見えちまうだろーさ。
> 引用URLでも、根幹の部分が全く異なるなど一言も述べてない。 墓穴掘ってない?

かなり議論の本質がそれているんで、結局おたくさんが
どうしたいのかわからんけど、
キリスト教内部はかなりいろいろでしょうが。

で、ここで何を言いたいのかな?
やっぱり、「仏教は素晴らしいね。根拠はないけど。」
って事かな?
130朝まで名無しさん:04/06/08 23:35 ID:SsvQ9WuG
>>128
信号守れとか、くだらない授業内容だった事しか思い出せない…

>>129
> かなり議論の本質がそれているんで
何で逸れたんだろうねぇ。

> ここで何を言いたいのかな?
文意を読みとる際、いちいち相手に言い直してもらわなきゃ理解できない?
131朝まで名無しさん:04/06/08 23:44 ID:oLMtUSK8
>>128
全くだな。
だいたい、今のシステムだと
モラルとか死生観とかいっても、
「なんでそう言えるの?」と問われても教える側の
先生がわかんないでしょうね。

保守的な政府の元で、日教組みたいな社会主義者のような
人たちが子供たちに「道徳」を教えてるんだから、
不幸としか言いようが無い。
132跳ね馬:04/06/09 10:46 ID:TYl356cF
道徳というのはその時々の社会の状況に応じて生物的な変化・変更を経つつ有機的に継承される
もののはずなのだが、いかんせん我が国の場合は事情が少々特殊だろう。
何しろ外部(価値基準が異なる文化圏)との接触が数百年間もほぼ完全に絶えた状態が続いたわけ
だから、その社会に適応した道徳が既に大航海時代を経験し、通信・交通の手段を発展させた相手
との交流を再開し(しかも政府主導でそれらを急進的に取り入れた)た時点で、道徳が社会に対応
仕切れなくなるのは当然のこと。
しかも具合の悪いことに、お侍さんという旧弊が服を着て歩いてるような連中の価値観を一般に推奨
しやがった馬鹿が多いせいで、社会と道徳の乖離がますます進み、結果現実と理想という形で道徳の
価値が極端に低下、おまけに現実に対する理想化された道徳を声高に吹聴する馬鹿(政府)のおかげで
市民レベルでは道徳の価値暴落。
道徳を実践レベルに引き上げてやらないとどうしようもないだろうね。
133朝まで名無しさん:04/06/09 17:08 ID:Kq+Gde1Y
>>132

そうなんだよ。そこまでは、けっこうわかっている人はいるんだけどね。
そこからどうするかだよな。

これが難しい。
134跳ね馬:04/06/09 19:01 ID:TYl356cF
>>133
道徳を利益から遠ざけてしまった潔癖性が諸悪の根源でしょうな。
ある道徳的行為によって、当事者が反射的利益を受けた場合に、その利益を受けた
という事実をもって行為者を叩くような風潮が無いか、よく考えてみるところから
始めるのがいいんじゃなかろうか?
あるいは、その逆。
135朝まで名無しさん:04/06/09 19:18 ID:1kw4e6f6
>>125
>> Web化されたソースを根拠にしないと持論を述べてはイケマセンかね。
> あたりまえでしょうが・・・。


頭のオカシな人ハケーン (・∀・)

あたりまえ、の根拠となるソースをキヴォンヌw
136朝まで名無しさん:04/06/09 19:25 ID:puIBBV53
http://www.pressnet.tv/log/view/3758
小泉純一郎婦女暴行事件による損害賠償請求裁判第二回公判は6月15日朝10時20分東京地裁609号法廷。
137朝まで名無しさん:04/06/09 19:35 ID:Kq+Gde1Y
荒らしはスルーでね。
138跳ね馬:04/06/09 19:48 ID:TYl356cF
>>137
無論。

そもそも道徳というのが、2人以上複数の人間が社会を形成し運用する際に、
競合する利益又は不利益を社会の構成員全体で享受又は負担することで利益の
総量を増加させあるいは減少を最小限にとどめるための、一種の社会契約として
の性質であるはずなのに、現代日本においてはきわめて狭義で、自己犠牲による
社会利益を発生させる行為と受け取られているきらいがあると思える。
道徳のハードルを、偏執狂的な潔癖さからやたらと高くした結果、道徳観念そのものが
見捨てられたのが現代日本の病理だろう。道徳とは、社会利益の総量増加のための
行為による負担であり、結果自分(行為者)の利益になるということを目に見える形で
示してゆくのが重要と思われ。具体的なやり方はともかく、方向性として。

最悪なのは、「利益を伴うような行為は道徳的行為じゃない」という意識。
139朝まで名無しさん:04/06/09 20:37 ID:A6S0hRxv
>>137
> 荒らしはスルーでね。

りょうかい!
140128:04/06/10 01:14 ID:cx1PeghU
自分自身についてはあらかた忘れたが
子供が小1のとき、授業参観が道徳だったことがある
きつねがうさぎにいじわるして仲間はずれにする
森のくまさんたちがみんなで相談してきつねを
こらしめて、きつねが反省する

正直言って、馬鹿馬鹿しくて…時間の無駄だと思った
馬鹿な担任が、そのお話読んで
きつねが悪かったと思う人は手をあげてーハァ

その印象が強かったので
中3の娘が道徳の時間にプロジェクトXを見て
感動している方がマシかと…
別に某放送局の回し者ではないから変な突っ込みは無用

前の方のレスに信号の渡り方とかあったけど
きつねの話よりまだしも、生きるための必要な力になるよ
141朝まで名無しさん:04/06/10 12:30 ID:UAAGd/kT
>123
ユダヤ教を源流としてキリスト教が発生し、
キリスト教を背景としてマホメットが説いたのがイスラム教。
これらの根幹は旧約聖書であり、世界観が類似してるのはあたりまえ。

123の指摘は、空手や柔道といったマクロな格闘技についての流れに
「極真流と剛柔流を一緒にするな」というミクロな流れを混ぜ込むもの。

主張自体は間違いでは無いが、タイミングが致命的に間違っている。
142朝まで名無しさん:04/06/10 13:20 ID:9lxym/Vd
>>140
プロジェクトXはまあ、悪くないよね。

物つくり系の話題だと、日本の伝統的生真面目さがわかるし、
トルコ政府が危険を冒しててイラン革命で取り残された日本人
を救出したような話では、人間普遍の善意と勇敢さがわかるしね。

でもそれらが何を源にして発しているかが問題なんだけどね。
その後ろ盾を日本は失っている。

143朝まで名無しさん:04/06/10 20:54 ID:JtCpbim8
道徳的age
144朝まで名無しさん:04/06/11 04:37 ID:GEdKuS4y

それっぽいスレタイつけて屁理屈ふりかざすクソスレ&厨が激増
145朝まで名無しさん:04/06/11 16:02 ID:eBozblVo
>>144
なんで、このレスだけ文字化けしてんの?
146朝まで名無しさん:04/06/11 21:25 ID:Y5s0Qy/x

こちらもよろ

なぜモラルのないやつが増えてるのか?
http://news17.2ch.net/test/read.cgi/news2/1086886278/
147【自由主義が最終結論】:04/06/12 20:31 ID:DI1QUzF/
他者に危害を加えないこと。
ttp://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=Liberacion
148朝まで名無しさん:04/06/13 21:09 ID:o2LvrztV
道徳的age
149朝まで名無しさん:04/06/13 21:11 ID:exUpxGxF
道徳からして、

「なぜ人を殺してはいけないのか」

考察し合ってみてください(・∀・)
150朝まで名無しさん:04/06/13 21:30 ID:AtKfuAgA
>>149

「なぜ勝手に人を殺してはいけないのか」

だろ。
151朝まで名無しさん:04/06/14 08:01 ID:xfqFPwbO
>>149

いい問いだね。
根本的な事だし、人を殺したくない、殺されたくない、
というかそんな事すら日常とかけ離れていて
考えたことも無いという人が大多数だと思うけど、
「何故そう言えるのか」を突き詰めると、わからなくなる。
152朝まで名無しさん:04/06/15 14:06 ID:Cwv0baW7
age
153朝まで名無しさん:04/06/15 14:08 ID:M7HxSUDm
「鮮人殺せ」と毎日書き込んでる人の道徳について考察スレ
154朝まで名無しさん:04/06/15 14:55 ID:OEdOmqDS
恥という日常的な感受性は教えられたから知るのでは無く
規範を破った時に身内から疎外される恐怖感が内在化して身に付く。
又、規範も教えられないと知ることは出来ないのではない。
もしそうなら文明が芽生える前に規範があった事になる。
そして個人にとって経験的心情的に正しいと学び取った規範か
疎外されたくない人間の求める規範が守るべきものとなる。
個人が道徳心を身に付けるために他人の尊厳を犯さない限り
個人の自由な試行錯誤を保証するのが倫理であるが
日本にはそういった伝統は無い。
155朝まで名無しさん:04/06/15 15:01 ID:QAGPAzAJ
ロリコン帝国につながる道を選択したい
156朝まで名無しさん:04/06/15 15:04 ID:sF/fgE9F
取り合えず、政治家の道徳から何とかしろ。
腐敗ってのは、必ず上から起こるって、先輩が言ってたぞ。

とりあえず、まずは失言政治野郎の今日の一言。
某朝刊紙に載った「 殺 し 合 い 」発言。

政治家の脳内のほうが、よっぽどバトロアってる罠。
157朝まで名無しさん:04/06/15 15:47 ID:8A/uZJHD

ローカルルールも守れないアホな子が立てた、道徳考察スレです。 乞うご期待。
158朝まで名無しさん:04/06/15 17:01 ID:/Rqd6m2w
>>138
> 競合する利益又は不利益を社会の構成員全体で享受又は負担することで利益の
>総量を増加させあるいは減少を最小限にとどめるための、一種の社会契約としての性質である

 要は、この徳の構造をはっきり教えればいい。共同体に帰属するためにしきたりがあり、
合理的な理由があると。だた、明文化されずに組織に蓄積されているだけで...
 しかし、構造すら理解してない無能どもは、演繹的に複雑な例を持ち出して国語の
読書感想程度か、うそ臭い茶番の押付け。帰納的に単純な原理から教えればよい。
 そこから、社会の複雑な問題を具体的に見て鍛えられていけばよい。その単純な原理から
築かれた人間間の信頼/誠実さってものが、歴史/民族を超えた理解すら生むことを知っていくだろう。
(エルトゥールル号 ttp://www1.u-netsurf.ne.jp/~kokueki/swf/turkey.swf) 美化は差し引いて...

 経済用語で言うモラルハザードとは、各個人が利益を追求していく時に、その行為が
反社会的行動に陥ってしまう状況のことを言うそうだ。つまり、社会/経済構造を問題にしている
のであって、個人の心がけを問題としているのではない。法整備/最適解が導ける専門知識を
教えられるはずも無いなら、基本的原理を教えるしかあるまい。
159朝まで名無しさん:04/06/15 17:09 ID:zhSuGtI7
>>1
犯罪は昔の方が圧倒的に多かったんじゃないの?
戦後、犯罪件数の減り方を見れば、ヒジョーに道徳的になったってくらいじゃないの?
160名無し:04/06/15 17:22 ID:aWHMNrMZ
戦前の日本は犯罪は少なかった。今とは比べ物にならない。台湾でも
戦前日本人だった人が、日本統治の時代には家に鍵をかけなかった。
自転車を放置しておいても盗まれなかったと懐かしんでいる。
戦前の日本は世界一の道徳国家であった。それを計画的に破壊したのが
占領軍と共産主義者だ。日本人は道徳を教えれば分かる。道徳教育の再開だ。
戦後の価値観はすべて誤りだった。一億再懺悔だ。
161朝まで名無しさん:04/06/15 18:41 ID:WpRaELO3
>>160
>一億再懺悔
マスコミを操作すれば何とかなるかも。
売国奴が多くて難しいのも現状だけど。
162158:04/06/15 19:10 ID:/Rqd6m2w
 あう。帰納と演繹が逆になっている。
 帰納 個々の具体的事実から一般的な命題ないし法則を導き出すこと。特殊から普遍を導き出すこと。
 演繹 前提された命題から、経験にたよらず、論理の規則に従って必然的な結論を導きだす思考の手続

 論主を汲んで読んでください。
 原理を教えて、原理を使って推論(演繹)、現実の複雑な問題から原理を導く(帰納)
163朝まで名無しさん:04/06/15 19:18 ID:plXUU/J0
>>160
戦前の少年犯罪
http://kangaeru.s59.xrea.com/senzen.htm
昭和10年(1935).11.16〔17歳(満15〜16歳)の名古屋連続通り魔、女性80人襲い1人刺殺〕
昭和11年(1936).4.16〔18歳(満16〜17歳)の向島幼女連続殺害事件〕
昭和11年(1936).4.25〔19歳が主人一家6人惨殺〕
昭和17年(1942).10.12〔18歳の浜松9人連続殺人事件〕
昭和18年(1943).7.19〔19歳戸畑の通り魔3人殺し事件〕
昭和19年(1944).7.29〔18歳中学生が友人一家3人殺害〕
昭和19年(1944).8.1〔松平子爵令嬢誘拐事件〕
164朝まで名無しさん:04/06/15 21:51 ID:Cwv0baW7
>>162

現代思想は孤独な宗教とはよく言ったものだ。
165朝まで名無しさん:04/06/16 00:25 ID:1ET1YlWz
まあ、とりあえず最初は殴ることだな。

そして、型をおしつけ、型にはめる。

で、型にはまりきらない部分を慎重に伸ばすんだな。
166朝まで名無しさん:04/06/16 12:45 ID:Fo2cSafF

道徳を考える、という名目で内省・自虐性を伸ばすスレ
167朝まで名無しさん:04/06/16 22:41 ID:sbHfSb76
>>163
人口あたりの発生率でないとデータとして意味ないよ。
168朝まで名無しさん:04/06/16 22:47 ID:WLZQ0eGS
昔はやくざだって任侠があっただろ
地震雷火事親父っていってちゃんと父親を軸にしっかりなってたし
169朝まで名無しさん:04/06/16 23:00 ID:a+FrylDL
>>167
戦前は長屋が多かったし大家族だったから、個人のプライベートなんて無いでしょう。
情報が筒抜けの状況で、犯罪なんてできんだろう。
170道徳の消滅:04/06/16 23:01 ID:3+xeU7zh
「キミが道徳と呼んでいるその龍を見よ。
その鱗のひとつひとつに『汝、こうなすべし』と
書かれたその怪物を。その龍はもう死んでいる。
ワタシは獅子だ。」
171朝まで名無しさん:04/06/16 23:03 ID:ZHiJJAHi
目上を敬う儒教的なものまで失う必要はなかったのかも。
172朝まで名無しさん:04/06/17 00:55 ID:xyKCCKvK
>>167
人口あたりの比率も>>163 のリンク先に載ってますけど、目の不自由な方ですか?
173朝まで名無しさん:04/06/17 08:38 ID:Q5p6BRwS
>>163

少年刑法犯 総数

昭11年    318.5

平成14年 1208.3


明らかに戦後のが少年犯罪は激増しているわけだが・・・。
174朝まで名無しさん:04/06/17 09:17 ID:U9pdG+f1
道徳言うやつの道徳どうなっている。しらける。
175朝まで名無しさん:04/06/17 09:26 ID:4U4Ygd7V
>171
その「目上」がろくなことしてないだろ。
無条件に目上を敬う社会だったら、能力もなにもかも
年齢で押さえ込まれるだけ。

ちなみに戦前は「修身」、戦後「道徳」。
戦前の価値観を破壊した戦後の不良世代が、
今の政治・経済の中心だよ。
176朝まで名無しさん:04/06/17 10:29 ID:XbpJ+yZJ
恥という日常的な感受性は教えられたから知るのでは無く
規範を破った時に身内から疎外される恐怖感が内在化して身に付く。
又、規範も教えられないと知ることが出来ないのではない。
もしそうなら文明が芽生える前に規範があった事になる。
そして個人にとって経験的心情的に正しいと学び取った規範か
疎外されたくない人間の求める規範が守るべき道徳となる。
個人が道徳心を身に付けるために他人の尊厳を犯さない限り
個人の自由な試行錯誤を保証するのが現代の倫理である。
177朝まで名無しさん:04/06/17 10:44 ID:fD+VmWnY
定番だけど、一応張っておく
http://mazzan.at.infoseek.co.jp/lesson2.html
178朝まで名無しさん:04/06/17 10:48 ID:+CdgOfNP
>>1
道徳四の五の言うなら、ローカルルール無視して 「ニュース」議論板に
哲学的・社会ネタのスレ立ててんじゃねぇよ。アホが。氏ね。
179朝まで名無しさん:04/06/17 10:49 ID:0iMqBUio
道徳道徳言う椰子は、別のスレでチョソ氏ねと行ってますが、何か?
180朝まで名無しさん:04/06/17 10:51 ID:kkOmLzG5
>>176
うーん、わかりやすい。その通りだと思う。
181朝まで名無しさん:04/06/17 11:32 ID:F1Tf/ADT
>>176
でも、別スレにもあるけど「電車の中で化粧する」とかの行為は
「みっともない」と教える人がいないとわからないかも…
182跳ね馬:04/06/17 11:37 ID:fD4ZEGFA
>>181
個々別々の行為・行動についてそれぞれを「みっともない」と教えても、「私はそうは思わない」と
言われたら反論不能なので意味がないと思われ。
重要なのはある行動パターンをみっともないと「思わせる・感じさせる」ことであってどこかの誰か
がみっともないと定義した個別の具体的行為について「させないこと」に意味があるとは思えない。
183ラインハルト・フォン・ローエングラム ◆Ci3UmwhFqY :04/06/17 11:38 ID:Vou/5oU3
教育に関する勅語(明治大帝の御聖世/明治二十三年)
http://www.meijijingu.or.jp/intro/education/

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ
此レ我ガ國軆ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ
恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ
以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣ノ世務ヲ開キ
常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉ジ
以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラズ又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス
朕爾臣民ト倶ニ挙挙服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二十三年十月三十日

御名 御璽


(読み方と意味はリンク先)
184ラインハルト・フォン・ローエングラム ◆Ci3UmwhFqY :04/06/17 11:39 ID:Vou/5oU3
勅語奉答
(校長が教育勅語を朗読したあと、全校生徒が返答)

あやにかしこき すめらぎの
あやにたふとき すめらぎの
あやにたふとく かしこくも
下したまへり 大みこと

これぞめでたき 日の本の
国の教えの もとゐなる
これぞめでたき 日の本の
人の教えの かがみなる

あやにかしこき すめらぎの
みことのままに いそしみて
あやにたふとき すめらぎの
大御心に 答えまつらん
185ラインハルト・フォン・ローエングラム ◆Ci3UmwhFqY :04/06/17 11:41 ID:Vou/5oU3


              ◯                  _______
              //           ____/   ,,;|||||||||!!"\___
             // |\_____/ ||||||  ,||||"  ,,;;|||||||!"     ,,,;;;||/
             // │ `||||||、  `|||、  |||||  ,||||"  ,,;|||||||"    ,,,;;;||||||/
            // │   `|||||、  ||||  |||| ,|||" ,,;;|||||"   ,,,,,;;;|||||||||||(
            //  │||ii、  `!||||、 `|||,,,||||,,,|||" ,,;||||"  ,,,,,;;||||||||||||!!!!"" )
           //  │!!|||||||ii、  `|||,,;||||||||||||||||||||" ,,,,;;;;||||||!!!""     /
           //   │  ""''!!!||i;:|||||||||||||||||||||||||;ii|||!!!""         |
          //   /,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,||||||||||||||||||||||||||||||||,,,,,,,,,,,,,,;;;;;iiiiiiiiiiiii|||||||||i
          //   /||||||||||!!!!!!""|||||||||||||||||||||||||||||||"!!!!!!!!!!||||||||||||||||||||||i
         //   /    ,,,,,,,;;iiii|||||||||||||||||||||||||||||iiii,,,,,,        """""|
        //   / ,,,;;iii||||||!!!"" ||||||||||||||||||||||||| `!!!!|||||||iii,,,,,       |
        //  /|||||||||||!""  ,;i|||!"`|||"|||!!!|||: `|||l、  `!!!!||||||||||||iiii、  /
       // /||||||||!!"   ,,;;|||||!" ,i|||' |||| `|||、 `|||||、   `'!!!!!|||||||||||||(
       //<|||||||||"   ,,;;i|||||!'  ,||||" ||||  ||||、 `!!|||||i     `!!!!|||||||||\
      //  \__ ,,,;;i|||||||"  ,;|||||" ,|||||__|||||、__`||||||||i、/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
      //       \________/ ̄    ̄    ̄ ̄ ̄
     //

186朝まで名無しさん:04/06/17 11:42 ID:a/OvHMSB
マジレスすると、集団のお約束(それが正しいかどうかは怪しい)から逸脱する者を
疎外する意識の極めて強い日本では、自由な試行錯誤じたいが保障されないでしょ。

三菱自工の腐敗は、まさしく日本的共同体主義の内向き精神の結果だけど、
それをバッシングする今の世論も、実は全く同じロジックに乗っかってると言える。
その証拠に、少しでも菱車を擁護するニュアンス書くと非国民って叩かれるでしょ?

一神教の伝統のない日本で、内面に基づく個人的倫理なんてものを確立するのは
自民党の一党支配を崩すのと同じぐらい難しいと思われ。
187朝まで名無しさん:04/06/17 11:44 ID:+CdgOfNP
>>182
「させないこと」と同様に「思わせること」にも意味はない。
それは価値観の強制と言う。

人によってはピアスすら不快に思う。
結局はそうした「周囲に配慮できるか否か・するか否か」の問題にすぎない。
行くなと言われた地域にノコノコ出かけて拉致られた挙げ句、国を訴えるアホな子も居るんです。
要するに子供って事。
188朝まで名無しさん:04/06/17 12:03 ID:a/OvHMSB
       ↑
ほら出た、ムラビト的恥の文化から一歩も出られない椰子
189朝まで名無しさん:04/06/17 12:07 ID:3nW0kzzO
「出る杭は打て」
「物言えば唇寒くなる社会を」
「世間様が見ている」

ムラ社会だね。
190朝まで名無しさん:04/06/17 12:19 ID:XvkIJKup
山本 七平を 読んでみんしゃい。
日本人の 宗教観=倫理観などが、 わかり易く 書いてあります
191朝まで名無しさん:04/06/17 12:20 ID:+CdgOfNP
>>ID:a/OvHMSB
>集団のお約束から逸脱する者を疎外する意識の極めて強い日本

何を標準として日本を評してるのか知らんが、その前提すらどうかと疑う。

>自由な試行錯誤じたいが保障されない

保障されてるじゃん。ピアスも電車で化粧も、捕まらないヨ。
それ(試行錯誤)をしても暖かく迎えてほしい、と言うのはどうかと思う。

>少しでも菱車を擁護するニュアンス書くと非国民って叩かれる

非国民かどーかは知らんが、犯罪を擁護するならそれなりの覚悟を決めるべきかと。

>日本で、内面に基づく個人的倫理なんてものを確立するのは難しい

歴史的な誇りとも断絶する方向に向かったからな。これには同意する。
192朝まで名無しさん:04/06/17 12:24 ID:XbpJ+yZJ
>>186
所属する集団を選択する自由がある。
まあ、そういう感覚は学校で殺されているのが現状で

自由な試行錯誤をしていないために電車の中で化粧をする
感受性の弱い女とか増えている訳だが…
193朝まで名無しさん:04/06/17 12:26 ID:a/OvHMSB
>>191
ただ一言、ヴァカ、としかよう言わん。
194朝まで名無しさん:04/06/17 12:34 ID:+CdgOfNP
>>193
持論をぶって、逃げるだけかよ。 議論板にナニしに来てんの?
195176:04/06/17 12:45 ID:XbpJ+yZJ
身内から疎外される恐怖が内在化して道徳心を身に付けるには
疎外されたくない身内が必要なんだが親が子供を
思い通りにしたいだけで愛してなかったり
学校で教室から疎外されるのが怖くて
無関係な人間とむりして仲良くしている様な環境で育つと
自己暫定感が無くなって疎外されても怖く無くなって道徳心が消えたり
普段自分の接している人間にだけ良い顔をしていればよいという
小さい身内の中での道徳しか育たなくなる。
196朝まで名無しさん:04/06/17 12:47 ID:3nW0kzzO
>>195
かくして、“自分の属する小集団にさえ認められていればよい 法や倫理の遵守はその次”という
意識が醸成されるわけで。
道徳を論じるのでしたら、悪人裁判官、悪徳弁護士らを検証願います。

http://www.as-k.netに事実が実名で書いて有ります
198181:04/06/17 12:58 ID:F1Tf/ADT
>>182
ごめん、むずかしい言い方されるとわかんないですが
例えば、電車の中で目を見開いたり鼻の下伸ばしたり百面相して化粧する
化粧って出来上がったものを見せるためにあってその間の苦労を見せたら
オシマイーと子供には言ったよ。
子供はその後もそういう人を目にするたび観察してなるほどカコワルイと思う

それを価値観の押し付けとか言われたらそれまでだけど…
そんなことの積み重ねじゃないのかな
少なくても、日常子供にできる道徳教育ってそれくらいだな
199186:04/06/17 13:16 ID:4pASXwpM
>>196
というかね、本当は「法を遵守する意識」を徹底しようとするなら、
法すら超越するメタ倫理とか正義とかの感覚が必要なんですよ。

つまり「悪法も法なり」をベタに適用すると、合法的な手続きさえ取ってれば
何でも正しいみたいなことになって、それがまさに今の日本の官僚社会でしょ?

ソクラテスが毒杯を仰いだのは、「悪法も法なり」をベタに示すためではなく、
全く逆説的に、法を超越する正義を暗示するためだったのよ。

普通に考えたって、法体系が改善されてゆくためには、「今の法はここがおかしい」
という意識がなきゃダメなのは自明でしょ。「より高次の正しさ」に向かうベクトルつうか。

こういう超越的正義の感覚の背景にあるのはキリスト教的な一神教の伝統なので、
それがない日本じゃいったい何をどうしたらいいのか、にわかに答えは出ない罠。
200朝まで名無しさん:04/06/17 13:22 ID:+CdgOfNP
自分を知っている者が車両にはいない、という事と、
知り合い以外になら、化粧中の姿を晒しても構わない、という事は、
全然関係のない話なのよ。

結局本人が「恥」を知るかどうかの問題で、「周囲が試行錯誤を許さないから(?)」
「村人的恥の文化のせいだ(?)」 など、アホな子の言い訳に過ぎないのです。
201跳ね馬:04/06/17 13:26 ID:fD4ZEGFA
>>198

>化粧って出来上がったものを見せるためにあってその間の苦労を見せたら
>オシマイーと子供には言ったよ。

僕が182で言いたかったのは、そういうプロセスを省略して禁止したって意味がないって言ってるわけですよ。
198のしつけ方はそれでいいと思う。
要は、「○○をやっちゃだめ」じゃなくて、「○○はかっこわるい、みっともない(私はと思う)」というのがしつけの
重要なところじゃないか、と。
202198:04/06/17 13:32 ID:F1Tf/ADT
>>201
あ、そうか。あんまり難しくてわかんなかった(笑
203朝まで名無しさん:04/06/17 14:02 ID:XbpJ+yZJ
>>200
>>198が言うような途中の苦労を見せたらおしまいという事を
自分で学びとるには自由な試行錯誤が必要。
教えられたからいけないというのはいくら何でも感受性が弱すぎる。
自分を良く見せたいという願望があるから化粧をするわけだが
自分が良いか悪いかは他人のリアクションを通して認識する訳で
本人の世界観が小さければ電車内での他人の目を通して自分をみる
なんて事はしなくなる。
だから電車内での化粧は平気に出来る訳。
204朝まで名無しさん:04/06/17 15:20 ID:+CdgOfNP
>>203
私は現状で「自由な試行錯誤は許されている」と見ているんだけどね。
許されているというのが「単に可能である」という範囲においてだけど。

話しが微妙にずれるが、変化を好む遺伝子、というのがあるらしい。
NHKでやってたんだが、これが欧米では3割なのに、日本では1割との事。
この因子を持つ者は、単調・継続的な(ひとつの事を突き詰める)作業が
苦手な代わりに変化を好み、失敗に飽きずに失敗を繰り返し成功するタイプらしい。

ただしこれは日本人が「落ち着きがある/根暗」だとはならない。
因子を持つ者が「失敗に失敗を繰り返した結果」成功するとも限らない(笑
まぁ文化性・精神性などを考えれば「日本人らしい気質」はあるだろーけどね。

ただ、そこに「責任をなすりつけるような」考え方がオカシイと思うだけ。
社会というのは個を内包し、個々の集まりによって成り立つ集団・集合体。
全体としての傾向があろうとも、それを「全体の正しさ/過ち」とするのは
メシがまずい時に調理法ばかりに気を取られて、素材を失念してると言いたいのん。
205朝まで名無しさん:04/06/17 15:52 ID:XbpJ+yZJ
幼稚園に通っているとき(五歳位)殴ってきた奴がいたので
殴り返したらギャーと泣いて保母さんに言いつけ「喧嘩したらダメだ」と怒られた。
本来なら個人同士でせめぎあって試行錯誤して社会的性を
身に付けるべきだが過度に道徳的すぎてそれができない。
理不尽だろ?
206朝まで名無しさん:04/06/17 16:15 ID:+CdgOfNP
幼稚園でケンカしたら両方怒られるのは当然だろ(w
「殴り返した自分だけが怒られた」のなら、保育士のミスだけどさ。

社会がきっちり回っている事を「道徳的すぎる」っつーのも、どうかと。
人によっては「道徳的すぎ」ても、人によっては「最近の若い連中は」だしさ。
世の中が理不尽さに満ちてるってトコには禿しく同意するけどね。
207朝まで名無しさん:04/06/17 16:41 ID:4pASXwpM
かっこわるい、みっともないという感情に訴えるのはまさに「恥の論理」で、
その感覚は集団が異なれば異なるのが当然だから普遍性はない罠。

例えばストリートでジベタリアンしてる連中にしてみれば、
彼らを非難する大人たち(典型的には学校の先生?)の方こそ
ダサくてカッコ悪くてキモい連中ってことになるわけだし。
ぶつかり合ったところで永遠の並行線だろて。

さてこの袋小路を逃れるためには、どんな方法があるのかね?
これこそ日本人が次のステップに進む上で与えられた宿題なんだろね。
208朝まで名無しさん:04/06/17 16:52 ID:4pASXwpM
とにかく、電車の中で化粧して平気な若い女どもも極めてニッポン人的、
それを「今どきの若い奴らは・・・」と眉をひそめる大人もニッポン人的、
みんな仲良くニッポン人という風に漏れには見えるけどな。
209朝まで名無しさん:04/06/17 17:00 ID:+CdgOfNP
>>207
>集団が異なれば異なるのが当然だから普遍性はない

ここが日本だって事を忘れてない?

ヌーディストにとって裸は主義主張だけど、公道を歩けば、やはり捕まる。
「集団が変われば価値観も変わる、だから主張は平行線」というのは間違い。

今の日本は「主張が2つある場合は、互いに譲り合うのが当たり前」という
正しいようで間違っている理屈が主流なだけでしょ。
合議制は、究極の結論が否定になる、賛否両論(諸刃の剣)のシステム。
「恥の論理」などを否定したところで、現実は何も変わらないのです。
210朝まで名無しさん:04/06/17 17:14 ID:XbpJ+yZJ
>>206
俺だけ怒られたんだよ!
保母さんが三十人近くいる子供を全部監視出来る訳ないだろう。
大人が子供達の関係をコントロール出来るというエゴが歪みを産むの。
幼少期から自分の頭で物を考えさせて無いから想像力も育たない
だから恥という感受性も身に付かない。
世間様が見ていると教えたってそう感じる事は出来ない。
211朝まで名無しさん:04/06/17 21:45 ID:p6FcRaNc
つか、単に自分と違う価値観のやつを許容できない、心のせまい奴が多いってだけな気がする。
「俺は**をあんまりよく思ってない」くらいはOKだけど、「けしからん!これだから今の(ry」
みたいな奴を見ると「あー、異質な奴と共存できない、心の狭い奴なんだ。 しょぼいねー。」と
思う。 そんなに、人が多様化してくるのが不安か? 俺はむしろ「もっとやれ」くらい思ってる
んだけどなー。
212朝まで名無しさん:04/06/17 22:11 ID:6qPMAzsl
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040617-00000304-yom-soci
田代まさしさんUターン事故、専門学校生が大けが
213朝まで名無しさん:04/06/17 22:15 ID:WmA8UwDQ
>>1
政教分離の原則はむしろ国民の信教の自由を守るためにあるんですよ。
宗教を国民から切り離すためにやってる事ではありません。
214朝まで名無しさん:04/06/17 22:37 ID:AgrMyX+N
>>1
>日本は、宗教一般そのものを否定的に考える傾向が強い。

一段落目、大前提としてのコレが間違い。
日本は大変宗教に寛容です。
215朝まで名無しさん:04/06/17 23:55 ID:S5cUXkJZ
電車の中で化粧する事がけしからんのではなく
電車の中で化粧する想像力の弱さがけしからん訳で
電車の中で化粧する事はいけない事だというのも
同じくらい想像力の弱いけしからん事だ。
216朝まで名無しさん:04/06/18 00:10 ID:3Ce7v9JI
道端に落ちてるのはゴミです。
地べたに座ってる若者は人間のゴミ。
ああ、あそこに人間のゴミが落ちてる。
かまれないようにしよっと思う大人の私。

あっちがどう思おうと勝手ならこっちも勝手だろ。
217朝まで名無しさん:04/06/18 14:47 ID:vIEa+WGu
極めて道徳的な考えです。
同意します。
218朝まで名無しさん:04/06/18 22:02 ID:IaI0A6fp
女は化粧する事を社会から(つまりは男から)
強要される立場なんだよ。
その分時間が潰されるってことなんだよ。
折角電車時間が空いてたら使うのは当然。

ゴチャゴチャ言う奴は時代遅れの女性差別主義者。
219朝まで名無しさん:04/06/18 22:16 ID:rumauueo
『心の教育』はいらない!市民会議
http://sugakita.hp.infoseek.co.jp/newpage26.htm
>代表:林功三(京都大学名誉教授)

野獣になれってか。
220朝まで名無しさん:04/06/18 22:21 ID:IaI0A6fp
>>219
でも実際教育基本法改正というのはかなりきな臭い。

教育荒廃の原因が教育基本法の内容が悪いからという
的確な根拠もない上に、あまりに「愛国心」だの「秩序」だの
全体主義的な精神論を言い過ぎる。

心の教育なんてのは要するに「人の痛みが解る人になろう」
これで良いんだよ。
それが現状できちんと出来てるか?って言うとまず出来てねえよな。
現状で何も出来てないのに新しい事やろうたって無理。
221朝まで名無しさん:04/06/18 22:38 ID:lREdPEx3
>>220
で、「その心の痛みを分かろう」 っつー、そらぞらしくも気恥ずかしい題目を掲げてるのが、今回の改正なんだろ。

こどもに絵を描かせる時、「空は青いとは限らないから」 といって、青い絵の具を渡さないのは反則っしょ。
222朝まで名無しさん:04/06/18 22:50 ID:rumauueo
>>220
それを実施しているのが校長の自殺者が多い広島じゃない。
で、その自殺に追い込んだ教師の子供に限って何故か、私立に行かせている。
223朝まで名無しさん:04/06/18 22:54 ID:IaI0A6fp
それを実施って何を実施?
224朝まで名無しさん:04/06/18 23:03 ID:85/RYNaD
道徳や倫理を押し付けること自体は構わないが、体現者なくして
お達しだけでやろうというところがへん。
おそらくは失敗して
「いや〜、あれは誰もがうまく行きっこないと思っていたよ、知らなかったの?」
とウヤムヤになること必至。
225朝まで名無しさん:04/06/18 23:05 ID:IaI0A6fp
そもそも道徳を教えるべき大人の道徳ができてないんだから
どうしようもないよ。
226朝まで名無しさん:04/06/18 23:06 ID:rumauueo
>>223
日本の伝統・習慣というか道徳を破壊するような教育で、
中国の文化大革命で伝統が破壊されたのに近いかな。
過去を全否定し破壊するような思想は危険だと思うが。
227朝まで名無しさん:04/06/18 23:14 ID:85/RYNaD
>>226
考えすぎ。そんなこと民主国家では不可能。
228朝まで名無しさん:04/06/19 07:23 ID:u9b5TylE
>>227
教育界は民主国家の権威がおよばない無法地帯
229朝まで名無しさん:04/06/19 08:34 ID:hWYgyi2l
>>228
おまいはどういう教育受けてきたんだw
230朝まで名無しさん:04/06/19 10:24 ID:u9b5TylE
>>229
教科書を使わない、国旗を掲揚しない、国歌を歌わない教育。

高校に入ると変わった。日の丸がすごく目立つ学校だった。国立だったからか?
231朝まで名無しさん:04/06/19 11:27 ID:xGxJssFa
道徳語る椰子の知性が低すぎて議論にならないスレ。
こういうところで本当の知性が試される罠。
232朝まで名無しさん:04/06/19 11:37 ID:m05DhbI5
道徳ねえ。
教育だけの問題かな。モラルの低下は、あらゆる階層や職業に及んでいると思うが。
国旗、国家は関係ないと思うよ。
たとえば仕事にしたって、相手の迷惑なんかいちいち考えて仕事してらんないでしょ。
とにかく、こっちの論理や利益をまず第一に考えて仕事をすすめていかないとさ。
そうでないと、仕事を達成させることはできない。

