よろしく
頂きます。(失礼)
3 :
名無しさん@京都板じゃないよ :03/10/23 16:19
ぐぐれ。 ということでこのスレは 糸冬 了。
4 :
名無しさん@京都板じゃないよ :03/10/23 16:19
仏説
5 :
名無しさん@京都板じゃないよ :03/10/23 16:20
摩訶
6 :
名無しさん@京都板じゃないよ :03/10/23 16:21
般若
7 :
名無しさん@京都板じゃないよ :03/10/23 16:23
とりあえず「師範代→6時間」に挑戦します。
気になってしょうがないんです。意味も知らないのに般若心経を唱えていいんでしょうかねぇ?まじめにレスお願いします。
9 :
名無しさん@京都板じゃないよ :03/10/23 16:37
仏説→(これは謎) 摩訶→大きい 般若→智慧 波羅蜜多→渡る 心→要約 経→お経 でどないだ?
≫9 勉強になります。ありがとうございます。お経って種類によって色々な意味があると思いますが、般若心経は何を伝えているんでしょうか?
11 :
名無しさん@京都板じゃないよ :03/10/23 16:56
空の心
般若心経の意味で無我の境地に行き着くまでの過程も気になる。
13 :
名無しさん@京都板じゃないよ :03/10/23 17:06
>>1 大般若経という長い長いお経があります。
内容は「空」です。
空観思想だけで600巻もの長い経典となっています。
その要約が般若心経です。
空に関しては一度検索してみては如何でしょうか?
≫13 ご丁寧なレスありがとうございました。さっそく調べてみます。
15 :
名無しさん@京都板じゃないよ :03/10/23 19:54
>>1 私を地獄に連れて行って、というのが般若の意味
和訳(現代日本語訳)ぐらいググったらいくらでも見つかると思う。 この程度のことなら 初心者質問スレで充分。
般菩羯 多 呪 多 得 想 圭 所 亦 無 耳 不 是 異 蘊 観 佛 若提諦 呪 能 是 阿 究 礙 得 無 意 鼻 増 舎 色 皆 自 説 心裟羯 即 除 大 耨 竟 無 故 老 識 舌 不 利 色 空 在 摩 経婆諦 説 一 神 多 涅 圭 菩 死 界 身 減 子 即 度 菩 訶 訶 呪 切 呪 羅 槃 礙 提 盡 無 意 是 是 是 一 薩 般 波 曰 苦 是 三 三 故 薩 無 無 無 故 諸 空 切 行 若 羅 眞 大 藐 世 無 捶 苦 明 色 空 法 空 苦 深 波 羯 實 明 三 諸 有 依 集 亦 聲 中 空 即 厄 般 羅 提 不 呪 菩 佛 恐 般 滅 無 香 無 相 是 舎 若 蜜 虚 是 提 依 怖 若 道 無 味 色 不 色 利 波 多 波 故 無 故 般 遠 波 無 明 觸 無 生 受 子 羅 心 羅 説 上 知 若 離 羅 智 盡 法 受 不 想 色 蜜 経 僧 般 呪 般 波 一 蜜 亦 乃 無 想 滅 行 不 多 羯 若 是 若 羅 切 多 無 至 眼 行 不 識 異 時 諦 波 無 波 蜜 顛 故 得 無 界 識 垢 亦 空 照 羅 等 羅 多 倒 心 以 老 乃 無 不 復 空 見 蜜 等 蜜 故 夢 無 無 死 至 眼 浄 如 不 五
ひまですね
19 :
名無しさん@京都板じゃないよ :03/10/24 00:24
よかったらフリガナふってよ
20 :
名無しさん@京都板じゃないよ :03/10/24 08:08
読み方は宗派によって微妙に違うらしいね。
訳文 般若心経 魔訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行ずる時、五温皆空なりと 照見して、一切の苦厄を度したもう、舎利子よ、色は空に 異ならず、空は色に異ならず、色即ち是れ空、空即ち是れ色、 受想行識も亦復是の如し、舎利子よ、是の諸法は空相にして、 生ぜず滅せず、垢つかず浄からず、増さず滅らず、是の故に 空中には色もな.く、受想行識もな.く、眼耳鼻舌身意もなく、 色声香味触法もなく、眼界もなく、乃至意識界もなく、無明も なく、亦無.明の尽ることもな.く、及至老死もなく、亦老死の尽る こともなく、苦集滅道もなく智もなく、亦得も無し、所得なきを 以ての故に、菩提薩埵、般若波羅蜜多に依るが故に、心に圭礙無し、 圭礙無きが故に、恐怖あること無し、一切の顛倒夢想を遠離して、 涅槃を究竟す、三世の諸仏、般若波羅蜜多に依るが故に、 阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり、故に知る般若波羅蜜多は是れ 大神呪なり、是れ大明呪なり、是れ無上呪なり是れ無等等呪な.り、 能く一切の苦を除きて、真実にして虚ならず、故に般若波羅蜜多の 呪を説く、即ち呪を説いて日く、 羯諦羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提娑婆訶 般若心経 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 入手先不明。著作権を犯していたらスマソ 意味? 意味は?・・・ スマソ
22 :
名無しさん@京都板じゃないよ :03/10/24 21:43
そこら辺の本屋に行けばいくらでも解説本売ってるぞ。
>>21 『 魔訶般若波羅蜜多心経 』は
『 佛説摩訶般若波羅蜜多心経 』の謬です。
(
>>17 を参照)
>>21 『 魔訶般若波羅蜜多心経 』は
『 佛説摩訶般若波羅蜜多心経 』の間違いです。
(
>>17 を参照)
頭に「仏説」をつけたことで
>>17 が真言宗だっていうのがよくわかる。
ハニャーン心経 とにかくみんな空(クウ)なにょな。そう思えばつらいことも何もないにょだYO! モノが在ると思ってもその実体は無いわけだし、 実体が無いようなモノも在るように見えるものだにょ。感覚知覚するのもそういうもにょなの。 とにかくモノ・感覚・知覚、みーんな実体がないわけだから、生まれもしない滅びもしない、 汚くもならない浄くもならない、増えもしない減りもしない、当たり前の話だゴルァ。 実体がなく変化も無いんだから、縁起なんて表面的なこと、実体など無いわけでして、 無明がどうとか老死がどうとか、もう言うだけ無駄。悟りとか悟りを得るってことも無かったわけだ。 こう思えば何にも考えなくてすむし、考えないから怖いものナシ。 考え違いもないからもう究極だあーヽ(゚∀゚)ノアヒャ 。 ブッダというのはみーんなこんな風な修行をしたわけで(ホントか)、 それで究極の悟りを得たと(なんだ結局得たのかよ)。 まー智慧の修行ってこういうわけのワカランものだから、 もまえら愚民たちは最強のマントラとしてこのお経を繰り返し唱えるぐらいが関の山ってわけだ。 じゃあ唱えるぞ。 「逝ってよし、逝ってよし、もまえらみんな逝ってよし。漏れもなー」 ハニャーン心経
27 :
名無しさん@京都板じゃないよ :03/10/26 08:44
うるせーばか
28 :
名無しさん@京都板じゃないよ :03/10/26 09:02
>>26 これでいいじゃない。よくできてると思うよ。
なかなか良いじゃん(チンチン 仏教宗派で般若心経唱えない宗派は?
>>24 さんありがとう。(どちらでも俺には意味不明) >>26 さん良かった、これゲット、白黒反転して壁紙に残すね。
>>29 ----------------------------------------------------------
>仏教宗派で般若心経唱えない宗派は?
----------------------------------------------------------
1:日蓮系宗派
『 法華経(法華三部経) 』以外のお経は詠まない方針。
2:浄土真宗(お東&お西)
般若心経は浄土真宗の教義にそぐわないということで、
般若心経の代わりに『 正信偈 』が詠まれる。
>>24 さんありがとう。
33 :
>>32の訂正(スマソ) :03/10/26 13:39
>>29 さんありがとう。
>31 サンクス 真宗は聞いてたけど日蓮宗もか・・。
頭の中では、理解できてるの。 問題は、いつもいつも夫だけしか、逝ってないってとこ。 いつもいつも入れたかと思うとなにやら唱えて、即、それでオシマイ。 即説呪曰「固てぇー、固てぇー、オレのは固てぇー。孕ますぞう! 固てぇー、ボクさわやかー ハニャーンちん経」だって・・・・ もぉぉぉぉー
あぼーん
38 :
名無しさん@京都板じゃないよ :03/10/29 21:07
本日のトリビアの泉より。 タイトーのカラオケに般若心経が入っているそうです。
あぼーん
あぼーん
41 :
名無しさん@京都板じゃないよ :03/10/31 22:24
>10 編集工学の大家、松岡正剛氏の「空海の夢」 を読みなさい。空海論では、これにまさる本はないね。 般若心経の説明はないが、お経が人間に とって必要な理由が、書いておるぞ。 すなわち、人間は、脳が肥大しすぎたと。 そこで、雑念が生じるわけだ。 それを打ち消すためにお経をつぶやくわけだ。 (こんな単純には書いてないよ。アジアの気候やら、 人類の祖先やらの話しのスリリングな展開があるわけや) 幸せな人間(恵まれた環境にある子供や無垢な人) にはお経は、必要はないわけだ。
あぼーん
(読み方)ありゃまぁ、あんたぁ 孕ましたぁ チンぎょぉぉぉ
拙著「真説般若心経」をお読みください。
46 :
名無しさん@京都板じゃないよ :03/11/09 19:49
47 :
名無しさん@京都板じゃないよ :03/11/10 13:36
この世もあの世も表裏一体。 全てが空なのだよ、1よ。 さあ、修行をして彼岸へ渡ろうではないか。
摩訶般若波羅蜜多心経 大いなる智慧の完成の真髄の教え 観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。 「自由自在に洞察する」という名の菩薩は、深い智慧の完成を実践したとき、 存在の五要素はすべて「空」であることを明らかに見抜き、一切の苦しみを超えた。 舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。 シャーリプトラよ、(色形を持って現れている)物は「空」と異ならず、物は「空」と異ならない 物はそのまま「空」であり、「空」はそのまま物である。感受も想念も意思も思考もまたそのとおりである。 舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。不増不減。 シャーリプトラよ、そのようにもろもろの存在は空という相においてあるのだから、生れることも滅びることもなく、 汚れておらず浄らかでなく、増えることもなく減ることもない。 是故空中。無色。無受想行識。 それゆえに空の中には、物もなく、感受も想念も意思も思考もない。 無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。無眼界 乃至無意識界。 眼・耳・鼻・舌・身体・意識もなく、色や形・音・香り・味・身体感覚・外的な存在もなく、眼の領域もなく、 さらに意識の領域に到るまでない。
無無明亦 無無明尽。乃至無老死 亦無老死尽。 無明もなく、また無明が尽きることもなく、さらに老いと死もなく、また老いと死が尽きることもない 無苦集滅道。無智亦無得。 苦に関する真理・苦の原因に関する真理・苦の消滅に関する真理・苦を消滅させる道に関する真理もない。 智慧もなく、得ることもない。 以無所得故。菩提薩。依般若波羅蜜多故 心無圭礙 無圭礙故。 無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。究竟涅槃。 得ることがないので、菩薩は、智慧の完成の実践によるゆえに、心に覆うものがない。 心を覆うものがないゆえに、恐れがなく、いっさいの転倒した妄想を離れ、究極の涅槃にたどり着くのである。 三世諸仏。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。 過去・現在・未来の仏たちは、智慧の完成の実践によるゆえに、この上なく正しい覚りを得た。 故知般若波羅蜜多。是大神呪。是大明呪。是無上呪。是無等等呪。 能除一切苦。真実不虚。故説般若波羅蜜多呪。即説呪曰。 それゆえに知るべきである。智慧の完成は、大いなる真言であり、大いなる光の真言であり、 この上ない真言であり、等しいもののない真言であり、一切の苦しみを除くことができる、と。 真実で偽りのないものであるゆえに、智慧の完成の真言を説こう。すなわち真言を説けばこのようである。 羯諦 羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。 ガーテー ガーテー パーラーガーテー パラソーガーテー ボーディスヴァーハー (ゆけり ゆけり 彼方にゆけり 完全に彼方にゆけり 覚りに幸いあれ) 般若心経 智慧の完成の真髄の経典(を終わる)
ぶっせつまかはんにゃはらみたしんぎょう かん じ ざい ぼ さつ ぎょう じん はん にゃ は ら み た じ しょう けん ご うん かい くう ど いっ さい く やく しゃ りし しき ふ い くう くう ふ い しき しき そく ぜ くう くう そく ぜ しき じゅ そう ぎょう しき やく ぶ にょ ぜ しゃ り し ぜ しょ ほう くう そう ふ しょう ふ めつ ふ く ふ じょう ふ ぞう ふ げん ぜ こ くう ちゅう む しき む じゅ そう ぎょう しき む げん に び ぜっ しん い む しき しょう こう み そく ほう む げん かい ない し む い しき かい む む みょう やく む む みょう じん ない し む ろう し やく む ろう し じん む く しゅう めつ どう む ち やく む とく い む しょ とく こ ぼ だい さつ た え はん にゃ は ら みっ た こ しん む けい げ む けい げ こ む う く ふ おん り いっ さい てん どう む そう くう ぎょう ね はん さん ぜ しょ ぶつ え はん にゃ は ら みっ た こ とく あ の く たら さん みゃく さん ぼ だい こち はん にゃ は ら みっ た ぜ だい じんしゅ ぜ だい みょうしゅ ぜむ じょうしゅ ぜ む とう どう しゅ のう じょ いっ さい く しん じつ ふ こ こ せつ はん にゃ は ら みっ た しゅ そく せつ しゅわっ ぎゃてい ぎゃてい は ら ぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじ そ わ か はん にゃしん ぎょう
短いお経だから、私たち一般人にとっては「唱えるによし、写経するによし」なんだろうな。
般菩羯 多 呪 多 得 想 圭 所 亦 無 耳 不 是 異 蘊 観 佛 若提諦 呪 能 是 阿 究 礙 得 無 意 鼻 増 舎 色 皆 自 説 心裟羯 即 除 大 耨 竟 無 故 老 識 舌 不 利 色 空 在 摩 経婆諦 説 一 神 多 涅 圭 菩 死 界 身 減 子 即 度 菩 訶 訶 呪 切 呪 羅 槃 礙 提 盡 無 意 是 是 是 一 薩 般 波 曰 苦 是 三 三 故 薩 無 無 無 故 諸 空 切 行 若 羅 眞 大 藐 世 無 捶 苦 明 色 空 法 空 苦 深 波 羯 實 明 三 諸 有 依 集 亦 聲 中 空 即 厄 般 羅 提 不 呪 菩 佛 恐 般 滅 無 香 無 相 是 舎 若 蜜 虚 是 提 依 怖 若 道 無 味 色 不 色 利 波 多 波 故 無 故 般 遠 波 無 明 觸 無 生 受 子 羅 心 羅 説 上 知 若 離 羅 智 盡 法 受 不 想 色 蜜 経 僧 般 呪 般 波 一 蜜 亦 乃 無 想 滅 行 不 多 羯 若 是 若 羅 切 多 無 至 眼 行 不 識 異 時 諦 波 無 波 蜜 顛 故 得 無 界 識 垢 亦 空 照 羅 等 羅 多 倒 心 以 老 乃 無 不 復 空 見 蜜 等 蜜 故 夢 無 無 死 至 眼 浄 如 不 五
54 :
名無しさん@京都板じゃないよ :03/11/28 01:34
マジレスすると、「彼岸に渡れ」って事さ。 つまり汚れた現世(俗世)から浄土(清らかな世界)に渡れって事だよ。 般若心経って色々な解説書が出ているけど、どれも決定打とはいえない。 学会で共通認識されてるのは上記の通り。
55 :
名無しさん@京都板じゃないよ :03/11/28 03:34
>>26 (・∀・)イイ!!
簡潔にして明確、般若心経の本質を捉えてる。
素晴らしい。
56 :
名無しさん@京都板じゃないよ :03/11/28 03:47
もうさ、漢文なんてみんな読めないんだから、
お経はみんな口語訳で読経することにしようぜ。
とりあえず般若心経は
>>26 でケテーイ
弘法大師空海著「般若心経秘鍵」による解釈では、 心経は大般若菩薩の真言であり、 羯諦羯諦〜ではじまる真言をいうまでの前書きであると喝破しています。
58 :
名無しさん@京都板じゃないよ :03/11/28 08:21
おまえら、元ハンセン患者さん達に ひどいと思わないのか? あらん限りの暴言を尽くしやがって。 キモイとか言う前にちょっとは彼らに慣れる 努力をしてみたらどうだ?
>>54 >つまり汚れた現世(俗世)から浄土(清らかな世界)に渡れ
が学会の共通認識ですか?
初耳ですなぁ…(プ
60 :
名無しさん@京都板じゃないよ :03/11/28 15:28
>>26 すごく(・∀・)イイ!!
この調子で観音経もやってくれ
61 :
名無しさん@京都板じゃないよ :03/12/13 15:23
そうかにかかればごみ
いけた駄作の神格化をジャマするものは、廃棄 廃棄 廃棄。
63 :
名無しさん@京都板じゃないよ :03/12/27 00:10
弘法大師の『般若心経秘鍵』を読んでください。 巷に溢れる「色即是空」一辺倒の解釈がいかに浅いかがはっきりします。
64 :
名無しさん@京都板じゃないよ :03/12/29 21:42
逆転般若心経って知ってる人いますか?
66 :
名無しさん@京都板じゃないよ :03/12/31 17:29
>>65 ほれ。
三国人や日帝の学者どもが言っているイマジネーション念仏でもなくてだな、
あと勉強をして念仏の意味をどうこう言うわけでもないにょだYO!
極楽に逝きたけりゃ南無阿弥陀仏と念仏を言うだけで良いと言ってんだゴルァ。
ただし真心がいるとか深く信じろとか、ずっと念仏してろとかうやうやしくやれとかそういうことはだな、
結局南無阿弥陀仏の中にこもって居ると言っておるんだゴルァ!
このほかにガタガタいうやつは極楽に逝けないってこった(プ
念仏を信じる香具はたとえ学者だとしても、愚民と一緒になって、学歴厨的なことをするなということだYO!
ただ念仏しろってことだYO!
証拠のためにお手手つきまつ。ヽ(゚∀゚)ノアヒャ 。
極楽に逝く心構えも修行もみんなこれに書いたぞ。漏れの考えこの他に無いわけだと。
漏れが逝ったあとにあらすやつが出ないように書いとく。
建暦二年正月二十三日 判
>>66 最高ー!
あんたオモロイわ。
今度、知り合いのボンさん教えてあげよっと。
68 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/05 03:30
魔訶般若波羅蜜多心経はインドの古語の梵語を 音訳した大般若経のダイジェスト版で、 あまりにひどい物としても有名。 観自在菩薩はアヴァローキテーシュヴァラの意訳、意訳って・・・ マハー・パンニャ・パーラミターが当て字で魔訶般若波羅蜜多だし インドのサンスクリット語やパーリー語を中国の発音で当て字にして、 それを勝手なリズムとアクセントと息継ぎで日本語読み。 ま、お経が全部そうなんだけどね。 仏様も大変ね。
>>68 サンスクリット原典の現代日本語訳をおながいします。
知りたーい!
71 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/07 02:08
72 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/07 02:18
>>68 ソースきぼん!
あなたの説では、音訳された大般若経のダイジェストと言う事ですが、
そうなると梵語等の般若心経があるのは、どうしてですか?
説明できますか?
73 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/07 02:27
>>72 もともと、600巻に及ぶ『大般若経』の精髄を玄奘三蔵が
260字に要約したものに2字を加えたものであるのは周知の事実。
だから、元の『大般若経』がサンスクリットで書かれているのだから
ダイジェストになったものも梵字で表記できるのも当たり前。
75 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/07 17:24
般若心経を要約すると、 意味がわからなくてもよい、です。 その意味を考えるのをやめたとき、 その般若心経を悟ったことになります。 意味がわからなくてもいいや、と思ったとき、わかったことになるのですよ。
76 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/07 19:17
77 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/07 19:37
般若心経を要約すると 私を地獄に連れて行って〜
78 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/07 23:50
>>76 簡単に言うと、大般若経からの極端な要約と解釈。
例えば、般若心経は玄奘による意訳、音訳、当て字などで構成おり
音、意味、文字のどれに焦点当てて要約したのか分からない。
79 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/08 07:21
80 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/08 07:44
>>79 偽経というとちょっと趣は違う。
なぜなら、大般若経はインドから中国に伝わっている。
ただ、玄奘が翻訳、解釈、要約している般若心経は
原典の何をメインにそれらを行っているのか、
解かり難い。
81 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/08 08:18
>ただ、玄奘が翻訳、解釈、要約している般若心経は 原典の何をメインにそれらを行っているのか、 解かり難い。 般若心経は玄奘訳だけじゃなくて、羅什訳とかもあるでしょう。そうしますと >もともと、600巻に及ぶ『大般若経』の精髄を玄奘三蔵が 260字に要約したものに2字を加えたものであるのは周知の事実。 と言うのはおかしくねーか?(プ
82 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/08 08:37
>>81 何処がおかしんだろう?
まあ、当然鳩摩羅什訳もあるけども玄奘訳のほうが
その当時(玄奘訳出来時)も今も一番流布している。
600巻に及ぶ『大般若経』の精髄を玄奘三蔵が要約したのも真実。
未だに『般若心経』は『大般若経』を要約したものとか言ってるのか つーか玄奘が要約て 凄いな いろんなところがフンワリホワホワなんだろうな
84 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/08 10:46
85 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/08 11:55
いや、84が無知かつ無恥なだけにみえるよ。 同系統の思想だけど、経典としては別に発生した。 玄奘がまとめたのではない。
86 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/08 12:08
般若心経の成立って何処で何時なのが歴史学問上の定説なのさ?
しかし600巻の要約が260文字っつーのも何だよな・・・ 仏陀の弟子達はアフォだったのか? まぁ日本の弟子ども末裔を見るとアフォなんだなと思うが。 それか般若心経が斜め向こうを向きすぎているのか。
89 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/09 07:50
要約というよりも、玄奘三蔵が「うだうだ言ってるけど、つまりこういうことだろ。ゴルゥア」 と”新作”したのかな? 他の訳と似たり寄ったりなのは、やっぱり心経にも底本があるのかな。
90 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/09 13:42
般若心経には「如是我聞…」ではじまる『大品般若経』もあるし、玄奘以前にもすでに旧訳の『般若波羅蜜大明咒経』など様々な翻訳があります。 『般若心経』は「空」が主題ではありません。「智慧」です。解空第一の須菩提が登場せずに、智慧第一の舎利子が登場するところから 明らかです。その智慧こそが大心真言である「ギャテイ…」です。玄奘もインドに行く道中で、この真言を唱えて災いを退けていました。 また現存で最も古いのは『般若心』で、これは「ギャテイ ギャテイ…」の真言のことです。『大般若経』の要訳という説はふさわしくありません。 現在の『般若心経』の翻訳者は鳩摩羅什です。『般若心経秘鍵』を読んでみてください
>玄奘もインドに行く道中で、この真言を唱えて災いを退けていました ↑こー言うのを見るとやっぱ仏教ってダメだなーと思っちまうな
玄奘三蔵さんは鳩摩羅什訳の摩訶般若波羅蜜大明咒経を唱えながら、猿豚河童をお供に旅した訳なんだな。 途上の災いを道術で防いだのか真言で防いだのかは諸説紛々だな。 んで、梵語原典を入手して見たら鳩摩羅什訳はどうも間違っとると。 んなら漏れが真正訳本を書いてやろうと。 つか参照原典が違ってるんだけじゃねーのかって。 しかし仏陀も弟子を解空王者とか智慧王者とか分類ランキングして煽ってる様では 格闘イベントプロモーターと大して変わらないな。 只の教団運営実務家だったのかいな?
獅と象とはことごとく王を称し 虎豹はみな御となる 野猪担子を挑げ 水怪前頭に遇う 多年の老石猿那里にて瞋怒を懐く 西遊記 (太田辰夫 鳥居久靖訳)
94 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/09 22:37
鳩摩羅什訳は、いわゆる玄奘訳とされている『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』です。 (もちろん『大明咒経』等も翻訳しました) 玄奘訳は『般若波羅蜜多心経』です。『般若心経秘鍵』に「遍覺三蔵(※玄奘)の翻には、 題に仏説摩訶の四字無し。五蘊の下に等の字を加へ、遠離の下に一切の字を除く」とあります。 玄奘を讃えた、王羲之の『大唐三蔵聖教序』の般若心経もこの指摘通りです。 後で、「等」を削除し「一切」が加筆されています。 鳩摩羅什訳の『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』が玄奘とされたという説もあります
95 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/09 22:39
訂正 誤…鳩摩羅什訳の『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』が玄奘とされたという説もあります 正…鳩摩羅什訳の『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』が玄奘訳とされたという説もあります
96 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/10 23:05
鳩摩羅什訳が一般的といっている香具師がいるが 玄奘訳のほうが一般的というのが定説。
ここに来いって言われて、きたじょ ううむ お経ってレトリックって感が拭えんよ 話はそれるが、 今、悟りなんかないよ〜とホザイテイル、 るんぺんジジィがインドでは黙殺されているらしい そのジジィは全部商売だとぬかす 私はそうじゃない!!と信じたいのだ で、悟ってる人に会いたいです 何処にいるの〜 おせ〜て〜
むけげーむけげーが 抜け毛抜け毛と聞こえるのは宿痾のせいか・・・・
100 :
おlkkm :04/01/13 23:02
101 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/13 23:46
古い『般若心経』の略称は『心経』ではなく『多心経』です。 『大般若経』の要約ではなく、般若波羅蜜多心の経という意味ですね。 『般若心経』の原型とされるのが『般若心』といわれる「ギャテイ…」 の大心真言のことですから、『般若心経』はこの真言による瞑想の実践 を説く経典です。古代インドでは「真実なる言葉」は悪魔(煩悩)を退 けるという考えがあります。釈尊の降魔の姿も、悟りを宣誓した姿です。 なお、一般書籍での「般若心経』解説本で、優れているのは宮坂宥洪著 『般若心経の新世界 インド仏教実践の基調』(人文書院刊)でしょう。 一読することをお薦めします。
102 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/14 00:59
やっぱり上座部仏教が最強 四国遍路のお寺さんでよく売っている「○くら経」などは 大乗がなせる最たるものでしょう
いいえ、法華経を唱える事が重要なのです。それが仏の御心なのです。
104 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/16 13:52
いくら経?さくら経?ねくら経?めくら経?
105 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/16 15:01
般若面とは関係無いのですか? 単純解釈だと、般若面の心、みたいですが。
いや般若湯の心ですよ ロールスロイスで飲みにいく祇園精舎の般若湯の味は格別ですな。 これぞ何物にも囚われない悟りの境地、色即是空。 まことに有難い御仏の御心ですわ。
107 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/16 22:47
108 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/16 23:23
法華経ってのは、梵語の聖書だろ。キリストの弟子トマスのインド伝道でできたんだってね。
当然聖書にゃ入ってないトマスの福音書が20世紀にエジプトの遺跡から発掘されるなんて思ってもみなかった。
梵語の文字もあちら(シリアのアラム文字)が元だそうだし。
そういや、旧約聖書に「コヘレトの言葉」ってのがあったな。
般若心経と言ってることや構成は同じと言や言えないこともないな。
聖書は安いし、日本語に訳されてるし、いつでも買って読める。
ま、「コヘレトの言葉」だけならここでもいいけど
http://www.geocities.jp/gaironweb/32_eccl/eccltop.html そういうスレじゃないか。
109 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/16 23:35
>>108 シリアか・・・なつかしいな。
アレッポのオリーブ石鹸は安くて良品。
110 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/17 00:12
般若心経の心は観念的な心(チッタ)いわゆる「こころ」ではなく、具体的な心 (フリダヤ)つまり心臓です。中心という意味がありますが、心臓は蓮華の蕾の 形をしているため生命・仏性の象徴でもあります。チッタもフリダヤに包括され ているので大心ともいいます。摩訶般若波羅密多心は「般若波羅密多の大(摩訶) 心」という意味です。その大心真言が「ギャテイ…」のことです。 なお「多心経」を般若波羅密多心の経という意味だと書き込みましたが、これは 心をチッタ(質多)という意味で解釈する理論でした。心はフリダヤのことです から理論が矛盾したいました。訂正します。
111 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/17 21:11
>>99 抜け毛もそうだったたが
修業中「波羅蜜多」を「腹減った」と唱えてました。
しかも、本当に御預け状態でしたの一息で読んでましたね(w
112 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/18 06:54
掲帝掲帝 般羅掲帝(以下略)のところは 真言だって真言宗の坊さんが言ってたけど、 たしかにこの部分、現代語訳をみても訳わからん。
がいしゅつだが「逝ってよし」ってことだよ。
114 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/19 00:08
115 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/19 01:09
仏法遥かに非ず、心中にして即ち近し、真如他に非ず、自己を離れて 何処にか求めん。 空海の般若心経秘健の方がちゃんとその教えの真髄を説いてると思う。
116 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/19 08:19
117 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/19 18:06
gate gate pArgate..... ここを強調する奴は真言宗の可能性あり!
118 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/19 21:29
その部分は真言=マントラと言ってあまり意味のない呪文みたいなもんなんだろ。 だから神秘主義密教の真言宗が好むんだろう。 禅宗、特に臨在禅は呪詛的なものを嫌うドライな宗派だから強調しないのも頷ける。
実は女神を賛美する古い詩だとかいう説もあるとか。
120 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/19 22:47
>119 古い詩とは般若心経のこと?その経の中の掲諦・・・の部分?どっち? 女神の名はどなたですか? 説の出所は何?
121 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/19 23:16
ガンガー女神じゃないの? でも心経的には般若菩薩のことでしょうねぇ。
122 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/19 23:40
123 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/20 00:05
観音菩薩のことだろ。
124 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/20 00:21
ガンガー女神とはいかなる神様ですか?
>>120 「掲諦…」の部分です。
中山正和という人の本で読んだんですが、中山さんの解説によるとこの呪はおまじないのようなもので、
「どうしても雑念を振り払えなかったらこれでも唱えて気を紛らわせてしまいなさい」
というような意味で入れてあるので、内容まで理解する必要はないでしょう、とのことです。
だから玄奘さんはこの部分を意訳せずに音だけ当て字にしたのだろう、と推測していました。
もちろん一般的には「往ける者よ、往ける者よ…」という意味だといわれている、と紹介していましたが、
他にも実は古代の女神を賛美した詩を持ってきた、という説もあるようです、
という話もしていました。
中山正和さんは仏教には素人ですし、この古代の女神云々も詳しいことまでは書いていませんでした。
でも個人的にはこの「意味はわからないままでも、唱えて雑念を紛らわせばいい」っていうのが
「掲諦…」の真実な気がします。
126 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/20 20:40
みなさん、行学二道って言葉、ご存知ですかあ? 頭でっかちの皆様にささげます。 では、ごきげんよう。 合掌
127 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/20 20:41
>>122 般若菩薩は般若波羅蜜多ともいい、般若経典の本尊で智慧を
本誓とします。諸々の仏が悟りを得るのは、智慧に依るので仏母
(ブツモ=仏を生み出すもの)ともいわれます。「ギャテイ…」の真言
は般若菩薩の真言でもあります。
なお、般若心経にある「観自在菩薩」はいわゆる観音さまではなく、
「観法(瞑想)が自在なる菩薩」つまり「大乗の修行者」であり、さら
には般若波羅蜜多心つまり「ギャテイ…」の大心真言による、瞑想修行
を実践している(般若心経を唱えている)、自分自身のことでもありま
す。その修行の結果として「五蘊皆空」の境地に至ったのです。本来、
般若心経は「ギャテイ…」に対する陀羅尼信仰より発展してきたもので
すから、密教的解釈になるのは当然だと思います。
なお、般若心経の開設については、ここを参照されてはどうでしょうか?
