1 :
名無しさん@京都板じゃないよ :
2007/02/01(木) 23:13:59 どれが本物?
2 :
妖輝緋 ◆is1mRve2Rk :2007/02/01(木) 23:14:44
2げっとぉ!
3 :
道心 :2007/02/01(木) 23:19:51
「自我の終焉」を読め!
4 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/02/01(木) 23:26:57
5 :
従容軒 :2007/02/01(木) 23:33:34
クリシュナムルティ読むようになって禅から離れました。
6 :
従容軒 :2007/02/02(金) 20:40:46
ババジのクリヤヨガも駄目かね?
7 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/02/03(土) 22:42:38
人類最高の英知とは何ぞや?
8 :
ババジ :2007/02/03(土) 22:44:06
クリヤヨガも所詮方法に過ぎない。
9 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/02/05(月) 20:26:55
クリシュナムルティなんて誰も興味ないかも・・・・
10 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/02/07(水) 03:02:54
自我は精神の捏造物。
「如来はいつもましますけれども衆生は知らない。 それを知らせにきたのが辨栄である」― 辨栄聖者
「どの宗派の人たちも、自分達の教義を大ゲサに言うものだ。」 ― ラーマクリシュナ
前のふたつは本物のイミテーションに最近オモエ。
禅僧とヨーガ行者には 修行に拠って自己肥大した方を偶にお見かけする。
「解脱を得るために必要なのは、 外面的でなく内面的に世を捨てることだ」 ―「あるヨギの自叙伝」
クリシュナムルティは一人だけど、禅僧やヨガ行者はいろいろいるからねえ
禅もヨガも凡人の修行
「畢竟、禅は凡夫の修業」 洪嶽宗演 「無理会の処に向かって、究め来り究め去るべし」 大燈国師遺誡より
「仏陀は人に応じ二つのレベル−相対的レベル・絶対的レベル−で語ったが、 クリシュナムルティは常に絶対的レベルで語った」 S・リンポチェ
瞑想とは思考の沈黙である。 始まり終わりも無く、それ故権威者も無い。 集中は中心(自我)により、注意は個性によらず誰からも学べないものである。 クリシュナムルティの瞑想録(大野純一訳)より抜粋
※クリシュナムルティのスレッドは以前もあり、堂々巡りの議論に終始しがちです。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1001832577/ 本スレッドは二人の人間がKのスレが今殆ど無いことを寂しく感じ立てました。
一人は禅宗に、もう一人はヨガに長年関りを持つ者です。(今離れています)
Kについての議論は彼の翻訳書を読み取っているかの問題に感じます。
(原書が望ましいのでしょうが・・・)
今回議論ではなく★禅・ヨガ・クリシュナムルティ★を中心に、名言・格言等を書き込む
形を取らせて頂く事に致しました。
出典・参考文献等できる限り明示化致しますが、翻訳者の訳文を勝手ながら拝借させて頂きます。
御自由にスレ違いにならない程度に名言・格言などお書きください。
基本的にsage進行で参ります。誹謗中傷等ご遠慮ください。
★ 己の心だけを見つめよ ★ ヴィシューヌ・パスカル・レレ
「私」があるうちは自由ではない。
「坐禅を組めない方を、どう差し上げたら良いか・・・」 故鈴木格禅老師 正法眼蔵講義中の話 1998年秋
戦争を研究すればするほど、その原因は心理的なものと思えてくる。 ― 英国の戦略思想家
禅は一人一宗
公案修行は見地の模倣、黙照禅は容の模倣。
あらゆる物・人のなかに神は宿っていなさる。全てが神なんだよ。 このことを弁えて全てのものに合掌しなさい。 ラーマクリシュナ
思考は未だかつて、私たち人間の問題を解決したことが無い。
>>23 道樹宗格(覚):正受庵二世(白隠の法兄) 江戸期宗教改革者の面魂
「身の丈六尺の畏しき貌曲なり。大柱杖を挟んで枯木のごとく立ち、
高らかに参暇を願うと坂東声・・・・。」
― 壁生草
存在の全レベルを「神性」に明け渡すこと ― ヨガ修行の重要目的 「ババジと18人のシッダ」より
集中は排除の過程−精神をマントラ・曼荼羅・公案に固定させる−
真に霊性の人は一切の信仰を持たず、修行を行わない。
36 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/02/24(土) 07:11:49
ギーター/6-44 自身の前世での修練ゆえに、ヨーガの修行者は、この人生において も否応なしに、ヨーガの方に引きつられていくのだ。 ヨーガの探求を真面目に始めるだけでも、言葉で表された ブラフマンを超えている。
37 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/02/24(土) 09:06:52
一切のものは無明から生じる。それ故に、この世界は非存在である。 無明を持っている人によって見られるが、熟睡状態において知覚されないから。 シャンカラ
直接知覚が覚醒状態であり、想起が夢眠状態であり、両者がないのが熟睡状態であり、 自己のアートマンがブラフマンであると知るべきである。 シャンカラ
39 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/02/24(土) 13:34:25
バカバッカギーター
40 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/02/24(土) 14:23:05
精神が完全に沈黙している時、使われておらず、思案の的になっておらず、 そしてそれが現実の中に秩序を打ち立てたが故に、その混乱から自由であり、 そしてそこにある種の沈黙がある時、精神はまさに混乱から離れ去りつつあるのです。 それが真の沈黙で無いと悟り、(中略)虚偽の沈黙を否定するのです。(中略) より大いなる沈黙に向かういかなる動きも無くなるのです。
その時、この全き沈黙がそれへのドアを開くのです。 すなわち、精神がそのあらゆる混乱もろとも無(nothing)であるとき−物(thing)ではなく− その時におそらく、「彼方のもの the other」が現在するのです。(五十嵐美克氏 訳) ジッドゥ・クリシュナムルティ(1895〜1986)
梵我一如 マントラで諳じれば あらふしぎ 開けゴマ
45 :
ヨーギン :2007/02/25(日) 04:26:04
46 :
ヨーギン :2007/02/25(日) 04:28:30
選択なしに気づくこと
公案やってるうちは、まだ幼い。 (盤珪を現代風に・・・) −白隠禅の修行で白隠以上は存在しない−
「私」 と 「私のもの」 ― この二つが無智というものだ。 ラーマクリシュナ
修行は予定されたゴールへの模倣。
思考者にとって思考は現実であるが、真理ではない。
明智とは”梵我一如”という理解であり、無明とは”梵我分別”という理解である。 【ウパデーシャ・サーハスリー】
純粋精神であるアートマンは〔内的な知覚の場合には〕眼と結びついた統覚機能の変容を〔すべて〕見ているから、 アートマンは見の見者であり、また聞の聞者である。 【ウパデーシャ・サーハスリー】
ウスペンスキー「奇蹟を求めて」p44 人間は機械だ。彼の行動、行為、言葉、思考、感情、信念、意見、習慣、 これら全ては外的な影響、外的な印象から生ずるのだ。 人間は自分自身では、一つの考え、一つの行為すら生み出すことは出来ない。 彼の言う事、為す事、考える事、感じる事、これらは全てただ起こるのだ。 人間は何一つ発見することも発明することも出来ない。全てはただ起こるのだ。
自己を観察する際に(中略)自分の行為・思考・感情・言葉などは 外的影響の結果生じたものであり、何一つ自己の内からは出てこないという事実に気づくだろう。 彼は自分が事実、外的刺激の影響の下で働いている自動機械だという事を理解し納得するであろう。 (中略) 完全な機械性・・・すべては<起こり>何一つ<為す>ことは出来ない。 ・・・外からの偶発的ショックで左右される機械なのだ。 「同」p185
あなたは自我を解放できない。 あなた自身がこの不幸の根源である以上、<自我>を滅する方法を求めていては、 ほかならぬ自我の滅却過程であなたは別の<自我>を作り上げてしまうであろう。 クリシュナムルティの瞑想録p47より
【参禅したり、人里はなれた場所に隠棲したりせず】、日常生活での自分の姿 ― (部下をなじり・上司にへつらい・妻(夫)の小言に辟易し、子供の教育には無関心か、 せいぜい子供に自分と同じ道を歩ませようとする・・・・社会変革に邁進する等々) ― を観察する事こそは、自分を知り、そして自己中心性から自由になる為の真の修行なのである。 ^^^^^^^^^ クリシュナムルティの教育・人生論(大野純一 著編訳)p142 より
この世は神の外にあるのかい? 神ご自身が、人間やこの世界全てのものになっていなさることを。 神が実在するからこそ、この世の全てのものは本当にあるように感じられるのだ。
神様は、今はお前を世間という場所においた。結構じゃないか!今はそこに住んでなさい。 ラーマクリシュナ
不安、不満、虚しさ、恐怖、憎悪、嫉妬などを、完全に見守ることが、 「ニルヴァーナ」すなわち 「絶対幸福」の出発点なのである。 ダンテス・ダイジ
真理を悟ったと思われる人に会ったとしましょう。そこであなたはその幸福を得たいと思い、 その人を模倣するのです。この模倣が鍛錬と呼ばれているものではないでしょうか? 鍛錬や順応や訓練というものは、自分がひとかどの人間であるという自意識を強めるに過ぎません。 精神が無貪欲を実践しているが為に、自分が無貪欲という意識から精神は自由になれないのです。 (中略)その精神は本当は無貪欲ではないのです。精神は無貪欲という新しい衣を纏っただけなのです。 鍛錬について ・・・・ クリシュナムルティ
61 :
シャンカラ :2007/03/03(土) 10:44:00
[アートマンは]自ら輝く知性であり、見であり、内的な有であり、行為をしない。 [アートマンは]直接的に認識され、一切の物の内にある目撃者であり、観察者であり、 永遠であり、属性を持たず、不二である。(アートマン=ブラフマン) 【ウパデーシャ・サーハスリー】
62 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/03/03(土) 11:40:36
うぱにしゃっと哲学 アートマンとブラフマン 華厳の教え
「同一のゴールに到達するために、じつにたくさんの道がある」 ラーマクリシュナ 「真理に至る道は無い」 クリシュナムルティ
64 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/03/03(土) 22:14:53
自由とは、なによりもまず自己同一化からの自由なのだ。・・・・ グルジェフ
65 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/03/04(日) 06:32:06
「精神は空っぽでなければならない 」(真理の種子47ページ)クリシュナムルティ
私はいつの日救われる? それ、その「私」が消えた時。 ― ラーマクリシュナ
67 :
ダンテス・ダイジ :2007/03/09(金) 23:27:17
―恐らくは、 現代最高の救世主である。 J.クリシュナムルティの教えが、 正しく聞き入られるならば、 この書を世に出す必要は ないであろうに・・・・・・・・・ 「ニルヴァーナのプロセスとテクニック」序文
68 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/03/10(土) 13:59:05
ガユーナ・セアロ
69 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/03/10(土) 14:19:30
般若はん
70 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/03/10(土) 14:25:11
女犯
71 :
変容とは :2007/03/10(土) 19:36:29
無意識の未解明の諸層における全的な爆発、核心部自体、条件付けの根底部自体の爆発であり、 時間の打破である。 クリシュナムルティ/私は何も信じないp45
72 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/03/11(日) 08:17:05
地球は宇宙的観点から見ると非常に悪い場所だ。 グルジェフ
73 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/03/11(日) 08:25:53
そのようにしたのは我々、 輪廻転生するには良い場所。って言うか… 魂を浄化する為には避けられない地球。
74 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/03/11(日) 11:30:37
ガユーナ・セアロ
直感と英知を区別することは出来ません。 利口な人間は英知の持ち主ではありません。 ・・・・・利口な人間はかならずしも英知の持ち主である必要はない。 ・・・・・直感は、英知の局地、頂点、精髄なのです。
76 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/03/11(日) 14:06:59
“愛と慈悲” ガユーナ・セアロ
78 :
ギザ・マミタス ◆Bnvswh4TQs :2007/03/11(日) 21:46:31
必殺技/クリシュナムルティビーム クリシュナムルティキック しょこたんパンチ
適いませんな〜〜〜
80 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/03/11(日) 22:06:33
人間の精神に独自のものは一切存在せず、 すべてが模倣によるか、既成のものの組み合わせに過ぎない。 グルジェフ(1877〜1949)
もし精神が自らの苦悶から自由になれば、それは全く異なった境地に入り、 して異なったレベルにいるので、経験を求めることさえしなくなるのです。
ゆえに、最高のものを経験しようとする願望は、 本質的に間違っているのです。 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
83 :
人々を助けたい・・・・ :2007/03/14(水) 23:19:54
自分は他人を助けることが出来ると考えることは、彼らにはたまらない快感なのだ。 これは自己に対する虚偽であり、不誠実でもある。 グルジェフ
道(仏教・禅・他宗教)は努力または修行を含意しますが、不可測なる物は、 ただ自分自身を努力から自由にさせておき、新たなるものを機敏に受け入れられる状態、 恐怖、希望の無い状態にしている、そういう人によってのみ直面されうる。 クリシュナムルティ
精神は、いまイメージを作り上げないことによってそれ自身の中のイメージを空っぽにできるのです。 もし私がイメージを持てば、私はそれを過去のイメージに関連付けてしまうのです。 そのように意識、精神は、今イメージを形成しないことによって、自身の中のイメージを空っぽにすることが出来ます。 すると、中心のまわりの空間でない、ある空間が拡がりだすのです。そしてもし人が掘り進み、奥へ奥へ入ってゆくと、 そこに聖なるもの―思考によって思いつかれたものでなく、いかなる宗教とも無関係のもの―があるのです。 私は何も信じない(クルシュナムルティ)
ある人は神を見たあと、狂人のようになったり、食屍鬼のようになったりする。 つまり、浄と不浄の違いがなくなるのだ。
善悪は個人の問題。真実・不真実も個人の問題。 ブラフマンにとっては何事でもない。
自分がものごとをありのままに見ていないことを私は知っている。 自分が見たいようにみているのだ。
89 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/03/20(火) 22:27:11
あなたの苦しみを愛しなさい。それに抵抗しないこと、そこから逃げないこと、 苦しいのは、あなたが逃げているからです。 それ以外ではありません。 (ヘルマン・ヘッセ)
瞑想は決して理知的な働きをする思考の枠内に収まる様な過程ではない。 瞑想は思考からの自由であり、真理の法悦の中で展開される運動である。
91 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/03/21(水) 23:29:48
禅門では、たとえ醜い風貌で、しかも身分の低い少女でも、 正念工夫さえ怠らなければ、精神堅固の有力の大人というのである。 それに反し、たとえ七尺の堂々たる偉丈夫で、しかも慈愛の念を豊かに持ち、 弁説に巧みなものであっても、正念工夫のないものは生ける屍というべきである。 正受老人(道鏡慧端)
92 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/03/21(水) 23:52:38
正受は、一生を片田舎の小庵で過ごしたので、法階は「蔵主」であった。 正受の師、至道庵主は、本陣問屋の主人であった。それが47歳のとき愚堂国師の法を嗣ぎ、 57歳で出家得度し、自ら至道庵主と号したのある。一生を庵主として過ごし「黒衣」で過ごした。 大森曹玄「随処作主」より
正念はすなわち無念なり、一切の事象に白紙の状態で応接すること。 大森曹玄
法施利他の善行これなり (道鏡慧端)
菩提心=真実の自己・・・無我の正覚の自然の発露としての慈悲行=法施利他の善行
(真実の自己=無相の自己=菩提心=無我の正覚) 正受老人 平生の受用底 = 正念不断の相続 = 【菩提心の自転】
98 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/03/22(木) 23:46:14
白隠四十二歳の秋にこおろぎの声に「正受老人平生の受用底」を徹見し、 正受の禅が貴族的小乗的な禅でなく、大乗の菩薩道にあることがはっきり分かった。 秋月龍a「白隠禅師」講談社現代文庫
生まれ変わりの最後の生涯の人は、至聖なるものにだけ心をひかれる。(ラーマクリシュナ)
101 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/03/24(土) 08:31:10
無難、正受、共に僧堂の規矩を知らず、法の深遠を知るのみ。
>>98 講談社現代文庫→講談社現代新書に訂正致します。
ラーマクリシュナ(Sri Ramakrishna Paramhansa, 1836年2月18日 - 1886年8月16日)インドの宗教家。 20世紀のインドは、詩聖タゴール、ガンジー、ネルーなどの世界的偉人を生んだが、 この3人が口を揃えて讃仰し帰依した方がいる。彼の名をラーマクリシュナという。 (ヒンドゥー教の最高神の1人、ヴィシュヌ神の化身とも云われる)
本名ガダーダル・チャットーパーディヤーエ。 幼少時より神秘体験をもち、カーリー女神を崇拝するが姿を見いだせない。 もはや現世での生甲斐はないとまで思いつめ、、自殺を決意する。 剣を掴み喉に当てようとしたまさにその時、女神が現れた。 世界が消え去り、歓喜の大海原に自分が漂う。その光の海の底に大実母(カーリー)がいた。 その後、シャクティ派の女性行者の下でタントラを学んだりするが、 ヴェーダーンタ学派のトーター・プリーもとで、ニルヴィカルパ・サマーディ(無分別三昧)に入る。 自我も無ければ空間も無い絶対無分別の状態、ここに至るまでわずか1日、師のトーター・プリーは40年。 以後、師からもらった出家名、ラーマクリシュナを名乗る。
その後、回教徒、基督教徒に就いて修行し、イエスに聖母マリア、回教のアラーと接神する。 仏教の空観への理解も深めたようである。 そして、全ての神と宗教は一に帰すということを確信する。 純朴な人柄で、偽善者らしさがなく、天真爛漫。 人懐っこい語り口は聴く者に親しみを感じさせたという。 彼の大らか教えは立場の違いを乗り越えて、あらゆる階層・宗派の人々を魅了した。 1886年8月16日、後事をヴィヴェーカーナンダに託し、喉頭癌で逝去。
幾百年の闇も、一点の光がその部屋に入ればたちまち消散する。 数え切れないほど生れ変るうちに、積み重ねられた無知と悪行も、 神の慈悲深い御眼の、一瞥によって消え去る。
白楽天「仏法の大精神は何か?」 鳥窠和尚「諸悪莫作 衆善奉行」 白楽天「そんなことは三歳の童子でも知っております」 鳥窠和尚「実行することは八十の老翁でも難しいぞ」
107 :
空体験 :2007/03/27(火) 00:12:33
「去年の貧は猶お卓錘の地にあり、今年の貧は錐もまた無し」 去年の「貧」すなわち「空」の体験は、まだ、真の「空」体験では無かった。 即今の「貧」すなわち「空」こそ本物だ。去年の「空」にはまだ錐を立てる余地があったが、 いまはその余地さえもない。本当の空(無一物)には空という意識さえ有ってはならぬ。
真理は決して過去には無い。過去の真理は記憶の死灰である。 なぜならば、記憶は時間の中にあり、昨日の死灰の中には何の真理も無いからである。 真理は現に生きたものであって、時間の領域には無い。 クリシュナムルティ「クリシュナムルティの瞑想録」大野純一訳より
>107-108 同じ。
人生の目的は、神(真理)を体得することだ。 仕事は、一番初めの第一章だ。目的なんかであるものか! だから、無執着、無私の働きも一つの手段であって目的ではない!(ラーマクリシュナ)
「国家に真の友人はいない。」 キッシンジャー
「念々相続する、これを心病となす」 「・・・・念を重ねて育てず、執着いたさず、起こる念を止めようとも、止めまいとも、 その念に関わらざれば、自ずから止いでは叶いませぬ」 盤珪 「一心を二心に致さぬがようござる」 盤珪
人は絶えず移り変り、昨日と同じ人は居ない。
あなた、わたしは、複数の思考の群
115 :
盤珪 不生 :2007/04/08(日) 11:02:51
仏心は元来不生なものなれば、 その不生のままに その起こる念は起こらば起こり次第 、 取り合わず育てずにおけば、やむより外はおじゃらぬわいの
「我が国以外は全て仮想敵国である」チャーチル 人間が造った“国家というもの”について教えてくれる。
