【御同朋】浄土真宗(真宗)総合サロン67【御同行】

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1名無しさん@京都板じゃないよ
浄土真宗(真宗)系の全宗派の話題を包括して取り上げる総合スレの第67弾です。
「どうして浄土真宗では○○をしてはいけないの?」という素朴な疑問から批判・要望、
各宗派を取り巻く諸問題、教義・教説、堂宇・荘厳、全国各地の真宗寺院・念仏道場・
説教所に至るまで、ありとあらゆる話題を取り扱います。
阿弥陀如来から見ればみな罪悪生死の凡夫。楽しく語らいましょう。
浄土真宗各派の情報交換の場としてもご活用ください。

前スレ
【御同朋】浄土真宗(真宗)総合サロン66【御同行】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1367202208/
2名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/16(木) 23:16:22.43
★おもな宗派の名称・通称・本拠地など (●=「真宗教団連合」加盟宗派 ■=分派など)
●浄土真宗本願寺派<本派・西本願寺 門主:大谷光真>……龍谷山 本願寺 http://www.hongwanji.or.jp/
●真宗大谷派<大派・東本願寺 門首:大谷暢顯> …………………真宗本廟 http://www.tomo-net.or.jp/
 ■浄土真宗東本願寺派<東本願寺 門主:大谷光見>………本山 東本願寺
 ■一般財団法人本願寺文化興隆財団<(東山上花山)本願寺 門主:大谷光輪>…東本願寺東山浄苑
 ■宗教法人本願寺<(嵯峨野)本願寺・大谷本願寺 門主:大谷光道> ……………本山 本願寺
●真宗高田派<法主:常磐井鸞猷> ……………………………高田山 専修寺 http://www.senjuji.or.jp/
 ■真宗北本願寺派
●真宗佛光寺派<門主:渋谷惠照(笑子)> ……………渋谷(汁谷)山 佛光寺 http://www.bukkoji.or.jp/
●真宗興正派<門主:華園眞暢>………………………………円頓山 興正寺 http://www.koshoji.or.jp/
●真宗木辺派<門主:木邊圓慈>………………………………遍照山 錦織寺 http://www.cable-net.ne.jp/user/kinshokuji/
●真宗出雲路派<管長:藤光永>……………………………出雲路山 毫摂寺 http://www2.ttn.ne.jp/~izumoji-ha/
●真宗誠照寺派<法主:二條秀瑞>……………………………上野山 誠照寺 http://www.jyosyoji.jp/
●真宗三門徒派<門主:平光顕>………………………………鹿苑山 専照寺 http://www.shin.gr.jp/shokai/209.html
●真宗山元派<法主:藤原光教>………………………………山元山 證誠寺 http://www.shin.gr.jp/shokai/210.html
※「真宗教団連合」公式HP http://www.shin.gr.jp/main.html
3名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/16(木) 23:17:03.38
お前の自作自演の場になるだけだろw
4名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/16(木) 23:40:19.11
<現在の浄土真宗の教えまとめ>

・念仏者は身が滅んだ後は「魂神精識」が浄土へ往生する。
・真宗念仏の証得は現生正定聚であるため、現当二世の利益を得る。
・阿弥陀如来は法性法身であり、方便法身。真理でありつつ、私達に働きかけている。
・念仏者は既に信心を得たもの未だ得ないものに関わらず真化さまざまの浄土へ往生し、
 たとい化土に生まれても必ず報土に進み成仏することが定まっている。
 よって死者の冥福のために追善供養を行う必要はない、葬式は参列者が死者を偲ぶのと、
 真宗の教えを学ぶ場である。
・法事は供養する場ではなく、生きている人間が真宗の教えを学ぶ場である
・仏壇も先祖の恩徳を思慕する場であり、真宗の教えを学ぶためのもの
・墓も先祖の恩徳を思慕する場
・占い、迷信、オカルトなど外道(仏教と異なる道)を事とする仏教徒を親鸞聖人は哀れんだ
・阿弥陀如来像、親鸞像なども単なる物質であるが、信心への助け、高祖の恩徳を思うよすがとなる。
・報恩講などのお布施は、教団を維持していく必要経費また授業料と考えればよろしい。
5ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/17(金) 00:32:39.43
チョット一言

【御同朋】浄土真宗(真宗)総合サロン【御同行】も早めに往生していただきましょう、
渡海難教祖も逃亡しましたし、下記のミッションが実行される日に向けて刻々と近づいている。
高野は空爆を受けたような状態なので、わざわざ止めを刺すことも無い。


DRAKUI BALL Z 仏と米櫃寺

あらすじ: 日本の仏教界を払拭した引導供養の無い米櫃拡大を誇った新宗との壮絶な戦いが
始まった2013年から20数年後。眠りから目覚めた悪宗教破壊の神、ランボー法師神が現われる。
霊界を管轄する大日如来を主とする仏族の忠告に耳を傾けず営々と米櫃拡大を続けている巨大
宗教組新宗王国に対し、巨大宗教組新宗王国破壊に挑んだランボー法師神だったが、巨大宗教組
新宗王国の強大な経済力を守ろうとする新宗僧侶軍団に突破口を見出せず体制をランボー法師神
のみならず、法師神軍団を弟子と共に結成し、さらなる新宗王国破壊を進め、姿を消した門主の
暴走を止めるべく、法師神軍団が立ち上がる。
弟子のなからら既に霊界戦士の入団希望者が続々出ている。


ランボー法師神軍団30年後のミッション

ミッション 1 門主の取り巻きが潰れて逝く、その工作員は門徒霊
ミッション 2 真宗末寺に怪奇現象が起きて広がる、その工作員も門徒霊
ミッション 3 門主が取り残されて孤立、どうなるか分らない。
6ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/17(金) 00:33:16.56
具体的戦闘作戦

上記ミッションの順に、それぞれのターゲットの門徒霊にアプローチ、本当の成仏の姿を知らせる。
それを知った門徒霊に、布施したのだから関係住職に本当の往生、成仏をさせるよう執拗に催促させる。
当該住職やその周りには怪奇現象が多数起きて、新宗僧侶はノイローゼや挙動不振に陥り、自殺者
もでる事で、巨大宗教組新宗王国は高僧部から崩壊し、社会的に評判は地に落ち崩壊の道を転げ落ちる。
このミッションを行うには、ランボー法師が生きている状態では新宗門徒霊とのコンタクトが著しく
とりにくく、生きてる人間数人になら可能だが、霊的負荷も肉体が有るが故に膨大に掛かり、実行
は不可能となる。
霊能者など霊界を見ている者には理解できようが、此処の凡夫には ”30年間はかかるのか”
など無知な発言をする者達には理解が不可能であろうが、30年後には分る(であろうではない)。

不成仏霊のデパート化について不満があれば、名誉毀損かなにかで告発して下さい。
法廷の場で客観的に(君たちは霊感が無いので)証明しましょう。
7ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/17(金) 00:33:56.87
浄土新宗米櫃改造計画 

北海道における寺の歴史は百数十年であるのだが、宗派を超えてこれ程いい加減な経営は無い。
通常企業であれば、投資した資本と売り上げなどのバランスを考えての経営なのだが、寺は
どうも異なるようだ。
本州の霊視のある寺は、文化遺産としての価値観もあるのだろうが、、、、、拝観料には税金は?
話を戻そう、北海道の多くの寺の本堂には300人は収容できる広さがある。
真言宗の場合、土地を除く上ものにほぼ三億は掛かっている。
なん数回の大祭で使用する本堂、企業家の目から見たら到底バランスシートがとれるわけがない。
しかも檀家より寄付を募り月賦にて支払いさせている。
単純計算で三億を300軒の檀家で負担したなら均等割りで一軒100万円の負担となる。
それとは別に葬式用にと会館を作る、みな檀家の負担である。
檀家は、寺の維持費や事あることで貴信を求められる。
仏様は、そのような放漫経営で檀家の懐を苛める事に賛同はしていないように思う。
大日如来がご降臨された時
”そなたのところは安いのお”
と言われた、裏を返せば他は高いのお、と云うことになる。
無駄に施設に金をかけるということは、通常の会社ではすぐ倒産に繋がる、寄付制度が
無いから銀行に見放されたら最後なのだ。
現に 世界の、、、、といって先読みせず大型工場を建てるも、いまは撤退の憂き目に会って
いる家電メーカーもある。
寺とて放漫な経営をしてよいわけは無い、檀家に経済的負担をかけて苦しめるのが仏教
ではないと思う。

そこで提案  宗教法人にも事業税を掛ける!

今日本国の財政も困窮しており、年金すらママなら無い状態に有る。
寺にも合理的経営をしてもらい、国に経済貢献するも当然の振る舞いであろうと思う。

よって  浄土新宗米櫃改造計画  と名付く
8名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/17(金) 00:34:26.94
最近この時間まで起きておられるのですね?wwwwwwwwwwwwwwwww
9ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/17(金) 00:34:26.99
第十章  憑依と病

しかし、残念な事が起きました。
その翌年のことでした。
彼曰く 自分は病気も治ったし、研究課題を進めるために調査でアメリカに行く、その時に
実家が近くなので、両親や友達に会ってくる。と言うのです。
それは、今の彼にとって最も危険なことなのです。
彼にとって身近な者の処に行くという事は、その人たちの先祖霊まで供養されていないので、
未だガン痕を残している彼にとって、それらの霊の及ぼすアプローチ即ち供養の嘆願や憑依
といった事が、ガン再発のトリガーに容易になり得るという事です。
家族も熱心に止めましたが、彼はそれを振り切ってとうとう夏にアメリカに旅立ちました。
日本に戻って来て数か月経った秋の冷たい雨の降る夜、彼の奥さんから電話が入った。
疲れが出たのか、検査なのか入院しているとは聞いていたが、その電話は恐ろしい戦いの
序曲だった。
10ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/17(金) 00:35:05.42
第十章  憑依と病

 その電話を聞いていた私の返事は うん ああー うーん これから其処に(病院)行く 
で電話は終わった。妻のが、どうしたの と心配そうに私に話しかける。
うん、ちょっと出かける。 と一言。
祈願の護摩木を一束持って彼の居る病院に向かう。
病院の玄関で彼の妻が待っていた。
昼間は来院の人が乗って来た車の長い列が公道にまで及び、歩道は走る事が出来ないほどの
人出なのに、氷雨の降る静寂のなか、屋根の行灯を鈍く光らせた二台のタクシーが何時来る
とも言えない客を待っていた。濡れた歩道には、かすかな足音を響かせ、私の車に近づく
彼の妻の姿があった。
やがて、私の車の助手席が開き彼女が乗り込んできた。
 彼のガンは急激に再発し、あちらこちらに転移しているようだ。
もう一刻の余裕も無い。すぐ手を打たなければ。彼女に問いかける。彼に憑依した霊は、
特定できたかい。
無気力な声で いや
と返事。じゃ、病室に戻り、これから私の言うとおりに事を運んでください。
その指示は概ね次のようなものだった。
11名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/17(金) 00:44:56.99
前スレの容量足らずの書き込み不可って初めて見たよw
ランボーって悟った割には、はた迷惑なことしかしないんだな。
自分のブログで勝手にやってくれたらいいのに、世間知らずな人だな。
12名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/17(金) 00:48:33.93
機械的すぎて、もはや自白したって感じだねww
13名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/17(金) 02:05:09.67
(・ω・)
14ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/17(金) 06:46:25.25
今朝の一言  無量寿仏観経 にははっきりと 

特に阿弥陀仏の極楽浄土を選んで、そこに往生するための観法を説かれるように請うた。
こうして、まず精神を統一して浄土と阿弥陀仏や菩薩たちを観想する13の観法が説かれる。
この観法の中心は第九の真身観(阿弥陀仏の相好を観ずること)である。

無量寿仏を観ぜんものは、〔仏の〕一つの相好より入れ。ただ眉間の白毫を観じて、きはめて
明了ならしめよ。
眉間の白毫を見たてまつれば、八万四千の相好、自然にまさに現ずべし。
無量寿仏を見たてまつれば、すなはち十方無量の諸仏を見たてまつる。
無量の諸仏を見たてまつることを得るがゆゑに、諸仏は現前に授記す。
これをあまねく一切の色身を観ずる想とし、第九の観と名づく。
この観をなすをば、名づけて正観とす。

眉間の白毫 分かるかなあ諸君!
白毫http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%AF%AB

この観経を実践せずして、阿弥陀如来は降臨されず。

私は、南無阿弥陀仏 と唱えるのではなく、阿弥陀様のマントラを唱えている。
おん あみりた ていせいからうん
そうして阿弥陀様を観想すると、額の中間 白毫 に仏様のパワーを感じ、額の中から
膨れだすような感触と、この上も無い安堵の心境になる。
これが観経で述べるところの上記の現象で、密教では 入我我入 即身成仏 といい、
比喩したのが 二つの扇風機 論なのだ。
15ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/17(金) 06:47:34.53
第十章  憑依と病

まず、彼に声を出して宣言を言ってもらう。
これから、私に憑依して病気を起した霊を懲らしめるために護摩木を書く。
それに先立ち、リストアップする。
そう宣言した後に、アメリカで出会った人の名前を一人ずつ声を出して言い、メモしていく。
当該霊に当たると何かの反応を示すから、終えた時点で電話してください。
持参した護摩祈願札を渡し帰る。帰宅して間も無くけたたましく電話のベルが鳴る。
彼女だった。
"じゅじゅ住職、わ分った。落ち着いて。ウン ジャック(仮名)だった。名前を呼んだ
とたん、ダディも私も全身に電気が流れ、髪の毛が総立ちになり飛び跳ねた、凄かった。"
と息も絶え絶えに告げるのでした。
とりあえず、その霊を返す祈願護摩木を書く事にした。
このジャックの霊は、彼が今回アメリカで会ってきた親友だった。
彼が日本に戻った直後不慮の死をとげた。
当然その知らせを受けて家族の話題となった。
そこで霊界のネットが繋がった。
この世に未練がタップリあるジャックのターゲットになった。
成仏出来ない苦しみから逃れたくて、彼にアプローチを繰り返すが気が付いてもらえない。
そこで、彼の弱点をせめた。数日前会ったばかりなのに冷たい奴だなと思いながら。
16ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/17(金) 06:50:01.82
第十章  憑依と病

そのジャックも、もしかしたら、ジャックの先祖にはめられたのかも知れない。
彼がジャックに会ったとき、それを見ていたジャックの先祖が、彼の先祖の存在を見て、
成仏の素晴らしさを知って、強引に道を付けようとしたのかも知れない。
しかし、それを確かめる事は、彼に群がる霊が増える事になる。危険で出来ない。
何でもあからさまに霊視すると良いというものではない。
時には霊界に対して、お惚けも必要になる。私は悩んだ。道は二つ在る。
ジャック一族を供養するか、護摩祈願で追い返すか。供養を迫ってくる霊には仏様は寛大だ。
しかも、東京歌舞伎町などで、よからぬ連中を警察官が取り締まっても、警察官が居なく
なったらまた悪さをする。
霊界も似ている。いくら親友でも、其処の家の喪主系列ではない。
供養する血筋ではないのだ。
選択は本人にまかせた。彼はジャックの霊と戦う事を選択した。
やがて、木の葉が落ち、雪が木々を覆った。十二月二十八日今年最後の不動明王納め
護摩法会が終わった。
彼の奥さんが最近護摩法会から足が遠のいていたことが気になっていたので、幸い納め
護摩に来たので言葉をかけた。
”本来なら、病院の言うように、昨年初夏に他界していた。
今まで生きながらえたのも仏様のおかげ、感謝の添え護摩を今日の護摩に入れておいたかい。”
”え!あー。考えていなかった。”
改めるのにはばかる事なし。
17ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/17(金) 06:54:44.18
第十章  憑依と病

”すぐに元旦の大日如来護摩法会の添え護摩祈願で、報恩謝徳の添え護摩
(一本二百円を三本書く)を書いたら。”
”うん、そうする。”
と言って彼女は彼の代筆をして書いた。
心配していたとおり、彼らの心は少し信仰から離れていたようです。
それは、次に述べる骨髄にかかわる治療に心を獲られたのかもしれません。
やがて、年が変わった早々、彼女から電話がかかってきた。彼に奇跡が起きた。と。
話を要約すると次のような事が起きたのです。
医学的に詳しい事は良く解りませんが、元気なうちに彼の骨髄を採っておいて、一旦白血球
だったか、ある血液成分を全部体内から排除して採取しておいた骨髄を移植し、白血球を
正常にする事らしいのですが、それが昨年末まで予定の日数をかなり経過しているにも
かかわらず定着しなかったそうです。
その数値が良いほうに上がりだしたそうで、担当医が不思議がっている。
昨年末に書いた報恩謝徳の添え護摩のおかげと涙ぐんでいる彼女でした。
でなければ、正月早々お葬式を出す羽目との事でした。
しかし、戦いは壮絶な様子を見せていました。
せっかく創られた白血球が人口心肺で何割か壊されてゆくそうです。昨年の内に定着して
いれば、まだ体力もあったのに、今度は体力との戦いとなりました。
一進一退の状態で月日が流れました。残念な事にとうとう精魂が尽きました。
哀悼 追癪、いずれの言葉もありません。
家族との三次元の絆が断たれたことに、お悔やみを申し上げる適切な言葉が思い浮かびません。
彼はいま、仏様の御許でにこやかにしております。
18名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/17(金) 07:27:02.82
<現在の浄土真宗の教えまとめ(確定版)>
・人間死んだら終わり。霊魂は存在しない
・当然、あの世もない
・阿弥陀如来は頭の中の理屈上でだけ存在するもの
・葬式は死者の霊のために行うのではない
・葬式は参列者が死者を偲ぶのと、真宗の教えを学ぶ場である
・死後に霊を供養するということも無意味である
・法事も供養する場ではなく、生きている人間が真宗の教えを学ぶ場である
・仏壇も先祖供養するためのものでなく、真宗の教えを学ぶためのもの
・墓も生きている者が死者を偲ぶだけの場である
・占い、迷信、オカルトなど科学的証明ができないものを信じる者は馬鹿である
・よって、聖徳太子の夢のお告げを信じた親鸞は馬鹿である
・阿弥陀如来像、親鸞像なども単なる物質であるので、これに対して祈りを捧げるのも馬鹿である
・報恩講などのお布施は、親鸞はもう存在しないし、阿弥陀如来は架空のものなので、
現在の僧侶に対するお礼として納めるべきもの
19名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/17(金) 07:33:30.43
>>1
つ浄土真宗(真宗)系の全宗派の話題を包括して取り上げる総合スレ

もはや、一人の霊能者が"商売敵"の板を荒らしてヘンテコ理屈を押し付ける
ための擦れと化してきたな

なんで真宗なん? なんで真宗だけなん? おかしくね。
20名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/17(金) 07:40:55.31
この手のキチガイは勝てる相手にしか寄生しないからな

徹底的に論破しまくるしかないだろう
21名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/17(金) 09:23:23.55
IWAKI FOR ALL,ALL FOR IWAKI

いわきはみんなのために、みんなはいわきのために
22名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/17(金) 09:24:42.44
花は桜木、男は岩鬼

By どかべん
23名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/17(金) 09:31:58.21
すみませ〜んスレチ 誤爆った。
24記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2013/05/17(金) 13:57:55.67 BE:273742122-2BP(333)
面白くねえなあ。
仏教の建前と本音をうまく使いわけて道化ているのかと思ってたら、
本気でただの狂信者だったとはね。

まあ、71歳の真言宗阿闍梨さんが何を真宗に対して恨んでいるのか知りませんが、
加持祈祷する宗派よりも、浄土真宗のがわたしは好きだけどねえ。
25渡海 難 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) 【Doffmatrix1320583094578211】   ◆Fe19/y1.mI :2013/05/17(金) 16:24:45.18
>>http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1367202208/535
。人々が一日も早く間違った迷信から解放されるのを祈る。

>>人が入れ替わっているようだ。これは正に複数の人格を持っているようだ。」と言っており、
またこの学者は「精神分裂症」と診断している。

 精神病に対する素人のランボーの間違いを正しておこう。

 多重人格というのは「精神分裂症」ではない。これは「解離性同一性障害」という病気だ。 
精神医学の初歩の初歩だ。素人の坊さんでも知っていて損はないだろう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%A3%E9%9B%A2%E6%80%A7%E5%90%8C%E4%B8%80%E6%80%A7%E9%9A%9C%E5%AE%B3

 なお、解離性同一性障害は、解離性障害の重度の精神病を指す。昔は「ヒステリー」と呼ばれ
ていた。1994年、この言葉は消失し、解離性障害と身体表現性障害に分類された。現在の精神医
学では基本的には「ヒステリー」という用語を使用しない。

 解離性障害は本人にとって堪えられない状況を、離人症のようにそれは自分のことではないと
感じたり、あるいは解離性健忘などのようにその時期の感情や記憶を切り離して、それを思い出
せなくすることで心のダメージを回避しようとすることから引き起こされる障害であるが、解離
性同一性障害は、その中でもっとも重く、切り離した感情や記憶が成長して、別の人格となって
表に現れるものである。

 一般に多重人格といわれるが、ひとつの肉体に複数の人間(人格)が宿った訳ではない。 あ
たかも独立した人間(人格)のように見えても、それらはその人の「部分」である。 これを一
般に交代人格と呼ぶが、そのそれぞれがみなその人(人格)の一部なのだという理解が重要とい
われる。 それぞれの交代人格は、その人が生き延びる為に必要があって生まれてきたのであり、
すべての交代人格は何らかの役割を引き受けている。
26渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/17(金) 16:26:32.74
 治療はそれぞれの交代人格が受け持つ、不安、不信、憎悪その他の負の感情を和らげ、逆に安
心感や信頼感そしてなによりも自信、つまり健康な人格を育て、交代人格間の記憶と感情を切り
離している障壁を下げていく。 しかし交代人格は記憶と感情の水密区画化、切り離しであるた
め、表の人格にとっては健忘となり、先に述べたように本人に自覚が無い場合も多い。

 精神分裂症は解離性障害と異なる。精神分裂症という用語が、現代では殆ど使わない。統合失
調症という言葉を使う。
 幻覚が現れると精神分裂症と判断されることが多い。ないはずのものが見えたり、ないはずの
音が聞こえると、しばしば幻覚と判断される。

 学者や医者は精神分裂症というが、それを治す術を持たないというのは間違いである。
 精神病には、短期精神病と普通の精神病とがある。


 短期精神病性障害
 統合失調症(精神分裂病)と同一あるいは類似の症状が1日以上、1か月未満のごく短期間だ
け現れる病気で、経過の非常に良いものを指す。症状には、精神分裂病の特長が少なくとも一つ
はみらる。
 短期精神病性障害は、心理的、社会的に重大なストレスが原因となって発症する。
 http://health.merrymall.net/cc15_04.html

 短期精神病性障害は一過性で、再発はない。医師が適切な治療が行えば短期間に治る。治療を
しないで、自然に治ることもある。拝み屋さんにお金を払って祈って貰ったら霊力で治ったとい
うのは、この例である。

 精神病は、確かに完治は難しい。どの時点で治ったと言っていいのか、判断がむづかしい。従
って、精神科医は、普通は治癒とは言わない寛解という。

 寛解
 症状が一時的に軽くなったり,消えたりした状態で、このまま治る可能性もある。場合によっ
ては再発する可能性もある。
27渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/17(金) 16:29:13.71
 日本の精神病院は、非常に入院期間が長い。これは精神病が治らないから入院しているのでは
なく、実際には完全に治っているのに、帰る場がなくて入院しているという、非医学的理由で入
院していることがしばしばある。これは、社会的入院と言い、医療行政の問題である。

 2002年、厚生労働省が「新障害者プラン」の中で示した数値によれば、精神病院における社会
的入院者の数は約7万2000人とされている。だが、この数字は根拠の乏しさが指摘されており、
実際は15万人、あるいは20万人以上に上るとの見解すらある。
 「日本における精神科病床数は、09年の時点で、約35万床。人数では、31万3000人が入院し
ています。これに対し、全世界の精神科病床数は推定185万床だといわれており、日本は全世界
の5分の1の精神科病床を保有していることになるのです。さらに、日本は精神科の患者の平均
入院日数が約310日にも及び、欧米諸国が1週間から2週間程度なのに比較して、異常に長い入
院が常態化しています」
 http://www.premiumcyzo.com/modules/member/2012/09/post_3578/

 被覆配線の一部被覆が剥がれ、その剥離配線が近くの充電部と接触すると通常とは異なった電
気回路ができる。電気回路に変化が起きると、信号応答に乱れが生じる。文字化けが起きる。
 Aという入力に、通常はa1という反応を起こしているコンピュータが、突然a2という反応
を起こすことがある。剥離配線が充電部との接触と分かれるとa1という反応を起こすようにな
る。これが二重人格である。剥離箇所、密度で、コンピュータは三重人格、四重人格になる。

 人は、強烈なストレスを受けると、その場から逃げたくなる。胃が痛んだり、頭が痛くなる。
これは、本人に対する警告信号であり、その場を離れろという、身体本能の反応である。
 しかし、現実の問題として逃げられない場合、自分に向けた攻撃はさらに強くなる。しばしば、
神経回路、又は脳細胞を攻撃する。
 攻撃を受けた神経回路、脳細胞は、文字化け反応、文字化け信号を発する。これが精神病であ
る。多重人格で人格が変わるというのは、全てとは言えないかも知れないが、その一部は、神経回
路の転換であると考えることができる。
28渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/17(金) 16:34:59.27
 最近では、様々な動物実験で人為的に精神障害を起こさせることが可能になってきた。多くの
治療薬も続々と誕生している。
 精神症状発症時、脳の中でどのように血が流れているのか、頭蓋骨の中の血流まで機械的に観
察できるようになってきた。この分野では、日本は世界の最先端にある。
 損壊した脳の再生は不可能と言われているが、IPS細胞の開発は様々な可能性を孕んでいる。
精神疾患の治療法は、毎日毎日変化している。昨日は治らなかった病気も、今日は治るというこ
とがある。精神疾患が短期間に確実に治癒する時代も決して夢ではないと考える。

 かつては、天然痘も、赤痢も、疫痢も悪霊の仕業と考えられていた。それが次々と治るようになっ
てきた。ローマカトリックが、600年ぶりに悪魔払いの儀式を行ったと言われている症例が、今では
抗NMDA受容体脳症であったと言われるようになり、これは完治する病気の中に含まれてきた。

 ランボーのような非科学的な拝み屋が、詐欺めいた治療の名の下に、庶民から暴利を貪ることの
ない真の合理的社会が一日も早く来ることを祈る。
29渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/17(金) 18:48:25.40
>>18
・人間死んだら終わり。霊魂は存在しない

 人は死んだら鬼籍に入る。鬼籍にはその人の全ての人格、業績、犯歴、名誉、全てが入る。人
は「生きている人」と言われるグループから「亡くなった方」と言われるそういうグループに入
る。
 鬼籍に入った人は数多い。中村勘三郎さん、小沢昭一さん、米長邦雄さん、二谷英明さん、こ
れは全て昨年、鬼籍に入った方である。無論外にも無数にいる。鬼籍に入ったということは、終
わったと言うことではない。「亡くなった方」と言われるそういうグループに移ったということ
である。

・阿弥陀如来は頭の中の理屈上でだけ存在するもの

 阿弥陀仏とは、自然という概念を説明するための手法上の道具である。親鸞は、新興の武士達
に、奢摩他・毘婆舎那を体得させたいと思い、その重要性の説明に当たり、真理・阿弥陀仏の概
念を使用した。
 真理は人格である。これが親鸞浄土教の根本的な仮説である。人格としての真理は、人格とし
ての釈尊先生にそっくりである。そこで、釈尊をモデルに創られて理想的な教育者物語、すなわ
ち阿弥陀物語を真理の説明に重ね合わせた。
 親鸞は、その阿弥陀物語から念仏を導き、三学を基本とする釈迦仏教に、時間という概念を加
えて部分的に修正した。三学を基本とする釈迦仏教のプレ仏教として、武士達に、戒・定・慧の
内、定を戒と慧に先んじて勧め、念仏を通じて彼等に奢摩他・毘婆舎那の練習を勧めた。

・葬式は死者の霊のために行うのではない

 人は死ねば消えるものではない。鬼籍に移る。
 善因は必ず善果をもたらす。悪因は悪果をもたらす。諸問題の根本(無明)的な解決方法は、
善因を行うこと以外にない。釈尊はそのように示した。
 しかし、善因は必ず善果いたるものばかりではない。善因を積んでも、善果に至る前に死ぬこ
ともある。
30渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/17(金) 18:49:38.12
>>18
 善因は必ずしも善果にならない。現実には悪因が善果をもたらすことは多い。善因が悪果をも
たらすこともある。しかし、だからと言って、諸問題の根本(無明)の解決は、善因を積む以外
にない。小手先の解決は、どのような場合も、真の解決はでない。我々は、倒れても、倒れても、
挫折しても、挫折しても、あくまで万難を排して善因を立て、真の解決を求めていく以外の道を
選択すべきではない。

 しかし、我々は、善因を積んだ者が悪果を受け、あるいは悪因を積んでいた者が善果を得ると
いう現実にしばしば直面する。このとき、人々の確信は揺らぐ。善因を積んでいた者が死によっ
て善果を得られなくなったとき、人々は最も悲しむ。

 しかし、それでも、それでも、我々は善因善果、悪因悪果を信じ、どこまでもどこまでも善因
を立てていこうではないか。善因を積み、死によって善果が得られなければ、それは空として事
象全てを排除していこう。実体はなかったんだ。幻だったんだ。そのように気持ちに整理をつけ、
生きている我々自身は、生きているかぎり、どのような現実にも怯むことなく、あくまでもあく
までも将来に向かっては、善因善果、悪因悪果の確信を保持していこうではないか。

 葬式は、善果を信じ、善因を実践していた人がその過程で死を迎えたその現実に対したとき、
気持ちに整理をつけ、なおも善因善果、悪因悪果を将来に向かって堅持するため、先人が残して
くれた気持ちの整理法である。

 小学校を終わり、中学生になるとき、一人の小学生が死に、一人の中学生が誕生する。死んだ
小学生は二度と出現しない。小学生としての善因善果、悪因悪果を中断し、中学生としての新た
な善因善果、悪因悪果に歩み出す。古い善因善果、悪因悪果を中断するにあたり卒業式が行われ、
あらたな善因善果、悪因悪果に歩み出すにあたり、入学式が行われる。このとき、本人も周囲の
人も気持ちに整理をつける。
31渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/17(金) 18:50:51.49
>>18
 人が、生きている人と言われるグループから、亡くなった方と言われるグループに移行すれば、
回りの全ての人が気持ちに整理をつけ、古い善因善果、悪因悪果を中断し、あらたな善因善果悪
因悪果を信じて歩みださなければならない。生きている人というグループを卒業し、亡くなった
方という新たなグループに入ったなら、卒業式と入学式が必要になる。これが葬式である。

 死後に霊を供養するということも無意味である

 善因善果・悪因悪果の実践は多くが困難を伴う。しかし、その困難を克服し、倒れても倒れて
もあくまで善因を立てていくしか、諸問題の根本(無明)の解決はない。生きている人といわれ
るグループから、亡くなった方と言われるグループに移行したとき、新たな善因善果、悪因悪果
に踏み出すに当たって、周囲と社会が、区切りを付ける卒業式、入学式である。これが葬式であ
る。

・墓も生きている者が死者を偲ぶだけの場である

 生きている人といわれるグループから、亡くなった方と言われるグループに人が移行すると、
その人にまつわる全てが移行する。その移行は目に見えにくい。肉体も、精神も、名誉も、犯歴
も、霊魂も全てが一括して亡くなった方と言われるグループに移行したことを証し、気持ちに整
理をつける上では真剣な思いが必要である。厳かな思いをもって区切りを付けるに、墓は極めて
重要であるとと考える。しかし、亡くなった方と言われるグループに人が移行するにあたり、墓
は必ず必要な物であるということでもない。

・占い、迷信、オカルトなど科学的証明ができないものを信じる者は馬鹿である

 拝み屋が人々の不安感を煽り、証明不可能なロジックをもって暴利を貪ることが多い。実に悲
しいことである。
32渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/17(金) 18:52:24.21
 聖徳太子の夢のお告げを信じた親鸞は馬鹿である

 親鸞の夢告は、「行者宿報」の文章とほぼ同一の文章が、真言宗の覚禅抄という有名な書物の
中に書かれている。大谷大学教授、名畑崇の研究である(「真宗連合学会第十回大会」「真宗研
究第八輯」)。
 これにより、少なくとも夢告で「行者宿報」の文を得たという可能性は、歴史学的、文献学的
に消えると考える。
 覚禅抄は、鎌倉時代、醍醐寺で創られている。当時の醍醐寺は、現代のランボーが多大な影響
を受けている立川流の中心寺である。寿永二年(1183)〜建暦三年(1213)の間に立川
流の思想を示すために編纂され、その完成は親鸞40代である。
 夢告は親鸞が二九歳の時であったと言われている。その頃は編纂の真っ最中である。親鸞がそ
れを目撃した可能性はゼロに近い。したがって、親鸞の夢告は作り話である。

 夢告の最も古い文書は顕智の筆跡である。顕智は親鸞の晩年に全国を歩いている。当時、隆盛
を極めていた醍醐寺を訪問し、当時既に有名になっていた覚禅抄を目撃し、伝説をでっちあげ、
本願寺の覚如に書き送ったものと推定する。

・阿弥陀如来像、親鸞像なども単なる物質であるので、これに対して祈りを捧げるのも馬鹿であ


 それにつけても、念仏をふかくたのみて、世のいのりにこころをいれて、もうしあわせたまう
べしとぞおぼえそうろう(消息集)。

 祈りは宗教の原点であり、親鸞仏教の根源である。

・報恩講などのお布施は、親鸞はもう存在しないし、阿弥陀如来は架空のものなので、現在の僧
侶に対するお礼として納めるべきもの

 いわゆる布施・持戒・立寺・造像・礼誦・座禅・懴念・苦行・一切福業、 もし正信なければ、
回向願求するにみな少善とす。往生の因にあらず。(化身土)
33渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/17(金) 18:53:18.88
>>18
 無戒名字の比丘なれど 末法濁世の世となりて 舎利弗目連にひとしくて 供養恭敬をすすめ
しむ(和讃)
 
 親鸞は、僧籍を剥奪され、守るべき戒律もなくなった形ばかりの僧であるが、自分は末法濁世
の世だからこそ、舎利弗目連に等しい。自分は、皆様に、供養恭敬をお願いする。これは、六波
羅蜜の菩薩行ではない。善導大師の五正行の一つである。念仏道場を維持し、運営するため、そ
の目的のための目的限定的ひも付きの献金、ご寄付をお願いする。

 一つには専礼、二つには専読、三つには専観、四つには専名、五つには専讃嘆なり、これを「五
つの専修」と名づく。 〜 これみな辺地・胎宮・懈慢界の業因なり。かるがゆえに極楽に生ま
るといえども、三宝を見たてまつらず、仏心の光明、余の雑業の行者を照摂せざるなり。(化身
土)

 「専讃嘆なり、〜 極楽に生まるといえども、三宝を見たてまつらず」という。しかしこれが
「専讃嘆供養」となっていないことは注意を要する。供養のない讃嘆はだけでは仏法僧を仰ぐことがない。

 親鸞は、目的を付けない布施行は、仏教初心者に勧めていない。大般涅槃経要門では勧めてい
る。正信のない仏教初心者のすべきこととは考えていない。しかし、自分が参加する念仏道場へ
の、参加費として讃嘆を伴う供養料はお願いしているということを忘れてはならない。
34ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/17(金) 19:02:52.27
今夜の一言   やはり 渡海難 は精神病者だったのか?

渡海難は、経験があるのか随分精神病に詳しいのには驚いた。
その御仁が飛びつくのは、間違い説法を説く法然、親鸞、蓮如の流れのようだ。

もっとも、密教じゃ渡海難に憑いた動物霊が怖がるから、必然的に法力の無い
宗派を受け入れたくなるのは必然なのだ。

お気の毒の言葉以外うかんでこない、、、、、、、、、、ナムナム
35ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/17(金) 19:03:27.73
第十一章 崇と救済   リング 貞子 だ!

二〇〇二年初秋の頃だった。
とある札幌に住まいしているお宅へ先祖供養に行った時の事だった。
たまたまそのお宅の奥様のお父様がいらしていて、談話の時ポツリと一言。
”また脳障害で死んだ人の葬式に行ってきたよ。うちの地域(北海道深川市某地域)はよそ
より桁違いに脳障害で亡くなる人が多いんだ。” と。
何の気なしに聞いていた其の言葉がとんでもない事態に発展するとは、その場の誰も考えて
はいなかった。
翌月のお参りの日には、いつも一緒にいらしていたお父様の姿がありませんでした。
お母さん曰く。
”父さん頭の具合が良くないので留守番しているって。”
やがて霙の季節になり、暦も十一月に入りました。
あのお父様が脳内腫瘍摘出のために、旭川市の大学付属病院で手術をする事になりました。
私のお寺では、結婚する事により便宜上片方の姓を名乗っていると解釈し、結婚式は両家の
先祖の認識と霊界の縁を結ぶものとの考えから、供養はご主人側だけでなく、平等に奥様側
も一緒にしています。
特にお子様は両家の因縁を背負って生まれてくるのですから。
その様な訳でこの度の脳内腫瘍は単なるDNAの異変で摘出すればそれで済むものと皆が思って
おりました。
手術の日、私も気楽な感じでただ浮遊霊に手術が邪魔されないように手術室の結界に行き
ました。
手術は手馴れた教授の執刀で無事終了しました。
その後の回復も通常の人と同じようでしたので安心しておりました。
36渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/17(金) 19:14:19.34
>>34
 >渡海難は、経験があるのか随分精神病に詳しいのには驚いた。

 ランボーが、口から出任せ、デタラメ、インチキを吹聴しているノータリンである
と言うことは、とっくに分かっていたよ。

 前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え、連続無窮にして、
願わくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽くさんがためのゆえな
り、と。

 道俗時衆、共に同心に、 ただこの高僧の説を信ずべし

 僕は親鸞聖人に、死ぬまでついていくことに決めたんだ。
37名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/17(金) 19:15:39.68
コテハンに蹂躙され続ける真宗スレw
38名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/17(金) 20:41:00.08
ご丁寧にコテつけてくれてるんだから皆でNGすれば解決なんだけどね
39渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/17(金) 21:53:42.82
>>38
 渡海 難の言っていることには、不完全な部分がたくさんある
はずなんだが、それを徹底的に洗い出し、渡海 難がグーの根も
言えないほどコテンパンに反駁するまで研究し尽くすと、浄土真
宗の坊さんも、プロとして相当勉強になると思うんだが、そういう
気はないようだね。
40渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/17(金) 21:59:22.01
 あーぁ、渡海難さん。貴方の言うことはその通りでーす。聞きたくナーイ。
あーぁぁ聞きたくない。聞きたくない。聞きたくなーい。よそに行け−!!。

 こんな姿勢なら、貴方のお客さん(お檀家さん)は、あなたにがっかりする
だろうね。
41ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/17(金) 22:04:15.99
>>39 渡海 難 ◆Fe19/y1.mI New! 2013/05/17(金) 21:53:42.82
>  渡海 難の言っていることには、不完全な部分がたくさんある
> はずなんだが、それを徹底的に洗い出し、渡海 難がグーの根も
> 言えないほどコテンパンに反駁するまで研究し尽くすと、浄土真
> 宗の坊さんも、プロとして相当勉強になると思うんだが、そういう
> 気はないようだね。


渡海難の言ってる事は、バカの潰し合いと云うんだ。
お前さんも、そう長い事娑婆に居られるわけが無い年齢のようだし、
下らん宗派に頭をつっ込んでいたなら気も減少する、私の先に逝くだろう。
その時、ハッキリとお前のやっていた事が徒労に終わった事に気がつく。















その時は遅いのだがw
42ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/17(金) 22:04:56.07
第十一章 崇と救済   リング 貞子 だ!

見舞いの数日後、三年おきに修している虚空蔵菩薩求聞持法に自坊の求聞持堂で入行しました。
日に二座行う五十一日の修行です。
今回五回目ですが、なにかと時間の都合が取れなく年末近くになりました。
弘法大師は六回されていると仏様からうかがいました。
修行の深さはともかく、密教僧となったからには、回数だけでも六回させて頂きたいと願って
います。
高野山でのこの修行は一回目と二回目行いました。
高野山では、修行場設備が整っていないために、冬はできません。
マイナス十五度を超える所で暖房がないのですから。
自坊の離れの求聞持堂での修行は順調にすべりだしました。
この修行は途中で人に会ってはいけない修行ですので、生活に必要な要求は筆談となります。
食事は昼一食で、カレーライスで使う洋皿にサラダが一盛りだけで、ご飯や味噌汁などは
ありません。
飲めるのは水だけです。
蕎麦掻(お湯でといただけの味の無いもの)は食して良い事になっているのですが、
蕎麦粉の匂いがきつ過ぎて食べません。
初回は二十Kg痩せましたが、二回目以降は十五Kgぐらいの痩せ方で終っています。
この平和な修行も一通のファックスで打ち砕かれました。
あのお父様のお嬢様、供養に伺ったお家の奥様からでした。
昼食のサラダの横に置かれてあったそのファックスを見た目が点になってしまいました。

 リング 貞子 だ!
43名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/17(金) 22:18:52.78
断食するんなら、1週間くらい食わないぐらいの覚悟でやれよw
一日1食なんか誰でもできる。
44名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/17(金) 22:20:10.69
>>39
じゃあ、あなたの座禅がしてることに対して反論となる証文だすね
どうせ逃げるだろうけど

「総不論照摂余雑業行者」というは、「総」は、みなというなり。
「不論」は、いわずというこころなり。「照摂」は、てらしおさむと。
「余の雑業」というは、もろもろの善業なり。
雑行を修し、雑修をこのむものをば、すべてみな、てらしおさむといわずと、まもらずとのたまえるなり。
これすなわち、本願の行者にあらざるゆえに、摂取の利益にあずからざるなりとしるべしとなり。
(一念多念文意)

「正」とは五種の正行なり。「助」とは名号を除きて已外の五種これなり。
「雑行」とは正助を除きて已外をことごとく雑行と名づく。
これすなわち横出・漸教、定散・三福、三輩・九品、自力仮門なり。
(化身土)

五正行とは、
  一に一心に専読誦、二に一心に専観察、三に一心に専礼仏、
  四に一心に専称名、五に一心に専讃嘆供養なり。
(愚禿鈔)
45名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/17(金) 22:25:54.40
>>39
観察が座禅っぽいけど観察が座禅でないことは聖教にはっきりしている

なんらか五念門…三つには作願門…かの観察に三種あり。
なんらか三種、一つにはかの仏国土の荘厳功徳を観察す、
二つには阿弥陀仏の荘厳功徳を観察す、
三つにはかの諸菩薩の荘厳功徳を観察す。
(浄土論)

さて、あなたの座禅は正行、助行、雑行のどれに入るでしょう?
もしも雑行なら、阿弥陀仏の摂取に含まれるだろうか?含まれないだろうか?
46ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/17(金) 22:31:25.81
霊界通信 ベールの彼方の生活(一) G・V・オーエン著 より抜粋

一部書き換えをする。

命の書という名称も一考に値するものです。軽々しく口にされておりますが、
その真意はほとんど、あるいは全然理解されておりません。
(正式には Book of Life of the Lamb で「キリストの生命の書」。天国を
召されるのを約束された聖人を意味するとされている。)

あなた方は聖人(せいじん)として、下らない人々を聖人にしているが、
聖人(しょうにん)ということが重要なのである。実は聖人と認知されているのは
親鸞聖人のみ!これは特筆すべきところである。親鸞聖人の凄さがうかがい知れる
のではないだろうか?
47名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/17(金) 22:41:22.32
霊界通信がきた。べールの彼方の生活はこの分野では古典的な著作。
それはいいとして、渡海氏は自身の思想を端的に、否定的でい内容を一度のべたほうがいい。
ない、だめ、ばかりの印象を受ける。
宗教は幸せで楽しく、元気、希望を持って生きるためのものだ。
元気がなくなれば、そこから元気になる方法。
絶望から希望へ。
だからそのための考えを体験的に、具体的に述べたらいい。
48ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/17(金) 22:46:19.87
霊界通信 ベールの彼方の生活(一) G・V・オーエン著 より抜粋

創造能力が実生活においてどのような目的で使用されるかというと、まず第一に
精神と意志の鍛錬が目的である。その鍛錬は並大抵のものではなく、大変な努力を
要するとのことで、それが一通り終了すると次は同じくこの界の別のカレッジへ行って
別の科学分野を学び、そこでもさらに多くの段階の修練を積まねばなりません。
その創造的能力が本当に自分のものとなり切るのは、幾つもの界でそうした修練を
経たのちのことです。その暁にはある一人の大霊、大天使、能天使(本当の呼び方は知らないらしい)
の配下に属することを許され、父なる宇宙神の無限の創造的活動に参加することになります。
その時に見られる創造の過程は荘厳をきわめるとのことです。お話を聞いたときは
それは多分新しい宇宙ないしは天体組織の創造(物的か霊的かは別として)のことかもしれないと
考えたりしました。が、そんな高い界のことは現在の私たちには大よその概念程度の
ことしか掴めません。しかもそこまで至るのは人知を絶した長い長い年月を要する
ことです。もちろんそういう特殊な方向へ進むべき人の場合の話です。
49渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/17(金) 22:54:09.28
>>42
阿闍梨の妻はピノコなのだ。>>http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1367202208/244
妻も銃は使えます>>http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1367202208/298
妻は阿闍梨ですので、引導は済んでいます>>305

 若し仏子、自ら淫し、人を教えて淫せしむること、乃至、一切の女人を故らに淫することを得
ざれ。・・・これ菩薩の波羅夷罪なり。(第三重戒)

 酒と肉をこの上なく好んでいます。>>http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1367202208/292

 若し仏子、故らに酒を飲まば、酒の過失を生ずること無量なり。もし自身、手づから酒器を過
して、人に与へて酒を飲ましめば、五百世に手なし。なんぞいはんや自ら飲むをや・・・(梵網
経 第二軽戒)

 出家の人に四種の病あり。この故に、四沙門果を得ず。何等を四病とす。謂く、四の惡欲なり。
一には衣のための欲、二には食のための欲、三には臥具のための欲、四には有のための欲なり。
これを四惡欲と名づく。これ出家の病なり。(大涅槃経)

 それでは密教の難行には耐えられず、 ”阿弥陀様(地獄?)の方から迎にきました”との使
者が訪れるだろう。>>http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1367202208/450
   弱虫。意気地無し。根性無し。←   坊主の資格なし。密教失格(笑)

阿闍梨
 本来、正しく諸戒律を守り弟子たちの規範となり法を教授する師匠や僧侶のことである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%97%8D%E6%A2%A8

 見舞いの数日後、三年おきに修している虚空蔵菩薩求聞持法に自坊の求聞持堂で入行しました。
日に二座行う五十一日の修行です。
50渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/17(金) 22:55:00.04
 若仏子、自ら妄語し、人を教えて妄語せしめ、方便して妄語せば・・・・・・これ菩薩の波羅
夷罪なり。(第四重戒)
 若仏子、自讃・毀他しまた人を教えて自讃・毀他せしめば、・・・・・これ菩薩の波羅夷罪な
り。(第七重戒)

 波羅夷罪
 出家者(僧侶)が必ず守るべき戒
 出家者にして戒律や身分を捨てて還俗をしないで、この戒を破った際には、全ての仏教教
団から追放されて仏教徒では無くなる。また、後に罪を悔い改めたとしても、仏教徒に戻るこ
とは許されるが、再び出家者となることはできない。

      ランボー  −笑−
51ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/17(金) 23:11:49.07
>>ランボー法師さん

>>それでは密教の難行には耐えられず、 ”阿弥陀様(地獄?)の方から迎にきました”との使
>>者が訪れるだろう。

極楽浄土がある種の地獄であるというのは、僕も同意見ですが、では
その密教の難行というのは具体的に何なのでしょうか?
http://blogs.yahoo.co.jp/ekumadara ←このブログを参考にしてほしいのですが、
あなたは、「言葉」というものについてどう思われますか? 
言葉というものを紡ぐということについての難行ってあるように思えるのですが・・・。
私はそれは自分を反省せずに、ただのらりくらりと生きている人々と同じような
易行道をしているわけではありません。むしろ、易行道をすることを惜しみながらも、
しかし言葉を紡ぐという難行をやっているような気がするのです。
むろん、南無阿弥陀仏は称えますよ。檀家参りもいきますし。学校にも行きます。
しかし、言い訳がましく聞こえるかもしれないのですが、易行道(簡単な日常作法)をするよりも
難行道(言葉を紡ぐということ)をやっています。それは間違っていますでしょうか?

またこの前、変な霊が憑いているといわれていたことを少し気にしています。
精神不安定なことはもう別に当たり前になっています。むしろその私に憑りついている
霊について知りたいのですが・・・。それが遠目からでも見えるのでしょうか?
52名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/18(土) 06:41:22.61
正宗と学会にはケンカを決して売れないヘンテコ霊能者
所詮、その程度。
53ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/18(土) 06:59:23.54
今朝の一言  物事をキチンと理解しないでの批判は愚か者のすること

>>43 名無しさん@京都板じゃないよ New! 2013/05/17(金) 22:18:52.
> 断食するんなら、1週間くらい食わないぐらいの覚悟でやれよw
> 一日1食なんか誰でもできる。


何処にも断食の行とは書いていないのだが、最近堵海といい>>43 といい日本語が
理解できていない者が大口を叩く。
実行力が無いのに批判だけしている。

求聞持における一日一食は五穀断ち、私は残された蕎麦がきをも食せず、葉物の
野菜のみで過ごした50日間。
誰でも出来るなら、私と同じ葉物の生野菜だけで、求聞持では調味料も禁止され
ているので、同じ条件で1週間くらいならやれるのだろう。

さあ、有言実行、やってみせれよ!

さあ、有言実行、やってみせれよ!

さあ、有言実行、やってみせれよ!

さあ、有言実行、やってみせれよ!

さあ、有言実行、やってみせれよ!
54ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/18(土) 07:02:36.58
渡海難は、間違い書込みのデパートだが、どうやら真宗に対しての天敵のようだから

すこし泳がせよう。


渡海難は、真宗に対しての天敵!

渡海難は、真宗に対しての天敵!


渡海難は、真宗に対しての天敵!

渡海難は、真宗に対しての天敵!

渡海難は、真宗に対しての天敵!
55ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/18(土) 07:03:13.61
第十一章 崇と救済   リング 貞子 だ!

腫瘍の摘出手術をしてから二週間たらずの間に、またもゴルフボール程の腫瘍ができたの
ですから。七十歳くらいの人が、たとえガンでもそのような急成長はしないはず。
まさかと思うことが、自分の関係でおきたのですから、まして、途中下車できない修行の
最中に、最悪の事態です。
食べなければ体がもたないと思いながらも、なかなか喉を通らないサラダ(ドレッシング
やマヨネーズはかかっていません。調味料無し)。
与えられたサラダを無理やり口に押し込み、日数の計算をしました。
日に二座のお参り(一座六時間弱かかる)を三座することで、いつ成満(修行が終る日)
できるかを計算して、どう対処するかを考えるためです。
三座の苦しみは一度経験していますので、私にとって出来ない事はありません。
しかし、睡眠時間が短いということは、この場合とても深い意味を持ちます。
このお参りの時にお唱えするマントラは三座で三万返を超えます。
マントラは単なる文字数だけでなく、多くの意味を持ちます。
パソコンで言うところのパスワードにも似たところがあります。
その意味を脳にしまい込まなくてはなりません。
人の脳は最初のデータをアナログで処理し、一時記憶領域に保管します。
56名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/18(土) 07:25:51.59
ランボーの波長と真宗の波長がぴったり合うんだろうな
ここではずいぶんと長居してるしw
57名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/18(土) 08:18:17.19
天台宗VS・・・・・勝てない

曹洞・臨済・黄檗各禅宗VS・・・ケンカしても勝てそうにない

浄土宗VS・・・・・・ケンカしても得しなさそうで止めておこう

日蓮宗VS・・・・・・理屈が難しいし、ケンカも強そうなんでこれも止めておこう

創価学会・・・・・ムリ! 絶対無理だわ。


・・・浄土真宗・・・・!! よし、ここなら勝てそうな気がしる!! ケンカ売ったるわーー!!!

ってことだね?
58名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/18(土) 08:21:08.74
真言VS・・・・そこから逃げ出したしたから、相手にもしてくれないだろうしなぁ まぁ無理か。
59名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/18(土) 08:45:56.12
>>43>>52
老人をいじめちゃダメ!

町内の老人会に居場所が無いんだから
暖かく迎えてあげようよ。
おじいちゃんも淋しいなら素直に言えばいいのに。
頑固なんだから!
60名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/18(土) 09:12:09.24
>>57
本来はカルト仏教の代表である真宗がケンカ最強じゃないとおかしいのにね
すっかり貴族化してしまったか
61渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/18(土) 11:11:04.07
>>44
>じゃあ、あなたの座禅がしてることに対して反論となる証文だすねどうせ逃げるだろうけど

 >> 39は、どういう論筋の議論をしたいのか、>> 39が設定した議論の土俵が見えません。根
拠は愚禿鈔と浄土論ですと主張の根拠だけ示されても、貴方がどのような議論をしたいのかが分か
らないので、逆反論のしようがありません。

@ 渡海難の意見 念仏は坐禅してしなければいけません。坐禅して念仏をしなさい。
 >> 39 の反論  念仏は坐禅して行う必要はありません。坐禅を勧めるのは止めなさい。根拠
は愚禿鈔と浄土論である。

A 渡海難の意見 渡海難は坐禅して念仏をしています。
 >> 39 の反論  渡海難は坐禅して念仏してはいけません。渡海難は坐禅を止めなさい。根拠
は愚禿鈔と浄土論である。

B 渡海難の意見 みなさん、念仏などは止めなさい。坐禅をしなさい。
 >> 39 の反論  坐禅の勧めは止めなさい。根拠は愚禿鈔と浄土論である。

C 渡海難の意見 渡海難は、念仏はしないで坐禅だけしていて救われました。
 >> 39 の反論  坐禅で救われることはありません。根拠は愚禿鈔と浄土論である。

D 渡海難の意見 渡海難は念仏と坐禅の両方を行っています。
 >>39 の反論  坐禅と念仏の両方を行うことはできません。坐禅をするか、念仏をするか、
どちらか一方に限られます。どちらか一方にしなければいけません。念仏するときに坐禅をして
はいけないのです。根拠は愚禿鈔と浄土論である。

E 渡海難の意見 念仏などは馬鹿馬鹿しいことです。坐禅をしましょう。
 >>39 の反論   念仏が大事なんであって。坐禅をすべきではありません。根拠は愚禿鈔と
浄土論である。
62渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/18(土) 11:11:51.41
F 渡海難の意見 私は坐禅をしています。
 >>39 の反論  渡海難は坐禅をしていません。渡海難が坐禅をしていないという根拠は愚禿
鈔と浄土論である。

G 渡海難の意見 私は坐禅して念仏をしています。
 >>39 の反論  渡海難は坐禅をしていません。渡根拠は愚禿鈔と浄土論である。


 >>39には、渡海難の主張がどのように伝わっており、どのように伝わっていた主張に>>39
反論したいのか、分かりません。
 渡海難がどのような意見を主張しているのか、自分(>>39)が「渡海難」の意見として覚知し
た内容は、渡海難が自分(渡海難)の意見として発した内容と、ずれてないのか、まずそれを確
認する作業をしてください。
 渡海難は、「これこれの意見を表明している」という主張をするときには、「『これこれの意見を表明し
ている』という主張」の根拠も示してください。それがなければ、話になりません。
63渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/18(土) 11:14:53.38
>>61,62
 >> 39 は、>> 44 の間違いです。
 >>39>>44 と読み替えてください。
64渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/18(土) 11:29:50.18
>>53
 逆鱗に触れて怒り心頭なのか?相当に煩悩まみれの糞坊主だ
な。

 若し仏子、自ら瞋(いか)り、人を教えて瞋らしめば、瞋の因、
瞋の縁、瞋の法、瞋の業あり。・・・これ菩薩の波羅夷罪なり。
 (梵網経 第九重戒)

当方現在 71歳の密教阿闍梨である。
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1367202208/176

阿闍梨
 本来、正しく諸戒律を守り弟子たちの規範となり法を教授する師匠
や僧侶のことである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%97%8D%E6%A2%A8

 波羅夷罪
 出家者(僧侶)が必ず守るべき戒
 出家者にして戒律や身分を捨てて還俗をしないで、この戒を破った際には、全ての仏教教
団から追放されて仏教徒では無くなる。また、後に罪を悔い改めたとしても、仏教徒に戻るこ
とは許されるが、再び出家者となることはできない。

  ランボー  外道 偽阿闍梨 ごろつき阿闍梨 阿闍梨の面汚し。 弘法大師の恥。
       −笑−
65渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/18(土) 11:42:46.10
>>53
>さあ、有言実行、やってみせれよ!

 私は>>43 に大変誇りを傷つけられました。
 私の大事な看板に泥を塗られました。
 看板は私の大事な一部です。

         −笑−
66渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/18(土) 14:23:08.43
 浄土真宗勘違い教学の原点

 浄土真宗勘違い教学は「教行信証講義 行の巻 山邊習學 赤沼智善 共著
 (初版 大正2年)」に始まる。その始原は、清沢満之にまで及ぶ可能性もある。

 【読方】仏本行経による。法照
 なに者をかこれをなづけて正法とする。いかんが道理これ真宗なりや。好悪いまのときすべか
らく決択すべし。 一々子細朦朧することなかれ。正法よく世間に超出す。持戒坐禅を正法とな
づく。念仏成仏はこれ真宗なり。仏言をとらざるをば外道となづく。因果を撥無する見を空とす。
正法よく世間を超出す。禅律いかんぞこれ正法ならん。念仏三昧はこれ真宗なり。性をみ、心を
さとるはすなわちこれ仏なり。いかんが道理相応せざらん。略抄
 【余義】 ・・・この讃文でいえば、持戒坐禅是正怯というは、一代教を悉く拉し来って、こ
れは皆外道邪教に対すれば、誠に正法であるということである。然しこの正法は、所謂、浄土の
要門で、いまだ至極の教ではない。一歩を進めて念仏成仏是真宗、如来回向の大行に依って往生
する弘願法こそ真実の真教真宗であるというのである。

 「然しこの正法は、所謂、浄土の要門で、いまだ至極の教ではない。」「然しこの正法は、所
謂、浄土の要門で、いまだ至極の教ではない。」「然しこの正法は、所謂、浄土の要門で、いま
だ至極の教ではない。」「然しこの正法は、所謂、浄土の要門で、いまだ至極の教ではない。」「然
しこの正法は、所謂、浄土の要門で、いまだ至極の教ではない。」
 「教行信証講義 行の巻 山邊習學 赤沼智善 共著」のこの言葉を忘れるな。


 一方、本願寺が公開を嫌う親鸞の「文書五會法事讃略抄」には何と書いてあるか。

 五會法事讃略抄         眞宗聖ヘ全書五
  昭和十六年十一月二十五日 発行 
  昭和四十五年三月一日 五版発行
       発行   大八木興文堂
 編集 眞宗聖ヘ全書編纂所   宗祖眞蹟小部集
伊勢專修寺蔵宗祖眞蹟本 高田學報所載
67渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/18(土) 14:24:08.36
 正法能超出世間
 持戒坐禪を正法と名づく。念佛成佛これ眞宗なり。佛言を取らざるを外道と名づく。因果なし
との見を発すれば空となす。禪律如何これ正法なり。念佛三昧これ眞宗なり。了心を見性せばす
なわち是佛なり。いかんぞ道理相応せざらん。
正法能超出世間
 持戒坐禪を正法と名づく。念佛成佛これ眞宗なり。佛言を取らざるを外道と名づく。因果なし
との見を発すれば空となす。
正法能超出世間
 禪律如何これ正法なり。念佛三昧これ眞宗なり。了心を見性せばすなわち是佛なり。いかんぞ
道理相応せざらん。
  正法能超出世間
 念佛は聲聲に佛種を下す。坐禪持戒は眞功を用いてなり。汝若し修せずしてすなわち佛になる
といはば、喩へば飢えたる人のひろく風を掩ふがごとし


「親鸞さんよ。五會法事讃略抄で、あんたは何て酷いことを言うんだ? 『持戒坐禪を正法と名
づく。念佛成佛これ眞宗』そうなんなんだろう。
 『坐禪持戒は眞功を用いてなり?』坐禪持戒を勧めるのは、真の効果をもたらすためだって?。
あんた、浄土真宗には、坐禪も持戒もないんだよ。あったり前だろう。

 『汝若し修せずしてすなわち佛になるといはば、喩へば飢えたる人のひろく風を掩ふがごとし』
 貴方が、もし坐禪持戒も修行しないで念仏になるというなら、それは、空腹の人が風下に立っ
て風を腹の底にため込んで、空腹を満たそうという、実に馬鹿げた行為だって?

