【無職】岡田克彦ですが、何か?第8章【無能】

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『インテルメッツォ Op.119-1. ロ短調』
この曲を最初に聴いたのはいつごろだったろうか。何の喜怒哀楽とも関係ない
次元で、ただ音に対する感覚だけで強く感動したぼくは、ブラームスの作品
だなんて夢にも思わなかった。実際、この曲をギーゼキングのピアノで聴いた
時、スクリャービンの小品だと思ったものだ。
が、これは、まぎれもなくブラームス。晩年、北ドイツにこもって、一切の
大曲から足を洗ったブラームス。種々の労作を書き終え、ベートーヴェンから
解放されたブラームスは、こんなにすばらしい感性の持ち主だったのである。
この至上の世界から、あのピアノソナタの野蛮なモチーフや、第一シンフォニーのラッパのファンファーレや、
ピアノトリオNo.1の第一楽章を堅苦しくしたモチーフのような雑音は想像だにできない。
いったい彼は、どうしてあれほどベートーヴェンに固執したのだろうか。長い
人生のほとんどを無駄に過ごしたとしか思えない。もちろん、ヴァイオリンソナタNo.1や
シンフォニーNo.1に、こうした美しい感性のブラームスを垣間見ることができる。しかし、
これら若い頃の作品はすべてベートーヴェンを意識して、それに向かって書きつづけられた
ものであり、その点の方がイニシアティブを取っていて、一瞬の美しい感性は、それによって
バラバラに分解されて、台無しにされている。
いや、もう彼の悪い点を指摘するのはよそう。この晩年のピアノ小品は大変なご馳走だ。
一つ一つ味わっておかないと、人生の大変な損失になってしまうだろう。
『Op.118-2』。この曲は絶対、大ホールには向かない。よく音楽のわかった聴衆が多くても
一人か二人。北ドイツのアンニュイな光の差込む、寒々とした一室で弾かれるべきだ。

それにしても、この曲のイ長調の静かな調べのあと、ごく自然に始まる嬰ヘ短調は何と
美しいことだろう。『Op.119-1』のロ短調と並んで、シャープ系短調の最も美しい表情を
見せてくれる。そして、静澄なコラールをはさんで、この嬰ヘ短調は2声になってぼくの
心の一番深いところを優しくたたみかける。終結のイ長調の協和音はしばらくの間、感動を
しずめるように、ぼくの中で鳴りつづける。何のてらいも、大袈裟な振舞いもない。実に傑作だ。

『Op.117』の3曲は、ワンセットにして演奏されるのがよい。1番は、変ホ長調の
暖かいコラール。このフラット系長調の選択も実によい。ともかく、これら晩年の
ピアノ小品は全て、ショパンに匹敵する調性の必然性を持って書かれている。ブラームスの
選択以外の調性にしてしまうと、曲想が崩れてしまうようなギリギリの選択が、ほとんど無意識の
うちになされている。こんな自由なブラームスは、若い頃の大曲には全く見られないものである。


第2番は、若い頃を思い出すようなアルペッジョで、少しロマンティックになっている。
この曲も控えめでよい。そして、第3番で、ユニゾンの重々しい、しかし音響の十分配慮
された、ブラームスの足どりを聴くことが出来る。これこそ、ドイツものの真骨頂。いくら
重さを求めても、例えばベートーヴェンのピアノソナタのように、音響を無視したものは
音楽であることをやめるだろう。
暗い手放しで喜びきれない明るさを持って書かれた中間部のあとの転調に注目しなくてはならない。
クロマティックな二連音が落ちてくるにつれ、一拍一拍、音の色合いがうつろい、それは、
暮色の移り変わりを彷彿とさせるものである。…あのブラームスがここまでの転調をするようになった。
ぼくはこの曲を聴くにつけ、20世紀の到来を予感する。

『Op.119』の4曲は、『Op.117』の3曲ほどまとまっていない。別個に演奏されてもよい。
『Op.119-2』は、『Op.119-1』の水滴の響きを打ち消すように、和音が忙しく
動き回っている。しかし、中間部で、『Op.118-2』の風情を醸し出している。
『Op.119-3』は、ブラームス一流の、苦みばしったユーモアのあらわれである。
この曲は、ケンプのような下手なピアニストの弾き方では聴けたものではない。
和音の平行移動のテクニックの欠如したケンプの弾き方では、和音の間に、
不必要な間があいてしまい、それをつくろうために、他の部分に影響が及び、
結局、曲が崩壊している。

この曲に限らず、晩年のブラームスのピアノ小品集の演奏は、ギーゼキングか、
グールドか、チッコリーニに決まっている。特にギーゼキングが録音している
ブラームスは、この晩年周辺のみである。ブラームスの若い頃の駄作になど
見向きもせずに、このあたりだけやるとは、さすがはギーゼキングだ。
あのルービンシュタインのようなのが何でもやるけど何一ついいものを残して
いないのに比べてみればよい。そこには、偉大なアーティストと、ただの
ピアノ弾きとの歴然とした差がある。

『Op.118-1』。このアルペッジョの小品は、『Op.118-2』のプレリュードと
いった趣き。『Op.118-3』の舞曲におけるテーマの有機的なつながりは特筆に
値する。ことに、中間部の左手の伴奏に乗って、第一主題が再現するところの
書き方。さすがはブラームス! うまいなあ! 感心するほかないパッセージだ。

