1 :
南無阿弥陀仏:
2 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/13(火) 00:03:39
真宗禿お断り
3 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/13(火) 00:03:44
おー、復活したんだ。
4 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/13(火) 00:06:07
8月末に大阪で行われた全国浄土宗青年会全国大会は
何か成果があったんでしょうか?
5 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/13(火) 00:11:48
けちゃっぷは最近どうしてる?
質問箱でうろついてた。呼ぼうか?
7 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/13(火) 22:46:43
枕経、通夜、葬式、場合によっては初七日まで、何度やってもきついなぁ。
>>4 講師の顔ぶれ見てごらん。
成果のあるような人選じゃない。
9 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/14(水) 01:33:03
>4、>8
先週の総合学術大会はどうだった?
10 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/14(水) 01:37:29
いい感じだったよ!
11 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/14(水) 01:39:19
>>11 やめとこうよ。
けちゃっぷと愚者は話をこじれさす。
けちゃぷは近鉄の阿倍野で女とデートしてるよ、先週は選挙に駆り出されてたみたい。
あと、UFOは十万億土への移動手段がどうとか他スレで言ってますた。
14 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/14(水) 11:16:07
水谷先生良かったぞ。
三枝はやる気なしで世間話して帰っていった。
無駄金使ったな。
ところでそろそろ来年の手帳を注文したいんだけど、
どこかお勧めある? 出来れば寺の友社以外で。
けちゃぷさん、阿弥陀さんは何故、罪業ある者を浄土に呼べるの?
如来といえど、業ある者を六道以外に連れていけるの?
菩薩時代の誓願で法を何故変更できるの?
16 :
けちゃっぷ:2005/09/14(水) 12:39:49
>>15 「不可思議」ですから、われわれが考えて解るものではありませんよ。
如来にしかわかりません。
で、如来である「釈尊」が往生できると説いているので、われわれは、あれこれ考えずに、往生できるとみなしておけばいいのです。
非戦闘地域に自衛隊を派遣すると定めてあり、現実に派遣している。ということは、自衛隊が派遣されている地域のことを「非戦闘地域」と名付けるのです。
念仏して死んだ人を、われわれは「往生人」と呼ぶのです。本当に往生したかどうかはわかりませんが、「往生人」とみなします。
脳死が本当に人の死かどうかはわかりませんが、場合によっては脳死を人の死だと「みなす」のです。
>>15 そりゃお念仏唱えて懺悔することで罪障が消滅するからでしょ。
18 :
けちゃっぷ:2005/09/14(水) 12:48:52
どんな悪人も「往生人」だとみなすということは、悪人を見ても憎しみをいだかず蔑まず、敬うということです。
常不軽菩薩がすべての者を平等に敬い拝んだようにです。
19 :
けちゃっぷ:2005/09/14(水) 12:50:17
>>17 たしかに、懺悔は罪業を断つ利剣ですからね。
20 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/14(水) 12:51:08
ケツまくって逃げてきたのがいるな
21 :
けちゃっぷ:2005/09/14(水) 12:57:48
>>20 昨夜の、集え!!あととりスレのこと?
別のチャットで話してるうちに、逃げたことにされてただけですよ。
22 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/14(水) 12:59:35
逃げたことに変わりはないな。
23 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@佛所 ◆xd7mxrd9Z6 :2005/09/14(水) 13:24:41
そういえば日蓮宗にもUFOを研究していた僧侶がいた。
今は消息が知れない。還俗しちゃったかも?
たしかすごい秀才でケンブリッジ大学留学経験者だと思った。
愚者です。
新スレおめでとうございます。
これでややこしいのが揃いましたね(笑
25 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/15(木) 01:07:35
おー、また活気がでてきたね。
念仏により不可思議な力で罪障が消滅する?
阿弥陀は、法(因果律)を変更出来るのですか?それは仏教からの逸脱に等しいでしょ。 罪障が消滅するなら極楽往生しなくていいじゃん。
27 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/15(木) 10:47:37
>>17 お目でたいお方だ、お念仏唱えて懺悔することで罪障が消滅するんなら
阿弥陀様は苦労しないよ。
念仏は陀羅尼か
29 :
けちゃっぷ:2005/09/15(木) 12:35:02
>>26 罪業が消えるというのは、往生に支障がないということではないでしょうか。
信仰の立場からみれば、仏教からの逸脱ではありません。お経の中で「仏が説いた教え」であり、成仏への近道である往生の道ですから。
阿弥陀仏の本願・念仏という因があるから、往生という果があるのです。
自力ではすみやかに生死を離れるのが困難でも、他力に乗っかるという因を加えれば、往生の果がえられます。
30 :
けちゃっぷ:2005/09/15(木) 12:38:49
>>27 あらかじめ阿弥陀様が苦労して修行してくれた結果、本願が成就され、念仏で罪が消せる世界になったのです。
というか、念仏で罪が消せる世界であれという、宇宙全体の方向性、大日如来の意志を、本願により証明したのです。
>>29 他力に乗っかるという因を加えれば、往生の果がえられます。 ではなく他力に乗っかるという因を加えれば、罪業が有りながら往生の果がえられます。
が正しい答では?
念仏で罪は消えないんでは?
法華経に授記品というのがありまして、釈迦が弟子にあとどれぐらいで如来になるか教えてあげている、つまりこれは如来には予想は出来るが、人の罪業を消す=如来=輪廻からの脱却をさせる事は出来ないと言う解釈では?
如来は因果を超越しただけで因果を変更する力はないと思う。
33 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/15(木) 13:28:35
>>30 念仏で罪が消せるなんて邪教の世界でしょう
仏の前で懺悔することで、阿弥陀仏が罪障を預かり
ますので、新しくやり直しなさいと言うことでしょう。
34 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/15(木) 13:48:37
>>30 「罪」という言葉を解説してよ。
俺たちが「罪」としているものと、阿弥陀如来が「罪」とするものは
同じ「罪」でもまるで質が違うものだと思うのだが。
>>30 > というか、念仏で罪が消せる世界であれという、宇宙全体の方向性、大日如来の意志を、本願により証明したのです。
何で大日如来が出てくるのでしょうか。
浄土教は大日如来の宇宙観を認めていますか?
法然は大日如来を認めていますか?
36 :
けちゃっぷ:2005/09/15(木) 20:09:07
>33 >34 観無量寿経の下品下生の段に、
「仏の名を称えるのであるから、一念一念と称える中に、八十億劫の間かれを生と死に結びつける罪から免れるのだ。」
とあります。
ここでいう罪とは、生死に結びつける原因となるものであることがわかります。
>>33 「阿弥陀仏が罪障を預かる」ってのはお経のどこの出典なのか?聞いたことがない。
法然上人御法語後編第二十四章には、五逆罪を犯した下品下生の輩が
「南無阿弥陀仏と、十声唱ふるに、一声に、おのおの八十億劫が間、生死に、めぐるべき、罪を滅して、
往生すと、説かれて候ふめれば」と書いてある。
また二十七章には「我等が、悪業深重なるを滅して、極楽に往生する程の、大事をすら、とげさせ給ふ」とあり、
二十八章には「五念に五障を消し、三念にお三従を滅して、一念に臨終の、来迎を、かうぶらんと、行住坐臥に、
名号をとなふべし」とある。
別時念仏の時には「仰ぎ請い願わくは仏日はるかに照らして衆罪の霜露たちまち消え、梵風遠く払うて三業の塵労
残りなからんことを」表白し、「無始よりこのかたいまし今日に至るまで三業になすところの一切の罪業は、猶し湯の雪を
消するが如く除滅して余りなく」と疏す。
本願に誓われた念仏によって罪障を消除できると信じることは浄土の信仰の一部であると明らかに知ることができる。
38 :
33:2005/09/15(木) 22:37:21
>>37 <「南無阿弥陀仏と、十声唱ふるに、一声に、おのおの八十億劫が間、生死に、めぐるべき、罪を滅して、
<往生すと、説かれて候ふめれば」と書いてある。
法然上人には申し訳ないが、(罪を滅して、往生す)
ごまかしのある教義だと、個人的に思います。
39 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/15(木) 23:01:51
>>32 他の如来はどうかしらんが、阿弥陀如来はそこが特色なんよ。
論拠や根拠を提示することもなく邪教だごまかしだと言うのはいかがかとも思います。
41 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/15(木) 23:22:21
>>40 罪を滅して、往生す
ここです、罪は歴然としてる訳ですから。
42 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/15(木) 23:27:24
浄土宗の現代教学がどれだけ日蓮宗の論法に答えられるか、
おもろい展開だね。
43 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/15(木) 23:45:29
33の様に私たち浄土宗教師は法然上人の御法語を本筋とし、浄土宗教義を貫くべきでは。。
御法語を熟読すべきでは。。
44 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/15(木) 23:45:35
日蓮宗の論法はカルト臭くて、仏法には
なじまない。
45 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 00:52:48
禅がいい
>>41 目が見えないのか?滅する、消する、除滅と書いてあるじゃないか。
阿弥陀仏の光明に触れれば地獄の亡者も休息すると言われる。
本願力を疑って罪は消えないとするなら、それは汝の信心が至らないからだ。
勝手に御法語を曲げるな。
>>33「阿弥陀仏が罪障を預かる」ってのはお経のどこから出典なのか?
インスパイヤして勝手な教義を立てないで欲しい。
48 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 01:04:34
>>46 罪、罪と言いますとね、すぐに一般人は「社会的犯罪」と結びつけるわけです。
阿弥陀仏が超えさせたい、滅したいと願う「罪」についてきちんと整理した方が
いいと思いますが。
>>48 だれが一般人の話をしているか?一般人などまったく文脈に関係ない。お前の文責を勝手に転嫁するな!
50 :
けちゃっぷ:2005/09/16(金) 01:31:49
下品下生の説明は、臨終の念仏を想定しています。
実際には、念仏で罪業が滅しても、念仏をやめて念仏以外の業に移った瞬間に、新たな罪業(生死輪廻の要因)を造ってしまいます。
そしてまた念仏してリセット。
でも念仏やめたらまた罪をつくり、すぐに苦悩が還ってくることもしばしば。
その繰り返しですね。
51 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 01:32:24
法然の教えは、やはりごまかし
が多い。
52 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 01:35:00
>>50 あれ、浄土宗の教えは極楽往生でなかったの
輪廻するの
53 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 01:38:09
>>50 パソコンじゃあるまいし、シャトダウンしてリセットなんて
おかしいですよ
54 :
48:2005/09/16(金) 01:47:34
>>49 ああ、坊さんだけの話だったのですか、そうですか。
>>50 結局、ただの免罪符ということですね。念仏しない人には関係のないことだと。
阿弥陀如来の大慈悲心というのは縁なき衆生は救えないと。
55 :
けちゃっぷ:2005/09/16(金) 01:52:09
>>52 臨終には来迎がありますので、最後の念仏から死ぬまでの間に罪業を貯金していたとしても、往生できます。
心乱れる要因が残っていても、臨終の瞬間には来迎によって心が定まるからです。
>53 往生するぞと思って念仏している瞬間には、念仏以外のことが「こころディスプレイ」にありません。
たとえばこの世への執着も念仏の瞬間には忘れます。
執着を忘れれば、それに伴う悲しみや恐怖も忘れます。
でも、念仏が止まった瞬間に再び脳から「こころディスプレイ」に色々な雑念が流れこんできますので、惑→業→苦のバトンリレーが再開してしまいます。
56 :
けちゃっぷ:2005/09/16(金) 01:56:01
>>54 そうですよ。阿弥陀仏に出会う縁がなければ救えません。
人間界の仏教世界に生まれ、仏教に触れる機会があり、念仏に出会った。
これはとてもラッキーなことなので、このチャンスをものにするために念仏しましょうと、説かれています。
57 :
48:2005/09/16(金) 02:02:05
>>52 >臨終には来迎がありますので
大経第19願と小経の受け売りですか。
で、それを実証した人はいるんですかね?
「経典に書いてあることを信じるだけです」じゃ今ひとつ説得力に欠けますね。
>>55 >往生するぞと思って念仏している瞬間には、念仏以外のことが「こころディスプレイ」にありません。
と自己観察をしている自分には疑いの眼差しが向かないわけですね?なるほど。
58 :
けちゃっぷ:2005/09/16(金) 02:08:24
>>57 信には、理屈で納得して信じる解信と、直ちに仰ぎ信じる仰信とがあるそうです。
浄土門は仰信です。お経の説を疑わずに素直に信じる。
ただし、すぐに仰信ができない人でも、念仏生活の中で自然と信心が芽生えてきます。
59 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 02:12:47
>>58 信じるという行為はそんなに簡単なものじゃないよ。
60 :
けちゃっぷ:2005/09/16(金) 02:14:30
僕も最初は阿弥陀仏なんかただの神話くらいにしか思ってませんでした。
しかしいつのまにか、論理的には矛盾している点もあると理解しながらも、そんな矛盾は気にならないほどに信仰が芽生えてしまいました。
信と念仏の行があれば、自分を納得させられるだけの論理はあとからついてきます。
自分を念仏で洗脳しましょう。しかし他人を洗脳しようとしてはいけません。
信じられない人は、まだ阿弥陀仏との縁が熟していないのだから、無理に説き伏せようとしてもムダです。
61 :
けちゃっぷ:2005/09/16(金) 02:17:18
>>59 子供の頃は簡単だったはずです。余計な知識が邪魔しているのです。
62 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 02:19:09
>>61 随分と簡単に割り切れるものだね。
その余計な知識の蓄積というものが人間を形作っているというのに。
63 :
けちゃっぷ:2005/09/16(金) 02:32:21
>>62 空・無相・無願の三解脱門は、仏道の基本です。
無相というのは、定まった特徴がないことです。
しかし知識をつけてくると、総てをむりやり特徴で差別して、分別しようとしてしまいます。
「食物」という概念は空であり、「食べられるかどうか」を分別する決まった特徴は、本当はありません。
見た目だけで「食べられるか」を見分け差別するのは本来は間違いです。食べてみなけりゃわからないのです。
それを、知識を使って経験上の統計にむりやりあてはめ、分別・差別する癖がついています。
その癖が、「食物」信号への執着を生み、執着が苦悩を生みます。
人を判断するのにも、分別・差別する癖がついています。見た目が自分の経験した「人」と似ていても、そういう見た目のシュークリームかもしれません。
64 :
けちゃっぷ:2005/09/16(金) 02:42:10
念仏で、知識から出力されてくる信号・命令をいったんリセットし、それらに伴う情動もリセットしましょう。
受と想のオートマチックな接続を念仏で阻み、想と行の接続、行と識の接続も、自動的無意識的になされるのを念仏で停めましょう。
できごとと感情が接続されそうになった時、「ちょっとまった!」と念仏を挿入してみましょう。
過去の経験から悲しむべき場面だと知識が判断してきても、それが間違いかもしれませんから、知識からの命令をいったん念仏で停めてから、確認してみましょう。
ふだん、できごとと感情のバトンタッチに慣れすぎているため、超高速で無意識にそれが起こりがちです。
それを念仏を通して、ゆっくりていねいに、確認してみましょう。
65 :
けちゃっぷ:2005/09/16(金) 02:49:08
普段は、五感からの入力・知識からの出力に、忙しく翻弄されています。
常に敵からの返球をレシーブしているようなものです。
そこに念仏を挿入してリセットし、もういちど念仏以外のことに戻ってくる時は、マイボールをこちらからサーブできるようなものです。
>>54 お前はいっぺん浄土教の基本から徹底的に勉強し直した方が良い。最低限の知識も教養もなく的はずれなことを書いてばかりだ
67 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 04:17:48
夜回り先生、水谷修さんが、
浄土宗青年僧侶に期待していることって、
できるもんじゃないなぁ〜と
オレは思った。
愚者です
新スレになって、活気づいてますね。
信者外のものとしては、「罪」のことはあまり気になりません。
凡夫ですから、罪の自覚が足りないものと思われます。
>>67 正直あの人かっこよすぎてマネ出来ないよね。
話してる内容が本当だとすればすごすぎる。
>>67 あの笑みは怖い、あの水谷さんは浄土宗と関係あるんか?
オカルトけちゃっぷ、
>35 にちゃんと答えてやれよ。
72 :
けちゃっぷ:2005/09/16(金) 13:01:56
>>35 法然さんは真言も学んだ経験がありますので、大日如来の存在を否定していないでしょう。
阿弥陀仏は報身仏であり、大日如来は法身仏です。
阿弥陀仏を法身仏(宇宙仏)だという考えは、浄土宗では否定しています。
ですから、僕は、宇宙に遍満する法を仏として表現する場合には、大日如来と呼んでいます。
ルシャナ仏と呼んでもいいんですが、大日のほうが日本人にはわかりやすいし、書きやすいからです。
73 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 13:18:29
けちゃっぷさんは称名念仏というより、観想念仏なんですか。
>>66 信徒でもない人間に「的外れ」もクソもないと思いますが。
お坊さんってその程度なんですね、よく分かりました。
75 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 13:51:10
>>74 信徒でない割に、的を得た疑問を投げかけてるよね。
76 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 14:18:03
>>75 そのとうりで、家の菩提寺は浄土宗だけど
最近は、禅の世界に引かれる。
>>72 をいをい。どこの坊主が他仏の存在を否定するよw
ありえない仮定は無意味だよ。
>阿弥陀仏を法身仏(宇宙仏)だという考えは、浄土宗では否定しています。
どこで否定してるのか典拠を。
>ルシャナ仏と呼んでもいいんですが、大日のほうが日本人にはわかりやすいし
分かりにくいです。
>書きやすいからです
単語登録しろよ。
>>72 >
>>35 法然さんは真言も学んだ経験がありますので、大日如来の存在を否定していないでしょう。
個人的な感想じゃなくて、
浄土宗として大日如来や真言密教を認めているということで公式見解なのですか?
比叡山にいれば当然密教も禅も学ぶわけだが、
学んだものは全部認めていると理解するのはおかしいですね。
じゃあ、法然の専修念仏の専修とは何だったのか、
浄土三部経というのは法然にとって何だったのか。
「存在」という点では認めていたけど、「救い」という点では認めなかったんじゃない
80 :
けちゃっぷ:2005/09/16(金) 17:59:40
>>77 浄土三部経を読むと、阿弥陀仏は本願を成就して仏に成った報身であり、法身でないことがわかります。
無数に存在する仏国土のうちの一つである、極楽浄土にいる仏です。曼陀羅の中心に描かれる大日如来ではありません。
81 :
けちゃっぷ:2005/09/16(金) 18:03:25
>>78 大日如来もいるし、密教も認めています。
ただし、凡夫にとっては、密教の即身成仏は難しい修行です。
花は紅柳は緑、季節のうつりかわりも大日如来が無常を説くメッセージです。しかし凡夫はそのメッセージに気付かないのです。
そんな凡夫でも、阿弥陀仏は迎えてくれます。
82 :
けちゃっぷ:2005/09/16(金) 18:15:24
>>81 >
>>78 大日如来もいるし、密教も認めています。
根拠は?
法然上人がどこでそう言っている?
84 :
けちゃっぷ:2005/09/16(金) 20:14:46
浄土宗の食作法(食事前の作法)で、
「清浄法身毘盧遮那佛 圓満報身盧舎那佛
千百億化身釈迦牟尼佛 當来下生弥勒尊佛
極楽世界無量寿佛 十方三世一切諸佛
大聖文殊師利菩薩 大行普賢菩薩
大悲観世音菩薩 大智勢至菩薩
一切菩薩摩カ薩」
と、唱えます。
浄土宗はすべてのお経に出てくる仏・菩薩を認めています。
法然さんが、阿弥陀仏以外の仏を否定するなんて、聞いたことありません。
85 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 20:22:42
けちゃっぷさんは浄土宗の僧侶なんですか?
教学的な話をされるのは結構なんですが
個人的見解で話をされるのはどうかと・・・
86 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 20:25:21
食作法で唱えるからといって
法然さんの見解とは限らないですよ
87 :
けちゃっぷ:2005/09/16(金) 20:30:12
>>83 法然上人の御法語第八に、
「理観、菩提心、読じゅ大乗、真言、止観等、イズレモ、佛法ノ、オロカニ、マシマスニハアラズ。
ミナ生死滅度ノ、法ナレドモ、末代ニ、ナリヌレバ、チカラ、オヨバズ。
行者ノ、不法ナルニヨリテ、機ガオヨバヌナリ。」
とあります。
真言も生死滅度の教えだと認めています。ただ、末代の凡夫は才能がないので、レベルの高すぎる真言などの教えは、豚に真珠なのです。
「浄土宗は(略)二門を立てて一切を摂す」(選択集)
一切とは半満十二権実聖教すなわち一切経のことであるから、当然「大日経」等密部諸大乗経を含む。
すなわち浄土宗の認める浄土門および聖道門の中の聖道門において、大日如来が認められるという立場である。
89 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 20:37:20
けちゃっぷよ、
法身、報身、応身の区別とそれぞれの指し示す対象が何か分かってる?
あんたの定義を一応は示しておいた方がいいぞ。
浄土宗の施餓鬼会では多くのお寺で五色の幡を立てて五如来に南無帰依する。
五如来とは宝勝如来、妙色身如来、広博身如来、甘露王如来、離怖畏如来。
中において「広博身如来」が大日如来のことであると考えられる。
91 :
けちゃっぷ:2005/09/16(金) 20:43:58
>>86 法然さんは大乗仏教ですから、大乗経典はすべて仏典として信仰していたはずです。
だからこそ、救いを求めて一切の経典を読みまくったのです。
「諸仏のなかに弥陀に帰したてまつるは三念五念にいたるまでみずから来迎し給う故なり。」
と言われているのも、諸仏の存在を前提に、その中で阿弥陀仏に帰依するのは迎えに来てくれるからだと言っています。
92 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 20:44:23
「浄土宗は(略)二門を立てて一切を摂す」(選択集)
そんなこと書いてないですよ・・・
どこに書いてます??
>90
その典拠は?すべて阿弥陀仏の異名じゃないの?
>>92 「今此浄土宗者若依道綽禅師意立二門而摂一切」(選択集)
「一。問う。釈迦一代の聖教をみな浄土宗におさめ候か、又三部経に限り候か。
答う。八宗九宗、みないずれも我が宗の中に一代をおさめて、聖道浄土の二門とは分かつなり。(略)
宗をたつる趣も知らぬもの、三部経に限るとは云ふなり。」(東大寺十問答)
95 :
けちゃっぷ:2005/09/16(金) 20:56:45
>>93 すべて阿弥陀仏の異名だという典拠は?
「【広博身如来】(こうばくしんにょらい)大日如来の異名。その身体が広大で法界の事物すべてを具えているからである」
(東京書籍仏教語大辞典)
97 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 21:03:54
>>94
「今此浄土宗者若依道綽禅師意立二門而摂一切」(選択集)
その解釈は見当違いでは?
浄土門と聖道門に分けることができ、そしてその二つで
全ての仏教が含まれるという意味だと思います。
東大寺十問答も内容が怪しいものですよ
98 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 21:08:56
取り込み中、ちょっと横レスごめんよっ!
けちゃっぷ さん、今度暇見て『成切明王さま』スレに足を伸ばして貰えんかね
番茶も出花の『花ちゃん』っていう子がけちゃっぷ さんの説法が聞きたいらし
い。 以前他スレでイジメられたから来るのが怖いんだってさ、忙しいとこ済ま
んけど・・・宜しく! ほいじゃ、頼んだよ。
99 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 21:10:49
>96
伝法です。
100 :
けちゃっぷ:2005/09/16(金) 21:11:56
>>89 岩波仏教辞典と『仏教用語の基礎知識』の受け売りになってしまいますので、割愛します。
僕が宗門から与えられた教科書で三身の解説をしている本は、その2冊です。
>>97 すべての仏教が含まれるのに、なんで大日如来や密教だけ含まないの?
東大寺十問答の内容が怪しいという根拠は?法然上人撰じゃないから内容が間違っているとは限らないよね?
法然上人撰じゃなければ間違いとするなら、源智、聖覚、良忠以下浄土宗諸上人の著作すべて間違いということに
なるからね。
102 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 21:12:07
>97
そのとおりですね。日本語が読めてないからどうしょうもない。
これが浄土宗の坊主のレベルです。
103 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 21:12:55
>101
あんた、日本語のネイティヴ?
>101
ちなみに、良忠はどうしようもないバカだよ。
知識だけはてんこもりにあるけれど、理解できていない。
大日如来が阿弥陀仏の異名なら、そもそもけちゃっぷの言う浄土宗は大日如来を認めるというのが正しいということになる。
>>102 どんな読解力してるんだ。アホ丸出しだ。
お前目見えてるのか?節穴ならかわりに紙くずでもつっこんどけこの低能薄痴脳梅毒
少しでも日本語読めるなら典拠出して来いや糟がぁ
107 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 21:22:57
>101
いやいや、元々の選択集の項目がわかってないみたいですね。
あの章はただ単に教相判釈してるだけですよ。
全ての仏教の教えを聖道門と浄土門に分けられると言ってるんです。
浄土教に大日如来ですか?聞いたことがありません。
そして東大寺十問答が正しいという根拠は??
108 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 21:28:38
>106
罵るのはかってだけど、あんたのバカさ加減を丸出しにしているのがわからないのか?このボケ!
豆腐の角で頭をなでてみたらどうだい。
摂一切というのはね、釈迦一代の法門を聖道門と浄土門の二つに分けられる、
つまり、法門を聖道門と浄土門で釈迦一代の法門はおさまる、ということなの。
だから、密教もなんもかんも、聖道門と浄土門のなかに含まれる、ということなんだよ。
109 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 21:32:28
>108
>107の間違いではないですか?
110 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 21:33:50
>104
宗学者はかわいそうだと思う。
まともな頭をもっていたら良忠のアホさ加減はすぐに気がつくだろうけれど、
一応、列祖だから立てなきゃならぬ。
こまったんだろうねぇ、例えば聖冏とか。
111 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 21:34:58
>108
ではあなたの見解では浄土教に大日如来が含まれるんですね?
そして東大寺十問答の正しい根拠をお教えください
112 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 21:35:06
>109
まちがっていませんよ。間違っていると感じるなら、それはあなたが選択集をきちんと読めていない証拠です。
同入和合海
114 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 21:37:57
>111
質問!「浄土教に大日如來が含まれる」というのはどういう意味?
意味不明な日本語です。きちんと説明しなさい。
(聖道門と+浄土門)=釈迦一代の法門
ですよ。
あんたが論理的思考ができないバカだということがよっくわかりました。
なお、私は、東大寺十問答については一切コメントをしておりませんので
後半部分については無視します。
>>107お前が聞いたことないだけの無知ぶりを棚に上げるな低能坊主。
>>108お前はただの世間知らず。アホ馬鹿間抜けだ。 浄土宗に聖道門と浄土門を立てて釈迦一代の法をおさめるのに、
大日如来と密教だけ釈迦の法門と認めないというのはどの出典なんだ?
116 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 21:40:22
>108
だから、密教もなんもかんも、聖道門と浄土門のなかに含まれる、ということなんだよ
密教は浄土門・聖道門どちらですか?
浄土宗は浄土門・聖道門どちらですか?
この解釈では教相判釈してないですよね?
>115
日本語ぐらい読めよ。
密教⊂釈迦一代の法
(浄土門+浄土門)=釈迦一代の法。
>大日如来と密教だけ釈迦の法門と認めないというのはどの出典なんだ?
って粘着するその根性が腐ってるんだよ。
118 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 21:42:31
だいたい浄土教と浄土宗も使い分けられない無知無能馬鹿炸裂に何言っても無駄だ。
119 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 21:45:26
>114
言葉足らずでした
聖道門と浄土門で釈迦一代の法門ですよね。
その時に大日如来というのは、浄土門か聖道門か、
どちらに属するんですか?
ということです。
120 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 21:47:25
>>92 お前の目は節穴か。選択集を隅から隅まで三遍熟読しろ。中央公論社やらの日本語訳ばっかり読んでるんじゃねえぞ。
そんなんだからいつまでたっても糞坊主って馬鹿にされるんだ。
大日如来に関わるく経も、此土成仏を目指すなら聖道門、極楽往生浄土を説くなら浄土門だ。
122 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 21:56:24
>119
密教をよく理解している人は、浄土門に属する、と答えると思います。
浄土宗(および法然門下)を宗祖とする各宗の方々なら、聖道門に属する、と答えるはずです。
123 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 21:58:17
>120、>92
目くそ鼻くそなんだけどなぁ。
「淨土門」と書いてあるはずなんだけど。
124 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 22:03:02
>123
浄土宗です・・・
125 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 22:18:56
>121
そうですよね。
大日如来について威勢のよかった人が消えた・・・
126 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 22:30:21
>>82 75ですが、あなたの論調は観想念仏に近いと感じますよ。
>>126観想に理観と事観あり。けちゃっぷのはどっちに近いというの?
128 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 22:41:13
違いがわかる人の天台宗
129 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 23:18:41
またまた横レスごめん!
けちゃっぷさん。先程はどうもあんがとさん。わざわざ明王さんのスレまで出向いてもらった
わりには話しが弾まなかったようで・・・・。
よかったらまた暇な時花ちゃんにも会いにいってやって下さいな。 そいじゃ、あんがとね!
愚者です
第五になってから、専門的になりましたね。面白く読ませてもらってますが・・・。
さすがに突っ込む余裕がありません。
131 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/17(土) 01:25:38
通夜にどんな法話してる?
132 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/17(土) 01:40:06
馬齢を重ねる話しとか、朝に生まれ夕方には死ぬ、かげろう
のはかない生涯の話しを聞いた。北海道だけど
>>131 自殺者の時には「往生おめでとう」が基本では?
134 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/17(土) 01:50:45
>>134 工エエェェ(´д`)ェェエエ工 けちゃっぷさんが前に言ってたぞ。
>>135 ついでに、大日如来に守られて・・・とでも言うか。
うーん、けちゃぷさんの意見では念仏をしたら、阿弥陀の力で罪業が消せるらしい、念仏とは因果律を超越して、諸法実相を無視できる力があるのか?
けちゃぷさん、寺の本尊の阿弥陀如来は宝冠とか被ってませんか?
みんなで、けちゃぷ寺オフをしようよ!
お盆とお彼岸は無理らしい…………
興味は昔、お盆にけちゃぷ寺に行こうとしたら、けちゃぷ上人が多忙で無理だった………
>>100でけちゃっぷと教学に関して話す気が失せた
142 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/17(土) 11:04:52
なんで日蓮宗が浄土宗スレで浄土宗にいちゃもんつけてんだぁ?
>>140 >
>>100でけちゃっぷと教学に関して話す気が失せた
>>100 まで行かなくても、教学的にめちゃくちゃなのは、
すぐにわかるだろう、ありゃ浄土宗オカルト派だよ。
>>143 けったいなこというなや。
ちょっと教学が分かってるからといって
やかましいわ。藻前も同類禿だろうがwww
ってか、だまっとけYO
ぷげらとかいっちゃうよwww漏れは以前けちゃっぷ
氏が他のスレでいい事も言てるのも見たことあるんだよ
ね。本当にふいんき悪いね、ここ。すぐに層化が絡んできて
禿が調子に乗る。コテも名乗れない禿は黙ってろってことだw
仏大も、ちゃんと浄土宗寺院子弟に仏教を教えないとね。
まあ、大学時代というのはそう真剣に学ぶこともないのかもしれないが、
卒業してから、教学を学ぶ機会が浄土宗の場合、あまりに少ないのじゃないかな。
手元にある大学時代の断片的な知識と、その後にふくらんだ自分の思い込みで、
「私だけの浄土宗」がどんどん肥大化していって、
それが軌道修正されないままネットでさらに膨張したのが、
今のけちゃっぷ風浄土宗なのでしょうね。
>>144 けちゃっぷ氏は基本的に善人なんだろうね。
しかし、その善人というのが困りもので、
自分は正しいことをしていると思いこんでいるから、
自分の間違いや誤解に気がつけないし、
異なる意見を受け入れることもできない。
悪意があったり、裏があったりするなら、
それを指摘されれば認めざるをえなくなる。
しかし善人は自分の意見が正しいと思う信念が強すぎて、
まわりが見えなくなっている。
だから、善人というのはよけいに困った存在になる。
何を言っても受け付けない、無邪気なオカルトファンや、
自分こそが隠された真理を知っていると思う神秘主義者と、
精神構造としてはよく似ていますね。
けちゃっぷ氏が浄土宗オカルト派と言われるのもわかります。
147 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/17(土) 13:57:05
創価学会はフランス政府公認の
カルト教団です。
148 :
けちゃっぷ:2005/09/17(土) 14:27:54
>142 興味@日蓮宗葵講さんは、けちゃっぷを2chへ連れ込んだ張本人です。
興味さんもたぶんそうだし、僕もそうですが、批判しているからケンカ売ってるとはかぎりません。
議論のネタとしてオモロイならそれでいいのです。
150 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/17(土) 14:31:38
創価はどこにでもしゃしゃり出てくるな、
鬱陶しい! 逝けよ!
だいたい私は日蓮宗でも創価でもない、臨済宗だよ
152 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/17(土) 15:01:44
では、日蓮宗葵講って何?
何故コテトリに使ってる?
