1 :
名無しさん@京都板じゃないよ:
2 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 11:59:48
>>スレ@/983
>総てお見通し?根拠は?弟子の採ってきた毒キノコを食って死んでるんだよ。
まず、あなたが知っておくべきことは修行完成者である覚者(仏陀)というものは、自分の死期と
死に方は自らが選択しているということ。これが望みもせず不慮の死に至る、我々凡夫などとの
決定的な違いなのです。
誤って毒キノコを差し出したチュンダを最大の功徳がある供養であったとして最大限の果報があ
ると称賛しています。これは悟りに至る過程で食したスジャータの乳粥と並び称するものだと。ゴー
タマはこのチュンダの差し出した食事によって、遂に肉体の無き完全なるニルヴァーナ、無余涅槃
へと到達できるわけです。
ゴータマは教えをすべて説き終え、為すべきことをすべてやり遂げて使命を終えたと判断したの
で、この死を自ら選択したのです。しかも、誰かに素晴らしい功徳(果報)が与えられるような死に
方を。ついでにいうと、ゴータマは自分が望めば、もっと生存し続けることも可能であった、とも明言
しています。これは自分で死を選択したのです。
『この二つの供養の食物は、まさにひとしいみのり、まさにひとしい果報があり、他の供養の食物
よりもはるかにすぐれた大いなる果報があり、はるかにすぐれた大いなる功徳がある。その二つと
は何であるか? 修行完成者が供養の食物を食べて無上の完全なさとりを達成したのと、および
(この旅の)供養の食物を食べて、煩悩の残りの無いニルヴァーナの境地に入られたのとである。
この二つの供養の食物は、まさに等しいみのり、まさにひとしい果報があり、他の供養の食物よりも
はるかにすぐれた大いなる果報があり、はるかにすぐれた大いなる果報がある。』
(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)
3 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 12:02:43
>>スレ@/994
>反対に質問しますが仏事と無関係な祖霊供養とは何ですか?
それは私側の主張ではありません。
祖霊供養は本来、仏教とは無関係に古来の日本で培われてきた信仰だというわけでしょう?
それが、後に仏教に取り込まれていったと・・・。
スレ@/995
>だったら、今まで偉そうに反論してきたのは何だったのですか?
揚げ足取りのようなレスはしないことです。
私は、過剰な祖霊供養に対する疑義、及びこれを仏教と関連付けることに対する危惧を提示しているだけです。
このことに疑問符を投げかける者がいても当然でしょう!どう、違いますか?
スレ@/996
>原始経典が釈迦の完全な実説であると世界中の宗教学者でも未だに
>証明できていませんよ、根拠とデーターをヒステリーに叫ぶ貴方が完全
>に証明ができていない事を偉そうに「すでに結論が出ています」とは
>どういう意味ですか?
では、あなたは証明されたものだけを信じていなさいな。
どうぞご勝手に!
>>スレ@/997
>貴方の言う仏教は何処の国の仏教ですか、私の言う日本の平安仏教と
>鎌倉仏教は檀家制度により先祖供養と習合しているので仏教と供養が
>関係あります、葬儀も法事も仏事が伴いますので
原始佛教(原始経典の説く教え)です。
誤解しないよう、ゴータマの説いたものしか仏教と呼べるものは存在しませんから。
4 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 12:04:55
では、いいましょう。
元々、ゴータマの在世当時においては仏教のサンガ/僧院というのは葬儀などはしていませんでした。
何故なら、仏教の死というものに対する態度は無常観であり、
死者の霊に対する特別な儀礼的儀式というものをまったく重視しません。
もしろ、ゴータマ最後の教えであるパーリ大涅槃経/マハー・パリニッバーナ・スッタンタでは、
弟子である僧侶たちに対し、「おまえたちは葬儀及び遺骨の供養/崇拝(の営み)には決して関るな」と、
釘を刺しているのです。
あなたがいう檀家制度と先祖供養との習合の話は、この中でも解説されています。
『仏教には"お盆"という風習は無かった ---仏教、本来の目的は「心(精神)」の修養にあり、「魂の浄
化」や祖先供養にはなかったことは理解しておく必要がある。
仏教伝来より1500年もの間、葬儀や先祖供養が仏式で行われてきている日本の状況は一朝一夕に
変わるものではない。しかし、本来「魂の浄化」は神様にお願いすべきことなのだということは是非とも
知っておく必要がある。』(『日本民族について』)
http://www.ryujinsogusha.or.jp/HTML/sun-god/japan6.htm >>スレ@/998
>それで、結局、六道輪廻するから先祖供養は不要だとお釈迦様は
>説いているわけ?
こう解釈すると良いと思います。
つまり、「不要」というよりは「必要」だとする教えを説きませんでした、と。
では、もう少し具体的にやりましょうか!
「供養」供養・・といいますが、これは正しくは「追善回向」(追善供養)のことなのです。もう、亡くなら
れて自分で善行を行うことができなくなった死者(祖霊)に対し、代って自分(子孫)が積んだ善行の
功徳をそのまま自分が受けるのではなくて、この本来、自分に返ってくるものである功徳を死者(祖霊)
へと向かわせるということ。これにより、死者(祖霊)がより高き界へと上昇できるようにするものです。
エッ、素晴らしいじゃないか!って??
これが事実(実際にできること)であれば、ですけれどね・・・。
5 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 12:08:08
確かに、ある程度については死者(祖霊)を宗教的な儀礼/霊的なパワーで以って救済することも可
能ではないか、という見解はこの私にもあります。しかしながら、ただの一般人のシロウトがお仏壇前
で供物をあげて読経し、最後に「回向」(文)を読誦したくらいで、それができるとすることには疑問符
がつきます。
まず、お供物を捧げる意味は解るとしても、“読経すること”が善行なので功徳があるとすることには、
やや懐疑的です。ゴータマは読経しなさいとか、それが善行となるといった教えは説いていない。要
するに、(バラモンたちが行っていた)儀礼的な行為の一切について推奨しなかった。
ただ、ゴータマはヴェーダ(バラモン教の聖典)の達人であり、これを称賛されていることからみて、
ヴェーダ読誦の行為も善いことと見なしていた可能性はかなり高い(『スッタニパータ』)。また、“真実
語”(真実を言葉にして発する)には、“一定の力がある”ともいっている(『マッジマニカーヤ86』アング
リマーラ経)。
では、仏教聖典の読誦は尚更ではないか!と、いいたいところですが、本来、仏教の教え(経典に
編纂された)というものは読誦するためのものではなく、読んでその内容を実践するためのものです。
更に、現実問題としては、我々が日常、読経用として手にしているお経のいずれもすべてが、生前
のゴータマの語った教えが記されたものではなく、また随所にいいもしなかった勝手なデタラメが記
載されたものです(これら大乗経典群はすべて非仏説)。
それから、仏教のブの字も知らないでいたような人間が死後には仏典(お経)に関心を抱き、お仏
壇で漢訳経典を読誦したものなんかを聞いて理解するのか?または、大乗経典の読誦にはそういう
霊的な力が発揮すると?本当ですか?
6 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 12:11:59
そして、これが最も重要事項なのですが、そもそも善行の功徳を(自分にではなく)他の人へと向け
る、といったことは本当に可能なのか?ということ。
宗教的な力の中にはそういう法はあるかもしれないことを私は否定しませんが、けれども、お仏壇
前でお供物をあげて読経したくらいで、最後にただ回向文を読み上げたくらいで本当にそれができ
るのかどうか?
