2!
しかしまたヲナニィ脳内エッセィ始めようと思ったら
シャルに邪魔されてやんの
( ´,_ゝ`)プッ<ヲカマ克彦
復活か?
落ちたスレのレスを削除した上にフカーツかい・・・
塚、コピペ削除したらこれだけしかレス付いてなかったんかい (苦藁
8 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/16 22:31 ID:NFbEkRuD
よくわからんけど保守
もう岡やんはいいよ・・・。
飽きた。
『響き合いを求めて』
住友信託銀行 システム開発第一部 岡田克彦
(1990.9.執筆、1991年度、住友信託銀行 新卒者向け会社案内グラビアページ
‘his point of view’のグラビア添付用自己紹介文として掲載)
「音楽はうその中でも、もっとも美しいうそです。」
これは、私の好きなドビュッシーのことばです。私も美しいうそを求めて、
小学生のころから書きためてきました。もう、600曲くらいになるでしょうか。
一昨年、「クラリネットとピアノのためのドメスティックなラプソディ
ーOP.61」という、日本の原風景といったものをイメージした曲を、
東京・御茶ノ水にある室内楽専用のカザルス・ホールで行なわれた
コンクールで発表し、1位をいただきました。
そのときの審査員だった、ヴィオラ奏者の今井信子さんはオランダに戻って
(彼女はアムステルダムに住んでいます)この曲を演奏会で弾いてくれた
そうで、たいへん光栄に思いました。
でも、もっとうれしかったのは、コンクールを聴きに来ていたあるお年寄り
の女性から、「聴いていて自分の育った田舎の山や川が浮かんできました」
という手紙をもらったことです。
音楽は、美しいうそであると同時に、それを受けとめてくれる人との
感受性のコンタクトだと思います。あるモチーフで、例えば旅行したとき
に見た風景を素材に私なりの感性で作曲をします。それを演奏家は
演奏家なりの感性で弾き、聴く人はまたその人なりの感性で受けとめる。
その三者のコンタクトの中から生まれる響き合いが私にとっていちばん
大切なものなのです。曲というのはそのための手段に過ぎません。
クラシックの作曲をしているというと、気難しい人間を思い浮かべる人も
いるかも知れません。でも私は「明るく楽しく」こそが、いい曲づくりの
秘訣だと思っています。
創作というのは何でもそうでしょうが、自分の感性がそのまま表れるもの
です。いい曲を作ろうと思ったら、弾く人、聴く人の反応やいろいろな
外からの刺激を素直に受けとめる姿勢が大切で、自分の世界だけに
こもっていては、すぐに限界がきてしまうでしょうね。
新しい人と知り合え、新しい刺激と出会えるという意味で、私は転勤が大好きです。
赴任先の一つ松山支店時代に盲腸を患って、1か月ほど入院したことがあります。
入院は生まれて初めての体験だったので何もかもが珍しく、その感動(!?)が私に
「点滴の詩(うた)」という曲まで作らせてしまい、見舞いに来た人や看護婦さん
を呆れさせました。
今、仕事では、私はシステム開発に携わっています。システムという興味深い
ものとの新しい出会いを求めた私が、会社に希望を出し、それが受け入れられたのです。
マーケット・リサーチのシステムを作ったときは、全店発表会で委員長賞を
もらいました。預金・ローンなどの大量一括処理に代表されるのがこれまでの銀行の
システムでしたが、現在住友信託では、信託ならではの、手づくりやきめ細かさと
いったノウハウをシステムに取り込もうと、力を入れています。
20 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/16 23:11 ID:aWSwdiKf
121 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :02/12/16 23:03 ID:aWSwdiKf
土産に花火持ってくぜ
122 名前: ◆gyganPkUoY :02/12/16 23:07 ID:9TSV5dv2
いいなぁ、花火。
123 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :02/12/16 23:08 ID:aWSwdiKf
夏のキャンプで大量にあまったのが役に立ちそうだ
124 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :02/12/16 23:08 ID:pO3lQAvF
過去ログとかどこにあんの?
125 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :02/12/16 23:09 ID:aWSwdiKf
ここに岡やんの住所かいたらまずいかな?
何が言いたいの?
22 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/17 00:53 ID:ghWrGetL
23 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/17 02:03 ID:znt+Ut8/
おかださ〜んここにもあるよ〜(プ
『孤独とノスタルジーの果てまで』
・・・プーランク・・・
岡田克彦
1986.8.10.執筆、『ピアノと遊ぶ会会報(1986年8月号)』に掲載
演奏する立場において、僕が一番愛している作曲家は、フランシス・プーランクです。
今まで出会ったどんな作曲家よりもぼくに近くて、もしかしたら彼はぼくの
ために曲を書いてくれたんじゃないかと思えるほど、水を得た魚のように、
自然に演奏できるからです。
初めてプーランクの曲を聴いたのは、4年前、APA(エイパ・日本アマチュア
演奏家協会)に入会して間もない頃でした。できたばかりの、簡易保険会館
で行なわれたベルリンフィルメンバーによる室内楽コンサート。曲は
「オーボエ、ファゴット、ピアノのためのトリオ」でした。この時の
第一印象で、そのうち、ぼくが夢中になる要素を持った作曲家だ、と直感しましたが、
まさか、今のような深い関係になるとは夢にも思いませんでした。
当時は、ただ、フォーレの室内楽曲をやることだけが当面の課題でしたから。
ところが、APA入会後、フォーレをやるかたわら、プーランクをやるはめに
なってしまい、最初は、管楽器の人達に頼まれてやっていたものが、だんだん
とぼくの中で大きな部分を占め、ついにはフォーレをしのいでしまいました。
「木管ピアノ六重奏曲」を皮切りに、「ピアノ協奏曲」「フルートとピアノのためのソナタ」
「ある日、ある夜」「クラリネットとピアノのためのソナタ」「ノクターン」
「オーボエとピアノのためのソナタ」等、レパートリーも増え、考えてみると、
その数はフォーレよりもずっと多いのです。一方、聴く方でも、バレー組曲「牝鹿」
はじめ、「オーバード」、オペラ「ティレジアスの乳房」「カルメル派修道尼の対話」、
無伴奏カンタータ「人間の顔」、「2台のピアノのための協奏曲」などは、特に気に入りました。
彼の作品には、彼の尊敬していたモーツァルトのパロディーや収拾のつかない
転調など、ディレッタントなギャグがいっぱい詰まっています。
「牝鹿」に『プラハシンフォニー』が出てきたり、「2台のピアノのための
協奏曲」に『戴冠式』が出てきたり、思わず吹き出さずにはおれません。
もちろんこれらは、十分ほくを楽しませてくれ、また、一般的にも、
この機知に富んだセンスには定評があります。
しかし、ぼくが最も好きなところは、他にあります。それは、例えば
「ピアノ協奏曲」の第2楽章の冒頭のオーケストラの刻むリズムにのって
だんだん懐かしい気分になってゆく和声進行や、「フルートとピアノのための
ソナタ」の1楽章の第1モチーフの熱い思いや、これの下のバスラインの
クロマティックな和声進行によって醸し出される、薄氷の上を歩くような
不安定さや、
「オーボエ、ファゴット、ピアノのためのトリオ」の第2楽章の
終結の調性が定まらずに、美しく妖しげに揺れ動いたりするところや、
「クラリネットとピアノのためのソナタ」の第3楽章の懐かしい第3主題や、
かの有名な「フルートとピアノのためのソナタ」第2楽章の官能的なテーマの
美しさなど、に代表されるものです。
若い頃の作品から既に垣間見えていたこの孤独の裏返しとしてのノスタルジー
は、晩年、ギャグがなくなってゆくのにつれて、次第に強くなってゆきます。
その極めつけが、ぼくがプーランクの全作品中最も好きな「オーボエとピアノのためのソナタ」
死の前年、1962年に書かれたこの曲には、全くギャグも遊びもありません。
ただ、ノスタルジックな気分の美しさと、恐ろしく孤独な独白だけから成っています。
第1楽章
懐かしいト長調で始まります。静寂に向かってオーボエが呼びかけピアノが
ト長調の主和音で8分音符を刻みながら答える。…なんと、ト長調な響きでしょう。
曲はセブン系の分散和音を加えて次第にメロドラマ風になってゆきますが、突然、
変ロ短調の透明な第2主題によって飛躍し、それが美しく遠隔のニ長調に移ったかと
思うと変ロ短調の別のテーマの孤独な影が少し差してくる。
少しとどまってから、恐ろしく寂しい中間部に入ります。
が、これは長く続かず、最初のト長調が再現し、ほんのしばらくの安堵に浸る
ことが出来ます。その後も、気分は、何回も不安定にゆれ動き、結局は、
ト短調で暗く終わってしまう。
ノスタルジックなト長調に昇華されている外見は、それと同じだけの恐ろしい孤独に裏づけされている。そのため、本来、底抜けに明るいはずのト長調が、ここではちっとも明るく感じられないのです。
…プーランク以外の誰も、こんな世界は表現できなかったでしょう。
第2楽章
スケルツォ。三部形式の中間部はノスタルジーに満たされた美しいテーマですが、
前後のバカ騒ぎは、従来の茶目っ気タップリのものとは無縁の、気狂いじみた
ストイックなもので、いわば、全く肉体を伴わない世紀末の乱舞でもって、
聴く人の心を掻き回します。
第3楽章
ようやく、この3楽章の冒頭の2小節のピアノの和音によって、聴衆はノスタルジックな
世界に再び救われ、懐かしいテーマがオーボエに再現し、しばらく歌われます。
しかし、美しい一時もここまで!
クロマティックな装飾を伴ったピアノ伴奏の死の足音がついに、ついに、近づいて来る。
オーボエから、懐かしいテーマを否定的に激しく奪ってしまおうとする。
オーボエは、あの第1楽章の第2主題を思い出して美しさを取り戻そうとする
ものの、それも、ほんの一瞬の無駄な抵抗に終わります。
…すなわち、ピアノが死の足跡を刻みながらオーボエの孤独なつぶやきに
「複調で答え」、取り返しのつかない 「不協和音の後悔」のうちに曲を
閉じるのです…。
孤独感にもいろいろありますが、このプーランクの晩年の孤独感の切実さは
恐ろしく深いものです。
ぼくは、この3楽章の終結をピアノで弾く度に、胸をえぐられるような痛み
を覚えてなりません。
人間、誰しも死ぬ時は一人ですし、ましてや作曲行為など、もともと孤独な
ものです。
他の作曲家たち、モーツァルト、ショパン、シューベルト、ブラームス、フォーレ、
ドビュッシーなども、最晩年、独特の境地の同じような作品を残しています。
が、これらは、芸術家の晩年にふさわしい、ある種の聖諦の境地にあって、
ある種のあの世の光的なものを発していて、まるで、天国で書かれたような
趣きがあります。でも、プーランクにはそれが全くない!
ただ、ひたすら孤独で暗く恐ろしい世界を覗き込んでいる!
こんな作品を残すなんて、たぶん、プーランクは、前述の作曲家たちよりも
ずっと、「現代人特有の精神的な弱さとデリカシーを具備した、大変な寂しがり屋
だったんだろうな。」それと、「彼はホモセクシャルだったから、一生独身でい
たからなのかもしれないな。」彼の魂は、決して天国に召されることなく、
最後まで現世に執着していたようです。
ここ、4年来、この痛々しいプーランクを一緒に演奏してくれるオーボエ奏者
を捜し続けていました。が、ようやくこのプーランクの孤独を察知している人
とめぐりあえ、最近、練習を始めました。が、何ということでしょう!
一回一回弾き終わる度に、ぼくのハートは、ボロボロに掻きむしられ、どんどん、
精神が削り取られてゆく。…しかし、いけないのはわかっていても、それに魅かれて、
小悪と官能の世界に落ちてゆく自分を、もう、食い止めることはできない。
ドビュッシーが太陽ならば、プーランクは底知れぬ暗闇です。
プーランクのすべては、マイナー志向で否定的で、決して、ドビュッシーの
ように、多くの人に感動を与えたり、励ましたりするようなポジティブな効果
はあり得ません。しかも、客観的に眺めて、プーランクなど作曲技法上、
何の革新もなし得なかった、取柄のない人です。
しかも、ドビュッシーが大衆受けなど考えもせず自分の世界だけからスタート
しながら結局は時代の中心になっていったのに対して、現世に執着して
大衆的な発想のプーランクの本音は、ほとんどの人に理解されることはない
でしょう。…なんと言う皮肉…あと100年もすれば、音楽史の上から
プーランクの名前は消えているかもしれません。作曲技法上の欠点を指摘して、
彼をけなすことは誰にでもたやすくできることです。
しかし、プーランクのことを一人の作曲家として客観的に眺めることは、
ぼくにはもう、絶対に出来ません。ぼくはもう既に、彼の作品の演奏のため
なら、自分の作曲なんて捨ててしまってもいいくらい、プーランクが好きに
なってしまったのです。
『孤独とノスタルジーの果てまで』、
彼につきあってみようと思っています!!
『ネルケンの思い出』
・・・フォーレの室内楽・・・
岡田克彦
1990.8.執筆、『ピアノと遊ぶ会会報(1990年9月号)』に掲載
あれは、もう15年前のことになります。当時、早稲田の1年生だった
ぼくは、東京の下宿にピアノを持って行っていなかったので、近所の
高円寺ヤマハ音楽教室でピアノを借りて練習したり作曲をしていました。
「ネルケン」は、このヤマハで知り合ったアマチュアピアニストの一人に「
この近くにいい喫茶があるよ。」と連れて行ってもらった、ぼくにとって
初めてのクラシック喫茶でした。
ともかくここを知って以来、ヤマハでの練習の後は毎日のように行って、
かたっぱしからいろんな曲をリクエストして聴いていました。あの頃が、
今までで一番音楽そのものに狂っていたんじゃないかと思います。
実際、ほとんど、人類と口をきくこともありませんでしたし、大学なんて
月に1、2回くらいしか顔を出していませんでした。「ピアノと遊ぶ会」
を友人と結成して演奏や自作発表活動に動き出したのも、大学3年になって
からのこと。その頃はただ、一人でピアノ、レコード、スコアと対峙していました。
もちろん、ピアノの演奏の方は、大学3年以降、いろんなプロやアマのピアニストと
出会って大いに刺激を受けたのですが、自分なりの和声法や対位法等
の作曲技法は、この頃にほとんど見つけることが出来たように思っています。
たしか、8月のとても暑い日でした。いつものように練習の後「ネルケン」
へ行き、その頃大好きだったモーツァルトのリンツを今日は誰の指揮で
聴こうかな? とレコードリストをめくっていたところ、ものすごく古い
録音で聴いたこともない奇妙な曲が始まりました。
まず、ト短調の主和音に基づく、ピアノの不気味な分散和音が32分音符
で始まり、それにのって、弦のユニゾンが陰鬱なメロディーを奏で始めた
のです。このト短調の重さからして、既に強烈な印象を持ちました。
真夏だっただけによけい感じたのかもしれませんが、熱くエロティックな
響きに、目の前がぼーっとなってしまいました。そのうち、平行調を経て、
音楽は地平線を飛び立ち、宙に解き放たれ、ひと所にとどまることなく、
次第に美しく移ろってゆく。…気がつくと、もう既に何回も転調しているのです。
まず、この魔術のような転調に開いた口が塞がらなくなりました。
そして、第2主題のモチーフがヴィオラとセロのユニゾンで提示される
頃には、もうコーヒーが冷めてしまったのもおかまいなく、そのしっとり
とした響きに聴き惚れてしまっていました。続いて、ゆったりとしたピアノ
の三連符のアルペッジョにのって第2主題が展開されてゆくくだり。
思わず息をのむ同主調移行の美しさ。それだけではありません。
再現部では、シャープ系の遠隔調にまで行ってしまって、いったいこの先
どこに連れてゆかれるんだろうと思っていると、弦楽器によって形成される
ニ長調が静まりゆく中、ハッとさせるように、ピアノがあの懐かしいフラット
2つの変ロ長調(つまり、原調の平行調)で突然第2主題を歌い始め、
予想もしなかった、意外な原調復帰のための複調を見せてくれました。
本当に懐かしい感じ。・・・・・また、もとのテーマに戻って来たんだな、
という感を醸し出す、効果的な再現でした。
この三度下の複調が決定的なショックとなりました。あとでいろいろと
アナリーゼすると、この作曲家は、「レクイエム」の『アニュス・デイ』
等でも同じ複調を用いているのですが、再現部の原調復帰だけに、
これほど効果的なものは他にはありませんでした。
ともかく、この転調の妙味…ただ、変わった転調をやっているのではなく、
遠隔調と近隣調が絶妙なバランスを保っていること、原調復帰への計算され
つくした奥の手が、全く計算を感じさせることなく自然に扱われていること。
それらにも増して作曲家自身の素晴らしい美意識・・・・・これらを耳にして、
長年ぼくの求めていた音楽はこれだ!! と、ほとんど直感的に思ったのです。
誰の何て曲だろう? 1楽章が終わってすぐにレコードジャケットを見せてもらいました。
フォーレ作曲「ピアノ四重奏 No.2」
ぼくにとってはこの曲が最初のフォーレの室内楽曲でした。今にして思えばラッキーな
出会いでした。もし、No.1のピアノ四重奏だったら、当時、ショパンの晩年の和声進行
を既に知っていたぼくには、これほど感銘を与えなかったでしょうし、一方、フォーレ
晩年の難解なものだったら、理解できなかったかもしれません。
演奏は、ピアノ;マルグリット・ロン、ヴァイオリン;ジャック・ティボー、
ヴィオラ;モーリス・ビュー、チェロ;ピエール・フルーニエ、で、GR盤「巨匠シリーズ」
の中の一枚でした。1940年6月10日の午後、ドイツ軍がオランダに侵入した日、
そして、ティボーの長男が戦死する前日にパリのスタジオで録音されたものだ、
とのロンの手記が載っていました。
59 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/17 03:25 ID:znt+Ut8/
感想上げますね。
岡田君が何を書きたいのかわかりません。
内容はただの知識の羅列。その上その知識も中途半端。
0点です。義務教育からやり直しましょう。
録音の状況からしても、まことにすさまじい演奏で、その後、
ユボー、ヴァランタン、コラール等がピアノを弾いて収録したCDと
比較しても、これは世紀の名演です。…
曲は1楽章のあと、ピアノの音譜の一粒一粒が飛び散るような病的な
スケルツォを経て3楽章で、形而上学的な美の極致に至ります。
鐘の音を象徴するピアノが提示され、弦楽器3本は、まるでその鐘の音が
はるかな地平から伝わってくる空間をゆらめく風のようにそれを優しく包み、
その響きを変遷させてゆきます。この3楽章は最後まで美しくない瞬間は
片時もありませんでした。
>>59番
楽器も演奏できず、作曲も出来ず、楽譜もろくに読めない人達からすると、
知識の羅列に見えるのでしょう。仕方ありませんね。あんたとは育ちも
教養もかけ離れておりますのでね。
そして、終楽章のテーマいっぱい総出演の、複合ロンドソナタ形式と
でも言うべきフィナーレ。どれをとってもつまらない楽章は一つもない
ばかりか、4つの楽章は非常に有機的にかかわっているのです。
いつの日か、室内楽を演奏したり作曲しよう、と思ったのは、この時、
フォーレのピアノカルテットNo.2から受け取った大変なショックのためでした。
もちろん、その頃は演奏はピアノソロをメインに考えていましたし、作曲においても、
まだ、ピアノ曲の領域でやることがいっぱいありましたから、すぐに、というわけで
はありませんでした。が、ショパンが晩年にゆきついて、わずか、Op.60のバルカローレ
とOp.62のノクターンに集約した境地がそれっきり音楽史で孤立してしまっているの
ではなく、明らかにフォーレの一連の室内楽曲に引き継がれていること、従って、ぼくも、
本能的に、その方向に進んでゆくだろうこと、をほとんど確信していました。
全て出会いは偶然なのです。その偶然の何パーセントを必然にしてゆけるか、
ということが、人生の快楽の度合いを計る最も有効なバロメーターだと
ぼくはずっと思っているのですが、このフォーレに限っては、そのように考える
余裕も無いほど強い必然的な出会いだったようで、あの日から約1ヵ月というもの毎日
「ネルケン」で、この「ピアノ四重奏No.2」を聴き、アカデミアに輸入を頼んだ
楽譜を手に入れる、かなり前に、全て暗譜してしまっていたのです。
こうして出会ったフォーレが、いったいイデオロギーにおいて何主義なのか、
今だにぼくには適当な言葉が見つけられません。まず、普遍的な美や情緒の
存在を信じていた、という点において、明らかにフォーレはロマン派では
ありません。が、一方、ドビュッシーの始めたサンボリックな新しい音楽とも
無関係にフォーレは存在していました。教会旋法にスポットを当ててそれを
リバイバルさせたという点は、フォーレを語るにあたって重要な一要素だとは
思いますが、これは作曲技法の一部に過ぎません。
今だに、ぼくにとっては、「フォーレ」は「フォーレ」でしかありません。
ただ一つ、ぼくが強く感じるのは、文学における、松尾芭蕉やリルケ
の生き方がフォーレのそれと非常に似通っている、ということです。
さて、フォーレの作品全般について、それを初期、中期、晩年、と分けて
考える方もいらっしゃるかと思いますが、ぼくはこういう捉え方には反対です。
第一、晩年に向かって進歩し続けなくてはならないほど才能の欠落していた
作曲家はベートーヴェンくらいのもので、モーツァルトのように早熟でなくとも、
普通は、ある時期で作風は確立されていて、その後は、それをベースにして、
純化と拡張を行なっているからです。
それに、フォーレは、こういう、ロマン派→近代→現代、の過渡期を生きた
人ですから、和声の扱いが変わっていったのは当然のことですし、また、
こういう時期でなくても新しい和声を求めてゆくのは作曲家として当然の
行為で、何のバロメーターにもなりません。初期のノクチュルヌがショパン的で、
一方、晩年のアンプロンプチュに全音音階を使っていても、両者とも、フォーレ
の信じる普遍的な美や情緒をめざして書かれたものならば、初期とか晩年とかの
区別は適切ではありません。
ぼくの考えでは、フォーレは歌曲から書きはじめ、おそらく「レクイエム」
を書くことによって、全ての作風を確立したと思います。そして、その後、
死ぬまで、フォーレはちっとも変わっていません。ただ、純化と拡張を
行なっているだけです。もちろん、純化と拡張の仕方によって、作品を
傾向でいくつかの群に分けて考えることが出来ます。例えば、室内楽曲
全10曲について、ぼくは下記のようにざっと分けてとらえています。
A.ヴァイオリンソナタNo.1、ピアノ四重奏No.1
B.ピアノ四重奏No.2 → ピアノ五重奏No.2
C.ヴァイオリンソナタNo.2、チェロソナタNo.1
D.ピアノ五重奏No.1 → 弦楽四重奏曲
E.チェロソナタNo.2 → ピアノ三重奏曲
Aは、レクイエム作曲以前に書かれた2曲で、いずれもフォーレの作品としては
習作の域にあるものです。もちろん、ヴァイオリンソナタNo.1は、ブラームスの
ヴァイオリンソナタNo.1よりも先に書かれたことで評価が高いのですが、
「ブラームスの先を行っていたから偉い」とは、何ともフォーレに対して失礼な評価です。
こと、室内楽におけるフォーレの才能は、内面性においても、モチーフ操作、
構成、音響力学等技術面においても、ブラームスよりもはるかに優れていました
から。もちろん、この2つの作品は既に傑作であり、教会旋法が使われる等の
独自性が打ち出されています。が、この後に作曲された8曲に比べるとまだ
本領発揮には至っていません。
さて、フォーレの本領発揮の室内楽曲は、従って、B〜Eの作品群であるわけです。
まず、Bの2曲は、一種の形而上学的な純化のプロセスをたどっている
作品群です。ことに両者の緩徐楽章にはそれがよくあらわれています。
この内、ピアノ五重奏No.2はフォーレの晩年、ほとんど耳が聴こえな
かった頃に書かれたことを考えると、奇跡としか思えない恐るべき作品と
いえます。
ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏など、はるかに単純な和声で書かれています
から、耳が聴こえなくても技術的に十分作れる作品ですが、このフォーレの
ピアノ五重奏No.2は複調や無調など、耳の聴こえる人でもかなり扱いにくい
複雑な和声構造で書かれているうえ、それらのいくつかは、フォーレ自身にとっても
新しい、初めて用いる手法なのです。これらの響きを耳で感覚的に確かめることも
出来ず、頭の中で整理しながら曲の終結に向かって解決してゆくには、相当の忍耐力が
必要です。
穏やかな曲の表面とはうらはらに、フォーレは精神的に非常に強い人だった
と、ぼくは思います。そしてそれゆえに、このピアノ五重奏No.2の演奏
には厳しいものが求められ、フォーレの室内楽の演奏においても、この曲が
最後の目標とされるのは当然のことです。
同じような厳しさの求められるフォーレにしては大変に強い曲が、Cの2曲です。
これらの2曲は、ピアノ五重奏No.2と同時期、最晩年に向かって枯れてゆく
プロセスで生まれた作品ですが、いずれもデュオという簡素な編成ゆえに、
フォーレの同時期のピアノ曲等と共通する要素の方が多く、ピアノ五重奏No.2
とは一線を画している作品です。「レクイエム」しか知らない人達にとっては
一番ショッキングな作品ですが、フォーレがこの世に生まれて来て一番書きたかった
作品はこのあたりだとぼくは思います。
いずれも、重要な旋律を除いて、全てがモチーフのポリフォニックな
積み重ねから成り立っています。その意味で、フォーレの古典音楽、特に、
バッハへの並々ならぬ系統の感じられる作品です。換言するなら、フォーレ
の室内楽曲の成功の種明かし。これだけの対位法的基礎がフォーレを
成り立たせているのです。よく、フランクのことを「フランス近代のバッハ」
なんて呼ぶ音楽評論家がいますが、このあたりのフォーレの作品について、
ちゃんと楽譜読んで下さいよ、ってぼくは言いたい。
フランクが、『コラール』『プレリュード』『フーガ』『アリア』なんて、
バッハと同じ題名の曲をたくさん書いていることに惑わされてはいけませんね。
フランクのフーガは対位法的発想ではなく、和音の一部の偶然の横のつながりから
出来ていて、ラフマニノフと五十歩百歩の対位法しか使っていません。
おそらく、フランス近代の作曲家でバッハの考えたフーガをバッハと同じ発想で、
ポリフォニックに正しく使えたのは、フォーレとその弟子のラヴェルだけでした。
(ドビュッシーは自著「クロッシュ氏」で自ら述べているように、
バッハの平均率を和声的に楽しんでいたので、ここでは関係ありません。)
その意味では、フォーレこそ、「フランス近代のバッハ」にふさわしい
人です。
Dの2曲は、凝りすぎのきらいのある不可解な作品群です。
ヴュイエルモーズは、これらの作品がなかなか大衆に理解されないのは、
聴衆の耳が怠惰なためだ、と言っていますが、この状況は何十年もたった
今も変わっていません。第一、どちらの曲も今だに名演が出ていません。
ことに世の弦楽四重奏団で、フォーレの弦楽四重奏曲を好んでやるグループは皆無です。
ぼくの見るところ、一つには、いずれの曲も教会旋法にこだわりすぎたこと、
また、もう一つには曲想に比べて書かれた編成の方が1本か2本、横の線が
多すぎると思います。これが、この2曲が失敗(失敗と言ってもフォーレは
ショパン同様、駄作のない人ですので、他の魅力的な作品に比べて外部に
与えるインパクトが弱い、という程度の意味ですが)の理由のように思います。
横浜の作曲家の八木下さんとはここで、ぼくは意見が合わないのです。
彼は、ピアノ五重奏No.1が大変に気に入っているのです。確かに、
素晴らしく美しいテーマです。でも、モチーフ処理を見ていると5本の線
は生かしきれていないとぼくは思うのです。また、1楽章の第二主題が
冷遇されているのは、どうしてなんだろう、とぼくは思うのです。
好き嫌いの問題ではなく、ぼくの尊敬するフォーレは室内楽に関しては、
もっとパーフェクトな作曲家だったはずだよ、と言いたいということなの
です。ですから、この2曲、もし、ブラームスが書いていたらぼくは絶賛
しますね。ブラームスは室内楽は大したことないですから、最初から何も
期待してませんので、…。
Eの2曲は、いわゆる、フォーレの最晩年の枯淡の境地にある作品で
極めて似通った書法で書かれています。つまり、1楽章はアレグロで、
喜びも悲しみも超越してひたすら疾走する状態を示し、2楽章でノスタルジー
に浸り、鬼火が飛びかうような3楽章で曲を閉じています。ことに、ピアノトリオの
3楽章は、松尾芭蕉の絶句となった『旅に病んで夢は枯野を・・・・・』を
思い起こさせるような無窮動で、フォーレの最期の作品にふさわしいものです。
(厳密にはこのトリオはOP.120でOP.121の弦楽四重奏曲が
絶作ですが、OP.119のノクチュルヌNo.13からOP.121まで
の3曲はほとんど同時期に書かれており、どちらかというと、弦楽四重奏曲よりも
OP.119とOP.120の方がフォーレの最晩年を代表する作品になっています。)
「モーツァルトの短調は疾走する。涙は追いつけない。」という名言が
ありますが、このEの作品群の2曲、チェロソナタNo.2の1楽章のト短調と
ピアノトリオの1楽章のニ短調の表情は、このモーツァルトの短調の表情に
極めて近いものです。
88 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/17 03:38 ID:QTpUArhy
音楽の先生ですか?