153 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/17(土) 15:07:07
けちゃっぷは菅ちゃん=東宮=乃杏とオカルトフレンドだと自分で言ってたよ
自殺者の遺族におめでとうと言うと公言したよ
154 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/17(土) 17:00:21
>>138 お前、相当イカレトルナ
如来が宝冠をかぶるわけないやろ
155 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/17(土) 17:19:11
>>154 僕が、阿弥陀仏だと思って拝んでるうちの寺の本尊が、実は大日如来の像で、阿弥陀だと間違っているだけなんじゃないでしょうね?…という、ジョークかと思ってました。
156 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/17(土) 17:33:28
けちゃっぷ大聖人
157 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/17(土) 17:55:03
>>154 大日如来は菩薩形だ。冠をかぶっているぞ。
ふっふっふ………
真言宗で使う光明真言も、大日如来その他諸仏が光を放って地獄の亡者を救うということだろう?
仏の光に触れた衆生が苦の世界から救われるというのは、因果律を超越して諸法実相を無視していることにならないのか。
160 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/17(土) 19:56:15
161 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/17(土) 20:31:27
「大日如来像は如来でありながらも、全く装飾をつけていない他の如来とは違って、同じように王者の姿として菩薩形に似た姿をとっている」(「仏像-心とかたち」)
162 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/17(土) 20:52:08
>160
おいおい、密教のこと、何にも知らないんだな(w
浄土宗の坊主なら各宗概論の教科書でも見てみなよ。
163 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/17(土) 20:54:18
>163
そうでつか。例えば、胎藏界曼荼羅のど真ん中に描いてあるのは大日如来だけど
宝冠をかぶっています。すなわち菩薩形。どうして如来が菩薩形であるのかは、
たとえば金岡秀友『密教の哲学』でも参照してください。
台密系であれ東密系であれ、まともな人が書いた本なら同じように説明してあるはずです。
つけたり。
まちがってもカルト系の本を読んだりしないようにしてください。
しかし、密教と浄土教の仏教における違いが明らかになっているのに、
浄土宗に大日如来の存在を認めること自体が変じゃないのか。
>166
日本語がへんですよ。
>>167 基礎知識がないと理解できないので説明すると、
仏教における浄土教と密教は、そもそもその起源から、
異なった道を発展してきた。
これは、今では仏教研究も進み、違いは明らかになっている。
阿弥陀仏を中心とする浄土教において、
大日如来の宇宙観を認めるのは教義的矛盾となる。
阿弥陀仏への帰依を重視するために、
諸仏や諸菩薩のはたらきが阿弥陀仏に収まると表現することはあっても、
浄土教以外の教えにおける諸仏諸菩薩を積極的に肯定するということではない。
他方仏の存在が否定されたら、浄土宗の根幹の一つである諸仏の証定はおろか阿弥陀仏じたいの存在が否定されることになる。
それはすなわち大乗仏教の否定である。
170 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/18(日) 04:10:33
仏教は科学のように整理整頓されてないとつくづく思う。
それが仏教の懐の深さをつくりだしてるんだろうが・・・
それにしても、いろんなことを含んでるな。
僧侶は一般的には仏教の専門家とみなされてしなうと
大きな誤解を受けることになる。
現代日本の僧侶としてあるべき姿とは・・・一体・・・何?
浄土宗の僧侶であれば、
「仏法の奥は奥はと訪ねれば、南無阿弥陀仏の一語なりけり」
という姿勢で十分かな?
お念仏の生活が導いてくださるかな?
ところで、ホリエモンが選挙運動で広島の街頭にでてたとき、
少年にカンチョーやらキン玉ムギュをされてた写真見て笑えた。
おバカなカキコしてスマソ。
171 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/18(日) 04:15:47
ほんとホリエモン全然かんけいないじゃん
なんで書きたかったの?
でも、ホリエモンが「君ら尾道好きだろ、この町を守るために消費税アップも仕方ないんだよ」
とちゃんと説いてるところには(アップの是非はともかく)好感がもてた。
まあ、いいじゃん、寄り道の話題があっても。
凡俗の人としては、「教義がどうあるか」ではなく、「教義をもととしてどう人を導くか」が僧侶の役目だと
思えます。「それは教義に反しておりますので、アンタは救われないで地獄へ落ちるでしょう」というよう
なことを語る局面はいかなる時にも有り得ない。仏教者同士では大いにやってくれていいと思うけど。
173 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/18(日) 07:29:41
>168
>阿弥陀仏を中心とする浄土教において、
>大日如来の宇宙観を認めるのは教義的矛盾となる。
どうして?どこがどう矛盾するの?
あなたの主張は、端的に言えば華厳系の世界観と無量寿経系の
それとが矛盾するということになるけれど、無量寿経系では独立した
世界観を主張してその中で阿弥陀仏を説くわけではない。
華厳経の中に無量寿経系で説かれる阿弥陀仏の教義を持ち込んだとしても
無矛盾に説明できますよ。
174 :
けちゃっぷ:2005/09/18(日) 09:01:04
真言宗の寺で、阿弥陀仏を本尊にしているとこもありますしね。
宇宙の(曼陀羅の)中心が大日で、東南西北上下の宇宙に無数の如来がいる。
その宇宙観の中で、西方阿弥陀仏のいる極楽が説かれる。
別に矛盾はありません。
阿弥陀仏がいちばんエライ宇宙の中心だから崇拝するのじゃありません。
われわれを救ってくれると誓っているから、それに頼るのです。
大日如来はすがた形のない宇宙仏です。一方、阿弥陀仏は具体的な相をもって現われてくれます。
>>169 諸仏のなかに大日如来がはいるのかということ。
大日如来を中心とする宇宙観を前提とすれば、
阿弥陀仏はわき役にすぎなくなる。
本当は大日如来に帰依すべきだが、
われわれの能力がないから阿弥陀仏で我慢しておく、
そういう理解で、浄土教はいいのだろうか。
>>174 > 真言宗の寺で、阿弥陀仏を本尊にしているとこもありますしね。
> 宇宙の(曼陀羅の)中心が大日で、東南西北上下の宇宙に無数の如来がいる。
> その宇宙観の中で、西方阿弥陀仏のいる極楽が説かれる。
密教が阿弥陀仏を本尊にしている例など、浄土教には関係がない。
そういう論理なら変な新宗教が阿弥陀仏を本尊とすれば、それも仲間ですか。
密教の世界観の中に阿弥陀仏を位置づけることの問題です。
177 :
けちゃっぷ:2005/09/18(日) 10:19:27
>>126 観想念仏は、観察対象に深く集中して、バーチャルなビジョンを体感できるほどに、意識レベルが深まるわけですよね。
一つのことに集中する三昧です。
口称念仏は、そんな難しい修行ではありません。日常レベルの意識で、念念に念仏を相続するように努めるだけです。
ヴィパッサナー瞑想のように、精神を静かに集中して心身の動きにていねいに「気付き」をいれ、言葉でラベリングするわけでもありません。
もっと大雑把に、今の自分の状態が「念仏なのか念仏以外なのか」に気付くよう心がけるだけです。
「念仏以外だ」と気付いたら、できるかぎり「念仏」に心を帰してあげればいい。非日常の深い禅定など要りません。
ただ、「念仏以外」から「念仏」にもどる、またいつのまにか「念仏以外」になってしまう、まぁでもそしたらまた「念仏」すればいいじゃないか。…と、そのくりかえしで日常生活をおくればいいのです。
別に「念仏以外」の妄念が起こったから往生できないというわけではありませんので、自分にできる範囲でいいのです。
岩波仏教辞典より「密教の起源」
密教はヴェーダなどを生み出したバラモン教を主体とするアーリヤ文化と,
モエンジョ_ダーロやハラッパーなどに遺品を残すインド原住民の非アーリヤ文化(インダス文明)をともに継承し,
ヒンドゥー教と共通の基盤の中で,大乗仏教の一環として生育した.
呪法,儀礼,パンテオン(万神殿)などの中に,ヒンドゥー文化の濃厚な痕跡が認められるが,
7世紀以降のインド密教では,それらを大乗特有の思想によって意義づけ,仏教化している.
土着の宗教や文化との融合は,インドのみならずアジア各地に密教が伝播する過程で盛んに行われ,
神仏習合の形をとって各地の民族宗教と一体化して展開した.
以上の説明でわかるように、インド土着の宗教に仏教風味を加えたのが密教。
本来の仏教の精神からは逸脱していると言ってもよい。
霊感商法や霊魂の祟りを言ったり、祈祷で現世利益の欲望を肯定する姿は、
はたして法然上人の説かれた浄土教と矛盾はしないのだろうか。
「諸仏」というのと、上のような密教の世界観のなかに阿弥陀仏や浄土を位置づけるのとは、
意味が大きく異なると思います。
179 :
けちゃっぷ:2005/09/18(日) 10:30:09
>>175 ええ。個人的には、能力がないために大日と一体になる即身成仏はできない、それで阿弥陀仏にすがるしかない、と考えます。
「わき役」という表現が適切かどうかはわかりませんが。阿弥陀仏が主役でないと納得できない理由もみあたりません。
警察署長よりもまず、すぐにかけつけてくれる近所のお巡りさんを呼ぶのです。
180 :
けちゃっぷ:2005/09/18(日) 10:35:02
>>178 法然さんの時代には、すべてのお経が釈尊の教えという前提があたりまえだったのではないでしょうか?
それに、阿弥陀仏が主役でも脇役でも、念仏で往生できることに変わりありませんし、念仏を称えることの邪魔になるわけでもありません。
宗派が違っても、阿弥陀仏を拝むの人は仲間です。それ以前に、仏教徒はすべて仲間です。
181 :
けちゃっぷ:2005/09/18(日) 11:13:22
>>178 密教僧でもヒンドゥー教徒でも陰陽師でも、念仏すれば往生できます。
勘違いするな。起源や発展の仏教研究で宗が成り立ってる訳じゃない。
端的に言えば一切経の中に三部経が明かされて浄土宗がある。
一切経を否定して浄土宗があるわけじゃない。
183 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/18(日) 11:30:46
>>181 だが、未だかって念仏すれば往生できるというの事を公平に証明できた事例は無い。
要は信じられるか信じられないかのその一点のみに尽きる。
184 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/18(日) 12:05:47
あたりまえ。宗教だからな。
一切経を五度も読破しても、その中に救いを見出すことの出来なかった法然上人が、
善導の『観経疏』にある、「念仏を称えることこそが仏道修行するものの勤めであり、
その道が阿弥陀仏の本願にかなう道だ」との言葉に出会って専修念仏立教開宗の信を確立した。
法然上人は、南都六宗、真言、天台といった聖道門を捨てて、念仏だけの浄土門を選択した。
一切経には救いを見いだせなかった事実、聖道門を捨てた事実の重さは、
もう忘れ去られたのか。
186 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/18(日) 13:07:10
>>182 > 勘違いするな。起源や発展の仏教研究で宗が成り立ってる訳じゃない。
> 端的に言えば一切経の中に三部経が明かされて浄土宗がある。
> 一切経を否定して浄土宗があるわけじゃない。
論理的に変でしょ。
法然は一切経のなかから浄土教を選択したのであって、
一切経をすべて認めないと浄土教が成り立たないわけではない。
187 :
けちゃっぷ:2005/09/18(日) 13:11:52
>>186 極楽に往けば、一切経すべてを阿弥陀仏から教わることができるので、今はとりあえず往生極楽のための念仏を優先するということでしょう。
188 :
けちゃっぷ:2005/09/18(日) 13:16:04
法然さんの時代には、一切経はすべてお釈迦様の教えなのだと信じられていたので、その前提では、方便のお経はあったとしても、嘘のお経はないはずです。
189 :
けちゃっぷ:2005/09/18(日) 13:20:33
>>186さんの言う、一切経を「認める」「認めない」とは、どういう意味ですか?
浄土経の内容は本当のことでその他一切経は嘘っぱちという意味?
それとも、浄土経もその他のお経も本当のことを書いているけれど、どれが重要かといえば浄土経で、他のお経は重要ではないという意味?
190 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/18(日) 13:27:26
>176
>密教の世界観の中に阿弥陀仏を位置づけることの問題です。
論旨をすり替えていますね。
>178
仏教内部に形成された密教に対する一面的な評価を取り出して、
「本来の仏教の精神から逸脱している」と決め付けるのは乱暴ですね。
そもそも「本来の仏教の精神」とは何ですか?
私はタントリズムの外面的な形態が釈尊が説いた仏教であると主張するわけではないけれど、
あなたの主張の仕方は思い込みによる断定ですよ。
192 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/18(日) 14:26:42
>>186 お前は浄土宗の中に釈迦一代の法をおさめて浄土門と聖道門に分かつという、立宗の意味をまるで理解していない。
選択されたから大日如来や密教は釈迦の教えではないと否定していいんだというのは典拠も何もない。カルト思想に他ならない。
どうやらけちゃっぷ以上のカルト指向が現れたようだな。創価並みの原理主義のようだが。どっちも迷惑な話だ。
194 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/18(日) 15:33:16
>192
お前は浄土宗の中に釈迦一代の法をおさめて浄土門と聖道門に分かつという、立宗の意味をまるで理解していない。
それこそ理解できてないですよ。釈迦一代の法の中に浄土門と聖道門という教えがある(分けることができる)んです。
ただ法然さんは大日如来や密教を否定していないです。
存在を認識しつつ、その教義を把握した上で、凡夫という己の自覚から
浄土門を選択されたまでです。
法然上人が聖道門を「捨てた」というのはどういう意味だ?
法然上人は、方便として念仏を説いたわけではない。
念仏こそ本願にかなった救いの道だとして、
一切経のなかから聖道門を捨て、浄土門を選んだということですね。
197 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/18(日) 20:16:58
本願にかなった救いの道だとして一切経のなかから聖道門を捨て、浄土門を選んだというのに、
はじめから一切経を否定して捨てていたら、そもそも聖道、浄土の二門を分かつことすらできないではないか。
一切経があるゆえに聖道・浄土二門有り。
また法然上人は「大日経」等を往生浄土の為に正に依るべき経ではないとされたのであって、大日如来は存在しない
だとか宇宙観が間違っているとか、そんなカルト思想は一言も言っていない。
一つの仏教を一面から切ると浄土教、また別の面から切ると真言、天台、禅等となる。
彼も仏法、是も仏法、尊い一味和合の世界である。
これが他宗他教は真理に非ず信じれば地獄に堕ちるぞといえば一神教原理主義の立場となる。
198 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/18(日) 20:55:29
>>197 > また法然上人は「大日経」等を往生浄土の為に正に依るべき経ではないとされたのであって、大日如来は存在しない
> だとか宇宙観が間違っているとか、そんなカルト思想は一言も言っていない。
法然上人が、大日如来やその宇宙観を認めておられたというのは、どの著作を見ればわかります?
199 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/18(日) 20:57:17
>198
『選択集』
>200
読んだら?一切法を釈迦一代の法として尊重するというのが大前提になっているのがよくわかるよ。
>>201 ネットに出ているものを読みましたが、大日如来は出てきませんでした。
諸仏、一切経とあることを根拠に、法然上人が、
大日如来を中心とする宇宙観と密教を認められていたということでしょうか。
諸仏というなかには当時の知識では大日がいてもおかしくはありませんが、
大日を中心とする宇宙観のなかに阿弥陀仏の浄土があるというけちゃっぷ氏の説は、
密教の宇宙観のなかに阿弥陀仏がわき役として存在することになります。
法然上人の教えでは、大日如来はその他大勢の諸仏の一人にすぎないでしょう。
大日如来を否定する言葉がないからといって
大日を中心とする世界に阿弥陀仏を位置づける必然性もありませんし、
一切経を否定していないからと言って、すべてを肯定的に認めるならば、
理趣経のセックス賛美の仏教を積極的に説いても問題がないことになります。
聖道門を捨てた、念仏を選んだという意味を、
もうすこし大事にすべきではないのでしょうか。
203 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/18(日) 21:47:33
>202
>理趣経のセックス賛美の仏教を積極的に説いても問題がないことになります。
あなたはきっと密教経典を読んだことがないんでしょうね。
また、法然上人の叡山における師の叡空が台密の正当な継承者であり、
法然上人自身もその伝授を受けていられたということをご存じないのでしょうか。
その上で、ご自身にとっては、密教的修法を含め自力聖道門ではなく、
阿弥陀仏の本願におすがり申し上げる浄土門でなければ出離の道はない、
と確証されたのですよ。
204 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/18(日) 21:55:11
>203
あなたと、おそらくあなた自身の書き込みと思われる書き込みは、
あのカルト教団「 親 鸞 会 」の論調ですな。
本スレからは一度は駆逐されたにもかかわらず、こりもせず、またぞろ
被害者を作りにおいでですか?
205 :
けちゃっぷ:2005/09/18(日) 22:16:53
>>202 「わき役」でない「主役」の如来とは、どのような仏を想定しておられるのでしょうか?
浄土宗で阿弥陀一仏に帰依するように、真言宗で大日如来を中心に据えるのは当たり前。
一代の法があって、それぞれ自宗の判釈を用い、自宗の師に依って優劣傍正つける。それが宗ということ。
聖道門を捨てた、念仏を選んだという意味を、他宗排撃、他仏否定のレトリックにすり替えるというのは
原理系のカルト思想に他ならない。
ということは、浄土宗では大日如来をまつって拝むことも、
加持祈祷をすることも、宗派として正式に認めているということですか?
誤解していました。
阿満さんの本を読んで法然上人を尊敬していたのですが、
どうも私の理解とは異なっていたようですね。
208 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/18(日) 23:51:39
>207
どうしてそうなっちゃうわけ?
そんなもの認めてはいませんよ。禁止もしていませんが。
否定してはいない≠いけいけどんどん
ですよ。
江戸期の浄土宗では密教的な修法を行う寺もあったようですし、
今でもやっているところはあります。
法然上人の理屈から言えば往生を求めるならする必要のないことですが、
念仏申すために必要ならやってもOkということになるはずです(異類の助業)。
209 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/19(月) 00:03:09
禅寺で念仏を唱える様なものですな。
>209
それ、実際にありますよ。
211 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/19(月) 00:12:18
浄土系の家から、禅宗の家に嫁いだ
嫁さんが釈迦如来に、南無阿弥陀仏と
手を合わす事はあるわな。
>>208 > そんなもの認めてはいませんよ。禁止もしていませんが。
でも、実際にぽっくり寺など、大日まつって加持祈祷しているでしょ。
それを宗派では何も言わないということは認めているのと同じように思いますが。
何をやってもいい、ということはないと思いますが、
何をやったらいけないということもないわけですか。
法然上人が、明確に言葉で禁止したもの以外はかまわないというわけですか?
> 江戸期の浄土宗では密教的な修法を行う寺もあったようですし、
> 今でもやっているところはあります。
これは浄土宗的には、どうなんですか?
必ずしも念仏のために必要というわけでもないでしょうが、
宗派の見解は、どうなんですか?問題なしとされているわけですか。
教学の立場からは何も言われることはないのでしょうか。
阿満さんの本で、評価されていた法然上人とイメージ変わってきました。
213 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/19(月) 00:28:11
>212
おたづねしますが、>168 >176 >178 >185 >202をカキコなさった方と同一ですか?
論旨を微妙にすり替えながら>212までもってきているようですね。
>212
論点を整理しておきましょう。
まず、法然上人のお立場で、大日如来であれ誰であれ、阿弥陀仏以外の仏・菩薩を尊崇するかどうか、
諸経典の教えを認めるかどうか、という点です。法然上人は認めます。等しく釈尊の教えとして尊重するわけです。
「念仏往生の教えが、無限定に最もすぐれていて、他の教えは間違いであり、劣っている」とは決して法然上人は仰せになりません。
あくまでも、「末法の時代の、凡夫が」、この生涯を生き抜き、救われるためには阿弥陀仏の本願にすがり念仏申す以外にはない、
という主張です。「」内の限定が必ずつきます。
次にポックリ寺の件。あなたの問題視されている点がはっきりしないのですが、この件の最大の問題は、現世利益を説くこと。
念仏申しても現世利益はない(これも限定しておきます。現世で客観的に確認できるような利益(りえき)を得ることはないという意味です)。
念仏をどれだけ申していようと、のた打ち回って死ぬことだってあるでしょう。
もちろん、法然上人の教えからはかけ離れています。これを默認しているというのはおかしいですね。
前スレでもでていたテーマですが、寺院というのはそれぞれの地域での歴史を持っています。その中でお地蔵さんを
お祀りしてその信仰を集めていたり、場合によっては山伏をよんできてそれっぽい儀礼をおこなったりすることが
民間信仰として行われるようになってきているケースがよくあります。浄土宗という宗派は割合にその点では寛容であると思います。
ただ、あくまでも念仏の教えが浄土宗の根幹である以上、本末転倒してしまってはならない。
現実にはそのあたりが曖昧になっているのも否めないであろうと思います。←の点についてのみ、>212さんの批判は当たっていると考えます。
215 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/19(月) 01:47:17
>>212 阿満さんが好きなんですねぇ。
他にも本は出てますよぉ。
216 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/19(月) 08:50:00
ポックリ寺にお参りするのはあっさり死にたいからですよ、
人間はいつかは死にます。
だから病気や事故なんかで苦しんで死ぬよりあっさりすっきり死なせてください!ってことで、
お参りした帰りのバスの中でポックリ死んだからもうお参りしないなんて有り得ないんですよ、
長生きしたい方はお参りしないからね、
いつ死んでももういいわって方がどうせ死ぬなら楽にお願いします。
お寺はどこでも構わないんですよ、
>>216 念仏も説かずに、ありもしないご利益を説いて、金儲けをすることが、
法然の認めたことなのか?
>>214 > ただ、あくまでも念仏の教えが浄土宗の根幹である以上、本末転倒してしまってはならない。
> 現実にはそのあたりが曖昧になっているのも否めないであろうと思います。
> ←の点についてのみ、>212さんの批判は当たっていると考えます。
本末転倒している状況が、どうして浄土宗内で問題にならないのか?
219 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/19(月) 09:54:50
>218
問題にしてください。
なんでもありの浄土宗から、
教えを大事にする浄土宗に変わらないとね。
221 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/19(月) 13:12:27
一人でも多くの人に念仏を伝えるための方便とご理解ください。
222 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/19(月) 13:37:36
上人様がどうとか、宗門がどうとかじゃないでしょ。
自分自身はどうなのか。一切をアミターバにまかせられるのか?
これが肝要でしょ。
>>221 > 一人でも多くの人に念仏を伝えるための方便とご理解ください。
念仏を伝えていないぽっくり寺は、かえって念仏を伝える障げとなっている。
方便とは阿弥陀仏が真実に導くためのもの、金儲けの手段は方便とは言わない。
浄土宗のお坊さんはね。陀羅尼唱えて加持もするし、洒水結界もするし、施餓鬼やお盆の法要もするし、
般若心経も唱えるし、地蔵盆もするし、国家安泰、無病息災も祈祷するし、いろいろやる、できるのが特徴ですよ。
ただ親鸞会みたいにその手の法要行事一切なくしてしまって聞法信心に徹するように、浄土宗も念仏に特化した
浄土宗法然会のような集団が今後現れないとも限らない。
いろいろ併せ呑む浄土宗のやり方は若い人には分かりにくいかも知れない。
江戸時代の捨世派でさえ先祖供養は否定しなかったそうだが、先祖供養も否定して純粋に念仏による個人の救済を
説く原理主義集団が現れる可能性は十分ある。
225 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/19(月) 13:59:17
荒らしてるのは親鸞会か・・・
>>225 親鸞会じゃないでしょ。ただ浄土宗信徒や僧侶の中に親鸞会シンパがいてもおかしくない。
「浄土宗は念仏集団に生まれ変わるんです!でなければ浄土宗をぶっつぶす!」
浄土宗もおかしな所がない訳ではないので、反動でこういう潜在的欲求というのはあると思います。
227 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/19(月) 14:36:51
そうか?
のほほんと念仏してりゃいい、マターリが売りの浄土宗じゃないのか?
228 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/19(月) 14:50:20
>226
ほほう。法然上人ではなく、Tに従うのか。
>>224 > 浄土宗のお坊さんはね。陀羅尼唱えて加持もするし、洒水結界もするし、施餓鬼やお盆の法要もするし、
> 般若心経も唱えるし、地蔵盆もするし、国家安泰、無病息災も祈祷するし、いろいろやる、できるのが特徴ですよ。
>
> ただ親鸞会みたいにその手の法要行事一切なくしてしまって聞法信心に徹するように、浄土宗も念仏に特化した
> 浄土宗法然会のような集団が今後現れないとも限らない。
何もそんな極端なことは言っていません。
先祖供養をやめろとも言っていません。ただ、現世利益ばかりなのは疑問ではあります。
ぽっくり寺のような、念仏も説かず金儲けだけしている本末転倒の寺を、
宗派として認めているのか疑問に思うのですが、
そういう時に法然上人の説かれた教えなり教義に照らして軌道修正はしないのですか。
私が個人的に知った法然上人の教え(誤解しているかも知れません)と、
あまりに異なるので、みなさんのお考えを聞きたかったのですが、
どうやら浄土宗では、ぽっくり寺も認められているようなので少しびっくりしました。
「なんでもあり」とか「教えを説かない」という話を聞きますが、
そんなはずはないと期待していたのですが。
230 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/19(月) 17:32:41
>>229 実際に寺にいって坊主と話してみれ。百聞は一見に如かず。
>>230 一件一件の寺のお坊さんの考えは異なります。
宗派内で意見がばらばらでは困ります。
宗派としての見解がどうなのかお聞きしたいのです。
232 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/19(月) 17:46:53
>>231 共産党みたいな硬直した宗派がええんかい?
233 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/19(月) 18:08:38
>>229 ぽっくり寺ってどこの。
阿日寺、それとも吉田寺?はたまた、全然違う地域の?
あんた、ぽっくり寺って看板上げてる寺全部見てきたの?
あたしゃ、吉田寺しか知らんけど、普通の浄土宗寺院としての活動もしてるよ。
234 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/19(月) 18:39:45
>>231 じゃあこんなとこで聞いていても意味ないじゃん。
適当にからかわれるだけだよ。
直接宗派に聞いたら?
235 :
けちゃっぷ:2005/09/20(火) 12:57:18
以前戒体について話題になったことがありましたが、勉強不足で、いまいち納得しきれていない気がします。
法然さんの説では、戒体=「性無作の仮色」だということですね。これは天台の説を引き継いでいる。
それは説一切有部の「無表色」である。だとすれば戒体が色(物質)に分類されてしまうので、誤りだと、電波男さんや一宗教師さんに指摘されました。
戒体は、唯識で言う種子ではないか、つまり物質ではなく、こころに分類されるべきではないかということですよね。
唯識無境の考えを前提にしても、仮に「色」として分別された現象はあるわけですよね?実有の物質ではなく識がつくりだした「色」は仮に存在するわけですよね?
脳ミソや神経なんかも、五蘊に分類すれば色だけれど、唯識で考えれば色も識がつくりだしている。しかし、一応仮に色と名付けられた現象はある。
そういう仮の色であるという前提の上でも、無表色という状態はありえないのでしょうか?
>>235 激しく板違いだろw
心と宗教逝けよ、学生だってあっちを見るぜ。
あ と 適 宜 改 行 し ろ よ B O K E
237 :
けちゃっぷ:2005/09/20(火) 17:18:49
>>236 ケータイだからどのへんで改行したらいいのかわからなくて。
238 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/20(火) 17:19:34
>>236 けちゃっぷは携帯だよ。あまり虐めてやるな。
239 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/21(水) 11:47:14
自殺しても念仏の功徳で極楽往生できるかい?
240 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/21(水) 14:22:49
理屈を言えば、さっさと死んで穢土とはおさらばしたほうがいい。
しかし、社会的に影響力の大きな宗教がそんなことを言えば、
社会がひっくり返ってしまう。
インドの後期密教がインド社会のタブーを踏み破ったように、
往生のための自殺もありうるし、過去には現にあった。
241 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/21(水) 14:38:13
カルト教団だな浄土宗は
>>235 戒体は種子ですか、では戒体は元々、阿頼耶識に内包されていたんでしょうか?
243 :
けちゃっぷ:2005/09/21(水) 18:48:51
>>242 種子は、瞬間ごとに消えては生じて、変化しつづけます。
もし戒体が種子なら、授戒を受けたという行為(業)が、深層心理アーラヤ識において新たな種子を作り、戒を守らせる力として働きだすということでしょうか。
244 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/21(水) 19:27:34
どうも浄土宗の教義には、ごまかしが多くて
ついていけない。
245 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/21(水) 20:24:27
246 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/21(水) 20:25:07
そうだ!
やっぱり池田先生の教えの方が優れている!
247 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/21(水) 20:29:09
馬鹿でもわかる創価学会の教え
朝鮮人の手先になれ
248 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/21(水) 20:31:26
差別をするのが浄土ハゲ。
249 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/21(水) 20:43:29
「和顔愛語」
2ちゃんねると言えども発言には注意しよう。
250 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/21(水) 20:57:42
発言に注意?
というか、
朝鮮人という言葉を主観的に差別用語だと「思っている」
時点で念仏者失格ダス
251 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/21(水) 22:48:50
考えてみろ。自殺者さえ救えない阿弥陀仏がどうして五逆罪の者を救えるんだ?
阿弥陀仏の慈悲は無限大だ。自殺に目くじら立ててお前は救わないなどと差別されようはずがない。
252 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/21(水) 22:53:29
そのとおりだ。慈悲も無量だ。
253 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/21(水) 22:54:21
255 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/21(水) 23:43:43
けちゃっぷ、朝勤やってる?
256 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/21(水) 23:54:52
自殺しても極楽浄土にいけるんだったら、
自殺してしまったほうがいいな・・・
「往生要集」「神曲」「霊界日記」
にでてくる地獄、特に自殺者が収監される煉獄を
無視できないんだよな。
それでも、自殺しても極楽往生できると断言できる人
いますか?
>>256 けちゃっぷがいるだろ。
ついでに「おめでとう」と言ってくれる。
258 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/22(木) 00:21:14
>>256 補陀洛渡海で死んだ人は全部地獄行きですか?
259 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/22(木) 00:44:05
阿補陀洛流を学びたいなら、こち亀を一切経として読め
260 :
けちゃっぷ:2005/09/22(木) 01:19:22
>>255 かなりさぼってますねぇ。
あいかわらず、通勤の車の中で念仏を称えています。
>>260 あいかわらず、他人の迷惑を考えないんですね。
262 :
けちゃっぷ:2005/09/22(木) 01:23:33
>>256 死ぬのはいつづもできます。四恩に報いてから死にましょう。
学生一人に対して毎年10万近くの税金が使われています。
成人したら、それに報いるだけの労働・納税をしてください。
263 :
けちゃっぷ:2005/09/22(木) 01:25:01
>>261 早朝から木魚たたくほうが近所迷惑ですよ。
>>263 あいかわらず、自分だけはセーフという発想ですか?進歩がないですね。
>>261 いや、念仏しないと道がよく見えないらしい。
念仏すると妄念が消えるようだから、
あれ?今の赤信号だったかな? 念仏 すっかり忘れる。
今、人をひいたような・・・ 念仏 今のは妄想、妄想
念仏は罪をも消してくれるそうだから、
明るい人生は続く。
266 :
けちゃっぷ:2005/09/22(木) 01:32:16
>>265 ぼーっとしながら運転するよりかは、一度意識を念仏に集中させて、その集中させた意識を運転にスイッチするほうが、ましな気がします。
267 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/22(木) 07:03:39
>>263 朝勤が近所迷惑という発想は僧侶としての自覚にかけているんじゃないか?
けちゃっぷよ、ヘリクツばっかり語る坊さんにはならないようにしよう。
「心が心を勧め、心が行を勧め、行が行を勧め、行が心を勧める」
朝のお勤め、本尊を前にして念仏の祈りを捧げるのは大切だと思う。
268 :
けちゃっぷ:2005/09/22(木) 08:24:46
>>267 念のためにうかがいますが、「何のために」大切なんでしょうか?
269 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/22(木) 09:58:16
免許返納しろ。話はそれからだ。
>>265 うーむ、では人身事故で相手を死亡させても、往生させたんだ!と思うのだろうか…………
271 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/22(木) 11:17:18
まずは還俗しろ。話はそれからだ。
272 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/22(木) 11:22:59
>>268 朝勤行を続けていたら、その大切さを実感できると思うが、
信仰は体験と感性の世界。
言葉で理解しようというのが慢心なのではないだろうか?
朝の静寂の中にあって本尊を前にしての勤行は
恭敬修の態度も育まれると思う。車の中だけの念仏よりは・・・
やっぱりヘリクツレスくるかな。
いや、それよりもとりあえず彼女と別れ、清僧として250戒を護ってほしい…………
宮崎信也 現在語訳「律蔵」いいよけちゃぷさん
春になったら和歌山のけちゃぷ寺に行きます。
275 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/22(木) 12:14:33
和歌山で税務署勤めしとる浄土坊主か。
すぐ身元割れるな。
>>275 念仏するから脱税見逃してくれ
妄念だ、そんな事実はなかったと。
277 :
けちゃっぷ:2005/09/22(木) 13:17:39
>>272 一応屁理屈を期待されているようなので、リクエストにおこたえします。
やってみれば気持ちがいいから大切だ、といわれているようにも聞こえますが。
「何のために」大切なのかと尋ねたのは、
つまり往生のために大切なのか、
人生の苦悩やその原因を滅するために大切なのか、
拝み屋として上手に儀式をできるためのトレーニングとして大切なのか、
坊さんらしく外見を装うために大切なのか、
そういう理由を聞きたかったのですが。
単に「大切だ」といわれても、その理由がわからないと納得できません。
あなたと僕が共通の目的を持っていて、その目的のために大切だと言われるのなら、納得しやすいと思うのですが。
たしかに、お経を唱えることはセロトニン神経を活性化させるので気持ちいいです。
しかし別に仏像の前で念仏しなくても、僕がどこで念仏しても、阿弥陀様は聞いてくれているし、僕が阿弥陀様を念じれば阿弥陀様も僕を念じてくれています。
車の中だけでなく、日常生活の中でいつも念仏しているので、往生はできますよね。
ということは、朝の勤行をしなくても念仏してれば往生はできますよね。
往生以外の目的のために、「大切だ」ということですから、その目的を教えてください。
278 :
けちゃっぷ:2005/09/22(木) 14:13:11
>>273 はじめから、別れるつもりでつきあう人っている?