まあ会社でも倫理がどうとか言われているけど、そういう訓示を垂れる重役が、サービス残業を推奨したりしているわけだから(w
そういう矛盾が道徳を退廃させるんじゃないの?
この手の矛盾はけっこういたるところにあるようなきがするよ。
233ダメダメな日本の戦後教育:04/06/19 11:40 ID:XS6pAIk6
>>221
> こどもに絵を描かせる時、「空は青いとは限らないから」 といって、青い絵の具を渡さないのは反則っしょ。

激しく同意。
「セサミストリート」を例に出すが
番組では子供に、「君は何がしたい」のと聞ききます。
子供は僕はこれがしたいんだと答えます。
それがしたいんだったらみんなに言わなきゃ。言わなきゃ周りに伝わらないぞ。
つまり、周りが何を言っていてもしていても、自分がしたいことを必ずちゃんと言えること、
これが一番重要なことだというふうにどこの国でも教えられます。
これが主体性です。
日本では教えられません。
そして君はそれがしたいのか。でも、ひとりじゃできないぞ。
だれかに助けてもらわなきゃ。そのためには友達をつくらなきゃいけないな。
友達をつくるには、君、魅力的じゃなきゃだめだぞ。
さらに、友達がしてほしいことをしてあげれば、友達は君がしてほしいことをしてくれるぞ。
主体性の為に行う相互扶助。
社会あるいは社会性を媒介しないと本当は自分がしたいことさえできないと言う事を教える。
日本では全くやってません。

にほんでは「何がしたい」ではなく「何をやらせるか」が基本なんで全く道徳は身につかない。
234朝まで名無しさん:04/06/19 11:51 ID:xGxJssFa
身内から疎外されることへの恐れと、
人の道に反することへの畏れ、

これらを天秤に掛けた時、前者を取る限りモラルなんて成立しないよ。

恐れと畏れの違い、日本人が失って久しい感覚だろうね。
伝統主義者を標榜する諸君にこそ、このへん是非解説してもらいたいものだ。
235朝まで名無しさん:04/06/19 11:51 ID:u9b5TylE
「君は何がしたい」だけでも
「君に何をさせたい」だけでも

どっちもどっち。

「自分が今やりたいことをやっても良いか。それとも悪いか」
「自分がやっている方法は正しいか。それとも間違っているか」
そして、「それは何故か」

ということを考えつつ、自分自身を見つめる訓練をさせる。
規範を与える。規範の意味を教える。規範の理由を教える。
その上で自分の言動を規範と照らし合わせることを教える。
そして自分を制御させる、制御するにはどうすればいいかを考えさせる。

少し知恵がついたら、規範自体への検証も促す。
236ダメダメな日本の戦後教育:04/06/19 11:52 ID:Z+1ns8+z
現代の学校とは富国強兵の為の機能集団であり第二次産業に対しては
かなり有効なシステムである。
戦後『豊かな生活』と国民的目標が変わったが日本では人々にとって幸福とは何か
ルールとは何かと言う事が一元化できた。
そういう背景があったからこそ学校は生徒を画一的に捉えて教育できた。
だが『豊かな生活』という国民的目標が達成され失う事によって行き詰まり感が蔓延する。
その原因を、社会が悪いと考え社会を作り直せばいいと学生運動が起きる。
おかげで学生運動の反動により全国の学校の校則が厳しくなってしまう。
70年代に中盤に入るとその目標が達成されて個人個人が自分にとって幸福とは何か?
と考えなければならなくなるはずだったのだが、学歴幻想でごまかされてしまう。
家庭と地域と学校とが力を合わせれば貧富の差は関係なく誰でも勉強すれば大学に入れるという
『学びの共同体』という考えが社会全体を学校の出店の状態にしてしまい
家・地域・学校と言ったそれぞれ違う物差で子どもを計るといった多様性を持った社会が
無くなってしまい全てが学校的な価値観で計られ戦後を支えた偉人達が育った
自由に試行錯誤出来る空間が無くなってしまった。
その後、期第二時ベビーブームの世代が思春期に差し掛かり受験戦争が激化する。
社会と学校は受験戦争に勝利した人間以外の実存的尊厳を認めようとしなくなり
勝ち組、負け組という言葉が生まれ偏差値や進学した学校で人間性まで 評価されるようになる。
負け組の落ちこぼれは自暴自棄になり社会に反発す様になりこの時期から
ツーリングチームが狂暴化し暴走族になったり校内暴力が社会問題になる。
勝ち組は社会的交流をしなくても勉強ができる程度で暫定され自尊心が肥大化してしまう。
高学歴のオウム幹部にはこの世代が多い。
237ダメダメな日本の戦後教育:04/06/19 11:52 ID:nAjwofPC
80年代に入リジェネレーションギャップが激しくなり教師は子供が理解出来なくなる。
だが一人の教師が理解出来る人間なんて5人位が限度なのに生徒の心を理解できれば子供達を
無害な存在として一元化できるといった風潮が広まり(金八先生w
教師の自己満足的にされた評価が子どもを計る唯一無二の物差となってしまい
学校的な価値の物差しの外側で自尊心を抱くチャンスが推奨されるどころか、
むしろ徹底的に抑圧され、尊厳を貶められる様になる。
暴走族はこの時期全盛期を迎え横浜連合は綱島街道の端から端まで一杯になる程の数だったらしい。
ニュースでは起業戦士のお父さんが自宅に居場所が無いという社会問題が取りざたされる様になる。
中曽根総理の元で行われた臨時教育委員会の影響か学校がおかしいと
メディアで取りざたされる様になりこんな変な校則があるというお国自慢がブームとなる。
90年代に入りバブル経済崩壊、年功序列と終身雇用制度の崩壊が起き
学校教育が決して個人の幸福と結びつかない逆に相反する可能性がある物だという認識が一般化してきた。
学歴幻想が崩壊し「おたく」「バンド」「クラブ」「スケーター」と
子供文化も複雑になっていき仲よくできる範囲に限界が出てくる。
子供達の接する世界はどんどん小さくなり自由に試行錯誤して自我を形成することが出来なくなっていく
教室は満員電車に無関係な人間を押し込んだ様になり子供達ののストレスは過剰になり
教室で異質な存在であると言うだけでいじめが激烈化し自殺者が後を絶えなくなる。
女子高生校門圧死事件で過剰な管理教育に一応歯止めがかかる様になる。
21世紀を迎え文化のインターネットの発達で子供達に新たな居場所が出来た為に
自由に試行錯誤出来る空間が再生する。
だが低年齢の少年が学校で自我を形成出来ない上に親の過保護で厳しい躾の為に更に追い込まれた子供が
自分の命に価値が無い様に他人の命に価値が有ると思えなくなり
万引きする感覚で殺人を犯してしまう様な事件が続発する。
産業の中心は第三次産業に移行し新たな人材には生産性より想像力が求められる様になるが
現代の学校は全く対応できていない。
238ダメダメな日本の戦後教育:04/06/19 11:56 ID:qQW6Mvn1
>>235

> 規範を与える。規範の意味を教える。規範の理由を教える。
> その上で自分の言動を規範と照らし合わせることを教える。

逆だ逆
幼少時にはあえて無節操に自由な行動をあえてさせるべき。
責任をとることを覚えさせるためには、あるいは覚え学んでもらうためには、
自由に振る舞って、自由に振る舞った帰結を自分で、
つまり、しりをぬぐうといいますが、自分で処理してもらう,そういう訓練が必要です。
自分が不快な状態にあるとすれば、周りが悪いというよりも、
まず、自分の選び方が悪かったのじゃないか、
自分の試行錯誤に問題があるのじゃないかと自分に引きつけて責任をとる,つまり自分でやり直す、
そういう態度が実は責任のある態度に結びついていく。
>>176で示す様に規範を与えたって意味や理由を教えたって実感が無ければ何の意味も無い。

友達を殴れば殴り返される、我が強ければ敬遠される,壊れた人間関係を自分で修復すると言った
わざわざ問うまでも無い当たり前の事が閉鎖的な教室内では出来ない所が問題な訳です。
猿山のボスが君臨する様な環境では結局、暴力が正義になってしまい
自分の行いに責任を持たないでも我を押しとうせばどうにかなてしまう。
そのつど誰かが責任を問うのでは無く自分の行いに対してリスクがストレートに帰ってくる環境が必要です。
なんでも教師が教えられるなんて傲慢ですし教える必要もありません。
人が責任をとれる様になるには周囲が余計な手を出さない事が大切。
つまり「そのつど責任が問われる」環境が大切。
過保護な子供をマニュアルを暗記させただけで公の場に放てば事件を起こすのは当然。
239朝まで名無しさん:04/06/19 12:01 ID:hWYgyi2l
>>230
教科書はともかく
国旗や国歌使わないぐらいで無法地帯とは思わんがな。
240朝まで名無しさん:04/06/19 12:03 ID:u9b5TylE
>>238
> 幼少時にはあえて無節操に自由な行動をあえてさせるべき。
> 責任をとることを覚えさせるためには、あるいは覚え学んでもらうためには、
> 自由に振る舞って、自由に振る舞った帰結を自分で、
> つまり、しりをぬぐうといいますが、自分で処理してもらう,そういう訓練が必要です。
責任を回避するための感覚が養われるだけ。
ばれなければよい、だからばれないようにやる。
しりをぬぐいたくない、だからしりをぬぐわなくてもよいようにやる。
ばれなかった、しりをぬぐわなくてもよかった -> ラッキーつぎもうまくやろう。


> 自分が不快な状態にあるとすれば、周りが悪いというよりも、
> まず、自分の選び方が悪かったのじゃないか、
> 自分の試行錯誤に問題があるのじゃないかと自分に引きつけて責任をとる,つまり自分でやり直す、
強姦したくらいで捕まる奴はドジなやつ、おれは法律をきちんと勉強して不快な状態にならないように頭を...

> そういう態度が実は責任のある態度に結びついていく。
そうは思わんな。

> 友達を殴れば殴り返される、我が強ければ敬遠される,壊れた人間関係を自分で修復すると言った
> わざわざ問うまでも無い当たり前の事が閉鎖的な教室内では出来ない所が問題な訳です。
で、自分自身の言動に何の原理原則もなく、ただ他人の顔色をうかがう人間のできあがり、と。


いい加減にコピペで遊ぶのはやめて書きたいこと書けや。
241ダメダメな日本の戦後教育:04/06/19 12:14 ID:qQW6Mvn1
>>240
反論になっていない。
友人に嫌われても先生や親にばれなければ何とかしてくれる環境をなくせば
嫌な事をしたら友人に嫌われて孤独になる自然な環境ができる。
これがいやなら自分でしりぬぐいするしか無い。
ばれるとかばれないとかそういう次元ででしか責任を考える事が出来ないなんて
あなたは不道徳な人ですね(w
242朝まで名無しさん:04/06/19 12:20 ID:u9b5TylE
>>241
あ、そう。
ばれるとかばれないとか、そういう次元でしか責任を考えていないのかと思ってたよ。

要するにあなたは、嫌われたくないわけだ。それはまあ、当然だね。
そして、嫌われないようにするためには、孤独を怖れて付和雷同してなさい、と。

みんなが一人を虐めてたら、見てみぬふりをしてなさい。じゃないと皆に嫌われますよ、と。
同時に、みんなが楽しく一人を虐めてるのに水をさすような奴は嫌われて当然、そいつが反省するべきだ、なんてね。
243朝まで名無しさん:04/06/19 12:37 ID:xGxJssFa
みんなが三馬鹿を虐めてたら、見てみぬふりをしてなさい。じゃないと皆に嫌われますよ、と。
同時に、みんなが楽しく三馬鹿を虐めてるのに水をさすような奴は嫌われて当然、そいつが反省するべきだ、なんてね。


あーはっはははは(w
244朝まで名無しさん:04/06/19 12:43 ID:UZswnfCR
>>243  ↑
  バカな街宣w
245朝まで名無しさん:04/06/19 12:46 ID:xGxJssFa
みんなが三馬鹿を虐めてたら、見てみぬふりをしてなさい。じゃないと皆に嫌われますよ、と。
同時に、みんなが楽しく三馬鹿を虐めてるのに水をさすような奴は嫌われて当然、そいつが反省するべきだ、なんてね。



まあ、日本人の「道徳」なんてそんな程度だ罠。
246朝まで名無しさん:04/06/19 13:18 ID:jd/uwlEs
>>243
全く反論になってないね(w
イジメを止めようが止めまいがそれは個人の自由と責任。
イジメられている奴が逃げられない環境に大きな問題がある。
本当に自由なら自殺するまで追い詰められたりしないはず。
247朝まで名無しさん:04/06/19 13:25 ID:FCzDSo64
各自が「道徳」の名の下に想定しているものが違いすぎて議論にならん罠。
盲人と象の喩えを思い出すよ。
248朝まで名無しさん:04/06/19 13:27 ID:u9b5TylE
奴が俺からカツアゲされるのは、そうされる環境に大きな問題がある。
249朝まで名無しさん:04/06/19 13:36 ID:jd/uwlEs
何故、カツアゲするのか?
何故、カツアゲする様な人間になったか?
自我の形成はどう行われるか?
環境の問題だ。
250朝まで名無しさん:04/06/19 13:40 ID:u9b5TylE
>>249
内省を促すような教育をうけず、うけたとしても身についていないから。

本人が、俺に倫理が無いなのは親がちゃんとしつけてくれなかったから、というのは八つ当たりのようなもの。

そういう状況を回避するために公教育で必要最低限の倫理と教養を身につけさせる必要がある。

なのに心の教育がどーのこーの言ってるやつは、そういう環境を意識的に作りたいからかね。
251朝まで名無しさん:04/06/19 13:52 ID:u9b5TylE
奴が俺からカツアゲされるのは、そうされる環境に大きな問題がある。
俺は奴から、あえて無節操に自由なカツアゲを行うべき。
自由にカツアゲして、その帰結を十分が享受する、そういう訓練が必要。
自分の懐が豊かになるのは自分の選択が正しかったからで、
奴が災難を受けるのは、俺が悪いというよりも俺に目をつけられたという奴の行動に責任がある。
だから、奴には俺に金を支払って不快な状態になってもらい、しりをぬぐうといいますか、自分で処理してもらう。
俺はそれで得たお金を有効に使って自分の正しさを実感する。
遊び友達にも分け前をわけて、みんなと楽しく学校生活を送る。

もう、阿呆かと。
252朝まで名無しさん:04/06/19 14:39 ID:jd/uwlEs
>>251
お前は本当にバカですね。
そういう環境を変えろと書いてあるのに気が付かないなんて
カツアゲしようとしても逃げられるし信用も失ってひとりぼっち(w
これが自由な環境。
253朝まで名無しさん:04/06/19 15:14 ID:u9b5TylE
>>252
逃げられず、信用も失わずにカツアゲできた奴の「勝ち」
ばれる奴なんてバカだね。俺ならばれずのカツアゲできるよ、ウッシッシ。
人生はどれだけ「ばれずに美味い汁すうか」ってゲームだね。
そのゲームに負ける奴はただの負け犬。俺は絶対そうはならないよ、イッヒッヒ。

これがお前さんの言う自由な環境。倫理教育を放棄して放任しただけ。阿呆を通り越してる。
254朝まで名無しさん:04/06/19 15:58 ID:jd/uwlEs
カツアゲした時点でもう被害者にばれてますが…
それ以前に>>238をもう一度よくよめよ。
幼少時と書いてある。
お前はそんな年齢なのか?
日本語が通じて無いからそうかもな。
>>176を読んで出直せ。
255朝まで名無しさん:04/06/19 18:03 ID:u9b5TylE
>>176
> 又、規範も教えられないと知ることが出来ないのではない。
> もしそうなら文明が芽生える前に規範があった事になる。
文明が芽生える以前には車輪が存在しなかったので車輪は各自で発明すること。
文明が芽生える以前には文字は存在しなかったので文字は各自で創造すること。

> そして個人にとって経験的心情的に正しいと学び取った規範か
> 疎外されたくない人間の求める規範が守るべき道徳となる。
他人の顔色を窺うだけの人間を育て、
他人疎外するという自分の行為が正しいかどうかの検証へと導かない。

> 個人が道徳心を身に付けるために他人の尊厳を犯さない限り
> 個人の自由な試行錯誤を保証するのが現代の倫理である。
自分が他人の尊厳を侵しているかどうかを自分自身で検証させていない。
他人の尊厳を侵してはいけません、という規範の押し付けさえ排除しているので
「他人の尊厳を侵していることが(ばれては困る人に)ばれない限り」になっている。
256朝まで名無しさん:04/06/19 18:25 ID:wwfKhY0R
>>255
> >>176
> > 又、規範も教えられないと知ることが出来ないのではない。
> > もしそうなら文明が芽生える前に規範があった事になる。
> 文明が芽生える以前には車輪が存在しなかったので車輪は各自で発明すること。
> 文明が芽生える以前には文字は存在しなかったので文字は各自で創造すること。
相変わらず日本語が読めて無いねえ(w
発明、想像、された後教える以外にそれが広がる事は無いと考えているのかな?
真似る、学び取る、いろいろある。

> > そして個人にとって経験的心情的に正しいと学び取った規範か
> > 疎外されたくない人間の求める規範が守るべき道徳となる。
> 他人の顔色を窺うだけの人間を育て、
> 他人疎外するという自分の行為が正しいかどうかの検証へと導かない。
経験的心情的に正しいと学び取ったと書いてあろうが。


> > 個人が道徳心を身に付けるために他人の尊厳を犯さない限り
> > 個人の自由な試行錯誤を保証するのが現代の倫理である。
> 自分が他人の尊厳を侵しているかどうかを自分自身で検証させていない。
> 他人の尊厳を侵してはいけません、という規範の押し付けさえ排除しているので
> 「他人の尊厳を侵していることが(ばれては困る人に)ばれない限り」になっている。
倫理は道徳とは違うこれだけは押し付け。
257朝まで名無しさん:04/06/19 18:31 ID:u9b5TylE
>>256
> 発明、想像、された後教える以外にそれが広がる事は無いと考えているのかな?
> 真似る、学び取る、いろいろある。
それを広がらせる事はあるな。真似させる、学び取らせる、いろいろあるね。

> 経験的心情的に正しいと学び取ったと書いてあろうが。
経験的心情的にばれなきゃよいと学び取らせるだけの環境。

> 倫理は道徳とは違うこれだけは押し付け。
ああ、そうですかい。
258朝まで名無しさん:04/06/19 18:31 ID:wwfKhY0R
個人の中で善悪とは周囲や共同体の利害関係により自分が承認されるかされないか
という経験から身につけるがこれはコミュニケーションを通じて
何かを達成出来ると言う感覚があるからである。
道徳的想像とは周囲や共同体から自分がいかに承認されされながら
自分のしたい事をするかと考える考える事である。
子供は親に、人は社会に承認してもらわなければ生きてはゆけない。
他人や共同体を害すればそれは悪とみなされその行為は承認されない。
人間は、自己の快感原則にそのまま従っていては、まわりとの絶え間ない衝突を生み出して、
自己や種族の保存どころか、自己や種族の破滅に陥る(「人間は本能が壊れている」)ため、
むしろ、快感原則を抑圧し、環境との折り合いをつける。
例えば子供がわがままを言う時子供は親の尊厳を完全に否定し我を通そうとする。
その事に対し親は怒り子供を叱る事によって子供を承認しないと意思表示する。
この時、子供は親にワガママはいけないと言われたから
従ったのでは無く親とせめぎ合い試行錯誤する中で親に承認してもらうための
妥協点を見つけ自発的に親の尊厳を尊重しただけである。
この様な経験を積み重ねる事によって「これを守れば社会から承認されるという共同幻想(道徳)」
を守り社会から自分を承認してもらおうという意志がうまれる。

倫理とは心情的、経験的にそれが正しいと認識するには困難だが
科学的、叉は一神教的神の視線から正しいとされた規範が「倫理」。
これは教えてもらうか科学的調査等をしないと解らない。
身に付ける物では無く理解するか信じる物である。
科学的には個人が道徳心を身に付ける為に他人の尊厳を犯さない限り
自由な試行錯誤を保証する為の規範が倫理とされる。
259朝まで名無しさん:04/06/19 18:39 ID:u9b5TylE
不純異性交遊
援助交際
自傷行為
 ・
 ・
 ・
260朝まで名無しさん:04/06/19 18:40 ID:wwfKhY0R
>>257
お前は本当にいちいち教えてあげなければ何も解らないおばかさんですね。
>経験的心情的にばれなきゃよいと学び取らせるだけの環境。
他人に被害を与えた時点でばれている。
幼少時にこのあとのしっぺ返しや村八分に対する恐怖が内在化して道徳心が身につく。
261朝まで名無しさん:04/06/19 18:44 ID:t66Zm6H/
>>259
幼少時に自由な試行錯誤をしていない為に大人になる前にする通過儀礼だな。
262朝まで名無しさん:04/06/19 18:45 ID:u9b5TylE
>>260
もう少し、根気よくやってみるか。

>他人に被害を与えた時点でばれている。
>幼少時にこのあとのしっぺ返しや村八分に対する恐怖が内在化して道徳心が身につく。
こいつにばれても、しっぺ返しなんて無かった -> こいつにならばれても良い。
こいつにばれたら、なんかしらんけど殴られた -> こいつにだけはばれないようにやろう。

ただ、放任してるだけ。
263朝まで名無しさん:04/06/19 18:47 ID:u9b5TylE
>>261
自分の尊厳を守ることの大切さを教えられていないための無軌道だよ。
264朝まで名無しさん:04/06/19 18:51 ID:rSXOM+YA
道徳の話になると、言ってる本人はそんなに立派なのかと
考えてしまうんだよな、おいらは
265朝まで名無しさん:04/06/19 18:55 ID:u9b5TylE
>>264
立派な人ばかりが子供を作るわけじゃない。
俺は立派な人間じゃないから自分の子供にはとやかく言わない、というのはただの逃げだ。
公教育に関しても、有権者は自分なりの何らかの識見を育てていくことが求められる。
馬鹿も賢きも、皆自分の頭で物を考えるのが民主主義だから。
266朝まで名無しさん:04/06/19 19:05 ID:rSXOM+YA
確かに最低限のモラルは言うよ、もちろん
例えば盗みをするな、弱い者いじめするな、嘘をつくなとかね
俺も親から押し付けられたし、多分子供にも押し付けるよ無理矢理
自分ができる、できない別にして、俺の親も出来てないのに押し付けたしね
その程度で良いんじゃない、学校教育の道徳の授業聞いてた?
俺、聞いてなかったな。
267朝まで名無しさん:04/06/19 19:10 ID:t66Zm6H/
>>263
>>261 と言っている事が同じ。>>262

>>260
> もう少し、根気よくやってみるか。
もう少し根気よく自分の頭で考えようね(w
その後どうなるかという想像力が無いからバかって言われるんだよ(w

>>265
これだけは同意。
教えるのはマニュアルじゃ無くて自分で考えて行動できる様にならないと
だめな人間になっちゃうよって事。
これを個人が現実に学び取るのは大人になってからだからね。
268朝まで名無しさん:04/06/19 19:14 ID:o6OiGVEK
親もまだ子供だから教育する立場にないんじゃないかな
子供も人間だから、口先だけで教育しても効果ないし
269朝まで名無しさん:04/06/19 19:19 ID:u9b5TylE
家庭教育も文化なので、ある程度は世代間で受け継がれなきゃならんのよね。
人の親となるための準備として、こつこつ受け継いで、学んでいかなきゃならん。
270朝まで名無しさん:04/06/19 22:03 ID:JPdr5Yx3
>>254 道徳の定義が違う。というか「間違」っている。このスレの、前半部分意味分からないでしょ?

>>176
 >恥という日常的な感受性は教えられたから知るのでは無く

 道徳を心/個人の問題としか見てない。「人間は善悪を感じる心の働きがある。
それが人間の心に備わった神性(神の性質)でこれに従順に従えば良い。」
 とか言い出しているのと同じだよ。感情を理性と呼んでいるに過ぎない。下記の部分が特にそう。

 >そして個人にとって経験的心情的に正しいと学び取った規範か
 >疎外されたくない人間の求める規範が守るべき道徳となる

 ここもやはり、感情を理性と呼んでいるに過ぎない。自分が考えて正しいと信じたことは
絶対に正しいって思ってるでしょ?それは独善と呼ぶ。究極的には信条のために人が殺せる思想だね。

 人間の認識とは不完全だ。全知全能の神ではないから。その不完全な認識で
完全な判断ができるか?絶対できない。だから、ある人間の心が言う正しい行動は
誰かにとって迷惑でありうる。むしろ行動は常に迷惑だと言って良いだろう。至るところで
軋轢が生まれる。それを軽減するために、全体の構造に対する理解を持ち、
合理的な行動が決まってくる。つまり、複数の人の間に必要なのが道徳なんだけど。
 道徳とは、社会の合意であって、個人の中に完結して無いでしょ?それを個人中心に
語ることは間違いだよ。道徳の幻想だね。 >>87-90 中ほどまで暇な時読んで味噌

 >個人の自由な試行錯誤を保証するのが現代の倫理である

 人権屋か? ポストモダニズム世代か? 個人が良いだけなら、道徳の必要性なんか導けないよ。
 個人の幸福を追求して行けば良いと信じているようだが、それは当たり前の社会の機構から
受けてきた恩恵を忘れた愚者の理想だ。そんな社会性の無い人間を育てることしかあなたが
言っていることではできないよ。
271朝まで名無しさん:04/06/19 22:58 ID:jd/uwlEs
個人の自我が他者との関係から形成される限り
幸福を追求するには他者との協調は避けられないが
それがどうかしたか?
272朝まで名無しさん:04/06/20 01:00 ID:KjM9ma4c
>>271
別にどうもしないよ。

ただ、共通の倫理を作り教育していくことを放棄して、内輪の馴れ合いだけを重視しながら
「和をもって貴し」なんて言っても空しいだけだと思うのだな。
自分より目立つ奴をもぐらたたきのように叩いて、一方で周りから叩かれないなら何をやっても恥じない。
そんなものは和ではない。
和というのは、無理の無い調和した姿だからだ。
273朝まで名無しさん:04/06/20 03:27 ID:NF9IljGz
>>270
>  道徳とは、社会の合意であって、個人の中に完結して無いでしょ?それを個人中心に
>語ることは間違いだよ。

全然間違っていない。
極端な話例えば、ここに一つのリンゴがあるとしよう。
赤に対する色覚異常の人がそのリンゴを見たとき灰色に見えているのかも知れない。
だが、正常な人が見ればそれは赤に見える。

この違いは、人がその対象を見るとき、自己の肉体を媒介としてしかその対象を捉えることが
出来ない事による。
極端に言えば、私が赤と認識している色が他人にとって同じように見えているとは限らない。
ただ単に同じ対象に対して、赤という言語上の記号を与えているに過ぎないと考えることが
出来る訳です。
他人を理解すると言う事は自分の経験を相手に投影してかろうじてそうであるかの様に感じているだけで
結局他者を媒介して自分を見ているだけの話しです。
簡単に言うと己の世界の中には己しかいないと言う事で「道徳は心/個人の問題」です。
274朝まで名無しさん:04/06/20 03:31 ID:xfviSbtl
ホッブズの社会契約説から考えてみると
人間が生きる本来の状態を自然状態とし、そこから出発する。
自然状態というのは、全ての人間は生まれながらにして平等であり、
自らの生命保持のためにいかなること為ししうる存だということ。
こういった権利を自然権という。
自分以外の他者との共生概念を持たない前道徳的状態だが
 しかし、規範のない自然状態は「万人に対する万人の闘争」と揶揄されるように、
まさに、自分以外は全て敵というような恒常的戦争状態が繰り広げられ、
常に死と隣り合わせの恐怖に満ちた状態に他ならなない。
人間としての理性を拠り所に、自然法にその解決を見る。
自然法とは、自然権における人間の権利を一部放棄し、
いいかえれば、義務と権利を明確に分離するすることによって、
より高次の権利を担保しようという道徳的規律です。
 しかし、それはあくまで道徳的規律であってそこに何ら強制力などない。
自然法によって高次の権利が担保されるというのは論理的ではある。
つまり、最悪の状態(万人に対する万人のための闘争!!)を回避し、
かつ、利害得失表を勘案した共通利益創出のためにお互いの信頼を前提として、
自然権の一部を放棄する。
これによって一方の利得が他方の損失を招くという形のゼロ=サム=ゲームを回避できる。
275朝まで名無しさん:04/06/20 04:06 ID:wUod8xVo
バカの言葉遊びが始まって、オナニーごっこになったな。
276朝まで名無しさん:04/06/20 04:31 ID:Et113tRK
ぜんぜん読まずにカキコします。
太陽が赤いデザインそのものがはずかしくないですか?
日の丸。
ガキじゃねええんだから。
277朝まで名無しさん:04/06/20 06:22 ID:dijeGO87
典型的な偏差値馬鹿どもめ
278270(1/2):04/06/20 18:15 ID:kgMzDx+N
>>273,274
 いくら心がけても知りうる情報が必ず欠落し、現実的な凄い制限の中で行動せざるを得ない
人間と言う存在は、間違わざるを得ないわけ。自分の空論に閉じこもって、その万能の閉鎖空間からなら、
いくらでも評論家よろしく批判しまくって快感を得られる。現実から見れば極局所的な論理の完璧さに
酔っていられるが、その高邁な思想に完全に従って生きていますか?生きてないし、客観的、現実を鑑みて
生きていけないよね?これは現実を無視した幻想なんだよ。そんな道徳守れるわけも無い。良心という
「感情」を教えられるはずも無い。感情であれば確かにその人だけのものだよ。私とあなたの感じ方は
取り出して比べられない。そんなものに頼っている姿勢が、幻想的で現実からの逃避なんだよ。
 軋轢の中で生きているのが人間の現実だと知るべきだ。

 その上で人は道徳的でなければならない。そこで、どうするか?
 自分と違う前提条件、認識、思考を持った人たちとやり合うことによって認識を広げる、広げさせる。
そうやって了解していくしか現実の選択肢はない。論理的な完璧さの中でなく、現実の有限性の範疇で
手を汚してだよ。
 つまり自分に対して誠実であることではなくて、社会に対して情報開示するとか、やり取りの過程を
説明するとか、釈明するとか、不完全な結論の中で了解を求めていくことしか、現実的な選択は無いんだよ。
 この社会に対して誠実でなければならないってこと、そうやって受け入れてもらえる人間になること、
開示したり、批判されたり、批判することを受け入れる姿勢こそが、道徳的姿勢だよ。問題解決を生む、
メタ的原理。これが、社会性を知る人間の道徳。
 オナニー道徳とは違うわけ。ホッブスも時代背景を理解して読んでいるのかも分からないけど、
その先に進んで欲しい。ヘーゲルが言ってる事だ。思想だって、異物とぶつかる、問題を取り込む
事によってしか、前進できない。できたなら、その先に進んで欲しいね。
279朝まで名無しさん:04/06/20 18:17 ID:RmKjQeys

現代思想とは孤独な宗教とはよく言ったものだ。
280270(2/2):04/06/20 18:17 ID:kgMzDx+N
うわ、書きもめるかテストしたら、確認がこなかった orz.... こっちが (1/2) >>278=(2/2)

>簡単に言うと己の世界の中には己しかいないと言う事で「道徳は心/個人の問題」です
 人間の認識の有限性って事に見解の相違は無いよ。しかし、何故それがいっきに個人に
引き付けられてしまうのか?
 現実的な状況を想定してない空論だよ。道徳の本質は個人の姿勢にはない現実を見るべき。

 非常に道徳的な考え方があると仮定する。それは無制限に実現され得るか?されないよね?
自分がいくら徳に従って生きようが、軋轢は生まれる。現実には思想の世界以上に行動等に
制限があるんだよ。

 そもそも、道徳的な人格を形成するために人は生きていない。快楽を求める方向に動いている。
道徳的な人間しかいなければ犯罪も問題も起こりえない。徳治政治を説くような人は
そう考えているんだろう。その善悪の判断プログラムを「良心」とやらが与えてくれるって言うのが、
徳への恐ろしい幻想だよ。「感情」とは明文化されない個人のことだからね。
結局その程度の性善説は官僚制やエリートに支配されるだけでうまくいくって仕組み程度にしか帰結しない。
現実の暗黒面をことさら無視してるね。自然状態とはフィクションとしての引用であって、
実現したら原始状態でしょ?例え話を本気で信じてる人権屋と同じようなものだよ。
人権とは弱い立場の人が守られるべきもので、全方位、自動的に拡大しているのに矛盾がある...話を戻して―
281朝まで名無しさん:04/06/20 18:36 ID:UMSdZwTZ
ttp://www.ritsumei.ac.jp/kic/~tit03611/ncom.html

 この問題に対するヒュームの解答は、諸個人が人間として生存するための条件は、
それ自体が社会的なものであるという洞察にもとづいている。
人間は喜びを求め、苦しみを避けようとする動物であるという限りにおいて、
ヒュームの人間観はのちの功利主義者たちと軌を一にするものである。
だが、ヒュームによれば、人間は単に快苦の感覚を受動的に受け取る存在ではなく、
人間として最大の喜びは、ある目的に向かって精神と身体を活発に活動させることに存するのである。
そして、何ものかがそのような活動の目的になりうるためには、
それが社会的に認められた有用性をもつ必要がある。
そのうえ、目的の達成は、それが長期的なものであればあるほど、他から干渉を受けない自由と、
さらには他者の協力を多くの場合に必要とする。
社会のなかで生きる人間の物質的な生活条件は、このような諸個人の活動の協調と、
その成果の交換と流通によって成立する。
ここにおいて、各人の利益は、自由な活動と他の個人との協力を可能にする社会秩序の維持に一致する。
そればかりでなく、各人は、他の諸個人が、社会的に有用な目的を目指して等しく
自由に活動することを必要とするのである。
282ニーチェ以後:04/06/20 18:49 ID:BD0EebgT
道徳に根拠づけ不可能。>>170
283朝まで名無しさん:04/06/20 18:51 ID:3h2zD40g
日本人を縛ってるものは?
 「世間体」と「上下関係」

このどうでもいいもので縛られてるのが崩壊してきて道徳がなくなったって大騒ぎしてるんだろうな。
いまだに「目上が目下が」「敬語が」なんて言ってるようでは・・・
 
284朝まで名無しさん:04/06/20 18:52 ID:RmKjQeys
>>281

結局そのテの議論は教科書に沿っているかどうかでしか
議論できないからなあ。面白みに欠けるよ。
285朝まで名無しさん:04/06/20 22:58 ID:KjM9ma4c
人生の大半を読書に費やす勤勉な人間は次第に自分で物を考える力を失っていく
286朝まで名無しさん:04/06/20 23:05 ID:VjsCXlO5
読書はべつにかまわんが、うけうりというか、そういう年頃なんだろ
287朝まで名無しさん:04/06/21 00:28 ID:53GLUkot
同じ議論を違うスレで度々やるとまともに答えるのがめんどくさくなるよな。
288朝まで名無しさん:04/06/21 01:01 ID:x77C8Zjr
>>170 速く獅子になって竜に負けてこいよ。幼子になったってから書き込め。
289朝まで名無しさん:04/06/21 12:20 ID:BEJr3GCS
>>285
その読書を学校におきかえれば…
290朝まで名無しさん:04/06/21 12:35 ID:E8MngpmZ
>>274
ホッブスの思想って「万人の万人に対する闘争」
を抜け出すためには自然権を完全に「委譲」して
強力な国家権力により統治しろ。
民衆は「委譲」したのだから国家に何も言う資格は無い。
何も言わずに従え みたいな思想だろう?