私はドボルザークの新世界が好きなのですが岡田さんのような知識はないので詳しく語れないですが、岡田さんは何だか凄い知識があるみたいで、こんな場所で何故カキコされているのですか?
もったいないですよ。
大体、ぼくはロマン派(一口にロマン派と言っても、ショパンの晩年や
ブラームスの晩年のような時代を超越した特殊な物は除きますけど)の短調の扱い
にはうんざりさせられます。ロマン派の短調は、大体が、絶望や失恋などの個人的
感情を押し付けるものが多いと思うのです。でも、少なくとも、ぼくが曲を書く時には、
絶対に自分の個人的な感情を、演奏者や聴衆に押しつけたりはしたくない。
叙情的でも、モーツァルトやフォーレのような、リリシズムを保っていたい、
と思っています。そのためには、(ブラームスのようにシンフォニーにパッサカリア
を使うようなことまでは必要ありませんけど)かなり古典音楽を勉強して、自分の
血や肉にしておかなくてはいけない、と常々感じています。
以上のように、フォーレの室内楽にもいろいろな作品があって、
その世界の拡がりは、一人の人が全てを好きになることが出来ないほどです。
最近は、フランス近代音楽が急速に日本でも定着してきています。まだ、
全部味わっていない皆様も、この豊かな世界を是非試していただきたいと
思っています。で、フランス近代音楽と言えば、フォーレ、ラヴェル、ドビュッシー、
の3人が代表であることは言うまでもありませんが、全然異なっています。
それが、また、楽しいのですが、特に、フォーレについてぼくが感じること
は、フォーレの作品はドビュッシーやラヴェルに比べて決してインターナショナル
なものじゃない、ということです。あくまでも、フランス的な明澄さとモデスティー
に基づいていること、そして、こうした要素が作品の中で使われている教会旋法と
相まって、特に日本的風土には馴染みやすい音楽だというふうに思っています。
4年前、やっと「原宿マ・ノン・トロッポの会・サロンコンサート」で、
ラヴィーヌカルテットメンバーで、ぼくがピアノを弾いて、フォーレの
ピアノ四重奏No.2全楽章を演奏出来ました。一つの大きな夢が
かないました。
また、その時の演奏のライブ収録テープでもって、「御茶ノ水・カザルスホール・アマチュア室内楽オーディション」
の予選を軽く突破出来、審査員の先生方、特に、その中の一人、オランダ在住のヴィオラ奏者の
今井信子さんに高く評価していただけたことは、とても嬉しいことでした。
その他でも、ピアノソロの練習時間が取れなくなるほど、弦楽器の皆様に誘われて、
いろいろ、やりたかったフォーレの室内楽曲は演奏会でほぼ全部やれて来ていて、
とても満足しています。
95 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/17 03:41 ID:3iB63Ced
岡田さんを詳しく知りたいです!
が、この頃でも、フォーレのピアノ四重奏No.2が聴きたくなった時には
「ネルケン」に行って、ロンのレコードを聴くことにしています。
このCDはもちろん自宅に持っています。が、初めて「ネルケン」で聴いた、
あの暑かった日と同じ気分や感動を大切にしたいからなのです。
(そして、もちろん、二度とあの頃の若かった自分に戻れないことを確認させられる
のですが・・・・・・・。)こうした全く不合理な感傷がこれまでぼくが出会った
音楽には全てつきまとっていて、それが重要なのです。
だから覚めた目で自分のレパートリーを眺めるなんてとても出来ません。
浅薄なセンチメンタリズムだ、と一笑に付されるかもしれないけど、
こういう感傷的でノスタルジックな気分に浸れるほどの作品への愛情も
なく音楽をやることはぼくには出来ません。
音楽の世界では、よく、世のため人のために努力しているのです、本当に作曲や演奏は
辛いことなんですよ、という顔をしている人に出会います。辛いのならやめればいいのに
なあ、って思うんですけど。大体こういう人はすっかり覚めてしまっていて、
こんな感傷なんてとうの昔に置去りにしてしまっているので、原則として、
ぼくはこういう人達とは、
お友達になってあげないことにしています!!
『響き合いを求めて』
住友信託銀行 システム開発第一部 岡田克彦
(1990.9.執筆、1991年度、住友信託銀行 新卒者向け会社案内グラビアページ
‘his point of view’のグラビア添付用自己紹介文として掲載)
「音楽はうその中でも、もっとも美しいうそです。」
これは、私の好きなドビュッシーのことばです。私も美しいうそを求めて、
小学生のころから書きためてきました。もう、600曲くらいになるでしょうか。
一昨年、「クラリネットとピアノのためのドメスティックなラプソディ
ーOP.61」という、日本の原風景といったものをイメージした曲を、
東京・御茶ノ水にある室内楽専用のカザルス・ホールで行なわれた
コンクールで発表し、1位をいただきました。
そのときの審査員だった、ヴィオラ奏者の今井信子さんはオランダに戻って
(彼女はアムステルダムに住んでいます)この曲を演奏会で弾いてくれた
そうで、たいへん光栄に思いました。
でも、もっとうれしかったのは、コンクールを聴きに来ていたあるお年寄り
の女性から、「聴いていて自分の育った田舎の山や川が浮かんできました」
という手紙をもらったことです。
音楽は、美しいうそであると同時に、それを受けとめてくれる人との
感受性のコンタクトだと思います。あるモチーフで、例えば旅行したとき
に見た風景を素材に私なりの感性で作曲をします。それを演奏家は
演奏家なりの感性で弾き、聴く人はまたその人なりの感性で受けとめる。
105 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/17 03:48 ID:3AeyGCSp
岡田さんって器が違うんですね。
聴くだけの凡人の私からしたら凄い方です。
岡田さん応援していいですか?
その三者のコンタクトの中から生まれる響き合いが私にとっていちばん
大切なものなのです。曲というのはそのための手段に過ぎません。
クラシックの作曲をしているというと、気難しい人間を思い浮かべる人も
いるかも知れません。でも私は「明るく楽しく」こそが、いい曲づくりの
秘訣だと思っています。
創作というのは何でもそうでしょうが、自分の感性がそのまま表れるもの
です。いい曲を作ろうと思ったら、弾く人、聴く人の反応やいろいろな
外からの刺激を素直に受けとめる姿勢が大切で、自分の世界だけに
こもっていては、すぐに限界がきてしまうでしょうね。
新しい人と知り合え、新しい刺激と出会えるという意味で、私は転勤が大好きです。
赴任先の一つ松山支店時代に盲腸を患って、1か月ほど入院したことがあります。
入院は生まれて初めての体験だったので何もかもが珍しく、その感動(!?)が私に
「点滴の詩(うた)」という曲まで作らせてしまい、見舞いに来た人や看護婦さん
を呆れさせました。
今、仕事では、私はシステム開発に携わっています。システムという興味深い
ものとの新しい出会いを求めた私が、会社に希望を出し、それが受け入れられたのです。
マーケット・リサーチのシステムを作ったときは、全店発表会で委員長賞を
もらいました。預金・ローンなどの大量一括処理に代表されるのがこれまでの銀行の
システムでしたが、現在住友信託では、信託ならではの、手づくりやきめ細かさと
いったノウハウをシステムに取り込もうと、力を入れています。
私が手がけたシステムという曲を、そのユーザーとなる社員が演奏し、
聴衆であるお客様と響き合えたら、こんなにすてきなことはありません。
111 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/17 03:50 ID:7HsLhJKq
もしかして
著書などもあるんですか?
112 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/17 03:58 ID:QTpUArhy
これだけの文を掲示板ではもったいないですよ。
ぜひ本でゆっくり読みたいです。
もしありましたら教えて下さい。
岡田さんは忙しい方なのですね。
もうつまんねえからsageで書け。もう飽きた。
2ちゃんねらーにも飽きられて相手にもされない哀れな奴。
他のスレが下がるからマジで上げんな。
マジでたまごっち並。
一見さん相手してオナりたいなら他でやって。
114 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/17 04:06 ID:QTpUArhy
岡田さん
おやすみなさい
朝起きて来てみれば深夜3時40分までコピペしてたのかよ。
無職の人は暇でいいねえ。
こんな風に無駄に時間を使ってもいいんだもんな。
いい加減に働けよ。無能中年さん。
「音楽活動で忙しい」とか見栄張ってないでさ。
大人になりさない。
誰もいないスレで一人もくもくとコピペし続けてるよ。
本当に頭おかしいんじゃない!?
117 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/17 15:58 ID:Op8WfjrD
ヲカダ皿仕上げ
なんか・・・2ちゃんねらにも相手にされない・・・
かわいそうなオカヤソ・・・
119 :
珍満腹 ◆LpB0apFrxs :02/12/17 16:36 ID:pVIiZroO
こっちも晒し上げとくか・・・
120 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/17 16:39 ID:2B525VO3
岡田先生へ
初めまして。
HP拝見させて頂きました。先生はとてもピアノがお上手ですね。
僕、感動して涙が出ました。
お気に入りは「朝の海」です。先生の新曲を早く聞きたいです。
あとエッセイもすばらしいですね。
ではおからだにお気をつけて。
121 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/17 16:40 ID:2B525VO3
岡田先生へ
初めまして。
HP拝見させて頂きました。先生はとてもピアノがお上手ですね。
僕、感動して涙が出ました。
お気に入りは「朝の海」です。
先生の新曲を早く聞きたいです。
あとエッセイもすばらしいですね。
ではおからだにお気をつけて。
岡田さんは音楽に詳しいそうですが、
ドボルシャークの第8番の最後の小節ってどう思いますか?
『響き合いを求めて』
住友信託銀行 システム開発第一部 岡田克彦
(1990.9.執筆、1991年度、住友信託銀行 新卒者向け会社案内グラビアページ
‘his point of view’のグラビア添付用自己紹介文として掲載)
「音楽はうその中でも、もっとも美しいうそです。」
これは、私の好きなドビュッシーのことばです。私も美しいうそを求めて、
小学生のころから書きためてきました。もう、600曲くらいになるでしょうか。
一昨年、「クラリネットとピアノのためのドメスティックなラプソディ
ーOP.61」という、日本の原風景といったものをイメージした曲を、
東京・御茶ノ水にある室内楽専用のカザルス・ホールで行なわれた
コンクールで発表し、1位をいただきました。
そのときの審査員だった、ヴィオラ奏者の今井信子さんはオランダに戻って
(彼女はアムステルダムに住んでいます)この曲を演奏会で弾いてくれた
そうで、たいへん光栄に思いました。
でも、もっとうれしかったのは、コンクールを聴きに来ていたあるお年寄り
の女性から、「聴いていて自分の育った田舎の山や川が浮かんできました」
という手紙をもらったことです。
音楽は、美しいうそであると同時に、それを受けとめてくれる人との
感受性のコンタクトだと思います。あるモチーフで、例えば旅行したとき
に見た風景を素材に私なりの感性で作曲をします。それを演奏家は
演奏家なりの感性で弾き、聴く人はまたその人なりの感性で受けとめる。
その三者のコンタクトの中から生まれる響き合いが私にとっていちばん
大切なものなのです。曲というのはそのための手段に過ぎません。
クラシックの作曲をしているというと、気難しい人間を思い浮かべる人も
いるかも知れません。でも私は「明るく楽しく」こそが、いい曲づくりの
秘訣だと思っています。
創作というのは何でもそうでしょうが、自分の感性がそのまま表れるもの
です。いい曲を作ろうと思ったら、弾く人、聴く人の反応やいろいろな
外からの刺激を素直に受けとめる姿勢が大切で、自分の世界だけに
こもっていては、すぐに限界がきてしまうでしょうね。
新しい人と知り合え、新しい刺激と出会えるという意味で、私は転勤が大好きです。
赴任先の一つ松山支店時代に盲腸を患って、1か月ほど入院したことがあります。
入院は生まれて初めての体験だったので何もかもが珍しく、その感動(!?)が私に
「点滴の詩(うた)」という曲まで作らせてしまい、見舞いに来た人や看護婦さん
を呆れさせました。
今、仕事では、私はシステム開発に携わっています。システムという興味深い
ものとの新しい出会いを求めた私が、会社に希望を出し、それが受け入れられたのです。
マーケット・リサーチのシステムを作ったときは、全店発表会で委員長賞を
もらいました。預金・ローンなどの大量一括処理に代表されるのがこれまでの銀行の
システムでしたが、現在住友信託では、信託ならではの、手づくりやきめ細かさと
いったノウハウをシステムに取り込もうと、力を入れています。
私が手がけたシステムという曲を、そのユーザーとなる社員が演奏し、
聴衆であるお客様と響き合えたら、こんなにすてきなことはありません。
『若き日のドビュッシー』
岡田克彦(1986.12.執筆、『ピアノと遊ぶ会会報(1987年1月号)』に掲載)
クロード・ドビュッシー
ぼくの一番好きな作曲家です。作曲家として一番尊敬しています。
フォーレよりもサティーよりもショパンよりも、ブラームスの晩年や
スクリャービンよりも、やはりドビュッシーです。
そして、偉大なバッハやモーツァルトよりも、
やはり時代の近い身近なドビュッシーが好きです。
例えば、フォーレなら、ぼくは中期から晩年が好きだ、
というような好みがどの作曲家にもあるのですが、ドビュッシーの場合は、
どの時期も(もちろんそれぞれ音楽的には異なっているけれども)
最初から最後まで、すべての曲にドビュッシーらしさ、という、
音楽とかいうジャンル以前の、物を創造する人間としての一本の筋が
通っているため、「またやってるな!」というものが必ず感じられ、
その強烈な彼自身のセオリーにいつも心を打たれるからです。
初期の作品にも必ずどこか、後期のドビュッシーの影が見えかくれしていて、
こういったすべての作品に感じられる共通性は、
ちょうどモーツァルトの場合と同様、天才作曲家特有のものなんだ、
と思います。
さて、文部省の音楽教育においては、音楽史上、ドビュッシーなどの
フランス近代音楽全般を「印象派」という言葉で一くくりにしてとらえる、
という非常な過ちを犯しているところを、まず、ご説明しておかなくてはなりません。
もともと「印象派」というものは美術の世界の出来事です。
作者が見たものをそれらしく表現するわけですから、
風景や自然などが先にあって、それを模倣するというのが「印象派」です。
しかし、ドビュッシーは「印象派」ではなく、その逆の、
象徴主義者(サンボリスト)であったということをまず、最初にはっきり
とらえておかなくては、様々な誤解のもとになります。
つまり、風景や情景を音に投影したのではなく、
音楽でもって何らかの風景のようなものを象徴しようとしたのです。
だから、「印象派」とは全く逆で、音楽が先にある、
というのが象徴主義であり、この点は、ドビュッシーに関しては
終始一貫しています。フランス近代音楽の時代で言えば、
「印象派」的な作品というのは、第一次世界大戦前のラヴェルの
「夜のガスパール」「水の戯れ」等の一部の作品の特徴に過ぎません。
このあたりの端的な例として、ドビュッシーの「映像第一集」の
『水面に映る光と影』と、ラヴェルの『水の戯れ』を比較してみれば
明らかです。ラヴェルの『水の戯れ』は装飾音で、水らしく装っています
ので、目の前に水しぶきが感じられますが、メロディーそのものは、
ちょっとおしゃれなテーマで水とは全く関係ありません。
が、ドビュッシーの「映像第一集」の『水面に映る光と影』は、
テーマの形そのものが、水面に広がる水の輪なのです。
第一、『水面に映る光と影』あるいは『水の反映』という題名は、
間違えた和訳でして、直訳すれば『水の中の影』です。つまり、水の状態、
程度の意味の曲です。そして、ドビュッシーの「プレリュード集」の中の傑作の
一つ『雪の上の足跡』などにいたっては、弾く人、聴く人全員に、
雪の積もった雪原についている足跡だけではなく、和声進行で、かなり低い気温までが伝わります。
絵で気温が表現できるでしょうか?
音の持つ強さをドビュシーは存分に発揮して作曲をしています。
音楽で気温が表現できるのは、音楽が時間芸術だからです。
どんな一瞬の響きであってもそれが響き終わるまでに時間は経過しています。
ですから、瞬間芸術で視覚的なものだけで成り立っている美術においてしか、
「印象派」というものはあり得ないのです。
…例えば「ロマン派」のようなイデオロギーならば美術と音楽を横断出来ますが…。
「天才とは努力する才である。」という格言。
まさにこれはドビュッシーのことを言っているものです。
この格言は、凡人でも努力すれば天才になれる、という意味ではありません。
天才は凡人と異なったところに努力を集中するから天才たりうるのだ、
という意味です。彼の作品はどれもこれもへんなところに凝っている。
ふつうの作曲家、例えば同時期のフォーレやラヴェルなら、
さっと書きとばしてしまうような、ちょっとした和音の響きにこだわってみたり、
あるいは、ふつうの作曲家なら下らないモチーフだ、ととりあげもせずに捨ててしまう
ような、ひねくれたモチーフを後生大事にとりあげている。
こうしたひねくれたモチーフを、半分は彼の変わった人格や、
ニヒリスティックなブラックユーモアのセンスでもってとりあげるのだろうけど、
しかし、その取り上げ方は大まじめなのです。
こういうのに出くわすたび、
ぼくは開いた口が塞がらず、あっけにとられ、「いったい何なんだ、
この男は。」と怒りたくなるけど、ついつい許してしまう。
たぶんぼくが作曲でモチーフを選ぶ時にも同じような一種のおもしろがった誇大妄想に
かられることがあるためなんでしょうけど。……そして全曲聴いてくと、
そのひねくれたどーしようもない音列のモチーフが見事に展開され、
ドラマチックに変化してゆく。
そしてドビュッシー一流の構成の中において
は、これ以外のモチーフだと曲が崩れてしまうほど、サマになっているのです。
……まいってしまう。本当に天才だな、この思いつきは。どうしようもないと
あきれはててしまうのです。
このひねくれたモチーフや、それから派生するテーマは、
彼の初期から晩年まで一貫していて、たくさんありすぎて枚挙にいとまがありません。
若き日のドビュッシーの作品を中心に一部ご紹介しましょう。
「ベルガマスク組曲」のメヌエットの第1主題
……こんなものテーマなんでしょうか? でも、実にいいテーマなんです。
同曲、「ベルガマスク組曲」のメヌエットの第2主題として登場するモチーフ
……このモチーフは終結のグリッサンドの直前にちょっと一息っていう
感じで再現しますが、聴く人には伝わらないように書いています。
それを弾くピアニストには手首の移動感覚が同じなのですぐに伝わります。
モチーフ操作にもいろいろあって、ブラームスやラヴェルのように
はっきりわかるように書いているものと、ショパンやこのドビュッシーの
モチーフのようにピアニズムに埋没したわかりにくいものがあります。
が、ショパンなどは、例えば、バラードの4番のコーダの直前の最強音の
三つの和音で第一主題のモチーフが内声で再現しているように、
極めて計算して書いているのですが、ドビュッシーは気分でやっているのです。
こんなこと即興で出来る人、他には考えられないです・・・・もう参った、
参りました、クロード君、君はすごい作曲家だよ、と感動してしまうしかないのです。
まあ、わかりやすい、わかりにくいという点について言えば、
シューマンのピアノ五重奏終楽章のフーガの開始など、聴く前から
「さあ、今からフーガですよ、フーガがはじまるんだぞー。
ちゃんと聴かなきゃダメだぞー。」という雰囲気が伝わってきて、
ほんと誰にでもわかりますが、わかりやすすぎて2、3回聴くと、
もう、うんざり。
ここのフーガの開始を予告するやり方は、
モーツァルトがずいぶん前に、ピアノ協奏曲のカデンツァの前のオーケストラの
止め方において何回もやった手口なんですよね。
それをまあ、同じ頃ショパンがバルカローレや幻想ポロネーズのように未来を予告するような
作品を書いてた頃になって、まだ、のこのこ、先人の二番煎じの手口で、
作曲していたとは、本当にシューマンはどーしようもない凡人ですね。
でも、このモーツァルトが発明して何回も使ったピアノ協奏曲のカデンツァ
の前のオーケストラの止め方は、ケッサクな意見なんだけど、当会のM君に
よると、「水戸黄門」なのです。以下、M君の言い分。
「モーツァルトのピアノ協奏曲がどうして日本人にウケるかって?
それは水戸黄門なんだよ。
あのカデンツァの前のオーケストラの
ジャーン、ジャーン、ジャーン、っていう、カデンツァの開始を予告する
終わり方。
あれがいつも、『この紋所が目に入らぬか、
こちらにおはすお方をどなたと心得る。恐れ多くも・・・・・・ご老公の御前である。頭が高―い。ひかえおろう。・・・・・』
といった雰囲気で響くことが最初から決まっているので、日本人は皆安心して聴いてられるんだ。」この意見が当会で流布して以来、
しばらくみんな吹き出しそうになって、モーツァルトのピアノコンチェルト二台でやれませんでしたね。ぼくなんか27番でさえも
笑って笑ってしばらく聴けませんでした。でも、納得できる意見です。
ともかく、ドビュッシーはこのような「メヌエット」の再現パッセージを
ショパンのように頭も使わず即興でいとも簡単に書けてたわけですから、
彼が自分の『映像第一集』について「ショパンの左、シューマンの右」
なんて評したのも、シューマンの部分は、半分冗談の謙遜であることは言う
までもありませんが、ショパンほどの知性がなくても出来てしまうという自信
から、自分はショパン以上の作曲家だと思っていたに違いないとぼくは思います。
>絵で気温が表現できるでしょうか?
また自分の関心ない藝術に対する愚ろうですか?
下品ですね。低俗ですね。
いや、それどころか、この男は、バッハについて、そのフーガなどの対位法については
一切興味を示さずに「バッハの平均率クラヴィア曲集のフーガの和音は美しい。
だから、あの時代の作曲家が一番強いんだ」などと自著「クロッシュ氏」で論評しているのです。
自分が世界で一番エライ作曲家だと思っていたに違いないのです。
サン=サーンスに「この無政府主義者め。」と言われ、サン=サーンスが学長の間、
パリ音楽院に出入り禁止にされたことも、ドビュッシーをかばってくれたフォーレを
毒舌でズタズタにして喧嘩になったことも、カフェでサティーと親しくしていたこと
も、ですから、彼にとっては、大した出来事でもなかったのです。
でも、この「メヌエット」は中世へのノスタルジーが原点にあります。
ぼくは、この「メヌエット」の中で既に使われている左手の平行五度と
三度で形成される響きと雰囲気を味わう度に、
若き日のドビュッシーが訪れた頃のイタリアの「ベルガマ地方」って
どんなところだったんだろうな、というノスタルジックな気分になってしまいます。
そして、この「メヌエット」をピアノで弾く度に、やっぱり、
ぼくはドビュッシーが大好きなことを再確認するのです。
「ベルガマスク組曲」のパスピエの開始左手の音型と対位
……「ベルガマスク組曲」は、前奏曲・メヌエット・月の光・パスピエの
4曲から成ります。月の光は美しい曲であまりに有名ですが、
ドビュッシーの将来を予告するようなすごい技法が潜んでいるのは、
先に述べたメヌエットとこのパスピエです。ドビュッシーの作品には
いろいろ接してきましたが、特にパスピエは、全作品でも5本指に入る
傑作だと思います。
が、この曲、開始左手の10度の音型は、嬰へ短調と
いう調整ゆえに、根音が黒鍵にあり、ピアニストを不安に陥れる効果が
あります。そのうえ、再現部では、対旋律が中に出てくるのですが、
ノンペダル、スタカートという指示では、12度から13度届くような
大きな手でないと弾けなくなっています。確実に言えることは、
ショパンなら絶対こんな弾きにくい曲は書かなかったと思うのです。
が、ピアニストが不安になるというのがこの曲の表現にあたっては非常に
重要なことで、実際、不安な曲想です。
別の観点で見るならば、この頃、既にドビュッシーはピアノから離れた
立場で曲を書けていたのです。彼の想像力はピアノに既に納まらなくなって
いました。彼は生涯にわたってピアノでなくては表現できない曲もたくさん
残していますが、パスピエに関しては、以前エレピアンで弾く機会が
あったのですが、アコースティックでない響きの方がよい作品でした。
こうした中に、彼が「ペレアスとメリザンド」「牧神の午後への前奏曲」
「海」などを書く準備が整っていることが伺える傑作です。
弦楽四重奏曲第1楽章と第2楽章の統一テーマの音列
……第1楽章の第1主題、第2楽章の第1主題、このひねくれた音列の
2つの主題は誰が聴いても別の主題にしか聴こえないんですが、実は、
リズムが全く変形されているために全く別の主題にしか聴こえないだけで、
ひねくれた音列は意地でも1音たりとも変えていないドビュッシーの命がけの
心意気とも言うべきこだわりが感じられます。
が、この音列が、実は、
修道院で若き日のドビュッシーが発見したグレゴリオ聖歌をもとにした、
教会旋法を初めてリバイバルさせて使った音列で、ワグナーを脱却した
新しいサンボリスム(象徴主義)の音楽の起点になっているだけでなく、
カペー四重奏団が見事に演奏しているところの、第3楽章の人懐っこい
メロディーとの対比においても、これがないと曲全体も崩壊してしまうのです。
連弾のための小組曲より、『バレエ』のテーマ
……いったいこれはテーマなんでしょうか?