 大きなお世話じゃないか。まるで、あんた、親鸞さんよ。まるで坐禪持戒もしなさい。念仏も
しなさいと言っているみたいじゃないか。正法と真宗の二つがまるで並立し、両方しなさいと言
っているみたいじゃないか。

 親鸞さん。ばか言うのは止めなさいよ。教行信証講義 行の巻 山邊習學 赤沼智善先生はこ
う言っているんだ。『持戒坐禪を正法と名づく。念佛成佛これ眞宗』「然しこの正法は、所謂、
浄土の要門で、いまだ至極の教ではない。」
68渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/18(土) 14:27:35.66
 正法を取るのか、真宗を取るのか。二者択一なんですよ。あったり前でしょう。教行信証には
空腹のことなんか書いてないんだから。
 正法と真宗とは二つは併存しないですよ。弘願門を取るか、要門を取るか。そして要門を捨て
て弘願文を取る。正法を捨てて真宗を取る。これが、あんた、本当の親鸞聖人の教えなんだ。

 『坐禪持戒は眞功を用いてなり?』『空腹を満たす?』冗談言うのはやめなさいよ。親鸞さん。
念仏だけすれば救われるんです。空腹になる?。風が吹いていくる?。あんた、こんなのが親鸞
聖人の教え、浄土真宗であるはずないでしょう。

 親鸞さん。あんたバカを言うのは止めなさい。私は、明治以来百年以上、浄土真宗教学の最高
峰に君臨する山邊習學でござんすよ。どうだ親鸞、恐れ入ったか!!親鸞さんよ、お前、おかしな
真筆本でこそこそと馬鹿なことを書くのは止めなさい。

 山辺習学・赤沼智善の方がおかしいなんて言うのは、便所の落書き、2ちゃんねるのノータリン、
渡海難のあのバカだけですよ。外には世界中どこにも、一人もいませんよ。!!
69ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/18(土) 18:00:49.26
>>51 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho 2013/05/17(金) 23:11:49.07
> 難行道(言葉を紡ぐということ)をやっています。それは間違っていますでしょうか?
>
> またこの前、変な霊が憑いているといわれていたことを少し気にしています。

結論から言うと、真宗の経典では 観経 が一番高度なのだが、その手法を駆使し
信仰しても、信者の最高峰にはなれるが、供養が出来る法力は会得できない。
観経の云う、仏様を向こうにおいては、仏信仰ではあるが、憑依した霊や、自分の
先祖霊、門徒の先祖霊を成仏させる事は出来ない。
成仏させる為の基本は法力、仏様を自分側にしなければ法力は付かない。
法力には二つの要素がある。
一つは仏様が自分側と云うことで、仏様との波動、言い換えればチャンネルを合わせること。
チャンネルが合ったなら、自分の脳からそのチャンネルの波動の念を大きくする事。
放送局で云うならば、送信電波の出力を上げる事でサービスエリヤが広がると影響力も
広がる、僧侶で云うならば加持力が増大し霊界への影響力が増大するという事になる。
70ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/18(土) 18:01:25.63
>>51 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho 2013/05/17(金) 23:11:49.07

君と同じ精神状態で私のところを訪れた人たちは皆精神不安定から抜け出した。
その人たちと同じことをすれば、今までの経験から例外なく抜け出せるのだが、
君の場合問題がある。
それは仕事として門徒の先祖霊と拘るので、抜け出せても仕事をすればまた元の状態になる。
元の状態とは戻る事ではなく、新たに同じ現象を起こす霊に憑依されるからだ。
それから脱出するには、君自身が命がけの修行を効率よくして引導供養できる実力を
つけるしかないのだ。

そもそも君には霊に拘る僧侶の仕事が向いていないように思う。
このままでいくと早晩渡海のように苛立ち自分を失う事となる。

故に方法は二つある

僧侶を辞めて私にすがるか
法力のある僧侶になるよう真宗以上の修行を合理的にするか

全ては君次第なのだが、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、


重ねて言う 渡海難 のようにはなるなよ!
71ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/18(土) 18:57:32.07
>>70 そんなことではないんです!苛立ちなどすぐ癒されるほど、この現実には
素晴らしい人々がたくさんいる。別にあなただけではないんです。いろいろな人々がいるんです。
例えば音楽プレーヤーに入れた曲を聴くだけで僕の気持ちは軽くなるんです。
それで十分なんです。元の気持ちに戻って、でも、もどかしさがある。
そのもどかしさをどうにかして取り除きたいと思い、素晴らしい世界を思い浮かべる。
そしてその心地の良い雰囲気の中で命がけの修行をしていく。それが出来なかったら
つらつらと今日は寝るだけ。その日暮らしの時期もあれば、また意気盛んに頑張る時期もある。
僕はその程度で満足です。そしてそれを逸脱することは自分の気持ちに反する。

何か偉大な者になりたくて果たして生きていくのでしょうか?そういう気持ちは
もうとっくの前に捨てました。暑苦しいじゃないですか?そりゃあ、心地よい雰囲気の
中で情熱で以て修行をするってのはあるかもしれないですが、特別な何かはないのです。

言っていることは分かりますでしょうか?僕はあなたから見ては虫けらのような
人間かもしれないが、それでも満足しています。生かしてもらってありがたいと
思う時もありますし。
72ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/18(土) 18:59:45.17
笑われようが、叱咤されようが、諌められようが、何されようが、
僕は変わりません!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
73記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2013/05/18(土) 19:51:17.58 BE:1642450638-2BP(333)
ランボー法師の真似をしてみようと思ったのだが、やはり本職には届かない。

法話例集
http://ncode.syosetu.com/n4361bq/

連載はじめました。ツッコミ、どんどん待ってます。

 あるところに、真理を探究するものがいた。彼は、仏僧にたずねていった。
「この世の真理とはいかなるものでしょうか?」
 仏僧は答えていった。
「仏教においては、この世の真理を語るに、より高次元の存在へ霊性を上昇させることが大切だとされている。
縦、横、高さ、で三次元。時空となって、四次元。平行宇宙を入れて五次元。波動を体感できるようになれば、六次元。
天使や神々とたわむれるようになって、七次元。そして、仏教の悟りによってたどりつける次元は、八次元だとされている。この八次元が涅槃、すなわち、ニルヴァーナである」
「八次元! それはすごい。すると、あなたは何次元まで霊性を上げることができたのですか?」
 凡夫は吃驚して仏僧にたずねた。
「拙僧は、九次元まで霊性を高めている」
「く、九次元。それはいったいどういう境地なのでしょうか!」
「九次元ごときで驚いていてはならんぞ。喝。聞くところによると、最近の物理学会でも霊性を高める研究をしており、
聞けば、十一次元までたどりついた聖者がいるとか。まことに、最先端科学とは恐ろしいものだ。最先端科学は、敬して遠ざけるのがよかろう」
74記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:8) :2013/05/18(土) 19:52:49.72 BE:4927349298-2BP(333)
 すると、凡夫は、首をかしげて質問した。
「あのお、失礼ですが、物理学がこの世の真理なのでしょうか。物質の根源を探究していけば、大衆は救われるのでしょうか?」
「うむ。鋭い質問である。物理学は、この世の真理ではない。まことの教えとは、当然、即物的なものではなく、この世の真理は、仏の道にあるにまちがいない」
「では、仏教では、十一次元は、いかなる霊性をもつものとして、考えられているのでしょうか?」
「うむ。十次元とは、万民救済を行える菩薩の世界だ。十一次元は、仏性物理によって解説されている。あらゆる粒子は、ダルマ(法)によって生成消滅をくり返すという仏性物理だ」
「尊師は、なぜ、九次元の霊性であられるのに、十一次元の霊性がわかるのでしょうか?」
「バカもの! 本来、九次元であるはずの我が魂は、愚かな汝に説法するために、偉大なるさらなる高次元の存在に導かれて口が動いたためである。それがわからんとは、お主には、信心が足りん!」
 大喝された凡夫は、平伏して仏僧にたずねた。
「すると、この世の真理とは、十一次元の霊性なのでしょうか?」
「うむ。迷えるのも無理はない。実は、わたしは十二次元の守護霊に導かれて、霊性を高め、愚民を救済する定めを背負っているのだ」
「おお、十二次元の守護霊さまとは、なんとありがたいものだ。これは、我々凡夫では、とても戦っても敵わないし、理解することもできない。
真理を競い合って勝てるわけがない。十二次元の守護霊に導かれているこの聖者に従えば、きっと苦しみから救われるにちがいない。ありがたや、ありがたや」
「待ちなさい。この程度のことでありがたがってはいけない。そもそも菩薩の慈悲とは、
十二次元の守護霊に導かれて行う施しよりも、ありがたく尊いものなのだから、それはあなたには想像することもできないのだろうけど、あなたの想像以上の慈悲と極楽を与えてくれるのが菩薩道というものなのです」
「わかりました。わかりました。今日はありがとうございます」
 こうして、凡夫は感謝感激して飛んで行った。
75記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(3+0:8) :2013/05/18(土) 19:53:45.04 BE:3284899586-2BP(333)
2、地獄

 凡夫は、地獄について仏僧にたずねた。
「悪人は死ぬと地獄へ行くのでしょう。どの程度の悪人から、地獄へ行くのでしょうか?」
 仏僧は答えていった。
「仏教には、五戒というものがある。不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不飲酒戒だ。
生き物を殺したもの、盗んだもの、交尾をしたもの、嘘をついたもの、酒を飲んだもの、これらのものたちは地獄へ落ちる。
お主は、何か隠れて悪いことをしてはおらんだろうか。どんな悪さも、閻魔帳に書き記されているのだから、
決して逃れることはできない。少しでも、悪いことをした覚えがあるなら、
急いで仏教寺院に財産を寄付することだ。できるだけ多額の寄付を行ったものは、それだけ悪行を許され、地獄へ落ちることなく、天国へ行けるだろう」
「しかし、まったく生き物を殺さず、生きていけるものがありましょうか?」
 凡夫が疑問に思ってたずねると、仏僧は答えた。
「然り。まことに信心深く、修行に励み、高い法力を手に入れた者は、まったく生き物を殺さずに生きていける。決して、修行を侮ることなかれ。
拙僧は、この通り、もう十年は生き物を食料とせずに生きている。決して、殺すなかれ。決して、盗むなかれ。決して、交尾することなかれ。決して、嘘をつくことなかれ。決して、酒を飲むことなかれ」
「いや、でも、さっき、あなたが焼き鳥を食べていたのを見ましたよ、わたし。お酒も飲んでおられたような」
「喝! 幻覚である。修行が足りぬゆえにそのような幻覚を見るのだ。これは、悪魔がお主を地獄へ落とすように、誘惑しているのであり、決して聖者の功徳を疑ってはならん」
 凡夫は自分が悪魔にたぶらかされていたのだと知って、がたがた震えて答えました。
「ああ、わたしのなんと愚かなことでしょう。聖者がありがたい教えを説いてくださっているのに、邪な疑いをかけるとは。
わかりました。わたしは、もう、食べ物を食べません。断食します。盗みもしません。妻との交尾もしません。嘘もつきません。酒も飲みません。禁酒します」
「うむ。そうすれば、汝は天国へ行けるだろう。しかし」
76記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(4+0:8) :2013/05/18(土) 19:54:34.12 BE:1642450638-2BP(333)
「しかし、なんでしょう」
「どうして、地獄へ行くことを恐れるのだ。生きるも死ぬも、一切皆苦。
六道輪廻、人間界も、地獄界も、輪廻して行き来するが凡夫のありえるべき姿であろう。
どうして、地獄へ落ちてはいけないのだ。なぜ、地獄を恐れる。どうせ、生きるも死ぬも、一切皆苦。
天界へ生まれ変わった神ですら、輪廻からは逃れられぬ。例え、神だろうと地獄へ落ちる。殺し、盗み、交尾し、嘘をつき、酒を飲むのが、あるがままの世界ではないのか」
 凡夫は、はっとして聞いた。
「そうでございました。地獄を恐れるのは、先入観でございます」
 すると、仏僧はいった。
「ここはどこだ?」
「宇宙」
「宇宙とは何だ?」
「一切皆苦」
「ならば、どう生きる?」
「地獄もろとも、さすらい歩むのみ」
「その通りじゃ」

おわり。
77渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/18(土) 20:37:49.41
 浄土真宗教学を正す。

 念仏成仏これ真宗。働かざる者、食うべからず。人は会社に行って働く。会社に行くと言うこ
とが大事なんだ。
  持戒坐禪を正法となづく。服を着る。パンツをはく。ズボンをはく。これは正しいことだ。
だから正法である。
 社長は裸一貫で会社に来てくれれば歓迎すると言っている。会社に行くことが大事であり、ど
んな服を着るのか。パンツをはくのか。ズボンをはくのかという正法は、所謂、要門で、いまだ
至極の教ではない。身をどのように着飾って通勤するかと言うことは、大事なことではない。

  一歩を進めて念仏成仏是真宗、如来回向の大行に依って往生する弘願法こそ真実の真教真宗
であるというのである。一歩進め、そのまま来いよの社長の言葉により、何も着けず、裸一貫で会社
に行かせて貰うことこそ、真の通勤であるというのである。

 服を着るのか、通勤するのか。どっちを選ぶのか。服を着るなら通勤しない。通勤するなら裸
になる。服を着て通勤すれば雑行となる。どうして雑行がいいんですか?雑行はだめなんです。

 さあ、みなさん。すっぽんぽんで会社に通勤しましょう

 浄土真宗勘違い教学は「教行信証講義 行の巻 山邊習學 赤沼智善
 お笑い浄土真宗、百年の近代教学だ。

 念仏成仏これ真宗。禪律如何これ正法。服を着る。パンツをはく。ズボンをはく。これは正しいこ
とだ。パンツをはく。ズボンをはく。これは、通勤途中の事故から身を守ったり、社会の風紀を守る
というという、そういう効能がある。
 服を着ない。パンツもはかず、ズボンもはかず、すっぽんぽんのままで会社に行くとなれば、そ
れでも会社には着くが、そんな格好で会社行ってどんな仕事ができるんだ?。ろくな仕事がでで
きないだろう。

 だからこそ、服を着て、会社行く。
 坐禅して念仏するとはそう言うことだ。
78名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/18(土) 20:40:16.88
本物の真宗僧侶の人、はやく出てきて、この状況をなんとかしてくれw
79ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/18(土) 20:55:46.67
>>71 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho New! 2013/05/18(土) 18:57:32.07


なあにいちゃん、潔い事書いているが、所詮アマちゃんなんだよ。
今日書いた事一生忘れないで逝った時に何が本当か、何が偽りかしっかりと見定める事だな。

注意が一つある
渡海も同じなんだが、私と絡む事で付いている霊は、私に依頼したら救われると気が付く。
催促はより強い霊障として現れる、そして苛立ち、渡海のように連投するが気が治まらない。
最後は自暴自棄になって自殺する。

霊をキチンと認め対処しないのは、細菌やウイルスに感染していても気が付かず手遅れに
なるが如しなんだ。

長々と、http://blogs.yahoo.co.jp/ekumadara こんな事書いている暇があったら、合理的な
修行をすべきであろう。

頭を入れ替えなければ、生き地獄を味わうよ。
俺は、金で霊界の事を請け負う傭兵だ。
80ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/18(土) 20:56:21.93
渡海君にふさわしい記事があった。

米国の精神疾患
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130518-00000018-jij_afp-int
米国の子ども最大5人に1人に精神疾患、CDC報告
AFP=時事 5月18日(土)13時31分配信
【AFP=時事】米疾病対策センター(Centers for Disease Control and Prevention、CDC)は16日、
米国の児童や10代の若者のうち最大で5分の1が不安やうつといった精神疾患を患っており、
その数は増加傾向にあるという報告書を発表した。


もし日本での調査があれば、渡海君もスコア上昇に寄与していたであろう?
世界各国、霊界における汚染が広まっている。
そのストレスが子供にまで広がり、精神不安定のニートから学校での非行暴力と汚染は広まり
宗教的救済が無ければ社会は崩壊してゆく。
幸いに日本は弘法大師空海が現れてから汚染が広がる速度は遅くなった。
しかし明治維新の廃仏毀釈により、その期待は無残にも砕かれ、アメリカのそれの後を追う
状態となったしまった。

私はあと30年も生きれば上等だ!
霊障が蔓延しても私には関係な〜〜〜〜い処に居るw

追記 お粗末な宗派が多いので、死ぬまで仕事が無くて困る事はない。
81名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/18(土) 20:56:40.77
真宗スレの人は優しいからNGにしないんだね
82名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/18(土) 20:58:37.77
にぎわってるねぇ
83名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/18(土) 21:12:42.21
服を着る⇒座禅
会社に行く⇒念仏
会社での仕事⇒(  )
84名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/18(土) 21:34:40.92
>>61-62
・渡海 難の発言

http://www.logsoku.com/r/kyoto/1367202208/
46 : 渡海 難  ◆Fe19/y1.mI [] : 2013/05/01(水) 11:44:17.02
 僕は、課題があれば、3時間でも、4時間でも、一人で座禅しながら続ける。食事もとらずにすることもある。寝なが
らする時もある(笑)。

164 : 渡海 難  ◆Fe19/y1.mI [] : 2013/05/03(金) 12:11:34.30
 無声の禅では、心が動いて行くその動きをもう一つの心がじっと眺めるという状態を作ります。曹
洞禅、臨済禅はいずれも無声禅であると考えます。親鸞聖人の一念念仏は、この無声禅への導入に、
一度ゆっくりと南無阿弥陀仏を称えて呼吸を整えると考えています。

165 : 渡海 難  ◆Fe19/y1.mI [] : 2013/05/03(金) 12:18:59.74
 最初にゆっくりと南無阿弥陀仏と、一回だけ称え、そのまま沈黙の状態の座禅を続けます。多念念
仏が有声の禅、一念念仏は無声の禅です。

・以上から渡海 難は「座禅を修することが真宗の教えに適う」という見解を持っていると考えられる

(反論)
・聖教には雑行を修する者は弥陀の本願から漏れるとされている
「雑行を修し、雑修をこのむものをば、すべてみな、てらしおさむといわずと、まもらずとのたまえるなり。」(>>44-45
85名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/18(土) 21:37:54.28
訂正

「座禅を修することが真宗の教えに適う」
          ↓
「座禅を修することが親鸞の教えに適う」
86渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/18(土) 22:03:37.79
>>84
> ・以上から渡海 難は「座禅を修することが真宗の教えに適う」という見解を持っていると考えられる

『浄土五会念仏略法事儀讃』に云わく、
 それ如来、教を設けたまうに、広・略、根に随う。終に実相に帰せしめんとなり。・・・・如来常に三昧海
の中において、網綿の手を挙げて、父の王に謂いて曰わく、「王いま座禅してただ当に念仏すべし」 
                        行の巻


五會法事讃略抄          眞宗聖ヘ全書五
    宗祖眞蹟小部集
伊勢專修寺蔵宗祖眞蹟本 高田學報所載
 それ如來ヘを設けたもうに廣略根に随う。ついに實相に歸せしめんとなり。眞の無生を得む
者には、たれかよくこれを与えんや。しかるに念佛三昧は、これ眞の無上深妙の禪門なり 
(五會法事讃略抄 親鸞真筆)

   無上深妙の禪門なり(親鸞)

 『教行信証六要鈔会本』 行の巻
 次に『五会讃』法照禅師の述作する所、一巻の書なり。今の所引の文は、これ序の初なり。
流布の本に「深妙」の下、「問答」の上に禅の一字あり。また「焉」或いは「為」、彼此に差
あり、異本あるか。義に於いて違せず。

「問答」の上に禅の一字あり。・・・義に於いて違せず。  存覚 註書き

 神にも、馴れては、手ですべきことを足でするぞ(蓮如)
 念仏にも作法がある。通勤にも作法がある。
 慣れてくると、真宗の坊さんは、通勤は、すっぽんぽんで出かけるのか?
87渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/18(土) 22:24:08.06
>>86
 追加

> 「問答」の上に禅の一字あり。・・・義に於いて違せず。  存覚 註書き

 説明
 教行信証では、「念仏三昧は、これ真の無上深妙の門なり。」と、
禅の字が落ちているが、「念仏三昧は、これ真の無上深妙の禅門
なり。」と書いてあるのと、意味において同じであるという意味です。

 通勤するなら、パンツとズボンぐらいははいて行きたいものだ。
念仏は座禅して称えよう。

 六要抄は、教行信証の最古の注釈書です。
88名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/18(土) 23:09:56.34
>>86
念仏する時の姿勢の話じゃなくて

>最初にゆっくりと南無阿弥陀仏と、一回だけ称え、そのまま沈黙の状態の座禅を続けます。

というように、念仏といいつつ座禅してることが雑行なんじゃないかといってるわけ

色々と引用してるみたいだけど
全部、「念仏しなさい」って言ってるだけでしょ

「王いま座禅して【ただ当に念仏すべし】」

「【しかるに念佛三昧は】、これ眞の無上深妙の禪門なり」
89名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/18(土) 23:23:29.13
渡海さん、お尋ねします。
禅=坐禅なんですか?
90渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/18(土) 23:30:37.86
>>88
 一念を僻(ひが)ごとと思うまじき事・多念を僻(ひが)ごとと思うまじき事
 田舎の人々の、文字の心も知らず、浅ましき、愚痴極まりなきゆえに、
易く心得させんとて、同じことを、取り返し取り返し書き付けたり。心あらん
人は、可笑しく思うべし。
91渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/18(土) 23:31:50.22
>>89
 質問の趣旨不明です。
92名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/18(土) 23:40:18.02
>>90
答えになってないけど?

「一念多念文意」のどこに

164 : 渡海 難  ◆Fe19/y1.mI [] : 2013/05/03(金) 12:11:34.30
 無声の禅では、心が動いて行くその動きをもう一つの心がじっと眺めるという状態を作ります。曹
洞禅、臨済禅はいずれも無声禅であると考えます。親鸞聖人の一念念仏は、この無声禅への導入に、
一度ゆっくりと南無阿弥陀仏を称えて呼吸を整えると考えています。

165 : 渡海 難  ◆Fe19/y1.mI [] : 2013/05/03(金) 12:18:59.74
 最初にゆっくりと南無阿弥陀仏と、一回だけ称え、そのまま沈黙の状態の座禅を続けます。多念念
仏が有声の禅、一念念仏は無声の禅です。

みたいなことが書いてあるんですか?

特に「一念念仏は無声の禅です。」ってこれの根拠はどこですか?
93名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/19(日) 00:07:13.98
>>91
この質問に趣旨不明と回答するのは無知を晒してるようなもんなんだが…
94名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/19(日) 00:16:18.71
>>91
禅には「坐」という姿勢が伴うのですか?
95名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/19(日) 05:54:22.12
渡海男の考え方が解った。理屈はよしとして、雑念の中では南無阿弥陀仏への念も雑草に絡まれるが如くだと考えたのだな。
バスや電車に乗りながらでも、呼吸を調え、心を鎮めて南無阿弥陀仏と唱えるのは自分もよくやることだ。
人間にとって心の落ち着きや安寧は、自信や生きる力を生む元だ。
やり方はそれぞれで、およそあらゆる宗教には禅の要素が入っている。
真言宗も阿字観を行うが、似た方法だろう。
心の平静さなくしては、弥陀の本願としての想いを掴むことが出来ないと言うことだ。
禅はだいたい座るが、バスや電車待ちで立ってる時や、布団の中でも何処でも出来る。
神社で合掌している姿も心の現れだ。
南無阿弥陀仏と唱え、阿弥陀仏の姿をイメージするのもありだ。
96名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/19(日) 06:01:58.78
難は南無阿弥陀仏の宗派より、曹洞宗が合っている。
別に阿弥陀仏でなくとも観音でも不動明王でも神社でもよいのだ。
自分の場合は神前で先ずは心の清めを行う。
ほとんどこれで十分だ。
次に阿弥陀仏像の前で南無阿弥陀仏だ。
97名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/19(日) 06:05:41.88
しめは南無妙法蓮華経。
真理に生きて己の魂の目的に従う、という信念を強化する意味。
98ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/19(日) 07:56:04.88
>>79 霊の話は難しいので、パスです。
99ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/19(日) 08:02:02.40
>>79 なんで一般人には言わないのでしょうか?
100名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/19(日) 08:17:23.21
なんか、新興宗教のスレっぽくなってきたな
まあ、その方が真宗には合ってるかもなw
101ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/19(日) 08:18:09.23
坊走老人 寺子屋ランボー法師臨時説法 

何故先祖供養をせねば祈願が成就しにくいのか?

多くの此処の住人は、一生懸命誠心誠意阿弥陀さんにお願いすれば効果が出ると思い込んで
いるようだが、霊界を知らない素人解釈に他ならない。

私達の多くが神仏に頼り救いを求めなければ成らない事象の原因には、その多くに
先祖霊が拘っており、その理由は先祖霊が霊界で苦しんでいて供養などにより救って
もらいたいからなのだ。
それを法力の無い引導すらない真宗僧侶に先祖を委ね、それで供養をしている、往生
していると思い込んでいる門徒も悪いのだ。
真宗はそれを反省して効果のある供養が出来ないと先祖霊拘りの事象は解決できないのだ。
効果のある供養をした其の上で、先祖に無関係な霊に攻撃を受けていたなら阿弥陀様も
間違いなく救ってくださる。
先祖供養が先にあるのは、大日如来の御心であり、先祖の供養を疎かにせず満足な供養を
したなら先祖の起因する霊的障害は消滅するが、其の供養を怠って阿弥陀様に助けを求める
真宗の姿には仏様は同意もせず救済もしないのだ。

霊障における事象は、首から上では テンカン、自閉症、脳の異常などがあり、全身を考え
たなら、肩がこるような作業をしていないのに肩こりが酷かったり、厚い毛糸などの靴下
履かないと寒く冷えて眠れない等霊障と共に起きるのだ。
また妊婦では逆子も霊障で、赤子の首にへその緒が巻きつくなどは当然霊障なのだ。

これからも供養の必要性は執拗に書き込もう、お前らの目を覚ます為に、、、、
仏の慈悲、ランボーの慈悲だ!
102ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/19(日) 08:18:45.77
第十一章 崇と救済   リング 貞子 だ!

それを、寝ている間に必要不必要のデータ選別をして、必要なものをデジタル化
(2進法にコンパイルする)して格納します。
漫然として生きていれば格納するデータは少ないのですが、マントラのような密なものは
コンパイルするのに時間がかかります。
そのために、頭が非常に苦しくなるのです。
幸い人の脳はパソコンと違い、毎回スピードが同じではありません。
新しくシナプスが芽生え、合理的な回路が形成され、処理スピードが上がるのです。
体力的には前より格段に衰えていますので、この仕組みに期待するしか、道はありません。
そこで、ファックスの奥様に手紙を書きました。文面は次のようなものです。
”お父様のそばで、声を出してお父様に憑依している霊が聞いていると思っていって下さい。
父の脳に腫瘍を創って自分の存在を知らしめ、訴いかけている霊に言います。
私の処に供養に来ている住職にお願いして、あなたの苦痛を取り除き成仏させてもらうよう
取り決めしましたので、これ以上父の脳内腫瘍を成長させないでください。もし住職が修行
を終えてあなた(この時は男性か女性か分らない)の供養をしに来る前に父が死んだら
あなたの供養はしないと住職がいっていました。修行の最後の日は夜中0時を廻ったら
始めて日が昇る頃には終り、準備をして車で深川まで来ますので、約束して下さい。”
と言ってもらいました。
傍からみたら、あの娘何独り言云っているのかと思われたでしょう。
その言葉を伝えた時身の毛がよだち、震えが止まらなかったそうです。
103名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/19(日) 12:08:46.93
崇と救済?
104渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/19(日) 14:54:14.35
>>92
>答えになってないけど?

 随分失礼なご返事ですね。

 渡海難は、自分(>>92)が想定している基準をクリヤする答えをすべきである。貴方は上から
目線でそのようにお考えですか?。貴方(>>92)は、渡海難の試験官なったおつもりなんでしょ
うか?。僕は不愉快ですね。僕はあなたに試験官をお願いした覚えはありませんよ。

 自分が発した問いに相手が回答してくれれば、内容に関わらず、社会人の常識として相手の親
切にまず感謝したいものです。
 「答えになってな」ければ、それがどうしたと言うんですか?。相手から思い通りの回答をし
て貰えなければ、形はどうあれ、まず相手に感謝し、その上で、自分の質問方法が悪かったかな
と反省し、必要があれば、「誠に恐縮ですが、この点について再度ご教授いただけないでしょう
か」と、頼むのが礼儀というものでしょう。

 会ったこともない相手に「答えになってないけど?」とは、貴方は一体自分を渡海難に対する
何様とお思いなんでしょうか?。

 間違えないでください。僕は貴方の乳母でもなければ、家庭教師でもありませんよ。相手に金
も払わず、自分の必要とする情報を上から目線で要求するというのは、現代社会では、実に図々
しく破廉恥なことです。
 貴方から一銭の謝礼も受けることなく、乳母でもなければ、家庭教師でもない人物が、貴方に
とても大切な社会の常識というものを親切にお教えいたしました。
 答えになってなくて悪うござんした。
105渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/19(日) 14:55:17.10
>どこに書いてあるんですか?

 天台小止観 (天台智が説き、弟子の浄辨が記録した)

正観者 即是観諸法実相智慧 如経中具説(中略)
正観は、即ちこれ、諸法の実相を観察する智慧なり。経中に具さに説くが如し。

爾時応当、随心所縁 一切諸法
その時、一切諸法、まさに心縁ずるところに従うべし。

若善若悪若無記 若三毒貪瞋痴等 若念一切世間之事 即当反観 所起之心
若しは善、若しは悪、若しは無記、若しは三毒、貪瞋痴等、若し一切世間の事を念ずれば、すな
わちまさに心の起こる所の観に反(かえ)るべし。
天台小止観 正修の行
106渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/19(日) 14:57:07.59
>>94
 親鸞聖人の禅門は、原則として座を伴うと考えます。
 根拠   王いま座禅してただ当に念仏すべし

 ただし、多念念仏(五会念仏)に精神を集中すると、耳と心に念仏の残像が焼き付き、歩いて
いるとき、仕事をしているときに念仏が出てくることがあります。
 生産性のない妄想、あるいは過去の悔いなどがフラッシュバックのように思い出されてきて、
自分に邪魔になってくると、僕は場所を選ばず、僕は五会念仏を称えるようにしています。そう
すると、反射的に妄想やフラッシュバックが消えていきます。
 その場合の念仏は、回りの人に聞こえないくらいの小さい声になります。音にしないときもし
ばしばです。しかし、心は、座禅して五会念仏に集中しているときの数分の一程度の集中状体に
なります。
 これも、親鸞聖人の念仏に含まれると考えますし、またそのような心理構造を作ることも、親
鸞聖人の教えの目指していた一部であると考えます。その意味では、坐るということに限定され
ないと考えます。

 走りながらは念仏はできませんが、立っているとき、あるいは散歩のときには称えます。歩い
ているときには足の早さに合わせます。
 座禅して行うときには通常、呼吸に調子を合わせます。呼吸は横隔膜で調整し、一呼吸23秒
を2回と7秒の呼吸と8秒の呼吸とを組合わせています。この速度が横隔膜の刺激に自分には一
番いいようです

>>95
>真言宗も阿字観を行うが、似た方法だろう。

 僕は阿字観を教わった経験がない。阿字観は精神を阿という字に止めるんだろうと思う。それ
なら奢摩他になるんだろう。念仏の声に気持ちを停止させる多念念仏と本質が共通すると思い
ます。
107渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/19(日) 14:57:57.78
>>96
>難は南無阿弥陀仏の宗派より、
  渡海難は、何宗でもない無碍の念仏者である。浄土真宗という宗名にこだわるつもりは無い。
 
>曹洞宗が合っている。
 曹洞宗も禅門、念仏三昧も禅門。お釈迦様の教えに違いがあるわけない。
 なぜ曹洞宗ではないのか。縁が乏しかったというのが最大の理由だろうが、親鸞に拘る理由は、
振り返れば色々と説明できる。

 曹洞宗の禅は、奢摩他の実践が乏しい。まったっくないわけではないが、中心は毘婆舎那のよ
うだ。毘婆舎那をしながら、片手間に奢摩他をしているようだ。奢摩他と毘婆舎那の切り分けも
不明確だろう。
 親鸞は、奢摩他の重要性を説いている。僕は奢摩他と毘婆舎那をほぼ均等にしているつもりだ。
親鸞の禅門で僕は満足している。

>別に阿弥陀仏でなくとも観音でも不動明王でも神社でもよいのだ。

 まあ、そういうことも言えなくはない。しかし、法照禅師の五会念仏は、呼吸の生理に合致し、
実にすばらしい。五会念仏は、「南無阿弥陀仏」であり、敢えてこれを観音菩薩や不動明王に言
い換える必要は無いだろう。五会念仏は、もともとは天台禅の主流だったろうと思うが、今では
親鸞聖人の教えの中にだけ残っている。

>次に阿弥陀仏像の前で南無阿弥陀仏だ。

 大勢の人を集めようとするなら、この指止まれという旗が必要だ。存覚上人は仏像を置くこと
を勧めている。しかし、僕一人が称えるときには、仏像はなくてもいい。

 まして、真宗の仏像は来迎像だ。念仏道場の仏像は、観無量寿経第八の観の座像を置くのが親
鸞聖人の本来の教えだ。座禅して称えるところに来迎像は不釣り合いだ。
108ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/19(日) 17:06:43.92
寺子屋日曜教室  躾け 壱

景色がいいところがあるかと聞かれ、あの岬の先で夕陽を見るととても綺麗だった、と応答。
岬の先に行った事の無い者が、その話を聞いて、夕方岬に行った。
景色は綺麗で、みとれて歩いているうちに、崖から落ちそうになるも、危うく墜落は免れた。
その危ない目に会った者は、その後岬を教えた者に、柵が無くて危険な事をなぜ教えない
のかと、猛烈に抗議した。

同じような事例が巷にも多くあり、農業用水路、沼、堀など、子供が不注意に落ちた時、
その子の母親はモンスターと化し、所有者に苦情を言う。
無断で立ち入った子供に、危険を回避する教育、躾けを教えていないのに。
世の中は、自己責任だという事を考えられない愚かな者が急増している。
ぬるま湯にどっぷりとつかった社会となった日本では、自分を守ろうという意識や教育が
疎かにされすぎた結果なのだ。

日曜日のたかじんのそこまで言って委員会 で、弱体化した子供たちの教育を考え直さ
ねばならないと言う話だった。
自分を守れるようにする為にも、自主的に考え行動できるように躾けるにも、強制的に
軍事教練したなら改善できると話が広がった。
それは、戦争に対してのめりこむ事ではなく、地震、水害、津波、寒波などの自然の猛威
に、各々が対応出来るようになることが目的で、最近の大きな二度の地震でも生存できる
人が増えたに違いないというものだった。
109ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/19(日) 17:07:23.48
寺子屋日曜教室  躾け U

何の世界でも同じで、危険を察知する能力を高める必要性、それに対応する知恵(知識は
パソコンにも詰まっている、それを有効に生かすのが知恵なのだ)が欠落しているのは、
個人個人が精進して会得しなくてはならない。
昔の人は、そうした知恵で難儀を切り抜いてきた。

宗教でも、危険を察知してかわし、有効なものに変えるぐらいの知恵が必要なのは当然で
只で宗教的情報を提供されて、そのうえ危険があったらどうしてくれるのだ、と云うような
考えは、甘ったれすぎで、仏様にも見放され、喩え死に到るとも仏様は救わない。
只で教えてもらった事で、危険が生じると文句を言う奴は、高額の対価を払って、それなりの
処に行けばいい。
其処まで落ち込んだ状態になってしまったのも自分自身がつくった因縁、他人が救わねば
ならぬ義務は、無いのだ、故に死に至るも仏様さえ救いの手を出さないのだ。

あまったれるな!


躾け 知恵を持って知識を利用し身なり美しく振舞う事
110ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/19(日) 17:08:00.57
第十一章 崇と救済   リング 貞子 だ!

さて、次の座に入ってお参りも中ほどに、異様な気配を感じました。
間違いなく深川の貞子だと分ったので、
”貴女は深川市のお父さんに憑依して脳に腫瘍を創った娘さんだね。”
と確かめました。
彼女は素直にそうだとこたえ、先ほどの奥様に宛てた手紙の内容と同じ事を伝え、
”こちらにいらっしゃる仏様は虚空蔵菩薩という名の仏様で約束の証人になって下さるから、
貴女も約束を守って下さい。”
と言ったら、納得していなくなりました。
翌日また修行の途中で彼女が出てきました。
年は十九歳、橋の工事の時に白衣を着せられ人柱にされたそうです。
流木が頭を直撃し、脳内出血で死亡したそうです。
それでお父様が最初に摘出した物がガンでもないし、えたいの知れない腫瘍と担当医から
説明がありました。
人柱に娘を出す事で、村からいくばくかのお金を親がもらい、娘を見離したから、
親の付けた名前はいやで使わないというので、私がサチと名づけました。
きちんと戒名を付けて、正式な引導をわたし、水から引き上げて供養すると告げると、
安心して戻って行きました。その後修行中に現れる事はありませんでした。
111名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/19(日) 18:49:22.59
>>104
>自分が発した問いに相手が回答してくれれば、内容に関わらず、社会人の常識として相手の親
切にまず感謝したいものです。

「明日の天気は晴れそうですか?」と尋ねたら、「アッチョンプリケ」と返ってきた感じなんですが、
それでも感謝しろと?

>必要があれば、「誠に恐縮ですが、この点について再度ご教授いただけないでしょう
か」と、頼むのが礼儀というものでしょう。

そっちこそ、どれだけ上から目線なんだw

弟子でもない人間の問いに対して、まるで「アッチョンプリケ」のような意味不明な回答をして
答えた積もりになってるなんて、あなたは自分を何様だとお思いなんですか?

間違えないでください。ここは2chですよ。私は貴方の弟子でもなければ、信者でもありませんよ。
上から目線で相手にソースも示さず、スレ落ちするほど掲示板を荒らし、あまつさえ敬意を要求するのは実に図々
しく破廉恥なことです。

「渡海 難がグーの根も言えないほどコテンパンに反駁」しろと言ったから、その通りに実行したのに
敬意を示さなきゃ答えてやんないよーじゃ話にならない。
112名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/19(日) 18:54:10.55
>>105
>正観者 即是観諸法実相智慧 如経中具説
それと親鸞の念仏が何の関係があるのですか?

>若善若悪若無記 若三毒貪瞋痴等 若念一切世間之事 即当反観 所起之心
「若念一切世間之事 即当反観 所起之心」と称名念仏がなんの関係があるのですか?

「すなわちまさに心の起こる所の観に反(かえ)るべし。」という読み下しに疑問を感じるのですが、
これってあなたが訓読したのですか?
113渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/19(日) 20:12:20.38
>>112
>それと親鸞の念仏が何の関係があるのですか?

正観法は、毘婆舎那の実践法です。一念念仏は毘婆舎那の練習法であるというのが僕の考えです。

 かの土に生じ已りて、奢摩他・毘婆舎那・方便力成就することを得(証の巻)

 妙法を行ずるみぎりをば法花三味の道場といふ。念佛三味の道場もその義おなじかるべし。 〜 この
ゆへに穢土をもて淨土に准じ、私宅をもて道場に擬して、本尊を安ずる淨場とし、念佛
をつとむる會座とするなり。(至道抄 存覚)

 私宅に道場を開く。道場は穢土にあっても淨土に准ずる。道場は念佛三味の場、そうであれば、
念佛三味を通じて奢摩他・毘婆舎那つまり止観を練習するのが念仏道場である。称名念仏実践の
場である。

 天台智の時代には五会念仏はありませんでした。天台智が念仏を称えていたかどうか、確
証はないと思います。しかし、天台智の時代、止観(奢摩他・毘婆舎那)は存在し、天台智
は止観を人々に勧めていた。伝教大師最澄は、唐で北宗禅を学び、併せて天台智の天台教学を
日本に移入してきた。

 念仏は円仁大師が日本に持ってきた。日本天台は円仁大師が輸入してきた念仏と天台智の止
観法とを合体させ、日本天台禅という止観法を創りだした。親鸞はその日本天台禅の止観法を新
興の武士達に教えようとした。渡海難はそのように考えています。

 日本天台は、止に多念念仏、観に一念念仏を配置した。そう考えています。「南無阿弥陀仏」
を一声、二声ゆっくり称え、そのまま沈黙禅に入っていけば、天台智の観は、比較的楽にでき
る。僕はそれに気づきました。

 ここに至るには若干の遠回りをしました。親鸞の五会念仏法だけを実践していた時期がありま
した。五会念仏を実践し、自分の声がうるさくて、非常に落ち着かない時がしばしばありました。
そのときは自然に声が止まりました。声を止め、禅定状体で静かに自分の心を見るようにしまし
た。
114渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/19(日) 20:16:31.81
  五会念仏法で心落ち着かない時期が僕にあるなら、親鸞も同じで、親鸞も沈黙禅をやっていた
はずだと見当を付け、教行信証を読み直し、数十年前に買った天台小止観を持ち出し、読み直し
たわけです。毘婆舎那に注目しました。

 親鸞の大般涅槃経要文で、「若し毘婆舎那がよく煩悩を破すなら、なにがゆえぞまた奢摩他を
修するや」。という言葉に驚きました。奢摩他は補助、毘婆舎那が主なんじゃないか。五会念仏
では毘婆舎那にならないと考えたからです。
 親鸞が一念念仏を勧めている。そう思い出し、一念念仏と毘婆舎那とが結びつけたわけです。
毘婆舎那禅は、いきなり沈黙禅に入るより、一回でも南無阿弥陀仏を称えると、呼吸も整えられ
る。そう結論づけ、これが親鸞の禅門であると確信しました。


>これってあなたが訓読したのですか?

 そうです。
 漢文の訓読は色々な読み方が可能です。意味が分かればいいわけですから、原文から直に文意
を読み取ることができる方のために、敢えて漢文を付与しました。

 天台小止観は、関口真大 大東出版 を使用しています。漢文と現代文訳がついています。現
代文訳が好きになれないので、僕は漢文から訓読しています。僕の訓読が気に入らないなら、ど
うぞ漢文から直に読んでください。そのために、漢文を先に書きました。

 漢文の訓読は色々な読み方が可能です。僕の訓読が正しいかどうか。重箱の隅をつつく議論なら
お断りします。
115名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/19(日) 20:20:30.79
>>106
なんだ、坐る必要はないってことか。
116名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/19(日) 20:34:45.11
>>113
>かの土に生じ已りて、奢摩他・毘婆舎那・方便力成就することを得(証の巻)
「かの土に生じ已りて」だからシャマタ・ビパシャナは、浄土での修行であって、念仏の肝ではないでしょう


・・・ここからは余談ですが、

私は浄土真宗及び親鸞のドグマを奉ずる者ではないので、個人的にはあなたの行法にケチをつける気はありません

ただ、親鸞を根拠にする限り理論に穴が出るから、それを指摘させてもらっただけで
個人的にあなたに含む所は一切ありませんので

正直に言うと、窮屈で観念的な真宗教学よりも、あなたの「行法」の試行錯誤を興味深く読ませてもらってます
117ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/19(日) 20:34:55.78
>> 106 渡海 難 ◆Fe19/y1.mI 2013/05/19(日) 14:57:07.59
> 阿字観は精神を阿という字に止めるんだろうと思う。
> それなら奢摩他になるんだろう。
> 念仏の声に気持ちを停止させる多念念仏と本質が共通すると思い ます。


やはり幼稚過ぎますな。
教わった経験が無いなら、知ったか振りの憶測は止めるんだな。

渡海よ、これ以上生き恥を晒すな!

渡海よ、これ以上生き恥を晒すな!

渡海よ、これ以上生き恥を晒すな!
118ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/19(日) 20:35:37.13
第十一章 崇と救済   リング 貞子 だ!

それから数日後、ファックスをくれた奥様がお姉さまの家に行った時のことです。
小学生の娘さんが一人で留守番をしていました。
勝手知ったる姉の家、何時ものように入って行くと、その子がお絵かきをしていました。
何の気なしに其の絵を覗いて見ると、
な、なんと! 十字架に白い着物の女の人が縛られている絵
を書いていたのです。
おどろいた胸をなぜおろし、
”この件に関して何も知らない其の子に どうして十字架に縛られているの”
と聞きました。
”違うよ、叔母ちゃん。十字架じゃなくて丸太だよ。”
と言うのです。
よく見ると、ロープでなく稲藁縄で縛られており、手 足 首 頭 胴がきちんと結われて
いるのです。
しかも白い着物の袷がきちんと決まっており、着付け教室の絵のようになっていたそうです。
その絵を描いた子は十字架を否定した後、一度も顔を上げず、崩れ落ちるようにその場で
寝てしまったそうです。
其の事をまたまたファックスで知った私は、家族に確認させるために、何も知らされて
いない子を使って、家族に念を入れたと知りました。
119渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/19(日) 20:35:56.33
>>114
付け加えます

 毘婆舎那は、奢摩他以上に重要らしい。大般涅槃経要文を読んでそう考えました。曹洞禅・
臨済禅では、奢摩他を積極的に実践しているように思えない、彼等はほとんど毘婆舎那をやっ
ている。それなら、親鸞も必ず毘婆舎那を行っている。それは何だろう。そう考えたというの
が、思考の筋道です。



>>115
>なんだ、坐る必要はないってことか。

 行住座臥に時節の久近を問わず、念念に捨てざるは、これを「正定の業」と名づく、かの仏願に
順ずるがゆえに。もし礼誦等に依るを、すなわち名づけて「助業」とす。・・・また云わく、
散善は行を顕す縁なり、と。また云わく、浄土の要(蓮華蔵世界に)逢いがたし、と。
  (化身土巻)

 お好きにどうぞ。      浄土の要逢いがたし
120名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/19(日) 20:43:09.38
>>114
>五会念仏法で心落ち着かない時期が僕にあるなら、親鸞も同じで、…
ご自分の過程を飾ることなく率直に述べて頂いてありがとうございます

>一回でも南無阿弥陀仏を称えると、呼吸も整えられ
>る。そう結論づけ、これが親鸞の禅門であると確信しました。
念仏と禅の習合、とても面白く拝読させていただいてます

>そうです。
そうですか・・・やっぱり

> 漢文の訓読は色々な読み方が可能です。僕の訓読が正しいかどうか。重箱の隅をつつく議論なら
>お断りします。

いいえ、漢文の訓読は、テキストの翻訳に等しく、
訓読者がテキストをどのように理解しているかが如実に現れる大変重要なものですよ
121渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/19(日) 21:22:10.60
>>116
「かの土に生じ已りて」だからシャマタ・ビパシャナは、浄土での修行であって、念仏の肝ではない
でしょう

 奢摩他・毘婆舎那という言葉の定義の問題でしょう。禅定ができないかぎり、真似事をして
も本物の奢摩他・毘婆舎那ではない。
 禅定ができるようになるには、しばらく時間がかかる。禅定ができる段階を蓮華蔵世界とい
うなら、奢摩他・毘婆舎那は、蓮華蔵世界で行うことになります。かの土に生じ已りとは、蓮
華蔵世界に至ることを意味すると考えます。

 禅定練習段階は、まだ禅定が出来ない。つまり、功徳大宝海段階に当たります。功徳大宝海
段階は、極楽浄土に生じたが、生じ終わったわけではない。浄土の要ではないということです。
 生じ已るのは蓮華蔵世界である。親鸞はそう考えているということでしょう。

 多念念仏・一念念仏は、奢摩他・毘婆舎那の練習段階である。そう考えて間違いはないと思
います。
122名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/19(日) 22:22:29.59
「新宗教化してきたW」とあったが、古いやり方と教えを再確認する必要があるわけだ。
教祖の長所短所の短所ばかり真似る人々はおいといて、やはりしっかりとした解釈を体験で確認しながらやっていかないと、日蓮宗みたいな滅茶苦茶なものになる。

阿字は大日如来を表すのではなかったか?
ならば阿弥陀、阿シュクの阿は太陽の西は夕日、東は朝日でともに大日如来の現れを意味すると理解した。
阿は「第1の」「筆頭」という意味があるそうな。
そのために、阿弥陀仏は自らを言う時には、「弥陀は、…」と阿を除かれる。これは謙遜の表現だろう。
阿弥陀仏の筆頭は大日如来になるということではないか。
つまり、真言流に上から見れば全ては大日如来であり、下から見れば、全てが阿弥陀如来、ということだ。
大日如来と弥陀の間の階層は無限ではないにしても、ありそうだ。
釈迦の久遠実成を保証する存在が毘廬遮那(大日如来)ならば、現日蓮教学は完全に間違っていると言える。
123名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/19(日) 23:28:18.66
>>117

 渡海難にも知らないことがあって、おまえ、なんか嬉しそうだな (笑)
124名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/19(日) 23:33:17.44
>>117

 たしかお前、阿闍梨を自称してなかったか?

  ランボー    −笑−

阿闍梨
 本来、正しく諸戒律を守り弟子たちの規範となり法を教授する師匠や僧侶のことである。
125名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/20(月) 02:15:16.29
>>121
「極楽」ともうすは、かの安楽浄土なり。よろずのたのしみつねにして、くるしみまじわらざるなり。
かのくにをば安養といえり。曇鸞和尚は、ほめたてまつりて安養ともうすとこそのたまえり。
また『論』には、「蓮華蔵世界」ともいえり。
(唯信鈔文意)

以上から「蓮華蔵世界」は「浄土」と全く同義と考えられます

ので、「禅定ができる段階を蓮華蔵世界と・・・」というのは根拠がないことになりますね


「能令速満足 功徳大宝海」というは、能はよしという、令はせしむという、速はすみやかにとしという、
よく本願力を信楽する人は、すみやかにとく功徳の大宝海を信ずる人の、そのみに満足せしむるなり。
如来の功徳のきわなくひろくおおきに、
へだてなきことを大海のみずのへだてなくみちみてるがごとしと、たとえたてまつるなり。
(尊号真像銘文)

以上から「功徳大宝海」とは弥陀の広大な功徳を、大海に例えたものであって、浄土そのものではないことになります。
よって、「功徳大宝海段階は、極楽浄土に生じたが…」というのも根拠のない説、ということになりますね
126ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/20(月) 08:21:33.28
ランボー法師の 朝ズバッ! 真宗の教えは立ち往生か?

真宗で云う 往生 とは どうにもしょうがなく困り果てる事ではないのか?

今まで真宗僧侶らの尋ねた答えを総合すると、親鸞さんすら 観経 を重要視せず
南無阿弥陀仏 を唱えることで救われると信じ込んでいたようにとれる。
その流れであれば、観経の仏を心で思う観想の概念が無く、その観想の舞台でもある
沈む夕日に阿弥陀仏を観るなど程遠い宗派であることが伺い知れるのではないのか?

その根本には、親鸞さんは全く宗派を設立する意思は無く、宗派を作る事を諦めた
にも拘らず、親鸞さんを利用して金儲け教壇をたてた蓮如さんの暴走が考えられる。
多くの衆生が極楽に往生できるのか、この世とあの世の暗い空間(よくトンネルと
云われている空間)で立ち往生し浮遊霊、不成仏霊をつくる原因になっているのでは
ありますまいか。

真宗僧侶の、歯切れの良い応答を切に望むのだが。


注 朝ズバッ!質問 において、真宗僧侶の返答乏しく教団が無知なのか?。
127ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/20(月) 08:22:13.62
第十一章 崇と救済  リング 貞子 だ!   仏様がされる救済の一例

日に三座の修行も順調に進み、結願となりました。
早々に後かたづけをし、久しぶりの食事も味わうことなく流し込み、来てくれた奥様を
乗せて一路深川市へと、車を進めました。
冬の黒く光った高速道路の路面に注意しながら走って行くと、サービスエリアの看板が
目に留まりました。突然お腹がゴロゴロいいだし、なんのためらいもなく、サービス
エリアにと車の進路は変わりました。
出来るだけトイレ寄りに車を止め、まっしぐら。
落ち着いたところで手洗い場まで来たらまたお腹がゴロゴロ言うのでユーターン。
やっと落ち着いて、また高速道路本線に出て走る事五分。
道路左側に三十台ほどの車が止まっているのです。
その中ほどに先ほどまで目の前を慎重に走っていた中央バス(ナンバープレート確認)が
いるのです。
新聞にも載っていた、あの玉突き事故だったのす。
あの時サービスエリアに入らなければ、私の背丈の低い車RX7は後ろのトラックに押され、
バスのエンジンの下にはまり確実につぶされていたのです。
まさしくウンがついていたのです。
危険を予知して私のお腹に気を入れて腸を動かしトイレに導いた仏様に深く感謝しながら、
無事目的地深川市の奥さんの実家に到着。
途中大変な事があったことを知る由もないお母様は私たちの到着を明るく迎えてくれました。
128ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/20(月) 08:22:54.50
第十一章 崇と救済   リング 貞子 だ!

久々の昼食を沢山戴き、胃袋も大満足したところで、引導供養にとりかかりました。
他宗派(浄土真宗)ではありますが、お仏壇がありました。残念ながらご本尊に魂が入って
いないので、まず開眼をしました。
次にサチの霊を呼び、他に同じ運命の人はいないか聞くと、まだ他に居るとの返事、早速
その可愛そうな運命の人々を呼び、縛られた縄を切り、水から引き上げ、不動明王の加持力
で体の損傷を治して戴き、五体満足な状態を確かめて、引導に入る。
この家かかわりの地縛霊も一緒に供養をしたことは、言うまでもありません。
なんせ、お父様に障りそうな霊をことごとく浄化しなければならないからです。
引導の後、三座の法事供養を続けてしました。
終って、帰り支度をしていると、病院から電話がかかってきました。お母様の変わりに付き
添いしてくれていた方からの電話でした。
”今お参りが終ったしょう。”
と言うのです。
”静かに動く事もなく寝たままだったお父様が声を出し動くようになった”
と言うのです。
129渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/20(月) 09:25:20.63
>>125  教行信証を読みなさい。

@ かの土に生じ已りて、奢摩他・毘婆舎那・方便力成就することを得

A  「入第一門というは、阿弥陀仏を礼拝して、かの国に生ぜしめんがためにするをもっての
ゆえに、安楽世界に生まるることを得しむ。これを入第一門と名づく」。仏を礼して仏国
に生まれんと願ずるは、これ初めの功徳の相なりと。「入第二門とは、阿弥陀仏を讃嘆し、名義
に随順して、如来の名を称せしめ、如来の光明智相に依って修行せるをもってのゆえに、大会衆
の数に入ることを得しむ。これを入第二門と名づく」とのたまえり。如来の名義に依って
讃嘆する、これ第二の功徳相なりと。「入第三門とは、一心に専念し作願して、彼に生じて奢摩
他寂静三昧の行を修するをもってのゆえに、蓮華蔵世界に入ることを得しむ。これを入第三門と
名づく」。寂静止を修せんためのゆえに、一心にかの国に生まれんと願ずる、これ第三の功徳
相なりと。「入第四門とは、かの妙荘厳を専念し観察して、毘婆舎那を修せしむるをもってのゆえに、
かの所に到ることを得て、種種の法味の楽を受用せしむ。これを入第四門と名づく

B 功徳大宝海に帰入すれば、 必ず大会衆の数に入ることを獲

@ かの土に生じ已りて、≠かの土に生じる

 かの土に生じる   部分的にでも生じれば → 「生じる」  (半熟状態)
 かの土に生じ已る。 余すことなく完全に生じる → 「生じ已る」 (完熟状態)


A  入第一門 (安楽世界の入り口 誘われたから始める)
  阿弥陀仏を礼拝・安楽世界に生まるる       (生煮え状体)
   入第二門(功徳大宝海の入り口 念仏は面白いと思う)
   阿弥陀仏を讃嘆・大会衆の数に入る 功徳大宝海 (半熟状体)
   入第三門(蓮華蔵世界の入り口  念仏修行に本気になってくる) (完熟状体)
   彼に生じて奢摩他寂静三昧の行を修する
   蓮華蔵世界に入る 奢摩他寂静三昧  蓮華蔵世界で初めて奢摩他を行う。
   入第四門(蓮華蔵世界の中にある  実力が付いてくる)
   毘婆舎那を修せしむる
130渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/20(月) 09:26:28.37
B 功徳大宝海=入大会衆の数     入第二門≠入第三門 功徳大宝海≠蓮華蔵世界

  極楽浄土(安楽国)は、入第一門から始まる。
  奢摩他・毘婆舎那は、入第三門から始まる。

「能令速満足 功徳大宝海」というは、能はよしという、令はせしむという、速はすみやかにとし
という、よく本願力を信楽する人は、すみやかにとく功徳の大宝海を信ずる人の、そのみに満
足せしむるなり。(よく本願力を信楽できない人は、半熟状態にもなりません。生煮え状態か、
完全生の状態です。生煮え状態でも、料理は部分的に始まっています。)

 奢摩他・毘婆舎那はかの土に生じ已り、つまり、半熟状体を越え、完熟状体で行います。

 完熟状態は暫く持続してください。途中に屋門(入第四門)があります。火を消し、やけどし
ない温度になってから鍋から取り出してください。(出第五門) 
131渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/20(月) 09:45:11.48
すべて得道の人あることを信ぜず、これを名づけて「信不具足」とす。
奢摩他・毘婆舎那を実践してその道を得ている人のあることを信じない。これ
を信不具足という。

如来の所説は十二部経なり。ただ六部を信じて、未だ六部を信ぜず。このゆ
えに名づけて「聞不具足」とす。
 親鸞聖人の所説には唯信鈔文意・尊号真像銘文・教行信証など多数ある。
ただ唯信鈔文意・尊号真像銘文を信じて、未だ教行信証を信ぜず。このゆえ
に名づけて「聞不具足」とす。

もろもろの邪語富闌那等を信ずる、これを信邪と名づく。
もろもろの邪語歎異抄等を信ずる、これを信邪と名づく。

 >>121さん。議論すべきことはまだ残っていますか?
そろそろ終わりませんか?

いままでのインチキ真宗学の先入観を全て消去し、親鸞聖人が書いた物を、
ゆっくり読み直してください。

 歎異抄を捨てて、五会法事讃略抄、大般涅槃経要文を書写してください。

 教行信証は書写したことありますか?解説書を読まず、全文を、繰り返し繰り
返し数回書写してみなさい。きっと別の発見があります。
132渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/20(月) 09:47:03.09
>>131
 またまちがえた

誤 >>121
正 >>125
133渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/20(月) 11:52:56.75
>>125
 ちょっと足したくなりました。
 親鸞は、蓮華蔵世界を、非常に精密に思索しています。読み手もそこを正確に読み取って行く
必要があります。

入第三門とは、一心に専念し作願して、彼に生じて奢摩他寂静三昧の行を修する
入第四門とは、かの妙荘厳を専念し観察して、毘婆舎那を修せしむる

 奢摩他は、止観の止ですから、ある一点に心を止めて集中します。親鸞禅では、南無阿弥陀仏
の声に精神を集中することになります。
 奢摩他は五会念仏で行うとすると、これは有声の念仏です。寂静ではありません。親鸞は奢摩
他寂静三昧の行を修すると言いますから、奢摩他と寂静三昧とを行うと考えるべきです。
 寂静三昧とは何か。これは無声の念仏でしょう。つまり一念念仏と考えるべきです。しかしこ
れを毘婆舎那とは言ってない。毘婆舎那は練習段階ですから、毘婆舎那以前ということです。

 念仏は面白いなと思う讃嘆門を過ぎ、やがて作願門つまり、念仏修行に本気が出てきます。す
ると奢摩他ができるようになってきます。しかしこの段階で毘婆舎那はまだ真似事に過ぎません。
毘婆舎那を練習して行くと、やがて毘婆舎那もできる時がくる。このとき、蓮華蔵世界の中で屋
門を通過します。

 親鸞の体験に基づく流れだろうと思います。

 教行信証は、声を上げて読みながら、全文を繰り返し、繰り返し書写してください。親鸞は隙
のない議論を展開しています。

 山辺習学・赤沼智善は、随所で根本的な間違いを犯しています。山辺習学・赤沼智善に始まる
教行信証論は全く信じるに値しません。自分の目で一歩一歩読んでいくしか、選択肢はありません。
134ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/20(月) 12:30:33.33
お昼の一言   他人の書き物を利用して悦に入るも結果は皆無!

連日投稿の哀れな教祖、なんとお慰めを言ってあげたらよいのか、、、、、。

”渡海難 さん、時間つぶしの余生、お楽しみですね。”

とぐらいしか云えないのです私には。
私は結果が出たものを書き込んでいますが、他人の書いた物(経典も)をしたり顔で
解説したところで何にもならないように思うのだが。
仏教の経典をよく引用するようだけれど、今事故にあって瀕死の状態の人に、経典
にはこの様に書いてある、あなたの生き様はそれに反しているので事故にあった
のだよ、としつこく説得するようなもの。

その時必要なのは、救急車と外科的処置なのだが、そのような考えを持つ教えは
密教なのだ!
135ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/20(月) 12:31:11.06
十一章 崇と救済   リング 貞子 だ!

皆の顔がほころんだのは言うまでもありません。
帰りに病院に寄って、ヒーリングを一時間ほどしました。
家族がびっくりするほど元気が出て、私の手を握りかえし力を入れるのです。
私が構えなければ倒されるほどです。
何度かヒーリングをしましたがその直後、家族の方々も喜んでくれるよう元気を取り戻すの
ですが、それは回復に繋がるものではなく、脳内には手術で切除出来なくなっている
怪しげな腫瘍が回復を阻んでいるのです。
脳死の人と同じように動く事が出来なかったのに、歩いて病院のお風呂に行く事も出来る
ようになりましたが、その後脳内腫瘍は普通の成長を続け翌年の春には帰らぬ人となりました。
今後、深川市のある地域で脳腫瘍による死亡率が下ればと願っています。
136名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/20(月) 13:10:45.47
真宗マニアさんにお尋ねします。
正定の因は信心とは言いますが、
信心が起こる因は何でしょうか?
どうすれば信心が起こりますか?
137ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/20(月) 13:53:47.92
>>136 南無阿弥陀仏が往生極楽の真因ですw
138名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/20(月) 17:08:59.35
>>129-130
@ なるほど「かの土に生じ已りて、≠かの土に生じる」ですか…面白いですね
一旦その話に乗ります

でも、あなたの話を総合すると、浄土に生じ已っていないのに、「一念念仏は毘婆舎那の練習法」などと称して
一回念仏を唱えただけで、後は観行を始めることになりますよね。
そうすると、

雑行を修し、雑修をこのむものをば、すべてみな、てらしおさむといわずと、まもらずとのたまえるなり。
これすなわち、本願の行者にあらざるゆえに、摂取の利益にあずからざるなりとしるべしとなり。
(一念多念文意)

とあるように本願力の梯子を外されて、半熟状態のまま行き詰り、妖怪人間よろしく
「はやく浄土に生じ已りた〜い」と嘆く羽目になりませんか?


A 親鸞の著作として教行信証を引用するなら、ちゃんと親鸞の釈に依らないとね

【引用文】「入第三門とは、一心に専念し作願して、彼に生じて奢摩他寂静三昧の行を修するをもってのゆえに、蓮華蔵世界に入ることを得しむ。これを入第三門と名づく」。
【親鸞の釈】寂静止を修せんためのゆえに、一心にかの国に生まれんと願ずる、これ第三の功徳相なりと。

親鸞の釈に明快に「寂静止を修せんためのゆえに、一心にかの国に生まれんと願ずる」とあるように、
彼(=浄土)に生じて奢摩他・寂静・三昧の行を修するために(目的)、一心に蓮華蔵世界(=浄土=かの国)に生まれることを願ずる。
のであって、この文は願生を意味するのであり、浄土に「部分的にでも生まれる」などといった階梯はありません
139名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/20(月) 17:16:27.53
>>133
>寂静三昧とは何か。これは無声の念仏でしょう。

信心ありとも、名号をとなえざらんは、詮なくそうろう。(末燈鈔)
140名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/20(月) 17:20:43.56
>>137
未信の者が念仏しても往生できるのですか?
141名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/20(月) 17:25:24.84
>>140訂正

未信の者が「なむあみだぶつ」と言う瞬間に往生できるのですか?
142名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/20(月) 17:33:41.99
しかし、渡海さんは質問厨みたいにアホなことは言わないから
まだまともなスレ内容になるのが助かるね
143ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/20(月) 18:00:30.76
チョット一言 「四諦・八正道・十善戒」で物事は解決するのか?

十善戒も時には破らねばならぬ、そもそも十善戒は死後の霊に対する戒律。
生きている者には法律が適用される。
僧侶が、直接的ではなく間接的に殺人に至る指示をしたら、
その僧侶は良い僧侶なのか、悪い僧侶なのか?
安置どもは、どう考えるかな?

どうも弘法大師を敬い讃え偲ぶ人々が大勢このに居ると考えたのだが、
それは間違いだったようだ。
誰一人、弘法大師の考えを書いた者は居なかった。
学問の為の学問、論破の為の学問を好む者は居るようだが、、、。
144ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/20(月) 18:01:18.09
チョット一言 「四諦・八正道・十善戒」で物事は解決するのか?

さて、歴史的にも有名な二人を此処にあげて考えてみよう。
サー・ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチル(Sir Winston Leonard Spencer-Churchill,
1874年11月30日 - 1965年1月24日)は、イギリスの政治家であり、1940年から1945年にかけて
イギリス戦時内閣の首相に任命され、国防相を兼任して陸海空の幕僚長を直接指揮、
挙国一致内閣を率いて戦時指導、第二次世界大戦を勝利に導いた。
あの有名なノルマンディー上陸作戦が成功した陰にはチャーチルの冷静な判断が有った
からに他ならない。
しかしそれは、あまりにも犠牲が大きかったが、ノルマンディー上陸作戦が成功しなかったなら、
その犠牲をはるかに超える膨大な人命が失われたのだ。
当時イギリスに世界最初のコンピューターが誕生し、ナチスの暗号文の解説に使われていた。
その暗号文に、ノルマンディー上陸作戦と企てるに良い情報が入っていた。
その他にも多数の情報が解析されたのだが、その中にナチスがイギリスのある町を奇襲空爆
する情報が入っていたのだ。
それを知ったチャーチルは迎撃するか見送るか悩みに悩んだのだった。
迎撃すれば、容易に撃退できる状態にあったからだ。
しかしチャーチルはそれを見送った。
その情報が漏洩したことがナチスに知れることによって、ノルマンディー上陸作戦は確実に
崩壊するのだ。
自国民を犠牲にしても、ノルマンディー上陸作戦が不成功に終わり、桁違いの世界の人が
犠牲になる事をさけるため、チャーチルは心を鬼にして本土迎撃を見送ったのだ。
145ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/20(月) 18:01:59.09
チョット一言 「四諦・八正道・十善戒」で物事は解決するのか?

一方、空海は、平安時代初期の僧。「弘法大師(こうぼうだいし)」の名(諡号〈醍醐天皇、
921年贈〉)で知られており、大同5年(810年)、薬子の変が起こったため、嵯峨天皇側に
つき鎮護国家のための大祈祷を行ったとあるが、この時嵯峨天皇に討伐を進言した
とも言われている。
薬子の変(くすこのへん)は、平安時代初期に起こった事件であるが、 平城上皇と
嵯峨天皇とが対立するも、平城上皇の動きを知った嵯峨天皇は坂上田村麻呂に上皇の
東向阻止を命じ迅速に兵を動かしたことによって平城上皇が出家して決着した。
平城上皇の愛妾の藤原薬子や、その兄である藤原仲成らが処罰された。
この時、討伐により平城上皇の兵が犠牲になる事を承知で弘法大師は率先して嵯峨天皇に
協力していたのだ。

人命が尊いといわれても、時には犠牲止む無きと云う、辛い決断も必要な場合もあるという
お話でした。
146名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/20(月) 19:16:30.32
寺の住職は贅沢してるらしいな
噂になってるぞ
147名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/20(月) 19:19:42.43
>>142
答えられないからって強がらなくていいYO!
148名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/20(月) 20:03:50.57
信心も無い奴が救われるとか
そんなおいしい話があるわけないYO!
宗教を舐めすぎだYO!
149名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/20(月) 20:39:22.91
>>148
何を言うか。一遍上人が熊野の神様から受けた啓示、信と不信とを問わず、があるじゃないか。
時宗は宗教じゃないとでも?
150名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/20(月) 21:08:18.98
たまーに時々宗教してみるってのが時宗
151ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/20(月) 21:21:02.35
>>141 >>未信の者が「なむあみだぶつ」と言う瞬間に往生できるのですか?


浄土真宗ではね、死のことと往生を繋げていないんですよ。
つまり浄土宗みたいに、死後往生を言っていないんですよ。
今日学校で習ったことですが、行く道が定まることが往生って言うんですよ。
曽我先生って知っていますか?あの偉い昔の学者さんのことですが。
彼が言うには、本当の人間の生活であるのが往生であるんですよ。

信というのは人に言と書いて信と言いますね? 人が言うということが身とかけ離れていない
ことを親鸞聖人は真と言いました。教行信証に載っていると今日先生が言っていました。
つまり信は真ということ。信という人が言うということが身とかけ離れていないということが
真なのであるのです。二度言いましたが分かってもらえるでしょうか?