まさに絶対王政の根拠になるためにあるような思想で
とてもじゃないが、今の時代に会う考え方じゃない。
291朝まで名無しさん:04/06/21 13:11 ID:acG0vn+c
自分さえ良ければいいという考えは嫌われるけど
自分達さえよければいいという考えは普通なんだよね。
292朝まで名無しさん:04/06/21 13:58 ID:HlJX0YxD
イトーヨーカ堂の苦情窓口はどこでつか?
セブンイレブンを使って東急エージェンシーに裏工作させてた件について訊いてみたいのでつ。
293朝まで名無しさん:04/06/21 17:58 ID:E8MngpmZ
>>291
日本人は結構そういうの強いと思うよ。
集団に反する奴は村八分。あいつとは関わるな。
関わった奴はお前も村八分だぞ。
って習慣が公的にも私的にも存在する。
294朝まで名無しさん:04/06/21 20:53 ID:j9xU5mk5
まずは日本人達にとってよくないとね。
295朝まで名無しさん:04/06/21 22:45 ID:efKYXW+A
>>290
そのツッコミをもう少しはやくしてほしかった。
296正義の見方:04/06/22 16:15 ID:gvHXIunE
>>5
>宗教を否定的に考える傾向は満たされている証拠でもあるんじゃないかな。
いや違うよ。科学万能主義に陥った思いあがりの所為ですよ。それが証拠に日本人の
大半は不満、不平たらたらで他人の批判ばかりして、生きている、生かされていること
への感謝の念など皆無です。
口を開けば人権だの自由だの、個人のプライバシーだの、環境権、知る権利などなど
権利という名の自我が肥大して手をつけられないところまできているのです。神や仏と
いえば頭から否定し、たとえ腐った魚のような目でもその目で見えるものしか信じない。
科学で立証できないものはすべて切り捨てる、それが現状でしょう。
むかしの人たちは食事のときは食材を与えてくれた自然に感謝し、それをつくったお百
姓さんも感謝し、食事ができることへの感謝もしたのです。雨が降らなければ雨乞いを
し、自然を畏れ、神に祈って怒りを鎮めてもらったのです。
だから天への畏怖、恵みへの感謝などが倫理観を育み、道徳をことさら強調しなくても
体で理解していたのです。こういうことが積み重なって社会が機能していったのです。
ところが、これらを切り捨てたために、倫理観も喪失し、個人の権利だけが強調された
ために社会そのものがいびつになって、こころが荒廃してしまったのです。
小学生女子のカッターナイフ殺人も起こり、強盗殺人は毎日繰り返されています。中学
生によるホームレス襲撃という弱者にたいする攻撃は倫理観の欠如であり、人間失格で
もあります。
もっと謙虚になる、自然への畏怖、生かされているこの実感を体験させなければ、未来
なありません。
297朝まで名無しさん:04/06/22 18:25 ID:2uJrm5JW

これ見たけど、こういう機能は日本以外では働いているんだなあ
と勉強になった。

NHKスペシャル「ローマ教皇動く 〜イラク戦争とバチカン外交〜」
ttp://www.nhk.or.jp/special/libraly/04/l0006/l0620.html
298朝まで名無しさん:04/06/22 21:35 ID:lJJdyTko
>>296 不正義の見方
>>281で論破
ちなみに>>281で言う「ある目的」は科学で立証できないもの。
299朝まで名無しさん:04/06/22 21:54 ID:KwkI4dum
>>296
反日の上に売国か、
おまえはこっちに行け。

【自由】我慢が過ぎると子供は殺人鬼になる【大切】
http://news17.2ch.net/test/read.cgi/news2/1086515400/l50
300朝まで名無しさん:04/06/22 22:02 ID:b1P0Vr1q
個人の権利=自分勝手、という理解もいかがなものかと
301朝まで名無しさん:04/06/23 02:01 ID:uLy4SpKt
>>296 もっともだとは思うけど、昔のような社会を作る具体的方法への現実的な
    提示が無いので、懐古主義以上の評価を受けることはできない。
 確かに、「こんな人間観を元にして、それが満たされることを中心に、社会の
 具体的仕組みを作れば良いんだ」 といった原理の話だから、精神論的にはなる。
 精神論だと荒唐無稽な妄想で、懐古主義と世間知らずがなじりあったりループ議論
したりする状況に簡単に陥る。そこで地道に人間観を探してきたのが哲学のはず。

>>298 がヒュームを持ち出すのは、考えられたある程度確からしい部分があるからだろう。
 しかし、近代であれば、そういった哲学的人間観を元に、フランス人権宣言を作って、
議会を作り王政を追い出そうという、社会と思想との連動もあったろうが、コンセンサスを
得る程の思想の大きなうねりが現代にあるか?人々が資本の声にのみ従順なためとか
複合的な理由はあるのだろうが、純粋な哲学的理念だけでは社会は本格的に変わるまい。
人々は既にそれ程哲学を確かなものと信じていないのだろうし、哲学者もそれを示せまい。

 あらゆる産業が IT 技術によって構造的に変わるように、国家的意思決定も現在より
ましになるべきだ。国民投票を頻繁にはやれないが、電子投票があればどうか?代表民主制
と言う名の寡頭政治が必要か?議席数や政党という無意味で大雑把なくくりが、採決時
に何ら意味を持っているか?必要な部分にのみ必要なサービスが現実に則して与えられる、
そんなきめ細かいサービスが必要なのではないか?そんな民意が感じられる社会になれば、
哲学、つまり精神性の意味を再び感じることができるようになるのではないか。

 妄想である点は、懐古主義に同じだが、試す価値がある点においては前進する気になら
ないか?

>>300 デフォルトで社会全体を考えるか?人間、所詮自己中というより、社会全体を考えたふりで、
全体なんてカバーできるわけ無いだろ?その指摘は、>>296 の反論としては不適切。
むしろ、>>296 の正しい指摘と謙虚に受け取る方が人間性を感じる。
302朝まで名無しさん:04/06/23 02:10 ID:JGWbw9DU
>>1
世の中の悪いことは全部偉い奴と強い奴がいけない。
上が悪いと皆悪くなるので、下は悪くない。
これ以上完璧な道徳はない。
ほかの言葉は全て責任転換とごまかし。
上が悪いと言えないから道徳教育が必要なんていう。
303朝まで名無しさん:04/06/23 03:16 ID:JGWbw9DU
302の追記
キリストを作り出してヘテロ王になろうとする道徳は止めてもらいたい。
304朝まで名無しさん:04/06/23 03:20 ID:Uk/jEpTi
独学で物理の基本を学びたいのですがお勧めの本を教えてもらえませんか?
高校時代は物理サボってました。
305朝まで名無しさん:04/06/23 03:22 ID:Uk/jEpTi
誤爆すまんそ
306朝まで名無しさん:04/06/23 04:38 ID:a2rdcPfO
昨日考えたんだけど、善行こそ間違う。
誰彼に良かれと思って行うのこそ善行だけど、
その人に助けて、教えてといわれてから行うのは別に善行ではない。
いわれる前にやってこそ善行。でもそんなのは本人にとってはおせっかい。
「自分が考えた」善行の押しつけ。イラクの3馬鹿しかり。
いや、5馬鹿7馬鹿もそうかも。
自分が善という時こそ気をつけなきゃいけないのかも
307朝まで名無しさん:04/06/23 09:15 ID:uLy4SpKt
>>306
 もっと単純な昔のことを想像して欲しい。大体の人が農民であるとか、
似たような境遇にあるとか、プライバシーといってお互いを隠していない社会。
 そんな状況であれば、おせっかいはかなり的を得た物になりえた。善行は
本当に善行だったんだろう。個人的な見解が自然と社会に寄り添っているから、
個人の精神性を重視することで十分であった。

 多様化等で、意思の疎通を失ったと、現代は指摘することができる状況だろう。
個人の生活以上の見通しが利かないから、近視眼的な欲求をぶつけ合わざるを得ない。
>>158 の経済用語的モラルハザードな状況。
 善行を行いたい個人が持つ欲求自体は間違っていないし、信じるべきものだろう。
疑うべきはその先の具体的な過程だと思う。具体的に如何に発露するべきかは、
苦情の応酬でも良いし、理想的には議論を経て落しどころを探るしかない。
組織的、影響範囲が大きければ大きいほど、その社会的な意思の疎通が必要だろう。
308朝まで名無しさん:04/06/23 09:19 ID:DVTwhIPn
政府に道徳が無いのに、国民に押しつける。に、なるかも。
309朝まで名無しさん:04/06/23 09:40 ID:uLy4SpKt
>>238 >>176 を元にしたやり取りに関して
 原理的に間違っているとまで言ったんだけど、スーパーテレビ?かで保育師について
やってるのを見た。おそらく、どんな情熱や知識をもっても幼稚園児にヒュームは
理解させられないと思った。身体機能の発達なんかもことさら重要な時期だし...

 合意を得るとか論理的に理解できる以前―― 指摘されている「幼少時」には、
確かに1対1の信頼感といった個人から複数への意識に移行するための、本当の原点
学ぶために体験こそが中心で重要な時期があるのではないかと思うようになった。
 確かに人間の発達過程の中にある一つの要素なんだろう。大人になっても要素として
あると思うが、重要性は理性の発達と共に相対的に小さくなるだろう。
 中学くらいで、その理性への移行のチャンスが無くてはならないはず。
310正義の見方:04/06/23 15:32 ID:g55hDSUm
>>298
>>281で論破
>ちなみに>>281で言う「ある目的」は科学で立証できないもの。
ヒュームはものごとを善悪という相対的なものでしか見ない、だから原状を肯定するしかない
倫理道徳は相対的なものではなく、絶対的なものなんですよ。とくに西洋人にとっては。だから
ヒューム批判は後を断たないわけで、これと功利主義が結びつけば、思考はますまさ拡散し手
がつけられなくなります。道徳にしろ倫理にしろ人間が自分の都合に合わせてつくりあげたもの
ではなく、絶対的な真理、普遍的な考え方として太古の昔から存在していたのです。
だじゃら発明したものではなく発見したもの、そう考えるべきものです。
311朝まで名無しさん:04/06/23 16:07 ID:Hc8jDxv0
>>310
>>176で論破
312朝まで名無しさん:04/06/23 17:03 ID:Hc8jDxv0
>>309
>>299に貼ってあるスレの最後の方に愛知県犬山市の小学校の
教育改革の話しが貼ってある。
正に和の精神。
日本の道徳教育です。
313朝まで名無しさん:04/06/23 19:06 ID:JGWbw9DU
個人の自我に形成に関わった共同体や他者の善意による道徳では
社会階層の倫理を支えきれない、特に性悪説と生まれは平等という条件では、必ず破綻する。
階層の倫理を考えなければならないのだが、科学の発達のため上が人でなしになってしまった。
それで負担を個人に付けるか、原始共同体に付けるかなのかもね。
道徳の規範内容は時代と場所により変わっていくものだと思うから二律背反や二重規範で基地外になる人が減ればそれで良しと思う。
科学でその変化を導けたらよいのだけどね、教育とかマスコミとか政治でなくて。
314朝まで名無しさん:04/06/23 19:29 ID:fk2l0wql
>>306
>その人に助けて、教えてといわれてから行うのは別に善行ではない。

それが一般的に「善行」と呼ばれてると思うんだが?
法的に義務があってやるのは「善行」じゃないだろうけど。
315朝まで名無しさん:04/06/23 19:31 ID:fk2l0wql
日常的な意味では、多分こんな感じだと思う。

義務有り+依頼有り→やるのは当たり前
義務有り+依頼無し→    〃
義務無し+依頼有り→善行
義務無し+依頼無し→おせっかい
316176訂正:04/06/23 20:00 ID:3/STrrOh
恥と言う日常的な感受性は教えられたから知るのでは無く
規範を破った時に身内から疎外された恐怖心が内在化して身につく。
又、規範も教えられなければ知る事は出来ないと言う訳では無い。
もしそうなら人類発祥以前に規範があった事になる。
個人にとって経験的、心情的正しいと学び取った規範か
疎外されたく無い人間の求める規範が守るべき物として動機付けられる。
この規範が「道徳」である。
我々が人を殺さないのは、「仲間を殺すな」というルールののせいじゃない。
仲間を殺せないように育つからです。
他者から肯定され、承認されて尊厳を獲得してきたひとは、
自分が自分であることにとって他者や社会は必要不可欠だから通常の精神状態じゃ殺せない。
だが、極限状態のため日常的感受性から離脱してしまうと人間は道徳感を失う。

そこでそこで個人を極限状態に追い込まない為に倫理が必要となる。
倫理とは心情的、経験的にそれが正しいと認識するには困難だが
科学的、叉は一神教的神の視線から普遍的に正しいとされた規範が「倫理」。
倫理観は教えてもらうか調査等をしないと解らない。
身に付ける物では無く理解するか信じる物である。
科学的には個人が道徳心を身に付ける為に他人の尊厳を犯さない限り
自由な試行錯誤を保証する為の規範が倫理とされる。

>>313
>科学でその変化を導けたらよいのだけどね、教育とかマスコミとか政治でなくて。
教育とか政治って科学的検証に基づいて行う物だが・・・・
マスコミだってデタラメを書けば良いってもんじゃ無い。
317朝まで名無しさん:04/06/23 21:59 ID:Hc8jDxv0
近代以前の日本では倫理の伝統は無く
からごころって呼ばれて嫌われていていたんだよね
318309:04/06/23 22:13 ID:FzAiMnpM
>>316 ? >>176 に対するいくつかの反論してた人いるでしょ?細かいとこから根本的なとこまで...
 [「各人を目的として扱え」というカント的原則] ― の反証のためにヒュームが引き合いに出て
来ていると、私は理解しているんだけど... 雑談スレよりは読み直す価値あると思うけど、受け入れる
べき部分は無かったかい? 発達心理学的な意味で、「経験/体験重視の時期はあるだろうな」と
言ったまで、反論は筋が通っていると思っているけど... 感情中心の社会って怖いよ?まあ…(ry

>>312 わたし宛?えらい教師はいるよ。子供の現状を見るんじゃなくて、可能性を見て育ててくれる人。
 教育論は向こうのスレでやるべきなので打ち切り。誤字が気になったので関係者なら修正依頼を願う。
[ 校正要 : 死体的→主体的 他 誤字あり ] ttp://www.tcp-ip.or.jp/~mrym/sugie.html

かなり渋いソース(w ですが、最近、偶然聞いて凄い教師だと思った例
 こころの時代 『難聴児に教えられて』  安積力也
ttp://www.nhk-sc.or.jp/radio/again/
ttp://shop.nhk-sc.or.jp/shop/goods/goods.asp?goods=010220048
 web で読める適当な資料は見つからず....
319朝まで名無しさん:04/06/24 01:11 ID:EOp3suiB
>>316
実は私個人では科学的検証というのがあまりよく理解できないのですよ。
科学的とはこんな感じですか?

人口の過渡的成長の局面にあっては、内部指向的な人間は工業や商業のさまざまな
可能性を自分の手中に握って、そして開け行くフロンティアに向かって、熱心に休
むことなく働き続けることが出来た。ところが、初期的人口減退の社会にあっては、
そのような熱心さや独立の精神は必要でなくなってくるのである。企業も政府もさ
まざまな職業も著しく官僚化されてくるのである。―中略―
そこではもはや一人の人間がどのような人間であるか、彼が何をするかということ
はあまり重要ではない。より重要なのは、他人が彼をどう思っているかである。
そして、彼が他人をどれだけ上手に操れるか、そして自らどれだけ上手に操られる
ことが出来るかといった才能がそこではものを言う。―中略―
それは現在要求されている製品とは原料でもなく、機械でもない。
それはパーソナリティである、と言う事実だ。
                      リースマン「孤独な群集」より
       
320朝まで名無しさん:04/06/24 01:18 ID:5ERKzsY3
昔、仕事の最中、昼食を取るべく先輩と一緒に近所のファミレスへ行った
食事を終え、ファミレスから出る際、車椅子が一名いる3人家族が丁度
ファミレスへ入ろうとしていた。ファミレス入り口には段差があり
車椅子を2人で抱えていた。降ろしたすぐ先には手前へ引き開く入り口ドアがあり
当然、抱え降ろした時点では扉を開けることは出来ない
オレはとっさに扉を開けたままにし、その場を去った。
すると先輩が「お礼もないだろう状態で親切な気配りができるって凄いね」と言った
この言葉にオレはムカツいた
賞賛や依頼のない実体のない親切こそ真の善意で、誰かれが誰かれにお礼する
依頼するなどの行為が発生した時点で善意とは呼ばない
善意とは常に受けてだけが感じるものであって、そこにやり手の感情が介入してはならない
オレが扉を開けたままにした行為は、店側にとっては迷惑な行為であり
車椅子家族にとっては、たまたまありがたい行為であったというだけの話
常に多数が絡むケースが考えられる公共の場では、善意と悪意は隣り合わせなのだ
悪意を受けても、善行を出来、また感謝、賞賛を受けることをしない人間が
どのくらいいるのだろうか?昔の日本には少なくとも多くいたように思える
321176訂正:04/06/24 01:45 ID:ZqqFWubP
>>318
なんかズレてると思うんだが・・・・
理性の発達には感情が支えになるという話なんだけど。
どうすれば感情中心の社会と思えるのだろうか?
それとも理性と感情は全く関係ないと思っているのだろうか?

個人の中で善悪とは周囲や共同体の利害関係により自分が承認されるかされないか
という経験から身につけるがこれはコミュニケーションを通じて
何かを達成出来ると言う感覚『自己暫定感』があるからである。
道徳的想像とは周囲や共同体から自分がいかに承認されされながら
自分のしたい事をするかと考える考える事である。
子供は親に、人は社会に承認してもらわなければ生きてはゆけない。
他人や共同体を害すればそれは悪とみなされその行為は承認されない。
他人や共同体に否認される事によって『自己暫定感』にくさびを打ち込まれるるのである。
人間は、自己の快感原則にそのまま従っていては、まわりとの絶え間ない衝突を生み出して、
自己や種族の保存どころか、自己や種族の破滅に陥る(「人間は本能が壊れている」)ため、
むしろ、快感原則を抑圧し、環境との折り合いをつける。
例えば子供がわがままを言う時子供は親の尊厳を完全に否定し我を通そうとする。
その事に対し親は怒り子供を叱る事によって子供を承認しないと意思表示する。
この時、子供は親にワガママはいけないと言われたから
従ったのでは無く親とせめぎ合い試行錯誤する中で親に承認してもらうための
妥協点を見つけ自発的に親の尊厳を尊重しただけである。
この様な経験を積み重ねる事によって「これを守れば社会から承認されるという共同幻想(道徳)」
を守り社会から自分を承認してもらおうという意志がうまれる。
322176訂正:04/06/24 01:56 ID:ZqqFWubP
>>318
>>312 わたし宛?えらい教師はいるよ。子供の現状を見るんじゃなくて、可能性を見て育ててくれる人。
少人数制、個別指導、指導要領削減し現場の教師へ権限移譲の流れは世界的な傾向です。
20年前の臨時教育委員会で日本もそちらへの移行が始まっています。
別に犬山市に限った話では無いです。
この間NHKの番組で「少人数授業を徹底し、子ども一人一人に合った指導を
行うべきだと言う事は以前から解り切っていましたよね
何故今まで変えようとしなかったのですか?」
という質問に文部官僚がしどろもどろになって謝っていたのが笑えた。
たぶんこいつ
樋口修資(ひぐちのぶもと)
(文部科学省大臣官房審議官)
323176訂正:04/06/24 02:11 ID:ZqqFWubP
324朝まで名無しさん:04/06/24 07:22 ID:d4ykNYdL
>>321
なげーよ。
325朝まで名無しさん:04/06/24 10:05 ID:K31bKFH4
簡単にまとめると理性とは自己暫定感に支えられ自己責任を伴った
自由な試行錯誤を通じて複雑に編み込まれた感情の束にすぎない
という事。
326朝まで名無しさん:04/06/24 10:45 ID:+zG6qTey
>>176 ふむ、Loop 気味だが、道徳的であるって事の意味に注目する。
>理性の発達には感情が支えになるという話なんだけど
 理性の辿り着く先が、個人的範疇を越えないと道徳的でないということ。
>社会から自分を承認してもらおうという意志がうまれる
 意志は必要だろうが、意志があることで満足するのは、道徳的態度じゃない。

『外部の規範に無批判に従うことでなく、自分の行為の正しさを自ら判断し、自分が
正しいと思うことだけを行為する、そういう点に道徳的価値は存在し、その意味で
道徳的な個人は「自由」で「自律」した個人だ。』 という事の嘘を説明すればいいよね?
 カント的個人は自己内部に、絶対本質を持っている。外部の神や共同体の掟なら
疑心も湧くが、自分の精神世界にある基準ならそんなことはない。自分の行為の
正当性を自分の基準で吟味し確信できるから、完全に自足して行ける「自由」な個人。

 しかし、ヘーゲルは以下のように欺瞞を指摘する。
 例えば、道徳的個人は「いくら道徳的に正当な行為を欲したとしても、目指す目的が
実現されるとは限らない」という、冷酷な現実に必ず直面する。彼の道徳的自由は
揺らぐが、こう主張する。<実現されるかどうかは関係ない、「純粋に道徳的に意思した」
事に価値があり、それだけが重要なのだ」>
 人はそれで満足できないはずだ、とヘーゲルは言う。「行為する」とは、自分の意志を
「現実という場面」のなかに表し出すことだ。だから、自分の意志の実現を見て満足したい
ということ―これはある意味で幸福を味わうこと―も、行為の中に必ず含まれている。
行為しつつ「実現」も「幸福」も求めない、なんてことはありえない。もし、「道徳的意志の純粋さ」
でもって自足できるなら、彼は全然真剣ではなかったのだ。つまり、彼はじつは、
非道徳的な意識に他ならない。
 さまざまな状況に置かれた自分を全く想定しておらず、「現実」と「幸福」から切り離されている
事によって自分を保っている、ひどく自閉的な態度ということだ。ヘーゲルの展開は続くが小休止。
327318 訂正:04/06/24 10:46 ID:+zG6qTey
>>326>>321 へのレス
328朝まで名無しさん:04/06/24 11:04 ID:VSe7thpj
難しい事はわかんない かーちゃんだけど 子どもには

「お誕生日で年齢を重ねたら 一つ知ってる事が増える。そうすると一つ我慢出来る」
「世界中の9歳の中で**ちゃんがお父さんとお母さんは一番大事。お友達の
 お父さん、お母さんも同じだから、自分もお友達も大切に」(妹がいるので9歳6歳
 と、変えています)
「キライな事を数えるより、スキな事を数えてみよう」
「**ちゃんはどうしたいのか 話そう。話さないと 違う考えが
 あっても 解からないから」
「ゴミは家にもって帰って捨てる」

こんな感じで 育てています。現在は ノーテンキ系ですが、剣道大好きな
ガキらしいガキに育っています。「良い子」「出来る子」ではありませんが
逞しいモンです。(昔のガキ大将??)
自活できる年齢までは 門限、お小遣いなど 最低の決まりの中で育てたいと
思っていますが、最近の世の中を 見ていると アナログすぎるかもしれない
わが子達が、不安です。



329朝まで名無しさん:04/06/24 11:08 ID:5ERKzsY3
子供を育てるのに、小難しい講釈はいらない
子供が愛情を鬱陶しいくらいに感じるだけでよい
330朝まで名無しさん:04/06/24 11:10 ID:laQpleEW
マスコミの騒ぐ「日本のモラルが低下した」という論調に乗って、
結局モラルの低下を助長している間抜けが集うスレのようです。
331朝まで名無しさん:04/06/24 12:33 ID:K31bKFH4
>>326
目的の多元化、多様化、複雑化によってアノミーは簡単に回避できます。
一つのアイデンティーの拠を失っても他のものに乗り換えれば良い訳。
むしろ選択支が無限にありすぎて何をしたら解らない
逆の不自由の方が問題だが。
こちらは好奇心と試行錯誤によって回避出来る。
だから他人の尊厳を犯さない限りの自由を保証する必要がでてくる。
不自由には三種類あって無知である事による第一の不自由。
知識があっても実行が出来ない第二の不自由。
選択支が多すぎて何をして良いのか解らない第三の不自由。
332朝まで名無しさん:04/06/24 12:38 ID:laQpleEW

政治思想・宗教板に行けって
333朝まで名無しさん:04/06/24 12:39 ID:ADwSCRZf
児童の殺人事件は'79年にも起きていた、という事実があるようですが。
「男児突き落とし 追い詰められる子供たち」
http://www.mainichi-msn.co.jp/column/shasetsu/news/20040624k0000m070164000c.html

今頃になってモラルだの何だの言う事か。
334318 >>326 続き:04/06/24 12:42 ID:+zG6qTey
 行為ということに注目すれば見方が変わるかな?
 行為が主観と客観を統合する。行為は、個人の中に眠っている潜在的な素質や能力を、
現実化し「客観」化する。―――――以下、再開

 次に登場するのが、実存的な精神だ。正しさを求めてはいるが、先の「現実」と「幸福」を
取り戻す、決断力と行動力を持っている。自分の行為が道徳的であるかどうか、過剰に
内省しない。その都度の具体的状況の中で、「いまここでこれをなすべき」と決断して
行動を起こすのは、神様でも道徳法則でもない「この私」しかありえないとはっきり
自覚している=実存的。
 「この私」は、状況に捉えられた個別的な存在でしかないから、こう批判する人がある。
<君は偶然的・個別的であって決断も行為も普遍的ではない>。しかし、私はそんな言葉に、
耳を貸さない。こんな戯言を言えるのは傍観者だけだ。
 ある状況において決断するのは「この私」に他ならないのだから、人間は「この私」を信頼する
以外に行動することができない。ヘーゲルの言葉でいうならば、「<自己>のためにあるものが
掟なのであって、掟のために自己があるのではない」そうである。

 道徳法則のような抽象的な規範の命ずる普遍性から、自己に道徳上の全権を与えることで
脱したが、自分の<良心>にのみ従う個人に過ぎない。これは独善と呼ばれる。
 良心は行為として顕在化するとき、客観性を持つ。他者に影響する以上承認を求めざる
得なくなる。人間の認識の有限性については了解していると思うので、「この私」から何を
なすべきかを得ている以上、結局感性や気分の範疇を出ない。
 しかも、良心「具他的状況からこうしろ」 → 行為 → 結果「良心の命令とは異なる結果」
にはギャップがあって、良心が説明可能であっても、結果が容認できるものであるともいえない。
 良心の行為は、誤解や認証されない可能性を常に持っている。

 やばい、まだまだ続く...
335朝まで名無しさん:04/06/24 13:40 ID:+zG6qTey
 そこでヘーゲルが持ち出してくるのが、言葉の力。
 認識の有限性も、決断の恣意性も、行為の意図が誤解される可能性も、どんな
人間にも当てはまる一般的な条件であって、<良心>の態度の根本的な欠陥によるもの
ではない。行為そのものは他者には納得できないものかもしれないが、言葉によって
「自分の知と意志が正義であるという信念」を表現することができる。
 <言葉こそが、自己意識と自己意識がの相互認証と和解をもたらすのである>と
ヘーゲルは言う。

 しかし、言葉を持ち出して終わらない。「言葉による認証」には、欺瞞が入り込むからだ。
 「信念重視」と「行動重視」といった形でまた対立の構造を描く。

 行動重視<行動する良心>は自分の行動に、もっともらしい理由を後付けすれば良いと言う
偽善的態度が可能であると知っている。自分の欲求に近い無軌道な行動の隠蔽が可能となる。
 信念重視<批判する良心>は<行動する良心>の偽善的態度を指摘し、仮面をはごうとする。
しかし、彼もまた偽善者。自分一人の基準であることを忘れ、自分を普遍的と見なし、
その基準に誰も到達できない事を忘れて批判に夢中になっている。
 「彼が純粋さの中に上品に自分を保っているのは、行動しないからである。それは判断する
ことを現実の行為と受け取ってもらいたいという偽善であり、行動することに代わってすぐれた
意向の表明をもって誠意を表現しようとする偽善である」

 攻撃的だった両者は、一方は指摘された悪を認め、一方は共同体として現実的な妥協点を
探し出す。この両者の視点を統合した人格が、社会的な意識に目覚めた感じじゃない?と、
ヘーゲルは言っているっぽい(w

 この行動は感情によらざるを得ない行動だろうか?意識/認識であって客観的に社会の
構造を理解することに過ぎない。確かに感情は基点だけど、万能じゃない。むしろ欺瞞だらけ。
 そんな普遍性の幻想道徳で育ったのが、巷にあふれていると思うし、教師も教科書もそんな
でしょ?高校の倫理/政経? の教科書でも何でも良いけど、傲慢になる感情しか書いてないよ。
誰一人として、満足な解説のついている人物はいないと思うね。
 前後の流れと時代背景がないから、みんなが自己完結して傲慢になってるな。
336朝まで名無しさん:04/06/24 13:48 ID:I7btZWYE
道徳倫理を叫ぶアナタも、
権利自由を吠えるキミも、

自分だけは社会的評価が低いと
勘違いしている僻み野郎だ。

裸で鏡の前に立って見ろよ。子供時代の成績を思い出してみろよ。
親兄弟、友人、知人がどんな人間か考えて見ろよ。

337318:04/06/24 13:54 ID:+zG6qTey
 誤字 >>334 具他的 → 具体的
 見れば分かるが >>335 >>334の続き
338318:04/06/24 19:09 ID:+zG6qTey
>>325
 ヒュームは経験主義者として受け止めているのかな?全ての判断は感情が引き起こすって?
>>218 は、そうでない部分を多分に含み指摘している文章に読めるけど。
私が長々と書いたのは道徳が導かれる過程にあたるね。

 哲学者はみんなどこか間違った部分を持っている。教科書にはそんなこと
書かれているだろうか?みんな完璧みたいで好きか嫌いか選べば良いみたいな気がする。
 典型的な一つの例は神によって結論付けてしまう哲学者がいる。(デカルト、カント等、多数)
過程の分析は発展的で良いのだけど、彼らの住んだ社会ではその辺の落しどころが
良かったみたい。前提とする世界が私たちとは違う。こういった部分は科学的とか
理性的とか言われないで、無視されるか、思想の傾向を汲み取る程度の扱いだと思う。
 神という存在は、人間の認知能力の外に設定する存在だから、証明することも
否定することもできない。だからどうにでもなるので理性的部分ではないとするのが
一般的だと思う。ヒュームもこの不可知論者。

 カントもヒュームも普遍的な真理をさがしてたと思うけど、ヘーゲルはそんな場所は
無いといっている。定まった規範が道徳ではなくて、プロセスに道徳があると言いたいわけ。
<何がみんなにとっての普遍性なのか、ということは人によって意見が異なるだろうし、
そこには絶対の答えも存在しないだろう。しかし私たちが共同的であろうとする限り、
そのことを問題にせざるをえないはずだ>
 そこで先の<他者と共同体に向かって自分自身の判断を開いていること>を理性的態度の
根拠として、国家や法制度、組合などについて展開していく。

 最後に哲学はえらいもんじゃなくて当たり前のこと。東大生も中卒も「まあ、そうだろうな」と
信じられることだよ。だから真理/普遍的。考えたらその方が良いって事にならなきゃいけない。
 道徳だってそうだろ?硬直的で形骸化したのが道徳とか、普遍的空想では使えんでしょ?
別にヘーゲルが終着点でもないが、古臭い廃棄物だと思っていた多数の人には新鮮だったろう。
339318:04/06/24 19:11 ID:+zG6qTey
 だー、 >>218>>281 に訂正、ヒュームの長文
340朝まで名無しさん:04/06/24 19:15 ID:EOp3suiB
日本の道徳の道は極道の道に通ずる。

道を極めるとは礼、徳、仁を正しく理解し実践することである
これをなしえて初めて仙道への入り口に立てるのである。

そなたが桃源郷に住まうことを望むのであれば先ず義を信ずることよりはじめなさい。
341朝まで名無しさん:04/06/24 20:10 ID:Mm9wdSe5
日本の道徳の不幸は、東洋思想の上に西洋思想がコーティングされている所に有る。
東洋思想と西洋思想では、根本的に異質なもので、融合することは有りえない。
それは、使用言語からみても明白である。
例えば、西洋では親や、学校の先生と話す時も、逆に目下の人と話す時も
”you”である。しかし東洋では、自分の立場によっていろいろ使い分けるのが
当たり前である。
我々は、子供の頃は目上の人を敬い指導を仰ぎ。目下の人を指導する。
という様に上下関係をはっきりさせた教育から始まった。
ところがその途中から、親も学校の先生も目上の人も自分自身もみな平等だ。という教育に
変質していく。この時期は、小学校高学年位かもしれない。
そういう中で、子供達は軽いパニックになり、権利と義務の関係の内、自分に都合の良い
事だけを、学んでゆく。それがわが国の道徳の崩壊を招いているのだ。
342176訂正:04/06/24 20:48 ID:Dqe4sCGG
>>338
>全ての判断は感情が引き起こすって?

ヒュームは、自我などというものは、
それ自体実在する訳でなく、
さまざまな知覚なんかの束にすぎない。
あるいは知覚印象・観念の一過的な(その場限りの)
構成の結果(うたかたのようなもの)にすぎない
と言っています。
いろんな思いや感情や知覚や何かは、
様々にインプットされ、互いに関わり合い、
結び付き、あるいは分割されて、
いくつかはメモリーされ、いくつかは、
また別の思いや感情や知覚や何か関わり合い、
結び付き、あるいは分割されて……、といった「心のシステム」。
ヒュームは自我なんてものでなく、もっと個別的な、
たとえば暑いとか寒いとか、愛とか憎しみとか、苦しみとか快楽とか、
そういった何か(知覚や情念や感覚印象やなにか)です。
こういった個別的な知覚なんかなしに決して「自分自身」
と呼ばれるものを捉えることはできないとも言っています。
343朝まで名無しさん:04/06/24 20:49 ID:EOp3suiB
上下の関係は先ず家族内でしつけられる。
長男長女や父親母親、祖父祖母、叔父叔母、古文の世界からある。
それに家主さん、地主さん、町内会長、学校の先生、代議士の先生、近所の役所づとめの人、大企業に勤める人etc

幼子は社会の上下関係から大目に見られて平等に育てられるが、成長するにつれて、出来不出来の具合によって社会からの待遇が差別化される。

この頃から目上の者の目下に対する指導が始まる。この指導はその子供の能力を伸ばすものであるかどうかはあまり関係ない、要は上の望む人格形成を目的として、上下間の信頼関係と共生関係を築くための方便でしかない。
自分の学校から何人東大卒が出たか自慢する校長のようなものである。

この共同体形成の倫理は企業や職業などあらゆるコミュニティーで行われる。
344176訂正:04/06/24 21:02 ID:Dqe4sCGG
>>326
>道徳的な個人は「自由」で「自律」した個人だ。』 という事の嘘を説明すればいいよね?
やっぱり的外れだ。
それでは>>316で「他人の尊厳を犯さない限り自由な試行錯誤を保証する」という
倫理を必要とする必然性がない。

>>335
> 攻撃的だった両者は、一方は指摘された悪を認め、一方は共同体として現実的な妥協点を
>探し出す。この両者の視点を統合した人格が、社会的な意識に目覚めた感じじゃない?と、
>ヘーゲルは言っているっぽい(w

> この行動は感情によらざるを得ない行動だろうか?
そうですよ。
多元的な空間で自由に試行錯誤しそれぞれ違う角度の道徳規範を手に入れ
客観性を身に付ける。
まあそれでも人間は万能では無く、愚かで、不寛容なので、相互性を守らない。
従って、「他人の尊厳を犯さない限り自由な試行錯誤を保証する」という
相互性を作り出す機関が必要不可欠となり、それが国家(等)となる。
345朝まで名無しさん:04/06/24 21:09 ID:3BNJPb/I
>>340は893
346朝まで名無しさん:04/06/24 21:17 ID:63/hZ6gZ
>>343
高々百年余りの歴史しかない家制度や倫理観を,あたかも日本の伝統であるかの如く言う保守派の人々は
少しも保守派ではなく,近代革命派と言うべきでしょう。
罪を定める神、それを赦す神 我々が生きる日本の社会には、元来一神教的な神は存在しなかった。
だから神によって定められた「罪」への意識も希薄である。
また、誰に指摘されようが「私はこれを信じるのだ」と言い続けられるような内的な堅信も従来では存在し難かった。
日本の社会は一神教的な神が存在した伝統が無いが故に、宗教的倫理観が欠如した社会である。
この日本の社会が倫理の代わりに持っていたのは、自分の所属する集団のメンバーによって良きことこそ良きことである、
という内部への視線によって規定されてきた、善悪の判断のものさしである。
いわばそれは、所属集団の視線によって自らを持する「外的な確かさ」、即ち道徳であった。
所属社会の中にあっての「良心」といった抽象的な概念は、
神のまなざしといったような固定的なものさしに基づく「倫理」と、
集団に所属するメンバーの視線によって判断される「道徳」という排他的な二つに分類できる。
しかし、かつての日本のように、その所属する集団にほとんど流動性が見られないような場合には、
この所属集団のメンバーの視線によるものさしもある程度固定されたものであったが、
近代に至って各地の流動性が高まり、また、都市化した社会に見られる各所属集団のディスコミュニケーションは、
従来存在したはずの集団のメンバーによる視線を脆弱なものとした。
かくして神無き=倫理無き社会において、道徳の母体である村落社会が消失した時に残ったのは、
何が良心のものさしとなるのかという、大きな問題である。
347朝まで名無しさん:04/06/24 21:17 ID:EOp3suiB
>>345
893はまだ先だが何か?
348朝まで名無しさん:04/06/24 23:07 ID:d4ykNYdL
現代思想で子供がまともに育ちゃ苦労しないって。
349朝まで名無しさん:04/06/24 23:39 ID:t3tu0x5Z
道徳思想は必要だ。
戦後道「得」教育になり、何でもかんでも損得の経済第一主義になり
価値観が崩壊した。
下品なブランド思考、下品なやくざみたいな金ピカ(ベンツ、ロレックス)
新宿の高級クラブでドンペリ系文化。
誰もそんなのには憧れない。
善行の末に得た品の良い女性の着てるブランド品と
ソープやエンコウで得たブランド品は全然ちがう。
他人に喜ばれて出来ちゃった資産と
他人を騙して不幸に落とし込んで得た資産は全然違う。

徳の高い人間になろうとする姿勢自体がもともと
彼や彼女にない、わからない。
350朝まで名無しさん:04/06/25 00:45 ID:CxkAFMIa
>>349
ここを見れば徳を身に付ける方法が書いてある。実践に励んでくれ。
http://www.netman2.com/html/guide400014.html
351朝まで名無しさん:04/06/25 00:47 ID:CxkAFMIa
>>350
君が世の精神と理想の尊重と実践のためにも理解すべし。
352朝まで名無しさん:04/06/25 08:32 ID:TeLqKagw

心理学者 加藤諦三
ttp://www.kato-lab.net/

ラジオの人生相談で単なるヒューマニズムではなく、
精神的基盤を失った日本社会でいかに生きるかを説いている
知る人ぞ知る論客。


第12章 行動と動機1(1)

第1節 人は何のために真面目にするのだろうか

「人は何のために真面目にするのだろうか。小さい頃、人は周囲の人の好意が欲しい。
ことに淋しい人は好意を得るために社会的に望ましいとされていることをする。
 
 社会的な大問題を起こす様な真面目な少年は、小さい頃周囲に良い子として受け
入れてもらうためには、真面目であること、お行儀よく振舞うこと、周囲から無視されて
面白くなくても騒がない等と言うことを学習したのである。

 それが「不思議なくらい問題のない子」と言われる人達である。それらの「良い子」は
周囲から拒絶されるを恐れて、内面の怒りを抑える。その結果自分の意志を伝える
能力のない子になる。」

353朝まで名無しさん:04/06/25 08:35 ID:+MscplR+
341 :可愛い奥様 :04/06/24 22:52 ID:M/9Gfjfz

前スレ910こと、まとめスレ管理人でございます。
ご指摘の項目、確かに重要と思いましたので付け加えました。
あれは初の公務の時でしたっけ?
詳しく分かる方教えてください。

まとめサイトはひとつ上の階層(本来のindexの場所)に移動しました。
http://s03.2log.net/home/dosukoi/
過去ログも今後充実させる予定なので生暖かく見守ってください
354朝まで名無しさん:04/06/25 12:15 ID:8AUrtSgh
>>349
援交少女にもパパさんの秘密を喋ってはならないという道徳がある。
元々フリーセックスは日本の伝統である。
355名無し:04/06/25 13:44 ID:kBozt2TR
>1:(日本は、戦前戦中の国家神道時代へのアンチテーゼから、
宗教一般そのものを否定的に考える傾向が強い)
そうではない。占領軍が強制的、計画的に諸制度を破壊したのである。
日本人が相談して決めたわけではない。道徳はお題目ではない。教育、
社会制度、掟、文化など広範な有形無形なものによって支えられてきた。
それらを破壊したので社会が流動化を始めたのである。当然弱者が被害を
うける。地獄の始まりである。占領米軍関係者は、日本人が独立したらすべて
元に戻すと考えていた。民主化などの美名が破壊のための隠れ蓑であること
は子供でも分かるからである。日本人が放置したのをみてあきれ返っている。
だからマッカーサーは「日本人の精神年齢は12歳」といったのである。
その後さらに下がっている。
356朝まで名無しさん:04/06/25 19:13 ID:hrG561DP





  N  議  で  や  る  話  題  か  ?