ピアノに触って遊んでいるうちに出来たとぼくは思うのですが、この「ピアノに触って遊んでいる」
ドビュッシーの姿に匹敵するものといったら、それこそ、あなた、1日中
ドミソの和音をチェンバロで響かせて、1日中、ドミソの和音に浸っていた
、幼い頃のモーツァルト位しか、ぼくは浮かばないのです。
最後に楽しいウィンナワルツから
ジャズワルツにまで発展してゆくこのテーマは、それ程、天才のひらめき以外の何物でもありません。
『海』と同時期に書かれた、
「クラリネットとピアノのためのプレミエラプソディー」の終結の
コーダに向かう最重要なテーマに発展する音列のモチーフ
……「クラリネットとピアノのためのプレミエラプソディー」は、
若き日のドビュッシーの作品ではありません。
「パリ音楽院」の学長に就任したフォーレの招聘でドビュッシーはパリ音楽院の
管楽器担当教授に就任します。当時の「パリ音楽院」は、今の日本の音楽大学では
不可能でしょうが、試験課題曲は教授の新作に決まっていました。
ですから、作曲の出来ない人は教授にならなかったので、素晴らしい音楽環境だったわけです。
この作品は、期末試験用にドビュッシーが作曲したのですが、大変に評判を呼び、
スコア化されました。
今日でもクラリネットとピアノのデュオ作品としては、
右に出る作品はありません。ちなみに、当時のパリ音楽院の学長だったフォーレは
弦楽器担当教授でしたので、試験課題曲としての弦楽器の傑作をたくさん残しています。
いずれにせよ、当時の「パリ音楽院」の学生は素晴らしい環境で音楽を習得していました。
ラヴェルは、フォーレの教室の生徒でした。いい音楽にはいい環境が必須なのです。
このモチーフが、ドビュッシーの全作品中、音列のひねくれ度No.1
なのでご紹介します。このモチーフが最初にピアノパートで登場した時、
これが、この曲を終結に導く大事な大事なモチーフだなんて、
誰一人として感じられないでしょう。…それくらい変な音列です。
作品の書かれた背景や状況を一切無視して作曲技法の観点にのみ立って、
冷た〜い観察をしても、こんなどーしようもなくひねくれた音列のモチーフ
やテーマで曲を書けた人は、古今東西見渡しても、ドビュッシーをおいて
他には考えられないのです。しかも、これらのモチーフやテーマは、
既に述べたように、曲の構成と不可分で、重要な根底をなしているのです。
この、モチーフやテーマが、曲の構成と不可分であるということ、これが、
ぼくが作曲をやるにあたって、『若き日のドビュッシー』から学んだ第一点
です。
それにしても、これらのひねくれたモチーフの採用は、彼の変わった性格から来ているものにほかなりません。
相当な変人ですよ、これは。そして、食中毒でポックリ死ぬ最後までそれを貫いたということは、実に立派なことです。
穏やかな人格者のフォーレや、スタイリストのラヴェルにはこんなこと、ちょっとできなかったと思います。ドビュッシーは彼らと違って、
羞恥心のほとんどない、想像力と誇大妄想だけの人でした。だからこそ、
一曲一曲、違う手段で曲を残しています。同じ手口は二度と使っていません。
ぼくが作曲をやるにあたって、『若き日のドビュッシー』から学んだ、
もう一つの大事なこと。それは、「同じ手口で曲を書かない」
ということです。
作曲を続けていると、曲想の浮かぶ深い驚きに満ちた瞬間を体験すると
同時に、作曲技法というものが一方で蓄積されてきます。が、
作曲技法は感受性ではなく知識の領域にありますから、作曲技法という
知識の既得権の上ににあぐらを書いて曲を書き続けると、
メンデルスゾーンやサン=サーンスのように駄作がいっぱい出来ます。
知識と感受性のバランスを保って生涯にわたって曲を書いた第一人者が
モーツァルトでした。ぼくの尊敬するドビュッシーもそうでした。
だから、ぼくも、作曲技法などはモチーフを浮かべる度に
新しく発見しないといけないと思って作曲しています。
第一次世界大戦が始まります。愛国者のラヴェルは勇敢に従軍しますが、
ドビュッシーはドイツが攻めて来るのが怖くて地下室に
閉じこもったそうです。でも、ドビュッシーも愛国者だったので、
音楽でドイツに戦いを挑みます。それが、晩年の一連のソナタ集です。
フランス人をなめんなよ、という気持ちで、ドイツ人の開発したソナタを
書き始めます。
第一作が「チェロとピアノのためのソナタ」、
第二作が「フルート・ハープ・ヴィオラのためのソナタ」、
第三作目が絶作となった「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」です。
(ちなみに、第四作目は「ピアノソナタ」の予定だったのですが、
その前にドビュッシーは食中毒でポックリ死んでしまいましたので、
第三作目の「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」が最後の作品になりました。)
次々と素晴らしい作品が出ますが、同じ手を二度使っていません。
特に、最後の「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」。
1楽章が複合三部形式です。ドイツ人が苦労に苦労を重ねて開発して来た
ソナタ形式のカケラもありません。
でも、題名はソナタ、既に喧嘩を売っていますが、こうして、
音楽史上初のソナタ形式でないソナタが生まれました。
そしてこの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」の
2楽章の中間部のテーマは、またまた、あのひねくれた音列のモチーフです。
それこそ、「ゲルマン民族の凡人どもよ、こんな名曲書けるかい?」って
上の方から下界に向かって呼びかけるような、ふざけたせせら笑い声です。
もちろん、この「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」はソナタ形式を
使わないでドイツに対決しているだけでなく、
初めてヴァイオリンを打楽器として使った作品ですので、
基本的に、第一次世界大戦の開始という情勢に対して、斜に構えている、
ドビュッシーのニヒリズムの最もよく出た、……しかし、しかし、
泣きたくなる程、非常に美しいテーマです。
ぼくの尊敬するクロード・ドビュッシーの生涯は次のグルダの言葉どおりでした。
『天才とは一生を通して一つのことに集中できるということ』
……フリードリヒ・グルダ……
手前は万死に値するから一万回死んで来い。そして二度と輪廻転生すんな。
これは要求じゃない。命令だ。分かったか豚の糞以下。豚の糞の方が良い肥料になるからまだ糞の方が
ましだな。
そして、ぼくの大好きな「若き日のドビュッシー」の言ってた、
生意気で素敵なメッセージから、
『ベートーヴェンハンマークラヴィアソナタ:ピアノのために最も悪い作品』
『昨日の不協和音は今日の協和音!』
『音楽はうその中でも最も美しいうそです。』
……クロード・ドビュッシー……
『若き日のドビュッシー』
岡田克彦(1986.12.執筆、『ピアノと遊ぶ会会報(1987年1月号)』に掲載)
クロード・ドビュッシー
ぼくの一番好きな作曲家です。作曲家として一番尊敬しています。
フォーレよりもサティーよりもショパンよりも、ブラームスの晩年や
スクリャービンよりも、やはりドビュッシーです。
そして、偉大なバッハやモーツァルトよりも、
やはり時代の近い身近なドビュッシーが好きです。
例えば、フォーレなら、ぼくは中期から晩年が好きだ、
というような好みがどの作曲家にもあるのですが、ドビュッシーの場合は、
どの時期も(もちろんそれぞれ音楽的には異なっているけれども)
最初から最後まで、すべての曲にドビュッシーらしさ、という、
音楽とかいうジャンル以前の、物を創造する人間としての一本の筋が
通っているため、「またやってるな!」というものが必ず感じられ、
その強烈な彼自身のセオリーにいつも心を打たれるからです。
初期の作品にも必ずどこか、後期のドビュッシーの影が見えかくれしていて、
こういったすべての作品に感じられる共通性は、
ちょうどモーツァルトの場合と同様、天才作曲家特有のものなんだ、
と思います。
さて、文部省の音楽教育においては、音楽史上、ドビュッシーなどの
フランス近代音楽全般を「印象派」という言葉で一くくりにしてとらえる、
という非常な過ちを犯しているところを、まず、ご説明しておかなくてはなりません。
もともと「印象派」というものは美術の世界の出来事です。
作者が見たものをそれらしく表現するわけですから、
風景や自然などが先にあって、それを模倣するというのが「印象派」です。
てすと
しかし、ドビュッシーは「印象派」ではなく、その逆の、
象徴主義者(サンボリスト)であったということをまず、最初にはっきり
とらえておかなくては、様々な誤解のもとになります。
つまり、風景や情景を音に投影したのではなく、
音楽でもって何らかの風景のようなものを象徴しようとしたのです。
だから、「印象派」とは全く逆で、音楽が先にある、
というのが象徴主義であり、この点は、ドビュッシーに関しては
終始一貫しています。フランス近代音楽の時代で言えば、
「印象派」的な作品というのは、第一次世界大戦前のラヴェルの
「夜のガスパール」「水の戯れ」等の一部の作品の特徴に過ぎません。
このあたりの端的な例として、ドビュッシーの「映像第一集」の
『水面に映る光と影』と、ラヴェルの『水の戯れ』を比較してみれば
明らかです。ラヴェルの『水の戯れ』は装飾音で、水らしく装っています
ので、目の前に水しぶきが感じられますが、メロディーそのものは、
ちょっとおしゃれなテーマで水とは全く関係ありません。
が、ドビュッシーの「映像第一集」の『水面に映る光と影』は、
テーマの形そのものが、水面に広がる水の輪なのです。
第一、『水面に映る光と影』あるいは『水の反映』という題名は、
間違えた和訳でして、直訳すれば『水の中の影』です。つまり、水の状態、
程度の意味の曲です。そして、ドビュッシーの「プレリュード集」の中の傑作の
一つ『雪の上の足跡』などにいたっては、弾く人、聴く人全員に、
雪の積もった雪原についている足跡だけではなく、和声進行で、かなり低い気温までが伝わります。
絵で気温が表現できるでしょうか?
音の持つ強さをドビュシーは存分に発揮して作曲をしています。
音楽で気温が表現できるのは、音楽が時間芸術だからです。
どんな一瞬の響きであってもそれが響き終わるまでに時間は経過しています。
ですから、瞬間芸術で視覚的なものだけで成り立っている美術においてしか、
「印象派」というものはあり得ないのです。
…例えば「ロマン派」のようなイデオロギーならば美術と音楽を横断出来ますが…。
「天才とは努力する才である。」という格言。
まさにこれはドビュッシーのことを言っているものです。
この格言は、凡人でも努力すれば天才になれる、という意味ではありません。
天才は凡人と異なったところに努力を集中するから天才たりうるのだ、
という意味です。彼の作品はどれもこれもへんなところに凝っている。
ふつうの作曲家、例えば同時期のフォーレやラヴェルなら、
さっと書きとばしてしまうような、ちょっとした和音の響きにこだわってみたり、
あるいは、ふつうの作曲家なら下らないモチーフだ、ととりあげもせずに捨ててしまう
ような、ひねくれたモチーフを後生大事にとりあげている。
こうしたひねくれたモチーフを、半分は彼の変わった人格や、
ニヒリスティックなブラックユーモアのセンスでもってとりあげるのだろうけど、
しかし、その取り上げ方は大まじめなのです。
こういうのに出くわすたび、
ぼくは開いた口が塞がらず、あっけにとられ、「いったい何なんだ、
この男は。」と怒りたくなるけど、ついつい許してしまう。
たぶんぼくが作曲でモチーフを選ぶ時にも同じような一種のおもしろがった誇大妄想に
かられることがあるためなんでしょうけど。……そして全曲聴いてくと、
そのひねくれたどーしようもない音列のモチーフが見事に展開され、
ドラマチックに変化してゆく。
そしてドビュッシー一流の構成の中において
は、これ以外のモチーフだと曲が崩れてしまうほど、サマになっているのです。
……まいってしまう。本当に天才だな、この思いつきは。どうしようもないと
あきれはててしまうのです。
このひねくれたモチーフや、それから派生するテーマは、
彼の初期から晩年まで一貫していて、たくさんありすぎて枚挙にいとまがありません。
若き日のドビュッシーの作品を中心に一部ご紹介しましょう。
「ベルガマスク組曲」のメヌエットの第1主題
……こんなものテーマなんでしょうか? でも、実にいいテーマなんです。
同曲、「ベルガマスク組曲」のメヌエットの第2主題として登場するモチーフ
……このモチーフは終結のグリッサンドの直前にちょっと一息っていう
感じで再現しますが、聴く人には伝わらないように書いています。
それを弾くピアニストには手首の移動感覚が同じなのですぐに伝わります。
モチーフ操作にもいろいろあって、ブラームスやラヴェルのように
はっきりわかるように書いているものと、ショパンやこのドビュッシーの
モチーフのようにピアニズムに埋没したわかりにくいものがあります。
が、ショパンなどは、例えば、バラードの4番のコーダの直前の最強音の
三つの和音で第一主題のモチーフが内声で再現しているように、
極めて計算して書いているのですが、ドビュッシーは気分でやっているのです。
こんなこと即興で出来る人、他には考えられないです・・・・もう参った、
参りました、クロード君、君はすごい作曲家だよ、と感動してしまうしかないのです。
まあ、わかりやすい、わかりにくいという点について言えば、
シューマンのピアノ五重奏終楽章のフーガの開始など、聴く前から
「さあ、今からフーガですよ、フーガがはじまるんだぞー。
ちゃんと聴かなきゃダメだぞー。」という雰囲気が伝わってきて、
ほんと誰にでもわかりますが、わかりやすすぎて2、3回聴くと、
もう、うんざり。
ここのフーガの開始を予告するやり方は、
モーツァルトがずいぶん前に、ピアノ協奏曲のカデンツァの前のオーケストラの
止め方において何回もやった手口なんですよね。
それをまあ、同じ頃ショパンがバルカローレや幻想ポロネーズのように未来を予告するような
作品を書いてた頃になって、まだ、のこのこ、先人の二番煎じの手口で、
作曲していたとは、本当にシューマンはどーしようもない凡人ですね。
でも、このモーツァルトが発明して何回も使ったピアノ協奏曲のカデンツァ
の前のオーケストラの止め方は、ケッサクな意見なんだけど、当会のM君に
よると、「水戸黄門」なのです。以下、M君の言い分。
「モーツァルトのピアノ協奏曲がどうして日本人にウケるかって?
それは水戸黄門なんだよ。
あのカデンツァの前のオーケストラの
ジャーン、ジャーン、ジャーン、っていう、カデンツァの開始を予告する
終わり方。
あれがいつも、『この紋所が目に入らぬか、
こちらにおはすお方をどなたと心得る。恐れ多くも・・・・・・ご老公の御前である。頭が高―い。ひかえおろう。・・・・・』
といった雰囲気で響くことが最初から決まっているので、日本人は皆安心して聴いてられるんだ。」この意見が当会で流布して以来、
しばらくみんな吹き出しそうになって、モーツァルトのピアノコンチェルト二台でやれませんでしたね。ぼくなんか27番でさえも
笑って笑ってしばらく聴けませんでした。でも、納得できる意見です。
ともかく、ドビュッシーはこのような「メヌエット」の再現パッセージを
ショパンのように頭も使わず即興でいとも簡単に書けてたわけですから、
彼が自分の『映像第一集』について「ショパンの左、シューマンの右」
なんて評したのも、シューマンの部分は、半分冗談の謙遜であることは言う
までもありませんが、ショパンほどの知性がなくても出来てしまうという自信
から、自分はショパン以上の作曲家だと思っていたに違いないとぼくは思います。
いや、それどころか、この男は、バッハについて、そのフーガなどの対位法については
一切興味を示さずに「バッハの平均率クラヴィア曲集のフーガの和音は美しい。
だから、あの時代の作曲家が一番強いんだ」などと自著「クロッシュ氏」で論評しているのです。
自分が世界で一番エライ作曲家だと思っていたに違いないのです。
サン=サーンスに「この無政府主義者め。」と言われ、サン=サーンスが学長の間、
パリ音楽院に出入り禁止にされたことも、ドビュッシーをかばってくれたフォーレを
毒舌でズタズタにして喧嘩になったことも、カフェでサティーと親しくしていたこと
も、ですから、彼にとっては、大した出来事でもなかったのです。
でも、この「メヌエット」は中世へのノスタルジーが原点にあります。
ぼくは、この「メヌエット」の中で既に使われている左手の平行五度と
三度で形成される響きと雰囲気を味わう度に、
若き日のドビュッシーが訪れた頃のイタリアの「ベルガマ地方」って
どんなところだったんだろうな、というノスタルジックな気分になってしまいます。
そして、この「メヌエット」をピアノで弾く度に、やっぱり、
ぼくはドビュッシーが大好きなことを再確認するのです。
「ベルガマスク組曲」のパスピエの開始左手の音型と対位
……「ベルガマスク組曲」は、前奏曲・メヌエット・月の光・パスピエの
4曲から成ります。月の光は美しい曲であまりに有名ですが、
ドビュッシーの将来を予告するようなすごい技法が潜んでいるのは、
先に述べたメヌエットとこのパスピエです。ドビュッシーの作品には
いろいろ接してきましたが、特にパスピエは、全作品でも5本指に入る
傑作だと思います。
が、この曲、開始左手の10度の音型は、嬰へ短調と
いう調整ゆえに、根音が黒鍵にあり、ピアニストを不安に陥れる効果が
あります。そのうえ、再現部では、対旋律が中に出てくるのですが、
ノンペダル、スタカートという指示では、12度から13度届くような
大きな手でないと弾けなくなっています。確実に言えることは、
ショパンなら絶対こんな弾きにくい曲は書かなかったと思うのです。
が、ピアニストが不安になるというのがこの曲の表現にあたっては非常に
重要なことで、実際、不安な曲想です。
別の観点で見るならば、この頃、既にドビュッシーはピアノから離れた
立場で曲を書けていたのです。彼の想像力はピアノに既に納まらなくなって
いました。彼は生涯にわたってピアノでなくては表現できない曲もたくさん
残していますが、パスピエに関しては、以前エレピアンで弾く機会が
あったのですが、アコースティックでない響きの方がよい作品でした。
こうした中に、彼が「ペレアスとメリザンド」「牧神の午後への前奏曲」
「海」などを書く準備が整っていることが伺える傑作です。
弦楽四重奏曲第1楽章と第2楽章の統一テーマの音列
……第1楽章の第1主題、第2楽章の第1主題、このひねくれた音列の
2つの主題は誰が聴いても別の主題にしか聴こえないんですが、実は、
リズムが全く変形されているために全く別の主題にしか聴こえないだけで、
ひねくれた音列は意地でも1音たりとも変えていないドビュッシーの命がけの
心意気とも言うべきこだわりが感じられます。
219 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/17 18:05 ID:0mVE2yLT
ボダ荒らしで一部で有名な山辺裕一(みけまる)といい、
早稲田出身の奴ってなんでこう・・・。
が、この音列が、実は、
修道院で若き日のドビュッシーが発見したグレゴリオ聖歌をもとにした、
教会旋法を初めてリバイバルさせて使った音列で、ワグナーを脱却した
新しいサンボリスム(象徴主義)の音楽の起点になっているだけでなく、
カペー四重奏団が見事に演奏しているところの、第3楽章の人懐っこい
メロディーとの対比においても、これがないと曲全体も崩壊してしまうのです。
連弾のための小組曲より、『バレエ』のテーマ
……いったいこれはテーマなんでしょうか?
ピアノに触って遊んでいるうちに出来たとぼくは思うのですが、この「ピアノに触って遊んでいる」
ドビュッシーの姿に匹敵するものといったら、それこそ、あなた、1日中
ドミソの和音をチェンバロで響かせて、1日中、ドミソの和音に浸っていた
、幼い頃のモーツァルト位しか、ぼくは浮かばないのです。
最後に楽しいウィンナワルツから
ジャズワルツにまで発展してゆくこのテーマは、それ程、天才のひらめき以外の何物でもありません。
『海』と同時期に書かれた、
「クラリネットとピアノのためのプレミエラプソディー」の終結の
コーダに向かう最重要なテーマに発展する音列のモチーフ
……「クラリネットとピアノのためのプレミエラプソディー」は、
若き日のドビュッシーの作品ではありません。
「パリ音楽院」の学長に就任したフォーレの招聘でドビュッシーはパリ音楽院の
管楽器担当教授に就任します。当時の「パリ音楽院」は、今の日本の音楽大学では
不可能でしょうが、試験課題曲は教授の新作に決まっていました。
ですから、作曲の出来ない人は教授にならなかったので、素晴らしい音楽環境だったわけです。
この作品は、期末試験用にドビュッシーが作曲したのですが、大変に評判を呼び、
スコア化されました。
今日でもクラリネットとピアノのデュオ作品としては、
右に出る作品はありません。ちなみに、当時のパリ音楽院の学長だったフォーレは
弦楽器担当教授でしたので、試験課題曲としての弦楽器の傑作をたくさん残しています。
いずれにせよ、当時の「パリ音楽院」の学生は素晴らしい環境で音楽を習得していました。
ラヴェルは、フォーレの教室の生徒でした。いい音楽にはいい環境が必須なのです。
このモチーフが、ドビュッシーの全作品中、音列のひねくれ度No.1
なのでご紹介します。このモチーフが最初にピアノパートで登場した時、
これが、この曲を終結に導く大事な大事なモチーフだなんて、
誰一人として感じられないでしょう。…それくらい変な音列です。
作品の書かれた背景や状況を一切無視して作曲技法の観点にのみ立って、
冷た〜い観察をしても、こんなどーしようもなくひねくれた音列のモチーフ
やテーマで曲を書けた人は、古今東西見渡しても、ドビュッシーをおいて
他には考えられないのです。しかも、これらのモチーフやテーマは、
既に述べたように、曲の構成と不可分で、重要な根底をなしているのです。
この、モチーフやテーマが、曲の構成と不可分であるということ、これが、
ぼくが作曲をやるにあたって、『若き日のドビュッシー』から学んだ第一点
です。
それにしても、これらのひねくれたモチーフの採用は、彼の変わった性格から来ているものにほかなりません。
相当な変人ですよ、これは。そして、食中毒でポックリ死ぬ最後までそれを貫いたということは、実に立派なことです。
穏やかな人格者のフォーレや、スタイリストのラヴェルにはこんなこと、ちょっとできなかったと思います。ドビュッシーは彼らと違って、
羞恥心のほとんどない、想像力と誇大妄想だけの人でした。だからこそ、
一曲一曲、違う手段で曲を残しています。同じ手口は二度と使っていません。
230 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/17 18:08 ID:rvBWrOrJ
ぼくが作曲をやるにあたって、『若き日のドビュッシー』から学んだ、
もう一つの大事なこと。それは、「同じ手口で曲を書かない」
ということです。
作曲を続けていると、曲想の浮かぶ深い驚きに満ちた瞬間を体験すると
同時に、作曲技法というものが一方で蓄積されてきます。が、
作曲技法は感受性ではなく知識の領域にありますから、作曲技法という
知識の既得権の上ににあぐらを書いて曲を書き続けると、
メンデルスゾーンやサン=サーンスのように駄作がいっぱい出来ます。
知識と感受性のバランスを保って生涯にわたって曲を書いた第一人者が
モーツァルトでした。ぼくの尊敬するドビュッシーもそうでした。
だから、ぼくも、作曲技法などはモチーフを浮かべる度に
新しく発見しないといけないと思って作曲しています。
234 :
岡田 有希子 ◆3KicSwgEPg :02/12/17 18:09 ID:0wTrdUpj
第一次世界大戦が始まります。愛国者のラヴェルは勇敢に従軍しますが、
ドビュッシーはドイツが攻めて来るのが怖くて地下室に
閉じこもったそうです。でも、ドビュッシーも愛国者だったので、
音楽でドイツに戦いを挑みます。それが、晩年の一連のソナタ集です。
フランス人をなめんなよ、という気持ちで、ドイツ人の開発したソナタを
書き始めます。
第一作が「チェロとピアノのためのソナタ」、
第二作が「フルート・ハープ・ヴィオラのためのソナタ」、
第三作目が絶作となった「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」です。
(ちなみに、第四作目は「ピアノソナタ」の予定だったのですが、
その前にドビュッシーは食中毒でポックリ死んでしまいましたので、
第三作目の「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」が最後の作品になりました。)
次々と素晴らしい作品が出ますが、同じ手を二度使っていません。
特に、最後の「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」。
1楽章が複合三部形式です。ドイツ人が苦労に苦労を重ねて開発して来た
ソナタ形式のカケラもありません。
でも、題名はソナタ、既に喧嘩を売っていますが、こうして、
音楽史上初のソナタ形式でないソナタが生まれました。
そしてこの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」の
2楽章の中間部のテーマは、またまた、あのひねくれた音列のモチーフです。
それこそ、「ゲルマン民族の凡人どもよ、こんな名曲書けるかい?」って
上の方から下界に向かって呼びかけるような、ふざけたせせら笑い声です。
もちろん、この「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」はソナタ形式を
使わないでドイツに対決しているだけでなく、
初めてヴァイオリンを打楽器として使った作品ですので、
基本的に、第一次世界大戦の開始という情勢に対して、斜に構えている、
ドビュッシーのニヒリズムの最もよく出た、……しかし、しかし、
泣きたくなる程、非常に美しいテーマです。
ぼくの尊敬するクロード・ドビュッシーの生涯は次のグルダの言葉どおりでした。
『天才とは一生を通して一つのことに集中できるということ』
……フリードリヒ・グルダ……
そして、ぼくの大好きな「若き日のドビュッシー」の言ってた、
生意気で素敵なメッセージから、
『ベートーヴェンハンマークラヴィアソナタ:ピアノのために最も悪い作品』
『昨日の不協和音は今日の協和音!』
『音楽はうその中でも最も美しいうそです。』
……クロード・ドビュッシー……
242 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/17 18:12 ID:scWvZpYH
岡田さん 本当に「真性包茎」なのですか?
243 :
珍満腹 ◆LpB0apFrxs :02/12/17 18:17 ID:pVIiZroO
岡田君、今ごろ弟さんが泣いてるよ・・・。
こ ん な 穀 潰 し の キ チ ガ イ 兄 貴 だ か ら
昨日弟さんに会ったよ。
あまり兄貴のことを触れたがらないね。
岡田、病気のお母さんが泣いてるぞ
やっと大学まで出した息子が、ゲイになってしまい
人身事故で会社もクビ、家に帰って来て、
試験を受けたら不合格、毎日部屋に閉じ篭って
脳内で作った嘘話をネットで流す生活
それにお父さんも泣いてるぞ
勝手に妾が八人とか訳の解らない
設定作られて・・・
岡田家には財産なんて初めから無いんだ。
現実を見て、ご両親をこれ以上泣かすな
解ったか?
岡田
某人格障害解説サイトより
境界例(ボーダー:境界性人格障害)の特徴としては下記のようなものがあります。
犯駄
・ 自分の生き方がわからない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?
・ 現実を理解する能力が貧弱。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎◎
・ いつも場違いな所にいるように感ずる。・・・・・・・・・・・?
・ 自分のすべてを受け入れてもらいたいと望んでいる。・○(「ヲチ住民に構ってもらいたい」が正確かな)
・ 感情の移り変わりが早く人間関係が不安定。・・・・・・・◎
・ 愛し方が不十分であるという理由で相手を責めたてる。・・?
・ 仕事に不満を持ちやすく転職を繰り返す。・・・・・・・・・◎(というか「左遷や解雇を繰り返す」だけど)
・ 一見、周囲にうまく適応して見えることもある。・・・・・・×(いつも不適応)
・ 自分と他人との境界があいまい。・・・・・・・・・・・・・・・・○(というか現実と妄想世界が曖昧)
・ 他人への評価が極端から極端へと揺れ動く。・・・・・・◎(ex.カジ氏)
・ 人生の価値観や目標が突然変わったりする。・・・・・・◎(ex..社労士目標は?)
