【御同朋】浄土真宗(真宗)総合サロン66【御同行】

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535ランボー法師 ◆Nic8pW.NtU
第九章  憑依と霊障

その場所で遊んでいても、ひとりではつまらなくなり、たまたま来たスポーツカーを運転
している若者をよびこむこととなる。
呼ばれた若者のハンドルを握っていた手は、突然硬直し自由がきかなくなった。
結果は明瞭である。
再び路外転落という事故が発生する。同じ所で二度三度と同じような事故がおきるのは、
このためである。
最初の事故の若者が葬式にも家にも行かずここに居続け(地縛霊)たからで、この霊を
葬式のとききちんと呼んで葬式を受けさせていたら、続けて事故は起きなかったでしょう。
最初の霊をきちんと引導していたなら、スポーツカーの若者は、死なずに済んだのです。
最初の事故者の葬式をした僧侶が、いいかげんな引導供養をしたからで、スポーツカーの
若者にとっては、たまったものではない。
僧侶となれば、一般の人はきちんと引導供養してくれていると思っており、事故死した者
がそこに居ないまま、葬式が行われているとは思ってもみず、ましてや、他人までをも、
まきこんでいるとは、知る由もない。
葬式は遺族の為のセレモニーで、事故死者の為には、いっさい効果を上げていない。
このような引導や供養の空売りは多く不成仏霊がどんどん増えているのが実情であり、
霊界と現世界とは、一見相異なる二つの世界に見えるが実は一つであって二つではない、
不二と呼ばれる世界観にあり、言い換えれば精神界と物質界で、弘法大師空海は、
それぞれ金剛界・胎蔵界と呼び、その考えは密教の世界観である。
霊界が汚れると現世の私達の心も汚れ、私達は想像以上に霊界の影響を受けている。
引導供養が、きちんとされていないのに気が付いたら、効果のあるよう、やり直して
もらわなくてはならない。