1 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :
みなさん、一生懸命書いてくれたので、また1000にならない内に
Ver.9が終わりそうです。終わりましたら、こちらに移って下さい。
日はペテン師。
3 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/09/07 09:26 ID:m8KrBjpd
正直に書いちゃうと、「法華経」を信じても、なんの功徳もないよ。
なんの助けもないよ。このことは「開目抄」で日蓮さんも書いている。
「開目抄」を読んで貰えば分かると思うけど、日蓮さんは、「法華の行
者」として一生懸命働いてきたのに、なぜ自分には、仏や菩薩、諸天善
神のご加護がないのか。なぜこの様にいろいろの難が降りかかってくる
のか。なぜこの様に苦しまなくてはならないのか。なぜ「法華経」に書
かれているような、救済があらわれないのか。
日蓮さんでも、「法華経」は救ってくれなかったんだ。しょうがない
ので、日蓮さんはこの様な苦しみは、前世の業の報いだ、としているけど
納得していないね。
Ver?9での
>>821の文は、この「開目抄」の後に書かれた御書です。この
とき本当の「法華経」が分かったと思うよ。
法華経には身障者差別につながる問題部分も多く、
どうしても、内容に優れた部分があり尊重したい、というならリライトすべき。
それが出来ないのは、「題目信仰」の形に変えてしまったから。
「お経」とはいえ、「ただの文章」なのだから、聖域にすべきではない。
その意味で日蓮は、信者が自由に法華経を考察し、書き直しする自由を奪った、と言える。
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/07 09:47 ID:BfRQ45w/
>というならリライトすべき。
仏典改竄を推奨すなw
>その意味で日蓮は、信者が自由に法華経を考察し、書き直しする自由を奪った、と言える。
んー、まぁ富士門の連中はどうせ法華経なんかろくに開いてないから良いんでない?
開くものはせいぜい御書か富士学関係か。
創価なら人間革命が新・法華経になるんかな?
>仏典改竄を推奨すなw
「ライ病」に関する問題部分などは、修正して、「修正履歴」をきちんと保存すれば問題なし。
そういえば学会の折伏経典の修正部分「長崎に原爆が落ちたのはキリスト教徒が多かったから」は、
修正履歴に残しているのだろうか?
それともアンチによって、保存していくしかないのだろうか?・・・
7 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/09/07 10:01 ID:m8KrBjpd
>どうしても、内容に優れた部分があり尊重したい、というならリライトすべき。
というか、本当に大切なことは書いていないんだよね。法華経でも、この経の
教えはとても難しく、普通の人にはとうてい理解できないとしている。
この経で仏に成れるけど、仏とは仏になれば分かる、としている。
>教えはとても難しく、普通の人にはとうてい理解できないとしている。<
そう、このあたりが、一部の人を「そそる」んだよね。
法華経の道を歩んでいるから「普通」ではないのだと、自尊心をくすぐられる。
多かれ少なかれ、カルトにはこうした心理があって、
「教義の破綻」を守り、「信者の自尊心」を守っている。
9 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/09/07 10:34 ID:m8KrBjpd
>8
あと、人を見下すような高慢な心も育てている。
なんか、法華経に関わるとろくなことないような感じしてきた
きっかけはぁーコンコン創価学会がそれを教えてくれたようなもの
その現象は現れてるよな
動物虐待殺害した少年。
路上生活者を集団で殺害した少年たち。
前世法華経を冒涜したから、障害者になったとか部落に生まれたなどど
代表者まで、だから黒人に生まれた言い出すしまつ。
結論
傲慢差別争いを生み出す。
これは人を不幸にする宗教である、
>>9 それはあるねえ、同志でさえも出生についてそう言う目で見る
役職者には正直言ってあきれた、しかし
>>11にある様に教義がそうだから
しょうがないね 正しいことなんでしょね 俺はついていけないけど
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/07 11:36 ID:CsT5DGF3
>>11 >その現象は現れてるよな
>動物虐待殺害した少年。
>路上生活者を集団で殺害した少年たち。
>前世法華経を冒涜したから、障害者になったとか部落に生まれたなどど
>代表者まで、だから黒人に生まれた言い出すしまつ。
結局、そういう「真理」次元での話(つまりそれらは事実なのかどうかという次元)
で「宗教」が横柄にのたまう現実が、まさしくあるわけだよな。
で、ならば「その根拠は?」と聞けば、「それは〜というお経に書いてあるからだ」
とのたまうわけだ。
結局誰かが勝手に書いてしまえば、それがどうとでも根拠にできるという論理に
なっているわけさ。勝手に書いた紙切れが「真理次元で横柄にものを述べる」根拠
になるという「論理」が「宗教」なのだな。それを「非論理」として糾弾し、
「明確な根拠によってしか真理次元での話はできない、そうしなければ非論理が
非論理を生みその再生産によって世界はカルトによって崩壊を余儀なくされることに
なる」のだというのがわたしの言ってきたこと。
それを「唯物論だ」とそれこそまた勝手に言い募っては、無意味なズレた議論を吹っか
けて来た馬鹿もまたいたわけだが、奴は自分の論理の詰まりからもう返答できなくなった
ようだがw。
>>14 明確な根拠によってしか真理次元での話はできない
明確な根拠って何でしょうか?
あなたの言う明確な根拠というのは、私が読んで思うに
今の時代の常識程度のことではないのでしょうか?
>>13 かなり電波な本だぞ(オレもってるから知ってるけど)
歴史考証の引き合いに出す本じゃないよな。
大体創価板で持ち出すような本じゃないだろ。富士門の連中が読んだら
「謗法だ!」って叫んで絶句するしかない内容じゃん。
法華経思想史の話がしたいなら創価大学文学部教授の菅野博史先生辺りが
書いた「法華経思想史から学ぶ仏教」辺りの方が正統派だろ。
(あの先生の書く本はかなり公正だと思う)
>>15 >明確な根拠って何でしょうか?
>あなたの言う明確な根拠というのは、私が読んで思うに
>今の時代の常識程度のことではないのでしょうか?
なぜそう考えるのだ?まずその根拠を言えw >
>>15 ところで百基○はつぶれたんかな?(藁)
>>17 >その現象は現れてるよな
>動物虐待殺害した少年。
>路上生活者を集団で殺害した少年たち。
>前世法華経を冒涜したから、障害者になったとか部落に生まれたなどど
>代表者まで、だから黒人に生まれた言い出すしまつ。
こういうことを挙げているでしょ。
別に真理とか宗教とか論理とか言わなくても今の常識で
「こんなこと、言ったり、したりしてはいけませんよ。」
ということです。
>>18 はあ?そうかい、それは行き違いだったな。おれが言っているのはそんなことなの
かあ?(藁
>前世法華経を冒涜したから、障害者になったとか部落に生まれたなどど
>代表者まで、だから黒人に生まれた言い出すしまつ。
真理次元で「前世法華経を冒涜したから、障害者になったとか部落に生まれたなどど
代表者まで、だから黒人に生まれた言い出す」のならば、なぜ「前世法華経を冒涜した
から、障害者になったりあるいは黒人に生まれたりする」のかの明確な根拠を述べなけ
ればならないはずだと言っているんだろ、おれはよ。
宗教はこうして根拠もなく「前世であなたは法華経を冒涜しました」などと
言い出すわけだな、それで「あなたは今生で不幸を味わっているのです」とな。
それが「事実である」という主張をする以上は、「事実であると主張できる
だけの根拠が必要」だと、当たり前の論理を述べているにすぎないな、おれはな。
ちゃんとわかったか?(藁)
20 :
H:03/09/07 15:11 ID:6jYVyyBR
>>19 ええ、そうですよ。その法華経の話については私も明確な根拠など
ないと思います。
で、改めて、あなたの言う明確な根拠とは?
真理次元での話をするための。
ブツ理先導人 ◆O1kx14oBys = T.R
>>21 >ええ、そうですよ。その法華経の話については私も明確な根拠などないと思います。
そうかい、それなら、おまえが
>>15 >あなたの言う明確な根拠というのは、私が読んで思うに今の時代の常識程度のことでは
>ないのでしょうか?
と言っていたのは、まさしくおれの言っていたことに対する錯誤であると認めるんだなw。
何せこんなことを言っていたわけだからな(藁)
>>18 >別に真理とか宗教とか論理とか言わなくても今の常識で「こんなこと、言ったり、
>したりしてはいけませんよ。」ということです。
おまえはあくまでも「社会常識」としての「他人への非礼」を「道徳的規範上の範囲
の常識として」おれの言った「明確な根拠」という言葉を読み違えたということを意味
している。誰が「根拠」という言葉が「道徳的規範」という論点で使うのだw?
そもそもが話の通じないやつだな、おまえは。(藁)
25 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/09/07 15:42 ID:fpHuVXT7
ブツ理さんの言いたいのは、前世の業とか、輪廻の思想がどう
いう理屈で動いているか、と言うことじゃないの。
>>24 >質問に対する(ry〜
それならおまえの論理はどうなのかは説明がないのかw?話のしかたの間違いを
指摘されて謝りも訂正もないおまえの態度がなってないと言っている。まずすなおに
他人の指摘に対応したレスを返してみせろ。
>>25 そうだよなあ。しかし○丸はアフォだよな(藁)
じゃあ、おまえの不誠実な態度にも関わらず、こちらはちゃんと返答してやろう。(藁)
法華経は過去に誰かが勝手に書いた物に過ぎない。だからそこには何ら「前世の存在」
だの「法華経誹謗するとその者は必ず身体障害で生まれる」だのの「根拠」を求めるわけ
にはいかんよな?
ならばなぜ宗教は、それを「真理の次元」で、さも「事実である」かのごとくに主張する
のか。それは明らかに間違っているだろう。それが「証明せられない主張」であるのなら
他人に物言う口で主張されるべき真理たり得はしないと述べている。
であるから、いかなる議論であれ、「真理次元で述べられるべき正当なる言説」として
認められるためには、それを「真理であるとして証明できる」ことが示せなければならない。
そのためには以下の要素が必要となる。。
1.根拠となる事実(群)
2.それらの根拠となる事実から一定の主張が導かれるまでの推論過程
3.その推論過程が正確であることの論理証明
4.すでにそれらを経た他の確認済みの真理事項との整合性の論理的証明
この4つが明示されなければならないという要請が、その新しい「真理主張」に対して要請
されるが、我々が科学として知っている探究の方法論とはすなわちこれを指している。
これらの過程を経た事項だけが、真理次元で生き残れる事項となる。「この過程を経たもの
以外は真理次元での断定的な主張を何らしてはならない」。その無根拠の教説を社会化させて
はならないと主張しているのみ。
「非論理をどんどん再生産する」・・・(*1)ところの「非論理の根となる断定主張」を根絶やし
にしなければならないと主張するだけである。(*1)をしているのが仮に「宗教という形態」
であるというのならば、その「宗教という形態」の(*1)の根源である「非論理の根となる
断定主張」も根絶やしにされなければならない。ただそれだけである。
わかったか?>○
T.Rうざいからやみる。
>>30 そうかい、そりゃご苦労w。
ところで、ひゃっきまるいるか?(藁
ここでもちゃんと書いておいてやったからよく読んでおけな。おれの
>>19、
>>26-27のどこが唯物論なのか証明しておけ。おまえもちゃんと真理次元での
断定主張をおれに対して間違いなく行なった以上、それを証明する義務と責任
が生じたことになるからだ。
わかったな>ひゃっきまる
>>27 1.根拠となる事実(群)について
根拠となる事実を、どうしてあなたは根拠となる事実として
認識するのか?
時間差で書き込みに行き違いがあるようです。
その点は失礼、それと私は、ひゃっきまるではありません。
>>30 >私は最初から質問してるんですよ。
仮にそうだとしても、
>>23はちゃんと読んだかw?今後は自分の間違いにも
ちゃんと気がつくようになれな。質問者にはその質問に対する返答への対応
上の間違いが指摘される場合も当然ながらあるはず。
おまえはそのくらいの常識もあったほうがいいだろうなw。>質問者○な
>>33 別におまえがひゃっきまるだなんておれは言ってないぜw。勘違いするなよ。
もっともおまえはが自分がそう言われたと勘違いするのは勝手だがなw。
>>32 >>27 1.根拠となる事実(群)について
>根拠となる事実を、どうしてあなたは根拠となる事実として
>認識するのか?
おいおい、どうしてまだ出て来てもいない根拠をおれに先行して判断させるのか?
もしそういう質問をするのなら、おまえが直接その根拠となる事例をあげて
質問するべきじゃないのか?何が出てくるのかなんて、出てくる前からどうして
おれに先にわかる?出てきた証拠が確かにそれを示す事実であると認定できるか
どうかを決めるのは別におれじゃないぜ。なぜおれ個人の論理判断にすべてが
ゆだねられなければならないと考えるのか?
>>35 なるほど、わたしがあなたに「これは根拠となる事実たりうるでしょうか?」
と、具体例を示すわけですね。
また、示したとしても、その全てにブツ理先導人さんが答えられるほど
自分は全ての分野の専門家ではないということでしょうか?
>>36 あえてあなたがわたしに質問する場合、そこには
1.その質問の内容によってわたしの個人の知り得る範囲や理解可能な範囲
での返答にならざるを得ない内容、と
2.一般的に誰でも判断可能な内容
のどちらも存在する場合はあるだろう。
それはあなたが仮にその判断根拠を持っているのだすれば、それを事例として
述べる場合に考慮されるべきだと述べている。
もし話が大きくて専門家など専門的な内容に通じた人々の判断、あるいは
実験的に確認を要することなどがあれば、それらの積み上げによってしか
解答が得られない場合もあるだろう。
それをあらゆる場合に関してここですべて結論しなければならないとは言え
ない。そういうことを述べている。
日蓮が言ったことは仮説。仮説の分際で態度がでかいのが日蓮の思想の特徴。
>>38 それは最澄にも空海にもイエスにも仏陀にもムハンマドにもあてはまる。
そして麻原や大川や池田や、ついでに言うと殆どの科学ずき、科学者にも。
>>39 実践を意識するものは誰もがそういう態度をとるものだ。
仮説だのなんだのと科学用語を現実に持ち込む考え方が未熟。
41 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/09/07 18:20 ID:hQb2KMzT
ついでに言うと、こういう問題に対してお釈迦様の答えは、「無記」。
42 :
13です:03/09/07 21:07 ID:fwAgb/eC
>>16さんへ
>>13 >かなり電波な本だぞ(オレもってるから知ってるけど)
十分承知しています。弘法大師が「降りている」のですから。私も、「理趣経」スレでは
電波本wなどという不敬なHNを使ってしまいましたが、ちょっと卑下しすぎたかなと
反省しております。
>歴史考証の引き合いに出す本じゃないよな。
私は歴史考証の引き合いで出したのではありません。理趣経の第四段観自在菩薩は
「観照の法門」といいますが、その三密の行法を紹介したいためです。弘法大師の
場合(というより真言密教は)、この観自在菩薩と法華経が連関しており、在世の
弘法大師は法華経の悟りのツールとして「観照曼荼羅」を使えと著書で表しています。
「日本国清浄曼荼羅」とは、この伝統的な観照曼荼羅の儀記に則って作成されています。
>大体創価板で持ち出すような本じゃないだろ。富士門の連中が読んだら
>「謗法だ!」って叫んで絶句するしかない内容じゃん。
興味本位の部分ではなく、法華経の行法として読むならば益は大きいと思います。
>法華経思想史の話がしたいなら創価大学文学部教授の菅野博史先生辺りが
>書いた「法華経思想史から学ぶ仏教」辺りの方が正統派だろ。
>(あの先生の書く本はかなり公正だと思う)
菅野先生の訳注で、「法華玄義、上中下」(第三文明社レクルス文庫)を持っています。
確かに正当派なのはよく分かります。しかし、菅野先生は「学者」であって
「修行者」ではありませんよね。学問として仏教を追求する姿勢は否定はしません。
しかし、一方で「実践」のためのノウハウの束でもあるんです、経論は・・・。
法華経は「学者」が著したと思いますか?それとも「童話作家」が慰めのために
著したと思いますか?インドの修行者が神秘体験のうちに霊覚をもって「法華経」は
著されたと「弘法大師の法華経」の著者は書いていますが、私もそんなものだと
思います。たとえば、日蓮曼荼羅を前に題目を唱えることの効能について、学問的に
どこまで切開できるのでしょうか?
43 :
16:03/09/08 11:03 ID:2ONVXKVu
行法として、なら私も特に異論は無いですよ。一つの方法ではあるでしょう>大倉式
私は密教詳しくないんだけど、あの人が霊能者でそれに則って読者に道の一つを示していることは
判ったつもりです。ですので、
>理趣経の第四段観自在菩薩は
>「観照の法門」といいますが、その三密の行法を紹介したいためです。弘法大師の
>場合(というより真言密教は)、この観自在菩薩と法華経が連関しており、在世の
>弘法大師は法華経の悟りのツールとして「観照曼荼羅」を使えと著書で表しています。
こういう話をするなら私も全く異論は無いのですよ。
ちなみに・・・
>投稿中に出てくる「日本国清浄曼荼羅」という曼荼羅の構造・教理については
>下の「理趣経」スレ(神社・仏閣板)を参照してみてください。
私も割合あの話に影響を受けて、なんがなし清浄曼荼羅を飾ってみたりしたのは内緒です(爆
ですが
>>13を見ると
>「法華経」は聖徳太子の頃には日本に入っていますね。当時は氏族間の抗争が目に余るようになり、
>聖徳太子は仏法を基礎に人に温和な心をもたらそうとしたようです。
>その後の宗祖たちも「法華経」を論じています。
こう来て
>下の本は弘法大師の法華経論です。
こう来てるわけです。
その後、紹介スレッドを挙げているわけですから
>>13を読んだ人で興味をもった方がいらっしゃったら
そちらに行けるかもしれません。が、興味をもつにしても
>>13だけを見るなら日本史的な話から続いて
大倉氏の本の名前が出てるわけですから・・・・
(続く)
44 :
16:03/09/08 11:08 ID:2ONVXKVu
まぁ
>>42を読んだところで
>>13の意図は了解できましたので。
菅野先生は学者だから「行者」としてはどうこう、って部分はほぼ同意しましょう(もしちゃんとした行法を
やってるんだったらごめんなさい>菅野先生)。
>インドの修行者が神秘体験のうちに霊覚をもって「法華経」は
>著されたと「弘法大師の法華経」の著者は書いていますが、私もそんなものだと
>思います。
これなんですけどね・・・・・・学術的にはまだ解明されてない部分です。
大乗経典を書いた人達がどんな人で、どういう意図をもってかかれたのか?という事は解明されていま
せん(というより研究しようが無いからす惟則するしかない話でしょうね)。現時点では平川彰博士の仏
塔教団起源説が主流だろうと思いますが、これとて確定ではないでしょう。
そういう意味ではいくら匿名掲示板とはいえ、あまり迂闊な事は私は言いたくないわけですね。
で、
>法華経は「学者」が著したと思いますか?
これなんですけど・・・思うんですけど、当時のインドで行者といえば僧侶ですよね?となれば学者でもあ
るし行者でもある、そういう存在だったんじゃないかなぁ?などと思ってますが。
この辺、いかがお考えでしょう?
>日蓮曼荼羅を前に題目を唱えることの効能について、学問的に
>どこまで切開できるのでしょうか?
あの本じゃ日蓮さんの曼荼羅は○○とはっきり言いきってましたね(さすがに伏せ字にしますよ)。
私はそれを確認する手段がございません。13さんが仰る通り学問的には解明しようの無い話でしょう。
だから大倉氏みたいな霊能者が自分なりの見解をその著書で述べるのは有意義な事だと思います。
でも1人の意見だけを聞いてそれを全面的に受け容れるのは私は同意できません。
できれば違う意見を聞いてみたいところではありますね(実際に拝んでる人達はおいといて)。
日蓮曼荼羅について、言及した他の霊能者の意見、ご存知でしょうか?
ご存知でしたらそちらも紹介お願いできますか?
45 :
:03/09/08 11:56 ID:MXIdcTL+
じっくり読んでないが
科学ってのは、現実を上手く説明できる理論を構築する試みで、
宗教ってのは、誰かが言った理論で世界が説明できるっていう主張だろ。
いずれも”最終的に”正しいか間違っているかなんてわからんだろうに。
ただキリストや仏陀は科学を目指していたのかもナぁ
47 :
16:03/09/08 15:30 ID:zpPW87/i
>>46 キリストは知らないけど、釈尊の主張は宗教臭い要素はなく、極めて合理的な話に
終始しているな、という感じを受けています(勿論彼の直説が残っているわけではなく
遺された書物:主に原始経典類から彼の思想を読み取るという努力によって得られた
結果。勿論努力したのは私じゃない)。
まだ勉強中なのでエラそうな事は言えませんが。
>>3お邪魔しますさん
>「開目抄」を読んで貰えば分かると思うけど、日蓮さんは、「法華の行
>者」として一生懸命働いてきたのに(中略)日蓮さんはこの様な苦しみは、
>前世の業の報いだ、としているけど納得していないね。
もう少し掘り下げて、お話して頂けないでしょうか?
俺の頭の中では断片的になってるので、知識として繋ぎ合わせたいんです。
開目抄....実家に有りますが近寄れません。
レスは時間がある時でけっこうです
宜しくお願いします。
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/08 17:00 ID:vMPWO4XR
たいがい教祖といわれて今に名を残す人というのは、何か真実を知ろうとし、
またそれを伝えようとしていた。
それは昔は科学とそれほど隔たりがなかったのじゃないだろうか。
大きな隔たりがあるのはそれを受け継ぐ者
アインシュタインの弟子を自認する者があったとしても
その論文を盲信し、そのタイトルを唱えようとは思わないだろう。
弟子たるもの、もし間違えがあれば訂正し、いつかアインシュタインを超えるようなものを
残したいと思うはず。
創価といいながら学会はいったいなにを作り出しうるのだろう?
50 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/09/08 20:52 ID:2dZCGvu0
>弟子たるもの、もし間違えがあれば訂正し、いつかアインシュタインを超えるようなものを
>残したいと思うはず。
浄土系で法然を超えた親鸞がそうだろうね。日蓮の場合あまりにも偉すぎて、親鸞
のような弟子が育たなかったのが、悲劇だね。
それから日蓮の浄土批判は法然が相手であって、親鸞じゃないんだよね。時代的に
は親鸞の方がずっとちかいんだけど。
>48悲しき3世さん、いま頭の中をまとめているからちょっと待ってね。ただ私として
は宗教を信じるから功徳があるんであって、功徳を求めるために宗教を信じるんじゃな
い、と思っている。
>>48さん これが日蓮が出した難にあう理由の結論じゃないの?
開目抄下(P231)
又守護神此国をすつるゆへに現罰なきか 謗法の世をば守護神すて去り
諸天まほるべからずかるがゆへに 正法を行ずるものにしるしなし還つて大難に値うべし
金光明経に云く「善業を修する者は日日に衰減す」等云云、
悪国・悪時これなり具さには立正安国論にかんがへたるがごとし。
また、守護神がこの国を捨てたために現罰がないのであろうか。謗法の世は、守護神が捨てて去ってしまい、
諸天も守ることはない。このために正法を行ずる者に、はっきりとした守護のあかしがない。
かえつて大難にあうのである。
全光明経には「善法を修する人は日に日に減衰する」 とある。
悪国・悪時とはこのことである。具体埼には立正安国論で論証した通りである。
52 :
42:03/09/09 00:21 ID:qpe9fF1A
>>43さん
>「法華経」は聖徳太子の頃には日本に入っていますね。当時は氏族間の抗争が目に余るようになり、
>聖徳太子は仏法を基礎に人に温和な心をもたらそうとしたようです。
>その後の宗祖たちも「法華経」を論じています。
こう来て
>下の本は弘法大師の法華経論です。
こう来てるわけです。
はい、私は法華経の概説史を紹介しようとしたのではなく、宗祖たちの中のうちから特に「弘法大師」の法華経論を取り上げて紹介したかったのです。文脈が短絡だったことはお詫びします。ちなみに、
著者は『弘法大師の法華経1』の中で一章を設け、「聖徳太子」、「最澄」、「道元」、「浄土教」
と法華経の関係を論述していますね。真言密教と「法華経」の関係を正面から扱った一般書というの
は、私の経験ではこれまで出合ったことのないものでして、この著書は希少性があると感じた為にと
りあげました。恥かしい話ですが、私自身、この著書に出会うまで、真剣に法華経を考えてみようと
いうこともありませんでした。
>法華経は「学者」が著したと思いますか?
