1 :
(・∀・)チゴイネ!!!:
息の長いスレになりましたね〜
3getずさー
と言ってみたかった
4 :
大人の名無しさん:02/06/29 02:55 ID:zpqodbcT
5 :
大人の名無しさん:02/06/29 02:55 ID:zpqodbcT
周りの人にはいえない事をここでつぶやいたり、
書くことで自分が癒されたりする人もいれば、
書いたことを後悔したりする人もいると思う。
時間がたてば「あのときの経験があるからたいていのことに耐えられる」と
思うようになるかもしれない。
今の想いを勢いに任せて書くのも一つの手だし、
あなたが落ち着いてからでもいい。
もちろんいつまでも自分の胸にしまっておいてもいい。
ただこのスレッドはいつまでも続くから必要なときに使ってくれればいいよ。
6 :
大人の名無しさん:02/06/29 02:55 ID:zpqodbcT
20歳の小娘だけどここ来てみてすごく泣いてしまった・・・。
泣きながらまた過去の話思い出して更に泣いてしまった。
中学2年生の頃、
親が突然引っ越すといいだして
その時住んでた家から歩いて5分しないマンションに引っ越した。
その頃犬を飼っていて、
マンションで飼うのはムリなので同居していた祖父母に預けていった。
それから1年しないうちに祖母は倒れて寝たきりに。
(今も寝たきりで回復しそうにない…)
祖父には「この犬が散歩の時にあまりにひっぱるから転んだ。
それが原因だ!!」と言って犬を嫌って
その気持ちが犬にも伝わったのか
祖父にキバをむくようになった。
そしてある日、ついに祖父にかみついてしまった。
激怒した祖父は保健所につれていけ!と言った。
かわりに飼ってくれる、預かってくれる人をさがしたけど
どうしてもみつからなかった。
それからは保健所つれてくまでずっと泣いた。
保健所に到着して係の人に連れて行かれるとき
異変を察知したのかすごくいやがりほえていた。
それを見ながら父の車に乗るとき犬がふりかえってこっちを見ていた。
その顔が今でもずっと忘れられない。
歩いてそんなに時間かからない場所にいたんだからもっと
世話しにいってれば死なせずにさうんだのに、
そうしたら大好きな祖母が倒れることもなかったのに…
親は「あれは犬のせいじゃなくて道に配管がでてた。
隣の家がそれをずっとなにもしないでほっといたから
それにつまずいて転んだことあるんだ、だから多分そっちが原因」
と言うけどやっぱり自分のせいだと思う。
許してもらえないだろうけどあやまりたい。
ごめんね、チャッピー。
チャッピーは天国にいけてるよね。ごめんね…
8 :
大人の名無しさん :02/06/29 18:06 ID:ME9psfyh
5年くらい前に俺の弟は、嫁さんと当時一年生だった姪っ子を残して死んだ。
それで義姉は姪っ子を連れて実家に帰ってたんだけど、
こないだ親子揃って家に来たから、両親も俺も、もう大歓迎だった。
義姉は、ピアノを教えたりコンビニで働いたりでなんとか食っていて、
姪っ子も明るかったもんだから、そのとき俺は気付かなかった。
俺は休みの日、姪っ子に「おじさんとデートしようよ。」と誘った。
「欲しい物はなんでも買ってやる。でも車とかいうのはなしだぜ?」
「行きたい所に連れてってやる。でもハワイとかいうのはなしだぜ?」
俺がふざけて言うと姪っ子はケラケラと笑った。
その日は早起きして、渋谷まで「スパイダーマン」を観に行って、
それが終わったらお昼に鯨料理を食べさせて、その足で原宿へ行った。
正直俺も原宿なんてよく知らないんだけど、姪っ子に言った。
「なんでも買ってやるからな、欲しい服選びな。」
真剣な目で吟味する姪っ子の横顔は俺のバカな弟に似てた。
そして、いくつかの気に入った服をけなげに迷ってるありさまが
いじらしくて、びっくりさせたくて俺はその服を全部レジに持って行った。
はっきり言って韓国あたりに旅行に行けそうな合計額になったけど、
俺は涼しい顔でカードで払った。もちろん冬のボーナス一括払いだ。
両手一杯の紙袋を持って「うれしい、うれしい。」と何度も繰り返す姪っ子に
俺は照れくさくって「大事にしろよぉ??!!」などと子供相手に悪態ついた。
だが次の瞬間姪っ子の言った一言で、俺は照れくささなんか吹っ飛んで、
往来で涙が出てきてしまった。
「こんなにうれしいことがたくさん、一日に起きるなんてもったいない!」
もったいない、か・・・姪っ子があまりに明るかったから気付かなかった。
きっと色々あるんだろう。母親が忙しくて、寂しくて、やるせなくて、
六年生の心の中にしまい込んで我慢していることが。
本当は教育上よくないんだろうけど、たまにしか会えないからな、
おじさんは、お前の父さんと同じでバカだからな、こんな愛情表現しかできない。
「疲れてないか??そうか、よし!これからディズニーランド行くぞ!!!」
9 :
大人の名無しさん:02/06/29 18:46 ID:Fohs8BVJ
ここにくると心が洗われる感じがする。
普段の生活が如何に単調で潤っていないか、自分でも反省しながらみんなの
カキコを読んでいます。
水を差して申し訳ない・・義妹だよね・・?
うわ―ン、ごめんなさい!
11 :
大人の名無しさん:02/06/30 14:25 ID:a54lZ1sA
8だけどごめん、
確かに義妹なんだけど、弟(享年27)や俺(その2個上)よりも年上だったんで
俺のほうが気を使って「義姉さん」って呼んでるのよ。
12 :
大人の名無しさん:02/06/30 15:42 ID:8B0O3Qy+
13 :
大人の名無しさん:02/06/30 16:11 ID:vFXQ9eUG
実話であることを願うだけです
このスレ、失くしちゃいけないと思う。
ageda
動物をテーマにしたテレビ番組。
その日は森に住む一夫一妻のペンギンの話。
卵を温める妻のために雄ペンギン達は仲間と海へえさとりに出かける。
そこでアザラシに出会い、襲われる。
アザラシは空腹じゃない、ゲームでペンギンを襲いかみ殺す。
何匹かが犠牲になり、深手を負ったペンギンも。
小さな身体から流れ続ける血。
誰が見ても消え行く命とわかる。
どうなったと思う?
彼は悪路をよろめきながらも歩くんだよ。妻の待つ森を目指して。
途中で何度も何度も倒れて、それでも森への遠い道のりを進むことをやめない。
仲間の雄ペンギンたちも彼を気遣い励ましながら一緒に森を目指す。
倒れるたびにつついたりしながら、決して見捨てたりしない。
やがて彼は起き上がることすらできなくなった。
いまの人間社会で失われつつあるものを見た。
いや、私自身が捨てつつあるものだ。
強烈に胸が痛み、涙が止まらなかった。
ペンギンへの同情だけじゃない。
私はペンギン以下だ。
確執など捨て、家族に、同僚に、自分に正直に素直になりたい。
この番組、見た人いるかな?もう1年以上経っているかも?
でも旦那にもこのペンギン見習ってほしい。
17 :
大人の名無しさん:02/07/03 01:27 ID:PpWN6+BX
仕事で嫌な事があった時とか、イライラしてどうしようもなくなった時に
このスレに来て泣いてます。
不純でスマソ。
18 :
大人の名無しさん:02/07/03 01:38 ID:V/rXkYjE
不純てこたぁない。漏れも似たようなもん。チョト泣いた後、ぼちぼち頑張ろう、
てな気持ちが持てる事が多い。時々号泣しちゃうけどね・・。
このスレの人達皆に感謝しつつ。
19 :
大人の名無しさん:02/07/03 02:18 ID:loG8A1DQ
前スレの163さんよ、あんた今何してる?
ハム太郎はいい年した親父が見ても愛らしいよな。
そしてそれに夢中になる娘は、もっと愛らしいよな。
生きていけよ。
8さん、もうだぁーだぁー泣きです。ありがと。
21 :
大人の名無しさん:02/07/03 13:57 ID:hPf/Pf8T
22 :
大人の名無しさん:02/07/03 19:06 ID:loG8A1DQ
高知県において、女性のアルコールに対する欲求および耐性は
男性のそれをはるかに凌駕し、女性が経営する居酒屋は
大抵主人自らが売り物に手をつけるため、長続きしない。
23 :
_:02/07/03 19:06 ID:loG8A1DQ
誤爆だあああ!よりによってこんないいスレ汚してすまん・・・。
誤爆にレスして何奴だと思われましょうが、聞きたい事があるので
1回だけ許して>All
>>22 これはどこのスレに書こうとしたのですか?ちょっと関心があるので
行ってみたいのです。本当はこれに対するレスを付けたいのですが、
ここではスレ違いなので。
>>24 私もどのスレなのかなと考えていました。
23は誤爆をそんなに気にしなくてもいいよね?
26 :
大人の名無しさん:02/07/04 00:08 ID:wIkUv9uI
誤爆もさらっと流すのが30以上板。
謝罪があれば尚更。
>>26 禿堂!そのレスがsageだったらもっと同意!
28 :
_:02/07/04 00:56 ID:/Ww/ieZh
29 :
大人の名無しさん :02/07/04 05:03 ID:2goJyQXz
良いスレだ。本当。
30 :
大人の名無しさん:02/07/04 09:42 ID:bWb8bRuq
>>21 不覚にも、泣いた。
ネコを飼ってるから、感情移入してしまった。
まいった。
31 :
大人の名無しさん:02/07/04 12:09 ID:k4mvsoV+
昔の友達が自殺したその日の深夜、多分自殺直前。
家に電話がありました。無言の。
でもその時実は電話機が壊れていて(当時2才の娘が壊した)
電話機の状態は相手の声が聞こえたり聞こえなかったりで、
後で判明しましたが、こっちからの声はしっかり聞こえてたようです。
電話機が壊れてたのはその時は気付きませんでした。
相手の声が聞こえない=無言電話だとばかり思ってたので。
で、その時の電話が自殺した友達からの電話だったのかどうかは
今となっては分からずじまいなんですが、俺その時無言電話だと思って
「何時だと思ってんだ!いい加減にしろ!バカ野郎!」
って言って切っちゃったんです。
あいつが死んだのを知ったのは3ヵ月後のことでした。
泣きました。
自殺したっていうことのショックもありましたが、もしあの時の電話が
あいつからのものだったとしたら(その可能性はかなり高い)、
俺取り返しのつかないことしたんじゃないかって。
もうあれから3年たちます。毎年墓参りには行きますが、親御さんには
そのことは話してませんが、顔あわすのが本当につらいです。
お墓の前で手を合わせるとき、いまでもあいつに対して俺は申し訳なさと
悔しさと自己嫌悪で涙をこらえきれません。
あの時の電話があいつからのものだったとしたら、
俺が死んだらその時はまず一番にあいつに謝ろうと思ってます。
今まで誰にも話したことがありません。ここだから言えた・・・
うわー。ひでーことしたな。最悪。
親父が死んだ。
最後に私が放った言葉「いちいちうっさいんじゃ、ぼけっ! あっちいけよ!」
どうして謝らなかったんだろう。病気だってわかってたのに。
でも深刻なもんじゃないって思ってて。
死ぬなんて思わなかった。
もう謝ることもできない。
たくさんの親不孝を思い返して、葬式から数日たってから泣いた。
この後悔は一生続く。まじ鬱・・・。
>33
最後の言葉が不本意だと、後悔するよね…わかる。
だから、朝、家族が家を出る時はどんなにケンカしてても
無視したり怒り丸出しで見送らないようにしてる。
もし、外出先で何かあったら・・・
最後の言葉が罵声だったなんてもう耐えられないから。
みんな苦しんでるんだよ。それぞれの理由で。
それを安易な一行レスで応えるのなら書き込まない方がいい。
少なくともこのスレッドではね。
>>35 黙れ引きこもり野郎が。
逝ってよし!
煮てよし!
焼いてよし!!
ここが荒れる原因になるような書き込みするんじゃねーよ。
デジタルメディアなど
(いやアナログでさえ)
「電気無ければ只の箱」
ですからな...
もうあまり気になさらぬように...
回線アナライザで相手の番号解るでしょ。
電話会社は必ず自社で受けた番号を記録するから、それを何らかの形で
途中で解析トレースできれば番号が解る。
39 :
大人の名無しさん:02/07/05 17:52 ID:6e7X3UjL
age
40 :
キョウジより:02/07/06 02:22 ID:jkPO9PgJ
>>8へ
泣きました。涙が止まらないやないけ本当に、おまえは何て良いやつなんだ。
俺にも1歳ちょいの娘がおるけどおまえのような奴に娘が世話になったら、俺は
天国か地獄か分からないけど、泣き過ぎてしまって困るやないか
何かの記事で見たけど、子供にお守りを渡すとき”困った時に心から力になってくれる
人の名前を7人書くそうな”
もし君が良ければ名前だけでも貸してくれ。俺も名前は貸すぜ
ありがとう、こんな良い人が居るなんて! だけど涙が出過ぎてこまります。
高校生の時にうちで飼い始めたネコが、今年の4月に老衰で死にました。
7年前に両親が近くのマンションに転居してから、俺とネコだけで暮らしていました。
俺は仕事柄、帰らない日もよくあり、そんなときは親に連絡を取ってネコの世話を
お願いしていたのです。そんなひどい飼い主にも関わらず、よくなついてくれた
本当にかわいいネコだったのです。ただ、寂しい思いをさせているなと、いつも気がかりでした。
ネコが死ぬ3週間前から多忙になり(このころから元気がなくなってきた)、
家にあまり帰っていなかったのですが、なんとか死ぬ3日前に家に帰りました。
ほとんどエサを食べてないので元気がなく、あきらかに「やばい」状態でしたが、
それでも膝の上に乗り、甘えてきました。
さすがにしんどいのか、いつもなら30分でも膝の上にいるのに、
このときは1、2分で膝から降りてしまいました。最後に俺の膝の感触を
味わいたかったのかもしれません。(そう思いたいのです)
翌日、仕事に行くときもヨタヨタと玄関まで見送りにきてくれました。
フラフラのはずなのに、きちんとお座りをして俺の顔をじっと見つめていました。
3日後の朝、家に連絡を入れて「今日は家に帰る」と伝えていたのですが、
その後、夕方に死んだと連絡がありました。
帰宅後、ネコの亡骸を見て目頭が熱くなるのを必死で堪えていました。
30過ぎたいい年の男が泣くなんて格好わるかったのです。
だから、「悪い兄ちゃんでごめんな。寂しい思いをさせてごめんな。」
と言いながら、鼻をグズグズ言わせてネコの亡骸を撫でていました。
横にいた母親が「泣いてもいいんだよ」と言った瞬間、押さえきれなくなりました。
何とか押さえようとしたのですが、あふれてくる涙と嗚咽を止めることはできませんでした。
こうなると覚悟していたのに、俺は大人になったのに、男なのに、泣いてしまいました。
たかがネコなのに、泣いてしまう俺って格好悪いですね。
>41
まあ、ペットも家族の一員だからな
かっこ悪くなんかないぞ
分かってくれる人はいっぱいいるはず
>>41 その気持ち、よく判ります。
うちにも拾ってきたネコがいますが、その前は犬を飼っていました。
もう20年近く生きた犬で、晩年はもうヨレヨレ。目は白内障で見えなくなり、
足腰も立たなくなり、散歩に行くときもいつ倒れるか判らなかったくらい。
でも食欲だけはあったので安心していたのです。
ところが、ある日から突然餌を食べなくなったので、もしやと思いつつも
食欲さえ回復すれば何とかなる、と思い、餌を変えたりいろいろと工夫し
食べさせる努力をしましたが、日に日に弱っていくのが判りました。
そして、食べなくなってから一週間ぐらい経ったでしょうか。
仕事から帰り、真っ先にその犬のところへ向かうと、その犬は
私の顔を見て安心したのか「クゥ〜ン」と一言発し、そのまま眠るように
息を引き取りました。
親曰く「お前が帰ってくるのを待ってたんだよ」・・その言葉を聞いた途端
今までの思い出が頭の中いっぱいに浮かび、不覚にも泣いてしまいました。
葬儀・・と言うにはあまりにも簡単でしたが、家族みんなで埋葬しました。
犬の骸が全て埋められた瞬間、またしても涙がこみ上げてしまいました。
44 :
大人の名無しさん:02/07/07 17:29 ID:3Le10PZ9
45 :
大人の名無しさん:02/07/07 17:44 ID:E0V0zs4f
>>41 ねこも家族だもん、死んじゃうと淋しいよね。
うちもそうでした。
今でも思い出しては、泣いてしまします。
41さんの文章読んでて、またまた泣いてしましました。
猫ちゃん、きっと幸せだったと思うよ。
ありがとうって感謝して、天国におくってあげようね。
46 :
大人の名無しさん:02/07/07 18:57 ID:OfLAySUV
>>31 だれからの電話だったか、それはわからないけど・・・
相手が自分の声が聞こえてないなって時は、話してて100%わかりますよ。
人間が、命を絶とうとしている時に、それを救える人間はいないと思う。
47 :
40歳:02/07/07 22:10 ID:x6SDnRsV
猫の中には子分を作る奴がいます。家で飼ってたドラもそんな奴でした
ドラの子分 茶ドラはいつもドラについてまわり近所の閉まってる玄関を
開けては勝手におかずをパクって来る窃盗団でした
そんな子分の茶ドラが車に轢かれて死んでるのを私達は見つけました。
家族みんなで茶ドラを囲んで泣いてると、どこからかドラがやってきて
茶ドラにかけより『ニャ〜』と寂しげに一声かけて冷たくなった茶ドラ
の体を舐め頬すりしました。
動かない茶ドラに何回も何回も・……
動物の中にも悲しむ心ってあるんだと感じてみんなでまた泣きました
>>48 今読んだ。
ここに書いてもしょうがないかもしれないが、
元旦那ぶん殴ってやりたい。
胸が痛い。
ホシュホシュ
スレ保存sage実行中。
そこにいるべき人やペットが突然にいなくなると
心の座りがすごく悪くなるんだよね。
今は、まだダメだけど、
私も吹っ切れたらここに書かせてもらうね。
52 :
_:02/07/10 22:15 ID:6XUNYR/Q
漫画が始まりなのかなんなのか知らないが、
相手を殺す、あるいは戦闘不能にすることを「壊す」というようになったが、
その言葉を使う人間は、「人が壊れるところ」を見たことがあるとでも言うのか。
叔父は、心臓を患ってから入退院をくり返していたが、
週に一度の透析をする以外は、静かに暮らす分には平穏な日々だった。
しかし、ある日の透析の最中、突然発作に襲われた叔父は、呼吸が止まった。
その間およそ10分、脳機能が破壊されるには充分すぎる時間。
急を聞いて、病院に駆けつけた俺たちが見たのは、
まるで子供がふざけているようにベッドの上でぼーんぼーんと跳ね上がる肉体。
両目をかっと見開き、看護婦たちが懸命に押さえても、狂ったように
ベッドの上で何度も跳ね上がる痙攣を繰り返すそれは、叔父だった。
正確には「かつて叔父だった、壊れてしまい、やがてこときれる肉体」だった。
プールにも連れてってもらった。
幼稚園の運動会には、親父の代わりに親子競技に出てくれた。
海外旅行のみやげに、偶然会ったポール・マッカートニーのサインをくれた。
「おじちゃんに任せろ!」が口癖だった。
目を開けていても、こんなに激しく体を跳ね上げさせていても、
意識はなく、ただ反復運動を繰り返すだけの叔父の姿に、
「もう楽にさせてやってくれ!!!!!」と親父が叫んだ。
機械をはずす、それだけで終わるのだ。
それからのことは推して知るべし。
葬式で俺は泣かなかった。
あの集中治療室で「壊れた叔父」を見たとき、
子供のように泣いたから。声をあげて俺は泣いたから。
通夜の日、人手が余って手持ち無沙汰だった俺は叔父の部屋だった奥座敷で、
叔父のテレビでアグネスデジタルが天皇賞を制するのを観てた。
hosyu
大学生の時、知り合いに
「ベビーシッターのバイトせん?ウチの子みててくれん?」といわれました。
お金がなかったし、子供は好きなので、やることにしました。
一人暮らしの私の家に、仕事に行く前に預けにきて、出かける。
大学4年生で、時間は余っているくらいでした。
子供にゴハンを食べさせたり、散歩したり、
スーパーに行ったり、母子のように過ごして夕方に引き渡す。
彼とは、お互いに好きだったけど(付き合ってたわけじゃないけど)
奥さんとの間に子供できちゃったから結婚しました。
飲み会して、勢いで持ち帰ったらできちゃったらしい。
奥さんも仕事してたから、忙しいのかと思って
事情は聞かなかった。ただ、子供と遊んでるのが楽しかったし、
彼にそっくりな娘をみてると、なんだか自分と彼の子供のような気がしてた。
懐いてくれたし、当時1歳半でかわいかったです。
でも、3日で「奥さんは?」って聞いたら、
ちょっとケンカして娘を残して実家に帰ったと。
電話しても、実家に行っても
まだ落ち着いてないから、しばらく様子みたいってことらしい。
私は、母親に捨てられて鬼のような父親のところで
いっぱいイヤな思いしたから、イヤな感じがした。
このまま別れて、子供置いてったりしないよね…って。
電車で子供連れて出かけてたら、知らない人にも
「お子さん、おいくつなの?」って聞かれたり。
泣いちゃって、「ママが若いからねぇ」って言われた時は
「私の子じゃないよ。むしろ、この子がいなかったら、
私は彼と一緒にいられたかも知れなのに」と思った。
彼と奥さんは話し合って、また家族で楽しく暮らしてる。
なんか、自分ってお人よしなのかと思ったら泣けた。
でも、写真とかいっぱいとって、なんか楽しい日々でも会った。
5日でバイト代5万円もらっちゃった。
56 :
大人の名無しさん:02/07/13 21:28 ID:9tFgWSx3
3年前に父親が死にました。
自営業だった工場が倒産して借金だけが残って
それを返済するために他からの借金で埋めて……という悪循環。
私もサラ金から100万くらい借りていました。
自業自得とはいえ社長だった父が新聞の勧誘員になって、
随分辛い思いもしたと思います。
でも当時は愚痴ばかり言う父が嫌で
一人暮らしの私にちょくちょく小遣いをもらいにくる姿を見るのが辛くて
「貧乏ってこんなに人を落とすんだ」と思いました。
それよりなにより自分の方も金銭的に追いつめられて
ある日突然に、こっそりと親戚を頼って引っ越しました。
引っ越して2年後に、親戚経由で父が死んだと連絡が来ました。
棺の中の父は信じられないくらい老いて、小さくなっていました。
やっぱりいい思い出ばかり思い出して
自分のことばかり考えて父親を捨てた自分が最低に思えました。
こんな自分に泣く資格はないと思って我慢していたけど
葬式が終わって、父親の携帯が不意に鳴って
それが無差別に送られた「メル友になろう」なんてメールだったので
途端にわけもわからず泣けてきました。
これを持っていたのは、なにもかもなくしてしまった寂しい60歳の親父だよ。
そしてもうその人はこの世にいないんだよ。
そう言ってやりたくなった。
そしてその寂しい親父を捨てた自分にももっと腹が立って、涙が止まらなかった。
57 :
西尾 ◆DAME/On. :02/07/13 21:52 ID:Ia9nABdR
>>57 54=55には「つき合ってないけどお互い好きだった」男がいた。
けれどその男は「飲み会後勢いでやっちゃった女」とできちゃったケコーン。
ところがある日、その奥さんが家出。
54は男が仕事に行ってる間、ベビーシッターをしてくれと頼まれて引き受けた。
でもいろいろ複雑な思いをした。
ってことじゃないかと。
>>58 ああ、ありがとう。そうか、わかったよ。
唐突に8行目に出てくる彼ってのが依頼主の男の人で、やはり唐突に出てきた
>奥さんとの間に子供できちゃった
の奥さんってのは、後に奥さんになった人って事ね。
やっと理解できますた。ありがとう、ありがとう。
60 :
:02/07/13 23:23 ID:AAE2lIQ7
体よく利用されてる気がしないでもないけど。
61 :
大人の名無しさん:02/07/13 23:25 ID:J0+T07L2
「キャッチボール」スレより転載↓
46 :大人の名無しさん :02/06/30 12:16 ID:9fB+Y7/q
小学生の頃。
夕方、親父の経営する零細工場の脇で一人壁打ちしてると、親父が軽トラで出先から帰ってきて、
一旦工場の中へ消え、グローブを持って出てくる。
グローブを付けた方の腕を黙って上げる親父。そのグローブめがけて黙って投げる俺。
球が何度か往復した頃、初めて親父が口を開く。
「次、カーブな」
落差に驚き、捕球することができず、後逸した球を追いながら親父を誇らしく思う俺。
5年後に、あれがいわゆる「しょんべんカーブ」だと認識するまで、親父は堀内より、江夏
より、偉大なピッチャーだった。
不況のあおりで工場が倒産し、グレて家を飛び出したのが20年前。
それから一度も親父に会わなかった。
今年の初め、新聞で親父の孤独死を知って駆けつけた時には、もう骨になっていた。
親父の住んでるボロアパート、知ってたのに。近くを何度も通ってたのに。
「もう少し生活が安定したら親父を引き取る」
自分を正当化し続けてきた身勝手な言い分けは、もう親父には届かない。
映画「フィールド オブ ドリームス」って、あれ反則だよな。
62 :
大人の名無しさん:02/07/13 23:28 ID:oPFkuL6M
>>56 >これを持っていたのは、なにもかもなくしてしまった寂しい60歳の親父だよ。
>そしてもうその人はこの世にいないんだよ。
でホロリときました。読ませていただいてありがとう
>>62 なんか違和感のある感想だな。
ホロリとする内容だけど、ありがとうと言うべきものではないと思う。
感動させるために書いたんじゃねーって
65 :
大人の名無しさん:02/07/17 03:46 ID:5VZjwoKC
>63、64
ここに載せてくれたことの素直な感想なんだから、
けちなんかつけなくていいんじゃない。
私もうっとつまりました。>56、>61を読んで。
66 :
大人の名無しさん:02/07/19 22:35 ID:8pTfJrVo
えっちねた板よりコピペ
全然スレ違いのネタだったからもとはどっかのコピペかも?
ここだったらスマソ。俺は泣いたよ。
以前、母がデジカメを買って嬉しそうに色々撮ってたけど、そのうちメモリが
いっぱいになったらしくてメカ音痴な母は「ねえ、これ写らなくなっちゃっ
たんだけど…」と遠慮気味に相談してきたけど、漏れは面倒くさかったから
「なんだよ、そんなの説明書読めばわかるよ! 忙しいからくだらないこと
で話しかけるなよな!」と罵倒してしまった。
その母が先日亡くなった。
遺品を整理してたら件のデジカメを見つけたので、なんとはなしに撮ったもの
を見てみた。
漏れの寝顔が写っていた。
涙が出た。
67 :
56:02/07/20 15:10 ID:A4Cdvnoe
>>62-65 皆さんあんまり気にしないで下さい(汗)
私もここに書き込むことで勝手に贖罪の気分になっていたし
もし私の文章によって読んだ人に何か感じていただけたなら
ちょっとは父親の供養になったかな……なんて自分勝手に考えたりしてるので。
68 :
匿名さん:02/07/22 10:34 ID:VpkDaW8p
69 :
腰痛もち:02/07/22 14:35 ID:RkD9CKub
ニュー速ちょっとだけ盛り上がってるね
>>68のスレdat落ちしちゃった?良スレだったのに・・。
71 :
匿名子:02/07/23 23:54 ID:jxm6LNxN
そうみたいですね。
もったいない。
72 :
大人の名無しさん:02/07/25 02:54 ID:mu+UftDd
厨房の頃まで暮らしていた家があった。私はひとりっこ。
じいちゃんもばあちゃんもいない核家族だった。
中2の時、両親が別れた。
私は父と一緒にその家を出た。
母はその家に残り、パートなどで食いつないでいたようだが、
2年後、再婚した。
父はなかなか再婚できないでいた。その内だんだんと生活が荒れ始め、
ギャンブルに手を出し借金をこしらえた。
乱暴な父では無かったが、荒れ放題の父の家を私は出て、母の元へと戻った。
両親が別れてから5年後、中学まで過ごした面影はもはやその家には無かった。
しかしその状況にも慣れ、私は段々と「古いけど新しい家」に馴染んでいった。
学校を卒業してしばらくしたころ、父が家に来る事があった。父は立ち直っていたが、まだ再婚できずにいた。
義父は気を遣って外出してくれていた。
離婚以来、父、母と共に暮らす事はあったけれど三人揃って会うのは10年ぶりだった。
父の仕事の都合で、4〜5時間ぐらいしか話す事はできなかったが、私の小さい頃の話や学生時代の話で盛り上がった。
あ〜なつかしいなと思いながらも楽しいひとときを過ごし、「そろそろ…」と父が腰をあげた。
なんとなしに玄関まで見送りに行った時、涙がこぼれそうになった。
10年前、父は確かに一家の主としてここにいた。
客を見送ることはあっても見送られる事などなかった。
私は必死で泣くのをこらえた。泣いたら父も泣くだろうと思ったから。
父は少しさみしそうな笑顔で足早に玄関を閉めた。外で鼻をすする音がしたような気がした。
私は、その後号泣した。失ってしまった家族を思って声を出してわんわん泣いた。
10年ぶりに泣いた。
両親の離婚以来、涙が出なかったのに。
悲しくても涙が出なかったのに。
それを最後に、「家族」3人で出会う事は永遠に無かった。
今年はじめ、私は結婚した。おなかに赤ちゃんもいる。
何があろうと離婚だけはするまいと思う。
73 :
大人の名無しさん:02/07/28 22:10 ID:75vVOcuu
落ちすぎですぎょん
昔はお父さんがいた。
ある時からお父さんはうちに帰ってこなくなった。
たまに帰ってきてもすぐに出ていってしまう。
でもわたしと会うと笑いかけて大きな手で頭をなでてくれた。
そんなお父さんが大好きだった。
その日朝起きるとお母さんとなぜかお父さんがいた。
「今日はお前の誕生日だろう?遊園地に行こう。」お父さんが言った。
みんなで近くの遊園地に行っていっぱい遊んだ。
デパ−トに行って欲しかったリカちゃん人形とリカちゃんのお家も買ってもらった。
最上階の食堂でお子さまランチとチョコレ−トパフェも食べた。
本当に楽しかった。夢みたいだった。
楽しい気分のまま眠りについて翌日目が覚めるともう父はいなかった。
そして2度と家に戻ってくることはなかった。
一度だけお母さんに「お父さんどうしてお家に帰ってこないの?」って
聞いたことがある。
お母さんは後ろを向いてうつむいたまま何も答えなかった。
体が震えていたからたぶん泣いていたんだと思う。
お母さんは何も答えてくれなかったけど、お父さんはもう帰ってこないんだって
何となく分かったからそれから私はお父さんの事を聞かなくなった。
あれから20年。お母さんはもうこの世にはいません。
父も生きていれば今年で65。どこかの街角ですれ違うだけでいいから
もう1度会いたいです。
暑い日が続いています。皆さん体調は大丈夫でしょうか。
保守しますね
76 :
大人の名無しさん:02/07/31 17:09 ID:wqtHexSC
父が亡くなって二ヶ月がたちました。 私が入社した年の夏に仕事中倒れ、そのまま半身不随・言語障害にて12年間
頑張ってくれていたのですが、GW前に肺炎を発症。その後10日たってから、亡くなりました。
胃潰瘍で胃からのみならず腸壁からも出血。輸血をするも下血は止まらず‥普通なら400mlで1〜2パック、しかし父は
10日間で合計16パック。約3〜4人分を一巡したことになります。
どうせ助からないのなら少しでも楽なようにと、酸素吸入(肺炎なので、普通に息を吸っていても肺が酸素を吸収
しきれず窒息状態になるため)と栄養剤以外は全て外して父が一番楽に逝けるようにしました。そのまま、超低空飛行の
状態で約1週間、病院が手配してくれた個室で母と二人して交代で看病しながら過ごしました。
最期は肺炎を再発。尿毒症と肺炎で苦しんでいましたが不思議と間際にはむくみも消え‥突然発熱して少し血圧も
上がり、呼吸がだいぶ楽になっていました。そして、さっきまであんなに苦しんでいたのが嘘のように、穏やかに、
静かに、眠るように逝きました。
12年前倒れた時に植物人間になるかも知れないと宣告されたときからずっと、いつかこの日が来るんだと覚悟はして
ました‥していたつもりでした。でも、こんなに辛いなんて思わなかった。
呼吸が時折止まるようになった頃、最初は身体に刺激を与えて持ち直させたのを「もういいよ。もうこれ以上無理を
させるのはやめようよ」と言った母の言葉が、忘れられません。
今、これを見ているかたで、親と上手くいっていないかた。
どうか、一度、膝を突き合わせて話をしてください。 親と話せなくなる時は必ず、それも唐突にやってきます。
私は覚えている父の声は、もう、アゥアゥと言ううめき声に近い言葉だけです。
会話することができるうちに、思いを伝え、そして受け止めてあげてください。
長文失礼致しました。
77 :
大人の名無しさん:02/08/03 05:04 ID:g87IUr0d
ここに来ると今日も一日がんばろうと思えます。
保守age
78 :
Shiro:02/08/03 10:50 ID:Ru9ySgNv
a-
がんばろう。
79 :
大人の名無しさん:02/08/03 14:46 ID:MThJwdNz
今日は、貴方の誕生日ですね。
貴方の好きな、あの店の焼き鳥を買いました。
枝豆ととうもろこしを、茹でました。
母が、貴方の好物だったきんぴらゴボウを届けてくれました。
ビールも冷蔵庫で冷えています。
今日で45歳ですね、元気でいてくれたなら、、、
こうして仏壇の前で貴方の誕生日を祝うことになるなんて
去年の今日は、想像もしていなかった、、、
うぐ。ログないですね。。。
81 :
大人の名無しさん:02/08/04 00:22 ID:ZdihDpbd
親と仲良くしてみたい。本当です。
でもおとうさんもおかあさんも私とは仲良くしたくないみたいです。
私は姉とは違うから。姉と全く同じ人間にはなれないから。
話してみました。
がんばってみました。
でもそれもどれもどうしてもうまくいかないのです。
私は姉とは違うので。
言い訳のように「遠くに住んでいるから」と会えない理由をつけていますが
近くってもきっともう会うことはないのでしょうね。
おとうさん、おかあさん、ねえちゃん。
3人で仲良くやっててね。
私は一生あなた方とは会わないよ。
82 :
大人の名無しさん:02/08/04 11:25 ID:6ot/A4mS
ガンバレ!
>3人で仲良くやっててね。
>私は一生あなた方とは会わないよ。
そんな悲しいこと言わないで、焦らず急がず、年月と共に変わるモノもある。
大切なのはあなたがどんな気持ちでいるかってこと。
>>81読んで、ふと自分の親父のことを思い出した。
俺の親父は8人家族の四男坊で、実家ではいつも兄貴たちが
幅を利かせていたそうな。それで居所がなかったんだろう。
親父は家を出て独立した。
やがて親父も結婚したのだが、実家からは援助らしい援助は
何もなかった。それが原因かどうかは知らないが、親父は
自分の実家にはあまり行きたがらなかった。
それでもとりあえず、盆や正月には顔を出すようにはしていたのだが、
実家からもあまりいい顔はされなかったようだ。
やがて親父の父親が亡くなり、親父は葬式に出席したのだが、
遺産は兄貴たちが勝手に分配し、親父の取り分は全くなかった。
親父はそのことを周りには言わず、家族にも悔しそうな顔は見せなかった。
先日、親父が交通事故で亡くなり、親戚一同が介したのだが、父方の
親戚連中は申し訳程度の金だけ置いて、さっさと帰ってしまった。
俺たちが途方にくれ、相談に乗って欲しい時だったのに。
唯一、父方で我々に理解を示してくれたのは、親父の姉の旦那さんだけだった。
血が繋がっていることが、時として煩わしいことってあるかもしれない。
また、血が繋がっていなくても、身内以上に大切な人もいるかもしれない。
結局、好きか嫌いかでしかないんだから、と俺は思う。
小津安二郎の「東京物語」が無性に見たくなった。
NHK-BSでまた放送してくれないかな。
86 :
大人の名無しさん:02/08/07 20:06 ID:XOTDM19I
みんな、頑張ろう!!
まだ20代だし書くべきか迷っていたが、お盆も近いことだし。
昨年12月、母方の祖父を亡くした。夏に胃を切って、回復しかけの時に検査したら
負担が大きかったみたいで、どんどん衰弱してって。「だいぶ悪いから、
来てくれ」って、仕事中にかかってきた、母からの電話。涙声の母なんて、
生まれて初めてだった。
病室の祖父は、呼びかけに手足は反応するものの、口を開けていて、閉じら
れない目からは血混じりの涙が出ていた。もう、逝ってしまうんだ。
そう思うしかない姿があまりにもショックだった。「じいちゃん、お家帰る
んでしょう?じいちゃん!」と泣きながら叔母が足をさすっていた。
夜になると、祖父は血尿すら出さなくなった。母らに任せて帰宅する時、
一声ずつかけて病室を出た。俺は祖父の手を握って言った。
「また明日な、じいちゃん」
その時、祖父が手を握り返してくれた。手前勝手な思い込みかもしれないけど、
確かに祖父は俺の手を握り返してくれた。
働き者の手だった。
祖父はこの手で米を作ってきた。この手で野菜を作ってきた。それを伝えて
余りある、太い骨の感触が伝わってきた。
翌日午前5時、「おじいさん・・・亡くなったからね」最後は消え入りそ
うな声の母からの電話。泣きながらカーテンを開けると、一面、雪だった。
晩から降った雪で、何もかも真っ白だった。
「じいちゃん、降らせて逝ったんだな」
そう思って、息ができなくなるほど泣いた。
祖父の遺影は、祖母と旅行に行ったときの写真。酔っ払って、目の周りが
赤くなっている祖父。「まあ、じいちゃんらしいな」と家族で笑った。
俺の家に野菜を軽トラいっぱいに積んで遊びに来たとき、しこたま飲んで
大きな声で笑っていた祖父。胃を切った後は、おちょこ1杯すら飲みきれて
いないのに「ああ、今日はいっぱい飲んだな」と満足そうに笑っていた。
じいちゃん、俺は春から酒どころに転勤になったよ。会社の先輩に教えて
もらった酒、マジで美味い。飲ませてやりたかった。
>>87 今年4月に亡くなった義父のことを思い出した。
同じような最期だったから・・。
親しい人がどんどん衰弱していく姿って、とても見ちゃいられないよね。
でも、この目でしっかり見ておかなければ、そして闘っている姿をこの目に
焼き付けなければいけないような気がして、目をそらせなかったよ。
89 :
大人の名無しさん:02/08/08 07:49 ID:tXedXMEf
父も酒が好きな人でした…
こんな場でなんですが、お盆でお供えしたいので、銘柄のヒントを戴けませんか? >87
>>87 俺のおじいちゃんのことを、思い出しちゃったよ。
91 :
大人の名無しさん:02/08/08 18:30 ID:vEkeaYTc
うさぎが死んだ。二年と一ヶ月前。
脳梗塞だった。
高校中退して目標も何もない時期に我が家にやってきたうさぎ。
家族中で大事に大事にかわいがった。
しかし3年経ったある日、脳梗塞。真っ直ぐに歩けないうさぎを見て、不憫でしかたなくて泣いた。
病院へ連れて行った一週間後、うさぎは死んだ。死に目には会えなかった。
夜中、亡骸をさすった。ふわふわの毛並みは艶やかで、ぐっすり眠っているかのようだった。
それから数ヵ月後、うさぎが目の前に現れた。仏壇の前でうとうとしていて、うっすらと目を開けたら、
そこにはうさぎが居た。涙が止まらなかった。
この季節になると思い出す。あの時の涙の味を。
92 :
87です。:02/08/08 23:44 ID:y6cZiodR
>>88-90 レスサンクス。小さい頃から、祖父は元気者の働き者だったから、
絶対長生きしてくれると思ってた。病室で祖父と対面したとき、悲しくて
泣いたというより、怖さと悔しさで泣いたのを覚えてるよ。なんでじいちゃん
がこんな目に遭わなきゃなんねーんだよ!って。
>>89 ヒント?「課利捕 台銀上」・・・ヒントつーかモロバレじゃん・・・
商品名で検索かけてみたらメーカーさんのHPもありました。もうご存知だったら
ご勘弁。
余談だけどじいちゃんの葬式のときの坊さんの一言。
「亡くなった人は、自分たちの頭の中に「居る」。どこに居るのかというと、
ちょうど耳の後ろのあたりで、呼べばすぐに出てきてくれる。」
・・・だそうだ。髪ボサボサ、ヒゲもボサボサの怪しい住職だけど、
この一言はだいぶ効いたな。ああ、そっか、じいちゃん居るんだ、とね。
93 :
89です:02/08/09 07:34 ID:u4pGyqYS
>87 ありがとう。知らなかったので、買ってみますね。
私が効いた一言は
「人間は二度死ぬんだって。一度目は肉体が滅んだ時、もう一度はみんなに忘れられた時」
父に関しては二度目はない、私が生きている限りは大丈夫、と思って安心しました。
94 :
大人の名無しさん:02/08/09 08:28 ID:x3motL2J
御盆で田舎に帰った時優しくしよう....。
95 :
大人の名無しさん:02/08/09 23:34 ID:w7VNuOxb
>>92=87
葬儀や法事の時の住職の話ってクルよね…
私が聞いたのはその亡くなった人の戒名の中の1文字の説明だったんだけど
やはり、「故人はいつまでもお子さんたちを見守っている」という内容だった。
その人の人生が凝縮しているようで、もう枯れたかと思ってた涙が再び溢れた。
>>95さん
葬儀の時のお坊さんの話って重要だよね。
私はなんでお坊さんこんな事言ったの?って事があった。
友達の奥さんが子供を残して亡くなってしまった。
その葬儀の時「子供は順応が早いから大丈夫です」なんて…。
たしかに子供達は明るく振舞っていたでも
子供は自分が悲しんだらお父さんが悲しむと思ったり
喪失感が強過ぎて心の奥に其れを凍結させてしまうものなのに。
その言葉を友達はマトモに信じて子供に対応しちゃっていて。
トラウマにならない事を願うのみです。
97 :
大人の名無しさん:02/08/10 11:40 ID:9fMgj+ru
むかーし別スレで見た言葉。とても心に残ってるので紹介するね。
あ、ちなみに。お坊さんから聞いた話です。
仏壇とか、法要などでお供えしますよね?故人の好きなものを、小さく盛って。
あれってなぜ小さく盛るかわかりますか?
実は、天国にいる故人には、お供えしたものは100倍の量になって届くんだそうです。
お酒が好きなら、お酒が100倍。メロンが好きなら、メロンが100コ(笑
「だから」
とお坊さんは続けました。
「一本の花でもたむけなさい。そして、小さくでもいい、手を合わせて偲びなさい。
向こうは、あたり一面の花畑と、あなたの愛に包まれたところになってるんだから・・・」
98 :
大人の名無しさん:02/08/10 13:27 ID:3wdO50xI
>>97さん
いい言葉だね胸に響きました。もうすぐお盆だし、事情があってお墓参りにいけないけど、
家で手を合わせようと思います。亡くなったお母さんと、おばあちゃんに届くように。
>>97 いい言葉だ。
お盆だし何か買って供えるよ。
墓参りすら忘れてしまう私だが
ご先祖様や友は許してくれるだろうか?
101 :
無職の名無し:02/08/14 21:10 ID:LBrT0mrK
もう5年も前の梅雨時だったが、親父方の爺さんが入院した
親父からもう駄目かもしれないという電話が来た
爺さんは元々、裕福な家の生まれで学校の先生だったそうだ
それが戦後、家族を食わせるために天秤棒一本から店を興し、東海圏一円に顧客を得るに至っていた
その爺さんがもう逝こうとしていた
俺は親父を憎んで、家を飛び出し広島県内で働いて居た
なんで親父を憎んでいたかなんていうのはあまり話したい事じゃないが、美人局に引っ掛かったり、
親の義務を放棄して宗教に入れ込んだり、嘘や虚言を病的な程に言い、約束は守らない、自分の都合の悪い事は本当に忘れる、
そのくせ他人への貸しはいつまでも覚えていて2倍にも3倍にもして返す事を要求するような親父だったからだ
−続く−
102 :
無職の名無し:02/08/14 21:11 ID:LBrT0mrK
とはいえそんな事はどうでもいい
その親父を甘やかした末にあそこまで助長させたとはいえ、俺には爺さんに返さなきゃならない恩が在る
俺が高校の時、親父は宗教に入れ込んで大金を貢いでいた
揚句の果てには俺の学費まで惜しむようになって、俺が高校入学の条件として飲んだ
「(別居中の)父親の元から学校に通う」を守っているにもかかわらず「来学期の学費を払わない」と言い始めた事があった
俺は学校の教師が「高校中退は中卒にも劣る」という言葉を信じていたので、将来を悲観した
毎日気違いじみた親父の我侭に振りまわされていた俺は精神的に追い詰められて自殺未遂までした
それでも親父は自分の勝手を優先した
そのとき、学費を肩代わりしてくれたのが爺さんだった
俺はその御蔭も在って高校を卒業し、工場勤めとは言え安定した職にも付いた
その後、溜めた金で少しでも親父から遠ざかるために広島に職を求めて故郷を後にして
警備員や設備工事を経て、東京で情報処理関係の業界にかろうじて潜り込む事も出来た
多くの人に学んだ、多くの事を見た、沢山本も読んだ
それもこれも爺さんがあの時、高校へ行く学資を出してくれたればこその事だ
その爺さんがもう逝こうとしていた
俺は新幹線に乗って10年ぶりに故郷に戻った
103 :
無職の名無し:02/08/14 21:12 ID:LBrT0mrK
爺さんは親父が手配した(藪医者が多いと噂も在る)総合病院の一室に居た
もう、意識もほとんどはっきりしていないと付き添い婦から聞いた
緑内障で数年前からかなり視力も落ちていると聞いていた
それでも俺は爺さんの手をとって声をかけた
爺さんは薄く目をあけて俺を見た
何か言おうとしているが、痰が絡んでゴロゴロとだけしか声が出なかった
それでも俺は自分の名前を言って、俺が見舞いに来た事を知って欲しかった
爺さんが両目を潤ませて何かを言おうとしていたが、やはりゴロゴロという音しか出なかった
爺さんの手は冷たかった
俺の親父という手の掛かる馬鹿息子のせいで、いつも忙しく働いていて、
親父に自分の店を商わせてはいたが、経理などは自分でやり続け、
若い頃からの一番の趣味だった油絵も出来ず、せめて画家になる夢を俺の親父に託したものの、親父のいいかげんな性格から実現せず、
結局60を過ぎた頃にやっと趣味を再開できるだけのささやかな余暇を得ていた爺さん
その爺さんの、絵筆を握るのが唯一の楽しみだった爺さんの手が力なく冷たかった
104 :
無職の名無し:02/08/14 21:12 ID:LBrT0mrK
俺は泣いた
爺さんに受けた恩を返せない自分の不甲斐なさが悔しかった
泣きながら爺さんの冷たい手をさすり続けた
爺さんは安心したように寝てしまった
付き添い婦が連絡したのか、親父が来た
親父は相変わらずの気違い振りを発揮して「意識がはっきりしないからマッサージしてやるんだ」と言い出して寝ている爺さんの眉間をもみ始めた
もちろん、その行為に医学的正当性など在るはずも無い
揉むのなら、手をマッサージしてやれ…そうすれば冷えた手が少しは温もるし、なにより指の感覚点は眉間の皮膚にある感覚点よりよっぽど密集しているから脳に強い影響を与えるだろうよ
俺は親父に対する軽蔑とこの6階の病室の窓から投げ出したいという劫火のように激しい怒りを押さえながら病室を去った
それから一ヶ月後、爺さんは逝った
葬式には爺さんの得意先・取引先・世話になった人・世話をしてくれた人、多くの人が来た
改めて爺さんの偉さを思い知った
まだ俺は爺さんに受けた恩を返すことが出来ない
社会に還元できる力も無い
その揚句に失職した
そんな自分自信がもどかしく思う
#感傷的になりすぎて長文になってすまん
>>104 月並みな言葉ですが、物質的・社会的な恩返しなどではなく、
その気持ちで十分恩返し出来ていると思うし、またお爺様も
きっとそう思っていらっしゃるに違いありません。
きっと安心して見守って下さっていると思います。
妹が死んだ。15歳だった。
昔から病弱な子で、季節の変わり目にはすぐ風邪を引くような子だった。
いつも私の後をついてきて、私の真似ばっかりするような子だった。
そんな妹が選んだ高校は、私の通っている高校だった。
これでお姉ちゃんと一緒と学校に行けるね、ずっとお姉ちゃんと一緒にいられるね、と言った妹の顔が忘れられない。
だけど、その妹は制服を着ることはなかった。
お姉ちゃんと一緒の制服と着れると言って喜んでいたのに。
入学する前に私の妹は倒れた。
医者に、年は越せないでしょうと言われた時には何にも考えられなくなった。
病室に行くたびに妹はすごく喜んでくれた。
夜も遅いから、もう帰るね、というとすぐ泣きそうになる。
そんな妹がたまらなくいとおしかった。
でも、ある日そんな妹に耐えられなくなった。
病室に行くたびに、痩せていくのがたまらなく辛くて、見ていられなかった。
すぐ良くなって一緒にこの制服を着て学校に行くんだ、と話しかけてくる妹。
もう二度と着ることができないのに。
その事がわかったとたん、妹に顔を合わせられなくなった。
その日から病院に行くのを辞めた。
妹の事を考えるのがたまらなく辛かったから。
親から、容態が悪くなったと聞いても見舞いにも行かなかった。
医者の言うとおり、妹は年を越せなかった。
細くなった体で無理に笑う妹をもう見なくて済む、と思う自分がたまらなく嫌で、どうしようもなく情けなくなった。
葬式にて、棺に入る妹の死に装束は高校の制服だった。
なんでも遺言らしい。
一度でいいからみんなに制服姿を見てもらいたい、お姉ちゃんにも見てもらいたい、と言っていたらしい。
これを聞いて初めて泣いた。
葬式の時も泣けなかったのに。
馬鹿な姉だった。
結局、自分が辛くなるのが嫌で妹から逃げていただけだった。
最後に妹に謝りたかった。
でも、もう妹はいない………
108 :
大人の名無しさん:02/08/15 00:04 ID:SxIl3rg2
109 :
西尾 ◆DAME/On. :02/08/15 03:03 ID:mkOBGxW0
貴様どうしてくれるんだ?こんな時間に涙が止まらねぇじゃねぇか!…ゴ、ゴルァ!
>>107 泣いた・・・
お姉ちゃんは妹さんの分も精一杯生きて下さい。
111 :
大人の名無しさん:02/08/15 10:24 ID:0fOabyvz
>>107 涙が止まりませぬ
会社が盆で人がほとんどいなくて良かったです
お盆に実家へ帰るつもりは無かったけど、
このスレ読んで気が変わりました。今から帰って
墓参りでもして両親と顔を合わせてこようと思います。
妹は許してくれるのか? ということばかり考えてしまっています。
もういないのに。
実は、まだちょっとだけ続きがあるのですがスレ違いかも………
114 :
大人の名無しさん:02/08/15 19:51 ID:jdEDyLxr
>113
よかったら話してください。
115 :
35歳♀:02/08/15 20:22 ID:1tD3aZ+w
>>113 聞かせてください。
私にも5つ下の妹がいますが、信じられないほど仲が悪いです。
今は実家を出て一人で暮らしており、月に一度帰ってきてるようですが、
顔を合わせれば喧嘩をするような状態なので、敢えて
会いに行っていません。実家とここは歩いてわずか10分というのに
もう2年もまともに顔見てません。
こんなに仲が悪いのは親の育て方に問題があったのだと私なりに理解しています。
それに父の転勤があったり、学区の変更によって友達と別れなければならなかったり
私は妹と違って環境の変化がたくさんありました。
それに比べて妹は今の場所に落ち着いてから育った子供だし、
性格も天真爛漫、明るく、親や親戚、先生、友達全てからウケの良い子供。
私は全くその逆。貧乏くじ引きまくり、損な人生を送ってきたと思っています。
でも・・・・・・・・
113さんの書き込みを読んで考え方変えないとダメだなって思いました。
たった一人の姉妹です。大事にしなくては、仲よくしなくては・・・と。
>>106 なんだよー、はやく続き書いてくれよ〜。
明日仕事はやいんだから。もうシャワー浴びて寝るわ。
続き楽しみにしてるよ。
おれもその気持ちわかるな。
辛い思いを抱くから、見舞いに行かないってこと。
もう過ぎちゃったことはしょうがないよ。
妹さんもきっと許してくれてると思うよー。
>>115 合わないときは合わないと思うので、無理して、仲良くする必要は
ないと思いますよ。たまには、こちらから、話かけたりして、
妹さんと付き合っていこうとするくらいの軽い気持ちでいいと思うけどな。
それでも仲が悪かったらしょうがないって思うくらいでいいん
じゃないのかなーと思ひました。
中学の時 親父が失踪した。サラ金からの取り立てが厳しくなると、母、兄、俺を捨てて逃げた。
そんな親父に代わって 兄貴は働いた。
働いて俺を高校に行かせてくれた。
その兄が今壊れている。
俺が結婚し、2人の子供をもうけた頃から仕事をしなくなった。
結婚もせず、生活費を稼ぐため働いてた働き者の兄は自分の人生を嘆き
失踪した父、母、を恨み
幸せそうな俺の生活をはがゆく思い
無気力な生活を送っている
昔のたくましい兄に戻って欲しくて、話しをすると兄弟喧嘩になってしまう。
昔の仲の良かった兄弟に戻れそうにない・・・
兄の話しを嫁にする時は泣いてしまう・・・
ホシュ
>>117 切ない話だね。
>兄の話しを嫁にする時は泣いてしまう・・・
そのお兄さんには泣いて話す人もいないから辛いね
過去は取り戻せないけれど、未来は作っていける。
そういう気持ちになるには、お兄さんは疲れすぎてしまってるんだろうね。
今までの時間と同じだけの時間がかかるから
117も焦らない、焦らせないであげられたらどうだろう?
死んでしまうのも辛いけど生きてるのも結構しんどいね
明日は父の49日です その時精一杯やったと思ってももっと
してやれたのではないかと後悔があれこれわいてくる
どんなにやったつもりでも十分なんて思えないものですね
疲れて投げ出したくなったり死を止められなくて泣きじゃくったり
それでも皆心からその人の事を考えているから苦しくなったりする
せめてこの世に生を受けてきたのだからありきたりですが精一杯
その人の分まで生きたいと思う
>>117 お兄さんはまだご健在なんでしょ。
力になってやってほしいな。
頑張った人は少しは報われてほしいよ。
「お姉ちゃんはわたしの誇りだよ」
私が聞いた、妹の最後の言葉だった。
今年の夏のように、暑い日だったことを覚えている。
妹の事を思い出すと、この言葉と笑い顔、そしてヒグラシの鳴き声を思い出す。
あの日まで毎日会っていたはずなのに、思い出すのは決まってこの情景だ。
そしてふと思う。妹は、最後まで私のことを誇りに思っていたのだろうかと。
葬式が終わり、遺品整理をしていた時、妹の日記を見つけた。
入院してから、妹が毎日書いていたものだ。
妹がどんな事を思っていたのか気になり、読んでみる事にした。
日記にかかれていた事は、全て私の事だった。
持っていった本について、交わした感想について。
私が話した学校の話。友達の話。ドラマの話。
日が過ぎるごとに、見ている方が苦しくなるほど体調が悪くなっていたのに、
恨み言、愚痴がいっさい書かれていなかった。
私が見舞いに行かなくなってから、日記の内容は私への手紙になっていた。
いずれ、私が読むとわかっているような書き方だった。
今までの思い出。どんなに私に感謝しているのかなど。
見舞いに行かなくなった事を非難するような文章は一行すらもなかった。
妹は自分がいずれ死ぬという事を分かっていたのだろうか?
知った上で、恨み言も言わず私に接していたのだろうか?
今まで姉ぶっていた私が受け入れられなかった死を、
泣き虫だった妹は受け入れていたのだろうか?
日記の最後のページにはこう書かれていた。
「今までありがとう。お姉ちゃんの妹で本当によかった」
と。
私は姉として、どのような姉でいればよかったのだろう?
今考えても遅いが、いまだに答えが出せないでいる。
>>116 すいません。引っ越しの準備に追われ書く暇がありませんでした。
みなさんは、後悔しない生き方を選んでください。
悔いが残るような生き方は、どんな事情があっても絶対に避けるべきです。
>124
それが一期一会ってことなんだろうね。
読んだよー。長文書いてくれて、忙しそうなときに悪いね。
妹さんは死を覚悟していたんだろうね。
でなきゃ、そんな内容の日記は書けないもんね。
>みなさんは、後悔しない生き方を選んでください。
>悔いが残るような生き方は、どんな事情があっても絶対に避けるべきです。
そうですね。日頃からこういうことを意識しておかないと
いけないですよね。でも、何かのきっかけがないと、そんなこと
意識なんてできないですよね。
124が、妹さんの死で、強くそう思えるようになったってことは、
不幸中の幸いだと思います。
124は、後悔でいっぱいになり、すごく辛かったと思います。
今も思い出すと辛いと思います。
しかし、124は、意義ある体験をしたと思いますよ。
そういう体験をしたから、後悔しないような生き方を〜って、
強く思うようになったんですから。
人生の大事さを教えられた体験だと思います。
今は、素晴らしい経験を与えてくれた妹さんに合掌するだけだと思います。
引っ越して、新しい環境で、何かいいことあるといいね。
128 :
:02/08/20 16:51 ID:1piIoUHF
>123
そのままで貴女は充分いいお姉さんだったんですよ。
だから妹さんも日記の最後のページに貴女へのお礼の言葉を綴っていたんですよ。
これからもどうかそのままの貴女でいてください。
妹さんの自慢の姉だった貴女のままで。
末筆ですが、妹さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
合掌
去年ばあちゃんが死んだ。
ずっと入院してたけどまだ何年かは持つって親が言ってた。
それが突然容態が悪化して逝ってしまった。
叔父から電話をもらい、車で6時間かけて帰った。
何年かぶりの実家の仏壇の前にばあちゃんが寝てた。すごく小さくなってた。
いつもと様子の違うばあちゃんの周りをかわいがってた猫が心配そうにうろついていた。
「ただいま」
一言だけばあちゃんに声をかけてあげた。もちろん返事なんかあるわけない。
俺は何年も家を離れ、ろくに連絡もしてなかった。
ばあちゃんと最後に何を話したかなんて思い出せなかった。
家を離れた後だってずっと俺の事を心配してたみたいだ。
俺が留年した時、卒業が決まった時、就職が決まった時。
いつも自分の事みたいに喜んだり悲しんだりしてたって親に聞かされた。
なのに俺は何かしてあげただろうか?