357319 (1):04/06/25 19:17 ID:EBcDmbFD
To Mr.176訂正 マジで?文章全体を読んでいる?教師が教える知識みたいだな。
 >>281 は176 に[則して]読むのか。ここは頓珍漢な事言ってたかも...
 感情だけしかよりどころにできないって、ヒュームの認識力を元にして彼が辿り着いたにすぎないでしょ?
ヒュームについて知らないで言うけど、合理主義と経験主義を否定した方向性を行ってたわけでしょ。
理性を否定しているのはそのためでしょ?
「ヒュームは、理性も経験も善悪の区別をつけられない、それができるのは感情だけだ、と考えた。
カントは、感情はよしあしを区別する根拠としては弱すぎる、と考えた」
「カントは初めから、よしあしの区別を感情の問題として片付けるなんてできない、とはっきりと感じていた―
>ヒュームが知識論のいくつかの主題に与えた、過去の経験によって形作られた習慣にもとづく解明は、
>人間の意識の未来に向かって開かれた性格への顧慮によって補われる必要があると考えられる

「合理主義者たちは、あらゆる認識の基礎は初めから意識の中にある、と考えていたよね?
それから経験主義者たちは、世界についてのあらゆる知識を感覚から引き出そうとしたね?
ヒュームは、感覚から引き出せる結論には限界がある、とも言っていたよね?」
「カントはだれに賛成だったの?」
「カントは、みんな一理ある、だけどみんな少しずつまちがっている、と考えた。この人たちが
問題にしていたのは、ぼくたちはこの世界について何を知ることができるのか、ということだった。
これはデカルトよりあとの哲学者全てに共通した哲学の研究テーマだったのだけど、二つの
考え方が張り合っていた。つまり、世界はぼくたちが感じとるとおりの姿で存在する、という考えと、
理性が描くような姿で存在する、という考え方だ」
「カントはどう思ったの?」
「カントは、ぼくたちが世界を経験するには、感覚も理性もそれぞれに一役買っている、と考えた。
そして、合理主義者は理性にウエイトを置きすぎる、経験主義者は感覚にかたよりすぎている、
と考えた。 」<一部略>
358319 >>357 続き:04/06/25 19:18 ID:EBcDmbFD
「カントは認識の出発点については、ヒュームや経験主義者たちの意見に賛成だった。僕達の知識は
すべて感覚をとおしてやってくる、と考えたんだ。でももういっぽうで、ぼくたちがこの世界をどのように
把握するか呂決める重要な前提条件はぼくたちの理性の中にあるとした点では、合理主義者に
近づいている。ぼくたちの世界のとらえ方を左右する制約のようなものがぼくたちのなかにある、ということだ」
「それが例なの?」
「いや、ちょっと実験してみよう。そのテーブルのサングラスと取ってくれる?そうだ。じゃあ、それをかけてみて」<一部略>
「何が見える?」
「かける前と同じもの。ただ、なにもかもまっ赤」
「サングラスに色がついているから、きみは現実をそういうふうに体験するわけだね。きみが見ているものは
すべて、きみに外に広がる世界に属しているわけだが、それがどのように見えるかは、
サングラスのレンズ次第だ。きみに世界が赤く見えるからといって、世界そのものが赤いとは言えない」
「そりゃ、そうよ」<一部略>
「いまサングラスは、きみにとって世界がどう見えるかを決定している前提条件だ。でもそれなんだよ、ソフィー、
カントが言っているのは。カントは、ぼくたちの理性は経験にいわば片っぱしから色をつける前提条件だ、と考えた」
「条件、条件って、なんのこと?」
「ぼくたちは何を見ても、それを『時間』と『空間』の中に現れたものとして受け止めている。この時間と空間が
ここでいう前提条件、つまりサングラスなんだ。カントは時間と空間を、人間の二つの『直観の形式』と呼んだ。
この二つの形式はぼくたちの意識のなかに、あらゆる経験より前に(アプリオリ)存在する、と言っている。
つまりだね、ぼくたちは何かを経験する以前から、その何かを時間と空間のなかにあらわれるものととらえるだろうということは
あらかじめ分かっている、ということだ。ぼくたち人間は理性というこのサングラスをはずせない、と言っていい」
359朝まで名無しさん:04/06/25 19:19 ID:EBcDmbFD
「ものを時間と空間のなかにとらえるのは、人間の生得的(うまれつきの)性質だ、とカントは考えたわけ?」<略>
「でも、時間も空間も私たちの外にあるものなんじゃないの?」
「ちがうんだよ。カントは、時間と空間は人間の側にある、と言っている。時間と空間は僕達の意識の特性なんだよ。世界の特性ではないんだ。」
「まるきり新しいものの見方ね」
「人間の意識は、だから、外からやってくる感覚の印象を記録するだけの、受け身の『なにも書かれていない板』
なんかじゃないわけだ。そこから受けとったデータに積極的に形式を与える、クリエイティヴな装置なのだ。ぼくたちが、
世界をどう理解するかには、意識が深く関わっている。ほら、水をガラスのピッチャーに入れるのと同じだよ。
ピッチャーの形になる。知覚されたものもぼくたちの『直観の形式』を受け入れるのだ」<略>
「カントは、意識がものにしたがうだけではない、ものも意識にしたがう、と言った。カントはこれを、
人間の認識の問題の『コペルニクス的転回』と呼んだ。<略>」
「なるほど、それでカントは、合理主義者も経験主義者も少しずつ正しいって言ったのね。」
「因果律も、ヒュームは人間には経験できないと考えていたけれど、カントによれば人間の理性の側にある」
「どういうこと?」
「ヒュームは、僕達が自然のあらゆるなりゆきに因果関係を見るのは習慣にとらわれているからだ、と言ったね?
ぼくたちは、ビリヤードの黒い球があたったことが白い球が動き出したことの原因だ、とういうことは
知覚できない、黒い球がつねに白い球を動かすだろう、ということも証明できないって」
「よく憶えているはわ」
「でも、ヒュームが証明できないと言ったまさにそのことは、カントに言わせれば人間の理性の性質なんだ。
因果律は永遠で絶対に正しい。その理由はただ一つ、人間の理性がすべての出来事を原因と結果の関係でとらえる
からなんだ」<時間と空間で時系列的に捕らえればそうなるでしょ?>
「因果律も自然界にあるもので、わたしたち人間の中にあるものじゃないって、思ってたけど」
360319 >>359 続き:04/06/25 19:20 ID:EBcDmbFD
「カントは、因果律はぼくたちに生まれつきそなわっている、と言っている。ぼくたちにはせかいそのものが
どうなっているか、たしかにはわからない、ということでは、カントはヒュームに賛成だった。ぼくたちに
わかるのは、世界がわたしにとって、つまり人間にとってどうなっているか、ということだけだ。
つまりカントは、物自体と現象を区別したんだ」
「むずかしいこと言わないで!」
「『ものそのもの』と『わたしたちのってのもの』を区別したってことだよ。これは、カントが哲学のために
やってくれた大きな仕事だ。ぼくたちはけっしてものをものそのものとして知ることはできない。ただ、
ものがぼくたちにどう現れるかがわかるだけだ。その代わり、ものがどのように人間の理性に受けとめられるかは、
いちいち経験なんかしなくても言えるんだ」
「それ、ほんと?」
「きみは朝、家を出るまで、その日どんなことを見たり聞いたりするかはわからい。でもきみには、きみが
その日何を見ても聞いても、時間と空間のなかの出来事だと受けとめる、ということはわかっている。
それからきみには、その出来事にはかならず原因がある、ということもわかっている。その理由はただ一つ、
きみが因果律を意識の一部として持ち歩いているからだ」
「じゃあ、わたしたちが今とちがうふうにつくられていたら?」<略>
「猫が床に寝そべっていると想像してごらん。そこにボールが転がってきた。さあ、猫はどうする?」
「それなら何回もやったことがあるわ。猫はボールを追っかける」
「そうだね。じゃこんどは、猫じゃなくてきみが部屋にいると想像してみて。ふいにボールがこっちに転がって
きた。きみはすぐさまボールを追っかけるかな?」
「その前に、ポールがどこから転がってきたのかなってふりむくわ」
「そうだね。きみは人間だから、どうしたって結果の原因をつきとめようとするよね。つまり因果律はきみの
一部なんだよ」
361319 >>360 続き:04/06/25 19:21 ID:EBcDmbFD
「ほんとに?」
「ヒュームは、自然法則は知覚も証明もできない、と言った。カントは、とんでもないと思った。カントは、
自然法則と呼ばれるものは実際には人間にそなわった認識の法則だ、だから絶対に確実だと証明できる、
と考えたんだ」
「だけどうんと小さな子も、だれがボールを転がしたか、確かめようとしてふりむくかしら?」
「たぶん、ふりむかないだろうね。でもカントは、子どもは感覚した素材をどうにかするほどには理性がまだ
完全に成長していない、と言っている。とにかく、意識が空っぽだなんて、まったくナンセンスな話だ」
「ほんと、からっぽの意識なんて、あったとしたらすごくへんなものね」
「このへんでまとめてみよう。カントによれば、人間が世界を認識するためには二つの要素がいる。一つは
外からやってくる、感覚によって感じとらなければ知りえないもの。これは認識の素材だ。もう一つは、
すべてを時間と空間のなかの因果律にそった出来事としてみなすような、人間にそなわっている内的条件だ。
こっちは認識の形式だ」
362319:04/06/25 19:22 ID:EBcDmbFD
> ところが、こうして知識論において謎として残される事柄を、われわれは、実践においてはやすやすと
>乗り越えている。ここに現われているのは、人間の精神が、過去の経験による決定を免れない存在で
>ありながら、そのように決定づけられ、習慣づけられたあり方を自ら反省的に意識する際には、
>好むと好まざるにとかかわらずそのようなあり方を否応なしに超え出ているという自己意識の特質である。
>そして自己意識のもつこのような一見神秘的な特質は、いまだ個物として現実化していないものを
>目的として設定し、それを目指す生産的実践によって未来を支配しようとする、精神と身体の活動に
>根ざしているのであり、そのような活動は、たがいに予定や計画をたてて行動を調整し、各々が引き受けた、
>あるいは自らに課した作業を遂行するというかたちをとって、われわれの日常生活をみたしているのである。
> ヒュームの哲学は、まず、こうした過去による決定からの超出を可能にするものが、どこかにあらかじめ
>在って、理性によって把握されるのを待っているような何らかの実在ではないことを明らかにするものである。

 ヒュームの基本的姿勢にこういった(欠落した)視点があると言われているとしか、私には言えないけど、
理性について、Out of 眼中な展開を感じるんだけど...
「人間本性論」を読まずに反論することは、全く馬鹿げたことだと思うけど、ヒュームを
そう位置付ける人がいることもヒュームから導かれたことで全く無根拠ではないでしょ。
363朝まで名無しさん:04/06/25 19:23 ID:ePMRGn5H
はてなダイアリー - 集団ストーカー
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bd%b8%c3%c4%a5%b9%a5%c8%a1%bc%a5%ab%a1%bc
組織ストーカー犯罪@2ch2掲示板 http://bbs.2ch2.net/stalkers/index2.html
ストーカー被害対策相談ネットワーク (左下の「助けあい掲示板」から入れます)
http://www.geocities.co.jp/Bookend/7075/index.html
2ちゃんねる(スレッドタイトルや過去ログの検索)
集団ストーカーは、最凶悪犯罪2。@マスコミ
マスコミの盗聴/盗撮は許されない!その48@マスコミ
ストーカー被害@社会、世評
集団ストーカーって、スゴイ人権侵害でしょ。その2@社会、世評
集団ストーカー被害者スレ7@ちくり裏事情
集団ストーカーの実態スレ 生活板8@生活全般
探偵を使ったリストラ犯罪@警察
集団ストーカー@ニュース議論
集団ストーカーやるって本当ですか?その19@創価・公明
「集団ストーカー」をやんわりと解明する その11@創価・公明
集団ストーカーに対する防犯@防犯・詐欺対策
サイバーストーカー その2@ネットワークセキュリティ
ザ掲示板(ザ掲示板内の検索)
集団ストーカーについて[1](Organized Stalkers [1])@事件・犯罪
集団ストーカーについて@事件・犯罪
集団ストーカーについて[2]@事件・犯罪
集団ストーキングの中での子育て@育児・子育て
megabbs
集団ストーカー被害@人権問題
集団ストーカー被害@ひきこもり
横ねっと掲示板
ストーカー
しずちゃん
【静岡発】〜集団ストーカー〜【全国へ】
364朝まで名無しさん:04/06/25 19:23 ID:BmUaPkFY
学校の授業で一番軽視されているのが道徳。
先生はやる事がない時に仕方なく、道徳やっていた。
365319:04/06/25 19:25 ID:EBcDmbFD
>>356 道徳の話でなくなって、大変申し訳なくは思っているけど...
    理性自体無視されては....そもそも論になる...
366tooo ◆s/lQJB6p9w :04/06/25 19:27 ID:epCO3+FD
>>357-352
力作なので、後でよもっと。
367朝まで名無しさん:04/06/25 19:48 ID:bzqOJBt2
ニッポン最高 ニッポン人最高 いやまじで 私はこれまで諸外国を渡り歩いて
五十歳の時に日本に来た そして日本の文化 思考習慣の人間らしさに心打たれて永住することに決めた
日本人は汚い心を回りに晒すことを恥としてわきまえ
奥ゆかしい これは女性も男性も
宗教に関しては概しておおらかな態度であり どの宗教に関してもある程度理解し一歩引いて
客観的に評価できる 日本人はある特定の思想に熱狂し過ぎることがなくいつも冷静に物事を
判断できる
最もまともな話し合いができるのは日本人だけだった 知識も深く 何事かを盲信する様子もなく
常に冷静な話し合いができる 日本人には何の思想も植え付けることはできないが
全ての思想を理解することができる 例えば私の信仰していたボロブドゥール教の儀式を
行ったときも日本人は確かに奇異な目で始めのうち私の様子を窺っていたが 決してバカにした
態度ではなく私をあざけりはしなかった 私は気をよくしてこの宗教を彼らに教え 信者にしようと
試みたのが 彼らはよく私の話を聞いてくれたし 理解もしてくれたのだが 結局ただの一人も
私の宗教を信仰しようと言う者は現れなかった 私は必死になって広めようとしたが 日本人は
「ふ〜ん そういう考え方もいいかもね」
「なるほど そうかもしれないね」
の段階にまでは簡単に理解してくれるのだが 決して「全くその通りだ!」と言う人間は現れない
かと言って決して頭から私の信じる話をバカにしようとすることもなかった
私は歯がゆかった 何故理解してくれるのに最終的な信仰には至らないのかが分からなかった
他の国であれば必ず人々はそれぞれに揺るがぬ信念を持っていて 私の話を遮って
「それは違うだろう、何を言っているんだ」
と自らの信じるものを語り出したものだが 日本ではそうではなく ひたすら私に話をさせ
相槌を最後まで打ち続け どう思うかを問えば「そうかもしれない いい考えだよね」
と言うのみである
368朝まで名無しさん:04/06/25 19:49 ID:bzqOJBt2

だんだん私は彼らが何を考えているのか分からなくなった 物凄く知的レベルが低いか
あるいは高いかのどちらかであろうと思い それでは彼らは一体何を信じているのかを
知りたくなった 私はずっと日本人は仏教徒だと思っていたから仏教的倫理観死生観に基づいて
思考し行動しているのだと思っていたから 彼らが「いや別に何も信じてるとかはないけど
ただ何となく悪いと感じたりいいと感じたりして あとは自分の欲求との兼ね合いで
なんとなく動いてるだけかな あはは 」
私はこの時ほど驚愕したことがない そんなことでどうしてこの国は社会を形成し秩序を保って
いられるのだろう?全く不可解な反面 あるいはこれこそ最も優れた思考の形ではあるまいか?
と思うようになった そして私は彼らと長く語り合ううちにボロブドゥール教に対する信念を
薄れさせていった 多様な価値観を持ち 上辺だけではなく真にそういう多様な価値観に基づいて
話をし行動している彼らを見ているうちに たった一つの何の根拠もない宗教を当たり前のように
信仰している自分が恐ろしく低脳であると感じはじめた 私はボロブドゥール教を信じていた
知っていたのではなく信じていた つまり信じるということは それが嘘かも知れないもとをどこかで
分かりながら 敢えて信じるということだと気付いた そしてそれは不安や恐怖を抱えながらも
決して「信じることで思考を完結し 先の問題には目を伏せようとはしない日本人」と比べたとき
どう考えても私は弱い心の持ち主だった 彼らにも不安はある筈だ 何かをつい信じたくなる
心は持っているはずだ だが彼らは決して己の頭で考えることを辞めようとはしないのだ 
私はボロブドゥール教を捨てた そして目に見えるものだけを信じて いや「知って」それを
もとに毎回己の頭で考えて つまりは勝手に盲信している神の言葉を借りることなく思考し
発言し行動しようと心に決めたのだ 日本人こそ世界でも最も悟りを開いているというに値する
民族である 
369朝まで名無しさん:04/06/25 20:12 ID:xMtzT3AM
小五
  ロ リ

を開くなんて
370朝まで名無しさん:04/06/25 20:22 ID:GqyM6f1u
>>369
え?
371朝まで名無しさん:04/06/25 20:40 ID:TeLqKagw
現代思想は専用スレでやれよ。
372朝まで名無しさん:04/06/25 22:06 ID:ukGISVck
>>357->>362
よくわかったが>>316を否定ていない。
>個人にとって経験的、心情的正しいと学び取った規範か
>疎外されたく無い人間の求める規範が守るべき物として動機付けられる。
という道徳も
>倫理観は教えてもらうか調査等をしないと解らない。
> 身に付ける物では無く理解するか信じる物である。
倫理にたいする考えをも
返って確実な物として裏付ける物としか思えない。

思慮を巡らせ想像力を広げ
それが身内から疎外されるような行為か?
自分の実害に関わる様な行為なのか?
人倫の道から外れる様な行為か?
という思考能力が理性な訳だ。
だからその行為が直接恐怖感を煽る事が無くても
理性によって間接的に恐怖感を煽られ恥を感じると言う事だね。
電車の中で化粧をする女は化粧をするくらいだから恥と言う感覚は有る。
しかしそれがマズイと感じる理性が無いと言う事だ。
373朝まで名無しさん:04/06/25 22:07 ID:0MPjoYOz
長いから読むのがメンドイ。

もうちょっとみんな言いたい事をまとめて欲しいぜ。
374朝まで名無しさん:04/06/26 08:53 ID:KBMDwYjw
>>371
同意。
>>1がクソスレ立てると、学んだばっかりの理屈を振りかざす子供が増えて困る。

思想や社会板で一席ブてばいいのに、その勇気もない厨房ウゼぇ。
375朝まで名無しさん:04/06/26 14:46 ID:PuPtr++x
>>372 まじで?
 >>316 は前半部分は感情を元にし展開しているよね。
 後半の倫理ってのを持ち出しているのは、感情で説明がつけられない部分。

 それは、ヒュームが理性を否定した「認識の仕方」を元にしたからだよ。
 「ぼくたちは、どう振舞うべきかを理性で測ることはできない。責任ある行動は、
ぼくたちの理性が確かであることと同じでない。むしろ、他人の幸不幸に対する
ぼくたちの感情の確かさに関わってくる。自分の指にひっかっき傷をつけるくらいなら
全世界を破壊した方がましだ、と言う考え方は[理性]に反してはいない」
「きみが困っている人を助けようと決めたら、それはきみの感情がそうさせたんだ。
理性じゃない」「助ける気が起こらなかったら?」
「それも感情がそうさせたんだ。困っている人を助けないのは、理性的なことでも
非理性的なことでもない。」
「すべての人間は他の人間の幸不幸に対する感情を持っている。つまり僕達には
共感する能力があるってことだ」

 理性を非常に限定的に考えていることを、問題にして欲しい。そうすればヒュームが
現実からはなれた感覚しか持ってなかったとわかる。
 最も重要なことは「道徳的な結果」をうることであるのに、『道徳的な感情移入』→
「道徳的な結果」に直結させている。人と人の調和を図るものも「共感」と言う感情。
 つまり、みんな同程度の経験と感情をもとに調和的な結論に至る。社会に対し
調和的である程度に、みな均質な感情と経験を持てばよい。
 それは感情によってしか、行動の指針が決められないヒュームの幻想の中の人格で
あれば、そんなに単純かもしれない。
376朝まで名無しさん:04/06/26 14:47 ID:PuPtr++x
 私達はヒュームが思っていた以上に因果関係を見ているし、知的に理解していることに
基づいて行動している。カントの反論による「認識方法」の方が現実に近いと理解できる。
 だから、問題の本質(因果律)がわかる。そして解決していこうとする。法律を作ることを
考えてみると良い。感情移入による工程もあるかもしれないが、多くは何に費やされるか?
客観的理解や予測だ(元となる感情/経験の要素に分解できるとしても[ヒュームの分析]、
論理的な組み立てや推論を加え加工することで結果を得る。組み上がったものと部品は
同じじゃない)。つまり理性の仕事だ。

 感情を語るときあなたは、認識の有限性を忘れている。ヒュームは印象と観念のみを
認知の元としてさらに有限ななかで考えてしまっている。たぶんそれに引っ張られている。
あなたの言う科学的/習慣的な[倫理]がどうしてつくられたかは、感情的な解釈と経験による
蓄積以上の解説ができない。どうやて社会は調和的な決まりを作ったのかが、じつは最も
「道徳的な結果」のために重要だ。良心→行為→結果にはギャップがあり、それが現実的な
問題だからだ。
 感情は「道徳的結果」を得る原動力には大きく貢献しているかもしれないが、
「結果を得る過程」では理性がむしろ多く働いている。
 >>316 後半で、恥と言う感情を発揮させる社会的な支えが無ければならないと言っているが、
その支えを作り出す働きを過小評価して(反論したいとは思うが、文章の展開からそうでしょ。
>科学的、叉は一神教的神...[科学は理性的な働きについて、一神教... は殺人はダメだとか、
ヒュームが解説できなかったことを指しているんでしょ?])
感情を元にすれば社会が良くなると言う主張には、幻想が含まれている。良心→行為→結果の
ギャップを埋め合わせるために、共感に頼るしかない。
 感情に一任し万能感を与える誤解を導いていると分析できると思う。いまの社会で感情の
回復を叫ぶのは当然ともいえることであろうが、その感情の働きを誇張して伝えたところで
我侭なままである予想は簡単だと思う。
377319:04/06/26 14:48 ID:PuPtr++x
>>375,376 当然、この迷惑さは私です

>>371 現代思想はヒューイだと思う、ヒューム(1711-1776)は近代の人、だから古い話で帰って
 申し訳ないとは思うけど、道徳を信仰してしまう。その万能感との戦いが使命(糞)なんで...
>>374 首突っ込んでしまい、引っ込みがつかず...
378朝まで名無しさん:04/06/26 15:08 ID:AT8ScfuM
>>375->>376
やっぱり>>316否定していない。
>感情を元にすれば社会が良くなると言う主張には、幻想が含まれている。
だれもそんな事言っていない。
感情は社会が良くなる要素の一つであるが万能という様な表現はしていない。
>>316はただ端的に道徳と倫理を説明しただけ。
379319 :04/06/26 15:08 ID:PuPtr++x
>>376 少しでも、突っ込まれる前に訂正です。
>あなたの言う科学的/習慣的な[倫理]がどうしてつくられたかは、感情的な解釈と
>経験による蓄積以上の解説ができない。
 言い切ってしまっているのを訂正。
→ ...解説に多くの部分を求めている。理性について主眼が移ってない。
380朝まで名無しさん:04/06/26 15:13 ID:cS6PhMwU
美しい日本語を使うことが道徳か?
381朝まで名無しさん:04/06/26 15:27 ID:AT8ScfuM
>>379
>解説に多くの部分を求めている。理性について主眼が移ってない。

>>316にこう書いた
>身に付ける物では無く理解するか信じる物である。
理解ってのは理性の範疇じゃないのか?
感情的な解釈と経験による蓄積については道徳に対してのみ言っている。
382319 :04/06/26 15:31 ID:PuPtr++x
>>378 純粋に取り出した部分は、プロセスの一部でしょ?しかも前半部分の。
    つまりそれ以降どうにでも解釈できる。感情が大切でそれを守る規則が必要。
    それを求める方法は感情/共感任せ(要素の一つではなく、道徳の基点として
    描いていませんか?ヒュームに従うと引っ張られると思う、確かに社会的な存在
    であるとか、加えられている部分はあるが、私がプロセスを重要だと考えている
    人間であることを思い出して欲しい。私には非常に不足で偏ったように見える)

    そんな道徳を説く、大人を見て子どもはどう育つのか?と問うている。
    難癖つけていると理解してもらっていいけど、教育の話を振ってこられたので、
    教育に関わっている人であるなら、もっと考えて教えて欲しい。
383319 :04/06/26 17:24 ID:PuPtr++x
>>381
 知識が無くて申し訳ないが、道徳と倫理を分けているのってヒュームだっけ?
【倫理】 1)人倫のみち。実際道徳の規範となる原理。道徳。<< 2)倫理学の略。
 道徳と同義で使うのが一般的だと思うから。用語的関係はともかく...

 道徳/倫理 は、>>381 の説明によれば、並行的に存在することになるけど、
本当に無関係ではないでしょ?
 感情による矯正を元に社会性が育つ、その社会性を満足/守るための仕組みが倫理
であると、両者の関係をつなげることはまちがってないよね?後者に理性が入り込む
にしても。感情のラインは道徳の前半部分から倫理に伸びているよね?

>規範も教えられなければ知る事は出来ないと言う訳では無い
>身に付ける物では無く理解するか信じる物

 この両者は矛盾することができるはずだよね?
「自分の指にひっかっき傷をつけるくらいなら全世界を破壊した方がましだ、
と言う考え方は[理性]に反してはいない」(こんな理性の主張があったとして)
 それがちがうと言うのは感情だけだろうか?因果律(理性)は何も言えないのか?
「そんな馬鹿なことしたら殺されるよ(w(ダレニ?)。何の特にもならんし...」これは
感情ばかりが働いた?結果が予測できるからと見ることは不可能かな?因果律を
取り除き感情に全権渡したとヒュームの欠落を決め付ければ、>316 の道徳の定義は
揺らがない?
 倫理の説明でも、突然理性が並行的に出てくるよりも、道徳自体が感情の気まぐれ
で采配を振るっているが成長した結果と見るよりも、原因/過程/結果の因果律が育って
ある程度妥当な判断を共有できるようになるという機能が道徳自体にあれば、社会的に
そのすり合わせが行われて(衝突の結果)、社会的規範ができるとも考えられないか?
 感情によりすぎていると言うのは、感情のラインしか描かれていないと思うから。
384319 :04/06/26 18:23 ID:PuPtr++x
 ごまかしても良いが、恥ずかしい自己レス
>>377 ヒューイって誰だ? なんか新しい哲学者つくちゃったよ。デューイのこと
   言いたかったらしいが、デューイじゃヒュームに似てないし...
385朝まで名無しさん:04/06/26 19:21 ID:seBiVLbv
>>383
簡単に言うと道徳ってのは心情的に正しいと思える規範
倫理とは心情的に正しいとは思わないが普遍的に正しいと思える規範

>それがちがうと言うのは感情だけだろうか?因果律(理性)は何も言えないのか?
感情のみだとは言って無いが道徳に感情は絶対的に必要な要素だよ。
最後にたどり着く恐怖という帰結にたどり着かない様に理性的に考えることが道徳的な訳で
別に常に感情に突き動かされているという表現は>>316ではしていないと思うが。
386朝まで名無しさん:04/06/26 23:57 ID:PsuUn4TP
現代思想にモラルの代替も分析も不可能だろ。
検証不能なただの主張の蓄積だからな。
387朝まで名無しさん:04/06/27 00:07 ID:tIS6wnNV
>>341

> ところがその途中から、親も学校の先生も目上の人も自分自身もみな平等だ。という教育に
> 変質していく。この時期は、小学校高学年位かもしれない。
> そういう中で、子供達は軽いパニックになり、権利と義務の関係の内、自分に都合の良い
> 事だけを、学んでゆく。それがわが国の道徳の崩壊を招いているのだ。

大人になることに何の利点も見出せず、自ら大人になりたいという動機付けも持たないため
成長とともに少しずつ、同じ大人のように扱われることに不安と戸惑いを感じているわけさ。
強く自立を願うだけの、しっかりした動機をもっている児童は大人として扱われることを望む。



388319 (1/2):04/06/27 14:43 ID:6Fc1G0ZT
>>385 単に、分類したって言いたいわけだね。でもその分類も違う。
>道徳ってのは心情的に正しいと思える規範
>倫理とは心情的に正しいとは思わないが普遍的に正しいと思える[感情が?客観的証明できるでしょ]規範
 感情ってインスピレーション見たいに去来するわけでしょ。苦痛を感じるとかね。
それが良い感情を受け取る方法を経験する。悪い方は回避する。つまり経験に無いことは道徳には、
気分以外の決定方法が無いよね? そこで、経験できない概念的な規範を倫理ってことにする。

 道徳は、倫理の正しさを直接感じ得ない。
>倫理観は教えてもらうか調査等をしないと解らない。>身に付ける物では無く理解するか信じる物である
 社会的で高度に概念的な規範が倫理だと思うけど、これを一番最初に教えた人は誰?
科学的調査?一神教的教義?それは誰が作ったの?理性なら何の問題も無く辿り着くご都合主義?
>感情的な解釈と経験による蓄積については道徳に対してのみ言っている
 感情/経験ではない。道徳には理解不能だからね。
>個人が道徳心を身に付ける為に他人の尊厳を犯さない限り自由な試行錯誤を保証する為の規範が倫理
 理性は科学的に正しいことを提案。「過剰人口を減らすため犯罪者的特定民族を排除せよ」
しかし、それは尊厳を犯す。尊厳を犯す/犯さないとの判断は誰が下す?何が下す?選挙?投票者は
感情で判断するの?尊厳を犯すかどうかの判断は、科学がおこなうはずだ。
[>道徳は倫理を理解できない。<] 科学的データか、教化されて受け入れるしかない。
[>感情的な解釈と経験による蓄積については道徳に対してのみ言っている<]
 これだと心情的にも批判できないが、心情的に批判することになるだろう。
(感情のラインがつながっているように、読み直してしまうのはそのため。こっちで勝手に読むわけだけど)
389319 (2/2):04/06/27 14:44 ID:6Fc1G0ZT
 ヒュームが袋小路に迷い込んだ時と、同じ出発点のせいなのが一つ。
 後半の展開の間違いは、倫理が外部から与えられるだけの物になっている点。あなたは、
法律等の規範が何故できたか考えずに、受け入れる他ない。
>>理性は科学的に正しいことを提案 -> 尊厳を犯すかどうかの判断は、科学がおこなうはずだ。
>>道徳は倫理を理解できない。科学的データか、教化されて受け入れるしかない。
「倫理は科学的だから誰かがうまく作ってくれる。だからそれを、科学的データの提示と共に
信じるだけだ」 これでは、教育にならない。

 私達は、法律を聞いて経験的でないから分からないとは思わない。殺したらどうなるか、
客観的に経過を想像できる。(客観性/普遍性を高めるためには、考える元となる経験が
重要だろうけど。心情的な配慮もあるけど、決めているのは理性でしょ?良心とい出だすと
詭弁に聞こえるけど、感情的/経験的だけでなく十分高度に理性的でもあるってこと)
 私達は倫理の正しさを、知的に考えて理解できる。なぜか?原因と結果として外部のことを
受け入れるとき、関係性や予測される結果を認識して概念的に処理できるから。そういう知識を
扱う能力が備わっているから。感情しか判断を下さないわけじゃない。
 そういった個人の持つ概念的な正しさを、特定の地域なりでつき合わせて共有可能なものに
したから、その範囲内において普遍的と言えるわけでしょ?それが、明文化されれば法律、
口頭や慣習に定着すれば道徳(一般用語)でしょ?ま、これは私なりの説明だけど。
 自我を通したいから粘着してるんじゃないよ、哲学的に考えてくれた人がいて、その軌跡を
なぞる、ある程度確からしい流れがあるからだよ。
390朝まで名無しさん:04/06/27 15:22 ID:tIS6wnNV

個人がその行動にある程度の一貫した基準、価値観をもっていることが前提で、
それを各々つき合わせて同意できる部分を作り出し、それに拘束されることを承認しているのだから、
その同意している、共有している、ある程度の一貫した基準、価値観が個人のそれと微妙にずれるのは仕方がない。

個人は倫理の正しさを、知的に考えて「理解できるかもしれない」、多数者の価値観が倫理の確立に
より大きな影響を与えるようなしくみが機能しているなら、「理解できる場合が多い」
しかし理解できようができまいが、強制なので周囲としては嫌でも受け入れさせようとすることになる。

> 社会的で高度に概念的な規範が倫理だと思うけど、これを一番最初に教えた人は誰?
古すぎて誰も覚えちゃいない。
391319:04/06/27 18:05 ID:6Fc1G0ZT
>>390 マジで?
 規範を社会が共有していく過程が問題なんだよ。なぜか?
 それが道徳(一般用語)が形作られる過程だから。
 感情がいくら経験つんで、成長してもその規範を社会と共有しなくちゃ、ほんとに正しいか?
>281 には個人の差異の問題も書いてあったな。以心伝心/共感で全域に共通認識が広がる、
均一な情緒しかない世界ならうまくいくかもしれない。

 倫理って社会的に認められた規範だよね?道徳(一般用語)の要はそれなんだよ。
 私的な感情が獲得した規則でも良いが、それを共有できると確認/推論の過程を
もてるとき道徳(一般用語)が働いているんだろ。

>> 社会的で高度に概念的な規範が倫理だと思うけど、これを一番最初に教えた人は誰?
>古すぎて誰も覚えちゃいない
 最新の科学的倫理を与えてくれた人物を教えてくれる?..... 誰がって言うのは擬人的に
言ってるだけでしょ。「何が」だよ。どんな原理が社会的な合意を作ってるの?
 規則を感じたときじゃない、規則を共有した時 = 社会性を持った時。
 あと誰かが、倫理を作ったってのは答え難いでしょ?合意だから、サインした人や、原案
出した人はいるかも知れんけど(口頭/習慣だともっと無理)、誰とは特定しない/できないのが普通...