あなたの言う未信というのは、人が言うということが身とかけ離れているということであります。

まとめとして言いますと、未信の者が「なむあみだぶつ」と言う瞬間に往生できるということは
分かりませんということです。分からないことは分からないで今は終わらせるべきです。
つじつまの合わないことを言っても訳が分からなくなるからです。

ただ分かることは未信の者は、人が言うということが身とかけ離れているので、
行く道が定まるわけがないんですよ。なぜなら和合していないから。また、
本当の人間の生活はそのような和合がないところにはないということですね。
152名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/20(月) 21:24:08.48
>>151
>つまり浄土宗みたいに、死後往生を言っていないんですよ。

この身はいまはとしきわまりてそうらえば、さだめてさきだちて往生しそうらわんずれば、
浄土にてかならずかならずまちまいらせそうろうべし。あなかしこ、あなかしこ。 (末燈鈔)
153ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/20(月) 21:41:38.87
>>152 としがきわまったら、もう過去を見直すことが出来るだけでありますからね。
まあもちろん後先長くないということがあっても後先が少しあることはありますがねw
154名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/20(月) 21:45:47.46
生きてる今が大事ね
死んだらその先はその時だね
死んだらこの世の役目とか前世の負債を払うとかから取り敢えずは解放される
だから生きてる今をどうするかだ
運命や宿命があるのはこの世の話
浄土がどんなに素晴らしくても今死ぬわけじゃない
155ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/20(月) 21:56:32.71
言葉上では仏陀になることは誰でも出来る。でも苦しんでいる自分というものを
抜きにしている。いろいろな点で苦しんでいるのにそれを抜きにして、さも
自分は仏陀として悟りを開いたとする事は誰でもあり得るだろう。でもそれでも
煩悩具足の凡夫であるという親鸞聖人のお言葉に、自分の今の仏陀であるという
ことを摩擦させる。そうすれば、今まで思ってた考えよりも、もっと洗練された
考えに行き着く。仏陀になったという事実と、煩悩具足の凡夫であるという事実を
照らし合わせる。それが僕の中での摩擦ということ。

僕なんかは自分を善だと思ってて、自分と同じ道を歩む者も善であると思っている。
そしてそれに背くものは悪だと思っている。でも、親鸞聖人はそのようなことを
全然言っていなかった。

善悪のふたつをもって存知せざるなり と言われたのだ。
そしてそれは智慧の信心によって分かるものだと今日先生に習った。

最近思っていることがある。僕と御縁のある掲示板を見ている人々と共に、
成長していきたいということを・・・。自分だけが分かるということは、
とっても気持ちが持てない。ならば気持ちがある全国の他人様とコミュニケーションできる
掲示板を使って、全国の人々と共に成長していきたいと思っている。
156ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/20(月) 22:01:58.65
浄土真宗は衆生を騙していたのか?

>>971 名無しさん@京都板じゃないよ sage 2013/02/27(水) 22:44:33.87
> 阿弥陀様が衆生を救う手段については入門書を読まれるなり、
> 『観無量寿経』を読まれたらどうでしょうか。
> 他宗派の書物を読むのもなかなか楽しいですよ。

真宗の教本には、阿弥陀様が衆生を救う手段について書いてあると言う。

だが、下記の坊やは

”151 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho New! 2013/05/20(月) 21:21:02.35
彼が言うには、本当の人間の生活であるのが往生であるんですよ。 ”

生活であるのが往生、、、、、確かに住んで生きている???????????

阿弥陀様のみもとに導いてくれるのは何なの???????????????
金とって死んだら霊は居ない、詐欺集団じゃないのか?
先日問題になったアメリカ医療保険拘りの金融事件だってアメリカに招待されているし
価値が無くても証書はくれる。
真宗は成仏無しで霊界に放り込まれる。

此れでいいのか門徒衆!!!!!
157ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/20(月) 22:02:35.42
第十一章 崇と救済 地獄から亡者を引き出した  ご本尊は阿弥陀如来のようだった。

もう一つ変わった事件を紹介しましょう。
この世にも悍ましい事件は、一九九一年の霊障相談の、HBCテレビ出演後の一本の電話
から始まった。ある母親からの電話の内容は次のようなものであった。
「実は娘のゆみ子(仮名三十歳)のことですが、連日連夜悪霊に襲われて、今日殺される
か明日殺されるかと、心の休まる日がありません。それにもまして、日に日に痩せてゆく
娘を見るに忍びないのです。」
と聞いたとき脳裏に 耳なし法市 の話を思いだした。
あのような怨霊に襲われたとしたら、どうして解決したらよいか、検討つかぬまま電話の
話に耳を傾ける私でした。
母親の話はなお続く
「ゆみ子の話ですと、悪霊が自分の体に入りあちらこちらと動いており、
それも何人もの霊が入っているらしいのです。」と 
明日お伺いする旨話し電話を切った。
翌日指定の時間にそのお宅にお伺いした。玄関には母親が出迎かえ、通された座敷は、
まだ日が高いというのに薄暗く、ぞくぞくする霊気が漂っていた。
電灯も灯していないその部屋の中程にその娘ゆみ子が着物姿で座っていた。
その部屋は仏間で床の間の横に仏壇があった。
その中は暗くてはっきりはしないが、ご本尊は阿弥陀如来のようだった。
158ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/20(月) 22:45:17.56
>>156 >>ランボー法師さん

霊界とは僕が思うに、餓鬼のような世界であるように思うのです。
餓鬼とは餓えた鬼であります。餓えた鬼は何をする?餓えているので食らうのです。
誰を食らう?自分よりも弱い者を食らうのです。弱肉強食の世界。それが餓鬼です。
別に弱い者が餓鬼界にいるのではないです。弱い者は餓鬼界の下の地獄界にいるのです。
地獄界とはどのような者たちがいるのか?僕が思うに、機械的な生き方をしていたり、
主観的な生き方をしている人たちが落ちるところだと思います。

僕が何を言いたいのかというと、地獄界と表裏一体に極楽があると思うのです。
地獄極楽図って知っていますか?あれが僕のソースです。とにかく、あなたが
思っている極楽ってのは阿弥陀様が導いてくれる極楽なのですよね?でも、
そこには往生出来ないよとあなたは言っている。つまり僕は餓鬼界というものの
一部分に霊界というものがあるように思うのです。もし霊というものを認めるなら
そうなります。でも本当はそのような霊のいる此処には極楽なんてないんですけどね。
まあ他宗では娑婆即極楽って考えるところもあるらしいですけどね。
159名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/20(月) 22:47:46.47
>>149
ここは真宗スレだYO!
160名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/20(月) 22:54:16.39
>>152
だよな、「肉体の死後」とか明言してないもんな。
161名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/20(月) 23:02:10.95
先祖の姿から考えれば自分は相当な業縁を背負っている。
阿弥陀様はそのことをぽつりと漏らしたことがあった。「業はどうにもならないが…」と。
人には神に与えられた素晴らしい力、運命がある。魂が肉体に宿りこの世に生まれてくるのは、神慮による。
しかし、業があるとその持てる力が出ない。
業を超えて運命を引き出すには真理に心を合わせるしかない。その真理の姿が阿弥陀仏だと考えている。
真理に出会えるなら人の心は安心する。
真実の人、真実の物、そういう存在に触れるなら安心する。
神には会えない。神は運命…宇宙の意志として働いている存在だから、神に会うには業を超えないと会えない。
病の時は、なぜ?自分が?と自問自答するだろう。なぜ?と言っているその心が苦しいのだ。
己の神与の運命を疑うから苦しい。
業に絡まれて、自分の運命に会えない。
運命に会えなければ、生きる意味が解らず、自信も無くなる。それが苦しい。
だから、阿弥陀仏を信じるというより、すがりつく、そんな感覚で名前を唱えるなら、そうしてもし闇に何か安心感が芽生えるなら、それが阿弥陀仏の光であり慈悲ではないかと思う。
経典の知識や、権威など何の役にも立たない。
親鸞は多くを学んだが、結局駄目だった。苦しみは深まるばかり。
親鸞は、自信を取り戻したのではないか。
彼の顔はなかなか業の深そうな顔ではないか。
こんな親鸞でさえ救われたのなら、すがりつけば自分なら必ず救われると信じられる。
阿弥陀仏は業の塊の親鸞を救うことで、この道を示したと、最近はそう思える。
162ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/20(月) 23:06:32.63
>>158 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho 2013/05/20(月) 22:45:17.56
> >>156 >>ランボー法師さん
> 霊界とは僕が思うに、餓鬼のような世界であるように思うのです。
> 餓鬼とは餓えた鬼であります。餓えた鬼は何をする?餓えているので食らうのです。


君って、憎めない人ですね。
まるで、テレビドラマ『相棒』の登場人物陣川公平みたいだね。
http://dic.pixiv.net/a/%E9%99%A3%E5%B7%9D%E5%85%AC%E5%B9%B3
1度特命係に左遷されその後も度々登場するが、思い込みで捜査を行い、
よく誤認逮捕を起こす上、殺人容疑で一時的に身柄を拘束されるなど、
登場の度に災難に巻き込まれており、周囲をも巻き込んでひと騒動起こす
のが定番となっている。


思い込みで捜査を行い、

思い込みで捜査を行い、

思い込みで捜査を行い、
163ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/20(月) 23:07:08.10
第十一章 崇と救済 地獄から亡者を引き出した

それにしても部屋の明るさよりずっと暗く感じたお仏壇だった。
とりあえず簡単に話を聞き、先祖の供養をすることにした。
供養が始まると、驚いたことに、ゆみ子を殺しにきた霊が出てきたが、それは先祖だった。
何とか、ゆみ子を殺すことを諦めさせて、供養をした。
その後も何人かの先祖が同じようにゆみ子を殺すと出てきたがなんとか説得して供養をした。
しかし最後に出た先祖霊は供養を受けようとはしなかった。
そしてこの先祖霊と、ゆみ子を護るための攻防が始まった。
何日かの攻防が続き、その霊は攻撃を諦めようとしない。
しかし、その
は弱ってきたようだ。
こんなにダメージを受けてもどうして攻撃をやめようとはしないのか不思議だった。
だめでもともと、その理由を聞いて見ることにした。
「そなたは結界や九字護身法そして調伏術などで、そのように辛いめに会っているのに、
どうして攻撃しなければならぬのか。」
と問いただしたところ、
「ある人(霊)に命令されてしかたなくゆみ子を連れて行こうとしている。」
と言うのです。
その後は狐や蛇の霊も攻撃に加わったのです。
164ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/20(月) 23:08:09.87
>>156

西方浄土って言う言葉知っていますよね?西方に極楽はあるのです。
あなたは霊が僕を死後に陥れるとお考えのようですが、そのようなことは
浄土真宗では考えません。

他からの働きかけで今を生きている私たち。でも檀家さんが南無阿弥陀仏と言っているのは
、南無とは帰依ってことですよね、または帰命ということ。果たして檀家さんのところにいる
先祖に供養しているのでしょうか?

その前に僕は、本願招喚の勅命、という言葉が好きです。その言葉は帰命を意味するのです。
こうして阿弥陀如来に帰することができるのは、実はそれに先立って大悲が
私を見出し、安らぎのある世界に目覚めよ、浄土に帰れと、私を喚んでいるから
こそではないかということ。

末代無智の在家止住の男女たらんともがらは、こころをひとつにして阿弥陀仏
をふかくたのみまゐらせて、さらに余のかたへこころをふらず、一心一向に仏
たすけたまへと申さん衆生をば、たとひ罪業は深重なりとも、かならず弥陀如
来はすくひましますべし。これすなはち第十八の念仏往生の誓願のこころなり
。かくのごとく決定してのうへには、ねてもさめても、いのちのあらんかぎり
は、称名念仏すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
165名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/20(月) 23:09:58.43
そんなこと書いて何が楽しいんだ?
166ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/20(月) 23:11:17.58
>>156

衆生に心を振らない者に対して、なぜ霊がどうのこうのというのでしょうか?
衆生を救済していくのは、僧侶ではなくて、在家という檀家さんたちの役目なのです。
つまり僧侶は、言う側であり、実践する側ではない。実践するのは、檀家さんだ。
でも彼ら檀家さんは仕事に追われている。機械的な生活や、主観的な生活をしている。
それが南無阿弥陀仏で救われると言われて、衆生に告げ口する。自分も称える。そのいい連鎖が
南無阿弥陀仏の連鎖なのです。みんな極楽浄土に行くのです。

良く考えてみてください。僧侶が言わなかったらもともと仏教って伝わらなかったんですよ。
ってことは僧侶が、伝える元なんですよ。でもそれが下剋上時代になって見えにくくなっている。
つまり、お前ら僧侶の言っていることなんて、俺ら檀家や衆生はみんな知っていると
ふんぞり返って、全然相手にしなくなる。これが末法です。実践は実は檀家さんが
出来ないなら、浄土門に誘引されるしかない、外道、聖道門の人々がやるべき
という構図は全然的外れではないですよね。だってそのような社会なんだから。
聞く姿勢のない末法の世の檀家さんや衆生は、だめなんですよ。じゃあも何もないんです!
167名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/20(月) 23:19:57.89
神にしろ仏にしろその存在は、己の業、このどうにもならない因を背負っている自分に気付くところから求めて初めて偉大さが解る。
何やっても上手くいかない。
人に尽くしても何故か避けられる。
努力したのに誰も評価しない。
こんな体験は誰もがあるのではないか。
つまり運が悪いのだ。
運の善い人間は大した努力もないのにすいすい世渡りしている。評価される。人にもてる。
運の悪さは何に起因するのか。
それが己の業なのだろう。
業の引力で心が真理の道を容易に外してしまう。
だから真理を必死で見つめる。しがみつく。
親鸞は阿弥陀仏のみを見つめて生きた。それは彼にはほとんど自然を詠んだ歌が無いことからも察せられる。
南無阿弥陀仏の名号は、そうした自己の姿を知って初めて信力を持って唱える時、救いになるのだ。
168ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/20(月) 23:23:11.08
霊と法と僧になっていませんか?

仏と法と僧なのですよ!!!!!!!!!!!!!!!!

霊の教えではないのです。仏の教えなのです。
169名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/20(月) 23:28:59.11
心の苦しみを消すに、仏と吾の間に何かを挟むことがあってはならないと思う。
確かに霊的な問題ならば専門技術者も必要なことを知っている。実際にそうした人々を沢山見てきた。
とにかく真宗は、僧の役目は阿弥陀仏の存在と力をきちんと説明することで、
祈るも解決もみな、仏対吾の間にしか生じない。
信徒のひたむきさが鍵なのだ。
170名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/20(月) 23:35:30.29
とにかく最近惰性になってたが、己の悪業が出てきたのが解る。
これを機に心を改めて一心に救いを求めて南無阿弥陀仏を称名しようと思う。
171名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/20(月) 23:45:40.02
病気が悪化してますなw
172名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/21(火) 00:25:58.89
心を改めようとすることはいいことだよ。
「凡夫だから」と開き直る坊主よりかマシ。
173ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/21(火) 07:55:48.64
寺子屋  菩薩は仏道修行中の覚行未満の者か?  

以前大日如来と虚空蔵菩薩の会話を思い出します。
大日如来が虚空蔵菩薩にお話した言葉に対して虚空蔵菩薩は、
”あなたの(大日如来)そこをいただいて自分が生じたのだから”と。
定説では、菩薩は如来に成る為に修行途中の仏様と伝えられている様だが、この言葉を聴い
た私は異なる考えを持っていた。
それは大日如来の一部が他の如来であり、菩薩であり、それぞれの他の如来や菩薩はとりも
なおさず大日如来のそれぞれの特徴のある分身ということである。
あたかも、太陽の光線が大日如来であり、プリズムを通過した各色が他の如来と菩薩と言う
事が云える。
霊界では霊格の高い者は、心を分割して独立させることは容易であるが、霊格の低いものは
それが出来ない。
しかし肉体を持つ事で可能な場合がある。
身近な例を示せば、生きている人間が人を憎むエネルギーでいとも容易く自分の霊体の
憎しみだけをもった分身生霊を作る事が出来る。
これ等を考えると、他の如来、菩薩は仏道修行中の覚行未満の者ではなく、大日如来の
別徳なのだ。

拠って大日如来の一部が阿弥陀如来と云うことである。

拠って大日如来の一部が阿弥陀如来と云うことである。

拠って大日如来の一部が阿弥陀如来と云うことである。
174ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/21(火) 07:56:23.30
第十一章 崇と救済 地獄から亡者を引き出した

余談ですが、この動物園騒ぎで面白いことに気がつきました。
密教秘術悪霊封じの術を試したときのことです。
攻撃してきた狐の霊を封じるため始めに呪術本のとおりに梵字を書いた板にマントラを唱え
ながらクギを打ち始めたら、その狐の霊が言うのには
「坊主そんな所に柵をつくって何するんだ。トラでも入れて動物園でもするのか。」
と笑っているのです。
次に私が工夫した方法ですると、
「おい、何をするのだ。俺を囲ったら出られなくなる。」
と怒りだしました。
やっかいな先祖霊に対する有効な手立ても見つかりました。
脅されてやっていることですから封じるわけにもいかず、その霊の頭に孫悟空の頭の輪を
被せて締まるように念じたところ非常に良く効き目が出ました。
そうしてこの霊もリタイヤしました。
陰で指図していた者を連中はボス(霊は今の言葉を知っている。動物霊も子供の体に憑依
してテレビゲームを楽しむ。暴走族にはこのパターンがある。)と呼んでいたので、
ここでもボスと呼ぶことにします。
ここまでくるとボスの手下も三十人程リタイヤしました。
そろそろ和平交渉の頃あいとみて話を持ちかけました。
まず相手の、つのる恨み心を解消するため、恨みの原因を聞くことにしました。
175ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/21(火) 07:57:03.19
第十一章 崇と救済 地獄から亡者を引き出した

話はこうです。
”今は昔、ある農村にボス(村長)と一緒に八十数名の農民が穏やかな生活を営んでいた。
ある夜突然、馬に乗った野武士がこの村を襲い、略奪そして女や子供まで惨殺され、村は
焼き打ちされた。殺された村人は、村長であるボスを中心に一致団結し七代祟ると誓った
のだった。この野武士の親方の子孫がゆみ子だった。”
この実情を知ったときボス達の気持ちも痛いほど分かるし、だからといってゆみ子を連れ
て(殺されること)行かせることはできない。
そこで、ある妥協案を持ちかけた。
(注 ボス達殺しの手法は、家人の目を盗みゆみ子を連れ出し、川に飛び込ませたり、
交通事故などであり、防止するため解決するまで母親と相談しクサリでつないである。
玄関はもちろん、トイレの窓から出ようともした。)
「ボス私の話を聞いてほしい。貴方たち村人全員の供養をするから、ゆみ子を連れて行く
のをあきらめてほしい。」
この提案をしたときボスは、
「皆と相談するから返事を待ってくれ。」と 
その言葉に追いかぶせるように
「このまま攻防を続けることはボス達にはなにもメリットはない。今までこの一族を散々
いたぶったではないか。ゆみ子を連れてったところで、君たちは幸せになれるというのか。
ここの先祖を供養したのを見ていただろう。この千載一隅の機会を除いては、このような
素晴らしい供養は受けられないぞ!」
「わかっている。相談がまとまるまで待ってくれ。」・・・・・・・
それから永い永い何年もたったと思われる程永く感じる時が過ぎた。
176渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/21(火) 13:41:01.58
>>138
>@ なるほど「かの土に生じ已りて、≠かの土に生じる」ですか…面白いですね一旦その話に乗
ります

 少し目が覚めたか? 覚めてないだろう。まあ、駆け引きのひとつか(苦笑)

>「一念念仏は毘婆舎那の練習法」などと称して一回念仏を唱えただけ

 一念をはなれたる多念もなく、多念をはなれたる一念もなきものを(隆寛律師)
一念をひがごととおもうまじき事・多念をひがごととおもうまじき事(念多念文意)
 一念の功力よく一切の諸障を断つこと、一の香樹の四十由旬の伊蘭林を改めて、ことごとく香
美ならしむるがごとくならんや。(行の巻)
「もし阿弥陀の徳号を聞きて、歓喜賛仰し心帰依すれば、下一念に至るまで大利を得(行の巻)
 その時、聞きて一念せん、みな当に彼に生まるることを得べし(行の巻)
 阿弥陀仏を称念せんこと、もしは七日、一日、下至一声、乃至十声、一念等に及ぶまで、必ず
往生を得(行の巻)
 一念弥陀の号を称得して、 彼に至れば還りて法性身に同ず(行の巻)
 一念喜愛の心を発すれば、 煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。(行の巻)
「一念」は、これ信楽開発の時剋の極促を顕し、広大難思の慶心を彰すなり。(行の巻)
 「一念」と言うは、信心二心なきがゆえに「一念」と曰う。これを「一心」と名づく。一心は
すなわち清浄報土の真因なり。
 一念多念のあらそいなんどのように、詮なきこと(消息集)

>後は観行を始めることになりますよね。そうすると、雑行を修し、雑修をこのむものをば、す
べてみな、てらしおさむといわずと、まもらずとのたまえるなり。

 教行信証を読みなさい。
 親鸞の消息集は、全体の議論の一部を取り出して詳説していることが多いんです。議論の論筋
を見極め、どういう文脈と背景で言っているのか、それを考える必要があります。貴方のように、
教行信証を読んでない人は、話になりません。
177渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/21(火) 13:41:58.76
 一心に専らこの『観経』・『弥陀経』・『無量寿経』等を読誦する。一心にかの国の二報荘厳を
専注し、思想し、観察し、憶念する。 〜 散善は行を顕す縁なり、と。また云わく、浄土の要
逢いがたし、と。(化身土)

 貴方が言う観行とは、「一心にかの国の二報荘厳を専注し、思想し、観察し、憶念する」こと
です。これは「行を顕す縁」つまり数ある行の紹介の一つであり、二報荘厳を観察する行は、「浄
土の要に逢い難し」つまり、功徳大宝海までは至るが、浄土の核心つまり蓮華蔵世界には到達し
ないと言っているのです

 日本天台には観法が二つあった。一つは円仁大師が持ち帰った善導流の観法である。これは二
報荘厳を専注して観察する。もう一つが、伝教大師が持ち帰った智流の観法である。智流の
観法は、止と共に止観とも言われ、これは奢摩他・毘婆舎那とも言う。

 善導流の観法は、遡れば恐らく道綽、さらには曇鸞の観法だろうと思います。曇鸞の観法は奢
摩他・毘婆舎那とも言う。

 大衆、つまり仏教初心者に教える観法はどれがいいか。この問題で、親鸞は伝教大師が持ち帰
った智流の観がいいと思ったようです。智流の観は止と一体です。
 智流の止観をどのように勧めるか。親鸞は、善導流で伝わってきた称名念仏を流用しようと
思ったわけです。称名念仏をベースにすれば、人々は智流の止観にほとんど抵抗なく入ってい
ける。そのように思ったようです。

 一方、善導流の観法はどのようにして排除するか。善導流の観法を否定して、これと一緒にも
し智流の観も否定されたら意味がありません。親鸞は、智流の観に「観」という用語を使い
ません。智流の観には「毘婆舎那」という言葉を使い、智流の観に「観」という用語の使用
を避けています。親鸞は「観」という用語を、善導流の観法つまり「二報荘厳を観察する行」だ
けに使います。善導流の観には、毘婆舎那という用語を親鸞は使いません。親鸞が「功徳大宝海
までは至るが、浄土の核心つまり蓮華蔵世界には到達しない」。こういう言い方で、善導の観を
否定しました。その「観」は、「二報荘厳を観察する行」だけであると言うべきで。智流の観
を含みません。
178渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/21(火) 13:44:12.21
 親鸞は善導流の観を否定した。ついでに善導の「正定の業」も否定した。親鸞は、善導式観法
を否定することで、その源流にある曇鸞の奢摩他・毘婆舎那も、その中身(あんこ)部分を否定
しました。
 しかし、曇鸞の「奢摩他・毘婆舎那」には使い道がありました。あんこの無くなった皮の中に
智流の止観を、智の名を使わずに流し込みました。つまり、曇鸞の「奢摩他・毘婆舎那」を
換骨奪胎したわけです。これが親鸞の念仏禅の実体だろうと思います。

>「部分的にでも生まれる」などといった階梯はありません

 こちらは、有り余る時間の中で熟慮して単語を選んでいるのではありません。瞬間瞬間に思い
ついた単語を使っています。
 「部分的」という単語は、選択がまずかったでしょうか。親鸞は「部分的」などという単語は
使っていませんよね。それで貴方に意味が通りませんか?。重箱の隅をつつくような議論はいか
がなものか。

 私は貴方の弟子でもなければ、信者でもありませんよ。(>>111

 自分で考えたらどうよ?

>>116
>親鸞を根拠にする限り理論に穴が出る

 歎異抄に刷り込まれた真宗学に染まり、教行信証は読まず、五会法事讃略抄と大般涅槃経要門
も読まないなら、理論に穴が開かない方がおかしい。
 そろそろ、終わりにしませんか?。
 私は貴方の弟子でもなければ、信者でもありませんよ。(>>111

金も払わず、一から十まで渡海難に教わろうと思うのは、この辺までにしたらどう?
179渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/21(火) 13:49:33.53
>>139
>寂静三昧とは何か。これは無声の念仏でしょう。
信心ありとも、名号をとなえざらんは、詮なくそうろう。(末燈鈔)

 当方は、有り余る時間の中で熟慮して慎重に単語を選んでいるのではありません。瞬間瞬間に
思いついた単語をスピード感をもって使っています。
 「無声」という単語は、選択がまずかったでしょうか。声がないんだから、名号をとなえてい
ない。まあ貴方はそう言いたいんでしょう。
 重箱の隅をつつくような議論はいかがなものか。僕は貴方の家庭教師ではない。時間のない中
で僕は急いで書いているんだ。多少は行間を読んだらどうですか?


>>141
>未信の者が「なむあみだぶつ」と言う瞬間に往生できるのですか?

 そうです。警察署の柔道場入り口で名前と住所と所属の小学校名をカードに書き込むと、その
瞬間に柔道界の一人に加わります。とても簡単でしょう。記入は、本人が嫌がって、親が書いても
有効です。

 その後は、その道場にいつ来ても構いません。もっとも、初心者特に小学校生の場合、曜日と
練習時間は決まっているかもしれません。そのルールは守ってください。練習費は格安だろうと
思います。
 しかし、「おれはもう柔道界の一員だ。すぐ強くなれるんだ」などと思って、実際に練習しな
ければ、決してうまくなりません。おそらく半年、一年も休んでいると、自然退会になっている
と思います。
 「おれはもう極楽浄土の一員だ。すぐ仏様になれるんだ」などと思って、実際に練習しなけれ
ば、うまくなりません。おそらく半年、一年も休んでいると、極楽浄土に往生しているなどと、
だれも認めないでしょう。正定聚ではない仮免には取り消しもあります。
180ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/21(火) 15:02:25.97
>>ランボー法師さん

人天と菩薩がいる阿弥陀の極楽浄土に往生するということは、
行く道が定まることであるのであって、つまり僕の場合は、書くということ、
それを続けていくということが、アセンションに繋がり、神人になり、真理を
解明していくということであるのです。真理を目指している外道を分かってあげるということが
僕が書く目的です。それが僕にとっては菩薩道なのです。

神人として菩薩道を歩む姿、それが言葉上では仏陀であると思って、
阿弥陀であると思った、僕の道なのです。いやはや明確になってきましたw

僕には悩んでいた時に救っていただいた先生がいます
僕はその御恩に感謝するために生きているのです。
そしてそれは書くことでしかありえないということです。
181ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/21(火) 15:03:10.32
>>ランボー法師さん

機械的に人生を送っていたり、主観的に人生を送っていたり、霊魂観に支配された人生を送っていたり、
超人的な人生を送っていたり、混沌(混乱)の人生を送っていたり、聖者として人生を送っていたりしても
ブッダにはなれません。
182渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/21(火) 15:23:24.34
>>138
 これに関しては、もうひとつ論点があった。
 親鸞が、天台智の止観にそれだけ共鳴しているなら、天台智に惚れ込んでいることを示
す痕跡があるはずだ。それがないのは可笑しいと言うだろう。これについて触れておこう。

 
ここにおいて、愚が中の極愚、狂が中の極狂、塵禿の有情、底下の最澄、上は諸仏に違し、
中には皇法に背き、下は孝礼を闕けり。

 これは誰が書いたものか分かりますよね。伝教大師最澄です。出家得度し、その直後に比叡
山に入ります。比叡山に籠もったときの最澄の決意の書です。言わば最澄思想の原点です。
 愚禿釈というのが、親鸞が生涯使っていた坊号です。自分は伝教大師最澄仏の氏族であると
いうそういう意識を持っていたのでしょう。伝教大師最澄を自分の先祖とし、その原点を流罪
のとき親鸞は自分の原点に選んだのでしょう。
 最澄こそ、天台智を最も尊敬し、その教えを日本に伝えた人です。自分は最澄一族である。
天台智の止観を人々に教えるということこそ、最澄に連なる人々の大きな使命であると言う
べきではないでしょうか。
 親鸞の愚禿とは、、天台智の止観を睨んだ親鸞流のアイデンティティであると思います。
183渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/21(火) 16:25:18.22
 親鸞の思想は、実に随所に天台宗の思想、法華経の思想であふ
れかえっています。

 示応化身とは、『法華経』の普門示現の類のごときなり(証の巻)。
これはほんの一例です。親鸞の言葉に法華経の光を宛てると、一
瞬にして思想の奥行きが透き通って見えてきます。親鸞はまさに、
天台智の思想を実践した最澄の生まれ変わりではないかと
思えてきます。

 最澄一族、愚禿釈の意味はここにあったと思います。
184名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/21(火) 17:30:16.31
>>176
>一念をはなれたる多念もなく
ここでは一念を問題にしているのではなく、念仏と称して実質、観法(vipasyana)を行っているのを問題にしているのですよ

>親鸞の消息集は、全体の議論の一部を取り出して詳説していることが多いんです。
つまり誤解の余地のないように詳説しているというわけで、非常に信頼の置ける聖教ということになりますな

>議論の論筋を見極め、どういう文脈と背景で言っているのか、それを考える必要があります。
それは教行信証などの引用の多い文献から、断章取義的に都合のよい言葉を抜き出し、
思いっきり先入観と固定観念で塗り固めた解釈をしているあなたが考えるべきでしょう

>貴方が言う観行とは、
いえ、vipasyanaのことです

>親鸞は「部分的」などという単語は使っていませんよね。それで貴方に意味が通りませんか?。
言葉自体は問題ではありません。あなたが階梯的に往生するなどと親鸞の思想を解釈しているのが問題なのです
根拠がありませんから

>そろそろ、終わりにしませんか?。
こちらとしては、独り言的に反論しているだけで、あなたに教わっているつもりもないので、
別に返しのレスは要りません
185名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/21(火) 17:37:36.62
>>179
>「無声」という単語は、選択がまずかったでしょうか。
言葉を言いつくろおうと、解釈自体がおかしいのであまり大差はないです

>声がないんだから、名号をとなえていない。まあ貴方はそう言いたいんでしょう。
その通りですよ
親鸞が「名号は唱えなくてもよい、名号を念じるだけでよい」と言った聖教がありますか?

でもまあ、そこは問題ではありません。
あなたが「沈黙禅」を唱導している時点で、雑行自力であり、弥陀の照護せざる所となる、
親鸞の思想からは外れるという点が問題です
186名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/21(火) 17:40:54.09
再掲しますが、これが雑行でないという解釈はいくらなんでもムリがありすぎです

http://www.logsoku.com/r/kyoto/1367202208/
46 : 渡海 難  ◆Fe19/y1.mI [] : 2013/05/01(水) 11:44:17.02
 僕は、課題があれば、3時間でも、4時間でも、一人で座禅しながら続ける。食事もとらずにすることもある。寝なが
らする時もある(笑)。

164 : 渡海 難  ◆Fe19/y1.mI [] : 2013/05/03(金) 12:11:34.30
 無声の禅では、心が動いて行くその動きをもう一つの心がじっと眺めるという状態を作ります。曹
洞禅、臨済禅はいずれも無声禅であると考えます。親鸞聖人の一念念仏は、この無声禅への導入に、
一度ゆっくりと南無阿弥陀仏を称えて呼吸を整えると考えています。
187名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/21(火) 17:45:24.21
>>179
>>未信の者が「なむあみだぶつ」と言う瞬間に往生できるのですか?
>
> そうです。

一向、名号をとなうとも、信心あさくは、往生しがたくそうろう。(末燈鈔)
188渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/21(火) 18:02:19.01
>ここでは一念を問題にしているのではなく、念仏と称して実質、観法(vipasyana)を行ってい
るのを問題にしているのですよ

 入第三門とは、一心に専念し作願して、彼に生じて奢摩他寂静三昧の行を修するをもっての
ゆえに、蓮華蔵世界に入ることを得しむ。
 入第四門とは、かの妙荘厳を専念し観察して、毘婆舎那を修せしむるをもってのゆえに、か
の所に到ることを得て、種種の法味の楽を受用せしむ。

http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1367202208/46
 僕は、ほとんど毎日、一念念仏を20分間、多念念仏を20分間実践しているんだ。線香の燃
え尽きる時間が40分、それを半分に分けて、20分、20分にしている。これがおそらく日
本の仏道の場合の標準時間だろうと思っている。

http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1367202208/143
それはそうと毎日40分の念仏ご苦労さん、そのうち20分は一念念仏、20分は多念念仏だ
とかw 一念念仏に20分とはぜひその中身を教えてほしいですね。

http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1367202208/164
 無声の禅では、心が動いて行くその動きをもう一つの心がじっと眺めるという状態を作りま
す。曹洞禅、臨済禅はいずれも無声禅であると考えます。親鸞聖人の一念念仏は、この無声禅
への導入に、一度ゆっくりと南無阿弥陀仏を称えて呼吸を整えると考えています。

>>185
>言葉を言いつくろおうと、解釈自体がおかしいのであまり大差はないです親鸞が「名号は唱え
なくてもよい、名号を念じるだけでよい」と言った聖教がありますか?でもまあ、そこは問題ではあ
りません。あなたが「沈黙禅」を唱導している時点で、雑行自力であり、弥陀
の照護せざる所となる、親鸞の思想からは外れるという点が問題です。

 言葉尻を掴むだけの議論になっていますのでこれ以上レスをしません
189渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/21(火) 18:05:41.07
>>187
 仮免往生と、本免往生とがある。仮免は免許ではないというのか、
 仮免でも免許であるというのか、その違いだ。

 仮免でも、本免携帯者が同乗すれば、道路を走れるからね。
190名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/21(火) 18:29:23.91
まあ、つまりだ、ぱっと見た感じ、
渡海さんの言いたいことは、「助業『が』必要です」ということですな。
助業も無いのに念仏行には至ることが出来ない、ということですな。

逆に、本願寺僧侶は、現実の話、助業をやってはいけない、と言ってるんでしょ?
寺に行って坊主の話を聞いたり一緒に念仏称えたら
「(そのうち、いつかは、勝手に)信心が沸き起こる」という見解かな。
191名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/21(火) 18:52:16.60
呼吸法にイメージ法に色々組み合わせて念仏してすっきり効果が出るならいいのではないかい。
浄土に行く行かないは別として。
リフレッシュだよ。
192ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/21(火) 19:52:23.83
>>181
> >>ランボー法師さん
>
> 機械的に人生を送っていたり、主観的に人生を送っていたり、霊魂観に支配された人生を送っていたり、
> 超人的な人生を送っていたり、混沌(混乱)の人生を送っていたり、聖者として人生を送っていたりしても
> ブッダにはなれません。


きみは、どうしたらブッダになれると思っているの?
193ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/21(火) 20:59:34.13
>>192 そう僕の行く道をせかさないで!!
194名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/21(火) 21:06:51.38
仏陀になるために注意してることとか気を付けてること、試してることだよ
酒タバコはやらないとか
195名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/21(火) 21:07:55.77
>>190
>渡海さんの言いたいことは、「助業『が』必要です」ということですな。
逆です
念仏は沈黙禅をするための助行だといっているのが渡海さんです(>>114

>毘婆舎那禅は、いきなり沈黙禅に入るより、一回でも南無阿弥陀仏を称えると、呼吸も整えられ
>る。そう結論づけ、これが親鸞の禅門であると確信しました。


ちなみに助業というのは五正行(読誦、観察、礼拝、称名、讃嘆供養)の内、
称名を除いた正行のことです(>>44)
196ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/21(火) 21:12:42.82
>>193 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho New! 2013/05/21(火) 20:59:34.13


ブッダには絶対なれない、保障する。

朝の寺子屋  人は仏になれるのか

私はかって仏教はお釈迦様がお開きになったと思っていましたが、違ってきました。
それまでは、人が修行すると佛さん になれ ると思っていました。
大日如来と釈迦如来のお二人のある時のお話しを要約すると次のようになります。
「今からおよそ二千五百年前、釈迦如来は大日如来の命を受けて、インドのシャカ王子として人間に
生まれ、如来としてのの法力を一切使わず、人間の技量だけで、仏を認識する方法を見いだし、
それを人間に広めるように。」  と言う ものでした。
結婚し、子供ができ、人は生・老・病・死の苦を観たり体験した後、人間ブッタのプログラムが開いた、
そして使命を達成し霊界に戻ったのです。
即ち人間が修行し悟りを得て釈迦如来となったのではなく、 シャカ王子になる前から釈迦如来
だったのです。
この事は以前書いた、大日如来のお言葉 

「相談者の先祖が仏であるならば、すでに成仏しているのであるから、供養の必要もないし、
障りをおこすこともない。
人間の霊は、仏でないのだから、そのような間違った言葉を使わぬように。」 

というお言葉でもうなずけ、死んだら皆仏になるという のは大きな間違いと思える。
197ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/21(火) 21:13:33.09
この事は私の今までの考えを大きく変えた。
そして仏教を学者のように、難しく考えるのではなく、いかにしたら大勢の人が救われるのか、簡潔な
方法を見つけることだと考えるようになりました。
そして試行錯誤をしています。
開眼した仏像の仏様は開眼した僧侶のところの仏様の分身である。
そして、その僧侶が仏様を拝めば拝むほど、大き な力をだしてくださる。
かって高野山真言宗総合スレで、人は仏に成れる、なった人を知っている、それはブッタだという
意味の書き込みで私の意見に否定的意見を述べた人が居たが、私の意見が間違っているのなら、
人間が仏になった事例がブッタ一例では私の意見に対する否定の理由にはならない。
高野山真言宗のHP  http://www.koyasan.or.jp/news/img/kechien_kanjho.pdf  の結縁灌頂の
ページに”仏になれる”と記載されている。
しかし弘法大師であっても、如来とか菩薩と云うような呼び方はしていない。
そういうと、遍照金剛が大日如来の事だという人も居るが、はたしてそうだろうか?
それは、入我我入しても、一現象であって仏ではないからである。
198ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/21(火) 21:16:21.39
寺子屋  菩薩は仏道修行中の覚行未満の者か?  

以前大日如来と虚空蔵菩薩の会話を思い出します。
大日如来が虚空蔵菩薩にお話した言葉に対して虚空蔵菩薩は、
”あなたの(大日如来)そこをいただいて自分が生じたのだから”と。
定説(そのような言葉が以前マスコミで話題となったがその事ではない)では、菩薩は如来に成る
為に修行途中の仏様と伝えられている様だが、この言葉を聴いた私は異なる考えを持っていた。
それは大日如来の一部が菩薩であり、それぞれの菩薩はとりもなおさず大日如来のそれぞれの
特徴のある分身ということである。
あたかも、太陽の光線が大日如来であり、プリズムを通過した各色が菩薩と言う事が云える。
霊界では霊格の高い者は、心を分割して独立させることは容易であるが、霊格の低いものは
それが出来ない。
しかし肉体を持つ事で可能な場合がある。
身近な例を示せば、生きている人間が人を憎むエネルギーでいとも容易く自分の霊体の憎しみ
だけをもった分身生霊を作る事が出来る。
これ等を考えると、菩薩は仏道修行中の覚行未満の者ではなく、大日如来の別徳なのだ。


今月の言葉 如何なる学問も、現象の理由付けにすぎない。


人間が仏にどうしてなれないのか?
仏と人間霊では、魂の熟成度合いが桁違いに異なる。

ワカルカナア?
199名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/21(火) 21:21:02.21
オカルトは真言スレでどうぞ
200ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/21(火) 21:22:05.25
寺子屋  菩薩は仏道修行中の覚行未満の者か?  

以前大日如来と虚空蔵菩薩の会話を思い出します。
大日如来が虚空蔵菩薩にお話した言葉に対して虚空蔵菩薩は、
”あなたの(大日如来)そこをいただいて自分が生じたのだから”と。
定説(そのような言葉が以前マスコミで話題となったがその事ではない)では、菩薩は如来に成る
為に修行途中の仏様と伝えられている様だが、この言葉を聴いた私は異なる考えを持っていた。
それは大日如来の一部が菩薩であり、それぞれの菩薩はとりもなおさず大日如来のそれぞれの
特徴のある分身ということである。
あたかも、太陽の光線が大日如来であり、プリズムを通過した各色が菩薩と言う事が云える。
霊界では霊格の高い者は、心を分割して独立させることは容易であるが、霊格の低いものは
それが出来ない。
しかし肉体を持つ事で可能な場合がある。
身近な例を示せば、生きている人間が人を憎むエネルギーでいとも容易く自分の霊体の憎しみ
だけをもった分身生霊を作る事が出来る。
これ等を考えると、菩薩は仏道修行中の覚行未満の者ではなく、大日如来の別徳なのだ。


今月の言葉 如何なる学問も、現象の理由付けにすぎない。


人間が仏にどうしてなれないのか?
仏と人間霊では、魂の熟成度合いが桁違いに異なる。

ワカルカナア?
201渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/21(火) 21:33:54.59
>>185
 入第三門とは、一心に専念し作願して、彼に生じて奢摩他寂静三昧の行を修するをもっての
ゆえに、蓮華蔵世界に入ることを得しむ。 (証の巻)

  寂静三昧の行などと、親鸞さん、あなたが「沈黙禅」を唱導している時点で、雑行自力で
あり、弥陀の照護せざる所となる、親鸞の思想からは外れるという点が問題です。ちなみに助
業というのは五正行(読誦、観察、礼拝、称名、讃嘆供養)の内、称名を除いた正行のことで
す(>>195)
     −笑−
202ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/21(火) 21:37:17.55
貴重な体験に思う T

日本テレビ系  2008/11/12(水) 19:58
日本史サスペンス劇場悲劇の女2時間SP!  
教科書に絶対載らない2大衝撃事件の真実!

(1)“透視できました”明治時代に突然現れた美しき
超能力者…東大博士が本物と認めた女、
彼女はなぜ“リング”貞子の母となったのか

この番組を見て、貴重な体験を只有り得ないという理由で否定し日の目を見る事無く埋もれてしまった
事に割り切れない気持ちになったのは、私だけだったろうか?
とかく自分が経験していないものに対して頭ごなしに否定する者の居る事は、今も昔も同じようだ。
ただ憂いられる事は、修行を疎かにしている僧侶までもが、修行によって得た体験までをも否定する事だ。
僧侶が社会的に大事にされるのは、常人に無い仏に通じる力、法力が有ると衆生が思っているからで、
その法力がなければ単なるイベント屋、それを認識さえ出来ていない僧侶が多いのは、もはや仏教国と
言えない状態だ。
最近一部の意見であろうが、国旗を変えようとする者が居るようだ。
日本の国旗は世界的に見て珍しい太陽を使っている。
此れには偶然にしても大きな意味合いがあるように思う。
仏教国である日本は、その宗教の中心である大日如来と国旗の日の丸、即ち太陽が重なってくるのだ。
203ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/21(火) 21:38:12.84
貴重な体験に思う U

イメージ的に考えると、太陽は陽で星は陰となる。
右旋は『陽』を表し、御神威の活性や発動をあらわします。
左回りは『陰』抑制若しくは制止を意味します。

注訳
羯磨加持においても、結界、辟除と共に、上記の意味合いも含まれるわけだが、
以前、高野山真言宗総合スレにおいても分りやすく説明を書いたのだが、
酉には難しかったようだ。
見えず聞こえず、頭悪しなら、バカの一つ覚え以外は間違いだと思っている。
しかも、順逆に羯磨を廻すというのだから、仏様は陽であることすら念頭には無いようだ。
そのような浅薄な頭で、大日如来を拝んだところで、ご降臨される訳が無いのだが。
204ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/21(火) 21:39:06.50
貴重な体験に思う V

また世界的に見ると、西洋は物質文明が花開き、東洋は精神文明が開花した。
その精神文明が東に東にと日本に伝わってきた。
物質文明の大きな振り子は西に行き止まり、その振り子が東の精神文明と向っている今、これからの
日本が精神文明の世界的中心にならねばならず、その中心に密教の存在があり、大日如来へと
繋がってゆく大切な時期と考える。
僧侶の有り様は重大性を増しているのだ。
そういう大事な時期に来ているのに、僧侶は表面だけ繕い、経済至上主義で修行を嫌う。
弘法大師がされた修行なら、宗派のトップは勿論、住職にある僧侶は少なくとも求聞持法を修すべきと思う。
それは、空海師の唐における渡航予定の変更によっても確信をもてる。
それによって、大日如来は降臨される事がないとか、私の体験したような事を否定するような僧侶が減り、
合理的な密教の修行が、大きな成果を花開かせる時期が来ると思う。
しかしながら、何時の時点の事か分らないが、このような噂も聞いた。
それは、どの管長か知らないが、有る人が管長に ”法力有りますか?” と尋ねた。
答えは、 ”私は学者、法力は無い” と。
私はその噂が間違いで有る事を願う。
さて高齢な私は今、今後世の中がどうなろうと構わないのだが、若い僧侶達には弘法大師が
残されたレガシーを充分生かして欲しいと思うのだが。
205渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/21(火) 22:27:06.32
 一心に専念し作願して、彼に生じて奢摩他寂静三昧の行を修するを
もってのゆえに、蓮華蔵世界に入ることを得しむ(証の巻)。

 念仏は、寂静三昧の沈黙禅をするための助行だといっているのが親
鸞さんです(by>>195)  

 ちなみに助業というのは五正行(読誦、観察、礼拝、称名、讃嘆供
養)の内、称名を除いた正行のことです(by>>195)

オバカサン −笑−
206名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/21(火) 23:01:40.56
>>201 漢文に当たると意味がハッキリしますね

入第三門者 以一心専念作願生彼修奢摩他寂静三昧行故 得入蓮華蔵世界是名入第三門
(無量寿経優婆提舎願生偈註)


故(ゆえ)を以(もっ)て
先行の事柄を理由として、後続の事柄が生じることを示す。ゆえに。それで。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/244675/m0u/

『以』一心専念作願生彼修奢摩他寂静三昧行『故』だから、

【先行の事柄】以一心専念作願生彼修奢摩他寂静三昧行故
【後続の事柄】得入蓮華蔵世界

で、
「一心に専念して、”彼に生じて奢摩他寂静三昧行を修せん”と作願する故を以って」という意味ですね
故に「蓮華蔵世界に入るを得」ると。

だから曇鸞は簡略に
「為修寂静止故 一心願生彼国 是第三功徳相」(寂静止を修せんためのゆえに、一心にかの国に生まれんと願ずる、これ第三の功徳相なり)

と述べるわけですね(ここを親鸞の釈としたのは、こちらの勘違いでした。)

これで「入第三門〜」において、彼=蓮華蔵世界だというのがハッキリしたと思います。
仮免往生説は根拠がないことも明らかになったかと。

親鸞が、
”「極楽」ともうすは、かの安楽浄土なり。…また『論』には、「蓮華蔵世界」ともいえり”(>>125)
としたのも合点がいきました

やはり原文に当たるのは大切ですね
207名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/21(火) 23:05:58.93
先行事由は、作願であって、修奢摩他寂静三昧行ではないということですね
少なくとも漢文原典にあたる限りは
208名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/22(水) 01:14:20.67
南無八幡大菩薩
209ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/22(水) 06:09:36.20
浄土真宗成敗計画 
(新宗経典 観経に書いてある修行を真面目にするなら、このミッションは行われない。)

浄土真宗は、亡者を成仏させる事が出来ないのに、葬式、法事、月参りで
布施を頂き、中には”供物など要らぬ、仏壇に水も佛飯も要らぬ、お布施だけ有ればいい”
と暴言を吐く真宗僧侶が多々居り、葬式、法事、月参りは仏様との縁を持つ機会で供養はしない。

そのような真宗を、30年後のミッションとして潰す事を宣言する。
当方現在 71歳の密教阿闍梨である。

ミッション 1 門主の取り巻きが潰れて逝く、その工作員は門徒霊
ミッション 2 真宗末寺に怪奇現象が起きて広がる、その工作員も門徒霊
ミッション 3 門主が取り残されて孤立、どうなるか分らない。

私は、その時高見の見学
210ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/22(水) 06:10:45.46
第十一章 崇と救済 地獄から亡者を引き出した

やっと霊界からの返事が来た。時計をみると六時間ほどたっていた。
「待たせてすまなかった。話はまとまったが、ゆみ子の事を諦めるのには、二つの条件が
あるが、聞き届けてくれるか。」
「条件とはなんだ。」
「ひとつめは、全員に戒名をつけて、ていねいに葬式し、七回忌までの法事をすること。」
それを聞いて、母親(父親は仕事で留守)がうなずいたので
「承知した。して、もうひとつの条件は?」
「実は、わしの妻と子がいないのだ。二人を連れて来て一緒に供養してくれるなら受けよう。」
「分かった。して、その者の名前は」
名を聞いて私は密教大鉤召秘術を使いその者たちを曳いたが遥遠い果て迄伸びた私の指には
掛る感触が無かった。
もう一度と思い、再度やっても手ごたえは無かった。
ボスはじめ周りの者たちの重苦しい沈黙は続いた。と 突然閃いた。
「地獄に堕ちているかもしれない。」
重苦しい沈黙が続く。
心を冷静にして、密教破地獄大鉤召秘術を使い、加えて弘法大師に応援を請願し、秘術の後
に弘法大師の法号である「南無大師遍照金剛」の言葉を唱え「エイー」と気合をかけ、印で
前下方を突き刺し二人の名を呼んで招いたが、何の手ごたえもなかった。
211ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/22(水) 06:11:48.29
第十一章 崇と救済   地獄から亡者を引き出した

これで諦められるかとばかり、もう一度「エイー」と 破地獄印の指先から一筋の光が目の
前の経机を通し、畳を通って、遥地の底に通っていった。
おーー 手ごたえがあった。
たしかに、あった。
「ボス、来たぞー わかるかー」
「どこに どこにだー」
「よく見れ」
「あー いた いたー」
と歓喜の声で埋まった。
やがて落ち着いたその地獄から上がって来た母親に尋ねた。
「あなたは、どこに居て、どのようにして、ここに来たのですか。」
「はい、私たち母娘は地獄におりましたところ、突然地獄の空に大きな穴が開きそこから
南無大師遍照金剛という金色の光輝く文字が降りてきて、その金色の文字に導かれてここ
まで来ました。」
と答えたのです。
その日は、葬式の用意をして居ませんでしたので、その翌日しました。
一人づつ面接しその者に相応しい院居士・大姉号つきの戒名を授けました。
皆とてもその戒名が気に入り、供養が終わったとき、その戒名の文字を背に背負って、
天に昇って行きました。
八十数名の戒名をつけ引導を終えたときしばらくの間、放心状態でした。
後日約束の七回忌までの供養も済み、これで一件落着かと思いきや、またまた、悍ましい
ことが、おきたのです。   
212渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/22(水) 11:22:06.84
>>206>>207の中、
「仮免往生説は根拠がないことも明らかになったかと。」
 この一センテンスだけは、主張の意味が僕にも通じました。
 それ以外は、全くちんぷんかんぷんです。何が言いたいのか、僕にはさっぱり分かりません

 分かった範囲でレスします。

未信の者が「なむあみだぶつ」と言う瞬間に往生できるのですか?>>141
そうです。 〜 とても簡単でしょう。 〜 正定聚ではない仮免には取り消しもあります。 >>179
仮免往生と、本免往生とがある。>>189

輪廻界・懈慢界・大会衆界・蓮華蔵世界、 化土・報土、 穢土・浄土、 メニューは豊富だ。
仮免往生とはどこの話をしているのか。 >> 206には全くちんぷんかんぷんで分かってない
ようだ。>> 206には全くちんぷんかんぷんで分かってないことが理解できたということです。

 瞬間往生、仮免往生とはどこの次元の話をしているのか、>> 206と同様に、外にも意味の
通じてない人がいるんだろうか。>>206以外は、多分分かっていると思うんだが。しかも、書き
込めば過去のここでの書き込みと重複してくる。議論の繰り返しはしたくない。
 
 辺地の往生をとぐるひと、ついには地獄におつべしということ。この条、いずれの証文にみ
えそうろうぞや。

 どこぞの新興宗教では、この件が非常におおきな問題になっている。ランボーと同じで、脅
迫・恫喝を売りにする宗教は、人が地獄に堕ちてくれないと、売り上げが下がって火の車にな
る。自分たちが地獄に堕ちる(笑)。だから、「地獄に堕ちる、地獄に堕ちる」と脅迫する。話を
聞いた相手が地獄に堕ちて売り上げを伸ばすのだ。欲深のランボーも、人が不幸になってく
れないと売り上げが下がって火の車になる。自分が不幸になる。だから、霊魂だ、祟りだ、憑
依だと、論証不可能な次元で脅迫をする。論理が否定されないなための防衛線を張っている。
(笑)。
 さて?、どうしたものか。
213名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/22(水) 12:42:41.45
名前を柔道場に書き込めば道場に行ける。
親に月謝と入門費と道着を買ってもらい送り迎えか電車賃も出してもらう。
道場に入門しても行きたくければ意味がない。幽霊部員扱い。
行きたくても諸事情で行けなくなることもしばしば。
行けばそこそこ練習できる。道場を浄土だとして、結局諸事情で行けなくなる。だから名前を書くのは誰でも出来るが、諸事情をどうするかが問題だ。この諸事情の解決は今生にかかっているわくだ。
行きたいのに何故か用事が出来て行けないのは縁がない。
諸事情とは縁だ。
214名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/22(水) 12:55:25.53
南無八幡大菩薩
215ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/22(水) 13:17:37.72
僕はこの世で書き物を神憑りの中で書いて、菩薩の真理を目指すということを
解明して、三昧をしていく中で天の階層を上がり、ブッダになることを期待しています。
しかし死後には菩薩界に生まれたいと考えています。この世で往生する
ということでもあります。
216ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/22(水) 13:20:52.08
現に念仏三昧っていうのがありますからねw
217ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/22(水) 13:48:55.32
>>215
> 僕はこの世で書き物を神憑りの中で書いて、菩薩の真理を目指すということを
> 解明して、三昧をしていく中で天の階層を上がり、ブッダになることを期待しています。
> しかし死後には菩薩界に生まれたいと考えています。この世で往生するということでもあります。


きみは浄土真宗の 陣川公平 だね。

君の情熱は分るが、絶対不可能な事を期待しているw
先ず霊界を理解しなければ、仏も神も霊も理解出来ない。
理解できない者になれる訳は無い。

”現に念仏三昧っていうのがありますからねw ” それでブッダになった人知ってるの?

”死後には菩薩界に生まれたいと考えています。” それ菩薩界に生まれた人知ってるの?

きみの言う 菩薩界 説明できるの?浄土真宗の 陣川公平くん。


分らなければ、霊障を深く味わってみる?
そして、霊障を解決できれば、少しだけ目標に近づけるよ。


そのうち渡海難くんにも霊障を深く味わってもらって、連投している書き込みの実践で
解決できるか見ようと思っている。

この作業は、無料でしてあげる。


さて、これからな豪華な昼食だ。
218名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/22(水) 14:04:43.67
ノスタルチアはきっと普通に人間界に生まれるな
219ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/22(水) 14:17:40.91
>>217 中有(霊界)が死してのちあるというのを心配するのは、外道と地獄と餓鬼と畜生と修羅の五つの内
いずれかの心地にいる人々であります。なぜなら外道がその他の四つの上にあるからです。

外道とは何事にも外在的にも内在的にも何かがあると思い、外界の物質の元となる素材を探しあて、
超能力を直に求めずしても得て、阿頼耶識(唯識)からカオス理論(物理学)へと移ることを
考えの根拠にして推理し理解し、理法を説き、心理を知り、真理に至るのです。

しかしこのような外道を客観的に見る人間こそが、地獄という機械的や主観的な生き方もせず、
餓鬼という神から魂を分け与えられたと信仰もせず、畜生という超人的な生き方もせず、
ただただ一人間として全うに生きることこそが、素晴らしい天への階段を上っていく
人なのです。つまりそういう人間はいつか三昧をする。三昧の中で、天の階層を
順々に上がっていく。そしてブッダになる。でも人間として書く中で神憑りが起きるのであるが、
何を書いているのかというと、菩薩の真理を目指すということを解明するのである。

つまり口ではブッダであると言っているが、本能的には菩薩になりたいのである。
そこで菩薩界というところに死後行くのはたぶんあまりいないだろう。


ブッダも菩薩界もなってみないと分からない。だが、客観的に知りたいことや知りたくないことを知った
ことは事実である。何を知ったのかというと僕の場合、外道の生き様とその者の哲学ですねw
220ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/22(水) 14:18:40.89
>>218 浄土真宗のような易行道の僧侶として生まれるのなら万々歳ですw

外道の者にまた来世の僧侶と言われましたw
221ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/22(水) 14:22:52.18
また来世も僧侶○
また来世の僧侶×
222渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/22(水) 14:23:17.35
>>195
一心に専らこの 〜 無量寿経等を読誦する。 〜 礼誦等に依るを、すなわち名づけて「助業」
とす。(化身土)

『唯信鈔』・『後世物語』・『自力他力』なんどの文共にて、御覧候べし。
『唯信鈔』・『後世物語』。『自力他力』、この御文共を、よくよく常に見て、その御心に違えず、
おわしますべし。
『唯信鈔』を、よくよく御覧候べし。

 親鸞さんの言いたいことは、「助業『が』必要です」ということですな。助業も無いのに念仏行
には至ることが出来ない、ということですな。

 違います。何事も常識は弁えましょうということです。社長からは、「裸一貫でくればいい。そ
のまま、そのままで来て下さい」と言われても、通勤するには、通勤の作法がある。パンツもはい
て、ズボンもはいて、出かけていく。途中に信号があれば、それをよく見る。赤なら止まれ、青なら
進めだ。黄色なら注意しましょう。暴走している車はないか、急病で困っている人はいないか。
回りをしっかり見ながら進んで行く。これが裸一貫の通勤の作法だ。
 念仏にも作法がある。そのままそのままと言われても、作法はできるだけ守ろうではないか。念
仏は座禅して称える。五会念仏がお勧めだ。最初は付き合い(近門)で称え仮免運転しても、やが
て念仏が面白くなる(讃嘆門)。本免を取得する。ついで真剣味が出てくる(作願門)。真剣に称
える人を、自力だなどと貶める必要は無い。真剣に称えていれば、やがて称える五会念仏に気持ち
が集中するようになる。自然に奢摩他に切り替わる。
 自分の五会念仏の声がうるさくなるときがある。自分に何か課題のあるときだ。その時は、自然
に声がとまる。声が止まって真剣に座禅していれば、自分の心に起きている様々なものが見えてく
る。信号は赤なのか、青なのか。ぶつかってきそうな車があるのか、ないのか、それまで気づかな
かったことに気づいてくる。毘婆舎那ができてくる(屋門)。
 集中力と観察力とを練習しよう。仏になるか成らないかなどというそんな問題ではない。自然に
念仏を称えよう。そうすれば、自己集中力と自己観察力が身につく。そうすれば、仮に仏になって
も、ならなくても、一生の自分の財産になるだろう。
223ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/22(水) 14:37:18.69
>>219 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho New! 2013/05/22(水) 14:17:40.91
> つまり口ではブッダであると言っているが、本能的には菩薩になりたいのである。
> そこで菩薩界というところに死後行くのはたぶんあまりいないだろう。


ドラマ相棒に出るオッチョコチョイの陣川公平の宗教版ノスタルジアくん。

菩薩になりたいと言っても、菩薩ってなに? 何で出来ていてどんな性格?などなど
目標が説明できないで、どうして目標に達するの?

きみ、てんねん?
224記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2013/05/22(水) 14:39:37.04 BE:684354825-2BP(333)
ランボー法師と渡海難さんにも聞きたいのですが、

YAHOO知恵袋で、「人は、なぜ生きているのですか?」と質問されて、
「一般的には、人は、愛を残すために生きているとされています」と答えたのですが。
これはキリスト教的な答えですよね。

仏教的には、なんと答えたらよいのでしょうか?
225記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:8) :2013/05/22(水) 14:41:16.80 BE:1368708645-2BP(333)
>>223
ノスタルジアさんのいう菩薩は、おおむね、法蔵菩薩のことだと思えばいい。
ただ、悟るだけではなく、もっと大衆を救うような悟り方をしたいのですよ。
226ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/22(水) 14:55:51.27
>>224
> YAHOO知恵袋で、「人は、なぜ生きているのですか?」と質問されて、
>
> 仏教的には、なんと答えたらよいのでしょうか?