比較的すぐれた内容です。また、女神うんぬんについても説明されています。
ttp://www.mikkyo21f.gr.jp/concept_hannya.html
128 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/20 23:37
訂正 ×般若心経の開設については ○般若心経の解説については
129 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/21 23:57
『般若心』つまり「ギャテイ…」の真言が「一切の苦厄を度する」という信仰が 『般若心経』成立の前提となります。またインドの文献では経を意味するスート ラムが書かれていないことからも、本来は真言であったといえます。「空」を説 く経典であるなら真言を説く必要性がありません。しかし般若心経は異訳を含め てこの真言が説かれていないものはありません。つまり主題は真言です。いわゆ る「空」を主題とする説は、玄奘を含めた法相の立場からです。それ以前から 『般若心経』は信仰されていたので、新説ともいえるでしょう。また、玄奘は密 教嫌いでもあったので、『般若心経』を真言とすることに抵抗があったのかもし れません。またフリダヤを「心」と訳したことにチッタ(観念的な心)との混同 も生まれたのでしょう。玄奘は『般若心経』を『般若多心経』と記していますか ら(『大唐三蔵聖教序』)、真言でなく空観の経典と位置づけようとしたのでしょう。 ですから『般若心経』は真言として成立し、それを空の経典と新解釈が生まれたと 考えられます。ですから『般若心経秘鍵』は独自解釈でなく、伝統的解釈をよ り理論化したものといえるのではないでしょうか。 ちなみに「真言」にも「空」にも立脚しない「こだわりの心を捨てる教えだ」 などという(世間一般に広まっている)珍解釈はいったい誰が始めに言い出し たのでしょうか?
珍解釈かな? 別にそれでもいいと思うけど。
みなさんお元気ですか〜。懸命に考えすぎると、身口意の口と意ばっかりが前に行っちゃってわけのわからんトコロへはまりますよ〜。
133 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/23 11:57
>>126 ,132
そういうこと言って逃げる坊さんが大杉なんだよな。
全部懸命にやればいいのに。
134 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/01/23 13:43
「 ゾリィ ◆zoryVl.Pos」と「 ぴろしきにふろしき●))⊂(´∀`⊂⌒`つ ◆DQN.1731os」 は同一 みんなの嫌われもの
般若心経を読む時は「摩訶般若波羅蜜多心経」から読み始めるんですか? それとも「観自在〜」から?
私、ご紹介にあずかりました「大杉」で、ございます。
仏説から読みますよ。続けて読む時は、2回目以降は摩訶からですけど。
「摩訶…」からでいいんじゃない?
気持ちいい事が大事でしょうね。ひとりでやる時は、自分が納得する様にやればいいと思いますよ。皆でやる時は皆がきもちいい様にやれればいいよね。
141 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/02/09 18:46
142 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/02/16 00:36
142読みました。面白いですね。
144 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/02/18 14:00
>>142 読みましたが最初の段落の時点ですでに???
色即是空なんて今時小学生でも気付く程度のものっしょ
身体や脳の仕組みがサパーリな時代じゃないんだから
まあ空即是色となれば別だけど
146 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/02/19 00:05
意訳 般若心経 聖なる観自在菩薩は、世のひとすべての悩みを救う真理を求めて、、いとふかき般若(ちえ)の行に 入り給えり。 この行の波羅蜜多(きわまり)において、聖なる観自在菩薩は、この世のものすべて、五蘊(ものも こころも)一切は、本来空なるものと照見(さとり)たまいて、この真理をもって、世のひとすべて の悩み苦しみを解きほどく真実(まこと)の道となし給えり。 舎利子(わがでし)よ。 その教えをここに説くならば、形ありとて形にとらわるべからず。縁あってかりに形を生じたもの なれば、縁によっては、また、形なき空なるものに変らん。また、形なしとて無しと思うな、縁に よっては、形を生じ相(すがた)をあらわす。たとえば、かの水を見よ。熱するという縁をあたうれ ば熱湯となり、蒸気となって空にとけこむ。冷むればふたたび水となり、雨となって地に降りそそぐ。 寒冷の縁にあわばかたき氷となり、つめたき霜の柱となる。水の自性に変りなく、ただ縁によって かく変化す。世のことすべてみなこの如し、形あるも無きも元は一体にして、すべて因縁次第なり。
147 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/02/19 00:06
人の心のはたらきの、受(なさけ)も想(おもい)も行(おこない)も、識(こころ)のはたらき、 すべてこの理にほかならず。人は嘆き、悲しみ、あるいは喜ぶ、されど、人の性(こころ)の内に、 嘆き、悲しみ、喜びの、一定の性(しょう)あるにはあらず。因縁因果の理法により、因に応じ、 縁が動いて、かりに相(すがた)をあらわすのみ。これを空の理と云うぞ。 舎利子よ。 このように諸法(すべてのもの)の大本は、空なる相(もの)である故に、現象(かたち)の上に於 ては縁によって様々に変化をあらわすけれども、その本体はいささかも変ることなし。生ずるこ ともなければ、滅することもなく、垢(けが)るることもなければ、浄まるということもなし。 減ることもなければ、増すこともなし、ただあるものは変化のみ。
148 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/02/19 00:07
舎利子よ。 この道理を悟って、この世の成立(なりたち)を見るならば、色(かたち)あるものも形なきに ひとしく、受(なさけ)も、想(おもい)も、行(おこない)も、識(こころ)のはたらきすべて 有ることなし。また、それらの本(もと)なる眼も耳も鼻も舌も身も意(こころ)もあるにあらず。 また、六根の対象たる色(かたち)も声も香りも味わいも触(かんかく)も法(かんがえ)もまた あることなし。また、眼界(まなこにみるところ)もなく、以て意識界(こころにおもうところ)もなし、 無明(おろかなるまよい)も無ければ、従って、無明(まよい)の尽くるところもなく、また、老もなく、 死もなくよって老と死の尽くるところもなし、苦(なやみ)も、集(まよい)も、滅(さとり)も、道(おし え)も智慧もなく、所得もなしと悟れ。一切心にとどむべからず、これを悟らば一切の圭礙(こだわり) 心より去るべし。心に圭礙(こだわり)なければ、迷いも恐れも欲も生ぜず、菩提薩捶(さとりをもとむる ひと)はすべからく此の空の真理を体現すべし。顛倒(まよい)を離れてかならず涅槃を究竟(きわめ) つくさん。三世に住みたまえる一切の御仏(みほとけ)は、このさとりによって因縁解脱を成就し給えり。 この故に、解脱を求めんとする人は、すべからく、般若波羅蜜多(さとり)の大神呪(しんり)を知らねば ならぬ。この大神呪(しんり)は無上の呪文(ちえ)にして、無比の呪文(ちえ)なり。いっさいの苦厄災難 (くるしみわざわい)を解脱(はなれ)る呪文(ちえ)にして、その威力はかり難し、すべての真理の中の 真理と云うべし。真理であるが故に、いつの世、いかなる時においても変らず、虚偽(あやまり)ならず。 その呪に説いて曰く、 「空の真理を身につけて、観自在(かんぜおん)の慈悲のもと、行ぜよ(あゆめよ)、行ぜよ(あゆめよ)、 ただひたすらに。 あゆめばやがて行き着かん。因縁解脱の彼の岸に」
149 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/02/21 08:23
凄い
150 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/02/21 19:45
大般若経とは違うの?
151 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/02/22 05:39
ニーチェのいう「超人」と同じようなことだな因縁解脱の彼の岸にとかな、 般若心経のほうがやや、主観的だがな
152 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/02/22 07:38
>>150 大般若は600巻あるんだけども、
心経はそれを262文字に凝縮したものだよ
ようは般若経のエッセンスだね
153 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/02/22 10:56
へ〜へ〜
154 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/02/22 12:19
法華経の方がいい
http://travel.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1076055949/58 >>55 『大般若経』は玄奘が般若経系のテキストを訳しそれをまとめたもの。
『八千頌般若経』や『二万五千頌般若経』、『理趣経』等々が含まれております。
般若経系のテキストは論の進め方は違っても
最終的には全て「般若波羅密多(正しい智慧)」とは何かを説いた経典です。
(大品の)『般若心経』は内容を要約すると
釈尊の加持力によって舎利子が観自在菩薩に般若波羅密多を得る方法を尋ね、
また釈尊の加持力によって観自在菩薩が般若(智慧)を得る方法を舎利子に答える、
結果、舎利子と観自在菩薩は共に正しい般若を得、めでたしめでたしという物語です。
これを読経する我々も同じように般若が得られるという経典です。
現在我々がお唱えしている小品の『般若心経』(大品から前後の物語を省き般若とは何かを説いている部分を抜粋したもの)
にも同じような御利益があります。
それは最後の「ガテーガテー」から始まる陀羅尼(般若菩薩の心真言)をお唱えし、
自分が般若菩薩と同一であると観じることによってたちまちに般若を得るというものです。
小品の『般若心経』は一見すると般若経系のテキストと内容が類似しているため
これは『大般若経』を要約したものである、と結論を出す方もおられます。
教理・哲理的にはそれはまったくその通りで疑う余地もありませんが、
後に『般若心経』を元とした般若を得るための瞑想法のテキストが多く誕生したことを考えれば
(チベット大蔵経や空海が請来した経典の中に多く残っています)
密教を学んだ僧であればこれは極初期の密教のテキストであると言い、
密教を学ばぬ僧であればこれは般若経系のテキストが完成した姿であると言うでしょう。
156 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/02/23 20:29
理屈すら解らないよそんなもんじゃ
┏━━━┓ ┃ビデオ┃ ┗━━━┛ ┌─┬─┬─┬─┬─┬─┬─┬─┐ │真│説│般│若│心│経│講│義│ └─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┘ 般若心経は昔からどの宗派でも読まれている大変優れたお経です。 全260字、一切顛倒夢想の一切の字を入れて数えると262文字、最後の般若心経の四字を 入れて数えると266字になるもっとも短いお経なのですが、この短いお経の中身はものすごく、 二千五百年の仏教の大事なエッセンスがびっしりと詰まっている、スープで言えばコンソメ みたいなものであり、薄めればいくらでも量が増えるのです。 ------------------------------------------------------------- 以上、現代の仏陀を僭称する日本平和神軍の最高指導者中杉弘の本からでした。
159 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/03/04 20:53
平和進軍あげ
160 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/03/04 22:11
この日、このスレ、この光、亜細亜は明けるおごかに♪〜
>160 ×おごかに ○おごそかに
162 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/05/09 21:53
Ageてみる
163 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/05/10 00:35
般若心経って…何だか、難しいみたいですね。1から順に見てみたけれど…訳判らん。W)
164 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/05/10 00:37
不増不減。「是空法。非過去非未來非現在。」是故空中。 この部分は前後と関わりがないように思えるのですが、なんなんでしょう?
166 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/05/10 11:35
かたよらない心 こだわらない心 こだわらない心 これが般若心経 空の心なり 般若心経=空
こだわらない心だけ2倍ですか?
168 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/05/10 15:19
2倍しようが100倍しようがシュンニャー(0)だから
169 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/05/10 16:10
>166 それって薬師寺でやる写経に書いてあるね 高田好胤提唱かな
170 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/05/10 22:10
般若心経は全て、真言だと思った方がいいとおもうな。 意味の解釈など無意味。 大体、意味があるというなら和訳や訓読で唱えればいいだけ。 観音経でも、実際は訓読の方がずっと心に染み入る。 あの二宮尊徳が訓読の観音経をたまたま聞いて感激したのは有名。 観音経で漢訳で唱えたい部分は「無垢清浄光 慧日破諸闇」だけ。 つまり、真言として唱える部分だ。
3つ目はとらわれない心の間違い。すまんせん。こういんさんが般若心経をわかりやすくまとめたものなり。
?
173 :
般若心経 :04/05/15 09:59
般若心経は作り物であり 唱えても幸せくることはありえない よって信じるやつ暗い生活やつばかりだ
この世の中の幸も不幸も、快も不快も、楽も苦も、すべての分別は虚仮であり不実である と同時に、この虚仮不実の世界は、そのままに真実普遍の世界である 般若心経を唱えて幸せになるかって? 知らん 不幸になるかも知らん
175 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/05/22 20:18
あげ
176 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/06/17 23:26
ぎゃーてーぎゃーてーはらぎゃーてー
ぎゃくてんぎゃくてん またぎゃくてん
行っこう、行っこう、お彼岸へ〜
舎利子=シャーリプトラ
生きているということも無いし 死んでいるということも無い
生も死も無い
「無い」も無い
The great mantra, the vivid mantra, The best mantra, the unsurpassable mantra, It completely clears all pain - this is the truth, not a lie. So set forth the Prajna Paramita Mantra, Set forth this mantra and say: Gate! Gate! * Paragate! Parasamgate! * Bodhi svaha! Prajna Pamita Sutra.
185 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/07/09 20:22
仏の説く、偉大なる般若波羅蜜多の心真言のお経 観法(瞑想)を自在に実践する修行者は、般若波羅蜜多の真言によって一切の 苦しみから済度された。それは、この世のすべてが「空」であることを覚った からだ。すべての迷いを離れ、最上の覚りの境地に至ることができる般若波羅 蜜多は、偉大にして最上の真言である。その真言を説く。 ギャテイ ギャテイ ハラギャテイ ハラソウギャテイ ボウジソワカ (よってこの真言を唱えるという瞑想修行を実践しなさい) 要約するとだいたいこんな意味じゃないでしょうか
186 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/07/10 14:07
へ〜〜〜。なるほど勉強になったぞぉ。
187 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/07/11 00:22
般若心経は難しい経ではありません。弘法大師『般若心経秘鍵』曰く 簡(かん)ニシテ要(よう)ナリ、約(つつ)ヤカニシテ深(ふか)シ。 <簡単で要領よく、短いが内容は深い> なぜならば、「ギャテイの咒を唱えるという瞑想修行を実践せよ」と端的に述べているからです。 そもそも、「般若心(プラジュニャージャ フリダヤ=智慧の心臓)」とは「ギャテイの咒」の ことであり、般若心経の成立には、この咒(=真言)が「一切の苦厄を度する」という信仰が根底 にあります。現行の『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』以外にも異訳の心経はありますが、すべて 「ギャテイの咒」が説かれるのも、この咒が主題であり、これがなければ心経として成立しないからです。 一般的に心経の主題が「空」のように思われていますが、そうではなく「空云々」の部分は、あくまでも 修行をした結果得られた境地を述べているものであり、その境地に至る方法こそが「ギャテイの咒」による瞑想です。 また「空」が主題でない理由として、解空第一の「須菩提」でなく、智慧第一の「舎利子」が対告衆として 登場する点も指摘できます。 その瞑想の修行者こそ「観自在菩薩」です。この菩薩をいわゆる礼拝対象の「観音様」とみなすのは表層的です。 「観自在菩薩」とは「観法(瞑想)を自在に行う仏教修行者」のことであり、この修行者が「般若波羅蜜多(ギャテイの咒) による観法をした時に、(五蘊はすべて空の境地に至り)一切の苦厄から度された」のです。 だから、般若心経が現在まで実際に唱えられるのも、唱えることを目的とし (さらにいえば咒を唱えること)、唱えることが修行である経だからです。 また、この咒を唱えている自身こそが、まさに「観自在菩薩」でもあるといえます。
188 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/07/11 01:02
インド本来の観法(瞑想)は、老荘思想の影響を受けたいわゆる 「無の境地」云々の中国化・日本化した禅と違い、視覚・聴覚・嗅覚・ 味覚・触覚の五感をフル活動させて「悟りの世界」を観て、それと 一体化することです。 その初期段階として仏像や仏画など「理想的修行者」や「理想的世界」 を見たり、仏の名を口で唱えたりします。ですから口称念仏も本来は観法の 一つでした。 それが上達するに連れて、自然や天体を対象とし、最終的には自分自身を観る 瞑想へと段階的に進んでいきます。段階を踏んで修行していくので、いきなり 「大悟した」というのは、観法においては受け入れられる考えではありません。 また、奈良・平安・鎌倉初期の仏像・仏画が「観法の対象」として製作されたため、 美術的にも優れたものが多いのに対し、「無」を重視する禅や、観法としての念仏を 重視しない専修念仏の興隆によって、視覚的に優れた仏像・仏画が作られなくなってきました。 ここに合理性を重視するインド哲学と、情緒性を尊ぶ日本的美学との矛盾が 仏教において顕著に現れるようになり、咒による瞑想の実践を説く『般若心経』の主題が、 「空」が主題という理解されるようになってきたのではないでしょうか。 しかし現在、世間一般に広まっている「空」を「こだわりを捨てる心」などの珍説は、 合理性を尊ぶインド哲学とは相反する教えのように思いますし、そんな説を広めている 「タレント僧侶」はまさに「越法罪」ではないでしょうか。
>゜))))彡
!!(;`O´)o/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄〜 >゜))))彡
191 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/07/12 07:13
fuju yokyou ichige
「悟りの世界」やらマントラやらブッダのイメージやらの観法を 修行するってこと自体が、インド通俗的であるかもしれないが、非仏教的。 仏教はインド全体からすれば、異端宗教。 ゴータマ・ブッダの瞑想は、「最終的には」じゃなくて、「最初から」まっすぐに 自分自身を観る瞑想法です。 だから本来の仏教はイメージやマントラとは 関係ないってのが本当のところ。
193 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/07/12 23:32
釈尊もインドの伝統的な瞑想を行われて、そして最終的に「自分自身を観る瞑想法」へ 到達され「成道」されたのでしょうね。 別にそれだから悪いという訳はなく、まずは段階を踏んだ修行をされ、そして我々には、 その段階を踏む上での正しい道筋を標されたのだと思います。 もし、釈尊がインドの伝統的瞑想法を実践していないとすれば、なぜ断食などの苦行を 行ってのでしょうか? 伝統的瞑想法を修した上で、さらにその上をいく瞑想法へとステップアップされたと 考えられますね。
釈尊本人が放棄されたものを、あえてやる必要はない。
195 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/07/14 20:54
そうですね。釈尊の境地に至れば、もはや「マントラやイメージ」を 用いなくとも三昧に入ることができるでしょうね。 しかし、我々はまだその段階に達してはいないので、その境地に 至ろうとされた先人の教えと方法を実践しなければならないでしょうね。 またマントラや観法が方法としてはバラモン教からの移入であるのは 事実ですが、仏教にもとづく理論と構築がなされているので、それは 仏教の修行法ですね。 日本語で漢字やそれを変化させたカナを用いるからと言って 日本語は中国語は同じとは言えないですね。
やはり梵語、梵字でしょうw
197 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/07/15 00:08
>>195 誤 日本語は中国語は同じとは言えないですね
正 日本語と中国語は同じとは言えないですね
198 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/07/16 18:44
COOL!COOL!COOL!COOL!COOL!!! てことでしょ?
199 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/07/16 21:47
パインの味は、食べて見なくてはわからない。
200 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/07/20 00:36
空
_、 .,,、 | ./" ,!.ニニニニニニ,,ニニニニニニ'"\、 丿 | ,!^> |゙゙',i´ ,l゙,,-''''゜ ―" .丿./ .| .| ``/| .,/,/` { .ヽ----"ヽ _,,-'彡'" `'''''''''''''''''''''′ ''''''',二,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,/'-、 ‘''''''''''''''''''l l'''''''''''''''''''" | | ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,l゙ {,,,,,,,,,,,,,,,,/\、 "''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''"
色即是空
203 :
まかかしょう :04/07/25 11:20
>>194 気になる物言いだな。お前さんが釈迦のレベルとは到底思えない。善いことも 悪いことも、本当の意味で正確な判断が出来るから、調度善い範囲がチョイス 出来るのじゃないかい? お前さんの書き方だと『エホバの証人』を思い出して しまうよ。
↑意味ワカリマセン。
205 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/07/25 14:36
↓他の板で般若心経のAAがありました。(意味は自分で考えて下さいです。) --------------------------------------------------------------------- ピカーソ ___ +./ :: \+ ________ . /Ο ∧ ∧ \ / | - - | < 安心して成仏しろや | )●( | \________ \ Д ノ \____/ /|::|\\//\ 般 菩 羯 多 呪 多 得 想 圭 所 亦 無 耳 不 是 異 蘊 観 佛 若 提 諦 呪 能 是 阿 究 礙 得 無 意 鼻 増 舎 色 皆 自 説 心 裟 羯 即 除 大 耨 竟 無 故 老 識 舌 不 利 色 空 在 摩 経 婆 諦 説 一 神 多 涅 圭 菩 死 界 身 減 子 即 度 菩 訶 訶 呪 切 呪 羅 槃 礙 提 盡 無 意 是 是 是 一 薩 般 波 曰 苦 是 三 三 故 薩 無 無 無 故 諸 空 切 行 若 羅 眞 大 藐 世 無 捶 苦 明 色 空 法 空 苦 深 波 羯 實 明 三 諸 有 依 集 亦 聲 中 空 即 厄 般 羅 提 不 呪 菩 佛 恐 般 滅 無 香 無 相 是 舎 若 蜜 虚 是 提 依 怖 若 道 無 味 色 不 色 利 波 多 波 故 無 故 般 遠 波 無 明 觸 無 生 受 子 羅 心 羅 説 上 知 若 離 羅 智 盡 法 受 不 想 色 蜜 経 僧 般 呪 般 波 一 蜜 亦 乃 無 想 滅 行 不 多 羯 若 是 若 羅 切 多 無 至 眼 行 不 識 異 時 諦 波 無 波 蜜 顛 故 得 無 界 識 垢 亦 空 照 羅 等 羅 多 倒 心 以 老 乃 無 不 復 空 見 蜜 等 蜜 故 夢 無 無 死 至 眼 浄 如 不 五
アンパンマンは自分を犠牲にしても人を助ける菩薩様だってこった。
207 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/07/25 17:18
創価学会員 山本リンダ 久本雅美 柴田理恵 岸本加世子 田中美奈子 島田歌穂 研ナオコ 田代まさし(元芸能人) 桑野信義 上田正樹 雪村いずみ 朝比奈マリア 彦摩呂 愛川欽也 坂上二郎 平尾昌晃 細川たかし 高橋ジョージ(The虎舞竜) 近藤真彦 安室奈美恵 加藤高道・加藤久仁彦(狩人) 木根尚登・宇都宮隆(元TMN) 大森隆司(元サザン) アルベルト(元ディアマンテス) 相田翔子・鈴木早智子(元Wink) ダウンタウン 小川菜摘 トミーズ雅 林家こん平 林家こぶ平・いっ平 海老名香葉子 加藤茶 仲本工事 おさる 原田知世 ダンプ松本 長与千種 ロベルト・バッジョ(サッカー) 中居正宏(SMAP) 山田花子 中村俊輔(サッカー) ロナウド(サッカー)の嫁 渡瀬悠宇(漫画家) 石井いさみ(漫画家) 山本和範(元野球選手) パパイヤ鈴木石塚英彦(ホンジャマカ) 萩本欽一 菊川怜 ノブ&フッキー コージー冨田・原口あきまさ 後藤真希 吉澤ひとみ 優香 前田健 竹平海南江 長井秀和 エレキコミック 北野大 綾小路きみまろ 清水國明 島崎和歌子 小池栄子 加藤晴彦 ベッキー 勝俣州和 小堺一機 関根勤 アジャ・コング 木の実ナナ 光浦靖子 清水章吾(チワワの親父) 牧瀬里穂 氷川きよし 上戸彩 はなわ 松本孝弘 稲葉浩志 トキオ城島 オセロ中島 ドンドコ山口 中川家 ガクト 滝沢秀明 坂口憲二 ナイナイ矢部 ココリコ田中 今田耕司 テツ&トモ 極楽とんぼ ダンディ坂野 トキオ松岡 山咲トオル 水前寺清子 とんねるず木梨 アリキリ石井 松本明子 さまぁ〜ず三村 くりぃむしちゅー 藤井隆 ゴリ 間寛平 出川哲朗 磯野貴理子 遠藤久美子 はしのえみ 飯島愛 小雪 椎名法子 白石美帆 ミスチル桜井 福山雅治 嵐・大野、二宮 ウンナン 草野マサムネ
208 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/07/25 17:27
大事なのは『空』の意味でしょう 。
↓他の板で般若心経のAAがありました。(意味は自分で考えて下さいです。) --------------------------------------------------------------- (・∀・)<佛説摩訶般若波羅密多心経 観自在菩薩行深般若波羅密多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不 異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄 不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至 無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無 所得故菩提薩垂依般若波羅蜜多故心無圭礙無圭礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢 想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜 多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜 多呪即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶 般若心経
ここで言う観自在菩薩とは観音様ではありませんのでね
211 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/07/26 15:49
観自在菩薩=観音様
般若心経の観自在菩薩とは観音様のことじゃないよ
214 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/07/28 21:39
これ本当?違う人もいっぱいいるよ。何を根拠にしたの?
色即是空いいことばですね。人は見えるものにとらわれるから本質を見逃してしまう。 見えるものにこだわれば、本質が見えないために正しい判断もできない。この正しい判 断が知恵ですね。今あるものは将来もあるとは限らない。今あるように見えても将来に はない。つまり空。空を知ると、見えるものにこだわらず、その本質を見ようとする事 ができる。空は大事だが、その先にあるものについて説いたものだと思います。
217 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/03 23:31
>>170 > 観音経でも、実際は訓読の方がずっと心に染み入る。
訓読の観音経というのはどのようにすれば入手できるのでしょうか?
般若心経のフリーのMP素材や、wav素材をさがしています。 どなたかお教え下さい。前にお寺のサイトでダウンロードさせていただいたのですが どこかにいってしまいました。どうかよろしくお願いいたします。
219 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/05 21:28
220 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/07 20:40
>>195 悟りに段階などない。悟りという状態・状況なだけ。
221 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/07 20:56
手塚治虫のブッダはおもしろいね
222 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/08 13:54
223 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/08 17:17
224 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/08 17:27
227 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/10 22:03
ちょっと思うところありまして、 般若心経10万回唱える行をはじめました。 まだ、本格的に初めて2・3週間なんですが、 一日100回ずつ唱えてます。 う〜ん、確かに功徳があるなあと漏れ的には 実感しています。 ただ、根が不徳なので、なにか劇的な悟りや 霊験があったわけではもちろんありません。 ただ、困ったことがおきて、「どうしても指針がほしい!」 と思っていたら、なにげにほったらかされていた本の 中に、ほしかった答えがばっちり書いてあったりという ことが、心経唱え中にかれこれ、4回ありました。 また「漏れは不徳だ〜・・・。陰徳が積みてえ・・・。」 と思いながら唱えていると、目の前で、お稲荷様 のお守りを女性が落とし、あわてて追っかけていって 渡して喜ばれたりしました。 結論として、まだはじめたばかりで、なんとも いえませんが、やっぱし般若心経を唱える功徳って あるんじゃないかと、感じはじめている今日この頃 です。みなさんのご意見をおきかせください。
>>227 ガンガッテ。応援するから。 でもって、またイイことあったら教えてくれ。
>228 ありがとうございますm(_ _)m 般若心経の功徳を感じることがあれば、 そのつどレポウトしてみますね。。 さて、これから、30分ほど歩きながら今日の分の 最後の四〇唱をしてきます。 功徳が猫庵さんにも回向されますように。(合掌)
>>227 さん ありがとう。
般若心経って科学的に被る所があって、凄いですよね〜。
で、その薀蓄は明日以降、気の向いたときに書き込もうかな…
般若心経を唱えて功徳になるわけではないと思います。何を思って 唱えるのかが大事ですよ。ご先祖のため、自分をみつめるためなど。 それより、お守りを渡してあげた行為こそが功徳だと思います。 もし、般若心経を何かの目的のもと唱え、その目的の延長線でお守り を拾うという行為が生まれたのであれば、唱えることによって功徳が 生まれてきたとみれるかも知れませんね。 仏教で言う縁や因果応報ですね。
232 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/11 23:22
大般若経600巻のエッセンスが、般若心経だそうで、般若心経自体は ブッダの空の智恵は「ギャーテーギャーテー・・・」の真言に凝縮されている と主張している。 これはまるで、南無阿弥陀仏の六文字に釈迦一代の教えが凝縮 されているという念仏と同じくらい、安易な結論。 「無色声香味触法〜無所得」まで、お釈迦さまの悟りのプロセスを徹底して 「無・・・」と言って否定し、すっ飛ばした上に、最後に「そんな難しいプロセス はおいといてギャーテーギャーテーって真言唱えときゃOK!」という般若心経 はほとんど、ブッダが一生かけて説いた法への冒涜である。
233 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/12 18:12
>>232 まずは心経をきちんと読め。
「無〜」は「是故空中無色、無〜、無〜・・・」つまり、
「空の中には、色も無く、〜も無く、〜も無く・・・」だ。
空の説明をしているだけで、悟りのプロセスを否定しているわけではない。
でもその「空」の智恵ってのが、「ギャーテーギャーテーハーラーギャーテー」 っていう真言を唱えることによって体得される、って言うんでしょ? ほんらいは、色声香味触法・眼耳鼻舌身意の六識六処において つねに正念を保ち、そこにおいてそれら全てが無常・無我・空であると 一つ一つ観察することによって智恵を得て涅槃に至る、というのが ブッダの方法なわけでしょう。 それがギャーテーギャーテーでいいんだと言うんだから。
235 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/12 18:27
漏れなんか心経はもとより、阿弥陀経や理趣経、 観音経なんかも毎日読経してるから、不思議で ありがたいことばかりですよ。
>>234 もちろんその一節だけじゃダメと思いますよ
>>234 だから、心経をきちんと読めと。
↓こんな事は云っていない。
>でもその「空」の智恵ってのが、「ギャーテーギャーテーハーラーギャーテー」
>っていう真言を唱えることによって体得される、って言うんでしょ?
238 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/12 18:49
仏教の基本的な用語が羅列してるお経 「無」が冠してあって一見否定してるように見えるが 仏教は「諸行無常・諸法無我」が基本中の基本(法印)なので たとえば「無苦集滅道」は「苦集滅道はない」とか「苦集滅道ではない」と読まず 「無の苦集滅道」と読んだりする 仏教の重要な用語を調べて知識を増やしていって 「仏教オタク」になってしまった部派仏教の反省から 般若部の諸経が生まれて大乗仏教が起こった 倶舎論や大毘婆沙論などを学んだあとに もしくは学びながら並行して心経に親しむのはかなり良い
「故に知るべし、般若波羅蜜多はこれ大神咒なり。これ大明咒なり。 これ無上咒なり。これ無等等咒なり。よく一切の苦を除き、真実にして 虚ならざるが故に。般若波羅蜜多の咒を説く。すなわち咒を説いて曰く、 掲帝 掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提僧莎訶 般若波羅蜜多心経」 この意味は、「般若波羅蜜多」すなわち智恵の実践は、結局のところ 大いなる真言、この上ない真言だというのです。 「般若波羅蜜多の咒を説く」とは、次に智恵の実践の真言を説きますよー と言ってるのです。 その真言が、「ギャーテーギャーテー・・・」だと言われているのです。 この真言を唱えれば、智恵の実践になると言われているのです。 これが >色声香味触法・眼耳鼻舌身意の六識六処において >つねに正念を保ち、そこにおいてそれら全てが無常・無我・空であると >一つ一つ観察することによって智恵を得て涅槃に至る このブッダほんらいの方法と全然違うことは、おわかりですね?