 科学的な理由に無批判に従うんじゃなくて、あらゆる経験/学習から皆が持っている判断の規準がある。
それは以前は経験にたよっていて、科学的な説明がつきにくいものだったりしたかもしれないが、
経験の中の合理性から、人々が共有していたんだと思う。(信仰的理由もあったろうけど)
 自然の因果律を深く知っていた人たちは、山の木を守ることは海の環境を守ることと知っていたし、
森林の貯水機能を理解して灌漑の工事の規模を割り出した。深い自然への洞察と、その経験と
深い理解を共有できたが、そのうち形骸化。こうしていれば良いらしいって伝承になり、
理由を失って「押付け」になるんでしょ?
 倫理を「押し付け」としか考えられなかったからって、科学的で理由付けするのは安易でしょ。
倫理は皆が考え出せるんだけど、共有する過程が大変なんだよ。
392朝まで名無しさん:04/06/27 18:57 ID:tIS6wnNV
>>391

すまんが、何がいいたいのかさっぱり理解できない。
393朝まで名無しさん:04/06/27 21:18 ID:/g3nEWFI
>>391
>>346読んだ?

「個人の自由には自由にならない社会的前提が存在する」という認識は
社会学の学問常識であるが現代の社会システム理論の水準では稚拙すぎます。
初めに規則ありきといった考えは二千年前にイエスによって否定されています。
ユダヤ教では戒律を守った人間が者達が救われます。
しかし食うや食わずでその日暮らしをする人間に戒律を守る余裕はありません。
戒律を守れる人間は初めから救われている人間に限られてしまいます。
もし神が全能ならば予め救われる人間だけ救うという事はあり得えません

社会システム理論では自由を認めれば秩序はなり立たないと言った考えを
自由と秩序のゼロサム理論と言って徹底的に否定します。
要は秩序が信頼可能である程人々は自由に振る舞え
人々が自由である程結果的に得られた秩序は信頼可能だと言う事です。
こうした批判はデュルケルムや経験論哲学者ヒュームにもあります。
戦後教育が自由を重視しすぎたから教育現場も社会もむちゃくちゃになったと言うウヨ厨的な考えや
子供は判断力がないから保護されるべきといったサヨ厨的な考えは
社会科学的無教養として笑ってやりましょう。
394朝まで名無しさん:04/06/27 21:27 ID:VLAPZd0S
代議士制度と言うのがあるけど、これは自分達とおなじ倫理道徳をもった人を代理人として国政を担ってもらうということで、
選ばれた代議士が得た国家権力で選んだ人々の倫理道徳を変えるということは憲法で禁止されているのでしょうか?

もし禁止されていなかったら、>>393のシステム理論を形成する倫理道徳(公理か定義)
はその理論を支持するひとの間でしか通用しない理論である。

笑えないね、ほんと。
395朝まで名無しさん:04/06/27 21:30 ID:/g3nEWFI
>>391
>感情がいくら経験つんで、成長してもその規範を社会と共有しなくちゃ、ほんとに正しいか?
道徳が普遍的に正しいと言う考えが間違い。
道徳主義者ってのは自分が心情的に正しいと思った規範を普遍的に正しいと信じ
他人に押し付ける人間のこと。

ヒュームは人間は愚かで、不寛容なので、相互性を守らない。
従って、相互性を作り出す機関が必要不可欠となり、
それが国家(等)となると言っています。
396朝まで名無しさん:04/06/27 21:39 ID:/g3nEWFI
>>394
>倫理道徳を変えるということは憲法で禁止されているのでしょうか?
道徳に対しては禁止されています。
倫理に対しては笑えないです。
旧ワイマール共和国の様にならない為には民度を常に上げていく必要があります。
397朝まで名無しさん:04/06/27 21:48 ID:wrwrCnc9
いやだね哲学厨は。なんでアナニー野郎ばっかなの?
398朝まで名無しさん:04/06/27 21:57 ID:tIS6wnNV
>>395
国家によって作られた相互に受け入れるべき規範を押し付けるのはOKなんだよね?
399朝まで名無しさん:04/06/27 22:03 ID:VLAPZd0S
>>397
昔さ、おれアナーキーががってたから肛門愛の話をしたら、周りの奴興奮してそっち逝っちゃった。
生理的嫌悪感を引き出して反発するはずなのに。
潜在的欲求が高かったんだね。

俺の話なんかで世の中変わるわけ無いけど、ちょっと苦い思い出。
しかしこれも自分の意識が話すことによってその事象に集中し、大げさに捕らえているだけだと最近思うようにしている。
400朝まで名無しさん:04/06/28 08:23 ID:b4GIoeND
昨日EZTVでアメリカでの凶悪犯罪を犯した少年の更生プログラムについて
やっていいたが、日本では体系的な更正プログラムは無いそうで、
こういったことを丹念に構築するだけでも、大きく社会の利益になると思う。
401朝まで名無しさん:04/06/28 20:40 ID:b4GIoeND
でもさあ、なにかしら国家的あるいは社会の多くの人たちが参画して
モラル、ひいては子供らの心の問題に対処しないといかんべ。
402朝まで名無しさん:04/06/28 21:05 ID:5jrcfvXT
>>399
訂正すまそ 肛門愛⇒肛門的愛 あの幼児が始めに覚える自己愛のひとつって言う奴。
       パンパースの登場で科学的根拠が薄れてきた奴。

       俺同性愛者じゃないし一応SM趣味も無いから、あしからず。
403朝まで名無しさん:04/06/28 21:09 ID:JjlgXE/G
>>401
何も対処しないのが一番の対処とか言い出すあんぽんたんがいらっしゃるのです。
404朝まで名無しさん:04/06/28 22:03 ID:ms3z2ePb
>>403
そうそう馬鹿がうつる
405朝まで名無しさん:04/06/28 22:22 ID:5jrcfvXT
>>404
竹林の仙人でいらっしゃる。まだ霞だけでは生きて行けなくて主食はたけのこと竹の皮と見た。
406朝まで名無しさん:04/06/28 22:36 ID:JjlgXE/G
竹林に隠れるのは賢者であって仙人ではありません。
407朝まで名無しさん:04/06/29 22:27 ID:rV1OeRip
笹を食べるのはパンダです。たけのこを食べるかどうかは謎。
竹林に住んでいるようですが。
408朝まで名無しさん:04/06/29 22:31 ID:faykAIuh
パンダはネズミも食べます。
409朝まで名無しさん:04/06/29 22:44 ID:rV1OeRip
パンダはネズミは食べません。
410朝まで名無しさん:04/06/29 22:50 ID:GMkwDING
パンダは雑食なんで小動物も食べます。
ttp://www.panda-panda.com/gekkan/mame/panda.html
●食べる物(野生のパンダ)
笹の葉、竹、竹の子、リンドウ、クロッカス、小形の鳥、ネズミ類
411朝まで名無しさん:04/06/29 23:03 ID:rV1OeRip
パンダの食べる竹の種類は限られている。
よって絶滅の危機にあり、WWWより保護種として指定されている。
もし雑食であれば、この事実は起こり得ない。
よってパンダはネズミを食べない。
412朝まで名無しさん:04/06/29 23:05 ID:rV1OeRip
この二律背反をどう説明すると良いのでしょうか
413朝まで名無しさん:04/06/29 23:14 ID:YdwUGw+t
佐世保事件といい、大人を震撼させる若年層の殺人が世間を賑わせと
るね。まあ、個人主義がこれほどまでに一般化した社会のなかならで
はの事件だと思うんね。前向きに事件の再発を抑止する対策をこうじ
るなら、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問い掛けを大人も
子供も再確認或いは無意識的にも経験しなければならんと思うね。日
本はバブルの膨張期に最大の個の権利を享受できたと思うけど、いま
や不況から再興の真っただ中で、個人を認めながらも回りの共同体の
一体感の必要性を再認識しつつあるみたいね。自警団だか公共地域や
共同所有地や物だか、率先して周りが集合体を作るようになってきた
。ひきこもりのような、個の自由の最高潮ともいうべき立場と、一共
同体の一員である場合の他との関係性を比較して考えると、ひきこも
りの場合にその個人に課せられる拘束性というものが他のそれと違っ
ていることが解る。今回の佐世保事件の少女が、そのバーチャル的な
世界の独創的な決まりのなかに没頭したことで、他との、共同体であ
る社会との接点をなくしかけた、或いは今までに経験的に感じられな
かったことが、一時の衝動的な怒りや嫉妬、怨念と重なって、それを
抑止できずに行動できてしまったことが、根本的にそれを物語ってい
る。抑止するものはなにか。今、社会の一員として、大人も子供も身
を投じなければならない共同体というものを再構築して参加させるこ
とが必要な時期なんね。分別のつかない幼児や幼児のような大人、社
会に馴染めない人に、「人を殺すと祟りがある」とか「地獄に落ちる
」ということを叩き込まないといけないんだな。このときの祟りや地
獄を作り出すものは当然その共同社会であって、その運営を効率化さ
せるために法律の刑罰や世間の目が何よりあるということね。我輩的
に、子供教育のなかで道徳を説く際には、その共同社会性を噛み砕い
て感じさせるために、昔ながらの迷信や怖い話を利用する価値は大き
いと思う。また、大人の場合は、ひきこもって宙に浮いたような存在
にならないでいいように、地に降りた社会参加を促す必要があるのだ
ろと思う(´・ω・`)昔、何人か殺した死刑囚で「無知の涙」って書いた人おったやん。あの無知と、今回の佐世保の女の子の無知とは同義だと思った。
414朝まで名無しさん:04/06/29 23:22 ID:YdwUGw+t
age
415朝まで名無しさん:04/06/29 23:25 ID:0aG2U6aT
あのさ
ありがとうとすいませんがちゃんといえる大人が増えれば
変わると思う
いいわけばかりの世の中になっちゃった
416朝まで名無しさん:04/06/29 23:27 ID:rV1OeRip
人間はは論理に基づいて行動せざる得ない。
その論理とは経験でしか得られない。

これでは皆無知の涙を流すしかないね、戦争万歳。
417朝まで名無しさん:04/06/29 23:34 ID:rV1OeRip
パンダの食性については、今は謎であるが、人類にとって必要であれば科学的な研究が
行われるだけの資本と労力がつぎ込まれ、物理に基づく理論で解明されるであろう。
謎のままがいい、自然の摂理は犯すべきでないと言う人は、たとえ真実を知っていても謎であるというであろう。
418朝まで名無しさん:04/06/29 23:39 ID:rV1OeRip
人の認知とはパラドキシカルなのである。
常に二律背反が成立し、一方を意識していないだけなのである。
そして意識できない方を制御できれば、自意識を自覚の無いままに操作できるのである。
419朝まで名無しさん:04/06/30 00:10 ID:dbs0vt6Y
>>413
アホクサ(w
>>316で完全論破だ。
420朝まで名無しさん:04/06/30 00:16 ID:dbs0vt6Y
『チャット依存症候群』(教育史料出版会)解説+近況
ttp://www.miyadai.com/message/?msg_date=20030615
【帰属処理の類型学】
■物事がうまく行かないとき、周囲が悪いと考える仕方と、自分が悪いと考える仕方とが
ある。さらに周囲が悪いという場合にも、だから周囲を作り直せばいいという場合と、ど
こかに「いい周囲」を見つけて立て籠もればいいという場合とがある。
■言い換えると、システムと環境とがフィットしないとき、第一に、環境を作り変えると
いう意味で「環境を『変える』」仕方と、第二に、別の環境を探し当てて閉じ籠るという
意味で「環境を『替える』」仕方と、第三に「システム(自分)を変える」仕方とがある。
■これらの違いは、例えば、生きづらさを抱えた人々が宗教教団に入る場合に、その教団
が提供できる方法の違いに相当する。すなわち、「革命」や「世直し」を提供する、「出
家」や「世捨て」を提供する、「修行」や「自己修養」を提供する、という違いだ。
■一般に、「物の豊かさ」が達成され、そこから先何が幸いなのかが人それぞれに分岐す
る「近代成熟期」が到来すると、自分の不幸を「世直し」みたいに社会の全体を変えるこ
とで撲滅できるという感覚が後退し、代わりに「世捨て」や「修行」が前面に出て来る。
■ちなみに「自傷」という行為は、自分のコンディションを変えるという意味で、「シス
テム(自分)を変える」ことに相当する。「依存」という行為は、薬物にしろ嗜癖にしろ、
「環境を変える」のではなく、代わりに「環境を替えて」閉じ籠ることに相当する。
■日本でもどこの国でも、成熟社会化に伴って「物の豊かさ」が達成されると、少年の犯
罪や若者の革命行動が減少していく代わりに、自傷が増え、依存や嗜癖が増えてくる。こ
れは「環境(社会)を変え」てもどうにもならないという「閉塞感」に由来している。

421朝まで名無しさん:04/06/30 00:26 ID:HFLf8DtO
>>413
佐世保事件は発達障害が疑われるとの話もある。
だとしたら、レアケースながら、そちらのケアシステムの
問題だろうが、だからといって我が国の背骨たる精神的な主柱とは
なにかを考えなくていいという事じゃないだろうね。
422朝まで名無しさん:04/06/30 02:10 ID:of989XJc
アスベルガー症候群とか呼ばれる人たちは話が通じない人が沢山いることは知っているのだと思う。
何故かについて考えない、考える努力をしないでほかの事を考えようとするからそうなるのでは、
感情や意欲の部分でわけがわからなくなっているのだと思う。
抑圧とか恐怖ではなくて。
423朝まで名無しさん:04/06/30 10:53 ID:RW21WEJx
>>419 完全論破って言ってることが倒錯ぎみだなおまえは。
    おまえ中学生なみの脳みそか中学生だね。
424朝まで名無しさん:04/06/30 10:56 ID:RW21WEJx
>>423同意 漏れには>>413がなんらあほくさく思わないよ。
425朝まで名無しさん:04/07/01 18:55 ID:B9vPwEXZ
>>422
行為障害や境界性人格障害が最近の凶悪犯罪を引き起こす主な原因なのに
発達障害やアスベルガー症候群、サイコパスが話題に昇るのは何故だろう?

>何故かについて考えない、考える努力をしないでほかの事を考えようとするからそうなるのでは、
どちらかというと親が自分の常識を押し付けて考えさせない所に問題があるのは少し調べれば
簡単に解ると思うのだがなぜ調べもせずに自分の主観だけで書き込みをするのだろうか?
何故かについて考えない、考える努力をしない以前に調べてみようと言う意欲が湧かないのは何故だろうか?
426朝まで名無しさん:04/07/01 18:58 ID:+BLsxfR6
>>423-424
ギャハハハハハハハハ
IDが同じRW21WEJxだ(w
こんな自作自演丸出しな厨房はひさしぶりに見た(w
427朝まで名無しさん:04/07/01 19:03 ID:wQ70o8rg
>425
ボーダーとアスペルガー、サイコパスの間の厳密な区別ができるんでしょうか?
定義としてはあると思いますが、ある人が厳密にどれにあたるか判別するすべはないんじゃないですか?
ハード的な問題とソフト的な問題と考えられてるのかもしれませんが、人間の場合はハードソフトが相互に影響しあい不可分にあると思います。
どうなんでしょう?
428朝まで名無しさん:04/07/01 19:15 ID:yaJ6PbB5
>>427
> ボーダーとアスペルガー、サイコパスの間の厳密な区別ができるんでしょうか?
もちろんできません。
ただ原因を周囲からの抑圧と言う事に絞ればアスペルガー、サイコパスは
該当しないのでは?
429朝まで名無しさん:04/07/01 19:19 ID:6IQef7Ip
>>425
ご指摘ありがとうございます。主観だけでは自分の考えが正しいかどうかわからないため書き込んでみるわけです。
親だけでなく、教育者や友達、塾の先生なども含まれると思います。
意欲が無いのは無駄で余計な労力と思うか、邪魔だと思っているのでは。
欲求が形成される過程で抜けてしまったのでしょう。
430朝まで名無しさん:04/07/01 19:32 ID:yaJ6PbB5
しかし>>413は本当に酷い決めつけだな。
個人主義と言えば相互扶助は外す事の出来ない重要な要素だが
こいつは利己主義と区別がついていないらしい。
431朝まで名無しさん:04/07/01 21:08 ID:ESxXUD6z
人格障害や行為障害あるいは統合失調症が、
はたして発達途中の児童で認定できるかどうかが問題だろうな。

だからこそ、アスペルガー等の発達障害が疑われているのだろう。
といっても医療がまだまだ人の脳を理解しきれているかと言えば、
ぜんぜんそうではなしい、アスペルガーも発生頻度やそれを分母として
どの程度が凶悪犯罪の範疇の行為まで行っているかの統計は皆無だろう。

まだまだいろんな意味で、これから対処しなければならない問題だと思う。
432朝まで名無しさん:04/07/01 21:29 ID:6IQef7Ip
精神病は治らない。
しかし発達途中の子供は直る可能性がある。
だから同じ症例でも呼び名を変えるというのが真相では。

話が変わるけど>>413の考えも理解できるのだよね。何か基準がないと。

で法律なんだけと、

憲法に出てくる自由っておかしいと思う。自己責任論で思った。
全て権利に改めるべだと。
職業選択の自由でなくて権利だろう、そして勤労の義務。
良心の自由でなくて良心に従う権利、そして順法の義務。

法律で自由と言うと厄介なことには関わりません、民事不介入みたいで無責任だ。

だからよりどころを求めて>>413みたいな感情がでできてオウムみたいなカルトが出来てしまう。
憲法改正の時考えてほしいですね、自由をなくして権利とすることを。
433朝まで名無しさん:04/07/01 21:46 ID:ESxXUD6z
>>432
> 精神病は治らない。

ヲイヲイ、鬱は普通に治るでしょ。
その他の精神病も投薬などで、治るものがほとんどでしょ。
つか、治らんもんてあったか?

知的障害はさすがになおらん。
アスペルガーも先天的な疾患なので、基本的には治らん。

434朝まで名無しさん:04/07/01 21:53 ID:6IQef7Ip
>>433
一般常識として治らないと思われているっぽいので、その偏見を除く為の方便だと思った。
機能障害は確かに治らない、アスベルガーが先天的とされているのは知らなかった、
と言うことは後は遺伝するかどうかが研究対象なわけですね。
だから親ということになる。

435朝まで名無しさん:04/07/02 01:20 ID:MA/Ig57D
>>432
> 精神病は治らない。
人格障害と精神病は別物。

境界性人格障害とは?

 気分、対人関係、自己像の全般的な不安定さが著しく、成人期早期に始まる人格障害で、女性に多くみられる。
対人関係が不安定で、対人操作で他者を巻き込み、トラブルメーカーとなりやすいため、
家庭や職場などで問題が生じることが多い。
 幼小児期に親から虐待されたり、過保護・過干渉、あるいは感情的拒絶を受けた子供が思春期以降になってなりやすい。
 
a)不安定な対人関係:過剰な理想化と過小評価との両極端を揺れ動く。
b)衝動のコントロールが悪い:自傷行為、薬物乱用、過食、万引きなどの問題行動。
c)感情が不安定:抑うつ、不安・焦燥感、不適切な怒り。
d)慢性的な空虚感、退屈感、見捨てられ不安、孤独に耐えられない。
 
境界性人格障害は治るのか?

 アメリカでの報告によれば、入院した境界性人格障害の患者さんの3分の2は
30代と40代になって良好ないし回復したと見なされている。
経過の良かった患者さんのグループは、好ましさ、率直さ、忍耐強さ、魅力的、才能がある、知的に高い、
強迫的傾向があるという特徴を認めている。
反対に、経過の悪かった患者さんのグループの特徴は、怒りやすく感情的に不安定、
物質依存(アルコール、薬物など)の持続、社会的問題(浪費、ギャンブル、性的逸脱行為、摂食障害など)、
幼小児期に親からの虐待歴がある人が多くいた。約9%の患者さんが自殺をしていた。

436朝まで名無しさん:04/07/02 01:22 ID:sGX55atX
病は、治る場合も治らない場合もある。
437朝まで名無しさん:04/07/02 01:29 ID:LM/ONiZ/
>>432
基本的人権とセットで義務という発想が出てくるあたり、
日本は法意識の教育に失敗してると思うな。
やはり欽定憲法と大陸法の精神が尾を引いてるのだろう。
438朝まで名無しさん:04/07/02 01:32 ID:sGX55atX
>>437
誰しも他人の基本的人権を守る義務を負っている。米軍製の憲法によればな。
439朝まで名無しさん:04/07/02 01:35 ID:MA/Ig57D
>>432
自由=無責任という発想がイタイね。
自由=責任が生じるものだがその自覚が無いなんて・・・・
440GUU:04/07/02 01:36 ID:3fMGhrfH

病を治さない場合も治らないとした方が良い場合もある。
病院経営者の弁…
441朝まで名無しさん:04/07/02 01:39 ID:LM/ONiZ/
toとfromの問題なのだよ。
憲法は誰が、誰宛に書いたものなのか。
そこが本質だ。
442朝まで名無しさん:04/07/02 01:47 ID:lclKDdtC
>>439
責任の自覚が無いのが国民でなくて、日本国憲法なのですよ、よく考えてみると。
憲法が無責任だから、どうにでも解釈できて、違憲のグレー法律が出来上がってくる。
当然国民も無責任になる。

憲法以外で自由を使っている日本の法律を私は知らない。
443朝まで名無しさん:04/07/02 01:53 ID:sGX55atX
>>441
誰かが、国民と政府の間の約束事として、国民と政府に向けて書いたものだ。

まさか、国民から政府への命令だとか言い出すんじゃないだろうな。
444朝まで名無しさん:04/07/02 01:57 ID:lclKDdtC
>>437
基本的人権てよく聞くんですけど、日本の法律で施行されたのは何時なんでしょうか?
それとも国際法で人権宣言とかあってその条約に批准したのでしょうか。
それともルソーとかの社会契約説みたいに法律を作るときの基本コンセプトなんでしょうか?
ひょつとして弁護士さんだけの法律だったりして、公務員とか政治家は守らなくても日本国のほうりつには罰則なかったりして。
445朝まで名無しさん:04/07/02 01:58 ID:LM/ONiZ/
国民(個人)の行為に違憲はありえない(違法・不法はあっても)が、
国や公共団体や公務員の行為は合憲・違憲を問われる。

その点からも憲法の宛先は明らかだね。
446朝まで名無しさん:04/07/02 02:00 ID:sGX55atX
>>444
法律を作るときの基準だよ。でも明文化されてないからその内容はボクにもよくわかんない。
447朝まで名無しさん:04/07/02 02:02 ID:sGX55atX
>>445
念を押すが、ほんとうにありえないのかね?
448朝まで名無しさん:04/07/02 02:19 ID:LM/ONiZ/
>>447
ありえんね。違憲判決を食らった私人が一人でもいたら教えてほしい(w
449朝まで名無しさん:04/07/02 02:30 ID:sGX55atX
>>448
憲法が保障する他人の権利を明白に侵害しているのに、法律の不備によって罰せられることのない場合は
適法であり、「かつ憲法に反してもいない」、と。
450朝まで名無しさん:04/07/02 02:34 ID:LM/ONiZ/
>>449
何が言いたいのかよくわからんが・・・。

原則としては権利を侵害された側が訴えないといけないんだよ。
訴えがあれば、司法は必ず白黒つけないかん。
451朝まで名無しさん:04/07/02 02:40 ID:sGX55atX
>>450
白黒つけるための法律が無い場合のことを教えてくださいませんか、ひとつ。
452朝まで名無しさん:04/07/02 02:51 ID:LM/ONiZ/
一般論で言えば、白黒つける法律が無い場合は、
当の問題(例えば権利の侵害)そのものが存在しないってことになるが。
453朝まで名無しさん:04/07/02 02:53 ID:sGX55atX
>>452
問題が存在しないなら、白黒つけるための法律を作る必要はないですね。
454朝まで名無しさん:04/07/02 02:54 ID:LM/ONiZ/
何の話してるのかわからんが。
455朝まで名無しさん:04/07/02 02:58 ID:sGX55atX
憲法っていったい何だろうって話じゃないの?
456朝まで名無しさん:04/07/02 03:01 ID:lclKDdtC
自由とは空気である。
空気は自由である。
しかし有料のときもあるし、不足するときもある。
憲法はこれとは関係ない。
457朝まで名無しさん:04/07/02 03:02 ID:LM/ONiZ/
スレ違いなのでこのへんで・・・
458朝まで名無しさん:04/07/02 03:05 ID:sGX55atX
おつかれさまでした。わたしも寝ます。
459朝まで名無しさん:04/07/02 21:16 ID:UrJf2cnU
国家の体制、国家のあり方を定めたものが憲法です。
国家権力の在り方、意思決定の為され方、国民に対して行使されうる権力の限界、
国家と国民との関わりについてなどのとりきめです。
これは、わが国はこのように国家を運営するのだという、国全体としての意思表示であり、
このように運営される限り国民は政府の用いる権力を正当なものとして受け入れるという証であり、
このように運営される為に国民は不断の努力によって公権力を維持・制御するという表明です。
460朝まで名無しさん:04/07/02 21:42 ID:UrJf2cnU
>>413
>今回の佐世保事件の少女が、そのバーチャル的な
>世界の独創的な決まりのなかに没頭したことで、他との、共同体であ
>る社会との接点をなくしかけた、或いは今までに経験的に感じられな
>かったことが、一時の衝動的な怒りや嫉妬、怨念と重なって、それを
>抑止できずに行動できてしまったことが、根本的にそれを物語っている。

的を得ている様で外れている。
共同体である社会との接点をなくしかける場面は双方向的なコミュニケーションである
インターネットより学校の方が多い。
学校は常に教師から生徒への一方的なコミュニケーションが行われ
子供同士でも逃げ場が無い為に力関係による同調圧力が非常に強く
一方的なコミュニケーションになってしまう。
ネバダの場合バスケット部という共同体から外されてから人を威嚇する様な徴候が出てきている。

>昔ながらの迷信や怖い話を利用する価値は大きいと思う。
この価値は明らかに無い。
>>233のセサミストリートの方が遥かに価値がある。
461朝まで名無しさん:04/07/02 21:46 ID:zFrEdZg0
「若者言葉が乱れている」と騒がれるようになって、もう10年。
ボチボチ沈静化の方向へ向かっていると思う。沈静化というより 「誰も驚かなくなった」という方が正しいのかもしれないけど。 「全然」を肯定の時に使うのも、実際問題、話し言葉の中でだったら、
相手に伝わればいいわけで、たしかに仲間内で使う分には問題はない。
でも、文章に書いたり公の場で話す時はやっぱりマズイわけで、
そういったことの積み重ねで、普段は饒舌なおもしろい若者が、
ちょっと場面が変わっただけで言葉が出なくなってしまう、
という現象が起きているらしい。
ttp://www.avanti-web.com/pastdata/20021019.html

村上龍の希望の国のエクソダスにも興味深い事が書いてあった。
「そのフリースクールの生徒たちと会ったとき、非常に驚いたことがあるんです。
それは彼らのボキャブラリーというか、
使う言葉の豊穣さと彼らが非常に言葉を慎重に選んで話すということなんです。
(中略、同年齢の一般の生徒たちの場合は)だっせー、とか、うざってー、とか
そういう常套句でしか連中は喋れないんです。
若者言葉がどうのというより、表象能力がない。ボキャブラリーが極度に貧困なんです。
考えてみれば当たり前ですよ。学校に行ってれば簡単なんです。
サバイバルする必要もないし、マスコミとかテレビでもてはやす若者言葉というのを喋ってさえいれば、
少なくともアイデンティティの危機はないわけです。
462朝まで名無しさん:04/07/02 21:50 ID:wAmYXBck
イラク戦争みたいな不法戦争を支持する人間が首相をやっているうちは
道徳なんて回復されません
463朝まで名無しさん:04/07/02 22:52 ID:w8PCdpmt
マジメに犯罪を積み重ねている 「岡田氏」 が首相だったら、道徳は…
464朝まで名無しさん:04/07/03 10:35 ID:tAquWMAV
やっぱりね、他の国みたいにある程度の伝統宗教を各派まんべんなくあつかった
倫理の授業なり教育システムは取り入れるべきだよ。
465朝まで名無しさん:04/07/03 18:39 ID:R9Exg6yj
憲法を始めとする法律は倫理道徳となり得ないからね。
今の政府は倫理道徳を資源にして成り立つてるようなものだから、需要が最近増してるね。
466朝まで名無しさん:04/07/03 18:51 ID:R9Exg6yj
>>465
いや、正しくは燃料切れを起こしかけている。
竹島奪還して油を入れたら代わりになるのかな?
467朝まで名無しさん:04/07/03 18:58 ID:SWI5ygHe
他人に道徳を要求する人ほど自分は道徳的な行動をしていない。
468朝まで名無しさん:04/07/03 19:37 ID:AY7TAr6Y
>>460
確かに。
教師が全体主義的な指導方法で規則を一方的に押しつけるという点も問題だが、それ以上に深刻なのは、
生徒同士で目立った人間を潰すという傾向にあることだと思う。
実際子供は行動する際、先生の目よりもクラスの友達の目を過度に気にするでしょう。
同世代の人間が一日中同じ教室で生活するという点が大きな問題だと思う。
バンドだったりスポーツクラブだったり現代は共同体が地域に縛られなくなっただけで消失した訳じゃ無い。
問題は学校が子供に対して共同体に所属する事を勉強の邪魔になると言う理由で 禁じている事。
469朝まで名無しさん:04/07/03 20:30 ID:MraeV6LI
日本人に足りないものは道徳や倫理じゃないよ。
それらは昔も今も高品質だろう。
足りないのは前向きに生きるための動機になるようなものだろうね。
おそらくヒントを探そうとして、こんな所に嵌って、
ますます落ち込んでいる奴が多いだろう。
情報ってのは夢をつぶすと思う。
470朝まで名無しさん:04/07/03 22:18 ID:usbvaDhF
>>467
そりゃ、個別の話でしょ。
道徳っていうのは社会共通の哲学だ。
471朝まで名無しさん:04/07/03 22:21 ID:pfREuQXN
2浪して慶応大学に潜りこんで3留が確実視されているときに
湘南で同じ大学の女子学生をレイプして訴えられ逮捕されて、
捜査員に「オレの親父は防衛庁長官だ早く連絡しろ」と叫び、ウ
ヤムヤのまま釈放されて直ぐ英語も全くできないのにロンドン
へ留学と称して逃亡し、議員になってからも親しかった芸者の
小はんをセックスの最中サディスティックな首締めプレイが勢
いあまって絞殺してしまい、自殺として隠蔽したレイプ魔サデ
ィスト殺人犯の小泉純一郎が史上最低最悪の日本国首相です。

リーゼント頭で、スーパーフリーの元祖みたいなチンピラ学生
だった小泉純一郎。何にも勉強しない頭の悪さは今も同じだ。

472朝まで名無しさん:04/07/03 22:28 ID:tljTqOeZ
選挙だな。
473朝まで名無しさん:04/07/03 22:29 ID:o1KLAQYY
>イラク戦争みたいな不法戦争を支持する人間が首相をやっているうちは
>道徳なんて回復されません

 言葉の上だけ誤魔化して、真摯な態度で相手を説得しようという誠実さ
 に欠ける言動・態度って、どこかで真似されると思う。

 劇場型の政治家はもう飽きた。
 実直な政治家に戻ってきて欲しいよ。

474朝まで名無しさん:04/07/03 23:35 ID:R9Exg6yj
最近のマイブームは2chの朝鮮ねたの文章で朝鮮→日本官僚と置き換えしてレトリックを読み取ること。(民間を日本とするのが決まり)
基本的に同族嫌悪なんだよ、そして嫌だという否定衝動を引き起こしている願望を考えてみる。なんて偉そうな事は嘘だけど、面白いよやってみて。
例)一部右翼の韓国嫌いは正統性が無い→一部右翼の官僚嫌いは正統性が無い。
  チョンは日本から出てゆけ    →(天下り)官僚は民間から出でゆけ。
  経済制裁で金体制を倒そう    →経済制裁で社民官僚体制を倒そう。

イメージと妄想が膨らみませんか?
475朝まで名無しさん:04/07/04 03:01 ID:TLT7efdX
>>470
そりゃ倫理
476朝まで名無しさん:04/07/04 14:27 ID:fuPVTYAN
欲求や願望は実は道徳観や倫理観からはせいしてくるものなのだね。
社会に対して食欲や睡眠しか求めない人はそういう道徳観を持っている。
地位名誉を求める人はそういう道徳観でこうあるべきと言う。
これらに序列をつけてひとつの道徳観に誘導しようとすることは可能なんだろうか?
477朝まで名無しさん:04/07/04 17:58 ID:fuPVTYAN
立身出世を望み一族の家長になる願望に基づいた道徳は
信者のために貼り付けになる願望に基づいた道徳とは相容れないわけで、
立身出世したものは貼り付けにならなければならないという道徳を作って教育したら何とかなるのかもしれない。
478朝まで名無しさん:04/07/05 22:57 ID:SsevTYm7
>>477
いまいちわからん。
479朝まで名無しさん:04/07/06 13:11 ID:W9TV/MDr
まあ、あれだな。
人間は知性を持っちまった以上、
抽象的概念・・・つまりなんらかの哲学や宗教的観念からは
逃れられないだろうな。
480朝まで名無しさん:04/07/06 14:18 ID:L+BdzIWZ
道徳は死んだのです。もう蘇りようがありません。
人の心のなかに、欲望があり、資本主義であるかぎり、モラルは崩壊の一途を
たどるのです。
481朝まで名無しさん:04/07/06 15:19 ID:W9TV/MDr
>>480
なら旧共産圏は道徳的だったか?
482国際貴族主義連合:04/07/06 23:33 ID:NiVOQYAZ
愛とは力の争いに過ぎない。この事から全ての道徳が反駁される。人生は力の争いである。
愛とは力の争いに過ぎない。このことから民主主義が反駁される。
高貴な人間達の為に国際貴族主義連合を旗揚げします
 
貴族政治の為の自然革命は不可能だ。民衆には歯車として高機能な社会(民主主義なのだが)を提供させ、
貴族は労働せず、寄生して生きよう。
貴族は貴族たちの中での文化を持ち他者から自閉すべきだ。
流転する世界でのディオニュソス的な生き方でも多くは貴族主義である。
貴族よ集え。己たちのみでの自閉した文化で楽しもう

http://www.geocities.jp/hikarurutakashi2000/framepage5.htm
483朝まで名無しさん:04/07/07 20:16 ID:vW5SONrx
佐賀の事件は見事にマスコミやメディアから姿を消したな。
484朝まで名無しさん:04/07/08 00:43 ID:6G2HGSkN
マスコミと戦うと宣言する政治家。政治が悪いのでなくマスコミが悪いと。
マスコミを躾るとはどういうことであろうか。人権?
485朝まで名無しさん:04/07/08 21:36 ID:cNsWtr0N
>>484
なんすか?
486朝まで名無しさん:04/07/08 22:01 ID:u6B/rVOy
マスコミに戦いを挑むことは許されるものではなく、マスコミはいかなる存在からも躾られることはない。
地上の神である。
487朝まで名無しさん:04/07/09 01:47 ID:eXmb6sYx
以上、マスコミの道徳でした。
488朝まで名無しさん:04/07/09 10:21 ID:GlgMFZ/f
各選挙で選挙権を行使すべきってのも、法的な義務としての規定が
無い以上、モラルの範疇なのかな?
489朝まで名無しさん:04/07/09 10:22 ID:SPRIwZB6

日本の道徳は小泉と自民公明政府が崩壊させました
490朝まで名無しさん:04/07/09 10:28 ID:GuWKmaf1
ナベツネが古田に「無礼者!!」

これが日本の道徳?