もしいずれ別れるつもりでつきあってて、住職になる時にハイ、サヨウナラって言ったら、それはそれで罪な気がする。
>>277 > たしかに、お経を唱えることはセロトニン神経を活性化させるので気持ちいいです。
> しかし別に仏像の前で念仏しなくても、僕がどこで念仏しても、阿弥陀様は聞いてくれているし、
> 僕が阿弥陀様を念じれば阿弥陀様も僕を念じてくれています。
出た、オカルト浄土宗教祖けちゃっぷ尊師のありがたいお言葉。
>>277 > たしかに、お経を唱えることはセロトニン神経を活性化させるので気持ちいいです。
たしかに、これはカルト的発想だな(w
けちゃのマウスが滑ったということでしょ。
大目にみてあげてくださいな。
>>256 お前頭は確かか?
「神新」?「煉獄」?お前それカトリックだろうが!
仏教に何の関係あるんだ?
地獄を実体視して自殺者は往生できないと脅すような言い方をすれば、それはもうカルト宗教だね。
仏心とは大慈悲是なり。
阿弥陀仏は五逆十悪の者も捨てたまわず。
念仏者は自殺しても極楽往生できること疑い無しであることは経論に明らかだ。
また往生できるかどうかと 自殺した方がいいかどうかは関係がない。
282 :
けちゃっぷ:2005/09/22(木) 17:27:25
>>279 『選択本願念仏宗』の7に観経の疏より引用して書いてあります。
「一に親縁を明かす。
衆生、行を起こして口に常に仏を称すれば、仏即ちこれを聞きたまふ。
身に常に仏を礼敬すれば、仏即ちこれを見たまふ。
心に常に仏を念ずれば、仏即ちこれを知りたまふ。
衆生、仏を憶念すれば、仏また衆生を憶念したまふ。
彼此の三業相ひ捨離せず。故に親縁て名づくるなり。
二に近縁を明かす。
衆生、仏を見むと願ずれば、仏即ち念に応じて、現に目の前に在します。
故に近縁と名づくるなり。
三に増上縁を明かす。
衆生称念すれば、即ち多劫の罪を除いて、
命終らむと欲する時、
仏、聖衆とともに自ら来たりて迎接したまふ。
もろもろの邪業繋、よく礙ふるものなし。
故に増上縁と名づくるなり。」
283 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/23(金) 02:00:34
坊主の倅が坊主を放棄したがる世の中で誰が坊主を有り難いと思うかね?
お経を有り難いと思う人が居なくなって当たり前!
坊主がお経を軽んじている世の中だものな、荒んだ世の中の今が檀家を増やすチャンスなのにな、
檀家が減れば収入が減る、藻前達も仙人じゃないのだから金は必要じゃろ?
経を有り難んでりゃ良いのだよ!悩む事はない、不必要な正義感も要らんのだよ、
284 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/23(金) 17:07:37
おいおい今週号のnewsweekの42ページ見てみろ。葬式にも外資参入で旧態依然とした
葬式屋真っ青らしいよ。
特徴は坊主、花屋、仕出屋、ギフト屋にキックバック払わないシステムで顧客に明朗会計提示する。
セットで35万円、オプションで坊主つけるならプラス13万円、坊主なしっていうのが
多いようだよ。
生前予約殺到で私も両親のぶんネットで予約したよ。もちろん坊主抜きね。
これからこういった構造改革葬式が主流になるんだろけど、ついてこれないのは淘汰だな。
285 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/24(土) 03:11:54
284
意味もないものをあちこちに貼り付けすぎ。
286 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/24(土) 06:19:16
>>277 朝勤やってないなら、
歴代上人や檀信徒各家先祖代々の念仏回向は
日々やってないのか?
けちゃっぷよぉ 自分の往生のためだけの 念仏行か?
ヘリクツ野郎だな。
287 :
けちゃっぷ:2005/09/24(土) 09:41:27
>>287 637 名前:けちゃっぷ 投稿日:2005/01/21(金) 12:20
>631 神様に対して拝みます。そして神様に仏名をお聞かせするのです。私にとって最高に尊い念仏を、お供えする。念仏する私をお供えする。また、仏名を聞いて信じれば阿弥陀仏の光明に照らされ罪が消えます。
660 名前:けちゃっぷ 投稿日:2005/01/22(土) 01:56
>657 念仏を神に説き、神が早く成仏できるように念仏の功徳をおすそわけする。これは、念仏を理解すればこそです。神も阿弥陀仏の名を聞けば救われますからね。
670 名前:けちゃっぷ 投稿日:2005/01/22(土) 13:54
>668 念仏の功徳を回し向けて誰かの追善菩提を願うことは、浄土宗ではやってます。法事やお盆・施餓鬼の法要もそれです。念仏の功徳は阿弥陀様に帰属するものなので「阿弥陀様の力」と言ったのです。
ほほう、自分の往生のための念仏ね・・・
大乗仏教の僧侶として壇信徒先祖回向の念仏は当然けちゃっぷもやってるだろ。
だけどそれをいかにも「人のためにやってます。自分の為じゃありません」と言うと偽善者になってしまうとけちゃっぷも
わかってるんだろ。
「大乗仏典で菩薩は衆生を救済するがそれは自らの成仏のために過ぎない」という南方上座部仏教からの批判もあると聞く。
利他心など一遍もないエゴだらけの自分であると分かった上で、けちゃっぷは言ってるんじゃないか?
>>289 浄土宗でやっているという追善供養の念仏は利他心ではないのでしょうか。
「神が早く成仏できるように念仏の功徳をおすそわけ」するのは利他心ではないのでしょうか。
291 :
けちゃっぷ:2005/09/24(土) 16:40:10
>>288 念仏の功徳を追善回向する時も、念仏そのものは本願の念仏だから、自分の往生のための念仏ではないでしょうか?
生きれば念仏の功がつもり、死ねば浄土へ往生する…
往生のために称える念仏に、功徳もまたついてくる。
で、その功徳を他者に回向するのではないでしょうか?
施餓鬼の供養も、供養自体は餓鬼たちのための布施ですが、
その布施によって生じた功徳を、自分の先祖に回向しますからね。
292 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/24(土) 16:45:49
>>289 朝勤やらないで、ヘリクツ並べるけちゃっぷを大変擁護してるね。
勝手に過大評価してるんじゃないのか?
なぁ、けちゃっぷ、過大評価されてるよな?
檀信徒先祖代々の念仏回向は日頃やってないだろう?
朝勤やってないんだから・・・
三界萬霊有縁無縁乃至法界平等利益
自他善根 皆悉回向
の念仏回向が浄土宗の念仏でしょう。
朝勤やってたら、当然そう回向するじゃんか?
293 :
けちゃっぷ:2005/09/24(土) 16:47:19
>>292 朝勤やらなくても念仏すれば往生します。
294 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/24(土) 16:58:59
>>293 そう、開き直るなよ。
朝勤やってないお坊さんって、羞恥心があってもいいはずだがな。
「お勤め」なんだからさ。
少し反省したら?
295 :
けちゃっぷ:2005/09/24(土) 17:18:44
>>293 偽物けちゃっぷにもちギャグをとられてしまった!
296 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/24(土) 17:24:19
>>295 ギャグ?
お勤めしない僧侶?に説教する資格あるんか?
昼休みにゴザ敷いて礼拝してるイスラムさんの方がよっぽど立派。
昼休みにでも役場の屋上でお勤めしたら?
297 :
けちゃっぷ:2005/09/24(土) 17:26:17
>>292 念仏のあとに総回向文はしょっちゅう唱えています。自分の寺の檀家だけエコヒイキしてはいけませんよ。
298 :
けちゃっぷ:2005/09/24(土) 17:32:50
>>296 休日の夕方や夜にはやってますけどね勤めも。
朝は、通勤の車の中で念仏しています。
職場でも、トイレに歩く途中とか、誰も聞いていない時には、口もとだけで念仏してます。
基本的に、朝から晩まで心がヒマになったら念仏が浮かびます。
299 :
けちゃっぷ:2005/09/24(土) 17:37:11
でも正直、お勤めは儀式の練習みたいな気持ちになってしまう…。
純粋に行としてやるなら、いつでもどこでも念仏するほうが好き。
300 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/24(土) 17:39:18
301 :
けちゃっぷ:2005/09/24(土) 17:44:59
>>300 意業と口業は別ですよ。声帯を動かしてなくても、言語としての念仏は可能です。
喉で声をださなくても口を「なむあみだぶつ」と動かしている時には、口称念仏になってるのでは?
口を「なむあみだぶつ」と動かしながらも、頭の中(意業)で別のことを考えることができます。
>>301 それを「ボクひとりの念仏」と言うんです。
何故、「口称」なのかを考えた方がいいんじゃないですか?
303 :
けちゃっぷ:2005/09/24(土) 18:09:25
>>302 口先で 南無阿弥陀仏といえばよい 心なくして申せるものか
304 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/24(土) 18:13:35
>>303 じゃあ、口先でしっかりと「南無阿弥陀仏」と称えてくださいな。
おまえさんの発する「南無阿弥陀仏」はおまえさんのためだけのものではないってこと。
そのあたりもよくお考えになってください。
305 :
けちゃっぷ:2005/09/24(土) 18:25:12
>>304 そんなもったいぶった説き方をされると、私けちゃっぷは勝手な解釈をして理解してしまうかもしれません。
もう少し、説明していただけないでしょうか?
>>304 妙好人の「捨てた念仏、拾う念仏」みたいな話だなぁ・・・
俺はけっこう好きなんだが。
307 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/24(土) 18:36:43
>>306 浄土真宗でしょ?
往還二回向の還相回向の解釈に用いられたりする例ではあるね。
308 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/24(土) 19:30:29
法然上人は、自分の耳に聞こえるほどの
声量でいいって仰られてますよ?
309 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/24(土) 19:37:19
>>308 その法然上人が「捨てた」念仏を「拾った」ご同行がいたわけでね。
310 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/25(日) 00:48:29
気を付けて発言してほしいですが、
宅間守の後世はどうなってるんでしょうか?
もし彼が念仏していたら極楽往生するんですか?
>>310 彼は、創価学会員ですね。
信仰していた彼がどうなるのかも聞きたいところです。
312 :
けちゃっぷ:2005/09/25(日) 01:54:19
313 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/25(日) 02:01:33
>>312 簡単に結論だけ言いなさんな。
大事なのは「何故、そう言い切れるのか」という根拠を示すこと。
314 :
けちゃっぷ:2005/09/25(日) 02:09:07
>>313 念仏したらという仮定の話ですが。
お経にそう書かれてます。
315 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/25(日) 02:10:53
>>314 はい、ありがとうございました。
今日はもう落ちてくださってけっこうですよ。
316 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/25(日) 02:12:13
>>312 念仏していないと思うが、後世はどうなったんだろうね?
自分のような善人は往生して当然だが、
宅間のような悪人が往生するのは困る。
善人正機の面目躍如ですね(w
>>310 人の後世の心配してる場合か!自分の後生の一大事をまず解決しろよ!
宅間が極楽におったら困るんか。じゃあお前はまず極楽衆生の名簿が手に入らん限り信心しませんって話だな?
319 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/25(日) 11:58:29
浄土宗の
悪人とは「三学の器にあらぬことを自覚してる者」だろ。
罪人とは違うはず。
320 :
けちゃっぷ:2005/09/25(日) 12:08:47
>>319 罪人も含まれます。
どんな悪人も、極楽では悪人ではなくなります。
悪人のまま極楽で再会するわけではなく、優等生の仏弟子に生まれかわった状態で、再会するのです。
321 :
けちゃっぷ:2005/09/25(日) 12:19:22
往生極楽といっても、生まれ変わりなのだから、姿形も人格も別人になります。
ただ、極楽の住人には宿命通があり、過去世(前世)の記憶をどこまでも思い出す能力があります。
同じ仏弟子としての仲間二人が、二人とも前世を思いだせる能力がある。
そのうちのAさんが、
「あ、そういえば今思い出したけど、前世でおまえを殺したのオレだったわ。」
と言う。
それに応えてBさんが、
「そういえばそうだね。ま、気にすんなよもう過ぎたことだから。ここでこうして二人とも、元気で暮らしてるんだからさ。
僕も前の前の世では、色々罪を造ったよ。おまえだけが罪人だったわけじゃないよ。」
と言う。
過去世の怨みなど、人格が変わった後の現在には、関係がない。
322 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/25(日) 12:38:47
323 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/25(日) 13:13:13
そりゃふつうに作り話だろw。
でも経典に照らして作り話のどこが間違っているか言わないと反論にはならない罠。
324 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/25(日) 13:17:28
極楽の住人は生前と姿形も人格も別人になるのか、ならないのか。
宿命通があるのか、ないのか。
過去に殺し合うような敵同士が極楽で出会ったり、語りあったりする可能性はあるのか、ないのか。
極楽に往生しても過去の怨みは消えずに持っているものなのか、どうか。
追及点はここらあたりだな。
325 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/25(日) 13:21:30
>>320 けちゃっぷ、
「悪人正機」を軽率に語ると大きな罪をつくるぞ。
誰がこのレス読んでるかわからないんだから。
邪義をつくるなよ。
喝!!!
326 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/25(日) 13:29:39
>>323 反論したわけじゃないし。わかってる事をわざわざ言うな。
327 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/25(日) 13:35:44
>>322 お前の言った内容もわかってる事やぞ・・・
328 :
けちゃっぷ:2005/09/25(日) 13:38:23
329 :
けちゃっぷ:2005/09/25(日) 13:43:42
ところで、昨日の
>>304さんは、>305を読んでくださったのでしょうか。
もったいぶった言い方で指摘するだけでなく、も少し詳しい説明をしていただきたいですね。
330 :
けちゃっぷ:2005/09/25(日) 13:47:58
>>324 個人的には、
極楽の菩薩が僕のことを「前世の記憶」として思い出してくれれば、
たとえその菩薩が本当に僕の生まれ変わりじゃなくても、本望です。
331 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/25(日) 14:13:27
>>328 軽率な野郎だな。
もっと ponder しろ。
332 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/25(日) 14:17:29
けちゃっぷ、
2ちゃんねる「浄土宗」の顔ズラするな
333 :
けちゃっぷ:2005/09/25(日) 15:20:33
誰かが疑問や質問を書き込み、コテハンがレスを書く。
そしたらコテハンのレスを批判する。
まぁそれはいいんですが、批判するならば、別の回答を最初の質問者に答えてあげてください。
334 :
けちゃっぷ:2005/09/25(日) 15:22:35
名無しで、しかももったいぶったはっきりしない批判。
それじゃあ、叩かれないから楽でいいですけど。
335 :
けちゃっぷ:2005/09/25(日) 15:25:11
>310 >319に対して、どなたかレスをお願いします。
336 :
けちゃっぷ:2005/09/25(日) 15:29:47
>317さんと>318さんは、罪人でも往生できるという意見のように聞こえますが、どうなんでしょうか?
337 :
けちゃっぷ:2005/09/25(日) 15:36:39
>>332 けちゃっぷとして書いていることは、あくまでけちゃっぷの見解です。
だからこそコテハンを使っているのです。名無しで書いたら、浄土宗の坊さんかどうかわからないし、でも逆に浄土宗の公式見解ともとられかねない。
けちゃっぷが書いてることは、「あぁ、所詮けちゃっぷの意見だから」と思ってください
338 :
317:2005/09/25(日) 16:13:36
339 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/25(日) 17:43:05
けちゃっぷは荒らしですからな
340 :
けちゃっぷ:2005/09/25(日) 17:59:11
>>338 そうですね。
他人の罪や失敗を見て、非難したり責めたりする人もいれば、
「自分も一歩まちがえば同じ過ちを犯していたかもしれない」と戦慄を覚える人もいます。
341 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/25(日) 18:17:57
>>337 けちゃっぷって、
自称していても、浄土宗のまともな坊さんの証にはならない。
朝勤やってないんだし。僧侶としての体験をどれだけ積んでいるんだろう?
口先だけは達者のようだが・・・
それも、変な譬え話とかヘリクツが多かったりするし。
>>341 その似非坊主をからかって遊ぶためにこのスレがあるんじゃないのか?
343 :
スワローズ:2005/09/25(日) 18:23:29
初めてですが。朝勤は、やっていない者の方が多いよ。
344 :
けちゃっぷ:2005/09/25(日) 18:40:04
>>324 >>極楽の住人は生前と姿形も人格も別人になるのか、ならないのか。
四十八願の第3願により、極楽の人・天はからだが真金色になります。
第4願により、極楽の人・天は、見た目が全員同じで、好醜の差異がありません。
>>宿命通があるのか、ないのか。
第5願により、極楽の人・天は、宿命通があり、百千憶那由他という途方もなく遠い昔まで、過去の生涯を思い出すことができます。
>>過去に殺し合うような敵同士が極楽で出会ったり、語りあったりする可能性はあるのか、ないのか。
念仏者は一蓮托生です。
「今の別れはしばらくの悲しみ」「信謗ともに縁として、先に生まれて、後を導かん」と、法然さんもおっしゃいました。
>>極楽に往生しても過去の怨みは消えずに持っているものなのか、どうか。
第30願により、極楽に生まれると優れた智慧を得るし、
第33願により、極楽だけでなく諸仏世界の衆生は、阿弥陀仏の光明を蒙ると心身がやわらぎやさしくなります。
なので過去怨みなどに執着はないでしょう。
345 :
非僧非俗:2005/09/25(日) 18:50:13
ちょっと真宗っぽい。
>343
それ本当か?
寺住まいでなくても坊主は当たり前でやってるんちゃうけ?
(カネにならないことはしないと明言した糞坊主もいるにはいるが・・・)
淨土宗ってそこまで堕ちてるんか?
けちゃっぷに反論する人はもっとお経から引いてきちんと追求してほしい。くだらないいちゃもんが多くて見ていてつまらない。
>344
けちをつけたいところは数々あれど、とりあえず。
>第33願により、極楽だけでなく諸仏世界の衆生は、阿弥陀仏の光明を蒙ると心身がやわらぎやさしくなります。
光明遍照十方世界
ですよね。つまり、この娑婆世界にありながら触光柔軟そのもののはずなんですが、過去の仕打ちに対する恨みが
消えないからこの世は地獄。
どう解釈するのですか?
349 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/25(日) 21:18:25
暑苦しい夜、眠れぬケチャップ師が幽体離脱しますと、ちょうどお彼岸で、あの世の蓋が開いていました。
ぼそっと堕ちたところが、無間地獄の中にあります坊主地獄でありました。
誰がこんなところにいるのかと見回しておりますと、なんと法然さまも親鸞さんも鎖につながれておられます。
なぜかなぜか念仏ではなく「非理法権天」と唱えておられます。
「これケチャップよ。我らは空念仏を広めた罪により地獄に堕ちた。念仏を唱えた中で、大楠公は七生報国の誓願を立てられたゆえに神となれた。ひもじい時にお呼びすれば、たまには神饌を恵んでもらるのじゃ。最後の一念を忘れるではないぞ」とおっしゃいました。
隣では日蓮がしなびております。鶴岡八幡宮を罵った罪により、たまに八幡大菩薩がお越しになっても何ももらえません。
太作とか凹川とか書かれた鎖も用意されています。寺内と書かれた鎖の前には山のような原稿用紙がおかれています。なんでも1日1000枚の原稿を書かねばならぬそうです。
さてさて、狸や狐も幽体離脱して人に憑きますが、1日3回は本体に戻らないと肉体が腐敗してしますそうです。
朝寝坊して勤行をサボる癖のある、ケチャップ師はそのまま戻れなくなりましたとさ。
350 :
けちゃっぷ:2005/09/25(日) 21:30:06
>>348 33願で光明により心身柔軟になるだけでなく、
極楽と住人の場合はさらに、30願によって智慧が与えられています。
これは無量寿経の前半は、阿弥陀仏の本願が説かれています。
で、後半では、本願のとおりのすばらしい世界が実現されていることを、釈尊が阿難に説いています。
岩波文庫の梵本和訳より
「実に、また、アーナンダよ、かの〈幸あるところ〉という世界に生まれた求道者たちには、
その人々のうちのいずれか一人という想いがなく、〈自分に属するもの〉という想いもない。
〈わたしのもの〉という想いがない。
争いもなく、論争もなく、紛争もない。
平等の心の無い者は存在しない。
かれらには平等な心あり、人のためをはかる心あり、友情ある心あり、
柔軟な心あり、やさしい心あり、軽快な心あり、
浄く澄んだ心あり、堅固な心あり、なにものにも妨げられない心あり、
不動の心あり、乱されない心あり、濁らない心あり、
智慧の完成のための行いを実行する心あり、心の連続に覚知作用が入り、
智慧は海にひとしく、覚りはスメール山にひとしく、
多くの徳を積み集め、覚りを完成するのになくてはならぬもの(七覚支)を唱えることを楽しみ戯れ
仏の〔名を〕唱えることに努めているのだ。」
なんだか、極楽の優等生菩薩の説明にかこつけて、仏教の基礎を説かれているようにも思えますね。
>350
>348 をはぐらかしているようですね。
四十八願の中には他国(極楽以外の世界)の衆生に関する願も多々ありますね。33願もそのうちの一つなのですが、
それらと、現実の娑婆世界の、このわたくし の有り様とが矛盾する。
けちゃっぷ君はどうつじつまをつけているのですか?
歴史上のそうそうたる宗祖坊主たちが地獄に落ちてるなら、あんがい天国は抹香臭くない所かもしれないな。
>>351 なんか話の趣旨変わってきてませんか?
>>320>>321>>324とシャバの悪人は極楽では悪人のままなのか?とかの話をしてるのに、現実と自己の矛盾?極楽の存在や本願はおかしいみたいな話になってる。
354 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/25(日) 22:00:54
では維摩経を読みましょう。
355 :
けちゃっぷ:2005/09/25(日) 22:04:14
>>351 あぁ、極楽の菩薩が裟婆の念仏者よりもカンペキなのはなぜか?という質問だと思ってしまいました。それで極楽のほうを説明してしまいました。
裟婆世界は、30願の対象ではないので、極楽の菩薩のような完成された智慧は与えられません。
智慧がないなら、煩悩は残ったままですよね。
ただ、光明に触れる前に比べれば、
「信心決定し摂取の光明につつまれた者は喜びあふれておのずから身も心もやわらぎやさしくなる」のでしょう。
あと、梵本和訳では、
「光に照らされてはっきりと明らかに見えるようになったとして」
とあります。あなたは、光明がはっきり見えたことがあるのでしょうか?
356 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/25(日) 22:09:05
けちゃっぷさんは光明見たことがあるんですか?
357 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/25(日) 22:12:17
>355
第三十願は極楽世界の衆生に対する願ですから、問題外です。
あなたが出した、33願は、極楽以外の国土(したがって娑婆世界も含みます)の衆生に関する願です。
お答えいただきたいのはこちらの方。明示したはずですよ。
>^「信心決定し摂取の光明につつまれた者は喜びあふれておのずから身も心もやわらぎやさしくなる」
だれの言葉ですか?それなら浄土宗の人は聖人君子ばかりですね。現実とは正反対。これをどう説明をつけますか?
358 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/25(日) 22:24:19
>>352 極楽は暇で暇でしょうがないので、弘法大師様は「同行二人」と巡礼者を導いておられます。
ありがたや南無遍照金剛。
359 :
けちゃっぷ:2005/09/25(日) 22:28:43
>>357 光明がはっきり見えた場合には、
「三垢、消滅し、身意、柔軟にして、歓喜踊躍し、善心生ず」るのでしょう。
「この光明を見たてまつれば、みな、休息をえて、また苦悩なく」とあるので、まだ苦悩も煩悩もある僕は、光明を見たことがないということでしょうね。
360 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/25(日) 22:32:47
光明は目に見えるものなの??
物質的なものなんですか?
361 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/25(日) 22:36:19
>359
第33願は「蒙我光明觸其體者」となっていて、光明を「見る」とは書いていません。
もちろん「光明が見えた人」についての話でもない。
「光明を見る」というのはあなたの解釈であって、大経の言葉ではありませんね。
繰返しますが、光明遍照十方世界 です。光明を蒙る人と光明を蒙らない人を分けることが可能なのですか?
362 :
けちゃっぷ:2005/09/25(日) 22:41:31
>>360 眼識の認識対象も、実体はありません。ですから、見えたから物質だとはかぎらないでしょう。色(物質)も空ですから、実体はありませんしね。
観想念仏をマスターして念仏三昧を体験すれば、光明をはっきり見たことになるのでは?
363 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/25(日) 22:42:03
常光・神通光やね!!
364 :
けちゃっぷ:2005/09/25(日) 22:54:00
>>361 梵本の和訳では、33願の文面に
「光に照らされて明らかに見えるようになったとして、」とあります。
あと、漢文の大経で、釈尊が阿難に、33願が成就されていることを説明している部分には、
「それ衆生ありて、この光に遇う者、三垢、消滅し、身意、柔軟にして、歓喜踊躍し、善心生ず。
もし三塗の勤苦の処に在りて、この光明を見たてまつれば、みな、休息をえて、また苦悩なく、寿終わりて後、みな、解脱を蒙る。」
とあります。
>364
それは本当に大経第33願対応個所の梵本の和訳ですか?お確かめ下さい。
「光に満たされた」とはありますが、「明らかに見える」に相当する言葉は不明です。
それと、気安く梵本(の和訳)など出さない方がいいですよ。
梵本をみれば、大経第十八願相当かしょでは、称名は誓われていません。
憶念の念仏が生因として誓われているのですから。
>364
あなたは、すべてを照らしているはずの阿弥陀仏の光明の働きについて、願文で誓われていることが
現実には成就していないのはどうしてか?という質問には答えていませんね。
念仏往生を主張するなら(根拠は願成就なんでしょうから)、お答えくださいね。
367 :
けちゃっぷ:2005/09/25(日) 23:36:14
>>366 33願の光明を蒙るとは、成就文に言うところの光明に遇う=光明を見ること、だと考えております。
ですから、光明を見た人が煩悩が消えなかったのなら、願が成就されてないことになりますが、
実際に光明を見た人に確かめてみないと、証明できないことです。
僕が見ているのは、岩波文庫ですが、ちがうテキストを御覧になっているのでしょうか?
368 :
けちゃっぷ:2005/09/25(日) 23:41:25
称名念仏による悪人往生は、観無量寿経で説かれています。それをふまえて18願を読むわけです。
観経がないと、大経だけで念声是一を示すのは難しいですね。
しかし、浄土宗では善導大師を阿弥陀仏の化身としますから、善導大師が往生できると言ったら往生できます…という最終兵器もありますが。
369 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/25(日) 23:44:28
光明というのは常に照らされているのでは?
念仏者には特別に神通光が照らされるわけですが、
念仏者でなくとも、全ての人に阿弥陀仏は常光を放っておられます。
見る・見えないという概念ではないと思います。
370 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/25(日) 23:50:19
>367
光明に遇う=光明を見るの根拠は?けっちゃっぷ教教祖の御言葉ですか。
それ以前に、言葉上、どういう違いがあるの?
>368
最終兵器といいますが、それが浄土宗の立場ですね。
>大経だけで念声是一を示すのは難しいですね。
難しいどころか、あなたのようにお気楽に梵本をもってきてしまったら、
阿弥陀仏が称名で往生できるようにと誓われたこと自体が、誤読に
よる根拠のないでっちあげになってしまいます。
371 :
けちゃっぷ:2005/09/26(月) 00:17:41
>>367 >364 に、漢文から、33願の成就文を引用しています。
372 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/26(月) 00:26:55
なぜその「見る」という箇所だけを強調されるんですか?
他所には「蒙る」などの表現があるにもかかわらず。
「見る」を直訳しておられるからこんなに疑問が生じてるんだと思います。
>>372 「ボクのイメージ一直線!」ですから、彼は。
374 :
けちゃっぷ:2005/09/26(月) 00:49:19
「蒙る」とは、どういうことなのでしょうか?
そんな簡単に(光明が見えていなくても)光明を蒙り、光明に触れ、身心柔軟になれるのなら、法然さんも悩まなかったはずです。
375 :
けちゃっぷ:2005/09/26(月) 01:10:39
>>372 蒙る=遇う=見るでないなら、大経で光明に遇った者の三垢煩悩が消えると説かれていることが、実現されていないということになるんじゃないでしょうか。
目に見えなくても僕もすでに光明に遇っているのなら、光明に遇っているはずの僕に煩悩があるのはおかしい。
見えなければ遇っていないなら、光明に遇っていない僕に煩悩があっても、お経の記述と矛盾しなくてすみます。
376 :
けちゃっぷ:2005/09/26(月) 01:14:39
ちなみに、岩波文庫の浄土三部経(上)でいう、171ページの記述のことを言っております。
377 :
けちゃっぷ:2005/09/26(月) 01:36:23
>>369 照らされていても、それが見えない人にとっては照らされていないのと同じでは?
阿弥陀仏の側から見たら、阿弥陀仏は、その光明で照らしている対象をすべて見ているでしょう。
しかし、照らされているわれわれの多くには、その光明が見えていないのでは?
378 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/26(月) 10:54:41
>>362 では称名念仏では光明を見ることができないんですね?
379 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/26(月) 11:32:05
>>374 「蒙る」とは、どういうことなのでしょうか?
では「見る」とはどういう事なんでしょうか?
380 :
けちゃっぷ:2005/09/26(月) 12:48:37
>378 僕はまだ光明を観たことないです。
>379 はっきり「見えた」とわかることでは?
381 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/26(月) 14:12:16
>>380 けちゃっぷさんが光明を見た・見てないとかではなく、
称名念仏によって光明を見ることが可能かどうなのかを
質問したつもりでした。
法然さんは光明が見えるものだとおっしゃってないと思いますが・
382 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/26(月) 17:11:25
「月影の至らぬ里はなけれども ながむる人の心にぞすむ」
「光明遍照 十方世界」であって、十方の一切衆生が阿弥陀仏の光明を蒙っているけれども、
その光明の利益を受けるのは阿弥陀仏の方を向いている人だけです。つまり阿弥陀仏において信心念仏する人のみです。
視覚的に見えるかどうかなど重要なことではないはずです。視覚的に見る人もいるかもしれない。
本義はより心の問題でしょう。
383 :
けちゃっぷ:2005/09/26(月) 17:28:56
>>381 口称念仏でかならず光明が見えるのなら、念仏者である僕にも観えるはずです。
僕が観たことないってことは、口称念仏でかならず光明が観えるというわけではないということです。
384 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/26(月) 18:03:14
>>383 そうです。光明は見えないもんなんですよ。
それなのに「見る」という解釈が理解できないんです。
382の方がおっしゃる通り、心の問題だと思います。
385 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/26(月) 18:05:33
けちゃっぷは本当は真宗。
386 :
けちゃっぷ:2005/09/26(月) 18:17:22
>>384 見えなくても光明を蒙っているとしたら、本願のとおり煩悩が消えるはずです。
もし見えないけれど光明を蒙っているのに煩悩が消えないというケースが発見されたら、本願が成就されていない証拠になってしまいます。
おそろしや
388 :
けちゃっぷ:2005/09/26(月) 18:25:02
>>382 光明遍照の文は、仏身観の観察の説明の中にあります。
阿弥陀仏の光明が宇宙をあまねく照らしているとイメージすることは、観法として効果があるのでしょうね。
でもイダイケ夫人にしたって、実際はお釈迦さまの神通力で阿弥陀仏を観せてもらって救われたのです。
はじめから照らされていたなら、煩悩もはじめから消滅していたはずです。
しかしそうではなく、お釈迦様がわざわざ観せてあげないといけなかったのです。
389 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/26(月) 18:28:44
ではけちゃっぷさんに質問です。
第十八願の五逆罪を犯した者と正法を誹謗した者は往生者から除くとされてますよね?
それはどう理解されてるんですか?
全ての人が往生できない事になりますよね?
390 :
けちゃっぷ:2005/09/26(月) 19:08:14
>>389 仮説1)五逆と誹謗の両方が揃っている者は往生できない。その場合は、仏教を信じて念仏してる時点でもう誹謗していないからセーフ
仮説2)念仏者がそれらの罪を犯さないよう抑止するために、お経にそう説かれてあるが、阿弥陀仏の本心ではない。
仮説3)懺悔・念仏・来迎によりそれらの罪が消えるので、最終的に改心して念仏すれば往生できる。無我だから、過去の罪人はある意味別人だしね。
仮説4)そもそも本願は、「これが実行できなければ仏に成らない」と法蔵菩薩が誓ったものである。
つまり「五逆や誹謗の罪を犯した者を往生させられなかったとしても、法蔵菩薩が成仏できないわけではない」という意味。
法蔵菩薩も、さすがに五逆・誹謗まで往生させるのはてこずるかもとビビって、本願から外しておいた。
でも成仏し阿弥陀仏になってみたら、五逆誹謗を救う力も得たし、救ってやろうという慈悲も湧いてきたので、救うことにした。つまり成仏してから気が変わった。
五逆誹謗を往生させたら成仏しないと誓ったわけではないから。救いたくなったら救ってもいい。それで約束を破ることにはならないから。
仮説3と仮説4はけちゃっぷの私見です。
誹謗については、仏教徒にならないと念仏しないのだから、念仏してる時点で誹謗にあたらないでしょう。
そもそも口称念仏自体、観無量寿経の下品下生がないと出てこなかったので、悪人往生も、観無量寿経に依る。
391 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/26(月) 19:15:40
>>390 五逆は漢訳で挿入されたんじゃないのか?