これなんですけど・・・思うんですけど、当時のインドで行者といえば僧侶ですよね?となれば学者
でもあるし行者でもある、そういう存在だったんじゃないかなぁ?などと思ってますが。
この辺、いかがお考えでしょう?
「弘法大師の法華経」の著者は、修行者のうちで霊能のある者は一部であり、その又ごく一部が真の
仏界を垣間見ることが出来たにすぎない、というようなことを書いていました。私論ですが、この仏
界というもの、現界の経験世界とはぜいぶん様子が違っていて、時空の因果律が全然異なった世界な
んじゃないかと考えています。それを垣間見た行者は、現界の言語体系につづめて描写するのに相当
苦労したんじゃないかと・・・。「華厳経」の場合なんかもそうなんですけど、それを成し遂げた行
者は大変な教養の持ち主だったと思いますが、現代の「学問従事者」と同列に扱えるものなのかは
分かりません。
(つづく)
53 :
42:03/09/09 00:21 ID:qpe9fF1A
>だから大倉氏みたいな霊能者が自分なりの見解をその著書で述べるのは有意義な事だと思います。
>でも1人の意見だけを聞いてそれを全面的に受け容れるのは私は同意できません。
>できれば違う意見を聞いてみたいところではありますね(実際に拝んでる人達はおいといて)。
>日蓮曼荼羅について、言及した他の霊能者の意見、ご存知でしょうか?
>ご存知でしたらそちらも紹介お願いできますか?
曼荼羅の勤行ではありませんが、次のようなメルマガがあります。6月29日号から今のストーリー
が始まっていますので、読んでみてください。実践者の記録なので大変参考になると思います。
「潜在意識を活用する超人たち」
http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000056255 「日本国清浄曼荼羅」の前では「理趣経」を読経しますが、内容は一言で言って「自利利他」です。
上求菩提と下化衆生、あるいは己心の浄心行と、回向文にみられる利己を超越した大乗祈願とでも
いうべきものでしょうか。まあ、仏典はほとんどこのような構成になっていると思うんですけど。
前出のメルマガの内容と読み合わされて功徳のあり方を考えられると、何か得られるものがあるか
もしれません。
54 :
42:03/09/09 00:53 ID:qpe9fF1A
「理趣経」スレには、読経と真言題目の唱題の結果、「日本国清浄曼荼羅」に「えっ!」という
現象が起きたと書きました。それは、本当に最初の読経・唱題の時でして、「弘法大師の法華経」
は読了していたものの、内容を咀嚼していたとは言いがたい状態でした。それでも、現象が起きる
んですね。どんな現象かは、その再現性が期待できず客観性が乏しいと思うので、こと細かには
書きたくないのですが、しかし「弘法大師の法華経2」63pの記述がヒントになります。
一つの文字が多くを包み、また象徴に基づいた曼荼羅で経典を理解するという意味が説かれ、
その曼荼羅、種字に右、左の回転があると説く。このように宇宙は確かに渦があり回転して
いるのである。金剛界曼荼羅は各会に渦があり、九会全体が回転の渦の流れである。しかし、
日蓮の曼荼羅はあっちこっちから取り、ただ横一列に並べている単純なものである。これで
宇宙を表しているとはとてもいえないのである。
「日本国清浄曼荼羅」は読経者の咀嚼度とは関係なく、読経・真言題目唱題に反応する、何ら
かの「力」が備わっているようです。著書に附属する写真印刷の曼荼羅でも、本当に起きた現象
でした。そういう点でこの曼荼羅、本当に不思議なんですよね・・・。
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/09 02:50 ID:RH8DSC2S
ブツ理さんが言ってることはまあ概ね正しいとはおもうけどさ、
『「非論理の根となる断定主張」を根絶やしにしなければならない』っつーのはチョットね。
「非論理の根となる断定主張」があったって別にいいじゃん。
存在そのものを否定しちゃあ駄目でしょ。
>>50 お邪魔しますさん
三障四魔入りまくりの3世です。改めてどうぞ宜しくです。
Ver.10まで続いてるスレですので、当の昔に議論の対象になってるかと思いますが
今更疎い質問なんかで申し訳ないです...。
>ただ私としては宗教を信じるから功徳があるんであって
>功徳を求めるために宗教を信じるんじゃない、と思っている。
お邪魔しますさんの考えとして理解しますね。
>>51月影さん初めまして
後フォローとして受け取りました。有難う御座います
実は開目抄と観心本尊抄あたりが、ごちゃ混ぜなんですよね
>立正安国論で論証した通り
他国侵逼難、自界叛逆難って事ですか?
手元に学会に関する書籍が一切無い為、無知のうえ余計に辛いです(汗
論破出来ずとも、ある程度の知識を蓄えておかなきゃと
ある時期から思い始めて、ロムりながらこのスレにお邪魔した次第です。
レスが続いてる様なので、ひとまず落ちますね。
また幼稚な質問も有るかも知れませんが、相手にして下さい。
失礼しました。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆創価ハァハァ学会☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
-=-::.
/ \:\
.| ミ:::|
ミ|_≡=、´ `, ≡=_、 |;/
||..● .| ̄|. ● |─/ヽ
|ヽ二/ \二/ ∂ <まだVer.9が残ってるじゃないか?
/. ハ - −ハ |_/
http://society.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1059700987/l50 | ヽ/ヽ/\_ノ /|
. \、 ヽ二二/ヽ /
\i ___ /
イ ゝイノ | ヽ ← 総番(名誉会長)
|| ヘ 。 | /|
|| | 。 / | |
| | 。 / | | 彡彡ミ彡 ( )
|⌒| 。 | | 彡彡ミ彡 ()
\|` ヽ ヽ/ 彡'_、_ | () <長文ばかりで書き込めないっすよ
/|\人/\| __ミ.., _.ノ`ミ__━・~~~
|| || | | | | /| ゝイノ | \フッ
||/|| | | | | / '|| 。 || \
|| | | | | / /| 。 / |\ )
ヽ| | | |. ┌|⌒|_| 。 / |/⌒/ |
ヽ| | | || | | | 。 / _/ | | ← 手下(くびらィ)
| | | || |⌒|\人ヽノ|⌒| | |
| く__く >>  ̄\__ | ̄ヾ.くく
\ >. /ヽ.__/  ̄\./ ̄/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆創価ハァハァ男子部☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
,___ ,..-──....、
/: : /`ー-; : : : : :\
| : : / `ー'ヾ: :r'
ゝ:r' 29男 `i:}
r'`,〓〓、 ,〓〓_r'"7 <長文レスばかりだな、任用試験受けさすど
ゝ|-=・=┃┃=・=-┃/
l` ̄"・ ・'` ̄''" |
:、 -γ=- ./
` ._.. '
イ ゝイノ | ヽ ← 番長(男子部長)
|| ヘ 。 | /|
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| | 。 / | | 彡彡ミ彡 ( )
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\|` ヽ ヽ/ 彡'_、_ | () <落ちましたか?29男先輩
/|\人/\| __ミ.., _.ノ`ミ__━・~~~
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ヽ| | | |. ┌|⌒|_| 。 / |/⌒/ |
ヽ| | | || | | | 。 / _/ | | ← 手下(くびらィ)
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| く__く >>  ̄\__ | ̄ヾ.くく
\ >. /ヽ.__/  ̄\./ ̄/
>>56 私は日蓮に対し諸天の加護がない理由の説明のつもり
>立正安国論で論証した通り(この部分は下記部分と思われ)
夫れ四経の文朗かなり万人誰か疑わん 而るに盲瞽の輩迷惑の人妄に邪説を信じて正教を弁えず
故に天下世上・諸仏・衆経に於て捨離の心を生じて擁護の志無し
仇て善神聖人国を捨て所を去る、是を以て悪鬼外道災を成し難を致す
<四経>
・金光明経 (略
・大集経 (略
・仁王経 (略
・薬師経に云く「若し刹帝利・灌頂王等の災難起らん時所謂、人衆疾疫の難、他国侵逼の難・自界叛逆の難
・星宿変怪の難・日月薄触の難・非時風雨の難・過時不雨の難あらん」巳上。
でも私がここでちょっと変だなと思うのは、日蓮が『善神聖人国を捨て所を去る』の論拠を法華経以外から求めている点です。w
60 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/09/09 21:23 ID:V5gygrec
61 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/09/09 21:28 ID:V5gygrec
>3で書いてある日蓮さんの答えは
http://www4.justnet.ne.jp/~bekkann/goso0210.html#go0232 を開くと開目抄下に行きますから、左にある
(詮ずるところは天もすて給え)
のところをクリックすると
「詮(せん)ずるところは天(てん)もすて給(たま)え諸難(しょなん)にも
あえ身命(しんみょう)を期(ご)とせん........
我(われ)日本の柱とならむ我日本の眼目(がんもく)とならむ我日本の大
船(たいせん)とならむ等とちかいし願(がん)やぶるべからず。」
の文に行きます。そこから下に2段おりたところの
「我れ無始よりこのかた悪王と生れて法華経の行者の衣食・田畠等を奪いと
りせしこと・かずしらず、当世・日本国の諸人の法華経の山寺をたうすがご
とし、又法華経の行者の頸を刎(はねん)こと其の数をしらず此等の重罪(
じゅうざい)はたせるもあり・いまだ・はたさざるも・あるらん、果すも余
残いまだ・つきず生死を離るる時は必ず此の重罪(じゅうざい)をけしはてて
出離すべし、功徳は浅軽なり此等の罪は深重なり、権経を行ぜしには此の重
罪(じゅうざい)いまだ・をこらず鉄を熱にいた(甚)う・きたわざればきず隠
(かく)れてみえず、度度(たびたび)せむれば・きずあらはる、麻子(あさの
み)を・しぼるに・つよくせめざれば油(あぶら)少(すくな)きがごとし、今
(い)ま日蓮・強盛(ごうじょう)に国土(こくど)の謗法(ほうぼう)を責(せ)む
れば此(こ)の大難(だいなん)の来(きた)るは過去(かこ)の重罪(じゅうざい)
の今生(こんじょう)の護法(ごほう)に招(まね)き出(い)だせるなるべし、・・・。」
が日蓮さんの出した答えです。
またつづく
62 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/09/09 21:29 ID:V5gygrec
簡単に訳すと
「私は無始以来、悪王と生まれて、法華経の行者の衣食田畑等を奪い取
ったことは数知れない、当世日本国の人々が法華経の山寺を倒すのと同
様である。また法華経の行者の首を刎ねることも数知れない。これら重罪
には報いを受けたももあり、受けていないものもある。受けていても残余が
未だつきていない。生死を離れるときは必ずこの重罪を消しはてて出離しな
ければならない。・・・いま日蓮が盛んに国土の謗法を責めると、この大難
が来るのは、過去の重罪が今生の護法に招きだしたものであろう。」
現世の苦難は前世の謗法の悪行による。だから受難が大きければ大きい
ほど罪が早く消えるから、喜ぶべきである。それ故、もう少し下に書い
てある。
「天(てん)の加護(かご)なき事(こと)を疑(うたが)はざれ現世(げんせ)
の安穏(あんのん)ならざる事をなげかざれ」
となる。苦しめば苦しむほど喜べと言うんだけど、マゾじゃあるまいし私
は嫌だね。来世に楽になるより、今、生きていて楽な方がいいね。
続く
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/09 21:30 ID:V5gygrec
と言うわけで、もう一度「矢内原忠雄が語る日蓮」の「法難を喜びとする」
のところの二つの御書を見て下さい。
はじめの「最蓮房御返事」は開目抄から約二ヶ月後の文です。ただ、た
だ「法華経」を信じて良かったと、喜んでいるのね。
この喜びのまま、約一年後に「観心本尊抄」書き、そのまた二ヶ月後に書
いたのが、「諸法実相抄」です。もう嬉し涙が止まらない状態になっていま
す。仏のご加護や、いろいろな難にあったケチなことは、すっかりどっかに
ぶっ飛んでいる。どこにいようと、何が起ころうと自分の信じる「法華経」
と一緒にいられれば幸せなのね。幸せすぎて嬉し涙が止まらない。
どうしてこうなったかは、人によってそれぞれだから、自分なりに考えてみ
て下さい。答えが見つかったら、「法華経」や「日蓮」に対する見方がよりい
っそう深まりますよ。
ただ長い流罪生活で「お気の毒な状態」になったとだけは、考えないで下さい。
ではまた。
>59月影さん>60-63お邪魔しますさん 重ね重ねのレス有難うございます
以前からお二人のカキコは知ってましたが、やはりこのスレに来て正解でした。
HPの方は時間が有る時に、じっくりロムりたいと思います(正直難しい...)
脱会寸前の俺なんですが、決意とは裏腹に頭の何処かで何か過ぎる物があるんです。
きっかけは8月末に来たお袋からの手紙でした。
「私は何があっても祈る・ただひたすら祈る・今生で縁の深かった事を・・・
(中略)そして法華経の力を信じて生きていきます」
手紙の一文です。決して釣りでは有りません。
行き着く処は、一線介してやはり日蓮なんでしょうか?
今更日蓮大聖人を知ったところで、創価学会に対しての嫌悪感は変わりません。
ただ仏意仏勅の教団に準じ、日蓮の和合僧を自負する親達の想いって何なのか?
正直苦しいです・・・。
スレ違いの愚痴になるので、止めときますね
>どうしてこうなったかは、人によってそれぞれだから、自分なりに考えてみ
>て下さい。答えが見つかったら、「法華経」や「日蓮」に対する見方がよりい
>っそう深まりますよ。
噛み砕いて、頭の中で整理出来たら又レスしたいと思います。
65 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/09/13 16:46 ID:10+7g8D1
書けるかな。age
66 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/09/16 17:44 ID:/j9VvxME
般若が「無」なら法華は「有」だと思っている。いくら実体はないと言っても
苦しみはあるし、いくら命ははかないと言っても、今ここに生きているん。苦
しみがあるのなら、苦しみがあることを認めよう。必ず死んでしまうと言
っても、今生きているのなら、生きていることを認めよう。そして、有るからに
は、必ず、有ることに対しての意味が有ると考えよう。
開目抄で日蓮さんが、法華経を信じていて、法華経のために働いてきたのに
なぜ御守護がないのか、なぜ数々の難に会うのか、こう問うたのが間違いだと
気が付いたのではないか。日蓮さんは、どんな難に会おうとも、どんな罪を受
けようとも、自分は生きていくことしか道がない。日蓮は「法華の行者」と
して生きることが、自分が生きていることの意味だと。
日蓮さんにとって法華経は、御守護や功徳をくれる存在じゃないん。法華
経の方から、どう生きたか、その答えを求めてきているんだ。それに対して、
「法華の行者」として答えを出すことが日蓮さんの生きていることの意味なん
だ。
そう思ったとき、自分の住んでいる部屋の柱や、床、天井、外の草や木、
山、海、皆、法華経だと感じたのではないか。そして常に法華経に見守られて、
生きているんだと。
>>66 興味深い法華経観ですね。
でもなんか神道の汎神論のような感じが...
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/16 17:54 ID:9IU0pJ2V
>>66 後半は、フランクルのロゴセラピーのパクリじゃないか?
70 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/09/16 18:10 ID:/j9VvxME
>69
フランクルの「夜と霧」と言う本好きですよ。トランスパーソナル心理学
はかなり宗教的な科学だと思っています。
また、認識する主体によって、結果が変化するという、素粒子論にも興味が
あります。
>>66 般若は「無」ではなくて「空」だよ
「無」と「空」を混同してはいけない
また、般若は「色」でもある
>必ず
必ずなどと限定できるほど、人も、世の中も、宇宙も単純ではないし
>有ることに対しての意味が有ると考えよう。
その見方だけでは見えないものもある
>そう思ったとき、自分の住んでいる部屋の柱や、床、天井、外の草や木、
>山、海、皆、法華経だと感じたのではないか。そして常に法華経に見守られて、
>生きているんだと。
そこで、法華経に囚われて、執着してしまった
本当は、法華経ではなくて、仏と悟るべきだったのでは?
一人の男の執着が、ここまで禍根を残している
仏陀はそういうものを断ち切る教えを説いたのに
執着という魔道を歩いてしまったといえる
>>66 >そう思ったとき、自分の住んでいる部屋の柱や、床、天井、外の草や木、
>山、海、皆、法華経だと感じたのではないか。そして常に法華経に見守られて、
>生きているんだと。
普通、仏教徒なら法華経じゃなく仏を感じるもんだ。
まぁキリスト教徒やイスラム教徒なら神を感じるだろうし、
大方の日本人は八百万の神を感じるんじゃないか?
そういう意味では普遍性がありすぎて意味がないな
どのみち、視野の狭い宗教だから、必死になって広く見せようとしてるだけ
池田先生の発言見てもよーく分かることです。
74 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/09/18 09:28 ID:YGzYbCzZ
法華経の教えは”すべては一つ”の一乗の教えだから、汎神論的で良いんじゃないか。
あと学会の人に怒られるかも知れないけど、日蓮は本当に悟ったかな。滝口の法難で
命拾いをして、何か感じたことはあると思うけど、日蓮の教えは理論的過ぎて、なにか
超越思考とか神秘体験とかの、非倫理的な物を感じない。
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/18 09:34 ID:u8dZ+/CR
命を張って生き続けた事績のない今のぼんくらどもに
日蓮の教えが理解できる訳はなかろうよ
76 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆IByKs72gR2 :03/09/18 09:59 ID:EKlg5T5H
それはかいかぶりだと思いますね。ご自分に対する過大評価。
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/18 10:26 ID:u8dZ+/CR
皮つきウィンナー?
盆暗じゃないと?
78 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/09/18 10:42 ID:SqGU2IRT
ごめん
>非倫理的な物を感じない。
のところは、非合理的に直しておいて。
あと、創価学会に入っている人で、悟りを開いて仏になっ
た人がいるかい。池田氏は、釈迦と同じ仏かな?
79 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/09/18 11:18 ID:+Z5Lyjcr
>>78 悟りを開いたからって、仏になるわけじゃないよ
っていうか、そもそも、生まれながらにしてみな仏
81 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/09/18 12:30 ID:KvBLxcL5
>79
>生まれながらにしてみな仏
それは学会の言う「凡夫本仏」のことだけど、これを凡夫そのまま
が仏であるという、考えは私は採らない。この言葉が、どんな悪いこと
をやっても、仏の所為である、どんな悪口を言っても、仏としての言
葉である、という言動を正当化することになるから。
法華経の譬えには、長者の財産を受け取るには、糞カキから初めて
20年の下働きをしなければならない。襟に縫い込まれた宝石に気が
付くまで、長い流浪の旅をしなければならない。やっと着いたと思って
も、一晩寝たら化城は消えて、また長い旅に出なくてはならない。どん
なに口当たりの良い薬があっても、自分の準備が出来なければ、飲むこ
とが出来ない、と書いてある。
そんなもんじゃないかな。
長い間、苦しみ、悩み、追い求めて、やっと悟りというものが、かすかに
分かるんじゃないかな。すべてをやり終えて、やっと「凡夫本仏」と言う言
葉が出てくると思う。仏の知恵は仏になって初めて分かるんじゃないかな。
もしかしたら、一生涯かかっても、分からないかも知れないけど。
82 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/09/18 14:35 ID:+Z5Lyjcr
>>81 >それは学会の言う「凡夫本仏」のことだけど、これを凡夫そのまま
>が仏であるという、考えは私は採らない。
学会の言う「凡夫本佛」でないです
禅の考えです
>この言葉が、どんな悪いこと をやっても、仏の所為である、どんな悪口を言っても、
>仏としての言葉である、という言動を正当化することになるから。
仏なら、悪口など出ないよね。悪行などしないよね
魔道を進んでいるから悪行、悪口を行うんじゃないかな
83 :
ゆうポン:03/09/18 14:46 ID:07Oqjvim
>>81 あくまでひとつの考えですが・・・
お邪魔しますさんが言っているのは、変化相の仏(迹仏)です。
修行して何かを悟った状態ですね。
では、何を悟ったのかというと、全てはいつでもそのままで
素晴らしい仏(実仏)であるということです。「青い鳥」の物語に似てます。
仏を求めてさまよい続け辿り着いたのが自分であった。しかも
ずっと仏であったのに、それに気付かずにさまよっていたということです。
そこを出発点にすれば、無益な殺しやいじめ、環境破壊は減るでしょう。
全てをありのままに受け入れる心だけです。
特別なことではありません。自然に生きればいいのです。
絶対悪も絶対善もなく、その時、場、状況、観察視点によって変化します。
例えば、ひとつの行為がある生命に対して良くてもある生命にとっては悪になる。
それさえも不確かですが。
成仏は境涯とか人格があるレベルに達することを言っているのではありません。
成長は大事ですが、成仏と成長とを混同しているひとが多いです。
みんな、自分の言葉に酔いしれてるねぇ。
自分の実生活での具体的な場面を一つ一つ思い起こしてごらんよ。
悟ってますかー?
ありのままに受け入れてますかー?
自然に生きてますかー?
御歳、幾つですかー?
(^^)
>>84 >みんな、自分の言葉に酔いしれてるねぇ。
君もね(^^)
>>76 華麗なる波木井一族の一員?
それはかいかぶりだと思いますね。ご自分に対する過大評価。
実態はただの淫売屋!
おまけに玉無しのヘッポコ野郎だ!!
m(_ _)ノ彡☆バンバン、m(_ _)ノ彡☆バンバン、m(_ _)ノ彡☆バンバン、
>>83さん へ
歎異抄―第六条―(抜粋)
この親鸞は、一人の弟子も持っていません。
なぜなら、わたしのはからいで他の人に念仏させるのなら、
その人はわたしの弟子ともいえるでしょうが、
阿弥陀仏の働きに促されて念仏する人を、わたしの弟子などというのは、
まことに途方も無いことだからです。・・・・・(中略)
往生できないなどと言うのはとんでもないことです。
如来から頂いた信心を、まるで自分が与えたものであるかのように、取り返そうとでも言うのでしょうか。
そのようなことは、決してあってはならないことです。
>無益な殺しやいじめ
いやですね。
>自然に生きればいいのです。
禿同。
旅行っていいよね・・・・。帰国したので一言。
いつまでも、ありもしない「功徳」や「仏罰」に走らされず(組織の上層部の決めた目標ではなく)、
自分の本当に実現したい目標に向かって走ろう!!
日蓮や池田先生や法華経より、自分を尊重しよう!!
89 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/09/19 23:26 ID:izTPL61M
>82 Sbさんへ
>学会の言う「凡夫本佛」でないです
>禅の考えです
下の文章は、創価学会のホームページ「新会員の皆さんへ」から
持ってきました。しっかりと「凡夫本仏」が法華経の核心であり、
魂です、と書かれています。
>大聖人は、法華経に説かれている通りに、数々の大難を受け、その
>すべてに耐え抜き、民衆救済の振る舞いに徹し抜かれた勝利の姿を
>もって、一人の人間が、生命に本来そなわる仏界の偉大な力を湧現
>できることを、証明されたのです。
>凡夫がそのまま仏になる――これこそが、法華経の核心であり、魂で
>す。大聖人は大難の連続のなかで、この法華経の魂を身をもって示さ
>れたのです。
>>89 学会の教義は本覚思想を継いでるんだもの、別に恣意的に学会に矛先を向けずに
本覚思想そのものを批判すれば。
91 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/09/20 00:25 ID:9L3f8Oyo
このスレに浄土系の人が来ているけど、勘違いだったらごめんなさい、浄土宗
だと凡夫はまず悪人だと教えている。人は生きていく内に意識する、しないに
かかわらず、悪をなしている。また悪をなさずに生きることは出来ない。人間
は、神や仏と違うんだ、悪人だとしている。
学会では凡夫本仏と教え、”仏なら、悪口など出ないよね。悪行などしない
よね”との考えのもとに、学会に敵対するものに対する批判、他宗徒に対して
激しい折伏をしている。これらすべて、仏の意を受けた菩薩の行動としている。
このことがどれだけ多くの人を困らせているか、迷惑を掛けているか、怒ら
せているか、この板を読めばたくさん書いてある。
自分の心の中の闇、欲望、怒り、嫉妬その他諸々の悪を見つめ、それらに埋
もれている「仏」と言う種を見つけ育てて、やっと凡夫本仏と言えるんじゃな
いかな。
自分が仏であるから、何をしても良いと言うことではないと思うが。
それからゆうポンさん、チルチル、ミチルが自分の家で青い鳥を見つけるまで
長い旅をしてきたことを、お忘れなく。
ひゃっきまる氏が来なくなったね。
・・・あのころは、一般的でない「宗教造語」が我が物顔で飛び交っていて、変だった。
まず、「となりのオジサンとしての日蓮さん」と考えないとね。
「なにがなんでも日蓮さんはスゴイ!」では近所の笑い者になってしまう。
・・もし日蓮さんが、今でもとなりのアパートに住んでたら、ね。
あなたが崇拝者では、変、でしょ。
・・・時々、朝、日蓮さんがゴミ出ししてたりして、ね。
「燃えないゴミの日」を間違えて、近所のおばさんに注意されてたり、とか。
近所の習字教室に通ってたり、とか。
想像すると、可笑しいよね。
94 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/09/20 09:45 ID:m8nwB7kQ
>>89 いや、そうでなくて
やっぱ伝わらなかったか、すみませんつたない文章で
私の持っている考えかたがという意味でです
95 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/09/20 10:42 ID:m8nwB7kQ
>>89 読んだけど、ワラタ
ドラマチックなことに酔いしれてるだけだね
そもそも仏って具体的に何?
