浄土系のお坊様に質問です…  Part.3☆

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1名無しさん@京都板じゃないよ
浄土系のお坊さんに日頃「何故?」と思っていることを質問し、仲良く議論していく
スレッドの第3弾です。

●過去ログ●
   浄土系のお坊様に質問です・・・
http://travel.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1000392884/
浄土系のお坊様に質問です…  part2☆
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1048632850/
2名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 18:15:06
●関連スレ●
浄土宗・称名念仏第四回
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1122705630/
【伊勢一身田】真宗高田派【下野高田】
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1076867038/
西本願寺スレッド 二帖目
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1108806221/
真宗大谷派(真宗本廟)・東本願寺総合スレッド 11
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1121337011/
   阿弥陀如来信仰  
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1075795050/
【南無阿弥陀仏】 浄土三部経 【西方極楽浄土】
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1097665411/
3名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 18:15:16
         ∬  。。。。。  ∬      _______
        。。 ・・      。。     │2ゲッと    l
     o0o゚゚     /■ヽ   ゚゚oo ,,、   ̄ ̄ ̄‖ ̄ ̄ ̄
    。oO ( (( 、__(・-・*) )) )  O0o     ``""
   (~~)ヽ        ::.:::.:     (´^ヽ
  (⌒ヽ             (⌒)(゙゙゙)~
   /~゙゙ヾ⌒`ゝ-(~´`(⌒(⌒~ヽ~ ~
   ゝー ′ '"      ``"
4名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 18:30:12
  ママ〜 4げっと狙うよ〜
 \__  ______
      ∨    ∧_∧
           " ,  、 ミ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
            ゝ∀ く  < いい子ね、がんばりなさい。。。
           ∧_∧  |   \_____
        三  (    とノ
      三   /   つ |
     三  _ ( _  /|  |
        (_ソ(_ソ(_ )

               / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       ∧_∧   < 4ゲットォォォォォ
      " ,  、 ミ    \_______
       ゝ∀ く           (´´
      ( つ  つ       (´⌒(´
     / /〉 〉≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
    (__)(__) (´⌒(´⌒;;
      ズザーーーーーッ

 4げ!?・・・ママ。。。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄       (´´
     ∧∧   )      (´⌒(´
  ⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
        ̄ ̄  (´⌒(´⌒;;
5名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 02:30:33
age
6前スレまでの流れ:2005/08/07(日) 14:42:38
浄土教は、我々凡夫の魂が阿弥陀仏の救いによって極楽に往生できることを伝える教えです。
平たく簡潔に言えば、あの世と霊魂の救済の教えです。
浄土教の目的は逝前念仏して死後に魂が救われることだよ。

別時念仏一日3時間、3年間続けてみなさい。
ほぼ、やったよ。
念仏信仰は正に霊性、感性の世界であることを体感した。
7名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 14:45:27
・妄想と真実との区別はついているのかな?
一度、自分の言動を洗いなおしてみることをおすすめします。

・( ´,_ゝ`)プッ 何を寝惚けたことを言ってるのやら(w

・あんたのそういう発言は法然上人の念仏の勧めと真向から対立するものだということに気がつかんのかね。

・ああいうのは一人で狂ってしまうのはどうしようもないが、他人を巻きこんでしまうから害毒なのだ。

→キチガイ認定

8名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 14:48:29
仏道修行の危険性について。特に行中に見仏体験や霊体験などをした場合。
9名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 16:44:55

   ___ ナモアミダブツ  新スレです
  / || ̄ ̄|| ∧∧     楽しく使ってね
  |  ||__|| (´・ω・`)   仲良く使ってね
  | ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/  
  |    | ( ./     /
10けちゃっぷ:2005/08/07(日) 18:00:44
>>6 どういう体感をされたのか、お教えください。
往生は当然死んだあとですよね。
ただし、往生を信じれば生きてるうちから心が平安になり、幸せに暮らせます。ですから念仏の救いは生きてるうちからあります。
11名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 18:53:48
>>6
おいおい、霊魂は無いと前スレでは言っていたじゃないか。
またダブルスタンダードで訳判らんこと言うのか?
12名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/09(火) 17:32:20
>>11
>6 は、前スレと関係なしに、勝手なこと言ってます。

仏教は、実体的な霊魂というものを認めない。
これが、日本のほとんどの宗派のスタンダードです。
13名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/09(火) 21:59:19
>>12
いつの間にか前スレのやり取りが「なかったこと」にされてますね。
14名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/09(火) 23:18:04
>>12
>仏教は、実体的な霊魂というものを認めない。
実体的な霊魂と実体的でない霊魂とはどういうものですか。
僧侶が都合の良い時だけ使い分けしてるようにしか見えませんが???
15名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/09(火) 23:19:06
葬式で食ってるんだもん
16名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 00:06:52
>>14
生まれ変わったり輪廻転生したり、お盆にこの世に帰ってきたり戻ったり、
人に祟ったりするような、永遠に変化しない実体的な霊魂は認めていない。
17名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 00:20:25
>>16 お盆に帰ってきたと思う遺族がいるかぎり、霊は消えない。霊のことを思い出す時だけは、霊が生じる。実体でないから無いというわけでもない。
18名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 00:21:37
>>16
極楽浄土に生まれ変わるというのは大嘘だったのですね。

16の説明では釈迦如来が否定した「断見論」と同じように見受けられますが
どこがどう違うのですか?
19名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 00:25:41
こくごの教科書に「スイミー」という話があった。小魚のスイミー率いる魚の群れが、編隊を組んで大きな魚の形に並び、敵はデカイ魚キターと思ってビビル。
霊をそのデカイ魚だとすると、スイミー達1匹1匹の小魚は人の心。人の心が集まって霊ができあがる。実体はなくても無いわけではない。
20名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 00:39:59
霊とは情報。情報は、エネルギーや物質を媒介にして存在するが、エネルギーそのものや物質そのものではない。
電話線を伝わる電気エネルギーには大型車を走らせるほどの力は無いが、電話という媒介を使って消防署に「情報」を流せば、消防車を猛スピードで出動させる力を生む。
しかし、電話線にそのような大きなエネルギーを探しても発見できない。情報には実体がないが、存在が無いわけではない。
21名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 00:46:24
>>20
そのたとえはおかしい、テスターで測れば電話線は48V掛かっている。
またスペアナグラフで見れば電子の流れを信号の変化として見ることが出来る。
電子は実体の無い存在ではありません。

違うたとえ話を考えて出直してきてください。
それに極楽浄土に生まれ変わるのは嘘だということの釈明にはならないですよ。
22名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 00:46:43
スイミーの話も、魚の群れが成すの形が変わっても、群れが持つエネルギーに差異はない。しかし、群れが大きな魚の形に並んだ瞬間に、外敵を退散させる「力」を生む。
この力が情報の力であり、言い換えると霊力である。
単なる石の塊には力はないが、お墓という形をとって情報をまとった瞬間に、人の心を癒す霊力が宿る。
23名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 00:50:39
>>21 電子の流れは情報を伝える媒介であって、情報そのものではない。
電話で「愛してるよ」と言うのも「火事です」というのも、エネルギー自体に大差はない。でも、「火事です」という情報には、人や車を動かす力がある。
24名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 00:59:58
>>21 「亡くなったおじいちゃんはきっと極楽に往生したよ」「うん、そうにちがいないね。」
この会話の中に、おじいちゃんの霊(情報)は存在する。声が作る空気の振動のエネルギー自体がおじいちゃんの霊ではないけれど。
25名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 01:37:20
亡くなったおじいちゃんは浄土に往生して仏になる。
しかし、おじいちゃんの霊魂といった実体的存在が遙か彼方の浄土へ移動するのではない。
我々のこの世界の概念ではものごとを実体的にとらえてしまうが、
そういったわれわれの思議を超えた世界が阿弥陀仏の浄土。
26名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 01:53:23
頭のいかれた、宗教オタクばかりだな
霊魂どこにあるのよ、見たヤツがいるのかよ馬鹿丸だし
だな。 信用しちゃダメだよ
27名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 03:44:32
↑ 即物的な考えしか持たない、頭空っぽで薄っぺらな人は
  ここへは来ないで下さい。
  質問に対する答えをわざわざ書き込んで下さっているのに
  聞く耳持たずですか?
  あなたみたいな、親も祖先も敬わず、子供も大事にしない
  自分本位でしか世の中を見ることができない人達が、やがては
  この国はおろか、世界を駄目にしていくんですよ。
  
28名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 06:24:15
>>26 霊魂は見えないんだよ。人の心が観るものだから。
29名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 09:43:47
一度くらいカントの実践形而上学を読んでみなはれ。。
30名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 12:29:27
>>27
見たいのがいるから、カルト宗教がつけこんでくるんだな
31名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 12:53:39
霊魂とか霊力とか考えずに、ひとえに
故人の供養のため、ただ南無と合掌する
それ以上でも以下でもない。
32名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 13:10:35
>>31 仏教を宗教というより思想・哲学として、教養のひとつとして楽しんでいる人もいますからね。
33名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/10(水) 21:03:37
>>32

逆にいうと、人間への深い思想・哲学的洞察のない宗教を、
商売道具のひとつぐらいに考えているお坊もいるわけかい?
34名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/16(火) 12:32:04
>>33 商売道具ではなく、人生の問題を解決する方法。
35名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/16(火) 15:29:38
英霊とか軍神とか、靖国神社問題とか
最近のイラン系の自爆テロリストの来世観について、
浄土系の公式見解はどうなってるのでしょう?
36名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/16(火) 17:40:43
そもそも、公式見解って必要なのかな?
37名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/16(火) 21:24:18
>>36

一般的な祭祀の上で霊魂を論じるよりも、
今の日本人の人生を左右すると思いますよ。


38名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/16(火) 21:39:21
>35,37
浄土教系各宗で公式見解が出せるところはどこもないぞ。
39名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/16(火) 22:26:36
>>38
イスラムなど他宗教の来世観に公式見解を出すわけはないが、
靖国神社に関しては、公式な反対声明を浄土真宗は出していたんじゃなかったか。
40名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/16(火) 22:49:40
>39
まったく以て政治的な見解。真宗義とはまったく無縁の見解であり、
あれを宗派の公式見解とするなんて、どうかしている。
41名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/16(火) 23:48:58
>>40
真宗教団連合の靖国神社に対する公式見解

靖国神社は、明治以来、国家神道体制のもと戦争を正当化し、
国家に尽くして戦った戦没者を英霊として祀り、
国家が国民に対する戦争責任を回避するための政治的な機能を果たしてきている
特異な一宗教施設であります。

西や東の各宗務総長の署名のある宗派の公式見解。
真宗義から見ても、靖国神社や霊魂を肯定するものは出ない。
42名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 01:31:52
首相が靖国参拝しても念仏者は念仏できるわけだから、何の問題もない。
43名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 01:50:23
死が急速に恐くなりました。恐くて恐くてなりません。
44待乳山:2005/08/17(水) 01:59:20
阿弥陀経から下に引用すますた。
舍利弗.若有善男子.善女人.聞説阿彌陀佛.執持名號.
若一日.若二日.若三日.若四日.
若五日.若六日.若七日.一心不亂.其人臨命終時.阿彌陀佛.
與諸聖衆.現在其前.是人終時.心不顛倒.
即得往生.阿彌陀佛.極樂國土.舍利弗.
我見是利.故説此言.若有衆生.聞是説者.
應當發願.生彼國土.
一心不亂に七日間、称名することで五重相伝が
成立されておられるのかや。
45名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 06:55:01
>>43 何かあったのでしょうか?
46名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 08:36:09
全てのスレで同じこと書き込まれてます。
試されているのでは?
なんと答えてあげるの?
47名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 12:57:53
>>43 仕方が無い。

遠離一切 顛倒夢想 究竟涅槃 南無阿弥陀仏
48名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 18:49:00
それでは無学な庶民には通じぬぞ。
仏の教えには何とある。心して教えよ。
49名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 19:19:09
>>45
>>43です。有難うございます。
50名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 21:34:04
>>48
『無学な庶民』とは失礼な言い草。
衆生への『施無畏』は仏教者の務め。
『死』は、『壽』が名字に過ぎないのと同様、名字でしかない。
51待乳山:2005/08/17(水) 22:28:04
浄土宗では、五重相伝はされないのですか。
大変だろうけど伝統は続けたほうがいいかと思いますが。
法然さんも応援されていますが。
52待乳山:2005/08/17(水) 22:30:01
浄土系のお坊様はここにはおられないのでは。
53待乳山:2005/08/17(水) 22:31:45
>>47
なるほど、うまいこと言う!
54待乳山:2005/08/17(水) 22:35:10
あむりた、と、あみりた、の合体真言。すげっ。
55待乳山:2005/08/17(水) 22:37:27
お邪魔すますた。
56名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 23:07:52
>>51
五重相伝の奉修継続は、お寺によります。
5年ごとにやってるところもあれば、
当山のように約15年に一度というところもありますし、
20年以上やってないところもあります。
お寺の設備と組寺や法類のお坊さん
それから炊事全般の協力次第なんですよね。
57名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 23:15:24
やっとまともな仏教スレになりもうしたな… 親鸞さんもお喜びじゃな。
58名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/17(水) 23:21:34
わしゃ知んらん
59名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/18(木) 00:10:44
おお、こりゃ失礼仕った。法然さんでごわしたな。失敬失敬。許されよ。
60待乳山:2005/08/18(木) 06:53:28
>>56
そうこなくっちゃ、元気出してくだされ。
そうですか、それりゃ一番難儀なのが檀家の意向。
五重相伝やっておられる。頑張ってくだされ。
夏に子供呼び寄せて『おてつぎ』とは、でもちっとは
大人の『おてつぎ』版延長かな。
事情が良くわかりましたありがとう。
61待乳山:2005/08/18(木) 06:57:42
>>58
わしゃ知んらん
は実は、わしはしんらん、と申されていないかや。
話の腰もんでごめりんこ。つまんなかった?
62名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/18(木) 12:49:45
>>61 尾も白いです。ははは・・・ふう…
63名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 22:38:50
ツマンネ
64名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/01(木) 23:09:03
>>57
と思ったら一気に廃れたな(w
65名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/03(土) 22:26:08
>>64
捨て置かれている様子ですね。
関連スレは栄えているのに・・・・・
66名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/04(日) 15:59:22
しつもんしよう
67名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/04(日) 22:37:17
質問ないです・・・
68名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/06(火) 03:46:25
>>26さんには
是非、風の「音」というものが、
視覚で捉えられるものか聞いてみたいものです、

確か、あなたの理論では、視覚で捉えられないものは、
全て、この世に存在しないことになるんですよね。

馬鹿丸出しなのくだらないレスは>>26さんの方ではないでしょうか。
69名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/06(火) 03:48:08
>>68 訂正

>>26さんには
是非、風の「音」というものが、
視覚で捉えられるものか聞いてみたいものです、

確か、あなたの理論では、視覚で捉えられないものは、
全て、この世に存在しないことになるんですよね。

馬鹿丸出しのくだらないレスは>>26さんの方ではないでしょうか。

70名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/06(火) 12:26:27
無記で良い。
71待乳山:2005/09/06(火) 12:34:58
音を観る方もおられますが、どういたしやしょう、
しかも、その方の頭には阿弥陀如来さんもおられますが。
お茶出してか香炉炊いて、帰ってもらいやしょうか。
本尊も抜けの殻になりやすが。
72転載:2005/09/06(火) 12:36:15
【門徒】どうして真宗ってダメなの?【物知らず】U
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1121403126/
より転載。
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1121403126/546-553

546 :名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/05(月) 23:41:37
真宗って、浄土宗のこと意識もしないし、敵ともライバルとも思ってない。
しかし、浄土宗は「浄土真宗」という宗派名が気にくわないし、
法然より親鸞が人気があって評価が高いのが気にくわない。
そういう「ひがみ」はよく聞くし、そういう本も出ている。
ここで定期的に「本物の浄土宗へ」って書き込むのを見ていると、
あ、またやってると思うし、このスレの主は浄土宗かなって思う。


547 :名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/06(火) 00:03:21
>>546
浄土宗のせいにしたい真宗禿の工作、という構図を仕立て上げたい人がいるんでしょ?w
73転載:2005/09/06(火) 12:37:21

548 :名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/06(火) 05:22:37
>>546
>法然より親鸞が人気があって評価が高いのが気にくわない。
え?


549 :名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/06(火) 09:06:43
>>546
負け惜しみにしか聞こえない


550 :名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/06(火) 10:09:32
>>549
勝つとか負けるとか、そんな意識はないね。
例えば本屋に行ってごらんよ、
親鸞関係の本と法然関係の本の比は、5:1か、6:1くらい。
親鸞の本は、宗派関係でない思想家や哲学者などの本も多い。
74転載:2005/09/06(火) 12:38:32

551 :名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/06(火) 10:16:23
>>548
浄土宗の学者には、どうも隠された真宗コンプレックスがあるようだ。
前に仏教大学で「法然と親鸞」というシンポジウム開いて、
人集めの看板に使いながら、招いた真宗学者に真宗批判をやっていた。
何だ、こういうことがやりたかったのか・・・と、哀しくなった。


552 :名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/06(火) 11:02:18
>>550
本の数が多い方が偉いのかw


553 :名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/06(火) 12:07:08
浄土宗と浄土真宗って仲が悪いの?
親鸞は別に新しい宗派を起こそうと考えていたわけでもなく、
法然の弟子の一人として振舞っていたし、自分のことをそう考えていたと思うが…。
言ってみればもともと浄土宗の一派のようなものでしょ?
75名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/06(火) 13:11:54
>>74
天台宗の異端児、そして天台宗からの独立、というのが業界的なコンセンサス。
76名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/06(火) 13:14:41
親鸞を研究する学者や真宗の教学者の中には、親鸞の教説によって初めて法然の「称名念仏」の
真意が明らかになったという見方をする人がいる。
しかし、これは法然の「称名念仏」を肯定するものであっても、それを否定するものではない。
むしろメカニズムが明らかになることで「行の中に信を開く」ということが了解された、ということ。
法然なくしては親鸞はあり得ないが、親鸞なくしても法然はあり得たというのは歴史が示す事実。
77名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/06(火) 13:19:10
>>76
おそらく・・・ですけどね。
真如に出会っちゃった人というのは、あるいは求道ということに目覚めちゃった人は、
あまり教団だの宗派だの、系譜だのに捉われないと思うんですよ。
自身と縁ある人々の信仰生活の方が大事だから。

真宗は浄土宗の一派だ、と言えば、それはその通りかも知れませんし、
比叡山の拘束力から逃れたところにようやく教団としての自立があったのも確かでしょうけど、
ある意味、親鸞にとっちゃあどうでもいい話だったと。
78名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/06(火) 13:26:11
>>76
ということは法然がいい弟子を育てたってだけのことで
浄土宗と浄土真宗がいがみ合う理由がわからないのですが…。
79名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/06(火) 14:10:33
>>78
いがみあってはいないけど、
師匠より弟子が人気者になれば、師匠側としては面白くないわけで・・・
80名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 03:03:23
理解し難い天才の言う事よりも、とっつき易い愚者のそれの方が
分かりやすく、広めやすいという事なのかな?
81名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 05:22:39
阿弥陀仏は自殺者でも救ってくれますか?
82名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 07:50:43
どうでしょう。自殺とは「自分を殺す」ことで、
殺生戒を犯すことですから、仏の教えに反することになります。
自殺者に、浄土信仰があるか無いかにもよると思いますが
どちらにしても、遺族、縁者がその方の往生を願って念仏するならば
阿弥陀仏は必ず、救ってくださると思います。
83名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 08:31:58
>>82
> どちらにしても、遺族、縁者がその方の往生を願って念仏するならば
> 阿弥陀仏は必ず、救ってくださると思います。

阿弥陀仏がすべての衆生を救うのであって、
遺族、縁者の行為は救いに関係ありません。
84名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 08:44:38
では、浄土信仰のない者も無理やりお浄土へ
連れて行かれるのですね?阿弥陀仏は。
85名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 09:40:41
寺に火を放ち何人もの僧侶や仏像を焼いた人間に対し法然は
南無阿弥陀佛とお称えなさい罪が深いからといって絶望する事はありません
南無阿弥陀佛を称えればかならず極楽浄土に往生できます

っと言ったらしいのです。だから自殺者も大丈夫かなと思い
86名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 14:48:16
>>78
弟子同士が正当性を主張しているだけのこと。
実にくだらない。
87名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 14:59:08
>>82
「そういう人間すら救われる」とした場合の受け取り方は二通り。
命を余計に粗末にするか、それとも命を大事にしようとするか。
解釈如何では前者に傾く恐れがある。
88名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 15:04:17
悲しみの転換は、個人が自分にとって「仏」になるか否か、
「仏のはたらき」を持つか否かでしょう。
摂取不捨の大慈悲心の中に自分が救われていくならば、
その時点で私に至ってくる命の営み(自殺者を含む)は総じて
そこに救われていくと思うのですが。
89名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 15:29:23
>>81
自殺者にも「往生おめでとう」が浄土門。
90名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 15:44:39
>>89
それは、けちゃっぷの浄土門だろ
91名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 18:29:10
>>84
真宗などでは信心が強調されているし、やはり浄土信仰のある人だけなのでは?
いくらなんでも全く無関係な宗教の人たちまで阿弥陀仏の仏国土に連れて行こうとするとは思えないし…。

自分も同様の疑問なのですが、浄土に往生できるのはどのような人ですか?
基本的には他力本願なので自分が浄土系の信者(門徒)であるという自覚さえあれば
模範的な信者でなくても往生できるということでしょうか?

浄土真宗などでは元罪人、悪人であっても往生できるそうですが、
一生悔い改めずに悪の限りを尽くした場合などはどうなのでしょう?
92名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 18:34:08
>>91
救われようとも思わない人のことを「地獄」と表現しているわけでしょう。
本人に救われたいという思いがなければ、救われないまま「生き地獄」の中を彷徨っているのだと。
それが如来の側から見た人間の有り様ではないかと。
93名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 18:37:20
>>91
でも、一切衆生と言っているよ、法蔵さんは。
その「衆生」の提起をどう受け取るのかじゃないの?
94名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 18:42:36
>>91
>いくらなんでも全く無関係な宗教の人たちまで

「あの人はキリスト教だから」「あの人はイスラム教だから」で選別するような類のものではない
人類全体の救済でしょうね。
おそらくそこまで行き着くはず。
「俺は●●教だから関係ない」というのは人間側の分別。
そんな人間の分別を超越した救済ということが浄土思想でしょう。
95名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 18:54:14
六道輪廻のうちの人に生まれ、その中で仏教に出会い、さらにその中の念仏に出会えたのは、本当に稀なことだから超ラッキーです。…と、言われます。
その善人でも悪人でも、念仏すれば往生できる。でも、念仏と縁がなければ往生できないし、往生したくないと拒んでいる人まで強制連行はされない。
96名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 18:57:51
>浄土真宗などでは元罪人、悪人であっても往生できるそうですが、
>一生悔い改めずに悪の限りを尽くした場合などはどうなのでしょう?

悪人の定義が180度違うわけだよね。
如来だけが絶対善。
対して、人間は絶対善の前にはみな悉く悪人なのだ、というのが浄土真宗の人間観。
97名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 19:00:44
>>95
>往生したくないと拒んでいる人まで強制連行はされない。

往生したくない、というのが人間様の煩悩の証し。
但し、そのままでは救われることはないでしょう。
救われたいと思っていないことは、本当の自分自身を生きる苦しみに出会っていない
ということでしょうし。
98名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 19:46:02
>>92-94
なるほど。
阿弥陀仏は人類全てを分け隔てなく常に救おうとしている。
という考え方が浄土思想の考え方ということでしょうか。
よく考えるとこの上なくありがたい思想ですね。
99名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 20:12:53
>>97
何から救われなきゃならんのかわからんのだけど。
本当の自分自身を生きるって、どういうこと?
100名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/07(水) 21:22:52
>>92

>救われようとも思わない人のことを「地獄」と表現しているわけでしょう。
>本人に救われたいという思いがなければ、救われないまま「生き地獄」の中を彷徨っているのだと。
>それが如来の側から見た人間の有り様ではないかと。

違うな。救われたいと思う人のことを「地獄」と言うのだよ。
「救われたい、救われたい。誰ぞ救ってはくれまいか」という思いに取り憑かれて生きるのが「生き地獄」を彷徨うってことだ。
人間はあるがままで円満であり、誰かに救ってもらう必要はなかったのだと知るのが如来の悟りだ。
101名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/08(木) 00:01:03
>>100 その、「誰かに救ってもらう必要はなかったのだ」と気付くことが救いなんだとしたら、やっぱり救われなきゃならない。
生死輪廻、流転縁起、惑→業→苦→惑…のくりかえし。それから抜け出すための近道が、往生です。
102名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/08(木) 00:15:16
>>94
禿不同。
罪業深き悪念なれども七度生まれ変わって朝敵を打ち滅ぼさん
個人としての救済を超越して、楠正成公は神となられたのであります。
103名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/08(木) 00:34:29
>>100
己の実相に気づかない、これを迷いと言わず何と言うのだ?
104名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/08(木) 02:47:41
>>100
>人間はあるがままで円満であり

その手前勝手な「円満」が、他人様にとってはちっとも円満になれない状況を作り出していくわけですよ。
同時に、その「あるがまま」というものが単なる自我だけであるならば、ますます以て救いが無い。
105名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/08(木) 12:59:11
阿弥陀仏は極楽浄土に往生したいと願って念仏を称える者を浄土に連れて行ってくれる
106名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/09(金) 15:38:23
非常に重要なことなので転載しておきます。
是非とも議論をお願い致します。
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1121403126/618

618 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/09(金) 12:22:17
一切の衆生は阿弥陀仏によって既に救われている
というのが真宗の主張でしょう?
ならば、戒定慧の三学もいらないし、それどころか
念仏もいらない、信仰心もいらないと言い切れる。
それは仏教か?
107名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/09(金) 17:30:34
>>106 戒定慧は成仏には必要だが、成仏のための近道である往生には、とりあえず念仏だけでもいい。
もちろん仏教徒だから戒は守れるなら守るべきだ。
ただ、その場合も、「念仏していても戒を守らないと往生できないんじゃないか」「同じ念仏者だけど、戒を守ってないし仏教の知識もないあいつより、まじめなオレのほうが往生できる」というような誤解してはいけない。
108名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/09(金) 17:41:47
>>106
確かにそれで間違いはないと思う、と言い切れるのが信仰でしょうに。
109名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/09(金) 18:08:37
浄土門の信心の説明に〈三心〉がある。その〈三心〉のうちの一つに〈深心〉がある。その〈深心〉には2種類ある。
その2種とは、〈信機〉と〈信法〉である。
〈信法〉とは、阿弥陀仏が念仏で往生させてくれるという教え(法)を信じること。
〈信機〉とは、自分の器(機)は罪悪生死の凡夫であり、戒・定・慧の三学をマスターできない落ちこぼれだと気付くこと。
このままでは自力で三学を修めて成仏するなんて無理なねで、阿弥陀仏の力(他力)によって往生して、極楽で修行しやすい能力と環境を与えてもらうしかないと、信じるのです。
つまり、自力で三学をマスターできる人なら、べつに阿弥陀仏にすがらなくても、自分で修行すればいいのです。
念仏はもともと、そのように自力で成仏できない、三学の器でない凡夫のために、お経の中の釈尊が用意してくれた教えなのです。
三学が必要・不必要という以前に、三学をマスターできない人のための教えなのです。
110名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/09(金) 18:19:18
お釈迦様は私達の担任教師です。しかし生徒の中には、授業についてこれない落ちこぼれもいます。
このままでは他の生徒に追い付けそうもありません。
そこで、お釈迦様は、阿弥陀先生の経営する極楽塾を紹介してくれました。
あらかじめ阿弥陀先生が全国の学校に配っていた念仏というチケットがあれば、誰でも無料で塾に入れてもらえるのです。
どんな落ちこぼれでも必ず優秀な生徒に育ててくれる塾が、極楽塾なのです。
当然、はじめから三学を習得していない落ちこぼれが来るのはわかっていますから、入塾試験などなく誰でも入れます。
塾に入ってから、あらためて三学を教わるのです。
111名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/09(金) 18:29:12
日蓮系の信者なんかが、「われわれの担任は釈迦先生なのに、よその塾の教師である阿弥陀先生にすがるなんて、釈迦先生への裏切りだ」と批判してきます。
しかし、阿弥陀先生を訪ねなさいと勧めてくれたのは他でもない釈迦先生なのです。
112名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/09(金) 18:35:34
けちゃっぷだよね?
113名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/09(金) 20:02:19
ここ1年のにわか門徒なんですが、
はるか昔、学生時代は大学・大学院と西洋哲学でした。

浄土真宗は、肯定的な人間理解に立脚してるんですね。
ポジティブ・シンキングという言葉が流行る前から、
ポジティブな思考の重要性を説き、実践してるような。

ちょっとなんか、ルシファー的な感じもしますけど
っていうか他の宗門が、アーリマン的なのかも、、
西欧のニューエージからは、そう見えるのかもしれん。

私はいまだに無信仰だしニューエージでもないですが
浄土真宗には、なんか高い好感度を感じています。
114名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/09(金) 20:48:00
>113
それは逆だろ。
西哲から門徒になった連中には自己否定して自己満足する手合いがおおい。
臭くって臭くって食えたしろもんじゃない。
115名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/09(金) 21:04:38
>>114

西洋哲学っていっても、間口も広いし奥行きもさまざま。
認識論の上辺を齧った程度のヒトの中には、いまだに、
方法的な懐疑と真の懐疑の区別がつかない輩がいるかも。
116名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/10(土) 01:45:29
ナット投げ御真影に傷 京都、西本願寺の灯油まき事件

京都市下京区の西本願寺阿弥陀(あみだ)堂で包丁を持った男が侵入し、床に灯油をまいた事件で、
男が投げつけた金属製ナットで「御真影(ごしんねい)」と呼ばれる宗祖親鸞の木像の肩や腹など3カ
所に傷がつけられていることが8日、分かった。
事件直後、同像に被害はないと発表していた浄土真宗本願寺派は「筆舌に尽くしがたい強い憤りを
覚える。全国の僧侶や門信徒に申し訳なく、ただちに修復したい」としている。
親鸞像は、鎌倉時代の1243(寛元元)年の作と伝えられ、高さ約82センチの座像。ヒノキの寄せ木
造りで、表面に漆が塗られている。門信徒の礼拝の対象となっており、本来は南隣の御影(ごえい
)堂に安置されているが、修復工事中のため、今は阿弥陀堂内に安置されている。
昨年6月から、表面に亀裂やはく離が増えたため、初めての修復が美術院国宝修理所(東山区)で
行われ、終了後の同8月に西本願寺へ戻されたばかりだった。
発見された傷は、親鸞像の右ひざ、腹部、左肩の3カ所で、いずれも縦横5ミリ程度。乱入した男が
阿弥陀堂の内陣で暴れた際、金属ナット(直径3センチ大)約20個を周囲に投げつけ、うち数個が
厨子の中の親鸞像に当たったとみられる。
同派はこの日、全国に約1万300あるすべての末寺に「このような事態を未然に防げずに深くおわ
び申し上げる」とする謝罪文書を郵送した。
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2005090800242&genre=J1&area=K10
117名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/10(土) 03:08:16
日本の僧侶は、真宗を除いてみな大乗の菩薩戒を
受けているはずなんですよね?
極楽往生の為には、ただ念仏を称えればよい。
戒を守ったからといって、往生が近くなるわけでもない。
しかし。だからと言って生きている間、人間は何をしても
許されるんですか?自分の行動に、なんら責任を負わないで
生きて行けるんですか?
自己の肯定。それもいいでしょう。
殺人などの犯罪を犯した上でなお、自己を肯定できて
しかも往生まで約束される。なんて素晴らしいんだ!?
118名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/10(土) 03:56:07
>>117
>人間は何をしても許されるんですか?自分の行動に、なんら責任を負わないで
>生きて行けるんですか?