「努力」とは自己中心的な活動である 自我を中心とした活動は闘争と混乱と悲惨を生み出すだけである クリシュナムルティ
世界に平和をもたらし、すべての戦争を阻止するに、 あなたや私の個人の中に革命が起こらなければなりません。 このような内面的な革命の伴わない経済的な革命は無意味です。 クリシュナムルティ
119 :
至道無難禅師 :2007/04/14(土) 15:23:43
主なくて見聞覚知する人を、生き仏とは、これをいうなり。
120 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/04/20(金) 23:52:48
個性は存在しない。
121 :
夢窓国師 - 夢中問答 :2007/04/26(木) 00:28:00
「仏法のうちにおいて情を生ずれば、それは世法に堕してしまう。 世法の中において情を生じなければ、それはそのまま仏法になる」 俗世間の生活をしながらも、そのなかに、 あれこれという差別の心を生じなければそのまま禅だ。
122 :
真理を見出すには? :2007/04/29(日) 23:05:09
「私」の真理や「あなたの」真理はありません。真理はいかなる道も持ちません。 仏教徒の道、キリスト教徒の道、ヒンドゥー教徒の道、あなたの道、 わたしの道があるわけではありません。 いわゆる宗教の世界は思考の産物・考案物です。 真理を見出すには、すべての道から自由でなければなりません。 クリシュナムルティ(1895〜1986)
人々のやることはすべて <性> に結びついており、政治、宗教、美術、 演劇、音楽などはみな <性> なのだ。 祈ったり、観賞するために教会や演劇に行くのは外っ面で、 劇場でも教会でも重要なことは、そこにたくさんの女性と男性が居るという事なのだ。 これがあらゆる集会の核心だ。喫茶店やレストランや種々雑多な祝宴に出かけるのも、 理由はたったひとつ ― 性だ。これこそあらゆる機械性の中心をなす動機だ。 あらゆる眠り、催眠はこれに依存してる。 グルジェフ
124 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/05/04(金) 19:04:34
クンダリニーは、 人間を現在の状態(無明)に、とどめておくために体内に注入された力だ。 グルジェフ
クンダリニーは人間の発達にとって何ら望ましい有益なものではない。 オカルティストたちが、・・・その意味を変え、本来非常に危険で恐るべきものを 何か天恵のような、望ましいもの、待望すべきものにしてしまったのだ。
本当はクンダリニーとは・・・空想の力なのだ。 夢を見、その夢が真実に取って変わり、 自分が何かであると想像するのは、クンダリニーの力が働いているからだ。 ・・・・真実よりも空想に満足を覚える。 まさにクンダリニーの力のもとで生きているといえる。
<目覚めることは可能か?> 実際はほとんど不可能に近い。人間が目覚めて目を開くやいなや、 彼を眠り込ませるあらゆる力が10倍のエネルギーで働きはじめ、 彼はすぐに眠り込み、しかも殆んどの場合、目覚めている、 あるいは目覚めようとしている夢をみているからだ。
クンダリニーは、人間を催眠状態に引き止めようとする力だ。 <覚醒する> とは、<催眠状態から解かれる> ということだ。
129 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/05/06(日) 12:55:28
正念とは、念が働いていないということではない。 見て見るという跡を残さない心境に生きることである。 柴山全慶
130 :
G :2007/05/08(火) 22:28:56
戦争とは何か?それは惑星の影響の結果だ。 天空のどこかで、二つか三つの惑星が近寄りすぎて緊張が生じたのだ。
131 :
G :2007/05/08(火) 22:41:16
狭い道で、人が君のすぐそばを通り過ぎたとき、自分がひどく緊張するのに気づいたことはないかな。 同じ緊張が惑星間に起こるのだ。そこではたぶん1・2秒のことだろう。ところが地球上では 殺し合いを始め、たぶん数年は続くだろう。 ・・・・憎み合っているとか、この殺人には高尚な目的があるとか、類する事を信じ込んでいる。 好きなように動き回れると思っている。何でも決定できると思っている。 ところが現実には、所作・動作は惑星の影響の結果にすぎない。 ・・・・月が大きな影響を果たしている。
132 :
G :2007/05/08(火) 22:57:29
人類、より正確には地球上の有機生命体は・・・惑星・月・太陽・星からの影響を同時に受けてる。 月は成長し、発展している。おそらく何時かは地球と同じレベルに達するだろう。 その時、その近くに新しい月が出現し、地球はそれらの太陽になるだろう。 かつて太陽は地球のようで、地球は月のようだった。そしてそれ以前には太陽は月のようだったのだ。
人類は、他の有機生命体と同じく、地球の必要と目的の為に地球に存在しているのだ。 そしてこの現状が、現時点における地球の要求にとって最適の状態だ。
134 :
G :2007/05/10(木) 00:10:01
月は現在、有機生命体を、人類を食べて生きているのだ。人類は有機生命体の一部だ。 つまり、人類は月の食料なのだ。もし全ての人間があまりにも賢明になったら、 きっと彼らは月に食べられるのを嫌がるだろう。 ・・・・・・ 人類全体が賢明に成ると不都合な理由のヒトツ。
135 :
G :2007/05/10(木) 23:27:15
月の成長、すなわち月の発展と新しい支脈の組成のためのエネルギーは地球から送られており、 地球ではそのエネルギーは太陽と太陽系の他の全ての惑星と地球自体の共同活動によって生み出される。 このエネルギーは集められ、地球の表面に位置する蓄積機に保存される。 この蓄積機とは地球の有機生命体である。すなわち地球上の有機生命体が月を養っているのだ。 地球上に生きる全てのもの、人間、動物、植物は月の食料なのだ。
136 :
G :2007/05/10(木) 23:35:05
月は地球上で生き、成長するものを食べて生きている巨大な生き物である。 地上の有機生命体が月がなくては存在できないのと同様に、月も地上の有機生命体が なくては存在できない。それ以上に、有機生命体にとって月は巨大な電磁石なのだ。 もし電磁石の活動が急に止まりでもすれば、有機生命体は無へと消え去ってしまうだろう。
137 :
G :2007/05/12(土) 07:08:44
月の成長と暖化の過程は地球上の生と死に結びついている。 死の時には、全ての生き物はそれ自身に生命を与えていたエネルギーの一定量を解放し、 そしてこのエネルギー、あるいはあらゆる生物 ― 植物、動物、人間 ― の魂は、あたかも巨大な電磁石にひかれるよに月に誘引され、そして月を成長 させる暖かさと生命、つまり創造の光の成長を月にもたらすのだ。
138 :
G :2007/05/12(土) 18:42:05
月は、地球上の有機生命体内部で起きるすべてのことの動因の中でも主要な、 いやむしろ最も関係の深い直接的なものだ。 人間・動物・植物のあらゆる行動、活動、意志表現は月に依存しており、 月にコントロールされている。
もし誰かを殺すとしたら、月がそれをするのだ。 もし他人の為に自己犠牲をするとすれば、月がそれをするのだ。 すべての悪しき行為や罪、あるいは自己犠牲的行為や英雄的行為は、 普通の日常生活における全ての行為と同じく、月にコントロールされているのだ。
精神的な力と能力の発達に伴ってやって来る解放は月からの解放に他ならない。
死んで月へ行く、おそらくは一定量の意識と記憶を持っている魂(霊魂)は、−中略− 測り知れないほど長い遊星周期内の一般的進化以外には逃れる道の無い状態にあるのを見出すだろう。 月は末端に、すなわち宇宙の終結点にある …死のとき、魂の上昇と、輪廻と、死後世界の物理的位置(此の世界に相応する)へのヒント…
戦争は政治の継続ではなく、政治の破断である。 ハンス・フォン・ゼークト陸軍上級大将(1860-1936)
「人を一人殺せば罪人、百万人殺せば英雄」 墨子
ヒンドゥー教は仏教なしには存続できないし、仏教はヒンドゥーなしには生きられません。 両者の分離が我々(インド)に示したものを理解してください。 仏教徒はブラーミンの頭脳と哲学とがなければ立てないし、ブラーミンは仏教徒のハートなしには立てない。 仏教徒とブラーミンとの間の分離が、インド没落の原因でした。 ヴィヴェーカーナンダ(1863-1902)
私たちの主なゴールは“さとり”を人々に広めることです。 そして、私たちの世界への一番の贈り物は “平和” です。 エックハルト・トーレ
自らの救済の願いは、全くなくなりました。 何度も何度も生まれ変わり、そして数え切れないほどの苦難に出会いますように…。 存在する唯一の神、私が信じる唯一の神、あらゆる魂の総和の唯一の神を、私は崇拝できます。 とりわけ私の神は、よこしまな者、悲惨な人、あらゆる民族・種族の貧しい人であります。 これらの神こそ、私の礼拝の特別な対象であります。 ヴィヴェーカーナンダ(1863-1902)
今時の修行者は、 ……… 時節因縁を待って、自己中心性から成熟する者は、ひとりもいない。 それはみな師家という虫がついて、腐らしてしまうからじゃ! 誠にあさましいことじゃのう。 南隠全愚
今時の宗匠に貪瞋痴のとれた人はないようじゃ! また、とろうと心がける人もないようじゃ! お互いにみんな見栄坊じゃ!見栄などをとるための修行を、 それを反って見栄にするのじゃから、おかしいじゃないか! 南隠全愚(旧姓 渡辺)1834-1904
旧姓→× 俗姓→○
150 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/06/01(金) 14:40:59
怠惰の時は、怠惰を知らず。 春日潜庵(1811〜1878)
151 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/06/03(日) 13:21:56
阿呆はいつも彼以外の人々を悉く阿呆と考えている。 芥川龍之介
152 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/06/09(土) 16:52:58
いろいろに工夫とて、むつかしきことを好むぞや。 平常はみな仏、直に見、直に聞く。 至道無難
空虚感や孤独は、自己中心的な活動をする <私> という心によって作り出されたものなのです。 ですから、その心が中心を持たずに見つめる時、自己中心的な活動は終わります。そこに淋しさはありません。 そのとき心は自由自在に働きます。執着と無関心の全構造、苦痛と快楽の運動を見つめるとき、 どのようにして、<私> という心がひとりで砂漠を作り出し、また、ひとりでそこから逃げようとしているかが解ります。 <私> という心が静まるとき、砂漠も逃避も消え去るのです。 クリシュナムルティ
言葉が人間に与えられたのは、考えていることを隠すためである。 ― シャルル・モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール
155 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/06/13(水) 20:12:46
死者だけが、戦争の終わりを見た。 プラトン
誰も彼もが自分の記憶力を慨嘆し、誰一人として自分の判断力を慨嘆しない。 ラ・ロシュフコー
われわれの美徳は,ほとんどの場合,偽装した悪徳に過ぎない ラ・ロシュフコー
悟って、その悟りのサの字も無い様にならなくてはならない。 修行というのは鏡を磨くようなもので、鏡を磨いたならば、 磨いた後も拭い去って、きれいにしなくてはいけない。 尭道慧訓
人間が動物の殺害を繰り返す限り、この地上で戦争が消えることはない。 −ジョージ・ バーナードショー(1856−1950) ショーは菜食主義者であった。 「私は現在85歳だが、これまでと同じように 元気に仕事をしている。 もうかなり長く生きたので、そろそろ死のうかと 思っているのだが、なかなか死ねない。ビーフステーキを食べれば、ひと思いに 死ねると思うのだが、私には動物の死体を食べるような趣味はない。 私は自分が永遠に生きるのではないかと思うと、空恐ろしい気分になる。 これが菜食主義の唯一の欠点である。」 byコピペ
「民衆などというものは、いつでも支配者の思い通りになる。 ・・・外国から攻撃されるぞと恐怖をあおり、平和主義者の奴らには 愛国心がなく、国を危険に晒していると非難しておけばいい。 このやり方は、どこの国でもうまくいく」 ナチスドイツ国家元帥ヘルマン・ゲーリング
思考はそれ自身を変容できない、それ自身を秩序正しくさせることはできない。 なぜなら思考は物質(matter)だから――思考は事物(thing)なのだ。 物質が物質を知ることはできない。何が物質を超越しているのだろうか? その究極の根源はおそらく、精神の究極の根源と同じ未知なるものなのだ。 クリシュナムルティ
登りなど無いのです。今は「これ」であるが、じきに「それ」になるなど無いのです。 あるのは、今の「これ」を変えなさい、それがすべてです。 byコピペ (クリシュナムルティ)
意識は努力なしに自身を空っぽにしなければならないからです。 努力がなされるや否や、中身を変えるべく努力している観察者が現れます。 が、観察者は意識の一部なのです。 クリシュナムルティ もし心をやわらげるなら、心は清浄となるけれども、 一念でも、分別を起こすと、心はもう生滅の中にある そんな心の中であれこれ妄想しても邪な生をでっちあげるだけ、 方法を探してあれこれやってみても業の支配は免れない ダルマ 灼熱の太陽の下を歩いてきた人が木陰に宿れば涼しいと感じる 賢い人はずっと木陰に宿り続けるだろう、。 わざわざ太陽の下に出て行き、また戻ってくるのは愚かなことである 喜びもなければ、悲しみもない単純で普遍な状態が人の本来の在り方である ラマナ・マハリシ byコピペ
610 :395 :2007/06/20(水) 00:21:46 ID:6o5kzFK0 もし、あなたが注意深く観察するなら、思考の反応や動きは非常に素早い様に思えるかも知れませんが、 思考と思考との間には切れ目や感覚があることに気づくでしょう。 二つの思考の間には思考の過程とは関係のない沈黙の瞬間があるのです。 もしあなたがじっと見つめてみるなら、その感覚である沈黙の瞬間は時間に属するものではないことが分かるのです。 そしてこの感覚の発見と、その感覚を十分に経験することが、あなたを条件づけから解放してくれるのです。 あるいは、「あなた」を解放するのではなく条件付けからの開放があるのです K(自我の終焉、意識と無意識について) 611 :395 :2007/06/20(水) 00:23:46 ID:6o5kzFK0 あなた自身を注意深く見つめてごらんなさい。じっと見つめるだけでよいのです。 そのときあなたは驚くべきことが起こっていることに気づくでしょう 驚くべきこと・・・何の努力もなく無意識的な行為を終息させていること K(自我の終焉、受動的な凝視) byコピペ
病は 自大了一生不得の処にあり (慢心が起これば一生涯何も得るものがない ) 虚堂智愚(1185〜1269)
166 :
愛 :2007/06/25(月) 02:00:10
愛があるとき、それは個人的なものでも非個人的なものでもあり、 また対象を持つとも待たないとも言えます。 それは花の香りのようなものです。 ― k
167 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/06/28(木) 15:29:47
168 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/06/28(木) 15:30:40
>167 ヨーガ (Yoga) とは、 狭義には、六派哲学のヨーガ学派から始まった、 解脱、すなわち個体魂の神への結合を実現するための実践体系を指す。
169 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/06/28(木) 15:34:01
内容 人体内に大きな6または7つのチャクラ(Chakra、輪、車輪)と小さなチャクラがありそれを目覚めさせれば、 またはクンダリニーを体内の脊椎にそって上昇させると悟りがひらけると一部の人たちは言うが、全くそういうことはない。 実際は、タイティリーヤ・ウパニシャッドで説明される、生気レベル(プラーナーマヤ・コーシャ)の覚醒にすぎず、 修行の入り口に立ったにすぎない。 また、生気レベルの覚醒それ自体は霊格の向上をもたらさず、あくまでもカルマ・ヨーガの実践や世俗との係わりの 中での人格の向上や、その他のヨーガを総合的に実践することにより、霊格は向上していくものと心得えるべきである。
170 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/06/28(木) 15:37:02
種類 伝統的ヨーガ クンダリニー・ヨーガ (Kundalini yoga) ムーラーダーラに眠るというクンダリニーを覚醒させ、身体中の気道やチャクラを活性化させ、悟りを目指すヨーガ。 密教の軍荼利明王は、そのクンダリニーを象徴化したものである。別名ラヤ・ヨーガ。 クンダリニーの上昇を感じたからヨーガが成就したというのは早計で、その時点ではまだ初期の段階に過ぎない。 クンダリニーの上昇に伴うチャクラの開眼という劇的なものがあり、自分が超能力者や超人になったかのような 錯覚を覚えてしまうことが往々にしてある。 その故に、一度効果(クンダリニーの体内自覚)が出始めると、他のヨーガに比べて非常にのめり込みやすい という特徴がある。 クンダリニーの自覚が修行の完成と錯覚するのは危険である。 クンダリニーの自覚と修行者の人格的向上とは無縁といえる。 クンダリニーの自覚に修行の目的が置かれてしまっては主客逆転、本末転倒である。 手段が目的にならぬよう修行者は努めねばならず、本来の修行の目的を達するならば、 そうしたクンダリニーを始めチャクラなど肉体次元、生気次元へのこだわりを無くす事に努めることが先決とされる。
<私> は虚構です。 <私> は象徴であり、実在するものではありません。 思考は <私> という象徴を作り出し、結論や方式と自らを同一化させ、 それからそれを保護しようとするのです。 すべての苦しみや悲しみはここからやってきます。 クリシュナムルティ
173 :
1/2 :2007/07/05(木) 06:29:23
瞑想(禅定)を行うために意識的に或る態度、姿勢をとれば、 それは精神の慰みもの玩具になってしまう。 もしあなたが生の混乱と悲惨から自分自身を救い出すというような決意をするとすれば、 それは空想的経験に終わり、それゆえ瞑想とはいえない。 意識的精神も無意識的精神も瞑想の中では何の役割も演じてはならず、 瞑想の深さや美しさについての自覚すらあってはいけないのである。<中略> 瞑想のさなかで全的な注意を傾けた状態には、 知ることも認識も起こった物事に就いての記憶もない。 そのときは時間と思考という自己制約的な中心が完全に消え去ってしまうからである。
174 :
2/2 :2007/07/05(木) 06:39:55
光明の瞬間には思考はしぼみ去っている。 それゆえ光明を経験しようとする意識的努力も、光明に就いての記憶も、 過去の出来事に就いての言葉を残すだけであり、しかも言葉は決して事実起こった事と同一ではない。 時間を超越した啓示の瞬間には、究極なるものは直接現れる。 しかし究極なるものはいかなる表象も持たず、人格でも神格でもない。 クリシュナムルティ
カルマ・ヨガ 日常生活の中で、カルマを解消していこうとするヨガ。 無私の行為により、現世への執着をなくそうとする行動的、意思的なヨガ。
176 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/07/08(日) 19:22:15
私は誰か ラーマナマハリシ
私たちの知識の島が大きくなるに従って、 私たちの無知の海岸も広がっていく。 ラルフ・W・ソックマン (1889-1970) 知識は「これほど知っている」と誇り高い。 知恵は「これ以上は知らない」と慎み深い。 ウィリアム・クーパー (1731-1800)
瞑想は言葉の終わったところからはじまる。 思考の器である言葉によっては沈黙は生まれない。 沈黙から湧き上がる行為は言葉から生まれる行為とは全く異質である。 瞑想とはあらゆる表象やイメージ、記憶から、精神を自由にすることである。」 「クリシュナムルティの瞑想録」P170
179 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/07/09(月) 00:17:56
あなたの務めは、“「在る」ことであり、これであったり、あれであったり”することではない。 「私は私であるものである」ということが、すべての真理の要諦である。 その方法は「静かであること」に尽きる。では静寂とは何を意味するのだろうか? それは「あなた自身を打ち壊す」ことを意味する。何故なら全ての名前と形が困難の原因だからである。 「私-私」が自己である。「私はこれこれである」というのがエゴである。 「私」が「私」のみを保ちつづけるとき、それは自己である。 それが突然に脇道にそれて「私はこれであり、あれであり、これこれである」と言うとき、 それはエゴである。・・ ラーマナマハリシ(1879〜1950)
鉄舟高歩(山岡鉄太郎)1836-1888 晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿はかわらざりけり。 人にはすべて能不能あり、一概に人を捨て、あるいは笑うべからず。 眼、光輝を放たざれば大丈夫に非ず。
西郷南洲翁遺訓集 より
己れを愛するは、善からぬことの第一也。
修業の出来ぬも、事の成らぬも、過を改むることの出来ぬも、
功に伐り驕謾の生ずるも、皆自ら愛するが為なれば、決して己れを愛せぬもの也。
自分を愛すること(即ち自分さえよければ良い)という様な心は最も善くない事である。
修業の出来ないのも、事業の成功しないのも、過ちを改める事の出来ないのも、
自分の功績を誇り、驕りたかぶるのも、皆自分を愛することから生ずることで、
決して自分だけを愛するようなことはしてはならない
西郷隆盛(1828年1月23日 - 1877年9月24日)
ttp://www.museum.kyoto-u.ac.jp/museumF/news/past/no4/saigou.jpeg
『七つの気まぐれな部分から成るこの粗大な身体,私はそれではない.