できればキリスト教や神道、他の仏教にはない”創価学会であればこそ”の解釈をお聞かせください。
日蓮って念仏関係の仏教徒の首を刎ねろって言った時点で仏教徒として失格や。
それ以上の議論は必要ないよ。
日蓮はおそらく日本に伝来した仏教には殆ど精通していなかったと
思われます。というのは、日蓮本人も認めていますが、日蓮が頼った
法華経の理解さえ、天台、最澄には遠く及ばないというのです。
また、他宗批判も表層的で揚げ足取りのようなものばかりなのです。
日蓮にとって精神的な支えとなったのは、唯一、法華経を奉ずるもの
は必ず救われるはずだ、という杓子定規な信念のみで、体系的な理解
に基づいてそのような信念が生じたとはとても思えません。
簡単に現代言葉で言えば原理主義者だったのでしょう。
結局、その個人的信念を裏打ちするように自己の経験を解釈していった
果てに、日蓮宗の立宗となったのでしょう。
つまり、日蓮系の教えというのは、個々人がかなり勝手に法華経を
自分解釈することに拠っているのであって、それこそ自己正当化の
論理の色合いが非常に強いと思われます。法華経を唯一の原点とする
ことは、そのような自由解釈の余地を押し広げ、結局、法華経の精神
そのものを失うことにつながるのではないかとも思いますが。
>日蓮にとって精神的な支えとなったのは、唯一、法華経を奉ずるもの
は必ず救われるはずだ。
日蓮は沙門で在り続けた。(釈迦の直弟子のつもり)
でも、大乗経典の殆どは声聞・縁覚がやっつけられる物語(シャリホツ、迦葉などは本当の直弟子)
そこで、二乗作仏を説く法華経がイイと日蓮は考えたのでしょうね。
*日蓮自身が自分と一般人を差別していた証でしょう。
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/20 15:38 ID:nvvrK4gr
ぎゃははははははははははははあははははひひひひふはははははははは
くだらねえっつうんだ糞が
日蓮ってぶっちゃけオリコウサンじゃなかったのかな?
あの頃、お坊さんになる人って賢い人でしょう?今の学者じゃん?
でも、どうもあまり賢くなさそうだよね。
というか、周りがぜんぜん見えてない。そこが不思議。
ひょっとしたら、ただの社会不適応者だったんじゃないか?って思う。
>そこで、二乗作仏を説く法華経がイイと日蓮は考えたのでしょうね。
あれま!層化は二乗をすごい軽視して、馬鹿にする代名詞のように使うのにね。
日蓮の言ったように時の権力者がそれに同調して他宗の僧の首を刎ねてたらどうなってたのかね。
日本の歴史は。考えただけでぞっとするよ。今の時代層化が権力を握ったらと思うのと同じだね。
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/20 21:59 ID:SEMkCVst
法華の業者、日蓮商人
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/20 22:11 ID:IViE3tla
池田大商人
106 :
アキ:03/09/20 22:15 ID:11Ro41xe
てか、よく知りもしないのに批判できるよね。
頭よくないのはどっちだよ??
あなたたちいくつですか?
こんな低レベルな言論してる暇あったらもっと他のこと出来るんじゃないの?
107 :
総務:03/09/20 22:24 ID:???
>>106 アキ様
じゃあ、見本みせて下さい。 よろしく!
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/20 22:26 ID:IViE3tla
>106
あんた誰?
それじゃ、日蓮の「四箇の格言」の正当性を立証してみよ。
109 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/09/20 22:33 ID:SEMkCVst
良いんじゃない。日蓮に対していろいろな見方があっても。反対にただ一つの
解釈しか許さない世の中方が、怖いと思うよ。
110 :
アキ:03/09/20 22:42 ID:11Ro41xe
さっきは名のりもしないですみませんっ♪
アキと申します。
質問の前に質問していいですか??
名無しさんは、どうしてそんなに学会の知識があるのに
学会批判をするのですか??
私には一体なぜそこまで嫌う人がいるのかが解らないんです。
質問にお答えする前に質問をしてすみません☆
4面があるから
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/20 22:54 ID:IViE3tla
すでに破られている論(法華経は直説、五時八教など)をいまだに使っているから。
113 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/09/20 23:38 ID:SEMkCVst
創価学会の教義以外の解釈を認めないから。
>>110 ニューヨークのテロの飛行機に、もしニッケンとヤマザキが乗り合わせていたら、
学会幹部は、他の死者のことも忘れて、聖教の4面で笑いのめすことでしょう。
そんな風に思われているのですよ。実際、そうでしょう?
学会メディアで「悪」「魔」とレッテルを貼った人間を、そのまま「悪」「魔」と信じて、
疑うことなく、組織的に叩く。気持ち悪いですよ。
私はね、身近な人間が不愉快な折伏にあって、ここに抗議に来るようになったのだけど、
その後、聖教新聞をとる機会があり、3ヶ月購読して、この宗教はカルトと確信しました。
おかしいよ。変ですよ。
>>89 >(創価学会の言ってること)
>凡夫がそのまま仏になる――これこそが、法華経の核心であり、魂で
>す。
この根底はですから要するに、マントラを唱えて自分の体内で内分泌腺からじわじわ
と噴出する内分泌液の効果であり、それが脳下垂体レベルで出ると自分が何かエライ
ものになったような「感覚」を与えるということに依拠している生理現象に過ぎません。
マントラのような連続唱音を続けるとそれが起きるようになっている人体の構造論的
生体反応に過ぎないわけですが、創価学会はそういう科学的な理解を意図的に避ける
ことで、宗教的神秘現象として「法華経」は「タイトル」が凄いからこれによらなけ
れば死ぬんだ駄目なんだボケなんだと言って信者・会員を騙しているだけのこと。
科学としてのメスがズバッと入ればこんな宗教モドキは一たまりもありません。
しかしそれをあくまでも「宗教」としておくことで「宗教運営者側の利益」を確保する
狙いがあるのです。そうすることで宗教を飯の種にできるからですね。
その生理現象を起こすから凄いということですね。
ダイモクは価値があるということになります。
「うんこうんこ」と唱えてもキチガイになるかもしれませんから、
「なむなむ…(最高経典の名前)」のほうが潜在意識に刻まれる
心理的効果が大であることは暗示というものを知っていれる人ならわかるでしょう。
仮に前世の悪業を懺悔するというのなら、それにふさわしい呪文にすればよかったもの
を敢えてこうして無意味の呪文にしておくのは、そういうましな精神をいれれば、世間に
はびこるずうずうしい宗教にできならからであることを悟っているからでもあるわけです。
もし「ずうずうしくやればいいんだ、諸法実相だ」と池田が言うのなら、それにマッチ
する呪文である必要があります。それがこの「南無妙法蓮華経」なのです。
そうであるからこそ、世間から富を布施という形で収奪して儲けて肥る構造がゆるされる
ことになり、それにふさわしい教義となっるのですね。これが創価学会という構造なのです。
>その生理現象を起こすから凄い
いいえ。それを宗教にしておくメリットは実は信者、会員には全然ありませんよ。
科学としての健康法として一般化すれば全世界の人のためになるほど洗練されたマシな
ものなったはずですが、一部の煽り側のみが利益を収奪するシステムにして喜びほくそ
えんでいるにすぎませんね。
正々堂々と科学としてしまって、一切の迷信と切り離してすっかりやってごらんなさい。
富の収奪システムとしての宗教という衣を全部剥ぎ取って、しっかり悪党もみな断罪して
しまいなさい。これまでの不当な収益の全部を信者にお返しなさい。
池田大作は身の不明を恥じて死になさい。これが正義です。
超能力というものはおそらく気功だのお題目念力だのでもわかるように、
おそらくあります。それで病気も治ることもあります。呪えばそれで他人を
不幸な気分にしたり、不注意を誘って転ばせたり交通事故で怪我させたり
するようなこともできる場合もあるのですが、まだ全世界の人がこういう
認識があるわけではありません。
「そういうことの科学」も今後は必要になるでしょう。何しろ気功では
脳波の同期変化んどの現象も確認され生体同士が電気的な信号を介して影響
を及ぼし合うこともすでに研究対象になっていますね。今後発展していく分野
でしょう。
飼い犬が主人のランダムに帰宅する時刻を変えても、ちゃんとそのタイミング
(なんと主人が100m程に近づいたときに)玄関の内側で待つという行動も実験
的に確認されていましたが、このように動物には他人の気配を感じるという
生体反応が備わっています。これは他人の念を知ったり気づいたり気配を感じ
たりする能力となってわかったりもする超感覚的知覚として知られていましたが、
宗教ではなく科学として研究される時代になりつつあるのです。
>>121(続き)
ですから、例えば、「真理でなくても」それがs「真理がのだ」と思え、「真理で
あろうがなかろうが」とにかく「信じたものが現実になるんだ」「=諸法実相だ」、
と教えていけば、要は「ウソでもホントでも念力の強い人間が勝つんだ」となって
行きますね。これが「創価学会池田大作の教え」ですね。
ですから、創価学会のような組織が一旦世の中にできると、もう「真理であるかどうか」
にはおかまいなしに、「ウソでもホントでも勝てばいんだ」「勝つためには呪文を唱えて
呪えば勝てるぞ」「どんどん呪え!」ということになり、最後に「勝てば勝ったものが
仏なんだ」(=池田語録にある現実の池田の言辞、前々々スレあたりに引用あり参照)
となって、しまいに「くそでもなんでも呪って勝てばいいんだ」となっていくことになる
わけです。
「そんな池田大作」でも、「ありがたいありがたい」と思い込んでやまない、いやむしろ
「そんな池田大作」こそが「正統的な法華経の授持者、菩薩」なのだという教義になる組織
すなわち創価学会という組織が世間にのさばってやまない状態になっているということなの
です。ここが「世界の真理」と「創価学会という欺瞞塊」との対決という紛れもない構造的
源泉的問題の根源が横たわっているのです。そしてそ欺瞞塊の宗教がその題目呪いという
武器によって他人の精神を破壊して信者、会員を拡大していくという吸血鬼現実があるという
ことなのでしょう。超能力、念力の科学もまた必要になることでしょう。あくまでも真理が
こうした他人の不幸を呪う妄想念力の源を破壊する必要がありますね。
やれやれ・・・
書かれていることが真実かどうかと、その経で今日の我々が救われるかは別でしょうが。
なんせ色々な経典で、末法ということが説かれているわけですから。
末法には釈尊自身が説いた経典には人々を救う力はなくなると。
でも、末法に自分の説いた経典がうそになるとは説いてないよなw。
いまどき末法もちだすのは、日蓮系の中でもカルトに分類されてるとこだけだよ。
どのような経過でそのような言い伝えが生まれたか勉強されてみてはどうでしょう
例え末法思想が後から作られたと分かっても。
そんなことで信心揺るぐものでもないしょう?
どうして創価学会は隠し続けるのですかね。
間違いは間違いと正しく教えないとそれこそ真実味なくすし恥じかきますよ。
>>125 マイトレーアが出現するのか?
いつだ末法!!
やれやれ・・・
法華経自体に末法がでてくる。
したがって法華経がらみの宗教で、末法について言わない宗教は、
法華経を否定しているといっても過言ではない。
そんなもんで、法華経否定されるのでしたら。
相当危ういですな。
基盤から再構築しなおした方がよろしいかと。
>>129 だから西暦何年から末法なんですかw
創価では教えてくれないの?
何年からって明示しないとその主張は意味ないじゃんwww
日蓮は病死した。功徳は無効だ。
法華経は誤訳だらけだ。
五時教判が因ではないだとか、果であるだとかいう話はどうした?
>>129 残念だが法華経に出てくる「末法」という単語は末法思想の末法とは何の関係も無い。
お前さんはどういう意味で末法を使ってるんだ?
知ったかぶって物書くと恥をかくだけだぞ。
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/04 08:53 ID:c2E7qXZ6
「西暦何年から」という話をしているところを見ると末法思想の末法と考えて
問題なさそうだな。
136 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/04 09:51 ID:OO3QvT/Y
末法とは、学会の出している「教学の基礎」によると
末法時代には仏法の中で様々な見解が入り乱れて
争う「闘靜堅固」の時を迎え、その中に釈尊の正
しい教えが埋没してしまう「白法隠没」の時代に
なってしまいます。
創価学会が唱えている「宇宙法界」、「宇宙のリズム」、「我即
宇宙」「宇宙即我」の教え、また輪廻の思想などはバラモン教の教
義であり、仏教本来の教えではありません。
この様に創価学会は末法の世において、バラモン教の教義を「唯一正
しい仏法」として強引におし広め、仏教本来の教えを「邪教」と唱えて
激しく攻撃している。
末法の世において、釈迦の教えを排斥し、間違った教えを押し広めて
いる元凶は創価学会に他ならない。
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/04 10:59 ID:6RTge9l2
創価は教学的には完全に戦略に失敗したわな。
殆どの批判は日蓮-法華経の正当性についてだもんな。
「今までの、全仏教経典は全て良い部分と欠点を持ち合わせている。
しかし、私は人が最も幸せになるエッセンスを確信した。」と池田氏が
早めに言って「新しい仏教を構築する」てやってれば教学的批判は少な
くとも回避できたんだなー。時期を逃したな。
あの折伏方法なら、日蓮も法華経がなくても例えば「新仏教解釈経典」でも
論理的には可能だな。だいたいは、祈願と実証の力によっているのだから。
法華経を読破している学会員は少ないのに、それでも折伏で結果出しているか
らな。日蓮と法華経に拠ったために、かえって学究肌からは「誤った仏教」
という烙印を押されてしまった。
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/04 11:01 ID:6RTge9l2
そういう精密なアレンジものの方が読みごたえがあるのにさ。
姿勢だけ日蓮を真似してさ。
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/04 11:07 ID:6RTge9l2
ま、池田氏は宗教団体経営者としては成功者だとは思うが、
哲学者としては駄目だったな。「大聖人直結」とか「法華経の行者」
とかさ、もう古臭くてセンスまるでなし。おかげで墓穴掘りまくり。
ここに出入りしている輩のなかから将来、全体系を網羅した上に
サンプリングして構築する能力があるやつがいるような気もする
んだがな。あとは意志の問題だな。
79 :日蓮は病死した。 :03/10/04 03:51 ID:???
日蓮は病死した。
法華経信仰でも病死した。功徳も仏罰も無効だ。
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/04 13:50 ID:wFGJOVtZ
>>134 では何の関係もないことを、ぜひ無知な私に説明してくださいよ。
地湧の菩薩がでてきた由来のあたりに末法が出てくる。
具体的にはたくさんの大菩薩が釈迦の滅後にこの法を広めることを誓う。
しかし釈迦はそれを断る。
滅度の後といっても、末法という時には非常に悪い人間ばかりいて、
とてもあなた方のように力のないものでは、広めるわけにはいかない。
私には久遠からの弟子がある。以下略
何を信じようといいんですよ。
宗教と主張するなら「はしは仏じゃぞ」でも信心の自由だから問題ないわけです。
反対に正確な知識があってそれを信じられないと言うのも自由です。
しかしね、他の宗派ではちゃんと研究されてて歴史認識として理解されてます。
末法思想持ち出すところは顕正会・創価学会・日蓮正宗系と他小団体で
比較的少ないですよ。
143 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/04 14:23 ID:YQgPWJwH
>140
釈迦も信者の供物のキノコに食あたりして、死んでしまった。
>>142 >何を信じようといいんですよ
これはすべての宗教に対する侮辱に当たるのでは?
信じた対象が正しければ、功徳が得られるとか、成仏するとか・・・etc.
信じた対象に間違いが含まれていれば、それなりの結果(最重要)となる。
特に南無には、帰命などの意味がある。
対象物の思想に染まる、説いている通りにしてくださいと祈る意味がある。
だから昔の日本中国インド他、仏教が盛んな国や時代には法論が盛んなのである。
どちらが正しいか、言論で争う。
そして(ここが大事)、法論に負けた側は、勝った側の宗派に改宗するのが決まりごとだった。
これは何も仏教に限ったことではない。キリスト教等も異端を追放したりしている。
何を信じてもいいんですよというのは、
宗教に対する考え違いか、そうでなければ無知、あるいは宗教には価値がないと考えている可能性がある。
日本でそういう布教活動がタブー視されるようになったのは、江戸時代からで、
その前は法論や布教活動は盛んに行われている。
もっとも厳密に前述の法論のルールが守られていたのは鎌倉時代ごろまでだったとか。
世界の総人口を100%とすると、学科員は0%です。
ありもしない功徳や仏罰で「組織活動」に時間を浪費させられないように気をつけよう!
世界の総人口を100%とすると、SGIの人口は0%です。
※ありもしない功徳や仏罰で「組織活動」走らされて、時間を浪費させられないように気をつけよう!
147 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/04 19:08 ID:Bu7VQ5ua
>>144 どこからそんな考えを持ち出した?。
自分の宗派だけが正しいと執着することが、迷いや、渇愛の元となる。
それは悟りから一番遠い道である。
或る人々が「最高の教えだ」と称するものを、他の人々は「下劣なものである」と称する。これらのうちで、どれが真実の説であるのか? かれらはすべて自分らこそ真理に達した者であると称しているのであるが。(903)
かれらは自分の教えを「完全である」と称し、他人の教えを「下劣である」という。かれらはこのように互いに異なった執見をいだいて論争し、めいめい自分の仮説を「真理である」と説く。(904)
もしも他人に非難されているがゆえに下劣であるというならば、諸々の教えのうちで勝れたものは一つもないことになろう。けだし世人はみな自己の説を堅く主張して、他人の教えを劣ったものだと説いているからである。(905)
(真の)バラモンは、他人に導かれるということがない。また諸々のことがらについて断定をして固執することもない。それゆえに、諸々の論争を超越している・・・。(906)
(中村元訳、『ブッダのことば スッタニパータ』、岩波文庫、197〜198頁)
148 :
144:03/10/04 19:41 ID:wFGJOVtZ
>>147 では、釈尊自身がやったことを否定するわけですね。
釈尊が自らをブッタと名乗ったあとには、
まず、今まで一緒に修行(バラモン:外道)してきた、きょう陳如(きょうじんにょ:字がなかった)等に説法して、
自分の弟子にした。つまり、内道である仏教に改宗させた。
彼らは修業のつらさに負けて修行を放棄した釈迦を無視しようと決めていたらしいが。
その他にも、詳しくは知らんが、当時有名なあるバラモンおよびその弟子たちの集団500人(人数は?)ほどを
法論にて改宗させている。(弟子にした)こんな例は他にもあるらしい。
もちろん釈迦の高名を聞いて自ら弟子になる例もいっぱいあるわけだが。
149 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/04 21:34 ID:Bu7VQ5ua
>>148さんへ
仏教ではまず自分の身を修める。そしてその人の姿が良かったら他の人も「ああなりたい」と
思って自らその人に付いてきて、教えを聞くと言う布教をしていた。
>もちろん釈迦の高名を聞いて自ら弟子になる例もいっぱいあるわけだが。
と言っているとおり、これが釈迦のにおける基本姿勢です。
>今まで一緒に修行(バラモン:外道)してきた、きょう陳如(きょうじんにょ:字がな
>かった)等に説法して、自分の弟子にした。つまり、内道である仏教に改宗させた。
>彼らは修業のつらさに負けて修行を放棄した釈迦を無視しようと決めていたらしいが。
この5人の比丘たちは釈迦が出家したとき、釈迦族の王が付けた家来であるという説
が有るのでもと王子としては無理矢理説教すると言うことができたが、それをしなかった。
5人の比丘が釈迦を迎えたときの様子を「初転法輪経」ではこう書いてある。
自分たちの方へ歩み寄ってくる釈尊を認めた五人の修行者は、脱落者を見る
ように侮蔑の感も露わに釈尊を迎えようと身構えていた。しかし、釈尊の姿を
間近にした時、ただならぬ釈尊の静かな尊さに気おされて、思わず知らず誰か
らともなく、ある者はその衣鉢を受け取り、またある者は座を設け、またある
者は足を洗う水を用意した。
つまり悟りを得た釈迦の容姿のすばらしさに惹かれ、自ら教えをうけた。決して
釈迦が無理矢理自分の教えを、説教したと言うことではない。
>では、釈尊自身がやったことを否定するわけですね。
シャカは「自分が一番」「唯我独尊」のドキュンだからな。
あのシャカというインド人が一番悪い。仕送り受けてたバカ王子。
>>141 だから、、法華経というのはスッタニパータだとかの本当の釈迦の悟りとは無関係
のバラモン教の経典なわけだよ。
そのバラモン教の経典だからこそ、末法だの、地湧の菩薩だのといったオカルト
チックな観念が書かれていて、本来の釈迦が「目覚めてブッダとなった、バラモン教
から目覚めて真理を知った人となった」、という話とは全然違うことが思想として
書かれているわけだよ。
そのニセモノ経典が予言するニセモノ菩薩が結局はバラモン教の教えを称揚する
ために、末法以後は元々のブッダの目覚めた人の主張ではなくて、元々のバラモン
教の教えを説いて回ることとだろうというのなら話は通じるということになるわけ
さ。
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/04 22:08 ID:Bu7VQ5ua
再び
>>144(148)さんへ
>当時有名なあるバラモンおよびその弟子たちの集団500人(人数は?)ほどを
>法論にて改宗させている。
これは舎利弗の事だと思われるので、そのいきさつを張り付けておく。
ある日5比丘の一人アッサジ(阿説示)が托鉢)のために王舎城市内に入って行きます
と、その姿を見ていた一人の修行者がおりました。アッサジの姿に感ずるところのあった
修行者は「この人はさぞかし名のある修行者、あるいはその仲間の一人であるに違いない。
私は、彼の師の名や奉じる教えを問うてみることにしよう」と。
師の名をという問いに対しては、アッサジは、当然、釈迦族から出た聖者のゴータマ・ブ
ッダ(シャカムニ・ブッダ)その人なりと答えました。が、その師の教えはという問いに対
する答えは容易ではありません。それで、「弟子となって日浅く詳しく説き示すことはでき
ないので要点だけ話しましょう」と断ってこのように語ったというのです。
諸法従縁起 如来説是因
彼法因縁尽 是大沙門説
諸法は因より生じるものであり、
それらの因を如来は説き、
またそれらの滅をも(説き)たまえり。
大沙門はこのように説きたまえり。
(律蔵大品1・23、南伝3・p.73参照)
この詩はとても有名で、縁起法頌と(あるいは縁起偈、法身偈、法身舎利偈〈ほっしんしゃ
りげ〉とも)いいます。
舎利弗にとってはこれで十分であったようです。彼は、以前一言しましたように、懐疑論
あるいは不可知論をとなえるサンジャヤの徒でありましたが、ものの因・縁を説くこの教え
は何かしら琴線に触れるものがあったのでしょう。
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/04 22:11 ID:Bu7VQ5ua
舎利弗にはとても仲のよい友人がいました。二人のうち先に永遠の真理を得た者は、必ず
他の一人に知らせるという約束をして、一緒に修行していたモッガラーナ(目連〈もくれん
〉)です。
例の教えの要点の詩によって、彼もまた法眼を得たというのです。そこで目連が提案しま
した、「釈尊の下に出向き彼を師として修行しようではないか」と。
二人には付き従っているサンジャヤの徒250人がいました。二人の勝手で行動するわけには
ゆきません。250人の弟子たちの前で弟子入りの件を諮ると、師とする舎利弗・目連の意思に
従うといいますので、250人の弟子ともども釈尊の教団に入門した、というわけです。
このとおり法論を挑んで、改宗させたわけではない。釈迦の(この場合は弟子だが)立ち居
振る舞い、思想のすばらしさに惹かれて入門したのです。
>>151(続き)
スッタニパータ=生まれ変わりだの、カルマだの、死後の世界だの、そういう
本来不可知の世界のことをああだこうだと想像して決めつけて哲学だとか
おちゃらけたことをいいなさんな、そんなものはどれが真理か何が真実か
など誰にもわからないではないか。そんな本来的に不可知な話しで現つを抜かして
勝手に宗教を作るのはおやめになって、むしろそういうお話から目覚めなさい。
法華経(サッダルマプンダーリカ)=人は輪廻転生してカルマを負って苦し
む。わたしは無限の昔から居てずっと昔に仏というすばらしい状態になって
いたが、いまこうして世間に現れて教えを説きに人間の姿で生まれてきた。
これまでのたくさんの人生を経て今こうして肉体を持って仏として現れたのだ。
この後、しばらくしてわたしの代わりにまた菩薩が生まれてその時代にふさ
わしい仕方で輪廻転生とカルマの真理を教え、そして新しい解脱の方法を
教えるだろう。
こういうことでしょうか。ですから後者は明らかにバラモン教ですね。よろ
しいですか。
155 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/04 22:20 ID:Bu7VQ5ua
すみません
>>152 >>153はお邪魔しますです。
もしあなたが池田先生の慈悲あふれる行動や、心を打つ立派な
言葉に惹かれて入門しているのなら、何も言うことはありません。
ただ他宗派のことを悪く言うのだけは辞めていただきたい。
語るのなら創価学会のすばらしさを、誰にでも分かるように、
簡単な言葉で話して貰いたい。
>>154(続き)
ですから、池田氏がバラモン教の経典である法華経に予言された通りに現れてきて
こうしてバラモン教を説いたのだというのなら、確かにそれはその通りでしょう。
従ってそれは明らかにバラモンの系統の教えになるはずです。法華経というバラモン
教の経典に依拠して現代においてもバラモン教を広めているのですね。よろしいで
しょうか。
で、道元なんかも実は禅でバラもン教とは別になったわけだったのにもかか
わらず、実際には法華経とやらを持ち上げていて、日蓮も拝読したと思われる
「修証義」などでまさしくバラモン教の教義を語っている次第だった。
何故に禅が法華経に関係するのかは今もって謎であるが、どうしても歴史上
日本仏教はやはりそうした錯誤の上に成り立っていると解釈せざるを得ない。それが日本仏教であると。
で、日蓮はその同じ錯誤の上にマントラを一つに固定した真言呪術教を広めて
自分の解釈としたということでしたね。彼もバラモン教の行者であり、題目
というマントラ行をヨーガとして広めた人物だったということであり、池田
氏はそれを悪用して自分の力を世間にはばからせるために人心を操った権力
志向の人物であったということでしょう。それに多くの人が騙されて引き
づられて今日の創価学会になったということでしょう。
158 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/04 22:40 ID:Bu7VQ5ua
ブツ理先導人 ◆O1kx14oBys さん今日は。創価学会が、バラモン教である事を証明する文献を
出してあげるね。
バラモン教の奥義書ウパニシャッドから「梵我一如の思想」を見てみよう
梵、すなわち「ブラフマン」と我、すなわち「アートマン」が同一であることを
知ることにより、永遠の至福に到達しようとする。これが梵我一如の思想である。
ブラフマンは、宇宙を支配する原理である。ブラフマンは、もともとは、ヴェーダ
の「ことば」を意味する語で、呪力に満ちた「賛歌」「呪句」を表した。やがて、そ
れらに内在する「神秘力」の意味で用いられるようになり、さらに、この力が宇宙を
支配すると理解されて「宇宙を支配する原理」とされた。
アートマンは、私という一個人の中にある個体原理で、私をこのように生かしている
「霊魂」であり、私をこのような私にしている「自我」、もしくは「人格」である。元
は、ドイツ語のAtem「息、呼吸」と同じ語源から生まれた語で、「息」を意味した。
ここから「生気」「霊魂」「身体」「自己自身」「自我」という意味が派生し、ついには
「個体を支配する原理」とみなされるにいたった。この語はさらに「ものの本質・本体」
という意味でも用いられる。
この宇宙原理「ブラフマン」と個体原理「アートマン」が本質において同一であると、
瞑想の中でありありと直観することを目指すのが梵我一如の思想である。これによって無
知と破滅が克服され、永遠の至福が得られるとする。
後にバラモン思想の主流となるヴェーダーンタ思想は、梵我一如の思想を発展させたもので
ある。また、大宇宙(梵)と小宇宙(我)の融合合一という考えは、その後の神秘主義思想に
くりかえしあらわれる。
159 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/04 22:40 ID:Bu7VQ5ua
そして創価学会女子部の公式ホームページHeRoiNe Netの「希望の扉」から
仏法では、小宇宙である人間が、自己を大宇宙の妙なるリズム
に合致させゆくことによって、幸福への軌道を歩んでいけること
を教えている。
「我即宇宙」「宇宙即我」であり、人間と自然とが、また人間同
士が、「共生」――共に生き、支え合いながら繁栄していくところ
に、人間本来の理想的な生き方があると説いている。
この2つがどう違うか、比べて下さい。
160 :
144:03/10/04 22:46 ID:???