まず、“因果の道理”によれば、自己の行為の結果はすべて己れに返ってくるもの、ということが何よ
りも基本であり、これをより理解することが仏教における主眼なのだ、ということ。
その上で、できれば日常生活の中で本当の意味での善行を積んで、お祈りの一貫としてその功徳
で死者(祖霊)がより高い界へと行けるよう合掌することは、一つの美徳であるという見方はできると
は思う。
7 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 12:34:13
>>6追記:
>そもそも善行の功徳を(自分にではなく)他の人へと向ける、といったことは本当に可能なのか?ということ。
>宗教的な力の中にはそういう法はあるかもしれないことを私は否定しませんが、
あくまでも、これは死者の霊に対する話です。
生存中の人間に回向できるとする意味ではありません。
災難を最小限にしていくべくような宗教的な祈願力は存在するでしょうが、
善行の功徳の回向といったものは不可能でしょう(それは因果の法を無視した見解です)。
また、
>先祖は皆、すでに別人として転生しており、
>いつまでもお供物を捧げるような対象がいないのです。>>スレ@/975
と、私は主張し、その根拠を原始仏典から引用、列挙しました。
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1131518991/989-992 死者に対して、その霊存在に対して永遠に供養し続けるなどという、
つまり、死者の霊存在の恒常性といった考え方については、
ゴータマは「常見」という間違ったものごとの見方であるとして、これを完全否定しました。
(反対に、死後には肉体が分解するだけで何も残らないとする見解(唯物主義)を、
「断見」と称して最も厳しく批判しました)
8 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 12:39:32
*これで私の主張はほぼ終わりです。
ただ何も考えることなく、お仏壇前の供物と読経が先祖供養になり、
しかも、これを永久に必要とされている行為であるとすることに対する素朴で率直な疑問を提示したのです。
もしも、考えたこともなかった人には、これが良い機会となればと思います。
以上
9 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 12:54:37
追記:
“追善供養”の起源はゴータマ仏陀の教えではなくて、後代の中国で成立した『梵網経』にその
根拠があります。これは偽経(ゴータマの教えを示したものではない)だと明確に判定されていま
す。中国の思想と当時の中国仏教が置かれた諸事情(死者に対する無関心を当時の中国の庶
民に批判された)によって書かれました。
『ぼんもうきょう 《梵網経》---中国で成立した《梵網経盧舎那仏説菩薩心地戒品第十》の略称、
2巻。クマーラジーバ(鳩摩羅什)の訳とされるが、<孝を名づけて戒となす>など。中国的発想が
随所に見え、5世紀の劉宋期に中国で撰述された偽経の疑いが大きい。本経の特徴は、10重戒、
48軽戒という大乗菩薩戒にあり、父母、師僧、三宝に対する孝順を強調する在家戒はとくに注目
される。したがって、中国、日本の仏教で重要視され、天台智ギの《菩薩戒義疏》をはじめ、多くの
注釈がつくられた。』(『世界宗教大事典』)
10 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 13:01:43
>>8 >>スレ@/997
>貴方の言う仏教は何処の国の仏教ですか、私の言う日本の平安仏教と
>鎌倉仏教は檀家制度により先祖供養と習合しているので仏教と供養が
>関係あります、葬儀も法事も仏事が伴いますので
>原始佛教(原始経典の説く教え)です。
>誤解しないよう、ゴータマの説いたものしか仏教と呼べるものは存在しませんから。
↑
ええ、ですから原始経典がゴータマが直説なのか、どうか、未だに不明ですから
疑問を持ってもらうのは勝手ですが、読経するな、供物を供えるな、先祖供養をするなと
釈迦が説いているわけ?
釈迦の実説だと証明もされていない原始経典の立場からのみ
先祖供養や日本の仏教を判断されても困りますね
やたら、ヒステリーな長文、御苦労さん
11 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 13:07:06
>では、あなたは証明されたものだけを信じていなさいな。
>どうぞご勝手に!
ご勝手に!、だったら何でアホくさい長文をタラタラ返してくるの?
インドネシアでもタイでも行ったら?原始仏典、原始仏典うるせーよ
12 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 13:10:32
> 確かに、ある程度については死者(祖霊)を宗教的な儀礼/霊的なパワーで以って救済することも可
>能ではないか、という見解はこの私にもあります。しかしながら、ただの一般人のシロウトがお仏壇前
>で供物をあげて読経し、最後に「回向」(文)を読誦したくらいで、それができるとすることには疑問符
>がつきます。
根拠は?宗教的な霊的パワーって何?
原始経典と根拠とデーターでのみ物事を語るのがアンタのスタンスじゃ
なかったのか?いい加減や奴だな
物知りじゃなくてお前はただのコピペ名人だな
13 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 13:28:33
>>9 そもそも、原始経典や南伝仏教を取り上げて他の国の仏教や
民俗信仰は間違いであると断言するのは無理があります
それはただの批判です
14 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 14:44:02
追善供養を否定してるが、ペータヴァッツは貴方の中でどんな扱いなんだ
原始仏教にもちゃんと在るぞ。
15 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 15:32:07
私からの主張(疑義)については、ほぼ終了です。
尚、質問があれば答えられる範囲で返答します。
>>13 ゴータマの教説以外は仏教とはいえないということ。
尚、仏教ではない他の宗教はまったくの無価値であるとか、
思想としていることのすべてが間違いである、という意味ではありません。
先祖供養は美徳(日本人の持つ善き)であるとして、私もこれを認めています。
ただし、基本的な認識と見解の必要性、及び過剰なもの(これを利用する宗教ビジネス)
に対しては見直しの必要性を主張します。
日本仏教は民衆の信徒獲得のためにこれを利用した部分があるともいえます。
>>14 これは、あとで返答(解答)します。
>>15 >先祖供養は美徳(日本人の持つ善き)であるとして、私もこれを認めています。
>ただし、基本的な認識と見解の必要性、及び過剰なもの(これを利用する宗教ビジネス)
>に対しては見直しの必要性を主張します。
>日本仏教は民衆の信徒獲得のためにこれを利用した部分があるともいえます。
これには同意。特に真宗はご先祖さんにお経上げるわけじゃなく阿弥陀に上げてる訳で
この辺をウヤムヤにして門徒からやれ何回忌だとお布施巻き上げてるのが許せない。
檀家を辞めればいいやん!! 必要な時だけその宗派の坊さんに頼めばそれでいいだろ。
18 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 20:16:35
>15 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2010/07/24(土) 15:32:07
>私からの主張(疑義)については、ほぼ終了です。
>尚、質問があれば答えられる範囲で返答します。
ただのコピペ野郎が先生口調で調子こいてんじゃねーぞ
>>13 >ゴータマの教説以外は仏教とはいえないということ。
>尚、仏教ではない他の宗教はまったくの無価値であるとか、
>思想としていることのすべてが間違いである、という意味ではありません。
結論から言うと貴方は南伝仏教や原始経典は、中国、日本、朝鮮などの
外国の儒教、道教、祖霊崇拝、民俗信仰、葬儀とは関係ないと当然の事柄を
指摘いるに過ぎないのです、それで?だから?
誰もが本場の仏教そのままを要求しているわけでも何でもないの
その国その国に合わせた仏教に発展して何が悪い、カレーだってそうだろ
19 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 20:17:38
それに、日本の葬式仏教を批判するが、そんな事を言い出したら中国仏教なんて
日本以上に儒教思想が色濃く反映されていて日本以上に先祖供養を重視しているぞ
お前は世界各国の仏教を批判して飛行機に乗って原始仏教でも
布教してろ
>先祖供養は美徳(日本人の持つ善き)であるとして、私もこれを認めています。
>ただし、基本的な認識と見解の必要性、及び過剰なもの(これを利用する宗教ビジネス)
>に対しては見直しの必要性を主張します。
>日本仏教は民衆の信徒獲得のためにこれを利用した部分があるともいえます。
お前は宗教と慈善事業の区別もつかないのか?日本は資本主義なんだよ
1人で勝手に見直ししてろよ、僧侶に依頼する供養、自分でする供養
色々、日本の伝統文化は複雑なんだよ、解ったか!インド野郎
20 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 20:33:12
>日本仏教は民衆の信徒獲得のためにこれを利用した部分があるともいえます
これは違うな、そもそもが徳川幕府による檀家制度で仏教と先祖供養が
合体した葬式仏教が誕生した
しかし、その宗教政策がインドの東インド株式会社や中国のアヘン戦争敗北
のようなキリシタン布教を口実にした、西洋列強による植民地支配を防いだ
一国家にせよ、一家庭にせよ、基盤である先祖先亡を供養する事は
家庭や地域社会の結束力を固めるのに役立つと言えよう
お前は仏事や読経による供養を無駄だと言っていたが、幕府の命令で
平安、鎌倉仏教が庶民の先祖供養を担当する事になった既成事実がある以上
仏事や読経以外に仏教徒としてどんな供養法があると言うのか?
