神秘主義的映画のスレ

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1名無シネマさん
ブレッソンやタルコフスキーやベルイマンの様に、
背後に偉大な力を感じる様な映画の事を語るスレです。
理解して下さい。

実はロベール・ブレッソンってと言うスレ
http://cocoa.2ch.net/movie/kako/997/997790976.html
の二代目スレです。
2名無シネマさん:01/08/30 22:14 ID:ujMxWDm6
前スレの
>>135

そうですね。一応スレ違いなので引用させていただくと、

>怜悧な画面(演出)と厳格な脚本からどくどくと滲み出て来る人間の抱える闇の深淵を、
>何故この人は感じられないのかと思う。

>映画的であろうと舞台的であろうと、リアリズムとは、キャメラや構図や演技の問題ではなく、
>鑑賞者が、作者が見つめる”真実”なるものへの「視線」を作中から確かな実感と共に掴み取る瞬間に初めて
>体を成す物だと思う。

私もこれを言いたかった(藁
どっちにせよ作品のリアリズムはその作品にとってもの凄く重要と言うか、
一番重要な事だと言っても良いかも知れません。

そしてブレッソンなんですが、ベルイマン、タルコフスキーと比較しても、
演出がその作品のリアリズムに観客の視線を向けさせるのではなく、
映像や音で画面に現れる事物全てが自らそこに存在しているかの様な
印象を与えるのは何故なんでしょうねえ。
3108=135:01/08/31 00:56 ID:l8sV5pCI
新スレあげ。
4名無シネマさん:01/08/31 21:17 ID:bTzXGmbk
前スレの143さん
>ベルイマンは事物を凝視するような姿勢に欠けてる気がするが。
>同じ舞台的という批判を受けていた溝口健二とかに比べるとどうも迫力不足と
>いう印象が強いです。

私は反対に溝口健二がよく分かりません。だから違いを詳しく説明
して欲しいな。
5名無シネマさん:01/08/31 21:19 ID:bTzXGmbk
ってここ来てるかな。
6名無シネマさん:01/08/31 21:21 ID:J3a46T62
ブニュエルが最高なの
7 :01/08/31 21:50 ID:zgNUVUwE
>>2
集中力の問題じゃないでしょうか?
よく聞く話の受け売りで僕もあまりわからないのですが、
ブレッソンの映画は音や映像を徹底的に切り詰める
ことで受け手に音や俳優の動作、表情などに対する
極度の集中力を要求するのだと思います。
>>4さんの言う溝口とベルイマンも同じような違いがあるのかも。
つまりは抑制の問題というか、受け手の参加を求める映画と
求めない映画の違いというのでしょうか。
溝口の映画は映像美なども有名だし、話の進行そのものは
わかりやすいのですが、例の長回しの演出は
画面の緊張感を切らず、集中力を継続させるためのものだったと聞きます。
もちろんどっちが上とか下とか言うのではないのですが、
ベルイマンの映画は「これを見せたい」ということが比較的はっきりしてる
気がします。嫌いな人はそこが嫌いなのかもしれません。
8名無シネマさん:01/09/01 12:25 ID:yU1NNj5Q
>映画的であろうと舞台的であろうと、リアリズムとは、
>キャメラや構図や演技の問題ではなく、
>鑑賞者が、作者が見つめる”真実”なるものへの「視線」を作
>中から確かな実感と共に掴み取る瞬間に初めて
>体を成す物だと思う。
意味がわからん。
真実なるものへの視線を確かに実感させるためには構図やカメラや
演技の力が必要不可欠なんじゃないの?
9:01/09/01 14:17 ID:1PPkeWJ2
>>4
同感。
>>6
『ビリディアナ』最高
>>7
>ベルイマンの映画は「これを見せたい」ということが比較的はっきりしてる
気がします」
これはどうなんだろう…。
漏れは溝口の映画は数本しか見てないので何とも言いようが無いが、話にせよ手法にせよ、
分からない、ということは確かに無かった。
ベルイマンはやはり分からない。分からないのに圧倒される。圧倒されるから考える。
だから個人的には底なしの魅力を感じる。

>>8
ああ、書き方が悪かった。スマソ。
画面に映される表面的な事象や手法が映画そのものであるのは当然だが、
それは作者の意図を伝達するための方便である。
で、その意図(方法論)自体を違和感なく客が受け入れ、更にそこに描かれた真実なるもの
に多大な共感を得れば(即ちリアルと感ずれば)、
その映画は映画的リアリズム及びリアリズムを獲得するのではないか、ということです。
10名無シネマさん:01/09/01 15:38 ID:Rybge2kw
>>9
理解出来る出来ないの話じゃないでしょう?
映画の中で起こるある出来事そのものを見せようという
意図がベルイマンは強いんじゃない?
映画の中でのある象徴みたいなものを見せて
それがわかりにくくてみんな考える。
溝口とかブレッソンとかドライヤーとかは画面内で起こる
出来事そのものはむしろベルイマンほど難解ではないでしょう。
むしろシンプル。手法もストーリーもシンプルであるが故に
解釈の多様性、不可能性が発生する。
11名無シネマさん:01/09/01 15:52 ID:C/yyfKrY
ソクーロフの映画を見てると、いつも背後の暗闇に神的存在を感じます。
12:01/09/01 16:26 ID:eY1FhmtM
>>10
帰結としてはここに並べられたどの作家も「解釈の多様性、不可能性が発生する」
と思う。それゆえにまあ、いつまで経っても面白い訳で。
だけど、例えば溝口やブレッソンは、難解でないだけに「多様な解釈」の余地というのは
比較的少ないんじゃないかな。解釈云々よりも映画そのものの魅力を思い切り楽しむ、みたいな。
ところがベルイマンの難解さは、勿論象徴や描かれる事件そのものに難しさや不条理性があるけど、
それ以上に「なぜそんな事をあんたは描くんだ?」というもっと根本的な問いが込み上げる。
つまり、分からない。仰る通り、見せたい事ははっきりしている。
だが何で見せたいのかがよく分からない(笑)。
言わずもがなで付け加えると、分からないから好きって訳じゃないよ。
そのベルイマンの視線にグッとくるが、その正体が自分でも分からない、
ということです。
で、思い切り矛盾するようだけど、ブレッソンもやはり分からないですね。
キリスト教との関連で読めば多少納得できる部分もあるかもしれないけど、
やはりそれ以上に何か不可解なものが突出している気がします。
13:01/09/01 16:32 ID:jnuu0ZZg
↑ちょっと独善的でした。
上記の意見は全て「個人的には」で。
あたりまえか。
1410:01/09/01 17:24 ID:d3/ZA0NY
学はないのでなんだか話がわからなくなってきた(笑)
うーん、確かにブレッソンはシンプルだけど何が言いたいのかはよくわからん。
解釈の多様性ということなら、ブレッソンやドライヤーについては
わからないのですが、溝口はかなり評論家泣かせの監督だと聞きます。
矛盾の作家、不定形の作家などとも評されるとか。
凄く月並みな意見で申し訳ないのですが、溝口にしてもブレッソンにしても
建前としての思想はあっても結局のところ人間そのものがテーマだから
こそ不可解な部分が出てくるのかもしれませんね。
1510:01/09/01 17:44 ID:awDO70t6
でもベルイマンも勿論テーマは人間なんだけど、
彼の映画の不可解さは人間の不可解さというのともちょっと違う気もするなあ。
>>12さんの言うように「根本的にわからない」のかも。
16名無シネマさん:01/09/01 22:06 ID:NThqbZWY
ていうか何を見せるかに重点を置くかどう見せるかに重点を置くかの違いじゃないか?
もちろんどちらがどちらという風に分けるのは難しいけど、
どちらかと言えばブレッソンは後者に、ベルイマンは前者に位置付けられるのではないか?
17:01/09/01 22:58 ID:f5SagPbs
>>16
そのとおりだと思うよ。

せっかくだからベルイマンについて振ろう。
三部作を通過していく過程に漏れはその理解を可能にする片鱗があるんじゃないかと思う。
『鏡の中にある如く』では神の姿は蜘蛛だったと語ってみたり、挙句は唐突に「神の名は愛だ」
というような事を言って、神の冒涜&意味付けを行なう訳です。
『冬の光』では形骸化した教会の儀式と、内心では神の存在を信じていない牧師の偽善を捉え、
信仰無き世界の人間達の図太さと絶望とを表現。
『沈黙』に到っては神についての話は消え失せ、「神無き地平」で人間はいかに生々しい動物と化すか、
という事を厳格な眼差しで見詰めている。
こう考えていくと、「叫びとささやき」のような一種の不条理劇に見られる「何でそんな事を描く?」
という漏れの問いにはひとつの回答の可能性が見えてくる。
”神がいない”事を悟った者の視線には、世界がこんな風に見えている、という映画なんでは。
神という絶対的な倫理者がいない地平では、このようなミゼラブルな有り様が展開されるのだ、
と言わんとしているのではないか。
かといって彼自身は神を否定している訳で、そこに恐らくは本人にも決着のつかない矛盾が生まれる。
その矛盾を矛盾のまま提示しているために、観客にとっては不可解である、よくわからねえ、ということになる。
漏れは評論は一切読まない人間なので、ひょっとしたらガイシュツの意見かもしれないが、
ベルイマンファン(ファンじゃなくてもいいけど)からの異論、反論を待つ。
18名無シネマさん:01/09/02 01:12 ID:nQK72DRQ
このスレいきなり濃いね、、。一日見ない間に付いてけなくなった。

皆さんの意見に付け加えて言うことがあるとすれば、
ベルイマンは、何かベルイマンが子供の時に恐怖に思っていた事を
リアルに映画で描いている様な気がします。子供特有の想像力とか
生々しい恐怖とかが、不可思議な映画にさせている原因の一つの様な気がします。
19名無シネマさん:01/09/02 03:15 ID:kDl2nfx.
日本で神秘主義的傾向を持った映画監督といえば誰かな?
やっぱり後期の溝口あたりになるのかな?
内田吐夢も神秘主義ってほどでもないけど宗教的な物を感じさせる気がするが。
20名無シネマさん:01/09/02 13:35 ID:SZjPhrSE
『飢餓海峡』のラストを締め括る地蔵和賛(だっけ?)は凄かった。
顎が落ちたまま震え止らず。
21名無シネマさん:01/09/02 14:17 ID:lOksKOcM
ベルイマンは神の存在自体は認めてるんじゃないかな。存在することは
認めていながら「神がいながらなぜこうなるのか?」という神の意志
の不可知性についての矛盾というか疑問が提示されているようなきがする。
22:01/09/02 16:42 ID:fYhDeLCg
>>18
『沈黙』のおしっこシーンは怖いですね〜。

>>21
ああ、なるほど…。
何といっても「神の沈黙」だし…。
しかし、そう考えると、『沈黙』におけるラストの”精神”という言葉の意味が
いっそう分からなくなってきませんか。
漏れはあの言葉は額面通り(?)、
「神が沈黙する世界で、人間が唯一絶対賞揚し保持せねばならないのは、
肉欲やエゴとは対象に位置する”精神の力”である」と捉えた。
つまり、人間が繰り広げるミゼラブルなドラマに対して、絶対的倫理(=宗教的倫理)はもはや力を無くしている、
だから眼前で何が繰り広げられようとも、もう神に期待するな、神はいないんだから、という意味かと。

牧師の息子たるベルイマンが思索の末に自分でその結論を導き出した場合、
むしろ、神がいたとしても俺は認めない、という非常に積極的な否定になるのかもしれない。
カラマーゾフの兄弟に出てくるイワン兄ちゃんのような。
そうした態度は確かに「神がいながらなぜこうなるか?」という態度に結びついていくのかも知れません。
『処女の泉』では最後に奇蹟が訪れて感動的だけど、今に見直すとベルイマンの真意が計れず、ちょっとコワイ…。
23:01/09/02 16:59 ID:b5Lzd6zQ
もうひとつ。
昨日何年ぶりかで『バルタザールどこへ行く』を見直したけど、
ブレッソンて思ってたよりず〜っと頑固爺って気がするな。
俗界へ対する眼差しのなんちゅう厳しさ。
若者の乗る安っぽいバイク、ラジオ、ロックンロール、酒、金、香水…。
そのひとつひとつに恐ろしいくらいの嫌悪と蔑視を感じる。
最後にロバが人間の生活必需品を背中に乗せられて放り出されるエピソードは、
やはり「人間の罪を背負って」なんでしょうかね。
バルテュスのお兄ちゃん演じる粉屋も信じがたくケチだし(笑)。
「もう人間達を許してやりましょうよ!ブレッソン先生!」といいたくなるところが何箇所もあった。
これじゃあ笑いも起きると思いますよ、ハイ。
でも最後はシクシクナイタ…。傑作だと思います。

やはりカトリック映画ってイイ!!
24名無シネマさん:01/09/02 17:14 ID:23Hk4azk
皆殺しの天使
25名無シネマさん:01/09/02 17:22 ID:F8r0.pAY
おまえらもっと頭から〜っぽにして映画見てみそ。
26名無シネマさん:01/09/02 17:42 ID:7sw/muYE
小川伸介が対談で言ってたことだけど、
牧野村のおばあさん達が溝口健二の「山椒太夫」の
安寿姫の入水シーンを見て突然画面に向かってお経を
唱え始めたとか。
それを見て彼は同じ映画監督として嫉妬したと言ってました。
確かにあの場面は凄かった。
溝口や内田の映画は土俗的な雰囲気、土の匂いのような
ものを感じさせる点でヨーロッパの神秘主義映画とはやや異質な気がする。
27名無シネマさん:01/09/02 19:53 ID:oK5dJHCY
>>22
ベルイマンは時期によって信仰が異なると自伝で言ってた様な。
処女の泉の時はまだ神が怖くて、映画の最後には神を登場させず
にはいられなかった。
神の沈黙三部作の時にやっとそういう間違った神の観念を
取り払う事が出来た。
そして最後は(今も生きてるけど)神を信じられるような気がして
来た。
らしいです。
28名無シネマさん:01/09/02 23:43 ID:lOksKOcM
ベルイマンの映画は私小説みたいで好きじゃない。
29名無シネマさん:01/09/02 23:51 ID:/I4/epyU
確かにベルイマンは表面上癖が強い(マックスフォンシドーの顔とか)ので、
深く入ってこない人がいるのは分かる気がする。
30名無シネマさん:01/09/02 23:54 ID:/I4/epyU
>>23
でもムシェットとかバルタザールでかかるロックは何かいい感じ
なの揃えてるんだよね。
31名無シネマさん:01/09/02 23:58 ID:/I4/epyU
>>22
うーん、おしっこシーン。私忘れてる(藁
32名無シネマさん:01/09/03 08:41 ID:pX0pEwsU
ベルイマンは別に癖は強くないだろ
ブニュエルやらドライヤーやらの方が癖は強いと思うぞ
33名無シネマさん:01/09/03 09:16 ID:3JjHtdGs
ていうか最初にベルイマンの映画を見た時は感動したけど
いつの間にかあまり好きでなくなってた。
34:01/09/03 10:44 ID:kV7oiH9Q
>>27
最近は神を信じられるような気がしてきた…そうなんだ。
それにしてもベルイマンの自伝なんかあるの!?
まじ読みたいっす。詳細キボンヌ!!

>>30
そうなのか。
あれって結構有名な人たちの音楽なの?

>>31
サーカスの小人達が泊まるホテルの部屋に少年が迷いこみ、
女装させられたりして危険な遊びに興じる。
少年はその後、部屋を追い出されて廊下の壁に立ちション。
ジョジョジョー。
見ていてカーッと下腹が熱くなる瞬間。

>>33
漏れは逆だな〜。
最初は全然分からなかったけど、どんどん好きになってきた。
35名無シネマさん:01/09/03 11:33 ID:IuZvPDhM
>>34
自伝ですが、前持ってたんだけどなくしてる、、、。
だから正確な名前とかも忘れてしまったんだけど、
たぶん図書館で探せると思います。

沈黙はDVD買って見直そう、、。

見せたいことがハッキリしていて、自由に想像する
のが嫌いな人は、例えばタルコフスキーとかも嫌いなのかな。
36名無シネマさん:01/09/03 11:35 ID:IuZvPDhM
いやまちがった。
自由に想像するのが嫌いじゃなくて、
自由に想像できないのが嫌いな人って
言いたかった、、、。
37名無シネマさん:01/09/03 12:14 ID:o/f6xedo
蓮實なんぞはタルコもベルイマンも好きじゃないみたいね。
漏れはベルイマン、ブニュエルは好きじゃないけどタルコは好き。
見せたいものがどうたらはよくわからないけど。
それとベルイマンには自由に想像する余地はかなりあるんじゃない?
はっきりしすぎてるものを嫌う人というのは、
想像がどうとかよりは思想的な物が前面に出すぎるのを嫌うのではないかと思う。
38ZEROES:01/09/03 17:43 ID:D66E6zM6
タルコフスキーはブレッソンにシンパシーを抱いているようですね。
ベルイマンについては、晩年の談話で批判的なコメントを残していますが。

タルコフスキーとベルイマンは黒澤明を敬愛しているという共通点があって、
黒澤も二人に敬意を払っていた。
では、ブレッソンと黒澤明の関係は、どうだったのか。
39名無シネマさん:01/09/03 17:52 ID:3lxefOGc
黒沢は文芸春秋で好きな映画に「ラルジャン」か何かを入れてた気がする
40:01/09/03 17:55 ID:6HXxEKoo
>>35
検索してみたけど、絶版みたいですね…。
悲しい。

>>37
恥を承知で聞くが、
ハスミ氏はベルイマン、タルコの何がどう嫌いだったんだろう?
前スレでベルイマン、黒澤、後誰か忘れちゃったけど、
彼らの映画は通俗的だ、という意見もあったが、その辺も良く分からない。
漏れが身贔屓しているせいかもしれないが、
ベルイマン嫌いの人の意見は抽象的でよく分からないのが多い気がするぞ。
あ、>>37さんのことじゃなくてだよ。
ハスミ氏のでもいいからもっと詳細な批判を希望。
41名無シネマさん:01/09/03 17:56 ID:3lxefOGc
タルコはブレッソンとドヴジェンコを最も敬愛してたみたいですね。
自分にとって最も偉大な映画監督はブレッソンだと言ってたと思う。
ブレッソン、ドヴジェンコ、ブニュエル、ベルイマン、黒沢、溝口だったかな?
彼がインタビューで映画の詩人と呼んだ映画監督。
42名無シネマさん:01/09/03 18:09 ID:3lxefOGc
>>40
蓮實氏は確かにベルイマンは好きじゃないみたいだ。
彼の著作は僕には難しいので対談くらいしか読んだことはないけど、
武満徹との対談では「舞台的、予定調和的」、淀川長治との対談では
「映画とは違うものを見せようとしてるようだ」と言ってたと思う。
内実ははっきりわからないけど「予定調和的」という批判は
ベルイマン批判には付き物のようで、阿部公房も同じようなことを言ってたと思う。
映画が難解なだけに批判も賛美も僕には抽象的な論が多いように見える。
43蓮實重彦:01/09/03 19:00 ID:yjVB89ks
あるいはジョナス・メカスによるベルイマン映画の時代錯誤ぶりを裁断する鋭い
言葉遣いをそっくり『カッコーの巣の上で』に投げかけてみるのも面白いかと思う。
ミロシュ・フォアマンではなくミロス・フォアマンの映画の「人物は、強引な
劇的構成のために、自分勝手な動きをすることはできない」。彼らは、「芝居がかった
ドラマティックなクライマックスに動かされ」、「すっかり型にはまった十九世紀的
ヒーロー」であるにすぎない。映画にあって「重要なのは誰が誰を殺したかではないのだ」。
「状況あるいは構成がひそかに、あるいは明らかに象徴するものを通して」しか語りえない
思考は、「人間的なものと美しいものの屠殺者」たちに奉仕するほかはない。

だが、ヒチコックの真の独創性は、ともすれば文学的環境に接近しがちなその物語的風土を、
あたうる限り非=文学的な世界におしとどめ、むしろ通俗的とさえよべる見世物的な装置の
開発によって、下意識的な葛藤の映像化を避け続けた点に存している。たとえば
イングマール・ベルイマンであれば崩壊や失墜を意識の問題として主題化し、墜落や救済と
いった退屈な物語を生真面目に語りかねないところで、ヒチコックは、軽業師や手品師めいた
仕草を徹底化させながら、あくまで存在と事物の壮大な饗宴として演じたてているのである。
44名無シネマさん:01/09/03 19:21 ID:WUFuD9lI
蓮實ってヌーベルバーグ機知外だよね?
ヌーベルバーグってテーマ至上主義に対して強く反発してたんじゃなかった?
だから主題が先行するような映画は嫌うんじゃないかな?
>>9さんの「手法は意図を伝達するための手段である」という考え方は
明らかに内容主義の方向に向いてると思う。
重要なのは伝達しようとする意図ではなく映画そのものなのだという考えの
人がベルイマン的な映画に対して反発を感じるんじゃないかな?
45:01/09/03 20:47 ID:WCDT9ob.
なるほど〜〜〜〜。色々カキコしてよかった。勉強になります。
>>42,>>43,>>44
さんが提示してくれた意見を要約すると、
古色蒼然とした、いわば十九世紀的な戯曲の枠組みで映画が展開されることに対する批判、
つまりまだ若く、豊潤な可能性を秘めたメディアである映画の特性の賞揚、
更に戯曲的、即ち予定調和的な劇の構造が必然的に持ってしまうテーマ主義的な姿勢に対する
批判なんですね。だから『カコー』なんかも槍玉に上がる訳か。
「映画とは違うものを見せようとしている」というのは、きっと映画の”装い”ではなく主題や主義主張が装いを
破って浮揚される事への反発と捉えてよいんでしょう。
…は、つまりそれが著作のタイトルの「表層主義」(?)と言う事なんでしょうか。

それはともかく、44さんが要約して下さったように、ベルイマン批判の大まかな傾向はわかったような気がする。
ベルイマン(テーマ至上主義)vsヌーベルバーグ(何て言えばいいんだろ?)と問題を単純化するわけじゃないけど、
なんかそういう感じなのかな。
何か大きなテーマだなあ、これって。

もうちょっと考えてみます。
46蓮實重彦:01/09/03 21:10 ID:RwWwT6U2
がんばれ!
47名無シネマさん:01/09/03 21:27 ID:XyvQ6X/g

漏れの貧弱な頭脳では難しい・・・。
つまり文学の映像化からの脱却を目指した人たちに嫌われたってこと?
48名無シネマさん:01/09/03 22:16 ID:HH7pBKS.
あっ、ブレッソンやドライヤーがあえてドラマティックな
演出をせずに神の意図を描いたその形式の裏に
何かを感じるのと同様、
ベルイマンの場合は舞台っぽい演出や看板の様に
掲げている思想の裏にそれ以上の何かを感じます。
ベルイマンはわざとその裏に隠している様な気もします。

人間は演技をしてしまう、仮面を被ってしまうと言うのは
彼のお得意テーマですから、映画も何重も仮面を
被っているはずで、私は大事な部分はその下の下に
深刻な表情をして隠されているのだと思います。

演技をしてしまう人間を俳優が演じている、
と言うのはベルイマン特有の皮肉ではないでしょうか。
私はそこにもリアリティを感じます。

でも確かにその仮面に引っかかってベルイマンを
嫌いになってしまう人がいるのも分かります。かなり
したたかですから。ですがそのしたたかさあってこそ
なんですよたぶん。
49名無シネマさん:01/09/04 00:13 ID:7wVGQLDU
上の読み直したらまるで俺は分かる奴だって言ってるみたい、、、。
ごめんなさい反省します。
50:01/09/04 12:35 ID:544N/9Yo
フー。
漏れ相当頭悪いのでここでちょっと整理させてもらいます。
簡単に言えば、今ここで明らかになりつつある問題は、「何を描くかではなく、どう描くかだ」
というテーゼに集約される気がします。
なんかこれって文学も美術も皆が揃って陥っている袋小路のような気もしなくもないけど。
で、漏れの個人的な考えなんかここでは全くどうでもいいことだが、敢えて自分の浅い映画体験の中から
確かなことを言わせていただければ、漏れはやはり一個の作品の中から作者の主義主張を読み取ることに、
映画を見るという行為の意義や快楽を感じていると言う気がする。
勿論コレは極端な言い方で、ゴダールにはゴダールなりの主題や思惟があると思うし、
それは歴然と作品に反映されていると思うが、作品が主題に隷属する、という事は彼の場合ありえないんじゃないかな。
逆説的に言えば主題そのものが”映画”という創作行為のための方便である、というような。

ところが、限りない映像美を誇るタルコフスキーは言わずもがな、「せせこましい」「舞台中継」
と非難される(涙)ベルイマンにあっても、やはり主題を語る方法論に、怖いくらいの愉楽があると漏れは思うわけです。
その画面に映し出されるシャープで異国風で不条理な、どこか異常な感覚が漏れの興奮と謎を呼び、
謎を解読していく過程で初めて彼の主題が見えてくる、というべきか。
人間関係の断絶や人間が持つ残酷性を、目を逸らさず真っ直ぐに見詰めた視線、”神の視線”とでも称せそうな、
冷たく純化された眼差しが彼の映画の特徴であり、また個人的に惹かれる部分。
だから、漏れ個人においては、決して主題ありきでその魅力に溺れていく訳ではない。
そもそもはその”視線”であり、視線を表現する映画技術(方法論)も当然魅力になる。
そういった視線を生み出した作品主題の魅力への到達はずっと後。
やや話は走るけど、そうなると、ベルイマン映画の主題は本当に鑑賞者に積極的に読まれているのか?
という問いが出てくる。
例えばキリスト教圏の人間や、或いはハスミ氏のような純然たるインテリならば、彼の描く主題は、
まさに「予定調和的に」分かり易すぎると言えるのだろうか?
「どう描くか」を先行させる人の意見の根底にあるのは、
要は「文学が扱ってきた主題や手垢のついた形而上的な主題は映画にはいらん」ということだと思う。
しかし、「崩壊や失墜を意識の問題として主題化し、墜落や救済といった退屈な物語を生真面目に語りかねない」
という言葉はベルイマン映画の一側面を捉えて鋭いが、漏れや彼のファンにとっては全く退屈ではない。
鑑賞者の感性如何、なんて決着は面白くないのでもう少し突っ込んで考えてみたい。
果たしてベルイマン映画の主題は誰にも分かりやすく、また退屈なものであるか否か。

…だってさ、少なくとも漏れには当初、全然分からなかったんだもん。
「分かり易すぎる」というのは悔しいよ。(ボソッ

>>48
その意見は凄く興味深いけど、もう少し詳細に解説してくれるとありがたいです。
51名無シネマさん:01/09/04 12:37 ID:kQRSJu3Y
家にあった古い雑誌からの引用

「ヒッチコックの映画には主題がない」というのが当時の知識人達のヒッチコックに
対する批判だった。「彼は定見なき形式主義者にすぎない」というのだ。
そうした「主題」と「形式」の二元論を飛び越えて「演出」の王者として
彼を評価したのがカイエ・デュ・シネマの評論家達だった。

のだそうです。
難しいことはわからんが私は「冬の光」や「野いちご」は好きだけど
「第七の封印」や「処女の泉」は好きでないです。
52名無シネマさん:01/09/04 12:47 ID:kQRSJu3Y
>>50
主題は当然必要ですよね。
ゴダールだって左翼映画作ってたんだもん。
だとしたら問題は何なんだろう?
私の脳みその許容範囲を超えてます・・・・
53:01/09/04 13:25 ID:Uq6szbMo
>>51,>>52
いや、分かりにくいのは多分漏れの書き方の悪さと問題提起の仕方が
悪いだけだと思われ…。
我ながら問題を単純化しすぎてる気もするし、或いは「何をどう描くかの比率の問題だね」で
終わっちゃうことかもしれませんが。
ヒッチコックの映画は確かにめちゃめちゃ面白いけど、
ベルイマンの映画にヒッチコックみたいな愉楽は最初っから求めないしなあ。
その逆もまた然り。
テーマ主義への批判は、ここに取り上げられた幾つかのハスミ氏の文章から察するに、
当時の旧態依然とした文化状況への反動という側面も大きかった気もする。
ただもう、先人達の懐疑や否定すらも、今は懐疑し否定する時期に来てる気がするんだけどもね。
54名無シネマさん:01/09/04 22:54 ID:AsF1ydYQ
日曜日にドピュッ♪
55名無シネマさん:01/09/05 11:36 ID:eA23ClEc
テーマそのものは蓮實氏も否定はしてないと思われ。
アンゲロプロスのような政治的な映画を絶賛してる人だから。
56名無シネマさん:01/09/05 14:43 ID:lZ4G1UEQ
ここ読んでたらベルイマン久し振りに見たくなてきたよ。
57名無シネマさん:01/09/05 14:52 ID:4Q8ADIjw
ベルイマンを全面否定してるような人はいないんじゃないかねえ。
蓮實もある程度認めてるからこそ激しく否定するわけでね。
しかしベルイマンの映画はこれが最高の作品だ、といえるほどの
作品はないような気がするな。
質の高い作品を量産してるけど「バルタザールどこへ行く」や
「裁かるるジャンヌ」ほどの図抜けた作品はない気がする。
58明日氏脳:01/09/05 14:55 ID:rqtw9pRk
神秘主義?ブレッソンが?どういうことよ?
59名無シネマさん:01/09/05 15:11 ID:qCEkf8go
宗教的だからじゃないの?
60:01/09/05 15:57 ID:wKSesYSw
>>55
たとえば「鏡の中にある如く」「冬の光」「第七の封印」なんかは主題の観念性が前面
に押し出されている気はするけど、彼にはそうでない作品も数多いはず。
やはり主題が方法を越えて先行される比率や、そこに描かれる思想自体に抵抗があるということなのかな。
まあ、よく考えればハスミ氏の文章を探して読めばいいんだよな〜。
「予定調和的」「退屈な物語」等といった彼の映画への批評は、漏れには思いもよらなかったので、
気になって仕方が無かったわけで。
神秘主義スレなのに漏れ一人でベルイマン語りやってもしょうがないんで、もう余り吹っかけません。
ただ、主題と方法論を巡る問題はこれからの映画そのもののあり方を探る上で面白いと思う
(あれ?漏れだけ?)。
個人的に、現代の映画に足りないのは主題の直截的な訴求力だと思うので。

>>57
「激しく否定」…ああ、また気になってきた…。
あと、「最高の作品」というくくりは投票でもせねば難しいのではないかと。
人によっては「抵抗」や「ラルジャン」が最高だとも言うし…。
漏れは今のところ「ラルジャン」が一番好き。この作品は主題よりも、映画技術そのものに惹かれるなあ。

>>58
恐らくブレッソンは、神の存在を観念的、或いはそれ以上に認めているんじゃないかな。
根拠は作品からそう感じるという以外、何も無いけど。
そうした人が作る作品はどこか神秘主義的な気配を漂わせている気はする。

タルコフスキー基地外はいないのかな?
61名無シネマさん :01/09/05 16:14 ID:xADKVgxk
「徹底して非暴力を唱えるダライ・ラマの思想の背後には、名も無き者たちの
 苦しみと悲痛な叫びに満ちた血塗れの世界が広がっている・・」
『クンドゥン』age
62名無シネマさん:01/09/05 16:16 ID:rqtw9pRk
タルコフスキー、あの首都高のシーンに何を感じろと?
63名無シネマさん:01/09/05 16:23 ID:Z4qKEzgM
んー、ブレッソンは一作一作の衝撃力が相当に強いと思う。
それは「バルタザール」でも「田舎司祭の日記」でも「ラルジャン」でも同じで。
タルコもそうだけどあんな作品を大量生産出来たら普通の人間じゃない。
ベルイマンは一作一作が模索の連続って感じがするなあ。
64名無シネマさん:01/09/05 16:25 ID:F6OQEtFE
>>60
蓮實氏は初期のブレッソン作品は高く評価しているそうです
65名無シネマさん:01/09/05 16:25 ID:F6OQEtFE
ブレッソンじゃなかった。
ベルイマンだった。
蓮實はブレッソン信者だもんな。
66:01/09/05 17:03 ID:MYaMS836
>>62
個人的に、「ノスタルジア」の解釈について色々な人からご意見拝聴したいのです。

>>63
タルコフスキーもそうだけど、ブレッソンは映画に物語としてのリアリティを求めてない、
という気がする。
ブレッソンのリアリティはむしろ、その寓話的な装いの中で象徴的に見せる、
堕落した世界の縮図に求められるような。
『バルタザール〜』で、粉屋が餌をケチってロバから籠をぱっと引き離す場面があるけど、
あんなの一々撮らないと思うよ、普通は(笑)。映画館で見たとき客席から笑いが起きたけど、
むべなるかな、漏れもやっぱ藁っゃったもの。ギャグかと思って。
でもブレッソンはあの粉屋の行為に人間のエゴや残酷性を見るんだろうし、
そのエゴが結果的に無垢なる者を殺してしまう。
ブレッソンの映画は笑った後にふと笑ってしまった自分の内面に向き合わざるを得ないような、
いわば原罪意識を刺激するような、怖いところがあると思う。
ベルイマンはもっとテーマが卑近のような…(笑)。問題の抉り方が半端じゃないけど。
因みに『田舎司祭の日記』が、話として漏れにはよく分からなかった。
解説キボンヌ。

>>65
初期!?初期かあ…。
漏れは数本しか初期の作品は見てないので何とも言えないな〜。
ちなみにどれが高い評価を得ているんでしょう。

『クンドゥン』に何の役でもいいから出演させろ、と監督に迫ったジョー・ペシ爆笑age
67名無シネマさん:01/09/05 17:40 ID:PXrCPxj2
3氏の文章を読むとなぜか無性に映画が見たくなってくるよ。
ブニュエルは語らないのかい?>>66
68名無シネマさん:01/09/05 19:49 ID:Dfh0GvR2
次から次へと作品を評する言葉が出てくる3氏の言語能力が漏れには羨ましい
このスレの内容は滅茶苦茶興味あるのに何を書けばいいかわからん・・・
69名無シネマさん:01/09/05 22:48 ID:MQuwv25g
神秘主義としたのは、その監督の作法、意図等を越えて、
神秘的な何かを感じさせる映画、と言う意味も含みました。

しかしブレッソンは、、、その様な効果もあらかじめ知っている
のでしょう、、恐ろしい。

(ちなみにタルコフスキーはブレッソンをそのテーマがまず
根本的だと評していました。それは彼の信仰は厚く、彼の厳格な
形式から見ても分かるように、非常に確信していたと言う事なので
しょうね。そして形式とテーマが等価になっていると言う芸術史
から見ても奇跡的な事が起こっているのでしょう、、、。)
70名無シネマさん:01/09/05 22:51 ID:BWCEraQ2
そう、ブレッソンの凄いところはそこだ。
>形式とテーマが等価になってる
いいこと言いますねあなた。
71名無シネマさん:01/09/06 03:28 ID:3/xJxeoo
尼僧ヨアンナ
72ZEROES:01/09/06 12:47 ID:mO1rkTAs
蓮實重彦氏の『ノスタルジア』論は、武満徹氏との対論集「シネマの快楽」(河出文庫)で読めますが、大絶賛ですね。
一方『サクリファイス』には点が辛い。「映画に眼が眩んで」の追悼文でも、ほとんど全否定と取れる発言。
淀川氏との対談でも、『2001年』のキューブリックと比べて、映画に対して誠実じゃない、と発言してます。

一方、タルコフスキー自身、詩人としては『ノスタルジア』の方が完成度が高いが、
テーマは『サクリファイス』の方が、より深く表現できた(ニュアンス違ったかも)と語っている。
それと、『2001年』については、批判的ですね。
完成された世界だけど空虚だ、と『惑星ソラリス』制作時に語っています。
もっとも、超越体を直接描かず、人物の内面の反映として描く方法論は、共通していますが。





73名無シネマさん:01/09/06 13:16 ID:Bpz7uNbg
空虚だという批判はよくわかる。
2001年は人物の内面の反映として超越対を描いてるかな?
74:01/09/06 15:04 ID:WbgYPj8A
>>67
>ブニュエルは語らないのかい?
正直、漏れはあまりいい鑑賞者じゃないと思う。
『ビリディアナ』でのけぞり、『エル』で腹を抱え、『昼顔』でハァハァ…。
しかし『昇天峠』『アンダルシアの犬』『小間使いの日記』etc...で、キョトン。
ブニュエルはある種の人にいわせると天才だ!ということだが漏れにはやはり解説が必要。
語っちゃって下さい!!

>>68
いえいえとんでもないです…。見てのとおり厨房です…。何でもいいから書いてくだされ。
なんか前より倉庫に行きやすくなってるし…。

>>69
やはり確かな信仰があることから来る力強さになるのか…。
ただ、彼の”信仰心”はもっともっと解読してみる必要があるような気もする。
『バルタザール』のDVDにあったけど、彼はこの作品を聖書のようなタッチで撮るべきだ、
と考えていたらしい。
しかしこの人の映画には、単に厳格なるカトリックである以上の、何か不条理なものがある気がするんだけどなあ。
タルコフスキーの信仰と、ベルイマンの懐疑、さらにはブニュエルの嘲笑、
と、ここに挙げられた作家達は、どうしても広義にキリスト教とのかかわりが外せませんね。

>>72
ハスミ氏、ノスタルジアは評価していたのか…。なんかほっとした。
しかし「『ノスタルジア』の方が完成度が高いが、テーマは『サクリファイス』の方が、より深く表現できた」
というタルコフスキーの発言から察するとやはり観念性が優位に立つ事への抵抗があるのかな。
ちょっと立ち読みしてみます。
ところで『ノスタルジア』に途中出てくる、「なぜ彼を救ってあげないの」「何度も手を差し伸べているのに彼が気づかないのだ」
という会話は、やはり”主”と天使の会話と理解して宜しいんでしょうか。
彼の元に落ちてくる羽がそれを象徴しているような気がするんだが。
75名無シネマさん:01/09/06 19:22 ID:pGgZmkQs
ブレッソンに不条理なものがあるとしたらそれは
作者の意図を超えたところにあるんじゃないかなあ?
76名無シネマさん:01/09/06 19:27 ID:pGgZmkQs
ところで四方田犬彦はベルイマンについてどんな評価をしてるの?
個人的に日本の映画評論家で思い浮かぶのは淀川長治、佐藤忠男、
蓮實重彦、四方田犬彦なんだけど。
淀川はそれなりに評価、佐藤は最高の評価、蓮實は否定的だよね?
確か蓮實は「夏の遊び」や「シークレットオブウーマン」は評価してたと思うけど。
7756:01/09/06 20:10 ID:3aHIOLiE
最寄のレンタル店にベルイマン作品が一本もないことを発見した!
鬱氏。。。
78名無シネマさん:01/09/06 20:17
しかしベルイマン見たら見たで鬱死する可能性も高いと思われ…。
7967:01/09/06 21:29
ブニュエルで神秘主義的っていうと「砂漠のシメオン」って中編映画がありました。
その昔アートシアター新宿で何回か見たっきりなんで詳しいことは憶えてませんが。
シメオンという聖者が砂漠で修行してるところに悪魔がやってきて誘惑するんです。
笑える映画なんだけど、見終わったあとには背徳的な気分が襲ってくるんですよね。
ブニュエルの映画って背後に魔術的な怖さを秘めてるような気がしますけれどもね。
本人は無神論者か不可知論者だったんでしょうか、どなたかご存知じゃないですか。
80 :01/09/06 23:27
>>79
「砂漠のシモン」ですよね。最後はニューヨークのディスコでシモンが
マリファナかなんか吸ってるとこで終わるんですよね(しかも突然
ニューヨークのシーンになる)。ブニュエルらしい人をくった話で面白い
と思います。よくは知りませんがブニュエルは無神論者なんじゃないです
か?じゃなきゃああした一連の映画は撮れないと思いますが、御存じの
方がいたら教えてください。
81:01/09/07 02:18
>>75
自分で引用しておいてなんだが、成る程と思ったのが、聖書って全く無駄の無い、俗に言う”感傷を排した”、
殆ど事実の列挙ばかりを連ねている、異常に密度の濃い筆致なんだよ。いや、さっき読んでて漸く気づいたんだが(藁
で、ブレッソンがそれを目指した、というのを言葉どおり受けとめるとするならば、
その意気込みがあの作品の神話的空気を構築している気がする。
漏れが彼の映画で不条理に感ずる何か不穏な気配、それも聖書タッチに認められるといえば認められる。
クリスチャンは彼の映画をどう見てるんだろう。いないかな?

>>79
「シメオン」、近所のビデオ屋逝ってきたけど、無かった…。
でもビリディアナ見た限りじゃ、ブニュエルは明らかに打倒!教会!って感じですな。
十字架から飛び出すナイフ!乞食達による最後の晩餐!!
これもクリスチャンに感想を聞いてみたいぞ。

ついでにハスミ氏の本「映画狂人語る」とかいうのちょびっと立ち読みしてきた。対談だけど。
漏れが見たところではベルイマンへの直截的な言及はなかったけど、やっぱ頭いいなあ…この人。凄いなあ、と鬱。
この人の頭脳明晰で積極的に打って出る批評態度は、漏れなんかには強烈過ぎるから、
嵌ったら嵌ったで彼の批評性に依拠、或いはそれを基盤とした映画鑑賞しか出来なくなりそうだ。
熱狂的な信者もいれば毛嫌いする映画ファンがいるのも分かる気がする。
でもいいものはいいからなあ…。
82名無シネマさん:01/09/07 08:56
>>81
抑制の問題っていうのは過去レスでもどこかであった気がする。
よく小津とドライヤーとブレッソンを並べるときに言われるよね。
でも小津はどうしてもドライヤーやブレッソンとは異質に感じるなあ。
83名無シネマさん:01/09/07 11:48
>>81
>聖書って全く無駄の無い、俗に言う”感傷を排した”、殆ど事実の列挙ばかりを連ねている
とてもそうは思えません。
聖書のどの部分を読まれたのでしょうか?
84:01/09/07 13:28
>>82
画面構成や編集もさることながら、小津=野田コンビのシナリオって、
”抑制”或いは”節度”を主眼に置いて書かれていると思う。登場人物達は、作品の主題に直接言及することを極力避けている。
「愛してる」という言葉を書かずに愛情を表現したり、「寂しい」と言わずに寂寥を表現したり…。
「麦秋」の空に飛んでいく風船や、「晩春」の林檎の皮を剥きながらお父ちゃんが肩を震わせて嗚咽する場面なんて、
そうした繊細な配慮の積み重ねがあるからこそ、やっとその効果を現わすんだろうね。相当に緻密な計算だと思う。
ブレッソンはそれ以上に「言葉」なんてものに重きを置いていないような気がするなあ。
映像で語れる事は極力映像で語るぞ、というか。
ドライヤーは未見ゆえともかく、ブレッソンと小津の異質さは、人間への眼差しや主題の相違というのもあると思うけど、
時々この人は、上記のような手法で主題を伝える事を選択したことへの不満や苦しみ、
というのが感じられるような…。本当はもっと快活にカメラを動かしたいんじゃねえかとか、余計なことを考えてしまう。漏れだけかな?
いや小津に具体例は別にないんだけど、例えば『ラルジャン』のクライマックス、地獄の業火みたいな真っ赤な照明の下で、
大殺戮が行なわれるシークエンス。
カットが一枚ずつ進むたびに、映画に気が狂いそうなのめりこみ方をしてしまう。
ブレッソンが全生涯かけてああした手法を使ってきたのは、ひとえにこのシークエンスのためだったんじゃないか、
というくらい恐ろしい。走り回る犬の足音や動き、青年の足なんかが的確に捉えられて、
その的確さも恐怖というか感動というか主題の切実さをいや増しにするわけです。
小津はその意味、どのシークエンスも完璧な調律が前面に出すぎている気がしなくもない。
これは批判じゃなくて、彼の映画はそういう映画だ、という意味で。

>>83
恐らく”事実”という言葉に引っ掛かったんだと思う。申し訳ないです。
後でちょっと引用します。
85:01/09/07 13:48
えー、イエスが神殿の中で神を侮辱したとしてひっ捕まり、十字架につけるために引き渡された後の場面です。

それから、総督の兵士達はイエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集めた。
そして、イエスの着ている物を剥ぎ取り、赤い外套を着せ、茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、
その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱した。また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭を
叩きつづけた。このようにイエスを侮辱した挙句、外套を脱がせて元の服を着せ、十字架につけるために引いていった。
「マタイによる福音書27−27(日本聖書教会発行の新共同訳より)」

この後に待っているのが、有名なゴルゴダの丘でのイエスの死です。
「事実」という言い方が不味かった、と思うのは、事実ではなく、行動、言動、といった
行為だけを描いていて、心理状態を殆ど描かないという意味です。例えばシナリオのト書きのように。
ま、この場面なんか特にそうなんだけど。
つまり、この場面で見るとイエスは非常に痛ましい。痛ましいが、「痛いよう、辛いよう」なんて
簡単に人の感情に訴えかけるような文章、台詞はない。宗教にあらねばならない”品位”を、
聖書作者が意図したのかもしれないし、それは漏れにはよく分からないのだけれども。
で、感傷を感じるのは読者であって、聖書に感傷は書かれない(いや、この後に続くペトロのくだりなんかは別だが)。
上記のくだりを引用したのは、『バルタザール』作品自体にじかに共通する場面だと感じたからです。
漏れは生来聖書に縁はなかったので、初めブレッソンの映画に見られるイジメの感覚、これが凡そ不可解なものと
感じられた。
聖書を初めて読んだときも、あまりに文章がシンプルなんで感動もへったくれもなく、ただただ退屈だった。
けど再読してみると、主題や手法、その他色々な意味でブレッソンに通ずる部分があるな、と。
そういうことを言いたかった訳です。だからクリスチャンの意見を聞きたいんだけどなあ。
8683:01/09/07 14:32
>>85
わかりました。
たんに「聖書」と書かれていたので、訝しく思ったのです。
字句通りに読んでも、聖書のなかには多くの感情表現がありますから。
詩篇や雅歌などは最たるものですし、福音書中にも数多く感情表現はあると思います。

>簡単に人の感情に訴えかけるような文章、台詞はない。宗教にあらねばならない”品位”を、 聖書作者が意図したのかもしれないし
神秘主義の文脈では、聖書は象徴言語によって書かれているとされています。
つまり、字句通りに読めば単なる事実の羅列とみなされるものに、かけはなれた内的な意味がある、という見方です。
そのような象徴言語は、通常の感情とは異なるより高次の感情によってのみ理解される、といわれています。

福音書に関心があるのでしたら、Dr. Maurice Nicoll の「The New Man」をお勧めします。
ユング・ウスペンスキー・グルジェフの弟子であった著者が、福音書中のいくつかの主題について神秘主義的に解説している興味ふかい本です。
87:01/09/07 16:56
>>86
いや、すいません、すいません。些か短絡的に過ぎる意見でしたね。
勿論聖書、この場合は新約聖書ですが、感情表現も沢山あるし、聖性を感じさせる場面や
胸が詰まるような場面も多いです。
ただ、それを描く文章そのものは、近代小説のように克明な心理描写やいかにも感傷的に狙って書いた、
という気配はないでしょう?だから当初漏れは退屈や平坦さを感じてしまったわけで。

それにしても文章を拝読した限りでは、83氏はキリスト教にお詳しい方とお見受けします。
聖書の文体をせいぜい「品位が欲しいのね」程度にしか受けとめられない漏れですが、
その神秘主義の文脈による「象徴言語」という話は非常に興味深い。
「The New Man」というのは翻訳されていないんですよね?厨房である漏れは英語力が皆無でして…。
で、83氏がもしこのスレに出てくる神秘主義的な作家達の作品をご覧になったならば、
是非ともその感想をお伺いしたい。
彼らの作品は、宗教とのかかわりがどうしても外せないような気がしつつも、漏れのような無知且つ無宗教の人間には、
中途半端にしか理解できていないんじゃないか、という想いが絶えずあるわけです。
更にややスレ違いでお伺いするならば、スコセッシの『最後の誘惑』、特にあのユダ観はどう解釈されているんだろう。
…と、まあ興味は尽きず(笑)。
よろしくお願いします。
8883:01/09/07 18:54
>>87
話題としては板違いのようですみません。
実のところ日頃私はあまり映画を観ないもので、今日このスレを読んでなかなか興味深い映画もあるのだなと感心していた次第です。
これからいくらかでも観てみようと思っている素人です。聖書や宗教についてもさほど詳しくはありません。