どこをどう解釈したのかは知らないが、「罪自体とその責任が消える」なんて誰も言っていないのだが。
むしろ逆に、全てを引き受ける、ということが前提でなければ、人間肯定などあり得ないのだが。
119けちゃっぷ:2005/09/10(土) 10:20:02
>>116 仮にも仏教教団なんだから、煩悩である「強い憤り」を表明するのもどうかと思いますよね。
傷ついちゃったぁ、てへ。って舌だして笑って念仏すればいいのにね。
120けちゃっぷ:2005/09/10(土) 10:37:49
>>117 法然上人御法語より
「念佛して、往生するに、不足なしと、いいて、悪業をも、はばからず。行ずべき、慈悲をも、行ぜず。念仏をも、はげまさざらん事は、佛教の、おきてに、相違する也。
たとえば、父母の慈悲は、よき子をも、あしき子をも、はぐくめども、よき子をば、よろこび、あしき子をば、なげくがごとし。
佛は一切衆生を、あわれみて、よきをも、あしきをも、わたし給えども、善人を見ては、よろこび、悪人を見ては、かなしみ給える也。
よき地に、よき種を、まかんがごとし。かまえて、善人にして、しかも、念佛を修すべし。是を真実に、佛教にしたがうものという也。」
121名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/10(土) 15:38:05
>>119
君のところのような過疎寺ならそれで済むだろう。
122名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 22:15:02
?はぁ
123名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 22:20:07
お西様は財産的価値の低下を大層気にされておる。
なにしろ金箔ピカピカのお西様だからね。
124名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/10(土) 22:46:11
>>117 歎異抄より
よき心のおこるも、宿善のもよおすゆえなり。
悪事の思われせらるるも、悪業のはからうゆえなり。
「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」とこそ、聖人はおおせそうらいし
125名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 23:04:47
>>124
だから「何をやっても良い」とは誰も言っていないわけだが。
宿善のもよおすことも、悪業のはからいも、確かにこの身ひとつの上に起っていることには変わりない。
また、そこに至るまでの選びの連続の結果というものもある。
あらゆる状況を引き受け、選びに対するを引き受けるしかない。
人間にできることなんてそんなことくらいしかないのだ。
126名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 23:17:41
>>124 大きな視点でみればそうですね。
悪事を思いつくにはその背景となる原因がある。育った環境によって正義の味方にもなれば犯罪者にもなる。それはそのとおり。
だからこそ、戒があるのです。善導大師なんかは、目を上げて女人を見なかったという徹底ぶりでした。まぁそこまでやらなくてもいいけど。
どんな聖人でも、女人を見たら性欲がわく確率がある。でも、女人を見なければ性欲がわく業縁がない。
性犯罪者を異性に近付ければ、再犯の可能性がある。だったら、異性に近付けないようにするのが、その人のためかもしれない。
誰でも縁によって悪人になりうるから、悪人を憎んではいけない。誰でも悪人になりうるからこそ、あらかじめ悪人になるのを予防しなければならない。
127名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 23:21:08
>>126
>女人を見なければ性欲がわく業縁がない。

女人を見さえしなければ性欲が起こらない?
ということは、既に女人は性欲の対象物という先入観がこびりついてるわけですね(w
128名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 23:42:59
>>127 はい、そうです。身体がそうなってますので。空を悟ってませんので。どんな美人も一皮むけば糞袋だと思う方法もありますが。
129名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 23:46:03
>>128
糞袋だと思わないとダメなのね?
まあ、どのような質的転換を図っても、結局、原点が原点なんだよね。
130名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 01:38:22
>>128
悟ったと思ったら、そりゃ「空」じゃないじゃね???
131名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 01:51:11
>>130
あなた日本語が変。。。
132名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 01:52:09
あなたはあたまが変
133名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 02:39:36
可笑しい
134名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 04:35:24
浄土宗のスレはこのまま消えるのかね?
135名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 15:43:35
>>134
誰かが立てなければ消滅。
136名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:33:32
存続
137名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 20:04:06
>>136
こことアンチ真宗スレで吸収できそうね。
こちらは各論、あちらは宣伝。ちょうどいいんじゃないの?w
138名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/13(火) 18:00:24
既に浄土宗スレは第5弾に突入しているのだが。

浄土宗・称名念仏第五回
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1126536579/
139名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/13(火) 22:11:00
>>138
最近は真宗叩きスレの方が本拠地のようだな。
140名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/13(火) 23:44:15
>>139
真宗に対するひがみは相当なようですね。
141名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/14(水) 15:34:40
>>140
自分たちこそ真の浄土門だ!という自負があればそれでいいんじゃないの?
僻んでプラスになることはあまりないからね。
142名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/14(水) 17:08:00
>>141
自信があれば堂々としているし、他を叩くなど考えもしない。
あれだけ執念深く真宗を叩くのって、コンプレックスの裏返しでしょうね。
143名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/15(木) 02:01:49
>>142
そういう状況を作り出したい第三者の悪戯のようにも見えますが。
本職の浄土宗の坊さんの仕業ではないでしょう。
144名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/15(木) 02:49:08
>>143
真宗は浄土宗と対立構造を持たないし、
そんなものを作り出しても何のメリットもない。

浄土宗のお坊さんの、真宗に対するひがみはよく聞く。
実際に経験もしたし、そういう本も出ている。
145名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/15(木) 13:08:28
>>144
むしろ浄土系以外の工作員が暗躍してるようだが。
浄土系にいちばん反発しているのは日蓮系かな?
146名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/15(木) 13:54:01
>>144
僻む理由がよく分からんね。
そのあたりをちょっと解説してもらえると嬉しい。
147名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/15(木) 14:12:04
>>144
それは、真宗とて浄土宗の一派じゃないか、ということ?
それとも、浄土「真」宗というネーミングが気に入らない、ということ?
148名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/15(木) 14:16:53
でも、真宗の方でも「浄土宗は何でもありだから」と冷ややかな目線を送っているところが
あるんじゃないの?
「法然は『三経一論だ』『専修念仏だ』『弥陀一仏だ』と言っているのに、いろんなものを
祀ったり、いろんな経を唱えたりしてるじゃないか」とね。
俺自身も浄土宗の法要(法事?)に列する機会があるけど、「この人たち何がしたいの?」
と思うことあるしね。
149名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/15(木) 15:48:24
>>148
>「この人たち何がしたいの?」

確かにそう感じることはあるな。
150名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/15(木) 15:56:52
「雑行」に比重を置き過ぎてると言いたいわけね。
151名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/15(木) 16:09:16
>>148
> でも、真宗の方でも「浄土宗は何でもありだから」と冷ややかな目線を送っているところが
> あるんじゃないの?
それはあるな。
しかし、法然の教えから、何でああなるのだろうとは思うけど、
「浄土宗のやっていることは、わけわからん」と感じるだけで、
対立しようとも、非難しようとも思わないし、
あのようにはなりたくないと、傍観しているだけかな。

浄土「真」宗という宗派名もそうだし、
法然より親鸞がもてはやされることも浄土宗としては気に入らないようですね。
「親鸞は法然の弟子のくせに」とかいう言葉もよく聞きますね。
152名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/15(木) 16:16:20
>>151
親鸞無くしても法然はあり得たけど、法然無くして親鸞はあり得ない、というのが
浄土真宗サイドの了解でしょう。
浄土真宗サイドに含むところが無いのはそういうところから。
153名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/15(木) 16:28:14
真宗でも娑婆っ気の塊みたいな住職は、心の底でちょっと羨ましいんじゃない?
真宗は「あれイラネ」「これイラネ」でぜ〜んぶ切り捨てちゃって、味も素っ気もないから。
154名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/15(木) 17:18:18
何処も彼処も浄土宗VS浄土真宗ネタか?
155名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/15(木) 18:02:36
>>153
余分なものがないんで、かえってスッキリしている。
お盆なんか、浄土の寺でなくてよかったと真宗の寺は心からそう思っている。
あれしたりこれしたりと、習俗が入り込んでいると、
かえってわずらわしく感じるし、
教えに反することをしているという後ろめたさを感じなくてすむ。
他から見ればあっさりしすぎなのだろうが、
それに慣れているから、そんなものだと思う。
156名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/15(木) 18:05:30
>>155
主に経営面のことでしょ。
雑多な販売アイテムがある浄土宗はその点だけは有利。
157名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/15(木) 20:26:56
>>156
お寺を商売と考えているなら確かにそうだ。
しかし、ポックリ寺をやって金儲けしている浄土宗の寺を見て、
「あれでいいなら寺も楽でいい」と冗談で言うことはあっても、
本当にうらやましいと思う真宗寺院はない。
もしも実際にやる寺があれば、宗派から出ざるをえないだろうな。
158名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/15(木) 22:45:06
>157
あの寺は、どっかのスレで浄土宗の関係者からた叩かれていたね。
浄土宗であっても、認めていいことではないよ。
むしろ問題なのは、ダメなものはダメと宗門として口を出さないこと。
まず、ダメだという意識があるのかどうか(なかったとしたら宗門としてはおわってるな)
ダメだという意識があった場合でも、浄土宗という宗派はそれを公言しない、指摘しない。
浄土自墮落の所以か。
159けちゃっぷ:2005/09/16(金) 00:08:26
>>158 そんなこと言いだしたら、僧侶の結婚だってダメなもんはダメって言わなきゃなりません。
一人でいるほうが念仏しやすいなら一人でいなさい、結婚したほうが念仏しやすいなら結婚しなさい。…このような法然さんの言葉もあります。
個人的には、ぽっくり信仰をきっかけに念仏できるなら、方便としては「あり」だと思いますよ。
160名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 00:09:41
>>159
で、君は戒を破っても構わないという考え方をするんでしょ。妻帯問題については。
161名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 00:11:17
>>159
方便としての度を越えてると思うんですが。
162けちゃっぷ:2005/09/16(金) 00:15:32
>160 現実的に僕の父も祖父も結婚してるし住職もやってますからね。
ま、真宗と争う必要はないし、他宗との争いは法然さんが最も避けようとしたことだと言えますから、できるだけ争わないようにすべきです。
163名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 00:18:45
>僧侶の結婚だってダメなもんはダメって言わなきゃなりません。

ダメなものはダメでしょう。
都合よく解釈して「自分が授かったのは不淫戒ではなく不邪淫戒です」なんてのは無しよ。
言い訳として見苦しいし。
真宗ならまだしも、それ以外の宗派は拙いでしょう。
親鸞以外の弟子でそういう問題を師・法然に打ち明けた僧侶はいたのかい?
生き方として示した高弟はいるのかい?
164名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 00:21:26
>>162
>現実的に僕の父も祖父も結婚してるし住職もやってますからね。

あ、他人様がやっているから自分も「許されるだろう」って考え方ね(w

>真宗と争う必要はないし

真宗側は争う姿勢なんてないだろうに。むしろ浄土宗側の方が仕掛けたくてしょうがない
ところがあるように見受けられる。
その台詞はご同行に言っておやりよ。
165けちゃっぷ:2005/09/16(金) 00:21:25
>>161 まぁ、たしかに、願いごと叶える系の信仰は浄土教とは関係ないですしね。
ただ、地域に何百年も根をおろしている寺には、それぞれの歴史・背景がありますから、頭ごなしに言うのもどうかと思います。
信者の中から口コミでご利益の噂が広がり流行ることもあるでしょうし、長年続けば、それに寺がのっかっちゃうこともあるでしょう。
166名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 00:24:12
>>165
専修念仏のラインから著しく外れていれば、否定という行動も必要になるでしょう。
まあ、それによって「浄土宗は何でもありですから」と喧伝の道具に使われることにも
なりかねない。
「で、結局のところアンタらの宗派は何がしたいんですか?」という話になったらどのように
対応するつもりなんでしょうね。
167名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 00:32:09
>>166
日本において浄土教が台頭してきた背景を考えれば、ポックリ寺のような寺の存在を
真っ向から全否定する気にはなれないね。
168名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 00:34:45
>>167
じゃあ、浄土教の一派として独立しちゃえばいいんじゃないの?
169けちゃっぷ:2005/09/16(金) 00:38:32
>>166 念仏して往生浄土するついでにポックリも願うほうが、往生もポックリも願わず現世に執着するよりはマシです。
とにかく念仏する方向にもっていくのが最重要ではないでしょうか。
170名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 00:43:34
>>169
その念仏の在り方が問題なんじゃねえのか?
ただのご利益信仰に持って行けば、そりゃ、人間の欲求を満たしてやるのだから
信者も安心だろう。
で、そこからどう自分たちの教義に落とし込んでいくつもりだ?
171名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 00:50:17
>>169
ポックリ寺に行くのは所詮、御利益信仰のひとつだっての。
参拝後、帰り道のバスの中で1人がポックリ死んだら、そのバスに乗っていた
他の参拝者は二度と行かなかったというしな。
172けちゃっぷ:2005/09/16(金) 00:51:24
>>168 ポンポンと新教団が分裂していくのは、ろくな結果にならないでしょう。同じ念仏を信仰しているなら、なおさらです。
宗旨がほとんど同じなのに別れた教団がライバル意識を持ってしまった場合、宗旨はほぼ同じだから争点にはならず、くだらない人格攻撃みたいな、ただのケンカになりかねません。
サンガは和合衆でなくてはなりません。たとえ思想が違っても、ケンカするんじゃなく楽しく議論しあえばいいのです。
そういう意味では、大きな日本仏教というくくりの中に公認された宗派が存在するという、タテマエがあると便利ですね。
みんなブッダの弟子の弟子の弟子の…弟子です。法然さんにしても、新宗派を立てたけれども仏教から破門されたわけではありません。
逆にいえば、思想はちがっても破門されていない以上は、サンガの仲間として尊重しあうべきですよね。
173名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 00:53:05
>>172
読みにくいなぁ・・・ちゃんと改行しよう。話の筋はどうでもいいけど。
174名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 00:57:02
>>172
>くだらない人格攻撃みたいな、ただのケンカになりかねません。

客観的に「ただの人格攻撃じゃん」と理解されれば良いわけだろ?
くだらないから誰も近寄らなくなるよ。
そもそもケンカはしないんだろ?浄土宗は。
それに独立したからといって、ご利益信仰と念仏じゃ質の違いも甚だしくて
議論にもなりゃしない。

>仏教から破門されたわけではありません。

はあ?言ってる意味がよく分からないのだが。誰が破門するわけ?
175名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 00:59:46
>>171
その話はどこかで聞いたな。
要するに「参詣した」という事実の方が大事ってことだものね。
だから「縁起でもない」ってことになったら誰も行かなくなるだろうな。
そこから念仏の信仰に持っていくのは骨が折れると思うよ。
176けちゃっぷ:2005/09/16(金) 01:37:42
>>174 法然さんが生涯天台僧であったという意味で、破門されていないと言ったのです。
流罪になって一度は還俗させられましたが、再び許されていますし。
臨終には、慈覚大師の袈裟を着て亡くなられたというのも、天台円頓戒の正統伝承者であり、その流れが浄土宗に受け継がれていることを物語っています。
現代の浄土宗も、お釈迦様の弟子の末裔であり、新興宗教ではないということです。
177名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 01:49:48
>>176
破門されていようがいまいが、浄土往生には何の関係もないことですけどね。
違いますか?
178けちゃっぷ:2005/09/16(金) 01:59:54
>>177 はい、そうです。往生には関係ありません。
ただ、ポックリ寺もやはり破門されていない仏弟子の仲間なのだから、仲良くすればいいじゃないですかと言いたかったんです。
179名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 02:02:53
>>159
方便というのは、真実に導くためのものであり、
「うそも方便」の方便とは異なる。
阿弥陀仏が真実に導くために用意するものが方便であり、
ぽっくり寺が用意したものを浄土教では方便とは言わない。
しかも、その方便しか説かず、
真実につながっていないのが現状。
そういうこともちゃんと把握出来ないのは・・・・
180名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 02:04:05
>>178
じゃあ、破門されていない、なんてことを力説しても詮無きことですね。
181名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 02:06:28
>>179
それでも仲間なんですから「仲良くすればいいじゃないですか」で終わりなんでしょう。
>>178の主張としては。
182けちゃっぷ:2005/09/16(金) 02:19:36
>>180 そうですね。別に創価学会は破門されている新興宗教だと遠回しに言ったわけではありませんよ。
183名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 02:23:19
>>182
創価学会とか新興宗教とか関係ないんじゃないですか?
行間を読みすぎのように思いますね。
184名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 02:24:19
>>182
>>179の提起にもきちんと回答されては?
185名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 12:50:04
>>184
そういえば、けちゃっぷ氏はまともな論理にはきちんと答えず、
自分だけの譬喩や表現に逃げて意味不明の話をしますね。
変な例や譬喩は誤解を生むもとですから、
問題の提起や質問には、きちんとお答えになられたらいかがでしょうか。
186名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 13:32:28
>>185
それが「分かりやすい布教」だと思っているとちょっと怖いですね。
187転載:2005/09/16(金) 13:51:33
転載しておきます。
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1121403126/741

741 :名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/16(金) 08:50:35
浄土真宗ってお彼岸の時、お墓参りするだけじゃダメなんですか?
お坊さんにお経読んでもらわないとだめなの?
家は今まで一周忌や三回忌など回忌の時のみ、お経をあげてもらっていたんですが
それじゃダメ?
それから様々なことがあり、占いをみてもらったら
ある占い師より身内の霊が成仏していないのでは?といわれましたが
浄土真宗は亡くなったら浄土にいく、すなわち成仏していると考えていいのですか?
占いにたよるのも浄土真宗はタブーだと聞いていましたが、すがるおもいで行ってしまいました。
188名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 14:12:14
ぽっくり寺の商売ッけには呆れますね。

しかし、包括法人の運営を自分の主義と混同して語るのはどうかと。
なんでも宗祖の言葉から拾ってくるのは学生レベルのお話ですよ。

189188:2005/09/16(金) 14:13:48
後半の2行はけちゃっぷ氏のことについてです。
190名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 15:51:09
けちゃっぷは、わかりにくい例えや譬喩はよめろよ。
自分だけがわかっていても、他人に伝える話じゃないぜ。
191けちゃっぷ:2005/09/16(金) 17:52:30
>184
>165 を読んでください。
お寺にはそれぞれの歴史や背景があるでしょうから、「まぁいいじゃないですか」と思います。
192けちゃっぷ:2005/09/16(金) 18:10:01
>>190 具体的にどれがわかりにくかったのか言ってくだされば、捕捉させていただきますので、よろしくお願いします。
193けちゃっぷ:2005/09/16(金) 18:24:07
>>176 伝道学の授業では、説法に喩え話しと体験談を入れるように指導されました。
未熟ながら、それに挑戦しているわけです。
194名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 18:33:14
あのー、真宗では、一枚起請文の扱いって
どうなっているんですか?教えて下さい。
195名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 18:58:40
>>193
> >>176 伝道学の授業では、説法に喩え話しと体験談を入れるように指導されました。

たとえ話はわかりやすくするため、けちゃっぷのはかえってわかりにくくなっている。
196名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 19:02:40
>>193
> 伝道学の授業では、説法に喩え話しと体験談を入れるように指導されました

説法のなかに入れるのと、
きちんと論理的に答えず、たとえ話だけでごまかすのとは異なる。
説法の場合は、後でたとえ話の意味の解説がつくが、けちゃっぷのはそれがない。
197名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 20:42:17
>けちゃっぷ
佛大みたいだけど、伝道学(プゲラ)でろくな教員いないだろ。
宗義もしらない、仏教も知らない。よくそれで布教ができるもんだ。
198名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 20:47:22
けちゃっぷを教えたのが三周説法が好きなあのおっさんかどうかはしらないが、
喩例が真実で有效な場合と虚偽になる場合の違いを知っていなければ、
譬喩を正しく有效に使うことはできないよ。
199けちゃっぷ:2005/09/16(金) 21:03:43
>>196 具体的に、どのたとえがわかりにくかったのでしょうか?
200名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 21:30:02
けちゃっぷって、2chでもまれてすれてしまったなぁ。
昔の初々しさはどこへ行ったの?
君の存在意義って、あの初々しさしかなかったのにな。
201名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/16(金) 21:32:06
たとえというのは、本論の論旨がしっかりしているなら、
それをわかりやすく説明するはたらきとなるが、
ここの掲示板の短い文のなかで、たとえだけ語っても、
他人には論旨は伝わらない。
自分ではわかっているつもりだろうが。
202けちゃっぷ:2005/09/16(金) 21:50:44
>200 はあ、そうかも
>201 たしかに、たとえを使わないと説明が長くなるので、手をぬくためにたとえを使ってることもあります。
203名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/17(土) 02:05:49
>>191
「まぁいいじゃないですか」で済まされる話ではないだろう。
真実に向かわせないような「方便もどき」すら是とするならば、浄土宗とやらもかなりいい加減なんだな。

とはいえ、他の浄土宗の僧侶の方は「一緒にするな」と思うだろうが。
204名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/17(土) 02:13:53
>>196
先に本論を立てておいて、それについて語る場合には
「畏れ多いことですが、私なりに解釈してみれば」
と前置きするべきでしょう。
まあ、2ちゃんねるでそこまで回りくどく述べる必要はないけど、
もし、法話の時にここと同じ手法を用いているとすれば、かなり危ういものがある。
たとえ話は所詮、たとえ話であって、本論があって初めて成立するもの。
ここを誤るとただの「けちゃっぷ教」になってしまう。
205名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/17(土) 02:18:34
>>200
初々しかったから少々の誤解釈も大目に見られてきたのだろうけど。
擦れちゃったらもうガチで叩かれるわな。
206名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/18(日) 17:46:48
>>195
至極同意。
彼の書き込みを見ているとつくづく「ボクひとりの浄土」って感じ。
207名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/18(日) 19:38:26
よくよく案ずればけちゃっぷ一人のための浄土なり。
208名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/18(日) 19:40:58
>>206
オカルト浄土宗のけちゃっぷ教祖ですな。
ボクがそう思うんだから正しい、みんなも信じたら幸せになれると信じ込んでる。
209名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/18(日) 19:55:42
>>208
なるほど。
そう言われてみると、確かにそういうところはありますね。
教説(物語)の中に無理やり自分を落とし込んで、自分だけは模範的であろうとする姿勢が
見え隠れしているというか。
だから、自分にとっての法蔵菩薩の願心とは?阿弥陀如来とは?浄土とは?浄土往生とは?が
非常に不明快ですね。
まだ見ぬ浄土へのツアー・コンダクターにでもなったつもりの言説が多いように思います。
210名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/18(日) 20:12:15
>>209
なるほど、まだ見ぬ浄土へのツアー・コンダクターになったつもりですか。

不安がるツアー客が質問をしても、
大丈夫、このオカルト航空はワープも出来てパワーもあります、
だまって(いや念仏となえて)ついてきてくださいと、
にこにこ笑って言われるので、かえって不安になったりして・・・
211名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/18(日) 22:44:18
すっかりここもけちゃっぷ叩きスレになったな
212名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/18(日) 23:02:12
ただの物知らずくらいにしか見えません。
見てるだけで疲れる。
もう少し楽しい話しをして欲しいね!
213名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/18(日) 23:03:59
>>212
NG登録なさったらどうです?
214けちゃっぷ:2005/09/19(月) 11:51:36
>>210 あなたも、たとえ話が好きなんですねぇ。
215けちゃっぷ:2005/09/19(月) 12:00:46
>>201 どの喩話がわかりにくかったか教えていただけないでしょうか。
僕自身、参考にさせていただきたいので。
216名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/19(月) 23:42:02
>>215
たとえはやめな
217名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/20(火) 09:15:27
>>215
懲りてねえな・・・・・
218名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/20(火) 13:28:24
>>214
君の喩えになってない喩えよりも>>210のそれの方が分かり易い。
219けちゃっぷ:2005/09/20(火) 17:32:11
>>218 では、どのたとえがわかりにくかったのか教えてくださいませんか?
白い映画のスクリーンの上に、赤いりんごの映像が投影されても、白いスクリーンが赤く染まるわけではありません。
映像が過ぎ去ったあとは、スクリーンはもとどおり白いままです。
怒り・貪りなどの妄念の激流が願往生心の白道をおおい隠したとしても、妄念が過ぎ去れば、道は白いままです。
念仏を称えれば、一瞬ですが妄念は消え、白道がパッと顕れます。
220名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/20(火) 19:51:25
>>219
いいかげんにしろよ。
221けちゃっぷ:2005/09/20(火) 20:27:28
スクリーンのたとえのあとに、解説を入れていますよ。
222名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/20(火) 20:51:18
仏教は元来たとえ話なんだからいいんでないの?
せっかく指で指し示しても、その指しか見ないんじゃしょうがないけど。
223名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/20(火) 21:07:56
ある意味ケチャップさんはすごい!
叩かれても叩かれても挫けない!
自分を貫くところがすごい!
喩え話は良く解らないけど。。。面白いです。
224名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/20(火) 21:13:22
まぁ 凄いというか呆れるというか・・・・けちゃっぷ鳥の絶え間ないさえずりにゃ降参だぁ。
225名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/20(火) 21:44:57
謙虚をよそおうが、
他人の意見を聞かず自分が正しいと思いこんで変えないのは、
宗教家が陥ってはならない、独善とも言えるな。
226名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/20(火) 23:03:04
>>219
・・・・・・・・・・・で?
227名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/21(水) 00:52:50
>>221
> スクリーンのたとえのあとに、解説を入れていますよ。

だから、たとえはいらないと言っているのに。
それに解説もたとえと変わらない意味不明な文だ。
意見があるなら、もう少し論旨のはっきりわかる文を書きなよ。
それが出来ないようだから、書かなくていいよ。
228名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/21(水) 03:41:55
>>227
同意。
書き込みたくてしょうがないのは分かりますけど、
内容が伴っていないのも事実。
自分でちゃんと読み返してから「書き込む」を押してます?
229けちゃっぷ:2005/09/21(水) 12:38:28
>>227 妄念から妄念へのバトンタッチを念仏で停められるということです。
苦悩の原因は妄念です。また、妄念が新たな妄念を産みます。この妄念の連鎖の激流にのまれると、行動をまちがいます。
他人に殴られたとします。その時、六根から入力された情報から「殴られた」という判断が起きます。
これがすでに妄念です。
「殴られた」という認識が、怒りという新たな妄念を生みましす。
怒りは、憎しみを生み、復讐してやろうという新たな妄念になり、実行すれば罪業になります。
でも、殴られたと認識した次の瞬間に、念仏して「殴られた」という認識を念仏に置き換えてしまえば、怒りの原因が停まります。
念仏の白道の周りにうずまく妄念の河に遊んでいる時に、突如起こった「殴られた」という激流に気付いたら、
激流にのまれてしまう前に、念仏の白道の上によじのぼればいいのです。道の上にいる間は、溺れなくてすみます。
日常生活で、感情が激しく動きそうになったら、すみやかに念仏すればいいのです。
230名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/21(水) 12:47:22
人の意見や批判にまったく耳をかさない理由がわかった。
念仏して全部忘れてしまうんだな。
あきれた。
231名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/21(水) 12:52:09
念仏するという行為は簡単にできますが、
念仏しようとする心持ちは簡単にできないのでは?