『Op.118-4』は、ラフマニノフ的な不安定なモチーフの積み重ねと、以前の
ブラームスには見られなかった大胆な和声進行からなるが、この曲集中難曲の
一つである。『Op.118-5』。このユニゾンの重厚なテーマがよい。そして、
それに対比させられる中間部のやるせない長調。この曲が晩年の長調の雰囲気とするなら、
『Op.118-6』はこれに対応する深い悲しみで、『Op118』の6曲を閉じる。
『Op119-4』。この作品は、この後書かれた『2つのクラリネットソナタ』『厳粛な歌』
を残して、ブラームス最後のピアノ曲である。もちろん、技法的には、ベートーヴェンと
同様、ピアノの低域の協和音の三度は詰まっており、とても汚い響きなのに、
曲全体は自由な雰囲気に包まれて、今にも飛び立たんばかりの躍動感にあふれている。
これはとりもなおさず、地平が広がるような、バスラインモチーフによって何回も
行われる転調のせいである。そして、何と、何と、終結を同主調の変ホ短調の協和音に
持っていくんだ。う〜〜〜ん。素晴らしい。なんと若々しく決然としていることだろう!
ブラームスはもう過去への一切の執着を捨てて、未来を見つめている。創造する人間は
いつでもこうありたいものだ!


それまで、バッハやベートーヴェンの方ばかり向いていたブラームスが、晩年の
ちょっとした心境の変化でもって本心を打ちあけると、このような素晴らしい小品が
生まれたのである。なんという余裕だろう! それにひきかえ、あのメンデルスゾーン
ときたら、最初から本心ばかり打ちあけていたため、すぐに空っぽに
なっちゃったんだな、きっと。
ブラームスの晩年のピアノ小品集は、「本当のロマンティストは、ブラームスのように、
同じだけのリアリズムに裏付けされている人だということ。」を、ぼくに教えてくれる。
その証拠に、シューマンになんか、このブラームスの晩年のピアノ小品のような、あくま
でも高貴で、しかし、触れる人の心をつかんで離さないロマンティシズムに満ちた曲など
一曲もない。
わずかに、気が狂いそうになった頃書いた『森の情景』あたりが、ようやく、それに
及ぶだろうか、といったところだ。でも、『森の情景』や『子供の情景』にしても、
(個人的には、ぼくはシューマンの歌曲とピアノ小品は大好きなんだけど)、この、
ブラームスの晩年のピアノ小品集のような普遍性なんて全くない。古典音楽を
とことんまでつきつめたブラームスの強みがそこにある。

おそらく、後期ロマン派の時代を生きた作曲家の中で永久に歴史に残るのは、
古典音楽のすごさを自分の作曲との対比において十分に知っていた、
ブラームスとショパンだけかもしれない。

「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
なんて質問に答えられる2ちゃんねらーは一人もいないでしょう。
無学はこれだから困りますね。ぼくのピアノと遊ぶ会の仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。


おかやん、器楽・作曲板に新スレが立ったぞ



「ブラームスのOP.118-4についてどう思いますか?」
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さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
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さすがは、ひろゆきは中央大学文学部卒の低学歴ですな。話になりません。
低学歴、特に、中央大学文学部のようなヘボい大学に共通しているのは、
文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。


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もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。



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813名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/12 12:09 ID:QTTaUM7T
「印象派のミメーシスと、それ以前の作品群のそれの違いについて?」
なんて質問に答えられるわけないですよね岡田さんなんかに。
無学はこれだから困りますね。ぼくの業界仲間は、この程度の事
一般教養なのですけどね。
さすがは、音大出て無い低学歴ですな。話になりません。
低学歴、特に、音大を卒業してないヘボ音楽家共通しているのは、
文化水準が低いという事です。
これから先の人生を無職で過ごすということは、致命傷と言えます。
岡田さんは低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。

815名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/12 12:39 ID:hRRxZtF4
昨日の晩、このスレで岡田が友人と名前
あげてる人に直で会ったけどさー、
あんたの事知らないって・・・
まぁ、あんたが嘘つきなのは、知っていたけど
悪評位聞いているかと思って、一応聞くだけ聞いてみた。

後、勝手に個人名をネットで書かないでくれって
まぁ、こんな事ネチケットの基本なんだけどね
低学歴、特に、ひろゆきの卒業した中央大学文学部のようなヘボい大学に
共通しているのは、文化水準が低いという事です。
18歳から22歳をヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。
あんたら2ちゃんねらーの大半は低学歴ですから、
もう、取り返しはつかないのです。ご愁傷様。

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なにか書き込みがあると、それに反応してコピペが始まる
コピペ回数は、その書き込みがどれだけ堪えたかのバロメーター

今回の「音大を出ていない」というのは、権威主義≒老害であるおかまには相当堪えたようだ(W
828名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/12 13:18 ID:hRRxZtF4
>>827
秀同
バカは解りやすい(w

岡田克彦ファンクラブからのご案内です。岡田克彦氏の卒業した早稲田大学
政治経済学部に比べて著しい低学歴、特に、ひろゆきの卒業した中央大学文学部
のようなヘボい大学に共通しているのは、文化水準が低いという事です。18歳から22歳を
ヘボい大学で過ごすということは、致命傷と言えます。2ちゃんねらーの大半は
岡田克彦氏に比べて、著しい低学歴ですから、取り返しはつかないのです。
せめて、http://www.geocities.co.jp/MusicHall-Horn/1091/で、氏の作品に触れましょう。

そうそう。
んで、「音大を出ていない」ので、彼は異様なほどに「低学歴」に固執する(ワラ