392 :
けちゃっぷ:2005/09/26(月) 19:21:23
誓ったことを実行するのは当然ですが、誓ったこと以上に実行する阿弥陀様は、すばらしい!
393 :
けちゃっぷ:2005/09/26(月) 19:31:16
>>391 「唯除五逆誹謗正法」の一句は、「呉訳」・「漢訳」・「宋訳」になく、「梵本」「チベット訳」「唐訳」にあるだけである…そうです。
関係ないけど、授業の試験で第18願を書けという問題が出て、けちゃっぷは「唯除五逆誹謗正法」を書かなかったけれど、単位もらえました。
394 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/26(月) 19:50:18
大本山の善導寺ってどんな所ですか?
明日からそこで研修です。不安です・・・。
395 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/26(月) 21:02:27
結局第三十三願にしても第十八願にしても
けちゃっぷさんの私見だったんですね。
自分にいいように解釈されてるとしか思えません。
396 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/26(月) 21:16:46
>>385 けちゃっぷと真宗をいっしょにしないでほしいな。
迷惑です。
>>393 > 関係ないけど、授業の試験で第18願を書けという問題が出て、けちゃっぷは「唯除五逆誹謗正法」を書かなかったけれど、単位もらえました。
試験で間違いを書くことと、単位をくれることとは別だろ。
佛大とその学生のレベルの問題。
399 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/26(月) 22:31:44
>390
>つまり「五逆や誹謗の罪を犯した者を往生させられなかったとしても、法蔵菩薩が成仏できないわけではない」という意味。
>法蔵菩薩も、さすがに五逆・誹謗まで往生させるのはてこずるかもとビビって、本願から外しておいた。
>でも成仏し阿弥陀仏になってみたら、五逆誹謗を救う力も得たし、救ってやろうという慈悲も湧いてきたので、救うことにした。つまり成仏してから気が変わった。
これは、けちゃっぷ君の私見ですね。
宗義ではそんなアフォなことはいいませんよ。逆謗摂取の問題は、『観経』とセットで考えます。
『無量寿経』と『観経』の説時の前後を、提婆達多と阿闍世が五逆を犯す前に説かれたのが『無量寿経』で、
五逆は犯すなよ、という意図で釈尊があえて「唯除〜」の一文を加えたと受け止めます。これを抑止門という。
で、『観経』の説時にはすでに五逆を犯してしまったやつがいたわけで、五逆のものも悔い改めれば救うぞよ、という
弥陀の真意を開顕して下下品の説示があったと受け止めます。これを摂取門という。
歴史学としての仏教史の立場からみれば無茶苦茶な話ですが、けちゃっぷ氏のような話はけちゃっぷ教以外では説かれておりませんので
誤解されませぬようお願いします。
400 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/26(月) 23:01:01
水谷師の次男にこういう人がいると報告しておこうっと。
401 :
けちゃっぷ:2005/09/27(火) 00:02:00
>>399 それと、イダイケ夫人に五逆の者が往生できないと説いたら、
イダイケ夫人の息子であるアジャセ太子が往生できない可能性があり、
イダイケ夫人の親心をさらに苦しめてしまいますから、
そこらへんにも配慮されたのではないでしょうか。
402 :
けちゃっぷ:2005/09/27(火) 00:11:54
>>399 私見ですが…無量寿経を読む時に、法蔵菩薩を阿弥陀仏のように読んでしまいがちですが、
四十八願を誓った時点の法蔵菩薩はまだ修業途中で悟っていない。そこは、おさえておきたいと思います。
403 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/27(火) 00:35:32
>>402 また私見ですか・・・
みなさんそれはわかってるんじゃないですかねぇ?
それをふまえたからといって、本願は成就してるんですけどね。
404 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/27(火) 15:16:34
私見でしか話ができない輩がいるスレはここですか?
405 :
けちゃっぷ:2005/09/27(火) 16:41:05
>>403 以前、
「極楽が金銀財宝で飾られているのはおかしい。仏教なら物質に執着しないはずだから」
と言ってた人がいました。 また、「仏は苦悩を感じないのだから、わざわざ他人を助ける必要ないだろう。他人がどうであれ、仏は幸せで平穏なままだから」と言う人もいました。
406 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/27(火) 17:12:58
407 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/27(火) 17:32:07
ところでさ。
我々の世代の檀家が、
施主になる時代ってどんな時代になってるだろうな?
現在の施主(60ー80歳)が育った時代背景と、
団塊の世代以降の育った時代背景とは大きな違いがあるよな。
ここ10年前後から変化が如実に現れてきそうだ。
分家対策をどうやってるか? 日頃の教化の在り方?
これらのことって、地方のお寺は檀家数の変化を左右するだろう。
坊さんの役割がどう変化していくかとも相関関係あるし。
408 :
けちゃっぷ:2005/09/27(火) 18:49:03
>>406 仏は金銀財宝に興味ない。しかし、まだ仏になっていない、修業をはじめて誓願を立てた時点の菩薩には、金銀財宝に魅力を感じる価値観が残ってる可能性もある。
仏はあらゆる苦悩から解脱しているから、衆生が苦しんでいるのを見ても痛くもかゆくもない。衆生を救っても何の得にもならない。
しかし、煩悩が残っているがゆえに衆生の苦しみが身にしみてわかる菩薩の時に誓った本願があるので、その誓いを実行する。
409 :
けちゃっぷ:2005/09/27(火) 19:02:46
>>407 仏教の魅力、浄土教の魅力に、自信を持てばいいと思います。
坊さんが宗教家でありつづけるかぎり、仏教ファンはかならずついてきます。
書店を見ても、仏教系の本はどんどん出版されています。それだけ読者がいるわけです。
坊さんがただの拝み屋・寺の管理人になり、商売人になったら、あなたのいうような心配が起きるのではないでしょうか?
あくまで宗教家でありつづけることが大事だと思います。
410 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/27(火) 19:07:20
>>407 「聖意計り難し。」で謙虚にいこう。けちゃっぷ。
あまり、独説がすぎるのはよくないと思う。
君の話を読んでると、勝手な想像の世界の恐ろしさを感じる。
412 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/27(火) 19:52:26
けちゃっぷは浄土宗僧侶??
413 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/27(火) 20:17:36
けちゃっぷよ。このスレの第一回から言われて続けていることがあるだろ。
もっときちんと宗義を勉強しろって。
逆謗の問題でも、普通に宗学の本を読んでいたらでてくることだし、
加行課程で普通に教えてもらっていることだよ。
佛大の教員が正しいことを教えているわけではない(ウソを教えているやつもいるのは知っている)が、
君は、知識がないことをいいことにして勝手に捏造を繰返しているんですよ。
そういう人に加行を受ける資格を与えた方も与えた方だけれど、君が一宗の教師であるのならば、
今、君が行っている発言は、宗門、法然上人、すべての浄土宗関係者に迷惑をかけることになっているのですよ。
(僕があえて使っていない言葉が何か分かりますか?)。
君が加行課程で使った教科書を一渡り読み直してみてください。
次の君の発言は、それだけのものを読んでからのものにしてください。
414 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/27(火) 21:07:33 0
― 以下 浄土宗の正統教義以外書き込み禁止 ―
415 :
けちゃっぷ:2005/09/27(火) 21:07:43 O
>>413 スレをおもしろくしようという気があるなら、けちゃっぷの誤りに対して、あなたがちゃんと正解を書いてください。
間違いだ、勉強してこいでは、まったく盛り上がらない。
>>415 私たちは、スレをおもしろくしてほしいなどと望んでいません。
417 :
けちゃっぷ:2005/09/27(火) 21:10:34 O
たとえば
>>405 の質問をされた場合、「聖意はかりがたし」と一言答えるだけでいいのかどうか。
418 :
けちゃっぷ:2005/09/27(火) 21:16:31 O
>389 の質問についても、正解をおねがいします。
419 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/27(火) 21:17:14 0
けちゃっぷよ。
面白いかどうか、という問題ではなく、お前が捏造とウソをばら撒いてるのが問題なんだよ。
加行課程で当然聞いていて、宗侶なら知っているはずのことを、まるで見当違いのことを言っているのがお前だ。
もっと謙虚になれ。
420 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/27(火) 21:18:04 0
>418
>399が正解。
421 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/27(火) 21:25:06 ID:0
>>415 正解というか・・・
心掛けとして
「智者の振る舞いをせずして、ただ一向に念仏すべし」
これが、
浄土宗僧侶の取るべき態度でしょう。
けちゃっぷ君は独説が多過ぎたね。
それから「スレをおもしろくしよう」という動機は、
「浄土宗」の名をかかげているスレとしては、
不適切だと思う。
このスレで、
浄土宗僧侶の気質がいい方向性でROMの方々に伝わることを願う。
422 :
けちゃっぷ:2005/09/27(火) 21:25:17 ID:O
>>235 の戒体についても、どなかたご教示くださいませんか?
性無作の仮色とは、種子(アーラヤ識)のことなのか?一歩すすんで仏性(如来蔵)のことなのか?
戒体は色?名?それとも色と名は不二という前提?
423 :
けちゃっぷ:2005/09/27(火) 21:35:39 ID:O
>>420 ありがとうございます。
それで、その説明に対して、あなたは納得されているのでしょうか?
浄土宗も異安心を弾劾して末端に至るまで思想教義の統制をはからないといけない時期にさしかかっているのでは?
425 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/27(火) 21:38:15 ID:0
>422
あれだけ叩かれたのを忘れたとはいわせないよ。
戒体について語るには、知識以前に、君は戒を軽んじすぎている。
>423
納得していますよ。三部経をすべて仏説と受け止めていますからね。
現場の坊主がおのおの勝手なことを言ってるようじゃ新興宗教に負けるよ
427 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/27(火) 21:44:04 ID:0
>424
浄土宗には異安心問題は存在しない、というのが教学関係者の一般的な見解であるようですね。
(僧籍剥奪と復活を繰返した東本願寺との対比で言う言葉です)。
それを包容力と見るか、墮落と見るかは人によって違うでしょうね。
けちゃっぷの発言を見ていると、僧侶の資格審査と再教育はきっかりやった方がいいと思いますね。
428 :
けちゃっぷ:2005/09/27(火) 21:45:04 ID:O
>>425 しかしそれでは、方便のためとはいえ、大経を説く時に釈尊が嘘をついたことになってしまいますね。
あとついでき伺いますが、法華経も釈尊が説いたと受けとめていらっしゃるのでしょうか?そしたら、五時八教説についてはどのようにお考えですか?
>428
嘘も方便という言葉とその典故を知らないの?
五時八教は教判としてはきわめて勝れたものと理解しています。
ただし、歴史的な事実として受け入れてはなりませんよ。
『法華経』を仏説と受け止めることと、天台の教判に過ぎない五時八教を認めることを同列にならべるのは間違いです。
五時八教の説は仏説ではなく、人師による仏説の分類解釈です。
430 :
けちゃっぷ:2005/09/27(火) 21:49:51 ID:O
>>427 大乗非仏説をとなえる上座部仏教が日本に上陸してきた今、どのように浄土教を説いたらいいのでしょうか。
431 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/27(火) 21:52:07 ID:0
>430
何が聞きたいの?
念仏往生の教えをそのまま説けばいいじゃないか。
宗論でもするおつもり?それならきっちり勉強なさい。
432 :
けちゃっぷ:2005/09/27(火) 21:52:49 ID:O
>>429 法華経以前のすべてのお経は法華経に導くための方便で、念仏往生も嘘だったんじゃないかと言われたら、どう答えるべきですか?
>432
方便真実という言葉も知らないの?
それじゃS学会にいいくるめられちゃうだろうな。
434 :
けちゃっぷ:2005/09/27(火) 22:01:03 ID:O
>>433 釈尊は、たとえ方便のためでも嘘はつかないということでしょうか?
だとしたら、大経の唯除五逆…も真実でしょうか?
435 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/27(火) 22:03:57 ID:0
>434
嘘も方便の典故を調べてみてごらん。
坊主ならそれぐらい努力してみなよ。
436 :
けちゃっぷ:2005/09/27(火) 22:13:42 ID:O
>>435 一般の方から質問されたら、浄土宗教師としてどう答えたらいいのかを、お尋ねしたいのですが。
437 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/27(火) 22:18:13 ID:0
>436
君は正解を教えてあげても忘れてしまうでしょ。
ネットですぐに調べがつくことは調べた上で質問しなさい。
浄土宗教師としてとかいう以前の問題です。
438 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/27(火) 22:20:02 ID:0
明日から宗会ですね。
けちゃっぷのような教師を作り出す現在の宗侶養成システムについても問題にしてもらいたいものです。
439 :
けちゃっぷ:2005/09/27(火) 22:20:59 ID:O
>>437 あなたがどう考えているのかをお聞きしたいのですが。
方便という言葉の意味、仏説の重さ、こういったことを考えもせず、
>432 のような発言をするあなたに答える言葉はない。
仏説には一つの嘘もない。経典間の説の矛盾には必ず意味がある。
その意味を考えるのが坊主のつとめだ。
あなたはそれを抛棄している。
441 :
けちゃっぷ:2005/09/27(火) 22:30:26 ID:O
>>440 先程から僕が書いている質問は、掲示板で一般の方から実際に質問されたことなのですよ。
ここ4年ほど、学会員の方、日本テーラワーダ仏教協会を信奉する方、モルモン教の宣教師など、さまざまな方と対話をしてきた中で、たくさんの質問をうけました。
それをここで書いているのです。
442 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/27(火) 22:40:43
>441
その程度の質問にも答えられなかったというわけですね。
相手の言い分を理解する努力も怠っているといっているのと同じですよ。
五時八教を人師の説というなら抑止門とか摂取門とか言うのも人師の説に過ぎない。
浄土宗の教義や法然の教説といえどもをすべてをうのみにしてはいけない。
自分の頭で考え続けることのできる者だけが宗教家に値する。
444 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/27(火) 22:46:22
445 :
けちゃっぷ:2005/09/27(火) 22:47:27
>>442 いやむしろ、答えつづけてキタから屁理屈けちゃっぷ説が構築されてしまったのかもしれませんね。
モルモン教徒には、ブッダや輪廻の概念から説明する必要がありました。
輪廻や業報思想という前提がないので、「罪の報いを誰が裁いて輪廻させるのですか?神様でしょう?」と言われました。
446 :
けちゃっぷ:2005/09/27(火) 22:49:36
447 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/27(火) 22:52:01
448 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/27(火) 22:52:43
>443
>五時八教を人師の説というなら抑止門とか摂取門とか言うのも人師の説に過ぎない。
そのとおり。しかし、法然上人の説に従うのが浄土宗です。
自分で勝手に考えて、法然上人のお考えと異なる説を唱えるなら、浄土宗からはなれなければならない。
しかし、それでもなおかつ、
>自分の頭で考え続けることのできる者だけが宗教家に値する。
でなければならない。
けちゃっぷは、両方とも放棄しているね。
449 :
正月準備中:2005/09/27(火) 22:54:13
華厳を理解できれば彼岸に至ります。しかし理解できる弟子がいないために
釈尊は易しく教えを説きその理解度に沿って説教の難度を高めていきました。
最初から華厳経を理解できていたなら方便を使って回り道をしてまで
法華経を説かなかったでしょう。
親の心子知らずという諺がありますが、我々は親になってはじめて子供の時に
親の言っていた言葉の意味を理解できます。
法華経において釈尊は自ら衆生の父であると明言されています。
まさに親の心子知らずで、我々凡夫が仏の教え(中国草創仏教以外の本流)に
矛盾と感じてしまうのは、未だ仏になっていない凡夫故ではないでしょうか。
450 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/27(火) 22:54:41
>445
「罪」や善悪について考えてないから答えに窮するのよ。
あなたが戒を軽んじている、と指摘した意味もわからないのだね。
経典がすべて仏説だとするのが思考放棄のさいたるもの。
まず連綿と受け継がれたその腐れ前提を捨てるのが仏教を考える第一歩だろう。
仏説には嘘がないかもしれない。
しかし経典がすべて仏説であろうはずがない。
どの経典が釈迦牟尼の説なのか。ここからだ。
453 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/28(水) 00:17:38
>451、452
何が言いたいのかよくわからないな。
仏説の仏って誰のことを言ってるんだろうね。
まさか阿含が仏説だっていいだすんじゃなかろうね。
>>453実在した仏陀は釈迦牟尼お一人だろう。それも知らんのか。それが浄土宗クオリティーか。
455 :
けちゃっぷ:2005/09/28(水) 00:38:41
>>450 わかっていないのかもしれません。
なので、わかりやすく説明していただけないでしょうか?
一般の方からいただいた質問の件についても、あなたの考える回答をお聞かせいただけないでしょうか?
456 :
けちゃっぷ:2005/09/28(水) 00:40:31
>>450 けちゃっぷの私見で答えてきたので、答えには窮しませんでしたよ。
457 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/28(水) 08:01:38
>454
答えになっていない。
ここの書き込み読んでると、けちゃっぷ始め浄土宗の坊さんのレベル低いな。
浄土宗の坊さんは、レベルの低い仏大出ただけで満足せず、
もっと仏教の勉強をしないとな、念仏ばかりしてないで。
まあ、トップが教えを知らないのを見れば宗派のあり方がよくわかるが。
459 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/28(水) 13:17:45
460 :
けちゃっぷ:2005/09/28(水) 13:25:49
>>447 自力で往生するか自力で覚るまで、輪廻します。
461 :
けちゃっぷ:2005/09/28(水) 13:27:53
>>458 ちなみに、「何についての」レベルが低いのでしょうか?
462 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/28(水) 13:43:27
>>454 夢に阿弥陀様が出てきてくださって以降、阿弥陀様が実在するという「感覚」がぬぐえません。
「感覚」だから、頭で考えてどうこうできるものではないのかも。
はてさて、けちゃっぷは病気なのでしょうか?
463 :
牛飼い:2005/09/28(水) 13:50:57
浄土三部経はすばらしい!いうことなし!○
464 :
牛飼い:2005/09/28(水) 13:53:14
俺も夢のなかで神々をみたことが4回あるが・・
非人格ブラフマンの阿弥陀如来より、実際に実在していた至高者を拝むべき!
465 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/28(水) 14:46:10
>>463,464 って
確か、自分の血筋を威張っていたヤシ?
466 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/28(水) 15:32:01
素朴な質問です。
けちゃっぷ氏及び諸氏、
「○◎しても○◎しなくても念仏すれば極楽往生する」ということを
けちゃっぷ氏は特に口癖のようにレスにカキコしてますね。
悪事を働き続けてきた人が、
生きてる間にフザケタ心境で一回だけ念仏したことがあったとして、
その人は極楽往生できるんでしょうか?
ご回答をお願い致します。
467 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/28(水) 16:23:15
松永、緒方でも極楽往生できるのかえ。
468 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/28(水) 16:26:11
>>466 真宗ならいざ知らず、浄土宗では無理です。
469 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/28(水) 16:36:31
>>466 浄土宗の場合、
三心(至誠心・深心・回向発願心)具足の念仏でなければならないと
思いますが・・・
日頃念仏してないと三心は備わりません。
470 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/28(水) 16:42:39
阿弥陀仏にしてみれば真宗も浄土宗もない
松永も緒方もお前も死ねば灰になるだけだ
ふざけた心境で一回の念仏で極楽往生できるか。自分で試してみろ
その上で言う。
誰でも往生できる。
善人・悪人など関係ない
男・女も関係ない
チャンコロもチョソも関係ない
人か豚かも関係ない
往生できると知れば、日日是好日だ
>>466 一回の念仏で往生するのは、臨終に過去の罪を懺悔して往生を願ってする一念でできるとする。
それ以外は念仏し始めた時点から死ぬ瞬間まで絶え間なく相続して初めて往生できるとする。
だから実際には浄土宗の檀家・信者・坊主の大半は往生できるはずもないところだが、
追善回向という形で生前の信・未信にかかわらず極楽へ送り届けている。
472 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/28(水) 16:48:03
>>471 つまるところ、普段は念仏してもしなくても臨終にだけすれば良いということですね。
私ども凡人としては、そのほうが楽で助かりますが。
一念往生は臨終に本願を初めて聞いて二回念じる暇がない場合だから、
本願に会いながらサボって臨終の一念で往生しようという人は怠慢高慢。往生できるとは言わない。
474 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/28(水) 17:19:48
475 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/28(水) 17:30:57
>>472 念仏を妨げる4つの支障「四障」ってあってね。
高慢・懈怠・自力・疑心
っていうんだ。
念仏は易行だが、
日頃念仏行に励んで信心を育んでいない者が
臨終にだけ念仏できるなんて思っていたら頓珍漢な勘違いだよ。
476 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/28(水) 17:35:01
477 :
けちゃっぷ:2005/09/28(水) 18:01:37
又一念を、不定に思うは、念々の念仏ごとに、不信の念仏になるなり。
其の故は、阿弥陀仏は、一念に一度の、往生をあておき給える願なれば、念ごとに、往生の業となるなり。
478 :
けちゃっぷ:2005/09/28(水) 18:21:22
>>473 臨終とは、どれくらいの時間なのでしょうか?
1日のうちに、8億4千の念があるといわれます。死の瞬間から逆算して何念までが臨終ですか?
1念の賞味期限は、何念間ですか?
最後の1念のあとには来迎があるのですよ。来迎があったら、妄念は起こらないのです。
念仏の次に1念でも妄念が起こったら、その人はまだ臨終ではないのです。
臨終じゃないから来迎がなく、だから妄念が起こった。
だからその人はまだ死にません。
念仏のたびに、まだ生きられると確かめることができます。
479 :
牛飼い:2005/09/28(水) 18:28:44
>>470チョソとチャンコロが間違っても往生いたしませんように!南無・・
チョンはうせろ!
480 :
牛飼い:2005/09/28(水) 18:29:23
おっと独り言ですた
481 :
牛飼い:2005/09/28(水) 18:34:59
>>465お前みたいな馬橇と違うんだよ!過不足人間が。輪廻不足ヤシめ!
482 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/28(水) 19:55:19
484 :
牛飼い:2005/09/28(水) 21:06:01
俺は普通だw
妖怪人間ベムにはっきり物を言わなければわかりますまい
485 :
牛飼い:2005/09/28(水) 21:09:30
これが本当の慈悲です。。至極当然のこと・・既成事実なのですww(藁
486 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/28(水) 22:59:43
定説? 復活。
変人は定説を語る。
487 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/29(木) 00:00:55
488 :
けちゃっぷ:2005/09/29(木) 00:08:26
疑いながらも念仏すれば往生できます
489 :
そうかね:2005/09/29(木) 00:15:20
でも、下品下生だよ。
490 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/29(木) 00:20:43
491 :
けちゃっぷ:2005/09/29(木) 00:31:56
往生は決定と思えば決定、不定と思えば不定?
492 :
けちゃっぷ:2005/09/29(木) 12:36:28
>>471 追善回向で往生させることが可能だという根拠は、あるのでしょうか?
>>492 >
>>471 追善回向で往生させることが可能だという根拠は、あるのでしょうか?
根拠はないでしょうね。 >471 の論はおかしい。
往生させることができるのは阿弥陀仏であって、
煩悩をもつ衆生が善を積んで人を往生させることが出来るのは変。
そんなことが人に出来るのなら、阿弥陀仏の本願はいらない。
阿弥陀さん十方の衆生の往生を本願で誓っているが、
往生できない人があるという説なら、その人はどうなるの?
成仏できずに霊として迷うとは仏教では説かないし、
六道輪廻をするなら、後から追善供養しても手遅れだし、
どういう理解なのかなあ。
495 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/29(木) 13:05:26
「亡き人のために
念仏を回向し候えば
阿弥陀ほとけ
光をはなちて
地獄、餓鬼、畜生を照らし候えば
この三悪道にしずみて苦をうくるもの
その苦しみやすまりて
いのちおわりてのち、
解脱すべきにて候。」(往生浄土用心)
とあるけど、
これが、念仏追善回向を勧める一つの典拠になってるんじゃないの?
>>495 浄土教としての経典による根拠を聞かれているのでしょう。
この論理なら、念仏による追善供養をしなければ、
阿弥陀仏は光を放たないことになるから、
往生成仏の可否は人間が決めることになってしまう。
そして、先祖は地獄など三悪道にいることになり、
追善供養しても、すぐには救われず、次の輪廻まで待つことになる。
念仏して亡くなった先祖も三悪道にいると考えるわけですか?
497 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/29(木) 17:26:24
>>494 >阿弥陀さん十方の衆生の往生を本願で誓っているが
これはどの部分なの?典拠挙げて。
第十八願に「設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念」とあるように「心から信じ願って極楽へ生まれたいと
思って十念でもしたら」と言っている。無差別に十方衆生が極楽へ生まれ変われるようにした、などとは書いていない。
>>497 本願を信じて念仏するものは無条件で往生させる。
対象は十方衆生。
>>498 本願を信じず念仏もしない人、本願を信じるが念仏しない人、念仏するが本願を信じない人は?
>>494 >成仏できずに霊として迷うとは仏教では説かないし、
>六道輪廻をするなら、後から追善供養しても手遅れだし、
これは間違い。
死後四十九日の間に往生成仏できず、まだ次の転生先も決まらないに場合は中有としてこの世をさまようと言われる。
中有は不可視にして微細ないわば霊のような状態。その間に追善回向するのが中陰回向。
また目蓮尊者が十方の衆僧に供養して餓鬼道に堕ちた母親を救ったように、既に次の生を受けている者にも追善供養できる。
日本の坊さんは自分の命を産み育ててくれたすべてのご先祖さま、生きとし生けるものの往生成仏を願って供養することを
勧めている。
>>500 中有という説をもつ仏教の学派もありますが、
それを認めない学派も多く、必ずしも仏教全体のコンセンサスを得た説ではありませんね。
目連尊者の例などは、後に成立した俗説のようですし、
中陰の考え方でも、四十九日後は成仏して仏になる。
ところで、法然は、往生するのはいつだと説いていますか?
そして、成仏するのはいつだと説いていますか?
法然は追善回向を教義のなかでどう説いているのですか?
>>501 >中有という説をもつ仏教の学派もありますが、
>それを認めない学派も多く、必ずしも仏教全体のコンセンサスを得た説ではありませんね。
それは仏教全体(中国さま、韓国さま、スリランカさまetc...)の合意・許可を得なければ中陰回向をやってはいけないということか?
他国はともかく日本の伝統仏教では死後四十九日を中陰として、その間に追善の供養を執り行って、生者から死者への追悼
としている。法然上人が亡くなられた時も中陰供養が行われた。
>目連尊者の例などは、後に成立した俗説のようですし、
>中陰の考え方でも、四十九日後は成仏して仏になる。
目蓮尊者の話は盂蘭盆経であり、これも日本の伝統仏教各派問わず受け入れられている。単なる俗説ではない、仏説盂蘭盆経。
また中陰の期間がすんだらみんなすぐに成仏するとは、いったい誰の説なのか?浄土宗の説ではないはず。
>>501 >ところで、法然は、往生するのはいつだと説いていますか?
>そして、成仏するのはいつだと説いていますか?
>法然は追善回向を教義のなかでどう説いているのですか?
往生とは、この娑婆世界を厭い捨てて極楽世界へ往き生まれることだとされている。
極楽で法華、般若、真言、その他一切聖教を思うがままに修行して品位を進め、究竟成仏する。
追善回向は法然上人御法語後編にも引用される
>>495
504 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/30(金) 16:22:33
>>503 問題を整理しますね。
臨終に往生しますね。それとも往生はもっと後なのですか?
臨終来迎というのがありますね、その行き先は極楽ですね。
往生する先は極楽ですね。途中で寄り道はしませんね。
極楽に往生すれば、すぐに成仏?いや、浄土で修行が必要だとおっしゃいますね。
浄土で仏になるまでの修行は誰の導きによりますか?当然阿弥陀仏ですね。
娑婆世界からの人間の応援は必要ですか?
追善供養によって浄土で成仏できるとは浄土教では説きませんね。
では、追善供養は何のために行いますか?
浄土に往生できず、地獄や三悪道に堕ちた人に対して?
では、追善供養は必要な先祖や亡くなった家族は、
往生できずに地獄や三悪道におられるということなのでしょうか。
先祖や亡き家族を、そんなふうに見るのはかわいそうですね。
いったい何をしたがために地獄へ堕ちたと見なすのでしょうか。
亡くなった家族は、お仏壇の阿弥陀仏に手を合わせ、
念仏をとなえておられたのじゃなかったのですか?
阿弥陀さんは、そういう方を見捨てて、お浄土に救っては下さらなかったのですか?
日本の伝統仏教に一般に受け入れられていれば正しいとお考えのようですが、
中陰とは何がどうなる期間ですか?
生まれ変わって輪廻転生するまでの期間?成仏するまでの期間?
輪廻して生まれ変わりまでなら、成仏できなかったことになりますね。
中陰の回向は、いったい何を目的に行うのでしょうか?
満中陰で成仏出来ないなら、往生するまで?
しかし、往生は臨終と同時のはずですね。
考えれば考えるほどわからなくなります。
浄土経典では、どう説明しているのですかね。
>>505 >臨終に往生しますね。それとも往生はもっと後なのですか?
まず娑婆世界で死にます。
一瞬で極楽世界に到着して、蓮華が開けばこれを即得往生といいます。
蓮華が開いて生まれるまでに時間のかかる人もいます。
>>505 >臨終来迎というのがありますね、その行き先は極楽ですね。
>往生する先は極楽ですね。途中で寄り道はしませんね。
来迎がある場合はふらふらこの世や極楽までの途中の世界をさまようことなく、極楽に往きます。
>極楽に往生すれば、すぐに成仏?いや、浄土で修行が必要だとおっしゃいますね。
>浄土で仏になるまでの修行は誰の導きによりますか?当然阿弥陀仏ですね。
>娑婆世界からの人間の応援は必要ですか?
>追善供養によって浄土で成仏できるとは浄土教では説きませんね。
基本は自分で修行することです。あらゆる仏教の基本です。
阿弥陀仏ご自身も、他人の修行の功徳ではなく、自分の修行の功徳によって成正覚され、極楽を健立されました。
極楽に往生した人も、基本は自分で五根五力七菩提分八正道分などを修行します。
しかしここに回向という考え方があって、自分の功徳を他人にも分け与えることができます。
極楽の住人は自分で修行しますが、阿弥陀仏の本願によって助けられながらです。
しかし修行が自然に進むとはいうものの、寝ていて成仏できる法はありません。成仏までの道のりは大変長いのです。
そのような方が少しでも早く正覚を得られるよう、この世からわずかでも力添えをして修行の境地を進めていただくことは可能です。
509 :
けちゃっぷ:2005/09/30(金) 17:34:57
>>505 追善ですから、善業の功徳を回し向けるのでは?
極楽で修行している菩薩が、より早く成仏できるようにと。
無量寿経では、誰でも自然に善を実行できる極楽で善を修めるのより、
善を実行しにくい五濁のこの世での善のほうがずっと貴いといわれてます。
「回向」とアーラヤ識(種子)の「転変」は、おなじ語句の訳なんですよね。
すべてが識から生じている現象だとしたら、すべての衆生は識でつながっているのではないでしょうか。
アーラヤ識の種子は刹那に生じては滅して転変しています。
無常に生滅する種子の転変があるから、原因によって結果が変わり、修行の結果覚ることもできるのですね。
510 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/30(金) 19:58:59
一向宗派って浄土真宗とど違うの?うち一向宗。
金ぴか仏壇で阿弥陀如来が奥にいます。
>>508 > そのような方が少しでも早く正覚を得られるよう、この世からわずかでも力添えをして修行の境地を進めていただくことは可能です。
それは浄土経典のどこにあるのですか?
浄土往生してから成仏するまではどのくらいかかるのですか?
また、成仏したのはどうしてわかるのですか。
そのことも、浄土経典にはどう書いてあるのですか?
>>511 大乗仏教であるから回向は言うまでもないことです。
>>513 阿弥陀仏によって浄土に往生している人に対して、
仏になるために娑婆世界から力を送るというのは、浄土教のどこにあるのか聞いています。
追善回向がその目的のためなら、33回忌をやるのはまだ成仏していないから?
515 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/30(金) 20:26:19
浄土宗では、いったい成仏はいつするんですか?
>>512 そんな先のことを聞いてどうするのでしょうか?
はっきり自ら省みれば、念仏信心が至らず往生すら危ういというのが現実ではないですか?