>>149 お邪魔しますサン
自ら教えを受けるといっても、妄信した訳ではないでしょう。
そこには理解するための対話があったはずです。
法論といえば聞こえがあまりよくはありませんが、突き詰めて言えば対話です。
ただの対話と違う所は、正邪をはっきりさせるための戦いです。
勝った方が、負けた方に従うことです。
それから、
>当時有名なあるバラモンおよびその弟子たちの集団500人(人数は?)ほどを法論にて改宗させている。
今手元に資料がないので詳しくないのですが(申し訳ない)、
確か、火を尊ぶバラモンの一派があり、その長が後々名のある弟子になったのでは?
この方の弟もバラモンと。
こちらの方は完全な法論だったとか。
お邪魔します サンは資料が豊富のようですね。
註:サーリプッタとモッガラーナのことではないと思います。彼らは火を尊びましたっけ?
つづく
161 :
144:03/10/04 22:48 ID:???
>釈迦が無理矢理自分の教えを、説教したと言うことではない。
誰もこんなことは書きこしてないぞ。第一、無理やり説法とはどうやってやるのか?
釈迦は死ぬまで対話をしたし、しようとした。
慕ってくる者に説くこともしただろうし、法論を挑んでくるものもいただろう。
そういう者たちと釈迦が対話や法論をするときは、お互いが話し合いをすることを納得しているだろう。
無理やり説法なんて、ありえない。
立場上とかの問題があっても、聞きたくなければその場を立ち去ってもいいし、
釈迦はそれを無理やり引き止めて説法はしない・・・
それをしないということは、説法を聞くことを納得してる、と。
まあ、時の権力者に無理やり聞けと脅されたとしても、それは釈迦の本意ではないしね。
とにかく、何らかの形で釈迦は他人に自分の悟った所を伝えているわけですよ。
ある宗教にはこのような間違いがあるとか、仏教はこれこれこうだと。
>>142の>何を信じようといいんですよ。
と釈迦が思っていたなら、対話なんてしないのでは?
何で80くらいで病気で死ぬまで、弘教の旅をしたのか?
自分の考え(悟った教え)を出来るだけ多くの人に伝えるためではなかったのか?
真実以外の部分が含まれている他の宗教は真に人を救うことは出来ない、間違っていると。
外野を防ぐため、sage。
>>158-159 そうですね。まさしく一致、と言いたいところですが、創価学会におけるバラモン教は
実は「神秘主義」ではなくて、むしろ昔幸福製造機とさえ呼んだあり様からもわかるように
題目という単一のマントラに依拠ししかもそれを至上のマントラとしてそれ自体を
崇めつつ、現世を儲かる儲からないの次元で単純に幸福か不幸かを判断してしまうような
単純な魔術主義みたいな宗教でしたね。
手ごろにこじつけられた神秘は手ごろな金儲けの道具になり、そして天下征服のために
使われるだけのロボット軍団を生むためだけの宗教になったのでした。教祖はあくまでも
現世の殿様になって肥りに肥って糖尿病でレイプ摩だそうで、おぞましい思い込ませ宗教
の顛末でしたね。
分析はもういいから解決策を聞きたい
法論ね。。。間違っててもなんでもかんでも押し付けること
とにかく勝った勝った言うことが勧誘マニュアル。
一人の人間を集団で囲んで勧誘攻勢かけるのもそうだけど
創価学会のやってることは、法論じゃないよ。
マルチと同じで素人は近づかない方が無難。
http://society.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1062425791/131-133 学会には法論は、通用しない。野蛮な聴衆集めて妨害。
罵倒でかき消し、一方的に勝利と奇声を上げる。
相手が仏法の話できると思った事が間違いだったようだ。
何が何でも勝とうとする手段が、野次罵倒
宗教者たる人格からかけ離れてた行動。
相手は真っ当な宗教ではない、宗教やってるものが
対応するのでなく暴対組織警察が丁度良い。
165 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/05 01:14 ID:q9Ev6phM
>今手元に資料がないので詳しくないのですが(申し訳ない)、
確か、火を尊ぶバラモンの一派があり、その長が後々名のある弟子になったのでは?
この方の弟もバラモンと。
これはカーシャパ(迦葉)3兄弟の話だと思います。
私の手元の資料では、神通力と問答の結果弟子1000人を連れて
釈迦教団に入ったとされています。この辺の詳しい資料がありません。
また出てきたら書きます。
166 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/05 17:03 ID:AMA2k6wT
|カッサバ三兄弟
マガダ国のウルヴェーラ地方では、ウルヴェーラ・カッサパという百二十歳を越
える火の行者が、大きな勢力を誇っていました。そして彼にはナディーとガヤーと
いう二人の弟がおり、彼らにはそれぞれ五百人・三百人・二百人という、計千人の
弟子がいたのです。
ある時そこを通りかかったお釈迦(しゃか)さまは、ウルヴェーラの聖火堂に泊
めてもらいたいと頼みました。そして彼は「あの聖火堂には凶悪な毒竜が住んでい
ます。あなたの身に害がないよう願っております」と言い、お釈迦さまを招き入れ
たのです。しかし内心は、この名もない若造の力量を試すつもりでした。
翌朝、ウルヴェーラは「きっとあの若い修行僧は、私の飼っている毒竜に殺された
にちがいない」と思い、聖火堂の扉を開けました。すると中でお釈迦さまは静かに足
を組んで座っておられ、手に持った鉢(はち)の中には、魔力を失っておとなしくな
った毒竜がうずくまっていたのです。
これを見たウルヴェーラは大変驚き、ブッダの法力に畏敬(いけい)の念を持ちま
しが、自分のおごり高ぶった心をすぐに捨てることはできませんでした。しかしお釈
迦さまの数々の法力を目の当たりにし、ついに自分の力がお釈迦さまに遠く及ばない
ことを悟(さと)ったのです。
こうして二人の弟と千人の弟子たちは、共にお釈迦さまの弟子になったのでした。
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/05 23:59 ID:MRRgRmfg
やれやれ、知識人降臨によりとんでもない優良スレになっちまったな。
こういうスレが時々誕生するから2chは止められんよ。
続けてくれ、楽しくROMさせて貰うよ。
>>167 >やれやれ、知識人降臨によりとんでもない優良スレになっちまったな。
お邪魔しますさん辺りの事かな?指定しないとブツ理先導人辺りが
自分の事だと勘違いする罠(w
169 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/10/06 10:28 ID:6a4AE/Zo
>>144 宗教を侮辱することがなぜ悪いの?
根本的に言えば、信仰に関して間違った見解を持っているのは宗教だよ
信仰関係が、一(信仰対象)対多(信者)ありえないんだよ
それこそ、人間への侮辱だよ
一(信仰対象)対一(信者)もしくは多(信仰対象)対一(信者)だよ
何でかって?お前を俺は違うだろ、違う個体だろ
生まれも、育ちも、親も、経験も、違うだろ、DNAも違うだろ
同じ信仰対象を信じているように思えたって、違うんだよ
みんな別のものを信仰しているんだよ
でも、それじゃ商売にならないだろ、
だから同じ物を信じているかのように宗教はだましてきたんだよ
宗教ってのは信仰対象を売る商売という一面があるということを忘れないようにね
170 :
ゆうポン:03/10/06 10:56 ID:jxdZsvTi
梵我一如と仏教に関して簡単に調べてみました。以下長文ですが参考までに・・
凡夫の智慧を分別智といって、あらゆる存在を分析的に判断しようとするのに対し、
般若とはあらゆる存在をあるがままに、しかも全体的に把握する仏の智慧をいう。
釈迦は老病死の人生の問題になやんで出家し、修行の道にはいった。すべてが無常
であるという真実においては、若さ、健康、生命はやがて老病死に移りかわるし、
ひとたびそれが現実の身におこったときには、その無常なる現実はあるがままにうけ
とめられざるをえない。
しかし、私たちには自我があり、我執がある。無常の事実をあるがままにうけとめる
ことはむずかしい。すると、ここに「苦」が生じる。苦とは思いどおりにならない
ことをいう。釈迦がみずから悩み、のりこえ、確信し、そして教えとして説いたのは、
この我執をなくせということだった。
インドでは、何事であれ、それが自分のものである、というときには、自分の思いど
おりになり、しかも永遠に存続するもの、と考える。しかし万物無常であるかぎり、
そうした存在はありえない。だからこそ釈迦は、いかなる事物ないし現象についても、
これは自分である、自分のものである、すなわち「アートマンである」と固執するのは
誤りであると説いた。
逆にいえば、釈迦はどんなものも、「これはアートマンではない」とうけとめ、我執
をのぞけという実践的な意味で無我を説いた。「アートマンが無い」ではなく、
どんなものも「アートマンではない」という意味でのan-atman説だったのである。
事実、原始仏典の漢訳の中には、「無我」(我が無い)ではなく、「非我」(我でない)
と訳しているものもある。 <エンカルタ百科事典より>
172 :
ゆうポン:03/10/07 12:46 ID:CVr6AqXs
あるがままといっても現状肯定ではないよ。
そんなんじゃ命がいくつあっても足りやしない。地球はボロボロ。
現実の厳しさ複雑さも、あるがまま。飲み込まれてしまう。
人生に王道なんて無いよ。
宗教や哲学で全てうまくいくなんて思っちゃいない。
苦しんで悩んで、あーでもないこーでもないともがいて葛藤して・・、
問題点だらけの現実を何とかしようとね。
それもまた、ありのままだよ。無作とはダイナミックなもの。
いい人生送ってるならそれでよし。(・∀・)ネ!
173 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/07 13:09 ID:qfqJkijA
ちょっと前にも問題になっていた「凡夫本仏」だけど、欲望や煩悩にまみれた
「凡夫」がそのままで「佛」であると言う事じゃないと思うよ。
「佛」から「凡夫」を見ると、「凡夫」の中に「佛」の要素があるという事
じゃないかな。やっぱり修行をして、考え方に付いた塵を落とさないと、「佛」
とイコールではないと考えている。
174 :
どもども:03/10/07 13:23 ID:YseAZt6Z
人の中に怒り、喜び等幾つもの顔がある。その一つが仏だという事では
175 :
13:03/10/07 15:35 ID:NQEdIx68
176 :
ゆうポン:03/10/07 17:40 ID:eckq2NI8
>>173 お邪魔しますさん、こんにちは。
表現の仕方が違うだけで、
考え方はそれほど違わないと思います。
>考え方に付いた塵を落とさないと
それが無上の宝聚に気付くことです。
気付けば行動にも現れるはずです。
お邪魔しますさんは、気付くことを強調しているのだと思います。
では、こう考えたらどうでしょうか。
「みにくいアヒルの子」という童話がありますね。
最後には、自分はみにくくなんかなかったんだと気付く。
もともとの自分が変わったのではなく、認識が変わっただけです。
悟りの対象は変わらない。認識が変わっただけです。
御本尊の中央は題目です。釈迦・多宝の二仏は脇士です。
縁起の考えを突き詰めれば、そこに辿りつくと思います。
偉そうにすみません。
>>169 バカの壁を読んだでしょう。あ、違ったら失礼。
でもまあそういうこと
>>169も言える。
ただ純粋な信仰者というものは大昔から見るとそういうものなんでしょうね。
一途にこれだけを信じる、ほかは目に入らないと。一人キリストに恋焦がれる、
ブツダに恋するという具合いにですね。聖人といわれる人は概してそういう人々
だったことは確かで、そういう人々が理想の信仰者と言われているわけでした。
なのでこれまでの理想ではそういうことで、何かを「一生懸命に信じて従う」のが
いわゆる「信仰」であり「宗教」だったんでしょう。
道元も「ブツダに恋こがれよ」と言っているそうです。禅も恋するらしいのです。
で、禅もそういうブツダへの恋の上に成り立っているそうでした。さてこらはどう
でしょうかね。しみじみ考えてみています。
池田さんは勲章もらいまくって名誉教授なりまくって世界の識者から賞賛されまくってるようだけど悟ってるのかなぁ・・・
179 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/10/08 10:13 ID:rTmBXaD5
>>177 読んでないよ、読んでみるね
>禅もそういうブツダへの恋の上に成り立っているそうでした。
道元はね。
ただ、悟りを開いた人の言葉は一つの方向からだけで受け止めてはいけないからね
プロセスの一環でもあるし、十牛図の一枚にしか過ぎないかもしれないし
180 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/08 21:43 ID:t14/pBmN
道元も、法然や親鸞、日蓮も修業方法はただ一つというのが、共通しているね。
比叡山自体は「円・戒・禅・密」の何でもありなんだけど。
鎌倉仏教は平安仏教からの取捨選択によって、民衆化されたと
いうけど、漏れは、単なるスケールダウンだと思う。
特に、日蓮の他宗批判なんか酷く低レベル。平安仏教の体系から
見れば、屁理屈以外のなにものでもない。
鎌倉仏教は必死になって自分が選んだものだけを真理とし、
絶対として主張しあい、宣伝しあった結果だと思ってる。
そのせいで、荒唐無稽な説が飛び交ったのだと思う。
お手軽な修行で悟りに至るという主張に民衆は飛びついたけれど、
この構図はまさに安物のセールス合戦という印象。
日本の仏教はそれ以降本格的な発展をしなかったことを考えても、
鎌倉は仏教を破壊した時代だったのかもしれないと思う。
世に不安や混乱があったとき新しい宗教が出来る
第一次宗教ブームは、鎌倉時代なのかも
>>179 恋すると言ったわけですが、それに関しての一つの捉え方として、
>>177で言った。
>なのでこれまでの理想ではそういうことで、何かを「一生懸命に信じて従う」のが
>いわゆる「信仰」であり「宗教」だったんでしょう
これを逆にいうとどうなるのかというと、現代では、あらゆる意味での「原理主義
思想」を相対化できる環境、意識状態の相対化が可能な時代になったのではないか
ということでもある。
ある人は禅を体験してこれが無上尽甚の微妙法である、ある人は念仏を唱えてこれが
唯一の救済なのである、またある人は題目マントラを唱えて身体を使った行法だけが
真の仏教だと信じてやまない、そういうことがこれまでの歴史では許されたし、それが
宗教というものであり、なんでも「信じ込む」ことが「良いことの始まりだ」とされて
宗教として優遇もされてきた。バラモン教としての理解も宗教であり、すべて「その
ように観念する、考える、思う」というものが根底にあってその宗教の基礎となっている。
しかし現代ではそれらを「信じ込んで」「疑わない」のではなく、「信じる振りをしながら
疑い続ける」「すべてを相対化して理解を広げる」ことができる時代になっているはずだ
と考える。釈迦でさえ結局は自分の教説をこれが「正しい」と「考えた」に過ぎない。
「何が正しいのか」ではなく「何がどうなっているのか」を考えること、すなわち
「宗教も研究対象に含めた科学」が可能になったと思う。
まあ天台宗にはそうした要素があったのかもですが、鎌倉仏教を経て後の今の科学の時代
の研究はまたそれとは違った形が可能だし、もっと洗練したものになると。そしてまた
キリスト教なども含めた研究、理解を持つことができるはずであると。これらすべてを
統一的に理解することが求められていると思う。
>>181 禿同。
鎌倉仏教から感じるのは、どこかお釈迦様の手のひらの上で必死に暴れている孫悟空を思わせる。
哀れなどんぐりの背比べをやってるだけ。
とはいっても、最澄の残した遺産が既にその芽を持っていたように思う。
最澄自身も選択の人で、奈良仏教に対するアンチ出身。法華経を至上とし、
そのもとにすべてを統括体系化しようとしつつも失敗し、殆ど仕事を進めることなく亡くなった。
こうなってしまえばその弟子達はいびつな最澄の遺産から金鉱を探して更に選択をする。
その結果がお釈迦様の手の平の上の孫悟空状態。
悲劇は最澄の弟子からは最澄を越える人物がでなかったことなんだろうね。
最澄後の弟子達は震災後の火事場荒らしのような狡猾な知性しか持っていなかった。
日蓮はそんな状態に鬱屈を感じたのかもしれない。
でも、結局同じ穴の狢以上の存在にはなれなかったわけだけど。
世に強烈な不満を感じ、世を徹底して否定、批判する。でも生産性に乏しい。
典型的なアンチ体質。私は、鎌倉仏教の開祖たちの中では日蓮が一番清廉な人だと思う。
でも、結局アンチ以上の存在にはなれなかったのが残念だけどね。
>>181、
>>184 ただ彼ら鎌倉仏教の祖師らはそれなりにフロンティアスピリットを持って人間の
意識状態というものを研究するための資料を残したのでしょう。そういうふうに
わたしは考えています。
たとえば道元などは「正法眼蔵」という非常に難解といわれる(実際難解ですが)
超大作を残していたが、これなどは非常に示唆に富んでいると思われるところも
あった。これが道元的意識状態の発露なのかと思わせられるものもあった。
例えば「有時」。これを読み解いた人はいますか。わたしはこれが道元的意識状態
がもたらした「特殊相対論的四次元時空連続体」的観念であろうとということと、
「山海は時なり」だのはそれこそ4元運動量ベクトルの時間成分がエネルギーである
ことを説いているように思われてならない。「吾有時なり」は「固有時」のことでは
ないかとも。これは時間軸が物理の計量に関係していることを意味していることを
主張する相対論の結果であったが、意識状態の変化でそうした現実の物理理論にフィット
する気の持ち様が出てくるというのは一体なんなのだろうとも思った。
もしDQNと思う人がいたらちょっと読んでみてもらえば、それを言っているとしか
思えないと思う、と思う。
何か最近、ブツ理タンの日本語が前よりちゃんとしてきてるな。
道元は日本の歴史が好む専門家としては秀でた人だろうね。
ただし、空海などにはくらぶべくも無く、最澄と比してもスケールは小さい。
道元の禅はその難解さが魅力であるといわれ、それゆえの神秘性が今海外で
受けているというけれど、結局、体系がないから何が言いたいのかピントが
しっくりこない。神秘的な難解さだけが浮いてしまっている状態。
実践論としての禅、禅問答という方法論はある面では大変有効なのかもしれないが、
仏教というスケールから考えると少し淋しい感じがする。
ただし、禅を追求した人物としての功績はあるのだろうけれど、いかにも
日本的ともいえる神秘的難解性のせいで建設的な仕事をなした人物とは言い難い。
例えるならば宮本武蔵の剣を想像させる。
後世に神秘性、精神性、難解さ以外、何も残さなかった。
一言でいうなら神秘主義者の極地。これが私の道元観ですね。
188 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/10 01:27 ID:LklnEger
>第一次宗教ブームは、鎌倉時代なのかも
正確に言うと平安時代末期の永承7(1052)年からです。
それはなぜかというと比叡山の功徳院皇円というえらいお坊さんが、
「今年から末法に入る」
と言ってしまったからなのです。
「扶桑略記」永承七年一月二十六日の記事より
釈迦滅後、
正法時代・・・釈迦の正しい教え(教)と正しい修行(行)が伝わり、悟りが開ける(証)時代
像法時代・・・釈迦の正しい教え(教)と正しい修行(行)が伝わるが、悟りが開けない(証)時代
末法時代・・・釈迦の正しい教え(教)は伝わるが、正しい修行(行)と、悟りが開ける(証)事のない時代
と言うように、仏教教えが伝わるとしている。そして末法に入る年代の数え方は
1・・・正法500年 像法500年 末法1001年以降
2・・・正法500年 像法1000年 末法1501年以降
3・・・正法1000年 像法1000年 末法2001年以降
の3つがある。中国の伝承ではお釈迦様が亡くなったのは紀元前949年と
なっていて(実際は違う)それから2001年たったのが永承7(1052)年と
いう訳です。
末法の時代には、正しい修行もなくなり、悟りを開くこともなく、六道輪廻を
繰り返さなくてはならない。つまり救いのない世界になった。
189 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/10 01:29 ID:LklnEger
そこで出てきたのが、阿弥陀信仰なのです。阿弥陀仏は「もし人が十回念仏して
私の世界(極楽浄土)に生まれ変わらないなら、仏にならない。」と言う誓願を立
てた。この阿弥陀様が仏になったのだから、十回念仏すると極楽浄土に生まれる、
となる。
この時代の念仏は文字通り「仏」を「念」ずる事であって、阿弥陀仏や極楽浄土
の様子を想像しその中に自分が居ると見る事です。これを観想念仏と言います。言
い出しっぺは『往生要集』を著した源信です。
これは当時の貴族たちに大いに受け入れられ、想像するだけでなく宇治の平等院や、
平泉の中尊寺みたいに、実際にこの世に極楽浄土を模した建物を造ったり、阿弥陀
様の仏像や阿弥陀の来迎図を飾ったりするようになりました。
貴族の藤原氏が平家に変わり、平家から源氏、源氏から北条氏と政権が移り、この
間に地震、雷、火事、おやじといろいろな災難が発生し、世はますます末法の様子を
呈してきました。
ここに出て来たのが法然です。法然はまず末法の世にはすべての修行は救いになら
ないとして聖道門を捨て、ただ阿弥陀仏の情けにすがって救いを求める浄土門のみを
正しいとした。
さらに今までは、金とヒマがある貴族中心の観想念仏を辞め、口で「南無阿弥陀仏」
と唱えればよいとする称名念仏に変えた。これが大ブレイクを呼び、上流階級中心の
浄土信仰が一般大衆に広まったのです。ただあまりに広まりすぎて、勢力の拡大を恐れ
る幕府によって、法然は土佐に流罪となってしまいました。
190 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/10 01:29 ID:LklnEger
このながれに「待った」をかけたのが日蓮です。(これでやっとスレ違いにならず
にすんだ)
先に行く前に仏の御領観についてちょっと話しておきます。仏様は一人一人、別々の
世界を支配しているのです。阿弥陀様は極楽浄土世界、薬師如来は瑠璃光世界、そして
我々の居る世界はお釈迦様の支配する娑婆世界なのです。
法華経第一と考えている日蓮にとって、浄土宗信仰だけが救われる、と言う考えにカ
チンときました。さらにみんな極楽浄土に送ってしまうと、この娑婆世界に住む人が居
なくなって、世の中がダメになってしまうと思ったのです。そこで「立正安国論」を幕
府に提出し、念仏衆の取り締まりを要求したのです。
191 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/10 01:40 ID:LklnEger
道元が「釈迦に恋している」と言うのはいいね。道元にとって釈迦は憧れ
だったのだろうね。
そこで出家してただ一人福井の山の中の大仏寺(のちの永平寺)で、只
管打坐をして悟りを深める生活に入ったんだろう。
192 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/10/10 11:05 ID:WwbtxmFV
>>187 >道元の禅はその難解さが魅力であるといわれ、それゆえの神秘性が今海外で
>受けているというけれど、結局、体系がないから何が言いたいのかピントが
>しっくりこない。神秘的な難解さだけが浮いてしまっている状態。
禅が、神秘的で、難解に見えるのは
解ろうとするから、言葉にしようとするからだと思うよ
解る物では無いし、言葉にも出来ない
禅には、神の秘密は無いよ
よって、あなたの見解は大きく間違っていると思う
もう一度勉強しなおしたほうがいい
>>190 >さらにみんな極楽浄土に送ってしまうと、この娑婆世界に住む人が居なくなって、
>世の中がダメになってしまうと思ったのです。そこで「立正安国論」を幕府に提出
>し、念仏衆の取り締まりを要求したのです。
ほんまかいな。
>>187,
>>191,
>>192 道元の説いた説は、「一切衆生悉有仏性」と「一切は衆生なり悉く有(う)なり、仏性なり」
と呼んだとされるほど(正法眼蔵)、「この世はすでに仏の現れである」という悟りであった
と考えられている。この意識、意識状態になることが彼の悟りであった。(これは創価学会の
言う諸法実相とも似たようなものでもあるが、とりあえず触れないでおく)
で、その仏にふさわしくあることが必要で、それが「坐ることがそのまま仏の姿である」
として「只管打坐」となった。只管打坐は彼にとっては「仏になるための修行ではなく、
むしろ仏としてふさわしい姿として釈迦ムニ仏の姿になることそのものだったのであった。
東司(トイレ)の掃除がなぜ雲水や修行僧の修行とか食事の作法、引いては華道、茶道
などにも敷衍された意識のありかたが、禅というもののをよく著している。それはあたかも
「神ながらの国」という日本神道に通ずるように見えるものさえある。道元の禅とはそうした
もの、仏の現れとしての世界、それにふさわしい姿を現すという意識であったのでしょう。
禅もその「現れ」としたのでした。
>>193 訂正
>「一切衆生悉有仏性」と「一切は衆生なり悉く有(う)なり、仏性なり」
と呼んだとされるほど
は、
>「一切衆生悉有仏性」を「一切は衆生なり悉く有(う)なり、仏性なり」
>と呼んだとされるほど
の間違い。
195 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/10 17:12 ID:+z5YkJo1
>>193 せっかく釈迦が法華経という素晴らしい教えを残してくれたのに、それを捨てて
他の世界の仏にすがるとは、何事か、と言う意味。
日蓮は法華経を信じることで、この娑婆世界を極楽浄土的な世の中にしようとした。
あとはうちに帰ってからね。
>>187>>192 きみたちの言う事には何も違いがないと思うが。
神秘主義というのは神のことじゃないよ?ね?