人は、なぜ生きているのですか?
A 一義的には、生まれたから
A 密教的には生きずに死を選ぶ事は、修行から逃げる事、当然ペナルティがあります。
ペナルティ:特別な手法を使わない限り成仏できない。
特別な手法:浜辺で特定の一粒の砂を見つける如く困難だが100%不可能じゃない。
227ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/22(水) 14:56:53.82
>>225

本人の口で言わせなければ教育にならないよ。
228記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(3+0:8) :2013/05/22(水) 14:58:41.85 BE:958096627-2BP(333)
>>226
あまり心をうたないですね。
これは難しい問題ですね。
229ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/22(水) 15:05:43.25
>>223 まあそれは一生の課題でありまして・・・。いきなりそのものずばりを
言われても戸惑うばかりですw
230ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/22(水) 15:06:22.91
僕が昨日学校の大勢の前で発表した文章、全文を紹介します。

「僕がある先生と出会った事によって明確になって来たこと」という題名で
話したいと思います。僕は悩んでいた時に助けてもらった先生がいます。
僕はその御恩を忘れないで生きていきたいと考えています。知らないこと、
知りたくないことを教えてもらいました。それで僕は何を学んだのかというと、
その先生の生き様から真理を見出そうとする菩薩のような姿を見たということです。
これから生きている間も死んでからも、真理を見出そうとする菩薩とは何かという
問いについて、いつも書き記す中で、この娑婆という人間界の一人間として
解き明かし続けていきたいと考えています。御恩を忘れないで生きていくということ
が、その意欲をなくさない秘訣である気がします。

続く。
231ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/22(水) 15:07:47.05
続き

阿弥陀仏の極楽浄土には人天と菩薩がいるそうです。人天とは、人間界の人間と
天上界の神ということです。僕は神道のように人が神様を一心に感じている姿に
信仰心がある人の生き様を今思い浮かべてみますと、とても清らかな印象を受けるのです。
近くの神社にお金を滞納して、三作せんべいをもらった時、もらった相手の人が
とても神々しく感じましたことを思い出しますと、いっそう素晴らしく思うのです。
でも自分は書き記す中で、極楽浄土にも通用する人でありたいと考えています。
僕に僧侶をとって、南無阿弥陀仏をとって、何が出来るとか?と考えてみますと、
そのように書き記すためのボールペンをとって、一体、僕には何が出来るのかと
考えた時に、思い当たるものがありません。

例えば死刑囚に立ち会った僧侶は何を臨終の際に話すのでしょうか?
僕ならば、今度生まれる時は、自分のNO1であると誇れる何かを
必死で探してくださいと言いたいです。または、命を粗末にすることは
帰るべきところをなくすことなのですよ、と言いせめて臨終の際にでも
懺悔して頂きたいと伝えたいと思っています。
最後にみなさんに聞きたいことがあるのです。僧侶が檀家参りの時に
法名と心を通じて念仏することをしている僧侶はいるのかなと思いました。
少しでも違うことを考えたら、法名に申し訳ない気持ちになりますよね?
僕はただのんべんだらりと1年近くも、檀家参りをしていた自分の至らなさを
痛切に反省している今この頃です。これで終わりたいと思います。合掌。

以上ですw
232ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/22(水) 15:10:58.58
>>228

基本的には、生まれるために母親を選び、受精のタイミングで飛び込んだ魂は自分の意思。
精神的熟成が達成するまで輪廻は繰り返される。
人は生まれたらPCのBIOSのようなプログラムが起動して、生きる為に諸器官に命令する。
そのコマンドには自殺を実行できなくなっている。
やがて赤ちゃんの状態から育つにつれアプリが増えてゆく。
しかしアプリはBIOSには逆らえない。
しかしBIOSにウイルスが感染すると、自殺を実行できないコマンドを書き換えることがある。
その状態の時、虐め、破算、災害、麻薬などがトリガーとなり自殺をすることになる。

この場合のウイルス:不成仏霊、怨念
233ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/22(水) 15:33:11.95
>>225 僕の言う菩薩というのは実は三種類あります。

一つ目は、永遠に努力する菩薩道ということです。←真宗僧侶として・・・。

二つ目は、菩薩界にいる菩薩ということです。←来世への期待として・・・。

三つ目は、みんなへの愛情といえばいいのかこの世の源泉といえばいいのか、
     そのような菩薩のことです。←シュタイナーの言うが如きの菩薩。

一から二になり三になるごとに、捉え方の美しさが増すと思っています。
234名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/22(水) 15:43:27.59
ノスタルの来世は真宗でなく、日蓮宗だな
宮沢賢治みたいに改宗するな
菩薩道が真宗にあるかい
235名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/22(水) 16:50:22.33
>>220
「俺、真宗僧侶だから易行道を歩んでいるッス!」
ってどんな短絡的な発想だよw
236名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/22(水) 17:09:46.54
>>212
>それ以外は、全くちんぷんかんぷんです。何が言いたいのか、僕にはさっぱり分かりません
そうですかw実はそうだろうなと思っていましたよ

多分他の人も分からないだろうからもう少し詳しく書いてみます

要するに↓の文章は、これでひとまとまりだということです。
「以一心専念作願生彼修奢摩他寂静三昧行故」

漢文書き下しだと
渡海さんの様に
入第三門とは、一心に専念し作願して、彼に生じて(仮免往生)奢摩他寂静三昧の行を修するをもってのゆえに、
と読まれてしまうという問題があるわけです

生じる≠生じ已る というムリ筋な読みが可能になる可能性が出てくる

しかし、漢文だと「生彼修奢摩他寂静三昧行」というのがすべて一文で、作願に掛かるということが明確に分かります。

読み下して説明すると、
「願生して、浄土に仮免往生して、シャマタ行を修するが故に、蓮華蔵世界に生まれる(本免許往生)」のではなく、

「(浄土で)シャマタ行を修することを目標として浄土に生まれたいと願をなす、それ故に浄土に生まれる」という
ストレートな往生説が見えます

こういうことなのです
237名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/22(水) 17:19:24.66
渡海難ちゃんは、渡海易にならないとね。もっと租借して言ってくれ。
やってること自体は難しくも何ともない念仏なんだから。あと禅でしょ。
誰の言葉にたいし、自分の言葉はこれと整頓して書いてもらいたい。
難からノスタル易にならないと。
238名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/22(水) 17:28:22.29
>>222
>声が止まって真剣に座禅していれば、自分の心に起きている様々なものが見えてくる。

まあ、この一文で、まともな人なら、渡海さんの言っていることが明らかに自力雑行を勧めるもので、
親鸞の思想とは全く異なるものであることがハッキリ分かると思いますよ
親鸞の著作に、「座禅」を修しなさいという文章はないですから

ちなみに「観察力」という言葉が紛らわしいのですが、渡海さんが提唱する観察と、
浄土教で勧められる、五正行の「観察」は全くの別物です

かの観察に三種あり。なんらか三種、
一つにはかの仏国土の荘厳功徳を観察す、
二つには阿弥陀仏の荘厳功徳を観察す、
三つにはかの諸菩薩の荘厳功徳を観察す。(浄土論)
239ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/22(水) 17:30:36.73
本来動物が同じ種を殺す事は無い

人を殺してはいけないのは動物の摂理だからです。
しかし、感情と欲が人間以外の動物と異なり、摂理のプログラムを無視するのです。
そのプログラムの曖昧さが生きている時に超えなくてはいけない修行なのです。
動物は、同種の中でトップや配偶者を争うが、同種を殺すまでは攻撃しません。

人間は、輪廻して甦る度に同じ様に修行の繰り返しをします。
しかし、その行動には前世の生き様の影響を受けます。
パソコンで云うと、新しいソフトを入れても、その前からあるBIOSプログラムに
影響され、そのBIOSプログラムに新しいソフトの癖が加味され、次に引き継ぐようなもの。
人間は、そのBIOSを自分では書き換えられないため、善行をして仏様に気に入られ
書き換えた貰うよう信仰するのです。

そうして人間の魂(BIOSの記録)が清らかになったところで輪廻は終わるのです。
そして、人間だけが輪廻を終了して、地球は人間の居ない昔の地球のように人工物が
自然崩壊して戻るのです。
他の動物には無い宿命が故に、厳しい魂の修行が居るのです。
そういう現実の中で、何もしなくてもいい、阿弥陀様が往生させて下さるなんて幼稚な
教えは、真宗寺の米櫃の肥やし以外のなにものでもありません。

この比喩の状態のBIOSを 前世の因縁 と云います。

BIOS=Basic Input Output System


不殺生から始まる十善戒は亡者にこそ必要であり、生きている人間には法律が適用される。
240ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/22(水) 18:33:03.15
第十二章 呪いと生霊

前章で命を取り留めたゆみ子は、私の処を尋ねるまでに、いろいろな宗教関係のところで
救いを求めたことは、言うまでもないが、それにも増して、一人で持ち切れないほど沢山
の呪術などの本を読んでいた。
以前あるお母さんが、高校生の息子の事で、たずねてこられた事があり、その子は極度の
霊障により、激しい恐怖感をもち、わめき苦しむのだった。
その子に憑依していたのは、その子の住んでいる、家の建っている土地で首を吊った女性でした。この子も沢山の呪術の本を読んでおり、それらを実践してたのです。この時はお釈迦様が
降臨されて教えてくださり
「怪しげなる本を読んで、危険な印を結んだりしているので注意しなさい。」
と言われたので、その子に注意をしたところ、
「そのようなことは、一切ありません。」
と言うので、
「それならいいか。」
とおもい首を吊った霊をはなすため、このお宅で供養を始めました。
読経の途中でふと気になり後ろを振り返ると、何としたことか、その子が何やら怪しげな
印を結んで霊を集めているでは、ありませんか。
すぐにそれを止めさせて供養をし終わりました。
二度とこのような事をしないよう注意をしそこのお宅から帰りました。
241ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/22(水) 21:23:43.94
>>234 法蔵魂があるw
242名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/22(水) 22:05:07.46
法蔵魂も開花しないかもね
243名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/22(水) 22:29:11.75
果が無ければ因も無いからな。
机上の空論で語るには自由だけど。
244名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/23(木) 03:22:08.13
愛なくしていかに法蔵と言え、花にも実にもならない。
仏種があるとどれだけ信じても、愛がなければ花にはならない。
花を咲かせるのは、仏の慈悲ではない。あくまでも自分の心にある慈悲によって咲くのだ。
南無阿弥陀仏と百万偏唱えたところで、阿弥陀仏の無償の愛を知り、自らもそれを育てなくては空念仏。
山や滝に神を感じるのはなぜか。
神を感じるのはそこに安心感を覚えるからだ。
安心感とは愛と知恵に触れるから覚えるのだ。
よって、山々や滝に感じる生命力は愛である。
愛によって滝は流れ落ち、愛によって山は高くそして動かず、愛によって日は昇る。
この天地自然の摂理、経侖の背後にあるエネルギーが愛である。
この事を体感したのが日蓮であり、その宇宙的な愛は、南無妙法蓮華経の七文字に著された。
日蓮は久遠の釈迦に、これを見いだす。
つまり、個々の神や仏の個人的な慈悲としてではなく、宇宙的な普遍的慈悲の存在を感じ取ったのだ。
阿弥陀仏の慈悲も、この久遠の存在の慈悲に他ならず、それが宇宙の摂理を動かしている真理を
大曼陀羅に図現した。
滝や山や太陽や月の背後にある宇宙的な慈悲が、日蓮にも流れていると知り、他の人々にも作用していると見抜いた。
阿弥陀如来の慈悲は、我々を普遍的な慈悲へ導くものだ。浄土は無償の愛の世界だから、そのような者のみが行ける世界。
その心によって、行ける世界の位が決まる。
だから唱えれば行けるのではなく、阿弥陀仏の慈悲を体得し、行った者がゆく。
先ずは浄土に生まれたいとの願いがなければならない。その願いが南無阿弥陀仏である。
そして無償の愛を想いと行為から学ぶのである。

愛とは何かは示されている。恐れや疑いがある愛は偽物であると、日蓮が生き様で示した。
親鸞は、妻帯という当時の常識を破る勇気よって示した。
空海は仏を信じて断崖から身を投げた。
大愛を求めて念仏するならば、それは叶えられる。
必ず望んだ人間になれるだろう。
なぜならば、これに勝る力は宇宙には存在しないからだ。
南無阿弥陀仏
245ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/23(木) 08:36:14.46
今朝の一言 自分の命と引き換えに、と思うほど仏に帰依し修行しなくては本当の僧侶にはなれない。

ノスタルジア陣川公平くん、きみのひたむきな情熱は分かるが、道を誤ると徒労に終わるよ。
きみの言うことは一見正しく見えるのだが、チョット考えると???なんだ。
まるで相棒の陣川公平みたいなんだ、杉下右京の立場で観ると、朴って置けない気持ちになる。

現に、>>244 さんも、同じような心境なのかもしれない。

> 愛とは何かは示されている。恐れや疑いがある愛は偽物であると、日蓮が生き様で示した。
> 親鸞は、妻帯という当時の常識を破る勇気よって示した。
> 空海は仏を信じて断崖から身を投げた。
> 大愛を求めて念仏するならば、それは叶えられる。
> 必ず望んだ人間になれるだろう。
> なぜならば、これに勝る力は宇宙には存在しないからだ。
> 南無阿弥陀仏

>>244さんは、愛と云う言葉で表現しているが、それをきみはどの様に咀嚼し滋養とするか、
時には毒が含まれているかもしれない。
愛によって、親が子の為なら、自分の命をも捨てて救おうとする場面にあなた自身が当事者
として出くわすかもしれない。
それでも躊躇せず歩めと>>244さんはいっているように思う。
精進は普段の生活にもある、観経の観想法は自動車を運転していてもトレーニングできる。
前を走っている自動車がどこでウインカーをつけるか、当然曲がる前にウインカーをつけよう
と考えるわけだが、前を走るドライバーがウインカーをつけようかと考えた時、こころを澄ます
事によって感じ取れるようになる。
その運心は阿弥陀如来を観ようとした時にも役に立つのだ。

きみは渡海難と違い若いのだから、色んなことを経験してプロの僧侶になる為に生かし、
真宗の考えを合理的になるよう導いて欲しい。
246ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/23(木) 08:37:03.98
第十二章 呪いと生霊

それから一週間程たって又そのお母さんから電話がかかり、
「息子が変になったので、なんとか・・・」
とのことでした。
またまた自分で呼んだ霊でした。
除霊はしましたが
「自分で招くことを止めないかぎり、私は二度と来ません。」
と言って帰りました。
再度電話があったが、私が行くことはありませんでした。
 
こんな事を思い出しながら、崇りから一命を取り留めたゆみ子の話しを聞いていたら、
とんでもない話しが出て来た。
「いろんなオマジナイの本を読んでいたら、面白そうなので友達に試してみたの。
そのうち、その友達の姿が見えなくなったの。」
と とんでもない事を言い出した。
そのうち、それらの異様な行動があからさまになり、注意をしてもやめようとはしなかった。
そこでこの心を直すことができないものかと、母親と相談し七座の護摩祈願をした。
しかし、人の根性は、直すことができなかった。
本人がその性癖をくい改めようとして祈願しなければ、心の底の因縁は消滅しないことが
分かった。
心を閉じていたら、因縁消滅を良心にふきかえるためのエネルギーが入らないためと分かった。
この時救えるものならと考えていたため、自分に大きなスキができていることを知る
由もなかった。そして、ゆみ子が私を呪いだしたことを。
247ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/23(木) 09:16:30.52
・餓鬼が地獄に堕ちる道程の説明

餓鬼は餓えた鬼である。鬼が云うので魂になる。その魂は、
神仏によって与えられる。しかしその間違った認識が、その者を餓鬼から地獄に堕ちさせる。
つまり睡眠時の夢など、すべて餓鬼なのである。例えばその神仏への信仰が侮辱されたら
餓鬼は、醜い顔になるだろう。つまり自分の率直な人相が出て来る。酉に鬼と書いて、醜いというが、
つまり酉によって空腹を満たしているのだよ。これが飲酒であり、戒に反することである。
しかし顔に表れなくても言葉で変換する人がいる。その場合でも同様である。

もう一つ、般若の面の話がある。僕は般若が面をかぶっているので、般若の面であると思っているのだが、
般若とは女性のことである。面の醜い顔をとってしまうということは、つまり
般若(女性)への邪淫である。そして般若への侮辱。菩薩への侮辱である。
または永遠なる菩薩道を歩む者に対しての侮辱。

言葉に変換することで醜い顔が如実に浮かぶような者ならば、そこから言い逃れるために
二言目を吐く。その二言目は当然醜い顔を取っ払って、般若(女性)を邪淫する形で
達成される。つまり菩薩への侮辱によって二言目を発するのである。
女性の菩薩の代表が観音である。つまり観音を邪淫するのである。此処まで来て
その者は地獄に堕ちたと、僕には分かる。
248ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/23(木) 11:44:32.79
>>247 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho 2013/05/23(木) 09:16:30.52
> ・餓鬼が地獄に堕ちる道程の説明
> その者は地獄に堕ちたと、僕には分かる。


ノスタルジア陣川公平くん、霊界も知らない、まして地獄に関った事が無い
きみが話していることは、妄想に過ぎない、確実に陣川公平の道を歩んで
居る事が分らないの。

もっと利巧になりなさい。
249ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/23(木) 11:57:20.66
浄土真宗では、現生往生を考える。決して極楽往生は考えない。
であるから、現代に生息している中で往生するということが現生往生ということ。
極楽往生は死が介入してくる。であるから死後往生は極楽往生などと言われる。

僕は地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道の内の畜生道に堕落した人であると間接的に
言われたことがある。争うごとをする修羅道の人々には負けるが、地獄餓鬼の人々には
勝てる。勝ち負けはやはりある。人道から逸れたことをしたら、四悪趣[地獄、餓鬼、畜生、修羅]の
内いずれかに堕落する。外道とはなかなかなれるものではない。その人の素質がいる。
しかし外道に成りたい者などふつうはいないだろう。

前にも言ったが、地獄→餓鬼→畜生→修羅→人間 という順番で人間界に生まれし人間として
戻れるのであるが、なかなか・・・。そこまでは戻るのはいばら道である。

修羅というのは、刀を持った士の時代遅れの人々のことである。
しかし大士とは菩薩のことであるので、強ち修羅というのは間違いではない
ように思う。でも争いってすごく難しい言葉なんです。なぜなら善悪が絡んでくるので・・・。
善なのか悪なのか分からない人々は間違いなく、修羅以下です。

親鸞聖人は善悪を存知していないと言いました。ってことは親鸞聖人の浄土真宗は
修羅以下なのです。もっと言えば、親鸞聖人が修羅以下だったということです。
そしてみんなが人間として立ち直るための新しい仏門が開かれたのでしょう。
250ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/23(木) 12:03:25.92
>>249 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho 2013/05/23(木) 09:16:30.52



ノスタルジア陣川公平くん、

地獄→餓鬼→畜生→修羅→人間 

此れじたいが間違いなのだが、君の頭では到底理解不能なのね。
IQは、そう簡単に変えられないのか。
251ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/23(木) 12:05:44.32
だから善悪を巧みに操る外道が優勢な世の中になっている・・・。
ただ僕の場合外道が絡んでくるんですよ。外道の仲良しになったんですよ。
だから善悪を巧みに操るその外道の姿に菩薩の投影を見ました。
つまり菩薩ってのは衆生を救うんですよね?だから投影が修羅の場合でも、
畜生の場合でも見れるのだろう。餓鬼も菩薩を見るし、地獄の者も菩薩を
見聞きして知っているのだろう。

親鸞聖人はまずは人間として生きたかったのだろう。

お釈迦様が約2500年前に生まれて人間界が出来た。それまでは、ただの物しかなかった。

人間でもない者たちが多すぎるこの娑婆の末法に、この穢土にどうやって
建ち続ければいいのだろうと考えた時に、畜生に落ちて、超人にあこがれた
私に待っているのは善悪を巧みに操る外道の言説を聞いて僧侶(人間として)
に戻るために、善悪を存知することが重要である。
252ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/23(木) 12:10:14.90
>>250 どこが間違いなのでしょうか?
253ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/23(木) 12:22:51.50
>>251ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho 2013/05/23(木) 09:16:30.52


ノスタルジア陣川公平くん、 >>244さんの云ってる事も理解不能のようだね。
楽して皆より上のことは為しえない、きみには下記の様な決断をし行動できるかな?

ノスタルジア陣川公平くん、宗教に命をかけられるかな?


命をかけた極寒の滝行 T

今朝(某年2月)未明の外気は、私に住んでいる地域では マイナス13度 に下がっていた。
昔はマイナス10度を下回る気温はよくあり、懐かしくその気温を観ていた。
新婚から数年経った頃は、札幌市の郊外はモッと寒く、その時の私は在家で頭髪は緩やかな
パンチパーマだった。
妻と共に寒行が出来る滝に着いたのは朝の5時、まだ暗い。
懐中電灯を頼りに、スコップとツルハシを持って、水行の出来るところまで降りて行く。
分厚くはった氷をツルハシで割るのだが、滝の流れている表面にも氷が張っている。
滝行に適した滝は流水が細いので、表面に凍りは貼って、その内側を水が流れているのだ。
自分の背丈に合わせて、その部分も氷を割る。
私と妻は、白い行衣に身を包み、チャクラが最大限に活動するよう九字を切り邪気を払い
気を流すのだ。
大事な妻を失う事が無い様真剣に妻の背中に九字を切る。
妻の背中に向って九字を切ると、チャクラが活性化され体内の諸器官は劣悪な環境に耐え
るべく最大に働き、妻は 背中が熱くなる と言う。
心経や不動真言を唱えている時、大きな太鼓の音が、緩やかなテンポ そうあの戦場の
カメラマン の話し方のような感じで聞こえてくる。
此処に住まう龍神さんの大太鼓なのだ。
254ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/23(木) 12:24:02.95
ノスタルジア陣川公平くん、宗教に命をかけられるかな?



命をかけた極寒の滝行 U

やがて滝行が終わり、車中の人となる。
まだ暗く、ヘッドライトを点燈し車を進める。
頭にかかった水が凍って小さなツララとなり、車中の温度が上がり、ツララは溶け始めて
ポタポタと雫がたれるのだ。
それも、滝行をやり終わった満足感で、なんら気になら無いのだ。
そこには、大事な妻の体の気を最大限に向上させ、水の冷たさに対応できた事の満足感でもある。
命をかけた極寒での滝行、其れこそが私の法力をつける切っ掛けとなったのだ。

極寒の地での滝行を知らない浅薄な酉頭の御仁は、滝行など出来るわけがないと繰り返し嘯く。

決して知識だけでは、物事を理解できないのだ。
知識だけならパソコンの記憶装置にも蓄える事が出来る。
しかし、智恵は、パソコンには蓄えきれないのだ。
言い換えれば、パソコンの情報は、馬鹿の一つ覚えなのだが、そんな人間が多くなってきている。
255ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/23(木) 12:38:21.83
>>ランボー法師さん

僕は人間道の人間として
人間界の人間の一員として生きたいだけである。
それが僕の先生である外道との違いでもあります。

別にあなたを否定しているわけではないです・・・。

・名言

正しい判断は、正しい者たちとの間で出来ることである。
256渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/23(木) 13:05:38.24
>>224   >仏教的には、なんと答えたらよいのでしょうか?

 仏教的にという質問には、僕は回答する資格がありません。僕は仏教を代表する資
格はなく、仏教を概観する実力もありません。親鸞聖人の教えに自分の立場でただ共
感・共鳴する一介の無碍の念仏者に過ぎません。「渡海難流にはどう考えるか」という
質問に変えましょう。

 「人は」、という抽象的な質問に僕は答えることができません。なぜなら、人はそ
れぞれであり、それぞれが余りにも異なった個性を持っているからです。十人十色、
あらゆる人々がそれぞれ、全く異なった個性をもっている現実を前にすれば、「人は」
という形で、総括的、抽象的に捉えることは、少なくとも私にはできません。「>>224
さんは、なぜなぜ生きているのですか」。この問題で、「渡海難流にはどうかんがえ
るか」という質問に変えましょう。

 僕は、>> 224さんに直にお会いしたことはありません。ですから、「>>224さんは、
なぜ生きているのですか」という問いに答えることはできません。しかし、ヒントら
しいことを申し上げましょう。
  
 いきなりの質問です。>>224さん。貴方はご自分を人間だと思っていますか。人間
ではないと思っていますか?
 「人は、なぜ生きているのですか?」。この問いが意味を持つのは、相手が人間だ
けの場合でしょう。犬に向かって、「犬さん、あなたはなぜ生きているのですか」と
聞いても意味が無いでしょう。豚に向かって、「豚さん、あなたはなぜ生きているの
ですか」と聞いても意味が無いでしょう。しかし、人間であれば、できるかぎり自分
が生きることに責任と目的を持ち、自己実現に向けて生きていきたいものですよね。

 人は、人間のDNAをもって生まれてくれば、死ぬまで人間なんでしょうか?人は
精神と肉体からなる。そう考えれば、肉体が人間の肉体をもっている限り、誕生から
死亡までの間、人は人であり続ける。そう言えるでしょう。
 しかし、肉体は仮面に過ぎない。人の本質は、人の心で人の行動をとる限りにあっ
て人間であり、ケダモノの心でケダモノの行動を取るものは、ケダモノである。そう
いうことは言えませんか。
257渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/23(木) 13:08:22.10
 一人娘が殺された父親が、娘の遺影を持って刑事裁判の傍聴席の最前列中央に座っ
ています。検察官に連れられて被告が被告席に入廷してきます。いきなりその父親が、
泣き叫ぶような声で叫びを上げます「ケダモノ!!」と。横に座っていた新聞記者が
つぶやきます。「このお父さんは頭が変なんじゃないか。被告は人間だろう。人間で
なければ裁判起こすわけないだろう。狂犬病の犬が人間をかみ殺して裁判になるか?
ばかな親だな」と。

 この場合の二つのとらえ方で、貴方はどちらに共鳴しますか?。被告の肉体は仮面
であり、父親は、仮面の裏側の本質を糾弾しているのでしょう。鬼の心で鬼の行動を
取るものを鬼という。昨日までのケダモノが、前非を悔いて真人間に戻る。真人間に
戻ったかと思ったら、舌の根も乾かない内に鬼の手下になり、有頂天になったかと思
ったら、その瞬間に地獄に堕ちる。こういうことは様々なところで起きています。

 人間は、人間として生まれるのではなく、生まれてから人間になる。今後も生きて
いこうとするなら、人はできる限り目的を持ちたいものです。生きる目的は、他人に
見つけてもらうのではなく、自分で見つけないと代わってもらえない。お仕着せの目
的は、自分の真の目的とは言えないでしょう。

 目的が見つからなければ、自分は今後何をしていいかわからない。例えば足下が暗
闇になる。暗闇になれば、壁にぶつかったときそれを越えることがきない。過去を振
り返ったとき、過去に行った様々な決断に後悔が出てくるでしょう。

 生きる目的を見つけたい。そう思ってもなかなか見つからない。人は、生きる目的
が見つからなくても、生き続けることはできると思います。しかし、目的のない人生
は、自分がケダモノ、あるいは鬼と化していく入り口に近いのではないかと思います。

 自分は、自分なりの生きる目的を見つけたい。自分という人間はいったい何者なん
だろう。そう思ったなら、多分、仏教にその回答の用意はないけど、貴方が自分で答
えを見つけるときの手助けはしてくれると思います。
258渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/23(木) 13:09:55.38
 若し毘婆舎那がよく煩悩を破すなら、なにがゆえぞまた奢摩他を修するや。佛言は
く。 〜 毘婆舎那煩悩を破せば、獨りよく破すとやせん。伴にことさらに破すとや。
(大般涅槃経要門)

 毘婆舎那だけすればいいのではないでしょうか。そうではない。毘婆舎那が単独で
煩悩を破るのではない。奢摩他と結びついて敗れるのだ。奢摩他・毘婆舎那を実践し
てみなさい。

 集中力を持とう。自己観察力を持とう。親鸞聖人は、一念念仏と多念念念仏とその
両方を勧めている。これは、自分の生きる目的の回答の用意は仏教にはないが、その
見つけ方を教えてくれている。奢摩他・毘婆舎那ができるようになれば、自ずからそ
れまで自分に見えなかったことが自分に見えてきて、きっと自分の目標、目的という
ものが自明になってくる。これがヒントである。僕はそのように思います。
259渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/23(木) 13:13:56.93
>>237
 先にこちらにコメントします。

 ご指摘に感謝します。できるだけ努力してみます。
 
260名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/23(木) 14:45:40.25
往生は議論できても成仏は議論出来ない。
これが浄土真宗が仏教で無い所以です。
261ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/23(木) 15:02:33.95
・人間と外道の使命の違いについて

機械的に、主観的に生きている人々が多い今日この頃、彼らはどうすればそれをやめることが出来る
のだろう?釈迦の教えを聞き、弥勒の世に生まれることを願って、彼らは
時間の制約の中で修行しなくてはならないのである。

魂を神仏から与えられると、彼らは生きている時に修行を励むことがいっそう
出来るようになる。それまでの彼らは生きる屍のようであった。しかし酒を飲んだり
、般若の面をはがしたりして戒を破ると彼らはまた、主観的に機械的に生き続けなければ
ならないのである。

彼らは魂を分け与えられていることは事実であると納得し、次に大衆の上に立つ者として
一生懸命修行するようになります。

しかしそのようなことよりも正しい判断(善悪の区別)を出来ずに争っている自分に
至らなさを感じるようになります。

そして正しい判断が出来るようになった彼らは人間道の人間として、人間界の人間の一員として
使命を全うするのです。

外道は正しいことを操っているだけである。
262渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/23(木) 16:43:04.51
>>224
 もう少し言いたくなりました。
 人生の目的は何か。これを親鸞に当てはめると、いろんなことが言えそうです。自分は何をし
たいのか。自分は何をしようとしているのか。親鸞は、自分ではかなり、明確に言っているよう
です。ただし、それはあくまでも親鸞その人の人生の目的であり、親鸞の以外の人に波及する問
題ではないと思います。
 親鸞が自分の人生の目的としていたものを、別の人が「では自分もそれを引き継ごう」と思う
のはその人の自由であり、現実にそれを実行した人もいる。僕は存覚という人がその一人だろう
と思います。

 親鸞が「こんな人が世の中にたくさん生まれるといいな」と願ってた、あるいは希望していた
人間像も親鸞の書き物には書いてある。「それでは自分も、親鸞聖人が期待していたような人間
になるよう努力しよう」と思うことは素晴らしいことでしょう。同時に「それでは自分も、親鸞
聖人が期待していたような人間にならなければならない」などと思わなければならない理由はど
こにもない。

 「前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え、連続無窮にして、願わくは休止せ
ざらしめんと欲す」。(化身土)
 親鸞における自分自身の人生の目的、アイデンティティは、僕はこの言葉にあると思う。
 示応化身とは、『法華経』の普門示現の類のごときなり。(証の巻)
 親鸞の使命感、それは法華経の体現であり、観音菩薩行の実践だったと思います。しかし、親
鸞には悩みも多かった。
 善証坊といいしものに、ついに、あいむつるることなくてやみにしをばみざりけるにや。
当時は、この身どものようにては、いかがそうろうべからんとおぼえそうろう。
 なかなか思うようにいかなかった苦しい胸の内を吐露しています。

 観音菩薩行の実践をする人が増えて欲しい。これは教行信証からも読めますが、大般涅槃経要
門からも読めます。如来の言葉を発し、如来の行動を行い、如来の意思を自分の意思とするそん
な人になって欲しい、親鸞はそんなメッセージも発しています。 
263渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/23(木) 16:49:34.65
もし、如來の所有の身業を見たてまつらん、まさに知るべし。これすなわち、如來とするなり。
これ眼見と名づく。もし、如來所有の口業を觀ぜば、まさに知るべし。これすなわち如來とする
なり。これを聞見と名づく。もし、色貌を見ること、一切衆生のともに等しきもの無くば、まさ
に知るべし。これすなわち如來とすべし。これを眼見と名づく。もし、音聲微妙最勝なるを聞か
む。所有の音聲には同じからず。まさに知るべし。これすなわち如來とする。これを聞見と名づ
く。もし、如來所作の神通を見むに、衆生のためとやなせん、利養のためとやせん。若し、衆生
の爲にして、利養の爲ならずば、まさに知るべし。これすなわち如來とするなり。これを眼見と
名づく。もし、如來を觀ずるに、他心智をもって衆生を觀ずる時、利養のために説き、衆生のた
めに説かん。もし衆生のためにして、利養の爲にせず。まさに知るべし。これすなわち如來とす
るなり。これを聞見となづく。

 それでは、渡海難よ。お前の人生の目的は何かと聞かれそうです。
 お答えします。それはヒミツです。


>>260
>成仏は議論できない

 そんな馬鹿な(笑) 
264ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/23(木) 17:10:21.79
>>261 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho 2013/05/23(木) 15:02:33.95


ノスタルジア陣川公平くん、きみが書いた言葉なので答えてもらえないかな。


これが飲酒であり、戒に反することである。 →何故戒に反するの? 肉食は?

>>250 どこが間違いなのでしょうか? →地獄をどのように理解しているの?

きみの云う、外道ってなに?

魂を神仏から与えられると、、、魂ってなに?


答えを待っています。
265ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/23(木) 21:27:10.36
>>264 >>学校行ってて遅くなりました。すみません。

なぜ戒に飲酒が反するか、ではなくて、その飲酒の僕の受け取り方は
こうです。→飲酒とは決して本当の飲酒を言うのではなくて(何が本当で何が本当ではないか
誰にも僕にも分からないことだが・・・。)、酉に鬼と書いて、醜いというでしょう?
僕が醜い顔をしたということが、顔をしかめたということが、そもそもおかしいことである
と言っているのです。そしてそういう醜い顔をしている人は酉の中にあるジュース(酒)を
飲んでいるようなものであると言っているのです。

上の文章が理解できないなら、例え話をしてみます。阿弥陀経には共命の鳥
が出てきますよね?その鳥は浄土という環境にいるのかと言われればいないと思います。
つまり深い意味があるということです。僕は共命の鳥というのはどのような
深い意味があるのか、自分なりにまだ解明していません。そのようにして
飲酒ということが戒によって禁じられているのは、wikipediaを読めば誰でも
分かることですが、それを実際出来るのかと言われたら、今世では不可能に近いのでは?
と思います。であるなら、深い意味があるはずだ!であるから醜い顔という
視点を見つけたので酉と鬼ということで、酒を飲む鬼ということになり、
鬼が酒を飲んだら、それは餓鬼ではない。餓鬼ではないなら鬼は地獄の鬼になるしかない。
それが堕落した餓えた鬼つまり餓鬼の一つの末路なのです。
266名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/23(木) 21:34:41.06
学校行ったことないくせに笑えるw
267ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/23(木) 21:40:51.90
>>264

>>肉食は?

新たな視点ありがとうございます。ですが肉食については考えが及んでいません↓↓

>>地獄をどのように理解しているの?
地獄という厳密な階層性はまだ理解していませんが、全体的には
機械的に主観的に動く者たちがいるところが地獄であると痛感しています。

>>魂ってなに?
息吹です。神仏の息吹です。それが鬼が云うことで痛感するのであります。

>>きみの云う、外道ってなに?
混沌ですw
268ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/23(木) 21:56:22.46
>>265 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho New! 2013/05/23(木) 21:27:10.36

ノスタルジア陣川公平くん、結局きみが書いた言葉ですら門徒のおじさんやおばさんに
理解できるように説明も出来ない。
君の書いていることは、理解できていない言葉遊びに自己陶酔しているに過ぎない。
傍から見ると道化師のまろくであるのだが。

魂はべつに神仏から授かったものではない、進化し脳の構造が定まってきて必然的に備わった
思考のエネルギーが肉体と同期し重なり合っている素粒子の網を束ねている思考エネルギーの
中枢であり、肉体が朽ちると素粒子の網の構造物は離れ己からの思念で自由に動く事が出来る
状態になったものが霊体なのだ。

肉食は口腔には歯があり、その中に犬歯が一対ある。
それは他の歯、前歯や奥歯と同じ様に役割が有り、犬歯は肉食庸、前歯は草食用、奥歯は臼
のようになっており、穀物をすりつぶすのに適した形状で雑穀食用になっている。
歯の本数により比例した食料を摂取する事でほぼバランスがとれた食事となる。
仏教で何故肉食をタブー視するかと言うと、肉食多用で若者は鼻血ブーで修行にならないだろうし、
食された動物霊の影響で修行が阻害される事も有るからなのだ。

地獄は魂のエネルギーを束縛して外に出さない、あり地獄のような霊界のエリアなのだが、
高くも低くも、遠くでもない、想念の世界にあるブラックホールみたいなもの、故に餓鬼から
のみ繋がると言うきみの説には反論する。

きみの云う外道、混沌 は私にはどのような意味か分らない。


ノスタルジア陣川公平くん、門徒のおじさんやおばさんにも理解できるように説明しなくてはいけない。
269ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/23(木) 21:57:56.90
霊界を考える 仏の存在 T

かの弘法大師空海は、
「いま、この現世で救われずして、なんであの世で救われるや。」
と言われたのは、有名な話ですが、いみじくも、いまここで救えないものが、なんであの世
の遠いところで救われるのか?身近なこの世で救ったらよいのではないかと。
また神は、人が病気で苦しむのを喜ぶはずもないし、病弱な体を与えるようなことはしない。
そのことは、霊界を知ればよく理解できる。
霊界を知り、現世界と霊界におけるところの自然の摂理をよく理解し対処したなら、救われ
るのです。
救われないのは、どこか間違っているのです。
また正しいことをしてると思っていても、間違った過去の習慣に囚われていて、正しく事が
運んでいなかったり、自分の心が神に通じていないからです。
自分の叫びが神に通じるためには、霊界の仕組みにあったコツがあることを知ることも大切
な要因です。  
信仰とは、と考えたとき、まず頭に浮かぶのは、困ったときの神だのみではないでしょうか。
次ぎに考えられるのは、心の安らぎを求めてだと思います。
そして、それらが満たされている時自分のより大きな欲望を満たすために祈願をします。
始めのうちは、それでよいかもしれませんが、そこで止まっていたのでは、本当の信仰とは、
いえません。
信仰の本筋を考えるために、霊界における神、ここでは、私達が信仰の対象として拝むとこ
ろの神を簡単明瞭に考えてみます。  
270ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/23(木) 21:58:35.41
霊界を考える 仏の存在 U

私達が死んでから行くところの霊界には、霊達が点在しています。
それらの霊は、一体の場合も、大勢の集団の場合もあります。
その中で、強い霊力を持った霊体のことを、一般的に神といいます。
その神々のなかでひときわ光り輝き、とても大きな力を持った集団が、仏族(この呼び方は、
大日如来より教わった)と呼ばれている集団で、大日如来をはじめ、阿しゅく如来・阿弥陀
如来・薬師如来・釈迦如来を中心に大勢の菩薩(含 観音)・明王(不動明王等)・天王
(毘沙門天王等)・神将(薬師如来の眷属である十二神将等)他がいらして、その方々の
いる高いところを須弥(山)(此処では外金剛部と云うようなわけ方はしない)という。また仏族の

方々を、私達は仏様と呼ぶ。須弥(山)の下のところには、私達の先祖で成仏し
たもの達がいて、浄土とよぶ。
この仏族の様用は、まさしく近代国家の仕組のようにも見える。
五人の如来は、日本の国でいえば、大臣であり中央の大日如来は総理大臣であり、東の
阿しゅく如来・西の阿弥陀如来・南の薬師如来・北の釈迦如来は各大臣である。
各菩薩は知事と考え、明王は司法を司り、そのなかでも不動明王は大日如来と直結していて
大日大聖不動明王ともよばれ近衛兵的なのかもしれない。
毘沙門天王をはじめ四天王は仏法護持の神で国の周辺を守る軍隊のようだ。
そして、それぞれの役割分担を示したのが密教曼荼羅である。
このように仕組みが整っていて、そのお働きが整然としているのが、仏族である。
271名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/23(木) 22:08:28.77
コテハン変えての連投が辛い
272ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/23(木) 22:10:51.84
>>268 僕たちは人間として生まれてきた。でもそれぞれの事情により、
それぞれが、地獄、餓鬼、畜生、修羅、外道というものに堕落した。
つまり人間も地獄と繋がっている。なぜなら人間が地獄に堕ちるからである。
しかし地獄⇔餓鬼⇒畜生⇒修羅⇒人間 という上昇下降の流れもある。
「⇒」は「⇔」かもしれないが、未だ分からない。分からないことは書かない。

人間と餓鬼のみ繋がると僕の頭では思っています。あなたの言うようにIQが
低いのは認めますが、なかなか分かるのは難しいです。
273ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/23(木) 22:36:01.68
>>ランボー法師さん

あなたの自己紹介の写真を見ました、僕がここに投稿し始めた頃のこと。

酉をガラスの中にいっぱい並べてある棚をバックにあなたが鬼のような形相で
映っていたことを懐かしく思っています。どこかメガネごしにぎょろぎょろとした
抜け目のない目がのぞいていました。とても印象的な写真でした。

それだからということではないのですが、僕はもともと餓鬼というのは、
霊魂が与えられた者であると思っていました。それは神仏から与えられた霊魂と表現したのですが
実際のところは、法(ダーマ)の一種であるのではと思っています。
つまりあなたは、法境の一種である霊界を認識しているのではないでしょうか?
274ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/23(木) 22:39:16.69
最初にも書いたように人間と外道の使命は違う。だから人間である僕は別に
堂々としていればいい!!!!!!!!!!!!!!!!!
275名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/23(木) 22:43:02.35
君は早く死んだほうがいいよ
276ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/23(木) 22:56:27.14
>>273 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho 2013/05/23(木) 22:36:01.68


ノスタルジア陣川公平くん、あなたは何一つ門徒が理解できる書き込みをしていない。
新宗語録遊びに過ぎないよ、合理的な繋がりも見えないし。

さて、あなたの思う 法 法境 門徒が理解できるように説明してください。
277ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/23(木) 23:02:18.04
私のパソコンでは、しんしゅうを変換すると新宗になってしまう。

ノスタルジア陣川公平くんの書き込みアレルギーで、真宗は認めてもらえないようだ。

私の意志を汲む手作りパソコンに愛着を感じる。




では、お休みなさい。
278名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/23(木) 23:20:55.47
今日も眠れないだろうなwww
279名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/24(金) 02:13:19.38
今の世の中、神の存在ひとつ知らない人の多い中で、宗派団体を問わず神に礼拝する心は善いといえる。
偉大なる存在に膝まつく、手を合わせる時間を持てるのは、尊いことだ。
だがもしも自分がこの世に何故生まれ、意味、目的は何かを知りたいと更なる望みを持つならば、
何処の神、あの仏とさ迷う必要はない。
神が神、仏が仏たる所以が教えであり、これを学び、悟ることの方が大切である。
人が生まれる理由は、幸せになるためであるが、幸せとはなにか。
幸せとは心の豊かさである。
生き物の姿に感動し、真善美に憧れる。豊かな心ならば酒も僅かで楽しめる。
物を大切にし、活かし、新製品だのと人の情報にあれこれと惑わない。
雨が降れば何故ふった、と怒らず、只傘をさし、環境に心が揺れず、病なら治るように心を落ち着かせる。
祈れば叶う、祈って叶ってはならないのだ。
この宇宙は星辰から小石に至るまで、摂理の調和の中にある。
だから調和こそ願うのである。
人も自然もこの調和の中にあって始めて自らの生まれた意味、目的を見出だせる。
愛心、慈心、こそ神仏の心である。
この心をもって調和した時に自分に生きる力即ち夢、自信、勇気が沸き起こる。
愛は傷付き易さではないし、歌詞の感傷的なセリフでもない。自己犠牲的な痛みでもない。
自分の家族さえ良ければいいという排他心でもない。
内から外へ開かれ放出されたエネルギーである。
先ずはこの愛心が持てるように祈ることである。

天地の神々や諸仏の心を震わせるほどに。
280名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/24(金) 02:19:45.79
阿弥陀仏に備えた花に蟻が一匹繋がっている。
阿弥陀仏はこれをそのままにせよとおっしゃる。
すると蟻は知らぬ間に何処かへ行ってしまう。
これが自然である。
命を尊び、調和し、愛が自分の身を通じて溢れるように祈る。
不動明王の身は焔で焼けはしない。
それは、外へ放射しているからである。
明王の身を守るのは只その大慈悲心による。

仏典にある、山火事の一羽の鳥の如く、大誓願を持てば、帝釈天も力を貸す。
この世にいったい何を恐れるものがあるか。
純粋に神仏を信じる子供の祈りには、鬼神さえも心を折るだろう。

神、仏と心を重ねれば静寂からわき上がる力と喜びがある。
神の心、仏の心を我が物とすべく学ぶ。哲学知識としてではない。
悔いの無い幸せな人生を手にするためである。
281名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/24(金) 02:21:59.73
しょうもない。祈っても何もならない無駄。どうせ死ぬ。
282名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/24(金) 02:25:15.53
幸せな人生なんかない。生老病死のみ、純粋に仏を信じられない
アミダはそのままにしろとかは言わない。
283ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/24(金) 06:11:31.45
>>274 ノスタルジア◇M2SKOmkR くんは、きみの云う教えに命をかけられるか?

私の信仰している密教には、命をかける価値がある。

今の時代、密教に対する生きた情報は千金なのだ。
私は北方に住するので、例えば些細と思われる護身法の運心であっても、
それだけを求めて飛行機で出向いたりしていた。

そうやって数々の生きた情報を収集咀嚼し、自分のものとすべく求聞持を修した。
初回の求聞持を修した後、大日如来と虚空蔵菩薩と三者での話し合いが
あった、その席で3年おきに求聞持を修するとお約束をした。

ちょうど5回目と6回目に、大腸と小腸に発生した悪性リンパ腫がそれぞれ
鶏卵の大きさになっていた。

医者も周りの者も心配したが、約束の年に求聞持を修するためには、手術での
入院の時間は無かった。
悪性リンパ腫は体中に容易に拡散する、が その恐怖は私には無かった、求聞持の
修行に夢中になっていたから、その為に死んでも悔いは無いと思っていた。

鶏卵大のガン腫瘍お腹に抱えながらの求聞持だった。

成満後直ちに手術をしたのだが、ガンはデリシャスリンゴの大きさまで成長していた。
その6回目の求聞持を終了してから、大日如来よりガン対策のヒントを頂いた。
私の場合、抗がん剤は効果が無かった。
7回目の求聞持は、ガンの再発も無く、元気に成満し求聞持終了の許可を頂いた。

密教には、命をかける価値がある。
それに気がつかなければ、本当の法力は頂けない、念の力でしかないのだ。

私の事を、どのように悪く言おうが構わず書き続けているのは、心ある人にだけ
のメッセージだからだ、僧 在家を問わず。
284ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/24(金) 06:12:57.95
第十二章 呪いと生霊

数日がたったある日、空はどんより曇り雪がちらほらと降って来た夕方のことでした。
妻と二人で札幌市郊外の滝野のあるお宅を訪問しその帰りのことでした。
そのお宅から出て来たとき姿は見えないが、どこかでけたたましく猫の泣き声がした。
しかも二匹の猫が激しく喧嘩をしているようである。
しかも、命のやり取りをしているように。
その声は今まで聞いたことのない、不気味な心に残るものだった。
やがて、車中の人とり、帰宅した。

 翌日の朝、目をさましたその目に入った光景にいつもと違うものを感じた。
白い壁を見ると、太い筆にタップリ墨汁を含ませて振りつけたような、黒い点が点々と
みえるのです。
首を回し違う壁を見るとそこにもその黒いしみはついてきました。
しかも右目だけに見えるのです。
黒いしみは、自分の異常とはっきり自覚できました。
早々に病院に行って治療を受けました。診断は網膜剥離でした。
早速レーザー光線で傷口の止血手術をうけました。
検査の結果、網膜剥離になる原因は見つかりませんでした。
285ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/24(金) 06:53:24.27
>>273 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho 2013/05/23(木) 22:36:01.68
> あなたの自己紹介の写真を見ました、僕がここに投稿し始めた頃のこと。
> 酉をガラスの中にいっぱい並べてある棚をバックにあなたが鬼のような形相で
> 映っていたことを懐かしく思っています。どこかメガネごしにぎょろぎょろとした
> 抜け目のない目がのぞいていました。とても印象的な写真でした。


この写真の事かな?
http://bbs.2ch2.net/freedom_uploader/img/1277402210/0004.jpg

私は、怖がられる事はありませんが、あるしゅ怖がったのは君だけなのです。
前にも指摘しましたが、貴方についている得体の知れない悪い霊が、私に怯えたのに
貴方の心が感応して違和感があったのでしょうね。
見透かされるとは言われることがあります。
286ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/24(金) 07:13:15.35
>>あなたの思う 法 法境 門徒が理解できるように説明してください。

門徒に説明しなくてもいい言葉だと思います。
287ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/24(金) 07:22:50.17
>>286

自分にも分らず使っているので、逃げるのですね、今回も!
288ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/24(金) 07:23:20.47
お経というのは教のことであるが、教行信証という親鸞さんの本があります。

教というのは、教行信証の場合は大無量寿経になるのでありますが、

それには本願について説かれています。僕なんかは、仏説つまり仏が説くに

値するもの自体であると思っています。お経は鏡ということがありますが、

鏡に映る自分を見るということがあると思います。しかし所詮鏡は鏡であると

思っている方が多いでしょう。しかし僕は鏡の世界があるように思うのです。

自分ではない自分がいる世界。そこに僕はいるように前々から思っていると

掲示板で言っています。よく自分が自分ではなくなったらダメであるという

意見があると思いますが、それは自分内での話であると思います。でも鏡の世界

にいる自分ではない自分というのは、自分内の話ではないのです。
289ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/24(金) 07:24:32.35
今朝の一言   今朝のニュースで再び放送されていたので

よく犯罪を犯したものが、正常な責任能力が無いなどの理由で、長い時間と多額(個人的には
)の費用をかけて精神鑑定をしているようであるが、よく考えたら、正常な犯罪者が居るのだ
ろうか?
それを、税金を使い医者の狭い認識で鑑定をしたところで、たんなる税金の無駄使いと思う。
それらの者は、自分の腐った足を霊視してどうしたら直るか掲示板で聞くようなレベルでは、
意味が無いと思う。
友達の友達はアルカイダがとどこっていた死刑執行を過去にないような速さで執行した事には
異論は無いが、唯一つ、子供を殺して首を小学校門に晒した者は執行すべきでないと考える。
この特異な犯罪の鑑定をした者の中に霊界の精通者が居ないのが原因と考える。
判決は死刑でよいが、執行はしないほうが、次の似たような犯罪を防止することが出来る可能
性が有るからだ。
死刑執行をする事によって、その犯罪者に憑依していた悪意に満ちた魂が死刑執行する事で離れ
いずれ似たような精神的に弱い者に憑依して、同じような非道な犯罪を繰り返す可能性が非常
に大きく、そうなった時国は被害者を救済できないからだ。
九州からバスジャックした少年が乗客を殺害したのも憑依によるものと考える。
人は、不満を持ち、自暴自棄になると、表意されやすいのを知らない人が多い。
僧侶ですら、修行を嫌い、心を静め、森羅万象を捉える能力が無い者が多く、家族や自分が
憑依されていて気がつかないようだ、ノスタルジア陣川公平くんも。
290ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/24(金) 07:27:51.57
>>287 いや、法や法境という言葉はあなたに分かりやすいように伝えただけです。

あなたが分からないと言えば、僕は困惑し、また新たな方法を探るでしょう。
291ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/24(金) 07:40:54.23
>>286 法境の境には竟という言葉ついていますね?

またさっき説明した鏡にも竟という言葉がついていますね?

竟とはおわりということです。究竟というのは最後に行き着くところという意味です。

あなたにとっての竟(おわり)は霊界だったのでしょうが、究竟ではないですね?

僕にも僕なりの道程があるということです。僕は浄土真宗と縁があったので、

鏡の世界という竟(おわり)にいます。でもそれは究竟ではないですね。つまり無上涅槃

ではない。
292名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/24(金) 12:47:54.30
密教は仏教にあらず。空海の最大のミスは密教を仏教だと思ってしまった。
というより仏教に紛れ込んでいる密教を非仏教だと見抜けなかった点だ。
お経が鏡というところは、観経の読じゅ大乗とは・・・で押さえる。
善導が解釈を観経そでしているね。経教如鏡だ。
293ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/24(金) 13:50:59.86
>>292 でも、鏡を映る自分のようにお経を読んでいくというのが善導大師の
解釈でしょう?でも僕は、鏡に映る自分はそれだけか?ということを考えているのです。
つまり鏡の世界があるのではないかということです。
294渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/24(金) 14:01:22.83
>>236
>「(浄土で)シャマタ行を修することを目標として浄土に生まれたいと願をなす、それ故に浄土に
生まれる」というストレートな往生説が見えます

 入第三門とは、一心に専念し作願して、彼に生じて奢摩他寂静三昧の行を修するをもってのゆ
えに、蓮華蔵世界に入ることを得しむ。これを入第三門と名づく」(論)。寂静止を修せんため
のゆえに、一心にかの国に生まれんと願ずる、これ第三の功徳相なりと。

 初心者であっても柔道が楽しいと思うようになってきた(讃嘆門)。先輩に誘われたときだけ
申し訳程度に柔道場に通っていたそんな時期(疑城胎宮)を経、多くの素晴らしい仲間と出会っ
た。誰から命令されたのでもなく、他力によって化土から報土に自然に転入した。自分もその素
晴らしい仲間の一人に加わった(大会衆)。そこには感動的なことがたくさんあり。多くの発見
もあった(功徳大宝海)。
 楽しいと思うだけではだめで、もっと真剣になろう。遊び半分ではだめだ。やがてそう思うよ
うになってきた(作願門)。誰かから命令されたのでもない。多くの仲間達からの刺激により、
導きにより、他力により自然に自分でそう思うようになったきた。柔道家は他力によって導かれ
る。本格的な柔道家の世界(蓮華蔵世界)に入ろう。実力者になろう。そう決心した。
 本気が出てきて気持ちも引き締まってきた。楽しい楽しいというだけではない。立ち技を得意
とすることを評価されて実力者のクラス(蓮華蔵世界)に入る。しばしば立ち技で勝負を決める。
しかし、寝技も必死に練習する。歯を食いしばってでもこのような修行をするからこそ、蓮華蔵
世界で一角を占めるようになる。これを実力者への門という。
 実力者と言われるようになっても、直ちに寝技と立ち技の両方がうまくなっているわけではな
い。仲間の実力者達と五分と五分でぶつかり合い、立ち技にさらに磨きを入れて技を完成させて
いく。実力者の壁(屋門)は厚い。立ち技でさえ負けることが多く、寝技ではしばしば敗退する。
必死になって寝技も練習し、屋門の壁を破って更に進もうと頑張る。これが実力者第三の段階で
ある。
295渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/24(金) 14:02:22.23
 入第四門とは、かの妙荘厳を専念し観察して、毘婆舎那を修せしむるをもってのゆえに、かの
所に到ることを得て、種種の法味の楽を受用せしむ。これを入第四門と名づく
 寝技ではどのように相手に絡むのか。押さえ込むのか。立ち技に磨きを入れ、微妙なさまざま
加減を観察し、寝技を仕上げ、蓮華蔵世界で実力者の壁を破り、屋門の中、最終段階に至る。こ
こで柔道の様々な奥深さを体験する。これを第四門という。

 謂わく大乗正定聚に入るは、阿耨多羅三藐三菩提に近づくなり。浄土に入り已るは、すなわち
如来の大会衆の数に入るなり。衆の数に入り已りぬれば、当に修行安心の宅に至るべし。宅に入
り已れば、当に修行所居の屋寓に至るべし。修行成就し已りぬれば、当に教化地に至るべし。

 柔道が面白いと思えるようになると、柔道を自分から練習するようになる。自分から練習する
ようになれば必ず進歩する。将来はきっと強くなる。そんな有望な一人に加わることになる。将
来はきっと強くなる有望な一人に加わったということは、実力者の心技体に一歩近づいたという
ことである。懈慢界を出て功徳大宝海という浄土に入りきれば、柔道界の仲間に加わる。
 柔道界の仲間に完全に加わったなら、真剣に柔道を練習する道場の中に入って欲しい。柔道場
の庭先で仲間と楽しく歓談しているだけでなく、建物の中に入って欲しい。
 建物の中に入れば、修行場、道場に進もう。そこで寝技・立ち技を練習しよう。寝技・立ち技
ができるようになれば、その次は、後進を指導する指導者になって欲しい。

>>238
>親鸞の著作に、「座禅」を修しなさいという文章はないですから

 釈尊・善導この法をときあらわしたまうとも、源空・親鸞出世したまわずは、われらいかでか
浄土をねがわん。 (浄土真要鈔本)
 釈尊・曇鸞・善導大師という方々が、この仏法を説いてくださっていても、もし親鸞聖人とい
う方が出現してくださらなければ、我々は、到底、極楽浄土を求めるということはできなかった
だろう。
296渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/24(金) 14:03:51.12
 断章取義的に都合のよい言葉を抜き出し、思いっきり先入観と固定観念で塗り固めた解釈をし
ているあなたが考えるべきでしょう(by>>184 お返しします)

 王いま座禅してただ当に念仏すべし(教行信証行の巻 五会法事讃略抄)


>渡海さんが提唱する観察と、浄土教で勧められる、五正行の「観察」は全くの別物ですかの観
察に三種あり。なんらか三種、一つにはかの仏国土の荘厳功徳を観察す、二つには阿弥陀仏の荘
厳功徳を観察す、三つにはかの諸菩薩の荘厳功徳を観察す。(浄土論)

 >> 238が「浄土教で勧められる五正行の観察」は、定善と言い、依正二報の観察という。浄
土の要に逢い難し。これでは浄土を卒業(出第五門)することがない。

 一心にかの国の二報荘厳を専注し、思想し、観察し、憶念する。 〜 また云わく、定善は観
を示す縁なり、と。〜また云わく、浄土の要逢いがたし、と。(教行信証)

 一には依報、二には正報なり。依報のなかにつきてすなはちその三あり。一には地下の荘厳、
すなはち一切の宝幢光明のたがひにあひ映発する等これなり。二には地上の荘厳、すなはち一切
の宝地・池林・宝楼・宮閣等これなり。三には虚空の荘厳、すなはち一切の変化の宝宮・華網・
宝雲・化鳥・風光の動発せる声楽等これなり。 〜 これすなはち総じて依報の荘厳を結成す。
 (観経疏 善導)

 依報とは、仏国土の荘厳(非人格的存在)である。

 正報のなかにつきてまたその二あり。一には主荘厳、すなはち阿弥陀仏これなり。二には聖衆
荘厳、
 正報とは、一には阿弥陀仏の荘厳功徳(人格的主体的存在)、二には聖衆荘厳(人格的従属的
存在)である。
297渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/24(金) 14:05:42.52
 依正二報を思想し観察し憶念して、目の前に現ぜるがごとくすることを定善という。定善は観
法というものを例示的な紹介であり、浄土の要すなわち蓮華蔵世界とは関係がない。報土の一部、
すなわち功徳大宝海の一部である。

 親鸞が言う蓮華蔵世界の奢摩他・毘婆舎那は、依正二報を観察する世親・曇鸞・善導流の観の
実践場ではない。

 親鸞が言う蓮華蔵世界の奢摩他・毘婆舎那は、依正二報を観察とは別の奢摩他・毘婆舎那だ。
天台智流の奢摩他・毘婆舎那を実践するということだ。

 
若し毘婆舎那がよく煩悩を破すなら、なにがゆえぞまた奢摩他を修するや。佛言はく。 〜 毘
婆舎那煩悩を破せば、獨りよく破すとやせん。伴にことさらに破すとや。
(大般涅槃経要門)

 毘婆舎那だけすればいいのではないでしょうか。そうではない。毘婆舎那が単独で煩悩を破る
のではない。奢摩他と結びついて敗れるのだ。奢摩他・毘婆舎那を実践してみなさい。

 「修行安心の宅に至るべし。」庭先ではなく、建物の中に入りなさい。庭先では楽しくなにを
してもいい。かの仏国土の荘厳功徳・阿弥陀仏の荘厳功徳・諸菩薩の荘厳功徳を観察したいとい
うならそれをするのもいい。正定の業をしたいというなら、それもいい。念仏宗に関係する行で
あれば、なにをしてもいい。
 しかし、建物の中は真剣勝負だ。建物の中ではぶつかり稽古をしている。真剣勝負を行ってい
る。庭先から建物の中に上がれば、そこでは、遊び半分の念仏ではなく、天台智流の奢摩他・
毘婆舎那を実践せよ。親鸞はそう言っている。

 格好つける必要は無い。そのまま来いよ。裸一貫でくればいい。そう社長に言われたら、パン
ツもはかず、ズボンもはかず、すっぽんぽん丸出しで会社に行くのではない。
 パンツもはき、ズボンもはき、下着も上着も着て真剣に出かけるのだ。通勤には通勤の作法が
ある。そのまま来いよ。裸一貫でこいとは、通勤の常識的な作法は守ってまじめに真剣に出かけ
てこいということだ。
298渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/24(金) 14:11:18.82
 歩いて疲れれば、すこし休むのもいい。そのまま来いと言われたら、歩き続けなければならな
いということではない。足を止めれば、近くの花も、鳥のさえずりも聞こえるだろう。スカイタ
ワーにはたくさんの人が集まっていることにも気がつくだろう。
 回りの景色に気を取られれば、それは自力だからやってはいけない。「渡海さんの言っている
ことが明らかに自力雑行を勧めている」などと、そんな馬鹿な話はない。目に自然に飛び込んで
くるものは、自然に目に見、耳にも聞こえ、発見を楽しめばいい。これは自力だからいけないな
どというそんな馬鹿な話はどこにも無い。

 念仏は座禅して行う。これが蓮華蔵世界の作法である。道場の庭先で、友人とふざけあって楽しく
遊ぶことではない。蓮華蔵世界では真剣に五会念仏を称える。真剣に真剣に五会念仏を称えれば
声に意識が集中する。天台智流の奢摩他が出来てくる。
 疲れれば、すこし休むのもいい。座禅したまま、声を止める(寂静三昧)のもいいだろう。声を
止めれば、周囲の鳥の声も聞こえてくる。自分の心が様々に動いているのも見えてくる。自分の
心が様々に動いているのが見えてくるのに、「それを見てはいけない。みたらそれは自力になる」。
教えに反するなどというのは愚かなことだ。
 自分の心が様々に動いているのも見えてくれば、それを正しく見定める。このとき天台智流
の毘婆舎那が出来てくる。未知の自分と出会うだろう。
299ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/24(金) 17:05:59.29
チョット一言  即身仏

再放送 相棒 season11 第9話 を観て
森の中(前編)http://www.tv-asahi.co.jp/aibou/story/09.html
猛き祈り(後編)http://www.tv-asahi.co.jp/aibou/story/10.html
生方の不可思議な自供の裏に隠された驚くべき真実とは? 窮地に陥った享を右京は鋭い
推理で救えるのか!?
即身仏を隠し通そうとした犯罪だった。

即身仏になって衆生を救おうとする心は貴重だが、霊界の構造を知らず、生贄的手法では
衆生を救えないばかりか、浮遊霊となって衆生に迷惑をかけかねないので慎むべきだ。

新宗僧侶は、どっちみち成仏できなくて浮遊霊や怨霊になるので、即身仏になっても構わない。



http://w2223.nsk.ne.jp/~toramoto/rssb.htm
即身仏

 即身仏とは衆生救済を願い、厳しい修行のすえ自らの肉体をミイラにして残したお坊さんのことで

す。即身仏と似た言葉に即身成仏がありますが、この二つは意味がまったく違います。
300ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/24(金) 18:30:05.13
第十二章 呪いと生霊

不審に思っていると、虚空蔵菩薩が降臨され、
「そなたの目は、黒くておおきな、目と口が血の色の、怪猫に引っ掻かれたのだ。
その怪猫は、ゆみ子が入れた。取らぬとまた爪をたてられ、傷がふえる。取ってあげよう。」
と言われて、怪猫を取ってくれました。
翌日大日如来が降臨され、
「そなたの目の怪猫を取った後、虚空蔵菩薩の目がつぶれた。私の護摩(大日如来護摩)
を修すると、虚空蔵菩薩の目は治るから、すぐにと。」
とお話しがあり、護摩を焚かせていただきました。
その後、大日如来が
「虚空蔵菩薩の目は治った。ゆみ子は、命を救ってもらいながら、何ゆえそなたを襲わな
ければならぬのか理解できない。ゆみ子の前世をみてみよう。」
とおっしゃって戻られました。
再び降臨された大日如来が
「分かった。ゆみ子は前世では、ゆみ と言い行者を罠にはめて、お手打ちにさせた。
自分の力を試すのに、他にも呪い殺している。他の僧侶ではもの足りず、虚空蔵菩薩求
聞持法を修めた明動そなたを選んだのだ。充分注意をするように。」
と言われれた。
俗世間の言葉に 「人を呪ろわば、穴二つ」と言うのがあるが、この意味するところは、
人を呪って殺せば、殺された人の霊は、呪って自分を殺した人を殺す。
即ち、呪うと言うことは、自分から生霊が出てその生霊が相手を殺し、殺された人の
死霊が今度は、生霊を出した人を殺し、墓穴が二つ必要になる。
人を呪うということは、結局間尺に合わないから、してはいけない、と言うことです。
301ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/24(金) 20:56:07.70
>>ランボー法師さん

今日も学校に行ってきた。先生の話を聞いているとランボー法師さんに伝えたいなと思うことが出てきた。

弥陀一仏に向かって称名念仏している、南無阿弥陀仏と声に出していう、

その根底を覆す気か!!!!!!!!!ってね・・・。まあようするに

何をしてもいい世の中は可笑しいですよね? それと同じことをわざわざ

浄土真宗のスレッドでしているのが、あ な た ですよ!!!!!!!

よくよく考えてみましょう。そのようなことは、ある一定に期間すれば

十分なのです。僕がこのスレッドに来たからには、もうそろそろ引き上げてもらいたい!
302ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/24(金) 20:59:23.20
DRAKUI BALL Z 仏と米櫃寺

あらすじ: 日本の仏教界を払拭した引導供養の無い米櫃拡大を誇った新宗との壮絶な戦いが
始まった2013年から20数年後。眠りから目覚めた悪宗教破壊の神、ランボー法師神が現われる。
霊界を管轄する大日如来を主とする仏族の忠告に耳を傾けず営々と米櫃拡大を続けている巨大
宗教組新宗王国に対し、巨大宗教組新宗王国破壊に挑んだランボー法師神だったが、巨大宗教組
新宗王国の強大な経済力を守ろうとする新宗僧侶軍団に突破口を見出せず体制をランボー法師神
のみならず、法師神軍団を弟子と共に結成し、さらなる新宗王国破壊を進め、姿を消した門主の
暴走を止めるべく、法師神軍団が立ち上がる。
弟子のなからら既に霊界戦士の入団希望者が続々出ている。


ランボー法師神軍団30年後のミッション

ミッション 1 門主の取り巻きが潰れて逝く、その工作員は門徒霊
ミッション 2 真宗末寺に怪奇現象が起きて広がる、その工作員も門徒霊
ミッション 3 門主が取り残されて孤立、どうなるか分らない。

具体的戦闘作戦
上記ミッションの順に、それぞれのターゲットの門徒霊にアプローチ、本当の成仏の姿を知らせる。
それを知った門徒霊に、布施したのだから関係住職に本当の往生、成仏をさせるよう執拗に催促させる。
当該住職やその周りには怪奇現象が多数起きて、新宗僧侶はノイローゼや挙動不振に陥り、自殺者
もでる事で、巨大宗教組新宗王国は高僧部から崩壊し、社会的に評判は地に落ち崩壊の道を転げ落ちる。
このミッションを行うには、ランボー法師が生きている状態では新宗門徒霊とのコンタクトが著しく
とりにくく、生きてる人間数人になら可能だが、霊的負荷も肉体が有るが故に膨大に掛かり、実行
は不可能となる。
霊能者など霊界を見ている者には理解できようが、此処の凡夫には ”30年間はかかるのか”
など無知な発言をする者達には理解が不可能であろうが、30年後には分る(であろうではない)。

不成仏霊のデパート化について不満があれば、名誉毀損かなにかで告発して下さい。
法廷の場で客観的に(君たちは霊感が無いので)証明しましょう。
303ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/24(金) 21:00:24.12
浄土新宗米櫃改造計画 

北海道における寺の歴史は百数十年であるのだが、宗派を超えてこれ程いい加減な経営は無い。
通常企業であれば、投資した資本と売り上げなどのバランスを考えての経営なのだが、寺は
どうも異なるようだ。
本州の霊視のある寺は、文化遺産としての価値観もあるのだろうが、、、、、拝観料には税金は?
話を戻そう、北海道の多くの寺の本堂には300人は収容できる広さがある。
真言宗の場合、土地を除く上ものにほぼ三億は掛かっている。
なん数回の大祭で使用する本堂、企業家の目から見たら到底バランスシートがとれるわけがない。
しかも檀家より寄付を募り月賦にて支払いさせている。
単純計算で三億を300軒の檀家で負担したなら均等割りで一軒100万円の負担となる。
それとは別に葬式用にと会館を作る、みな檀家の負担である。
檀家は、寺の維持費や事あることで貴信を求められる。
仏様は、そのような放漫経営で檀家の懐を苛める事に賛同はしていないように思う。
大日如来がご降臨された時
”そなたのところは安いのお”
と言われた、裏を返せば他は高いのお、と云うことになる。
無駄に施設に金をかけるということは、通常の会社ではすぐ倒産に繋がる、寄付制度が
無いから銀行に見放されたら最後なのだ。
現に 世界の、、、、といって先読みせず大型工場を建てるも、いまは撤退の憂き目に会って
いる家電メーカーもある。
寺とて放漫な経営をしてよいわけは無い、檀家に経済的負担をかけて苦しめるのが仏教
ではないと思う。

そこで提案  宗教法人にも事業税を掛ける!