>>239 般若(波羅蜜多)と般若波羅蜜多呪は別物だよ。
般若⊇(大神呪,大明呪・・),般若波蜜多呪であって逆は成り立たない(と思う)。
あなたの云うのは、
「がんばれニッポン」と唱えれば、皆金メダル。みたいなもの。
観自在菩薩さまだって、行深般若波羅蜜多時に、照見〜なのです。
241 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/12 19:39
梵字の教則本。いろは、あいうえおみたいなもん。
242 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/12 20:17
マントラ部分は薬でその前は効能書き。人は自分の 考えてるとうりになる と言う法則からするとやはり常に 効能を確認してたほうがいいと思うよ。
経典は釈尊の著作ではないからなぁ。
244 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/13 13:00
>243 やっぱ、阿含経を読めってか?
なんか真言系の解釈に偏ってる人が... 先入観を持たず、般若心経に向かい合うことをお勧めします。 (もしくは全ての知識を仕入れて) 全てを備える=何も持たない=空 でございます。
>>230 科学といえば、天外伺朗さんの「般若心経の科学」を読まれましたか?
私はあれにかなり感激しました。
仏教を学んでいらっしゃる方は、どんな感想を持たれるのかなあ・・・。
>>244 そこが一番悩ましいところ。
多くの弟子にそれぞれの個性に合うように
説いたのなら著作がそのまま釈尊の真意
とは限らない・・・・昔からの無限ループな
んだろうけど。
248 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/13 23:25
>>26 亀レスながら・・・すごい!!完璧じゃん!!
ところで般若心経ってもともといんどの言葉でしょ。その発音に近いように 漢字をあてはめ、その漢字もできるだけ本来の意味に会うように選んだんだ と思うんだけど、漢字でない本当の般若心経の翻訳本ってないんだろうか?
250 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/14 11:27
>246 >天外伺朗さんの「般若心経の科学」 とりあえず、アマゾンで注文してみますた。 読んだら感想うpしてみます。 どうでもいいけど、般若心経を唱えると こころが安らぐなあ・・・。 自然と感謝の念がわいてくる不思議だ。
251 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/15 14:02
>>249 サンスクリット原文からの直訳
すべてを熟知した聖なるアポロギータシュヴァラ・ボディサトヴァは深遠で最上の叡智を実践しつつ、
五つの集合体が自性として空であると観察した。
シャリープトラーよ。物質と空は、空はそのまま物質であり、物質は空と別のものではなく、
空は物質と別のものではない。物質というものは空であり、空というもの、それは物質である。
感覚、想念、行い、認識もまたそうである。
その上、シャリープトラーよ。一切の存在は空の性質がある。生じることがないもの、消滅することもないもの、
煩悩はなく浄いもので、減損するものではなく、増大することもない。
それゆえにシャリープトラーよ。空の中には物質はなく、感覚はなく、思いはなく、行いはなく、認識はなく、
眼、耳、鼻、舌、触覚、心はなく、物質の声、香り、味、触覚、存在はなく、目に見える界に至るまでない。
さらに意識の界に至るまでなく、煩悩も、知識が尽きることもない。さらに老い、死、老いや死が尽きることすらない。]苦しみも、その原因も、消えることも、道もなく、知恵もなく、獲得すべきものはなく、獲得すべきものがないので
覚有情の智恵の第一義に順応するため、心に煩悩の妨げなく、妄想を超越し、究極の智恵を持つ。三界の生存者、
聖なる覚者は智恵の第一義に順応したゆえに、この上なき真の正しい覚りに正しく智慧を得たのである。
そこで知るべきことは、智恵の第一義は偉大な真言、偉大な智恵の真言、この上ない真言、比類なき真言で、
一切の苦しみを抑止する。真実は虚妄なきゆえに、智恵の第一義の真言は説かれた。それはすなわち、
道よ、道よ、彼岸への道よ。彼岸に到る道よ。智恵を成就せよ。
252 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/15 19:23
>>249 もう一丁
サンスクリット原文に漢訳テキストを加味した意訳
ボディサトヴァの境地に達したアポロギータシュヴァラは、深遠なるパンニャ智でもって陽霊を開く、
すなわち霊眼に達する修行をしていたとき、生命の根源を構成する五つの要素は霊が主体であると看破し、
サトリを開かれた。
シャリープトラーよ。物質と霊質の関係は、霊はそのまま物質であり、物質と霊とは異なったものではなく、
霊もまた物質と別のものではない。物質の根源は霊であり、霊はそのまま物質となるのである。
物質的な感覚や想念、行い、認識もまた霊が主体である。
その上、シャリープトラーよ。一切の万象万生の存在の根本は霊が主体である。霊とは新たに
生じることも消滅することもなく、物質的迷いもなく、増減したりもせず、穢れのないものである。
そこには過去・現在・未来という時間の概念も存在しない。
それゆえにシャリープトラーよ。霊の世界には物質は存在せず、物質的感覚もなく、物質的な心もなく、
物質的な行為というもの、物質的な認識も存在しない。肉体的な眼、肉体的な耳、肉体的な鼻、
肉体的な舌、肉体的な体、肉体的な心もない。物質としての音、物質的な匂い、物質的な味覚、
物質的な触角、物質的な存在はなく、目に見えるもの一切がないのである。さらには意識の世界さえなく、
煩悩も、知識が尽きることもない。さらには霊界では年をとることもなく、死ぬこともない。苦しみも、
苦しみの原因も霊智が滅することもなく、知ではなく、物質的欲望もなく、欲望ゆえの物質欲もないために、
ボディサトーヴァの境地に達したものはパンニャ智による霊眼が開かれることによって心に迷いもなくなり、
妄想を超越して究極のサトリに達する。神・幽・現の三界を貫く諸神・諸聖霊はパンニャ智による
霊眼が開かれているため、究極の真理に到達したのである。
そこでパンニャ智の霊眼は偉大な言霊、最高の言霊、比類なき言霊となり、それによってすべての
苦しみは解放されるのである。真理には迷いはない。それゆえにパンニャ智の霊眼の言霊を発するべき
である。その言霊とは、「霊智よ、霊智よ、霊眼への霊智よ。霊眼に到達する霊智よ。智慧を完成させよ」
253 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/16 00:38
>>26 亀レスですみませんが、最高です。
で、質問なんですが、空を空っぽと取る解釈と
高次元と取る解釈があると思います。
空を単に空っぽと取らない解釈については
どのようにお考えですか?
また、もしそのような解釈もありだと思われるなら、
そのバージョンの日本語訳を26のような文体で
創っては頂けないでしょうか。
本当にあの文体で様々なお経の翻訳が本に
なるなら、本気で買いたいくらいです。
ぜひ、よろしくお願いします。
254 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/17 17:02
http://www.geocities.jp/jyoryuzi3/singyou1.html 「お大師様は般若心経を「誦持講供すれば苦を抜き楽を与え、修習思惟すれば
道を得、通をおこす」と云っておられます。又「生死の海を渡すいかだ」とも云われ、
その呪術の強さとすばらしさについて述べられています。
また、般若心経を一日百回唱え、それを八十日、百日と続けると大きなご利益を
頂いて心願成就したという話も数多くあり、現代においても深く信仰されています。」
これって、ホントなの?
だとしたら、漏れも227さんみたいに、
一日100回唱えてみようかな?
他にやってる香具師いないの?
255 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/17 20:50
毎日読経している坊さんは最強ってことか
256 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/17 23:05
ガーテーガーテーだけ100回唱えたのではダメなの?
257 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/17 23:13
「ダメ?」とか、「いいの?」って問題じゃないと思うが。
258 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/17 23:17
>>257 いや、功徳の大きさは変わってしまうの?
と、聞きたいのよ。
だってさ、般若心経って
「いいから、ガーテーガーテーを唱えろ、ゴルァ」
って意味でしょ。
前置きを唱えることも必要なの?
効果があるのがガーテーガーテーの部分だったら
ガーテーガーテーだけ唱えた方がより多く唱えられる
じゃない?
259 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/18 00:15
260 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/18 01:38
261 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/18 15:21
般若心経は「般若波羅蜜多」が「一切の苦厄を度する」という信仰が基本です。 そしてその「般若波羅蜜多」は、「大神咒」であり「大明咒」であり「無上咒」「無等等咒」なのです。 その咒(マントラ)が「ギャテイギャテイ ハラギャテイ ハラソウギャテイ ボウジ ソハカ」です。 この心真言(フリダヤマントラ)の読誦による瞑想修行の実践を説かれるから「般若心経」と題されるのです。 ですから「空」は主題でなく、あくまでも修行の結果で得られた境地を説いている部分です。 空を「般若心経」の主題と捉えるのは、あくまでも後世の説であり、般若心経成立時の説ではありません。
>230 >246 さてさて、>250でもカキコしたんですけど、 天外伺朗先生の「般若心経の科学」がアマゾン より届きましたので、一気に読みますた。 量子力学やユング心理学における成果と、 般若心経の説く内容との一致の不思議が、 無学な私にも大変よくわかるように説明されて いました。 天外先生は、ご自分の著作では、どうもわざと 黙して明らかにしておられないようですが、 あのソニーの重役でいらっしゃったんですね。 ワークステーションとロボット犬AIBOを開発した 方だと知っておどろきました。 ソニーが超能力の研究をしているということは、 以前から知っていました。 つづく
「ソニー未知情報への挑戦」(佐古曜一郎著)に その実情が詳しく説明されています。 しかし、噂によると、その超能力研究部の 実質的な部長を勤めておられたのは、あの 井深大ご自身であらされたようで、井深氏が 亡くなられたのと同時に、右研究部は解散 したとかしないとか・・・。 もしそうだとしたら、残念だと思ってましたが、 天外先生のような方がソニーの重役を勤めて いらっしゃるということは、ソニーはまだ、 形而上学的研究をやめたわけではないという ことですよね。 安心しました。 ともかくも、般若心経解釈のよい本にめぐり あえたことを感謝いたします。m(_ _)m
開発者たるもの 「99%の努力と、1%のインスピレーション」 ですな!
265 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/20 23:52
>>264 エジソンの言葉だと思いますが・・・
あの言葉は本当は
「99%の努力も1%のインスピレーションがなければムダになる」
という意味だったらしいです。
しかし、インスピレーションの元は各種教典に山ほどあるわけですから
この手の勉強をした人が研究をすると強いでしょうね。
>265 「さあ、やるぞかならず勝つ」(桐山靖雄著)の4巻のP286の話しかい?
267 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/21 03:19
>>227 >ともかくも、般若心経解釈のよい本にめぐり
>あえたことを感謝いたします。m(_ _)m
感激を共有していただいて光栄です。(^^)
今度は私が、
>「ソニー未知情報への挑戦」(佐古曜一郎著)
を読むことにします。早速アマゾンに注文します。
ご紹介ありがとうございました!
269 :
プロジェクトXXさん :04/08/21 12:37
自称、おれは99%の努力をしていると、勝手に自分に甘い判断を する奴ぁ、言語道断だ!!
270 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/21 12:55
>>269 じゃあ、誰が判断するのよ?
人に判断してもらわなきゃ動けないのかい?
エイトマン描いた人の般若心経の本には
273 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/21 18:06
般若心経を何回となえても、ただ読むだけでは意味はありません。 例えば、真言宗では暗記していても、字を見ながら唱えます。それ によって、その意味を考え、般若心経の考え方を定着させるのです。 その次に行うのは実践です。人間は煩悩が多い。だから人間なのかも しれないのですが、般若心経を唱えることにより、その意味を把握 し、煩悩を抑える考えを体にしみこますのです。でないと、実生活 に入って実践できません。そして日々実践と般若心経の定着を繰り 返し、自然と実践できるようにできれば悟りとなるわけです。かなり 難しいですけど。すぽーつによく似てますよね。
275 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/21 23:02
>>274 以下の解釈をどのように考えられますか?
ご意見をお願いします。(本スレ66より引用)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
一枚起請文
三国人や日帝の学者どもが言っているイマジネーション念仏でもなくてだな、
あと勉強をして念仏の意味をどうこう言うわけでもないにょだYO!
極楽に逝きたけりゃ南無阿弥陀仏と念仏を言うだけで良いと言ってんだゴルァ。
ただし真心がいるとか深く信じろとか、ずっと念仏してろとかうやうやしくやれとかそういうことはだな、
結局南無阿弥陀仏の中にこもって居ると言っておるんだゴルァ!
このほかにガタガタいうやつは極楽に逝けないってこった(プ
念仏を信じる香具はたとえ学者だとしても、愚民と一緒になって、学歴厨的なことをするなということだYO!
ただ念仏しろってことだYO!
証拠のためにお手手つきまつ。ヽ(゚∀゚)ノアヒャ 。
極楽に逝く心構えも修行もみんなこれに書いたぞ。漏れの考えこの他に無いわけだと。
漏れが逝ったあとにあらすやつが出ないように書いとく。
建暦二年正月二十三日 判
276 :
274じゃないけど :04/08/22 00:00
>>275 これが答えになるのでは。
しかるに菩提心について二種あり。一つには竪、二つには横なり。
また竪についてまた二種あり。一つには竪超、二つには竪出なり。
竪超・竪出は権実・顕密・大小の教に明かせり。歴劫迂回の菩提心、
自力の金剛心、菩薩の大心なり。
また横についてまた二種あり。一つには横超、二つには横出なり。
横出とは、正雑・定散、他力のなかの自力の菩提心なり。横超とは、これすなはち願力回向の信楽、
これを願作仏心といふ。願作仏心すなはちこれ横の大菩提心なり。これを横超の金剛心と名づくるなり。
横竪の菩提心、その言一つにしてその心異なりといへども、入真を正要とす、真心を根本とす、邪雑を錯とす、
疑情を失とするなり。欣求浄刹の道俗、深く信不具足の金言を了知し、永く聞不具足の邪心を離るべきなり。
『顕浄土真実教行証文類』 信文類三(本) 菩提心釈 より
>>275 を、正しく解釈するなら、結局、「ギャテイギャテイ ハラギャテイ 」も、般若心経も必要ない、ただ南無阿弥陀仏
だけでよいということですよ。
その他力思想の姿勢をそのまま般若心経読時に当てはめられないでしょう。
うろ覚えだけど、法然は七箇条起請文にも、浄土門と聖道門は道が違うだけで互いに否定するものではないと言う事を
主張して無かったかな。
277 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/22 01:22
>>276 >
>>275 を、正しく解釈するなら、結局、「ギャテイギャテイ ハラギャテイ 」も、
>般若心経も必要ない、ただ南無阿弥陀仏 だけでよいということですよ。
確かに、念仏が大事という言葉と共に、南無阿弥陀仏が全てと謳われてますね。
これを他の念仏にも一般化するのはムリがあると言われれば、確かに。
それと、他力思想という点もありましたね。なるほど。
そうか・・・ ガーテーガーテーだけじゃだめなんですかね。
そうすると、前半の部分については意味を捉えるという点が重要なのでしょうから、
現代語訳の前半に加えて、陀羅尼だけは元のままが良いということにも成りうる
のでしょうか。
ついでにいうと、
>>26 の訳も、楽しいけど、まったく直訳って訳じゃないと思いますよ。
特に
>まー智慧の修行ってこういうわけのワカランものだから、
>もまえら愚民たちは最強のマントラとしてこのお経を繰り返し唱えるぐらいが関の山ってわけだ。
あたりは冗談でしょう。
>>259 の本お薦めしときます。
279 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/22 01:50
>>278 確かに空の解釈が「空っぽ」なのか、「別次元等」なのかで
内容が変わってくると思います。
私は別次元の方が正しいと思いますが、あの訳の価値は
そこにあるのではないです。
本当に理解している人間だけが、本当にやさしく表現できると
私は考えています。
難しいことを難しく表現することと、やさしいことを難しく表現
することは結構簡単です。専門用語を乱用すれば、素人には
難解な文章が一丁上がりです。簡単に素人に理解されたら
重みがないと考える人がどれほど多いか、ということですね。
それに比べ、26,66は本当に信じられないくらい容易に
書かれています。そして、本質を掴んだものほど、容易に
表現できるとも思っています。
>まー智慧の修行ってこういうわけのワカランものだから、
>もまえら愚民たちは最強のマントラとしてこのお経を
繰り返し唱えるぐらいが関の山ってわけだ。
この部分は、空を空っぽと捉える解釈で表現したために、このように
表現せざるを得なかったのではないかと思ってます。
でも、結論はガーテーガーテーを唱えろ、その一点に結びつく
ことは変わらないわけですから、些細な部分を切り捨てて
大事な部分だけを取り出して、分かりやすく表現したと
言えるのではないでしょうか。
>>277 >確かに、念仏が大事という言葉と共に、南無阿弥陀仏が全てと謳われてますね。
>これを他の念仏にも一般化するのはムリがあると言われれば、確かに。
般若心経は念仏ではないと思うが……
また、最後の真言の部分や、摩訶般若波羅密多をなぜ中国語に訳さなかったかというと、
原語にある、細かいニュアンスが、中国語では訳しきれなかったので、というようなことを、
大拙の本か何かで読んだ事があるが、どうなんだろうか…
インドの世界観を中国語に直訳したときに、漏れてしまうニュアンスが多過ぎるので、
原語のままにして唱えた方が、当然、漏れてない分「功徳」が大きいわけで。
極めて言語学的な事情からそうなったように書かれていたように思った。
南無や摩訶、同様、カナメの部分だからこそ、繰り返し唱えて原語のニュアンスを汲み取れ!というわけで。
ここを機械的に繰り返せばオールオッケー、ということではないと思っていたが。
>本当に理解している人間だけが、本当にやさしく表現できると >私は考えています。 >難しいことを難しく表現することと、やさしいことを難しく表現 >することは結構簡単です。専門用語を乱用すれば、素人には >難解な文章が一丁上がりです。簡単に素人に理解されたら >重みがないと考える人がどれほど多いか、ということですね。 >それに比べ、26,66は本当に信じられないくらい容易に >書かれています。そして、本質を掴んだものほど、容易に >表現できるとも思っています。 一般論としては正しいようだけど。 でも、その事実から別に「やさしい=リアリティ」とは直結しないし、 一般に流布してる日本語訳だって、用語的に難解と言うほどではないですよ。 っていうか、26は普通の日本語訳を、単に2ちゃん語にして、付加的に 冗談ぽくしてニュアンスを狭めてるだけでしょう。 声門、縁学、菩薩の唱える真言だからといって、 >もまえら愚民たちは最強のマントラとしてこのお経を繰り返し唱えるぐらいが関の山ってわけだ。 って訳にはならないでしょう。 私は「些細な部分」などない、と思いますが。 また、個人的に、「空」は、「空っぽ」でも、「別次元等」でも無いとおもいます。
282 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/22 15:12
般若心経の意味ってつまり ぬるぽ だろ
空って般若心経にあるとおりだけど、難しく書きすぎだよね。 分かりやすくしようとして説明が長くなる。よくあることです。 空の先にあるものがわかれば簡単だと思うけど、般若心経だけ にとらわれて留まってしまうと分かり難いよね。
284 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/22 17:23
>>282 Nullに振り回されて「ガッ」なんてしてるようじゃ煩悩から離れられないな。
285 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/22 18:44
おまいら盛り上がってるとこ申し訳ないですが、このスレって 宗教板マターじゃないですか?早い話が板違い。 別にここでやってても構わないですけど、、、
286 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/22 19:00
煩悩なくして悟りを開きましょうという教え。
287 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/22 20:13
梵本の平易な和訳読め!
288 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/23 12:20
そーか、「ぬるぽ」だったんだね
289 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/23 15:00
写経してると眠くなるけど、 羯諦羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提娑婆訶 のところになるとなぜか目が冴えてリズミカルに書けるんだよね。。 ここだけ音訳だからなのか・・
290 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/23 23:07
261の考える仏教は、ある意味で他力本願的な呪術的な ご利益信仰的仏教観でしょうか。 釈尊の信の教えは、自己確立、人間完成の道を説くことだと 私は認識しています。その自己努力の思いなり、心を無にし て物事ほをみつめようとするときの一種のコンセントレーシ ョンの手段が、読経だったり、護摩祈祷だったり、滝修行だ ったりしてもよいでしょう。 少なくとも、願いをかなえるのは自分であってお経じゃない。 般若心経は、無心になって物事を見なさいということでしょう。 悟りとか、苦悩からの完全な開放なんてないんだということを 理解し、受け入れることが悟りなんだということを言っている。 いくら、聖者となっても痛み、悲しみは消えない。 悟りをえられれば、それらから開放されると思い込み、それに 執着することすら、意味がないことだと諭していると考えます。 悟りを得た人は、悟りを得たとは言わない。さとりを得たとい うことは、悟りの境地にないことを示す。敢えていえば、それを 悟ること、受け入れることが「悟り」なのかもしれない。 オリンピックの勝者たちを見ていると、何か般若心経の境地を 思わせるのだが。
基本的に同意だが、他力本願は呪術的かは疑問。 大拙の真宗入門よむと、絶対他力は自己を越えた最高実存への コンタクト法であり、禅で言う「突き抜ける」と体験的には同義だと。 他力に救われても、また禅で言う見性を得た後も、苦悩や悲しみからは開放されない。 ただ、「全体」に包括されているという安心感が(単なる気休めではなく実感として)得られるとか。 悟りを得ていない自分には説得力のある文はかけないが、大拙の「禅とは何か」「真宗入門」には、 他力、自力双方にうなづけるものが合った。
292 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/24 10:23
般若心経もいいですね。 光明真言もいいです。 各仏様の真言もいいです。 悟りもいいけど、写経や唱える事で苦境に陥っている人達に良い事があるといいですね。 ボロン
293 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/24 13:16
290 般若波羅蜜多の真言による”観法(瞑想)を自在に修する大乗の修行者(観自在菩薩)” が「一切の苦厄を度した」のは、「五蘊は皆空」の境地を得たからです。 対向衆の舎利子は「一切は五蘊」の境地を得ています。 我らは「一切がなにであるか」すら分かっていません。 その舎利子に対して「その五蘊は空である」と説かれています。 まず凡夫は「一切が何であるか」を得て、さらに「空」の段階へと ステップアップします。 その方法が「ギャテイの咒」を唱えるという瞑想修行です。 端的に「瞑想修行を実践せよ」と述べている般若心経を なぜに必要以上に難解に考えたり、あるいは「世俗的人生訓」レベルに 陥れるのかは不明です
294 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/24 13:34
「唱えること自体」が修行だから、心経は唱え続けられたのです。 悪いですが、今の書店で多く見受けられる「心経解説本」では 「なぜ、唱えられるのか」の疑問に答えていません。 おそらく、「唱えることが修行」などというと、近代的合理主義にそぐわない と考えた明治以降の学者が、「心経」を変に難解なものにし、 いまだにその影響を引きずっているのでしょう。 「空」が主題のお経なら「真言」を説く必要性はありません。しかし 多くの訳経者(羅什・玄奘・法月・般若・義浄など)が真言を説き、 「大明咒経」「心経」「神咒経」などと、経題に真言を意味する言葉を掲げるのも 「真言を唱えるという瞑想修行(観法)の実践」を説くからです。
295 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/24 14:20
293・294がいいこと言った。
296 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/24 15:55
(293、294の続き) 般若波羅蜜多のフリダヤマントラ(心真言)が説かれるから 般若心経です。 それは経題の心のサンスクリットが 我々が考えがちな、精神的な心を意味する「チッタ」でなく、 肉体的な、チッタをも包括する大きな心、肉団心(心臓)を意味する 「フリダヤ」であるところからも明かです。 そしてフリダヤ(心臓・生命の中心)は合蓮華の形をしているところから 菩提心の象徴です。故に、我々の持つ菩提心は決して抽象的なものでなく 実感できるものでもあります。(ただしこれも頭だけで理解するものでもないでしょう) 五感をフル活動させての修行の実践を説く心経を、 一種の哲学かの如く、頭だけで、理解しようとしているのが 昨今の心経に対する大きな誤解です。 弘法大師が『般若心経秘鍵』で「信修すれば忽ちに証す (信仰し修行を実践すれば、悟りは証明できる)」と述べられていますが、 「秘鍵」は大師独自の解釈でなく、心経本来の意味を再構築されたものです。 以上261でした。
297 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/24 18:59
>>296 日々、真言を唱えながら
「妻帯」してしまう僧侶の方々への
ご意見、ご感想ございましたら
お聞かせ願います。m(__)m
298 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/26 09:07
お経は御利益があるから今日まで残ったのだ。意味などわからなくても とにかく唱え、書き写せばいい。1回や2回、1日2日じゃあダメだ。最低 100日はやること。あなたの願望は達成もしくはメドが立ってるはずだ。 2500年の歴史がその証明。坊さんはこれで食ってる。
平家も大掛かりな写経をして厳島神社に収めた。それが「平家納経」。 滅びたのは21年後。
300 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/27 23:01
般若心経を毎日読みだしてから、精神的に強くなったことだけは確かです・・・。
>悟りを得た人は、悟りを得たとは言わない。 これは達磨様もいってますね。悟りに執着していると言うことは、執着している と言う時点で悟りではないと言うこと。 無心と無は違うし、空と空っぽとは違います。 達磨大師っていうびでおありますが、参考になりますよ。少林寺開く場面もあり ます。 般若心経を唱えるのは、すぽーつと同じで、何回もお経を読み、その内容を毎日 反復する事により、その考えを頭に覚えこませ、自然とそれが実践できるように する事です。自然に出来てこそ悟りです。人に自然にやさしくできれば、その行 為自体は瞬間的には悟りです。 こう言っても実践できないのが人間。訓練することが大切です。それを修行と言 います。
302 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/28 02:15
301が良い事言った
>瞬間的には悟り これを象徴しているのが、お釈迦さんが、弟子の一人が兄弟子のために 靴を磨いているのをみて、彼は悟りを開いている、といった言葉です。
無も空も同じです。表現が違うだけ。その先にあるものこそ大切。 無心からは集中力しかうまれない。空っぽではないことしか分からない。 無も空も、自分をみつめなければ分からない。本質を探そうという気持ち がなければ無も空も理解できない。理解できても実践できなければ意味が ない。実践しようと言う努力が大切。 分かりやすい例としては、人をみかけで判断して、その人の本質を見てい ないこと。美人であっても、いつかは年をとる。そのような変わるものと 言うのはあってないもの。そのようなあってないものに執着するのではな く、その人の本質である自然な心が大切。それが空であり無。そのような 見方ができれば正しい判断ができる。それが仏教で言う智恵。そのような 智恵がつけば、人に対して自然とやさしくでき、人と人とのいさかいも しなくなる。これこそが悟り。 達磨さんから言わせれば、こんなこといっている間は悟りは開けないとい うことになるんだろうなあ。
305 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/28 12:17
304は執着しすぎ
>305 ワラタ
307 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/28 18:46
>>297 坊サンであって仏法僧の僧ではないってことで。
308 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/28 18:54
宮坂タンの般若心経本、加筆の上で 角川文庫から出ますたね。 >真釈般若心経 角川文庫 著者: 宮坂宥洪 出版社:角川書店 サイズ:文庫 / 239p 発行年月: 2004年 08月 本体価格:552円
310 :
宗教研究者 :04/08/29 17:10
般若心経は、簡単に言えば、一切は空であることを皆が悟りましょう、と いうことだが、一部に般若心経を唱えることによって何か霊験があるよう なことを言う不思議な人が後を絶たない。般若心経を読誦して不思議な体 験をした方、体験談を語ってください。
>>310 猫がキョドります。
2匹一緒に落ち着かなくなります。
観音経とか他のものではキョドらないけど。
ってその位しか不思議体験はありません!
>310 ペット用のヘビ(肉食動物)を、自分の部屋で飼っている。 貪欲なヘビで、週に2〜3匹ほど、生きたネズミを与えていた が、常にまだ物足りないといった感じであった。 しかし・・・。 誠に誠に不思議なことなのだが、般若心経を毎日唱えだし たその日から、ピッタリとネズミを食べなくなってしまった!! 誠に不思議である。 確かに、一般的にペット用のヘビはストレスなどがあると、数ヶ月も 拒食することがある。 しかし、 @私は、部屋のヘビの環境を変えていない。よって特に ストレスはないはず。 Aうちのヘビは、ペット用ヘビのなかでも、貪欲な部類(種)で、 通常、拒食などしない。 Bストレス以外で、拒食するとしたら普通、秋〜冬である。 私が般若心経をはじめたのは真夏の暑い盛り。ヘビが、 もっとも食欲旺盛な時期である。 Cうちのヘビはまだ2歳と、若く。育ち盛り、食べ盛りである にもかかわらず、心経を唱えだしてから、まったく食べなくなった・・・。 般若心経の不思議な体験でしょうか? (科学的合理性とか、因果関係論とか野暮な話はこのさい抜きでw)
P S 草食動物の亀(ケヅメリクガメ)も飼ってますが、こいつは 今でももりもり葉っぱとか食べてます・・・。 やっぱし、殺生はいかんのでしょうなあ・・・_| ̄|○ 我ながら業を積んでしまいました・・・。 でもヘビだって、生き物なんだけどなあ・・・。 ヤツだって、ネズミ食わなきゃ生きていけないから 食ってるだけじゃん・・・。わからんなあ・・・。
314 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/29 19:06
ペットシリーズ、いやいや、驚きましたよ。 そんなことがあるんですねーー 確かに、唱えることで何か見えないところで起こっているのかも。。。。ω(゚ω゚)ω
蛇は今何を食べているのですか?
316 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/29 21:32
人間もベジタリアンになるべきかなーー。
>315 もう一ヶ月近く何も食べていません。<ヘビ ヘビは、たいへん燃費のよい生き物で、 健康なヘビなら半年間も、少々の水のみで 生きることができるのです。(種類にもよるでしょうが) これは、ヘビの生理機構が、ものすごく 代謝が遅い仕組みになっているからなんですね。 それに、大腸に長期間糞を溜め込んで、そこ から少しずつ養分をとるという離れ業もします。 ゆえに、ある程度の大きさに成長したヘビに 1ヶ月や2ヶ月ぐらいエサをやらなくても、どうという ことは本来ありません。 しかし、とうぜん限度ってものがありますから、 あまりに拒食状態が長期にわたると、 そのまま餓死します・・・。 しかし、ともかくもうちで飼っているヘビは 特に神経が図太い種で、拒食で飼い主が困ったなんて 話は聞いたことがないですよ・・・。 単に、なんかの病気になっただけかな・・・?
>230
>246
あいやー、>230さん、>246さんごめんなさい。
いま
>>312 で自分で書いた文を
何気に読み返すと、
>(科学的合理性とか、因果関係論とか野暮な話はこのさい抜きでw)
なんて書いてますが、別にこれは、心経に対する科学的
アプローチがナンセンスだとか、天外先生の科学的
解釈が野暮とかいう意味ではありませんm(_ _)m
ただ、「心経読んだらヘビがネズミを食わなくなった。」
なんて書くと、当然、「偶然だろ。」とか、「因果関係が
立証できるのか?」とかの突っ込みがくると思ったので
怖かったんですよ(^^;)
だから、今回の件に関しては、合理性とか因果関係
とかむつかしいことは勘弁してつかーさいという意味で
書きますた。
心経に対する科学的アプローチおおいに結構!!
もっともっと推進してゆきましょう!!