ばあちゃんが喜ぶような事をしてあげただろうか?
そう思った瞬間に涙が溢れてきた。
たくさん泣いた。
もういいと思っても涙が止まらなかった。
ばあちゃんごめんね。
俺いつもばあちゃんに心配させてあんまいい孫じゃなかったかもしんない。
だけどね、ばあちゃんのこと大好きだったんだよ。
私の祖父は事故であっけなく死んだ。亡くなってから私の嫁ぎ先に連絡が来た。
じいちゃんの曾孫が私のお腹に宿ったばかりのある日、その報告をしに里帰りし、その後
自宅へ帰り着いたその日の夜のことだった。
じいちゃんは小さな町では有名な偏屈だった。
そのため幼心に恥ずかしい思いも沢山した。
職人としても腕がよいので余計に有名だった。
80才を越えても自転車で走り回り、山に入って木を切ったり、ぷいと旅行に行ったり
元気なことでも有名だった。
やんちゃだった私が彼(現在は夫)を連れて実家へ遊びに帰った。
正直なところ、じいちゃんと彼を会わせたくなかった。
だって絶対に変な小言を言って相手を困らすから。だから声もかけなかった。
帰る頃になってふと見ると、じいちゃんが彼に頭を下げている。
「よろしくおねがいします」と言ったのが聞こえた。意外だった。
意外すぎて思考が止まった。
じいちゃんは私の結婚式に参列しなかった。
「なぜ」と問うと
「遠いところでの結婚式や披露宴に年寄りが参列して、具合が悪くなったりして
式が台無しになってはいけないから」
やっぱり偏屈。とその時は少し腹が立った。
妊娠の報告の時も私たちの前に姿を出さなかった。出かけているのかと思った。
私たちが帰ったあと、両親に妊娠の話を聞きとても喜んだそうだ。
私の実家は跡取りがいないため、もし女の子だったら・・・・・とか
色々話していたそうだ。
その直後、事故にあった。というより自分の不注意で大けがを負い、
病院に運ばれ数時間後に亡くなった。
つづくね。
偏屈なじいちゃんだったけど、愛されているのはよく知っていた。
3人姉妹の中で一番贔屓されていた。
どこへ行くにも私を連れて歩き、それもまた有名だった。
お祭りの時に道ばたで会うと同居しているのになぜか1000円札を握らせてくれた。
通知票を見せると小遣いをくれた。
高校を卒業し、遠方で一人暮らしをしていた私がたまに帰るとやはりお金を握らせてくれた。
私は就職し、割と高給取りになった。なのにじいちゃんに小遣いをあげることはなかった。
じいちゃんの宝物は私が卒業旅行のおみやげとして買った瑪瑙のネクタイだった。
そんなに高価なものではなかったのに友達に自慢しまくっていたらしい。
高齢だったからいずれは死ぬけど、予期していなかった突然の死に私はいまだに
涙が枯れない。
まだ小遣いをあげていない、グルメのじいちゃんを喜ばせるほどの高級海鮮料理を
まだ食べさせていない、国内で行ったことの無い沖縄にまだ連れていっていない、
そしてなにより、感謝の言葉をまだ言っていない。
もう10年ほど前に亡くなったじいちゃんの話なのに
年を追うごとに後悔の念ばかり。
長文になってごめんなさい。
文章にしてみたら何が引っかかっていたのか何となくわかったような気がする。
こんな気持ちを誰にも話したことがなかったのも良くなかったみたい。
133 :
大人の名無しさん:02/08/21 10:42 ID:38TuDlaG
私も曾祖母が亡くなってもう15年くらいたつけど、まだ後悔することは一杯ですよん。
幼稚園は祖母の家から通い週末だけ自宅に帰る生活だったから、祖母が母親代わり、曾祖母が
祖母代わりで、幼稚園の送り迎えとかは曾祖母がしてくれてた。
…けれど、曾祖母は当然歳で足が遅い。私の歩く速さについてこれなくて、でもすぐに遊びに
行きたい私はサッサと置いてきぼりにして帰ったり。今思うともう少し労わってあげれば良かっ
たと、反省することしきり(汗)絵本だって言葉だって、色々教えてくれたのは「ばばちゃん」
だった。はっきり言って親より好きだったな(w
就職した今なら美味しいもの食べに連れに行ったり旅行に連れて行ったりできたのにと思うと
ちょっと切ない。「感謝の言葉をまだ言っていない。」って本当だよね。
後悔は何年たっても無くならないから、その分、祖母の看病(痴呆で入院中)することにして
います。祖母にはまだ恩を返せるしね。 129さんも、おじいさんの分、親ごさんや産まれて
くるお子さんに愛情を注いであげてください。多分、それが一番の供養だと思いますよ。
134 :
↑:02/08/21 15:12 ID:oglgS5pn
コピペサンキュー
次は自分で考えようね。
135 :
大人の名無しさん:02/08/21 17:46 ID:38TuDlaG
>134 え?コピペってどこから? これ私のマジ体験なんですが。 ソースプリーズ。
>>133 129です。レスありがとうございます。
残念ながら祖父の方も既に他界しています。
せめて親孝行だけはできる大人になりたいと思ってます。
>>130-132 たった一言、感謝の念を伝えられればどんなに嬉しいだろうと思うよね。
私も、半ば私をかばって死んだ曽祖父にせめて一言謝りたい。
共働きだった両親に替わって小さかった私の子守をしてくれたジイさんなのに。
月に一回、バリカンで散髪してあげると1000円握らせてくれた太っ腹のジイさんだったのに。
虫けらのように暴力を受けて死んだジイさんに。
あんなことが無ければ絶対今でも生きていて、余裕で100歳を突破したであろうジイさんなのに。
でも現実の私は感謝の言葉どころか毎日変えるべき仏壇の米と水をたまにしか替えない有様。
こんなことだったら、私の方が先に死んだらよかったのかとさえ思う。
私が曽祖父の喜んだ顔を見たのは、修学旅行のお土産に生姜板(砂糖菓子)を買って帰った時と一緒に落雁を食べている時くらい。
忘れちゃいけない思い出なのに、9年もたつとどんどん忘れていく。
仕事がつまらなかった。
技術職であるにもかかわらず、単にめぐり合わせの問題で技術のつかない
仕事に回され、しかし専門知識に特化した作業のため、一人黙々と仕事を
こなした。周りでは、同期が文字通りの技術職の作業をしている。
そして先輩に、不満をこぼした。
その先輩は言った。
『俺にまかしておけ。俺がすべて責任を取る』
次の仕事から、俺は先輩の下で念願の作業に取り組んだ。
そして、程なくして俺は激務のため体を壊した。体を壊した俺の穴を
埋めてくれたのはやはり先輩だった。自分の仕事を抱えながら、俺の
仕事も完璧にこなし、復帰した俺を祝ってくれた。
その後も激務だったが、先輩とその合間を縫って、二人でF1を見に
行ったりした。
その年の秋。先輩がプロジェクトを引っ張り、俺はその下で先輩の
元担当部分を受け持つこととなった。基本的には俺に任せつつ、だが
何かあったらいつでも先輩がフォローに入れる。そういった意図の
見える体制だった。
(続く)
そしてその後も変わらず激務が続き…その最中、先輩は亡くなった。
休日出勤中だった。作業場所の引越しを行うため、全員で普段慣れ
ない肉体労働をしていた。
ふと、柱にもたれ、汗を流している先輩を見かけた。
「○○さん、なに遊んでるんですか〜」
いつものようにふざけて言った俺に、先輩は苦笑しながら、口の中で
2、3言何か返答した。それが、俺が見た、優しい先輩の最後の
笑顔だった。
数十分後、救急車のサイレンが鳴り響く。そのとき、すでに別の場所
で作業をしていた俺に報告が入った。先輩が、作業中に倒れたのだ。
そしてその日の内に、先輩は亡くなってしまった。心臓だったらしい。
信じられなかった。体育会系で、いつも元気だった先輩。
丸一日、腹が空かなかった。あぁ、これが『飯が喉を通らない』状態
なのか、とぼんやりと思ったりした。
その後、その仕事は中核だった先輩を失い、また別の問題もあって、
そこで終了した。それに伴い、俺はまた技術のつかない元の仕事へと
戻された。
(まだ続く)
葬式の時、最後に一緒に先輩と遊んだ(F1行った)俺に、遺族の方から
『写真あったら頂けませんか』と言われた。だが、写真嫌いの俺は、一枚
も写真を撮っていなかった。
俺は、なぜ写真を撮っておかなかったんだろう。なんで俺はあの日、
先輩が不自然なほど汗をかいていたことに気づかなかったんだろう。
なぜ、あんな言葉を掛けてしまったんだろう。
先輩がいなくなって少したつ。
神経で胃がいてえんだよなあ、といいながら牛乳ばかり飲んでいた先輩。
俺が入社してから、俺の見る先輩はいつも仕事ばかりしていた。
先輩の一生なんて、当然俺にはわからない。
だが、人生最後の、俺と一緒に仕事ばかりしていた数年間は、充実
したものだったんだろうか。
俺が、なに遊んでるんですか、なんて言ったから無理して動いて亡く
なったんだろうか。怖くて誰にも聞いていない。
…その一言が、俺を育てようとしてくれた先輩への、俺のアホな最後の
一言が、未だに俺を責める。
141 :
sage:02/08/22 09:22 ID:agv5wWmB
>>140 先輩はきっとあなたのことを、弟さんのように思っていたはずですよ。
あなたの発した最後の言葉だって、「なに減らず口叩いてるんだ」って感じだったのでは?
だって、優しい笑顔だったんでしょ?そんなことで自分を責めないで。
あなたが、これから立派に成長していくことが、先輩に対する一番の恩返しだと思います。
きっと今だって、あなたのことを見守っていますよ。
142 :
大人の名無しさん:02/08/22 18:25 ID:DVDkEM5e
>>137 「私をかばって」とはどういうことですか?
さしさわりがなければお話してください。
おばあちゃんのおからが食べたい。
こう言うとおばあちゃんはすごく喜んでくれた。
実際本当に好きだったんだけど、
私が作って頼んだので作ってくれたのにできた時は
食べたくなくなっちゃって残した時があったの。
残したおからをおばあちゃんが見つけた時、偶然見かけちゃったんだけど何も言えなかった。
その時のおばあちゃんの表情はちょっと私の言葉で現せないけど
確かに私はあの時におばあちゃんを傷つけたのはわかった。
どうして残しちゃったんだろう。
今どんなに食べたくても作ってもらえない。
おばあちゃんにおいしかった、ごちそうさまも言えない。
144 :
137:02/08/22 21:52 ID:cJEjmsCR
>>142 私の実兄が10代〜20代前半の頃、家庭内暴力がひどかったのです。
暴力を受けていたのは初めは私だけ。12年間くらいでしょうか。
それが、暴力を浴びせられる対象がだんだん私より曽祖父に移っていったのです。
このため曽祖父はあるとき寝たきりになりそのまま衰弱して死にました。
私は何とか生き延びました。こういう書き方は良くないけど「曽祖父が暴力の対象になったおかげで」ということなのでしょう。
曽祖父が「○○(私)に暴力を振るうな」と言ったわけではありません。
しかし私をかばって代わりに暴力を受けていたという事実に変わりはないんだと思っています。
当時の担任の先生に訴えても何もしてくれませんでした。
家庭内暴力や児童虐待という言葉がまだメジャーでなかったからといえばそれまでなのですが。
うちは田舎ですので、この顛末は封印されました。医者の死亡診断書もおそらくは。
私は幼少時のこの出来事がきっかけで鬱病になり、現在も人並みの生活を送れているとはいえません。
あ、137の書き込みの「9年」というのは「19年」のタイプミスです。曽祖父が死んだのは私が中学の時だったので。
前に2ちゃんのどこかに書いた気がするのですが・・・。また書くこと&長文スマソ。
>>144 う〜ん。辛かった日々だろうが、ごめんね。一つ引っ掛かった。
>当時の担任の先生に訴えても何もしてくれませんでした。
家庭内暴力に関してはこれは当然じゃないのかなぁ。
担任の先生に何をして欲しかったのかは知る由も無いが。
>>144 19年もたてば一人の人間がほぼ成人するだけの期間。
薄れていく、時々思い出すようになってもそれでいいのかもしれないよ?
少なくとも全く消えてはいないんだから。
ここは沢山の人が見てる。
あなたのひいお爺さんのこと、あなたのこと、私の胸の中に残ったよ。
同じ様に心にとどめたひとは他にもいるんじゃないかな。
あなたの心の傷が少しずつでも癒えることを願ってます。
148 :
大人の名無しさん:02/08/23 00:15 ID:FyhlcF+w
>>144 142です。
辛いことをお話してくれてありがとう。
きっとお兄さんの暴力がひいおじいさんにいくようになったのは
お兄さん自身がより弱い相手を見つけてのことだったんだろう。
少なくともその為にあなたが生き長らえているのではないよ。
小さい時に、お兄さんから暴力を受けたこと、大好きなひいおじいちゃん
が同じ暴力が原因で亡くなってしまったことが、何かのまちがいで
結びついてしまったんだね、きっと。
でも一番大切なのは、あなたがその事で思い悩んでいることを天国の
ひいおじいちゃんが果たして喜ぶかどうかってことじゃないかな?
お兄さんの暴力を受けずに平和な毎日が送れていること、今とても
幸せだよってことを、一日でも早く仏壇のおじいちゃんに報告できるよう
前向きに生きてください。あなたのそんな姿を見ることが、天国のおじいちゃん
の一番の喜びだと思う。
>>145-146 >>148 レスどうも。
なんと言っていいのかわかりませんが、もっとちゃんとお参りをするようにしたいと思います。
今の私を曽祖父が見て悲しまないようにできればいいなと思います。
ありがとうございました。
>>141 レス感謝っす
俺ずっと誰にも言えなかったんだな、このこと。そういうキャラじゃないし。
見守ってくれてればいいなあ。呆れてなければいいけど(笑)
赤の他人である俺の為に、全責任を負う、とまで言ってくれて、そしてその
言葉を実行してくれた先輩。そういった人間がいる、ということだけで俺は
凄く嬉しかった。言葉で直接感謝の気持ちを伝えられなかったのが、
(例の言葉を除けば)唯一の心残りだった。
ありがとう、と言うのは時にはとても簡単で、時には凄く難しいな。
俺にとっては、適当に付き合いのある人間の方が見知らぬ人より感謝の
言葉を掛けにくい。
俺は、常々人に助けられたときは『すみません』より『ありがとう』と
言おうと心がけているが、今回も、変なこと言ってゴメン先輩、とか
泣けない長文書いてすみません、とか言うより、
『先輩、俺を社会人として育てようとしてくれてありがとうございました』
『141さん、俺の心を軽くする言葉を、私的な時間を割いてまで掛けてくれて
本当にありがとう』
と言いたい。
世の中も2chも、まだまだ捨てたモンじゃないな。
おばあちゃんのおからが食べたい。
こう言うとおばあちゃんはすごく喜んでくれた。
実際本当に好きだったんだけど、
私が作って頼んだので作ってくれたのにできた時は
食べたくなくなっちゃって残した時があったの。
残したおからをおばあちゃんが見つけた時、偶然見かけちゃったんだけど何も言えなかった。
その時のおばあちゃんの表情はちょっと私の言葉で現せないけど
確かに私はあの時におばあちゃんを傷つけたのはわかった。
どうして残しちゃったんだろう。
今どんなに食べたくても作ってもらえない。
おばあちゃんにおいしかった、ごちそうさまも言えない。
ほしゅ
保存 sage
154 :
大人の名無しさん:02/08/27 06:54 ID:sla0ua4S
>>151 を読んでふと思い出してしまった
うちのばぁちゃん、今年97。
去年の夏に俺が2年ぶりに日本に帰って遊びに行ったとき、
お墓参りの帰りにばぁちゃんのお気に入りの蕎麦屋へ行こうとしたら定休日。
仕方が無いので近くの和風ファミレスでご馳走しますた。
普段は脂っこいものは好きなのに止められているようで、
ばぁちゃんが頼んだものはミニ天丼と半ざるそばのセット。
しかも一人分平らげちゃって、一緒に住んでる伯父のほうがビックリ。
見ていてこっちも元気が出てきた。
ばぁちゃん、今年も機会を見つけて絶対帰るから、
その時にはお気に入りの蕎麦屋に行こうね!
29だけど四捨五入で30って事で許してください。
155 :
西尾 ◆DAME/On. :02/08/27 16:06 ID:ZZyGmBdf
>>154読んで思い出した。同居してた家のじーさん、家族でご先祖の墓参りに
行った帰りにたまたま一度蕎麦屋に寄ったんだ。まぁ何て事も無く普通に皆で
蕎麦食って帰ったんだけど、その次の年から墓参りに行く帰りにそこを
通る度に必ず「ここの蕎麦は美味い。美味いんだなぁ...」と毎年言うんだな。
俺も家族も実は皆わかってた。わかってて無視してた。
そこはただのチェーン店。味だって取り立てて美味いもんでもなかった。
当時俺や姉キがじーさんや家族と出掛けるのを嫌がる年頃になってて、
俺に至っては家でもわざわざじーさんと食事の時間をずらしたりして
食っていたため、墓参りの時くらいしか全員一緒に食事するチャンスが無いと
思ったんだろう。俺にとって何て事も無かったあの全員で蕎麦食ったあの時間が
じーさんには忘れられなかったんだろう。
結局2度とその蕎麦屋に行くことも無く、俺が大学で親元を離れている時に
じーさんは逝った。今でもその店の前を通る度に思う。じーさんが
「ここの蕎麦は美味い」っていつものやつが始まった時に一度くらい
「そう?じゃ、親父、寄ってかねぇか?」って言ってやればよかったなぁ、と。
156 :
大人の名無しさん :02/08/27 17:51 ID:/VNdPH0i
結婚まで約束した人をとられた。とられた相手は私の妹。
悲しくてつらくて妹やあの人を呪ったり「殺してやりたい」と思ったりして
ぐちゃぐちゃになって一時はめちゃくちゃな生活を送っていたが
周りの人たちの叱咤やはげましでどうにか立ち直り
彼と妹の結婚式にも出席できた。(それでもつらかったけど)
そして私は家をでることにしました。
家をでていく日の朝、車があるガレ−ジまで母が見送りにきてくれた。
「..じゃ行くから。」そう声をかけて車に乗り込もうとすると
後ろからいきなり母に抱きしめられた。
「あんたは私の娘。30年前必死になってお腹を痛めて生んだ私のかわいい
子供なの。だから母さんはいつでもどんな時にでもあんたが幸せになってくれる
事だけを願ってる。つらかったりなにか困ったことがあったらいつでも
帰っておいで。ここはあんたが育った家。母さんはいつだってあんたが来るのを
ここで待ってるから。」
私はその時母と一緒に大声で泣きました。
私はこの母の子供でよかった。がんばって幸せになるよ。
そしてこの先どんな事があってもこの母を見捨てたりしない
お母さんと私そしてみんなで幸せになろうね。
>>156 もう妹やその彼を許せたかい?お母さんも辛かっただろうね、妹の結婚。
あなたが幸せになることが一番の親孝行。
おじいさん、おばあさんへの思いやりの欠如が後悔となっていることが多いよね。
亡くしてから気付くんだよね。
その分、今いる家族を大切に、お墓参りもきちんとしておきたいよね。
158 :
:02/08/29 02:53 ID:INW7DaiM
昨日俺は「家族」を壊した。
うちの兄貴と母親は折り合いが悪く、家にいる事を嫌った兄は反対を押し切って婿養子に行った。
兄はそれ以来家に寄り付こうともしなかったし、母も義姉の事を心底嫌っている。
知らないうちに兄貴が転職をしていた。
それを知った時俺は、うちの母親は見栄っ張りで権威主義者だから、
その事を知れば関係修復のチャンスが完全に無くなると判断して、父には知らせておいたが敢えてその事を伏せた。
何度か兄貴に連絡とったりして、いい兆しが見えたとき、知り合いから転職の事が洩れた。
うかつだった。修復に時間をかけすぎていたのが最大の原因だった。
昨日母から電話があった。おそらくその事で激しく父と衝突した後だったんだろう。
伏せていた事を散々なじられた挙句、こう言われた。
「こう言う事が起きれば父からいつも責められるのは私だ。
好き勝手な事をするのはいいがもういいかげんにしてくれ。私だってもう限界だ。」
おそらく世間体と老後の心配もあるから離婚はしないだろうが、父と母の関係はどうにもならないだろう。
そして、両親と兄の関係も、もう修復するチャンスが消えた。
俺は自分の認識の甘さ・行動力の欠損の為に、自分の家族を壊した。
情けなくて涙が出てきた。同時に、自分は家族生活不適合者なんだとはっきり認識できた。
俺の犯した罪は重い。生きる資格があるのかどうかさえ分からなくなってきた。
かと言って死ぬ勇気も無いんだが。
俺は、この先一生独身でいようと思う。俺に幸せな家族を作る事はできないと言う事がはっきり分かったから。
>>158 そんな事ないと思うよー。
良かれと思ってやった事が裏目に出る、なんてよくある事!
それよりも、そういう緊迫した家庭環境で育った事が
とても苦しかったですね。
親不幸かもしれないけど、一旦お家と離れて、
幸せになるように頑張ってみたらどうですか。
そうだよ。
自分を責めすぎ。
人生面白く生きなきゃ。
>>158さん
あなたな〜んにも悪くないと思うよ!
関係が修復出来るのは、ご家族それぞれが心から
そうしたい!そうしよう!!
と思ったときでしかありえないんだから。
158さんの配慮がなかったら、もっともっとこじれてたかもわからないし。
もしよいひとにめぐり合われたら、ご自分で幸せな家庭を築かれてはどうかな?
うちは家族のウマが合いすぎて、私も妹もなかなか嫁に行かん状態で、
こゆこと他人様にいうのもどうかな、とも思うのですが。
162 :
大人の名無しさん:02/08/29 11:44 ID:qLFDTGoy
>>158 私は女なので男の子供の心理はわからないんだけど、私の友人(女)って
お兄ちゃんがいる子が多いのね。で、そのお兄ちゃんたちってのは、5人中
3人は親と合わなくて、20歳前くらいで家をでて半絶縁状態になってる。
男の子の場合はこういうこと多いのかもしれないね。
でもそれって無理矢理にでも修復する時期を早めなきゃいけない、とは思わないよ。
元気でいることがわかってるんなら、それで十分じゃん。
>>158 こう言っては何だがお母様の人格の問題かも...
164 :
大人の名無しさん:02/08/29 12:34 ID:4rUixBYU
>>158 私はあなたのその思考回路のほうが心配。
かなり母親の影響受けちゃってるよ
明らかに大人の判断で正しいことをしてるあなたなのに、母親からなじられた事で
どうしてそこまで落ち込む?
私たちくらいの年齢になるとね、親と私たちの精神年齢って逆転してくるものなん
だよ。つまり親のほうが幼いっちゅーか、感情的になってくるってこと。
そこを今度は私たちがなだめて押さえて、リードしていく番じゃない?
なにが「家族生活不適合者」なのよw
それはあなたのお母さんでしょ。あなたが落ち込んでてどうするのよ。
「まぁまぁ、母さん、大丈夫だから僕にまかせとけや。父さんにも僕から
話すから何も心配すんなや。」くらい言ってあげなよ。
私が思うに、あなたのお母さんってのは、昔からあなたやお兄さんに対して
怒る時にヒステリックになったり、おさえつけ気味に育てた傾向がない?
あなたの怒られた時の反応を見て、そう感じる。
母親の罵声をそのまま受け止めちゃうところとか・・・
お母さんの間違ってるところは、ちゃんと言ってあげてもよかったんじゃないかと
思う。息子のあなたしか指摘してあげられる人はいないんだよ。
女の人、特に歳をとった私たちの母親くらいの年齢の人ってのは、本当に
だんだん我がままになってくもんだよ。私の母親もそう。
私は女同士だから「ハァ?(怒)」とか言っちゃうけど、それでも「仕方ないな」
と思いながら話を聞いてあげる時も多々ある。
あなたは何も間違っていないから、自信を持ってお母さんをリードしてあげて
ください。家族なんてそうそう壊れるもんじゃないよ。
っていうか、お母さんの方があなたから離れてくれないって(笑)
>>164 まあまあ
現実に抑圧されて育った場合
精神科医のカウンセリングなしには
なかなか矯正できないんでつよ
特に我々のように年いっちゃってる場合はねー
# 漏れも境界例で初診は27歳くらいだったかな
# でも母親だけは今でもどうしてもダメだー(´д`;;;
>>158 うちの場合はある程度解体することでバランス保ってますよ
兄弟仲は抜群にいいケド父親は疾うの昔に出奔済み、
母親とは自分の境界性人格障害+鬱の治療のため絶縁してます
お兄様もアナタも心身ともに既に立派な成人なのですから
もうお母様の顔色を伺う毎日から脱却してもいいんですよ
もう自分の責任と判断で行動してもいいんですよ
怒り狂うお母様は時間の流れに取り残されてしまっただけなんですよ
救おうとするのも大変よい心掛けですが
そのまま放置しておくこともアナタには許された手段なんですよ
もう楽になってもいいんですよ
166 :
大人の名無しさん:02/08/29 14:15 ID:jVjmZKfH
>158
皆さんが仰るとおり、あなたは悪くないと思いますよ。
失礼ですがあなたの家庭は元々家庭として機能してなかったのだと思います。
あなたの努力がかろうじてなんとか家庭らしい形態に保てただけでね。
お母様よりもあなたやお兄様の方がもっと世間も広いだろうし、
だからこそお兄様は婿養子や転職といった手段も使えたのだと思いますよ。
あなたはもう今まで充分過ぎるほど努力されてきたのですから
今度はお母様抜きでも、あなたが幸せになる努力をされても全く構わないと思います。
家族だからと言っても、個人は個人です。
全く同一な人間になる必要などないし、成人していれば尚更の事です。
壊れてしまったものをいつまでも手に持って悔いていても仕方がありません。
新しいものをまた自分たちの愛情で作り上げていくことも可能なら
壊れたものを潔く諦めていくのも可能です。
どうかいつまでもお母様の呪縛にとらわれませんことを。
私も偉そうなこと言っちゃったけど、あなたのお母様のようなタイプかも。
間違いのない子に育てようと神経尖らせてしまってる。
だから自分の思うようにいかないとつい、声を荒げてしつこく怒ってしまう。
いつもピリピリしているわけじゃないけど、怒るときは結構激しい。
あなたのお母さんは責任感を強く持つあまり、そうなっているのかな?
家庭でも孤独を感じていて、構ってくれない、話を聞いてくれない、
気持ちを解ってくれない(と思い込んでいる)から
無意識のうちにヒステリックな態度になるのかな?
一度ゆっくり話してみたら?
お母さんを愛していることや、別に住んでも決して見捨てたりしない、
みたいなことを話して安心させてあげたら?
あなたのお母さんのお年は解らないけど、60歳前後かな?
女性ホルモンの減少から気分が不安定になりやすいなど、身体的なこともあるかもね。
くれぐれも「あなたは悪くない」
169 :
大人の名無しさん:02/09/01 23:00 ID:mv+7NiFG
板違いな年齢の私ですが、ここに書き込んでもよろしいでしょうか?
10年前から喉にひっかかっている話があるんです…
170 :
大人の名無しさん:02/09/01 23:45 ID:ZUgXLnDV
>>169 ココは2ちゃんねるだ!匿名掲示板だ!
なんでもいいから書いてみたら?
>>170 了解。
ただ、今長文が書けない状況なのでしばしお待ちを。
172 :
大人の名無しさん:02/09/03 00:03 ID:SpNHNify
AGE
まず始めに、未だ子供の癖にここに書き込んでしまう事をお許し頂きたく。
でも私にはこのスレ以外でこういう話をして良い場所というのが
思い浮かばなかったので。
私の母親は3人兄弟の末っ子、しかも上は兄2人という環境と、
(父も3人兄弟で男は自分だけという環境だったから、父も、かな?)
本人曰く「年代のわりに晩婚」だったせいもあるせいか
私と弟はかなり甘やかされて育った。(と、思う。)
…その所為か、それとももともとそっちの気があったのかどうかはわからないが、
私は、今年成人式を済ませたというのに、今もなおマザコンの気が抜けずにいる。
…とはいっても勿論喧嘩は何度となくしているし
年を重ねるたんびに自分でも認めざるを得ない程彼女に似てくる自分に
やっぱり親子なのかと嫌気がさしたりもするし
たまに天然が入る彼女のフォローや愚痴聞き役にうんざりしたりもする
…それでも私は母がすごく好きだ
3年前に母方の祖父が亡くなって
私は生まれて初めて近しい人の死というものを経験した
祖父の家…母の実家で眠る祖父を見て号泣する母を見て
私はその場を離れて一人で泣いた。
祖父の死もどうしようもなく悲しかった、けれど目の前で
今までに見たことない位に泣いていた母に対して何もしてやれないという事実が
ただ悲しかった。
その後母が泣く事はなかったけれど。
墓への納骨まで終えたあと、それまで泣いてなかった、
普段はエネルギーのかたまりみたいな祖母が泣いてたのを見て、もう一度泣いた。
それから暫くして進路などでいろいろあった自分は神経を病むようになってしまった。
もうどうしようもないくらいに憔悴して一時は死のうと本気で考えてた、でも
母の事を考えると出来なかった。
母にはこのことはずっと黙ってるつもりだったけれど、でも去年
限界に達してついに洗いざらいぶちまけてしまった
今は小康状態にあって落ち着いてるけど、時折どうしようもなく泣けてしまう
私はあなたの娘に生まれてきて本当に幸せだけれど
あなたは私なんかを娘にして本当に幸せだったのかな
こんな出来損ないなこどもで本当にごめんなさい
せめてこれから先少しでも私が娘でよかったって思えるような
ひとになれたらいいなと思う
母にはもちろん父にも祖父母にも。
あなたたちには幸せであって欲しいとおもうんだよ
こんな事本来言ったらいけないのかもしれないけれど
私より先に死んでくれるなとさえ思ってるんだ。
ごめんね、でも、ありがとう。
すいません、泣きながら打ったので文章破綻してますね…
でもちょっと書いたら楽になった。
>>174 あなたの素敵なお母さんを泣かせたくないなら
お母さんより先に逝ってはいけない。
最大の親不孝になる。
>>174 私はすでに親の方の立場の人間ですが、
親としては、自分の子供がこの世に産まれてきてくれたことだけで嬉しいのです。
どの様な子供であれ、自分の子供であることには変わりなく大事です。
あなたのお母様も同じ気持ちではないでしょうか。
友達の話しでアレなんですけど。。。
高校生の時から就職するまで7年と少し、ず〜っと付き合い続けて、
お互いの親も本人たちもまわりの友達たちも
コイツたちは絶対このまま結婚するもんだと思ってました。
しかし・・・。
彼女が就職した会社で、新しい出会いが・・・。
ヒトゴトながら、目の玉飛び出るくらいビックリし、
黙って身を引いた彼が可哀想で、2人と共通の友達達は彼に同情し、
彼女とは疎遠になってしまいました。
ワタシと彼女は同じ会社だったので、ワタシとは付き合いが続いてたカンジでした。
そんなカンジで半年くらい経ったある日、今彼が会社に出てこない。。。
彼女も電話をかけたり、上司も電話をかけたりしても、一向に連絡が取れない。
『何かあったのか?』急遽、会社から男の人が2人、彼の家に向かいました。
↑続き・・・
家に様子を見に行った2人から会社に電話がかかってきたのは1時間後。
管理人に鍵を開けてもらい部屋に入ると、彼は、部屋の中で倒れていたそうで、
救急車を呼び、病院へ。上司もすぐ病院へ行きました。
彼女は気が気ではない様子で、5時とともに病院へ。
脳出血だかなんだかで、ずっと昏睡状態でした。
最初の頃は、仕事が終わってから病院へ通っていた彼女も、
だんだん会社を休みがちになりました。
3ヶ月くらいそんなカンジの日々が続いたある日。
2週間くらい休んでいた彼女が、会社に姿をあらわした時、ワタシは体が震えました。
髪の毛が半分くらい白いんです。ゲッソリやつれてて目もうつろで。
彼女を見た途端、ワタシの目から涙が溢れ、嗚咽から号泣へかわりました。
彼は一度も目を覚ますことなく、この世を去りました。
泣きじゃくるワタシに、彼女が言うんです。
『彼と最後に何話したか覚えてないんよ。』
↑さらに続き。
彼が亡くなってしばらく、彼女は会社を休んでいましたが、
やがて出てくるようになり、日がたつにつれ少しづつ笑顔も出るようになりました。
でも、毎年、彼の命日にはお墓参りに欠かさず行っていたそうです。
5年目のお墓参りの日、彼のお母さんに
『もう来なくていい。自分の人生をムダにしないで欲しい。私があの子に叱られるから』
と言われたと、『どうしたらえぇんね。』と、泣きながら電話してきました。
ワタシも『お母さんの方がアンタより何倍もツライんぢゃけ〜ねっ!自分が1番
ツライと思っとったらえー加減怒るよっ!しっかりしんちゃいっ!』と
しゃくりあげながら言ってしまいました。
あれから彼女は無事結婚し、今年女の子を出産しました。
白髪は相変わらずあの日のままだけど、幸せそうな顔を見ると安心。
と、言ってる場合ぢゃなくワタシも早く幸せゲトーしなければ。。。
長文スマソ。
>>177 >髪の毛が半分くらい白いんです。
短期間で、本当にそうなってしまうのですか?
しかも白髪はずっと続いてるって本当ですか?
ココの部分がかなり気になって、泣けなかったです。
スミマセン。
>180
177さんじゃないんだけどね。
私の父もそうでした。
生まれた直後に、私は普通の生活が送れるかどうかの瀬戸際に立たされました。
仕事は忙しいし、子供はまともに育つか分からんし、心労で母親も不安定だしで
あっという間に真っ白になったそうです。
年を経て、最近はむしろ黒くなってきたという話ですが(笑)。
182 :
大人の名無しさん:02/09/04 01:21 ID:k5RLghV6
理容師だけど黒毛から白髪に、白髪から黒毛になってる
不思議な毛はあるよ。
爪だって病気で影響が出るんだからもっとデリケートな
髪の毛は心身の影響は受けやすいです。
>>181,182
あっという間になるんですね!
ありがとぅー。
184 :
大人の名無しさん:02/09/04 13:42 ID:/Io287vl
一晩で白くなるっていうけど新しくのびる部分が白くなる
んですよね?
黒かった部分もさかのぼって白くなるんですか?
実際見たことはありませんが、マンガとかでもよくありますよね。
ブラックジャックとか、あしたのジョーのホセ・メンドーサとか。
(30代板だからわかりますよね)
かなーりショックなことがあると黒髪が白髪になってしまうようです。
マリー・アントワネットも投獄後は白髪になったとか・・・
ネタはベルバラだけど。
>>185 >かなーりショックなことがあると黒髪が白髪になってしまうようです。
新しく伸びる部分だけが白くなるんじゃないですか?
すでに黒色になっている髪が白くなるとは、考えられませんが。。
189 :
:02/09/04 20:53 ID:b582Vuvl
娘よ、お前はパパの長女だ。
お前がママと一緒にこの家に来た瞬間からパパの娘だ。
パパと一緒にお前を迎えた二人の妹だって、お前を姉と慕ってる。
パパがタバコを買いに行かせようとすると、二人の妹はふてぶてしくも
聞こえないふりをするが、お前はすくっと立ち上がって買いに行く。
同じ年頃の女の子が嫌がる家の手伝いも、進んで行い妹達にはいつも譲る。
宿題もきちんとやり、学校でも家でも優等生のお前。
だけどお前はそれで本当にパパを騙し切っているつもりか。
愛されたくて愛されたくて、それでいて甘える勇気がなくて、
健気に頑張るお前の気持ちにパパが気付かないと思うか。
どうして「夏休みだけ茶髪にしてみたい。」と言わない。
どうして「携帯電話が欲しい。」とねだらない。
世の女子中学生が父親にねだるように、どうしてねだらない。
ダメだと言われることがそんなに恐ろしいか?
もちろん何でも許すわけにはいかないが、どうして言ってくれない。
どうして幼い心の奥深くに仕舞いこむんだ?その哀しい諦観、それがパパは辛い。
あのー…そこまで判っているのなら、一言「していいんだぞ、言っていいんだぞ」って
言って上げないの? 彼女が言い出せないのなら貴方から言い出してあげるのも
優しさじゃないの?黙ってても判る、と言うものでもないでしょうに…
さっさと携帯買って帰る、とか、髪の染料(ブリーチだと戻せないからね)とかさ。
そっと部屋に置いてあげれば良いんじゃないの? 責めてるんじゃなくて、不思議
なんだけど。
191 :
大人の名無しさん:02/09/04 21:11 ID:LYwZTZK3
189>
良き父
良き娘
ひたむきに家族になれ。
いま、育児板でほろりとしてきた・・・。
きょうだいっていいなぁ・・・。
>192
どこで泣いたの?
兄弟仲良しスレか? 気になるよ〜〜〜〜。
195 :
大人の名無しさん:02/09/05 10:35 ID:QN8WeCQa
>>189 気にしすぎなんじゃないの?
てか、携帯欲しがったり髪染めたがったりするような年代の娘に
タバコ買いに行かせちゃマズイっしょ。
>194
相互リンクしてる「育児板 泣いた話」じゃないかな
私も朝からホロリときたよ
ああいう優しい兄に育てたお母さんも立派だと思った
>>189 娘さんもあなたも、本当に気を許しあってないってことでしょ。
昔の父親的な男は黙って〜は必要ないと思います。
あなたから、先に気を緩めてみては?
プライドを少し捨てればいいだけですよ。
そしたら、娘さんの態度も変わったりすることがあると思いますよ。
199 :
大人の名無しさん:02/09/05 13:35 ID:SFKI9g0T
中一の頃いじめにあっていた。
クラスのほぼ全員からだった。
机には腐った蜜柑、牛乳瓶、鞄はゴミ箱、体育のサッカーでは20対1。
付き合ってた彼女に飛び火するのが嫌で、嫌いになったと言って別れた。
ある日の休み時間、トイレから戻るとクラスの全員が廊下に座ってる。
その中央には俺の2歳上の兄貴が居た。
「お前は来るな」そう言われて教室で座っていた。
何を言っていたのかは良く聞こえ無かったが、何故弟を虐めるのか?弟が何をしたの
か?
そんな内容のことを兄貴はクラスの奴等に尋ねていた。
続く
200 :
大人の名無しさん:02/09/05 13:39 ID:MY3YPGZy
家に帰って俺は兄貴に言った。
「何で余計な事するんだ、逆効果だろ!!」
兄貴は「うるせぇっ!!弟が虐められて黙ってられるかっ!!」
嗚咽した、激しく。
「もういいよ、もういいんだよ」ずっと繰り返してた。
今まで家族にも教師にも言わず我慢してきた。
辛かった、悔しかった。
でもそれ以上に嬉しかったんだと思う。
その日から少しずつ虐めが減って行き、いつの間にか元に戻っていた。
まだ兄貴にはお礼を言ってない。
今更恥ずかしくて言えないと思ってた。
でも、このスレ読んでたら言えそうな気がして来た。
201 :
大人の名無しさん:02/09/05 13:51 ID:vKUK1r8D
>200 。・゚・(ノД`)・゚・。 ええ兄貴やねぇ〜
202 :
大人の名無しさん:02/09/05 13:51 ID:W1IE7Jtt
>>199,200
職場のデスクなのに泣けました。
困ります。でもいい話です。
203 :
大人の名無しさん:02/09/05 14:02 ID:JLvwWXRh
俺のオヤジは柔道3段、昔はボクシングもやっていて、大のプロレス嫌い。
近所に新日の興業がやってきたとき、チケットが余ったので誘ってみたら、嫌がりながらも渋々ついてきた。
地方興行なので、4500円のチケットでもかなり前の方で見れた。
ずーっと第一試合から、苦々しくつまらなそうな顔で試合を見ていたオヤジ。
俺はちょっと連れてきたことを後悔していた。
そしてメインイベント。 せっかくのメインイベントなのに、隣にいるはずのオヤジが席にいない。
あぁ、トイレに行っているか、もしくは、つまらないから外にタバコでも吸いに行っているんだろうと思った。
蝶野に続いて越中の入場。場内にSAMURAIが鳴り響き、 スポットライトが、花道に向けられる。
な、なんと!花道の最前列で、子供のような顔で大声をあげ、越中コールをするオヤジの姿が!
俺は、新日興業にオヤジを連れていって本当に良かったと思ったよ。越中詩郎に感謝だね。
204 :
大人の名無しさん:02/09/05 14:11 ID:7zYWDO06
200泣いた。
205 :
大人の名無しさん:02/09/05 16:50 ID:kh9qzvIK
206 :
:02/09/06 12:24 ID:Uk3EK1Tm
207 :
190:02/09/06 13:54 ID:VCfPi7xL
>206 父は亡くなってますが、なにか?
自分の感覚だけで物事を断定して言うんじゃねーよ、タコ。
208 :
大人の名無しさん:02/09/07 01:29 ID:xmt1T9E3
>>189 >>198に同意。
娘さん、いっぱいいっぱいだと思うよ。
まだ中学生でしょ? 体は大きくたって中身は子供のまんまだよ。
新しいお父さん、そういう事実を受け入れるだけで精一杯だと思う。
そういう状況を受け入れようと努力してあなたに気に入られようと
してるなんて、聞いてるこっちまで目頭が熱くなるよ。
本当だったら面倒な事を拒否して、グレて出て行っちゃったって不思議じゃ
ない話だものね。
これ以上、彼女に求めないであげて欲しい。
状況を変えたいのだったら「男だから」なんて言ってないで、かっこ悪くて
もいいからあなたから彼女に歩み寄ってあげてよ。
でも本当は私は、そっとしておいて上げたほうがいいと思う。
遠慮がちな姿、それもその子のありのままかもしれない。
無理に「本当の親子」を演じる必要はないんじゃないかな。
いっしょに何年も生活して、家族の歴史ができていくにつれて
意識しないでも家族になれると思うよ。
生みの親より育ての親って言うもんね?
私が彼女の立場だったら・・・
自分のお母さんをすごく大切にしてくれる人は信頼するだろうな。
209 :
大人の名無しさん:02/09/08 22:24 ID:jt/PMHwj
age
210 :
大人の名無しさん:02/09/11 09:44 ID:QEUNN5d2
よく見たら新しいお父さんだったのか。
一人気を使って大変だな。気に入られようと
しているのにだましきったつもりかなんて言われるし。
かわいそう。
>189
親の方が焦って空回りってこともあると思うよ。
そのうちに時間が解決することもあるだろうし。
下の娘さん達がいない時に、「何か欲しいもんないのか?」って聞くだけでも
そうやってしてあげてるうちに、だんだん馴染んでくるかもしれない。
でも一番大事なのは、奥さんを大切にして、仲良くしてあげることなんじゃない?
家の中で母親が元気で楽しそうなら、家族みんながそうなっていくもの。
「生さぬ仲」なんだから焦る必要はないと思うよ。
時々ケーキをお土産にしたりして、好みをきいたりしたら
次の時にはそれを買ってあげるとかさ。
娘さん頑張ってるんだもの、長い目で見てあげてください。
と病院の婦長をして、病気知らずだった母が癌告知をされた。
本当に風邪のひとつも引かず、朝の5時から夜の7時まで毎日働き
夜勤もバリバリこなす母親で、本人もそれを自慢していた。
長く勤めていた病院の院長に裏切られ、失意の中それでも母は何とか
近所で雇ってくれる病院を見つけてぺーぺーから仕事を始めたその矢先。
子宮筋腫だと診断。しかし、勤めたばかりだと母は手術を先送りにしていた。
少し放っていたらあまりの痛みに救急車で運ばれた。癌だった。誤診だった。
それでも母は気丈に大丈夫!!を繰り返していた。
そして、術後にの医師からの説明。ステージの話になって、母は青ざめていた。
癌センターでも働いていたから自分の状態や先がわかるだけに、残酷過ぎた告知だった。
母は「治療は受けたくない。」と言い張っていたが、何とか説得して受けてもらった。
辛い治療の中、それでも母は強く生きて泣かなかった。弱音も吐かなかった。
カリメロ〜と笑いながら、治療時につけるヘルメットを被っていた。
そんなある日、帰宅した母と久しぶりにお風呂に入った。
母の背中を流し、髪を洗おうとすると、髪がズルリと抜け落ちた。
後頭部の髪を見た瞬間、今まで泣かなかった母親が号泣した。
「辛いのも耐えれた。死にも向き合ってきた、でも、髪が…怖いよ。」
母親のそんな弱い姿を目にするのは初めてだった。泣きじゃくって背中を丸めていた。
小さくなった母親の背中に、私は「また綺麗になるよ」としか言えなかった。
癌だということをはっきり認識したのかもしれない。
身を粉にして働きながら、自分の服ひとつ買わなかった母。
休日も父より私達より早起きして、家事を完璧にこなしていた母。
部下から尊敬され、辞めた人たちからもたくさん手紙が来る母。
母はずっと強くてずっと居てくれるものだと思っていた。
そんな中、闘病中に兄が自殺未遂を起こした。兄は心が少し弱かった。
でもまさか、こんな時期にそんなことをしでかすとは思わなかった。癌が兄の心も蝕んだ。
母から泣きながら電話があり、急いで戻ると警察が居た。簡単に現場に言った後、病院に行った。
たくさんの人がいる待合室で、二日間は危ないから待機しておくようにと言われた。
母は辛い体なのに、そこを離れなかった。何も言葉を発しなかった。
結果兄は助かって、病院をたらいまわしにされ(それも母が見つけた)今は施設に入っている。
それでも母は誰にも愚痴も弱音もはかず、兄に送金しつつ社会復帰に頭を悩ませています。
神様がいるなら聞きたい。
どうして母ばかりがこんな思いをしなければならないのですか?
どうして母を静かにさせてくれないのですか?
私はずっと学校での行事などにも全て参加できなかった母を恨んでもいた。
お金ばかりせびって「金払えば子供は育つかと思ってんのか!!」と稼ぐ事の大変さも思わず言っていた。
自分が結婚して働いている今、母親の偉大さが理解できた。
お母さん、あなたは私にとって世界一の母親です。
まだまだ学びたいことがたくさんあるから、もっと生きてください。お願いします。
あなたの子供で良かった、また私を産んでください。
短い髪を綺麗に整えた母は、しびれの副作用と戦って今日も生きています。
そして今まで口もあまりきかず、軽蔑していたお父さん。
背中に色んなものを背負いながら無口に真面目に仕事をするあなたも、私の誇りです。
まとまっていなくてすみませんでした。
ここに書くことで、自分へ喝を入れなおしたいと思います。
ごめ…仕事場なんだけど、泣けてしまって画面が見えない…
何もできないけれど、ご両親、そして一番貴方が幸せになれますようにお祈りします。
私も母を大事にしたいと思います。
215 :
大人の名無しさん @長くてすみません:02/09/11 16:55 ID:WveAIbfk
父親のことでも嗚咽したので書きたいと思います。
兄は中学の時登校拒否をして自傷行為に走り、何とか高校・大学にいけたのですが
社会に出るときに、また躓いてパラサイトになりました。
昔から仕事仕事で家に殆どいない父、たまに口を開けば酔った言葉、父から愛情を感じたことが無い。
兄は遺書らしきものに書いてて、私もそう感じていたので話し合いの席で話してみました
「成長する子供にとって親は重荷になるもんだ。だから期待せず心配させず、自分の生きる道を決めて欲しかった。
そして18歳も過ぎれば、独立すべきだ。どうしようも無くなったらいくらでも支援する。ただ家にいつくのは駄目だ。
家族に簡単に逃げるようになってしまうと自分達が居なくなった後、どうやって生きてくんだ。
ひとりでも生きていけるようにならなければ、どうやって生きてくんだ?」
常々「カネならやるから早く家から出て行け」と怒鳴っていましたが
不器用で話しベタな父親は、こういう表現しかできなかったんだと初めて知りました。
無口で不器用だけど、私達を愛してくれているんだと初めて知りました。
「治療費や施設費のカネの事なら心配するな。だからお前はこの家を忘れて、早く幸せになれ。」
この一言を聞いたとき、嗚咽してしまいました。
その後、一度父親が監督をしている現場にこっそり見に行きました。
父は色んな人に指示を出したり頭を下げたり、動き回っていました。
父の同期の人たちがリストラに遭ったり依願退職する中
どんな仕事でも家庭で不満や愚痴の言葉をひとつも漏らさず
何とか歯を食いしばって家族のために働いている父親を見て、また嗚咽してしまいました。
お父さん、太ってお酒が大好きで口も悪いし格好悪いけど、最高の父親だって今やっと気づきました。
ずっと守ってくれててありがとう。好きな道を選ばせてくれてありがとう。
暖かさに気づけなくてごめんね。
ちなみに父親には、まだ素直になれず感謝の言葉を言えないです。
でも家のことは忘れてやらないし、こっそり箪笥の引き出しに僅かだけどお金を置いています。
ageてしまってすみませんでした。
217 :
大人の名無しさん:02/09/12 01:33 ID:kde6f9ve
父親の存在のありがたさってこの歳になってようやく理解できることあるよね。
私もそうだ。
子供の頃からやたら怒鳴る父で、食事のときなんか「ひじをつくな」「TVを
見るな」「物が入ったまましゃべるな」とことあるごとに怒鳴られて、しまいにゃ
食事の時間が来るたびに吐き気がする子供になってしまったけど、今になって
「食事の仕方が綺麗だ」と人に誉められることが多いことに気がついた。
一事が万事そういう調子で、父から受け継いだものってほんとに多い。
このスレを読んで、いつか父がなくなるまでにはこの感謝を伝えておかなきゃって
最近考えるようになったよ。
>>217 あなたが親になった時、子どもが食事どきに吐き気を催させるほどの
厳しい躾はしないでやってほしいです。
219 :
大人の名無しさん:02/09/13 01:06 ID:HH1HFndE
>>218 217です。
あはは、だいじょぶ、だいじょぶ(笑)
そんなこんなで父親には相当反感持ってたからねぇ〜
母親と母親の親しい友人から「反面教師になったわけね」って言われるくらいの
父親とは正反対のタイプの優しいダンナ選んだくらいでw
「でもあれも愛情だったんだよな」ってことが今になってわかるようになった、
って話。
私も完璧とはとても言えないけど、親のいいとこ、悪かったとこ、振り返りながら
育児してる。
それができるほどの余裕を私に持たせてくれてるダンナには本当に感謝だな。
>>220 いい結婚したね。
おれも、厳しいオヤジに育てれられた。
よくわからん、意味不明なしつけ。
理不尽な暴力もあった。同様に親父は反面教師になったよ。
しかし、今思うと、親父のすべてが悪いってことでもなかったってこと、
彼なりに愛情を持って、接していてくれたこともあったこともあった。
そう考えると、彼を許容できるようになったな。
今の親父は、まだまだ、短気なところは残っているけど、
すごくまるい人間になってきてる。
毎週末には水泳に行き、ウォーキングしたりしてる様子。
声のはりも明るいし。
親父は一生あのまんまだと思っていたけど、信じられない変化をしやがった(w
ただし、過去にされた仕打ちのことを考えると、素直に喜べないときもあるな。
親父は、ただたんに年老いて、子供に対して、暴力や命令口調が
できなくなって、おとなしくなっただけかもしれないってことを考えると、
今の親父への想いも醒めてしまう。そんな風に思うときがある。
親父は、過去におれや兄弟がどんな気持ちで親父の仕打ちを受けていたかなんて、
気にしてもいないだろうし。マシになったとはいえ、まだ、彼の悪いところは
目立つときがあるから、過去にされた仕打ち思い出して、キレそうになるときがある。
そんなすっきりしない気持ちを抱きながらも、
過去は水に流して、現在の彼で判断するってことが、
お互いにとって、一番いいことなんだろうけどね。
世の中には、もっとひどい父親がいるからな。
何をしようが、変わりようがなさそうな父親。
それ考えると、おれはまだましな親父にあたったんだなと思ったりする。
221 :
大人の名無しさん:02/09/13 05:40 ID:54aQhu3x
小学五年のとき母親が再婚した。
新しいお父さんだと連れてこられた相手には三年生と五歳の二人の女の子。
辛かったよー。
すごい意地悪だったんだよ、その娘たち。乱暴でね。明るい子達だったけど。
私はそれまでの生活がつましかったせいか、ものは丁寧に大事にする子だったのね。
母に以前買ってもらって(私は子供心に家の経済事情とかわかってたので物をねだった事があまりない)
大事にしていたぬいぐるみを下の子に欲しがられて、嫌だ、と思ったけど言えなかったの。
新しい父は、もっと高くていいのを買ってあげるって言ったんだけどそれも別に嬉しくなかったよ。
どーいっていいかわからなかったし。喜ばない可愛げのない子だと思われただろうね。(実際後年義父はそう言ったよ)
とにかくおとなしかった気の弱い私は下の妹が私の「コッタちゃん」(ぬいの名前(笑))にすぐ飽きて、
上の子と一緒にずたずたのぼろぼろに引き裂いて、道路でひき逃げごっことかされてそいで捨てちゃったのにも何も言えず、
夜布団の中で泣いていた。これなんかたくさんある子供にとって辛い出来事の一つに過ぎない。
母親だけにはわかってもらいたかったよ。義父には無理無理。
いわゆる熱血タイプと「自分では」思っていたんだろうけど、そういうタイプは苦手な子供もいるんだよね。
長じてからも義妹達と比べて「暗い!」と責められ続けたよ。
本ばかり読むな、勉強する子より外で泥だらけになって遊ぶ子供の方が偉い!が口癖。
ひたすら辛いし恐かった。暴力とかはなかったけど毎日死にたかった。
誰にもわかってもらえないしね。明るくていい家族達じゃないの!って言われるよ。
大学進学と同時に家を出て、正月にしか帰らない。
どーしても駄目なんだよなあ。
222 :
221:02/09/13 05:53 ID:54aQhu3x
スレ違いでしたね。すみません。
なんでかここ読んでいて悲しく悲しくなったもので書き込んでしまいました。
すみません。
>>221 そんな風に娘を扱わない旦那を221は見つけろよ。
あと、母親とは血がつながっているんだから、ちゃんと孝行しろよ。
がんばれ。
>221
辛かったよね。
暴力こそはないけど、立派な虐待だと思う。
だってあなたの個性を認めないで、勝手な思い込みであなたのことを苦しめたんだもの。
結局はあなたに愛情は持ってなかったんじゃないのかな?
結婚した妻についてきた付属品てかんじでさ。
もうそんなに会う必要もないと思う。
お母さんに会いたいなら外で会ったりもできるでしょうし。
あなたはあなたの幸せを作ったらいい。
長い間辛かったね。
よくがんばったね。
225 :
221:02/09/13 08:02 ID:54aQhu3x
なんか優しい言葉幾つも貰って又泣きそうです。ここの板はべたべたじゃなく、
さらっと暖かいのが心に助かるよ。
で、吐き出しておく。
学校休んでディズニーランドに行くのは嫌だったよー。
図書館ばかり行くな、借りてくるな、本なんか読んでないでカラオケ行こうって
言われるのが辛かった。お姉ちゃんはそろそろ化粧くらいしたらと
高校に入った途端言われたのも今から思えば馬鹿らしいくらい悩んだな。
根暗って言葉が死語になってホッとしてる。
全部義父から受けたトラウマだ。
義妹たちから受けたトラウマはさすがにここでも語れないや(笑)
さ、仕事行ってきます!