五つの感覚器官,私はそれではない.五つの能動的な器官,五つの生気,
それらは私ではない.ものごとを考える心すらも,私ではない.
今述べたことのすべてを「これではない」,「これではない」と否定し去った後に,
ただひとつ残る自覚,それが私である.』
(ラマナ・マハリシ)
ttp://www.hannya.net/ramana2.jpg
思考も、あらゆる他のものと同じように、物質である。
他人を助ければ、あなたも助けられる。あるいは明日、あるいは百年後に、ともかく助けられる。
自然は負債を全部支払わなければならない、それは数学的法則である。
すべての生命は数学である。
G・I・グルジェフ (18??-1949)
ttp://www.gurdjieff.org/G2.big.jpg
もしすべての人がきわめて知的になれるなら、 人は月に食われようなどとは思わないだろう。−グルジェフ
第一は、苦しみ等にであったとき、この苦悩はみな前世の罪業からのものでありと反省し、 前世のうらみや憎しみを契機としてそれらに報いる実践の方法。 第二に、生きとし生けるものはすべて自我がなく、因縁によって左右されているのだからと、 縁にまかせる実践の方法。 第三は、ものを求めぬ実践の方法で、 世のひとびとはつねに迷っていて、それはあたかも火のついた家のように危なく、 肉体がある限りみな苦しい。何人かそのようなところに安住できようか。 第四は、物はあるべくして有るのであり、存在そのものには、物惜しみの心や むさぼりの念がなく本質的に清浄であるという原理を体得して、あるべきように生きる実践。 達磨 byコピペ
189 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/07/15(日) 02:38:50
190 :
なぜかまた書き込みかなった親父。 :2007/07/16(月) 00:06:04
526 :八百長スポンサー狩り親父。:2007/07/15(日) 23:15:48 946 :新親父。:2007/07/15(日) 23:10:03 ★八百長あるある「ハムナプトラ蠍キング」 七六L ★何年も前に数度暴露された富士通八百長世界の車窓 ファーストカット車体に「2」 スーパーで曲名「20」 ナレーションで「4」 ★毎週八百長サインあるあるフジテレビVTR 2258ヴォイス&スーパー「2400円」 2301ヴォイス&スーパー「24歳」 ※八百長フジテレビでえらそうに八百長安東ほか・・・ 悪名名高いインサイダー麒麟麦酒仲間アサヒビビール犯 !
虚堂智愚(1185〜1269) 病は 機境不脱の処にあり( 心が自由に働かず、視点を変えられないこと )
病気も癒しも、ともに想像という門を通って自分の中に入ってくる。 だから、たとえ病気になっても、 自分が病気だという観念を心から追放しなさい。 スリ・ユクテスワ 1855-1836
193 :
konndokoso親父。 :2007/07/17(火) 04:55:02
エラそうにエラースパイ屋・・・ お前こそ腐敗した八百長屋・・・
194 :
初対面・・・親父。 :2007/07/17(火) 05:17:34
907 :☆〜〜〜親父。:2007/07/17(火) 05:14:02 ID:oScVADdI0 34 名前:EEMMWW33八百長暴露マン :2007/07/17(火) 04:57:26 ID:byCrycm5 禅とヨガとクリシュナムルティ 193 :konndokoso親父。:2007/07/17(火) 04:55:02 エラそうにエラースパイ屋・・・ お前こそ腐敗した八百長屋・・・ 陣痛利器も神通理器も無き・・・ 人のふんどしで仙人ぶるな・・・ 創価官民八百長機関スパイ・・・ 自分の命賭けて大きくなれ・・・
195 :
ITIHARANO33-55 :2007/07/19(木) 20:10:45
001 011 jisakujiennyamegahonnnoukeyrikane? isekouyasannnihonnkokuwowokegasuna! soukagisoutouituyakousakukikannsare!
ここも荒されたか
197 :
2745687562610013111430 :2007/07/19(木) 23:33:39
八百長創価期間工作員0011 人様の本からぬすむな売国奴泥棒 日本国侵略者の犬犬犬101ワン !!
198 :
2745687562610013111430 :2007/07/19(木) 23:35:04
1155待ってるぜ!!
199 :
2745687562610013111430 :2007/07/19(木) 23:45:47
47 名前:2745687562610013111430 :2007/07/19(木) 23:40:55 山本五十六 一〇五六可 !!
200 :
2745687562610013111430 :2007/07/19(木) 23:50:44
731 :名無シネマさん:2007/07/19(木) 23:39:14 ID:LoYIDWKX
>>730 サンクス、すっきりしたよー。
2も見たんだけどなあ・・・全く記憶になかったw
732 :16burokku親父。:2007/07/19(木) 23:47:44 ID:AFofGyt0
731舞台の先般の虐殺者めが・・・
201 :
eemmww33スーパー暴悪の僧の男。 :2007/07/21(土) 06:01:49
テレビ雑誌について語るスレ 147 :テレビ雑誌もナイタイも破壊したか親父。:2007/07/21(土) 05:45:51 ところでダイアモンド社よ・・・ ちゃんとせいほんしとけよ・・・ 八百長バカりに明け暮れて・・・ 「地球を歩く」で不良品だ・・・ 「旅行人」を見習えヴオケ・・・
202 :
eemmww33スーパー暴悪の僧の男。 :2007/07/21(土) 06:53:14
●○私、創価学会 脱会しました。○●避難所スレ 660 :神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 05:29:22 ID:38R8+GTg 坂上二郎さんや 林家コン平さんも 池田大作崇拝者だったのか、欽ちゃんは どうなのさ、あの日テレの24時間でマラソンと言うか 100キロを1日かけて歩行するボランティアは 大概 在日朝鮮系創価タレントですよね、研なおこ、山田花子、アンガールズ、丸山弁護士、 今年は泉ピン子か、久本雅美かと思っていたのに 欽ちゃん ヤバイでしょ 70近いし、途中で死ぬんじゃないかな‥
203 :
宮内庁をハッキングされるな! :2007/07/21(土) 17:44:11
高野山真言宗僧侶は基地害 117 :eemmww33スーパー暴悪の僧の男。:2007/07/21(土) 17:22:29 誓いうちにご法度だが 正しい玉石金剛杵のつ かいかたを伝授したい !!!
204 :
宮内庁をハッキングされるな! :2007/07/21(土) 18:30:13
乱数表や、各自かくしてあるD VDや、そんなものよりヤバい 一言をバラすからな!と非取り で怒鳴ったみたら2ちゃんねる にもまた書き込み出きることに なったヨーダ。07月21日は 奇しくもあいつの愚母もかなり 前の予定通り!しかし、あいつ は見捨てている!2ちゃんねる 班あともう少しだ!献灯を祈る 。
205 :
宮内庁をハッキングされるな! :2007/07/21(土) 18:44:05
599 連打しないでください。もうそろそろ規制リストに入れますよ。。( ̄ー ̄)ニヤリッ -------------------------------------------------------------------------------- (Samba24-2.13)
206 :
・・・ :2007/07/22(日) 03:06:53
ここは八百長スパイYNO SUMIKAやナ♪
207 :
・・・ :2007/07/22(日) 03:22:10
383 :名無しさん@3周年:2007/07/22(日) 03:06:55 ID:G+zQCTAG
新聞赤旗はなぜスクープを出せるのか? MyNewsJapanが特集で新聞赤旗を紹介しています。
http://www.mynewsjapan.com/kobetsu.jsp?sn=706 一部を抜粋すると。
奥原編集局長は、スクープには二種類あると語る。
奥原「企業や行政の人事とかを1日かそこら早く抜くスクープにはほとんど意味がない。
どうせわかることをスクープと称しているのは恥ずかしい。
本当のスクープとは、隠したままでいると社会全体が損害を被る問題を暴き出すことです」
◇広告収入に依存せず大企業も告発
しかし、事業収入に匹敵する広告収入を得ている一般紙では、
広告主となる大企業の問題点を告発するのは容易ではない。
元朝日新聞編集委員で経済ジャーナリストの阿部和義氏のブログ によれば、
キヤノンの偽装請負キャンペーンを張った朝日新聞に対して、
キヤノンは2006年10月末以来、広告の出稿量を減らし、
朝日が共催する美術展への協賛を開催直前に下りるという露骨な報復に出ている。
ここまで抜粋
208 :
・・・ :2007/07/22(日) 04:37:40
EIG映画とスパイM資金
_ コラ /〜ヽ ペチ ☆ ( o・-・)っ―[] / [ ̄ ̄ ̄] (´・д・`)
<仏陀>仏教→現在<浄土真宗は実質キリスト教>ミロク菩薩混入 バラモン→ヒンズー↑→現在 ↑ ↑ミロク菩薩↑ ゾロアスター↓→現在 ミトラ<ミロク>→キリスト教→カトリック正教プロテスタントなど→現在 ↑→ <イエス>↑ ユダヤ→→→→→→→現在 ↓→<ムハンマド>イスラム教→現在<シーア派はギリシャ哲学を継承>
自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり。 永平道元(1200-54)
212 :
ケンタッキー660円かねCM資金? :2007/07/23(月) 15:52:19
あなたがたはさて、何番目のメンバーかな親父。 ゐまじゃギャンブル人生真っ只中か親父。資料(レベル4かな秘密の補足プリント)をメンバーのみを対象に御裾分けします。 2007年07月23日 上ンズディーの6ー6のテレ朝とテレ東との2100八百長ドラマタイトル並んだ数字をみろ!99だろう! WOWOWハリ ーポッター炎の ゴブレット予告 のため連樽親父 。ちなみに、日 テレ深夜映画は 無関係だがNH K八百長200 0と日テレ21 00とエゴ懸賞 !! Posted by eemmww33 at 15:28 │Comments(0) │TrackBack(0)
213 :
ケンタッキー660円かねCM資金? :2007/07/23(月) 16:47:53
128 :ロックオン親父。:2007/07/23(月) 16:18:50 ID:cXV99HqW0 【印象】東京キー局の偏向報道を叩く135【操作】 127 :ロックオン親父。:2007/07/23(月) 16:17:01 ID:cXV99HqW0 107 名前:証拠能力か正銘力かわからない写真集e親父。 :2007/07/23(月) 16:15:49 ID:NPt+wVxi 「あなたがたはさて、何番目のメンバーかな親父。」。
良スレが汚されましたね。 内容を理解できない“親父”に
脅える人々は、執着を持つ者たちである。 政治家が俗界の権力に執着するよりもさらに強く “霊的”権力に執着する宗教指導者がいる。 (ベンジャミン・クレーム編『いのちと目的』165頁)
「禅の心とは、日常生活そのもの。自然そのもの、あるがままということじゃ。 毎朝起きて歯を磨き、顔を洗い、食事を頂くこと。 『おはようございます』『こんにちは』などの挨拶や言葉遣い、掃除の仕方など、 その時々にそのことを心を調えて行う。何も特別なことをしなくとも良い。 毎日の自分の仕事を一所懸命にすることなのじゃ」と。 西山禾山
真理は組織化し得ない
218 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/08/23(木) 14:23:43
まず危険に、然る後真理に・・・K
221 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/09/10(月) 02:25:52
なあ、友よ、君の凄まじい敵意を捨て給え、君の幼稚さを捨て給え そうすれば私を見いだすだろう・・・K(私は何も信じない) 相反する言葉の各々は、同じ実在の違った現れに過ぎない 悪を止めたければ善を止めなければならない 善を作れば悪を作らざるを得ない・・・ヴィヴェーカナンダ
この[最高アートマン]は、虚空と呼ばれ、<名称・形態>とは異なった別のものであり、 身体を持たず、粗大ではない、などの特徴をもち、悪を離れていることを特色とし、 一切の輪廻の性質に触れることはない。 ウパデーシャ・サーハスリー p207/シャンカラ
223 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/09/13(木) 09:45:10
「瞑想は霊的(スピリチュアル)な行為だが、宗教的な行為ではない」 by ケン・ウィルバー
225 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/09/17(月) 22:17:25
クリシュナムルティは結婚してましたか?
227 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/09/18(火) 19:08:14
>>226:妻帯or独身などは些少な論点。要は”人間意 識の強化、浄化、拡大”(開悟)と考える。沙門たる者、 それに向かって精進すべし。祖師方のように為れなくとも 構わない。壽量品偈にいわく。「恭敬信楽、我復於彼中」 (仏のミチ、人のミチを辿る者の中にブッダがまします) 菩薩道を歩くことだ。瑜伽では”中村天風”が模範的行 者。知人(僧)は三郎氏が名付け親。
228 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/09/18(火) 19:43:36
この人は死後の世界を聞かれてもそんなことは考える必要ないと言ったそうだね。 釈迦を連想させるんですが、逆に釈迦と違うところって何ですかね。
229 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/09/18(火) 20:17:14
※大井満(行田)の著書Cf.婦人では”野崎郁子”(札幌出・ 天風秘書・著書なし)A部Y子(島根出・小学校教員・玉緒 の恩師)。歯科医、故・橋田氏(京都の人)、京産大のS・ A(広島出・英文学)etc側近(必ずしも幹部に非ず)が 具体的。肉声が聞こえる。プロ野球の広岡や右翼のファンも いるが求道的かどうかは疑問。
>>228 教義上の相違は詳しい方に教えて頂くほかありません。(
>>21 )
釈迦は瞑想方法を教えているようですが、(「ブッダの瞑想」 須田道輝著、「ブッダの瞑想法」 地橋秀雄著)
クリシュナムルティは何かの瞑想方法ではなく、日常の関係の中で顕れる
あるがままの自分の姿、思考を無選択気づく(観察する)ことを説いていますね。
瞑想とは、意識の中身を空にすることである。
意識の中身をそっくり空っぽにすること、思考、想念が終息すること
それが瞑想の意味、瞑想の深さである。(クリシュナムルティ『生の全体性』)
我々は尋ねる、 「如何にして自己中心はなくなるのか? そのために私はいったい何をすればよいのか? どんな修養、どんな犠牲、どんな大それた努力をしなければならないのか?」と。 しかしそういった意味で我々に出来ることは何一つない。 ただ自己中心な心の動きを無選択に観察するだけだ。 それも観察者としてではなく、ただ選択者なしに観察するのである。 するとあなたは言うかもしれない、 「そんな事は私には出来ない。私は常に過去に囚われた目でしか物事を見られない。」と。 それなら、過去に囚われた目でしか物事を見られないという事実を自覚し、それに留まりなさい。 J・クリシュナムルティ(「クリシュナムルティ・水晶の革命家」高岡光 p11-12)
232 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/09/19(水) 08:11:29
>>185 >>186 :ウーン、グルジェフにウスペンスキーか。遂にでた感じ。
アレスター・クロウリーは馬鹿。西本願寺の手前(井筒近く)に古書肆
(仏書)。本山(浄土門でない)での所用のあと退去→JR乗車前のヒ
マ潰しに。オカルト本がワリに揃っている。ただ結局は釈尊や祖師の膝
下にぬかずく。
233 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/09/19(水) 08:24:17
>>228 =祖父母(イワキ=平)が天風さん大好き人間。バシッとした武人
だったそうだから「来世の問題」をじかに扱った本はない。但し熱涙くだ
る講演で”私は魂魄となっても諸君と共にいる。”と語ったことがあるー
と爺さんは言っていた。新井白石と似て「気の循環が大宇宙の運動」とす
る中国哲学が天風にもあったか・・・。
234 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/09/19(水) 10:29:21
>>210 :先年、物故した井筒俊彦氏(慶應大学)がこの方面で高い業績を
あげた由。私は大冊を読むアタマなし。
235 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/09/19(水) 16:46:19
自分探しなんてやめろ、本当の自分なんてない。 by養老孟司
心が完全でないと、命そのものが不完全となる 中村天風「君に成功を贈る」より
238 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/09/21(金) 21:55:01
揺籠から墓場まで、人間って奴の行動ってのは、 終始一貫、絶対にこの唯一最大の動機、 ― すなわち、まず自分自身の安心感、 心の慰めを求めるという以外には絶対にありえんのだな。 『人間とは何か』マーク・トウェイン
質問「般若心経にあるような“空”が、なくならないで在るものなのですか? 答 「そうですね。“空”の世界が、本当の意味で、絶対に在るものなのです。 “空”だけが本当に在るもので、“空”以外の在るものは、決して本当に在るものではない。 皆、たとえ神様であっても、必ずなくなるものなのです。 by 本山 博
ジドゥ・クリシュナムルティ Jiddu Krishnamurti(1895年5月11日−1986年2月17日) 宗教的哲人、教育者。20世紀最高の覚者の1人であるとする声が多く、 タイム誌によりマザー・テレサらと共に現代の5大聖者に数えられた。 1895年インド、マドラス近郊のバラモンの家に生まれる。 1909年14歳のとき〈世界教師〉の器として神智学協会の 指導者に見いだされ霊的修行を開始、ヨーロッパ各地で学ぶ。 1921年インドに帰国、〈星の教団〉の指導者となる。 25歳の頃には〈星の教団〉は世界各地で3万人以上もの 会員を擁するまでになった。 1922年8月の神秘体験から覚醒の〈プロセス〉が始まり、 やがて真理の組織的追求に否定的となる。 1929年34歳の時に「真理は組織化しえない」として同教団を解散。 「宗教や組織によって真理に到達することは不可能である。 自分は追随者は望まない。永遠を見つめ、真に生き、何の束縛も受けない 自由な人間がいてくれれば充分である」 という旨の <星の教団解散宣言> をメンバー3千人の前で行っている。 以後、徹底的な懐疑精神であらゆる既成の宗教の伝統やイデオロギーを否定。 亡くなるまで50年以上に渡り世界各地で、人間の解放をテーマに公開講話と 各界著名人との討論会、そして国際財団が運営するクリシュナムルティ学校 での生徒たちとの対話など教育活動を行った。 1986年2月、カルフォルニアのオーハイの峡谷にて逝去。 遺言によって、一切の葬儀なしに遺体は荼毘に付された。
現在、クリシュナムルティの著作本は、数百点以上に及び、
クリシュナムルティ学校は、アメリカ、イギリスに各1校、
インドに数校が設立されている。
巡った国々は、実に30ヶ国以上、各国の大学や
国連の平和集会などにも招かれている。
残念ならが日本に訪れたことはない。
(インドからアメリカに成田経由がある)
個人面談をした人たちの中には、
劇作家バーナード・ショー、作家オルダス・ハクスレー、
ジョン・ホワイト、レオポルド・ストコフスキー、
インド首相ジャワハルラル・ネール、理論物理学者デビッド・ボーム、
フルッショフ・カプラ、カルロス・シュワレス、
精神科医デビット・シャインバーグ、文明史家イワン・イリッチ、
インド首相ラジヴ・ガンディー、マザー・テレサ(本当かな?)