319 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/29 22:28
227さん、今後も定期的に、般若心経を唱え続けたら蛇がどうなったかを 報告してほしいです! なにか関連があるかも、だし。 きになるーーー
320 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/30 16:23
>>310 違います。「“智慧(般若)”の真言念誦による観法(瞑想)を実践せよ」です。
「空」でなく「智慧」が主題である証明として解空第一の「須菩提」でなく、
智慧第一の「舎利子」が対告衆として登場する点でもあきらかです。
>319 OKですよー。 ただ、漏れ自身は肉食してるんですけどね・・・。 今日もカツ丼いただきますたがなにか・・・。 肉食している漏れが心経唱えて、 本性的に肉食動物のヘビが肉食できなくなる なんて・・・。 やっぱ、ちょっとおかしいですよね・・・。 やっぱし、漏れが心経唱え始めた次期に、ちょうど たまたまヘビになんらかのフィジカルな問題 が生じて、エサを食わなくなっただけなんじゃない かと・・・。 動物病院につれていって検査してもらおうにも、 ヘビなんて見てくれる獣医は近所にはいないポ・・・。
般若心経は智慧で彼岸に渡る経典、般若波羅密多 を実践して悟りを開く、つまり空の境地を得るこ とだから、般若心経は、簡単に言えば、一切は空 であることを悟って皆で渡りましょう、とって何 がおかしい。それより相手に伝わる日本語で書け。
キミも日本語がヘン。
324 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/31 13:10
「般若波羅蜜多の実践」が真言念誦による瞑想ですから このように端的にしめした方がより的確でないでしょうか? 「彼岸に至の智慧を実践しましょう」とか「空を覚りましょう」などという曖昧な表現は M原師か、Hろ氏などの「世俗の人生訓レベルの解説本」でよく見かけますが、 その方法を明確にせず読者を混乱させ、逆に心経を貶めているだけでないでしょうか
2500年前には、釈迦の説いた悟り も新鮮だったのだろう。そうか、一切 は空と考えれば確かに悩みなど消える、 とね。実際にはそういう考え方もある な、というぐらい。でも、それだけで は人間は生きられない。食事などの世 話を弟子が一切やってくれれば座禅三 昧の生活が送れるかも知れないが、そ んなに甘くない。釈迦も普通の人以上 に悩みの多い人生だったろう。悟りの 心境で普通の生活をしていている人が いたら知恵の浅い人だろう。知恵なき 者は幸いなり、知恵ある者は悩み多し、 がまあ普通だからね。
2500年前には、釈迦の悟りの内容 は新鮮だったろうと思う。そうか、一 切は空と考えれば確かに悩みは消える、 とね。実際は、そういう考え方もあるな、 というぐらい。でも、それだけでは人間 は生きられない。衣食住の世話を弟子た ちが一切やってくれれば座禅三昧の生活 もできるだろう。現実は甘くない。釈迦 の人生も人並み以上に悩み多き人生だった ろう。悟りの境地にいながら普通に生活で きる人はいない。知恵なき者は幸いなり、 知恵ある者は悩み多し、というのが普通だ ろう。みな、仏教に幻想を抱き過ぎている。
327 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/31 14:05
>>324 真言寄りの解釈の方が誤解や混乱を生んでいると思うよ。
「般若波羅蜜多の実践」という言葉からならば、六波羅蜜や八正道を
連想する方が自然だし、その境地としての空は抽象的ではあるが、
決して曖昧ではない。
むしろ、真言念誦による瞑想だけを強調する方が、アヤシイ香りプンプン。
328 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/31 15:30
個人的な仏教への感想は不必要です あくまでも「般若心経の意味を教えて」のスレですから
329 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/31 16:10
般若心経が「般若心」つまり「ギャテイ」を唱えることから 成立しています。なぜ真言が説かれているかを考えれば明らかですね。 「般若」の実践が「禅定」その一つとして、真言念誦による観法(瞑想)ですから、 般若心経ほど短い内容で唱えやすく、そして的確に示しているにもかかわらず なぜに難解に理解しようとするのでしょうか? 心経成立の歴史は福井文雅著の『般若心経の総合的研究』(春秋社刊)に詳しいですね。
>>329 「つまり〜です」とか「明らかに」とか、真言にとらわれ過ぎじゃねーの?
マントラの盛り込まれたお経なんて腐るほどあるし。
別に難解になんて考えてないし、空にも呪にもとらわれず、
素直に心経を誦んでいるだけですよ。
331 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/31 16:39
般若心経の最後の方に呪がついてるのはそれがかっこいいからだよ。 たとえば、Jポップの歌詞は、日本語の歌詞だけじゃなくて、 サビのあたりとかに英語の歌詞が入ってたりするでしょ? 英語の部分が丁度いいところにあったりすると、 聞いてる若い人たちはカッコいいって思ったりする。 般若心経も、呪が入ってるとカッコよく見えるし、 何やら神秘的で有難いようにも見えるんであるだけだ。 まあ、基本的な仏教用語を「無」を関して羅列して、 仏教用語に関わって勉強するのもいいけど、 「目的地(彼岸)を目指す道(菩提)を忘れなきゃそれでいいんだよ」 って言ってオチにしてるってこともあるかな。 短くよくまとまったいいお経だよね。
332 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/31 18:31
「いこうよ、いこうよ彼岸へ行こう」 たぶん、ぎゃーてーぎゃーてーのところ。 ずいぶん昔に立ち読みした本に書いてあった。 理屈抜きストレートでいいよね。
333 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/31 21:25
ダライ・ラマの著作立ち読みしたら、随分詳細に般若心経を分析していたようだが、、、。 「自性というものは存在しない」という一文が目に飛び込んだ。
334 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/08/31 22:06
「般若心」つまり「般若波羅蜜多のフリダヤ」が 「ギャテイ・・・」の咒であり、それを経題に掲げています。 般若波羅蜜多のマントラについて説いているのが般若心経でから このマントラ(咒)を軽視しては般若心経が成り立ちません。 最古の梵本である「法隆寺貝葉本」には「経」を意味する「スートラム」が なく「般若波羅蜜多心」で締めくくられます。 また最古の目録『出三蔵記集』にも「「摩訶般若波羅蜜神呪一卷」 「般若波羅蜜神呪 異本」と記されるように、「般若心経」はもともとは 「経」というよりも「咒」と捉えられていた証拠でしょう。 観法が自在なる大乗の修行者が「般若波羅蜜多」の行に依って、五蘊皆空と照見し 「一切の苦厄を度した」。(略)だから知るべきである。「般若波羅蜜多」は偉大いなる神咒(マントラ)、 (略) その咒を説く「ギャテイ ギャテイ ハラギャテイ ハラソウギャテイ ボウジソハカ」 (以上が「般若波羅蜜多のフリダヤ」である) 「般若波羅蜜多のフリダヤ」である「ギャテイ」の咒が「一切の苦厄を度」するから、 唱えよと。 そしてなぜ一切の苦厄が度されたのかというと「五蘊皆空と照見」したからです。 だから「心経」は「唱え続けられてきた」のですね。
335 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/09/01 01:06
>>334 すごい執着ぶりだなぁ。
マントラを軽視してなんていないが、般若心がマントラであるとは、
主観が入りまくりではないでしょうか。
心経がもともと呪としてとらえられていたのならば、
なおさら漢字で260+2文字をもって心(フリダヤ)と思いたいですね。
336 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/09/01 20:42
「主観が入りまくり」という意味がよく分かりません? 梵本で「般若波羅蜜多のフリダヤ」が「ギャテイ…」だと述べているのですが。 それに現行以外の旧訳の心経の経題が 失訳『摩訶般若波羅蜜神咒』(『出三蔵記集』巻第四) 失訳 『摩訶般若波羅蜜咒経』(『大唐内典録』巻第二) 支謙訳『摩訶般若波羅蜜咒経』 羅什訳『摩訶般若波羅蜜大明咒経』 など、フリダヤに相当する部分が「咒」と訳されています。また、 『陀羅尼集経』「般若大心陀羅尼第十六咒」として「ギャテイ」が 説かれています。 「フリダヤ」つまり心臓は、古代インドでは臓器というだけでなく 神秘的な力を有する場所とされ、そして「マントラ」「ダーラニー」を 意味する言葉としても用いられるようになります。「咒」としての フリダヤを「心」と直訳したことにより精神的なココロの「チッタ」と の混同が生まれ、「般若波羅蜜多の心」が「ギャテイ」を意味している のだということが分かりづらくなったのではないのでしょうか? またフリダヤには「中心」の意味もありますが、もし般若心経の心が 「経の中心」という意味であるあるならば、梵本に「フリダヤ−スートラム」と しなければ、その意味を持たないといいます。「般若波羅蜜多のフリダヤ」と 結語されるということは、それは「咒」つまり「ギャテイ」を指しています。 「観自在菩薩」から「真実不虚」までが、この咒を功徳と効用を称え、 「般若波羅蜜多の咒を説いて曰く」として「ギャテイ」が説かれます。 335氏が「マントラを軽視している」とは言っていません。もし不快に 感じられたのであれば謝罪いたします。 マントラを軽視しているのは心経の成立の歴史に触れず、またなぜ 「唱えられるのか」「写経など信仰されるのか」の疑問には答えず、 ただ「色即是空」の解釈と称して「10センチに比べたら5センチは短く、 1センチに対しては長い。だからこだわりを捨てましょう」などの意味不明な話を載せ、 「ギャテイ」を「往こう 往こう…」などの訳語を申し訳程度に巻末に載せて、 仏教用語を多用した"世俗の人生訓"を「般若心経の教え」と吹聴し、 百凡の解説本を量産しているタレント学者や売僧(まいす)です。
↑ 完全同意だよ〜ん。 勝手に解釈した安っぽい人生訓が大杉。 なっ。 ひろさちやクンに瀬戸内タン。
338 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/09/01 21:55
「掲帝 掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提僧莎訶掲帝 掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提僧莎訶」 ここのところ、現代においては漢字である必要が無いわけだから、 よりサンスクリットに近い発音をカタカナ表記、あるいは読み手が発音 した方が真言としてのご利益があるのではないか。
339 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/09/01 22:01
>>338 確かにその通りですね。
だから弘法大師は『般若心経秘鍵』の文中で
「ギャテイ」をすべて梵字で表記しているのもそのためです。
340 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/09/02 01:30
>>336 同様のことを繰り返し書かれているようなので、
私も素人なりに同様にお答えしますが、
般若のフリダヤは「般若心経」そのもので、
「ギャテイ、〜」は、あくまで「般若波羅蜜多呪」であって、
それ以上でもそれ以下でもないと思います。
観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、照見〜、
「般若の行」とだけあるのに、「般若のフリダヤである呪を唱える」とは主観でしょう。
故知般若波羅蜜多、是大神呪、〜、能除一切苦、〜、
故説般若波羅蜜多呪、即説呪曰、ギャテイ〜
も、「般若は、大神呪でもあり、〜でもあり、よく一切苦を除するでしょう。
般若の呪も教えましょう、ギャテイ〜」程度に考えます。
色即是空に寄った解釈と同様に、呪に寄りすぎでは?と。
元来、全て梵文であったことを思えば、短くまとめられた「般若心経」そのものが
般若のフリダヤであるところの総持ではないでしょうか。
呪の和訳は、あまり意味を成さないというのには同意ですが、
心経に接する縁となるのならば悪くもないと思います。
341 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/09/02 11:42
「主観」という意味が理解できません。 梵本や古今の訳経を根拠として「フリダヤ」が「咒」と 同じ意味だと述べたので、これは個人的感想文ではないですが? だから「般若のフリダヤ」である「咒」が、心経本文に「ギャテイ」だと説かれているのですが。
342 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/09/02 14:45
>>341 「般若心経」という題目で、
(これが「般若心」でも「般若心呪」でもかまいません)
本文中には、
・「般若波羅蜜多」の行により、「空」を知り、苦を度する。
・「空」の説明。
・「般若波羅蜜多」に依り、涅槃し、アノクタラサンミャクサンボダイを得る。
・「般若波羅蜜多」は、大神呪・・・であり、苦を除する。
・「般若波羅蜜多呪」は「ギャテイ〜」である。
素直に心経を読むと↑コレですよ。
題目(があらわす「心」)は本文全てを指し、
「般若波羅蜜多」と「般若波羅蜜多呪」は別個に使い分けられています。
お互いに同じ事を繰り返してるだけのようなので、もう止めますが、
ちなみに、私の発言は、327,330,335,340と本文です。
343 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/09/02 15:45
342氏へ、お返事ありがとうございます。レスをお止めになるようですので、私も
あなたへのレスはこれを最後としますが、
「フリダヤ」が「咒」と同じ意味で用いられたのを根拠として
「般若波羅蜜多のフリダヤ」が「咒」(般若心経においては「ギャテイ」)だと
説かれていると述べでいるのです。
般若波羅蜜多と咒は違うとのお考えのようですが
>「般若波羅蜜多」は、大神呪・・・であり、苦を除する
と、素直に読めば「般若波羅蜜多は咒であり苦を除く」と
説かれていますね。
ですから「心経で説く『彼岸に到る智慧』」とは「ギャテイ」の事であり
それを行ずる事によって「一切の苦厄を除く」と理解した方が素直でないでしょうか。
私の発言は
>>320 >>324 >>328 >>329 >>334 >>336 >>339 >>341 と本文ですので、後は読まれた方の判断にお任せします。
このスレを通して読んでみて、単に 341師が真言系の人で、342師が他系(禅系かな)の人のように感じる。 341師はたびたび登場しているようですが、 解空の須菩提ではなく、智慧の舎利子が登場だから、空ではなく智慧が主題。 のようなのもあったようですが、解空第一に対して空と説く必要はなく、 舎利子だからこそ空を説く必要があるのではないでしょうか? 上述のレス内容が341師でなければ失礼。
>>344 私は般若心経を読誦するのが好きなド素人ですよ。
ただ、色即是空であれマントラ部であれ、
特別に一節を強調抽出するのに疑問を持つだけです。
ただでさえ極端に短く良くまとめられたお経なのですから。
346 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/09/02 16:20
344氏へ ご指摘の通り、そのかき込みは私(341)がしました。 さて対告衆の多くは、その教典の主題を明らかにするために登場します。 >>舎利子だからこそ空を説く必要があるのではないでしょうか? 須菩提以外の九弟子すべてが対告者として登場しないと、そのお考えは あてはまらないですね。それに、「空」を説く『大般若経』では、多くの聴聞者の なかから、解空第一の須菩提が対告者として登場します。同様に大本である 法月訳『般若波羅蜜多心経』では、多くの聴衆から舎利子が対告者として登場します。
般若心経が唱えるところの意味は
>>341 氏の解説通り
般若心経を唱えるところの意味は
>>340 氏の解釈通り
てことでいいんじゃないかと思うんでつが
私は般若心経は「唱えること自体が修行」だから唱え続けられ、 そして唱えるのだと思います。(理由は前述した通りですし、さらに その具体的修行が「咒」による観法だというわけです) にもかかわらずタレント学者や売僧が、「訳も分からずお経を唱えても 意味が無い」「心経をありがたがって唱えるのは迷信的だ」といった、 心経ひいては教典読誦自体を軽視する文章を垂れ流し「心経解説」と 銘を打っているのが問題です。 「百凡の解説書」を読むよりも、まず心経を唱えることこそが意義があります。
gateってgoでしょ それをこねくり回して何が面白いの?
350 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/09/03 01:11
>>349 禿同。
悟りたいのか、評論家になりたいのか・・・
351 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/09/10 05:39
うちの家の宗派は浄土真宗本願寺派(西本願寺)ですが、 家に来てくれる坊主は50才近い坊主ですが 般若心経もあげてくれませんかと言うと うちの宗派のお経ではありませんからできませんからと断られた。 あれあれ 書物には 宗派に関係ない ありがたいお経と書いていたのに。 この坊主の言うことは正しいのですかね。 それとも この坊主 勉強不足で般若心経もあげられないのか。 そのために そんなこと言ったのか。 実際のところどうなんですか。
真宗と日蓮宗はダメ。 それと般若心経本はいい加減のなのが極めて多い。
般若系のお経は、自分自身いかに生くべきか、といった内容なので、 南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経などの他力的な宗派とは相反する。
354 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/09/10 16:17:29
>>351 あげない宗派はあるよ、、日蓮宗はあげなかったんじゃなかったっけな、、確か、、
355 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/09/10 19:43:34
心経聞いてると、呉音の人と漢音の人がいるけど何で違うの? あとその普段聞きなれないほうの読み方って載ってるサイト少ないよね? それもなんでなの?
356 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/09/10 20:26:59
>>351 それは宗派の責任じゃなくて「そういう宗派」に入っているお宅の責任。
純粋に質問だが「専修念仏」する気がないのになぜ真宗やってるの?
自分から魚屋にはいって大根が売ってないと文句言ってるようなもんじゃ無いかね。
357 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/09/10 21:08:05
門徒もの知らず
358 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/09/12 20:45:31
支那天台宗における五時教判では、釈尊一代の説法を 華厳、阿含(小乗)、方等(諸々の大乗経)、般若、 法華・涅槃の五つに分けます。そして、法華を最高に して完全なる教えとします。その考えにもとづき日蓮は 末法における救済は真実経である法華のみと考え、それ 以外の教典は、法華を説くまで方便経とします。 ですから般若心経を含めた、他の教典を今さら信仰する 必要性が無いとします。
359 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/09/12 21:00:52
浄土真宗においては、末法において凡夫は阿弥陀如来の 本願(他力)において救済される(されている)とします。 末法において自力の修行は本願を疑うこととなるため、「往生のため」に 諸仏の信仰や般若経・法華経・陀羅尼の読誦、造塔・作善、観想念仏などを行うのは 雑行であるとし、専修念仏と説く真宗では行いません。 (平安、鎌倉期の念仏信仰は大乗経典や真言の読誦、滅罪のための造塔・作善など 行いながら観想念仏による往生を遂げるという考えが中心的で、法然・親鸞の専修念仏 はどちらかというと「異端」思想でした。朝廷が念仏を禁止したのもあくまでも「専修念仏」に 対してのことです) だから般若心経のように「咒」を説く経典は真宗では読誦されないのです
日蓮宗と浄土真宗とイスラム原理主義 いちばん了見の狭いのはどれ?
浄土宗は一応他宗批判を禁じてるだろ。 「自力」で登ろうとする聖道門の人々を論破しようとしてはならない、と法然は弟子達に誓約させている。 了見が狭くて専修念仏してるんじゃなくて、 逆に自分ら「凡夫」は「自力」では山は登れないから、 余計な荷物は置いて、阿弥陀の手により運ばれようという「他力」の思想ゆえだ罠。
362 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/10/04 21:58:53
age
浄土門の人たちが謙虚さを失へば、あとは堕落しか残りませんかね 横道、スマソ
あたりまえの話だが、それはどれでも同じ。
365 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/10/15 14:48:56
>>26 なるほどー そういうことだったのか。よくわかった。
そしてこの経文は最強のマントラだったのかー
って、マントラってなんですかにょ?密教真言?
366 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/10/15 17:58:31
>>364 他力本願と自力本願では、さすがに違うのでは?
>>365 前半で説明してるんだから、よく分かってるのかと思いきや
後半で>>ワケワカランというのには違和感を感じちゃうんですが・・・
367 :
365 :04/10/16 21:30:45
>>366 ごめんにょー!ゆるしてにょー!
で、マントラって何ですかにょ?
象徴的・連想的に経典の真理を伝える呪文的な文言を「真言(マントラ)」とか「陀羅尼(ダラニ)」と呼びます。「真言」は比較的短いもの、「陀羅尼」は比較的長いものが多いようです。
369 :
365 :04/10/16 21:43:52
>>368 ご丁寧にありがとうございます。アビラウンケンソワカ
とか、こういうのがマントラなわけですね?
よろしかったら、アビラウンケンソワカの意味と効果を
ご教授いただけましたら幸いです。
【意味】 胎蔵大日如来の真言。 言葉としての意味はないので翻訳できない。 教理的な意味はめんどいのでパス。 【効果】 あえて効果を聞くならば、大日如来と結ばれ、最終的には悟りの境地へと達することができるとでも思っておけ。
371 :
365 :04/10/16 22:11:35
373 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/10/17 03:58:28
心経唱えると悪霊退散!スゲー効き目!
374 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/10/26 14:12:12
375 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/11/11 17:36:30
376 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/11/12 10:19:03
「般若波羅蜜多」を「般若(智慧)」と「波羅蜜多(到彼岸)」に 分けて考えがちだけど(それでも間違いではないが)、どうも 『般若心経』に関していえば「般若波羅蜜多」は固有名詞のようですね。 前者の考え方は「広島市」を「広い島の市」と訳すようなものでしょうか
377 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/11/12 16:39:02
こだわり執着を捨てて軽くなりなさい・・・・・
分けて考えないな・・・
379 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/11/23 01:41:36
般若心経のスレを見たら「〜は無い〜も無い」って書いてあって、 レノンのイマジンはこれのパクリかよと思た
380 :
ポ チ :04/11/23 11:56:46
とりあえず、コイズミさんに般若心経を ホワイトハウスに持って行ってもらおうか。(ワラ
381 :
名無しさん@京都板じゃないよ :04/12/06 21:18:51
空
喰う? つ◎
383 :
名無しさん@京都板じゃないよ :05/01/13 15:12:34
色即是空 空即是色
384 :
名無しさん@京都板じゃないよ :05/02/24 20:01:52
ぎゃあてい ぎゃあてい
385 :
名無しさん@京都板じゃないよ :05/02/25 21:09:09
>>381 同意。般若心経=空。
全てのレス完璧OK!
全てのレス完璧不可!
386 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/03/23(水) 06:08:41
ぎゃ〜てい(-人-)
菩 羯 多 呪 多 得 想 掛 所 亦 無 耳 不 是 異 蘊 観 佛 堤 諦 呪 能 是 阿 究 礙 得 無 意 鼻 増 舎 色 皆 自 説 薩 羯 即 除 大 耨 竟 無 故 老 識 舌 不 利 色 空 在 摩 婆 諦 説 一 神 多 涅 掛 菩 死 界 身 減 子 即 度 菩 訶 訶 呪 切 呪 羅 槃 礙 提 盡 無 意 是 是 是 一 薩 般 波 曰 苦 是 三 三 故 薩 無 無 無 故 諸 空 切 行 若 般 羅 真 大 藐 世 無 陀 苦 明 色 空 法 空 苦 深 波 若 羯 実 明 三 諸 有 依 集 亦 聲 中 空 即 厄 般 羅 心 諦 不 呪 菩 佛 恐 般 滅 無 香 無 相 是 舎 若 蜜 経 虚 是 提 依 怖 若 道 無 味 色 不 色 利 波 多 波 故 無 故 般 遠 波 無 明 觸 無 生 受 子 羅 心 羅 説 上 知 若 離 羅 智 盡 法 受 不 想 色 蜜 経 僧 般 呪 般 波 一 蜜 亦 乃 無 想 滅 行 不 多 羯 若 是 若 羅 切 多 無 至 眼 行 不 識 異 時 諦 波 無 波 蜜 顛 故 得 無 界 識 垢 亦 空 照 羅 等 羅 多 倒 心 以 老 乃 無 不 復 空 見 蜜 等 蜜 故 夢 無 無 死 至 眼 浄 如 不 五
388 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/03/26(土) 10:53:51
大いなる 知慧によって 悟りの岸に到る 肝心要の教え 自由自在に世間を観察することができる観音様が ふかい知慧によって悟りの岸に到らしめることを行ずる時 我々の心身並びに環境のすべてを形成する物質的 精神的な五つの要素は本来空であると見きわめ あらゆる苦悩災厄からすくわれる 舎利弗よ 物事や現象は実体がなく空であり 空は物事や現像と別物では無い すべての存在は空であり 空からまたすべての存在が生じているのである 感覚作用も想念も意思も自我意識もまた同じことである 舎利弗よ すべてのものは本来空なのだから 生ずることも滅することも無く 汚れることも綺麗になることも無く 増えることも減ることもな無い だから空の中において物事や現象の存在もなく 感覚作用や想念や意思や自我意識も無く 六根(六つの感覚器官)も用をなさず 六境(六つの感官の対象)にもとらわれず 眼に映る世界にもとらわれず 識の世界にもとらわれることも無い 煩悩の根本の盡ることも無い
389 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/03/26(土) 11:04:23
390 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/03/26(土) 12:15:03
ハニャーン心経 とにかくみんな空(クウ)なにょな。そう思えばつらいことも何もないにょだYO! モノが在ると思ってもその実体は無いわけだし、 実体が無いようなモノも在るように見えるものだにょ。感覚知覚するのもそういうもにょなの。 とにかくモノ・感覚・知覚、みーんな実体がないわけだから、生まれもしない滅びもしない、 汚くもならない浄くもならない、増えもしない減りもしない、当たり前の話だゴルァ。 実体がなく変化も無いんだから、縁起なんて表面的なこと、実体など無いわけでして、 無明がどうとか老死がどうとか、もう言うだけ無駄。悟りとか悟りを得るってことも無かったわけだ。 こう思えば何にも考えなくてすむし、考えないから怖いものナシ。 考え違いもないからもう究極だあーヽ(゚∀゚)ノアヒャ 。 ブッダというのはみーんなこんな風な修行をしたわけで(ホントか)、 それで究極の悟りを得たと(なんだ結局得たのかよ)。 まー智慧の修行ってこういうわけのワカランものだから、 もまえら愚民たちは最強のマントラとしてこのお経を繰り返し唱えるぐらいが関の山ってわけだ。 じゃあ唱えるぞ。 「逝ってよし、逝ってよし、もまえらみんな逝ってよし。漏れもなー」 ハニャーン心経
あの〜 般若心経って、「舎利子 色不異空〜得阿耨多羅三藐三菩提」まで いらないと思いません? くど杉。
392 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/03/26(土) 16:00:41
393 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/03/26(土) 17:52:29
今日初めてご先祖様に般若心経を読んであげました。 とても喜んでくださったようなのでこれからも読み続けたいと思います。
394 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/03/26(土) 19:00:31
>>390 無明の光に照らされてるな
オイ眼鏡が曇ってるぞ
>>388 煩悩の根本もなく
故に煩悩の根本の盡きることも無い
また全てが空であると覚れば
そこには老死も無く
元から無いのだから老死の盡きることも無い
396 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/03/26(土) 19:23:53
397 :
( ´∀`) :2005/03/27(日) 00:57:07
このハニャーン心経ちゃん。わっかりやす〜く訳してて 評価もしてるし、好感も持ってるんだけど >>まー智慧の修行ってこういうわけのワカランものだから の、この「こういうわけのワカランものだから」ってところは それまでの訳を台無しにするようで、実にもったいない ような気がするんですけど・・・。 訳者さん、もうチョット自信持たれてもエエんとちゃいますか?!?!
>>397 いや、大意を分かりやすく伝えるのを優先するなら、
あれでいいんじゃないですか?
初心者にはハニャーンを最初に読ませたなら、
かなり仏教への垣根が低くなると思う。
だって色即是空とかって非常な苦行とか、イっちゃってる
世界とか、そういう遠い世界を連想する人が多いと思うから。
般若心経って、弟子に悟りを教えるやり取りでしょ。
それが難解だったら、釈迦は教師失格でしょ。
でも、今はそれが非常に難解なものだと思いこまれてる。
それじゃ意味無いと思うんだよね。
399 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/03/27(日) 01:16:13
揚げ
400 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/03/28(月) 01:02:48
易しく、易しく(優しく)説こうとする 飽くなき挑戦。 これは非常に重要ですね!
般若心経ってむずかしすぎるお経だと思ふ。
403 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/04/10(日) 21:26:24
あげ
404 :
元・高野山真言宗関係者 :2005/04/10(日) 21:30:24
ほれ..だれか「はんにゃしんぎょう」の意味を、書いてあげなさいよ。
405 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/04/10(日) 21:32:03
406 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/04/10(日) 22:18:34
407 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/04/10(日) 22:24:41
>>397 あくまでも2ch流だし(^^;)
おいらはこれ(
>>26 )初めて見たとき
マジ感動したw たぶん素人じゃないとも思った
特に
>もまえら愚民たちは最強のマントラとしてこのお経を繰り返し唱えるぐらいが関の山ってわけだ。
>じゃあ唱えるぞ。
>「逝ってよし、逝ってよし、もまえらみんな逝ってよし。漏れもなー」
「逝ってよし、逝ってよし、もまえらみんな逝ってよし。漏れもなー」
名文だ・・・
408 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/04/10(日) 22:34:32
>>407 素人には書けんよ、あの訳文は。
ホントにこのはにゃ〜ん訳者に様々な経を訳して
本にしてもらいたい。
漏れは絶対に買うぞ。
・・・3000円位までなら。
409 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/04/11(月) 00:04:09
410 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/04/11(月) 00:12:19
>>409 なら、いくらなら妥当だと思う?
実際にあのノリで本にしたら、経典の入門書としての
読み物にはなると思うんだよね。
そしたら、普通の本屋でも並べて、一般の書籍並の
値段設定も可能なんじゃないかと。
411 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/04/11(月) 00:25:30
>>410 マジレスすると
誰が執筆するのか・どこの出版社なのか・どういう体裁の本になるのか・
どれくらい経を収録するのか(何ページになるのか)・・・
によって大きく変わってくると思うよ
2chの流れでいくなら、3000円でも高過ぎだろうな(^^;)
412 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/04/11(月) 00:38:58
>>411 あくまで誰にでも読んでもらえて、また出来るだけ
多くの人に読んでもらえるように作るべきノリの
本になると思うので、万人向けのソフトカバーの
200ページ以下の本で良いと思うんだよね。
ハニャーン訳者さんはその線で行ける訳文を作れる人だと思うし。
そういう考えのもとに考えた値段は1200円。
(決して悪く評価したから、この値段という訳じゃないからね。)
413 :
412 :2005/04/11(月) 00:50:47
>>412 が激しく日本語として辺なので、書き直します。
誰にでも理解できる内容で、可能な限り多くの人に
読みたいと思ってもらえるように作るのがイイという
訳文になると思うので、誰にでも買ってもらえる
価格設定が可能なつくりにしていくのが良いと思う。
ハニャーン訳者さんは万人受けする訳文を作れる人だと思うし。
というわけで、漏れが思う価格は1200円、と。
安い方が売れやすいのだから、この値段でも十分にペイ
出来るだろうしね。
414 :
元・高野山真言宗関係者 :2005/04/12(火) 20:12:19
ところで>>1よ ちょっと聞いてくれよ 世の中人多すぎじゃね? で、みんなとナカーマヽ(・∀・)人(・∀・)ノなんてまず思えない罠 でもまぁ折角だから、出会った人くらいはみんな手助けしてみるてすとw しかしまぁ人間ってのは、(・A・)イクナイ!!事ばっかり頭に浮かんできちゃうもんだな orz ちっとばかりもちついて、(・∀・)イイ!!事考えて、(・A・)イクナイ!!事はバッサリ斬り捨ててみるてすとw あ、それから、勉強しろ勉強しろって言うけどさ、 しなきゃなんない事イパーイヽ(゚∀゚;)ノありすぎww ( もうむりぽ・・・(´;ω;`) ) けど世の中 (´・ω・`)知らんがな じゃ済まないこともホントは解ってまつ 仕方ない・・チョットずつでもやるか・・・ ( ('A`)マンドクセ ) だいたい、お釈迦さんの悟りなんて、もう遥か遥か高ーいトコにあって 到底漏れらの届くものじゃないわけだが まぁ、気休めにはなりそうだから 辿り着けるかも・・・?なんて淡い期待を抱きながらガンガってみるかw
>415 そんなあなたにお勧めの仏説(私のオリジナルではありません) [地球のために、お前が死ね!!] 誰か、梵語訳ヨロ〜〜〜!
おいらのお薦めは SF妙法蓮華経
418 :
417 :2005/04/21(木) 23:25:35
あ、それから 涅槃の王を始め 夢枕獏なw 奴の仏教はセミプロだぞw
419 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/04/26(火) 07:45:54
行け行けGo!Go! 彼岸へGOー!