226 :
大人の名無しさん:02/09/13 08:52 ID:VDXHWZhg
本読むの大好きだからその親父許せん(w
美輪明宏も教養を身につけろって言っているよ。
美輪さんの本そんなあなたにオススメ。読みやすいし。
遊びなんて一瞬楽しいだけで何も残りゃしないんだから。
教養は人を美しくするよ。芸術や知識に対する欲求って
人間だけが持つ人間ならではの欲求だから。
227 :
大人の名無しさん:02/09/13 12:41 ID:KoAb9PvA
>>225 私も「根暗」って言葉嫌いです。
隣の家にひとつ年下の、いつも学級委員やってるような明るい女の子がいて
いつも母に
「○○ちゃんみたいに明るくなりなさい」
「○○ちゃんみたいにお友だちをたくさんつくりなさい」
「あんたはホントに根暗やねぇ」
と言われた。
私、いつも家で本ばかり読んでいる自分を責めたよ。
そして暗い自分が大嫌いになった。
今でも、人がたくさんいるところでは
「ここにいてごめんなさい」とおどおどしてしまいます。
まだ20代ですが、もうすぐ30なので書かせてもらいたいと思います。
昔付き合っていた彼氏は数年前に彼女をバイク事故で亡くして
かなりショックを受けていた様子で、見かねて色々世話を焼いているうちに
付き合いが始まったのですが、同棲1年足らずでだんだんと金銭面で
私に頼りがちになり、最後には女を作って連れこむわ、当時執筆業みたいな
仕事をしていた私の仕事先の出版社に有る事無い事をメールしたり、
精神的に追いこまれて逃げる様に引越ししてしまいました。
その後も嫌がらせが続いたので、色々な人に相談していたら、元彼の
亡くなったと言う彼女の友達に偶然知り合う事ができ、意外なことを
知りました。
バイク事故で亡くなったと聞いていたその人は、元彼に浮気され、
私と同じように精神的に追いこまれた挙句に自殺したそうなのです。
その話しを聞いたら涙が溢れて止まりませんでした。
人の死を良い様に使って女を口説く元彼への憤り、そんな馬鹿なやつに
ひっかかった己の馬鹿さ加減への憤り、そして亡くなった彼女の事を
思ったら悲しすぎて。
ここのスレを読むと、人を悼む優しい人が多いのだと感動します。
だからこそ悲しみを逆手にとる人間は許せない。思い出すと悔し涙が出る。
今は優しい旦那様とお腹の中の子供と幸せすぎる生活を送ってますが
もし、精神的に追い詰められて自ら命を絶っていたら、今ごろ私は
元彼の女を口説くための道具にされていたかもしれない。
生きていてよかった。
>228
追い詰められて亡くなってしまった元彼女は可哀相だよね。
でもそんな男から逃げる事もならず、死を選んでしまったのは彼女。
あなたには彼女にない強さがあって、それを乗り越えて
今はステキな旦那様ともうすぐ会う事のできるお子さんがいるんだよ。
どうか末永くお幸せに。
私は良い事も悪い事もあって初めて人生って成り立つと思うの。
だからあなたには辛い事があった分、きっとこれからは幸せだよ。
元彼は自分がした罪の分、これからその償いをする番だと思うよ。
そんなクズな男のことなんてスッキリ忘れて、しあわせな家庭を作ってくださいね。
230 :
大人の名無しさん:02/09/15 08:53 ID:lp/YGdnt
>>212さん
私の母もガンで入院中です。
お互いに頑張ろうね!
母はC型肝炎なので1日置きに強ミノを打ったり
2か月に一度はエコーなどをしていた優良患者だったのに…。
急にガン組織が活発になりもう手術で取れなくなっていた。
「ガンの進行が思ったより進んでいて取る事ができません、
余命は1〜2か月です。」
手術中の医者から呼ばれ聞いたときは頭が真っ白になってしまって
胸に何かが詰まった様に苦しくなるだけで何も考えられず
涙も出なかった。
しかし2日後のお見舞の帰りバッグの中で見つけた
母が手術をする前に渡されていた「○○を買ってきて下さい」というメモを
見つけた瞬間に嗚咽が止まらなくなった。
すっかり忘れていたそのメモを見ながら
私はなんて親不孝だったのだろう。こんな事さえも忘れてしまってたと…。
手術前は「仕事が忙しいだろうから1週間に一度ぐらいお見舞にくるだけでいいよ」
という母の言葉に甘えて余りお見舞に行かなかった。
母の自覚症状が無いのでガンを甘く見ていたこともあった。
でも腫瘍が大きくなってしまったという事で弱気になっていた母を私は
「もう!年取ると弱気になるんだからぁ」とか軽くあしらっていた。
今は毎日お見舞に行くが、母は「毎日来てもらうの大変だろうけど
来てもらうと凄く落ちつくの」って言う。
今まで病院でどんなに寂しい思いをさせていたか…。
30代中半になりながらも母に甘えっぱなしだった。
これからは母に思いっきり甘えて欲しい。
私が「親孝行出来た」と思える日が来るまで生きていて欲しい!
231 :
大人の名無しさん:02/09/15 10:20 ID:iXylbtMd
>>221 自分はあなたを否定しないし、あなたの義父も否定しない。
長い間あなたが辛かったのと同様に義父も辛かったと思う。
きっと義父とあなたの母親との間で何度も話し合っているだろうし、
いろいろ葛藤があったと思うよ。
このスレに書いたからこそ何かのきっかけにならないかな。
今度逢ったときに当時の想いを淡々と伝えればいい。
伝えるのは難しいだろうけれど出来ない事はないと思う。
232 :
大人の名無しさん:02/09/15 11:25 ID:eehPJ4u2
>>231 同意です。妹達はともかく、お義父さんはそれなりに気を遣ってたはずだと思う。
もちろん221が辛かったことには違いはないだろうけど。
むしろ
>>224みたいな同情の仕方が薄っぺらな感じがしてちょっとなあって感じ。
233 :
大人の名無しさん:02/09/15 14:40 ID:DJceFlad
>>231-232 同意できない
いわゆる「大人受けの悪い子供」ってのがいるんだよ
大人ってのは、人懐っこくて天真爛漫でそれこそ
>>221さんが書いてたみたいな
太陽の下で泥だらけになって遊ぶような子を良しとしがち。
逆に物静かで人見知りするような子は「暗い」のひとことで済ませるんだよ。
それだって立派な個性なのにね。
で、ほっといてくれたらいいのに、それをいちいち「根暗」だのってネガティブな
言葉で罵倒する。そんなことして何になるの?ってその父親に言いたいよ。
父親に葛藤があったのなら
>>221さんの個性を認めようと努力してくれなくちゃ。
それが、小さい子に対する大人の寛容ってもんだよね?
自分の理想に当てはまらない子供だからって、それを責めるなんて・・・
絶対言い返せない立場の相手(しかも子供)を無神経な言葉で人格否定しつづけ
るような父親が「気を遣っていた」とは到底思えない。
234 :
232:02/09/15 15:49 ID:eehPJ4u2
>>233 うーん、俺も
>>231の人も全面的に義父を擁護してないと思うけど・・・。
「少しは」と書いたつもり。多分根っからの悪人では無いけど「凄い無神経」な人なんだろうね<義父
きっと個々の性格にあった接し方など出来ない人で、それで221が辛い思いしたんだろうね。
ただ、だからといって「血が繋がってないから221に対して愛情がない」とか、
「そんな人には会わなくていい」などと、他人が簡単に言い切るのはどうかと思っただけ。
それに、自分がもしそんな立場(結婚相手に子供が居た)になって、
自分の意思に反してその子との関係がうまく行かなかったとして、
他人からそんなこと言われたらかなり凹むと思うよ。
何度も言うが221を責めるつもりは一切ないし、
無理矢理に関係を修復しろとも思わない、俺は。
235 :
大人の名無しさん:02/09/15 15:55 ID:VXEBjgXw
「気を遣っている」つもりではあったかもね。
この子を妹達のような子供らしい子にしてやるんだ、とか。
「Papa told me」にそんな話があったような。
子供のうちは上手く言葉で反論できないし、義理の父だし、
221さんは辛かったと思う。
でも、231さんの言うように、自分が大人になってから冷静に話ができれば
いいね。分かってくれないかもしれないけれど、人は変わる(場合もある)。
236 :
232:02/09/15 16:01 ID:eehPJ4u2
ごめんなさい。
>>232で俺は、
「少しは気を遣った」ではなく「それになりに気を遣ってたはず」
って書いてましたね。
まあ似たような意味ですが。
失礼しました。
237 :
大人の名無しさん:02/09/16 12:34 ID:+1o8192/
みんな基準が自分の家族になるからここを読むといろんな家族があるなと
つくづく思う。それを反面教師にして自分の糧に出来ればいいなと感じる。
自分は子どもが大好きなんだけど子どもを作れない体なんだ。
弟が結婚して子どもができたと聞いたときは結構複雑だったな。
生まれてみればかわいくてあんな考えを持った自分がばかばかしく思った(笑)
で、その姪っ子ももうすぐ3歳なんだけど先日遊びに来たときに
始めて私の絵を描いてくれた。思わずホロロときたね。
うれしかったよ。
238 :
大人の名無しさん:02/09/16 12:59 ID:MauRzwiT
>>237 私の両親て双方共ひとりっこだったから叔父さん・伯母さんってのがいないんだよね。
もちろんいとこも。
叔父さん・伯母さんってのは両親とはまた違った頼れる存在じゃん。親にも友達にも
言えないことを相談できたり。
私の友人の叔母さんのうちに、友人といっしょに何度か泊まりにいったりしたことが
あって、そういう関係を肌で感じてすごく羨ましかった。
なんか思い出してしまったよ。自分語りスマソ。
暑い日のことでした。
炎天下の中仕事をしていた私は、道端で車に轢かれて苦しんでいる子猫を見つけました。
口から血を吐いて、身体も変な風に捩れていて、とても助かりそうにはありませんでした。
子猫を抱きしめたまま途方に暮れていた私を、若いカップルの乗った車が見つけてくれて、
親切に動物病院まで乗せてくれました。
休診時間にも関わらず、獣医さんはすぐに適切な処置をしてくれました。
野良猫だったので、飼おうと思って家に連れて行ったのですが、
前から飼っていた猫と折り合いが悪く、また私も一人暮らしなので
とても面倒を見てやることができそうにありませんでした。
そこで、前々から存在だけは知っていたボランティア団体に引き取ってもらうことにしました。
代表の女性の方に事情を説明している内に、泣けて泣けて仕方がありませんでした。
自分は何て無責任なんだろうと。
助けるだけ助けて、最後まで面倒をみてやらないのかと。
でも、その女性は優しく言ってくれました。
「あなたがほっておいたら確実にその子は死んでいたんだから。人それぞれの事情が
あるんだし、そんなに責任感じて泣かないでね」
と。
ありきたりな言葉かもしれませんが、とても嬉しかったです。
その言葉を聞いて、また泣いてしまいました。
あれから1年近く経ちます。
その子は幸いにも優しいお家に引き取られ、事故の後遺症も無く元気に暮らしているそうです。
毎月少しずつその団体には送金していますが、そのたびに暖かい葉書を頂いています。
あの時助けてくれたカップルさん、獣医さんのことを思い出すと、今でもじ〜んと来てしまいます。
そして、財政難の中、捨てられた動物たちの世話を一生懸命している団体の方々にも本当に頭が下がります。
少しスレ違いかもしれませんが、書かせて頂きました。
ありがとうございます。
240 :
大人の名無しさん:02/09/17 06:40 ID:qT62rrD1
>>239。・゚・(ノД`)・゚・。
その団体ぢょーほーきぼーん
私も送金参加したいなり
>>240 有難うございます。
ただその団体は本当に小規模なので、HPを作っていないのです。
現住所や連絡先などをここに書くわけにもいかないでしょうし・・・。
これは私の勝手な提案ですが、そういったボランティア団体は全国に幾つもあります。
>>240さんご自身が色々探されて、ご自分のやりやすい方法で
援助されてはいかがでしょうか?
もしもどうしてもこちらの団体をお知りになりたいのであれば、その旨
また書いて頂けますか?
・・・でもその場合どうしたら良いでしょう?
242 :
大人の名無しさん:02/09/17 23:30 ID:mFVbXfSl
>>241 >・・・でもその場合どうしたら良いでしょう?
知りたい人が捨てメアドを晒せばいいとおもう。
ここで関係ない話となりますが、登録予定がなかったらしい
過去スレのその2が、過去ログ登録されたようですね。
244 :
大人の名無しさん:02/09/18 08:20 ID:pfcltwM4
hosyu
246 :
241:02/09/20 00:41 ID:DiKRKRYr
247 :
241:02/09/20 00:42 ID:DiKRKRYr
ごめんなさい。内容書かずにキー押してしまいました。
教えてくださってありがとうございます。
248 :
大人の名無しさん:02/09/21 23:19 ID:yhlmPnK/
249 :
大人の名無しさん:02/09/22 00:29 ID:FyXOmDBz
>>248 これ、良かった!
ありがとう
2番目ので号泣した
まだ21なんですが,これを見ていろいろ思い出しました。
年齢がダメなので,下げておきます。
私が大学一年の時,おじがなくなりました。リンパ癌で,年齢も若かったため,
癌といわれて数ヶ月しかもちませんでした。
正直,おじと私は、それほど会う機会もなく,そのため,少し苦手でした。
癌と告知はされていませんでした,しかし,自分では長くないと思っていたのでしょう。
辛かっただろうに,おばと,息子にお金を残したいと考えていたらしく,
個室ではなく相室でがんばっていたようです。
(最終的には,私の父母がだし,個室に移りました。)
私は,病院に行ったことがありません。ただ,墓参りをして,
そのついでにという名目で,おじにあいにいきました。これが,最後になりました。
当日は,おじは,私と姉が来るという事で,ものすごく喜んでいたそうです。
時刻表を見るのが苦手な私と姉に,時刻表で,帰る方法,時間を調べてくれました。
その時のおじには,ページを操る力さえ,あまりなかったようで,
それを見て感謝するとともに悲しくなりました。帰りの電車で,少し泣きました。
葬式の最中,私は泣けませんでした。おばと私の母も,葬式では泣きましたが,
あまりにショックだったのだと思います。看護疲れもあったのでしょう。
お通夜のときは妙に明るく,それが不憫でしかたありませんでした。
おじの死後,鞄を見てみると,叔父の息子と,私の姉と,私の小さい頃の写真が,
大切にしまわれていました。
251 :
続き:02/09/22 16:52 ID:MexuJGy2
今まで,私は泣きませんでした。実感がまったくなかったからです。
でも,このスレを見て,初めて泣きました…
ページを折る力さえないのに,電車を調べてくれたおじ。
小さい頃の写真を,かたときも離さず持っていてくれたおじ。
今度の法事には,おじの好きなものを持っていてあげたいと思います。
私は,鬱状態が長く続いており,ほんとに死にたいときも何度もありますが,
その何年か前にやはり最後まで病気と戦い,残った私達の事を心配してくれた
祖母と,おじの,生きようとする姿勢や,残された私の愛する人々。
そのために,自殺は,せず,がんばって生きようと思います。
長いうえに,支離滅裂で申し訳ありませんでした。
不倫していた。
4年間も妻を裏切り続けていた。
ネットで出会った彼女。
最初は軽い気持ちで逢い、次第にお互いの身体に溺れていった。
幸い、ずる賢く立ち回ったこともあり、妻には全くばれなかった。
彼女と関係を持った夜、遅く帰っても、ただにっこりと迎えてくれる女だった。
しかし、そんな関係がずっと続くわけはなく。
最近、彼女から別れを告げられた。
新しく好きな人が出来たとのこと。
まあ、よくある話し。
独身の彼女にそう言われれば、責めることも出来ない立場であって。
ただ「よかったな」と強がりを言い残して別れた。
4年も付き合っていた女と別れるというのは、想像以上に辛いものだった。
心の中にポッカリと開いた穴は、容易に埋められるものではなかった。
その寂しさを紛らわすため、これまで全くかまってやれなかった妻に、白々しく優しくしたり、遅くまで思い出話をしたりなんかして。
妻も、結婚後久しく見せなかった笑顔で、俺の話しに付き合ってくれた。
機械音痴な妻に、携帯メールを教え込んだ。
彼女からパッタリと来なくなったメールの寂しさを紛らわすため。
我ながら、その動機の不純さにあきれながらも、あまり期待もせず妻からのメールを待った。
ある日のお昼前、携帯にメールの着信音が響いた。
妻からの初メールだった。
何げに開いてみた。
涙が出た。止め処もなく涙が出た。
「初めてメエルします 線が引けない もつとちやんと、習ておけばよかた でも今はすごく幸せて感じかな」
こんな不器用なメール、見たことねぇよ。
俺は今まで、何やってたんだろう。
自分の不甲斐なさや汚さ、妻に対する愛おしさがごちゃ混ぜになって、とにかく涙が出た。
こいつを一生大切にしてやろうと思った。
長文スマソ。なんか俺だけが泣ける話しだな。読んでくれた人、ごめん。
>>253 うまく表現出来ないんだけど、何となくその気持ち分かる。
特に最後の一節「でも今はすごく幸せて感じかな」
この部分、俺もぐっと来るものがあったよ。
奥さんを末永く大切に・・。
>>252 奥さん知ってたのかもね。
じゃないとわざわざそんなこと書かないんじゃない?
そう思うとちょっと切ないね
>>253 奥さんの初メールは「もしかして不倫を知ってました」なんて内容じゃないかと予想してた。
でも全然逆で不器用でつたないメールにかえって泣けた。
一生懸命慣れないメールを打ってる姿が目に浮かぶようで。
257 :
255:02/09/24 22:09 ID:t1up+KGc
あっ、252もきっとそれに気付いて涙が出たんだね。
逝ってきます。
258 :
大人の名無しさん:02/09/25 08:43 ID:wXmLPMdc
なんとなく気づいていたに1000ペリカ。
女の勘はバカにできない。
大事にしてやれ。
古きよき時代の日本の女という感じでいい奥さんですな〜。
田嶋陽子が見たら激怒しそうだけど。
子供の七五三で貸衣装屋へ行った。
3歳の女の子用なので赤やピンクの可愛らしい衣装に囲まれ、娘はとっても嬉しそうだった。
周りではやっぱり両親や祖父母と共に衣装を選ぶ子供たち。
皆嬉しそうで店員さんたちもニコニコしていて店の中すべてが幸せそのもの、て感じだった。
ねえ私のおかあさん。
子供ってこんなにかわいいよ。愛しいよ。晴れ着も似合っているよ。
写真のお姉ちゃんも3歳と7歳の時晴れ着着ていたね。羨ましかったよ。
私もやりたかったよ。
成人式も着物着たかったし出席したかった。
中学と高校の入学式も、お下がりじゃない新しい制服が着たかった。
高校卒業して入った会社の入社式も、ちゃんとスーツが欲しかった。
私の服、いつもよれよれのどっかからのお下がりで下着すらちゃんと持ってなかった。
お姉ちゃんはいつもきれいな色のふわふわ、ひらひらしたきれいなブラジャーとか
着けてたけど、私はサイズも合っていない後ろのところがのびのびになった
中一の時初めて買ってもらったブラを6年間使ってたんだよ。穴だって開いてた。
私とダンナの子供、とってもかわいいよ。お姉ちゃんちの子供より遥かにね。
子供の頃の私の分も、私の子供を愛してるよ。
絶対あんたたちより幸せになって、そうやって心で仕返ししてやるから。
261 :
大人の名無しさん:02/09/25 12:59 ID:vmlxPn2+
>260
あまり力みすぎると、子供が可哀相だよ。
>261
ありがとう。気をつけます。
263 :
大人の名無しさん:02/09/25 22:21 ID:gWN9JFJ3
>262
頑張りすぎずに、ゆっくり幸せになってね。
ちょっと出遅れたけど。
264 :
コギャルとH:02/09/25 22:22 ID:UgEbtKlH
遅レスだけど21歳の
>>250-251 支離滅裂なんかじゃなくちゃんと伝わってくるモノがあったよ。
頑張りすぎて疲れたらまたここを覗いてみてね。
レスポンスが遅くなって本当にごめんね。
>>260 お母さんやお姉さんちのことを気にしないでも
幸せを実感出来るようになればいいね。
ほんと力みすぎだと思うよ。
スレ違いってことにも気が付かないほど余裕ないみたいだし。
267 :
大人の名無しさん:02/09/26 00:32 ID:moRkWK3d
>>266 >スレ違いってことにも気が付かないほど余裕ないみたいだし。
いや
>>260はずっと心の中で嗚咽して育ってきたんだと思う
>>260 応援してるよ
269 :
261:02/09/26 13:06 ID:M5BUmxic
>260
>絶対あんたたちより幸せになって、そうやって心で仕返ししてやるから。
応援してるけど、↑は応援しない。
マターリがんがれ。
幸せなんか、競争するモンじゃないし。
270 :
260:02/09/26 22:14 ID:TRmLCF2v
261.263.266.267.268
マターリですね。レスくれてありがとう嬉しかったです。
昨日うちの犬が死んだ・・・
16年間生きてたんだ。人間で言うと何歳なんだろ。
16年って、俺にとったら人生のほんの一部。
でも、あいつにとったらそれが頑張って頑張って
精一杯生きた、もうこれ以上は無理って人生なんだよね。
俺、何回遊んでやったろう。
もっと一緒にいてやれば良かった。
そう思うと、鼻からも涙が出てきたよ・・・
ごめんね、たかがわんこのことで。かっこ悪い・・・
>>271 いいんだよ。
自分もやっぱり16年一緒に暮らした犬が死んだとき
胸にぽっかりあいた穴を埋めようと無茶して過労になったよ。(苦藁
家庭内が険悪だったから、その犬だけが心のよりどころだったしね。
晩年は寝てるだけだったけど、それだけで充分だった。今も忘れてない。
その当時知識が無くてそいつにしてやれなかったことを
新しく一緒に暮らし始めた犬にしてやれたらと思ってる。
おっと。
271は当分なにも考えられないだろうから泣けるだけ泣いていいよ。
まだ先は考えないで充分思い出を噛み締めてくれ。
変なレスでスマソ
追伸
271は当分なにも考えられないだろうから泣けるだけ泣いていいよ。
まだ先は考えないで充分思い出を噛み締めてくれ。
変なレスでスマソ
二重カキコスマソ (恥
276 :
271:02/09/27 20:06 ID:myiifGy2
>>272 どうもありがとう。
書き込みの数だけ、なんだか救われた気分です。
>271
「たかがわんこ」じゃないよ。
271にとっての「16年分の人生の一部分」を亡くしたってことでも
あるんだから、そりゃ辛いし泣けてもくるさ。
今は泣いていい。ただ、体壊さないようにな。
278 :
大人の名無し:02/09/28 21:50 ID:MUMtYKwC
大してモテもしない俺が浮気を始めた。
彼女は遠距離恋愛でとんとご無沙汰。
愛してはいても、というやつだった。
そんな倦怠期になんだかんだと相談に乗ってくれた人だった。
部活の後輩で、それ以外にもなにかと一緒に仕事をした仲だった。
カスミ(仮名)を後輩としてじゃなく女として意識を始めたのはこの夏から。
四人の弟どもの面倒を見る五人姉弟の長女でしっかり者、けれども
どこか張り詰めたような、でも確かな気丈さに惚れて口説き落とした。
そのときカスミがこう言った。
「何もかも受け止めてくれますか?」
って。こう言われて引き下がったら男じゃ無いと思って
「あぁ、もちろんだ」
なんて軽く言った。
あんまし深く考えてなかった。
すまないsageる。それから親が居ない時を見計らって家に呼んで
さぁこれからってときにカスミが目に涙浮かべた。
焦りすぎた!って思ってとっさにあやまった。
そしたら「わっ」って泣き出した。
慌ててどうしたんだ?って聞いたら、驚いた。
「初めてじゃないの、ワタシ。」
んなこと俺が今更気にするかよ。って笑って言ったら、
「お父さんなの。」
一瞬凍りついた。
そんな馬鹿な?まさか?
固まってる俺をみて、またカスミは顔を伏せて泣き出した。
後日電話でぽつり、ぽつり、詳しい話をしてくれた。
それはカスミが小二の頃、お父さんが人形遊びをしようって
カスミを裸にして弄り出したのが始まりだった。
段々エスカレートして、、、本番はいつか詳しく話さなかったけれど
小学生の間だったらしい。
しかもよくよく聞くとそのお父さんは実の父親でなく
カスミが三つの時に彼女の母親と結婚した義理の父らしかった。
(それを知ったのは小五のころカスミが
部屋のタンスで苗字の違う自分の名前の臍の尾を見つけ、
母親に問いただしたから)
あとはもう聞いてても地獄だった。
再婚の気疲れで義父に頼りっぱなしな母親と幼い弟たちが襖一枚
隔てた奥で布団を被せられて無理矢理…
寝たらお父さんが来る、怖い。
でも疲れて眠ってそしたらいつの間にかお父さんはいて、
行為が一晩中続いてまた朝になる。この繰り返し。
そしてそれがもう八年になる。
それを母親は知っても見てみぬふり。
耐えかねてカスミが祖母のところに家出をしてやっと母親は離婚届を出した。
けれど経済的に、幼い子供たちを抱え(五男はまだ四歳!)
精神的にも苦しい母親は義父になにかと甘えた。
そして結局離婚しても義父はカスミの家に入り浸って同棲同然の毎日。
何も変わらない夜
幼い弟たちは無邪気にパパ、パパと懐いている。
一緒に買い物に行き、アレを買ってもらった、コレを買ってもらった、
そんな話を笑顔でする。
カスミは義父が怖くて祖母の家に逃げ込んでそこから高校に通ってる。
でも週末になると実家に帰らないといけない。
そしたら義父がいる。こわい
もうどうしようもない
俺は絶句した。
この話は今まで誰にもしたことが無いと言う。
そんな話を俺にしてくれたことを嬉しく思ったし、哀しく思った。
けしてカスミがお遊びってわけじゃないけれど、
真剣に愛している人が他にいたから。
児童相談所に話をする事もカスミに持ちかけてみたが
弟たちから父親の存在を奪う事は出来ないと頑なに拒否された。
健気なカスミを見て、この世の残酷さを呪った。
それから忙しく、そういう関係としてはカスミとは逢っていない。
近々、またゆっくり話そうと思ってる。
大人言いつつリア工でスマン
カスミさんをどこかに避難させなければならないね。
父親に知られないよう被害にあった女性用のシェルターを
探す手伝いでも出来ないか?
くれぐれも父親に知られないように。引き留めるために何をするかわからないから。
こういった問題の対処法をご存知の方の情報求む!
>>282はカスミさんを汚いという見方をしないで普通に接してあげて欲しい。
(レスから察するに、そうしているみたいなので安心)
282がカスミさんの傷まで支えようとしないでもいい。
それは彼女の身の安全を確保してから、専門家に任せて。
物理的な手伝いや(荷物の運び出し等)
普通通りのおつき合いをすることで充分だと思う。気負い過ぎないで。
286 :
282:02/09/29 00:03 ID:/kbcjZ/Q
>283 284 285
レス有難う御座います。
カスミは精神科医のところにもこの春行ったと聞いた。
拒食症の疑いが何とかで、その時だけは妙に母親が焦ったそうで。
大学病院に行って、紹介してもらったカウンセラー?のところに通うようになった。
男性だったから最初は抵抗も合って、なかなか本題には話せなかったらしい。
それで一ヶ月、二ヶ月、経って、カスミも安心しかけた頃。
ゆっくり話がしたいと持ちかけられて、カウンセラーの自宅に行ったら酒を振舞われて、
車で送ってあげるよといわれて気が付いたらホテルのベッドの上。
必死に嫌だ嫌だって叫んだから何にも、、、脱がされただけで返してもらえた。
酒が回って赤い顔で帰ってきたら母親がサトミに
「遅かったネェ、まさかお父さん(既に離婚済み)のところじゃなかったの!?」
なんにもしてやれない自分が悔しくて、辛くて、誰かに話を聞いてもらいたくて…
287 :
282:02/09/29 00:04 ID:/kbcjZ/Q
すんません…サトミ→カスミです鬱
>>285 まったく。無力どころか加害者になってる。
>>286 信じたくない話ですね。怒りを禁じ得ません。
カウンセラーは緊急以外はカウンセリングを受ける人の都合だけにあわせないですし
まして「自宅に入れる」ことは厳禁と言っていいはずです。
カスミさんに無理さえなければ、被害届を出してもいいのでは?
>その時だけは妙に母親が焦ったそうで
家庭内の事情がしれるとどちらの親も困るということです。
だからカスミさんの安全を図るために
家庭内のことを秘密にせず、親からかくまってもらわないと。
極端な場合、殺人にいたることも考えられるとおもうのですが。
とにかくカスミさんの身の安全を第一に確保した方が良いように思います。
>>281 >でも週末になると実家に帰らないといけない。
なぜ帰らないといけないのだろう?
おばあちゃんには本当のことは話していないのだろうか。
話せば帰らないでもいいようにしてくれると思うのだけど。
話していないのなら話すべきじゃないかな。
あと、なんとか実のお父さんを探し出せないものだろうか。
1つ気になるんだが・・。
>>278は「浮気」でそのカスミなる女性と付き合ってるんだよね?
もし「浮気」と割り切っているんなら、それ以上「カスミ」には関わらない方が
いいんじゃないか、とオレは思うが。
結局、最後は弄んで捨てるつもりなんだろうし、そしたら「カスミ」が
よけい可哀想に思えてくる。
もし、本気で「カスミ」を何とかしたいと思うなら、今の彼女との付き合いを
清算すべきなんじゃないかと思う。
もし、彼女が本気なら、その気持ちを弄ぶのはやはりどうかと思うし。
ただし「人道的」にどうにかしたいと思うなら話は別。
でも、あくまで「カスミ」の人生にあまり踏み込むべきではない。
最後に決めるのは「カスミ」なんだし。
一連の書き込み見て、感じたことをそのまま書いてみました。
292 :
282:02/09/29 16:41 ID:oMkFc8Ta
>288さん
被害届の話もしたんですが、弟たちが不憫だからそれはできないと
どうしても嫌がるんです。俺も立場上深入りはできないし…
>289さん
それは祖父がかなりのアルコール中毒なんです。
普段はいい人らしいんですが、酒が入ると手がつけられないくらい暴れて…
左官屋さんなので腕力もまだ半端じゃなくて祖母じゃどうしようもないみたいなんです。
それに母親が週末くらいは家に帰って来いと急かすようです。
高校が近いからという理由で逃げ込んでいるので。
293 :
282:02/09/29 16:50 ID:viiONO01
>290さん
実の父親は…カスミの母親への暴力ですでに離婚しています。
落ち込んでいたところを今の義父が慰めて交際が始まったと聞いたので。
>291さん
…その通りです。
その話も以前の電話のときにしました。けれど
「もう何でもいいからそばにいて欲しい、できるだけそばにいて欲しい」
と言われ、正直悩んでいます。
せめてもう一度母親に相談するようにも勧めたのですが
「墓場まで持ってくから」
ともう誰にも打ち明ける様子が無いんです。
291さんの仰る通り、最後はカスミ自身が決める事です。
けれどこのまま終らせてしまうわけにはゼッタイにいかないし…
294 :
大人の名無しさん:02/09/29 17:34 ID:dYtZsYc6
>>292 被害届はカウンセラーに対してだろ?なぜ弟たちが不憫になる?
あと義父のことは、その祖父母に力になってもらえないものだろうか。
あくまでも酒の入っていないときに。
>>293 キミ自身はもう気持ちが離れているんだね。
「カスミ」の力になってほしいと思うけど
中途半端が一番いけないような気が・・・
295 :
282:02/09/29 18:42 ID:nlrtfg7V
>294さん
事の根本を突き詰めると当然と言うか、やっぱりカスミと義父は是が非でも
引き剥がさなきゃならない。そうすると…血が半分繋がった弟たちにとっては
実の父親を奪う事になる。
ここに悩んでいるようです。
>中途半端が一番いけないような気が・・・
ここばっかりはカスミともう一度よく話し合ってみます。
火曜から来週一杯休みなので。
冷たい言い方かもしれないけど、所詮リア工に何が出来るの?
いくら君が悩んでも、いくら当人と話し合っても、解決策なんて出るわけがない。
君の気持ちがカスミさんから離れている以上、ね。
それに、君が踏み込もうとしてる領域は、すでに君はおろか、
下手な大人でさえ手に負えない領域。
もし、それでも君が、カスミさんを助けたいと思うなら、
君が一生カスミさんを守るぐらいの覚悟が必要。
その覚悟が出来ないなら、カスミさんには近づかない方が懸命。
参考になるかどうか解りませんが、
「凍りついた瞳」という文庫本(漫画)をお薦めします。
性的虐待、あるいは暴力を受けた子供たちを、
どうやって助けたらよいのかというルポルタージュのような本です。
その子供たちに接した医者や保健婦などが主人公として描かれてるので、
282さんの求めている答えがあるかどうかは微妙ですが、
少しでも参考になれば幸いです。
298 :
282:02/09/29 23:25 ID:Q5v2zRK2
>296さん
>君が一生カスミさんを守るぐらいの覚悟が必要。
>その覚悟が出来ないなら、カスミさんには近づかない方が懸命。
本当は誰かにそう言ってもらいたかったのかもしれないでつ。
生半可に俺なんかが捏ね繰り回すよりそっちの方が・・・
俺よりもっとしっかりした誰かが、きっと助けてやれるはず。
そう思うしかないのか
299 :
282:02/09/29 23:33 ID:Q5v2zRK2
>297さん
ありがとうございます。本屋逝って探してみます。
かわいい後輩であることに変わりはないので。
自分なりに、ほんとに僅かだけど、できること探したいと思います。
300 :
297:02/09/29 23:47 ID:zbueSxF/
頑張ってくださいね。
ただ、私も皆さんが言うように、心が離れてしまっているのであれば、
あまり深入りしないほうがあなたのためでもあるし、カスミさんのためでもあると思います。
その本をご覧になればお解りかと思いますが、
助けてくれる病院やカウンセラーはきっといるはずです。
ひどいカウンセラーに会ってしまったカスミさんは本当に気の毒ですが、
真剣に虐待を受けた子供たちを救おうとしている方々もたくさんいる、ということです。
そのことだけでもお知らせしたくて、この本をお薦めしました。
是非読んでみてくださいね。
301 :
282:02/09/29 23:53 ID:Q5v2zRK2
皆さんありがとうございますた。
俺自身も気が滅入ってどうしようもなかったんです。
誰でもいいから打ち明けたかった。
ネタだと言えたらどんなに楽か…
コテハンうざいだろうし、このままだと板違いになりそうなので消えます。
ホントにホントにありがとうございました。
この三十路板で立ち直ったカスミのことをひっそりつぶやける日が
必ず来ることを信じて。
302 :
大人の名無しさん:02/09/29 23:58 ID:8wIQJgvk
282>
私は,カスミさんのような体験はありませんが,
レイプされた事があります。親にも言えませんでした。
数人だけは知っていますが,その中に,あなたと同じような立場の人がいます。
その人にあいにいった時にそういう事が起こったことも,多少関係があるかもしれませんが,
(一度されてから,違う人からそういうようなことがまた起こっても,
体が動かなくて,声も出せないで,そのままされてしまいました)
私は,またそれが起こる前,その人に一緒にいて欲しかったです,心底。
同じように,今も心底そばにいて欲しいと思っています。
それでも,今後悔しています。その人と離れられないことが,
新しいストレスとなっています(あの人には恋人がいるので)。
あまり,踏み込まない方が良いと思うし,あまり側にいないほうが良いと思います。
あなたは,カスミさんが本当に必要な時に,いてあげられないかもしれません。
彼女がいるんですから。生半可な気持ちで,一緒にいてあげて欲しくない。
少しづつ,彼女が少し落ち着いてきたら,自然に距離をとってあげてください。
(ただ,彼女を傷つけるように実行するのは,本当に大変な作業だと思います)
ところで…なんで母親はわかってるのに,
週末くらいは家に帰ってこいなんて言うの?(苦笑)
正直,母親の心境が理解できない…おじいさんが,酒乱で週末いれないというなら,
シェルターなりなんなりに行ったほうが良いと思いますよ。週末だけでも。
彼女,多分,今,すごく男の人が怖いと思う。セックスばかり求められているようだし。
288の事も,本当は怖がってるかもしれない。
(最初の事があるし,いくら側に誰かいて欲しいと思っても,
その人を心の中で怖いと思うのは,実は,結構ありました。)
彼女に必要なのは,時間と余裕。そして,ちゃんとしたカウンセラー。
何よりも,父親とあわないようにする手段だと思います。
長い上にわかりにくくてごめんなさい。
自分の事も思い出してしまって,泣きながら書いてるものだから…
>彼女に必要なのは,時間と余裕。そして,ちゃんとしたカウンセラー。
>何よりも,父親とあわないようにする手段だと思います。
その通りだね。
282の気持ちは察するけれど、きちんとした大人に介入してもらって。
貴方も危険にさらされる怖れもあるしね。
彼女の両親、祖父母もこの場合まったくあてにならないと思われる。
こういう家族関係なら良識ある専門家という他人が一番の味方。
304 :
大人の名無しさん:02/09/30 01:52 ID:m+Ux+710
282さん
そのカウンセラーはまだ平然とカウンセリングを続けてるのだろうか?
彼女と同じ被害を出さない為にもそいつをどうにか出来ないものだろうか?
友達がカウンセリングを受けた時は女の子には女の人のカウンセラーが
付いたのだが、そこの場所が腐ってるのかもしれないね。
被害者は結構いるかもしれない。
母親より女としての立場を取ってしまってる
彼女の母親が一番問題と思うのだが。
性的虐待を受けた人が一番辛いのはその事を知っている
肉親が見て見ぬ振りを決め込む事らしい。
そしてその心情は「私の男を取る憎い娘」に変って行く事がある。
そこで救いの手を差し伸べてくれる肉親がいたなら立ち直りは
早いそうです。
母親もカウンセリングを受けてくれれば良いのに。
305 :
294:02/09/30 02:04 ID:FR5GejoJ
>>282 sageるの忘れててゴメン。
>コテハンうざいだろうし、このままだと板違いになりそうなので消えます。
消えてもいいけど時々のぞきにおいでよ。ここ結構良識ある人がいるから。
いいアドバイスしてくれるかも。
>>303 やっぱりこの祖父母じゃあてにならないかな。
この祖父母があてになれば、かなり事態が好転すると思うのだが。
俺がこのじいさんだったら、かわいい孫のために死力を振り絞るけどなぁ。
282が自分なりに、ほんとに僅かだけど、できること探したいと望んでいるのなら
カスミさんが本当に信頼できるような女性のカウンセラーを探してあげることかな。
306 :
大人の名無しさん:02/09/30 07:56 ID:lpZ1JM8J
>294
う〜ん,私も祖父母が当てになれば良いと思うけど,
282がカウンセラー探すのはどうかと思う。
人に紹介してもらったカウンセラーって,やめにくいし,変なカウンセラー,
多いから…押し付けにならないかなあ?カウンセラー不信にもなってるだろうし。
282にちゃんとしたカウンセラーが探し出せるとは思えないな。
他の人はいくつもうけて,自分にあったカウンセラー探すんだから…
一番良いのは,やっぱ,そういう児童?虐待なり,婦人相談員を介した
カウンセラーの紹介だと思うよ。
警察なら事を公にしちゃうかもしれないけど,そういう施設なら,
彼女が事を公にしたくないって事を理解してそれなりに対応するだろうから。
>>306 >一番良いのは,やっぱ,そういう児童?虐待なり,婦人相談員を介した
カウンセラーの紹介だと思うよ。
拒食もあったと書いていたからカウンセラーもいる精神科に
まずカスミさんに行ってもらおう。そこで全てを話して相談。
医者には守秘義務があるから警察に即通報とはならないと思う。
病院ならケースワーカとの連携でシェルターを紹介して貰えるかも。
メンヘル板で居住区のおすすめの精神科を調べられるよ。行ってみて。
309 :
大人の名無しさん:02/09/30 14:47 ID:bikTPOYU
子供にいたずらをし続けた殺人者が、子供が被害に遭わない
ためにはどうしたらよいかという本を書いた。
黙っているのが゛一番よくない。
騒いで、周りの大人に言いなさい。
加害者が一番おそれるのはそれだ。
カスミさんには何も悪くない、汚れてなんかいないと伝えてください。
漫画で萩尾望都の「残酷な神が支配する」というのが
あるんですが実際には何の役に経たないんですが
カスミさんの心理を理解するにはいいかもしれません。
>黙っているのが゛一番よくない。
騒いで、周りの大人に言いなさい。
加害者が一番おそれるのはそれだ。
そう。その際言う大人を選ぶことも大切。
カスミさんの肉親は駄目だと思う。
祖父母には理解できない事態。
父親は当然、母親もこの事実を無かったことにしたいはず。
身内の罪を隠すためカスミさんがもっとひどい暴力をうけるか
最悪あぼーんされても不思議ではない。
それがとても気がかり。
311 :
302.306:02/09/30 23:11 ID:Wxl/DF7N
>307
拒食は,これも原因しているような気がしてなりません。
私自身,レイプが原因のPTSDを持っているから余計なのかもしれませんが…
私も節食障害です。おそらくこれが原因となっているパニックもあります。
精神科は,薬を出すだけでした。カウンセラーは,怖くて行けませんでした。
カスミさんは,普通よりももっとカウンセラーに不信感を持っていると思います。
医者のみではなく,シェルターのカウンセラーにも秘守義務があります。
私は,シェルターから行ったほうが良いと思います。
精神科は,どんなに問題だとしても,患者自身(カスミさん)が望まなければ,
シェルターを介入しようとは考えにくいです。
信頼関係を築くまで,つまり,患者が望むまでには,時間がかかりすぎます。
私は,一刻も早く,父親からカスミさんが逃れる必要があると思います。
カスミさんは,父親から逃れられないという考えにとらわれているのではないかと思われます。
父親から逃れられるとわかったところで,やっと考えに余裕が出てくるのではないかとも。
ですから,なるべく早い対応の出来る機関ということで,シェルターをオススメします。
正直…私のような思いを,他の人もしているというのが,
悲しくてたまりません。こんな思いは,私だけで十分なのに…。
まだ21の小娘の勝手な押し付けかもしれませんが…これ以上,
性的な虐待からPTSD,それにまつわる苦悩を,少しでも味わって欲しくないのです。
弟の話。私はいま30代ですが、14歳年下の弟がいます。
弟は、先天的な障害で、身長が伸びません。
でも、性格も明るくとても優しい奴です。
そんな弟が小学生のころ七夕の短冊に書いていた願い事。
「背が伸びますように」両親や私達兄弟にひとことも言ったことは
ない言葉。
たぶん学校で、好奇な目で見られることもあったと思う。つらい事もあったと思う
それを見て涙が止まりませんでした。
弟へ。これからもし、つらいことがあっても、私達家族がいるから。
絶対忘れないで。
313 :
大人の名無しさん:02/10/01 03:39 ID:cTyu9jrK
>>312 もうなんて言ったらいいのか・・・涙があふれた。
私の妹も体が悪くて、学校で実際に辛い目にあってたのを目にしてたから
なんか人ごとに思えないよ。
とにかく回線のこちら側から弟さんを応援してる。
思う事でなんとか奇跡が起こってくれでもすればいいのに。
もどかしいよ。
314 :
大人の名無しさん:02/10/01 08:22 ID:LGljmSWg
>>309 カスミさんは何も悪くない、汚れてなんかいない
禿同!
レイプされた(心的レイプはまだ続いてる)彼女は
絶対汚れてない、彼女が自分をそう思いこまないように
それだけは助けてあげてほしい・・・
彼女がかわいそうでほんとに読んでるだけでもツライ。
その義父何とかならんのか・・・
315 :
大人の名無しさん:02/10/01 08:39 ID:yapvoHC7
高校まで一緒だった
中学の文化祭でそいつは実行委員長だった。
俺は副実行委員長だった。思いつきを行動に移すのが役目だった。
高校の時一人死んだ。
その後、渋谷のラブホテルから電話でエンジンが掛からないと電話してきた。
何で俺なのか聞いた。
「こんなとこでこんなこと頼めるのはおまえしかいなーよ。」
エンジンを掛けてやると彼女と3人で缶コーヒー飲んだ。
高校を卒業して、しばらくはよく飲みに出かけた10人ぐらいで。
そんなとき、「あいつ事故ったよ」と聞いた。
呼ばれたのかな。そー思った。
関越道でスリップして 女の子は無事だった。
でも そいつはだめだった。寝たきりになった。
その後もう一人死んだ。
あいつだけは連れて行かないでくれと願った。
もう1度みんなで遊びたかったから。馬鹿言いながら酒飲みたいと思ったから。
怖かったからお見舞いに行けなかった。
「そのうちよくなるさ」
そう思いたかった。
そいつの命の灯火が消えた。
精一杯 泣こうと思う。
思い出そう 青春の日々 輝いてた頃
あいつの分まで思い出してやろう。
精一杯生きたんだよな。
お前の人生 かっこよかったよ。
悲しいよ むなしいよ いい奴はみんな先に逝く
ごめん 動揺で めちゃくちゃだ
316 :
大人の名無しさん:02/10/01 08:45 ID:yapvoHC7
つづき
怖かったからお見舞いに行けなかった。
「そのうちよくなるさ」
そう思いたかった。
そいつの命の灯火が消えた。
精一杯 泣こうと思う。
思い出そう 青春の日々 輝いてた頃
あいつの分まで思い出してやろう。
精一杯生きたんだよな。
お前の人生 かっこよかったよ。
悲しいよ むなしいよ いい奴はみんな先に逝く
ごめん 動揺で めちゃくちゃだ
317 :
312:02/10/01 16:50 ID:ClF9pLF2
>>313 本当にありがとう。あなたの優しさがすごく嬉しい。
私も313さんと妹さん、心から応援します。
美術館でバイトをしていた。その日の仕事は地元の公募展の受け付け作業。
いっしょに一人、審査員の先生も同席してくれる。その時にいてくれたのは、
やさしいおじいちゃん、と言う感じの彫刻の先生。
一緒に並んで座っている私が咳をしていると「手を出しなさい」と言う。
不思議そうに手を出すと、服のポケットから出した缶入りの南天のど飴の
小さな缶を振って、私の手のひらに飴を落として「たべなさい」と優しく笑った。
私は風邪気味でその日は何度も咳をし、そのたびに手を出しなさいと言われた。
「大事にしなさい、人間は簡単に死ぬからね」とぽつんと言われ、
「やだー、先生、そんなに簡単に死にませんよー」と笑っていったら
「そうだなぁ、そうだなぁ」と優しく笑った。
半年後、新聞の死亡記事でその先生を見つけた。
その数日後に美術館でバイトをした時その先生の話になった。癌だった先生は、
告知を受けており、私が飴を貰った頃はすでに自分の死期が近い事を
知っていたという事だった。
その半年後、某美術展の地方巡回展があり、私は売店のバイトをする事になった。
開会日の前日、会場の売店の整理の合間に作品を見てきてもいいと責任者に
いわれて会場を回った。とても優しく笑っている女の子の彫刻に喪章がついていた。
審査員出品作。その先生の最後の作品だった。
優しい笑顔がふいに浮かんで、トイレにかけこんで泣いた。
私の母は私が幼い頃闘病生活の末、亡くなった。
もう殆ど覚えていない母だけど、
私の誕生日に渡して欲しいと15歳の誕生日までの手紙を残してくれていた。
毎年、誕生日にもういない母からの手紙が何よりも私は嬉しかった。
手紙から伝わってくる口うるさくて、心配性で、でも明るい母。
手紙に書く文体じゃなくて、まるで話すように書いてあるそれが、
もう記憶もほとんどない母が生きて傍にいる様で嬉しかった。
14歳の冬に父が再婚した。
直前までそのことを知らされなかった自分は父親に反発して反発して
口もききたくなくて、殆ど会話もなかった。
そして15歳の誕生日、そんな状況の中で父はいつものように私に母からの手紙を手渡した。
誕生日ケーキだと義母の手作りケーキと、ごちそうの並べられたテーブルで。
もう母をいない人間と処理して、他の人間を「母親」としたくせにと頭に血が上って、
死んだ母からの手紙をこんな場所で渡されることに激怒した私は、どうしようもなくカーッとなって
「他の女と結婚したくせに、こんなの渡さないでよ!ふざけんな!」と
手紙を破り捨て、ぐちゃぐちゃにまるめてゴミ箱に捨て、自室へと閉じこもった。
次の日、同じように二階の自室でふてくされて閉じこもっていたら、父親にくちゃくちゃの手紙を手渡された。
「これが母さんの書いた最後の手紙だ。持っていなさい」
昨日さんざんなことをした私に叱りつけることもなく、父はそれだけを言って一階に降りていった。
最後だと言うことにショックを受けながら読んだ手紙には、
母の今までの文字とは似ても似つかないミミズがのたくったような線が綴ってあった。
普通の文字を書くことも出来なくなってしまった母が、震える手で必死で書いた手紙は
私の馬鹿な所行のせいでどうしても読めなくなってしまった。
まだ20代の若かった父が母に先立たれ、まだ幼い子供を抱えて必死で育ててくれたこともわかれなかった。
義母も新しい家族のために一生懸命誕生日を祝ってくれていたのにも気付けなかった。
まだ幼い子供を残し無念の中死んだ母の、最後の伝えたかった言葉すら読んであげられなかった。
お母さんの最後の手紙、なんて書いてあったのかな。
ゴメン、お母さん、もう読めないよ。
15の春に高校でお父さんと出会ったんだよね。
そのことについては何か書いてくれたのかな。
やっぱり今までと同じように「外から帰ったらうがいして手洗いしてね」なんて書いてくれてたのかな。
お父さんね、私へのお母さんの最後の手紙までは再婚するの待ってたんだって。
ふたりめのお母さんがね、こそっと教えてくれたよ。
ねえお母さん、私、お母さんがこの手紙を書いてくれた時より年上になりました。
馬鹿な娘でごめんね。
嗚咽してしまいました…色々考えさせて下さってどうもありがとう…。
322 :
大人の名無しさん:02/10/02 07:49 ID:jcYDRvZ2
最後の四行グッときた。
いい親父だな。かっこいいな。
いい家族だな。
朝っぱらから泣かせんなよなぁ。
ほんと、かっこいい親父だ。こんな親父になりたいな。
まだ生きてるんだよな?
大事にしてやれ。
これ職場で読んだらシャレになんない。もう泣けて泣けて・・・・
>>318は書いた人とおじいさんの様子が浮かんできて胸がつまった。
>>319は馬鹿じゃない。とってもいい人。
そんな人に育てたお父さん、亡くなったお母さん、新しいお母さんが
どんなにいい人なのかも想像できる。
>>319さん
亡くなったお母様の分まで
いまのご両親、大事にしてあげてください。
326 :
大人の名無しさん:02/10/02 23:57 ID:MI7rXk9y
>>319さん
お手紙の文面、気になるでしょうね。でも、きっと、あなたには
もうよ〜くおわかりのことが書いてあったのでしょう。もう読む
までもないこと、そう神様が思って、新しいお母さまを迎える時
にあなたの手で破り捨てさせたのかも知れま...うぅ、な、涙が...。
>>319 ばかやろう。涙でパラダイスチャンネルが
見れね〜じゃね〜か。
328 :
大人の名無しさん:02/10/03 20:29 ID:nVl80R7m
>>320 大切にしなきゃいけないものとか
大切にしてくれる人とかに気付いていくのが
大人になることなんじゃないかと思いました
お母さんもお父さんも義母さんもみんな320を
大切にしてくれていたんだね
329 :
大人の名無しさん:02/10/04 12:43 ID:bgBkfhBn
ここになら書けそうだと思ったので、私もいいですか?
私が中学2年の時に、糖尿病を患っていた祖父が亡くなりました。
2月の初めの雪が降る日の事でした。
祖父は亡くなる1.2年前から病院に入院していましたが、病気のために体が思うように動かなく
看護婦さんや先生に当たる事もしばしばあったそうです。
そんなある日、入院しているはずの祖父が急に帰ってきたのです。タクシーに乗って。
(ここまで人に迷惑をかけるなんて困ったジジイだ…。)そう考えていました。
私は「どうしてちゃんと入院してなかったの!?」そう言って祖父を怒鳴りつけました。
でも、祖父はなにも言わず私の顔を見てニコニコ笑っているだけでした。
2時間後、祖父はまたタクシーで祖母と共に病院へと戻って行きました。
そうして祖父は寝たきりになって1年後病院でなくなりました。
祖父が亡くなった日、湯灌をしている時祖母がボソっともらしました。
「じいさん、孫さ会いに行くんだって言ってみ−んな止めるのも聞かずに
急に外さ出てタクシーさ乗ってしまうんだものなー。運転手さ(どこにいく?)って聞かれて
孫さ会いに行くって笑ってたな…」
じいちゃん、ごめんね。あの時は私に会いに来てくれたんだね。
それなのに怒っちゃってごめんね。早く病院に帰れなんて言っちゃってごめんね。
せめてあの時、お茶さえ入れてあげなかった自分が情けなくて悲しいです。
>>329 うんうん。。その時わかんなかったのはしょうがないよな。
でも、おじいちゃんニコニコしてあんたの顔見てたんだろ?
いいじゃん。じいちゃんそれだけで幸せだったと思うぞ。
あんたが後悔してること、今はもうわかってるよ、きっと。
331 :
大人の名無しさん:02/10/04 15:49 ID:XSmDo0gw
>>329 >330に同意。
おじいちゃんは329の怒られた時に「おまえに会いにきた」って言えたんだもん。
言わなかったってことは本当に「330に会えたこと」だけで幸せいっぱいだった
んだと思う。へんに気を使うあなたらしくないあなたじゃなくて、普通のそのままの
「身内らしいあなた」にさ。
親が子供に対する思いとかおじいちゃんが孫に思う気持ちって、そんなもん
だよ。
そのことであなたが悲しんでたりしちゃ、おじいちゃん天国で「そーじゃない!」
って地団駄ふんでるよ(笑)
「動けなくなる前に家に帰って来れてよかった。自宅で顔を合わせられて良かった」
って思ってあげて。
332 :
329:02/10/04 15:59 ID:bgBkfhBn
>>330.331
ありがとう。そう言って頂けて胸のつかえがとれました。
仏壇にお茶を一杯供えることにします。
333 :
大人の名無しさん:02/10/04 21:33 ID:j68S1/Ft
今年の7月に父が他界しました。
6月に母の7回忌をすませたばかりでした。
うちは離婚家庭で、私は母と年の離れた兄に育てられました。
私は母が40歳のときの子供だったので、かなりわがままを言っても許されていたと思います。
でも、身も心も幼い私は、自分がわがままを言っているなんて気づいたこともありませんでした。
高校生になると、反抗期がひどくなりました。
母のことはキライじゃないけど、話すとイライラしてダメでした。
私が高校を出ると、母は入退院を繰り返すようになり、6年前に他界しました。
父とはほとんど連絡をとっていなかったけど、
2年前に入院したとき2回だけお見舞いに行きました。
体が弱いのにアル中でした。
その父は、祖母の家で、他界した2週間後に発見されました。
つづき。
祖母は老人ホームに入っていたので、その家は父が1人で住んでいたのです。
夏の時期だったこともあり、父の姿は見る影もありませんでした。
母のときも、父のときも、薄々、ある程度の覚悟はできていました。
葬儀のときは涙が出ませんでした。
悲しくないわけじゃなくて、照れくさかったんです。
もともと、家族愛が薄いと思われても仕方がないタイプでした。
ホームドラマのようなやりとりや、家族と一緒にでかけることもあまりない家。
家族に対して真剣な話をするのが、恥ずかしかった。
だから、葬儀でも泣けなかったんです。
さらにつづき。
でも、父の残した日記帳に、
2年前、私がお見舞いに行った日。数年ぶりに、老いた父を見た日。
「今日は娘がきてくれた。心よりうれしかった」
と書いてありました。
結局、家が遠いこともあり、お見舞いに行ったのはその後1回だけ。
・・・いいわけにしかなりませんが。
2人とも、精神的にも幼い私を心配し、ろくに見舞いにも来ないけど、
やはり愛情をもってくれていたと実感しました。
今さら云っても仕方ないけど、はっきり本人たちに言葉で伝えたことはないけど、
たくさんの愛情をありがとう。
天国では仲良くしてください。
長文、支離滅裂、すみません。
誰にも云えないけど、誰かにきいてほしくてつい書いちゃいました。
336 :
大人の名無しさん:02/10/04 23:39 ID:Yl6MiK/Z
age
>>335さん
ご両親とも天国で仲良くしてると思うよ。
こんな月並みなことしかいえないけど・・・
これからのあなたの人生が幸せでありますように。
338 :
大人の名無しさん:02/10/05 04:52 ID:iEb+ajFs
今から3年前、私が29歳の時、母が癌で亡くなりました。54歳でした。
昨日の夜のこと、私の6歳の娘が童謡の本を見ていて「あれっ? この歌知ってるよー」
といって『月の砂漠』を歌い出しました。保育園で習ったにしては古い歌だなあと思い
聞いてみると・・・
娘:「ちがう、○○ちゃん(私の母)の家に泊まった時に○○ちゃんが歌ってくれたー」
私:「えー! だっておまえ2歳半ぐらいだろ、良く覚えてたなー」
娘:「だって、し○ちゃん(娘の名前)が寝るまで、ずう〜っと歌ってくれたもん・・・
もう一回聞きたいな〜」
母の葬式以来、3年ぶりに家族の前でボロボロと泣いてしまいました。オロオロしている
子供達に、やはり半ベソの家内が「パパはね、悲しくて泣いているんじゃないのよ、
し○ちゃんがそのことを覚えててくれたのが嬉しくて泣いているのよ」と言ってくれて、
その後は子供そっちのけで、家内と2人で号泣。
し○ちゃん、びっくりさせちゃってゴメン。
続くかも・・・
339 :
大人の名無しさん:02/10/05 04:53 ID:iEb+ajFs
続き
私の母は小さな出版社を営んでおり、私が入社して8年、家内が4年、何とか様々な
業務をこなせるようになり、やっと親孝行が出来ると思っていた矢先でした。
父と母は15歳で知り合い、22で結婚、24歳で長男の私を生みました。
家はかなり貧乏だったようで、私より二つ年下の妹が生まれた時は
入院・出産費用が払えずに、しばらく病院へ迎えに行かれなかったそうです。
小学校に入った時も、入学式の写真は皆かわいいスーツやドレスを着ているのに
私だけは膝の穴をふさいだアップリケの付いたスッテンテンの長ズボンと、
唯一襟の付いた白いヨレヨレのシャツでしたし、上履き袋も学校推奨の革製の物ではなく
ジーパンの裾を切って取っ手を縫い付けた物でした。
そう、ズボンもシャツも上履き袋も全部母が作ってくれた物でした。
そういえば、よく夜中にミシンをカチャカチャやりながら『月の砂漠』を歌っていましたよ。
自分では良く覚えていないのですが、当時私はそれらをとっても気に入っていたらしく
「これ、ママが作ってくれたんだぜ」と、周りに自慢しては失笑を買っていたそうです。
その後、父の不動産業が軌道に乗り経済的には裕福になりましたが、
お決まりのパターンで愛人を作ってしまい、ほとんど家に帰ってこなくなりました。
たまに帰ってきても、私達が寝静まった頃を見計らって始まる夫婦喧嘩。
酒に酔った母が父を罵倒し、父が母をひっぱたいて家から出ていき、
残った母の嗚咽を聞きながら妹とよく泣いていました。
泣き疲れ、酔いつぶれた母を妹と一緒に布団まで運んだ時も
前後不覚の母の口は『月の砂漠』を口ずさんでいました。
双方とも経済的には自立していたので、父はすんなり別れることが出来るだろうと
思っていたらしいのですが、母は私達への影響を考えて頑として離婚に応じませんでした。
続くかも・・・
340 :
大人の名無しさん:02/10/05 04:57 ID:iEb+ajFs
続き
十数年後・・・
そんな母も癌で右乳房全切除となってからは、父に何も言わなくなってしまいました。
「私はもう、女としてはダメだから・・・」と妹に言っていたそうです。
すっかり許されたと勘違いしていた父は、たまに母と2人で旅行とかに行きつつも家には
帰ってきませんでした。母は私に会社の経営的なこと、家内に経理的なことを引き継ぐと
まるで、時間を合わせたかのように、入院。そのまま帰らぬ人となりました。
モルヒネで意識がほとんど無い状態なのに父や私や妹に「ごめんね、ごめんね」と
繰り返し、最後は「ハー、ホーーーー・・・」と深呼吸をしたまま動かなくなりました。
父は「みーが死んじゃったー」と号泣、私と妹も「もう、痛くないからね」と
もう、二度と目を開けることはない母に語りかけるのがやっとで後は号泣。
その後はやれ葬式だの相続だの引継だのドタバタしながら、3年がすぎてしまいました。
昨日の娘の件がなければROMってる予定でしたが、こんな時間に『月の砂漠』を
口ずさみながら書き込んでしまいました。またROMに戻ります。
長文にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
最後に・・・
なあ、神様よ、この人にもうちょっとマシな人生は無かったのかい?