S・リンポチェ、ダライ・ラマ。
そして日本では鈴木大拙、千崎如幻、高岡光氏などがいる。
(故高橋重敏氏が同じ機内に同乗、少々会話)
クリシュナムルティ - 関心空間より一部抜粋。
ttp://www.kanshin.com/keyword/238579
井筒俊彦「意識と本質」は骨が折れますね。
あの御方が、創造、保存、破壊をなさると見るとき、“サグナブラフマン(有属性ブラフマン)”、 または“アッディヤシャクティ(根元造化力)”と呼ぶ。 あの御方が、トリグナ(三性「積極、消極、調和)を超えていると見るとき、 “ニルグナブラフマン(無属性ブラフマン)”、超心語なるもの”また“パラ(至高>ブラフマン”と言う。 ― ラーマクリシュナ ―
シャンカラ 「唯一」という観念さえ生じない それ以外の「2つ目」が考えられようか 絶対でも相対でもなく 無も有もない 絶対不二一元を本質とする ならば すべてのウパニシャッドによって確立された「それ」を どうやって言い表すことができようか
教師も聖典も存在しない 生徒も教えも存在しない あなたも私も存在しない この経験世界は存在しない 真の自己の悟りに差別性はない 私は唯一なるもの 自由にして幸いなるもの ただそれだけが 存在する ― シャンカラ ―
・ヴェーダンタ学派 ヴェーダ聖典の中の最後部ウパニシャッドを考察する学派がヴェーダンタ学派です。 バーダラーヤナを開祖とし、根本経典である「ブラフマ・スートラ」では 宇宙の絶対的真理であるブラフマンによる一元論が説かれました。 この学派における最終的な目的は解脱です。 この系譜につながる、8世紀前半の南インド出身の哲学者シャンカラは 「ブラフマ・スートラ」による一元論を発展させ、不二一元論をとなえました。 ここでは、ブラフマン=アートマンのみが絶対的な真実であり、 われわれが普段感じている現象世界はすべて虚妄(マーヤー)に過ぎないとされます。
・ミーマーンサー学派 ヴェーダンタ学派と姉妹関係にあるのがミーマーンサー学派です。 これはヴェーダ文献の祭事部の系譜につながる学派で、 ヴェーダの中で示されている祭祀の方法を正しく行うこと(法=ダルマ)で、 人間としての義務が果たされるとする考えかたです。 この学派では、正しいダルマの実行により、 将来の繁栄といった果報がもたらされると考えました。
・ヨーガ学派 ヨーガとは、サンスクリット語の「つなぐ」という語幹から発展したことから分かるように、 肉体を持った人間が肉体的・精神的訓練を通して大宇宙の原理と同調することにより、 解脱を目指すという宗教的体系です。 カルマ・ヨーガ(日常生活を修行とする道)、バクティ・ヨーガ(すべてを神への愛とする道)、 ジュニャーナ・ヨーガ(思索による直感を通し、真理を悟る道)があります。 また修行体系としては、精神的な修養を重視するラージャ・ヨーガ、肉体的訓練を重視するハタ・ヨーガがあります。 いずれにしても、これらの道を通して解脱に至ることがヨーガの最終的な目的です。
・サーンキャ学派 サーンキャ学派はウパニシャッド哲学以来の一元論の考えかたを転換し、 世界が精神原理と物質原理の2つの実体から成り立っているとする二元論を打ち出しました。 これは、人間存在が内包する「苦」を認識することから始まったものです。 一元論で説かれているように、この世のすべての現象が絶対的存在である最高原理から発展したのなら、 人間が絶え間ない苦に悩まされるということ自体矛盾ではないかと考え、二元論が打ち立てられたのです。 二元論における精神的原理としての純粋精神は、普遍の実体であるプルシャ(真我)と呼ばれます。 また、物質的原理はプラクリティ(根本物質)と呼ばれます。 プラクリティはさらにサットヴァ(純質)、ラジャス(激質)、タマス(暗質)という3つの要素によって構成されます。 サーンキャ学派はヨーガ学派と姉妹関係にあります。
・ニヤーヤ学派 ニヤーヤ学派はインドにおける代表的な論理学です。 開祖ガウタマによって著された「ニヤーヤ・スートラ」が根本経典です。 ニヤーヤ学派では、誤った認識が苦の原因になると考え、 整然とした論理によって世界を正しく認識することで解脱が得られると考えました。 ここでは真理は16の項目に分類され、それぞれの項目で正しい知識を得ることで解脱できるとされています。 この学派はのちの仏教論理学にも影響を与えました。
・ヴァイシェーシカ学派 ヴァイシェーシカ学派は、この世界におけるさまざまな現象を 6つの原理によって説明しようとしたため、自然哲学とも呼ばれます。 6つの原理とは、実体・性質・運動・普遍・特殊・内属です。 ヴァイシェーシカ学派はこれらの原理における共通の性質と異なった性質を認識することで、 万物(自然)を表現しようとした実在論です。 ヴァイシェーシカ学派はニヤーヤ学派と姉妹関係にあります。
自己は遍在し 真理と一体であり 他に依らない 実体のない現象界はすべて自己ではない 私は唯一なるもの 自由にして幸いなるもの ただそれだけが 存在する ― シャンカラ ―
〈二元論、条件付一元論、不二一元論について〉 『二元論』 = あなたと私、自分と神、ブラフマンとアートマン、それぞれを別々に考える。 『条件付一元論』 = あなたと私は1つ。私と神は1つ。まだ、私というエゴが存在。 『不二一元論』 = 神のみしか存在しない。すべてはブラフマン。 例えて言うと、 二元論は、ビンの中身とビンの外側の空気が違うもの。 条件付一元論は、ビンの中身は、空気だけだがエゴというフタがしてあり同じ空気だけど外の空気と分けられてる状態。 不二一元論は、ビンもフタも無い状態で、ただ存在するという状態。
もし精神が自らの苦悶から自由になれば、それは全く異なった境地に入り、 そして異なったレベルにいるので、経験を求めることさえしなくなるのです。 ゆえに、最高のものを経験しようとする願望は、本質的に間違っているのです。 ・・・K
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>>10 >>10 >>10 >>10 >>10 >>10 <<
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>>10 >>10 >>10 >>10 >>10 >>10 <<
259 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/11/11(日) 20:13:20
自分よりえらいと思う人が、言えばなんでもいいんだ。 おっかし。意味がわかれば、本質が近づくなんて きまってないだろうに。
260 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/11/11(日) 21:20:53
雰囲気に酔ってるだけ
261 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/11/11(日) 22:06:39
>>259-260 嫉妬くさくて、けちを付けたがる精神だな。
なんら理解力に乏しそうだが。
262 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/11/11(日) 22:24:29
>261 多分261さんが、勘違いしているのは、読解力と作文力を 混同しているところにあると思う。
263 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/11/11(日) 23:25:03
サザンコリアスの教えは、読解力と、作文力を同一にしてゆく。 そこに、飛躍があるのだ。飛躍こそ大事なのだ。
正法眼蔵 坐禅儀 兀兀と坐定して思量箇不思量底なり。 不思量底如何思量。 これ非思量なり。 これすなはち坐禪の法術なり。 坐禪は習禪にはあらず、大安樂の法門なり。 不染汚の修證なり。
266 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/11/17(土) 12:55:24
兀ってなんて読むの? π(円周率)?
【兀】 読み=「ごつ」(こつ)とも。 意味=不動。山のように動かないさま。 兀庵普寧(ごったんふねい)という風に、字・道号に使われたりもします。
268 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/11/20(火) 16:04:51
269 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/11/20(火) 18:08:04
問「真に自由であるとはどういうことか」 全否定がその自由なのです。 我々が、積極的だとみなしているあらゆるものを否定すること、 全ての社会道徳を否定すること、 全ての権威の内面的受容を否定すること、 人が真実について語ったり、結論付けたあらゆることを否定すること、 一切の伝統、一切の教え、技術的知識以外の一切の知識を否定すること、 あらゆる経験を否定すること、 思い起こされた、または忘れられていた快楽から起こる一切の衝動を否定すること、 あらゆる達成を否定すること、 特定の仕方での、行為へのかかわり合いをことごとく否定すること、 一切の観念、一切の原則、一切の理論を否定すること。 かくのごとき否定こそが、最も積極的な行為であり、 それゆえそれが、自由なのです。 ― クリシュナムルティ
当然のことながら、クリシュナムルテイのその見解も 否定 するのでしょうね。 すると、何も言っていない ことになるのかな?
クリシュナムルティ本人を内面的に権威化することの否定は当然だと思う。 彼の説いてる内容が理解できるのであれば、彼を全く忘れさっても良いのだと思う。 >何も言っていない 禅的な感じの表現ですね。そうかもしれない。
たとい7歳の女流なりとも すなわち四衆の導師なり 衆生の慈父なり 礼拝得髄より
クリシュナムルテイ は 導師(グル)、権威者、というのを 愚の骨頂、無知の悲劇、というぐらい、毛嫌いしていたようですね。 すると、そういうこと、の禅もあまり認めない、でしょうかね。
いや、禅でも、祖師を抹殺せよ、というような派もあるから なんとも、言えない、でしょうか。
師家を必要とし、修行を行う点で認めないと思います。
臨済正宗の場合、公案を参究して、入室参禅が不可欠です。 曹洞宗も良師の下で修行して師資相承が重要なので、やはり師弟関係です。 禅修行は、師家を必要とするので、師家が導師(グル)に当たります。 数息観や、臨済正宗は公案修行、日本曹洞宗は只管打坐(一部、公案も用いているようですが)と、 修行方法を必要とする点でも、クリシュナムルティと、現在の禅宗とは合わない面が多いと思います。 >禅でも、祖師を抹殺せよ、というような派・・・ 禅の最盛期、唐代の臨済義玄などの禅匠を丁寧に調べれば、 禅の本質とクリシュナムルティとの共通点と相違点が、もっと明らかになりそうですね。
多少、クリシュナムルティも方法っぽいことを言ってはいるが、 禅やヨガなどの行法、修行とはまたちょっと違うようだね。
クリシュナムルテイの言葉を読むと、 読んだだけで、ほっとするようなものが感じられる日々です。 無選択の気づき・・・ずいぶん美しい言葉ですね。 自己とはなにか。
この1,2年の間にも新刊が結構出てるのですね。 なかなか読む時間が取れないなあ。 『クリシュナムルティの生と死 』M・ルティエンス (著), 大野 純一 (翻訳) コスモス・ライブラリー (2007/11) 『既知からの自由』大野龍一/訳コスモス・ライブラリー 、(2007/7) 『いかにして神と出会うか』中川 正生 (翻訳) めるくまーる (2007/06) 『クリシュナムルティの教育原論』大野 純一 (翻訳) コスモス・ライブラリー (2007/04) 『生と出会う』大野龍一/訳コスモス・ライブラリー(2006/4) 『しなやかに生きるために 若い女性への手紙 』大野純一/訳 、コスモス・ライブラリー (2005/11) 『花のように生きる−クリシュナムルティ著述集 第1巻』横山信英/訳 藤仲孝司/訳 UNIO (2005/10) 『人生をどう生きますか? 』大野龍一/訳 、コスモス・ライブラリー (2005/10) 『クリシュナムルティとは誰だったのか 』A・ サナト(著)、大野 純一、 大野 龍一 (翻訳)コスモスライブラリー(2005/5)
281 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/12/05(水) 23:20:25
商業主義的な出版ばかりですが、今後、どうなるんだろう?
282 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/12/06(木) 00:23:58
>>281 もちろん、カルトの教義に利用されます。一般に認知されると
必ず誤用や、拡大解釈が意図的になされるでしょう。
283 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/12/06(木) 19:37:46
コスモス・ライブラリーの翻訳の質はもう少しどうにかならんのかね?
284 :
ネコネコ :2007/12/06(木) 19:57:12
..。*+ * 。 *。 ..゚..*+。*★* 。* 。 *★*。+**∵ 。.゚+゚☆゚* ∵☆*.* ..*.☆∵ ..∵☆゚+.゚・ 。★。゚ ..。★.゚ * ゚.★。 .゚..★* .. ゚*☆* ∵☆*..∵*☆∵ *..゚☆゚ +★。 。*★*゚゚ ..。★* ゚*☆* _,,..,,_ ,,,..,,_,,,,_ ..☆゚∵ 。★*.゚.゚ , '' ` ` ` ` 、 ....*★* . 。☆* ピトッ.../´ ''`フ ._,,..,,,,,,'"``"_ "、 。..゚☆゚* 。★。. / ,!./ ,' 3 `ヽーっ ミ ..。★* ... ゚*゚☆* レ _, rミ.l * ⊃ ⌒_つネ ....☆゚∵ 。★ `,`ミ*__,xノ_,,)''(``''''''''''''' ..,,ノ ∵★*。 ゚*..☆* "';.._,,)) ¨.'''''''''''''''''¨ ゚☆゚∵ 。★。 。★* ∵*゚☆* ..☆゚∵ 。★∵ 。★*。 ゚*☆゚∵。..*゚..☆゚∵ ∵..*★*∵゚ ゚
286 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/12/07(金) 15:26:22
<2ch運営スタッフ 村岡宏治の悪事追求ニュース>
★村岡宏治たま出版BBSジュセリーノニュース捏造事件★
インドネシア国営ニュースで、インドネシア政府・軍隊・警察が
2007年12月23日のスマトラ島地震を予言するジュセリーノを
「信頼している」と宣言し、数多くの地震避難用シェルターや設備、
住人を避難訓練させることを国民に呼びかけしたという内容の
報道を完全に捏造し、「そんな事実はない」とたま出版BBSで
嘘の書き込みをする。英文は簡単な内容で誰でも嘘がわかり
そうなものだが、誰一人としてその大嘘を指摘しないことから、
たま出版BBS自体が村岡宏治の管理下にある可能性も指摘されている。
◆村岡宏治が捏造したインドネシア国営ニュース◆
In Bengkulu province, authorities at provincial, regional and
municipal levels had begun taking steps to prepare the public
for a powerful earthquake and tsunami predicted to happen in
December by Brazilian earthquake observer Prof Jucelino Nobrega da Luz.
"We expect all districts and municipalities in Bengkulu province
to take all steps necessary to prepare the people for the earthquake
and tsunami. We at provincial administration level will provide
whatever assistance they need," Bengkulu Governor Agusrin Maryono
Najamuddin said after a coordination meeting recently
http://www.antara.co.id/en/arc/2007/11/28/west-sumatran-coastal-residents-worry-about-imminent-earthquake/ <意訳>インドネシア州当局では、ジュセリーノ氏が予言した地震・津波にあらかじめ
対策し準備をしている。州住人に必要な物資はなんであれ供給すると発表した。
井上義衍老師 「臨済でやっておるのは芝居、曹洞宗でやってるのは行儀の見習い。 そんなものは、お釈迦様、何にもお教えになってないよ。 釈迦の知った世界というのは、息をするこの根源を明白にしたんじゃないか」
290 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/12/11(火) 22:16:47
息をするこの根源?
ふ〜ん。 簡潔で おもしろい。
青野 「こうこうしてちんぼがたったんですが、どうしたらいいですか」 井上 「ほっときなさい、静まる」 それを聞いて帰って坐ったら、静かになりますね。それで 「眠うてたまらんのですが」 「ああ、気持ちよう寝なさい」 ふふふ。 これは素敵だ。
296 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/12/15(土) 21:05:19
クリシュナムルティは重要人物?