491正義の見方:04/07/09 14:50 ID:eOk2gkx6
>>311
>個人が道徳心を身に付けるために他人の尊厳を犯さない限り
>個人の自由な試行錯誤を保証するのが現代の倫理である。
そんな倫理なんてないよ。倫理は古代も現代もない普遍的なのなんだからだ。
あそこで論破したのあっちでこっちなんていわずにきちんと論破しなさい。
他人の尊厳を犯さない限りなにをやってもいいのか?神仏の尊厳はどうなるん
だ。縄文杉は切り倒してもいいのか?環境破壊はかまわないのか?
自由な試行錯誤なんぞその程度のもんじゃないか。倫理は万古不易のものな
んだよ、間違うな。

492朝まで名無しさん:04/07/09 15:03 ID:+m3sK0IP
少し前までは、環境破壊なんて事は誰も考えてなかっただろう。
現実、公害が起こるまでは。
縄文杉にしても、散々切り倒したので無くなった。
なくなりそうでマズイので土埋木など掘り起こすようになった。
全部、利益優先。
493朝まで名無しさん:04/07/09 15:21 ID:pJTwJpIQ
天皇の権威の復活。
戦争に負けた事自体はどうってことない。
人間宣言は日本民族にとって致命的な誤り。
と誰かが言ってた。
494朝まで名無しさん:04/07/09 15:59 ID:onCZH2Bg
日本に根付いて独自に発展した日本の仏教は、日本人の国民性に深く影響していると思う。
物を大切にする精神とか、弱い者をむしろ応援する精神とか…今の時代はかなり薄れてきてる
けど。
495朝まで名無しさん:04/07/09 22:17 ID:M4lipzZv
>>491
> 他人の尊厳を犯さない限りなにをやってもいいのか?
もちろん。
>神仏の尊厳はどうなるんだ。
ねえよそんなもん。
それを敬う人間の尊厳はあるがな。
>縄文杉は切り倒してもいいのか?環境破壊はかまわないのか?
天然記念物も環境も公共財だ。
つまり皆の財産を犯す事は他人の尊厳を犯す事になる。

>倫理は万古不易のものなんだよ、間違うな。
それが「他人の尊厳を犯さない限りなにをやってもいい」て事ね。

>>326に改訂版がある。
読め。

>>346も読んでおけ。
日本の社会は一神教的な神が存在した伝統が無いが故に、宗教的倫理観が欠如した社会である。
496朝まで名無しさん:04/07/09 22:37 ID:gNzQbj5L
一神教の神は崇り神。“自分を拝まねば殺す”と言ってる。
十字軍戦争、国家神道、みんなそうだろ。
でもって、それは人間が作り出した幻想に過ぎない。(相手を“偶像崇拝”とか言って攻撃してりゃ世話はない)
宗教なんぞ有害無益。
497朝まで名無しさん:04/07/09 23:18 ID:OgzDU/mL
>>496
人権思想はキリスト教の「神は全ての人間を等しく愛する」
という教義から産まれたもの。
異教徒だろうが無神論者だろうが神が等しく人を愛する様に
信者も等しく愛せよというのがキリスト教の倫理。
後、信者じゃ無くても行いが正しければ救われるのもキリスト教。
つまり、プロテスタントの規則は、
「倫理を守る」→「天国に行ける」という因果律ではなく、
<「倫理を守る」→「天国に行ける兆候の現われ」>←「天国に行けるっぽい」
予定説的な拘束なのである。
後、キリスト教には戒律がないので世欲化しようが基本的に自由。
だから自分を拝まねば殺すなんて言わない。
だから人間が主体的に試行錯誤できたので社会が飛躍的に進歩出来た。
498朝まで名無しさん:04/07/09 23:23 ID:U25421aX
ニュースじゃないんだよ・・
ネットで話題になっているとおり、あの前回のW杯以降、日本のマスコミは
統制されちまったんだな。だから政府まんせーこんな放送を繰り返す
499朝まで名無しさん:04/07/09 23:28 ID:rHJgdVRc
自由な行動を保証した上で放置しては道徳心は育まれない。
ここで放置するとは、何をやってもよいと認めることを指す。
他人の尊厳について考えるには自分の尊厳について考える必要があり、
自分の尊厳について考えるには経験による知識の伝承という助けが必要になる。

知識は経験の代わりにはならないが、経験の価値を倍増させる。


500朝まで名無しさん:04/07/09 23:43 ID:ZvhB0drH
>497
違う

キリスト教は本質ではない、本質は人間だ
キリスト教を騙り悪逆非道を尽くしたのも寛容と保護を与えたのも人間
キリストはそのとき尤も都合の良かった御託に過ぎない
都合良いものと不都合なものを手前勝手な自分ルールで
キリスト教の良い部分、関係ない部分と切り分けても
全く説得力なし

プラシーボを拝むようなまねは不健康だ
でも、プラシーボが無ければマジ不健康になってしまう
仕方ないから服用してる、それだけ

無様な万能感に浸りたいが溜めの、ふざけたおためごかしを神学云々だのと片腹痛い連中の無知蒙昧、厚顔無恥な
嘘っぱちを、律儀に信奉して何の意味がある?
501朝まで名無しさん:04/07/09 23:46 ID:rHJgdVRc
天知る、地知る、彼知る、我知る。

本朝に至っても神仏いますがごとき生活は人の生活を正す。
居間に、厠に、台所に、常に神を意識する生活は、同時に常に神の目と
神に対する自分の責任を意識する生活だから。
それは自分を見つめる自分の目を育て、自分自身を律することに繋がる。

人が神に何を投影するかにより、
人が神によってどう律せられるかが定まる。
投影する姿が多様だということが多様な倫理観を生み出すというならわかるが
宗教的倫理観が欠如するという考えは理解できない。
502朝まで名無しさん:04/07/09 23:50 ID:92y8qSt8
>>501
お前の言っているのは道徳
503新手の釣りだよね?:04/07/09 23:52 ID:YxGEwCXN
>>495 リンク間違ってるぞ。 >>326>>316 176訂正 の事だろ
 ふう... まだ、倫理と道徳で頑張ってたのか.... 絶対的な道徳律なんて独善に過ぎない...
道徳が共同体に属する限り、逆説的に言えば共同体によって道徳は変わりうるんだよ。
 倫理って言う絶対的な基準を作っているけど、それが嘘だとわからない事を、
痛いと思っている。 社会が人間で構成されているって知ってる?外部から決められた事が
だた与えられる訳ではないんだよ?作らなきゃ存在しない、継承しなきゃ存続しない。ここが発祥でしょ?

 小学生には強制的にこうしろって教えるよ。その必要性を理解する経験や知識/配慮が
育ってないから。(あなたの説明する倫理ね) だけど、子ともが育った後にその強制の意味が
分かってくる。だから、その子はまた道徳を引き継ぐし、道徳が組織に定着できるわけね。
 現代は急速な変化によって、次世代が前世代とは違った社会にさらされるから、前世代から
受け継いだ遺産を読み直さなければならない。それができずに継承が絶たれてる。あなたは
このプロセスが分からない学生か、年食ってるなら世間知らずだと思う。人から強制されて信じるだけって倫理?
 最も重要な問題は、如何に道徳的な結果をうるかということ。そのために道徳の社会的側面
について理解しないと... ヒューム→カント→ヘーゲルってのは基本だと思うけど知らなくても、
道徳の社会性にはみな気付いてるよ。(ヒュームに学ぶところがないとは言わんが)
 社会学崩れみたいだけど、妄想ひどいね。社会学って哲学の直系でしょ。(科学やら殆どの学問が
哲学の系譜ではあるけどね....原子論とか唯物論とかね)
ttp://www.ai-gakkai.or.jp/ssst/docs/2001/gist-1-3.html
ttp://mazzan.at.infoseek.co.jp/index.html#mokuji
504もう一度貼ってしまおう:04/07/09 23:53 ID:92y8qSt8
恥と言う日常的な感受性は教えられたから知るのでは無く
規範を破った時に身内から疎外された恐怖心が内在化して身につく。
又、規範も教えられなければ知る事は出来ないと言う訳では無い。
もしそうなら人類発祥以前に規範があった事になる。
個人にとって経験的、心情的正しいと学び取った規範か
疎外されたく無い人間の求める規範が守るべき物として動機付けられる。
この規範が「道徳」である。
我々が人を殺さないのは、「仲間を殺すな」というルールののせいじゃない。
仲間を殺せないように育つからです。
他者から肯定され、承認されて尊厳を獲得してきたひとは、
自分が自分であることにとって他者や社会は必要不可欠だから通常の精神状態じゃ殺せない。
だが、極限状態のため日常的感受性から離脱してしまうと人間は道徳心を失う。
そこで倫理が必要となる。

倫理とは心情的、経験的にそれが正しいと認識するには困難だが
科学的、叉は一神教的神の視線から普遍的に正しいとされた規範が「倫理」。
これは教えてもらうか統計学的調査等をしないと解らない。
身に付ける物では無く理解するか信じる物である。
科学的には個人が道徳心を身に付ける為に他人の尊厳を犯さない限り
自由な試行錯誤を保証する為の規範が倫理とされる。
505朝まで名無しさん:04/07/10 00:13 ID:9frv5hZo
>>504
自分自身が納得できない、理解できないので要約もできないようなコピペを貼るのは
いかがなものかと思う。
506朝まで名無しさん:04/07/10 00:32 ID:EfR9CM7L
>>503
>絶対的な道徳律なんて独善に過ぎない
そんな事言っていない。

>作らなきゃ存在しない
人間が本来持っている傾向は作らなくても最初からある。

> 小学生には強制的にこうしろって教えるよ。
それを受け入れるかそうで無いかも個人の自由。

>次世代が前世代とは違った社会にさらされるから、前世代から
>受け継いだ遺産を読み直さなければならない。それができずに継承が絶たれてる。あなたは
>このプロセスが分からない学生か、
あーだからこそ自由な試行錯誤が必要なんだろ。
いきなり違う規範を無理矢理押し付け受け継いだ遺産を否定するから継承が絶たれてる。
それも分からん学生か?
507名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 09:46 ID:+2swMJKF

単純に仏教界が日本のような近代化に伴う
激しい社会変動(文明開化)を経験せざるを得ないという
事を認識した上で、精神的、共同体的基盤となるべく
努力していたらまた少し違う国になっていただろう。
508名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 10:00 ID:TMOfF4k7
何がどうやってたって、少し違う国になっていただろう。
509名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 11:20 ID:V3p+Hfj7
● 「池田大作の墓」が仏敵・日蓮正宗の寺院にあった!−創価学会に激震  P13
7月3日発売「フライデー」→小泉首相「選対本部長は元暴力団」が世界に
波紋―米経済誌が配信
http://www.asyura2.com/0406/senkyo4/msg/186.html
一部の地域を除き本日発売の写真週刊誌「フライデー7月16日号」

http://www.zasshi.com/
によると

●小泉首相「選対本部長は元暴力団」が世界に波紋−米経済誌が配信  P20

● 「池田大作の墓」が仏敵・日蓮正宗の寺院にあった!−創価学会に激震  P13

●現地邦人記者が見たイラク「テロの日常」−主権移譲後も公開処刑  P88

●小泉首相「参院選対策に曽我さん一家を利用」−北朝鮮問題で票読み  P96
510朝まで名無しさん:04/07/12 09:02 ID:cw6n+fWA
>>508
日本と共産圏以外の多くの国のように、
社会共通の内面的ファウンデーションが
機能している国だよ。
511朝まで名無しさん:04/07/12 09:25 ID:6FL86KdE
無資格者が何をほざいているのやら
512朝まで名無しさん:04/07/13 08:34 ID:0xQwoPZS
民主躍進ですな。
513朝まで名無しさん:04/07/13 23:21 ID:RMC0WGao
2000年の春に、大学受験産業の会員名簿から抽出した標本(大学生)に対して、
性行動と性意識を問う社会調査を行い、「両親は性道徳に厳格だったかどうか」という問と、
「今まで何人とセックスしたか」という問いに対する答えをクロス集計した。
その結果、「両親は性道徳に厳格だった」と答える者のほうが、
「両親は性道徳に寛大だった」と答える者に比べると、セックスをする人数が多くなる事が解った。
(前者平均1.74人、後者平均1.58人、有意差あり)。
親が性道徳に寛大で、性について率直なコミュニケーションができ、
性情報を親から獲得しやすい場合には、総じてコミュニケーション志向が高まり
愛のある関係に入りやすい。
逆に、親が性道徳に厳格で、性について率直なコミュニケーションができない場合、
インパーソナルなルート──例えばメディア──から影響を受ける傾向が高まると同時に、
コミュニケーション志向が下がり(属性志向が上がり)、愛のない性関係に入りやすい。
514番組の途中ですが名無しです:04/07/13 23:58 ID:GT1J7i1t
>>513
ああ、やっぱりな。
俺の親は厳格すぎて、俺はすでに変態の領域だ。
515朝まで名無しさん:04/07/14 20:49 ID:TfXACJ0M
>>513
説得力あるな。
516朝まで名無しさん:04/07/14 21:20 ID:G8LcgSgE
多数の相手と性交渉を持つような人間だからこそ、自分の親が厳格だったと認識する。
517朝まで名無しさん:04/07/14 22:45 ID:OBQ+Rvso
親が妾もちだったりしてね血は争えないとか、
518朝まで名無しさん:04/07/16 11:47 ID:sh3Fqupa

「人を殺しちゃいけない」
この倫理感は、キリスト教圏と仏教圏に強いように感じるが、
どうだろう?
519朝まで名無しさん:04/07/16 12:21 ID:lqeT0F25
イスラム圏でも同じ程度には強いです。
520朝まで名無しさん:04/07/16 13:52 ID:bKawan9V
「人を殺しちゃ行けない」って言う時の、
人(仲間)の範囲が違うんだろうな。
仏教ヒンズーは生物全般。キリスト教は人間。イスラム教はムスリム。
ある宗教では、家族とその他を区別している。
521朝まで名無しさん:04/07/16 14:50 ID:gXB1d8c3
とか言いながら、間引きするんだが。
522朝まで名無しさん:04/07/16 20:05 ID:+ZQ4nIk4
戦争は、古来途切れなく続いてきた紛争手段で、その原理を知らないから楽天的な
情緒に走るんです。社会学の常識では、人を殺してはいけないというルールを一般化した
社会は一つもない。人類は「仲間を殺すな」と「仲間のために人を殺せ」の2大ルールで
何万年もやってきました。近代国家では仲間の範囲が見知らぬ人まで広がったので、錯覚
しやすくなっただけです。
 しかし他方、我々が仲間を殺さないのは、「仲間を殺すな」というルールののせいじゃな
い。仲間を殺せないように育つからです。他者から肯定され、承認されて尊厳を獲得して
きたひとは、自分が自分であることにとって他者や社会は必要不可欠だから通常の精神状
態じゃ殺せない。だからこそ映画『フルメタル・ジャケット』に描かれた、海兵隊の地獄
の特訓―帝国陸軍で言えばビンタ―は、若者を極限状態におき、日常的感受性から離脱さ
せる。そうすると殺人マシンに仕上がるわけです。
523朝まで名無しさん:04/07/16 20:11 ID:ba5QTl7w
アンチテーゼを簡潔にいうと?
524朝まで名無しさん:04/07/16 20:33 ID:8pxcRZR1
>>522
そりゃそうなんだが。
525朝まで名無しさん:04/07/17 00:41 ID:48whCZ18
殺人マシンは人を日常的感受性から離脱させ極限状態に置くことにより作成できる。
ゴルゴ13は今どこに、武士道は廃れた。
専用宿舎で生活させて24時間監視されてる人といったら、結構いるね、偉い人。
526正義の見方:04/07/17 16:42 ID:/00pveP4
>>495
>>神仏の尊厳はどうなるんだ。
>ねえよそんなもん。
>それを敬う人間の尊厳はあるがな。
神仏に尊厳がなくてアホな人間に尊厳があるとは驚き桃の木だよ。
いいか、尊厳とは尊く厳かで冒しがたいことをいうんだ。命には尊厳があるが
お前さんには尊厳なんてないんだ。財産なんて単なる物質に尊厳があるわけ
ないんだ、それをもっている人間に尊厳があるから人間が持ってるものはすべ
て尊厳があるなどという馬鹿ばなしは寄席でも受けないよ。
また、公共財だから尊厳があるなら私有財にだって尊厳がなければ辻褄が合
わないよ。公衆便所には尊厳があるが、自宅の便所には尊厳がない?役所の
ノート、鉛筆には尊厳があるが個人のノート、鉛筆には尊厳がないわけだ。
いいか、よく聞け!倫理には条件なんてないんだ。「他人の尊厳を犯さない限り」
なんてそんな相対的なものではなく、絶対的なもんなんだよ。

>日本の社会は一神教的な神が存在した伝統が無いが故に、宗教的倫理観が欠如した社会である。
日本は儒教、仏教を受け入れた社会であり、儒教的倫理、仏教的倫理が横溢していた社会であり、
神道という多神教も受け入れているのです。これらは習俗、文化伝統として根付いており、西欧の一神
教だけに倫理があるわけじゃないんだ。
イラク戦争を見てみろよ、一神教同士の戦争だ、宗教的倫理観など毛ほどもないよ。
哲学書でも読め!

527朝まで名無しさん:04/07/17 17:02 ID:BSMiN7DX
そんなに必死にならなくても>>495は根本的に矛盾してるだろ?
本気なら、池沼でしょ
528朝まで名無しさん:04/07/17 23:34 ID:48whCZ18
その絶対的な倫理を信ずるから廃墟となったイラクがあるわけで。
因果関係はヘーゲルとマルクスとニーチェを理解したらわかるそうだ。
オリャー知りたくもない。カフカのパロディでうんざりした。
薬物中毒が精神医療は認めるけど、保険使うな。
529朝まで名無しさん:04/07/17 23:57 ID:BSMiN7DX
逝かれる一歩手前って感じだな
530朝まで名無しさん:04/07/18 11:43 ID:Owvd+7pV
>>526
おまえは人権と言うものを知らないのか?
お前みたいなアホにだって誰にだって尊厳はあるんだ。

>人間に尊厳があるから人間が持ってるものはすべ
>て尊厳があるなどという馬鹿ばなしは寄席でも受けないよ。
は?
物じゃ無くて所有者の尊厳を犯す事になるって話しかしていないが・・・

>いいか、よく聞け!倫理には条件なんてないんだ。「他人の尊厳を犯さない限り」
>なんてそんな相対的なものではなく、絶対的なもんなんだよ。
人権は民主国家において絶対的なものですが?

> 日本は儒教、仏教を受け入れた社会であり、儒教的倫理、仏教的倫理が横溢していた社会であり、
>神道という多神教も受け入れているのです。これらは習俗、文化伝統として根付いており、西欧の一神
>教だけに倫理があるわけじゃないんだ。
倫理は絶対的なものなので異なる倫理が横溢する事はあり得ません。
横溢した時点で集団に所属するメンバーの視線によって判断される「道徳」となってしまいます。
多神教も絶対的な一つの理念がないので倫理は存在しません。

> 哲学書でも読め!
お前が読め。
>>504も読んでおけ。
531朝まで名無しさん:04/07/18 12:03 ID:Owvd+7pV
>>526
>イラク戦争を見てみろよ、一神教同士の戦争だ、宗教的倫理観など毛ほどもないよ。
>>528
>その絶対的な倫理を信ずるから廃墟となったイラクがあるわけで。

あれを宗教戦争だと思うのが大馬鹿。
イスラムの場合倫理に問題があるのでは無く絶対的な戒律に問題がある。
キリスト教にはいかなる規範も無い。
福音書に何をやれこれをやれなどとは書いて無い。
キリスト教では信仰だけが絶対で戒律などの外面的行動なんか何でも良い。
だから異教徒になろうが規範を破ろうが問題は無い。
イスラム教の場合コーランを第一法源、スンナを第二法源として第十法源まである。
仏教も戒律は膨大煩瑣で律蔵という経蔵・論増に匹敵する程の
巨大な文献があり戒律を専門に研究する律宗という宗派がある程。

その上「隣人愛」の教義がある。
親や故郷の親しき者を愛する自然感情をエゴイズムとして退け異なる共同体を受け入れる事によって
脱共同体的な機能を果たすことによって異教徒・異民族が集う社会で、共同体にもう一つの宗教共同体をつけ加えるのではなく
一つの社会(公)の中で異なる共同体が平等な立場で混在する事を可能とし近代国家の基礎を築いた。

教皇ヨハネ・パウロU世は、2000年1月の聖地巡礼、そして大聖年を祝うその年の3月のミサで、
歴史上画期的な二つのことに言及した。
その一つはキリスト教だけが「真理」を独占しているのではなく、
他の宗教であっても同様に「真理」を共有しているのだということ。
さらにもう一つは、過去2000年の間にキリスト教徒が犯してきた間違いが存在したことを認めたことであった。
但し、この間違いはキリスト教の教義が間違っているのではなく、
正に教義の不完全な理解が故に間違ったのだという認識の元に発せられたのであった。
言い換えれば、キリスト教の教義を完全に理解し、実践することによって、
この間違いは完全に克服できるという認識があってこその発言でしょう。
532朝まで名無しさん:04/07/18 12:08 ID:CyxH1tIi
一億円を貰っていて記憶にない 橋本元総理 元総理大臣が道徳ないのに 俺らに道徳を求めるな
533朝まで名無しさん:04/07/18 12:09 ID:+34n3HM2
>>530
>おまえは人権と言うものを知らないのか?
>お前みたいなアホにだって誰にだって尊厳はあるんだ。

人権があるからといって、尊厳があることにはならないな。単なる権利だから。
534朝まで名無しさん:04/07/18 12:11 ID:Owvd+7pV
明治以後の国家神道は、西欧のキリスト教に対抗して模造され強制された宗教で
旧約聖書に当たるのが古事記で、イエス・キリストと新約聖書の代わりに天皇を神とする国家神道を急造した付け焼き刃だ。
「一君万民」「天皇の赤子」という教義の基、日本人は皆身内、日本人は皆共同体と言った感受性を作り上げた訳だが
これはイエスの説教からパウロが採りだした「隣人愛」(カリタス)の教義
親や故郷の親しき者を愛する自然感情をエゴイズムとして退け異なる共同体を受け入れる
脱共同体的な機能を果たすことによって異教徒・異民族が集う社会で、共同体にもう一つの宗教共同体をつけ加えるのではなく
一つの社会(公)の中で異なる共同体が平等な立場で混在する事を可能とし近代国家の基礎を築いた。
基本的人権という概念が生まれたのはこのころ。
天皇制はそれをパクって近代以前の日本人が村や身分に基づいた共同体の一員であるとしか意識していなかったのを
国民の擁護者である天皇が出現し宣伝や教育が成功して、人々が自ら宣伝された区分での国民であると自覚し
国家の三要素「領土」「国民「統治権」を日本が手に入れ近代化が成功した。

近代的な公の概念というものは明治初期の思想界・教育界で指導的役割を果たした中村正直がイギリスから持ってきた概念で
優れた政治・経済・軍事を支える 「天を敬し人を愛する心」
「上帝に仕え、 礼拝を尊び、 持経を尚び、 好んで貧者の者を調済」 するキリスト教精神で
持ち帰った課題は 「神とは何か、 神の愛とは何か」 という問いだ。
その課題に応えるべく、 帰国した明治元年に 『敬天愛人説』を書いた。
「人は、 吾と同じく天の生ずるところとなす者にして、 すなわち吾が兄弟なり。」
「人の上帝における、 なお弱子の父母におけるがごとし。」
これはキリスト教の隣人愛の「神の様に等しく人を愛せよ」の日本版だ。
只、キリスト教の隣人愛の様に同じ民族、宗教でなくても同じ様に愛するという隣人愛に対して
天皇制の場合同じ民族である国内でしか通用しない誇大妄想体系で
それを根拠にした国際関係は、悪くはなっても良くなることはない。
535朝まで名無しさん:04/07/18 12:20 ID:Owvd+7pV
>>533
>人権があるからといって、尊厳があることにはならないな。単なる権利だから。
その権利が民主国家において尊く厳かで冒しがたい人間の尊厳。
536朝まで名無しさん:04/07/18 13:17 ID:bOu11MDl
>>535
まあ、言葉の定義の問題だがw
権利を前面に振りかざす人間に、尊厳を感じないのも事実だな。
537朝まで名無しさん:04/07/18 15:23 ID:XXAIPrKo
>>531
>
> その一つはキリスト教だけが「真理」を独占しているのではなく、
> 他の宗教であっても同様に「真理」を共有しているのだということ。

エキュメニズムだね。
今の法王のお人柄が伺える。
また、ヴァチカンは、そうしたリベラルな一面を強化することで、
世俗の国際政治で一層発言力を持とうとする戦略をとっているね。
結果として平和がもたらされればいい事だと思う。


>>534

その通り。
538朝まで名無しさん:04/07/18 15:45 ID:6ZI6beb/
パッションって映画をこの前見たんだが、凄いと思った
純粋に感動出来た
子供が泣きじゃくる時に一度貯めるシャックリみたいなのが出て泣いた
何年振りだろう
あんなに純粋に泣けたのは
539朝まで名無しさん:04/07/19 00:35 ID:bpmZ9gZH
>>536
> 権利を前面に振りかざす人間に、尊厳を感じないのも事実だな。
その人間自体に尊厳があるのでは無く人権に尊厳があるということ。
他人の尊厳を犯さない限り何をしても自由だと言う事に法が定める尊厳がある訳です。

>>526
>神仏に尊厳がなくてアホな人間に尊厳があるとは驚き桃の木だよ。
お前自体が尊厳を感じるだけで誰もが普遍的に尊厳を感じる訳では無い。
得に自然宗教の場合、科学の進歩、環境整備が進むにつれて神秘性と尊厳は薄れる。
それとは逆に科学や真理、そして欲望も自由も>>280-281で言う様に神秘性と尊厳が強まる。
540朝まで名無しさん:04/07/19 00:43 ID:Z3O74qo7
哲学書と宗教書を読んでれば道徳を語れる…と考えている ○○○さん達
541朝まで名無しさん:04/07/19 00:51 ID:VXdoH8vg
最初面白がって読んでたんだが,途中で秋田。
言葉遊びこねくり回してないでなんか街に出ろ。
542朝まで名無しさん:04/07/19 00:57 ID:L23bKqM+
>>534
では日本は今後どうすればいい?
明治天皇制以前の、自然に村落共同体の一員として道徳と
アイデンティティを獲得していた頃に戻ることはできない。
その村落共同体自体が崩壊し、それにある意味替わっていた
会社、学校体育界などの共同体も崩壊している。

では村落共同体からも天皇制共同体からも自らを解放し…
たらどうなる?近代国家にとっては機能として必要なものである
国民概念は何を根拠にするのだろう。どうやって国をまとめるのだろう。
隣人愛と日本国憲法の精神とやると、それは日の丸君が代とは両立しない
から、なんとなくそれを受け入れている層と致命的な対立が起きる。

個人の道徳にしても天皇制構造を全員が自覚し、それを克服して
全人類に対する平等な隣人愛で…としよう。
だがその隣人愛はどこから来るのだろうか。
日本人全員がキリスト教徒になるのは難しいだろう。
宗教なしに無条件の隣人愛を受け入れる…リチャード・ドーキンスの
ように宗教を否定し、科学的な真実としては人間の存在自体には
上からの意味は何もないと認めつつ自らの意志で利己的な遺伝子に背き、
隣人愛を選ぶのは現実には簡単ではない…
天皇制も村落共同体も壊れた今日本人は公を失い、虚無と利己に
沈むしかないのではなかろうか。
543朝まで名無しさん:04/07/19 11:33 ID:CwiA7OBw
現代思想は現実の問題にはとにかく
綱絵ねーな。社会学的立場からの意見のがよっぽどいい。
544朝まで名無しさん:04/07/19 22:43 ID:Zr2Xjii6
>>542
なんか公=共同体だと思って無いかな?
近代以降は隣人愛=博愛=公共生、親愛=慈愛=共同性であり別物。
カリタスってのはチャリティーの語源で神が愛する様に人々を等しく愛せよと
親や故郷の親しき者を愛する自然感情をエゴイズムとして退ける事によって
キリスト教徒は信仰心から心情的に理解出来ない異教徒に施しをする様になったのが博愛のルーツ。
日本人は公を失ったのでは無く伝統的に公と言う感覚に鈍感なだけ。
国家神道や天皇制だって天皇の基で全てが身内だと言うエセ公の教義で公では無い。

それから共同体は消失した訳では無く地域性に縛られなくなったり縮小しただけ。
クラブ、コミケ、バンド、スポーツクラブ子供の世界には様々な共同体がある。
ちなみに会社は利益追求の為の機能集団で公の場であり共同体では無い。

“少人数学級”の効果絶大
ttp://www.hokuriku.chunichi.co.jp/school/s_today/20020907.htm
>「四十人学級では、児童は何らかの自己アピールをしないと、教諭に気づいてもらえない。
>二十人程度なら全員を見渡すことができるので、子どもは大声を出す必要がない。
>待ち時間が短いので、子どもも余裕を持って応答を待つことができる」

ttp://www.tcp-ip.or.jp/~mrym/sugie.html
>「互いに学び合いながら、社会的な態度を身につけていくこことが学力なのか」

> 特に、習熟度別学習では、「出来ない組」という思いが生じかねない。
>「出来ないグループ」といわれる子どもは学習意欲が低下し、学びの放棄につながる。
>逆に理解度の異なった子ども混ぜたグループを編成すると、上達の早い子どもは、
>人に教えることで、さらに学びが定着し、教わる子どもも学習態度を学ぶことが出来る。
545朝まで名無しさん:04/07/20 20:04 ID:6zzwo5gu
いまや日本人にはそういう小さい共同体以上の公は存在しないし、
元々天皇制という大きな公も嘘っぱちだった…

ただ、天皇制を批判するなら当時の立場から見て実行可能で機能しうる
対案を提示しなければ不公平だ。最終的に太平洋戦争で失敗したとはいえ、
明治維新と近代化は小さい功績じゃないし。

また、その小さい共同体しかない日本人を、どうすれば公…博愛、
隣人愛の広い世界に加えることができるだろうか。
天皇制を否定し、憲法の原理…戦後民主主義をきちんと教育すれば
宇宙船地球号、人類皆兄弟という公に至るだろうか?否。
日本人がどうすればいいかはわからない。天皇制を捨てて小さな
共同体に閉じこもる(それにも溶け込めない人間は引きこもって
個人の小宇宙に閉じこもる)のが一番安楽だろうが、みんなが
そうしたら道徳も国の将来もない。
546朝まで名無しさん:04/07/20 21:25 ID:hJbh/ecy
宇宙船地球号、人類皆兄弟=共同性
公とは共同体と共同体の間の空間を指す。
皆仲間とかそういう感受性の外の人達とどう接するかというルールや想像力の領域が公。
547朝まで名無しさん:04/07/20 22:00 ID:/FjU/Vr8
共同体の崩壊はマジで大問題だよ。
548朝まで名無しさん:04/07/20 22:01 ID:LENbtLNy
個人と個人の間の空間ですよ。

共通の感受性、価値観の共通点を見出せない人とは公共の空間を作れません。
こちらが一方的に(野獣に対するような)ガイドラインを儲けて接するのみです。
549朝まで名無しさん:04/07/21 00:12 ID:unyYUgu2
アメリカ人経営者の書いた本によると
個人が複数の組織に所属している状態が普通だそうだ。
ひとつだけだと異常なんだね。なるほどと思ったよ。
550朝まで名無しさん:04/07/21 20:45 ID:erv1mg65
550
551朝まで名無しさん:04/07/21 21:25 ID:Veufs91n
「共同性」は言語・民族・宗教をはじめ、所属における必然性、いかなるものを「共通善」とするか、
というように、ある一定の価値観の共有が前提となる空間であり、
異質のものを排除するという性質を帯びた概念である。
成熟社会においては、個々の価値観=何が幸せか?
何が面白いと感じるか?どのようなライフプランを描くか?はまさしく多種多様。
となれば、得体の知れない他者が跋扈する成熟社会は不可避です。
このような成熟社会において、共同体が縮小化するのも絶対的に不可避である。
「公共性」のそれは、人と人との〈間〉における事柄・関心事への意識に求める。
いいかえれば、「公共性」は「共同性」のように所属の必然性を
アイデンティティに求めるような空間ではなく、
アイデンティティに依拠しない、多様な価値観を持った共同体を超えた
「間共同体的」コミュニケーション空間です。
552朝まで名無しさん:04/07/21 23:29 ID:3TWtZ+5u
共同性にもとづかない公共性はありえない。

複数の組織に所属する複数の人間が同じ公共の空間を構成するには
そのための価値観を共有し、同一の共同体に所属することで価値観の共有を保証する、
あるいはその共同体の価値観を尊重することを何らかの形で保証することが必要になる

日本の領土では日本の法律がしかれ、フランスの領土ではフランスの法律がしかれる。
日本ではフランス人は外国人であり、フランスでは日本人は外国人である。
553朝まで名無しさん:04/07/22 01:16 ID:meBY+ELS
コミュニティとは地域性にもとずく公共性である。
そこには物理的制約を共にする者の集まりという公理がある。
物理的距離、情報、資源、気候、人種、等、そこには個人の主体性を持った意思は存在しない。

オルガニゼイションとは意思に基ずく公共性である。
そこには精神的制約を共にする者の集まりであり、個人の主体性を持った意思はその公共性の維持のために制約される。
そしてオルガニゼイションとは滅亡と発生と発展を繰り返す。

個人がこの滅亡に巻き込まれない且つ物理的制約にとらわれない共同体が豊かな社会だと思う。
554朝まで名無しさん:04/07/22 20:41 ID:KJoP2abB
国民(ネイション)が共同体だというイメージを説明すると、
具体的に煎じ詰めていえば、国民議会に参加して自分たちのためになるように政府を動かそうとする
参加意欲を一緒にもつという意味で互いに同感可能な「我々=共同体」である、ということ。
国民は共通属性の産物ではなく政治の産物であり国民の擁護者が出現し
その宣伝や教育が成功して、人々が自ら宣伝された区分での国民であると自覚した時国民はその地域に生まれる。

英語で「民族」とはnationだけど、nationには日本語に訳せばその他にも主に「国民」「国家」の意味があるとされる。
つまりは何を言いたいかと言うと「民族」は近代的意味での「国家」を成立させるためにヨーロッパにおいて疑似的・人為的
に創出されたものであるということ。フランス革命の歴史を見るとよくわかるのだけど、それまでの身分制に基づいた
封建的秩序をぶっ壊わし、「自由で平等な人間」という概念を作り、それを用いて国内で最高にして国外に対して
独立な「主権」を持った「国家」を作らなにゃならなかったわけだけど、その概念を作るためには今までの封建的
価値観に変わる何らかの根拠を示さなければならなかったわけ。だからみんなが「同一民族」=「フランス人」で一緒
なんだから「平等な人間、平等な国民」で当たり前だろ、というフィクションを作ったんだよ。
つまりは国境の境目が「民族」の境目とが大体において一致している、と見なすというのが近代的な「民族」概念
の始まり。つまり近代的な「国」という概念と「民族」という概念は密接な関係にある。

つまり公共生=共同性ってのはフィクションな訳。
555朝まで名無しさん:04/07/22 20:53 ID:MtNMr4Oa
555
556朝まで名無しさん:04/07/22 22:05 ID:zBRUmoKO

公共性は共同性によって初めて成立する。
だから、国の単位で公共の空間を作るという試みは共同性を維持することによって可能になる。

その共同性が永い時の流れの中で自然に発生したにせよ
短い期間でもっぱら人為的に発生したにせよ
結果として共同体として価値観を共有しなければ公共の空間は生まれない。
共同性が確保できないから。

共同体の一員として共に価値観を共有することを一切認めず、
共同体の外部にいるものとしてその共同体の価値観を尊重することも拒否する者がいたら、
その者と公共の空間をつくり、生活を共にすることは 不可能。

同一の公共の空間の中で異なる共同体が並存し、その複数に個人が属していたとしても、
その個人が公共の価値観より、個人が属する小共同体の価値観を優先することは
ありえないし、あってはならないし、あるはずがない。
そのようなことがあるとすれば、その個人は共同性を保っているようにみせかけた、ただの偽日本人。
557朝まで名無しさん:04/07/23 00:24 ID:e5VzIY7l
ん?
価値観の異なる者同士が共生する為のルールや想像力の領域が公共生。
そのルールや想像力を一つの価値とみなすなら公共性は共通の価値によって成立すると言える。
だがそれは価値「観」ではない。
価値観とは個人、もしくは集団が世界の中の事象に対して下す価値判断の事で
共同性(道徳)ではあっても必ず=公共生(倫理)とはなりえない。
哲学的に言えば価値とは「よい」といわれる性質をさす。
個人、もしくは集団が世界の中の事象に対してどんな判断を下そうが
心情的に許せなくても普遍的に「よい」とされる規範が公共生(倫理)である。

道徳と倫理の違いは>>504で。
558朝まで名無しさん:04/07/23 00:31 ID:e5VzIY7l
ポリスが政治共同体であることはいうまでもない。その内実というのは、ソキエタス=キウィリス
(政治的市民社会)である。ポリスの運営に実質的に関わるのは経済的特権階級のオイコス(家)の家長
であった。彼らはアゴラ(広場)に集まり、オイコスの利害を超えたポリスの利害に関して議論した。
こういった、ポリス的政治共同体の内においてはオイコス(家)という私的領域を超えたポリスにおけ
る公的領域が存在していたことは確かである。しかし、外的には明らかに万人に開かれたものではな
く、閉じた共同体に他ならなかった。
しかし、この古代から中世にかけてのソキエタス=キウィリス(政治的市民社会)に根ざした、古代
ギリシャ=ローマにおける「公」の概念は18-19世紀に大きな構造転換を図られることになる。という
のは、商業圏の発達により、もはや、ポリスという閉じた共同体に収まらないブルジョワジーが商業
経済を担うという状態が顕在化するようになったからである。そういった時代背景とあいまって、市
民社会の観念がソキエタス=キウィリス(政治的市民社会)的「公」からビュルガーリッヘ=ゲゼルシ
ャフト(経済的市民社会)的「公」のことをさすようになるのである。
 ここにおいて、商業経済の主体をなす個々のブルジョワジーが他者を侵害しない一定の規範を見出
すコミュニケーション的空間を市民社会と呼ぶようになるのである。この空間は、もはやポリスのよ
うな政治共同体的空間ではなく、共同体的カテゴリーを超えた、共同体の〈間〉に他ならない。
 人はそれぞれ、多様な共同体に属しているといってもいい。しかし、これが、ひとたび経済的主体
になれば、共同体云々を論じるのはもはやナンセンスである。こういった、社会思想史的背景を踏ま
え、近代における「公」=パブリックの概念とはソキエタス=キウィリス(政治的市民社会)的「公」
ならぬ、ビュルガーリッヘ=ゲゼルシャフト(経済的市民社会)的「公」を指すのが社会科学の常識と
なったのである。
559To 557 558 (1/7):04/07/23 22:24 ID:Fo/y8559
 504 氏(= >>316 176改正 氏)よ。ひどい教科書使ってるな。
 個人と社会の関係について書いてない社会学の本なんてありうるのか?
なぜ、あなたはそれらを分断して納得してるんだろう...