>>187 言葉によって理解できないものを肯定すること、言葉による理解を放棄すること、を神秘主義というんだよ?ね?
言葉による理解を放棄すると、こういうものは本人になってみない限り真実か否かを判断することができない。
ゆえに、187は道元を神秘主義の極地と表現したのだろ?
この手のものは建設性というものに本質的に欠けるところがあって、ゆえに後世に残すのは
その「神秘性」のみ。こういうことだろ?ただし、言葉足らずな感があるのは、
後世にはちゃんと道元の足跡というものが残るということ。この点が大事。
この足跡を辿ることで道元が感じたものに近づくことはできるかもしれない。
これが道元の遺産だと思うね。これはこれで結構偉大な業績かもしれんぞ?
もっとも、弘法伝教には到底及ばないが。
うっせぇ。ばーか。ここは日蓮スレだ。糞禅の話がしたいやつはどこかへ逝け。
>>197 まあそうなんだが、日蓮は道元と似ている。いや少なくとも似ているところがある。
それで引き合いに出しているわけだ。
日蓮も実はブツダに恋した人の1人である。それでその結実が法華経なんだから、
南無妙法蓮華経と言えと主張したわけだった。道元は仏の姿になれと説いて仏の
姿であった坐の姿をとれと主張したのだな。どちらも仏恋の結果だったといえるね。
しかし実際には禅は別にブツダに恋しなくてもできる。と少なくともわたしは
思っている。禅の概念はシャカムニブツが仮にいなかったとしても、おそらく
人類の意識の持ち方の次元においてどこかで生まれたに違いないと考える。
しかし道元流の禅もあるのも現実。それはそれで研究対象になる事も確かだ。
未知、未踏の意識状態でもあるかもしれない。そういうものを公平に判断できる
理性が現代にあるというのがわたしの考えであり意識である。
200 :
たま:03/10/10 20:49 ID:???
>>198物理タソ
同意
でも日蓮はあまりにも偏執的だった。
釈迦の説いた中道から外れてしまった。
日蓮は釈迦に憧れ、釈迦を信仰したのかもしれない。
が、層化は日蓮を本仏だとしており、釈迦信仰には功徳はないとしている。
そして日蓮自身も自身を本仏として認識しており、自分を信仰せよと言ったとか言わないとか。
202 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/10 21:43 ID:2QhGzgee
今でこそ、道元の曹洞宗や親鸞の浄土真宗は大きな勢力を持っているが、当時の
道元は福井の山奥に引き籠もっているし、親鸞は「弟子一人も持たず候ふ」と言
いながら、常陸の田舎で念仏を唱えて暮らしていた。
この二人に共通しているのは、日蓮のように積極的に布教活動をしなかったこと。
これが後に大きな勢力になるのだから、おもしろい。
203 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/10/11 09:43 ID:JoxUFMjM
>>196 言葉による理解を放棄することが神秘主義ってのはいかがなものかな
だって、全てにおいて、本人になってみない限り真実か否かを判断することができないじゃない
言葉にしたって、受け取る側の解釈になってしまって、発した人の解釈と同じとはいえないじゃない
ちがうかな
204 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/10/11 09:44 ID:JoxUFMjM
>>197 物事を一つの面からしか見れないのはガキだよ
>>203 神秘主義というのは合理主義の反対と考えて結構だと思います。
つまり、言語的建設性というのが現代文明の基礎(あるいは信仰)なんですが、
仏教は基本的には神秘主義なんです。
言語的記述を絶する世界の存在を前提、核としてその体系、世界観が構築され、
そこから修行方法、呪術を導くからです。一方の合理主義は、合理的な論理
の積み重ねで世界は理解できるという信仰に基づくアプローチです。
あるいは、理解可能不可能は別として、合理的論理によって世界観を構成できる
ところまで構成しようというアプローチであるともいえるでしょう。
ですから、平安仏教は典型的な神秘主義です。ところが、鎌倉仏教にはもはや
世界観といえるような体系はありません。神秘主義の神秘性のみが残ったのです。
ちなみに、空海の体系に関して、『当時としては「科学」であったろう。』
ということを司馬遼太郎氏は語っていたと思います。
つまり、実験検証に関する客観的方法論が確立されていない時代にとっての最善の科学
だったのであろうという意味だと思います。
206 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/12 08:47 ID:p5GSG+pd
世の中にブランド信仰がある。本当は大邸宅に住み、運転手付きの高級車に
のって買いに行くべき高級バックを、電車に乗りバーゲンの列に並んで買う。
今までは大会社の社長や部長、弁護士、医師などに限られていた、ゴルフが
ちょっと無理すれば普通の人でもいけるようになり、バブルの時我も我もと飛
びつき、人とつきあうのにゴルフができないと話にならない状態になった。
なぜこの様なことを書いたかというと、法然の浄土宗が広まったもこれと同
じではないかと考えたからです。今まで貴族のものと思われて手の届かなかっ
た、極楽を模した豪華な建物、金ピカの阿弥陀像、極彩色の来迎図に象徴され
る浄土信仰が、口で「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで同じ効果があると法然は
言ったのです。
高級バックやゴルフが上流階級の象徴であり、それを手に入れることによって
自分もその一員になったような気になる。これと同じ事が法然の念仏が、はやった
元となったのではないか。
それに対して、みんなが日本がいやだと言って、アメリカに行ってしまったら日
本がダメになる。日本がダメなら、日本をアメリカのような国にすれば良いと考
えたのが日蓮じゃないかな。
207 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/12 08:49 ID:p5GSG+pd
当然、日蓮の居た時代は、末法である。末法では釈迦の説いた教えは伝わっても
正しい修行も、それによって得られる悟り、救いのない世界である。だからみんな
阿弥陀仏の誓願にすがり、極楽浄土に生まれ変わることによって救われようとした
のです。
この末法の制約を逃れる方法が、「法華経」の従地涌出品第十五から嘱累品第二十
二までの、八品(章)に出てくる地涌の菩薩たちなのです。如来神力品第二十一では、
本仏釈尊から、上行菩薩をはじめとする地涌・本化の菩薩は、如来の滅後、末法の世
に、本心を失っている重病の衆生を救うため、『法華経』の要法を良薬として弘める
べき全権が委ゆだねられます。
これを創価学会の説明で見てみよう。
地涌(じゆ)の菩薩の上首(じょうしゅ=指導者)の四菩薩の一人。法華経
の従地涌出品(じゅうじゆじゅっぽん)に説かれる。地涌の菩薩とは釈尊の教
えが人々を救う力を失った末法の時代に、法華経の肝要(かんよう)の法を弘
める使命の人。特に、上行菩薩とは地涌の菩薩の中心者で、どのような苦にも
束縛(そくばく)されない、自由自在の境涯(きょうがい)を表している。日
蓮大聖人は自らの立場を「上行菩薩の再誕(さいたん)・本門の大師日蓮」(
御書854ページ)と説く。大聖人は、末法に妙法を広めるために、上行菩薩
の立場で生まれたが、本来の立場は末法の御本仏である。
http://www.sokagakkai.or.jp/member/download/data/data015.txt
208 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/12 08:50 ID:p5GSG+pd
この末法では、釈迦の説いたすべての教えは人々を救う役に立たない。「法華経」
もそのうちに入る。そこで日蓮は、「法華経」の解釈を作り直し「南無妙法蓮華経」
と唱えることで真理を得られるとした。
日蓮は法華経を広める法華の行者(=上行菩薩)として活躍したが ”本来の立場
は末法の御本仏”なのである。つまり釈迦が仏教を作ったように、日蓮は末法の世に
おいて通用する新しい宗教を作ったのである。
法然の説いた教えは法然宗とは言わない。道元の説いた教えも道元宗とは言わない。
けれど日蓮の説いた教えは、日蓮宗や日蓮正宗と言っている。それは一見仏教のように
見えるが、仏教ではないからです。それは「法華経」を経典としながら、日蓮が新しく
説いた宗教だからです。
そう考えると、創価学会だけが正しく、他の仏教の宗派がすべて間違っていると主張
するのも、分かるだろう。仏教でないものから見れば、譬え法華経を信じていても、す
べて邪教なのである。そしてその教えが、釈迦の教えと違うと抗議しても、仏教でない
宗派には通用しない。
日蓮は、蒙古襲来によって日本は亡びるであろうと予言した。
しかし、攻めてきた蒙古の方が暴風雨によって壊滅してしまった。国は滅亡しなかったの
である。さらに猛烈に他宗を排撃した日蓮にとって、謗法は健在であり、鎌倉の悪法は
生きている。
>どのような苦にも 束縛(そくばく)されない
大笑いですな、、、
創価二世・三世は親が創価に宗旨替えした為に、創価の子として
他の人(全世界60億人以上)より大目に“苦”を身を持って受けていまつよw
>209
同意!
二世にとって親が苦であり、
しっかりと苦に束縛されてる罠(大爆笑)
>>200-201 >>207-208 それで、釈迦に恋した日蓮はこの世がすでに仏の世界であることを知ることが悟り
であるとした道元の意識とは全然違う方向に走ったわけであった。つまり彼は悟り
という概念とは全然違うものを求めたようにも見えるわけである。
悟りとは、この世が「すでに仏性の世界であることを悟る」ことであると説いたが、
日蓮はそうは言わなかった。むしろ天台の十界論に依拠して人間は十界のどこかの
意識状態にあり、それを仏界にもっていく方法論が必要だという論理になり、結果と
してそれが真言宗の方法論となったわけだった。禅的悟りとはまったく異なるもの、
むしろヨーガとしてのそれに回帰してしまったと言えた。
これが当方のずっと唱えてきた日蓮論であり、彼は真言宗の一派であったというのが
持論であったのは、ずっと読んできてこられた方はご存知の通り。それで↓。
日蓮は創作真言宗です
ブツ理先導人 ◆O1kx14oBys (2003年10月12日<日>19:32)
-----
>特に、保田妙本寺所蔵の御真筆「不動愛染感見記」(立教開宗後に書かれた
>御書ですが、日蓮聖人が大日如来から相承を受けたと明確に宣言した御書です。
>御書中に真言も出てきます)を掲載できれば、創価学会は評価が高まるでしょう。
>のせなければ、大石寺同様ご都合主義の御書編纂と言われるでしょう。日蓮聖人
>が天台真言宗の御僧侶として立教開宗された事実
-----
>立教開宗間もないころの日蓮聖人は「大日経」を法華経と同等の位置に置いて
>いました。真言に対しても批判的ではありません。もちろん天台真言宗の血脈符
>の中には日蓮聖人も含まれています
-----
これ面白いね。わたしは日蓮は「南無妙法蓮華教」イコール「ナンミョウホー
レンゲェキョー」というマントラであると解釈している反創価学会の人間です
ので、この事実は我が意を得たりとほくそえむほどうれしい事実ですね。
悪いですが、日蓮宗が「ナム、妙法蓮華教」をゆっくり唱えるのとは対照的に
日蓮正宗はこれを上記のようにマントラとして唱えているわけで、それが創価学会
に至ると「宇宙のリズムを得るための呪文である」と主張されてきたわけでした
ので、まさしくこれは「題目マントラを用いる天台真言宗である」とするのが
本当であろうというのが私の説です。
わたしの持論「日蓮は真言宗である」が証明された思いですねえ。これは良かった
と思う次第です。つまり日蓮はなんだかんだといっても、要するに特定のお経の
タイトルをマントラとして高速連続称揚する行法を編み出した人だとして良いと
いうことになり、曼荼羅をカッと凝視して唱えるというのは要するに阿字観瞑想
からヒントを得てやってみた方法で、思いのほか効能があったということなので
しょう。つまりは日蓮は創作真言宗とでもいえば良いはずでしょう。
↑これは某掲示板に乗った創価学会の人の記事へのレスですが、このように
事実として彼は「天台真言宗」であったとことは間違いないようでした。
ですので、釈迦への恋が最後は呪文教に変化し、全然別の全く新しい宗教、
すなわち日蓮教を立ち上げるに至ったわけでした。お邪魔します氏が別の
宗教になったというのはそのとおりで、当方はずっと前のスレから「日蓮教」
と呼んでいましたよね。そのことを言っておったわけですが、日蓮や創価学会
らは、「我々の宗教こそがブッポウである」という新しい定義を採用すること
で「我々が真のブッポウである」という言い方をしているわけですね。
ブツダの教えとは全然違うものをブッポウ、しかも真のブッポウと呼ぶという
おかしさを彼らは全然気が付かないままずっとやっていくということなんで
しょう。こういう厚顔をまさしくやめてほしいわけなんですがね。
たしかに層化の教えは真言宗のパクリまがいが多く見受けられますね。
>>214 本尊、題目は真宗の「十字名号」、「念仏」のパクリまがいだしね。(笑
まあ、後ろめたいから敵視するんでしょうけど。
216 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/12 22:51 ID:d2Z41Cxx
過去から未来に続く真理である「本仏」を、宇宙と捉えたところで創価は
日蓮と違う道に行ってしまった。
日蓮も「選択集」は相当参考にしていますよ。法然に対しては近親憎悪み
たいな感じが有るのではないかな。
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/12 22:56 ID:5W0dUCin
「イラクが大量破壊兵器を持っているのは明らかだ」などと煽って、
強盗戦争に突入した米帝ブッシュを支持した強盗の手先創価よ!
そんなペテンで大量のイラク国民を殺した共犯者の創価公明よ。
大量破壊兵器はどうしたのだ?見つからないなら、さっさと腹を
切れ!
法華経によると、法華経を信じる者は、天耳通や千里眼や、地の底の
財宝のにおいさえ嗅ぎ分けることができるそうだが、だったら、その
力で、さっさと、イラクの大量破壊兵器を探して来いよ!
218 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/12 22:57 ID:5W0dUCin
ところで、法華経を信じると、肌は瑠璃色になるそうだが、
創価はみんな瑠璃色か?瑠璃色ってどんなだ?
気色悪いぞ。
219 :
雷男:03/10/12 23:30 ID:5W0dUCin
知恵と悟りの教えである仏教を、紙切れを拝むと功徳があるなどと、未開
宗教なみの呪術に変質させた日蓮はまさに天魔である。<禅や念仏がはび
こっているから世の中が乱れる>などというなら、公明党の政策は、日蓮
が禅や念仏の僧侶の首を切れと主張したように、宗教弾圧をするのだと言
えば良いではないか。そんな頭の狂った教えを信奉しているのは、まさに
狂人である。
法華大嘘、日蓮天魔、創価発狂、公明戦争
>>214-215 確かに念仏のように連続してなんどもなんども称えるというのは題目のモチーフに
なったはずですが、考え方としては念仏はあくまでも自分の「意」をその念仏の意味
に重ねるからこそ「念仏」の意味になった。しかし題目の場合は、以前にも言った
けれども、「題目の意味」は何も自分の「意」には反映されていかない行法であり、
あくまでも「ナンミョーホーレンゲェキョウ」という真言、すなわちマントラとして、
つまり音韻としてのみしかその働きはない点が全然異なるのだ。
であるから、日蓮の題目はあくまでもマントラであり、「呪」であり、すなわち真言宗
であると。そして、日蓮自身が確かに天台真言宗であったとということがまさしく
それと意味として一致することになると考えてよいのではないかと。
だからこそ、創価学会のような「真言宗の一派」としての現代の新興宗教が
現れたといえる。創価学会の教義は真言の宇宙の教義と一致するからだ。
しかし真言宗と異なる点は、創価学会はシャカムニブツを「無力」「無効」
「現代では無意味」として排斥している点で、本ブツは日蓮であるとするのは
全然異なる。
しかしここに大きなモンダイがある。これまでブツとカタカナで書いてきた
のには理由があるが、その一つがこれだ。つまり、創価学会は釈迦をこき下ろし
無意味としている。ならば、決して「仏」の字を使うべきではないはずだ。
「仏」の字はあくまでも「仏陀」すなわち「ブッダ」を意味し、それはすなわち
「覚醒者、目覚めた人第一号である釈迦」につけられた名前であり、仏陀=
釈迦以外には意味を持たないからである。だから仏教と自称する宗教はすべて
シャカムニを仏陀であるとその定義に従っているのである。にもかかわらず、
1人日蓮正宗諸派と創価学会のみは「日蓮が本当の仏陀であるとする」教義であり、
そもそもの意味の仏陀をなんら意味していない「ブツ」になっている点が問題
ではないか?言葉の意味から離れた新たな「仏陀」なる存在を定義することは
そもそもが「仏教ではない」と言われてしかるべきであるはず。だからこそ、
もともとの仏陀の教えとはなんなのかとしつこくあちこちで議論され、ここでも
議論されてきた通りなのだ。あくまでも「釈迦=仏陀」でありこの言葉の意味
は釈迦の説明として使われたものにほかならず、釈迦を当時の人が呼んだ定義が
「仏陀」であり、釈迦の教説を聞いた人々が釈迦を仏陀と呼び、釈迦を即ち目覚めた
人=仏陀となったのであるから、「日蓮の教説≠釈迦の教説」なのだから日蓮を
呼ぶのに「仏陀」だと言うのは全然おかしな話しなのだ。しっかりと言葉の意味を
問題にせよと言いたいわけである。
でありから、すくなくとも池田大作まで「本仏」であるなどと主張している
創価学会にいたっては、「あくまでも創価学会は仏教ではありません」と
明言するべきなのだ。
これをせず、創価学会などがあたかも伝統仏教の一派であるかのごとき宣伝を
しているということが問題の根源を作っているのである。それが世間を欺く大きな
詐欺行為である。仏教でないものが仏教の顔をして、あたかも伝統の一貫である
ような顔をして信者をかき集める。これこそが最も根源的な問題なのである。
「ブツ」とカタカナで]強調して述べてきたことの意味の一つにはこれが述べたい
からでもあった。さあ、どうだ、創価学会員たちよ。
しかしそもそもがこの根源は日蓮の教義の中に元々あった種であったといえる。
呪文教を新たに創設して、これが仏教だと真定義をした時点から問題であった。
それを正面切って誰も問題にしない。そこに大きな落とし穴があるはずだ。
しかし、日蓮宗はまだ救われる。それはあくまでも「釈迦=仏陀である」という
定義をそのまま踏襲している範疇から逸脱していないからであり、別の人物が
本仏であるとする新宗教であるとは主張していないからである。
正宗系の諸派すべては、あくまでも仏教ではないと明言し、また明言される
べきであり。それが社会のコンセンサスとならなければならないはずだ。
224 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/10/14 15:38 ID:6CZmrdLb
>>205 >つまり、言語的建設性というのが現代文明の基礎(あるいは信仰)なんですが、
>仏教は基本的には神秘主義なんです。
確かに、今説かれている仏教の多くは神秘主義でしょう
しかし、仏陀は神秘を否定しております。
しかし、宗教というのは組織として成立する為に神秘主義を用いていることは確かですね
225 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/10/14 15:49 ID:6CZmrdLb
文章がくどかった
すまん
ゴータマ・ブッダは神秘体験をしてると思う。
神秘体験をした者(ブッダ)が「神秘体験をするしないは、苦の解放の本質とは関係ない」と覚った。
、、というパラドックスが佛教の根本に存在する。
神秘体験をしてしまったなら、してしまったのだから仕方がない。
神秘体験にもピンからキリまであるけど。
227 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/14 20:46 ID:cdKvkB3U
>>226 神秘体験したから、「凡夫本仏」「煩悩即涅槃」と言えるんじゃないかな。
それが分からないと、ただ暴走族になってしまう。
なにをもって神秘体験っていうのよ。
229 :
ゆうポン:03/10/14 22:14 ID:sXfA9BcR
本来の信仰者は、表面的な宗教に固執していないのではないだろうか。
悟りからみれば、宗教の違いなど微々たるものであると感じているような気がします。
誤解を招きやすい表現かもしれませんが。
宗教や哲学に関係なく、いい人生送ってるなって感じるひとはたくさんいる。
釈迦は確かに認識におけるヒントをくれたけど、それが目的ではないと思う。
いつでも正しく理解していなければならない訳ではないし、それは不可能だ。
それが出来ないひとはどうすりゃいいのさ、ということになる。
その人その人の心の足かせを外して、解き放とうとしたとも言えるだろうか。
思考だけで生きているわけではないし、哲学など難しいことは知らなくても
いい人生は送れる。理想論を組み立てても、それに執着したら生きる足かせになる。
脳が発達していない子供たちや植物・微生物に学ぶことは多い。
ごくわずかな認識できる部分・側面を含んだ、大いなる認識できないものによって
生きているというのが実感かな。
喉が乾いたら水を飲めばいい。それぞれ、その時で必要とするものは違うし、
架空の世界に生きているわけではないから、一般論ではどうしても無理がある。
もちろん「論語読みの論語知らず」は論語を否定しているわけではないけど。
言葉は何を強調するかで、一見矛盾しているようにみえる。
今日も妄想でした(;´Д`)
230 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/15 00:05 ID:5ky7eWet
神秘体験=悟り とはならないよな。魔境の問題もあるし。
この魔境も修行の成果だと教えていたのが、オウムの連中なんだよね。
今までこの様な体験をしたことがない人は、取り付かれて変な道に行っ
てしまった。
よく出来た神秘主義は科学を進展させるかもしれない。
認識論の枠組みが問われだしている。認知科学などの分野で。
そこでは仏教神秘主義に注目が集まりだしている。
チベットの手法と欧州の科学的認識論の交流が起きている。
でも、日本の単なる神秘宗教はどうだか。。。。。。。。。。。
古くはシュレディンガーも神秘主義者(ウパニシャッド信奉者)だったんだよね。
湯川も仏教に精通してたんだよね。ひょっとしたらひょっとすると思うけど、
層化は絶対に関係ないだろうね。
232 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/15 12:14 ID:XWhowk0G
「唯一正しい仏法」や「正義」「勝利」にこだわっている創価学会は、釈迦本来の
「渇愛(執着・こだわり)を捨てよ」との教えにに反している。
これで本当に悟りを求めているのかね。
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/15 21:08 ID:gz2et0Ti
ウチは日蓮宗のお寺だけど…。
そもそも宗教なんてのは、個人一人一人が信仰したいものを信仰すれば良いのであって、わざわざ他人を勧誘してまで信仰するもんじゃないよ。
234 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/10/16 11:44 ID:4yTn5+Zw
235 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/16 12:19 ID:S1ZKNdzi
この当時、日蓮は親鸞の存在を知らなかった。(御書で「
親鸞」の文字を検索しても出てこなかった)
もし親鸞相手に「念仏無間」と非難して
「この親鸞、たとい法然上人にだまされて地獄に堕ちてもさらに、後
悔はないのだ。助かる縁、微塵なりともある親鸞ならば、だまされ
て地獄に堕ちた、という後悔もあろう。だがのお、金輪際、助かる
縁の絶え果てた親鸞、地獄へ堕ちて当然 」
などと答えられたらどうするんだろうね。
今までの自分を恥じて何も書けなかった。
と考えていいのでは?(日蓮)
さすがに層化とは違うと言うことですな。
同意!