短い人生ですから往生を第一として、それ以降のことは往生遂げてから考えればいいことです。
517 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/30(金) 20:29:39
するのではなくさせるのです。浄土宗内であれば、うらやましい奴、きらいな奴、など仲間うちで足を引っ張って
成仏させるのです。みんなそのなかで生きています。
>>514 その浄土教というのは、大乗仏教なのです。だから回向は当然なのです。
追善供養は、亡くなった方すべてに対する、生者から死者への誠のこころざしです。
亡くなった方が浄土に往生されたのか、地獄や三悪道に堕ちたのか、誰が知ることができるでしょうか?知る術はありません。
ですからどこにおられようとも、生きている者ができるだけのことをすべきでしょう。
519 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/30(金) 21:26:04
四十九日以降の追善供養は無意味です。
520 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/30(金) 21:58:03
お熱い議論のなか恐縮です。無茶苦茶なことをいっている人の大半が
浄土宗教師資格保持者だとは思いたくもありませんが、けちゃっぷの例
もありますので、その可能性も否定できず、頭を抱え込んでいます。
さて、来年度以降、けちゃっぷよりできの悪い浄土宗教師を大量生産
すべく教師養成課程を改革する案が、本日終了した宗会に上程されて
おりました。
寡聞にして採決の結果がどうなったのか、いまだにしりません。
どなたかご存知の方いらっしゃいましたら、ご報告願います。
521 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/30(金) 22:24:11
基本的な知識がないので質問じたい滅茶苦茶混乱してますよね。
>>505もその心意気は買うが、問題を整理する前に心の整理をした方が良い。
>518
> 亡くなった方が浄土に往生されたのか、地獄や三悪道に堕ちたのか、誰が知ることができるでしょうか?
> 知る術はありません。
浄土宗は念仏すれば浄土往生できる教えではないのですか?
念仏しても浄土往生出来ず三悪道に堕ちるのは何故?
もしそうなら、法然上人の教えって何?
>>521 基本的な知識がないから質問しているのでしょう。
ごまかさないできちんと答えれば?
質問がメチャクチャなら、どこがおかしいのかも
教えてあげるのが浄土宗の親切というものです。
524 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/30(金) 23:22:36
>522 「亡くなった方」が念仏者なら往生してるだろうけど。
525 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/01(土) 00:39:40
526 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/01(土) 00:42:48
虚仮の念仏っていうのもありましたよね、、、選択集より
一切衆生の。身口意業に、修する所の解行、かならずすべからく真実心中になすべきことをあかさんと欲す。
外に賢善精進の相を現して、内に虚仮をいだく事をえざれ。
貧嗔邪偽、姦詐百端にして。悪性やめがたく、事蛇蝎におなじきは、三業を起すといへども、名づけて雜毒の善とす。
また虚仮の行となづく。真実の業となづけず。もしかくのごときの、安心起行をなすものは、たとひ身心を苦励して日夜十二時、急に走り急に作こと、頭然をすくふごとくなるも、すべて雑毒の善となづく。
此雑毒の行を廻して、かの仏の浄土に、生ぜんことをもとめんとほつせば、これかならず不可なり。なにをもてのゆへに、正しくかの阿彌陀佛の因中に、菩薩行を行じたまひし時の乃至一念一刹那も、三業に修するところ、みなこれ真実心中になし。
おほよそ施為趣求したまふ所、またみな真実なるによりてなり。
>>525 浄土宗の教えを知らないから聞いています。
>>523 人の親切につけ込んで、甘ったれるな糟が。
人に質問するのは、質問したいことをまとめられる文章力を身につけてからにしろ非常識め。
こっちはお前の頭の中までは整理できないんだよ厨房。
>>518 > その浄土教というのは、大乗仏教なのです。だから回向は当然なのです。
大乗仏教に回向があるのは当然ですが、
阿弥陀仏の本願で浄土へ往生し、阿弥陀仏のもとで仏になる修行をしている人に、
娑婆世界からなぜ力を送る必要があるのでしょうか。
阿弥陀仏ではたよりない、信用できないということでもあるまいに。
浄土教の教えにおいて、浄土往生した人にさらに回向をしなければならないと説かれていますか?
往生は臨終の時ですね。
では中有の期間はどこにいますか?
中有が過ぎると成仏するわけではないそうですね。
世間では中有の間を霊、四十九日が過ぎると仏だとされていますね。
浄土宗では、四十九日を過ぎるとどうなるのですか?
531 :
けちゃっぷ:2005/10/01(土) 02:12:04
>>530 臨終に来迎があり往生した場合には、すぐに極楽に往きますので、中有はないでしょう。
でも、生前念仏していないなら、中有の間に念仏を聞かせる必要があるでしょうね。
532 :
けちゃっぷ:2005/10/01(土) 02:20:21
この世でブッダになるか極楽に即得往生するか以外は、四十九日間中有でとどまり、中有をすぎると輪廻するのです。
亡くなったおじいちゃんが往生せずに、たとえば隣町に赤ちゃんとして転生していたとする。
その場合、亡くなったおじいちゃんに追善回向したその功徳によって、隣町の赤ちゃんが善人に育つよう援護していることになる。
>>532 生前に念仏をしていれば、みんな極楽へ往生するんでしょう。
いつもそう言っているじゃないですか。
ならば中有はないから、中陰はいらないということ?
浄土宗の人はたいてい念仏くらいはしているでしょうから、
みんな浄土往生できるから、追善供養は必要なくなるということでしょ。
534 :
けちゃっぷ:2005/10/01(土) 05:11:28
>>533 生前に念仏できなかった人には中有があります。
追善は、往生した人に対しても行うことができます。極楽で修行がより一層はかどるように。
>>534 阿弥陀仏の本願によって浄土往生したのに、
浄土での修行は阿弥陀仏にまかせればいいわけでしょ、信用できないの?
極楽での修行がはかどるとは、浄土教のどの教えにあるのですか?
そして、極楽の修行はいったいいつまで続くのですか、
それじゃなかなか成仏など出来そうにないですね。
早く仏になれるのが浄土ではないのですか?
>>534 >
>>533 生前に念仏できなかった人には中有があります。
生前に念仏した人には中有はないのですね。
なら、中陰の回向はいらない?
>>534 >追善は、往生した人に対しても行うことができます。
追善供養は自力作善でしょ?
本願他力の宗旨から言えば雑行にならない?
>>537 雑行でしょうね。
阿弥陀仏の本願を信じていないことになる。
追善供養だから自力作善だというのは間違いですな。法要の時、坊さんが言ってることに耳をすませば阿弥陀仏の大悲願力を頼む旨を申し上げて読経念仏していることに気付きます。つまり頼むは他力です。
>>539 それじゃ追善供養にならない。
娑婆世界で積んだ善を、浄土に振り向けて回向するのが追善供養。
お坊さんは追善供養としてはやっていないのでしょう。
浄土教の教えからすれば変ですからね。
なぜ追善供養とは言えないのか?
娑婆世界で積んだ善を、浄土に振り向けて回向するのが追善供養というのは、どこからの典拠か?
542 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/01(土) 12:36:19
三心具足の念仏を念々相続で往生するらしいが
誰か故人でも本人でも胸を張って言える者はいないのか?
今のところ自分が往生確定していると自称しているのはけちゃっぷぐらいか?
543 :
けちゃっぷ:2005/10/01(土) 13:39:16
>>535 他力浄土門は、往生に関しての他力です。
往生して最高の能力と環境を与えられるのも、他力によります。
しかし、そこから先、浄土で修行して成仏するまでは、自力聖道門の修行になるのです。
極楽浄土の菩薩は不退転の位という、修行が二度と後退することのないレベルの悟りまでは、他力で与えられます。その先は自力です。ただし、最高の修行環境は他力で与えられています。
裟婆世界の凡夫のほとんどは、不退転の位に達していませんから、この世でせっかく仏教を学んでも、死んだら来世ではすっかり仏教も忘れ、レベルダウンしている可能性があります。
544 :
けちゃっぷ:2005/10/01(土) 13:53:53
>>536 49日をまたずにすぐに往生していても、その往生した人に功徳を回向するわけです。
往生のための回向とはかぎりません。往生した人の修行がはかどるようにという回向です。
しかしそもそも、自分がいて他人がいるという分別自体が、煩悩の一種なわけです。地獄も極楽も、心がつくりだしているのです。
自分も他人も心がつくっているのです。自他共通のアーラヤ識に善の種子をうえつけるのが回向でしょう。
死んだ人が往生したと思えるように回向し、死んだ人が成仏したと思えるように回向するのです。
545 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/01(土) 16:04:22
親にどういう教育受けて来た?
成長期、将来の浄土宗僧侶としての教育うけたかい?
生活指導や心構え?
546 :
けちゃっぷ:2005/10/01(土) 16:51:15
>>440 結局、質問への回答はなしということでしょうか?
>>544 >自他共通のアーラヤ識に善の種子をうえつけるのが回向でしょう.
煩悩は自他不二を容認しない訳でしょ。
弥陀の回向ならまだしも、自力作善の回向が
(けちゃっぷさん以外の)凡夫にも可能なんですか?
>>544 >
>>536 49日をまたずにすぐに往生していても、その往生した人に功徳を回向するわけです。
> 往生のための回向とはかぎりません。往生した人の修行がはかどるようにという回向です。
なら、中陰の意味、そして7日ごとに回向する意味は何?
娑婆の追善によって「往生した人の修行がはかどる」と、どの浄土経典にあるのですか?
修行がはかどるわりには、33回忌のときもまだ成仏できずに修行中なんですか。
死後に故人が何処へ行きどうなったか、誰もわからない。
目蓮を産んで育てた母親や釈尊の直弟子さえも悪業煩悩で地獄や餓鬼道に堕ちてしまったことを考えれば、
故人の最悪の事態を考えて中陰、回忌と回向を重ねて行くのだろう。
>>549 浄土宗では、念仏して阿弥陀仏の本願で浄土に往生し、仏になるとは説かないの?
念仏しても、どうなるのかわからないと説いているわけですか?
目連の話は、中国での創作。第一、母親は念仏も知らない。
釈尊の弟子は、浄土教の阿弥陀仏も念仏も知らない。
浄土宗の話ですから、念仏をした人のことを前提にお話し下さい。
>>550 あなたは亡くなったお知り合いの方がどうなったか知っていますか?
>>550 また目連の話しは盂蘭盆経というお経です。日本で毎年迎えるお盆の供養のより所です。
また死ぬという現象、死んだ後どうなるかという問題は、念仏した人だけの問題ではないですよね。生きとし生けるもの、
そして死に悩むすべての人間の問題です。浄土宗はその一つの回答ですね。
>>551 私が知っているかどうかの問題ではなく、
浄土宗がどう説明しているのかという問題でしょ。
死後の世界を知ることなど私たちには出来ません。
知っていることが根拠なら、浄土に往生するとは説けなくなります。
浄土宗では、念仏した人は阿弥陀仏によって浄土へ往生し、
そこで仏になることができると説くわけでしょ。
その話と、中陰や追善供養の話との整合性を考えるのは当然です。
>>552 盂蘭盆経が中国で成立したことは仏教の世界では常識です。
また、盂蘭盆経の内容と日本のお盆の習慣は異なりますから、
仏教以前から存在する日本の祖霊信仰が、後に仏教と結びついたものでしょう。
もちろん死後どうなるのかは念仏した人だけの問題ではありませんが、
今、問題になっているのは、念仏した人がどうなるのかということです。
浄土宗のスレでわざわざ話しているのですから、論点をずらすこともないでしょう。
>>553 浄土宗が何と言おうとも、生死は一人一人の問題です。
あなたがご自身が納得されない限り、教科書は教科書のままに過ぎません。生きる手本、道しるべとはなりません。
死んだ人とは縁が切れるから何もする必要がない、放置の姿勢なのか、
あるいは無数のご先祖さまの中の、下は三悪道から上は極楽に往生された方まで、すべての菩提増進、究竟成仏を願われるのか。
その分かれ目で悩んでおられるように見えます。
往生大要抄に引かれているように諸宗に説かれる大乗菩薩の修行というものは三阿僧祇劫という途方もない時間を経て成仏に至るというのであります。
劫はカルパ、一説には四十里立方の大盤石に、百年に一度空から降りてくる天人が薄衣でなでて、その石が摩滅して無くなるぐらいの時間。
阿僧祇というのはアサンキヤ、一説には10の59乗とか。
ぶっちゃけて言えば無限に近い時間をかけて境地をきわめてやっと仏と成るのであります。
ところが極楽に往生すると本願力によって一気に成仏の一歩手前の一生補処まで上り詰めるのだから凄いものです。
そこからいったいどれくらいの時間がかかって成仏できるのか。しかし33とか50とかそういう数字ではないはずです。
557 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/01(土) 22:42:04
では
>>555さんにお尋ねします。
念仏すれば往生できるんですか?
558 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/01(土) 22:57:24
自殺した人でも、層化でも、両親を殺した犯罪者でも、念仏すれば往生します。
往生できます。
>556 諸宗のことは今、どうでもいいです。
浄土宗では、念仏した人は、阿弥陀仏の本願によって往生できるのはいつ?
臨終の後すぐならば、中陰というのはどういう意味なのか?
四十九日後には、何がどう変わるのか?成仏はしないのか?
その説明によれば、成仏できるのは気の遠くなるような未来の話。
仏道の目標である成仏がそんなに先のことならば、
自分の両親や祖父母、先祖も、誰も仏になっていないことになりますが、
浄土宗では、いや法然上人は、そうお説きになっているのでしょうか。
往生まではゆるされるが、修行はずっと続けて行かなくてはならないのですか?
浄土というのはそういうところなのですか。
561 :
けちゃっぷ:2005/10/02(日) 01:51:18
>>560 仏に成っていなくとも、極楽の菩薩はかぎりなく仏に近い悟りを得ています。
何の苦痛・苦悩もなく、平安に暮らしています。
法事などの儀式は、儀式する側の気持ちの問題です。極端な話、遺族の自己満足のための儀式です。
四十九日の法要は、浄土宗義どうこうではなく、日本仏教の習わしとしてやっているのです。
お墓やストゥーパを建てるのだって、念仏往生の思想とは直接関係ありませんが、やはり通仏教的な習わしとしてやっているのです。
それの何が悪いのか、なぜそんなにこだわるのか、よくわかりません。何を問題としたいのでしょうか?
562 :
けちゃっぷ:2005/10/02(日) 01:59:58
>>548 極楽で量り知れ無い寿命を与えられるのは、成仏するまでにそれだけの修行期間が必要な場合があるからでしょう。
くりかえしになりますが、追善は、遺された者の気持ちの整理のための儀式ではないですか?
生前できなかった親孝行、亡くなったあとに、せめてもの供養を…というのは人情です。
法然さんの父上は、仇討ちせずに出家して菩提をとむらってくれと遺言し、それがもとで法然さんが出家したとも、伝えられています。
563 :
けちゃっぷ:2005/10/02(日) 02:12:32
極楽の衆生は六神通があるので、裟婆の家族のことを憶えているし、家族が自分のことを想って供養の儀式をしていることもわかります。
遺族からの、せめてもの贈りものです。その気持ちは伝わるでしょう。
>>560 人の文章を読んでるのか疑いたくなる書き込みのようですが。
再三レスがあったようにこの世界で亡くなり極楽に往き生まれた時が往生です。
死んでから次の生を受けるまでの最大四十九日が中陰です。
中陰終わると自動的に成仏するとはどのお経ですか?いたしません。
565 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/02(日) 13:56:05
阿弥陀仏による救済というのは
ある意味、最強の公案な気がする
理屈で追いかけても追いつけないよね
解ったからと言って言葉にできないよね
>>565 そうですね。
他力を理解できても、納得するまでに時間がかかる。
567 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/02(日) 15:14:23
本来の仏教は因果論で、浄土真宗は予定説。どちらというと基督教、それもルターやカルビンに近い。浄土宗はその中間にあるように思われ、ケチャップ師は如何に思われるか。
>仏道の目標である成仏がそんなに先のことならば、
>自分の両親や祖父母、先祖も、誰も仏になっていないことになりますが、
>浄土宗では、いや法然上人は、そうお説きになっているのでしょうか。
>往生まではゆるされるが、修行はずっと続けて行かなくてはならないのですか?
>浄土というのはそういうところなのですか。
浄土に往生して限りない寿命を得て、どうしますか?寝て惚けたり、酒や女遊びするわけではありません。
成仏まで長い長い修行の道のりです。
あえて成仏を延期して、この世界にかえって来て衆生教化に励む者もいるくらいです。
菩薩の四弘誓願と言って、とても志が高いのです。
成仏はいつか?まだか?四十九日すんだらすぐか?とせっつくような世界ではありません。
ものごとの単位が違うのです。
しかし阿弥陀仏の本願に極楽の衆生は必ずいつか成仏することが決まっていると誓われているので、心配することはないのです。
そして浄土宗は往生浄土の教ですから、往生したあと成仏までは、その時になってみて考えたらよろしいことです。
>>568 浄土往生が目的で、仏になることはあまり重要じゃないようですね。
浄土で毎日楽しく修行をするのでしょうか、
大乗仏教なら、阿羅漢どまりの部派仏教ではなく、仏になるということをもう少し重要視してもいいとは思いますが、
いつ成仏するかは、あまり関心をもたれないということですか。
>>569 法然上人は浄土宗と真言宗を対比して、「この教は往生の教なり、かの教は成仏の教なり」とおっしゃっています。
浄土宗は当面往生について考え、実践したらいいのではないでしょうか。成仏しか興味ないという場合は、他宗がよろしいでしょう。
往生したら、いつか成仏することが本願で決まっているのです。
「仏になること」が重要ではないのですか?何故「いつ」仏になるかばかり尋ねられるのかでしょうか?
それと浄土宗が阿羅漢どまりの部派仏教とういうのは、何を根拠に言われているのでしょうか?
極楽には声聞も菩薩もいらっしゃいます。
>>568ですでに菩薩の四弘誓願と書いていますが、ちゃんと文章読んでいますか?
貴方も往生なされた暁には、大乗の菩薩として自利利他に励んでみては。
>>570 真言の例は、即身成仏だから、この世での成仏と、
浄土での成仏を比べているだけだろ。
浄土宗が部派仏教なわけはない。
阿羅漢止まりの部派仏教ではなく、仏になるための大乗仏教の浄土宗なら、
成仏をもうちょっと大事にしてもいいということ。
>>571 浄土宗は往生浄土を宗の本義とする、往生の教です。
往生したら、いつか成仏することが本願で決まっているのです。
「仏になること」が重要ではないのですか?何故「いつ」仏になるのかばかり尋ねられるのかでしょうか?
573 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/02(日) 19:03:04
会津磐梯山
574 :
けちゃっぷ:2005/10/02(日) 21:02:15
もちろん成仏は究極の目的ですが、とりあえず、三悪趣に墜ちずにすんだという安堵と喜びでせいいっぱいかも。
575 :
けちゃっぷ:2005/10/02(日) 21:16:51
>>547 誰であろえと、すべての業はアーラヤ識にインプットされつづけ、アウトプットされつづけています。
576 :
けちゃっぷ:2005/10/02(日) 21:26:58
>>564 もしかして、「成仏」を、迷える霊・悪霊とならずに無事に天国に往くことだと勘違いされてるのかもね。
577 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/03(月) 00:09:42
けちゃっぷ。自分自身を見つめて、どんな人間だと思う?
578 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/03(月) 00:44:15
579 :
けちゃっぷ:2005/10/03(月) 01:42:52
回向も仏像礼拝も大乗仏教の影響でしょうね。
581 :
けちゃっぷ:2005/10/04(火) 22:19:49
582 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/05(水) 07:02:10
道元禅師は祖師の回向や舎利礼拝などを
「仏家の家風」であり「善い事」だからやるけど
修行とは全く関係ない。ただ、工夫して坐禅をしろと教えている。
浄土宗も本来は念仏だけがあればよいのであって
経典解釈の細部は学者に任せておけばよいものだと思うが・・。
そういう意味で、行者としてのけちゃっぷ氏は立派だと思うが
なかなか理解はされんだろうね〜。
現代人が求めるのは現実的な救済と虚栄のための知識だもんね
勝他・名聞・利養は大敵だかんね。
浄土宗の場合は礼拝も回向も修行の一つ。
法然は「選択集」の中で浄土宗は「三経一論」に依るとしているが、中の「一論」が世親菩薩の「往生論」。
往生論で往生浄土のための修行として明かされるのが五念門。礼拝、讃歎、観察、作願、回向の五つです。
いずれも阿弥陀仏、極楽浄土への礼拝、讃歎、観察、作願、回向です。善導も五念門を修行することを勧めいてます。
585 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/05(水) 16:00:47
何故、現代に生きる僕たち浄土宗僧侶は、
「実証されることのない」ものに、これほど心傾けなければならないんだろう。
ふと、言葉遊びの世界を眺めているとそんなこと思う。
586 :
けちゃっぷ:2005/10/05(水) 18:24:20
>>585 義務でイヤイヤ信仰しているのでしょうか?
あなたが幸せになることが、何よりの実証になりますよ。
浄土宗は死後の往生を説くので、往生を誰も実証できないけれど、往生できないことも実証できません。これはある意味最強ですね。
もしも念仏で病が治るという教義なら、一人でも病が治らなかったら教義が嘘になってしまう。
もしも念仏で悟れるという教義なら、一人でも悟れなかったら、教義が嘘になってしまう。
それで、そういう人に信心が足りない・行が足りない・布施が足りないと罵倒することにでもなれば、こんな無慈悲な教えはない。
588 :
けちゃっぷ:2005/10/05(水) 18:49:56
>>509で書きましたが、「回向」と「転変」は、おなじサンスクリット語の訳らしいです。
で、「転変」は、世親菩薩の唯識思想では最も重要な語句であり、転変はアーラヤ識の性質そのものなのです。
それをふまえて、往生論の梵本を僕は読んだことないですが、五念門の回向が転変に訳される語句ならば、
回向にはアーラヤ識の種子の転変の意味がないのか、気になります。
念仏などの行で形成されたアーラヤ識の種子が、往生極楽という現象に転変するのでは?
世親菩薩は唯識思想なので、あらゆる現象は実体ではなく識が創りだしている夢みたいなもんだという立場です。
589 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/05(水) 19:40:52
>>586 けちゃっぷの文言を読んでると、
信仰の世界とは、一歩間違えると狂気の世界なのだなと
恐怖する。
少し(たぶん)狂ってる自分を自覚したほうがいいかも。
>>587 「法然さんの心」を語って頂けますか?
>>589 >「法然さんの心」を語って頂けますか?
南無阿弥陀仏
591 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/05(水) 20:36:06
>>590 またそうやって煙に巻こうとする。いつもこれだからなぁ、似非念仏禿は。
592 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/05(水) 20:46:25
>>586 幸せになる?
「幸せになること」が、何の実証になるんだろう?
阿弥陀信仰してなくても幸せを感じて生きてる人は周りに多い。
593 :
けちゃっぷ:2005/10/05(水) 21:39:13
法然に帰れ。
良忠ではなく。
法然、聖光で毎日六万遍。十万遍の行者も記録されている。
徳本行者のように生涯横になることなく、わずかの穀物で称名礼拝にあけくれた者もいる。
自分の横にそんな人がいたら、はたしてどんな目で見るか。
狂っていることを少しは自覚したらどうか?と進言申し上げたくなるか。
596 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/05(水) 23:12:36
>>593 意図?
特に意図して書き込んでない。
視点をずらして自分たちの世界を眺めると、
科学のように探究できて建設的に真理を見い出し、
自己修正修復できる世界でもないし、
不確かなものに、あまりにも心傾け過ぎて、
難解な言葉を羅列させ言葉遊びに熱中してるように思えて、
浄土宗僧侶として、ふと思った感想を書き込んだまで。
597 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/05(水) 23:21:39
>>595 現代でそういう人がいたら、
まずお逢いして、その人の面相を拝見して、
そして、対話をさせて頂いて、それから判断させてもらうね。
けちゃっぷの場合と違うだろ?
598 :
けちゃっぷ:2005/10/05(水) 23:31:10
>>596 「言葉あそび」なのかなぁ…
世親菩薩の思想なんかは、ヨーガの実践による体験から得たものですが、体験のない人が外から眺めたら、言葉遊びに見えるのでしょうね。
599 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/05(水) 23:31:50
600 :
けちゃっぷ:2005/10/05(水) 23:46:55
>>599 幸せかと聞かれて、幸せだと答えられることでは?
ただし、「幸せだ」と言った時に、心はいろいろと「ほんとは不幸じゃないか?」という材料を浮かべてきます。執着の強い順に。
それでも、「幸せだ」と答えられるのは、その瞬間はある程度不幸感を制御できていてるからでしょう。
601 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/05(水) 23:53:18
>>600
ここに、書き込んでいると、そのうち知り合いと会いそうで怖いが、昔、自分の会社を倒産させた時に、笑っていられるのは、幸せなんだなって思った。それが正解。
602 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/06(木) 00:52:04
「天に仰ぎ 地に伏して喜ぶべし この度弥陀の本願に会うことを」
だから歓喜一念、信心決定が、幸せになること、人生の一大事。
阿弥陀信仰してなくても幸せを感じて生きてる?それはそう見えるだけじゃないかしら。
ひとたび無常の風吹けば生老病死の現実苦に直面して、幸せなど吹き飛んでしまう。
604 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/06(木) 03:24:26
>>603 一般人にそんなこと言っても共感できる人は何人いるかね?
一般の人の幸せは「衣食住」が安定してることじゃないか?
605 :
一般人:2005/10/06(木) 10:13:43
一般人代表
>>603 キモイ かなりカルトにみえる
606 :
けちゃっぷ:2005/10/06(木) 12:34:38
>>604 衣食住が無常なのに衣食住に執着しているから、
衣食住についての憂いが起こるわけですが。
607 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/06(木) 12:48:08
>606
おまえ、衣食住に追い詰められたことあるか?
というか、その日の食事に困る状態の想像ぐらいしてみろよ。
執著していなくても憂いになってしまうぞ。
608 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/06(木) 15:12:42
>>606 君の思考には変な偏りがあって、
民意を捉える柔軟な想像力を失ってるような気がする。
仏教用語ばかりで現代の我々の生活を捉えていくと、
敬遠される疎ましい坊さんになってしまうんじゃないの?
609 :
けちゃっぷ:2005/10/06(木) 17:22:21
>>607 追い詰められかけたことはあります。
大学の時両親同時に入院しし、学生アパートの家賃を3カ月滞納してました。
奨学金もらってたしバイトもしてたけど、学費も遅れがちになり退学になりかけました。
その後就職してから母は往生しました。
610 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/06(木) 17:40:41
けちゃっぷ君の情熱は認めたい。
611 :
けちゃっぷ:2005/10/06(木) 18:57:04
>>607 僕もその時憂いが起こりましたが、それは自分の執着のせいだと理解していましたので、冷静にいられました。
煩悩のせいだと理解していないと、憂いを他人のせいにしたくなります。
612 :
けちゃっぷ:2005/10/06(木) 19:04:21
他人の苦労を観て「かわいそうだなあ」と思いながらも冷静にいられるなら、
きっと同じように、自分が苦労している時にも「僕ってかわいそうだなぁ」と思いながらも冷静でいられるはずです。
たいていの大人は、注射の時痛くても、お医者さんに「コノヤロー」と怒らず、冷静に「痛いなぁ」と思うだけです。
それを他の場面でもできればいいのです。
613 :
通りすがりです:2005/10/06(木) 23:03:07
588でケチャップさんは『往生論』の梵本を読んだことがないと仰有いましたが
現在の所、『往生論』の梵本は発見されていないのでは?
山口先生の翻訳は蔵本からの訳です。
それから仰有る通り、「回向」と「転変」は、おなじサンスクリット語ですが意味は
「回し向ける」「方向転換する」という もので何をどこに回すのかで意味は全く変わってきます。
フィーバーと興奮は同じだからといって「パチンコ屋で興奮して儲けちゃった」とは言わないように
同じ単語なら同じ内容だとは限りません。
ですから
<回向にはアーラヤ識の種子の転変の意味がないのか、気になります。>
等と気にしてはいけません。
<念仏などの行で形成されたアーラヤ識の種子が、往生極楽という現象に転変するのでは? >
等と考えてしまうと阿弥陀様は輪廻の主体であるというような過ちに陥ってしまいませんか?
また『往生論』を書かれた世親菩薩と『唯識二十論』等を書かれた世親菩薩とは
別の人物であるという見方がかなり古くからなされ定説に」なりつつあるとの
ことですから、もし同一人であったとしても「回向」イコール「転変」と理解するのは
危険だと思いますよ。
また
<世親菩薩は唯識思想なので、あらゆる現象は実体ではなく識が
創りだしている夢みたいなもんだという立場です。>
というのもちょっと違うんでは?
世俗諦と勝義諦はご承知かと思いますが、一応、世俗には世俗の
真実(諦)があるわけですから。
法然上人は我々、凡夫に 到底勝義の真実は無理であるということを
踏まえられて言説の世界有形の世界での真実、世俗の諦としての
救いをお説きになられていると考えては如何でしょうか?
614 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/07(金) 00:00:35
>>611 と冷静に自己観察?したふりしてるおまえさんが煩悩の主体なんだよ。
615 :
けちゃっぷ:2005/10/07(金) 00:27:07
616 :
けちゃっぷ:2005/10/07(金) 00:36:49
>>613 なるほど。
まぁ、雑談として、回向のルーツに興味があります。
617 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/07(金) 00:58:08
けちゃぷは、よく議論しているから日蓮宗にあげる。
618 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/07(金) 00:59:53
浄土宗の戦力外通告?
619 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/07(金) 01:10:41
>>615 とてもすがってるようには見えないけどね。
自分なりの解釈を正当化するために念仏を利用してるだけ。
>>618 戦力になる前に自由契約か(w
620 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@佛所 ◆xd7mxrd9Z6 :2005/10/07(金) 01:16:12
>>617 創価公明板にも書いてくれるので助かりますよ。
621 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/07(金) 01:17:41
622 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/07(金) 01:22:00
>>620 で、それを追っ掛けてあちらからも流入してくるわけだ。
なるほどね。
623 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/07(金) 12:45:38
>>611 何故憂いを他人のせいにするの?
何が起ころと自分の運命でしょう?
自分に起きた不幸を何故他人のせいにしなきゃいけないの?
そんなこと煩悩云々って全然関係ないでしょう?
私は私の不幸を誰かのせいにしたことないよ、
私は両親二人とも中学の入学式の日に事故で死んじゃったけど、
今でも誰かのせいなんて考えたこともなかったよ、
けちゃっぷさんの611 レスはよくわかりません、
625 :
けちゃっぷ:2005/10/07(金) 17:33:39
>>623 仮に、ご両親が亡くなられた時に不幸を感じていたとしたら、
両親が亡くなったという外的要因のせいで不幸になったと思うのも、
他人のせいではないでしょうか。
両親が亡くなったから不幸なんじゃなくて、亡くなったことを悲しむ自分の煩悩のせいで不幸を感じているわけです。
626 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/07(金) 18:12:35
>>625 自殺者に「往生おめでとう」に次ぐ珍説の悪寒。
627 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/07(金) 18:18:48
>>623 事故相手を心の底では少なからず恨んでる。
628 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/07(金) 18:31:14
18才の9月に、両親が自殺しました。
その後も、19歳まで、不幸の連続で
明日にでも死のう、と思っていたときに、今の主人に出会いました。
(今、菩提寺になってるお寺の親戚らしいです。)
20歳で結婚し、21歳の時の、両親の命日と同じ日に、(予定日は全然
違ったのに、娘が生まれました。
子供のはずなのに、小さな頃から、11歳になった今まで、
何かとピンチを救ってくれたり、私がしてる絵の仕事を、
教えたわけでもないのに、コツを覚えて手伝ってくれます。
ある日、もしかして両親の生まれ変わりかも、と思って、
子供の生年月日と名前だけ伝えて霊視してもらったところ、
早くに亡くなった両親が、私を代わりに守ってくれるように、
送り出して生まれたのが、今の娘だといわれました。
そしてもうひとつ、両親は、前世でも心中していて、自分の墓に
入れて貰えなかったのを、夫の先祖であるお寺が、代わりに供養
してくれたのだといいます。
今、主人も「何でそんなに?」と、思うぐらい、私がお寺への
仏事や寄進に熱心なのは、親の代からの、図りきれない恩があるからだと
思います。出会えただけで、そして生まれて来てくれただけで、
夫と子供には感謝して、そして、そういうめぐり合わせをして下さった
仏様に、今心から感謝しています。
629 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/07(金) 23:44:02
>>628
仏様に感謝するのは、いいことです。でも、その仏様は、阿弥陀様であってほしいな。
630 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/08(土) 00:53:38
>>624日本語は読めるけど…やっぱりわかんないですよ、
両親が一度に一瞬でいなくなったら寂しいし悲しいでしょう?
何年かは不幸ってすごく感じるものでしょう?
事故の相手はそれは最初はすごく恨みましたよ、
飲酒の居眠り運転だったらしいし…
でも、それと煩悩って理解できないです。
煩悩云々を知っていたら悲しいとか寂しいとかって感じないってことなの?
それってサイボーグじゃん?
なんかイヤだなー!
631 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/08(土) 01:00:24
他人の痛みの判る僧侶になってほしいな。少なくとも、浄土宗の教師には。
632 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/08(土) 01:10:47
今でも悲しい気持ちも寂しい気持ちも時々襲ってきます。
独りの生活になれたけど…
3年目くらいから落ち着いたけど…今6年…あの頃より随分落ち着いてますが…
今でも時々あの日のあの時のことを思い出してすごく苦しくなります。
それはいけないことなの?