420 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/04/26(火) 16:07:23
毎日、般若真経唱えてますが、まだ心の道は遠いです_| ̄|○
421 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/04/26(火) 21:25:45
般若心経が凡夫に分からないのは当然です。 仏のことを人間には理解できません。 生死を明らめた菩薩にのみ理解できます。 修行あるのみ。
422 :
415 :2005/04/26(火) 23:49:53
やっぱ解らなかったか・・・ orz ノシ
423 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/04/26(火) 23:53:38
>>421 それは教師としての釈迦を侮辱してるのと
同じ事だぞ。
現代語訳を妙に学問的にこねくり回した
結果の駄文の山が、般若心経を難しく
捉えさせているのでは?
その意味でハニャーンは素晴らしいと思う。
424 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/04/28(木) 12:25:24
般若心経のあとに何を唱える? 俺の知ってるのは以下なんだけど 上来摩訶般若波羅蜜多心経を諷誦する功徳は大恩教主本師釈迦牟尼仏 高祖承陽大師 太祖常済大師に供養し奉り無上仏果菩提を荘厳す 伏して願わくは四恩総て報じ三有斉しく資け法界の有情と同じく種智を円かにせんことを 十方三世一切諸仏 諸尊菩薩摩訶薩 摩訶般若波羅蜜
425 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/01(日) 09:09:09
暗記している人っています? 今まで御朱印とか頂いてもお参りするくらいで お経をあげたりしていなかったんですが、ちょっとまずいかなあと 思い出して、般若心経でも覚えようかと考え中。 三十路の手習いで・・・覚えられるか不安。
426 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/01(日) 14:00:16
中学のころに一度暗記した けどもう暗誦できなくなっていたorz 同じく覚えようとしています
>>425 わずか260(+2)文字。音で憶えるのではなく、
漢字を見て意味を考えながらだとすぐ憶えるよ。
以下↓は私の解釈
観自在菩薩は、般若波羅蜜多の行で、全ては空であるとピーンときた。
そして全ての苦厄を渡りきった。
舎利子よ、全てのものが空である相というのは、不変であり、
そして、空の中には、五ウン無く、六根無く、・・十二縁起無く、四諦も無い。
その上、空の中には(それを悟ったからといって)、得る所無いが故に、智も徳も無い。
菩薩(達)は、般若波羅蜜多に依って、心にこだわりやわだかまりがなくなり、
恐怖がなくなった。そして、おかしな考えがなくなり、悟った。
仏(達)は、般若波羅蜜多に依って、最高の智慧を得た。
だから般若波羅蜜多は、スゲェ呪で、全ての苦を除く、嘘じゃないよ。
般若波羅蜜多呪を教えるよ。
掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提薩婆訶
私も30歳ぐらいで覚えましたが、毎日少しずつ暗記していけば難しくないと思いますよ。
429 :
415 :2005/05/01(日) 15:49:19
∧,,∧ (;`・ω・) 心経読むよ!! / o[][]o しー-J ∧,,∧ ? (; ´゚ω゚)? / o[][]o しー-J さっぱりわかんないよ ∧,,∧ ショボーン ( ・ω・) c(,_U_U []∧∧∧∧∧∧∧[]
俺の高校は毎朝、全生徒が般若心経を唱えてる。毎朝だから生徒は自然と暗誦できるようになっちゃってる
ギャテギャテ ハラギャテ は 行こう行こう みんなで行こう ってイミダス
ギャテギャテ ハラギャテ は 行こう行こう みんなで行こう ってイミダス
433 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/01(日) 17:42:12
般若心経では知識はゴミだと言っておるのに般若心経まで知識として扱おうとしている者には永遠に遠い気がする。般若心経は読まなくても自然にひらめく人間にはひらめくし、修行をしても永遠に遠い人もいる
434 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/01(日) 17:53:44
>>425 ガーテーガーテーだけでも唱えたら?
でも、携帯版の般若心経の本なんていくらでもあるんだから、
不安がってまで暗記をする必要があるんかな。
435 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/01(日) 17:55:02
暗記しとくと運転しながらとかでも唱えられてとても便利
437 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/02(月) 12:03:20
ガーテーカーテー パーラーガーテー パラサンガーテー ボーディスヴァハー!! てかんじか
438 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/02(月) 12:09:48
もこほにゃほろみた・・・・ なんていってるんだろうとずっと思っていたら般若心経だった10年前orz いまだになんていってるのかわかりません
439 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/02(月) 19:01:38
prajNA pAram itA 般若波羅蜜 智慧波羅蜜 を行ずる時っ!!
>>1 のよろしく
ってなんだよ
ネタスレなんだろ。
あるいはただの楽助房のスレで語るのやめとけ
アホ
1などどうでもいい その後の流れが良ければそれでいい
442 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/10(火) 03:36:15
orzってどういうときに使えばいいの? あと、どういう意味?
443 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/10(火) 09:30:55
_| ̄|○ ○| ̄|_ orz 0兀 __ __ __ __ __ __ __ ∠__∠__∠__∠_.∠_../ | __∠__∠__∠l__ ∠__∠__∠__∠__∠__/| | ∠__∠__∠__∠__/.|_ . ∠__∠__∠__∠_.∠_./| |/| ∠__∠__∠__/ /| |/| . / / ./ / / /! |/| | | / / /| ̄ ̄| |/| | | ̄ ̄| ̄ ̄| ̄ ̄| ̄ ̄| ̄ ̄| |/ |/| |_| ̄ ̄| ̄ ̄| |__|/| |/| __ _| |__|__|__|__|/| ̄ ̄| | ∠__|__|__l/ /| |/| | . / / | ̄ ̄| |_|/| | | |__|/| | | | | ̄ ̄| |/| |/ | ̄ ̄| ̄ .| |/| | | |__|/| | | |__|__|__|__|/| |/| . ___|__|__.| ̄ ̄| |_|/ | | |__|/ | | | | | |/| | . / / / | |/|. |__|/| .|__|__|__|__|/| |/ | ̄ ̄| ̄ ̄| ̄ ̄| ̄ ̄| |. | | | .|_| | | |__|/ |__|__|__|__|/ |__|/ |__|__|/ っ
445 :
中西良太スレ :2005/05/12(木) 12:57:09
↑ 有料と言った流れはイタダケンがな。w せめて、紙代とか印刷代の実費奈良(ry
般若心経毎日100回音読すると頭良くなるって本当ですか?
447 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/12(木) 22:26:08
人間が月にも行ける時代におめでたい人が居るもんだ。
448 :
Ψ :2005/05/12(木) 22:27:43
ミミズを毎日100匹食べると頭がよくなるかも?
449 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/12(木) 22:29:36
>般若心経毎日100回音読すると頭良くなるって本当ですか?
なるよ。科学的な根拠もあるらしい。
結構色んな本が出てるよ。
>>447 根拠なく否定するのはどうなのかな。
般若十六善神 最強!!
ほじゃういじょうじるぜ〜んじ〜ん
452 :
446 :2005/05/13(金) 09:19:05
>>449 そんな本もあるんですね!探してみます。d!
やっと暗記できる様になったからやってみよう。
453 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/13(金) 12:01:53
>>449 何処までもおめでたい人がいるもんだ。神社にお百度参りするレベルだ。丑の刻参りのレベルだ。
仏教にご利益を求めるなんて、考えられない人々だ。
仏法は何をも求めない。ただ行ずるのみ。日本人の宗教音痴をさらけ出してる。
454 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/13(金) 20:27:55
>443 すげーすばらしい!! 傑作じゃん!!この板来てよかったー。 ガティーガティーはスゲェね。
456 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/13(金) 21:26:23
>>453 なら、巷に出ている音読を繰り返す事による
様々な処理能力向上についての考察を
否定するだけの根拠を示してください。
カルトが必死だなw
458 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/13(金) 21:35:50
般若心経は仏教を理解するための基本的な方法を列挙してる それは「無」を冠してあげられているのでまるで否定されてるようにも読めるが もともと仏教は「諸行無常」と「諸法無我」を真理として 「一切行苦」の現実を超えて「涅槃寂静」の境地に至れば「楽」となるという教え 「無」を理解する(悟る)ための「方法」がいくつも開発されて 中にはそういう「方法」のマニアが仏教のようになってしまった時代がある こういう「ヲタ」的な仏教が部派仏教であるが 「方法」に執着して目的だったはずの「無」から離れるという矛盾が出てきたわけだ だから「無の」という語を冠して改めて仏教の基本を列挙したのが心経なわけだ
459 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/13(金) 21:57:49
>>458 “「ヲタ」的な仏教”というのが小乗仏教
仏教の法印に回帰するために煩瑣な論議を「空(くう)」で整理することを始めた
こういう姿勢で説かれた教法が「般若(智恵)」と呼ばれる経典に作られていく
大乗仏教と呼ばれる仏教が出てき始めたわけだが
あまり「空」を繰り返してばかりだと「空しさ」ばかりで
世間が仏教に魅力を持たなくなってきて伝承されなくなる危うさもある
それで波羅蜜多という「他者を救済する」という修行法が強調されるようになる
「他者を救済したい」というモチベーションを「菩提心」というわけだが
心身が菩提で満たされた波羅蜜多の行者を菩薩(菩提薩た)というようになり
修行の進んだ菩薩に対して藁をもつかむ思いで救いを求めて名を呼べば
その菩薩の菩提のモチベーションの大きさ強さのゆえに
離れた場所にいてもすぐ駆けつけて助けてくれるとされるようにもなった
観世音菩薩(観自在菩薩)などはその名前に「菩薩」のそういった基本が見える
またそういう「菩薩」像のもっとも進んだ姿ともなった
460 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/13(金) 22:07:55
>>459 さらに大乗仏教の宗門の中で形式化が進んだりすると
一休禅師のような人が出てきて奇抜な行動で矯正を図ったりする
チベットなどではミラレパなどがそういうキャラだ
東南アジアでは南伝仏教があって非大乗仏教とされるが
カンボジアのアンコールワットのような遺跡にもあるように
南伝仏教圏にもかつては密教にまで進化した大乗仏教が盛行したこともあった
インドネシアのボルブドール遺跡などのように優れた密教遺跡があっても
仏教が滅んでイスラム教圏になってしまったところもある
かえって戒律の厳しい宗教のエリアとなっていった地域もあるということだが
日本という大乗仏教圏も大乗の自由さよりも
煩瑣な規則や形式的な上下関係の構造が小乗的な世界を作っているようにも見える
般若心経はそういう構造の膠着を打破する手がかりになる経典ともいえそうだ
>>458 せっかく般若心経をよく理解してらっしゃるのだから、
余りよく分からない人にもう少し分かりやすい現代的な言葉で教えて差し上げたらどうですか?
462 :
442 :2005/05/18(水) 15:07:03
>>443 有難う。そうだったのか。藁などのように文字として解釈しようとしてたから意味不明だったんだ。
だから小文字だったんだね。
orz ORZ
463 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/23(月) 00:46:13
般若心経に初めて触れるのって皆さん大体どういう場でなんですかね? 仏教のエッセンスという割にはまだまだ大衆認知度は低いと思うんですけど。。。
おらっしゃあゃゃ!!! ∩ ∧,∧ ヽ( ゚Д゚) \ ⊂\ O-、 )〜 ∪ 1からやっとロム終了。orz携帯からなんでチカレタ‥真面目ぬ読んで3時間(汗 感想。 なんだか「ギャーティ」のところが猪木の【道】みたいだぬ‥ヽ(`д´;)ノ 「迷わず逝けよ、逝けばわかるさ‥」猪木パクリか?
465 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/23(月) 20:33:37
般若心経自体にも「こだわってはならない」というのが、 般若心経の教えです。
466 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/24(火) 00:06:02
イク、イク、イッチャウヨー、アアーン。
不邪淫戒
468 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/25(水) 07:36:00
この世は『色即是空、空即是色』と認識することです。
469 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/25(水) 12:51:08
>>464 猪木はパクりというより、
「この道をゆけば」「挑戦するのをやめたときに人は年老いて・・・」など、
あの言葉はすべてが仏教からの引用です。
わかった?
わかった?
471 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/27(金) 01:52:57
maha-prajna paramita hridaya sutra!
472 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/27(金) 01:58:58
473 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/27(金) 02:14:16
26さんは降臨されないんでしょうか? 私はまったくの素人ですが、26さんのような訳だったら、 お経を読んでみたいと思います。 もうこのスレご覧になっていないのでしょうか。
475 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/29(日) 01:18:29
自力本願
般若心経は 羯諦羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提娑婆訶。 この陀羅尼を唱えればオッケー。
477 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/29(日) 20:44:41
はははははははははは。 おめでたい。
478 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/29(日) 22:02:53
公方俊良さんの本と、ひろさちやさんの、実践編の本が、いいですね。
479 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/29(日) 23:09:08
はははははははははは。 おめでたい。 仏教は学問ではありません。 実践と言う学問では意味がありません。
481 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/30(月) 09:01:15
賛否両論、人は何かしら言うものです。
482 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/05/30(月) 21:58:12
学究派の宗派もあるでしょ
483 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/06/02(木) 17:30:17
学問と実践は反対的な概念だと思うが。
484 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/06/04(土) 01:08:04
摩
485 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/06/05(日) 10:10:25
摩?
般若心経屋さんは結構いい商売みたいね。 部分コピぺして、後はありきたりの人生訓や説教たれる人たち。
KK公式HP
http://www.kofuku-no-kagaku.or.jp/ <無駄を排せ>
現代人の病は、 欲望の過大さにある。
あふれかえる物。 限りない金銭欲。 過暖、過冷。
机の上の乱雑書類の山。
冷蔵庫には、 腐らせるほどの食料。
高カロリー、高脂肪、過肥満。 酒の飲みすぎ。 お茶、コーヒー、ジュース。
ごみ箱にはペット・ボトルの山。
そしてコンビにでは、 年中、何でも物が買える。
もう、いいではないか。
もっとシンプルに生きてみよう。
買いすぎるな。 持ちすぎるな。 貯めすぎるな。
あなたの体も、 高カロリーと、 水分過多で苦しんでいる。
あなたの仕事も、 無駄のことの山。 過剰ストレス生産工場だ。
無駄を排せ。 シンプルに生きよ。 溜め込み過ぎるな。
スマートであれ。
↑ バカボン教祖自ら実践しないとなw
489 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/06/09(木) 11:13:57
漢音読みと呉音読みの音源ないかな
490 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/06/09(木) 11:21:36
仰ぎ惟んみれば三宝ことごとく證知を賜へ 上来 般若心経 消災妙吉祥神呪を諷誦す 集むる所の功徳は 南無十三尊仏 真如実際に回向し無上の仏果菩提を荘厳し奉る 伏して願わくは、上四恩に報い、下三有を資け法界の群生と同じく種智を圓にせんことを
491 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/06/14(火) 00:44:37
↑ 禅宗ですな。。。
492 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/06/14(火) 00:48:15
494 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/06/26(日) 23:10:26
すみません、絵心経について調べているんですが 中々情報が少なくて困っています。 あれはほんとに民衆がみんな見てたんですかねぇ? あれのおかげで流行したのはほんとなんでしょうか。 詳しい方、どなたかいらっしゃいましたらぜひどんなことでも いいので教えてください・・・。
496 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/06/28(火) 08:39:41
>>494 本当は『めくら心経』というんですが、近年
『めくら』が差別語として扱われるように
なったので『絵心経』といっているようです。
497 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/06/29(水) 22:36:03
494です。
>>496 ありがとうございます。
そうなんですか、めくらって目が見えないというようなことなんでしょうか?
498 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/06/29(水) 23:40:58
文盲ってことだろ
499 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/06/30(木) 00:47:24
昔の庶民の多くは字が読めなかったので、絵とお経 の文言を対応させて般若心経を覚えたのでしょう、 それを絵心経と言うのではないかな。
500 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/07/03(日) 22:01:41
501 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/07/03(日) 22:05:41
絵心経は、いまでも日本手拭なんかでありますね。 文字が読めなくても絵で分かるようにしているので 見ていて面白かったです。
502 :
美しい般若心経 :2005/07/05(火) 21:06:21
503 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/07/05(火) 21:39:31
ダイソーで売ってる般若心経に絵心経も載ってたよ
505 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/07/06(水) 14:07:47
こんにちわ あの、もし良かったら教えていただけませんか? 実はちょっと前に夢(金縛り)で赤の梵字のお経?が見えたことがあって、 最近ではがんじーさいぼーはんにゃー…というお経が聞こえてきたんです。 で、がんじーさいぼーと検索したら般若心経というものだそうで、 赤の梵字も般若心経だったのかな?と思って調べています。 私は無宗教で、詳しくないのですが、梵字の般若心経というのは どういう宗教のどういうお経なのでしょうか? 前世とか先祖とか何に関するものかさっぱりわかりません。 梵字であることに何か意味はあるのでしょうか? 教えていただけたら幸いです。宜しくお願い致します。
506 :
美しい般若心経 :2005/07/06(水) 21:22:33
507 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/07/06(水) 22:20:30
それより梵字の一覧を見て近いと思えるものを探すほうが早いのでは?
508 :
505 :2005/07/06(水) 23:38:39
色々調べているのですが、よくわからなくて、 般若心経が聞こえてきたのは夜中金縛り中です。 確かに、がんじーざいぼー と聞こえました。 何か意味のあるものなのか、不気味で調べずにいられないのです。 梵字もびっしりと上から下までお経のように並んで赤文字だったのは わかるのですが、漢字に似ているけど読めない文字ってことで、 調べて梵字ということが判明しました。 まだ自分でもいろいろ調べてみます。ありがとうございました。
2chで行われる誹謗中傷の多くは、2chの運営陣が煽ってるんです。 個人叩きを行うと、閲覧者が増え、アクセス数を稼げます。 アクセスが伸びれば、IPも大量に手に入ります。 だから2chのプロ固定は、罪のない人をターゲットを選んでは、誹謗中傷や煽りを繰り返しているんです! お陰で、一年以上も嘲笑されている人もいれば、自殺してしまった人も、引きこもってしまった人も大勢います。 その女性を誹謗中傷して自殺に追いやって連中の中にも、2chの運営陣が混じっています。 プロ固定の悪質な煽りテクニックで、どんな些細な失敗も嘲笑のネタと化し、普通の人が笑いものになります。
おいらのこともネタにしてくれw
511 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/07/09(土) 11:41:21
>>508 「がんじーざいぼー」は漢語で、梵語ではない。
ネタを書くなら、もっと信憑性あるやつにしてくれい。
512 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/07/09(土) 20:25:07
梵本というものだろうが・・・心経はあるのかな
513 :
ぐぐった :2005/07/09(土) 20:27:00
サンスクリット写本 小本 1.法隆寺の貝葉心経 8世紀初め、あるいは8世紀後半に書写したもの 2.浄厳の写本 1694年に法隆寺本を写したもの 3.阿叉羅帖本 1859年頃に法隆寺本を模写したもの 4.慈雲の刊本 1762年頃に法隆寺本を復元・訂正したもの 5.1〜4以外の写本約五種 6.澄仁本 最澄が805年に、また円仁が847年にそれぞれ持ち帰ったものを校訂して一本としたもの 1352年頃に筆写したものが現存 この系統に属する写本が約九種現存 7.敦煌本 敦煌出土で、サンスクリットを漢字で音写したもの 『大正新脩大蔵経 第八巻』、851〜852頁に所収 8.玄奘本 日本に伝承されてきた7と同系の写本 9.御室本 1762年出版 大本 1.日本伝来のもの 慧運が838(842)〜847年の入唐の際に持ち帰ったもの 2.中国伝来のもの 1とほぼ同じもの 3.ネパール伝来のもの 1836年に写したもので、河口慧海が持ち帰ったもの
514 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/07/09(土) 20:28:59
私は金縛り中に「だんかん」?と聞えたことがあります。
516 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/07/12(火) 11:57:14
なうまくさまんだばざらだんかん? 不動明王の御真言
517 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/07/12(火) 22:49:54
般若心経の読経は何日続けたらいいんですか?
518 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/07/13(水) 22:31:00
毎日。 短いんだから苦行ではない。
519 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/07/14(木) 07:23:01
>517 :名無しさん@京都板じゃないよ :2005/07/12(火) 22:49:54 >般若心経の読経は何日続けたらいいんですか? 何を求めてるの?
520 :
517 :2005/07/15(金) 04:40:51
>>519 現在闘病中です。自分は無宗教ですが、病気の克服の支えにしたいです。
521 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/07/15(金) 07:53:14
↑ それは新興宗教の範囲ですな!! 真の宗教は無所得でないと。 病気と闘うのではなく楽しまなくては。 生き物は生まれて生きて死ぬ。その中には色々な出来事があるでしょう。 その総てが生きている証拠です。
522 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/07/15(金) 08:51:21
何も知らないくせに上からものを言う人っているよね
523 :
505 :2005/07/16(土) 17:25:35
>>514 ありがとうございます。
こちらに行けば何かわかるかもしれませんね。
>>513 調べていただいてありがとうございます。
けど、内容がさっぱり理解できないです。
もうちょっと勉強が必要みたいです。
>>511 ネタっていうのは嘘という意味ですか?
だとしたら嘘ではありません。
嘘を書くならこんな変な嘘ついても仕方ないと思います。
ただ金縛りにあって、どんな意味で誰が何を言おうとしているのか、
私にはさっぱりです。般若心経というのもよくわかりませんし。
お坊さんが使うお経というほかに何か意味のあるものなのか、
大体、なんみょうほうれんげきょ…とか、なむあみだぶつ…とかしか
お経なんて知りません。
がんじ〜ざいぼう〜ってそういえば聞いたことぐらいはあったけど、
意味のある特別なお経なんでしょうか?
なんか不気味で怖いですよ!
524 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/07/16(土) 17:28:49
>>523 南無妙法蓮華経も南無阿弥陀仏も経ではない
525 :
505 :2005/07/16(土) 17:37:29
>>524 しりませんでした。
ごめんなさい。
じゃぁ、私は、お経は…全く知らなかったみたいです。
>>508 それ君んとこの部屋に住み着いてる霊が
供養を依頼してるんじゃないか?
先祖とか前世とかは関係なさげ。
>>520 >>521 は要するにそういうので釣る宗教は新興宗教だと言っているんだよ。
それよりせっかくの闘病生活なんだから
宗教本でも読んでみたら?これからの人生どう生きるかとかの
指針になるかもしれないよ。
自分が闘病の時はなぜかロザリオ持ってマリア様にすがってた。
日本だと薬師如来とかかなぁ。
>>521 は嫌がるかもしれないけど、まぁ闘病生活の心のよりどころの小ネタとして
許してチョ。
延命十句観音経を1000回唱えると治るという昔話があります。
効果のほどは誰も保証しません。自己責任でお願いします。
528 :
505 :2005/07/16(土) 18:48:36
>>526 どうもありがとうございます。
住み着いてる霊…それも考えましたが
ここは新築分譲マンションですし
供養なんてできません。
大体どうやったら供養になるんでしょう???
やっぱり供養をしなさい。ってことなんですかね?
理解できない者に見せても仕方ないのに…
これ以上は調べようが無いので
気持ち悪いですけど諦めたいと思います。
皆さんどうもありがとうございました。
>>528 どっかで拾ってきたとか?
普通に客用の皿にご飯盛ってコップに水入れてお供え。
般若心経唱えて終了。
最後に成仏してください、とお願い。
お供えは1日そのままにする。
これでダメなら寺に相談するしかないな・・・・
530 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/08/06(土) 10:17:09
【質問】 般若心経の頭に佛説と付いたり、付かなかったりするのは宗派による、 と聞きましたが、どの宗派は付けて、どの宗派は付けないのですか? 気になっています。
532 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/08/29(月) 21:16:56
>>528 般若心経は仏教のエッセンスのつまった
ありがたいお経だから、怖がることも
ないかと思います。
般若心経は、霊とか供養とか無縁の
哲学的な意味を持ったお経だから、
この機会にいろんな本を読んで
意味を理解したらよいと思いますよ。
533 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/08/29(月) 21:19:25
534 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/08/30(火) 12:39:35
すみません。今ざっとみたんですが。
>>26 >>66 作者誰なんですか?
名無しなままですか?だれか マジレスきぼんぬ!!!!
535 :
大ベチュトセラーさん :2005/08/30(火) 17:49:46
柳澤桂子さんのに しときんしゃい!!!!
536 :
寂聴はん :2005/08/30(火) 17:53:54
ぐゃじぃぃ〜
>>534 >>26 は昔からコピペされてるやつだよ。
同じもので、「逝ってよし」のところが「逝こう、逝こう、彼岸に逝こう」
になってるバージョンもあった。
>>26 はそれの改変だったような希ガス(うるおぼえ)
538 :
寂聴はん :2005/08/30(火) 18:39:16
次の本に書かなきゃ
539 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/08/31(水) 00:57:13
>>537 おありがd534でつ。
そうでつか2ちゃんには昔からこんなにイイもんが落ちて(ry
まだまだROMが足りないようでつ、 。
それではのわは輪なのか歯なのか(うろおぼえ)
逝きまつ、逝きまつ、それでは逝く。けど、もまえもな〜
ハニャーン心経
540 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/08/31(水) 08:23:16
>>517-520 お体に余り無理ない程度に唱えてください。病気が平癒するまででも、平癒後なお続けても
どちらでも。
541 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/08/31(水) 09:14:50
542 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/08/31(水) 09:20:22
>>541 龍の画像?・・・ 漏れの目には気象衛星写真だぞ。 その雲が・・・龍?
543 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/08/31(水) 11:14:42
ふふ、、 キレ-でしょw、昔「天空の城ラピュタ」で台風の目?を龍の巣とか いっとってのw、なるほど 龍って巣の側にいるかと思うと そうも見えまつ、それ 自分の気持でみてるものなので、あしからず〜
外を歩くたびに雲を眺めていると 龍がいて、朱雀がいて、と色々に見えて楽しい。 そういう感性は大事にしたいなと思うこのごろ。 スレ違いなのでsage
545 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/08/31(水) 11:38:21
ん! 教祖の臭いが〜
546 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/02(金) 19:09:55
質問です。 観自在菩薩は般若波羅蜜の行を行っているときに五蘊はみな空であると悟ったそうですが、 お釈迦様はどのような行を行っているときそれを悟ったのですか。 観自在菩と同じ般若波羅蜜の行でしょうか。 で、般若波羅蜜の行とは具体的にはどのようにやるのでしょうか。
547 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/02(金) 21:35:21
大品般若経にうんざりするほど書き連ねられています。 あの経はいやしくも仏教を学ぼうとするなら、まず読むべき。 般若心経は宗派的解釈無しでは読めません。矛盾もあるし。。。
548 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/02(金) 22:02:19
宗派的解釈無しでは読めない、というのが良くわかりません。 般若心経の成立は、別に宗派を想定していないと思うのですが。
549 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/02(金) 22:10:30
心経を解釈無しに読めるなら、2ちゃんねるになど来る必要はないでしょう。 心経の成立も実はよく分かっていないのに、巷間売られている心経関係の書物は解釈本に過ぎません。 そういう本一切から離れて、脱宗派的スタンスで読めますか?
550 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/02(金) 22:37:20
別に宗派にとらわれていない本はたくさんあると思いますが。 それと「解釈本に過ぎない」という意味がわからないのですが。
551 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/02(金) 22:44:59
>別に宗派にとらわれていない本はたくさんあると思いますが。 そう思われるのなら結構。思うのは自由ですから。 >それと「解釈本に過ぎない」という意味がわからないのですが。 そのまま読んで字の如しです。解釈を読んで、刷り込まれた人にはわからないでしょう。 苦しいかもしれないが、大きな般若経そのものを先ず読めばわかります。
552 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/02(金) 22:53:08
なるほど。 大きな般若経そのものは脱宗派的スタンスで読めますか?
553 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/02(金) 22:57:07
般若教団のスタンスですが、大乗仏教の基本的考えというものがよく分かります。 後の中国〜日本の宗派は教義の基本を大品般若経に依存する傾向があります。 あの法華経の日蓮でさえも。。。
554 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/02(金) 23:14:01
般若経典には、刷り込まれることへの注意喚起の言葉が満ち溢れています。 しかし般若心経は、捨象し過ぎてどうとでも解釈可能になっています。
555 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/02(金) 23:59:33
どうとでも解釈可能というのは、あなたの宗派にとらわれた解釈だと思います。
556 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/03(土) 10:08:38
そう思うなら、それで構いません。それが貴方の解釈なのですから。 誰にも迷惑はかからない。
557 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/03(土) 10:37:27
それではそういうことで。 まるくおさまりました。ありがたいことです。
558 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/03(土) 10:40:25
互いに寛容であることが仏教の基本ですね。弱点でもありますが。。。
559 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/03(土) 19:21:05
そもそも心経を読むだけで理解しようとするのは無理なのでは? 修行の結果気付いたことを、確認するだけでは?
560 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/03(土) 20:28:56
561 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/04(日) 15:34:19
これは好きだね
562 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/06(火) 08:01:27
>>547 どこが矛盾するのか教えていただきたい。
563 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/06(火) 22:13:07
564 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/07(水) 07:52:17
>>563 どうもありがとうございます。
>>547 さんの答えをゆっくりまちましょうよ。
多くの学者は空思想と心呪・マントラの部分を矛盾と考えているようですが。
般若心経ってお釈迦様が弟子相手に観音菩薩が得た悟りを解説するって感じだと思うんですが、 そうすると本尊(仏像)が釈迦如来だったり観音菩薩だったりするとあげるの変ですか? (まさに「釈迦に説法」って感じで)
>>565 問題ないでしょう。
原則として、全ての行は行を為した当人の功徳なわけですが、
その本来自分のものである、お経を読んだり(他いろいろ)した「功徳」を、
自分でなく、「本尊様なり他の人々へ回し向ける」のが回向というもの。
その意味でいけば、お経の内容と本尊との関わりはあまりない。
一般の人の場合なら、坊さんが読んでる回向文でなくとも、
心のうちで「○○のために・・」という思いがあれば宜しいかと。
あくまでも、全ての行はまず自分自身の為のものです。
そういうものですか。
568 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/08(木) 18:18:00
ナニモナイノデス
570 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/08(木) 20:14:53
>>566 そうすると大乗仏教の基本である『自未得度先渡他』はどう考えるの?
571 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/08(木) 20:30:35
>>566 そうすると、護摩や葬式のお経も、一番功徳を得られるのは
お坊さんということになるんですか?
>>570 私はその言葉は嫌いですw
ただ、教科書的な説明をすれば
『もう全てを知り終えて、悟ったも同然だけれども、
あえて仏にならずに、修行者・菩薩のままで(→仏としてではなく、衆生の一員として)
衆生済度に全てをそそぐ』
という意気込みを誓いとして表したものかと・・・。
また、別に基本ではないと思う。それほどメジャーな考え方でもないだろうし。
>>571 だから、回向するんですよw ( ^_^)b
573 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/08(木) 23:21:49
般若
574 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/09(金) 07:46:39
>>572 貴方の個人的見解を聞いているのではありません。
ん?、仏教なんてとどのつまり個人的見解だと思うが。 解釈は学者や宗派によって随分違うし、 まさか「定説」なんて言いださないだろうなw
576 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/09(金) 15:02:33
貴方は日本語も普通に理解できないのですか。 「貴方の個人的見解を聞いているのではありません」と言っているのであり、 別に他の方の個人的意見を聞かないとは言っていません。 貴方のような思いつきだけの高圧的な発言は聞くに値しないと言っているのです。 もっと冷静に自分を見つめてください。お願いします。
577 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/09(金) 15:05:01
何か湧いてるな
578 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/09(金) 15:14:44
柳澤桂子さんはいかがですか?