「殴られた」後に念仏しようとする心を持つ人は凡夫ではないような気が。
人間は怒りや貪りなどがあって当然なのでは?
232けちゃっぷ:2005/09/21(水) 13:00:20
>>231 そうですね。妄念に流されて念仏を忘れてしまうこともあります。
でも、怒りは無常なので、かならず過ぎ去ります。
怒りが過ぎ去ったら、また念仏すればいいのです。
ふだんから怒りに気付いたら念仏する習慣ができると、殴られて怒りそうになったから念仏できたと気付きます。
殴られたおかげで念仏できた、ありがたや。
233名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/21(水) 13:04:25
けちゃっぷさんはその辺りを意識しながら生活されてるんですか?
234名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/21(水) 14:09:40
彼岸中ですが彼岸の起源について質問です。
一説には観無量寿経の日想観が起源という説があるのですが彼岸が日本独自の習慣であることを考えると疑問です。
平安期に宮中行事で始まったことと日想観が日本では浄土三部経を学ぶ天台〜浄土の中でポピュラーでないことを考えると何が起源なんですか?ケチャップさん
235けちゃっぷ:2005/09/21(水) 18:28:48
>>233 一応心がけてるつもりです。
ただ口で「なむあみだぶつ」を言うだけだと、口で称えても心は別のことを考えたままになってしまいます。
それに気付きやすくするために、口で「なむあみだぶつ」と1回称えると同時に、心で「往生するぞ」と1回念じるようにしています。
そうすると、一瞬だけは、口も心も念仏に帰らせることができます。
236けちゃっぷ:2005/09/21(水) 18:53:45
>>234 >>日想観を含めた「観想念仏」は、昔はよく実践されてたのではないでしょうか?
後に浄土宗第二祖とされる弁長さんも、法然さんに出会う前は観想念仏をされてたと思います。
日想観をしなくても、彼岸に真西に沈む太陽が西方極楽浄土の方向示していると、意識されたのではないでしょうか?
237名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/21(水) 19:13:20
>>230
そんな感じのようですね。
都合の悪いことはみんな削除。長生きしますわwww
238名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/21(水) 19:32:23
法然以前の日本浄土教で具体的に日想観を行っていたことを裏付ける資料があるのでしょうか?
彼岸があくまで宮中行事発祥であることと平安末期の念仏者は多く宮中と関係を持たないであろう念仏聖の類であったことを考えると疑問が残ります。
平安期の天台宗の念仏者で宮中に有力な影響を与えうる僧を具体的にあげてください。ケチャップさん
239名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/21(水) 19:39:55
真宗僧侶だが、善導大師が元じゃなかったかな?

こっそりケチャップさんファンだったりする。
240名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/21(水) 20:04:40
スレ違いだけど、花はケチャップさんのファンでーすV! 頑張ってねー!
(^ε^-Chu-☆!
241けちゃっぷ:2005/09/21(水) 20:35:03
>>238 彼岸は聖徳太子の頃から始まったという説もあるそうですので、日想観だけが由来なのかどうかはわかりませんが。
日想観を行なっていた証拠については存じておりませんが、仏教辞典で日想観を調べたら、用例文が載っていました。
「南院の闍梨、日想観を修して居たり。この時音楽西に聞え、聖衆東に来たる。」(拾遺往生伝上11)
彼岸は聖徳太子の頃から始まったという説もあるそうですので、日想観だけが由来なのかどうかはわかりません。
藤原氏が建てた宇治の平等院だって極楽浄土をモチーフに造られたんだから、阿弥陀信仰は浄土宗以前から知られていたんですね。
242けちゃっぷ:2005/09/21(水) 20:48:58
>>230 >>237 >>239 >>240
いやぁ照れるなぁ。
243名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/21(水) 21:29:20
善導や日想観だと、日本独自の習慣であることの説明にならない。
平凡社の大百科には次のようにある。

 民間の歳時習俗には農耕儀礼と結びついたものが多いが,民間の彼岸行事もまた農耕と関係が深い。
彼岸会の民俗的基盤に注目する必要があろう。京都府宮津市付近や兵庫県美臥郡・加東郡などには,
彼岸の間に〈日の伴〉とか〈日迎え日送り〉といって,朝は東方の,日中は南方の,夕方は西方の
社寺や堂に参る行事がのこっており,原始的な太陽崇拝のなごりと考えられている。
また北関東地方には寺の境内や仏堂の前に天棚を設け,日天・月天の木使を立て,
その周りを踊り回る天道念仏があるが,天道とは太陽のことである。
また阿蘇山麓や鹿児島県醍摩地方には彼岸に山に登るところもあるが,山は祖霊のとどまるところであった。
春の農耕開始にあたって,豊作に必要な太陽をまつり,祖霊の加護を祈る儀礼が彼岸に行われ,
これが百万遍念仏や先祖供養と結びついて,しだいに仏教行事にくみこまれていったとみられるのである。
現行の彼岸行事が例外なく墓参,先祖供養またはこれと結びついた念仏会などを内容としている要因はここにある。

浄土宗が民間の習俗を取り込んで変容していく様子がよくわかります。
彼岸は源氏物語にも出てきますから、仏教起源というよりは、
民間の習俗が、後に浄土教と結びついたもののようです。
244名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/21(水) 23:55:41
? じゃ、何故「彼岸」というの?
「到彼岸」が日本に伝わって、日本では「彼岸」=先祖の至る所
として先祖信仰化して民間に広まったんじゃないの?

と見る方が無難と思うがなぁ。

その百科事典は
民間の習俗=日本の伝統=仏教とは関係ない
と、言っているようには、とても文意からは読みとれないですよ。
245名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/22(木) 00:26:14
>>244
祖霊信仰に関わる民間の習俗としてあった行事が、
仏教的な用語や要素を加えていっただけ。
仏教と関係が後に出来ていったのであって、関係ないということではない。
要は、彼岸の行事は、仏教から生まれた行事ではないということ。
246名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/22(木) 00:34:26
>>241
> 阿弥陀信仰は浄土宗以前から知られていたんですね。

歴史も少しは学びなさいな。
浄土教と浄土宗とは異なる。
247名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/22(木) 00:40:26
>>244
> 「到彼岸」が日本に伝わって、日本では「彼岸」=先祖の至る所
> として先祖信仰化して民間に広まったんじゃないの?
>
> と見る方が無難と思うがなぁ。

仏教から祖霊信仰は基本的に生まれない。
仏教以前から存在する祖霊信仰を仏教が取り込んだ。

浄土教の中心的概念である本願も、十方衆生の救いを誓うのであって、
先祖や家族など儒教的な観念とは方向性が異なっている。
248名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/22(木) 00:43:16
いやいや、大体言いたいことはわかるのよ。
先祖崇拝や組霊信仰は日本に昔からあったとね。

でも、なせ「彼岸」と称して、しかも春分の日と秋分の日
になるのだ?と、思うわけ。

先祖崇拝は日本古来の物、「彼岸」の由来は仏教、
現在の彼岸が先祖崇拝の行事化しているのは、
仏教の行事に日本人の先祖崇拝が加わった物、
が素直なあたいの考え。

当時の日本が一斉に春分と秋分に太陽崇拝していて、
しかも先祖供養していて、そこへ仏教が入ってきたんじゃ
ないと思う。
249けちゃっぷ:2005/09/22(木) 01:15:49
>>246 だから「浄土宗以前から」浄土教は知られていたと言いたかったんですが
250名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/22(木) 01:19:35
>>248
> 当時の日本が一斉に春分と秋分に太陽崇拝していて、
> しかも先祖供養していて、そこへ仏教が入ってきたんじゃ
> ないと思う。

彼岸の行事が始まった頃は、
今のお彼岸のように日本中がお彼岸だと統一した認識を持ってはいなかったでしょう。
仏教概念と習合してから、広まっていったのでしょう。

仏教徒としては、仏教行事が起こりだと思いたいでしょうが、
日本独自の習慣ですから、歴史的にはやはり古来からの日本の祖霊信仰や、
農耕儀礼に関わる太陽信仰が起こりと考えるのが妥当です。
251名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/22(木) 01:21:48
>>249
> >>246 だから「浄土宗以前から」浄土教は知られていたと言いたかったんですが

そんなことは当たり前だろ。
わざわざ言うことか?
誰も浄土教が浄土宗の発明だとは思っていない。
252名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/22(木) 01:29:11
>>251
まあ、大目に見てやってくださいよ。
253けちゃっぷ:2005/09/22(木) 01:40:48
>>238 が、宮中に影響云々とおっしゃってたので、
だれか特定の天台僧が日想観や彼岸を宮中広めたとか以前に、
浄土教がポピュラーだったんじゃないかと、
いう意味です。
254名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/22(木) 01:51:41
んー、やっぱり納得できんです。ごめんなさい。

お彼岸の先祖崇拝化は日本の習俗が由来で良いんですが、
お彼岸の由来は習合後であっても仏教由来と思います。

先祖崇拝を全てお彼岸と呼ぶのなら、納得できるんですがね。
残念ながら無学なモノでそういった事例を知りませぬ。

お彼岸の由来を聞かれたら、説明するべき事は
「何故、お彼岸というのか」
「何故、年に二回、しかも何故に春分と秋分なのか」
「何故、皆お墓参りをするのか」
と、色々ありますが、その一部しか説明をしていないことに
なると思います。
255けちゃっぷ:2005/09/22(木) 02:21:38
祝日法にも、秋分の日は、先祖をうやまい亡くなった人をしのぶ日だと書いてるわけですが、
彼岸が仏教行事だと、政教分離オタが文句つけるかな?
256名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/22(木) 02:27:00
色々ググって見ました。
ttp://koyomi.vis.ne.jp/reki_doc/doc_0070.htm
によりますと、

>日本後記によれば延暦二十五年(=大同元年 AD 806年)二月に
崇道天皇を慰めるために諸国分寺にて金剛経を読ませたというのが
「彼岸会」の初出だそうです。

と、あります。
うーん、やっぱり仏教由来な気がするがなぁ。
ま、寝まするー
257名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/22(木) 02:54:59
彼岸が、仏教の「到彼岸」から来たのなら、
私がさとりの世界に到ることが彼岸の主旨になります。
浄土教と結びついてからは、その要素は確かに見られます。

しかし、先祖供養や墓参りは、
仏教の到彼岸からは出てきません。
彼岸という言葉そのものは仏教の言葉ですが、
日本で行われている行事としての彼岸は、
やはり、日本の習俗、祖霊信仰から来たと考えるのが妥当です。
それに、歴史的には浄土教よりも日本の祖霊信仰のほうがはるかに古く、
また、日本の各地において広範囲に広まっていました。
258名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/22(木) 11:33:52
うん、だから、先祖崇拝と仏教の彼岸が合わさって、
日本独自の仏教文化として育った。

何故、日本だけお彼岸があるの?の答えは↑
何故、お彼岸にお墓参りをするの?の答えは↓

日本には古来より先祖崇拝、自然に感謝する習慣が
あったから。

だから、お彼岸の始まりは?の答えは、仏教が伝来
しなければ「彼岸会」として読経することはなかったで
しょうから、仏教由来じゃないの?

うーん、あたいって馬鹿かな・・・
259名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/22(木) 12:44:44
>>258
そういう論理は変ですよ。

> だから、お彼岸の始まりは?の答えは、仏教が伝来
> しなければ「彼岸会」として読経することはなかったで
> しょうから、仏教由来じゃないの

なら、日本古来の祖霊信仰がなければ、
お彼岸にあわせてお墓参りや先祖供養をすることはなかった、
だから仏教以前の祖霊信仰から由来しているとも言える。

彼岸会で読経することが、「到彼岸」すなわち、
私がさとりに到ることを目的にした行事であるのか。
もし、そうなら日本独自の行事である説明にならない。
実際の彼岸の行事は、墓参りや祖霊信仰が主。
260名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/22(木) 13:35:57
>>259 日本人なら先祖供養はあたりまえという前提で、
1年365日ある中で春分の日と秋分の日に特に墓参りをするようになったのはなぜかと問われれば、
仏教が由来だと言えるんじゃない?
先祖供養は日本古来の文化だけど、その中で特に彼岸にお参りするのは、まちがいなく仏教の影響。
261名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/22(木) 14:13:37
まあ、本家と元祖の違い程度のことだろ。
262名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/22(木) 15:27:09
>>261
違う違う。
仏教の「到彼岸」からは、先祖供養や墓参りは出てこない。
263名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/22(木) 15:28:32
>>260
> 1年365日ある中で春分の日と秋分の日に特に墓参りをするようになったのはなぜかと問われれば、
> 仏教が由来だと言えるんじゃない?

春分の日と秋分の日に墓参りをすることが、仏教のどの教えから出てくるの?
264名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/22(木) 17:04:41
>>262
>>263
そうだよ、ちゃんと理解すれば出てこない。
で、当時はちゃんと理解していた人が何人いたのかしら?と思う。

当時、お墓を持っていたのは上流社会の人々で、「死者が祟る」
事によって「地位を失う」のをもっとも恐れていた人々でしょ?それが、
仏教をことさら国家護持の面を強調して導入していった経緯でも
あるはず。そこに何人が「到彼岸」の意味を重要視していたかは
疑問です。

「到彼岸」が「死者の世界」ととらえられたなら、死者供養の読経を
依頼しても不思議じゃない。どうせ当時の僧侶が天皇に勧めたんじゃ
ないの?「春分の日は彼の岸に至るに良き日と聞きます、崇道天皇
を慰める彼岸会をしましょう」とか。(妄想過多)

ま、平行線っぽいで、私はこの辺で引きます。
265名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/22(木) 19:08:00
>>263 最初に話題になってた日想観は、西方極楽浄土やそこにいる阿弥陀仏のビジョンを観る瞑想のトレーニング方法です。
この世づさとれない者でも、極楽ではさとって成仏できるといわれます。
彼岸(さとりの世界)は極楽浄土にもあるのです。
死者は極楽浄土に往生して、阿弥陀仏の弟子となり、いずれ成仏する。
その極楽の方向は西なので、春分・秋分の日の夕日のむこうに、極楽があるというわけ。
で、「あぁ、あの夕日のむこうの極楽に、亡くなった先祖がいるんだなァ」と思いを馳せて、
そうだ!墓参りに行こ。
266名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/22(木) 19:20:42
ちなみに日想観とは、夕日をみつめつづけて、いつでも、目を開けてと閉じても、
目の前に日輪がありありと浮かぶようになるまで、夕日のビジョンをやきつける瞑想です。
それができるようになったら、次は水想観という水を観想するトレーニングに入ります。
そうやって13段階の観想をマスターしていくと、最終的には極楽浄土の風景やそこにいる阿弥陀仏・菩薩達の姿を、
本物のことくバーチャルに観ることができるようになる。
そうやって心静めて観察対象に集中することで、三昧(サマーディー・定)という心乱れない深い精神集中の境地を会得できるのです。
267名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/22(木) 19:25:54
春分、秋分の日は、太陽がほぼ真西に沈むから、西方浄土が一番此岸に近づく、なんていわれてるね。
通説ですが。
268名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/22(木) 19:54:57
>>264
平行線というか、論理が強引すぎますよ。
到彼岸とは、私がさとりへと向かう道、私の仏道のことです。
あの世の先祖を偲んだり供養するのとは発想が違います。
さとりの世界の先祖が主題なら、さとって仏になった先祖を、
なぐさめたり、供養するという発想も変です。

死者供養や祖先崇拝の発想は、「到彼岸」とは異なり、
やはり、関係づけ方が強引すぎます。

霊魂観もそうですが、
お彼岸の墓参りやお盆の墓参りなど、
現在の日本で広く行われている宗教行事は、
仏教の教えから生まれたものではなく、
日本に仏教以前からある祖先崇拝を、
仏教が後に取り入れたと考えるのが妥当ですよ。
269名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/22(木) 22:31:22
神社で維新なんて起きるのかな??

特に戦争美化にご熱心な戦前生まれの神主さんがいるのに(w
早く棺桶に入ってくれれば、澱んだ水は綺麗になる。
270名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/23(金) 01:57:46
>>234以降のカキコを見て判ったこと
『お彼岸は迷信です。』
271名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/23(金) 03:10:50
>>270
それも言うなら「習俗」だろう。
仏教的な意味づけはいまいちだが、迷信というのとは違う。
272名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/23(金) 14:41:08
>>271
『清め塩は迷信です』とポスターまで作っちゃったのはどこの人でしたっけ?
m9(^Д^)プギャー
273:2005/09/23(金) 15:30:34
大銀行が次々と合併し、政界でも野党が合流して事実上、民主党に一本化され
ました。浄土真宗(真宗)でも、本願寺派と大谷派と興正派が合併して
「大・浄土真宗(本流本派)」となればいろんな意味でもっとパワーアップすると
思うのですが。唐突すぎてとても無理ですね。
274名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/23(金) 15:35:27
迷信じゃ迷信じゃ全てが迷信じゃ
275名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/23(金) 15:56:10
>>273
合併する必要も、パワーアップする必要もないが。
276名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/23(金) 16:00:22
合併よりも、徳川時代に無理やりに鎮西に変えされられた西山派を、
ちゃんと元に戻してあげるのが先でしょう。
277名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/23(金) 16:15:35
当時の仏教が、まるで国家安定・五穀豊穣の強力な外来の神のように
扱われ、国分寺が全国に建立、経典は内容を理解するより現世利益面
をことさらに強調し、呪術的に扱われていた事実は各歴史書の通り。

その国分寺で行われた「彼岸会」は、まさしく当時の初期日本仏教ならば
扱うべき事柄。これを今の浄土教的「到彼岸」で理解しようとするから、
「仏教由来じゃない」なんて変な発想になる。当時の仏教も仏教。
278名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/23(金) 16:57:53
国家安定・五穀豊穣のというのと、先祖供養が直接結びつかないんだが。

先祖を敬い、祀るという発想じたいはどこから来たのよ?
279名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/24(土) 02:15:51
>>278
先祖供養は、やはり仏教起源とは言い難い。

>277 の説明も苦しいな。
280名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/24(土) 02:20:24
国が荒れたり、日照りが続いた、疫病が蔓延したり、要するに
悪いことが起こればその原因を「非業の死を遂げた祖先の怒り」
なんぞという理屈は、最近の占い師でもよく使うでしょ?

A お彼岸は日本仏教独自の法会といわれています。文献上の初見は
「日本後記」で大同元年(806)に諸国の国分寺の僧に「春秋の中日分
かつ七日」(お彼岸をはさんで七日間)「金剛般若経」を読ませたといわ
れています。この法会は崇道天皇を養うために営まれました。
 平城京から長岡京への遷都のさいの陰謀事件で、非業の死と遂げた
のが早良親王(崇道天皇の息子)でした。その後、宮廷内のあいつぐ病
死や疫病の流行は、早良親王の怨霊のせいだとして、都をさらに平安京
に遷すいっぽう、親王が殺害された淡路島へ供養僧を派遣したり、全国
規模でこの法会が営まれました。このように、怨霊の追善法要をルーツ
とする彼岸会が、やがて末法思想とむすびつきます。

ttp://nara.cool.ne.jp/takaratera/page013.shtml
より
281名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/24(土) 02:22:49
先祖供養が仏教の発想だとは誰も言っていないぞ、
「お彼岸」の由来は仏教でしょ?と言っている。
282名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/24(土) 03:01:27
>>281
寺院で行われる彼岸会は仏教と関連があるのは当然だが、
春分の日と秋分の日に、墓参りや先祖供養をする彼岸という行事の由来は、
仏教というよりは、仏教以前から日本にある祖先崇拝などの習俗でしょ。

彼岸という言葉が仏教由来なのはわかるが、
先祖供養の行事として日本で広く行われているの現在の彼岸は、
仏教からは生まれたものではないでしょう。
283名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/24(土) 03:20:02
仏教が加わったから「お彼岸」として定着したのを由来と取る。
↑正しい
お彼岸という前にあった習俗を由来と取る。
↑正しい

これが平行線でなくてなんなのでしょうか?
284名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/24(土) 03:36:05
ぁぁ、アレですか、明治時代に「春分の日・秋分の日」を
「春期皇霊祭・秋季皇霊祭」といっていた理由付けですか。
285名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/24(土) 04:53:54
おいおい、
>その後、宮廷内のあいつぐ病
>死や疫病の流行は、早良親王の怨霊のせいだとして
浄土真宗が常日頃「迷信を排斥する」と言ってる科学的根拠の無い迷信そのものじゃん。
「清め塩」が迷信と言うならお彼岸の行事なんかやってたらだめじゃんかよ。
286名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/24(土) 05:29:35
>>285
【門徒】どうして真宗ってダメなの?【物知らず】U
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1121403126/

アンチの方はこちらへどうぞ
287名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/24(土) 06:11:24
>>286
逃げずに答えてあげないの?
288名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/24(土) 09:59:19
>>285
清め塩は、今も、死穢を清めるという意味を持つ。

現在おこなわれている彼岸会は、
> >その後、宮廷内のあいつぐ病
> >死や疫病の流行は、早良親王の怨霊のせいだとして
という意味を持つ行事ではないし、そう認識されてもいない。

その行為が、どういう意味で行われるかによる。
289名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/24(土) 12:51:12
>>285
> 浄土真宗が常日頃「迷信を排斥する」と言ってる科学的根拠の無い迷信そのものじゃん。

科学的根拠など宗教にはありませんよ。
290名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/24(土) 16:56:58
>>289
科学的根拠、科学的根拠と言ってる自分は何者なの?という疑問が沸かないのかな?
と思ってしまう。
291289:2005/09/24(土) 19:29:54
>>290
いや、科学的根拠がないから宗教が信じられないということじゃなくて、
宗教に科学的根拠は必要ないという意味のほうです。
292名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/24(土) 19:38:46
>>291
唯識思想などは科学との整合性という点では興味深いものがありますが。
293名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/24(土) 21:01:59
>>292
科学との整合性というのと、科学的根拠というのとは違うでしょう。
294名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/24(土) 21:06:03
>>293
整合性と言った場合、やはり科学の側から根拠を求められるでしょう。
そこで科学すら包括するものとしての宗教の存在を示すしかないと思いますが。
295名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/24(土) 21:06:43
科学的根拠というと、因果関係の実証が必要であったり、
それが偶然ではなく第三者によって客観的に再現可能であったりとか、
そういう意味で考えますが、そういうことではないですね。
296名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/24(土) 21:48:11
>>275
それは何で??????
297名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/24(土) 23:32:37
>>296
宗教は政治ではないから、数が多ければいいというものではない。
それに、今の東は政治的になりすぎて、教学が主流の西とは合わないな。
298名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/25(日) 08:22:57
浄土宗の僧侶の方に質問です。知恩院におられる「浄土門主」になられる
ような人は、皆さんからみて、どのような方なのでしょうか。(どのよう
にみえる方でしょうか)。わかりにくい質問ですみません。結局、宗派の
実務を取り仕切る「執事長」なんかは、名誉欲、権力欲が強い、ギラギラ
ドロドロとした人がなっても別に不思議でもなんでもないと思うのですが
逆にまた、学級肌、教義一筋で政治力のない人が「門主」になれるほど甘
くはないと思うので。
299訂正:2005/09/25(日) 08:39:15
学級→学究
300名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/25(日) 10:22:08
御門主というのは浄土一宗の天皇陛下みたいなもんです。象徴的存在。
301名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/25(日) 11:42:08
何年か前に知恩院の勢至堂や法然上人の御廟のあたりにいると、高校の修学旅
行生と思われるグループが結構上がってきていました。勢至堂の中や御廟の前
で手を合わせたりしていたので、「ここはどういう場所か知ってる?」て尋ね
たら全員が「知らん。」て答え、知っているグループは皆無でした。そこで
「浄土宗とか法然て知ってるか?」と尋ねるとほとんど全員が「知ってる。日
本史で習った。」と答えました。「ここの勢至堂はその法然が住んでて、そし
てここで死んだんやで。この御廟はその法然のお墓やで。」て教えてあげると
みんな「へえー。そうやたんや。勉強になったなあー。」てよろこんでいまし
た。さらに「浄土真宗とか親鸞とかは知ってるか?」というと「知ってる。親
鸞は法然の弟子やって日本史で習った。」と答えます。それならと「親鸞が法
然について勉強・修行したのはこのお寺やで。ちょうどこの下のお堂から門に
かけてのあたりやで。」「大学や高校の名前に『大谷』という名前をよく見か
けるけど、その『大谷』ていうのはこの辺のことをいうんやで(厳密には崇泰
院のあたり)。」と教えてあげるとものすごく感動していました。せっかく日
本史でいろんなことを学んで、そして京都に来ているのに知識といま自分たち
がいる場所が結びついていないのがもったいないですね。
302名無しさん@京都板じゃないよ:2005/09/25(日) 22:47:48
>>301
>「親鸞が法然について勉強・修行したのはこのお寺やで。
> ちょうどこの下のお堂から門にかけてのあたりやで。」

吉水の草庵があったのは、円山公園の時宗の安養寺のあたりじゃなかったですか?
知恩院で親鸞が勉強・修行したわけではないでしょう。

知恩院に大谷があったというのもどうですかね。
親鸞の墓所のあった元大谷は崇泰院のあたりで、
徳川の知恩院拡張命令のために、移転させられましたね。

修学旅行生相手では厳密なことは必要ないのかもしれませんが、
わざわざ説明をするのなら、情報は正確に。
303名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/05(水) 17:25:35
>>302
>親鸞の墓所のあった元大谷は崇泰院のあたりで、
>徳川の知恩院拡張命令のために、移転させられましたね。

現・崇泰院の裏手の竹やぶの中に今も親鸞の墓があるね。
といっても、今は知恩院がめり込んできている状態。そこにかつて崇泰院があったということ
なんだろうが。
304名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/05(水) 21:57:20
>>303
今の親鸞の墓は、真宗信者のために後に作られたもの。
現・崇泰院のあたりには、本願寺と親鸞の墓があったが、
徳川の知恩院拡張命令によって移転させられた。
その後に知恩院の塔頭として崇泰院が出来たんじゃないですか。
305名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/05(水) 22:37:17
今の崇泰院の裏庭付近が東山大谷。
そこに親鸞の廟とそれを護持するための庵が設けられ、本願寺の原型が出来上がったと。
親鸞の墓(レプリカ?)があるのはその裏庭のところでしょ。
で、大谷本願寺は蓮如の時代に破却されたしまったと。
306名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 00:36:02
>>305
破壊されたことが布教僧・蓮如にとってはひとつの契機になるわけだけど。
307名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 19:16:05
生まれ育ったところとは言いながら、
大谷の地に居続けることは、麻雀で言えば、最初っから三翻縛りのルールで布教を
余儀なくされるようなものだったしね。
308名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 22:58:34
叡山縛り、青蓮院縛り・・・
309名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:08:49
真宗のお坊さんは信心決定してるんですか?
310名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:10:23
>>309
してる人もいれば、してない人もいるでしょ。
でも、他人様のことより自分のことを考えたらどうです?
どこまでも自分の信心、それが真宗でしょ。
311名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:19:01
>>310
やり方わかんないのです。
信心決定してるお坊さんにやり方教えてもらいたいので。
312名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:21:38
>>311
念仏の一行ですよ〜!
313名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:26:36
>>312
念仏するですけど、「ところで阿弥陀って何?」とか、
そういうことばっかり頭に浮かんでくるですよ。
314名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:27:39
>>313
ならば、何かを考えれば良いだけでは?大事なことだと思うよ、それ。
315名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:31:07
>>314
それでね、浄土にいけたとするじゃないですか。そう考えて、
あのキンキラキンの阿弥陀が迎えてくれてもちょっと引くなあ、とか。
316名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:32:27
>>315
心安らかなる瞬間がある、それだけで十分さ。
317名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:39:21
あと、お寺とか仏壇のインテリア、昔の人にはよかったかもしれないけど、
今人には「ここに行きたいなあ」という雰囲気と違う気もします。
318名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:40:14
>>317
ならば「ここに行きたいなあ」という雰囲気とは?
319名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:41:38
なんか おまいら 平和で いいよな
320名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:44:16
>>318
もれの場合は、芝生でねっころがってぼーっとしてるようなのが浄土っぽいかなあと。
321名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:44:24
>>315
阿弥陀の浄土、あれは一種の感動表現。
ならば、自分はどのような感動を以て浄土と出会うのか。それ、けっこう楽しみよ。
322名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:45:23
>>320
では、その自分なりの「心の荘厳」を表現してみたらどう?
323名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:48:14
侘び寂の阿弥陀様かよ。
324名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:49:36
>>323
アンタ、侘び寂びをナメちゃいかんよ。
あれはあれで一宇宙を表現してるんだから。
325名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:49:58
あと、お経に出てくる浄土遠すぎてマイナスイメージじゃないかな。
別に遠くにあるんじゃないでしょ?
お経もっとなじみやすくするのがいいんじゃないかなあ。
326名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:51:30
>>322
表現っていうのは?
327名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:53:49
>>325
1人1人の心の内に、かつ、1人1人の間にあるもの、それが浄土。