けちゃっぷさんのれすだといけないことのように感じるのだこど…
633 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/08(土) 01:11:48
訂正…だけどです。
634 :
けちゃっぷ:2005/10/08(土) 02:03:59
>>632 いけないことというか、愚かなことなんですよね。仏教的には。
「もともと生もなければ滅もないのに、生死の区別を見、
また、人間の行為それ自体には善もなければ悪もないのに、善悪の対立を見るのが、
人びとの偏見である。」
「人ははからいから、すべてのものに執着する。
富に執着し、財に執着し、名に執着し、命に執着する。」(仏教聖典より)
執着があるから不幸を感じるし、悩み苦しまなければならないのです。
仏教は、執着を断てば不幸も悩みもなくなると教えます。
635 :
けちゃっぷ:2005/10/08(土) 02:10:54
花が散るのも人が散るのも同じことなのに、同じことと思えない愚かさが、苦悩を生むのです。
花を殺すのも人を殺すのも同じことなのに、花を平気で殺せる愚かさが、場合によっては他人を平気で殺せる残虐さにもなるのです。
636 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/08(土) 02:36:41
ケチャプ殿、同じ立場になって、今と同じ意見が言えるなら、君は悟っているか、一番いけない無関心だよ。僧侶も人(凡夫)だからね。
637 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/08(土) 02:46:09
>>632 けちゃっぷの言葉をあまり真に受けないで下さいね。
カレは教科書っぽいことを言ってるまでです。
「今でも悲しい気持ちも寂しい気持ちも時々襲ってきます。」
それは自然のことですよ。
我々、浄土宗僧侶は、君の辛さを感じ取ってあげるべきです。
共に苦しみ共に生かされているのですから。
けちゃっぷは
「仏教は、執着を断てば不幸も悩みもなくなると教えます。」
と言い放ちましたが、
浄土宗を開かれた法然上人は、そういうことが容易にできないのが
我々、ふつうの人間なのだ。
だからこそ、とても慈悲深い阿弥陀仏をお頼りして、
祈りの言葉の念仏「南無阿弥陀仏」と称えていきなさいと
我々にお勧めになりました。(説明不足ですが許して下さい)
悲しい気持ちも寂しい気持ちも時々襲ってくるときは、「阿弥陀様」
というとても優しい慈悲深い仏の実在を信じてお念仏を囁いてください。
638 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/08(土) 02:50:55
>>232 >天部ってのは、元々動物達の精霊が生まれ変わり、生き死にして高い階位
になったものだと、ある天台宗の行者さんが言ってたのを聞いたことある。
その行者って本物???ハッキリ言って間違った認識です。
何故なら人間も動物だからです。貴方の魂が来世も人間で生まれてくる可能性はありません。
犬かもしれないし羊かもしれない。輪廻転生を繰返して”魂”を磨いて行くんですよ。
639 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/08(土) 02:59:10
640 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/08(土) 03:00:30
ありがとうございました、
そうですよね、悲しい寂しいと感じる気持ちは当たり前のことですよね?
良かったー!けちゃっぷさんは時々「かも」と思える時もあるけど…なんだかサイボーグみたいです。
温かみが感じられない、難しい本を相手にしてるみたいです。
けちゃっぷさんを応援してた時もあったけど…
あんなれすを平気でするけちゃっぷさんにムカつきを感じました、
普通の女の子の私にはけちゃっぷさんのれすには共感が持てません、
641 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/08(土) 03:03:04
>>237 >だから神と謂えども釈迦牟尼の説きたもう法を受けて歓喜すると。
普通の魂は7回、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の欲界に生まれ変わるとされます。
汚い物を知って綺麗な物も知る訳ですよ。
642 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/08(土) 03:05:04
失礼>< 638と641はミスレスです><聖天トビへでしたm(_ _)m
643 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/08(土) 03:06:42
突き詰めると、南無阿弥陀仏を唱えるって、なんなんだ?自分への癒しか?祈りか?すべてを含んでいるのか?(これでは答えにならないが。)
644 :
けちゃっぷ:2005/10/08(土) 03:10:54
>>640 お釈迦さまみたいに煩悩をなくすのは凡人には困難ですよね。
ですが、一応仏教の基本は知ってほしかったのです。
僕も執着いっぱい悩みいっぱいの毎日ですよ。だけどお念仏に救われています。
645 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/08(土) 03:12:35
>>637さんのれすをみて安心できました、
ありがとうございました、
けちゃっぷさん、普通の人が不安になるようなカキコは 止めたほうがいいよ、変に悩むからね、
普通悲しい気持ちや寂しい気持ちを乗り越えてそして、その先にあるものを求めるのではないでしょうか、
煩悩云々はそのようなお勉強なさった方にしか通じない感情でしょう、
気持ちをほぐすどころか頑なにしてしまったら阿弥陀仏さえ有り難いと思わなくなってしまいますよ、
646 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/08(土) 03:15:46
>>640 普通の女の子は、浄土宗で修行すると、楽しいよ。伝宗伝戒道場にも、普通のおばさんがいたけど、たのしそうだった。
647 :
けちゃっぷ:2005/10/08(土) 03:20:36
>>640 ちなみに、ムカつきにはかならず自分の欲・執着が潜んでいますよ。
ただし、その欲は、頭が発する欲かもしれないし、身体が発する欲かもしれません。
体調が悪い時もイライラしますからね
イライラは、自分の執着に気付く絶好のチャンスなんですよ。
648 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/08(土) 03:31:12
浄土宗の悪いところは、まず、理屈が多すぎ。それから、日常勤行に偏り過ぎ。僧侶の大切なことって、そうゆうことじゃないんじゃないかね。
649 :
けちゃっぷ:2005/10/08(土) 03:32:07
650 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/08(土) 03:41:50
煩悩が解らないのではありません、
理屈では図り知れない感情があるのが人間です。
私の家は浄土真宗です。
でも真宗宗もいいなあと思ってます。
が、けちゃっぷさんのように理屈攻めにされると素直になれないですよ、
637さんのように言われると 気持ちも軽くなって先のお話しも聴きたくなります。
傷に塩を塗りたくって阿弥陀仏に帰依しなさいと言われても誰もしませんよ、
傷を癒やしてあげなきゃ何も始まりませんよね?
違うかなー?
651 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/08(土) 03:43:26
訂正真宗宗=×
浄土宗〇です。
652 :
けちゃっぷ:2005/10/08(土) 04:10:43
>>650 あなた自身、まだ癒され足りない傷があるとお考えなんでしょうか。気付きませんでした。
傷を傷のままで極楽にもっていってもいいんですよね。ただ、傷は傷だと自分で気付いていることは大切ですよ。
傷がつくにはきっかけがありますが、いったん傷になってしまったら、それは自分の傷です。
ところが、人と肩がぶつかってたまたま古傷に痛みが走った時、自分の傷の痛みなのに、ぶつかった相手のせいで痛いんだとムカついてしまうことがあります。
僕もしょっちゅうあるんですよ。
653 :
けちゃっぷ:2005/10/08(土) 04:14:25
654 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/08(土) 04:38:41
けちゃっぷさんは目の前にいる人の何を見ますか?
きっと表面上しか観察しないんでしょうね、
明るい表情をしてたら明るい人!
暗い表情だと暗い人!
くらいじゃないのかな?
明るい表情に隠された心の奥を引き出してからでなきゃその方を救うなんてできないですよね?
お坊様に必要なものって思慮深さではないのでしょうか?
もっと生の人間を観察してみたらどうですか?
教科書で人は救えないし教科書だけでは阿弥陀仏に帰依なさいませんよ、
正しく導く方がおられないとね?
655 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/08(土) 04:50:55
654は648ではありません
あしからず、まだ18の小娘の浅はかな考えです。
もう少し人の痛みの解る人になってください、
教科書通りの一辺倒なことや回りくどい意味不明の例えも解りずらいです。
中身がなくて表面上だけの言葉にしか感じないし温もりがない、
あなたが優越感に浸ってる言葉にしか感じませんよ、
656 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/08(土) 05:28:12
>>647>>652のれす観てると頭いいんだか単なる間抜けなんだか解らなくなりました、
マジに「殴」りたくなりました!
何故浄土宗なの?
天台宗とか真言宗とか自力本願のほうがあってんじゃないですか?
檀家さんとお話することもないでしょうし、
なんか檀家さんが気の毒になってきましたよ、
けちゃっぷさん応援してたんだけどな…
簡単にメッキが剥げちゃたね!
658 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/08(土) 07:54:56
ケチャップさんの言わんとする事はわかるけどダイレクト過ぎるし、
それに坊さんじゃなく一般未信徒への説教はまわりくどくても順をおって
結論から入らないほうが良いのではないでしょうか。
質問された花さんがかなりご立腹の様子です。
甘ったれた感傷娘にからまれてるけちゃに同情してしまった。
660 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/08(土) 11:20:30
>>659 けちゃっぷさんは今までは好きでした、
私自身が質問したこともないしただロムってたくらいだったし、
彼のここでのれすは誰に向かってのことですか?
私のれすを独り言って言われた方もおられたけど独り言はけちゃっぷさんではないでしょうか?
私のれすをみて怒ってるって感じましたよね?
半分違います。
悲しかったほうが強かったと思う…
けちゃっぷさんにれすしなければ良かったと後悔しています。
661 :
けちゃっぷ:2005/10/08(土) 11:58:16
663 :
けちゃっぷ:2005/10/08(土) 12:11:13
>>656 なぜ浄土宗かというと、煩悩が苦悩の原因であるというお釈迦さまの教えを学べば学ぶほど、
自分の愚かさ、煩悩のしぶとさに気付かされるからです。
自力で聖者になる教えは真理だけれど、今の僕にはとうてい不可能なのです。だからもう、阿弥陀仏の慈悲に委ねるしかないのです。
怒りも悲しみも、煩悩が起こしているのです。いくら他人を殴っても、煩悩をなくさなければまた怒りや悲しみが起こってしまいますからね。
でも怒りや悲しみというのは波のようなもので、時間がたてば通りすぎるものです。
煩悩が悪いのであって、あなたが悪いのではないのですよ。あなたの執着があなたを苦しめ怒らせてるだけなのです。だから、僕はあなたに怒りを感じませんよ。
>>660 あなたの心の傷を、けちゃに舐めて欲しかった、
何か優しい言葉をかけて欲しかった、そういうことですか?
けちゃらしいレスだったと私は思いますよ。
それがあなたの琴線ではなく傷口に触れた。
それは、けちゃの責任だとは思わないけれども、
けちゃはけちゃなりに慣れないフォローに努めてますよ。
その辺の誠意だけでも認めてあげてくださいな。
けちゃっぷにすべて責任を求めるのもどうかと思うよ。
すべては開祖釈迦が始めたことだからね。
釈迦が無執着とか無差別平等の慈悲やらの非人間的な理想を説かなければ、
けちゃっぷが参照するような仏教聖典や教科書が書かれることはなかったんだ。
法然は従来の釈迦仏教を聖道門と呼んで否定し、民衆の感情に立った浄土教を開いた。
荒唐無稽な無量寿経の菩薩道理想主義を、一文不知の民衆にもわかりやすいお念仏に置き換えた。
こうして明確に反釈迦仏教を打ち出されたことは日本大乗仏教の面目躍如ではなかろうか。
けちゃっぷはそこのところどう思う?
666 :
けちゃっぷ:2005/10/08(土) 13:47:09
>>665 阿弥陀仏を紹介してくださったのも釈尊ですから、反釈迦ではありませんよ。
潜在的な民衆のニーズに、法然さんの教えがスパッとはまったんでしょうね。
667 :
花:2005/10/08(土) 17:32:16
>>664けちゃっぷさんに慰めて頂きたかったのではありません!
寂しさや悲しみの気持ちは誰にでもある感情で乗り越えて初めて知ることができるものがあると言いたかっただけです。
花は花なりに考えました、
言葉の大切さを気付かせて頂いたことにけちゃっぷさんには感謝します。
花はけちゃっぷさんを参考にせずに花なりに自分のできることを見つけて行こうと強く感じた今日でした、
貴重な体験をさせてくださった皆様
ありがとうございました、
感謝です。
>>666 もちろん潜在的な民衆のニーズもあったのでしょう。しかし学問のない民衆はもとより釈迦仏教など知るよしもなかった。
むしろ僧侶の間に、非人間的な境地を説く釈迦仏教への憎悪と反発があったんじゃないか。
物質的にも恵まれ相対主義が流行る現代においてさえ
>>634に書いてあるような釈迦の言葉を見れば、その理想論、
実現不可能ぶりには腹立たしさが先立ってしまうことはレスを見ても明らかです。
ましてや衣食住さえままならない昔の人にとっては、何とか釈迦仏教の呪縛から逃れる術はないかという潜在的な
ニーズが、出家僧侶の間であったんじゃないか。法然の浄土教は民衆に広がるよりも先にまず、僧侶に広がったという
のは、そういうニーズにスパッとはまったからだと思う。
669 :
けちゃっぷ:2005/10/08(土) 18:42:17
>>668 今の自分のままで、ブッダの教えを実践するなら、とうてい無理です。
でも、自分自身が修行によって変わってしまえば、自然に身につくのでしょう。
カルシウム不足を解消しただけでもイライラが減るくらいですからね。
根性で骨は強くならないが、牛乳飲めば子供でも骨が強くなります。
それで骨が強くなった人を、カルシウム不足の人が見て、「あんな人間離れした強さを求められても無理だ。ムカつくよ」というのは、おかしいのです。
骨が強いのには理由があるように、修行者に煩悩がないのにも理由がある。牛乳飲んでいない人の基準でいくら考えていても理解できないのです。
670 :
けちゃっぷ:2005/10/08(土) 18:51:26
>>667 寂しさや悲しさを乗り越える方法が、あなたと僕では違ったみたいですね。
まぁ、別に寂しい時は寂しくてもいいし、悲しい時は悲しくてかまわないのですが。
しかし寂しいと辛いし悲しいと辛いのも事実です。ストレス・苦悩の原因になります。
仏教は、苦悩の原因を制御するテクニックなんですよ。
気合いや根性で苦悩をガマンするのではなく、テクニックを使って化学反応のようにパッと苦悩が消えるんですよ(仏教が上手な人は)。
671 :
けちゃっぷ:2005/10/08(土) 19:05:27
>>632 悲しみや寂しさが襲ってくるのが、いけないことなんて、言ってませんよ。
悲しみや寂しさの原因について仏教でどう説いているかを説明しただけです。
あなたは、あなたの悲しみや寂しさを、あなた自身の気持ちであると錯覚しています。
だから、それを否定された自分自身が否定されている・攻撃されていると、勘違いしちゃったのでしょう。
あなたの悲しみは、あなたの心に入ってきて、時間がたてば通り過ぎて去っていく、お客さんです。
僕は、その悪いお客さんがいかにあなたを苦しめているかを言っているのであって、あなたの悪口を言ったわけではありません。
しかしあなたは、そのお客さんを自分の気持ち・自分自身だと勘違いしているから、ムカついたのでしょう。
あなたの感情と、あなた自身は、別物なんですよ。感情にだまされて、その感情が自分自身の本当の気持ちだと、一時的に勘違いしているだけですよ。
悲しみや寂しさが過ぎ去ったあとの、おちついた時のあなた自身を、大切にしてあげてくださいね。
672 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/08(土) 21:41:01
>>670 寂しさや悲しさを乗り越える方法が、あなたと僕では違ったみたいですね
だからけちゃっぷさんの解決方法が正しいとは限らないですよね?
牛乳を飲めば骨が強くなる。それは正解だとは思いますが、
修行をすれば(けちゃっぷさんの言う修行は念仏ですよね?)煩悩が
消えるとは限りませんよね?
けちゃっぷさんも方法が違っていたと認めておられるんですから、
あまり強制的に自分の主張をされているのは、
けちゃっぷさんの内容を読んでいて気持ちがいいもんじゃないですよ。
けちゃっぷさんは自分の主張の言い方で損をされてると思います。
673 :
けちゃっぷ:2005/10/08(土) 21:56:30
>>672 うーん…寂しさや悲しさがについて、それが起こるのは当たり前だという考えに対して、異を唱えたかっただけなんですけどねぇ。
煩悩があるから悲しみが起こる、だから煩悩を反省しながら生きていきましょうって言ってるだけなんですが、こんなに反発されるとは。
674 :
けちゃっぷ:2005/10/08(土) 22:01:30
煩悩が悲しみの原因であるということについて、反対意見のある方、ご意見をお聞かせいただけないでしょうか?
マジで、なんでそんなに反発されるのかがわからなくて…
675 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/08(土) 22:04:51
>>673 煩悩があるから悲しみが起こるとしても、煩悩を反省しながら生きるって
どういうこと?結局は煩悩があるままじゃん。
反省したら煩悩が消えるの?
だから寂しさや悲しさがあって当然なんじゃないの?
寂しさや悲しみを乗り越えるっていうなら理解できるんだが。
>>674 悲しみの原因が何かが問題なのではありません。
ここに悲しみに対処する三つの方便があるとします。
ひとつは、けちゃの「煩悩を反省」という聖道門の方法。
ふたつには「悲しみを悲しみ抜く」という世間のやりかた。
みっつに浄土門の道(ry
どれを選ぶかは悲しみの当人次第だけれども、
ひとつに固執するべきではないというのが私の意見です。
677 :
けちゃっぷ:2005/10/08(土) 23:51:03
>>675 煩悩があって当然でも、それを反省して、少しでも煩悩をなくすよう注意するべきではないでしょうか。
もちろん浄土宗では、煩悩があるままでも念仏すれば往生できますが、
だからといって、煩悩を奨励しているわけではないのです。
たとえば、自分の子供をえこひいきする親に対して、「親だから自分の子供をえこひいきするのは当然」と思うのではなく、
「本来は自分の子供も他人の子供も平等に慈しむべきところだが、煩悩のせいでついつい自分の子供だけ特別にかわいいと思ってしまう。いかんいかん」と、
謙虚になるべきではないでしょうか?
678 :
けちゃっぷ:2005/10/09(日) 00:00:51
>>676 悲しみではなく怒りの場合で考えると、
1)自分の怒りに気付いたらすみやかに怒りを煩悩だと反省する
2)怒るときには怒るべきだといって怒りのきっかけになった他人に怒りをぶちまけ攻撃する
3)自分の怒りに気付いたら念仏する
…ということになるのでしょうか?
2)の場合は、予期せぬトラブルのもとになりかねませんよね。
悲しみに動転していたり、喜びに浮かれていたり、遅刻を恐れて慌てていたりすると、運転をミスして事故になることもあります。
679 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 00:13:48
行 雲 流 水
無 事 是 貴 人
主 人 公
夢
月は青天に在り
水は併に在り
けちゃっぷさんへ、
花
680 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 00:17:29
もう一つ…
春は花
夏ほととぎす
秋は月
冬雪さえてすずしかりけり
681 :
けちゃっぷ:2005/10/09(日) 00:40:05
>>680 その言葉を本当にわかったら、執着はなくなっているのではないでしょうか。
682 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 00:51:22
>>677 謙虚になるのは当たり前です。だれも煩悩を肯定してませんよ。
しかし誰しも煩悩があるのは事実です。悲しんだり苦しんだりするから煩悩に気付くんです。
反省することが煩悩をなくす手段・修行方法なんですか?
法然さんのいう凡夫観も、「私は煩悩を具足してるからしょうがない」という解釈ではなく、
ありのままの自分を見つめた解釈の上に立たれたものであって、だからこそ念仏を勧められたんです。
683 :
けちゃっぷ:2005/10/09(日) 01:14:38
>682 反省するだけでは煩悩はなくせません。戒・定・慧の三学をマスターしなければなりませんよ。
684 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 01:32:01
685 :
けちゃっぷ:2005/10/09(日) 01:36:50
禅には詳しくないので、検討ちがいでしたかねぇ?
“寂しい時には寂しくていいじゃないか、悲しい時には悲しくていいじゃないか”という意味で花さんが書いてくださったんだと思ったもので。
686 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 01:43:36
>>677 煩悩があって当然でも、それを反省して、少しでも煩悩をなくすよう注意するべきではないでしょうか
反省して煩悩をなくすと書かれてますが??
凡夫であれば煩悩はなくなりません。なくせません。
687 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 01:47:53
>>680=あなたは誰 何がしたい人
って意味です。
688 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 01:57:18
>>679 行 雲 流 水
>自由に生きていこう
無 事 是 貴 人
>何もしないでいいですよ、今のままで
主 人 公
>あなたの中にいるもう一人のあなた
夢
>目覚めたら儚く消える夢で勉強
月は青天に在り
水は併に在り
>ありのままの姿が一番大切なスタンス
689 :
けちゃっぷ:2005/10/09(日) 02:34:42
690 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 02:44:05
少しでもなくなるんですか?
さっきから無茶苦茶ですよ。
煩悩は消せないんですか?消せるんですか?
そういう事を言っておられるから批判されるんでしょうね・・・
言葉足らずであるなら、書き込む前に一読してください。
691 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 02:49:11
修行をすれば煩悩が消えるという釈迦の前提じたいが間違っているんじゃないか?
ということに気づいた中国仏教が禅宗となり、日本仏教は浄土教となったんですね。
もともと戒律や瞑想修行して人間の本性をたたき直すという強度に観念的、理想主義的な釈迦の仏教が、
中国では土着の人間くさいタオの教えに換骨奪胎され、春は花、夏ほととぎすという禅になった。
日本では法然が善導に着目して理想主義的な無量寿経を修正、凡夫のままで念仏すればじゃないという浄土教となった。
禅と浄土、うわべは違うけどどちらもあるがままの煩悩を認めてそのまま悟りの世界に入っていくのが特徴ですね。
こういう大乗仏教の流れがあるのに、どうしてけちゃっぷ氏は小乗的な無我説みたいな教えかたをするのか。
それが疑問でなりませんね・
692 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 02:54:07
>>691念仏すればじゃない→念仏すればいいじゃない
そういえば「相田みつお」という人の詩を見たことがある人も多いと思いますが、
専門の仏教用語を使わずとも、禅や浄土の教えをみごとに説いていますね。
>>667さんもまだ見てるかわかりませんけど、2ちゃんねるや仏教聖典など読むよりも
相田みつおさんのような詩の方が、真髄を表していて、心も癒されるかも知れませんよ。
>>691 > 修行をすれば煩悩が消えるという釈迦の前提じたいが間違っているんじゃないか?
> ということに気づいた中国仏教が禅宗となり、日本仏教は浄土教となったんですね。
それはおかしいでしょ。
行によってさとりに到るという仏教の基本は間違っているとはしないでしょ。
禅も行によってこの世でさとることを目的にするし、
浄土教も浄土往生してから行によってさとって仏になる道じゃないですか。
694 :
けちゃっぷ:2005/10/09(日) 08:41:33
>>690 凡人にとって、煩悩を完全に消すのは不可能でも、少しくらいなら消せます。
ムカついた時に、「いかんいかん、いかりは煩悩だ」と気付いて深呼吸でもしてリフレッシュし、いかりをやりすごせたら、それも煩悩を消したことになります。
もし、いかりのままに周囲に八つ当りでもしたら、その時煩悩を消すのに失敗したことになります。
無明(癡)という煩悩は特に消すのが難しいですが、むさぼり・いかり等、比較的気付きやすく消しやすいものは、できる範囲で消すよう努めるべきではないでしょうか?
煩悩即菩提のような煩悩肯定がOKなら、法然さんだってあれほど悩まなかったでしょう。
ブッダのような煩悩を消したニルヴァーナをめざすために、修行しやすい環境である浄土をめざすのです。
ただし、前にも言ったように、自分の感情と自分自身は別です。
自分の中にすでに現われてしまった感情については、風邪にかかったみたいなもんで、受け入れなければならないこともあります。
そして、次からまた風邪をひかないように注意するように、同じ感情に再び襲われないように煩悩に注意すべきです。
695 :
けちゃっぷ:2005/10/09(日) 08:54:29
>>691 うーん…浄土宗が煩悩を認めているとは思いませんよ。
本当は煩悩を完全に消すのが理想ですが、それができずに煩悩まみれのままの人でも、念仏で救われるということです。
煩悩を肯定するわけではないでしょう。
>>694 > 煩悩即菩提のような煩悩肯定がOKなら、法然さんだってあれほど悩まなかったでしょう。
「煩悩即菩提」というのは、単純な煩悩肯定ではないですよ。誤解しています。
大乗仏教の究極的立場ですから、法然上人も基本的にはその立場です。
697 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 09:44:37
この世に煩悩を完全に消せる香具師なんていないと思うんだが。
698 :
けちゃっぷ:2005/10/09(日) 09:56:28
>>697 ブッダや、『仏弟子の告白』『尼僧の告白』にコメントを残しているブッダの弟子達は、解脱していましたよ。
しかし凡人には難しいので、往生するしかないのでしょう。
>>696 凡聖不二の本覚思想で救われるなら、法然さんだって悩む必要なかったのでは?
煩悩があるままでも念仏で幸せになれるけれど、だからといって煩悩を肯定しまうのは、仏教の根本を否定することになります。
699 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 09:57:20
一寸待て、釈尊が煩悩を消したなどと言ったか?
700 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 10:03:30
煩悩を制御するということと消すということでは意味が違う。
煩悩を消したら人間として生存することは不可能じゃないか。
人間が自分の意志で行動するということはそれは欲によるものだ。
その欲は煩悩によって生じる。
その煩悩を消してしまえば、それは機械と同じだ。
釈尊はバラモン教がそのような灰身滅智の状態を目的としたことに
疑問を感じて、中道を悟ったのではないのか?
701 :
けちゃっぷ:2005/10/09(日) 10:19:37
>>699 煩悩を制したということでしょうか?
でも、ニルヴァーナ(涅槃)のことを「煩悩の火が吹き消された状態」っていいません?
702 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 10:23:54
ニルヴァーナという言葉は釈尊の発案じゃないからね。
釈尊が修道に入ったときにはすでに使用されていただろ。
703 :
けちゃっぷ:2005/10/09(日) 10:35:09
>>700 五蘊盛苦ですから、心身はいろんな刺激を投げ付けてきますよね。
でも、頭や肉体が訴えてくるさまざまな情報と、「わたし」とは、別物なわけです。
飼っているペットがお腹をすかしていても、飼い主がお腹をすかしているわけではない。自分の肉体がお腹をすかしていても、「わたし」がお腹をすかしているわけではない。
ペットにエサを与えるように、客観的な気持ちで肉体に食物を与えればいいのです。
それを、肉体の発する食欲を、「わたし自身」の欲だと勘違いしてしまうのが、無明です。
704 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 10:39:32
>>703 それをいってしまえば、マハーデーヴァの五事と同じことになってしまう。
これ以上議論する必要はない。
705 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 10:44:43
あなたは煩悩を消した状態が釈尊の解脱だと言った。
だから私は消すというのは違うと思って反論した。
しかし、
>>703であなたは煩悩を消すことが解脱だとする説を翻して、
あえて煩悩という言葉を使わず無明という言葉を出してきている。
煩悩と無明とは違う概念ですか?
706 :
けちゃっぷ:2005/10/09(日) 10:55:07
無明は、煩悩の一つです。
707 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 11:01:25
ではお尋ねします。
あなたのいう釈尊の解脱とは煩悩が消えた状態なのですか?
無明が消えた状態なのですか?
無明が煩悩の一つというのであれば、
無明がなくなってもそれ以外の煩悩はまだたくさん残っているということになるのですか?
708 :
けちゃっぷ:2005/10/09(日) 11:02:28
無明という煩悩が消えてしまったら人間として生きられないのか?
僕は、そうではないと思うのです。肉体からの刺激を客観的に観て、お腹がすいた時には車にガソリンを補給するように食事をとればよい。
ブッダは、人々に教えを説くために、車(肉体)が廃車になるまで運転しつづけたけれども、車そのものには執着していなかったのではないでしょうか?
709 :
けちゃっぷ:2005/10/09(日) 11:11:05
>>707 無明が消えれば、他の煩悩も消えるかもしれませんね。
怒りや貪りという煩悩が、無明が消えたあとでも存続しえるのかどうか。無明が消えた経験がないのでよくわかりません。
710 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 11:46:51
>>709 かもしれません。て推測で物を言っているのに、いかにも自分の意見が正しいかのように言わないでください。
>>694 >同じ感情に再び襲われないように煩悩に注意すべきです
注意すべきと言っている時点で煩悩は消えてませんよね?
煩悩は消えません。少しでも消えるなんて誰が言ってるの?
711 :
けちゃっぷ:2005/10/09(日) 12:29:48
>>710 たとえばですね、怒りが消えることはないのでしょうか?一度怒ったら怒りっぱなしなのでしょうか?
そうではないと思います。
怒りが起きても、怒りが消える要因を与えてやれば怒りが消えることがありますよね。
あなたの「煩悩が消えない」とは、煩悩が起こってしまう性格が治らないことをおっしゃっているのでしょうか?
僕が言っているのは、個々の煩悩は起こったとしてもその都度消すことができるという意味だったのです。説明不足でしたが。
1日には8億4千の念があるといわれます。
朝怒りの念があり、夜にも怒りの念があり、その間の8億3998念には怒りがなかったとしても、
人は朝の怒りと夜の怒りをつなげて「今日は一日中怒っていたよ」と錯覚してしまうのです。
何が言いたいかというと、
1念1念の煩悩は、因果関係はあるものの、独立した個々のできごとであり、
怒りの念が相続するのを停止することは可能だということです。
怒っても、次の瞬間(あるいは何念か後)に怒りを消すことは、凡夫でもある程度できるのではないですか?
むろんブッダや阿羅漢なら、はじめから怒りの念は起きないでしょうけど。
>>693 修行を重ねることによって悟りを開くというのは漸悟の北宗禅で、滅びましたね。
日本に入ってきたのは南宗系の臨済、曹洞で別にこれは悟りを開くために禅をしているとは言いませんね。
浄土教も悟りを開くために念仏するのではないですね。
修行を死後のお話にすることで、この世で修行して煩悩の炎を余りなく滅するという釈迦の仏教を無化しています。
修行をすれば悟りが開けるという、それじたいおかしいじゃないですか。禅や念仏で煩悩が減じた人がいますか?いませんね。
それは悟りのためにやってるんじゃないから当然です。
インドから伝えられた仏教という考えや修行を何百年とやってきて、何かおかしいと気づいた人たちがいた。
そこでパラダイムの転換が起こり、一つが禅となりもう一つは浄土教となった。
713 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 12:51:34
>>711 「停止」と「消す」では意味合いが違いますよ。
怒りが消えるとおっしゃってますが、それは反省したからでしょ?反省というか理性を働かしたものであり、
ただ怒りが収まったのであって、消えたわけではないんです。
何も煩悩が起こってしまう性格が治らないなんていってません。
しかも「煩悩が起こってしまう性格」てのは何ですか?ますますわかりません。
私が言いたいのは、怒り・悲しみ・貪りなどの感情が起きる。だがそれを鎮めたから消えたっいうんじゃない。
と言いたいのです。
怒りが消える要因ていうのは例えば何ですか?
>>711 そういう努力をすればするほど虚しいじゃないかな。
怒ったり悲しんだり笑ったり憎んだりムカついたり・・、いろいろな感情があるのが自然でしょう。
それをなくそうとするのはかえって良くないのでは?
たとえばこの世からイジメや戦争をなくそうと思っても、なくなりませんね。一つを叩けば、必ずどこかでまた起きる。
いたちごっこの繰り返しです。感情がなくなればこの世は静寂かもしれないが、人生いろいろあった方がいいじゃない。
715 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 13:33:17
けちゃっぷさんは悟りをひらきたいのですか?
悟りたい=欲しい…知りたい、感じたい、これも欲なのでは?
つまりは煩悩でしょう?
716 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 13:42:50
けちゃっぷさん?ここであなたの考えを詳しく語っていらっしゃるけど、
これも知ってもらいたい、教えのよさを理解してもらいたい、ってあなたの思いでしょう?
これも煩悩なのではないですか?
煩悩を抑えられるならば他人と会話も必要ないでしょう?
お寺かお山にこもって修行なさればよろしいのではないでしょうか?
ここにいる誰よりも煩悩の塊のように感じるのは私だけでしょうか?
717 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 13:48:41
私はけちゃっぷさんに質問しました、
>春は花 夏ほととぎす 秋は月
意味
>あなたは誰?何がしたいの?
けちゃっぷさんへの質問です。
718 :
けちゃっぷ:2005/10/09(日) 13:49:49
>>712 『仏弟子の告白―テーラガーター―』より
「わたくしは、幾多の生涯にわたって生存の流れを無益に経めぐって来た、わたくしは幾多の苦しみに悩んだが、その苦しみの集合は、いまや消滅した。」
(メンダシラ長老)
「わたくしの貪欲はすべて捨てられた。わたしの怒りはすべて根絶された。わたしの迷妄はすべて消失した。わたしは清涼となり、平安となっている」
(ラッキタ長老)
719 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 14:01:33
煩悩はあるがままにと言っている私達と
煩悩を消し去りたいと言っているけちゃっぷさんと
どちらがより理解出来ているのでしょうか?
煩悩を理解しているからこそあるがままに生きていけるのではないのでしょうか?