341 :
大人の名無しさん:02/10/05 05:32 ID:KxO18ObX
あなたがお母様を思い出して、
そのあなたには同じ思いで一緒に泣ける人がいて、
お母様が歌った歌をちゃんと覚えてこれから生きていく娘がいる
それが「もうちょっとマシ」かどうかは他人がどうこう言うことじゃないけど
十分に素晴らしいことだと思う。
>自分では良く覚えていないのですが、当時私はそれらをとっても気に入っていたらしく
>「これ、ママが作ってくれたんだぜ」と、周りに自慢しては失笑を買っていたそうです。
お母さん、これだけでも何物にも代えがたい幸福感を味わったと思うよ。
あなた達兄妹や、孫のことを最後まで気遣い、亡くなったお母さん。
いろいろと辛いこともあったと思うけど。
あなた達を愛し、一生懸命あなた達の為に頑張ってきた事自体、本人にとってみれば幸せだったかもしれない。
こんな事他人の俺らには知る由も無いけどな。
でも、そう思う。
>>338 ばかやろう。涙でパラダイスチャンネルが
見れね〜じゃね〜か。
>>345 あんた、パラダイスチャンネルばっかしな。
今度から月の砂漠を聞くと思い出し泣きしそうだな。
最近実家に帰って昔の写真や手紙を懐かしく読んでいて
何気に一枚の封筒が目に付いたんだよね。
綺麗な字であて先とか書いてあるのに宛名は俺なんだよね。
消印を見るともう25年も前の手紙。
「子供の俺に誰が送ってきたんだろう」なんて思って
読み始めたらなんか俺の友達の母からの手紙らしい。
「○○も(手紙の主の子供)大きくなった○○君に(俺)
会いたいと思ってるから夏休みには遊びに来てね」
なんて書いてあった。
続き
読み終わってもただの手紙かと思って
また元に戻したんだよね。
晩飯の時に何気なく母親にこのことを話したら
「あんた覚えてないの??」なんて言われた。
母親は大昔の写真と手紙を持ってきて見せてくれた。
そこには病院のベッドの上で笑ってる子供達がいたんだ。
1人は俺。その瞬間に思い出した。
俺は子供の頃に事故で入院してたんだ。
ごめん、続き。
そこでの俺らはものすごく元気が良くて
非常ベルを鳴らして逃げたり、地下の死体置き場に
冒険に出かけたり、それこそスタンドバイミー
見たいなことしてた。
でも全員が重病患者。その後に死んだ奴もいたらしい・・・。
俺が1番最初に退院したから判らなかっただけなんだって。
手紙の主は俺が1番の仲良しだった奴の母親だった。
もう1度手紙を読んだら泣けてきた。
さっきと同じ内容なのに涙が止まらなかった。
長いからここで辞める。
長文でごめんな。
352 :
大人の名無しさん:02/10/06 06:04 ID:6gwJcQsp
古い箪笥の引き出しをあさっていたら、
小学生時代の作文、絵、答案用紙、通信簿などが詰まった袋が出てきた。
それらを取り出し、懐かしい思いで眺めていたら、
小学校1年生のときに学校で書いた作文が出てきた。
200字詰めの原稿用紙にはたった1行、こう書かれてあった。
「ぼくのお母さんは変な顔です。」
あははははははははははははは!!!!
腹がよじれるほど笑った。小便ちびりそうになった。
先生が赤ペンで「○○クンはお父さん似かな、お母さん似かな?」と
短評を書いていて、それがまたツボにハマった。
ぐははははははははははははは!!!!
もう死にそう。
笑いすぎて涙が出てきてヒーヒーいってた。
これって嗚咽のうちに入るよね?
353 :
大人の名無しさん:02/10/06 07:30 ID:v+/xqVkI
>351
続けてくれよ。
354 :
大人の名無しさん:02/10/06 07:33 ID:6+P/crqA
355 :
15へ:02/10/06 08:27 ID:D1d0bxGg
352は削除依頼を出す事を希望する。
351さん早く続きを書いて下さい。お願いします。
このスレッドは2chを軽く見ていた折れに号泣させてくれました。
猫の話から泣けましたよ。34歳にもなって・・・。
356 :
生きること:02/10/06 13:07 ID:GhMfCcJI
長文すまそ
俺は、今思うと幸せな家庭に生まれたんだと思う。
公務員の父、専業主婦の母、3つ離れた弟が一人。
ごく普通の田舎の核家族だったと思う。
しかし俺が消防3年だった頃、突然両親が離婚、原因はおやじの浮気
母親と俺と弟は、追い出される形で、家を出る事となった。
母親は体が弱く、そんなに無理して働ける身体でもなく、無理をしていたんだと思う
それでも、ずっと働き詰の母親の姿を見るのが子供ながらに、辛かった覚えがある。
俺達がいるせいでこんなに辛そうに必死で働く姿を申し訳ない気持ちで一杯だった。
357 :
生きること:02/10/06 13:08 ID:GhMfCcJI
そして厨房に上がった頃、おやじは死んだ。胃癌だったそうだ。
浮気の相手のトウに見捨てられて見取ってくれる人間すら居なかったらしい。
俺はその事に優越感を感じる位、おやじを憎んでいた。そして捻くれてしまっていた。
やさしい母親の諭してくれた言葉すら忘れて、、、
それでも母親は、おやじを憎むなと俺達兄弟に諭した。全て自分が悪いのだと、、、
人を憎む人間になって欲しくないと、、、
358 :
生きること:02/10/06 13:09 ID:GhMfCcJI
そして時がたち、母親は高校へ行かず働くといった俺を高校まで行かせてくれた。
親子3人貧乏で本当に何も無い暮らしだったが俺は幸せを実感していたんだと思う。
やさしい母のおかげか俺も弟も幸いグレずに晴れて高校を卒業させてくれた。
それから俺は営業の仕事をして母親と弟を大事に楽にさせてやろうと、必死に働いた。
昼も夜も、時にはクライアントを騙す様な仕事もしてきた。
それはあの二人を思うと働かずには居られなかった。
そして母親は働かずに住むくらいの収入を得て、家も買い、弟も就職し働き始め
弟は結婚する事にもなり、婚約者も俺達の事を判ってくれていた。
婚約者を連れてきたときの母の嬉しそうな顔が今でも脳裏に焼きついててさ、、
やっとこれで全ての幸せを買い戻した、これからはもっと幸せにならなきゃなって、、、
359 :
生きること:02/10/06 13:10 ID:GhMfCcJI
そんな母と弟が去年高速道路で事故に遭い帰らぬ人となってしまった。
2人とも即死だったそうだ、、、、
弟はその年の暮れ、結婚する筈だった。母親もそれをもの凄く楽しみにしていたのに、、
二人の葬儀の時、俺は、喪失感にさいなまれ何が何か判らなくなってしまい、ただただ
静かに、葬儀を進行させていった。自分が今一体何の為に何をやっているのかすら解らず。
涙すら出ないのだ。自分は、どこか壊れてしまったかのように。
葬儀も終わり、納骨も済み、全てが、終わった。依然涙は出ず終いだった。
360 :
生きること:02/10/06 13:12 ID:GhMfCcJI
その後、事故の相手と保険屋が家に来て事後交渉を始めた時
母親の人生、弟の人生を何だと思ってやがると、腸が煮えくり返ってきて、その時
初めて嗚咽混じりに謝罪を求めた。その時本当の憎しみ慟哭という物がどういう物なのか
わかった気がした。
それと同時に人を憎む人間になって欲しくないと、、諭してくれた母親の言葉も蘇り
俺ははじめて人前で泣いた堰を切ったかのように泣いた。
もうすぐ一年、未だ虚脱感からは抜け出せてません。今日も仏壇に手を合わせ、広い家で一人で
過ごしています。
いつかこの終わりの無い悲しみから少しでも立ち直れるかなー。
>>348さん
今は元気で過ごしているのかな?そうであって欲しい。
>生きることさん
「今日も仏壇に手を合わせ、広い家で一人で 過ごして」いる
そんなあなたの姿を思い浮かべながら読みました。
軽々にレスがつけられなくて。また落ち着いて何か書けたらと思ってます。
362 :
:02/10/06 16:46 ID:03jUtpBq
母親は俺が3歳のときに癌で他界していて俺はほとんど母親の事を覚えていない。
母親代わりをしてくれたのが祖母と叔母の2人だった。
この間その叔母から写真と手紙を手渡された。
「何これ?」と聞いてみると、叔母は
「お前のお母さんの写真と手紙だよ。お前、お母さんの直筆、見たことないだろ。
おばさんあてに来た手紙だけど、お前が大事に持っていなさい」
と答えた。
手紙には綺麗な字でこう書かれていた。
拝啓
明日から立冬とか・冬に向かい何かと忙しい日をお過ごしであろうと・想像して居ります。
一日も早く○○を迎えに行きたいと思いながら今日になってしまいました。
本当に長い間御世話いただきありがとう御座いました。幾度お礼を申し上げましても足りない、
そんな気持ちで居ります。
今度お目にかかる機会には一家で笑顔でお会いしたいと思います。
本当にありがとう御座いました。
この手紙を書いた5ヵ月後、母は死んだ。叔母と笑顔で再会したいと言う彼女の願いは叶わなかった。
なんだか切なくなって風呂の中で泣いた。
母の人生は儚くて、短いものだった。その間に彼女は十分な幸せを得ることができたんだろうか。
俺は母に何も孝行をすることなく逝かせてしまった。
それが切なかった。
母さん、貴女は幸せな生涯をまっとう出来たのですか?
>>生きること
すまないが、俺はあんたみたいに壮絶な喪失感に襲われたことは無い。
だから、ここで何か励ましの言葉を書いたって、ただ白々しく思われるだけだろう。
だけど、あえて他人の俺だけど、言っておく。
あんたが一日も早くその喪失感から立ち直れるよう、ずっと祈ってる。
何もできるわけではないが、このスレに来たときは、あんたの書き込みを必ず読む。
過去ログに落ちたとしても、必ず読む。
そして、あんたのことを考える。どう過ごしているんだろうかって思う。
できることはそんだけだ。
364 :
大人の名無しさん:02/10/06 17:27 ID:PVeoa2P6
>>362 こういうきれいな日本語の手紙を書けるお母様は
あたたかい家庭で大切に育てられたんだと思う。
きっと、幸せなことがたくさんの人生だったと思いますよ。
365 :
大人の名無しさん:02/10/08 02:07 ID:fPGI+wvY
良いスレだ。
どんな体験にもスルーせずにレス付けてあげたいね。
それでその人の気持ちが少しでも楽になるなら。
折れは361さんの事が気になります。
人生にはどんな事でも意味が有るとよく聞くが
こんなに努力してがんばって生きている人にこれ以上
なぜに過酷な境遇を強いるのでしょう。
なんとしてでもお母様や弟様の分以上に幸福な人生を
生きて欲しいと切に願います。
あなたの気持ちはとても察する事は出来ないのに勝手な書き込みをして
申し訳ありませんが、読んだからには書かずに居れませんでした。
>361
大切な人を失った喪失感なんてそう簡単に亡くなるものではない事はよくわかっています。
それでも私はあなたに言いたいです。
私にも子供がおりますが、何が一番辛いかって思ったら
子供が悲しむ事なんです。
例えそれが自分を偲んでの事だったとしても、子供には笑顔で幸せにすごして欲しいです。
天に召されたお母様も弟さんもきっとそうだと思いますよ。
辛い時間は忘れられないけど、その辛い時間を少しでも薄めて癒してくれる存在も
きっとあなたの事をきっと待っていると思います。
お母様の分も弟さんの分も、あなたが幸福に過ごされる事を祈っております。
368 :
大人の名無しさん:02/10/08 17:52 ID:C9jRxLLR
3年前、とても仲良しの先輩が白血病で亡くなりました。
幸い、骨髄は先輩のお姉さんから移植でき、無事退院することができました。
しかし何年か経った後再発し、亡くなったのです。
亡くなる2週間ほど前に、最後の手紙が私に届きました。
「もう一度移植します。前回とは違う、
骨髄提供者のお姉ちゃんと私の双方に負担がかからないという
最先端の方法で移植します。
今回の移植方法は日本では成功例がないそうです。
もしも成功したら、私が日本人初の成功者!!
不安じゃないと言ったら嘘になるけど
移植しなかったらこの先、生きていられる確率は5%だって。
だったらこの方法に懸けてみようと思うの。」
結局、彼女は移植の準備段階で亡くなってしまいました。
成功例なしの手術か、生きる確率5%か・・・?
現実にそんな選択を迫られる世界があるなんて・・・。
抗ガン剤の副作用で別人のようになってしまった彼女は、
想像もつかない苦しみだったと思います。
それでも私の中で彼女は常に凛としていて、
亡くなった今でも私は辛いことがあると、心の中で彼女に泣きついてしまいます。
そんな私も後半年であなたと同じ年齢になります。
ねぇ、先輩。
周りがもうタイムリミットって言うの。結論を出しなさいって。
ねぇ先輩、私はどうしたらいいの?
369 :
368:02/10/08 18:06 ID:C9jRxLLR
>>360 ありふれたレスしかつけれませんが、
360さんが暖かい家庭を持つことが
お母さんや弟さんへの何よりの供養になるんじゃないかと思います。
家庭にこだわらず、暖かい人間になることとかです。
私も今、人生の選択の時期にきました。
どうしても出せない結論ですが、心の中では本当はもう結論が出てるんです。
ただ、勇気がなくて1歩踏み出せないだけ・・・。
360さん、一緒にがんばりましょう。
私たちには、まだ残された未来があるんです。
371 :
大人の名無しさん:02/10/08 19:55 ID:prThVhpi
2ちゃんてさ、、なんか、、いいよね
ナディアの方を一通り読んだ。嗚咽どころか号泣。
悪いこともある世の中だけれど
まだ何かを信じていたいと思った。
ラウンジにも、余命半年と診断された人が
いつか帰ってくるのを待ち続けてるスレがあるよ。
もう姿が見えなくなって、1年近く経つんだが
こういう話を聞くと切なくなってくる…
ちょとスレ違いかも。ごめん。
374 :
大人の名無しさん:02/10/09 03:24 ID:3/wAy6do
375 :
368:02/10/09 17:21 ID:dm7dZx7Y
>>370>>374 ナディアを途中まで読みましたが、
途中からは先輩を思い出してしまい読むことができませんでした。
先輩もナディアの彼のように、自分が死ぬわけがない、むしろ人より生きてやると、
面会に行った時も、外泊許可がおりて一緒に出かけた日も、手紙でも常に言ってました。
抗ガン剤の副作用で全ての毛が抜けると聞いた先輩は、
入院初日、髪の毛をお母さんに剃ってもらったそうです。
先輩曰く「お母さんには申し訳なかった。でもパラパラ抜けて行くのは、少しずつ
女じゃなくなるような気がして。剃ってもらってる途中、泣けそうになったけど、
グッと堪えた。自分のダンナさん(先輩のお父さんの事ね)を癌で亡くして
今度は娘がこんなじゃ、お母さんの方がもっと辛いだろうから。」
そして、先輩のお母さんの後日談「髪の毛を剃ってくれと言われたとき、
初めはイヤだって言ったのよ。でも髪の毛が抜けると不潔だからって、あの子は言うの。
剃ってる途中、何度泣けそうになったことか。
でも、この子はもっと辛いから、泣くわけには行かなかった。
私があの子の身代わりになりたい。別に私は天国に自分のダンナさんが待ってるからね。
あ、でも天国では年を取らないって言うから、おばあちゃんになった私を
ダンナさんは見つけてくれるかしら?ふふふ」
って、気丈にも笑顔で話してくれました。
長くなったのでここまでにしますが、ナディアのスレと
>>374の赤ちゃんの話。
その2つを読んで、私はいつまでもココに止まってちゃダメだと、
改めて実感したので、書き込ませて頂きました。
376 :
大人の名無しさん:02/10/09 17:44 ID:g055Gkuc
一連のスレを読んで、、
軽々しくレスを付けられるものじゃないことは解ってるんですが、胸が痛い、、
本当に泣かせて頂きました
亡くなった方の苦しみや無念を思うと一言も無い。
それだけでなく
ナディアに書き込んだ人、ロムした人、368さん、ここをロムしてる人
みんなみんな色んなモノを背負って生き続けていくことも
本当に本当に辛くて、困難で、尊いんだと思う。
自分の含めて全ての人に
何か希望や救いがあることを心から願います。
>>378 うちも親の苦労のお陰でワンコとの
楽しい思い出を子供の頃から味わってきました。
18年生きたのも居ました。
確かに楽しい思い出しか残ってないけどその分は
親が苦労したんだよね。「ワンコが
いるから孫が居なくてもいいだろう。結婚はまだ
いいや・・・。」なんて考えてるバカ息子を許してくれ。
>>378 しかし、よくできてるなぁ。
犬を飼うってことがどういったことかを理解していないと
あんな素晴らしい内容のものはできないよね。
子供にも、わかりやすく書かれているし。
犬を飼いたくなる心理、犬を愛しいという心理、犬を捨てる心理、
非常に上手く表現されてる。
できばえにただただ、ビックリしました。
スレと関係ないレスだね。sageときます。
こちらに紹介されてると聞いて来ました。
本スレやHPに書き込むと偽善者っぽく思われるのがいやなので、見知らぬ
皆さん、聞いて下さい。
>>370に出てくる血液グループです。
9月5日、ナディア君をお見舞いに行きました。
お姉さんのHPを見て、血圧が不安定になってて透析もできない状態だと
書いてあったので・・・。
ナディア君はICUでテレビを見るともなく見ていました。
「血液グループだよ、気合い入れに来たよ!分かる?」
と叫ぶと、喋ることは出来ないけど何度も何度もうんうんと頷いてくれました。
「2ちゃんのみんなも応援しているよ!!」
(後で考えたらICUナースの前でこれを叫ぶのはマズかったかも・・苦笑)
と叫んだらニヤリと笑ってくれました。
握手をしたら私の握力に痛そうな顔をしましたが、同じくらいの力で握り返して
くれました。
その時、点滴されている内容などから正直厳しいなと思ったので、失礼ですが
お姉さんに「万が一の場合は、私にも連絡して下さい。」といいました。
でも、でもどうしてもここを乗り越えて欲しくて、2ちゃん復活して応援団に
加わらせて貰いました。
お姉さんから電話があったときは、何を言っているのか分からなくて最初
イタズラ電話かと思い「ハッキリ喋ってください。イタズラですか??」と
言ってしまいました。9時21分に亡くなったのに、私に10時4分に電話して
くれたのです。泣き声混じりのくぐもった声で当然なのに・・・。
ゴメンにゃ、お姉さん、あの時、イタズラ扱いして。
2ちゃんねらのわしに、こんなに早く電話してくれてありがとう。
そして「みんな、心配してると思うから、わしが報告していいか?」と言ったとき
「お願いします。」と言ってくれてありがとう。
生きてるつもりで応援してる人にも気の毒やと思ったから。
ごめんな、応援足りなくて。
384 :
:02/10/10 12:10 ID:HUdj6j1V
>383
皆さんのの交流を拝見させていただき、感動した者です。
時に励まし、時に泣き叫ぶ彼を受け止め、病気と闘う力を彼に供給し続けたあなた方と、
最後まで頑張り続けたナディアさんに、最大級の敬意と謝意を表します。
命というものがこれほどまでに軽視されるこの時代にあって、
あなた方の交流というのは
「今を精一杯生きる事の素晴らしさ」と、「それを支えていく慈悲の心」を教えてくださるものだった、
そんな思いが致します。
彼の苦しみや、痛み、そして喜びの全てを「共有」されたあなた方は、
当に彼の「占有」であり、「最高の主治医」だったのではないかと思います。
病気と闘い続けた彼が安らかな旅を続ける事と、
彼を失った家族の皆さん、そしてあなた方の悲しみが癒されます事を心からお祈り申し上げます。
385 :
:02/10/10 12:12 ID:HUdj6j1V
>384
自己レス。
占有×→戦友○でした。
逝ってきます。
386 :
大人の名無しさん:02/10/10 12:29 ID:z8Y4oPqu
>>血液グループさん
本当にアンタ良い人だ…。応援足りてたよ!
応援足りなかったなんてご自分を責めていたら
彼から笑われちゃうよ。「ゴルゥァ!」てね。
確かに早過ぎた一生だったけど見ず知らずの人からも愛されて
彼は幸せな気持ちであちらに行けたと思うよ。
ユーモアの有った彼の事だからあちらでも皆に愛されて
今は元気な体も戻って楽しく過せてると思う。
いずれあちらに行く日が来たら(だいぶ先になっちゃうけど)
「コーラで乾杯」して直接労をねぎらってください。
彼の御家族の方にご連絡する時が有ったら
「ご自愛下さい」とお伝え下さい。
「張り詰めていた気」がほころび始めてキツイ時期だと
思われますので…。
387 :
@@:02/10/10 13:17 ID:9LYWAW/s
>>血液グループ様
わざわざ、説明のために来て下さり、ありがとうございます。
あの掲示板でのあなたの書き込みや、ナディアさんの最期までのがんばり。
私があの板を知ったのは全てが終わって後のことではあったのですが。
そのスレから大きな衝撃と感銘を受けました。
あなたの人柄が表れている暖かいカキコには、私も勇気づけられました。
どこかで血液グループさんにはお会いしたかったので、とてもうれしいです。
実は私も、ニュー速に自殺予告スレが最近立ったとき、勝手にリンクしてしまいました。
ネタかどうかわかりませんけど、1さんがそのスレを見て、生きる意味を少しでも感じてもらえたらと思いまして。。
ネットを通しての人との交流というものに、とても懐疑的だった私。
180度考え方を変えてしまったスレでした。
ありがとうございました。
>>388さん、
>わざわざ、説明のために来て下さり、ありがとうございます。
いいえ、違うんです。ナディア君の存在があまりにも重く、自分の中に
しまっておくのが辛くて、誰かに聞いて欲しかった。
だから、聞いてくれてありがとうございます。
でもな、ホントな、あいつの死に顔見たときには手合わして「応援足らんで
ゴメンな」としか言えんかった。そんな弱気じゃホント笑われるな。
ご家族には初七日(今日かな)すんでしばらくたったら連絡しようと
思っています。
>389
誰かに思い出を話すことで別離してしまった人の存在を
確認しなおすということって、とても大事なことだと思います。
彼のためにもあなたのためにもそしてご家族のためにも
もし良かったら覚えてることを少しずつ確認しながら話してください。
391 :
388:02/10/10 17:11 ID:/IpitRr7
そうですよね。。失ったものが大きすぎますよね。それに時間も必要。
390さんの言うとおり、もしここに書き込むことで、血液グループさんの心が少しでも軽くなるのなら。
出来るときでかまいませんから、少しずつ書き込んでもらえませんか?
私たちにも、その思いを共有させて下さい。
元々、ここはそういうスレですし。
ここに来る人たちは、みんな優しい大人の名無しさんです。
実は、わしは、リアルでも患者さんを亡くす度に、こーやってへこたれる
ヘタレです。(プロ失格ですよね・泣笑)
うつ病という診断もありがたく頂いており、抗うつ剤飲みながら中途半端な
医療を行っています。
だから、せめてネットではせめてネットではと思っていた。
1の裏切り者ーーーー!!
わしだけ残して逝きよって!!!!
ごめんなさい。
今はこれだけ。
甘えさせてくれてありがとう。
393 :
大人の名無しさん:02/10/10 18:22 ID:VTWonxa4
ナディア君の「自分は生きている意味のない人間」というような書き込みを読んで
号泣しました。
意味なくなんかないよー、
私はもうすぐ40歳になるおばさんだけど
ナディア君の言葉に、いろんなことを教えてもらえたんだよー
394 :
:02/10/10 19:27 ID:Ep4fRYSD
>392
患者を失う心の痛みが麻痺してしまったら、医者として大事なものを失うと思う。
「患者を病から救いたい」
これこそが医学の進歩における最大のモチベーションではないだろうか。
医者の世界のことは良く分からないけど、消えかけている命の灯火を前に、
全力を尽くして、それでも患者さんを救えなかったときの口惜しさ。
そして無力感。それがあるからこそ、次の患者さんに対しても真剣に向き合えるんじゃないだろうか。
貴方のそのへこたれは、ヘタレの証なんかじゃない。患者さんと真摯に向き合っているいい証拠なんだよ。
頑張ろう。次の患者さんが、真摯に病に向き合う貴方を待っている。
俺はもし病にかかったとしたら、技術云々でなく、そう言う貴方に是非主治医になってもらいたいと思うよ。
俺が病に倒れたときには、是非俺の主治医になってくれ。
貴方の言う事なら俺はどんな治療方針でも受け入れられそうな気がする。
395 :
348:02/10/11 01:49 ID:+8x9vQ+W
>>血液さん
私は子供の頃から病院に通う事が多くて
イロイロなお医者さんに会いましたが
たまにあなたみたいな良いお医者さんに当たります。
しばらくは会っていませんがね。
仕事柄いつも本気で戦い、苦しみ、悩んでいる事と
思いますがあなたの力を信じている人、もしくはこれから
出会うあなたを必要とする人の為にがんばってくださいね。
私はたかだか腎臓が1つ無い位の人間なのできっと長生きするでしょうが
困ったときにはあなたみたいに真摯な姿勢で患者さんと
向き合っているお医者さんに見てもらいたいよ。
でも俺のことで悩んで鬱にはならないでね(藁
ナディアの彼は大丈夫。
あっちでは死なないから血液さんをゆっくり待っている事だろうよ。
みなさん、ありがとうございます。
医者板のほうでは言えない事言わせて貰って。
あっちではご家族やわしより長いつきあいの友人が見てると思うので、弱音は
吐きたくない。かといってリアル友人に2ちゃんの事話すのためらわれるし。
思い出しました。嬉しかった事。
ナディア君に一度だけメールを書いたことがありました。
ナディア君が自分のHPを2ちゃんに貼り付けた時です。
荒らしとか来たときにはうちの弟がパソヲタだから、修理手伝うよって。
お見舞いに行ったときにお姉さんが、その事を話してくれたんです。
「先生、前に1にメールくれたでしょ。
1は”誰にも内緒な”って言って見せてくれたんですよ。」
って。なんか、凄く嬉しかったなぁ。
時々こうやって思い出話しにきますけど、皆さんは皆さんで良いお話、
続けて下さい。上の話も良い話ばかりで、心が洗われます。
お一人お一人にレスつけたいけど、また容量がやばくなるといけないので。
>>395さん、
わしの母は腎臓悪くて透析してます。
今年の3月からです。もう、嫌がって嫌がって、
「透析するくらいなら死んだ方がましやぁぁ!」とかほざいていたので、
「んなら、わしの腎臓一個やるから。」と言ったら、
「あんたの腎臓はあんたの子供に取っておかな。」と言って、しぶしぶ
透析導入してくれました。始めたら始めたで
「こんなに体ラクになるんやったら、はよ始めればよかったわ。」
とのたもうていました。”腎臓が一つ無い”で思い出しました。
腎臓が1個になると残りの1個の腎臓は大きくなってちゃんとしっかり
働いてくれますよ。でも、無理しないでくださいね。
397 :
大人の名無しさん:02/10/11 12:33 ID:lU4v4cth
>>396 まさかこちらでお会いできるとは思っていませんでした。あちらはROMでしたので。
私は医療には従事しておりませんが、某大学に勤務しており、いずれは小児医療に
なんらかの形で貢献したいと考えています。
(ここでは普段は糞レスしか書いてませんが(w)
あちらのスレで白血病解析PJを知り、Team2chの末席で微力ながら参加しています。
(☆是非多くの方のご賛同とご参加をお願いします。詳しくは下記アドレス参照)
http://isweb1.infoseek.co.jp/%7Ep-q/ このような取り組みの他、私達ができることがあったらまた教えていただけると幸いです。
>>396 こちらこそ、聞かせていただいてありがとうございます。
他のレスを拝読してる時もそうですが、誰かを大事にする気持を
お聞きすることで自分もいろんなことを振り返ることができるのです。
泣けてしょうがない話ばかりですが、血液さんもまたここに来て
泣いたり書いたりください。
結構日常泣くのを止めてしまう事も多いので、気持もくすんでしまいます。
team2チャンネルに参加してきました。
小さいけど誰かの役に立ちたいと思った自分。
これもこの板のおかげです。
401 :
大人の名無しさん:02/10/14 10:58 ID:UoNGe/+l
私の弟が28歳で死にました。
脳疾患持ちで、合併症で15歳まで生きられない、20歳まで生きられないと、
お医者さんに言われ続けてよくぞ28まで生きたものです。
5年生のとき、無理を言って普通学級に編入させていただいたとき、
弟にケイタ君という友達ができました。家庭に事情のあるケイタ君は、
5年生ですでにゲームセンターでたばこを吸ってるような
早熟な不良でしたが、なぜか弟の面倒をとてもよく見てくれました。
子供は残酷ですから、クラスの中に呼吸器を引きずったクラッチ付きの子に、
決して寛容ではありません。弟は男の子からも女の子からも陰湿なことをされました。
だけどそれはケイタ君がそばにいないときだけでした。
402 :
大人の名無しさん:02/10/14 10:58 ID:UoNGe/+l
好奇の目で見られていた弟に、恐怖の目で見られていたケイタ君は、
誰よりも(担任の先生よりも)優しく、いつもそばにいてくれました。
「ケイタがね、『いじめられたらすぐに俺に言え、お前は俺の舎弟だからな』だって。
でも舎弟ってなんだろうね、子分のことかな?」
弟はいつも家に帰ると母と私にそう言ってました。
修学旅行に行く途中で弟がそそうをしてしまったとき、一斉にはやしたてた同級生を尻目に
ケイタ君は下の世話さえしてくれたのです。6年生の男の子がです。
卒業した弟が養護学校に入ると、ケイタ君は一層気合の入った不良になってましたが、
それでもバザーに来てくれて、フォークダンスへの参加さえもしてくれました。
何をやったのか16歳のときケイタ君は警察に連れて行かれ、
噂では少年院を出てそのまま東京に行ってしまったと聞きましたが、ケイタ君とはそれっきりでした。
弟が死んだとき、私も両親も、悲しみより
「やっと楽になれたね、よく28まで生きたね。」
と落ち着いた気持ちでその事実を受け入れましたが、
弟の身の回りを整理していて、養護学校時代の写真の中に、
弟の隣に寄り添い、腕を組みカメラにガンを飛ばす金髪の少年を見つけたとき、
涙が出てきてしまいました。
ケイタ君、今どこにいるのですか?幸せにしていますか?
403 :
大人の名無しさん:02/10/15 00:09 ID:JzC7svZP
やっぱりこのスレいいですねー。
1からずっと見てて書き込みもしてるけど
本当に心が洗われます。
今までの話をまとめてHPにでもできないかなー、なんて思います。
私はスキルが全然ないのでできないですけど・・・
404 :
大人の名無しさん:02/10/15 02:13 ID:j8JLPLbT
405 :
:02/10/15 11:08 ID:iUqdW0AE
>401-402
ケイタくん、きっと男気のある人だったんでしょうね。
彼がどのような人生を歩んでいるかは分かりませんが、
きっと本質は変わっていないと思いますよ。
どんなに年をとっても、人間ってそんなに変わるもんじゃないし。
>>405 ちょっとドキュソ風味の子煩悩なシアワセ親父になってる
そんな気がするね
僕たちに、幸あれ。
409 :
大人の名無しさん:02/10/16 14:40 ID:G0Y3x5y1
410 :
大人の名無しさん:02/10/16 18:42 ID:XUxdTRxG
>>409 このお話は一時期WC関連の板で有名だったから知ってたけど
AAみたのは初めてだな
不覚にもまた泣いてしまっただよ
心温まるエピソードだよね
411 :
大人の名無しさん:02/10/16 20:06 ID:SLB/dnqq
こんなのも見つけたよ。
------------------------------------
キャンプ地に感動残す デンマーク代表が帰国
W杯1次リーグA組でフランスを破り1位通過したデンマーク代表。
決勝トーナメントではイングランドに敗れたが、キャンプ地・和歌山に感動を残し、
17日、日本を去った。
チームが事前キャンプで和歌山市に滞在していた5月。
練習場から帰る選手のバスを追う2人の小学生の姿があった。
1人は母親がこぐ自転車に乗り、1人は走って追 い掛けた。
練習場でサインをもらい損ねた親子だった。
子供らが3キロ近く離れたホテルに到着したとき、バスにはすでに選手の姿が
なかったが、2人に気付いたオルセン監督が笛を吹いて選手を呼び集め、
全員でサインを プレゼントした。
子供は大喜びし、母親は感動して涙をこぼした。
「子供に頼まれたら応えるのが当然」という監督。
「和歌山で素晴らしい環境を提供してもらったお返し」とすべての練習を
ファンに公開し、選手も気軽にサインに応 じた。
ファンは日増しに増え、最後の練習となった13日には、2500人もの市民が
練習を見守った。
チームは17日朝、和歌山市のホテルを出発、帰国の途についた。
早朝にもかかわらず大勢のファンが「感動をありがとう」と見送り、
選手らは手を振って最後の声援に応えた。(共同通信)
412 :
大人の名無しさん:02/10/16 20:53 ID:lCtoXVDI
>409
ばかやろう!
仕事中なのに、泣けてきたじゃねーか!
>>409 代表選手は技術だけではなくて行ないも正しくなければ
ならいって言った監督が居たけどまさにその通りだね。
俺たちも海外に行った時には評判を落とさないようにがんばろうな。
>>409 全部見た
こんな上司の下で働きたい(TДT)
415 :
大人の名無しさん:02/10/17 20:53 ID:T/bxdgb1
昔住んでた家は日当たりが悪くて、いつも薄暗くてじめじめしていた。
母と祖母はとても仲が悪かった。
父は不甲斐なくて仲裁も出来ず、家の中はとても険悪だった。
その後祖母1人家に残して、両親と私と妹はアパートへ引っ越して、別居した。
もう母と祖母が一緒に住むのは限界だったから。
ばあちゃんと別居してから、信じられないくらい家族は仲良くなって家が明るくなった。
母は私が祖母のところへ行くのを嫌がった。
自分がいる場所の平穏を乱したくなかったから、私は祖母のいる家へは行かなかった。
別居から5年後にばあちゃんはぽっくり死んだ。
私はかわいがってもらったのに、近くに住んでたのに全然会いに行かなかった。
時々夢に出てくる「家」は、今住んでる日当たりのいい家じゃなくて、
いつもいつもばあちゃんを置いてきたあの薄暗い家。
ばあちゃんかわいがってくれたのにごめんなさい。
このスレを呼んでいて、思わず涙が出てきた。
学生の頃付き合っていた彼女のことを思い出しててしまった。
当時、漏れは親のスネかじりの専門学生で彼女と同棲していた。
彼女とは高校からの付き合いだった。
その日、漏れは朝からバイトで寝ている彼女に悪いと思い、
ろくに声もかけずに出かけてしまった。思えば、ちゃんと声をかければよかった。
その時の寝顔が忘れられない。
昼時、あと一時間弱でバイトも終わるので漏れはそわそわしていた。
その時、事故があった。酔っ払いトラックが歩道に突っ込んだのだ。
漏れがそのことを知ったのは交代のバイトのヤシが来た時だった。
事故に遭ったのは漏れの彼女だというのだ。
内心疑いつつももしやと思い家に電話するがつながらない。
漏れは急いで事故現場に向かった。嫌な予感がめちゃめちゃしたけれど
内心は、見間違いでありますように勘違いでありますように、と
ずっと思っていた。けど、神様なんていないんだと思い知らされた。
現場に転がっていたなんとか原型をが分かる自転車は彼女のだったし
散らばっているバックも中身も見慣れた彼女のものだった。
嫌な汗がドバーっと出た。それでも見なくちゃいけないという気がして
身を乗り出した。見なければよかった。
顔は布で隠されていたが、タンカから垂れた足の火傷の跡が漏れを確信させた。
彼女の名前を叫んだ。すると警察官が「○○さんのお知り合いですか?」と言って
漏れに彼女の身元の確認させた。
ひどかった。頭こそ切れていないが鼻血で顔は真っ赤だった。
それでも漏れは死んでいるとは思わなかった。
大丈夫、生きてる、病院行けば治る、とか思ってた。
でもそれは救急員の人の言葉で見事に打ち砕かれた。
「さきほどお亡くなりなられました。」
漏れは呆然とした。
そこからはあまり覚えてはいない。
417 :
続き:02/10/18 11:37 ID:Trg10J2i
その後、悲惨なことが分かった。事故を起こした運転手は
漏れのバイト先で酒を買っていたのだ。
覚えていないが、時間帯からして多分漏れが売ったのであろう。
もう一つある。彼女は妊娠していた。一人で産婦人科に行き、そのことを漏れに
言う為に、バイト先に行こうとしてしていたのであろう、
という話しになった。
どちらのことも原因は漏れだった。
やりきれない気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
初七日が終わって、やっと落ち着いて自宅に戻ったが、
まだ彼女が生きている気がした。
漏れは「ただいま」と言ったが「おかえり」と
言う声はやっぱり聞こえなかった。
部屋には死んだ日に来ていたパジャマが丁寧に
たたまれて置かれていた。
彼女の身体はもう焼かれてしまったから、彼女の匂いが
するのはもうこのパジャマしかなかった。
懐かしい匂いがした。あの時の寝顔が思い出された。
漏れは大泣きした。
あれから随分経つが思い出すとやっぱり泣いてしまう。
漏れも、結婚して父親になった。
奥さんに了解を得て、子供には彼女の名前を
もじったものをつけさせたもらった。
今でも命日と誕生日には彼女の墓と実家の仏壇に花を手向けています。
かなり長文でスマソ。見づらかったらスルーして下さい。
418 :
大人の名無しさん:02/10/18 12:15 ID:6XtEppNC
>>416-417 辛い思い出だね。
でも女の立場としてはチョト奥さんのことが気になる。
子供に彼女の名前をもじったものをつけさせてくれるくらいだから
あなたの辛さをよくわかって、親身に考えてくれてるんだと思うけど・・・。
今現在で、一番嗚咽したいのは奥さんかも。
いつまでもあなたの心を独占できない辛さ。
家庭の中にまではびこる彼女の影。
綺麗な思い出の中でいなくなった彼女は、この先もずっとあなたの
心の中にいるだろう事に奥さんは耐えなきゃならないんだよね。
でもそれを口に出すと「死んだ人にまで嫉妬する女」になっちゃう。
どうあがいたってあなたの心をひとり占めにする事はできない。
仕方ないけどね。
昔から「奥さんに先立たれた人」といっしょになるのは(どうしても夫の
心に奥さんのいい思い出が残るから)難しいっていうから。
それと類似したパターンだな。
ちなみに私の友人(男)が数年前、新婚一年目で身重の奥さんをやはり
交通事故で亡くした。妊娠3ヶ月だった。
彼も今年再婚したけどね。
よく似た話なので色々考えてしまいました。
>>418 たぶん、彼の奥さんがそんな気持ちを毎日持って、
生活してることはないと思うけど。
過去、少しだけ、そういう気持ちを抱いたかもしれないとしか、
言いようがないと思う。
うちの旦那も似た話を話してくれたことがあったから、思い出してしまった。
やっぱりいい思い出しかないみたい。
亡くなった人を越えるのって、何年かかっても難しいんだなって実感しました。
416さんだって、こんなに鮮明に覚えてる。
わがままだとは思いますが、思い出すのを止めことは出来ないけど、
それを知りたくないよ。
421 :
大人の名無しさん:02/10/18 17:25 ID:PfH6wAjT
>>416-417 お辛かったことでしょう。ここで吐き出せて少しは楽に慣れればいいですね。
だけど最後の4行は、女としてどうも……
奥さんにしてみれば、その彼女が亡くなっていようと生きていようと、
いずれにしろ夫の「過去の女」であることに間違いはないわけだし、
自分と夫、そして2人の間に誕生した娘との新しい生活にどうして
夫の過去の女の影を引きづらなければならないのか、本当に納得
したのですか? どうしてわざわざ娘に、その彼女の名をもじって
名付けなければならなかったのですか? 理由が不明です。
そして娘さんが、自分の名前の由来を知ったとき、どう思うか……。
彼女の死に自責の念を抱いて苦しんだ人間が、更に自分の新しい家族まで
巻き添えにするようなこっぴどいことはしないだろうと言うことで、私の中では
ネタ決定なんですが……つーか、ネタであって欲しい。
422 :
大人の名無しさん:02/10/18 21:47 ID:WjxIu1qn
私には父方に曾祖母がいました。
年をとり耳は遠くなっていましたが、よくそっくりだといわれる私たち
姉妹のこともちゃんと見分けられるしっかりした人でした。
曾祖母の家は娘(私から見て祖母)が婿養子をとっていたので
年をとった曾祖母の面倒は娘である祖母がみていました。
しかし、ある日祖母が癌にかかってしまいました。
幸い早期の発見だったので、手術をすればきっと大丈夫だろうということでした。
しかし祖母が入院することになってしまったため、祖母の妹のところに
曾祖母は預けられる形になってしまいました。
(その家の嫁が難しい人で、とても曾祖母の面倒などみてくれなかったので)
すると年をとった曾祖母は、長年自分の面倒をみてきてくれた娘が
いないことや、知らない土地での生活に不安を覚えたのかたちまち
具合が悪くなってきてしまいました。
本当に一ヶ月くらいのことでした。
結局曾祖母の強い希望もあり、自分の家に曾祖母は戻ってはきましたが、
そのころにはもうほとんど寝たきりの状態でこちらの話し掛けることも
よくわからないようでした。
祖母は癌にかかり、曾祖母はどんどん具合が悪くなってきてしまっている
という状態の中で、父達兄弟は、本当のことを祖母に言うべきか
ずいぶん悩んでいましたが、せっかく手術が終わったばかりの祖母を
精神的に混乱させて、まずい状態にさせたくないという気持ちと、
祖母の手術の経過がよかったことから、退院するまで曾祖母がもってくれれば
という気持ちから、結局祖母には言い出せないままでした。
423 :
大人の名無しさん:02/10/18 21:58 ID:WjxIu1qn
曾祖母は祖母がいない理由がよくわかっていないようでした。
しきりに娘に会いたがる小さくなってしまった曾祖母を目の前にして、
みんなどうしようもない気持ちになっていました。
ある日私が曾祖母の見舞いに行くと、曾祖母が私の手を強く握ってきました。
どこにそんな力が残っているんだろうと思えるほどの強い力でした。
私はそのとき、祖母と間違えているんだと感じ、
涙がでてとまりませんでした。
結局その後曾祖母は、祖母の退院を待たずに亡くなりました。
96歳と言う大往生でしたが、いまだ自分の母親が亡くなったことを
知らず、一人病院のベッドに横たわる祖母のことを考えると
無性にやりきれない気持ちでした。また、最後に自分の最愛の娘に
会うことのできなかった曾祖母の気持ちも。
424 :
大人の名無しさん:02/10/18 22:06 ID:WjxIu1qn
その後本当のことを知った祖母は、今まで見たことも
ないほど取り乱し、父親たち兄弟に怒りをぶつけていました。
なんで知らせてくれなかったのかと。
祖母はいつも優しく、どんなことがあってもニコニコしている
働き者でした。そんな祖母が取り乱す姿をみて、
いくつになっても、人にとって親と子供というのは
永遠に変わることのない絆なんだと強く感じました。
その後、祖母はしばらくはめっきり弱ってしまい、
本当に体調が心配されましたが、現在は体調も回復して
元気にしています。
自分にとっては多分悔やんでも悔やみきれない出来事であろうことを
乗り越え、強く生きる祖母のことを心から尊敬しています。
>>417 悪いけど、最後の4行で萎えた。
本当に嗚咽したいのは貴方の奥さんなのかも・・。
自分の子供の名前を呼ぶたびに、そうした因縁を常に思い出すのかもしれないから。
426 :
大人の名無しさん:02/10/19 13:38 ID:WuQbCIJR
>>425 はげどう。
人生にはさ、ひとりで乗り越えなきゃいけない辛い事ってのが絶対
出て来るんだよ。
自分ひとりで消化しなきゃいけないことが。
そのルールを破ってるから気分が悪い。
しかし、普通自分の娘に早逝した人の名前(もじりでも)つけるか?
私もネタ認定しました。
私なら>417のような男とは結婚しない
トラブリュウの歌にでもインスパイアされて書き上げたネタでしょw
人の想いはそれぞれ。
このスレに批判は不似合い、冷静に行きましょう。
430 :
大人の名無しさん:02/10/20 03:49 ID:WPt/CK75
>>417さん
彼女以上に奥様を大切にして上げて下さい。
奥様は貴方の痛みを一生一緒に背負って行く覚悟で
子供の名前の件を了承してくださったのだと思います。
本当に優しくてそして一番貴方を愛してくれている人は
奥様なのだから。
>>426さん
おばあさんはわかってくれてるよ。
皆がどんなに悩んでそして自分のことを気遣ってくれているかを。
辛かった分楽しい想い出を沢山増やす様に大切にしてあげて下さいね。
431 :
大人の名無しさん:02/10/20 09:30 ID:tH3oQskd
2ちゃんってさ、なんかいろんな板みてスレみて、煽ったり笑ったり、
怒ったりしてるけど、ここ来るといいなぁって思うよ。
2ちゃんもすてたもんじゃないって。
だから、だからここに居る皆で幸せになろうな。
432 :
大人の名無しさん:02/10/20 19:57 ID:2piw0bzo
age
433 :
:02/10/20 21:00 ID:ko/aJ9f1
今日親父が死んだ。
この年までたくさんの肉親、知人の死を看取ったが
自分の親は初めてで、恥ずかしながら取り乱している。
兄貴が通夜の仕切りをしてて、俺は用無しなので2chやってる。
自分の親が死ぬのって、こんなつらいって当たり前だがわからなかった。
どうしたらいいんだ
泣け。
泣いていいんだと、自分に言え。
男が人生で泣くことを許されるのは2度だけだ。
そのうちの一度を、今あんたは迎えてるんだから。
泣いてるあんたを見ても、今日は誰も笑わないから。
思いっきり、泣け。
>>433 大丈夫。
また、笑ったり、楽しんだりするときが訪れるさ。
その気持ちは一時のものだよ。
436 :
:02/10/21 02:51 ID:z4fDrIeJ
>>433です。
親父が帰ってきた。
兄貴もお袋も隣の部屋で寝てしまった。
今ろうそくの火の番をしながらノートでネットしてる。
36にもなって、まだうろたえてる。
437 :
大人の名無しさん:02/10/21 03:10 ID:rlROSB6G
寝ずの番か…。
お父さんに今まで言えなかった事とか話したら?
>433さま
心の中で、お父様とお話しながら過ごしてください。
うちでは、父が帰ってきた晩は隣に母が布団を敷き、通夜の晩は
兄弟が寝ずに語り明かしました。
煙草が好きだった方なら、煙草をお供えして、お酒が好きだった方なら
お酒をお供えして。
棺の中に入れてあげるのに、何が好きだったかを思い返してみてください。
じっくりお顔をみることも、今日明日を逃すと恐らくないでしょうから、
今のうちにお顔を見ておくのもよろしいかと。
弔問客が訪れている時は、なかなかゆっくりお別れできませんから。
439 :
438:02/10/21 03:21 ID:kUajFXoW
>433さま
心より、お父様の御冥福をお祈り致します。
食べられるようでしたら、温かいものを少しお腹の中に入れてあげてくださいね。
お風邪を召されないよう、暖かい格好もしてくださいね。
明け方の寒さは、本当にツライです。
これから数日はあっという間に過ぎてしまいますが、どうぞ御自愛下さいませ。
438での物言い、大変失礼致しました。
440 :
大人の名無しさん:02/10/21 05:11 ID:g2B6ZkFT
なぜ
>>433が書き込めるのかが不思議。
親が亡くなったんだよ?やる事いっぱいあるだろうが!!
ノート開く余裕かるのがマジおかしい。。
まったく真のオタクなんだろうな。433は。
441 :
大人の名無しさん:02/10/21 05:15 ID:ZxiKgWdZ
>>440 瞬間的に時間が空いたんだよ。きっと・・・。
地方によっては、近所の人たちが葬儀を取り仕切る習慣があるので
遺族はかえって時間が空く、という場合もあります
>>440 (義父の時がそうだった)
それに、今の気持ちをここに書き捨てる(言い方は悪いけど)事で
気持ちの整理をしたい、と言う気持ちは、この4月に父親を
亡くした者としては痛いほど良く分かります。私は書き込みしなかったけど。
443 :
大人の名無しさん:02/10/21 12:33 ID:CRL9FL/m
私も今年5月に父を亡くした者です。
もう今は準備やお式等々でここを見ている暇はないと思いますが、もし
見ることが出来たなら、お父様のお棺の中に、お父様の好きだったもの、
そして持たせてあげたいものを是非入れてあげてください。うちの場合は
お洒落さんだった父のためにスーツやネクタイ、シャツ、靴等一式を
入れました。今年の初め丸刈りにしている父が寒かろうと、私が買って
あげたニットの帽子とかも入れました。
父にはもういらない物ですが、残された物の気持ちとして託しました。
このことは自己満足にしか過ぎないのかも知れません。
しかし「生前にあぁすればよかった、こうすればよかった」と思い悩む
ことが、今からどんどん出てきます。
せめて亡くなられてからの行為については悔いの無いようにしたいものです。
遅くなりましたが、お父様のご冥福をお祈りいたします。
ご家族の皆様の力のなってあげてくださいね。特にお母様には、話し相手に
なるだけでも違いますからね。
444 :
大人の名無しさん:02/10/21 16:35 ID:8oiwLKJQ
どっかのHPに載ってた話なんですが。
深夜の産院、分娩室の隅で一組の夫婦が小さな我が子の体を洗ってあげていた。
母「さぁ〜○○ちゃん、お家に帰ろうね」しかし、その子は既に呼吸をしていない。
超未熟児で生まれ懸命の治療の甲斐なく、2週間で亡くなってしまった。
ずっと保育器の中だったので、お母さんは我が子にお乳を上げることもできなかった。
家に帰ってから初めて、冷たくなった我が子にお乳を含ませてあげた。
もちろん乳首をくわえる事も、吸う事もなかった。
このような話だったと思うのですが・・・いかん、書きながらまた涙が出てしまった。
うちにも1歳半の息子がいるのですが、元気に生まれ育ってくれた息子に感謝。
でも、あまりにもつらい話で・・・。(号泣)
>>445 1の態度が悪すぎて同情する気になりません。
>>446 この1、育児板で再びスレ立ててたよ。
女房の愚痴が気に食わないとかいう内容だった。
上記のスレで味をしめたみたいだった。
自分でそのスレのリンク貼ってたくらいだし。
>447
え、騙りじゃなくて?見たこと無いのでURLキボン
>>448 スマソもうdat落ちしてるみたいで、漏れもログ削除したから残ってないです。
最初は正体明かしてなくて、飲む酒が「薩摩白波」ていうのでバレてしまったみたいw
そしたら自分で「俺のスレです、読んでね」みたいに自分でリンク貼ってた。
なんかお子さんが亡くなった方のスレは名スレとか言われてたみたいで、
ちょっとお調子に乗りすぎたねってカンジでした。私が見た方のスレは
はっきり言って駄スレでしたから。ちょっとイタイ育児論を語ってたましたし。
スレ違いも重ね重ねスマソ。
保守しますね。
朝晩冷えます。
みんな体調を崩さないようにして下さい。
451 :
:02/10/23 22:56 ID:3DNcknRp
うちの娘が拾ってきた仔猫が、数時間前まで跳ね回っていたのに
たった今ダンボールの中で丸くなったまま冷たくなってた。
ずっとお腹をすかして、母親を呼びながら鳴き続けていたらしく
その泣き声はかすれていたが、娘はお腹いっぱいになったら元気になると思って
カツオの刺身をあげたら夢中で食べていたのだが、娘が寝てしばらくした今死んでいた。
明日の朝娘が起きる前に、埋めておこうと思うが何と説明したらいいだろうか?
一つの意見として。
可哀想かもしれない。でも、ちゃんと自分の手で埋めさせてあげた方が
いいんじゃないかな、と思うのですが……。
母猫が迎えに来たから帰っちゃったよ、という優しい嘘と
ありのままを教えるのと、どちらがいいんでしょうね。
453 :
大人の名無しさん:02/10/23 23:36 ID:Koi//wS9
>>451 逃げちゃったみたいと言ってあげてください。
454 :
大人の名無しさん:02/10/23 23:48 ID:4wgSRI4T
今日、書いた文章の中に間違いを見つけた。
○現代 ×現在。2chじゃなくて、仕事で・・。
リアルで間違えた。。激鬱です・・・。なぜ後で気づくんだろう?
ここ数年こんなのばっか・・。
最近漏れ、「間違え方」が尋常じゃないんですよね。
さっき冷蔵庫から氷を出して、しまうときに電子レンジに入れてた。マジっすか? 漏れと思った。
無意味に涙が出てきたりするし。行動が正しく制御されてない。
これってなに? 病気? 脳をみてもらった方がいい?
どっか壊れてるのかな。30代前半でボケるか?
昔読んだフロイトを思い出すと、やはり壊れの可能性を感じる。
心理的なものならいいんだけど、
若年性アルツとか、器質的な問題だったらやだな、と病院にいきたくない漏れであった。
>>454 私もだよ。30代後半だけど。
○○しなきゃと思って部屋移動すると、自分が何やってたかわかんなくなって
結局何もせずに戻ってくることが多々ある。
私は異常プリオンにやられてるのかなと思ってる。
仕方ないやね。
あれだけ異常な状態でイカレ牛野放しにされてたんだから。
>>451 個人的には一緒にお葬式をやってあげるのがいいと思う。
どっちの嘘にしても悲しむのが一緒なら
子猫の死を意味あるものにしてあげた方がいいのでは??
457 :
大人の名無しさん:02/10/24 00:24 ID:tSxUipPH
>>451 娘さんがまだ小さいのなら、私だったら「お母さん猫が迎えにきて
帰っていった」ってことにするな。
死というものを受け入れられるようにするいい機会だとも思うけれど
拾ってきたばかりなんでしょ?
動物に優しくしてあげられた、っていう満足感を覚えさせられただけで
今回はいいんじゃないかな?
「お刺身あげたらすごく元気になって、2匹とも嬉しそうに帰っていったよ。
きっと○○ちゃんにすごく感謝してるだろうね」って明るく言ってあげれば
娘さんも悲しむ事はないと思う。
弱った動物なんかに今後接した時、「またしんじゃうかも」っていう恐怖感を
小さいうちは持たせたくないな。
そだな。娘が死を受け入れられる年齢かどうかが最大のポイントだよな。
どっちにしろいい勉強になると思うよ(動物とはいえ命を犠牲にしての
ものだから不謹慎といえば不謹慎かもしれないが)。
でもいい勉強にできるかどうかは親のあんたの説明次第だ。がんがれ。
「急性骨髄性白血病」
そうホワイトボードに書かれた。
婚約中の彼氏が検査のために入院して3日目、
たまたまお見舞いに行った私も同席させてもらっていた。
厳しい現実を突きつけられた彼氏はただただ「うん」「うん」とうなずいていた。
すぐに無菌治療室での治療が開始した。
ガラス越しの彼氏は日に日に痩せていってしまった。
次第に喋るのも辛くなっていった。
彼氏とを隔てる一枚のガラスの存在が憎らしかった。
毎朝1時間早く起きてお参りにいった。
毎日1時間早く仕事を終えてお見舞いにいった。
あれから半年、弟より骨髄移植を受けて今では元気に大部屋生活です。
放射線治療で彼氏は不妊になってしまったけど、
私には今の彼氏が大事な大事な赤ん坊のような存在。
会うたびに甘えてくるし・・。
しばらくは朝のお参りを続けよう。
そうだ!退院したらこの赤ん坊と旅行にでも行こうかな。
よくがんばったね!
大きな子供は一緒に暮らしていくには
良い相手でしょう。
辛い事もあるとは思いますが
お幸せにネ。
>>461 そのスレ最高!
しかし「なーんだ、みんないっしょだ」と安心してる場合ではない
教えてくれてありがとう
>>461 そのスレ30代以上板にふさわしそうですね。
誰か立てないかな?
漏れが立てちゃおうかな?