238 :
先生:03/10/16 22:49 ID:???
>>235 あなた、いいねえ。いいセンスしてる。ひさしぶりにこの板で笑った。
日蓮はバカだよね。自称「日本の柱」だもんね(苦笑)。
「但行礼拝」が在家信者の本来の姿じゃないかにゃ?
また諸菩薩の中でも目指すべきは常不軽菩薩なのではないのかなぁ。
これだったら今言われてる創価に対する苦言も無くなるのではないのかなと思ったのですが。
部外者の差し出口ご容赦くださいにゃ。
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/19 19:54 ID:9S+F8aCU
>>233 日蓮宗はイメージ悪くないもんな〜。
不思議です。
242 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/31 00:58 ID:MCPPXEC8
約一ヶ月ぶりだなー。agex
まず絶対にやらなければいけないこと、それは創価学会に入っている、もしくは過去関わった事がある人は、
もうそれだけで人間のクズ中のクズなので、全員皆殺しにすること。
生きている価値がない迷惑な害虫、クズどもに死を!
創価は負け犬たちが群れて迷惑行為を社会に撒き散らす害悪連中です。
一度でも関わった事がある人間も、そういう因子を内在している証拠ですから、許せません。
命令する。死ね。
成仏するには死ぬしかない。自殺しろ。
創価に関わった連中はオウムと一緒で、脱会者だろうがなんだろうがクズ中のクズ。
人間のゴミである創価に関係した連中には何の役割もない。
死がふさわしい。
首を吊れ!
>>243 > 日蓮宗と日蓮正宗は別物。
> OK?
それでは、日蓮正宗と層化も別物ですよね。
層化に残る人は日蓮の教えを受け継ぐ寺の方を辱め
日蓮と何の繋がりも無い代作を採らざるをえないのか?
まったく、不思議です。
【理由】
1.教えがパクリなら本家を選ぶのが筋だと思う。
2.布施で坊主が贅沢する。・・・なら坊主→層化の職員、使途不明金が増加しただけ。
3.親、祖父の代からの信者なら墓はどうするの?
4.仲良しグループの様なのが好きなら、選挙や新聞売りよりも
趣味のサークルの方が有意義ではないの。
246 :
お邪魔します ◆nH2G.RjIE2 :03/10/31 20:58 ID:ODUKPvte
学会は日蓮と関係なくなっているんじゃないか。
だいぶ日蓮の教えと離れていると思うが。
>>246 それなら、題目や本尊のコピーを使うのは日蓮を辱めているのですよね。
日蓮諸宗はいい迷惑だね。
層化は折伏や選挙をやるから立派なんて話は聞かないし、
むしろ悪い話や菩薩と呼べない害虫の様な人なら知ってるし。
コピペ用。
(プ
(ゲラ
(プゲラ
(藁
(激藁
250 :
250:03/11/19 15:47 ID:???
日蓮正宗や共産党
現象で見れば、創価学会の権力に真っ向から勝負しているように見てとれるが、
私はそうは見ていないのだ。
これらは明らかに利権争いなのだが、個々を批判へと突き動かしているのは、
「私の信じるものが正しいか?それとも御前の信じるものか?」だけなのだ。
にもかかわらず共通するのは、マルクス教(スマン、信者殿)を含める相対する、
或いは派生した思想の根本的な部分は、争いの焦点とは成りにくく、またそうすることで
ある意味での均衡を図っているともとれるからだ。(つづく)
251 :
250:03/11/19 15:51 ID:???
私は日蓮系諸宗派とキリスト原理系諸教会は極論、いや正論で言えば同質と見ている。
そしてその同質のもので確信犯的に操られる世界が存在し、それは一種の魔術。
(今のところ他の言葉が見あたらない)
魔が出現すると誰かよく言うが、実は魔が現れることに意味を持ち、魔がいないことには成り立たない。
.・・・それが私の言う魔術だ。
そして魔の本質が同質ならば、その権力体制が持続不可能に陥った場合は
いつでも取って代わることが可能なシステム。(日本においては天皇国家神道というWild Cardも
依然隠されている。)
252 :
250:03/11/19 15:58 ID:???
これを言うと「御前はフリー・メイソンリー陰謀論者か」てなことになりそうだが・・・
ローマ帝国がイスラムを魔とし、十字軍を送り続けることで繁栄する力を持続させたように
それ以前から人類の中に種を蒔き、育ったものに取り憑き、まるでゲームを組み立てていくような
そんな魂の輩が世を支配していくのだ。
今その魂はアングロサクソンの少数とアメリカ・シオニストの少数に息づいている。
(ここまで来ると電波クン確定かなw)
253 :
250:03/11/19 16:02 ID:???
魔術の持つ意味は、人間が進化するのを封印する力とも言える。
進化を成せば、駒として使えなくなるからだ。
キリストもブッダもアラーも個々の人間が進化する方法を、そして現世も未来においても
それを阻止するものに囚われるなと教えたに過ぎない。
・・・それさえも種を植え付けられ、封印されてしまったのだ。
辛うじて釈迦の教えの中核になるものは残ってはいるが、だからといってチベットが釈迦の教えを
そのまま伝えていると早とちりすると、同じ罠にはまることだろう。
254 :
250:03/11/19 16:16 ID:???
科学的と認識されるもの=全ての法則は数字に表される。
しかしそれが不可能なカオス的分野が存在することも一部では認められている。
今の人間達の生活を支配し、左右するのは数字だ。(それを形にしたものがマネー)
我々は表される数字こそが、この自然界を支配する法則と思いこまされている。
本当は不確定原理とされているものこそが、全体を支配する大きなものなのだと解った時が、
釈迦の言う悟りの境地に入った時であり、進化を成し遂げる唯一の道なのだが・・・
その為にはきっと一度ゼロになり、自己の個体で証を得てからということになると思われ、
現代社会に生かされる者にとってそれはなかなか無理がある修行ともいえる。
255 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :03/11/20 10:25 ID:2m831Lf1
>>254 突っ込ませていただくよ
>全体を支配する大きなものなのだと解った時が
解ったと悟ったは違うものだよ
全体を支配する大きなものなのだと解った時が
と
全体を支配する大きなものなのだと悟った時が
では、違うんだよ
他の点は別に指摘する点はありません
>>250 違うよ。私はね。
統一教会からの脱会で「後遺症=罰の幻影」に怯える人を見ているから、
学会からの脱会を怯える人を助けたいだけ。
仏教系だってキリスト教系だって、カルトはカルト。
「あっちかこっちか」という問題ではないんだよ。
258 :
257:03/11/30 14:10 ID:???
>>250 激しく読み違えたかな?
結論は?3行以内でまとめると?
仏罰を信じているのは末端の新人信徒だけだ!これだから勧誘する方はよく人を選んでくれないかな…
勧誘の仕方にも問題があるんだよなークソ!
/ ) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
./ / | あー題目、教学、折伏、選挙活動メンドクセェ!
/ / \ / ̄ ̄ ̄
/ /  ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄| スっげぇーメンドクセェ! !
./ /_λ , -つ \
/ / `Д´) ./__ノ  ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄
/ \ / / ⊂_ヽ、
.| へ/ / .\\ λ_λ
| 3世 レ' /、二つ \ ( `Д´)
| /. . > ⌒ヽ
/ / / へ \
/ / /3世 / \\
/ / レ ノ ヽ_つ
/ ノ / /
_/ / / /|
ノ / ( ( 、
⊂ -' | |、 \
/⌒彡 . | / \ ⌒l
/ 冫、) | | ) /
/ ` /<これだから3世は… ノ ) し'
(_/
http://web.thn.jp/welcome/sokagakkai_ch_hp/sokagakkai_ch_index.html URLのコピベ推奨 学会員の皆さん応援よろしくね!「創価学会ちゃんねる」
統一の症状は重そうだね。学会員も人によるだろうけど。
学会よりキツーィカルトは他にもあるけど、学会の方が人多いし社会的影響大。
>>244 たしかにクズかも、議論が展開されているスレに横槍いれるのも
基地外会員もしくは、元会員だもんな〜。┐(´∀`)┌ヤレヤレ
実社会で迷惑な彼らは2CHでも同じく迷惑だね。
再浮上
日蓮は病死しました。
史実です。
したがって題目は病気には効果なしです。以上、事実のみお伝えしました。
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/05 15:04 ID:q8S5hRdT
釈迦もキリストもモハメットも現在人が病む事を想定して
仕組みやがったな、日蓮は最悪だしな!
他と比べて短命でしたね。
なんで、修行途中で投げ出したんだろう
かじって中途半端にやるから間違えるのだろう
短気だったのかな?
268 :
ROMでしたが ◆ROM/zkL9HY :03/12/05 22:31 ID:yP7FQoFw
ひゃっきまるさんもお休み……?
269 :
もこ:03/12/06 17:13 ID:???
ひゃっきまるさんも、乾闥婆さんも、しばらく見てないです。
>>269 もこさん
そうなんですか……。
教えてくれてどうもありがとうです。
あいかわらず。素人に論破され、とんずらし。
つまらんスレで言い争いしかできないようだね。
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/14 00:46 ID:hSn+dgYu
>>270 良スレだったのにキチに乱入されてのっとられた。ひゃっきまるさんも乾闥婆さんもだんだん相手しきれなくなったっぽい。ここにはアンチに対しても創価に対してもきちんと丁寧に教義を説明できる人が必要だったのにな。
最近は、お邪魔しますさん周辺が別スレ(ブッダと関係あるのか)で
比較的ちゃんとした?内容が進行中です。
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/15 01:32 ID:jrqzF8Qk
宗教用語ばっかでなんだかわからん……。お邪魔しますさんてどういう立場の人?相手もなんか創価じゃないみたいだし……。ひゃっきまるさんと真性創価の議論をまた見たいよ。彼が唯一創価のMC解ける人じゃないかと思うんだけどね。
275 :
北:03/12/16 05:20 ID:8y700Rv+
半年ぶりだぜ!
あひゃあひゃ
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/12/16 20:06 ID:mTNHhciG
日蓮正宗と日蓮宗って具体的にはどう違うのですか??
>>276 日蓮正宗には禿げ李がいないからよっぽどましってことだな
日蓮正宗は、創価学会、顕正などなど世間に迷惑かける団体の本拠地
日蓮原理主義の元祖、攻撃的、凶暴化する要素がある。
末法思想、無量義経、開祖神聖化、目違った根拠の元に布教してる。
法華講とはなんですか??
それは日蓮正宗?
法華講とはなんですか??
それは日蓮正宗?
鎌倉時代の坊さん日蓮上人(学会・正宗系呼び:日蓮大聖人)が開祖、
天台宗の修行を途中で投げ出し、自分で独立宗派を作った。
法華経は他宗派にもあるが経典の一部でしかない。
当時の天台では、法華経という経典が最高とされていた。
それをさらに、自分の理論を付け加え。
末法(仏教のハルマゲドン:現在では作り話しというのが常識)
法華経しかない自分が正しい。他のは害になるといって回った。
・日本霊異記下巻20、法華経を書写していた女の人をそしった罰として白癩(白ナマズと読む場合ある)になる。
「法華経・普賢菩薩勧発品」「若し復是の経典を受持せん者を見て、其の過悪を出さん。
若しは実にもあれ、若しは不実にもあれ、此の人は現世に白癩の病を得ん」
(後に、法華経に帰依すると治癒するという伝説ができる。)
「法事讃(註釈版七祖篇P544)」
「人中に生じて、聾盲(ろうもうおんあ)・疥癩癰疽(けらいようそ)・貧窮下賤(びんぐげせん)にして、
一切の諸衰、もつて厳飾となす。」
この病気に対する受け取り方は時代や文化によっても様々である。
日本では、日本書紀・令義解など8.9世紀の頃から記載がある。
日本霊異記下巻20には、法華経を書写していた女の人をそしった罰として「白癩」になるという話が出てくる。
これは「法華経・普賢菩薩勧発品」を元とした説話で、後々業病説と言われるように成った所以である。
また、ここから「らい者」が法華経に帰依すると病気が治るという逆説的伝説が生まれ、
熊本の本妙寺のように「らい病隔離部落」が出来る要因になったところでもある。
保守
しかし、正月からこれかよ ┐(´д`)┌ ハイハイ
「日蓮の生まれ変わりが池田先生」という嘘は、いまだに流れているのだろうか?
それともそのウソの噂を流すのはあきらめたのだろうか?
「池田氏が松をたたいて懐かしがる」という話には笑った。
鎌倉時代の松は1900年代の日本には一本も残っていないのだから。
埋もれさせるには惜しいスレなので保守。
なんとか有効利用してほしいね。でもちゃんとした議論になると決まってトンチキが現れて話ができなくなる。ちったあ自粛しろ。
そうだね。だけど日本霊異記持ち出したって誰もまともに取り合っちゃくれないと思うよ。
>>281 日蓮が蘇ったらソウカを真っ先に叩くでしょうな。w
よく、「うちのお寺は日蓮宗」なんていう本の表紙に、日蓮さんの顔の絵が出ているよね?
目がギョロっとして、ニコっとした印象の顔。
あれは日蓮さんの顔ではないのではなかろうか?
国立博物館での「大日蓮展」で見た日蓮さんの像の95%は、
二重アゴで、不機嫌そうで、切れ長の目だ。
どうしたって、目をギョロっと見開けるような目のつくりをしていない。
・・こんなこと書くと、ハキリさんに笑われそうですが。気になって。
良いスレ保守age
292 :
レンマ:04/05/10 02:20 ID:???
法華講とは、日蓮正宗の信徒団体。
基本的には、各末寺ごとに、ひとつの法華講支部があります。
創価学会は、以前は、日蓮正宗の信徒団体だった。
いまは、日蓮正宗とは手を切って、独立した。
293 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/10 02:29 ID:okdv7RtT
誤爆か?w
>>278 >日蓮正宗は、創価学会、顕正などなど世間に迷惑かける団体の本拠地
本拠地ではない。ソーカがタサクにのっとられたから、今のソーカと
ケンショウという過激集団ができた。タサクがあらわれる前は、
日蓮正宗は、それほど過激な集団ではなかったし、今もそう。
>>294 牧口と戸田の時代は、
「過激でなかった」
ということで宜しいか?
一日一蓮
略して日蓮
>>272 >宗教用語ばっかでなんだかわからん……。お邪魔しますさんてどういう立場の人?
>相手もなんか創価じゃないみたいだし……。ひゃっきまるさんと真性創価の議論を
>また見たいよ。彼が唯一創価のMC解ける人じゃないかと思うんだけどね。
バーカめ、ひゃっきは層化の回し者だ。ふん何が常不敬ボサッだ。
へワラだぜ、いまダイビャケレンケンとかでそんな御託を並べてそれらしく見せてる
が、まさに奴の言っとったやり方で騙し方の手が混んできただけだろが。そんな見て
くれだけで『』で騙せるてー考えるってのが創価学会ってとこなのよな。
なんだ実際には「呪文で何か知らんがなんとなく強くなった気分になればそれでええ教」
ってのが実体だ>創価学会ってのはよ。わっかたか?とんまめ。
日蓮正宗も法華宗もかわいい宗教ってのが真相で、ああいうかわいさが創価学会
みてえなふてえ根性のビケダ教にはねえのさ。だから嫌われるのは当然との字。
嫌われていいんですて言ってたカルト教はカルト教らしくずっとカルトでいろよ
>層化めが。
シメ!
なにしろ、
ヤ ガ ラ セ の 陰 湿 さ と し つ こ さ と ア ク ド サ で は
創 価 学 会 を お い て ほ か に は
世 界 で た だ 一 つ の 呪 い 教 だ か ら な
あ く ど い 層 化 は ツ ブ レ ロ !
な>創価な(ソーダヨナー)、ああん???
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/06/24 00:24 ID:UFE6PvmK
>211-215
「四箇の格言」をご存知ではないようですね。日蓮は生前「真言亡国」と
言って真言宗と激しく対立したわけですから、真言宗の一派なわけがありません。
釈迦の教えというのは本来、釈迦が生前に述べた教えをその弟子たちがまとめた
巻物がインド各地に伝わっていて、それを中国語に訳したいわゆる「お経」が
それにあたります。
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/06/24 00:25 ID:UFE6PvmK
三十歳で出家し教えを説き始めた釈迦は、初めの二十一日間は
華厳経を説き、次の十二年間は阿含経を説き、次の十六年間(説時不定説、三十年説、
八年説、十年説など諸説あり)に大集経六十巻(これが後に末法思想の典拠となる)、
深密経五巻、楞伽経十四巻、観経一巻、双観経二巻、阿弥陀経一巻、金剛頂経三巻、
大日経七巻(これが真言宗の教え)、蘇悉地経三巻等を説き、その時期に浄土三部経
(すなわち念仏(南無阿弥陀仏)をすると成仏できるという親鸞の教えの根拠となる経)
を説き、その後もいろいろな教えを説きました。
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/06/24 00:25 ID:UFE6PvmK
七十数歳になって法華経を説き、
その中で「巳説今説当説最為第一」(今までに説いた教え、法華経と並行して説く
教え、法華経以降に説く教えの中で法華経が最も第一である)と述べて
釈迦が本来広めたかった教えは法華経であり、法華経以外の全ての教えは方便の教え
であるから正直に捨てなさいと述べられたのです。
つまり妙法蓮華経を南無することのみが釈迦のお心であり、仏様のお心であるということで、
仏と成るには仏のごとき内面を実現せねばなりませんから、妙法蓮華経を南無することで、
成仏できるとするのが唯一正しい。妙法蓮華経を南無することが仏様の唯一のお心であり、
本体である以上、仏様の外面でなく、内面を信仰の対象とするという意味で、
南無妙法蓮華経を本尊とせねぱならないわけです。
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/06/24 00:26 ID:UFE6PvmK
法華経以外の宗教・宗派では信じるもののみが救われ、教えを見たり聞いたりしただけで
信じぬ者は地獄に堕ちると説かれているようです。
しかし法華経では教えを見たり聞いたりしただけで、功徳が生じ、来世では成仏することができる
(二乗作仏)。教えた側にも信じさせたのと同じだけの功徳が生ずる。つまり下種益です。
救われたいだけ、ご利益が欲しいだけならば信者になる必要はないわけです。
信じないと駄目みたいな、やり方はむしろ釈迦の教えに背く悪い行いであると思います。
法華経を信じないで見たり聞いたりしただけでは、自分が救われるだけで人を救うことはできない。
人を救うことで菩薩となる。現世で菩薩となりさらにまた菩薩より上の位の仏と成るには
信じて人に説かなければならないというだけなのであって、信じることは善ではあっても、
信じないことが悪だとは思いません。仏教に関心があれば、あるいは持たせれば十分だと思います。
307 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/06/24 00:50 ID:UFE6PvmK
>221-223
別に学会を擁護しているわけではないんですが、
おかしいものはおかしいと言いたいのでレスします。
百歩譲って、本仏が誰であるかについては諸説あるとしたとしても、
釈迦自身が法華経の中で自分は久遠の昔、
前世で別の師匠から法華経を教わったと言ってるわけですから、
釈迦を信じるということは、釈迦は本仏ではないことを信じるのと
同じです。ただ言えるのは、釈迦が本仏(最初の仏)ではないと
言っても、教えの中身は釈迦の教えなわけで、本仏の教えというのが
別にあるわけではないわけだから問題ないんじゃないですか。
308 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/19 08:19 ID:xj4FLHNY
如是我成仏已来。甚大久遠。寿命無量。阿僧祇劫。常住不滅。
かくのごとく、我成仏よりこのかた、甚大久遠なり。寿命無量にして、阿僧祇劫。
常に住して滅せず。
妙法蓮華経 如来寿量品第十六
と説かれるにいたって、はじめて本仏の存在が明らかにされる。
釈尊がブッダの本質をその身にあらわされて、久遠の昔より衆生の教化が
常住の仏により(これについては別途詳細がありますが)繰り返されてきた
ことを述べられるのである。
ブッダとなったゴータマ・シッダルタには、人の部分と法の部分とがあり、
それはすなわち過去世において下種を受け、菩薩行を重ねて仏となった側面と、
常住の仏と等しく、一体となっている部分とである。
久遠の本仏という存在と、過去・現在・未来の、ありとあらゆる仏さま方は、
究極のところでは一体であり、それを分けて考えるのが誤りなのである。
日蓮は本来、今この娑婆世界においては釈迦牟尼仏に説き顕わされた、
ブッダの根本の義を釈尊ご入滅の後掘り起こして、はじめて説きひろめた、という
スタンスなのだが、ガカーイや日蓮正宗の人たちは、あくまで日蓮が釈迦に代わって
釈迦とは別の本仏として説いたってことにしたいみたい。なにがなんでも、
オンリーワンになりたいんだね。
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/19 08:59 ID:xj4FLHNY
>>305 二乗作仏っていうのは、声聞・縁覚という自己の救いにのみこだわってしまう
人たちに対して教えがとかれてきたのも、それらの人たちの状態に応じて
得道をめあてとしてのことであり、法華経以前に、一時声聞・縁覚のようなものは
仏の果報(救い)を得ることは出来ないと説かれたのをあらためて否定して
声聞・縁覚というものたちに仕上げをほどこしたもの。
その仕上げというのは、妙法(サッダルマ)を前にしてそれを理解しようとする
のではなく、信じるという行為から、仏の果報を得る道が始まるのだ、という
ことを改めて説き、自分たちがどの時点で習い損じていたのか、をさとらせる
というもの。
妙法の存在に触れ、それを信じるという行為が、下種ということ。
法を聞くのが下種になるというのは、たとえその場で信じることができなくても、
ブッダとの縁ができることでその力にひかれて、必ずスタートラインに
立てる時がくる、ということ。
>>305のいってることは、道理に合わない。
汝舎利弗 尚於此経 以信入得 況余声聞
なんじ舎利弗すら尚、この経においては、信をもって入ることを得る。
いわんや余の声聞をや。
妙法蓮華経譬喩品第三
あと教えた側と教わった側、ともに功徳が生じるっていうのは、
なにも法華経に限った話ではなく、大乗の基本です。
どんな手を使ってでも。救う救うというけどその 救うは 勧 誘 すること
入会させたら救った自分もご利益になると信じ込んでるおろかもの
>釈迦が本来広めたかった教えは法華経であり、法華経
>以外の全ての教えは方便の教え
>であるから正直に捨てなさいと述べられたのです。
釈迦が生きていた時代は紀元前5世紀。
伝承された、釈迦の教えにもっとも近いと考えられるのが、原始仏教
とも言われる、阿含経。
その後、根本二大分裂を経て、大衆部の人たちが経典の創作を始
めた。
現代では創作された時代によって、初期大乗、中期大乗、後期大乗
に分類されている。
こうして1000年間に渡り経典の作成は続いた。
法華経が作られたのは紀元1世紀あたりとされ、無名の複数の
人々により創作が行われた。
その中で、巧妙にも如是我聞で始まり、釈迦の教えの伝承の様式
を真似している。
しかも、十大弟子たちや歴史的事象を挿入し、釈迦には法華経以前は
方便とまで言わせている。
本来、如来と同義である阿羅漢を菩薩の下に置いてしまう、二大分裂
以降にできた小乗なる言葉を釈迦がのたまう等都合の良いことこの上ない
事を勝手に挿入してしまった。
これが、法華経の真実なんだが、いつまで騙されているのでしょうか。
釈迦や日蓮抜きにしても、法華経には大した内容なんかありませんよ。
312 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/19 16:17 ID:xj4FLHNY
法華経に見出されるブッダ観、妙法観などからまずは勉強してみるべし!!