護摩供養か?流水潅頂供養か?放生供養か?仏教徒が仏事以外に何を
して供養すると言うのだ?それに素人の読経は意味がないとほざいた
が出家在家問わずに檀信徒は仏教徒である
21 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 23:01:39
>>12 >根拠は?宗教的な霊的パワーって何?
この場合は二つの意味合いがあります。
一つは法を修する側の神通力というものであり、
もう一つは儀式祭典の呪法による効果というものです。
儀式における一定の作法(その中に様々な知識とテクニックが組み込まれている)に則ることで、
自然界の霊的な生命体(デーヴァ・エレメンタル)に働きかけるものなど・・・。
当然、その持つ意味合いというのは、
唯物主義では否定される物質科学では説明のつかない超常的な作用をいう。
>>14 この中に登場する、布施の供養によって餓鬼が救われる話というのは、正確には、布施の行為
(善行)による功徳が向けられて(つまり、追善/回向されて)救われたのではありません。
この場合は、自分を救済するために親戚縁者たちによって行なわれた布施であることを知って
大いに感激し、その喜びを所縁にして心を善に向かわせ、善趣地に転生できたというものです。
これを「得達の随喜」(pattanumodana:自ら得たものを喜ぶ)という。
基本はあくまでも、「悪行を犯して死んだ人間を、供養をすることによって助けることはできない。」
「悪行を犯した人間を、別の人間が清めることはできない。」というのが仏教の教えです。
尚、自称仏教徒(原始経典の学習を含め)の中には、ゴータマは霊存在を説かなかった(そんな
ものはないから)などとしたり顔でいう者も多いのですが、これは完全な間違いです。転生していく
ので常住ではない、というだけです。事実、ペータヴァッツの逸話の他にもゴータマが死者(死霊)
と会話している様子などが紹介されています(『マッジマニカーヤ18』ジャナヴァサバ神霊との対話)。
22 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 23:02:26
>>16 まったく、その通りだと思います。
たぶん、真宗の僧侶側にも言い分(言い訳)はあるでしょう。
これは庶民の祖霊に対する思い、その信仰心(祖霊信仰)からの望みと願望を受けて、
その希望を適えてあげているのだと。つまり、ニーズに合わせていると・・・。
けれども、自分らが本当に自派の教えを信じるならば、
僧侶、自らが教えに沿った行動をとり、
間違った世間の価値観にある信徒を正そうとすべきが本当でしょう。
僧侶がそれをしないで誰がするのですか?
要するに、あなたのご指摘の通り、お布施と称して祖霊供養の一貫にあやかっているだけです。
>>20 私は“祖霊供養は仏教ではない”といっているだけです。
では、仏教徒の祖霊に対する態度とは如何にあるべきでしょうか?
当然、やはり今よりもより良き高き界へと移行できるよう願うというのが、子孫としての祖霊に対す
る感謝や尊崇の念の自然な流れと顕れでしょうね。それはどのような行為や表現としてなされるの
かというと、それが現在、今日の日本に見られる大乗仏教における庶民の日常信仰の姿となって表
れています。
要するに、生前はいろいろあったが・・・せめて死後は仏門をくぐり、受戒し得度して仏道修行を邁
進し、今よりもっと良き世界に行って欲しい、という願いです。これが死後に受ける戒名(法名)の習
慣となり、仏道修行に励む祖霊に読経を日々聞かせて・・・といったものになったのでしょう。
私は、これが悪いなどとはいってない。
本質であるところの仏教の教えを蔑ろにして、ただ祖霊信仰に重きをおく今日の状況を嘆くだけです。
これがキッカケとなって、仏教の教えの面にも触れていければいいのですが、この重要な部分を僧侶
は疎かにしてのん気に過ごし、ただ祖霊供養のためのお布施にあやかっているというのが実情ではな
いか?そして、過剰な祖霊供養は如何なものか?と、問うているのです。
23 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 23:03:14
仏教は本質重視なので、祖霊供養や儀礼儀式に重きを置きませんが、本質をなおざりにしないなら
ば、本人が希望であればしてもいいのです。
また、ゴータマがすべての祭式を否定し、禁止したものと思っている仏教は誤解しています。行いの
正しいバラモンによる心の篭った儀式には効力があることをゴータマも認めています(『スッタニパータ』)。
ただ弟子には、「その必要はない」といい、注意(集中力)が削がれるからするな、といったのです。
24 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 23:11:24
>>17 そうなんですが・・・
実際、自分の家族から死者が出てお世話になった場合には、
なかなかそういうわけにはいかないのが実情。
25 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/25(日) 00:49:33
利他行を否定してる時点でちょっと貴方大分凝り固まってるね。
自分で書いているのに認めたくないのか解らないけど。
随喜するにも布施の回向がないと随喜しようがないよね。回向なしで転生が直ぐに出来るなら
餓鬼は誰も、助けを求める必要がないから、話が成り立たない。
多分勘違いしてるのかな。悪行そのものは確かに別の人間が取って代わることはできないし、
悪行そのものも消える訳ではない。大体がその因果で餓鬼道に落ちているのだから。
但し、更新はできる。諸行無常であるから。状況は変えられる。だから実際に餓鬼たちは
天上界に行けた。ただ、餓鬼たちは自分たちで状況は変えられない。悪業の因果を受けなければならないから。
だが、他人が供養し回向してやれば、その功徳によって悪業は更新される。
あと、貴方が大乗非仏説を取る理由を教えていただきたい。
26 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/25(日) 01:45:39
この餓鬼の救いの逸話というのは、
回向によるものではないといっているのです。
尚、布施の行為は結果的には意味(その甲斐あっての効果)があったということ。
ただし、勘違いされては困るのは、あくまでも功徳の回向という見解について否定されているということ。
>あと、貴方が大乗非仏説を取る理由を教えていただきたい。
簡単なことです。ゴータマの教説でなければ仏教ではないからです(宗教の一つではあるが)。
その重要性とは、仏教とは解脱を果たしてニルヴァーナに到達した仏陀が、自らの経験によって、
その仏陀となるための教えを説いたものだからです。
要するに、仏陀でない者にはその経験を語ることは不可能であり、勝手に書かれた大乗経典と
いうのは、その経験値の裏づけなしに空想や創造、願望によって書かれています。
従って、仏陀になるための方法論としては信頼性のないものです。尚、これ(仏陀になる=成仏す
ること)以外に仏教の目的というものはありません。
仏陀であるゴータマ生前の教説が弟子によって死後(100年後くらい)に編纂され、纏められたも
のが原始経典群です。大乗の諸経典類はそのまた後代に、原始経典を奉じていたのとは全くの別
グループが勝手に書き上げたものです。これが近代仏教学の研究によって明らかになった事実で
あり、少なくても現代における定説だということ。
これ(解脱成仏すること)以外のすべてについては、仏教の観点からは副次的なものに過ぎません。
27 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/25(日) 01:46:35
28 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/25(日) 05:46:05
>>26 これはテーラワーダ協会などに洗脳されている人の典型的な主張パターンですね
原始経典は釈迦の実説であると未だに認められたわけではないのです
あまりにも考え方が排他的で凝り固まっており独善的ですね
29 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/25(日) 06:04:20
>>22 >私は、これが悪いなどとはいってない。
> 本質であるところの仏教の教えを蔑ろにして、ただ祖霊信仰に重きをおく今日の状況を嘆くだけです。
>これがキッカケとなって、仏教の教えの面にも触れていければいいのですが、この重要な部分を僧侶
>は疎かにしてのん気に過ごし、ただ祖霊供養のためのお布施にあやかっているというのが実情ではな
>いか?そして、過剰な祖霊供養は如何なものか?と、問うているのです。
物事にはその場に応じたニーズと言うものがあります、それを考えずに
自分の主義主張を他に押し付けるのは賢い人間のすることではありません
日本人が宗教に求めているのは知的満足ではありません、知識の暗記と哲学
で霊は救われません
日本人が仏教に求めているのは信心と先祖供養であり教学ではありません
南伝仏教や原始仏典ではこうだから、他が間違い、だからこうしなさいでは
そういった物事の考え方では宗教えはなく、もはや全体主義または共産主義に
なってしまうのではないのかな?