464 :
:02/10/26 02:31 ID:iU545MG0
「もう君に連絡をしない」
たった10文字の言葉を実行する事が、こんなに辛いとは思わなかった。
君の心はとっくに僕から離れて、
そして君は前を向いて歩き始めようとしている事は分かってるんだ。
君にとって僕は既に「過去の人」。
今も君への想いを抱えている僕は、君にとって迷惑な存在。
だから僕はもう君に連絡をしない。
でも苦しくて、つらくて、泣き叫びたくなる。
何であの時つないだ手を振り解いてしまったんだろう。
電話で話すたびに口から出かかった「やり直そう」と言う一言を、
何でもっと早く言わなかったんだろう。
もう今となっては遅すぎる後悔だけど、せずにはいられない。
今のこの胸の痛みはかつて僕が彼女に味わせた痛み。
そしてこの痛みを受けることは、彼女への贖罪。
今日も、眠れない日々が続く。
胸の中で、もう永遠に伝わる事の無い君への想いが疼いている。
465 :
大人の名無しさん:02/10/26 21:31 ID:3/5NzmEn
100万回死んだギコネコというFlashをご存知の方は
教えて下さい。お願いします。m(__)m
466 :
大人の名無しさん:02/10/26 21:35 ID:3/5NzmEn
age
スマソ。書き込んでから確認したらNot Foundだった・・。
471 :
大人の名無しさん:02/10/26 22:57 ID:3/5NzmEn
>>470 ありがとうございました。貴方は神です。m(__)m
472 :
大人の名無しさん:02/10/26 23:16 ID:VE5rpiWM
>470
感涙してまつ。。。。。
「100万回生きたギコ」のフラッシュみたのですが、
どこが感動するところなのかわかんないです。
原作の「100万回生きたネコ」を見てないと
感動するポイントがわかんないの?
だれか、どのへんが感動するところなのか教えて欲しいよー。
474 :
大人の名無しさん:02/10/27 11:04 ID:FxnbUqAc
すみません。sageてたんで、age!
>>473 「どれだけ生きたか」よりも「どのように生きたか」が重要だ
というメッセージがあの物語のテーマかと。
476 :
大人の名無しさん:02/10/27 19:49 ID:RiJ7pO3G
>>475 473どす。
そういう意味だったんですね。
お馬鹿に説明してくれてありがとう。
スッキリしました。
>>478 泣けた。
なんでだろ?シベールの日曜日を思いだしてさらに泣いてしまった。
いつからここは「泣けるflashを紹介するスレ」になったんでつか?
最近嗚咽してしまった事があったんだけど、書きにくい雰囲気…
子供がらみなので、育児板の類似スレに逝くからいいけど。
泣けるflash、ありがたいよ私は。
他のスレにいくんなら黙っていきなされ。
あなたのレス、子供がいる歳とは思えない幼稚さだよ。
>>480 泣けるflashを紹介するスレにはなってませんし、
書きにくい雰囲気にもなってないと思いますが。
またーりしようよ
484 :
大人の名無しさん:02/10/29 17:43 ID:aipCPLGo
私としては、決して「泣けるFrashを紹介するスレ」にするつもりはなかったのですが、
結果的に余計なお節介で波風を立ててしまい、申し訳ございませんでした。
>>484 教えてくれてありがとう。知らないのも一杯ありました。
>>485 私は泣けたよ。こんなのがあったんだね。ありがとう。
>>480 戻って来て書いてくれるといいな。
日没も早いし、寒い季節になってきたので
気持ちだけでも荒まないよう またーりいきましょう。
481のスレでいい雰囲気が台無し
test
481・・・?
スレ・・・?
491 :
大人の名無しさん:02/10/30 23:59 ID:D3jfwwtv
17の男なんだけどさ
今日は家の母ちゃんが仕事で遅くに帰ってきた
俺が物心ついたころにはもう親父はいなくて
父の日にお父さんに絵を書きましょうとか保育園で言われて
おれは知り合いのおぢちゃんの絵、かいてたっけ(苦笑
女手一つで俺をここまで育ててくれた母ちゃんに感謝してるし
これからも迷惑たくさんかける母ちゃんに
よく思ったら俺はなんもしてあげてない
毎月5千円毟り取って、それでも足りずにバイトして
稼いだ金も服買ったり、ギターの物につぎ込んでばっかで…
高校に入ったり、俺が髪染めたりしたとき
母ちゃんはよく写真とろうって言ってきて
恥ずかしくて、断ったりして
俺が最後に写真とってもらったのっていつだったけなぁ
昔は肩もんであげたりしたけど
最後に肩もんであげたのいつだっけ
今彼女から家きなよってメールきたけど
今日はいかないことにした
あらいものしている母ちゃんのかた
久しぶりにもんでやろうと思う
すれちがいだけでごめん
>491 お母さんきっと喜ぶよ。
493 :
大人の名無しさん:02/10/31 10:37 ID:26H746Dh
>>491 母ちゃんにマジに接するのってなんか恥ずかしいよな。
俺もそうだったし、「ありがとう」なんて言いたくても言えない(w
でも行動で示せるだけおまいはエラいよ。俺は結局できないままで母ちゃん氏んじまった。
みんなおまいみたいだとこの国ももっと良くなるんだと思うよ。
494 :
:02/10/31 21:01 ID:sTcgHJGt
さんざん自分のやりたいように生きて来て
お袋が死ぬと本当に辛いぞ。
495 :
大人の名無しさん:02/10/31 21:49 ID:4IWy9DJP
>491
あなたのお母さん幸せだね
きっとお母さんはあなたの気持ち分かってるよ
あなたが幸せならお母さんも幸せだと思う
>493>494
あなたのお母さんもきっと分かってるよ
子供って3才までに一生分の恩返しをしちゃうんだって
後は苦労かけるばっかりなんだって
本当に3才までの子供の可愛さったらないよ
後は、反抗期があっても苦労かけられてもいつまでたってもかわいい息子だよ
私には男の子が一人ますが、息子が辛い思いをする事より悲しい事なんてこの世に無いと思う
496 :
大人の名無しさん:02/11/01 13:34 ID:fO7ECtlf
暗いな
日没が早いからね。電気をつけなきゃ。
498 :
大人の名無しさん:02/11/01 21:27 ID:pVfqTyyS
>>491 今はいっぱい甘えてやれ。
子に甘えられるのも親としてはうれしいものだ。
漏れも同じで、幼稚園のときじいちゃんの絵を書いた。
稼げるようになったら、温泉でも連れて行け。
ちなみに漏れのかあちゃんは3年前に逝った。
旅行なんて連れて行けなかった。
もう甘える事も恩返しする事も出来ない。
あとででは間に合わない事もあるんだよ。
>>491 お前・・いい奴だな・・。
オレは昨年、父親を亡くしたけど、オレに出来た唯一の親孝行は
「少しでも立派な墓を立てる」ことぐらいだったよ。
その後、自分にも子供が出来たけど、子供好きの父親に
抱かせることが出来なかったのは今でも悔しい。
墓なんて、どんなに立派なのを立てたって空しいだけ。
お母さんが元気なうちに、たくさん親孝行してやれ。
忘れるな。親を泣かせる子供は最低だぞ。
>>491 私の息子はまだ小さいんだけど、私が息子にどんな親孝行をしてもらえ
たら一番嬉しいだろうと考えてみた。
やっぱり息子自身が充実した人生を送っている姿が見れること、かな。
たくさん稼げるとかそういうんじゃなくてさ、楽しく毎日をすごしてるって
様子とかさ。
そんで「母さんの子に生まれてよかった」とか思ってもらえたら最高だね。
まあこういうのが一番難しいんだろうけどさ。
二十歳を超えてから親元を離れて暮らして、そのまま遠い場所へ嫁いでしまった。
それから十何年、誕生日のたびに親とは電話で話すだけだけど、
最大の誕生日プレゼントは生んでもらったことだと今更ながら思ってる。
502 :
大人の名無しさん:02/11/06 10:54 ID:CqKD5qRb
20代の時、交通事故に遭い重傷を負いました。3ヵ月半の入院でした。入院して2週間後に母方の祖父が眠るように亡くなりました。
みんな私に気を使い、内緒にしてたのですが、父の知人が見舞いに来てくれた際にその事実を知り,動けないベッドのうえで泣きました。
祖父が亡くなった日の夜中にベッドの横に誰かが立ったんですが、まあ病院だしそんなこともめずらしくないだろうと特に気にも留めてなかったんです。
退院後すぐに奈良の祖母のもとへと急ぎ、仏壇の祖父に会いに行きました。何日か泊まったんですが、初日の夜に感じたのです。部屋の中に祖父がいる!!
霊感ゼロの祖母さえも「おじいさんがおる」というくらいに気配を感じました。怖いとかじゃなく嬉しかった・・・。
寝ている私に祖父は「・・・が食いたいなぁ」と言いました。
次の日、私はリハビリも兼ね、松葉杖をつき奈良の町にひとりで出かけました。帰りにおじいちゃんに何かお供え買って帰ろうと、なぜか自分でもわからないのですが、
ある有名な柿の葉寿司の店を探して探して探し回り、やっとの思いで買って帰りました。
503 :
大人の名無しさん:02/11/06 11:13 ID:CqKD5qRb
祖母のもとに帰宅し、おみやげを渡すと祖母は目を丸くし言いました。「ここの柿の葉寿司、おじいさんの大好物やってんで!あんた知ってたんか?」
私は「???」それでふたりで納得しました。おじいちゃんが食べたかったのはこれだったんだって。
その後、私の両親は転勤で奈良へ。わたしひとり家で残ってたのですが、これもまたなぜか奈良の人と縁あって結婚。結局みんなおじいちゃんが呼び寄せたのかなぁって思います。
主人が入江泰吉という奈良の写真家が好きで、写真集が何冊かあるのですが、その一冊を見て子どものように泣いてしまいました。
祖父がいつも幼い私と従姉妹を連れ散策した、奈良の昔の風景が私の記憶のまんまに写っているのです。
たまに祖父が夢枕に立つことがあります。なぜかいつもきまってTシャツに短パンで・・ニコニコしています。
一番可愛がってもらったのにお葬式にも出れなかった不義理な孫を許してくれてるかな?
でも不思議ですね、お葬式にでてないと、未だに亡くなったって信じられないところがあるんです。
親戚のみんなは「おじいさんはあんたの身代わりで亡くなりはった」って言います。
私に出来ることはお墓参りと夫婦仲よく幸せに暮らしていくことだと。おじいちゃんもそれで喜んでくれるかなぁ。
ダラダラとすみません。でも何だか書きこみたくなって・・・。
504 :
その1:02/11/06 18:05 ID:zkWc9/U8
喜んでるからこそ会いに来てくれてそして引き寄せてくれてるんだよね。
お葬式には出られなかったかもしれないが
十分孝行孫だよ〜。
私は十分孝行しないで祖父を亡くしました。
祖父は小さい頃の高熱が元で耳が聞こえず会話が出来ませんでした。
いや。孫の私達には出来ないと思いこんでいました。
これのせいで戦争にも行けず周りの人には馬鹿にされていたので
気の強い祖父で80過ぎても仕事をしていました。この賃金で離れて暮らしている
孫の私が毎年夏に会いに行くといつもお小遣をくれました。
「もういい年なんだからお小遣は要らないよ!」っていうと
叔母達が「お小遣を貰うのも孝行だよ」と言ってくれて有りがたく頂いてました。
有る夏の日祖父が叔母に「孫達にお寿司をご馳走するからその店まで連れて
行ってくれ」と言って「お寿司を」買ってきてくれました。
そのお寿司は「稲荷寿司」と「干瓢の海苔巻」でした。
その店の寿司は決して美味しい物ではなくただただ甘く濃い味付けのものでした。
何も判らない若い従姉妹は「なんだ〜。こんなの御寿司じゃないよ〜。大トロが
食べたい〜」と聞こえないと思い言いました。
505 :
その2:02/11/06 18:06 ID:zkWc9/U8
でも耳は聞こえずとも判っていたんですね。祖父はとても悲しそうな顔をしました。
私はそれに気付いて「おじいちゃんここのお稲荷さん美味しいね〜」と
無理にでも沢山食べました。そしたら祖父は「んっま?。んっま?(旨いか?)」と
ニコニコ笑って私と会話を始めました。
祖父の幼い頃にはお祭りやお盆の時にこの寿司を食べるのが一番の贅沢だった事。
たまたまTVでやっていたクイズの大きいワラジは馬に取り付ける物だと言う事。
もう湯水が溢れ出るかの如く話しが尽きる事がありませんでした。
まるで外国の人と話しをする様に祖父の話を解読しながら
不覚にも涙がこぼれました。祖父はずっとこんな風に孫と会話をしたかったのだと…。
それを私達は会話が出来ない物と思いこみこの思いをずっと無視してきたのだと。
叔母や伯父のきちんとした健康管理のお陰で大病もしないで
祖父は96才の天寿をまっとうしました。
今、母の長期入院の為お墓参りも行けない状態です。
こんな孫でもおじいちゃんはニコニコといつもの笑顔で見守ってくれてるかな?
私はおじいちゃんから貰った最後のお小遣をお守りにしてるんだよ。
つまらない話し&長文失礼しました。
そんなに謙遜しなくていいんだよ。
ここはみんなで、そういう「つまらない話」をするところなんだから。
507 :
大人の名無しさん:02/11/06 21:37 ID:f97X5bi3
>>502 502さんは、祖父が枕もとに立ったなどと霊が当たり前のように
存在するみたいに話してるけど、霊をいまいち信用してないおれにとっては、
霊の話に触れたところで、気分が萎えました・・・。
このスレの人は、そういうこと結構信じてる人が多そうですが・・・。
霊が関係する話でこのスレ(嗚咽なこと)に関することが
あったら、もっと聞かせてほしいです。
>>507 別に507の萌えさせる為の言葉じゃないからね。
ただ誰かに聞いて欲しいから書いてるんだよ。
それに何かを感じるのはその人達だけ。
俺たちはただ聞いてあげればいいんだよ。
510 :
大人の名無しさん:02/11/07 11:01 ID:tvVbqBFA
>>508 >ただ誰かに聞いて欲しいから書いてるんだよ。
>俺たちはただ聞いてあげればいいんだよ。
この部分は、まさにそうですね。
こだわらないようにします。
>>509 おお!いいサイトありがとう!
見てみますね。
>>509 こういうところが大人だよなーって思うね。
寒いのでほかほかの美味しいモノでも食べましょうか。保守
静かなり・・・・・
515 :
大人の名無しさん:02/11/10 01:15 ID:aIekYJgG
ここを読んでたら、自分も無性に書きたくなりました。
うまく文章にできないかもしれませんが・・・。
仲の良かった友人が亡くなって、7年が経ちました。
友人は白血病でした。
よく喋る、明るい、誰からも好かれる人でした。
そして、治療中も辛いとはけして口にせず、他人の不幸話に「辛いだろうね」と思いやれるような優しく強い人でした。
そんな友人がまさか亡くなるなんて、想像もしていませんでした。
7年前の夏、友人は入院していました。
あまり状態が良くないので、見舞いはもう少しよくなるまで待って・・・とそのことばを信じて、ただ祈り、回復を待ちました。
友人はとても頑張ったそうです。
一度は危険な状態にも陥ったのですが、なんとか持ち直したそうです。
しかし、それからしばらくたって、友人は息を引き取りました。両親や周りの人たちへの「ありがとう」のことばを残して。
あれもこれもやりたいと目を輝かせて語っていたのに、どんなに口惜しかっただろう・・・。
どんなに生きたと強く願っていてもどうにもならないこともある。この世の中に神様なんていないんだと思いました。
そんな辛い気持ちも、時間が次第に癒してくれました。
私は友人に何もしてあげられなかったけど、夜通しくだらないおしゃべりをしたり、夜明けにドライブしたり、突然思い立って、遠くまでドライブしてみたり・・・。
そんな思い出が、彼の慰めになってればいいなと思います。
上手く文章に出来なくてごめんなさい。続きます。
>>515の続きがないので・・・
私の場合は、
「すぐ良くなるし、恥ずかしいからお見舞い来ないで」
と、友達に言われていて
それを信じていたら、夏の終わりに亡くなった。
すごく後悔した。
白血病だったなんて・・・
>>516 「恥ずかしいから」の一言に全てが凝縮されていたのかもしれないね。
白血病の治療って、薬の副作用で髪が抜けるから、それを
見られたくなかったんだと思う。
その友達、感謝してるよ・・きっと。
お見舞いも色々あっていいと思うな。
病床で会いたくない、体が辛いという事もあるし。
会いにいかなくても手紙や葉書をおくるお見舞いというのもありかな。
患者さんが返事に気を遣わないようにして。
516です。
ポスペでやりとりしてた。
ハムスターとモモの行き交いだけ・・・
で、退院したらパソコンを教える約束してたの。
私、そんなに詳しくも無いのに、
学校通ってるってハナシしたから。
無理やりにでもお見舞いに行くべきだったかもって
友達と悔やんだんです。
>>517-518がそういってくれると
ちょっと気が軽くなるけど罪悪感もまだ・・・
元々、最近会ってなくて、メールとかだけだったし、
もっと一緒に遊んでればよかった。
>>519さん
あなたとお友達は無理にでもお見舞に…。と後悔してるかもしれないが
行かなくて正解だったのだと思うよ。
髪の毛ぐらいと元気な時は思うけど、抗がん剤や放射線で治療している人は
髪の毛が抜けるのを本当に嫌がってるから。
それに白血病の治療って家族でさえ小さい子は1ヶ月に一回しか合えないのだし
そうゆう貴重な時間は家族だけで会いたいと思うみたい。
お見舞を遠慮するという事もまた必要な事。罪悪感を持たなくても大丈夫。
メール交換だけでも十分勇気づけられてたって思うよ。
>>520 そっか、そうなんだ・・・
彼女にはちゃんとお見舞いに来てくれる彼氏が居たんです。
お葬式で会ったけど優しそうな人だった。
彼を見つめながらすぅっと亡くなったって・・・
あの彼はいまどうしてるかな。
すごく元気な子だったんです。
快食快便で、ウンコ製造機って言うくらい・・・
可愛いくてマジメな子だった。
話聞いてくれてありがとうございました。
昨日、長女の七五三のお祝いをした。
貧乏なので妻が着ていたお古だったが....。
後生大事に取ってある義母もアレだが(感謝してます)
早朝から髪を結い着付けをしている姿を遠くから眺めながら
「フッ」と9年前に他界したオヤジも一緒に眺めている気配が....。
孫を拝ませてやれず結婚して1年経たずに逝ってしまったオヤジ。
「早く孫の面倒をみさせて欲しい」と急かしたオヤジ。
あの世からでは遠くて観れずに降りてきたのかと思ったヨ。
気配とゆーよりも一緒に祝って貰いたかった気分が沸いてきたから
そんな気持ちに成ったのかな?
駄目な息子でゴメン。安心して成仏している?観ていてハラハラしているでしょ?
1回位は枕元に出てきてよ。説教してくれよ。進むべき道しるべを説いてよ。
駄文スマン>ALL
駄文・つまらない文章って言うのは(・A・) イクナイ!
なんて言ってイイか判らんけど、
大切な人、自分の気持ちへの区切り
色々な思いが詰まった言葉なんだから。
>>523 松任谷由実のサウンドアドベンチャーに投稿されるほとんどの手紙にも、
最後に「乱筆乱文お許しください」って書いてあるよね。
スレ違いスマソ。
慣例であったり、照れであったり、慎みであったり。
そういうものなのでしょう。<駄文を詫びるor乱文乱筆お許し下さい
>522
私の母も私の七五三の着物を取っておいてくれてるよ。
祖母が買ってくれた着物で三歳の時のと七歳の時の2枚。
祖母にとって私は唯一の孫、しかも女の子だったから
とてもいい着物を買ってくれました。
でも数年前に子宮に腫瘍ができちゃって手術しました。
子供は望めなくなってしまいました。
女の子が欲しかった。彼女にも私の着た着物を着て欲しかった。
その姿を祖母にも見せたかった。
祖母は私の手術の前に他界してしまったけれど。
522さん、二代に渡って同じ着物を着られて奥さんとお子さんは幸せ者ですよ!
>>526 あなたもあなたでずいぶんな運命をたどられてるんですなぁ。
528 :
522:02/11/11 19:00 ID:UtzxqFQ2
だけど、1回だけレスさせて欲しい。
>>523さん
確かに(・A・) イクナイ!かった。チャラけた文章だったら自信はあるのだけど
思ったまま連ねた文章だったから。ありがとう。
>>525さん
照れはあったと思う。でも慣用句としては使ったつもりは無かった。
ありがとう。
>>526さん
娘の着物も義祖母が購入して貰った物だそうです。
確かに幸せ者ですね。帰宅したら妻に貴方の様な心境だったか聞いてみます。<二代に渡って
父親(男)だから照れくさかったのですが、きれいに着飾る七歳の娘を見て
涙腺が緩みました(運転中だったのでサングラスで隠しましたが)
旨く言えないけど子供を産むことだけが貴方の役目では無いわけで....。語弊があったらごめん
此処の文書では励ますことは出来ないけど頑張れ! そしてありがとう。
読んでくれた方やレスくれた方ありがとう。 大人の名無しさんに戻ります。
大学時代に、生まれて初めて、俺は人を好きになった。
中学時代も高校時代も、臆面もなく人前でいちゃつける人種に対して表面上は
舌打ちしつつも、内心ではそんなことができるその二人を、羨ましがっていた。女性
を見ても、ああ綺麗だなうんうん、そのぐらいにしか思わなかった。性欲はあること
にはあったが、それが目の前にいる女性には何故か、繋がらなかった。面倒くさいと
いうこともあったしなにより、怖かったのだと思う。
しかし彼女を一目見たときに、衝撃が起こった。全身の毛が逆立ち、しばらく思考
は停止し、ポカンとなって彼女のことを見つめる、という、後々になって思い出して
みればマンガに出てきそうなほどの一目ぼれだった。
飲食店のバイトをしていた彼女に対して、俺は大学受験のときよりも、高校時代の
バンドよりも、中学時代の文化祭のときよりも激しく、突進した。いまどきアメリカ
のコメディにもないだろうってくらいは激しくだ。人生においてこんなに真剣になる
のは、後にも先にも、これっきりだろうと思う。
オールナイトの映画を見に行った。フジロックに行って知覚の扉をノックしたり、
我がアホバンドのライブに来てくれたりもした。一緒に海に行ったことは多分、大往
生の際になっても思い出せば寿命が三年は延びるだろう。彼女の両親と冷や汗をかき
つつ対面したり。幸せという感覚は、ひょっとしてこういうことをいうのかな、など
と思ったりした。
今年の夏の終わりごろから、彼女の様子が変わってきた。最近元気がないな、とは思って
いたが、彼女の部屋に行くと、異常なほど汚れていた。綺麗好きで、俺の部屋が汚れ
ているのにも我慢ができなかった彼女の部屋が、まるで三年ほど掃除をしていない一
人暮らしの男の部屋のような様相になっていた。もともとは、東京に出てきて二年目
といった感じの普通の女子大生の部屋だったのだ。それでも、なんだか疲れてるん
だろうな、ぐらいにしか思わなかった俺は、彼女の友人からの電話で腰の裏側から這
い登ってくるような、不安を感じずにはいられなかった。優秀そのもの、といった彼
女がここ二週間ほど、全く学校に姿をあらわさなくなったらしい。
そして確信した。何らかの精神的な病気、多分、鬱病じゃないか、と。
異臭が漂っている。彼女の部屋と、彼女の体からだ。そんなこと、あるわけがなかったのだ。
俺はそれでも、死んだわけじゃない、彼女はココにいる、新宿駅で石を投げれば鬱
病にぶつかるこのご時世、すぐに直る、などと、アホみたいに楽観していた。
何回も病院へ行くように説得した。しかし彼女は決して首を縦には振らなかった。
ただ布団のなかで、悲しそうに首を振るだけだった。そんなところに行ったらお父さ
んお母さんに迷惑がかかる、というのが彼女の言い分だった。彼女の家は、とんでも
ない名家だそうだ。
それでも俺は説得した。彼女の部屋に毎日通い、下手な飯を作ったり、掃除をした
りしつつ。彼女の母親と一度、電話で話をした。が、取り合ってはくれなかった。娘
の問題には口出しをしないのが彼らの教育方針だそうだ。面白い。
そろそろ押入れから秋物冬物を引っ張り出さなきゃな、という日。いつものように
彼女の部屋に行った。彼女は部屋の中央で首を吊っていた。下の部屋から赤ん坊の泣
き声がしたことを、はっきりと覚えている。それ以外には、彼女がぶらぶらと動いて
いるところぐらいしか覚えていない。
葬式で俺が彼女の両親を殺さなかったのは、本当に運が良かったと思う。彼らにと
っても俺にとっても。ただ久々に人を本気で何十回殴る蹴るの暴行を加え何年くらい
喰らうのかなと考えている自分を発見して、これであいつが生きてりゃあ、ヤクザ映
画になったのにな、と思って初めて泣いた。
彼女はただの、どこにでもいる、俺にとっては特別な、二十歳の、映画好きで、普
通の、女の子だった。彼女の笑顔を見ると、俺は絶対にこの笑顔が消えることのない
ようにしなければならない、なんて真顔で思ったし、彼女が俺のせいで泣いた時は冗
談でもなんでもなく切腹でもするかでもそれってなんの解決にもならねーな、なんて
思った。俺の煙草を吸ってむせたりしている時は真剣に禁煙を考えたが後で煙草吸っ
てるところがかっこいいねなんて言われてその場で座ったまま三十センチほどジャン
プして禁煙は取り消したりもしたし、初めて事に及んでいけなかった俺を何も言わず
に抱きしめてくれた時は素で明日死んでも悔いはねえでもいけなかったのは心残りだ
なんて思ったりもした。
鬱病で自殺する奴のことなんてどれだけ考えたって理解なんてできないっていう言
葉が正論だって事もわかってる。大事な人が精神病になったらその人の意思など尊重
せずに車に叩き込んで病院に連れ込むのが一番その人のためになるってことだって俺
は把握してた。両親はそりゃ責任の一端はあるのかもしれないが一番の馬鹿野郎って
わけじゃないってことも理解してた。
ただ遺書に書かれていた彼女の両親に対する恨みつらみを、客観的に見ればそれは
逆恨みとも言えるものだったけれど、思い出したら体が勝手に動いていた。俺に対し
てはありがとうとごめんなさいと愛してましたの三言しかなくてそれを思い出したらまた体が勝手に
動いていた。しかし彼らはそのことについて、なにもしなかったし、俺に対しても、
何も言わなかった。
部屋から彼女の痕跡を消そうとも思ったが、できなった。
見るたびに、どうしようもない気分になった。
一番の馬鹿野郎は俺と彼女の二人だ。自殺した彼女はすげえ馬鹿だし止められなか
った俺はもっと馬鹿だ。おい馬鹿女、おめーの馬鹿っぷりに負けず劣らず馬鹿な俺だ
がな、おめーみてーな馬鹿っぷりはぜってー発揮してやらねえからな、しばらく一人
でキューブリックとでも話してろ。この糞馬鹿女。残りの人生どうしてくれる? 俺
はおめーみてえな女が世の中にあともう一人いるって思うほど楽観主義じゃねえし、
修道会に入る気だってさらさらねえんだぞ。どうしてくれんだよ。おい。おい。なあ。
どうしてくれんだよ。
メモ帳で書いているうちに頭がこんがらがってきた、寝る。すまん。
>>529-533 悔しかったね、そんなに大切な人がいなくなってしまったなんて…。
何も出来なかった自分を責めたり、自分を残して一人で消えてしまった彼女を
恨めしく思ったりもするだろうけれど…。
彼女はいったいどんな人生を送ってきたんだろう。
でも、きっとあなたと出会って一緒に過ごしてきた時間は本当に幸せだった
んじゃないかな?と思うよ。
ただ残念なことに、彼女はこの現実と正面きって戦って生き続けていくことが
できなかったんだね。
自分の内面だけでなく、自分を大切に思ってくれる人たちの存在に目を向けて
欲しかったね。でもきっと、そんな余裕もないほど苦しんでいたんだと思う。
それは誰がどうすることもできない、彼女の深い闇だったんじゃないかな?
今は辛いだろうけれど、最後に書いてあったように
> おめーみてーな馬鹿っぷりはぜってー発揮してやらねえからな
そうだよ。同じ道歩んじゃだめだよ。
残された者がどんなに辛くて悔しい思いをするか、あなたならよくわかるはずだから。
535 :
大人の名無しさん:02/11/12 05:18 ID:ITslmOCu
自分の気持ちを整理する為にも書かせてください。
28歳の時に以前からガンだった母が再発。今度は部位が悪いので
助かる見込みが少ないと先生に言われました。
結局、生死を分かつ大手術をして、助かりましたが、また別の部位に
再発。結局計4回手術をし、抗ガン剤治療をしそして甲斐無く他界
してしまいました。
ガンは本当に怖い病気です…。何度も何度も身体を切り刻みながら
髪の毛も無くなって、必死で頑張っても助からない。
再発から4年、看病ばかりにかまけていた私が面白くなかったので
しょう。母の死後すぐに婚約者にも振られました。
親の反対と、一周忌まで待てないという理由でした。
母の死後暫くは、涙も出ませんでした。
>>535 お母さんのこと、大変だったね。ほんと、お疲れ様でした。
今頃はきっと天国で体もラクになってあなたの幸せを祈ってくれてる
んだろうな、お母さん。
その婚約者とは一緒になる運命じゃなかったんだと私は思う。
ていうか、結婚相手が悲しみのどん底にいる時に、その人は
別の事(あなたと別れる事)を考えてたんだね。
普通の感覚なら、心配で心配で一時も相手のそばを離れたく
ない気持ちになるものなのにね。
あなたの人生のパートナーとなる人は別に存在するんだと思うよ。
537 :
大人の名無しさん:02/11/12 12:59 ID:U+1KgKPZ
>>535よ、俺も536にハゲドウだ。
絶対に現れるよ。優しい心を持った535にぴったりのナイスガイがな。
>>535さん
失礼な言い方ですが、あなたがその婚約者と結婚しなくて本当に良かった。
パートナーの痛みや悲しみが判らない人は結婚しちゃいけない。
愛する人と一緒に暮らすと言う事は「喜びは倍になり悲しみは半分」になるよね。
でもあなたがその方と一緒になったら悲しみは倍になってたと思う。
お母様が命をかけてその事を解らせてくださったのかも…。
私も今母の癌と戦っています。この試練は母が命をかけて与えてくれてる
人生で大切な経験かもしれないと思ってます。
539 :
大人の名無しさん:02/11/12 20:09 ID:ixs0Ap1l
中学3年の時、クラス中から嫌われていた。
学校に行きたくなかったけど、はぶられてることを親に言えるわけもなく
毎日ぼやぼやと学校に行っていた。
ある日の帰り道、犬が一匹ぼーっとこっちを見ていた。
給食の残りのパンをやると食べた。
すごく「俺が好き」という目をしてついてきた。
こんな嫌われ者の自分を好きでついてきてくれる犬が
世界で唯一の味方のように思えて涙が出てきた。
その犬は俺の家で10年過ごして死んだ。
かわいかったよ。ありがとな。
>>539 その犬との出会いは辛い時の幸せな出会いだったかな?
引き取って10年も長生きさせてあげられて良かった。
あなたも。犬も。
その思い出がいつまでもあなたを暖めてくれますように。
541 :
大人の名無しさん:02/11/12 21:50 ID:2liJ97sc
>>535 君みたいな人にいいことあるといいね。
おれも応援してるよ!
6年前に別れた彼女が、今度結婚します。
二年間付き合って、互いの将来に心ときめかせた事もありました。
絶対一緒になって良い家庭を作るぞと。
死ぬまで一緒で、互いに幸せな人生だったと思える様にと。
でもそれは叶いませんでした。
仕事先を探す彼女に紹介した働き先で、彼女は別な男の人と恋仲に。
人間生きていれば、必ず転機は訪れます。
でも、それがこんな物だとは思いもよらなかったです。
別れ話を持ちかけられた時の、目の前が真っ暗になったあの瞬間。
「トモの事は好きだけど、それよりもあの人の事が好きなの。
許してちょうだい」
繰り返し夢にまででる最後の言葉。
たぶん忘れる事は出来ないと思います。
それ以来、僕は恋愛を出来ずに過ごしていました。
また同じ事になったら生きてはいけません。
それだけ好きだったのです。
そう思う程、一緒の時が僕にとって掛け替えの無いものだったんです。
続きます
その彼女が、結婚すると連絡して来たのです。
久しぶりに聞く彼女の声は、当時と少しも変わらない、幸せそうなものでした。
数々の思い出が蘇り、心がチクリと痛みました。
最初、出来るだけ当たり障りの無い話をして、早めに切ろうと思っていました。
そんな彼女のある一言が、また生涯忘れられない物になったのです。
「多分、あたしは自分の半分を見つけちゃったんだと思うの。
あたしが先に見つけちゃったけど、トモにも必ず見つかると思う。
だからあたしの事はわすれて、早く幸せになって」
この言葉を聞いた瞬間、嗚咽してしまいました。
この六年間僕は何をしていたんだろうと。
昔の自分達の姿という檻に閉じこもり、同じ経験をしたくない恐怖という感情に
支配され、どれだけのそういった機会を逃してきたのかという事を理解して。
未だ、自分を心配してくれる彼女の言葉が、とても温かく感じました。
それだけの説得力をもっている言葉でした。
人は、一人じゃ生きていけない。
だから、自分と同じ気持ちを分かち合える人を探す。
昔、未来を分かち合おうとした人に、また明日に向かえる勇気を貰いました。
>>542 すまん。ただ単に軽薄な女にも思える。これは私の恋愛経験の少なさか。
545 :
大人の名無しさん:02/11/13 01:09 ID:zuEX/fwF
>>543 私もなんか、嫌な女に思えてしょうがない。
「私のことは忘れて幸せになって」ってとこが。
>>544 同意。
自分がふった男、しかも多分まだ未練持ってるであろう奴には
連絡なんてしようと思わないな。
自慢したさに電話したくなる彼女の気持ちはわからんでもないが。
この人には本当に幸せになってほしい、って思う奴には電話しない。
忘れろ
>>542
>>542 ホントだよ、残酷だなぁそれ…。
542が立ち直るきっかけになったのならばいいけれど、その逆だってありえたわけで。
私も彼氏ができてから、別の人に告白されたけど断ったことがある。
その人がどんなに自分のことを好きでいてくれたか、そのときに知ったけれど
「二度と連絡しないし、君もしてこないで」って泣きながら言われたとき、
連絡しないって誓った。
いくらとても仲良くしていた友達であっても、もうダメなんだなぁって。
二度と連絡も取れない相手だけど、誰よりも幸せになってもらいたいと思ってるし
心から願ってる。
頑張れ、542。
548 :
:02/11/13 01:59 ID:2bZjOCCj
>542
それだけ彼女も君に真剣だったんだと思う。
どうでもいいやつに、そんな苦しめるようなだけの電話はかけてこないよ。
ガンバレ542
550 :
542:02/11/13 03:30 ID:HAjjyfJl
>レスしてくださった方々へ。
甘いのかもしれませんが、彼女は僕にとって掛け替えの無い人でした。
こういう事は人に言っても愚痴にしかならないと思って、ずっと自分だけで抱えていました。
でもここに書いて良かったです…。
今までの月日は、この件で何とか踏ん切りが付いたので思い切って出会いを求めて見ようかと
思っています。
新しい恋を探しながら、頑張って生きていきます。
読んでくださった方々、どうもありがとう御座いました。
551 :
大人の名無しさん:02/11/13 11:02 ID:wJ95KDK/
>>550 まー、実際の元彼女との関係は当人しかわからないもんだからね。
これから生きてて、良いことあるといいね。
552 :
大人の名無しさん:02/11/13 11:20 ID:fUpI/fOK
確かに当人しか分からないと思うが、
オレからみると、542は元カノに馬鹿にされている様にしか見えない。
自己完結してるトコスマソ
>まー、実際の元彼女との関係は当人しかわからないもんだからね
これに同意かな・・・・それと
出会いも別れも、他人の言葉を受け入れられる、声をかけるにも
タイミングや相性みたいなモノはあるんだろうなと思った。
>この六年間僕は何をしていたんだろうと。
>昔の自分達の姿という檻に閉じこもり、同じ経験をしたくない恐怖という感情に
>支配され、どれだけのそういった機会を逃してきたのかという事を理解して。
>>543が自分からこう気がついたことに
「凄い!」そして「ああ!良かった〜」と嬉しかったし貰い泣きしたよ。
なかなかこんな心境に至れないのが普通だよね。
543をこういう気持ちにさせるだけの
元彼女とのおつき合いがあってこそかもしれない。
それは本人がわかっていれば充分なんだろうなと思った。
554 :
553:02/11/13 14:01 ID:pgHi12DK
>自分がふった男、しかも多分まだ未練持ってるであろう奴には
>連絡なんてしようと思わないな
>542が立ち直るきっかけになったのならばいいけれど、その逆だってありえたわけで
至極もっともな事で
連絡を取らないことが誠意という場合も沢山あると思う。
ただこの543=550にとっては
良かったと言う受け止め方でいいのでは?
どうかこれから新しいおつき合いを怖れないでください。
あなたの勇気や懐の広さ、暖かさを人として尊敬し見習いたいです。
6年の時間がたっていたことが幸いでしたね。
こういうことの気持ちの整理は時間しか解決できませんから、
だから踏ん切りをつけられたのだと思います。
これが1年そこそこでああいう電話が来てたら
逆上してたかもしれませんね。
そうなのか・・・
彼に紹介してもらった仕事先で新しいオトコをつくって(゚д゚)ウマー
ケコーンが決まった!誰かに自慢してやろー→そうだ!アイツ(元彼)がいい!
「あたしの事はわすれて、早く幸せになって」 きまった!イエー
なんか
「未だ、自分を心配してくれる彼女の言葉が、とても温かく感じました。」
とか感謝されちゃってるし(ワラ
あ あ 、 私 っ て 天 使 の よ う な オ・ン・ナ
(゚д゚)ウマー (゚д゚)ウマー (゚д゚)ウマー
天使の上に「堕」ってつくけどな
ウルフルズの歌なんですけど、よかったら聞いてみてください。
「泣きたくないのに」
泣きたくないけど泣きそう
泣きたくないのに涙が僕にせめてくる
会えなくなるけど歩こう
会えなくなるけど夜空が僕を包みこむ
さよなら さよなら
思い出は死なない
さよなら さよなら
心の奥に
涙はここへ置いてこう
泣きたくないからいつまでも忘れない
さよなら さよなら
思い出は消せない
さよなら さよなら
天国に届く
泣きたくないけど泣きそう
泣きたくないのに涙が僕にせめてくる
泣きたくないのに涙が僕にせめてくる
>>556 542さんには本当に申し訳ないけど、
この元カノは542さんに対する後ろめたさを清算してから、
晴れ晴れとした気持ちで結婚したかったがために、
連絡してきただけではないですかね。
>「あたしの事はわすれて、早く幸せになって」 きまった!イエー
元カノ的には、まさにこんな感じだったんじゃないかな。
542よ、次の恋愛はきっといいものになると思うよ。
がんがれ。
途中までは俺とほぼ一緒のパターンだわ
>>542 幸いにも俺の場合は女からのその後は連絡なかったけどさ。
でも夢の中でその女と最後にかわした会話が何度も蘇り、
ここ2年ほど起きたら喪失感と嫌悪感に襲われる日々。
それまでは気軽に女と仲良くなれる体質だったのに
それ以来女がホント怖いんだよね。
殻にこもるし、いい雰囲気になっても自分から降りてしまう、というか。
自分でも話にならんわ。
でも最近ようやく好きな女の子が出来た。
前は強引に進めていくタイプだったんだけど、今回は慎重に
少しずつ仲良くなっていけたらと思う。
他人にとられない程度に。
俺は「やまない雨はない」はベタだけどこの年になって真言だと思った。
その期間は人によってまちまちだけど、何かをきっかけに人は
元に戻れたり変われたりするとでもいうか。
>>542にとって6年間は長かったはずだけど、がんばってほしいな。
なんとなく他人事には思えずエールを送らせていただきます。
562 :
大人の名無しさん:02/11/14 01:47 ID:cteDDVGY
>>561 >ここ2年ほど起きたら喪失感と嫌悪感に襲われる日々。
この気持ちよくわかる。
こっちまで息苦しくなってくるよ。
恋愛のことじゃないけど、俺もこういう日々あったから。
>他人にとられない程度に。
さりげなくワラタ。うまくいくといいね。次の恋愛。
>俺は「やまない雨はない」はベタだけどこの年になって真言だと思った。
まさにそう。
おれも辛くなったときは、
(あとで振り返って懐かしむ時が来るという意味で)
「この辛い時期もいつかは思い出になる」って
思って、頑張ろうとするときがある。
ってか、まさに今その時期なんだけど。
あなたにしても、542にしても、やっぱ人間掘り下げると、いろいろ辛いこと
抱えて生きてきたってのが改めてわかったよ。
当たり前だけど、辛いのは自分だけじゃない。
それがよくわかった。
>>542 本当は559氏のいうとおりなのかもしれない。ただ、ここは元彼女の言葉を汲み「あたしの
事はわすれて、早く幸せになって」 しまうべきだと思う。
>>563 「542にとっての本当のこと」は542だけのモノで他の人と同じではないだろうし
>>550を読めば
542がもう気持ちに区切りをつけて歩き始めているのがわかるけれど?
同じ様な経験をした人がそれぞれの彼女を542の元カノに重ねて
あれこれ542に言うことは
前を向いて歩き始めた542にマイナスになる気がしたもので。
542にリンクさせずに自分の経験として話すのはそれでいいと思う。
横からスマソ
そうだね。
私も思うよ。
どんないやな奴だってどんなにイヤな経験だって
人生においてマイナスだけでは無いって。
自分の心持一つでプラスに出来るんだって。
>>542さんはプラスに出来た人だよね。がんがれ!
567 :
大人の名無しさん:02/11/15 01:26 ID:2Rt8UaDz
あげます
568 :
大人の名無しさん:02/11/15 09:31 ID:sDIN9VGq
あげ
サーバ変更あり
570 :
大人の名無しさん:02/11/16 03:12 ID:7Rm7soL/
571 :
28歳:02/11/16 04:36 ID:6IJU+vuf
俺は28歳未婚(恋人とは喧嘩中w)だけど、このスレを読んで思ったよ。
絶対後悔しないで生きる。人には一期一会の気持ちで接する。
まだ30超えてなくてごめんねw
572 :
大人の名無しさん:02/11/16 15:17 ID:5s/+FA4G
>>571 ココは30代板!帰れ、青二才が。二度と来るな!
そうそう、彼女と早く仲直りするんだぞ。
(毒まむし風に)
573 :
大人の名無しさん:02/11/16 21:59 ID:BT3W6u7i
25歳。
去年まで金無し君だったけど、オンラインカジノとパチンコで
二年で350万貯めた。一度やってみなよ。
初回のみだけど、1ドル以上のチップを買えば30ドル(4000円くらい)貰える。
もらうだけもらってプレイせずに換金することもできるし、ルーレットで赤か黒に
思い切って賭けてしまえば50パーセントで二倍になる。
金なきゃオフラインでゲームすればいいだけ。暇つぶしになる。
ビデオポーカーとかスロとか色々あるのでマジでお勧め。
http://www.imperialcasino.com/~1h4n/japanese/
なんだよ、こんな時間に病院に来いだなんて。
え?親父が事故ってやばいって?
なにこれ?点滴だけじゃなくていろいろと・・・
今夜が峠?って・・脳挫傷だぁ
廊下にうずくまっていたのが加害者か。ま、あとでしめちゃる。
それで、手術は?・・・無理ってそんな・・・・
60だけど元気だったじゃん。
もう手遅れってか。えーおいなんとかなんないのかよー
おーいおやじー、なに寝てんだそんなとこで。
早く帰るぞ。目―開けろよー。
手がえらく熱いな。体温調整機能が働いてないのか・・・・
おーい、呼吸しろよー。
そうだ、せっかく定年したんだからしばらく病院でのんびりするのもいいか。
そんで退院したら新しい原付買おう。そのくらいプレゼントするって。
なにやってんだよー。こないだの日曜日に孫、子あつめて還暦祝いやった
ばかりじゃないか。丈夫がとりえのはずだろ。こんなことでくたばってどーする。
なあ、今度の日曜日は鯉料理食いにいくんだろー。寝てる場合じゃないぞ。
前から行きたい行きたいって言ってたろ。休み取れたんだよ。
目開けてくれよー。朝「行ってくる」「おう」 それっきりじゃねーか。
お袋、手にぎってやれよー。目覚ますかも知れんぞ。
心拍数下がってるな。血圧も。ちくしょーやばいなー
おーい、おーい、おやじー、しっかりしろよー
やっと定年退職したんだろ。会社が引き止めててもやめちまえって。
今まで苦労したんだからこれからやっと楽になるんじゃないか。
温泉巡りするんだろ。イワナの骨酒のみながら。何処でも行ってやるよ。
なー、手ぐらい握りかえしてくれよー。ほらー、姉貴も声かけてくれよー
あーーー、脈が不安定になりだした まずいなーーーー
廊下へ出ろって?先生、なんとかしてくださいよー
578 :
実録最後:02/11/17 14:13 ID:bdz+Vtp0
しっかりしろよおふくろ。まだだめと決まったわけじゃないだろー
ほらあ、先生来たぞ。
え?ええ??臨終って???ぜんぜんだめってこと??
そんな・・・・・・・・・・
まだ暖かいし、寝てるようにしか見えないけど・・・・・・?
おーい、おやじー、おーい、おーい、ほらあ、おきろよーーーー
こんなのありかよー、おーい、おーーーい、おやじってばあーーーー!
だめだってば、おやじー、おやじーーーーーーー!
579 :
大人の名無しさん:02/11/17 14:20 ID:1tyne5b4
http://www.media-0.com/user/gotosex/ モロ見えワッショイ!!
\\ モロ見えワッショイ!! //
+ + \\ モロ見えワッショイ!!/+
+
. + / ̄\ / ̄\ / ̄\ +
( ´∀`∩(´∀`∩)( ´∀`)
+ (( (つ ノ(つ 丿(つ つ )) +
ヽ ( ノ ( ヽノ ) ) )
(_)し' し(_) (_)_)
>>580 そういう風にかかないとやってらんない時もあるんじゃない?
正直579で台無し。
軽めの話を書くかな。
今ポールマッカートニーが来日してるよな。
自分もビートルズが大好き。よく聞いたし今も変わらず好きだ。
数年前父が初期の癌で入院・手術した。
大病どころか殆ど病気をしたことの無い人だったから、本人も家族もショック。
仕事と家庭と看病とで目まぐるしい数ヶ月の中で
ビートルズの「when I'm sixty-four」が胸に滲みた。その時の父が丁度64歳。
あの歌と正反対の不仲の父母、トラブルばかりの父だったんだけどさ。
今は幸い父もどうにか元気になって
こっちも世話になったり、相変わらず父のトラブルに悩まされるが
親を反面教師に自分は良い伴侶を得られた。
ビートルズの曲が色んな過去を思い出させて胸が詰まる。
知らず涙が出てくる今日この頃。
584 :
大人の名無しさん:02/11/18 19:12 ID:UeRa5vm6
>>583 その頃によく聞いていた曲を聴くとその頃を鮮明に
思い出すよね、ニオイとか。
585 :
実録:02/11/19 08:30 ID:7knCAq5o
>580
ネタでもウケ狙いでもありませんがそーいうふうにみられて
スレの空気を乱したのならスマソ。
>581
8年間誰にも言わなかったのですが・・・なんだか溜まっていたものが
吐き出せたような気がしますた。
>なんだか溜まっていたものが吐き出せたような気がしますた
そうか。何か気持ちに変化はあるかな?<実録くん
587 :
:02/11/20 13:43 ID:2NH7AGBu
昔、一度だけ女の子に告白されたことがある。
今の漫画の「ワンピース」の主人公ルフィそっくりの女の子だった。
ひょろっとした体は、まるで男の子そのもので他の女の子と比べると
セックスアピールめいたものは皆無のルフィは、いつもクラスでも男とばかり遊んでいて
俺もそのグループの一人だった。
クラスのグループ研究かなんかの分担作業で俺はそのルフィと二人で
日曜日にとある所に出かけることになったのだが、待ち合わせの場所に
現れたルフィは初めてミニスカートをはいており、俺は少なからず驚いたが
それだけで特に気に留めることなく、目的地で用事を済ませた。
588 :
:02/11/20 13:50 ID:2NH7AGBu
帰り道、俺は唐突にルフィに告白された。
本当にルフィそっくりの「にぃ!」という笑顔で「彼女にしてよ」と言われた。
何て言ったか忘れたが、とにかく俺はやんわりとだがルフィを振った。
次の瞬間、ルフィは泣き出した。「ごめんね、ごめんね」と言いながら
今まで見たことない位に弱々しく嗚咽するルフィの姿に俺は驚いた。
「そっか、そうだよね♪」と引き下がってこの話は終わりだと思っていたから。
翌日からルフィは元通りになって、ミニスカートはもちろん泣いた姿も
それっきり見ることはなく、卒業後俺は同窓会にも出なかった。
589 :
:02/11/20 14:02 ID:2NH7AGBu
だがそれからの俺の人生にはロクなことが起きなかった。
大学の2年のとき親父が死んで、せめて卒業だけでも自力でなんとかと
水商売の世界に入ったが、当然学校との両立なんか出来るわけもなく、
そのまま中退、おまけにパチスロで借金まで作ってしまった。
ようやく借金のめどがついた3年前、今度は脳梗塞で左半身マヒだ。
結婚どころか彼女もいない、風俗なんて行く勇気もなかった。
本当に明日のない毎日で、つぶれた会社が放置していたWin95マシンで
細々ネットする以外はすることがない。これが俺の人生の末路なんだ。
あのときルフィに告白されたときが、俺の人生の頂点だったんだと思う。
もう忘れているだろうけど、ルフィありがとな。
もう子供何人かのお母さんなんだろうな。今頃言っても遅いだろうけど
あのとき傷つけてごめんな。
まだわからないよ。いつかまた頂点が来るかもしれない。
俺も今はとても傷ついてる。
どん底かもしれない。
でもまたがんばるよ。
君もがんばれ。
>>587-590 「ああ、これがどん底だ」とわかったら、
あとは上昇するだけだ。
しかし上昇できなくて、浮上できなくても
本当のどん底がどんなものなのか見極めてやる
そんなしぶとさを俺は持ちたい。
「もう終わりだ」と思ったところから始まる。
それにしても、力みすぎずにやっていこう。
592 :
大人の名無しさん:02/11/21 00:49 ID:EADl1vCK
>>587 脳梗塞で左半身マヒってあるけど、仕事はできるんですか?
体の自由はきかないの?
おーい、人生、諦めるなよ。
前向きに未来につながることやっていこうよ。
意味があると思うよ、今までの人生。
きみのような立場にならないとできない経験もあると思うよ。
年末、誰も彼もが忙しくバタバタする12月・・・
あれは2年前の12月だった。
体の弱かった父親が、その年の11月の初旬に入院することになり、
そして病症が進み、その病院では処置しきれなくなり、
そこからそんなには離れていなかったけど、少し大きな病院に転院することになった。
最初の病院の時は、私の仕事もそんなに忙しくなかったのと、
父親もまだ、言うほどには病気は重くなく(ように見えただけかもしれない)、
お見舞いも、何回かは行く事ができたのだけど、
転院先の病院では、時期的に比例するように、仕事がどんどん忙しくなり、
父親の顔も満足に見られないくらいにしか時間の取れない毎日を過ごしていた。
そんなある日、その日も仕事が中々終わらず、面会時間ギリギリに病室に飛び込んだら、
母親がまだ帰らずにいて、私に向かって、
『仕事、もっと早く終われんの?就業時間とっくに過ぎてるやろー?』
と、きつい言い方ではなかったけど、非難の目でその台詞を投げかけられたとき、
私自身の中で“何か”がプツンと切れたように、
個室でない病室であるのにも関わらず、大声を出して、
『こっちも仕事が忙しくて、帰りたくても帰られへんねん!
それでも一生懸命、こうやって来てるのに、何でそんなん言われなあかんの!?』
・・・と、叫ぶのと脱いですぐのコートを抱えて、病室のドアに向かったのはほぼ同時だった。
そして、父親の病症は良くはならなかったけど、とりあえずは年を越すことは出来たのだけれど。
松の内が済んだころに、年明けから益々体の不調をクリアー出来ないままの体を引きずった父親が、とうとう危篤状態になり、
それまで、何とか自力で呼吸していたものも無理になって、
人口呼吸器よりももっと残酷な方法でないと、息が出来ないということで、
喉の器官に直接酸素の管を通す方法での人口呼吸・・・
きっと苦しかったはずなのに、我慢していた父親の姿が目に焼きついて・・・
夜中に苦しさに自分で外してしまわないように、と、両手をベッドの両柵に縛られ、
見るに見かねた私たち家族が、交代で柵から外した父親の手を握り締めて、
長い夜を過ごしたのが、臨終の前の日の事だった。
父は戦争体験して兵隊の経験まである苦労人だった。
結婚してからも、きっと贅沢なことなど何ひとつしないまま、
唯一の楽しみはカメラでの写真撮影と、
父よりも少しだけ先に逝ってしまった14年くらい長生きした猫との交流・・・
カメラも高価なものじゃなく、少しお金が溜まったら買えるかな?程度のモノ。
知り合いの新聞社のカメラマンから譲ってもらったカメラを、
二台あるからと、私にあげると持たしてくれたのが、まだ、そんな体になる前のことで、
私もあんまり深く考えることもなく、そのまま持って帰り、
タンスの中にしまいこんで、使用することの無いままそのままに・・・
今、取り出しては父親のあの時のことを思い出して。
お見舞いに行ったというのに、少しのことで頭にきて、
父に言葉もかけてあげないで、病室を飛び出した私を父はどう思ったんだろう?って。
お葬式も終わって、少し落ち着いて母や妹と、父の話題を出す時に、
その日の事を母がポツリ・・・と。
「お父ちゃんなぁ、あの時、『 ○○○(私の名前)の声がしとったけど、来たんかなぁ?』って言うとったで・・・見えてなかったんやろうなぁ・・・」
食べることもできず、起き上がることもだんだん出来なくなって、
目も頭もボーっとした状態が常にあった父に、優しい言葉をかけられずにいた私に、
恨み言をいうでもなく、最期は眠るように逝ってしまった父・・・
仕事が忙しい・・・といっても、休みが無い訳でもなかったのだから、
もっともっと顔を見せに行ってあげればよかった、と今頃後悔しても仕方ないのに。
・・・今、私は、その時の職場を離れ、時間や家の都合で休みが取れる仕事に就いている。
もし家族に何かあっても、すぐに行ってあげられるように・・・
自分が大事に思う人に、自分の思いをちゃんと伝えられるように・・・
もし、それが最後になっても後悔しないように・・・
父にしたような過ちを二度と繰り返さないように・・・
『ごめんねー、お父ちゃん・・・最後まで親不孝で、本当にごめんね・・・』
>「お父ちゃんなぁ、あの時、『 ○○○(私の名前)の声がしとったけど、来たんかなぁ?』って言うとったで・
昼一から号泣・・・・
病気の人へは励ましの言葉とか、大量のおみやげとか、そんなのはいらなくて、
ただ顔を見に行ってあげる、顔を見せに行く事が一番いいんだよね。
無言で手を握ってるだけでいいんだよね。
だめだ、わけわかんなくなってきたのでsage
久々にこのスレ覗いたんで、蒸し返すようで悪いが…
>>580 俺がお前の横にいたら、俺はお前を殴ってるよ。
相手の気持ちってのを少しは、ほんの少しでいいから考えろ。
最近、こういう若いヤツばっかで鬱になる。
602 :
大人の名無しさん:02/11/22 23:42 ID:/yhIc/mx
580はそんなにひどい発言とは思わなかったけどな。
ほんとネタっぽいと思ったし。
>>602 概ね同意。
>>601も「殴る」とか書いてる時点で、
それこそ”最近の若いヤツ”と変わんないよ。
>>574-578さんは、ネタじゃぁないとおいらは思う。
でもちょっと感動させるぞ、泣かせるぞって気持ちが強すぎて
演出過多になっちゃったみたいね。
気持ちは本物だと思う。ただ表現が下手だっただけだと思うよ。
ここで皆が本当に感動するのは、文は下手でけれんみも無いかもしれないが
本心をストレートにぶつけてきた文だってのは、これまで見てきた人は皆
納得する所があるんじゃないのかな?