言葉から広がる世界を楽しみなさいよ。
そのために皆さんで唱和、が基本になってるんだし。
適当な和訳でみんなが同じ受け取りをしたらつまらないでしょ。
328名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:54:21
>>326
形に表すということじゃないの。
329名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:57:18
難しいなあ。じゃあ、お経もうちょっと抽象的なほうがよさそうとも思うます。
330名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:59:47
>>329
そこから何を受け取るのかを大事にしたら?
言葉に触れようよ。ブー垂れる前に。
331名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/14(金) 00:03:24
言葉。
332名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 00:05:51
>>331
経論の言葉のことでしょう。
333名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/21(金) 07:47:30
何か良いね、ここ。
334名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 15:22:50
最近、湿りがちですね。
とりあえず、ageておきましょう。
335名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 15:25:04
>>325
維摩経にはこの世界が浄土だと書いてあります。
336名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/09(水) 17:12:33
上人さん、おすすめの線香おしえてください
337上人:2005/11/09(水) 19:04:49
大典香。一本で長持ちしる。
338名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/12(土) 23:02:09
>>325
逆に住職に積極質問してみりゃいいのに。
案外、喜ばれると思うが。
339けちゃっぷ:2005/11/14(月) 22:14:55
浄土はこの宇宙とは別の宇宙ですからね。めちゃくちゃ遠い
340名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/14(月) 22:18:38
「悪趣いずくに有りぬべき 浄土即ち遠からず」といいますからね。
341名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/15(火) 19:07:55
>>339
遠いとか近いなんて計る尺度がないだろうに。
何を言ってるんだ、この似非坊主は。
342名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/15(火) 20:39:35
>>341
まあまあ、あれはオカルト坊主ですから
343けちゃっぷ:2005/11/15(火) 23:03:43
「これより西方十万億の仏土を過ぎて、世界あり。
名づけて極楽という。」
遠くないですか?
344名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/15(火) 23:05:14
遠いと思えば遠くなる。
近いと思えば、貴方は浄土に。
345けちゃっぷ:2005/11/15(火) 23:10:40
>>344 浄土とは、仏がいる世界、理想の教団がある国のことです。
うちの近所にはなさそうですが…
346名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/15(火) 23:40:21
>>343
その極楽の大きさは?
347名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/15(火) 23:54:55
浄土は己心にあり。
この心、貪り怒りにまみるれば即ち地獄、浄土は彼方にありて遠し。
この心、拘らわず著さざれば即心浄土。
348けちゃっぷ:2005/11/16(水) 00:38:36
>>346 わかりませんが、阿弥陀仏の身長は「六十万億那由他恒河沙由旬」という考えられない高さですから、浄土もでかいのでは?
349名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/16(水) 02:54:12
>>348
浄土は「広大無辺」とありますから遠くであっても・・・
350名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/17(木) 14:12:44
>>337
上人様教えていただきありがとうございます
検索してもでてこないので見せてもらえるように今度上人様にきいてみようかなあ
金あれば買いたい
ぼくは100%香木の線香がほしいんだよなあ
351名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/17(木) 14:26:46
線香は香木を粉末にして調合し練りあげ、細く棒状にしたものです。
棒状にする際、固着剤等も混入してありますので100パーセント香木と
云う線香はありえません。
100パーセント香木をご希望でしたなら、香木そのものを求められるのが
云いと思います。
352名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/29(火) 12:50:13
こんにちは。現在、神社仏閣板では、ローカルルールを決める議論をしています。
興味のある方、ご意見のある方は、下記スレッドまで、お越しください。

ローカルルール(LR)議論スレッド
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1102745174/
353名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/04(日) 19:23:04
>>348
デカいとか小さいとか、人間様の基準で考えるべきではないでしょう。
354名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/04(日) 20:30:54
実在しないものに大きさも糞もありません。
355名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/04(日) 21:06:07
>>354
糞は実在です
356名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/04(日) 21:12:17
水洗便器に詰まってしまうようなデカ糞は
どうかご遠慮くらさい。
357名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/04(日) 21:33:19
>>350
字が典じゃなくて天だな。大天香。長さ70a〜80aある。
358けちゃっぷ:2005/12/05(月) 18:54:32
>>354 観無量寿経で仏身を観察する瞑想を説いた仏身観の中にある、サイズの説明です。
ですから実在するしないにかかわらず、そのような超宇宙サイズの仏をイメージしてゆく瞑想なのです。
359名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/05(月) 20:43:04
>>358
宇宙を想像できない者が超宇宙を想像すること自体、無意味なことです。
360名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/08(木) 16:36:46
ここも一時の勢いはもうありませんね。
361名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/15(日) 09:38:10
age
362一応浄土系の坊さんなんですが・・・:2006/02/07(火) 01:48:09
質問です。
こんど自坊で施餓鬼会があるんだけど、とある信徒さんが“家内安全”で御塔婆をお願いします、と言ってきた。
普通は“○○家先祖代々追善菩提”って書くんだけど、この場合、○○家家内安全・・・その後はなんて書けば
いいんだろうか。
363名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/07(火) 10:13:10
>>362
世界平和

家内だけ安全でもね・・・
364名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/07(火) 23:44:13
>>362
要は、“追善菩提”ってところを何て書けばいいかって話だろうけど、
浄土系では、現世利益は説いてないので、適当なことばはないんじゃないのかい?
って、わたしもあんまり詳しくないんで・・・、誰か詳しい方にお任せします。
365名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/08(水) 00:09:29
福寿無量 亡者離苦 超生浄土
366名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/08(水) 02:35:43
>>362
○○家家内安全祈願、でいいんじゃないの?
367名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/08(水) 03:21:25
>>366
神社みたいだな、浄土系とは思えない。
さすがにそんな塔婆だと恥ずかしいだろう。
368名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/08(水) 22:26:32
>>367
んじゃ、恥ずかしくない回向文をお願いします。
369名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/08(水) 22:37:52
>>368
家内安全は浄土系寺院としては恥ずかしいということ
370名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 00:01:08
>>369
“信徒”とか言ってるんで、檀家でない家が家内安全をその寺院に依頼しているだけで、
別にその寺せいでもでもないんで恥ずべきことでもないだろう。
371名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 00:05:40
つーか、それなら祈祷札を作ってしまってはどうかと。
浄土宗でも増上寺黒本尊なんかではバリバリのご祈祷やってるし、
呑龍上人のように現世利益の対象にされてご祈祷する場合もあるし。
それか、塔婆じゃないといけない理由があるとか?
372名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 00:41:38
だいたい施餓鬼というのが、飲食を加持して餓鬼に施し、且つは法を説き、離苦得脱を願って功徳を得るという儀式。

必ずしも先祖の追善菩提を努めなければいけないというものでもない。

餓鬼に施しをした功徳を何に振り向けるかは自分の心願次第ということになろう。
373名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 01:52:54
>>372
自分のご利益を求めるのが施餓鬼の目的?
374名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 01:53:50
>>371
それは浄土宗としては寺の恥だろうね
375名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 14:28:12
>>374
“字寺”っていうことば知らんだろう?
376名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 14:35:40
追善供養もご先祖様に自分を守ってもらう気持ちだからな。
すべて儀式供養は、巡り廻って自分の利益となる。
利益衆生が如来出世の根本大義である。
377名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 15:05:29
まぁ、お札に書くとすると、“○○家家内安全御守護”となるだろうけど、
それをそのまま塔婆に書けばいいんじゃないのか、と・・・。

でも、なんて回向するかだなぁ・・・。
378名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/09(木) 20:21:24
>>377
恥ずかしいだろうなあ
379名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 00:37:35
まあ、いいんじゃないの?
真宗じゃあるまいし、硬いこと言わなくても。
380名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 02:03:54
>>379
浄土宗なら、何でもありっていうこと?
それって、節操ないと思われるね。
381名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 13:54:12
>>380
誰もそんなこと気にしてないでしょ。
扱いアイテムが多くなっていいじゃないw
382名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 13:59:50
◎紀子様の結婚時の写真(23才)◎
http://019.gamushara.net/bbs/tv/html/img20051028091949.html

●マメ知識●
@今の天皇陛下には4人も姉上がいて、
1989年(当然平成元年)に即位したとき、彼女達はカヤの外だった。
(皇室典範が男女差別とかいうんなら、この即位すら不当になる。)

A2003年度中に10人目以上を出産した女性が60人もいる。
ちなみに9人目を産んだ人は78人、8人目が188人。
少子化とか言っても産んでる人は産んでますヨ。 厚生労働省・人口動態統計 中巻 出生 第5表 より
383名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/10(金) 14:51:23
お参り先でふつうに「遠い所で暮らしてる娘の無事を頼んでください」とか
「今度孫が受験なんでお願いします」「妻が今度出産なんです」とか頼まれる。
「そんなことできるかヴォケェェ!現世利益頼むんなら他の宗派行けや!」とは言わないw。
一緒に念仏させて回向してる。
本山の朝の勤行や食事時にふつうに施主の災章消除福え増上を祈ってたんで特に違和感はない気が。
ふだんの信心しだいで仏さまご先祖様のお守りもかなうと思ってるよ。
384名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/11(土) 22:38:32
まさに念仏万能論。
385名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/11(土) 23:01:44
何かの形で娘のために祈願したいという人情と、
常日頃からの信仰や、菩提寺住職への親近感などがからみあって、
そのようなお願いをされたのでしょう。
効く効かないじゃなくて、
人情として受け入れてあげて、
目にみえない親心を目に見えるように
具現化してあげたい気もしますね。
386名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 00:41:32
>>383
「ボケ」と言えとは言いませんが、
せっかくの機会、念仏の教えをちゃんと伝えて、
ご利益を願う心を、仏教の教えに導くことが大事でしょう。
納得するように相手を導く、浄土系の僧侶としての道を学んでくださいな。
387名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 00:44:01
>>383
それで、娘が事故にでも遭えば、どう説明なさるのでしょうね。
388名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 01:11:35
横からの意見としてですが、事故に遭われても、事故に遭わずにすんでも、どちらにしても常に御守り下さると思いますよ。
事故に遭ったら遭ったで、如来さまが見捨てることがあるでしょうか?
たとえそれがもとでお浄土に旅立たれることがあっても(人間の命の尽きるのは老若不定ですから)
如来さまが浄土からいらっしゃってずっと付き添って下さると思います。
そんなにお母さまに思われてるんですから、その縁、その思いは必ず通じるはずです。
そのように一緒に付き従ってお念仏するようでしたら、お母さまも日頃から念仏申されるようになるでしょう。
人間の愚かな計らいで事故に遭うとか遭わないとか心配して動揺するよりも、
とにもかくにも日々の安心から後生の浄土まで仏さまに見守られたいものです。
いずれにせよ御守り下さるように念仏申し上げて祈り申し上げるのが良いと思います。
389名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 03:04:33
現世利益のための念仏ですか・・
浄土教で説かれる念仏はそんなもんなんですかね
390名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 04:43:54
>>389
浄土宗と浄土真宗では、同じ念仏でも性質が違うのでしょう。
どちらが良い、悪いとは言いませんが。
391名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 07:24:03
現世利益のための念仏、なんて大げさなことではないでしょう。
念仏の教義は変わらない。
ただ、儀式を通じて願いを表現するだけ。
たとえば親しい人から交通安全のお守りをプレゼントされたら、うれしい。
お守りが効く・効かないの問題ではなく、
あなたの安全を私は願っていますという、
気持ちを表現する媒介なのです。
392名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 07:49:46
坊さんだけに巧いこと表現するのだが、結局は余技に走って念仏の意味合いを曖昧なものに
してしまっている。
393名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 09:26:58
仏前結婚式で念仏するのとかも、反対ですか?
394名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 11:35:44
仏前結婚だけじゃなく、住職就任式とか必要ですか?
正月、花まつり、盆、涅槃会、成道会、どれも往生とは関係ない。
もっと言えば葬式やお墓や仏壇もそう。
墓や仏壇や葬式で往生できるわけじゃない。
ぶっちゃけ寺や坊さん自体が必要ない、と言うかむしろ純粋な教えの邪魔。
395名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 12:55:20
>>394
純粋な教えが自分でおわかりならば、
お寺やお坊さんにかかわらずに一人でされたらいいだけです。

お寺やお坊さんは、仏法に関わる機会の少ない人に、
ご縁を取り次ぐ役割でしかありませんから、
必要のない人には、必要なしでいいんじゃないですか。

浄土往生に墓や仏壇が必要などとは仏法で説きませんから、
必要のない人には、いらないものでしょうね。
それでいいのなら。
396名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 15:20:31
>>394
ぶっちゃけ往生のみが目的ですか?

>墓や仏壇や葬式で往生できるわけじゃない。
でもあってもいいんじゃない。
邪魔になる根拠が無いしね。

>ぶっちゃけ寺や坊さん自体が必要ない、と言うかむしろ純粋な教えの邪魔。
寺や坊さんが必要ない人は、ここなんか読まなければいい。

人が坊さんにだまされてると言うならだまされてる人に向かって言えばいいんだし。


第一純粋な教えって何よ?wwww
397名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 15:42:52
>>394
純粋な仏教の教えをご存じで、
それだけの知識と見識をもって墓や僧侶がいらないというのなら、
自分でそうすればいいだけです。
誰もじゃまはいたしません。
398名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 16:15:04
>>395-397
なに開き直ってんだか。
純粋な教えは往生極楽ですよ。
現世利益みたいな不純な欲望にまみれず、不必要な余技に走らない。
純粋にただ往生を目的とする念仏です。
お寺や坊さんが節操なく不必要なことに関わるから、この大目的が曖昧にされ、
純粋な教えがねじ曲げられて、結果人々から誤解されているのが現状でしょ。

だったらむしろそういう恥ずかしい寺や坊さんは必要ないんじゃないか、っていう批判です。
それに対してあなた方業界人の側には一つも反省はないんですか?
情けない。
399名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 16:58:13
>>398
仏壇や墓が教えをねじまげていると思えばもたなければいい。
で、あなたは仏壇も墓も持たないわけでしょう。
墓や仏壇にこだわるのは、僧侶の側よりも遺族の側ですよ。
400名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 17:18:15
>>399
出たよ。

なんでも遺族のせい。ワシらただ希望通りやってあげてるだけよ、ってか。
だったら祈祷も除霊も御まもりもぽっくりもその理屈で、
檀家信者がこだわるからやってるだけだって言い訳するつもりかな?

それになんで文章の一部を目の敵にして、仏壇や墓を持ってないって決めつけるかなぁ。
ひょっとしてこれが飯の種だから痛い所突かれたとか?
明らかに浄土教の教えから外れてるもんね!
むしろ墓や仏壇に対する坊さんのこだわりが垣間見れた。
401名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 17:19:37
面白い人が出てきたね。
ageておこう。
402名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 17:28:14
>>400
で、そのうち創価認定されるのが関の山だったりして(w

確かにね、浄土宗って今ひとつ何がしたいのか分からんところがあるのよ。
俺も檀家ではあるけど、何のための念仏なのかなぁって。
方便の効かせすぎというかね。
往生の念仏、確かにその通り。
しかし、何故、仏壇や墓という形を取るのかな、と考えてみると、念仏を相続していくのに
形を必要をするんじゃないか、そんなことを思うんけどね。
自分にとっての本尊(仏壇)を持つ、これは一種の信仰表現のようなもの。
「そんなものイラネ」というのであれば要らないのかも知れないが、本願の体というものを
形に表さないと皆で共有できないからね。
念仏の相続は、同時に命の相続でもあるから、墓についてもそこに形を取ろうじゃないか、
俺はそんなふうに捉えてるんだが。
403名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 17:38:21
>>400
>だったら祈祷も除霊も御まもりもぽっくりもその理屈で、檀家信者がこだわるからやってるだけ

んなことはないだろうよ。
寺の側がやってるから「それならば・・・」と出向いてるだけじゃないの?
まあ、願望があるからそれに応えるというのもあるんだろうけどさ。
でも、念仏で往生しようって話なのに、何でそんなモンを取り出してくるかなぁ。
本質歪んでないか?
404名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 18:12:38
>>403
真宗は要望があってもしないけど、
浄土宗は寺がやっている。
同じ浄土系でも違うんだなあ。
405名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 19:35:16
>>402
念仏が正行だって言うのに、それ以外を盛んにやって誤解を招いてるんよね。
とりあえず寺が先祖回向や葬式や墓地経営を止めて、
純粋な念仏と法話の道場として生まれ変わったら、見直すけどねぇ。
高そうな本尊とかきらびやかなお堂もいらんと思う。
406名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 19:45:14
絡んでるのは親鸞会か?

気持ちよく念仏、これが浄土宗。
理屈並べたい奴は真宗へ。
407名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 19:47:55
>>405
まず
浄土系で祈祷などはただの商売ですよ。
墓地の斡旋なんぞ本当に腹黒いわ。
称名念仏スレ見ると先祖回向も叩かれてますなww

>念仏が正行だって言うのに、それ以外を盛んにやって誤解を招いてるんよね。
その通り。
だが、仏壇・墓はともかく、仏教行事まで否定する馬鹿がいて困る。
墓なんてなくてもいいし、仏壇もどっちでもいいが、
何も無いところで人は信仰心が持続できるんかいな。
疑問ですな。(信じてない人はいくらでも叩けるがね)

>とりあえず寺が先祖回向や葬式や墓地経営を止めて、
>純粋な念仏と法話の道場として生まれ変わったら、見直すけどねぇ。
そういうところには見向きもしなくなるでしょうな。
叩けるところだけ見つめてる人にとっては。
そういうところは目立たないしね。

>高そうな本尊とかきらびやかなお堂もいらんと思う。
何も無いところで極楽の話をして、昔の人が頭から信じたとでも?
そういういきさつは無視してはいかんよ。


つまるところ、現代の寺叩きたいだけなら別スレ立てるべきだと思うけどね。

【坊主】現代の寺・坊主はここがアカン【丸儲け】

とか立ててみたら?
408名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 19:50:53
>>405
正行なのは分かるけどね。
でも、君と俺だけが分かってもしょうがないんじゃないの?
それに人間の「思い」や「情」ってそんなに簡単に整理整頓できるものでもないし。
仮に形を立てることが必要だからやってるんだろうし。
そこから真実に辿り着くという流れがあるのだから、そこさえ間違えなければ問題ない。
それと墓地経営をやめる必要性もない。俺、墓参りにも行ってるし、必然性を感じてるから。
409名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 19:51:15
>>407
あんた、中々ええセンスしとるな。スレたて人になれるで。
410名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 19:55:08
>>407
>【坊主】現代の寺・坊主はここがアカン【丸儲け】

それでなくても類似スレが多いのでやめてください。
下記でどうぞ。

【総合】坊主に対する批判・要望スレ【Part.2】
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1136376439/
411名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 20:05:20
>>407
>何も無いところで人は信仰心が持続できるんかいな。

多分、できるんじゃないですか、>>405さんは。
412名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 20:05:29
>>402
念仏するのに形を必要とすると言っては、無駄に高価な伽藍を建てる。
念仏の相続は命の相続だと言っては、墓を建て先祖を祭る。

結局それは坊さんの口車と同じですよ。

繋がってきた命の有り難さ、御先祖様に感謝しよう!てな話から、先祖回向しましょう!でしょ?
回向に何の根拠も無いのにねえ。

>>407
仏教行事って盆や彼岸のことかな?
やっても往生はできないでしょ。
それで信仰心と言えるだろうか?
413名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 20:12:50
>>412
>念仏するのに形を必要とすると言っては、無駄に高価な伽藍を建てる。

うちの菩提寺はお粗末だけどね(w

>繋がってきた命の有り難さ、御先祖様に感謝しよう!

自分のところの墓だけ行ってりゃそうなるね。他は知らん、だもの。
俺ね、墓参り行く度に、墓地を散歩してみるんだわ。先祖だろうが先祖じゃなかろうが、
あれって見方を変えれば営みの証でもあるからね。
で、結果的に今、俺がここにいるわけで。
そりゃやっぱり、命の営みに感謝したい気持ちになってくるしね。
念仏は相続されてきたわけだし、そりゃ命の営みと共にここまで来たんだしさ。
414名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 20:15:43
>>412の発言だけを拾い集めていくと、極度な(ry
415名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 20:37:10
祈願の受付はこちらへ!!
http://www.zojoji.or.jp/kigan/
416名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 20:42:09
  _n                 n_
 ( l    _、_     _、_    l )  good job!! >>415
  \ \ ( <_,` ) ( ,_ノ` )  / /
   ヽ___ ̄ ̄  )  (   ̄ ̄___/
     /   /    \   \
417名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 20:47:19
>>413
営みってぶっちゃけセクースのことかな?
先祖というか人間がセクースをしてきたから命が続いているのに、
だったらセクースを拝んでもおかしくないことになるよね?!
命の営みとかは坊さんが食いっぱぐれないように、後から考えた理屈じゃないかなぁ。
自分の往生とは関係ない気が…
418名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 20:50:27
浄土宗での厄除け星祭の受付はこちらへ!!
http://ww6.tiki.ne.jp/~k-seri/t_yakubarai.htm
419名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 21:38:05
417が意味不明な発言を開陳するスレと成りました

一個人の往生が目的で宗祖は教えなど説いてはいないということが
何故わからんかなぁ

そんな個人主義な思考は仏教には存在しませんよ。
420名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 22:05:08
>>419
真宗などの場合は
「こんな俺ですら救われるとするならば、この世で救われない者がいるだろうか」
というスタンスですからね。
それを個人主義と括るならばそこまでのものかと。
421名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 22:09:51
>>418
意味不明なのは、あなたの頭の中でですね?

念仏は、自分が極楽へ往生するためのものであり、「ただ一向に念仏すべし」という法然上人の言葉は、
あくまでも「自分」を於いて他にはないですね?
自分が先祖回向をしたところで、先祖が救われる訳でない。先祖は先祖ご自身の念仏で救われるでしょうから。
親鸞聖人は「考えて見れば阿弥陀仏はわたし一人をお救いになる為に本願を誓われた」とおっしゃってますね。

422名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 22:19:17
なるほど。
こいつが何者かよく分かったわ。
423名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 22:22:50
>>421
ソレは全ての人に平等に「私のためにおや様が」の考えですからねぇ。
でも、他の人が自分の往生には関係ないというスタンスは身勝手と言うか個人主義に思えます。
この世に立ち返って皆を導こうとする、還相の考え方にも外れると思いますね。

自分が、何の因縁も無くここにあるのであれば別ですが
数え切れないご援のおかげで今此処にあるのですから
先祖にも感謝したいし、他の人にも喜びを分けてあげたい。
自分の往生はみなの往生につながります。きっと。



祖師の言葉の一部をつかまえて、そういう見方をするのはデジタル過ぎますよ。
424名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 22:23:41
>>423
×ご援
○ご縁
425名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 22:28:05
他人を蹴落としても救命ボートに乗ろうという「往生」のようで。
426名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/12(日) 23:22:59
>>423
>>421は内村鑑三ではないけれども、自分自身がここに生れたのは自分自身の与り知らない事だと
言いたいようです。

第18願には
「設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆誹謗正法」
とあるわけですが、「十方衆生」を親鸞さんが「私一人」と感受するのは、そこに懺悔があるからでしょう。
その頷きがまさに善導大師の金言でしょう。
「私のような者をたすけんがために」であると同時に、「私のような者がたすかるのであれば…」でもある
わけですね。
表現は一人称ですが、法蔵菩薩の願文としては「十方衆生」という背景があるわけです。
全員が救われるということは、ただ一人も除かれてはならない。親鸞さんの表現を逆手に取れば、それ
は除かれずに済んだ者の感動表現ですね。自分が先頭を切って救われるような話ではありません。
除かれるような者の境界に立って、初めて本願をかたじけなく思えたということでしょう。
少なくとも「私が」の持つ意味が「自分ひとり」ということではないことは明らかですね。
427けちゃっぷ:2006/02/13(月) 00:30:57
>>426 「親鸞一人がため」というのには、華厳経的な思考があるのでは?
宇宙全体の一切を100として、
親鸞一人が1ならば、親鸞以外の世界が99になる。
世界が今99であるのは、親鸞が1であるためである。
1の親鸞を存在させるためには世界が99である必要があり、
世界が98になれば親鸞は存在さえ許されない。
今、現に世界が99となって親鸞1の存在を許しているのである。
ありがとう99!1である私を許すためだけに、今99なのだ。
428名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 01:17:18
>>427
何をとぼけたこと言っているんだか。
「親鸞一人がため」というのは「一子地」のこと。
429名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 02:57:01
>>428
如来の平等心に抱き締められる心持ちでやんすかね。
430名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 03:23:49
>>429
如来は、みんなを同じように、まるでひとり子のように抱きしめてくれるんですね。
だから親鸞にとっては、わたし一人を抱きしめてくれる如来の本願と感じたんですね。
一人ひとりに全力投球する如来、だからその意味で平等心なんですね。
431名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 09:31:42
昨日の坊やはどこにいったんでしょう
馬鹿は一人残ってるようですが
432名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 14:15:48
>>431
あの馬鹿は消えない
433名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 14:31:54
>>431
だって浄土宗だもの。
434名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 14:48:41
浄土宗スレでは重宝されても、真宗禿が相手ではお得意のご高説も通用しないようで。
そりゃ、商業主義的なのか知らんが助業ばかりに精を出してりゃ、教条主義的な真宗禿に
どつかれるのは当然か。
435名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 14:56:34
どうも〜馬鹿でーすw!
昨日夜にレス入れたと思ったけど、誤爆したかも知れんw

手短に言うと>>423還相とか>>426第十八願から先祖回向になるって理屈が分からん。
そこに根拠を示してくれれば誰もが納得するのに。
先祖回向にどんな根拠を示せるかが関心事なんであって、
親とかひとり子とか的外れなレス書き込まれてもワケ分かりません。
436名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 15:02:47
>>435
どうもおまえさんの言質からすると、対象は浄土宗のようなので、まずは公式を覗いて来い。
話はそれからだ。
437名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 17:26:35
「生のみが我等にあらず、死も亦我等なり」
ここに死んで向こうに生まれ、ここに生まれて向こうに死んでいく。これを言葉を変えて
往相還相ともいうことができる。生は往相であり、死は還相であります。
生死が往相還相になり、往相還相が一つになる。そこに無量寿の世界が現れるので
あります。長生きを欲するというのは、単に死を否定する心持からでた欲望でない。
この世を延長して無量寿に生きたいということに外ならないのである。この世をこの世
としておいて向こうに無量寿の世界をみるようになる。
この無量寿が欲しいという欲求を単なる単なる未来の願いにしない、その仏を現在の
自分の願いのうちに発見して、自分が無量寿になろう、無量寿が今現に我が胸の中
に住み込んで下さる、わしは今無量寿の中に住み込んでおる、わしのこの一念の中
に無量寿の命を含んでおるのである、今のこの一瞬間は無限の自分であるぞ、無限
の自分の中に摂取せられるのじゃと、無限と自分との隔てがなくなるのである。
                                             暁烏 敏
438名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 17:31:45
>>435
さ、そろそろ勤務明けの公務員僧侶・けちゃっぷ君が明快に回答してくれると思います。
暫しお待ちを。
439名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 17:53:33
>>438
また、とぼけた話を聞くのか・・・ヤレヤレ
440名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 18:03:33
>>439
しょうがない。
浄土宗の僧侶が答えてやらなけりゃ意味がないしな。
441名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 19:08:14
>>435
おやおや。
先祖回向の話に変わってきましたね。
でしたら、
浄土宗・称名念仏第八回
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1137589875/
で熱い?議論がされてますよ。