たぶん、そうだろうと思います。 誰だってそうだとか 言われそうですが。 インドではその道の大変な人なんでしょう。 インドというのは日本の何十倍の国土の上、 古代から、変質者国家かと思うほど、宗教ばっかりに特化、研究、探索 してきた国のようです。(こんな国、珍しい?) 日本には、このように精密に解き、話した人はみかけないようで。 グル( 師、マスター )こそ、諸悪の根源、という人ですから 日本だったら、宗教界上層部に袋叩きにあうでしょうか。 日本は聖徳太子以来、三権分立どころか 仲良く話し合いでという国 ですので。(言い換えれば、グルになればなんでもできるぜ、談合も。) 話が、ずれました。 失礼。
私が観念に、知識、イメージ、混乱のなかに心理安定を追い求めているがゆえに、 自分自身や自分の子供や兄弟のための生物的、物質的安定を確保することを妨げてしまうのです。 『生の全体性』29p
クリシュナムルティを理解して悟った人いるのでしょうかね。
303 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/12/23(日) 09:22:30
悟っているじゃないか 純ちゃん龍ちゃんみたいに
純タソー 龍タソー
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20) クリシュナムルティと共に [心と宗教] クリシュナムルティ [哲学] クリシュナムルティとか・・・・・・ [心と宗教] クリシュナムルティ [心理学] 【ザ・ヒーラー】ダスカロスの教え [心と宗教]
ブラウザによっては反映されないですし、 他所のスレでも「…はこんなスレも見ています」を貼る方いますが、 意味あるのでしょうか。 スレの進行と何も関係ないように感じます。
アセンション・フォトンベルト詐欺師の歌
http://www.youtube.com/watch?v=HF8U3skKCg4 <トーマ・イタルバージョン>
ジュセ〜リーノ〜、来日さ〜せて〜〜♪
予言〜〜で〜〜、便乗、さ〜ぎし〜〜♪
2chで〜ジュセリ〜ノつ〜ぶし〜〜
二枚じ〜〜た〜〜、予言はバ〜ク〜ル〜〜♪
精神病者(よーびだし)、終末論で(ビービセ) お金を騙し取る〜〜〜♪
架空の(会社で)、投資金(あーつめて)
あああ〜〜〜、投資金は、倒産するから〜〜返らない〜〜
ねこば〜ばされても、文句、いえないのさ〜〜〜
スピリチュアル詐欺師〜〜、トーマ・イタル〜〜
※スピリチュアル霊感投資詐欺商法に注意(警察HP参照)
http://www.police.pref.kanagawa.jp/mes/mesd2009.htm ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■■2ちゃんねる幹部「中尾嘉宏」は、詐欺で逮捕されていた ■■
北海道警生活環境課と札幌・中央署は六日、インターネットを利用し
不特定多数の人から金を 集めていたとして、出資法違反(預かり金の禁止)の
疑いで札幌市厚別区もみじ台南 七丁目 パソコンソフト開発販売会社社長
中尾嘉宏容疑者(37)を逮捕した。
>>302 真偽の程はわからないのですが、「自我の終焉」のあとがきに、
ロバート・パウエルはクリシュナムルティが主張する
受動的な自己凝視を通して「真の実在」を実際に体験していると書いてあります。
亡くなって約20年、もしかしたら、既に幾人かいるかもしれない。
今いなくても、読者人口が年々増えているようですので、今後出てくる可能性がありますね。
そうなんですか。 クリシュナムルティの言葉だけ、を信奉するかたがただけ、でしたら、 むずかしいものがあるかもしれず、すくないかもしれませんが、 ひろく、みれば、決して少なくはないかもしれませんね。
あ、いや、探求者達というのは、 たくさんの世界、たくさんの k のようなかた を 探求しているであろう、という意味です。
もしも皆さんが瞑想を練習するなら、つまり方式や方法に従うなら、 その時には、それは、結果を達成するために作り上げられる思考の運動であり、 そしてその結果は、過去からの反応として投影されるのであって、 そしてそれゆえ依然として思考の領域内にあるのです。 それゆえ、頭脳に変容が有り得るでしょうか? 要点はそこです。それは可能だ、と我々は言うのです。 すなわち、注意の大きなショックがある時にのみ、変容は可能なのです。 注意は無抑制を含蓄しています。…… クリシュナムルティ『真理の種子』236頁
>注意は無抑制を含蓄しています。 何も抑制・抑圧せずに注意するって事すかね 強制じゃなく自然に注意するっていう
313 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/12/29(土) 01:36:12
思考を介在させず、観て、聴いて、 思考で抑制しないということだろうか。 >自然に注意するっていう そのように取れますね。
>>自然に注意するっていう 美しい異性にたいしてなら、誰でもそうなってる、ような・・・
315 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2007/12/29(土) 11:39:19
それは、欲望と言う「観察者」が中心になっているので、だめでつ。
愛は真理と別のものではありません。 愛は時間としての思考の過程が完全に終焉した状態なのです。 愛があるところに変革が生まれます。 愛がなければ、革命は何の意味もありません。 なぜかと言いますと、その革命は破壊や腐敗や、ますます増大する悲惨にほかならないのです。 愛があるところに革命があるのです。 なぜなら、愛は一瞬ごとの変革であるからです。 J.クリシュナムルティ
317 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2008/01/13(日) 22:32:43
わが愚かさを悲しむ人あり。 この人すでに愚者にあらず。 自らを知らずして、賢しと称するは愚中の愚なり。 (『法句経』)
318 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2008/01/19(土) 03:55:41
↓これ、どう思います???
禅ではなにもせずに坐れと言うものがおる。止観の止だけをやれというのじゃな。
一方でクリシュナムルティなどは、観察だけを行えと言う。 止観の観だけをやれというのじゃ。
それらはどちらも間違いじゃ。
お釈迦様は止観の両方を修行せよと説いた。
それによって速やかに悟りを得られるのじゃ。
実際に悟りを得られるのは、観察によってだが、
自我の生成を観察するには強い集中力が必要なのじゃ。
集中と観察の二つの行があって、始めて速やかに悟りを得られる。
http://onioshyou.blog122.fc2.com/blog-date-200712.html
319 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2008/01/22(火) 01:53:28
ごく平凡な上座かぶれではないんかの。
320 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2008/01/30(水) 22:54:10
その不生でととのいまする不生の証拠は、 皆の衆がこちら向いて、身どもがこういう事を聞いてござるうちに、 後にて烏の声雀の声、それぞれの声を聞こうと、思う念を生ぜずにおるに、 烏の声雀の声が通じわかれて、聞き違わずにきこゆるは、不生で聞くというものでござるわいの。 かくの如くにみな一切事が、不生でととのいまする。これが不生の証拠でござるわいの。 その不生にして霊明な仏心に、極まったと決定して、じきに不生の仏心のままでいる人は、 今日より未来永劫の活如来でござるわいの。 今日より仏心でいるゆえに、我が宗を仏心宗といいますわいの。 盤珪禅師
盤珪禅師とクリシュは何となく似てるよね。 読書で悟るなんて余程の宗教的天才しかいない。
323 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2008/02/02(土) 19:30:54
盤珪の「不生の仏心」 臨済の「聴法の底の人」 クリシュナムルティの「無選択の気づき」
「明徳とは何か。」 型どおりの趙州無字ではなく、 盤珪、一身上の問題から見性したのは、 意図的に疑団に追い込む修行方法としての公案禅と一線を画している。 「もし、貴方が如何なるものであれ、人間の悩みをひとつでも解決する事が出来るならば、 貴方は人間の悩みの全てを解決することが出来ます。」 ― クリシュナムルティ
>318 そういった方法によって 悟りに到達しようというわけですか。 どうなんでしょう。 たぶん その人も、わかっていらっしゃるように、 いずれ、その方法も、捨てることになるでしょう。 ポイントは、それをする「自身」なのでしょうから。 「 K が 観のみに 」というのは、ちょっとした誤解、かもしれません。 K だと 「そういった、一定の(機械的)ことによって、あなたは、 みいだせると、思うだろうか・・またもや・・ 」 とか、
326 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2008/02/05(火) 17:13:35
wowwowwow ケヅヤのいい猫 雌たち 防腐剤のソーセージ くわぬ。くえくえ クリシュナムルティ
327 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2008/02/06(水) 20:19:16
きのう、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギが入寂されました。 マハリシの功罪について思う所のある方はお書きください。
>>327 亡くなられたのですか。
TMのヨーギー。
329 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2008/02/07(木) 06:01:42
>>328 っつうか、訃報に接して、
まだ御存命だったんですか?という反応が圧倒的。
何か、大昔の偉大なインドの聖者だったような感覚が多くの人にある。
ビートルズが若い時に関わった瞑想の師という事で語られる事も多く、
たいがい、写真の肖像は昔の記事でも高齢の老サドゥーのような風貌。
ビートルズのメンバーもすでに二人が物故しているし。
330 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2008/02/07(木) 12:08:09
「偉大なインドの聖者」というよりは「インドの聖者」ビジネスモデルの成功者 という印象が強い。ビートルズは最初クリシュナムルティに自分たちのグルに なってくれるよう頼んだが断られたという話だが、クリシュナムルティにグルを 頼むというのはそうとうぶっ飛んだ発想。瞑想の師を持つことがファッション の一部だったのかな。
331 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2008/02/07(木) 21:54:12
マヘーシュの師はシャンカラアチャリアの一人ですか?
読売新聞社のひとですか
333 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2008/02/08(金) 00:51:07
マハリシ・マヘシュ・ヨギの御冥福を心よりお祈り申し上げます。 「ヨギ」って名前って言うより敬称ですよね? 密教のお経に「瑜祇経」ってあるじゃないですか? 正しくは「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経」でしたっけ? 高野山真言宗の総本山の高野山金剛峯寺の寺号はこの経題からですし、 愛染明王を説くお経としても知られていますが、 経題に見える“瑜祇”は、マハリシ・マヘシュ・ヨギの“ヨギ”と同じ梵語ではないでしょうか? (もっとも瑜祇経は梵文が未発見で唐撰述の説もあるようではありますが)
334 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2008/02/08(金) 06:38:19
>>331 だいたい長髪長髯のヨガ行者はシヴァ神の信徒だから
シャンカラにつながりますね。
335 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2008/02/08(金) 18:43:53
アディ・シャンカラとその後継者と彼の僧団は、剃髪してひげも綺麗に剃っていた。 赤いベールを頭からかぶり袈裟のような衣を身にまとっているが、ほぼ半裸と言っていいような出で立ち。 首には大きな数珠をネックレスのようにかけている。 額や腕など身体の所々に宗派の印である独特のペインティングがあり、先端に近い辺りに布の小さな包みを旗のようにつけた杖を携えている。 長髪長髯のサドゥーに比べると、むしろ、仏教の比丘のような感じだが、 実際、シャンカラの梵我一如を中心とした思想は、瑜伽行派の唯識論にかなり似ている。
336 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2008/02/09(土) 05:58:29
サンニャシは雲水でサドゥーは修験者のような感じですね。
337 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2008/02/09(土) 19:15:52
俺TMのマントラ貰ったけど、 TMでは悟れないよ。 でもマヘッシが死んだのか・・・ 諸行無常だな。
340 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2008/02/10(日) 05:19:12
鈴木大拙師の娘さんってジャズ・ミュージシャンかなんかしてなかったっけ?
鈴木アラン(勝)という息子さんがいたのは著名ですが、 娘さんの存在は知らないです。
342 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2008/02/10(日) 16:52:22
唯識論は難しくって、いまいち理解しにくいです。
唯識 印度大乗仏教の学派。 龍樹(150〜250年頃)が創始者、著作「中論」などが基本典籍。 全てのものは原因条件をまって生起(縁起)するのであって、 独立固有の実体性は持たず(無自性)、空である(空性)、 物事をそのように把握するのが固定した考え方に執われない(中道)に他ならない。 提婆(170〜270頃)が「四百論」などで学説の体系化を試み、 仏護(490〜570年頃)、月称(650頃)が空性を記述し体得する方法についての議論を展開した。 清弁は論理学的な推論式によって空性を積極的に論証することを主張し、これに対して批判的な月称は、 空性の立場に立たない対論者の学説については、学説の予盾を指摘すれば充分であるとした。 後代、ここで中間派は清弁系の独立論証派と仏護・月称系の帰謬論証派に分裂したと見られるようになる。 8世紀の寂護(725〜784頃)、蓮華戒(740〜794頃)は、5世紀以来対立関係にあった瑜伽行派の学説を 中観学説より下位に置くことで両学説の統合をはかった。中国の三論宗は龍樹・聖提婆の説を中心としたもの。
唯識説 仏教は、当初から唯心論的傾向の強い思想であるが、その傾向が極をきわめて、一つの特別の学派、 すなわち瑜伽行派によってまとめられたものが「大乗仏教の唯識説」と呼ばれるものである。 この説が成立した要因の一つとしてヨガ体験があげられる。 「大毘婆沙論」などによれば、すでに部派仏教の時代から「瑜伽師」とよばれ、 ヨガを好んで修した一群の人々の存在が知られていたが、 この様な人々の禅定体験「あらゆる事物は、心が作り出した影像にすぎない」という体験が 唯識説を生みだした根本原因であったと考えられる。 この他の理由として、「華厳経」にみられる「三界唯心」説の影響を受けたこと、 般若経・中間派の空の思想を虚無主義的に解釈する考えを是正する必要が起こったこと、 さらには輪廻主体の追求のはてに”アーラヤ識という根本識をを発見したこと、などをあげることができる。 この説の一大特徴は、あらゆる存在を生みだす根本識としてのアーラヤ識を根元として、 その上に末那識(マナス)と六識とを位置せしめる八識説をとなえたことである。 アーラヤ識とは別名、一切種子識と呼ばれるように、そのなかに過去の業の影響が種子として貯えられ、 同時に現在・未来にわたって自己の心身をさらには自然界を生みだす根源体である。
唯識説は、「唯だ、識のみである」と説き、心のほかに事物的存在を認めない。 すなわち、心が所取(客観)と能取(主観)とに二分化し、 能取としての心(見分)が、事物の姿に似て現われた所取としての心(相分)を眺めるという。 換言すれば、 『心が心を見るという認識構造説にもとづいて、すべては心の現れにすぎず、 自己および外界を実体視るところに苦しみと誤謬とが生ずる』 と主張する。 このほか、心のあり方、広くは存在のあり方を遍計所執性・依他起性・円成実性との三つに分ける「三性説」と、 およびそれを否定的に表現した相無性・生無性・勝義無性の「三無性説」も唯識説を構成する重要な思想である。 唯識説は識以外の存在を否定して「唯識無境」であると主張する。 しかし、究極の境界すなわち勝義諦の世界からすれば、その識さえも存在しない 「識無境無」の空の立場に立ち、「般若の空の思想」をそのまま引き継いでいる。 ただし、ヨガという実践行を通して悟りに達しようとする根本的姿勢から、 修行の段階においては少なくとも心、すなわち「識」の存在を認め、その識のあり方を修行によって 汚れた状態から清らかな状態へと変革することをめざす。 すなわち汚れた識を転じて清らかな智慧を得ること(転識得智)、 換言すれば、アーラヤ識中のあらゆる汚れた種子を滅して、 清浄な種子のみで満たすこと(転依)こそが唯識説の究極目的であるといえよう。
唯識瑜伽行派
あらゆる存在はただ識、すなわち心にすぎないとする見解.般若経の「空」の思想を受けつぎながら、
しかも少なくともまず識は存在するという立場に立って、
自己の心のあり方をヨガの実践を通して変革することによって悟りに到達しようとする教えである。
この思想を打ち出した学派を唯識瑜伽行派あるいは単に瑜伽行派と呼ぶ。
vijnaptiとは〔知らしめる〕という意味。したがって、
唯識とは語義的には、自己と自己を取り巻く自然界との全存在は自己の根底の心である
阿頼耶識が知らしめたもの、変現したもの、という意味である。
唯識説によれば、ただ心のみがあり、外界には事物的存在はないとみる。
しかし、これは決して西洋思想でいう唯識論ではない。
なぜなら心の存在もまた幻の如き、夢のごとき存在であり、究極的にはその存在も否定されるからである。
この唯識思想は、弥勒によって唱えられ、無着・世親の兄弟によって組織体系化された。
とりわけ世親が「唯識三十頌」を著すに及び、それまでの教義の一応の体系化が達せられた。
その後、この書の解釈をめぐって、多くの論師たちによって論議が戦わされた。
唯識思想の特徴として、次のようなことが挙げられる。
1)心の種類として、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識の8種をたてること(八識)。
このうち後の二つがいわゆる深層心理に属する。
2)三性説を新たに打ち出したこと。
全存在を心のなかに還元し、しかもその全存在のあり方を、
遍計所執性(分類された非存在)と、依他起性(因と縁という他なるものに依って生起した仮の存在)と
円成実性(完成された真に存在するもの)の3種類の分類した。
3)ヨガを実践することによって唯識観という具体的な観法を教理的に組織体系化したこと。
「永眼大僧都という人侍りき。唯識・因明を明らかにせりとぞ」〔撰集抄〕
「瑜伽・唯識の教文、弥勒下生の時まで守護し給はんこそ遥かなれ」〔八幡愚童訓〕
http://www.geocities.jp/kihaty/yuisikisetu.html
349 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2008/02/15(金) 22:23:14
唯識派と中観派の違いは何なのでしょうか?
唯識は言ってみれば仏教の深層心理学。(ヴァスヴァンディ説) 中観は全ては空という説。(ナーガールジュナ説)
なるほど。
来週1週間入院なのでクリシュナムルティと仏典を ゆっくり読むよ。
入院ですか・・・
ヴィパッサナーやら数息観、なにかの方法で省発すると 自我を観尽くした訳ではないので、麻薬と同じで依存状態になりますね。 その方法の背景にある観念の信奉者になって布教し始める。
クリシュナムルティは方法は問うな、方法など無い、という。 だが凡人にそんな事言っても無理。 禅は方便を考えた。 釈尊はもっと昔にヴィパサナという方便を考えた。 そこからしか出発できない。 クリシュで悟れる人なんて存在しないに等しい。 だから美しいのだがな・・・
宗教板でヴィパッサナーを教えている方は、悟って居ると思うが「和尚」を名乗らなければ、 不必要な誤解を受けなかったでしょうに、「鬼」まで付けると尚のこと禅かと思われてしまう。 適当なハンドルネームが想いつかなかったのかな。 禅宗の方はクリシュナムルティを気にしながら読まなかったり、 認めたくない心理が垣間見える論文を記したりされますが、 ヴィパッサナー、テーラワーダ方面の方は読んで彼らなりの評価を下すようですね。 地橋氏もクリシュナムルティを確か読んだように何かで書いてました。
思考が、技法という思考の属性を使って思考を超えようとする。 そんなことは絶対に不可能。 それが仏教系の技法であれ、何であれ。
>>359 ああ、クリシュナムルティに引っかかってしまったな。
君は悟れない。
クリシュナムルティは預流果だったのかも知れない。 しかし釈尊にはかなわない。
かわいい!(・∀・)
悟った人は既にいるらしい。
>>360 359さんは
既に悟っているかもしれないよ。
例えば、クリシュナムルティの言う「自我の根っこを観つくして」。
もしくは昔に、伝燈の禅の見性やヴィパッサナ、なんらかのテクニックで。
相手の実情が判別しない状態の憶測は適当ではないでしょう。
×既に悟っているかもしれないよ。
○あるいは、既に悟っているかもしれないよ。
>>360 信仰している宗教や、なにかの行法を行っているのですか?