・ キレやすい。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◎(煽りにすぐ反応。但し反論出来ないとコピペ荒らし)
・ 二者関係にしがみつく。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・○(♂と♂の)
・ 自殺未遂を繰り返す。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?(てかコピペ荒らし行為自体自殺行為のような気が・・)
・ アル中、浪費癖、過食、淫乱、ギャンブル狂、暴走行為、薬物中毒・・◎(特殊性的対象)
【結論】
犯駄は自己愛性人格障害の他ボダ(ボーダー=境界性人格障害)の可能性高し
岡田来ないな
岡田来ないな
249 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/18 01:19 ID:ehfLlOSh
ヲカヤソ、こっちこっち。
250 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/18 01:31 ID:rnfY9DSM
読むだけでも、とても勉強になります。
考え方を学び、それに則って当たり前のことをコツコツやれば、
成功するはずです。何も特別なことではないのです。
そのための最短のツールも紹介しています。
http://csx.jp/~ace16/
251 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/18 02:00 ID:aPcqQliJ
253 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/18 08:22 ID:AP48xBlK
>>251 本当にその人本人なの?書き込んでるのって。
だとしたらすごい!
今度は褒め頃しかよ(藁
255 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/18 08:43 ID:QJquK22v
>>251 こんな凄い人が、ここに来るのですか?
とても楽しみで、わくわくします。
あれー?
透明あぼーんされたんだ。
774 :岡田克彦 ◆ikGay75MZI :02/12/17 15:45 ID:KhsoHKtk
>>771番
> 私は、社会保険労務士など受けておりません。お疲れ様。ハハハハハ。
> 私は、全銀協のはるかに高い資格を持っていますので、そのような国家試験の資格は
> 不要なのです。社労士はあんたら、ウスノロが受ければよい程度の資格です。
> ただの暗記物ですからね。
どうしてプロフィールから「社労士目指してる」という文章外したんですかあ?
「全銀協のはるかに高い資格」ってなんですかあ?何で書けないんですかあ?
そもそも「全銀協の資格」ってあるんですかあ?資格の名称はなんですかあ?
259 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/18 15:48 ID:XDNK5WgZ
ヲカダクーソ
こっちだよ。
所詮、民間資格は民間資格。
社内(業界内)でしか通用せんからねー。
金財と勘違いしたんだろうな(w
あそこは、いろいろ検定やってるから。
でも、どの資格も銀行か生保に勤めてないと役に立たないけどな・・・
ヲカダには、宝の持ち腐れ。
262 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/18 18:00 ID:XDNK5WgZ
ヲカダクソにわかりやすいようにあげ
岡田来ないな
264 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/19 00:24 ID:hVh8zwce
上げ
失敗人生
生きてて楽しいのかな
彼奴のことだから負けを認める訳が無いと思うが…。
岡田クソ、取引プロバイダを除名されたら、未だに生き延びているQ2
プロバイダでも使ってやって来いよ。
http://www.spo.ne.jp/ 但し、「3分90円プラス横浜までの通話料」がかかるから、マルチポ
ストには勧められないがな(藁)。
岡田逃げたか?
269 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/19 16:39 ID:sxjF0+XA
ヲカダ
さらし
あげ
あ
ヲカヤソの
ために
あげ
272 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/19 23:01 ID:VuhngnfA
あ
げ
ネットサーフィンしていたら(^_-)-☆ みーくん
やってきました(*^_^*)素晴らしいホムペですね(*^_^*))))
人生が変わって超・超・超(⌒∇⌒)ノ″(⌒∇⌒)ノ″嬉しいな(^0_0^)(^0_0^)!!!!!
しかもメチャメチャ元気になって超健康!!超・超・超(⌒∇⌒)ノ″(⌒∇⌒)ノ″
(^0_0^)(^0_0^)!!!う(^○^)れ(^○^)し(^ー^)い(^○^)な!!!!!!
http://www.woman.co.jp/myhomepage/165/mikun/ ★☆〜〜〜★☆〜〜〜★☆〜〜〜★☆〜〜〜★☆〜〜〜★☆〜〜〜★☆〜〜〜★☆〜〜〜
まだ飽きたネタやってたの
岡田来ないな
岡田ネタ飽きた
自 作 自 演 が 見 ら れ る ス レ は こ こ で つ か?
岡田のトリップパス
岡田克彦#'{e-J?`$
皆さん天才ピアニスト岡田克彦を騙ろう!!
終了
てすてす
280 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/20 21:18 ID:8WruMfhQ
ヲカヤソヲカヤソ、こっちこっち
281 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/21 02:07 ID:/E+nOMvz
をかやそさらしあげ
岡田来ないな
岡田の偽者氏ね!
283 :
岡田の偽者 ◆wHQge5INhQ :02/12/21 18:27 ID:su/Vp8Or
ま、悪いことは言いません。あんたら2チャンネラークラシック板に
代表される下界の凡人連中には、ベートーヴェンの晩年の弦楽四重奏が
ちょうどよいですから、そのあたりをお聴きなさい。
間違えても、ぼくやドビュッシーの作品は聴かないように。
豚・に・真珠・でございましょう、ファッハッハッハッ・・・・・
で、ぼくのホームページK.OKADAワールド
(URL;
http://debu1957.hp.infoseek.co.jp/)には
あんたら2チャネラークラ板には似合わない私の傑作の音楽がついています
ので、ぜーーーーーったいに来ないで下さいね。
と、いう書き込みでクラ板に売られた喧嘩を買っているところでございます。
ぼくは楽器をやらない頭デッカチは大っ嫌いなのです。
管楽器、特に吹奏楽大好きです。中学のときはペットを吹奏楽団でやってました。
どうぞ、ヨロシク。
284 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/21 18:27 ID:su/Vp8Or
ま、悪いことは言いません。あんたら2チャンネラークラシック板に
代表される下界の凡人連中には、ベートーヴェンの晩年の弦楽四重奏が
ちょうどよいですから、そのあたりをお聴きなさい。
間違えても、ぼくやドビュッシーの作品は聴かないように。
豚・に・真珠・でございましょう、ファッハッハッハッ・・・・・
で、ぼくのホームページK.OKADAワールド
(URL;
http://debu1957.hp.infoseek.co.jp/)には
あんたら2チャネラークラ板には似合わない私の傑作の音楽がついています
ので、ぜーーーーーったいに来ないで下さいね。
と、いう書き込みでクラ板に売られた喧嘩を買っているところでございます。
ぼくは楽器をやらない頭デッカチは大っ嫌いなのです。
管楽器、特に吹奏楽大好きです。中学のときはペットを吹奏楽団でやってました。
どうぞ、ヨロシク。
285 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/21 18:28 ID:su/Vp8Or
ま、悪いことは言いません。あんたら2チャンネラークラシック板に
代表される下界の凡人連中には、ベートーヴェンの晩年の弦楽四重奏が
ちょうどよいですから、そのあたりをお聴きなさい。
間違えても、ぼくやドビュッシーの作品は聴かないように。
豚・に・真珠・でございましょう、ファッハッハッハッ・・・・・
で、ぼくのホームページK.OKADAワールド
(URL;
http://debu1957.hp.infoseek.co.jp/)には
あんたら2チャネラークラ板には似合わない私の傑作の音楽がついています
ので、ぜーーーーーったいに来ないで下さいね。
と、いう書き込みでクラ板に売られた喧嘩を買っているところでございます。
ぼくは楽器をやらない頭デッカチは大っ嫌いなのです。
管楽器、特に吹奏楽大好きです。中学のときはペットを吹奏楽団でやってました。
どうぞ、ヨロシク。
ま、悪いことは言いません。あんたら2チャンネラークラシック板に
代表される下界の凡人連中には、ベートーヴェンの晩年の弦楽四重奏が
ちょうどよいですから、そのあたりをお聴きなさい。
間違えても、ぼくやドビュッシーの作品は聴かないように。
豚・に・真珠・でございましょう、ファッハッハッハッ・・・・・
で、ぼくのホームページK.OKADAワールド
(URL;
http://debu1957.hp.infoseek.co.jp/)には
あんたら2チャネラークラ板には似合わない私の傑作の音楽がついています
ので、ぜーーーーーったいに来ないで下さいね。
と、いう書き込みでクラ板に売られた喧嘩を買っているところでございます。
ぼくは楽器をやらない頭デッカチは大っ嫌いなのです。
管楽器、特に吹奏楽大好きです。中学のときはペットを吹奏楽団でやってました。
どうぞ、ヨロシク。
ま、悪いことは言いません。あんたら2チャンネラークラシック板に
代表される下界の凡人連中には、ベートーヴェンの晩年の弦楽四重奏が
ちょうどよいですから、そのあたりをお聴きなさい。
間違えても、ぼくやドビュッシーの作品は聴かないように。
豚・に・真珠・でございましょう、ファッハッハッハッ・・・・・
で、ぼくのホームページK.OKADAワールド
(URL;
http://debu1957.hp.infoseek.co.jp/)には
あんたら2チャネラークラ板には似合わない私の傑作の音楽がついています
ので、ぜーーーーーったいに来ないで下さいね。
と、いう書き込みでクラ板に売られた喧嘩を買っているところでございます。
ぼくは楽器をやらない頭デッカチは大っ嫌いなのです。
管楽器、特に吹奏楽大好きです。中学のときはペットを吹奏楽団でやってました。
どうぞ、ヨロシク。
ま、悪いことは言いません。あんたら2チャンネラークラシック板に
代表される下界の凡人連中には、ベートーヴェンの晩年の弦楽四重奏が
ちょうどよいですから、そのあたりをお聴きなさい。
間違えても、ぼくやドビュッシーの作品は聴かないように。
豚・に・真珠・でございましょう、ファッハッハッハッ・・・・・
で、ぼくのホームページK.OKADAワールド
(URL;
http://debu1957.hp.infoseek.co.jp/)には
あんたら2チャネラークラ板には似合わない私の傑作の音楽がついています
ので、ぜーーーーーったいに来ないで下さいね。
と、いう書き込みでクラ板に売られた喧嘩を買っているところでございます。
ぼくは楽器をやらない頭デッカチは大っ嫌いなのです。
管楽器、特に吹奏楽大好きです。中学のときはペットを吹奏楽団でやってました。
どうぞ、ヨロシク。
289 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/21 21:25 ID:GFdeShhm
>>286-288 お前が贋者のコピペ馬鹿と言うのは名前を見れば一目瞭然なんだよ、バーカ。
291 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/22 13:13 ID:4KtGBv65
ヲカダさらし揚げ
45歳。無職。独身。
生きてて楽しいですか?
岡田来ないな
岡田の偽者氏ね!
295 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/23 05:33 ID:KQb5cwC+
疑わしい
…。
生きてて楽しいのかな
300 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/24 11:51 ID:YEjCpts1
2ちゃんからの直リンじゃK.OKADAワールドに行けなくなってるね。
困ったことだ。
302 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/24 23:51 ID:e7gVLAZW
>>301 ひろゆきが直リンでは行けないようにしたんだよ。
どこかのスレにひろゆきのコメントあった。
303 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/25 22:51 ID:ntRDISi2
304 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/25 22:54 ID:ntRDISi2
追加
K.OKADAワールドに
訪れた際は、必ず上の方にある
「ジオシティーズ」のランクを
「1」にして下さい。
ご協力おながいします。
ヲカダさらしあげ
306 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/26 03:25 ID:rAB1nm21
>>303 うわ・・・こりゃひでえ。
相変わらず自慢と他人の罵倒やってるよ。
307 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/26 13:16 ID:bg4KRYNM
現在のランクは : 1.2 評価者数は: 1930です
308 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/26 13:49 ID:vZ9j312S
最悪だよ
こいつのせいで香川まで叩かれてるよ
漏れ香川県民なのにウワァァァン
309 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/26 22:08 ID:6N33tVSr
あのおっさん、相手が2ちゃんねらーで無くとも
噛み付くんだな、それも言ってる事がメチャクチャだし(w
岡田来ないな
岡田の偽者氏ね!
311 :
菊池桃子:02/12/27 13:43 ID:mWa+X4O3
前のコンピュータはちょっと黒くて分厚いヤツなんだけど
岡田克彦のサイトに行ったんです。
そしたら、BGMの音質が悪くて、ノイズが混ざりまくりで
ア〜、もう、このコンピュータ音悪すぎって思った。
それで、今マックにしてからは凄く音が良くて
凄くない!?
http://www.apple.co.jp/switch/ 菊池桃子、学生・・・です。 ムフ?
312 :
岡田克彦 ◆ikGay75MZI :02/12/27 17:55 ID:UXqOHRw4
てst
yahooの方で暴れても良いでしょうか?
>313
やめとき、アク禁食らうし。下手に通報されたらめちゃやばいと思うが・・・
315 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/27 23:25 ID:KQFVZcC6
現在のランクは : 1.2 評価者数は: 1945です
岡田来ないな
岡田の偽者氏ね!
>>316 何度も同じことばかりほざくおまいが氏ね
319 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/28 04:16 ID:zquEJbIm
ヲカヤソ来ないのう
>>316 偽岡堕の自作自演か?
実は 岡 堕 本 人 による煽りかもしれない、と言ってみるテスト。
321 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/29 14:23 ID:vniSywHg
現在のランクは : 1.2 評価者数は: 1955です
322 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/29 16:11 ID:W6XVA7MQ
メイン・ストリートとかいうページで強制的にかかる曲。
ショパンの雨だれと別れの曲を足してパクったできそこないだな。
稚拙だなぁ…。ショパンへの冒涜だね、あれは。
45歳。独身。無職。終わってるな
晒しage
岡田来ないな
岡田の偽者氏ね!
326 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/29 22:57 ID:nQVxXYjd
K.OKADAワールドに
訪れた際は、必ず上の方にある
「ジオシティーズ」のランクを
「1」にして下さい。
ご協力おながいします。
岡田来ないな
岡田の偽者氏ね!
>>327 お前いつも同じようなこと書いているな
お前こそ氏ね!
a
g
e
330 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/30 15:58 ID:thEtRyGd
現在のランクは : 1.2 評価者数は: 1966です
私が真性包茎ですって(爆)。おもしろい人々です(笑)。
まったくもって、あんたら俗物には正直あきれております。
肝心なことに気づいていないようです。Gayもセックスをする、ということを。
女性のよりもアヌスの方がきついんですから、ホーケイなんか、私らの世界でも役タタズなんですね。
そんな奴はせいぜいここ2チャンの常連をしてればいいんです。お気の毒様。
あんたら2チャンネラーネトヲチ板に
代表される下界の凡人連中には、ベートーヴェンの晩年の弦楽四重奏が
ちょうどよいですから、そのあたりをお聴きなさい。
間違えても、ぼくやドビュッシーの作品は聴かないように。
豚・に・真珠・でございましょう、ファッハッハッハッ・・・・・
常人のアヌスはキツかろうが
ゲイ歴長いヤツのアヌスはガバガバだろうがよ
333 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/30 21:14 ID:9OuQi3U0
現在のランクは : 1.2 評価者数は: 1971です
334 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/30 21:39 ID:iPKAJP+4
335 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/30 23:19 ID:PeYeNW+l
狼は生きろ、豚は死ね。
そういや、この間岡田氏とメッセで話したよ
内容までは晒さないけど (塚、晒すほどでもないし)
そのときにトリップの話をしたから、今度書き込むときにはさすがに使うんじゃないかな?
解り易く説明したつもりなんで、使って書き込みしていない所を見るとアク禁喰らってカキコ出来ないのかな? (苦藁
ま さ か 解 ら な か っ た 訳 で も あ る ま い v
337 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/30 23:33 ID:LRMoBYw6
ところでage荒らしって臍(ryか?
他のコテハンにいろいろ押し付けた後でまあ、いいご身分なこってw
元はといえばテメーが余計なコテハンを岡田に教えたのが悪いんだろーが、ヴォケ!
岡田来ないな
岡田の偽者氏ね!
情報収集能力が欠落したヴァカへ
アク禁なんかなってませんよ(笑)。
そもそも私のような天才ピアニストに人を藁かす義務はないのです。
そんなモノ,コメディアンがやれば十分です!
ま、悪いことは言いません。あんたら2チャンネラーネトヲチ板に
代表される下界の凡人連中には、ベートーヴェンの晩年の弦楽四重奏が
ちょうどよいですから、そのあたりをお聴きなさい。
間違えても、ぼくやドビュッシーの作品は聴かないように。
豚・に・真珠・でございましょう、ファッハッハッハッ・・・・・
2チャンネラーがコンプレックスだけの非常にレヴェルの低い連中だと
いうことが再確認できました。
何度も言うのですが,ここではゲイへの風当たりがひどすぎると思います。
私が真性包茎であるとか事実無根のアホレスがありますが・・・。
ま、2チャンの凡人連中には理解できない事のようですが、
彼らのあまりの低能さに、理解してもらいたいとも思ってません(笑)。
もとより、ぼくのホームページの
ご来客数は1年半で20万人を超えていますし、皆様とはいつも、メール、
チャット、郵送でやり取りしています。
ともかく、ホームページを立ち上げて、
一番の収穫はいろいろな楽器をやっている人達と出会えた事で、
このことは、ぼく自身の霊感を鼓舞することには大変役立っています。
ま、2チャンの常連はYahooと似たりよったり、下等なブタだという事がよーくわかりました(爆
340 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:02/12/31 14:33 ID:x1LkfJxj
>>340 当たり!
っつ〜か、止めましょう。
先生が貴方たちの相手なぞなさるか、馬鹿者!
ここやYahooで待っていても空しいだけです。
【読むだけ無駄なスレッドの止め方】
名前欄:停&rf&rusi&ran&ras&ran
本文:真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ
コピペでもOK!
気にいらない駄スレッドはこれで止める事ができます。」
こ〜んなものがありますね
岡田来ないな
岡田の偽者氏ね!
345 :
停 YahooBB230172047.bbtec.net:03/01/01 14:52 ID:sor+QdaY
真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ
346 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/01 16:26 ID:+RDABVKx
どれどれ
347 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/01 21:34 ID:FKL+64Qg
岡田のBGMが変わってるぞ
BGMだけじゃなく、新しい過激なエッセイが上がってるな。
349 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/01 23:40 ID:oi5iPOhT
某、無関係のHPでこんな物が(w
====================================================================
私、音楽サイトでホームページ立ち上げてるんですけど、
2チャンのネットウォッチャーの攻撃に晒されて、
カムアウトさせられました。悲しかったけど、開き直って闘ってます。
私、岡田克彦の音楽ホームページ「K.OKADAワールド」
(URL;
http://www.geocities.co.jp/MusicHall/5933/)
に対して、2001年11月から2ヶ月以上に渡り、ひつこく繰り返された
メルボム、ウィルスメールなどの2チャンの中の二流ネットウォッチャー一味の
攻撃(スレッドが48枚も立ちました。)に私が完全勝利した後、
首謀者の夢迷楽士から本当かどうかわからない内容の謝罪文も来ましたが、
引き続き、攻撃の手を緩めずに、仲間全員が精神的に抹殺されるまで永久に私は攻撃を続けることにしましたので、
その点よろしく。
=======================================================================
本物は電波濃度が一味違う(w
「ピアノと遊ぶ会」会長、「日本アマチュア演奏家協会(エイパ・APA)元プロデュース担当理事の私を怒らせたら、どのようなことになるのか、二流2チャンネラー全員に思い知っていただきます。覚悟せい。
お前ら、あたしを舐めんじゃないよ。あたしを誰だと思ってるの?
おそれ多くもあたしよ。
私のホームページを、ひつこくひつこく荒らした張本人の諸悪の根源の
夢迷楽士っていうのは、また、裏でガタガタやってんでしょうな。
ネットしか生きがいのない人だから。さっさと死ねばいいのに、
ただじゃ済まさないから。ゲイを怒らしたら、ちょっと怖いのよ、
あたしを舐めたら承知しないんだから。オホホホホ・・・・・
350 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/01 23:44 ID:AEX5OAlM
修正、某無関係HPにこんな物が(w
==================================================================
私、音楽サイトでホームページ立ち上げてるんですけど、
2チャンのネットウォッチャーの攻撃に晒されて、
カムアウトさせられました。悲しかったけど、開き直って闘ってます。
私、岡田克彦の音楽ホームページ「K.OKADAワールド」
(URL;
http://www.geocities.co.jp/MusicHall/5933/)
に対して、2001年11月から2ヶ月以上に渡り、ひつこく繰り返された
メルボム、ウィルスメールなどの2チャンの中の
二流ネットウォッチャー一味の攻撃(スレッドが48枚も立ちました。)に
私が完全勝利した後、首謀者の夢迷楽士から本当かどうかわからない内容の
謝罪文も来ましたが、引き続き、攻撃の手を緩めずに、仲間全員が精神的に
抹殺されるまで永久に私は攻撃を続けることにしましたので、
その点よろしく。
「ピアノと遊ぶ会」会長、
「日本アマチュア演奏家協会(エイパ・APA)元プロデュース担当理事の
私を怒らせたら、どのようなことになるのか、二流2チャンネラー全員に
思い知っていただきます。覚悟せい。
お前ら、あたしを舐めんじゃないよ。あたしを誰だと思ってるの?
おそれ多くもあたしよ。
私のホームページを、ひつこくひつこく荒らした張本人の諸悪の根源の
夢迷楽士っていうのは、また、裏でガタガタやってんでしょうな。
ネットしか生きがいのない人だから。さっさと死ねばいいのに、
ただじゃ済まさないから。ゲイを怒らしたら、ちょっと怖いのよ、
あたしを舐めたら承知しないんだから。オホホホホ・・・・・
==========================================================
>>349 コピペミス
岡田来ないな
岡田の偽者氏ね!
352 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/02 01:29 ID:Hd5grra1
353 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/02 04:46 ID:jvypoxk2
岡田を見てるとまるで今の北朝鮮のようだ・・・
無”脳”だからしょうがないのか?(;´д`)
岡田克彦氏の作品「家路」を語るスレッドはどこにあるのですか。
以前から「ピアノと遊ぶ会」で何回かお聴きしました。
素晴らしい作品なので是非拝見したいのですが。
なんか、書き込みできなくなっています。
ノイズさえなければ、適当にスーパーの片隅のバックミュージックとして流していても
なんとか、差し支えないかもしれません。
なぜなら私等常人は,そんなバックミュージックには耳もくれず(笑)、
通りすぎるからです。あ、クラシックか、っていう程度の雰囲気です。それで十分だと思います。
だから権威ある高級デパートでは止めた方がいい曲でしょう。
このような切り替えし(差別)は、O氏が一番得意なので、
是非その辺のことを尋ねてみるといいでしょう。
ピアノの実力が皆無な私が出る幕ではないですね。失礼しました。
前スレ第7章の>701にリンクが張られていますが,曲を反映した,
むなしきスレです。
岡田克彦氏の作品「家路」を語るスレッドはどこにあるのですか。
以前から「ピアノと遊ぶ会」で何回かお聴きしました。
素晴らしい作品なので是非拝見したいのですが。
岡田克彦氏の作品「家路」を語るスレッドはどこにあるのですか。
以前から「ピアノと遊ぶ会」で何回かお聴きしました。
素晴らしい作品なので是非拝見したいのですが。
360 :
>:03/01/03 10:35 ID:Jrvu6e6c
∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\∩∧ ∧ ∩\( ゚∀゚)< シヴァシヴァシヴァシヴァ!
シヴァ 〜〜〜〜! >( ゚∀゚ ) / | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< シヴァシヴァ!
\_/ \_________
/ │ \
うん
こ
363 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/03 11:13 ID:YgNtPuYp
どうしてmitutoとオカヤンのサイトのURLだけNGワードなのですか。
商用でもないのに。
スポンサーの(株)東光ってどんな会社よ?
366 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/03 12:51 ID:rpfp7QKu
luv☆ ◆..1g.gaI..
こんなコテガイドラインで見かけたんだけどどうよ?