今日本国の財政も困窮しており、年金すらママなら無い状態に有る。
寺にも合理的経営をしてもらい、国に経済貢献するも当然の振る舞いであろうと思う。

よって  浄土新宗米櫃改造計画  と名付く
304ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/24(金) 21:06:19.81
>>301 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho New! 2013/05/24(金) 20:56:07.70
> 僕がこのスレッドに来たからには、もうそろそろ引き上げてもらいたい!


ノスタルジア陣川公平くん、君は少し図に乗っていないか。
おとなしくしていないと、梯子外すぞ!


君に憑依している霊を、おまじないで活性化させるだけなんだが、、、、、






一生霊障で悩む事になるが。
305ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/24(金) 21:15:38.48
第十二章 呪いと生霊

しかしゆみ子の場合、その死霊に殺されないでいる。死霊と戦える力があるということだ。
だから私に挑戦してきたのだ。
私が僧侶だから、相手を殺すような呪術を使わないことを承知のうえで。この時から、
永い生霊との、つまらない、しかし朴っておけない戦いが始まった。

ある夜お参りをしていたら、ゆみ子の様子が脳裏にうかんできた。
夜だというのに電灯も点けず、仏壇の前のテーブル(経机ではない)に一本ローソクをたて、
かすかに揺れるローソクの炎が灯るそばで、黒い衣服をまとって、なにやら祈っている。
ローソクの炎に照らされたその顔は、口が耳元近くまでさけ、口先は狐のように伸びている。
天井の中央から四方にテントのように薄い布が垂れ下がっており、ローソクの光がその布を
通して上に漏れている。
いつの間にか、仏壇も部屋の佇まいも見えなくなり、暗いなかに、テーブルのローソクと、
不気味な祈りをしてる黒衣のゆみ子、そして薄いベールが、上から下がっている。
これを見た時、全てが理解できた。
その後、そのお宅の私が入魂した、仏様(阿弥陀如来立像)の魂を撥遣(仏像などに入った
仏様などの魂をお返しすること 御魂抜き)したことは、いうまでもない。
私は、そのお宅に行かなくても撥遣はできる。
ゆみ子は、死ぬまで私と戦い続け、自分の発した力で自分が傷つくのにと思うと哀れな業だと、
しみじみ思うのです。
306ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/24(金) 22:56:35.33
南無阿弥陀仏を称えれば救われる。こんな簡単な教えないでしょう?
それなのに、本願という法の働きを疑ってかかっている。そして仏教を武器にまで
する始末。そんなに南無阿弥陀仏という声を出すことが怖いですか?

それよりも無宗教を信じていた方がいいですか?

浄土という人間同士のつながりを持つことによって、その世界が開けてくる。

一人にではない。自利利他菩薩道が真宗の教えであるのだから。

悩みながら生きていく。それがなくなったらだめなのであります。

葬式なんかでも最近は南無阿弥陀仏と言わずに僧侶を呼んでただお経を読んでもらっている。
声が出せないんですよ。たった六字なのにね。南無阿弥陀仏と。

でもね、出せても、そこからステップがある。君は、自分が御同朋の一員になれるのが
当たり前であると思っている。でもね、御同朋なんてね、なかなかなれないのですよ。

もちろん生きている間に救われるのが浄土真宗の教えであるが。
307ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/24(金) 23:06:40.44
僕はね、未だに20代ですが、もうやることがなくなった、他にやることが
なくなったんですよ。南無阿弥陀仏以外にやることがなくなった。
釈迦の声が逝けと言っている。そして弥陀一仏が来れと言っている。
そして御同朋のつながりの中で往生する。自利利他の中で往生する。
菩薩道からの往生。そして無上涅槃、究竟からの徳を受け取っていく。
も成仏することが約束された身であることへの安心がある。

じゃあなぜ悩むのか?御同朋以外の者とも付き合いがあるからでしょう!!!!!!!!
それは避けられない事実。でもそういう人でも救われると親鸞聖人は言われている。
煩悩具足の凡夫であることの自覚です。

別に閻魔王が死後に裁くわけではないのです。

人々をなぐさめたり、癒したりすることが仏教ではない。

南無阿弥陀仏という声なんて御同朋以外の者には聞けません!
だからありがたいのです。すごくありがたいのです。
外道と聖道仏教は、ステップを踏んで上がっていかないといけないのです。

回心がないと本願からの照らされるということは見えてこないのです。
308ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/24(金) 23:16:50.34
解学ではないのです。理解していっても何の意味もないよ。

迷っているのか俺は?いや、木々の香木の匂いか分からないが夜、

自転車で、MDしゃかしゃか鳴らしながら、高速道路ごしにあるゲームセンターに

向かった。その香木の香りが、僕の脳に観想をさせた。気持ちのよい夜だった。

懐かしさが込み上げてきた。でもそれは卑猥なものではないし汚いものでもない。

緑の葉っぱの香りが僕の意識状態を一時的に麻痺させたのかもしれない。

雨上がりだったからかもしれない。そのようなことを覚えている。

遠い過去でもない。3年ほど前の話。あの時からすでに自分を無限の過去から

取り戻していた。だから今も時折、思い出すと、日々の流れの中で忘れていた

意識状態がはっと思い出すことがある。未来などない。今と過去があるだけ。

過去さえ今にある。ならば今だけ。今の中で刹那に刹那に生きているのだ僕は。

南無阿弥陀仏の声を出すことで、余計に、僕は日々流されることさえもなくなる。

さっきも言ったが他にやることがなくなった。あとはご縁を大切に生きれればいいだけ。
309ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/24(金) 23:29:04.98
僕はもう観経があってもなくても、郷愁を感じているんですよ。

懐かしさが込み上げてくる。そのようなところに、ご縁なんてのもない!

縁起の理法がこの大自然の営みであるなら、そのようなところに僕はいない。

諸法無我としての人間同士。その中で、いろいろあったが、頼もしい人、

とても頼りになる人、そのような人を同時に見たこともある。また、奇行の

数々。それはあなたたちにはとうてい…申し訳ないが…。そんな事なぜ

出来たのか? 罪業による、呵責の心がそうしたのである。たとえば

何がなくかかっているポスターにさえ僕は郷愁を感じたし、CD屋に入った

だけで過去にもこんなことあったのではないかと、段ボールの山を見て思った。

またオレンジかピンクか忘れたがその道路。とても印象的だった。

君たち心が病んでいる人々が、桜を見ても、夕日を見ても、汚い俗的な笑い

しか起きないのだろう。それほど汚されたくない。日常に追われて、経済活動に

追われているものの、文句で汚されたくないものを体験したのだよ。

僕はもう1年と3か月、ずっとそういうことを言ってきたが、まだ分からないの?

なぜ感じないの?なぜ伝わらないの? もともと分からないのかもしれない。

これは仏教じゃない。郷愁は仏教にはない概念であるから。言葉であるから。
310ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/24(金) 23:41:29.57
歩いて歩いて、君たち?何も考えずに歩いたことあるか? 行く目的を考えずに
歩いたことあるか? それからの到達点といったら、そんじょそこらの
百景とかくらべものにならないほどの、異様な、違和感のある、不思議な
景色なのだよ。宮崎駿がいた。厳密に言えば彼と似ている人がいた。
バス停でバスを待っていた。そのような大通りを通って、あのデッカイデッカイ、
水産会社を通った。デッカイ赤レンガの建築物が見えた。街路樹がとても
僕の刺激をさせた。脳に快感物質が入ったきたようなものである。
そんな気持ち悪いものじゃないんですよ。平然とした、境地。
そうそう、鏡の世界に入って、金髪の長髪を後ろで結んだ男性がね、
右に自転車を歩道で移動させるんですよ。そしたら、10メートルほど
後ろの僕も右に自転車を移動する。そのような何気ない仕草、彼の後姿が
僕はなんともいえない一体感を感じた。人があっちに向けば僕もあっちに向く。
そっちに向けば僕もそっちに向く。人間同士の不思議なところは、まだまだ
いっぱいあるんですよ。浄土ってのは観想で生まれるものなんですよ。
そして一生涯、往生の心地が消えないのです。なぜならインプットされているから。
南無阿弥陀仏を称える自分が守られていることはもちろんなんだけど、
南無阿弥陀仏という名号も守られているように思う。であるからそれがある。
まあ、皆さんに言えることは、それぞれの環境の中でも、自分を忘れないで!
ということです。まあどうなっても南無阿弥陀仏を称えていれば救われる
という意味は確かですけど、その前に遠回りかもしれないが観無量寿経を
勉強した方が良いと言っていたが、そのことがわかって来た。
311名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/24(金) 23:47:27.40
>>296
>王いま座禅してただ当に念仏すべし(教行信証行の巻 五会法事讃略抄)
これって言ってるのは、座禅して【ただ当に念仏すべし】ということで
要するに蓮華座になって念仏しなさい(おそらく原文の意図する所は観想念仏)ということでしょう

渡海さんのように、念仏して【ただ当に沈黙禅すべし】とは言ってないですよね
話がまったく逆になってます
312ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/24(金) 23:50:54.48
ノスタルジア陣川公平くん、きみは祟りや霊障の苦しさを体験しなくては本当の仏教を
悟れないようだね。
その苦しさは、寂しさから始まり、逃げる事が出来ない恐怖に苛まれ、自殺して逃げよう
とする者さえ居る。


”もちろん生きている間に救われるのが浄土真宗の教えであるが。 ”
”成仏することが約束された身であることへの安心がある。 ”

その恐怖を門徒が感じ苦しんでいるのに僧侶なのに有効な手立てをせず、上記のような事を
書いて逃げようとする。
きみの言うことが本当なら、何の問題も今後生じないのであろう。

生じてからは遅いのだが。
313ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/24(金) 23:51:25.27
第十二章 呪いと生霊

太陽の光も平たくあたると、植物を育て私達の生活に必要な暖かさやエネルギーをもたらすが、
レンズで意識的に凝縮すると物を焼き尽くす恐ろしい光となる。
人の心も平らかに作用すると、人間社会がうまく機能し、呪い憎しみで凝縮すると、人をも
殺す力となる。
この念の力は光に似た癖があり、反射機を作って返すと、呪った人が自分の力で倒れる。
勿論仏様には、大勢の生霊を返しお守りいただいてますが、自分でも返しています。
始のうちは、一体ずつ放り投げていましたが、なんせ、大量に生霊を作り出すようになった
ので、大きなクリスタル様の箱を作ってその中にドンドン生霊を放り込み宅急便で返したり、
ゆみ子のところから私のところに生霊が来る道をUターンさせ戻したりした。

二回目の虚空蔵菩薩求聞持法の行のとき、六日目の夜だったか、寝ていたら虚空蔵菩薩が
降臨され
「そなた、大勢の生霊が、ここを見つけて襲いに来た。五十体を越えた大人数だ。
気をつけなさい。」
と教えていただいた。
その夜は結界(バリヤを張り巡らすこと)をして休んだ。
翌日の行の時には結界を破って、邪魔しにくるようになった。
午前の行が終わり休み時間になったので、自分の分身を作って、生霊と戦わすことにした。
まず自分が、今着てるのと同じ、黄色い衣を着せた分身を十一体作り、五鈷(霊界の武器で、
弘法大師の座像の右手に持っているもの)を持たせて、生霊と戦い追い返す事の使命を言い
含め、それぞれの部署につかせた。
かくして、大量生霊に対して、大量迎撃作戦は完了し、修行は無事に終了した。
314ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/24(金) 23:55:05.07
神社で嘆仏偈を上げたことがあります。あの時は、確かあそこの神社で上げた。
とても良い天気だった。自転車を乗り回していたころのこと。君たちは
このような事こそ、聞かなければならないのに、目をそらす。まあいいけど(笑)

夜になって夜景がきれいな、あのトンネルにまで続く歩道の坂道を下っていたころ、
同級生が彼女と一緒にいた。しかしなぜかとても若かった。つまり中学生くらいの
男女のように見えた。あの頃はまだ10代であったが、もうとっくに中学は卒業した
のに、なぜか不思議だった。とにかくそのような自転車で行っても40分くらい
かかるところをなぜ自転車もなしにいたのかは分からない。なぜだろう?
僕は何を見たのだろう?あれは何だったのだろう?しかも彼とすれ違う前に
彼のことを考えていたことを記憶している。そして彼が彼女にぼそぼそと言っていた。
ほんと?と彼女は聞き返していた。僕はただ自転車をこぐのに夢中だし、
そのような状況を処理する能力はまだなかったので、そのまま通過した。

まあそこは橋のようなもので、公園や一部が発展的な夜景が見えた。
何せそこは山山に囲まれていたところなのです。でも、山々は別に、
印象に残っていませんでしたね、その時はね。

まあそこを下り、電化製品を売っているところを通ると、CD屋があるところに
行き着きます。
315名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/25(土) 00:05:11.20
ノスタルジアさん、独りよがりのランボー某は放置したらいいですよ
相手にすると喜んで書き込んでくるから

それが事実かどうか明らかに出来ないランボー某の感覚を、強引に押し付けて
くるのだから。浄土真宗を信じている者にまずは話を合わせようという配慮が
一切ないのだから。

こういう人は「自分は常に正しい、俺の言う事を聞け」で押し通すだけで
、まず相手に合わせて話を展開するなんて配慮も無い人物だろうから世間
でも浮いた存在なんでしょうね、だから顔の見えない2chで頑張れるの
すよね。

もっとも本当に真言で修行した坊さんなのかも怪しいし証明しようもないですがね
316名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/25(土) 00:13:17.76
最近、公平と呼ばれているノスタルジーは20代で生きる目的がなくなったとは。
それは困ったねえ。
まさに業だね。
317名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/25(土) 00:41:14.85
死がありふれていて、身近にあって逆に生きる事が大変だった昔なら
20代で生きる目的がなくなったという事は少なかっただろうと思う。

死が遠ざけられていて身近に感じず、逆に生きられる事が簡単な今だと
若くして生きる目的がなくなったという人は多いのだろうな。
318名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/25(土) 01:29:23.67
ノス:「じゃあなぜ悩むのか?御同朋以外の者とも付き合いがあるからでしょう!!!!!!!!」

人間関係の苦しみがあるのが他人のせいとは。
知識だけで人を見るから相手の良さが見えないのだ。
形でしか見ない。
いちいち人の態度や言葉に呑まれ、心を揺るがしている。その心が苦しいわけだ。
一つ一つにとらわれて流すことが出来ないと心に不平不満のゴミが溜まる。
南無阿弥陀仏と唱え、弥陀の光明を信じてその前で心が洗い流せるか。
おそらくそれも出来ないだろう。
なぜか。語らないからだ。南無阿弥陀仏の称名はするが、心を差し出さない。差し出すことが恥ずかしく、思い出すも嫌らしく、汚く、見るのも嫌な自分の心。あの野郎、あいつが居なければ、腹がたつ、なんだあの態度は等の憎しみの感情。

仏だから言わずとも見抜いていると考えるのか。
内に膿を抱えながら、今日も感謝だのと飾りたてても神仏を欺くことはできない。
心を差し出す、その心の姿勢こそ見ているのだ。
だから憎しみの感情を語って南無阿弥陀仏である。
過去に傷付けられて今も許せない。
語れば、綺麗に流れてゆく。本来の清らかで強い心に帰る。調和をとりもどすからだ。
この繰り返しに心は慈悲に満たされるようになり強くなる。
過去の辛さも、意外にも価値があったと思えて笑えるようになる。
また、他人の態度や言葉が気にならなくなる。
すると、人に自信を持って会えるようになる。
せっかく南無阿弥陀仏と仏の名前を知りながら、
なぜかその力を疑う。
神の前でさえ取り繕う。
それは真の信ではない。
南無と口では言いながら、隠しだてをし、真に任せてはいない。
つまりは神仏を甘く見ているのだ。
日々、仏には、子供が親を慕うが如く、学校のことや何でも語るように、語って暮らすことだ。
間違いなく強くなり一段と魅力的な人間になれる。
南無阿弥陀仏
319名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/25(土) 02:14:41.68
神を信じる、そのわけは何か。
神を信じるとは自分を信じる、さらに言えば神に与えられた自分の人生を信じること。
阿弥陀如来を信じるならば、自分が仏の子としての誇りに生きるべし。
神を信じるも仏を信じるも同じ。
なぜあなたはそんなにも明るく楽しげで、あんな状況でも緩やかにいられるのかと。この心の態度を勇気と言う。
我に奇跡は起きない。心をもって奇跡とする。
であるから堂々と答えるべし。
阿弥陀仏を信じているからと。神を信頼しているからと。
これが真の布教。
似たような言葉は幾らもある中で、宗祖は姿によって教えを広めたのだ。
禅がなぜ廃れないのか。
禅はただ座るその姿を受け継ぐから残っている。
姿で言えば、禅の僧達ほど美しいものはないと思う。形が心であるという道元の考え方にもよるが。
存在そのものが、行為である。存在によって人を勇気付け、励まし、元気にする。これが真のボランティアである。
外国でも行って何かしなければ、ではない。
これが目的である。
320ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/25(土) 07:37:20.66
第十三章 仏様と信仰

 私達の、いろいろな悩み苦しみを救ってくださる、仏様とその方法・信仰について、
私なりの考えかたを、自分の経験をとおして、お話ししたいとおもいます。
今の私は、弘法大師空海によって唐の国より日本に伝えられた密教のお教えの宗派で
真言宗です。
私の先祖や親は僧侶ではありませんでしたので、お寺の常識にはまったく縁のない生
活でした。私が学んだ学校も、宗教に縁がなく、なんの知識もないまま昭和五十九年
に度牒(僧侶になる儀式)を受け、裸一貫この道に飛び込んだのです。
ここで述てることは、私なりに救われたいと願い努力をして得た貴重な経験から導き
出された、私にとっての宗教の常識なのです。
逆に救う事が出来ない宗派は、米櫃詐欺と思います。
私はかって仏教はお釈迦様がお開きになったと思っていましたが、確かにお開きにな
ったのでしょうが、お釈迦様からいろいろお教えいただいた今、すこしニュアンスが
違ってきました。
それまでは、人が修行すると如来さんになれると思っていました。
大日如来と釈迦如来のお二人のある時のお話しを要約すると次のようになります。
「今からおよそ二千五百年前、釈迦如来は大日如来の命を受けて、インドのシャカ王
子として人間に生まれ、如来の法力を一切使わず、人間の技量だけで、仏を認識する
方法を見いだし、それを人間に広めるように。」
と言うものでした。
321ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/25(土) 07:38:16.38
第十三章 仏様と信仰

結婚し、子供ができ、人は生・老・病・死の苦を観たり体験した後、人間ブッタの
プログラムが開いたのでした。
そして使命を達成し霊界に戻ったのです。
即ち人間が修行し悟りを得て釈迦如来となったのではなく、シャカ王子になる前から
釈迦如来だったのです。
この事は以前の書き込みにある、大日如来の
「相談者の先祖が仏であるならば、すでに成仏しているのであるから、供養の必要も
ないし、障りをおこすこともない。人間の霊は、仏でないのだから、そのような間違
った言葉を使わぬように。」
というお言葉でもうなずけ、死んだら皆仏になるというのは大きな間違いと思える。
この事は私の今までの考えを大きく変えた。
そして仏教を学者のように、難しく考えるのではなく、いかにしたら大勢の人が救わ
れるのか、簡潔な方法を見つけることだと考えるようになりました。
そして試行錯誤の結果ついにそのプログラムが完成しました。要約すると次のように
なります。
322ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/25(土) 07:47:28.54
今朝の一言  体を持って教育しなければならないようだ

何の権利があって下記を書いたのか?
躾が必要な若者に年寄りが躾しないで誰がする。

>>301 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho New! 2013/05/24(金) 20:56:07.70
> 僕がこのスレッドに来たからには、もうそろそろ引き上げてもらいたい!


ノスタルジア陣川公平くん、君は少し図に乗っていないか。
おとなしくしていないと、梯子外すぞ!


君に憑依している霊を、おまじないで活性化させるだけなんだが、、、、、






一生霊障で悩む事になるが。
323ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/25(土) 09:13:48.12
>>322 あなたの言葉はあなたの言葉です。だから、身を以てあなたが感じた言葉が
書かれているのだろう。

しかし最初の頃にも言ったが、霊魂という考え方に頷くことは出来ないのです。
まあ頷くことは出来ないが、考えることが出来る。その考えというのは、あなた
という考え方、感じ方の人と、たぶん共感したら、僕自身が信仰している
宗教とは逆の方向に向かうことになるかもしれないし、僕自身が悩むからです。

ですから権利というか、悩むからその文章を書きました。ただ単純にあなたの
考え方や感じ方といったらいいのか、それが僕の意に反してしまうからです。

来るもの拒まず去る者追わずという考えを持った近所の人がいますが、
僕自身、そのような事を思うことは、僕自身の御同朋と悲しみ喜び、
話し合って生きていく精神に反すると思います。誰もが受け入れられる?
そのような事ではないのです。誰もが受け入れられるのならなぜ外道がある?
なぜ地獄餓鬼畜生修羅がある?そのような事を思うと、今受け入れられない事は
今後も受け入れられないだろう。

躾というのは本来、親や先生がするものであると思います。でもあなたに
躾されるということを受け止められるということは、僕自身、そのような
躾の境遇に真の意味で恵まれていなかったということです。もちろん今は
躾を受けているのかもしれないが、子供の頃は、躾というより教育だった。
その教育を体を持ってするということがあなたの考えであるなら、これまた
僕の意に反しますね。
324ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/25(土) 09:37:17.98
善を時折、振りかざして、僧侶を客観的に見ることはいけないことである。
つまり善法を武器にして、僧侶に躾することは本来はいけないことである。
でもご縁として、そのような流れになっている。ご縁を通して学ぶことは
たくさんあるが、それが僕自身を呪縛するものであってはいけないと思う。
でも善法にしがみ付くしかできない自分に未だ南無阿弥陀仏を自力で称えている
自分の未熟さを感じる。親鸞聖人の御心境は如何なものだったのだろうか?

霊魂というものは、けっして、肉体を離れてあるものではなくて、肉体に
与えられるものなのであって、その霊魂をいつも持っているということは
ある意味選民という考え方なのだろう。何せ、霊魂という言葉が頷かれる
人々は少ないように思う。そして霊魂に頷かれるということにもし嵌ったら
自利利他精神に自分が染まっていると錯覚してしまうのだろう。そのような
世界はこの世界ではなくてもいっぱいあるように思う。

いつまでたっても、自力念仏を称えている自分がいる。でもそれに抵抗している
自分もいる。なぜそこが認識されるのかというと、体がいうことをきかなくなった
のだからである。自分の思い通りに何でも物が運ぶと思っている人々のせい
でもないのだが、僕の体が、なぜかみんなのペースについていけなくなった
時から思い通りに動けなくなっている。それは罪業の重みなのだろうか?
325名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/25(土) 15:08:39.88
yuetube:竹下雅敏氏:「宗教学講座」(初級)大乗仏教
浄土三部経典は、真の釈迦の言葉だと言っている。
この人宗教全般についてよく勉強してるね、関心するよ。
326ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/25(土) 15:43:15.93
・説教練習1

どのような言葉が人々を誘引させるのだろう。崩れた精神を立ち直らせてくれるのだろう。
宜しくお願いしますと、阿弥陀に願うことは、阿弥陀の真の弟子になるということである。
名乗り出ないと、だーれも何にもならないんです。言うまでもないことだからと言い、
お経に書かれていないことだからと言い、思考停止してしまうと、従うということを
弥陀一仏はおっしゃられていないように逆らうのである。なぜ阿弥陀の説法を
聞いた者がいないのだろう?つまり、親鸞聖人の言葉を頼りに此処まで、
自分は仏教がさらにどんどん分からなくなってきたということに甘んじれば、
何をしていいか分からないと言って、南無阿弥陀仏を忘れて、称名念仏の声が、
阿弥陀仏に響かないと言って、撞着してしまうのです。あなた方は弥陀仏に
会いたくないのだろうか?会いたい。会いたい。という好奇心はもう、
もしくは以前からもなかったのか?心がなくなってしまったと思うほど、
僕は空回りする。

何を僕はこの文章で言わんとしているか頷け言うことが出来ますか?
327名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/25(土) 15:57:49.04
なんと闇の深いことだろうか
328ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/25(土) 16:00:00.22
・説教練習2

道半ばの者が、業の連鎖をしている自分というものから逸脱してしまった時、
それは僧侶という資格を与えられたうえでの、仏法僧としての僧であるのだろう。

南無阿弥陀仏と真に称名出来ているのならば、あなたのその頂き方が、あるのでは
ないでしょうか。花を束ねて、花瓶に入れてみなさんの方に向けて、いるのは、
色とりどりの花のようなそれぞれ個性を持ったあなたたちであっていいのですよ、
と言う、阿弥陀からのあなたたちの証(しょう)であるのです。阿弥陀に救われる
ためではなく、阿弥陀に願われていることに深い感銘をおぼえるのが、言葉の力
という、智慧の信心なのでしょうが、僕一人の事柄になることに対して、
なぜかあなた方の心配をしてしまう。
329ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/25(土) 16:11:57.14
>>327 闇は深いほどいい。悪人成仏。阿弥陀が晴らしてくれる。全然、物言わぬ人よりも
真の意味で素晴らしい。
330ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/25(土) 16:14:21.43
すでに闇が晴らされつつあるのかもしれないが
331名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/25(土) 17:22:57.44
知行合一、知って行わないのは知らぬと同じ
如来三部の経典を称えても仏は称えず(苦笑)
332ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/25(土) 17:26:31.91
第十三章 仏様と信仰

◎始めに仏様との仲立ちが出来る法力をもった僧侶がいること。
 法力のある僧侶と一緒にその仏様の真言をお唱えすると、仏様に通じるコツを早く
のみこめる。これは通常の意識でコツをのみこむのではなく、深層意識に働きかけて、
仏様のバイブレーションと同じようになるよう、自分のバイブレーションを合わすこ
とである。
その為に、そばに、そのバイブレーションを出す人がいることによって、信者の心が
仏様のバイブレーションに、誘導されやすくなる。
開眼した仏像の仏様は開眼した僧侶のところの仏様の分身である。
そして、その僧侶が仏様を拝めば拝むほど、その仏様は力を出してくださる。
以前に次のようなことがあった。初めて私の護摩堂に毘沙門天王がおりられたとき
「そなたのところの不動明王はどうしてこのように強いのか?」
と言われ、すぐに
「なるほど護摩(を修する回数が多いから)だな」
と言われました。
私のところでは、供養もよくしますので十三仏様の護摩も修させていただいています。
◎先祖の苦しみを救う、流水灌頂蓮台引攝秘法平座理趣三昧供養会や霊界神霊手術加
持法などによる、如法なる供養法により、確実に成仏させる。
◎信仰の邪魔をして横車を押す、悪霊を払うための法力護摩。
 以上の三項目に要約されます。
333渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/25(土) 20:01:19.20
>>311
>渡海さんのように、念仏して【ただ当に沈黙禅すべし】とは言ってないですよね
話がまったく逆になってます

 王いま座禅してただ当に念仏すべし(行の巻)

 入第三門とは、一心に専念し作願して、 〜 (一念念仏して)(天台智流の)寂静三昧
の行を修する(証の巻)
 入第四門とは、(一念念仏して)かの妙荘厳を専念し観察して、(天台智流の)毘婆舎那
を修せしむる(証の巻)

 一心にかの国の二報荘厳を(曇鸞・善導流に)専注し、思想し、観察し、憶念する。 〜 (曇
鸞・善導流の)定善は観を示す縁なり、と。 〜 (曇鸞・善導流の観では蓮華蔵世界すなわ
ち)浄土の要逢いがたし、と。(化身土巻)
334ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/25(土) 20:56:50.58
寺子屋ランボー法師 脳の記憶と求聞持

変化が維持することを可塑性という。
逆語 可逆性

海馬に霊的エネルギーが作用する

記憶の固定は大脳皮質でなされる
(ニューロンの回路に固定)

マントラの刺激が、海馬にいって整理処理され、睡眠中に大脳皮質に蓄えられる

眠らずに居る事は、記憶の蓄積にならず、トランス状態に陥るだけ

くり返しが、記憶の原点

記憶する度に、ニューロンの回路網が変化してゆく

脳は直感的に処理できる。
それはカオス的処理だが、的確さは満点ではなく、求聞持を修する事で、的確率が向上する。
それは、あいまい検索的カオス処理から、霊界からの情報摂取を出来るようになり、適格化となる。
335名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/25(土) 20:59:19.03
書き溜めているんだよねw
336ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/25(土) 21:13:07.19
寺子屋ランボー法師 脳の記憶 フリーズした思考の脳へ T

脳の記憶についての書き込みは、以前養老孟司医学博士、志賀一雅工学博士立会いでの
話なのだが(私は虚空蔵菩薩求聞持法を数多く修した宗教家として)、分りやすく書い
た参考資料を見つけたので、提示しておこう。


http://netnews.222.co.jp/netnews.php/articles/detail/SN/40353
【脳の不思議】「覚える」〜記憶のメカニズム(の抜粋)
そうやって選択的に知覚された情報は、さらに脳でふるいにかけられます。
たとえば、感覚器が刺激をとらえると、その興奮のパルスが神経回路を伝わりますが、
すべての神経細胞が興奮を伝えるのではありません。
神経と神経のつなぎめ(シナプス)に興奮を伝えるものと、興奮を抑える抑制の信号を
伝えるものがあり、抑制系の神経回路が脳の8割を占めています。
ここで、さらに情報をふるい落とすわけです。
337ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/25(土) 21:13:43.80
寺子屋ランボー法師  脳の記憶 フリーズした思考の脳へ U

http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0505/memory.html
記憶を固定する分子メカニズム
消滅してもよい記憶と残すべき記憶。脳はそれをどのようにして決定し,どこから指令
を出しているのだろうか。
短期記憶も長期記憶もニューロン(神経細胞)どうしがシナプスと呼ばれる結合部でつ
ながったときに生まれる。
短期記憶ではシナプスが興奮して一時的に強化された状態になるが,長期記憶の場合,
シナプスが恒久的に増強される。
長期記憶のメカニズムがはたらくには,ニューロンの細胞核内にある遺伝子情報が読み
取られ,タンパク質が合成される必要がある。
ニューロンの発火後,核に向けて「記憶せよ」という情報が何らかの手段で送られてい
るらしい。
 いちばん考えやすいのは,シナプスから核への経路にシグナル伝達分子が介在してい
る可能性だ。
著者たちはシナプスの役割を調べるために,ラット脳の海馬でシナプスの機能を阻害す
る実験をした。その結果,シナプスが興奮しなくてもニューロンに刺激を与えて発火さ
せれば,長期記憶にかかわる遺伝子が活性化されることがわかった。
しかし,ニューロンのインパルス(活動電位)によって開く電位感受性カルシウムチャ
ネルを阻害すると,長期記憶に必要なタンパク質が合成できなかった。
 この結果から,記憶の固定に不可欠なのはシナプスではなく,ニューロンの発火その
ものであることがわかる。
個々のシナプスが直接メッセージを核に送るのではなく,活動電位によってニューロン
の細胞膜にあるカルシウムチャネルが開き,核へのシグナル伝達経路が活性化して,
遺伝子が働くのだろう。(編集部)
338ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/25(土) 21:14:21.08
http://obio.c-studio.net/science/211.htm
長期記憶形成のメカニズムがわかり始めた
ただし、そのような高速処理が長期記憶を転送している間中続いているかと言えばそう
ではなく、睡眠中に起きているときに体験したことを再生する際の脳の活動は1秒未満
で途切れる断続的なものであることもわかりました。
つまり、情報がいくつかの記憶の小さなパッケージ(パケット(packet))に分割されて、
転送されているということのようです。
339名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/25(土) 22:47:12.55
>>333
「唯信鈔文意」によって蓮華蔵世界と極楽浄土がまったく同じ意味であることはすでに示しました
「証巻」についても、漢文の語順・構文から「生彼修奢摩他寂静三昧行」を作願するのだということも言いました

同じ議論の蒸し返しですね
340ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/25(土) 22:55:09.49
>>324 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho 2013/05/25(土) 09:37:17.98

"肉体を離れてあるものではなくて、肉体に与えられるものなのであって、その霊魂をいつも持っている"



いつも言語明瞭意味不明な事を書くノスタルジア陣川公平くん、今夜は何時ものように
幽霊宜しく出て来れないようですね。
341ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/25(土) 23:02:05.47
チョット一言

映画クロユリ団地
http://kuroyuri-danchi.jp/

前田敦子ちゃんだって出ているのに、霊を信じない真宗って、ナンなんでしょう?
Q10からのフアンなんで、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、アハハハハ。
342渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/05/25(土) 23:43:40.63
>>339
>同じ議論の蒸し返しですね

 あ?そうなの?
 貴方はあれで話は終わったのね。

 それでは、僕の方も、これで最後にします。言い残したことがあります。

「唯信鈔文意」
「極楽」ともうすは、かの安楽浄土なり。よろずのたのしみつねにして、くるしみまじわら
ざるなり。かのくにをば安養といえり。安楽浄土には、懈慢界・功徳大宝海・蓮華蔵世界があ
る。曇鸞和尚は、ほめたてまつりて安養ともうすとこそのたまえり。また『論』には、安楽浄土
を、その中核の蓮華蔵世界で代表させ、代表的な名をもって「蓮華蔵世界」ともいえり。蓮華
蔵世界と言っても、功徳大宝海・懈慢界を忘れているわけでなく、中核部をもって安楽浄土全
体を代表させる言い方をしているのある。
 
 漢文の語順・構文について
 教行信証は、親鸞という日本人が書きました。親鸞の思想は、中国人の曇鸞・善導の思想の
貼り合わせではありません。曇鸞・善導の地の文を換骨奪胎し、独創的な主張をしています。
 親鸞思想の独創性は、中国語の文法を根本からひっくり返し、独自の読み方を返り点で指示
して表現しています。親鸞の返り点は文法を無視しています。そこではしばしば、主体と客体の
転倒、あるいは消滅などを行っています。返り点は漢文の文字一つ一つと同等の重要性を持っ
ています。つまりの文章の不可欠の一部なのです。

 返り点を剥ぎ取って漢文から直に読むことは、親鸞オリジナルの独創的思想を否定し、親鸞
その人の魂を殺すことになります。
 漢文を返り点なしで読むということは、原文の意味をどのように変換しているかという、親
鸞の独創性を捜し出す重要な手段ですが、返り点なしで読んだ内容を親鸞の思想であると考え
たら、それは大きな間違いです
343名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/26(日) 00:09:16.65
>>342
>「唯信鈔文意」
>「極楽」ともうすは、かの安楽浄土なり。よろずのたのしみつねにして、くるしみまじわら
>ざるなり。かのくにをば安養といえり。安楽浄土には、懈慢界・功徳大宝海・蓮華蔵世界があ
>る。曇鸞和尚は、ほめたてまつりて安養ともうすとこそのたまえり。また『論』には、安楽浄土
>を、その中核の蓮華蔵世界で代表させ、代表的な名をもって「蓮華蔵世界」ともいえり。蓮華
>蔵世界と言っても、功徳大宝海・懈慢界を忘れているわけでなく、中核部をもって安楽浄土全
>体を代表させる言い方をしているのある。

「唯信鈔文意」と断っておいて、完全に自分の文章と原文を混ぜる提示の仕方は関心しませんね
貴方がどれだけ親鸞の文章に興味が無く、自分の読みにだけ興味があるかをさらけ出しているようなものです


>返り点を剥ぎ取って漢文から直に読むことは、
あれは現代の我々が読みやすいようにやった方便です
意図は返り点を排除するためではなく、書き下し文を漢文の語順に戻すためです

>親鸞の返り点は文法を無視しています。

「入第三門とは、一心に専念し作願して、彼に生じて奢摩他寂静三昧の行を修するをもってのゆえに、蓮華蔵世界に入ることを得しむ。
これを入第三門と名づく」(論)。【寂静止を修せんためのゆえに、一心にかの国に生まれんと願ずる、これ第三の功徳相なりと。】(証巻)

件の「証巻」の返り点は、分かりにくいとはいえ、原文となんら相違するものではありません
【】内の、「浄土論註」の部分とあわせて読むと、それがよりハッキリします
むしろ文法を無視しているのは貴方の読みの方です
344名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/26(日) 02:38:51.54
(・ω・)
345名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/26(日) 02:54:01.56
  〇
  〇〇
 〇〇〇
 (-ω-)阿弥陀です
 ∩ノノ 
 | ∪
 | |
迷える子羊たちよ
 祈りなさい
346ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/26(日) 07:14:31.14
Minority Report 虚空蔵菩薩求聞持法と脳内作用

この求聞持法は単に仏様との繋がりを密にするだけではなく、脳内革命を呼び起こす
手段として弘法大師が使われた気がいたします。
これから述べる事は、あくまで修行においての私の感覚的体験から導いた仮説であり、
現在の幼稚な医学的で証明できる根拠のあるものではない事を、お断りしておきます。

弘法大師空海が生涯六回された虚空蔵菩薩求聞持法を私は三年に一度修し、自分の心
の波動を広範囲に変化でき、尚且つその波動の振幅を高める為に修行(法力増強)を
した事によって、いろいろな事を感じ取れるようになりました。
この自分の修行を見返す事によって、どのような過程をへて波動の変化と振幅、感度
の向上が出来たか、その根幹となった修行の一部を考えて見ました。
第六回虚空蔵菩薩求聞持法修行     2005年11月18日成満
第七回虚空蔵菩薩求聞持法修行     2008年06月16日成満
347ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/26(日) 07:15:56.96
第六回及び第七回虚空蔵菩薩求聞持法修行体験と考察 T

今回突発的事情により、短期間で修しなくてはならなくなりました。
前回(第五回)やその前の回には短期間のみではあるが通常日に2座の修行を3座し
たことがあります。
前回は通常6時間かかるお参りの為に、3座という時間の厳しさもありましたが、
マントラを唱える事が増えた事によって、頭の中が煩雑になりパニック寸前の状態に
なりました。
今回は日に4座(慣れると5時間弱)という強行軍の日が何座かあり、他の日は3座
をこなすという状態ですが、マントラを唱える事が慣れたとはいえ、前回までの脳内
パニックは起きる気配がありません。
どうやらマントラという情報を沢山処理する早さが格段に違ってきているようです。
人が行動した時に、その行動の記録が神経細胞に一時保存されるようですが、それら
を睡眠中に整理して必要なものとそうでないものを区分けして(コンパイルするのは、
シナプスと呼ばれる結合部なのか、その前後なのかは私には分らない、ただ記憶する
度に、ニューロンの回路網が変化してゆくらしい。)デジタル情報として保存するよ
うに思います。
しかし、膨大なるマントラを唱えることにより、一時記憶領域もコンパイル能力
(PCに例えた考えで)も限界にきてしまい、以前はパニックを感じたものと思われます。
しかし、今回は情報処理がうまくいっているようです。
348ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/26(日) 08:03:56.10
昨夜の書き込みに思う

>>324 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho 2013/05/25(土) 09:37:17.98
”霊魂というものは、けっして、肉体を離れてあるものではなくて、肉体に与えられるもの
なのであって、その霊魂をいつも持っているということはある意味選民という考え方なのだろう。”

霊魂は肉体に与えられたものか?
じゃあ、肉体も与えられたものか?
与えたのは誰なのか?

ただ書き連ねているだけで意味が通じない、分裂症すら疑われる書き込みのようだが。




”その霊魂をいつも持っているということはある意味選民という考え方なのだろう。”
選民:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%B8%E6%B0%91

霊魂をもてる者は選民しか居ないと言っているように取れる差別用語のようだが。
全ての人種や動物や鳥までもが霊魂を持っている。
この事を合理的に説明できない限り、>>324 ノスタルジアの書き込みは支離滅裂で
まさに真宗のノスタルジア陣川公平くんと云うことになる。
349ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/26(日) 09:03:37.96
>>348 霊魂というのは観念論である。でもその観念を実在として認識できる人もいる。
僕はそこに選民を感じる。何からの選民と言えば、高い位の霊魂からの選民であります。
で、そのようにして、霊魂という考え方に染まっていくのであります。

あなたがみんなに霊魂があるという考え方をされているのは、結局のところ
みんなにその考え方が広まればいいという意図があることは確かである。
その意図に反することを言われたらそりゃあ何か言うでしょうね。
そのようにしてあなたの意図によってみんなは霊魂を持つようになる可能性もある。
であるから僕自身のような者はそれを頷けないとしているのです。
落ちぶれたからなのか?いいえ。霊魂という考え方は僕には客観的に見る程度で
十分であると思ったからです。もし善導大師や法然上人や親鸞聖人から嘘の教えを
受け取っていたとしても、僕自身はそれ以外の分で出来ることはないので、
むしろそれが縁となって地獄に落ちても、後悔はないのです。であるから、
後悔のないことを悩むことはなく、地獄にいったら、そこで慣れていくのでしょう。
もともと歎異抄ではそのようなことを唯円は話されています。つまり
浄土教には霊魂観はないのです。
350ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/26(日) 12:02:34.81
>>349

真宗のノスタルジア陣川公平くんが此れほどアホちゅうことは、それを教える先生もアホや!
総理官邸でも幽霊の事が問題になっている。
そもそも霊が居ないなら、はなから問題になる事は無いし、信仰も存在しない。
君のパソコンモニターから、長い髪をたらして貞子が出るようになったら、君らには手におえない。

霊が居ないなら、浄土真宗も不必要、君もねw
阿弥陀如来も霊体なのだから、それを私は素粒子で説明しているが、
阿弥陀如来が霊体で無いと君が云うなら、なにで出来ているか説明する義務がある。

それが出来なければ君は精神異常者で、その考えを刷り込んだ教師も精神異常者だ!

それが出来なければ君は精神異常者で、その考えを刷り込んだ教師も精神異常者だ!

それが出来なければ君は精神異常者で、その考えを刷り込んだ教師も精神異常者だ!



”浄土教には霊魂観はないのです。 ”

故に真実を見ることが出来ない浄土経はとるにたらん愚かな駄作経典なのだ。
351名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/26(日) 12:09:04.07
>>349地獄に落ちてもいいなんて落ちたらそんなこと言えないぞ
生きたまま焼かれたり舌抜かれたり、目玉をカラスに潰されるんだぞ
なんとなく暗いなあ、みたいな生易しい処じゃないぞ
皮を剥がされてそこに煮えた油をかけられるぞ
獄卒に骨が折れてもこん棒で叩かれるんだぞ
恐ろしいぞお
352ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/26(日) 12:17:15.02
>>350 >>351 御二方とも、具象化をしていませんか?

実体化したり、具象化したりすることが、阿弥陀なのでしょうか?

もちろん偶像崇拝はあります。それは像法の名残なのでしょうね。

象るということ。寺や偶像なんかも象り、それで荘厳さを見せていた。

それはそれでいいのであるが、けっして霊魂は実体化、具象化しても

意味はない。癒すことは仏教ではないし、ましてや慰めることが仏教ではない。

であるなら、癒されないとおれないような世界観を作ろうとするのは可笑しい。
353ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/26(日) 12:18:04.21
そもそも霊魂に僕は頷かない
354ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/26(日) 12:21:53.25
>>353 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho New! 2013/05/26(日) 12:18:04.21
> そもそも霊魂に僕は頷かない


真宗の進化の為に、そのうち君に霊を紹介しよう。
その後の人生の変化は、一切私は責任を取らない。


不服なら、告発したまえ。
355名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/26(日) 12:42:15.97
霊魂は神の分魂。無限の段階を経て与えられている。だから無限の段階ということは永遠の過去から存在していたということだ。
遥か永遠の昔より人間の魂は存在していた。
その魂をどの肉体に封じ込めるかは、法則即ち神の意思。
阿弥陀如来は霊体、これ当然。
この阿弥陀如来も遠い昔は凡夫で、我々と同じような人間だった。
阿弥陀如来と我々の違いは、魂が神と合体しているという点だ。
神魂というわけだ。人間の場合は分離していて、ある時に一瞬だけ重なる程度。
神という純粋な霊、そもそも霊は純粋なエネルギーだが、それの強烈なエネルギーに
耐えられるだけの身体、精神、心を持つ者が、いわば如来である。
不純物が混入していると、高電圧の電流に対して細い銅線のように、それが抵抗となり焼き切れてしまう。
つまり、存在できなくなってしまう。
そのために、神はいくつかの段階を設けて、エネルギーを適度にする。
これを和魂と呼んでいるわけだ。
究極の宇宙創造の神が存在するか否かは誰にもわからない。
なぜなら、存在とは何らかの質量をまとっていなければならないからだ。
そのために、神も無限の段階がある。
しかし、その質量すらもエネルギーを変換したものにすぎないのであるから
すべては、物質もその根源は霊(エネルギー)ということになる。
我々はきわめて物質的な地上世界に生きながらも、すでに霊的な存在ということ。
神は調和そのものなので、人間は調和を通じて神に結びついている。
調和とは、個々の人間んび与えられている神の計画、意図。
これが、「妙法蓮華経」の文字で花に喩えられているものだ。
経は経綸であり神の計画のこと。
356ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/26(日) 12:56:05.68
阿弥陀如来も遠い昔は凡夫で、我々と同じような人間だった。 ?

阿弥陀如来と我々の違いは、魂が神と合体しているという点だ。 ?

人間の場合は分離していて、ある時に一瞬だけ重なる程度。 ?

耐えられるだけの身体、精神、心を持つ者が、いわば如来である。?

存在とは何らかの質量をまとっていなければならないからだ。 ?


これが、「妙法蓮華経」の文字で花に喩えられているものだ。 ???

経は経綸であり神の計画のこと。 ???
357ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/26(日) 13:58:28.05
>>354 >>真宗の進化の為に、そのうち君に霊を紹介しよう。
僕の睡眠によって見る夢には毎日のように多種多様な人々が僕を守ってくれている。
良くも悪くも・・・。そのね、結界を解いてくれるのか???
いつになっても夢で楽しい景色が、素晴らしい景色が見れない。
かれこれ毎日のように夢を見ている。それなのに、素晴らしい景色を一回も
見たことがない。ならば、僕にそのような連中は素晴らしい世界を見せてくれないということだ。

ランボー法師さんは、僕が何を思い描き描いているか分からない。分かったら
仏教ではない。ならば尊い僕の思い描くそれを、真実を見せてくれ。
僕に霊が見える方法はそれしかないと思う。霊眼など開かない。でも
夢なら誰でも見れる。紹介するということはそれほど重みがあるんですよ。
僕が今まで夢で見てきた人々が、ただの僕の中の夢幻であることを証明
してください。願ったりかなったり。それが真宗の進化になるなら
喜んで頂戴しますよwww
358ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/26(日) 14:00:17.33
それが僕の夢目標だ。
359ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/26(日) 14:05:16.84
霊魂が僕の心の世界に住み着いて、僕の業による法音を聞いていて同じように
生活しているそれに何か意味があるのか???
360ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/26(日) 14:20:11.41
僕は肉体の逸脱を考えています。つまり無上涅槃。

そのためには現生往生があった上での話です。
361ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/26(日) 14:24:00.12
肉体を逸脱することが僕の目標。つまり無上涅槃。そのためには、浄土真宗教義である、
現生往生を体得しないといけない。自分の道が定まれば、もう後は、ご自由に肉体が
動けばいいのだから。つまり霊魂論など、意味をなさない。それが僕の考え。
よって僧侶である僕は道が定まりやすい。一生涯にわたって遊びながらいけばいいのだから。
遊ぶという表現は誤解を生むかもしれないが・・・。
362名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/26(日) 15:57:21.05
>>357
見せよにも見せれない、見せる意味がない、それが自分の限界点なだけだよ。
363ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/26(日) 17:15:30.96
>>362 そうであると頷けない自分がいます。というのも僕もそういうことは
考えたことはあります。
364ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/26(日) 18:56:59.48
肉体に霊魂が与えられて霊魂の世界が開けるのと、肉体を逸脱して肉体が阿弥陀になるのとは
全然違います。つまり自分が阿弥陀であると言う人は、霊魂について嘘を言っていないはずです。
今のところ阿弥陀と名乗っているのは一人だけですが、その人は霊界について
言っています。なんとなれば、上記で言いましたが霊魂が与えられて霊魂の世界が
開ける悟りというのは、方便化身土のさとりです。ある特別な人がそのさとりというものを
求めて得た結果が方便化身土であるということです。そういうさとりでは、
500年間は極楽を垣間見れないのです。つまり極楽往生、法然の考え方に
従った結果です。それは自分が図らずとも名号不思議に誘引されて得た結果であります。

でもね、真実証っていうのは、けっして、極楽往生の人天になることではないのです。
ならば何か?現生往生をした後に、無上涅槃に到達するのです。

つまりどれだけ特別な人であっても僕が行く道には勝てないのです。
365ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/26(日) 19:02:49.70
>>357 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho 2013/05/26(日) 13:58:28.05
> それが真宗の進化になるなら喜んで頂戴しますよwww


やはり、早とちりの真宗のノスタルジア陣川公平くんですね。

君の先祖霊の苦しさを、貴方の体と心で味わってもらうというミッションなのだが。
その苦しみを味わった後の脱出方法は供養して成仏させるしか手段は無い、幸運を祈る!



私の気持ち次第でこのミッションは始まる、誰も止める事は出来ない。
君が先日書いた

>>301 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho New! 2013/05/24(金) 20:56:07.70
> 僕がこのスレッドに来たからには、もうそろそろ引き上げてもらいたい!

この件で詫びない限り。
366ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/26(日) 19:11:58.69
>>365 先祖・・・。寺はまだ二代目。僕の代で三代目。だから爺ちゃんしかいない。

爺ちゃんが成仏していないというのは、無礼でしょう?汗水たらして頑張った

人を未成仏霊扱いして・・・。
367ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/26(日) 20:22:45.08
366 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho New! 2013/05/26(日) 19:11:58.69
>>365 先祖・・・。寺はまだ二代目。僕の代で三代目。だから爺ちゃんしかいない。
爺ちゃんが成仏していないというのは、無礼でしょう?汗水たらして頑張った
人を未成仏霊扱いして・・・。


爺ちゃんが汗水たらして頑張ったから君が居るの?
般若理趣経の内容からすれば一時的に成仏したかもしれないが、今は不成仏霊。
それに、爺ちゃんしか先祖が居ないなんて、君頭大丈夫?
じゃあ、爺ちゃんは朝露の如く湧き出たの?

幼稚すぎて、此方が可笑しくなるよ!
先祖霊は概ね200〜400の霊体が居る。
700年を過ぎると輪廻の霊が多くなり、必然的に先祖霊は少なくなる。

私がその霊たちを呼ぶ事は出来るし、成仏に向かう為には子孫の君にすがるしかない
と伝えて返すだけなのだ。
あとは、君が成仏させればいい、爺ちゃんも。

君の先祖は間違いなく不成仏霊で、成仏していません。
私が君の先祖霊を呼んで、霊能者が仲介すれば、客観的に知る事ができる、成仏していないと。
368ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/26(日) 20:49:20.84
>>爺ちゃんが汗水たらして頑張ったから君が居るの?

功徳大宝海の下地を作って成仏された方であるように思う。

初代の爺ちゃんに比べ、二代目の父さんは、阿弥陀の願いがあるのに

さらに大きな願いを、僕に今も托し続けてくれている。

そのような期待を込めて僕は生まれてきたと思っている。

であるのにこの世はやっぱり上手いこと行かない。

じゃあ百歩譲って爺ちゃんが成仏していなかったとしましょう。

そうであっても、僕自身は、あなたが僕自身を可笑しくさせたとは

思わないです。僕は僕自身の心がありますから。僕の肉体に心がある限り

僕は全員を敵に回す。じゃあ僕自身はというと、僕自身は僕を守る。

そうやって僕は無上涅槃に到達する。それが親鸞聖人の教えである。

誰もが有り得る教えである。僕の心を持って僕は肉体を逸脱するんですよ。

あなたが僕自身の方向性を変えているように見えても、僕自身はもともと

変わらない。(不動心)。勘違いしないようにお願いしますwww
369ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/26(日) 21:39:11.89
>>368 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho New! 2013/05/26(日) 20:49:20.84
> 変わらない。(不動心)。勘違いしないようにお願いしますwww


君がどの様に考えようが、私の知った事ではない。
君たち真宗僧侶に、門徒の亡者を引導も供養もしないで金を巻き上げられ、成仏出来ずに
苦しんでいる苦痛を味わい反省して欲しいからだ。

あなたたちは往生しているというなら、先祖が起こす霊障は問題が無いのだから平然としていればいい。
心が不安定になり、寂しさ、底知れぬ寂しさが生じたら気をつけたほうがいい。


私にそういう心を持たせたトリガーは下記の記入による。

>>301 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho New! 2013/05/24(金) 20:56:07.70
> 僕がこのスレッドに来たからには、もうそろそろ引き上げてもらいたい!

この件で詫びなくてもいい、君の気持ちは分かった。
あとは 体解大道、 君に体で分かってもらうしかないようだ。
老婆心で云うが、君の先生も門主も事が起きれば解決できない。
370名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/26(日) 21:41:50.89
書き溜めてるんですよね?
機械的すぎる。
371名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/26(日) 21:42:30.88
最近なんか言い争いとか、ネタ漫才がなくなっているのが気になる。
372名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/26(日) 21:52:06.29
真宗の寺の人間が成仏しなかったら大変だよね。
そりゃ成仏したと思ってないと。
373ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/26(日) 22:18:23.24
第十四章 新婚家庭にお仏壇

 初めて亡なつたかたがでた時、お仏壇を求められるかたが多いのですが、仏教徒で
あれば結婚したときに、お仏壇を求めるのが一番良いのです。死人もいないのに、
仏壇を買ったら縁起が悪いなどと、よく聞きますが、それは認識がちがいます。
 お仏壇は信仰のために、仏様をお祀りするためのもので、その家に亡くなった人が
でたとき、仏様の御利益にあずかりたくて、位牌を下の段に置かせていただくわけで、
主賓はあくまでも仏様です。お仏壇の最上段は、須弥壇といって仏様の場所なのです。
その須弥壇の中央に位牌をお祀りしていることがありますが、そのままでは仏様が降
臨されませんので、先祖霊を導いてもらえず成仏はできないのです。須弥壇の右も左
も同様に位牌をお祀りしてはいけません。
信仰の目的のひとつに、家内安全無病息災がありますが、仏様におりていただかなく
ては、物事は始まりません。
その為に、仏像を須弥壇にお祀りし法力をもった僧侶に開眼してもらいます。
ここで注意をすることは、法力をもった僧侶(真宗の僧侶では法力が皆無なので無理)
でないと仏様の魂が入らないのです。
まさに仏作って魂入れずです。
これでは仏様に守ってもらうことができません。
374ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/26(日) 22:18:59.18
第十四章 新婚家庭にお仏壇

仏様に魂がはいると、そのお仏壇の中が、ほのぼのとした暖かみを感じるようになり、
自分が小人になってお仏壇の中の須弥壇にかりに入ったとしたら安心し、心穏やかに
そこにいることができるように思えてくるのです。
仏様の魂が入っていないお仏壇は、なんとなく暗くて寒い感じがします。
先祖霊から見ると、暗くてお供物もハッキリとは見えずいただく事も、ままならぬこ
とになります。
次にお仏壇を設置する所も大切で、そまつになる所と北向きは避けたほうがよいのです。
以前このようなことがありました。
それは札幌市郊外の北広島団地のあるお宅であったことです。
そのお宅の高校生の息子さんの素行が変で、荒れ果てた廃墟にいったりし、顔色が悪く
なってきた。仏様に守ってもらいたいので、十三仏様のお掛け軸を用意しましたので、
開眼供養をしてほしいという申し込みがあり、そのお宅にお伺がいしたのです。
奥様が出迎えられ、広い立派な仏間に通されました。
その部屋には作り付け仏壇があり、その前には座ると引っ繰り返ると思われるほど厚
い金糸織りの座布団が置いてありました。
立派な作りの部屋なのですが、なぜかしらおちつきません。
まるで檻の中の熊のように、その部屋の中をぐるぐる歩いていました。
家の人がそろったので、始めてほしいとの言葉で、お仏壇の前に座ったものの、なぜ
かしら落ち着きません。
375ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/26(日) 22:19:35.81
第十四章 新婚家庭にお仏壇

しかたなく開眼供養を始めましたが、いっこうに仏様がお掛け軸の仏画に入ってくれ
ません。
どうしたものかと思っていた時突然
「私は高野山の大日如来です。そなたのところの仏は、おりません。」
とお話しくださいましたので、その意味がはっきりしなかったので、聞き返しました。
「おりませんと言うことは、ここに来られてないということですか、それとも下に
降りてこられないと言うことでしょうか。」
と言うと
「この上には来ていますが、仏壇にはおりないということです。分かりますね!」
と言われた時私の目は仏壇の右上にある、神棚に視線が止まりました。
「そうです。仏はプライドがあるので、おりてきてくださらないのです。」
と教えてくださいました。
ここでは霊界での上下関係が問題になったのです。
376ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/26(日) 22:20:11.29
第十四章 新婚家庭にお仏壇

霊界での上下関係を見るのに、その神に捧げるお供物をみると分かりやすいのです。
未開のところの宗教では家畜をいけにえにしたり、西洋の黒魔術は若い娘をいけにえ
にします。
仏様には、精進のものしかあげません。
お酒は仏様でも明王様までで、菩薩様や如来様は鼻が曲がるほどお嫌いで、極力清浄
なお供物をあげます。
十三仏様のなかで、お酒をいただけるのは、お不動様だけですので、私は葬式の引導
の時お酒を禁じる戒律を与えます。仏様に嫌われないようにするために。そういう訳
で仏様にはお魚もあげません。
例外的に檀家に漁業の人が多い寺では、このような良い魚が捕れましたという感謝の
報告のために、外陣に置き決して内陣(本堂の一段高いところで、法要のとき僧侶の
みで一般の人は下の外陣でお参りする)には置かないのです。
377名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/26(日) 23:17:51.72
同種類の仏様、例えば阿弥陀様を同じ家にお二方置いてはならないとは言われたことがある。
後から来られた方が恐縮なさるらしい。
仏が好きだからと言ってなんでも置いてはだめということ。
違う種類ならばよいと。阿弥陀様もお不動様の力を借りることもおありだそうで。
人形でもなるべく熊のような猛獣の置物はよろしくないと。
しかも顔を合わせておいてはならない。人形も掛軸も外に出すようにする。
家の住人に障りが出るらしい。
寺社の土産で売られている仏像やお札もむやみに買わないことだとおっしゃる。
中のよろしくない神様同士を並べておくことは禁物。性質がちがうものはまずい。
並べて飾って楽しんでるのは人だけで、お札ひとついいかげんにはできないものだ。
また、他宗のものを同じところに置いてもいけない。
378名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/26(日) 23:37:54.84
河原や海で石を拾って持って帰るのもよろしくない。
そこで死んだ人の魂が入っている場合があるらしい。
こうしたことは素人には分からない。うまく信頼できるその筋の人に尋ねるのが一番だ。
人形などは粗末にせずに、いらないなら供養寺に預けるのがいい。
古いお札を交換するといっても、魂が入っている場合は交換しないほうがいい。
これも見極められない。
我が家では間違いなく魂が入っているのは阿弥陀仏像と神棚の神札。
地蔵像には入っていない。尼さんが入れたと言っていたが入っていなかった。
この尼さんは相談を商売にしていたので言ってみたが、力がないのは話していてわかった。
しかし成り行きというか、買うはめになり、一応は大事にしていた。
魂が入っていないとはいえ形は仏、これからも大切にするつもり。
寺や神社の土地もかってには動かせないし、神木も切れない。
ただの樹でも供養する必要がある。高い樹には、高神さまが住んでいらっしゃることもある。
土地も汚物、おしっこなどしないほうがいい。どうぢてもの場合は、一言謝ってする必要があると。
まあ、とにかく人間界並みに色々あるのが神仏の世界らしい。
379名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/27(月) 02:07:07.46
なんだ?このスレは。
ここは霊媒師とその相談者が集う宗教板ではないか。
380ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/27(月) 08:28:39.49
ノスタルジア陣川公平くん、お早う。

昨夜はショックで早引きしたのかなあ。
君は不動明王を信仰しているの、”僕自身はもともと変わらない。(不動心)。”

不動心はいいんだが、間違いは素直に認め詫びないとね、それで僧侶?てなるよ。
それで、
>>301 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho New! 2013/05/24(金) 20:56:07.70
> 僕がこのスレッドに来たからには、もうそろそろ引き上げてもらいたい!
については、詫びる気持ちがないようだから、次のミッションを紹介しておこう、
渡海難爺も事実でない無礼な事を言ったので、両家同時にしようと思う。

ついでに一つ注意をしておこう。
私が写真を紹介したのは、例えば 丑の刻参り に使われても、使った相手だけがダメージ
を受け、結果 私を呪わば穴一つ と云うことになり、過去に一回あったのだが。
私はこのミッションにあたり、君たちの先祖に語りかけるだけ、簡単な事なのだ。
下記にその仔細を示す。
381ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/27(月) 08:29:14.32
ミッション、真綿締め

来月某日 我が家の月参りをする(月参りは云うまでもないが毎月の供養)。
供養の始めに、亡者が手を出せるよう供物に加持をし、亡者が霊界から降りやすいよう舞台を作る


それから先祖の霊を大鉤召印にて招く(地球の裏に居る霊も来る)、その時、君の先祖霊や
渡海難の先祖霊も呼ぶ。
その後、鉢印にて亡者に供物を振舞うのだが、君の先祖霊や渡海難の先祖霊には振舞わない。
その両家の先祖が指を銜えて見ている中、私の先祖は般若理趣経で丁寧に供養を受ける。
供養が終われば、君の先祖や渡海難の先祖にこう伝える。

”ノスタルジアも、渡海難も、新宗教儀の詳しく、阿弥陀様に精通しているという。
どうぞ、私がしたように丁寧なる供養を受けて、是非成仏していただきたい。
私が使えないような難しい仏教関連の言葉うを使うノスタルジア君と渡海難はあなたたち
先祖霊が成仏していない事が分かればキチンと供養してくれるだろう。
それには君たちの苦痛を彼らに憑依して感応させて知らしめなければならない。
霊感に乏しいようなから、何度も何度もアプローチしなくては通じないと思う。
そうして通じたなら、供養してもらい是非成仏してもらいたい。
不幸にして成仏させるだけの能力が無ければ、私はプロ、ノスタルジアや渡海難が規定の
お布施や費用を払って私に依頼すれば私が先に見せた供養等で、きみたちを成仏させよう。
彼らが私に頭を下げて先の条件で依頼しなければ、私は供養しないし、私に供養を要求しても
痛い目にあって帰されるだけだから注意をしてください。”

こう告げて撥遣する事で、このミッションは終わるのだ。
382ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/27(月) 08:29:52.42
第六回及び第七回虚空蔵菩薩求聞持法修行体験と考察 U
脳の情報処理及び記憶について1

憶測では有りますが、以前はマントラの情報を平らに文字列的に並べていたものと考え
た時に膨大な処理領域が必要になります。
今回はその処理の仕方が異なっているように感じられるのです。
例えば、マントラを数字に置き換えて考えてみます。
10という数字をくり返し記憶する時に、先ほどまでのマントラの様子と置き換えると、
果てしなく10という数字が並んでしまいます。
それを一つずつ整理することは大変な作業になります。
しかし、その10の数をブロックごとに取りまとめて乗数で表現したなら、たとえ百万編
でも小さな数字で収まります。
そうした作業の仕方をバックグラウンドで密かに出来るように脳内革命を企てる手法が
虚空蔵菩薩求聞持法のくり返しなのかも知れません。
人はよく何かをしながら別の事を考える事ができます。
右脳と左脳で別々の情報を処理している事は知られていますが、その仕組みを巧みに
刺激して新しい思考回路を構築しているのかもしれません。
383ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/27(月) 08:36:20.01
>>ランボー法師 

> 僕がこのスレッドに来たからには、もうそろそろ引き上げてもらいたい!