煩悩を消し去ることは生きている限りはできないとどなたかもおっしゃってましたが
私もそう思います。
720 :
豆豆龍 ◆61BCcsUmB2 :2005/10/09(日) 14:02:50
それを言い出したら2ちゃんのこの板そのものが成立しないよ。
まぁ化他行とみるかどうかの主観性の違いもあるし、大乗仏教の教師として
ネット布教に勤しんでいるという事でどうでしょうか。
因みに日蓮宗では煩悩即菩提という言葉があります。
これは教師にとって必要以上の欲はいけませんが、最低限度向上心という欲は
自分を高めるために必要であるという戒めの意味もあります。
721 :
けちゃっぷ:2005/10/09(日) 14:03:09
複数の質問があり、答えにくいのですが、
>>713 怒りが消える要因はたくさんあります。自分で反省すること、相手が謝ってくれること、念仏や仏教が頭に浮かんで消えることもあるでしょう。
名無しで書かれると、あなたの立場がよくわからないので、会話しづらいです。
今僕が煩悩について言っていることは、仏教一般のことであり、僕も含めた末法の凡夫が煩悩を完全に消すのは困難であるという浄土宗の説以前の話です。
しかし凡夫であっても、少しでも怒りや貪りを停止させるよう努めるべきだと考えています。
あなたの「煩悩は消えない」という主張が、凡夫だからという限定での話なのか、仏教そのものの否定なのか、判断しかねているので、会話しにくいです。
722 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 14:07:14
体が食を欲する
体が水を欲する
体が睡眠を欲する
生きている限り器の体も私です。
煩悩も体の一部です。
煩悩も尊いものではないですか?
723 :
けちゃっぷ:2005/10/09(日) 14:08:31
>>714 怒り・恨みを減らせば、その分イジメが減るでしょう。
24時間の中で1分でも怒っている時間を減らせれば、その1分の間にイジメに合うはずだった人が、イジめられずにすみますよね。
724 :
けちゃっぷ:2005/10/09(日) 14:12:41
>>722 体や脳が「あなた自身」なのかという点が、問題だと思います。
体が「おかし食べたい」と主張し、頭が「ダイエット中だからダメ」と主張し、その葛藤で「あなた」が悩むわけですよね。
体も頭も「あなた」とは別のものなんですよ。
725 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 14:15:19
イジメ…果たしてイジメはなくなったほうがよろしいのでしょうか?
絶対平和はないでしょう?
絶対平和になって人口が溢れたらこの地球ではどんなことが起きるでしょうか?
けちゃっぷさん、理想郷は空の上ですよ、
ちなみに先程から煩悩云々言ってるのは花でした、
悪しからず、
726 :
けちゃっぷ:2005/10/09(日) 14:16:50
>>717 質問の意図がよくわかりませんので、何と答えればよいのかわかりません。
727 :
花:2005/10/09(日) 14:19:50
豆龍さま、あなたの言われることは最もだと思っています。
けちゃっぷさんとは違います。
728 :
花:2005/10/09(日) 14:20:57
けちゃっぷさんは何がしたいのですか?
世界平和ですか?
729 :
けちゃっぷ:2005/10/09(日) 14:22:18
>>725 ( ̄□ ̄;)!!人口爆発を防ぐためなら戦争もOKってことですか?
実際にイジメがなくならないからといって、イジメをなくそうとする努力を否定するのはどうなのでしょう?
実際に煩悩がなくならないからといって、煩悩なくす努力を否定するのはどうなのでしょう?
どうやら、そのあたりの考え方が花さんと違うのかもしれませんね。
730 :
花:2005/10/09(日) 14:29:30
私はけちゃっぷさんと共通点を探したいなんて塵程も思っていませんよ!(笑
私は私なりに宗教を知りたいと思っています。
正しいことは一つだけではないと思っていますからね、
煩悩もあるがままです。
煩悩無くして幸せは味わえないでしょう?
けちゃっぷさんとは幸せの意味さえ全く違うと思います。
731 :
けちゃっぷ:2005/10/09(日) 14:30:55
>>715 (ア)人生の苦悩の原因が煩悩です。
その煩悩を消して苦悩を消すのが仏教の最終目標です。
その目標のために教えを学びたいという菩提心は、人生の苦悩を減らす方向に向うものなので、上記(ア)とは異なります。
>>716 2ちゃんねるは、半分娯楽で半分勉強です。
732 :
花:2005/10/09(日) 14:35:22
けちゃっぷさんって…100% 煩悩の塊ですね?
多分、今のあなたはご自分がみえてないのでしょうね?
今生かされていることに感謝なさらないのでしょうね?
一生煩悩と戦っているのでしょうね?
普通に生かされてることの喜びをあなたに感じて頂きたいですね!
733 :
けちゃっぷ:2005/10/09(日) 14:38:51
>>730 何が幸せかについても、意見がちがうようですね。
仏教では、喜びというか快楽は、平安ではないと考えます。
たとえば、恋人との楽しい生活の喜びに心浮かれるあまり、会社のお金を横領して恋人に注ぎ込んでしまうこともありますもんね。
楽しい時も苦しい時も、いつも落ち着いて頭冷静・体平常・心平安でいられるようになるのが、仏教のめざす境地です。
734 :
けちゃっぷ:2005/10/09(日) 14:42:24
>>732 生かされていることへの感謝はあるつもりですが。
そのように「あなたは○○だ」と断言してラベリングするのは、会社の同僚を転落させたりする力もある、心理学的なテクニックです。
使い方によっては恐ろしい力ですので、気をつけたほうがいいですよ。
735 :
花:2005/10/09(日) 14:43:42
苦悩って言う煩悩さえも愛しいですよ、
苦悩を味わえる生かされているからこそでしょう?
怒り、いけないことですか?
どんな感情も愛しいですよ、
>723
戦争もイジメもなくならないよ。これは人間がいる限り必要悪。
一方に善がある以上、他方悪がある。暴力があるから平和慈悲がある。平等があるから差別がある。
関係性で成り立っていて、すべて善なる理想だけというわけにはいかない。どれも必要な要素。
そういうことがなくなりそうになったらむしろ危ない。そのぶん一気に反動が来るかも知れない。
そういうことも全部含めてあるがまま認め受け入れるのが大乗仏教じゃまいか?
737 :
花:2005/10/09(日) 14:50:13
>>734はあなたが使われてますよ、
だからあなたは批判されるんでしょう?
あなたはご自分の足元がしっかりみえていますか?
理想郷だけを求めていませんか?
この世のありのままを認めありのままを見据えていないとあなたの言葉はただの戯れ言です。
教科書だけが師ですか?
正しい言葉も借りた言葉では生かされません、
738 :
けちゃっぷ:2005/10/09(日) 14:53:07
>>732 「あなたって○○ですね」という言い方は、言われた本人はどうしていいかわからないんですよね。
だからどこを改善したらいいのかもわからないし、もし「○○ですね」と言うのがまるっきり嘘であっても、言われた方は気になってしまうものです。
もし他の人がいる前で、陥れたい相手に「あなたはまったく信頼できない人だね」と言ったら、それ事実に関係なく相手を転落させる呪術にもなりかねません。
「あなたは忘れものが多いね」などと具体的に指摘するのなら、相手も改善点が具体的にわかるし、周囲の人も「信頼できない」とまではラベリングしなくてすみますが。
なので花さん、それはあなたの恐ろしい力なので、注意して使っていただきたいです。
739 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 14:57:39
けちゃっぷさんへ
仏教はこうだ、とか釈迦はこう言っている、とかお弟子さんはこうだ、って
それはそれで理解できても、今のこの時代に相応した内容じゃないでしょう?
理想と現実は違うんですよ。
けちゃっぷさんが努力されるのは勝手ですが。
煩悩を抑える努力は必要ですが、消すことは無理です。
私の立場は凡夫である「今私たちが暮らしている時代」に相応した立場です。
740 :
けちゃっぷ:2005/10/09(日) 14:58:06
お話の途中ですが、ちょっと出掛けますので、失礼します。
人あるがままで仏の姿、この世あるがままで法身の仏ということをけちゃっぷも知っているとは思うが。
どうして小乗的考え方にこだわるかな。
742 :
花:2005/10/09(日) 15:03:32
あなたは〇〇ですねはあなたに対しての私の思いです。
全ての方が花のレスにそうだ!とは思っていないでしょう?
あなたと私の考えが違うように他の方とも同じではありませんよ、
たまたま一致することはあるでしょうが?
743 :
花:2005/10/09(日) 15:10:46
>2ちゃんは遊び…云々と言われましたよねー?
それは煩悩ではないの?
言われることが支離滅裂じゃないかな?
理性があるから煩悩剥き出しにはならないでしょう?
お出掛けお気をつけて、
744 :
花:2005/10/09(日) 15:48:41
一々言わなくてもお分かりでしょうが、
ちなみに今日は715から参加してます。
一応ね!
745 :
花:2005/10/09(日) 15:49:31
一々言わなくてもお分かりでしょうが、
ちなみに今日は715(だったかな…)
から参加してます。
一応ね!
746 :
花:2005/10/09(日) 15:54:31
失礼しました、
こちらのスレの方に質問です。
ここはけちゃっぷさんと意見交換のスレなんですか?
747 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 16:01:21
>>721 今僕が煩悩について言っていることは、仏教一般のことであり、僕も含めた末法の凡夫が煩悩を完全に消すのは困難であるという浄土宗の説以前の話です。
なら始めからけちゃっぷさん自身の立場を表明してくださいよ。今頃言われても。だからややこしくなってるんです。
名無しだから話しづらいなんて言い訳じゃないですか。
自分の立場を表明せず他人に立場を言えってのはどうかなぁ。
早く帰ってきてくださいね。けちゃっぷさんがいないと話盛り上がらないんで。
748 :
花:2005/10/09(日) 16:18:12
私の質問は747さんのレスで解りました、
ありがとう♪
失礼しました、
749 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 16:20:18
>>747 名無しと話しにくいっていうのは言い訳なんかじゃないだろ。
名無しはヤバくなれば逃げればいいわけだし、
自演で複数をよそおって攪乱することだってできる。
論争して負けても誰も個人を特定できない。
でも、コテが負けると、そのときのことをずーっと言われ続ける。
名無しとコテとじゃフェアでないのはアタリマエじゃないか。
女の子でもコテつけて正面から議論してるのだから、
君も議論するならフェアにいこうや。情けないぜ。
660 :花 :05/10/09 15:19 ID:g.qm3Qfg
また、けちゃっぷさんと遊んじゃった♪
脳みそ平和なヤツ!
楽しかったよ♪
↑↑↑↑
でもこんなやつなんだぜ 根はいいやつかもしれないが
茎が腐っているから、花は咲かない。。。だから花
751 :
花:2005/10/09(日) 16:29:29
質問します。
けちゃっぷさんって何時の時代の方なのですか?
けちゃっぷさんのレスって人生の苦悩だとか、後ろ向きなレスが多いように思うのですが
何故ですか?
煩悩=苦悩ですか?
752 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 16:34:43
753 :
749:2005/10/09(日) 16:38:25
オレはけちゃっぷ氏と議論してないわけだが?何か問題あるか?
君が「名無しだから話しづらいなんて言い訳じゃないですか」と言ったから言わせてもらっただけだ。
このことに異論があるというなら、きちんとコテを出して君とやりあってもいいぞ。
754 :
花:2005/10/09(日) 17:03:13
>>450を持ちだして来た所をみると…
何人かに絞れますよねー!
コテ出してみな!(笑
やっぱりーって笑ってあげるからさ♪
755 :
花:2005/10/09(日) 17:06:43
あちゃー! 訂正します。750です!
756 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 18:43:15
真宗から浄土宗に移籍するにはどうしたらよいです?
分家で、仏壇には父が入っているだけ?
お寺さん決めて、僧侶に相談し、法名変えて、仏壇の荘厳変えればOKなのかな?
757 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 19:24:40
ネカマの花って香具師が荒らしてるスレはここでつか?
758 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 19:53:10
体が女体を欲する
まこと煩悩は尊し。
このお陰であなたや私の命がある。
けちゃもそう思うでしょ。
女犯もまた菩提なりって言うし。
けちゃは独身なのか?
それで煩悩多いのか?
760 :
南無阿弥陀仏:2005/10/09(日) 21:45:04
あまり荒らすな。けちゃぷがいなくなると、つまらない。
761 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 22:00:50
けちゃっぷは生かさぬように殺さぬようにと本尊が楽しんどるのも浄土宗は業が深い。
762 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 22:44:54
763 :
南無阿弥陀仏:2005/10/09(日) 23:03:25
ええのう若くて。
764 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 23:32:27
けちゃっぷたんは、1976年生まれなんだから今年29歳だろ。
765 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 23:33:05
「料亭行きたい」「議員の給料(歳費)は2500万円」とあっけら発言か
ら、一転して“貝”になってしまった自民党衆院議員、杉村太蔵(26)に
3日、下半身疑惑が浮上した。
地元・札幌市の高校生だったころに知り合った隣の中学の女子生徒を妊娠、
中絶させていたというのだ。
平成11年秋、女性に妊娠を告げられ、杉村は「どうしよう」と父親に泣き
ついた。結局、女性は中絶手術を受け、中絶費用として50万円手渡された
という。
766 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 23:54:44
>>765 だから何だ?中絶反対の動議でも出せってか?
俺だってこの間、嫁から「生理がない」と言われた時はちょっと焦ったぞ。
767 :
南無阿弥陀仏:2005/10/10(月) 00:05:34
世界平和を祈って、もう寝ます。 合掌。
768 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 00:22:18
祈って平和になるなら(ry
769 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 00:30:58
770 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 00:36:22
771 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 00:42:20
>>770 そりゃ、焦るでしょ。どっちの意味かは別にして。
772 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 00:52:00
773 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 00:55:46
>>766 できてしまっては拙いタイミングとかありますからねぇ。
同情申し上げます。
774 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 01:09:16
ちゃんと水子供養すればよしよ
775 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 01:15:46
おいおい…生理がない=赤ちゃんと決まった訳ではなかろう?
焦るな、焦るな、
777 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 01:28:11
778 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 01:39:54
ノ::::::::::::∨::::::::::`ヽ
/:::::::::;;;;;;;;:::;;;;;;;;::::::::::::\
/::::::::::::::| |:::::::::::::::ヽ
./::::::::::::::/ ::::::::::::ヽ:::::::::::::::::)
|::::::::::::/::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ::::::::::::::|
|::::::::::|::::::::::⌒ 、,ノi,ノ´⌒::::::ヽ:::::::::::|
|::::::::/::::::《;・,;》, ) ( '《;・,;》:::::|::::::::::|
|::| |/ 丿 ヽ. ::::::::::|:| |:|
.ii;ヽ| ノ(( .).)`ヽ:::::::::::::ソ;;iii そういう認識なんですか!!!!
>>776 iii;i;;| /::::::::::U:::::::::::::\::::::::/;;;iii
iiiヽ ヽ:::-┬┬┬--:::/:::::/;;iiii
iii;!\ `┴┴┴‐.´:::::::/;;i;ii
'''' \'ii||||||||||||||||ii/''''''
_____\_ll|||||||l(⌒) ビシミンッ
//::::::::|-、 ,-/::::::ノ ~.レ-r┐
/ /:::::::::::| /:::::ノ__ | .| ト、
| /:::::::::::::::| 〈 ̄ `-Lλ_レ′
レ::::::::::::::::::|/::: ̄`ー
>>779 駄目ってことはなかろうよ。仏壇から水子位牌撤去させたり、回向お断りとか故意に飛ばしたりとかの話は聞かない。
全国探したらそういうお寺もあるかも知れんが。
>>780 しかしまぁ、浄土宗の御詠歌の「水子和讃」等をみても、
浄土宗の中でも「水子供養」というのは、
阿弥陀仏信仰とはちょっと違うジャンルに位置づけられてると思う。
>>779 法然上人の教えからは出てこないでしょうね。
まあ、ぽっくり寺の同じことでしょうね。
しかし、霊感商法に加担するのは考えものです。
全国各地に無数にあるお地蔵さま・地蔵信仰は、鎌倉新仏教の阿弥陀信仰より、やや遅れて流行した。
その後、阿弥陀信仰の中に地蔵信仰が取り込まれたんだ。そういう経緯は無視できない。大乗仏教の包容力だね。
浄土宗の使ってる水子和讃がどんなのか知らないけど、結局は阿弥陀仏を拝んで念仏するようにし向けているはずでしょう。
784 :
けちゃっぷ:2005/10/10(月) 14:56:27
>>739 そこで浄土宗なわけですよ。現代の日本では、ブッダの時代のようにはいきません。だから極楽をめざすわけです。
ただ、煩悩があるままでも念仏で往生できるからといっても、煩悩を肯定するわけではないと思うんです。
785 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 15:09:12
>>783勉強不足
地蔵スレをアゲといたから読むべし
>>784何度も言われているように煩悩がなかったら人間生きていけませんよ。
食べる、寝る、セックスする、排泄する。みんな体が欲することで、どうしようもありません。
怒り、悲しみ、笑い、みんな勝手に起こってしまいます。
こういう現象を否定して消そうとするよりは、肯定的にとらえて人生謳歌した方が幸せに過ごせるのでは?
抑圧的・否定的な小乗仏教ではなく、肯定的・包容力のある大乗へ導いてほしいものですが。
>>785 どの点が勉強不足なのか言ってもらわないと。自分の意見も言わないと、何が指摘したいのかわからないね。
その地蔵スレには「水子和讃」は載ってないみたいだし。
788 :
けちゃっぷ:2005/10/10(月) 15:17:26
>>741 うーん…他人をあるがままに許す如来の慈悲については賛同しますが。
本覚思想で満足するのなら、法然さんがあれほど悩む必要はなかったのではないでしょうか?
789 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 15:27:40
790 :
けちゃっぷ:2005/10/10(月) 15:33:04
>>786 怒りが勝手に起こってしまうから、怒りのままに他人を殺してもいいわけではないですよね。
しかし、怒りがあるままで殺すのを辛抱すると、自分の中で行き場のない怒りにストレスがたまってしまいます。
もし、怒りそのものがスッと消えたなら、他人を殺すこともなく、自分にもストレスがないはずです。
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,__ |
>>789追善菩提
/ ./\ \_______________
/ ./( ・ ).\ o〇 ヾ!;;;::iii|//"
/_____/ .(´ー`) ,\ ∧∧ |;;;;::iii|/゙
 ̄|| || || ||. |っ¢..|| ̄ (,, ) ナモナモ |;;;;::iii|
|| || || ||./,,, |ゝ iii~ ⊂ ヾwwwjjrjww!;;;;::iii|jwjjrjww〃
| ̄ ̄ ̄|~~凸( ̄)凸 ( ,,)〜 wjwjjrj从jwwjwjjrj从jr
792 :
けちゃっぷ:2005/10/10(月) 15:38:33
今ケータイで書き込みしてたら、モルモン教の新しく赴任してきた長老(テキサス出身)から、電話がありました。
この長老とは今日初めて話しましたが、前の長老に電話番号を教えていたから。
以前ほぼ毎週モルモンの教会で話聞いてたんですが、ここ1年ほどご無沙汰でした。
それが今ひさびさに電話がきて、明日夕方教会に行くことになりました。
古本入れの段ボール箱から「モルモン書」を引っぱりだしてきました。
たのしみですねー。
793 :
けちゃっぷ:2005/10/10(月) 15:45:11
教会といっても、テナントビルの一室ですが。
初対面の長老には、必ず「あなたはどのような信仰をお持ちですか?」と尋ねられます。さっきの電話でも聞かれました。
仏教ですと答えたら、「わたしは、すべてのシュキョーにはシンリがある、とぉもいます。」と言ってました。
とりあえず明日は、けちゃっぷの基礎仏教講座とモルモン的キリスト教講座との対決ですね。
794 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 15:45:29
>>791自らどんな器量の人間か曝してくれてありがとう
あなたの成長をお祈りします
795 :
けちゃっぷ:2005/10/10(月) 15:48:26
しまったあ。『仏教聖典』の和英対照版の在庫がまったくない。
797 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 15:53:10
>>796 読んできたけど、奈良時代・平安時代から浸透していたようですね。
奈良時代から全国の村々山々にこんなに地蔵がいっぱいあったのか?ちょっと信じられないが。
799 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 16:11:45
奈良末以降平安にかけて説話集の祖型となるような形で普及したのでは?
今、日本で盛んに行われている水子供養は、
亡くなった命に対する供養の気持ちだけではなく、
水子の祟りを恐れて「水子供養」という儀式をし、
それでさっぱりとけじめを付けてしまおうという感じでされている。
昔から行われている素朴な地蔵信仰とは違うようだ。
水子の祟りを言ったり、不特定多数のための水子供養を宣伝したり、
霊感商法まがいの営利行為にだけは走ってほしくない。
801 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 16:16:37
けちゃっぷ師のご意見は如何に?
今週の説教師大会に出られる方はいますか?
804 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 16:28:52
奈良末には山陰から関東に流行していたと聞いています。
そのスレにもそう書いてありますね。
805 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 16:53:42
>>779 OKみたいよ。
近所の浄土宗の寺なんかバンバンやってるし。
檀家が少ないから経済的理由もあるんだろうけど、祈祷の真似事だの、何たら祈願だの、
もうアンタどこの宗派?という感じ。
806 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 16:56:07
けちゃっぷ師のご意見は如何に?
>>805 でも、最後は強引に「南無阿弥陀仏」で締めるんだろう?
どういう教義かいな(w
808 :
けちゃっぷ:2005/10/10(月) 17:08:07
>801 >806 水子供養についてですか?
水子だから云々じゃなくて、亡者への追善・回向は、やっていいと思いますし。
回向をする側についていえば、心に踏ん切りをつけるという意味で、儀式は効果的です。
厳かで儀式らしい儀式のほうが、儀式としての効果は高いと思います。
自分家の仏壇でひとりで手を合わせるのじゃなくて、
住職や家族に集まってもらって「公式に」儀式をしたという、名称と形態を依り代に、
心に踏ん切りをつけるためです。
よく「せめてもの供養に」って耳にします。どこまで行っても「せめてもの」なんですよね。追善って。
でも、「せめてもの」何かをせずにはいられないという気持ちの受け皿として、追善をやるのはいいと思いますよ。
809 :
けちゃっぷ:2005/10/10(月) 17:16:01
寿(いのち)・煖(体温)・識(こころ)が人体から無くなった時に「死」というできごとが成立します。
「寿(いのち)」とは何なのでしょうか?それは、私を生かしめているすべての因縁の総称ではないでしょうか。水も食物も医療も人々も、私を生かすいのちです。
水子との出会いも、過去のできごととして今の私を形成する因縁(いのち)になっているし、
過去の記憶として、今も私を生かす因縁(いのち)として潜在的にはたらいています。
儀式をすることで、その記憶のプログラムを少し書き変える効果はあるはずです。
810 :
南無阿弥陀仏:2005/10/10(月) 21:18:04
けちゃぷ氏の御精進を期待します。
811 :
情報ある方いますか:2005/10/10(月) 21:22:21
律師、少僧都両養成講座が無くなるという情報は、本当でしょうか?
>>811 本当です。
ただし、現段階で修了していない人を対象に、
来年度以降も一期以外は開催されるようです。
813 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 21:39:45
>812
事情通とお見受けします。
来年度受講しようとする人は、どうしたらいいのでしょうか?
814 :
情報ある方いますか:2005/10/10(月) 22:03:51
>>お勧めは、佛教大学の通信課程です。私の時もそうでしたが、
20代から70代まで、様々な人が来ていて、人脈もひろがりますし、
「こんな偉い人だったの」感じの人もいますよ。ただ、レポートと、
各教科の科目最終試験は、結構大変です。
815 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 22:09:36
>814 >20代から70代まで、様々な人が来ていて、
というのは養成講座も同じですよね。
弟子に受けさせるのに、佛大だけは避けたいので、養成講座がなくなるのは困っているんです。
816 :
情報ある方いますか:2005/10/10(月) 22:10:13
>>812 今後は、大正大学と佛教大学だけになるのでしょうか?
それも大変ですね。
817 :
情報ある方いますか:2005/10/10(月) 22:14:44
教師検定試験を、受験してみたらいいですよ。採点はシビアだって聞い
たことがありますが、結構受かるともいいますし。
818 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 22:33:16
819 :
情報ある方いますか:2005/10/10(月) 22:40:18
>>818 理由は諸説あって判らないのですが、選択肢が狭まるので、困る人は多い
でしょうね。
820 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 22:52:11
>818
佛大の学生数確保のためというのはよく聞きます。
仏教学科をなくしてしまって、まともな教師養成はできるのでしょうか。
821 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 23:00:40
>>820 私たちの時も、結構厳しかったよ。小耳に挟んだけど、今年は、半分
くらい落とされたらしいし。ただ、教授の人たちは当然実力ありますね。
822 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 23:03:21
>821
それは入試の話?それとも授業のことですか。
入試でそれだけ落とすことができるのなら安泰ですが。
823 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 23:29:26
授業のテストらしいです。それ落ちると、卒業が一年のびます。
824 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 23:34:47
僧侶の資質が下がっているだけに厳しくするのは当然ですね。
誰でも僧侶になる資格はあっても、それに伴う知識・人格・作法がなければ
落とさないとダメですね。それは跡継ぎでも。
825 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 23:57:12
同感です。我々の時も、風呂場掃除手を抜いて、にらまれていた女子が
いましたね。まず、常識と、『当然のマナー』なんだよって、教えて
あげたいですね。
826 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/11(火) 11:34:10
水子供養と言えば
鎌倉の長谷寺のお地蔵さんが印象的だったな
小さい水子地蔵が沢山並んでるんだけど
それを見ながら目に涙ためてたたずんでる女性がいた。。
いろいろあったんだろうな〜。。なんて想像してしまったね
まあ、関係ない話でスマソ
827 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/11(火) 12:02:12
けちゃっぷさんは本覚思想を否定されてますね
私は仏教に対する見識はあまりないので突っ込んだ話はできませんが
山川草木悉有仏性ってのは結構沁みる言葉だったりします
たとえ話ですが、我々は万有引力の法則の中を生きています
たとえ物理赤点だろうと、ニュートンが生まれる以前の人間だろうと
人間を初め全ての生き物は万有引力の法則の中を生きていたはずです
リンゴの木はニュートンにだけ万有引力の法を説いたのでしょうか?
むしろリンゴがこの世に出現した日から法を説き続けていたはずです
ニュートンが万有引力の法を悟らなくても、我々は万有引力の中を生きていたはずです
となれば、仏法が真理であるならば
悟らなくても我々は仏法の中を生きているはずです
諸行無常を悟らなくても、世の中は諸行無常なわけです
一切皆苦を認めなくても、一切皆苦なわけです
釈尊が真理を「知った」と言わずに「悟った」と言った
悟という言葉、これが非常に重いものだと思います。
私見ですが、往生とは「悟りを捨てて悟りに生きる」ものだと思ってます
物理赤点で万有引力の法則が理解できなくても小便は放物線を描いて落ちる
慣性の法則が理解できなくてもバスが急ブレーキをかければこける
そういう、当たり前のことを当たり前にこなす日常が本覚思想の根本のように思います
我々はみな仏の手のひらで生まれ、手のひらで生き、手のひらで死んでいくものです
誰一人としてそこからはみ出るものはいません。
急ブレーキがかかれば皆こけるのです
「自分は悟っていない」とまるで仏の手のひらから外れた者のように自分を語るのは
一面、「自分は悟った」と慢心するのと同じくらい拙いことだと思います
なお、俺は浄土宗とは無縁な人間ですので、浄土宗の教義から
外れてるとの批判は受け付けません。
828 :
けちゃっぷ:2005/10/11(火) 12:36:01
>>827 仏の智慧で観れば本覚なのかもしれませんが、衆生の側から観てそうとは思えないのではないでしょうか?
実質的には、さとらなければ苦悩が消えないわけで、分別はからいがなくならないと善悪の差別も消えないわけですから。
たとえば、客観的に自然界を観れば、食物連鎖による調和を認めることができます。
しかし、それを我が身にあてはめて考えることは、悟らないと無理です。
人類増えすぎたから地球のバランスのために、抽選で当たった人は死んでください、と言われても、イヤですからね。
それが動物や害虫に対してなら平気で殺せます。
仏になる可能性は否定しませんが、やはり覚らなければ仏じゃないと思います。
煩悩をなくし分別はからいを超越しないと、やはり苦悩はなくならないですからね。
829 :
けちゃっぷ:2005/10/11(火) 12:47:57
他者に対しては悉有仏性・諸法実相で観て、どんな悪人も許すべきだと思います。
しかし、それができるようになるためには自分の煩悩を消す必要があるわけです。
本覚だから凡聖不二で煩悩を消さなくても仏だというなら、苦悩の消滅というブッダの教えがなくなってしまうと思います。
末法の凡夫だから煩悩を消そうとしても消す能力がないというのと、はじめから煩悩を肯定するのとでは、全然意味が違ってしまうでしょうね。
怒りたいときに怒り、泣きたいときに泣く。
煩悩を否定も肯定もしないで、ありのままに生きる。
在家の仏教なんだからそれでいい。
法蔵菩薩の誓願も煩悩でしょ。
煩悩だから誓願が成就するまで仏になれない。
煩悩を転じて菩提となす力は凡夫に無くても阿弥陀にある。
だから他力なんでしょ。
「自力で自分の煩悩を消せると思うなら聖道門へ行きなさい」
と、他人から忠告されても聞く耳はお持ちではないですか?
なんて書きながら、実はけちゃの隠れファンだったりする。
831 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/11(火) 14:35:51
けちゃさんは生き仏になりたいのかあ?
832 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/11(火) 14:37:15
衆生を救いたいとか我が身に無量寿、無量光を得たいの欲求がある限り、悟れないんじゃないかな。
法蔵菩薩はまだ悟っていない可能性ある。極楽は永遠の未来予想図で、本当は衆生とともに修行されているのかも。
>>832 おめでたい意見だけど、そう考えるなら浄土教、根底から否定しなくちゃね。
834 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/11(火) 15:23:26
世界レベルで考えると浄土教が否定されても仏教が否定されなければ、いいですし。
もちろん仏教より浄土教大事という宗派の人は困りますが。
浄土教がどうのこうのと言うより、誓願、煩悩、慈悲と悟りの関係ですな。
悟るためには人を助けたいという慈悲は障害になるのかどうか。
障害になるなら、釈迦が悟ったときはどうだったのか。法蔵等の菩薩はどうなのか。
835 :
けちゃっぷ:2005/10/11(火) 17:49:54
>>830 むしろ逆ではないでしょうか?
煩悩を菩提に転じることができるなら、煩悩がある人も聖道門でやっていけるじゃないですか。
煩悩を消さなければ聖道門では失格だからこそ、浄土門しかないのです。
煩悩があるまま凡夫のままで生死を離れるには、他力にすがるしかないからです。
836 :
けちゃっぷ:2005/10/11(火) 17:52:38
>>832 お経には、法蔵菩薩が成仏して阿弥陀仏に成っていると説かれています。
837 :
けちゃっぷ:2005/10/11(火) 17:56:01
>>830 怒りたい時に怒り、泣きたい時に泣きたい、在家の人は、全員浄土門に入るしかないのです。
煩悩が消せない人は、自力で悟れないのだから、他力にすがるしかありません。
838 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/11(火) 19:04:45
え〜 少僧都養成講座無くなるの?
東大とか早稲田在籍している子弟には酷だ。
卒業してもう一度佛教・大正はキツイ
>>838 少僧都と律師が無くなる代わりに、
新しい養成講座が出来るらしいよ。
今後は、
佛大通学・通信・別科
正大通学
新養成講座
教師検定試験
が、選択肢ってことですな。
>>835 だから、煩悩を菩提に転じることが出来るのは阿弥陀さんだけといってるでしょ。
けちゃは反対に、自力で煩悩を消す努力をしているわけでしょ。
その主張は聖道門の仏教だと誤解されますよ、と言ってるわけ。
凡夫でしかない他人には他力にすがれと説きながら、
けちゃ自身は自力の念仏で行くというのがオレらの不思議。
まあ、それでも応援はしてますよ(w
841 :
けちゃっぷ:2005/10/11(火) 20:33:25
>>840 念仏は、あくまで他力ですよ。
でも日常生活で煩悩のままに行動するわけではないということです。
ムカついたら、ムカついたままに怒りまくっていいのか?僕はそうは思わないわけです。
いつも自分の煩悩には注意しようと心がけるべきではないでしょうか?
ことばを変えるなら、常に懺悔の気持ちを持って生活するよう努めるべきではないでしょうか?
842 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/11(火) 20:57:30
懺悔=煩悩が消える
ですか?
煩悩に注意する=煩悩が消える
ですか?
やっぱり「消す」という表現ではないですよね。
だって消えないんですもん。
843 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/11(火) 21:29:57
>>841 自分の煩悩に注意していても、ムカつけば怒るのが凡夫でしょ?
けちゃが何があっても怒らない人であるなら別ですよ。
ただ、怒るべき時に懺悔の気持ちを持って怒らないのは奴隷根性です。
自分の煩悩に注意して生活するというのは正しい。
それは、正しいというだけのことです。
>念仏は、あくまで他力ですよ。
これは、正しいということ以上のものです。
逆転しているという指摘も届かないかな?
845 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/11(火) 21:34:34
>841 を読むと、けちゃっぷというのは、案外マトモなことを言うものだと感じるのだが、
彼のレスの全体を読むと、絶対に浄土宗からもはずれているし、法然上人の言うこととも違う。
どこがどう違うかは、彼に対する批判はどれもこれもほぼ当たっている。
マトモな言葉であっても、マトモに彼が理解しているわけではない、ということだ。
けちゃっぷ教というのは、色々な人があちらこちらで言ったことを寄せ集めて発言するだけ、
ということのようだね。
846 :
通称 いい人:2005/10/11(火) 21:52:33
それでもいいんだよね。浄土宗は突き詰めると称名念仏なんだから。
847 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/11(火) 22:46:59
今年は、知恩院が加行僧80人程度の受け入れらしいけど、増上寺に入
行したい人いますか。
848 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/11(火) 22:49:36
>839
新養成講座は来年度から始まるんですか?