スコセッシの『最後の誘惑』は、観たおぼえはあるのですが、音楽にクツィ・エルグネル(メヴレヴィ教団の笛奏者)のネイが使われていたな、ぐらいしか覚えてないんです。すいません。
うろ覚えですが、イエスが高次の運命に翻弄される人間として描かれていたんでしたっけ?
イエスが使命を放棄したといってユダが責めたてていたような気がしますが...
記憶に薄いのでこれといった感想もないていたらくです。

ユダの変わった解釈が前述の「The New Man」の最後の章にあります。邦訳はされていませんが150ページほどの薄い本で平易な文章なので読みにくいことはないと思います。
そこでは、ユダは単なる裏切り者ではなく、ゼカリヤやエレミヤなどが預言していた脚本の中の重要で難しい役を演じるためにイエスから選ばれ、力を与えられた弟子という解釈がされています。

私にはニコル博士の解釈が正当なものかどうか分かりませんが、ヨハネ福音書の最後の晩餐の描写のユダは、激しく感情に訴えるものがあるように感じます。
特に最後の部分から。
「彼はその浸した食物を受け取ってしまうと、直ちに出て行った。『それは夜だった』」
89:01/09/07 20:23
>>88
>実のところ日頃私はあまり映画を観ないもので
では是非ともここで語られる映画をご覧になってください。ブレッソン、タルコフスキーの映画は特にお勧めです。
出来ればベルイマンも…(ボソッ

『最後の誘惑』では、83氏が挙げられた「The New Man」で解釈されているであろうように、いや、もっとあからさまに
ユダはイエスに裏切りを依頼される存在として描かれています。
と言う訳で、イエスとユダのによる、ニューシネマの友情物語じみた雰囲気さえある解釈の映画になっています(笑)。
でも逆説的に考えると、ユダがゲッセマネで彼を裏切ったからこそ、イエスは漸く十字架に架けられる訳ですよね。
イエスは”成就”のためには裏切りが不可欠であると知っているために、親友ユダに裏切りを依頼するんです。
ユダは親友の使命を全うさせるために泣く泣く裏切りを受ける、と。
今では裏切り者の代名詞みたいなユダですが、汝の敵を愛せよ、の発想に準じた解釈として、
漏れにはあれは非常に好ましく映りました。
こういう発想は固いクリスチャンの人ってあまりないような気がしていたんです。それこそ盲信ではないのかと。

しかし、「夜であった」、そういわれて今読み直したんですが、強烈ですね。恐ろしく象徴的です。
つか、全然聖書が読めてない自分に鬱…。これからも色々ご教授お願い致します。
903:01/09/07 20:36
ついでに。
もうひとつあの映画で強烈だったのは、設定上、生き長らえ、老いさらばえたイエスと宣教師パウロが邂逅し、
パウロに「俺の中のイエスはもっと偉大だ!」と叱られる場面。
パウロは民衆が求めるイエス像を捏造したと堂々と言明するわけです。
イエスとキリスト”教”の解離を叩き付けるように描いていて何か痛快でした。
スレ違いスマソ。
91名無シネマさん:01/09/08 00:14
ageとくか。週末だし。
92名無シネマさん:01/09/08 00:20
>>89
聖書には読み方がある。何でもかんでも、自分勝手に解釈して
いいというものじゃない。とかなんとかいいつつ、聖書の異端
的解釈によって書かれたヘッセの「デミアン」は私の愛読書だけ
どね。
93名無シネマさん:01/09/08 00:44
ブニュエルの「銀河」はどうですか?ってぜんぜん神秘主義じゃないけど。
キリスト教パロディっていうより、奇妙なシークエンスを繋いでいく
ところから現れてくる浮遊感がすごい好きなんだけど。
94名無シネマさん:01/09/08 09:04 ID:kiuGhsjg
パゾリーニは?
95名無シネマさん:01/09/08 10:05 ID:Byh2Ru42
パラジャーノフの名前が出てこないのは何故?
1が挙げた監督の話題ばかりじゃん。
96名無シネマさん:01/09/08 11:28 ID:13CYoJS6
何だ?
このスレの中心人物の間では溝口の評価は滅茶苦茶低いのか?
「西鶴一代女」観た?
97名無シネマさん:01/09/08 11:46 ID:ntOXtInI
パラジャーノフはどちらかというと宗派に関係なく
民族的な伝統とか土着的な要素をうまく表現してるんじゃないかと思う。
でも彼自身は西欧文化に基本的な影響を受けてる。
寺山の『田園に死す』みたいなスタンスかな。
98名無シネマさん:01/09/08 12:17 ID:wWe7V0Pc
でもパラの映画は神秘的だよ実際。
祝祭的な要素が強いし神秘主義に入れてもいいのでは?
99名無シネマさん:01/09/08 15:29 ID:0K.agbYY
アンゲロプロスは神秘主義に入るんですか?
100あっ!:01/09/08 15:31 ID:0K.agbYY
100ゲット!
ごめんね、3さん。キリ番いただきました。
101名無シネマさん:01/09/08 15:34 ID:W68s3NV2
ヴィクトル・エリセは?
どうも神秘主義的映画っていう概念がわからない・・・
102名無シネマさん:01/09/08 16:01 ID:7ZLplaLk
アンゲロプロスは違うだろ
103名無シネマさん:01/09/08 16:03 ID:jZgN9efM
ベルリン・天使の歌とか、薔薇の名前とかはあかんのかい!
104名無シネマさん:01/09/08 16:16 ID:7ZLplaLk
あれも違う。
ベルリンはただのファンタジーだろ。
105名無シネマさん:01/09/08 16:18 ID:ZKG2yZbU
神秘主義的映画=オカルト映画
106名無シネマさん:01/09/08 17:07 ID:OvlE2AwY
しかしシェストレムとかクリステンセンも神秘主義って言われるんだろう?
107名無シネマさん:01/09/08 20:53 ID:V6MkHxBk
>>96
少なくとも1はそうです。楊貴妃テレビで見て寝たクチです。
溝口の神秘性とリアリティーを作品別に情熱的に語って下さい。
108名無シネマさん:01/09/08 20:58 ID:V6MkHxBk
>>101
前も言った様に、
神秘主義としたのは、その監督の作法、意図等を越えて、
神秘的な何かを感じさせる映画、と言う意味も含みました。

別に宗教が絡んでなくてはならないと言う訳ではないです。

しかし天才と言われる人が作る映画は、何かしら作者の
意図を越えた表現がなされる場合が多いですね。

私はそういう監督は、殆どベルイマンとブレッソンと
タルコフスキーしか知らないので、誰か私を口説いて下さい。
109名無シネマさん:01/09/08 21:20 ID:V6MkHxBk
しかし皆さん積極的にこのスレの方向性を模索して
られる。スレの住人の一人としてとてもありがたいです。
(ほぼロム状態に近い1)

私もキリスト教関係者や他の宗教関係者が
ブレッソンやタルコフスキー、ベルイマンの映画を見て
どう思うかは是非是非知りたいです。

宗教板の方で聞いてみたり、このスレを紹介しようかな
と思い覗いてみましたが、
なんか雰囲気が想像していたのと違うので止めました、、。怖い、、。

確かにブレッソンは一見不条理に見えたり、確かに私も
つっこみたくなる部分があるのですが、そう見えるのは
私の信仰心が薄いからかも知れません。

かといってブレッソンの映画は彼の宗派であるロシア正教
(ですよね)の信念に忠実なだけなんでしょうかねえ。
もしあるとしたら宗派を越えた信念の様な物を感じるのですが。

それはブレッソン特有の事物を注視する様な信念だったり、
タルコフスキーは自然に溶け込むような信念であったり、
ベルイマンは人の心の奥底を見つめるような信念であったり。

そういう信念が果たしてキリスト教の信念として相容れられる
物であるのか。言ってみればそれは神を信じている行為に
なり得るのだろうかと言う疑問が起こります。そこらへん
関係者に聞きたい。

タルコフスキーは確か宗教と芸術は平行線をたどっていると
言いましたが。
110名無シネマさん:01/09/08 21:26 ID:cbAzGhH2
ピーター・ブルックはどう?
111名無シネマさん:01/09/08 21:43 ID:.8anZZFA
もともと宗教によって救われてるっつーか自足してる人は映画で何かを表現しようとはしないと思う。
ハミダシてくるものがあるから表現の欲求が昂じるんじゃないかな?
特に映画なんて集団作業だしムチャクチャ金かかるしスゴイ労力を要するんだから
なんか根本的な疑問とか欲求不満から始まるモンだという気がする。
神秘主義っていうのも当然キリスト教がらみだし定義しにくい言葉だけど
要は理屈で解決できないっていう宗教の持つジレンマを調和するためのような概念じゃないかな?
だからたぶん作り手が「神秘主義」を目指して作った作品ってのは存在しないと思う。
このスレを否定するんじゃなくて、「神秘主義」と捉えるかどうかはすべて受け手の問題意識による、ってこと。
112名無シネマさん:01/09/08 22:15 ID:V6MkHxBk
>>111
なるほど。では聖書を書いた人は満たされてなかった
のかな?
113名無シネマさん:01/09/08 22:24 ID:A7ePW5.g
>>111
ピーター・ブルックは当てはまらないじゃん
114111:01/09/08 23:03 ID:/lj6QEM6
>>112
っつーか、啓蒙しようという動機があったんだろうね。
映画で啓蒙しようとすると完全に説得力失うと思うよ。
115:01/09/08 23:07 ID:LZtLb8is
広辞苑からの抜粋。

【神秘】=人知では計り知られない霊妙な秘密。普通の理論・認識の外に超越した事柄。

【神秘主義】=神・絶対者などの最高の実在を、独自の直接的内面的な経験・直視によって
 捉えることが出来るという哲学・宗教上の立場。
 東洋ではインドのヨーガ、中国の道教、イスラムのスーフィズム、禅、西洋ではプロティノス
 に始まり、新プラトン学派やエックハルト・ベーメらのドイツ神秘主義が代表的。

【エックハルト】=ドイツの哲学者。ドミニコ会に属する神秘主義学者。
 神は肯定的述語で言い表しえないとする否定神学を介して、存在を超える無と神とを同一視した。

だそうです。
116名無シネマさん:01/09/08 23:10 ID:PYVR4xog


  赤い薔薇ソースの伝説

 

   
117名無シネマさん:01/09/08 23:14 ID:V6MkHxBk
>>115
そしたら神秘主義的じゃなくて神秘的の方が
良かったのかな、、、、、、、。
118名無シネマさん:01/09/08 23:22 ID:V6MkHxBk
>>114
色々雑念が入るからという意味かな???

疑念を解決したい欲求からか、啓蒙の欲求からか、、。
しかし他はないのかな、、。ジャンヌダルクは何故
戦ったのかという点に思いが募ります。
119名無シネマさん:01/09/08 23:27 ID:V6MkHxBk
>だからたぶん作り手が「神秘主義」を目指して作った作品ってのは存在しないと思う。
私もこれは賛成です。作者の作法や意図を越えたところに映画の神秘があると思います。
120111:01/09/08 23:36 ID:05PF9dYc
いや、映画っていうメディアは大衆性とか娯楽性、アート的表現には適するけど
観念の啓蒙っつーか布教みたいなことには向かないんじゃないか?ってこと。
映画で洗脳される人の数は限られるだろうし、こういう観念を知ってくれっていう
動機でドライヤーにしろブレッソンにしろベルイマンにしろ撮ってないよね?
最終的な救いを宗教的なところに置こうとして置けなかった苦悩みたいなものを
撮ってるんだと思うんだけど、オレは。
121:01/09/08 23:54 ID:AchNoupc
>>96
いや、申し訳ない。溝口は『西鶴一代女』『近松物語』くらいしか見てないのれす。
双方とも当時(10年位前)、非常に感銘を受けた記憶があるけど、日本的メンタリティ、
というよりその流麗なカメラとか美しさに目を奪われていたような記憶しかないんですわ。
つい漏れは1氏が冒頭に挙げた監督の話に偏ってるけど、それは単に漏れ個人の趣味の限界なので、
他の監督もビシバシ語ってください。

>>108
仰る事に一々同意です。

>>109
>確かにブレッソンは一見不条理に見えたり、確かに私もつっこみたくなる部分があるのですが
参考までにお伺いしたいのですが、どの辺でしょう?
漏れはやはり俗界の人間どもへの断罪の手厳しさ、その一点ですが。
ちなみに、ブレッソンはカトリックでは?漏れは自分で調べたことはないけど。

>>111
難しい問題ですね。『ミッション』や『クオ・ヴァディス』を見た時は、漏れは一瞬本気で
クリスチャンになろうかと思ったよ、情に流されやすいから。
ベルイマンやブレッソンの映画では絶対そうは思わないけど(笑)。
タルコフスキーは量を見てないから何とも言えないけど、ノスタルジアは確実に何かが残った。

例えば、キリスト教の深い影響下にある日本人が一体どれだけいるだろう、ということです。
確かカトもプロも併せて日本のクリスチャンは0.1パーセント程度だったような気がする。
そうした風土の中で育った漏れにとって、キリスト教自体が不可解、神秘的な存在であり、
そうしたテーマを真摯に扱った映画とは、初めから異物に見えて仕方が無い、と。
引用した広辞苑の意味を当て嵌めるならば、彼らは神の存在を巡って映画を作っているんじゃないか。
そこが既に漏れには神秘的だったりする。
ところがそうした作品がなぜだか恐ろしく美しかったり、魂を揺さぶったりする。
1氏の言う「背後に偉大な力を感じ」させる。
だから、111氏の言う受け手の問題意識、という意見にも繋がるのかな。
まあ、その魅力の解読するのも一興ではないかと。長文スマソ
122:01/09/08 23:55 ID:AchNoupc
>>117
いえいえ、単に参考までに引用しただけです。
123名無シネマさん:01/09/09 00:14 ID:0gIbgkUs
ちょいと言うと、日本の文化的土壌で真にキリスト教が身に馴染んでるってヤツはホントにいるのかぁ〜?
124:01/09/09 00:15 ID:upMUsoGQ
>>123
不可知!
125名無シネマさん:01/09/09 00:34 ID:7p0cf6u2
>>121
たぶん3さんが断絶の厳しさを感じられているシーンに
私は滑稽さを感じてしまうのでしょう。なんかギクシャクした
感じと言いますか。もちろんモデルの動きの事ではないんだけど。

しかし前
>>48
で書いた文章を3さんに説明求められましたが、未だに
考えてますが思いつきません。秋のソナタでのバーグマン
に強く感じますが。
126名無シネマさん:01/09/09 00:39 ID:7p0cf6u2
ノスタルジアについては俺もなんかがんばって言いたい!
しかし今引っ越し準備の最中で、DVD段ボールにしまってしまった、、、。
と言うか秋のソナタの事もちゃんと見て説明するからちょっと
待って、、、。
127名無シネマさん:01/09/09 00:49 ID:7p0cf6u2
>>120
うーん、映画と言いますか、TVとか映像メディアは
昔から観念の啓蒙、布教にかなり貢献してるかも
知れません。戦争の時もしかり、今のニュース番組、
CM、、。そしてかなり強力かも知れません、、。

しかしやはり私はタルコフスキー、ブレッソンは啓蒙したい!
と思って映画を撮ってるかな??と疑問です。
128:01/09/09 01:03 ID:IRpHJKys
>>125
ああ、秋のソナタと言えば、何となく分かるような気が…。
でも漏れもあの映画、忘れてる。見直しましょう。
仮面の話が興味深いなあ、と思うのは、映画人であると同時に演劇人(こっちの方が評価高いのかな)
であり、優れた脚本家でもあるベルイマンには、”劇的”なるものに対する独自の理論があるはずだ、
と思うからなんですね。
なんといってもイプセン、ストリンドベリを輩出した国の演劇人、しかも国立劇場の演出家(確か…)
ですから、生半可なドラマ論は持ってないと思うわけです。
今日初めて見た『日曜日のピュ』は脚本だけだけど、心底打ちのめされたよ、全く。見終わった後、暫く飯食えなかった。
やはり尋常でないと思いますよ、このお爺さんの人間洞察力は。
タルコフスキーとブレッソンの啓蒙の話は、ちょっとそれ非常に興味ありますね。
ノスタルジアも頑張って書いてください!!
129:01/09/09 01:05 ID:IRpHJKys
イプセンはノルウェーでした…。
ストリンドベリがスウェーデンだ。
130名無シネマさん:01/09/09 01:14 ID:7p0cf6u2
>>120
>最終的な救いを宗教的なところに置こうとして置けなかった苦悩みたいなものを
>撮ってるんだと思うんだけど、オレは。
成る程、、。しかし映画からは苦悩を突き詰めた所に光が見えてきて、それが
感動的なのですが、それは神ではなく、何か他の事だと言うことでしょうか?

いや、120さんを責めているのではなく、これは私も確信の持てない所ですから、、。
131名無シネマさん:01/09/09 02:42 ID:bTHDacxs
ホドロフスキーの「ホーリーマウンテン」は結構ねらって神秘主義に至る道程
を描いていた気がしたんだけど。
なんかかなりグルジェフの「注目すべき人々との出会い」に影響をうけてる感じがある。
132名無シネマさん:01/09/09 03:22 ID:qz4e.JcM
ホーリーマウンテンのどんでん返しはびっりしたなあ〜。
蒲田行進曲を超える衝撃だった。
133きtyれ:01/09/09 05:13 ID:I9tNkN.E
君らはホントに初心者だな。
神秘主義的映画なら、なんで本家のスウェーデンの2大巨匠の名前が出てこんのだ?
ヴィクトール・シェーストレームとモーリッツ・スティルレルのことだよ。
「るつぼ」や「生恋死恋」はビデオ化されてないが、「イェスタ・ベルリング物語」は
ビデオ化されているし、「霊魂の不滅」はアテネフランセでよく上映されているぜ。
北欧神秘主義の始祖の名前が出てこないのはおかしいぞ。勉強不足だぞ、みなの衆。
134名無シネマさん:01/09/09 07:42 ID:wQoD2LFw
じゃあ、語ってみろや。
135名無シネマさん:01/09/09 07:46 ID:.iT3DOw6
えっノスタルジアってDVD出てんの?!>>126
136名無シネマさん:01/09/09 09:27 ID:ay9hgv/s
>>135
アメリカでね。確かリージョンフリーだったような。
137名無シネマさん:01/09/09 16:26 ID:15lh8YGc
>>133
名前だけならシェストレムは出てる
138:01/09/09 18:09 ID:ypPU9f86
>>133
ハイ、漏れは見てのとおり勉強不足です。
ご教授お願いします。

…て書いたら「シェーストレームのことを2ちゃんに書くほど馬鹿じゃない」
とか言われんのかな。
やり逃げみたくちょこまか批判して自足してないで、ちゃんと書いてくれ、きtvれさん。
139名無シネマさん:01/09/09 18:39 ID:Qh//FzvA
>>107
私は作品論を語れるほどの能力はないので偉そうにはいえませんが、
いくらなんでも「楊貴妃」一本で評価決めるのは止めて下さいね。
彼は非常に波が激しいことで有名な映画監督です。
「楊貴妃」は海外ではそうでもないようですが、国内では一般的に
溝口映画の中でも失敗作とされることの多い作品です。
溝口映画はとっつきにくいところがあるので、とっつき易い映画で
多少なりとも神秘的雰囲気を持った映画として「山椒太夫」をお薦めします。
140名無シネマさん:01/09/09 19:11 ID:eKeHEAQI
ブレッソンスレはログ落ちですか?
141名無シネマさん:01/09/09 19:42 ID:ay9hgv/s
>>139
分かりました。山椒太夫も他の作品も今ビデオ屋で
貸してるかなあ。DVDで出たら最高なんだけどな。

(しかし厨房だったころ皿を売りに行く映画を
見たようなそれが溝口健二の映画だった様な、、、。)
142名無シネマさん:01/09/10 01:50 ID:GXlF3xYQ
>>81
ハスミ氏の映画狂人の日記読みました。
(映画狂人が語るがなかったから)

私には批評する映画や監督から
一つの要素を取りだして、ハスミ氏の妄想
で膨らましている様に見えました。

それが本質的に思える要素なら共感出来る
かも知れないのですが、???な事も
取り上げてる所もあるなと個人的に思いました。

しかしゴダールが好きと言うことは、あの
「映画を語ることは、映画を作ることだ」<=たぶんちょっと違う
の心意気なのでしょう。

しかしブニュエル感は私と同じでしたので、
共感を持てましたが(!)
143名無シネマさん:01/09/10 01:57 ID:6BvY6j0k
カール・ドライヤーはどう?
「奇跡」とか「怒りの日」とか「吸血鬼」。
デンマークの神秘主義。
144名無シネマさん:01/09/10 02:12 ID:GXlF3xYQ
>>143
ドライヤーは前のスレでも話題が出てたけど、
彼のリアリティーや神秘についてまだハッキリ
分かりません。どういう所がイイですか?
145:01/09/10 03:09 ID:nFuUORWg
ドライヤー…見たいんだけど、ビデオが無い!シェーストレームもモーリッツ・スティルレルもない!
無念すぎる。つたやでも逝ってみるしかなさそう。

>>142
蓮実氏の考え方、批評の姿勢についてはそれほど詳しくないけど、ざっと読んだ限りじゃ、
理論で納得しても、感情が許さないというか、言説の全てを素直に受け入れがたい、
ということろがあります。ただ、その圧倒的な明晰さの毒気に当てられる、という感は否めない。
いつもなぜかこのスレの近距離にある「蓮実信者の倒し方教えてください!」というスレで「主題と方法論」にまつわる
議論をやっていたので、ちょっと皆さんもこっちのスレに来てよ、と言おうかと思ったけど、
何か荒れそうだからやめた…(笑)。
宗教版の人には是非こちらに来て頂いて色々意見を聞きたいんだが。
アンゲロプロス、ヴェンダース、ビクトル・エリセ、ブニュエル、ホドロフスキー、溝口…。
それら全てが神秘主義的かどうかは不明ですが、国境を越えた作家達が百出してて面白いですね。
146名無シネマさん:01/09/10 07:53 ID:VIgAlfmk
インド映画はどうよ?
サタジット・レイ・・・は違うか・・・
アラビンダンとかは?
147名無シネマさん:01/09/10 10:25 ID:lZHWEQ8c
>>141
>皿を売りに行く映画
雨月物語?
148名無シネマさん:01/09/10 10:43 ID:UoR2EtTE
ロッセリーニはだめ?「ヨーロッパ1951年」「神の道化師フランチェスコ」
政治的すぎなのか。アンゲロプロスがありならあってもよさそうな。
149ZEROES:01/09/10 11:01 ID:cfypFQiA
ロッセリーニは、なんとなく唯物主義的なイメージがある。偏見かも。
150名無シネマさん:01/09/10 11:02 ID:HVXIkOTA
>>145
ドライヤーは「裁かるるジャンヌ」だったらある程度大きいレンタル屋なら
置いてると思う。淀川さん監修とかいうクラシック映画選集に含まれてるから。
シェストレムの「風」もね。スティルレルの「イェスタベルリング物語」も
確かビデオ化されてたんじゃないかなあ?グレタ・ガルボが出てるし。
クリステンセンの「魔女」もビデオ出てたかも。
でも「霊魂の不滅」とか「吹雪の夜」が置いてあるのは見たことないなあ。
ちなみにシェストレムはベルイマンの「野いちご」の主役の教授さんです。
知ってると思うけど一応。
151名無シネマさん:01/09/10 11:04 ID:HVXIkOTA
ロッセリーニもアンゲロプロスも神秘主義とはちょっと違うのでは?
ロッセリーニの凄さは僕はちょっとわからないなあ。
面白いと思ったのは「フランチェスコ」と「ドイツ零年」くらいだわ。
152名無シネマさん:01/09/10 11:30 ID:UoR2EtTE
やっぱ違うのか。あんまり表立って宗教的とか神秘的な感じはないけど
例えば「イタリア旅行」のラストのおばはんが「奇跡だ!」って叫ぶあとの
シーンとかなんともいえない霊感を感じるんだが。
あと「ヨーロッパ1951年」のバーグマンも単に息子を失った補償行為と
いうだけではおさまりきらないし。
153名無シネマさん:01/09/10 12:07 ID:nQSFeaPA
霊感のようなものはあると思う。
巨匠っていうのはある程度神秘的なものがありそうだしね。
でも神秘主義っていうと何か違う気がする。
って神秘主義ってのが今だによくわからんのだが・・・
154名無シネマさん:01/09/10 14:04 ID:Vnqh9rOQ
「魔女」って本当にビデオ出てるの?
ずっと見たかったんだよあの映画。
155イングリット・チューヤン:01/09/10 15:01 ID:jl/gBg2w
はじめてきたけどここオモロイな。200までいくかな。
>>133のレスを聞くまではあがりつづけてほしいもんだ。
そして3は謙虚なんだが、言葉がポンポンよくでるな、と感心。
しばらくROMるがそのうち参加させてもらいます。
神秘主義とは関係薄いかもしらんが、
スウェーデンボルグという思想家は
霊体験をしてそれまでの思想が成熟した、という。
単なる感想になってスマソが、原体験として霊に触れている人間と
そうでない人間では、当然宗教についてのみならず実生活においても
考え方に乖離があるんではないだろうか。
ベルイマンは確かに原体験として霊に触れているように思う。
「ファニアレ」なんかの霊の出方は「あ、霊ってこうだろうな」と
思える(「シックスセンス」はなんとも嘘くさい)。
「ファニアレ」でおとうちゃんが出てくるシーン、
あの子の怯え・とまどい、あれよ、あれ。
ハーレイくんの出てくるたびに「うわぁああああ!!」はちょっとね…
フツー、慣れるよ、あんだけ見てりゃ。
普段見えている人間の目線だな、というのが率直な感想。
霊の存在が芸術に作用、というのは確実にあるんだろうな…やっぱ。
ちなみに俺は“見える”体質。でも映画は作っていない。
才能ないんで…見るだけ。霊も映画も。
156名無シネマさん:01/09/10 15:22 ID:YjAeVB.E
霊感に導かれるまま、変な奴がやって来た・・・。>>155
期待大あげええええ!
157名無シネマさん:01/09/10 15:46 ID:v3Fd4YME
神秘主義と心霊主義は、似て非なるものでしょう
158たぶん、悪魔が:01/09/10 17:06 ID:qdLBolBg
あ、いいなあ、ブレッソンのファンがいっぱい。
スクリーンでなかなか見られないので、仕方なしにビデオで見てるが、やっぱり
映画館でみたいね。
ブレッソンの映画が神秘主義といわれてしまうと”?”とは思うが、ブレッソン
については、もう少し整理してから書き込みさせてもらいます。
ブニュエルは超越的なものは信じてない人でしょう。ある意味で、ラテン的な明
晰さで一貫した無神論の視点でしょう。彼の矛先の向けられるのが、因習的な(
腐った)教会・教義なのは当然なこと。彼の哄笑を、小気味よくこっちも聞いて
いるわけだな。
パゾリーニもなにかシニカルなものを感じる。神や奇跡を描いても、図式的にしか
見えなくて。
ロッセリーニのアッシジの聖フランシスコの映画。見たときは、晩年の伝記映画の
ひとつぐらいにしか思っていなかったが、このレスを読んでいて、もう一度見てみ
たい気がしてきた。
159:01/09/11 01:55 ID:vm4yBhrY
>>150
詳しい情報、ご親切にありがとう御座います。裁かるるぶジャンヌは発見しました。
そうか…しかし、『野いちご』の悲惨な爺さんがそうだったのか…シ、シラナカタ…。
またも厨房ぶりを露呈してしまいました(涙

>>155
ナイスなHNでお褒めいただきどうもです。謙虚ではなく、自信がないのれす。ROMってばかりでなく是非ともご参加くだされ。
スウェーデンボルグには全然詳しくないんですが、わが国の誇るつのだじろう氏や丹波センセイに比肩、いや、
超えると言っても過言でない大霊能力者にして、スウェーデンボルグ派教会の開祖ですよね。
ストリンドベリ氏はこの人の著作を読んで、神経症だか鬱病だか誇大妄想狂だかが治ったそうで。
ベルイマンにドライヤーに、良く知らないけどシェーストレーム、モーリッツ・スティルレル、
スウェーデンボルグ…。まとめとしてはスウェーデンは神秘主義的国家ということで(笑)。
「ファニアレ」は映画芸術の贅を尽くした素晴らしい映画ですよね。語り始めると止まらないので辞めますが。

ベルイマンは生まれつき霊を見る体質だという。少なくとも死後の世界があることを、彼は観念ではなく、実感として知っている。
にもかかわらず、死後の世界の実在と不分離だと思われる、神や宗教に対しては牙を剥いた。
この辺がベルイマンの不可解な所で、そこにどんな深淵が何があるんでしょう。
そこが157氏の言う、心霊主義と神秘主義の違いによるものなのかな。
霊が見える人から見た神秘主義的映画論。じつに興味深いですね。

>>158
>ブレッソンについては、もう少し整理してから書き込みさせてもらいます。
期待してます。
パゾリーニの『奇跡の丘』は漏れには不思議な映画に見えます。淡々と福音書の映像化に取り組んでいるだけで、
その真意がまるで見えてこない。あの映画には彼なりの隠された意図があったんでしょうか。
イエス役の男優の、中央で繋がった眉毛への困惑だけが残る映画でしたが。

漏れは週末まで消えますが、それまで残ってたら嬉しいスレだなあ。
160名無シネマさん:01/09/11 05:17 ID:bB3hrpI.
ブニュエルは自分は神を信じないって公言していたみたいですな。
でもあくまで権威としての教会やキリスト教的モラルに対する反発であって
(「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」でのプチブル批判みたいに)
根源的な部分での神秘性はあり、というふうにも読めなくはないんだよな。
161たぶん、悪魔が:01/09/11 09:46 ID:PXagbVo.
無神論者の方が神の存在についてより思索しているという典型が、ブニュエルのような
に思うのですが。だから、自分にとってのブニュエルの魅力というのは、徹底した批判
精神=根源的な明晰さへの志向です。ただ、明晰さというとのっぺらぼうに聞こえてしまう
かもしれませんが、そういう意図ではありません。ただ、「権威としての教会やキリスト教
的モラル」への反発だけではなく、超越的なものへの志向はまったくないと思います。
ただ、表現されたものに神秘性ありとされるのなら、それがブニュエルの多用な魅力の
一面かとも思いますが。

ロッセリーニの「神の道化師」を見た方の意見をぜひきかせて欲しいのですが。というのは、
イタリア映画に「背後に大きな力を感じさせる映画」ってあれば、ひょっとしてこれくらいかな
と、何の根拠も無く期待し始めているからです。3さんの言っている「奇跡の丘」だけでなく
私は「テオレマ」もまったくだめです。監督の名前を思い出せなのですが、チベットの聖者を描いた
「ミラレパ」とかいう映画は、さらにだめでした。ただ、このスレを読んでいて、あれだけ
映画を破壊してきたロッセリーニなら、自分が見たとき「ネオ・リアリスモ」のフィルターで
見ていただけで、きちんと見ることができなかったのではという気持ちがだんだん大きくなって
います。ほかに「神秘性」(ううん、やっぱりこの言葉抵抗あり。「背後に大きな力」)
を感じさせるイタリア映画ってありますか?

ブレッソンについては整理して書きますと言ってしまいましたが、ムラムラと気持ちがおきて
きたので、2点だけ。ただ、現在自分のブラウザーが全レスを表示してくれないのと、過去ログを
どうにも見つけられないので既出だったら申し訳ない。
私にとってのブレッソンの魅力は、まずその徹底した孤独の描きようです。「頑固爺」と
表現されていた方がみえましたが、本当にそうです。たとえば、「ムシェット」の徹底した
他者からの距離と最後の何度も自殺しつづけようとする場面。「厳し過ぎる!」とうちのめ
されてしまいました。そして、最後に鳴り響くモンテヴェルディ。

もう1点。よくブレッソンは、抑制された映像の作家といわれますが、「ラルジャン」などは、
ある意味、映像さえも切り詰め「音」になったかという印象を持ちました。あの映画には、
多くの暴力が描かれていますが、犯行場面だけでなく、ハシバミの実をつぶす音、唐突に演奏されるバッハなど、
音が衝撃的でした。ここまできたか確信犯!

仕事中にあわただしく書き込んだので、意味不鮮明な表現があれば、申し訳ない。
162名無シネマさん:01/09/11 13:24 ID:MtBugjl6
溝口健二のリアリティって話があったけど、
「西鶴一代女」の竹薮のシーンは流麗なカメラワークで伝説的なシーン
らしいけど、あの場面はお春の自殺未遂を見つめる突き放した視線が衝撃的だった。
感情移入を求めるように強調される部分が全くなく、
ただ一連の成り行きを徹底的に距離を取ってカメラが見つめるだけなんだよ。
静かな竹薮に鳥の鳴き声が響いた時、お春の情熱的な行動が
竹薮で起こっている数々の出来事の一つにすぎないと感じられてぞっとした。
それがお春が落ちぶれるとそれまで距離を取っていたカメラがぐっと近付いて
くる(ように漏れには見えた)。そしてそのお春の姿が不思議な神秘性の
ようなものを帯びてくる気がする。
日本では物狂いや乞食は中世までは神性を持つ存在だとされてたと聞くけど、
何か関係があるのかなあ?考えすぎ?
163名無シネマさん:01/09/11 13:26 ID:MtBugjl6
う、我ながら稚拙な文章だ・・・
ここの人達は凄いな。
3さんや161さんみたいにぽんぽん言葉が出てくる人には憧れるよ。
164名無シネマさん:01/09/11 20:25 ID:O/3SbpkQ
>>161
やっぱりオレも『神の道化師フランチェスコ』はずっとひっかかってる作品ではある。
ただ、見た当時は何が根拠になってるのかが掴めず、結局はヒューマニズムなのかな?
と思って自分を納得させたような記憶がある。
10何年か前にロッセリーニの回顧上映した時。
(そう言えばその会場で相米慎二が一人ポツネンと座っていたのを今思い出した。)
165名無シネマさん:01/09/11 22:35 ID:ZGvBtW7.
>>161
>「背後に大きな力」)を感じさせるイタリア映画ってありますか?

前にも出したけど「ヨーロッパ1951年」や「イタリア旅行」での
の心理の劇的な転換にとにかく神秘性を感じる。ネオ・リアリズモ的な
リアルで明解な話運びゆえに、理由を求めればもちろん容易に想像はできるんだけど
それでも汲み取りきれない背後にある大きな「何か」みたいなものが見えてきてしまう。
なんかこの映画見ると有名なパウロの「ダマスコの回心」と結びついちゃうんだ
よね自分のなかでは。そういう激情というか、ある意味心理的な奇跡をフィルムに
焼きつけてしまうロッセリーニってほんととんでもない作家だ。
166名無シネマさん:01/09/12 13:42 ID:gzv8eKd6
溝口は犠牲になる女性を神聖なものとして見てるのだと思う
167たぶん、悪魔が:01/09/12 17:15 ID:eCanI3nA
>>164
>>165
152を拝見していたのに、仕事中に慌しく書き込みをしてしまったので、お手数を
とらせました。ありがとうございました。
「ヨーロッパ1951年」「イタリア旅行」、ビデオですが見直してみて、ロッセリーニの
一面しか見ていなかったこと、よくわかりました。最初に見たときは、ある種の唐突さを
感じてしまったことを思い出しました。明快ではなかったですね。ドライヤーやブレッソンでは、
唐突な部分もさして気にならないのに、ロッセリーニはいま少し語りにくいです。
ただ、このスレにでてくる監督の作品には、唐突さや飛躍はつきものなのに、根気よく付き合わず、
余計なフィルターで見てしまうと、だめですね。162さんなんか、うらやましいですね。
さて、ロッセリーニの映画をもう少し見てみようと、検索しましたが、見たい作品はほとんど廃盤のようです。
「火刑台上のジャンヌダルク」「メシア」も見たい!輸入盤しかないか。
(相米監督、本当にまだ若いのに。ご冥福をお祈り申し上げます。)
168名無シネマさん:01/09/13 08:49 ID:rPNqxpaU
マルセル・カルネの「悪魔が夜来る」などはどうでしょうか?
169名無シネマさん:01/09/13 19:22 ID:nLZRALuw
インド映画はどうよ?
170名無シネマさん:01/09/14 15:26 ID:xk7jqRmo
ハリウッド映画では何かありますか?
171:01/09/15 18:50 ID:lX2kG8Cs
『イタリア旅行』を見た。見たのは2度目。今回は真剣に見た。以下はネタバレです。
で、結論から言って漏れは余り感心しなかった。
この際、神秘主義的な映画かどうかは抜きにして、敢えて165氏、多分悪魔が氏等に色々と問うてみたい。
バーグマン扮するかみさんが、夫と離れて独りでナポリやポンペイの遺跡の数々に触れることで、
少しずつ自分自身のエゴを見つめなおし、夫への愛を取り戻していく、という筋の運びは非常に分かりやすいし、興味深い。
夫婦が抱える問題が、バーグマンの巡る観光地やナポリの庶民の風俗と微妙に連鎖し呼応していく。
この辺りも、何か頷けないものを感じつつも、抗し難く魅力的だと思う。そして、きっとここらの描写の積み重ねが、
ラストに結びついていくのだという事も理解できるし、面白い意図だと思う。
だが、これはテイのいいイタリア観光映画じゃないのか?
漏れはそういう疑念が最後まで拭いきれなかった。
ラスト、この夫婦に(というよりバーグマンに)、確かに劇的な心理の転換がもたらされる。
しかし、本作品のシナリオには、果たしてそこに至る夫婦間の心理の、充分な描きこみがなされていたか?
単純に、合点がいかない。
お祭りか何かの人込みに紛れて引き裂かれる二人。夫に助けを呼ぶバーグマン。走り寄る夫。抱き合い、愛の復活を告げ合う二人。
こうした唐突な心理の転換は、漏れには好意的に受け止められるものではなく、ただただ謎だった。
夫は冷たい浮気者だから、喧しいバーグマンとの離婚をむしろ積極的に受け入れている気配が濃厚だ。
しかし何のフォローも無く、愛は復活する。
数々の遺跡と愛への開眼を結びつけようと言う制作側の意図は分かるが、置いてきぼりを食った印象しか残らず、
残念ながら奇蹟とは到底捉えかねる。
それはあんたの感性の欠如だ、で終わる話かもしれないが、もうちっと詳しい解釈を願いたい。
172名無シネマさん:01/09/16 04:41 ID:CxrxwS1I
遺跡とかに意味を求めようとしてるからじゃないの?
遺跡と愛の開眼を結び付けようなどという意図は制作者にはないと思われ。
そこに到るまでの夫婦の心理間の心理の十分描きこみなんてものも
最初からする気なんてなかったのでは?
173名無シネマさん:01/09/16 12:45 ID:b5tELX3k
神秘あげ
174名無シネマさん:01/09/16 16:29 ID:S/1ryXqY
イタリア観光地紹介と同時に
夫婦喧嘩は犬も喰わないという人間界の真理を
ロッセリーニ先生は教えてくださっているのです。
異国の人という設定のバーグマンが「これでもか!」というほどに
スパゲティを食いにくそうにしていたのが印象的でした。
175名無シネマさん:01/09/16 21:20 ID:jIHf2HPM
『ドイツ零年』も考えてみるとスゴイね。
子供が罪悪感から飛び降り自殺するってラストは・・・
相当衝撃的だった。
176175:01/09/16 21:23 ID:jIHf2HPM

ゴメン。>見てないひと。
完全なネタバレだ!
177たぶん、悪魔が:01/09/16 21:51 ID:DrZzW.ao
>>171
1回目に見たときに私が、観客として置いてきぼりをくらったように感じたのは、
単純にストーリーラインが最後になって、唐突な転換をしてしまい、さらにその
説明をどこに求めたらいいのか混乱してしまったからだろうと思います。
>>165でいわれているようには、私にとっては必ずしも、
>リアルで明解な話運びゆえに、理由を求めればもちろん容易に想像はできる
ではなかったですね。すくなくとも、それでは納得できなかったでしょう。

では、先日見たときは、自分の何が変わったのか、説明するのは正直大変むずかしいです。
納得のいく説明にはならないかもしれませんが、2回目に見て、私がおっと思ったのは、
この「イタリア旅行」にえがかれている風景がまずしいということに尽きます。
風景が、映画の中の登場人物から、絶ち切られている。(即物的?)この映画は、
この内容からすれば、観光映画的にもせよ風景に意味があってもおかしくはないでしょう。
そして普通のドラマとして考えれば、バーグマンの心理は、イタリア各地の風景と
関連付けられていく(こういう言い方は、よくないか。見るほうで関連付けてしまいます。)

私が、2回目に感じたのは、「イタリア旅行」では、風景は決してバーグマンに
働きかけていかないし、バーグマンもイタリアの風景に癒されたりはしないということです。
とにかく普通の映画のようには、登場人物と風景とが結びつかないのです。
極端な言いかたをすると、イタリアの風景がひたすら無意味なもののように、そこにあるだけ。
こういう世界の描き方が、魅力的でした。
(こう書いてしまうと、じゃアントニオーニではないかといわれそうですが、彼は
風景にシンボリックな意味を求める点でまったく違うと思います。この点が、最初に
見たときとの一番大きな違いです。)

映画は、そうした世界でエピソードを、ブレヒト的に積み上げてゆくだけだから、
サンダースのほうはもちろん、バーグマンの心理(の転換)も、さほど丁寧に描かれるわけでもない。
(その必要がない。)

165氏は、「パウロの回心」を連想されていたが、私はアンゲロプロスの映画での
神話的な語りを連想しました。(逆か?)(乱暴にいってしまうと、最初感じた最後の唐突さが
さほど問題でなくなってしまったということです。ただ、167で書いたように、まだまだ
ロッセリーニは語りにくいので、十分な答えではないですが、とりあえずここまで。)
178:01/09/17 00:21 ID:tiFprVLE
う〜ん。スマソ。頷けん。
象徴的な意味を排した、ほぼ無意味な風景の中でならば、夫婦の愛の崩壊と復活のドラマを描く際に必須と考えられる、
個々の心理を描く必要がない、という論理の面白さがいまひとつ飲み込めない。
ブレヒト的にエピソードを積み上げる、という文章の意味は漏れにはよく分からないが、
要は自然主義的な、様式や秩序の保たれた作劇法を選択していない、ということでしょう。
つまり、172氏の言うように、遺跡と愛の開眼を結び付けようなどという意図は制作者にはない訳だ。
いや、正直漏れが「頷けない」と思ったのも実はこの点で、遺跡と夫婦の現状がどうにもリンクしてないし、
効果的でもないなあ、と思ったのである。
しかし、辛うじて「いや、ここは関連付けて読まねばいけないんだな」と思わざるを得なかったのは、
最後近くに出てくる、火山のふもとで発見される抱き合った男女の遺骸に、バーグマンが激しいショックを
受けるからである。
直接的にはこのエピソードが、ラストの愛の復活の契機になった、と捉えるのは妥当だろう(ちがう?)。
果たしてあのエピソードに「意味」はないだろうか?
心理劇としての序破急、いや緩急を付けようという制作者の意図が見え隠れしていないだろうか。
画面に映っているものに意味が無い訳がない、と心構えることが既に問題ならば、意味がない事の意味、
魅力をもう少しきちんと教えて欲しい。
パウロの回心やアンゲロプロスまで持ち出されているからには、そこには相当の魅力があるにちがいない。
しかし、以上の意見を纏めて考えると、漏れには相当に魅力的である「神話的な語り」からどんどん遠く離れて行き、
いよいよ観光映画という誹りが決定的になっていくのであった(笑)。
179名無シネマさん:01/09/17 08:11 ID:FBizuY.E
神話的な語りとは思わないけど、何故観光映画が駄目なの?
人間の心理ってそんな簡単に意味付けしたり出来るものですかね?
自分の経験を照らし合わせた時に、本当にある行動を取る時の
動機が明確なことってどれだけありますか?
180:01/09/17 11:10 ID:k0OCx8Pc
>>179
>何故観光映画が駄目なの?
観光映画が面白いですか?
もちろん「駄目!!」と断じはしないし、異国の風光明媚な景色を映画内で眺めるのも映画の大きな魅力の一つだと思うが、
それを主体として作品が機能しているのはちと辛いんじゃないかな。
究極的には、人間心理がしっかり描ききれていない作品は漏れは面白いとは思えない。
…こういう根本的な発想に問題があるのかな。

>人間の心理ってそんな簡単に意味付けしたり出来るものですかね?
この話がそうした大局的な問題に還元されるのが適切であるかどうかは分からない。
ただ、漏れ個人は、一見どんなに不条理に見える人間の行動にも、指針や方向性というものはあるし、
それをドラマ上で最低限描く事は必要だと思う。
無論、埒外としてたとえばブニュエルやゴダールならどんな意味不明なことをやっても許される。
それが彼らの志向性なんだろうし、徹底した個性だから。
しかしこの映画は前述した通り、中途半端に風景と人物とを関連付けている感が否めない。
関係ないのなら無い、無意味なら無意味を徹底すべきなんじゃないか。
人間心理は不条理だし、意図した行動原理に忠実に従う人間はあまり多くないと思う。
だがそれはただ単に現実に過ぎない。
現実的な人間心理のそうした側面を反映させるのなら、やり方というものがあるんじゃないかな。
これは小説だが、ムルソーやラスコーリニコフを外側から描いても、恐らく、全く無意味で即物的で不可解なだけの、
陳腐な狂人にしかならないと思う。
同じ原理は、オーソドックスなフォーマットの映画にも充分通用すると思うんだが。
だから、「神話的な語り」ならば許されると思う訳ですよ。そうは見えなかったけど。

知りたいのは無意味であり唐突であることの魅力。この映画そのものの魅力です。
181名無シネマさん:01/09/17 14:04 ID:Tg3s0bLU
中途半端に関連付けてるんじゃなくて
遺跡はバーグマンの眼に写った出来事なんだろう。
もちろんなんらかの影響は心理に与えてるんだろう。
観光に来てるから観光地を巡る観光映画っぽい雰囲気も出てくるんだろ。
漏れはロッセリーニにもベルイマンにもほとんど魅力を感じないし、
何が良いのかよくわからんのだが。
182165:01/09/17 15:51 ID:wtk8nIjI
なんかしばらく見ないうちに話進んでますな。
たぶん、悪魔がさんはアントニオーニとは違うといわれますが、自分はかなり象徴主義的な印象を持ちました。
もちろん癒されるための「風景」ではなく、盛者必衰を感じさせる荒涼としたローマ遺跡が
崩壊した夫婦関係を投影している、という意味です。お互いに旅のなかでなんとか関係を取り戻そうとしながらも結局できずにいる。
短い旅の中で修復されるにはあまりにながく放置されてきたから。しかし最後の最後にお祭りに巻き込まれて引き離されそうになった時に、
何かがふたりの間に起こって、かつての愛にあふれていた頃の生き生きとした情動をまさに発掘する。
この映画のロケーションは夫婦の心理描写と絶妙にリンクしているとおもいますが、一番やりたかったのは
遺跡の中で抱き合ったままの男女を発掘するシーンでしょうね。ポイントは発掘です。もし関係の修復が理性や論理によってなされるならば
たんたんとそれを描写していけばよいとおもうが、実際にはそういうもんではない。
発掘しようと思って発掘することはできないように、失われた(そしてどこかにまだ残っている)情動を取り戻すには、いくつもの外的な要因、偶然が重なって
奇跡的なチャンスみたいなものが必要だとおもうんですよ。それを考えると自分にとっては充分神秘性を感じとれるわけなんだけど。
183名無シネマさん:01/09/17 18:07 ID:HBNYHY6k
それは神秘性とは別物だと思われ。
184名無シネマさん:01/09/18 10:06 ID:mLvNSaGA
ベルイマンの映画はわざとだろうけどいつもほどほどで済ますよね。
テーマ性は別だろうけど、映像自体は「はいここまで!」って感じで
ギリギリまで引っ張るってことをしない。
そこがブレッソンよりも広く受け入れられやすい秘けつで、
逆に一部の人には物足りないと思わせる原因なのかな?
それで行くとタルコフスキーなんかは妥協がなさそうだけど
ベルイマン以上に一般的人気がありそうなのは凄いね。
その分作品は少ないが・・・
ベルイマンやブレッソンほど具体的に明確にキリスト教とのつながり
が見えないから日本人にも受け入れやすいのかな?
185:01/09/18 13:19 ID:RUj8afhs
>>182
そういう風に解説されると、分かるような、分からないような…。
つまり、風景は夫婦に対して語りかけてくるものではなく、彼らの象徴であり心理の投影なんですね。
そんな中で、少なくとも最後の”発掘”は彼ら夫婦間の亀裂に風景の側から手を差し伸べており、
それを契機にそれまでの旅行で経たあらゆる外的要因が、不可思議な引力によって合致し、愛の復活の奇跡を生む、と。
漏れはどちらかと言えばそういう解釈に近いというか好意的だけど、ならば風景は無意味とする悪魔氏の意見はどうなんだろう。