367 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/03 12:53 ID:h2DUzEGl
はじめてスタッフロールのフラッシュ見た。
爆笑しますた。
370 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/03 14:18 ID:WKi+NT5C
ここ数年の演奏会でのレパートリー(非常に少ない)
ショパン ノクターン2番(Op9-2)
前奏曲・雨だれ
子犬のワルツ
幻想即興曲
シューマン 子供の情景から、異国より、トロイメライ
ドビュッシー ベルガマスク組曲から、プレリュード
サティ ジムノペディー第1番
YY氏との競演でも、YY氏はそれなりの曲は弾くのに、オカマ氏は上記の曲ばかり・・・
この選曲じゃあ、子供の「ぴあのはっぴょうかい」だろ(W
371 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/03 21:18 ID:13VtonRw
現在のランクは : 1.2 評価者数は: 1997です
age
>375
他のオッチスレに誤爆すんのヤメレ
荒らしてるんだから、もっとするのかい?<誤爆
383 :
376:03/01/04 14:02 ID:yL1emhRe
現在のランクは : 1.2 評価者数は: 2007です
『新春雑言・・・・・松山での新春ジョイントサロンコンサートを前にして』
ピアノと遊ぶ会・会長(作曲・ピアノ)岡田克彦
松山市道後ふなや旅館サロンコンサートのチケット完売状況に関して
2003.01.01.執筆
皆様、新年明けましておめでとうございます。さて、『お品書きサロンコンサート』
ということで、既に昨年、ホームページ上にてご案内した、今年新春のジョイント
サロンコンサートのチケット完売状況を踏まえ、2チャンネルのスレッドをご覧に
なっている、クラシック演奏会プロデュースに関わっている、所謂『業界人』という
瓦礫どもの無能な数々の言動を拝見して、私の感じたことを年初にあたって明言したい
と思い、ペンを取りました。
以下掲載内容は、2ちゃんと音楽業界人へのアマチュアマルチミュージシャンの私の
重大な挑戦です。アマチュアの私以上に‘出来る’クラシック音楽演奏会のプロモーター
が日本に皆無だとは、由々しき問題です。深い反省とともに、善処されることを望みます。
まず、今回のジョイントサロンコンサートのチケット完売にあたっては、私の自作の
「即興曲OP.38-3」の前人気が高く、2002年中に、1週間で全席のべ600席を完売しました。
この作品は、私が、住友信託銀行松山支店在勤当時に、愛媛県南予地方の西海を見て、
書いた作品でしたが、一昨年の倉敷でのコンサートで、このノスタルジックな作品が
大変に評判がよかったため、松山でも噂が広まっていたためでした。
地方都市ではマスコミよりも口コミが有効であることは、岡山、倉敷での演奏活動の中で
私は熟知しておりましたが、岡山での江守徹さん、平野啓子さんとの共演、倉敷での
自作サロンコンサート出演の噂は、松山において予想以上に広がっていたようです。
もとより、(株)東光さんからお話があった時点で、この作品を入れて、前売り券を
売り切る自信がなければ、私は出演を引き受けていません。
なにしろ、東京、大阪で200コ以上のコンサートを私は、アマチュアの立場でプロデュース
し、成功させて来ていましたので、こうした経験もあって、(株)東光さんから依頼が
あったのです。そして、そのディレクターのY君が『お品書きサロンコンサート』に
するという斬新なアイデアを、寝る時間も惜しんで考えたことを聞き、あとはお任せします、
と言われましたので、
私も、「よっしゃ、全くクラシックサロンコンサート企画をしたことのない彼のために
一肌脱いであげよう。」と思ったのです。このように一生懸命に頑張っている人間と
出会うと、私はいつも、放っておけなくなります。思い起こすと、岡山県庁のステージ
を盛り上げるために、朗読とのデュオに主眼を置き、自分のピアノソロをそれを
引き立てるための前座用に犠牲にしたのも、岡山県知事の石井さんの情熱に接したからでした。
コンサートというイベントで複数の出演者がいる場合、トータルコーディネイトが最も肝要です。
こうして、背水の陣でチケットが売れるように『お品書き』 を組みました。従って、
あの『お品書き』のメインは、自作の「即興曲OP.38-3」で、後の、ショパンやドビュッシー、
サティー、シューマン、そしてJ.S.バッハでさえも付け足しなのです。
そして、もし、チケットの売れ行きが芳しくないならば、一番、PR力、チケット販売能力
のある私の作品の「ソプラノとピアノのための『枕草子』OP.46」を加えることも、
きちんと高松にUターンしているソプラノ歌手と準備していました。
それはそうですよね。松山がどんなに田舎だっていったって「春はあけぼの、やうやう
白くなりゆく山ぎは・・・・・」という、清少納言の枕草子第一段は誰でも知っています
から、あれが歌曲になったというだけで、かつて、東京では、つぶれかかっていた
「目黒音楽仲間たち」のコンサート会場をこの作品の出展で一杯にしたのですから。
松山での、600席程度完売には自信を持っていました。
チケット販売は上述のような状況でした。2ちゃんでの反論の仕方の予想は大体つきます
が、いやしくも私に反論するのならば、上述の私の実績どおり、松山と同じ人口47万人位
の地方都市で私が成し遂げたように、1週間で600枚のコンサートチケットを完売してから、
ものを言いましょうね。
まあ、アマチュアの私がこれくらいのことを朝飯前の乗りでやっているの
ですから、お金儲けにしている人達は、この10倍程度のこと・・・・・すなわち47万人位の
地方都市で最低でも1週間で6000枚完売・・・・・が出来て当然なのじゃないでしょうか。
出来ないのならば、私の作品への好き勝手な批判は慎むのが人間としての最低限の礼節でしょう。
大体、2ちゃんに巣食ってる下界の凡人連中の言い訳は聞き飽きていますので、実績を明示
出来るような、もう少しましな音楽業界人がいないのかと感じているところです。
ともかく、私のチケット販売実績は直近のことで、コンサートは結果が全て
です。自分の無能さ、瓦礫さ加減を棚に上げて、景気低迷をチケットの
売れない言い訳にするのは、プロとして恥ずかしいことです。
まあ、大体、これが2ちゃんの平均値でしょうから、スレッドがただの傷を舐めあう場所と
言われても仕方のないことです。
以上を踏まえて、音楽業界人の方は、冷静に、お考え下さい。音楽という芸術への
無理解と、超短期的な金儲け優先のあなた達の態度の集積が、今日のクラシック音楽界
の沈滞を招いたことの重大な責任を感じなくてはなりません。
さて、まず、所謂、クラシック音楽の『業界人』の無能な瓦礫に、はっきり申し上げたい事は、
下記5点です。
1.あなた達は、クラシック音楽の日本での正しい流布にあたって、非常に邪魔な、耳の腐った
人間のクズです。
2.クラシックアーティストの上前をはねるような仕事に従事している、情けない人間である
ことを忘れずに、謙虚に生きなくてはなりません。
3.プロデュース思想が、オーディエンスのニーズとかけ離れた皆様は、私のアマチュアと
しての演奏会プロデュースについて述べた、次のエッセイを読んで、ちゃんと考えてプログラム
構成を考えなくてはなりません。従って、最低限の和声学の勉強は不可欠です。 → 『演奏会のプロデュースについて』
このエッセイの中で私は次のように述べています。「演奏会のプロデュースは、作曲、演奏と並ぶ
重要な芸術行為です。」と。音楽業界人の皆様方は一人として、アーティスティックな発想はない
のだろうと、2ちゃんスレッドでの数々の非芸術的発言を拝見して私は痛感しました。
中には、作曲も演奏もプロデュースも自分の才能のままに自由に出来てしまう
私へのやっかみから、「相手にされない負け豚の遠吠え」という負け惜しみを
ご発言なさっている方もいますが、もとより、私は、J.S.バッハ、ショパン、
ドビュッシーのような一流のアーティストしか相手にしていません。
従って、2ちゃんスレッドにおいてさえ、匿名性というヴェールに身を包まないといけないような
情けない二流以下の音楽業界人など、お付き合いを申し込まれても、お断りしております。
一昨年の11月から始まった私のホームページへの攻撃の中で、ガルフライダースというレコードレーベル
のT社長という方と出会いましたが、彼が、「CDを出してあげる。」と言えばそれで踊らされる程度の
洗足あたりの音楽大学校卒業の二流アーティストばかりとのお付き合いの多かった二流以下の業界人で
音楽的に利用価値のない人間だということは最初からわかっておりましたので、夢迷楽士というハンドル
ネームの私のホームページ攻撃首謀者の攻撃を打ち切らせるために、私はT社長を利用しました。
結果、T社長が夢迷楽士の主催していた裏スレッドを表に晒しましたので、私の思い通り、夢迷楽士は
表スレッドのコテハンから袋叩きに会い、終結したのです。狡猾さでも、二流以下のT社長は
私の足元にも及びませんでした。それどころか、外務省後援のチャリティコンサートまで実現した、
元、日本アマチュア演奏家協会理事の私にとっては、この程度の「芸術ヤクザ」を躍らせること等、
赤子の手を捻るよりも簡単なことでした。
ガルフライダースのような訳のわからないニ流レーベルから私がCDを出す等という、全くの
デタラメなお笑い草を信じていたT社長も、私が動いて欲しいように動いたサルでした。
相手の私は、生憎、人間でしたので、強すぎたようですね(笑)。
元々、T社長は私と親しくなりたいがために、かつて、「ピアノと遊ぶ会」を一緒に始めた、作曲家の
雁部一浩氏と面識があるようなことを私に投げかけましたが、これが墓穴を掘りました。雁部氏も
頭脳明晰な方ですので、T社長との面会は、単なる名刺交換程度でお付き合いはなかったそうで、この程度
の裏づけ確認等は2ちゃんネットウォッチャーのように活動実績のない人達と違い、私にとっては簡単な
ことでした。ともかく、音楽活動の最初から、作曲能力のある私は、知人、友人にも恵まれているのです。
4.上述、1,2の2点を十分自認したうえで、謙虚にアーティストと接することは、演奏家崩れのしなく
てはならない最低限の義務だと心得なさい。これによって、あなた達の悪行が少しは改善されるでしょう。
5.お金儲けを先に考えるほど、愚かなことはありません。結果の収益は、優れた企画ならば、後から
自然について来るものです。演奏会の失敗の原因をアーティストに責任転嫁してはなりません。演奏会の
失敗の全ての責任は、自称プロデューサーのあなた達瓦礫の無能さにあることを肝に銘じて下さい。
以上の諸点の理解出来ない人達は、クラシック音楽の正しい流布の邪魔になりますので、
さっさと廃業した方が芸術のためです。ご自身が演奏家崩れなので、音楽以外の仕事の出来ない
不器用な方だという事はよくわかりますが、こと、芸術に関しては、やっていいことと
いけないことがあります。
多少の聞きかじっただけの知識で、作曲も演奏も出来ずにプロデューサーを名乗って金儲けを
することは、やってはいけないことですので、このようなことをしている自称プロデューサー達は、
似たり寄ったりの音楽評論家ともども、バチが当たって地獄に落ちればよい程度の瓦礫です。
が、自分の才能のなさとは関係なく、生をむさぼっていたいのでしょうし、瓦礫にも基本的人権は
ありますから、せめて、アーティストのお情けのお陰で生きていられる恩を死ぬまで忘れないこと、
間違えても自分が芸術的に何かを成し遂げている等という白昼夢はお持ちにならないことです。
次に、音楽大学ピアノ科を卒業した皆様に申し上げたい事が下記です。
特に、今回のジョイントサロンコンサートのチケット完売にあたっては、前述のとおり、
私の自作の「即興曲OP.38-3」の前人気が高く、お陰様で、2002年中に、1週間で全席
のべ600席が完売しました。従って、ホームページ上では、ご案内だけになり、
追加ご入場はいただけないことになりました。
ホームページにてご覧になったオーディエンスの皆様には、本当に申し訳ないことですが、
この前人気は当然でした。私が、住友信託銀行松山支店在勤当時に、愛媛県南予地方の
西海を見て、書いた作品「即興曲OP.38-3」を聴きたいという方が、愛媛県には多かったのです。
もちろん、伏線はあって、一昨年の倉敷でのコンサートでこのノスタルジックな作品が
大変に評判がよかったため、松山でも噂が広まっていたためでした。
そして、地方都市ではマスコミよりも口コミが有効であることくらいは、岡山、倉敷で
の演奏活動の中で私は熟知しておりました。
以上を踏まえて、是非、音楽大学ピアノ科で研鑚を積んだプロの皆様も、演奏困難な
曲の征服やコンクールでの優勝という、指の運動能力のアップという、まるで、英文
タイプの正確な練習のような決して音楽的でもない活動にばかり時間を費やすよりも、
かつての、ショパンやドビュッシーのように、作曲を勉強されて、自作自演くらい
なさったらどうかと思いました(笑)。
自作自演のニーズは非常に高いものを感じていますので、作曲の才能のある方は、
音大ピアノ科同窓生の周囲の目、演奏の出来ないバカな音楽事務所、音楽評論家、
プロデューサー等は無視して、オーディエンスのためにどんどんなさるべきだと
感じています。
元来、演奏会はオーディエンスのために開催されるべきものですから・・・・・。
この際、プロデュースする団体が音楽事務所というのは最悪のオプションです。
中途半端な演奏家崩れの自称プロデューサーや自称音楽評論家はオミットしましょう。
どのようなジャンルでも、中途半端な輩は邪魔ですから、音楽と全く関係のない団体
がプロデュースするのが最高です。
このことは、主婦の友社の作った「カザルスホール」やサントリーの作った
「サントリーホール」の方が、音楽の友社の作った神楽坂の最悪の音響の
「音楽の友ホール」とは比較にならないほど素晴らしいことを見れば、
既に明確な事ですね。
しかし、プロデュースする団体が音楽事務所という最悪の事態になっても、
自作はあなたを守ってくれます。自作の曲目解説ならば、絶対に、自称プロデューサー
や自称音楽評論家には書けませんし、選曲も出来ません。全て、あなたが
イニシアティブを取れますから、ギャランティーの交渉等、全てをあなたの思い
通りに運べますので、よろしいと思います。
以上、2003年年初にあたり、日本にいらっしゃる、全てのアーティストに、
アマチュアアーティストの私からの呼びかけをいたしました。ご質問等ございましたら、
クラシック演奏会プロデュースに関わっている、演奏も作曲も出来ないけれども、
演奏家や作曲家の上前をかすめとって生活の糧を得ているような、所謂『業界人』の
無能な瓦礫以外の方々は、いつでもどうぞメールをお寄せ下さい。
瓦礫の出状したメールは全て無視しますので、梨の礫に終わります。
今年2003年が、クラシックアーティストとオーディエンスの皆様にとって、素晴らしい
一年になることを祈念して、ペンを置きます。
425 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/05 07:46 ID:nQ6JsK0n
このスレは小学生が作文を発表するスレですか?
>>425 小学生の方が妄想で文を書いたりしないだけマシかと。
ほのぼの板まで荒らさないでください。
うわっ、ヲカスレ本家の片方、第7章が埋まってる?!!
大量コピペはいいですが、例えばスレがあがった時に何のスレかわからなくなるので、
ほどほどにしてほしいが。
同一人物でしょうが、誰なのか?
YOSHIKI>ドビュッシー>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>岡田克彦>岡田の聴衆
↑上の図の「聴衆」の可能性もあります。
彼等の神、岡田克彦に頼まれてやっている、という説です。
下には下がいます。もしそうなのなら、岡田宣伝コピペがなくなるはずがありません。
では私はいったい何をしてるのか?
>>428にもあるように誤爆しまくっているのを防ごうとするのが目的です。
新たにスレッドを用意しますのでそこだけで満足して欲しい。
広範囲のコピペは余りにもルール違反です!!!!!!!!!!!
岡田出張所レゲー板本部代表・第1支部代表
436 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/05 22:57 ID:8cOUqj+g
このスレも芸の無いコピペで
潰れるのか・・・
岡田克彦は冗談でなく鳴門海峡の渦に飲み込まれてしまえ!
>>437 瀬戸内海に汚染物質を撒くな(W。
どうだろう。餓えや寒さで苦しんでいる北朝鮮の人たちを癒す『音楽大使』
としてかの地に渡ってもらっては。
もちろん永住の方向で。
芸の無いコピペ、文面変わってた
糞スレの皆様に、岡田克彦ファンクラブからの新春のご案内です。氏のホームページ(下記URL)
掲載の「朗読とピアノのための、ロバート・マンチ作、メルヘン『Love You forever』
OP.87」は氏の最近の傑作で、平野啓子女史の朗読と氏作曲のピアノ曲自作自演とのデュオは素晴らしく
、氏の優しい人間性の最もよく出ています。素直に聴いて、新しい楽しい毒舌エッセイと共にお楽しみ下さい。
(URL;
http://www.geocities.co.jp/MusicHall-Horn/1091/)
糞スレの皆様に、岡田克彦ファンクラブからの新春のご案内です。氏のホームページ(下記URL)
掲載の「朗読とピアノのための、ロバート・マンチ作、メルヘン『Love You forever』
OP.87」は氏の最近の傑作で、平野啓子女史の朗読と氏作曲のピアノ曲自作自演とのデュオは素晴らしく
、氏の優しい人間性の最もよく出ています。素直に聴いて、新しい楽しい毒舌エッセイと共にお楽しみ下さい。
(URL;
http://www.geocities.co.jp/MusicHall-Horn/1091/)
岡田のホームページがジオの理由・・・収入がないから。去年は3000円取れなかったし(藁
今から岡田に釣りメール出します
( ゚Д゚)ゴルァ!! ここが本拠地かっ
出張はラウンコかニュー速あたりにしといて下され。
ほの板まで来ないでいいよ〜。
445 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/06 16:23 ID:+IUeqLda
彼と岡田はお友達だったような記憶があるので、
ここに書いちゃいますすみません。
実は半年くらいネットから遠ざかっていたのですが、
星 ヒ カ ル はその後どうなったのでしょうか。
気になって仕方がありません。
お暇で親切な方、教えてください。
daresore?
447 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/06 22:15 ID:U3U/IMjj
現在のランクは : 1.2 評価者数は: 2015です
>>445 美愛誠と改名した後「2ちゃんねる撲滅委員会」を発足(?)し、
何故かマス板で祭りが起こり、攻撃を受けバカは逃げ出しますた。
12月初旬のことでつ。
今のところ新しいサイトは立ち上げてない模様。
元ヲチ板住人たちは難民板で誰かが立てた美愛スレにまだ若干生息。
本スレ(難民)は沈みますた。。。
昔オカヤソと姉妹サイトになってた(らしい)から挙げてみたけど、誤爆だったか……。スマソ。
糞スレの皆様に、岡田克彦ファンクラブからの新春のご案内です。氏のホームページ(下記URL)
掲載の「朗読とピアノのための、ロバート・マンチ作、メルヘン『Love You forever』
OP.87」は氏の最近の傑作で、平野啓子女史の朗読と氏作曲のピアノ曲自作自演とのデュオは素晴らしく
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OP.87」は氏の最近の傑作で、平野啓子女史の朗読と氏作曲のピアノ曲自作自演とのデュオは素晴らしく
、氏の優しい人間性の最もよく出ています。素直に聴いて、新しい楽しい毒舌エッセイと共にお楽しみ下さい。
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http://www.geocities.co.jp/MusicHall-Horn/1091/)
糞スレの皆様に、岡田克彦ファンクラブからの新春のご案内です。氏のホームページ(下記URL)
掲載の「朗読とピアノのための、ロバート・マンチ作、メルヘン『Love You forever』
OP.87」は氏の最近の傑作で、平野啓子女史の朗読と氏作曲のピアノ曲自作自演とのデュオは素晴らしく
、氏の優しい人間性の最もよく出ています。素直に聴いて、新しい楽しい毒舌エッセイと共にお楽しみ下さい。
(URL;
http://www.geocities.co.jp/MusicHall-Horn/1091/)
457 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/07 16:12 ID:HWv4zbBA
現在のランクは : 1.2 評価者数は: 2019です
的は得るものではないと何度言えば分かってもらえるのやら。
それにさあ、岡駄のエッセイモドキなんか読みに行くのメンドくせーし。
どうせバカみたいにコピペするんだったらその内容を貼ってくれよ。
465 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/08 15:40 ID:l1gBlLC5
466 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/08 17:23 ID:glxGz/F4
467 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/08 18:55 ID:skCn4THD
意外と守備範囲狭いのね、この人。
『2ちゃんを侵す「老害」に関するコメント』
ピアノと遊ぶ会・会長(作曲・ピアノ)岡田克彦
ホームページ掲載のために2003.01.06.執筆
私がこのホームページの「私のコンセプション」において下記のように
述べている『老害』についてご案内し、併せて、この「老害」に侵された
2ちゃんねるに集っている多くの若者達の悲惨な精神状態について
述べるため、本エッセイを追加執筆します。
香川県内の文化水準は以前から『西高東低』のままで、東讃の高松市が
県庁所在地としての文化的役割を果たしていないことと、大家の先生方
の既得権にしがみついただけの金権支配という『老害』等が、全ての状況
を停滞させているようです。
このように、私が述べているところの『老害』は、以前から日本の
クラシックピアノ音楽界では日常的であり、特に、8年前にUターンして、
現在住んでいる高松のような地方都市では目に余る悪弊を芸術の流布において
及ぼしています。
また、さらにひどいことに、昨今のバブル崩壊後に社会に
出た若い人達においては、「長いものには巻かれろ」とか「出る釘は打たれる」
という最悪の諺に縛られることに抵抗する情熱の希薄な人達が多くなっていて、
『老害』を助長する傾向が増えているようです。
さて、この、言い得て妙、という『老害』という単語を私が初めて耳にした
のは、東京で「PIA.JAPAN」というピアノ音楽振興団体において、
本団体主催者の、「バイエル教則本」編纂をなさったことで有名な、
片山先生と、そのパーティー会場でお会いした時でした。
時あたかも1989年頃、まさにバブル最盛期のことでした。
今は遠い過去のこととなったバブル経済は、その崩壊後、様々な悪影響を
日本の景気にもたらしていて、既にそのマクロ経済的な失敗であった評価は
確定しています。が、第一次オイルショック後の不景気の時期に社会に出て、
バブル経済に突入する前の緩やかな右肩上がり経済の時期を経験しながら、
アマチュアとして演奏会をプロデュースしてきた私は、バブル経済の芸術に
及ぼした良かった効果も十分に知っています。
そして、バブル経済開始のはるか前から旧態依然としていた日本のクラシック
ピアノ界の悪弊を打破しようという動きの原動力に、バブル経済がいい刺激を
与えたことも、間違いのない事実だったこともご案内しなくてはならないと
思っています。
「PIA.JAPAN」というピアノ音楽振興団体は、東京芸大の名誉教授だった安川加寿子先生
のやっていた「JPTA」から片山先生が飛び出して作った組織でした。「ピアノと遊ぶ会」
を一緒に始めた、作曲家の雁部一浩氏は当時、片山先生の側近として、「PIA.JAPAN」を
切り盛りしていましたが、彼の紹介で、日本アマチュア演奏家協会の理事をしていた私は
初めてそのパーティーに参加させていただいた時のことでした。
初めて出席したその席上で、片山先生は私に何回も次のように言われました。
「日本のピアノ音楽界から『老害』を取り除かないと、決して明るい未来
は訪れないのです。『老害』が日本のピアノ音楽界をダメにしているんだ。」と。
ご説明を聞くと『老害』とは、「JPTA」のコンクール審査等で、長老支配をしている
安川先生の弊害に代表される状況を指していました。そして、日本の音楽大学ピアノ科
を卒業するには半端ではないお金が必要ですので、卒業後、その元を取り戻すため、
若い人達が、長老支配を開始しようという、どうしようもない悪循環が繰り返されている
ことを、どこかで断ち切らないといけない、というのが、片山先生のご意見でした。
私の想像ですが、もし、バブル経済が、あと1年長く続けば、『老害』を、
日本のピアノ音楽界から完全に抹殺出来ただろうと思います。
当時は、私の開始したピアノと遊ぶ会外務省チャリティコンサートも順調に
多額の寄付金を集めていましたし、それに影響されて、都内の様々な
音楽団体がチャリティコンサートを開始していました。
世の中は、各企業のメセナブームに沸いていて、ありとあらゆる文化活動に
潤沢な資金援助がなされていました。その中には、今日から考えると無駄と
思われるものも含まれていましたが、その時点では、それまでは絶対に
不可能だった分野への援助も開始されていて、日々、驚きの連続でした。
東京の、御茶ノ水には、主婦の友社がウィーンのムジークフェラインと
同じ音響設備の整った室内楽専用の「カザルスホール」を作り、
大正海上文化財団が潤沢な資金を提供して「アマチュア室内楽フェスティバル」
の開催が開始されました。
これを見た、住友グループは、大阪に同様の状況を作ろうとして、住友生命が
「カザルスホール」と同じ設計思想による「いずみホール」を作り、読売テレビは、
日本アマチュア演奏家協会関西支部のアドバイスの下、大正海上文化財団に匹敵する
財団法人を作り(ということは、50億円以上の基金をあっという間に各企業から集めて作った
のです)、「いずみホール」を使って、大阪で、大阪国際室内楽コンクールを始めました。
また、労働省の外郭団体の週休二日制を定着させる目的で作られた「余暇振興財団」
は、都内のアマチュアオーケストラに潤沢な助成金を提供し、土日を文化的に
豊かに過ごせるような環境を作るだけのために、大変な資金が動いていました。
私の周囲でも、アマチュアのたくさんのピアノの仲間が当時1000万円以上する、
スタインウェイを、急に値上がりしたゴルフの会員権等を使って購入していま
した。が、全国の地方公共団体が、先を争ってスタインウェイを購入したため、
スタインウェイ輸入総代理店の「松尾楽器」はピアノが売れすぎて、調律士の
調達が間に合わない状況でした。
このことは、当時「松尾楽器」の取締役技術部長をしていた鶴田さんから、何度となく
聞かされていました。ベーゼンドルファーもスタインウェイの高域のブリリアントな
音が出るように設計した新しいピアノを日本で発売し、かなり売っていましたし、
カワイ楽器は、スタインウェイ社とOEM契約を結び、新しいピアノの生産を
スタートさせていました。
ピアノだけでなく、高級楽器を扱っている商店はどこも同じ状況でした。
弦楽器商はストラディ、ベルゴンツィ、アマティ等、1億円以上の楽器を
かなり売っていましたし、それまでアメリカの資産家が貸金庫に資産と
してしまっていた、ストラディバリウスのヴァイオリンはかなり、日本の
マーケットに吸収されていました。
また、フルートのムラマツ、クラリネットのブュッフェ・クランポン、
オーボエ、ファゴットの日本ダブルリート等々の活況、
・・・・・良くも悪くも、バブル絶頂期でした。
そして、こうした、株も不動産もゴルフの会員権等も全てが絶対に値上がり
するという状況下に置かれた人達は、将来に大きなツケを残した、無理な投資
をしたので、住専問題等、いろいろな問題を残してしまったのですが、少なく
とも、芸術や学術の領域においては、従来のやり方に束縛されない自由な発想
による活動が、社会的に認知される時間は短縮されていました。
第一、当時私の執筆したエッセイ「我慢ならないことども!」 が、都内の
いろいろな音楽サークルの会報等に掲載されて、大変な反響があったのです。
従来の常識というものを打破するのは簡単な状況にありました。
さて、今の時代について私が感じていることをお話しなくてはなりません。
まず、前述の片山先生のおっしゃっていた「日本のピアノ音楽界から『老害』を取り
除かないと、決して明るい未来は訪れないのです。『老害』が日本のピアノ音楽界
をダメにしているんだ。」という主張は、どのような時代背景であっても、普遍的
に正しいものです。従って、若い人達は絶対に自分達の信じる価値観を提唱して
生きて行って欲しいと思います。
そのように私は願っているのですが、2ちゃんねるに代表される、若い人達の
言動を拝見していて、非常に不満な点は、大変に保守的な考えの人達、
波風を立てずに生きることを第一に考えている人達が増えて来ているという
ことです。
私のエッセイにしても、作曲作品にしても、全て私の自己表現の一部ですので、
賛否両論があってしかるべきなのです。2ちゃんにスレッドという討論の場があるの
ですから、そこで、意見交換をする局面があってもよいと私は考えているのですが、
スレッド上で否定的な意見が多数派である場合、肯定的な意見の人達は、無記名で
意見を通りすがりの人のように書き込むか、メールで連絡を下さるだけのことが多いのです。
もちろん、私の作品への好評は嬉しいことなのですが、何となく、表面切った
討論を避ける、付和雷同な主体性のない風潮を感じてしまいます。
こういう外面だけの平穏無事を整える風潮は新たなものの創造を必ずや妨害
しますので、いつの日か、壁に突き当たり、改善されなくてはならなくなる
でしょう。
また、『老害』が今も健在であることは、このような、あまりにも保守的な
事なかれ主義の若者の増加に便乗している結果のように感じています。
換言するなら、2ちゃんに出入している若者の多くは、物理的な年齢の若さ
とは無関係に、既に、老害に侵されているということです。
いろいろなスレッドを拝見して私が感じたことは、クラシック等の伝統芸術
に関する領域だけでなく、新しい音楽等を考えようというジャンルに
おいても、無気力な老害病患者の若者が多いということ、従って、何一つ
として、新たなものを創造出来ないだろうということです。
この先の、『老害』を考える時、私自身も老人と言われる時代が来ると
感じています。が、どんな状況下にあっても、私は、『老害』という
ものを認知しないだろうと思います。
そんなことを考えながら、かつて、30歳になる直前に執筆したエッセイ
「我慢ならないことども!」を読み返していて、この最後に書いている
「ぼくは、来年早々30歳になっても、気分はガキのまま、書きたい放題、
書いてゆくつもり!」を引用して、次を私の生き様にしたいものだと
考えています。
「ぼくは、何歳になっても、気分はガキのまま、生きたい様に生きてゆくつもり!」
さて、このように言い切ることの出来る2ちゃんねらーが、現在、
何人いるかということ。問題は全て、そこに集約されるだろうと思います。
このように考えると、彼ら2ちゃんねらーの使う日本語には極めて無責任な
共通項が上げられます。「キモイ」「キショイ」「ウザい」等の表現には
論理的背景が全くなく、「逝ってよし」「ゴルァ」などは、その場のインパクト
を考えただけのものにすぎません。また、「スレッドの空気を読む」というのは
一見ネチケットを守る正当な言い分に聞こえますが、実は、主体性のない状況を
隠匿するものでしかありません。
そして、この種の言葉づかいは、スレッドでの発言という一回性の責任を限りなく
軽くすることに役立っていて、それは、彼ら2ちゃんに集う人達の執拗さや陰湿さと
好対照を成しています。昨年暮れから、私の偽者やファンクラブを名乗る書き込みが
増えているようですが、以前から継続されている、インターネットを使っていろいろな
商品の購入申し込みをして、私の自宅に送りつけるいたがらも続いています。
この、2ちゃんねらーの病的な執拗さは、スレッドでの発言の責任が限りなく
軽くなり、お互いに本音に抵触しなくなっている分、深くなっていて、
この執拗さによって何とか精神的均衡を保っているような気の毒な状態
だと感じています。
さらに呆れたことは、私の音楽作品を、ショパンやドビュッシーと同じ土俵
で、まるで、日本音楽コンクールのように、一面的な一つの定規(この一面も、
かなり恣意的に、自分に都合よく捏造されたものです)による競争原理でもって
比較していることです。芸術にはいろいろな側面があって、一つの評価基準に
よる勝ち負けのような競争原理は絶対に持ち込めません。
彼らは、まず第一に、芸術の創造は、個性を大切にし、他との同一性を否定するという
原点に立たなくては何も出来ないという最も重要な出発点を忘れているようです。
が、問題は芸術云々以前のことで、全ての事象に対する判断基準においてすら、
「逝ってよし」「ゴルァ」等を連発しすぎたため、他との同一性すら全く否定出来ない、
付和雷同が日常的な精神的状態に陥っており、既に、人間の尊厳等も所持していない
状態になりすまっているのでしょう。
私は、作曲家としてドビュッシーを大変に尊敬していますが、ドビュッシーの
ようになりたい、と思ったことは、かつて一度もありません。何故ならば、ドビュッシーが
私より上だとか下だということは、作品の創造にあたって、全く意味のないことだからです。
そんなことよりも、まず、第一に、ドビュッシーと自分は同一ではない、という基本的な
視点に立たなくては作曲や自作自演、人前で発表すること等、は絶対に出来ないことです。
従って、私にはドビュッシーのプレリュード集や映像のような作品は絶対に
書けないけれども、ドビュッシーには、私の「家路」のような作品は絶対に
書けないという、芸術の創造にかかわる原点に立っています。そして、
こうした芸術の創造の原点に立っているという自負のある作品しか発表しない、
というのが、アーティストとして、絶対的に必要な条件だろうと思っています。
従って、私にはドビュッシーのプレリュード集や映像のような作品は絶対に
書けないけれども、ドビュッシーには、私の「家路」のような作品は絶対に
書けないという、芸術の創造にかかわる原点に立っています。そして、
こうした芸術の創造の原点に立っているという自負のある作品しか発表しない、
というのが、アーティストとして、絶対的に必要な条件だろうと思っています。
従って、私にはドビュッシーのプレリュード集や映像のような作品は絶対に
書けないけれども、ドビュッシーには、私の「家路」のような作品は絶対に
書けないという、芸術の創造にかかわる原点に立っています。そして、
こうした芸術の創造の原点に立っているという自負のある作品しか発表しない、
というのが、アーティストとして、絶対的に必要な条件だろうと思っています。
従って、作曲という行為から有効な結果を引き出すには、一人で自分の感性を
見つめるという孤独な作業が不可欠なのです。
上述のようなアートの原点の基本原則を知らない、あるいは理解しようとも
しない、老害に侵されただけの若者が2ちゃんねらーの大半に及んでいること
は、全く、唾棄すべきことであると思っています。
そして、そのような芸術への理解の欠落した若者達が、私の作品で気に入らない物
に対して、何千回、何万回、論理的背景の全くない「キモイ」「キショイ」「ウザい」
という感想を繰り返しても、アーティストの私に何の影響も及ぼすことが出来ないと
明確になると、彼らは陰湿なホームページの晒し行為を、ネットウォッチという
大義名分の下に実行する以外何も出来ない、憐れな老害病患者なのです。
執拗さのみが彼らに残された最後の砦なのですから、この程度のことしか
出来ないのでしょう。そして、こうした執拗な行為のプロセスが彼らの感性の
質的向上にあたって何の役にも立っていないことには、全く気づいていない
ようですし、感性の質的向上等、考えたこともないようです。
元々、私は2ちゃんのスレッド等に、全く興味はなかったのですが、一昨年の
11月から開始された私のホームページへの攻撃を機に、いろいろと拝見しました。
そして、以上述べたような、最近の若い2ちゃんねらーの人達の老害に侵された
気風に接し、正直なところ、がっかりしました。
(これは、私の作品やエッセイを評価するかどうかとは全く関係なく、2ちゃん
に出入している若者達のだらしない生き方にがっかりしたということです。)
そして、当初は、ウェブ空間で自由に動ける世代に生まれた若者達のことを
羨ましく思っていましたが、2ちゃんねらーの大半が老害に侵されていることを知り、
私は、IT革命が本格化する前の世代に生まれていてよかったな、と痛感しています。
最後に、老害病患者特有の最も象徴的な言い回しだと感じている、次の表現を
ご紹介したいと思います。
「・・・・・ですが、何か?」
何と、年寄り特有の図々しさとあつかましさと逃げ場を背景にたっぷり保持
した表現ではないですか!