周囲の意見に聞く耳を持たないのに何故レスを繰り返すのですか?
同じ主義主張ばかりいい加減、飽きました、消えてもらえませんか
31 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/25(日) 09:20:16
密教にしても、秘密仏教といってバラモン教と習合しているわけ
ですよね
つまり、中国仏教にしても朝鮮仏教にしても日本仏教にしても
釈迦仏教をベースにはしているんだけど、その国独自の宗教で
あり別個の概念です
それを認めずに原始経典がこうだから、これ以外は間違いと
主張されても、はあ、そうですかとしかお答えのしようが
ありません
32 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/25(日) 10:02:53
>>28 >原始経典は釈迦の実説であると未だに認められたわけではないのです
原始経典というのは内容が(大乗とは)異なり、そして一貫しています。
これは大乗の諸経典とは違います。これまで原始経典だったものが、
大乗へと分類変更されたりすることもありません(逆もなし)。
少なくとも、生前の史実のゴータマの教説について研究しようとする場合に、
大乗経典を対象にする仏教学者などは皆無です。
全世界においてもなし。
>>29 >物事にはその場に応じたニーズと言うものがあります、--中略--
>日本人が仏教に求めているのは信心と先祖供養であり教学ではありません
だから、ニーズに合わせてるでしょう!
けれども、仏教は祖霊供養のためにあるのではないのです。
これを知り、学んでいく必要があるのであり、僧侶がこれをしかなければならないのが本来の使命です。
>南伝仏教や原始仏典ではこうだから、他が間違い、だからこうしなさいでは--中略--
>周囲の意見に聞く耳を持たないのに何故レスを繰り返すのですか?
これ以外に仏教はないからです。
勝手デタラメは仏教とはいえず、従って解脱成仏ができません
(死後に供養によって迷わず霊界に届ける意味ではない)。
33 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/25(日) 10:14:55
よって、
日本人としての祖霊供養の習慣の継続と大乗信仰は続けられてもいいのです。
肝心なことは、ゴータマの教説である原始経典の教え(の内容)が知られ、普及していくことです。
本来であれば僧侶の役目の筈ですが・・・今、レスを返してくる若干名のように、
反発意識を持つか、または無関心の状態あるだけ。
現実には、大衆に知らせようとしているのは近代仏教学の研究者側による出版活動ということです。
祖霊供養、先祖供養がダメという話をしているのではなくて、
仏教の価値観が間違って受け取られている現状に疑義をていするということ。
---ということで、あと特にご質問があければ・・・
もう繰り返しになったので、これにて“終わり”にしたいと思います。
では、
良いお盆をお過ごし下さい>>各位all m(__)m
34 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/25(日) 10:21:57
追記:
>>31 密教には密教の素晴らしさが別にあります。
これが混迷を極めてインド大乗が最後に世に放った集大成でした。
インド仏教の存続をかけて原点回帰(古代バラモンの叡智を拝借)を図ったのです。
一部に、バラモンと習合した外道扱いする人がいますが、
この私は“大乗の中”では最上位に見ています。
35 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/25(日) 12:36:16
>>33 >祖霊供養、先祖供養がダメという話をしているのではなくて、
>仏教の価値観が間違って受け取られている現状に疑義をていするということ。
仏教は宗教である、先祖供養は民俗信仰である、日本では二つの概念が同居
しているので宗教的な概念だけでを先祖供養における仏事を否定する事はできない
日本の葬式仏教とは教学のみで成り立っているものではない
宗教と民俗信仰は本来は別個の概念である、それを原始経典のみで
物事を解釈しようとする貴方はただの強引バカである
客観的に判断して、日本の平安鎌倉仏教が原始経典を拠り所としていない
とする理由だけで先祖供養、民俗信仰、各国の歴史文化習俗までも否定する事は
不可能である
仏教は中国、朝鮮、タイ、ベトナム、それぞれが違う発展を遂げている
いくら、説明しても貴方は原始経典とは違う、原始経典とは違うと
まるで真っすぐ走る事しか知らない猪のようですね
36 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/25(日) 16:58:48
誰かと思ったら宝珠かよwww
神仏板にちょっかい出すのはやめとけ。
37 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/26(月) 10:37:16
>>35 >宗教的な概念だけでを先祖供養における仏事を否定する事はできない
先祖供養を否定しているのではなくて、
本質(仏教本来の教えと目的)がなおざりにされている現状を憂ているのです(これは僧侶が悪い)。
また、過剰な祖霊信仰には信仰心を利用した宗教ビジネスが蔓延る、という警鐘です。
バランス良く程度をわきまえ、ホドホドであれば、別に何ら問題はない。
>>36 あらヤダぁ・・。
覗き見してたの?(;´Д`)
こちらは初盆にて、この春に亡くなった父を楽しく迎えるべく(地方の遅れ盆)、
私、主導で初めてのなるべく本格的な精霊棚を飾ってみようかと、今から忙しく準備中ですよ。
「白提灯」「水の子」「蓮の葉」「ミソ萩」「真菰(まこも)」
「青竹」「鬼灯(ほうずき)」「麻幹(おがら)」「焙烙(ほうろく)」・・・ですか。
これは-なかなか面白いですねぇ。ま〜原始仏典にはなさそうだけど楽しく準備してます^^
では、ごきげんよう |Д´)ノ
お盆のお供えのセット(果物とか野菜とかほおずきの籠盛みたいなの)に
蓮画像の一派手前みたいなまだ青い蓮の花托(はちすって言うんでしょうか?)が
入っていることが多いのですが、あれには何か意味があるのでしょうか?
蓮の花はわかりますし、もう少し熟してるものだったら実が食えると
聞いたことがありますが、青い蓮の花托も野菜として扱ってるんでしょうか?