墓とか仏壇の商売ッ気の話やや余行の話だと思ってたんですけどねぇwww
442名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 19:13:23
>>441
何でもいいんでしょ?難癖君にとっては。
443名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 19:31:02
>>427
あほかいな
これが浄土宗の坊さん?
444名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 19:33:36
>>443
あれ?けちゃっぷって浄土宗の坊さんじゃないの?
445名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 20:09:13
>>444
アルバイトで浄土宗の坊さんやってる税務署職員じゃなかった?
446名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 20:24:10
>>445
確かそんな身の上の人だったと思います。
でも、浄土宗のスレでは人気があるんでしょ?
今日はあまり姿が見えないようですけど。
447けちゃっぷ:2006/02/13(月) 20:47:52
>>435 先祖回向と十八願は、直接関係ないと思います。
慈・悲・喜・捨の心から、一切衆生の幸せを願って功徳を回し向けることは、
仏教一般で行なわれています。
しかし、先祖回向は、そのような慈悲の瞑想的修行でもありません。
人情として、やりたいからやってるだけです。
448名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 21:13:12

先祖供養=人情でやってるだけ

ということで、他の浄土宗僧侶はよろしいかな?。
449名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 21:17:22
>>445
そう言えば、アルバイトで浄土宗の坊さんやってる散髪屋さんいたな。
葬式の時に坊さんの数が足りないと寺からお呼びがかかると言ってたが、
安くつくので便利に使われいるのかな。
ただ、お経はあげられるが仏教のこと知らないので驚いたことあったなあ。
450名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 21:22:20
>>441
じゃあ先祖回向は正行だって言うのかい?
浄土宗は称名正行じゃなかったか?
451名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 21:24:26
日課念仏六萬遍
452名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 21:31:17
>>450
その前に日本語の読解力の問題ですね。
453名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 23:15:24
>>448
ということは、浄土宗の坊主はほぼ「人情」でメシ食ってるわけか。
454名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 23:23:43
>>453
そんな指摘をしないのが人情ってもんでしょ
455名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/13(月) 23:33:37
>>454
なかなか適切な突っ込みだと思いますw
456名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 01:01:03
>>452
激しく同意。
どこをどう読めば「先祖回向は正行だ」になるかが理解できん
457名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 01:39:17

先祖回向は教えに反して根拠もないまま人情に流されてやってるだけというのでFA?
458名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 01:41:30
>>457
そりゃ、けちゃっぷ論だろ?
他にも意見を求めたらどうだ?
他にも浄土宗の坊さん、いるんだろ?
459名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 01:51:34
>>458
このあたり真宗サイドはまるで別見解を示すからな。
460参考:2006/02/14(火) 02:23:07
http://www.jodo.or.jp/naruhodo/event/index19.html

追善供養と年回法要
----------------------------------------------------------------------------
人の死、特に身近な人の死を実感することは、日に日に強まってくるものです。枕経から、通夜、
葬儀とあわただしく過ぎたあとで、普段の生活に戻ると、ポッカリ空いた故人の思い出に悲しみが
再び強くなることは当然のことでしょう。ですが、いつまでも死にこだわり続け、泣き暮らし続けるわ
けにもいきません。ですから、その悲しみを癒すためにも、そして月日が過ぎても故人を忘れない
ためにも、追善供養や年回法要(年忌法要)という仏事が、一定の期間をもって行われるのです。
五十回忌を迎えた故人(祖父母など)になると、面影や姿は知る由もなく、名前をいつか聞いたこと
があるだけ、などということは多々あることでしょう。ですが、その方がいらしたお蔭でいまの自分が
いるのだ、という先祖を敬う気持ち。また名前しかしらない方の話を法要のあとで両親や親戚など
から聞いて、思いを馳せる。こうしたことで、家が代々つながっていく。というように法要は大切な意
味をもっています。亡くなった人をこころに呼び戻すことのありがたさを大事にしたいものです。
461名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 02:41:50
>>460
浄土宗のスレでは、
浄土往生した死者が、修行して早く成仏するために法事をするということだったが、
ずいぶんニュアンスが違うんだなあ。
462名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 02:44:59
>>461
というかさ、浄土に生れたんだろ?
阿弥陀様の国だぞ?俺たちが何で「修行せい!」「成仏せい!」とやらにゃいかんの。
そういうことは阿弥陀様に任せなさいっての。
向こうの方がプロなんだし。
463名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 10:39:49
>>462
でも、それが法事などの追善供養が必要な根拠となっているから、
それは浄土宗でははずせないんじゃないか。
阿弥陀さんの本願を信じてまかせればいいものを、他の行をしたり、他の神仏も拝んだり、
この世でも何だかじたばたするし、浄土往生した後も成仏させてもらえるか心配して追善回向するし、
まあ、阿弥陀さんも、あんまり信用されてないってことなんだなあ。
464けちゃっぷ:2006/02/14(火) 12:22:51
>>463 亡くなった家族のために何かしてあげたいという人情を、
儀式を通して表現しているのです。

阿弥陀仏の指導を信頼していないのではありませんし、
法事しなければ成仏できないというわけでもありません。
遠足前にてるてる坊主をつくったからって、
遠足の日に晴れるとはかぎらないし、
つくらなくても晴れる時は晴れます。
でも子供の気持ちとしては、
てるてる坊主をつくらずにはいられないくらい、
晴れを願っているのです。
先祖の幸せを願う時には、
てるてる坊主じゃなくて生身の坊主に法事をさせる、
というだけの違いです。
465けちゃっぷ:2006/02/14(火) 12:26:31
ふと思ったのですが、
真宗では、てるてる坊主も
迷信だから作っちゃダメなのでしょうか?
466名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 13:25:46
やめるんだ!!!!!!!!!
467名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 14:03:41
てるてる坊主に限らず迷信はダメ!
468名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 14:20:49
真宗では死者の追善供養は認めていない訳じゃないんだよ。法事でお経の最後に
回向文となえてるやん。平等に一切に施すって言ってるやん。
469名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 14:39:36
>>468
施されるのは誰?ということを考えましょう。合掌。
470名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 15:16:17
>>465
てるてる坊主よりも、気象衛星からの情報を分析した方が確かですから。
雨という理不尽な現実に対する受け止め、そこに真宗が持てる真価を発揮するのです。
471名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 15:17:15
【速報】お舞ら女子小中学生と混浴のチャンスですよ!
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/editorial/1137562330/l50

ソース
本川根町にある寸又峡温泉では、2月26日(風呂の日)にちなんで
寸又峡温泉大野屋旅館にある千人風呂で、大混浴フェアを開催します。
ただ今、混浴フェアに参加していただける、男女それぞれ500名を
募集しております。応募資格は小学生以上で温泉好きな方。
詳しくは寸又峡温泉観光協会まで。
http://www.okuooi.sumata.jp/a_konyoku.asp
472名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 15:22:28
親鸞も「三部経を千回読んで雨を降らせるぜ!」と果敢に挑んで挫折したしな。
473名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 15:26:25
四帖疏玄義分の最初の偈文で
「六通証知我 今乗二尊教」
とありますが

1) 六通をもって我を証知したまえ 今・・・・
2) 六通をもって証知したまえ 我・・・・・」

どちらの読みが正しいんですか?
五言詩なので 次の句まで読みが行くのは
おかしく思うのですが・・・・
474名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 17:29:32
阿弥陀さんが本願で、心から信じて名前をとなえる念仏だけで、みんなを浄土往生させると言っているのに、
何が不足で、他の神仏頼んだり、自分の力でもがいてみたりするんだろうね。
阿弥陀さんの本願だけじゃ不足なのかな、信じられないのかな。
475名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 17:33:18

けちゃっぷ、勤務時間は終わったぞ。
さあ、反論して来い。
476名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 17:37:31
施すのは自分が他の人に施すんだろ。真宗の坊主は回向とか回施とか根本的に
分かっちゃいないんじゃないのか。法事をするだろ。坊主や縁のある人を呼んで
食施等を施主はするわけだ。その功徳は施主にたまるわけやね。ところが施主は
その功徳を自分のものとせずに他の人に分け与えるわけやね。坊主が今日は施主は布施行を
されて功徳を積まれました施主はその功徳を自分のものとせずに他の人に回されますというのを
伝えるために最後に願以回向をとなえるわけよ。
477名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 17:42:29
>>474
それだけ煩悩の闇が深いということ。
478名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 17:52:19
お父さん・お母さんを深く敬う人が、
おじいさん、おばあさん、親戚たちも敬い、
血のつながりのないどの老人も隔てなく大切にするみたいなものかな。
我が一身を支え、救うて下さるのは大慈・大悲の親さま(阿弥陀)のみなれど、
さりとて親戚(諸仏菩薩)や世の一切の老人(天地神祇)を拒絶し無下に扱うわけには非ず。
479名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 17:55:11

また始まりましたか・・・。
480名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 18:03:09
>>478
もちろんその中には、キリスト教の神もイスラムの神も、
仏教なかまの麻原彰晃も、宗教なかまの新宗教の教祖も統一教会の神も、
念仏すると地獄に堕ちると念仏を否定し攻撃する日蓮も入っているんでしょうね。
481名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 18:21:05
>>478
>世の一切の老人(天地神祇)

という位置づけがよく分かりませんね。
482名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 18:22:17
>>480
真宗における「同朋」の意味合いは、>>480の全てを包括した総称ですね。
483名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 19:21:45
>>480
他宗派は同朋には含まれません。あしからず。
484けちゃっぷ:2006/02/14(火) 19:27:28
>>474 阿弥陀仏は、どんな悪い子供も見捨てないけれど、
悪い子供を嘆き、善い子供を喜ぶ。
念仏以外にも、できる善(諸行)はできる範囲でする方がよい。
485名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 19:29:24
>>484
で、善かれと思った行為で人を傷つけるのが人間。
486けちゃっぷ:2006/02/14(火) 19:32:36
特に真宗ならば、念仏すればこの世にいる時からすでに
不退転の位に達していると解釈するのでしょう?
だとすればなおさら、極楽でやるべき修行をこの世からやりはじめていても、おかしくないと思いますが。
487名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 19:36:07
>>486
極楽で修行は必要ない
煩悩を滅するまでもなく浄土で煩悩はない
488名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 19:36:29
>>486
ふ〜ん、その「極楽でやるべき修行」ってのは何ぞや?
489けちゃっぷ:2006/02/14(火) 19:37:45
逆に、いちど念仏で往生決定しても、
釈尊の説かれた善行をやったくらいで
往生が取り消されたりするような本願力なの?
または、雑善をやっただけでゆらぐような信なの?
490けちゃっぷ:2006/02/14(火) 19:39:41
>487 >488 無量寿経と観無量寿経と阿弥陀経に、具体的に書かれてあります。
491けちゃっぷ:2006/02/14(火) 19:52:59
>>487 釈尊の時代に、阿羅漢に達した弟子たちも、
毎日瞑想を楽しんでいました。
煩悩を滅するためとかいうより、
瞑想そのものが平安であり楽しいのです。
極楽の衆生たちは、毎朝、
きれいな花びらを器にもって
他の浄土へ飛んでいき、
諸仏に供養して、
正午までにはもどってきて、
午後からは修行を楽しみます。
492名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/14(火) 19:59:47
>>489
逆に他宗派に対して一切妥協なく、神祇も拝まず、雑善雑行に近づかないを信心獲得した状態と。
493けちゃっぷ:2006/02/14(火) 20:15:12
>>492 んー。それだと、
生涯を天台円頓菩薩戒の正統継承者として暮らした
法然さんも、信が足りないことになりません?
あと、法然さんの高弟はほとんどが、他宗からの転向組でした。
その中で、後に西山浄土宗の祖となる証空さんだけは、
はじめから法然さんのもとで僧となりました。
法然さんは、そんな証空さんを天台止観の先生に預けて、止観を学ばせました。
これをどう説明すべきでしょうか?
494名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 00:19:41
うわ〜
けちゃっぷいじりに夢中で折角きた質問者放置かよ・・・・

漏れはそのほうが面白いけどね
495名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 00:25:50
>>493
鎮西派の嫌いな西山派の祖を持ち出して何する気だ?
諸行往生の根拠でもさがしたいか?

あらかじめいっておくが、西山派は真宗と近いぞ。
安心疏など共通してる典籍もあるしな。(これは西山だと言うことで決着がついてるが

證空のこと持ち出すのは、鎮西にとって自殺行為だぞ。
西山派を否定することから始まった派だからね。
496けちゃっぷ:2006/02/15(水) 00:35:13
>>495 何派を弁護するとか、そういう意識はありません。
ただ、念仏の易しさを強調したいのです。
諸行をやってもやらなくても念仏すれば往生できるのではないでしょうか?
あれしちゃいけないこれしちゃいけないなんて、
念仏の易しさを妨げてません?
悪人の自覚とかなんとか、ごちゃごちゃと条件をつけなくても、
往生を願って念仏して往生すれば、
悪人も善人になっちゃうんだから、それでいいではありませんか。
497名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 01:30:42
>悪人も善人になっちゃう
>悪人も善人になっちゃう
>悪人も善人になっちゃう
>悪人も善人になっちゃう
498名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 01:36:37
>>496
なんかテキトーなんですね。
まあ、悪人の理解がそれではね。
499名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 02:36:49
念仏をとなえるってどうすること。念仏ってなんや。
500名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 02:42:19
>>499
己の計らいを一切やめて「アミダー!」と叫ぶこと。
501けちゃっぷ:2006/02/15(水) 08:25:07
>>499 心に往生するぞと思いながら、口に南無阿弥陀仏と称えること。
502名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 15:32:06
善人は善人ながら、悪人は悪人ながら、ただ生まれつきのままにて念仏して往生するなり。
悪の自覚に一生責め苛まれて念仏せよというにはあらず。
503名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 16:02:41

まあ、けちゃっぷだもの。
504名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 16:31:24
>>501
心に往生するぞ、かいな。
主語は誰だ?
往生させるのは誰だ?
505名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 16:59:26
浄土宗前教学局長、前上宮学園理事長 小林正五容疑者とその妻についてご存知のことを曝してください。
多い時には年間5000万円の「渉外費」の分け前にありつた禿も多いでしょうなあ。
506名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 17:51:23
なんやたった年間5000万か。やすいのう。情けないわ。浄土宗の局長、兼理事長でその程度かいな。
浄土宗は経営苦しいのか。他の宗はそのクラスになると無制限なんやけど。
507けちゃっぷ:2006/02/15(水) 17:54:48
>>502 力まない自然なかんじで、いいですよね。
508名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 19:57:33
>>503
大体、浄土宗の寺って各派でどのくらいあるんだ?
けちゃっぷ、宿題だ。調べて来い。
509名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 21:11:03
>>508
横柄なやっちゃなw
510名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/15(水) 22:48:58
>>509
そんな端金で・・・
511名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 00:19:04
>>504
その表現では
「往生するぞ」
と思いながら頑張って称名念仏すると
「おっ、良い子じゃ、浄土に往生させてあげようじゃないの」
と浄土に連れて行ってくれるわけだ。
512けちゃっぷ:2006/02/16(木) 00:35:49
>>511 阿弥陀仏は往生したくない人まで無理矢理連れていかないから、
往生するぞと思って念仏してる人を往生させてくれる。
あと、おまけとしては、「往生するぞ」以外の妄念をできるだけ交えないように、
「往生するぞ」を無間に連続させようとすると、
実は知らず知らずのうちに止観の瞑想に近い修行になっている。
513名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 00:40:55
>>511
それは曲解では?
信と行がばらばらではいけないと
法然上人は説かれたはず。
頑張って念仏して往生しようと解釈してしまうと
自力の念仏になってしまいます。
514名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 00:43:25
>>512
出ましたね、脳内教学。
その考え方では、十八願の「十方衆生」は説明がつかないですね。
515名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 00:50:40
>>513
>>511は、けちゃっぷ論を端的に表現しただけでは?
彼の論法ではそうなるでしょうし。
>>514の言う通り、彼には18願よりも19願の方が重要のようです。
516名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 01:04:03
>>515
遡って見ると、>>501でのけちゃっぷ氏の発言を受けての
>>511の発言であるとわかります。
しかして、>>501の内容は法然上人の御法語から
読み取れる範囲のものである事は、御法語を拝読していれば
わかることです。
517名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 01:08:51
その御法語を原文ママで貼ってもらえません?
518名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 01:15:15
>>517
貼ってもいいけど全文ですか?
前編後編(拝読用に纏められたもの)合わせて
60章ほどありますよ?
読み取れるというのは、それらを拝読していく内に内容がわかるという事です。
519名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 01:22:14
要するに「信ずる者は救われる」ということですね。
520名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 01:28:29
>>519
何も考えずに読んでるとそういう受け取りになるな。
弥陀の大悲もその程度ってことになってしまう。
521名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 01:32:13
>>519
無条件に何かを信じたいなら、キリスト教にでも
入信すればよろしい。
それは仏教徒のする事ではありません。
522名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 01:38:16
>>521
傍から見てると敗北宣言に映りますよ。
言いたいことは分かりますが。
523名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 01:51:16
>>521
言われる前に既に侵食されてるし。
日本人の宗教観で言えば「称名念仏すれば浄土に行けますよ〜☆」の方が分かりやすくていいと思うけど。
524名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 02:00:38
無条件に何かを信じて、それで安心できるほど
気楽じゃないと思うけどなあ、今の日本人。
525名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 02:06:05
>>524
安心?
気休め程度のものでしょ。
変に関心がある香具師は新興宗教か基督教諸派に奔る。
526名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 02:31:26
まさに末法。
527名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 02:36:13
>>526
今時、往生するぞ、じゃ相手にされないっての。
528名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 02:41:56
>>527
でしょうね。
「往生して何かいいことあるんですか?」
で終わり。
529名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 02:47:08
まったく、これだ。付け焼刃の知識で
深く知ろうともしないで
自分の欲しいものだけは求める。
それで何が得られるというの。
530名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 02:54:29
>>528
>>526のような人間にどのような価値観、世界観を提示し、共有していくのか。
それが君らに求められているんじゃないのか?
最初から「ろくに知ろうとしない」なんてさぁ、それだから理解を得られないんじゃないのか?
531名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 04:40:37
>>530
共有するためには、相互理解が必要です。
そのためには、こちらからの一方的な押し付けはできません。
仏教を頭から否定して遠ざける方と、どうして相互理解ができますか?
また、「深く知ろうともしない」と「ろくに知ろうともしない」では
似ているようで違います。
532名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 04:45:03
相変わらず屁理屈が減らないね。
まあ、退屈はしないが。
しかし、相互理解なんて畏まったことを言ってるけど、あんたら何か努力してるのかい?
533名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 04:49:41
仏教が否定されているというより、エセ坊主が嫌悪されているだけのように思うが?
534名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 04:58:47
>>531
早々に相互理解を放棄したかのように聞こえますよ。
その言い草では。
535名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 05:05:24
>>532
私はこれこれこういう事をしていますと、ここで書き込んだところで
信じはしないのでしょう?
>>533
貴方がたが求めている僧侶像は、貴方がたにとって都合のいい
僧侶でしかないと知ってください。
536名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 05:08:39
それを自己正当化と言うのだけどね。
537名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 05:40:36
>>536
ルールにのっとったものを正当と言うのです。
一般の方が法律、不文律、その他の常識に沿うのと同じように
僧侶は仏の法に沿うことで日々を暮らしています。
一般常識に照らして、仏の法が分かり辛い所があるかもしれませんが
それをして自己正当化と言われれば、一僧侶としては虚しくなるだけです。
538名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 07:14:45
仏の法に照らしたら妻帯・肉食するわけだ。
つまり釈迦は無意味な戒律を作ってオナニーをしていたと。
539けちゃっぷ:2006/02/16(木) 08:27:04
540名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 09:00:07
「心に往生するぞと思って」は、けちゃっぷ氏の考え違いでは?
一枚起請文の「往生するぞと思いとりて」は、意思を表す「〜するぞ!」ではないでしょ。
「南無阿弥陀仏とさえ申せば、往生するものぞ」というほどの意味では?
541名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 09:34:59
>>539
おまえなぁ。
本気であの表現をそのまま持ってきたのか。
(たぶんそうだろうとは思ってたけど)

もう救いようの無い足りなさだなw
542名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 12:33:15
だって、けちゃっぷだもの。
543けちゃっぷ:2006/02/16(木) 12:44:59
たしかに、
「念仏で往生できると信じながら」という意味で
「往生するぞと思いながら」「往生するぞと思ううちに」
と簡潔に表現されていたのでしょう。
が、それにしては、
「往生するぞ」という同じフレーズが2回もでてくるのが気にならなくもない。
僕は、
あるいは法然さんも仏名を称えるときに、
心に「往生するぞ」と念を入れながら
称えていたのではないかと、
想像するようになりました。
544けちゃっぷ:2006/02/16(木) 12:53:55
口業と意業は別なので、
口でなむあみだぶつを出力してる時も、意には別の妄念が浮かんできます。
一心専念弥陀名号ってどうやるのかなぁ?って考えてました。
んで、口のなむあみだぶつを意で帰命無量寿仏と同時通訳しながら
念仏したりもしてました。
それが、一枚起請文を読んでるうちに、
あ、そうか!「往生するぞ」でよかったのか!
と救われた思いがしました。
疑いのない三心具足とか難しいですもん。
でも、「往生するぞ」と意念できれば
その中に三心もこもってるんだ!
これこそ易行だ!と、思いました
545けちゃっぷ:2006/02/16(木) 12:59:15
そうすると、世親菩薩の説かれた五念門とも合致してきます。
身業で合掌礼拝
口業で南無阿弥陀仏ととなえながら
意業で「往生するぞ」と作願しながら
阿弥陀仏のお姿を想ってみたりもする
んで、念仏がおわれば、その念仏行の功徳を、
一切衆生とともに往生できますようにと、回向する。
546名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 13:01:32
想像ですかそうですか。
547名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 13:16:04
念仏する時、心に何を思うかについては
「阿弥陀ほとけ助けたまえ」と思いなさいとある。
548名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 13:20:10
つまり、阿弥陀仏の大慈悲心に対する憶念ですね。
549名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 13:32:52
>>547-548
そうですね。
「往生するぞ」というある種の努力目標のようなものであるならば、別に念仏じゃなくても
良さそうですしね。
何のために「選択された本願」が必要であったかも説明がつかないと
思いますし。
念仏は道具じゃないのですし。
550名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 13:36:01
「時にはこの世の無常なることを思いて」ともある。→念死念仏

「天に仰ぎ地に伏して喜ぶべし、このたび弥陀の本願に逢うことを」とも。→報恩

「たとえ念仏して十人中九人臨終悪くとも、我ひとりは往生せんと思え」ともある。
→けちゃっぷ
551名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 14:37:32
>>550
世の無常なることは己の悲しみ。
報恩もまた己の悲しみが故に大悲に抱かれる喜びを知る。
我ひとりは往生せんとは、他に惑わされてはならないということでは?
我ひとりに向けられた信心を抱き締めるとも受け取れますが。
552名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 15:42:24
>>550
>「たとえ念仏して十人中九人臨終悪くとも、我ひとりは往生せんと思え」

これを額面通りに理解すると、確かにけちゃっぷ説になるね。
しかし、これって逆説的な受け取りをするべきなんじゃないのかね?
「我ひとりは往生せんと思え」と真に念仏申す者(=信心の行者)になることが、
本人にその自覚がないにしても、結果、「臨終悪」かろう「十人中九人」を真の
念仏に導くことになると。
553名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 15:51:12
>>552
付け加えれば「往生せん」と言える根拠がどこにあるのか?ということですね。
やはりそれは法蔵菩薩の弘誓願であって、こちら側としては本願が成就することを願うということ。
やはり「往生するぞ」ではないと思いますね。
554けちゃっぷ:2006/02/16(木) 17:30:08
「往生するぞ」っいうのは、
「往生決定してるぞ、これでもう往生できるぞ」という、
往生決定への感歎だと想ってました。
555名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 21:17:35
ゲットぉぉぉぉーーー!!!!!
556名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 22:06:53
現代国語辞典で「ぞ」を引くと、
「判断した事や決定した事を自分に言い聞かせる意を表す」とある。
けちゃっぷ氏の言ってるのはこれでしょう。「修行するぞー!修行するぞー!」と言う場合の「ぞ」。

しかし古語辞典で「ぞ」を引くと、
「指定し、強調する意を表す」とあり、自分に言い聞かせるという用法は見られないようだが。
「南無阿弥陀仏と申せば、往生する(ものである)ぞ」との強調。

古典から現代とも基本の意味は強調でありながら、ニュアンスは異なろう。
557けちゃっぷ:2006/02/16(木) 22:19:05
>>550 凡夫は、口に念仏しながらも、意には色々な妄念が浮かびますもんね。
558けちゃっぷ:2006/02/16(木) 22:20:16
テキストにどう書いてるかはおいといて、
皆様は、念仏称えてる時にどんなことを考えます?
559名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/16(木) 22:23:53
念仏称えるって。。。なんか・・・・メンドイ。。
560けちゃっぷ:2006/02/16(木) 22:28:11
>>559 僕も最初はそうでした。
だからこそ、信だけで往生できるという考えが好きでした。
今は…
561名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 04:59:10
>>556
意味合いが全然違ってきますからね。
けちゃっぷのやらんとしていることは、結局、自力作善の域を出ていないのです。
562けちゃっぷ:2006/02/17(金) 08:26:51
他力によって「往生するぞ」ですよね。
563名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 09:21:10
極度なまでに自説に執するのってみっともないよ。
564名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 09:44:40
>>762
真意を取れば、本願力を疑いなく信ずるということ、だろうに。
565名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 09:54:19
いい加減自分の間違いを認めればいいのにねぇ

公務員兼業坊主はヤッパリその程度か、とか煽ってもいいですけどw
566名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 10:05:56
>>565
底が知れてますから。
567名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 12:08:20
浄土宗・称名念仏スレもみてごらんよ。
アホまるだしだよ。
568けちゃっぷ:2006/02/17(金) 12:28:34
他の人の意見を引き出しすための、叩き台的なネタなので、
宗義と違うことは承知の上です。
檀家さんにはあんなことは説いてませんので安心してください。
569けちゃっぷ:2006/02/17(金) 12:35:27
あえて極端な解釈を書いているのです。
そんなけちゃっぷに対する反論を、
見ている第三者がわかりやすいように書けるような念仏者は、
以外と少ないようですね。
けちゃっぷを攻撃するだけではなく、
正しいあなた方の意見を
わかりやすく説いてみせてごらんなさい。
570名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 12:49:09
>あえて極端な解釈を書いているのです。
全く必要のないことです。普通に書きなさい。

>そんなけちゃっぷに対する反論を、見ている第三者がわかりやすいように書け
物凄くわかりやすくかかれてますが?
それがわからない貴方がおかしいだけでしょう。
571名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 14:25:30
叩き台なんて求めていませんしね。
逆に仮にここを覗いている一般人に誤った内容が伝わらないようにしているわけで。
572名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 14:36:01
>>569
あまりにも味方(同意見)の人がいないので拗ねてません?
反論は十分になされ、貴殿の解釈の誤りや稚拙さが白日の下に晒されている
だけだと思いますし。
ここはスレの性質上、質問に応じて議論がなされるべき場であると思いますし、
質問に対する回答に誤りがあればそれを糾すのは当然のことでしょう。
それらの指摘をよく読んで、感情的にならずに受け入れるべきものは受け入れる
べきではないですか?
もう貴殿も三十路でしょう。
駄々を捏ねていないで、少しは大人になりましょうよ。
573名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 16:20:13
同行でも首を傾げている人おるのでは?
574名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 16:57:28
>宗義と違いことは承知の上です

意味不明。
わざわざ混乱を招こうとする理由も分からん。
575名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 17:16:45
この板のコテには変なのが多いね。
576名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 20:26:31
>けちゃっぷ
叩き台?自分のことを何様と思っているのよ。
その思い上がりと坊主臭さがいやらしい。
間違いを指摘されればスルー、わけのわからんオカルトに走る。
浄土宗の恥さらしだぜ。
577名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 20:30:08
>569
>見ている第三者がわかりやすいように書けるような念仏者は、
理解できていないのはカキコしている人ではきっと君だけだよ。
578けちゃっぷ:2006/02/17(金) 20:44:13
>>577 んー、専門用語はわかりやすく言い換えるとか、
「お経に書いている」と言うならそのお経のサイトを貼るとか、
そういう意味で言ってるわけです。
教科書を持っていない人でもわかるように。
579名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 20:52:10
>578
そういうレヴェルで言えば、君の発言は理解してもらえないものですよ。
第一、このスレは2chは啓蒙BBSではありません。
580名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 21:11:41
源空様 あわれな子羊たちを西方極楽浄土、阿弥陀様の元へ導きたまえ
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
581名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 23:00:30
>>578
僕は分かってますけど一般の人のために?
その前に君のその抜けている部分を何とかすることを考えるべきでは?
君だけですし、呑み込めていないのは。
582名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 23:19:06
>>579
>第一、このスレは2chは啓蒙BBSではありません。