阿羅漢の悟り=如来の悟りだって、上座部の人たちがそう言ってるだけだし。
313 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/19 16:32 ID:VpCK21rs
>これが、法華経の真実なんだが、いつまで騙されているのでしょうか。
>釈迦や日蓮抜きにしても、法華経には大した内容なんかありませんよ。
そうだな。法華経そのものは、仏教的な観点からは、何の価値もない。
大衆の煩悩と欲望を増大し、自我の肥大を招く、いわば廃仏の発送にしか過ぎない。
真実はそこにある。だが、オウムの信者にいくら説得しても不可能なように、
巧妙な洗脳によって信者が雁字搦めにされている以上。
信者には、「法華経」なる、どうでもいい教典を信じた罰を受けてもらうしかあるまい。
それは、「法華経を信じているという」ただそれだけの罪だ。彼らがどうなろうと知ったことではない。
人生の浪費ならびに、真実への不正義。これ以上の罰はあるだろうか?
彼らは気がつけない。なぜなら、それだけの知性はないからな。仏教とは、信じることよりも、信じないことを
重視する。といっても彼らにはちんぷんかんぷんだろう。世の中には、上には上がいて、
仏教にも、法華経以上の価値のある経典が五万とあることすら知らない。
単純に成立年代だけでも、法華経はどこかの馬の骨が作ったもので、まさに偽経典に過ぎない。
これは、感情ではなくて、事実なんだが、彼らにはそれを理解できる知性はないだろう・・;・・
>仏教とは、信じることよりも、信じないことを 重視する。
面白い表現です。
諸法皆空の悟りを自分自身の言葉で表現されたと解釈します。
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/19 17:01 ID:xj4FLHNY
>>313 >大衆の煩悩と欲望を増大し、自我の肥大を招く
自分勝手に読もうとするからだよ。師匠について、うそ偽りなく、学び、伝えていくこと。実践の段階で、
はじめて慈悲とかっていう言葉の意味にぶちあたるんだよ。
たとえばソーカの人たちは、師匠選びからして…はおいても、そういう一つ一つの智恵を身につけるチャンスのところでも、
画一的なマニュアルをつくってそれで判断しちゃってるかんじ。
日蓮は、そのあたりを
まことに仏になる道は師に仕ふるには過ぎず
とか
受くるは易すく、持つは難し、さる間、成仏は持つにあり
とかって。
これでいいんだって、人間が自分勝手に決めっちゃってたら、法華経をたもつなんてことにはとてもならない。
>仏教にも、法華経以上の価値のある経典が五万とあることすら知らない。
じゃ挙げてみてよ。
>成立年代
現存の仏教経典としての成立は、どれもそんなに変わらないんですが?
だいたい。日蓮さんが神的存在か一人間の高僧であると判断してるかで
カルトになりやすいかどうかの分かれ道。
日蓮さんも人間であるから間違いもある、
日蓮大聖人は絶対である予言している←カルト系宗派
偽経典の無量義教などを法華経が正しい根拠にしてしまった←これ時点で破綻してる
>成立年代
大乗経典の創作年代は前後で約1000年の違いがあると記憶する。
初期大乗と分類される、法華経、華厳経、般若心経辺りは同時代の
創作であまり変わらないかもしれませんね。
大日経あたりの後期大乗はさらに数百年後の成立とされます。
318 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/19 20:58 ID:xj4FLHNY
無量義経より
四十余年未顕真実
法華経より
法久後要当説真実
無二亦無三除仏方便説
正直捨方便
不受余経一偈
此法華経。亦復如是。於諸経中。最為其上。
無量義経って、その経文を除外しても、特に見解がくつがえるなんてものではないんです。ザンネン!
内容的には法華経(とそれを読むための仏教通念)から導かれること。
これを根拠に日蓮正宗創価学会は勧誘していました。
たった12年前までこれを信じていた会員が大半
いまでも騙されたままになっている人もいるはず。
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/19 21:55 ID:xj4FLHNY
大乗は小乗よりも新しいと一概に断定することはできない。
大乗が教団組織として固定し、その聖典を編集したのはかなり後であるが、大乗的傾向の活動はずっと以前からあった。
その具体的な証拠は、紀元前二〜三世紀までさかのぼるサーンチー、バールハトその他に残る美術品からも推定される。
また“説一切有部”や“経量部”などの小乗部派の教理はきわめて複雑なものであって、これらが大乗の興起以前に
すでに成立していたと推定できる根拠はない。
前に紹介した部派の分裂の歴史は必ずしも客観的な記述ではないことも注意すべきであろう。
書物によって記述が異なることからみても、このことは明らかであるが、これらはみなそれぞれの部派が
事実上成立してからあとでおのおの自分の部派を権威づけるために作られた系図である。
自分の部派が仏陀の真説にもっとも近いことを証明する意図によって書かれたものである。
くわしくはこちらを。
ttp://www2.big.or.jp/~yba/QandA/01_06_28.html
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/19 22:02 ID:xj4FLHNY
>319
創価学会がDQNだからって、それで法華経まではなしをひろげるな、といいたい人は大勢いると思う。
あいつらの言いぐさでおかしいところは、いっぱいあるんだ。
あいつらが語る法華経はあいつらだけが語る法華経。
あいつらが語る日蓮聖人もあいつらだけのもの。
322 :
お邪魔します 再び ◆nH2G.RjIE2 :04/07/20 01:43 ID:/Cq7fPsv
法華経を信じないと国が滅びるのなら、どこかに法華経を国教にして
繁栄している国があるのかな。あるのなら教えてもらいたい。
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/21 00:55 ID:ESnnIM89
法華経を国教にしている国なんてないよね?
その国が繁栄しているかどうかって確認しようがない。
324 :
お邪魔します 再び ◆nH2G.RjIE2 :04/07/21 04:41 ID:XFyhJArT
お釈迦様の出身地である釈迦国はコーサラ国の瑠璃王によって
殲滅させられてしまった。仏教の教えは国家を救うためではなく
個人の精神を磨くことにあるのではないだろうか。
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/21 06:37 ID:PqIE4Kpy
釈迦国は仏教国だったのか?たしかにお釈迦さまはご弘通に赴かれもしたが、
少なくとも王家の人々は元王子としてしか見れなかったのでは?
一国がみな出家しブッダに帰依したのは、釈迦国滅亡後のこと。
326 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/21 23:20 ID:NWJDJRv4
というか、どちらにしても法華経は国教になってはいないよね。
>>326,
記憶違いかもしれないけど、随代に中国天台宗(天台大師の頃)が国教乃至それに
近い扱いだったような?記憶違いだったらごめんなさい。
中国持ち出すのも悪くは無いが、
我が国の平安時代なんかは
特に天台宗が国教に近かったと言える。
致命的なのは、
「南無妙法蓮華経」と唱えても、
法華経を書いた人はもちろん、
ブッダですら「意味がわからない」ことです。
「なにそれ?」・・題目を聞いても、ブッダも法華経を書いた人も首をかしげるでしょう。
私が書くと、スレが止まる(止まりやすい)・・・というのは気のせいでしょうか?
>>330 世界さんのカキコは大概的確だと思うのだが、
やや説明不足なところがあるような気が…
332 :
ひゃっきまる:04/08/07 22:10 ID:i+3IdUbM
おひさしぶりです。今この板はどんな情勢になっているのでしょうか? 僕がいなくなるときと変わっていませんか?
僕がかつてここで主張したかったのは、創価学会が主張する以下の二点が誤りであることです。
1・創価学会が唯一正しい宗教であり、他の宗教を信仰すると不幸になる
2・その根拠は三証や五時八教で説明できる
1は学会員に「排他的」「狂信的」な性質の信仰心を植え付けます。その根拠となる2ですが、これは「宗教的神話」とも言えるもので、歴史的事実とは全く異なり、現代においては主張することはできません。
この2点は僕が子供の頃ではかなり強く主張されていたことですが、議論をとおして、今の創価学会はさほどこの2点を主張しなくなっている、故に会員によってこの受け取り方はかなり温度差がある、ということに気が付きました。
今、この板では上記の2点に対してどのようなスタンスの会員がいるのでしょうか・・・? それとも、また以前のように学会員は全くいず、アンチだけの板になっているのでしょうか?
ほんの数年前までの根拠は、三証や五時八教でしたが
間違った根拠を存在意義にしてしまうと嘘を言って
会員集めしたことになるので。もう古いでごまかす。
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/20 04:47 ID:iob4r6hy
日蓮宗の寺で産まれ育ちましたが(身延派です)良いものだと思う事はできませんでした。
全てを否定するわけではありませんが、人を幸せにするのか?救うのか?と考えた時、
肯定はできませんでした。
また創価はカルトであると教えられました。
自分で創価、創価を信じる人と接してみてカルトであり、
人を不幸にしているモノだと確信しました。
今は宗教そのものに疑問を持っています。
すがるものが無くては生きづらい人がいるのは理解しているのですが、
宗教と名のつくモノは最も人を争わせ、血を流させ、多くの混乱を招いてきて
現在も未来にも災いを起こす元にしかならない気がしています。
かといって、どうする事もできないのが悲しいのですが・・・。
宗教について是非を論じられる人は、まだ幸せかもしれません。
盲目的に信じ、依存してしまっている人間が世界中で争っています。
とても難しい問題だと思います。
335 :
ひゃっきまる:04/08/22 00:53 ID:mr3FIHkB
>>334さん
僕も創価学会の2世として生まれたので、よく気持ちが分かります。しかし考え方は絶えず揺れ続けています。自分自身の心の問題に未だ解決がついていないのだと思います。
僕は創価学会を全否定するつもりはありません。信仰で幸せになっている人もいると思うからです。しかし会員が盲信的な状況に置かれていることは非常に問題だと思います。
信仰そのものが悪いということはないと思います。信仰心は人間の自然な感情ですし、それが否定されなければいけない世界は、今よりももっと悲惨な気がします。
宗教は悪い側面も多いので確かに難しい問題ですが、「知る」ことは大事だと思います。僕は法華経を読み直したり、仏教史を知ることでかなりいろいろと考えることができるようになりました。
相手の信条について無条件に肯定するのでなく、また無条件に否定するのでなく、まず知り、理解しようとし、考え方や思いを交感する努力をしなければならないのだと思います。
仏教は、段階的に教えを説いて否定の否定で成り立っている、といわれるが、
その中でも、法華経は法華経以前のすべての教えを「否定」する教え。
だから宗派が枝分かれして、まとまることが絶対にない。
他の教えを否定して、それらを「いらない」といって捨てる時点で排他的独善的要素が高い。
したがって物語的には素晴らしいが理論的な説明に欠けるため、三乗即一乗も説明できえず、
釈尊のご一代の教説をまとめきれず、完全なる円教、一乗とはいい難い。
最高の教えとは、否定することから始まるのではなく、
釈尊の教えのすべてが一つの大海に帰入するが如く
すべて融和してまとめあげるだけの要素があるものを指す。
たとえ増上慢でも誰でもすべての衆生を済度することができるものでなければいけない。
増上慢の徒も済えず、末法思想も最終的に否定できない教えが最高とはいえないし、
それが仏教ということはできない。
337 :
ひゃっきまる:04/08/24 01:21 ID:RLdZ4Fpw
>>336さん
法華経は法華経以前の教えを「否定」しているとも言えますが、むしろ素直に読めば、法華経以前の教えを全て「肯定」しているとも言えますよね・・・。まあいろいろ突っ込まれそうですが。法華経は実は何も説いていない、というところがミソのような気がします。
「最高の教え」ってなんなんですかね。「最高」があれば、それ以外はそれよりも下ということになってしまう・・・。あるいは、「最高の生き方」というものがあるとすれば、そうではないものがそれよりも価値がない、ということになってしまう。
仏教も含めて宗教って、もっと素朴なものだと思うのです。生活の中で生じる具体的な悩みの一つ一つに対して応えるというか。理論とか体系とか後付け的なもので、それにこだわるとおかしくなっていくというか。
336です。
個人的には、ひゃっきまるさんの言うことに異論はないんですよ。
まぁ経典なんて法華経に限らずとも多くの人を介して長い期間に創作されたものだから
同じ経典の前後で矛盾するものもあるし…。
私が学会や正宗に違和感を感じるのは、「これが最高の教えなのだからあとはすべて劣っている」
という勝劣をつけて、他を根本から否定するところにあると思うわけです。
だから宗派や教団が枝分かれして対立を繰り返す。
ただ、教相判釈はどこでもしてるから、なにも学会や正宗に限らないけどね。
ちなみに私自身は学会とその教えは受け入れられないけど、一人一人の学会員となると話は別です。
でもね、これだけはいえると思うんですよ。仏教はニヒリズムじゃないって。
末法思想を完全に否定して、たとえ増上慢で法華経を誹謗する人でも救おうとするのが本当の仏教だとね。
これを示さずに、地獄に落ちるとか退転した、といって救おうとするのを諦めて、
その人を誹謗中傷したら、その信仰は救いの力がないといってるのと同じでしょ。
障害者差別をやめましょう。なんてのは最近の流行りにすぎない。
最近の流行に合わないからといって、法華経の内容が間違っているなどということは、
絶対にない。
340 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/24 18:46 ID:AbZfmzPn
法華経は末法の時代には使い物にならなくなるんではないの?
それは法華経も示唆してるんだよね。
学生部編のなんかに書いてあったよ。
>>340 それ、できれば詳しく説明してもらえませんか?
法華経内の文証や学会の書物のどこに書かれているかでも構いません。
私は門外漢なので、入手できるものに限りがあり分かりかねるので…。
でも、「末法で救いの力がなくなる」ということは、仏教の道理・大原則に反してるので
法華経自らが非力だということを示してしまうことになりますね。
それだとキリスト教にも劣っちゃうかもしれませんw
342 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/24 23:05 ID:zBLSW0bR
>>341 いいけど、古いかも・・・俺が間違ってたらごめんなさい・・・
「日本の宗教の現状」(創価学会青年思想シリーズ24 聖教新聞社)
(創価学会男子部教学室編)
天台宗の破折
一、確かに法華経は釈尊の出世の本懐であり、その法華経を依経とした天台の
理の一念三千の法門も、仏法の哲理としては完成の域に達したものといえましょう。
しかし、末法の今日にあっては何ら功力が無いことを知らなくてはなりません。
正法・像法の時代に、人々を救いえた法華経も、末法には何の力も無いことを
経典自体明かしています。
法華経も実は、末法万年の衆生を救う根源の一法、南無妙法蓮華経の予言の書であり、
説明書だったのです。
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/25 00:39 ID:GShsasOY
今末法に入りぬれば余経も法華経も詮なし、但南無妙法蓮華経なるべし
上野殿御返事 御書1546頁
>>342 >>343 ありがとうございます。日蓮の仏法を考える上でとても参考になりました。
ただし、一つ質問なのですが、その上野殿御返事は日蓮の真筆と認められているんでしょうか?
日蓮の遺したといわれる文書もその真偽が定かでないものもあると聞いたもので…。
どなたか詳しい方がおられましたら再度ご教示いただけますでしょうか。
あと、やはり思うのですが、法華経自体が末法には役の立たないものというのがミソですね。
で、南無妙法蓮華経でしか救えない、という方程式に至る根拠がまったく理解できません。
私が凡夫だからかもしれませんがw
これは法華経で久遠実成の釈迦を強調するあまり、その先を詳しく説いてない、
また正しく久遠というものを捉えてないのが原因のように思います。
仏教では末法や時による仏法の変化を最終的にきっぱりと否定していると思うのですが…。
自分で調べる努力を怠って理解できるはずもなかろうに。
>>344 >法華経自体が末法には役の立たないものというのがミソですね。
日蓮は法然の門外の弟子なのでしょうかね(笑)
>で、南無妙法蓮華経でしか救えない、という方程式に至る根拠がまったく理解できません。
>私が凡夫だからかもしれませんがw
口で唱える念仏で救えるなら、日蓮が絶対とする根本経典の題目
の方が優れているとのお考えなのでしょう。(笑)
親鸞と日蓮は異母兄弟みたいですな。(笑)
でも今日では只念仏せよと言われても・・・
それで、ソウカでは色々な手練手管で雑行を課し
おサル頭の珍走団の如き様相を呈しておるのでしょう。
そしておサルが仏さまと拝んでる対象が実は違っていた。
いつの間にか釈尊や日蓮ではなくなっていたと・・・トホホ。
>>337 ひゃっきまるさん
久々の登場ですな。また盛り上げてくださいね。
>>345 そう言う人がでるだろうと思ってましたよ。
私の書き方が悪いので誤解を与えたようですね。
いちおう私も調べたのですが何せ持ってる資料が乏しく、
ネットでもそれらしきものもヒットしなかったのでお尋ねしたまでですが。
>>346 題目と念仏、日蓮と親鸞(や法然)
たしかに近親憎悪みたいなものを感じますね。
でもそれは一方通行っぽいですが(ワラ
352 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/25 23:41 ID:IRgmsokT
>>344 遺文は?@真筆が現存するもの、?A直弟子・孫弟子による写本が残っているもの、
?Bかつて真筆があったことが分かっているもの(曽存)、が日蓮の書として信
用度の高いものと考えられています。引用した「上野殿御返事」は?Aにあたり
ます。日興書写が残っているようです。
日蓮の書・日蓮の書・日蓮の書
怪しいにおいがしてきますな
354 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ佛所 ◆IByKs72gR2 :04/08/25 23:47 ID:MoN8dWnk
まぁ、そろそろ末法は止めましょうや。末法は。(藁)
像法だっていいんだよ。(ゲラ)
355 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/26 00:43 ID:tR4UzwLI
末法とは所詮時代の作り上げた物語ですからね。
356 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ佛所 ◆IByKs72gR2 :04/08/26 00:59 ID:dXAcQYeI
そうです。
学会とか顕正会とか末法にこだわりすぎ。(藁)
357 :
ひゃっきまる:04/08/27 21:14 ID:7FPHhJUf
>>338さん
レスありがとうございます。「これが唯一」と「信じる」ことは、ある種の宗教にとっては信仰上非常に大切な部分であるとも思います。しかしそれは客観的な意味でそうなのではなく、信仰としてそうなのだ、という節度を持つべきなのだと思います。
宗教にとって一番恐ろしいのは、怒りや憎しみ、あるいは利得のための正当化に教義が利用されることです。そういった危険性が常にあることを意識して、組織の言いなりになるのではなく、自分の内にある声に常に耳を傾けることが大切なのだと思います。
358 :
ひゃっきまる:04/08/27 21:15 ID:7FPHhJUf
>>344 >>349 >で、南無妙法蓮華経でしか救えない、という方程式に至る根拠がまったく理解できません。
日蓮の立てた宗教の優劣を論じるものに、「五重の相対」というものがあります。これは、
仏教とそれ以外(内外相対)、大乗仏教と小乗仏教(大小相対)、といったように、段階的
に教えの優劣を論じていくものですが、344さんの疑問は最後の「種脱相対」というものに
あたります。検索すればいろいろと説明されているはずですので、調べてみてください。
ちなみに末法思想は法華経では全くでてきませんし、むしろその逆の内容なのですが、日
蓮の時代の仏教界では最大の関心事でした。仏典はさまざまな時代にさまざまな事情で書か
れたものですが、それらは全て釈迦一人によって説かれたと考えられたので、つじつまあわ
せも大変だったでしょう。
359 :
ひゃっきまる:04/08/27 21:15 ID:7FPHhJUf
>>348さん
ありがとうございます。今はたまにしかこれませんが。
360 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ佛所 ◆IByKs72gR2 :04/08/27 21:15 ID:zgO9UNA4
その"内部の声”とやらがとおらんのが創価学会なんだよなー。
その前に、声どころか人がいないのが葵講なんだよなー。
はじめまして・・・
他のレスにここの宣伝が
ひゃっきまるさんの仕業で貼ってあったので覗いてみました・・・
前スレROMってないので、既出の同レスも多くなるかも知れませんが・・・
お許しください・・・
末法については私も色々と疑問・・・みなさんのご意見伺いたいので・・・
末法の根拠としては、
大方等大集経55(曇無セン訳)
「百法隠没 損減堅固」となるのだろうが・・・
どうなんでしょう・・・
仏法の衰退については各経典でも述べられていますが、
年代としての末法説の根拠としては大集経になるのでしょう。五箇五百年ですね。
五百年ごとに「解説堅固・禅定堅固・多聞堅固・造寺堅固・闘諍堅固」で区切り、
我が法中に於いて、闘諍言訟し『白法隱没』せん、というのがその根拠のようです。
法華経にも末法や末世、悪世という言葉があり、どの宗派もほぼ同義語として解釈されてます。
だから法華経で末法思想が説かれていない、というひゃっきまるさんの意見にはちょっと賛同し難いです。
参考サイト
ttp://www.tabiken.com/history/doc/R/R172R100.HTM ここで問題なのは、
1.末法は仏法の衰退を述べたもので、この世の衰退を述べたもの=終末思想ではないということ。
2.仏教は仏法の衰退を述べてはいるが、後々の末世、悪世にも必ず救いがあることをはっきりと述べ、
末法思想を最終的に否定し、「仏教はニヒリズム」ではないことを証明している。
3.2を正しく理解していない仏教徒が多すぎるため、末法の世に釈迦とその仏法にうって変わって
真の仏が現れるなどという、とんでもない戯論が横行する。
というのが私の見解です。
>>363 賛同です。
2の末法思想=1の終末思想という事で良いのかな?