39 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/26(月) 14:05:08
>>37 >過剰な祖霊信仰には信仰心を利用した宗教ビジネスが蔓延る、という警鐘です。
宗教は慈善事業ではありませんので、何事に関しても無料は無理です
それはテーラワーダ協会でも同じではないのでしょうか
私が言う供養は写経、読経、霊場巡礼、本山参り、仏壇の御給仕、墓参りなどお金よりも労力と
時間を必要とするものです、寺に永代供養を依頼すればそれでよしとは
考えておりません
私は浄土宗の檀家ですが、葬儀や法事でもない限りは年間の護持会費
や盆の棚経の布施が必要なだけで金額的にしれてますけどね
寺の瓦の葺き替え、本堂の修復などに一軒あたりに寄付を要求
される場合もありますが金の用意のができない人は無理に請求されません
まあ、何十年に一回の事ですけども
檀家からの布施の管理は、檀家総代や事務が行い住職の手元に
全額渡るわけではなく、住職寺族は檀家から寺を預かっているに
過ぎません
伝統宗派の場合、保育所、学校、介護福祉施設等の運営、布教
先祖供養における仏事などありとあらゆる事を担当しているわけです
私が所属している寺の住職は身体障害者の施設で介護をして働き
クタクタになりながらお寺を運営してみえますけどね、生活費は自分
で稼がないとお寺の運営など無理なのではないでしょうか
40 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/26(月) 18:51:56
41 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/12(木) 12:29:49
仏壇の内部の掃除をした。
「仏壇の内部はあまり触ったり掃除してはいけない」と住職が言うので年に二回しか拭き掃除はしない。
埃がすごくたまっていた。
毛ばたきで埃を払う程度は毎日やった方がいいぞ
44 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/12(木) 15:55:56
漆塗の位牌や仏壇を濡れ雑巾でふいた日には、もう即アウト
45 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/12(木) 15:56:38
お助け下さい・・・
明日、亡養父の初盆です
坊さんから掛け軸を15万で買うようにといわれました
(本家のおばさん経由ですが)
そんな金ありません
どうしたらいいですか(涙)
46 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/12(木) 17:10:17
>>45 買う必要なし。意味が無い。
伝統各宗派の中でも、そんなことが必要だとする宗派は無い筈だ。
教義的にも理に合わない。仏教で「初盆時に軸を新添する」なんて理は存在しない。
その寺独自の伝統か、住職の理念・思想か、はたまた新興宗教に片足つっこんでる寺か、
この三つぐらいしか想定できんだろw
本家のおばさんが怪しい
48 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/12(木) 23:50:06
>>46 ありがとうございます
初盆で掛け軸がいるのではなく
初盆のお飾り撤去後に仏壇が入ります
その時のご本尊が掛け軸なので、
仏壇が来たら即買うように言われました
言葉足らずですみません
明日の初盆の時に催促されるだろうと思い困っています
49 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/13(金) 00:02:01
>>48 そうだとしても、その金額は無いwww
絶対、騙されてるか“ぼられ”てるw
統計があるわけもないだろうが、おそらく全国8割の仏壇の本尊は安っぽい小さな、
軸風の本尊だよ。それは、如来だったり菩薩だったり宗祖だったり名号だったりするけれども、
いずれにしろ「15万」なんてのは破格過ぎ。よっぽどの上物、
たとえば、どっかの管長さんや御師家さんクラスの直筆や讃だったり、
著名な絵師による尊像だったり(そのレプリカだったり)すれば、多少値は張ってくるだろうが・・。
それでも、高僧や過去の傑僧の手になるでない限り、そんな金額にはならない。
仏壇用の掛け軸なんて普通は数千円だもんね
でも、なぜ仏壇を買う際に全部一式買わなかったんだろう
51 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/13(金) 04:44:29
52 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/13(金) 10:27:41
初盆の行事に寺に行かないつったら
寺から名前消すって村のひとに言われたよ
供養なんぞ身内でお供え物して手を合わせれば十分やん
本山から買えって言われたんだろ
本山で買うと本尊両脇合わせて15万〜30万する
仏壇屋で中金、手書きでその半額ぐらいはするし
印刷の安物なら確かに数千円だな
お寺から受けてきた戒名が書かれた経木を仏壇に並べ
お茶や蓮入りの花を供え、七色の野菜を蓮の葉の上に盛って供える。
小さなお皿にソウメンや野菜のお浸しを盛り、仏前に供える。
お茶はお盆の間、100回替えて供えたら極楽にいけるという言い伝えがある。
「のまくさまんだばさらだんせんだまかろしゃなそわたやうんたらたかんまん」
と不動明王の慈救呪を唱えて先祖を供養する。
光明真言や阿弥陀根本陀羅尼もお奨め
>>55 そうですね。光明真言は七回唱えるといいんですよね。
七回とか、21回とか、108回とかは、あくまで数の目安だから、
心をこめて1000回でも2000回でも多ければ多いほどいい。
無理のない範囲でだけどね。
58 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/13(金) 14:40:51
>>55 それらの真言・陀羅尼は宗派を問いませんか?
あと、素人が勝手に唱えても問題ないものなんでしょうか。
真言というのは本来僧侶に授かるもので勝手に唱えるのは
罪になるという話を聞いたことがあるので心配です。
>>58 宗派というのは、人間が信仰上の都合で夫々に作った組織と云ってもいいでしょう。
真言・陀羅尼は日本の各宗派が出来る以前からあるもので、謂わば真理の言葉とも
云えるもの。
宗派によってはその真言・陀羅尼用いない教団が有ったとしても、個人の使用を拘束
するものでもありません。個人が先祖の為に真言・陀羅尼を唱えても問題はないと
私は考えます。
真言や印によっては今でも師資相承で、一般の人が知ってるからといって、勝手に
用いてはならないと云われる真言や印もありますが、光明真言や阿弥陀根本陀羅尼は
それには該当しないでしょう。
60 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/13(金) 16:45:29
>>59 ご教授ありがとうございます。なるほど、素人ではダメな真言と素人でも
問題ない真言と二つあるのですね。
金剛合掌や、種字を観想するのもお授け無しで問題ないでしょうか?
真言宗式で普段お祈りをしているものの、授戒も受けてないいわば門外漢
なのですが。。。
>>60 現代では一般の人でも普通にお唱えするような御真言でも、
時代や僧侶によっては一般の人には教えない事もあったようです。
密教の真言や印は基本的には師資相承で、その器に無いものには伝授すべきでは
ないと言う考え方があります。それらの禁を侵して教えたり、伝授されてないのに
行ったりする事を「越法」と云ったり越三昧といいますが、現代では僧侶の専門的な
範疇の真言や印以外はあまりとやかくいいません。
ネットや書物で多くの知識を簡単に知る事が出来る時代ですし、社会全体の知識レベルが
昔とは比較にならないほど高くなっていることもその理由でしょう。
授戒も受けてなくとも、金剛合掌や、種字を観想しても何ら問題は有りません。
但し、専門的に深くやるとか、観想をやってゆく中で、違和感を覚える感覚や
現象が現れた時は専門家の指示を仰いだほうがいいでしょう。
62 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/13(金) 19:45:18
在家が唱える前には「お授け」という手順を踏むのが正式。
真言を唱えるのも一応は授かるのが本来の在り方。
天台宗では誰でも知ってる念仏の「南無阿弥陀仏」でさえお授けで伝授する。
どんな事をするかと言うと、
導師「今からお十念をお授けしますので、私が言うのを復唱して下さい」
導師「なーむあーみだーぶ」
一同「なーむあーみだーぶ」
導師「なーむあーみだーぶ」
一同「なーむあーみだーぶ」
という具合に一緒に10回唱える。
真言もその宗派の発音の癖があるから本当は僧侶から習うのが良い。
まあ、あまりそこまで指導してる寺はないけど、どの寺でも聞けば教えてくれる。
仏壇アプトって所が丁寧に教えてくれたよ。
何を教えてくれたの?
話の流れブッタ切ってごめんなさい。
今朝、棚経が上げられたんだけど丁寧に上げてくださった。
ふだんは唱えない華厳経をあげ、密教の被甲護身の法の印まで結んでお経をあげてくれました。
あんなに丁寧にお経をあげてくれたら嬉しいな。
66 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/14(土) 10:30:04
67 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/14(土) 12:06:21
68 :
48:2010/08/14(土) 21:30:31
>>49>>50>>51 亀ですみません・・・
初盆で和尚は読経5分でかえりました
仏壇が来たら見に来るそうです
サイズを見たいからって
浄土真宗西です
なんか仏入式もやらないといけないらしく
金掛かります
掛け軸は調べたら45000円から105000円みたいでした
(本願寺のHP)
仏壇屋からはサービスで西陣織の高級な掛け軸貰えるんです
それだけに、こんな無駄な出費は納得なら無いのですが
本家のおばさんが鬼の形相で罰当たりだと言います
納骨堂買ったのは失敗でした・・・
愚痴に丁寧にお答え下さりありがとうございます
69 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/14(土) 21:54:27
>>68 本山に問い合わせてみ?