呼吸による癒し ラリー ローゼンバーグ
仏教辞典誠信書房 中村元監修によると 「アートマン」とは、インド哲学一般、ことに、ウパニシャッドや、 ヴェーダーンダ哲学で、個人我を意味する術語。呼吸(van)という 動詞から作られた言葉で、呼吸という働きが生命の根源であると考え、 そこから進んで個人を統一する中心の名としたのである。この個人我は、 万人に共通のものであると考えて、これを普遍的な実在者と見なし、 従来からあった宇宙原理としてのブラフマン(梵)と同質のものである と考えるようになり、(梵我一如)の思想となって現れて来た。 この考えはバラモン経以外の自由思想家にも大きな影響を与え、 サーンキヤ派ではこのアートマンを純粋精神原理として、 ブルシャと名づけて自然と区別し、二元論を立てた。 仏教は、アートマンにタイシテアナートマン(無我、非我)の立場に 立ったので有名である。この無我説は、体のどこにも我がない、 という立場から出発するもので、アートマンを完全に否定するものではなく、 永遠普遍な固定的実体から存在があるのではなく、一切の存在は縁起 (相依相関の関係)によって生じたものであるという立場を押し出すために、 無我と称したのである。従って、ブッダは、日常生活における行為の主体で ある自己を指し時には、やはりattanという語を用いていられる。 と解説されている。
本人が理解してりれば良いのでは。
一人二役
中村元博士によって、最初期の仏教では「我はない」という意味の無我説は説かれていない、
「〔真実の〕我ではない」という意味の非我説が説かれたのである、ということが明らかになった。
非我と無我とは別の概念であって、はっきり区別する必要があり、非我から無我へと思想史的な変移がみられるという
(anattan の意味も同様に変化していったといわれる。)
ttp://fallibilism.web.fc2.com/089.html
>>373 真実の我ではない、ということはどこかに真実の
我がある、と言う邪見になるね。
>>368 >アートマンを完全に否定するものではなく、
>永遠普遍な固定的実体から存在があるのではなく、一切の存在は縁起
>(相依相関の関係)によって生じたものであるという立場を押し出すために、
>無我と称したのである。
377 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2008/03/24(月) 01:18:35
378 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2008/03/24(月) 07:17:01
>>375 それを邪見とするのが後の展開なんじゃないかな?
お
380 :
1A(文タイトル「日本人の影の政府関係者(警察・自衛隊)」) :2008/03/28(金) 05:31:54
告発文「影の政府(シークレット・ガバメント)の日本人関係者」は長文になり、BBSでは 場違いと思われますので、ホームページにまとめることにしました。1〜2ヶ月くらいしま したら、「マツモト」「コジマ」「ヤマダ」「ダイスケ」「コウジ」「マサト」「警察」「自衛隊」 「影の政府」「シークレット・ガバメント」「ロスチャイルド」「ロックフェラー」等のキー ワードで探してみてください。世界で初めての暴露かもしれません。説や憶測ではなく、 厳然たる事実です。 日本で「シークレット・ガバメント」というと、遠く英米の外人達の謀略というイメージ があると思いますが、日本国内においては日本人の関係者がいるのです。シークレット・ ガバメントが注目している日本ですから当たり前です。言葉・風習の問題がありますし、 日本人の監視は、日本人によってです。エシュロンが米軍三沢基地などに設置されている なんてもんじゃない。監視だけでなく、以前、少し書きました超常手段も駆使し、日本国 内においても数々の謀略を行っています。ネットを含むマスメディアも、超常方法によっ て、番組内容・CM・タレント・その他ともに膨大に操作している。また謀略だけでなく、 自分達の正体が発覚していないか探るためにも、マスメディアを操作しています。ホーム ページで全文確認してみてください。(以前一部記しました陰謀者が使っている各キーワー ドは、殆どを、絶対に先入観や世間的イメージや意味を完全に排除して読んで下さい。先 入観やイメージに惑わされますと、告発自体が、近年耳目を引くトンデモのようなふざけ た内容に思われかねず、返って陰謀者の思う壺になってしまいます。説ではなく、事実で す。)
381 :
1A(文タイトル「影の政府日本人関係者の人相」) :2008/03/28(金) 08:21:56
上述「影の政府(シークレット・ガバメント)の日本人関係者」のホームページが出来る まで1〜2ヶ月かかりそうですので、それ以前にその一部を掲示したいと思います。 以前も多少記しましたが、人相は以下の有名人達に似ています。これらの有名人は偶然似 ているのではなく、日本人陰謀者が自分達の発覚を探る為、超常手段によってあえて自ら の人相に似た人物を有名にし、頻繁にメディアに登場させているのです。マツモトキヨシ 等の企業経営者同様、本人達は全くそのことを知らない。こんな指摘をされても「まさか」 と思うだけで全く信じないでしょう。しかしこれは説や解釈ではなく事実なのです。シー クレット・ガバメントがもう随分前から日本国内に対して行っている陰謀工作の一部分で す。以下は利用されている人物の一部です。笹川ひろし、内原茂樹、竹田圭吾、布施博、 山田雅人、森田公一、松本亨、小嶋進、岸部一徳(サリー)、柳生博、藤原光博、高橋ジョ ージ、三村マサカズ、黒烏龍茶CM男、デイヴ平尾、アスカ・コーポレーション社長(南部 昭行)、内藤大介、阿藤快、前川清、小川直也、北澤豪、鈴木順、小杉竜一、田口壮、山本 厚太郎、安田裕己、牧冬吉、橋本真也、きたろう、吉田眞、半田浩二、水野透、恵俊彰、 城彰二、杉江勇次、真矢、岡島秀樹、その他。 現実であることは繰り返し述べていますが、瞑想が習慣の方は本当か見てください。上記 人相の通りですから。
あ〜あ
384 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2008/04/16(水) 11:35:05
随分オカルトっぽい感じですね。 神界からのご指示・・・
悟りはビックリ人間のものじゃない
五日間接心 五月二日(金曜)〜五月六日(火曜) だそうで、 内容 Present Moment Awareness 瞑想 (アナパナサティ - 坐禅) 場所 一法庵 住所 〒248−0024 神奈川県鎌倉市稲村ガ崎1−9−32 日帰りの接心で、接心の間は、基本的には沈黙行。 差定 7:30 a.m 坐禅 8:30 a.m 歩行禅 9:00 a.m 坐禅 10:00 a.m 歩行禅 10:30 a.m 坐禅 11:30 a.m 昼食 1:00 p.m 歩行禅 1:30 p.m 坐禅 2:30 p.m 歩行禅 3:00 p.m 坐禅 4:00 p:m 歩行禅 4:30 p.m 坐禅 5:30 p.m.インタヴュー 7:00 p.m. 坐禅 8:00 p.m. 歩行禅 8:30 p.m. 坐禅 9:30 p.m. 就寝
388 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2008/05/11(日) 03:47:50
389 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2008/05/13(火) 22:54:00
で、昨日はクリシュナムルティのお誕生日だったわけだが ケーキ食べた?w
390 :
1A(題「影の政府の日本人へのシナリオ」2) :2008/05/31(土) 07:18:23
以前予告しておりました「影の政府(シークレット・ガバメント)の日本人関係者・エー ジェント」についての、独自情報HPは、7月8月頃になりそうですので、もうしばらくお 待ちください。先に、内容の一部が、飛鳥昭雄氏情報(NSA・NASA・JPL情報)への「非科 学的中傷本」に対してのスレッドに載っています。なお批判意見・批判サイトにより混乱 したり惑わされてしまっている方は、絶版ですが、「ロマン・サイエンスの世界」 (雷韻出版)が真相を知ることが出来必読です。5月現在、ログ倉庫内でなく普通にすぐ 読める飛鳥昭雄氏2chスレッドはいくつか存在しますが(NSA・NASA・JPL情報の信用を 落とす情報操作を目的としたスレッド・記述もありますので十分ご注意ください)、 当方が掲示しましたタイトル「日本人の影の政府関係者(警察・自衛隊)」 「影の政府日本人関係者の人相」「影の政府の日本での今後の陰謀」 「「影の政府」による 長期の陰謀実例」「影の政府の日本人へのシナリオ」の 全てが載っているのは、その内の一つだけです。一部のタイトルしか載っていない スレッドもありますのでご留意ください。
391 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2008/07/25(金) 16:37:12
五輪会新緑の 坐 禅 会 かつて宮本武蔵は「五輪書」を著し、剣術の視点から人生の道理を禅に基づいて説きました。 今、わたしたち「五輪会」は、その宮本武蔵の精神に学び、坐禅会を開催したいと考えています。坐禅を通じて自らの心の成長や、他者との出会い、そして心の交流を深め合うような会にしていきたいと思っています。 幸いにも今は亡き水上勉先生が創設された「若州一滴文庫」には禅堂としても設計された「くるま椅子劇場」があります。この空間で竹林を背景として坐禅を体験することは、皆さんにとってかけがえのない経験となるでしょう。 是非この機会に『禅』に触れてみてはいかがでしょうか。 自宅で座る ←「臨済禅・黄檗禅公式サイト」をご覧ください。 きりりと気持ちを引き締めてみましょう。 日 時 第40・41回目 8月23日(土) 24 日(日) 午前8時から約2時間 会 場 若州一滴文庫 服 装 体を締めつけない服装が適しています。 * 坐禅後にミニ講話を行っています。 * 坐禅後は茶礼(サレイ・お茶を頂いて共にくつろぐこと)をします。 * 経験、未経験は問いません。初めての方は基本からご指導します。ご安心下さい。 * 参加ご希望の方は前もってお知らせ下さい。 * 参加費200円をお願いします。 主催 : 五輪会 共催 : NPO一滴の里 潮音院 協賛 : チャンネル0
392 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2008/07/26(土) 05:08:14
393 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2008/09/17(水) 13:33:29
「禁欲に徹する者は、精力を得る。」 「禁欲つまり独身生活を確立することで、われわれはエネルギーを保存する。」 「精液は脳と神経に力とスタミナを与える。神経衰弱はスタミナが流出して不足するから起こるのだ。」 「精液はわれわれの生命である。それは正しく保存されると多大なエネルギーをもたらす。それは身体に吸収されるとプラーナに変わる。」 「女性においても、保存された性エネルギーはプラーナに変わる。真に人々を助け、良い人間関係を作ることを可能にしてくれるのは、この生命力である。」 「禁欲を守ることによってわれわれは肉体的なエネルギーだけでなく、心的・道徳的な、そして最終的には霊的なエネルギーを保存することになる。」 「保存された性エネルギーは「オージャス」と呼ばれる精妙なエネルギーに変わる。これは人格的な磁気のようなものである。それが人格全体を調整し、神経を鍛え、頭脳の力を増して、心を穏やかにする。」 インテグラル・ヨーガ パタンジャリのヨーガ・スートラ スワミ・サッチダーナンダ(著)
俺の阿頼耶識が見つかりません><
見つけようと探すから見つからない、とかさ
396 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2008/09/18(木) 11:52:23
「心、プラーナ、性的エネルギーは一つの鎖につながった三つの環である。これらは魂の三つの柱でもある。心、プラーナ、性の力の一つの柱を倒せば、全部が崩れ落ちる。」 「もし、禁欲を十二年間守り通せば、超越意識状態に何の苦労もなしに自然に入る。精液はブラフマンそのものである。」 「一滴の精液は四十滴の血液からつくられる。一回の性交で費やされるエネルギーは、二十四時間の知的作業で費やすエネルギーに等しく、三日間の肉体労働で費やすエネルギーに匹敵する。」 「精液はどんなに貴重なことか。この性のエネルギーを無駄に浪費してはならない。細心の注意を払って保存し、すばらしいパワーを得るのだ。」 「この性のエネルギーは、性交として使われない場合神聖な力に換わり、頭脳の中に貯えられる。」 「西洋医学ではこの重要な点を発見していない。実際多くの病気の原因は、過度の精液の流出のせいである。思考、言葉、行動の禁欲を守る真の修行者は、パワフルな心の力を持っている。」 「このような修行者が世界を動かす。低い欲望に決して負けず、厳格な禁欲を守ると、性的エネルギーは、上に昇り頭脳の中に貯えられる。これによって、知的パワーは著しく強められる。」 「厳格な禁欲者は年老いても、強く正確な記憶力を保つ。性的エネルギーの転換を達成した禁欲者は、性欲に悩まされなくなる。このような禁欲者はウールドヴァ・レータ(精液が上に流れる)と呼ばれる。」 ヨーガとこころの科学 スワミ シバナンダ (著)
我々が現在の人生において何千という夢を体験するように、 我々の現在の人生も何千もの人生の一つに過ぎない。 現在の人生の前には別の、より本物の人生があったのだし、 死後はまた別の人生へと戻っていくのだ。 ―レフ・トルストイ
398 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2008/09/21(日) 20:17:18
「・・・過去の継続を断ち切るエネルギーをもつこと、これが重要なのです。」 (自己の変容 p198) これって、やっぱり、止観の止の重要性を言っているようにしか思えないのですが、どうなんでしょう。。。
Kはサマタを説いていないからちがうね。
ジュセリーノ&ラビバトラ資本主義崩壊予言的中
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/market/1221794318/57 人間はもともと、無限の存在と繋がっているのである。
あらゆる人間にとっての共通の課題は、自らの拘束を解くことにほかならない。
身体の拘束を解き、恐れや悲しみ、憎しみによる心の拘束を解き、
そして欲望の拘束を完全に解き放つ。すべての拘束から自由になれば、
心は本当に向かうべき世界へしか向かわなくなるのである。
瞑想と精神的生活は、私が行う経済的・政治的・社会的予測と一体化したものとして存在している。
瞑想によって自然の摂理を知り、無限の存在である神を感得し、神の意思を確認する。
そこから私は、この地上の貧困を撲滅するための 「力」 を得ているのである。
ラビ・バトラ 新世紀の大逆転より引用 (p.26)
あげ
402 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2008/11/09(日) 15:02:43
チャクラを解放するんじゃなかったの?
>>399 止をとどめず観察するとみることもできよう。
禅もヨガもクリシュナムルティも、道は違うだけで最終的な目的地は同じ。
訂正 ×道は違うだけで 〇道が違うだけで
408 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/03/06(金) 13:13:50
ヨガってやっぱいいんだ
409 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/03/20(金) 15:41:51
ヨガやりはじめてからわかった事。幸せは外ではなく内にあった。本を読んで学んだわけではないのに自然と悟った。 ヨガは修行のつもりでやると続く。スレ違いだったらすいません
410 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/04/09(木) 16:22:43
>>409 意味の領域でしか思考できないなら、ヨガを本で始めただけであり。
それは実践の何もやっていない状態としかいえない。
実践で得たものと、知識で学んだものの差がわかるようになってから
初めて1歩進める。
君はまだその1歩すら(ry
411 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/04/09(木) 19:11:03
412 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/04/10(金) 13:41:21
どこかで クリシュナムルティはヨギだ という話を読んだけれど 本当だろうか?
この場合どういう意味のヨギ? ヨガの真偽を理解したヨギ? アーサナやヨガの瞑想方法などのヨガ修練者?