>>184
サクリファイス、正直言って退屈だったけど、ただただ映像の美しさに見惚れていれば終わっちゃうところがある。
ちなみにあの主人公は「ノスタルジア」の狂人から派生したものなのかな?
テーマと言い役者と言い似てたけど。どうなんだろう。
186165:01/09/18 18:32 ID:k0OblzgY
>>185
>風景は無意味とする悪魔氏の意見はどうなんだろう。

風景に意味を見い出かどうかは、見る側次第(たしかに悪魔氏の言う通りアントニオーニ
ほどのメッセージ性はもっていない)なんで、空漠とした風景がたまたまとれた
だけかもしれず、それに自分は意味を見い出し、悪魔氏は見い出さなかったというだけだと思います。
自分としては前に書いたようにネオ・リアリスモ的手法でできるぎりぎりの象徴的意味を持たせた
んじゃないかと考えていますが。
187通行人だけど:01/09/18 20:16 ID:zn7dIZ4U
悪魔氏の登場はまだ?
188名無シネマさん:01/09/18 20:29 ID:x6txcQTE
砂丘ってアントニオーニだっけ?
189名無シネマさん:01/09/18 21:19 ID:ZfC5m/EQ
わたしは天使ですがなにか?
190たぶん、悪魔が:01/09/18 21:36 ID:2AkQkWVA
出張から帰りました。どれどれとスレを見てみると、えっ!こんなにたくさん。

きちんとした補足になるかどうか?「イタリア旅行」に関して、風景がまずしい、無意味である
という発言をしました。そのことに関して、とくにポンペイの発掘のシーンをどう見るかという
流れでよいでしょうか。

177で書いた私のつまづきの最初が、このポンペイのシ−ンなんです。ドラマチックなんだが、納得できない。
でもなぜか、ひっかかってしまう。(くどいですがロッセリーニは好きだが語りにくい)
それは、自分が整合性なり、スムーズさをロッセリーニの映画の中に無意識のうちに
求めていただけではないか、ということに気づかされたのが今回見た感想なんです。(ビデオであれ)

風景は無意味というのは、ジョイス夫人の行動や心理の動きを理解する上で風景とシンクロ
させたりせずに見ていくほうが、彼女の心つまり、激情や孤独(少し恥ずかしいフレーズ)を
理解できるように思えるからです。そういうスムーズさを拒否するような姿勢から、
ロセリニは映画をつくっているし、そうした姿勢からブレヒトと書きました。(混乱させて
しまったのなら、私の表現のまずさです)

165さんにお尋ねしたいのですが、ネオ・リアリスモって、歴史的な背景をもった用語でもありますよね。
私はこの「旅行」を見直して、リアリスモという理念に納得してしまったのですが、
この「旅行」にもネオって必要とお考えですか。(また、未熟な文で失礼)
191:01/09/19 13:05 ID:fi4nzrfI
>>190
漏れは意識的にどんな映画にも「整合性なり、スムーズさ」を求めているが、
それをロッセリーニは拒否しているんですね。うーむ。

ところで、このスレで話題になってた、ドライヤー「裁かるるジャンヌ」を見ました。
いや、大変面白かったです。
初めは接写に次ぐ接写、素早いカッティングにややうんざりしたものの(ジャンヌの依怙地さにも)、
後半に至り、不条理にも再び自らを「神の娘」と言い張り、火刑に処されるあたりのクライマックスは息を呑みました。
くすぶる煙が猛火になるまでの時間経過、柱に括られたジャンヌを見守る民衆の顔、顔、顔。
柱からくずれ落ちる、火あぶりにされたジャンヌの横顔のシルエット、民衆たちと兵士の戦い、
その間、いつまでも狂ったように飛び交う鳩の群れ…。
ジャンヌという、命を賭けてまで自身の信念を貫き通す女性と、その度々流される涙が象徴する、
”死に逝く人”のリアリティに、何か説明のつかない熱い想いが込み上げますね。
自らの受けた天啓を、最後まで「神の娘」の矜持として守り抜く辺りは確かに神秘的でした。
飛び交う鳩や、尋問される部屋の窓の格子が十字架に見える場面など、散りばめられた神のイメージも、
この作品の聖性を高めているように思えます。
「奇跡」(タイトルにかなり惹かれ気味)も見たい!
192165:01/09/19 14:16 ID:tGu21y9U
とりあえずラストまでは、旅行であたりまえのように別行動がとれてしまうような
夫婦の日常の関係が描かれていれば、それで事足りてるんじゃないかとおもうんですけどね。
そういうカットの積み重ねから二人の感情の機微は充分読み取れるし、押さえた表現がラストの
盛り上がりにグッと効いてくるわけなんで。

>>190
>この「旅行」にもネオって必要とお考えですか。

ちょっと意味がわかりませんが、
「旅行」については押さえの効いた写実的な描写とメロドラマ的なテーマ、展開がほんと
絶妙だとおもいますね。初期の「白い船」とかもすきなんですよ。神秘主義とぜんぜん関係ないですが。
193名無シネマさん:01/09/19 22:57 ID:mrzvHFrU
「奇跡」はマジで奇跡が起きたね。
あの映画は何故か少し怖かった。
「怒りの日」の方が好き。
194厨房:01/09/19 23:10 ID:jPzbzlsk
このスレ面白いけどついていけん。
どうやったらそういう風に言葉が次々と出てくるようになれますか?
195名無シネマさん:01/09/20 19:33 ID:s6HHuPRY
あげ
196たぶん、悪魔が:01/09/20 19:58 ID:4S4xF6m6
ロッセリーニの部分で、神秘主義との関連を質されるレスがあるので、気にはなってはいたのですが、
1の
 >ブレッソンやタルコフスキーやベルイマンの様に、
 >背後に偉大な力を感じる様な映画の事を語るスレです
との見解で、OKと思っていました。ただ、1さんの発言がここのところないので、
どうなんでしょうかね。私は、このあたりが神秘主義の前提となる、超越性=「観念」の
問題が出てくる地平なので、ひそかに期待しているのですが。 あまり、スレの趣旨を無視した、
トンチンカンなことを書いてもという気もあるので。


>>192
ネオ云々は、それほど深い意図はありません。一般に、ネオ・レアリスモは、「戦争」「解放」
あるいは、「社会変革」の文脈で語られてしまうことが多いですね。ま、そういう手垢のついた
言葉を通してロッセリーニを見ていたお前が馬鹿だ言われれば、その通りなのですが、
「パスカル」や「ソクラテス」「ヒッポの聖アウグスティヌ」などは、今思えば、この世に生を受けた
人間の真実をを描くということでの強烈なリアリスモがあったかなあと思ったので、 ふと「ネオ」の
言葉が、かえってロッセリーニを私たちから遠ざけてしまうだけかもしれないと思ったからです。

>>191
丁寧に「裁かるるジャンヌ」をご覧になってますね。私はこの映画を教会で見た(見せられた)
のですが、ファルコネッティにうっとりとしてしまって、ただのミーハー状態でした。
コントラストのはっきりした、兵士が民衆を襲う場面がもとても、強烈でしたが、まったく
の記憶違いだったら、ごめんなさい。大きくなってから、ブレッソンの「裁判」を
見て、ドライヤーでは、聖女ジャンヌとして死んでいけたのが、ブレッソンでは「異端」と
して死ぬしかないのかと、映画の本質とは関係のないところで、涙してしまいました。

「裁かるるジャンヌ」のことでさらに、俗人丸出しで、教えてほしいのですが
 1 ゴダールの映画に引用されているフィルムの状態は、とてもきれいでしたが、
あれは、海外の映画館ではありうることなのですか。
 2 「裁かるるジャンヌ」の完全版が、ベルギーかどこかの病院で発見されたという
   話をきいたことがありますが、それは復元されるなり、上映されるなりしたのでしょうか。

162さんへ
ドライヤーの「奇跡」は、ご覧になったら、きっとおもしろいと思われるかも。また、このスレの趣旨とは
少しずれてしまうかもしれませんが、増村の「大地の子守歌」(タイトル不正確かも)は、ご覧になりましたか、
私にとっては、この映画は、「日本に観念はありうるのか」という意味で、とてもおもしろかったのですが、
溝口の映画に興味をお持ちなら、ひょっとして、この映画面白いかもしれません。(話がそれて失礼しました。)       
197:01/09/21 11:48 ID:2YPbxYA2
「イタリア旅行」については未だまったく釈然としないんですが、
『超越性=「観念」の問題が出てくる地平』という図式とは何でしょう?
”ロッセリーニを遠ざけてしまう”という意味においてのネオ・リアリスモとは?
また、アウグスティヌスのリアリスモ、なんて非常に興味深い言葉だと思うけど、
それが本当にロッセリーニと繋がるのか、もう少し詳しい説明が欲しいです。

192で165氏が仰っていることは、恐らくハリウッド映画のように劇画的とすら言えそうな
派手な夫婦喧嘩や不和の表出がなく、ささやかな描写の積み重ねで二人の不和を描いている、
ということなんでしょう。しかし、あれはどの辺りが「絶妙」なのか…?
粘着質といわれようが、漏れはしつこく問い詰めたい。あの映画に関する評価の真贋を見極めたい。
こうしてみると、この映画が映画史に提示したショッキングな何かを、恐らく漏れは見落としているのだと思うが、
それが何なのか、まだ明快な回答が寄せられていないという気がします。

>>188
「砂丘」はアントニオーニです。漏れは途中で寝ましたが。が、「情事」のラストシーンはひっくり返った。

>>193
「奇跡」…DVDで買うしかないのかな…。
最近「ことの終わり」というのを見て、いっそう奇跡モノの映画が見たくなった…。
奇跡系で何かいいのありますか?

>>194
批評家や映画監督自身が書いた様々な映画に関する書物が溢れてますが、
それらを無視、或いは包括しつつも観客が自分自身の感性や経験、思惟によって感じ取ったことが、
映画鑑賞における最重要なことでしょう。
漏れは昔は批評欄をチェックしたり映画本を読んだりしたけど、今は一切読みません。
悪魔氏がロッセリーニに関して「手垢のついた」という言葉を使っていたけど、
漏れも映画史観的な鑑賞法は余り意味が無いんじゃないかと思う一人。
結局のところ評論家による批評的言説は、映画を神格化もすれば、矮小化もするわけです。
映画をそうした連中の手から観客の手に奪還するところに、2ちゃんの素晴らしさがある、
と漏れは常々思っているので、何でもいいから書いてくだされ。漏れは1氏じゃないけど(笑)。
一映画ファン個人の意見は、必ずや何か示唆するところを含んでいる筈ですから。

…つか、「裁かるるジャンヌ」ってあれ、完全版じゃなかったのれすか!?
198名無シネマさん:01/09/21 12:29 ID:mQ6a9xHY
完全版は2時間あるって聞いたことがある。
日本には完全版はないとか。
199名無シネマさん:01/09/21 18:03 ID:nWEJ6GZ.
>>197
「奇跡の海」
200たぶん、悪魔が:01/09/21 19:07 ID:.sfG9BdM
>>198
ありがとうございました。今日仕事の合間、ひたすら検索の結果、

オリジナル版が発見されたのは、1981年ノルウェーのオスロ、そのため「オスロ・プリント」
と、俗称。修復は完了。ランタイムは、110分。ただし、データベースによっては、114分の
表記も。現在、商品化されたものがあるかどうかを、探しています。

存在する以上、見たいですわな。
201自分の番号忘れた:01/09/21 21:12 ID:H/JxSWME
奇跡といえばタビアーニ兄弟の「サン・ロレンツォの夜」があります。
しかしここで描かれている奇跡は背後に超越的な存在をなぜか感じさせません。
おそらくは心理学的な自己防衛のようなちからが起こした奇跡と思われます。
とはいえ涙なくしては見られない奇跡なので、一応あげておきます。
202194:01/09/21 22:47 ID:fWUi4c/6
>>198
有難う。でも僕の場合はあれですね。
批評とかよりもむしろボキャブラリーと文章能力に憧れを感じてます。
自分が感じたことを文章で表現するって結構難しいですよねえ。
特にこういう神秘主義的な雰囲気の映画だと尚更。
タルコフスキーを始めて観たときなんて、
「あーよく眠れた。でも面白かった」という感じだったしなぁ。
わけのわからない何かを感じさせるからこそ神秘的なのかな?(w)
203202:01/09/21 22:49 ID:fWUi4c/6
間違えた。>>197でした。
それと「批評とかよりも」→「批評の知識とかよりも」
204名無シネマさん:01/09/22 07:45 ID:mkEx1Mmw
神秘主義的ではないけれど、
背後に大きな力を感じさせる映画として、
「山の焚き火」はどうでしょう?
205:01/09/22 15:26 ID:wFCrFFwI
>>200
しかしあれはあれで何の違和感もなく見てしまいましたが…。

>>201
おお、サン・ロレンツォ!
メチャメチャ面白かった記憶はあるんですが…十年ほど前に一度見たきりなので、もう一度見直してみます。
一瞬、少女が見る素っ頓狂な幻覚みたいなのが出て来ませんでしたっけ?
「子熊物語」で子熊が時々見る夢みたいな…。やたらそういう場面を覚えてるんですが。気のせいかな。

>>202
タルコフスキーは漏れもよく分からない部分が多い。多いけど、明らかな陶酔や感動みたいなものがあって、
筆舌に尽くせない作家ですよね…。

>>204
高校時代に尾篭な興味で借りてみたんですが、なんか平和で絵画的な美しさの風景の裏側にある
人間のおぞましい営み、みたいなものを濃厚に見せられてショックだった…。
しかし最後には不思議と深く得心しちゃうような話ですね。山麓に暮らす人々の、神々しいような営みというか。
あの物語ならば、近世の日本を舞台にしても作れるかもしれませんね。
…今平氏の「神々の深き欲望」はそれを狙ったのかな。
206名無シネマさん:01/09/22 18:46 ID:FvzXEQIY
3氏の「神々の〜」の評価は低いの?
あれは凄い映画だと思ったけど。
まあ神秘主義って感じではなかったが。
日本で神秘的雰囲気を持った映画といえば個人的には内田吐夢だなぁ。
飢餓海峡や大菩薩峠には神秘性というか土俗性というか、、、
ヨーロッパのものとは違った超現実的なものが感じられたよ。
207:01/09/23 15:07 ID:yAnz2WUw
>>206
いえいえ、とんでもない!『神々の深き欲望』、衝撃を受けた口です。
もはや秘境の人間ドラマではなく、正しく神話世界。
特に後半、主人公が〇×をつれて船に乗って逃げていく辺りの興奮は邦画では嘗て感じたことが無いですね。
そして全てが終った後の、何ともやり切れぬラストシーン…。
今村昌平の壮大なビジョンが奔放にぶちまけられた、破格の映画だと思います。
…ただ、この人の映画って時折妙に陳腐で安手の映像になってしまう時がありませんか?
アラカンの幽霊の場面なんて、かなりトホホでしたし…
山の焚火の方が、小品ゆえか映画の品位(と言っていいものか…)において勝っている感は否めないような。
とは言え、密に漏れは小津や黒沢よりもイマヘイが最高に好きだったりする。
小津=野田コンビ以外で、邦画で最も完璧な脚本は「赤い殺意」だと思っています。

「飢餓海峡」も深い人間洞察と宗教性に満ち満ちた傑作でしたが(特にあのラスト!)、
内田吐夢では個人的に宮本武蔵「一乗寺の決闘」が好きだなあ。
クライマックスの陰惨さに内田吐夢のいかにも人間的な濃い体臭が感じられますね。
あんまスレと関係ない話でスマソ。
208自分の番号忘れた:01/09/23 15:23 ID:o/PE2qrU
「子熊物語」は未見ですが、気のせいではなさそうです。>>205
209名無シネマさん:01/09/24 00:37 ID:kpL8S8ls
非常にお久しぶりです1です。

今世界がある事件のせいで妙にリアルに感じられ
ますが、確実に映画を見る上でも何か違いが出てき
ますね。

このスレの初めの方で映画はリアリティーを感じられる
部分が一番大切だと言ってしまいましたが、やはり
そうだと思います。

そしてここのスレで、映画の何がリアルじゃないといけない
のかと言えば、当然神秘性ですよね。

神秘的な映画も、ただその神秘が感動的で美しいと
言えた物が、何かしら恐ろしさを感じるようになりました。

と言うのは、神秘的な映画には狂人が出てくる物がありますが、
自分も狂人になるのではないかと言う恐れです。

サクリファイスにしろ、鏡の中にある如くにせよ。ああ言う映画は、
ますますあの事件以前の価値観をひっくり返された今の状態には
すんなり入ってくる事でしょう。

と、訳の分からない事を言いましたが、今話題のイタリア旅行でも
見てまた話に加わりたいと思います。
210名無シネマさん:01/09/24 22:20 ID:h66AUHEA
ベルイマンは神秘主義とは対極にいるような印象がある。
何となくだが。
211少年ムシェット:01/09/24 22:33 ID:dbiHBTd.
「神々の深き欲望」ですが、四方田犬彦氏の著作によると沖縄ではえらく評判の
悪い映画みたいですね。
 個人的には「赤い殺意」と「にっぽん昆虫記」あたりがベストかなあ。

 ふざけたハンドルネームでごめんなさい。ブレッソンスレによく書き込んで
いた者です。
212名無シネマさん:01/09/25 08:52 ID:FRt.BNOA
>>209
マジでわからないっす。
もっとわかりやすく書いてくだされ。
213名無シネマさん:01/09/26 00:43 ID:NjwJILbM
>>212
ごめんなさい、、、。普通に書いたら余りにも長くなったので、
適当にはしょったのがいけなかったかな、、、。

つまり私の場合は普段生活しているときは、自分が死ぬことを絶えず頭に
置いて過ごしてはいません。
しかしこういう緊急時、阪神大震災の時でもそうでしたが、世界がいつもより
リアルに感じられるんです。皆さんはそんな事ないですか?

そして映画を見るとき、その命題がいつもより身近に感じられませんで
しょうか?

こんな事をこのスレに書いたのも、友人とこういう話があったからです。

友人は今回の事件で、何か音楽も映画も楽しむ気がしないと
言いました。つまり彼にとっては、音楽も映画もただのエンターテイメント
、暇つぶし、気休めでしかなく、世界がリアルになった今、
それらがただのまやかしの様に思えてしまったのでしょう。

しかしこのスレの上の方で話されてましたが、映画にはリアリティーが
あり、その意味でエンターテイメントでない作品もありますよね。
特に私たちが語っている映画等には。

そしてこのスレの命題は映画の神秘性です。もっと言うと、その神秘が
リアルであるのかないのかと言う問題にもなると思います。

さて、世界にはたぶん私たちの価値観ではとうてい判断できない
様な事が起こっています。それに巡り会ったとき、自分の価値観
(平行神経)が役に立たず、めまいを覚えると思います。

そうなると、常識という精神のよりどころがなくなって、人はどんな
考えにも陥るでしょう。

そしてそれがもし神秘的な映画の神秘をリアルと思って見るときにも
起こり得るのだとすればどうなるでしょうか。

ブレッソンやタルコフスキーや本人の意図に反してベルイマンは、映画製作
自体が特定の神にとは言いませんが、超越的な事への一つの信仰であって
(私はそう思います)、もしそれが偏った信仰なら、、、と思うと認めるのが怖いのです。
もし偏ってなかったとしても、、、。

そしてもう前の価値観に戻ってこれなくなって、普通の生活が出来なくなるのでは
ないかと言う恐怖心が起こります。

しかし自衛隊(日本人)が戦争をしに行こうとしている現在、普通の生活
と言うのは一体何なんでしょうね。

何はともあれ、私の映画の見方が多少とも変わってしまったので、その
表明をしておかないとフェアーじゃないかなと思い書き込みました。

キティ発生かと思われた方、正解です。申し訳ない。後、で何が言いたいねん?
と言うツッコミをされる方、返しようがないです。ご免なさい。
214エメエセ:01/09/26 01:10 ID:81fO.bL.
>>196
『裁かるるジャンヌ』についてだけど、
>1 ゴダールの映画に引用されているフィルムの状態は、とてもきれいでしたが、
>あれは、海外の映画館ではありうることなのですか。
そう、最初俺も驚いたよ『女と男のいる鋪道』だったよね。
日本で見ることのできる画質をはるかに凌駕する鮮明な映像が、
そこで上映されているじゃないの。あれは驚いた。
そんな体験があるから、ちょっとは調べたけれど、
それはやっぱ映画をきちんと保存するフランスならではのことと
フィルムコレクターに指摘された。
215名無シネマさん:01/09/26 08:26 ID:5/aabFk.
>213
ベルイマンは自分はエンターテイナーだと言ってるんじゃなかった?
ヒッチコックの「ロープ」の物真似とかしてるし。
216名無シネマさん:01/09/26 11:33 ID:ptQRoWvs
>>213
まあ、前の価値観に戻れなくするのが芸術ってものでわ?
「偏った信仰」というのは、概念自体がちょっと変かな。
安心して?不安を追求されたし。

>>215
そりゃポーズってものでしょ。
217名無シネマさん:01/09/26 11:40 ID:m/GPqZBg
>>216
ポーズじゃないよ。逆だ。
世間での自分の扱われ方に不満を表明して
「私の作品は何よりも客をもてなすためのものだ」
という主旨のことを言ったらしい。
ていうかポーズで映画を一本作るかよ?
ベルイマンを思想面とかでばかり捉えようとすることは
逆に彼に対する冒涜かもしれないよ。
218:01/09/26 12:13 ID:b.CLgdnI
>>211
土着性、神秘性を象徴的に描かれたから嫌いなのかな?

>>216
いいこと言った。信仰への理解を畏れることはない。
1氏の不安については、クリスチャンからの発言を請いたい。きっと示唆するところがあるはず。

>>217
「私の作品は何よりも客をもてなすためのものだ」
は、彼の大学での講義を収録した『ベルイマンは語る』の中のひとコマですね。
このくだりを読んで爆笑したのは漏れだけ?
ポーズ、というかジョークの側面があるには違いないと思うが、
漏れは人間ドラマにおいて、ベルイマンは最高のエンターテイナーだと思うなあ。
219名無シネマさん:01/09/26 12:14 ID:ptQRoWvs
>>217
あまりに深読みばかりされて、嫌になることはあるだろうけれど、
だからこその「ポーズ」なんじゃあないの?
本気で「客をもてなすため」にあの作品群を撮っていたとしたら、
それこそキティっつーもんでしょ。

ベルイマンにユーモアがないとは言わないが、
あまり冗談が上手く通じないところがあるとは思う。
そういう欲求不満もあったのかもしれないけれど。
実際僕の経験では、北欧人のジョークのセンスはわからんしなあ。
220:01/09/26 12:16 ID:b.CLgdnI
>本気で「客をもてなすため」にあの作品群を撮っていたとしたら、それこそキティっつーもんでしょ。

んなこたぁない。
221名無シネマさん:01/09/26 13:09 ID:jUvIQQdI
ベルイマンはなかなか流行に敏感なところがあって、
ヒッチが流行れば真似するし、黒澤やヌーベルバーグが
流行ればこれまた同じことをやってみたりしてるそうな。
ベルイマン映画のテーマ性の深さは疑わないけど、
彼は結構楽しんで映画作ってるんじゃないかな?
自分が楽しんでるんだから観客にも楽しんでもらおうくらいの
意識は常に持ってるんだと思う。
ベルイマンに限らずブレッソンにしてもタルコフスキーにしても
あまりに神秘性だとか信仰だとか強調してしまうのは問題かもねえ。
ある意味映画よりも観客の方が神秘主義なのかも(藁
222:01/09/26 14:18 ID:25ZgMQ0M
ここは神秘主義的スレだと思われ…。
223名無シネマさん:01/09/26 16:55 ID:I7wooKcI
神秘的だからエンターテイメントでないってこたぁなかろう。
僕は神秘的な雰囲気だからタルコフスキーの映画が好きです。
キリスト教徒じゃないけどタルコフスキーの言いたかったことには興味あります。
不思議なものですね。
それでタルコフスキーの映画は何が言いたかったんでしょう?
興味あるとか言いながらわかんないんですよねこれが・・・
224名無シネマさん:01/09/26 23:16 ID:RWDZKXCY
>>216
うん、絶対的真理がなければ「偏った信仰」と言う
概念は誤りですが、もし絶対的真理があるとすれば、
「偏った信仰」と言う概念は起こり得るのではないかと
思います。

そして絶対的真理が不在であるかも知れない事が心配であり、
もし絶対的真理があったとしても、「偏った信仰」に陥る
心配があります。

その二つの心配は、全ての事が制限なく行われてしまう
と言う事の心配なのです。

もしブレッソンや、タルコフスキーや、ベルイマンの
信仰が、究極には一つの真理に繋がっているのなら
良いのですが。

それは前まではぼんやりと信じていたのですが、今では
もしそうじゃないとどうなるのだろうと言う心配があります。

>>218
そのはずですが、、、。

今ふっと思ったのですが、私が陥ってる状態は冬の光の
マックス・フォン・シドーの役に似てるような気がします。
程度は低い事を望みますが。

彼も新聞で中国が核を持った事を知ったときから、
核の恐怖が急にリアルに感じられたのでしょう。

ベルイマンのエンターテイメント性についてですが、
上の様な人物を出してきて、それを見せ物にしようと
しているなら、本当に悪趣味だと思います(藁。

(たぶん彼にとってはエンターテイメントの言葉には
ただ単に「見せ物」や、「一時の気の紛らわし」ではなく、
かなり深い意味があるのでしょうね。)
225たぶん、悪魔が:01/09/26 23:21 ID:G8jqYE/2
ご無沙汰しました。
200を書き込んだあと、ベルナノス(ブレッソンのいくつかの映画の原作者です)のことを聞きに、
久しぶりに教会にいってきました。エメエセさん、ありがとうございました。やはり、
あのフィルムの美しさは、強烈でしたよね。さて、神父との話の最後に、そのドライヤーの「ジャンヌ」の
話をしたら、神父が、「ジャンヌは一度ですが、あのフィルムは二度焼かれました
からね。」と、最後にぽつんといったのですが、詳しく聞く時間がなくて残念でした。いろいろ、
数奇な運命をたどったフィルムのようです。ご存知のかたがいたら、また、教えてください。

私への宿題もでているようですが、少し時間をください。

1さんへ、
(映画そのものの論議とは、違ってしまうので申し訳ないのですが、少し>>209>>213での
発言がが気になったので)
神秘主義に関しては、人の数だけ定義があるとしかいいようがない部分もありますし、
また、キリスト教のなかでは、「神秘主義」は漂白されてしまっているので、私のたわごとと
思ってもらって結構です。
神秘体験を通して「超越者」との合一を求めるのが、神秘主義の共通した姿勢だと
いっていいと思うのですが、多くの神秘主義者たちは、「この世界がなぜこのようで
あるのか」という点から出発し、この世界にとどまり思索しようという意思を持ち
続けていたと思います。ある意味、あなたが、「自分も狂人になるのではないか」と
記されていた地点でしょうね。(神秘主義者にとっては、その思惟や思索をより深めるために
神秘体験が必要不可欠なのですが、乱暴な言い方で申し訳ないですが、その体系化や身体技法の点では、
キリスト教(やヨーロッパの神秘主義)はインド神秘主義哲学やスーフィズムに比べると
「深み」に欠けると思わざるをえません。不勉強なので、プロテスタントや東方教会のかたには、
異論のあるかたが見えるかもしれませんが。あ、また話がさらにそれて、申し訳ない。)

ベルイマンで盛り上がっているのに、話を、197までさかのぼらせてもらいます。
ドライヤーの「奇跡」以外の「奇跡モノ」ってということで、しばらく流れが頭に
入ってきませんでした。「ガートルード」のあの長い涙のシーンでは、だめなの?
「奇跡モノ」の流れはとまっているようですが、ドライヤーのレベルでの感動を
もたらす「奇跡モノ」って、まずないと思いますが。ただ、生真面目さを離れれば、

これもまた「奇跡モノ」という読みの面白さで ジョン・フォード「三人の名付け親」
「死」は神の恩寵であるという点で      「汚れなき悪戯」
同じく                   「聖なる酔っぱらいの伝説」

など。

前にも書きましたが、ブレッソンを神秘主義といわれると?なのだけれど、
そのことを書かねばと思いつつ、まだまとまらず、ただ単に途中で割って入ったようで
申し訳ない。ついでにもうひとつ、名前が並べられると、抵抗ある組み合わせって
やっぱりあるなあ。私の場合、近いレスでは、221のベルイマン、ブレッソン、タルコフスキー
のベルイマン。
226名無シネマさん:01/09/27 07:41 ID:fFztn5L6
いや、映画はあくまで見せ物でしょう。
ベルイマンにしたって見せ物としての映画が好きだから
映画を表現手段に選んだんだと思う。
ベルイマンが悪趣味なのかアクション映画のように暴力を
見せ物にするのが悪趣味なのか微妙じゃない?
227名無シネマさん:01/09/27 12:05 ID:hNuJib9c
どうしてもベルイマンは好きになれない。
深いのかもしれないけど何かなぁ。
何でだろね?
228:01/09/27 15:30 ID:t7htBUPw
>>224
>「もし絶対的真理があるとすれば、「偏った信仰」と言う概念は起こり得るのでは」
実に宗教的な考え方のような気がします。
漏れ個人は「絶対的真理」は、個人の中にしかなく(神ですら)、結局の所真理は相対的な
ものにならざるを得ないんじゃないか、と思っています。
従って、普遍的な、絶対的な真理はないんじゃないかと。
こうして個々人の真理においては、例のテロに見られる如く、殺人や暴力が肯定されるわけです。

で、凄い短絡的な結び付け方をするけど、ベルイマンは結局、絶対的真理なんてものはない、
従って人間と人間との間には、決して埋められえる事のない断絶がある、という風に世界を捉えているんではないかと。
つまり、国それぞれの人為的な法律や慣習や常識、といったものでしか世の中は統御されていない訳で、
せいぜいが人間が作り出した愛や倫理や道徳といったものは、宗教のように絶対的ではないし、
世界中がひとつになるような宗教的な普遍性を持つことは出来ない、と。
でですね、これは彼にとってきわめて苦い認識なのではないかと思うんです。
絶対的な真理、即ち神がいなければ人間は果てしなく肉や金やその他の欲望を求めるし、
エゴイスティックに振舞っては互いに傷つけ合うし、精神的なものはすっかり失われてしまって、
もうこの世は地獄の沙汰であると。

彼はわざわざ神の沈黙をテーマにして数本もの映画を制作する訳ですが、それくらい彼にとって神の不在、
世界を統御する倫理の欠如は、ショッキングで重要なことなのではないでしょうか。
逆説的に言えば神を求めて止まない人なんだと思います。いてほしい、と内心で思い続けているというか。
で、恐らくは漏れもそう。1氏もそう。絶対的真理なんかあるわけないのに、希求してしまう。
だから不安になり悲観的になる。…って決め付けすぎました?

繰り返しになるけど、漏れが彼の映画に一番共感するのはこの部分だったりする。
勿論、これらはきわめて恣意的な見方だけど、個々人が必死に恣意的に解釈しないと、
彼の映画はその姿をあらわさないと言う気がします。
抽象性を狙った部分もあるけど、彼は恐らく本気で「客をもてなそう」と思っていると思いますよ。
「人間って本当はこうだぁ!どうだぁ!」という、かなり凄絶なサービス精神を漏れは感じるし、
大好きなんですが、嫌いな人は嫌いだし、「藁っちゃう」と言う人が居るのも当然だと思う。
要は、彼の想定する”客”というのは、きわめて狭い意味だという事だと思われ…。

つづく
229:01/09/27 15:46 ID:raZrJaS6
つづき。

従ってベルイマンは世界観の人、という気がします。
タルコフスキーについては未見のものが多いので何とも言いようがないけど、
きわめてパーソナルな作家なんじゃないかという印象があります。
宗教的な神秘性と言うより、詩人の魂そのものにに打たれると言うか。
ブレッソンは自分の信念を曲げない厳格な教師。
自分の真理=カトリシズム(?)が俗世で酷く扱われていることへの怒りが根底にある、
と言っては言いすぎでしょうか。
思惟に揺らぎがない分、映画の方法論を徹底的に突詰めることが可能になった、のかな。

>>225
そうか…そんなにドライヤーって凄いんですか。
「裁かるる〜」、かなり面白かったけど、そこまでの物凄さは感じることが出来なかったので、
ちょっと自らの不束を恥じます。
お勧めされた映画も未見のものばかりなので、時間作って見てみますね。
230通行人だけど:01/09/29 00:44 ID:1Ssum1x2
それにしても3さんって頭いいなぁー、といつも感心するよ。
悪魔さんはクリスチャンのようだが、おいらの偏見で悪いんだけど、
たぶん、信仰のない日本人よりはベルイマンやブレッソンを
ダイレクトに受け容れる土壌があるんじゃないか?
だから信仰者としての声をもっとガンガン聞いてみたいなぁ、と思った。
言葉つたなくてごめんよ・・・
231名無シネマさん:01/09/29 01:53 ID:Lp2TFsbY
>>225
ベルナノスの何についてその神父さんとお話が
あったのですか???

キリスト教は、私みたいにこの世界に止まり思索する
こだわりみたいなのがあるのかな。どうしても人間的、
と言う事にこだわってしまう。宇宙的な考えが出来ない
様な。いつまでも思索の出発点が自分である所とか。

しかしキリスト教徒であるはずなのにタルコフスキーの
映画も構造がインドの曼陀羅の様だと言えばそんな感じもします。

彼に限らずブレッソン、ベルイマンも、出発点はキリスト教でも、
映画自身が持っている神秘性と自身の才能によって
その表現はキリスト教から見れば特殊化している様にも思えます。

ですが、私が今回の不安を感じる前まではブレッソン、タルコフスキー、
ベルイマンのそういう神秘からも人間的な絶対的真理を感じさせてくれたんですよ。
そしてその全人類を対象にした様な愛がやはり彼らの最大のテーマかな
とぼんやりとも思っていたのです。

(タルコフスキーが自身のソラリスと比べて2001年を冷たいと表現
したのもその点に関係あるのかもしれません。)

ですが今の私にはそれらさえも制限のない宇宙の中にバラバラに
なって掘り出されている感覚であって、私の人間的な物への郷愁に
答えてくれないかも知れないと言う不安が起こっているのでした。

>>227
鏡の中にある如く見ました?あれは神秘的な雰囲気
という意味でも良いですよ。

>>228
そうです。宇宙的な世界観に不安を感じる私は結局人間らしい
絶対的真理を未だに希求しているのでしょうね。
しかし私とキリスト教の関わりは幼稚園がカトリックだった事と、
家の近くに教会があった事だけなのですが何故なんでしょう。

うん、ベルイマンはキリスト教的こだわりを見る人が持っていない
と、苦しみを共有できないと分からない部分が多いかも知れませんね。

明日から二日ほどまた用事で書き込めません。ご免なさい。
232名無シネマさん:01/09/29 02:13 ID:Lp2TFsbY
ベルイマンのよく見るインタビューの中で、サルトルの
エッセイを引用しながら自身の宗教観について語っていますね。

「私の生活から宗教の影響が一掃されたとき、同時に人生は、
それまでと比べものにならないほど容易なものになりました。

長いあいだ彼(サルトル)は自分の作品の不完全さに悩まされ
ていました。彼は、徐々に、論証的な考察を重ねることによって、
次の事実を認めるに至った。

つまり、価値あるものをつくりだしてはいないと言う馬鹿げた不安の背後には、
至高の価値と呼べるようなもの、あるいは人間が作りうる完璧なもの、
そうしたものが存在するのだという宗教的観念からくる原始的心性がある、
ということに気付いたのです。

サルトルが自分の内部にこの先祖帰りを見出し、究極的、絶対的完全さ
があるとする考え方の残滓を明るみに出し、そしてそれを決定的に
払い去ってしまうやいなや、彼の芸術的創造の障害となっていた
心理的圧迫が消え去ってしまったのです。これによく似た経験を、
私もしました。」
233名無シネマさん:01/09/29 02:41 ID:8L1bU.EM
>逆説的に言えば神を求めて止まない人なんだと思います。
>いてほしい、と内心で思い続けているというか。
ドストエフスキーみたいだな。
ベルイマンはもしかして実存主義者?
>>230
>鏡の中にある如く見ました
見ましたよ。彼の映画は結構見てる。
面白いとは思うけどそれ以上の感銘は受けないんだよね。
あまり思想的に映画を捉えたりするのが苦手なもんで。
彼の幻想シーンなどを見ると「何でそこで切るの?」とか
「え?それで終わり?」とか思ってしまうことが多い。
彼がエンターテイナーだという意見にはあまり賛成出来ないな。
彼にとってはやっぱり映画は自己の思想を表明するための道具なんじゃない?
だからキリスト教的こだわりを持たない俺にはわからないのかもしれない。
このスレのベルイマン分析を見てても非常に文学的、哲学的なもののような気がする。
234:01/09/29 14:03 ID:eMNqgK3k
>>233
>ドストエフスキーみたいだな。
ええ、ただ我ながら恣意的にすぎる捉え方だとは思うんですが。むしろ漏れの願望に近いかもしれません。
232氏が引用したインタビューで、彼が実存主義者かどうかについては、難しいところだと思います。
と言うのも、ベルイマンがそう望んだとしても、この人の映画から神、即ち運命、倫理、超越者の気配が取り除かれる事は
決してないような気がするからです。
人物の生理や肉体性(ぜえぜえといという呼吸や、唾の音まで聞こえてきそうな口腔の微細な音、嫌悪感に歪む顔等)
に徹底的に依拠した映画作りをしているので、容易に「水いらず」なんか想起しますが(←漏れの浅い読みですが)、
やっぱり総じて人物達は、倫理、というものの厳しい眼差しから逃れられていないような感じがするのです。
後期の『ある結婚の風景』で、妻は自身に深く根付いた性的な欲望に率直に向き合うことで、
漸く本当の幸せを手に入れたかに見えます。
ところが、そう話した直後には、何か得体の知れない、終生付きまとう奇怪な「不安」によって、
厳しく断罪されてしまう。不安や苦悩は消えることはなく、死ぬまで彼女の内面に揺曳しつづける。
こういう場面を見ると、「ああ、この人は宗教があれば救われるんだな」と、漏れなんかは直感的に
思ってしまうんです。
神を否定、或いはその存在を気にかけずに、人間自身の力で思惟を構築し、哲理を編み出す。
そしてそれを人生の中で実践する。
それを心がけて多くの人は生きていくのだと思いますが、それでも不安が拭えなかったり、
尽きせぬ苦悩があったりする。それで宗教の力が必要になってくる。
カラマーゾフの「大審問官」で、異端審問官は「お前の理想が高すぎたのだ、人間は自由が嫌いなんだ」
とイエスを責めますね。
漏れは同様に、実存主義が人間に要求するものも理想が高いような気がする。
そういう視点からも、ベルイマンの映画は非常に興味深いと思います。
彼のエンターテイナー振りについでですが、ちょっとまたあとで書かせていただきます。
235:01/09/29 23:24 ID:l93ELrfw
ベルイマン中後期の作品に『叫びとささやき』という映画がありますね。
三人姉妹の確執と過去を描いたカラー映画。
これなんか彼のサービス精神の旺盛さを感じさせて、もうジュラシックパークかと見まがう出来だと思うんです。

死を目前にした末の妹を看取りに、上の姉二人が生まれ育った我が家に帰ってくる。
末っ子は彼女らとの平和な関係を望みつつも、三人三様、心は全く通じ合ってません。
こうして末っ子は他人である忠実な召使の豊かな胸に抱かれている時だけに、僅かな心の平穏を感じるわけです。
一方、姉二人は死にかけた妹の病気なんか構わず、鬱々と自分自身の過去を振り返ってる。
この過去が陰惨です。惨めです。ベルイマン的モチーフの展覧会になってます。
曰く、夫とのセックスを拒否するために陰部にグラスの破片を刺すだの、鏡に見惚れていると、
浮気相手が残酷に老いを言葉で指摘するだの、浮気を知った夫が自身の腹部を刺すだの…。過激です。
まずはこの過激さがベルイマンの売りです。『沈黙』の女性のマスターベーション場面なんて言わずもがなです。
人間の生々しい姿、人間の真実の姿くらい面白いものはないだろうと、彼は主張している訳です。
どうせなら映画として都合の良い解決をしたり、ありもしない希望を添えたりなんかせずに、
たまには徹底した泥仕合を見るのもいいじゃないか、と。
そんなわけで、この二人の姉妹は憎みあってます。一時和解しかけるものの、「あなたのその淫らがましい笑みが嫌いなのよ!」
なんて目も当てられない言葉をぶつけ合う姉妹が、心から許しあえる訳はありませんね。徹底的に傷つけあいます。
人間と人間が、互いの最も言って欲しくない言葉を、これでもかこれでもかとぶつけ合う。
ショッキングです。けど見ていてこれほど興奮し、面白いものはない。
CGで動く恐竜や爆発、カーアクションは面白い。メロドラマやハートウォームな物語だって面白い。
でも、”人間”以上に面白いものなんてないと思うんですよ。
さて、末っ子は望み叶わず、とうとう平穏を得ぬまま死んでしまいます。ところがこの映画はここで終わりませんね。
ここからが怖いです。ぞっとする展開がまっています。見てない人のために、もう言いませんが。
つづく。
236:01/09/29 23:50 ID:jvthzkC.
神の不在、なんて人によってはどうでもいいようなテーマを巡って映画を作るくらいだから、
彼の映画が自然、思想の表明の手段、といった色彩を帯びてくるのは必然だと思います。
漏れが時々思うのは、むしろ映画監督以前に、彼は劇作家である、ということですね。
まあ事実、職業上はその通りなんですが。
しかし、作品の根底にある思想以上に、人間という生き物の蠢き、喘ぎ、足掻き、戦い、そうしたものが
突出し過ぎている。その突出したものこそが彼の映画の魅力です。しかもそれが決して露悪に堕していない。
「過激だ」と言うのはこっちの勝手ですが、ベルイマンはそうした視座ではなく、更にもっと不可解なものを見ている。
その不可解なるものは漏れにはまだ分かりませんが。

意気込みましたが、全然説明になってませんね。まるで荒らしのようだ(藁
しかし、彼の映画技術、或いは総合芸術としての映画監督としての凄さは、
『ファニーとアレクサンデル』の冒頭のクリスマスの場面を見るだけで充分という気がしなくもないです。
長々とスマソ
237名無シネマさん:01/09/30 08:49 ID:VbC9yI62
ここに集うみなさんは神秘主義的映画としての
ゼメキスの「コンタクト」を
どう処理されるのか。
是非ご意見が聞きたい。
238これでいいですか:01/09/30 23:50 ID:5/HuJNoo
>>225
>、「ジャンヌは一度ですが、あのフィルムは二度焼かれました
からね。」と、最後にぽつんといったのですが、詳しく聞く時間がなくて残念でした。いろいろ、
数奇な運命をたどったフィルムのようです。ご存知のかたがいたら、また、教えてください。

「裁かるるジャンヌ」は完成後、2本のプリントが焼かれ、デンマークでじ4か月間上映された。
フランス公開時では検閲でカットされた版で上映。
が、この直後、オリジナルネガが保管されてあったウーファ撮影所で火災が起こり、ネガ焼失。
そこでドライヤーは未使用ネガ、つまり別テイクを使って映画を再構成する。これが「ジャンヌ 第二版」
である。このバージョンでアメリカ、日本などで公開されたが、この第二版のネガが保存してあ
ったブーローニュ=ビランクールの撮影所も火災にあい、第ニ版のネガも焼失してしまう。
1944年にフランスの映画評論家ロ・デュカの助力で16ミリプリントからサウンド版の改変版が作られる。
これがいわうるロ・デュカ版で、インタータイトルをカットし、スーパーインポーズで字幕処理し、バッハを
伴奏としている。オリジナルにはない教会の窓を何度もインサートするなど問題も多いこのバージョンを、の
ちに見たドライヤーは激怒し、抗議の手紙を出す。
一方、スネマテーク・フランセーズやニューヨーク近代美術館では、フランス公開版を基にした不完全なプリント
を1930年代末には所持しており、ここから8ミリ、16ミリがデュープされた。今日、シネクラブやビデオで
広く見られるのはこのバージョン。

さて、1981年ノルウェーの精神病院でほぼオリジナルに近い「ジャンヌ」の綺麗なプリントが発見される。院長が
ジャンヌ・ダルクの研究えを行なっていたため、コレクションしていたのである。
このプリントはデンマーク映画博物館でナイトレイト(ニトロベース)からセイフティに不燃化され、シネマテーク・
フランセーズがフランス語の字幕を入れた。現在、この復元版はあちこちの映画祭で上映されている。

東京では1994年暮に有楽町の朝日ホールでただ1回のみ上映されている。
ビデオや16ミリ版でしか見ていない者は、映し出された「ジャンヌ」がまったく別物であると思い知らされ、愕然とし、
打ちのめされた。が、このことを日本の映画ジャーナリズムは伝えなかったし、その後上映の機会はなく、もちろんビデオ
やDVDで発売されるという気配もない。
239これでいいですか:01/09/30 23:58 ID:5/HuJNoo
タイピング・ミス容赦。

モーリス・ピアラ「悪魔の陽の下で」はベルナノスの原作だが、「奇跡」に似てるが、
まったくクソだ。
2401:01/10/01 02:03 ID:O/I14ygA
>>234
そう思います。人間の心が真理を希求しているのだと思います。
私はベルイマンのその心意気にも惹かれます。

>>235
そうですね。しかし、人間の嫌な部分を描いてるのを見てる人が
ただおもしろがっているだけだとすると、その人は映画にリアリティーを
感じていない、本当に自分の人生に置き換えて観ていない事に
なるでしょうね。

私にはそこまでリアリティーを感じさせてしまう映画が、
日常を思い出させてしまう映画が、エンターテイメントだと
言う必要はもうないかなとか思ってしまいます。しかし、
これは私がエンターテイメントと言う言葉に対して意味を
限定しているのが問題なんでしょうね。

でも3さんのレスを観ていると、言葉でもそこまで映画の大切な
所まで表現できるんだなと感心してしまいます。

そしてそのリアリティーから感じる不可解さは3さんでも言葉には
出来ないと。それは彼自身も分かってないのだと想像します。
それが彼の天才なんでしょう。もう感じるしかないのでしょうね。


(今までコテハンは2chの趣旨に合わない気がして何故か
止めようと思ってましたが、結局ややこしいので名乗ります。
どうでも良いか。)
2411:01/10/01 02:09 ID:O/I14ygA
>>237
ご免なさい凄い恥ずかしい事かも知れませんが、
勉強不足で知りません。どんな内容なんですか?
242たぶん、悪魔が:01/10/01 11:39 ID:SZ1p8.Q2
>>238
これでいいですかさん、詳しく教えていただき、ありがとうございました。
>ビデオや16ミリ版でしか見ていない者は、映し出された「ジャンヌ」が
まったく別物であると思い知らされ、愕然とし、打ちのめされた。

いや、ますます見たくなりました。映画祭のチェックがこれから必要になるんですね。
案外、香港、釜山の映画祭が穴場かも知れませんね。

>>231
ベルナノスの話を聞きにいったのは、
 1 ムシェットは、「悪魔の陽のもとに」(翻訳ではひらがなです)と「新ムシェット物語」
 に、二度描かれているのですが、何がそこまでベルナノスを惹きつけたのか
 2 「カルメル派修道女の対話」について
の質問をいくつかするのが、目的でした。
(「対話」も映画になっています。ジャンヌ・モローの若い頃のものですが、
239で「悪魔の陽」が言われているように、「対話」も残念ながらここであつかうには、
ふさわしいものではありません。)
それと、おっしゃっている「人間」(というよりもこの世界)にこだわることと、宇宙論とは何も
矛盾するものではないですよ。

>>230
信仰があるため、逆に目が曇ってしまうこともありますよ。すこし、話がそれて
しまいますが、わかりやすい例として、「ミツバチのささやき」。
あの映画、とてもみずみずしく大好きな映画ですが、「精霊」を信じる、「精霊」に
触れようとする部分は、自然すぎてあたりまえになってしまいます。自分もそうでした
からとてもリアル、またはアクチュアルではあっても神秘的ではないという感覚なのです。

今日書き込みにきたのは、217からはじまっている「もてなし」のことについてなのです。
旧約のなかでは、(来訪者への)歓待は明文化されている重要な「戒律」です。ベルイマンの父は、
確かプロテスタントの牧師でしたよね。プロテスタントが、旧約をどう扱っているか詳しくないのですが、
文化の基層には、もっているように思うのです。
「もてなし」とか「歓待」とかは、結構素通りされてしまう言葉なので、ベルイマンが
自己韜晦でいっているのか、もう少しその前後の発言内容解らないでしょうか。

>>237
ジョディ・フォスターの信仰の有無が、選考で問題にされたこと?
彼女の恋人が、宗教家であること?
それとも、映画そのものが神秘主義的な世界観をもっているとか?
私は神秘主義を感じさせたらその映画OKでは別にないので、不適切かも
知れませんが、「コンタクト」では、そうした志向は感じられませんでした。
もう少し、詳しく書いて下さるとありがたいのですが。
243237:01/10/01 18:24 ID:jCF8pZa.
はい、確かに「コンタクト」、今までここに挙がってきた映画とは少し毛色が
違います。私としては、まさに神秘主義的なテーマの核心に触れた映画なのでは
ないか、そう思っていたのですが、なるほど、>>242悪魔氏の「そうした志向は
感じられ」なかったというひと言で気づきました。
ここで問題にされているのは「神秘主義的な映画」ではなく「神秘的な映画」
なのですね?
なるほど「コンタクト」は、我々の内なる偉大な力を感じさせてくれる、
いってみればニューエイジ的神秘主義映画(もちろん空想科学映画でもある)
なのではないかと思うんですが、確かに、映画そのものの「背後に偉大な力を
感じさせる映画」ではないようです。
なかなか難しいスレですね。
2441:01/10/01 22:49 ID:I2Y7Z9F.
>>237
ご免なさい、、。私はただ語呂が良いからと言う理由
だけで「神秘主義的な映画のスレ」としてしまったのです、、。

「背後に偉大な力を感じさせる映画のスレ」に
したら良かったのかな、、、。
2451:01/10/01 23:17 ID:I2Y7Z9F.
>>242
成る程、、教会関係者の中ではベルナノスの作品は
有名なんですか。と言うことはブレッソンのベルナノス
関係の映画もご覧になられているのでは、、。
何か仰られてませんでしたでしょうか?