「【宗旨として】必ず購入しなければならないものですか?」と。
「家計のやりくりの上で、仏壇以外のプラスアルファは出せないのですが・・」と。
それでも買えと言われたら、
あきらめるか、将来の先祖供養への投資だと思って離檀しちまえw
70 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/14(土) 21:56:11
>>68 再度言っておくが、
どんな宗派でも、歴史ある伝統宗派に於いて「そんな出費をさせることは【通常】あり得ない」。
71 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/14(土) 22:11:28
>>68 断固拒否しなよ。
もう金払ったならクーリング・オフだ。
浄土真宗は糞だな・・・あきれるわ・・・
73 :
48:2010/08/15(日) 12:56:32
68です
本山にも電話して、金ないんでどうにかならんかと聞いたら
魂が入ってない仏壇なんてただの箱だから
早く掛け軸買って入仏式しろって・・・
とりあえず和尚に泣き入れてみます
そして私が死ぬ時には仏教辞めて
子孫に要らない心配かけないようにします
みなさん、本当にありがとう
自分、罰当たりなのかとおもいながら
納得ならない気持ちでした
74 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/15(日) 13:39:48
>>73 軸でも像でも、自分で仏具屋で「しっくり」来る奴探して安置した方がマシ。
つか、【普通は】そういうもの。本山から(寺側から)頒布されることはない。あっても希望者だけ。
強制される例があるとすれば、「遠諱や伽藍の普請改築等、大きな行事に際して」くらいのもんだ。
勿論、他宗派でもありえないことではないが、
どんな事案であっても、それは【各寺院の(≒各住職の)意向(思想・信条)】に由来する。
「仏壇」は「箱」(≒「庵」(≒止宿所))に過ぎないし、【箱のままで構わない】。
「そこに仏菩薩が居る」事に重要性があったとしても、それは【本山から強制的に爲されることではない】。
俺も納得できないw
上で書いたように、大会(だいえ)や伽藍の新改築等が絡んでいれば別だが、
通常の仏壇購入に、そういう支持が出る宗派があるって事自体驚愕だよw
俺は、従う必要は無いと思うね。つか、【違う、もっと安価な本尊で良い】と思うね。
75 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/15(日) 13:46:17
補:
ただ、74の中でも少し触れたが、
そういうケースは【個々の寺院(住職)の考え方に依拠する】ので、
仮に他宗派へ乗り換えたとしても、
「移った先も【同様の義務を要請してくる寺院】である可能性」はゼロではない・・・。
天台宗のお寺の建物って誰の物なのでしょうか?
現住職一家?本山?
関東三十六不動霊場のx番札所にもなっていて、とても古く歴史ある建物
なのですが、老朽化がはげしく立て直しが必要になっているのですが、その
費用を全部檀家の寄付でまかなおうとしているみたいです。
前住職のジジイがなんとか大僧正だかの肩書きを本山に有り金はたいて買って
おっ死んだので、息子の現住職は金無しです。
見積もりの15〜16億円を檀家に分担借金させて建物の建て直しをしようとしているのですが
もうこの寺の檀家は辞めちゃった方が良いでしょうか?
自宅購入時の借金もあるので年収以上の寄付金なんて寺の借金まで出来ないししたくないです。
77 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/15(日) 14:36:03
本尊入れるのが嫌なのに仏壇買うことが理解できん
本尊あるのに、別のやつを寺から15万で買わなくちゃならないからだろ
79 :
48:2010/08/15(日) 14:56:14
仏壇を買ったのは買わないといけないと思っていたので・・
急に義父が亡くなり義母は世間知らず
何もかもはじめてのことで
自分の無知を恥じております
葬儀社との交渉やら病院の支払い
各種手続きであたま真っ白なとこに
この問題です
私は無宗教になり献体し
葬儀も生前にお別れ会します
>>79 いや、仏壇(購入)自体はイイことだよw
問題は、
「本尊様に15万も出す必要は無い」
「菩提寺に(本山に)、特定の・高額なものを強制される謂われは無い」
ということ。
仏具屋さんや古美術店巡りでもして、琴線に触れるものを探した方が良い。
で、それを開眼・入魂してもらうべき。
※ちなみに、「仏壇は箱」ですから、『仏壇に入魂』ということはありえません。
あくまでも『そこへお招きする、安座して貰う』というだけです。
(何か儀式をするにしても、そうした意味合いを超えることはありません。)
これは、墓石でも同じです。建立に際して祈願・回向するというだけです。
唯一「位牌」のみが、祖霊と結びつくものですが、それも「依り代」の域を超えません。
丁寧な方は、位牌の新調に際して読経依頼をする方もありますが、必須ではありません。
>>76 ・何年計画?
・寺院としての積立とか無いの?
・寺族(住職個人及び家族、親類縁者)の負担はある?
また、
・(総代・世話人等、関係役員の同意のある)正式な通知は来た?
・銀行(或いは宗派(≒本山))からの融資計画は無し?
・割り当ては「一口幾らを複数口」で?一口でも可?
・喜捨は不可避な義務?
・檀家でない人(縁故のある人・会社・組織、或いは『一般参拝者、観光客』)への喜捨の誘いは?
上記の幾つかが計画に組み込まれていることにより、各檀家の負担額はかなり押さえられるし、
長期計画にすれば、1年分の負担も下がることになる。
質問としても、不明な点が多すぎかな。
>>76 ちなみに、(一行目は枕詞でw、ほんとに聞きたいことではないようだが)、
建物は、普通一般的には『「寺」のもの』。(宗派(や寺院の性格・位置付け)によっては、宗派のものということもあるかも。)
今の行政に則って言えば、『その「○○寺という法人」のもの』。(宗教法人であればw)
子会社の社屋が、社長個人のものでもなく、親会社のものでもないように。
少なくとも、登記上そうなる筈。
別棟としての生活空間(宗教活動に全く関与しない住居)であれば、
建物の所有は住職個人ということになる(―借地に居を構える形。尤もそうした契約が存在することは皆無だろうが―)かもしれないが、
普通は、全てが「法人の所有」になると思う。
>81
又聞き(親から自分)の所で詳しくは全然決まってないです。
と言うのも額がでかすぎてみんな尻込みして話をしないようにしているらしい・・・
でも柱の土台も崩れている箇所があるし雨漏りしてるし床もブカブカのところがあるんですよね。
俗に言う地震1発ってやつです。
詳しく聞けたらまたここでお聞きします。
>82
>ちなみに、(一行目は枕詞でw、ほんとに聞きたいことではないようだが)、
いえね、宗教法人の物なら檀家から金集めしないで総本山に全額金を出してもらえよと思ったので。
たとえば今の住職が病気事故で死んだりしたらその住職家族は出て行っちゃう?んだから
総本山?の所有物なのでそっちで金出せよと。
>>84 だから、「通常は」本山(或いは宗派)のものでもありません。
よって、当該法人(寺院)に関することで負担するのは、基本的に檀家しか居ません。
檀家以外から主要な負担を仰ぐことはありえません。
(文化財や名称指定、或いは四国のような遍路の宿坊等、多数の利用者・受益者が居る場合には、
別の負担者として位置づけることができますが。国宝等レベルが上がれば上がるほど、
逆に、国の予算やスケジュールが立たない限り、一切手をつけることはできません。
朽ちてしまっても仕方ありません。ま、行政の責任は問われてくるでしょうがw
本山・宗派の所有であれば、当然、予算に組み入れられ、修復計画が本山・宗派レベルで立てられることになります。
勿論、そこに檀家があれば、檀家【にも】負担の義務はありますが。)
江戸以降、確立し、実に上手い具合に(!w)機能してきた「檀家制度」の性格とシステム上、
この図式が覆ることはありません。
/(^o^)\ナンテコッタイ
寄付金予価500万円
このまま檀家でいると人生オワタ\(^o^)/
又聞きレベルだと、檀家総代もどうすればいいのか判ってないみたいです。
立て替え見積もりから一人頭の額を算出して、そこであまりの額になり、これで
決まられると困るってんでこれ以上の話をしないようにしている状況との事です。
過去の事例で寺から少し離れた寺管理墓地の再整備で檀家すら金を出さなかった場合あり。
87 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/15(日) 19:31:09
>>48 なんかテキトーなことを言ってる香具師が多いが、「本尊」だろ?