誤字があってもいい。回りくどくっても、判りにくくってもいい。
伝えたい事をそのまま書くのがここだと思う。判断は所詮、
読む人に任せるしかない。
ここ読んでて自分も誰かに話したくなってしまった。
母が再婚し幸せになった。私は県外で暮らしていたのだけど
新しい父が「仕事がないならこっちへ来い」と言ってくれたので
恐縮しながら新婚家庭へ居候を決めた。
父は肝炎だとは聞いていたが夜勤続きのせいか体調が悪いと言うので
病院へ行くことを強く勧めた。
検査入院の日、母は医師から父が末期肝癌であると宣告された。
「お父さんは寂しがり屋だから付き添いしてね」
「お父さんは怖がりだから何聞かれても検査入院で押し通してね」
お中元配達のパートをしていた母に頼まれた無職の私は
父の好きな甘いモノを自転車に積んでは病院に通った。
新しい父は本当に面白い人で病院でも人気者だった。
"父親"っていいなぁと初めて思った。
3週間後、容態が悪化した。
「制癌剤を投与すると肝硬変が進む。
肝硬変を抑制する薬を投与すると癌が進行する。
どうにも救えないから手術はしない」と医師は言った。
日々腹水が大きくなり移動は車椅子になった。
腹が苦しくて、腹が減ってるのに飯が食えんと父は嘆いた。
食事の変わりにアイスクリームを匙で口元に持っていくと
美味いと泣きながら父はそれを舐めた。
その頃の私は病院に泊り込みながら
母のパートが落ち着くまで父の命が持つ事を祈っていた。
出来るだけ長い時間夫婦水入らずで過ごして欲しかった。
でも心のどこかでは、腹痛で眠れない父に付き合っていた疲れから
出来るだけ早く母と交代したいと思っていた。
最後の日の昼食に玉子豆腐が出た。父の好物だった。
無理をしてもそいつを食いたいからとっといてくれと頼まれた。
その深夜、私がうたた寝している間に、父はナースコールを自分で押していた。
明け方父は静かに逝き、それを皆で見送った。
病室を片付けている時、冷蔵庫から玉子豆腐が出て来た。
立っていられなかった。玉子豆腐抱えて大声で泣き叫んだ。何度も謝った。
我が子でもないのに「うちがお前の実家だ」と当り前の事として私を迎え、
一番苦しかっただろう深夜にちゃんと看てなかった事を一言も責めず、
そんな一つひとつのお父さんの気持ちがこんな時になって一気に沁みた。
母は今でも「お父さんは感謝してるよ」と言ってくれる。
でも私は一生ごめんなさいと言い続けると思う。
夏に彼氏と家族の話をしていて急に思い出し泣いてしまった。
訳も判らず宥めてくれた彼氏に悪いことしたなと思う。
もう別れたけどあの時は黙って慰めてくれてありがとう。
>605
そんなやさしいお父さんなら、貴女がいつまでも悔やんで
泣いていると、悲しがるよ〜
611 :
大人の名無しさん:02/11/25 08:09 ID:BU1DuB+K
>605
お父さん、あなたのことが本当に可愛くて仕方なかったんじゃない?
血の繋がりはなくても、娘が病床に付き添ってくれるのは嬉しかったと思うよ。
まだしばらくは辛いかもしれない。
でも親の共通の願いって何か分かりますか?
それはね、子供が幸せに暮らしてくれることです。
だからあなたもどうか幸せに過ごしてください。
そして何か生活の節目などに、お父さんのことを思い出して、
心の中で語りかけてあげるのが何よりの供養だと聞きました。
お父さんには素晴らしい娘が、あなたには素晴らしいお父さんがあってよかったですね。
612 :
大人の名無しさん:02/11/25 13:52 ID:6DjEkdQC
昨日は浜松基地の航空祭だった。
空自航空祭は午前中に地元基地所属機等のデモフライトがあり
メインイベントは昼過ぎにフライトするブルーインパルスで
それが終わると外来機が帰投しておしまいになるのが通例だ。
だから飛行機好きの奴らは朝早くから詰めかける。
自分はブルーインパルスのフライトを招待者用駐車場で見ていた。
フライトも後半にさしかかったところで一台車が入ってきた。
せっかくの航空祭にこんな時間にきてはね…と思いつつ見てたら
車から降りたのは少し痩せた中年の女性、車イスに乗り防寒のため
厚手のパーカーを着込み膝には小さな毛布を掛けていた。
そして旦那らしき人と、はしゃいでる小学生の娘達が一緒。
彼女が自分の横を通過したとき車イスに書いてあった文字が目に入った。
「ホスピス専用」
その言葉が意味することはすぐに分かる。
本人も旦那も子供達にも辛い未来が待ち受けているが
楽しい思い出になったと信じたい。
613 :
601:02/11/26 00:59 ID:uKSIlwU2
またも遅レスで悪いが
>>603 >>580を殴るコブシはそんな気持ちのコブシじゃない。
それが理解されないのか…
俺がガキの頃は、悪いことをすりゃ隣のオヤジにだって怒られた。
他人の心の痛みがわからんほど、みんな甘やかされて甘チャンに育ってんだな。
このスレだからこそ哀しいよ、俺は。
614 :
大人の名無しさん:02/11/26 17:41 ID:ffTEr7aH
>613
そうか。そう言えば漏れも近所のおっちゃんによく叱られた。
どこにでも「頑固親父」というか、近所のしつけ役を担っているおやっさんが
いたもんだよね。
漏れは603ではないが、あなたのレスの意味を汲み取れてなかった。正直すまんかった。
でもな、文字だけじゃその人の感情って言うのはやっぱり伝わりにくいんだよ。
だからこそ、こう言う場で何かを伝える為にはより多くの言葉が必要なんだと思う。
その事もできたら理解してほしい。
無論解読能力が無いといわれればそれまでだけど、それも十人十色。
自分の言葉の意図を正しく伝えたいと思ったら、
そのために言葉を尽くす事も、時には必要じゃないだろうか。
615 :
長レス失礼:02/11/27 21:16 ID:ykPwApZT
3年前の1月、父が交通事故にあった。
母から連絡を受けて、私と姉は実家の近くの病院に駆けつけた。
脳挫傷。意識がもどる可能性は10%もないと医者に告げられた。
集中治療室のベッドの上、さまざまな機器にチューブでつながれ
頭を白い包帯に巻かれて横たわる父の姿を見ても、まだ私は
涙が出てこなかった。あまりにびっくりしていて。
しばらく病院に泊まり込みになるだろう。実家と病院を行き来するのに、
連絡するものが必要だった。私の持っているPHSは、田舎では電波が通じない。
母に、父の使っていた携帯電話を渡された。
その日の夜。
何も言わずに出てきてしまったから、東京にいる何人かの友達に
「しばらく田舎にいることになった」と電話で知らせた。
みんな言葉につまりながらも慰めてくれた。涙声になる子もいた。
でもまだ私は涙が出てこなかった。
最後の一人への電話をかけ終わると、なんだかドッと疲れた。
すぐに家族がいる待合室に戻る気にもなれなくて、病院の屋上へと
通じる薄暗い非常階段にそのまま腰を下ろした。
なんとはなく、いつものように手で携帯をもてあそんだ。
ふと目が止まった。
携帯電話の充電部分のわずかなくぼみに、赤黒い血がこびりついていた。
救急隊員の手によってか、看護婦さんの手によってか知らないが、
丁寧にぬぐわれたであろうにもかかわらず落ちきれなかった父の血が
こびりついていた。
屋上へ通じる非常階段の冷たい壁にひたいをくっつけて、私は、
声をかみ殺して泣いた。
あの日の事は一生忘れられない。
616 :
大人の名無しさん:02/11/27 22:48 ID:AnI8zozA
>>615 お父さんはその後、お元気になられましたか?
617 :
601:02/11/28 00:14 ID:0ZzgHrmy
俺はこういうヤツ(
>>616)は殴らない。
ただ冷ややかに軽蔑のまなざしを向けるだけだ。
俺を引っ張り出したかったんだろう?
すまんな
>>615、俺のせいでヘンなヤツに絡まれちまって。
3年経って、ここに書けるくらいには落ち着いたよな?
頑張れ。
まぁ俺は
>>601に激しく同意だけどね。
逆に書いてある文面でしか読み取れない能力の方に( ゚д゚)ポカーン
こういう人たちって、例えば告白して「友達でいよう」と言われたら
ホントにとりあえずは友達でいられると思うんだろうなぁ。
逆に冷たくされたら「友達でいようっていったのに!!!」とか言いそう・・
よく言や素直ってことか・・・・
まぁ
>>574にもういい加減いじるなと思われそうだが
619 :
108:02/11/28 10:03 ID:D1ePMucW
>617
君のせいで>616が来たのか?単なるぼけと思うが。
ん?私も
>>616さんはただ行間の意味合いを
読み取れなかった人なんじゃないかな?
>>601さんを呼び出そうなんて魂胆は無かったのじゃない?
医者の○○%の確率とか余命とかって当てにならないから
もしかして元気になったかもって思ったのかもよ?
621 :
616:02/11/28 14:07 ID:GBIaULKL
なんで叩かれてんだか全くわかりません。
お父さんは死んだの?って書けばよかったわけ?
622 :
616:02/11/28 14:12 ID:GBIaULKL
今生きてるのかどうか聞きたかったけど
ダイレクトに「で、死んだわけ?まだ植物人間なわけ?」と書くと失礼だから
「その後お元気になられましたか」って書いたんだけど
行間の読めないバカ扱いされて本当にむかついています。
601みたいな正義の味方ぶった基地外こそ殴ってやりたいけどな。
623 :
大人の名無しさん:02/11/28 14:13 ID:GBIaULKL
624 :
やっぱり:02/11/28 15:08 ID:TJ2rt5sn
>616=621〜623
単なる「ヴぉけ」であった模様
625 :
案の定:02/11/28 16:05 ID:amZHCXa2
確かに。>615→>616はそのつもりで読めばそうなるかも。
>617のカキコで>619と>620の反応の無理はないと思える。
>621=>616は誰に叩かれたと思ってキているのかは確定しずらいな。
もしかして>617〜>623迄の経緯がアタマ来るのかな。
>620に噛みつくのはちょっと。冷静に>622でOK
>624は煽りかなsageだし。
ま、嗚咽なんだから、>620が再登場して荒れないといいけど。
626 :
大人の名無しさん:02/11/28 17:07 ID:vf4onSvh
何だか年の瀬を控えて、殺伐としてきているのかなぁ?
いつもならこういう感じにいつまでも粘着しないからこの板よかったのにな。
景気も悪いし、人の心も荒んでしまうのか・・・悲しいです。
>>615さんに失礼だからこれ以上反応しません。
ごめんね。
>>615さん。
あなたの辛い体験を汚したみたいでごめんなさい。
でも私も今家族の看護の途中だからあなたの気持ちは
良くわかります。
気が張ってる時って嗚咽できないんだよね。
何かの拍子に張り詰めていた気が途切れた時に
ドット涙が出てくるんだよね。
きっと嗚咽する時期も通りこしてやっと書けたのだよね。
辛い体験をされた分あなたと御家族にいっぱい幸せが訪れますように
お祈り申し上げます。
>>616も
>>620も気にしない。
その前の殴る殴らないの食い違いもあったけれど
いずれも書いた人への思い遣りの現れ方が違うだけだと解釈しませう。
もう師走が目前。
心だけでも温かくほかほかマタ〜リしたいものです。はい。
629 :
615:02/11/28 20:22 ID:XZ6jm4AW
なんだか私のレスがきっかけで雰囲気が悪くなってしまったようで
すみません。
ちゃんと最後まで書けばよかったのに、ただ吐き出すばかりで
自分のレスを読んでくれる人の気持ちまで考える余裕がなかった…。
失礼しました。
残念ながら父は事故から2週間後に亡くなりました。
最後まで意識を取り戻すことはありませんでした。
(そもそも入院した時からほとんど脳死に近かったのです)
車の運転席は血の海だったそうです。
本当なら即死でもおかしくなかったのですが、事故現場に
駆けつけた救急隊員の方の処置が適切だったおかげで
私たち家族は2週間父と過ごせました。
話はできなかったけど、暖かい手を握ったり、足をさすったりできました。
もし即死だったら、できなかった。
もうすぐ丸4年です。忘れることはできないけど、ここに書いて
少し落ち着いた気がします。優しい言葉をありがとう。>ALL
630 :
615:02/11/28 20:26 ID:XZ6jm4AW
それから、私にはこんなこという権利もないんですが…
最後にひとつみなさんにお願いしたいのです。
車に乗る時は、きっとシートベルトはつけてくださいね。
私の父は、面倒くさがって普段からあまりつけない人でした。
事故の日も、それが影響していたはずです。
つけていたら助かっていたかもしれない。
自分のためじゃなく、残されて悲しむかもしれない人のために。
シートベルト、つけてください。
お願いします。
>615
ちょっとスレが荒れたけどあなたのせいじゃないから
気にしないで。
シートベルト、自分は締める派なんだけど、
自分の大切な人が締めてなかったら、きつく言ってでも
締めさせないとね。
最近小さな子供をチャイルドシートに乗せない親が
多いのに驚きます。何かあってからじゃ遅いのに・・・。
632 :
大人の名無しさん:02/11/28 21:45 ID:Vounw2a9
>615
雰囲気が少し悪くなったのは決してあなたのせいじゃないから気にしないでね。
そんなことであなたが気分を悪くしてしまう方が心配ですよ。
せめてここだけは、思い遣りの心でね。
>>630 >車に乗る時は、きっとシートベルトはつけてくださいね。
10年ほど前の出来事を思い出した。
田舎のじいさんが死んだ。
葬式が終わり、当時大学生だった弟を乗せ、
夜中、車で家路に着こうとした時の話。
片側一車線のバイパスを都心に向けチンタラと走っていた。
なぜだかわからないけど、バイパスに入る前に寄ったコンビニ駐車場で
弟となぜか「葬式帰りだから今日は安全運転で行くからな」
「わかった。じゃあシートベルトもしとかなな」って会話をしたんだ。
当時は気付いたらシートベルトはしたけど、意識してする習慣はなかった。
しかしバイパスを乗って30分後、その重要性に気付かされたよ。
こちらが制限速度+10キロ弱で走っている時、対向車がセンターラインを
大きく割りスピード超過で突っ込んできたのよ。
運転席サイドにぶつかり車は大きく大破。
フロント窓が粉砕して飛び散るのがスローモーションで見えたよ。
「あぁ、死んだな」と思ったよ。
後で聞いたら弟も同じことを感じたらしい。
634 :
633:02/11/28 21:56 ID:RtKAS19w
でも顔に飛散ったガラスの破片で少し顔を切っただけで
二人とも全くの無傷。ムチ打ちにさえならなかった。
かなりの衝撃だったんだけどね。
警察を呼び、相手が飲酒運転で連れて行かれる中、シートベルトの
意義をうっすらと実感したよ。説教たれるわけじゃないけど(w
動かなくなった車で待つこと1時間。知らせを受けた親が親戚と
現場に到着した。普段は無表情な弟が母を見て号泣。
そして、翌日ようやく自宅に帰り、部屋で一人になり俺も泣いたよ。
昔からじいさんの生き写しと言われていたせいか
実は相当なおじいちゃん子だったんだよね。
じいちゃんが守ってくれた様な気がしたし、葬式の時は実感しなかった
じいちゃんの死を、落ち着いてようやく実感したからかもしれないけど。
それ以来、シートベルトは必ずすることにしてる。
長レス&説教くさくなったすまん。
635 :
大人の名無しさん:02/11/28 22:59 ID:h5KcbTZi
ここに来る奴らは基本的に30を越えてるんだけど、
大体が免許を取って10年近くたち、多くは家庭ができ守ろうとする。
だからシートベルトや保険の大切さが良く分かると思ってる。
しかしいつか自動車板でみたが任意保険の加入率が最近下がり
自賠責だけで走ってる奴も多いし、外人さんは入ってないと考えたほうがいい。
無保険者対策保険は必ず入ったほうがいいと思う今日この頃。
>>635 保険代理店に勤務している者(32才)です。
あなたのように考えてくれている方が非常に少なくなっています。
無保険車対策ですが、対人賠償の付いた任意保険には無保険車傷害保険が
自動的にセットされます。
また、過失割合や相手の賠償能力に関係なく、自身(同乗者含む)の傷害を
補償してくれる人身傷害保険もセット可能です。
ちょっとスレ違いなのでsage
就職して2年目のある日、営業から帰ってきた俺は先輩に呼ばれた。
「ちょっといいか?」
何だろう?仕事の話かな、なんて考えながら誰もいない営業場の隅に行った。
「財布の中に入ってた1万円がなくなったんだけど知らない?」
はぁ??何のことですか・・今帰ってきたとこなんですけど、どういうことですか?
財布をデスクに入れたままで営業に出た。帰ってきたら1万円少ない。
日頃からお金が無いと言っている俺が疑われたと言うわけだ。
冗談きついですよ、幾ら先輩でも洒落で済まないですよ、
何で盗られたと断言できるんっすか?おまけに何で俺なんですか!
確かに厨房の頃、流行の病気みたいに俺も文房具屋から消しゴムだのシャープだの、
果ては雑貨屋から何に使うわけでもないキムコなど万引きしてた時期があった。
罪の意識はあったんだろうが、仲間達と競い合うようにいろんなものを盗ってた。
しかし「お金」を盗ることはとてつもない悪事だと、何故かそれだけはどんなことが
あっても手を出さなかった。自販機のお釣が多く出てきても、「誰かが俺を試してる」
そう思うと10円と言えども持って帰ることはしなかったし、お金が落ちていても
「隠れて誰かが見ている」、そんな気がして、拾わずに通り過ぎることにしてた。
今、俺は生まれて初めて「金を盗んだ」という疑いをかけられてる。それも、
同じ職場の先輩、自分が仕事を教わった先輩にだ・・・
その悔しさは未だかつて経験したことの無いものだった。わなわなと震えるのが
分った。ヒザも肩も、指先までも・・怒りと悔しさ、憤り、なんと表現すればいい?
その場には奴と俺しかいなかった。その時点から、俺の中であいつは先輩でも何でもない
クズ野郎に成り下がった。
殴りかかりたい衝動を押さえるのがやっとで、次の瞬間に同僚が同じ部屋に来なければ
どうなっていたかは想像がつく。
638 :
637:02/11/29 06:06 ID:02qhMVa1
いつものミーティングが終わっても俺の心中はぐらぐらと煮え立っていた。
業務終了と同時に奴がやってきて「さっきは悪かったな、飲みに行こうか?」
脳天気な奴だ。しかしまぁ丸1年仕事を教えてもらった先輩を恨みっ放しで
この先仕事になるのか?そんなことを考えながら、謝ってくれるんだろうから
ここは先輩の名誉挽回のチャンスもやらなきゃな、などと勝手な解釈をして
居酒屋で飯を食うことに。ビールを飲みながら先輩からのお詫びを期待してた
俺にかけた言葉は「正直に言ってくれたら怒らないから・・・」
奴は酒を飲ませれば白状すると、そう思ってたわけだ。ごめんなの気持ちの
かけらもなく、完璧に俺を疑い続けてたわけだ。
切れた。全身の毛穴が開くのが判った。
ところが殴りかかることも、大声を出すこともなかった。不思議と震えもなかった。
ただ自分の心音がドクドクと耳に響いてくるだけで・・・
よくわかった。あんたはこれから先、俺の先輩でも上司でもない。腐ったカス野郎だ。
あんたの言うことは何も信じない。人としてあんたは俺より遥かに小さくて、惨めだ。
ご馳走さん。今日ぐらいおごりますよ、ほれ、1万円。釣りはいいっす。金、持ってるんで。
そう言い放って、店を出た。
639 :
637:02/11/29 06:48 ID:JVCf4+BC
あれから10年以上たった。
俺は転職し、小さな飲食チェーン店の責任者になった。
先頃、店の従業員から「財布の中からお金が無くなってる」との申し出があった。
何度か同じようなことがあったらしいが、犯人探しをするためにあえて言わなかったんだ
とも聞いた。
外部からの侵入は考えにくく、時間帯も限られてくるため疑わしい人物は、僅か2,3人に
絞られた。
俺としては従業員を疑いたくはない気持ちが大きく、紛失の可能性も否定できないため
処置はまかせろ、勝手に動くなよと釘をさしてその場を後にした。
疑わしいと思われる時間帯はもともと人が少なく、お客も少ないため、スキルのさほど
高くない人間を入れている。その中に留学生が一人混じってた。カタコトの日本語しか
話せない彼女は真面目だが皆とさほど親しくはなく、コツコツと仕事をするタイプだ。
休憩時間に戻ってみると、あれほど釘を刺していたにもかかわらず、バイトが
彼女に何やら話し掛けてる。ヤバイと思い、話の途中で割って入った。
盗られたと言い張る彼は、「彼女じゃないけど、彼女が入ってる時に無くなってるのは
誰かが彼女に罪を着せるためにわざとその時間帯に盗ってるんだ」と主張してる。
そんなドラマみたいなことがあるわけない、ましてやそれを日本語の理解できない
彼女に上手く伝えられるわけがない、誤解を招くからやめろと止めた。
収まり切らないバイトは、興奮したままどうしても説明させろと、退かない。
仕方なく側で聞きながらフォローしようと、フォローできると思った・・
浅はかだった・・・こうなることは判ってたのに・・・
640 :
637:02/11/29 07:15 ID:bKwWgymf
お金、無くなる・・・○○さん・・同じ、時間に・・・
「お金、無くなった?いつ?」
○○さんと、同じ時間に・・2,3人しか、いない・・
不思議そうな顔をしていた彼女の表情がだんだんと曇って、きょろきょろし始めた。
しまった!そう思った時には既に遅かった。
私、違う・・・お金、・・知らない・・・私、財布これ・・・見て・・・
店長さん、何言ってるか、分った・・・
突然ぼろぼろと泣き崩れた彼女に、もはやどう説明してよいかもわからず、
バイトも、「違う!!違う!!君じゃないんだ!!」連呼する。
留学生、お金・・ない・・悪いこと、皆、留学生やった・・日本人いつも・・・
お世話になりました、ありがとござました・・・
泣きじゃくる彼女が今までどんな思いをしてきたか、どういう辛さを背負ってるか
何を言おうとしてるのか、理解するには充分すぎる言葉だった。
なれない外国で、あらぬ疑いをかけられ、それも同じ職場の仲間から・・・
その後通訳のできる人を探して事情を説明し、何とか誤解は解けた。
しかし、あの瞬間、まさに10年前の自分がそこにいた。修羅場の後、事務所で
彼女の言葉を思い返した時、あれほどの屈辱と悲しさを受けた自分が、目の前で
もう一人の自分を作ってしまったことに情けなくて、悔しくて、彼女に申し訳なくて
不覚にもバイトの前で泣いてしまった。ぼろぼろと涙が出た。
消えない傷をつけてしまったよ・・・俺は愚かだ・・・
あんたは愚かじゃない。
誤解は解けたんだから、消えない傷をつけたなんて思わずに、
その留学生にそれまで通りに接してやればそれでいい。
言葉は通じなくても自分が信頼されてることとかは自ずと伝わるものだから、
あんたの留学生への誠意もきっと伝わる。信じろ。
642 :
大人の名無しさん:02/12/02 02:18 ID:jkg/dbiu
たった今東名で事故を見た。
前半分が完全にめり込んだワゴン車の周りに荷物が散乱してたが、
その中に、箱に入った新品の赤いランドセルが箱から半分飛び出して転がってた。
よくわからないけど、持ち主は無事だろうか?疲れてるんだろう、涙が止まらない。
643 :
大人の名無しさん:02/12/02 03:49 ID:Gis+rmVP
>>642 新品のランドセルか・・・心配になるね。
>642
無情と思えることは沢山あるさ
同じ時代を生きてるのに、駆け足で走り去る人生も・・
疲れてるんだよ、優しい奴だからな、あんたは
おやすみ
相変わらずいいスレだ・・・素直な気持ちで目が潤んでくるよ。
普段は殺伐とした他板にいる自分。たまにここへ帰ってくると、まじで
心が浄化されたような気分になる。嫌な事があっても、いつのまにか癒される。
2ちゃんは悪のスクツみたいに言われてるけど、こんなスレもあるって、
イパーン人に自慢したくなるよ。でも、ここをそっとしておきたいという気持ちもある。
そっと保守
647 :
大人の名無しさん:02/12/05 11:08 ID:kLom5MAK
家庭よりコピペ
去年母の妹の旦那さん(私からしたら叔父さん)が59歳という若さで
亡くなった。50歳のおばちゃんを残して。
ただ腸のポリープを取る手術をするだけだったのに、亡くなる
1時間前まではおばちゃんとも話してたというのに。
本当に仲の良い夫婦だった。叔父さんは会社が近く、毎日お昼は家に帰って
食べていた。おばちゃんが「今日は何にもないわ。焼きそばでもいい?」って
聞くと「ああ、いいよ。わしはあんたが作ってくれた物ならなんでもいい」
って答えていた叔父さん。会社の同僚から飲みに誘われても3度に一度は
「おかあちゃんが待ってるから帰るわ」といってまっすぐ帰ってきていた
叔父さん。息子も娘も成人してこれから二人の時間が出来ると言うとき
だったのに。ずっと文化住宅に住んでいて、日当たりのいい南向きのマンション
をおばちゃんの為に買って、まだ住んで半年だったのに。
うちの母はおばちゃんに「まだ若いんだし、あと何十年ってあるんだから
淋しくなったら再婚も考えたら?」って言ってたけど、おばちゃんはこう
言った。
「お父さんと結婚したのが二十歳頃で30年、私に尽くしてくれた。
だからこれからの30年は私がお父さんに尽くす番」
いい人は早く亡くなるって言うけど、いい人にほど長生きしてそばに
いて欲しいものですよね・・・。
なんか変な文章でごめんなさい。
以前のこと、ネコが猫缶を買って嬉しそうに色々食べていた。
そのうちおなかがいっぱいになったらしく、 味音痴なネコは
「フギャ、もう入らなくなっちゃったんだけどニャ…」と遠慮気味に相談してきた。
面倒くさかった俺は、「一食一缶って缶の横に書いてあるだろ、忙しいのに。
どうせ味も分からないくせにがつがつ食べたんだろ!」
・・・と罵倒してしまった。
そのネコが先日事故で亡くなった。
遺品を整理してたら、あのときの食べ残しの猫缶を見つけたので、
なんとなしに食べてみた。
俺の好物のしらすが入っていた。
俺はやっと気がついた。
おなか一杯というのはただの口実で、本当は俺に食べさせたかったんだ。
涙が止まらなかった。
>>648 おまいは空気の読める30歳以上なのかと小一時間・・・
650 :
西尾 ◆AKUMAl5GUU :02/12/05 23:52 ID:LmW6fz2Q
いや、少なくとも猫好きのおいらには
>>648の言いたい事が伝わったぞ。
「デジカメの改造コピペ」ってHNに書いているけれど
もしかしてデジカメで息子の寝顔を撮ったお母さんの話のことかな?
うるうる。ほのぼの。猫話し。
近頃胸が苦しくなるような嗚咽話しが多かったので
癒されたよ。
猫って一生に一回人の言葉を話すとか
ねずみやスズメを飼い主に見せるのは
「どうぞお食べ」って事か「誉めて欲しい」からとかの
メルヘンなお話しを聞いた事が有る。
実家の猫はもう16年生きてる。
入院中の母の帰りを待ってる。
もっと大切にしようと改めて思ったよ。
hosyu
654 :
大人の名無しさん:02/12/09 12:23 ID:O+tWvo6A
僕が天国まで会いに行ったら、母さんは僕をおぼえててくれるかな
僕が天国に行ったら、また親子でいられるのかな
ゴメンよ、僕はしっかりしなくちゃいけないね そして生きて行かなきゃ
まだ母さんの所へは行っちゃいけないんだよね
天国で会えたなら、僕の手を握ってくれるかい
天国までいったなら、立ち直るのを手伝ってくれるよね
でも僕はいつかきっと自分の道を見つけるよ
天国にはまだ僕の居場所はないんだよね
長く生きていれば気が滅入ることもあるし、
イヤになって膝をつきたくもなるだろうね
長い時間の中で心をうち砕かれることもあるだろう
もう勘弁してくれよって思うようになるんだ...
ドアの向こうにはきっと安らぎだけがあるんだよね
天国ではきっと涙を流すことなんかないって信じてるよ
>654
・・・John LennonのアルバムImagineを買って聴いてみて
1991年3月のNYで、4才の男の子がマンションから転落、夭折した
彼の父親は失意に打ちひしがれていたが、やがて一本のギターをもち
天国の愛息に語りかけるかのように、歌い始めた
酒やドラックに溺れることなく、自分自身が立ち上がるために、歌い始めた
その歌が多くの人の心に響く名曲となるのに、時間はかからなかった
・・・クラプトンだね
658 :
大人の名無しさん:02/12/11 09:56 ID:QWfYQOBf
名曲ですね・・・
659 :
大人の名無しさん:02/12/11 11:14 ID:10hdTFfj
660 :
大人の名無しさん :02/12/11 16:04 ID:ahnM84sa
ガキのころ喘息持ちで体の弱かった俺は、いつも家の中にいることが多かった。
学校では将棋が流行っていたのだが、俺はなぜか爺さんに麻雀を教わった。
始めに役を教わり、点数と符計算は4年生のときに教わった。
小学校を出るころには爺さんに連れられて雀荘に行き、顔見知りの地元のおじさんとも
打つようになった。
中学に入ると、同級生もちらほら麻雀を覚え始めてるのだが、
爺さんと仲間達仕込みの俺はアドバンテージが5年以上あったので、
ほとんど負けたことがなく、はっきり言って飽きた。
高校に入るとバイクの方が面白くなって、麻雀なんかほとんど打たなくなった。
そしてその頃爺さんも死んだ。
去年爺さんの法事で従兄弟たちが集まって、誰が言い出したか突然麻雀をやることになった。
爺さんの部屋で十年以上握ってない牌の箱を開けたら、ふたの内側に宇宙戦艦ヤマトのシールが
貼ってあって、その上に俺の名前が書いてあった。
七対子という言葉の響き、自5、右6、トイ7といったサイコロの目の読み方、
消毒液臭いおしぼりを持ってきた子供好きの雀荘のおばさん、気心の知れた地元のおじさん相手に
「こんなに負けたのかぁ」と嬉しそうに泣きまねをした爺さんの顔、いろんなものがグルグル回った。
思えば俺はずっとずっと爺さんと一緒にいたんだな、と思うと少しだけ涙が出た。
年端もいかない孫に麻雀教えるなんてDQNジジイにもほどがあるけど、
とりあえず俺は相手がプロでもない限り絶対誰にも負けない。今でもだ。
いいお爺さんだね。麻雀する時はいつもお爺さんのこと思い出すね。
お爺さんやお婆さんと一緒に遊べることができるなんていいな〜
>660さんは幸せ者だね。
知り合いが先に旅立っていった方へ。
かつての恋人で親友(ディック)を無くした妻ナオミととその夫クリスの会話です。
ナ「友達が死んだの」
ク「友達…?」
ナ「あなたにも話したことがあるでしょ。ジョー……ジョー・ディック」
ク「ビリーの…?」(ビリーはナオミとディックの子供)
ナ「そう……ビリーの、父親」
ク「人はみんな死ぬ」
ク「……そして、天国でお茶を飲みながら、友達を待つんだ」
ク「悪いけど、ジョー・ディックには少し待っていてもらおう……遅刻分の払いは、僕が持つよ」
ブライトライツ・ホーリーランド(古橋秀行)より
知り合いの方は皆、天国でお茶を飲みながら待っていてくれています。
いつか、一緒にお茶を飲む日のために、たくさんの思い出を作れるよう長生きしましょうね。
664 :
大人の名無しさん:02/12/11 23:55 ID:B24CStqb
別に鳴咽って訳では無いのですが、私の猫話を書いてみようと思います。
何となく書いてみようと思っただけですので、鳴咽ネタを期待している方は
読み飛ばして下さい。
私が中学の時でした。当時、荒れていた私を和らげようと、母親が猫を貰ってきました。
雑種だが真っ白な小猫で、青い目と長い尻尾が奇麗な猫でした。
家族はミーと名前を付けたのですが、何の芸の無い山田太郎みたいな名前も何ですので、
私だけはその猫をアホと呼んでいました。
アホッ!と呼ぶと、ニャーと泣くので、本人もその名前をいたく気に入っていたのでしょう。
それから毎日、アホを見つけては遊んでいました。
髭を切ってみたり、眉毛を書いてみたり、ヘルメットに入れてグルグル回したり、
猫にしてみれば、さぞかし迷惑な毎日だったでしょう。
でも、寝る時はいつも私の布団に入ってきました。
665 :
大人の名無しさん:02/12/11 23:55 ID:B24CStqb
私が高校の時でした。家に帰るとアホがものすごい勢いでエサを食べています。
いつもはポソポソと食べるだけなので、珍しい事もあるものだ。と思いよく見ると、
体の色が違います。どうみても、アホではありません。
周りを見渡すと、柱の影でその猫の様子をジッと見ているアホが居ました。
アホに「何してんの?」と聞くと、私の後ろに回り、その猫に向かって「フーッ」。
ひたすら根性のない猫でした。
それから更に年月は経ち、私が29歳。結婚をし、実家から100mの所に
家を購入しました。
実家にはあまり戻らなくなったのですが、週に1,2度私の家の門柱にアホが
昼寝をしているのです。犬じゃあるまいし、何故ここが判ったのか。謎でした。
「アホッ!」っと声をかけると、玄関に入ってきます。
もうこの頃になると、アホも結構な年でした。
フラフラとしながらも、私の家に来るのです。
来ても何をするでもなく、部屋に上がると10分もしないうちに実家へと帰ります。
666 :
大人の名無しさん:02/12/11 23:56 ID:B24CStqb
この辺になると、毎年、今年は持たないのでは無いか。と家族で話し合ったものです。
食はどんどん細くなるし、大半は寝ているし。
好物のシーチキンもチロッと油を舐めるだけで終わってしまいます。
そう言いながらもそれから更に3年が経過しました。
さすがにこれだけ長生きすると、近所からはバケ猫じゃないのか。等と言われ
私たちも、そう思ったりしました。
私が33歳の冬。18年生きたアホはあっさりと死んでしまいました。
猫は死ぬ姿を見せないといいますが、実家のいつものポジションで横たわったまま
死んでしまいました。
最後を看取ったのは妹でした。死にそうなのは判ったので、泣きながら最後のブラッシング
をしてあげた所、フギャ!と怒りながら蹴ってきたそうです。
その直後に死んでしまいました。
「むっちゃ後味わるい!」妹は今でも言います。ごもっともです。
その年の夏、私たち夫婦には子供が産まれました。
その子の名前はアホと言います。
な訳ないですね。
668 :
大人の名無しさん:02/12/12 17:00 ID:/tD90P3O
千葉県松戸市で飲酒運転の車が5人の男女を跳ね死亡させる事件がおきた。
その中の1人が、知り合いの奥さんだった。知人は仕事上で知り合ったが
いい人でよくしてもらった。まだ小学生の子供がいるのに。
奥さん、お子さんには面識はないが、知人は家族をとても愛していたと思う。
突然妻を失った彼、母親を失ったお子さんの気持ちを思うと言葉もない。
つらくて、つらくて涙が出た。
酒飲んで車運転するんじゃねーよ。ばかやろー!
運転してたやつにも家族がいるんだろうに・・・。
669 :
大人の名無しさん:02/12/12 18:28 ID:+vIYatIk
ちょっとお酒のんで運転・・大丈夫大丈夫。
げっ!捕まった!えっ?30万?きっつー
と、思う気持ちもわからんでもないけど、こういう事思うとね
被害者とか遺族とかの苦しみに比べて安すぎるくらいだ。
>>668 恨み辛みだけで終始しないで最後の一行を付けられるあんたはスゴいな。
人間として素直に尊敬するよ。
>>664-666さんは嗚咽ではないが、構成や文章の組み立て方が只者じゃないな。
プロの匂いがする。
感想だけなのでsage。
671 :
大人の名無しさん:02/12/12 20:04 ID:neoim1hL
>>668 自分は事故現場の近くに住んでいるのですが、この事故には正直ビックリしました。
被害者(加害者も)の方の中に知り合いがいるんじゃないかとドキドキしました。
もし自分の大切な人がいたら・・・とぞっとしていたところでしたので他人事のようには思えません。
御冥福をお祈りするとともに、自分含め、周りの人間が同じ過ちを繰り返さないよう心がけたいと思います。
672 :
大人の名無しさん:02/12/12 21:00 ID:dItwzkV6
>>671 自分含め、周りの人間が同じ過ちを繰り返さないよう心がけたいと思います。
「周りの人間が同じ過ちを繰り返さないよう心がけたい」って…。
673 :
大人の名無しさん:02/12/12 21:07 ID:jx/pYrbC
>672
とりあえず、飲んで運転しようとする人を止めることはできるんじゃないか?
いや私も最初、同じこと思ったが。
674 :
大人の名無しさん:02/12/12 23:23 ID:e4mReBCq
それができないんだよ
たばこポイステするやつに注意できるか?
押しつけられたらヤだから注意しません
知り合いだったらタバコの害悪とうちがタバコを嫌いなことを小一時間アピールし禁煙させます
676 :
671:02/12/13 10:06 ID:A9cbOuf5
>>672-673 周りが飲酒運転等しないように注意するように心がけるという意味です。
言葉足らずで申し訳ありません。
>>676 ちゃんと意味は通じたよ。
先頃、酒気帯び運転は同乗者もかなりの罰金になると聞きました。
みんなで「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」
お酒は安心して美味しく飲みましょうね。
>>674 するよ。つか、路上喫煙しようとした時点で、「灰皿のある所で吸え」と強く言う。
自分も喫煙者だが、それは最低限のルールだと思ってるので。
父がALSと言う病気にかかった。
それが治らない病だと知らなかった私は気楽に構えていたが
やがて、あっというまに寝たきりになってしまった。
そうなる前に呼吸機能が衰え始めた時に、気管切開をするか
いなかの話になった時に、父は初め乗り気ではなかったのだが
私はあまり深く考えず、父の寝ている時の呼吸が苦しげに聞こえて
いたので、切開の手術を勧めてしまった。
あとから、器官切開をしてしまうと病気の進行が早くなる
(寝たきりになるのが早まる)らしいと聞いた。
知ってたら、勧めなかったよ・・・・ごめんなさい。
今も呼吸器つけて寝たきりなので、私は夜2chやりながら
様子を見てる。今はまばたきができるから(逆に言えば、それしか
意思表示ができない)いいけど、いずれはそれすらできなくなってくる。
日々はおだやかに流れていくけど、実は怖くて怖くてたまらない。
けど、心残りのないようにがんばろうと思う。
あなたは最善を尽くしている。
ALSってよくテレビ等でも取り上げられている病気だね。原因不明だとか。
家族がなるって、本当に辛いね。
怖いのはとてもよくわかるよ。でもお父さんはきっとそれ以上に怖いはず。
あなたのお父さんに寄り添ってあげている気持ち、きっと伝わる。
682 :
679:02/12/16 03:25 ID:lCILbLOj
>>680 ありがとうございます、けどそうでもないんですよ。
昼間は母に任せきりですし、実は下の世話もほとんどしてないし。
>>681 そうですね、本当に父が一番怖いと思います。
けれどそんな状態なのに、(自分の為に)昼夜逆転生活している私の
体調を心配してるような事を、ケアマネージャーさんに言ったらしいです。
いくつになっても、親にとっては子は子なんですね。
683 :
大人の名無しさん:02/12/16 11:45 ID:Fc9xdr3i
>>679 呼吸が苦しいのは見ていて一番つらいことだと思います。
気管切開すると病気の進行が早まるのではと心配される気持ちは分かりますが、
呼吸が弱くなると自分で痰を出せなくなったり、唾が上手く飲み込めなくて
誤嚥性の肺炎を起こすこともあり、
特に痰が詰まって窒息すると急変することがあります。(ご存知でしょうが)
あまり気管切開したことを後悔しないでね。
お父さん、きっと苦渋の選択だったと分かってくれるよ。
684 :
大人の名無しさん:02/12/16 13:03 ID:3MwGWToc
ミスチルの「HERO」聴いてたら、訳も無く涙が溢れて止まらなく
なった。何故か、30過ぎの俺の心に妙に沁みたんだよなぁ。
微妙にスレ違いなんでsage
sageた筈なのに、変だな?
686 :
大人の名無しさん:02/12/16 13:31 ID:DlOvHeA+
687 :
:02/12/17 01:27 ID:kgNcXx4C
大学のときバンドのヴォーカルをやっていた俺は、修行の意味で
あっちこっちでギター持って行っては弾き語りで唄っていた。
あるときお袋が勤めていた老人ホームで唄うことになった俺は、
年寄りむけのレパートリーを揃えて出かけていった。
おおむね好意的に迎えてくれた爺さん婆さんたちだが、
顔中シワだらけの気難しそうな婆さんが、車椅子に乗ったまま不機嫌そうに座っていた。
俺は5曲ほど唄ったが、その婆さんだけは退屈そうにこっちを眺めていた。
まあ気に食わない人もいるよな、と俺は最後の曲を唄った。
愛することに疲れたみたい
嫌いになったわけじゃない
部屋のあかりはつけていくわ
カギはいつもの下駄箱の中。
きっとあなたは「いつものこと」と笑い飛ばすに違いない
けれど今度は本気みたい
あなたの顔もちらつかないわ
男はいつも待たせるだけで 女はいつも待ちくたびれて
それでもいいとなぐさめていた それでも恋は恋
婆さんは目をかぁっと見開いて、ぼろぼろと涙をこぼし
ぶるぶると体を震わせて(俺のオリジナルだと思ったらしい)初めて拍手してくれた。
それだけのお話、オチなくてすまんね。
そのバァさんの中ではオリジナルということにしときや。
>689
ネタであって欲しいね。
人独りが亡くなるだけでこんなに悲しいんだから、
戦争などの何万人も亡くなるような行為は、もっと悲しいことだね。
・・・・幸いにも日本には戦争をしないという憲法があるから大丈夫だろうね
>>689 いいスレを紹介してくれて、ありがとう。今そのスレ行ってきて、涙が
どどーっと出ました。本当にネタであってくれたらどんなにいいかと
思います。「いやー、ネタにこんだけ泣かされちゃったよー」って笑えるから。
でもあの板の住人、怖い人ばっかりだと思ったけど、優しい人もたくさんいる
んだね。坊やが天国で、大好きな飛行機にいっぱい乗れるといいね。
>>690>>691 悲しい話だね。
ただ言っておきたい。
戦争は悲劇だが、自分たちだけでするものではないんだ。
相手に仕掛ける気を無くすようにするためにも軍備は必要なのです。
その点日本は非常に問題があります。
それは隣国の中国を見ていれば分かるでしょう。
あの国は現在も国境侵犯と民族浄化を続けている国です。
それができるのは自分達を止めるものがいないと分かっているからです。
単に戦争反対というのはいいですが、それを他者に勧めた時点で
他国の侵略を肯定していることになるのが現状です。
もう少し現実を見つめませんか。
力無い理念はむしろ有害ですらあるのですから。
693 :
690:02/12/18 20:03 ID:nIB42KdP
>692
私もそう思っています。
日本が外交的に強くなるには、さらなる軍備が必要だと感じています。
・・・でも、実際には戦争をしてはいけないと思っています。
自分の相反する考えに戸惑っています。
694 :
692:02/12/18 23:17 ID:bgVr8WI7
戦後日本にソ連が攻め込まなかったのは自衛隊と在日米軍の存在があったからです。
スレ違いになるので泣ける話を。
吉田茂の言葉です。
「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。
きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、
災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。
どうか、耐えてもらいたい」 (昭和32年2月、防衛大学第1回卒業式にて)
もうひとつ、戦後の樺太、真岡郵便局での話です。
終戦より五日後、昭和二十年八月二十日突如ソ連軍が樺太真岡に上陸を開始した。
その中で交換台に向った九人の乙女らは死を以って己の職場を守り、通信を続けた。
窓越しに見る砲弾の炸裂、刻々迫る身の危険。今はこれまでと死の交換台に向かい
「皆さんこれが最後ですさようなら さようなら」の
言葉を残して静かに青酸カリをのみ、純潔を守るため夢多き若き尊き花の命を絶ち職に殉じた。
(満州でもソ連軍は中国人と共に年端の行かない子供まで強姦し殺しつくしました)
いま、かの地には次の言葉が刻まれた石碑が残る。
「戦争はふたたびくりかえすまじ 平和の祈りをこめ尊き九人の乙女の霊を慰む」
平和なときには平和のありがたさがわからない悲しさよ
戦争が招いた幾多の悲劇を認識し、
かつ
軍備が無ければこの世界では危険である、
ということを認めること。
歴史から学ぶこと。
軍備を持たない国があるよね。
その国と日本との可能性の違いはなんだろう?
スレちがいの話題だが一応レス。
軍備以外の国防手段を持っている。
他国の間で交渉役をやっていたり、文化の発祥の地だったり、宗教国家だったり。
またスイスのように攻めれば国際的に制裁を食らうというのや、戦争するだけの旨みが無いというのもある。
一昔前、私がアメリカに留学していたときのこと。
半年ぐらい経って、ホームシックにかかったのか鬱々とした日を送っていました。
うまく説明できないけど、すごい孤独感を感じたんですよ。
人ごみの中にあっても自分は一人ぼっち、というような。
心の中に壁ができて、外と付き合う自分と内面にこもる自分、というように
自分自身が二つに分割されてしまった気分になって落ち込みました。
外面はニコニコしていてちゃんと人付き合いもできるんですけど、
そうしている最中にも内面の自分は泣いている、と言えばわかりやすでしょうか。
多分、変に気張っていたんでしょうね。
そんな情況のところに、日本の友人から手紙とカセットテープが届きました。
手紙の内容は「また喧嘩しちゃったよ」とか「飲み屋のおねーちゃんが
こっちを向いてくれなくて」とか「単車の調子が悪い」とか、そんな雑談めいた
ことばかりが書き連ねてあって、なぜか最後に血判が押してありました。
「なんで血判?」
と疑問だったんだけど、普段絶対に手紙なんか書かないような友人だったので
そこまで思いつめて(というか意気込んで)この手紙書いたのかな、と思って
嬉しくなるやら、笑ってしまうやら。
同封されてきた7、8本のテープをひょいと見ると、タイトルも何も書いてなくて
何が録音されているのかわかりません。無作為に一本ケースから取り出して
デッキに入れると、聞こえてきたのはクレージーキャッツ、植木等の歌声。
「こいつ、受け狙いできたな」
と思って、その日は全部聞かずに寝てしまいました。
で、それからむちゃくちゃ忙しくなって、テープはほったらかし。
701 :
雨の日だから701ゲトー!:02/12/21 16:35 ID:dSVWeDZt
しばらくしてぽかっと暇ができて、家で鬱々としながら聞くよりは、と思って
テープを車に積んで、隣の州に意味もなくドライブに出かけました。
テープにはクレージーキャッツの他、演歌とか歌謡曲(当時はJ-POPなんて
言葉はありませんでした)とか童謡とかアニメソングとか、
なんかもう、どうしてこういうジャンルの選び方をするのかというぐらい統一性がなくて、
そういうのがいかにも友人らしくて笑ってしまいました。
何時間走ったでしょうか、隣の州まで行ってUターンして、
夜になって暗くなって、車の通りも少なくなって、
それでもハンドルを握りながら車内一人カラオケ状態。
カーステから流れてきたのは「うる星やつら」のメドレーで、テープがリバースすると
今度は「メガゾーン23」のメドレー。テープ終了間際に宮里久美の「風のララバイ」が
流れて、その次にタケウチユカの「淋しくて眠れない」が流れたあたりで、
どういうわけか滂沱の泪が……。
もう全然泪が止まらない。唄も止まらないけど、最後は声も出なくなって嗚咽。
泪と唄に自分の内面が融け出していくような気がしました。
そんなことがあって、鬱々とした気分からなんとか抜け出すことができました。
その友人との付き合いは未だに切れていませんが、気恥ずかしくて
この話をしたことはありません。話しても、「くだらねえこと言ってんなよ」と
一笑に付されることでしょう。
あ、そのときのテープはたまに取り出して聴いてます。
「淋しくて眠れない」を聴くと、あのときのことを思い出します。
とりとめもなく長くてスマソ。
702 :
大人の名無しさん:02/12/21 20:40 ID:wSwzSGJL
25歳。
去年まで金無し君だったけど、オンラインカジノとパチンコで
二年で350万貯めた。一度やってみなよ。
初回のみだけど、1ドル以上のチップを買えば30ドル(4000円くらい)貰える。
もらうだけもらってプレイせずに換金することもできるし、ルーレットで赤か黒に
思い切って賭けてしまえば50パーセントで二倍になる。
金なきゃオフラインでゲームすればいいだけ。暇つぶしになる。
ビデオポーカーとかスロとか色々あるのでマジでお勧め。
http://www.imperialcasino.com/~1h4n/japanese/
>>700 俺もあったなぁ、そんなこと。
仕事で失敗して3年くらい日本を離れてて、
もう二度と帰るもんか、なんて思ってたんだが、
何かの拍子にテレビで流れていた
日の丸が風になびいている映像を見て、
たまらなく涙がこぼれたことがあったよ。
考えてみると、俺も無理していたんだろうな。
そんで帰ってきちゃったよ。
なんとなくかもしれないし、勘違いかもしれないが、
俺にはあんたの気持ちがわかるような気がするよ。
日本人て国民意識が低いなんて言われるが、やはり日本を離れると自分が日本国民である事を強く意識するんだろうなぁ。
離れてわかる親の愛、に似たようなもんなんだろうなぁ。
そういや「故郷は遠きにありて思うもの」なんて詩(?)もあったね。
今休職中で不本意ながら親に世話になっている状態。
母は強気な性格なのでいつも俺にハッパをかけてくる。
しかし親父はいつも黙ってなにも言わない。
そんな日々が続いたある日。
転職が決まらない為半鬱状態になり、酔って親の前で泣いてしまった。
将来を約束した彼女との不仲の話とか・・・
そしてある日、親父と2人きりになった時
親父は黙って俺に封筒に入った5万円を手渡し、
「彼女にうまいもんでも喰いに連れてったれ。」
俺は当然断ったが、親父は
「ええからもっていけ。」
とぶっきらぼうに一方的に話を切った。
親父は自営で一人で何とかやってる状態。5万でも俺を扶養するには
きつい額なのはすごくわかった。
しかも普通の会社ならとっくに定年の年だ・・
その夜、自分の不甲斐なさと、親父の気持ちを思い一人声をあげて泣いた。
今、自分の命を賭けても、彼女と親には今までの心配を倍、いや数十倍
に変えて返そうと毎日戦っている。
負けるわけにはいかないんだと。
>>706 回線切って、親に甘えてヨシ。
親っていうのはね、子どもの為に何かするときが一番幸せなんだよ。
あと、命を賭けるのは意気込みだけにしとけ。
体壊すなよ。 がんがれ! 負けるな!
708 :
706:02/12/24 03:03 ID:z3mPlSRS
>>707 レスありがとう。泣いてちゃだめだよね。
実際に彼女、親への思いで頑張りすぎたか体、精神ともクタクタです。
人の気持ち、思いって無駄にしたくないですよね・・
僕は自分なんかよりそんな事が凄く大切に感じてしまうんです。
でも
>>707さんが言うとおり自分が潰れたら元も子もないですもんね。
なんとか自分のスタンスを見つけて自分なりに精一杯がんばってみようと
思っています。頑張ります!
709 :
・・・・・・。:02/12/24 15:13 ID:FPtWy+Sk
>>706 彼女がいて両親が健在でいいな。
コッチは家業不振の上、片麻痺で半分寝たきりの親父つきだ(笑。
夜はほぼ2時間おきで尿取りだ。
>そしてある日、親父と2人きりになった時
親父は黙って俺に封筒に入った5万円を手渡し、
「彼女にうまいもんでも喰いに連れてったれ。」
俺は当然断ったが、親父は
「ええからもっていけ。」
いい親父さんだな。
うちの親父は納得いく就職が出来なかった事をずぅーっとひきづって
妬み僻みやっかみ負け惜しみ八つ当たりのかたまりで
厨房の頃は本気で殺したかった(笑。
おまえの親子関係がうらやましいよ。
>今、自分の命を賭けても、彼女と親には今までの心配を倍、いや数十倍
に変えて返そうと毎日戦っている。
こんな気持ちになれるならまだおまえは恵まれているよ。
体に気ーー付けてガンバレよ。
710 :
大人の名無しさん:02/12/24 16:12 ID:k9Gnxviz
嗚咽じゃないけど・・・イヴなので。
小学2、3年生のころ俺はサンタクロースを心底信じていた。
でもそれまでにサンタがきて枕元にプレゼントを、なんてことは一度もなかった。
テレビ番組で靴下を置いておくとその中にプレゼントを入れてくれると聞いて
「あ、そうか!」と思った。今までそれをしていなかったからもらえなかったんだ、と。
俺の家はその頃事情があり、年上のいとこ3人と兄弟のように暮らしていた。
寝る間際に靴下を用意し、紙に「いとこの○兄ちゃんには△△、僕には□□・・・」
と書いて入れた。たしかロボットか何かを欲しかったんだと思う。
次の日、目を覚ますと枕元にロボットではなくて、ポッキーとかのお菓子が入った袋が
人数分おいてあった。
その瞬間に俺はサンタの正体がわかった。ショックだった。
今考えてみればド田舎で暮らしていたのに急にロボットなんて買えるわけがない。
親にしてみれば袋に一杯のお菓子の詰め合わせは精一杯のプレゼントだったのだろう。
それから俺のところにサンタがくることは一度も無かった。
ここ数年、この時期になると必ずこのことを思い出す。
両親は俺が靴下を用意してあせったんだろーなー、貧乏だったし。
そのせいか俺は自分の子にはクリスマスに全勢力を使います。
おかげで4年生にもなってサンタの存在を疑ってません。バカでしょ。
713 :
Mr.名無しさん:02/12/24 17:50 ID:ElyUlsmZ
クリスマスの話じゃないし過去ログの話なんだけど
ハム太郎好きのお嬢さん亡くしたシングルファザーのお父さん今何してるかな?
今テレビで新作劇場版ハム太郎のCMみて思った。
714 :
・・・・・・。:02/12/24 20:46 ID:FZoxASCa
>713
あの話がリアルタイムの頃、ハム太郎の歌って
知らなかったんだ。子供もいないし。
最近「太鼓の達人」を買ってプレイしてたらハム太郎の歌が
入っててさ、真っ先に思い出したのがあのレス。
小さな女の子が舌っ足らずな歌い方で歌う様子が
頭に浮かんで、バチ叩きながら切ない気持ちになっちまった。
>>715 俺も、ハム太郎とポケモン見る度、絶対あの二人のお父さんを
思い出し、せつない気分になる。同年代の息子、娘がいるから
尚更だ。子供が親より早く死ぬという事ほど悲しい事はないだろうね。
>>716 あと浮気した旦那に親権をとられた
片手の不自由なお母さんとそのお子さんのことも。
718 :
大人の名無しさん:02/12/25 00:19 ID:Sq0EMxb2
最後にいつ泣いたのかも覚えていなかった。
もうずーっと泣いてない。泣き方もおぼえてないと思った。
一週間前、彼女と別れた。
その時、彼女は泣いたけれど、オレは平気だった。
もちろん、悲しかったけど、いまでもよく分かっていないのかもしれないけど。
けど、涙は出なかった。
8年って長かったよなーとか苦笑いしたりして…。
別れた後に、ラジオか何かである曲を聴いた。
最初は、メロディが気にいったんだと思ってた。
歌詞なんか気にしない人だから、オレ。
なんか、サビの部分が頭の中で、リフレインして、
すごい気になってネットで調べたらすぐわかった。
「小さな恋のうた」って曲名だった。
今日、そのCD買ってきて、ぐっときた…。
いまもこの曲流れてるんだけど、のどの奥がいたくなる。
なんか、ぎゅーっていうか、つまったみたいに痛いんだよ。
そういえば、泣くってこんな感じだったのかなって思った。
きっとおれの心の中ではメロディが気になっていたんじゃないのかもな。
歌詞が気になっていたのかもしれない。
「ほら、あなたにとって大事な人ほど、すぐそばにいるの」
って、この歌詞のところがいちがんきつ。
…ほんとに、いつもそばにいるから気付かなかったよ。
きついよ、これ。
719 :
706:02/12/25 00:43 ID:Mji/pF6/
>>709 レスありがとう・・俺も両親や周りに恵まれていると思っています。
でもその優しさが辛い・・・胸が苦しいです。
いっぱい支えてくれた彼女、親に俺はなんて辛い思いさせているんだろう・・
考え出すと自分の矮小さ、身勝手さが許せなくなってくる・・
不甲斐なさ、悔しさでどうしようもなく自分を壊したくなってしまう・・
でも、それは甘えですよね。悩んでるよりも今はがんばるしか僕に出来る
ことがないです・・
709さんもいつの日か親父さんと心が通う日が来る事を本当に祈っています。
お互い立場は違うけど・・・がんばりましょう!・・・
720 :
・・・・・・。:02/12/25 01:16 ID:wmtgQuKW
>>719 あんがと
俺も何時か何か良い事があるだろうと信じて頑張るよ。
ちなみに今2回目のオムツ交換。
>>720 あなたは強い人だ。本当にいいやつだ。
がんがれ!
人ってどうして大切なものをずっと「大切」だと思えないんだろう。
何気なくしている呼吸。その「空気」だって無くなってから大切さに気づく
のかな。
俺はもう嫌だよ。 もう何も「大切だった」って後から思い返したくない。
でも怖いんだ。「これが最愛」の物だって気づく事が。
やっぱり全てのものは失われていく運命なのかな。
だったら人生は何の為にある? 後で最愛の物に気づいて無くだけ
なのかな・・・わからない・・・俺はどうしたらいい・・・
人を好きになるのも、大切に思うのも、自らを傷つけるだけのように
思えてしまう。それだけじゃないのは分かってるんだ。
俺も自分より大切に思う人がいるし・・・
でも、怖い。
昨日かみさんと喧嘩しました。
よりによってこんな時期にしなくってもいいのに。
どんなに罵倒し合っても、それでもかみさんと子供が一番大切だと判っているので
今日プレゼント買って帰りました。
かみさんにはいつまでも魅力的であって欲しいので、ネイルアートのスターターセットを。
かみさんも同じこと考えてたようで、おれにプレゼント買って来てくれてました。
ブルガリ・プールオム。
欲しかったけど似合うかどうか自信が無かったのでついぞ買わないでいた香水。
ちくしょー、絶対これが似合うようなカコイイオサーンになってやる。
で、嬉し泣きしながらこれ書いてます。
ずっとずっと愛してるよ。
>>715-716 そういう人が再び笑って2chに来れるものか、興味深々だ。
意地悪な言い方しちゃったな、おいら。
でも戻って来てくれよ。
おいらは待ってる。おいら、バカだけど待ってる。
仕事で落ち込んでる日が続き、我ながら情けない。
家に帰っても笑って話せない。
朝出掛けるとき、暗〜く「行って来ます」とドアを
閉め鍵を掛けたら、中から子供2人の声・・・
「おとうさんガンバレ!」
元気出したい!と強く思いました。
>>725 元気があれば何でもできる!!