ブレッソンの形式についてその神父さんはどう思われた
のかなぁ、、、。

私が「人間」と「宇宙」としたのは、結局宇宙的な価値観から
見て、人間の心とはどんな価値を持っているのかな?
と言う疑問なのですが、このスレとだいぶ逸れてきた様な
気がしますので、後は自分で宇宙論について勉強します。
246名無シネマさん:01/10/01 23:58 ID:WihlgJQI
「行動の時代は終った。内省の時代が始まる」(ベルナノスを引用したゴダールの「小さな兵隊」ラストのモノローグ)
247名無シネマさん:01/10/02 00:10 ID:PWl87MOI
>>246
その台詞ってベルトルッチの「暗殺の森」にも引用されてましたよね。
248これでよろしいか:01/10/02 06:10 ID:R0V4g3is
ベルトリッチのゴダール殺しが濃厚に漂うセリフってことでな。
確か元になったベルナノスの言葉は「辱しめられた子供たち」からの一節だが、これは翻訳出てるんかな。

いつぞやのオニイサン、グル・ダットのDVD買えましたか? 「紙の花」がテレビサイズのトリミングで
がっかりしたでしょ。どこかにスコープ版ないのかなあ。

2 「カルメル派修道女の対話」の映画はそれなりに面白かったな。
249名無シネマさん:01/10/02 09:44 ID:OSGdwC9U
「ジャンヌダルク裁判」見ました。
いいですね。今まで見たブレッソンの映画で一番良かった。
ブレッソンの意図がどこにあるかはわかりませんが、
ジャンヌの信仰に共感出来るかどうかではなくて、
やはり信念を貫き通した姿に感動を覚えました。
こうした人間の美しさは信仰や文化の違いに左右されない
普遍的なものだと思いました。
変にドラマチックに描くと薄れてしまいがちなものを
虚飾をほとんど排することでくっきりと浮かび上がらせているんですね。
バルタザールやムシェットでははっきりわからなかったものが
何か明解に現れているような気がしました。
250名無シネマさん:01/10/02 10:02 ID:QnuyUf6.
>>240
僕はその意見には反対。
エンターテイメントというものもリアリティがなければ
本来は成り立たないものだと思う。
人間の醜い部分が現実的、日常的であるならば
人生の美しさや楽しさもまた現実のものだと思うんですよ。
251名無シネマさん:01/10/02 14:20 ID:JjPKnHp6
グル・ダットの「紙の花」と「渇き」を、
10月5日に小田急線新百合ヶ丘で行なわれている、
しんゆり映画祭で上映するそうですよ。
佐藤忠男さんの講演もあるようです。
今週発売のぴあに載っていることですけれども、、、。
横レス失礼しました。
252名無シネマさん:01/10/02 16:26 ID:XF0gewfw
遠いよ。俺関西出身なのに。
そういえばこのスレってインド映画の話が出ないね。
253たぶん、悪魔が:01/10/02 18:58 ID:L8EAzVp.
>>245
1さん、私の老婆心で逆にあなたに妙なプレッシャーを与えたのなら、申し訳ないです。
私は自分が書き込んでいるときスレの趣旨からそれそうな時これでいいのかなと思う反面、
ある意味で大きな映画を語る以上、映画論からも逸脱することも十分ありうるとも思っています。

ベルナノスについてですが、カトリックに限定すれば十分有名ですが、残念ながら
カトリック文学っていうと日本では、まずそれだけで読者をなくしてしまうのでしょうね。
だから一般的には、それほど読者には恵まれていないと思います。ましてや、>>248
触れられている「辱しめられた子供たち」(邦訳は今ないと思います)にいたっては、
認知度はかなり低いのではないでしょうか。ただ、自分でベルナノスと書いてしまって
いつゴダールが出てくるかと、ある意味ひやひやしていたのですが、やはり皆さん見逃されませんね。
ゴダールのベルナノスへのこだわりってかなりなものがあるのは事実です。
(私は、それって、ブレッソンがらみかなと思うこともあるのですが。)

ブレッソンの映画を神父が(というか宗教者が)どう思ったのか、聞いておきます。
ただ、結構彼も教会や信者のことで忙しいので、いつまでと約束はできませんが、
それでよろしいですか。(神父だからって、そんなに敬語つかう必要ないですよ。)

>>252
インドに、神秘主義の映画ってあって当然と思いつつ、なかなかでてこないですね。
それは私が知らないだけかもしれませんが、実際にインドにいくと神秘主義とは無関係な
世界がほとんどなのも事実ですね。(考えてみれば当たり前なのですが)
スーフィズム、インド神秘主義哲学、チベット密教、それぞれすでに表現の回路を
もっているので、映画として表現される必要がないのかと思うときがあります。
お勧めの映画があれば、是非。
254これでいいですか:01/10/03 01:31 ID:69s0buqY
「当時この映画が小さな革命を起こしたことを私は理解するが、今となっては、私はこれらすべての
俳優に、私を逃げ出したい気持ちにさせる、おどろおどろしい引きつった顔、恐るべき道化しか見出
さない」(ロベール・ブレッソン「裁かるるジャンヌ」に関する見解、カイエ・デュ・シネマ1957年
10月号)
255これでいいですか:01/10/03 01:56 ID:Mw0DNLqY
インドより中央アジアのイスラム文化圏の映画の方が遥かに神秘主義的だ。
日本では機会があるごとに映画祭などで上映されるバコ・サディコフという映画作家が特に際立っている。
ほとんどマスコミの話題にもならず、インテリも取り上げないので、日本の映画祭で何度も上映の機会があったとはゆえ、
知る人はごくわずかだと思うが、映画祭などで上映された3、4本の作品を見た限り、イスラムの文化、歴史、神話に精通して
いないとほとんど理解できない。が、タルコフスキーをもっと晦渋にし、初期のソクローフをも思わせる深遠で透明な映像は、見て
いるだけで圧倒される。砂漠の中に唐突に古代都市が浮かび上がったり、画面を覆い尽くす突風が何もかもなぎ倒し、神話的なストーリーをも
切断し、夢幻の彼方へ拡散していく、その手法は、見る者に神秘主義という言葉そのものも本当は何も理解していないんじゃないかと思わせる
有無をもいわせる力が漲っている。
いずれにせよ、いくら韓国の仏教映画(たとえば「達磨はなぜ東へ行ったか」「破戒」など)が
難解だとか、シェーストレーム&スティルレルに源を発する北欧の神秘主義の映画や、欧米のカソリシズムを背景にした映画を、
神秘という名のレッテルを貼ろうとも、サディコフを頂点とするイスラム文化圏の、こうした映画の”わけのわからなさ”よりは
幾分言葉を重ねることができるというものだ。たとえばサディコフの「ジョズス」(92)を見たときのめまいにも似た、自分を
支えている大地の根底が崩れるような得体の知れない感銘は、言葉をいくら探しても見当たらない。
256これでいいですか:01/10/03 02:06 ID:G7Oizx9k
言わんでもよい。そのとおり、「ソクローフ」ではなく「ソクーロフ」だ。
また改行に失敗して読みにくくなったこともついでにスマソ。
257これでいいですか:01/10/03 02:18 ID:XyOdtmx6
で、ようするになにも知識を披瀝したいんではなく(それでもサディコフはもっと多くの人に見られればならぬが)、
イスラム文化をわけがわからんといってるのは西側の論理なわけでしょ。
ということは、彼等にとって神秘でもなんでもないことを神秘といってしまうことがどうかと思う、と異議を挟みこみたかったんだよ。
ある連中にとっては日本の「犬神のたたり」だって、アメリカの「エクソシスト」だって、それこそ小津や成瀬だって神秘に映るという
ことだよ。あ、別に煽りじゃないですから。
258名無シネマさん:01/10/03 02:57 ID:Q5.hpc8.
フィルムアート社「ワールド・シネマ!」の”ユーラシア”の項に井上徹氏がサディコフについて書いてますね(たった4行!)。

「内戦と国内混乱が続くタジキスタンでは、幻視と綺想の系譜を継ぐバコ・サディコフ監督の一連の作品(「砂嵐」89、「鳥」93、
「ブユク・アミル・テムル」96など)が相変わらず怪気炎を吐いている」

「綺想」という言葉はピッタリだな。

以上、自作自演でした。
259インド映画といえば:01/10/03 14:07 ID:723rKYLQ
アラヴィンダンという映画監督の作品は神秘的らしいね。
見たことないけど。
260名無シネマさん:01/10/03 18:33 ID:BcpTevA.
頼む、これでよろしいか、で統一してくれ。
2611:01/10/03 23:38 ID:1vdDRebk
>>250
そうですね。汚い物も美しい物もリアルでありえる
と思います。
海や、空、山等理由もなしに存在する物もやはり
私にとってもリアルな存在です。
言ってみれば世界中全ての事物がそれなりに美しく
もあるし、汚くもあるので全てをリアルだと言えると思います。
言うまでもなくもちろんですよね。

しかし
>>213
で書いた友人は何故現実のリアルに対して映画のリアル
を不謹慎に感じたのか。そこが私の疑問なのでした。

たぶん見ている人の意識の持ちようで例えばベルイマンの
映画でも見せ物になりえるだろうし、
(確かベルイマンの性的に過激な描写(当時)のカットだけで
編集された物があったと何かに書いてた。)
見ている人が自分の人生を真剣に見つめたとき、現実と真剣に
向き合った時、良い経験、告白する場としてもなり得ると思います。

そして友人は映画に対して見せ物に対する意識しか持って
いなかったのだと思います。

上の二つの例のどちらもがリアルですが、問題はリアルで
あれば良いと言うのではないのです、、、。

私は安易にエンターテイメントとリアルの意味の定義を
し過ぎました。別段皆さんのエンターテイメントとリアルの
定義に文句を言う筋合いはないです。これはただの
言葉の問題です。

ただ私は上に挙げた二つの例のどちらが価値があるか?を
言いたかっただけなのでした。
2621:01/10/03 23:54 ID:1vdDRebk
>>253
そうですね。私もこのスレで語られる映画は、
映画だからで済ます事が出来ない映画であると思います。
難しいところです。しかしスレ住人の一人として、
皆さんにも重要な事だと思えば、ちょっとぐらいスレの
内容から逸脱しようとも書いて欲しいです。真剣な内容は
結局巡り巡って映画の神秘の理由にもなると思います、、、。

ブレッソンの事を神父さんに聞くことについて回りくどく
リクエストしてしまいました。でも期待してます(藁。
2631:01/10/04 00:05 ID:Oa/cTaO2
>>254
あっ、「これでよろしいか」さんだ!(藁
何で名前を変更されたんですか?
私も「これでいいですか」さんより「これでよろしいか」さん
に一票!

>>255
バコ・サディコフ超見たいです!やはりイスラム教
がベースになっているんですか?そうだとすれば
タイムリーだし、映画的体験をもってしてイスラム
教に触れれるのなら凄い事!

>>257
はい。でもそれもただ言葉の問題なのだと思います。
神秘的、と言うのはこのスレではただ不思議、と言う意味
だけではないと思います。

私には小津も相当神秘的なんですが。
264名無シネマさん:01/10/04 02:52 ID:ld5uWFw2
ヘソ曲がりなのは漏れの性格。

インド映画は90%以上をヒンドゥー語とタミル語の、いわゆるボリウッド産の娯楽映画が締める。
ヒンドゥー語圏では、インド映画史を代表する大衆監督として、ラージ・カプールがいる。彼は理想主義的リアリズムに
分類される。といっても「放浪者」「私はピエロ」「ガンジスの流れる国」といった作品がそれにあてはまるだけで、初期の
「火」「雨季」といった作品は、自然主義の傾向が強い。
ベンガル語圏であるサタジット・レイ映画は例外だが、これは西洋的定義からするとリアリズム映画だろう。
同じくベンガル語圏では、早世したリトウィック・ガタクというすごい監督がいる。「雲のかげ星宿る」「メカニカルマン」は、
彼の代表作だが、溝口的リアリズム志向が感じられる。
ケラーラ州ではマラヤーラム語のアラヴィンダンがいるが、彼は神秘主義というより寓話的。
本流のヒンドゥー語圏では、「夫になりたかった幽霊」を撮ったマニ・コウルの名を神秘主義として挙げてもよいが、
「夫になりたかった幽霊」を見る限り、まったく才能がない。ひたすら退屈した。救いだったのは、通常のインド映画に比べて
「夫〜」が90分以下だったということだけだ。

というわけでインド映画には、このスレにふさわしい監督や作品はない。

中央アジアや地中海周辺のイスラム教圏の映画(イランの児童映画を除く)の神話的すごさよ!
バコ・サディコフならおそらくゾロアスター教まで知悉してないと意味不明だと思う。
265名無シネマさん:01/10/04 07:41 ID:b40UowY6
溝口的リアリズム志向。
溝口のリアリズムは神秘的な傾向を持ってる気がするが。
西鶴一代女なんぞはフェミニズムとかそういうもんで説明出来る
ようなもんでもあるまい。
江戸時代という時代の物語としても明らかに現実離れしてるし、
時代を特定出来ない一種の神話的物語のような気がする。
266たぶん、悪魔が:01/10/04 21:23 ID:Q8dJChPw
>>254
今日、仕事中に読んでいて思わず声を出して笑ってしまいました。いや、ブレッソンらしい。
57年というとまだ、「裁判」は撮ってないときですね。まるで関係ないですが、
山田五十鈴が、黒澤の映画の後「東京暮色」で小津に「目でする演技」を止められ、
ずいぶん苦労したという話を思い出しました。

>>259
>>264
アラヴィンダンはおもしろいとは思いましたが、やはり神秘主義の軸で語ると
かえって彼の映画のよさが見えてこないでしょうね。

>>255>>264(サディコフに関して)
神秘主義に関しては、どうやら本命登場の予感がしてきましたね。スペルは、
Sadikovでよいのでしょうか。
映画を見る前に質問はよくないとおもってるのですが、>>264でゾロアスター教の
ことがかかれているので、気になって気になって。イスラムとゾロアスターのヴィジョン
なりとが、両立しているってことでしょうか。ちょっとありえない組み合わせなので
かえって興味津々。もう少し、くわしく教えていただけますか。

今夜は、これから久しぶりに、「たぶん悪魔が」を見て寝ます。
267これでええではないの:01/10/05 03:25 ID:ec9KVoNw
ふー、こんな時間まで仕事かよ。まったくもって日本の労働状況はどないなっとんや。

前スレで「リミュエール」に対して嫌味をカキコしたら、反ハスミだと思われた上、反ハスミ=映画秘宝グループ
だと思われ、嫌味がエスカレートしてしまった。漏れは別に映画関係者でもなければ、”恵まれた立場”にいるわ
けでもない。見たい映画を見るために努力し、読みたい本を読むために努力してるだけ。
まったく紋きりにはうんざり。これだからハスミ信者は・・・(苦笑)。とにかく自分の目で映画を見よう、と言い
かっただけ。ブレッソン特集のパンフの程度の低さを絶賛しているのにあきれてしばらくロムってけど、大人気ない
とちょっと反省して、とりあえずまたしばらくロムるとして、2つだけカキコしておく。

1.今村昌平やサタジット・レイの名前が出てくると、なんでもありかい!と突っ込みを入れたくなる。
>>1がこのスレを立てた意図を汲むと、まず大枠の定義づけが必要かと思われ。(でないと、寺山まで出てくる)

映画史的に神秘主義という言葉が使われたのはサイレントのデンマークやスウェーデンといった北欧の一部の
映画に対してであった。ドライヤー、シェーストレーム、スティルレルがそれ。その特徴は、
・形而上学的な主題を取り上げる(神、信仰、死、魂など)。
・同時にそれと即応して貧困や飲酒といった社会悪を取り上げることもある。
・ロケーションの多用と風景描写が心象風景以上の意味を持つ。
・大胆なエロティシズムと官能描写。
・二重露出の使用や厳格な構図主義。
・スウェーデンの両巨匠は、自国の神秘主義作家で北欧神話や民族的寓意を主題にした
小説を数多く執筆した作家セルマ・ラーゲルレーフの小説を映画化することが多かった。
その代表作がシェーストレームの「霊魂の不滅」。
・しかし「霊魂の不滅」をリメイクしたジュリアン・デュヴィヴィエ「幻の馬車」はス
タイルとして寓話的であっても神秘主義とは呼びがたく、ファンタジーに分類されると
思う。
・シェーストレームが渡米して監督した作品は、厳密には神秘主義的ではない。が、ロン・
チャニー主演「殴られる彼奴」を見ると、人生を見えざる力によって支配されているとと
られた視点が打ち出されており、またロケ描写の軟調画面の美しさにも北欧時代を
想起させるものがある。といっても「殴られる彼奴」は、ロン・チャニー主演ということも
あり、また舞台がサーカスということもあり、チャニーとコンビを組んだトッド・ブラウニ
ングと濃密な親近性を感じさせる映画ではある。ブラウニングに関してはトーキー「フリー
クス」ばかりが近年は有名になってしまったが、彼が最高水準を示したのはチャニーと組んで
いたサイレント時代の一連のビザールな自然主義的ホラーないしはスリラーである。
付け加えると、ブラウニングは、今日グロテスクな映画の代名詞監督になっているが、
そもそも連続活劇を経て、サスペンス、ホラー、犯罪劇へと移行した監督であり、意外や
彼の空間把握力と編集の才能に関しては小津が敬意を表した発言をしている。
・今日、北欧神秘主義の系譜を引継ぐ監督は、ラース・フォン・トリアーということになろうが、
漏れはまったくもってクソだと思う。
268これでええではないの:01/10/05 03:42 ID:YdFoxqNY
つづき

さて、ベンヤミン・クリステンスン「魔女」である。
今では幻と化しているこの映画も、漏れがガキだった80年代までは新宿で
半年に一度は「フリークス」「ピンク・フラミンゴ」と並んで上映されていた。
いつもガラガラのモッコス(漢字忘れた)アーカイヴで見た「魔女」は、実に
魅力的で不思議な映画だった。
魔女や魔女狩りの絵画、挿絵、遺跡、文献がコラージュされ、それにまるで文化
映画のようにナレーションの解説が入る。解説は記述風であったり、批評的であ
ったり、科学的な考察であったり、多方面からのアプローチで成立している。
映画が進行するにつれ、いくつかのエピソードがドラマ仕立てでオムニバスとし
てつづられる。科学的な考察による解説によって、これらの魔女憑きが現代の精神
病理でいうところのヒステリーに相当するものだと述べられると、今度は現代の精神
病院のエピソードに移行する。
ーーといった具合にユニークきわまりない映画だった。副題は「生きている絵による
文化史的論説」という。神秘主義という枠にはまらない映画。

で、サディコフについて。
これはもう見てください、としかいいようがない。映画の中で宗教に関する描写があるわけでもなく、イスラムや
ゾロアスターに言及されるわけでないが、まさしく幻視の連続から構成された映画で、説明のしようがない。
269これでええではないの:01/10/05 04:18 ID:duGvNk1M
おまけ

中央アジアの映画について最も詳しい映画評論家は大久保賢一だと思うが、さすがにサディコフは歯が立たない
らしい。同じタジキスタンでも「コシュ・バ・コシュ」「ルナ・パパ」のバフティヤル・フドイナザーロフが受け
入れられているというのに・・・。
イスラムとゾロアスター教が同居した例として、エジプトのユーセフ・シャヒーン「炎のアンダルシア」を見れば
想像できるかも? 
270これでええではないの:01/10/05 05:07 ID:EtCgzTHY
眠れなくなってしまった。あすも土曜日も仕事なのに・・・。

ベルナノスの話題が出たついでに、彼と並ぶカソリシズムの大作家フランソワ・モーリヤックの話題
をサワリだけ。というか話題提供ということで。
ベルナノスは日本においてほとんど知られてないとはいえ、一時は「ベルナノス選集」という立派な
本が出ていたが、モーリヤックはノーベル賞受賞の大作家だというのにほとんど書店で見かけない。
彼はドフトエフスキーを賞賛し、その後を追うことが現代の作家の使命だとまで書いている。
さて、彼にはひとりの美しい孫娘がいた。彼女の美しさに目をつけ、自作「バルタザールどこへいく」
に起用したのがブレッソンである。彼女の名はアンヌ・ヴィアゼムスキーという。
ゴダールがヴィアゼムスキーを「中国女」「ウイークエンド」などに起用したのは、もちろんブレッソン
への敬意の表れであるが、それ以上に彼女がモーリヤックの孫であったことは興味深いことではないか。
そのゴダールはそれからずっとのち「ゴダールのマリア」を撮り、キリスト教信者から猛反発を食らう。
これでよろしいか(久々に使ってみました)。
271名無シネマさん:01/10/05 13:02 ID:hhvF1U2s
ベンヤミン・クリステンセンの「魔女」って
ミシュレの「魔女」と関係あるの?
272たぶん、悪魔が:01/10/05 14:34 ID:nN2wbxFc
>>267および1さんへ
スレッドの定義や意図に関しては、自分で書き込みしながらこんなこと書いていいのかなとか
思うときもあるけれど、タイトルとしてはこれでよかったのではないかと思います。
最初から読むと、皆さん自分にとって重要な映画を語ろうとしているようで、とても清清しい
のではないでしょうか。「寺山」や「ゼメキス」が出てきても、私は書かれる人が、どこに
どこに神秘的なものや「背後の大きな力」を感じて見えるのか、興味があります。

「こんにちはマリー」は、上映への抗議運動の話を、神父から聞いたことがあります。
チケット売り場で、「見ないでください」と「デモ隊?」から、声がかかるのだそうです。
神父が「私は聖職者だからこそ見にきました。後で、語り合いましょう。」と言ったら、
生卵がとんできたんですと。(中略)で、見終わった後彼は、何人かとディスカッションをし、
少なくとも映画を見てから、抗議をすることについては説得することには、成功したそうです。
彼は、「こんにちはマリー」は面白かったと言っております。(それが日本へ左遷された理由か?)
そういえば、ロッセリーニも「処女懐胎」の映画で、スキャンダルを起こしたのでは。
アンナ・マニャーニが農民を演ずる「奇跡」だったか。(記憶がかなりあいまい。読み飛ばしてください。)

モーリヤックの話題に便乗して、クローデルもよろしく。秋の夜長には、ロヨラの
「霊操」(岩波文庫)などお勧めします。

1さん、ここんところ、軽い話題ばかりで申し訳ない。今日は、8時までには帰りたい。
27322:01/10/05 14:35 ID:im.gFGEo
274たぶん、悪魔が:01/10/05 15:39 ID:9Fsrv5Kw
↑お客様ですよ。

ようやく、前スレッド、アクセスできました。かなり、荒廃していたんですね。
275名無シネマさん:01/10/05 19:36 ID:zGO//zas
「民族性を出してやろう」みたいな動機の映画は神秘性を欠くんじゃないの?
サタジット・レイの映画とかイムグォンテクの映画とか、
外から見てインド貧民の生活とか、仏教の思想をテーマにしてやってみよう
とかしても何か違う気がするんだけどな。
本気で宗教を信仰していたり、それと格闘してたりするところに
神秘性が生まれてくるような気がする。
変な精神論かもしれんがただの頭でっかち映画じゃねえ。
276:01/10/05 21:14 ID:X/tI1MPM
お久しぶりです。
なんか未知の壮大な世界が広がってて、これもまたイイですね。映画は奥が深い。
で、個人的に、2ちゃんにおける「神秘主義的映画」の定義は曖昧であればあるだけいい、
と思っております。
何故なら、ベルイマン、タルコフスキー、ブレッソン、
その他漏れはよく知らないけど、インドやらイスラム圏の監督等、
こうしたマイナーな監督のスレを立てたって、ぶっちゃけた話、話が熟さないうちに速攻倉庫行きでしょ。
だからマイナー監督総合スレッドみたいな機能を果たすスレがあってもいいんじゃないかな〜。
コンタクトにせよ今平にせよ、別に話しくらいしたっていいんじゃないの。

で、ベルナノスの話ついでに、これでええんじゃ氏、悪魔氏なんかに、
「田舎司祭の日記」の解説を希望したい。
あと、悪魔氏は「イタリア旅行」の宿題が残ってるぞ〜。
それに「アウグスティヌスのリアリスモ」という言葉の意味も、是非知りたいな。
リクエストばっかでスマソでした。
277これでいいかよ:01/10/06 02:54 ID:oGt1wtYE
>>274
カンヌ映画祭でゴダールが生卵をぶつけられてハンカチで拭っている写真は有名ですな。

「たぶん悪魔が」の邦題は、「おそらく悪魔だ」の方が正確なニュアンスを伝えていると思う。

ベルイマンが演劇的だという批判には、ベルイマン、ヴィスコンティは共にオペラ演出でも一流であった
と指摘しておく。相米慎二、ヘルツオーク、ゼフェレッリなど、映画はよくても(ゼフェレッリはそうでも
ないが)オペラの舞台演出は退屈という例はいっぱいある。ヴィスコンティの舞台は日本では上演されてない
が、ベルイマンは「魔笛」「近代能楽集」が上演されている。もしかしたら映画よりよいかも知れぬ。
このスレにもっともふさわしいベルマインの映画は「狼の時間」。むかしは東京12チャンでよく放映されて
いたが・・・。
278名無シネマさん:01/10/07 02:15 ID:wB14Xvq6
ベルイマンもタルコフスキーもブレッソンも全然マイナーじゃないと思うが・・・
279イングリット・チューヤン:01/10/08 15:58 ID:JKqVqax6
「たぶん悪魔が」は『映画の快楽』には
「悪魔のせいか、おそらくは」と邦題がつけられていた。
おいらはそいつが気に入っていたんで、残念に思ったよ。
280たぶん、悪魔が:01/10/09 21:06 ID:J9nVzoM.
>>277
>>279
「たぶん」よりは、やはり「おそらく」のほうが、ニュアンスとしては正確かなあ。
それと英語版では中にコンマを入れてるので、つい主格ととったけど。ただ、
「悪魔のせいか」までいくと、恣意的過ぎるんではないだろうか。

>>276
宿題忘れていたわけではないんだよ。どこからはじめたらいいか、結構迷いがでてしまって。
映画の問題とはあまりのかけはなれそうなので、分割していきます。
>>196で書いたところから、始めさせてもらったほうがいいかなと思うので、「イタリア旅行」に
たどりつくまで、しばらく我慢してもらえる?
>>196で、
>このあたりが神秘主義の前提となる、超越性=「観念」の問題が出てくる地平なので
って書き方をしました。ここでも、?といわれたんだよね。ふざけているわけではないのだけれど、
箇条書き的に書くので、どのあたりがわかりにくのか言ってもらえる?
1 キリスト教に限らず、一神教とそこから派生した神秘主義においては、
  超越者の存在は前提に置かれる。
2 その超越者は、ひとりひとりの心の中にあるのではない。
3 ある意味で、超越者の「存在証明」が求められる。
4 それをダイレクトに求めていくときに、神秘主義への志向となる。
5 しかし、超越者は決して実体ではない。(実体化されてはならない。)

単純に、超越性=「観念」=「神」の問題と書いたほうが、わかりやすかっただろうか。
とりあえず、まず今日はここまででさせてもらって、すこしずつ議論を深められたらと
おもうのですが。(ただ、こんな話が他の人にとって迷惑なら申し訳ない)

ごめんもうひとつ、「アウグスティヌス」のことなんだけれど、これもひっかかってしまったことを
さきに書きます。次の部分ですね。
>「パスカル」や「ソクラテス」「ヒッポの聖アウグスティヌ」などは、今思えば、この世に生を受けた
人間の真実をを描くということでの強烈なリアリスモがあったかなあと思ったので、

この三つの作品の中で、「アウグスティヌス」だけがリアリスモ(あ、レアリスモのタイプミスと
今判明、恥ずかしい)を問題にされてしまうのは、なぜなんだろう。「パスカル」「ソクラテス」は
あなたも見て、レアリスモを感じられたのだろうか。
281:01/10/10 13:11 ID:Mc3sFH26
>>280
お久しぶりです。
え〜〜端的に言いますね。
まず、196での文脈における、超越性=「観念」という一言の意味が抽象的過ぎて
理解できなかったと言うこと。
超越性とは観念に過ぎないのか、「神」なるものをを実感のレベルで捉える事では
ないのか、とかいうことを、「=」という表記ゆえに考え込んでしまったということです。
悪魔氏は該博な知識を持っているようにお見受けするので、恐らくこの言葉にも何か
歴史的な意味やテーゼがあるのだろう、とこちらが勝手に解釈していたゆえの
単なる疑問です。
で、それは単に神秘主義の定義を意味していたということが280で明らかになったので
これは感謝します。4、5の展開が成る程不可思議ですね。

次に「アウグスティヌス」は、これはもう本当に個人的な疑問です。
疑問、いや、質問に近いかな。
>この三つの人の中で、「アウグスティヌス」だけがリアリスモを〜

というのは、今漏れが告白読んでるから(笑)、以上です。
イタリア旅行にそれほどの感銘を受けなかったものの、告白はかなり惹かれるものがある。
彼の「神」への没入、反省が過激で非常に面白いです。
で、なぜこの両者が「レ(リ?)アリスモ」という言葉で繋がるのか、
それがよく分からない、ということですよね。
もっと言えばなぜこの三人が選ばれているのかも漏れには良く分からないんですが。

「人間の真実を描くということでの強烈なリアリスモ」というのは凄い言葉です。
その言葉のインパクトゆえに意味が広汎に広がりすぎて、色々と引っ掛かってる面も大きいですね、恐らく。
とまあ、蓋を開けてみれば何れもたいした質問ではないんですが、
そういう些末な言葉の受け取り方で正確を期しておかないと、こうした映画群って解釈に
大きな違いが出てくるんじゃないかと思うんです。
まあ、分からない奴が悪い、といえばそれまでなんですが。
丁寧にレスさんくすです。

「映画の快楽」の表記は「悪魔の仕業か、おそらくは」だったような気がするなあ…。
ちがうかもしれないけど。あの本は面白かった。
282:01/10/10 13:17 ID:k.ONYy8M
もうひとつ。
いつぞや「奇跡系」で「サンロレンツォの夜」をお勧めしてくださった方、
昨日、再見しました。
お天気雨ですねえ、やっぱ。
今見ると割に陰惨に感じる部分が多かったんですが、近所どうしの人々が殺しあうという
悲劇と、笑いと日常性と夢見がちな少女の視点という、或る意味ファンタジックな視点の
混合が魅力ですね。
神秘主義では全然ないですが、あの雨につくづくと人間の営みの無常というか、
物悲しさが集約されているような気がします。慈雨の如く沁みました。
283たぶん、悪魔が:01/10/10 17:48 ID:XBB5ax6w
>>281
>観念に過ぎないのか
を読んで、「あそうか、やっぱり「観念」というのはそういう風にとられてしまうのが
普通か?」と反省しました。>>196で、162氏に向けて、

>増村の「大地の子守歌」(タイトル不正確かも)は、ご覧になりましたか、
私にとっては、この映画は、「日本に観念はありうるのか」という意味で、とてもおもしろかったのですが、

と書いたのも、同じ文脈からなのです。(神秘主義の文脈ではないので念のため)

>「パスカル」や「ソクラテス」「ヒッポの聖アウグスティヌ」などは、今思えば、この世に生を受けた
人間の真実をを描くということでの強烈なリアリスモがあったかなあと思ったので、

ここでの問題は、私の文が悪文だったのかということになってしまうかな。ロッセリーニで
話が流れているので、映画作品名は「」をつければ十分と思っていたんだね。

>「パスカル」や「ソクラテス」「ヒッポの聖アウグスティヌ」など(のロッセリーニの作品)は、今思えば、この世に生を受けた
人間の真実をを((またタイプミス)ロッセリーニが)描くということでの強烈なリアリスモがあったかなあと思ったので、

ということだったのだけれど、省略は無用の誤解を生むということか。

「イタリア旅行」については、もう一度見て改めて書きますね。
ただ、秋はバザーのシーズンでもあるので、(私も一信徒としての役割はあるので)
じっくり書き込みに来るには、もう少し待ってね。このスレ、消えないようお願いしますね。

1さんへ、神父には伝えておきました。即答しなかったところをみると、ちょっと
悪戯心をおこしてるかもしれない。でも、あんまり気にせず気長に待ってみて下さい。
284:01/10/10 19:24 ID:wS0V.6sA
>>283
ああ!!
これで漏れもいよいよリアル厨房認定ですね。
「パスカル」や「ソクラテス」「ヒッポの聖アウグスティヌ」
これ全部ロッセリーニの映画だったなんて…。
漏れは完全に人名だと思っておりましたよ。
これじゃイタリア旅行批判する資格もない。

…というわけで永遠に逝って来ます!!
285これでいいですか:01/10/11 00:06 ID:SP.QIc5w
ロッセリーニ一連の伝記もの、マッタリしていて素晴らしい!
フィルムセンターで「イタリア万歳」も上映されるぞ。

ところでマリ共和国のスレイマン・シセなんかどうよ? 神秘的だぞ〜。
「風」(日本ではオクラになったけど)、「ひかり」(ビデオあり)は傑作だと思う。
286たぶん、悪魔が:01/10/11 21:21 ID:RSKkzc7Y
>>284
何考えてるの、まったく!たかだか駄文を読みそこねたくらいで。このスレは
1氏とあなたで、引っ張ってきたんでしょうが。資格なんて、何のために必要なの?
あなたの元気のいいレスを楽しみにしている人がたくさんいるでしょう。

求められている者こそ、幸いでしょうが。私たちは、蜜ではなく地の塩なんだよ。
287:01/10/12 12:07 ID:RxUjRyB6
>>286
そ、そ、そ、そんなに激昂しないでくださいよ〜〜〜!!
深刻に反省した、ということを言いたかっただけで、これからも執拗に陰険にカキコしますとも。
ただ、漏れもこう見えて一応社会人なんで、仕事が暇だった前みたく毎日のようにカキコは
できませんが、可能な限り好き勝手に書かせていただきますとも!
まあ、やっぱり自分一人の楽しみで書いてるんですが…。

しかし、ロッセリーニのその一連の伝記映画は是非見てみたいですね。
今度のイタリア映画祭は是非行って、フランチェスコ(カ?)見てこようと思っています。

世界の不安に戦く1氏はどこいった…。
288たぶん、悪魔が:01/10/12 20:27 ID:6a5jlq8Y
>>287
では、私はしばらくバザーに専念さてていただきます。

といいつつ、
>>285
マリ共和国ですか、するとドゴン族なのでしょうかね。「青い狐」「水の神」などとは
関連性は、感じられましたか。
289罪の天使:01/10/13 01:10 ID:UyxJ2JmQ
>>288
はいな。
2901:01/10/13 02:20 ID:JmlDE/Wc
最近何故か自分自身に問題意識が薄く、皆さんの
レスに真剣に向き合えない様な気がしてます。

3さんの真似じゃないけど、皆さんの知識豊富な
所を見ると、ホントに自分は厨房だなと思います。

例えば
>>249
さんも書いてられるブレッソンのジャンヌダルク裁判なのですが、
久しぶりに見たのですが、やはり私には良く分かりません。

結局私には火あぶりになってでも貫かれる信仰と言う物が
なんなのか?それが分かっていない様です。
(しかし昔々、何か他の用事をしながらこの映画を見ていた
時に、急に周りの物体が白く輝きだし、凄い喜びの様な
物に包まれた記憶があります。関係があるのかは良く分かりませんが。)

たぶん悪魔がさん、神父さんに聞いていただいてありがとう
ございます。悪戯心ですか。何だろう。

地の塩、実はちょっと分からなかった(藁
ので調べましたら、青山学院院長が語ってました。
ttp://www.bb.aoyama.ac.jp/agunews/open_1.html

こういう私はあげくにトゥームレイダーを見に行ってしまい、
正直楽しんでしまいました。が、この典型的な
ハリウッド的娯楽映画を見るに、皆さんがちょっと前
エンターテイメントと言う言葉にこだわってられた
理由がちょっと分かった様な気がしました。

エンターテイメントと言えども、それを作り上げる
のには制作に関わる人たちのパワーが集まらなくては
出来ないのでしょう。巨大なセットを作ったり、
何億もかけた装置を演出のために一瞬にして燃やして
しまったりするのは、単純に商売の目的からだけでは
ないのかも知れません。制作関係者のパワーの結晶が
映画の制作と言う不思議な出来事を押し進めているのでしょう。

また殆ど関係のない事を書いてしまいましたが、今の私には
これが精一杯です。

よろしいかさん(勝手に省略)が色々挙げてくれてる
映画が見れたら、凄い盛り上がるんだろうけどネー。
291これでよろしいか:01/10/13 04:46 ID:K8uz.jvQ
粘着質でヘソ曲がりで、そんでもって粗忽者なのでムシ返すが。
だから「リュミエール」にかぶれたれた者や、ハスミ信者は、ニックやフラーは見ても、
そこから外れると見ないという、スターリン治世下の共産党員みたいな姿勢を批判したのだ。
サディコフは3,4年前、東京に住んでいれば赤坂で中央アジア映画祭でたくさん上映されたし、
シャヒーン「炎のアンダルシア」はシャンテで上映され、シセの「ひかり」は絶版とはいえビ
デオも出ている。おまけに「リュミエール」小僧は知らないだろうが、「カイエ・デュ・シネマ」で
シセ特集までやってる。自分の目で見る姿勢さえつけば、人から影響されても、自分の姿勢が生まれる
はずだ。そういうことだ。

嫌味はこのへんにして・・・。

「トゥームレイダー」、いいじゃないですか。漏れは好きではないが、前スレで映画秘宝グルー
プじゃないかと思われたついでにゆうとくと、漏れは映画秘宝も読んでいる。ブレッソン映画祭では
柳下毅一郎も並んでいたよ。つまり、そういうことだろ?
フォードが、芸術か、娯楽か、なんてツマラン議論だと思う。
ヤクザ映画もここのスレで挙がっている固有名詞も優劣はない。そこが映画のいいところだ。
ブレッソンだって「ゴールドフィンガー」に興奮してるぐらいだからな。

で、グル・ダットのDVDは買えたのか?
292これでよろしいか:01/10/13 04:53 ID:K8uz.jvQ
ロッセリーニの「ルイ14世の執権」は日本未公開だが、6年ほど前、高円寺で自主上映された。
プリントはかなり退色していたが・・・。

ロッセリーニって、イタリアン・ネオリアリズモや神秘主義で括れない、なかなかてごわい監督だと
思った。
2931:01/10/13 10:50 ID:ABS9SLMU
ブレッソンが「ゴールドフィンガー」に興奮ってどう言う事ですか??

しかし東京近郊の方たちはマニアックな映画を見れて羨ましいナー。
とにかく自分の目で映画を見るにはやはり映画をたくさん見なければ
ならないって事ですね。

グルダットDVDは買いですか。真剣に探そう。
294名無シネマさん:01/10/14 01:07 ID:Vq94BHDs
「ゴールドフィンガー」でジェイムズ・ボンドが女を抱いたとき、その女の瞳に暗殺者の
姿が映る。そこに興奮したと述べていたことをハスミが引用したこと。

グル・ダットのDVDは日本版は出てないよ。
295:01/10/14 15:02 ID:4Tqxwkcd
ブレッソンのジャンヌ・ダルク裁判見ました。
やっぱり、黒い衣のスカートが床を引き摺っていくファーストシーンから、ブレッソンの映画だ!
という感じで一気に引き込まれますね。
こういう個性はワン・アンド・オンリーなのかな。
いつかも話題になってたけど、この手法をきちんと受け継いだ人はいないんでしょうか。
作品は端正且つ単調な映像の繰り返しで構成されていて、
それが毅然たるジャンヌの立ち姿に隠された葛藤を炙り出してく。
焼け残った柱が煙の中から現われた時、何か起こってしまった事の大きさに、
圧倒されてしまいますね。

どうしてもドライヤーの「裁かるる〜」と比較しちゃうんですが、
個人的にはこちらの方がより感銘を受けたかなあ。
ドライヤーはジャンヌの涙や不安と葛藤に戦く表情、つまりリアリズムを追求することで
一人の人間としてのジャンヌを表現し、
ブレッソンは現象の向こう側にあるものを、ある一定の法則に則って紡いでいく事で、
事態そのものの意味を考察している、そんな印象をもちました。
1氏が言う信仰云々の側面も、漏れにもやはり縁遠いことなんですが、人間が人間を裁く、
しかも教会が神の娘を名乗る者を裁く、という点において非常に残酷な劇ですよね。
色々考えさせられましたよ、ええ。

しかし「ゴールドフィンガー」見て興奮するブレッソンか…。
あまり想像したくない図ではあるような。
296:01/10/14 15:19 ID:U3a7xzY5
それにしても1氏の、
「急に周りの物体が白く輝きだし、凄い喜びの様な物に包まれた」体験って、
それこそ神秘的ですね。
これは全然神秘的でもなんでもないですが、
漏れも以前、イエズスやら神やらについて稚拙な観念を巡らせながら夜道を歩いてて、
何の気なしに宙を見上げたら、鳩の羽が一枚、ふわーっと落ちてきてぎょっとしたことがある。
しかし瞬時に、「わお! ノスタルジアだ! 主が救いの手を差し伸べているYO!」
と思ってしまった辺りが、我ながら映画ヲタって哀しいと思い…。

閑話休題。
野暮は承知で聞くが、「よろしいか」氏なんかはベルイマンはどうなんだろう?
267で一連の北欧の神秘主義的映画の流れを概説していたけど、
ベルイマンも、特にファニーとアレクサンデルなんかはその影響下にあるのかな?
「狼の時刻」は未見だから不明ですが。
あと、よろしいか氏のイタリア旅行感なんかも聞いてみたい気がするなあ。
297たぶん、悪魔が:01/10/14 20:43 ID:HmCMgWeb
この忙しいときに、みんな興味ひかれることを書き込んでいく!

>>269
今日突然思い出したのだけれど、
>エジプトのユーセフ・シャヒーン「炎のアンダルシア」を見れば想像できるかも

って、「Alexamdria…Why?」のシャヒーン?エジプトの青年がエジプト語で、シェイクスピアの
マクベス夫人の台詞を朗誦する場面が、ひどく強烈だったのだけれど、あの監督ですか?

1さんへ、
>>290
>(しかし昔々、何か他の用事をしながらこの映画を見ていた
時に、急に周りの物体が白く輝きだし、凄い喜びの様な
物に包まれた記憶があります。関係があるのかは良く分かりませんが。)

そのことについて、少しならアドバイスできると思う。そのとき、自我と外界の境目はあった?
詳しくは28日にバザーが終わるので、待ってくれる?