この考えは、自分の中では2、3日前に反省している。なぜなら相手を尊重した
発言ではなかったからである。すまない気持ちがある。そしてナイーブな人なら
余計に傷ついただろう。反省しているということを告げて終わりにします。

あと、その件に関してだが、別に先祖霊によって魔境に落ちるということでも
なさそうなので、僕はいつでも地獄を見る覚悟は出来ているということを
告げてこの一返答を終えます。
384ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/27(月) 08:52:57.97
喝を入れてもらわないと、この先生きていけない。常軌を逸しないと生きていけない。

その時に、あの近所の人の真価を問われる。つまり本物か偽物かが。

そういう点で、ランボー法師さんが、本物ならば、何かが起こるはずだ。

そして念仏に勝る悪なきが故にという親鸞聖人の言葉の真価も発揮する。
385名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/27(月) 09:40:38.49
誰も相手をしなければ意味を無くし去ると思っていたのがノスタルさんが
相手しているようで。
>>381
先祖霊が成仏していない事が分かれば

無理をいう 分かる方法も確かめる方法もない。
有り得るのはその発言者のいう事をただ信じ鵜呑みにするかどうかだけ。

もはや誰も解き明かしたことは無い"オリジナル仏教"の視点で語っている。
386名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/27(月) 11:45:33.83
コテハンが占領して延々とやりつつける
って、宗教版の新興宗教スレに多い展開だな

まあ、真宗は新興宗教の親玉みたいなもんだから
それらしい、といえばそうだけど
387名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/27(月) 11:53:38.70
新興とは。
既存のものに対して、別の勢力が新しくおこること。また、新しくおこすこと。

さすがに750年あるいは興隆期500年以上のモノを新興というにはさすがにね。
そうなれば古株の真言宗ですらその当時の先発の南都六宗や日本古来の神道からすれば
新興とも言えてしまう。
388名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/27(月) 11:57:24.86
そもそも新興=問題があるとも言えない。ただ世間への周知と容認は少ないが。
既存=問題がない訳でもない。世間への周知と容認が多くても"劣化"と"変質"が起こり得る。
389ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/27(月) 12:22:50.35
第六回及び第七回虚空蔵菩薩求聞持法修行体験と考察 U
脳の情報処理及び記憶について2


例えばパソコンのCPUもいまでは処理用のデーターラインが2通りあり、モニター
で処理している事と別な情報をバックグラウンドでプリントしているとか、そのよう
な情報回路を合理的に使う仕組みがありますが、それに類似したような事を脳内でも
出来るのではないかと思われます。
脳内の処理をくり返し刺激することにより合理的な方法に回路を変えてコンパイルし
やすいように事前処理し、他方バックグラウンドで情報の堆積を解消していると考え
た時に、その昔に虚空蔵菩薩求聞持法のような凄いトレーニングがあったと今更のご
とく驚かされます。以上がこれまでに主に経験した事でした。
虚空蔵菩薩求聞持法を修した先人の言葉に、聡明法だと言うものが居ますが、修法し
た現象の一部を考えたなら、脳内の合理的回路の再構築であるシナプスへのマントラ
を通しての刺激が変化を生じ、脳内アルゴリズムがより合理的になったと考えられま
すまいか。
390ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/27(月) 12:23:27.54
第六回及び第七回虚空蔵菩薩求聞持法修行体験と考察 U
脳の情報処理及び記憶について3

また、記憶の分野では、文字列での記憶から、右脳への刺激によって面即ち絵の状態
で記憶する事がより容易に出来るようになり、情報の関連性も包括的になることで、
多くの情報をより正確に出来るようになったからではないのでしょうか。
それには、より早い情報のコンパイル能力が必要で、シナプスの再構築によりそれが
なされたものと考える事が出来ますまいか。
睡眠中に記憶の整理がなされているとしたなら、それがより合理的であるなら、少な
くとも脳の必要とする睡眠時間は短くて済む事になるのではないだろうか。
あくまでも憶測でしか無いのだが、人が受けた最初の情報はアナログであり、それを
司る細胞器官のある種の体液の濃度差を利用してデジタル化いるのではなかろうか。
それも濃度差を的確に維持するのは生理上難しく、誤差が生じてもデータに狂いが出
にくいしきい値を採用したデジタル的記憶法を脳内保存記憶の分野で採用しているの
ではないだろうか。
391名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/27(月) 12:28:23.58
何を言おうが証明できない理論を、必要としない者にまで押し付けるのは困る。
認めさせたいなら、誰にでも簡易にいかに証明できるかを労力をかけるべきだ。

こんなところで騒いでいないで。本物の霊能者なら。
392名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/27(月) 12:40:22.67
現代にそぐわない仏教。
教えなんて、それらしきものは世の中に五万とあるし。
所詮ちょっと自分は悟ったかもと自分で思いこんだ人の言葉にすぎないな。しかもどこまで本当に言ったのかもわからない。
阿弥陀経などは後世に釈迦の霊が誰かに語ったのを記録したのかもしれない。そうなら価値はあるけど。浄土がなければ真宗が存続する根拠がない。釈迦が浄土から来て説いたのでなければ。
般若経典はまさに人の考えたものでどうでもいい。
法華経は何を言いたいのか解らないし。
法華経を広めるとどうなるかしか書いてない。それで肝心の教えそのものの内容が不明。
よくこんな有り様で仏教を説法してるよ。何の根拠もないのに。
393名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/27(月) 14:02:41.41
>>392
>現代にそぐわない仏教。

そうなれば何時なら「そぐう仏教」であったのか。中国で大乗仏教が繁栄したか
あるいは日本に仏教が根付いた平安期か、または鎌倉時代中世か
それらの時代と比べて人間はどれほど強くなれたか、進化できたか。
四苦八苦の問題は紀元前も現代もさほど変わらない。2000年以上経っても
変わらない変われない事柄は数多い。

真宗なれば、本来は親鸞という人物の考え方、その生き様に感銘を受けて
その思想を慕い、沿うといったことだろう。
浄土の存在は誰でも認識出来る物ではない、有るという者には価値があるし
無いという者には無意味でしかない存在となる。強いるものでもないし簡単に
受け入れられる事でもないので有るという者にとっては有る、ただそれだけだろう。

但し、浄土のような「ここと対比させる」モノが存在しないと客観的に
この現実を、この今を、この我を捉えて見る事が出来ないと感じる。その意味では
浄土の存在意義は大きい。
394名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/27(月) 14:08:57.75
引き合いに出したもの=阿弥陀経・般若経典・法華経の中から真理を見つければよいと思う。
経で聖人たる釈迦がこう言ったから真実だ!というのも正当とはいえないし、経に書いて
あるから真実だとも言えない。

大事なのはその経と言う言葉を通して先人たちがどう生きてきたのか、生き切って終えられた
のかそこを検証し、それを受け入れられるか拒絶するかではないだろうか。
395名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/27(月) 14:15:18.15
般若経典は集約したものであるようだから、その源流「大般若経」「大品般若経」
を読んでこそ共感でき身を投じれる世界だろう。

「大般若経」「大品般若経」は詳しくないので避けるが、阿弥陀経も法華経も
生死・四苦八苦・三毒・無明・諸法無我・諸行無常・一切皆苦を根拠にもして
説かれているはずだ。
396ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/27(月) 17:58:16.90
第十五章 神社とのかかわり T

日本の多くの家庭では、仏壇と神棚の両方祀ってあるが、外国ではそのようなことは無く、
他国の人からは、奇異な目で見られています。
神社のルーツを辿ることは繁雑になり過ぎるので、大まかに考えてみます。
古代人にとって、太陽の神など、自然神崇拝は、農業と結び付いていた生活をしていたため、
何よりも必要な信仰だった。この太陽の神の信仰は、将来 天照 として信仰されるのであ
るが、記紀(天皇の勅命によって編纂された、公認の歴史書であるが、当時の権力者によっ
て都合よく書き換えられることは、想像に易い)にあるように、皇室の祖神でもなく女神で
もない。神道が仏教の外、陰陽道や儒教などが影響を及ぼし壱千数百年もの長きにわたって、
仏と融合してきた神仏習合という関係にあった。
平成三年の事でした。愛染明王という体が赤く手が六本おもちの50回忌の明王様が降臨され
「そなた、神社の天照という神は誰だか知っているか?」
と問われ、答えられないのを見て
「あるとき、熱心に修行している神官に大日如来が、私のことを天照と呼びなさい。
と言って降りたのだ。その時から神社との拘わりができ、他の仏も行き来した。
しかし明治維新の時、神仏分離令と廃仏毀釈により本家本元の寺や仏像が壊され、そこに居
れなくなり、全ての仏は寺に戻った。
それ以後全く神社とは拘わりがなくなった。」
と教えていただいた。
また「
私は今から一万四十七年前に不動明王から誘われ曼荼羅(仏族)に加わった。不動は、
カリスマ性に長けてるからなー」
とおっしゃって戻られました。
397ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/27(月) 21:27:20.31
今夜のつぶやき  貴重な体験に思う

今夜は静かだ、まるで”10人のインデアン”そして誰も居なくなった。

日本テレビ系  2008/11/12(水) 19:58
日本史サスペンス劇場悲劇の女2時間SP!  
教科書に絶対載らない2大衝撃事件の真実!

(1)“透視できました”明治時代に突然現れた美しき
超能力者…東大博士が本物と認めた女、
彼女はなぜ“リング”貞子の母となったのか

この番組を見て、貴重な体験を只有り得ないという理由で否定し日の目を見る事無く埋も
れてしまった
事に割り切れない気持ちになったのは、私だけだったろうか?
とかく自分が経験していないものに対して頭ごなしに否定する者の居る事は、今も昔も同
じようだ。
ただ憂いられる事は、修行を疎かにしている僧侶までもが、修行によって得た体験までを
も否定する事だ。
僧侶が社会的に大事にされるのは、常人に無い仏に通じる力、法力が有ると衆生が思って
いるからで、
その法力がなければ単なるイベント屋、それを認識さえ出来ていない僧侶が多いのは、
もはや仏教国と言えない状態だ。
最近一部の意見であろうが、国旗を変えようとする者が居るようだ。
日本の国旗は世界的に見て珍しい太陽を使っている。
此れには偶然にしても大きな意味合いがあるように思う。
仏教国である日本は、その宗教の中心である大日如来と国旗の日の丸、即ち太陽が重なっ
てくるのだ。
398名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/28(火) 01:04:05.23
仏教が目指すものはそもそもなんだろ。人をどうしたいのだろ。生老病死の宿命からの解放と言って始まったのが仏教だったと思うが。
まずこの生老病死の四字の捉え方だが生き物は少なくとも病以外は確定している。これは言い換えれば宿命のことだろう。
宿命を具体的な事例で表現したのが生老病死だ。
それでこの宿命は人それぞれ異なるのだが、どのようにして解放出来ると考えているのか。
四諦、八正道を言う前に宿命と心の関係を仏教は明確に説明出来ていないね。
それと仮に悪の宿命を根絶できたとして次にどのような生き方が、なぜ必要なのかも曖昧。
先師らが生き方で見せたと言う意見があるが、自分も他者も各人が違う人生を歩いている。親鸞でも法然でもイチローでもないのだから尊敬して学ぶ点はあるにしても結局は、宿命と心の関係、対処に戻るだけ。
あと真宗は仏教じゃないから。
阿弥陀という神を崇拝し、それによる救いを信じている宗教ね。
仏陀は神について説いてないから。
399名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/28(火) 01:19:30.48
>>398

その対処が難しいと思うけれど、理屈だけで分かっていては対処できないように思えるが。
宿命に怯えず逃げず、受け入れる・・は無いのだろうか。

>阿弥陀という神を崇拝し、それによる救いを信じている宗教ね。

真宗は・・ではなく浄土教の多くは・・じゃないかなそれなら。

>仏陀は神について説いてないから。

上座部や南伝の釈尊ではなく仏陀=buddhaなら「目覚めた人」「体解した人」「悟った者」
阿弥陀仏は仏陀ではないというのもおかしくなる。盧舎那仏や大日如来や薬師如来も仏陀
でなく神だとするのか。
よく分からないのだが阿弥陀仏をなぜ神と当てはめたのか。
いうなれば実存したかどうかを論点にして是非と問えばいいのでは。
400名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/28(火) 01:24:52.01
>>398

要は、仏教でなくても「宿命と心の関係の分析」と「悪の宿命の根絶」
「どう生きればいいか、それはなぜ必要か」を仏教より明確にし仏教
を十分代替えする宗教があってそれを大衆が賛同するのなら、それに
越した事はないと思うけれど。

そうなれば仏教は唯の歴史と文化で役目を終えていけるだろうね。

そういう物が無いから仏教も役目があるのだろうね。
401名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/28(火) 01:31:10.16
阿弥陀如来は神ではない。かつては法蔵という名の行者で人間だったのだ。人間は神にはならない。神と佛の区別が要るのだ。
大日如来も釈迦や阿弥陀の先生の大通智勝如来も、またこうした如来の師匠もみな、菩薩道を行じて如来となった。
402名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/28(火) 01:37:53.60
仏教は消えない。お経の解釈は改定されるかも知れんが、阿弥陀如来や菩薩が消える訳ではない。そうした存在への崇敬と信仰は残るだろう。
それに仏教のシンボルの体系は解明され尽くされてはいない。
今こそ阿弥陀如来直々の言葉によって教えを再編する必要があるのだ。
403名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/28(火) 02:12:27.93
本願寺には景教の経が残ってるね。
やっぱり真宗はキリスト教なんだよ。
そこでこの阿弥陀さまの位置つけね。
阿弥陀さまっていうのは
ズバリ釈迦なのよ。
あの浄土三部を説いたのは釈迦に乗り移った阿弥陀さま。
法華経を説いていたときに中断して
観無量寿経を説くわけ。
法華経は経王と言うけど
中断されてるんでさほどじゃない。
イエス曰く(まず神の国とその法を求めよ)
まず浄土と仏法を求めよ。
神はやっぱり阿弥陀になるな。
ここで神というのはキリスト教が神道のカミを使ってややこしくなった。
天主さま、ロードだよ。
天国は天主というカミに似た方がいるんだ。
天主は阿弥陀さま。
アーメン、阿ー弥陀。
404名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/28(火) 02:16:56.91
(^O^)頭がオシャカ!
405ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/28(火) 06:17:23.02
今朝の考察 T

> 病以外は確定している。これは言い換えれば宿命のことだろう。

仏教では宿命と言う言葉で諦めるが、密教ではそれを変える術がある。
多くの体験談を書き込んできたが、それらが物語るのは霊界からの歪んだエネルギーの
アプローチがある。
密教以外の仏教宗派には供養の具体的術がないのが実情だし、霊界を知る事すら出来
ない凡夫僧侶では、やみくもに仏に縋るしか能がないのであろう。
霊障は自閉症やテンカンという表に出た現象だけではなく、霊障らしくない人にも影響して
おり、その現象老けという状態を影響を受けていない人より多く起こしている。
そもそも人の寿命は125歳くらいらしいが、それを短くするのが、ウイルスであり食生活であり
精神的負荷なのだが、その精神的負荷の中で尤も多く影響しているのが先祖霊の影響だ。
私の寺に訪れた方々は、先祖の供養をすると知らず知らずに受けていた精神負荷が減少され
5〜10歳は若く見えるようになり、内分泌も歪められる事がなくなるので体からも元気になる。
証拠は、私の写真もそうだし、私の頬の皮膚の状態は若い女性よりキメこまくて綺麗だ。
お参りに来られる方々も、年齢より遥かに若く見える、来て確かめないで否定は出来ないだろう。
少なくとも巷で言う生老病死の悩みは半減している。
四諦は当然ながら密教によって解決され、八正道で涅槃に至る術は、誠心誠意修行した阿闍梨
によって衆生を導く事が出来、私も日常の如くその活動に専念している。
406ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/28(火) 06:18:03.27
今朝の考察 U

> 阿弥陀という神を崇拝し、それによる救いを信じている宗教ね。

霊界に住うる霊体で、飛びぬけた法力が有るものの内、よい方向にその法力を使う霊体を神
と云い、悪い方向にその力を使うものを悪魔と云う。
神の中で、秩序ある集団で霊界で最強の法力を持つ曼荼羅で表されている仏族がある。
その仏族の中心に君臨するのは大日如来、その別徳が他の如来であり菩薩である。


> 阿弥陀如来は神ではない。かつては法蔵という名の行者で人間だったのだ。

人間は仏になれない、仏は大日如来の云わば分身であり、一体であり多体なのだ。
大日如来は宇宙の根源、宇宙が生じた自然霊であり、地球の年齢を遥かに超えた霊体で
あり、人間の魂の年齢とは比べ物にならない。
そこに人間が仏になれない理由の一つがある。
それは桁違いの魂の熟成だ。
昨日今日仕込んだ酒と、100年を越える熟成した酒の味比べ以上の比べようのない年輪
の差があるのだから。
地球上の生物も原子分子の組成の中から魂を持つ生き物が現れた、魂の誕生は自然霊
なのだから、仏の霊体も、我々の霊体も本来エーテル状なのだが心で変化できるのだ。


> 人間は神にはならない。

神社の発祥には、暴れる魂、荒神を穏やかにしてもらう為の祀る施設なのだが、、、、。
日本における神社には、古くは聖徳太子、そして暴れる霊魂として有名な平将門、徳川家康
の神号は東照大権現、豊臣秀吉が豊国大明神との神号であり、人間霊は仏ではない。
407名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/28(火) 06:18:40.15
  (ヽ△っ
 〜( -。-)っ
 ごくらくへ〜
408名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/28(火) 10:05:44.03
>>401
一神教の神は人間とは違う超越的存在ですが
神道では人間が神になりますよ、菅原道真とかね
409名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/28(火) 10:10:33.12
>>403

釈迦=阿弥陀っていうならまだ頷けるんだけど・・
親鸞の本願他力思想=景教論者・阿弥陀仏=基督教の唯一神って
言う人たまに見かけるんだがよく比較してみるといいよ。
イコールって言えないから。
410名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/28(火) 10:22:55.41
>>405
仏教では諦めるではなく、受け入れる、ですね
生老病死の四苦から目を反らし拒否しようとするから、
その道理と自らの思いに矛盾が生じ、苦悩が起こってしまう
長寿でいたい、若々しくありたい、五体満足で過ごしたい
と思うのは人として当然ですが、世の摂理はそうはまいりません
理想を言えば、四苦をそのまま受け入れてこそ苦悩を滅することになります
411名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/28(火) 10:25:57.38
>>409
真宗は、仏教とキリスト教を天秤に掛けたら
キリスト教寄りに振れる感じだね、ってことだろう
まあ、別にそうは思わないけど
412名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/28(火) 10:51:57.84
真宗は米櫃が教えの中心なので、仏教ともキリスト教徒もちょっと違うな
413名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/28(火) 12:11:10.78
神智学の教義では大日如来は太陽系の神になっている。太陽ロゴスと呼んでいるが。
如来の蓮華座は太陽系を表している。
この如来(ロゴス)は人間が長い進化の果てに宇宙大の生命を表現できるようになった姿だという。
これはもはや人間の段階を終え超人の段階も終えた存在とされている。
だから神と呼ぶにふさわしい。
ただし自然霊の系統ではない。
自然霊の系統は日本の神道の神。確かに乃木将軍や東郷神社に楠神社、靖国と人間も祭られている。
この辺りの事情は浅野和三郎「小桜姫物語」に詳しくのっている。
人霊が神として祭られるのは神界からの指示によるらしい。
必ず背後には神が控えている。
神道の神は活動する時には龍体となり、静止している時は光球となり、
人間に馴染み深い姿にもなるとある。
こうした自然霊のグループは人間になった経験はない。つまり生まれながらに神なわけだ。
ただし修行があるらしく、よって位もある。
414名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/28(火) 12:25:26.25
キリスト教のゴッドは神か上帝か。
ザビエルは最初、ゴッドを「大日」と呼んだが仏を表す言葉だと気付いて
「ぜうす」に改めた。
中国語に翻訳した時に、
上帝か神かに意見が割れたらしい。
それでこの二つの語を用いた二つの聖書ができた。
中国語訳の聖書が日本に持ち込まれて、それを手本として「明治訳聖書」ができた。
現在は神と言えば聖書の神くらいに普及している。神道の神を言う場合は、名前を言う必要がある。
415名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/28(火) 12:47:23.08
それで阿弥陀は神なのか。
阿弥陀はキリスト教のゴッドにある創造主の意味はない。
神道の自然霊ではないのは大日如来と同じ。
神と言う言葉が、人間以外を全部表現しようとするからごちゃごちゃになるだけ。
阿弥陀は神智学っぽく言えば阿弥陀ロゴス。
だから仏はそのまんま、今まで通り仏様でいい。

大日如来は創造主か。
我々の太陽系に関してはそうだ。

キリスト教やイスラム教のゴッドは何か。
アッラーは、ゴッドのヘブライ語の読みとする説がある。諸説あるがヤハゥエと同じだろう。
それでゴッドは大日如来なのかと言えばそうとも言える。
しかしイエスは天の父と呼び、しばしば山で声と語ったという相手は、創造主のような壮大なものではなく、天国という霊界のある偉い方だったと考えた方がわかる。
天の父とは、またまた神智学を引き出すと「世界主」というぴったりの言葉がある。
キリスト教のゴッドは時に世界主を表し、時に大日如来のような創造主を表し、二通りの意味を含んでいる。
416名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/28(火) 13:07:01.98
世界主とはなんだ。
神智学教義では超人の最高位にある者。
はるか千六百万年前に金星から地球に到来した
「サナト・クマーラ」とある。
因みに京都の鞍馬の魔王尊はサナトクマラというのは有名。
この到来の神話が日本の天孫降臨の話だという。
ただし、天孫はサナトクマラそのものではなく、
到来を告げるためにある神格が日本に降りたとある。
その神格がニニギの命だ。
神智学イニシエーションでは
この世界主の位は仏陀よりも一段上だそうで。
世界主は7段で、9段階で地球神の位となっている。
仏陀は6段階、イエスは5段。この5段階あたりでようやく人間から超人になる。
このイニシエーションの制度は地球の進化系で使用されているシステムで、他の惑星では異なるという。
それでイエスが頻繁に会話していたのはこの世界主。
もちろん世界主の意志は惑星神から大日如来の意志でもある。
またイエス・キリストのキリストは大日如来のこと。たぶん。
417名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/28(火) 13:26:59.00
我が国の神道はどうなんだ。
情報が少ないが外国の霊界通信には宇宙的な自然霊が紹介されている。
日本で神と言えば、人間の進化系ではなく自然霊の系列にある存在。
いわば、天使や妖精の類いも含める。
そうした存在の中でも力と知恵のあるのが、神と呼ばれている。
じゃあどうでもいいのか。
いや大いに関係ある。
人間の身体や自然の全ての活動に関わっており、
特に人間の誕生から人生全般に関係している。

こうした神々は人間の経験が無い分だけ、人間的な甘さがない。
彼らは大日如来が太陽系を創造する遥か以前から存在していたし、星が作られる以前の生命活動に尽力してきた。
人間に生命力を与えているのもこうした神々である。

各宗教の崇敬対象はこのようにみな違うわけだ。
自然霊の系列では最高位になると人間の運命に干渉する偉大な存在となり、
しかもそれは大日如来よりも遥かに高位という。
上には上があるわけで事実上無限。
そんな宇宙ってなんで存在するのか、生命とは何か、神でさえ神秘と言う。
ただし、それは拡大し続ける喜びなのは間違いはない。
418名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/28(火) 13:55:42.51
こうした事柄は理性的に見て確からしいという程度に止めるのがいい。
実際の人生ではこうしたことより、幸せになるためにどうするかが重要。
それで苦しみを受け入れるとか、いちいち気にしない精神、心を作る方が
重要課題になる。
しかしこれが難しい。
例えば医学には治癒不能の病を患者はそれでも治ると信じたい。
いかなる根拠で治ると信じるのか。
それは言い換えると
自分は治る運命にある、ということで、そうした運命は何が保証するのか。
医学では不可能な治癒は自然治癒とか、スピリチュアル系列では霊力だとかを信じることという。
自然治癒力が自分にあると信じるにしても、
その力が発揮されて治って再び社会で活躍する、
こうした一連の物語が根底にある。
だからこの一連の物語が運命。
まずはこれを無意識にでも信じるわけだ。
ではそれを保証するものは何か。
信など薬の副作用やら痛みやらですぐ揺らぐ。
ここに信仰の重要さがある。
どの仏様、神様を選ぼうか。
419名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/28(火) 14:48:28.76
それで一番手っ取り早いのが南無妙法蓮華経と文字曼陀羅と考える人が多い。
曼陀羅には天照から八幡、あらゆる存在の名前が書いてある。
ただし書いてあるだけ。
つまり、神々やら仏が存在していると確信していないとただの図か、お習字。
しかも神を否定していながらの信仰はあり得ない。
また曼陀羅には魂が宿るかと言うと宿らない。
ご神札ですらない。信仰のあり方を示したものにすぎない。
それで神・仏・先祖または人がポイントになる。
全てを信頼するのが人の姿だと思う。
神を信じ、仏を信じ、人を愛する。
西郷隆盛の敬天愛人。
これが三位一体となり、自分を信じる、即ち自分の人生を信じることに繋がる。
自分の人生を信じられるなら病が治ろうが、すぐには治らないとしても、自ずと治癒力が引き出されて期待以上の効果が出る。
420名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/28(火) 14:51:28.42
神仏を信じるが人は嫌いなどとは、世の中に自分の居場所がなくて逃げているだけ。
それで変な団体に開運コースだの痛い勉強料を払うことになる。
そんな人々は本当は神すら信じてはいないことが自分でも解らない。
祈って雨が晴れたり降ったりしてはならない、こんな道理も解らない。

浄土真宗なんだが、あまりにも何でも非協力的。
性格的に籠り気味か。
自分等は最高の存在の阿弥陀様を信じてるからいいの、と思ってるか知らんが。
神仏を信じたら病人なら医師や看護師や周りの全てを信じ大切にする。
こうした人は面倒な病も大抵治る。しかも早く治る。
仕事が上手くいかないのは人を大切にしていないから。あいつはバカで、あいつの性格が嫌い。
嫌えば嫌われる。職場でも浮いてしまい、飛ばされる。
飛ばされる場所があればいいが、無いような中小企業なら辞めざるを得なくなる。
職を頻繁に変えるのは人を余りにも批判しすぎる。考え治す必要がある。

自分勝手で、他人はどうでもよいなら神も仏も守りはしない。
自分を変えようとして祈るなら叶えられる。
自分が変われば人が変わり、職場も住まいも住みよい環境になる。
離れていて顔を合わせなくても心や思念は伝わり、変化する。
病ならば病人にしておくには勿体ない人間になる。
またよく学び、人を助けたいと念願する人を世の中が放っておかないから
出世する。これが道理。
神の心は道理。
道理に生きる道を菩薩道と呼ぶ。
421名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/28(火) 15:38:19.17
何か信仰すると女性なら大体若々しく綺麗になる。
教義を深く知らなくても偉大な何かに向かう心が知らず知らずに教えを守り、浄化するからだろう。
内面からの魅力が出てくる。歳をとっても魅力的にいられる。
色々な宗教団体があるが
常識的に信じるならばみな同じ。あまり手かざしだの変な方法に固執してはならない。
神に選民はない。自分だけ特別に選ばれたというのは宗教ではない。
天界で偉大な者とは愛がある者とある、キリスト教のこのあたりの考えは正しいだろう。

占いもいらない。
タロットは危険ですらある。
霊媒師に自分の未来を訪ねる人が多いが、未来を知ると努力しなくなる恐れがある。
占いに頼らない人の方が
速やかに幸せや望みを達成している気がする。
だから真の神ならばこんな質問には巧く回答されるようだ。
占いに頼るのはそもそも自信を失っている場合がほとんど。
だから自信を付けて希望を与える。

もはやこれまでか、とドン底かと思えるような場合、出来ることは神や仏に一心にすがり付くこと。
神への信頼は自分を信じる力になる。
すると、まてまてと余裕が生まれる。
神仏を信じるのはカチカチの頭や心で生きることじゃない。
適当に生きることのほうが信じる心に相応しい。
男なら余裕があるとその姿や雰囲気にほっとするので、女性が寄ってくる。だからモテる。

という感じで阿弥陀様でも何でも、その背後には無限が控えているの信念で祈るのが一番。
422名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/28(火) 16:39:13.93
(ΘωΘ)南無阿弥陀
  人 南無阿弥陀
  南無阿弥陀仏

(◎ω◎)ぐおおおう
 人 南無阿弥陀仏
423名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/28(火) 16:41:22.11
(^O^)アタマがお釈迦様
424ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/28(火) 19:30:04.85
可笑しな現象

342 渡海 難 ◆Fe19/y1.mI 2013/05/25(土) 23:43:40.63

384 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho 2013/05/27(月) 08:52:57.97


今夜は静かだ、まるで”10人のインデアン”そして誰も居なくなった。
私の見落としが無ければ、まるで上記のように342 渡海難、384 ノスタルジアの二人は消えた。


何かあったのか?
425ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/28(火) 19:30:39.44
405 ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU 2013/05/28(火) 06:17:23.02
今朝の考察 T

> 病以外は確定している。これは言い換えれば宿命のことだろう。

仏教では宿命と言う言葉で諦めるが、密教ではそれを変える術がある。
多くの体験談を書き込んできたが、それらが物語るのは霊界からの歪んだエネルギーの
アプローチがある。
密教以外の仏教宗派には供養の具体的術がないのが実情だし、霊界を知る事すら出来
ない凡夫僧侶では、やみくもに仏に縋るしか能がないのであろう。
霊障は自閉症やテンカンという表に出た現象だけではなく、霊障らしくない人にも影響して
おり、その現象老けという状態を影響を受けていない人より多く起こしている。
そもそも人の寿命は125歳くらいらしいが、それを短くするのが、ウイルスであり食生活であり
精神的負荷なのだが、その精神的負荷の中で尤も多く影響しているのが先祖霊の影響だ。
私の寺に訪れた方々は、先祖の供養をすると知らず知らずに受けていた精神負荷が減少され
5〜10歳は若く見えるようになり、内分泌も歪められる事がなくなるので体からも元気になる。
証拠は、私の写真もそうだし、私の頬の皮膚の状態は若い女性よりキメこまくて綺麗だ。
お参りに来られる方々も、年齢より遥かに若く見える、来て確かめないで否定は出来ないだろう。
少なくとも巷で言う生老病死の悩みは半減している。
四諦は当然ながら密教によって解決され、八正道で涅槃に至る術は、誠心誠意修行した阿闍梨
によって衆生を導く事が出来、私も日常の如くその活動に専念している。
426ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/28(火) 19:31:15.60
406 ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU 2013/05/28(火) 06:18:03.27
今朝の考察 U

> 阿弥陀という神を崇拝し、それによる救いを信じている宗教ね。

霊界に住うる霊体で、飛びぬけた法力が有るものの内、よい方向にその法力を使う霊体を神
と云い、悪い方向にその力を使うものを悪魔と云う。
神の中で、秩序ある集団で霊界で最強の法力を持つ曼荼羅で表されている仏族がある。
その仏族の中心に君臨するのは大日如来、その別徳が他の如来であり菩薩である。


> 阿弥陀如来は神ではない。かつては法蔵という名の行者で人間だったのだ。

人間は仏になれない、仏は大日如来の云わば分身であり、一体であり多体なのだ。
大日如来は宇宙の根源、宇宙が生じた自然霊であり、地球の年齢を遥かに超えた霊体で
あり、人間の魂の年齢とは比べ物にならない。
そこに人間が仏になれない理由の一つがある。
それは桁違いの魂の熟成だ。
昨日今日仕込んだ酒と、100年を越える熟成した酒の味比べ以上の比べようのない年輪
の差があるのだから。
地球上の生物も原子分子の組成の中から魂を持つ生き物が現れた、魂の誕生は自然霊
なのだから、仏の霊体も、我々の霊体も本来エーテル状なのだが心で変化できるのだ。


> 人間は神にはならない。

神社の発祥には、暴れる魂、荒神を穏やかにしてもらう為の祀る施設なのだが、、、、。
日本における神社には、古くは聖徳太子、そして暴れる霊魂として有名な平将門、徳川家康
の神号は東照大権現、豊臣秀吉が豊国大明神との神号であり、人間霊は仏ではない。
427名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/28(火) 23:58:07.56
>>425
>>426
かなりヘンテコ自論なのでツッコンでやろうかなと思ったが
ワザとおかしな理論のトラップを張って、ツッコんでくるのを
待っているのか、と見抜くと相手にするのが愚かしく思えてきた。
428名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/29(水) 00:50:36.22
このスレの皆さんも気をつけましょうw
    ↓
51 :名無しさん@13周年:2013/05/28(火) 19:40:56.07 ID:/SpPY1qdO
>>5
無駄に例え話にして意味不明になる典型例
429名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/29(水) 03:16:26.35
(^O^)頭がオシャカさま!
430名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/29(水) 07:06:26.33
>>428
ザインだ!
431ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/29(水) 07:21:38.02
お早う両君!

今日も元気で留守がいい

これからは独演会でいくから、心配しなくてもいいよ、それが私のミッションなのだから。
ノスタルジアくんは、2chの話を先生に言って叱られたかなあ。
まるで”10人のインデアン”そして誰も居なくなった。
私の見落としが無ければ、まるで下記の342 渡海難、384 ノスタルジアの二人は消えた。



342 渡海 難 ◆Fe19/y1.mI 2013/05/25(土) 23:43:40.63

384 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho 2013/05/27(月) 08:52:57.97




何かあったのか?
432ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/29(水) 07:22:13.57
第六回及び第七回虚空蔵菩薩求聞持法修行体験と考察 U
脳の情報処理及び記憶について4

アナログ的情報を脳内一時記憶領域は、体液の濃度によるデジタル記憶だとしたなら、
よく云われるまだらボケや度忘れとはなんなのだろうか?
シナプスの混信なら、回路が落ち着いた時に思い出せるはず、しかし記憶が全く抜け
て記憶の再現が出来ない時は、永久保存の命令が不如意になり、永久記憶領域に書き
込めない現象なのか?
例えば、記憶を司る体液が入れられている細胞壁が、ゴム状の物であれば水漏れは防
げるが、コルク状の物であれば記憶の水は漏水により消失してしまう事象は、それに
より永久記憶せよと言う情報管理がなされていたならと考えるのはムリがあるのだろうか。
虚空蔵菩薩求聞持法による脳への刺激は、脳細胞を活性化し、水漏れを起こしにくく
(記憶細胞に命令できる濃度)して永久記憶情報のゲートを開けさせ、何時までも鮮
明な記憶を維持できるよう、睡眠中にコンパイルされた記憶が蓄積されてゆくのでは
ないだろうか。
433ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/29(水) 07:22:55.67
第六回及び第七回虚空蔵菩薩求聞持法修行体験と考察 U
脳の情報処理及び記憶について5

言い換えれば、アナログ的情報をデジタル化してシナプスより神経細胞に伝え、格納する
のに都合の良い状態にコンパイルして、その蓄積されたデータをpacket通信法により、
永久記憶領域に書き込んでいくのではないのだろうか、であれば睡眠が一定でなくても
記憶処理は順調に行われると思うのだが。
以上の仮説の上で脳に対する虚空蔵菩薩求聞持法を考えたなら、情報の整理即ち
デフラグそしてスキャンディスクまで、より効率的に組み返しているように思うのです。
それは、その後の修行で体験した事により感じたのでした。
434名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/29(水) 16:38:31.01
(⌒ο⌒)こわー
435ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/29(水) 17:26:01.55
抗いようの無い運命がもたらす悲劇がこれから起きようとしている

物事を育てる為には農業に拘らず、その土壌となるべきものを見据えて地ならしが必要だ。
当然此れは終了しているので、いつ種まきするかを考えなくてはならないのだが、手にした
種は発芽したくて期待に膨らんでいる状態、今までの殻の中での苦痛から開放されるのだから。
来月某日 種まきの日が刻々と近づいている。
種をまいたら土壌と混ざり、無数の種は拾い上げる事は出来ない。
その種は、成仏と云う花を咲かそうと、君らの土壌から養分を取るべく根を伸ばす。

”ノスタルジアも、渡海難も、新宗教儀の詳しく、阿弥陀様に精通しているという。

それで、根からの養分摂取を阿弥陀如来にお願いして抜根代受してもらえるのか、
真宗の教義が確かめられる時が来るのだ。

私の見落としが無ければ、まるで下記の342 渡海難、384 ノスタルジアの二人は消えたままだ。




342 渡海 難 ◆Fe19/y1.mI 2013/05/25(土) 23:43:40.63

384 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho 2013/05/27(月) 08:52:57.97



何かあったのか?
436名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/29(水) 19:55:45.70
  ∩∩
 (・ x ・)事件なの
437ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/29(水) 21:06:08.69
   怖い〜〜
      _, ,_       _, ,_
    (rうД)    ( ´д`)  ここは祟られてる、引越しだぁ
    | ̄ ̄∪|─□( O┬O  霊は居ないはずなのに???
〜〜  ̄◎ ̄  ◎-ヽJ┴◎

  ノスタルジア   渡海難
438ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/29(水) 21:13:59.89
【題】・弥陀の説法

秘密主礼賛忍べ

頷き難いかな頷き難いかな、祖親鸞原始釈した諸々の仏典偉大なるかな。

法眼開眼の意義、釈すること久しからず、極楽に生まれる真因これ念仏行
における信心と言われた。

衝撃走り誘って難度海を渡った龍樹大士、やがて来る法輪寂しからず、
いく手を阻み、賢愚の二義を大事とし、御定めとす。

匂いある舎衛国に往来し、欲しいままに釈迦の教説信受して、維持なき森林
通り霊山浄土で治め導く大如来と接すること天上の神々にも見守られる事なり。

地に重なりあること発見し重層無限なる浄土階層に慈しみ、幻の太陽を見、
慚愧を起こし、法王阿弥陀来迎して秘密の説法、我だけに説きたまえること
言説無量なり。

井戸にいた秘密主、地下深くにある虚空の大菩薩衆と俱なりき、耳を傾け伝授を
日常行うことで円満していた。
439ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/29(水) 21:17:49.38
【題】・弥陀の説法U

膨大な経典、すべて法王一乗の本願に帰すなり。学ぶべきもの学んだもの達
多し世の中修学に励むが、何一つとして得ることなし。

手が自動に動き無限無量なる仏法、弥陀の説法開顕するなりするなり。

念仏主である無量寿如来の光浴び、願船に乗り、偉大最勝の智慧をまず
説法された。

我このように聞き給えき、仏白す、口と意と身あり。口は呪なり。呪は陀羅尼
なり。神呪なり。真言なり。念により涅槃道、無我、無常、苦の大義を知る因は
口なり。

意は怨なり。怨は神なり。唯一神は頼朝公なり。彼人類の意を八正道する者なり。
我々念仏行者は親鸞を善友とするなり。その親鸞、頼朝公を善友とするなり。
故に我々も頼朝神と善友なり。

煩悩の火を吹き消した状態が涅槃なり。その道を涅槃道というなり。口と身は
相即不離なり。意根と呼ばれる六根内の一つがあるから意があるなり。故に
口と身と意は繋がっているなり。
440ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/29(水) 21:20:58.83
【題】・弥陀の説法V

善いかな善いかな悟りの萌芽あらわれ春の息吹が風と共に伝達された善男子
達いる善処は無数の天部に守られ、光の伝わり加速し給うこと久しからず。

衆生大衆皆、真なる姿を垣間見、大いに歓喜し歓喜地に住すること毎年のことであるだ。
方法即ち神通に寄りて無限なる自力信心の道は極めることが難し。それゆえ学ぶ
ものは専ら般若波羅蜜なり。

偶像は三十二相を現し、無量無辺の功徳備え、人道を行く大乗の修行者励まし、
能力常に変化して休まらざる彼ら行者を、この娑婆国末法の世においても
煌めき鋭し。

面々に密教の金剛系の菩薩は配置され、嬉しそうに宝を降らせる天界の住民、
諸々の樹木は香り善いので匂いを我ら菩提薩唾等は嗅ぎ味わいあの門に向って
いた。

門を抜けると寺大荘厳であり、周りを飾る宝等は光輝いていました。阿弥陀、
寺に住し法をまさに菩薩衆に説かんがため準備していました。
441ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/29(水) 21:31:13.13
 ┏━━━━━━━━━━━━━━┓
    チラッ  あら幽霊が騒いでる
 ┗━━V━━━━━━━━━━━┛
| |
| |∧___∧
| |´・ω・`)っ
| |   ノ
| |---u’
""""""""""
442ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/29(水) 21:31:48.11
第十五章 神社とのかかわり U

怨霊を鎮魂の目的で、神社を建立しお祀りした神社は多い。
NHK教育テレビにもよく出演されている哲学者の梅原猛さんも、
「聖徳太子・菅原道真(学問の天神)平将門(たいらのまさかど・など類い希なる怨霊で
映画帝都大戦で知れ渡る)などを祀る数多くの怨霊鎮魂の神社がある。」
と読売新聞の 地霊鎮魂京都物語という欄で述べられたりしています。
当時 将門の乱 が起きた時、神護寺の不動明王が、怨敵調伏の為に関東に出陣した。
その不動明王が、成田山新勝寺の、本尊不動尊です。
神仏分離令発布から百年以上たった今、神社とは全く拘わり無くなったのに、巷の習慣で
神社のお札をお祀りしたり、初詣でをしたり、お払いをしたり、結婚式をしたりするが、
仏教徒は考えなくてはいけない。
明治維新の廃仏毀釈をしたとき、伊勢神宮の入り口には、僧侶不浄な者につき立ち入るな!
と看板をたて当時天皇を生き神とした政ごとをし、仏を虐待し打ち壊しにより寺院の数を
一割ほどにまで減らした。
また、政策の為に神社を統廃合し、祭神を記紀に合わせる為圧力をかけ神社本来の在り方を
も大きく改悪をした明治政府は大きな過ちを犯した。
明治政府の政策のため寺院は極減し、人々は神社に移り今となっては明治維新以前は仏教徒だったことも知らない神徒も多い。
443ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/29(水) 21:32:23.28
第十五章 神社とのかかわり V

仏教徒として、その神社のお札を祀ることは、二股信仰となり、たいへん好ましくない。
仏教徒の神棚には、無病息災や商売繁盛・福徳円満などを願って、不動明王(お札含)や
毘沙門天王というかたがたをお祀りするべきである。
余談ではあるが、山奥などの辺鄙な所にあった神社には、明治政府の力も及ばず仏教の神が
いまだ祀られており、そこには仏も行けるのである。
映画 天河殺人事件 というのを見たとき、山奥の天河神社とそこにある能舞台が写った
シーンに、そこのご本尊の弁財天が写っていたのです。
私のところでお祀りしている同じ姿のお仏像だったのです。
映画を見た後何年も気になっていたらテレビで放映されたのです。
私の心は、踊るにおどりました。
理由は分かりませんか、なぜかしら、心踊るのです。
何かあると感じ、天河神社の縁起を調べてみることにしました。
まだ詳しい事は分かりませんが、場所は高野山から東に三十キロメートル程離れた所に天川
村があります。
天河のかわの字は、川とも書くそうです。
その天河と高野山を結ぶ線と吉野熊野の何処かと三角に結ばれトライアングル・エネルギー
が流動しているそうです。
いずれにしろ、一度でもそこを尋ねてみなくては、詳しいことは分かりません。
そして、何がどう流れているのか、全く分からないところに興味をそそられるのです。
そして陰に密教の神秘性が隠れているのかもしれません。
この話は当地を尋ねてから、また別の機会があればお話しします。
444名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/30(木) 06:20:45.84
(ΘωΘ)ノシ ノスたん久しぶりん
445ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/30(木) 06:24:04.14
最後通牒 自爆機能を持たないspirit world missile が放たれようとしている!


ノスタルジア陣川公平くん、渡海難爺さんお早う。
最近、静かな日があり、まるで”10人のインデアン”そして誰も居なくなったみたい。
既にミッション真綿締めの効果が断片的に出ているのか?
この様な現象が出ているなら注意した方がいい。

”心が不安定になり、寂しさ、底知れぬ寂しさが生じ安心の里に逃げ込みたい心境”

このミッションは子供や孫、親兄弟にも蔓延する、非常に危険なspirit world missile。
missile の燃料注入中の今、ノスタルジアくん、渡海難爺も事実でない無礼な事を言った
侘びをいれる最後のチャンスなのだ。

下記のように逃げても、君らは先祖霊にlock onされ逃げ切れないのだが。




ミッション、真綿締め

   怖い〜〜
      _, ,_       _, ,_
    (rうД)    ( ´д`)  ここは祟られてる、引越しだぁ
    | ̄ ̄∪|─□( O┬O  霊は居ないはずなのに???
〜〜  ̄◎ ̄  ◎-ヽJ┴◎

  ノスタルジア   渡海難
446ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/30(木) 06:24:42.20
第六回及び第七回虚空蔵菩薩求聞持法修行体験と考察 U
脳の情報処理及び記憶について6

しかしながら、今まで起きた事柄はほんの序曲でしかありませんでした。
以前のパニックの時には思考力が緩慢になり考えが進まなくなった程度でした。
悪夢は2005年10月28日の夕刻に起きたのです。第六回目の41座目に起きました。
お参りが中ほどまで進んだ時に突然額の中に風船が出来て爆発しそうに膨れ上がった
(感覚上)のです。
その衝撃は額にだけ止まらず、鼻の先まで広がり痺れはじめ(感覚上)ました。
それに続いて強い頭痛と目眩が訪れました。あたかもメニエール病で深酒をしたよう
な感じで激しい嘔吐(食べていないので、からあげですが)と心臓の動悸が激しくな
り胸元の血液が引いていったのです。
メニエール病(重炭酸ナトリウム溶液メイロン点滴で治療経験あり)ですと、頭を動か
す事で症状が急速により悪化しますが、そのような事が無い事でメニエール病では無
い事が分ります。
そして胸元に寒気が走り底知れない不安にかられ、座っているのがやっとの事でした。
唱えていたマントラも止まり、呆然としてしまいました。
気が付いてみると鳥肌がたち、寒気を感じ始めました。
突然の事に頼る術(すべ)は仏様しかなく、とっさに虚空蔵菩薩に ”自分が何か間
違った事をしたのか?” と尋ねました。
W寒気がしたので霊障ですか?” とも尋ねましたがどちらも違うとの答え。
理由は告げてもらえませんでした。
447名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/30(木) 16:07:36.07
(・ω・)
448名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/30(木) 17:16:24.51
(・ω・)らんぼう
(・◎・)のす田公平
(-3-)渡 海難

だんご三兄弟
449ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/30(木) 20:47:04.15
第十六章 ランボー寺の葬式と引導 T

始めよければ全てよしと言いますが、葬式についても、全くそのとおりで、葬式のときの
引導のよしあしが、その霊の成仏に直接つながる、とても大切なことなのです。
人が亡くなってからの大切なことを私がしている方法をお話しましょう。
先に浄土真宗の寺とは違いがありますことをお断りしておきます。
 
先ず臨終を向かえた時、最初にあげるお経が枕経です。
枕経をあげるとき大切な事が二つあります。
それは末期の水とこれから先の導き者を教えとりあえず迷いを諭してあげます。
具体的には次ぎのようにします。

枕元にテーブルを用意し次の物を供えます。
ローソク 線香 ご飯 梅干し一個 お茶(本人が、使っていた湯飲みがよい)
お水(セトの器、水を七分目いれ、中に大きめの樒の葉を一枚いれておく)
を小さなお盆にのせる ダンゴ(上新粉で作り三角に五段ピラミットのように三十五個積む)
花瓶に樒の葉一枝 不動明王の旗(あるとよい) おリン

般若理趣経を早口で一巻あげる(亡者は自分のおかれている状態が分からず、いらだって
いるので、早口で教えてあげるため)お経の始めに僧侶がお盆の水を印言で加持し、中の
樒の葉で水を汲むような気持で、亡者の口にそそぐように三回し、次ぎに親族の方々にして
もらう。
この方法は最高の末期の水のとりかたです。
450名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/30(木) 21:06:15.46
ランボーさんは弟子がいますか?
451ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/30(木) 21:55:07.00
>>450
> ランボーさんは弟子がいますか?


70人弟子にしましたが、10人程首切りました。
弟子になった人は、首にならない限り成仏させるために弘法大師の手法で保障しています。
弟子の中で阿闍梨は、3人、私のグループには私を入れて4人の阿闍梨が居ます。
首にした理由は弟子ならぬ言動で、ある試験で祈願の件は仏様に全て満足する状態に
していただいたのに、自分の努力の分野で怠けれおいて、仏様のせいにしたのです。
その外常識外の行動する者が居たので首切りました。
452名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/30(木) 23:13:46.53
>>451
師匠の指導力不足だよw
453名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/31(金) 00:55:11.84
天竺堂のネット通販の阿弥陀如来像はまだ売り切れ状態。
値段も手頃でかなり大きいしお顔も理想的な仏様そのもの。
金、銅、古色の三種類あるけど売り切れ中。
454ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/31(金) 05:42:51.21
今朝の一言   仏様は怠け者を救わない

浄土真宗は、なんやかんや屁理屈こいて、修行と云う努力をせずに、
阿弥陀様云うと居たら、往生できるなんてとんでもない教えはぶっ壊す。

弟子や檀信徒で、云われた事に反発する者や、根性の無い怠け者は
仏様に認められないので、気休めに私の寺に来ても無意味なので
そういう人は出入り禁止としている。
今年も、既に数人出入り禁止、怪しいのが一家族居る。

信仰は自らが求めるもの、それが出来ない者には指導も受けないし、
来寺も断る。

腐ったリンゴは、同じ箱に入れない。
全ての人間を救う事は出来る事ではないので、自ら信仰を求め、
努力するものしか相手にしない。

私の寺は檀家制度を取り入れてはいないので、寄付行為も檀家維持費も無い。
宗教法人設立の時、上記のような可笑しいのが居る事が考えられたので、
自分の資材以外を寺の運営に使うことを避けたので、檀信徒に無理強いされる
権利は無いのだ、私の独断運営で、それで良ければついてこい方式だ。
運営方針も、ブラックジャックと似ているのだ!


甘ったれるな 馬鹿野郎!
455ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/31(金) 05:44:56.53
浄土真宗成敗計画 
(新宗経典 観経に書いてある修行を真面目にするなら、このミッションは行われない。)

浄土真宗は、亡者を成仏させる事が出来ないのに、葬式、法事、月参りで
布施を頂き、中には”供物など要らぬ、仏壇に水も佛飯も要らぬ、お布施だけ有ればいい”
と暴言を吐く真宗僧侶が多々居り、葬式、法事、月参りは仏様との縁を持つ機会で供養はしない。

そのような真宗を、30年後のミッションとして潰す事を宣言する。
当方現在 71歳の密教阿闍梨である。

ミッション 1 門主の取り巻きが潰れて逝く、その工作員は門徒霊
ミッション 2 真宗末寺に怪奇現象が起きて広がる、その工作員も門徒霊
ミッション 3 門主が取り残されて孤立、どうなるか分らない。

私は、その時高見の見学



衆生を救う努力、修行をせずに、不成仏霊製造組織をまともにしないなら

浄土真宗をぶっ壊す!
456名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/31(金) 08:40:20.51
坊主は永平寺にでも修行にいってこい。
とはいっても甘ちゃん真宗僧には勤まらないか。
457ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/05/31(金) 17:09:21.60
第十六章 ランボー寺の葬式と引導 U

私の母方の祖母のとき、その子供達(私から見れば伯父伯母)がとまどっていたら、それら
の人の座っていた座布団を動かして催促した。
病院で死に水を取ってもらっていたが、それでは満足できないのです。
般若理趣経は世界で唯ひとつの人間のもつ悩み迷いの全てを諭してくれ、昔々天竺
(今のインド)から三蔵法師(西遊記の物語ではそう呼ばれている、玄奘三蔵のこと)
が今の中国に命をかけてシルクロードを通ってもってきたお経で、これ以外のお経で試した
が効果があまり良く無く、この般若理趣経以外、満足できるものはない。
その後、不動明王の真言を唱え、亡者を不動明王に託し、亡者には不動明王にお導きいた
だくよう、教えるのである。
たとえ宗派が異なっても、人間の生理思考は同じで、ご飯やお団子も、うちの宗派はいらぬ
と言う人がよくいますが、宗派にかかわらず、人はお腹はすくしストレスもたまる。
まして死に遭遇するときのストレスは、はかりしれないものがある。
このストレスを、和らげてやるのがお団子の役目で、この白生地に、生前言っておきたかっ
た事を、書き綴ることによってストレスは和らぐのである。
私達も悩んだ時、誰かに自分の話を聞いてもらうだけで、かなり心が穏やかになる、それと
おなじです。
お団子の三十五という数も仏様の数字です。
458名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/31(金) 17:35:29.32
藤本 晃「浄土真宗は仏教なのか?」

刺激的なタイトルの本が出ましたね。皆さんはもう読まれました?
著者は小池龍之介氏と同じく浄土真宗から独立した単立系のお寺の住職のようです
ただ独立後も真宗系の寺院ではありつづけるみたい

読んだ方いらっしゃったら感想などよろしく
459名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/31(金) 17:39:57.18
自分で読めや。どうせ自作自演で感想述べるんだろ。キチガイ!
460ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/05/31(金) 23:10:53.47
まあ浄土真宗の僧伽の破壊を目論む者は、五逆罪で絶対、極楽浄土いけないから〜www

まあ、ある意味、俺一人のサクリファイスですむなら大歓迎だし、もし

僧伽を破壊するようなことをしたら、僕自身の怨念はすさまじいものになるよ(警告)

僕自身の執念深さは異常だからねwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

まさか、霊魂は信じれて、怨念は信じれないわけないよね。はははwww

怖いだろ???  逃げろ逃げろwwwwwww
461名無しさん@京都板じゃないよ:2013/05/31(金) 23:58:49.52
>五逆罪で絶対、極楽浄土いけないから〜www

「唯信鈔文意」

「罪根深」というは、十悪五逆の悪人、謗法闡提の罪人、おおよそ善根すくなきもの、悪業おおきもの、
善心あさきもの、悪心ふかきもの、かようのあさましき、さまざまのつみふかきひとを、「深」という。ふかしということばなり。
すべて、よきひと、あしきひと、とうときひと、いやしきひとを、
無碍光仏の御ちかいには、きらわず、えらばれず、これをみちびきたまうをさきとし、むねとするなり。
462名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/01(土) 00:41:52.82
面白い聖教みつけた
発話障害者は往生できない?

念と声とはひとつこころなりとしるべしとなり。念をはなれたる声なし、声をはなれたる念なしとなり。
「唯信鈔文意」
463名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/01(土) 01:39:40.89
そういうことになるね
464名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/01(土) 02:01:25.65
>>462
そこだけ抜くな。
465ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/01(土) 05:54:15.51
今朝の一言  ノスタル坊やは潰されないと分からないみたい

>>460 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho New! 2013/05/31(金) 23:10:53.47
> 僕自身の怨念はすさまじいものになるよ(警告)
> 僕自身の執念深さは異常だからねw


その怨念は君自身に返ることが理解できないようだ。
君が考え得るより、はるかに私の法力は強いので、私は影響を受ける事はないのだが、
返った言霊は君の真相意識に蓄積されてゆく。
高野(真宗は全くの無知)では、このような高度な解説が出来る教師が居ないのが
問題なのだが、知らない、学ばないから現象は起きないか、と云うとそうではないのだ。
残念ながら、君に影響は出始めている、君が気がつかないだけ。
いずれ、同じ事を書き込めなくなるので、自分の心理状態や自己災難には
十分注意が必要なので、教えておこう。

書き込みが途絶えた時が、お気の毒様、ということだ。


渡海爺は、ここしばらくの間私への攻撃の書込みが無いので、反省中と云うことでロックオン
状態ではあるが、発射ボタンを押すのを様子見しよう、真宗僧侶ではないようだから。

ノスタル坊潰しは、不可逆性なので、反省しても遅いのだが、、、
466ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/01(土) 05:54:55.93
第六回及び第七回虚空蔵菩薩求聞持法修行体験と考察 U
脳の情報処理及び記憶について7

気が付いてみると、自分の周りに沢山の目があることに気が付きました。
その目はこの行に関係している仏様方の目線でした。
自分がどうなるのかただただ見守っているのです。
目眩と頭痛に悩ませられながら、自分のありようを観察しはじめました。
どうあがいてもお参りの途中でこのままリタイアするわけには参りません。残り半分の
お参りを終わらせてからの症状に対する手当てを考える事にしました。
頭痛、目眩、嘔吐、寒気のなか朦朧としながらもマントラをまた唱えはじめました。
すると、それに比例して額の中の圧力が高まり、頭痛や嘔吐も激しくなるのです。
これには参りました、強引にマントラを唱え続ければ脳内が破壊されるのではと考えた
からです。
しかしながら仏様からのリングへの戦闘中止のタオルの投げ込みはありません。
ん??? 大丈夫かな?何とかなるのかな? しかし過去に味わった事の無い強烈な苦
しみの中で活路を見出すのに必死でした。
何も出来ない状態で数分が経ち、苦しみが少し和らいで来るのを感じました。
しめた、何とかなりそうだ。時間さえかければこの難問から脱却できそうだ。
467ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/01(土) 08:46:29.09
> あなたにとって他宗の真宗の事はどうでも良いはずですが。。。


真宗の事はどうでもよくないのです。
キチンと引導供養がなされていない真宗寺院は不成仏霊のデパートと化しているからです。
多くの霊障は、何もしないで往生するという真宗独自の手法が仏教の真理に反する教義で、
悪霊製造メーカーでもあるのです。
真宗僧侶は、僧侶としての資質に欠け、仏と衆生の架け橋になっていない、門徒を言いくる
めて寺の米櫃を拡大するにしか努力をしていないからなのです。
私の寺に霊障でボロボロになって来寺される半数以上の方々の菩提寺が浄土真宗寺であり
先祖の引導供養(葬式、法事)をする事でよい方向に向かうことが通常の状態ですので、
明らかに供養が成されていない、浄土真宗の往生説は明らかに間違いで詐欺行為であり、
その真宗詐欺行為により霊障になった人たちが救いを求めてくるので、無関係ではない。


故に、霊界的悪の枢軸浄土真宗を討伐せねば不幸な霊障者が今後も発生する。


他宗の真宗の事はどうでも良いはずですが。。。 ではないのだ!
468渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/01(土) 12:42:01.79
>>465
>渡海爺は、ここしばらくの間私への攻撃の書込みが無いので、反省中と云うことでロックオン

 僕は貴方から爺よばわりされる覚えはない。攻撃のつもりもない。特に反省することもない。
ロックオン?でもない。
 たかが拝み屋ふぜいが、インターネットから偉そうに人々を脅迫し、所詮マジナイを飯の種に
しながら阿闍梨を名乗る偽阿闍梨、嘘つき阿闍梨の面の皮の厚さに不快感を覚えているだけだ。

 ここには真宗という看板が出ているから、気にはなるが、外道の拝み屋とかマジナイ師が仕切
る掲示板に僕は用がない。

 ただ、ランボーは僕に用があるようだ。何の用かと色々考えた。>>264で肉食について質問が
出ている。これに対する正解が欲しいんだろう。簡単なことだ。教えてやろう。

浄肉不浄肉の文
涅槃経言、人・蛇・象・馬・獅子・狗・猪・狐・?猴・驢(以上、十種不浄肉)又言、三種の浄
肉と。見 聞 疑。見といふは、我が目の前にて殺す肉を食するなり。聞といふは、我が料に取り
たるを食するをいふ。疑といふは、我が料かと疑ひながら肉食するを云うなり。この三つの肉食
を不浄といふ。この三つの様を離れたるを三種の浄き肉食と云ふなり。
(親鸞真筆 専修寺蔵 南本)

 解釈にもよるが、牛肉・豚肉は十種不浄肉に含めるべきだろう。十種不浄肉は、四つ足動物を
例示している。
 鳥や魚はどうか。四つ足動物でないから食べることは可能だ。しかし、条件がある。客人とし
て呼ばれて宴席が出され、その中に鳥や魚の肉が入っていれば、それは食してもよい。しかし、
自分から肉屋に買い求めたり、買いに行かせたりするのは、破戒行為であるということになるだ
ろう。

 マジナイ師、拝み屋ふぜいに対する禁止事項ではないから、ランボーは安心だ。本物の真言宗
の坊さんとか、阿闍梨さんはこの規制を受けるが、偽阿闍梨は関係ない。ランボーは関係ない。  (笑)
469渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/01(土) 12:48:10.61
>>468
> ?猴・驢

 ?はインターネットで表示されない外字のようです。「けものへんに爾」という字です。
  サルのことを指しています。
470渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/01(土) 13:06:36.77
若し仏子、自ら淫し、人を教えて淫せしむること、乃至、一切の女人を故らに淫することを得
ざれ。・・・これ菩薩の波羅夷罪なり。(第三重戒)

 若し仏子、故らに酒を飲まば、酒の過失を生ずること無量なり。もし自身、手づから酒器を過
して、人に与へて酒を飲ましめば、五百世に手なし。なんぞいはんや自ら飲むをや・・・(梵網
経 第二軽戒)

 ついでに言っておくが、セックスするな、酒を飲むなというのも、ランボーには関係ない。そうだよ
な。本物の真言宗の坊さんとか、阿闍梨さんはこの規制を受けるが、偽阿闍梨は関係ない。拝み
屋マジナイ師にどうこうという規制は、仏教にはない。

 まあ、分かっているから、ランボーは結婚もして酒も飲み、肉も食う。病気を治せと言うと、阿弥陀
様(地獄の底?)の方から使者が訪れるだろう、と泣き言を言う。そのくせ、自分は真言宗の修行を
していると、見え透いた嘘、口から出任せ、出来る限りのを大ボラを言う。人々を脅迫し、マジナイを
売りにし、詐欺師とほとんど変わらぬ紙一重の生計をしているわけだ。

 ランボーは死んだら地獄に真っ逆さまだ(笑)。
471名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/01(土) 17:19:32.13
>>464

「十念」というは、ただくちに十返をとなうべしとなり。
しかれば、選択本願には、「若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生者 不取正覚」(往生礼讃)ともうすは、
弥陀の本願は、とこえまでの衆生、みな往生すとしらせんとおぼして、十声とのたまえるなり。
念と声とは、ひとつこころなりとしるべしとなり。念をはなれたる声なし。声をはなれたる念なしとなり。
この文どものこころは、おもうほどはもうさず。よからんひとにたずぬべし。ふかきことは、これにてもおしはかりたまうべし。



もっと抜き出してみました

>「十念」というは、ただくちに十返をとなうべしとなり。

余計に発声必須になりましたとさ
472渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/01(土) 17:40:28.96
>>471
 我が所説の十二部経のごとし、あるいは随自意説、ある
いは随他意説、あるいは随自他意説なり。(真仏土巻)

 釈尊の教えは、十二部の経典に幅広く説かれている。
その中には互いに矛盾し合う説もある。ある経典は、聞き
手に縛られず、釈尊が思いのまま語る。別の経典は、聞
き手の心に合わせて語っているのもある。さらに、釈尊自
身と聞き手の両方を調和させながら語る経典もある。

 親鸞聖人の説法は、対機説法だ。発声必須とは、発話
障害者を聞き手に据えて語っている法だと思うか。そうで
はない。
 声の出せる人。声の出せる普通の健常者に向かって
語っている教えである。そう思え。

 親鸞聖人の心を忖度して往生の行を渡海難が申し上げる
発話障害者は声を出さないでもよい。座禅しながら出来るだ
け大きく深く、ゆっくり呼吸しながら心の中で念じればよい。

 座禅できない障害者は寝ながらでもよい。深く大きい
呼吸のできない障害者は出来る範囲内でゆっくり呼吸
すればよい。障害ある者はそれだけで極楽浄土に往生する。
473名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/01(土) 17:59:25.82
>>472
>その中には互いに矛盾し合う説もある

そりゃ別々の自称「如是我聞」が創作しまくったんだから矛盾するのも当然
それを対機説法とかいう苦しい言い訳で誤魔化すのはただの神学にすぎない
474ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/06/01(土) 18:30:37.68
>>ランボー法師

法力というのは、けっして波動のようなものではない!
自分というものから、心というものから法力は出る。
あなたには自分というものも、心というものもとっくに魔物どもに食われて
見えなくなっている。ただ菩提心?それは少しあるのは認めるが、しかし
あなたのやり方で人々が集まっても、何の意味もない。正義が見られない。
欲に目を奪われて、栄光を盾に人々を操っているだけ、操ろうとしているだけ、
操ってきただけである。そういうことやっていると外道だよ。

自分の中にある情熱の火を消そうとしたり、心に宿る、神聖な感情が害したりしていると
本当に生き地獄を味わうよ。死んでからも。

一応言うが、あなたに菩提心の欠片が見えたから助言したが、もし本当に
僕自身を可笑しくさせる気があるなら、僕自身は可笑しくなるだろう。
言葉ってのは現実化するからね。しかしね、僕自身の息の根をしとめても、
あなたの周りから、あなたの敵となる人物は絶対に消えない事を忠告します。

ああ混沌・・・。激怒している僕自身の事を理性のまなこで見ても、問答無用に
僕自身の法力は君の本来の心や自分というものに涙、懺悔、後悔、を促す・・・。
475渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/01(土) 18:33:49.33
>>473
 誤魔化しはない、矛盾はないなどと、偉そうに断言できるほど、
僕は仏典を読んでいない。誤魔化しはある。矛盾はあるかも知れ
ん。
 ただ、一切経を殆ど読んでいると思われる親鸞は憬興師を引
用していう。如来の広説に二あり。初めには広く如来浄土の因果、
すなわち所行・所成を説きたまえるなり。後には広く衆生往生の
因果、すなわち所摂・所益を顕したまえるなり。

 釈迦教えは、大きく分けて二つしかない。広く如来浄土の因果
を説くか、衆生往生の因果を説くかだ。まあ、その両方を説いて
あるのもあるだろ。

 経典間に矛盾があるって?。まあ、気にすることもないだろう。
476ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/01(土) 19:05:32.91
今夜の一言   実践を知らない真宗僧やお宅は、文字遊びに興じるしか能が無いようだ

やはり二人ともお灸をしなくてはいけないようだ。
それが種火となって全焼しようが、、、、、、、、、、。


ノスタルジア陣川公平くん、渡海難爺さんに告ぐ。
この様な現象が出ているなら注意した方がいい。

”心が不安定になり、寂しさ、底知れぬ寂しさが生じ安心の里に逃げ込みたい心境”

下記のように逃げても、君らは先祖霊にlock onされ逃げ切れないのだが。

ミッション、真綿締め

   怖い〜〜
      _, ,_       _, ,_
    (rうД)    ( ´д`)  ここは祟られてる、引越しだぁ
    | ̄ ̄∪|─□( O┬O  霊は居ないはずなのに???
〜〜  ̄◎ ̄  ◎-ヽJ┴◎

  ノスタルジア   渡海難
477ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/01(土) 19:06:09.53
第十六章 ランボー寺の葬式と引導 V

人は死後十三の仏様に導かれて極楽浄土に入るわけで、これは仏族の世界のしきたりだから、
宗派が異なってもこの仕組みは仏教では変わらない。
この仕組みを無視して、自分のやり易いように簡略化したら、その供養の効果は著しく損な
われる。
農業の知らない者が、勉強不足のため、冬にむかって種を蒔たり、大昔は農業をしても、
肥料を撒かなかったからといって、いまそのようにしたら、どう結果がでるでしょうか。
霊界の仕組み摂理も同じで、人類は小さな宗教・宗派に囚われることなく心を清らかにして、
霊界からの切実な叫びに耳を傾け、真理に裏付けされた行動をしなくてはならない。
これらの事が信じられなければ、自分の信頼できる霊能者を連れてきたなら、これらの引導
供養をしてもかまわない。
しっかりと霊視してもらって聞くとよい。
自分で確かめる努力もしないで、信じれないからと否定するのは、とても愚かなことです。
このような時私は、かのガリレオの「それでも地球は廻っている。」
と言う言葉が脳裏をかすめます。
478渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/01(土) 19:10:16.01
>>476
  −笑−

 真心を獲得すれば、横に五趣・八難の道を超え、必ず現生
に十種の益を獲。何者か十とする。一つには冥衆護持の益、
二つには至徳具足の益、三つには転悪成善の益、四つには
諸仏護念の益、五つには諸仏称讃の益、六つには心光常護
の益、七つには心多歓喜の益、八つには知恩報徳の益、九
つには常行大悲の益、十には正定聚に入る益なり。
479渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/01(土) 21:01:20.08
 拝み屋、マジナイ師というのは、恥知らずな商売だよな。

相手の心配の種を狙って脅迫・恫喝し、相手が震えあがってくれてナンボ

稼げるかという商売だ。

 相手が震えあがったところで、自分は神秘的な力があると、相手を騙し、

マジナイをかけて相手を安心させ、心を解いて金を取る。

 ランボーは、2チャンネルで、必死になって脅迫文を書いているわけだ(笑)。

2チャンネルは、真宗門徒の出入りするここは、格好の狩猟場たと思っている

ようだが、人間としては本当に恥ずかしい商売だな。

  −笑−
480ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/01(土) 21:09:30.40
幼稚なノス坊や、自分の書いた事説明できるの?