そりゃ15万は高いと思うが、ボッタクリとも思わないがなぁ。
個人的には、本家のおばさんの、「罰当たりだ」と言う意見の方がまっとうな意見だと思う。
例えばだな、
「パソコンパーツ屋に行って、自作しようと思ってPCケースを買ったら、CPUなどを15万で買えといわれた。
PCなんてただの箱なんだから、外箱さえあれば、CPUなんかいらないだろw」
と言っている人がいたら、どう思う?w
仏壇ってのは、位牌を入れる為の、位牌壇じゃないんだ。
本尊が入ってなければ、ただの箱。本尊(仏様)が入ってこその仏壇だよ。
また、その本尊も、入仏式をしなければ、ただの絵や置物。
入仏式をしてこその本尊だよ。
また、その辺の店で売ってる適当な安物を買ってきて、入仏してもらうのも、
「菩提寺から本尊を授与して頂く」と言うのが本来の姿である以上、いかがなものかと思う。
そもそも、この際ずーっと、子々孫々に至るまで、自分の家の本尊になるものをケチるってのもな〜
確かに15万は高い部類だと思うから、お金が無いなら、菩提寺に相談するのが正解だと思う。
15万と言うのも、「本尊の値段」ではなくて、
「本尊を寺から授与していただくのに際して、寺に納める布施の金額」だろうから、
貧乏でお金が無いと言うのなら、実費(本尊自体の値段)だけで授与してくれるかもよ。
(実費なんて5千円もしないだろうしなw)
まあ、「神仏なぞ信じない。入仏式は無意味だ。仏壇は位牌を飾っておくインテリアボックスだ」と言うのならば、
いっそネットから適当な絵でも拾ってきて、プリンターで印刷しておけば?
それも価値観のひとつだとは思う。
88 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/15(日) 20:23:31
>>87 馬鹿野郎w
>確かに15万は高い部類だと思うから
こここそが最重要問題なんじゃねーかwww
「 >寺から授与していただくのに際して、寺に納める布施の金額 」
この考え方はアリだ。
(ただし、【本山までが推薦するなんてのは】【他宗派では普通無い。特殊なケース】だw
それとも、末寺の全檀家に対して、【管長の】【御真筆クラスのもの】がいただけるのかい?w)
数万だったら、(ま、物の良し悪しを考えれば)無難な額として
「せっかくだから買っとけば?」とレスしていたろうよw
本尊だけで15万はよっぽどいい表装で150代とかの大きいのじゃないとそんな値段にはならんはず
とりあえず確かサイズと値段の書いた表があったはずだからお寺さんから貰ってみれ
渡さずに15万払えっつーなら自分で本山か別院行って買って来ますって言えばおk
90 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/15(日) 21:06:55
>>88-89 いやいやw
ご本尊が、【管長の】【御真筆クラスのもの】だから、価値があるんじゃない。
そもそも、管長が書いたって、物理的な値段は、紙と墨で、数千円ぐらいだw
お前さんは、「管長が書いた」と言う部分に価値を認めるんだろ?
それと同様に、「菩提寺から授与される」という部分に「15万の価値」があるんだよ。
たとえ5千円の普及品であったり、あるいは住職がコピー印刷したものであっても関係ない。
その上で、15万と言う金額は個人的に高いと思うから、
事情(貧乏で払えない)を、寺に相談したらどうかと言っているんだ。
蛇足を言えば、「菩提寺から授与される」という価値観が理解できないなら、
仏具屋で高価な(数千円程度だろうが)本尊を買う必要も無い。
インテリアの飾りなら「ネットで落としてきた画像のプリントアウト」でも同じだろw
それなら20円ぐらいで済むw
91 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/15(日) 21:12:21
>>90 馬鹿だろ?www
>「菩提寺から授与される」という部分に「15万の価値」が
これがおかしいっつってんだよ。「希望者に」ということならわかる。
だが、「一律に」「例外なく」ってのがおかしいと言ってんだよ。
少なくとも、禅宗ではありえないからな。
92 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/15(日) 21:25:44
>>91 はて?
相談者のレスを見直したが、「一律に」「例外なく」15万払えと要求されているとは思えないが?
各家庭の事情を無視して、「一律に」「例外なく」15万払えと要求しているのなら、確かに異常な住職だ。
だが、普通なら、事情を話せば判ってもらえると思うんだがね〜。
だから、まずは自分の事情を話して、相談するように何度も薦めているんだが……。
それに、仏壇に菩提寺から授与された本尊を入れて、入仏式を行うと言うのは、
自作PCの部品を買うときに、CPUを買うぐらいの当たり前のことだと思うんだが……。
まあ、質問者が「PC(仏壇)はインテリアで、箱だけあればいい」というのなら、
マザーボードもCPUも買わずに中身は空(プリント印刷本尊)でもいいだろうなw
>少なくとも、禅宗ではありえないからな。
もしかしてあなたは、
「自分の信じることは絶対に正しく、よく知らない他の寺や他の宗派でも、俺の意見は絶対に正しい」
とでも思い込んでるのか?
93 :
48:2010/08/15(日) 21:44:27
お騒がせしてすみません
とりあえず仏壇を和尚が見に来て
その時に値段を提示すると思われます
その時に15万だったらもう少し庶民的なお値段のものは
ないのかと聞いてみます
義母は本家のおばさんにお寺さんの言われた通りにしろと
怒られていますが
15万はおかしいし、死んだお父さんも望んでないと言います
もう少し安価なものなら買うと言ってます
一人になり年金の額も減った義母に余計な出費はさせたくないし、
私が買ってもいいけど、そんなものに多く払うなら
お香典をたくさんあげるほうがマシだと考えてます
通夜、葬式、七日毎の読経、49日法要、納骨、初盆、入仏式、百カ日
一体いくらお布施を払い続けるのか・・・
何百万もだして納骨堂を買って間もなく亡くなった義父が
呆れているのだろうなぁと
申し訳なく思います
94 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/15(日) 21:48:51
>>92 >「一律に」「例外なく」15万払えと要求されているとは思えないが?
そうか?
レス全体からは、【寧ろ】そのような状況が仄見えるが?
(だから、
>>73で「>泣きいれてみます」というレスがあるんじゃねーの?)
懐具合が考慮されるかどうかは未知なわけだが、
【一応、最悪のケースを想定して】全てのレスを入れさせてもらった。
>「自分の信じることは絶対に正しく、よく知らない他の寺や他の宗派でも、俺の意見は絶対に正しい」
>とでも思い込んでるのか?
『仏壇の本尊は本山推薦の物に限る』(としか読めない状況の事案だがw)、
というのが、『一般的、通寺院的、通仏教界的』には変じゃないかとは思ってるね。
疑問を持ったならもう寺と関わらない方が良し。
浄土真宗みたいだし坊主を呼んでも亡くなった義父の為じゃなく
阿弥陀如来の為にしか読経しないよ。
96 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/15(日) 22:20:07
>>93 >何百万もだして納骨堂を買って間もなく亡くなった義父が
あ〜、なんと言うか、もしかしてそのお寺さんと言うのは、
かなり由緒ある、格の高いお寺だったりしないか?