さすがに、スレッドでこの言葉づかいに初めて出会った時には、
「逝ってよし」「ゴルァ」以上に私は参りました。こんな二枚舌的な
ジジイ臭い表現を、若い人達が使っている、全く恐ろしく悲惨な時代が
到来している、ということのようです。
わざわざコピペしてくれてどうも。
いやー。相変らず、厨房理論炸裂だな犯駄よ。
518 :
りつ (律、×率):03/01/09 00:18 ID:dzSB5PU2
ちょいと、克彦ネエさん。
あーた、ヒマでいいわねぇ。
あやかりたいわ、、、。
519 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/09 01:08 ID:+rbYv4Ze
この駄文を読んで、唯一興味を持ったのは、オカマが「家路」を気に入っていると言う事だね
あの、コードを覚えた中年親父が、コードを弾きながら鼻歌歌ってるような曲を・・・・・
そりゃあ、あんなの、ドビュッシーは絶対書かない(感性が書くことを許さない)よなあ
IP記録実験
http://qb.2ch.net/test/read.cgi/accuse/1042013605/ 1 名前:ひろゆき ◆3SHRUNYAXA @どうやら管理人 ★ 投稿日:03/01/08 17:13 ID:???
そんなわけで、qbサーバでIPの記録実験をはじめましたー。
27 名前:心得をよく読みましょう 投稿日:03/01/08 17:20 ID:yL/kYdMc
SETTING.TXT管轄でないということは全鯖導入を視野に、か?
38 名前:ひろゆき ◆3SHRUNYAXA 投稿日:03/01/08 17:22 ID:rLfxQ17l
>>27 鋭いです。
73 名前:ひろゆき ◆3SHRUNYAXA 投稿日:03/01/08 17:27 ID:rLfxQ17l
>ところで、IPが抜かれて何か今までと変わることってあるのでしょうか?
・今までより、サーバが重くなる。
・裁判所や警察からの照会があった場合にはIPを提出することがある。
>>519 >コードを弾きながら鼻歌歌ってるような曲
という私の作品「家路」への的外れなご感想には、呆れております。私のホームページ掲載の
友人の横浜の作曲家の八木下さんの論評がこの作品については最も的を得ています。
519番の言う、コード進行、つまり、和声進行は、この作品においてどうでもよく、対位法処理
がこの「家路」の急所です。519番のような、バッハを知らない下品な聴衆は、対位法が見えず、
コード進行しか聴こえないということ。憐れな耳をしています。ご愁傷様です。
>>519 >コードを弾きながら鼻歌歌ってるような曲
という私の作品「家路」への的外れなご感想には、呆れております。私のホームページ掲載の
友人の横浜の作曲家の八木下さんの論評がこの作品については最も的を得ています。
519番の言う、コード進行、つまり、和声進行は、この作品においてどうでもよく、対位法処理
がこの「家路」の急所です。519番のような、バッハを知らない下品な聴衆は、対位法が見えず、
コード進行しか聴こえないということ。憐れな耳をしています。ご愁傷様です。
久しぶりに2ちゃんを覗いたのですが、偽者に次いで、私のファンクラブ
を名乗る者が出没しているようです。幼稚な2ちゃんでは日常的なことでしょう
が、毎度ながら、呆れています。
不惑もとうに越えてまだモラトリアムしてるバカが社会批判してもなあ。
自由に生きる?そりゃけっこうだね。
しかしまず自立して欲しいもんだ。ママのスネ齧って自由もクソもあるもんかよ。
それとさ、的は得るもんじゃないってまだ分からないの?
自称ワセダ卒じゃあその程度ですかね。
トップページからいけるエッセイに新たな脳内妄想がw
また、同曲「家路」については、仙台市在住の中学校音楽科の教員から、下記のようなメールをいただきました。
>始めまして。私は、仙台市で中学音楽科の教員をしております。
>確か、3ヶ月前だったと思います。私が音楽好きの友人と食事をしていたところ、
その友人が楽譜を持ってきていました。私は大変な興味を示し
>「ねぇ、これ何の楽譜?」と聞きますと友人は
>「あぁ、これね。メールで自作の楽譜をくれる、っていうホームページがあったか
らメール出してもらったの。」
>「へぇ、そんな親切なホームページあるんだ・・・。」
>「あなたなら、弾けるんじゃない?これ、ピアノの楽譜なの。」
>「これ、もらっちゃだめ?」「え・・・。まあ、いいか。コピーとってきてあげる」
>ということで、「家路」という曲をもらいました。
>翌日学校に行って生徒に聞かせると生徒は異口同音に
>「先生、こういう歌を聞いて感動したってことなかったけど、すごく感動した。」
と言いました。
それほど岡田さんの曲が素晴らしいということでしょう。私、すごく感激しました。
お仕事など忙しいかと思いますが、作曲頑張ってください。
527 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/09 11:54 ID:Xlggw1Kx
はぁ・・・・・・
対位法を習った事がすごい誇りなんだね、この人(完璧な権威主義者=老害だね)
「独学30年」のおっさんも言ってたろ、習ってもダメって
彼に必死に擦り寄りながら、無視されつづけるのを見るのは、痛々しかったなあ
せっかく習っても、音楽である以上、「家路」の酔っ払いの鼻歌のような旋律じゃあどうしようもないじゃない・・・
神は、あなたには「霊感」を授けなかったのだよ、可哀想だけど・・・
528 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/09 11:56 ID:Xlggw1Kx
相変わらず、深夜の書き込みだけど、まだ、仕事見つからないの?
それとも、夜勤でさぼりやってるの?
529 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/09 12:12 ID:WHwXITl3
岡田先生になんという口を!
530 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/09 12:18 ID:xpfTY7Fj
独学30年おっさおんの音すら聞いたことないのに
「はなまるさんは絶対的に素晴らしいのです」
のくだりには、愛を感じたなあ
片思いでふられちったけど
可哀想。。。。。。。
>>487 >また、フルートのムラマツ、クラリネットのブュッフェ・クランポン、
ブュッフェ・クランポンは、ビュッフェ・クランポンと表記するのが正しいと思われます。
訂正よろしくお願いします、岡田さん。
532 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/09 15:06 ID:1FVLwLz8
ここ数年の、「こども・ぴあのはっぴょうかい」レベルの選曲はなんとかなりませんか?
533 :
珍満腹 ◆LpB0apFrxs :03/01/09 16:34 ID:7Vbxzupf
本物のオカヤンが今ここを見てるかどうか知らんけど、いちおう書いとく。
なんかバッハを持ち出してるけど、バッハの対位法は確か和声(つまりコード)にもとづいていたはずだが。
それにもかかわらず「和声進行はどうでもよい」なんて言ってる時点でもう作曲家失格だわな。
ま、対位法なんて別にクラシックに限った話じゃなくて、ジャズでもその誕生のころ(1890年ごろ?)からすでに行なわれてるし(しかも即興)、別に珍しくもなんともないんだけどね。
ちなみにバッハの音楽はジャズ・ミュージシャンにけっこう人気があります。ジャズにしやすいらしい。
534 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/09 17:17 ID:BNJH8hvX
岡田先生のピアノの腕前は相当なものだ・・・
素晴らしい・・・
んーと、トリップはこれかな、、、と。
おー・・・
もうひとつテスト
538 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/09 18:38 ID:wchjBG28
>>534 簡単な曲でもミスタッチの嵐
何より致命的なのは「テンポ音痴」なことだな
>>533 ジャック・ルーシェの例を持ち出すまでもなく、バッハとジャズってのは親和性がありますな。
ところで、バッハ好きにジャズ好きは多いわけですが、
どう言うわけか落語も好きって人も多いんですな。
どういうわけでげしょうな?
541 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/09 20:38 ID:hO+6wx5I
現在のランクは : 1.2 評価者数は: 2026です
自分でURL書いて「読め!!」って逝ってマルチポストしてるのに、
荒らされると「2ちゃんねらーがこれないようにしろ!!」ってひろゆきに
泣きつくなんて、頭おかしいんじゃねえの??
的は得るもんじゃねえつーの。
「的を射る」か「当を得る」かだっつーの。
547 :
珍満腹 ◆LpB0apFrxs :03/01/09 23:50 ID:lvH+wYAi
>>539 それって要するに山下洋輔のことじゃん(w
そろそろ、岡田君にとっては朝かな? おはろー
生活向上委員会とセッションしていた時期や、
寿限無をリリースしたころの洋輔は図抜けていた。
550 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/10 01:16 ID:DpkAWaAI
age
551 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/10 01:23 ID:KA5jb2Ba
45歳。無職。独身。
失敗人生おめでとう。プ
犯駄も今日で46か・・・
553 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/10 15:25 ID:6M6EzHFa
またまた、老害病患者が集まっているので、必要事項だけ書きます。
まず、ぼくの名前表示の岡山ファンクラブの「家路」大好きな若者の作ってくれた、
ぼくの好きなドビュッシーのイニシャルが出るこの新しいトリップにしましたので、
535等の偽者と判別出来るようになりました。
>>531 どうもご指摘有難う。早速直し、ビュッフェ・クランポンの洞社長にはお詫びの電話しました。
>>554 またトリップパス漏らすなよ〜
アンタ頭悪いから心配だよw
デブ、ですか・・・
557 :
珍満腹 ◆LpB0apFrxs :03/01/10 16:31 ID:+Pa3ShG/
デブ(爆
確かに写真見ると締まりのないブヨブヨした感じの体だよな。
美 し く な い ぞ 岡 田
558 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/10 17:08 ID:fAcr//6C
貴方のピアノに((((( ;゚Д゚))))ガクガクブルブル ((((( ;゚Д゚))))ムネトキメキ♪
>>554 あ、そのトリップ使ってくれたんだ
今度はパス漏らさないように気をつけてね
2ちゃんねるをマルチポストで侵す「老害」とは岡田自身の事ですな。
562 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/10 22:40 ID:C3565M6K
今日は仕事が休みだったので
思う存分ドビュッシーしました。
563 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/10 22:48 ID:VGJtKml4
もっとピアノ練習しなオカヤソ
演奏技術は今日日の高校生レベル
自作って言ってる曲は全部パクリ
大都市でクラシックを聞いている人なら、誰でも分かる事
見っとも無い。
クラシック=高尚なんて考えは、ヨーロッパじゃ当に捨てられている。
日本でも大都市なら、世界最高レベルのクラシックが5000円のチケットで
聞ける。
CDにいたっては「カラヤン」のCDが100円ショップで買える。
取り合えずあのHPの雑音を何とかしろ
レベル低すぎ
久しぶりに覗いてみたら賑わってるね。
今日は岡田の46戒女の誕生日みたいなので、
うちのサイトのトップのFLASHを
岡田誕生日バージョンにしてみました(・∀・)クスクス
>>563 同じことを何回も書き込んでいる荒らしに一言、大都市周辺に住んでいることと、才能の有無は関係なし。
パクリかどうか、作曲の出来ない人には判断不可能。これまで、作曲の出来ない人たちとはあまりお付合
いしていませんが、ピアノ演奏家の友人は、1986年の日本音楽コンクール優勝の有森直樹君、1989年の
イタリアマクニャーガ国際ピアノコンクール優勝の熊井善之君くらい。
で、あんた、何者。ハハハ・・、ぼくの素晴らしい音楽仲間とはちょっと水準が違いすぎますね。
>>557 珍満腹という俗物がまた来たのですね。
あなたのような俗物に、美醜について語る資格なし。
大体、あなたは、ベートーヴェンを美しいと感じている。
それだけでも、十分腐った耳の持ち主、ほとんど、身体障害者ですから。
>>562 >ドビュッシーしました。
あっそう、それがどうかしたの。今度は、夜のガスパールのスカルボくらい
弾いて、ラヴェルしました、くらい書きましょうね。私のピアノの友人で、
スカルボ弾けない人は一人もいないのです。
>>563 で、あんたは、ピアノ弾けるのですか。スカルボなんて最後まで弾けない
でしょう。身体障害者が多いからね、2ちゃんのクラ板には。
身体障害者にもいろいろいますが、2ちゃんのクラ板は、つ・ん・ぼ・
の集合体ですね。音楽をやるにあたっては、どーしようもないでしょう。
若い頃からずーーーっと、つ・ん・ぼ・なのですから、救いようが
ありませんね。
『2ちゃんを侵す「老害」に関するコメント』
元、日本アマチュア演奏家協会(APA・エイパ)プロデュース担当理事
ピアノと遊ぶ会・会長(作曲・ピアノ)
岡田克彦
ホームページ掲載のために2003.01.06.執筆
はじめに
このエッセイにおいて、私が「2ちゃん」「2ちゃんねらー」と呼んでいる
ものは、「2ちゃんねる」「2ちゃんねらー」全体を指しているのでは
ありません。大きくは、次の2つを指しています。そして、この中に、
私の偽者や私のファンクラブを名乗る人達まで、いろいろな下劣な試みの
好きな人間のクズがいるようです。
1. 人のホームページに土足で上がりこみ、コンプレックスからデタラメな
情報を吹聴したり、人のホームページのリンク先に迷惑を及ぼしたり、恣意的
な意図に基づくチクリ行為という、犯罪スレスレの行為が日常的な「2ちゃんねる・ネットウォッチ板」と、
人の文章を読むにあたっても『突っ込みどころ』があるかないかという読み方しか出来なくなってしまった
日本語能力の著しく衰退した、ネットウォッチャーという自分達の自己満足の中で名乗っている肩書きを
後生大事にしている人達
(このネットウォッチャーには何の法的権限もなく、ただ、過去に何個の人のホームページを閉鎖に追い込んだかという犯罪実績数のみが唯一の自慢の種なのですから笑ってしまいます。)
と、それに付随するJBBS掲示板の一部・・・・・これを読まれた「2ちゃんねる・ネットウォッチャー」達は、これまでの1年以上に
渡る様々ないやがらせや攻撃にもかかわらず生き残っているこの私のホームページ「K.OKADAワールド」に対して、またまた、
無駄な反撃の決断等をなさるのでしょうが、結果は既に最初から決まっていることなのです。
過去からずっと、日本アマチュア演奏家協会・プロデュース担当理事と、ピアノと遊ぶ会会長を、
兼任してきて、様々な新しい企画を日本のクラシック音楽界において展開してきた私は、「芸術ヤクザ」
のはるかに陰湿で執拗な攻撃に合った経験がありますが、売られた喧嘩を買って、これまで一度たり
とも、私と私のブレーンは負けたことがないのです。
従って、最近のIT革命に便乗して登場した「2ちゃんねる・ネットウォッチャー」達
などは、‘ひよっこ’でしかありません。既に、成人になっている彼らの侵した
犯罪行為は裁判に持ち込めますが、私は、このような社会経験が乏しく精神年齢も低い
‘ひよっこ’どもの基本的人権を認めておりませんし、
さっきから、何独り言言ってるの?
社会経験も乏しく、中央大学文学部心理学科を卒業したにすぎない「2ちゃんねる」
創設者のひろゆきが極めて低学歴で裁判好きであるという状況を不憫に思っています
ので、一切を、無視しております。が、降りかかる火を振り払うという、正当防衛によって、
それなりの報復行為は、法的なものでなくても十分可能ですので、
何とも思っておりません。
従って、今後も、私のホームページに対する攻撃やいやがらせを継続しようなど
と思っている、自称「2ちゃんねる・ネットウォッチャー」達は、
しかるべき覚悟を持って実行しましょう。私の堪忍袋の緒が切れたために、
過去に、演奏家として葬り去られたアーティストは山のようにいるのですが、
あなた達はそれを知らないだけなのです。私が堪忍袋の緒を切らないよう、十分ご注意下さい。
2. 次に、作曲や演奏をやったこともなく、人の作品全般に、無責任な批評を
することのみを楽しみにしている、頭デッカチの音楽評論家の卵の集まりに過ぎず、
作曲や演奏を継続することの大変さを身にしみて味わったことはないけれども、
クラシックを愛好していると言うと、周囲から高級な人間であると思われることへの
自己満足にうつつを抜かしている、NHK交響楽団定期演奏会会員と同程度の俗物、
及び、既にエッセイ『新春雑言・・・・・松山での新春ジョイントサロンコンサートを前にして』
において批判した2流以下のクラシック音楽業界人の溜まり場の、「2ちゃんねる・クラシック板」
及び、ここにタムロしている人達。・・・・・かつて、私が理事をしていた「日本アマチュア演奏家
協会(APA・エイパ)」にもいろいろな人達がいましたが、エイパでは、楽器を演奏できない人
は入会出来ないようにしていましたので、最低限のモラルが保持されていたのだろうと思い出しました。
やっぱり、演奏でも作曲でも、「額に汗して」、ともかく自分でやってみよう、
という覇気は、いつの時代も必要なことですし、そういうことを実行している人達は
輝いているものですが、「2ちゃんねる・クラシック板」 にタムロしている人達には、
輝き等は皆無で、俗物根性のみが突出しているようです。演奏も作曲も出来ない人達の、
なれの果ての様相を呈しているようです。
これらの悪辣掲示板2つとそこにタムロしている人達の言い訳は聞き飽きていますので、
今後は私は、報復行為を実行するのみとなりますので、これらの悪辣掲示板2つと
そこにタムロしている人達は、十分注意し、まっとうな一生を送れる様な、
小市民的な希望のみを考えればよいでしょう。これらの悪辣掲示板2つ以外の「2ちゃんねる」
掲示板全体には、楽器、作曲板や吹奏楽板のような素晴らしいものもたくさんあります。
>>565 >パクリかどうか、作曲の出来ない人には判断不可能。
二つの旋律を聴き比べ、その類似性を判断する。
作曲者の人となりなどを調査し、盗作を行うような人物かを検証する。
こんな作業のどこに作曲の才能が必要ある?
>これまで、作曲の出来ない人たちとはあまりお付合いしていませんが、
つまり、井の中の蛙
>ピアノ演奏家の友人は、1986年の日本音楽コンクール優勝の有森直樹君、1989年の
>イタリアマクニャーガ国際ピアノコンクール優勝の熊井善之君くらい。
たった二人か。こちらもやはり井の中の蛙。
井 の 中 の 蛙 が ゲ コ ゲ コ 鳴 い て ん じ ゃ ね ぇ よ 。
そ れ と も 、 図 星 を 突 か れ て 泣 き べ そ か ?lol
が、何しろ2ちゃんねるは巨大掲示板で、何でもござれ、という状況のようですので、
その内整理整頓が進み、存在意義のないひどい掲示板は、世の常として、自然淘汰
されるだろうと思っています。従って、悪辣掲示板2つにタムロしている人達におかれては、
それまでの間、生命が続くことを第一に考えて行動しましょう。既に、私の怒りは相当な
ところにまで達していますので、十分ご注意下さい。
私がこのホームページの「私のコンセプション」において下記のように述べている
『老害』についてご案内し、併せて、この「老害」に侵された2ちゃんねるに集っている
多くの若者達の悲惨な精神状態について述べるため、本エッセイを追加執筆します。
香川県内の文化水準は以前から『西高東低』のままで、東讃の高松市が県庁所在地
としての文化的役割を果たしていないことと、大家の先生方の既得権にしがみついた
だけの金権支配という『老害』等が、全ての状況を停滞させているようです。
587 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/11 01:43 ID:CIeohu2/
現在まででカンニンブクロの尾が切れないのならこれからも当分は切れる
ことはないだろな。
>>583 旋律だけで判断する、・・・・・素人のJASRAC並ですね。
こういう人達は演歌しか聞いてないのでしょう。
このように、私が述べているところの『老害』は、以前から日本のクラシックピアノ音楽界
では日常的であり、特に、8年前にUターンして、現在住んでいる高松のような地方都市では
目に余る悪弊を芸術の流布において及ぼしています。また、さらにひどいことに、昨今の
バブル崩壊後に社会に出た若い人達においては、「長いものには巻かれろ」とか「出る釘は打たれる」
という最悪の諺に縛られることに抵抗する情熱の希薄な人達が多くなっていて、『老害』を助長する傾向が増えているようです。
さて、この、言い得て妙、という『老害』という単語を私が初めて耳にしたのは、東京で「PIA.JAPAN」
というピアノ音楽振興団体において、本団体主催者の、「バイエル教則本」編纂をなさったことで有名な、
片山先生と、そのパーティー会場でお会いした時でした。時あたかも1989年頃、まさにバブル最盛期の
ことでした。
>>587 ヤシは内弁慶のヘタレでつから、実際は
切ろうと思っても切れないんでしょうねえ(w
今は遠い過去のこととなったバブル経済は、その崩壊後、様々な悪影響を
日本の景気にもたらしていて、既にそのマクロ経済的な失敗であった評価は
確定しています。が、第一次オイルショック後の不景気の時期に社会に出て、
バブル経済に突入する前の緩やかな右肩上がり経済の時期を経験しながら、
アマチュアとして演奏会をプロデュースしてきた私は、バブル経済の芸術に
及ぼした良かった効果も十分に知っています。
そして、バブル経済開始のはるか前から旧態依然としていた日本のクラシックピアノ界
の悪弊を打破しようという動きの原動力に、バブル経済がいい刺激を与えたことも、
間違いのない事実だったこともご案内しなくてはならないと思っています。
やれやれ、収まったか・・・。
2チャンのネットウォッチャーのブタ共は死ね。2チャンのネットウォッチャーのブタ共は死ね。
2チャンのネットウォッチャーのブタ共は死ね。2チャンのネットウォッチャーのブタ共は死ね。
2チャンのネットウォッチャーのブタ共は死ね。2チャンのネットウォッチャーのブタ共は死ね。
2チャンのネットウォッチャーのブタ共は死ね。2チャンのネットウォッチャーのブタ共は死ね。
2チャンのネットウォッチャーのブタ共は死ね。2チャンのネットウォッチャーのブタ共は死ね。
またコピペか?犯堕よ
2チャンのネットウォッチャーのブタ共は死ね。2チャンのネットウォッチャーのブタ共は死ね。
2チャンのネットウォッチャーのブタ共は死ね。2チャンのネットウォッチャーのブタ共は死ね。
2チャンのネットウォッチャーのブタ共は死ね。2チャンのネットウォッチャーのブタ共は死ね。
2チャンのネットウォッチャーのブタ共は死ね。2チャンのネットウォッチャーのブタ共は死ね。
2チャンのネットウォッチャーのブタ共は死ね。2チャンのネットウォッチャーのブタ共は死ね。
と思ったら騙りかよ。メール覧sageだもんな・・・
落ち付いて
>>578 自発的な場合、堪忍袋を緒を切るとは言わない。
堪忍袋を緒を緩めるという。
慣用句を使いたいならひきこもってないで少しは学べ。
2チャンのネットウォッチャーのブタ共は死ね。2チャンのネットウォッチャーのブタ共は死ね。
2チャンのネットウォッチャーのブタ共は死ね。2チャンのネットウォッチャーのブタ共は死ね。
2チャンのネットウォッチャーのブタ共は死ね。2チャンのネットウォッチャーのブタ共は死ね。
2チャンのネットウォッチャーのブタ共は死ね。2チャンのネットウォッチャーのブタ共は死ね。
2チャンのネットウォッチャーのブタ共は死ね。2チャンのネットウォッチャーのブタ共は死ね。
やれやれ・・・。
(゚д゚)………。
605 :
珍満腹 ◆LpB0apFrxs :03/01/11 03:35 ID:cjKmeDD1
やれやれ、本物かどうか知らんが・・・。
だいたいおれ、ベートーヴェンが美しいなんていつ言ったんだい?