414 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/04/11(土) 12:23:10
おれ的には文脈から ヨガの修行者もしくは単に日課としてやっているひと 程度の意味だと解した クリシュナムルティもヨガやるんだ 的な印象を受けた ヨガっておくふかいのな
「禁欲に徹する者は、精力を得る。」 「禁欲つまり独身生活を確立することで、われわれはエネルギーを保存する。」 「精液は脳と神経に力とスタミナを与える。神経衰弱はスタミナが流出して不足するから起こるのだ。」 「精液はわれわれの生命である。それは正しく保存されると多大なエネルギーをもたらす。それは身体に吸収されるとプラーナに変わる。」 「女性においても、保存された性エネルギーはプラーナに変わる。真に人々を助け、良い人間関係を作ることを可能にしてくれるのは、この生命力である。」 「禁欲を守ることによってわれわれは肉体的なエネルギーだけでなく、心的・道徳的な、そして最終的には霊的なエネルギーを保存することになる。」 「保存された性エネルギーは「オージャス」と呼ばれる精妙なエネルギーに変わる。これは人格的な磁気のようなものである。それが人格全体を調整し、神経を鍛え、頭脳の力を増して、心を穏やかにする。」 インテグラル・ヨーガ パタンジャリのヨーガ・スートラ スワミ・サッチダーナンダ(著)
「心、プラーナ、性的エネルギーは一つの鎖につながった三つの環である。これらは魂の三つの柱でもある。心、プラーナ、性の力の一つの柱を倒せば、全部が崩れ落ちる。」 「もし、禁欲を十二年間守り通せば、超越意識状態に何の苦労もなしに自然に入る。精液はブラフマンそのものである。」 「一滴の精液は四十滴の血液からつくられる。一回の性交で費やされるエネルギーは、二十四時間の知的作業で費やすエネルギーに等しく、三日間の肉体労働で費やすエネルギーに匹敵する。」 「精液はどんなに貴重なことか。この性のエネルギーを無駄に浪費してはならない。細心の注意を払って保存し、すばらしいパワーを得るのだ。」 「この性のエネルギーは、性交として使われない場合神聖な力に換わり、頭脳の中に貯えられる。」 「西洋医学ではこの重要な点を発見していない。実際多くの病気の原因は、過度の精液の流出のせいである。思考、言葉、行動の禁欲を守る真の修行者は、パワフルな心の力を持っている。」 「このような修行者が世界を動かす。低い欲望に決して負けず、厳格な禁欲を守ると、性的エネルギーは、上に昇り頭脳の中に貯えられる。これによって、知的パワーは著しく強められる。」 「厳格な禁欲者は年老いても、強く正確な記憶力を保つ。性的エネルギーの転換を達成した禁欲者は、性欲に悩まされなくなる。このような禁欲者はウールドヴァ・レータ(精液が上に流れる)と呼ばれる。」 ヨーガとこころの科学 スワミ シバナンダ (著)
京都に「ヨーガ禅協会」って有るよね。
418 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/06/06(土) 15:53:10
従事していることにおいて、 あなたは決して時間を超えることはできない。 従事していることと共に、 あなたは決して空間を超えることはできない。 しかし、あなたが何にも従事していず、 全面的に従事することがなく、 自分自身に従事することさえ、 瞑想にさえ従事していないとき、 それこそがその時だ。 それが至福の、霊的存在の頂点の瞬間、 サマディだ。 by P・ババジ
419 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/06/07(日) 08:32:34
瞑想でなにか超能力が得られるみたいなのでやってるバカが多い クリシュナムティにしろブッダにしろ本望でないことだろう
420 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/06/08(月) 18:10:45
↑中沢新一の本真に受けたバカみたいにかw
421 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/06/08(月) 18:22:50
AVみたく腰振るだけのSEXしか知らない子供は黙ってなさい
33 :豊葦原中国の仙人さん:2009/04/12(日) 04:58:26 TaoZenは合わないので離れていったよ 先生もこっちを嫌っていたようで露骨に公然と言われた まわりに集まっているのもスピリチユアル系ビジネスおばさんが多いのでひく ユニバーサル・タオは別の先生から習いたい マンタクチェから直接習えればいいと思う
425 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/06/11(木) 12:39:36
興味のある者、自分の目的地に着きたいと感じ、それを願う者は自分の目的地を決定する。それは生の目的だ。 あなたは決めただろうか?あなたは知っているだろうか? 私はあなたは知ってもいないし決めてもいないと思う。なぜならあなたは自分の存在についての覚醒を発達させていないからだ。 あなたはあなたがアートマン即ち魂であると、あなたがブラーマであると、あなたが存在であると、あなたが自己であるとは思っていない。 あなたはただ自分の人格や、エゴや、物質的な娯楽や、世間的な達成に満ちた世界の中にいることについて考えている。 何ものもあなたに属してはいない。 それはあなたのカルマの世界だ。そしてあなたもまたあなたのカルマの世界だ。 あなたはこの世から消える時に全てを背後に残して行かねばならない。 この故に苦しみがある。 なぜなら死の恐怖がいつでもあなたの前にあるからだ。 この故にあなたは協会や寺院やモスクに行き始める。 それでもあなたはあなたが何であるかを理解できない。 なぜなら彼らは宗教を教え、宗教とは規律や戒律によって生きるからだ。 彼らは自己実現を教えることはできない。 なぜなら彼らがそれを持ち合わせていないからだ。 彼らは完璧な預言者ではなくただの僧侶だからだ。
426 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/06/11(木) 12:41:19
この故にあなたは深淵を覗き込むように自分を変えたのだ。これはあなたが自分の肉体とマインドに気付きを発達させることから恩恵を受け取る者にすることができる。 今やあなたは現代的な宗教の悩みの種にはまったのだ。 ヨーガは体とマインドの宗教になったが、 ヨーガは本当はサマディだった。 ヨーガと科学だが、あなたはヨーガを体操として受け取っている。 ヨーガには8つの枝がある。 ヨーガは宿命(天意)を持つ。 ヨーガは内なるメカニズムを開くための実践だ。 ヨーガは気づきを発達させるために体とマインドの健康の目的で実践された。 ヨーガは人間の最高の達成のために発見された。 ヨーガは愛や親切心や同情や平和といったあらゆる創造の根っこであるハートへの道を開くために使われたが、 我々はヨーガを興奮や娯楽として受け取っている。 その故に私はあなたの内なるメカニズムの神秘を明かすことのできる偉大なる科学を誤用している自分を止めるよう言いたい。 それはより高い意識にたどり着くためにあなた自身のそれら全ての入り口を開くことができる。 それは自己実現として知られている自己発見のための全体的な科学だ。 それより自己はブラーマに起源を持つ。 知っての通り私は自己とブラーマを旅した。 Pilot Baba
427 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/06/11(木) 17:38:07
思考の海に住み 思考を自在に操り しかも、思考に触れられることがない。 私たちが日常と捉えているものは 当然の事として信じ込んでいること 勘違いであるかもしれない。
428 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/06/11(木) 17:39:51
私は何か新しいものを発明したわけではない。 私はいかなるものも発明しはしなかった。 私は発見したものをあなたと分かち合いたい。 そして、 私はあなたもその真理を発見することを望む。 それを発見したら、 さらに発見すべきものは何もない。 それは、その後に目的地がない究極の目的地、 全てのゴールが終わる究極のゴール、究極の種だ。 そこにあるのは発明ではなく発見であり、明らかにされたものだ。 リアリティーの直接的な経験がない「解放」や「究極の真実の発現」はあり得ない。 私はあなたに経験を与えることはできないし、 他の何ものもそうすることはできない。 それは「あなた」の経験でなければならない。 それゆえに私はあなたに道を見せる。 なぜなら私はその道を通って目的地に旅したからだ。 私は私の究極の真実を明らかにしたので、 あなたをあなたの目的地に導くことができる。
429 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/06/11(木) 17:49:12
止まれぬ渇きに導かれ歩み出す。 一たび歩み出せば戻る道はない。 先人たちはあらゆることを記している。 それ自体はただの言葉に過ぎない。 しかし、それを糧に瞑想を続ける。 それは必ず起こる。 想いもかけなかったやり方で明らかになる。 あきらめてはならない。 続けること自体が道なき道を探り導く。 byP・ババジ
ここは迷ってる人達が多いね。
迷っているというか何でもありというか。 まあ原理主義よりマシか。
みんなJの詩編とかどうとらえてる?字面追いかけてたらJの意図とずれるよね。はぁとで聞くっちゅうかなんちゅうか。
434 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/06/27(土) 18:40:56
冷やし中華はじめました
詩編 読んだことない。。。
437 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/07/04(土) 02:51:48
ヴィパサナーの瞑想合宿に出て数日もすれば 思考が静かになる瞬間を経験するが、日常生活に戻ると すぐにもとの状態に逆戻り。 こんなことが3年ぐらい繰り返されてるけど、 なんか段々、こんな瞑想に参加してても 思考を止むような夢をみてる訓練してるだけな気がしてきた。 自分は根本的になにか思い違いしてるような気がする・・・
438 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/07/04(土) 09:42:06
瞑想が鎮痛剤みたいになっちゃうんだよね。 自分もそんな感じです。 薬が切れると苦しいからまた瞑想する。 まさに迷走ですわ。
439 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/07/04(土) 19:48:39
瞑想は仏教では本来メインではなかった。 縁起を正しく理解する、そしてそれに従った生き方をするというのがブッダの教えで 縁起を理解するために深く考える、それが仏教の瞑想であって 瞑想自体が苦を滅する答えではなかった。 だが、仏教がインドの国教になり、ヨーガ行者がみな仏教に合流した。 結果部派仏教はどんどん瞑想のロジックを深め、それが中心かのようになっていった。 瞑想で超越的な境地を会得できるというような考え方は、むしろバラモン教の行者的とも言える。 瞑想を極めたと言われる師を捕まえて、爪の間に線香押し込んでみ? 泣いて許しを請うだろう。人の体はそうできているから、当然だ。 瞑想してもなにも超越的な境地になどなりえない。 人の体や世の理から何も脱せていない以上、苦は当然ある。 師が飯を食わずに生きれるくらいに人の体の仕組みを超越していたら信じたらいいだろう。 けど、飯を食わないとやってけない程度にしょせん俗だし、なにも変わっていない。 少し我慢強いだけです。 瞑想や考え方というものは、その程度のものであり、それでまたいいのだと思います。 瞑想で何か完成があるように言う人らは間違ってるし、そんな言説を真に受けて そうなれないことを気に病むことはありません。
瞑想に失敗したんだな。可哀想に・・ 釈尊がサマタの究極を極めながらも悟れず、 ヴィパサナを開発したということも知らないのだろうな。 経典にはヴィパサナという言葉は出てはこないが 釈尊が行ったのは紛れも無く現代で言うヴィパサナだ。 初心の人は騙されないように。 少なくとも千五百年以上の伝統と 2ちゃんねらーの意見を比べると・・・
441 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/07/04(土) 22:19:02
>>440 >釈尊がサマタの究極を極めながらも悟れず、
>ヴィパサナを開発したということも知らないのだろうな。
病気ですね。経典の古層と言われる部分に瞑想の理論なんて皆無です。
法を見抜くことばかり説いている。
瞑想せずとも法を正しく知ったと悟る人が経典古層では頻出していることでも分かるように
その手の瞑想論は仏教に入り込んだ後世のヨーガ行者が作って行った伝統にすぎない。
それが無意味とは言わないが、瞑想の修行を高めていけば
何か超越的なことが得られるというような理解は仏教を歪めてしまうよ。
はっきりした答えとかゴールを求める即物的な心根は目を曇らせてしまう。よくないよ。
冥想はいいが、それはあくまで仏教というよりも
ヨーガの理論と理解したほうが妥当だし、いい結果得られるのではないかな。
今仏教の瞑想と言われているものは、六派哲学のヨーガに連なるものでしかないし
そういう系統を広く学んだほうが理解しやすいのではないか。
ハイハイ経典原理主義者さんw 一生妄想の中でもがいていくのも 可哀想だが本人の選択だ、仕方ないね。 さようなら。 あ、あと古層を連発しているが スッタニパータだけでいいので どこが古層でどこがそうでないか 書いてください。 もちろん君には逃げる権利があることは認めます。
/\___/\ / / ヽ ::: \ | (●), 、(●)、 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ,,ノ(、_, )ヽ、,, | < まーたはじまった | ,;‐=‐ヽ .:::::| \_______ \ `ニニ´ .:::/ /`ー‐--‐‐―´´\
>>439 爪に線香押し込まれて痛くない奴なんていないだろw
その瞬間痛いという事実は事実で受け取り、それを恨みや後悔などとして後に残さないことが、執着しないことなんだよ。つまり、輪廻転生の業を作らないということだな。
445 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/07/05(日) 10:59:49
これは例えでしかないが、線香をずーっと押し込んでたら、ずーっと苦が続くんじゃないの。 人の体の構造にしろ、環境にしろ、外部状況が変わらない以上、瞑想で得られる境地とは状況にしょせん縛られるもので 一定の我慢強い考え方は得られるかもしれないが、完成した超越的な境地がなにがしか得られるとか思わないほうがいいよ。 そこを勘違いして何にも動じない苦の完全克服みたいな超人的境地があると瞑想にのめりこむから そういったものが得られずさらに苦を産む。 仏教の多くを求むるから多くの苦があるという基本的な教えを思い出すべきです。 即物的にモノを求めようとあさましい考えで瞑想するから逆に遠ざかっている。 もっと少しのささやかな安らぎという認識で瞑想したほうがよい。
446 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/07/05(日) 11:02:18
>>442 韻文の部分がそう。こんなの常識でしょ。
最近は仏典成立時期の目安となる韻文、散文の区別を無視して
語形の変化も無視して全て仏教成立期の理論と書く啓蒙書も多く問題ですよ。
447 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/07/05(日) 11:14:26
古層と考えられる経典ではブッダは弟子を指導するのに瞑想しろという論理で導いてませんよね 縁起をよく見てよく把握しろという法の知覚を悟りの道と説いています。 瞑想が悟りなのであれば、瞑想をよくしろと指導するはずですし、 初期経典に現れる瞑想してないのに正しく縁起を理解して悟るような人々は存在しない。 そういう人々が描かれるということは、初期仏教では今のように瞑想修行が悟りという宗教ではなかったはずなのです。 そういう行者的なスタイルはやはりその後のヨーガ行者の影響というべきでしょう。
448 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/07/05(日) 11:20:49
瞑想を理解したかったら、六派哲学のヨーガから広い枠組みで 仏教の瞑想も捉えたほうが絶対にそのロジックが理解できる。 今も脈々と瞑想論は瞑想ヲタによって新しい方法論とか提唱されつづけてるでしょう? この感覚が何百年と続いてるのを想像てみてください。 そういう仏教にこだわらず仏教以前に遡る大きなインド瞑想哲学の系統樹の中に現代テーラワーダの瞑想の数々もあるのです。 現代・近代テーラワーダですら数々の新方式が考えられてきているでしょう。 密教の香を焚いたり行を併用して導くトランス状態を使う瞑想も、禅の瞑想も 全てその中にあるものである。
449 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/07/05(日) 12:07:02
>>438 レスありがとうございます。
その鎮痛剤もどうやら麻薬や劇薬になるみたいですね。
今一度、余計なものは省いて、心を見つめてみます。
>>447 >縁起をよく見てよく把握しろという法の知覚を悟りの道と説いています。
>瞑想が悟りなのであれば、瞑想をよくしろと指導するはずですし、
>初期経典に現れる瞑想してないのに正しく縁起を理解して悟るような人々は存在しない。
よく見ろと言うだけでは分からないよ。何を、どうやって見るのかという方法論があってはじめて実践として役にたつ。
それがなければただの空理空論だ。
その実践方法として瞑想があるんだよ。
たしかに瞑想がなくても、説法聞いただけでも悟れる人はいるだろうけど、普通の人がそういうウルトラCを期待しないほうがいいと思う。
方法論として確立してる瞑想を地道にやるのが一番近道だよ。
なんか瞑想が悟りとか、瞑想者全員が超越した
何かを求めてるとか決め付けて、思い込みが
激しい人みたいだね。
ブッダが当時の伝統的な瞑想を実践し、
仏教オリジナルといえるのはヴィパサナだけ
だって誰でもしってるだろ。(滅尽定もそうだっけ?)
縁起を理解しようと静に座って思いを凝らすことが
既に瞑想の入り口だとりかいしていない。
>>450 が正解だよ。
ま、瞑想のことなど忘れて読書だけ
してればいいんだよ。
>>449 だからその最後の一行がヴィパサナなんだってw
453 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/07/05(日) 16:16:04
ヴィパサナw
?
>>455 450は瞑想しろと書いてて、451は瞑想を忘れて読書してればいいと書いてる。
458 :
451 :2009/07/05(日) 17:07:37
ハハハすまん、すまん。 あれは皮肉でね、瞑想なんて高尚なこと やらずに経典ばかり読んで 人生無駄にしてろ、という意地悪。。
>>458 皮肉を読み取れぬ我が身を恥じ入りまする。まことにかたじけなし。
なんの、なんの。 誤解されるは拙者の不得のいたすところ。 ゆるりとされよ。
↑しかも「不徳」の間違いだったし・・
462 :
437、449 :2009/07/05(日) 17:49:30
>>449 最後の一行
クリシュナムルティ的には“気づき”=瞑想、または理解力だね
464 :
437、449 :2009/07/05(日) 18:30:22
>>463 そうかも知れませんね。
1年近く堂々巡り、ぐるぐる状態。
なんとなく身につけた細かいテクニックの類、
そういうものを一度、ご破算にしてみようかと、そんな感じです。
465 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/07/05(日) 19:16:26
>>449 438ですが、大体みんな同じように悩むと思ってますわ。
大味しか判らなかったものが、
舌が敏感になるにつれて微妙な味で料理人も悩むそうで、
心の味わいもそんなもんかも知れんと思ってます。
467 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/07/05(日) 23:35:01
スマナサーラの日本テーラワーダ仏教協会が 日本のテーラワーダの代表みたく世間で認知されてるのは たいへんよろしゅうないと思います あれは師や経典への盲信を強要するカルト教団ですし、 かなり歪曲されたスマ教だと思います。 日本テーラワーダ仏教協会ってあたかもテーラワーダの日本支部かのような名前名乗ってるけど スリランカ仏教の1僧侶が日本留学して瞑想会開いてたのが大きくなって大儲け。 スリランカ本国から認可受けてスリランカ仏教日本支部のような権威を得たってもの。 別にスリランカ仏教はテーラワーダの中心でもなんでもないし、日本スリランカ仏教協会と名乗るべきだ。 (植民地時代一旦途切れて、ミャンマーから経典取り寄せて神智学界隈が復興したもの)
468 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/07/06(月) 19:37:54
ハァ(´Д`)?
469 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/07/09(木) 12:48:52
上座部を名乗るのが既にウソだよな 部派の上座部は早々に滅びている その後の数々の部派のうちの1派であるというだけで 上座部ではない
470 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/07/09(木) 19:07:25
471 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/07/09(木) 19:44:08
てんぷう とKを比べる事自体Kに失礼、
というか言語道断、というか
>>470 はゴキブリ。
473 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/07/10(金) 09:42:10
>>451 この人明らかにスマナサーラのテーラワーダ史捏造史観に洗脳されてますよね
間違った瞑想うんぬんってことは、彼の言う、ブッダが説いた教えは瞑想、
その教えを正しく寸分違わず伝えるのは我々のみ!他はみな邪教!という例のアレまんまだから。
まず、彼が一次結集の経典を寸分違わず伝えると自称する彼らの経典は
考古学の知見ではずっと後代の記述にまみれておりその考えは「科学的」態度ではない。
文法などから古層を読み解く研究などはありますが、それによれば初期の経典に瞑想理論は書かれていない。
古層を見ればそれどころか瞑想全くせずとも悟る在家などが普通に描かれていますよね。
ブッダが繰り返し説くのは縁起を正しく理解する、それが涅槃の道であって、
瞑想ではない。よく考えろよく見ろとは言っても、瞑想という行による悟りではない。
そもそも経典をまともに読めばブッダは瞑想で悟ったのではない。
瞑想で悟れず、スジャータに粥を貰ったとき縁起の法を知覚し、悟ったのである。
部派仏教が瞑想行に耽溺していったのは、仏教がインドの国教になる過程で
インド在来の非仏教のヨーガ行者もみな仏教に流れ込んだと考えられるわけです。
そこで仏教が瞑想という「行」を重んじるように変容していったと考えられます。仏教のヨーガ化です。
瞑想という「行」で何か超人的なものを得ようという思想は、滝に打たれて霊力を得ようなどの考え方と
全く違わないものであって、瞑想はあくまで精神を落ち着かせ思索し、縁起を深く考えるものでしかなく
それが「行」かなんかのようになってしまっている部派の瞑想論は後世の歪みというべきものです。
475 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/07/10(金) 12:29:25
自演うぜぇ
>>473 こいつ、あっちこっちで書いて論破されて
遁走してるんだよね。
477 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/07/11(土) 00:17:05
そうなんだ。 なんかクリシュナムルティスレッドとかにやって来て、 場違いな他宗教批判始めて、荒らし回って目茶苦茶にする奴だと思ってたけど。
>>476 論破されてるのは逆だろ
ド正論だから転載されてるだけ
479 :
↑ :2009/07/11(土) 21:44:32
こいつの母親はチョンの間で働く朝鮮売春婦。
おまえは>478よりも下。
481 :
↑ :2009/07/12(日) 01:54:16
こいつの母親はチョンの間で働く朝鮮売春婦。
482 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/07/16(木) 21:18:11
ヨガナンダのクリヤヨガと、ヨーガスートラのクリヤヨガが同じものだと
本気で思ってるアホの書き込み↓
<↓アホの発言を笑ってやってください(笑)↓>
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1246781766/139 139 :考える名無しさん:2009/07/16(木) 17:16:25 0
これでいかに136(ほかもこのバカの自演連投だろうがwww)が
無知蒙昧の痴豚かと言う事がはっきりしたねwww
ヨーガスートラの調気法は、ヨーガ八部門説の単なる理論解説にしか過ぎない。
プラーナヤーマの実際の技法は、ハタヨーガの聖典「ハタヨーガ・プラティーピカ」に
これ以上ないほど微にいり細にいり説明されている。
コラッ、136の無知蒙昧の痴豚がこれ以上無知を晒すなwww
それとクリヤヨガなる名称はヨーガスートラ第二章では、行事ヨーガと言って
日常の行いを清く正しくするものとして紹介されている。
具体的には苦行,読誦、自在神祈念の三つからなっている、瞑想のための準備段階にしか過ぎぬ。
クリヤヨガがラージャヨーガそのものではないことは、パタンジャリのヨーガスートラが証明している。
129〜137が、いかに愚かで無知蒙昧の痴豚の戯言だらけかが分かるよねwww
>>482 同じ名前を後からつけたほうが悪い。
どっちだ?