579 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/09(金) 16:38:32
思いますに、このお経は菩薩という並外れた境地にある方が、 更なる行でたどりついた、というように思います。 ですから、凡人たる私達には本当はその境地はわからない。 でも自分を高めてゆけばやがて、そのことが分るようになる。 そのための方法は『ギャーテー・・・・』である。 それが本当に理解できたときは私達も菩薩である、ということ ではないでしょうか。
580 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/09(金) 17:14:03
「物質の無」をといてる。 五感の世界、すなわち物質の世界は目に見えるようにみえるが本当は無。存在しないもの。 物質を存在するものとして認める、これを無明という。 物質の世界を無であると分かったとき、はじめて 人間にはみな仏性(すばらしいものの総称)がある、存在するということが分かる。 仏性のみが存在するという悟りがひらける。 仏性が存在するから、その影として肉体が存在するということが分かる。 だから、まずは五感、さらには第六感で感じる世界の無を知り、 物質の無を悟らなければならない。
581 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/09(金) 17:25:45
空≠物質の無 空=無相=無常 つまり総て因縁によって生まれたものは自性がない。
582 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/09(金) 17:50:45
>>581 空≠物質の無
よく、無と空は違うと言われるんだが違いを教えてください。
まじで。
どちらも非実在という意味だと思ってるんだが。
「色即是空」は五感の世界は存在しないものという意味ではないの?
583 :
581 :2005/09/09(金) 18:07:23
空の何たるかを言葉で説明することはできない。無相、無常、不生不滅、不増不減・・・・・・・・と表現。 般若心経で説明してあります。存在しないのではない。それでは存在するのかともいえない。 だから『空』と中国語に翻訳したのだが、また日本語の空(からの意味)とも異なるのでは。 頭(脳)で理解できるものではありません。仏教は自他の見を離れて学するものなり。
584 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/09(金) 18:55:21
>>583 釈迦は、物にとらわれるなという事が言いたかったはずです。
なぜなら、物質は畢竟存在しないものであるから。
だから、肉体の生死、物の増減にとらわれるなということが、
無常、不生不滅、不増不減だと思うのですが。
釈迦は物質を超越したところの仏性を一貫して説きたかった。
物質の別名である空を非実在と見ない限り、唯一の実在である仏性、
すなわち「人間=仏」の真理は理解できないのではないでしょうか?
585 :
583 :2005/09/09(金) 19:14:15
584さんには私の説明が理解できてないようです。 『物にとらわれない』のと『存在しない』は関係がありません。 現に、諸法実相で目に見えるものも見えないものも総て存在しているのは事実です。 それを、『非存在』と言われても、私には『ああそうですか』としか答えようがありません。 頭でいくら考えても理解の外でしょう。
586 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/09(金) 19:54:13
>>585 >『物にとらわれない』のと『存在しない』は関係がありません。
現象世界は畢竟存在しない(色即是空)。なぜならば、肉体や物質(色)には生死もなければ(不生不滅)、
増減もない(不増不減)からである。
>現に、諸法実相で目に見えるものも見えないものも総て存在しているのは事実です。
だから、それを五感にとらわれてると言うんです。
五感にとらわれることを捨てなければ、仏性の存在に気付くことも
仏性を人生に現わすこともでしょう。
>それを、『非存在』と言われても、私には『ああそうですか』としか答えようがありません。
それを言ったら、法華経、涅槃経、その他一切の仏教の教えは「ああそうですか」になりますけど。
>頭でいくら考えても理解の外でしょう。
宗教は魂で分かるものですよ。それが仏性または神性です。
さっき、自分で言ってませんでした?
>>583 と
>>585 は別人?
587 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@佛所 ◆xd7mxrd9Z6 :2005/09/09(金) 20:02:11
空というのは存在でも非存在でもないからね。 実在論的に空の概念を理解しようとしちゃいかんよ。
588 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/09(金) 20:19:16
>>586 586さんは自分のシッカリした考えをお持ちでしたら、それはそれで結構です。
しっかり、握り締めといてください。仏法をいくら議論しても始まりません。八大人覚『不戯論』。
589 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/09(金) 20:26:34
それはそれで結構とか言う言い方はとても卑怯だと思います。 と言っても、「あなたがそう思うならそれでかまいません」とか言うのでしょうか。 卑怯だと思います。
590 :
586 :2005/09/09(金) 20:28:10
>>587 >空というのは存在でも非存在でもないからね
それは、お釈迦様の言葉ですか?
>>588 >586さんは自分のシッカリした考えをお持ちでしたら、それはそれで結構です。
自分の考えではなくて、宗派を超越したお釈迦様の真理神髄を学びたいだけです。
592 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/09(金) 21:18:34
>>590 こんな所で問いかけても、回答は得られないでしょう。
ご自分で多くの経に取り組むか、禅のようにそれを捨て去るか。
だれかが真髄を教えてくれるなんてことはありません。
593 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@佛所 ◆xd7mxrd9Z6 :2005/09/09(金) 21:45:52
>>590 お釈迦様は西洋的実在論で者はかたらんよ。
594 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/09(金) 21:55:43
お釈迦様が教えてくれたのではないでしょうか。 ただそれを理解できるかは別問題です。
595 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/09(金) 22:03:37
>>594 もそっとブレークダウンして頂きたいのですが。。。
596 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/09(金) 23:53:41
>>592 人々の悟りのために命をかけて道を求め、
悟りをひらき、多くの人々を救ってくださったお釈迦様に学ぶのが
真理への近道であり、仏教でしょう。
お釈迦様が苦しみ、その分人類が苦しまなくても悟れるようにしてくださったのだから。
人類全てを救おうとしてくださったのですよ。
お釈迦様の教えにこそ、真理真髄はあります。
>>593 お釈迦様のお話は非常に科学的哲学的で、理にかなってる。
何一つ矛盾はない。
ただ、矛盾を作っているのは、お釈迦様に学ぼうとしないで、
御教えの言葉尻だけを捕まえて、独自の理論を展開している各宗派だろう。
だいたい、西洋的実在論てどの辺が?
すばらしい真理を自分たちの都合のいいように解釈すべきじゃないよ。
>>594 全く同意です。
小乗から大乗に説き方が変わったとき、大乗が理解できなくて
多くの信徒さんがお釈迦様のもとを離れていった。
それをお釈迦様は分かってたから、いきなり大乗を説かなかった。
直接の弟子でも理解できなかった人もいたはず。
597 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/10(土) 00:25:10
?
598 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/10(土) 08:41:14
>>596 日蓮系の方ですな?
まさに特定の立場からの発言です。
宗派に依らない仏教理解は非常に難しいということ。
仏教徒ではない者が外部から批判する以外にはないでしょう。
ただし、それは真髄を掴んだことにはならない。
599 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/10(土) 13:56:08
>>598 一応、お寺は臨済宗です。
どのあたりが、日蓮で特定の立場なのでしょうか?
お釈迦様の教えをそのまま勉強しています。
特定の宗派の教えは良く分かりません。
>宗派に依らない仏教理解は非常に難しいということ。
宗派の思想が入りませんか?
お釈迦様の教えをそのまま理解するのが、
一番偏りがないと思います。
確かに、難しいから色んな解釈が生まれ、
色んな宗派が誕生したわけですけど。
各宗派を超越した真髄を学ばなければならないと言いたいわけです。
600 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/10(土) 14:05:36
>>599 >>594 に対する回答が法華経的だと感じたからです。
臨済録等、禅の典籍には法華経的なものは少ないのではないでしょうか?
『お釈迦様の教え』を、どう捉えるかの違いが宗派を生み出しているのではありませんか?
601 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/10(土) 14:37:42
解釈の違いが宗派の違い 川の水は一つの大海に注ぎ、しかも海はそれを妨げない 全ての解釈が正しく、全ての解釈は正しくない
602 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/10(土) 14:40:29
御意。 違うものもすべて総体として『仏教』というべきで、諍いは釈尊の本意ではないでしょう。
603 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/10(土) 14:50:33
>>601 そのような場違いなたとえ話を恥ずかしいと感じない感性が恥ずかしい。ほんとに。
604 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/10(土) 15:01:48
>>603 恥ずかしければ此処に来ぬことだ。
そのような煽りこそ釈尊の忌むところだ。
605 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/10(土) 15:22:29
自分の意見を言えないものだから、 なんでもかんでも釈尊に押し付ける。 その卑しい根性が、恥ずかしい。ほんとうに。
606 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/10(土) 15:24:54
去
607 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/10(土) 15:26:13
>>600 >臨済録等、禅の典籍には法華経的なものは少ないのではないでしょうか?
そうなのですか。ありがとうございます。
>『お釈迦様の教え』を、どう捉えるかの違いが宗派を生み出しているのではありませんか?
そうだと思います。同じお釈迦様の教えの仏教として、真理として尊ぶべきですよね。
608 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/10(土) 15:49:57
よく真理という言葉が出てくるのですが、 みなさんはどのような意味に”真理”という言葉を解釈しているのですか? ”ピタゴラスの定理”のような真理とは違うということは分るのですが、 各自が各自の解釈で真理といっても、なかなか通じないと思うのですが。
609 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/10(土) 15:54:54
真理という言葉は経典では見たことがありませんね。
610 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/10(土) 16:10:34
このスレ的には真理とは”信仰すべき言葉”あたりではないでしょうか。 真理だから信仰するのではなくて、信仰するから真理なのだと思います。 現象自体が対象なのではなく、述べた言葉がその対象になるのだと思います。 宗教なんだから。
611 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/10(土) 17:00:07
ふむ。
>>607 さんも、
「真理として尊ぶべき」と書いており、決して「真理だから尊ぶべき」ではありませんね。
612 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/10(土) 17:37:11
般若心経も、多くの人が依用するから、真理であり尊いのだ。 信心も無く、テキストクリティークとやらで分析すれば、すべて消し飛ぶ。
613 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/10(土) 17:38:13
そうだ選挙に行こう??? これ、何すか?
>613 選挙へ行こうキャンペーンです 投票に行きませう
615 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/10(土) 21:26:45
行きましょう。民主制には疑問が無いでもないが・・・
616 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/10(土) 21:59:21
お釈迦様は、社会悪から故意に目をそらしていたようにも思います。 あきらかに社会に問題がある場合でも、それを個人の問題として解決しようとする。
617 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/10(土) 22:08:56
仏教一般のスタンスでしょ。 社会的弱者には社会を変える力はない。だから自分を変えるしかなかった。
618 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/10(土) 22:30:21
「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息(ヤ)むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。」 …『真理のことば(ダンマパダ)』第1章5より あるある探検隊! あるある探検隊! うらみをすてればうらみやむ! はい、はい、はい!はい!はい!
619 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/10(土) 22:39:01
真理は、誰でも「あるある」と納得できることです。 怨みを忘れれば怨みがやみ、争いもとまる。真理ですね。 問題は、どうやって怨みを忘れるか。そのための教えの一つが般若心経ですね。
620 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/10(土) 22:52:05
いやに短絡的ですな。 まあ、そういう人もいて構わないですが。
621 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/10(土) 23:01:13
>>619 貴方は般若心経の教えによって、怨みの一つでも忘れた経験はありますか?
実際は、時がたてば再び怨みの心が頭をもたげてくる。
それが実態じゃありませんか?
622 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/10(土) 23:02:16
>>616 北朝鮮の将軍様が悪さすんのもアメリカの大統領が戦争しまくるのも
自分の内の問題と捉えるのが仏教的かと。
世間とは自己の心象なり、なんてね。
623 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/10(土) 23:04:16
624 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/10(土) 23:04:29
>>617 あ、それだ。と納得しました。仏教の究極の目的は、
各自が自在にエンドルフィンやドーパミンを分泌させることが出来るようになることにある。
これにより怨みを快感に変える事ができ、619さんの仰ることも実現できる。
死をも含めた、あらゆる苦痛を個人的快楽に昇華できる。
般若心経もその訓練をおこなうためのものだと納得しました。
実践あるのみ。
625 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/10(土) 23:10:14
>>624 > 般若心経もその訓練をおこなうためのもの
ではなくて、苦痛を昇華した後の境地を静的に述べているのだと思います。
決して苦痛を昇華する方法を述べてはいません。
このようなダイナミックな心のコントロールは、もっと後の唯識の経になります。
626 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/10(土) 23:25:11
人間はみな仏性を持っている。これが真理。 この真理によって、内在する仏性を引き出す。 お釈迦様は、仏性をみんなが持っていることを説いてくださっています。 仏性以外のものが実在するという考えは無明。迷い。 仏性には、争いもないし、病気もない。 争いや病気は、人間の本当の姿ではない。 人間はすばらしいもの、仏性が本当の姿である。 そういう考えで仏教を学ぶと、意味が良く分かると思う。
627 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/10(土) 23:31:12
心のコントロールといった形而上的なことではなくて、目指すべきは 脳内物質のコントロールという、きわめて生理的、物質的なことだと思います。
628 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 00:12:49
エロイしますが
629 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 02:38:42
空
630 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 12:29:04
>>627 なら、その物質的なものをつくる最初の青写真は誰がつくったのだと思う?
生命の最初の発端は何から出来たのだと思う?
今の科学で全てを解明できていると思う?
最先端の物理学と仏教の哲学が一致してきていることをどう思う?
ま、考え方は人それぞれで構わないのだが、すこしもったいないかなと思う。
631 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 13:03:14
仏教の基本は非創造神主義です。
632 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 13:08:35
>>626 これはかなり進んだ時期の大乗仏教の考え方です。
釈尊は仏性など説いていません。
まあ、いずれかの宗門の方でしょう。
633 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 13:25:06
>>630 >なら、その物質的なものをつくる最初の青写真は誰がつくったのだと思う?
>生命の最初の発端は何から出来たのだと思う?
>今の科学で全てを解明できていると思う?
>最先端の物理学と仏教の哲学が一致してきていることをどう思う?
すべて、別にどうとも思いませんし、知りません。
別に知らないことが627の考えを、なんら妨げるものではないと思います。
ただ、特に不思議な考えをお持ちだと思うのは
一番上の「最初の青写真は誰がつくったのだと思う?」というやつです。
誰かが作った、という発想はどこから来たのでしょうか。
634 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 13:29:49
>>633 >>630 さんは、仏教でなく神秘主義を目指しておられるのでしょう。
よろしいではありませんか。
635 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/13(火) 12:45:42
−人生の先輩に聞いた!− 『学生生活を豊にする幸福の科学の仏法真理』 聖学院大学助教授 鈴木 真実哉 1954年埼玉県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。同大学大学院経済学研究科修士 過程、博士課程終了後、上武大学助教授を経て現職。 『学問の意味を知った喜び』 私が仏法真理に出会ったのは、大学院で研究生をしていたころです。 経済学者を志していた私は、「社会の発展に貢献できるような研究をしたい」と情熱を燃 やしていました。ところが、現在の経済学は「不況とはどんな現象か」など現象面ばかりを 取り扱い、「どうしたら不況は防げるのか。そもそも社会の発展のためには、どんな経済形 態を作るべきか」といった研究なされていませんでした。 そのことに私は、強い不満を抱いていました。 そんな時、仏法真理に出会い、大きな衝撃を受けました。「人間は魂修行という目的と、 ユートピア建設という使命を果たすためにこの世に生まれてきている」という霊的人生観 を知ったからです。 「経済活動もまた、人間がユートピア建設という使命を果たすための活動であり、その中 に魂修行という要素を含んでいるのではないか」−新しい経済学のヒントを求めて、私は夢 中で仏法真理の書籍を読みました。
636 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/13(火) 12:46:52
特に目を開かれたのは、「世界は人の心が創っている」という真実です。ならば、社会の 発展も、人々が仏の理想にかなった豊かで発展的な心を持った時に現れるはずです。こう した、人々の心と本当の経済発展との関係を解き明かし、学問を通じてユートピア建設に 貢献することが、私の使命だと思ったのです。 現在の私は、仏の理想にかなった心を持つ人が経済的にも発展するような経済形態の確 立を目指す、「理念経済学」という新しい経済学を構築したいと願っています。 プロテスタンティズムが資本主義の発展を促したように、新たな宗教真理をもとにした 経済学が、未来社会の経済発展をもたらすと確信しています。 『将来の夢を見つけよう』 仏法真理には、学問の奥にある普遍の真理が、誰もが分かる易しい言葉で示されています。 この真理をしっかり学べば、大学で学ぶ学問の意味が分かり、やる気がわいてきます。 それは、あなた自身の使命を発見することにもつながると思います。 人生の早い時期に仏法真理を学び、自分の使命を考えることのできる皆さんは大変恵まれています。どうか頑張ってください。
637 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/13(火) 13:00:41
>>636 あなたは、すでに仏教の真理を体得し如来の
境地に達したと認められる。
638 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/13(火) 13:11:19
すけべ汚ヤジの妄想ですよ
639 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/13(火) 14:47:17
新興宗教
640 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/13(火) 15:12:26
新興宗教 がきたら、一斉に 突っ込みまくられますで
641 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/13(火) 17:15:20
新興宗教ね
オレならカルトと呼ぶね。
643 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/13(火) 18:01:40
い 犬も歩けば棒にあたる
644 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/13(火) 20:23:07
妙尊寺の例もある
645 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/13(火) 22:18:41
聖学院大学って伴天連の学校なのに『幸福の科学』かや!
646 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/13(火) 23:04:29
金になるなら幸福の科学でもなんでも いいんだろう。
647 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/14(水) 09:25:42
>>635-636 ということは、幸福の科学は、仏教、キリスト教を超えた
統一教ということなのでしょうか?
648 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/14(水) 10:01:08
超えているのではない。 ごちゃ混ぜ 喩えれば、アップルパイに醤油かけて食っているようなもの・・・ 味は保証の限りではないが・・・これをうまいと感じるやつもいる。
649 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/14(水) 10:04:15
アイスクリームに醤油かけて食っているヤツもいる。 これ本当の話
650 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/14(水) 10:54:27
幸福の科学はそっちの感覚が近いかも・・・ 連中はそこがうまいって感じるんだろうね〜 別々に味わえば良いのに・・・
651 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/14(水) 12:12:48
つーか、 まつもとのちづちゃんと本質、中味はいっしょと 誰かツッコンでくれ。w
652 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/14(水) 20:38:23
ゴクウ悟空っていい名前だよねぇ
653 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/14(水) 21:58:13
孫悟空、猪悟能、沙悟淨、という按配に法名が揃っています。 猪八戒は通称で、孫悟空の通称は孫行者です。
654 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/15(木) 00:50:51
三匹の妖怪は貪・慎・痴の三毒煩悩をあらわしていると、聞いたことがあります。
655 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/15(木) 08:21:09
高橋信次 GLA − 高橋佳子 GLA − 千乃 白装束 大川隆法 幸福の科学 \ 桐山靖雄 あごん−あさはら Ω この辺りの新興宗教は、霊を使って好き勝手な教義を捏造しているだけ。 般若心経の解釈も、超越的。
656 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/15(木) 11:49:06
般若心経も、我が欲を満たすために 使わせていただいておりますぅぅぅ。
657 :
@ @ :2005/09/15(木) 22:42:48
すがりてぇー!すがりてぇー!と思ってる奴がいるかぎり わがショーバイは、永久に不滅でぇーーー!!!
658 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/17(土) 22:14:18
取り付く島のない弱者は、たかが文字の羅列でしかない『経』に頼らざるを得なくなる。
659 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/17(土) 23:04:18
660 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/17(土) 23:26:10
>>たかが文字の羅列でしかない と割り切って、カネ儲けに使うのが教祖候補生たち。
661 :
けちゃっぷ :2005/09/18(日) 09:51:35
>>658 いやぁ、同感です。あなたは悟っておられるのか?!
普通の人は、何にも執着するなといわれても、あれこれ妄想してストレスを造ってしまいます。
今ある情報でいくら考えても思考が堂々めぐりになるだけの場合や、いくら悔やんでもとりかえしのつかないことを、あーでもないこーでもないでもやっぱこうすればいやでもそうするとあーだし…と、妄想の波にさらわれてしまいます。
そこで、何も考えないことが難しい人は、わざと一つのとりつく島を心に設定して、妄想の波にさらわれたらすぐその島につかまるようにすればいいのです。
662 :
↑ :2005/09/18(日) 10:09:44
もまえは パソコソなんかしないで 何枚だぁ〜何枚だぁ〜何枚だぁ〜と 称えたきゃいいの!
663 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/18(日) 22:25:23
空なのです
664 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/18(日) 22:55:14
般若心経は すべては、移ろう 無常の世を表しています。
665 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/18(日) 23:07:05
666 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/18(日) 23:38:16
>>664 つまり空ですな
無といってもまちがいではないな。
空と無は違う。 少なくとも、「空性」と解すべき「空」は無ではない。 色蘊は、空であるが無ではない。
668 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/19(月) 00:05:37
インド的解釈と中国的な解釈の違いでしょう。
669 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/19(月) 02:23:55
で、釈迦的な解釈はどうなんですか
670 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/19(月) 03:30:03
>>669 鋭い....
ってか、ないだろ....
671 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/19(月) 10:09:38
釈迦的には般若心経は関係ない。 般若心経は初期仏教の教説と矛盾するところが多い。
672 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/19(月) 10:24:03
>671 何処がどう矛盾するのか説明しないで、独断の考えを述べるのは問題かと思うよ。
673 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/19(月) 10:28:47
674 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/19(月) 10:33:42
ここには原始仏教カルトが紛れ込んで、大乗非仏説を叫んでいます。 かれらはカルトだから相手にしてはいけません。
675 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/19(月) 10:38:55
カルトとは何ですか?
676 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/19(月) 10:44:56
カルトの人間はカルトについての正しい知がありません。 同時に自身についての正しい知も存在しません ゆえに自身をカルトだとは認識できません。
い、犬も歩けば〜 はい! ( ゚∀゚) ◇=- ⊂彡 パシッ
678 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/19(月) 10:48:48
>>676 では、ここには『般若心経カルト』も居るということですな。
納得!
679 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/19(月) 13:07:41
大乗非仏説などと言い出すことが般若心経らしくないわい。
680 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/19(月) 14:02:39
『パイ生地(あるいはビスケット状の生地)で作った器の上に、クリーム・果物等を盛りつけた菓子』 だそうです
681 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/19(月) 14:06:14
>>680 タルトじゃないですか?
私はスフレの方が好きですが・・・
682 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/19(月) 16:06:44
★★『幸福の科学』統合スレッドpart117★★
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1126705875/l50 <転生輪廻と「空」の思想>
仏教における最も大切な教えのひとつに、神のエネルギーが変換し循環しているという「空」の思想があり、
その代表的なものに「色即是空・空即是色」という考え方があります。すなわち、この世の世界−「色」は
移ろいゆく仮の世界であり、どのような人間も、やがてその肉体は滅び去り、魂は実在の世界に還ってゆく
(色即是空)。そして、実在の世界−「空」にある魂たちは、修行という目的のもとに再び地上に生まれ
変わってくる(空即是色)−こうした思想です。転生輪廻ということも、この「空の思想」によって
説明することができるのです。
『神のエネルギー』とはなんだ? そんなエネルギーはないし、仏教の教えでもないわい。 『空の思想』もない。思想は空だからだ。 戯けたこと語るのもいい加減にせい。
684 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/19(月) 16:39:09
実際のところ般若心経は、仏教とミスティズムの結合子みたいなもの。 こう感じる人は他にもいるだろうか?
685 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/19(月) 16:54:45
その『魂』の論拠を示して欲しいですな。
686 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/19(月) 16:58:51
論拠は教祖のタワゴトでしょう。 ミスティシズムじゃなくて、オカルティズムですな。 『幸福の科学』ってのは、その筋ですか。
687 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/19(月) 17:01:14
★★『幸福の科学』統合スレッドpart117★★
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1126705875/l50 【今年2月に新たに開設されたサンパウロ東支部では、信仰入門セミナーが大盛況。
新たな三帰誓願者が続々と誕生しています。】
(ブラジル・サンパウロ州在住)ケイイチロウ・コガさん
新たな光の発信拠点を賜ったサンパウロ東支部では、7月の御生誕祭に向けて伝道への
情熱が高まっています。特に、毎月開催している一般向けの信仰セミナーでは、多くの三
帰誓願者が誕生しています。
5月22日には「健康、病気、そして愛」と題したセミナーを開催。会場には地元の人た
ちが多数詰めかけ、立ち見が出るほどの盛況ぶりでした。私も医師としての経験をふまえ、
「心と体は別のものではありません。心が変わることによって、病気が治るケースもありま
す」と、仏法真理で心を正すことの大切さをお伝えしました。参加者からは「愛を与えるこ
とが幸福につながることを初めて知った」など、口々に感激の声が聞かれ、二十数名の方が
三宝帰依の誓いを立てました。
サンパウロでは、家庭崩壊や貧困、犯罪の多発によって苦しむ人が後を絶ちません。一
人でも多くの方に幸福になってもらいたい−その思いを胸に、この地に主の降臨の奇跡と
主の教えを、伝え続けてまいります。
688 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/19(月) 17:17:43
689 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/19(月) 17:23:10
【悪霊】 悪霊とは、心の使い方を誤って人生を終えた霊のことです。 生前、愚痴、不平不満、足ることを知らぬ欲望といった、マイナスの想念を数多く持って生き、 地上を去った人たちが、悪霊となって地獄に住みついています。この悪霊は、地上の人間の 悪想念のエネルギーを活動源としています。 <悪霊の発生原因> 人間には念いの自由が与えられでおり、その自由を行使する過程において他者の自由と相克し、 そこに歪みである悪が発生しますが、その悪を自分の問題としてとらえることなく、環境や他人の せいにするところに悪霊の発生原因があります。 <悪霊の活動エネルギー> 悪霊の活動エネルギーは、地上に生きている人間の悪想念です。地獄界には、悪しき想念の 曇にさえぎられて、神の光が射しません。彼らの活動エネルギーになっているのは、不平不満、 愚痴、憎悪、嫉妬などの地上の人間の出すマイナスのエネルギーであるのです。 <悪霊も神の子である> 悪霊といえども、本来、天上界の住人、神の子であり、その心の奥底には、神性が輝いています。 自らの思いと行ないの誤ちを反省し、心から神に許しを求めたとき、やがて天上界へと還ってゆく のです。
690 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/19(月) 17:24:59
オカルトでなく、スカトロですか。
691 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/19(月) 17:25:46
【サンフランシスコ支部では、4月に市内で開催された日本文化を紹介する「桜祭り」に出展。仏法真理が、大きな反響を呼んでいます。】 (サンフランシスコ市在住)柳田淳子さん 桜祭りでは、幸福の科学の海外経典の紹介や、月刊『アー・ユー・ハッピー?』を使った実践チャート 「あなたの守護霊ってどんな人?」を企画。連日、大勢の人がブースを訪れ、「もっと詳しいことが知りたい」 という問い合わせが殺到しました。 その後、5月に開催した一般向けセミナーには十数名が初参加。カトリック教徒のグレッグさんは、 転生輪廻や死後の世界の真実を知り 、「長年の疑問が解けた。僕もこの信仰を持ちたい」と三帰誓願を 決意されました。「仏法真理を求める心は万国共通だ!」と改めて確信しました。 主の教えを待ち望む人たちのために、これからも伝道に励んでいきます!
692 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/19(月) 17:26:22
693 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/19(月) 17:30:57
>>691 こういうのまで許容するところが、仏教の素晴らしいところだ。
『幸福の科学』諸君は地獄落ちだから、我々も地獄に一緒に落ちて、諸君の弁護をしてやろう。
694 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/19(月) 17:56:16
『幸福の科学』 諸君は畜生に生まれ変わる宿命にある。
695 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/19(月) 18:16:08
幸福の科学は仏教を騙っていることは明白だが、信者はブッタの御名 を聞いた功徳はいささかはあろう。 しかし、バカボンみたいな教祖をブッタであると誤認すれば功徳はマイナスだな
696 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/19(月) 18:25:30
バカボンと言っては名誉毀損かも。 単に先行して畜生道に一歩を踏み出されているだけでしょう。
697 :
豆豆龍 ◆dpnuA7tNTE :2005/09/19(月) 18:31:38
ここは『幸福の科学』に乗っ取られてしまったのか? 主とは釈尊の生まれ変わりという大川隆法の事か? 大川、池田・・・釈尊の生まれ変わりの多い事多い事。
698 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/19(月) 18:59:59
>>695 おいおいバカボンのサンスクリット語の意味知ってるのか。ほめ過ぎだよ。
699 :
豆豆龍 ◆dpnuA7tNTE :2005/09/19(月) 19:31:20
薄伽梵 婆伽梵 は御釈迦様の別称。バカボンドなら納得。
700 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/19(月) 22:15:56
赤塚某のマンガの主人公だろ。
701 :
大川@興業 :2005/09/20(火) 02:18:30
まあ、そう『幸福』にこだわるな。大川クソ! まあ、そう『万札』にこだわるな。大川クソ! くぅ〜 くぅ〜 くぅ〜 くぅ〜〜〜
702 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/20(火) 04:04:34
意味なんか無し
703 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/20(火) 09:51:16
馬鹿ボンなら良いでしょう? 大川君は「空」をソラ、天空のことだと勘違いしちゃったんですよね・・・ 同じ例で「止観」を返り点つけて(受験漢文の悪影響)「観を止めること」と 読んじゃった。 こんな例は枚挙に暇がない
704 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/20(火) 09:56:05
>>700 >赤塚某のマンガの主人公
はバカボンドからヒントを得ての命名。
705 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/20(火) 18:31:34
般若心経は空ばかり注目されがちですが、ぎゃーてーぎゃーてーのマントラを唱える瞑想の教えでもあるのでは?
706 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/20(火) 18:41:12
(34)唯物的価値観を大転換させた一節 (茨城県・入信時40歳・大学教授) かつて私は、国立の研究機関で、コンピューター技術を応用した人工知能を創り出す研究に 没頭していた。人間の頭脳はコンピューターのようなものであり、コンピューターに人間と 同じような「考える力」を持たせることができるはずだと信じていたのだ。 そんなある日、幸福の科学に入信したばかりの友人の研究者から、「すごい本があるぞ!」と 『太陽の法』を渡された。帰宅してから、何の気なく読み始めると、いきなり冒頭から揺さぶられる ような衝撃を受けた。「存在と時間」「有限と無限」「多次元の宇宙」−科学では解明できないテーマに 対して、次々と明確な答えが示されているではないか!しかも、一分の隙も矛盾もなく−。 「宗教的真理は、科学の世界を完全に凌駕し、包括している!」 引き込まれるように、数時間で一気に読み終えた時、私の世界観は一転していた。とりわけ 第2章に説かれている一節が、私にとって強烈な一打となった。 「心とは、魂のなかの中核部分だといえます。心は、頭のなかにあるのでもなければ、大脳の ヒダや脳細胞のなかにあるわけでもありません。大脳が失われても、魂は考えることができるし、 感じることも、記憶することもできるのです」(『太陽の法』P.101より) 仏によって創られた心は、どんなにコンピューターを寄せ集めても作れるものではなく、 私が取り組んできた人工知能の研究は、きわめて唯物的なものであったことに気づいたのだ。 科学を超える真理に感動し、私は幸福の科学に入会した。今、私は「コンピューターの技術を、 いかに人間の幸福に貢献させるか」というテーマで、様々な研究を進めている。
707 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/20(火) 18:47:14
57)「お釈迦様の生まれ変わりの方」という言葉に入信を決意 (千葉県・入信時63歳・主婦) 今から三年前の四月のことです。娘が喜び勇んでやって来て、幸福の科学の話をはじめました。 娘は一週間前に幸福の科学に入信したばかりだとのこと。その喜びが娘の全身から伝わってきます。 「お母さん、お釈迦様の生まれ変わりの方がいらっしゃるのよ。般若心経の一万倍以上の 功徳がある『正心法語』という経文をいただいてきたの。お母さんもいっしょに支部に行かない?」 私は主人が浄土真宗の門徒だったことから、お墓参りとお仏壇を大切にする素朴な信仰心を 持っており、特にお釈迦様がたいへん好きでした。娘の話を聞いた時も、「お釈迦様の生まれ変わり」 という言葉がいちばん印象深く残りました。また、若い頃から病気がちで、救いの道を求めていたこともあり、 すぐに支部を訪れ、三帰誓願を決意したのです。 入信後、毎朝『正心法語』を唱え、信仰生活を送っておりますが、心身ともに健康になっていくことを 実感しております。そんな私の変わりようを見て、十一月には主人も三帰誓願し、夫婦揃って仏陀の 許に集うことができました。仏様を信じて生きることがありがたくてしかたがない毎日です。 【我はここに再誕す。我が再誕を喜べ。我が再誕に気づけ。我が再誕に、その事実に、その時に、 気づけ。(大川隆法総裁先生著『仏陀再誕』P.16より)】
708 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/20(火) 18:59:47
709 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/20(火) 19:02:07
何べん言ったら解るんや! さっきから他スレで逆効果だって言ったのに。 幸福の科学に怒鳴りこむぞぉ!!