 ギリシアのポリスとローマが一緒になってるけど、ギリシアのポリスは確かに
私達の知らない社会だよ。国のためとか、税金を払うこととか、現代に
生きる私達には馬鹿らしい(達成感のない)ことにしか思えない。ポリスは違う。
小規模で親密な組織でアイデンティティを保つことが公共善に寄与することで
なされ得た。インセンティブ理論なんて必要なく、それ以上に個人のあり方を
考えるように公共善や社会的なことを考え共有し、徳育された彼らは法の意味を
理解したし、共通の現実を同じ感覚でとらえ議論し、その結果には金持ちも
貧乏人も従った。全体を把握できる規模の共同体の姿は、多様化した現代人には
想像できないし、どこにもないよ(個と集団の関係の理想となり得るけど)。
もっと流動的で網構造かつ、基本的には[相互的]であり多次元的なものを集団と
とらえざるを得ないし、スレタイから日本って規模を想定している。

> 共同体的カテゴリーを超えた、共同体の〈間〉に他ならない。 人はそれぞれ、
>多様な共同体に属しているといってもいい。しかし、これが、ひとたび経済的主体
>になれば、共同体云々を論じるのはもはやナンセンスである

 経済至上主義なのは良いとして、その経済活動を無制限に許すことはできない。
インサイダー取引やら独占やら高利貸しやらなんでもありでは(ry
 そこで、より健全な競争が可能となるように、基本的ルールや諸問題への対応を
考える....新制度も加わって変化する。
 これらに対する対応と論理的正当性と帰結を如何に導くのか。価値観を共有すること
なくして如何に行えるのか?どう対応し維持するか、共同性(公共性でも何でも良い)が
何故生まれ、成長し、また生まれ入れ替わるか。何故そんな共同性が導かれたか、
導かなければならないかが問題で、皆そこにそれぞれの視点と議論の余地を見出している。
 カテゴライズを問題にしているんじゃない。二分化?させるのが好きみたいだけど、
道徳の発生と更新について、以下、本当に古い古本から引用。
560To 557 558 (2/7):04/07/23 22:25 ID:Fo/y8559
*** 社会心理と社会的存在 ***
 われわれは周囲の状況に対してさまざまの意見や判断や好悪の感情を抱いている。
その状況の中には家族制度のような恒久的なものもあろうし、核実験再開のような
時事的なものもあるだろう。言葉では表現されない気分や、身の回りの生活問題
などもある。このような状況についてのイメージや好みや評価の仕方が、特定の
社会集団や社会的カテゴリー(性、年齢層など)の中に広がっている場合、
それは社会意識と呼ばれる。例えば民族のような集団は社会意識の一つの
担い手であるけれども、われわれはその他に多様な生活環境の中に組み入れられて
いるので、それぞれの条件に根ざした多くの社会意識が成立する。― 中略 ―
 このように社会意識は、共通の社会的存在のあり方によって規定されているのであるが、
この意識が自然発生的に形成されたままの未組織の状態にあるとき、それは社会心理と
呼ばれる。これに対して、イメージや好みや評価が論理的に一貫した形でまとまり、
広範囲な状況の体系的意識とそれに基づく目標や手段の位置付けが可能になるまでに
組織化されたとき、社会心理はイデオロギーに成長する。― 中略 ―
 大衆社会化が進行している今日、社会心理は拡散する傾向があることを指摘して
おかねばならない。巨大化した企業に吸収される大量の労働者の一部と、やはり
増大した下層ホワイトカラーは、消費生活の条件の点で相互に接近し、大衆文化の
主な享受者となった。これに、国民教育の普及とマスコミュニケーションの発展とが
絡み合って、地域的、階級・階層的な区画をこえた共通の社会心理が拡散する事態が出現した。
 例えばかつては収穫後の村を上げての氏神の祭りのように、社会心理は狭い限界内に
留まっていた。こんにちでは、皇太子の結婚の場合のように、殆ど国民的規模の
社会心理が醸成され、循環反応によって強化される傾向がある。― 略 ―
561To 557 558 (3/7):04/07/23 22:25 ID:Fo/y8559
*** 社会的存在と社会的性格 ***
 社会的存在の様式を共有する人々の間には、共通のパーソナリティの型が形成される傾向が
ある。民族的性格、女らしさ、職人気質、官僚タイプなど。このように特定の社会集団
や社会的カテゴリーの中で最も頻繁に見出されるパーソナリティの型が社会的性格と呼ばれる。
 規模の小さい集団では、この種の合致を見出すことは相対的に容易である。例えば、
官僚制組織と[手続きを過度に尊重する官僚タイプ]との合致、リベラルな学風の大学と
[ステレオタイプに陥らない学生の型]との合致 ― 中略 ―
 小規模である事に加えて、これらの機能集団においては、加入の意志のある個人だけが
集団に加入し、また集団側でも適格者だけを加入させるから、集団の要求と成員の
社会的性格との合致は、全体社会の場合よりも生じやすいといえよう。
 全体社会のレベルでの合致の問題を大胆に理論化したのはフロム(E.Fromm)― 略 ―
 フロムによって精密化された、その到達点を次のように整理してみることができよう。
変化しつつある社会の要求に見合った動機(たとえば勤勉や節約)がパーソナリティに定着するに
あたっては、イデオロギーとそれを受容しやすい雰囲気としての社会心理(たとえば資本/市場/競争の
役割の増大にともなう社会不安定)とが媒介装置としての機能をはたす。つまりイデオロギーや
社会心理は、もともと社会的存在から生み出されたものであるが、一度パーソナリティの濾過機を
くぐり、その動機の中に織り込まれて、ふたたび社会的存在に働きかける。こうして変動の端緒
にある社会構造の要求に合致した社会的性格は、その変動過程の感性にとっての一動因となり得る。

       ┌→  [イデオロギー]    ┐
       │            ↓
【古い社会的存在の変化】⇒【社会的性格(動機)の形成】⇒【新しい社会構造】
       │            ↑
       └→  [社会心理]    ┘
562To 557 558 (4/7):04/07/23 22:26 ID:Fo/y8559
*** 権威的パーソナリティと民主的パーソナリティ ***
 社会心理と社会的性格は、究極においては社会的存在に根ざしているとしても、
両者はその基盤からある程度独立し、異なった社会的存在と結びつき得る。― 略 ―
 パーソナリティに関する数多くの研究が明らかにしてきたように、そのさまざまな特性は
一見相互に無関係のように見えても、実は欲求の深いレベルで互いに連関しあっている。
たとえばアドルノたち(T.W.Adorno et.al.)によると、因習に無批判に同調するとか、
権威ある存在に過度に従順であると同時に無力な存在に対していちじるしく攻撃的で
あるとか、理想を目指す人間の努力に対して冷笑的であるとかいう兆候は、自主的/
自立的な人間として成長し得なかった=権威主義的パーソナリティに連関し合う特性とされる。
たとえばナチズムは因習的な男女の差別を正当化し、民族とその指導者の権威への
絶対的服従を説くとともに、無力なユダヤ人を物質並に取り扱い、力が正義である
とする革命を遂行した。ナチズムは、自主性の弱さを超越的な権威に頼る事に
よって補い、心の安定を保とうとする権威主義的パーソナリティに強くアピールした。
 日本人の民族的性格の特徴として、因習への同調や権威に対する服従を上げる人も
少なくない。たとえばベネディクト(R.F.Benedict)によれば、日本人の最高の徳目は、
恥を避け名誉を重んじること、身分に相応しく行動することである。その場合、何が
恥であり何が名誉であるかは、伝統的な慣習に合致しているかどうかで決まり、身分
相応に振舞うということは、階層化された権威の序列の承認を意味する。その上、
おきてしまったことは仕方ないとしてあきらめやすい日本人の「現実主義」は、
ときには理想主義的な努力に対する冷笑的な態度として現れる。もちろん、これらの
特性は日本人の社会的性格の一部分にすぎない。またこの部分は日本の社会の発展に
とって、いつもマイナスの働きばかり演じてきたともいえない。
563To 557 558 (5/7):04/07/23 22:26 ID:Fo/y8559
 たとえば明治以降の急速な近代化は、恥じを知り名誉を重んずるところから来る
強い勤労意欲と無関係ではなかろう。また敗戦という既成事実にすばやく対応し、
占領直後の外国の政策に沿って、「民主主義」の学習に努めたことも記憶に新しい。
しかし、われわれはこのような特性のために、長いあいだ人権意識に目覚め
なかったし、また満州事変以後、既成事実の積み重ねによって、十五年にわたる
泥沼のような戦争に追い込まれた ― 民主主義的パーソナリティ略 ―

*** 現代の社会的性格 ***
 日本の社会では、市民社会が極めて未熟なまま、戦後、部分的に大衆社会状況が
現れてきたとみてよく、したがって内部指向型から他人指向型へという変化の図式を
そのまま当てはめることはできない。日高六郎は日本の社会に即した性格類型として、
1)庶民的性格 (伝統的集団に埋没した前近代的性格)
2)臣民的性格 (特殊的日本的な官僚制的天王星の強烈な教化の中で培われた性格)
3)市民的性格 (特殊的にではあるが、一応日本の社会の資本主義化にともなって
       形成された近代的市民概念に相応しい性格)
4)大衆的性格 (高度資本主義の展開の中でいわゆる「大衆化」された民衆に現れつつある性格)
5)人民的性格 (社会的変革あるいは一般的に進歩的な社会運動に強い関心を持ったり、
       あるいはそれに直接参加する民衆の中に現れつつある性格)
 の五つをあげている。  ― 以下解説 略 ―
564To 557 558 (6/7):04/07/23 22:27 ID:Fo/y8559
>>557 >個人、もしくは集団が世界の中の事象に対してどんな判断を下そうが
>心情的に許せなくても普遍的に「よい」とされる規範が公共生(倫理)である

 図があったと思うけど(↓)、【個人に還元され】[社会心理]になって、[社会心理]
あるいはより組織的、論理的根拠をもつ[イデオロギー]となって【個人から
社会に還元され】る。個人と社会の相互性が道徳の形成の要だと思うけどね。
 個人にとって意味のないことなら誰も議論しない。「普遍的」に「よい」って
何が下した判断なんだろう?ってずっと指摘しているつもりなんだけど...
新しい社会構造ががどうやって生まれ、更新されるか。

       ┌→  [イデオロギー]    ┐
       │            ↓
【古い社会的存在の変化】⇒【社会的性格(動機)の形成】⇒>>>>新しい社会構造<<<<
       │            ↑
       └→  [社会心理]    ┘

 今読み直すと、非常に読み/分かり辛く誤字も目立ち恥じ入っているけど、論主に
おいては(ヒューム→カントの流れを知っている人限定かな...)訂正する個所は一つもない。
 哲学持ち出したことは、拒否反応持った人が多くうまくなかったけど、私個人や
日本以外でも妥当だとされる思考過程であって(ry
565To 557 558 (7/7):04/07/23 22:27 ID:Fo/y8559
 あ、矛盾してないんでしょ?あなたの考えと。(>>504 一行目の恥に関する記述から
異なっていると私は思っている)私にできる説明はここまでかな...
 道徳の基本的構造についてやりあってしまったのは、スレ読者には目障りで
申し訳なかった... が、議論の前提条件(道徳の構造)が分かるレスとして...
無理だな(w ヒューム否定レスに過ぎないしヒューム持ち出す人がそも多くないと思うし...
 おまけで拾物を勝手にコピペ。
> こうした発想は社会学に馴染みやすい。なぜなら社会学には「あらゆるものには
>前提がある」とする思考伝統があるからです。「自由には、自由にならない前提がある」。
>かかる思考はヒュームの黙契思想に遡りますが、社会学ではデュルケームの
>「契約の前契約的前提」という概念に結実します。他方マンハイムの言うように、
>近代社会ではもはや伝統主義は「反省された伝統主義」──再帰的伝統主義──である他ない。
>伝統主義と言っても、伝統とされるものをあえて選択するという近代的な人為の
>営みがあるに過ぎない。
> これを総じて、自由の護持には共同体的な前提が必要であり、共同体の護持には自由の
>護持が必要である、との循環が見出されます。自由と共同体は互いに前提を供給し合う
>関係にあるとするのが、前提を遡る使命を自らに課す社会学の見解であります。社会学では、
>これを「自由と秩序の問題」として議論して来ました。馬鹿は、自由が増えると秩序が減り、
>秩序が増えると自由が減ると見倣す「自由と秩序のゼロサム理論」をとります。
>これが全くの出鱈目であることは拙著『自由な新世紀・不自由なあなた』に詳述しました。
566朝まで名無しさん:04/07/24 00:48 ID:7OsNnV7g
短くまとめて下さい。
流石に読む気になりません。

>>316
>疎外されたく無い人間の求める規範が守るべき物として動機付けられる。
>この規範が「道徳」である。
疎外されたく無い人間の求める規範って言い方が悪かったかもしれん。
疎外されたく無い人達と言った方がよいだろうか?
他者が存在する時点で社会性が生じる訳でその辺は省いてあるが
普通はそれくらいは想像出来るよな?

日本で公とかパブリックっていう概念が、ほとんど理解されていないのはなぜか、
つまり、田舎のおやじの発想なんです。つまり、日本のパブリックっていうと、
せいぜい世間様なんです。確かに西洋の歴史を見ても、ギリシア時代なんかは、
あるいは、中世なんか、そういう感じでよかったんですが、18世紀、19世紀以降のパブリックっていうのは、
そういうものとは全く別のものに変わりました。どういうことかというと、
今の日本なんかも中世のヨーロッパと同じような感覚でパブリックと考えている。
それは、要するにみんな同じ、つまり、パブリックっていうの共同体なんです。
自分の属する共同体の作法に従うことがパブリックなんです。
ところが、18世紀、19世紀以降の市民社会のパブリックは、それとは違うパブリック。
そうではなくて、簡単に言えば、同じ共同体に属さない人間、民族も違えば、作法も違う、
場合によっては言葉も違う人間が一つの社会で共存するために必要なルールや創造力の領域を
パブリックと呼ぶわけです。ぜんぜん違うでしょ。
ttp://www.geocities.co.jp/Playtown-Dice/6503/txt14.html
567朝まで名無しさん:04/07/24 01:12 ID:7OsNnV7g
>>565
その『自由な新世紀・不自由なあなた』に基づいて作ったレスが>>393
>「普遍的」に「よい」って
>何が下した判断なんだろう?ってずっと指摘しているつもりなんだけど...
この問いも>>393で答えている。

>一行目の恥に関する記述から異なっていると私は思っている
「感受性」の意味は知ってる?
恥と罪の違いは解るかな?
価値と価値観の違いは解る?

長々と書いているが>>316を全く否定していないし
むしろ肯定している様にしか思えない。
568朝まで名無しさん:04/07/24 01:29 ID:7OsNnV7g
ひょっとして公の機関である国家(ステイト)と国民の共同体(ネイション)の区別がついていないのでは?

> 経済至上主義なのは良いとして、その経済活動を無制限に許すことはできない。
経済至上主義=共同性
経済活動を無制限に許すことはできない=公共生

>>558にも
>商業経済の主体をなす個々のブルジョワジーが他者を侵害しない一定の規範を見出すコミュニケーション的空間
と書いてある。
569朝まで名無しさん:04/07/24 19:40 ID:z/97ekoD
国民の共同体によって運営される公の機関が政府。国家は領土と国民と政府より成る。

公共の価値観は共同性をもとにして生み出され、
共同体の構成員がそれを共有することに同意することで成立する。
それは科学的でも普遍的でもなく、信じる信じないの話でもない。

価値感の異なる人間が集団をつくり、共同体を構成して公共の(同意できる)価値観をつくる。
その共同体の内部にいかなる小共同体が存在したとしても、その小共同体内部の価値基準が
同意したはずの共同体の価値観を外れることはありえない。

具体的にいえば、政治結社の内部で私的制裁による殺人が行われたとして、
それがその政治結社の内部で「よし」とされることがあってはならない。
それが宗教団体や朝鮮高級学校であっても同じ事。
570朝まで名無しさん:04/07/24 22:48 ID:La1j5h8s
>>567-569
 気が向いた時に読んでみそ、使ってる教科書じゃ書いてなさそうだから書いただけだよ。
また分類ですか... 予想通りの反応だね... まあ、この場で態度が変わるとも思ってなかったよ。

 また反論すると Loop だから.... まあ、頑張ってくださいよ...
571朝まで名無しさん:04/07/25 09:17 ID:U08CQtkh
なげーよ。
572朝まで名無しさん:04/07/25 10:38 ID:Pw68MUXS
>>569
> 国民の共同体によって運営される公の機関が政府。国家は領土と国民と政府より成る。
大間違い。
国民の共同体によって運営される公の機関が国家。
領土と国民と統治権が成立条件であり、行政、立法、司法によって成り立つ。
政府は内閣および行政機構をさす。

>価値感の異なる人間が集団をつくり、共同体を構成して公共の(同意できる)価値観をつくる。
価値観では無く価値ね。
自由、平等、国民主権と言う憲法で定められた価値。
価値観なんていう曖昧なものでは無い。
例えば「お金の価値」と「お金に対する価値観」ではだいぶ意味が違う。

>その小共同体内部の価値基準が同意したはずの共同体の価値観を外れることはありえない。
変な文章だなあ(w
正しくは
その小共同体内部の価値観が同意したはずの共同体の価値基準を外れることはありえない。

>>570
>また分類ですか...
あくまで分類で区別でもなく対立する様にも書いていないが解ってるか?

>まあ、この場で態度が変わるとも思ってなかったよ。
全然変わっていないが?
それより今まで変な決めつけをされていたみたいだが・・・

おまいさんは0点だ。
573朝まで名無しさん:04/07/25 11:32 ID:us0KcWdQ
>572
いらん言葉遊びして内容を批判しているような気にならんでください。
議論のレベル低すぎ
574朝まで名無しさん:04/07/25 13:38 ID:Pw68MUXS
↑言葉が違うんで内容がデタラメになっていることに気がつかない馬鹿。
575朝まで名無しさん:04/07/25 13:50 ID:us0KcWdQ
その言葉を訂正して内容を正している気になって悦に入っているが,その訂正が間違っている上に単に相手を否定することと自分への反論に反応しているだけのことに気づかないのータリン
576朝まで名無しさん:04/07/25 14:16 ID:FqEtt2K+
賢い人は道徳は儲かると知ってるから
何も無くても自然に道徳的な言動をする。
だから議論する必要はない。
2chで煽りや荒氏をすような
577朝まで名無しさん:04/07/25 14:21 ID:FqEtt2K+
2chで煽りや荒氏をすような奴は儲からない不幸な奴らだ。
578316改訂版:04/07/25 16:03 ID:Pw68MUXS
恥と言う日常的な感受性は教えられたから知るのでは無く
規範を破った時に身内から疎外された恐怖心が内在化して身につく。
又、規範も教えられなければ知る事は出来ないと言う訳では無い。
もしそうなら人類発祥以前に規範があった事になる。
個人にとって経験的、心情的正しいと学び取った規範か
疎外されたく無い人達(共同体や社会)の求める規範が守るべき物として動機付けられる。
この規範が「道徳」である。
我々が人を殺さないのは、「仲間を殺すな」というルールののせいじゃない。
仲間を殺せないように育つからです。
他者から肯定され、承認されて尊厳を獲得してきたひとは、
自分が自分であることにとって他者や社会は必要不可欠だから通常の精神状態じゃ殺せない。
だが、極限状態のため日常的感受性から離脱してしまうと人間は道徳心を失う。
そこで倫理が必要となる。
倫理とは心情的、経験的にそれが正しいと認識するには困難だが
科学的、叉は一神教的神の視線から普遍的に正しいとされた規範が「倫理」。
これは教えてもらうか統計学的調査等をしないと解らない。
身に付ける物では無く理解するか信じる物である。
科学的には個人が道徳心を身に付ける為に他人の尊厳を犯さない限り
自由な試行錯誤を保証する為の規範が倫理とされる。
又、不自由は(従って自由は)三類型に分けられる。
第一は、選択肢が端的 に不在だという不自由。
第二は、選択肢は存在するが特定の選択が抑圧されるという不自由。
第三は、選択肢があり、選択抑圧もないが、選択能力が不在で選べないという不自由。
この三種類の不自由が極限に達した時アノミー(無規範)が生じる。
579朝まで名無しさん:04/07/25 16:19 ID:Yd6J7rIo
何となく空気呼んで何となく丸く収まればそれで良いし、日本人はだいたいそれが
できてるから、学習したり伝承するような大層な道徳なんていらねえんだよ。
580朝まで名無しさん:04/07/25 16:26 ID:Fy7/xowb
長いものには巻かれろという道徳心だけでいいのか?必ずどこかで恥をかく羽目になるよ
581朝まで名無しさん:04/07/25 16:40 ID:Fy7/xowb
恥かくだけですめばいいけど、排斥とか迫害とかになる事もある。
いじめも倫理のうちと言う考えもありなのか?
議論するには双方の道徳心がある程度同じもしくは同じ部分でしか議論できない。
けんかするほど仲がいいと言うけど、排斥は仲がいいからできるのであろうか。
目下のものは可愛くなければならないという倫理もある。
場合によって使い分けているのが現状だね、皆軽い分裂状態。
582朝まで名無しさん:04/07/25 22:19 ID:u/fzskj/
共同体とか宗教とかの道徳も戦争や紛争などの過ちを犯す。
現在の日本のように単発的に事件が起きるぐらいが正常範囲ともいえる。
日本人はもともと賢い人が多いから独自の道徳観が混在し調和している。
これらを一つにまとめて規制してしまうから大きな問題がおきる。
だから今のまま
賢い人が賢い生活をして
馬鹿が馬鹿な生活をすればよい。
583朝まで名無しさん:04/07/25 22:26 ID:U08CQtkh
>>582

> 賢い人が賢い生活をして
> 馬鹿が馬鹿な生活をすればよい。

いやあ、論理的ですねえ・・・。
584朝まで名無しさん:04/07/25 22:43 ID:jpDynIYG
ここ何時見ても、小難しい事言ってるけど、
もう少し違う書き方出来るんじゃねーの?
卒論かなにかのために立てたスレ?
585朝まで名無しさん:04/07/25 23:04 ID:us0KcWdQ
正直ここで論理的な文章書かれているのを見ると,一生懸命勉強したんですねぇ。
で,自分の言葉はという思いがでてくるのだけれど。
586朝まで名無しさん:04/07/25 23:16 ID:U08CQtkh
>>583
w付けるの忘れてた。
587朝まで名無しさん:04/07/25 23:54 ID:n65V2lnY
基本的なことだけれど、道徳とは何だ?
合理的な説明を求めたい。
588朝まで名無しさん:04/07/26 01:11 ID:Fb2UPV5e
>>87 ... >>565
全部は読みきれてないけど、あなたの書いてることはなかなか説得力ある。
哲学かなにかを専攻の院生さんですか?

あなたの考えを伺いたいんだけれども、日本人の倫理観の根底にあるものは
何なんでしょう?

それから、道徳として教えるべきは社会性と書いてますけど、実際問題として
具体的に小学生や中学生にどういったことを教えたらよい?
589朝まで名無しさん:04/07/26 11:49 ID:9QV1D1x8
論理を主張する奴ほど何もしない何もできない。
2chで糞レスを書くだけの基地外と同じ存在。
590朝まで名無しさん:04/07/26 18:06 ID:N4p10LLt
>>572
国家の統治機構である政府と、領土・国民・主権にもとづく統治機構を備えた国家そのもの
を混同している。
原因はおそらく政府という言葉を行政府(狭義の政府)としかとらえていないために、
国家の一部である統治機構(広義の政府)に対して国家という名前を割り当ててしまったから。
あえてそういう意味で国家という言葉を用いるなら、領土と国民と統治機構を備えた「国家」
に対して何か別の名前を与えないと混乱する。

価値の共有 -> お金の価値を共有する。お金を共有する。
価値観の共有 -> お金の価値に対する見方を共有する。価値の置き方、価値の尺度を共有する。

価値観を共有する集団によって作られる。公共の空間とはそうしたもの。
いかなるものを「共通善」とするかというように、ある一定の価値観の共有が前提。当然です。
民族も違えば作法も違う、場合によっては言葉も違う人間が共存するための前提。
ただし、それらの人間が同じ国民国家の一員として共存するつもりなら、
国民としてのアイデンティティの共有も当然ながら前提となる。
591朝まで名無しさん:04/07/26 22:04 ID:GF9WX8Pu
日本から道徳観がなくなったのは
シルバーシートができた年だと思う
592朝まで名無しさん:04/07/26 23:02 ID:AFVaWr4k
道徳は身近な人間との関係の中での価値観を基に秩序を保つ為の規範である。
ボトムアップ式の規範であるが普遍的なものでは無い。
状況が変われば秩序を乱す可能性もあるため過剰に道徳的になると危険である。
倫理とは人間にとって普遍的に秩序をもたらす価値を示さなければならない。
トップダウン式の規範で道徳のガイドラインにならなければならない。
593朝まで名無しさん:04/07/26 23:38 ID:EdSF7NEg
日本語では道徳とは社会生活を営む為の知恵でしかない。
老いては子に従え、情けは人のためならぬ、智に働けば角が立つ情に棹差せば流される、など。
数ある知恵から何を選び出しまた作り出すかはその人の置かれている状況と経験から来る願望が大きく関わってくる。
その意欲に基づいて自発的に行為を社会に対し成すことで始めて道徳という形をなす。

道徳教育と称して規範を役者のごとく権力の前で演じてみても身に付くものではない。
現実は劇場ではないのだ。もしそれを行えば、彼は巨大なプライバシーを必要とするであろう。
社会と隔絶しても自給自足で生きてゆけるような。
それを得られなかったならばキレるしかないだろう、自我が何だかわからないのであるから。

倫理とは数ある道徳を普遍化しようとする試みである、
統治者が被統治者に対して意味あるものとなるような価値観を持ってもらうための試みである。
民主主義で少々替わってきた。それは自由と言う言葉のためである。
594朝まで名無しさん:04/07/27 06:47 ID:cGKM/qDV
中国政府の道徳教育の成果w
サッカーアジア杯 中国の反日行動、大国意識と表裏
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040727-00000000-san-spo

ここで議論してる奴はこういう事件を望んでいる基地外。
595朝まで名無しさん:04/07/28 01:25 ID:K5jxeevW
共同体のキキ
http://www.mof.go.jp/jouhou/syuzei/siryou/007.htm
教育云々よりも物的条件を改善する方が先なんだろう。働く意味ないよこれじゃあ。
596発狂お媛諏訪久美:04/07/28 01:26 ID:3xt8u7Qr
えぇ〜えぇ〜あぁ〜えぇ〜えぇ〜のご挨拶 投稿者:諏訪久美  投稿日: 7月28日(水)01時20分20秒

動画で王位戦前夜祭の様子を見せていただいて感激しましたが、タイトル保持者にしても挑戦者にしても、ご挨拶が昔の総理大臣のようにえぇ〜えぇ〜あぁ〜えぇ〜えぇ〜のご挨拶でした。立派なご挨拶ですね♪
しゃべりも将棋も超一流なんでしょうね♪
わたしにはさっぱり理解できません(*^_^*)
http://www5.hokkaido-np.co.jp/45oui/
597朝まで名無しさん:04/07/28 02:54 ID:K5jxeevW
>>578
自由にはフリーダムとリベラルがあって...というよりも
私の場合小学生の時「自由自在」と言う参考書がありまして、そこに書いてある。
自在力を持つ=自由を得る。という洗脳が抜けません。
だから憲法の自由とかどうも間違って解釈して30年以上経てしまいました。

しかし物事を自由自在に扱える力を得ることは大事だと思います。あなたの訂正の仕方に感服いたしました。
私にはとうていまねの出来ない自在力の持ち主とお見受けいたしますが、何かコツはあるのでしょうか。
よろしければお教えください。>>588の参考にもなると思います。
598朝まで名無しさん:04/07/28 08:34 ID:95nN1drp
誉めながら馬鹿にするというのは、品性がよろしくない。
599朝まで名無しさん:04/07/29 21:02 ID:it3A62ko
>>597
どんどん教育改革はすすんでいますよ。
私の地元の小学校も少人数性を導入しました。
ttp://www.tcp-ip.or.jp/~mrym/sugie.html
「互いに学び合いながら、社会的な態度を身につけていくこことが学力なのか」

豊かな学び方をつくる子どもの育成」ttp://www.ink.or.jp/~hanashou/kenkyu.ht

世田谷区
ttp://www.setagaya.ed.jp/shima/syouninnzuu.htm
ttp://www1.biz.biglobe.ne.jp/~kunimoto/es/2tokusyoku/
浦安市
ttp://kyoiku.city.urayasu.chiba.jp/syo_tyu_youti/syoninzu.html
ttp://shiochanman.com/essay/danryokuka.html
秋田県
ttp://www.jtu-net.or.jp/kaikaku/genba/005.html
ttp://www.jtu-net.or.jp/kaikaku/genba/005_3.html
神奈川県横須賀
ttp://schoolnet.yknet.ed.jp/schoolnet/element/116tsurukubo/mokuhyou.html
石川県
http://www.hokuriku.chunichi.co.jp/school/s_today/20020907.htm
京 都 府
ttp://www.kyoto-be.ne.jp/gakkyou/manabi/html/manabian2.htm
福岡県
ttp://www10.ocn.ne.jp/~korosue/syoninzu.html

>>598
匿名の掲示板で品性をどうこう言うのも・・・・・
600朝まで名無しさん:04/07/29 21:27 ID:FBPGCl0I
>>559
ちょっと一言、話それるけど。

今の義務教育過程で必要とされるのは少人数制よりも全寮制の公立小中学校ではないかと思う。

少人数だったら塾があるだろうし、集団数が多い方が社会性は身に付きやすいと思う。

社会の大人の都合に振り回されないで安価な義務教育を受けることが出来る制度が今は最も有効なのではないかと。

余剰教員の失業対策にもなるし、共働きの少子化対策にもなるし、児童虐待防止にもなるし、いいとこだらけだと思うけど。

私立の全寮制なんてのができるよりよっぽどいいと思うのだが、どうだろう。
601朝まで名無しさん:04/07/29 22:28 ID:it3A62ko
>>600
かえって危険です。
【ワクワク】 全寮制高校 【ドキドキ】
http://school4.2ch.net/test/read.cgi/edu/1048054394/l50
602朝まで名無しさん:04/07/29 22:46 ID:FBPGCl0I
>>601
第二次成長期終えた高校はおかしなことになると思う。なのに全寮制は沢山ある。
しかし小学校だったら全く問題ないだろう。特に低学年。
休みは帰省するから親子関係が疎遠になることもない。

今の閉鎖的な共同体公立学校制度の改善の糸口にもなりうると思うのだが
http://school4.2ch.net/test/read.cgi/edu/1051240661/l50

確かに今の少年犯罪とか学力低下の問題は学校の教師というより親や家庭に問題がある。
これを認めると教師の責任逃れになってしまうからあまり言わないけど。
少人数制にしても学校での授業時間や部活動を減らしたらこの問題を抱えた子供は救われない。
むしろ格差が付いてますますひどくなる。
少人数教育にお金かけるより全寮制義務教育を行った方が効果的だし底上げにもなる。
ついでに養護学校とか親のない子の施設なんかもへらすといい。
603朝まで名無しさん:04/07/29 23:01 ID:FBPGCl0I
604朝まで名無しさん:04/07/29 23:18 ID:it3A62ko
>>602

> 少人数制にしても学校での授業時間や部活動を減らしたらこの問題を抱えた子供は救われない。
> むしろ格差が付いてますますひどくなる。

デタラメ

 特に、習熟度別学習では、「出来ない組」という思いが生じかねない。「出来ないグループ」といわれる
子どもは学習意欲がが低下し、学びの放棄につながる。
 逆に理解度の異なった子ども混ぜたグループを編成すると、上達の早い子どもは、人に教えることで、
さらに学びが定着し、教わる子どもも学習態度を学ぶことが出来る。 協同学習は人間関係を築くことの難しさはあるが、
競争関係では「負け組」がでて、差別意識が生まれる可能性があることを忘れてはならない。
ttp://www.tcp-ip.or.jp/~mrym/sugie.html
605朝まで名無しさん:04/07/29 23:30 ID:FBPGCl0I
>>604
cooperationを重視するのであれば全寮制こそふさわしいだろう。

競争関係は子供が望むと言うより共同体が望んでいる。だから少人数にしても同じ現象がおきるということ。
むしろ少人数制で競合が起きたら悲惨だよ。

606朝まで名無しさん:04/07/29 23:50 ID:cB9N+Wni
>>605
いっとくけど、徹底して個人の尊厳が保障されない限り、寮生活は地獄そのものだよ。
607朝まで名無しさん:04/07/30 00:11 ID:QVI+iW0V
>>606
そうなんですか、私はやったことないものでよく解らんのですが。
私立だったら個人の尊厳を冒されることもあるかもしれないけれど、公立であったらそんなこともないのではないかと。
いまの共働き増加による保育園はもはや寮生活と変わらないのではないかと思うわけです。
お金がある家庭だったらどうにでもなるだろうけど、そうじゃないところは費用のかからない全寮制は歓迎すると思うのですが。
608地獄の寮生活:04/07/30 05:12 ID:EdN2E/ya
ttp://www.jca.apc.org/praca/takeda/number/950513.htm

飛び込む直前、サメが泳いでいるのを目撃。1年生が、「サメがいますけど」「波が荒いですよ」と再三、
3年生に中止を促したが、「これくらい大丈夫」と言って取り合わなかった。
「寮生の気合いを見せろ」と言われ、寮生たちは後が恐くて断れず、指示に従った。

安全を確認する意味で2年生2人を先頭に、1年生9人と3年生1人の計12人が海に飛び込んだ。
2列縦隊で泳いでいたが、高波で隊列が崩れ、松山塵(じん)くん(高1・15)、北原裕貴くん(高1・15)、
佐藤賢太朗くん(高1・15)の3人が溺れて死亡。高橋信人くん(高1・15)が行方不明となった。


基本的に全寮制の高校は上級生が新入生をリンチする伝統が有る。
609朝まで名無しさん:04/07/30 05:44 ID:f3eXMZcg
話を聞くと英国の学校なんかでも変わらないらしいね>上級生のリンチ
610朝まで名無しさん:04/07/30 13:04 ID:QVI+iW0V
話を聞くと日本の学校なんかでもいっしよで卒業生とかまで加わるらしい>上級生のリンチ
611朝まで名無しさん:04/07/30 13:05 ID:S/dWAy1J
私見(1)
道徳を学校の授業で教えられる・・・などという考えはナンセンス
私は70才ですが、戦時中の修身の時間のお話、式典のときの教育勅語の巻き物を
扱う校長の道化じみた仕種などには、子供心にもうさんくさいものを感じていました。

道徳とは先祖社会からの生活の知恵だとすれば、基本的には子供が大人になる過程で
生活のなかで自らが体得するものです。
大人自身がしっかりしてなきゃ道徳など伝承できるわけはない。

小6時代に万引きがはびこった。
集団で、駄菓子やから始まり、文法具、書店、デパートとエスカレートして行く
ある時「おれ、・・・泥棒・・・」と愕然として、背中にぞくっと走るものを感じた。

その頃、警察から全員に呼び出しがかかった(どの様なルートで呼び出しが来たかは…?)
取り調べは一人ずつ部屋に入って一対一で
“どこで何をとったか知ってるだけ全部“いわされました。

次は万引き仲間全員集をめて
  「遠い所迄来てくれてありがとう、今日、ここまで来てもらった理由はわかるねー」
  「みんなどろぼーになりたくないねー・・・」
  「もし、みんなのおとうさんが泥棒だったらかなしいねー・・・」
  「こういう悪い遊びはもうやめようね・・・」

全員、わーわーしゃくりあげてひとしきり泣いた後
  「こういう遊びで誰がいちばん迷惑するかわかる…」
  「本屋さんでもないし、デパートでもないんだよ・・・」
続く・・・
612朝まで名無しさん:04/07/30 13:06 ID:S/dWAy1J
私見続き
みんなはそれぞれ「誰なんだろう?」と考える、ずいぶん経ってから、 
  「それは自分自身なんだよ・・・」と、色々話してくれました。

  「今度のことは、学校にも、おとうさんにも黙っててあげるかんらね。」
  「遠い所迄ご苦労さん、パスに乗って帰りなさい」とキップを配ってくれました。
これ一度だけで万引き集団は完璧に消滅しました。

学校にも両親にもばれなかった事が、どんなに嬉しかったか、
泥棒・・・ときめつけなかったのは、変なトラウマが残らなくて、ありがたかった。
その後も「やさしいおまわりさん」というイメージがつよく残り、現在でも度重なる警察の
不祥事にもかかわらず“あの時のような警官は全国にいるんだ”との思いはあります。

子共を一人で警察に呼びつけての取り調べ・・・などは現在では想像も出来ぬことですが
泥棒をすれば大人も子供も警察で調べられるのは当たり前…と不条理なこととは少しも
考えませんでした。
結果として“完璧なショック療法”でした。
子供がみな持っている反省する力を反発心などに変えてしまわないで、うまく自分自身で
悟らせるのが一番と思います。
613朝まで名無しさん:04/07/30 13:12 ID:V9kswbMU
>>611 今の親は右も左も関係なく その手のことでも抗議してくるやついるからな
    過保護と放任が同居する最悪の親子関係。 
614朝まで名無しさん:04/07/30 14:18 ID:QVI+iW0V
>>611
万引き?マン○引きじゃないの。集団窃盗はそんなのじゃ直らんと思うよ。
俺の場合親に伝えられて殴られてからこずかい値上げしてくれてほしいものがあったら言えと言ってくれて直った。
何かへんだぞ。
615朝まで名無しさん:04/07/30 14:20 ID:eHwvwmns
青春の安売りが、すべての元凶です。
616朝まで名無しさん:04/07/30 14:27 ID:QVI+iW0V
なんでバブルの後こんなに累積赤字が増えるんだ。
617朝まで名無しさん:04/07/30 14:51 ID:S/dWAy1J
>>614
611です
たしかにまだおっとりした世のなかでした。
しかし大人はずいぶん変わっているしょうけれど、
当時のこどもも、今のこどもも生まれてから10年ちょっと・・・という部分は
同じなので、と・・・感じただけです。

集団窃盗の行為そのものは、子共の心をそれ程ねじまげてはいないと思います。
618朝まで名無しさん:04/07/30 14:52 ID:rCykTRIk
少年犯罪データベース 万引き
http://kangaeru.s59.xrea.com/manbiki.htm
「少年の万引き犯は減少しているのに、成人の万引き犯は急激に増加しているのが判る。
20歳代は10年前の1.7倍、50歳代は2.2倍、60歳代は2.6倍、70歳以上は4倍と高齢者ほど増加している。」

70歳の道徳はどうすれば直りますか?
619朝まで名無しさん:04/07/30 15:16 ID:QVI+iW0V
>>618
全寮制施設を作ってそこに入れる。
620朝まで名無しさん:04/07/30 19:38 ID:Lmxto2ie
「道徳なんて押し付けられるのは糞喰らえ」な思想を、子供の頃からマンガによって
植え付けられている人たちが多いと思うのだが。
もっと素直に解釈できないものかね…。
 
621朝まで名無しさん:04/07/30 21:56 ID:EdN2E/ya
>>620
そういう漫画って糞喰らえと言っているDQNが一番道徳的なんだろ
622朝まで名無しさん:04/07/30 22:09 ID:QVI+iW0V
>>620
小説のほうがもっとすごい、新旧問わず。歴史モノなんて発禁だね
623朝まで名無しさん:04/07/30 22:52 ID:jhcDlVO2
ではなぜ、新入生リンチで育てられたパブリックスクール出身者が
支配しているイギリスが歴史では勝っているんだ?
彼らは一見バカに見えるが、歴史的な指導者としては優れているのでは?
624朝まで名無しさん:04/07/31 01:17 ID:OqAMIFYk
>>623
ルールを持っているから。伝統と言い換えてもいい。

新入生への先輩の指導に基準も指針もなく、あっても受け継がれていかなければ、
単に「上級生になったらやりたい放題」になる。
625朝まで名無しさん:04/07/31 12:57 ID:QjPX2vEm
イギリスのパブリックスクールは閉鎖的で現代社会に対応出来る人材を育成出来ないと言う批判も有る。
2000年に行われたOECD調査で15才の平均学力の順位では日本は科学、数学は上位にいるが
これは応用力が無くてもこの年齢までは高得点がとれるお手本のような科目である。
読解力については正解率が低いうえに無回答目立つ。
すでに「その中に答えのある」問題は解答できるが、「自分で答えを書かねばならない」問題は
答えられないわけである。
さらにOECDの調査によると日本の子どもたちの学力は世界トツプクラスであるが、
同時に無類の勉強嫌いであると言う事であり、そのままにしておけばこの事が学力低下の原因になります。
ちなみに上位のフィンランドは少人数性を10年前に導入して世界トップに輝いている。
外国からの教育視察団が絶えなくなり「あまりの視察の多さに圧倒された。ふだんの仕事ができないほど忙しい」
教育省の研究機関である国家教育委員会のユッカ・サルヤラ委員長は驚きをこめて話す。
626朝まで名無しさん:04/07/31 12:59 ID:QjPX2vEm
� 【読解力】    【数学的分野】  【科学的分野】
1 フィンランド     日本       韓国
2 カナダ        韓国       日本
3 ニュージーランド ニュージーランド フィンランド
4 オーストラリア   フィンランド   イギリス
5 アイルランド   オーストラリア    カナダ
6   韓国       カナダ    ニュージーランド
7 イギリス       スイス    オーストラリア
8   日本       イギリス    オーストリア
9 スウェーデン     ベルギー    アイルランド
10 オーストリア    フランス    スウェーデン
11 ベルギー     オーストリア    チェコ
12 アイスランド    デンマーク    フランス
13 ノルウェー    アイスランド    ノルウェー
14 フランス    リヒテンシュタイン   米国
15 米国       スウェーデン    ハンガリー
16 デンマーク    アイルランド   アイスランド
17 スイス       ノルウェー    ベルギー
18 スペイン      チェコ      スイス
19 チェコ        米国      スペイン
20 イタリア      ドイツ       ドイツ
21 ドイツ      ハンガリー     ポーランド
627('A`):04/07/31 14:41 ID:C/rMb9Em
うんこ
628朝まで名無しさん:04/07/31 14:53 ID:SUket7Pw

共同体が機能不全の方向に向かう以上、
新たな形の共同体構築か、行政あるいはNPOなどを
中心にしたあらたな代替作業を行う施策が必要だろう。

例:児童虐待を受けた子供のケアの問題やアルコール等嗜癖の問題など
629朝まで名無しさん:04/07/31 15:23 ID:QjPX2vEm
>>628
もうあるよ。
>>599を読んでね。

630朝まで名無しさん:04/07/31 18:14 ID:y7XAUjf2
>>629
なるほど後は教える側のボランティア精神を育成するだけだね。
631朝まで名無しさん:04/08/02 10:36 ID:mWLErjaX
しっかし、犯罪も増える一方だし
家庭も崩壊しまくりだし、なんとかならんのか?