484 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/09/05(土) 10:40:17
age
485 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/09/05(土) 20:51:37
ヨガナンダのクリヤヨガは、 要するに、サハスー〜チャクラの覚醒だね。
486 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/09/05(土) 21:42:55
要するに低レベルなキチガイにはその程度の会話しかできないということ。
ババジ系統のクリヤヨガは
>>482 の「行事ヨーガと言って日常の行いを清く正しくするものとして紹介されている。」
とは別物。
世間虚仮 唯仏是真
阿部将英&新美陽平 フリダヤ瞑想教師黄金の師弟コンビ
●阿部将英氏(奥さん・吹田菊子)
ttp://ds-hrdaya.com/folder/dsh-prfile.htm <以下、本人の旧サイト どりーむろっじHPより引用> セミナーやワークショップによっては、
ワークショップ内での 恋愛を禁じている所もあります。 その位、良く有るケースです。
僕も何度かはまって しまい 痛い目を見た事があります(笑)。 今の彼女(吹田菊子)とは
全くそうした精神世界 とは 違う世界で、出会いました。 彼女とはテレクラ(ダイヤルQ2)で知り合い
ました。 彼女と出会う前に僕はやはりあるワークショップで知り合った女性と肉体関係に陥って
いました。相手は結婚していましたから、俗に言う不倫です。結局、その関係は破綻を
来たしましたが、僕自身とても傷つきました。 そのつき合っていた人は僕のシャドー
そのものでしたから、最後には互いを本当に 傷つけ合ってしまいました。
その深い傷を癒すには数年かかりました。自分は愛に 価しない人だと自分を卑下したり
しました。もう、スピリッチャルな事には関わりたく ないと本気で思いました。大体、
自分の恋愛に関してまで、どうして霊的な問題が 関わってくるのか、カルマが何だと!
と神を呪いもしました。 そんなこんなで、淋しさ を癒す為にテレクラに電話したり、
遊び廻っていました。そんな時に彼女と出会い ました。彼女はアルバイトをしていました。
(当時はバブルですから、時給が良かっ たそうです(笑)
●阿部将英氏の弟子 新美陽平氏(アートマハット プロフィールより引用)
1976年、日本生まれ、日米育ち、男性。
プログラマ、工場システム保守管理、整体などの職歴を経て、現在に至る。
20歳頃、幼少の頃より抱いていた「空」、魂と神の感覚、本当の自分、
本当のこと、個性と創造性、宗教と人種を超越した普遍性、
人間性、それら魂からの真理的な実在性を探求し始める。
探求の過程で禅病や鬱病となる
490 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/10/06(火) 11:53:59
Prajna Paramita Heart Sutra Aryavalokiteshvara Bodhisattva Gambhiram Prajna-paramita Caryam Caramano, Vyavalokiti Sma Panca-skanda Asatta Sca Svabhava Sunyam Pasyati Sma. Iha Sariputra, Rupam Sunyam, Sunyata lva Rupam, Rupa Na Vrtta Sunyata. Sunyataya Na Vrtta Sa-rupam, Yad Rupam Sa-sunyata, Yad Sunyata Sa-rupam. Evam Eva Vedana, Samjna, Sam-skara Vijnanam. Iha Sariputra, Sarva Dharma Sunyata Laksana. Anutpanna, Aniruddha, Amala, A-vimala, Anuna A-paripurna. Tasmat Sariputra, Sunyatayam Na Rupam. Na Vedana, Na Samjna, Na Sam-skara,Na Vijnanam. Na Caksu, Srotra, Ghrana, Jihva Kaya ,Manasa. Na Rupam, Sabda, Ghandha, Rasa, Sparstavya Dharma, Na Caksur-dhatu, Yavat Na Manovijnanam-dhatu. Na Avidya, Na Avidya Ksayo, Yavat Na Jara-maranam, Na Jara-marana Ksayo. Na Duhkha, Samudaya, Nirodha, Marga. Na Jnanam, Na Prapti, Na Abhi-samaya. Tasmat Na Prapti Tva Bodhisattvanam, Prajna-paramitam A-sritya Vi-haratya Citta Avarana, Citta Avarana Na Sthitva, Na Trasto. Vi-paryasa Ati-kranta Nistha Nirvanam. Try-adhva Vyavasthita Sarva Buddha Prajna-Paramitam A-sritya Annutara-Samyak-Sambodhim, Abhi-sambuddha. Tasmat, Jnatavyam Prajna-paramita Maha-Mantra, Maha-vidya Mantra, Anuttara Mantra, Asama-samati Mantra. Sarva Duhkha Pra-samana Satyam Amithyatva. Prajna Paramita Mukha Mantra Tadyatha, Gate Gate, Para-gate Para-samgate Bodhi Svaha
491 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/10/06(火) 11:56:57
Prajna Paramita Heart Sutra When Avalokiteshvara Bodhisattva was practising the profound Prajna Paramita, he illuminated the five skandhas and saw that they are all empty Form does not differ from emptiness, Emptiness does not differ from form; Form itself is emptiness, emptiness itself is form. So too are feeling, perception, formation and consciousness. Thus Sariputra, all dharmas are empty of characteristics. No birth, no cessation, no defilement, no purity, no increase and no decrease Therefore Sariputra, in emptiness there is no form. no feeling, no preception, no formation, no consciousness. no eyes, no ears, no nose, no tongue, no body, no mind. no appearance, sound, smell, taste, object of touch, dharmas. No field of eyes, up to and including no field of mind consciousness. No ignorance, no end to ignorance, Up to no old age and death, no ending of old age and death. No sufferings, no origin (of sufferings), no cessation (of sufferings), no path. No wisdom, no attainment, no non-attainment. Since the Bodhisattva have no attainment, He abides by means of Prajna-Paramita with unobscured mind. Since there is no obscuration of mind, there is no fear. He transcends falsity and attains complete parinirvana. All Buddhas of the three times by means of Prajna Paramita fully awaken to unsurpassable truth, complete enlightenment. Therefore, know that Prajna-Paramita is a Great Mantra. A Mantra of great insight, an unsurpassable Mantra, an unequalled Mantra, that calms all sufferings should be known as truth without deception. The Prajna-Paramita Mantra is recited thus Tadyatha, Gate Gate Para-gate Para-samgate Bodhi Svaha
492 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/10/06(火) 12:10:45
觀自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。 舍利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。 舍利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不淨不摯s減。 是故空中。無色。無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色聲香味觸法。無眼界。乃至無意識界。 無無明。亦無無明盡。乃至無老死。亦無老死盡。無苦集滅道。無智亦無得。 以無所得故。菩提薩埵。依般若波羅蜜多故。心無罣礙。無罣礙故。無有恐怖。遠離顛倒夢想。究竟涅槃。 三世諸佛。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。 故知般若波羅蜜多。是大神咒。是大明咒是無上咒。是無等等咒。能除一切苦。真實不虛故。 說般若波羅蜜多咒即說咒曰 揭帝揭帝 般羅揭帝 般羅僧揭帝菩提僧莎訶 般若波羅蜜多心經
493 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/10/08(木) 00:18:41
クリシュナ爺を読んだら、パルメニデス断片が少し理解できるようになった。 コメンタリーはおもしろいね。特に爺が見た風景描写。自然主義文学。 ドーデーみたい。あれが「あるがままの真実」 思考が作り上げた過去と過去の幻影たる未来。前世も生まれ変わりも必要ない。 現在のスピリチュアルブームに冷や水
前世の修行なしにKのような 人間がポッと産まれてくると 思ってんの? アフォちゃう?
コメンタリーを「おもしろい」と言ってる時点で なんだかなぁ・・・
496 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/10/08(木) 00:36:35
Kは修行なんか認めてないんじゃない。あらゆる手段と方法を否定した はずじゃなかったの?
497 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/10/08(木) 01:00:31
いいじゃん別にw
498 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/10/08(木) 01:04:48
ほんとだね。天真爛漫
499 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/10/16(金) 04:30:47
age
500 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/10/17(土) 21:38:47
岩月海洞氏の入寺式厳修 大本山大徳寺法源・博多崇福寺 2009年10月22日 福岡市博多区千代の臨済宗大徳寺派崇福寺(崇福寺専門道場)で十五日、 岩月海洞住職・崇福寺専門道場師家(室号=坐雲軒)の入寺式が厳修された。 岩月師家は昭和四十年、愛知県豊田市出身。 京都府立大学に在学中、大徳寺塔頭聚光院の小野沢寛海閑栖(当時は住職)に導かれて平成二年に得度。 同年秋に大徳僧堂に掛搭し、現管長の高田明浦師家に十八年間参禅し、嗣法した。 昨年に永暫した後、聚光院副住職として静岡県の同院伊東別院に暮らす寛海閑栖を補佐していたが、 約四年間にわたり空席となっていた崇福寺の新たな住職および専門道場師家として請われ、九月一日に崇福寺に入寺していた。 十五日の入寺式は、本山から神波東嶽宗務総長、小堀月浦龍光院住職(教学・財務部長)、 小野沢聚光院閑栖、小野沢虎洞聚光院住職を迎えて午前十一時から厳修され、 岩月師家の導師のもと第九教区(田代義道宗務所長)の寺院住職が出頭し、大悲呪(三巻)、祝聖開山、火徳回向が営まれた。 入寺式の終わりには兼務住職を務めてきた渡辺桂堂妙楽寺住職が謝辞。 四年前となる平成十七年の福岡県西方沖地震での被災、同年の雲水による放火事件と師家の引責辞任、 その後の同十九年の開山大應国師七百年遠諱に向けて伽藍を復興したことなど、近年の崇福寺の激動の変遷を振り返りながら、 岩月師家のもと再開した崇福僧堂での禅風の挙揚と、崇福寺の護持発展に期待を込めるとともに、若い師家への支援、協力を求めた。 祝斎では神波宗務総長が「不幸な時期もあったが、こうして管長が手塩に掛けて育てられた素晴らしい老大師を迎えることができ、 崇福僧堂を盛り立てていただけるものと期待している」と挨拶し、乾杯した。
17 :名無しさん@九周年[]:2009/04/15(水) 05:43:28 ID:cbngeAbH0
永平寺のイジメもすごいぞ
30 :名無しさん@九周年[]:2009/04/15(水) 15:48:53 ID:iNc2PW1x0
永平寺の修行経験者の本読んだことあるけど、入門者なんか作法を覚えるのにすごいらしいよね、なにか動作をするたびに拳骨で殴られるらしいから・・・
上の人と視線が合っただけでも殴られるんだから。
もし、永平寺のような大きな寺で、訴える人がいたら地元の警察はどう動くんだろうか?
35 :名無しさん@九周年[]:2009/04/16(木) 02:41:31 ID:JUjadMv1O
>>17 ,30
永平寺も今は暴力ないよ
もし暴力バレたら、最悪僧籍剥奪。良くて即下山
やる気ない奴のケツ叩いてこれじゃ割に合わないし
38 :名無しさん@九周年[]:2009/04/16(木) 20:13:12 ID:RDMhDLbZ0
>>35 元サラリーマンが書いた本で、永平寺がいかに暴力的なところで
軍隊的なところか全国に暴露されたからだろw
そんな暴力を今まで放置していたなんて、
禅宗(笑)なんか仏教でも何でもない
503 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2009/11/07(土) 21:54:46
階級制度でも人生規範でもなく 慣習でも法でもない 集中 瞑想 ヨーガ その他の修行のどれも必要ない 「私が」「私の」という観念は自己でないものから生じる その誤りは捨て去るべきである 私は唯一なるもの 自由にして幸いなるもの ただそれだけが 存在する シャンカラ
ラマナのほうがいいよな。
506 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2010/01/23(土) 20:11:57
507 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2010/02/13(土) 20:24:58
リチャード・ギアはダライ・ラマ師の友人で、熱烈なチベット仏教徒であり、 ティナ・ターナーという一流アフリカ系歌手は、熱心な創価学会(SGI- USA)信者である。 大学の場においても仏教への関心が相当な高まりを見せていて、 全米のほとんどの大学で、仏教に関する授業が設けられている。 また、ハーバード、プリンストン、コロンビア、ミシガン、スタンフォード、 カリフォルニア等という伝統のある大学では充実した仏教学専攻課程も設置されている。
回想のクリシュナムルティ〈第1部〉最初の一歩… イーブリン ブロー (著) クリシュナムルティの最初の家庭教師ラッセル・バルフォア・クラーク、 星の教団に城と領地を寄進したパラント男爵、初恋の人ヘレン・ノース、 娘の時両親とともに教団に加わり、後に精神分析専門医になったヘッダ・ボルガーなど、 最も初期の関係者たちとの会見録や、当時の写真・資料を駆使して、星の教団解散までのクリシュナムルティの歩みを辿る。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) ブロー,イーブリン クリシュナムルティ・アメリカ財団の理事。ロサンゼルス在住。 クリシュナムルティの瞑想録Meditationsを編集した他、 ドキュメンタリー映画 The Challenge of Change(DVDブック『変化への挑戦』) およびWith A Silent Mindの製作にも携わった
510 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2010/03/12(金) 00:42:18
ホットヨガ スタジオ●ー もし会員になろうとしている人がいたら、 止めといた方が良いよ あそこ、全国の支店が次々に閉鎖してて、 現在、福岡がとんずら間近らしいから。 移転の為の休館を、その1週間前にお知らせして、 今まで2・3回、リニューアルオープン日を延期してるらしい。 10月に休館して、いまだ「延期」を貫いている所が ある意味、感動モンだよね。 返金をお願いしても「絶対にオープンするから返金は出来ない」の 一点張りらしいよ。 今から入会したら、持ち逃げされるかもだから、 ここの皆で阻止しようよ
511 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2010/03/14(日) 04:52:20
突然ですがお邪魔します。 中国が日本を侵略する可能性が高くなってきました。 チベット人虐殺は有名ですが(今でもやってます) オーストラリアが中国に乗っ取られたのはご存知でしょうか? 日本も同じ事が起きようとしています。 検索してみて下さい。お願いします。 国民が知らない反日の実態
512 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2010/04/22(木) 09:06:21
test
513 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2010/05/20(木) 18:53:10
クリシュナムルティは、最近において読まれているのだろうか?
故人の割にネットでは売れている。爆発的ではないがプロ倫みたいな定番的な売れ方。
マントラ禅・丹田禅は、心身一元観の上に心身を経過して身心一如にいたる クンダリニー・ヨーガは、不二一元観にその立場を持ち霊肉二元を経過して絶対実在にいたる 只管打坐は、霊身心一如から生死一如にいたる色即是空は空即是色となり 色是色・空是空として 永遠の未完結を完結する 禅には、上昇という概念はない。禅は、あくまでも無念の底への落下である。 ヨーガには、脱落という概念はない。クンダリニー・ヨーガは、あくまで根源への上昇である。 禅も、ヨーガも、宗教ではない。しかし脱落と上昇という概念を混同させてはならない。 禅は、神聖を肯定も否定もしない。 クンダリニー・ヨーガには、神聖という、ある種の感覚が、最後まで必要だ。 禅には、最終的には、根源という概念も、根源というリアリティーも不要なものとなる。 クンダリニー・ヨーガにおいては、根源への回帰が、その最終地点となる。 禅には、最終地点というものはない。 ///////////////////// 神から見れば君は地獄を避けて通り抜けるわけにはいかない。 地獄とは、あらゆる個生命達の欲念相続のことだ。地獄とは花開く直前のツボミのことだ。 今や、君が地獄だ。 人間自我という欲望には、いかなる解決もない。 そこで、解決不可能を徹底させて、全体性の愛自身に目覚めるか、 それとも、自我と肉体とを死滅させるかということになる。 あらゆる宗教は、以上二つの方法論の観念体系、もしくは、イデオロギーである。 禅とクンダリニー・ヨーガは、この二つの現実的実践方法である。 ダンテス・ダイジ
「クリシュナムルティの瞑想録」p23 瞑想は始めを持たず、それゆえ終わりがない。 『今日から思考を制御し、静かに瞑想の姿勢をとり、調息を始めよう』というとき、 あなたは自己欺瞞の陥弄にはまったのである。 何か途方もない思念やイメージに没入することによって、 ちょうど子供がしばらくは玩具に夢中になるように、 しばらくは自我を静めることはできるであろう。 しかしそれは瞑想ではない。 子供は玩具に飽きるとまた前のように騒々しく、いたずらになる。 瞑想は何か見えない道をたどって、何か空想的な至福を実現することではない。 瞑想のさなかの精神は日常たゆむことなく、生の運動をそのすべての関係のなかに、 言葉によらず、また批判や意見を混ずることなく、ひたすら見、そして聞く。 (中略) しかし精神が絶えず己の内と外における生の運動を見つめ、聞きとっているときには、 思考によるものではない沈黙が生まれる。
「クリシュナムルティの瞑想録」p48 「これから瞑想の行為にとりかかろうと試みることは、瞑想に入ることではない。 ・・・ 瞑想は、ふと窓を開け放てば吹き入る微風のようなものである。 それゆえ、意図的に窓を開けておこうとしたり、 招きよせようと試みれば、決して姿を現すことはない。 思考は絶えず様々な自己欺瞞に陥りやすい狡猾なものであり、 それゆえ瞑想のあり方とは明らかに一線を画する。 愛と同様、瞑想を追い求めることはできない。」
522 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2010/08/05(木) 12:41:18
禅にアメィチュアはない プロフェッショナルあるのみ
一心生ぜざれば、万法に咎)なし
2003年にインドで行われた、パイロットババジによる 「パブリック・エアタイトグラスサマディ」 (大衆の前で行われる公開サマディ) の様子を納めた、ドキュメンタリーDVDです。 *エアタイトグラスサマディとは* 通常の人間肉体なら耐えられるはずのない 密閉されたガラス部屋の中、空気も、水もなく、 高気温という苛酷な環境で、 4日間=96時間を過ごし、 死を超え、復活するというもの。 ふーん
咎無しと謂ふときは、則ち萬法自ら消し、 生ぜざれば則ち一心自ら寂なり。 法消し心寂す、 至道の體、冲然として 得ることを待たずして得るなり。