ガンガレ!!
727 :
大人の名無しさん:02/12/26 12:59 ID:DwwbIJMT
>726
ああ!サンキュ!
728 :
大人の名無しさん:02/12/27 01:50 ID:2RItj1bd
>>718 8年間・・大きいよね。なんだったんだろうって思うよね・・・
俺も5年半大切にした彼女と別れたよ。
人生ってやっぱその時その時なんだよな。
だから今の彼女は、どの瞬間も120%愛してきた。
それでもダメな時はダメなんだよ。
俺が悪いんだけどね・・・
泣いても泣いても・・・どうしようもない事、この世にはあるよな・・
TVのニュースでNORADがサンタの追跡をHPで公開していることと、
その起源の逸話を聞いたときなんとなく泣けてきた小生は
へたれでせうか。
スレ1あたりだったかな、癌が判明したある奥さんの書き込みで
「子供達と小学生が大人になったような旦那を残してはいけない」って方。
元気だろうか。
>729
教えてプリーズ。
732 :
大人の名無しさん:02/12/28 01:05 ID:hd1KZ2qc
>734
ここの336、425ってなんのこっちゃ?
やばい、この年で自殺したくなってきた。でも怖くてできないと思う。
世の中が怖い。自分は弱い。
妄想で頭がいっぱいだ。
鬱なのかな。
>>736 うちでよかったら話聞かせれ
人生経験なんて無きが如しの薄い人生だから助言とかは多分できないけど
738 :
736:02/12/28 09:43 ID:vzaVz1W5
>>737 30歳なんですけど、ここ10年ぐらい自分が何もしていないことに気が付きました。
気が付いたというか、薄々知っていたのですがずうっと逃避していました。
何も積み重ねてない。
20代はあっという間でした。ほんとにあっという間。
でも振り返ってずいぶん無為にすごしてきたなぁ、と。
毎日テキトーに生きてきて、大事なことから逃げて、今そのツケが回ってきている感じです。
30代になって急に焦りが出てきました。
ありがち、かつ抽象的ですみません。
739 :
737:02/12/28 10:02 ID:iVDfyfMU
>>738 じゃぁ今日から頑張れですよ
30なんつったらまだまだ人生の1/3程度、なんとかなる
大事なことから目をそらさずに、っていうのは人間難しいと思うけど
むぅ、駄目だ、誰かもっと気のきいた一言きぼんぬ
>>738さん
そんな事で絶望しちゃイカン!
人なんて皆弱くて寂しがりやなんだよ。
何もしていない事に気が付いたのならそれは第一歩。
『鬱』じゃなくて『良い兆候』と思おう。
30台後半になると大事なことから逃げ回る事もできなくなるよ。
丁度年も変わる時期!来年から一歩一歩前に進もう!
がんがれ!
気の利いた一言じゃなくてスマソ。
>>738 何かやった人間なんてそうそういませんよ。
みんなそんなもんです。
742 :
大人の名無しさん:02/12/28 16:35 ID:BD2P606N
一時期所用があって毎日官報号外のINET版を見てた。
後半に行旅死亡人関係ってのがあって要は行き倒れで亡くなった
身元不明の人がでてるんだよ。
自然死が多いけれど時々所持品が「完全自殺マニュアル」なんてのもあって
見ているだけで鬱になってくる。
年間約3万人の人が自殺で亡くなってるなんて異常だ。
病気で短い人生を一生懸命生きている小さな子供達の話を聞くと
自殺する人にいらだちを憶える。
743 :
736:02/12/28 16:57 ID:RRRDhq/B
父は自ら死を選びました。ごくごくありがちな理由ですが、
会社の経営が上手く行かず、どうにもならなくなった挙句、です。
亡くなる一月ほど前、いえ、それ以上前から、負債のことで頭がいっぱいで
夜も眠れなかったようです。
交通事故に遭わないだろうか、とそればかりを願っておりましたが、
事故に遭っても永らえ、とうとう、自分の手で逝きました。
自ら死を選ぶことは、確かに自由です。
でも、残された人がどんな目に会うか、想像してみてください。
死の理由を探し回り、父の親族は私達家族にも問題があったろう、と責めたてました。
まともな葬式すら出させてもらえず、死を忌むものとしてひた隠しにしろ、
と強い口調で迫られました。
家族がショックを受けている中で、責めたてられ、でも、送り出さなければ
ならない。死者を貶められ、罵倒され、それでも、様々なことをこなさなければならない。
こういう思いをする人を、増やしたくはありません。
辛かったら、思いをどこかに吐き出して、生きて行って下さい。
*長文失礼致しました。嫌な風に感じられたら申し訳ありません。
自殺について話が出てるので書きます。
実はついこの前、本当に自殺一歩手前まで行ってしまいました。
自殺を擁護するわけじゃないです。
でも、本当に「あぁ。もうどうしようもない。この悲しみを受け止められない。」と思ったのです。 好きで自殺なんかする訳無いです。誰だって生きたいです。でも、その時の心境は誰かに話すとか、相談するとかそんな余裕すら
なかったです。僕も友人を一人自殺で失いました。 死に顔を見ながら、なぜ
死ぬ前に一言相談してくれなかったのか、他に道はなかったのか悔しかった。
でも、自分がその立場になり、初めて判りました。 そんな心の余裕さえ無い
んだと。 今こうやってレスしていますが、僕もまたいつ死にたくなるか怖い
です。 なんとかしたいです。 大事な人の笑顔を見たとき、「生きたい!」
って本当に感じます。 心の病かもしれません・・・
でも、自殺してしまった人は、そこに行き着くまで本当にギリギリまで生きて
、それでもどうしようもなかったと思うんです。
勝手な事書いてスミマセン。
746 :
大人の名無しさん:02/12/29 05:09 ID:jN3STFGc
>>744 自分のことばかりだね、744。
人の死を以てしても、744の心の変化を促すことができなかったようだ。。
ボクは744のお父上のことを考えると、とても辛い。
家族の協力(精神的な)なく、一人で背負って背負って、背負いきれなくなって…。
>>744 >>745 >>746 それぞれの言うことはその人なりに分かる気がするな・・・。
お父さんの気持ちも聞くことが出来ず
おまけに周囲に責め立てられた744は気の毒だと思ったよ。
どんなにか辛かったろうね。
追い込まれた人の気持ちがわかる
745 746もよく今生きていてくれたね。
今年もあと少しだけど、みんな、なんとか来る年を迎えよう?
749 :
大人の名無しさん:02/12/29 17:14 ID:CKBrJqb+
>>746 自殺を、その人の家族に責任があると考えるのは大間違いだな
750 :
744:02/12/29 17:19 ID:eSK0mTj6
>745さま
悩んで悩んで、悩みぬいた挙句の選んだことを、非難するつもりはありません。
私の場合、父がずっと眠れなかったと言うのを知り、「やっと眠れるようになって
よかったね」と思いましたから。
死を望んだ時、周りが見えなくなるのは仕方のない事だとわかっています。
それでも、話して欲しかった、とは思ってしまうのです。
話すような余裕もないのは、重々承知の上で、です。
でも、寿命じゃないのだったら、どんなに自殺を図っても生きるのだと思います。
致死量以上の服薬をして、死ねなかった友人も一人ではなくおりますから。
心の病気かもしれない、ご自分でかけらでも思うのでしたら、お医者様に行かれてください。
自ら死を選ぶことについて、私は肯定も否定も出来なくなってしまいましたけれど。
>745さま
自分の事しか考えていないと仰りたいのでしょうか。
どうも申し訳ありません。本来であればこのスレに書きこめる歳ではない
若輩者の言葉として、お聞き流しいただければ幸いです。
751 :
745:02/12/29 19:08 ID:+ghShjeJ
>>750 言い過ぎたみたいだ、ごめんね。あなたが悪いわけじゃないんだ。
ただ、30代以上の大人にしては余りに子供じみたことを書いているので、つい
書き込んでしまった。
オレも今まで何度か自殺を考えたことがある。
以前は「自殺なんか一度も考えたことがない」という人を
うらやましく思ったが、最近は、一度でも考えたことがある人の
心の痛みのようなものが共感できるような気がして、
このままでもいいかな、と思えるようになってきた。
なんか意味不明の書き込みだな。
753 :
706:02/12/31 00:53 ID:TdBzWi+Y
今日、とある会社から内定頂きました。
TVで今年の出来事総集編みたいなのをやってる。
なんかさっきから涙が止まらない。
この一年俺は家族や、大切な人にどれだけの事ができたのだろうか。
本当に支えてもらってばっかりだった・・
もう嫌だよ。 来年は変わりたい。 いや変えなきゃ。
そう思うとみんなの笑顔が見えてきて悲しくないのにさっきから
涙が止まらない。 みなさんにも良い年が訪れますように。
>>753=706
よかったね。本当によかった。
あなたのレスにもホロリとしてしまった。
あなたにも良い年が訪れますように。
このスレの人達にも良い年が訪れますように。
755 :
・・・・・・。:02/12/31 14:59 ID:qtEZF8nk
あけましておめでとうございます。
このスレの皆様に幸せが訪れますように。
今年も明けましたね。おめでとうございます、スレ住人の皆様。
今年もいいお話を聞かせて下さいませ。このスレは、2ちゃんに
おける私のオアシスです。
元旦から不景気な話で申し訳ない。
年末に友人が逝った。
前の晩、ごくごく普通にICQで漏れと話してたのに。
急性心不全だった。
大晦日、葬式に行ってきた。
顔見るまで信じられなかったけど
ノンキな顔して死んでやがった。ホントに。
語れる話もないけど。
ここで泣かせてください。
759 :
大人の名無しさん:03/01/03 16:48 ID:9ZkPmYBy
あげさせてくらさい
760 :
大人の名無しさん:03/01/03 16:59 ID:VNSr1m2o
761 :
大人の名無しさん:03/01/04 13:46 ID:jFKcTWdi
実家に帰るとばあちゃんが「普通でいいんだよ。普通で」って言う
そのたびに僕は名誉を手に入れたくなる。
私はほとんど泣いた記憶がなくて
悲しい、嬉しいと芯から思うことも
ほとんどありませんでした。
(感情はあるんだけど頭で考えてからというか)
自分は冷たいんじゃないか?変なのか?と
ふと考えるときがあったりして。
この前ひょんなことからHIV検査を受けました。
763 :
762:03/01/04 21:13 ID:w84UZOt8
ほぼないとは思うものの
過去を振り返ると100lとはいえない状況。
今付き合って半年の彼がいるのですが、
もし私が黒だった場合彼にもと思うと・・・
なぜかそこまでショックというか超超心配に
ならない自分がいて、自分の冷たさというか無責任さ
に愕然としてしました。
それから一週間過ごし、検査報告を聞きに病院へ
行きました。結果は陰性(白)でした。
その晩彼がうちに遊びに来て寝ようかって時に
なぜか彼にぎゅっとして欲しくなり、
彼にしてもらったら急に涙があふれてきて
声を上げて泣きました。ボロボロ泣きながら
不安だった事を打ち明けてて、同時に
ものすごく安堵している自分がいました。
その日はものすごくよく眠りました。
振り返ってみるとその一週間夢を見ては起きるの
繰り返しか寝付けなかったなぁと気づいたり。
駄文の上に長々とすまそ。
764 :
762:03/01/04 21:15 ID:w84UZOt8
×>愕然としてしました。
○ 愕然としてしまいました。
一人ではなくて
「誰か」の前で泣くことが出来た
あなたに
「良かったね」の言葉を贈りたい。
>私はほとんど泣いた記憶がなくて
>悲しい、嬉しいと芯から思うことも ほとんどありませんでした。
>(感情はあるんだけど頭で考えてからというか)
何らかの理由(事情)で感情を抑制する習性があったのかもしれませんね。
喜・怒・哀・楽のどれかを選んで表に出したり隠したり出来ないようです。
つまり
喜怒哀楽のどれかを抑えれば他も同時にすべてが抑えられてしまう。
(喜怒哀楽を表している”フリ”は可能でしょうが)
762が泣いたことの無いのと同時に嬉しいと芯から思わないのも
そういう働きがあったからだと想像しました。
変じゃないし、無理はしなくてもいいと思いますが。
今回、感情を表して、それを受け止めてくれる人がいたことを
他人ながら心から嬉しく感じました。
今から8年前に、両親が事故で亡くなった。
当時19だった自分は専門学校を辞め、7歳下の弟を育てるために鳶の仕事を始めた。
身内が誰もいなかったので、とにかく弟を育てていくことに必死だった。
現在弟は理容の専門学校へ通っていて、昨日初めて弟に髪を切ってもらった。
切ってもらっていたら、不覚にも涙が溢れてきて止まらなくなった。
8年間のいろんな事を思い出して、散髪真っ最中に号泣した。
両親が亡くなってから初めて泣いた。
あと1年すれば弟は卒業するので、卒業したら2人でゆっくり温泉にでも行こうと思う。
仕事ばっかでろくに旅行にも連れて行ったこと無かったから。
家にも全然居れなくてろくでもない兄だったと思うけど、
お前が居てくれてほんと幸せだったよ。
長文スマソ。
768 :
ローマン:03/01/05 19:09 ID:lemhvhyd
>>767 おまえら二人は絶対に幸せになれ!がんがれ
769 :
大人の名無しさん:03/01/05 22:28 ID:7UcI/3qd
>>767 こういうやつこそ幸せになってくれ!
いや、幸せになるべきだ。
既に幸せなのかも、ずっと豊かなものを持っていると思うぞ。
金で買えないものをな。
771 :
767:03/01/05 22:42 ID:46/YhSkV
>>768,769
ありがとうございまつ。がんがります。
>>770 一応、実話です。長文滅多に書かないんでおかしな文すけど。
772 :
大人の名無しさん:03/01/06 00:20 ID:FtlNN60I
>>767 私も8年前に子供二人引き取って離婚しました。
本当に大変だったよ。
30過ぎたおばさんでもつらかったよ。
あなたはたった19才だったんだよね。
涙が止まらないよ。
よく頑張ったね。
あなたの周りにいる人は皆幸せだろうな・・・。
773 :
:03/01/06 14:14 ID:k2RrTcoG
去年の夏の一番暑い最中に、カー用品の量販店へ車のオイル交換に行った。
大変な混雑で、一時間くらいの待ち時間になると言われて俺はそのまま待ってた。
かなりの時間が経って、二十歳に満たないくらいの小僧がふてくされながら
「オイル交換をお待ちのぉ○○様ぁ!」と呼びに来た。
不機嫌そうに、マニュアル通りの作業箇所の説明をした後伝票にサインを求めて来た。
俺はサインをしながら「ご苦労様」と言ったあと「暑い中こんな熱い車の作業大変でしたね」
と付け加えたら、小僧の顔つきがみるみるうちに変わって行った。
それは嬉しさと照れくささの混じった鼻息の荒いうわずった声で生意気にも
「いや!よ・・世の中にはもっと熱い車が・・た・・たくさんありますから」と
いっぱしの職人気取りで言ったあと「ちょっと待って下さい!!!!」と言うと
作業場の奥にあるタンスみたいな工具ケースやら、コンプレッサーやらを無造作に
蹴っ飛ばして場所を開けると、それらに塞がれていた工場の裏口のシャッターを強引に開け始めた。
「ここから出てまっすぐのつきあたりを右に行くとすぐ国道に出られるっす!」と言うと
小僧は直角に腰を曲げて「ありあとあしたあああああ!!」と大声で叫んだ。
いろんな客の相手して疲れてたんだろうなあ、と思った。
ちなみにそこのカー用品店は今でも仕事の行き帰りによく通るが工場の中はよく見えない。
>>773 なんだか泣いた。
うちの父も自動車整備の仕事をしてもう40年近く。
やっと工場長になったけど、なかなか休むこともできない。
夏は熱く冬寒い工場で、今までそんな言葉をかけてもらったことが
あっただろうか。
もうすぐ定年で、私もいい年になったのでぼちぼち親孝行し始めてるけど
あなたのようなお客様の言葉にはかなわない。
そんな筋じゃないかもしれないけど、御礼を言わせてください。
ありがとう。ほんとにありがとう。
>773
私も泣けたよ。
あなたの何気ないねぎらいの言葉に
その男の子はどれほど計り知れないありがたさを感じただろうね。
きっと裏方の仕事であなたのような人はあまりいなくて
辛い思いをしてたんじゃなかろうか?
わたしからもお礼を言いたいです。
ありがとう。
そして私もあなたのような人になりたいと思います。
今しがた、前の仕事仲間から電話があった。
同じ課で机を並べてた同僚(女性)が今日、病院で息を引き取ったという。
大人しくて、物静かで、何事にも控えめな「女の子」−と言うと失礼な年齢かも
知れないけど、課で最年少ということもあり、周りのみんなから可愛がられていた。
派手な遊びや、バカ騒ぎや、親に心配かけることとは無縁の一生だったと思う。
その子(どうしても、こういう言い方になってしまう)とあまり言葉を交わしたことが
無かったせいか、おれはその子の死を純粋に悼む気持ちになれない。
悲しさより、むしろ悔しさがこみ上げてくる。
去年から、不良顧客を相手に丁丁発止やりあう毎日を送っているせいなの
かも知れない−言い訳に過ぎないけど。
手前の責任を棚に上げてぎゃあつく我侭をほざき、ウチの社だけでなく、
自分の家族や周囲の人にも迷惑かけて、それでものほほんとしてる輩が
のうのう生き延び、他人を傷付けないよういつも細心の注意を払い、
思うことの半分も口に出さず、ただ微笑むだけだった子が若死にする。
こんな世界の仕組みって、いったい何なんだろうと思う。
明日が通夜で、明後日はウチの営業所が抱える最凶のDQN客と応対する
予定になっている。
そのときおれは自分の感情を押し殺していられるか、今、確信できない。
>>776 >去年から、不良顧客を相手に丁丁発止やりあう毎日を送っているせいなのかも知れない
>そのときおれは自分の感情を押し殺していられるか、今、確信できない
あなたも職場で過酷な毎日をやり過ごすために
感情を押し殺したり麻痺させて頑張ってるんじゃないかな?そこが心配。
映画でも音楽でも何でも構わないから
社外で「思い切り泣いたり笑ったり」してみてはどうかな?
ため込むといつか爆発したり、感情を失ったままみたいになっちゃうから。
亡くなられた女の子のご冥福を心からお祈り申し上げます。
彼女の死があなたにもたらした何かをどうか大事にして下さいね。
それも供養になるかなと思ったりします。
778 :
ローマン:03/01/09 11:27 ID:XxFyQrUw
>>776 777さんに心より同意。
776自身の健康が何よりの最大の供養。
779 :
大人の名無しさん:03/01/09 12:41 ID:+Af/smhW
祖母(母方)が亡くなった時。
母は死に目に会えなかった。
ある朝、ちょっとしたケンカで妹が母を押しのけ、よろめいた母が
サイドボードの角に背中をうちつけ、骨折してしまったのだ。
入院中に祖母の病状が悪化し、亡くなってしまった。
同じ病院ならば間に合ったのだろうが・・・
急遽外出許可を取って急いだ。
病院の廊下。母の両肩を妹と二人で支えながら。
妹はひたすら泣きながら
「私のせいで!ごめんなさい!ごめんなさい!お母さんごめんなさい・・・」
母は涙も枯れて憔悴しきった顔で
「打ち所が悪かっただけ・・・もう・・・泣きなさんな・・・」
妹がわざと突き飛ばしたのではないことは見て知っている。
しかも母と妹はとても仲が良い。
タイミングが悪かったと言えばそれまでだろうが
あまりにも2人には酷過ぎるのではないか?
祖母の葬式、私は周りが心配するくらいに嗚咽していた。
祖父の話
5年ほど前室内で転倒して大腿骨を骨折し歩くのはもう無理と
医者に宣言されても平気で歩いて退院してきたり、
持病が悪化して2000年を迎えるのは無理と宣言されても
元気に新世紀を迎えたり粘り強い人だった。
入退院を繰り返したが調子が悪くなれば「今年中に死ぬ」が口癖だったが
体の調子が良ければ「100歳まで生きる」が口癖、
そう言い続けて数年経っていた。
昨年秋に入院し、年末には退院できる見込みだったが
ちょっと調子を悪くして正月を病院で過ごし3日に意識混濁、
その後、意識不明になり7日の昼に旅起つ。
胸がぜいぜいして旅起つまでの数日間が死への苦しみだろう。
23年前の1月4日に亡くなった祖母が呼んだのかもしれない。
痴呆もなくおむつもせず、介護する方としては大変楽な祖父だった。
明治43年生まれ93歳。
覚悟していた死であったが実際に経験すると涙が止まらない。
781 :
大人の名無しさん:03/01/11 22:47 ID:hgwrv8vz
あげ
782 :
山崎渉:03/01/12 01:13 ID:oer9nprv
(^^)
仕事で疲れきっちゃうと、どうしてもここに来ちゃうな。なんでかわからんけど。
昨年、高円宮親王殿下が薨去された数時間前に、田舎の祖母が亡くなった。
「おいおい、月末の糞忙しいときに…」とか思ったんだけど、
連休に葬式だってんで渋々参列した。
苦しむことなく、また、93歳の大往生だったもんだから、
親族の悲しさってのは、内心はどうかわからんけど、見た目には大きくなかった。
横たわっている物言わぬ祖母の顔を見たときはちょっとくるもんがあったが、
頭の中では連休明けの仕事のことばっかり考えていた。
俺の場合、子どものころに確かに世話にはなっていたけど、
何年も会ってなかったから祖母が亡くなったからといって、
今の自分の生活に何か影響があるということもない。
だから、涙なんかいっこうに出てきやしない。
田舎から戻って来て、仕事やって、正月迎えて、今も仕事中なんだけど、
その間、祖母のことなんか全然思い出さなかった。
でも、今、こうしてこのスレ来て書き込んでたりするんだけど、
ちょっとだけ祖母のことを思い出した。で、思うことは、
葬式、行ってよかった。行かなかったら一生後悔しただろう、って。
行かなかったらこうして思い出すこともなかっただろう、って。
あのとき泣けなかったけど、今、これ、書き込んでいたら涙が出てきた。
おかしいな、泣くつもりで書き始めたわけじゃなかったのに。
あのとき泣けなかった自分はおかしかったのか、と書くつもりだったのに。
ともかく、俺の能書きを読んでくれた人、ありがとう。
784 :
783:03/01/12 03:02 ID:Lkg8+y00
書いてから思い出した。
祖母は、何年も前から「寒いときに葬式に来てもらうのは申し訳ないから、
気候のいい6月に死にたい」とか言っていたらしい。(田舎は福島だから冬は雪深い)
そういう考え方ができるのはすごいなと思ったね。
結局、亡くなったのは雪が積もっている11月末だったけど、
連休の前に旅立ってくれたおかげで、日本中から親族が集まることができた。
いわんや、この俺も。仕事を理由に世話になった祖母の葬式に
出ようという気にもならなかったこの俺も。
自分の性根の腐り方、というか、自分の小ささに打ちのめされた。
嗚咽とまでいかないまでも、情けなさに泣きたくなってきた。
785 :
:03/01/13 09:47 ID:cSrX7AaT
>>784 俺は、いろいろあって父親の葬式に出なかったよ。
後悔はしてないが、人間としてクズだな。
786 :
大人の名無しさん:03/01/15 12:51 ID:NNc77aTx
うはー
愚痴吐きスマソ
甥のM、はじめての誕生日も迎えてないのに、
親に自分の骨拾わせるなんて親不孝、百年早いんだよ。
……。
ウワァァァァァ 。・゚・(ノД`)・゚・。 ァァァァァン
その日 ぼくが石けりしてるとパパが家から出てきていった
「坊や いそいで帰ってくるんだママがお前に会いたいそうだよ」
ぼくはパパに小声で尋ねた「そいじゃ ママはもう死んじゃうの?」
するとパパは静かにいった
「そうだ坊や ママは死ぬんだ。だけど坊や 泣くんじゃないぞ
みんな誰でもいつかは死ぬんだ。坊やわかるな お前は男だ
歯をくいしばり 耐えて行くんだ。どんなときでも弱音を吐くな
男らしくやるんだぞ頼むぞ。いいか坊や 約束してくれ」
ぼくはパパに約束した
ぼくが走って帰るとママは白い顔してベッドに寝てたが
ぼくに やさしく笑ってみせた「坊や 元気で大きくなるのよ」
ぼくもママに笑ってみせた。だけどぼくは見たんだ そのとき
ママの瞳にうかんだ涙を。ママは ママは泣いているんだ
そうさ ママは考えているんだ。ぼくのことを心配してんだ
自分が死ぬということよりもぼくのことだけを考えているんだ
ぼくは思わず神に祈った
「どうかママを助けておくれよ。ママが死んだら ぼくも死んじゃう
どうかママを殺さないでよ。どうか神さま お願い 神さま
どんなことでも ぼくはするから。夜ねる前に歯をみがくから。ごはんの前に手も洗うから」
だけどママはその夜おそくそっと淋しくこの世を去った
ずっとぼくの手をにぎりしめ涙うかべて この世を去った
ムリさムリだよ 泣くなっていったってダメだ そんなの そんなの絶対ダメだよ
だって だってママが死んだんだ。ぼくは泣いた やっぱり泣いた ママ!
だけどぼくは ぼくは男さ
そのあくる年 あの戦争でパパが死んだと聞いたときは
ぼくはそのとき涙をこらえた。
ぼくはそのとき約束をまもった
という歌で泣く
793 :
大人の名無しさん:03/01/17 01:17 ID:jUM6PAXU
アアアアアア・・・・・涙涙涙・・
誰のうたですか。辛いな〜
794 :
名無しさん@毎日が日曜日:03/01/17 02:52 ID:m0YNr1QJ
スレ違いかもしれないが…
小学4年のとき、母が死んだ。だが泣けなかった。いや、泣いた
だろうが、それは、みんなが泣いてたから…
もちろん、人の死ということが理解できなかったということも
あるだろう。だけど、悲しいという感情が自然と出てこなかった
という事実は、なぜか負い目として残った。なぜ、心から悲しい
という感情が浮かばなかったのか。後年振り返ってみてずいぶん自責の念に
とらわれた。自分の4歳上の姉は母に取りすがって泣いていた
というのに。ああ、俺は感情がないのかな、人間じゃ
ないのかなって思った。
30を少し過ぎて、父が死んだ。やはり泣かなかった。ある事情で
父とは没交渉だったから。葬儀には出たが、やはり、俺は真人間
じゃないな、という思いをずっとかみしめていた。
このスレには、死別の話が多いね。それを読んでは泣いているよ。
肉親の死に泣けなくて、どうして赤の他人の話に泣くのかな?
>>793 雪村いづみの『約束』という歌です。私の大好きな歌です。
>794
別に変だとは思わない
僕も小5で母を亡くした時や14年連れ添った愛犬(脳内では弟)を亡くした時は
かなり時間経ってから泣いたよ
感情が極まり過ぎて
嗚咽する精神的な余裕すら無かったって事じゃないかなぁ
あ、「嗚咽=余裕あるじゃん」って意味に曲解しないでね
>>794 人の心ってそんな単純なもんじゃないし、人それぞれ。オレも似たようなもん。
それよか、こんなところで、そんなことを書き込んだり、他人の話を読んで泣いてる
アンタは、間違いなく正真正銘の真人間と思われ。
>>795 昔、仕事で行ったマンションにたまたま雪村いずみと娘さんの朝比奈マリアが
住んでた事があったなあ。母娘ともすごく気さくで感じのいい人だったよ。
798 :
大人の名無しさん:03/01/18 06:16 ID:mvmxZAAJ
すいません、誰か、ワールドカップのデンマーク代表と日本のろうあの子との
交流の話、保存してないですか?
すごいいい話って聞いたんですけど・・・
799 :
大人の名無しさん:03/01/18 06:54 ID:GoZfVAKn
800 :
大人の名無しさん:03/01/18 06:58 ID:GoZfVAKn
801 :
大人の名無しさん:03/01/18 18:27 ID:X1+rwsdw
年末の帰省時に姪(弟の5歳児)を預る予定だった。
前年帰省の際、土産を忘れた俺は、土産代わりに子守する事にしたが、これが大好評。
特に義妹(28)からは「義兄さんのおかげで久々に旦那とデート出来た!」と喜ばれた。
その時は姪の希望でとっとこハム太郎の映画に連れて行った。4歳児が映画館でじっとしてられるか不安
だったけど無事終了(泣くとやばいんで同時上映のゴジラは見なかった)。
パンフ 買ってゲーセンでハム太郎のぬいぐるみ捕って。
劇中歌のミニはむずの曲の着メロ落して車の中で鳴らし続けたり
(普段は仕事ユースのエッジなんでマナーにしてて鳴らさないんだが)。
姪は初めての映画館が相当嬉しかったらしく、正月休み明けまで「楽しかった」を連呼していた。
姪の楽しげな様子を見ていて、家族皆が幸せだった。
去年の夏の終り頃、姪から電話があった。
「今年もハム太郎の映画があるんで連れてってください。」
義妹に「連れて行って欲しかったら自分でちゃんと頼みなさい」といわれ電話したらしい。
連れて行く約束をして電話を切り、ググってみると、
確かに「劇場版とっとこハム太郎2 12月公開」のページがあった。
802 :
801:03/01/18 18:29 ID:X1+rwsdw
12月になって再度姪から電話があった。
「おにいちゃんいつ帰って来るんですか?」
28日に帰るから29日に映画に行こうと約束して、そのままローソンに行き、映画の前売券を買った。
(その電話で、弟夫婦もデートの日を決めたかったらしく、姪はそのダシに使われたらしい)
28日の東名高速下りは事故も重なり大渋滞。
蒲郡から小牧まで何時間かかるかわからない位。
実家に相当遅くなると伝えるために電話。
誰も出ない。
その時は正月の買い出しにでも出てるだろうと気にして無かった。
その後も何度も電話したけど、結局電話は繋がる事無く、普段の倍の時間かけて実家に着いた頃には、
日が暮れていた。
電気一つ灯いていない真っ暗な実家。
変わっていない合鍵場所から鍵を持ち出し中に入る。
両親と同居して(もちろん大変な事一杯有るだろうに)うまくやってくれてる義妹。
家の中は何時も奇麗に片付いていたのに、一目で何もかも放り出して外出したのが分かる荒れよう。
取り敢えず居間の茶碗類を片付け、ストーブをつけてテレビを見てぼーっとしてた
(多分めちゃイケでも見てたんだと思う)。
803 :
801:03/01/18 18:30 ID:X1+rwsdw
流石にこの時間まで帰らないのは尋常じゃねえな、と思った矢先、両親が帰宅。
目が合った親父が言った。
「姪が死んだ」
…ハァ?
と思った瞬間に、親父の背中でお袋が泣き出した。
親父に聞いて駆けつけた病院には弟夫婦がいた。
公園で補助輪無しの自転車の練習中に転倒して、その際にブランコの支柱に頭を強打したらしい事。
そのまま意識が戻らなかった事。
幼稚園が冬休みになってから一生懸命自転車の練習してた事。
それがどうやら俺に見せる為らしい事。
(一人でトイレ出来る、補助輪無し自転車に乗れる、出した物を自分で片付けられる、が姪には
「成長してお姉ちゃんになった自分」を表す事と思っていたらしい)
そんな事を聞きながら、姪と対面した。
あまりに突然過ぎて驚きが大きすぎたからか、涙は出なかった。
次の日弟夫婦が病院へ行っている間に、俺は親父に言われて一番近い紳士服店に礼服を買いに行った。
この十年で俺はすっかり太ってしまい、親父や弟の礼服は着れない体型になっていた。
年末だったが吊しの礼服を買って無理言ってその場で裾詰めを頼んだ。
待ち時間の間、店を出て辺りをぶらついた。
そのうちに、ここが何処だか唐突に気付いた。
急いで店に取って返し、車走らせた。
804 :
801:03/01/18 18:30 ID:X1+rwsdw
五分ほど走った場所に、去年姪と来た映画館が有った。
受け付け嬢に頼み、映画のパンフだけ売ってもらい、紳士服店に引き返した。
葬儀までの間の記憶ははっきりしない。
周りの肉親がばたばたしてるのに、俺にはする事が無かった事だけ覚えている。
葬儀業者の手配でセレモニーホールでの通夜が始まる前、義妹と少しだけ話をした。
「姪がいつもいつも『おにいちゃんに買ってもらったんだよ!』って見てたハム太郎の映画のパンフ、棺
に入れてやります」
見ると義妹の手にはぼろぼろになった、それこそ擦り切れるくらい読んだだろう映画のパンフ。
これを見た瞬間に、涙が止まらなくなった。
生まれて初めて、視界が涙で滲んで見えなくなっていく体験をした(今までは泣き出しは目を閉じてたん
だろうか?)。
買ったばかりの新しい映画のパンフと前売券を、一緒に入れてもらう為義妹に渡しながら、泣き続けた。
自分の子でも無いのに、今でも、ただただ喪失感しかない。
時間の経過で薄まるのかどうかも、分からない。
PHSに落したミニはむずの着メロは、聞けずにいるけども消せずにもいる。
いたる所で目に付くハム太郎見つける度に、姪の喜んでいた顔を思い出す。
で、その度にもう思い出す事しか出来ん事を思い知り泣いてしまう。
このスレの中に『前スレにハム太郎や ピカチュー』ってカキコが有ったけど、読んだら泣きそうな気が
したんで読まずに書き込んだ。
こんな長文載せて、重複してたらすまん。
しかもsageてなかった。
姪御さんのご冥福をお祈り申し上げます。
・・・小さな子供の話は辛いよ(泣
自分も独身で姪っ子がいて、よく一緒に遊んでやるけれど
本当に小さい子が亡くなるというのはつらいものだ…。
今を一生懸命いきたいと思う。
漏れも、親戚が近所に、固まってるんで前は休日になるとチビがドカドカ部屋に
入って遊びに来てました。801サンの心中御察し申し上げマス。
いつまでも気を落とさないで下さい。姪御さんも応援してると思いマス。
808 :
山崎渉:03/01/20 16:57 ID:UlUQInc8
(^^;
ううう………・・゚・(ノД`)・゚・・゚・(ノД`)・゚・
つらい。やっぱり子供の亡くなる話は。
でも801さんはとってもいいおじさんだったんだね。姪御さんも
天国に行ってもあなたに可愛がってもらったことを忘れないよ、きっと。
810 :
大人の名無しさん:03/01/20 19:26 ID:a7DfLe+/
しょ、職場で号泣しちまったよー。
811 :
大人の名無しさん:03/01/20 20:35 ID:+NBmCprR
小学校低学年の時に両親が離婚して、父方に引き取られたおいらにとって、
おばあちゃんは母親みたいな存在だった。掃除、洗濯、それに弁当づくり。
おいらを心の底から可愛がってくれた。
大学には浪人して入ったけど、ちょっとグレていたオレは、高校生ぐらいの
頃から、ちゃんとおばあちゃんに接することができなくなってきた。少し辛く
当たったこともあった。高血圧が持病のおばあちゃんは、その頃ぐらいから入
退院を繰り返すようになり、就職する頃には、老人医療施設に入りっぱなしに
なっていた。
親戚の政治家にお願いして、一応、立派な施設には入れてもらっていたが、
そういった場所は長居が出来ず、施設を転々とわたり、だんだん場所も遠くな
っていった。オヤジたちと一緒に見舞いに行くのはイヤだったから、ひとりで
行って、しばらく話して、最後にひたいに手をあてて、帰るのが、いつもの見
舞いのやり方だった。
でも、しまいには1年に一遍ぐらいしか行けなくなり、最後の施設は行けず
仕舞いで終わってしまった。
就職して2年目の冬の日曜日、その日は映画でも見に出かけようとしたら、
家から電話があって、おばあちゃんが危篤だという。急いで、そこに行こうと
したら、今度は亡くなった、という知らせがあった。
オヤジと再婚相手と3人でクルマで出かけた。地元の斎場になきがらを移す
ためだ。2時間ぐらい走って、着いた山奥の施設は、奇麗にはしてあったが、
やや寂しい印象を受けた。
(続く)
812 :
大人の名無しさん:03/01/20 20:38 ID:+NBmCprR
霊安所みたいなところでおばあちゃんと対面。久しぶりだったが、あまり変
わった様子もなく、寝ているみたいだった。
霊柩車でおばあちゃんを運ぶ段になって、付き添いが必要だといわれた。オ
ヤジはクルマを運転しているし、再婚相手には関係ない話だ。当然おいらがひ
つぎに付き添うことになった。
心の中では、最後に見舞いが途切れたことを悪いとは思いつつ、最後に付き
添ってやれることで、おいらは少しは埋め合わせができるような気になってた。
でも、最後に、看護してくれた人が、これを持っていってほしい、といわれた
のを見て、ぐっときた。
おいらのおばあちゃんは虎年生まれで、それが自慢だった。戦前、兵隊さん
に贈る千人針では、虎年生まれの女の人が縫うと喜ばれたそうだ。「虎は千里
を走って帰ってくるから」とかなんとかいう話を随分聞かされた。
最後におばあちゃんは虎のぬいぐるみを大切にしていたそうだ。でも、オレ
はそれを初めてみた。ということは、おいらたちが、見舞いにあまり行かなく
なったあたりから、買ったんじゃないのか。寂しくなったから、ぬいぐるみな
んかを可愛がってまぎらわせていたんじゃないか。そんなこととを思って、ク
ルマの中では、運転手さんに悟られないように声を殺して泣いた。
もし、これを読んでくれた人がいて、じいちゃん、ばあちゃんが入院してい
るようなヤツがいたら、頼むから見舞いに行ってくれ。いい気になってるかも
しれないが、気に障ったら許してくれ。
>>812 つらいね。
おばあちゃんは無条件に私のことを愛してくれたのに
私は何も返せないうちに
おばあちゃんは逝ってしまった。
本当につらい。
814 :
大人の名無しさん:03/01/21 01:45 ID:S1SbQOnS
799亀レス ごめん。
わざわざありがとうです。
815 :
大人の名無しさん:03/01/21 03:45 ID:EhGf8M/q
>>814 ほっ。見てくれてヨカッタ・・・
Flashは見れないみたいだけど、AAはOKだな。
いい話なんで、覚えてたんだよ。
中学の時、苛められていた。学年のヤンキー軍団にターゲットロックオンされていた為、
学年の半分以上が敵だった。残りには無視されたり陰口を叩かれた。
そんな私にも友人が4人いた。
でも彼女達に飛び火するのが怖くて、奴らが近づいたときにはそっと離れたりしていた。
ある日、私はヤンキーの一人に手酷い苛めを受け、不覚にも泣いて逃げ出してしまった。
その後先生に連れ戻されたが、家に着くまで涙が止まらなかった。
自殺しようとマンションの階段から身を乗り出したりしようとしたときもあったが、
残される家族や友人達のことを思うと死ねなかった。私は生きた。
数年後、もう就職もしようかという年になって友人の一人と久しぶりに話し込んだ。
そしてその時、私が泣いたあの日、友人Kちゃんが私が帰った後ヤンキー軍団のいる教室へ
直談判をしに行っていた事を知った。
別段ケンカが強いわけでも、格闘技を習ったりしているわけではない普通の女子中学生が
私の為に危険も顧みずに奴らの中に飛び込んでいったそうだ。
初めて知った事実。家に帰って、机に座ったら涙が溢れて来た。
ありがとう、ありがとう!中学時代、彼女達がいなかったら今私はここにいない。
改めて彼女達に感謝しながら、その日は声を殺して泣いた。
今はもうバラバラになってしまったけど、彼女達が何か助けを求めてきたら
いつでも力になりたいと思う。
そして、何十年経ってでも友達でいてください。おばあちゃんになってもお茶しよう。
ガキの頃、よく遊んでくれた近所の兄ちゃんがいた。
少し不良の兄ちゃんだったけど、八歳の年下の俺のことを馬鹿にもせず、よく遊んでくれた。
そんな兄ちゃんが俺が中一の頃、田舎の地元を離れ、都会へと出て行った。
それから二年が経ち、その兄ちゃんが警察に捕まったと聞いた。
なんでも信頼していた兄貴分の罪を被って、代わりに捕まったらしい。
警察も兄ちゃんが元々不良だったこともあり、殆ど調べもせず起訴した。
初犯だったけど(むしろ無罪なんだけど)執行猶予は付かず、刑務所に送られた。
刑務所に送られるって決まった時も兄ちゃんは騒がず静かにそれを受け止めた。
数年が経ち、そんな兄ちゃんが出所してきた。
模範囚で務めたので、幾分か早く出所できたらしい。
そして田舎に帰って来て、兄ちゃんは俺にこう言った。
『よう! お前ももう中学卒業だろ。おめでとう』
俺はその時はもう18歳だった・・・
兄ちゃんの中で、時間は逮捕されちまった時で止まってたんだろうな・・・
なんか、それを聞いたときにやるせなくて悔しくて仕方なくなったよ。
818 :
大人の名無しさん:03/01/21 12:40 ID:bNpYDjv9
いまはリーマンだけど、グレいた時、警察にとっつかまって2泊3日、留置場にブチ込まれた。
同じ房にはヤーさんが1人、サギ師がひとりとよくわかんないヤツが一人いた。
ヤーさんは、オレが入ると、冬場だったから、毛布をうまく使って、足からの寒気を
防ぐ方法を教えてくれたりした。そして、ヒマだから、いろいろしゃべった。学校のこと、
家庭のこと。短髪で、見るからに精悍そうで無口なヤーさんは、一通り聞き終わると、こう言った。
「まあ、いい。とにかく戻ってくるな。次、こんなところで会ったら、オレが容赦しねぇぞ」。
弁護士が活躍してくれて、高校の期末テストも受けられて、仲間には「大学いくわ」
と言って別れることもできた。
あのヤーさん、いつか会ったら、礼を言いたい。口じゃなくって、体から出る言葉の
迫力も教えてくれた。大学に合格できたとき、フトそのヤーさんのことを思い出して
感謝して泣いた。
このスレ読んでいて、少年院いったり、刑務所いったりした人のことを心配している
ようなのが目についたけど、確かに、そっちの方向にヤバく転んでしまう人もいるけど、
中には、普通の社会生活では決して得られることのない、すごい教育を受けられる可能性
もあるんだよ、というのを書きました。まあ、オレの場合は、とてつもなくラッキーなん
だけど。
819 :
大人の名無しさん:03/01/21 19:13 ID:dGB0M4Vl
離婚して2年。
元妻の態度も軟化してきて、ようやく最近になって子供たちとの面会が
できるようになった。
次女の7歳の誕生日、久しぶりに会って外食しながらプレゼントは
何が欲しいかと聞いたら「おとうちゃんと暮らしたい」と言ってくれた。
その店の周りにはたくさんのおもちゃ屋や雑貨屋があるのにね。
結局、無理やりのようにサンリオキャラの人形ハウスみたいなのを選んで
買ってやった。
駅で元妻に子供たちを渡した後、トイレにかけこんだよ。
ごめんよ、大人の都合で寂しい思いさせてなあ。
いつまで一緒に暮らしたいと思ってくれるかな。
俺は嫌われる日が来ても元気に大きくなってくれればそれでいいか。
820 :
大人の名無しさん:03/01/21 20:52 ID:A1mrVMWZ
先日、彼とお別れしにいってきました。
私は、人見知りが激しい女でした。
一昨年、高校生だった私はついにクラス替えで多かった友達とも全部別れてしまい
ひとり孤立した状態で日々過ごしていました。
気付けばたびたび休む日々。
家では勉強とネット。夜に土手に出かけ星を眺めているだけ。
そんなある日、チャットでひとりの人にあいました。
数週間、性格にひかれて話しているウチにけっこう家が近い事が分かり
その人がヒントを出して、謎解きの末に答えが分かり
どうせ平日だからいないだろう。と見に行ってしまいました。
その人のマンションについたものの、雨が降ってきて傘を持っていなかった私は
もういいだろう、帰ろう。と曇り空を見上げた時、不意に後ろから肩を叩かれました
振り向くと、まだ若い男の人が立っていて驚いた顔で「Aちゃん?」と聞いてきました。
私も大変驚いていて頷くと「そうだとおもった」と微笑まれて
「雨宿りしていきなよ」とその人の部屋に上がってしまいました。
それから、学校の事、これからの事、最近なにやってる?とか色々話してました。
久しぶりに友達以外と笑ったなーと感心していると鍵を渡されて一言。
「また、なんかあったらおいで」と言われてしまいました。
821 :
つづき:03/01/21 20:53 ID:A1mrVMWZ
それから、夏休みの間、ずっと通って掃除、洗濯、料理等いろいろしてました。
時々いっしょに昼寝したり、ゲームしたり、宿題見てもらったり。
冗談で「お嫁に来て」とか言われて「アホか」なんて言ったり返したり。
分かったことは、その人が大学生で結構裕福な家庭の人。それだけだった。
名前も、HNで呼び合ってたし、別になんとも思わなかった。
夏も終わり、秋の始まり頃「付き合って欲しい」と言われ
断る理由も無いし、好きだったから「うん」と顔を真っ赤にして頷いてました。
その人はでも、体を求めてくる事なんてなかった。
頭を撫でてきたり、抱きしめられたり、軽くキスされたけど、それ以外なにもされなかった。
俗にいうプラトニックという感じのものだった。
体上の関係ならいつでも切れそうな関係だった。
‥‥‥不安だった。
822 :
つづき2:03/01/21 20:56 ID:A1mrVMWZ
秋と冬の境目に、彼が親族との問題で10月後半頃アメリカへ渡った。
帰ってくるのは11月後半。その頃、私はテスト前で会えなかった。
次ぎに会えたのはクリスマスの一週間前。
久しぶりに会った彼は少し痩せていて「大丈夫?」と聞くと
何処か無理してそうな顔で「うん」と笑ってくれました。
無理に詮索しあわないのが私達の関係だったのでそれ以上聞きませんでした。
「クリスマス、何がいい?」と聞かれ「欲しいってものはないなぁ‥」と言うと
「じゃあ、決めちゃっていい?」といわれたので「いいよー」と軽く返事を返してました。
クリスマス、夜、密かに家を抜け出して会いにいきました。
彼は、子供用シャンパンのようなものを用意していて
それを飲んで少し軽食をとって楽しんでいたら、四角い箱を取り出して一言。
「結婚してください」
酔っぱらってるのか、この男は。などと思いたかった。
だけど、目が真剣そのもので、どう返答しようかと悩んでいると
シンプルだけど、綺麗な指輪を取り出して指に嵌めようとしてくれました。
が
サイズが違う‥‥。
「サイズ違うよ」というと「んじゃ、こんどまた買ってくる」といい
気付くと床に押し倒されていてとっさに護身術で躱すと
思わず切れてしまった私は「あほか!!」と思いっきり指輪を外へ投げ
そのまま部屋を飛び出して帰ってしまいました。
それから、年があけるまで会う事はありませんでした。
823 :
つづき3:03/01/21 20:57 ID:A1mrVMWZ
正月も過ぎてそろそろなんか連絡した方がいいと思った私は
彼の携帯にメールを出してみました。が、返事が無いのです。
電話もしてみたのですが出ず、2日待ってみて、彼の家に行きました。
彼はいませんでした。ふと、靴箱の上に指輪とメモが。
「Aちゃんへ、1/5○○病院に入院します。
多分、これでお別れだと思います。
この間は、最低の事してごめん。
‥‥‥楽しかった。ありがとう。本当にありがとう。
○より」
思わず指輪とメモをポッケに突っ込むと、その病院へ走って行ってました。
受付で部屋番号を聞き、個室の病室にいくと彼は寝ていました。
隣には結構歳のおばさんがいて、こちらを見ると驚いた顔で
「もしかして、Aちゃん?」と聞いてきたので頷くと
「きてくれてありがとうね」といわれ手招きされて彼の顔を覗きました。
酷くやつれた、血色の無い、表情から見て死ぬ事を覚悟したの人の顔でした。
彼は薄く目を開くと「Aちゃん‥」と掠れた声で呼んでくれました。
おばさんが居なくなり
彼の手を握って「ごめん、ごめんなさい」と何度も謝りました。
彼は私の頭を何度も何度も撫でてくれて
首を振っては「来てくれただけで、うれしいよ」と言ってくれました。
824 :
つづき4:03/01/21 20:59 ID:A1mrVMWZ
それから、暫くいつものようにじゃれあって、
面会時間が終わり、病室を嫌々出る事にしました。
「また明日ね」というと彼はいきなりキスをしてきて
「また、いつか、ね?」と言いました。
それが、お別れに聞こえてきてならないで、
キスをし返すと涙を堪えながら部屋をでました。
トイレで泣いて、急に看護婦さんの慌ただしい声が聞こえてきて見ると
彼の病室に看護婦さんと医者が走ってはいっていくのが見えました。
数分後、彼の病室から医者も看護婦も出て行って
入ってみるとぼんやりとしたなんとも言えない顔でおばさんが彼を見てました。
私は彼を見ました。
彼は、最初に会った頃のように微笑んで眠ってました。
ずっと、眠ってました。
葬式、母に事情を説明し快く承諾してくれたので無事に出る事ができました。
彼は痩せ細っていて見る度に私は泣いていました。
いつもみたいに頭を撫でて欲しかった。キスして欲しかった。
笑って、すぐそこにいて欲しかった。
葬式の前に、彼がくれた指輪、はめてみたらぴったりだった。
わざわざ買ってきてくれたらしい。
彼はもともと持病持ちで体も弱く、肺と胃腸などがもうダメだったんだって。
今、どこにいるかわからないけど
あなたが教えてくれた事、してくれたこと、全部私の中に残ってます。
好きでした。
あなたが私の側から消えて一年たった今日、やっと言えた。
連続投稿スマソ。
愚痴のようでスマソ。
。・゚・(ノД`)・゚・。
指輪はいまもしてるのかい?
>>826 してる。
でも、最初の頃は指輪を見る度に泣いてた。
だから、学校は避けてる。その他はずっとしてる。
しないと、不安になってくる。
今見返すとかなり乱雑だった。
しかも、30代以上板だし‥‥‥更にスマソ。
私が生まれた一週間後に、私を産んでくれた母は死んでしまった。
父が再婚してから、家に居場所が無くなった。
小さい窓が一つだけあるろくに日も差さない、
テレビも暖房も冷房も無い部屋が与えられて、そこに居る事だけが許された。
食事を家族と一緒に取った事が無かった。家族と言葉を交わす事も無かった。
そもそも食事もまともなものじゃなかった。たまに忘れられた。
記憶と体に残るのは、無数の生傷と火傷と、恐怖感だけだった。
友達も学校の先生も、誰も助けてくれなかった。助けられなかったんだと思う。
誰も恨んでいない。だってどうしようもない事だ。
18歳の時に逃げ出した。
お金は無かったけど、空が青いとか、好きなだけご飯を食べていいとか、
ぶたれたり、蹴られたりしないとか、ものすごく嬉しかった。
何か失敗しても、殴ったり蹴ったりする人がいなくて、嬉しかった。
24歳の時、従兄が偶然私を見つけて会いに来た。
親には居場所を黙っててくれた。
ぶっきらぼうで、すぐにバカだののろまだの罵る従兄だったけど、
不思議と嫌に感じなかった。
私にパソコンを作ってくれた。病気になった時、大雪の中病院に連れて行ってくれた。
お金が無くてひもじかった時、ご飯を奢ってくれた。
誰より私を心配してくれてたのは、この口の悪い従兄だったのかもしれない。
829 :
828:03/01/22 08:27 ID:3VEU/+s3
三年前の雪の日、従兄がふらっと家に来た。
一緒にご飯を食べに行って、今付き合ってる彼氏が結婚しようって
言ってくれたって伝えた。
従兄はやっぱり口が悪くて、
「お前みたいなブスで頭の悪い女貰うなんて、物好きだよな。」って笑った。
そうだね、物好きだよねって、一緒に笑った。
従兄と一緒に過ごした時間で、一番たくさん喋った。たくさん笑った。
一番楽しい日だった。
その一週間後に、従兄が亡くなった。
灯油をかぶっての焼身自殺だった。
私は彼に甘えてばかりで、何もしてあげる事が出来なかった。
自分の事でいっぱいで、彼がそんなに苦しんでいた事に、気付かなかった。
自分ばっかり可愛がって、彼が思いつめている事にすら、気付かなかった。
ごめんなさい。
ごめんなさい。ごめんなさい。
私はあなたの言う通り、バカで気が利かなくて、お金も無かったけど、
でも、何か出来たかもしれないのに。何か力になれたかもしれないのに。
どうして何も言ってくれなかったんだろう。
結局、例の彼氏とは結婚しなかった。今も私は独身のままだ。
今でも、従兄の愛車と同じ車を町で見かけると、胸が痛くなる。
従兄が亡くなったのが、丁度今の時期だ。
この時期は眠れなくなる。毎日のように泣いてしまう。
多分、私が泣いたら、従兄は悲しむってわかってるのに。
830 :
828:03/01/22 08:28 ID:3VEU/+s3
長々ごめんなさい。
書いたら、ちょっとすっきりした。
誰にもいえなかったから。
831 :
大人の名無しさん:03/01/22 09:53 ID:x5aCio2P
>>801 頼む、ネタだと言ってくれよー。あまりにもつらいよ。
職場で号泣しちゃったやんか。
前に、千葉で飲酒運転の車が5人の男女をひき殺した事故で、そのうちの1人が
知人の奥さんだったことを書いたものだけど。
その後のことが記事になってました。小学校4年生の男の子はかなり情緒不安定
になって、知人は職場に息子さんをつれてくることも多いそう。
息子さんが言うには、ドラえもんがほんとにいたらいいのに・・・。
そしたらタイムマシンであの日(事故当日)に戻って、お母さんに出かけちゃ
だめだってとめるって言ったそう・・・。
突然、母親を失った息子さんのつらい気持ちが現れてて、読んで泣いてしまった。
まだ、10歳なのに。まだまだ母親に甘えたいだろうに。
知人もなれない家事をこなしながら精一杯がんばってるようす。
どうか、この親子に笑顔が戻る日がくることを心から願います。
832 :
大人の名無しさん:03/01/22 10:55 ID:j8g8vkCx
>831
俺も近所でおきた事故のことを思い出した。
小学校の近くのゆるやかなカーブの上り坂、下校中の小学生に
爺さんが運転する車がつっこんで、何人か亡くなった。
運動会の前の日かなんかだった。
何より驚いたのは、加害者と被害者が同じ町内で近所。
さらに、無くなった男の子の妹が、俺の娘と幼稚園で同じ組。
お通夜には、幼稚園の先生(被害者も卒園生)も多数参列して
嗚咽していたと聞いた。
小さな命が絶たれるのは、理由関係なく辛い。
833 :
大人の名無しさん:03/01/22 11:09 ID:S3Habddw
結婚して親元を離れて10数年・・・
自分も母親になりそれなりに育児もし
なんとか暮らしている。
実家近くには弟夫婦、孫もいる。
弟嫁はとてもいい人らしく
両親とも仲良くして
うらやましいくらいだ。
私が結婚と同時に遠い所に行くからと
淋しそうにしてたのに
弟が結婚し孫も生まれ私が居なくなった寂しさなんて
なかったかのように楽しそうだ。
特に父は優しくて頭の良い弟嫁を
かなり気にいってるよう・・・で
私は(もうすぐ40才になるというのに!)
少なからず嫉妬していた。
どうせ私は両親の期待をいつも裏切り
親が願ったような生き方はできなかった・・・
ある時母と二人でお茶を飲んでたら
「あぁいいねぇ。○○がかえってくると
何だかほっとするんだよねぇ」と言ってくれた。
私みたいな娘でも母さんにとっては
ほっとする存在なの?と思うとうれしくて涙がでそうになった。
834 :
大人の名無しさん:03/01/22 11:38 ID:onpHjWrW
私は23歳だからここにレスしたらだめなのかもしれないけど・・・
>>828さんのを読み出てきました
明日は私を妹のように可愛がってくれた従兄(31歳)の49日です。
実家から5分くらいのところに住んでいた従兄は、男ばかりの兄弟で、
俺の妹は私だと可愛がってくれていました。
不慮の事故で10日間、脳死状態が続き、自発呼吸ができず機械で呼吸をしていました
それでも私は帰ってきてくれると信じていました。
毎日時間が経つごとにつらい気持ちが大きくなります。
毎日病院に行って、臨終の時も行ったのに、不思議と病院からお葬式までの従兄が
思い出せません。思い出すのは、小さいときに遊んでくれたことや、
従兄の口癖、去年の私の結婚式、旦那に
「俺の妹、絶対に絶対に大事にしてやってくれ」と涙ながらに言っていた所。
旦那と喧嘩した私にたまたま会って、私の顔がつらそうだからと、
テイクアウトで頼んでいた夕飯のチキンを自分の分は我慢して私に持ってきてくれた顔。
親戚が従兄のお参りの為に集まってお酒を飲んでいても、
そこに従兄がいないのが不思議で悔しくて涙が出ます。
835 :
834 続き:03/01/22 11:46 ID:onpHjWrW
親戚が従兄のお参りの為に集まってお酒を飲んでいても、
そこに従兄がいないのが不思議で悔しくて涙が出ます。
昨日も旦那と出かけていて、一緒に釣りに行った話しになり、
思い出し号泣・・・今も号泣・・・
従兄の棺桶には、火葬場の人には内緒で釣竿を入れました。
お骨上げのとき、うまくどこかに引っかかって、その竿が斜めになっていました。
たぶん三途の川で釣りをして、大きい魚がかかっていたんだろねって
みんな、泣きました。
今私の目の前では、脳死状態になる前日の従兄が写真の中で笑っています。
友達の家で、お酒を飲んで騒いでいる従兄です。
私の心に居る従兄そのまんまの笑顔です。
最後の従兄の写真だからと友達がくれたものです。
836 :
834 続き:03/01/22 11:53 ID:onpHjWrW
何十年かしたら、そっちに行くから、またいっぱい私と遊んでねと
従兄に言いたい・・・・
でも、それまで待てないから、生まれ変わりが本当にあるのなら
私のお腹で育って産まれてきてください。
今まで私にくれた愛情、今度を私がしっかりあげる!!!!