でも、彼は真剣にそう思っているみたいですよ。
結果、誤った宗義を流布しているとするなら、そろそろ鉄槌を下す必要もあるのではないですか?
583名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/17(金) 23:23:33
>582
醜態をさらして踊ってもらうのが一番いい罰です。
本人が自覚していないだけにそれだけ一層效果はあります。
どうも日本語の能力にも問題があるようです。
584名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 00:02:42
>>583
というか彼の場合は19願のそれでしょ?
585けちゃっぷ:2006/02/18(土) 00:41:22
下品下生のほうが好きですけどね。
586名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 01:02:38
>>585
いいよ。
君の場合は、自分は下品下生の者であるという自覚がないから。
587けちゃっぷ:2006/02/18(土) 01:12:03
仏はアーナンダとヴァイデーヒーに告げられた―
「〈下品下生の者〉とは、生ける者どもの中で、
不善な行為である五逆罪と十種の悪行を犯し、
(その他)さまざまな不善を行い、
このような悪しき行為の結果、悪しき道に墜ち、
長い間くり返し苦悩を受けて止むことのない
愚かな者のことである。
このような愚かな者の命が終わろうとするとき、
この者を種々に慰め励まし、この者のためにすぐれた教法を説き教え、
仏を念じさせる指導者に遇う。
ところがこの者は苦しみに迫られて仏を念ずる暇がない。
そこで指導者が言うのに、
『お前がもし仏を念ずることができないのなら、
無量寿仏よ、と称えなさい。』と。
このようにしてこの者は心から声を絶やさぬようにし、
十念を具えて、南無アミタ仏と称える。
仏の名を称えるのであるから、一念一念と称える中に、
八十億劫の間かれを生と死に結びつける罪から免れるのだ。
命の終るとき、
日輪に似た黄金の蓮花がかれの眼の前にあらわれ、
一瞬のうちに〈幸あるところ〉という世界に生まれる。
蓮花の中にあること十二大劫を過ぎて蓮花は花開く。
アヴァローキテーシヴァラとマハースターマプラープタは、
大悲の音声でこの者のために
広く存在の実相と罪を除き滅ぼす法を説く。
この者は聞き終って歓喜し、
たちまち覚りに向かう心をおこすのだ。
これを〈下品下生の者〉と名づけ、
これを〈下位の者の往生の観想〉(下輩生想)と名づけ、
〈第十六の瞑想〉と名づけるのだ。」と。
588名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 01:14:06
「自覚」ってわかりますか?
「君はもっと自覚しなさい」「はい、わかりました」がおかしいのわかります?
他人から指摘されるものでも、他人に言うべきものでもないんです。
589名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 01:24:36
>「君はもっと自覚しなさい」「はい、わかりました」がおかしいのわかります?
別におかしくはないですよね。どこかおかしいとこがあるのですか?
質問が「君は、もっと自主的にしなさい」であるなら、
おかしいと考えることもできますが。
590名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 01:26:03
>>587
だから?
591名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 01:29:26
>>590
時々こういうことやるから気にしなくていいです。
592名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 01:33:40
>>588
どうせ、けちゃっぷが名無しで書いてるんだろ?
「下品下生のほうが好き」とか言ってる時点で見下してるわけだが。
君がそれほど上等な者だとは思わんけどね。
593名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 01:38:51
>>592
およそ信用できないのが、何かあると
「自分は凡夫ですから」
「下品下生ですから」
と言い訳のように抜かす香具師。
生悟りというか、そう言ってのけることで己を着飾っているところがあるんだよな。
この業界では、そう言い切れる香具師がマシな人間に見られるってこともあるんだろうが、
そりゃ如来から見てのことで、人間が人間にランクを付けたところで何の信用性もない。
594名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 01:48:20
>どうせ、けちゃっぷが名無しで書いてるんだろ?
ちがいますけど?
595名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 01:59:26
589 594です。ごめんなさい間違えました。
588がだれだかは知りません。
596名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 02:10:27
>>594
もちつけ。
597名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 02:54:24
最近、けちゃはそういう芸を使うからな。
598名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 05:45:02
臨終来迎万歳!
どうせこの世では救われない。
599けちゃっぷ:2006/02/18(土) 08:29:06
>>593 口称念仏は下品下生がなくては出てきませんから、
下品下生が好き
600名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 10:48:34
観経の読み方があまいというか真意が分かってないよ
仏教の教えというか釈迦の縁起の教えは死後の世界を実体的に前提にすることを一番に嫌ったのよ。
と同時に死後は何も残らないという考えも嫌ったのが縁起の法なんだ。
これは有無の邪見といって超えなければいけない。この経はこの有無の邪見を超えられず
有とか無とかにとらわれることかれ脱けれない凡夫のために説いた教えなんだよ。
だから死後に浄土の世界を説きそこに往生する事を説いてるわけ。これだと死後の世界を実体的に前提としてしか
考えられず有にとらわれる凡夫はうなずく事ができるんだよ。しかし本質は有無の邪見を超えるという縁起の法を知った上で
死後に浄土があってそこに生まれるという有の教えが凡夫である私のために説かれている事に気づくんだ。
601けちゃっぷ:2006/02/18(土) 11:01:51
曇鸞著『往生論註』(世親菩薩『往生論』の注釈書)より

【問】
 大乗経論の中には、
「衆生畢竟して無生なること虚空のごとし」、
(衆生・いきとしいけるものは、つまるところ、虚空のように実体がない=無生・空)、
と説かれてるのに、
なぜ、
天親(世親)菩薩は「願生(極楽に生まれることを願う)」と言ってるの?

【答】
 「衆生無生なること虚空のごとし」と説くのには、二種の意味がある。
 一つには…
凡夫の言うような衆生は実体のある衆生であり、
凡夫の見るような生死は実体のある生死である。
このようなことは、結局、「所有無きこと亀毛のごとく、虚空のごとし」だ…って意味。
二つには…
いわゆる諸法は因縁で生じるから、すなわち不生であるり、
「所有無きこと虚空のごとし」である…って意味。
 天親菩薩の願生するのは、因縁の義である。
因縁の義であるから、“仮名の生”である。
凡夫の言うような、実の衆生の生死が有る、という意味ではない。
602名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 11:13:32
>>593
そういうのを 卑下慢 という。
603名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 11:44:10
英語ができないんだから仕方なかろ
ついでに社会人マナーも欠如だとさ
604けちゃっぷ:2006/02/18(土) 12:28:21
>>600 念仏者は真実報土の浄土に往生するといいますね。
これはどういう意味?
605けちゃっぷ:2006/02/18(土) 12:31:24
>>600は、どこの宗門の人ですか?
606名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 13:10:47
>>602
卑下漫は一番(・A ・) イクナイ!ですね
607名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 13:52:37
実体と物体の違いは心得ておく必要があるだろう。
608けちゃっぷ:2006/02/18(土) 14:10:07
逆にいえば、実体のない物体ならば認識しえるということでは?
609名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 14:30:41
実体の定義だよ、定義。
訳の分からんこと言いなさんな。
610名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 15:41:18
>>604
生死を超えるような心境世界のことだ、ボケ!
611名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 17:15:31
>601
引用できても意味が分かってないのが、604でけてい
612名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 17:26:13
>>611
まあ、それが彼の売りということで。
613名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 18:08:30
>>606
しかし、それを「是」とする風潮があるのは事実でしょうね。
不必要に自分を卑下する(ふりをする)ことで優位に立ち、自分を正当化しようとする人が
いるのは事実だと思います。
614名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 18:16:43
香川、宇多津町に「法然上人て堀の井戸」があります。しかし、浄土宗のお寺さんが少ないような気がします。
615けちゃっぷ:2006/02/18(土) 18:23:11
高野山には、法然さんの墓があります。親鸞さんの墓もあります。
でも浄土宗寺院は少なそう
616名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 18:24:59
>>614
法然さんは香川県と縁があるのかい?
617名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 18:40:29
>>616
あるよ。晩年の法難で土佐に流罪になるんだが、実際に行ったのは讃岐まで。
そういうわけで讃岐にはゆかりの地があります。
618けちゃっぷ:2006/02/18(土) 18:56:46
>604は、 >600の意見が聞きたくて質問したんですが…。
真宗では、第十九願の諸行往生では方便化土に生まれ、
第十八願の念仏往生だけが真実報土に生まれると考えるそうですね。
真実報土についてはどなたかが教えてくださいました。
では、方便化土とはどういう意味?真実報土との違いは?
619名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 18:57:03
讃岐まで行ってないんじゃないかっていう説もあるようだが。
620名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 18:59:03
>>618
はい、君自身のことです。
621名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 19:22:18
真仏土とは、本願を正因として成就された不可思議光如来、無量光明土のこと。
対して、化土とは衆生の業因に応じて生じる果相。「報中の化」とも表される。
622名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 19:29:40
>>618
君の大好きな『観経』で言えば真身観の仏、菩薩処胎経の懈慢界のこと。
623名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 19:39:47
『大経』では「疑城胎宮」だね。
624けちゃっぷ:2006/02/18(土) 19:44:55
>621 ありがとうございます。では、>610は合ってるのでしょうか?
625名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 19:52:19
>>624
君は「生死出ずべき道」が求道の根本課題ではないということだな。
626けちゃっぷ:2006/02/18(土) 19:54:24
>>610 の「心境世界」という表現が、
合ってるのかどうか知りたかったもので…
627名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 20:54:01
>>626
心境でなければ何だ?
また、オカルト風でも吹かせるつもりか?
628名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 21:36:51
>>628
いつものことですよ。
629けちゃっぷ:2006/02/18(土) 23:49:10
>>627 「法境」っていうならまだしも…。
「心境」って、「今の心境をお聞かせください」とかいう「心境」ですよね?
630名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 00:00:59
いや、生死を超える心境でいい。

心とは主観(見るもの)、境とは対象(見られるもの)。
生や死、見るものや見られるもの、といった対立・区別がなく、
すべてが一体に融け込んだ絶対の境地を言ってる。

これを如来と念仏行者で言うなら、如来が死(彼岸)であり行者が生(此岸)である。
如来が境であり、行者が心である。
しかしこの二元性、相対性を超えたところに絶対無差別平等の真実浄土があるのである。
631名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 00:03:09
あのさぁ・・・、君は生死を超えるような境界をどこで感じるつもりなんだ?
632名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 00:05:27
称ふれば 佛もわれも なかりけり 南無阿弥陀仏の 声ばかりして
633名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 00:21:42
>>631
死後の浄土ですから、生きてる間は

「念仏できているボク」

に自己陶酔していれば良いのでは?
634名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 01:00:39
仏も我もない、という我を観察しているもう1人の我がそこにいる。
635名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 01:55:27
われを観するにあらず。仏を観するにもあらず。
ただとなふるうちににわれも仏もなかりけり。
名号即是我。我即是名号。
不離無差別にしてまた一に非ず。
636けちゃっぷ:2006/02/19(日) 07:33:16
>>630 往生したあとの極楽の求道者がそのような心境になるというなら、
お経にも書いてあることですし納得できます。
また、念仏者が生きながらにそのような心境になる場合も、ありえるでしょう。
妙好人みたいに。
ただ、浄土はあくまで浄土じゃないんですか?
637けちゃっぷ:2006/02/19(日) 07:36:14
>>632 わしが阿弥陀になるじゃない 阿弥陀のほうからわしになる
南無阿弥陀仏
味わい深いですね。
638けちゃっぷ:2006/02/19(日) 07:42:30
>>631
いけらば念佛の功績もり、
死なば浄土へまいりなん、
とてもかくても、
この身には思い煩うことぞなきと知りぬれば、
死生ともに煩いなし
…と、法然さんが言ってます。
639名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 11:39:06
あの−学生時代ほうねんという人はとても頭が良くて論理的でだから知恵第一と
言われていた人だと聞きましたが浄土宗の方はどうしてこうも意味不明というかよく分からないというか
論理破綻というかあんまりお勉強なさらないんですか。
640けちゃっぷ:2006/02/19(日) 11:46:34
…と、いうと?
641名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 12:51:25
>>639
けちゃが特殊だ・・・・・と思いたいですねぇ
642名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 12:56:43
情の世界と、心境世界の浄土は別物。
小経を環境的世界として読み進めるのか、それとも究極的な感動表現として開くかの違い。
これだけ引用していながら無理解な人も珍しい。
643名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 13:01:27
>>641
ですね。
これだけ誤りを指摘されても、破綻した持論に固執し続ける・・・。
浄土宗のご同行もお嘆きのことでしょう。
644名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 13:06:05
浄土宗称名念仏スレを見ると、ふざけた香具師だというのがよっくわかる。
645名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 13:14:48
>>644
浄土宗でも異端でしょう。
「一向義」サイドに至っては、何じゃこりゃ?ですし。
646名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 13:17:52
隔離施設があるので、そこで珍説を流布するくらいなら良いかと。
647名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 13:59:36
>>647
賛成!
648名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 14:09:44
>>646
最近は、本拠地?ですら叩き屋が襲来しているようだ。
649けちゃっぷ:2006/02/19(日) 14:48:20
>>642 仮名の環境的世界、じゃないんですか?
650名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 16:02:50
>>649
言葉遊びはやめなさい。
環境的世界ということは、それがどこにあるにせよ実体的な空間世界を表す
ことになるのですから。
それこそまさに情の浄土。
651けちゃっぷ:2006/02/19(日) 17:19:40
>>650 日本という環境も仮名じゃないですか
652名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 18:12:42
>けちゃっぷ。
そういうのを、「戯論」というんですよ。空だ空だといいながら、戯論に陥っているのに気がつかないのは哀れを通り越して笑えてきますね。
653名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 19:00:20
>>651
そこには国という概念を離れてもなお、実体としての「土」がある。
君の言い方だと、M78星雲だか何だか知らんが、とりあえずのところ実体的「土」が存在することを
証明しなければならない。
いい加減に気づきなさいよ、己の戯言に。
654けちゃっぷ:2006/02/19(日) 20:06:31
>>653 実体として感じてしまうのが妄分別なんじゃないんですか?
この世は念仏と念仏の合間に浮かぶ妄念にすぎないのです。
655名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 20:11:48
>>654
じゃあ、おまえは誰から給料貰ってるんだ?w
656けちゃっぷ:2006/02/19(日) 20:15:02
浮かび続ける裟婆の刺激の連続が、浄土の刺激へと変わるだけでしょう。
裟婆の国土が実体でないように、浄土の国土も実体ではありません。
実体ではないけど裟婆が浮かぶように、往生したら浄土が浮かぶのでしょう。
657けちゃっぷ:2006/02/19(日) 20:17:30
>>655 念仏を中断して、給与明細という概念が浮かぶ。
658名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 20:17:45
>>654
出ましたね、相変わらずの浅学ぶりが。
人間の主観的識別による虚構の認識、これを「妄分別」というのであって、物理的世界の否定ではない。
物理的世界を主観的に識別している、その主観自体の否定に他ならない。
659けちゃっぷ:2006/02/19(日) 20:22:34
>>658 物理的世界を否定しているのではない。
念仏も物質も浄土も、同等である。
660名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 20:23:45
>>659
君の言い方では完全否定だよ。
きちんと自分の書いた文章を読み直してごらん?
661名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 20:29:32
結局、浄土を此岸に対極する彼岸、具体的別世界だと思っているからそういうことになる。
浄土とは濁悪が浄化された清浄仏国土のことではあるが、それ自体は人間自身の概念論や分別で
具体化できるものではないし、不可称、不可思議、不可説な世界である以上、それを思念によって
具体化していこうとすること自体、煩悩のなせる所作であると言わざるを得ない。
662けちゃっぷ:2006/02/19(日) 20:36:44
>660 なんと表現していいのか…むずかしい
>661 言葉にすれば此岸に対する彼岸だけれども、
実際は個々の刺激を総合した呼び名なわけですよね。
663名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 20:39:39
>>662
また「刺激」とか訳の分からんことを・・・
十人が十人、理解できる言葉と内容でアプローチしてもらえないか?
君の脳内ワードを理解できるほど、こっちは高い理解力と想像力を持ち合わせては
いないので。
664名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 20:42:09
>>663
またまたオカルト風が吹き始めたようです。
665けちゃっぷ:2006/02/19(日) 20:47:02
>>663 すみません。力不足で。
1)まず口で念仏をくりかえしてください。
2)称名しながら、心の中で「往生するぞ」をくりかえしてください。
3)できるなら、「往生するぞ」と同時阿弥陀仏のお顔も浮かべてください。
4)「南無阿弥陀仏」「往生するぞ」『阿弥陀仏の顔』の
連続を妨げ中断させるできごとが、“刺激”です。
666名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 20:49:19
>665
「自分よりすぐれた念仏者はいない」と思つてはならない、という法然上人の御言葉がありますが、
あなた、その批判の対象者ですよ。ここまでひどいとはおもってもみなかったよ。
667名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 20:49:41
>>665
はい、お疲れ様。
何度否定されても「往生するぞ」ですか?
勝手に自分ひとりでやってなさい。
668名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 20:51:25
>>666
仰る通りです。
おそらく一度根本から否定されないとダメのようですね。
669けちゃっぷ:2006/02/19(日) 21:04:15
>>666 すぐれてるとかも刺激。
670名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 21:05:35
>669
よっぱらってんの?
671けちゃっぷ:2006/02/19(日) 21:13:28
>>670 普段から、すべては念仏を中断させる刺激にすぎないと思って生活しています。
672名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 21:52:21
>>671
だったら念仏である必要が無いですね。やはりダメのようです。
673名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 21:58:09
>>672
しばらくの間、けちゃっぷのレスはスルーした方が良さそう。
けちゃっぷも根本的に学び直した方が良いと思う。
674けちゃっぷ:2006/02/19(日) 22:00:45
>>672 念仏は往生できるから。
675名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 22:01:17
>>673
ですね。
布教伝道がしたければここでやってもらうと。

けちゃっぷの説教所
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1139134653/l50
676けちゃっぷ:2006/02/19(日) 22:02:14
>>673
そんなことはありません。
念仏すれば往生できます。
677けちゃっぷ:2006/02/19(日) 22:07:36
心の中で「往生するぞ」と繰り返しながら、阿弥陀仏のお顔を思い浮べてください。
同時に口で念仏を称えてください。必ず往生できます。
678名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 22:08:31
>>673
そうさせてもらうわ(w
679名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 22:10:02
懲りない人ですね。
680けちゃっぷ:2006/02/19(日) 22:11:42
>676 >677 ひさびさに偽けちゃっぷ登場ですか!
681名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 22:13:58
>>680
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いい加減にしろ、荒らすな。
682681:2006/02/19(日) 22:15:52
>>680
それが嫌ならトリップを付けること。そんなことは基本中の基本だが?
683名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/19(日) 22:17:23
>>680
>>676->>677は普段、おまえがバカの一つ覚えみたいに繰り返していることだろうに。
今さら何を言ってやがる。
684名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 00:09:05
彼が「往生するぞ」に固執している裏づけはこれでしたか。

http://www.jodo.or.jp/jodoshu/index3_2.html

一枚起請文/教化シリーズより

2..阿弥陀さまの本願
--------------------------------------------------------------------------------
ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、うたがいなく往生するぞと思い取りて申す外には
別の仔細候わず。
--------------------------------------------------------------------------------

阿弥陀仏の極楽浄土へ往生を遂げるためには、ただひたすらに「南無阿弥陀仏」とおとなえするのです。
一点の疑いもなく「必ず極楽浄土に往生するのだ」と思い定めておとなえするほかには、別になにもあり
ません。
685名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 00:30:51
>>684
「阿弥陀仏の極楽浄土へ往生を遂げるためには」とあるわけですが、往生を遂げるのが「私」であること
は言うまでも無いにしても、それが如来の本願力によるものであることが明記されてないのはどうかと
思いますね。
これでは「お呪いを唱えれば救われます」と言っているのと大差がない。
これは『一枚起請文』の問題ではなく、教化・伝道に従事している教師の側の問題。
本願の土台なき浄土を説く・・・・まさに化土への誘いですね。
686名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 01:07:45
阿弥陀さまの本願


↑見えませんか?
687名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 04:47:30
>>686
しかし、>>684の内容で「教化」ということには大いに不満がありますね。
見える見えない以前の話として。
688名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 05:56:54
『歎異抄』で対応する部分としては・・・ここですか。
--------------------------------------------------------------------------
弥陀の誓願不思議にたすけられまひらせて 往生をばとぐるなりと信じて 念仏まふさんと
おもひたつこゝろのおこるとき すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。
--------------------------------------------------------------------------
浄土真宗では、「念仏まふさんとおもひたつこゝろのおこるとき」には既に利益の内にあるのだ、
という言い方をしますね。
>>684と対応していくと、「南無阿弥陀仏と申して、うたがいなく往生するぞ」とは「往生をばとぐ
るなりと信じて 念仏まふ」した結果として摂取不捨の利益にあずかる、という構造になっていく
わけです。往生を信じて善行を積めば果報にあずかるぞ、と。

しかし、往生させるのは阿弥陀如来の仕事ですね。
「弥陀の誓願不思議にたすけられまひらせて 往生をばとぐる」というのは衆生に立場を置いた
表現ではありますが、それ自体は阿弥陀如来の仕事ということになります。
その阿弥陀如来の本願力への信を決する、まさにその瞬間こそが「念仏まふさんとおもひたつ
こゝろのおこるとき」であるわけです。
その瞬間には既に摂取不捨の利益にあずかっていることになります。
浄土真宗の場合はそう理解しますね。
689名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 06:04:35
「ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、うたがいなく往生するぞと思い取りて申す
外には別の仔細候わず」ですが、これを読む限りでは、口に念仏を称え、心に「往生するぞ」と
思え、というような内容ではないと思います。
文法上のことを言いますと、「往生するぞ」の「ぞ」は決意ではなく強調。すなわち「疑いなく往生
するのである」という意味合いですね。
それと、文の構成を見ると「申す」が二度用いられています。
ということは、基本的な構成としては「ただ往生極楽のためには・・・・申す外には別の仔細候わ
ず」ということになります。
では「・・・・」は何?ということになりますが、それは「南無阿弥陀仏と申して、うたがいなく往生
するぞと思い取りて(南無阿弥陀仏と)」ですね。
申すのは「南無阿弥陀仏」以外には無いわけですし、この部分を少々意訳すれば「南無阿弥陀
仏と申せば疑いなく往生するのである、と信じて(南無阿弥陀仏と)」ということでしょう。
>>688に戻れば、これが信を決するということの内容でしょうね。
690名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 06:10:58
これについては『歎異抄』にこれに対応する部分がありますね。
「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに
別の子細なきなり」がそれです。
「うたがいなく往生するぞと思い取りて」とは「弥陀にたすけられまいらすべしと・・・信ずる」という
ことではないかと。「信ずる」ところに「ただ念仏して」しまうということでしょう。
すなわち、その「信ずる」とは、「弥陀の誓願不思議にたすけられまひらせて 往生をばとぐるなり」
という阿弥陀如来の本願力に対する絶対的な信頼であり、その果として「念仏まふさんとおもひた
つこゝろのおこるとき」には念仏しているのであると。
691けちゃっぷ:2006/02/20(月) 12:51:03
>>685 「南無阿弥陀仏と申して疑いなく往生する」根拠は、
十八願であり下品下生ですが、
そこまで知らなくても、
「南無阿弥陀仏と申して疑いなく往生する」ことさえ
信じていれば、往生できるでしょう。
それこそお経どころか文字も読めないような在家信者でも、
素直に信じて念仏すれば往生できる。
それが「おまじないみたいじゃないか」と言われるなら、
「おまじないで何が悪い」と言いたいです。
692けちゃっぷ:2006/02/20(月) 12:56:29
「ただ往生極楽のためには」という条件なら、
お経を知らなくても念仏するだけで往生できる。
「論拠を証すためには」という条件なら、
話は別ですが。
693名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 14:25:21
相変わらず寝呆けたことを言いますね。
君の得意技である「往生するぞ」が否定されているだけのことなんだが。
694名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/20(月) 16:42:50
相変わらず勝手に教義変えて、何が言いたいんですか?
695けちゃっぷ:2006/02/20(月) 17:29:40
おまじないで何が悪い?と言いたい
696名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 05:30:19
だったら、チチンプイプイでもジュゲムでも何でも良いことに。
立ち去られよ。
697けちゃっぷ:2006/02/21(火) 08:26:55
チチンプイプイはお経に書いてない
698名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 14:39:31
>>697
そんなことはどうでも良い。
699名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 15:16:51
>>697
君には専用スレがあるだろうに。
ここは浄土系の坊さんにあれこれ質問し、議論するスレなのだから、勝手な教義を
吹聴して回る香具師の来るところではない。
700名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 15:39:34
>>699
ちゃんと導かんかい、禿。
701名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 15:48:43
>>700
既に誘導済み。
702名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 16:04:38
>>699
専用スレも盛り上がっているようだし。
善哉善哉。
703名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 16:05:47
けちゃっぷは神社・仏閣板の華
704名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 16:18:15
華?
確かに、一言発するとたちまち迎え撃たれて華々しく散ってしまうけど(w。
最近は特に論理的破綻がひどい。
705けちゃっぷ:2006/02/21(火) 18:03:18
んじゃ、質問させてください。
念仏者は本覚思想をどうとらえるのかについて、
何か思うところがあれば、ご教示ください。
706名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 18:33:09
>>705
何か悔しそうだね(w
707名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 18:35:46
原初において一切は一であり円満であり平等であり悟りの状態<本覚>であった。

そこに突如、無明煩悩が起きた。一は多に分かれ、差別の相が現れた。

個々の魂は生々世世に、苦界を輪廻転生することになった。



708名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 19:03:59
生死即涅槃なり、煩悩即菩提なり、円融無礙にして無二・無別なり。
しかるを一念の妄心によりて、生死の界に入りにしよりこのかた、無明の病に盲ひられて、
久しく本覚の道を忘れたり。
709名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 19:11:59
>>705
布教伝道はこちらでどうぞ。

けちゃっぷの説教所
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1139134653/
710名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 20:51:18
でも、源信が『往生要集』の中で本覚に触れているのはその箇所だけでは?
711名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 21:34:03
>>709
あちらも盛況のようで(w
712名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 22:47:00
>>704
論理的に破綻?
どこに論理性があるってのよ。
変な喩えで周りを混乱させているだけのように思うが。
713名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/21(火) 23:57:36
>>708
>しかるを一念の妄心によりて、生死の界に入りにしよりこのかた、無明の病に盲ひられて

人間自身の問題の方が重要だよね、ホント。
714名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 01:02:06
>>691
>「南無阿弥陀仏と申して疑いなく往生する」ことさえ
>信じていれば、往生できるでしょう。

そうです。だから余計なことは、あくまで余計なことであるわけです。
まだ分かりませんか?
715名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 01:42:27
質問させてください。

我が家には本願寺派の仏壇があります。主人の両親が他界してからお骨は
お寺に預けてあります。主人が転勤族で、これから定住する土地が決まれば
お墓を建てる予定です。
主人の転勤でお葬式、納骨しているお寺は遠方になってしまっています。
盆と命日には足を運ぶようにしています。

質問に戻ります。転勤して三年(その前も合わせると五年)お仏壇の前に
お坊さんを呼んだ事がありません。理由は転勤前もお寺から少し遠方に住んで
いたので少し遠慮していたのと、転勤してから本当に遠くなってしまった
のでお坊さんに来てもらう事が出来ていません。
つまらない質問なのですが、今住んでいる近くの本願寺派のお坊さんに
御願いすると自宅に来てもらえるものなのでしょうか?やはり納骨した
お寺さんに来てもらわないといけないのですか?
主人の両親の月命日にはお赤飯をお供えするようにしています。その他にも
先祖供養なんかの方法をもっと身近にしたいと思っています。
あと、来てもらった場合のお布施は大体どれくらいのものなのでしょうか?

申し訳ありませんがよろしくお願い致します。
716名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 01:51:15
>>715
下手に寺にいくつも関わると面倒臭いよ。
特別な回忌に交通費払って菩提寺の坊主に来てもらえば?
717名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 01:58:33
>>715
>今住んでいる近くの本願寺派のお坊さんに御願いすると自宅に来てもらえるものなのでしょうか?

来てくれます。
そこまで菩提寺さんに気を使っている?のであれば、
菩提寺の住職に事情を話し、「遠方なので、一時的に法務をお願いできる本願寺派のお寺を紹介
してもらえませんか?」と相談してはどうでしょうか?
最終的に菩提寺に納骨する意志が明確であるならば、住職さんも悪いようにはしないでしょう。
住職さんにコネが無ければ、教務所経由で紹介してくれるでしょうし。
ウチは大谷派ですが、遠方の同行のお寺さんから同じように「そちらで法要を代務して欲しい」と
お願いされたことがあります。
その方は定年後、故郷に戻られましたが、それまでの間、法務を代行していました。
718名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 02:16:37
>>339 :けちゃっぷ :2005/11/14(月) 22:14:55
浄土はこの宇宙とは別の宇宙ですからね。めちゃくちゃ遠い
>>343 :けちゃっぷ :2005/11/15(火) 23:03:43
「これより西方十万億の仏土を過ぎて、世界あり。
名づけて極楽という。」
遠くないですか?