3さんへ、
お帰りなさい。私はとても行けないので、もしイタリア映画再で、「メシア(またはメサイア)」
「火刑台上のジャンヌ・ダルク」上映があるようなら、(そしてあなたの時間が許すなら)
是非見て感想聞かせてね。この二本は、見たくて仕方ないのでけれど、見る機会に恵まれてないの。
298だから俺はロムりたいんだってば:01/10/15 00:59 ID:TaF2bgbR
>>297
そのシャヒーンです。エジプトの巨匠であるばかりでなく世界的な巨匠のひとりです。

>自我と外界の境目はあった?
だんだんニューエイジっぽくなってきた。前にLSD決めてフェリーニを見たらむちゃくちゃおかしくて笑った笑った。
299だから俺はロムりたいんだってば:01/10/15 01:07 ID:TaF2bgbR
「火刑台のジャンヌ」の上映はない。
俺は日本版の舞台は見てる。主役はなんと実相寺昭雄夫人の原知佐子!
最も有名な舞台はマルト・ケラー主演のものだろうが、こっちは未見。
300名無シネマさん:01/10/15 01:30 ID:DRRT6cXd
>>294
ありがとう。グルダットまた輸入してみます。

しかしブレッソンが潔癖性なのは信心深いだけの
せいではないのかもと最近思い始めました、、、。

>>295
野暮な質問ですが、
ジャンヌの葛藤はセリフの内容から感じますか?
それとも歴史的事実の伏線から?それともモデルが
時折表す人間らしい表情からですか?
確かに事実としてジャンヌが苦況に立たされている
事は分かるのですが、、、。

あの目配せは何だ!?とかどうせ殺すんなら裁判
なんかちんたらするなとか、訳の分からない反感が起こり、
他のブレッソンの映画では不思議が不思議なままで
問題ないのですが、この作品では全くその良さが
分かりません。う、、。

周りが白く輝き、喜びに包まれた件ですが、自分でも良く分かり
ません。

まず中学生の時バッハのマタイ受難曲、しかしコラールでは
なく劇の部分を、やはり受験勉強をしながら聴いている時に、
気付いたら机やら壁が白く光り、いやたぶん白いというのは感情からで、
全ての物が喜びに包まれている様な感じでした。TVを見ても
たぶん普通に見たらショウモナイであろうドラマが実に奥ゆかしく
見え、家の軒先に出てもまるで初めて見るかの様な景色でした。そして
確かノートにありがとうありがとうありがとうと泣きながら
繰り返し書いた様な気がします。原発的な祈りの衝動でしょうか。
しかし以後バッハを聴いてもそういう体験はしませんでした。

そして高校の時にジャンヌダルク裁判を見たときですが、その
時はバッハの時ほどではなかったですが、やはり理由なく
急に世界が入れ替わり、ブレッソンの意図も話の筋も何も関係なく、
喜びが包み込みました。その時の事はその事実しか覚えてない
のですが。

鳩の羽、、、きっと何かありますよ。

>>297
その時はただただ幸福感があり、受け入れていましたので、
自我と外界の境目や、ちょっと前言ってた葛藤の様な物はなかった
です。

今では心の半分はただの幻覚だったのではと思ってしまって
ますが、何か今でも私の価値観に影響を及ぼしているとは思います。

バザー、懐かしい響きです。カトリックの幼稚園だったもので。
3011:01/10/15 01:44 ID:DRRT6cXd
上の300は1です。書くの忘れた。

>>298
シーーーーッ!
しかし私も最近決めた時(リーガル)はフェリーニどころか
巨泉がなんで国会におんねんとかで大爆笑でした。

しかし目眩く現れる幻想に自我が猛反発し、あげくに
気が狂いそうになり、いわゆるバットに入りローソンに
駆け込む寸前になりました。

私と致しましては、喜びに包まれた体験と、ドラッグ体験は
根本的に何か違うと思いました。
302だから俺はロムりたいんだってば:01/10/15 02:36 ID:wh0Sh7wL
俺は瞑想やトランスパーソナル心理学のホロトロピック・ブレスワークもやったよん。
あ、分からん人は心理学板見てちょ。

そういう俺はプロテスタントの学校だった。
303名無シネマさん:01/10/15 10:38 ID:JhOFMc+P
おおシャヒーンの名が。この人はもっと評価されてしかるべき人なのに
日本では全然だねい。地主と農民搾取を描いた「大地」なんて名作
だと思うのだが。「アレキサンドリア、why?」には続編があるのだが
あまり面白くない。
304:01/10/15 10:59 ID:bCNncERp
>>297
メシアと火刑台〜、双方イタリア映画差異ではやらないみたいですね。
「フランチェスコ」「ミラノの奇蹟」と「ユダの接吻」というのが一番興味深いかなあ。
他にもこの映画祭で「ゴルァ厨房、これだけは這ってでも見に行け!!」という作品があったら教えてください。
厳選して逝ってみようと思ってます。

>>300
難しいですね。
ジャンヌ・ダルクは一般的な常識以外は、例のリュック・ベッソンの映画とドライヤー、ブレッソンの
映画を見ているくらいで、本や資料に当たったりとかはしてないんで、歴史的にどうか、
という点では全く分かりません。
従ってあくまで一映画作品として観ているんですが、この映画の映画としての面白さを
語ろうとすると、ブレッソン映画の方法論の面白さを語る、という大命題に繋がるんじゃないかな〜。
物凄くシンプルな形でそれがでている映画だと思うので。
まあ、本でも読めばすぐわかるんでしょうけど、ちょっと待っててください。

それにしても1氏は面白すぎますな。
ありがとうありがとうと泣きながらノートに書いて、尚且つそれを半分は幻覚というか!
神秘主義的映画のスレを立てる人間はこうでなきゃ、と改めて感じ入る秋の空であった。
305:01/10/16 12:41 ID:JAs+Uof4
スマソ今日も暇ない。
306:01/10/17 16:04 ID:Vg2IuM2X
ジャンヌ・ダルク裁判」は、一歩一歩、きわめて端正な足取りで、聖女が火刑台へ連れて行かれる、
その過程を見つめた映画ですよね。
「裁かるる〜」との比較で見ると、あっちのジャンヌは延々泣きっ放しで、その葛藤は痛ましいほどに伝わってくる。
周囲の悪辣な審問官や助言をする爺さん(職名は失念しましたが)などがも、きわめて派手な表情や身振りで事の次第
を盛り上げていく。カメラもガンガン動きますしね。
つまり「動」、アクションを専ら前面に押し出す事で感情に訴えかける方法を採っていると思うわけです。

で、ブレッソンは人もカメラも余り動かない。
無表情、というよりむしろ不自然なくらいに素っ気無い、突き放したような筆致で人物を動かし、
台詞を言わせ、淡々と話を進めていく。
いわば「動」に対して「静」ですね。
「静」の作品は、あからさまに感情に訴えかける事を良しとしない。
論理や計算とでも称せそうな構成と画調で、観念や情熱や情念を、描かれる物事の裏側に綿密な手つきで秘匿していく。
人はただただ、眼前に起こる事態を椅子に縛り付けられたまま見つめる事しか出来ない訳です。

しかもブレッソンの「静」は、狙ったのか偶然なのか、人物の動きや表情など、色々な「ぎこちなさ」が
作品に小さな亀裂や違和感をもたらすため、いっそうの凝視を要求するような気がします。
つづきます。
307:01/10/17 16:21 ID:41OpPm6L
この作品では話を裁判劇に終始させた事によって、
その方法論の特性がいつも以上に顕著に現われていると思うんです。

客は傍聴席に縛り付けられたまま、目の前で展開される”聖女殺し”を見つめるしかない。
これによって彼女を見殺しにする、という意識を常に感じざるを得なくなる。
彼女を助けたいけど、こちらは決して動くことはできない。
ジャンヌも激しく泣き咽ぶなり、叫ぶなりしてこちらの情に訴えかけてくれれば少しは楽になるのに、
それもしない。ただただ冷たい時間だけが過ぎてゆく。
葛藤はむしろ、客の側にあるのかもしれません。

1氏が「さっさと殺せゴルァ!」と思ったのは、この状態が堪えがたかったからじゃないでしょうか。
これはSMみたいなものなんで、嫌な人にはひたすら苛々させられるだけのものかもしれません。
非常に端的ですが、漏れはこの映画をそういう風に見ました。

言わずもがなですが、かといってドライヤーを貶めている訳ではなく、
個性の違いだということです。
3081:01/10/18 00:18 ID:SqTG4Lgi
3さん解説ありがとう。しかし全然寝てなくて
頭回らないのでまた明日じっくり読ませていただきます。

しかし1の癖に映画と関係ない事を書き続ける事に
焦りを感じる今日この頃。どうにかして映画に結びつけたい。
いや結びつくはずだ。
309名無シネマさん:01/10/18 10:30 ID:M61ZnIU4
ドライヤーの「裁かるるジャンヌ」について、
審問官だけでなく、カメラそのものがジャンヌを攻撃する。
そしてそのカメラの向こう側にいる観客は自然、加害者としての
立場でジャンヌを見つめることになるのだ。
みたいなことが書かれてるのを見たことがあります。
3101:01/10/19 01:44 ID:wAfXP21N
読ませていただきました。
で気付いたのですが、私にはバルタザール等では感じられた
ブレッソン特有の「ぎこちなさ」がジャンヌダルク裁判には
何故か感じられていない様です。

最初のジャンヌダルクの母親に当てられる二人の
手にはぎこちなさと言うか、説明が出来ない様な物、
背後を感じるのですが、それ以外にもたぶんぎこちなさを
感じなくちゃならない所、例えば
傍聴席の無表情な煽りとか、後ろでボサーーと立っている
関係者達とか色々他にも突っ込める部分がたくさんなのに、
何故かバルタザールの様に引っかからない。ウーン。

ジャンヌを見つめる色んな目、時には断罪し、看病し、
服を着せ替えたりもする。そしてジャンヌを取り巻く
様々な言葉。たぶんそういう構図だと思うのですが、
肝心のジャンヌにいじめられている様な感じが受けられない
んです。拷問シーンでも元気そうだし。ウーン。
311名無シネマさん:01/10/19 09:34 ID:f1BVaQsJ
ジャンヌ本人の孤独な苦しみを中心に描いてるからじゃないですか?
3121:01/10/19 19:07 ID:3T6jA/su
>>311
出来たらもうちょっと詳しくお願いします。
313名無シネマさん:01/10/19 20:36 ID:0gSCpNLQ
蓮實学長は「裁かるるジャンヌ」は最高のアクション映画だとか言っとりましたな。
314名無シネマさん:01/10/19 20:46 ID:pxOIWiL0
どういう意味で?
ラストのモブシーンに言及してたのは憶えてるが。

『裁かるるジャンヌ』って、表情のアップというより、顔の細部のアップばかり。
315名無シネマさん:01/10/19 21:06 ID:805by7bW
>>314
学長に聞いとくれ。
316:01/10/20 13:36 ID:RArHrWfq
>>310
まあ、いいじゃないですか(笑)。
好きな監督でも合う作品、合わない作品はあるし、鑑賞時の体調にもよるし…。
漏れにしても「田舎司祭の日記」は徹頭徹尾分からない。
よろしいか氏がクソだ!と貶してた「悪魔の陽の下で」も、サンドリーヌ嬢萌え〜というだけで、
後はさっぱり分からなかった。
あ、似たような話(?)でタヴィアーニの「太陽は夜も輝く」は非常に好みでしたが。

でも「裁かるる〜」はやはり劇場で見なきゃなあ、と思いましたよ
(いや、ブレッソンだって劇場がいいに決まってるんですが)。
ジャンヌの涙やらラストのモブシーンやら飛び交う鳩(ブレッソンのほうでも一瞬映ってましたね)やら、
ぶんぶん振り回してるカメラは、ビデオじゃ迫力が半減してるんだろうなあ。

で、今更で恥ずかしいんですが、タルコフスキーの『アンドレイ・ルブリョフ』って凄まじい傑作ですね。
映画ならではの語り口に心底圧倒されました。
DVDリマスター版というのがあるらしいんですが、在庫切れの様子…。
どこかまだ在庫のあるところ無いかな〜。
317:01/10/20 13:52 ID:QgRjbomf
それから、ず〜〜〜っと前に話題になってたベルイマンの
「観客を楽しませる事しか望まない」という発言、久々に本を借りてきて
読み直しました。
宗教上の理由等ではなく、
「私がいつも思っているのは、私の映画はとてもハッキリしていて、とても単純で、
とても楽しい娯楽になっているという事です」ということのようです。
以下、引用します。
「”いやあ、こりゃ退屈だ。神様、これは退屈のシンボルみたいな作品になるでしょう”
なんて思ったら、どうして仕事が始められます?」
「私はいつもこう思っています。”これは絶対に明快だ。これは楽しくて面白い。感覚の面からいってもとても分かりやすい”
と。(中略)クリエイティブな仕事をしている間、私は絶えず観客のためにこれを作っているんだ、
と感じていなければならないのです」
「私がエンターテイメントとかエンターテイニングとか言うときは、感覚的情緒的なものを指します。
私の作品にも、誰でも感覚的に溶け込める要素があって、その事が即ち《エンターテイメント》なのです。
あなたが映画館へ行った時、もしも、あなた自身とあなた自身の抱えている問題、課題、緊張、財政難などを、
たとえ二時間ばかりでも忘れる機会があれば、そのときあなたは《エンターテイン》されている。
感覚的に映画に引き込まれているのです。そして、劇場を出て”初めて”、自分が見たものについて
”考え”始めることがあれば、私も嬉しいと思います」

以上、本からの引用でした。
318通行人:01/10/22 01:08 ID:uZSxFoKq
昨日の朝日新聞の日曜版の「隠者・ベルイマンに会いに」読んだ?
噂にたがわぬ人嫌いなのね・・・
3191:01/10/22 02:45 ID:njtcNcJo
>>316
裁かるるジャンヌ、今日始めてみました(ハズカシイ!

正直、ブレッソンはこの映画への当てつけをする
為にだけにジャンヌダルク裁判を作ったのか?と思いました。
ありえそうです。

確かにこれ映画館で見たら迫力在るでしょうね。
ジャンヌは神の子なのか?はたまた悪魔の使いなのか?改めて
観客に問いかけるような、突きつける様なジャンヌの表情のアップ。
余りにも生々しいので、それが安易に神々しいとかは言えないですね。
(いい状態のプリントで見たらもっと生々しいはず)

そして髪を切られ急に悲しくなったジャンヌは、死により魂は救われ、
大勝利も自分の死によりと覚悟を決めるが、苦痛が長く続かない事を願い、
次には実際に黒こげに焼けただれるジャンヌを見せられる。
なんかジャンヌの心の動きが分かりやすいです。でも神秘的には感じられない
ナー。もう一度ジャンヌダルク裁判を見てみよう。

アンドレイルブリョフは迫力ありますね。
そんなにタルコフスキーっぽさは感じませんでしたが。
三位一体の様な思想は他の映画の方が良く現れている様な
感じがしました。

>>317
成る程。感覚的にとけ込める要素、それをエンターテイメントと
言うのですか。それをまたリアリティーと言っちゃっても良いかも
ね。ベルイマンの場合はリアリティーとエンターテイメントは
同じ様な物かな。

でもやはり見終わった後にはちょっとは内容について
考えて欲しいのか。
3201:01/10/22 02:55 ID:njtcNcJo
>>318
見逃しました。何が書かれてあったのですか???
321たぶん、悪魔が:01/10/22 19:36 ID:UqORQAhe
1さん、お元気でしたか。雨で集まりが悪いので、今日は時間が出来ました。
「これでいいですか」氏に、
>ニューエイジっぽくなってきた
とからかわれてしまいましたが、といって「あなたもアヴィラの聖テレーズのように、神の
黄金の矢が、あなたの心臓を貫いたと感じられましたか?」というのも、わざとらしいしね。
「地の塩」では、わざわざ検索してもらったので、今回は手数をかけないようにしました。

http://www.thais.it/scultura/image/sch00349.htm

さて、上の聖テレーズ(テレサとも)は、恍惚とした忘我の状態にいるわけですが、あなたの体験は、
たぶんご承知と思いますが、「幻光感覚」と呼ばれます。人によっては、「火焔」となることもあるようです。

少しアドバイスできると、書きましたが、その後のレスを読むとほとんどいうことはないようです。
ただ、くどいようですが、少し。
 1 神秘体験をするような人には、基本的には薬物は向かないと思う。(十分実感したでしょう)
 2 時間的には、そう長くなかったでしょう。いわゆる神秘家のそれは、場合によると1時間を超えたりします。
   また、ほとんどの人間にとっては、反復性は薄いのですが、それを求めるのなら基本的に指導者が必要です。
   しかし、適切な指導者に会うのは、本当にむつかしい。
 3 2のレベルを求めなくても、「瞑想」などはわりと容易に習得できると思う。ただ、「瞑想」の世界に
   のめりこまないように気をつけないと、「瞑想オタク」にこれまた容易になると思う。

私自身の神秘体験も語りたくなってしまうのですが、ここはあくまで「神秘主義的映画」のスレで、
自分たちの「神秘体験を語る」スレではないので、また、レスがつかないような時にでも書きます。

いったん、夕食にしてから「ジャンヌ・ダルク」の神秘体験について書きます。
322たぶん、悪魔が:01/10/22 20:41 ID:UqORQAhe
ジャンヌの神秘体験などについて、映画の外の知識といってしまえば、それまでなのですが、
ま、邪魔にはならないかと思います。(かなり簡単な説明しか出来ませんが。)

ジャンヌの神秘体験は、「声」から始まります。その時、まばゆい光も感じるのですが、
彼女は、割と批判的に対処しております。しかし、それがくり返されるにしたがい、また内容が
矛盾しないことに納得するようになって、自分を神の道具として受け入れます。

この「声」の神秘をめぐって、後世のフランス人はずいぶん当惑させられるのですが、
それを書きだすとますます映画からはなれてしまうので、一般の日本人にはあまり知られていない
と思われることを書きます。参考になれば幸いです。

まず、ジャンヌは「貴族捕虜」として待遇を受けます。(このいきさつは長くなるので省略)
しかし、彼女はある宣誓を拒否してしまいます。それは、「脱走しない」という宣誓です。
そのため彼女は孤立化させられます。彼女は、宣誓を基本的に拒否し、自分の「神」にのみ
誓約をたてます。これが、「異端」であることの根拠に使われます。
ふたつの映画は、ほぼこのあたりから始まっているわけです。

すこし、この裁判の異様さについて書きます。その政治的背景については
ご承知だろうと思いますが、この裁判には大きな違法性があります。
 1 ジャンヌは異端審問で審理されているにもかかわらず、「世俗の牢」に入っている。
 2 ジャンヌが女性であるにもかかわらず、番人が男性である。

よく誤解されますが、異端認定だけでは基本的にイギリスが求める「死刑」はむずかしいのです。
カトリックでは、罪を改悛したものには許しをあたえなければなりませんから、(改悛=免罪のシステム)
改悛後にもう一度、罪を犯すようにしなければならないのです。このプロセスは、ブレッソンのほうで、
ぶっきらぼうではありますが、きちんとえがかれています。

ジャンヌの火刑前には、教会法からも神学理論からもとんでもないことがおこります。
異端者が、最後の聖体を拝受し、聴罪の告解をなし、あまつさえその聴罪僧から罪の放免を
施されるのです。

火刑の意味やそのプロセスを、もう少し書いたほうがいいのでしょうが、時間がなくなってしまったので。

最後に、ふたつの映画の鳩のことを、3さんがいわれてましたが、
これは、目撃段として火刑にあっている彼女の体から白い鳩が飛び立ったと
いうのをふまえているのだろうと思います。図像学上は、白い鳩は「聖霊」となります。

さて、もう一度1さんへ。
神父にブレッソンのこと聞きましたが、悪戯心といったのは、どうやら神父は
私がまた何かたくらんでいると思ったからのようで、返事が送れて申し訳なかったと
いうことでした。(また、省略が無用の誤解を招いた)

それと、メモをとったのですが、神父が語っているのは、「田舎司祭の日記」の世界についてなのです。
(ベルナノスとブレッソンを厳密にわける必要がないような口ぶりなのです。)
それでもよろしいですか。(確認のため、二、三聞きたいことがあるので、それからでも
よろしいですか。)

もうひとつ、神父が映画のリストをくれたのですが、いまひとつよくわからないリストなのですが、
興味があれば書きます。

あ、最後にベルナノスの夫人は、ジャンヌの兄の子孫です。
323:01/10/23 14:36 ID:Yj6QVnq8
>>320
朝日日曜版、漏れも読んだよ〜随喜の涙を流しつつ。
著者が隠遁生活を送るベルイマンを訪ねてフォール問島まで赴くが、結局会う事は出来なかった、
という顛末を描いた記事。
彼が如何に人嫌いで我儘かが、リブ・ウルマンやら「ある結婚の風景」の主役のおっさんなんかによる
証言で明らかに…。
非常に面白い記事でしたよ。
来春2月、ベルイマンが脚本を書いた「フェイスレス」という映画が日本でも公開されるそうで、
死ぬほど楽しみだ。自分の不倫体験を赤裸々に綴った作品らしい。
で、今は「ある結婚の風景」の続編を構想中で、これがベルイマン最後の作品になる、
とウルマン嬢が仰っておりました。
二月が待ち遠しい!
そして彼が生きている間にフォール島に行きたい!!逝って厳しく門前払いを喰らいたい!

>>322
ジャンヌの詳しい解説ありがとう御座いました。映画で観たよりも複雑な背景があるようですね。
あと「田舎司祭」、漏れも非常に興味があるなあ。
その神父さんの映画リストも。
324名無シネマさん:01/10/23 16:53 ID:AljUGQ16
ベルイマンの映画もそんなに神秘的なイメージはないんだけどな。
彼の映画って何か散文的。
エッセイや短編小説と味わいが似てるような気がする。
325:01/10/23 18:07 ID:5fKaMBLp
>>324
神秘的かどうかは別として、
エッセイや短編小説、となると「?」となる。
例えばどの作品でしょうか。
326名無シネマさん:01/10/23 20:33 ID:SVHIRKWC
>325
エッセイや短編小説というとちょっと違うかもしれない。
でも彼の作品の全てにそういう印象持ってます。
前に彼の作品は19世紀演劇的だ、という話がありましたが、
僕は全然そういう印象がない。
彼の作品がドラマチックだと感じたことはありません。
ある一つのテーマについて冷めた眼で考えてみましょう、
というようなスタンスの印象があるんです。
情熱や狂気を感じさせるようなものではなく
あくまでも理性が支配する映画。そういう印象ですね。
327:01/10/24 00:33 ID:Q86tVCne
>>326
具体的な作品名が出てないんであれですが、総体的に言ってベルイマンの映画は、
シナリオ、演出、演技(後者二つは後期に従いやや解放されていくが)、その面において、
理性というよりは「厳密さ」を追究している、という印象ですね、漏れ個人は。
感傷や感情に訴えかける素材は片っ端から排除して、それでもなお残ったものだけを抽出して描く、
そんなところがあるような気がします。
だから作品のフォルムは非常に無愛想だし、冷たいと思われるのも致し方ないと思う。

ところが、彼の作品に脈打つ情熱や狂気、正にその点において漏れは魅入られているわけです。
ドラマティック、という点に関しては、彼ほどドラマティックな作品を作る人はいないと思いますよ。
何を以ってドラマというか、にもよるんですが。

やはり、どうにも具体的に作品をあげていただかないと、ちょっと語りにくいですね。
作品によって言ってることもやってることも違いますもんね、彼の場合は。
3281:01/10/24 00:56 ID:nLbBQSQL
>>321
悪魔がさん、詳しい説明本当にありがとうございます。
私の体験した事が、他の人も起こっていると言う
事で、それが気のせいだと言う事はなかったのだ
と知って嬉しいです。

ただ、その体験が一体私に何の意味があったのか?
何故瞑想の訓練も受けていないのに、しかも何故
全然心構えがない時にそうなったのか。
と言う点だけが気になります。

私は「幻光感覚」も「火焔」も全然知りません。
本当に神秘主義的世界についての知識はゼロ
なのです。(スレタイトルと超矛盾)

私の個人的な事にスレを使ってしまい申し訳ないです。
しかし、映画で感じる神秘と、私の体験した様な
神秘は同じとは言えないまでも、繋がりはある様に
思います。

また変な事ですが聞いて下さい。

特にタルコフスキーに関してですが、色んな方がタルコフスキー
の映画を不思議な体験と共に感想を述べてられますね。

例えばタルコフスキーの映画を見てたらいつの間にか寝ていたが、
夢の中で続きを見ていた。とか、鏡と言う作品の中に、
タルコフスキーの幼少の頃を描いた映像に、何故か
自分の幼少の頃を見ている様な気がする。とか。

タルコフスキーの映画には奇跡の予見がある様に感じます。

私もサクリファイスに出てくる大きな黒い木に奇跡の予見を
感じました。

いつかあの黒い木を見た様な気がしましたし、あの黒い木を
見てから外に出ても何か風とかがざわめいて、絶対何かが
あると思いました。気持ちも何故か充実していました。
そして何故か近鉄のある駅に行かなければならないと思い立ち、
次の日朝早く出向いたら、私の大切に思っている人に
再会する事が出来たんです。

タルコフスキーの映画は、映画の初めから終わりまでの出来事
だとは思えません。

だから私にとっては映画と、神秘は分けては考えられないんです。
3291:01/10/24 01:22 ID:nLbBQSQL
ジャンヌダルクの説明もありがとうございます!
私も探しました。
ttp://www4.airnet.ne.jp/yusis/jeanne_i.htm

やっぱりあの映画は事情が分からないと何故何故?
となる事が多いです。
もう一度映画見てみます。またちょっと尋ねるかも
知れませんが、出来たらよろしくお願いします。
3301:01/10/24 01:34 ID:nLbBQSQL
>>323
ウオー読みたい!
「フェイスレス」も見たいですが、ある結婚の風景
の続編って自身が監督するんですか?ア”−!

実は私もベルイマンに会いにフォール島まで行こう
としたんですが、隣のゴッドランド島の空港から
反対側にフォール島行きのフェリーが出ているらしく、
タクシーはお金が掛かりすぎるのでバスで行こうと
したら休みで、諦めちゃいました。
確か行ってもフォール島には軍事施設があるから
外国人は立ち入り禁止とか言われそうだったし。
いい加減な事を考えていました。

でもサクリファイスで出てきた植木がゴッドランド
の海岸にズラーっと植たのを見れました。

そのゴッドランドの海岸を深夜歩いたのですが、
空は薄光に照らされた重層な雲が立ちこめて、
水平線で海と一体になり、そこから静かに
波が押し寄せてくる光景は、正に第七の封印
の世界でした。
3311:01/10/24 01:42 ID:nLbBQSQL
悪魔がさん、最後になってしまいましたが、
神父さんの発言についてのメモ、映画リスト
等の件、ありがとうございます。とても
楽しみにしています。
3321:01/10/24 01:51 ID:nLbBQSQL
>>326
ベルイマンの作品の内容に、自分の事を照らし合わせて
見たら、たぶん冷静ではいられない様な、、、。
333名無シネマさん:01/10/24 03:57 ID:HFolo2nW
ベルイマン自身が情熱的というよりは、
このスレの人があまりにも情熱的にベルイマンを崇拝しているような・・・・
334:01/10/24 10:37 ID:uuCootQu
タルコフスキー映画の霊感かあ。物凄く興味ある話ですね。
彼の映画には、見ている自分の心の中に手が差し込まれて、撫でまわさされるような、
不思議な陶酔がありますね。
観た後に、確実に何かの光を燈してくれるような気がします。
漏れは神秘、とまではいかなくとも、似たようなことをよくベルイマンで経験します。

>>330
「ある結婚の風景」続編、監督するとまでは書いてませんでしたね。
しっかし、そうか…。行かれたんですね…。少なくともスウェーデンまでは…。
羨ましい!羨ましすぎる!
外国人の入島規制は、十年位前に開放されたらしいですよ。
会うなら今がチャンスです。

>>333
崇拝?
してますがな、見てのとおり。
漏れが世の中で神様!と思うのは、映像作家ならベルイマンとカサヴェテスだけ。
人生において、心から崇拝し、情熱を注ぐ事の出来る作家がいる、これはめちゃ幸せな事なのれす。
君はそういう作家はいないのか?
335333:01/10/24 15:25 ID:QED4bywR
>>334
いえいえバカにしてるわけじゃないっす。
漏れも大好きな作家はいますよ。
ただここの1さんと3さんのベルイマン熱にはちょっと圧倒されます。
ここまで好きになれるというのは羨ましいです。
336:01/10/25 15:15 ID:UkfLfXtK
>>335
ベルイマンって熱狂的に好きにさせる何か、があるんです。
それが何なのか、今以って正体不明ですが。
1氏が仰るように、描かれている出来事が他人事のように
思えないところがあるんですね、なぜか。
337名無シネマさん:01/10/25 15:33 ID:4F6YfvtV
自分の体験が根本にあるとか。
実は心境としてはベルイマンの私小説的映画だったりして。
3381:01/10/25 21:50 ID:OBjnfDHE
>>334
タルコフスキーの映画に出てくる水や犬や風とかが、見ている人の
心の中の大切な部分(過去への思いとか)の中に入ってくる様な。

ベルイマンでの大切な御体験を時間があればまた詳しく
語って下さいよ。興味大です。

>>336
そうですね。ベルイマンの映画のリアリティーはどこにあるのか。
歪んだ宗教観、わがまま、怒り、嘘、孤独、老い、死、等たくさん
取りそろえておりますが、333さん自身の人生の問題に何か当てはまる
物はないでしょうか?(いや別にここで仰らなくても良いですが(藁)

>>337
出発点はそうだと思います。大体の人は、自分に一番興味のあるのは
自分の事かも知れません。ベルイマンの場合は特にそうだと思います。
(詳しい説明はまた3さんにお願いするとして!)

しかしまた、才能ある人はどんなに作家自身にとってのエゴイスティックな
映画を撮ったとしても、単に自足的な物にはならないんですよね。

タルコフスキーの鏡について言えば、あれ以上に私的な映画を私は知りません。
しかしその映画の中の出来事は、我々一人一人の深く埋もれた大切な体験
でもあり、何世代も離れた過去の体験、または自分の子供の世代が体験する
未来の事でもあると言う奇跡的な映画になってますよね。
339:01/10/26 14:29 ID:y+qw2EnO
>>338
>ベルイマンでの大切な御体験を時間があればまた詳しく語って下さいよ。

あ、いや、ゴメンなさい。
そんな仰々しいものでは全く無くて、きわめて個人的なことです。
非常に抽象的な言い方になりますが、いくつかの重要な人生の岐路において、
そのときに彼の映画を見たことにより、決定的な断を下したというような、そういう存在なんです。
従って、自分の人生を振り返ったときに、彼の映画と人生が不分離ではありえないような気がするんですね。
例えれば「明日のジョー」を読んでプロボクサーに目覚める、みたいな体験が二つ三つ重なっている、
そういう感じです。
啓示とか運命とか、そういう思い込みを喚起させるんですねー(笑)。
だから思い入れは強いです、やはり。

ベルイマンの映画はみな私的だと思いますが、それが如何に自分の生理に訴求するか、ということですね。
例えば漏れのベルイマン映画ベストである『鏡の中にある如く』には、四人しか登場人物が出てきませんが、
漏れなんかは、その四人悉くが自分の内面に色々な顔をして存在しており、常に葛藤しているような気がするわけです。
自分の中にあやふやなまま存在している様々な想念を形にしたら、きっとこういう映画になるんじゃないか、
みたいな…。
いえ、不遜な物言いである事は重々承知しているんですが…。
うまく説明できないなー。
ちょっとまた今度じっくり語らせてもらいますね。

鏡、正に、正に、仰る通りだと思います。
タルコフスキーの映画は本当に不思議ですね。
340名無シネマさん:01/10/27 19:06 ID:hO0BUsBp
age
341:01/10/27 22:20 ID:V50OcxBS
ところで、今一番気になっているのは、『鏡の中の女』はいつDVD化されるのか、ということです。
ビデオになっていませんよね?
よろしいか氏、1氏、悪魔氏等はご覧になったのだろうか?
見たくて仕方がないですが、どんなんだったんでしょう。
ベルイマン曰く「失敗作」らしいですが。
342名無シネマさん:01/10/28 00:39 ID:k5tVXW1b
>>339
良いですネー。人生の岐路での選択に役に立ってる
のですね。そう言われると、私なんかは
「この感覚は何だろう。何故だろう。」
とかばっかり考えてる事に気付きました、、。

しかし無意識に人格とか、考え方とかに影響を与えられて
いるのでしょう。

>>340
どちらさんでしょう。ありがとうございます。
でもここはロムってる方なんかいるんでしょうか
ねえ。

>>341
鏡の中の女ですか。昔々レンタル屋で借りて見た様な
気がします。確か気の違った女の人が自慰をするシーン
があった様な、、、。余り覚えてないです。もう一つ
同じ様な時期に「操り人形の人生から」も見た気がします
がそれも内容覚えてません。何か二つともベルイマンの
映画じゃないかの様な印象を受けた記憶はあります。
DVDのベルイマンコレクションシリーズは続きそうです
よね。いつか出てくるかも知れませんね。その時また
見直します。

私は「魂の時刻」と、「恥」と、「情熱」は見たい。それらって
何とか三部作って呼ばれてましたね。
343:01/10/28 13:46 ID:AznYfwyC
>>342
や、ちょいと表現が大袈裟すぎたのですが…。
色々考えたけど、1氏のタルコフスキー体験というのは、やはり第六感的なものが彼の映画
によって刺激された結果のものなんじゃないか、という気がします。
網膜に映像を焼き付けたことによって、自分自身の感性がいっそう豊穣な方向に向かって
開かれたというか。
大仰な言い方をすれば、芸術の存在意義のひとつがそこにはあるような気がしますね。

>>340
どなたが存じませんが、ありがとう御座います。。。
ROMってる人は、恐らく2人もいれば上等だと思いますが…。

>>341
「鏡の中の女」、ビデオ出てたんかい!
今最も見たい映画ナンバーワンなんですが、ちょっと見かけたことがないんです。
「魂の時刻」はちょっと分かりませんが、恥、情熱は見てみたい作品ですよね。
ベルイマンは自作で好きなものとして真っ先に「情熱」を挙げていましたから。
あとアントニオーニ、フェリーニ、誰よりもブレッソンのことも高く評価してますね。

悪魔氏、バザー終わったかなー。
344名無シネマさん:01/10/29 02:21 ID:DW4jCUpB
age
345たぶん、悪魔が:01/10/29 19:34 ID:TdVQAfBs
お久しぶりです。
キーボードの調子が悪いので、(どうやらパソコン本体も)、フリーズしないうちに
まず、リストを書きます。シフトキーがきかないので、全部小文字ですが、勘弁ね。

1 ingmar bergman/sweden winterlight
2 ingmar bergman/sweden the magic flute
3 luis bnuel/france milky way
4 robert bresson/france a man escaped
5 robert bresson/france au hasard balthazar
6 charies chaplin/usa city lights
7 federico fellini/italy 8 1/2
8 yuri ilyenko/ukraine a well for the thirsty
9 otar ioseliani/georgia there lived a singing blackbird
10 elem klimov/russia come and see
11 akira kurosawa/japan throne of blood
12 stanley kubrick a space odyssey
13 albert lamorisse/france red balloon
14 david lynch/usa elephant man
15 kenji mizoguchi/japan life of oharu
16 kenji mizoguchi/japan osaka elegy

これで半分くらいですが、ちょっと用事ができたので、後半はもう少し後で書きます。
346たぶん、悪魔が:01/10/29 20:25 ID:v00Um9kG
続きを書きにきたのだけれど、前のが読みづらいなあ。スペースをとって合わせたのだが、
つめられちゃうようですね。文字スペースでないとだめかな。

17 carl th dreyer/denmark     ordet
18 carl th dreyer/denmark     gertrud
19 aleksander kaidanovsky/russia a simple death
20 louis malle/france       vanya on 42nd street
21 yuri norstein/russia      the tale of tales23 bako sadykov/tajikistan    adonis xiv
22 yasujiro ozu/japan       tokyo story
23 yasujiro ozu/japn        late spring
24 sergei paradjanov/armenia   shadows of our forgotten ancestors
25 sergei paradjanov/armenia   color of pomegranates
26 pier paolo pasolini/italy   gospel according to st. matthew
27 artavazd peleshian/armenia   the short films of artavazd peleshian
28 aleksander sokurov/russia   mother and son
29 andrei tarkovsky/russia    andrei rublev
30 andrei tarkovsky/russia    stalker
31 andrei tarkovsky/russia    mirror
32 hiroshi teshigahara/japan   woman of the dunes

とりあえず完了。ただ、今までの自分のレスを読み返すと、随分タイプミスがあるので、
訂正よろしくおねがいします。
番号には、何の意味もありません。アルファベット順にしていた途中のようです。
347たぶん、悪魔が:01/10/29 21:16 ID:v00Um9kG
 文字スペースでも、半角で調整ができないか。タブがきけばいいんだけどね。

 さて、3さん、>>317のベルイマンの発言、タイプしてもらってありがとう。お礼が
遅くなりました。
 内容は、私には、十分「異邦人へのもてなし」と受け取れますが。これは、別に宗教的な
ものにこだわる必要はないので、このレベルでの話は置いておきましょう。

 219さんがいっている
>本気で「客をもてなすため」にあの作品群を撮っていたとしたら、
>それこそキティっつーもんでしょ。
という点に関しては、ベルイマンとしては、自己韜晦で言っているのではないという
ことははっきりしたように思います。ただのもてなし(あるいはエンターテインメント)
ではなくきちんとしたもてなしなのだろうと思います。
 そうした創作者の自己言及と作品とはどうむすびつくのかという問題は、私たちが
これからしていけばいいことですから。

 さて、>>341でお尋ねの「鏡の中の女」は、私は見ておりません。
 私は、ベルイマンのあまりよい観客ではありません。初期の艶笑ものとか
「不良少女モニカ」からずっととんで「叫びとささやき」になってしまうんですね。

 だいぶ前に、ベルイマンとブレッソン、タルコフスキーが並ぶと違和感があると書き
ましたが、どういうことかと言うと、私はベルイマンには、神秘主義的なところを感じるの
ですが、ブレッソン、タルコフスキーには、それは感じないのです。
 もちろんそれぞれ理由はちがいます。(と思います。)それを書きながらで確認して
いくのが、たぶんこのスレに参加している私の理由だろうと思います。

 と、続きを書かねばと思いながらもキーボードの調子の悪さに、指先がもやもやしてきて、
ちょっと休憩。

 といいつつ、タイプミスをチェックしていたら、早速。
 リストの2番目21の途中に、23 bako sadykovとなっていますが、これは直して
打つように言われてたのに、まんま打ってしまったようです。ご容赦。
348たぶん、悪魔が:01/10/29 21:51 ID:VNwvee/o
>>347の続き。

 「ずっととんで」と書きましたが、私がベルイマンに神秘主義的なものを感じるのは
ぽっつりぽっつり見たその間のいくつかの作品です。「不良少女モニカ」に神秘主義を
感じたのではないのです。
 と、書きつつも実は今日はマシンの調子がひどく悪く、何度もフリーズしてしまっているんだわ。
それで、今日書いておかなければならない、もうひとつのことを書きます。(この続きは後日)

 165氏、これでいいですか氏、また「インディア」をご覧になった方の意見を伺いたいのです。
 「イタリア旅行」について書く前に、ふと魔がさして「インディア」を見てしまったのですが、
どうやらこれが、間違いのもとのようなのです。(マシンの都合で小刻みな書き込みにさせてもらいます)
349たぶん、悪魔が:01/10/29 22:12 ID:VNwvee/o
>>348の続き

 「インディア」について
 一応、これはドキュメンタリーということになっていますが、内容は
インドの風景と4つのエピソードからなっています。
 まず、カメラはボンベイに上陸し、街の様子を移していきます。今見ると
「おっ、ゴダールの「映画史」か」というつなぎもあります。(これは脱線)
問題は、4つのエピソードです。
 1 象使いの青年が、やってきた人形芝居の一座の少女に恋をし、二人は結婚し
   子供ができる。(青年が木の上から少女を見つめる、切り返して、少女が
   木の上の青年を見る)
 2 ダム労働者が、新しい職場を求めてダムから去ろうとするが、妻は反対である。
   (ふたりの生々しいけんかのようすが、うまくカメラにうつる)
 3 森の開発のために飢えた虎が、ハリネズミを襲い、怪我のために凶暴化して
   しまい、人間を襲うようになる。そのため、人間から狩られようとするが
   森で生きる老人は虎を逃がすために、森に火を放つ。
   (虎が人を襲う声を寝ている老人が聞くところが、うまくカメラにうつる)
 4 熱波のために死んでしまった猿使いが使っていた猿が、無事村に着き
   けなげに一人で(一匹で)芸をし、金を集め生き延びようとする。
   まわりの猿たちは、人間の臭いのついたその猿を受け入れようとしない。
   猿はまた新しい主人に拾われ、そこで生きることになる。
   (猿使いが、カメラの前で死んでいく)
350たぶん、悪魔が:01/10/29 22:25 ID:VNwvee/o
>>349の続き。

 各エピソードの最後の()内が、?というところです。
ま、明らかにドキュメンタリーと言うよりは、ちゃんとしたシナリオを
持った映画とみたほうが、適切かと思うのです。
文化映画として見ようと思えば、見ることもできるかもしれないし、
再現ドラマとして当人たちにやらせたとも言えるかもしれない。
(死んでゆく猿使いは別として)

 しかし、いったいこの映画は、何なんだろう。
 人と自然との調和を謳いあげた作品(まさか!)
 環境破壊への告発(説得力がない!)
 で、おもしろくなかったかというと、1時間半見入ってしまったんだわ。
 この作品の風景と人間のかかわりは、「イタリア旅行」とは違うのだけれど
何か普通ではないというのが正直な気持ちです。
(ええい、フリーズに負けて今日はここまで)

 皆さんの、「インディア」への意見、是非聞かせて下さい。
351:01/10/30 02:14 ID:tkp530NE
>>343
確かに私は映画によって色んな体験をさせて頂きました。
後はそれを理性的に捉え、行動に変えなければならないと
は思います。

悪魔がさん、バザー終わりましたか。
リスト打ち込んで頂いてありがとうございます。
見ている物の傾向は大体このスレの方々と同じでしょうか。
英語なんですが、その神父さんは外人さんですか?
(ちょっとこの質問頭悪い)

インディアおもしろそうですね。ってもしかしたら
私はロッセリーニは一つも見てない様な、、。
352:01/10/30 11:29 ID:gPZc+wyd
>>悪魔氏
なんか絢爛たるリストですね…。選集のコンセプトは何なんでしょう?
ルイ・マルの数ある作品の中から遺作の「42丁目のワーニャ」が選ばれているのが、個人的に嬉しいところですが。

ベルイマンのエンターテイナー発言はきわめて真面目なものでしょうね。
作家として当然の心構えであり、何より、楽しく面白く見ている漏れがいるわけだし。

「不良少女モニカ」は個人的に慄然とする映画でした。もう全然笑えない。他人事と思えないような話(ワラ
ベルイマンは神だ、とか言っておきながら恥ずかしい限りですが、
漏れは初期のいくつかの作品や「道化師の夜」「ペルソナ」「狼の時刻」「情熱」といった重要とされる作品を
見てないんです。他にも色々と…。
でも一番魅力を感じるのは、「処女の泉」「野いちご」「第七の封印」といった完成度の高い作品群よりも、
私的なテーマを追究した神の沈黙三部作であり、三部作を通過した後の、
古典的、形式的なものから解放された作品群、即ち「叫びとささやき」「あるケコーンの風景」「ファニ・アレ」等の
ような作風のもののようです(これらも全部作風違いますが)。
これらは神秘的というよりも、むしろ人間探究の極致みたいな印象です。
漏れはやっぱりブレッソンなんかの方がいまだに解せないところがあるな〜。
思想や表現方法ではなく、その不条理なほどに厳しい倫理観が。

話変わって、ウディ・アレンが選ぶ映画ベスト10本という企画で、
1位:第七の封印、2位:野いちご、3位:羅生門、4位:叫びとささやき、
とあり、彼のベルイマンフリークぶりが笑えました。

「インディア」、近々見てみます。「操り人形の人生から〜」も。
353たぶん、悪魔が:01/10/30 19:04 ID:3HQ+acgV
 いや、昨日はさんざんでした。しかし、昨日の一連の書き込みを読んだ人は、
「こいつ何者」と怪しんだでしょうね。

>>351
 1さん、ありがとう、バザーは無事終了しました。
 ところで、是非「インディア」見てくださいね。
 それと、「田舎司祭の日記」、確認したいことをまだ聞いていないので、もう少し
待ってください。
 英語にしたのは、不正確な日本タイトルをかくより、リストを見て検索しようという
人には、英語タイトルのほうが役に立つだろうと、思ったからだそうです。留学経験は
ありますが、日本人です。

 あと、>>328
>ただ、その体験が一体私に何の意味があったのか?何故瞑想の訓練も受けていないのに、
>しかも何故全然心構えがない時にそうなったのか。

 のことですが、心構えをしてもだめな時は駄目だし、瞑想の後にくれば当人には納得
しやすいと思うけれど、そういうものではないとしか言いようがないのですね。
 私は1さんと違って、フォール島ではなく、インド・パキスタンへ行ったんだけれど、
(かなり衝動的に)そこでとてもいい体験ができたということと、神秘体験そのものには
最初から不安を感じなかったことがすこし1さんとは違うかな。
 また、整理してから書きますね。

>>352
 3さんへ
 まず、このリストを見て私が感じたのは、「ロッセリーニとゴダールがない。」
ということです。あまり話す時間がなかったのですが、
…何ですか、このリスト?
…見て気になった映画と、見てないので気になる映画です。
…じゃ、ほとんど見てないんじゃないですか!
…友人が「人間について考えるための」映画ということで、送ってくれたんですよ。
…ふーん。
というやりとりだけで、あまり突っ込めませんでした。実は、私は人から季節信者と
呼ばれていて、秋のバザー、春の復活祭以外、あまり熱心な活動はしないんです。
 特に騒々しいクリスマスはいやだしね。ただ、「田舎司祭」の話が残っているので、
今年はもう少し行くだろうと思うので、機会があれば聞いておきます。

 ところで、少し前に書いてくれた「鳩の羽根」の話、とてもおもしろかった。
鳩の羽根が舞い降りたことについては、
 羽根そのものの行為なのだととらえたら、哲学の徒になっただろうし
 舞い降りた羽根そのものを受け入れたら、神秘家になっただろうし、
 でも、タルコフスキーを思い出したから、映画の人になったんだろうね。
354名無シネマさん:01/10/31 03:24 ID:F45XA7uz
ベルイマンは「情熱」を除いてすべて見てるが、「魂の時刻」って「狼の時間」のことでしょ。
がいしゅつだがこれは昔、東京12チャン系列でよく放映され、手塚真のベストフィルムだそうだが、
俺も夢魔的な雰囲気が好きだ。中学生のころ、ベルイマンが大好きだったが、その後反省してベルイマンは
映画的快楽よりも主題があからさまに図式的だと思い直した俺としては、別にいうべきことはない。

「インディア」はかなりいびつな失敗作だと思う。

ところで、今、ゴダールの「ふたりの子供のフランス漫遊記」をビデオで見ながらカキコしてるのだが、
どうも俺には神がどうのとかジャンヌの奇跡がどうのとかあまり興味がないのだな。
ジャンヌについて知りたければ、ジャンヌのことをこれまで映画化されたものを比較検討した研究書「ジャン
ヌって誰?」(フィルムアート社)が出ているからそれを読めばよろしい。
ブレッソンにしてもドライヤーにしても、カソリシズムの立場がどうのというのもあまり興味がない。
たとえば、モーツアルトが好きだったり、興味がある人が「アマデウス」を見るのもありだし、それにまつわる知識を
得ることは映画を見るうえでの鑑賞の役には立つだろう。しかし、それは「アマデウス」という映画の本質ではないし、
「アマデウス」という映画のおもしろさ、もしくはつまらなさとは無縁だと思う。
ハスミを読んだことのある人なら分かるだろうが、映画はなまじ「物語」やら「形式」があるから、人はそこから見えもしない
物語やら感情やら主題を読み取ろうとして、映画の本質を見誤ることになる。
ブレッソンが禁欲的作家だのカソリシズム作家だの抑制されたスタイルだのといわれているのに
対して、ハスミはブレッソンを「手の作家」だと看破し、手への描写に対する欲望を指摘した。
もっともハスミ以前にも飯島正がブレッソンの手への描写に対して言及した評論家はいるわけで、
ハスミ信奉者はこちらにも目を向けてもらいたいのだが、それはさておき。

ドライヤーの「裁かるるジャンヌ」を「アクション映画」としてとらえたとき、
まず映画史における裁判の描き方を考え直すべきである。
裁判といえば、アメリカ映画お得意の舞台だが、近年のアメリカ映画が裁判を描くとき、
モラルを前面に出して、それを冗漫な描写でして描きえないのに対して、たとえばビリー・
ワイルダーのマアマアの出来である「情婦」でも裁判は闘争というアクションの舞台であった。
フォードも裁判好きだが、そこにはフォードが軍隊や騎兵隊を好んだように秩序への収斂が指
摘されるだろうし、ラングにとっては裁かれる側の公開処刑場として裁判はあったと思う。
ドライヤーのジャンヌでは、まさに闘争の場として、公開処刑場の場として裁判があるわけで、
あのモンタージュはアクション以外の何ものではなく、アップの連続にいたっては衝突のモンタージュ
から産み落とされるアクションにほかならないと思う。

その点、ベルイマンは俺が前にカキコした神秘主義映画の定義にあてはまるから、まぎれもなく神秘主義の流れ
にある作家だし、映画史的にも北欧神秘主義の作家に分類されてはいる。
しかし、俺はこうした主題や形式による分類はあまり好きではないのだ。
さらにいうなら、ベルイマン好きから離れた原因は、図式的な主題もさることながら、
その硬直した構図主義にも堅苦しいものを感じたからにほかならない。「第七の封印」の構図主義は、
エイゼンシュテインの「アレキサンドル・ネフスキー」のように退屈なのに、「イワン雷帝」の
ようなフォルマステックな装飾性にまで至ってない。

極論だが、最も根源的で神秘な映画とはリュミエールの「列車の到着」ではないだろうか(ウソ)。
355名無シネマさん:01/10/31 03:33 ID:F45XA7uz
追加

俺はジーバーベルグがネオ・ナチであっても、映画にそれがあからさまに表現されていても、
ジーバーベルグの映画をいいと思う。そんな俺がストローブ=ユイエの映画まで好きだというのは
矛盾だと分かってはいるのだが。誰も「国民の創生」をKKKを美化してるからダメな映画だとは
言わない。そういうことだ。
356名無シネマさん:01/10/31 03:40 ID:F45XA7uz
さらに追加。

でも「不良少女モニカ」「野いちご」「ペルソナ」は傑作だと思う。
「ファニーとアレクサンデル」もかなりいいと思う。
357名無シネマさん:01/10/31 04:26 ID:5C2sgdt0
↑上3つコテハン書かなかったけど分かるよね?
358:01/10/31 10:54 ID:6GjQu3AR
>>353
>「人間について考えるための映画」
そうでしたか…って神父一体何者ですか?