長文ごめんなさい。
落ち着きました。
837 :
大人の名無しさん:03/01/22 12:01 ID:bXTELrV6
もう7〜8年前に母方の祖父を亡くしました。
段々と痩せ細っていき最後はICUでした。
そのICUは2人ずつしか入れないため、みんなで交互に祖父の顔を見に行って
いたのですが、そのときは丁度私一人。だから言ってしまったのです、
「こんなたくさんのチューブに繋がれ、のども切られて流動食を流し混まれて
話も出来ず、痛みや床ずれで苦しんでいるよりは早く楽にしてあげたいよ」
死んで欲しいという意味ではなかったけれど、それまでほとんど無反応だった
祖父が私の手を握り返したのです。
聞こえてないと思っていました。呼びかけにもほとんど答えず意識もあまりなかったから…
あの後から、お見舞いにとても行きにくくなって、今まで週に4〜5回も行っていたのに
それから亡くなるまでの10日間に1〜2回しか行けませんでした。
祖父がどういう意味で手を握り返したのか今でも考えるし、申し訳なかったと思います。
838 :
ギコ会社:03/01/22 12:22 ID:mec15O6f
>>837 たくさんお見舞いに行ってあげたんですね。漏れなんか祖父が亡くなる
半年くらい前しか行って無いので恥ずかしいデス。
手を握り返した理由ハ、お見舞いに来て貰い嬉しかったに決まってますヨ。。
839 :
大人の名無しさん:03/01/22 15:53 ID:ODS3KUlh
もう何もかも終わりです.
大切な人にこんなに
嫌われてしまうなんて。
嫌われるというよりは、
憎まれているのかも。
また、昔の様に一人ぼっちの
私になってしまう。
誰も私を必要としていない。
さようなら。
840 :
大人の名無しさん:03/01/22 16:58 ID:bUDWxO1q
どしたんどしたん?
このスレ読ませてもらって、弟のことを話したくなりました。
よかったら聞いてやってね。
今から10年以上前、ファミコンがスーパーファミコンに変わる頃。
弟は交通事故で亡くなった。漫画家デビューしてようやく可能性が見えてきた頃で。
最初はエロ漫画ばっかりだったけど、絵柄で注目されて、大手の出版社とかパソコンゲームのキャラデザとか。
ようやくがんばった成果が出てきたところで。
その頃おれはファミコン雑誌のライターやってた関係でゲームのシナリオまかされてた。
弟は早朝ようやく借りて近々実家から出て住むはずだったアパートに、郵便物を見に行く途中だった。
とてもあっけなかった。
もちろん葬儀の時も、そのあとも悲しかった。でも、友達とかから励まされて、おれは仕事に戻った。
ある日、泊まり込みで仕事をした時。上司から借りたカセットテープが好きな懐かしめの特撮の
音楽集だった。聞きながら夜中、一人で仕事していたら。
ミラーマンのエンディングが流れた。歌詞を書かせてくれ。
きらめく 夜空にひとつ
平和の誓いを さけぶ
正義の剣を ぬくぞ
力を あわせて
ミラーマン
ミラーマン
進め! 光の中
とべよ 宇宙のカベ越えて
はてまでも
夢を育ててかけめぐる
行け! オー ミラーマン
涙が止まらなかった。悲しかった。
兄弟を失うって、無念ってこういう事かと、思った。
あんなに頑張ったのに。あんなに夢を持っていたのに。
あいつ、ようやく、手が届くはずだったのに。
この歌を聞くと、思い出す。
・゚・(ノД`)・゚・・゚・(ノД`)・゚・
皆、生きてるといっぱい辛いことあるね。でも頑張るしかない。
大事な人を亡くしてしまったあなた達は、本当に悲しい想いをしただろうけど、
以前私が読んだ本に書いてあった言葉を思い出しました。
家族や大事な友達を亡くした人は、辛くて仕方ないけれど、先に亡くなった人は
「誰もがいつかは行く場所」に、ほんの少し先に行っただけなのです。
あなたもいずれ必ずそこへ行くので、絶対にまた会える。悲しまないで。
私はこれを聞いてから、ちょっとだけ心が軽くなりました。
・゚・(ノД`)・゚・・゚・(ノД`)・゚・
844 :
ベチャ:03/01/22 23:48 ID:W1zbe7ek
>>828へ
歯を食いしばって生きろ!そして幸せになれッ!
みんな みんな 毎日の小さな幸せを大事にしよう
誰かに愛されたこと 誰かを愛したことは
全部 消えない 大切な宝物
愛される幸せを知ったら 誰かを愛することで
亡くなった人の深い想いを 繋げていこう
辛い気持ちを無かったことにしなくていい 泣いていい
辛い時期を生き抜いた人は そんな自分を誉めてあげよう
泣きながら 笑いながら いつか少しずつ幸せになろう >all
妻と俺の不倫相手の彼女の誕生日が重なった
彼女とは食事をして、LVショップで好きな物を買ってやった
妻にはオークションで見つけた、スズランの花を自宅に届けさせた
会社に妻から電話があり、受話器を取ると
その横で2歳になる娘がはしゃいでいる声が聞こえた
涙声の妻・・ありがとうを言いたかったと話して切れた
ごめんな
847 :
大人の名無しさん:03/01/23 10:57 ID:MzrxQWN5
>>846 気持ちはわからんじゃないが、
悪いこと言わん、早く不倫はやめれ。
取り返しのつかなくなる前に。
余計なお世話、スマソ
不倫男がばかみたいに酔ってるよ
真摯に誠実に生きてる人が死んで
ばか不倫男がのさばる世の中とは、ほんとうにそれこそ
涙が出るほど理不尽で不公平な話。
>>846 奥さんと2歳の娘さんがかわいそうだよ。
奥さんは娘さんの相手してくたくたなのに
あんたは愛人と遊んでていい身分だよ。
あんたはサイテーな男だよ。
せっかくの良スレがあんたのせいでぶちこわしじゃ.
851 :
大人の名無しさん:03/01/23 11:44 ID:wBNr9mwW
LV=ヴィトンでよろしいの?
センスの悪い女と付き合ってんなー。
ていうかその前に止めろよ。ダサダサ
肩を持つわけじゃないんだが。
846はオークションで適当に見つけた物とも知らずに
純粋に感謝の気持ちを伝えてくれた奥さんの声、そして娘の声を聴き、
自分の愚かさに気がついたんだよ、きっと。
でなけりゃ逝って良し。
>>846の「ごめんな」が真剣であったと思いたい。
仮にごめんなが口先だけで
>サイテーな男だよ。
なら、このスレでは議論の余地なし。スルーしようじゃありませんか。
せっかくの良スレですから。
854 :
泉ピン造:03/01/23 17:36 ID:yCcNkv42
ささ、次の泣いた話、愚痴でもいいよ。きぼんぬ。
書くだけで多少かもしれんが気が紛れるかもしれんし、後悔してる気持ちも
やわらぐかもしれん。
っつ〜かおいら、
>>839さんのその後が激しく気になるのだが...。
ま、まだ生きてる、よ、ね?ね?
祖父が入院してる病院にお見舞いにいった。
母がお見舞いのあとに服を買ってくれるっていってた。
まだ中学生だった私は、ガンだなんて、助からないなんて
知らなかったんだ。
30分もいなかった。おざなりのお見舞いだったよ。
はやく買い物に行きたくてうずうずしてたの、きっとじいちゃん
気付いてたよね。
次の日、学校に電話があって、駆けつけた時にはじいちゃん亡くなってた。
大事に大事にしてもらったのに、何もかえせないでごめん。
服買いになんかいつでも行けるのに、あの日に行かなくても
よかったのに、もっとじいちゃんと色々話すればよかった。
ごめん。じいちゃん。ごめん。
今、ほんとに色々話したいよ。
ほんとにごめん。ごめん。
>>856 あなたの気持ち、きっとおじいさんに届いてるよ。
ちゃんとわかってくれてる。あなたを見守ってくれてる。
そんなに自分を責めないでね。
>>856 お見舞いに来てくれたってお爺ちゃんきっと喜んでくれたよ。
顔を見せてあげられたって事で、あなたはきっと良いことしたんだと
思います。あまり思いこまないようにね。
859 :
大人の名無しさん:03/01/24 03:00 ID:40MVfBRK
860 :
859:03/01/24 03:02 ID:40MVfBRK
ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。
披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。
一通りの祝いの言葉の後に、
自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。
自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には苦労を
掛けていると思う事。
たとたどしくですが話されました。
同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが、段々背筋が伸びていき
神妙に聞き入っていました。挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」
と尋ねると、新郎は小声で「大和です」
それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。
おじいさんも見事な答礼を返されました。
861 :
859:03/01/24 03:03 ID:40MVfBRK
「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。
きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、
災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。
どうか、耐えてもらいたい」
(吉田茂、昭和32年2月、防衛大学第1回卒業式にて)
862 :
859:03/01/24 03:05 ID:40MVfBRK
1942年の5月31日から6月1日にかけて行われた特殊潜行艇のシドニー港潜入攻
撃作戦の折り、出撃した3艇のうち2艇は防潜網にかかり自爆、もう1艇は敵の
猛攻撃の前に湾内奥に追いつめられ自爆。乗員4名は戦死した(もう1艇は湾か
らの脱出には成功したがその後行方不明)。
この大胆不敵な作戦は濠州の人々の心胆を寒からしめたが、
特殊潜行艇隊の勇猛果敢な戦いぶりにいたく感銘を受けた豪海軍は、
4名の海軍葬を執行。弔銃斉射も行うという、
敵国軍人に対して異例なまでの丁寧さであり、遺骨は交換船で日本に返還 された。
6月4日、松尾艇、翌5日に中馬艇(海軍中佐中馬兼四)を
引き揚げると共に、艇内から収容した四勇士を6月9日、
海軍葬の礼を以って弔ってくれた。
この時、敵国軍人に対する海軍葬について非難の声が挙がったが、
シドニー地区海軍司令官ムアーヘッド・グールド少将は
『勇気は一特定国民の所有物でも伝統でもない。これら日本海軍軍人によって示された勇気は、
誰によっても認められ、かつ一様に推賞せらるべきものである。
これら鉄の棺桶に入って死地に赴くことは、最高度の勇気がいる。
これら勇士が行った犠牲の千分の一の犠牲を捧ぐる準備のある濠州人が幾人いるであろうか』
と全国にラジオ放送して反対の声を制し、海軍葬を執行したのである。
戦後、濠州海軍は松尾艇、中島艇を切半して一艇とし、首都キャンベラの
オーストラリア連邦戦争記念館に安置、御遺品と共に丁重に展示している。
「この勇気を見よ!」と説明が特筆大書され、内外の参観者に大きな感銘を与えているとのことである。
863 :
859:03/01/24 03:08 ID:40MVfBRK
<続き>
昭和43年4月、中佐の母は濠州へ答礼感謝の旅に出る。
83歳の老母は「訪豪に当たりて」の一文を草した。
『昭和17年5月31日、貴国シドニー港内にて戦死いたしました
松尾敬宇の母でございます。当時、戦時中にもかかわらず、
世界に例を見ぬ海軍葬の礼を以て厚く葬っていただき、
その上遺骨は日章旗で覆い、丁重に遺族へ届けていただいて、
10月9日、鎌倉丸(戦時交換船)横浜に着くや全国民の感激は
とても言葉に尽くせませんでした。(中略)
ただ貧しい老いの身をかこちながら年ごとの5月31日は
遥かに貴国を拝し、感謝合掌しておりました。この度はからずも、
松本先生(地質学の泰斗松本唯一博士)始め多くの方々の
御尽力を戴き、貴国を訪問、御礼言述べ得ますことは、
こよなき喜び、かつ光栄に存じます。』
とつ国のあつき情けにこたえばやと老いを忘れて勇み旅立つ
母まつ枝刀自は会う人の全てを魅了する玲瓏玉の如きお人柄で、
その上、素晴しい歌人でもあった。
訪豪の十日間、“勇士の母”として濠州は海軍をはじめ朝野を挙げて、
あたかも国賓を迎えるごとく歓迎した。
864 :
859:03/01/24 03:10 ID:40MVfBRK
一行は中佐ゆかりの戦跡を巡るが、狭い湾口を見詰めた母は
「よくもこんな狭いところを‥‥‥母は心から誉めてあげますよ」とつぶやき、
湾内では戦死した6名の勇士の名を心に叫びながら、故郷の押し花、色紙と日本酒を海にまいた。
湾内を見下す断崖からは、中佐の許嫁だった女性から託された和歌二首を記した紙片を海に投じた。
その人の真情が母の手で手向けられたのである。中佐への何よりの供養であったろう。
連邦戦争記念館では、中佐の御遺品の数々に涙を注ぎ、愛艇を撫でさすり、
菊池神社の神酒と花輪を供えた母堂は、
愛艇を撫でつつおもふ呉の宿名残りおしみしかの夜のこと
と、吾子に添い寝をした最後の夜を回想する。そして館長からは、中佐が最後まで締めていた
血染めの千人針などの御遺品が返却された。
一行の行く先々に大勢の記者が待ち構えていて、新聞は母堂の各地での写真と詠歌を
トップ記事で競って報道したため、濠州国民を感動の渦に巻き込んだ。
昭和55年(1980)1月24日、母は95歳の一生を終えた。27日の葬儀には、
中佐の忠烈を讃え、母を慕う400余人が辺鄙(へんぴ)もいとわず全国から参列。
オーストラリア大使館からの弔電をはじめ、霊前には数々の弔辞が述べられ、
詩吟、和歌などが献詠されて、葬儀は3時間に及んだという。(おわり)
ヾ(゚д゚)ノ゛で?
コピペでしかもこういう話は反則だろー
と思いつつつい涙してしまう…
もうトシなんだよー許してくれよー
856です。
>>857>>858 ありがとうございます。
10年以上感じてきた罪悪感はなくなることはないけど、
おふたりの言葉で救われたような気がします。
今しか言えない、今しか会えない人って絶対にいると思います。
じいちゃんが亡くなってから、
あのときこうしていれば、っていう後悔をせめて少なくするために、
他人に優しくなったような気がする。それまですごい反抗期だったけど。
みなさんも、ご家族や大切な人に、
ちゃんと感謝の気持ちとかその都度言葉にして、
いざというときに後悔の少ないようにしてほしいな
と思いました。
868 :
大人の名無しさん:03/01/24 10:33 ID:D0MZEHSP
戦争モノはやめてね
つまんないから
>>859 泣けねーな・・・。吉田茂まで引っ張って(w
不倫オヤジの繰言といい、泣けねーよ。
870 :
大人の名無しさん:03/01/24 11:54 ID:YJzFHzVc
>>859 軍事板かハングル板の住人か?
すれ違いだから止めれ。
さいたま、さいたま、やっていいですか?
874 :
感動した!:03/01/24 22:36 ID:5VeznuNa
大人の名無しさんの、お爺さんが胃を切ってしまった話。俺、これ見てめちゃくちゃ
感動した。お爺さんの冥福を心から祈ってるよ。この話をのせるのもとても勇気のいる
ことだったと思う。大人の名無しさんもこれからいろいろがんばってな。俺、
応援してるよ。
昨夜のNHKのドキュメンタリー「父ちゃんを忘れない」
泣いてしまった。
>875
とうちゃんは家族より他の人の関係を重んじたんだよね。
自殺はいけないよ!自殺は!
877 :
大人の名無しさん:03/01/26 12:31 ID:wsuFHOtt
age
保守
このスレを見つけたのが約10日前。
どうせならとパート1から読み出してやっとここまで来た。
ここに書き込んで下さった皆さんの辛さを思うと何度も涙した。
なかでも、ハム太郎が大好きだったお嬢さんを亡くされた方のお話、
それから、同じくハム太郎の映画を楽しみにしていた姪御さんを亡くされた方のお話が
頭から離れない。何度も読み返しては無意識のうちに舌打ちをしていた。
俺にも同じ年頃の娘がいるからだろう。
今日仕事で外出した時、どこからともなくハム太郎の歌が聞こえてきた。
このスレを思い出し涙が滲んできて、思わず空を見上げた。
そのとき俺の頭の中にこんな情景が浮かんだ。
お嬢さんたちが雲に座って、仲良く手を繋いでハム太郎の歌を歌っている。
元気よく、二人で顔を見合わせてリズムを取りながら、輝くような笑顔で歌っているんだ。
こんな事書くと頭がおかしいんじゃないかと思われそうだが、
ほんの少し気持ちが軽くなった気がした。
880 :
大人の名無しさん:03/01/30 11:28 ID:GsDzd/Ho
>879
そうだね。二人で仲良く歌ってたらいいね。(涙)
881 :
a:03/01/30 22:36 ID:InQHK7HO
a
>>879 オイ! 思わずオレまで思い出し泣きしちゃったじゃないか!
どうしてくれるんだよ・・ 。・゚・(ノД`)・゚・。
883 :
大人の名無しさん:03/01/31 08:54 ID:BbIZ33LY
映画板からきました
知らなかった こんなスレがあったの
もしかしてsage進行なんですか?
特にsage進行ではないけれど、必要となったら必ず誰かが書き込んでくれるから
「保守」とか「age」とか書く必要はないです。
もしよかったらこちらへ来るきっかけになった映画版のスレッドを
教えていただけませんか?
885 :
883:03/01/31 13:13 ID:BbIZ33LY
886 :
大人の名無しさん :03/01/31 15:51 ID:5MfqHi0N
今年の正月に久しぶりに幼なじみの女友達が帰省し、一緒に飲んだときに聞いた話。
彼女の家は大きな果樹園で普通に育ったのですが、ただ一つ父親が吃音(どもり)気味でした。
しかしそんなにひどいわけじゃなく
「よ、よ、よくきたな、あ、あ、あがれ、あがれ」
文章にしてもうまく伝わらないが、それを早口で言う感じ。
俺なんかは近所だったんで子供のころから可愛がってもらっていて全く気にしたことなんか無かったし、
表現はおかしいかもしれないが口癖ぐらいに思ってました。
それでも彼女は自分の父親のそんな話し方をかなり気にしていたそうです。
同性に対しては特にそうで、友達は普通にいても父親の話を聞かれたくなく、
家につれてくることは全くありませんでした。
そういうのは何となく伝わるもので彼女が中学、高校と成長するごとに溝も大きくなっていきました。
お父さんは本当はものすごくおもしろい人で俺がリンゴを買いに行ったときなど
「ひゃ、ひゃ、ひゃく、100円でいいぞ。い、い、今のは、に、に、200円て意味じゃないぞ」
と自分がどもり気味なのを逆手に取って笑わせてくれるような人でした。(伝わるかな)
彼女は高校を卒業して都会に就職が決まり家を出て一人暮らしを始めることになりました。
そのころ父親とは話をすることはほとんどなくなり、お父さんもそのころは元気がないようでした。
旅立ちの日、駅のホームには何人かの友達も見送りにきていたせいかお父さんはかくれるようにしてたそうです。
しかし、いよいよ出発のブザーが鳴り扉がしまった時、後ろからお父さんが友達をかきわけて一枚の紙を見せました。
それには墨で「ガ、ガ、ガ、ガンバレ」と書いてあったそうです。
俺はそれを聞いた瞬間「うっそー?」と言いながら爆笑しました。
でもそのうち何でか泣けてきてしょうがなかった。
素直に「ガンバレ」って書けばいいものを、照れ隠しに文章までどもって見せた気持ち。
でもそれでまた娘を怒らせると思い、なかなか渡せなかった気持ち。
その話を聞いて二人で泣き笑いしてました。
ちなみに彼女のお父さんは今も元気です。
>>886 おちゃめでかわいい親父ですなあ。
なんか、ほのぼの〜というか、心がほんわか暖かくなるようなお話でした。
自分の障害をネタにして、逆にプラスにしているところなんか、ただ者ではない。
こういうプラス思考で生きていきたいもんです。
>>886 ほんとだねー…ほんとにいいお父さんだ。
嗚咽というより、じんわりと目が潤んでくるよ。。。
890 :
大人の名無しさん :03/01/31 22:06 ID:407R+DS0
>>886 イイ!
ホントじんわり泣ける。
俺も酒のんじゃうぞ。
10年会っていなかった父親に会ってきた。
父は69歳。胃癌だ。一昨日手術した。6時間の大手術だった。
気付いた時にはもうガン細胞はリンパ節に転移し、全身に散っていた。
手術が成功しても半年から1年の延命らしい。
父は現役で働いていた頃、給料のほとんどをギャンブルと酒に注ぎ込み
家族を殴るのが趣味のような人物で、私は上京してから
冠婚葬祭など特別なことがない限り、実家には戻っていなかった。
久しぶりに見た父親は、しょぼくれた小さい老人で
声もかすれて話をよく聞き取れない。
待ち時間、母と弟二人で待合室のテレビを黙って見た。
手術を受ける他の患者の家族が、途中入れ替わり立ち代りする。
皆、ほとんど無言だ。
食道癌の手術を受ける女子大生の娘を
一人でぽつんと待つ女性とは当たり障りのない話を少しした。
手術が終わり、ほんの少し面会を許された父親は
呼吸をするのがやっとの状態だった。
酸素を吸入し、傍らには点滴の袋が3つ下がり
口と腹から伸びている、胃に溜まった血を抜くためのチューブからは
赤いものが少しずつ抜けていく。
「よく頑張ったねえ」「お疲れ様」のあと
どう言葉をつなげていいのか分からず
「一番大変なのはこれで終わったから」と言ったが
実際そうかはわからない。むしろそうじゃないかもしれない。
その後、家族でお好み焼屋に入って昔話をした。
疲れとビールの酔いもあってか、内容は父の過去の行状に対する愚痴ばかり。
とっぷり夜も更けた頃、ひどく冷える県道を歩いて家に戻った。
田舎のことで街灯もあまりなく、星が綺麗に見える。
すると後ろから鼻をすする音がいくつも聞こえてきた。母親らしい。
それは少しずつ、しゃくりあげるのを抑えるような調子へと変っていった。
あえて振り返ることはしないで、そのまま家路を急いだ。
隣を歩く弟はうつむいていた。
昨日、家に戻ってから、何も手につかない。
かといって黙って寝転がっていても
何かに気持ちが急かされて、じっとしていられない。
涙は出ない。悲しいのかそうでないのかも分からない。
手術前のあの時、もう少し耳を凝らして
父が何を喋ったのか、聞き取っていたら良かったような気がする。
でも何もかもまだ、これから。
893 :
891:03/02/01 00:02 ID:hYMan6wC
辛くなったり迷ったりしたらここにおいで。
家族にも友達にも言えないことがあったらここにおいで。
一人で頑張り過ぎちゃいけないよ?ね?
895 :
891:03/02/01 09:01 ID:WeG30yjb
>>893 ありがとう。
まだ動揺が収まらないので何とも言えないけれども
これからのことで、また何かあったら来させてもらいます。
母子家庭で育った俺をいつだって気にしていてくれた祖父。
小学校低学年の時には、土曜の午後にわざわざ家に来てくれて面倒を見てくれた。
運動会が雨天延期になり、母が来れない時には、わざわざ運動会に応援に来てくれたっけ。
大学に合格し、関東から関西に移り住むことが決まったときに、親族の中で母以外に賛成してくれたのも祖父だけだった。
俺が、遠く離れた地で辛い思いをしないように、母に内緒で仕送りまでしてくれていた。
けど、祖父は、俺が大学二年のときに、亡くなった。
そんな祖父の口癖は「おまえは一人しか居ない息子なんだから、母親に心配をかけるな」だった。
その祖父の言葉があったためか、祖父の葬式中慟哭する母を見ながら、俺は涙ひとつこぼせなかった。
それから一年ほどたった夜に夢を見た。
祖父が亡くなって、建替えられたためにすでに存在しない祖父の部屋。
そこには俺と祖父しか居なかった。
祖父は、俺の頭をなでながら「お前の仕送りを増やそうと思うんだ。本を買うのに金は必要だろう」そういってくれる。
おれは、泣きながら「年金で暮らしてるんだから、そんな無理しなくていいよ」そう言っていた。
そんな俺を祖父は抱きしめてくれた。
頬にかかる冷たい感触で目が覚めた。
そんな夢を見たことを母に告げると、「おじいちゃんね、お前のためにお金を貯めていたんだよ。結局、お前の名義にする前に亡くなって、遺産分配で争いたくなかったから、手放したけど。おじいちゃんは、お前のことをいつだって気にかけていたんだよ。」
そんなことを聞いて、また涙が出てきた。
時を経て、人に話せるかと思って、ここに書き込もうとしたんだけど涙が止まらない。
おじいちゃん、俺がんばってるよ。だから安心してくれよ。
長文すまん
>>896-898 いいお祖父ちゃんだね。
墓参りには必ず行こうね。
いい話をありがとう。
>>896 あなたのお祖父さんが「何故あなたを可愛がったか」なんて
理由を考えなくていいと思うよ。
その期間の長い短いに関わらず
あなたのことを可愛がって気にかけてくれたという
”事実”こそが何よりも大事なことだから。
今でもきっと、あなたのことを見守ってくれてるよ。
ずーっと気に懸けてくれてる。それに恥じない生き方をして、
いつかあなたも誰かにそんな風に無償の愛をあげられるような
強い人になったら、おじいさん嬉しいだろうなあ。頑張って!
902 :
大人の名無しさん:03/02/03 10:10 ID:eC2F1Cmc
>>896 朝から涙ぼろぼろっす。いいお祖父ちゃんだ〜
この間、親父が定年しました。
あまり親父とは上手く行ってなかったので
特に親父の為にイベントを催すことなく、普通に残業して帰宅しました。
帰宅して居間を覗くと、物凄い量の花束があったんです。
多分職場で貰ってきたんでしょう。
その花束を見たら涙が止まんなくなっちゃて。
親父へ、いままでご苦労様。ありがとう。
こんな馬鹿息子だけど出来るだけ親孝行するよ。
>903
言葉にして「お疲れ様でした」って言ってあげなよ。
きっとお父さん喜ぶよ。
妻や子供を食わせるために働いてくれてたんだもんね。
半端ではない田舎と貧乏がイヤでイヤで、高校卒業してすぐ家を出た。
最初の頃は盆暮れには帰省してたけど、めんどくさいのと家族内のいざこざに目を向けたくないのがあって
帰る頻度はどんどん減っていき、一番最近帰ったのは三年前の正月。
それきり全く親とは顔を合わせていない。
今回も正月休みはほとんどひとりで過ごした。でも実家に帰るよりはいいと思った。
紅白歌合戦を見てる時、そういえば父も今ひとりでこれ見てるのかな、と
(母はパートに出ておりその時間には帰ってない筈なので)ふと思った。
父は紅白をいつもとても楽しみにしており、大晦日の朝、いそいそとラテ欄をチェックして
自分が知らない若い歌手やバンドの名前についていちいち「何て読む?」「何人組だ?」と聞いてくる。
番組が始まってからも「この人は何でこんな変な衣装着てるんだ?」など
私に聞いても仕方ないことまでいちいち問いかけてきた。
そのくせ楽しみにしてた筈の大御所演歌歌手が出る頃にはお酒に酔って寝てしまってたりする。
毎年半ばうんざりしながら答えていたが、そういう父がすこし可愛くもあった。
ここ数年はそんなことすら忘れていた。
あ〜、お父さんキックザカンクルーなんて絶対読めないだろうなあ。
ガクトを見て「こいつは男か女か?」って思ってるだろうな。
「やっぱり一緒に見たかったな」と思ったとき、
お父さんのいちばん好きな北島三郎が出てきた。今頃はもう寝てるかな。
♪帰ろかな 帰るのよそうかな…
サブちゃんのその歌を聴きながら私は泣いていた。
子供の頃はとても大きいと思ってたのに、見るたびに小さくまるくなっていく父の背を思って泣いた。
ひとりでこたつに入りコップ酒を飲んでるであろう父を想像して泣いた。
ああ私は親不孝な娘だな、と遅まきながら初めて深く深く反省した。
母の体調もよくないのもあって、もうすぐ仕事を辞めて実家に帰ることにしました。
あちらではネットもできない可能性が高いので、最後の思い出に書きました。
このスレ大好きでした。みなさんどうかお元気で。またここでお会いできるといいですね。
>>903 その花束の量だけ、職場の人からも信頼されてたってことだね。
あなたが仕事で行き詰った時には親父さんに相談してごらん。
親父さんきっと喜ぶよ。それに、良いアドバイスもしてくれるだろうしね。
それだって立派な親孝行だよ。
>>905 最後って言わないでくれ。
俺も中年の層に両足どっぷり漬かるようになってから、
最後とか 別れとかって言われると暗くなる・・・
なんとしてでも、あらゆる手段を総動員させて絶対帰ってきてくれ!
約 束 だ ! !
ご両親を大事にしてくれな。。。
908 :
大人の名無しさん:03/02/04 00:21 ID:sAVmilsu
>>906 >見るたびに小さくまるくなっていく父の背を思って泣いた。
うちの父もさ、実家に帰るたびに小さく老いていってるんだよね。
あなたの一文に父を重ね泣いてしまった。
今年の正月は帰省できなかったから、近々帰ろうかな。。。
909 :
:03/02/04 00:30 ID:oVBn8VmA
どうしたら
みんなのように
おやにたいしてかんしゃのねんを
もつことができるようになるのかな
にくしみをいっしんにうけてそだっても
かんしゃしないといけないのかな
わたしのきもちはこわれちゃってるって
いしゃのせんせいがいってた
でもあのひとがわたしを
このよにうみおとしたことに
かんしゃしないといけないの?
あのひとじゃなくて
「おかあさん」
がほしい
910 :
大人の名無しさん:03/02/04 00:48 ID:/yTPQd3f
北島三郎の歌の話で思い出した。
娘が卒園の時に「おかあさん」っていう歌を唄ったのだけど、
おかあさんが 待っているから
うさぎになって 飛び跳ねて行きたいなぁ
おかあさんに 抱きついて
お話したいの あのこと
二人きりで 聞いて欲しいの
わたしの秘密〜
と続くのだけど最初の、待っているから〜のフレーズでもう駄目。
一人で唄ってみてもいつの間にか涙が出て来ます。
卒園式で泣ける歌と唄わせるのはある意味反則ですね。
いつまでも思い出は残りますが・・・。
>>910 この歌知らないけど、歌詞読んだだけでウルウルしてきた。
娘、幼稚園を卒園した時に、卒園証書と一緒に、園の先生が
お母さんやお父さんにお手紙を書いて渡しなさいって言ったのね。
で、卒園証書と一緒に私に手紙くれた訳よ。
それには
「おかあさん まいにち ようちえんまでおくってくれてありがとう
びょうきのとき くすりのませてくれて ありがとう
おいしいおべんとうをつくってくれて ありがとう
かゆいときに せなかかいてくれて ありがとう(娘、軽度のアトピー) 」
って下手な字で書いてあるんですよ。もう涙ボロボロ…。
私はよその子の卒園式・卒業式でも、泣ける!自信を持って言える!
とにかくあの雰囲気に流されて、号泣してしまう。。。
微妙にスレ違いなのでsageます。
912 :
903:03/02/04 18:02 ID:Te1+BNzO
今度、親父とお袋を私の行きつけのおでん屋に連れて行ってあげることにしました。
俺のオゴリやから沢山飲んで食ってくれ。
店が混むのが嫌で誰にも教えていないとっておきの店屋から。
スレ違いsage
913 :
(; ゚∀゚)y─┛~~:03/02/04 19:22 ID:mRtRLG26
>>909が軽くスルーされてるのにワロタ。
まあ相手にする価値もないんだけどね。
本当に虐待されたり、憎悪されたことのない
甘ったれた身勝手な女子高生のメンタリティってとこかな。
>>913は
>>909にレスを促そうとしてるんだね。いい人だ(w
気になってるけど簡単にレスをつけられないと思ってる人はいるんじゃないかな。
自分にも母親はいるけど909と同じように「お母さん」じゃないよ。
今は無理しないでこわれちゃってるきもちを
お医者さんと時間をかけて治して下さいね。
>>912 今の季節、おでん専門店か...うまそうだな。
これから気負いなく気軽にいける関係になるといいね。
>>913 このスレの本質は
>>5にあると思う。
スレが付くか付かないかは問題じゃないよ。
>>915 全くその通りだ。
>>909を見たとき とっても気にはなったんだが、
俺にはちょっと重すぎて、言葉のかけようがなかった。
すまん。
俺は909の気持ちが痛いほど良くわかるんだが。
>>909 辛いんだろうな。だけどね、あなたの辛さは、あなたしかわからんのよ。
913のようなレスが付くのも仕方ない。もしかしたら913はあなたより
よっぽど酷い地獄をみて育ったかもしれない。
自分の生い立ちを他人に理解して貰う事は本当に大変なんだよ。
憎けりゃ憎めばいいと思う。そうしないと、あなたの心のバランスが
とれないんじゃないかな。
笑われるかも知れないけど、俺は30代後半に差し掛かろうとしてる。
だけどね、いまだにティッシュに射精して欲しかったと真剣に思ってるよ。
理解されなくともクヨクヨすることはない。そんな育ち方をしたって事。
>911
うちの息子も字を書けるようになったときに手紙を書いてくれました。
パパ ありがとうって絵みたいな字なんだけど嬉しくて嬉しくて・・・
大事に財布にしまってあります。
>>909 >>917 子犬のような無邪気な笑顔を母に向けてる小さい頃の自分の写真があった。
どんなに母親を慕って、頼っていたかわかる。
そんな自分に母はずっと
「生まれてこなければ良かったのに。一族みんなそう思ってる」と言い続けた。
なついてくる我が子にこんなことしか言えない母も
哀しい人だと今はそう思える。
>>910 >>911 >>919 そんな風に思ったことをお子さんに話してあげて下さい。
それだけでお子さんは生きる力を持てるから。
子供が可愛いからこそ辛いということももしかしたらこの先あるかもしれない。
そんなときはどうか親だけで抱え込まないで欲しい。
921 :
大人の名無しさん:03/02/05 18:01 ID:V4MRvczu
>>909 悪いけど「私の心が壊れてる」とか「死んでしまいたい」とか
言う人には同情できない
「自分が」「自分が」と言う人には優しい言葉をかけてあげる気になれない
>>921 同情を求めていると言う考えは誤ってないかな?
>優しい言葉をかけてあげる気になれない
いいじゃないですか?黙ってれば。
>>921 >「私の心が壊れてる」とか「死んでしまいたい」とか言う人には同情できない
たしかにリアルでこんな愚痴たれていたら「このヴォケが!!」と一蹴するが
このスレに限ってはそれもありじゃないかなぁ。
現実でけして言えないことだからここでぶちまける。
同情できない人はレスしなければいいだけ(
>>922に同意)
そういうスレだと思う。
>>909はこころがこわれて辛いんだろうし
>>921はそんな人に傷つけられたのかもしれないし
921もつい909を思い出して書いてしまったのかな。
と、いうことにしませうか。
もう少しで1000いきそうですね。
つい先日、レコード(古くて恐縮)を整理中のこと。高校時代のブラスバンドの演奏会のものが出てきたので
懐かしくなって聞こうとしたら何か紙が一枚。それは亡くなった後輩の葬儀で読んだ弔辞の下書きらしき文面でした。
鉛筆の小汚い字で稚拙な文章が・・・自分の字です。
そいつは妙に彫りの深いロシア人のような顔をしたティンパニーを叩くのが上手いチビで・・骨髄の癌でした。
大学3年で発病、右足を膝から切断しても、元気に自動車免許をとりに行くんだと笑ってくれました・・病院で。
でも、私の同期だった打楽器の先輩と最後に見舞ったとき・・
『痛いよ、・・さん。もう無いんだけど足・・痛いよ。』繰り返し繰り返し・・そして『治るよね・・。』と・・。
それから一月後彼の葬儀が行われることになり、
故人と親睦の深かったバンドのメンバーの代表で葬儀での弔辞を私が書くことになったのです。
私はローカルのテレビ局で駆け出しの制作屋でしたから文章は得意だろう・・と・・。
どんな気持ちで書いたかもう覚えていないくらい昔。
いま読むと稚拙で力みかえった慣用句が並んでいます。
でも、読み返すうちに涙がどんどん出てきてしまいました。40過ぎの中年男が・・
なあ、遠藤・・もう20年も経つんだなあ。
オレも今、人工透析なんぞ受けながらそれでも仕事してるよ。
カラダがこんなで結婚もしちゃいないし、毎日もキツイ。
今夜も全身痒くて眠れそうもねえよ、定年まで生きられそうもないけどさ。
まだ、弱音吐いちゃ駄目だよな・・。オレ生きてるもんな。
楽器吹くのも止めちまったけど、今度会えたらあっちで奏ろうな。
でも、まだ先にしてくれよ。・・もう少しこの世でやりたい仕事あるからさ。
そうして、泣いたあと、少し元気が出てきました。
今、レコード聞きながら書き込んでいます。ありがとう遠藤。
長文駄筆拝謝・・・。
>>925 透析ですか。すごく辛いみたいなので頑張ってとか言えませんけど
充実した日々を送れる様に祈っておきます。
>>925 私の一昨年亡くなった弟の中学時代の友達が15歳という若さで
骨肉腫で亡くなったの思い出しました。
弟は今ごろその友達に会ってるのかな?
あと弟の元彼女悪い仲間とつるんでてシンナー瓶に入れるのに
ライターつけながらやっててそれが引火して全身火傷で
亡くなったけど弟は会えたのかな?
まだ17歳ですごく可愛い娘だったよ。
私の母を気に入ってたっけな・・・・
すまん書いてて泣いてきた・・・・・
駄文失礼しました。
あぼーん
929 :
:03/02/06 19:40 ID:6nBFHVYE
初めまして非信者です。
正直、勉強不足で皆さんの言う細かいことは
分からないです。
私の妻も信者です。
で、一つお願い 迷 惑 か け る な !
(妻へも、信者の方へも)
930 :
:03/02/06 19:42 ID:6nBFHVYE
↑間違えました。
ほんとにすみません。
ごめんなさい・・
932 :
大人の名無しさん:03/02/08 01:14 ID:YsL5xCyp
中年になると涙もろくてイカンね・・・。
933 :
大人の名無しさん:03/02/08 11:44 ID:5wA7j4kQ
初代の1の内容は私のことのようで切なくなる。
ちょうどその頃に10歳以上年上の30代の人が車の中で
私の前で泣いたことがあった。
いつからだろう。人間らしい心を忘れたのは。
私は昨年、長い別居生活の末離婚した。
別居した時点で思ったのは、私がくよくよしてはいられない、
子供の為にもしっかりしなくちゃいけない、泣いてる暇はない。
私の両親も離婚してるから、頼ることもできない。早く自立しなきゃ!
それから私と子供の、他人などかまってられない、自分達の事で精一杯という
精神的に余裕の無い生活が始まった。
それから2年、生活も落ち着き元旦那との話し合いもスムーズに進み、
正式に離婚することになった。
そしてその年のクリスマスに、私の父が孫(私の娘)に
おこずかいと、こんな手紙を私の職場まで持ってきてくれた。。
「○○(娘の名前)又お正月がくるね。じいちゃんは今年も又一人です。
○○もママと二人で寂しいだろうけどがんばっていこうな。
クリスマスには何もしてやれなかったけど、ひいばあちゃんが○○にと言って
ケーキをくれたんだってな、良かったね。
○○もひいじいちゃんひいばあちゃん事忘れずに、「ありがとう」という
言葉を忘れずに。人に感謝することも忘れちゃダメだよ。
じいちゃんは○○が元気で大きく成長していく姿を見るのが楽しみです。
また一緒に旅行しような。こずかい少ないけど何か買ってください。
ママを助けてやってな。」
事務所で嗚咽してしまった。。
今まで泣くのも我慢して、頑張って頑張って子供と二人でここまで来れた。
でも、私は人への・・ましてや身内までもへの思いやりを忘れていた。
そんな自分の情けなさと、孫宛てだけど、父から娘へのメッセージで
仕事中に2年分我慢していた涙を流した。
その後携帯メールで、「親不孝な娘でごめんなさい。
良ければいつか一緒に住んでもいいですか?」と送った。。
早くメール打つ練習して、私に返事送ってね。お父さん。
なんとか次スレをたてたいんだけど今はダメなのかな?
>>937 このスレはスローペースだから980過ぎるまでは次スレをたてる必要ないよ。
940 :
大人の名無しさん:03/02/10 00:46 ID:5l14m0Gd
岡山の山中で行方不明の幼い姉妹が発見・・・
というニュース、えっ、と思ったら残念な結果だった。
並んで横たわる二人のそばにたくさんのどんぐりが
落ちていたとか。ついこないだ3才の娘と公園で
ドングリ拾いしてきたので、何かとてもやりきれない・・・
かわいそうで、かわいそうで・・・
941 :
大人の名無しさん:03/02/10 01:09 ID:0tHCmAVA
943 :
a:03/02/10 17:52 ID:hQBKbv3i
ふめばいじゃんか!
これはおいらダメだ!
悲しすぎて切なすぎてたまらん。
神様に対する憤りみたいなのまで感じちまって見たくない。
945 :
大人の名無しさん:03/02/10 22:43 ID:2vxyqWLI
>>942 確か骨髄移植した人のHPだったんじゃなかったけ?
一度読んだことあるけど滂沱の涙。
闘病日記読むだけでも涙・涙です。
血液チームのみんなやスレで応援していた人達のことも忘れないよ。
実家のお袋から携帯電話に、久しぶりに兄貴が帰ってくると留守電が入っていた。
お袋は心なしか凄く嬉しそうだった。
もう兄貴が実家を出て行ってから8年近く経っている。
兄貴は中学生の頃から両親が宗教にはまっているのを見据えて、脱会させようと考えていたらしい。
そして兄貴が社会人になり、その意思を主張した。
そして、冬のある夜、何度目かの口論の末、大喧嘩になった。
押さえつけようとする親父と電気機器を投げつけるお袋・・・。
兄貴は投げつけられた電気ポットで頭から流血し顔半分が真っ赤に染まった。
それでも兄貴は持論を曲げようとしなかった。
兄貴はでかくて殴られても何ともないようだった、痛いという顔すら見せず、まるで空を見上げるような感じで立っていた。
まだガキだった俺も俺で「何で兄貴そんなことをゆうんだよ!」と兄貴のことをなじった。
兄貴はこっちを見て「いつか判る」といった、兄貴はそれを最後に、親父達を振り切り何も言わず荷物をまとめ出て行った。
お袋が「あの女がそそのかしたんだ」とノイローゼになり自殺未遂するまで追い込んだ、兄貴の元恋人の悪口を言った。
すぐに帰ってくると思った、でも、6年帰ってくることはなかった。
結局、俺達家族全員は兄貴が出て行ってから2年後に嫌がらせなどを受けながらも脱会した。
がしかし、兄貴は家に帰ってくることはなかった。
たまにお袋が電話をすると、あのときのことが嘘のような穏やかな口調で会話は続く・・・。
兄貴も失ったものが大き過ぎて、ここには戻ってこれないんだろうなと思った。
親父達は脱会した後、お布施やらなんやらで膨らんでいた借金に追われることになった。
当たり前のことも理解できないほど金銭感覚が麻痺させられていたようだ。
俺が高校を卒業するとき、親父達は進学させる金もなく途方にくれていた。
そんな時、兄貴から電話があり、CADの専門学校の入学金と授業料、年200万円を出してくれた。
その時、俺がお礼に会社の近くまで行ったのが、兄貴が出て行ってから始めての対面だった。
久しぶりに会った兄貴は相変わらずでかく感じた、浅草の尾張屋で食わせてもらった
特大の海老天せいろは今でも心に残っている。
948 :
つづき:03/02/11 01:33 ID:lc7KMwcW
その兄貴が6年ぶりに帰ってくる、こうして家族が揃うのは本当に久しぶりだった。
蒸し暑い夏の午後、兄貴が帰ってきたとお袋から電話があった。
俺は会社が終わると、家に戻り、車で実家に向かった。
兄貴は前と変わった様子もなく、穏やかな顔でテレビのニュースを見て、ニュースについて
あ〜でもないこ〜でもないと普通の家族の会話をしていた。
気になったことといえば、夏だというのに、長袖で、来るときは帽子を被っていたようだ、
ちょっと顔も白くなっていた、指にはバンソウコがまかれていたのが凄く違和感が有った。
兄貴が風呂に行ったとき、お袋が「おにいちゃんは、尋常性乾癬症になって体中の皮膚が
ボロボロになっちゃったんだよ」と教えてくれた。
「足と手の爪が全部はがれ落ちて、背骨と右肩と左膝と左足首と指は関節炎で腫れて曲がらなくなったって・・・
・・・かぁさん、もう死んでも償えない・・・」と泣き出した。
俺はそんなことを全く知らされておらず、それがどうゆうことか判らなかった。
兄貴は家を出てから、会社で朝から朝まで働き、睡眠は2時間だけしかとらない生活をしていたようだ。
兄貴が帰る時、車で駅まで送った。
相変わらず剛毅な兄貴のままのような気がした。
駅のロータリーで、小さくなってゆく兄貴の背中を見送るのが俺の義務のような気がして、
駅のアーケードの溢れる安っぽい明かりにさらされた後姿をずっと見送っていた。
しばらくすると、左足を引きずるような歩きに変わった。
頭で支えるように壁にもたれかかりながら財布を出し、切符を買い、自動改札に消えていった。
俺は、RX7のハンドルの間に顔をうずめ、泣いた。
兄貴の失ったもの、俺の手に入れたもの、神様が本当に居るのならこんなことは赦されないって、鼻水を垂らしながら泣いた。
>947-948
今度はお前の番だ!
兄貴を助けるんだぞ!
・・・兄弟で頑張れ!
>>947-948 浅草の尾張屋といえば
うちの妹が親と大喧嘩して高校中退して
住み込みで3年ほど働いてた店だ
様子を見に行けばいっつも混んでて大行列で
そんな身近な所にこんな話も隠れてたんだねえ...
今後はお兄さんを支えてあげてなー
951 :
大人の名無しさん:03/02/11 22:39 ID:7ZkHAtM3
>>947-948 >兄貴は家を出てから、会社で朝から朝まで働き、
>睡眠は2時間だけしかとらない生活をしていたようだ。
だから、病気になってしまったの?
>兄貴は中学生の頃から両親が宗教にはまっているのを見据えて、脱会させようと
長い精神的な負担もあったと思われ
がんがれ!!!!!!!
去年お父さんが死んだ
その事があるせいか人が死んでしまう系の話に凄く涙もろくなってたけど、さっき気づいた
この年ですでに家族が母しかいない自分に酔ってるだけじゃないのかと
いざお父さんの事を書こうと思っても言葉が出ない・・・
>955
ゆっくりと待っています
みんな頑張れ
モナカ売りに目留しますた
スマソ誤爆でした。
>>958 どこと間違えたのか禿げしくキボン(w
>959
ゆっくりと待っています
>>955 酔ってるかもしれないけど「酔ってるだけ」じゃないと思うよ
親が死んでまだ一年って精神的に不安定な状態から
抜け出せてなくても不思議じゃない。
964 :
Mr.名無しさん:03/02/13 01:53 ID:qJa7dkwf
ここいいスレだね。
ちょっと俺も書き逃げさせてくれよ。
俺は小学校のとき、学校の企画で高知に交換留学に行ったんだよな。
しかもそのときの決まりが「その土地にはその生徒だけが行く」ってことになっていて
友達は一番近くて徳島だったりして、会うことはできなかったんだ。
で、俺は海沿いの漁村の家に厄介になって、一ヶ月間そこの小学校に通ったんだ。
だけど俺はそこが怖くてたまらなかった。
笑われるかも知れないが、本物の方言を聞いたとき、それが怖かった。
特に怖かったのは、「おんしゃ」と「のう?」だったんだけど、あそこでは
女の子までそれを使う子がいたし、意味も無く俺は追い詰められていた。
965 :
Mr.名無しさん:03/02/13 02:06 ID:qJa7dkwf
厄介になっていた家は、お爺さん、お婆さん、おじさん、おばさん、
おじさんの妹、そして俺の三つ上の男の子と、おない歳の男の子がいて、
俺は大歓迎されていたのだが、どうしても俺の怖いものが言えなかった。
ある日の晩飯の席で、あまりに俺が元気がないのを心配したおじさんや
おばさん達が、俺に一生懸命話し掛けるのだが、俺はだんだん泣きそうになっていた。
そのとき、おばあさんが静かに「○○くん!あなたがこわいものが、おばあちゃんは
わかりましたよ。ここの言葉がこわいんですね?」と一語一語区切るように言った。
俺はそのとき初めて泣いた。そして泣いた俺をみて慌てる家族を尻目に
おばあさんは続けた。
「ここの言葉は乱暴ですが、みんなあなたの来るのを楽しみにしていましたし、
あなたが大好きですよ。」
何であんなもんが怖かったのかわかんないけど、それから俺はそこのおばあさんと
数日間一緒に寝た。もちろんそれから間もなく「おんしゃ」にも「のう?」にも慣れた。
思えば、あのときおばあさんにわかってもらったのがきっかけだったんだ。
もう二十年以上前だけど、あの家族みんな元気かな。
つまらんカキコでスマソ
息の長いスレだがそろそろ次スレの時期か
967 :
大人の名無しさん:03/02/13 11:18 ID:UoByDRy+
私が生まれてすぐ両親は離婚し、母の実家で祖父母、
母と暮らしていた。母は私を育てるため、毎日毎日
遅くまで残業していて、朝しか顔を合わせない日もたくさん
あった。休日は母は疲れて遅くまで寝ていて、どこかへ
連れて行ってもらった記憶もほとんどなかった。
父兄同伴の遠足や運動会も、友達みんながお母さんと
嬉しそうに手をつないでいるのを見てやりきれない気持ちに
なった。
私は手のかからない子供だったと思う。自分の感情を抑えて
「会社休んで参観日に来て。」
なんて無茶を言ったことなんかなかった。一人遊びも上手
だった。すべてに遠慮して幼い頃から敬語を使う子供だった。
968 :
大人の名無しさん:03/02/13 11:19 ID:UoByDRy+
小学校3年くらいのことだった。遠足に行った後、作文を書く
ように言われた。「五感」をテーマに書けと言われたんだと
思う。先生は、視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚を説明して
くれた。私はその中で触覚というものをテーマに選んだ。
遠足で山道を歩き学校までの道、皆2列になって手をつないで
歩くわけだが、私は列の一番後ろを歩いていた。
生徒の数が奇数だったため、私は一人で歩いていたのだが
その時、先生が来て、私と手をつないで歩いてくれた。
いつも先生が手をつなぐのはもっと手のかかる子ばかりで
私はいつも羨ましいと思っていたのだと思う。
なんだかすごくドキドキして嬉しくて、涙が前がよく見えない
まま学校に着いた。
作文には遠足の帰り道の先生の手が暖かかった、と書いたと
思う。私の作文を読みながら先生が
「手くらい、いつでもつないであげるのに。」
と震える声で言って、私の手をもう一度つないでくれた。
友達たちは私の作文に何が書いてあったか気になるみたいで
私に聞いてきたが、振り切ってトイレに走って行ってまた
泣いてしまった。
969 :
大人の名無しさん:03/02/13 15:22 ID:+0Fo04jo
ううう
その時の967さんの気持ちと先生の気持ち……
うう、涙が出るよ。
971 :
大人の名無しさん:03/02/14 07:49 ID:yk0RKF1f
朝から・゚・(ノД`)・゚・。
972 :
_:03/02/14 16:53 ID:OLDMp0Ti
もう何回目なんだろう・・・。
あんたの夢を見て、泣きながら目が覚めるのは。
今日のあんたは、いつになくご機嫌だった。
「ねえ、どうしていつも、そんな風に笑ってるの?」
前からずっと疑問だったので、今日は聞いてみた。
「だって、怒る理由なんて、何も無いでしょう?」
・・・・・。
どうもありがとね。夢の中でも、そうやって笑っていてくれて。
でも、時々は怒ってね。
本当は、もう少し頑張れるのに、今はその努力をしていない。
いつかあんたに会った時、結構頑張ったね!って言ってもらいたいから
少しづつ、いろいろと頑張ってみるよ。
私さぁ、あんたが死んで、初めてわかった事があるんだ。
大人になっても、本当に悲しい時は、子供みたいに声を出して泣くんだって・・・。
あんたに会いたくて、涙が止まらないよ。。。
会いたくて気が狂いそうだよ。
でも、頑張るね。いつか、会える日まで。
973 :
801:03/02/14 18:39 ID:2QF1g/fF
2月10日に有給休暇を取って、帰省した。
姪の四十九日に出る為に。
新幹線は、あっけないほどすんなりと着いてしまった。
家に入り、新しく買ったという仏壇の前へ。
仏壇の黒と、骨壷にかかった布の白さのコントラストで息が詰まる。
供えられた色紙の工作物。
聞かずとも姪の友達からだと分かる。
形は整っていないけど、姪のために一生懸命作ってくれたんだな、と感じる。
弟夫婦と少し話す。
姪の仏前にハム太郎グッズを供えようか、と数日前まで考えていて、
実際買ったけど、これを毎日見て生活するのは辛い、と思い置いてきた。
代わりに、知人のツテを頼んで、フラワーアレンジメントしてる方に、
ハム太郎に見えるようにしてもらった花の篭盛り(?)を持参した。
これを事故現場に供えたい、と伝え
「弟と義妹も、一緒に行かないか?」と誘った。
義妹は、事故以来あの公園に近づけない。
仕方が無い事だけど、四十九日をきっかけに立ち直らせたい。
そう弟は考えていたから、事前に相談していた。
姪の事は、忘れられるはずも無い。
でも、今は、憔悴し切った義妹を何とかしないと、というのが俺と弟の考えだった。
974 :
801:03/02/14 18:43 ID:2QF1g/fF
結局、弟夫婦と両親と俺の5人で公園へ行った。
家へ戻り、親父の実家へ、姪の遺骨を納める墓の相談に祖母を訪ねる。
祖母が10年も前に俺用に買ってくれた寺の墓地が有り、それを使わせて欲しいと頼む。
(田舎は面倒な事柄が多い)
祖母は快諾してくれ、寺との段取りもしてくれた。
月内には納骨できると聞いて、ほっとする。
その夜は、弟夫婦としこたま飲んだ。
姪よ、
お前は居なくなってしまったけど、
お前と過ごせた日々を、俺達は忘れないだろう。
今は痛みだけしか感じないけど、
時間が経てば楽しかった日々を思い出せる日が来るだろう。
そして、いつか
お前の弟か妹が出来たら、俺は同じ様に、映画に連れて行こうと思う。
霊とか来世とか信じないけど、
どうかそんな日が早く来る様に
お前の母さんを見守ってやってくれ。
ここに書いて、気持ちが整理された気がしたんで、
スレ違いかとも思ったがここに書かせてもらった。
レスくれた方、ありがとう。
Romに戻ります。
975 :
大人の名無しさん:03/02/14 21:50 ID:dcsTyUrh
>974
元気出していこうや
976 :
大人の名無しさん:03/02/14 23:21 ID:CIOuYY/p
今日は学生時代の友達の9回目の命日です。 今から思えば
大学時代は比較的時間にも余裕があったのか、たくさんの思い出があります。
毎年この日の少し前に貴女の夢をみます。
貴女のことは忘れていないから・・・日々の生活に追われてるけど、キラキラした貴女と一緒にすごしたあの時間は
大事な宝物だから・・。いつか私もそっちに行った時にはたくさんおしゃべりしようね
977 :
大人の名無しさん:03/02/15 12:08 ID:Z5xblRcX
>801さん
・・゚・(ノД`)・゚・また泣いちゃったよー。
978 :
大人の名無しさん:03/02/16 00:38 ID:LFlt5PL3
小学生の時、インコ飼っていました。
『ろくちゃん』と言う名前を付けて。確かテレビのキャラクターの名前だったと思います。
ぺちゃくちゃ色々な事を話す、かわいいインコでした。
ある日曜日、いつものように小屋を掃除するために小屋を風呂場に移動し、掃除を開始しようと
思っていたら、珍しく【ろくちゃん】が扉付近から離れようとしません。
これじゃ、餌箱も水皿も取れません。
困った俺は、餌で【ろくちゃん】を小屋の奥の方に誘導しようと思い立ちました。
予備の餌は、納戸に置いて有ったことを思い出し、取りに向かいました。
納戸の戸を開け、餌を小量手に救って納戸の戸を閉めようとした時です。
片足でその扉を押さえて完全に納戸の中に体を入れていた訳では有りませんでした。
『バシャァ〜ン』と言う音とともに、すごい勢いで戸が閉まったんです。
その日は、風が強かったのですが小学校1年生にそんな観念は有りません。
『どうしたの??』母親が飛んできて俺を見て『動くな!』みたいな事を言って
どこかに電話していました。
首が暖かいな。と思って手をやると、手には真っ赤な血。。。。。。。
それから覚えていないんです。
母親の話によると、納戸が風で勢いよく閉まり、スリガラスがバラバラに砕け散り
俺に降り注いだのだとの事でした。
そのうちの1かけらが、俺の首筋をかすめたのです。
動脈から1センチも離れていない場所を切っただけで、消毒をしてもらって家に帰りました。
しかし、俺は家に帰って泣き崩れました。
あれだけ元気だった【ろくちゃん】が死んでいたのです。
扉の前で、眠るように死んでいました。
『おかぁさん、ろくちゃんっていつ寝るの?おめめ閉じないよ』そう言って
ろくちゃんが寝るまで小屋の隣で見張っていたことも有ります。
『ろくちゃん、おめめ開けない。どうして?』って泣き叫びました。
身代わりになってくれたんだね。有り難う。
【ろくちゃん】のおかげで、俺は30歳になったよ。
忘れない。絶対わすれないから。
979 :
大人の名無しさん:03/02/16 02:07 ID:XySXhbiA
980 :
大人の名無しさん:03/02/16 05:34 ID:NG1hQo1S
次立てないとdat落ちしちゃうぞ。
983 :
大人の名無しさん:
あげ