少僧都と律師の養成講座はやめるんでしょ。そしたらどんな講座になるか教えてください。
>847
80人ね。一時期と比べてえらく減ったみたいだけど、どうしてなんだろ。
>>848 学問と実践が分かれていて、2週間を4期だったかな?
実践2週間(冬)→学問2週間(夏)→実践2週間(冬)→学問2週間(夏)→加行(冬)だったと思う。
ちなみに、知恩院は補修工事で施設に制限があるから、
多くの人は入れないんだってさ。
850 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/11(火) 23:08:09
>>848 せっこう殿(字不詳)等を改修するとか。加行僧の寝泊りする場所が
無いらしいですね。
851 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/11(火) 23:10:37
>849-850
ありがと。
新養成講座では実践の比率がすごく高いんですね。
二週間、法式ばっかりやることになるのでしょうか。
煩悩を菩提に転じることが出来るのは仏さまだけじゃないぞ。
べつにけちゃっぷみたいに煩悩を消せと言うのでもない。
ネガティブに捉えず、積極的に欲求を謳歌するなら悩み煩うこともない。
853 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/11(火) 23:13:23
なんか、全員律師から始まって、条件の整った人から少僧都に上がる
という話を聞きました。
854 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/11(火) 23:19:06
>>851 でも、今考えると、もっと法式やりたかったですね。そちらは、楽し
かったし。加行だって、ほとんど法式(日常勤行)だったし。
855 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/11(火) 23:22:10
>854
う〜ん。朝早くから夕方まで講義を聞いて、それから二時間の法式だったからそう感じるだけかもしれないよ。
>>854 実践ってことは、法式だけじゃないのでは?
年中行事の色んな段取りや実践とか、
お説教の仕方も入っていれば・・・と期待。
857 :
けちゃっぷ:2005/10/11(火) 23:23:25
>>842 懺悔で煩悩が消えるとは言ってませんよ。
煩悩は消すべきであると思っているから、煩悩に気付いた時に懺悔の気持ちが起こるのです。
凡夫には、煩悩を確実に消す決定的な能力が欠けています。でも、だからと言って煩悩を消さなくていいわけではないのです。
どんなに打率が低いバッターでも、仏教徒である限り、バッターボックスに立っていて、煩悩の球がどんどん投げられてくるのです。
仏教徒であるならば、どんなに打率が低くても、投げられた球を打とうという意志は失ってはいけないと思います。
858 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/11(火) 23:32:07
>>856加行の時って、確か法式ばかりだったような気がするのですが。
増上寺の法式教室では、実践もありますよ。お説教は、ありませんが。
859 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/11(火) 23:36:37
>>855私は佛教大学でしたが、養成講座は、一日2時間の法式なんですか
860 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/11(火) 23:40:40
>859
はい。三週間、毎日二時間です。
861 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/12(水) 00:03:07
>>860 意外。もっと多いのかと思ってた。ただ、加行で会った少僧都養成講座
の人が、3年間で、木魚触ったこと無いって言っていたのが判ったよう
なきがします。しかし、我々の時には、律師養成講座の子が、一番出来
ましたね。
862 :
南無阿弥陀仏:2005/10/12(水) 00:40:32
さて、今日も、けちゃぷ君の精進と、世界平和を願って、お休みなさい
863 :
けちゃっぷ:2005/10/12(水) 01:06:00
>>834 何をもって仏教の最低条件とするかですよね。
本覚思想ひとつとっても、浄土宗って、基礎仏教についての立場があいまいというか、はっきり教えていない気がします。
聖道門の中ではどれが正しいのか(妥当な見解なのか)が、わからない。
逆にいえば、念仏さえ信じていれば聖道門に関する見解はどうでもいいのでしょうか?
原始仏典と浄土三部経を学んだだけでも教義が成り立つ気もしますもんね。(それじゃ三部経に出てくる大乗用語が理解できないか)
念仏以外については、本覚だ如来蔵だなどと、ブッダが言っていないことをあれこれ考える必要ないのかもしれませんが。
864 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/12(水) 01:14:19
けちゃっぷ君聖道門に、正しいものがあるのかい?
865 :
けちゃっぷ:2005/10/12(水) 01:21:16
>>864 聖道門が正しくないから浄土門を選ぶわけじゃないですしね。
聖道門は正しいけれど、自分の能力がそれにおいつかないから、泣く泣く浄土門に入るわけです。
>>865 > 聖道門は正しいけれど、自分の能力がそれにおいつかないから、泣く泣く浄土門に入るわけです。
法然上人の教えって、本当にそうなのか?
浄土宗は負け犬の教えかい?
868 :
けちゃっぷ:2005/10/12(水) 01:40:02
>>867 そうですよ。
大原問答でも、法門についての問答では互角だったけれど、機根比べで法然さんが勝ったのです。
つまり、教えの正しさでは聖道門も浄土門も甲乙付け難いけれど、末法の凡夫といいう負け犬に実践可能なのは浄土門だという点で、法然さんが勝ったのです。
869 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/12(水) 01:42:13
>>857 消さなくていいわけではないのはわかってます。
ただ、そうわかっていても次から次へと煩悩がわいてくるんでしょ?
それは煩悩が消えていないからです。
煩悩を消す努力をしても消えないのです。
私が言いたいのは、煩悩が起こっても凡夫だからしょうがない、と言ってるんじゃなくて
反省・懺悔をしても煩悩の根本は消えないと言ってるんです。
反省・懺悔しないのも煩悩。しかし反省・懺悔は煩悩に気付き抑えるだけのこと。
消えてるじゃないと思います。煩悩を消すことができてるのは仏のみ。
だから煩悩を消せない私たちは抑えることに努力しなければなりません。
けちゃっぷさんはなぜ「消える」にこだわるのかが聞きたいです。
870 :
けちゃっぷ:2005/10/12(水) 01:53:01
>>869 「抑える」と言うとヤセ我慢っぽく聞こえるかなぁと思い、「消す」と言ったわけです。
目の前のケーキを観て、ケーキ食べたい信号が頭に灯っている状態のままで、ケーキを食べるのをガマンするのが、「抑える」ではないでしょうか?
ケーキ食べたい信号が灯った時に、たとえばテレビに意識が移ったら、テレビ視てる間ケーキのことを忘れてしまう。食べたい信号も消えている。それが「消える」ではないでしょうか。
それと、仏をめざすなら仏のように煩悩を消すのをめざすわけですし。
871 :
けちゃっぷ:2005/10/12(水) 01:59:56
赤ちゃんが煩悩というオモチャで遊んでいて、オモチャを強く握りしめている。
その状態のまま無理矢理赤ちゃんの手からオモチャを引き離そうとすると、赤ちゃんは泣いてしまいます。
しかし、赤ちゃんの気を上手く別のものに向けさせることができれば、赤ちゃんを泣かさずにオモチャを取り上げることができます。
過食症なんかも、肉体からの食欲信号に代わる別のオモチャを、頭から発信することができれば、食欲を止められる。
しかし、食欲に代わる幸せ信号を頭が用意できないと、
ストレス解消を望む肉体は肉体が知っている数少ない幸せプランの一つである食欲によって、幸せを得ようとしてしまうのです。
872 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/12(水) 02:19:37
>>870 テレビが見たいというのも欲望では?違う欲望に移っただけです。
それでは例えになっていません。
そしてけちゃっぷさんは仏を目指してるんですか?往生せず仏になるんですか?
「抑える」がヤセ我慢であれば、「消す」は嘘つきですよ。
>>871 これも同様。他の欲望に意識が移ったまでです。
ようするに欲望から欲望に移っただけなので、やはり消えてはないですね。
「抑圧」と「すり替え」
そうやってけちゃっぷさんはストレスを溜め込んでるわけか。
で、2chで日頃の鬱憤を発散すると、なるほどね〜。
874 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/12(水) 09:22:22
けちゃっぷよ。
たとえ話で仏教を語るの有效だよ。
けどね、聖典のことばをたとえ話に置き換えたとして、置き換えたたとえ話をもう一度仏教のことばに
置き換えた時、もとの教えと違うものになてしまうなら、そのたとえ話は間違いだよ。
あんたの出すたとえが似非になっているのは、そういう間違いをやっているからなのよ。
教義の現代化とかいって、いいかげんなホラを吹いて回る連中がいるでしょ。
それとおんなじ。
煩悩を消す、抑えるの話もまったく同じ構図だよ。
煩悩は断ちきらなきゃだめ。でも、断ち切ることができないのが凡夫だ。だから阿弥陀仏にすがる。
根比べというのもそこに意味がある。
煩悩の対象を置き換えて、それで煩悩を消したなんていうのは詭弁もいいところ。
消すということばで誤魔化しているんだが、気がつけよ。
煩悩自体は次から次へと湧いてくる。絶対に断ちきられてはいない。
煩悩の対象を置き換えることによって、煩悩をコントロールする、というならまだわかるが、そういうこと、
法然上人は説いてたっけ?この立場はむしろ聖道門(密教)の立場。煩悩をコントロールすることが
できないのが凡夫です。
875 :
けちゃっぷ:2005/10/12(水) 12:26:11
>>872 凡夫に煩悩が消せるなんて思ってないし、この世で仏に成れるとも思っていませんよ。
わかりやすいようにテレビをたとえに使っただけです。
念仏者の場合はケーキから念仏に意識をスイッチすればいいのです。とういうと、自力の念仏だと言う人がいるかもしれませんが。
「ケーキ食べたい食べたい食べたい」を「あ、テレビだ」にスイッチすることが、同じレベルの煩悩だとは思えません。
「あいつ殺したい殺したい殺したい」を「あ、テレビだ」に切り替えれば、怒りは消えます。再び「殺したい」を思い出したら、怒りも再び湧きますが。
テレビを観ている等のできごとと、怒りという煩悩を、接続しなければいいのです。
できごとと怒りが接続しかけたら、別のできごとにスイッチすればいいのです。
けちゃっぷのたとえはかえって分かりにくい。
何度指摘されればわかるのやら。
自分だけがわかっている変なたとえはもうやめようよ。
877 :
けちゃっぷ:2005/10/12(水) 12:53:08
>>874 ええ。煩悩の根本である無明の相続は断ち切れないですね。
でも、怒りや悲しみなど個々の現象は、あくまで個々のできごとです。
相手ピッチャーを消せなくても、1球1球の投球については、打てる時もあるのでは?
まぁ、それを「消す」ではなく「抑える」と言うんだということなら、単に呼び方の違いなので議論する意味はないんですが。
878 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/12(水) 12:56:37
>>875わかりにくいです。
同じレベルの煩悩とかそういう話はしてないです。レベルが違っても煩悩は煩悩です。煩悩に変わりはないのです。
けちゃっぷさんのたとえだと、怒りを抑えるだけが目的のように聞こえます。怒りだけが煩悩じゃないのはわかっておられると思いますが。
>凡夫に煩悩が消せるなんて思ってないし
消せないんでしょ?だから「消す」努力ではなく「抑える」努力じゃないんですか?
たとえ話も「消す」というより、煩悩を切り替えてるだけです。
879 :
けちゃっぷ:2005/10/12(水) 12:56:42
>>876 具体的に言ってるだけなんですが。
端的に言うと、貪りや怒りに気付いたら、念仏に意識をスイッチすれば、貪りや怒りを起こしている脳内分泌物がとまるでしょうってことです。
880 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/12(水) 13:02:25
>>877 呼び方の違いで議論してるんです。
内容が全く変わってきますからね。その呼び方の違いでみなさんから質問されてるんですよ?
開き直りですか?
言葉の重要性・重みを理解してください。
881 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/12(水) 13:03:06
>877
煩悩とは何か、煩悩を断ちきるとはどういうことなのか、分かっていないということを白状してしまいましたね。
例えば、怒りという煩悩を断ちきるというのは、生じてしまった煩悩を消すとか抑えつけるということではないのですよ。
怒りという種類の煩悩が未来永劫生じることがないようにする、二度と働かないようにする、というのが
煩悩を断ち切るということなんです。
現に働く一つ一つの煩悩は一瞬の後にはすでに働きを失っています。
そういう意味ではすでに「消え」てしまっています。
あなたは「消す」ということば(仏教語ではない)を使うことによって煩悩を断ち切るということの意味を曖昧にし、
間違った理解をしてしまっているのです。
>>879 そうか、けちゃっぷは念仏を精神安定剤代わりに服用してるのか!
それで効能書きを書き並べているんだね。
けちゃっぷの「煩悩を断つ」とは、
一時的に煩悩を忘れさえすればいいのだから、念仏でなくても、
癒し系の音楽聴いてもいいし、一心不乱に南無妙法蓮華経をとなえてもいいし、
それこそ安易な「スイッチ」。
法然上人があれだけ苦労して見出した道はそんなものなのか?
釈尊のめざしたさとりとは、そのように一時的に煩悩を忘れられればいいだけなのか?
根本的な救いなどない、安易な一時しのぎ。
脳内物質とかスイッチとか、ばかなたとえはおやめなさいな。
オカルト浄土宗の教祖ですか、けちゃっぷ大明神さま。
886 :
けちゃっぷ:2005/10/12(水) 17:47:51
>>883 逆にうかがいたいのですが、凡夫には一時しのぎがせいいっぱいではないでしょうか?
一時しのぎしかできないから意味がない、だから一時しのぎなんてやめてしまえとおっしゃるのでしょうか?
もちろん念仏は往生のために称えるわけですが、
同時に、怒りと貪りの河に呑み込まれず、六根からの刺激という悪獣からも逃げ切る唯一の道ではないでしょうか?
日常生活の中で、煩悩に気付いたら念仏をする。…これって間違いなのでしょうか?
887 :
けちゃっぷ:2005/10/12(水) 18:00:21
布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六波羅密を考えてみましょう。
凡夫には智慧がありません。なぜなら禅定がないからです。
禅定がないから、精進もありません。精進とは常に目覚めている、無間の禅定が基本でしょうから。
心の拠り所である禅定が凡夫には不可能だから、精進ができないし、智慧もない。
しかし凡夫にも、布施・持戒・忍辱は部分的に可能ではないでしょうか?
では、凡夫は何を心の拠り所にして、布施・持戒・忍辱に挑戦するべきでしょう?
聖者は瞑想(禅定)を拠り所にできますが、凡夫にはそれがない。そこで、念仏を拠り所にするとよいのではないでしょうか?
888 :
けちゃっぷ:2005/10/12(水) 18:52:56
>>881 凡夫の日常生活についてお話しているわけで、凡夫には煩悩を断ち切るのは無理です。
しかし、個々の煩悩が生じる度に消すのは、カンペキには無理でもある程度できるのではないでしょうか、というお話をしているわけです。
ですから、あなたの意見と基本的に変わらないと思いますよ。
889 :
けちゃっぷ:2005/10/12(水) 19:13:56
>>874 あのですね、それでは凡夫は、人を殺したくなったら殺すしかない、殺してもいいということですか?
殺したいという煩悩を消したりコントロールするのは法然さんの教えじゃないから、
往生するまで煩悩のままに殺しつづけろっていう結論なのでしょうか?
「消す」とか「抑える」とかいう言葉の問題より、念仏者が煩悩を否定する発言をしてなぜいけないのかという初めの問題が重要ではないでしょうか?
なぜ煩悩否定発言に、こうも反発されるのでしょうか?
890 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/12(水) 19:24:59
>889
煩悩を否定するのは、あなたを批判している人すべての共通の認識です。
当たり前すぎる大前提。
煩悩を斷ち切ることができない凡夫だからどうしようということなのに、
あなたが臆面も無く、煩悩を消すだなんて言い出すから叩かれているわけだ。
891 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/12(水) 19:27:15
>889
この発言であなたは、重大な誤りを犯している。
「殺す」というのは行為であって、それは煩悩ではない。
「殺したい」という思いは煩悩だろうが、それは「殺す」という行為ではない。
こういうところをごちゃ混ぜにしているから、キメラみたいなけちゃっぷ教になっているのだぞ。
892 :
けちゃっぷ:2005/10/12(水) 20:35:12
>>891 では、実際殺さなくても「殺したい」という煩悩があった時、
「殺したい」という思いを消せないのは凡夫なら仕方ないから、「殺したい」という煩悩を消そうとしてはいけないのですか?
893 :
けちゃっぷ:2005/10/12(水) 20:40:46
>>890 もともとこの話題になったのは、人が死んだのが悲しいのは煩悩のせいだと説明したのが発端です。
「人が死んだのが悲しいのは煩悩のせいである。」
このことに異論はないわけですね?
894 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/12(水) 20:53:19
>892
その言い分はまるで駄々をこねてるガキだな。
煩悩を断ち切ることができればそりゃ一番いい。
そして煩悩は断ち切らなければならない。
だが、凡夫には不可能だ。と、気がつかなければ必死に念仏を申すこともないでしょう。
だからこそ法然上人は機法二種深心の順序にこだわったわけだ。
>893
すでにそういう話ではないよ。これも詭弁論法の一つだな。
895 :
けちゃっぷ:2005/10/12(水) 21:25:19
>>894 煩悩を断ち切ることができないことは前提で言っているのですよ。
憂いの原因は煩悩だ、と仏教徒ならあたりまえのことを言っただけなのに、なぜ同門の方から反発が来たのかが、わからなかったのです。
憂いの原因が自分の煩悩だと自覚することも、いけないのでしょうか?批判している方は、そのような意見に聞こえましたが。
896 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/12(水) 21:33:52
>895
800番代のあなたへの批判をそのように理解しているのなら、
まるで日本語が読めてないということですな。
本スレ第一回からずっとをちしてるが、あなたは言葉を雑に使いすぎる。
人樣には誤解され、いらぬところで咬み付きかみ付かれ、
あなた自身が教えを正確に理解できなくなっている。
他宗教の人にちょっかいをだしているみたいだけれど、あなたにちょっかいを
だされた人はいい迷惑だよ。気がつけばいいけれど。
897 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/12(水) 21:44:24
>895憂いの原因が自分の煩悩だと自覚することも、いけないのでしょうか?
誰がそんな事言ってるの?そんな議論はしていない。
言っている事がころころ変わっているから目をつけられるのだ。
他人の意見を素直に聞けない、けちゃが煩悩の塊のようなもの。
謙虚さがあれば応援したいのだが。
>>893 >「人が死んだのが悲しいのは煩悩のせいである。」
>このことに異論はないわけですね?
人が死んだのが悲しくないのも煩悩のせいなんですよ。
けちゃには難しいかな。
899 :
けちゃっぷ:2005/10/12(水) 22:40:41
900 :
けちゃっぷ:2005/10/12(水) 22:48:32
>>896 なんというか、チマチマと言葉尻をとらえて、もとの議論から話をそらされているように感じてしまうのです。
煩悩を反省したり意識したりすることは聖道門だから、浄土門ではそんなことを考えてはいけないと、名無しさん達の意見を総合するとそのように感じてしまいます。
継続して議論する際には、コテハンにしていただけないでしょうか?「そんな議論はしていない」というのが、わからないのです。
901 :
けちゃっぷ:2005/10/12(水) 22:50:20
902 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/12(水) 22:53:23
けちゃっぷさんは学がありすぎる。
それが他の連中と話が合わない原因だな。
903 :
けちゃっぷ:2005/10/12(水) 22:55:33
>>902 名無しで書けば話が合う気もしますよ。コテハンだから叩かれてるだけかもしれません。
904 :
902:2005/10/12(水) 22:58:08
905 :
煩悩について:2005/10/12(水) 23:08:05
私はずっと煩悩について
>>869など書いてきたものです。
煩悩についてもう一度けちゃっぷさんの立場をお聞かせください。
私の見解は、
煩悩を断つことができればそれに越したことはないが、凡夫には断つことができない。
しかしそれは煩悩を断つことを諦めたわけでなく、煩悩を抑制しながら生きていくということです。
906 :
874:2005/10/12(水) 23:11:38
>899
別人です。
>他人の意見を素直に聞けない、けちゃが煩悩の塊のようなもの。
>謙虚さがあれば応援したいのだが。
これにはまったく同感です。最初のころは応援してたんだよ。
907 :
煩悩について:2005/10/12(水) 23:13:43
>>905 訂正です。
煩悩を断つことができないから、抑制しながら生きていくということです。
908 :
けちゃっぷ:2005/10/12(水) 23:21:02
>>905 コテハンありがとうございます。
僕もあなたと同意見ですよ。
909 :
けちゃっぷ:2005/10/12(水) 23:24:03
>>907 結局抑制しながら生きていくのだから、同じ立場だと思います。
910 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/12(水) 23:31:11
>>906 けちゃっぷのたとえ話があなたにとって説得力がないように、けちゃっぷも納得できない指摘は、聞き入れることができないわけです。
>>901 じゃあ、簡単なたとえ話から(けちゃほど上手じゃないけど)
たとえば、海に落ちておぼれている人がいる、と。
それを見て、「おぼれているのは海に落ちたのが原因だ。
海に落ちないようにすれば、おぼれることもないんだよ」と言って
服を濡らすこともなくスタコラ行ってしまった。そこで、
おぼれている人が、「あなたは血も通わないサイボーグのようだ」と非難した。
何故そのような非難を受けたのかわからない男は、
「正しいことを言っただけなのに」と、ボヤクしかなかった。
自覚できて念仏で制御できる煩悩などたいした煩悩じゃない。
むしろ、気づかない、気づけない煩悩のほうが恐ろしいとは思いませんか?
ちなみに「けちゃ」と呼び捨てにしてるのは大体オレです。
隠れファンですよ。
912 :
けちゃっぷ:2005/10/12(水) 23:35:08
>>906 謙虚さ云々よりも、どうにかしてけちゃっぷにも理解できるように説いていただけないでしょうか?
もしくは、どうすることが「謙虚」な態度なのかを、具体的に説明していただけないでしょうか?
はいわかりましたと言って「けちゃっぷ」が姿を消せばよいという意味なのでしょうか?
913 :
けちゃっぷ:2005/10/12(水) 23:43:11
>>911 おもしろい例えですね。
たしかに、原因を指摘するだけでスタコラ通り過ぎればサイボーグみたいですね。
しかしここは浄土宗スレです。
溺れている時こそ、念仏という浮き輪につかまればいいのだと思います。
そのためには、まず溺れていることに気付く必要があります。
それで、溺れていることを指摘したくなったのです。
煩悩の海に落ちないようにするのは難しいけれど、いつでもどこでもだれでも、念仏すれば浮き輪がパッと現われるのです。
914 :
874:2005/10/12(水) 23:52:08
>912
ボクはわからないぞいと尋ねてくれれば答えるよ。
>891への>892のレスは間違いだ指摘されているのに、同じ間違いで答えているでしょ。
あなたの発言にはこういうのが増えてきてるのよ。
わからないならわからないといえばいいし、そう思わないなら反論すればいいとおもうのよね。
915 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/12(水) 23:55:40
>911
けちゃっぷはあなたのたとえを理解したと思いますか?
けちゃっぷのためになると思いますので、正直に伝えてあげてください。
916 :
けちゃっぷ:2005/10/13(木) 00:00:49
>>914 >891で指摘されたことに応えて、 >892で表現を改めたつもりだったのですが。
変な質問ですが、あなたは小泉首相の答弁が納得できないほうですか?
僕は小泉首相の答弁がけっこう好きなんですが、野党側はその答弁をそのまんまに理解しようとしない場面が多いですよね。
917 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 00:27:27
>916
行為と煩悩をごちゃ混ぜにするのは間違いだよ、と指摘したのに対して煩悩だけに絞った表現に替えただけで、
本来の誤解を訂正したわけではない。
たしかにあなたの答え方は小泉によく似てるわ。相手の発言の意図を理解しようとしない、本質とはかかわりのないことをしゃべって
はぐらかし、相手をうんざりさせるという手法ね。
>>915 すこし搦め手からということで(w
>>913 けちゃのように念仏して浮き輪が現れる人ばかりではないでしょう。
現れない人は、けちゃのように念仏しないからだと非難しますか?
煩悩を克服するために念仏するのは仏教徒として当然である。
煩悩を克服するための念仏をしない人は仏教徒として恥ずかしい。
煩悩によって悲しみにおぼれている人はそれを指摘してやるだけでいい。
これが間違いだという理由がわからない。
上に書いたのが「けちゃ」の自覚されない煩悩です。
と指摘するだけでいいんですね。
919 :
南無阿弥陀仏:2005/10/13(木) 00:41:49
それでは今日も、けちゃっぷ君の精進と、世界平和を願いつつ、お休み
なさい。
920 :
けちゃっぷ:2005/10/13(木) 00:44:13
>>917 表現を変えて質問したことが、訂正したことになるのではないでしょうか?
たしかに、行為とごちゃまぜにした表現を使ったのは不注意でしたが、その話題で話を横道にそらしたくなかったのです。
921 :
けちゃっぷ:2005/10/13(木) 00:49:55
>>917 思っていることを率直に述べているだけなのに、何か裏に別の意味があるんじゃないかと言わんばかりに同じ質問をくりかえされる。
でもはじめからこちらの思っていることは同じなので、同じ返答になる。そしたら「はぐらかしている」ととられてしまう。
煩悩煩悩と言って欲望わを否定するから、かえって溺れてしまう。
ありのままに欲望を認めてリラックスすれば、そのときたゆたう波に浮いている。
生きることを深刻にして自分を惨めにしているのは自分自身だ。
923 :
けちゃっぷ:2005/10/13(木) 01:03:26
>>918 指摘するだけじゃなく、念仏という浮き輪を示しております。
凡夫の思考には念仏と念仏以外があり、念仏以外の思考に溺れて苦しくなったら、念仏に戻ればよいというだけのことです。
念仏自体が浮き輪なのです。ずっと念仏以外の思考でいると苦しくなるので、念仏にもどるように心がければよいのです。
特に、怒り・恨み・苦しみ・憂い等に気付いたら、その度に口に「なむあみだぶつ」を称えればいいのです。
これは例え話ではなく、実際にそのようにするのです。
連続して息を止めていると苦しいですが、頻繁に息つぎをすれば苦しさが少ない(これは比喩です)。
このように、念仏以外の思考が連続する時間ができるだけ短くなるように、念仏以外の思考をできるだけ細切れにするように、頻繁に念仏すればよいのです。
924 :
南無阿弥陀仏:2005/10/13(木) 01:06:58
あ、けちゃっぷ君、気になって調べたんだけど、確かに法然上人は、
聖道門は正しくないって言ってないね。でも、聖道門での成仏は難しいって
と言ってるということは、ほとんど否定じゃあないのかな?
それとも、単に、念仏を勧めたかっただけか?
今度こそ、お休みなさい。
925 :
けちゃっぷ:2005/10/13(木) 01:11:32
>>922 煩悩は思いつめると膨らんでしまいます。
「ぶっ殺したい」を放っておくと「よしぶっ殺すことに決めた」→実際に殺す、となる可能性もあります。
でも、「ぶっ殺したい」の次に念仏を挿入すれば、
念仏が終わったあとは再び「ぶっ殺したい」からやり直しになるので、
次の「よしぶっ殺すことに決めた」の段階まで煩悩が成長するヒマがないのです。
そのうち別の刺激が六根から入ってきて、「ぶっ殺したい」という思考は棚上げされてしまいます。そうしたらしめたものです。
926 :
けちゃっぷ:2005/10/13(木) 01:12:25
おやすみなさい
>>923 うーんとね。おぼれているのは、けちゃ自身のことなんですよ。
自分では気づかないし、気づけもしないでしょ。
だから皆して、けちゃの魔法の浮き輪ではなく本物の浮き輪やロープを投げている。
まあオレのは石かもしれないけど、なるべく小粒にしてるから。
で、けちゃはおぼれているという自覚がないから、浮き輪もロープも受け付けないでしょ。
そこで、また下手くそなたとえ話ですよ。
あるところに煩悩を念仏で克服している行者がおりました、とさ。
そこへ通行人Aが通りがかって言いました。
「そんな小さな乗り物ではだ〜れも乗れないよ」
行者は答えました。
「何言ってんの、みんながオレと同じように煩悩を念仏で克服するようになれば問題ないっしょ」
通行人Aは黙って立ち去りました。
というわけで、スレも残り少なくなった所でオイラも退散です。
実はもうネタがない。
皆さんスレ汚しのままで、ごめんしてね。
928 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 14:21:47
確認させてください、
浄土宗って他力本願だよね?
>>928 違います。
自力も認める立場ですから本当の他力本願というわけではありません。
いわゆる他力本願というのは浄土真宗のことでしょう。
930 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 15:24:43
ありがとうございました、
931 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 19:08:02
950になったら次スレ立ててください。
932 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 21:02:57
誰が?けちゃさんが?
933 :
南無阿弥陀仏:2005/10/13(木) 23:43:51
けちゃっぷ君 今日は、増上寺に行ってきて疲れました。
少し早いけど、今日も、けちゃっぷ君の精進と、世界平和を願って、おやすみ
なさい。
>>927 けちゃが溺れているというのはどうやってわかったの?
他人を溺れていると判断できるその人自身はどういう高みの境地から言ってるのか、小さな乗り物と呼べるのはどれほど学行を究めての上なのか、尋ねたい。
>>934 あやや、こりゃ困ったな。
思わぬ伏兵に汗顔の行ったり来たりです。
けちゃの主張は間違っていない。
なのに何故「サイボーグ」と呼ばれたり、みんなから非難されされなければならないのか?
けちゃにはその謎が解けない。念仏しても解けない。
よくわからんが、そういうのを仏教では無明と呼ぶのかな。
オレは学が無いんで「おぼれている」と感じた。
そんだけのことですよ。
あなたも煩悩を克服するために念仏されておられるのかな?
高みから言ってるように聞こえたなら謝るしかありません。
ほんとに、ごめんなさいね。
>>935 私に謝っても仕方ないね。
自分の煩悩には気付けないと言う人が他人の無明はズバリ指摘できる、という構造はどんなものか聞きたかったんだが。
みんなが非難するから、その人は無明?「みんな」って誰?議論は一対一だ。「みんな」とやらを背景に威圧のするなよと言いたい。
937 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/14(金) 08:18:36
>>936 あなたも十分高圧的・上からものを言っておられますよ。
938 :
けちゃっぷ:2005/10/14(金) 08:18:46
実際に僕は煩悩に溺れています。
>>936 そのとおりですね。
なるほど威圧しているように見えましたか。
誰にも気づけない煩悩というものがあって、
そいつは制御できる煩悩よりも始末に負えない。
それだけのことを言いたかったんですが、これも煩悩ですね(w
以後、発言はひかえることにしますね。
>>938 けちゃのそういうとこが、オレは好きだよ。
940 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/14(金) 08:40:04
けちゃっぷあってのこのスレだ。
>>940 浄土宗がどの程度のものかよくわかるよ。
942 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/14(金) 11:07:50
細木数子「六星占術」の脅威。
900萬部も本が売れてるんだって。
「念仏の功徳」に耳傾けてくれる日本人って
どれだけいるだろう?
そもそも、人生について「念仏」は何を語ってくれるんだろう?
943 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/14(金) 11:15:57
層化も真宗もイラネ
944 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/14(金) 11:25:22
細木数子「六星占術は人生の羅針盤」
中村猊下「念仏は人生の金剛の杖」
さぁ、どっちをとる?
意地張らずにどっちもとって安泰の道を歩むのがいいか?
細木数子、「念仏」を馬鹿にしてたなぁ〜。
>>944 二冊とも、あってもなくても変わりが無いが、
どちらかといえば無いほうが増し、というような本だね。
946 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/14(金) 11:56:10
>>945 まだ、若いのぉ〜。
人生の辛酸を味わって年食うと身にしみるんじゃ。
道元禅師や日蓮聖人も念仏を馬鹿にしてたんだ。いまさら細木何某に言われたところで何程のものでも。
948 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/14(金) 14:25:30
949 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/14(金) 14:32:51
>>941 ばっかじゃねえの!
2チャン 内けちゃさんで浄土宗を知った気になっちゃって(藁
マジに恥ずいですよー!
951 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/14(金) 16:59:20
結論:この世に宗教なんか要らない。
952 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/14(金) 17:42:52
>>944 占いなんて、当たるかどうかなんて、判らないでしょう。
念仏って、何百年も支持されているのは、力があるからなんですよ。
占いは、占い師の収入になるだけ。占い師も、名前が売れてくると度胸
がついてきて、物をいい切ります。
953 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/14(金) 17:50:05
痴漢で逮捕されてはいけません。
954 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/14(金) 17:51:38
占いも一つの信仰みたいなもんですね。
ようするに占いを自身が信じるか信じないかが問題。
占いが当たる・当たらないも自身の解釈次第。
955 :
けちゃっぷ:2005/10/14(金) 18:20:43
暗示効果もありますよね。ピグマリオン効果とかいうやつ。
実験で、教育学者風の人がある学校を訪れ授業を見て、クラスの教師に、
「あの生徒は、努力すれば必ず成績が伸びるはずだ」と、A君の才能をほのめかした。
そしたら数か月後、本当にA君の成績が伸びたそうです。
それは、学者(権威ある人)の言葉を信じた担任教師が、無意識のうちにA君をえこひいきして指導していたからです。
ふつうなら叱って終わるところでも、教師の頭に「この子はやればできる」とインプットされていたために、
無意識のうちにA君だけは根気強く指導していたのです。
956 :
名無しさん@京都板じゃないよ:
けちゃっぷ君、日本の占い師って、結局は商売になってしまうんだよ。
その中の、うまく売れた人が有名になっていく、そんな感じだな。