鳩の羽の件はあれですね、宗教的な物事や霊性なんかについて考えをめぐらせていると、
どうしたって徴や霊や意味不明のざわめきが、偶発的にも必然的にも周囲に跋扈しはじめちゃう
ものなんで(きっと悪魔氏にはお分かりいただける感覚だと思うんですが)、
敢えて意味付けを避けてるというところはあります。
まだ聖霊の存在に対して確信を持っていないんですね、きっと。

上の方で誰かが言っていたように、ベルイマンの映画も霊性を日常的、自然のもの
として極当たり前に表現しているんで、そういう世界観に共鳴しているところもあります。
359:01/10/31 11:41 ID:2TfoVh8Y
>>354
>ベルイマンは「情熱」を除いてすべて見てるが
マジすか! マジすか! マジすか!
う、羨ましすぎる。
漏れが中学の時なんて、W・ヒルの映画に熱中してた程度だもんな〜。
じゃあ、「鏡の中の女」も見てるんですね?

>映画的快楽よりも主題があからさまに図式的
こういうのが良く分からないんですよ。
蓮実氏もよくこう言ってベルイマンを攻撃してるけど、その快楽、という言葉の正体が今ひとつ掴めない。
漏れは明らかにベルイマン映画に映画ならではの快楽を感じているわけで、
そこには当然物語の面白さも含まれる。
主題には言わずもがなで惹かれているし、切実なものとして受けとめている。
そして、主題の描き方にも必然的ながら、同程度に惹かれている。

真剣にお伺いしたいが、一体に「映画の本質」ってなんでしょうね?
絵画で言うならば、描かれたモデルが誰か、ということではなく、色彩やタッチに鑑賞の重点が
置かれる事のような点を指すのかな。

ブレッソンの「手」については、まあ、彼の映画を何本か見れば誰でも最も印象に残る部分ですよね。
でも、それが「欲望」であり「手の作家」であることの表出であるとしても、彼のカトリシズムがなかったら、
ただの「手」でしかないんじゃないか。
主題が構成する物語の中の、的確な位置に「手」があるから、「手」は生きるんじゃないか。
勿論、彼の映画の「手」の官能性はブレッソン映画特有のもので素晴らしいと思う。
そうした映像表現の個性の重視が、映画を鑑賞する中において重要なのは言を待たないし、
「何を描くか」ばかりが尊重され、「どう描くか」という視座が軽視されてきたんじゃないか、
という気も確かにする。
でも、「どう描くか」のみに心血を注いだ映画なんて、そもそも映画になり得ないでしょ。
映画はせいぜい1〜2、3時間の直線的な時間に沿った芸術な訳で、そこに人が
主題や物語を求めるのは必然だし、漏れはそうしたある意味素朴な要求にすら
応えられない映画は面白いとは思えない。

ただし、ブレッソンはちょっと保留。
彼の映画の本質はカトリシズムだ、と漏れは推察するけれども、
ひょっとしたら「手」(手じゃなくてもいいけど)を描くために、自分にとっては容易な主題である
カトリシズムを選択したのかも、という気がしばしばする。
主題があまりにも単純すぎる気がするんで。
ベルイマンにはそうした余裕や距離感は感じられないけど。

いや、まあ、蓮実系への反論は常に野暮な意見に堕すということは重々承知しているんですがね。

>でも「不良少女モニカ」「野いちご」「ペルソナ」は傑作だと思う。

漏れの好きな「鏡の中にある如く」「ケコーンの風景」「秋のソナタ」なんかはどうですか。
360名無シネマさん:01/10/31 12:17 ID:s5mmKHDD
蓮實氏が何言ってるのかは知らんが、
ベルイマンの映画には確かに何か硬直したような印象受けるな。
ただの個人的感想ですが。
361名無シネマさん:01/10/31 13:10 ID:Bz5FcXOn
>>359
君の好きな作品は俺はまったくダメだった。悪いけど。

いや、俺のいいたいのも「何を描くか」ではなく「どう描くか」だよ。
主題はエクリチュールと密接に結びついているというのは当然だと思う。
スコセッシが敬虔なクリスチャンの家に生まれ、聖職者を目指していたことや、
ポール・シュレーダーがカルバン派の敬虔な信者であることは、その映画に多大な影響を落としているだろう。
しかし、このスレを見ていると、どうも「何を」「どう描くか」という描写がなおざりにされているような気がする。
別にブレッソンが「ゴールドフィンガー」に興奮した事実は驚くべきことではない。
ルビッチやホークス、マキノといった作家の主題がいわゆる芸術系の映画の劣るわけではないだろう。

アレンがベルイマンやフェリーニ狂いなのは、いかにもアメリカのインテリらしく、
また限界も感じる。主題の深刻性や画面の象徴主義がわかりやすいからだ。
否定するつもりはないが、カリエールやグエッラの書く脚本にはそうした分かりやすい象徴が露骨だから、
ある意味で軽薄なインテリは騙されてしまうのだと思う。
362名無シネマさん:01/10/31 13:16 ID:CASX+qJ6
スレ内容が初期に戻ってきてるな・・・
363名無シネマさん:01/10/31 20:11 ID:Xb+gXJZX
この人は蓮實信奉者なの?
364これでよろしいか:01/10/31 20:13 ID:daSPain4
コテハン入れないと分かりにくいか。

「アメリカ映画史」とゆう本で佐藤忠男が「市民ケーン」について、
「映画史に残る大傑作とは思えない。富豪の心の内側はさびしいものだった、というテーマは
新しくもなんともないし、図式的だ」(大意)と書いている。
さすがテーマ主義の佐藤忠男。こういうのを凡庸という。
ウェルズのナラタージュの華麗さやバロック趣味に興奮しないらしい。
おろらく佐藤忠男には「アーカディン氏」の荒唐無稽な物語と尋常ならざる語り口の結合に興奮する
ことなどないと思われる。

同じようにヒッチコックにインタビューしたカイエ派の主題へのこじつけは、ヒッチでなくとも笑ってしまう。
シャブロル、ロメールのヒッチコック論は、ヒッチコック映画に罪や贖罪の主題をむりやり結び付けようとして
いるようにしか読めない。その点、トリュフォーは「何を」「どう描くか」という具象を聞き出しているから、
「ヒッチコック/トリュフォー」は名著たりえているのだと思う。

追記 「鏡の中の女」はビデオで見たけど悪くないと思った。ただし「操り人形の人生から」は正直ベルイマンも終わったと
思った。「音楽」を撮った増村みたいな感じかな。
365たぶん、悪魔が:01/10/31 20:45 ID:ewPKIWy3
3さんへ、盛り上がっているところへ悪いんだけれど、

>>358
>「人間について考えるための映画」
そうでしたか…って神父一体何者ですか?

についてなんだけれど、そう言っているのは、彼の友人なんだね。ところで、これは私への
質問、それとも神父への質問。いずれにせよ、何を答えればいいのかちょっと戸惑ってるんだね。
で、明日の木曜日の夜に会う約束をしているので、聞くことがあれば聞いてきますから、
書いておいてくれる。
(たぶんその後は、教会へ行かなくなると思うんだわ。理由は上を読んでね)
366 :01/10/31 20:55 ID:uvD3bEC0
皆さん「魔王」は見てきましたか?
非常に神秘的な映画でしたよ。もうすぐ公開終わりますが。
全く話題になってないのが悲しいです。
たいへん素晴らしい映画なのですが。
367:01/11/01 00:51 ID:riwi/ndo
ついつい深夜にレスします。

>>361
>このスレを見ていると、どうも「何を」「どう描くか」という描写がなおざりにされているような気がする。
これに関しては異論の余地はないですね。全くそのとおりであると思います。
ただ、このスレがそうなってしまう、ある種の必然性はあると思うんですね。
この話は後回ししますが。

漏れはどうも最近、「どう描くか」ばかりが浮揚され過ぎているんじゃないか、
という思いが非常に強くなっていて、嘗て「どう描くか」が疎かにされてきたように、
「何を描くか」という、芸術そのものの根源的な機能を軽視する風潮があるような気がしてならないわけです。
証拠は? といわれたら漠然とした印象、でしかないんですが。
これはこういうことなんじゃないかと思うんです。
漏れは、嘗て主題主義(ベルイマン?)とされてきたものも、革新的(ヌーベルバーグ?)とされてきたものも、
もはや平たく均された後の文化に親しんでいる、或いは文化自体が均質化して、駄目になった時代の
世代の人間なんですね。つまり、いわゆるMTV世代よりさらに下の世代です。
これは逆に言えば、ヒッチコックの映画に妙な観念や主題を求めるのは誤りだという考え方や、ルビッチやホークスが偉大だ、
と散々人口に膾炙されている文化に育っている、と言い換えることも出来る訳です。
もっとも、漏れは批評は全然(昔はちょびっと読んだ)読まないし、映画ファン及び映画人は必読書とされる「ヒッチコック/トリュフォー
(こんなタイトルでしたっけ?)」も、美味しいとこ読みしかしてないような甚だいい加減な人間ですが。

だから、そういう世代のある一人の人間の意見だと思ってくだされば通りがいいと思うんですが、
ドン・シーゲルを恰もプルーストを語るかのごとく熱心に語っている蓮実氏の姿勢は非常に好ましく映るし、
よろしいか氏が仰るように、「市民ケーン」を主題のみで事足れりとしているのならば、佐藤忠男氏
(この人の活動は立派だとおもうんですけどね)は浅薄のきわみだと思う。

重要なのは、ベルイマンとドン・シーゲルとでは、映画に求めている感動の「質が」違う。
そういうことだと思うんですね。
一人の女をモデルにした絵画でも、ピカソの絵にシャガールのような愛の至福感を求めるのは筋違いだし、
キリスト教を主題にして扱ったドストエフスキーに、同じくキリスト教を追究したトルストイのような
美しい文体は望むべくもない。

続きます。
368:01/11/01 01:46 ID:Y8rOZ05P
漏れにとってのベルイマンの素晴らしさは、一言で言えば「見たいものを見せてくれる」ということに尽きます。
「見たいもの」とは、人間と人間の、内臓を擦り合わせるような生々しい傷つけあい、ぶつかり合いです。
漏れはそうした人間の暴かれた赤裸々な姿を見たいがために、ベルイマン映画を見る。
で、常に彼はお釣が来る位、その要求を叶えてくれる訳です。
卑屈ぶる訳じゃないですが、そういう欲望は非常に下司なものですよ。暴露趣味に近い。
じつに低位なる、卑俗な精神だと思います。
だ・か・ら・こ・そ、「宗教」、というテーマが反立的に浮かび上がってきます。
尤も、ベルイマン個人においては逆でしょうが。

それはさておき、「これが人間だっ!そうに違いないっ!」という些か頑なな意志がベルイマンにはありますね。
漏れが「野いちご」や「第七の封印」に圧倒されつつも、フェイバリットになりえないのは、
人間が一面的にしか描かれていない感が強いからです。つまり、ひょっとしたら、彼でなくとも撮れたかも知れない。

彼の作品の映像美については、これらの作品でも充分証明可能だと思うんですが、やはりその「語り口」は、
彼独自の明晰さによって、徹底的に統御されていると思います。
例えば『鏡の中にある如く』のファーストシーン、四人の登場人物が海から現われる場面や、
作家と娘の恋人が船の中で対決する場面であるとか、ああいったピンと張り詰めた冷たい画像と人物の動きは、
漏れにはひどく魅力的に映ります。

ところが、こうした彼の映像的な凝り性、語り口への意欲は徐々に退行し、後期に行けば行くほど、その「主題」
のみが成長、成熟、肥大化し、愈々我儘勝手な作風になっていきますよね。
こうして出来るのが三部作だったり、「ケコーン」「秋のソナタ」だったりする。
彼がどんどんコアな作家になって行く過程を見るようで感激しちゃうんですが
(だから鏡の中の女が見たい!)、一方では「主題さえ伝わればそれで良いんだ」という姿勢が定着しちゃいますね。
それが「舞台中継」的な作品のフォルムになっていくわけです。
「ケコーン」「秋のソナタ」なんか特にそうですね(他にもあるかもしれませんが、顕著なんで)。

これらは殆ど二人芝居の世界ですね。
この一見雑に見える演出、これがまた漏れにはたまらない(笑)。
「ケコーン」も「秋」も、当然のように映像は美しいんですが、確かに「映画の官能性」「映画の快楽」
という要素はきわめて乏しい。
『第七の封印』の「死の舞踏」を模した強烈なワンカットみたいな迫力は消え失せていると思います。
まるで脚本を映しているかのごとく、主題が非常に達者な役者たちによって詳らかにされる、それだけのだけの映画なんですね。
いわば彼の映画のエッセンスだけが抽出された按配です。

このような映画のイメージが「散文的」「私小説」といった感想をもたらすのだろうし、
だったら脚本読んだ方が早いじゃないか、ということにもなりかねません。
ところが、これをリブ・ウルマンさんが演じている、エールランド・ヨセフソンが演じている、
スヴェン・ニイクヴィストが確り映像に収めてる、何よりベルイマンの視線の熱気がこちらにまで伝わってくる、
これは何だ、これは映画以外にありえないじゃないか、そう思うわけです。
例えば似た物同士のストリンドベリを読んだり舞台で見たりしたって、こうした感慨は得られない。

つづけます。
369:01/11/01 02:31 ID:q+b64p8i
まあ、駄文を重ねちゃいましたが、要は漏れ個人は、彼の作品に、映画でしか味わえない興奮と感激
を覚えているし、ドン・シーゲルの映画には全く別のヒリヒリ感溢れるアクションを求めているのであって、
決して孤独・愛・性・老い・病気・宗教なんかの追究など求めない、ということです。
こうした、いわば「純文学的」な主題を扱った映画とアクション監督の間に極端な差異は認められても、
そこに優劣を見ることは、映画を殺すことだという認識は、恐らくよろしいか氏と一致していると思います。

また、仮にドン・シーゲルの映画にそうした純文的な徴が認められるにせよ(どうかは知りませんが)、
漏れはそれを彼の映画に求めていないが故に重視しないし、
それがドン・シーゲルの欲望やフェチを露出したとても、それは彼の作品世界の一環であって、
殊更煽り立てるほどのことではない、と思うわけです。

最近、そういうことを痛感したのは、ポランスキーの『ナインス・ゲート』であり、ジャームッシュの
『ゴースト・ドッグ』であり、キェシロフスキの『デカローグ(特に1)』であり、
マーティン・ブレストの『ミッドナイトラン』です。
いずれの作品も異なる主題を扱っていますが、殊「語り口」の妙において、
それぞれ本当に個性的で素晴らしかった。そして言うまでもなく武映画。
こうした作品は、はっきり言ってラストが唐突だとか編集がぎこちないとか、
感情移入が出来ないとか、そんな直線的な、パターン化された視点で物を言ってもしょうがないくらいに興奮するし、
ひたすらに豊穣な映画群であると思います。

話が飛びましたが、ベルイマンがたとえ「図式的」であれ「主題主義」であれ、漏れには偉大すぎる存在であり、
人生と不分離で考えられないというのは、即ち彼が扱う主題やモチーフに、他人事ではない切実さを感じているからですね。
余り比べても意味はないですが、ブレッソンの映画が凄い(正しく映画が凄い)、というのと、ベルイマンの映画が凄い
(上記してきたような人間造形と主題が凄い)、ということ、
さらにはタルコフスキーが凄い(見るからに凄い)、そうした場合の「映画」という言葉には、やはり厳然たる差異が
あるということなんでしょうね、きっと。
漏れはブレッソンは人間を一面的にしか描いてないと思うけど、そんなことで彼の映画がつまらない、
なんて思わないですね。
逆に、蓮実氏が「タルコフスキーは映画以外の何かを信じている」といっていたけど、
では他のメディアでああした類の感動を得られるかというと、それもないでしょう。
漏れなんかは彼がしばしば口にする「映画に誠実かどうか、畏れているかどうか」ということなどは、
余り関心がない、いや、正直に言えば、避けてますね。

ああ、いつの間にかこんな時間だ。

ともあれ、神秘主義スレにおける「どう描くか」、是非とも語られるべきでしょう。
特に漏れのように精神性ばかりに目が行く幼い観客にはよき導きとなるのではないかと期待しております。
3701:01/11/01 02:40 ID:iHDPyzgl
>>353
テロの時感じた不安は、その時イスラム教徒は純粋に信仰した結果、
ああ言う事件を起こしてしまったのかと思ってたからです。

私はあの事件まではぼんやりと「真実」を意識していたのでしょうね。
純粋に信仰すれば全世界の人が同じ「真実」にたどり着くと言う事をです。
そしてそんな私の根本が、あの事件で否定されたのだと思っていました。

しかし今は、あのテロは本質的にイスラム教とは何の関係もないのだと
思ってます。不安は完全には消えていないのですが。

3さん凄い文章量。それに比べて私は野暮に自分の
言いたい事だけを書くことしか出来ませんが、、、。

そうですね。このスレの偶然付けられた題名の性格上、
形式や、監督の意図である主題にはこだわる事が出来ない
のは本当ですね。

そして私は、ある作家の作風を、一つの傾向として見てしまった
(遠くから見てしまった)時点で、もうその作品を自分の人生と
対等には見れない状態になっちゃうと思ってます。

つまり、映画から神秘を感じるためには、形式や意図(主題)どちらにも
拘ってはいけないと思います。

私は1にも書いたように、映画から神秘を感じるとしたら、
それはそういう表象的な物全ての背後から、だと思います。

(思いますばっかりで消防の作文みたいだと思います。)

いや、確かにこうやって文章で映画の事を表現する時は
主題と形式を分けたら話し合いしやすいんだけど、、、。

3さんは議論を膨らましてくれてるのに、私はぶっきらぼうに
何行かボソッと言うだけでごめんなさい。
371:01/11/01 02:51 ID:q+b64p8i
最後になりましたが、

>>365
神父さんに質問か…。
スコセッシの「最後の誘惑」、この映画の是非ですね、やっぱり。
ちょっとコピペしときます。

『最後の誘惑』では、83氏が挙げられた「The New Man」で解釈されているであろうように、いや、もっとあからさまに
ユダはイエスに裏切りを依頼される存在として描かれています。
と言う訳で、イエスとユダのによる、ニューシネマの友情物語じみた雰囲気さえある解釈の映画になっています(笑)。
でも逆説的に考えると、ユダがゲッセマネで彼を裏切ったからこそ、イエスは漸く十字架に架けられる訳ですよね。
イエスは”成就”のためには裏切りが不可欠であると知っているために、親友ユダに裏切りを依頼するんです。
ユダは親友の使命を全うさせるために泣く泣く裏切りを受ける、と。
今では裏切り者の代名詞みたいなユダですが、汝の敵を愛せよ、の発想に準じた解釈として、
漏れにはあれは非常に好ましく映りました。
こういう発想は固いクリスチャンの人ってあまりないような気がしていたんです。

まあ、大体こうした感じです。
もし宜しかったらお伺いしてください。
ただ、この映画、ケッ!て人も多いらしいんで、
気をつけてください…。

>>366
未見です…。
結構惹かれていたんですが、今日まで多忙を極めてまして…。

おやすみなさい。
372これでよろしいか:01/11/01 05:42 ID:Xi9DNc0Z
3の力作カキコ感動したよ、マジで。

ウーム、ドライヤーの「サタンの書の数頁」ってあるよね。
あれって宗教的な主題がやりたかったわけでもなく、それが重要なわけでもなく、
ただドライヤーがグリフィスの「イントレランス」を見て、それを真似してみたかっただけでしょ。
「裁かるるジャンヌ」で極端な形式主義までたどりついたドライヤーが、晩年に「ガートルード」という透明な遺作を
残したのは俺には分かるような気がする。

が、しかしドストエフスキーを読んだあと、夢野久作を読んで、同じように興奮を禁じえない俺は、
決して同種の興奮とはいいきれないまでも、ブレッソンとルビッチとホークスとマキノを
「映画の住人」(ルノワール)として最も偉大な監督だと痛感するとともに、やはり同じように興奮
してしまうのだな。まあ、自分にとっては加藤泰でもいいし、もっと俗なところでは斉藤耕一の歌謡曲
映画でもかまわない。アレキサンダー・ホールの「幽霊紐育を歩く」を見て感動する自分も、
グル・ダットの「渇き」を見て滂沱する自分も、トリュフォーの「恋のエチュード」を見てショックを受ける
自分も、ブレッソンの「罪の天使たち」を見て打ちのめされる自分も、俺にとっては映画という名において同じなのだ。
373これでよろしいか:01/11/01 06:00 ID:tiiPfpW4
かくいう俺は、こういうマジスレにときどきレスをつける一方、
「オーパイ」やら「マソコ」やらのスレにもめっちゃマニアックな
レスをつけてるわけで・・・。
もともとベルイマンも小学生のとき、「沈黙」をエロ映画だと思って見て
ショックを受けて、それから厨房時代のベルイマンとレネ狂いが始まったわけで。
一方で深作に興奮したりもしていたわけだ。
しかし、最近のアートまがいの小僧映画を見るとうんざりするし、同じように幼稚化した
アクション映画を見ると、映画って貧しくなったと思ってしまってイライラする。

蓮實に関しては前スレで批判もしたが、何事も功罪あるわけで、ろくすっぽ自分の目で映画を
見ずに蓮實を信奉する奴らが嫌いなだけだ。それこそ宗教だと(カルト的な宗教)だと思う。
蓮實によって得ることも多かったが、間違いもあるし、共感も反撥もあるんだな、俺は。
蓮實がジュヴィヴィエを貶したから、ベルイマンを貶したから、といって見もせずに、貶すような
バカに細胞レベルで嫌悪があるだけだ。
374これでよろしいか:01/11/01 06:13 ID:tiiPfpW4
「魔王」はつまらなかった。シュレンドルフだもん。
原作の精神を全然伝えてないし、象徴が単なるもっともらしい象徴だけに終わっている。
正直ガッカリした。映画を見るぐらいなら、原作を読みましょう。
3751:01/11/01 10:56 ID:3qXeRYWU
>>373
奇遇ですね。私もです。
「オパーイ」も「マソコ」も神秘的ですね。
3761:01/11/01 11:06 ID:gJfkNUsH
しかし私の中ではよろしいかさん見たいに
「オパーイ」やら「マソコ」とブレッソンが自分の中で
共存せずに、矛盾を感じて戦っています。典型的なAB型
気質のせいでしょうが。
377:01/11/01 18:03 ID:lsRu7sTT
>>375,6
1氏が「オパーイ」とか言ってる…。頼もしい…。
強引に結びつける訳じゃないけど、ベルイマン映画の人物達って恐ろしく荒淫ですね。
こないだの朝日の日曜版では、エールランド・ヨセフソンさん(78)がベルイマン(83)との電話での
会話内容を聞かれて、「セックスとアルコールの話だ」と応えており、漏れはいたく感動しました。
イマヘイも赤い橋のなんとかというエロ映画撮ってるし、かくありたいものですね。

漏れが文章が不要に長いのは、思惟の未熟と、表現の要領を得てないからですね。
漏れが百語費やすよりも、1氏のぽつんとした一言の方が重いことが多くあると思います。

>>372
よろしいか氏に褒められてしまた。。。奇蹟だ。
「マソコ」への興味も尽きませんが、確かに蓮実氏の功罪、淀長の功罪、色々問題はありますね。
漏れはよく読んでないにもかかわらず、アンチ蓮実氏みたいなところがあるけど、
「動くな!氏ね!甦れ!」に関する蓮実氏の文章やエットーレ・スコラを紹介した点などなど、
やはり観客の映画への接し方をさらに豊穣な方向へ広げた功績は巨大ですよね。
問題はその無批判な信奉者や生徒たちの姿勢というのも同感です。

>最近のアートまがいの小僧映画を見るとうんざりするし
>同じように幼稚化したアクション映画を見ると、
>映画って貧しくなったと思ってしまってイライラする。

激しく同意します。
378たぶん、悪魔が:01/11/01 19:42 ID:AAYk2iM7
3さんへ、以下のことが少し気になったので、先に正直に書いておきます。

>>358
>「人間について考えるための映画」
そうでしたか…って神父一体何者ですか?

>>371
神父さんに質問か…。
スコセッシの「最後の誘惑」、この映画の是非ですね、やっぱり。
ちょっとコピペしときます。

358の「何者ですか?」って、ひょっとして質問ではなくあなたのコメントだったのかな。
というのは、読み返すと371って、特に聞きたいことがあったようでもなさそうに思えるから。
「何者ですか?」というのは、2ちゃんねる的な言辞だといえば、それまでだけれど、私はあまり
なれていないので、気をまわしすぎたかもしれないね。
ただ、彼はこのスレに参加しているわけではなくて、私が甘えていろんなことを
聞きにいっているだけのことだね。

私は自分の書いたことで、「?」がかえってくれば、拙くても誠実に答えるべきだと思っています。
でも、くどいけど神父はそうではないし、「神父さんに質問か…。」って、ある意味、聞きたいことが
あったわけでもなかったのかなとも受け取れる表現だよね。私が軽率だったといえばそうかもしれない。
でも正直、もう少し第三者には配慮すべきだと思うんだね。(もう一度、>>365読んでみてね。)

さて、彼の見解です。
ユダに対するそうした見解は、そう目新しいものではありません。
東方教会からは、禁書にされましたが、カザンツァキの原作のほうが、聖性と俗性の葛藤の深さが
より心を打つとおもいますし、緊張感も感じられます。
試練をえない信仰なぞありえないでしょう。今のような時代、だれしも神への疑いを持つ時があるのではないですか。
それを乗り越える一助になることが、私たちの役割なのですから。
カザンツァキに興味をもっておられるのなら、「アシジの貧者」より「キリストは再び十字架に」
の方を勧めますね。
それと、私が言うべきことではないですが、「グノーシス文書」などもその方には
興味深いかもしれませんね。

以上です。
3791:01/11/01 23:20 ID:EpYY/Ait
私が言うのも全然何なんですが、、、
3さんの今までの発言から考えると、たぶん気をまわしすぎてああ言う
表現になっちゃったんだと思います、、。だってこんなスレ立て人をに
お気を使われてもの凄く立ててくれる方だし。

言葉って難しい。こういう文字に気持ちがこもりにくい
メディアでの会話は、特に気を付けないといけないですね。恐ろしい。

私の神父さんに対する質問ですが、前にお頼みした事以外に
特にありません。

前お頼みした質問とはつまり、ブレッソンの映画での信仰の仕方が、
神父さんや教会関係者にはどう思われているのか?と言う事でした。
(私は悪魔がさんがあの時教会関係者だとは知らなかった。今から思えば
悪魔がさんに直接聞けば良かったんですね。)

つまりベルイマンでもタルコフスキーでもブレッソンでも、
信仰が、たとえ彼ら独自の映画の方法でも、本当に神の方向に導いてくれるのかと。
(あっ、悪魔がさんはブレッソンを神秘的じゃないと言ってましたねぇ、、。)

神父さんがただ内容だけを見て判断しているのでしたら、それはそれで
答えだと解釈します。各人各様に信仰の仕方は違っても、それによって
方向を誤る事はないのだと言う事なのでしょうね。
3801:01/11/01 23:40 ID:EpYY/Ait
>>377
本当にその新聞見なくちゃならないですねぇ。
図書館行ったら見れるでしょうね。

たぶんこういう掲示板では、3さんの文章の様に
話を盛り上げる方向に持っていかなければならない
のでしょう。そして、3さんの文章には
色々本質的な問題が定義されてるのですが、それを
膨らませることが出来ない私が正直情けないです。
まあお互いの文章の事についての事に言うのはこれで
止めましょう。

後、妙な所が気になったんですが、、、。
淀川長治って影響力あったのですか?
私は出身が神戸の新開地なんですが、淀川長治を強力に支持している
のは地元の人だけだと思っていました。
381名無シネマさん:01/11/02 00:38 ID:hh86aaCj
蓮實学長は淀川さんを絶賛してるみたいね
382名無シネマさん:01/11/02 04:06 ID:caBFE8lf
>>381
政治的にね。
383これでよろしいか:01/11/02 04:25 ID:yzSjJAkY
いつも酔っ払って深夜にレスつける俺としては、みなさん文章や視点がしっかりしていてすごいね。
1&3さん、たぶん年は俺の方がちょいと上らしいが、たまには「オーパイ」や「マソコ」でも激論を
戦わそうや。俺の友だちでイマヘイの「人間蒸発」を「人間発情」と勘違いして見に行って、ショックを
受けて、それから映画に目覚めた奴もいるからね。いや〜、ホント、映画っておもしろいですね。
384:01/11/02 11:06 ID:rBzdRArk
>>378
いやいや、大変な無作法申し訳ありませんでした。
一応事情を、言い訳がましく解説を試みます。
「何者ですか?(既にこの物言いが無作法だ。スイマセソ)」というのは、この方は
きっと映画好きの神父に違いない、
と類推して、きっと何かオモシロイものを秘めていると思ったので、直截的な表現でおう
かがいしたものです。
で、映画リストを作成したのは、神父さん当人ではなくその「友人」であるとの由。
ああ、そうかと納得して、そのまんまにしていた。
納得した、という言葉を書くことを忘却していた、そこがいけなかったですね。

さらに、何だか人のせいにするようで恐縮ですが、悪魔氏の365における文章に
「?」マークがついてなかったことで、
正直、「書いておいてくれる」、これが誰に向けられたものなのか、或いは打ち損
なったのか、
判然としなかったという事情も加算される訳です。
いえ、勿論漏れに違いないと見当はつけていたんですが、当時「ベルイマンの主題
!」というレスに
カーッと熱中していた漏れは、悪魔氏へのレスをつけようと心に留めつつ、長文レス
を書き終わった後にすっかり脱力、
書こうとしていた事をあらかた失念、そのままにしておいてしまう、という結果を招
いてしまった。
…ということなんです。
こういうことはしばしばあって、このスレでも1氏やよろしいか氏や悪魔氏がせっか
く議論の端緒を提示していて
くれてるのに、また、こっちもそれにのろうとしているのに、
カキコし終わる頃に疲れてしまう、或いは忘れてしまう、という事態に陥り、結局議
論にならずに流されていく、
そうした事柄が多数あると思います。
反省してます。
で、「神父さんへの質問かあ」、これはですね、今現在、宗教と芸術のかかわりとい
うものに一番興味を惹かれている
漏れ個人にとって(だからアンドレイ・ルブリョフが破格に面白かった)、
神父様への質問、というのは沢山ありすぎて困ってしまった、そういうことなんで
す。
だからとりあえず、ずっと気になっていることである最後の誘惑の質問をコピペし
た、と。
そういうわけです。
大変申し訳ありませんでした。
385:01/11/02 11:18 ID:NHJBuf8Q
で、ユダの件ですが、誠にありがとうございます。
以前カザンツァキの原作に挑戦しようとして、もっと聖書を読み込んでからじゃなきゃ駄目だな、
と思って半ばでやめちゃった経緯があるんです。
なんでも教会関係者によってその墓場に糞尿をぶちまけられるほどに嫌われていたそうで、
ユダの同情的な描き方や、イエスが性行為を行うということがなぜそんなに重大な問題なのか、
不可解に思ったことがあります。
アウグスティヌスだのエックハルトだの色々読んでから、また挑戦してみますね。
「キリストは再び十字架に」も気になっていたんで、いつか読んで見ようと思います。
グノーシス主義もよくは知らないんですが、心惹かれる主張をしているようなので、
かなり興味深いです。
色々ありがとうございました。
386:01/11/02 11:31 ID:FvMJMsHj
それから1氏、わざわざフォローありがとう御座います。
なんか気を使わせてしまってすいませんね。
しっかし新開地ですか…。
震災が起きる一年前の夏休みに、新開地の友人宅に2週間ほどお世話になったことが
あって、将棋さしてるおっさんの屯する公園とか〇×とか〇×とかで遊び呆けた懐かしい町です。
あと、刑務所とか奥崎謙三の実家とか…。
実に不思議な活気と雰囲気のある佇まいの町ですよね。
個人的に大きく魅了されて、大変好きになったところです。
ただ、震災で友人宅は全焼し、町の様相も大きく変わったと伝え聞きましたがどうなんでしょう…。

淀川先生は漏れの中ではめちゃめちゃ偉大ですよ。
映画史から「ニュー・シネマ・パラダイス」が消え去るのと淀長が消え去る、
どちらを選ぶかといわれたら、迷わずニュー・氏ね!になるくらい。
著作を貪るように読み耽った時期もあるし、講義を受けたことも何度もあります。
漏れのヨーロッパ映画への導きはこの人からだし、この人の話を聞かなかったら、
ずっと映画を狭く矮小化してつまらなく見ていたと思います。
もう、蓮実信者に対して、淀川信者みたいなものですね。
テレビでは変なじいさんでしたが、講義では百八十度態度が違います。
きわめて手厳しい。熱心。
映画の底なしの面白さを広めるんだという、巨大な意志を感じていつも圧倒させられました。
評論家による感化、啓蒙という点では、漏れはこの人が一番です。

>>383
また褒めてる。
きっと深酒が過ぎたのかと…。
人間蒸発、意味不明に面白い作品ですね。
387たぶん、悪魔が:01/11/02 19:26 ID:aVU+ux4G
>>384
>>385
3さん、丁寧なレス、ありがとう。それで、十分です。
別に、そ知らぬ振りでそのまま、進めていってもよかったんだけれど、
自分自身への自戒も含めて、第三者への配慮はやはり忘れてはいけないと、書きました。
また、ひとつの理由として、私があなたのファンだからだよ。(今更言われても嬉しくないかな)
だから、言っておくほうが、あなたのためになると思ったからだね。
ただ、ひとつ謝っておかなくてはならないことがあります。私の説明がわるかったのか、神父は
あなたのことを、「あのカザンツァキに興味をもってみえる方」と言ってます。
さきほど書いたように、これは私の説明不足だろうと思います。ごめんなさい。
ところで、聖書を読まない人が、カザンツァキをどう読むか、私はとっても興味あるなあ。

さて、1さんの場合は、神秘体験をした者どうし、すこし危なっかしいところがとても気になって、
目が離せないんだね。(迷惑かな?)私ごときで、答えられることなら、遠慮なく聞いてください。

きょうは、「これでいいですか」氏が紹介してくれた、Youssef Chahineの「DESTINY」に挑戦します。
「炎のアンダルシア」って、これでいいんでしょうね。

最後に、友人がバッハの「マタイ受難曲」に挑戦することになり、そのことで少し時間を
とられるかもしれませんが、できるだけこのスレに参加させてもらいます。1さん、3さん、
がんばってください。
388たぶん、悪魔が:01/11/02 21:00 ID:g1GNt/h5
3さんへ
実は今風呂上がりです。でね、風呂に入っているときふとある名前が浮かんできたんだけれど、
3さん、ホアン・ド・ラ・クロスって知ってる?
英語では、St. John of the Cross、「十字架の聖ヨハネ」という聖人なんだけれど、
彼の書いたもの、案外あなたに向いているかもしれないと、唐突にその名前が浮かんできてね。
ただ、それだけの理由でこの書き込みをしました。
389:01/11/03 11:53 ID:OMi2k3U7
>>387
いえいえ、きちんと言って頂いて本当によかったとおもいます。
たまに叱られないと漏れは一人で暴走しちゃうんで…。
ファンだなんて、もう(ポツ)。

カザンツァキには非常に興味ありますよ。
漏れは現段階での知識では、イエス、という人が非常に好きだし、興味津津です。
いや、彼の存在が「象徴」するもの、というべきか…。
「アンドレイ・ルブリョフ」で、ロシアの雪原の中をゴルゴダの丘に見立た磔刑の場面が
出てきますが、ルブリョフがその芸術で追究したような、長い間民衆の心の拠り所になってきた、
犠牲の人、愛の人、そういったやや甘〜い認識の仕方が好きなんです。
今のところ、あくまで漏れの中ではイエスは観念の域を出ませんが、こうした形で人々の心の拠り所になる
人物は、ちょっと他に考えつかないですよね。

で、好きだ、という程度のものなんで、彼がどう描かれ、どう解釈されているか、
そうした方面に興味があります。
だからカザンツァキも気になるんですね。
でもベルナノス他、カトリック文学やら神学大全やら三位一体論やら、
さらにはトルストイやドストエフスキーやら遠藤周作やら、ともかくキリスト教にまつわる書物は
あまりにも量が膨大で、どこから手を付けていいか分からないんですよね。
ひとまず中公文庫辺りから出ている本を片っ端から読もうと決意したくらいで。

で、「十字架の聖ヨハネ」という聖人は知りません。…というか、聖人なんかになるとさらに詳しくないんで…。
ただ、悪魔氏の脳裡に唐突にその名前が浮かんだ、こういう偶然、インスピレーションは
従って吉、だと思うので、心に留めておきます。
どういった本を書かれた方なんでしょうか…。

「インディア」、借りてきたんですが、週末忙しいんで、感想はもう少し後になると思います。
390:01/11/03 11:54 ID:OMi2k3U7
中公じゃなかった、岩波だ、、、。
391名無シネマさん:01/11/03 12:27 ID:UqM8O1cy
おじゃまします。
最近タルコフスキーの「惑星ソラリス」を見て感動したものなんですが、
続けて「ノスタルジア」を見たらちょっと理解不能だったんです。
こんな私にちょうどいい神秘的映画?紹介していただけませんか?
よろしくお願いします。
392たぶん、悪魔が:01/11/03 13:21 ID:lWVDJvt7
>>391
タルコフスキーがお好きですか。「鏡」は、もうご覧になっていますか。
あと、神秘的映画といわれると、私はつい、カール・ドライヤーの「奇跡」と
言ってしまいます(パブロフの犬状態ですね)
「ソラリス」のあの時間感覚が気に入られたのなら、「神秘」という言葉にこだわらず
小津の映画などもどうでしょうか。見る方によっては、神秘的と感じられる「ミツバチのささやき」

この後、いくつもレスがつくでしょうから、楽しみになさってください。
393名無シネマさん:01/11/03 20:15 ID:7DyYihq6
ノスタルジアはタルコ映画で一番好きなんだけどなぁ。
別に理解出来てるわけじゃないけど、
不思議なくらいに惹きつけられる。
わたしゃこのスレの3さんや悪魔が氏のような知識もないし、
深くものを考える性質の人間じゃないので、
映画に対する意見はまさしく好きか嫌いかだけです。
自分の感動を表現する言葉がどうしても見つからないの。
3941:01/11/03 21:36 ID:zftNhM0M
映画の理解について考えました、、。

前ここでジャンヌダルク裁判の事について伺った時、
教えていただいた幾つかの知識のお陰で、やっとその映画の中の
ジャンヌダルクの姿や、交わされる言葉の背後に何かを感じる事が出来ました。

(ここで教えてもらう以前は、例えば白い服を着た人が、ジャンヌに
目配せをするが、何故目配せをしているのか分からなかったり。
何故ジャンヌを助けるのか、何故ジャンヌは自分の信心以外に
その目配せに頼るのかが分からなかった。今でもハッキリ言えと
言われると難しいが、でも何となく分かる様な気がします。)

その事から考えて、
やはり映画はその理解を、ある程度見る人の知識や経験を
きっかけにするのだと思いました。

でまた、ベルイマンのどこが好きだと聞かれて考えた時に分かったん
ですが、描かれている事が自分の内面的に切実な事として感じられた時、
(リアリティーを感じられた為)、興味を持つ事が出来るのだと言う事。

つまりノスタルジアでも、ドメニコのストイックな姿勢に共感するも良し、
映画全体を流れる雰囲気が心地良かったり、他にも色々要素がある
からどれか自分が共感出来る事を見つけたら良いのかも知れませんね。

(私はまずドメニコの男っぷりに共感を得ました。1+1=1。)

神秘的な映画でも、理解のきっかけはそんな単純な事だと思います。
そのきっかけのせいで心が開かれて、それから映画の詩が知らぬ間に
見ている人を包み込むのだと思います。
3951:01/11/03 22:05 ID:zftNhM0M
>>383
マソコについて議論ですか?(藁

>>386
おお、こられた事があるんですか。私はその公園の下の
商店街の住民でした。でやはり震災で家は斜めになり
全壊しました。が、その後も商店街はあのままで、
多少マンションが建ったりして綺麗になりました。

奥崎謙三ですか。昔彼がトラックに乗ってお母ちゃん
と街を宣伝して回っていたのを小さいときに良く見ました。

最近「神様の愛い奴」と言う釈放後に撮った映画がある
らしいですが、いたく神秘的らしいですね。見られました?