宮台慎司あたりがいかに分析できたところで
じゃあどうすんのってのはわからんからなあ。
632朝まで名無しさん:04/08/02 11:12 ID:OCzlOg+I
美少女の前では、すべての男はチンポ人間と化す。
633朝まで名無しさん:04/08/02 18:31 ID:0umtXRkM
>>631
犯罪は増えていない。
634朝まで名無しさん :04/08/02 19:23 ID:6oDs7Vxc
日本における道徳とは ばれなければ何をやってもいいと言うこと。
そして万一ばれそうになったときは人生いろいろといってあくまでしらを切ること
635朝まで名無しさん:04/08/02 20:19 ID:8WbgNKkE
人生いろいろって、公務員法を知らないまま国家公務員から国会議員にまでなった岡田君への皮肉なんでしょ?
636朝まで名無しさん:04/08/03 00:39 ID:nvZ3R+9V
おい…お前等…今日のニュース三鷹

岡田が「国連の決議さえあれば、人殺しのために軍隊を出します…」て喜んでたよ

いよいよ民主党も分裂だね   もっとも前から岡田の頭は分裂症だがね。
637朝まで名無しさん:04/08/03 05:26 ID:ujSD4ZdC
>>636
自衛の為に軍隊は出さないが国連のためなら軍隊を出す、ってのは基本的なスタンス。

安保理が決議したってのは中国がOKを出したという・・・
638朝まで名無しさん:04/08/03 11:21 ID:nvZ3R+9V
それで民主党が(国際紛争を解決する手段としての武力行使)を
容認する形での“憲法改正”に賛成するのかな・・・


639朝まで名無しさん:04/08/03 11:25 ID:vNC514uG
学校教育での修身の復活。
まず第一は貞操について。
中学・高校通じて教育すべし。
640朝まで名無しさん:04/08/03 11:27 ID:t3i7fuM0
まずは・・・・・

皇太子に「愛国心」教育をして欲しいと思います。
家庭のことだけでなくね。
641朝まで名無しさん:04/08/03 18:42 ID:nvZ3R+9V
>>631
宮台慎司は子供の凶悪犯罪を、教育のせい・・・にしたくてたまらない。
討論等でもみえみえ。
現在社会の大問題を自分の専門領域にのせようと必死。

もし教育のせいなら日本中が殺人だらけ。

単なる稀に見る変質者・・・というだけです。
年令制限のないインターネットや、子供でも自由に 見られるホラービデオのせいで
変質者が犯罪を犯してしまう“閾“がひくくなったわけです。
642朝まで名無しさん:04/08/04 00:13 ID:41TYl/H5
>641
おまいは教育を狭く捕らえすぎ
643朝まで名無しさん:04/08/04 01:00 ID:AZ41VDM/
>>641
学校のせいと言いたいのだろうか?
宮代は親の虐待による人格障害が問題だと言っているが。
学校化はそこに追い討ちをかけているというだけのはなし。
まあ>>599で示す通り教育改革も始まっているんで宮代の出番はもう無いな。
644朝まで名無しさん:04/08/04 01:01 ID:AZ41VDM/
>>640
愛国心とは参政意欲の事だが・・・・
645朝まで名無しさん:04/08/04 13:57 ID:QvUcY9R0
>>643
学校のせいでも、家庭のせいでもない…といっているのです。

稀に見る年少の変質者…が悪質な犯罪を引き起こす条件がととのってしまった。
昔なら飛び越えられなかった閾が(今回でいえばインターネット、ホラービデオ)
で低くなってしまったのです。

646朝まで名無しさん:04/08/04 19:08 ID:vV3egYHY
>>645
マスコミの差し出すものよりも強い良質な欲望を育てられなかった学校と家庭が悪い。

たしかにマスコミは何故か教育課程を習熟して悪魔のように活用して、欲望を提示して儲けている。

誰がやっているのだ、そいつが悪い。
647朝まで名無しさん:04/08/05 19:08 ID:MPHjKn/t
やっぱり、社会共通の底流に流れる伝統的な思想っていうのは、
=文明そのものだから、もう一度健全な伝統あるいは哲学とは
何かを国家レベルで考えないとダメだよ。
648朝まで名無しさん:04/08/06 08:05 ID:rtOu7sxb
>>644
参政意欲そのものじゃなく、その健全な動機をなす国土、国民、権力の自己同一視。
だから国民も国家元首も等しく持つべきもの。

参政意欲があれば良いってもんでもないし。
649朝まで名無しさん:04/08/06 10:36 ID:phCHebXb
>644
愛国心によって現れる衝動のひとつが参政意欲では?
650朝まで名無しさん:04/08/06 22:20 ID:wLrJSbQl
居候のくせに厚かましくも参政権よこせとわめく、(一部の)在日外国人も
参政意欲に燃えているのだろうか?
651朝まで名無しさん:04/08/06 23:40 ID:PKoDY0Em
>>648
        ※※※※※国とは何か?愛国心とはなにか?※※※※※

1.国とは広辞苑で「国家」「国土」とある。「国土」とは国の統治権のある領域。
2.国家とは国民とその財産を守る為に存在する「公共」の機関であり、国民の自己実現の為の道具である。
3.公とは異なる共同体やそれに属さない人達と互いに侵害しあわないで共生するための、
 ルールや想像力の領域である。
4.公共の機関である国家には使う者が互いに侵害しあわないで使用する為のルールがある。
5.道具に対する愛とは使おうとする意欲であり、愛国心とは国家とコミットしようとする意欲である。
6.現代の国と言う概念が出来たのは明治維新以降でそれまでは「くに」とは
 行政区画の一つとか故郷のことを指すことに他ならなかった。
 自分が生まれ育った「くに」やそこに住む人々とその財産を愛するというのは
 「愛国心(ナショナリズム)」というより「愛郷の志(パトリオティシズム)」というものである。
7.有事の際や国家が民主主義の理念に反した時等、状況がが変われば価値観も変わるので
 国家へのコミットのしかたやそれをしようとする動機は特定できない。
8.7により国家に対する憎しみも国家に対してコミットしようとする究極的な(一般的ではない)
 愛の形として認められる。
9.2により売国奴の国へのコミットも愛国心として認められるがその愛の形は4.により不当な物とされる。
10.「日の丸」「君が代」は戦後民主主義国家「日本」の理念や形態等を表していないので
 「愛郷の志」とは関係あっても「愛国心」とは関係ない。
11.近代以前の概念で愛国と言うなら当事の愛には「性愛」という意味しか無い。
 つまり愛国とは国とセックスしたいという意味になる(w
 仏教の十二支縁起の愛で近代以前の愛国を考えれば国をむさぼろうとする欲望となり売国を指す。
12.愛国と愛郷、日本と言う国(ステイト)と日本と言うくに(カントリー)機構である国と国民の共同体を混同する事は
 国民が一つにまとまる事をを政治家に対する不信感によって阻む反日的な考え方である。
 叉は国民が国家にコミットしようとする参政意欲を伝統の名の基に阻もうとする国賊的な考え方でもある。
652朝まで名無しさん:04/08/06 23:48 ID:PKoDY0Em
>>645
> 稀に見る年少の変質者…が悪質な犯罪を引き起こす条件がととのってしまった。
> 昔なら飛び越えられなかった閾が(今回でいえばインターネット、ホラービデオ)
> で低くなってしまったのです。

凶悪犯罪は戦後どんどん減少している
このグラフを見なさい→ttp://mazzan.at.infoseek.co.jp/img/l2g4.gif
元ネタはここから
ttp://mazzan.at.infoseek.co.jp/lesson2.html
653朝まで名無しさん:04/08/06 23:56 ID:rtOu7sxb
民族愛とは自分の属する民族とアイデンティティを共有することであり、
愛国心とは自分の属する国家(国民、国土、統治権力)とアイデンティティを共有すること。

アイデンティティを共有する動機付けが
理念にある場合は理念を強調する必要があるし(フランス)
信仰である場合は信仰を強調する必要があるし(イスラム諸国)
君主である場合は君主を協調する必要がある(王家の紋を配するなど)

日本の国旗は本来なら菊花紋がベストなんだろうけど、恐れ多かったんだろう。
多分。
654朝まで名無しさん:04/08/07 00:14 ID:g5Ccu3IL
何でも良いけどしことが稼ぎの割りにきつくて将来性無いからやめたいんだけど。
何かいい仕事ないですか?
655朝まで名無しさん:04/08/07 00:29 ID:JU7YRNfb
>>654
年下にあごでこき使われる事に抵抗が無いなら情報処理関係がおすすめ。

稼ぎの割りにきつくて将来性無いけど。
656朝まで名無しさん:04/08/07 00:36 ID:L1R0oBvz
>>653
>日本の国旗は本来なら菊花紋がベストなんだろうけど、恐れ多かったんだろう。
日本の国旗の場合、郷土性のみで国民主権、自由、平等、のような
民主主義国家の理念や建国の経緯はデザインのコンセプトに入っていない。
「日の丸」は,江戸時代以前にも使用されていたという記録が残っている。
たしか貿易の為に慌てて日の丸を国旗にしたのがルーツ。
菊花紋だったら戦後に変更されているはず。

>愛国心とは自分の属する国家(国民、国土、統治権力)とアイデンティティを共有すること。
>>651の1.2.3で示される様に国家に国民は含まれない。
国民、国土、統治権力は只の国家の成立条件。

国民(ネイション)が共同体だというイメージを説明すると、
具体的に煎じ詰めていえば、国民議会に参加して自分たちのためになるように政府を動かそうとする
参加意欲を一緒にもつという意味で互いに同感可能な「我々=共同体」である、ということ。
657朝まで名無しさん:04/08/07 00:51 ID:HXOdHXQ2
>655
俺も情報処理関連で食ってる。
一世代以上年上の派遣社員を使う事もざらだが、それなりに気を遣う。

そういう立場では人間の見にくい本性が現れがちなので、お願いしますと
ご苦労様は忘れないように心がけている。

相手もそれなりの年で人格も完成しているわけだから、教育的見地
から叱ったりするのも難しい。それなりに筋を通さないとな。

何が言いたいかというと、実力重視で年功の意味が薄れた組織
でこそ優れた道徳が必要なのではないかと。
日本人は結局ドライになりきれんのよ。
658朝まで名無しさん:04/08/07 05:23 ID:JU7YRNfb
>>656
> >>651の1.2.3で示される様に国家に国民は含まれない。

別にどこで何示したって関係ないよ。
国家って言葉が嫌いなら「ホゲホゲ」とでも読み替えてくれ。
愛国心はホゲホゲ(国民、国土、統治権力)と自己を一体視すること。

別に国民主権や自由や平等が好きでニッポンはじめました、なわけじゃないから
国旗に理念なんて必要ないの。日本は。 
国旗に自由も平等も博愛も、イスラムの緑も要らないの。日本は。

>>657
そういう場合に必要なのは道徳じゃなくて礼儀なのだと思ふ。様式、習慣。
あなたのいう「それなりの筋」ってやつですかね。
659朝まで名無しさん:04/08/07 09:48 ID:bLz8begV
やっぱり国家論になると、
急激な西欧化と古代化という二律背反をせざるを得なかった
我が国の悲哀が現在にも大きな影を投げかけているのがわかるな。
660朝まで名無しさん:04/08/07 10:42 ID:SK3CTNUA
>>652
>凶悪犯罪は戦後どんどん減少している

そんなことは百も承知。
 凶悪犯罪の質の変化のことを指摘してるのです。
 小学生が校内で計画的な殺人をしたのですよ、
短絡的に 
 教育によってこのような犯罪を防ぐ手立てはないでしょう。といっているのです。
 インターネットが小学生にどのような影響を与えているか…を
 先きに研究してから、のことです。

 
 
661朝まで名無しさん:04/08/07 14:10 ID:AJRidBaW
障害者を愛することが、道徳再生の第一歩でしょう。
662朝まで名無しさん:04/08/07 17:44 ID:g5Ccu3IL
障害者を敬うことが、道徳再生の第一歩でしょう。

ナルシシズムの押し付けは堕落と退廃しか生まない。19世紀末なんか顕著。
しかし年寄りばっかいるなこのスレは。
663朝まで名無しさん:04/08/07 18:54 ID:HXOdHXQ2
障害者だから愛するのだろうか?
もしその人に障害がなかったら愛さないのだろうか?
単に優越感を感じているだけではないだろうか?
自分がイイヒトに思えるのが心地よいだけではないのだろうか?
本当の”愛”って存在するのだろうか?

等々、いろいろ考えさせられました。
664朝まで名無しさん:04/08/08 11:16 ID:AjK+mNhe
>>663
>本当の”愛”って存在するのだろうか?

するよ。君もいずれ経験するから大丈夫。
665朝まで名無しさん:04/08/09 00:41 ID:Xcq2VOax
age
666朝まで名無しさん:04/08/09 01:00 ID:mFERymE+
>1
>日本は、戦前戦中の国家神道時代へのアンチテーゼから、
>宗教一般そのものを否定的に考える傾向が強い。

宗教本来の目的とは別の目的を持っているような新興宗教団体の存在のほうが
宗教一般を否定的に考えさせる要因として強いように思うんだが。

そういった団体の信者が団体に都合のいい教義を刷り込まれ
それを元に動くため、他者と軋轢を生む。
宗教団体に属しているのに、宗教そのものより
団体に従うという傾向が強いため、倫理もへったくれもなく、時として暴走する。

宗教的な面から倫理を説くなら、宗教そのものの価値を高めるために
インチキくさい宗教“団体”を駆逐する必要がある。
667朝まで名無しさん:04/08/09 10:33 ID:+/uAz/Ym
>>658
> 国家って言葉が嫌いなら「ホゲホゲ」とでも読み替えてくれ。
> 愛国心はホゲホゲ(国民、国土、統治権力)と自己を一体視すること。

誰も国家と言う言葉が嫌いなんて言っていない。
国民主権の日本では国家が国民に仕えているというのは当たり前の事。
だからば国民の理想に国家を同一化させるという参政意欲が愛国心だと言うのは当然。
別に自己を国家に同一化させる国体思想を鼓舞するのも自由ですが、
近代国家の何たるかを知らねばなりません。
ステイトは「機構としての国家」、ネーションは「国民の共同体(生活や文化を含めた相続財産)」です。
近代の国家 は「国民国家」と言って国家が、国民の共同体(生活や文化を含めた相続財産)を
守るために存在しています。
国家が国民のために機能していないなら、命を賭けて国家改良や革命に乗り出すことこそが、
愛国心の本義です。

> 別に国民主権や自由や平等が好きでニッポンはじめました、なわけじゃないから

極東軍事裁判が合法であろうが無かろうが明らかに不公平なものであろうが
講和条約に調印して裁判結果の受託を当事諸国に約束し民主化して
講和体制下の当事諸国や周辺諸国の協力や援助があって始めて敗戦後の戦後復興がありうる。
その叉豊かな成果を私達は既に存分に享受してしまった。
講和体制下のウマイ汁を散々吸っておいて今さら戦後民主主義の日本を否定するのは
自分は愛国者だと言い張っても国賊以外の何者でもない。

> 国旗に理念なんて必要ないの。日本は。 
> 国旗に自由も平等も博愛も、イスラムの緑も要らないの。日本は。
国民の共同体とその財産を示す物で愛国心とも関係ないし天皇とも関係無いからね。
理念なんて必要無いです。
668朝まで名無しさん:04/08/09 13:24 ID:KXOHN1dP
小泉純一郎にサディスト疑惑が出ています。
週刊誌でも話題になりました。

小泉のサディスト行為(殺人プレイ)について、
知っている方は、どんどん情報を下さい。

なんでも、相手の女性の首を絞めて、
セックスするんだそうですね。雑誌に載っていました。

恐ろしいですね・・・人を殺そうとしながらセックスする小泉!

こんな殺人者に、日本を任せるなんて、間違っている!
669朝まで名無しさん:04/08/09 21:13 ID:BVSczByr
>>667

> 別に自己を国家に同一化させる国体思想を鼓舞するのも自由ですが、
だから、あなたのいう国家と私のいう国家とは違うのだから、ホゲホゲといって下さいな。

> 講和体制下のウマイ汁を散々吸っておいて今さら戦後民主主義の日本を否定するのは
日本が成長するのと、日本の成り立ちとは別の話ですよ。
670朝まで名無しさん:04/08/09 21:49 ID:+/uAz/Ym
>>669
> だから、あなたのいう国家と私のいう国家とは違うのだから、ホゲホゲといって下さいな。
あなたの言う様な国家(明確に言うと漢語で言う国家)とは
諸侯が治める国と卿大夫が治める家との総称で、特定の境界を持つ支配地・支配民を意味したって事ね。
支配機構を出発点にする方向性は西欧の国家概念と同じだが、支配の対象である土地と人民を含む点で、
ニュアンスの違いを持つ訳だけどこの定義で愛国心を考えると>>651の11.12で言う様に
11.近代以前の概念で愛国と言うなら当事の愛には「性愛」という意味しか無い。
 つまり愛国とは国とセックスしたいという意味になる(w
 仏教の十二支縁起の愛で近代以前の愛国を考えれば国をむさぼろうとする欲望となり売国を指す。
12.愛国と愛郷、日本と言う国(ステイト)と日本と言うくに(カントリー)機構である国と国民の共同体を混同する事は
 国民が一つにまとまる事をを政治家に対する不信感によって阻む反日的な考え方である。
 叉は国民が国家にコミットしようとする参政意欲を伝統の名の基に阻もうとする国賊的な考え方でもある。
となる(w
671朝まで名無しさん:04/08/09 22:41 ID:BVSczByr
>>670

じゃあ、あなたのいう愛と私のいう愛とは違うので、私のいう愛のことをほにゃらら(自己一体化)と呼ぼう。
わたしのいう愛国心とは、ホゲホゲ(国土、国民、統治権力)を、ほにゃらら(自己と一体化)することです。
672朝まで名無しさん:04/08/10 10:24 ID:jLrWnk8I
国家を近代以前の概念で語るくせに、愛を近代以降の概念で定義して自分の都合の言い様に語るなよ(w
結局自分の主観じゃないか。
愛国心を個人の趣味の基準で定義している癖に公的に正しいと言い張るのか?
673朝まで名無しさん:04/08/10 19:36 ID:HZ5ThACg
>>672
誤爆ですか?
674朝まで名無しさん:04/08/12 10:12 ID:G/HYoKar
私の祖父は旧陸軍主計中尉で、大戦の初期には中国にいました。
じーから何度も聞いたはなし。

日本が中国に侵略したのは事実、
ほっておくとロシアが必ず中国を取る→朝鮮→日本となる
その前に既得権を得てロシアの南進を防ぐ必要があった。
(要するに世界中、それが当たり前の世の中)

じーが言います、支那人は
道徳感ゼロ
同胞感ゼロ
平気で人を裏切る、人の物を取るのは取られる方が悪い
ごう慢と、卑屈の変わり身
まるで国民全体がどろぼー集団の気がして、まともに人間としてみられなかった。

じーは今92で健在、今でも「支那人。ちゃんころ」て馬鹿にしてます。

今でもそのままの 未開発な後進国というわけです。
675朝まで名無しさん:04/08/12 18:26 ID:9MW5p3pb
>>672 横槍申し訳ないが、日本人にはヨーロッパのような体験的近代がないから、
 民主主義を全く理解してない。確かに、私たちにとって国家とは全体を把握する
にはあまりにも巨大で、曖昧なものだ。そんなもののために真剣になったりはしない。
だから、私たちは個人の幸せの範疇に逃げて、権利を自分たちと距離のある誰かに
無邪気に預けてきたわけ。日本には官僚制が育つ土壌があった。
 社会悪が社会機構の改善で良くなると思うなら、人々は全体主義に傾倒し社会の
変革を目指す。社会悪はなくならずとも無関心でいられるレベルになれば、社会を
変える以上に、個人の生活が関心事となる。それが現代。

 性善説的になれば全体主義、人間が良いことしかしなければ、トップダウンで行けば
効率いいでしょ?人に任せとけばうまくいくわけ。しかし、ファシズムを産んだのが史実。
 性悪的になればお互いを監視しようとする。監視されず、自己浄化できない組織は
独善/社会悪となることは日々の News から知ることができるし、史実でもある。まあ、
当然監視と個人の近視眼的視点しかなければそれも取るに足らない社会だろ。
 社会の機構ってのは全体主義的か個人主義的か?このバランスと見なせる。
ニーバーの光の子/闇の子って話。 ttp://www3.ocn.ne.jp/~t-naka/kangae.html

 組織の行動/実行力と、個々人が感じる反省的な改善が取り入れられる機構、必要
なのは絶対的価値観でなくて(倫理なんて幻想は完成しない)、柔軟な組織と
適切な批判と主張ができる経験(歴史や哲学って言うのは、ある程度多くの人が認めた
価値観のあり方の一例を学ぶこと。当然日常的な社会のあり方を理解したり感じることも必要)。
 EU ってブロック経済と言ってしまってもいいけど、国家の価値がシフトしているよね?
経済的成功の単位が国の中に完全に閉じなくなってる。そうやって国家って価値観すら
変わるわけ。日本が東南アジア等を巻き込んでブロック経済を作れって人がいるけど、
日本人にはそんな態度は身についてない。替わりに職人気質や自然に対する洞察を
育む素地が育まれていたんだろうね。
676朝まで名無しさん:04/08/12 19:01 ID:jruWejqW
>>675
>日本が東南アジア等を巻き込んでブロック経済を作れって人がいるけど、

たしか着実に進行していると思った。
もう韓国との企業間で共通の通貨が流通出来る様になったんじゃ無かったかな?
近代化を徹底しないと何処の国も国際社会の中で生き残れないよ。
677朝まで名無しさん :04/08/12 19:19 ID:ZDL4F3C1
ばれなければ何をやってもよい
ばれそうになったら人生いろいろと言ってとぼけとおす
それが現代の道徳
678朝まで名無しさん:04/08/12 19:25 ID:Rg3/YYU8
>>677
いつの時代もあんたみたいな精神的賤民はいるもんだな。
679朝まで名無しさん:04/08/12 20:17 ID:9MW5p3pb
>>588 >>597 善悪をどうやって決めるかって事ですよね。それはあなたも自然にやっている。
 どんな哲学者だって同じ。彼らの主張はどこかに欠落した視点があって批判される。
 何も創造せず、同じ過程が無限に繰り返せる社会なら普遍的なものも定められるけど、
そんなものはない。良いことのために作られたものが日々問題を産んでいるわけ。そこで
不完全な主観を持ち寄って客観に近づける。実はこの過程以外に客観を生み出す方法はない。
その原理に目覚めることが民主たる理由だろうね。
 学生も社会人も、社会に参加する限りは道徳に従わざるを得ないでしょ。でも学生は
社会の機構も理解せず、問題に遭遇した経験もない。どう振舞う方が良さそうか、
判断する材料がない。広範囲な事実から善悪を導く原理(理性)が、沈殿した知識/経験から
育まれるはず。過去にもそんなこと考えた人が沢山いたし、実際に国を作っていた。
 その経験の蓄積が、歴史や哲学にあるから借りてくる。たたき台にする。
絶対的規範なんかではなくて、規範を導く(善悪を導く)原理(理性)を拡大するためにね。

 分かっているとは思うけど、>578 は別の人。その上で解答を求めたんだと思うけど...
 善悪ってのは個人にとって必要な概念じゃない。社会生活(二人以上の人間間)のために
必要となる。道徳の構造は単純だよね?寮生活で相手が議論できない存在であれば、
強制力のある誰かに助けを求めるとして、それ以外は消極的な協力関係を作って乗り切れば
良い事が多いわけ。しかしより複雑な利害が絡み合えば、積極的に協力関係を取り付けない
わけには行かなくなる。原理の単結晶のように社会が作られはしないけど、客観として
社会に受け入れられるためには、他人への公正さを持つ努力をし具体的に考えて行動すべき
必要性を教えれば良いだけなんだけど... 日本についてはまたの機会に....(無いと思うけど)
P.S 私は全くの素人だし、まともな本の一冊が租借され蓄積されて、他の思想と対峙した時
 に引っ張り出されるようになれば、体系的理解も進むと思うけど...
>>675 の Link は割りとまともなことが書かれていると思うけど、こうやってできた規範を
教えるんじゃなくて、人間の関係性が原理だってこと。知識としてその程度のことも教えられてないでしょ。
680【汝 他者に危害を加えるな】:04/08/12 20:31 ID:TGUmP/qm
自由主義の原理で社会を組み立てようとするならば、
対隣人的な道徳律として、「他人に危害を与える行為を禁ずる」のみでいい。

個人の内面的な道徳律については、 他人に危害を与えない限りにおいて、
種々の道徳律を 各個人が採用してよい。

ttp://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=Liberacion
681朝まで名無しさん:04/08/12 23:02 ID:jruWejqW
国家とは、人間が「万人に対する万人のための闘争」的自然状態を超えた
真の自由を獲得のための人為的構築物で
その理想がアダム=スミスのいうところの「夜警国家」である訳だが
しかし、資本主義主導によるビュルガーリッヘ=ゲゼルシャフト(経済的市民社会)の発達は
社会的・経済的弱者を生み出すという矛盾を露呈させ、
それに対する国家の積極的介入が要請されるようになる。
ここに「福祉国家」の理念が生まれる訳だが政府に手厚く保護されている為に
鼠算式に増える官僚が国家機関の腐敗を招き市民がよりよいサービスを
安く享受できるという福祉国家の利点がうすれてしまうという矛盾が露呈する。
そこで事業を市場経済に放り込む事によって競争を解したサービスの向上と
価格の低減を目指すように民営化が行われる。
経営には能力とセンスが求められる為に自ら浄化しない限り官僚だった人間は生き残れない。
その結果、教育と産業の成功により同じ共同体に属さない人間、民族も違えば、作法も違う、
場合によっては言葉も違う人間が一つの社会で共存するために必要なルールや創造力の領域である
「公」が確立され国家の機能を安全保障や治安維持など最小限にとどめたものが「自由主義国家」。
さらに通貨や企業の統合やグローバル化によってコミュニケーションや流通が
地域性に縛られなくなると安全保障も必要無くなってくると国家自体が必要無くなる。
理想と言えば理想だが仮に実現しないとしても紆余曲折をへてそういう方向に進んでいるとはいえる。
682朝まで名無しさん:04/08/12 23:24 ID:Mvfop/9X
>>677
岡田さんでしょ。ひどいよね。
683朝まで名無しさん:04/08/13 01:57 ID:Mv+QU119
>>680 ふう。 誰にも迷惑かけず生きられるのは隠遁者のみ。
 一人で生きられない現実がまずあるんですけど... 自分がいろんな恩恵受けていると
分からない学生がよくそんな事言うと思うけど?道徳は個人の問題じゃないんだって...
 バランスと言っているわけ。全体主義的とは社会的であるということ。程度問題なの。

 ニーバー
 ttp://www3.ocn.ne.jp/~t-naka/seminar/semi16.html

 こんなはどうよ?コミュニティに話題誘導してみるテスト

 崩壊するコミュニティ
 ttp://www.pref.toyama.jp/sections/1015/ecm/back/2003aug/tokushu/index2.html
684朝まで名無しさん:04/08/13 19:56 ID:Mv+QU119
 何でこんな厄介な話になったかと言えば、善悪を如何に決めるのかと言うところに
行き着く問題だから。それが原理だって言ったよね。

 ストックオプションが問題になったことがあった。株の価値を引き上げるために
会計情報をごまかす不正が行過ぎたのが Worldcom の事件。評価さえ上がれば
何もせずに報酬が増えた。役員の給与はBillion(10億)単位で語られ、一般社員との
格差を産んでいる。ストックオプションも全てが悪いわけではないが、この状況が
が正しくないとは感じる。役員と一般社員の能力的差が反省された結果の報酬であるか?と
 経済とは何のためにあるのか?一部の人間に不労所得を与えるためか?元来、
公正な競争と富の公正な分配のためにそれは働くべきだ。つまりこれが原理だ。
 こういった軸によって、制度の行き過ぎ乱用に善悪の判断が下せる。近視眼的でない
判断を主張できる。国家規模の変革に理由を与えられるはずだし、せめてそれを開示する
事でしか客観性も得られない。

 経済は何のためにあるか?と言う軸を、社会で言えば人間観や社会をどう捉えるか
と言うことになる。人はこうあるべきだから...と言うことになる。一応その大枠は近代的人間観
に頼っているんだと思う。>>683 ニーバーが言うところの危機のあるね。平面を想像しては
だめだ。道徳を蓄積する各組織が多層かつリレーションを持っている。その三次元的網構造に
砂の様な無数の結晶が散りばめられている。国家や法が大きな結晶を持っていると誤解してはダメだ。
 それは結局一つの小さな結晶以上の判断能力はないのが実態。当然皆が補完する。
 組織とのかかわり方が分からない人間は、組織を絶対視しがちだ。道徳を絶対視するのも同じ。

 当然その軸の中(人間はかくあるべきって原理)に日本的なものがあるわけで、そのことに
ついてもっと探っていくスレだったと(ry さらに進めば崩壊とか失われたものが何によって補完され、代行されるとか、現在の人間観のゆがみや欠落が描き出されるとか...が理想の展開じゃ...(ry
 確かにこんな現代社会の元となっている人間観(近代を元にした)を理解していない人間が多いと
言う事実も一つの大きな問題だけどね... 伝統的/近代/現代の人間観が並列/網的に絡み合っている
話題と言えなくもないね...
685684 オナニー勝負:04/08/13 20:02 ID:Mv+QU119
補足: 最後の 伝統的/近代/現代 の近代は、明治/大正くらいの事。
686朝まで名無しさん:04/08/13 20:17 ID:XTBheACJ
なんか難しい意見が多いけど、今の日本のモラルの低下は
オヤジの権威が地に落ちてる事が最大の要因だと思うけどな。
宗教や道徳以前の問題で只単にみんなワガママでこらえ性が
無い人間が量産されちゃったんだよ。
687朝まで名無しさん:04/08/13 20:31 ID:bEE2dgyv
マスコミに情報操作されちゃって危機を感じていないから
わがままで自分勝手な方向に走ると思うんだけどね

用はマスコミひたすら隠してるユダヤ人や在日
多くの若者がユダヤ人が世界でなにをしてるか知れば
グレてる暇はないと思う

大人も含めて世の中見えてない奴が多すぎ
688朝まで名無しさん:04/08/13 20:46 ID:rMF2KdXl
道徳は、自分を反省できるか、
    他人を思いやれるかどうか、それに尽きると思う。
個人も国も。
689朝まで名無しさん:04/08/13 20:53 ID:1C/NRtpz
しっかし、何も悪いことしてないのに、いきなり、『悔い改めよ』 はないだろ。
馬鹿にしとるな、あいつら、
で、漏れは何も悪いことした憶えがないんでつけど、つっていったら、
言うに事欠いて、
生きていることそのものが罪だとぬかしよる、『原罪』とかこじつけて。

てか、思うに
宗教がないと何時なんどき悪事をしでかすかわからんどうしようもない
香具師のために宗教てのが必要なんだろ。
ということは、宗教信者てのは極悪非道のゴロツキの集まりということになる。

漏れみたいな善人には、くだらんことを言ってくるんじゃねえぞ。


690朝まで名無しさん:04/08/16 10:38 ID:aUhIzp3b
>>686

> 宗教や道徳以前の問題で只単にみんなワガママでこらえ性が
> 無い人間が量産されちゃったんだよ。

忍耐も立派な道徳律のひとつだと思うぞ。
691朝まで名無しさん:04/08/16 10:47 ID:rmWRLGYh
             |
             |
    /V\ J>689
    /◎;;;,;,,,,ヽ   
 _ ム::::(,,゚Д゚)::|  ほよ?
ヽツ.(ノ:::::::::.:::::::.:..|) 
  ヾソ:::::::::::::::::.:ノ 
   ` ー U'"U'      
692朝まで名無しさん:04/08/16 11:05 ID:VY+bRWAy
形を変えて発散しないと、忍耐するだけでは歪むぞ。
693朝まで名無しさん
age