>>55 『大般若経』は玄奘が般若経系のテキストを訳しそれをまとめたもの。
『八千頌般若経』や『二万五千頌般若経』、『理趣経』等々が含まれております。
般若経系のテキストは論の進め方は違っても
最終的には全て「般若波羅密多(正しい智慧)」とは何かを説いた経典です。
(大品の)『般若心経』は内容を要約すると
釈尊の加持力によって舎利子が観自在菩薩に般若波羅密多を得る方法を尋ね、
また釈尊の加持力によって観自在菩薩が般若(智慧)を得る方法を舎利子に答える、
結果、舎利子と観自在菩薩は共に正しい般若を得、めでたしめでたしという物語です。
これを読経する我々も同じように般若が得られるという経典です。
現在我々がお唱えしている小品の『般若心経』(大品から前後の物語を省き般若とは何かを説いている部分を抜粋したもの)
にも同じような御利益があります。
それは最後の「ガテーガテー」から始まる陀羅尼(般若菩薩の心真言)をお唱えし、
自分が般若菩薩と同一であると観じることによってたちまちに般若を得るというものです。
小品の『般若心経』は一見すると般若経系のテキストと内容が類似しているため
これは『大般若経』を要約したものである、と結論を出す方もおられます。
教理・哲理的にはそれはまったくその通りで疑う余地もありませんが、
後に『般若心経』を元とした般若を得るための瞑想法のテキストが多く誕生したことを考えれば
(チベット大蔵経や空海が請来した経典の中に多く残っています)
密教を学んだ僧であればこれは極初期の密教のテキストであると言い、
密教を学ばぬ僧であればこれは般若経系のテキストが完成した姿であると言うでしょう。