>>387
はい。神秘的なものは危なっかしい側面も持っている。
それが恐いです。
396たぶん、悪魔が:01/11/03 22:21 ID:0k96t0+6
>>394
1さんが、こだわっていた目配せのこと、私の考えを書こうかと迷っていたんだね。
押し付けになってもいけないし。私は、あのシーンは、最初から「会話」が
成立しているってことで、まったく違和感がなかったです。
この人物が、ジャン・アレペかな?ってくらいで。
(実は、私はパンフは買わないわ、映画の本は読まないわで、その点
このスレに参加してから、随分反省してます。)

>>387の発言は、随分失礼だったけれど、勘弁してね。だけど、(たぶん
ないと思うけれど)もし、1さんが、私より年上だったらとんでもなく
無礼だよね。ちょっと不安。

あと、>>391でせっかく新しい方がみえたのだから、1さんのお勧めを是非。
3971:01/11/03 23:55 ID:zftNhM0M
>>396
いえいえ失礼だなんて。私の年齢はご想像の通りだと思います。

お勧めと言いますか、その前にソラリスのどこに感動した
のかを聞きたいな。

しかしお勧めを提示する事によって、391さんがこれでノスタルジアは
自分に合わない映画だと一蹴してしまうのも惜しい気がします。

なんとか自分にとってのリアリティーをノスタルジアからも
探し出して欲しいです。好き嫌いで判断するには惜しすぎる作品
ですから。
3981:01/11/04 00:15 ID:cZZevoo6
>>396
それと「最初から会話が成立している」っていうのは
どういう意味ですか?
399たぶん、悪魔が:01/11/04 03:40 ID:TYvQyco+
 明日は休みだと思って、ルーミーの詩なんぞ読み出したのが間違いの元。
パキスタンのことなど思い出して、眠れなくなってしまった。

>>398
 1さんが見つけられたページを、私はまだ見てないので、ここに書くことと違っていたら、
そちらのほうが正確だと思います。
 まず、ジャンヌの裁判は、最初から出来レースだということはお分かりですね。
裁判費用もイギリスが負担しています。コーション司教はイギリスにジャンヌの有罪を
請け負っています。
 ジャンヌは、シャルル7世の命令で、ポワティエでも審査を受けさせられていますから、
初めてではないということだけではないだろうと思いますが、コーション司教を中心とする
判事やアドヴァイザー(神学者など)から審問を受けても、実に堂々としており、逆に
感銘を受けるものさえ現れてくる始末となります。
 その人々が書き残したり、その発言を記録したものが、いくつかあるわけですが、
その中でいちばん有名なのが、ジャン・アレペの発言です。正確に引用できませんが、
大要は、「我が魂が、彼女(ジャンヌ)の高みに達せんことを」です。
 ジャンのことは、もう少し詳しく後で述べます。彼女を審問しているうちにそうした感銘から、また、
政治的名理由からも、ジャンヌを救おうという判事も出てくるわけです。そして、彼女に
アドヴァイスもすれば、指示もするわけです。この裁判では、本来つけなければならない
弁護人もつけられていませんから、彼女にとって法廷闘争に勝つために、そうした
判事のほかに頼れる世俗のものはいないわけです。
 そうしたこともあって、ジャンはジャンヌの唯一の味方という伝承ないしはイメージが、
歴史的に形成されます。
 私が、「会話」と「」を使ったのは、明確な言葉によるものではないからです。しかし、
あの身振りでコミュニケーションが行われているとは、いってもよいのではないでしょうか。
(修道士の沈黙の誓いを守るための、手振りから手話が生まれたことはご存知ですね。)

 さて、ジャンのことについて少し書きます。ジャンヌに好意的であったのはジャンだけでは
ないのですが、上に書いた事情から、「ジャンヌの唯一の理解者=修道士ジャン」と
いうフォークロアが定着していきます。
 少し前に、ロッセリーニのところで、「火刑台上のジャンヌ・ダルク」という作品を
挙げましたが、これはオネゲルのオラトリオですが、中心人物のジャンヌと修道士ジャンは、
歌手が担当せず、俳優が担当します。
 「これでいいですか」氏があげていた、マルト・ケラーのものは、日本でも小澤によって
演奏され、NHKで放映されました。(私は、当時日本にいなかったのですが、友人から
ビデオを見せてもらいました。いい演奏だと思います。)ここでも、ジャンヌを歌ではなく
「声」で表現しようとしているのが、面白いと思います。(少し前に書きましたが、神の「声」
、人間(ジャンヌ)の「声」は、フランス人にとって、かなり思い入れがあるように思います。)
ロッセリーニがバーグマンをジャンヌに起用し、このオラトリオでヨーロッパを巡演した後、映画に
したと記憶しています。で、ロッセリーニがオラトリオという枷はあるものの、これを
どう料理したかとても見てみたいのです。

 で、映画に話を戻しますが、ブレッソンの映画でも最後にジャンヌの前に十字架を掲げますね。
(「裁かるるジャンヌ」では、アントナン・アルトーが演じたのではなかっただろうか)
そのように、ジャンにはジャンヌの理解者という意味が史実以上につけられているのです。

 話がそれますが、裁判記録だけで映画にするのは、絶対不可能なのです。
言葉しか残されていませんから。私は、朗読劇でこれをやってみたいとずっと思っているの
ですが。

 説明が、不十分でしたら、また書いてください。

 ところで、391さんのことですが、私は、他の作品をみることで「ノスタルジア」へも
立ち返れると思うな。無理して嫌いになるより、時機を待てばいいんじゃないかと
おおらかに考えています。あの作品は、それくらいの魅力をもっていますから。
400たぶん、悪魔が:01/11/04 12:15 ID:TNjQzea8
ごめん、とんでもない勘違いをしていた。
オネゲルの「火刑台」の修道士の名前は、ドミニクだった。きちんと確認して
書かなければ駄目だね。勘弁。
401:01/11/04 12:50 ID:q8FT70sM
>>391
一言だけ!
別に神秘的、というわけではないけど、
特異な時間感覚と詩的な映像美という点で、テオ・アンゲロプロスの映画なんかどう?
特に『永遠と一日』『霧の中の風景』の二本はとっつき易く、めちゃ感動的。
「ノスタルジア」、漏れも色々聞きたい事が多い作品です。
三回目くらいに初めて「スゲェ!!」と思った。
402たぶん、悪魔が:01/11/04 20:46 ID:3AJJlMx/
 昨夜というか早朝のずさんな書き込みは、ほんとに申し訳ないです。
 さて、>>391さんのリクエストに答えるのに、「霧の中の風景」とてもいいと思います。
日本語字幕しかない「風景」に、知り合いのイギリス人を連れて行った経験があるんですが、
簡単にプロットを説明したら、しっかり見てましたし感銘も受けてました。彼は、小津や溝口を
知っていたけれど、日本でアンゲロプロスとホウ・シャオシェン、エドワード・ヤンを
見つけて帰っていきました。

 Chahineの「Destiny」について書かなければいけないものを、すっかり失念してしまいました。
実は、メンテナンスの悪さから「ヘッドをクリーニングしてください」という表示が出て
止まってしまいました。冒頭、火刑(またも!)のシーンがあるのですが、そこまでしか見ることが
出来ませんでした。どうやらこの後、主人公の息子がアンダルシアにようですが、当時(12世紀)の
アンダルシアには「世界の宝石」とたたえられたコルドバがあるので、何か期待が膨らみます。

 さて、3さんに、アビラの聖人のことを少し書きます。今、書きながらアビラはある意味
キリスト教世界で独特の場所だと思い出しました。神秘家の多く出た土地なんですね。
くだくだ書くとわずらわしいから、今日は作品だけにしておきます。

 まず、アビラの聖テレーズ 「完徳の道」「霊魂の城」「小品集」
    十字架の聖ヨハネ  「カルメル山登攀」「暗夜」「霊の賛歌」「小品集」
 このふたりが、カルメル会の神秘思想を完成したといわれています。「小品集」がお勧めですが、
岩波文庫か講談社学術文庫で出ていたら、復刊なんてありえないと思うので、購入をお勧めします。
 さて、アビラにはもう一人大物がいまして、音楽家なのですが、これがすごい。
クラシックがお嫌でなければ、一度挑戦して下さい。「トマス・ルイス・デ・ビクトリア」
作品では、どれでもお勧めですが、私の好みは「レクイエム」です。(ちょっとその感情の昂揚は、
言葉は悪いですが、狂気を感じさせます。)
 ついでといっては、恐れ多いのですが、前にも書いた
    イグナチオ・デ・ロヨラ 「霊操」
 こう書いてくると、絵画にもいろいろ神秘的表現はあるのですが、きりがなくなるので。

 私は、結構粗忽ですので、おかしいと思ったら、びしびし聞いてください。
403391:01/11/04 21:36 ID:VWuSw1uB
皆さん紹介ありがとうございました。
「ノスタルジア」が嫌いになったわけではなくて、退屈では無かったけど、
消化不良をおこしているような感じで。また見てみたいです。
ソラリスの何に感動したのか…。うーん難しい。
ゆたっりとしたテンポでもすごくひきつけられるものがあって。
なんか懐かしいような。
高速のシーンで私もいつも首都高のトンネルを入ったときなんか感じたものが
映画であったなんてってことと首都高だってことも後で知ってショックでした。
水草の揺れるシーンにも衝撃を受けました。
すごくパワーがある映画だと思います。
「霧の中の風景」見てみます。
404名無シネマさん:01/11/05 08:08 ID:uxQ0ITcK
「ノスタルジア」は映画館で観たときにいきなり爆睡してしまった。
そしてもう一度そのまま観たがやっぱりウトウト。
さらにもう一度観るとなんだかわけのわからないまま感動した。
結局5時間も映画館に居座りつづけて観た映画。
でも何に感動したのかは今だに不明です。
405:01/11/05 12:26 ID:RlMA0094
いやー、色々と勉強になります。
ジャンヌ裁判の詳細も然り、更には修道士の沈黙の行から手話が生まれた、なんて初めて知った。
>悪魔氏、アビラの聖テレーズと十字架の聖ヨハネの件、有り難う御座います。
読むべき本が山積してるんで、頁を紐解くのがいつになるか分かりませんが、メモしておきました。
「霊操」は比較的よく見かけますが、確かに岩波とか講談社学術文庫なんて、速攻絶版にしちゃうんで、
今度見かけたときに購入しておきますね。
漏れはジャズ好きなんで、クラシックは殆ど聴かないんですが、トマス・ルイス・デ・ビクトリアさんの名前も
記憶しておきましょう。

さて、せっかくタルコフスキーの話題にシフトしてるんで、悪魔氏には宗教的見地から見た彼の映画について
少しお伺いしたいんですが、ノスタルジアやサクリファイスに見られる、
「狂人が世界を終末から救うために我が身を犠牲にする」、というモチーフは、キリスト教全般にそうした
源泉のようなものがあるんですか? それとも正教独自のもの、或いはタルコフスキー独自の志向なんでしょうか。
それから、ノスタルジアに出てくる「1+1=1」という観念、端的に言って、この意味するところは何なんでしょう?
実は映画を見たずっと後に、書き殴られたこの数式をふと思い出して異常に動揺したことがあるんですが、
仮に世の中に「真理」というものがあるとすれば、これしかないんじゃないか、というような類の…。
これって自然や人や観念を、「自分」と対立するものとは捉えず、今現在、世界そのものが「1」であり、
いわば「神」である、というような発想の表出なんでしょうか。
なんか、いかにも厨房じみた質問ですが、どうもあの落書きだけが突出して印象に残っているんです。

>>395
震災後、神戸は未だ訪れたことがないんです。
東映ヤクザ映画と寅さんと日活ロマンポルノが三本立てで上映される
町で育ったその映画ヲタの友人も、元気でやってんのかどうか…。
「神様の愛い奴」、凄まじいらしいですが、未見です。

>>403
霧の中の風景、本当にすばらしいですよ。
国と国、人と人との間にどうしようもなく存在する境界線、そうしたテーマがファンタジックに描かれていて、
いたく胸を打ちます。漏れの中では、寓話、というより神話です。
4061:01/11/05 18:22 ID:BHh0cLmO
>>399
391さんのリクエストについて、堅苦しい事を言いすぎたかな。
反省。

391さんにのソラリスの感想を読ませていただくと、タルコフスキーの
時間感覚や懐かしさを感じられてる様で、もしそうならここで上げられ
ている映画なら何でもご覧になっても宜しいのではと思います。

と、遠回しの事しか言えないのは、私は神秘的でも有名所しか知らない
ので実はお奨めできる立場ではないというのがあるからですが、あえて
言うなら黒澤のデルスウザーラなんかは、、。(みんなズッコケないでね
、、。)

またジャンヌダルクについて詳しい説明どうもありがとう。
よろしいかさんが言ってくれた本も見なきゃ。
私の中のジャンヌが背負っている物が、どんどん重くなって行く
様です。再び見直してみますので、また感想書き直します。

トマス・ルイス・デ・ビクトリアですか。ナクサスでも一枚
ありますが、レクイエムは入ってなさそう。
ttp://web02.hnh.com/scripts/newreleases/naxos_cat.asp?item_code=8.550575
お奨めCDってありますか?

3さんが書いてくれた霧の中の風景のテーマ、昨今非常に興味を
抱かされますね。
407たぶん、悪魔が:01/11/05 19:54 ID:VHjRAH7h
>>405
>>406
 3さんが言ってみえる
>狂人が世界を終末から救うために我が身を犠牲にする
というモチーフというか、世界観については、じつは1さんから頼まれていたことと
通底する部分があるように思うんですよ。

 ちょっと、今神父と話している「田舎司祭の日記」の話を少ししますね。要約ね。

 あの司祭は、全きマイナスの存在でしょう。金持ちではない、健康ではない、威厳が
あるわけではない、他者ともうまくつきあえない、自分を愚者と思っている、そういう
無力感の真っ只中に生きている。
 ところが彼はその謙虚さによって、人を変えていく磁場のような存在になっているわけです。
(ある意味、観念的な存在なんだね、しかし、抽象的ではない)そのため、彼は悩める魂に
直接ふれることが出来てしまう。それは、神への道となっていく。
 こういうところが、カトリック的神秘といえるかもしれない。

 ま、私なりにまとめるとこういう話をしているのですが、(1さん、またもう少し詳しく
報告します)「通底する」といったこと、伝わったでしょうか。私の知っている範囲内での
キリスト教世界では、3さんの言葉の、「狂人」のところはむしろ「愚者」が入るというと
理解しますね。
 それに、随分ニュアンスが変わるけれども、「愚者こそが、神の道をいく」ということに
なるかなと思います。「世界を救う」というところまでは、ちょっと寡聞ですね。
 しかし、「わが身を犠牲にする」というのは、謙譲(謙虚さ)のひとつの極点ですからね。
そのように、キリストは謙虚さを示したわけですから。
 それで、タルコフスキーのことに戻ると、私は東方教会には、「狂者」の違った位置付けは
あるだろうと思います。(ドストエフキーの作品を読んでそう思っているのですが)ただ、
カトリックのことを知らなくてもベルナノスやブレッソンに感動できるように、
東方教会のことを知らなくてもタルコフスキーに感動できるというのは、当たり前のことですよね。
でも、人間、好きな対象にはもっと深く迫りたくなるというパッションを持ちますから、
その意味で東方教会の教義に興味をもたれるのは、よくわかります。
 ここで、ジョン・フォードの映画のように、まさに適切な時に東方教会の方が現れてくれると、
言うことないんですが。

 あと、私は、直接触れたことがないのですが、チベット密教には「狂者」をそのシステムの
中に組み込んでいる派はある(変な表現ですね)と聞いたことはあります。

 「1+1=1」については、あまりひっかからなかったんですが、なぜと問われると
引っかからなかったことを説明するのって、かえって難しいですよね。少し時間を下さい。
 あと、タルコフスキーの映画では、今思い出しても恥ずかしくなるとんでもない
失敗談があるのですよ。

 さて、ビクトリアのCDですが、リンクがうまくいかなかったので、
ttp://www.hmv.co.jp/search/title.asp?category=KEYWORDS&keyword=Tomas+Luis+De+Victoria
 こちらで見て下さい。ただし、HMVは遅いので注文は他でされたほうがいいと思います。
 Requiem:The Tallis Scholarsが、私のお勧めですが、こだわらずにミサ曲などを聞いていただくと
いいと思います。

>>403
391さん、また「霧の中の風景」の感想などお聞かせ下さい。
408たぶん、悪魔が:01/11/05 21:46 ID:xUcJRQfd
最近のスレを読み直してみて、ふと思ったんだけれれど、
「イタリア旅行」のイタリアの風景の中の、ジョイス夫妻。
「霧の中の風景」のギリシアから北へと旅をしていく姉弟。
愛の衝動なしに口にすることはできない「私の教区」の中で、書き綴られていく
「田舎司祭の日記」。

それぞれが、風景=世界の中へ投げ出されて、孤独の中で苦しみながらも、
ある種の救いがあるんだなあ。
409名無シネマさん:01/11/05 23:19 ID:0xKH1psm
はじめまして。

深い、深い水底で鈍く、しかし確かな存在を持って輝く光。
タルコフスキーの作品が内包するイメージ、それは
わたしのスピリチュアルに、記憶の欠片に永遠の至福を与えてくれる…
彼の作品に出会った瞬間そう感じずにはいられませんでした。

そう…
「惑星ソラリス」浮遊する互いの記憶。
「ノスタルジア」朽ちた教会、白い霧の向こう。
「鏡」宙への脱出
「ストーカー」水、水の氾濫、光の氾濫。
「サクリファイス」火に堕ちる懺悔

いちばんスキなのはソラリス。
静かに無限を甘受するごとくふたりが空中に漂うシーンにはいつも涙…

そうだ、今夜は久しぶりにエドワルド・アルテミエフのCDを聴こうかな。

#神秘主義的とはチョト違うかもなのですが、
クリス・マルケルの「ラ・ジュテ」もイイ!ですよ。(ヌーヴェル・ヴァーグ?)
410:01/11/06 11:36 ID:jPG1pdOO
>>407
>ところが彼はその謙虚さによって、人を変えていく磁場のような存在になっているわけです。
>そのため、彼は悩める魂に直接ふれることが出来てしまう。それは、神への道となっていく。

このくだり、映画とは無関係に心を動かされました。
なるほど、田舎司祭はそういう風に読み解く事ができるのか…。

タルコフスキーの宗教性云々については、少々個人的な興味に過ぎる質問かとは思うし、
また「どう描くか」が等閑にされてしまう気がしなくもないんですが、まあ、せっかくの掲示板だし、
そういう側面からご意見を伺うのもまた一興、と勝手に話を進めます。

「通底」の感じ、分かります。
タルコフスキー映画の狂人は、ロシアで言う所の聖痴愚とか神がかり行者と呼ばれる者の系譜に連なっている、
と言う事ですね。
自らの犠牲によって他者に救済をもたらす、というモチーフはいかにもキリスト教的で、よく分かる気はするんですが、
なぜそれが愚者、或いは狂人でなければならないのか。
タルコフスキーの映画を見ていて、分かったような気になりつつも最終的に分からないのが、実はこの点なんです。
「ノスタルジア」ではバトン(燃え落ちるドメニコの一瞬後に、詩人がライターで蝋燭に火を点けるカットになる。震えますね)
を渡された詩人が、一見、不毛な蝋燭を手にした湯の抜けた温泉を横断することで、”何か”を成し遂げる。
その”何か”に身を挺することによって、彼は自らの魂の中に存在する故郷に帰ることができる。

漏れの誤読かもしれませんが、このプロット、それ自体が大変な謎、神秘性を含んでいるように思えます。
聖体(?)から飛び出す鳩の群れ、信仰に背を向けている主人公の目の前に落ちてくる一枚の鳩の羽根、朽ちた聖堂、室内を満たす水…。
宗教的なイメージと、そうではない、ただ神秘、としか言いようがないイメージが燦然と、濃密に凝集されているんで、
恐らくそうした象徴やイメージに示唆するところがあるに違いない、と思うんですが、未だ読み解けない。
ところが、「1+1=1」、この壁に書かれた落書きだけ、いやにあからさまなんですよね。
映画としては反則じゃないかと思うくらい、露骨に思想性を打ち出している。
狂人の室内を満たす水、川の方に流れ出る水、あの水が「1+1=1」の体現じゃないかと思うんですが、
ひょっとしたら特異な宗教用語なのかもしれない、と思ってご質問させていただいた次第です。
サクリファイスにいたっては…。

>>409
はじめまして。
漏れはソラリスを見たのがつい最近なんですが、あの無重力の場面、あ、そういうことか、と今になって気付いた(笑)。
また見直してみますね。

で、今日は仕事がひと段落ついたら、ストーカーをします。
間違えた。見ます。
411たぶん、悪魔が:01/11/06 20:23 ID:QAn2qlNJ
>>410
3さんへ
>なるほど、田舎司祭はそういう風に読み解く事ができるのか…。

嫌味でもなんでもなく、額面通り受け取ってください。
実は、ふたりで話をしていて、「ほんとに変凡なことしかいえないね」とか
「もう少し気の利いたことを言えればいいんだけどね」というようなことを
言っていたので、「なるほど」にかえって、びっくりしてしまったのですが、
3さんは、どう思ってみえたのですか、「田舎司祭の日記」のこと?
412409:01/11/06 23:25 ID:KX6Zk6PF
3さん
ハリーの存在 ―
それはケルヴィンのかかえる罪や絶望を受け入れ昇華する「母=無償の深い愛」とも
読めたりするかなあ、と。
彼女へと静かに身を委ねる彼の目には母への思慕が宿っているような…
そしてあの無重力のシーンは彼の記憶の状態または内部、とも考えられます。
(あ、彼が幻覚で見る若い母の姿もハリーと重なりますね…)
「鏡」での浮遊シーンも共通した解釈ができそうなんですが、チョトまとまらないので(W
これは後日改めて書いてみます。

「ストーカー」いかがでしたか?机のコップが動き出すシーン、震えちゃいますネ(^^)
413:01/11/07 12:26 ID:i04tjgc1
>>411
『田舎司祭の日記』は、端的に言って、理解不能だったんですね、描かれる色々な事が。
何でこの青年が祈れなくなったのか、病気になってるのにぶどう酒しか飲まないなんて、
要はアル中じゃないのかとか、子供を喪った母親との会話の後、何故あの母親は幸福に死んだのかとか、
そうした重要なエピソードのひとつひとつが僕(漏れ改め)にはよく把握できなかった、というのが正直な所です。

これは恐らくカトリックの教義や教会といった、予備知識的なものが不足している事から
くる、という気は当時からしていたんです。
ともあれ『駄目人間の日記』とでも形容できそうな、何かにつけて非合理的な行動をとる彼の魂の彷徨、
そこに鍵があるんだろう、とは思っていたんで、マイナスの存在ゆえに神の道に通ず、
という悪魔氏の意見に膝を打った、という次第で…。
ではあのラストは救済、ととらえていいのかな〜。

>>422
『ストーカー』、見ました。これで『ローラーとバイオリン』以外は制覇です。
ちょっと今忙しいんで、後で感想書かせていただきます。
僕は『ノスタルジア』や『ルブリョフ』(全然違うけど)に衝撃が走った口で、むしろ『ストーカー』『ソラリス』は
難しく捉えちゃたんで、409氏や他のファンの方には色々お伺いしてみたいですね。
414たぶん、悪魔が:01/11/07 18:31 ID:kxhHq3Jc
>>413
忙しいときに、ごめんなさい。ありがとうございました。
あまり、「田舎司祭」に話が逸れていまわないように、間単にしておきます。
たとえば、「ぶどう酒」のことですが、彼は登場の時点で、胃癌が発症しているため
食べることは苦痛なんですね。食事に招かれても気が重い。だから、せめてパンと
ぶどう酒だけでも口に入れようとする。こういったことは、私には疑問にならないんだね。

だけど、今はタルコフスキーから拡散させないほうがいいでしょうから、「司祭」のことは、
また、適切な時に詳しく書きましょう。
ただ、1さんへ、神父と話しているのは>>407のようなことなのですが、それでかまいませんか?

さて、>>410
>自らの犠牲によって他者に救済をもたらす、というモチーフはいかにもキリスト教的で、
>よく分かる気はするんですが、なぜそれが愚者、或いは狂人でなければならないのか。
についてですが、(改行勝手にさせてもらいました)答えはあるんだけれど、自分のいいかげんさを
思うと、ためらってしまう答えなんですね。

○ 私たちは、彼らほど謙虚になれないでしょう。

私がこんなことを言っても、説得力ないなあと思いますが、基本的には上のようになります。
最高の謙虚さは、神が人の子として生まれ磔刑にされるということになるのですが。

最後に、司祭の最後の言葉は、「(そんなことはどうだっていい!)すべては聖寵である。」
でした。
4151:01/11/08 01:04 ID:j2xqwDwl
409さん初めまして。
タルコフスキーの事を良く知ってられそうですね。
また色々書いて下さいね。

3さん、
1+1=1は私には何の不思議もなかったです。当然そうあるべき
だと思いました。映画的にも、私はあれはドメニコがその思想を
悟る前、後にどれだけの苦悩があったのかをタルコフスキー
独特の時間感覚で表現しているのだと思いました。彼の苦悩、
十字架なのだと思いました。だから彼は世界と繋がっていますし、
私の父だとも言えるわけです。とか。

ハリー、見てる人の中にも住んでいましたし、私が
昔見た母の若い頃の面影に似ているとも感じます。ね、409さん。

ですが悪魔がさん、
もし世界中の狂人が、狂人が故に一つの神の道を向いている
のなら問題はありません。私はノスタルジアを初めて見て
感動した時には、狂人だけが真実を知っていると言う事は
当たり前の事だと思ってました。今から考えればもやもやと。

しかし今では、狂人だからって、神の道を向いているのか
どうか?と疑問を感じているのです。あの事件以後。何回も
言いますが。あの人たちもその狂人ではなかったのかと。

その関連で、
本当は神父さんに私が伺ったかった事は、各映画監督が各映画の
方法を使って信仰しているのですが、本当にそれは神の方向を
向いているのですか?と言う問いだったのですが、各映画監督を
狂人と置き換えると、同じ事ですね。

謙虚さですが、
前私が言った神秘体験をした時は、全ての物が光り輝くので、
「(そんなことはどうだっていい!)すべては聖寵である。」
と正にそう思いました。

しかし今では謙虚さの欠片もなく、例えばいざ聖書を読もうとしても、
私には読む権利さえないのでは?と思ってしまう始末です。
416これでよろしいか:01/11/08 02:51 ID:XmfNI7Sp
別スレで誉められているぞ!

ところで横スレになるようで申し訳ないが、もうちょっと映画寄りの話に戻そうや。>ALL
たとえば「アンドレイ・リュブリョフ」だっていいし、パラジャーノフだっていいけど、
みなさん、オリジナルをちゃんと見たことあるのかい?
「アンドレイ」の日本公開版&ビデオは、共産党主義時代に改変されたバージョンだ。それがソ連崩壊後、
オリジナル修復されて日本公開版と長さだけでなく、作者の意図までも元に戻されたことを誰も知らんのかいな。
ま、奇跡だの神秘だのもええけどさ。で、このオリジナル修復版、簡単に見られる方法があるんだな。
アメリカ発売のDVD「アンドレイ・リュブリョフ」がそうなんだ。
同じようにパラジャーノフも日本で公開された版は、ロシア語吹き替え版。パラジャーノフに限らず、中央アジアの作品は、
たとえばパラジャーノフだとゲオルギア(グルジアはロシア語読み、ロシアに支配されていた歴史ゆえグルジアというと当人
たちは怒る)の言語が本物なわけで、同じようにシャンゲラーヤ「ピロスマニ」、イオセリアーニ「田園詩」も、
日本で公開された版はロシア語吹き替えだ。どうしてこうなったかといえば、
日本でソ連・ロシア映画の配給を扱うロシア映画社(旧名・日本海映画)がモスフィルムから配給しているから
なのだ。で、ゲオルギア映画のオリジナルが見られるのかといえば、それは内戦でほぼ絶望的なんじゃないかと
言われている。
そういう俺? まだ「アンドレイ」のオリジナル修復版は見てない。しかし見た友人はタルコフスキーの視点が
日本公開版とかなり違うと言っておった。
これでよろしいか。
417これでよろしいか:01/11/08 03:17 ID:ngPiHUKP
「アンドレイ・リュブリョフ」は「アンドレイ・ルブリョフ」の間違い。
しかし、アントニオーニやヴァルダでさえオリジナルが見られない日本なんて。。。
418これでよろしいか:01/11/08 03:31 ID:db74pSW9
「まぼろしの市街戦」スレにもカキコしたが、ワーナーやユナイト系のヨーロッパ映画って、ビデオは英語版だったり、
国際バージョンだったりするんだよな。これはまたソ連映画とは違う理由からだけども。
それとアントニオーニやヴァルダの場合もまた違う。しかし我々日本人はアントニオーニの作品をイタリア国内版でほとんど見てないのだ。
「ニュー・市ねば?・パライソ」なんか国内版で再上映するくせにさ。
ペキンパーの「ビリー・ザ・キッド」の例を出すまでもなく、バージョンによって作者の意図ってまったく違って感じられるのだ。
「裁かるるジャンヌ」の復元版については書いたよね。
溝口の「浪華悲歌」「祇園の姉妹」「「西鶴一代女」さえ封切られたときの完全版で見ることができない!
419これでよろしいか:01/11/08 04:10 ID:Gi2xaz9S
誰かフィルムセンター所蔵の大映編集版「二十四時間の情事」見た人いる?
420たぶん、悪魔が:01/11/08 06:35 ID:0ST4kqvU
>>418
「アンドレイ・ルブリョフ」は、シカゴのアート・インスティチュート主催の上映会で
見たのですが、その後買ったのはVHS版でしたので、(まだDVDのない時代)、両方とも
完全版ではないのですね?

>>ALL
どうも、映画からそれてしまう多くの原因が私にあるようで、また、>>396でも書いたような
理由からも、映画に間する本を少しきちんと読んでみようと思っています。
(我が街の図書館は悲惨な状態なので)皆さんで何かお奨めがあれば、ご紹介ください。
421名無シネマさん:01/11/08 07:06 ID:ecVTuZVi
>>420
断定はできんが、日本版同様のソ連当局改変版であろうと思われる。
422:01/11/08 10:04 ID:VNiI5+4j
>>416〜421
なんちゅう時間にカキコしてるんですか…。

ともあれ、神秘や奇蹟や宗教に纏わる意見交換であれ、完全版を巡る情報交換であれ、
彼らの映画に結びついていくのは一緒なんで、まあ、いいんじゃないですか。
僕なんかは宗教と映画の関わりって非常に興味深いテーマなんで。
恐らく映画史や映画そのものの該博な知識においてよろしいか氏を凌駕する人間はこの中にはいない
(というか、外でも余り見かけない…)と思うんで、僕なんかに圧倒的に不足しているそうした点を
ゴルァ!!と補足したり、指摘したりしていただくとありがたいです。

ということで、その「ルブリョフ」の修復版というのは、元々は全部で十四章あったとされるシナリオに
基づいたものなんですか?
「タルコフスキーとアンドレイ・ルブリョフ」という本をこないだ読んだんですが、
修復版の話は一切出てこなかったです。
当時の政治状況や歴史的な解釈の誤謬(恣意的な誤謬)を正す、と言った意味合いで手が加えられたんでしょうか。
しかし、あの作品は、作者の意図したものとは違うようには思えないほど、完成度が高く見えます。
政治的圧力や不条理な暴力や宗教への懐疑、自らの創作への煩悶、罪人としての日々を経た後に、
あの「鐘」が作られる…。
凡そ芸術家が主人公の作品で面白いと思ったことはないんですが、これほど感銘を受けたことはないですね。
しかし、それ以上にタルコフスキーの視点が違うとなれば…。
アメリカ版DVDなんですね?

そういや、ルブリョフのDVDリマスターバージョンというのは、発売直前に中止になったらしいですね。
次に出すときはその完全版で見てみたい!!
アントニオーニも国内版ではないんですか…。はぁ。

司祭、ストーカーの話はまた後ほど。
423:01/11/08 13:56 ID:zdp2mg1m
>悪魔氏
司祭はちょっともう一度見直さないと駄目ですね。
描かれる内容はおろか、ストーリー自体全然理解できていないことに気付いた…。
近々見直します。

聖痴愚についての、「私たちは、彼らほど謙虚になれないでしょう」という言葉ですが、
これは1氏が指摘しているように、それぞれが自分自身にとっての「真理」として志向するもの、
その違いによって「謙虚さ」と捉えるか「狂人」と捉えるかが違ってくるでしょうね。
クリスチャンであられる悪魔氏ならではの感じ方、ということができるのかもしれません。

不勉強な者が云々するべきことではありませんが、この謙虚さが逆に「世界を救う」という或る意味傲慢な
発想に結びついていくという、愛とは相反する顔を持つ事もまた事実だと思います。
それでふと思ったんですが、「ストーカー」の彼やドメニコやサクリファイスの主人公など、
タルコフスキーは決して彼らを全肯定的に描いていませんよね。
彼らが「世界を救う」と思い込むが故に陥る、周囲からの反撥や周囲への非現実的な要求
(ノスタルジアではドメニコは家族を監禁し、サクリファイスでは家が焼かれる)、
或いは傲慢や「救う人」になりたがろうとする人間の奥底に見え隠れする、
現実にしっかり対峙しきれない弱さ、そうしたネガティブな側面も必ず公平に描いているような気がします。
彼らが狂人であらねばならないのは、ひょっとしたらそうしたタルコの透徹した意志の表出なのかもしれない、
と「ストーカー」を見て思ったんです。

>>415
1+1=1ですが、「不思議」ではなく、「突出」している印象なんです。
僕はドメニコの苦悩の遍歴より、むしろ背後に立つ作者の思想が剥き出しで書かれている、咄嗟にそんな印象を
持ったんですね。
そのことの是非については僕には判別不可能ですが。
424:01/11/08 14:25 ID:HPDZiXoO
>>412
「ストーカー」の感想です。
まず、映画を見ながら難しく構えてしまった事、そして見終わる頃になって漸く
自分の鑑賞の仕方が間違っていた、そう気付いた作品です。
これは「ソラリス」「鏡」の鑑賞時と全く一緒。
いつだってそうだと思うんですが、タルコフスキーって実に単純な事しか言っていないですよね。
深遠な映像やとうちゃんの詩なんか挿入するので、主題や観念を探り出そうとして身構えてしまう。
僕の悪い癖です。

何はともあれ、第一部を見ている間中、ひたすら懐かしかった。
その懐かしさは、草原の中に埋没した戦車やバスや建物に、苔が繁茂している、
そんな中を或る一定の規則(ストーカーが司る)に準じて進んでいく、その風景が、
あまりに自分の幼少時の風景とリンクしていたからです。
朽ちたダムや錆びた三輪車なんかが転がる緑豊かな山の中で、無心になって友だちと遊んでいた、
あの日々を思い出し、興奮してしまいました。
別に個人的な思い出を語ろうというのじゃなく、そうした記憶を見ている間中喚起させる、
それがタルコフスキーの映像の力なんだな、ということです。
サイドカーを乗り回す警官との追いかけっこや、鉄条網の突破、ゾーンに向かう途中で振り出しに
戻ってしまう双六遊びのような感覚、これが良かったんですね〜。

で、第二部、ゾーンについて真剣な議論が始まってから、必死にその観念を読み解こうと身構え、逆に
分からなくなっちゃった、そんな感じです。
ゾーンとは何の象徴だろう、信仰だろうか、希望だろうか、或いは良心?
…と諸々観念を捏ねくりまわしながら見たんですが、最後にいたって、なんだってイイや、とやっと諦めがついたです。
つまり、観客がこちらで恣意的に置き換える事ができるもの、それがゾーンなんですね。
弟を救おうとして大金を得て自殺するヤマアラシというストーカーや、ゾーンは「優雅な罠」であるという警句、
色々なモノがゾーンの実相を遮蔽しているけれども、決してネガティブなものではない。
希望や信仰や良心、何でもいいけど、そうしたポジティブなモノなんだと思います。
「硬直したものに希望はない」という若木を使った例え話が出てきますが、まさに軟らかな若木のように柔軟な姿勢で
見れば、見ている者の魂にすっと入り込んでくる、そんな映画なんじゃないでしょうか。

続きます。
425:01/11/08 14:54 ID:IWJzQ5xQ
あ、ところで完全にネタバレです。

印象深いのは、クライマックスで作家と教授がストーカーを責めますね。
現実社会ではお前は役立たずだ、とか、ここでしか王権を振るえないんだろう、とか言って。
上記したタルコの「公平性」をここで感じたんですが、ストーカー自身もそれを否定できず、
泣き、かといって彼ら二人は攻め抜いたことで何の満足感も得る事は出来ず、
教授は「希望の」爆破という目的を自ら葬り去り、作家も徒労の内に水の中で佇む。
しかし、単なる虚無に陥るのとは訳が違う。
ここが重要なんだなと思います。

彼らはゾーンを目前にした衝突において、何かしらきわめて内面的な変化を経験している。
今は悲嘆と虚脱感に満ちていても、ここでの経験を、将来、先に進むために生かせそうな、
何か不可解な可能性を秘めた小さな希望です。
この辺り、ベルイマンの語る「ポジティブ」と似たような感慨を持ったんですが、それはさておき、
その昇華がラストの机上を動くコップではないかと。
冒頭では轟音を立てて通り過ぎる列車=外圧的な影響によって動かされていたコップが、
脚の悪い少女の意志により、手も触れずに動かす事ができるようになる。
当のストーカーは教授と作家の悪口なんか言って奥さんに慰められる始末ですが、
当人が知らない間に、小さな奇蹟の種はそこらじゅうに蒔かれている、そんな風に解釈しました。

こういうことだと思うんです。
ストーカーやドメニコやサクリファイスの使命を帯びた狂人達は、皆自分が理想とするものへの
懐疑と不信に満ちている。
事実、彼らの行いの殆どはろくなもんじゃない訳です。
家を焼くのも焼身自殺もゾーンを案内しながらガミガミ怒鳴るのも、
端から見れば非常に迷惑な話ですよね。
しかし、彼らの狂信ぶりは、その狂信的行為の後に周囲に対して必ず何か「血の通ったモノ」
を残さずにいられない。
特定の神様を賞揚するとか、自然に還れと安易に言ってのけるとか、人を傷つけてはいけませんよ、
等と説教じみた事を語るとか、そんなんではなく、使命を帯びた者であれ不信に満ちた者であれ、
誰もが不安であり、誰もが救われない。
けれども、ストーカーのように絶望的な決意を胸に秘めてゾーンに希望をなくした人々を案内したり、
回帰を熱っぽく叫んで、そのメッセージを浮揚させるため、或いは思想に殉じるために焼身自殺したり、
家を燃やす事で単純さへの回帰を促したりする行為の意味、
その意味をただただ否定も肯定もせずに提示している、それがタルコフスキーの映画なんではないでしょうか。

様々な意味で、これからも、何度も何度も見直す必要に駆られる映画群だと思います。
426たぶん、悪魔が:01/11/08 22:09 ID:jAW8l2vC
>>422
なんちゅう時間といわれても、最近の情勢のためパキスタンのことが気になって、
つい朝早く目が覚めてしまうようになってしまって。
私が、スーフィズムに出会うきっかけになり、同時に大変お世話になったご家族の安否が
気遣われるのですが、お電話もないものだから。

「これでよろしいか」氏へ
そういえば、「情事」のビデオを買うとき、日本版とアメリカ版とが随分ランタイムが
違うので迷った覚えが。ところで「別スレで誉められているぞ!」って?私、クロスフスキーの
スレッドで「Roberte, Ce Soir」などどう見てみえるか読みにいった時に、このスレの
ことを、「マニアが集まっててちとコワイ気も。」と。残念ながら、映画には触れられて
いませんでしたが。

「謙虚さ」について
このことへの反応を予想しためらいつつ書いてしまって、さらに「映画のことに話をもどそう」と
至極もっともなことを言われているので、できるだけ簡単に。
>>415
>狂人だからって、神の道を向いているのかどうか?
>>423
>この謙虚さが逆に「世界を救う」という或る意味傲慢な発想に結びついていく
1さんのいっているあの事件だけでなく、「オウム真理教」なども一般には
おなじような括りになっているだろうと思うのですよ。
私は随分いいかげんな人間ですが、こうした問題を受け止めようとしない宗教家は
全く信用できないのです。私の説明が稚拙で申し訳ないけれど、
「私たちは、彼らほど謙虚になれないでしょう。」
ということは、彼らを絶対化するためでなく、むしろ自分の生を常に問い直していく
ために発していくのです。

この前のように、間違いをしては申し訳ないので、プレイヤッド版を探したのですが、
見つからないので、英語版で勘弁してください。英語版では最後の言葉は、
'Does it matter? Grace is everywhere....'
でした。(引用の点では、一安心)なお、時間の都合で>>423以降は読んでいません。
申し訳ないです。
427これでよろしいか:01/11/09 02:43 ID:/0cU1oOY
このところ不眠症なのよね。

さて、前に「何を」「どう描くか」ということを書いたのが、実のところそれが何であるのか俺にも
よく分からんのだよ。そもそも演出って何? 役者の演技? カメラワーク? カット割り? 編集?
それならばガス・ヴァン・サントがリメイクした「サイコ」はなぜあれほど酷かったのか。ヒッチの「サイコ」
とカット割りも同じならカメラワークもほぼ同じ。同じスコア、同じセリフ。ガス・ヴァン・サントは、撮影順序
までヒッチ版「サイコ」と同じにしたという。しかしかたや傑作、かたや愚作。単なる時代のせいばかりでは
ないでしょ。ヒッチの「サイコ」を新作として接する世代にもあの映画のすごさは理解できるはずだし、リメイク版
は弁護のしもうもない愚作でしかない。しかし俺はこの無謀なリメイクを興味深いものと思うのだ。
つまり、「何を」「どう描くか」という点では、リメイクはヒッチ版と寸分たがわず同じはず。
すると演出とは何んぞや?という疑問が出てくるのだな。
俺はこれこそ映画の神秘にほかならないと思う。

続く 
428これでよろしいか:01/11/09 03:05 ID:SwvTFqt1
タヴィアーニ兄弟っているよね。俺はパゾリーニ程度にしか評価していないし、オルミの方が偉いと思うが、
彼らの作品に「太陽は夜も輝く」っていうのあったよね。女に裏切られた主人公が僧になり、荒野をさまよう話。
この映画の演出って、まずファーストカットが路の脇にある梨の木から落ちる花弁を少年時代の主人公が受け止める
手のアップだった。それから出家して荒野をさまよい、掘建て小屋で女から誘惑を受けると、欲望を禁じるために
主人公は指を切り落とす。その後、主人公は山賊の聾唖の息子に指のない手をかざすと、少年は言葉を取り戻すという
奇跡を生む。

はい、勘のいい人なら分かりますね。この作品は主題も演出もブレッソンを稚拙に真似してるんですね。
しかしそれはほとんど形だけで精神性の高みまで深められてない。精神性という言葉が俺にふさわしくない
抽象的で非映画的形容であるなら、肉感性(蓮實の言葉なら官能性)といってもいいが、それが皆無なのだ。
もちろん物語の構造上、象徴として手を強調して描いてはいる。が、逆に物語の説話性にとらわれて因果的な
象徴性を与えたことにより、ブレッソンのような映画的興奮を味あわせてくれないのだ。
このことは、タヴィアーニ兄弟がニコラ・ピオヴァーニの装飾華美な音楽で、劇伴さながらに画面や主題を盛り
上げることにも象徴的だし、俺が見た最も古いタヴィアーニ兄弟の作品「アロンサンファン・気高い兄弟」以降、
荒地や草原といった舞台で寓話性の強い物語を紡ぐタイプの監督だというのも証明していると思う。
物語の構造上の主題やストーリーにばかり拘泥すると、それこそ映画の神秘に足をすくわれる。
429これでよろしいか:01/11/09 03:11 ID:SwvTFqt1
別話題だが、ドヴジェンコみたくソ連体制下で改変されたバージョンをその後、未亡人が元の版に近いものに改め、そのバージョンでしか日本で見られないものもある。こうなるとスターリン治世下でのバージョンも見てみたいよね。
430通行人:01/11/09 09:45 ID:UKRlWbel
ベルイマン監督、映画界復帰について心境を語る

[ストックホルム 8日 ロイター]
スウェーデンのベテラン映画監督、イングマール・ベルイマンは、
来年公開されるテレビ映画についての記者会見を開き、
2度と映画は作らないとの誓いを捨てた経緯を明らかにした。
ベルイマンは、「自分が映画と共存し、
映画の生命が自分のなかに宿っていることに突然気づいた」と述べた。
また、ベルイマンは、「(旧約聖書の)アブラハムの妻のサラが
妊娠していることに気がついたようなものだ。
完全に予想していない気持ちだった。
自分にもう一度欲望が戻ってきたのを感じるのは、
驚きであり、愉快だった」と述べた。
「アナ」との仮題がつけられたこの新作映画には、
「ある結婚の風景」の登場人物が再び登場するが、続編ではないという。

日本でも公開してくれよぉー!!
431:01/11/09 10:12 ID:yHbVg+2n
>>426
うーむ、そんな事情があったんですか…。軽口叩いてスイマセン…。
「謙虚さ」については、例の事件は一見宗教問題ですが、実は経済や政治の問題の方が
遥かにテロを起こす原因としては大きく、むしろ宗教を利用された、という側面が大きいですよね。
オウムに到ってはカルト、で終了でしょう。
聖痴愚や狂人については、もうちょっとメンタルな、繊細で奥の深いテーマだと思いますが、
また今度。

>>428
うーむ…。『太陽〜』がブレッソンの影響下にあるとは、全然気付かなかった…。

>逆に物語の説話性にとらわれて因果的な象徴性を与えたことにより、
>映画的興奮を味あわせてくれないのだ。

この辺、最近、漸く理解できるようになってきました。
「赤い橋の下のぬるい水」を見た直後に「ストーカー」を見て、初めて形式主義の貧しさを思い知ったんですね。
「赤い〜」なんて、きっちり撮ればこのスレに相応しい、第一級の神秘主義的映画になりえたかもしれない主題を扱っている訳です。
ところが脚本の段階で「水」に纏わる観念を潮吹きやら宇宙やら神様やらで大風呂敷広げて追及し、挙句、
それらをやっつけ仕事風に串団子状に撮ってくっつけているだけ、なんですね。
肝心要の「水」、そして水を洩らす女性が、エロティックでも神秘的でもない。
陳腐なメロドラマまがいのストーリー展開は別にそれでいいや、と思うんですが、「水」が蛇口から出てきたような
平易さであってはいかんだろう、と思うわけです。

一方、「ストーカー」の始終滴っている水の美しさ! いや、水でなくとも木々の緑や苔など、
官能的、というよりやはり詩的に素晴らしい。観念がどうあれ、もうこの映像で充分、というくらいに存在感がある。
「赤い殺意」の頃は、演出も映像も観念の具現化も凄みがあるのになあ、なんて。
象徴や観念性は映画である以上避けられないし、また必要なものだと思いますが、天才でないのならば、
やはり主題あって事足れりではなく、方法論へも同程度、或いはそれ以上に留意すべき、ということですね。

と言いつつ、トルストイの短編好きで、シャルロット・ゲンズブールとナスターシャ・キンスキーが出ていれば
その映画は全て傑作だと思っている漏れには、
やはり『太陽〜』は大好きな映画であることに違いは無いんですが。

田舎に行くんで週末からちょびっと落ちますが、引き続きどうぞ。
432:01/11/09 10:16 ID:yHbVg+2n
>>430
おいおいおいおいおいおい!!
マジかよーっ!!
ああ、今こそ世界平和、そして我が身の無病息災を祈らずにはいられない!!
神YO!
ベルイマンの新作が公開されるまで、世界と我が身をお守りください!!

あ、それで思い出したけど、「鏡の中の女」、見ることが出来ましたよ。
いや、僕個人としてはなかなか面白かったです。ではでは。
4331:01/11/10 02:06 ID:Pnuv2SPg
うーん皆さんの濃いレスを読むだけで一時間かかってしまった、、。

主題と形式についての作文、、、

確かにタルコフスキーの映画は作者の思想がむき出しに
なっていますね。3さんの言う様に1+1=1もそうでしょうね。
普通の監督がああいう事をしたら、超プロパガンダ映画になっちゃう。

3さんの好きなトルストイの後期短編も、読者を啓蒙しようという
意図が突出してますし、他の映画で言えば黒澤のヒューマニズム
とかが同じ例として思い浮かびます。

しかしどれも私は許せてしまう。それは彼らの完璧な形式のせい?
それは分かりませんが、私には彼らの主題に対する真剣な
眼差しが作品から見えてくるから許せている様な気がします。

そして彼らの思想が、作品の上で、世界の矛盾を押しのけてその思想が結実
する時、私は素直に彼らの主題に感動します。

多分、天才とは、主題に対する情熱が人よりも強く、純粋な事なのでしょう。
悪魔がさんの言葉を借りるなら、彼らが主題に対して人一倍謙虚なのでしょうね。

(ブレッソンの場合は反対で、私は彼の形式に対する強い信仰に感動します。
と言うか、形式=主題という強い信仰に感動します。)
434名無シネマさん:01/11/10 02:11 ID:AiWhl2nm
パラジャーノフとかどうっすか??
自分で作った宗教を自分で布教してるかんじ
4351:01/11/10 02:37 ID:Pnuv2SPg
あかん、もっと書かなきゃならないのに眠すぎる。
寝ます。ご免なさい。

よろしいかさん、最近気付いたんですが、
眠れないとき、昔の事を映像で思い出すといつの間にか
寝れるかも。それではお休みなさい。

あっ、ベルイマン万歳!!でも気付くの遅すぎる!
436これでよろしいか:01/11/10 03:22 ID:iKgoBszt
ちょっと勘違いされる部分も多いと思うので補足。
主題と形式は不即不離であるということ。が、形式は高められると主題にもなりえるということ。
この場合、形式とは構図やテクニックのことを指すのではないこと。
たとえばリヴェットが「見えないテクニシャン」と呼んだハワード・ホークスを思い出せばいい。
逆に形式が先行しすぎると、あの醜悪なドクマの映画みたくなる。

参考までに映画史上、ブレッソンと並んで最も妥協せざる映画作家、ジャン=マリー・ストローブ&
ダニエル・ユイエの最近の発言を引用しよう。
「映画作家がしていけないことは何もない。映画作家はマゾヒストではないのだから。デジタルを使う
ことが主題にとって必要であれば、私たちもデジタルで撮りたいと思う。世間では、私たちのことを絶対に
ビデオを使わないだろうと宣言していると思っている。しかし、していけないことを決め付けてしまうのは、
主題そのものに反する美学です」(「リベラシオン」2001年9月19日付け)
437通行人:01/11/11 22:45 ID:Mlx6C1wS
よろしいかさん・・・好きだなぁー。俺。
438これでよろしいか:01/11/13 02:49 ID:H05fxq4z
ストレーブ&ユイエって何者か知らない人もいるから参考に↓

http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/nmp_j/review/0201/movie0201.html
439これでよろしいか:01/11/13 02:57 ID:H05fxq4z
ストローブ&ユイエのカキコミス。
欝だ、寝よう。でも、眠れない。「映画で今夜も眠れない」はポーリン・ケイルの評論集。
「眠れない時代」は、リリアン・ヘルマンが赤狩りの時代を回想した本。まあ、この本で非米活動
委員会に召集されたヘルマンは、いかに自分が毅然としていたか書いているが、「ハリウッドとマ
ッカーシズム」(陸井三郎著)によると、それはハッタリで結構弱弱だったらしい。
んなことはどうでもよく、寝ようとするとフレディが出てくるのよ〜。
恐い、恐い。大好きなケリー・チャンを見ながらオナろうかな。どうでもいいけど、ケリー・チャン、
もっとまともな映画に出てくれ、頼む>「忘れな草」はサイテーだったぞ!
関係ないことカキコしてスマソ。
440名無シネマさん:01/11/13 10:16 ID:oWnH4L9V
いつ見てもここの人たちは凄いなぁ。読んでて感心するよ。
俺もこういう議論してみたいけどいかんせん頭がついていかない。
個人的に「これは違うんじゃないか」って思っても
ここまで頭が良い人達相手だと何も言えなくなってしまう。
映像でも文章でも自分の考えを表現するっていうのは大変な作業だよね。
表現する力のないものは主張を持たないのと一緒だなぁなんて最近思ってしまう。
>>437
俺もよろしいかさんに凄く共感する。
なにとなく映画の好みが似てる気がします。
441これでよろしいか:01/11/13 21:14 ID:6cuCaYYu
うれしいよ〜!
でも、映画の好みが似てるって言われるとヘソ曲がりな俺は、「バーバラ・ブロード・キャスト」は名作だ、とゆうちまうぜ。
え?知らないの。アメリカン・ハードコアの名作。P・T・アンダーソンも大ファンだって。
さすが「ブギーナイツ」。
442409=412:01/11/13 21:48 ID:N0OMi+8Q
風邪でsage、会社の旅行に参加したらぶり返しちゃいましてまた熱が…
スマソ、も少し休ませてくださいませ。
1さん、3さん、レスありがとう! 復活したらまた書きますね!!
う。やば。ブリューゲルの絵が見えてきたよ…
443名無シネマさん:01/11/14 15:03 ID:3Y4sRvq9
コクトーは?
あれは神秘というか幻想か・・・
4441:01/11/15 01:00 ID:nD9ZW3ZG
あー何日もさぼってしまった。
と言うかよろしいかさん以外古参達がいなくなって
しまったのは何故だろう?