ついに幻聴・幻覚が始まったか・・・。
『栄養マヨネーズの思い出』
岡田克彦
(1990.4.執筆、『ピアノと遊ぶ会会報(1990年5月号)』に掲載)
<「栄養マヨネーズ」は、ショパン作曲『英雄ポロネーズ』のピアニスト仲間
でのニックネームです。マヨネーズをたくさん摂取してから演奏に取り組ま
なくてはならない程、大変にパワーを必要とする作品であることと、ゴロ
合わせから、このニックネームで親しまれています。>
夏の終わりのまっ赤な夕焼け雲の影 が幾重にもなって、波間をキラキラと
ゆらめいている。それが目の前いっぱいにひろがっているのだ。ほんとうに
うっとりとする美しさに、ぼくもまっ赤になってその中に吸い込まれてしまい
そうなので、思わず、プールサイドの手すりにもたれかかり、ルートビアを
飲みながら彼女としゃべっていた。
彼女、ハイスクールでチアリーダーをやっているというベッキーは、つい
さっきのパーティーで知り合ったばかりだけど、随分ぼくのピアノに興味を
持ったみたいで、熱心に話しかけているようだった。
「クライバーンよりも素敵だったわ。いや、もしかしたら、ルービンシュタインよりも
すごいかもしれない。…ねえ、どうしてピアニストにならないの?」
彼女は、自分の国に住んでいるクライバーンとルービンシュタイン以外の
ピアニストは知らないみたいだったから、大変な絶賛である。が、これ以上
音楽の話も出来そうもなかったから、ぼくは「ありがとう。」ってうわの空で
うなづいたりしながら、プールの水面の美しい夕焼け雲のまっ赤な影に
すっかりひきこまれてしまっていた。
ここ、シアトルの夏は、もう夜の9時だというのに、まだ日没前なのである。
16才の夏(1973年8月)、当時、高校2年生だったぼくは、
交換学生として、アメリカ、ワシントン州にいた。
その日、ぼくの、生まれて初めてのピアノソロリサイタルがシアトル市長宅
で行なわれたあとのこと。
市長宅といっても、門をくぐってから玄関に着くまで車で10分近くかかる
ような、ほとんど森のような豪邸で、幾棟かの家の他、ホールやスポーツジム
のようなものまであり、プールも大小3つ、その間をぬって、広い芝生や、
ヨーロピアンスタイルの池のある庭園、茶室のある日本庭園などが、
配置されていた。
その日、ライオンズクラブの交換学生(Youth Exchange Student)として、ワシントン州ほか、
アイダホ、オレゴン、カリフォルニア等、ウェストコーストの各州にホームステイしていた
日本人学生10数名が、シアトルライオンズクラブ会長のシアトル市長宅に招かれ、
イェップ(YEP・Youth Exchange Program of LION'S CLUB)ショウという、
いかにもアメリカらしい企画のパーティーが開催され、いろいろなアトラクションの
行なわれた一日だった。
朝に、日本人女子大生達による琴の演奏と野点、午後に、日体大学生による空手の
プレイがあった。
[当時世界中で大ヒットしていた「燃えよドラゴン」シリーズの主演の、ブルース・リー
は、シアトルにある「University of Washington〔ワシントン州立ワシントン大学〕」
の卒業生だったので、シアトルのDown Townには、空手教室が一杯あった。
そして、
中国人と日本人の区別のわからないシアトル在住のアメリカ人は、私も含めて、東洋人と
街で出会う度に、「空手をやるのですか?」と質問され、しかも、「空手」がうまく発音
出来ないので「空手」が「Cloudy」と聞こえたので、「どうして、今日は晴れている
のに、曇っている、って言うのかな。」と、ぼくが面食らったことも懐かしい思い出だ。]
そして、最後に、夕方から、交換学生中最年少だった、ぼくのピアノソロリサイタルと、
市長主催の盛大なホームパーティーが開催された。
その日のぼくのプログラムは、約2時間のオールショパンの最後に、その頃
アメリカで大流行していて、ぼくも大好きだったカーペンターズをメドレーに
したものと、ミシェル・ルグラン作曲の映画「思い出の夏」(Summer of '42)
のテーマをアレンジしたものを加えておいた。
プログラム(オールショパン)
ワルツOP.69-1,OP.64-1,2
エチュードOP.10-5(黒鍵)OP.25-12(太洋)
マズルカOP.7-1,OP.63-3
スケルツォ1番
・・・休憩・・・
幻想即興曲
ノクターンOP.9-2,OP.48-1
バラード1番
エチュード遺作3番
英雄ポロネーズOP.53
カーペンターズ・メドレー
summer of '42
まあ、今思い出すと顔の赤らむようなプログラムだけれども、当時としては、
ベストを尽くしたものだった。ほとんどの曲は暗譜していたので楽譜も日本
から持って行ってなかったが、スケルツォの1番だけは、アメリカに行って
から、ホロヴィッツのレコードを聴いて気に入り、楽譜を買って急いでやった
ものだった。
それだけに、この曲だけが心配だった。が、市長宅の100人ほどで満席に
なった2階まで吹き抜けの小さなサロンホールの抜群の音響と、素晴らしい、
ホロヴィッツも使っているという、ニューヨーク・スタインウェイのピアノに
助けられたようだ。
幻想即興曲の中間部 は、カーメン・キャバレロ(あの有名な映画「愛情物語」
のテーマにショパンの作品9の2のノクターンをアレンジして弾いた人)が、
流行歌にしたものが、1950年代にはやったそうで、これが始まるやいなや、
中年のオバサン方が歌い出した のにはまいったけど。(後で聞くと、「あそこは
私達にとって懐かしいポップスです。」のこと。)
最後のアレンジものなどは、主催者の希望を入れたウケることを期待した
ものだったが、意外なことに、
結局一番ウケたのは、「英雄ポロネーズ」だった。
特に、それまで、琴にも野点にも空手にも、バカにしきった横柄で明らさま
に不愉快な態度をとり続けていた、18才になる2メートル近くの大男
だった、市長のドラ息子で、ドラムを叩いていたスティーブ(彼は、
日本人と日本人に表面的に理解を示しているところの、いわゆる知日家の
父親が気に入らないみたいだった。
後で、彼に聞いたところでは、一般に知日家ほど黄色人種を差別する傾向が
強いそうで、彼の父親もその偽善者の典型だ、とのことであった。)や、彼と
一緒にバンドを組んでヘビーメタルなロックをやっていた、ジェフだのビル
だのといった、黒人やその他得体の知れない、交換学生を通しての各国親善
とは無縁の門外漢の連中に大ウケ。
演奏後の拍手の中でも、興奮して指笛を鳴らしたり、足をドタドタと動かして
大声であの「英雄ポロネーズ」のテーマを歌いながら「アンコール」の連続。
ぼくは、あの『栄養マヨネーズ』みたいな曲をアンコールで何とたてつづけに
2回もやらされたのだった。(まだ、ぼくも若かったから出来たんだと思う。)
そのうえ、その後のホームパーティーも終わり、ホッとして、一番親しくして
いたアイダホ州にホームステイしていた浜松市出身の日体大の学生と2人で
久し振りの日本語を楽しみながら庭を散歩している後にまでくっついて来て、
「カツヒコ、あれは何という曲だ。」と聞くのだ。
「今日の曲目は全部ショパンのピースで、あれは、『英雄ポロネーズ』。
ショパンはぼくの一番好きな作曲家なんだ。」と言うと、「ふうん。ショパン
か。でも、ショパンなんてどうでもいい。ともかくあの曲はイカスな。
それから、君の弾くピアノは最高にファンタスティックだったよ!」
ともかく、彼はこれだけのことを言うためだけにぼくのあとをついて来た
ようだったし、自分の感覚に正直でピュアーな感じ方とダイレクトな感想に、
ぼくは思わず笑ってしまっていた。日本ではまずこんなことないだろうな、
クラシックの演奏っていうだけでみんな聴く前からかしこまっちゃうだろうから。
これは、レヴェルが高いとか低いとかじゃなく、ともかく、彼等は回りから
どう見られるだろうか、なんて気にせず、自分の感覚や知識状態に自分なりの
自信を持った完全な個人主義者(現時点の個々人の実力をストレートに
評価する実力主義をベースにした、真のデモクラシーの社会に支えられた
個人主義者)なんだな。
ぼくはこの時初めて、アメリカって日本なんかよりずっと居心地がいいな、
と思った。以来、スティーブとは毎年クリスマスカードのやりとりをする
ほんとに親しい友人になってしまったが、考えてみると、あれからもう17年になる。
でも、早い時期にアメリカで真の個人主義の人達の生活を目に出来たことは、
音楽に国境がない、ということを肌で感じたこと以上に、ぼくの生き方に
おいては重要な刺激になった。
今回、1年ぶりにウィーンから帰国し、東京で再会したピアニストの熊井善之君
から、ウィーンの色々な話を聞いて、欧米と日本の違いとそれが芸術に及ぼす
影響のことを考えさせられ、いずれにせよ、クラシック音楽が日本の基本的
体質においては、決して本当の意味で流布することはないように感じた。
特に印象に残った話は、彼がイタリアのマクニャーガ国際コンクールで優勝
した翌日、マクニャーガの街から電車に乗るために駅に行って靴を磨いて
もらった時、その靴磨きのおじさんが「昨日、君が演奏したシューベルトの
ソナタ、今まで俺が聴いた中では最高だったぜ。」って話しかけて来たこと。
こんな素敵な聴衆、日本には絶対にいない!
ヨーロッパでは、音楽を聴くこと自体が日本よりもはるかに日常的なのだ。
こうした演奏の技術以前の、ヨーロッパの音楽的キャパシティーのことを
聞くと、やっぱり日本はダメだなと思う。…ってぼくが言ったりすると、
「いやいや、クラシック音楽はあちらが本場だから仕方ないですよ。」
何て言い訳が聞こえて来るんだけど、じゃあ、日本は古来の芸術に対して、
そんなに全体の風土が高いのかというと、そうでもない。
ヨーロッパの人達がオペラを愛するように日本の人達が能楽や歌舞伎を愛して
いるとはとても思えないんだけど。そして、日本のほとんどの音楽サークルは、
同じ趣味の人達がディレッタントに集まり、非日常性の上に成り立っている。
確かに、同じ楽器の人達とでないと語り合えないこともある。この演奏家の
切実な思いは、ぼく自身もピアノを弾いているから十分にわかる。でも、
演奏会の企画の段階になると、音楽はまず聴きに来てくれる人達のために
あるのだ、ということが優先されなくてはならないのである。
これまで、サロンコンサートをいろいろ企画した中で、ピアノ、弦、管、
声楽等、それぞれの演奏家の演奏家としてのいろいろなご意見を聞かせて
いただいたが、驚かされたことは、この人、もしかしたら、
音楽よりも楽器のほうが好きなんじゃないかしらという人達が多いことと、
楽譜よりも先にレコードやCDを聴いて、その物真似しか出来ない人の多いこと。
音楽よりも楽器に興味のある人はその中でも一番手に負えない。そういう人達
は、聴衆の反応よりも同じ楽器をやっている人達とお互いの傷をなめあうこと
に興味があるから、ろくな演奏会が企画出来ない。自己満足に浸っている本人
はいいけれども、付き合わせられる聴衆はたまったものじゃない。こういう
演奏会が多いから聴衆はライブから離れて行くんじゃないかと思う。
「ピアノと遊ぶ会」は1977年の結成当初から、以上のような、我慢ならない
日本の音楽界の状況へのささやかな抵抗を試み、ドビュッシーの言う、
『アンチ・ディレッタント』なサロン を目指して来た。どんな演奏会の企画
もそれが成功の秘訣だ。つまり、演奏会は社会の片隅でコッソリとやるもの
じゃなく、幅広い聴衆への広がりが重要なこと。
個々の曲目の完成度はもちろん重要だが、それ以上に、その日の全体の
プログラムがトータルとして美しく整備されているかどうか、その日聴きに
来て下さった聴衆が最初から最後まで飽きずに聴けるかどうかを考えた
プログラミングの方がはるかに大事だということ。
「ねえ、どうしてピアニストにならないの。」
しばらくうっとりとプールを眺めてボーッとしていたぼくの方に、
また彼女が問いかけてきた。
…ああ、質問されてたんだっけな。
「将来のことなんてわからないよ。ただ、ぼくは、ピアノや音楽がとても
好きだから、何年たってもやってるだろうね。ただ、それを仕事にすると
いうのはねえ。音楽作品をプライスで計ること自体に抵抗があるし、第一、
ぼく、あの曲を弾けとかこういう風にやれって命令されるのは大嫌いなんだ。
今日も演奏する日程を決められるのはとても苦痛だったし。
まずは、やりたくもない曲を我慢してやらずに楽しくやること、これが
一番大切なことだと思うよ。」
「でも、あなたのプレイを友達にも聴かせたいわ。クライバーンがシアトル
に来た時の、ショパンより・・・・・・」
…(ああ、また、クライバーンか。あの男はね、大したことないんだよ。・・・・・
などと言ってはいけないのであった。なにしろ、モスクワで開催されたチャイコフスキー
コンクールで第一位をとって、ソ連から優勝カップをかっさらってきたクライバーン
は、弾けていた時も、弾けなくなった今でも、アメリカのヒーローなんだ。)
…と、彼女がうんざりするような、果てしないおしゃべりを続けそうな気配
なので、ルートビアのおかわりでもしに行こうかなんて思ってるところへ、
「ヘーイ、カツヒコ。もう一度聴きたいな、あのピース。」と、大声で叫び
ながら向こうの池の方からスティーブとその仲間達がやって来る。あのロッカー
達、よほど気に入ったと見えて、まだ、「英雄ポロネーズ」を歌っている。
もうその後のことはよく覚えていないのだけど、夜中まで、ベッキーやスティーブ
にせがまれて、3回か4回、確かに弾かされたようだった。いや、その前に、
「やーだよ。もう眠いよ。」とプールサイドを逃げ回るぼくを、巨漢の黒人
ジェフが軽々とつかまえて、「Wake up!」って、プールに放りこんで
しまったのだった・・・・・・
全く何て奴らだ!
ぼくは本当に本当に、まっ赤な夕焼け雲の影の中
に吸い込まれてしまったじゃないか!!
650 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/11 08:41 ID:MWrQ4gn3
随分と安易なストーリーね。作り話の出来としては小学生並みね。
で、結局「独学おじさん」への愛はどうなったの?
負け犬中年の変わり映えのしない妄想にはもう飽きちまったよ。
こうやって駄文を貼りつけるのが唯一の逆襲か・・・・・
可哀想な中年、&ホモ、&無職・・・・・
音楽の才能がないのに、必死に音楽にしがみついてるのを見るのは痛々しい・・・・・・・・
654 :
鈴木心如斎 ◆qzaFyG/bbg :03/01/11 10:37 ID:F6zkmE4m
それにしても・・・・・、2チャンのネットウォッチャーのようなバカ共は死ななきゃ
直らないようですねぇ。もう21世紀になってしまっているというのに、こんな向上心
のない、文盲に近いバカ共が、自分がバカだということに気づかないばかりか、
いっぱしの人間だと思い上って、凡庸な常識と慣習にのみしがみついて、スレッドでの
噂話という井戸端会議にうつつを抜かすことしか出来ずに、同じ地球上に生息している
のかと思うと、ゾーッとしますねぇ(爆)。
656 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/11 11:01 ID:DRKdTyuN
岡駄さんおはようございます
オカマさんへ
器楽・作曲板の方が留守になっている間に、凄い書き込みが・・・・・
それにしても・・・・・、2チャンのネットウォッチャーのようなバカ共は死ななきゃ
直らないようですねぇ。もう21世紀になってしまっているというのに、こんな向上心
のない、文盲に近いバカ共が、自分がバカだということに気づかないばかりか、
いっぱしの人間だと思い上って、凡庸な常識と慣習にのみしがみついて、スレッドでの
噂話という井戸端会議にうつつを抜かすことしか出来ずに、同じ地球上に生息している
のかと思うと、ゾーッとしますねぇ(爆)。
659 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/11 11:07 ID:u7Ew0dLt
ひまだね
お・だ・ま・り、あたしを誰だと思ってるの? おそれ多くも、あ・た・し・よ。
お・だ・ま・り、あたしを誰だと思ってるの? おそれ多くも、あ・た・し・よ。
お・だ・ま・り、あたしを誰だと思ってるの? おそれ多くも、あ・た・し・よ。
お・だ・ま・り、あたしを誰だと思ってるの? おそれ多くも、あ・た・し・よ。
お・だ・ま・り、あたしを誰だと思ってるの? おそれ多くも、あ・た・し・よ。
それにしても…似非芸術家の岡田のようなバカは死んでも直らないようですねぇ。
もう21世紀になってしまっているというのに、
こんな羞恥心のないキチガイそのものの中年が、
自分が社会不適格者だということに気づかないばかりか、
いっぱしの人間だと思い上って、常識と慣習を凡庸だのと否定して、
サイトでのヨタ話という現実逃避に現を抜かすことしかできずに、
同じ空気を呼吸しているのかと思うと、ゲーッと来ますねぇ。
お・だ・ま・り、あたしを誰だと思ってるの? おそれ多くも、あ・た・し・よ。
お・だ・ま・り、あたしを誰だと思ってるの? おそれ多くも、あ・た・し・よ。
お・だ・ま・り、あたしを誰だと思ってるの? おそれ多くも、あ・た・し・よ。
お・だ・ま・り、あたしを誰だと思ってるの? おそれ多くも、あ・た・し・よ。
お・だ・ま・り、あたしを誰だと思ってるの? おそれ多くも、あ・た・し・よ。
岡駄は知能が低いからこんなことしかできないんだろうな。
664 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/11 11:54 ID:tZRDugOf
もっとピアノ練習しなオカヤソ
演奏技術は今日日の高校生レベル
自作って言ってる曲は全部パクリ
大都市でクラシックを聞いている人なら、誰でも分かる事
見っとも無い。
クラシック=高尚なんて考えは、ヨーロッパじゃ当に捨てられている。
日本でも大都市なら、世界最高レベルのクラシックが5000円のチケットで
聞ける。
CDにいたっては「カラヤン」のCDが100円ショップで買える。
取り合えずあのHPの雑音を何とかしろ
レベル低すぎ
まさに「井の中蛙、大海を知らず」だな。
665 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/11 11:56 ID:tZRDugOf
aa
667 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/11 21:41 ID:2SPPDl87
はぁ・・・・・・
対位法を習った事がすごい誇りなんだね、この人(完璧な権威主義者=老害だね)
「独学30年」のおっさんも言ってたろ、習ってもダメって
彼に必死に擦り寄りながら、無視されつづけるのを見るのは、痛々しかったなあ
せっかく習っても、音楽である以上、「家路」の酔っ払いの鼻歌のような旋律じゃあどうしようもないじゃない・・・
神は、あなたには「霊感」を授けなかったのだよ、可哀想だけど・・・
>>566 で、おれがいつ「ベートーヴェンが美しい」と言ったのかな?
おかやんへ
今YAHOO掲示板で「独学おじさん」がピンチだよ
助けてやらないの? 愛を見せるチャンスだよ
『北ドイツの寂しい午後』
・・・晩年のブラームス・・・
岡田克彦
1986.9.10.執筆、『ピアノと遊ぶ会会報(1986年10月号)』に掲載
たぶん、この曲が書かれたのは、冬の昼下がり、午後2:30を少しまわったころ
にちがいない。外は雨が降っていた。ブラームスはピアノの鍵盤に手を留めた
まま、窓の外の静寂を眺めていた。次第に遠景がぼやけて、目の焦点が近づい
てくる。ふと気づくと、窓ガラスに雨の水滴が二つ三つ飛びついている。
何気なく、その水滴をピアノの鍵盤にそっと、とってみる。
ロ短調の主和音の三度下に一滴、さらに、そのまた三度下に一滴、落として
みる。無機的で、それでいて、けだるく寂しい午後の気分が拡がる。次は、
属7の三度下に落としてみる。さらに、Dmajor7の三度下に。冬の昼下がりの
水滴は三度がふさわしい。その粒の中から、和音の上声部に、寂しい静澄な
メロディーが、ロ短調で浮き上がってきて、そのまま寂しく終結する。
そしてニ長調がけだるい吐息をふきかけ、たどたどしく歩みはじめる中間部。
その最後の和音の残響の中から、また、水滴の和音が出てくる。今度は三度に
一つクロマティックな響きを加え、三連符に変形されているため、透明度が
高くなっている。そして曲は静かに、ほんの少し暖かい長調に向かうが、また、
最初の水滴のモチーフの気分がもどってくる。・・・・・
『インテルメッツォ Op.119-1. ロ短調』
この曲を最初に聴いたのはいつごろだったろうか。何の喜怒哀楽とも関係ない
次元で、ただ音に対する感覚だけで強く感動したぼくは、ブラームスの作品
だなんて夢にも思わなかった。実際、この曲をギーゼキングのピアノで聴いた
時、スクリャービンの小品だと思ったものだ。
が、これは、まぎれもなくブラームス。晩年、北ドイツにこもって、一切の
大曲から足を洗ったブラームス。種々の労作を書き終え、ベートーヴェンから
解放されたブラームスは、こんなにすばらしい感性の持ち主だったのである。
この至上の世界から、あのピアノソナタの野蛮なモチーフや、第一シンフォニーのラッパのファンファーレや、
ピアノトリオNo.1の第一楽章を堅苦しくしたモチーフのような雑音は想像だにできない。
いったい彼は、どうしてあれほどベートーヴェンに固執したのだろうか。長い
人生のほとんどを無駄に過ごしたとしか思えない。もちろん、ヴァイオリンソナタNo.1や
シンフォニーNo.1に、こうした美しい感性のブラームスを垣間見ることができる。しかし、
これら若い頃の作品はすべてベートーヴェンを意識して、それに向かって書きつづけられた
ものであり、その点の方がイニシアティブを取っていて、一瞬の美しい感性は、それによって
バラバラに分解されて、台無しにされている。
いや、もう彼の悪い点を指摘するのはよそう。この晩年のピアノ小品は大変なご馳走だ。
一つ一つ味わっておかないと、人生の大変な損失になってしまうだろう。
『Op.118-2』。この曲は絶対、大ホールには向かない。よく音楽のわかった聴衆が多くても
一人か二人。北ドイツのアンニュイな光の差込む、寒々とした一室で弾かれるべきだ。
それにしても、この曲のイ長調の静かな調べのあと、ごく自然に始まる嬰ヘ短調は何と
美しいことだろう。『Op.119-1』のロ短調と並んで、シャープ系短調の最も美しい表情を
見せてくれる。そして、静澄なコラールをはさんで、この嬰ヘ短調は2声になってぼくの
心の一番深いところを優しくたたみかける。終結のイ長調の協和音はしばらくの間、感動を
しずめるように、ぼくの中で鳴りつづける。何のてらいも、大袈裟な振舞いもない。実に傑作だ。
『Op.117』の3曲は、ワンセットにして演奏されるのがよい。1番は、変ホ長調の
暖かいコラール。このフラット系長調の選択も実によい。ともかく、これら晩年の
ピアノ小品は全て、ショパンに匹敵する調性の必然性を持って書かれている。ブラームスの
選択以外の調性にしてしまうと、曲想が崩れてしまうようなギリギリの選択が、ほとんど無意識の
うちになされている。こんな自由なブラームスは、若い頃の大曲には全く見られないものである。
第2番は、若い頃を思い出すようなアルペッジョで、少しロマンティックになっている。
この曲も控えめでよい。そして、第3番で、ユニゾンの重々しい、しかし音響の十分配慮
された、ブラームスの足どりを聴くことが出来る。これこそ、ドイツものの真骨頂。いくら
重さを求めても、例えばベートーヴェンのピアノソナタのように、音響を無視したものは
音楽であることをやめるだろう。
暗い手放しで喜びきれない明るさを持って書かれた中間部のあとの転調に注目しなくてはならない。
クロマティックな二連音が落ちてくるにつれ、一拍一拍、音の色合いがうつろい、それは、
暮色の移り変わりを彷彿とさせるものである。…あのブラームスがここまでの転調をするようになった。
ぼくはこの曲を聴くにつけ、20世紀の到来を予感する。
『Op.119』の4曲は、『Op.117』の3曲ほどまとまっていない。別個に演奏されてもよい。
『Op.119-2』は、『Op.119-1』の水滴の響きを打ち消すように、和音が忙しく
動き回っている。しかし、中間部で、『Op.118-2』の風情を醸し出している。
『Op.119-3』は、ブラームス一流の、苦みばしったユーモアのあらわれである。
この曲は、ケンプのような下手なピアニストの弾き方では聴けたものではない。
和音の平行移動のテクニックの欠如したケンプの弾き方では、和音の間に、
不必要な間があいてしまい、それをつくろうために、他の部分に影響が及び、
結局、曲が崩壊している。
この曲に限らず、晩年のブラームスのピアノ小品集の演奏は、ギーゼキングか、
グールドか、チッコリーニに決まっている。特にギーゼキングが録音している
ブラームスは、この晩年周辺のみである。ブラームスの若い頃の駄作になど
見向きもせずに、このあたりだけやるとは、さすがはギーゼキングだ。
あのルービンシュタインのようなのが何でもやるけど何一ついいものを残して
いないのに比べてみればよい。そこには、偉大なアーティストと、ただの
ピアノ弾きとの歴然とした差がある。
『Op.118-1』。このアルペッジョの小品は、『Op.118-2』のプレリュードと
いった趣き。『Op.118-3』の舞曲におけるテーマの有機的なつながりは特筆に
値する。ことに、中間部の左手の伴奏に乗って、第一主題が再現するところの
書き方。さすがはブラームス! うまいなあ! 感心するほかないパッセージだ。
『Op.118-4』は、ラフマニノフ的な不安定なモチーフの積み重ねと、以前の
ブラームスには見られなかった大胆な和声進行からなるが、この曲集中難曲の
一つである。『Op.118-5』。このユニゾンの重厚なテーマがよい。そして、
それに対比させられる中間部のやるせない長調。この曲が晩年の長調の雰囲気とするなら、
『Op.118-6』はこれに対応する深い悲しみで、『Op118』の6曲を閉じる。
『Op119-4』。この作品は、この後書かれた『2つのクラリネットソナタ』『厳粛な歌』
を残して、ブラームス最後のピアノ曲である。もちろん、技法的には、ベートーヴェンと
同様、ピアノの低域の協和音の三度は詰まっており、とても汚い響きなのに、
曲全体は自由な雰囲気に包まれて、今にも飛び立たんばかりの躍動感にあふれている。
689 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/11 23:08 ID:iEIgbmIz
もっとピアノ練習しなオカヤソ
演奏技術は今日日の高校生レベル
自作って言ってる曲は全部パクリ
大都市でクラシックを聞いている人なら、誰でも分かる事
見っとも無い。
クラシック=高尚なんて考えは、ヨーロッパじゃ当に捨てられている。
日本でも大都市なら、世界最高レベルのクラシックが5000円のチケットで
聞ける。
CDにいたっては「カラヤン」のCDが100円ショップで買える。
取り合えずあのHPの雑音を何とかしろ
レベル低すぎ
まさに「井の中蛙、大海を知らず」だな。
これはとりもなおさず、地平が広がるような、バスラインモチーフによって何回も
行われる転調のせいである。そして、何と、何と、終結を同主調の変ホ短調の協和音に
持っていくんだ。う〜〜〜ん。素晴らしい。なんと若々しく決然としていることだろう!
