仏壇・仏事・参詣・疑問あれこれ @

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989名無しさん@京都板じゃないよ
 すでに結論は出ています。仏陀、ゴータマ・シッダッタの生前の教説を最もよく伝えていると評価さ
れている原始経典群より、以下に抜粋します。解説は不要でしょう。経文の通り、そのままです。
 修行完成者=覚者(仏陀)でない者は、再び生存を繰り返すということ。前世の想起と来世の教え
が、ここで明確に説かれています。これらが認められない人は仏教を信奉しなければいいだけです。
どうぞご自由に、仏教と無関係の中で“永遠の祖霊供養”を続けられて下さい。
 尚、私も同様、祖霊供養なる想いと行為とは推奨されるべき美徳である、と見なしています。誤解
されないように。

 『実にこのような修行僧は、苦難の場所に陥り、母胎から他の母胎へ、暗黒から暗黒へと(生ま
れ かわる)。死後には苦しみを受ける。』(スッタニパータ278)

 『物質的領域に生まれる諸々の生存者と非物質的領域に住む諸々の生存者とは、止滅を知ら
ないので、再びこの世の生存にもどって来る。』
(スッタニパータ754)

 『世の中で愛し好むもの及び世の中にはびこる貪りは、欲望にもとづいて起る。また人が来世に
関し て いだく希望と成就とは、それにもとづいて起る。』(スッタニパータ865)

 『前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を滅ぼしつくすに至って、直観智を完成した聖
者、 完成すべきことをすべて完成した人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。』
(ダンマパダ423)

 『生存に対する妄執を断ち切り、実体についての固執を断ち切った修行僧にとっては、生れをく
り返す輪廻が滅びている。』
(ウダーナヴァルガ47)
990名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/23(金) 06:20:03
 『また、心が安定し・・・堅固な不動のものとなると、比丘は過去の生存の境涯を想起する
知(宿住通)に、心を傾け、心を向けます。彼は過去の生存のさまざまな境涯を想起します。すな
わち、ひとつの生涯、二つ、三つ、四つ、五つ、十、二十、三十、四十、五十、百、千、一万の生涯
を想起します。そしてそれは幾多の生成の宇宙期(成劫)、幾多の壊滅の宇宙期(壊劫)、幾多
の生成・壊滅を含む宇宙期を(通して)想起します。「あのときの生存において、自分の名まえは
こうであった。家系はこう、階級はこうで、こんな食物を食べ、こんな幸福や不幸を体験し、これこ
れの年齢まで生きた。そして、その世から消え去り、別の世に生まれ変わり、そこでも同じように、
自分はこれこれの名まえ・家系・階級の者で、こんな食物を食べ、これこれの幸福や不幸を体験
し、これこれの年齢まで生きた。そしてその世から今のこの世に生まれ変わってきたのだ」という
ように、具体的な映像や、具体的な説明を伴って過去の生存の境涯を想起します。

 たとえば、大王よ、ある人が、自分の村から他の村へ行き、その村からまた別の村へ行き、
そしてその村から再び自分の村へと戻ってくるとします。彼はこう考えるでしょう。「わたしは自分
の村からあの村に行き、そこでこういうように立ち、座り、あるいは喋り、あるいは無言でいた。そ
ののち、その村からあの村へ行ったが、そこでもこのように立ち、座り、あるいは喋り、あるいは無
言でいた。そして今はその村から再び自分の村へ帰ってきている」と。
 まさにそれと同じく、大王よ、心が安定し・・・堅固な不動のものとなったとき、比丘は過去の生
存の境涯を想起する知に、心を傾け、心を向けます。---(93節の繰り返し)--。
 これまた、大王よ、前に述べた果報よりもさらにすぐれてより霊妙な、目に見える沙門の果報で
あります。』(ディーガ・ニカーヤ2:93-94/出家の功徳)
991名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/23(金) 06:21:25
 『アーナンダよ。修行僧サールハは諸々の汚れが消滅したが故に、すでに現世において汚れ
の無い【心の解脱】【智慧による解脱】をみずから知り、体得し、具現していた。したがって、この
比丘は今さとりの世界におり、再び迷いの生存を受けることはない。
 アーナンダよ。尼僧ナンダーは、ひとを下界(=欲界)に結びつける五つの束縛を滅ぼしつくし
たので、おのずから善き世界に化生した。この比丘尼はその天界から直接さとりの世界に入り、
再びこの世に戻ることはない。
 アーナンダよ。在俗信者のスダッタは、三つの束縛を滅ぼしつくしたから、欲情と怒りと迷い
(貪り・怒り・愚かさ)という三つの心の毒がしだいに弱くなっているので、【一度だけ戻ってくる者
(=一来)】となった。この信者はもう一度だけこの世に生を受け、苦を残りなく滅ぼし尽くしてさ
とりの世界に入るであろう。
 アーナンダよ。在俗信女のスジャータは、三つの束縛を滅ぼしつくしたから、【聖者の流れに踏
み入った人(=預流)】となった。この女信者は、もはや悪しき世界に堕ちることはなく、必ず正し
いさとりを得ることが確定している。
992名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/23(金) 06:22:21
 アーナンダよ。在俗信者のカクダは、ひとを下界に結びつける五つの束縛を滅ぼしつくしたので、
おのずから善き世界に化生した。この在俗信者はその天界から直接さとりの世界に入り、再びこ
の世に戻ることはない。同じように、アーナンダよ。カーリンガ、ニカタ、カティッサバ、トゥッタ、サ
ントゥッタ、バッダ、スバッダなどの在俗信者も、ひとを下界に結びつける五つの束縛を滅ぼしつく
したので、おのずから善き世界に化生した。これらの在俗信者たちはその天界から直接さとりの
世界に入り、再びこの世に戻ることはない。
 アーナンダよ。このナーディカ村で死んだ五十人以上の在俗信者たちは、ひとを下界に結びつ
ける五つの束縛を滅ぼしつくしたので、おのずから善き世界に化生した。これらの在俗信者たち
はその天界から直接さとりの世界に入り、再びこの世に戻ることはない。
 アーナンダよ。このナーディカ村で死んだ九十人以上の在俗信者たちは、三つの束縛を滅ぼし
つくしたから、欲情と怒りと迷い(貪り・怒り・愚かさ)という三つの心の毒がしだいに弱くなっている
ので、【一度だけ戻ってくる者】となった。これらの信者はもう一度だけこの世に生を受け、苦を残
りなく滅ぼし尽くしてさとりの世界に入るであろう。
 アーナンダよ。このナーディカ村で死んだ五百人以上の在俗信者たちは、三つの束縛を滅ぼし
つくしたから、【聖者の流れに踏み入った人(=預流)】となった。これらの信者たちは、もはや悪し
き世界に堕ちることはなく、必ず正しいさとりを得ることが確定している。』
(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)


以上