710 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/20(火) 19:19:29
>>709 幸福の科学の信者は、畜生に生まれ変わる人達ですから
憐れんであげましょう。
711 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/20(火) 19:51:58
大川は、仏教学会でかの説を発表し、 学者の質疑を受けるべきと思う。
712 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/20(火) 22:33:05
>>705 般若心経の骨格は呪文ありきだと思う。
雑密の『ナンタラカンタラ陀羅尼経』というのは、おそらく呪文が先にあって、
これに権威を持たせるために、いわく因縁の部分を添加したような気がする。
この伝で、ギャテイ呪に合う添加物を他の経から頂いて作ったのが摩訶般若波羅蜜多心経ではないだろうか。
あ、それから、
>>672 みたいな突っ込みがあるだろうから言っておくが、根拠はないよ。
異論があるなら、先にこれが間違いだということを証明してくれ。
713 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/20(火) 23:15:17
>>712 普通は論を出す本人がその根拠をださねばならない。
あたりまえだ。
君の場合異論を出すことも無意味。
なぜなら自ら根拠はないといっているのだから。
つまり君のは単なる感想で、論になっていないのね。
別に個人的感想にどうのこうのいってもしょうがないのね。
わかりましたか。
714 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/20(火) 23:35:26
ギャテイ呪は 行こう行こう、みんなで彼岸の境地に行こう これでいいと思いますが、不足ですか。
715 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/20(火) 23:42:08
受信料こじき NHK 撃退法 マニュアル 放送法によれば NHKに受信料を払わなくては ならないということになっている ただし この払わなくてはならない 条件として 家にテレビがあるという ことが 絶対条件である よって NHKに 受信料を 払いたくない人は 受信料徴収者に 「 家にはテレビがない よって払わない」 といえばよい 「本当に家に テレビがないのですか 家に入って調べますよ」 と受信料聴取者が しつこく聞いてくると 「 ここは オレノ家だ 勝手に入るな 住居不法侵入で 警察に 通報するぞ 」 という のが セオリーである つまり 法律上正しい NHKに対応する方法は 以下の文言を 言うことである それ以外は受け付けないだろう 1 家にはテレビがない よって払わない 2 ここは オレノ家だ 勝手に入るな 住居不法侵入で 警察に 通報するぞ 」 これを しつこく繰り返し言うことが 成功の鍵である
716 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/21(水) 00:06:05
池口恵観は神だと思っている。 7年ほど前の正月休みに両親と鹿児島県の池口恵観の実家 (お好み焼き屋)に 食べに行った時の話。 両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり池口恵観が 玄関から入ってきた。 お好み焼屋に似合わないイタリアンないでたちで。 恵観が 「俺いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、 店内にいた大学生集団が 「恵観先生!」「恵観先生かっこいい!」などと騒ぎ出し、恵観が戻って きてくれて即席サイン 会になった。 店内に13,4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使いサインを してくれた。 大学生達が 恵観の母校高野山大学の相撲部だとわかった恵観は いい笑 顔で会話を交わしていた。 そして恵観は「またな〜」と二階に上がっていき、 店内は静かになった。 私と両親は恵観 の気さくさとかっこよさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向 かうと、 店員さん(恵観妹)が 階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれまし たから。また来てくださいね」と。 あれには本当にびっ くりした。
717 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/21(水) 00:19:33
>>716 おい!いい加減にせいや!これ以上何度もコピペしてるて逆襲すんど!
716をいっぺんコピーしてからぐちゃぐちゃに手を加え全く逆の内容にすんぞー。
718 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/21(水) 01:18:18
池口恵観はヤクザだと思う。 7年ほど前の正月休みに両親と鹿児島県の池口恵観の実家 (お好み焼き屋)に 食べに行った時の話。 両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり池口恵観が 玄関から入ってきた。 お好み焼屋に似合わない黒の三つ揃いといういでたちで睨みつけてきた。 恵観が 「俺りゃいつものだぁ〜」と言って二階へ上がろうとすると、 店内にいた大学生集団が 「恵観じゃん!」「恵観は極道なんか!」などと騒ぎ出し、恵観が戻って 来た時には一発触 発 の険悪な雰囲気となった。 店内に13〜14人ほど居合わせた客全員は畏れをなして震え出し 小便をちびる者もいた。 大学生達が 恵観の母校高野山大学の相撲部だとわかった 恵観は 目一杯怖い顔で睨みを交わし今にも殴り掛りそうになった。 そして恵観は「またな〜」と二階に上がっていき、 店内は静かになった。 私と両親は恵観 恐ろしさと腰に見えた拳銃に興奮し食事どころでは無かった。会計を済ませようとレジに向 かうと、店員さん(恵観妹)が 不敵な笑いを浮かべながら 「お客さんは食べてないけどお金 だけはキッチリいただきますからね!まぁ今日は運が悪かったね」と。 あれには本当に寿命 の縮む思いがした。ホントびっ くりした。
719 :
乃杏 ◆noaw746W1Q :2005/09/22(木) 07:07:20
般若心経の本、人に貸したから書けない(´・ω・`)ショボン
720 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/22(木) 07:32:23
人の考え(書物)を述べても仕方ない。 自分の物にしないと意味がないじゃない。
721 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/22(木) 13:22:50
お釈迦様の考えを述べたものじゃないんですか?
722 :
けちゃっぷ :2005/09/22(木) 13:45:37
>>715 僕は、実際引っ越したばかりでテレビがない時に徴収にこられたことがあります。
でも、「テレビがない」なんて信じてもらえないんじゃないかと思って、おとなしく払ってしまった。
そこは会社の寮(会社が借りてくれたマンション)だったので、あとで同居人に怒られた。
一度払ってしまうと毎回来るようになるから、払うなって。
723 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/22(木) 13:56:46
都心部は兎も角。地方はなにを基準に受信料の徴収に来っか知ってる? それは・・・・・TVアンテナ。 アンテナの有るなしで聴取員が来たり来なかかったり 前、家に徴収員が来た時いろいろ話したらアンテナがなけれが受信料は結構です。 って言った。いま家はアンテナなし。そいでうまい事NHKも写らない。民放だけ写る。
724 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/22(木) 22:06:41
>>720 物にするべき物など無いと悟ることです。これが般若心経。
725 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/22(木) 22:48:34
現にこの世界、あるものはある。諸法実相。但し、因縁生は無相ではある。 あるとか無いとか、仏教はそんな単純なものではない。
726 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/22(木) 23:00:51
仏教とはそんなに難しいものではない。 美しい信仰は単純である。
727 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/23(金) 07:50:01
仏教は凡夫には理解できないものである。 おしゃか様が菩提樹下で悟りを開いたとき何を言われたか知らないものが仏教を語る資格なし。
728 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/23(金) 07:53:30
はにゃへんべい〜はにゃにゃ心経って何?
729 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/23(金) 10:41:21
仏教を語ったからといって何になるのでしょう。 仏教は語ったからどうなるというものではありません。 南無阿弥陀仏。それだけでよいのです。
730 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/23(金) 10:46:28
仏教は、法華経だけで十分と集会で言ってました。
731 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/24(土) 08:30:18
>>729 そう思われる方は、こんなところに出没する必要もないでしょう。
732 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/24(土) 08:32:23
>>730 法華経の信者には他の経は不要。
しかし他の経も膨大であり、不要と思わぬ人がいるのも確かです。
733 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/24(土) 10:05:10
>>731 自分のことだけを考えるならばその通りだと思いますが、
それだけではいけないと思います。
734 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/24(土) 10:56:55
>733 この人自分自身が自分のことだけを考えているのじゃない。この文はも少し国語を勉強しなおさないと。
735 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/24(土) 14:21:07
>>734 >この人自分自身が自分のことだけを考えているのじゃない。
なんか、こなれてない文章ですな。
まあ、734さんもそれに気づいて
「この文はも少し国語を勉強しなおさないと。」と反省しているわけですが。
添削:
・この人自身が、自分のことだけを考えているのじゃない。
どんなもんでしょうか。
みんな、国語の勉強しましょうね。もちろん私も。
736 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/24(土) 15:55:13
ヘーゲルの言葉に 「否定的なものが、同時にまた肯定的でもあることは、 換言すれば、自己矛盾するものは、単にゼロ、抽象無へと解消してしまうのではなく、 本質的には、自己の特殊な内容の否定へと解消するにすぎないこと、 または、かかる否定は、全面的な否定ではなく、自ら解消するところの特定の事象の否定、 つまり規定された否定であるということである。 従って、結果の内には、本質的にその結果を生んだものが含まれている。 このことは自明の理(トートロジー)である。 何故ならば、もしそうでないとすれば、結果は直接的なものとなり、 結果とは言えなくなってしまうからである。」 というのがあります。 心経の理解の参考になりませんか?
737 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/24(土) 15:59:52
>736 何か難しいこと言ってますが、仏教が行であり哲学ではないと言われましたが。
738 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/24(土) 16:22:42
色は空の特殊な部分であり、空は色の特殊な部分である。 従って色は空と等値となる。
739 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/24(土) 17:53:36
>>738 どちらも互いに特殊な部分ではありません。等値でもありません。
同じ事物が、認識の仕方によって違う名称になるということです。
だから『即是』で結ばれているのです。
740 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/24(土) 18:32:52
>>738 空と真如をごっちゃに使ってる気がしますが。
色は真如でないので空なるものです。縁起でくりひろげられる現象から、すべての空なる分別認識を取り除いて残るのが、真如では?
真如から縁起して現われたすべての現象は、実体がない空なるものである。
空と真如はちがう
741 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/24(土) 18:45:06
>>740 真如縁起説は般若経よりもずっと後のものです。
すいません,初心者ですが… そもそも『空』ってなんなんですか?
743 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/24(土) 21:19:53
>>742 般若経では、法(存在するもの)は実体がなく、色々なものの和合によって作られていると見ます。
例えば、『木の机』には『木の机』という恒常的な実体があるわけではありません。
なぜなら、壊せばただの木片でしかありません。木片が縁によって和合して机になっているのです。
このように、目の前に見えるものは、有でもなく、無でもない存在です。
これを空と表現するのです。大乗仏教的な認識です。
744 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/24(土) 21:20:12
人→生物を則是で結んでも無理はない。 人は生物の特殊部分である。 しかし生物→人を則是で結ぶことはできない。 したがって、生物は人の特殊部分ではなく、また等値ともならない。
745 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/24(土) 21:25:19
>>744 色と空が即是で結ばれるのです。
これは論理ではない。
746 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/24(土) 21:31:37
それを、ひらきなおりと言う。 「これは論理ではない」というのは不正確で 「私の能力では論理的に説明できない」と言うべきである。
中国語訳をそのまま直接解釈すると、原典から大きくずれるぞw もっともポピュラーな例: 妙法蓮華経 羅什訳 正法華経 玄奘訳 正しいということと、妙法であるということには 与える印象としてかなりの違いがあるだろw 玄奘訳の観音経は読んだことないが、羅什訳と読み比べてみると面白いかもしれぬ。
748 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/24(土) 21:56:52
749 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/24(土) 22:00:37
>>746 ひらきなおりとは失敬である。
論理ではないというのは、
A=B ではなく、
ある事物を、スタンスによって、Aと呼んだり、Bと呼ぶ、ということだから。
例えば、英語ではアコーディオン、日本語では手風琴と呼ぶようなもの。
750 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/24(土) 22:03:49
751 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/24(土) 22:09:14
観音経に相当する部分は、正法華経では、 光世音普門品第二十三 となる。 つまり、梵本が違っているということ。 比較はできないが、字面をみれば同じ経だということはすぐわかる。
752 :
747 :2005/09/24(土) 22:12:42
754 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/24(土) 22:55:16
それが般若経のいっていることです。 般若経をリジェクトするなら、それはそれで一つの見識。 しかし般若経のスタンスでは誤謬となります。
755 :
747 :2005/09/24(土) 23:09:04
>>751 岩波の解題では、
梵本 21.Dha^rani^
竺 総持品第二四
と繋げられているが?
ちなみに
光世音普門品第二十三は
24.Samantamukha
妙音菩薩品第二四
と繋げられているが?
宗教は感性であって理屈ではない。
757 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/25(日) 08:51:33
余談ですが、私が卒業した高校は毎朝般若心経を読むことで有名でした。一般 に「般若心経」のことを「心経」と略し、「心経を読む」という表現は普通で すが、当時の若い高校生たちは、「般若心経」を「般若」と略し、つい、先生 の前で「今日は般若を読みますか」とか「般若を写経する」などと口走ってし まい、よく先生から「お前らアホか」と怒られていました。
758 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/25(日) 09:32:56
>>755 問いかけの主旨がよく判らないが、大蔵経では下記のように対応している。
『妙法蓮華経』 『正法華経』
23 藥王菩薩本事品 21 藥王菩薩品
24 妙音菩薩品 22 妙吼菩薩品
25 觀世音菩薩普門品 23 光世音普門品
26 陀羅尼品 24 總持品
27 妙莊嚴王本事品 25 淨復淨王品
番号がずれているのは、提婆達多品第十二が正法華経の梵本にはまだなかったのと、
囑累品が『妙法蓮華経』では第二十二だが、『正法華経』では第二十七にあるため。
梵本が違うということが推測される。
759 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/25(日) 09:34:52
スペースがうまく表示できない。 『妙法蓮華経』 『正法華経』 23 藥王菩薩本事品 21 藥王菩薩品 24 妙音菩薩品 22 妙吼菩薩品 25 觀世音菩薩普門品 23 光世音普門品 26 陀羅尼品 24 總持品 27 妙莊嚴王本事品 25 淨復淨王品
760 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/25(日) 09:40:13
これでどうか。 『妙法蓮華経』――――――『正法華経』 23 藥王菩薩本事品―――――21 藥王菩薩品 24 妙音菩薩品―――――――22 妙吼菩薩品 25 觀世音菩薩普門品――――23 光世音普門品 26 陀羅尼品――――――――24 總持品 27 妙莊嚴王本事品―――――25 淨復淨王品
761 :
乃杏 ◆noaw746W1Q :2005/09/25(日) 09:58:26
>>732 私も思う。
法華経ばかり勉強していても肝心なところは学びにくい。
762 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/25(日) 10:04:09
>>761 法華経には般若心経のいっていることが、ほぼ欠落していますからね。
おそらく古代インドの法華経を作った教団は、般若だ空だといった教義とは無縁だったのでしょう。
763 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/25(日) 10:31:56
法華経には仏教用語というものがほとんど出てこない。 般若経典、華厳経にくらべて非常に少ない 仏教の基本的教義である四勝諦ですらほとんど出てこない。 江島先生は在家集団が作った経典ではないかと推測されていたが
764 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/25(日) 10:36:58
集会で、法華経に疑問を持つのはよくない、と言ってました。
765 :
乃杏 ◆noaw746W1Q :2005/09/25(日) 10:39:33
私は大日経は般若心経しか知らないんですけど、法華経も、般若心経も、二つではじめて一つものになると思うんですが。
766 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/25(日) 10:45:17
>>764 それは法華経命!みたいな教団の集会でしょう。
そこは閉鎖教団なのだから外部で何を言っても始まらない。
ああ、そうですか、としか返しようがない。
767 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/25(日) 10:52:41
>>765 大日経でなく大蔵経ですね。
それほど簡明なものではありません。
膨大な経典が脈絡なく入ってきた中国では、高僧達が研究し、価値付けをしました。
これを経相判釈といいます。
これの解釈の違いが、大雑把に中国〜日本の宗派に繋がっているといえます。
768 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/25(日) 10:57:19
typo 経相判釈でなく、教相判釈でした。
769 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/25(日) 11:04:13
>>763 それも、弾圧された戦闘的な集団でしょうね。
それでも温厚な指導者はいたような気がします。
非常にセンチメンタルな部分と過激な部分があるからです。
諭すような温厚な部分のお陰で、後世にも価値が認められてきたのだと思います。
漢訳した羅什は、大品般若経とともに重要な経典として位置づけしていました。
770 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/25(日) 11:11:46
私も、弾圧もしくは批判されていた教団だと思いますね。 多分、伝統的な出家集団から批判されていたと思いますね。
771 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/25(日) 11:15:07
現在の法華経護持の教団にも、同じ傾向が連綿として継続していますね。
772 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/25(日) 11:41:31
多少は経典の呪縛と言うか業でしょうが、日本の場合はやはり日蓮の業でしょうね・・・・ 法華経護持というよりも日蓮主義 まあ彼の激しい気性にマッチしてしまったんでしょうね・・・ 法華経を重んじる天台宗は僧兵を除いて過激じゃないし 中国、朝鮮またはサンスクリット写本が多く現存するネパール などインド文化圏でも歴史的に過激な法華経護持集団はいなかったと おもいますし。
773 :
乃杏 ◆noaw746W1Q :2005/09/25(日) 14:50:24
>>767 詳しいお話ありがとうございます。
自分もまたいろいろ調べてみます。
774 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/25(日) 20:19:43
今日、NHKで番組やってた
775 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/25(日) 23:20:59
松原哲明師ですか?
以前臨済宗の坐禅会に通ったとき般若心経の読誦があったのですが、 「ぼじそわかはんにゃしんぎょう〜」の後に何やらお坊さんの独唱がありました。 そのパートが何と呼ばれるものでどういう意味か、お経本文に対して どういう位置づけなのかなど、ずっと気になっています。 お詳しい方、お教えくださいませ。
777 :
妖輝緋 ◆Tyn2tfw0AU :2005/09/27(火) 10:02:09
777げっとぉ!
馬鹿にしやがって くやしー!!!
781 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/27(火) 22:00:49 ID:0
>>776 経を読誦することは功徳という事になっています。
その功徳を自身に受けるのではなく、ご本尊や個人の霊に振り向け、追福することを回向(迴向)といいます。
これは大乗仏教の考え方で、善行をしたらその果報を自分ではなく、他に振り向けるということです。
782 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/27(火) 22:20:36 ID:0
783 :
776 :2005/09/27(火) 22:38:05 ID:0
>779 >781 >782 なるほど、回向ですか 回向というのは葬式や仏壇(位牌)に祈るときなど、死者にばかり やるものだと思っていましたがそうではないのですね。 謎が解けました、ありがとうございます! 読誦の功徳が他者に振り向けられるなら、 「今日忙しいから替わりにお経読んで漏れに功徳回しといてね〜」 ってのありなんですかね? ・・・駄目っぽいな
>>783 あなたの知らないところで
誰かが、あなたのために回向してるかもしれませんよw
785 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/27(火) 22:55:29
逆に、呪っているかも・・・
786 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/27(火) 22:59:12
回向って他人の為にすることでその名の通りむこうからまた回って来るのだ、功徳が!
787 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/27(火) 23:03:59
自分の功徳を他に回し向かわせる
788 :
779 :2005/09/27(火) 23:23:45
随分前に、内内の人間に向けて作ったものからコピペ+α 廻転趣向の意。 自己の行う(行為の)善根功徳を廻転して(自己の)菩提に趣向し、或は衆生(他者)に施与する事。 一般には、法要・読経・念仏・布施などの善行を通して、それによって生ずる功徳を亡者に回し向け、 仏道に入らしめること。(なんとなれば、亡者は自分で功徳を積むことができないから)。 自らに向ける意もあるが、専ら、ある一つの行為の功徳・効能を、相手或は第三者が積んだかのように その人のものとする事。故に、その文句・文言(回向文)をも単に回向と言う事も有り。 →この功徳を誰それの方へ向けます、という宣言。 だから、回向文の中にその目的を読み込めばどんな内容でもよい。 諸縁吉利・家門鎮静・家門興隆・世界平和etc. また、地鎮祭等では工事やその後の安全等を祈っている筈。 ちなみに、長い回向文の中で「謹んで現前の清衆を集め○○を諷誦す。集むる所の功徳は――」などとあるが、 これは、本来は法事等その出席者全てが経を誦すことをいう。 が、読めない場合が殆どなので、坊さんが代わりに(或いは代表して)読んでいる。 そうして、この(みんなの読経の)功徳が故人の報地を荘厳するようにと願う。 また、そこから敷衍して、法事を行う・このような機会を設けたこと、 あるいは焼香して故人に香や供え物を献じたことの功徳と見ることも可であろう。 これは、大きく一言で言えば所謂「供養する」ということになる。
789 :
779 :2005/09/27(火) 23:28:29
あ、言葉や言い回しに堅い部分があるのは、某事典を少し参考にしているから。
790 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/28(水) 10:13:51
ディゴクへ回し向けちゃる!
791 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/28(水) 18:02:30
真空妙有
792 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/28(水) 19:25:51
>>782 ういきょうすーとか聞こえたのはこれだったのか
上来本地釈迦ムニ仏〜から始まるやつしか知らないのでわからなかったよ
793 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/29(木) 16:08:02
臨済宗も儀礼では黄檗宗の影響をしこたま受けてるのね
794 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/29(木) 19:29:32
禅b
795 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/29(木) 19:31:15
失礼、指がすべった。禅文化研究所(花園大の中)なんかは臨在と黄檗でやっているね。
796 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/29(木) 22:05:16
>>793 栄西の起こした臨済宗が続いているわけでなく、頻繁に中国から僧が来朝しており、そのつど中国の新しいスタイルも伝わってきています。
その点、道元のあと続く曹洞宗とは違うと思います。
797 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/29(木) 22:08:31
おーばくかそうどうか、どっちかわからんうちの旦那寺 今きてる坊主は真宗坊主から紹介された臨在だが、臨在ではないらしい どこでもいいけどどのみち般若心経読むし。 ただ、前にきてた尼サンは、もこほじゃほろみ〜という読み方だったので、一向に経を覚えられなかった
799 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/29(木) 22:24:44
>>797 自分とこの旦那寺が何宗かぐらいは確認しておいたほうがイイにゃぁ。
800 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/29(木) 22:51:06
>>799 親戚一同にきいた。
1.知らん
2.禅宗
という答えだったw
801 :
799 :2005/09/29(木) 22:53:42
>>800 そいじゃ今後のお楽しみということで・・・・・・。
802 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/30(金) 14:15:07
みんな知ってると思うけで、 曹洞宗は「そうどうしゅう」ではなくて「そうとうしゅう」と 読むんだよ、 ほんとに知らなさそうなおバカさんのために
803 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/30(金) 22:43:38
>>797 黄檗宗は「もこほじゃほろみ〜」とは読まない。
臨済宗だろう。
縄文時代からすると、神道も、東大寺も比叡山も高野山も、禅宗も、 日蓮宗も、親鸞宗も、天理教も、創価学会も後からでてきた人為宗教。 特にこだわる必要なし。 縄文教
805 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/01(土) 14:07:06
そんならエジプトの宗教がもっと古いぞ 縄文時代、日本人が石器しかろくに知らなかったころ エジプトは金属器を使い石の神殿を作っていた ラーの前には縄文教などノミのあくびに等しい。
806 :
↑ :2005/10/01(土) 16:00:03
どこが笑いのポイントなのか、解説してください。
807 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/01(土) 22:06:12
般若心経とどう関係する?
808 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/02(日) 08:11:26
809 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/02(日) 10:07:16
>>808 確かに因縁和合した存在としてはすべてが肯定できますな。
で、ここでラーを持ち出すのもいいが、世俗の立場では????
810 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/02(日) 11:47:41
>>806 あくび・・・灰汁微
灰汁が微量であることと蚤という極微な共通点を突いて
痛烈に批判しました!
811 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/02(日) 15:22:15
どうもありがとうございました。
812 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/02(日) 16:16:21
般若心経ほど用いられる経もないが、解釈の多いという点でもずば抜けている。 Web検索してみれば、講釈サイトは限り無しの状態。 一応信頼するに足るとされる岩波文庫の中村説も不明な点を指摘する。 これは、実は梵語もよく知らぬ中国人による創作だからではないか? 梵本も法隆寺にあるだけだというのも異様だし・・・
813 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/02(日) 20:40:30
仏法は一つなのにそれを知らない凡夫が、自分の思いを書くから色々な解釈が生まれる。 中村説も学者・文字法師の書いたもので、彼自身が仏法を得ているようには見えない。 仏法は学問するのでなく修行しなければ得ることはできない。いくら読経しても蛙の合唱。
814 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/02(日) 20:44:47
>>813 と言っても、昔は生きていくだけで精一杯。
修行をやる暇は殆どなかったと思うよ。
だからこそ、南無阿弥陀仏も急速に広まったと思うし。
815 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/02(日) 20:49:47
>>813 それでは、貴殿は仏法を得られておりますのか?
816 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/02(日) 20:51:19
心経ヲタのほとんどは仏法を得ようなどと思ってもいないでしょう。
>>812 あまりにもトンデモナイものはともかく、
人生訓として利用されることを非難する必要はないだろうね。
ただ、妥当な解釈が存在することを、
少し詳しく勉強する人には気付いて欲しかったりするなw
818 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/02(日) 22:37:16
>815 仏法は得るとか得られないとか本人は認識できないものです。(修証一如とも修証不二ともいわれる。) ゆえに、如来・如去・不去・不来・如如なのです。 ただ、他から見るとこの人の仏法は違うのではとわかるでしょう。(そういった意味で中村説は学問である。) 仏法は得る得ないと二見にみていては、最早遠いでしょう。(学問を離れ坐禅弁道するのみ。)
819 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/02(日) 22:48:52
そのとおりです。
だから
>>813 に訊いてみたのです。
820 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/02(日) 22:49:23
>>814 昔ははたして生きていくだけで精一杯だろうか。仏道に生きる人はただ托鉢して食うのみ。後は修行三昧。
今の人間の方が時間の使い方を知らないと思うし、自分の時間を持ってない。テレビ・新聞・電話・仕事・娯楽・学問・・・・・・・・・。
坐禅弁道30年。これ位は必要らしいですよ。
今の多忙な人は本を読んで学問するしかないのです。
821 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/02(日) 23:23:36
現在の我々は霊的なものを失ったと思う。 少なくとも天皇の人間宣言までは、多くの人が天皇は神だと思っていた。
822 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/02(日) 23:57:07
>現在の我々は霊的なものを失ったと思う。 と >少なくとも天皇の人間宣言までは、多くの人が天皇は神だと思っていた。 とは どういう関係があるのか解説してください。
823 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/03(月) 00:30:39
あのさ・・・ ただ心経をあげる以上に価値あることがあるの? 意味がどうだと論ずることに意味がそんなにある? そんなことを考えてるなら、その時間に心経を一回でも 多くあげる方がいいんじゃない? 心経の意味は・・・ ギャーテーギャーテーを唱えろ、ゴルァ でしょ?
824 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/03(月) 00:58:47
>>823 そう。ぎゃーてーぎゃーてーを唱えろと言うための前置きが、あまりにもすばらしすぎて、多くの人が前置きに心奪われている。
ぎゃーてーぎゃーてー以外の妄念がまったく起こらなくなるまでぎゃーてーぎゃーてーを唱えることに撤しきれたなら、
前置きの内容はおのずと理解できてくるはず。
825 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/03(月) 00:59:05
そういうのを思考停止と言います。
826 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/03(月) 01:01:39
ぎゃーてーは、三昧を得て定力を高めるための瞑想手段
827 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/03(月) 21:28:26
>>822 明治政府は廃仏棄釈をやった。
天皇を神代より連なる萬世一系の神として、国家神道を立てた。
良くも悪くも天皇は神であり、ある面で日本人の霊性のシンボルであった。
戦争に負けて、天皇は「実は自分は神でなく人間だった」と宣言。
日本人はあの霊性のシンボルを一気に失ってしまった。
828 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/03(月) 21:30:10
829 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/03(月) 21:35:14
ぎゃーとるぎゃーとるでは駄目ですか?
830 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/03(月) 21:58:28
>>829 だれも咎めません。おやりなさい。
これが仏教のいい所でもあるし、悪いところでもあります。
831 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/03(月) 21:59:17
>>829 だれも咎めません。おやりなさい。
これが仏教のいい所でもあるし、悪いところでもあります。
832 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/04(火) 15:38:41
意味不明
833 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/04(火) 15:53:53
>>827 元々皇室は渡来人なんだからマンセー一系なのはバレているのだから
霊性のシンボルと感じる縄文ネイテッブが現在にマジョリティを占めるとは考えられない。
834 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/04(火) 17:56:16
誰か教えて下さい。自分の家が浄土真宗らしいんですが、 般若心経を唱えてもいいんでしょうか? 後、皆さんはどんな時に唱えてますか?
835 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/04(火) 18:22:40
>>834 唱える必要はないが、唱えてもかまわないでしょう。
でも、唱えるのが目的なら、念仏でいい。
般若心経のどこにひかれてるのですか?
836 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@佛所 ◆xd7mxrd9Z6 :2005/10/04(火) 19:09:04
本物だからでしょ。<般若心経
837 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/04(火) 20:02:09
834です。 般若心経の、神頼みではない、悟りで自分自身を変えるみたいなとこに 惹かれてます。
838 :
けちゃっぷ :2005/10/04(火) 21:44:42
般若心経を読むのと、唱えるのとは、意味がちがってきます。 般若心経は、ぎゃーてーぎゃーてーを唱えるマントラを説くためのお経でしょう。 色も空だから、色にとらわれそうになったら、ぎゃーてーぎゃーてーを唱えることに意識をスイッチすることで、とらわれに溺れないようにするのです。
839 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/04(火) 21:48:04
>>838 おやおや! けちゃっぷさんは今度は般若心経板にお引越しですかぁ〜?
どうぞ、末永くよろちくぅ〜☆!
840 :
けちゃっぷ :2005/10/04(火) 21:48:56
ムカついて「ぶっころすぞ」という思考も空なので、そのような思考に溺れて実際に殺してしまったら、あとで思考の夢が過ぎ去ってから後悔しかねません。 そこで、「ぶっころすぞ」の思考の激流に耐えるために、「ぎゃーてーぎゃーてー」の浮き輪につかまるのです。
841 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/04(火) 21:49:09
仏教系のスレを見ていつも思う。 人は、なぜ色だけを抽出するのか? 「五蘊が空なるものだから云々」と言えば済むことなのに・・・ (´・ω・`)???