『観経』に「極楽はここを去ること遠からず」とありますが、けちゃっぷさんはこれをどう思われますか?
719名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 02:55:23
>>718
転載しておきましたので、下記でどうぞ。

けちゃっぷの説教所
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1139134653/161
720名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 07:45:47
遠いだの近いだの考えねえ方がいい。
南無阿弥陀仏、そこに浄土があんだよ。
721名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 10:38:05
>>705 :けちゃっぷ :2006/02/21(火) 18:03:18
んじゃ、質問させてください。
念仏者は本覚思想をどうとらえるのかについて、
何か思うところがあれば、ご教示ください。

『礼ジュ法』の「仏名会禮懺儀」でも嫁や。
人に念仏念仏って、別時もしてないのか、お前!!
722けちゃっぷ:2006/02/22(水) 12:54:07
>>721 ありがとうございます。
723名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/22(水) 18:34:04
>>720
目の前でどんな悲惨なことが起きても、南無阿弥陀仏と称えれば自分は幸せになれるっていうアレか?
724けちゃっぷ:2006/02/22(水) 18:49:19
>>721 「仏名会禮懺儀」より
『其の旨如何となれば夫れ、
無明に盲ぜられて久しく本覚の路に迷い、
妄想に封ぜられて永く出離の計を忘る。
三業四儀の為す所、皆是れ悪趣輪廻の苦因
歴縁対境の発す所、豈、苦海沈淪の妄業にあらずや。
725けちゃっぷ:2006/02/22(水) 18:50:48
「仏名会禮懺儀」を読むかぎり、
「本覚」という言葉はでてきますが、
「煩悩即菩提」なんて考えは微塵もなさそうですね。
726名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/23(木) 03:13:06
>>723
少なくとも、目先の欲求を満たすようなつまらん幸せじゃねえよ。
727名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/23(木) 04:59:17
>>724
やたら引用してるわりにはまるで分かっちゃいねえな。
728名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/23(木) 06:47:28
>>725
本覺思想が「煩悩即菩提」だけなんてまさか思ってないよね?
729けちゃっぷ:2006/02/23(木) 08:28:19
>>728 「だけ」とは思ってないですけど、「煩悩即菩提」を連想しちゃいます。
730けちゃっぷ:2006/02/23(木) 12:49:12
>>727 あまりわかっていないので、教えていただけないでしょうか?
731名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/23(木) 16:35:31
>>728
そりゃ、けちゃっぷ君だもの。
おとなしく「念仏するぞ」と言ってりゃいいのに。
732名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/23(木) 20:11:50

「念仏するぞ」ではなく「往生するぞ」ですね。
733名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/23(木) 21:26:18
神宮寺と鎮守社の違いは何か教えてください。
734名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/23(木) 21:45:37
>>733
鎮守社って必ずしも神宮寺と対になるような意味合いのそればかりじゃ
ないからね。
村々の鎮守社なんてのもあるのだし。
735名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 15:41:41
>>734
本地を仏として、神社を仏に守護してもらうと考えるか、神を権現と位置付けて寺を
守護させると考えるか、でしょう。
736名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 22:05:33
本地を仏とする、これが基本になりますね。
737名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 22:47:08
>>731
「念仏申さん」と思う心というのは、Let's go!ではないんだよね。
やっぱり讃嘆。
738けちゃっぷ:2006/02/24(金) 23:00:28
>>737 同意。あと、「往生できる」慶び
739名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 23:04:59
>>738
それは違いますね。
「弥陀をたのむ以外に無い私自身」を受け止めた瞬間ということです。
740名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/24(金) 23:27:35
>>738
相変わらず浅いね。
741けちゃっぷ:2006/02/25(土) 00:09:47
>>739 毎念毎念、そんな気持ちで念仏されてるんですか?
742名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 00:20:57
>>741
「念仏申さん」と思い立つ心、というのは、『歎異抄』第一章の話をしているのだろう。
摂取不捨の利益の実感というのは、すなわち、弥陀の本願力に対する疑蓋なき境界のこと。
弥陀の「おたすけ」に対して疑蓋なく頷く瞬間に救われている、ということ。
往生は弥陀の仕事。
衆生の側は弥陀の本願に触れることができれば、その先はもはやどうでもいい。
743けちゃっぷ:2006/02/25(土) 00:47:04
>>742 もっと言えば、念仏できればそれで人生OKではないでしょうか。
法然さんは、念仏できるように生活しなさいといわれました。
今、念仏できるなら、法然さんの教えに違わぬ生活ができているということ。
念仏するたびに、私の人生これでよかったんだ、報われたんだと確認できる。
念仏するたびに、私はまだ念仏できてるじゃないかと、存在を許された気がします。
744名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 00:48:23
>>743
それを言い出したら、生れた瞬間からOKなんだよ。出直して来い。
745名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 00:52:13
>>744
念仏できなかったらOKではない。なるほど。
746けちゃっぷ:2006/02/25(土) 00:55:18
>>744 生まれなければ死ななくてすむのに?
747けちゃっぷ:2006/02/25(土) 00:57:31
>>745 凡夫は念仏でなきゃ往生できませんからね。
748名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 00:57:37
>>746
そういうのを屁理屈と言う。
生れたという現実から全ては始まるんだよ。出直して来い。
749名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 00:58:52
>>747
OKとか何だとか、悪いがおまえなんぞがジャッジすることではないんだが。
全ては「はからい」であるということ。
750けちゃっぷ:2006/02/25(土) 01:01:41
>>748 はじまったのを念仏で終わらせることができるから、OKなのです。
終わらせなければ、生死のくりかえし。
751名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 01:02:43
>>750
始まったら終わるんだよ。
終わりのない始まりなんてあるわけねえだろ。出直して来い。
752名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 01:05:04
>>750
死んだこともないのによく知ったようなことを言えますね。
まるで説得力がないんですが。
生がもう一度あるとでも言いたいんですかね、君は。
753けちゃっぷ:2006/02/25(土) 01:05:15
>>749 すみません、「はからい」というのは、悪い意味にも聞こえますが…。
偏計所執性のことも「はからい」と言いますからね。
754けちゃっぷ:2006/02/25(土) 01:07:49
>>752 1人1日のうちに8億4千の念あり。
1日に8億4千回生死してるんですよ。
同一人物だと勘違いしているだけです。
755名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 01:08:12
>>753
良いとか悪いとか、それ自体が自我なんだよ、自我。
おまえ、ホント、分かってねえな。
756名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 01:09:34
>>754
だから?
それがどうした?
おまえひとりの話から始まらねえと仏教にはならねえんだよ。
757けちゃっぷ:2006/02/25(土) 01:14:18
>>756 1念に1度の往生が与えられているのです。
念仏しても念仏しても、
往生させても往生させても、
新たな凡夫が湧いてくる湧いてくる。
念仏妄念念仏妄念。
758名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 01:18:51
>>757
だから?
それはおまえ自身の問題か?と聞いているんだが。
そんなことはおまえ自身の問題を解決してからにしろよ。
庭掃除もできない人間が「地球は汚れていくから何とかせねば」と使命感燃やしているようなものだ。
衆生のことは如来が何とかする。それが18願の開き方だろうに。
その代わり、おまえは「唯除」の者になれ、と。
衆生の仕事は自分自身を何とかするということだけだ。
結果、それが他にはたらいても、それは如来の仕事の結果に過ぎない。
それだけのことだよ。
759けちゃっぷ:2006/02/25(土) 01:32:12
>>758 「なんとかする」って、念仏くらいしかできませんが。
760名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 01:43:58
>>759
そうだ。
ただ念仏するしかない。何を言ってるんだ、おまえは。
761名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 02:20:49
>>760
で、そこから『一枚起請文』を誤用しての自力念仏が始まるのか。
もう延々と無限る〜ぷ???
762名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 03:11:54

          || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
          || あらしは   。    ∧_∧  いいですね。
          ||   無視!  \ (゚Д゚,,)
          ||________⊂⊂ |
  ∧ ∧    ∧ ∧    ∧ ∧    | ̄ ̄ ̄ ̄|
  (  ∧ ∧ (   ∧ ∧ (  ∧ ∧ |      |
〜(_(  ∧ ∧ __(  ∧ ∧__(   ∧ ∧ ̄ ̄ ̄
  〜(_(  ∧ ∧_(  ∧ ∧_(   ∧ ∧  は〜い、先生。
    〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)
      〜(___ノ  〜(___ノ   〜(___ノ
763名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 04:57:39
>>761
古文の文法・語法を知らんかったみたいね。
高校からやり直せって感じだけど。
764けちゃっぷ:2006/02/25(土) 09:12:34
>>761 往生は他力によって実現可能となります。
しかし、自力的な念仏の効果がなくなるわけでもないのです。
765名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 10:35:20
>>764
はぁ?
どこにそんなことがかいてあるんだ?
自説がもはや成り立たないからって適当な辻褄合わせしてんじゃねえよ。
766名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 10:42:40
>>764
自力的な念仏の効果?
本願にたすけられる、という本筋が立っているのに、その上に何を飾り立てるというのか?
767けちゃっぷ:2006/02/25(土) 10:51:45
>>766 若者の心をひきつけ興味をもたせるためには、
瞑想の要素も取り入れたほうがいいんじゃないかと思いまして。
今晩、スマナサーラ長老がテレビに出ます。
『バカの壁』の養老さんとのコラボレーションです。
ちょっと前に養老さんとの対談本だしたのが縁になったのでしょう。
瞑想ブーム・テーラワーダブームが来るかも
768けちゃっぷ:2006/02/25(土) 10:57:59
五念門は、他力の妨げになると思いますか?
僕はならないと思います。
念仏の瞬間には、自力も他力もないから。
769名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 10:58:15
>>767
まさに浄土宗けちゃ派だな。
770けちゃっぷ:2006/02/25(土) 11:02:50
>>769 変な日蓮系カルトが流行るよりかは、
テーラワーダが流行ってくれるほうがよほど健全だとも思います。
771名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 11:06:27
ブームで念仏にあれこれ色づけしようという時点でお笑い種。
もはや笑止千万。
彼自身が道を踏み外す前に、隔離部屋に移動してもらった方が良いと思う。
772けちゃっぷ:2006/02/25(土) 11:07:02
そういえば、浄土宗が海外で開教したら、
座禅がしたくてやってくる外人がけっこういるらしいですね。
で、どう対応したらいいかという話題がありました。
一般の人が仏教に求めるのは、やはり智慧の開発なんですよね。
773名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 11:10:40
>>770
宗教を流行云々で語るな。
カルトが流行るなら瞑想、なんて言ってる時点でカルトと次元が同じであることを知るべき。

浄土宗の同行はどう思うのかね?こういう珍説を。
774けちゃっぷ:2006/02/25(土) 11:13:35
往生は、口称だけで決定します。往生業に色付けするつもりはない。
しかし決定往生のあとも念仏生活はつづく。
念仏生活って何なのか。念仏にはどういう効果があるのか。
法然さんご自身も、念仏に出会う前とは別人のようになったとおっしゃってます。
禅者の中には、法然も悟っていたと考える人がいます。
念仏者は他力を頼んで念仏してるだけのつもりでも、
五念門の効果は失われていないんじゃないでしょうか?
775名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 11:16:38
>>772
いいんじゃないですか?
瞑想でも座禅でも取り入れて、本来の宗義と在るべき行を歪めていけば。
方便の一言で「何でもあり」の宗風を持つ浄土宗らしくていいと思います。
776けちゃっぷ:2006/02/25(土) 11:20:34
http://www.j-theravada.net/
今夜の番組でスマナサーラ長老をみる前に、
ヴィパッサナー瞑想について予習しておきましょう
777名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 11:21:25
>>774
君の言ってることは単なる色づけだけどね。
まあ、君ひとりの信仰だし、好き勝手にやってもらっていいんだが。
そういうのを「仏智疑惑」と呼ぶことだけ覚えておいてよ。
778名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 11:24:45
>>776
もう焼けっばちですね。
自分の言う事は正しいと思い込み、周りの声は耳に入らないようです。
放置しておきましょう。
779けちゃっぷ:2006/02/25(土) 11:25:02
>>777 ありがとうございます。
780けちゃっぷ:2006/02/25(土) 11:29:55
>>778 なんといったらいいか…テーラワーダのサイトと浄土宗のサイトを見比べたら、
やっぱり普通の若者は、テーラワーダを信じても、阿弥陀仏はなかなか信じられないと思います。
また、テーラワーダが瞑想のしかたを実践的にはっきり書いてくれてるのも、
興味をもたせます。
浄土系の本やサイトでも、念仏の称えかたを具体的に書いてるものが以外なほど少ない。
南無阿弥陀仏の読み方さえ若者は知らないというのにね。
781名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 12:16:08
確かに若い人は念仏と言う言葉は知っていても、何のことやら分からないですね。
称え方や行儀、心の持ち方や意義もはっきり知らせる必要がありますね。
その上で念仏は用なしを以て用とするとも言われますから、自由闊達に活用できるものであるということですね。

そして真宗や西山は全分他力の教義ですから、一念の信ですべて阿弥陀さんにお任せして
衆生の側でやるべきことはありませんが、浄土宗では念仏は自ら奮い立っても為すべきことで
それが弥陀の本願他力に乗じて往生するという自他力冥合ですから、そこらへんも違いとして知らねばなりませんね。
782けちゃっぷ:2006/02/25(土) 12:20:18
>>781 西山のほうが諸行をやるイメージがあったのですが。
学生の時に、縁あってとある西山浄土宗のお寺で、
月1回の子供会に参加させてもらってました。
その中で一度だけでしたが、子供に瞑想(というほどのものではないけれど)をさせてました。
783けちゃっぷ:2006/02/25(土) 12:24:18
>>781 用なしを以て用とするって、どこに書いてあったのか思いだせません。
もしよければ教えていただけないでしょうか?
784名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 12:47:34
最近は名無しを使って自作自演が横行してますね。
話題転換にもってこいです。
785名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 13:14:57
>>781
なるほど、自他力冥合ねぇ。
その境界線の曖昧さが現状の浄土宗の在り方に見事に符合しているな。
786名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 13:19:19
>>781
×用
○様

「念仏はやうなきをもてなり。名号をとなふるほか、一切やうなき事也と云り」(十七條御法語)
「信空上人又いはく、先師法然上人あさゆふおしへられし事也。念仏申にはまたく様もなし。
ただ申せば極楽へむまるとしりて、心をいたしてもうせばまいる事也」(諸人傳説ノ詞等)

787けちゃっぷ:2006/02/25(土) 13:28:28
>>786 ありがとうございます
788名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 13:36:11
>>785
自力他力についてはそんな単純なもんではなく、教義の違いですから、
浄土宗の現状とかはあんまり関係ないでしょうね。
789名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 13:38:03
>>788
いや、符合してる。
だったら、自力と他力の境界線を明確にしてくれよ。
790けちゃっぷ:2006/02/25(土) 13:41:55
自他力冥合なんて、宗門の教科書にはなかったけど
791名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 13:58:56
>>781
浄土宗は自力を否定したのではないですか?
自他力冥合は日蓮宗の言い方です。
日蓮宗スレ356、361参照
浄土宗は詳しく知らないので、お教え願えないでしょうか。
792名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 14:14:00
>>789
浄土宗にとって自力とは、戒・定・慧の三学によって生死出離を求めることで難行聖道門のことですね。
他力とは弥陀の本願を頼んで念仏を行ずる易行浄土門のことですね。

>>791
わたしも趣味で文献を読んで言ってるだけなので、そんな詳しくないんですよ。
自他力冥合はたしかに日蓮宗だったかもしれません。
793けちゃっぷ:2006/02/25(土) 14:15:48
>>789 念仏者を往生させる本願力が他力じゃないの?
794名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 14:20:00
>>793
>浄土宗にとって自力とは、戒・定・慧の三学によって生死出離を求めることで難行聖道門のことですね。

なるほど。それで浄土宗は自力肯定論が充満するわけですね。
別に悪いことではないので構いませんが。
795名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 14:22:07
>>793
ああ、君の場合はそれでいいんじゃない?
本願力に救われるまで頑張って念仏してください。
796けちゃっぷ:2006/02/25(土) 14:29:03
>>794 では、真宗の他力とは?
五木さんの「他力」みたいなの?
797けちゃっぷ:2006/02/25(土) 14:33:16
>>795 もう阿弥陀仏の本願力に摂取されてます。
頑張らなくても念仏すれば往生できます。
798名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 14:39:02
>>796
『教行信証』行巻に「他力といふは如来の本願力なり」とある。
それを受けての諒解として「いかなる者も皆、本願大悲の内にある」ということに頷く、それが他力を
生きるということ。それ以外に何があるというのか。
799名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 14:40:12
>>797
ならば納得がいくまで念仏をしておれ。
800名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 14:41:17
>>979
おいおい、「往生するぞ」と頑張るんじゃないのか?
今までおまえが言ってきたことは何だ?
サッサと前言撤回か?
アホくさ・・・。
801名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 14:41:24
>>792
ありがとうございます。

浄土宗の自力観についてはもっと勉強しなければと思います。
自力肯定論もあるのですか?
すでに自力を行じているから他力にまかせなさいというのが
浄土門だと思うのですが。
802800:2006/02/25(土) 14:41:51
803名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 14:43:00
>>801
浄土宗は「往生するぞ!」と念仏しまくって往生するんです。
一応、如来の本願力がはたらいているようですけど。
804けちゃっぷ:2006/02/25(土) 14:45:11
>>798 ありがとうございます。
うーん…そこだけ読んだら、浄土宗と違いはないように思えますね。
805名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 14:46:06
>>804
浄土宗とは違っていないが、君とは大違い。
いい加減に気が付けよ。
806けちゃっぷ:2006/02/25(土) 14:51:52
>>800 往生するために「往生するぞ」と念を入れているのではありません。
往生するために念仏称えているのであり、
その念仏で往生できるぞという意味の「往生するぞ」です。
しかしそれは作願門の作願です。念を入れなきゃ往生できないのじゃありません。
807名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 14:53:09
>>806
で、一枚起請文ですかいな(w
808名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 14:56:03
本願は道具かよ。
809名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 14:56:25
>>801
よく分かりませんが、どちらかと言うと「他力念仏を自分で信じて行じる」というのが浄土宗で、
「如来が行じてくださった他力念仏を信じる心をもらう」のが真宗ではないでしょうか
810けちゃっぷ:2006/02/25(土) 15:00:01
すでに他力往生は決定している。
その上で、他力往生の念(往生するぞ)を心の基準に据えつづける。
そうすると、心が基準からずれたことにすぐ気付くようになる。
「往生するぞ」と絶え間なく念じ続けようとしても、
六根から流れてくる刺激に反応して、心に他のことがすぐ浮かんでくること(妄念)に、
頻繁に気付きつづけることになる。
妄念に気づいたら、妄念を追わずにすぐに「往生するぞ」に心を帰すようにする。
それを日常生活でどこでもやるようにするのです。
もちろん、妄念が起こっても往生はできますが。
811けちゃっぷ:2006/02/25(土) 15:04:50
>>809 そもそも鎮西と真宗を差別化する必要があるのでしょうか?
812名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 15:07:07
けちゃっぷ氏には一宗の開祖となって今の若い人たちにアッピールして欲しいと思います。
すでに特定の宗派教義に染まった坊さんには受けが悪いと思いますが、まったく無地の若者にはあんがい
支持されるかも知れませんね。誹謗があっても評価は歴史が下すものだと思いますよ。
813けちゃっぷ:2006/02/25(土) 15:15:39
>>812 弟子があれこれ解釈するのは弟子の勝手だと思います。
でも、死ぬ時には師匠のテキストしか残さなければいい。
でなきゃあ、無数に分派ができちゃいますもんね。
814名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 17:16:34
>>811
宗義は明らかに違うのではないでしょうか?

浄土宗は、身口意三業で修行するという古来からの仏教の修道論を基本とするが、
真宗は信心だけで救われるという超仏教として展開したといったところでしょうか。

字義の解釈にしても浄土宗は一心制意とか自策自励などの意味をそのまま受け取りますが、
真宗では自力として嫌いますね。そういったところは親鸞による積極的漢文読み替えの独壇場ですね。
815けちゃっぷ:2006/02/25(土) 17:25:36
>>814 たしかに違いますが、どちらでも往生でるでしょう?
なら大差ない。
816名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 18:11:31
>all but けちゃっぷ
けちゃっぷの発言は浄土宗の教えに反することですので、ご承知おきください。
自力・他力についても同じです。
浄土宗スレでいくらたたかれても池沼化するだけでまったく反省の色無し。
教師資格を返上していただきたいと思うほどです。

親鸞に対して法然の立場で発言したくても、これだけけちゃっぷがかき混ぜるとまともな議論はできません。
あえて放置している次第です。
817けちゃっぷ:2006/02/25(土) 18:16:39
>>816 けちゃっぷだとわかるようにコテハンつけているのです。
けちゃっぷはスルーしてください。
名無しで好き勝手書く人よりはマシだと思うけど…
818名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/25(土) 18:45:55
>814
いわゆる安心派と起行派ということですね。
法然は安心と起行の一方を重視するように理解されることをとても恐れていたようです。
「ああいうと安心、こういうと起行を重んじているようにおもわれそうだが、両方が必要なんだ」と言っています。
その点からみると親鸞の理解は法然を逸脱しているように思います。

鎮西はどうかというと、良忠は明らかに逸脱していますね。それ以後の浄土宗の宗学史は三祖としての
良忠をたてながら良忠によって捩曲げられてしまった教えを法然のそれに戻すという、相反する理論構築をしてゆきます。
江戸期になると、法然と善導との乖離を善導側に引き戻そうという動きまで出てきます。
法然の立場は偏依善導一師ですから悪くはないと思いますが、これが現代の法然フリークが江戸期の宗学者を
批判する根拠になっています。
819けちゃっぷ:2006/02/25(土) 23:25:17
スマナサーラ長老視ました?
820名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 01:13:19
見ました。
雑念を払い感覚のみに集中する瞑想を紹介してられましたね。
けちゃっぷさんも習得されてるんでしょうか。
821けちゃっぷ:2006/02/26(日) 01:23:52
いえいえ。
大阪の瞑想会に行こうかと思ったことはありましたが、
さすがに…ね。
822けちゃっぷ:2006/02/26(日) 01:28:38
でも、行かない自分にも疑問を感じたりすることも。
結局、浄土宗という肩書きに執着しているだけなんじゃなかろうか、
これも自我への執着にすぎないんじゃないか…って。
同じ寺の息子でも、浄土門じゃなかったら、瞑想会行ってたかもしれません。
823名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 09:06:32
スマナサーラ長老の瞑想法
あれこそ、身口意の三業を
具体的に修する行だと
思いました。とすると、
仏教というのは
人が健やかに生きる為の
教えであろうとも思います。
824名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 14:34:32
>>818
親鸞の一向義は、行(=名号)から信(=阿弥陀如来の大信心)が開かれるというもの。
この信を与えられた(他力回向)結果、受動的に個の信心(信順)がある、と説くわけです。
したがって、回向された大信心が衆生往生の正因であると。
称名念仏は「(阿弥陀如来の本願力により往生すると信じて)念仏申さん」と思い立つ心が起
きた結果の賛嘆の行という受け止めになると思います。だから、起行よりも聞法が重視される
のでしょう。
如来の本願の前に裸になれた時には、既に救われているという考え方ですね。
825名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 15:09:33
瞑想したけりゃ他でやれ。
826名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 15:36:09
>>842
>如来の本願の前に裸になれた時には
どういう意味ですか?親鸞がそんな発言しているのですか?
827名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 16:03:49
浄土系は霊魂の存在を語らないんだよな。
霊魂がないのに死んで浄土に行くというのはどういうことだ?
828名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 16:25:21
>>827
霊魂を語らないのは当然でしょう。
存在を証明できないのだし。
829名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 17:28:22
>>828
証明しようがないものは、概念的に処理するしかないしな。
830名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 18:31:16
>>829
浄土にしても精神的世界でしょうに。
831名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 20:08:20
>830
精神的世界というのは便利な言葉だね。発話者が自己満足して自分をごまかせる。
832名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 20:10:06
>>831
宗教なんてごまかしですよ。
833名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 20:11:18
>831
どこがどうごまかしなんでしょう。
834名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 20:11:29
>>831
じゃ、神の国は精神世界でなくて何?
この世のどこかにあるの?
835名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 20:12:43
>834
チミの切り返しは、補集合でないものを補集合と取り違えた誤謬ね。
836名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 20:13:33
>>835
何ですか?それは?
837名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 20:14:49
>834
精神世界とは何ですか?その点をきちんと規定しないと >830 は無意味な発話です。
838834:2006/02/26(日) 20:25:05
>>837
>>830は俺じゃないですよ。
839名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 21:29:20
837です。
>834
失礼しました。
840名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/26(日) 21:38:02
霊魂はないけど、人はそれぞれの業に従って死後に赴く所が各処あって、生死を繰り返すということはあるということは大経には書いてあるな。
841名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 00:15:00
死後にその人間が継続してるなら、そりゃ霊魂でしょ。
842名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 00:15:35
>>841
誰か降臨させてくれないかなぁ・・・霊魂。
843名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 00:39:20
大経には霊魂という言葉は出てこない。
「魂神精識」が、その生前の業に従って自然に地獄や天に行くと書いてある。
844名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 01:19:45
んで、誰が極楽浄土の様子を現世に伝えたんですかね?

天や地獄ならバラモン教の世界観そのまま移行したと思われるが
極楽浄土ってある程度後世になってから出現した世界ですよね?
霊魂の定義が人によって一定してないのがちょっと問題なんだけど
霊魂が無かったら誰が伝えたの?
845名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 01:26:38
釈尊が極楽浄土の様子を現世に伝えた。
大経、観経、小経という浄土三部経は釈尊が極楽のことを伝えたお経です。
846名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 01:44:16
>>845
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
出直して来い。
847名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 01:44:32
>>845
> 釈尊が極楽浄土の様子を現世に伝えた。

    _, ._   え?
  ( ゚ Д゚)   ガシャ
  ( つ O. __
  と_)_) (__()、;.o:。
          ゚*・:.。
848名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 21:54:20
>んで、誰が極楽浄土の様子を現世に伝えたんですかね?

