>>143 若し行者、初の坐禅時、心、縁ずる所に随い、一切諸法、念念に住(とど)まらず、真の止を体し
て上の如く用うと雖も、しかも妄念息(や)まず。その時は、心、若しは善、若しは悪、若しは無記、
若しは三毒貪瞋痴等、一切諸法、縁ずるところに随(したが)うべし。若し、一切世間之事を念ずれ
ば、起する所の心、如是等の心、即ち観に反(かえ)るべし。(天台小止観 正修の行)
無声の禅では、心が動いて行くその動きをもう一つの心がじっと眺めるという状態を作ります。曹
洞禅、臨済禅はいずれも無声禅であると考えます。親鸞聖人の一念念仏は、この無声禅への導入に、
一度ゆっくりと南無阿弥陀仏を称えて呼吸を整えると考えています。
>現在ではどのような人が浄土門を必要としているか、考えたことがありますか?
すくなくとも、現代の浄土真宗の坊さんは、九九%が浄土門を必要としていないと考えます。
一念念仏・多念念仏は、日本天台禅の一つで、奢摩他・毘婆舎那の練習には最高の方法だろうと思
います。親鸞聖人・蓮如上人の奢摩他・毘婆舎那の練習会では、続いてフリートーキングが行われて
います。これもまた非常に重要な項目と考えます。
需要を掘り起こせば、親鸞聖人・蓮如上人への賛同者も多くなるでしょう。
>>156 そのしるしもなからんひとびとに、悪くるしからずということ、ゆめゆめあるべからずそうろう。
(消息集)
おぬしは親鸞聖人の「ゆめゆめ」という言葉をどのように読んでいるの? 無視するのか?