842 :
けちゃっぷ :2005/10/04(火) 21:54:16
>>841 同じことを机さんに申し上げたことがあります。たまたま色が最初に書かれてるから、例として取出しやすいというだけですね。
このスレやほかの仏教系スレにも、以前から名無しで書いてましたが、波木井さんがいらっしゃったので、けちゃっぷを使いました。
843 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/04(火) 22:12:22
般若心経は「ギャテイ・・・」がある故に多くの般若経典と決定的に異なる。 あくまでもギャテイ呪を潤色するために、大品般若からパクって前段をつくったのだ。
844 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/04(火) 22:40:34
>>840 空を殺してどうなる。
仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、
羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、
親眷に逢うては親眷を殺して、始めて解脱を得ん。
845 :
マンコに核弾頭 :2005/10/07(金) 05:16:28
>>844 それではほとんどの人には真意は通じないだろう。
殺害を言っているのではなく、妄執を脱するということなんだから。
人を見て法を説けということだな。お前等にも分かる言葉を使う事だ。
846 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/07(金) 21:53:55
847 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/07(金) 22:15:16
ここが参禅の場なら、
>>846 が正しいであろう。
が、そうでなく、一般の人が般若心経に興味を持って覗く場所であるならば
>>845 が正しい。
普通にわかる言葉を使うべきであろう。
ま、
>>840 は素人じゃないと思うので
>>844 の意味も解ると思うがw
848 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/07(金) 22:25:35
消えそうだった火が、また勢いを取り戻しそうだ。
>>842 親切に取り出すなら識の方が、誤解(トンデモへの発展)が多少は抑えられて良いのにね(^^;)
850 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/07(金) 22:39:48
>>845 「妄執を脱する」のではなく、惑わすものを心から排除するということ。
似ているようだが、根本のところで違う。
851 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/07(金) 22:44:39
852 :
けちゃっぷ :2005/10/07(金) 23:11:43
>>849 初心者にとっては、物質が空だというのは斬新で新鮮ですけどね。
識即是空だと、まず識の説明からしないといけないけど、
色だと「まぁ物質のことだと思ってください」で、なんとなく次の話に進めますから。
>>852 そう。問題はそこだ!
入り口としてはふさわしいが、その後の説明に手を抜くとエライ方向へ導くことになる。
アフターサービスのない「色即是空」は好きじゃないw
リップサービスとしての「色即是空」は大嫌いだ!
と、個人的な愚痴・・・(^^;)
854 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/07(金) 23:34:17
>>852 ちゃんと、順序だてて話をしたほうがよろしいかと思います。
照見五蘊皆空ですから、五蘊ということが出てきます。
まず五蘊が存在することを理解する、そこからスタートします。
855 :
けちゃっぷ :2005/10/08(土) 00:59:42
>>854 同感です。
ちゃんと般若心経が順序立ててくれているのに、それをすっ飛ばしていきなり色即是空に行くのは、心経に失礼ですね。
856 :
マンコに核弾頭 :2005/10/08(土) 08:16:09
真実不虚でありながら、それを表す事のなんと困難な事か。 だからこそ短い経文の中にシャリシに呼びかける(とされる)場面を入れたりして工夫しているのだ。 心経は大般若経を圧縮したものでもあると思うが、一方では独立した経でもある。むしろその方が近い。 大雑把に言えば、「ギャーテイ・・・」以外の部分も呪文である。 例えば「度一切苦厄」だけを口に出しても場合によっては効力ある咒になる。 訳文であるはずの心経の中の漢字一字ずつを観ずる修行さえもあるのだから。
857 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/08(土) 16:58:12
>>856 「大般若経を圧縮」ではなく、「大品般若経」のごく一部を抜粋したものです。
本質的にはギャテイ呪が先にあり、これが『般若菩薩』の陀羅尼だから
そのいわれとなる部分を付加するために、大品般若経から頂いてきたのだと思う。
何故なら、般若経典は釈尊の教えを踏襲して、民衆に普及していた呪文を排除させようと
般若波羅蜜が大明呪(偉大な呪文)であると説いているからだ。
858 :
857 :2005/10/08(土) 17:03:40
密教経典は般若経典の延長線上にあるが、密教としてあるためには呪文は不可欠だった。 おそらく、般若経典と密教経典を結びつける部分として般若心経は作られたのではないか。 決して般若心経の価値を貶めようという訳ではないが、『般若心経の意味』を問うときに 避けて通れないことだと思う。
859 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/08(土) 18:27:52
呪文を排除するために呪文を用いるのは自家撞着ではないのでしょうjか
860 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/08(土) 20:44:53
>>859 般若経典には陀羅尼や真言は出てこない。
「般若波羅蜜是大明呪」となっているだけ。
つまり、呪文を信ずる人たちに対し方便として、このように説いている。
861 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/08(土) 20:56:17
密教は呪文を自家薬籠中のものとする教団で成長したものだから呪文は欠かせない。 その教義の中に定着させ、かつ般若経典を身内に取り込んでいる。 見事としか言いようがない。天才たちの仕事だ。 その対極として、別の面から般若経の教えの実現を目指したのが中国禅。 これに関しては、現在の日本の禅宗にはあまり継承されていない。 道元宗であり、白隠宗とでもいった方がよい。
862 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/09(日) 15:48:44
象が蚤を追い回しているわい。 蚤は爪先で潰すもの。
863 :
hannnya :2005/10/09(日) 16:22:04
864 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/09(日) 17:46:18
心経のポイントは、自らおもむく、ところにあると思います。 まさに日本人好みであると思います。 ちなみに多くの日本女性は「イク」でアメリカ女性は「カム」だそうです。
865 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/09(日) 18:01:56
ならば、般若心経の話は一先ず置いといて。。。。。。。 日本女性の「イク」とアメリカ女性の「カム」について 、マンコに核弾頭氏とけちゃっぷ氏に 文化的考察をお願いしよう。
866 :
まよね〜ず :2005/10/09(日) 18:22:53
Oh,My God !!!に対抗して、Oh,My Buddha !!!と これから妻に言わすようにする!
>>866 だめ・・・ 無茶萎えるw
ってか、
「あ・・だめ・・・イ、イクッ・・!」
でいいじゃんw
868 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/09(日) 18:30:15
「あ・・だめ・・・イ、イクッ・・ギヤテー・・・・ギヤテー・・・うっふん。。・・・!」 はどう?
869 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/09(日) 19:34:36
Uhmmmm. I'm coming, daring. Ah.
870 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/09(日) 19:42:59
darling だな。typo
871 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/09(日) 19:47:02
come ━━ vi. (came; come) 〔俗〕 オルガスムスに達する, 「いく」.
872 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/09(日) 19:55:40
至れり、至れり。 いけ、いけ。 いく、いく。いっちゃう。
873 :
マンコに核弾頭 :2005/10/10(月) 00:56:57
アメリカ女は自分のところに来て当然と思っているのです。つまり傲慢。 だから義務を果たすより権利がまずありきなのです。 その点に関しては日本は謙虚といえます。「イク」は日本女に限らず、男性諸氏も同じ「イク」を使いますよね。 しかし自ら絶頂に趣くというよりも例えまだ射精(男性の場合)したくなくても精液が出てしまう、つまり逝かされるといえます。 またそれは、我々は「生かされている」、自分が生きているというより、神仏によって生かされているという考えにも繋がるのです。 これは根底に、欧米人(西洋人の多く)は自然とは人が支配すべきものという考えがありますが、日本人(東洋人の多く)は自然とは共存または人が自然に合わせるのが幸福な暮らしであるとする考えがあるからです。
874 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/10(月) 03:58:18
>>873 さすが、伊達に凄いHNを名乗っちゃいないね!☆
般若心経はちょっとお休みってことで・・・・・・・・イク・逝く話で
875 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/10(月) 10:02:47
『いく』という言葉こそ、般若の真髄じゃないの? 自分の意志を超えた、何らかの力がそこに働く、といった。
「イク」という感情は、日本人のこの身は借り物的な感情があるのではないでしょうか。 主体は精神、魂でありそれは、あるとき地獄、あるときは畜生、そしてある時は天へと おもむきます。 「カム」という感情はあくまで自分自身が主体であります。自分の中に超越的なものが やってくる。それははたして天使でありましょうか、それとも悪魔でありましょうか。
洋物AVなんか、もうありゃ日本人の感覚からすると けもの同士がやってるようで、いくら綺麗な綺麗な金髪パツキンねえちゃんでも 嫌悪感すらおぼえてくるぜ! また、ヤツら必ずと言っていいほどアナル・セク〜スもしやがるし、あいつら もはや人間じゃねえ! 畜生だ!ちくしょ〜〜〜! なあ、けちゃっぷクン。君もベテランだ、私とおんなじ意見だろ?!ニヤッ
878 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/10(月) 14:03:46
けちゃっぷ君のあれって、延々と何時までもしつこそう。。。。。んで、いいだろう?とか 何度も聞きそうだね! 自分ひとりイイ気持ちじゃだめなのよね、相手も満足させてあげないと。。。。でも。。 けちゃっぷ君
879 :
↑ :2005/10/10(月) 14:07:10
つづき でも。。 けちゃっぷ君 たら・・・じぶんばっかり得意にイイ気持ちになっちゃって・・・・ あたしも、いかせてほすい☆!
880 :
けちゃっぷ :2005/10/10(月) 18:58:36
10月10日に小学館から発売された『般若心経絵本』、もう御覧になりましたか? なかなかよかったですよ。ぎゃーてーぎゃーてーを唱えるという結論がちゃんと説かれていたし。 絵がかわいくてよかったよ!
881 :
年金キョクチョー :2005/10/10(月) 22:21:19
少子高齢化社会。 坊さんでもなんでもいいから、子を作ってください―――!!!
882 :
↑ :2005/10/11(火) 00:09:14
あらっ! 妻帯坊主を禁止スレとは意見を異にしますが・・・・・ 出来るだけ優秀な遺伝子お考えなら、坊さんでなくとも・・・・・。
883 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/11(火) 07:37:17
優秀な遺伝子の考えは夢のまた夢。 現実の今の世界を見てたら、適者生存なんて間違っているのが分かる。
やいっ、>>年金キョクチョー おめえは、自分の身を守ること。天下り先確保のことしかアタマにねえのか! せいぜい自分の葬式には、愛人にも産ませるぐらいの坊主たちを並ばせやがれ。
「アノクタラサンミャクサンボダイ」の項について、 どなたか解釈をお願いします。昔、レインボーマンが 変身する時に唱えていたのですが、なぜこの箇所を 唱えていたのか、知りたいのです。よろしくお願いします。
886 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/20(木) 22:46:50
>>855 この上なく正しいさとり。ほとけのさとりをあらわす言葉で、
言語 anutarasamyaksambodhi の音訳(似た音声の漢字にあてはめた)語だそうです。
意訳だと、無上正等覚とか、無上正遍道などと訳されるそうです。
887 :
超能力者 :2005/10/21(金) 20:16:47
霊感の強い人ほど心経を唱えると今までの悪いことが でてきて悪いことがでくした後にいいことが訪れます。
888 :
超能力者 :2005/10/21(金) 20:34:29
つまり心経を唱える者で霊界に通じる人ほど強い 唱え無いほうが言いといえるそして 災いがくるからです。
889 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/21(金) 21:16:52
なんか、悪いもんでも食いましたか?
890 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/21(金) 22:10:41
何のことだか・・・ 日本語なのか?
891 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/22(土) 07:15:12
幽霊を信じている人がいるのか?今の世で。
892 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/22(土) 08:21:45
幽霊は、般若心経の説く所では、いるのかいないのか不明のはず。
893 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/22(土) 16:37:23
マカーパラミターとガーテーガーテーの部分だけ当て字にしたのは 日本のポップスの多くが、曲のタイトルとかサビの部分に英語の歌詞 ってのに近いんじゃないの。 その国の思想をありがたがって輸入していたぐらいだから その国の言葉にも憧憬があったのではないかな。 Lets get SATORI〜♪ ↓ 列下渡聡理 みたいな感じで
894 :
893 :2005/10/22(土) 17:31:03
895 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/22(土) 21:50:20
>>893 もろオカルトになっちまうんだけど・・・
真言には音そのものに力があるから。
サンスクリット語は音そのものに意味と力を持っているんだわ。
まあ、信じろとは言わないが、そういう考え方もあるということで。
896 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/22(土) 21:55:41
>>893 モットモらしく聞こえるが、お経は心経だけじゃないことを見落としている。
漢訳しないで音写するのは旧訳に多い。しかし旧訳には呪文は少ない。
897 :
聞けオルゴール :2005/10/24(月) 18:39:53
色即是空の本当の意味を知りたい人に教えます。 数年前、永六輔さんがNHKのテレビ番組「視点・論点」で分かりやすく 般若心経の「空」の話をしていました。 彼によると「空」は「ドーナツの穴の様なもの」だということです。 「その心は?穴は在るけれどもない、ないけれども在る。」ということらしいですよ。 「在るけれどもない、ないけれども在るのが空である。」というのが結論なんですって。 「色即是空」でその結論とやらを試してみましょう。 「色即是空」を「肉体は空である。」と仮に翻訳しておきましょう。 「肉体は、在るけれどもない、ないけれども在るんだよ。」となりますね。 これは、現実的にはナンセンスですね。ここで永六輔さんも自分の喋っていることに疑問を感じ、口籠ってしまわれました。 番組は後味悪く終わりましたが、永六輔さんが分かりやすく 般若心経の「空」を視聴者に伝えたいと思う気持ちは立派だと思いました。 「ほしかったですね、もう少しだったんですよ、永六輔さん。 在るけれどもない、ないけれども在るものを具体的に考えてみれば正解が出てたのに、残念!!!」 はいっ!正解は「名前」ですね。 「色」は「この世の森羅万象全てのもの」のことです。 「もの」には「名前」が在ります。 しかし、「もの」の中から「名前」を取出して「これが名前ですよ」と見せることはできませんね。 でも「名前」のない「もの」は在りません。 「名前」は取出して見せることはできないけれども「もの」には在るんですね。 ということで、「もの」は「名前」に他ならないのですよ。 つまり「色」は「名前」であり、「名前」は「空」に他ならないという結論になるのです。 存在するものには全て名前がある。 名前のないものは存在しない。 名無しのごんべいはいない。 「吾輩は猫である」 の猫にも「名前はまだ無い 猫」という名前がある。 最終結論:「名前」とは全ての「もの」が持っている「属性」であり、「名前」の他にこのような「属性」は存在しない。 この、全ての「もの」が持っている「属性」のことを「空」というのであり、「名前」は「空」に他ならないのである。
898 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/24(月) 22:52:15
状態は名前ではありませぬ。
899 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/24(月) 23:33:09
永六輔と柳澤桂子両氏の対談を 着服、着服のエヌエチケ〜が 企画/放送しそうな悪寒。
900 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/25(火) 06:07:57
仏教は心識で考えているうちは、理解できないでしょう。 仏が仏に伝える。唯佛与佛ですよ。
901 :
聞けオルゴール :2005/10/25(火) 14:20:41
名前を使わないで理解できる人がいたら会ってみたい。 「状態」も「唯佛与佛」も名前ですよ。 人間は名前を使わないと生きていけないかなしい存在なのです。
902 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/25(火) 19:01:36
>>901 名前を使って理解できるのは、悟る方法でしょう。
悟り自体は名前を使って表現できないけど、修行しかたは名前で表現できる。
903 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/25(火) 19:41:11
状態は名前ではありません。 公孫龍「白馬は馬にあらず」 「あなたはアフォである」←あなたはアフォという名前ではありません。
904 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/25(火) 21:11:38
>>901 そうすると・・・
言葉が生まれる前の時代の人間達はどうやって生きていたんでしょうかね。
また、人に発見されてない物質などには名前はついてませんよね。
それでも、名前は全てのものが持つ属性なのでしょうか。
広い宇宙には人がまだ知り得ぬものがたくさんあると思います。
そうしたものまで全部一括りに「名前がまだついていないもの」として
しまうのですか?
905 :
聞けオルゴール :2005/10/25(火) 21:23:06
そのとおりです。よく理解していらっしゃいます。 「言葉が生まれる前の時代の人間達」を「人間」と呼ぶのですか?
906 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/25(火) 21:27:26
諸君。もう一歩だ。 言葉を信じるな。 しかし、説明は言葉によらざるを得ない。 これが般若経だ。
907 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/25(火) 21:53:10
>>905 >「言葉が生まれる前の時代の人間達」を「人間」と呼ぶのですか?
あの・・・ 私が問題にしてるのは、言葉が生まれる前の時代の人間達が
どのように生きていたのか、ですよ。
今の私が彼らをどのように呼ぶかではないんですよ。
それに、人間に全く関わらずに存在しているものたちはどうやって名前を
手に入れているんでしょうね。 人間に知られてないからということで
全て一括りで個性もないのですか?
シュレーディンガーの猫の話でもしたいのかな。。。
また、人間にその存在すら想定されていないようなものについては
名前を得られないわけですよね。
全てのものに名前がついている、これを裏返せば名前の無いものは存在しない。
そうしたら、人間に知覚されないものは存在し得ないということですか?
そういう話が般若経なんだということなら納得ですが、そうでなければあまりに
雑な理論の気がしてなりません。
908 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/25(火) 22:04:21
>>907 「言葉」というのは、言語のみではないですよね。
今の議論で言われているのは、分別判断すべてのことじゃないでしょうか?
味覚で、食べられる・食べられないを判断するのもそれです。
相手が噛み付いてきたら怒っているとかの判断もそうです。
909 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/25(火) 22:10:55
般若経では、諸法は名字のみである、といっています。 しかし、般若経は量子力学のようなものではありません。
910 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/25(火) 22:18:58
907さんの完勝ですね。
911 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/25(火) 22:21:13
>>908 それなら話は全く違いますよ。
名前と分別判断は全く違いますよね。
また、言葉と判断も違いますよね。
しかし、聞けオルゴールさんは違う話をしてるみたいなんです。
話は名前は空だというところから始まったんですよね。
>つまり「色」は「名前」であり、「名前」は「空」に他ならないという結論になるのです。
ぜ〜んぶ名前ですか? その奥にある認識そのものを取り上げるのならともかく
名前そのものが全てなんですか?
ここを確認したくてレスをしたんですが。。。
912 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/25(火) 22:27:00
>>910 いや、すいません、なんかけんか腰になってしまったようです。
2chでの習性で、議論になるとどうしても熱くなってしまって・・・
失礼しました。
913 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/25(火) 22:30:26
全ては名前と文字である、というのが般若経です。 般若経では、認識(認知)できないことを不可得を呼び、空の説明としています。
914 :
聞けオルゴール :2005/10/25(火) 22:32:55
>>903 「あなたはアフォである」いう素敵な例を出していただいたので
この例を使って説明します。
「あなたはアフォである」を「あなた=アフォという名前」と混同してらっしゃいますね。
「AはBである」と「A=B」は違うということをほとんどの人が分かっていません。
「AはBである」は「AはBという集合に属する」という意味です。
「A=B」は「AとBは同値である」という意味です。
よって「あなたはアフォである」は「あなたはアフォという集合に属する」という意味ですね。
つぎに、「アフォ」があなたのおっしゃるように「状態」だとしましょう。
「状態」も「状態」という名前の集合です。
なぜなら森羅万象すべて「森羅万象」という名前の集合の要素だからです。
また集合「森羅万象」の要素はそれぞれの名前を持つ集合なのです。
集合「状態」の要素は集合「アフォ」、集合「テイノウ」、集合「エライ」、集合「キレイ」等々
です。
このように集合にはすべて名前があるのです。
さて、以上を踏まえて「あなたはアフォである」を解釈してみましょう。
「アフォ」は「状態」である。
「状態」は「名前」である。
故に「アフォ」は「名前」である。
故に「あなたはアフォという状態の名前に属する」
結論:すべての人間は集合「X」という名前に属する。
森羅万象は名前であり「空」も例外ではない。
915 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/25(火) 22:42:00
3行くらいにまとめてください。
916 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/25(火) 22:44:00
>>914 なんと説明すればいいのか・・・
あなたの話は名前をつける人間という存在あっての話ですよね。
では、人間が生まれる前には名前というものも存在し得なかったのですから、
その当時には何も存在しなかったということになりませんか?
人間が生まれ、言葉が生まれ、名付けられた瞬間にものが生まれるのですか?
それであれば、名付けられる前は存在していないのですから、何に対して
どうやって名付けるのでしょうね。
やはり、最初は名前が無かったものに名前をつけたのではないですか?
だとしたら・・・ 名前がないものも存在してますよね。 その時までは。
なんでもそうだと思いますが、まずは新発見があり、その後に名前がつきますよね。
新惑星などでもそうではないでしょうか。
917 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/25(火) 22:46:00
状態は縁である。 「アフォ」は「名前」である。 「名前」は「状態」である。あなたはアフォに縁があるのである。 故に「アフォ」は「状態」である。 故に「あなたはアフォという名前の状態に属する」 結論:すべての人間は集合「X」という状態に属する。 森羅万象は状態であり「空」も例外ではない。 ということですね。了解しました。
918 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/25(火) 22:46:23
>結論:すべての人間は集合「X」という名前に属する。 >森羅万象は名前であり「空」も例外ではない。 ということでしょ。原稿料も出ないのにご苦労様。 だから、般若経には空空という空のカテゴリーが説かれています。
919 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/25(火) 22:49:06
ただの質問ならいいでしょうが、般若経の摘要を知らずに議論するのもどうかと思います。
920 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/25(火) 23:02:00
>>916 「人間が生まれる前」をあなたも私も体験したことないですよね。
てことは、「人間が生まれる前」という前提自体も言葉にすぎず実体がないのでは?
921 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/25(火) 23:09:16
>>920 そのとおり。
この種の議論は戯論に過ぎないのです。
戯論を遠離することが般若経の教えでもあります。
般若心経にある『遠離一切顛倒夢想』ですね。
922 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/25(火) 23:10:16
>>916 あなたは、名前のないものの存在を具体的に知っているのですか?
知らないでしょう?
名前のないものは存在しないというのは、認識に於いてという意味だと一連のレスから理解したけど違うの?
指示語と指示対象の話じゃないの? >>ALL
923 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/25(火) 23:10:59
他スレで勉強しました。 人間は20万年前の一人の女性「ミトコンドリア・イブ」から始まります。 その前は猿です。
924 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/25(火) 23:13:36
存在するものは名字でしかない。空だからです。
925 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/25(火) 23:16:25
あなたは存在していますか。 自分の存在、それだけは疑いようがない。 「我思う、故に我在り」なのです。
926 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/25(火) 23:20:03
般若経はデカルトではないのです。 「我思う」は「我は存在していると思っている」ということです。 般若経〜華厳経〜唯識と連なる大乗仏教の流れです。
927 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/25(火) 23:25:06
般若経では、一切諸法は名字である。 華厳経では、三界唯心。 唯識はこれをさらに展開します。 デカルトなどとは根本的にちがいます。
928 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/25(火) 23:30:40
>>927 いいことを言った。
>デカルトなどとは根本的にちがいます。
つまり、世の中にはいろいろな考えがある、ということです。
般若経だろうが華厳経だろうが唯識だろうが
いちいち、そんなことに固執するな。それが仏教の本質。
929 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/25(火) 23:51:04
>>920 それを言ったら全て実体がないですね。
まあ、結論はそこに落ち着くのだと思いますが。
>>921 私は全てが名前だ、という論に対しての意見を述べたつもりです。
全ては実体がないという話ならわかりますが、全ては名前だという
話は納得できなかったので。
それも意味無しとされるなら、なにも言えなくなってしまいますね。
>>922 だから、存在しないというのは認識においてだという話なら、何も
反論はなかったんですよ。 でも、そうではなさそうだったので。。。
>存在するものには全て名前がある。
>名前のないものは存在しない。
だそうなので。
>>897 を参照してください。
>>924 なら、その名字というものを最初につくったのは誰なんですか?
930 :
922 :2005/10/26(水) 00:06:25
>>929 >>897 の文をまともに読んだのか!?
おいら、縦読みを探すことすらしなかったぞw
あんな文章はスルーしなきゃw
あ、と思ったら、
>>911 でちゃんと説明されてましたね・・・(^^;)
失礼しましたw m(_ _)m
けどまぁ、
>901は荒っぽいが的を射てると思うし
>905は、名前がついていないもの(=個別的指示対象となりえていないもの)は『存在しないに等しい』
という意味だと受け留められたので。
逆に言うと、実在しないものでも、言葉で指し示すことによって
あたかも実在しているように認識できてしまうのが人間の怖い所ですがw
931 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/26(水) 00:13:11
>>930 すいません・・・
普段は荒んだ板に常駐してるもので、どうしても議論になると
ムキになってしまって。。。
失礼しました。
ホントは名前の話から認識の話を引き出し、その先の話をしたかったんです。
ただ、今日はいつもより更にカッカときてしまっているようですので、これで
退散します。
932 :
922 :2005/10/26(水) 00:20:01
>>931 おやすみなさいw
そういえば、「初めに言葉があった」なんて句が
どこかの聖書にあったような・・・w
<⌒/ヽ-、___ z z z z z
/<_/____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
933 :
922 :2005/10/26(水) 00:34:09
934 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/26(水) 01:29:28
>>932 はじめに言葉があったんですよね。
赤ちゃんにとって世界はどのように認識されているのでしょう。
赤ちゃんの認識世界において、言葉によって分別されて存在が創造されていくのではないでしょうか?
「ママ」という名称を赤ちゃんが理解した時、赤ちゃんの世界に初めてママが創造される。
そのうち、ママが人であることや女であることなどを、「人」「女」という言葉によって分別していく。
聖書で最初に創られた人間が男女カップルなのは、赤ちゃんが最初に認識するのが父と母だからではないかと、よく思ったりします。
人間が神に似せて創られたというのは、創造主=赤ちゃん自身が、人間だからなんですよね。
保育士さんに発達心理学を教えてもらって、聖書を発達心理学で読むとおもしろいかも。
935 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/26(水) 07:24:36
(⌒─-⌒) ((´・ω・`))ママ ゚し-J゚
>>930 >おいら、縦読みを探すことすらしなかったぞw
ワロタ www
937 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/26(水) 22:22:58
>>929 般若経に書いてあることに反論されても、答えようがありません。
すべては般若経を受けるか受けないか、ですね。
仏教を取るか、デカルトを初めとする近代ヨーロッパを取るか、
というと大袈裟ですが、仏教徒のなかにはそういう人も多いです。
そもそも空ってなに? 三行以内で
939 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/27(木) 22:26:21
変わっていきます。 壊れていきます。 不安定です。
940 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/28(金) 11:30:42
存在の本質です。 実存の属性。 イデア。
941 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/28(金) 12:26:02
般若心経は一般の人はあげないほうが良いらしい。 観音経がいいと聞いた。
・・・
943 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/28(金) 19:51:42
>>941 一般には、本尊礼拝に『般若心経』、祖先礼拝に『観音経』(偈だけでも)
944 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/28(金) 20:48:38
>>938 少し違う切り口で表現してみると (中身が甘いかもしれんけど)
量子のスープ
全ての原材料
根っこ
945 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/28(金) 20:52:41
>>938 『空』は、なにものでもない。
世俗の常識では説明できないから『空』と呼ぶ。
つまり言語の不完全さを露呈している。
946 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/28(金) 20:55:24
どのお経であれ、祝詞であれ、あげる当人が意味をわかっていなければ 台無しだと思う。
947 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/28(金) 21:03:15
>>946 その考えには俄かに賛成出来ない。
お経や祝詞などの意味は深遠で簡単に意味を理解しきれるものでは無い。
また学者のように研究し意味を分ればそれでいいというものでもないと思う。
948 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/28(金) 21:28:46
>>947 お経をあげることの意義を考えれば、賛成せざるを得ないでしょう。
思うのは個人の自由だが、それを判断するのは他人です。
949 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/28(金) 21:36:52
お経は意味を理解していなくとも唱 誦する。増してや真言や陀羅尼に
至っては尚更である。
お経や真言は意味を理解していなくとも其れなりの働きをするものである。
然るゆえに
>>946 の意見には賛成出来ない。
950 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/28(金) 21:42:55
>>949 それでも善い。やらないよりはマシです。
951 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/28(金) 21:56:43
得に真言の場合は意味にも価値あるかもしれないが、 特に音に意味があるでしょ。 祝詞も同様の面があるよ。 旨い物を食えばありがたいが、その旨い物が貴重で価値あるものだと わかればなお有り難い。 しかし、価値あるものだと知らなくても、有り難いことに変わりはない。 おれはそう思ってる。
952 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/28(金) 22:22:19
所詮、神仏を相手にするのにおいても、霊能力者でもない通常人は かなりの目上の人を相手するかのような心境であるべきかな? だとすれば、意味不明の文章を読み上げて、「それはどういう意味だ?」 ときかれて知りませぬ、では通らないと思う。
953 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/28(金) 22:26:16
だとしないから、まったく問題ありませぬ。
954 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/28(金) 22:41:02
955 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/28(金) 22:50:30
>>952 あげる以上は全くの無知よりは多少なりとも意味を
知っておくべき、というのは理解できるな。
まあ、祝詞やお経なんてのは雰囲気づくりの一環だ
から、ドラマやアニメのBGMと同じ。
>>952 に関しては、日本語は奇妙でした、
しかし、理由は考えました。
その結果、私が再び外国語を日本語に変えて、
それを治療しなかったかどうかに関係なく、
私はかつて書いているスタイルを隠すために
日本語を外国語に変えて、推論をしようとしました。
957 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/29(土) 01:49:58
具体的事象としてはズレがあるだろうが、 その意味するところの一つの受け止め方として チュッラ・パンタカのエピソードを思い起こしてみても良いのではないか・・・。
958 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/29(土) 08:17:04
パンタカの話こそ、機根のない人を教団に引き入れるための方便にほかなりません。 これをどう捉えるかは人によって違うでしょうが。
959 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/29(土) 09:35:45
【空】とは相互関係のことである
960 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/29(土) 23:23:45
般若心経はヴィトゲンシュタインなんですか?
961 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/30(日) 03:02:24
あなたには ものが あるがままに見えますか どうすれば ありのままに ものを見ることができますか わからないことが わからないことだと わかることが わかることです 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか 般若心経
963 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/30(日) 15:25:07
空とは 『その実体はよくわからない』 ということです。 照見五蘊皆空 は「あらゆるものは、実はよくわからない」ということがわかった ということです。 そして諸法も実はよくわからない、わからないから増えた減ったなどとはなかなか 言えない。 結局『わからないこと』は『わからない』 だから、われわれは「ギャーテイ・・・」を 唱えれば善いのだ。それは人知を超えた有難いものであるからである。 哲学者が指摘しているように、人類が滅亡した後も『真っ赤な夕焼け』というのは あるのでしょうか。
965 :
963 :2005/10/30(日) 15:52:37
>>964 やっぱ、そう思いますか。
自分でも書いてて、そう思いました。 m(_ _)ノ彡☆バンバン
>>965 まぁ、色々あるけど気にすんな! これが空。
967 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/30(日) 16:11:06
968 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/30(日) 17:45:45
>>963 空とは、「妄想だ」ということではないでしょうか?
真如・円成実性ではないのが、空だってことじゃないでしょうか?
色も受も想も行も識も、虚妄分別にほかならないので真如ではない。
虚妄分別以外に、色も受も想も行も識はありえない。
「ぎゃーてーぎゃーてー」を唱えている時も、どんどん妄想は浮かんでくる。
そのすべての妄想について、常にしっかり「空だ」と気付いて、
すぐに意識を「ぎゃーてーぎゃーてー」にもどす。
心はすぐに「ぎゃーてーぎゃーてー」から妄想に飛ぶ。
飛んだらまたもどせばいい。
妄想に飛んだらすぐ気付くための目安として、「ぎゃーてー」を設けておく。
「ぎゃーてー」から心が逸れたらすぐ気付けるように。
969 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/30(日) 19:01:30
970 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/30(日) 19:08:00
宗教音痴が揃ってああじゃないこうじゃない。といっても的外れでしょう。 空とは無相を意味し、無相はすなわち実相を意味する。 ま、いわば鶏が先か卵が先かといったようなものです。
971 :
名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/30(日) 19:31:57
>>970 鶏と卵の問題は、既に遺伝学的に解決しています。
卵が先なのです。
972 :
名無しさん@京都板じゃないよ :
2005/10/30(日) 20:09:44 >>970 貴殿も的外れです。
〜といったようなもの、という説明は誰も求めないでしょう。