また、お寺側が、あなたの家のことを「何百万も払える家」で、
「その単位の付き合いをしていく檀家である」と認識していている可能性もある。
もしそうだと言うのなら、あなたの言っていることは、
「養父が、ロールス・ロイス買ったんだけど、
ガソリンはハイオクしか喰わないから燃料代高いし、
ちょっと壊れたんで修理に出したら何十万も請求されました。
どうにかなりませんか?」
と言っている様なもんだよ。
まあ、そうではないなら、ボッタクリ寺院である可能性が高いので、
そこを確認したうえで、離檀するなり、今後の付き合い方を真剣に考えた方がいいかも知れないな。
97 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/15(日) 22:22:01
>>94 >【一応、最悪のケースを想定して】全てのレスを入れさせてもらった。
なんというか、寺は悪者だと言う前提の下にすべてを妄想しているようにしか見えんのだが。
最悪のケースを想定するのは大切だが、状況もよくわからない初っ端から、妄想が激しすぎるw
妄想で批判するのではなく、質問者の状況が判ってから、その状況に応じた批判をすべきだと思う。
(まあ、上の「何百万もだして納骨堂を買って」発言を聞くと、妄想が間違ってなかった可能性もありえてきたがw)
>『仏壇の本尊は本山推薦の物に限る』(としか読めない状況の事案だがw)、
どのレスから妄想したんだ?
本山に言われたのは、「掛け軸買って入仏式しろ」だろ?
別に本山推薦の物に限ると言う話ではなく、
「仏壇には本尊が必要だ」と言う、「PC買うならCPUも買ってね」程度の、
ごく当たり前の回答をしただけだと思うんだがな。
98 :
48:2010/08/15(日) 22:36:24
>>96 九州の田舎のお寺ですが古いみたいです
うちは何百万の付き合いができる檀家じゃないですよ
普通の中流家庭です
ただ本家はたくさん土地やら山やら持ってますから
誤解されてるかも・・・
納骨堂も私達こどもに後々迷惑をかけないように
永代供養してくれるからって
本家に勧められて購入したらしいです
99 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/15(日) 22:39:36
>>97 >どのレスから・・・・・・思うんだがな。
どんな目ン玉とどんな脳味噌で読んでんだよw
もう一回、全レス読み直して来いw (ヒントとしては
>>73だが)
>>93のレスもあるし、後は住職の応対次第だ。
この流れからは一旦手を引くよw
>>97 ただ、
>>92>「菩提寺から授与される」という価値観 を否定するものではないし、
「授かるありがたさ」や「貢献する義務」を否定はしない。
「永代供養料」や「墓地料」(或いは葬儀料)などは
高額なケースの方が多い(そのことの是非はまた別問題として)。
受戒会という行事だってあり得る。
だが、仏壇の本尊まで指図すんなってこった。
他にも協力する(貢献する・負担する)場面は頻繁にある筈だ。
そこへ仏壇の本尊まで捻じ込んでくるなってこった。
貢献の仕方、布施の仕方は、種々様々でいいんだよ。
ノシ
100 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/15(日) 22:52:04
>>97 ほらほら、
>>98というレスも入りましたよ?w
ちなみに、墓地(使用)料や永代供養料は基本的に「一律」だと思われる。(墓地はサイズによりランクあり)
そして、「今後お付き合いをお願いします。供養等お世話をお願いします。」という
挨拶・依頼の意味が大きいので、契約料という性格を持って「一律」の寺院が殆どと思う。
だが、通常はそれ(と或いは葬儀)だけなんだよ。
後は、法事、寺院の年中行事の布施、護寺会費等、或いはお参りのついでとか、
幾つか寺院への協力や敬意・謝意として納める場面や義務はあるだろう。
それ以外は、そうした義務の範疇を超えるんだよ。
純粋に「お気持ちで」「お望みなら」という部分なんだよ。
特に仏壇の本尊なんてのはな。
ノシ
本願寺派の本尊で15万かかるってなら70代ぐらいなのか
そんなでかい仏壇買ったならそのぐらいケチんな
102 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/15(日) 23:54:19
>>98 >九州の田舎のお寺ですが古いみたいです
>ただ本家はたくさん土地やら山やら持ってますから
>誤解されてるかも・・・
ああ、やっぱりw
それは完全に誤解されてるよ。
山を幾つも持っているような、超大金持ちの大檀家の分家が、中流家庭とは想像つかんよw
まして、数百万も納骨堂に払ったんなら、分家もそれなりの金持ちだと判断されても仕方が無い。
むしろ、お寺じゃ「あの大金持ちの新宅の本尊に、15万程度じゃ、かえって失礼だったかな〜。
もっと高く提示した方がよかったかも…」と、考えているかも知れないぞw
お寺には、きっぱりと、「うちは本家とは違う。中流家庭です。」と言ったほうがいいと思う。
103 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/15(日) 23:56:20
>>99 >もう一回、全レス読み直して来いw (ヒントとしては
>>73だが)
いや、むしろ自分が読み直してこいよw
「お寺が『仏壇の本尊は本山推薦の物に限る』と言った」なんてのは、
お前の妄想以外に根拠が無いと思うがw
>だが、仏壇の本尊まで指図すんなってこった。
>他にも協力する(貢献する・負担する)場面は頻繁にある筈だ。
>そこへ仏壇の本尊まで捻じ込んでくるなってこった。
いやだから、仏壇の本尊ってのは、PCにおけるCPUぐらい、クリティカルな部分だと思うんだが。
むしろ、お寺が指図するとしたら、そこしかないだろうってぐらいw
もしお寺が「仏壇のサイズは○○で、どこそこの仏具屋を使え。仏具は純金製で……」
とか指図したんなら、話は別だがw
>>100 >ほらほら、
>>98というレスも入りましたよ?w
何が言いたいんだ?
俺の想像が当たっていただけで、お前さんの妄想を肯定する情報はまったく無いと思うんだがww
墓地のサイズによって永代使用料違うのと同じように、
その家の付き合いのランクによって、「法事、寺院の年中行事の布施、護寺会費等」の金額も変わるんだろ?
それと同様に、本尊を授与してもらうときに納める金額も、それなりの額になって、何の不思議も無いと思うが。
>特に仏壇の本尊なんてのはな。
むしろ、本尊にこそ、家柄に応じた対応が求められると思うんだがw
マザーボードを最新型にしたのに、CPUだけPentiumU買っている奴がいたら、どう思う?w
104 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/16(月) 15:04:22
最新型のマザーにPen2付けられる人は
相当のやり手だと思う
105 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/16(月) 15:51:44
死んだ人がいても放置して全く先祖供養をしなかったら
一体、その後、供養をしない家庭はどうなってしまうのだろう
やたらとwと使うタイプは、大抵少しズレている
107 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/16(月) 23:21:36
>>105 家庭内不和とかで年中イライラ、キーキーするんじゃない?
日本の先祖の霊は子孫に供養してもらうのが当然だと思ってるから、
供養しないと先祖がイライラ。
そのせいで子孫も年中怒っててキレやすいとかイライラしてるんだろう。
外国ではそういう文化がないからそうはならないんだろうけど。
108 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/17(火) 09:49:20
>>107 >家庭内不和とかで年中イライラ、キーキーするんじゃない?
>日本の先祖の霊は子孫に供養してもらうのが当然だと思ってるから、
>供養しないと先祖がイライラ。
>そのせいで子孫も年中怒っててキレやすいとかイライラしてるんだろう。
そうでしょうね
109 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/25(水) 14:12:36
関西では命日を死んだ日の一日前にするが、全国的なのだろうか?
ほんと? 亡くなった日が命日だろよ。