>>474 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho 2013/06/01(土) 18:30:37.68
> 法力というのは、けっして波動のようなものではない!
> 自分というものから、心というものから法力は出る。

ノス坊や、心と云うものから出るその法力って、どんなもの?

書いたんだから分かるよねえ、それとも寝言かなあ幼児だから。
481名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/01(土) 21:48:37.88
幼児にも見破られる詐欺師って一体w
482名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/01(土) 22:44:43.26
(^O^)ノス坊が激怒してる?
483名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/02(日) 00:15:44.67
>>451
ランボーさん、脳内弟子乙です!
484ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/02(日) 08:24:37.57
今朝の一言   深夜のAKB48選抜総選挙を観て

久々に深夜番組を観た、AKB48選抜総選挙だ。
二十歳そこそこの娘さん達が、如何にこの一年ファンの皆さんに満足度を与え
指示されているかを問われる選挙のようだ。
若者が、それぞれの考えで蹴落とされる不安を心に秘めて努力している姿を
みると、いかに巨大宗派の浄土真宗の教義、そして僧侶のあり様がお粗末なのか
しみじみと考えさせられた。

真宗教義が ”南無阿弥陀仏” を言う事で即往生する、葬式、法事、月参りは
仏様を知っていただく機会なのだという事すら門徒には曖昧にして、門徒の
亡者に対する心を利用して、亡者が成仏できるような行動は何もしていない
新興宗教の詐欺集団ではないのか。

即往生を説いていながら、境内墓地、室内納骨堂を大々的に作り、大金を
払わせて納骨させている。
真宗の教え、死んで直ぐ往生するなら、墓は要らないはず、往生に関係ない
のだから。
どこぞに散骨すればいいのではないのか?
しかし、そうはさせず真宗寺は納骨堂を門徒に勧め、足りなくなり増設している。
これが 真宗米櫃商法 でなくて、なんだと言うのか。

私は将来、詐欺集団の米櫃の中身を米糠に変えようと思う。
私の書込みは、見る角度によっては誹謗中傷であろう。

遠慮せず告発したらいい、しっかりと受けて立つ、客観的証拠を持って応じる!
485ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/02(日) 08:25:18.10
第六回及び第七回虚空蔵菩薩求聞持法修行体験と考察 U
脳の情報処理及び記憶について8

また少しマントラを唱えカウントを進めました。それに比例して苦しみもまた増大しました。
もう限界かと思われる所でマントラを唱えるのを止めて症状が和らぐのを待ちました。
くり返しそうしている内に次の災難が起きたのでした。
生きている以上トイレに行かなくてはならないことに気が付きました。
トイレに行くには大きなロスを生じます。
出来れば終わらせてからトイレに行きたい。
盾と鉾の戦いになりました。
それにしても想像を絶する疲労に激しくなる嘔吐や頭痛、この時ばかりは知り合いの
お医者様に往診して頂き、呼吸の苦しさもあって鉄分の入った点滴でもしてもらいた
いと、どんなに思ったか知れません。
この修行の時は成満するまで敷地を出ることを許させず、出ればリタイアとみなされ
るからです。
時間は刻々と経ちます。
少しでも多く進めなければと心は焦ります。
486ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/02(日) 08:25:52.10
第六回及び第七回虚空蔵菩薩求聞持法修行体験と考察 U
脳の情報処理及び記憶について9

9割を越えてきた時に、一気に進めてみようと考えました。
しかし注意深く仏様がタオルを投げ込まないかよく見ながら事を進めました。
なんとか主(正念誦)になるマントラを1万回唱え終え、関係神仏(散念誦)の
マントラに移りました。
今まで唱えるたびに苦しみが増大したのに、一向にその気配がありません。
やはり虚空蔵菩薩のマントラが原因なんだと確信を持ちました。
しかし、関係神仏の中のマントラにも虚空蔵菩薩のマントラが含まれています。
とうとう順番が来てしまいました。
そのマントラを唱えはじめたらまた頭痛と吐き気が増大しはじめました。
苦しみは増え、眼球の奥の神経や血管が束になっている所を奥に引っ張られるような
感覚や、鼓膜に深海に潜ったような圧力を感じ、短時間の間に、物語の白鯨の叔父さん
のように白髪(毛は剃って無いのだが)になったようにやつれてしまいました。
487ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/02(日) 08:26:54.86
>>483
> >>451
> ランボーさん、脳内弟子乙です!



おはよう!
488名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/02(日) 11:10:29.01
妄想ですから弟子をいくらでも増やせますね!
便利な宗教になりましたな!
489名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/02(日) 11:50:56.64
おっさん症状がひどいな
おだいじに
490渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/02(日) 13:11:36.57
>>484
>死んで直ぐ往生するなら、墓は要らないはず、往生に関係ないのだから。どこぞに散骨すればいいの
ではないのか?真宗米櫃商法 でなくて、なんだと言うのか。

 非常に重要なテーマなのでこの問題を考えよう。坊さん達は触れたがらないが、これをタブーにする
ことは許されるべきではないだろう。

善光寺の如来の 我らを哀れみましまして 難波の浦に来たります 御名をも知らぬ守屋にて
そのときほとおりけと申しける 疫癘あるいはこの故と 守屋が類は皆共に ほとおりけとぞ申しける
易く勧めんためにとて ほとけと守屋が申すゆえ 時の外道皆共に 如来をほとけと定めたり
この世の仏法の人は皆 守屋が言葉を下として ほとけと申すを頼みにて 僧ぞ法師は賎しめり
弓削の守屋の大連 邪見極まりなき故に 万のものを勧めんと やすくほとけと申しけり
                            (親鸞作 和讃)

 親鸞は、「ほとけ」という日本語の語源と、日本仏教の起源と、善光寺の起源について説明している。
親鸞と善光寺との関係を追ってみる。

 四十歳、 〜 其より善光寺に一七日御参籠のことあり。 〜 下向の時、善光寺に御参詣、南門の
ほとり堂照坊に日を経て御寄宿あり。毎日仏前に於て三経読誦したまう。   (親鸞聖人正統伝)
 下野国大内庄に一寺を建立したまう。 〜 信州善光寺分身の如来を感得し、斯寺に安置し給う。 
〜 高田専修寺是也。  (親鸞聖人正明伝)
 定禅問いていわく、「かの化僧たれ人ぞや。」くだんの僧いわく、「善光寺の本願御房これなり」と。
(口伝抄)

 親鸞は四十歳の時、善光寺に十七日間参籠している。さらに、別の機会にも善光寺に参詣し、南門近
くの堂照坊に泊まり、そこでは毎日仏前で(称名念仏ではなく)三部経を読誦した。
 高田専修寺は、善光寺分身の如来を安置している。  
 親鸞の肖像画を残すにあたり、絵描きが親鸞と対面したとき、実在の親鸞聖人は、夢の中で出会った
善光寺の本願御房にそっくりであると言った。
491渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/02(日) 13:15:54.16
 親鸞には肖像画がある。安城の御影という。
http://buddhism-orc.ryukoku.ac.jp/old/ja/exhibition_ja/20060612-20060804_001_002_025_ja.html
存覚はその材質について、御小袖ハ桑ノ巻染、御火桶ハ桑也、御敷皮ヲ被用狸皮、御草履ハ猫ノ皮、御
鹿杖ハ桑ノ木などと記す。旅姿の像である。

 善光寺の勧進僧は全国を歩いた。
 長野の善光寺は、治承三年(1179)大火によって全焼し、礎石を残すだけになったので、その復
興資金募集の活動の一つとして、寺僧がグループを組んで各地に出かけ、いろんな企画による募財活動
を行った。これが「善光寺聖」でそれを積極的に支援したのが鎌倉幕府の将軍源頼朝である。彼はこの
募財に協力すべきことを支配下の武士全体に命じている(吾妻鏡)。こうした鎌倉幕府の援護を背景に、
東国で最も精力的な宗教活動を行っていたのが善光寺勧進聖であった。親鸞はこれに便乗して関東へ入
ったものと考えられる。(親鸞 真宗教団連合 朝日新聞出版 刊)

 虎御前(KOTOBANK) http://kotobank.jp/word/%E8%99%8E%E5%BE%A1%E5%89%8D
 鎌倉初期に相模国大磯宿の遊女であったと伝えられる女性。 〜 曾我兄弟の死後,箱根で出家し廻
国に出て,熊野その他各地の霊場を巡って兄弟の菩提を弔い曾我の里に帰って一周忌を営み,のちに2
人の骨を首にかけ信濃の善光寺に納めたとされる。

 浄土真宗教団とは何か。親鸞は善光寺の勧進聖だったと考えるべきだろう。高田専修寺は、善光寺分身
の如来を安置した。善光寺の勧進聖として親鸞が携行していた阿弥陀如来像を粗末な建物にそのまま安
置し、そこを念仏道場とした。これは真宗寺院第一号の高田専修寺の原点であると考える。
 浄土真宗の教義は、勧進聖から発する。ここからその思想を俯瞰してみることが重要だろうと思う。
                                                         (続く)
492ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/02(日) 22:45:25.25
今夜の一言  何時もながら他人の語りや書き物を貼っている哀れな灘爺

>>490
> >>484
> >死んで直ぐ往生するなら、墓は要らないはず、往生に関係ないのだから。どこぞに散骨すればいいの
> ではないのか?真宗米櫃商法 でなくて、なんだと言うのか。
>
>  非常に重要なテーマなのでこの問題を考えよう。坊さん達は触れたがらないが、これをタブーにする
> ことは許されるべきではないだろう。


此処まではそれなりの書き込みなれど、以下本人の心は何処にあるやら?


渡海難は、実態の無い幽霊のようだ,、、、笑
493ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/02(日) 22:46:01.61
第十六章 ランボー寺の葬式と引導 W

御通夜についてお話ししましょう。
まず、お通夜の時には、亡くなられた方を呼び葬儀の開始を告げます。
次に仏様や亡者へのご挨拶をし、次にその葬儀の場所を、仏様の力の入った浄水を棒の先に
付け、静かに振って部屋全体を浄め、葬儀に相応しい場所にします。
次に仏様をたたえる、讃という唄をお唱えします。 
剃髪 亡くなった人の胸元に短剣が置いてあるのを、見たことがあると思いますがそれは、
剃髪するためのカミソリを意味します。
頭を剃って出家させるためです。
これは、亡者が導師の弟子として得度をします。
そのために剃髪がありますが真宗僧侶は仏様の弟子でも無いので門徒も弟子ではないのです。
亡者の名前を呼んで私(導師)の前に座らせます。
剃髪をすると言うと、亡者は頭を前方にだします。
そう言っただけで、今までに引導してあげた人は、皆頭を前に出した。
前屈みに頭をだしているのを確かめたなら、偈文を唱えながら三度で剃る。
懴悔 三帰 三竟  ここでは、今までの罪障を懴悔し仏様に帰依することを誓います。
五戒  次に戒律と戒名を授与しますが浄土真宗では仏様の弟子にはならないので戒名では
なく法名を使います。
戒律は仏様の国で生活をする時の法律です。
戒名は仏様の国の国籍を得るための登録名(国籍)で、法律を守る責任が生じます。
ここでは五つの戒律を与えます。
不殺生戒 不偸盗戒 不邪淫戒 不妄語戒 不飲酒戒 の五つです。
霊が人を殺せるということは、真宗では無知で理解できないでしょうが私の寺では皆さん
分かっています。
494ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/02(日) 23:48:37.48
深夜の一言  ノス坊や 渡海爺の超不規則な書込み?

ノス坊やは今日は書き込めなかったようだ。
渡海爺もよく間が開く。
今日の書込みも自分の言葉は無く、貼り紙細工の書込みだ。


この現象は、精神が極端に不安定になり、書き込んでいる途中でも
落ち込んで書き込め出来なくなるようだ。


真綿締めは何時とはなく効いてきて、ストレスが溜まりに溜まった時に
何も出来なくなる。
それを隠そうとすれば、もっと真綿締めが効いてくる。
今日の渡海爺の書込み、完結していない。
まるで、あり地獄のようだ。


AKBで寝不足なので、ぼちぼと、、、朝まで瞑想をするか。

お休みなさい。
495名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/02(日) 23:52:01.89
(^O^)とうとう爺と坊に!?
496名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/03(月) 00:30:27.81
>>ランボー法師

>>1
浄土真宗(真宗)系の全宗派の話題を包括して取り上げる総合スレの第67弾です。
「どうして浄土真宗では○○をしてはいけないの?」という素朴な疑問から批判・要望、
各宗派を取り巻く諸問題、教義・教説、堂宇・荘厳、全国各地の真宗寺院・念仏道場・
説教所に至るまで、ありとあらゆる話題を取り扱います。
阿弥陀如来から見ればみな罪悪生死の凡夫。楽しく語らいましょう。
浄土真宗各派の情報交換の場としてもご活用ください。

お願いや主旨、ルールや約束事といった他人の意見は基本的に徹底無視するようだな
ランボーの常識は世間の非常識。
497名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/03(月) 00:32:12.22
>>ランボー法師

自分で独自にレス立てるか、既存の活用しろ
一人で騒ぎまわるモンスター坊主め
498ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/03(月) 07:10:37.49
今朝の一言    百害あって一利なしの宗派を潰すまで


DRAKUI BALL Z 仏と米櫃寺

あらすじ: 日本の仏教界を払拭した引導供養の無い米櫃拡大を誇った新宗との壮絶な戦いが
始まった2013年から20数年後。眠りから目覚めた悪宗教破壊の神、ランボー法師神が現われる。
霊界を管轄する大日如来を主とする仏族の忠告に耳を傾けず営々と米櫃拡大を続けている巨大
宗教組新宗王国に対し、巨大宗教組新宗王国破壊に挑んだランボー法師神だったが、巨大宗教組
新宗王国の強大な経済力を守ろうとする新宗僧侶軍団に突破口を見出せず体制をランボー法師神
のみならず、法師神軍団を弟子と共に結成し、さらなる新宗王国破壊を進め、姿を消した門主の
暴走を止めるべく、法師神軍団が立ち上がる。
弟子のなからら既に霊界戦士の入団希望者が続々出ている。
499ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/03(月) 07:11:16.67
ランボー法師神軍団30年後のミッション

ミッション 1 門主の取り巻きが潰れて逝く、その工作員は門徒霊
ミッション 2 真宗末寺に怪奇現象が起きて広がる、その工作員も門徒霊
ミッション 3 門主が取り残されて孤立、どうなるか分らない。

具体的戦闘作戦

上記ミッションの順に、それぞれのターゲットの門徒霊にアプローチ、本当の成仏の姿を知らせる。
それを知った門徒霊に、布施したのだから関係住職に本当の往生、成仏をさせるよう執拗に催促させる。
当該住職やその周りには怪奇現象が多数起きて、新宗僧侶はノイローゼや挙動不振に陥り、自殺者
もでる事で、巨大宗教組新宗王国は高僧部から崩壊し、社会的に評判は地に落ち崩壊の道を転げ落ちる。
このミッションを行うには、ランボー法師が生きている状態では新宗門徒霊とのコンタクトが著しく
とりにくく、生きてる人間数人になら可能だが、霊的負荷も肉体が有るが故に膨大に掛かり、実行
は不可能となる。
霊能者など霊界を見ている者には理解できようが、此処の凡夫には ”30年間はかかるのか”
など無知な発言をする者達には理解が不可能であろうが、30年後には分る(であろうではない)。

不成仏霊のデパート化について不満があれば、名誉毀損かなにかで告発して下さい。
法廷の場で客観的に(君たちは霊感が無いので)証明しましょう。
500ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/03(月) 07:11:52.01
浄土新宗米櫃改造計画 

北海道における寺の歴史は百数十年であるのだが、宗派を超えてこれ程いい加減な経営は無い。
通常企業であれば、投資した資本と売り上げなどのバランスを考えての経営なのだが、寺は
どうも異なるようだ。
本州の霊視のある寺は、文化遺産としての価値観もあるのだろうが、、、、、拝観料には税金は?
話を戻そう、北海道の多くの寺の本堂には300人は収容できる広さがある。
真言宗の場合、土地を除く上ものにほぼ三億は掛かっている。
なん数回の大祭で使用する本堂、企業家の目から見たら到底バランスシートがとれるわけがない。
しかも檀家より寄付を募り月賦にて支払いさせている。
単純計算で三億を300軒の檀家で負担したなら均等割りで一軒100万円の負担となる。
それとは別に葬式用にと会館を作る、みな檀家の負担である。
檀家は、寺の維持費や事あることで貴信を求められる。
仏様は、そのような放漫経営で檀家の懐を苛める事に賛同はしていないように思う。
大日如来がご降臨された時
”そなたのところは安いのお”
と言われた、裏を返せば他は高いのお、と云うことになる。
無駄に施設に金をかけるということは、通常の会社ではすぐ倒産に繋がる、寄付制度が
無いから銀行に見放されたら最後なのだ。
現に 世界の、、、、といって先読みせず大型工場を建てるも、いまは撤退の憂き目に会って
いる家電メーカーもある。
寺とて放漫な経営をしてよいわけは無い、檀家に経済的負担をかけて苦しめるのが仏教
ではないと思う。

そこで提案  宗教法人にも事業税を掛ける!

今日本国の財政も困窮しており、年金すらママなら無い状態に有る。
寺にも合理的経営をしてもらい、国に経済貢献するも当然の振る舞いであろうと思う。

よって  浄土新宗米櫃改造計画  と名付く
501名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/03(月) 10:27:57.69
爺さんのフィクション性に限界が見えてきたな
>>498
>>499

・・・ただ一言・・・・・

聞き飽きた。目新しさや具体性もない。

・・・感想・・・・・・・

「今は何も出来ないが」の自己弁護に終始。
502名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/03(月) 12:23:39.34
真宗僧侶はランボーさんを知ることで
「自分たちより低俗な人がいる」と優越感に浸れます。
503ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/03(月) 12:47:52.23
お昼の呟き

>>501
> 爺さんのフィクション性に限界が見えてきたな
> 「今は何も出来ないが」の自己弁護に終始。


ブツブツ  ?
”限界が見えてきたな ”

よほどの、ど近眼か?



ノス坊と渡海爺が消えた事で、現世のミッションは進んでいるがw

残りは塵みたいな無意味な連中だけだ。
【御同朋】浄土真宗(真宗)総合サロン67【御同行】 は、占拠した!
504名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/03(月) 12:50:20.37
結局やってることは掲示板の荒らしってw
505ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/03(月) 13:01:14.03
チョット、チョット

地球が急激に汚染されている事を憂いた知的生命体がUFOに乗って訪れて、
色々意見した時、無知な地球人が言った。

>>504 名無しさん@京都板じゃないよ sage New! 2013/06/03(月) 12:50:20.37
> 結局やってることは地球の荒らしってw

抗いようの無い、無知、無経験、無修行の真宗族には、どうしようもない事態なのだ!
506名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/03(月) 15:24:55.36
>>493 讃という唄をお唱えします。

具体的にどのような唄ですか?
507渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/03(月) 15:35:28.20
>>492
此処まではそれなりの書き込みなれど、以下本人の心は何処にあるやら?

 拝み屋を特に相手にする必要はないが、まともな質問には回答しようと思う。

1 浄土真宗の教えとは、鎌倉時代の善光寺の一人の勧進僧の教えであるということ。
2 善光寺は弔いをする寺院であったということ。

 この二つを云っています。
 親鸞が鎌倉時代の善光寺僧であったというのは、無論、渡海難オリジナルの主張ではなく、
既に多くの人が主張しています。しかし、必ずしも通説とは思えない。通説であれば、立証の必
要はありませんが、通説でなければ、その根拠を挙げる必要があると考えますので、善光寺僧
であったという根拠を、僕なりに明示したものです。
 親鸞が善光寺の勧進僧であったなら、どうなるのか。勧進僧でなかったらどうなるのか。勧
進僧という概念を外した場合に比べ、勧進僧という概念を視点にすると、親鸞の主張は非常に
風通しがよくなり、透明になってくる。そう考えています。
 善光寺は弔いをする寺院であったということは、恐らく否定する人は少ないと思います。し
かし、親鸞・善光寺・弔いというキーワードをあてると、これまで見えなかった親鸞の思想に
光が当てられそうだと考えます。
508名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/03(月) 15:45:17.85
ランボーと真宗、っていうのが相性が凄くいいんだろうな
死ぬまでこのスレに住み着きそうだw
509名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/03(月) 16:20:01.68
(^O^)実は仲良し!
510ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/06/03(月) 16:32:15.92
>>ランボー法師

あなたの法力は弱いですねwwww

全然、効果が見られないんですけどwwww

残念賞wwwwwwwwwwwwwwwwww
511ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/03(月) 17:37:54.21
よかったねw

ノス坊と渡海爺は、まだ書き込めて良かったね。

畑耕しただけで、ノス坊には
”あなたの法力は弱いですねwwww ”
とは、幾ばくかの効果が出たのですね真綿締めの。
これから種をまき、追肥をしその効果はもっと大きくなるよね。

苦しさに耐えて此処に書込みしても、いずれ二人は消える運命、真綿締めで。
姿が消え、久しくなれば評価できる効果に達したという事。
だが、真綿締めは死ぬまで続くでしょう、、、、、、、、、、、、、、、、お気の毒にナムナム。
512ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/03(月) 17:38:51.70
第十六章 ランボー寺の葬式と引導 X

不邪淫戒については、こういうことがありました。
 
あるとき、若い奥様が尋ねてきて
「何か分かりませんが、私に付きまとっているようで気持ちがわるいのです。
お風呂に入っているときに、私のお尻をなぜるのです。」
と言うのです。
その霊を強制的に呼び出したところ、相談者の伯父のある宗派の僧侶で、三つのお寺の住職
をし、その宗派の公職をしていて、先頃亡くなった人でした。
その後もまつわり付いて困って来たので、お不動様の剣をかりて叩き切ったところ、悲鳴をあげ
「自分は今まで何をしていたんだ。自分がして来た修行の力は、こんなものだったのか!
こんな若僧にこうも簡単に負けるなんて。悔しいー!」
と言い残して、立ち去った。
仏様が
「この者は、道ならぬ恋をした。また、このような事をしたら封じてもよい。」
と言われました。それ以後、私の前には姿を表さなくなった。

余談ですが、不飲酒戒では全くお酒の飲めない奥さんが、お酒の飲みたい霊に憑依され、
コップに二杯のウイスキーを一気飲みさせられた。
体を心配したが、特に異常なく時間が過ぎると酔いも醒めたのには、驚きました。 
513名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/03(月) 18:05:48.76
まあ、あれだね、歴史研究なんてのは資料研究なわけだから
資料が残って無いと事実として認められんわな。
親鸞と弟子の関係が記されているように
勧進僧名簿が残っていれば確実なんだがな。

歴史を語る場合は文末に注意な、
「〜と資料に記されている。」
「〜との言い伝えである。」
「〜と推測される。」
514名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/03(月) 19:26:35.55
明らかな文献が無い場合は、石碑にも‘伝’と書くのがいい。

地元に親鸞の分骨堂がある。真宗王国の一県の富山県。
米一揆発祥の県で山や村に行けば南無阿弥陀仏の石碑だらけだ。
念仏が根強く残る土地は、それだけ業が深い土地でもあるように思える。
石川や福井は富山ほど浸透はしていないし熱心でも無い感じがする。
富山県の念仏信仰は、様々で密教や神道と習合し、独特の形体に発展してきた。
自然は豊かだが食以外は貧しく、働くしかない土地には阿弥陀信仰が根強いのではないか。
現世では労働と苦労だらけで、幸せというか、休める場所は来世になるからだ。
立山信仰も立山開闢の神は太刀尾天神という神だが、阿弥陀如来と合体した信仰に変化している。
515渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/03(月) 20:25:05.00
>>513
> 資料が残って無いと事実として認められんわな。

 同じ資料をどう評価するのかというところが、重要だな。
 資料があっても、そんなものないという人もいれば、
偽資料で強弁する人もいる。
 いろいろだ。

>勧進僧名簿が残っていれば確実なんだがな。

 信憑性の評価も大事だ。
 真仏の場合、後世の判断を狂わす偽資料、嘘資料をたくさ
ん作っているということもある。親鸞の高弟だから信用できる
と思ったらとんでもないことになる。

 資料は、「あるか」「ないか」というデジタル的
判断ができる。
 「推測される」という場合には、確からしさは何%か、
アナログ的判断が必要になる。

 何事も一筋縄ではない。  
516名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/03(月) 21:17:11.50
あることを主張する資料をもとに歴史が語られてきたある時、
その主張と真反対の主張を示す資料が出てきた時、
どういう態度を取ればよいのだろうか。

「新しい資料の方が認められたので今までのことは無かったことにw」
なんて無茶苦茶だよね。
517名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/03(月) 21:33:08.62
複数の資料をもとに「〜であろう。」という推測が
歴史上の現実と同じかどうかはわからんよ。
そんなこと言ったら大河ドラマの大半の1シーン・1シーンが
フィクションになっちゃうけどねw
518名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/03(月) 21:41:56.38
浄土は壮大なフィクション
いや仏教そのものがフィクション
釈迦が仏陀になったのもフィクション
519名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/03(月) 21:54:47.44
浄土経典と阿弥陀仏がフィクションだからって釈尊までフィクションにしないでね真宗教徒さん
520名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/03(月) 22:33:05.24
いまだにこんな奴がいたんだなw
  ↓
>>518>>519
521名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/03(月) 22:51:54.86
>>520
反論できないから草はやしてるんだよね?
522名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/03(月) 23:05:24.22
親鸞が勧進僧かどうかを問う史実と、
方便や比喩として説かれる経典の意図を問うことを、
同じ土俵で比べるなんておかしいと思わないのか
523名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/03(月) 23:08:51.17
朝から必死で粘着し、無職で無能なキチガイさんの人生が
フィクションだったら良かったのになw


























厳しい現実w
524名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/03(月) 23:25:03.72
誰と勘違いしてるんだか
525名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/03(月) 23:27:51.52
顔も知れない誰か(或いは何か)と闘っているんだろう。
526名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 00:41:35.59
>>523には何かが見えるんだろう、
他の人には見ることのできない何かが
527名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 00:42:23.53
宗教というのは思弁的なものであって歴史学的せんさくを必要としないものです。
528名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 00:56:41.30
中国に次々と経典が入ってきて翻訳されると同じ仏教なのに全然違っていることも
ある。そこで中国の学僧は教相判釈を考えた。さまざまな経典は仏説であることは
疑わなかった。その上でどれがどの教えが真髄であるかを考えたんだろ。ようするに
聞く者の程度に応じて段階がある。天台宗だと法華経、華厳宗は華厳経こそ釈迦の
教えの真髄だという見解に立って一宗派をたてた。
529名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 01:05:48.58
教団史を捏造・美化することを宗教活動だと思っている奴が多いよねw
530名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 01:08:00.45
近代になって大乗教典なんか釈迦没後、紀元前一世紀ぐらいになって世に出現した
ことは分かってきた。それじゃ何が釈迦の教えをそのままに説いているのかというと
阿含経典ということになった。ところがこの中にも歴史的発達段階があることが分かった。
そこで今度はその中でも古い部分を釈迦の金口とした。ところがそこに釈迦以前のインドの
思想や言葉遣い、などがあったりするものだから。
まるで、らっきょうの皮むき状態で、周りの皮の部分は後から説かれた教えだと言って剥いていっても
最後に何が残るのか厳密に確定することは難しいわけだよ。
531名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 01:21:44.15
そこでだったら逆の見方をしようと考えたわけだよ。そもそも仏教が伝来していく中で
地方やその土地の民間信仰などを否定せずに取り込みながらその土地の民族の文化と適応して
いったわけだろ。だったら釈迦の教えが伝わっていった長い歴史の中に仏教的な考え方が一本流れている。
どの経教の中にもある仏教的なものの考え方こそ、本来の仏教の教えだとかんがえたわけさ。
それは中という考え方と言ったのが宮本正尊さん、山口益さんは縁起と言った。
いつの時代の教えにも底流している、いつの時代の仏教にも貫いて流れている仏教的な者の考え方は中、空、縁起
とてうわけだよ。
532名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 01:24:33.29
アショーカ王の石碑(?)が発見されるつい100年ほど前までは
お釈迦様が実在したかどうかわからなかったらしいよ。
経典の中の存在だけだったみたい。
533名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 01:27:30.06
十に部教体系の成立はいつごろでしょうか?
534名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 01:28:36.15
>>531
しっかし、真宗の教えに縁起が説かれているのかね?
535名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 01:32:57.03
しかもこの中とか空とか縁起というのは法として釈迦が世に出ようが出まいが
定まっているというわけだろ。時間と空間を貫いている道理として存在している。
この如来世に出ずるも出でさるもというのは阿含経典に出てくる。すると仏よりも
法のほうが根本だな。法こそ仏を仏たらしめている根源だ。そこで仏教とはお釈迦様の
教えなんだけれど、一歩考えを進めて釈迦を仏たらしめている教えこそ仏教だな。
簡単に言えば縁起の法ということになるけどね。
536名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 01:36:26.53
>>531問題はそこだよ。まさしく。親鸞という人の教えにあるかどうか。
537名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 02:51:35.33
南無妙法蓮華経
538名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 04:49:25.56
法とは法則であり真理。
如来とはその証。
実現可能であると実証しなくてはならない。実証したところに仏陀の偉大さがあるわけだ。
仏陀が説かずとも因縁の考え方は知っていたろうが、この法則を利用して高度の人格に到達したと言うところが学ぶ点。
どう利用応用したのか、
到達した経験者に学ぶ、それが仏教ではないかい。
539名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 04:55:36.12
だから仏陀が説いた中には、実はこの高度の人格である如来に到達したのは自分だけではないことを明かしたものが多々あるわけだ。仏陀は如来。
それで数ある如来の中でもとりわけ阿弥陀如来を誉めている。
なぜ阿弥陀如来なのか。
阿シュク如来ではなく。
ここに釈迦と阿弥陀如来の深い関係を考える必要がある。
この両者にはまさに深い因縁があるようだと。
540名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 05:38:16.66
釈迦仏陀はどうやって仏陀になったのか。
そもそも仏陀になるメリットはなんだ。
モテる?聖お兄さんみたいな感じで。
ちなみにこのマンガ面白いぞ。
541名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 05:44:16.61
仏陀になれば間違いなくモテるね
542名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 06:36:28.57
体が光って電気がいらない
543名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 06:48:18.70
(^O^)頭がオダブツ!
544ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/04(火) 08:03:16.71
今朝は元気に迎えられましたか?

昨日はノス坊と渡海爺は、まだ書き込めて良かったね。

今日はどうかな?

明日はどうかな?






畑耕しただけで、ノス坊には
”あなたの法力は弱いですねwwww ”
とは、幾ばくかの効果が出たのですね真綿締めの。
これから種をまき、追肥をしその効果はもっと大きくなるよね。

苦しさに耐えて此処に書込みしても、いずれ二人は消える運命、真綿締めで。
姿が消え、久しくなれば評価できる効果に達したという事。
だが、真綿締めは死ぬまで続くでしょう、、、、、、、、、、、、、、、、お気の毒にナムナム。
545ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/04(火) 08:03:52.89
第六回及び第七回虚空蔵菩薩求聞持法修行体験と考察 U
脳の情報処理及び記憶について10

虚空蔵菩薩の真言 ノウボウ アキャシャギャラバヤ オンアリ キャマリボリ ソワカ
このマントラがなせる業と確信を持ったのでした。
このマントラは、先の ノウボウ アキャシャギャラバヤ の部分は学者が解読するも、
後半の オンアリ キャマリボリ ソワカ は当時の方言等の説が有るものの、意味は
不明なのです。
ノウボウ アキャシャギャラバヤ の発音により脳内ステージが培われ、後半の 
オンアリ キャマリボリ ソワカ で発音の刺激により脳内改造をしているのではないか、
と考えるに至りました。

やがてその座のお参りも終わり頭痛や吐き気、目眩を残したまま致命的な後遺症
(感覚上で)も残さずに終了しました。
就寝の時間がきたので寝床に入りましたが、額に圧力を感じ眠る事ができません。
また、過去の求聞持法修業の時にも感じた事ですが、魑魅魍魎(ちみもうりょう)に
悩まされて底知れぬ寂しさに襲われて眠るどころではありません。
何時ものように除霊したものの、5分と経たないうちにまた不安感が襲ってきます。
どうしても居たたまれなくなって参篭堂(求聞持堂の横)を抜け出し、離れた部屋で
休むことにしました。
しかし、額の圧力から開放されたものの、魑魅魍魎の影響は避けることが出来ませんでした。
546渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/04(火) 11:26:47.27
 善光寺は弔い寺院だった。弔いが唯一の目的だったとは思わないが、少なくとも鎌倉幕府の庇
護を受けたということは、弔いは重要な柱だったと思う。源平の合戦で多くの兵士が死んだ。源
氏が平氏に勝利し、全国の武士団を統合してからも、源氏内部では凄惨な殺し合いが続いていた。
善光寺は日本最古の寺院の一つであり、木曽は源氏の中心地の一つだった。
 鎌倉時代の弔いとはどんなものか。現代の我々が考えるような弔い方法とは全く違うようだ。
現代で云えば、むしろ直葬そのものであるとも思える。親鸞の最後を見てみる。 

 聖人弘長二歳 壬戌 仲冬下旬の候より、いささか不例の気まします。自爾以来、口に世事を
まじえず、ただ仏恩の深きことを述ぶ。声に余言を表さず、専ら称名断ゆることなし。しこうし
て同第八日午時、頭北面西右脇に臥し給いて、ついに念仏の息たえましましおわりぬ。時に、頽
齢九旬に満ちたまう。 〜 洛陽東山の西の麓、鳥部野の南の辺、延仁寺に葬したてまつる。遺
骨を拾いて、同山の麓、鳥部野の北、大谷にこれを納め奉りおわりぬ。しかるに、終焉にあう門
弟、勧化をうけし老若、おのおの在住のいにしえをおもい、滅後のいまを悲みて、恋慕涕泣せず
ということなし。      (御伝抄)

 あっけないほど簡単だ。九十歳の時のある日、寝ていたら念仏の息がしなくなった。京都東山
の西の麓、延仁寺で葬儀を行い、遺骨を拾って大谷に納めた。門弟達は大いに泣いた。
 正明伝によれば、そのころ親鸞は、弟の尋有僧都の坊舎に住んでいた。たまたま顕智が上京し
ていたようで、死ぬ直前には盛んに念仏を称えていたという。火葬には三日かかったようだ。数
人の弟子達が骨を拾ったという。

 御棺は印信と専信とこれをかつぐ。顕智以下の弟子は五条袈裟を著し、草鞋にて御棺の前後に
従う。尋有僧都も送り申されけり。 〜 鳥部野の南、延仁寺と云う所に送りて火葬し奉る。三
日に至りて、顕智、専信、印尋、尋有、そのほか給仕の門人等葬所にまいり、遺骨を拾うに、二
骨二十粒に余れり。(正明伝)
547渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/04(火) 11:35:06.96
 葬儀の時、読経はなかったんだろうか?。焼香は無かったんだろうか?。念仏は称えなかった
のか?。声明の合唱は無かったのか?。もしやっていれば、書いてあるだろう。参加者全員で三
部経を読経し、焼香を行い、声明の合唱したと書くだろう。それが書いてないということは、し
なかったということだと推定する。実際、歎異抄には、父母の孝養のための念仏は称えないと書
いてある。しかも、親鸞の娘で、親鸞の墓守を引き受けることになる在京の覚信は、女だから葬
儀に参列できなかったことが正統伝に書いてある。
 僕は、これで葬儀?とびっくりする。葬儀はこれでいいんだろうか?。親鸞の霊魂は迷ったり
しないんだろうか?。これで成仏するんだろうか?。成仏しないでいいんだろうか?区役所への
死亡通知も、火葬許可書も不要な時代、葬儀を主要な仕事としていた勧進僧の、恐らくこれが一
般的な弔い方法ではなかったかと思う。
 空海が死んだときも、最澄が死んだとき、読経もなく、焼香もなかったろう。源頼朝について
は、葬儀の記録さえない。葬儀を行わなかった可能性もある。徳川秀忠将軍の葬儀は増上寺でひ
っそり行われ、そのとき僧侶の参列は無かったそうだ。これでは成仏しないとか、祟りがあると
か、浮かばれないとか、そんな脅迫観念に日本人が襲われるようになったのは、日本人が豊かに
なった江戸時代後期、特に明治以降の話ではないのか。

 親鸞は、生前、死んだらその死骸を賀茂河の魚に食わせろと云っていたという(改邪抄)。僕
はここに当時の日本の習俗と非常に意味深い哲学性を感じるんだか、その問題に触れる前、古代
日本人の死生観について考えてみたい。古代日本人の死生観は、我々の死生観と驚く程相違する。
そこには、死に向かってびくともしない驚く程の力強さがある。また、我々の無意識の根源が実
は古代日本人の深い智慧に基づいていたことに驚く。古事記・日本書紀に当たってみる。
548名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 11:50:05.51
書物に述べられていないことは想像にお任せします。

じゃあ、こんなのはどうかな?
親鸞が、北陸〜越後〜関東〜京都を行脚する間、
追剥山賊盗賊に襲われ、自分の身を守るために
相手を叩きのめし殺したとか、そういうこともあり得るよね。

今みたいに平和な世の中じゃなかったんだから。
人一人ぐらいは殺しても不思議はないよ。
549名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 11:57:52.72
死者の御魂が安らぐにはどうしたらよいのか。
これは葬式云々よりもやはり死に際にどんな心でいたのかが重要だと思うね。
朝起きて夕方夜に寝る。
毎日、生まれて死ぬの繰り返しで、いわば死ぬ訓練を日々行っているみたいなものだ。
1日をどう収めるのかという課題みたいなものだ。
550名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 12:07:43.63
「親鸞聖人は人格者である!」とか妄想だろw
551名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 12:47:04.04
聖人、社交性はないだろうね。
552渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/04(火) 12:50:23.93
 すこし足しておきます。

>>547
 『三部経』を千部読みて、衆生利益のためにとて、読み始めてありしを、これは何事ぞ、自
信教人信、難中転更難とて、身ずから信じ、人を教えて信ぜしむる事、真の仏恩を報い奉るも
のと信じながら、名号の他には、何事の不足にて、必ず経を読まんとするや、思い返して、読
まざり

 人々を救うため、敢えて三部経を千回読もうと思って、始めたが、はたと思い返した。これ
はどういうことだ。自信教人信、難中転更難と言って、自分もそう信じ、人にもそう教えてき
た。仏の恩に真剣に報いることこそが称名念仏であり、名号の他に何を不足と思って三部経を
千回も読もうとするのだろうか。そう思い直して読まなかった。

 恵信尼の手紙にこのように書いてある。親鸞の葬儀では一行の読経も焼香も無かったと考え
るのが自然だろう。
 最澄・空海の葬儀では盛大な読経が声明の合唱が行われたという記録があるなら、紹介して
欲しい。そんなものはないだろう。

 誰も死んだ後の霊魂など心配していない。
553渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/04(火) 13:05:38.86
>>550
「親鸞聖人は人格者である!」とか妄想だろw

南无の字は、聖人の御流儀に限りて、あそばしけり。南無阿弥陀仏を泥にてうつさせられて、
御座敷にかけさせられて、仰せられけるは、不可思議光仏・無碍光仏も、この南無阿弥陀仏をほ
めたもう徳号なり。しかれば、南無阿弥陀仏を本とすべしと、仰せ候なり(聞き書き)

 仏の名前は阿弥陀仏である。それなのにどうして金泥で「南無阿弥陀仏」と書いてお座敷に本
尊として飾るのでしょうか。蓮如上人は言った。不可思議光仏・無碍光仏も、この南無阿弥陀仏
をほめたもう徳号なり。不可思議光仏・無碍光仏も、南無阿弥陀仏は尊いぞと教えてくださって
いる徳号である。お釈迦様はなぜ尊いのか。南無阿弥陀仏は尊いぞと教えてくださったから尊い
のだ。善導大師はなぜ尊いのか。南無阿弥陀仏は尊いぞと教えてくださったから尊いのだ。法然
上人はなぜ尊いのか。南無阿弥陀仏は尊いぞと教えてくださったから尊いのだ。親鸞聖人はなぜ
尊いのか。南無阿弥陀仏は尊いぞと教えてくださったから尊いのだ。親鸞聖人はなぜ人格者なの
か。南無阿弥陀仏は尊いぞと教えてくださったから人格者なのだ。だからこそ、南無阿弥陀仏を
本尊とすると、そのように仰った。
554渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/04(火) 14:07:31.01
>>548
 知らんのか? 教えてやろう。

 四十九歳秋のころ、聖人常陸国国府柿岡等を御勧化ありて、常に板敷山と云う所をゆきかよい給
う。ここに、同国上宮村に修験者あり、名は播磨公弁円と云うものなり。日来、聖人の教化を妬み、
害心を挿みて、彼板敷山に忍びゆき、時々聖人を伺い奉るに、度々に及んで事を遂げずなんぬ。倩、
そを按ずるに、尤も奇異の思あり。去来、聖人に謁せんと思い、稲田の禅坊に参りて案内す。聖人、
離衣索服にて、左右なく出逢い給いぬ。即ち尊顔に向うに、忽ちに帰依渇仰の心起こりて害心速や
かに消え失せぬ。仍て庭上にひれ伏して、件の事を語るに、聖人些かも驚ける色なし。誠に今日は
能き弟子を得ることあらんと思いつるに、果して御房こそ来られけるよと宣えり。弁円思えらく、
且つ生身の如来なりと立地に、弓矢を折り、刀杖を捨て、斗巾赤衣を脱ぎ、改悔涕泣して、御弟子
となれり。弁円請て申さく、只今の名は邪見造悪の身の名なれば、それさえいぶせく思い侍るなり。
新に入仏道の師名を蒙るべしと。聖人、其ふかき志を応じたまい、明法房証信と授けらる。楢原に
住せり。聖人に先だちて往生を遂げぬ。已上『本伝』  (正統伝)

 古文だけど、口語訳するのは面倒なので自分で考えてくれ。
 どこまでは史実で、どこが尾ひれか知らんが、何かあったことは本当だろう。想像してくれ。
555名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 14:18:53.64
死後に自分はどうなるのか?という心配の思いそのものが成仏の妨げになるわけだ。
お墓をどうする、遺産はどう、子孫は?等の思いがいらない。
親鸞は自分の死後、どうなるのかなど考えなかった、考える暇がなかったのだろうな。
それと悩み苦しみ葛藤もあったにはあったが、阿弥陀仏のみを見つめて生きた人生に誇りと自信があったように思える。
だからこれが安楽国に行く姿ではなかろうか。
556渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/04(火) 14:29:24.52
>>530
>それじゃ何が釈迦の教えをそのままに説いているのか

 諸惡を作すことなし。諸善を奉行すべし。自からその意
を淨くする。これ諸佛のヘなりと  (大般涅槃経要門)

>いつの時代の仏教にも貫いて流れている仏教的な者の考え方は中、空、縁起と
てうわけだよ。

 うん。

>>531
>しっかし、真宗の教えに縁起が説かれているのかね?

 もしまたこのたび疑網に覆蔽*150せられなば、かえってまた曠劫を径歴せん。誠な
るかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。(序)

また「因果」と名づく、また「煩悩」と名づく、また「解脱」と名づく、また「十二因縁」と名づ
く、また「声聞・辟支仏」と名づく、仏をまた「地獄・餓鬼・畜生・人・天」と名づく、また「過
去・現在・未来」と名づく、これを「一義に無量の名を説く」と名づく。(真仏土)

自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねにしずみ、つねに流転して、
出離の縁あることなき身としれ(歎異抄)

>>536
>そこだよ。まさしく。親鸞という人の教えにあるかどうか。

 何か不足しているか?
557名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 15:33:42.88
因縁果報の考え方は仏教を知らずとも、あったわけだから、経に書いてあるなしなどの議論は議論好きな人以外はあまり関係ない。
因果は当たり前。
そうした中で因果だから仕方ないじゃない生き方をしたいわけだ。
それが観無量寿経にしっかり説かれている。
有難いことじゃないか。
仏説、釈迦が説いたのだよ。
しかも多くの経のように他者に請われて説いたのではなく自ら説きたくて説いたお経。
もしも釈迦が阿弥陀仏のことを説かずに世を去っていたなら、それでも仏教は残ったろうが、
大乗の理想は果たせなかっただろう。
阿弥陀仏がいらっしゃるから各々が安心して好きなやり方でやってられるのではないか。
如来は船であり海のようなものだと思うね。
人生という小舟を堂々と渡らせるには海を信じなくては。
その信を持てる身はなんと有難い身の上か、

南无阿弥陀佛
558渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/04(火) 15:39:18.07
 死んだ人の霊魂が生きている人に不幸をもたらす。死んだ人間が成仏できないで苦しんでいる。
だれもそんなこと心配してないのに、突然、どこからともなく阿闍梨を名乗る僧が登場する。

 酒も飲み、肉も食い、女を抱き、お釈迦様からも大日如来からも嫌われ、仏教教団から叩き出さ
れた偽阿闍梨だ。

 貴方の先祖が成仏できないで苦しんでいますよ。先祖の霊が祟りますよ。私に任せない。私の法力
で先祖の苦しみを解いてあげます。こう言うって、法外な金銭を要求する。

 こんな詐欺師に騙されるのは、騙す奴より、騙される奴の方が悪い。そうだよなランボー。お前、
おっかしくって可笑しくて、たまらんだろう。  ランボー −笑−
559渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/04(火) 15:44:24.61
>>557
>経に書いてあるなしなどの議論は議論好きな人以外はあまり関係ない。
> 因果は当たり前。

弘経の大士・宗師等、 無辺の極濁悪を拯済したまう。
道俗時衆、共に同心に、 ただこの高僧の説を信ずべし、

 まあ、我流の浅知恵で固まらず、高僧と言われる人の
説に一度、謙虚に耳を傾けてみるのもいいんではないか?

 きっと、聞いたことも無いびっくりするようなことを言っているぞ
560名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 15:48:15.68
やっぱ、アビダルマ論師だよな!
中国や日本の人間ではあんな高度な分析なんかできないよな。
印哲が無けりゃ仏教なんて存在しえないね。
561渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/04(火) 16:34:13.43
 豆知識

 将軍の葬儀で、焼香と読経と声明をしたのは、四代将軍からだそうだ。
1680年だ。

 大名の葬式でそうしたものが行われ出したのはその後であり、庶民の
葬式で読経、焼香、声明の合唱を行うようになったのは、幕末か、明治
からだろう。覚えておこう。



 

 

 
562名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 16:37:43.09
高野山真言宗スレでやればいいのにw
563名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 17:12:18.00
後白河法皇も法事を始めたよね?
564名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 17:14:15.95
あ、すまぬ、葬儀じゃなくて法事だったw
565名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 17:37:50.69
刺青奥様ブログ!

http://blog.livedoor.jp/akajuban-ebisu/
566ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/06/04(火) 18:19:40.99
ランボー法師は、初心者。

なぜなら、仏法を自分自身の力として使っているからである。
そのような態度行動の成れの果てが、霊界なのである。
僕自身はそこにランボー法師の葛藤を見る。ランボー法師は高嶺の花を
とりたいのだろうがとれないだろう。高嶺の花とは仏法のこと。
仏法とはそんな難しいものではなくて、南無阿弥陀仏の六字につきる。

仏法を正しく受け取ることさえ未だ70代になっても出来ない、
ランボー法師は阿弥陀仏も困った困った困ったなと言っているだろう。
お疲れ様、一足先に霊界に行ってください。僕自身はそんなところには
いかないが・・・。

模倣ならだれでも出来る。じぶんの意志を曲げることならだれでも出来る。
だから将棋でいうならもう、つみ将棋なんだよ。何の意味もない。
分からないなら分からないと素直に言おうねwww
567ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/04(火) 21:30:05.98
元気でしたか?

今日はノス坊と渡海爺は、まだ書き込めて良かったね。



明日はどうかな?

明後日はどうかな?





畑耕しただけで、ノス坊には
”あなたの法力は弱いですねwwww ”
とは、幾ばくかの効果が出たのですね真綿締めの。
これから種をまき、追肥をしその効果はもっと大きくなるよね。

苦しさに耐えて此処に書込みしても、いずれ二人は消える運命、真綿締めで。
姿が消え、久しくなれば評価できる効果に達したという事。
だが、真綿締めは死ぬまで続くでしょう、、、、、、、、、、、、、、、、お気の毒にナムナム。
568ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/04(火) 21:31:17.72
第十六章 ランボー寺の葬式と引導 Y

戒名を授く  ここで戒名を授けます。
戒名にまつわる話をしましょう。
長い間苦しんでいた昔の霊を成仏させるため、戒名を付け、お霊供膳やお菓子などもお供え
して供養しました。
供養が始まるとその霊は、ご飯茶碗をわし掴みし箸を握り(箸を持つたのではなく、握った
のです)口にご飯をかきいれました。
まさに一気食いです。
供養がおわって霊界に送るためにハスの葉(印言で念じてだす)をだして乗せたところその
霊が
「この文字(戒名のこと)もらって持っていっていいのか?御馳走も全部食べてないので、
もらっていっていいのか?」
と言うのです。
「それは貴方にあげたのだから、みなお持ちなさい。」
と言うと、喜んで手にお霊供膳を持ち背に戒名を背負って、上に昇っていきました。
皆さんもこの光景を見ることができたら、戒名は必要ないと言う人はいないでしょう。
またあの食べ方を見て、お供物をさげたとき、もったいないから食べようという気持には
ならないと思います。
霊がお供物を食べるということは、その食べ物の気を食べることですから、その残ったもの
は気の抜けた食べ物で、それを食べると食べた人の気が減ってゆきます。
気が減りすぎると病気になり気が充満すると元気になります。
さげた物はポリ袋に入れ塩を一つまみいれて、生ゴミとして処分します。
もし食べたら、霊の食べ物を略奪したことになります。
569名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 21:46:13.83
皆さん、冷静で賢い。スレの約束事無視で長期に渡って
荒らしている者を構わないように心掛けている点で。

>>567
明日はどうかな?明後日はどうかな?
「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」
自分なら明日も明後日もあるぜ・・と言う保証などないのにね。
570名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 22:18:06.82
渡海難のように漢文を読み、小賢しい理屈で賢いつもりでいても
阿弥陀仏お一方にすら会えないのでは知識の使い途、置き所に難渋するだけだな。
571名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 22:23:07.29
南無阿弥陀仏と唱えていても実際には成仏できていない霊魂がいるのは事実だな。
572ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/04(火) 22:25:10.29
>>569
> 皆さん、冷静で賢い。スレの約束事無視で長期に渡って
> 荒らしている者を構わないように心掛けている点で。


無知で相手が出来ないだけですねw

>>569 さん、無知な人に、相手になりなさいと云うのは酷ですよ。
ノス坊のように、世間知らずのガキが、戯言を書くのは恥ずかしいですからね。
573名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 22:44:12.70
親鸞は菩薩道を否定している。つまり阿弥陀仏が法蔵菩薩から如来になったということを否定しているのだ。
それでいて本願すなわち法蔵菩薩の誓願において救われているという。
574名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 22:57:51.07
(^O^)親鸞は頭がオシャカ!?
575名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 22:57:58.78
>>573
 ツー

法蔵菩薩の因位の時、 世自在王仏の所にましまして、
諸仏の浄土の因、 国土人天の善悪を覩見して、
無上殊勝の願を建立し、 希有の大弘誓を超発せり。
五劫、これを思惟して摂受す。 重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
正信念仏偈 親鸞 作

かくのごとく法蔵菩薩ちかいたまえる〜この一如宝海よりかたちをあらわして、法蔵
菩薩となのりたまいて、無碍のちかいをおこしたまうをたねとして、阿弥陀仏と、なり
たまう(一念多念文意)     親鸞著
576名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 23:32:02.76
真宗は大行とは無碍光如来の御名を称えるなり・・・とあるけど
それだったら口のきけない人は救われないということになる。
その辺はどうなんだ。
577名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 23:35:35.62
>>576

>>462,471
578名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 23:41:36.60
>>576>>577

 つー
 >>472
579名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 23:43:08.89
>>578
自分がそう思うからという主観的意見はNG
聖教のソースを示してね渡海さん
580名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 23:48:47.52
>>579
 広く三経の光沢を蒙りて、特に一心の華文を開く。しばらく疑
問を至してついに明証を出だす。
581名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/04(火) 23:53:54.12
>>580
都合が悪くなったら呆けてみせるいつもの三文芝居だね
582名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/05(水) 00:01:05.48
>>581
誠に仏恩の深重なるを念じて、人倫の哢言を恥じず。浄邦を欣う
徒衆、穢域を厭う庶類、取捨を加うといえども、疑謗を生ずること
なかれ、と。
583名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/05(水) 00:59:13.88
だめだこりゃ
584名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/05(水) 01:03:38.02
屁〜理屈。所詮自分の主張を通したいが合わない部分は屁理屈で誤魔化しているに過ぎない。
素直じゃないねえ。
585名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/05(水) 01:23:49.63
称名正因じゃなくて信心正因
586渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/05(水) 02:08:57.90
>>584
 ベートーベンは万人に愛される音楽を創ろうと思ったた。そして、万人に愛される音楽を完
成した。ベートーベンの音楽を聞いた人は、等しくその音楽に感動し、ベートーベンの世界に引
き込まれていく。ベートーベンの音楽の世界に入っていくには、ベートーベンの音楽を聞くとい
うことが非常に重要だ。ベートーベンは言いました。どうか必ず私の音楽を聞いてくれ。私の
音楽を聞かない人は、私の音楽の世界に入ることはできない。

 耳に障害があり、耳の聞こえない人がいます。耳の聞こえない人にはベートーベンの音楽は伝
わらないのか。ベートーベンの音楽が万人に愛されるということは嘘なんだろうか。
 その通りである。ベートーベン自身が「私の音楽を聞かない人は、私の音楽の世界に入ること
はできない」と言っているだから、ベートーベンの音楽の世界に入ることはできない。ベートーベン
は万人に愛される音楽を創ったというのは真っ赤な嘘である。そう言っていもいい。

 しかし、ベートーベンの音楽を聞き、感動している人のグループの中に参加すればどうだろう
か。ベートーベンの音楽を直接聞けなくても、感動している人々と友達になり、そのグループの
中で、心と心とを通じ合わせることはできないだろうか。

 その通りである。ベートーベンの音楽を聞き、感動している人のグループの中に参加しても、
耳の聞こえない人が心を通じ合わせることなどできるわけがないのである。ベートーベン
は失敗者である。

 僕はそうではないと思う。耳の聞こえない人も心を通じ合わせ、ベートーベンの感動を共感的
に享受することはできると思う。

 念仏を声を出して称えられないなら、発話障害者は声を出さないでもよい。座禅しながら出来
るだけ大きく深く、ゆっくり呼吸しながら心の中で念じればよい。座禅できない障害者は寝なが
らでもよい。深く大きい呼吸のできない障害者は出来る範囲内でゆっくり呼吸すればよい。障害
ある者はそれだけで、念仏を称える人々の仲間に加わる。極楽浄土に往生する。僕はそう信じる。
587ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/05(水) 05:56:57.93
今朝の一言  念仏を称えることで極楽浄土に往生できるか?

答えは 否 だ!

世の中、そんなに簡単なものではない。
念仏を考えてみよう。
念仏とは 礼拝時に「南無阿弥陀仏」と称えることを云う。
南無阿弥陀仏は仏に対して、帰敬、礼拝、讃嘆、憶念などの意。

仏様は、何度も 南無阿弥陀仏と言われても????????、、、、なのだ!

例えば行政に於いての願いの陳情で
”偉大なる日本国の総理大臣に経緯を評します”
此れを繰り返すだけでは、総理は?????????????、、、、なのだ!

”あんた、何言いたいの?”


題目宗の日蓮宗では
礼拝時に「南無妙法蓮華経」と称える。

これって
”南無広辞苑”
て言ってるのに似ているが、、、、、、

それで救われたり、書き物である経のご利益があると思うのは、
墜落したロケットに手を合わせる さるの惑星 みたいだな。

少し引いて見れば分かる事なのだが、その中で溺れていては正しい判断が出来ないようだ。
588ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/05(水) 05:57:55.14
第六回及び第七回虚空蔵菩薩求聞持法修行体験と考察 U
脳の情報処理及び記憶について11

今までの出来事を省みるに、かねて考えていたマントラを唱える事によっての脳内革命の
出来事に対して、少々改めなければならないことに気が付きました。
過去における求聞持法の自分に対しての脳内整理は前述のようではあったのだが、その後
の事件は単なるマントラの一時的唱え過ぎで起きた事ではなく、起きるべき時期に到来し
たからと考えるのが妥当と思われるのです。
なぜなら、単に脳内整理だけであれば、修行中に襲い掛かる魑魅魍魎に対して、どうして
今までのように効果のあった除霊が出来なくなったかなのです。
修行僧に対して邪魔する霊は多々あることは、修行僧の中では知られていることですが、
ある程度法力が有れば、払う事は容易で、これから先の修行で、除霊が出来なくなり衝撃
的苦しみを受けるとは、想像もしておりませんでした。
その衝撃的な苦しみ以来、今日のお参りの状態を以前と比べて観察すると、単に脳内整理
上手になっただけではない事に気が付きました。
感覚の問題だから、どこがどう変化したかは説明の出来ないところですが、今回衝撃的苦
しみを伴って何が起きたのかを考えてみました。
589ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/05(水) 08:32:12.70
今朝は元気に迎えられましたか?

昨日はノス坊と渡海爺は、まだ書き込めて良かったね。

今日はどうかな?

明日はどうかな?






畑耕しただけで、ノス坊には
”あなたの法力は弱いですねwwww ”
とは、幾ばくかの効果が出たのですね真綿締めの。
これから種をまき、追肥をしその効果はもっと大きくなるよね。

苦しさに耐えて此処に書込みしても、いずれ二人は消える運命、真綿締めで。
姿が消え、久しくなれば評価できる効果に達したという事。
だが、真綿締めは死ぬまで続くでしょう、、、、、、、、、、、、、、、、お気の毒にナムナム。
590渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/05(水) 13:20:27.64
 伊邪那美の命言いしく、「愛しき我が那勢の命、如此爲せば、汝が國の人草を一日に千頭
(ちがしら)絞(くび)り殺さん」。爾くして伊邪那岐の命、「愛しき我が那邇妹
の命、汝が然(しか)爲せば、吾は一日に千五百(ちいほ)の産屋(うぶや)を立てん」と詔り
き。是を以ちて一日に必ず千人(ちたり)死に、一日に必ず千五百人(ちいほたり)生まるるな
り。(古事記)

 死に神となったイザナミがイザナギに向かって呪(のろ)いの言葉を吐く。「貴方がこのよう
なことをするなら、私は今後、貴方の国の人々を一日に千人も殺していきますよ」。イザナギが
これに言い返す。「お前がそのようなことをするなら、私は一日に千五百人の子供を産ませてみ
せる。」このようにして我が国では、一日に千人も死ぬが、千五百人の子供が誕生してくるので
ある

 ごい迫力ではないか。誰でも死は恐い。死は悲しい。しかし、その死に対して古代の日本人は、
一歩も引かなかった。千人も死んだか。よし、千五百人の子供を作れ。古代の我々の先祖は、現
代の我々には想像もできない生命力にみなぎっていた。ここには、死んだ霊魂が苦しんでいるか
ら何とかして差し上げましょうなどという、そんな欺瞞はない。むしろイザナギはイザナミが黄
泉の国すなわち死の世界から出てこれないように大きな岩で出入り口を塞ぐ。

 我々は身内が死ぬと墓に埋める。墓には大きな石を使う。何気なく当然のように思っていて気
にも留めなかったが、日本人の墓における墓石の意味が分かったような気がする。墓とは何だっ
たか。
 「お前とはもう縁切りだ。ここから二度と出てくるな!!」。どうやらそういう通せんぼの意
味があったようだ。死んだ人間が成仏できないで苦しんでいるから、何とかして差し上げましょ
う。仏にして差し上げましょうなどという、そんなとぼけた話とは正反対の死生観をもっていた。

 弔いとは、「お前とは縁切りだ。二度と出てくるな」、古代にはそういう意味があったようだ。
イザナミの死にまつわる話は、実に我々への様々な示唆に富んでいる。最初から話を追ってみよ
う。亡霊、霊魂、呪(のろ)い、祟(たた)り、禁忌、呪文など、我々の先祖はどういう筋書き
の中で語っていたのか、その一端が見えてくる。仮説を立てながら考えてみる。
591名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/05(水) 17:08:23.87
>>556
で、阿弥陀如来と縁起の関係は?
592名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/05(水) 18:15:14.28
阿弥陀如来とて遥か過去世には凡夫
593名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/05(水) 18:25:00.51
阿弥陀如来=米櫃
縁起=米櫃
過去世=米櫃
凡夫=米櫃
594ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/05(水) 18:45:51.95
今朝は元気に過ごされましたか?

昨日はノス坊と渡海爺は、まだ書き込めて良かったね。



日中渡海爺が書き込んでいたようだが、夜にはくたばって書き込めないようですね。

今夜はノス坊も渡海爺も書き込めるかどうかな?

明日はどうかな?






畑耕しただけで、ノス坊には
”あなたの法力は弱いですねwwww ”
とは、幾ばくかの効果が出たのですね真綿締めの。
これから種をまき、追肥をしその効果はもっと大きくなるよね。

苦しさに耐えて此処に書込みしても、いずれ二人は消える運命、真綿締めで。
姿が消え、久しくなれば評価できる効果に達したという事。
だが、真綿締めは死ぬまで続くでしょう、、、、、、、、、、、、、、、、お気の毒にナムナム。
595ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/05(水) 18:46:26.32
第十六章 ランボー寺の葬式と引導 Z

戒名と位牌についてお話ししましょう
戒名は仏様の国で生活するために、仏様に帰依し仏様の国で生かさせていただくに相応しい人
と成るための、守るべき戒律を戴いた者に与えられる名前、即ち仏様の国で使われる名前です。
院号 道号 法名 位号 より戒名はなっており、院号は霊界での家、道号は現世の生きざま
有り様を表し、法名は戒律を戴いた霊界の名で、位号はその人の徳を表します。
位牌はその人の象徴となるもので、霊界から見ると自分の家の仏壇の所在を示す目印・バス停
の役目もします。
戒名を位牌に書くときは、戒名の上に (子供や水子の場合は、カカカと笑って明るく子供達
に接する地蔵菩薩の梵字の を書く)という大日如来の梵字を書きます。
御詠歌に 「阿字(あじ)の子が 阿字の古里立いでて また立ち帰る 阿字の古里」 とあり
ますが、阿字というのは大日如来を表す字で、大日如来の悟りに亡き人がすべて帰入すること
で、の字は地蔵菩薩のお導きに従うということです。
この後亡者が食べることが出来るように、法をかけてあげます。焼香や理趣経を読経したり
通夜の諷誦文を唱えたりする。
596ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/05(水) 22:47:04.73
深夜の一言

今日は真綿締めの種を蒔くために、昼下がりに
畑に種まき用の溝を掘っただけなのに、
ノス坊と渡海爺は消えてしまった。

もう書き込むだけの元気も消えうせたか?