スエデンボルグ
849名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/27(月) 23:31:55
>>848
スエデンボルグ(1688〜1772)

って全然年代的に辻褄あわねえよ・・・。
850名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/28(火) 11:23:36
このスレも終わったかな・・・。
851けちゃっぷ:2006/02/28(火) 12:53:47
>>845 宗義としては、あなたが正しい。
「お経の中の釈尊が」と言っておけばいいのでは?
本気で三部経を信じていない人たちは、
本気で信じてる発言する仲間がいると
自分まで一緒にカルト扱いされるから迷惑だと考えてるのでは?
852名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/28(火) 13:27:10
君が発言する度に「一緒にされたくない」と思うご同行がいるのと同じこと。
853名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/28(火) 14:05:47
釈迦牟尼仏
菩提樹下
成無上正等覚之暁
出定後初発声
南無阿弥陀仏
854名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/28(火) 17:22:54
>853 その出典はどこなのでしょうか?
855名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/28(火) 20:19:44
>>850
浄土宗はともかく浄土真宗は事あるごとに「迷信を排斥する」と口すっぱく
言ってるので浄土を伝えたのが誰だか明確に答えられないようだと
論理的に破綻するから・・・。が、下手に説明すると墓穴を掘るしね。
856名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/28(火) 22:11:33
浄土は迷信じゃないの?どうして
857名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/28(火) 22:14:46
迷信ではないでしょ。
仮に浄土という世界を立てているだけのことで。
858名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/28(火) 22:53:13
>>857
経典に出てくる霊とか地獄とか餓鬼とか輪廻とか・・・
仏教のタームすべてが本質は空であって、それを衆生済度の方便として仮に立てている。
いろいろ荒唐無稽な話も理解するにはこの点を押さえる必要がある。
859名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/28(火) 22:55:24
>>856でひた
860名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/28(火) 22:57:57
>>858
ふむ。
最終的には権よりも真、仮よりも実を取ろうということだしな。
861けちゃっぷ:2006/02/28(火) 22:58:35
地獄で衆生を責めたてる獄卒(いわゆる地獄の鬼)が、
地獄の火で焼け死なないのはなぜか。
それは、地獄も鬼も識がつくりだす夢のようなものだから。
…と、世親菩薩がおっしゃってます。
862名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/28(火) 23:03:12
だから?
863名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/28(火) 23:03:57
ヒンヅーかバラモン教かわかんないけど、今時浄土とかいうと
方便になるより、ますますわけわかんなくないか
864けちゃっぷ:2006/02/28(火) 23:08:10
>>862 地獄を体験するという現象が実際に起こることを認めつつ、
しかしそれは識がつくりだす空なる幻だということでしょう。
浄土もそのようにとらえられていたのかなぁ?
865名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/28(火) 23:09:32
>>853
そうですかね。
方便を突き抜けたところに真理があるわけですから、それでいいと思いますが。
866けちゃっぷ:2006/02/28(火) 23:11:57
浄土は方便のためにでっちあげられた物語ではなく、
念仏すれば実際に往生できる。
ただし、もともと浄土も裟婆も識がつくりだす幻。
人間も生も死も、よろこびもかなしみも、幻。
867けちゃっぷ:2006/02/28(火) 23:13:48
>>853 のソースをご存じの方いませんか?
868名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/28(火) 23:15:35
また訳の分からねえこと言ってるよ・・・>>866
869名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/28(火) 23:23:08
>>866
>方便のためにでっちあげられた物語

誰がでっち上げたと言った?
870けちゃっぷ:2006/02/28(火) 23:24:27
>>868 念仏往生は実際にはない、というの?
ただの他力哲学ですか?
871名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/28(火) 23:45:40
>>870
ないですね。
ただの「おまじない」ですよ。
872名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/28(火) 23:48:14
>>870
他力哲学って何ですか?詳述して下さい。
873ごんべさん:2006/03/01(水) 00:17:12
>>866 けちゃっぷ君、三部経のとおりの浄土でないにしても、浄土は存在し
ます。まず、仏の世界について、龍樹菩薩の指摘が正しいと、証明されている
訳ではないし、第一、極楽浄土が幻ならば、浄土宗は成立しません。元祖さん
も『浄土は幻』なんて言ってません。ただ、『ある』とも、『証明』はでき
ませんが。少なくとも、私は、極楽浄土はどんな形であれ、存在するとおもう。
874名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/01(水) 00:25:53
でも、念仏となえながら死んだら行けるところでもないと思う。
875名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/01(水) 00:26:28
>>874
それは死んでから言って下さい。
876けちゃっぷ:2006/03/01(水) 00:37:10
>>872 他力本願を哲学にしてしまって、
お経はただの喩え話扱い…
なんて言わないでって意味です。
物理法則も識がつくりだす幻です。
往生すればテレポーテーションも可能になる。
877名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/01(水) 00:49:34
>>876
ええ、ですから、その他力哲学について教えてくださいと言っているんですが。
878けちゃっぷ:2006/03/01(水) 00:56:00
>>877 あまり興味ないからよく知りません。
879名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/01(水) 00:58:29
>>878
「ただの他力哲学ですか?」と言ったのはあなたですよ。
だから、こちらは「他力哲学って何ですか?」と聞いているわけです。
それに対して「興味ないからよく知りません」ではまるで回答になっていませんが?
880名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/01(水) 01:33:30
>>879
答えられないみたいね、>>878はwww
881名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/01(水) 01:41:09
自力の行もせず、念仏してなかった人はどこいくんですか?
882名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/01(水) 01:43:03
>>878
よく知らない言葉を使って説明しようとしたわけ?
大丈夫?けちゃっぷ君。
883けちゃっぷ:2006/03/01(水) 08:21:39
「他力哲学」
…他力他力と言いながら、阿弥陀仏の実在は信じず、
もっともらしい哲学で信心した気になっている、
頭のおよろしい人の浄土教。
けちゃっぷの造語。
884名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/01(水) 09:17:55
阿弥陀仏の実在?
まさにオカルト坊主の面目躍如という感じですね。
如来の不可思議のはたらき自体が重要なのであって、形象化された偶像が実在するかなど
愚問もいいところですね。
それと自分勝手な造語で相手が理解できると思っていること自体、おかしくないですかね。
しかも、「よく知らない」なんて言ってみたり。無茶苦茶ですよ、あなた。
885名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/01(水) 11:43:38
>>884
けちゃっぷの言うことだからね。
真に受けなくていいよ。
886けちゃっぷ:2006/03/01(水) 12:17:54
>>884 阿弥陀仏を、どのようなお方だと理解されてますか?
887けちゃっぷ:2006/03/01(水) 12:23:29
>>884 あなたは、
南無阿弥陀仏で往生できることと、
「如来の不可思議なはたらき」の関係を、
どうとらえていますか?
888名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/01(水) 12:32:52
>>886
阿弥陀仏とは「真如より来現する者」という意味において「如来」ですが、阿弥陀仏は真如
それ自体ではなく、真如が抽象的存在として人格を有して来現した「報身仏」ですね。
阿弥陀仏の来現は、法蔵菩薩の四十八願(因)が真如と縁を結んだ結果ですから、その
人格を説明するならば「四十八願を人格(精神)とする」と答える以外にないでしょう。
889名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/01(水) 12:36:54
>>887
何か困った時の質問攻めのようですね。
「不可思議のはたらき」を説明できるくらいなら誰も苦労はしないでしょうに。
確かに人間自身を解放する「はたらき」がそこにあるが、それ自体を説明することは
不可能である。だから不可思議なのである、と説明するしかないでしょう。
さて、同じ質問(>>886-887)をお返ししますので、ご回答願います。
890名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/01(水) 12:45:43
ついでに言えば、我々は真如それ自体に直接触れることは出来ませんね。
そのために四十八願の精神、文面の奥にある精神を体感的に受け取る(回向される)こと
によって初めて、阿弥陀仏を報身仏と位置づけることができ、報身仏を介して真如が開顕
されるということでしょう。
891けちゃっぷ:2006/03/01(水) 12:46:01
>888 >889 早速のお応え、ありがとうございます。
阿弥陀仏とはどのようなお方か
→三部経のとおりのお方

阿弥陀仏の不可思議なはたらきと念仏往生
→三部経のとおり。ただちに仰ぎ信じるべし。
892けちゃっぷ:2006/03/01(水) 13:00:54
>>890 凡夫は、往生しないと真如は体験できませんからね。
893名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/01(水) 13:13:14
>>891
便利な答えですね。
正直、何の面白味もありません。
君は檀家に同じ質問をされたら「三部経に書いてある通りです。はい、次どうぞ」とやる
わけですか。
894名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/01(水) 13:35:41
>>893
けちゃっぷにまともな回答を期待していること自体が問題。
895名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/01(水) 17:05:21
最近、けちゃっぷの答えも、投げやりのものが多いな。
896名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/01(水) 17:20:20
真宗禿に煽られて自分を見失ってるんだろう。
897けちゃっぷ:2006/03/01(水) 17:32:22
>>893
阿弥陀仏は、四十八願を成就した報身仏。
衆生の滅びを待ち続けるお方。
衆生を残して滅びはしないお方。
真如から還ってきたお方。
898けちゃっぷ:2006/03/01(水) 17:36:17
本願力は、不可思議だから凡夫の思考では理解できない。
畜生が人間の道具のしくみを理解できないのと同じ。
因縁のからみあいが複雑すぎて、
凡夫の演算能力では計れない。
しかし因があるから果がある。
899名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/01(水) 18:27:50
>>897
「○○○は報身仏である」というのは、主体(私)の受け取りとしての表現。
既に報身仏であるわけではなく、主体の体感を経ての報身仏であることを外すことは
できないだろう。
900名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/01(水) 18:39:04
>>898
不可思議もまた体感されるもの。
「よくは分からないが言葉に起こしていけば、不可思議のはたらきの中に自身の存在が
許されていくような感覚」ということだろう。
それは、世の一切を包括する本願の上にのみ、自分の存在は肯定されると。
901けちゃっぷ:2006/03/01(水) 19:02:47
>>900 誰が許し、誰が肯定するのでしょうか。
誰に許されないのでしょうか。誰に肯定されたいのでしょうか。
無常なこの世、一寸先は闇の世界で、
宇宙が許さないものは存在しえないでしょう。
存在しているものは宇宙から許されているはず。
物語に必要のない悪役はいないはず。
902名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/01(水) 19:14:54
だから、それを「不可思議なはたらき」と言っているわけですよ。
分からんちんなかたですね、相変わらず。
903けちゃっぷ:2006/03/01(水) 19:33:06
たしかに、因縁は不可思議なはたらきです。
でも、それならはじめから縁起説を説けばよいし、
法身仏であり宇宙仏であるビルシャナ仏(大日如来)で
いいのではないでしょうか?
念仏往生が不可思議という場合は、
念仏したら往生できるしくみが不可思議なのだと理解しています。
なぜそうなるのか、考えてもわからない。
わからないから考えずに信じればよいのです。
904けちゃっぷ:2006/03/01(水) 19:44:05
>>890 真如を体現するには、妄分別を取りのぞくしかありませんよね。
平たく言えば、悟らないと真如はわからない。
悟るための近道は、往生極楽ですね。
阿弥陀仏が報身であるということは、
本願が成就されているということであり、
念仏で往生できますということ。
凡夫には、往生もせずに真如なんかわかりっこないのでは?
だから、凡夫がこの世で真如を体現することはムリでしょうね。
905名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/01(水) 20:36:45
>>903
その「信じる」が疑わしいということ。
自分が「信じる」のではなく、「確かにはたらき(=大悲)の内にある」ということに頷く。
何だか分からないけれど確かにその通りである、と。
その「何だか分からないけれど」の上に求道がある。
「信じる」ことで求道するのではなく、求道の結果、それが「信じる」ということであったのかと
確かめられていくということ。
結論ありきの話ではない。
君の場合は常に結論ありき。
906名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/01(水) 20:40:48
>>904
真如が分かったらもう終わり。絶対に行き着かないです。
むしろ、煩悩の向こう側に真如があるのではないか?ということが生きる力になる。
この道は見違いないのではないか、いや、間違いない、と思えること、そのためには真如の側から
来現する報身仏の存在がなくばあり得ない。
さらに言えば、その真如を覆い隠している煩悩に対する悲しみが、そのまま阿弥陀仏の本願大悲
であるのだと。
真如は存在する。その中に(上に)私自身があることにも頷ける。それだけではすっきりしないが、
すっきりしないからこそ法を聞く。法を聞くところに阿弥陀仏が報身仏であることに頷く。
907名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/01(水) 20:52:58
>>903
読解力を疑いますね、ホント。
阿弥陀仏の人格は48願そのものである、というところに「阿弥陀仏は救主である」
と見出していくんでしょうが。
善導大師の金言知らんのですか?
それを一言で言えば「摂取不捨の大慈悲心」ですよ。
その人格が真如からこちら側に遣わされているわけですから。
908名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/01(水) 22:16:19
>>907
お経に書いてあるから丸暗記・丸呑みでいいんじゃないの?
そういう話でしょ?
909名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/01(水) 22:22:20
>>904
往生を約束された者になる、で人間のこの世での仕事は終わる。
そこから先は成仏を誓う阿弥陀如来のお仕事。
910名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/01(水) 22:31:06
>>908
YES
困った時には「三部経にそう書いてあります」でモーマンタイ。
911けちゃっぷ:2006/03/01(水) 22:36:45
>>906 いまさらですが、ちょっと意外でした。
聞法に重きをおいているんですか。
912名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/01(水) 22:38:38
>>911
何度も何度も語られていることを・・・・今さら何を言ってるんだ?
913浄土真宗の教章:2006/03/01(水) 22:51:39
http://kyoto.cool.ne.jp/monto/tabuu/kyosyo.html
全員が聞法し全員が伝道しよう

浄土真宗の教章
―私の宗教―
宗名 浄土真宗本願寺派(西本願寺)
宗祖 見真大師親鸞聖人(1173ー1262)
本尊 阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)
経典 浄土三部経
     仏説無量寿経(大経)
     仏説観無量寿経(観経)
     仏説阿弥陀経(小経)
教義 南無阿弥陀仏のみ教えを信じ、必ず仏にならせていただく身のしあわせを喜び、
    つねに報恩のおもいから、世のため人のために生きる。

宗風 宗門は同信の喜びに結ばれた人びとの同朋教団であって信者はつねに言行を
    つつしみ、人道世法を守り、力を合わせて、ひろく世の中にまことのみ法をひろ
    めるように努める。また、深く因果の道理をわきまえて、現世祈祷や、まじないを
    行わず、占いなどの迷信にたよらない。

浄土真宗の生活信条
1、み仏の誓いを信じ 尊いみ名をとなえつつ強く明るく生き抜きます
1、み仏の光を仰ぎ 常にわが身をかえりみて感謝のうちに励みます
1、み仏の教えにしたがい 正しい道を聞きわけてまことのみのりをひろめます
1、み仏の恵みを喜び 互いにうやまい助けあい社会のためにつくします
--------------------------------------------------------------------------------
914浄土真宗の教章:2006/03/01(水) 22:52:42
>>913の続き)

領解文
もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来我等が今度の一大事の
後生御たすけさふらへと、たのみまうしてさふらふ。たのむ一念のとき、往生一定御たすけ
治定とぞんじよろこびまうしさふろふ。この御ことはり聴聞まうしわけさふろふ事、御開山聖
人御出世の御恩、次第相承の善知識の、あさからざる御勧化の御恩と、ありがたくぞんじ候。
此うえは、さだめおかせらるる御おきて、一期をかぎりまもりまうすべく候。
--------------------------------------------------------------------------------
915けちゃっぷ:2006/03/01(水) 23:07:49
>>912 あ。「すっきりしないから法を聞く」っていうのが、なんか意外でした。
916名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/01(水) 23:10:31
>>915
別に意外でも何でもないが?
917名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/01(水) 23:14:14
>>916
>>914から引けば「後生の一大事」が分からないということでもあるしね。
しかし、それを掴んでいくにはとにかく「聞く」ということしかない。
918名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/02(木) 00:44:06
>>896
どうやらそんな感じのようですね。でも、称名念仏スレでもけっこう立場ないっていうか。
919名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/02(木) 01:13:16
>>918
>>891は・・・ちょっとあり得ないだろw
920名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/02(木) 01:22:05
>>919
結局、彼は浄土宗の寺に生れたから「念仏すれば往生します」と連呼してるわけで。
これが真言宗だったり曹洞宗だったりしたら、全く別のことを言ってそうな気がするんだよね。
その意味ではちょっと危うい感じ。
921けちゃっぷ:2006/03/02(木) 12:32:58
>>920 そうかもしれませんね。
危うくても危うくなくても、念仏すれば往生します。
…けちゃっぷは、そうやって生きてゆきます。
親が死んだら、
親が死んでも死ななくても、念仏すれば往生します。
母親が死んだときも、不思議なほど感情が反応しませんでした。
念仏に比べれば、ほかのできごとは、ただのできごとにすぎず、
往生を邪魔できない。
922名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/02(木) 16:57:26
>>921
「それでも出会った教えが真実であった」とは言わんのですね?
まあ、いいですけど。
923名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/02(木) 17:36:53
>>921
>母親が死んだときも、不思議なほど感情が反応しませんでした。
>念仏に比べれば、ほかのできごとは、ただのできごとにすぎず、
>往生を邪魔できない。

へぇ〜、念仏のひとってのは凄いね。
肉親の情よりも念仏と言い切れる御仁が、どうして「寺」という枠組みには執拗に拘るのか、
凄まじく疑問なんですが。
念仏に比べたら、ほかのできごと(=寺の相続云々)など、些細な事じゃないんですか?
924名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/02(木) 17:50:09

最近はsage進行が基本なの?
925けちゃっぷ:2006/03/02(木) 17:57:25
>>923 そう。些細なことだからどっちでもいい。
「どっちでもいいけど、選ぶとしたらどっちですか?」
という状況なら、
「まぁどっちでもいいけど、あえて選ぶならこっちかな」
と、選ぶでしょう。
ただし、選んだ瞬間から、選んだことに伴う責任が生じる。
次の選択肢からは、どちらを選んでもいいけど、
「責任を果たすためにはどちらを選んだほうがいいか」
という選択基準を背負っている。
そうやって、「どっちでもいいけどこっち」をくりかえして生きればいい。
926名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/02(木) 18:00:40
>>925
だったら選ばないという選択肢でも良かったはずでは?
仕事をしながら念仏できればいいわけで、わざわざ寺という枠組みを
背負う必要はないわけで。
927けちゃっぷ:2006/03/02(木) 18:01:39
寺を継いでも継がなくても、念仏すれば往生できます。
だからどっちでもいい。
どっちでもいいから、
親が継いでくれというのを敢えて断る必要もない。
「そこのソースとってくれる?」「はいはいー」
「この寺継いでくれる?」「はいはいー」
「私とつきあってくれる?」「はいはいー」
「別れてくれる?」「はいはいー」
928名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/02(木) 18:04:22
>>927
>寺を継いでも継がなくても、念仏すれば往生できます。
>だからどっちでもいい。

どっちでもいい、というような人に背負われる寺ですか。
日本の寺が廃れるわけですよ。
929名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/02(木) 18:07:12
>>928
まあ、日本の寺なんてほぼそんなものだろ。
適当に理由つけて寺を継ぐんだよ。結局、執着ってことさ。
930名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/02(木) 18:08:19
家業ですから。
931名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/02(木) 18:09:19
>>929
他人様に教えを説いているわりには、自分の判断基準は別のところにあるということですね。
932名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/02(木) 18:10:04
>>929
結局、せしうはげ。
933名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/02(木) 18:13:36
>>931
説得力が無いのはそこでしょ?
例えば、不淫戒を授かっているのに世俗の慣習で結婚して「寺庭婦人」なんて呼んでみたり、
言ってることとやってることがチグハグ。
で、言い訳に「不淫戒ではなく不邪淫戒です」なんて言ってみたり。
934名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/02(木) 18:21:55
>>933
それは浄土系?
935けちゃっぷ:2006/03/02(木) 18:54:32
>>929 継ぐと決めた以上は、跡取りとしてやれることはやりたいです。
936名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/02(木) 19:24:04
>>935
ならば、教義についてきちんと勉強し直されては?
937名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/02(木) 20:18:05
日本人の疑問。
神社やお寺のお守りは、袋に入ってますよね。
あの袋を開けて中を拝見するのはありですか?
開けようとしたら妻に「非常識」と言われましたが・・・
938名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/02(木) 20:29:25
神さん裸にするようなもんでしょww
やめたが宜しい。
939名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/02(木) 20:35:29
神さん裸にするより、かみさんを裸にしてサービスしなさいな・・・・
そうすりゃ「非常識」などと冷たく罵られなくなる。。
940名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/02(木) 20:51:34
>>939
うまい!座布団一枚!
941名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/02(木) 21:03:51
>>920
これって自分に当てはめるとけっこうその通りじゃないかと思う。
浄土宗に縁があったから浄土宗をやってるんであって、禅宗に縁があれば禅宗、真言宗に縁があったら真言宗
をやってたかもしれない。浄土真宗、日蓮宗だったかも?

もっといえばカトリックの家ならカトリック、プロテスタントならプロテスタントで神を信仰し、
スリランカやビルマに生まれてたら上座部仏教を信仰したかもしれんし、
チベットならチベット仏教、インドのヒンズー家ならヒンズー、イスラームならイスラームを信仰してたかもしれん。

そう思うと、それぞれ縁があって信仰があるんだから、他の人たちの宗教をおとしめたり、傷つけることはあってはならないと思える。

そしてどの宗教、どの宗派を信仰する場合であれ、そこにおいて宗旨を大事にして真摯に信仰することが大切だと思うし、
自分の宗教のおかしなところがないか批判する理性と道徳も必要だと思う。
942名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/02(木) 21:16:06
理性と道徳で救われるなら、実践倫理で済むやろ。
943名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/02(木) 22:24:30
涙流して「あああ私は教祖様に救われました〜」とか「信心しないとお前地獄に落ちるぞっ!」とか言う信者がワンサカの宗教より、
ただ心がまえ正しく、不当に自分勝手でなく、自分の信仰を他人に押しつけない、そんな宗教ならたとえ宗旨は違えど、
崇敬に値すると思うのだ。
944名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/03(金) 02:50:45
>>942
その通り。
所詮、理性も道徳も相対的なもの。
適当なところで自分を安定させられるだけの話に過ぎない。
945名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/03(金) 07:44:30
>>944
個人崇拝、死後の世界、天国と地獄……。
自分なりに仏教に触れてみて、そんなモンどうでもよくなりましたけどね。
詰まるところ、変わり果てていく自分を受け入れられずに、何が宗教かと思いますし。
その意味では同意です。
946けちゃっぷ:2006/03/03(金) 12:14:50
死後の世界があってもなくても、今念仏できればそれでいい。
947名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/03(金) 15:45:33
>>946
ということは、貴殿は「死後の世界」否定派に分類しておきます。
948けちゃっぷ:2006/03/03(金) 18:32:27
>>947 一応肯定派ですが、死後の世界がなくてもかまわない。
死後がないなら、死んで後悔することもないし。
逆に、もし死後の世界があったら…
どちらにしても、今確認できる話ではない。
だからどっちでもいいです。
今念仏できるから、今のところ僕は幸せだから。
949名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/03(金) 22:15:04
毎度毎度、綺麗事と思えるような回答、誠にありがとうございます。
950名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 03:19:35
>>948のようなことを言いながら、実際には死後の世界観でメシ食ってますよね、お坊さま。
951名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 04:32:07
>>950
方便ですよ、方便。
頭の悪い檀家どもはそれが分からんのです。
952名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 05:07:03
そうでもなけりゃ誰も寺になんか行かんさ。
953名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 05:43:51
>>948
ん?「往生するぞ」と思って念仏してるんだろ?
ならば、あんたは一体、どこに「往き生まれる」つもりなんだ?
それが明確になってないのに「往生するぞ」か?

しかし、念仏できなくなったら不幸の道まっしぐらだな。
命張れるか?あんた。
まあ、言葉だけなら何とでも言えるか(w
954名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 06:44:24
>>953
またまた突っ掛かりますね。
955名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 07:46:29
さて、次スレはどうします?
一応、機能しているようですし、>>980を踏んだ人が立てるってことでいいですかね?
956けちゃっぺ:2006/03/04(土) 15:04:17
あのね浄土宗はね大経18願に生まれんとおもって乃至十念せん。ってかいてあるのよ。
浄土に往生するぞと思うだけではダメで思って十念しなくてはいけないのよ。
経典に書いてあるでしょ。正確にみましょうね。後ね、この十念を十声の念仏と勝手に解釈しちゃダ゛メ。
十念をちゃんと理解してくださいね。
957名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 15:38:27
>956
あのね浄土宗はね十念を十声の念仏と解釈するの。憶念とか勝手に解釋しちゃダメ。
十念をちゃんと理解してくださいね。
958けちゃっぺ:2006/03/04(土) 15:58:11
十念というのは観経にも具足十念称なも阿弥陀仏とある。念仏、念法、念僧
念戒、念施、念天、念休息、念安般、念身非常、念死のことであって十声ではない。
十声は中国の善導の勝手な解釈である。それを法然はうけてしまった。
十念が十声である根拠を述べてみろよ。どの経典にかいてあるんだ。ちなみに上記は
雑阿含第1にかいてある。
959けちゃっぷ:2006/03/04(土) 16:02:26
>>956 口先で 南無阿弥陀佛と 云えばよい 心なくして 申せるものか

信があるから口にでるのです。口に出るから確かに信があるとわかるのです。
口に南無阿弥陀佛がでるならば、あなたの信は大丈夫です。
安心してください。あなたに信があるのだから。
南無阿弥陀佛
960けちゃっぺ:2006/03/04(土) 16:20:09
十念を憶念とかいしゃくするのは正しいからわかる。念しいうのはもともと原語では
マナシカ−ラとアヌスムリティだろ。前者が心を起こす、後者は思い浮かべる憶念のいみやね。
悪いが原語をみても念は声に解釈するのはむりがある。
961名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 16:47:09
根拠なんぞ無くても善導は阿弥陀仏の化身なんだから、念称是一は阿弥陀仏御本人の考えに違いない。
962名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 17:50:54
>>959
まるで説明になってないのでは?

>>961
上に同じ。
963けちゃっぷ:2006/03/04(土) 18:03:43
>>958 おもろい説ですね!
でも、観経の上品上生でさえ修行六念なのに、
六念にあと4念加えた十念を修めるなんて、
下品下生には不可能では?
第一、苦にせまられて仏を念じる余裕もないから、
称南無阿弥陀仏をさせるわけです。
仏だけを念じることもできない人が、
さらに9項目も念じられるはずがないでしょう。
964名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 18:05:32
>958
雑阿含と観経を結びつける根拠は?
>960
テキストはその通りだけれど、浄土宗の解釈ではない。
浄土宗の解釈は、善導の領解を法然が受け止めたものであって、その時点で原語からは離れている。
それを迷信というならいったらいい。
サンスクリットのお勉強をしているわけではない。

>959
また勝手なことをいってるよ。自分が振りまいている害毒を自覚されたし。
965名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 18:05:57
>>962
けちゃっぷにまともな説明ができるわけない。
いつも>>959のような回答だけ。
彼には論理的に構成する能力がないから、説明を求めること自体が無意味。
966けちゃっぷ:2006/03/04(土) 18:21:54
江戸末期の浄土宗に、徳本行者というカリスマ的な念仏者がいらっしゃいます。
口先の念仏も彼の歌です。
あと、こんなのもあるそうです。
ただ申せ ただただ申せ ただ申せ 申すばかりで 往生はする
967名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 18:22:40
教義的にはすばらしい浄土宗なのに、(↑みればわかる)なんで念仏以外の行っぽいのが多いんでしょう?
(真宗大谷派所属)
968大谷派:2006/03/04(土) 18:25:10
962,965くん、浅いよ。
969名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 18:26:10
>>966
だから?
本来の法義と関係ないと思うが。
970名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 18:28:24
やたら大谷派が出てきたな。
念仏を捨てた政治団体に用はないわけだが。
971大谷派:2006/03/04(土) 18:29:31
>969
本来の法義が他にあったら教えてください。
972名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 18:32:30
>>971
つまり「無い」ということね?
973大谷派:2006/03/04(土) 18:34:19
>970
みんなが捨てちゃってるんじゃないのでしょうか・・・。日本の浄土門・・・。
974名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 18:36:02
>>972
大谷派=浄土宗けちゃっぷ派

まあ、いいか(w
975大谷派:2006/03/04(土) 18:37:32
>972
法義=念仏以外に無し、という風に理解しております。
976名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 18:39:34
>>973
おまえらに言われたくねえよ。
大谷派なんて、今や唯物論思想の亜流みたいなモンだろうに。
977名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 18:44:13
>>975
だからさぁ、「何故、称名なのか?」という話だろうに。
その点、浄土宗、真宗、浄土宗けちゃ派では解釈が異なるはずだが?
978大谷派:2006/03/04(土) 18:48:17
>974
構いません。(w
うちにスカウトしたいくらいです。(うちのレベルもお互い様ってとこですから・・・)
しかし、けちゃっぷさんの「知性」(彼は狂信者のおよそ対極です。念のため。)がご理解頂けないのは、同門としては、遺憾なことです。
979名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 18:51:01
彼のオカルト思想など理解するつもりはないのだが。
980大谷派:2006/03/04(土) 18:52:09
>977
なぜ、をあえて問わない(答えない)のが、法然聖人では?
981名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 18:57:17
>>980
だから親鸞は『教行信証』を著したんだろ?
そこから考察しろよ。
982名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 19:01:05
>>980
それが後に「菩提心」問題を生じる結果になったわけでしょうに。
983名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 19:03:24
>>980
じゃ、これ以上の論証は無駄か?
984名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 19:09:04
>>983
終了?
985大谷派:2006/03/04(土) 19:11:56
>981
「教行信証」も、なぜ?には答えない。
あえていえば「お経にあるから。」としかならんのでしょう。
親鸞の場合、本願をリスペクトする諸仏の存在と、自分が信心を獲た歓びの表現が中心で、やはり、なぜ?には答えてないと思うけど。
986名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 19:18:07
>>985
そうかね?
「教巻」での、無量寿経が真実教である、という受け止めについてはなかなかに興味深い
ものがあるが。
987大谷派:2006/03/04(土) 19:21:25
>982
「菩提心無用」って、むしろ法然聖人の凄みというか、かっこよさに通じてると思います。
>983
「論証」ってゆうか、「証」が念仏なのでしょう。
988大谷派:2006/03/04(土) 19:25:18
>986
真実の教えとは仰ってても、なぜ真実なのかの、論理的裏付けは無いという・・・(w
989名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 19:38:45
>>958に興味があるのですが、
念仏、念法、念僧、念戒、念施、念天、
念休息、念安般、念身非常、念死、というのは、
それぞれ何を念じてるのですか?
990けちゃっぺ:2006/03/04(土) 19:44:18
どうした。いつまで待てばいい。十念がどうして十声なんだ。
991大谷派:2006/03/04(土) 19:47:22
お邪魔しました。楽しかったです。さようなら。
ついでに補足しときますと、この周辺のけちゃっぷ氏は素晴らしいですけど、過去スレみたら、必ずしも賛成出来るものばかりではないようですね。(知性は疑いませんが。)
浄土宗は「死後往生」捨てれば、もっとクリアになるんじゃないですか?あなかしこ。
992けちゃっぷ:2006/03/04(土) 19:55:52
>>990 観経の下品下生を読めば、
やはり声をだして南無阿弥陀仏を称えることだと思えます
993けちゃっぷ:2006/03/04(土) 20:02:22
>>990 口称念仏でなければ凡夫には難しいから、
十念は十声でなければならないのです。
十念が十声でなければ、赤ん坊をミキサーに入れてオーレにしてやる!
994けちゃっぷ
>>991 お誉めにあずかり、光栄に思ってしまう自分が悲しい。
無常なる喜びよ、念仏の白道に裂かれよ!