再び形式と主題についての作文を書きます。

結局映画は主題中心に描こうが、形式中心に描こうが、
もしその監督が映画のミューズに愛されているのなら、
結局素晴らしい物になってしまう。それが映画の神秘の
一面だと思います。こんな事を言うと実際映画を作ってる
方は怒るでしょうが。

私は何故蓮見氏がタルコフスキーの作品でノスタルジア
以外の作品を評価しないのだろうか?と言う疑問があります。
と言うか、ノスタルジアに対する独りよがりな見方にも
私は同意できません。

何か蓮見氏は映画が映画である事で完結しなければならない
と強制している様に思えます。ですが、映画を含め色々な
芸術作品は、私たちの理解できない世界との色々な神秘的な
繋がりを持っているのだと思います。

私は同じように晩年の黒澤作品をけなす人たちの意見にも
賛成できません。映画から作者の意見が突出してるから
けなすのでしょうか??何故彼の作品の全編から、彼の
純粋な魂を感じられないのか?と思います。

彼の晩年の何作かが一年か二年に一回公開されていた時、
ああまだこの世の中にもこんな純粋で偉大な魂があるのかと
感動しました。それだけに黒澤監督の死去を聞いたときは本当に
残念で仕方が無く、今後の事が心配でした。

神秘的な映画は、映画が映画本来の魅力を出しているだけで
なく、何か別の力に操られている映画と言う事も出来ると思います。

追伸、ケリー・チャンってどんな顔しているんですか?ズリネタを
教えて下さい。
445:01/11/15 01:17 ID:Qrw7CDmq
って言うかゴダールとか最後まで観れる?
4461:01/11/15 01:50 ID:nD9ZW3ZG
>>445
俺?見れるよ。って勝手にしやがれときちがいピエロしか
見てないけどね。って言うか何で?
447:01/11/15 02:01 ID:Qrw7CDmq
いやっ、最近気になるんで観始めたんだけど、どういった認識をすれば
いいのかわからなくてね。
観てても魂に響いてこないしさ。
ゴダール好きな人はどういうとこが好きなんだろうか?
どう解釈してるんだろうか?
自分にはわからんので好きな人はどの辺がいいのかなと思って。
448これでよろしいか:01/11/15 03:03 ID:Js5/TLah
あ〜、内田吐夢の「恋や恋なすな恋」についてカキコして、しばらくROMろうと思ったら、

>ケリー・チャンってどんな顔しているんですか?ズリネタを
教えて下さい。

見る映画が偏ってるんじゃないの?(情報や知識も)>1
もう沈んだが「オーパイ・イン・クラシック」というスレがあった。そこで俳優の山村聡が監督した「沙羅の花の峠」(55)で東山千栄子がオッパイを見せたとき、
おら、びっくらこいて映画館の椅子からずり落ちたとカキコした。そしたらスレ立てた1が、東山千栄子ってどんな人? 美人? 巨乳? とスレを
つけてきた。萎えたねえ。「東京物語」のばあさん、というか新劇出身の大女優が、御年65歳で脱いだ、つまり「東京物語」から2年後に脱いでオパーイを
出したというレアな俺のレスに返ってきたレスがこれががっかりしたねえ。ケリー・チャン、知らん?
ほかスレ見なよ。

で、「陰陽師」がヒットして続編が作られる今こそ、阿部晴明を主人公(大川橋蔵)し、狐の化身である葛の葉
(嵯峨美智子)との悲恋をつづった、巨匠内田の「恋や恋なすな恋」について書くつもりが萎えた。

ブレッソンから始まり、タヴィアーニときたから、で、今度はゴダールの「手」について書こうとも思うが(「映画史」
を中心に)、ちょっと今日は萎えたわ。ズリネタってあんたねえ。沢木まゆみか苺みるくでシコシコしてなさい!(ちなみは
俺は渡瀬晶の大ファン、洋画ではちと古いがやはりアネット・ヘブン)。

ーーといってしまうと身も蓋もないな。アート系で神秘系でズリネタといえば、「ユマニテ」を推薦しておこうか。
449名無シネマさん:01/11/15 03:54 ID:/rR/y15H
もう退屈したから、今日は別のコテハンで遊んできたわ。ここよ↓

http://tv.2ch.net/movie/#9

イタリア映画大回顧展が始まるんだから、もう夜更かしはできないわ。
ちなみに別スレのコテハンの意味が分かる人、いるかしらん。まあ、いいけど。
450名無シネマさん:01/11/15 08:44 ID:4sxzdXBj
>>444
純粋な魂なんて抽象的なことを言い出したら、
結局は映画は個人の好き好きということにしかならないと思いますが。

ケリー・チャンは最近よく日本のテレビに出てますよ。
「冷静と情熱の間で」の宣伝で。
凄い美人だけど、あまりいい映画に出てる印象はないな。
「アンナ・マデリーナ」が代表作かな?
451名無シネマさん:01/11/15 08:56 ID:9WSnT5gv
スレの流れに掉さして申し訳ないのですが、一応、これでよろしいか様に報告を。

前スレにて教えて頂いたことをもとにグル・ダットのDVDを注文したのが8月・・・
昨日、ようやく「紙の花」入荷のメールをもらいました。

「渇き」も「紙の花」も英語字幕付きの新盤の発売が予告されており、それを
注文したのですが、どちらも発売が相当に遅れた模様

まだ手許に届いたわけではないので確かなことはいえないのですが
「紙の花」は以前に出ていたトリミング版とは違いノートリミングで特典映像付きのようです。
ドルビー5.1チャンネルとなっていますが、これはちょっと眉唾もの
遅ればせながら報告まで

そういえば、「恋や恋なすな恋」はガキの頃、博物館の講堂で見ました。
あの主人公が阿部晴明だったとは・・・
オールセットの映画だったという漠然とした記憶と、SMっぽい一場面に
少々辟易した覚えが・・・
「飢餓海峡」の、というより私にとっては「血槍富士」の内田吐夢が、何故
このような映画・・・といった印象だけが残っています。
もっともガキの頃、一度見ただけですが・・・
ちなみに「たそがれ酒場」は絶対に相米の「光る女」に影響を与えていると思う・・・

スレの主旨とずれてしまって、御容赦のほどを
452名無シネマさん:01/11/15 09:09 ID:4u2C0ovM
葛の葉って阿部清明の母親じゃなかったっけ?
内田吐夢は大好きだけど「恋や恋なすな恋」は見てないなぁ。
アニメーション技術を使ってるって聞いたけど。
内田吐夢なんてこのスレにテーマに相応しい映画監督かもね。
「大菩薩峠」などにも宗教的なものが感じられる。
4531:01/11/15 11:21 ID:h462SQM2
ガーン!
うーんたぶん顔は知ってるんだろうな>ケリー・チャン

まあ知識って言ったら、殆どないです。ある程度の
知識がなければ、ここに書き込むのは難しいのかも。
出直しかな。

>>450
うーん、好き嫌いのレベルの事だと分かってるなら決して
書かなかった、、、。

確かにあの文章の書き方からは議論にはなりにくい。それは思う。
しかし具体的にどう説明して良いか分からない。
かと言って具体的に説明できるとは全然思えないと言うのもあるんだな。

あー、こんな事書いても意味ないね。逝こう。
454名無シネマさん:01/11/15 11:56 ID:IVJVfHnC
日本のラーメンが大好きらしい。>ケリー・チャン
好みのタイプはひょうきんな人だとか。
とりあえずよく笑う人だ。
sageようかと思ったけどやっぱりage
455名無シネマさん:01/11/15 13:47 ID:VVYi1mue
1さん、面白いから逝かないでください。
あと、他の古参コテハンの人は、どこへ行ったんだろう。
456これでよろしいか:01/11/15 23:42 ID:4PsPqi6g
「イタリア映画大回顧展」とFilmexと川崎市民ミュージアムとアテネフランセという、
80年代バブル期から延々続く、映画のデフレ状態で泣きながらヒマと時間を作っているのに・・・。
12月からは国際フォーラムで韓国映画祭。ここのスレにふさわしいキム・ギヨンは絶対見るべし!
「下女」必見!
457これでよろしいか:01/11/16 00:03 ID:nYjKOt9i
>>451
さんきゅう。前スレではちょっとモメたけど(藁
お礼に蓮實センセのグル・ダット賛美の文章の間違いを訂正しておくよ。

「グル・ダットの声の魅力を語るには、ハーバート・マーシャルの声のように
官能的だといえばことたりるだろう。彼がひとたび歌い始めるや否や、ハリウッド
製のありとあらゆるミュージカルの歌手たちの声が、たちまち色あせたものに思えて
くる。ああ、『雨に唄えば』のジーン・ケリーの声は何と繊細さに欠けていたことか。
『街の灯』のチャップリンの抒情の何とおしつけがましいことか」
(「リュミエール」1988年夏初出、グル・ダット映画祭パンフ所収)

インド映画のヒンドゥー語やタミル語の、いわゆるボリウッド映画は、歌場面は
プレイバック・シンガーと呼ばれる歌専門の歌手が吹き替えているのが常態。
グル・ダットも例外ではなく、ムハマンド・ラフィという人が吹き替えている。
『雨に唄えば』のジーン・ケリーはもちろん吹き替えではない。
したがって、ここは蓮實センセの軽率なミス及び勘違いが文脈の論旨を無効にして
いる、というわけ。
458これでよろしいか:01/11/16 00:25 ID:TfYE0ODs
ついでに・・・。
内田吐夢について。

今年、フィルムセンターでロシアのフィルムゴスフォンドから小津の「父ありき」の
返還プリントが上映された。日本で現存している16ミリのマスターポジから原版を起
こしたものでなく、35ミリのマスターポジからポジをデュープした異なるバージョン
だった。違う部分は、笠智衆が詩吟を唸る場面が長い。ラストカットでオフから「海ゆか
ば」が流れる、ところ。おそらくラストの「海ゆかば」は、小津が当時の軍部に気を使
って入れたのか、松竹が入れたものだろう(したがって、戦後カットされたようだ)。

ところで内田吐夢の戦後帰還第1作「血槍富士」のラストにも「海ゆかば」が流れる。
小津の「父ありき」戦中版と異なり、内田吐夢の無常観の表れだろう。
その流れは次第に仏教的になり、「暴れん坊街道」に始まる歌舞伎もの4部作の映画化を
経て、「飢餓海峡」へと至る。
「恋や恋なすな恋」は、その歌舞伎ものの4本目にあたり、竹田出雲の浄瑠璃が原作。
「陰陽師」では、葛の葉は阿部晴明の母だが、ここでは晴明の師の娘で、晴明が思いを
寄せていたが、殺された娘と瓜二つの狐の化身として登場する。紙芝居みたいだと思ったなら、
それは浄瑠璃の演出を内田吐夢が意識したため。
459これでよろしいか:01/11/16 00:30 ID:TfYE0ODs
ちなみに歌舞伎もの4作は、「暴れん坊街道」「浪花の恋の物語」「花の吉原百人斬り」、
そして「恋や恋なすな恋」。内田とカメラを担当した吉田貞次は、「恋〜」を失敗作として
いる。
460名無シネマさん:01/11/16 01:14 ID:U+1nmiDP
「飢餓海峡」や「宮本武蔵」を手掛けた脚本家の鈴木尚之は
「花の吉原百人斬り」を吐夢の最高作だって書いてるね。
461これでよろしいか/訂正:01/11/16 05:13 ID:OF5E+KA6
>>448,452,458

「恋や恋なすな恋」で大川橋蔵演じる主人公は、阿部晴明ではなく、その父の阿部保名でした。
怪しいと思ったから調べたら、竹田出雲の浄瑠璃に、清元「保名狂乱」も取り入れているようだ。
ここに訂正してお詫びします。

つまり、「陰陽師」のシーコール(続編ではなく、前に遡るスタイルの続編)みたいな感じで内容を
把握してもらえばよいかと。二役を演じた嵯峨美智子最高の出来だった。

>>460
鈴木尚之が「飢餓海峡」の脚本を手がけたのは嘘。確かにクレジットでは脚本・鈴木尚之になっているが、
内田有作(吐夢の次男で「飢餓海峡」の製作担当)の回想によれば、鈴木が書けなかったので、
吐夢が全部書いたということだ。
「花の吉原百人斬り」は、大手映画会社の中で最も美術・照明・撮影の劣る東映でなかったら
傑作になったかも、と思う。大映の時代劇に比べて東映は映像に陰翳がないし、セットも美術も
セコい。まあ、中国帰りの吐夢を受け入れるところは東映しかなかったわけですが・・・。
462よろしいか・また訂正だ:01/11/16 05:28 ID:46oOjb99
シーコールは単なる続編、逆に時制が遡る続編はプレコールでした。
ここに謹んでお詫びするとともに、度重なるヨッパライカキコを反省して
指つめます。
グサッ!
「おお、痺れるのお」(広能昌三弁)
463名無シネマさん:01/11/16 06:12 ID:1/eWu9O/
>>「花の吉原百人斬り」は、大手映画会社の中で最も美術・照明・撮影の劣る
東映でなかったら傑作になったかも、と思う。
なるほどそういう見方もあるわけか。
「加護鶴瓶」は芝居の方を先に見て気に入っていたのだが、「花の吉原」はあ
の物語の中の情念を表現するのに、様式性ではなくリアリズムっぽく演出した
ところが気に入っている。言われてみれば確かに平板な映像だったような気も
するが、あの情念の惨劇物語が、プッサンのようなのほほんとした掠れた風景
の中で締めくくられるところが、妙に記憶に刻まれている。
異物感がかえって良かったのかもしれない。それにしても千恵蔵っていいな。
464名無シネマさん:01/11/16 06:23 ID:2qHX06UH
3氏、悪魔が氏はどこへいってしまっんだ?カム・バック!
あんたらがおらんと、このスレもただの薀蓄スレになっちまうぞ!
465:01/11/16 09:05 ID:mr2WWZSS
おはよう御座います。
生きてます、わたくし。
まだ田舎のほうに縛られてるんで
(これも今、勝手に姉のパソで書いてる)、
暫しご容赦を。
内田吐夢話、いいじゃないですか。
興味深いです。
ただ、鈴木尚之氏も確かに書いてますよ、飢餓海峡。
息子さんとトラぶったのかな。。。

そして『花の吉原〜』の脚本は
依田義賢クレジットだが、実は鈴木尚之だったりする。
466名無シネマさん:01/11/16 09:19 ID:KZa5l0k6
私は「私説 内田吐夢伝」を非常に興味深く読んだのですが、
あの内容が嘘で、鈴木氏が本当は脚本を書いてないのだったら鬱だ・・・
467これでよろしいか:01/11/16 22:44 ID:7MqtITB6
>>466
「私説 内田吐夢」(鈴木尚之)、「夢を吐く」(太田浩児、吐夢の助監督)、「映画監督五十年」
(内田吐夢自伝)。以上が内田吐夢に関する書籍。すべて関係者か当人の手によるものだ。
関係者や当事者が最も詳しいというのは誤解であることは常識でしょ。嘘、誇張、勘違い、虚栄が入る
から眉唾で読まなくてはならない。

たとえば「ジンジャー・ロジャース自伝」。これ読むと、アステアとのダンスの振り付けのヒントは全部
自分が出したことになっているし、ステップの練習中、露悪的なまでにアステアがカツラを落としたことを
書いている。そのうえ、ロジャースがクリスチャン・サイエンティストなものだから、自分の信仰の正しさ
を強調する奇跡話ばっかし。なのに、タカ派のステージママに育てられ、自らも赤狩りのとき、ディズニー、
クーパー、ロバート・テイラーらと並んで、非米活動委員会の友好的証人になったという都合の悪い部分は、
まるっきり書いてない。カーク・ダグラスの自伝「くず屋の息子」では、だれそれと寝たという嘘か本当か
分からん自慢話ばっかし。しかしこれらの本はそれなりにおもしろい読み物であるのだ。

内田吐夢本3冊はそれぞれ読み物としてはおもしろいが、事実はどうかという点ではかなり怪しいものばかりだ。
それが悪いわけではない。「羅生門」にように当事者の発言は、どれも事実そのものでないのだし、かといって
悪意がない限りまるっきり嘘ではないからだ。しかしやはりなんでも事実を知ろうとするとき疑ってかからねば
ならない。
付け加えておくと、「私説 内田吐夢」は、内田家の怒りを買い、鈴木尚之は内田家から絶縁されたという噂がある
らしい。ま、読み物としてはおもしろかったけれども。
468名無シネマさん:01/11/18 23:11 ID:XEPMg6EE
1さん、3さん、悪魔がさん、戻ってきてくれ!!
469それにしても・・:01/11/19 02:13 ID:Ee88Cwu5
「ノスタルジア」の綺麗なDVDが欲しいなー。

このスレ見てたら六本木シネビィヴァンで
「ノスタルジア」見たの思い出したよ。

温泉の青くて綺麗なシーンがまた見たい。。
470:01/11/19 11:49 ID:RNl0MG6a
帰京しました。

>>453
後期黒澤の純粋な魂、分かりますよ。
もう恥じも外聞もなく「善意万歳!!」という無垢性(笑)。
そういう気恥ずかしいメッセージは、みなオブラートに包み隠したりするものだけど、
黒澤は堂々と言ってのける。
そこに感動する、というのはよく分かります。

>>467
鈴木氏は内田家との騒動がショックで、暫し寝込んでしまったらしいですね。
吐夢の家庭の内部事情を詳細に書いた事が最大の原因、といわれてますが。
それにしても「飢餓海峡は吐夢が全部書いた」は酷いな〜。
息子も、嘗ては鈴木氏と仲の良かった同僚でしょうに。
イージーライダーのホンを書いたのは俺だ、でP・フォンダとD・ホッパーがいまだに
揉めているように、確かに脚本は色々な人のアイデアがごちゃまぜになって
出来るものだから、「俺が俺が」ということもあると思いますが、
鈴木尚之という稀有な情念を持った作家が不在では、決して飢餓海峡は出来ませんよね。
それに、鈴木氏も吐夢作品では様々な作品にノンクレジットで参加しているようです。
何はともあれ、鈴木尚之の盛大なる復活を望む!
471N・スタヴローギン:01/11/19 14:59 ID:hvrUBK+F
>>405
>「狂人が世界を終末から救うために我が身を犠牲にする」、というモチーフは、
 キリスト教全般にそうした源泉のようなものがあるんですか?

パルジファル?タンホイザー?さまよえるオランダ人?(w
「聖なる愚者」と「無垢なる乙女」の混希ですね。
二つは別々だと思いましたが、勘違いでしたらすいません。

スレッドの流れはカトリシズムとヌーベル・バーグという感じですね。
どちらも苦手です(w
日本人はアミニズムですから、どうしても門外漢になっちゃうんですね。
私としてはヨーロッパの正史の裏に地下水脈の如く流れる異端思想のほうにより惹かれますね。
-Satan sum et nihil humanum a me alienum puto.

スレッドのタイトルから連想したのは下にある作品群です。
「π」ダーレン・アロノフスキー
「ルシファー・ライジング」ケネス・アンガー
「意思の勝利」レニ・リーフェンシュタール
「悪魔の首飾り」フェリーニ
「英国式庭園殺人事件」「ZOO 」ピーター・グリーナウェイ
「エンジェリック・カンバセーション」デレク・ジャーマン
「去年マリエンバートで」アラン・レネ
「ファイトクラブ」デヴィッド・フィンチャー
「アルタード・ステイツ」ケン・ラッセル
「メフィスト」イシュトバン・サボー
「カリスマ」黒沢清
「カリガリ博士」ロベルト・ウィーネ
他にはパラジャーノフとか、シュバイクマイヤー
当方、半可通なんでこんなもんです。
どうも、場違いなかんじですね。
スレ汚し、失礼しました。
472同僚です:01/11/19 20:16 ID:aBL5hgYt
>>468、1さん・3さん・「これでよろしいか」さん、ならびに皆様へ
「たぶん、悪魔が」さんの同僚です。彼は、現在入院中です。はやくても12月上旬まで
退院は無理だそうです。しばらくお休みさせていただきます、申し訳ないとのとの
言伝でした。
このレスを頼まれましたとき、余計なこと書いてもいいかしらと尋ねましたところ、
苦笑いをしてましたが、駄目とはいわなかったのでOKだろうと、氏の近況報告を。
病気はたいしたことないとのことですが、現在リクエストされている音声訳
(視覚障害の方のために朗読テープをつくること)が、オカルト本なのでうんざり
されている様子でした。
私(女ですが)、彼の影響で同じ朗読奉仕の会に入ったのですが、そういう面倒なのは、
つい彼にお願いしてしまうので、申し訳ない気も少し。
でも、時々リクエストのあるポルノとかになると、ついつい彼に頼んでしまうんです。
(私達に女という甘えがあるのかもしれません)
私は、彼の声がとても好きで、「マルコによる福音書」と「O嬢の物語」を、
勝手にダビングさせてもらって聞いております。(他にもそういう方がみえます。)
両作品を、おなじような朗々とした調子で読んでみえるのに、びっくりさせられました。
思わず「マルコ」より「O嬢」に感動してしまったくらいです。
今日お見舞いにうかがったとき、このスレにふさわしい、バタイユとかクロソフスキーを
どうして、音声訳されないのと尋ねましたら、そんなリクエストはないでしょうがと、
笑われてしまいました。私って、馬鹿なことをいってしまって、恥ずかしい。
氏へのメッセージがありましたら、お伝えいたします。
473これよろしいか:01/11/20 02:35 ID:DmCLTg7E
>>472
はやい復帰を希望してやみません。
ところで私、遺伝性の眼病のため、右目の視力がほとんどありません(マジで
でも、私もバタイユやクロソフスキーより、宇能鴻一郎の方がいいです、できれば
女性の声で。
目が悪いので>>472のカキコの「マルコ」と「O嬢」が妙に見えてくる(藁

そういや、クロソフスキー、ブレッソンの「少女ムシェット」に出演していたね。
474:01/11/20 11:54 ID:RpdruWI4
>>471
このスレでスタヴローギンたあ、いいHNですね。
でも旧約聖書って何となくアニミズムっぽいですよね。
砂漠に暮らす人々の生活に、
神に希求するものが直結していたからなんでしょうが。

>パルジファル?タンホイザー?さまよえるオランダ人?(w
スイマセン、これ、一体何を意味する言語なんでしょう?
当方無知ゆえ、些か当惑しております。
あと、挙げて頂いた作品群、半数近く見てない…。
ただ、「ZOO」「ファイクラ」「π」「カリスマ」辺りの近作、これって神秘的ですかぁ?
カリガリ博士は好きでしたが。

>>472
入院ですか…お大事に…って悪魔氏、男だったのかYO!ずっと女性だとおもってた。
でも結構長い入院ですね。読書でもしてゆっくりお休みください。
僕は松浦理恵子の「ナチュラル・ウーマン」の中の「一番長い午後」の朗読キボンヌ。
で、悪魔氏の同僚(つまり悪魔の一員ですな)の方はどんな映画がお好きなんですか?
475通行人:01/11/20 17:53 ID:sEfCZTM/
荒れ放題の2ちゃんにおいて
日だまりのような暖かささえ湛える名スレだよ、ここは。
ごめん、涙で前がよく見えないや。
476同僚です:01/11/20 21:08 ID:Mfz0STeH
>>474
ごめんなさい、彼の心配しなくていいよという言葉に安心していたんですが、
「長い」んですか、これって?何ていっていいか、どきどきしてしまって。
後で、彼に知られてもいいですが、気になってしまって。ごめんさない。
477これよろしいか:01/11/21 00:33 ID:iauti3td
ワーグナーぐらい知っておけよ(藁
「パルジファル」はジーバーベルグの映画版が奇怪で好きだ。LD出てたね。
舞台の上でワーグナーの「パルジファル」が上演されるのを映しているんだけど、
ジュザブローみたいな人形劇のアップから舞台へ移行するファーストシーンからして
変態ジーバーベルグの本領発揮。聖杯と聖槍伝説の物語にナチズムからの視点が加わ
って、最後はカメラが舞台からどんどん俯瞰で引いていくと、その舞台が巨大なワー
グナーのデスマスクの上で繰り広げられているのが映し出され、さらにカメラが引く
と、それ自体が少女が手にしたガラス玉の中の光景であった、というとんでもない映画
だ。リヴェットと並ぶ、狂ったように長尺映画ばかり作るジーバーベルグだから、これも
4時間ある。そういやメカスも「パルジファル」好きだったみたいだね。
でもジーバーベルグの最高傑作は7時間15分ある「ヒトラー、あるいはドイツ映画」であろう。
ジーバーベルグの、いわゆるドイツ3部作は、「ルードウィヒ二世のためのレクイエム」「カール・
マイ」、そして「ヒトラー、あるいはドイツ映画」の3作を指す。

ということで「パルジファル」は三幕構成のワーグナー最後の楽劇。聖杯と聖槍に奉仕するアムフォルタス
王が魔神クリングゾルのため聖槍を奪われ、傷を負わされるが、清き愚かなる者=パルジファルによって聖
槍を取り返し、傷も癒され、パルジファルがアルフォンタスの後継になる物語。仏教思想やショーペンハウワー
の哲学に影響されたとされているが、ジーバーベルグはこれを王権がナチズムへと結晶させる物語として撮って
いるところが面白い。日本では一部熱狂的なファンのいるユルゲン・ハンス・ジーバーベルグ監督。名を覚えて
おこう。狂った天才です。
478N・スタヴローギン:01/11/21 10:40 ID:DjNc+YOo
>>474
 私も旧約は好きですよ。
 旧約の神は「怒れる神」だと思います。
 我々の神とも近しく思われるからでしょうか。

>パルジファル?タンホイザー?さまよえるオランダ人?(w

 ワーグナーの神聖祝祭劇の題名であり
 ワーグナーがモティーフにした西欧の伝説ですよ。
 吟遊詩人や騎士たちが登場する。
 その主題は「さまよえる魂の慈愛による救済」です。
 そして、そのキーワードが「聖なる愚者」であり「無垢なる乙女」なんです。

>ただ、「ZOO」「ファイクラ」「π」「カリスマ」辺りの近作、これって神秘的ですかぁ?

 異論は承知の上ですよ。

 「ZOO」「π」には中世の錬金術師たちが傾倒した数秘学へのオマージュが透視出来る気がします。
 黄金色に輝く曉、目眩く大瀑布、恋人の燃える瞳、忘れられた街の市庁舎…
 アルキメデス、ユークリッド、プラトーン立体から、ガウス、ガロア、
 岩澤理論、谷山ー志村予想からフェルマーの最終定理
 神秘数を解き明かすことにより、混迷にみちたこの世界が解析できるという美しくも儚い妄執。
 数学は宇宙の絶対真理であるというマニフェスト。
 http://www.bekkoame.ne.jp/~sakushin/suugaku/fermat.txt

 「ファイトクラブ」は十九世紀ヨーロッパをペストのように跳梁した
 アナーキズムやマルクシズムの亡霊だと思えるのです。
 マルクス主義、無政府主義、国家社会主義(ナチズム)は科学的神秘主義だと私は思います。
 その狂気じみた毛沢東主義を集団殺戮へ導いた東南アジアの「クメール・ルージュ」
 西欧の「赤い旅団」「バーダー・マインホフ」
 我が邦においては悲劇的な終局を招いた「連合赤軍」
 近くは南米の「センデロ・ルミノソ」「トゥパク・アマル革命運動」
 純粋な社会正義が邪悪な力への志向に墜ちていった若者たちの骸。
 悪霊のように思想が肉体化してテロルの実体化を希求する秘密結社。
 タイラーの革命は勿論、失敗に終わります。
 彼は、はなから、革命の成功なんて信じちゃいないでしょう。
 ロープシンの小説の主人公のように黙示録の騎士よろしく
 蒼褪めた馬に跨り、モロトフ・カクテルを投げつけるだけなのです。

 そして、あの石鹸は絶滅収容所を仄めかしています。
 おそらく主人公はスタブローギンやヴェルホーヴェンスキイの遠い眷属ではないでしょうか?

 
479:01/11/21 13:26 ID:A6iSeavI
>>476
あ、いや、不安がることはないと思うんですが、数週間の入院って長くないですか?

>>477,478
いやーーー、お二方ともめちゃ博識で頭が下がります。
勉強になるし、何より世界が広がる。実にいいスレだ。
ワーグナー作品の「さまよえる魂の慈愛による救済」という主題、たまらなく興味深いですね。
ユルゲン・ハンス・ジーバーベルグ監督、覚えておきましょう。

>旧約の神は「怒れる神」だと思います。我々の神とも近しく思われるからでしょうか。
神道の発想もモロにアニミズムを感じさせますよね。伊勢神宮のあり方なんて最高です。
神道は、日ユ同祖説もあながち電波じゃないな、と思わせるくらい、ユダヤ教とは類似している部分が多いですね。

>神秘数を解き明かすことにより、混迷にみちたこの世界が解析できるという美しくも儚い妄執。
うーん、いい文章ですねー。ただただ感嘆しきりです。
ファイクラからそこまで連想出来てしまう頭脳って凄い。
僕はただただ圧倒されてしまいました。
ああ、もっと勉強しよう…。鬱だ…。
480これでよろしいか:01/11/21 21:30 ID:Imh26aYe
あかん、カキコミスだ。
ハンス・ユルゲン・ジーバーベルグだった。3よ、間違って覚えないように!
ジーバーベルグの映画は、ときどきフィルムセンター、アテネフランセ、ドイツ文化センターで
上映されるよ。ブレヒト+ワーグナー×ヒトラー÷ドイツ史という、とんでもない映画ばかりだ。
間違えたので鬱だ。逝ってきます。
481名無シネマさん:01/11/21 21:36 ID:EEJr2bSq
おや。このスレのひと、一度世界史板映画スレきてるね。
あんときはレス返せなかったけど、また遊びにきてちょ
4821:01/11/21 23:43 ID:NFHfJk6v
>>472
悪魔がさん入院されたんですか、、。
遅れましたがお知らせありがとうございます。

どんな病気か知らないんで言うのもなんですが、
ここの事など心配なさらずに、治療に専念して
欲しいです。

最近の皆さんのレスを読むと、異次元空間をさまよってる
かの様です。全く入り込めませんがとても勉強になります。

失礼承知で前から言いたかったんですが、
何故ここは特殊な方ばっかりいらっしゃるんでしょう。

ワーグナーは好きだけど、聴くだけでうんちく全然知らないし、、。
483名無シネマさん:01/11/22 04:01 ID:e1sdnmBm
アメリカの映画評論家がワーグナーの「パルジファル」と
溝口健二の「元禄忠臣蔵」を比較しとりました。
内容は無学な私にはチンプンカンプンでしたが・・・
484これでよろしいか:01/11/22 04:57 ID:6+AhU+jp
日本における映画にまつわる言説が貧しいのは、映画そのものを語ってないからだと思う。
では、映画で題材にされる素材や説話的主題について書かれたものがあるかといえば、
これも貧しい。批評がほとんどないに等しいのも同じ。
つまり映画についての薀蓄も、映画が題材にしたものに関する薀蓄も、批評もないというわけだ。
俺はどんな映画であれ、映画の舞台になった背景や歴史などについて書かれた薀蓄を読むのは、
その映画への理解を深めることになるから大いにやってもらいたいと思うが、
蓮實以降の批評家が、蓮實の影響下で世に出たくせに、どちらの薀蓄もなく、批評といえば、
牽強付会の小理屈を非映画的に展開していることにものすごく嫌悪を感じる。
精神分析もイデオロギーも政治的裏目読みも、なんて貧しいんだろ、と思うだけだ。
「表層を読め」と言った蓮實のマニュフェストから学んだとは思えない貧しさばかりか、
読んでいてその映画を理解するのに役立つ、映画以外の薀蓄もない。ホント貧しいと思う。

で、マイナーな映画に偏りがちと思われてるこのスレで、いずれ「地獄の黙示録」における
文学的かつアミニズムの薀蓄を書いてみよう、と思うが、いかがなもんか?
485スタヴローギン、改め黒川健吉:01/11/22 11:10 ID:V6xOdtyq
>>479
>神秘数を解き明かすことにより、混迷にみちたこの世界が解析できるという美しくも儚い妄執。

上の文章は「ファイトクラブ」ではなく「π」、「ZOO」について書いたつもりです。
判りにくくてすいません。
グリンナウェイは「建築家の腹 」、も面白かったです。
エチェンヌ・L・ブレーは渋澤龍彦の本にも出てきますね。
私自身は非理数系人間の典型ですが、数学の世界の美しさに憧れています。
ケン・ラッセルがBBCで優れたドキュメンタリーを創ったように
谷村豊や、志村五郎の生涯を誰か作品化してくれないですかね。
興味深い作品になりそうなんですが。
486名無シネマさん:01/11/22 11:55 ID:id4KQrwO
おやっ? これでよろしいか様が珍しく間違いを。
>473
クロソフスキーが出てたのは「少女ムシェット」ではなく「バルタザールどこへいく」
のほうです。

「地獄の黙示録」の文学的な薀蓄には期待しています。
もっとも、あの映画に関しては、文学的引用の出典とその意味以上に
何故、引用せずにはいられなかった作家的苦悩に興味を引かれるのですが・・・
う〜ん、巧くいえない・・・
私の中でコッポラは、ひたすらオーソン・ウェルズになりたかった男、なのです。

あ、そうそう 「紙の花」の新盤DVD、残念ながら丁重なフレーミングが施されたものでは
ありませんでした。 冒頭、クレジットの文字が画面からオミットされまくり。
でも、買って後悔はしていませんが
487名無シネマさん:01/11/22 11:58 ID:id4KQrwO
    ↑
× 何故、引用せずにはいられなかった作家的苦悩に
○ 何故、引用せずにはいられなかったのか、その作家的苦悩に
488:01/11/22 12:08 ID:chxfBzjZ
>失礼承知で前から言いたかったんですが、
>何故ここは特殊な方ばっかりいらっしゃるんでしょう。

類は友をy…

>>484
>牽強付会の小理屈を非映画的に展開していることにものすごく嫌悪を感じる。
仰るとおりですね。阿部和重にもそうお伝えください。
「地獄の黙示録」の、文学的且つアニミズムの薀蓄…。
何だか凄そうですね。期待しております。

>>485
>上の文章は「ファイトクラブ」ではなく「π」、「ZOO」について書いたつもりです。
あ、勿論、そのように承知してます。
書き方悪いのは明らかに当方でして…。ここ数日間、風邪気味で寝込んでボケているのです。
で、仕方ないから他スレで、一人増村特集を開催しているのです…(ワラ
数学の世界の美しさに憧れるんですか…。
数学どころか数字ひとつ聞いただけで睡魔が襲う僕には縁遠い感性だなぁ。

しかし、こうやって見ていくと、日本では、映画監督よりも観客の方が
圧倒的に知性が豊かなのかもしれないなあ、と思ってしまいますね。
監督たるもの、勿論、知性だけでは務まらないんでしょうが、最近の邦画を数本見ても、
知性に根差した作品てないですよね。
感性、なんて曖昧な言葉に依りかかって満足しててはいかんなあ、と思う微熱の午後。
489:01/11/22 12:12 ID:chxfBzjZ
>>486
ちなみに『紙の花』ってレンタルはされてます?
このスレで見て興味を惹かれて以来、ずっと探してるんですが、
「石の花」「乾いた花」「花のあすか組!」ばかりで、
なかなか見当たらないんですが…。
コッポラ、大好きです。
レイン・メーカーですら僕には面白かった。
490こでよろしいか:01/11/23 00:53 ID:jhINGri/
間違い続きの上に・・・。
今日発売の「映画秘宝」を買って読んだ。俺が書こうと思った「地獄の黙示録」ネタ、
しっかりカブってるよん。T・S・エリオットとフレイザー「金枝篇」とキプリングと、それと
コンラッド。「金枝篇」の内容が「地獄の黙示録」のカーツの帝国にダブっている話だけ書いて
ないだけだよ。くそっ!「ウェイン町山」スレに逝ってきます。

あっ、3さあ、増村スレで「パ」というHN俺だよ。「若尾好き」と「ストローブ&ユイエ」スレで
遊んでいるけど。このところ風邪ひいて、それでもFilmexとかイタリア映画大回顧展に逝ってる
からしんどい。もう死ぬ、すぐ死ぬ、今、死ぬ。ファスター・プシー・キャット・キル!キル!
491名無シネマさん:01/11/23 06:55 ID:ehBtImJU
>489
グル・ダットの映画は今のところ日本版でビデオ化されていません。
私の知る限りテレビ放映もないと思います。

大インド映画祭で初めて日本に紹介され、グル・ダット映画祭という素晴らしい
上映が各地で行われました。

代表作である「渇き」(大傑作)と「紙の花」は、地方でも何らかの特集上映の折に
プログラムに組み込まれ上映される可能性があります。
私も もっともっと何度もスクリーンで見たいのですが・・・
492:01/11/23 13:02 ID:6dHg4j4A
>>490
では、地獄〜の薀蓄、映画秘宝でも立ち読みしてみます。
HN「若尾好き」はお見通しでしたとも。
私も若尾好きなんで。
とは言え、しとやかな獣、卍ぐらいしか意識的には見てなかったんですが。
しかし、やはり各映画際においでになってるんですね。
えらい!見習わなければ。

>>491
ありがとう御座います。
ああ、ではここで誰かが教えてくれた、こないだのナントカ映画祭、
行けばよかったんだ〜〜〜。
「渇き」「紙の花」の同時上映だったのに。
シクジッタ!
493これでよろしいか:01/11/24 05:01 ID:76isZHJ8
>>492
俺のHNは「若尾好き」じゃないって!

「ストローブ&ユイエ」スレで「ロートリンゲン!」の全セリフUPしたので、
見たい方はそちらまで。
494:01/11/24 23:48 ID:NhqJYkwL
>>493
失礼、失礼!
なんかキャラかぶってたので…。
495これでよろしいか:01/11/25 04:25 ID:QMNBgja7
3へ
こらこら、他スレで俺のHNをバラすなよ。ちなみにここのスレでも「紀子」(このHNの意味を
誰も分かってくれない、泣)でカキコしてるから参考に。書いているように、俺、日本映画の方が
たぶん詳しいと思う。

http://tv.2ch.net/test/read.cgi/movie/1005201223/l50

なにせ、戦前、戦後の残存する日本映画はできるだけ見てるから。

>グル・ダット・ファンさんへ
俺は結局、グル・ダットの監督作ならず、出演作、ワヒーダ・ラフマーンの出演作まで、出ているDVDを
すべて入手したが、やっぱ「十四夜の夏」も、日本上映版にはないカラー場面があって
絶対買うべきだと思う。ちなみに、俺はインド映画祭以来、グル・ダットのDVDを持っているにかかわらず
上映されるたびに見にいき、「渇き」は計5回、「紙の花」は計4回見ている。
3が勘違いすると困るので書いておくが、グル・ダットは神秘主義とか全然関係ない。
496:01/11/25 10:57 ID:yOx0SM8m
紀子?
いくつかの小津映画に於ける原節子の役名ですか?
日本映画にお詳しいと言うのはじつに頼もしいですね。
497これでよろしいか:01/11/25 12:39 ID:X4+OD+ZS
「十四夜の夏」ではなく、「十四夜の月」ね。

>>469
ビンゴ! こんな簡単なこと誰も分かってくれへんかったよ。サンクス。
498名無シネマさん:01/11/29 19:16 ID:5SfEjAXR
紀子、に関しては、 知らない奴には分かるはずもなく、
分かってる映画ファンは、分かってるだけに指摘するのが照れ臭かったのかも…
もちろん指摘した3氏を貶める意図は皆無ですから誤解なきよう。

最近、下らないスレが立ち過ぎなので、数日レスが無いと怖いので
こんなレスでもご容赦を
499エルンスト・シュワルツ:01/11/29 23:39 ID:Kh3SZOwI
もうネタもないらしいね。
いまさらソクーロフどう?というつもりもないし・・・。
悪魔が氏が復帰するまで、このスレ生き残るのかな?
5001:01/11/30 01:33 ID:9fS8YplF
うーん、結局よろしいかさんは映画のどういう所が
神秘的だと仰ってるのか結局良く分からなかった。
いや、神秘的だとは仰らなくても、どこが映画の
本質と考えてられるのかなあ。

例えば上の方で書かれてた、東京物語で殆ど老衰で
死んだ婆さんが、何年か後に他の映画でヘアヌード
を解禁したとか言う事に映画のリアリティー、
神秘性を感じてらっしゃったのかな。

映画秘宝と言う雑誌を読んだのですが、今はああ言った
マニアックな視点で映画を視ると言うのが本流なのかな。

なんだか最近私自身も映画の事がよく分からなくなって
来たと言うのが本当なんです。
501 :01/11/30 07:10 ID:jKxKhgfS
ポランスキー監督、ジョニーデップ主演
「ナインスゲート」って既出?同じような映画ありませんか?
ネットで見た限りじゃ評判悪いね
わたしは見て気に入ったんで原作読もうと思うけど?
502:01/11/30 23:03 ID:LI/GY0BJ
>>501
ナインスゲート、最高ですね。僕ァ大好きです。
謎解きの愉楽を味あわせてくれる内容もさることながら、あの胡散臭いJ・デップの佇まい、
きれーな画調やクラシックな演出のクセがたまらん。
ポランスキーは娯楽映画を撮っても本当にすばらしいですね。
一応、類似(?)した映画としてはJ・J・アノーの『薔薇の名前』なんかがあるけど、
きっと501氏は既にご覧になっていることでしょうしね…。
思いついたらまた書きます。
503もういいや:01/11/30 23:51 ID:JF7OMF1z
>>500

>東京物語で殆ど老衰で死んだ婆さんが、何年か後に他の映画でヘアヌード
を解禁した

もうさすがに付き合いきれんわ。激しく萎えた。もう逝くわ。
504501:01/12/01 00:16 ID:3VQilBiJ
3さん>>502
あの演出。たまりませんね。
キャスト演技共に結構気に入りました
わたしは映画は全然見てないトーシロですよ
こういったオカルト色の強い神秘主義映画は大好きです
薔薇の名前見させていただきます
505カイザー・ソゼ:01/12/01 00:19 ID:hYP2cnzt
確かにどの映画サイトでもナインス・ゲートは評判悪いが俺は好きだな。ラストが良いです。悪魔の宮殿にようこそ。
5061:01/12/01 01:25 ID:muDDm7y5
、、私明らかにこのスレを乱してるね。
ごめんなさい。私が本当に逝きます。
507名無シネマさん:01/12/01 01:28 ID:1gaZJtsL
ムーラン・ルージュ!の製作者達は錬金術を使っている。
508:01/12/01 12:51 ID:w6CXEFv+
あ〜あ〜あ〜もう…。
レザボア・ドッグスじゃないんだから、1氏とよろしいか氏、相討ちで二人して
逝かないでくださいよ…。たかが掲示板じゃないの。
憎まれ口も芸のうちでしょ。

>>501
つい「薔薇の名前」って書いちゃったけど、
よく考えたら余りオカルト的ではないんですよね。
衒学的というか、アカデミック臭を撒き散らした娯楽映画というか。
主演がショーン・コネリーで監督はジャン・ジャック・アノーです。
まあ、つまらない映画ではないと思うので、お暇でしたらどうぞ。

色々考えたけど、ナインス・ゲートみたいな映画って僕はちょっと思い浮かばないんですよね。
エクソシストシリーズとかではまた違うんだろうし。
ソゼさん、ほかに何かないですか。
509501:01/12/03 05:51 ID:mzo8OlGG
>3さん
そうですね、
薔薇の名前あとで調べたらそういう映画だと知りました
なかなかオカルト映画の良作はなさそうですね
日本に入ってこないようなマイナーな映画になってしまうのかな
510名無シネマさん:01/12/03 06:31 ID:FA2G+8i0
ポランスキーの映画って神秘主義じゃないだろうけど「テナント」とか
悪夢ループって感じですごい好きだったりする。
十何年かまえに観たきりだけど、今度WOWOWでやるらしいんで楽しみ。
511:01/12/04 10:51 ID:DpqI0kjJ
雅子様繋がりで、ローズマリーの赤ちゃん。
ミア・ファローのボーイッシュなヘアスタイルとミニミニスカートに、
国外追放王ポランスキーの真髄が…。
512名無シネマさん:01/12/04 21:37 ID:vzA1fIMH
3兄よ、悪乗りしてると、また、地雷を踏むぞ。
このスレの進行を「ナインス・ゲート」=ポランスキーでいくのか?
「薔薇の名前」から、大技を使って「炎のアンダルシア」につなぐ手もあるぞ。
あるいは、説教節に連なる「恋や恋」から、溝口健二の「山椒太夫」を通って、
「本地物」の世界を考察するのもよいか?

1兄よ、逝くの逝かないのではなく、恥をかいて育っていけばいいんだよ。

さて、「これでいいですか」兄よ、もう少し暖かくみてやろうよ。

以上、入院中に金庸を朗読させられて、はまってしまった「たぶん、悪魔が」でした。
513名無シネマさん:01/12/04 22:06 ID:6O5L02Cb
キン・フー・スレは沈んだけども>悪魔が、氏
514:01/12/04 23:45 ID:fSjh38A6
>>512
うーむ。
いまいち信用できないが、まあ、きっと悪魔氏なんでしょう。
退院おめでとう御座います。
いや、スレの進行はお任せしますよ。
わたしゃもうネタ切れなもんで…。
515名無シネマさん:01/12/05 02:55 ID:tV7tW8md
「聖書読まないと洋画理解できない?」ってなスレッドってどこいったんだ。
516たぶん、悪魔が:01/12/05 19:23 ID:tyuGaP3n
>>513
確認もせず鵜呑みにして、キン・フー・スレ沈んだそうだよと弟に電話してしまいましたよ。
あせりまくっていたようですよ。悪戯はほどほどに。よければキンフー・スレ遊びに行ってやってください。
弟のHNは、すぐわかると思いますよ。

>>514
さて、いろいろご心配いただいてありがとう。無事退院しました。>>512は、私だよ。
スレの進行は、あなたがいきたいほうでちっとも構わないよ。大ネタは「薔薇の名前」の
ほうにあるんだけどね。ただ、そこへいくといよいよこのスレ、幕を下ろさなければならなくなる
可能性が高いんだわ。「ナインス・ゲート」は、出来のいいパズラーだとは思うのだが。
オカルト趣味の方向へはいっても、オカルト哲学のほうへはなかなか行けないと思うね。
オカルト趣味ならもっと、スレの名前変えて、にぎやかにしたほうがいいんじゃない?

しかし、今はなにより1さんのことだよね。彼のレスを待っているんだけれど。
このスレ自体も、>>499で言われてるように、飽和点にきているのも事実だろうね。
まだ、深く掘り下げようとすればできる面もあるけれど、その時の人たちが
戻ってきてくれるかどうか。それも、難しいんだろうな。

1さん、まず、何か書きにおいで。待ってるよ。
517名無シネマさん:01/12/05 23:33 ID:9u6h5i/p
518まあだだよ
>>499>>513も俺がカキコしたんだよ。
人口少ないないかい? このスレ。と書いて、おおよそ2ちゃんのスレって大体常駐住人4人
ぐらいが平均なのよね。

まあ、俺は3氏に期待してるんだけどね。イマヘイか寺山あたりの土俗系、あるいはヴェルナ
ー・シュレーターとかアレクサンダー・クルーゲみたいなレア系(ニュージャーマン繋がりでは
ヘルツォークもまだ出てない)、ブレッソンの「湖のランスロ」つながりで、「フィッシャー・
キング」「エクスカリバー」「聖杯伝説」あたりを取り上げてみたら? ととりあえず無責任に
提案。ケネス・アンガーって手もあるか。