ブラームスはもう過去への一切の執着を捨てて、未来を見つめている。創造する人間は
いつでもこうありたいものだ!
それまで、バッハやベートーヴェンの方ばかり向いていたブラームスが、晩年の
ちょっとした心境の変化でもって本心を打ちあけると、このような素晴らしい小品が
生まれたのである。なんという余裕だろう! それにひきかえ、あのメンデルスゾーン
ときたら、最初から本心ばかり打ちあけていたため、すぐに空っぽに
なっちゃったんだな、きっと。
ブラームスの晩年のピアノ小品集は、「本当のロマンティストは、ブラームスのように、
同じだけのリアリズムに裏付けされている人だということ。」を、ぼくに教えてくれる。
その証拠に、シューマンになんか、このブラームスの晩年のピアノ小品のような、あくま
でも高貴で、しかし、触れる人の心をつかんで離さないロマンティシズムに満ちた曲など
一曲もない。
わずかに、気が狂いそうになった頃書いた『森の情景』あたりが、ようやく、それに
及ぶだろうか、といったところだ。でも、『森の情景』や『子供の情景』にしても、
(個人的には、ぼくはシューマンの歌曲とピアノ小品は大好きなんだけど)、この、
ブラームスの晩年のピアノ小品集のような普遍性なんて全くない。古典音楽を
とことんまでつきつめたブラームスの強みがそこにある。
おそらく、後期ロマン派の時代を生きた作曲家の中で永久に歴史に残るのは、
古典音楽のすごさを自分の作曲との対比において十分に知っていた、
ブラームスとショパンだけかもしれない。
695 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/11 23:13 ID:iEIgbmIz
はぁ・・・・・・
対位法を習った事がすごい誇りなんだね、この人(完璧な権威主義者=老害だね)
「独学30年」のおっさんも言ってたろ、習ってもダメって
彼に必死に擦り寄りながら、無視されつづけるのを見るのは、痛々しかったなあ
せっかく習っても、音楽である以上、「家路」の酔っ払いの鼻歌のような旋律じゃあどうしようもないじゃない・・・
神は、あなたには「霊感」を授けなかったのだよ、可哀想だけど・
>>650 >随分と安易なストーリーね。作り話の出来としては小学生並みね。
ハハハハハ・・・誰もあんたら2ちゃんの素人の感想等期待しておりません。
そんなことより、「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。さすがは、ひろゆきは低学歴ですな。話になりません。
『北ドイツの寂しい午後』
・・・晩年のブラームス・・・
岡田克彦
1986.9.10.執筆、『ピアノと遊ぶ会会報(1986年10月号)』に掲載
たぶん、この曲が書かれたのは、冬の昼下がり、午後2:30を少しまわったころ
にちがいない。外は雨が降っていた。ブラームスはピアノの鍵盤に手を留めた
まま、窓の外の静寂を眺めていた。次第に遠景がぼやけて、目の焦点が近づい
てくる。ふと気づくと、窓ガラスに雨の水滴が二つ三つ飛びついている。
何気なく、その水滴をピアノの鍵盤にそっと、とってみる。
ロ短調の主和音の三度下に一滴、さらに、そのまた三度下に一滴、落として
みる。無機的で、それでいて、けだるく寂しい午後の気分が拡がる。次は、
属7の三度下に落としてみる。さらに、Dmajor7の三度下に。冬の昼下がりの
水滴は三度がふさわしい。その粒の中から、和音の上声部に、寂しい静澄な
メロディーが、ロ短調で浮き上がってきて、そのまま寂しく終結する。
そしてニ長調がけだるい吐息をふきかけ、たどたどしく歩みはじめる中間部。
その最後の和音の残響の中から、また、水滴の和音が出てくる。今度は三度に
一つクロマティックな響きを加え、三連符に変形されているため、透明度が
高くなっている。そして曲は静かに、ほんの少し暖かい長調に向かうが、また、
最初の水滴のモチーフの気分がもどってくる。・・・・・
『インテルメッツォ Op.119-1. ロ短調』
この曲を最初に聴いたのはいつごろだったろうか。何の喜怒哀楽とも関係ない
次元で、ただ音に対する感覚だけで強く感動したぼくは、ブラームスの作品
だなんて夢にも思わなかった。実際、この曲をギーゼキングのピアノで聴いた
時、スクリャービンの小品だと思ったものだ。
が、これは、まぎれもなくブラームス。晩年、北ドイツにこもって、一切の
大曲から足を洗ったブラームス。種々の労作を書き終え、ベートーヴェンから
解放されたブラームスは、こんなにすばらしい感性の持ち主だったのである。
この至上の世界から、あのピアノソナタの野蛮なモチーフや、第一シンフォニーのラッパのファンファーレや、
ピアノトリオNo.1の第一楽章を堅苦しくしたモチーフのような雑音は想像だにできない。
いったい彼は、どうしてあれほどベートーヴェンに固執したのだろうか。長い
人生のほとんどを無駄に過ごしたとしか思えない。もちろん、ヴァイオリンソナタNo.1や
シンフォニーNo.1に、こうした美しい感性のブラームスを垣間見ることができる。しかし、
これら若い頃の作品はすべてベートーヴェンを意識して、それに向かって書きつづけられた
ものであり、その点の方がイニシアティブを取っていて、一瞬の美しい感性は、それによって
バラバラに分解されて、台無しにされている。
いや、もう彼の悪い点を指摘するのはよそう。この晩年のピアノ小品は大変なご馳走だ。
一つ一つ味わっておかないと、人生の大変な損失になってしまうだろう。
『Op.118-2』。この曲は絶対、大ホールには向かない。よく音楽のわかった聴衆が多くても
一人か二人。北ドイツのアンニュイな光の差込む、寒々とした一室で弾かれるべきだ。
それにしても、この曲のイ長調の静かな調べのあと、ごく自然に始まる嬰ヘ短調は何と
美しいことだろう。『Op.119-1』のロ短調と並んで、シャープ系短調の最も美しい表情を
見せてくれる。そして、静澄なコラールをはさんで、この嬰ヘ短調は2声になってぼくの
心の一番深いところを優しくたたみかける。終結のイ長調の協和音はしばらくの間、感動を
しずめるように、ぼくの中で鳴りつづける。何のてらいも、大袈裟な振舞いもない。実に傑作だ。
はぁ・・・・・・
対位法を習った事がすごい誇りなんだね、この人(完璧な権威主義者=老害だね)
「独学30年」のおっさんも言ってたろ、習ってもダメって
彼に必死に擦り寄りながら、無視されつづけるのを見るのは、痛々しかったなあ
せっかく習っても、音楽である以上、「家路」の酔っ払いの鼻歌のような旋律じゃあどうしようもないじゃない・・・
神は、あなたには「霊感」を授けなかったのだよ、可哀想だけど・ ・・・
『Op.117』の3曲は、ワンセットにして演奏されるのがよい。1番は、変ホ長調の
暖かいコラール。このフラット系長調の選択も実によい。ともかく、これら晩年の
ピアノ小品は全て、ショパンに匹敵する調性の必然性を持って書かれている。ブラームスの
選択以外の調性にしてしまうと、曲想が崩れてしまうようなギリギリの選択が、ほとんど無意識の
うちになされている。こんな自由なブラームスは、若い頃の大曲には全く見られないものである。
、「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。さすがは、ひろゆきは低学歴ですな。話になりません。
709 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/11 23:20 ID:iEIgbmIz
もっとピアノ練習しなオカヤソ
演奏技術は今日日の高校生レベル
自作って言ってる曲は全部パクリ
大都市でクラシックを聞いている人なら、誰でも分かる事
見っとも無い。
クラシック=高尚なんて考えは、ヨーロッパじゃ当に捨てられている。
日本でも大都市なら、世界最高レベルのクラシックが5000円のチケットで
聞ける。
CDにいたっては「カラヤン」のCDが100円ショップで買える。
取り合えずあのHPの雑音を何とかしろ
レベル低すぎ
まさに「井の中蛙、大海を知らず」だな。
「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。さすがは、ひろゆきは低学歴ですな。話になりません。
>>709 この素人も、「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられない無学な2ちゃんねらーですね。
勉強してない奴らはこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすが、主催者のひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
疲れてきたら音字文章を連続コピペってのがパターンだな
それじゃあ、また、同じように削除されるよ、ちいとは頭使ったら?
そんな事だから「独学おじさん」に愛を受け入れてもらえないんだよ
低学歴、特に、中央大学文学部のようなヘボい大学に共通しているのは、
文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
低学歴、特に、中央大学文学部のようなヘボい大学に共通しているのは、
文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
>>721 そうそう、デリートなら低学歴の連中のあんたらにもできますね。よかったね。
>>721 そうそう、デリートなら低学歴の連中のあんたらにもできますね。よかったね。
>>721 そうそう、デリートなら低学歴の連中のあんたらにもできますね。よかったね。
>>721 そうそう、デリートなら低学歴の連中のあんたらにもできますね。よかったね。
>>721 そうそう、デリートなら低学歴の連中のあんたらにもできますね。よかったね。
「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
「独学おじさん」にレスすらもらえないラブコールを延々と書き続ける・・・・
誰にも読んでもらえない駄文を延々コピペする・・・・・
痛々しい中年
せめて音楽的な才能がミジンコ程度にでもあれば、ここまで叩かれなかっただろうに・・・・
可哀想だ・・・・
低学歴、特に、中央大学文学部のようなヘボい大学に共通しているのは、
文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
低学歴、特に、中央大学文学部のようなヘボい大学に共通しているのは、
文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
低学歴、特に、中央大学文学部のようなヘボい大学に共通しているのは、
文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
低学歴、特に、中央大学文学部のようなヘボい大学に共通しているのは、
文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
低学歴、特に、中央大学文学部のようなヘボい大学に共通しているのは、
文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
これ本物かね?
岡田はスクリプト使えるんだったっけ?
「独学おじさん」にレスすらもらえないラブコールを延々と書き続ける・・・・
誰にも読んでもらえない駄文を延々コピペする・・・・・
痛々しい中年
せめて音楽的な才能がミジンコ程度にでもあれば、ここまで叩かれなかっただろうに・・・・
可哀想だ・・・・
学歴でモノを語るか・・・。
じゃ、岡田氏に質問。
「ドビュッシーの時代に、日本国内で言うところの学歴という概念があるとしたら、
ドビュッシーの学歴はどの程度だったと思われますか?」
シューマンはわずかに、気が狂いそうになった頃『森の情景』を書いたらしい
岡○は、完全に気が狂ったころ『朝の○』を書いたらしい
>>742 人の質問に答える前に質問するとは、さっすがは低学歴。
まず、私の質問が先ですから、それに答えれるものなら答えてご覧、このヴァカ。
ブラームスのOP.118-4についてどう感じるか、言ってご覧なさい。
>>742 人の質問に答える前に質問するとは、さっすがは低学歴。
まず、私の質問が先ですから、それに答えれるものなら答えてご覧、このヴァカ。
ブラームスのOP.118-4についてどう感じるか、言ってご覧なさい。
>>742 人の質問に答える前に質問するとは、さっすがは低学歴。
まず、私の質問が先ですから、それに答えれるものなら答えてご覧、このヴァカ。
ブラームスのOP.118-4についてどう感じるか、言ってご覧なさい。
>>742 人の質問に答える前に質問するとは、さっすがは低学歴。
まず、私の質問が先ですから、それに答えれるものなら答えてご覧、このヴァカ。
ブラームスのOP.118-4についてどう感じるか、言ってご覧なさい。
>>742 人の質問に答える前に質問するとは、さっすがは低学歴。
まず、私の質問が先ですから、それに答えれるものなら答えてご覧、このヴァカ。
ブラームスのOP.118-4についてどう感じるか、言ってご覧なさい。
>>742 人の質問に答える前に質問するとは、さっすがは低学歴。
まず、私の質問が先ですから、それに答えれるものなら答えてご覧、このヴァカ。
ブラームスのOP.118-4についてどう感じるか、言ってご覧なさい。
>>742 人の質問に答える前に質問するとは、さっすがは低学歴。
まず、私の質問が先ですから、それに答えれるものなら答えてご覧、このヴァカ。
ブラームスのOP.118-4についてどう感じるか、言ってご覧なさい。
>>742 人の質問に答える前に質問するとは、さっすがは低学歴。
まず、私の質問が先ですから、それに答えれるものなら答えてご覧、このヴァカ。
ブラームスのOP.118-4についてどう感じるか、言ってご覧なさい。
>>742 人の質問に答える前に質問するとは、さっすがは低学歴。
まず、私の質問が先ですから、それに答えれるものなら答えてご覧、このヴァカ。
ブラームスのOP.118-4についてどう感じるか、言ってご覧なさい。
>>742 人の質問に答える前に質問するとは、さっすがは低学歴。
まず、私の質問が先ですから、それに答えれるものなら答えてご覧、このヴァカ。
ブラームスのOP.118-4についてどう感じるか、言ってご覧なさい。
東京大学工学部卒ですが、何か?
岡田よ、コピペを続けろ!
誰が休んで良いと言った?
岡田に命ずる
コピペを続けよ、休むな
「家路」「朝の膿」のような単調な曲しか書けないお前には、コピペという単純作業しかできまい
まあ、それで許してやるから、俺が「休んでいい」と言うまで続けろ
岡田克彦#'{e-J?`$
てすと
759 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/12 06:56 ID:h/iPIt2F
昨日の晩、このスレで岡田が友人と名前
あげてる人に直で会ったけどさー、
あんたの事知らないって・・・
まぁ、あんたが嘘つきなのは、知っていたけど
悪評位聞いているかと思って、一応聞くだけ聞いてみた。
後、勝手に個人名をネットで書かないでくれって
まぁ、こんな事ネチケットの基本なんだけどね
760 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/12 08:20 ID:BHmzgp+w
>>759 岡田が有名なのは2ちゃんで電波さんとしてだけ。
音楽の世界では誰にも知られていない。
自分では有名だと言っているが完全な妄想。
岡田のサイト自体、有名音楽家サイトからリンクすらされていないのが実情。
「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
低学歴、特に、中央大学文学部のようなヘボい大学に共通しているのは、
文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
低学歴、特に、中央大学文学部のようなヘボい大学に共通しているのは、
文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
低学歴、特に、中央大学文学部のようなヘボい大学に共通しているのは、
文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
低学歴、特に、中央大学文学部のようなヘボい大学に共通しているのは、
文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
低学歴、特に、中央大学文学部のようなヘボい大学に共通しているのは、
文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
低学歴、特に、中央大学文学部のようなヘボい大学に共通しているのは、
文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
低学歴、特に、中央大学文学部のようなヘボい大学に共通しているのは、
文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
『北ドイツの寂しい午後』
・・・晩年のブラームス・・・
岡田克彦
1986.9.10.執筆、『ピアノと遊ぶ会会報(1986年10月号)』に掲載
たぶん、この曲が書かれたのは、冬の昼下がり、午後2:30を少しまわったころ
にちがいない。外は雨が降っていた。ブラームスはピアノの鍵盤に手を留めた
まま、窓の外の静寂を眺めていた。次第に遠景がぼやけて、目の焦点が近づい
てくる。ふと気づくと、窓ガラスに雨の水滴が二つ三つ飛びついている。
何気なく、その水滴をピアノの鍵盤にそっと、とってみる。
ロ短調の主和音の三度下に一滴、さらに、そのまた三度下に一滴、落として
みる。無機的で、それでいて、けだるく寂しい午後の気分が拡がる。次は、
属7の三度下に落としてみる。さらに、Dmajor7の三度下に。冬の昼下がりの
水滴は三度がふさわしい。その粒の中から、和音の上声部に、寂しい静澄な
メロディーが、ロ短調で浮き上がってきて、そのまま寂しく終結する。
そしてニ長調がけだるい吐息をふきかけ、たどたどしく歩みはじめる中間部。
その最後の和音の残響の中から、また、水滴の和音が出てくる。今度は三度に
一つクロマティックな響きを加え、三連符に変形されているため、透明度が
高くなっている。そして曲は静かに、ほんの少し暖かい長調に向かうが、また、
最初の水滴のモチーフの気分がもどってくる。・・・・・
『インテルメッツォ Op.119-1. ロ短調』
この曲を最初に聴いたのはいつごろだったろうか。何の喜怒哀楽とも関係ない
次元で、ただ音に対する感覚だけで強く感動したぼくは、ブラームスの作品
だなんて夢にも思わなかった。実際、この曲をギーゼキングのピアノで聴いた
時、スクリャービンの小品だと思ったものだ。
が、これは、まぎれもなくブラームス。晩年、北ドイツにこもって、一切の
大曲から足を洗ったブラームス。種々の労作を書き終え、ベートーヴェンから
解放されたブラームスは、こんなにすばらしい感性の持ち主だったのである。
この至上の世界から、あのピアノソナタの野蛮なモチーフや、第一シンフォニーのラッパのファンファーレや、
ピアノトリオNo.1の第一楽章を堅苦しくしたモチーフのような雑音は想像だにできない。
いったい彼は、どうしてあれほどベートーヴェンに固執したのだろうか。長い
人生のほとんどを無駄に過ごしたとしか思えない。もちろん、ヴァイオリンソナタNo.1や
シンフォニーNo.1に、こうした美しい感性のブラームスを垣間見ることができる。しかし、
これら若い頃の作品はすべてベートーヴェンを意識して、それに向かって書きつづけられた
ものであり、その点の方がイニシアティブを取っていて、一瞬の美しい感性は、それによって
バラバラに分解されて、台無しにされている。
いや、もう彼の悪い点を指摘するのはよそう。この晩年のピアノ小品は大変なご馳走だ。
一つ一つ味わっておかないと、人生の大変な損失になってしまうだろう。
『Op.118-2』。この曲は絶対、大ホールには向かない。よく音楽のわかった聴衆が多くても
一人か二人。北ドイツのアンニュイな光の差込む、寒々とした一室で弾かれるべきだ。
それにしても、この曲のイ長調の静かな調べのあと、ごく自然に始まる嬰ヘ短調は何と
美しいことだろう。『Op.119-1』のロ短調と並んで、シャープ系短調の最も美しい表情を
見せてくれる。そして、静澄なコラールをはさんで、この嬰ヘ短調は2声になってぼくの
心の一番深いところを優しくたたみかける。終結のイ長調の協和音はしばらくの間、感動を
しずめるように、ぼくの中で鳴りつづける。何のてらいも、大袈裟な振舞いもない。実に傑作だ。
『Op.117』の3曲は、ワンセットにして演奏されるのがよい。1番は、変ホ長調の
暖かいコラール。このフラット系長調の選択も実によい。ともかく、これら晩年の
ピアノ小品は全て、ショパンに匹敵する調性の必然性を持って書かれている。ブラームスの
選択以外の調性にしてしまうと、曲想が崩れてしまうようなギリギリの選択が、ほとんど無意識の
うちになされている。こんな自由なブラームスは、若い頃の大曲には全く見られないものである。
第2番は、若い頃を思い出すようなアルペッジョで、少しロマンティックになっている。
この曲も控えめでよい。そして、第3番で、ユニゾンの重々しい、しかし音響の十分配慮
された、ブラームスの足どりを聴くことが出来る。これこそ、ドイツものの真骨頂。いくら
重さを求めても、例えばベートーヴェンのピアノソナタのように、音響を無視したものは
音楽であることをやめるだろう。
暗い手放しで喜びきれない明るさを持って書かれた中間部のあとの転調に注目しなくてはならない。
クロマティックな二連音が落ちてくるにつれ、一拍一拍、音の色合いがうつろい、それは、
暮色の移り変わりを彷彿とさせるものである。…あのブラームスがここまでの転調をするようになった。
ぼくはこの曲を聴くにつけ、20世紀の到来を予感する。
『Op.119』の4曲は、『Op.117』の3曲ほどまとまっていない。別個に演奏されてもよい。
『Op.119-2』は、『Op.119-1』の水滴の響きを打ち消すように、和音が忙しく
動き回っている。しかし、中間部で、『Op.118-2』の風情を醸し出している。
『Op.119-3』は、ブラームス一流の、苦みばしったユーモアのあらわれである。
この曲は、ケンプのような下手なピアニストの弾き方では聴けたものではない。
和音の平行移動のテクニックの欠如したケンプの弾き方では、和音の間に、
不必要な間があいてしまい、それをつくろうために、他の部分に影響が及び、
結局、曲が崩壊している。
この曲に限らず、晩年のブラームスのピアノ小品集の演奏は、ギーゼキングか、
グールドか、チッコリーニに決まっている。特にギーゼキングが録音している
ブラームスは、この晩年周辺のみである。ブラームスの若い頃の駄作になど
見向きもせずに、このあたりだけやるとは、さすがはギーゼキングだ。
あのルービンシュタインのようなのが何でもやるけど何一ついいものを残して
いないのに比べてみればよい。そこには、偉大なアーティストと、ただの
ピアノ弾きとの歴然とした差がある。
『Op.118-1』。このアルペッジョの小品は、『Op.118-2』のプレリュードと
いった趣き。『Op.118-3』の舞曲におけるテーマの有機的なつながりは特筆に
値する。ことに、中間部の左手の伴奏に乗って、第一主題が再現するところの
書き方。さすがはブラームス! うまいなあ! 感心するほかないパッセージだ。
『Op.118-4』は、ラフマニノフ的な不安定なモチーフの積み重ねと、以前の
ブラームスには見られなかった大胆な和声進行からなるが、この曲集中難曲の
一つである。『Op.118-5』。このユニゾンの重厚なテーマがよい。そして、
それに対比させられる中間部のやるせない長調。この曲が晩年の長調の雰囲気とするなら、
『Op.118-6』はこれに対応する深い悲しみで、『Op118』の6曲を閉じる。
『Op119-4』。この作品は、この後書かれた『2つのクラリネットソナタ』『厳粛な歌』
を残して、ブラームス最後のピアノ曲である。もちろん、技法的には、ベートーヴェンと
同様、ピアノの低域の協和音の三度は詰まっており、とても汚い響きなのに、
曲全体は自由な雰囲気に包まれて、今にも飛び立たんばかりの躍動感にあふれている。
これはとりもなおさず、地平が広がるような、バスラインモチーフによって何回も
行われる転調のせいである。そして、何と、何と、終結を同主調の変ホ短調の協和音に
持っていくんだ。う〜〜〜ん。素晴らしい。なんと若々しく決然としていることだろう!
ブラームスはもう過去への一切の執着を捨てて、未来を見つめている。創造する人間は
いつでもこうありたいものだ!
それまで、バッハやベートーヴェンの方ばかり向いていたブラームスが、晩年の
ちょっとした心境の変化でもって本心を打ちあけると、このような素晴らしい小品が
生まれたのである。なんという余裕だろう! それにひきかえ、あのメンデルスゾーン
ときたら、最初から本心ばかり打ちあけていたため、すぐに空っぽに
なっちゃったんだな、きっと。
ブラームスの晩年のピアノ小品集は、「本当のロマンティストは、ブラームスのように、
同じだけのリアリズムに裏付けされている人だということ。」を、ぼくに教えてくれる。
その証拠に、シューマンになんか、このブラームスの晩年のピアノ小品のような、あくま
でも高貴で、しかし、触れる人の心をつかんで離さないロマンティシズムに満ちた曲など
一曲もない。
わずかに、気が狂いそうになった頃書いた『森の情景』あたりが、ようやく、それに
及ぶだろうか、といったところだ。でも、『森の情景』や『子供の情景』にしても、
(個人的には、ぼくはシューマンの歌曲とピアノ小品は大好きなんだけど)、この、
ブラームスの晩年のピアノ小品集のような普遍性なんて全くない。古典音楽を
とことんまでつきつめたブラームスの強みがそこにある。
おそらく、後期ロマン派の時代を生きた作曲家の中で永久に歴史に残るのは、
古典音楽のすごさを自分の作曲との対比において十分に知っていた、
ブラームスとショパンだけかもしれない。
「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
おかやん、器楽・作曲板に新スレが立ったぞ
「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
低学歴、特に、中央大学文学部のようなヘボい大学に共通しているのは、
文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
低学歴、特に、中央大学文学部のようなヘボい大学に共通しているのは、
文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
低学歴、特に、中央大学文学部のようなヘボい大学に共通しているのは、
文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
低学歴、特に、中央大学文学部のようなヘボい大学に共通しているのは、
文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
低学歴、特に、中央大学文学部のようなヘボい大学に共通しているのは、
文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
813 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/12 12:09 ID:QTTaUM7T
「印象派のミメーシスと、それ以前の作品群のそれの違いについて?」
なんて質問に答えられるわけないですよね岡田さんなんかに。
無学はこれだから困りますね。ぼくの業界仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、音大出て無い低学歴ですな。話になりません。
低学歴、特に、音大を卒業してないヘボ音楽家共通しているのは、
文化水準が低いという事です。
これから先の人生を無職で過ごすということは、致命傷と言えます。
岡田さんは低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
815 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/12 12:39 ID:hRRxZtF4
昨日の晩、このスレで岡田が友人と名前
あげてる人に直で会ったけどさー、
あんたの事知らないって・・・
まぁ、あんたが嘘つきなのは、知っていたけど
悪評位聞いているかと思って、一応聞くだけ聞いてみた。
後、勝手に個人名をネットで書かないでくれって
まぁ、こんな事ネチケットの基本なんだけどね
低学歴、特に、ひろゆきの卒業した中央大学文学部のようなヘボい大学に
共通しているのは、文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
低学歴、特に、ひろゆきの卒業した中央大学文学部のようなヘボい大学に
共通しているのは、文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
低学歴、特に、ひろゆきの卒業した中央大学文学部のようなヘボい大学に
共通しているのは、文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
低学歴、特に、ひろゆきの卒業した中央大学文学部のようなヘボい大学に
共通しているのは、文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
低学歴、特に、ひろゆきの卒業した中央大学文学部のようなヘボい大学に
共通しているのは、文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
低学歴、特に、ひろゆきの卒業した中央大学文学部のようなヘボい大学に
共通しているのは、文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
低学歴、特に、ひろゆきの卒業した中央大学文学部のようなヘボい大学に
共通しているのは、文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
低学歴、特に、ひろゆきの卒業した中央大学文学部のようなヘボい大学に
共通しているのは、文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
低学歴、特に、ひろゆきの卒業した中央大学文学部のようなヘボい大学に
共通しているのは、文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
低学歴、特に、ひろゆきの卒業した中央大学文学部のようなヘボい大学に
共通しているのは、文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
低学歴、特に、ひろゆきの卒業した中央大学文学部のようなヘボい大学に
共通しているのは、文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。
なにか書き込みがあると、それに反応してコピペが始まる
コピペ回数は、その書き込みがどれだけ堪えたかのバロメーター
今回の「音大を出ていない」というのは、権威主義≒老害であるおかまには相当堪えたようだ(W
828 :
名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/12 13:18 ID:hRRxZtF4
岡田克彦ファンクラブからのご案内です。岡田克彦氏の卒業した早稲田大学
政治経済学部に比べて著しい低学歴、特に、ひろゆきの卒業した中央大学文学部
のようなヘボい大学に共通しているのは、文化水準が低いという事です。18歳から22歳を
ヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。2ちゃんねらーの大半は
岡田克彦氏に比べて、著しい低学歴ですから、取り返しはつかないのです。
せめて、
http://www.geocities.co.jp/MusicHall-Horn/1091/で、氏の作品に触れましょう。
そうそう。
んで、「音大を出ていない」ので、彼は異様なほどに「低学歴」に固執する(ワラ