男なら、歯を食いしばって書き込めよ。
それとも白旗を掲げるか?
597ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/05(水) 22:47:36.01
抗いようの無い運命がもたらす悲劇
ミッション、真綿締め

来月某日 我が家の月参りをする(月参りは云うまでもないが毎月の供養)。
供養の始めに、亡者が手を出せるよう供物に加持をし、亡者が霊界から降りやすいよう舞台を作る。
それから先祖の霊を大鉤召印にて招く(地球の裏に居る霊も来る)、その時、君の先祖霊や
渡海難の先祖霊も呼ぶ。
その後、鉢印にて亡者に供物を振舞うのだが、君の先祖霊や渡海難の先祖霊には振舞わない。
その両家の先祖が指を銜えて見ている中、私の先祖は般若理趣経で丁寧に供養を受ける。
供養が終われば、君の先祖や渡海難の先祖にこう伝える。

”ノスタルジアも、渡海難も、新宗教儀の詳しく、阿弥陀様に精通しているという。
どうぞ、私がしたように丁寧なる供養を受けて、是非成仏していただきたい。
私が使えないような難しい仏教関連の言葉うを使うノスタルジア君と渡海難はあなたたち
先祖霊が成仏していない事が分かればキチンと供養してくれるだろう。
それには君たちの苦痛を彼らに憑依して感応させて知らしめなければならない。
霊感に乏しいようなから、何度も何度もアプローチしなくては通じないと思う。
そうして通じたなら、供養してもらい是非成仏してもらいたい。
不幸にして成仏させるだけの能力が無ければ、私はプロ、ノスタルジアや渡海難が規定の
お布施や費用を払って私に依頼すれば私が先に見せた供養等で、きみたちを成仏させよう。
彼らが私に頭を下げて先の条件で依頼しなければ、私は供養しないし、私に供養を要求しても
痛い目にあって帰されるだけだから注意をしてください。”

こう告げて撥遣する事で、このミッションは終わるのだ。
598名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/05(水) 22:51:34.25
弥陀成仏のこのかたは
いまに十劫とときたれど
塵点久遠劫よりも
ひさしき仏とみえたまう

浄土和讃
599名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/05(水) 22:52:38.19
>>593
種を播かずに食うばっかりなので米櫃も残り少ないです。
600名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/06(木) 00:03:01.00
ここ人気あるな
601名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/06(木) 00:04:00.87
コテに蹂躙されて大分勢い減ったんだけど
602名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/06(木) 00:22:44.57
なんか某法師が
ねえねえ、ツッコンデよ絡んでよ
ってボケに懸命なのがちょい笑

でも絡むとメドクセーから放置だけどな
603名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/06(木) 00:24:48.19
種をまいても実にならないそうです。
まき方が悪いんですかね?
実が悪いんですかね?
土地が悪いんですかね?
604名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/06(木) 01:44:53.84
>>570
ん?それは本願寺坊主への皮肉でもあるわけですか?
605名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/06(木) 04:07:12.33
「Japan Emperar 日本皇帝"Japan High-class king"」「天皇Ten-nOu」「中国皇帝 China Emperar」「天子 Ten-Shi」
同じ血筋Lineage of the same strain。髪質が天然パーマのクセ毛でカールする NaturallyCurlyHair(カール大帝KarlDerGrobe、ルイ16世Louis XVI、 George Washingtonと同じ)。
私はこの血筋ですI am this pedigree(lineage)。2013年6月4日現在、38歳 4, June 2013, 38 years old。
Virgin Like 処女が好き。処女と性交したことがない Do not virgin sex。子供がいないNo children。未婚Unmarried。
2000年8月から性交してない From August 2000, and do not sex。所持金は少ししか無い There is only a little money in hand.
http://blog.goo.ne.jp/sho_gun_3
606名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/06(木) 04:10:02.10
天皇や将軍のせいにして、色々な場所の女性と性行為をしている、人が居て、それは詐欺サギなので気をつけよう。
天皇、将軍の部隊も彼らを追っていて、変な死に方で征伐している。
日本で複数の女と結婚をしてよいのは、天皇家、皇族だけで、他はバレルと逮捕される。
中華民国などからのプレゼント女と勝手に結婚・子作りすると、後で殺害されるので気をつけよう。既にロシアや中華民国や北朝鮮にも連絡が行っている。
謝罪と賠償を正式にしないと殺害される。
607名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/06(木) 04:10:38.63
GOD神、仏、天の為のプレゼント、サービス女を勝手に、それ以外の者への性行為サービスへ使うと、罰が与えられている。現在進行中。その一部を公開。
すべて、予言どおり。
原宿超高級マンション・馬主で飲食チェーン経営の勝ち組セレブ・家族殺害後・長野富士で天罰神罰による自殺(子供、金で勝手に買ったペット美人妻がいて大金持ちだが、一家心中)
http://logsoku.com/thread/anago.2ch.net/bizplus/1348130802/
新宿の高級マンションでアダルトビデオ男性(ペット男のなれのはて)が死亡(預かった美女と乱交しようとしたら殴られてブツ罰〜仏罰神罰)
http://logsoku.com/thread/engawa.2ch.net/poverty/1349708683/
http://www.dmm.co.jp/mono/dvd/-/detail/=/cid=118abs153/
新たに男女3人逮捕 青森・性風俗女性ペット監禁死亡事件(預かった美女を無許可で性奴隷にしていたが、連帯で人生終わり)神罰
http://logsoku.com/thread/uni.2ch.net/newsplus/1350114083/
http://www.dmm.co.jp/mono/dvd/-/list/=/article=series/id=79984/
86歳元警視(預かった女を勝手に切り分け選考してAVに流したり他の男に渡して結婚させた)、隣人(某宗教団体でハーフ美女を預かっていた女)を日本刀で殺害後、切腹。神罰仏罰。
http://logsoku.com/thread/uni.2ch.net/newsplus/1349972973/
ワゴン車の男女。柏で預かった女に男が家で突っ込んだら、かしわ手(芭蕉扇)で飛ばされたように、ありえない飛び方で塀を越えて家へ突っ込んで行って絶命。神罰天罰。
http://blog.livedoor.jp/nyussoku/archives/52061758.html
笹子トンネル。ワゴン車の男女、預かった女を勝手に性風俗に使おうと名古屋方面へ移動させようとしたら、グルの女までもが、漫画ナルトを模した完成体スサノオ攻撃で圧死。神罰仏罰天罰。
http://mainichi.jp/select/news/20121208dde041040007000c.html
608ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/06(木) 07:58:40.13
お早う、ノス坊&渡海爺 夜の書込み出来なかったようだが元気でしたか?

昨日は渡海爺の昼の書込みだけ、昼下がりの畑作業の後は消えたまま、どうしたのでしょうね。



”566 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho 2013/06/04(火) 18:19:40.99
ランボー法師は、初心者。”

と言いながら、書込みが出来なくなったノス坊は今生きているの?


明日はどうかな?

明後日はどうかな?



畑耕し溝切っただけで、ノス坊には
”あなたの法力は弱いですねwwww ”
とは、幾ばくかの効果が出たのですね真綿締めの。
これから種をまき、追肥をしその効果はもっと大きくなるよね。

苦しさに耐えて此処に書込みしても、いずれ二人は消える運命、真綿締めで。
姿が消え、久しくなれば評価できる効果に達したという事。
だが、真綿締めは死ぬまで続くでしょう、、、、、、、、、、、、、、、、お気の毒にナムナム。
609ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/06(木) 07:59:18.12
第六回及び第七回虚空蔵菩薩求聞持法修行体験と考察 U
脳の情報処理及び記憶について12

例えをパソコンになぞらえて恐縮ですが、簡単に言うとOS(Operating System)の
バージョンアップをしたものと考えるとつじつまが合うようです。
OSを今流行のウインドウズだと考えてみます。
人間として生きてゆくための基本的生理現象を司る基本的機能を、この場合のパソコンで
はDOS(Microsoft Disk Operating System )というOSが主流であり、その上に機能
上ウインドウズというOSが載っています。
このウインドウズのバージョンが9xからXPにバージョンアップされた事と同じような
事が起きたのではないかと考えられるのです。
過去に求聞持法を何回も修業する事によりウインドウズの上で働くアプリケーションは
合理化されこれ以上はその基台であるOSのバージョンアップが必要となってきたと思
われるからです。
アプリケーションをバージョンアップするにしても、OSをバージョンアップするにし
ても、その時間はウイルスバスター(パソコンを外敵から守るシステム)は働かない
(BIOS上で働くランのようなインターフェイスがあって、そこで動作可能なウイルス
ソフトが有ったとしての比喩)。
人の脳も同じと考える事が出来るのではないだろうか。
以前は小刻みのバージョンアップであったろうから、妻(尼僧)の手をかりて除霊する
ことなどは必要がなかったが、今回は様子が違うのです。
610名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/06(木) 08:49:14.58
>>604
まあそれはないけどw
611名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/06(木) 13:06:57.49
じゃあ、勉学に励む人への妬みですね!
612ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/06(木) 19:04:04.01
今夕の一言  ノス坊やは書込みできず、渡海爺の超不規則な書込み?

ノス坊やは昨日から書き込めなかったようだ。
渡海爺も昨日の昼間のみ。
今日の書込みも無く、どうしたものか?。


この現象は、精神が極端に不安定になり、書き込んでいる途中でも
落ち込んで書き込め出来なくなるようだ。


真綿締めは何時とはなく効いてきて、ストレスが溜まりに溜まった時に
何も出来なくなる。
それを隠そうとすれば、もっと真綿締めが効いてくる。

まるで、あり地獄のようだ。


   怖い〜〜
      _, ,_       _, ,_
    (rうД)    ( ´д`)  ここは祟られてる、引越しだぁ
    | ̄ ̄∪|─□( O┬O  霊は居ないはずなのに???
〜〜  ̄◎ ̄  ◎-ヽJ┴◎

  ノスタルジア   渡海難
613ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/06(木) 19:04:39.42
第十六章 ランボー寺の葬式と引導 [

告別式 次に告別式ですが、仏様の知恵を与えたり、仏様との血脈を与えます。
ここでも大切なところのみ、お話しします。
破地獄をしたあと発菩提心・三味耶戒を与え五鈷を授けます。
授けるとき亡者が手をだしますから手渡しをします。そして潅頂の印明を授けます。
胎蔵界大日 金剛界大日 不二 弥勒三種の印明授与の次ぎに大師引導法により、空間を自由
行き来することを教えたり、如来の知恵を表す五智の宝冠を与えます。
次ぎは浄土真宗には有りませんが、仏様との繋がりを示す血脈です。
真言宗の場合、大日如来より弘法大師そして導師に至る法の流れを亡者に継ぐのが血脈です。
言い換えれば、亡者を自分(導師)の弟子にすることです。
そしてこの者(亡者)は私の弟子ですから仏様よろしくお願いしますと、仏様に手渡すのです。
これが、引導の要です。
そして、森羅万象の原点である六大印明を授けます。
最後に霊界へは六道と言う、六本の道があり、極楽につながる道はひとつのみなのです。
そこで亡者が迷い込まないように、地獄に通じる五本の道を封じ侵入禁止にする法をかけます。
六本の道のうち最極浄土へ行く道だけを残します。
たとえ仏様の手を離れても、迷って地獄に行かないように、念には念をいれるのです。
そのうえで、弟子となった亡者を仏様に手渡しするのです。
次に霊界でおせわになる十三の仏様を教えて、仏様にはこの者は私の弟子ですのでよろしくと
託すのです。
灯明や松明の送り火で葬儀の時の担当の弥勒菩薩、不動明王にお願いして導き渡すのです。
そこで不動明王が霊界(仏の世界すなわち極楽浄土)へと引きつれてゆくのです。
さらに表白によって、仏様に速かに上品蓮台に引攝していただけるよう、お願いするのです。
これが引導です。
仏様とコンタクトを取りながら引導を進めて行くのです。
その後、弔辞・弔電・読経や焼香をします。
614渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/06(木) 20:44:19.59
>>590
 ランボウーが好きな死・死後・亡霊・祟りなどを考えて見る

 この世に天地ができたとき、イザナギ命とイザナミ命という二柱の神が出現した。二人は、日
本中の島々、山野などを産む。イザナミは火の神を産むと身が焼かれ、死んでしまう。イザナミ
は、出雲の國と伯伎の國の堺にある比婆の山に葬る。その後、イザナギはイザナミに会いたいと
思って黄泉の國に行く。

 「最愛のわたしの妻よ、あなたと共に作つた国はまだ作り終らない。どうか還つておいで」と
言う。イザナミは、殿の騰戸(さしど)に出で向い、「残念なことをしました。早く来てくれな
いのでわたくしは黄泉よみの國の食物を食べてしまいました。しかしあなたがわざわざ来たので
すから、なんとか還りたいと思います。黄泉よみの國の神樣に相談をしてきます。その間わたく
しを覗いてはいけません」と答えた。

 イザナミは奧に入ったまま、なかなか出てこない。待ち遠しかつたので左の耳のあたりにの髮
に插さしていた清らかな櫛の太い齒を一本外して火を灯し、中を覗く。蛆うじが湧わいてごろご
ろと鳴つている。頭には大きな雷、胸には火の雷、腹には黒い雷、陰にはさかんな雷、左の手に
は若い雷、右の手には土の雷、左の足には鳴る雷、右の足にはねている雷、合わせて十種の雷が
出現した。

 イザナギの命が驚いて逃げ戻るとき、イザナミの命は「わたしに辱をお見せになつた」と言つ
て黄泉よみの國の豫母都志許賣(よもつしこめ)を遣って追わる。イザナギの命が髮につけてい
た黒い木の蔓の輪を取つて投げたので野葡萄が生はえた。それを取つて食べている間に逃げるの
をまた追いかける。右の耳の辺の髮に插しておいた清らかな櫛の齒を闕かいて投げると筍が生た。
それを拔いて食べている間に逃げた。後には雷神たちに澤山の黄泉よみの國の魔軍を副えて追お
わせた。そこでさげていた長い劒を拔いて後の方に振りながら逃げておいでになるのを、なお追
つて、黄泉比良坂の坂本まで來た時に、その坂本にあつた桃の實みを三つ取って撃ったから皆逃
げて行った。
615渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/06(木) 20:45:27.07
 そこでイザナギの命はその桃の實に、「お前がわたしを助けたように、この葦原の中つ國に生
活している多くの人たちが苦しい目にあつて苦しむ時に助けてくれ」と告げ、オホカムヅミの命
という名を与えた。最後にはイザナミの命が御自身で追つておいでになつたので、大きな巌石を
その黄泉比良坂よもつひらさかに塞いでその石を中に置いて両方でむかい合つて離別の言葉を交
わした
 イザナギ・イザナミ神話から、次のような情報が採取できると考える。

1 お産は死と背中合わせであり、常に死の危険があった。
2 男はお産現場を覗いてはいけない。
3 お産は、高齢の産婆が現場を取り仕切った。
4 葬送は離別式である
5 墓を掘り起こしてはならない
6 死体にわく虫は危険な存在であることを本能的に感じていた。
7 墓石は害虫を封じ込めるための道具である。
8 食中毒で大量死することがあることを知っていた。
9 人が死ぬと、複数の死因を様々に思い巡らすことがあった。

 イザナギ・イザナミ神話が説く教えは三つある。「7 死体は墓石で囲め」「5 墓を掘り起
こしてはならない」「6 死体にわく虫は危険である」。以下、考えてみる。
616ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/06/06(木) 21:23:13.62
>>ランボー

法力まだー???
617名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/06(木) 21:31:31.14
真宗アンチだけど最近このスレつまんねw
618名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/06(木) 21:33:15.83
ランボー法師とノスタルジアは要NGコテだな
次スレからはテンプレに書いて置こう
619名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/06(木) 21:48:31.72
知らず知らずノスタルジアはランボー法師の弟子と化している
620名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/06(木) 22:12:00.20
アンチだけど
真宗僧侶よりイカレタ僧侶がいるとまだ真宗僧侶がマシに見えてくる




ノーマル僧侶>>>>真宗僧侶>渡海>>原理主義僧侶>>新興宗教>ランボー
621名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/06(木) 22:25:38.17
ノーマル僧侶>>>>真宗僧侶>>渡海>>原理主義僧侶>質問厨>新興宗教>ランボー

このくらいだろ
622名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/06(木) 23:13:58.14
ノーマル僧侶→→真宗僧侶→→渡海→→原理主義僧侶→質問厨→新興宗教→ランボー

進化の過程?
623ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/06(木) 23:19:08.84
よく書き込めましたね、ノス坊と渡海爺

明日以降も、生きている証として書き込んでくださいね。
書込みが無くなったら、残念ながら良い仲間(コテハン仲間)を亡くしたと残念に思います。
624名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/07(金) 00:32:33.36
ランボーさん、おめでとう!
   ↓
364 :名無しさん@そうだドライブへ行こう:2013/06/03(月) 02:16:26.17 ID:6cYicRq60
前スレに誰かが書いてたね。
2chや知恵袋で生半可な知識を長々と開陳する人って、普段話し相手がいない寂しい人だって。
確かにこの手のタイプはfacebookでは絶対にいないタイプだ。
625名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/07(金) 06:42:14.06
ランボーの一人も追い出せないんだから、ランボー>真宗僧侶だろw
626名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/07(金) 07:24:41.86
押されぎみの真宗
627ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/07(金) 07:32:28.60
昨夜はよく書き込めましたね、ノス坊と渡海爺

今日も、明日以降も、生きている証として書き込んでくださいね。
書込みが無くなったら、残念ながら良い仲間(コテハン仲間)を亡くしたと残念に思います。
628ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/07(金) 07:33:09.68
第六回及び第七回虚空蔵菩薩求聞持法修行体験と考察 U
脳の情報処理及び記憶について14

もちろんOSの切り替えに伴い、プリンターやスキャナーなどのドライバー(パソコン
との整合させるソフト)もそれなりの変化を必要とするので、整合が取れるまで動作が
不安定となり、センサーとのデーターのやり取りに不都合が生じ、たとえばメニエール
病のような症状を引き起こすのかもしれません。
こう考えると、OSの入れ替えをした後はとてつもない超人になるように思うかもしれ
ないが、それは違うと思います。
なぜなら、ウインドウズ97の上で書いた文章も、ウインドウズXPで書いたそれも同
じ文章だからです。
では、何が違ってくるのか?それは、バックグラウンドの働きが大きく変るのではない
かと考えられるのです。
通常の生活では、多少良いかも知れませんが、ほとんどその異差は認められないと思います。
分りやすく言い換えると、別なグラウンドすなわち霊界での処理が向上するのではない
かと考えられるのです。
629名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/07(金) 08:38:14.96
>>625
真宗の伝道スタンスは太陽です。北風ではありません。
とりこまれるうちにおのずと気づくものなんです。
630名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/07(金) 08:39:58.66
歴史的には北風の時にしか延びてないけどな
631渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/07(金) 11:31:10.20
 イザナギ・イザナミ神話は、三つのストーリーが混ざっていると考えるべきだ。
 ストーリーT。
 イザナミは、お産の際、大量出血を起こして死んだ。火の神を産み、陰部を焦がして死んたと
いうのは、大量出血を起こして死んだと考えるのが一番近いだろう。
 死体は比婆の山に葬った。イザナギは、深夜、埋めてあったイザナミの死体を掘り返した。火
を灯したとき、猛烈な数のウジ虫を見つけた。周囲には様々な虫がいた。雷がいたというが、そ
の正体は、大小様々な虫であると考えるべきだろう。黄金虫などは暗がりで光を反射する。反射
する光を雷と表現している。その虫達がイザナミに襲撃してきた。イザナミは虫を追い払うよう
に逃げ出した。
 古墳は横穴式の石棺を作り、その横穴を大きな石で塞いでいる。虫の襲撃を振り切ると、イザ
ナギは墓の入り口を大石で塞ぎ、イザナミとの決別を決意した。

 ストーリーU。
 イザナミの帰りが遅いため、イザナギはイザナミの産屋に迎えに行く。イザナギはイザナミに
「おーいまだか?早く戻っておいでよ」と呼びかける。建物の騰戸(さしど)からイザナミの声
がする。「相談してみます。その間私を覗いてはいけません」。騰戸とは、竪穴式住居に見られ
る、高い位置にある排気窓だろうと考える。待ち遠しくなったイザナギは産屋の中を覗く。覗か
れたイザナミは憤慨する。この瞬間、イザナギは豫母都志許賣(よもつしこめ)に追い払われる。
よもつしこめとは誰か。学者はいろいろ議論しているが、鬼女でも、幽霊でもない。これは産屋
を取り仕切る助産婦さんに間違いない。助産婦さんは昔は産婆と言った。しこめは醜女と書く。
産婆さんは、妊婦を叱咤する恐いおばあさんのイメージがある。

 ストーリーV。
 イザナミは産屋で暫く寝食を共にしている。イザナギが迎えに行くと、イザナミは「よみの國
の食物を食べてしまいました」という。つまり、産屋の皆さんの深いお世話になってしまってき
ています。このまま簡単に戻ってしまっていいのか、相談してきます」。このように答えた。
632渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/07(金) 11:32:54.20
 通常の時系列でよく考えると、ストーリーVはストーリーUの一部であると考えるのが自然だ
ろう。穿った考えをするとストーリーVはストーリーUと独立の関係なるという余地がある。しか
し、今は、ストーリーUの一部と考えた方が素直で簡単だろうと思う。
 イザナギは生前、イザナミの産屋をのぞきに行ってイザナミと産婆さんに非常に怒られた。そ
の後、イザナミは出血多量で他界し、イザナギはその死体を見に行った。イザナギ・イザナミ神
話は、イザナミの死を境にした前後二つの話を入り混ぜて死後の世界の話を創作している。
 神話作家は死後の世界を創作している。ここが重要な点だ。死後の世界があるのかないのか、
そのようなことは分からない。しかし、先人達が死後の世界として語っている物語は、実はその
ほとんどが現実の我々の世界を、さまざまな目的をもって、特に教訓のために描かれているとい
うことだ。

 妄りに墓を掘り起こしてはいけない。妄りに墓を掘り起こすということは、男親が産屋をのぞ
き込むようなもので、恥ずかしい事である。妄りに墓を掘り起こせば、猛烈な虫の襲撃を受ける。
それは、男親が産屋をのぞき込めば、助産婦さんに怒られるのと同じことだ。
 神話作家は、社会の禁止事項を教えるにあたり、黄泉の國(冥界)、冥界軍(冥界の魔軍、亡
霊群)などを創作している。黄泉の国の軍隊というと恐ろしく聞こえるが、現実は虫の大群であ
る。

 現実界の話をランダムに分解し、ランダムにつなぎ合わせ、死後の世界を創作して現実界の教
訓に反映させようという手法は、古代人の様々なところで見られる。表面的に話を聞き流してい
れば、話の本質を見極めることができない。宗教詐欺師などは、そういう文章の綾を勝手に歪め、
教訓を抹殺して嘘を作り、善良な人々を騙しのテクニックの中に引き込んでいく。注意しよう。
633名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/07(金) 16:25:19.51
>>625
どうやったら追い出せる? 無理だろ2chじゃ
教理でなんて言ったって相手は異教徒だ
暇もてあましじいさんに狙われたらどうしようもな・・
634名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/07(金) 17:41:12.42
そんな弱々しいこと言ってるようでは、覚如や蓮如が嘆くぞ
635名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/07(金) 18:29:56.08
顕如「わしを忘れてもらっては困る」
636名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/07(金) 18:40:16.38
教如「おやじは信長にさっさと降伏したやんけ」
637名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/07(金) 18:49:35.51
真宗=覚如・蓮如・顕如・教如と思うのは・・ねぇ
638名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/07(金) 18:52:27.77
空無我を知るを慧と曰う。(証の巻)

 仏法には無我」と、仰せられ候う。「われ、と思うことは、いささかあるまじきことなり。
われは悪ろし、と思う人、なし。これ、聖人の御罰なり」と(聞き書き)

 2ちゃんねるの掲示板を「これは俺の物だ。お前は出ていけ」などと思うのは、愚か
なことだ。
639名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/07(金) 19:50:48.60
>>638
俺のモノだからとは思っていないし、とりあえずここ一ヶ月の流れでは
その意見も無かったと思うよ。

ただスレの約束事はある程度守ったほうがまとまると思うんだ
阿弥陀 凡夫 親鸞 真宗 教団 門徒と僧 っていう路線
とは全く違う話をひたすらされるのはねぇってこと

あと、「仏法には」とは仏法をきはんとする者に通じる話
仏法を基準にしない者には通じない話
640名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/07(金) 20:22:20.72
>>637
准如「ウザい兄貴がいなかったら、今頃本願寺教団は分裂して無かったのにな」
641ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/06/07(金) 20:56:37.73
こんなこと分かるのかなー、ここにいる人々は・・・。

ここにいる人たちはオーパーツって知っていますか?あの超古代文明にあった
機械のこと。そのオーパーツ(機械)について、僕はまだ考えていなかった。
それというのも、SF小説を全然読んでいなかったからかも!?www

僕でさえそうなのだから、SF小説の欄を今日見てきたけど、本屋には
特によさそうな本はなかった。ただBEATLESSって本は面白そう
だったのでちょっと贅沢だけど買ったwww

まあ僕がしたいことは、仮想空間(バーチャルリアリティー)っていうかなー、
そういう、自分だけの住処にまずは住みたいんだ。というのもこの差異のある、
ろんさんの言う、同一性を批判した自分自身という、この世で一番の愚か者(w)
には、仲間外れが似合っているという結論に達した。まずはその未知数である、
仮想空間(バーチャルリアリティー)を作って、自分自身を・・・↓↓↓
と、考えていたんだけど、途中から怖くなった来た。中間地点に自分が住むことなど
出来ないのだろうか? でも霊魂的実在の手助けだけは絶対借りたくないし・・・。
そうなると導き出される答えは、超越的実在つまり先駆者との共存によるしかないww
彼らとは、感情的な面で、高次な自己(ハイヤーセルフ)が会ってもいいとOK
してくれる時にのみ会うことにする。
642ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/07(金) 21:48:14.73
よく書き込めましたね、ノス坊と渡海爺


だが、ノス坊も渡海爺も、真宗から離れた妄想の世界に入り始めた。

これも、真綿締めの効果なのかもしれないナムナム。




明日以降も、生きている証として書き込んでくださいね。
書込みが無くなったら、残念ながら良い仲間(コテハン仲間)を亡くしたと残念に思います。
643ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/07(金) 21:48:50.98
第十六章 ランボー寺の葬式と引導 \

法事や月参りは、食への欲望や、心のストレスや迷いを修め、仏様の知恵を教えて、仏の国で
生活するにふさわしい人格(霊格)となるようにするための勉強会なのです。
以上が私の行っている葬儀です。

当地の習慣に時間を合わせるため、諸作法と平行して読経したりして時間の工夫をしています。
与えられた時間と環境のなかで、いかに親切な亡者の身になった心で霊界に旅だたせてあげる
ことが大切だとおもいます。
インスタント・ラーメンも一食です。
しかし私は、フルコースの食事でもてなしてあげたいのです。
人が死ぬと、最初に遭遇する世界は、暗くて寒いところです。
長いトンネルという人も居ます。
そこを抜けると明るいところに出ます。
地面には一面花が咲いています。
仏教徒は黄色い花ですが、宗教が違うと花の色も違うようです。
その花畑の上を、地面に足がつかないくらいの花の上を静かにふわふわと歩き行くのです。
しばらく行くと綺麗な小川にぶつかります。水深は二尺もないくらいで、底の玉砂利がきら
きらと輝いているのが見えます。
向こう岸に目をやると、見知らぬ人がおいでおいでをしています。
そこで如何したものかと考えます。
その結果渡るとそのまま霊界へ行きます。
その時後ろから自分の名を呼ばれたりして振り返ると、気を失っていた者が気が付いて生き
返るのです。成仏が出来ない霊は、肉体に戻るにも肉体が機能しなく、霊界に進むにも、
暗いトンネルから抜け出ることがでできない者をいいます。
644名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/08(土) 02:35:08.23
(^O^)のすたるじあ抵抗中!
645名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/08(土) 03:17:56.05
観無量寿経は素晴らしい内容だ。
偉大希の苦しみの原因を解き明かし
苦しみを消す方法を順調よく説明している。

阿弥陀如来を念じてしかもそれが目の前に現れた。
仮に現れなくとも釈迦という存在が阿弥陀仏の存在証明になっていた。

阿弥陀仏が現れたとき、その慈悲の力に心を打たれたのだ。罪深い自分がそれでも愛されていると実感できたわけだ。
そこで因果の業を阿弥陀佛の慈悲と救済を信じてすがることで乗り越え、
宿命を超えて本来の素晴らしい自分自身の人生・姿を手にすることに成功したのだ。
さらに息子にもこの真実を教え、彼がさらに悪業を積まなくてもよいようにした。
偉大希は阿弥陀佛に出会って浄土の美しさとは人間の本来の姿だと知ったのだ。
それは他を許し、愛し、信じる力であり、その根拠とは自分も許され、愛され、信じられている存在だという確信。
仏と人に信頼されているという自信。
この経は釈迦が法華経を中断して説いたものだ。
釈迦自身も阿弥陀佛の教えを生涯で説ききれなかったと言い、この経だけは末法の世にも残ると言った。
釈迦は生涯に多くの事を説いたが、観経は内容からみて最も優れたもの、いや人間として重要なものだ。
イエスも愛と許しを説いたが、ここまで因果から解き明かしたものではなかった。
有名な「夜と霧」のフランクルも宿命の存在と、乗り越える方法を著しているが、短い文でしかも明快に著している観無量寿経は、まさに高級霊の阿弥陀佛が釈迦を通じて語らせたと考えてよい完成度だ。
この経では阿弥陀と釈迦は完全に一体である。

南无阿弥陀佛
646名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/08(土) 03:40:48.18
登場人物たちは各々が自分自身にある人間の弱い部分だ。
その弱さが宿命や業を作り、またそれに苦しめられる。
このことを釈迦も阿弥陀もよくご存知で、だから阿弥陀佛が現じることで人間の弱さは初めから許しておられるということを示した。
許しているが、さらに本来の人間の姿になり幸せになる道も示した。
それが偉大希やアジャセの変容した心にある。

人間同士はお互いに許しあい、尊敬しあい、優しく思いやりをもって接し合うこと。
それが阿弥陀佛の信頼に応えることになり、その誓いが
南无阿弥陀佛の六字。
人間の本来の姿は浄土。

浄土とはみんなが楽しくみんなが幸せで希望や夢があり、生きる喜びに満ちた世界。
こうした世界に住むのが人間のあるべき姿。即ち人間には本来は浄土に住む運命にある。
しかし、宿命や業がそれを妨げているわけだ。

南无阿弥陀佛
仏の道人の道を行くことに情熱を捧げる違い。
ガテーガテーハラガテー
ハラサンガテーボディスヴァハー
647名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/08(土) 07:35:40.48
三に宗旨の不同、教の大小を弁釈すとは、『維摩経』のごときは不思議解脱をもつて宗となし、
『大品経』のごときは空慧をもつて宗となす。 この例一にあらず。
いまこの『観経』はすなはち観仏三昧をもつて宗となし、また念仏三昧をもつて宗となす。一心に回願して浄土に往生するを体となす。
教の大小といふは、問ひていはく、この『経』は二蔵のなかにはいづれの蔵の摂なる。二教のなかにはいづれの教の収なる。
答へていはく、いまこの『観経』は菩薩蔵の収なり。 頓教の摂なり。 『観経疏』玄義分 宗旨門 WikiArc
648ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/08(土) 08:04:36.36
昨夜はよく書き込めましたね、ノス坊と渡海爺


もう真宗の教義は捨てたのですか?
二人とも、どんどん妄想の世界に堕ちていってますが、
真綿締めの霊界からの君らの脳へのアクセスで従来の
常識が飛んでしまったのでしょうか?

助けを求めたくなったら、お声掛け下さい。

今日も、明日以降も、生きている証として書き込んでくださいね。
書込みが無くなったら、残念ながら良い仲間(コテハン仲間)を亡くしたと残念に思います。


さて、君たちの先祖は成仏出来ていると思いますか?

さて、君たちの先祖は成仏出来ていると思いますか?

さて、君たちの先祖は成仏出来ていると思いますか?


成仏できていなければ如何なる事か???
649ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/08(土) 08:05:16.58
第六回及び第七回虚空蔵菩薩求聞持法修行体験と考察 U
脳の情報処理及び記憶について15

バリアを張ったり、レーザーで攻撃したりするには、それなりのエネルギーと演算が
必要となり、それは無意識のグラウンドにおける働きに他ならないと考えます。
傍から見ると努力の割りに地味なのかもしれないが、自分としては仏様の手足として
より充実したサービスを提供出来る糧となれば満足できるのです。
この修行の成果は単に自分だけのものではなく、自分と心を一つにする妻(尼僧)に
おいても同じように力が添えられ(同じ波動領域に居るので)、各家の仏壇の仏様も
私の寺で開眼したものであれば、私の寺が本部、各家の仏壇が支部となり、共に向上
するのは当然のことであると考えます。
いずれにしても、この修行は成満(修行をなし終える事)しなければならないのです。
ひとえに、仏様のご加護におすがりし、努力まい進するしか道はないのです。
マントラの一部の言葉のみに額が反応する事で相談をした高野山大学の密教学の重鎮は、
蔵の再構築をしているかも知れないとの見解を示しましたが、確かに言われてみれば
昔からの形態の酒倉の様な蔵から今ではバーコードの入力と必要数字を入力するだけで
必要な品物が必要数ベルトコンベアに乗って出てくる蔵も有るのです。
650渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/08(土) 12:05:38.71
 一般社会に存在するもので時間軸の順番を変更し、誇大化などの手法を加えて衝撃化し、時間
軸の変更と衝撃化によって記述事象を神秘化するという手法は、死後の問題を語る文書でしばし
ば採用する手法である。
 イザナギが産屋にイザナミを迎えに行った話を、イザナミが死んだ後に出かけた話にすり替え
て時間軸を操作すると、イザナギがイザナミを冥界に迎えにいくというストーリーになる。 
 時間軸がすり替わると、産屋を覗き込みにきたイザナギを追い払った助産婦さんは、冥界に住
む鬼女、穢れた女にすり替わる。これでは助産婦さんが可哀想である。
 イザナミの死体から湧き出てきた虫は、雷という表現で誇大化され、イザナギに襲いかかった
虫たちは、雷神と黄泉軍にすり替わる。
 僕には可笑しさがこみ上げてくるが、これが死後の世界の話の実体であると理解すべきだろう。
イザナギ・イザナミの話は、死者を祀ってある墓をのぞき込むなと言っている。古墳は大王ある
いは王女・王妃を葬ってある。そういう場所は神聖な場所として永久に保持したい。古代人はそ
う考えたんだろうと思う。 

 往生要集を読んでみる。
 五に大叫喚地獄といふは、叫喚の下にあり。 〜 熱鉄の利き針、口舌をともに刺して、啼哭
することあたはず。また別処あり。受無辺苦と名づく。獄卒、熱鉄の鉗をもつてその舌を抜き出
す。 〜  眼を抜くこともまたしかなり。また刀をもつてその身を削る。刀はなはだ薄く利き
こと、剃頭刀のごとし。かくのごとき等の異類のもろもろの苦を受くる。

 大叫喚地獄では、罪人の高温の鋭い針で罪人の口と舌を刺す。罪人は泣くこともできない。罪
人の舌を抜く。目を抜く。刀で身を切る。これは古代インドで行われていた死刑執行手法だろう。
相手を一気に殺さない。少しずつ少しずつ、痛めつけ痛めつけて殺していく。死刑は、有罪と判
断された者に加える犯した罪の等価的な代償である。
 死ぬまでに加えられる行為が、死後に加えられる行為として時間軸をずらして語られると、冥
界の状況に関するストーリーに変わる。イザナギ・イザナミの話で、助産婦さんが冥界の鬼女に
変えられたように、死刑執行官は地獄の獄卒に切り替わる。
651渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/08(土) 12:07:45.70
 殺・盗・婬・飲酒・妄語の者、このなかに堕つ。獄卒、罪人を呵嘖して、偈を説きていはく、
「妄語は第一の火なり。なほよく大海をすら焼きてん。いはんや妄語の人を焼くこと、草木薪を
焼くがごとし」と。{云々}また十六の別処あり。そのなかの一処を受鋒苦と名づく。

 大叫喚地獄では、婬とか飲酒とかという言葉が出てくる。在家の人であれば、結婚したり、あ
るいは多少の酒を飲むことを禁じられていない。しかし、不正常な淫行、あるいは暴飲などをす
れば、在家の人もこれに関係してくる。真言宗で出家しながら、そのまま結婚して奥さんとセッ
クスしたり、少しでも酒を飲めば、真言宗の坊さんであれば直ちにこれに該当するだろう。しか
も、妄語の人を焼くとある。波羅夷罪で教団から追放されるような身でありながら、勝手に阿闍
梨を僭称するような嘘つきも、これに該当する。
 真言宗で出家しながら、そのまま結婚して奥さんとセックスしたり、酒を飲み、波羅夷罪で教
団から追放されるような身でありながら、勝手に阿闍梨を僭称する。そんなことは止めなさいよ。
大叫喚地獄はそう言っているのである。

 「欲を断てば、阿弥陀様(地獄?)からの使者が来る。欲という病気を治せば自分は死んでし
まう」、そんな情けないことを言いながら、自分は真言宗の厳しい修行に耐えていると、口から
出任せをいう。そういうことは止めなさい。「止めなさいよ」と言うことを、死んだら大叫喚地
獄に堕ちますよという言い方で、仏教では表現しているということである。

 墓地を覗き込めば、冥界の鬼女に追いかけられ、冥界の雷神、軍隊の襲撃される。それほど、
大変罪深いことである。古代人はこのような評価をもって、その愚かさの深さを教えてくれてい
る。
 努力家の子供を見て大人が言う。「君はすごいな。そんなに勉強していれば、末は博士か大臣
になるよ」。現代では博士も大臣も評価が落ちているので的確な説明ではないが、子供の努力を、
将来の結果を引き合いにして評価するという手法がある。必ず博士か大臣になれると将来を預言
しているわけでない。今の努力は、博士か大臣になれるということに相応する素晴らしいことで
あると、現在を評価をしているのだ。
652渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/08(土) 12:09:42.42
 阿闍梨を僭称し、真言宗の厳しい修行に耐えていると嘘をつく。それはどれほど悪いことか。
それは、高温の鋭い針で口と舌を刺され、挟みで舌を抜かれ、あるいは目を抜かれ、刀で身を切
られるに相応しいほど悪いことである。そう言っているのである。死んだら必ずそうなると将来
を預言しているのではない。真言宗の阿闍梨を僭称し、真言宗の厳しい修行に耐えていると嘘を
つくことは、高温の鋭い針で口と舌を刺され、挟みで舌を抜かれ、あるいは目を抜かれ、刀で身
を切られるというそういう報いを受けるに相応しい恐ろしいことであると、そのように現在の偽
坊主、デタラメ坊主を、糾弾という形で現在評価しているのである。

 死後の話は、社会おける禁止事項を示す古代の手法の一つである。実在の死後の世界をリアリ
ズムをもって紹介してるものではない。時間軸をずらし、現実社会に存在する一断面を援用して
誇大化し、これによって悪性程度の評価を示し、社会的禁止項目について、心理的抑制効果を設
定しているのである。
653渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/08(土) 14:05:55.63
 死後の話は非常に誇張が激しい。巨大化、広大化、長期化、甚大化の程度は著しい。例を挙げ
よう。

 前の四の地獄、およびもろもろの十六の別処の一切のもろもろの苦を十倍して重く受く。人間
の八百歳をもつて化楽天の一日夜となして、その寿八千歳なり。かの天の寿をもつてこの獄の一
日夜となして、その寿八千歳なり。

 巨大化、広大化、長期化、甚大化にはどんな意味があのだろうか。真言宗のお坊さんと言って
も人は様々であるが、その中には、非常に面の皮の厚い人もいる。「お前は破廉恥だぞ」「お前
のやっていることは、とんでもないことだ」、このように仏様が指摘して諭そうしても、まった
く聞く耳を持たない人がいるのである。そういう人に向かって、何とか真実を伝えよう。「お前
は破廉恥だぞ」「お前のやっていることは、とんでもないことだ」「止めなさいよ」ということ
を分からせよう、そう思って大変心砕いているのだ。その結果がこの誇張的表現に表れている。
そのように理解すべきだと思います。
654ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/06/08(土) 14:49:50.16
>>ランボー法師さま よかったらこのレスに目を通していただけないでしょうか。
途中で終わりましたが、また機会あればレスをさせていただきたいと思います。

今この頃、僕はベールの彼方の生活(一)というのを読んでいます。
あなた様も機会があれば、読んでみてはいかがでしょうか?そこには
あなた様の言われる、霊界について書かれています。

自分が最高神であると言っている者に対しての、あなたの修行者という立場
を垣間見ると、僕はあなた様に惹かれるところがあります。真摯に生きてこられた
方なのだなーという印象を受けます。僕は、自分を守ってくださっている守護霊
の方々がいることはあると思うと考えると、それに反抗して、別の存在が
守っているのではないかという考えに至るような性格の持ち主です。そもそも
一つ一つのあなた方の言動を鑑みると、僕に対する侮辱的発言が多いように思います。
そうすると、僕は、何を信じていいのか分からなくなります。それに加えて
制約を受けることは嫌いなので、とことん、制約から逃れようとする性格です。
心の言葉を今さっきいただきました。「哀れ」という言葉です。僕は哀れなのかもしれません。

例えば、あなた様を信じれば、あなた様に制約を受けることになることと思います。

話は飛び飛びになりますが、僕が侮辱的発言をされたことがあるならば、
それは僕の罪なのだろうか?そうではなくて、このような暗黒世界に
生まれたことが原因なのであって、罪というのは、また別の話なのです。
655ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/08(土) 19:21:11.48
今晩は

今日はお参り行脚で、350km走行した。
中には1時間かかる法事も含まれている。
私どもは檀家参りや法事については、けっして布教の場ではなく、先祖の供養の場なのだ。

ノス坊と渡海爺の先祖に供養というものを知らしめる時近づいた。

今後も毎日ノス坊と渡海爺の書き込みが有れば、何とか無事だと言う事が確認できる。
書込みが成されなくなった時は、書込みに耐えられない霊障の状態と判断できる。
当然個人差もあるので、真綿締めと名付けたミッションだが、効果はON−OFFではなく、
アナログ的なものなのだ。

今夜は、AKB48第5回選抜選挙、先日深夜に見たのは昨年のだった。
今は、応援する娘が居ない。
Q10こと前田敦子を応援していた。
マジスカ学園は面白かった。
今出ているドラマでは、前田敦子の成長がみられる。

ノス坊も成長しなくてはいけない、それには供養の重荷に耐え、修行をする事しかない。
渡海爺は賞味期限が切れた、法力の無い真宗オタク、そのうち供養の成されない惨めさを
自分自身で味わう事になろう。
656ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/08(土) 19:21:47.03
第十六章 ランボー寺の葬式と引導 ]

この葬儀に使っているお経の 般若理趣経 というお経は、三蔵法師が天竺から持ち帰った
経典の一つで、数ある経典の中で、ただ一つ成仏を経文の中で保証している経典です。
私は、ものの良し悪しを自分で、できるだけ試して判断する性格です。
そのために、宗教に対しても沢山の散財をしました。
しかし、そのお金や時間を惜しむ気持ちはありません。
体験したからこそ、決断できたのですから。
その結果、宗教で人(宗教家)に頼る事の虚しさをしみじみと分り、自分で解決のできるよう
にならなくてはと思うようになりました。
日本ではとかく情報は(宗教を含む)、言い換えると人に教わる事が只だと思っている風潮
がありますが、なにか一つ良し悪しを判断するにもかなりのコストがかかると理解しています。
しかしながら、世の中猛烈な速さで変化しており、できるだけ早く情報を入手する必要性も
分ります。他の方にはできるだけ効率よく生きていただきたいと思い、自分の経験などを、
隠し立てすることなく御教えしております。
私の実家は寺ではありません。
自分が遭遇した宗教家に裏切られたので、自分で難行苦行して、今の法力を得ました。
大勢の佛様から御教えいただき、心を集中すると、亡者の刀で切られた傷まで見る事ができ
ました。
地獄からは くもの糸 という仏様のお話にもあるように抜け出すきとが出来ない世界ですが、
そこから二組の母と娘を引き上げる事が出来ました。
私にとって、宗教に対しても沢山の散財をしましことは、いま形を変えて生きているのです。
657ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/06/08(土) 19:38:23.44
>>ランボー法師さま

分かりました。これからは、ほとんどの日々、こっちのスレにもちゃんと
投稿しましょう。なにせ、僕は浄土真宗の寺で生まれたのだから・・・。
658名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/08(土) 19:57:21.15
>>656
>この葬儀に使っているお経の 般若理趣経 というお経は、三蔵法師が天竺から持ち帰った
>経典の一つで、数ある経典の中で、ただ一つ成仏を経文の中で保証している経典です。

http://www.daitouryu.net/1256032959311/
したがって、真言立川流は女性器を崇拝し、これを高く尊ぶのである 〜 
この意味に於て、真言立川流も般若理趣経と同じ思想を持つ。

>良し悪しを自分で、できるだけ試して判断する性格です。
>体験したからこそ、決断できたのですから。

若し仏子、自ら淫し、人を教えて淫せしむること、乃至、一切の女人を故らに淫することを得
ざれ。・・・これ菩薩の波羅夷罪なり。(梵網経第三重戒)

五に大叫喚地獄といふは、叫喚の下にあり。 〜 熱鉄の利き針、口舌をともに刺して、啼哭
することあたはず。 〜 婬・の者、このなかに堕つ。獄卒、罪人を呵嘖して、偈を説きていはく、
「妄語は第一の火なり。なほよく大海をすら焼きてん。いはんや妄語の人を焼くこと、草木薪を
焼くがごとし」と。

     −笑−
659名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/08(土) 21:15:58.79
第15回世界真宗婦人会@カルガリー、スローガン決まる
「いだかれて サオが貫く わたしのいのち」
〜できるだけ座位または後背位で〜
660ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/09(日) 07:51:42.70
ノス坊と渡海爺、書込みが無くなったとき、自分の背負う因縁に潰されたと理解します。


もう真宗の教義は捨てたのですか?
二人とも、どんどん妄想の世界に堕ちていってますが、
真綿締めの霊界からの君らの脳へのアクセスで従来の
常識が飛んでしまったのでしょうか?

助けを求めたくなったら、お声掛け下さい。

今日も、明日以降も、生きている証として書き込んでくださいね。
書込みが無くなったら、残念ながら良い仲間(コテハン仲間)を亡くしたと残念に思います。


さて、君たちの先祖は成仏出来ていると思いますか?

さて、君たちの先祖は成仏出来ていると思いますか?

さて、君たちの先祖は成仏出来ていると思いますか?
661ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/09(日) 07:52:19.95
第六回及び第七回虚空蔵菩薩求聞持法修行体験と考察 U
脳の情報処理及び記憶について16

脳はコンピューターと違い、容易に機能停止したときに蘇れない炭素ユニット製である
ために、パソコンのようにBIOSチップのプログラムの書き換えをして電源投入して
蘇らすなど出来ない事は誰にでも分るはずです。
あの除霊出来ずに魑魅魍魎に襲われた事件以来二日後に視力に異常が生じました。
目の前の左上のあたりから中央にかけて指の太さぐらいで虹のような半円の形でその
部分だけが昔ガラスによく有ったダイヤガラスと言う模様のプリズム状に画面が複雑
にずれて見えるようになったのです。
パソコンなどの画面でのバグは直線的で縦でも横でも同期がずれた状態になることは
あるのですが、半円状となると意識的にバグプログラムを作らないと無理と思えます。
人間の大脳生理においても同じような事が言えると思うのですが、脳内のデーターの
視力における一部の伝搬がなんらかの規則的変調を受けてこのような現象を見るに至っ
たのではないかと思われるのです。
其処には天地創造の大日如来の偉大なる創造力を考えないわけにはならないのです。
幸いに脳内処理が終わったのか、翌日には普通の視界に戻ったのでした。
662名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/09(日) 13:31:35.71
≡┏( ^O^)┛本願寺へいこー
663名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/09(日) 16:14:29.93
( ^O^) 真宗総合スレとしては本山は本願寺だけじゃない (^O^ )

専修寺も仏光寺も興正寺も錦織寺・・・・メンドクなった
他の四派本山にもレッツサンパ〜イ≡┏( ^O^)┛ 
664ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/09(日) 17:27:25.33
ノス坊と渡海爺は、霊障について経験が無いと理解します。
しかしながら、今後起きる霊障について、過去にも書きましたが、素人にも
理解しやすいサイトがありましたので、最後に紹介していきます。


もう真宗の教義は捨てたのですか?
二人とも、どんどん妄想の世界に堕ちていってますが、
真綿締めの霊界からの君らの脳へのアクセスで従来の
常識が飛んでしまったのでしょうか?

助けを求めたくなったら、お声掛け下さい。

今日も、明日以降も、生きている証として書き込んでくださいね。
書込みが無くなったら、残念ながら良い仲間(コテハン仲間)を亡くしたと残念に思います。


さて、君たちの先祖は成仏出来ていると思いますか?


霊障(霊的障害)って?
http://www.interq.or.jp/mercury/w22525/reijutsu/bk02.htm

霊障の判断基準と診断方法
http://www5.ocn.ne.jp/~shinkyo/reishou-shindan.html
665ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/09(日) 17:28:02.62
第十七章 法事と供養 T

供養は檀信徒が自分だけでできる供養と僧侶にお願いして行う供養の法事や月参りがあります。
またお寺にいって他のお宅のご先祖さんといっしょに供養をいただくお盆やお彼岸の供養法会
があります。

 始めに、自分でできる供養からお話ししましょう。
供養するときは、必ず入魂された仏様がお祀りされたお仏壇で行います。
よく写真などに供物をあげて手を合わせている人がいますが、供養の効果もあがりづらく、
自分がその霊を背負って肩がこったり、頭が痛くなったり目眩したり、悪くするとその霊と
同じような病気になったりします。
なぜなら、写真をかざって供物をあげ手をあわせて霊を呼ぶ(霊はその身内であれば、心を
くばることによって直ぐ来るが、仏様の場合その場所に仏様の魂の入った仏像やお札がなけ
れば、法力が無いとなかなか来てもらえない。
霊を呼んだおぼえがないと言っても、亡くなった人を思っただけで霊は来る。)が仏様がい
らっしゃらないので、供養を進めることができず、いらだった霊は更に供養の催促を強める
からです。
666ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/09(日) 21:30:37.81
>>366 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho 2013/05/26(日) 19:11:58.69
> >>365 先祖・・・。寺はまだ二代目。僕の代で三代目。だから爺ちゃんしかいない。
> 爺ちゃんが成仏していないというのは、無礼でしょう?汗水たらして頑張った
> 人を未成仏霊扱いして・・・。


ノス坊よ、世の中でよく言われるのに、”三代目は身代を潰す” との諺があるが、
君は世間の常識も無く、僧侶としてもめだか以下、成長して使い物になるまでは
200年はかかろう。

この時間に書込みが無いのは、渡海爺と共に、自分の先祖に潰されてしまったのか。

ナムナム

 ┏━━━━━━━━━━━━━━┓
    チラッ  また書込みが無いな
 ┗━━V━━━━━━━━━━━┛
| |
| |∧___∧
| |´・ω・`)っ
| |   ノ
| |---u’
""""""""""
667名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/10(月) 00:37:21.06
(・◎・)なんまいだー
668名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/10(月) 00:57:00.23
>>640
顕如が准如を後継者に、て文書は捏造じゃん
それが分かってたから教如も門主然として振舞ってたし、
准如(西)ももう一つの「本願寺」なんてのが出来ても強く反対しなかった
幕府を恐れたなら明治以後いくらでも正当性を主張出来たはずだが、それもしてない
深くツっ込んだらこっちの方がヤバくなる、というのを分かってるからだよ
だから正確には「ウザい(准如の)母親がいなかったら・・・」が正しい
669名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/10(月) 01:23:18.24
>>663
富山の本山をお忘れでw
670名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/10(月) 02:12:03.82
富山の本山とは高森のあれね
671名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/10(月) 06:47:29.59
先日、木辺派の御本山にお参りしました。
親鸞聖人が御絵像だったことと、阿弥陀様が座像だったことに、衝撃を受けまくりました。
浄土宗が座像で、浄土真宗が立像だと信じていたので、
あと、源兵衛さんのしゃれこうべを拝んできました。有り難かったです。
672ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/10(月) 08:00:32.48
お早う  今日は6月10日です。

652 渡海 難 ◆Fe19/y1.mI 2013/06/08(土) 12:09:42.42
阿闍梨を僭称し、真言宗の厳しい修行に耐えていると嘘をつく。それはどれほど悪いことか。

657 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho 2013/06/08(土) 19:38:23.44
>>ランボー法師さま
分かりました。これからは、ほとんどの日々、こっちのスレにもちゃんと
投稿しましょう。なにせ、僕は浄土真宗の寺で生まれたのだから・・・。

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆



昨日は、ノス坊と渡海爺の先祖霊が本当の供養に目覚めた日。
ノス坊は ”僕の代で三代目。だから爺ちゃんしかいない。 ” と云うが、
爺ちゃんの霊だけではなかった、数百人の先祖霊が、ノス坊側と、渡海側に居た。

首が絞められているのか、呼吸の不如意の霊もいたが、首吊りか手打ちか
引導の時に一人ずつ対処しなくては今は分からない。
往々にして霊は、死ぬ間際の苦しみを、そのまま持ち続けて例会に赴くので、
その苦しみと取り除いて、戒律を与え、血脈を与えて仏様の弟子となる葬儀の
工程を満足しなければ、到底成仏は出来ないのだ。

成仏できない霊は、子孫に気が付いて供養して欲しくて自分の苦しみと同じような
苦しみを生きている人に感応させ訴えるのだ。
それに気が付かないと、訴えられた処の気が減少して亡者と同じ病気になるのだ。
673ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/10(月) 08:01:09.45
第六回及び第七回虚空蔵菩薩求聞持法修行体験と考察 U
脳の情報処理及び記憶について17

70座目の事です。マントラの子音の部分が三箇所きれいに発音できたとこの事でした。
突然頭上に途方も無く大きな物体が瞬時に現れたのです。
UFOか? アメリカ映画のインデペンデンス・デイの宇宙船より大きく、その先が
何処まで伸びているのか分らない途方も無い大きさなのです。
しかし、その底辺はインデペンデンス・デイの宇宙船のような岩石の様な感じではなく、
もっと近代的な感じで、しかし映画スタートレックの宇宙船のようにスッキリとしている
様でもなくもっと重厚でぎっしりと詰まっていて高級感が漂っているそんな感じなのです。
止まっていたのは、ほんの数秒であったので、それ以上の仔細なことは観察出来なかったのです。
次の瞬間その大きな物体は頭上を去っていったように感じました。
前に去ったのか、後に去ったのかは定かではない、一瞬の出来事であった。
もしかしたら、頭上に飛び上がっていったのかもしれないし、自分が移動していたのかも
知れません、感覚の中で。
次の瞬間、自分の周りは宇宙の中に投げ出されたごとくに、暗い中に星と思われる光が
回りに見えるのでした。
674ノスタルジア◇M2SKOmkR:2013/06/10(月) 08:41:23.77
いじけているだけだろWWW 幼稚だなWWW
675ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/10(月) 08:58:07.20
674 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho New! 2013/06/10(月) 08:41:23.77
いじけているだけだろWWW 幼稚だなWWW



お疲れ様、やっと一行書く事が出来たのですね。
昨夜はすぐ寝付けましたか?

私が生きている間でなければ、私に供養を頼めないので、70歳を過ぎた私の寿命を
考えた時、君の先祖は焦るでしょうね。
当然ながら、事故も気をつけましょうね。
見て確認したと思っても、霊はその状態をマスクして無難に見せる事もしますよ。

どうやら、三代目の君が寺を潰すようですね、利口に生きようね。
676名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/10(月) 10:14:52.88
>>671
浄土宗は基本、舟型後光の来迎印を結んだ阿弥陀如来立像だったと思う
まあ座像でも、浄土真宗と同じ御名号の掛け軸でもいいらしいけど
677渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/10(月) 11:38:15.90
>>671
>親鸞聖人が御絵像だったことと、阿弥陀様が座像だったことに、衝撃を受けまくりました。

 錦織寺が親鸞絵像と阿弥陀座像を使っているとは僕も知らなかった。それよりもそれを見て衝
撃を受けるという人がいるというのは頼もしい。同じことだが、実は、先人の文書をしっかり読
み、若い人々が、その文書の内容にも衝撃を受けられるようになれば僕はもっと頼もしい。

 高祖親鸞聖人御在生のとき、末代の門弟等、安置のためにさだめおかる、本尊あまたあり、い
はゆる六字の名号、不可思議光如来、無碍光仏等なり。 〜 
 〜 二尊の形像をもてまへに安ぜられたり。まづ弥陀の形像は、観経の像観のこころなり。か
の『経』に十三定善をとくなかに、第八の観は像観なり、これ形像なり。第九の観は真身観なり、
これ浄土の如来なり。 〜 つぎに釈迦の形像をのせらる、ことは、一代の本師、二門の教主な
るがゆへなり。 〜 
 〜 これらの義をもて、(高祖親鸞聖人におかれては)かくの如く図せらるるかと存ずるとこ
ろなり 〜
 つぎに親鸞聖人は、源空聖人面授の弟子なり。 〜 。  (弁述名体抄 存覚)

 そもそも、親鸞聖人の一流においては、平生業成の義にして、来迎をも執せられそうらわぬよ
し、うけたまわりおよびそうろう  (御文 第一帖)

来迎像   http://item.rakuten.co.jp/shogeikan/10000619/
第八の観  http://www.byodoin.or.jp/tanbou-kokuhou.html

 親鸞聖人とその直弟子達は念仏道場の荘厳をどのように定めたのか。存覚上人はそれを詳細に
説明している。存覚上人の説明を読むと、教行信証そのものの世界がビジュアルに見えてくる。
その内容は、本願寺やその末寺の本堂とはまさに真逆の世界である。こういうところにも少し衝
撃を受け、なぜ本願寺が変わってしまったのか、その原点はどこか、思いを巡らす人が、外に一
人でもいると、在野の親鸞ファンとして、僕も嬉しくなる。

 暫く多忙です。>>671だけには急いでコメントしたくなりました。
678渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/10(月) 14:58:33.19
>>671
 (こういうのを目にすると気になって証がないんだ。仕事が手につかない。−苦笑−)

 錦織寺の阿弥陀像は、座禅を組んでいたか、正座をしていたか、その辺はきちんと見てきた
かな?どんな座り方をしていた?どうしてそんな座り方をしていたか、これも考えてみると、
多分、衝撃を受けるだろう。本願寺の着座は正座が基本だからね。

 浄土真宗の念仏道場は、本来は教行信証の世界を演出する場所なんだが、そういう考えは、
300年以上昔になくなっちゃった。そう考えると、これにも衝撃を受けるだろう。

 300年以上も泣き続けている親鸞聖人を思い浮かべると、アマチュアの親鸞ファンとして
は、寂しい限りだ。
679渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2013/06/10(月) 15:00:04.08
>>678  訂正

× 演出   ○ 実践
680ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/10(月) 22:29:45.56
   /〜ヽ
  (。・0・) あのねあのね ノス坊は、必死で朝の書込みをしたんだね。
   ゜し-J゜ 明日も頑張って、朝も夜も書こうね。


    _
   /〜ヽ
  (。・o・) う〜んと、ね 渡海爺は頑張って、昼間コピペ出来たね。
   ゜し-J゜


    _
   /〜ヽ
  (。・-・) えっと… 二人とも、明日は元気で迎えられるかな?
   ゜し-J゜


    _
   /〜ヽ
  (。;-;) それとねえ、、、、忘れちゃった。
   ゜し-J゜
681ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/10(月) 22:30:19.60
第十七章 法事と供養 U

テレビ出演時もこの話をしましたら「我々は先祖の供養ができないと言うのか!」という
抗議の電話がありましたが、自分たちでできるのであれば、つらい修行をした僧侶などい
らないし、葬式も自分たちでできるので、経済的であるが、はたしてそうだろうか?
引導をする力の無い者(真宗僧侶含む)が、霊を前において対等の供養ができるだろうか。
こう言うと「仏壇の無い私には先祖供養はできないではないか!」と言う。
「その人の葬式をしたお宅の仏壇で供養すのが本筋です。」と言うと
「実家とは離れていて、そう簡単には行けない。」と言う。
「そんなに供養が大切に思うのなら、海外旅行に行くのを、一回見送ったら、何回もお
参りに、行けるでしょう。」「・・・・・」「供物をもって、近くで信頼のおけるお寺に
行って、供養をしていただいたら」と言って電話をきった。  
682名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/11(火) 06:51:59.62
676さん 671ですが、こうなったら、真宗十派の全本山をお参りしますよ。
現時点で東・西・興正・仏光・木辺・高田と行きましたので、残りの北陸四派も行きます。
683ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/11(火) 07:58:57.46
     ,..).、__
 ..,,_ .イ:::・:(< おはよ〜〜〜 ノス坊、渡海爺ィ〜〜〜
 !:::::`'::::::::!ソ
 `>:::::ノ
  く/ゝゝ

今日も元気で書き込みましょう。
ノス坊は、自分では気が付かないようだが、少し霊感があるようだね。
首や腰など、脊髄がズレていませんか?
684ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU :2013/06/11(火) 07:59:34.81
第六回及び第七回虚空蔵菩薩求聞持法修行体験と考察 U
脳の情報処理及び記憶について18

自分の直ぐ前には、虚空蔵菩薩求聞持法の密壇があり、左右には今使っている脇机がある
のですが、しかし床もなく、下は果てしない宇宙の空間なのである。
よく護摩法会の時には大きな輪宝の上で護摩を焚いており、はるか下には地球が見えて
いるのであるが、今回は夜空そのものなのです。
孔雀明王の護摩の時は様子が少し異なり、マントラをくり返し唱えていると、いつの間
にかに孔雀の背に乗っており、お尻に孔雀の背中の丸みや体温までも感じてくるのです。
気球が空に浮いているごとくに静かに動いて(飛んで)おり、足元には町並みがみえ、
とても優雅なひと時を与えてくれるのです。
話を元に戻しましょう。
この夜空の中で弘法大師の最期のお別れの言葉を思い出しました。
685名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/11(火) 09:15:27.68
>>682
東の別れにまだ3つあるでしょ?
686名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/11(火) 14:37:23.79
寺参り、気合い入れて参ってこいやあ!
687名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/11(火) 16:04:39.55
>>686
 なんのために?
688名無しさん@京都板じゃないよ:2013/06/11(火) 18:54:38.68
671ですが、それぞれの御本山を参拝すると、それぞれの御門徒さんの親鸞聖人に対する敬慕の情の違いというか、私が東の御縁を持つ者だけに、親鸞聖人を十方からじっくりと舐め回す様に見れるのが嬉しいです。
東の別れは変だからパスです。
そういえば、当地では、東京本願寺が破産したって噂が流れているのですが、本当ですか?
689ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU
真宗僧侶よ、傅く事は有りませんか門徒との間で。

私はお参りが終わったら、檀信徒とは家族のように会話をしています。
よく聞く話に、住職には聞きにくいとか、怖そうでこんな事聞いたら叱られるかも、
とか思わせて、檀家との距離を置いている僧侶が多いのには感心できません。
浄土真宗の場合、門徒との距離を置かないと、先祖の事等あからさまに出来ない
話題が出る事を恐れて、意識的に門徒との距離を保っていませんか。
また月参りの時に、真宗僧侶の読経は短く、5分で帰ると云う門徒の人の話を
よく聞きますが、そんな短くて阿弥陀さんとの縁を納得できるように説明できるの
でしょうか?

偉すぎるのは問題ですね、特権階級と思い込んで、こんなのも有りましたから。


岩手県議の小泉みつお議員 病院で番号で呼ばれ激怒、
「俺は客だぞふざけるな」と恫喝2ch
「俺は刑務所に来たんじゃないぞ。中央病院の責任者!」


霊障って、血圧を上げるの知っていますか?
考え方によっては、悪魔の手による所業だが、それを産んだのは供養をしない宗教だ!
無能な僧侶には抗いようの無い運命がもたらす悲劇でもある。

渡海爺は ”暫く多忙です。” と具合悪いのを誤魔化そうとしている。
ノス坊は、此れ以後書いていないのだが、くたばったのかな、大口叩いていながら。

”674 ノスタルジア◇M2SKOmkR hunamiesho 2013/06/10(月) 08:41:23.77
いじけているだけだろWWW 幼稚だなWWW ”