法華経で末法末世が使われていても時代の根拠がなければならない・・・
そこで大集経になるわけだが・・・
だが、大集経は方等時・・・
つまり日蓮祖はニゼンと判断していた筈。
つまり無量義経(私としては偽経論を賛成なのだが)
四十余年未顕真実以前にしても方便品以前にしても
日蓮祖は法華経が全て否定している訳ではないと解釈していると考えられますよね・・・
どれを否定してどれを肯定すれば良いのか・・・?
久遠即末法と説いているだろう。
>>365 それは「久遠元初の自受用身としての大聖人」としての読み方・・・
中道法相・・・
「久遠は今にあり、今はすなわち久遠なり」いい言葉です・・・
だが法華経の
末法到来の根拠とは別の次元の話です・・・
367 :
ひゃっきまる:04/09/01 02:01 ID:j0Hlijym
>>362 マハーバイロさん
はじめまして。お詳しいようなので助かります。
>>363 たしかに法華経で末法思想が全く説かれていない、というのは極端な言い方かもしれません。言葉自体はあるわけです。
ただ、ここでいう「末法思想」というのは、釈迦の滅後1000年後だとか2000年後には釈迦の教えが役に立たなくなる(語弊がありますがこう表現します)、という考え方をさして言いました。
法華経、特に最重要とされる寿量品には、それとは逆に釈迦と釈迦の教えの永遠性が説かれていますから・・・。
教義解釈というのはどういうふうにもとれるので難しいのですが、仮に法華経のみを切り離して単独で読んだ場合、末法思想は出てこないと思うのです。
熱心すぎて両腕燃やしたらなーんにもならん罠
法華教では女性は極楽浄土へ往生致しますです。はい。
法華経を信じる女子は層下だけは辞めたほうがよい
何処にも行き場がなくなるからね(笑
経を経のまま読めばそうなるね。
若有女人 聞是藥王菩薩本事品 能受持者 盡是女身
後不復受 若如來滅後 後五百歳中 若有女人
聞是經典 如説修行 於此命終 即往安樂世界 阿彌陀佛
大菩薩衆 圍遶住處 生蓮華中 寶座之上 不復爲貪欲所惱
ホッケ経を信じてないなら布教活動も辞めなきゃならんしな。(嘲りワラヒ
所詮ソッカーなんて夏休みの読書感想文を書きたくても
全然本を読んでなくて、あとがきから拾い読みして読んだ
ことにしたようなもんだ。
375 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/01 04:03 ID:ssmwLVyh
test
ひゃっきまるさんの末法思想についての見解は
そういう意味でいえば実に正しいものだと思います。
法華経でも久遠の実成を説き、特に過去の永遠性を詳細に説いています。
しかし法華経では久遠の常住、つまり未来の永遠性については
僅かに仄かに匂わすぐらいでしか説かれず、あまり詳しく説かれていません。
だから法華経では末法を完全に否定し切れておらず、
末法では釈迦とその法に変わるものが現れるなどという、邪義がまかり通るのだと思います。
>>377 あれ? 釈迦の未来の寿命は過去の寿命の二倍なんじゃなかったっけ? 過去の永遠性をながながと説いて来て、最後に「未来はこの二倍なんだけどね」って未来のことも保証しているのでは。
>>378 >>377は有限と無限の違い・・・
法華経では五百塵点劫だろうが三千塵点劫だろうが永遠ではない・・・
(でも計算出来ない)(藁
だから末法を否定し切れてないと言うよりも末法を予測している・・・
法華経随喜功徳品18
の五十展転あたりも根拠なると思いますけがどうでしょう?・・・
説法が50人目に伝わった時よりも最初の聞いた人の方の喜びは計り知れない
と言っているのだから・・・
人から人に伝わっていくうちに功徳は薄くなる・・・
ブッタの合理的な一面が垣間見えるような一説・・・
>>379 過去は無限で未来は有限てこと? ちがうでしょ。過去も有限だけど計算できないくらい昔で、未来はその二倍ってこと。それって宇宙の寿命より長いんちゃう?って長さだよ。
>>380 そこは確かに難解です・・・
永遠ってどのくらいの長さ?・・・て事ですからね。
何百億万年だろうがさ算数を区切れば有限・・・
日蓮祖の久遠は
無始無終・・・
一瞬は永遠であり永遠は一瞬・・・と言っている。
この違いははっきり言って私も理屈だけで
体感できているわけではありませn・・・
382 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/02 19:14 ID:fBA8np9n
>>381 日蓮宗の人? 何が言いたいのかようわからん。結局今が末法で、釈迦の教えが役に立たないのか、という話だったのでは。
法華経では少なくとも千年二千年なんていう短い未来に末法が訪れるなんて解釈しようがない。
有限さが問題にならないくらい長い期間の過去と未来に法の普遍性が保証されてる。有限と無限にこだわる意味がわからん。
>>382 ソダネ......
ごめん。脱線してしまった・・・
>>377の
>だから法華経では末法を完全に否定し切れておらず
を同意する発言でした・・・
372 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2004/09/01(水) 02:53 ID:???
若有女人 聞是藥王菩薩本事品 能受持者 盡是女身
後不復受 若如來滅後 後五百歳中 若有女人
聞是經典 如説修行 於此命終 即往安樂世界 阿彌陀佛
大菩薩衆 圍遶住處 生蓮華中 寶座之上 不復爲貪欲所惱
マハーバイロ 訓読みにしてカキコしてみてちょ
結局さ、なんで末法なんて根拠の乏しい考え方が流行ったのかっていったら、
「世の中がひどいのは、今が末法だからだ」
「なんで真面目に仏教やってるのに功徳がないのかっていったら、今が末法だからだ」
なんて思いたかったからなんだね。
仏教ってもともとそんな宗教とちゃうねんと思うけどな。
387 :
マハーバイロ ◆MEH/Pp7SnQ :04/09/02 21:14 ID:73y8D8RQ
若し女人あって是の藥王菩薩本事品を聞いて能く受時せん者はこの女身を尽くして後に報い受け
若し如来滅後 後の五百歳の中に若し女人あって是の経典を聞いて、如説を修行すれば
於し此に命終して 即ち安樂世界の阿彌陀佛の往いて
精進しますです・・・
それでさー、法華経を信じてるのかい。どんな精進するんだよ。
女の人には阿弥陀さんのところに行くんですよと正直にいいなされや。
( ゚∀゚)アーーッハッハッ八ッ八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
しかも不覚にもageてしまっている!(泣
23かな?
家帰って調べますです・・・
大悲age(-人-)
とりあえず「女人成仏」の根拠・・・
有能受持 是経典者 亦復如是 於一切衆生中 亦為第一
同じく23品です・・・
どうでしょう・・・
だいばだった品の変成男子だろ。じょーしき。
391のきり文はホッケ経の自画自賛の部分の切り抜きだろが
(この経をよく受持する衆生は衆生のなかで一番)←これを自画自賛といふ( ´,_ゝ`)プッ
女人に関するところは↓
若有女人 聞是藥王菩薩本事品 能受持者 盡是女身
後不復受 若如來滅後 後五百歳中 若有女人
聞是經典 如説修行 於此命終 即往安樂世界 阿彌陀佛
大菩薩衆 圍遶住處 生蓮華中 寶座之上 不復爲貪欲所惱
よく理解せず押し売りしてるソウカは最低だな。
( ゚∀゚)アーーッハッハッ八ッ八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
>>392 アダムスファミリーみたいだね( ´,_ゝ`)プッ
395 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/02 23:44 ID:128A5JMy
英語にふられたカタカナルビと同じお経なんざ
何の意味も価値もない。
昔のアイドル雑誌のふろくの歌本以下だな。
396 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/03 00:32 ID:cXhj6B6P
いずれにしても女人成仏に違いはないわけだね。
よかった。よかった。
往生安楽開会に詳しい人いないかな・・・
とりあえず
>>387の訂正しておく・・・
若し如来の滅後、後の五百歳の中に、若し女人有って、是の経典を聞いて、説の如く修行せば、此に於いて命終して、即ち安楽世界の、阿弥陀仏の大菩薩衆の囲遶せる住処に往いて、蓮華の中の宝座の上に生ぜん
あと妙楽師の文句記巻10の釈書いときます・・・
経に若し女人有り等と云うは、此の中に是の経を聞くを得て説の如く修行するを云う。
即ち浄土の因須らく更に観経等を指すべからざるなり
一貫性あるようで、実際はつぎはぎだらけなのは
いろいろくっつけて自派が最も正しいということを
理由付けるために過去から続けて来た結果だよ。
いい意味では競い合っているということだが、
嘘は嘘、本来は小細工必要でないはずなのに
結局、真実から遠ざかってしまって意味が無い
ような気がする。
ですから無理につじつま合わせの解釈をせずに
合わないのは当たり前、元々くっつけたものだから
素直に別物として扱った方がいいのではないでしょうか
ブッポウの実践としてやってきたこと、行っていること
すべて否定される間違っているということになるかも
知れないが、素直にそれが正しいのではないでしょうか
法華経初心者の女子なのですが、
くわしくわかりやすくそこんとこ教えてくださいませんか?
女子はどうすれば成仏できるの?
創価学会ではだめなのですか?
噛み砕いてわかりやすくお願いします。
401 :
ひゃっきまる:04/09/04 21:55 ID:gqgja2FB
おひさしぶりです。末法思想が法華経に説かれているか、ということに関しては話題が一段落しているようなので、とりあえずレスなしでいいですよね・・・。
>>400 創価学会の方ですか?
まず、あなたが今まで習った、もしくはそうではないかと思っている、法華経や女人成仏についての考え方を教えてください。創価学会の教義や考え方は、基本的に日蓮正宗の教義をベースにしていますが、必ずしも史実とは一致しない点があります。
結論から言うと、女性が成仏できない、という考え方は、単なる宗教的な神話であり、根拠はないと僕は考えています。
402 :
ひゃっきまる:04/09/04 21:56 ID:gqgja2FB
インドでは女性に対する差別が厳しく、仏教においても女性差別の考え方はここかしこに観られます。
その代表的な考え方が、女性はまず男性に変身してから(もしくは仏道修行を積んだ果報として男に生
まれ変わってから)成仏する、というものです(法華経では提婆達多品において、竜女が成仏する際、
変成男子して成仏した、というシーンが有名です)。
女性が成仏できないとするロジックは現代の我々の感覚からすると実にばかばかしいものです。インド
では、成仏した人間には特殊な身体的特徴が備わっていると考えられていました(いわゆる三十二相)。
例えば、「扁平足」「舌が長い」「眉の間に白い毛がある」などといったものです。この中に、「隠馬蔵
相」というものがあるのですが、これは、男性器がおしっこをするときだけ体から出て来て、普段は隠れ
ている、というものです。仏の特徴として男性器の特徴があるのだから、仏は必ず男だ、というわけです。
403 :
ひゃっきまる:04/09/04 21:56 ID:gqgja2FB
むろんこうしたばかばかしい差別観をなくすために、各時代の人間は、「過去の教典は正しいものであ
る」という前提を崩さないままに、女性が成仏できるロジックをいろいろ考えてきたのでしょう(その一
つが、男に一瞬で変身して成仏する、というものですし)。
しかし現代に生きる我々は、仏典に書いてあることは成仏した当人である釈迦が直接に説いた(金口直説)
のだから無謬に正しい、という前提に立つ必要はありません。それが歴史的にどのように成立したのか、
という情報を持っているわけですから。
>>399 その事は私も強く感じている事です・・・
でもね・・・身も蓋もないのですよ・・・
そもそも法華経自体をブッダ(釈迦)が説いたとは考えにくいし・・・
薬王品(23または22)はさらにそれ以降・・・
(393の別持一福はさらに継ぎ足しと思う)
堤婆達多品12にしては羅什訳でさえないらしいですから・・・
395の言うように歌本を必死に繋ぎ合わせているのです・・・
中国仏教がチベットに逆輸入もしている事も考えると
現仏教全体を否定しかねない・・・
私は後世の偉人達がいかに歌本を紡いだか?が大事だと思っているのです・・・
>>401 ひゃきまるさん おひさしぶり同時レスでした・・・
末法については途中薬王品に行ってしまったので
ついでに
我滅度後 後五百歳中 広宣流布 於閻浮堤
を挙げたいと思います・・・
>>400 ちなみに
諸善男子には比丘尼(女の出家)優婆夷(女の在家)を含むと思います・・・
男子と女子をわざわざ分けて書いてあるだろが。
ホッケ経を信じてないなら層下なんて早く辞めた方が
いいぜ!
408 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 23:52 ID:SYq3nFHK
>>407 つまり女子の成仏を改めて語らなければならない状況が、
経典成立時にあったということでしょう。
ベクトルとしては女性蔑視ではなく、その逆であるわけでしょう。
違いますか?
409 :
ひゃっきまる:04/09/05 00:25 ID:QJQOhqgS
>>407-408 仏教は確かに、どの時代も女性差別をなくす方向に教えを説いていたと思います。
当時のインドの世界観は女性は成仏できなくて当然であったので、「ではどうして成仏するのか」という説明をせねばならなかった、ということではないでしょうか。
ひいき目に見ていると言われればおそらくそうなのでしょうが、教典というのはそもそもそういうふうに読むものなのでは、と思います。(どっちにも解釈できるなら、いい解釈を採択しましょうよ)
カスト(バルナ)についてちょっと書いとく・・・
リグベーダ マヌの法典・・・
ブラフマン(祝祭)クシャトリヤ(王族)バイシャ(商人)シュードラ(奴隷)
さらにこの他にアンタチャブル(不可触賎民)
一切衆生とはこれら全て含まれると思われる・・・
話が日蓮から法華経に移行しているところ恐縮ですが…
日蓮が末法の御本仏、久遠元初の本仏で釈尊よりも上なら、
なぜ死ぬ間際に六老僧を定めたんでしょうかねぇ?
日興と他の五人が対立するなんてことは予見できなかったんでしょうか。
412 :
ひゃっきまる:04/09/05 10:55 ID:QJQOhqgS
>>411 日蓮は自分が釈尊よりも上だなどと微塵も思っていなかったし、自分が仏であるとも思っていなかったと思います。自分が凡夫であり法華経の行者であるとの強い自覚を持っていたと思いますが。
>>412 どうやら言葉足らずだったかもしれませんね。
たしかに日蓮自身はそんなことは微塵も思ってなかった、
かもしれません。というか多分そうでしょう。
つまりは後世に、日蓮を末法、また久遠元初の本仏だと考え
そう崇める方々に対して、私が素朴に感じた質問ということです。
自身亡きあと後々の僧団の行く末を見通せなくて
ほんとうにそれが久遠元初の根本仏といえるのでしょうか??
414 :
ひゃっきまる:04/09/05 13:44 ID:QJQOhqgS
>>413 この辺の教義は単純ではないので、日蓮正宗もしくは創価学会の詳しい方がいれば解説していただきたいのですが、単純に日蓮が釈尊よりも上の存在であるとか、そういうものではありません。
僕の理解が正しいのかはわかりませんが、日蓮は末法において衆生が成仏できる根拠を示したのであり、久遠元初の本仏とはより正確には我々全ての存在をさしているのだと思います。ただ、日蓮は自分自身をその代表であると位置づけたのではないでしょうか。
415 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/05 13:55 ID:cMbS4lXW
>>393 ( ゚∀゚)アーーッハッハッ八ッ八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
本仏論はさておき・・・
>>413 五老僧は周の武王の五老から来てるらしいが・・・
日寛師によると日蓮祖は武王は文王と五老は二老(伯夷と太公望)とをカン違いしてたのでは?
という事らしい・・・
日朝師によると周の武王の五帝星の化現という事らしい・・・
正宗での中興の祖であるに日寛師が日蓮祖の間違いやカン違いなどを
「いくらでもあり、あやしむべきことではない」と釈しているのが
私としては興味深いと思う・・・
417 :
善蔵:04/09/05 17:36 ID:dzHHc/M1
日蓮の出現がなければ、釈尊の未来記はウソになっていたし、
誰かが折伏行を実践しなければ、日蓮の未来記もウソになって
いた。(世界に日蓮の信者が増え始めたのはこの40年という事実)
末法の本仏とは、日蓮並びにその信心の血脈を継承した和合
僧団。
日蓮は御書の随所に天台宗が邪教化したことを指摘し、その法主
等によって天台宗が衰亡したことを嘆かれている。
日蓮は生前より五老僧等の師敵対の方程式は熟知していた。
よってただ一人、日興にのみ相承し、信心の血脈は継承された。
>>417 はじめまして・・・概ね同意ですが・・・
「師敵対」との表現は強すぎるような気がしますが・・・
政圧に耐えれなかった事が一番の要因ではないだろうか・・・
>>417 ひとつお聞きします。
天台宗が邪教化したのはいつ頃からでしょうか?
>>419 日本の天台宗の濁乱の発端は
9世紀後半の第3代座主、円仁(慈覚)。
伝教の弟子でありながら真言の宗義に傾倒してしまったのである。
421 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/05 23:33 ID:/7KUPU77
>>420 最澄自身が空海に密教の灌頂を受けたり
弟子を空海のもとにゆかせて密教を学ばせたりしていましたけれどね。
女性は本質的に保護を求める生き物で、極端に言えば自分を守る者なら悪人であっても
身を委ねる一面を潜在的に持つ。
宗教はある意味システムでありモラルを司るものだから、女性が潜在的に持つ破戒性を畏怖する。
423 :
ひゃっきまる:04/09/05 23:41 ID:QJQOhqgS
創価学会の方が議論に参加されることはとても喜ばしいことだと思いますが、
主張が唐突すぎてきちんと対話の形式で話ができるのだろうか、と不安になります。
単発的に問答無用のドグマ的な主張を掲げ、反論を受け付けずに去るつもりであれば
残念ですが。
>>422 いったい誰がそんなたわごとを主張しているのでしょう。
失礼きわまりない。
425 :
善蔵:04/09/06 01:01 ID:s1w5hypo
日蓮も蓮長と名乗った修行中には、叡山を中心に
遊学したんだよな。
最澄も相手の事を調べなくては破折もできまいに。
最澄自身が日本天台に真言教義を取り入れた物証
があると聞こえるが・・・。
>>421 最澄は確かに空海から密教を学んでいるが、
法華最勝の立場を崩しているわけではない。
伝教大師は依憑集において、次のように真言を批判している。
「新来の真言家は則ち筆授の相承を泯し旧到の華厳家は則ち影響の軌範を隠し、
沈空の三論宗は弾訶の屈恥を忘れて称心の酔を覆う、著有の法相は撲揚の帰依を非し青竜の判経を撥う等、
乃至謹んで依憑集の一巻を著わして同我の後哲に贈る某の時興ること日本第五十二葉弘仁の七丙申の歳なり」
「天竺の名僧大唐天台の教迹最も邪正を簡ぶに堪えたりと聞いて渇仰して訪問す」
「豈中国に法を失つて之を四維に求むるに非ずや而かも此の方に識ること有る者少し魯人の如きのみ」
法華優位の日蓮正宗や学会の天台・最澄観は無知ゆえに根本から間違っている。
天台(日本)が円仁(慈覚)からなんてウソも甚だしい。
もともと最澄の頃から密教化の片鱗はあったよ。
もともと日本天台宗は、法華経を中心とする支那天台宗とは趣が異なり
法華経優位とはいえ、禅もあれば律もあり密教も併用としてあり、
総合仏教としての宗派を最澄自身が目指していたのは周知の事実。
しかも、最澄が唐から帰国した直後は、嵯峨天皇はじめ朝廷からの信任もあったが
空海が帰国するや否や、嵯峨天皇や朝廷からの信任も増しその名声を聞くにつれ、
最澄は自分が唐で学んだ密教が傍系のものでしかないことに気づかざるを得ず、
自ら空海の弟子になった。これは当時周りがみんな驚きセンセーショナルな出来事だった。
すでに一宗を立てている祖師が別の教えの祖師に弟子入りしたからだ。
とはいえ、最澄自身は一宗の祖師としての立場もあり多忙というもっともらしい理由もあり、
最澄が空海に経典を借りまくったり弟子を遣わしたりして、その弟子から密教を学ぼうとした。
空海は最澄のこの姿勢を批判。最終的に『理趣釈経』を借りようとしたが空海から拒絶された。
また最澄が真の後継者としていた泰範ほか弟子衆が空海の元に留まり
最澄と決別したことに端を発し、最澄は空海を激しく批判するようになった。
いくら、最澄が法華最勝の立場を崩しているわけではない、と言っても
支那で密教を傍系とはいえ、自身が「筆授の相承を泯している」事実があるし、
空海の弟子になった時点で既に何をかをいわんや、そこに表れているではないか。
>>427 もしも私に対するレスであるなら、まったく的外れの批判である。
私が言ったことは円仁が真言の宗義に傾倒したこと、
最澄が法華最勝の立場を崩していないこと、の2点のみ。
日本天台宗が密教を併用していないなどとは言った覚えはない。
また、最澄が密教に取り組んでいないなどということも言ってはいない。
いったいいつ誰が誰に対してどのような嘘を言ったというのか教えていただきたいものである。
円仁が真言の宗義に傾倒したこととは、具体的に言えば、
大日経第一、法華経大ニ、との教判を立てたこと、
金剛界の大日如来を本尊と立てて、善無畏三蔵を師としたことなど。
これらが本来の天台宗義と異なるものであることは言うまでもない。
ニチ蓮のマンダラなんて、いまならAAマンダラじゃん。
ニチ蓮はAA荒しの棟梁だな(爆)
悪いけどニチレンなんて質の悪いパロディストだろが
本尊は神社の札・真言のマンダラ・浄土の掛け軸のパクリ
題目は浄土からのマンマパクリ
しかも、天台をカタリ修行はなーんにも伝承してないときたもんだ。
やれやれだなこりゃ。
>>428 427です。これは失礼しました。
けっして銀舌居士さんにレスして批判したわけではないです。
ただし、最後の三行を除いてです。
私の批判は主に正宗や学会の教学に対してです。
ともかく、正宗や学会は自身の教理教学を権威づけるために
智・最澄を像法時代の薬王・薬上の生まれ変わりと位置付け、
日本の天台が支那天台の教えとまったく同じだと考えている点が
そもそも間違いだということを述べたかったことで、
決して銀舌居士さんがどうのこうの、というのではないことを申し上げておきます。
とはいえ、円仁も宗祖である最澄の打ち立てた教学を取り払ったことで、
法華一乗の法脈がそこでプッツリと途切れたのですから、
肯定、否定どちらに解釈しようとも事実として厳然と残るのは間違いないでしょう。
要はそうなってしまった背景がもともと天台宗の中にあったと考えられるということです。
432 :
マ☆ハーバイロ:04/09/07 00:02 ID:TIxtLLeZ
>>419 報恩抄に
「第二の円澄は半は伝教の弟子 半は弘法の弟子なり」
とあるから・・・史実はともかく・・・
伝教→義真(和尚)→円澄→円仁(慈覚)
円澄からということではないのだろうか?
>>431 まず明快にされた私への批判に対するレスをつけておく。
>いくら、最澄が法華最勝の立場を崩しているわけではない、と言っても
>支那で密教を傍系とはいえ、自身が「筆授の相承を泯している」事実があるし、
「筆授の相承を泯している」とは、弘法が一行の相承を無視したことを指している。
順暁から密教の相承を受けたことが、伝教の「筆授の相承を泯し」た事実になど
なるわけがないであろう。
>空海の弟子になった時点で既に何をかをいわんや、そこに表れているではないか。
密教を伝授してもらうために弟子入りが必然であるのは言うまでもあるまい。
伝教は未見の純密を知りたかったのであるからそれは至極当然。
所詮、法論に負け弟子入りしたのとは訳が違うのであり、
弟子入りをもって伝教の教判を難じるというのは浅識と言うほかない。
また、私は学会員であるので、学会の教義に対する批判にもレスをつけておくこととしよう。
>>431 >ともかく、正宗や学会は自身の教理教学を権威づけるために
>智・最澄を像法時代の薬王・薬上の生まれ変わりと位置付け、
>日本の天台が支那天台の教えとまったく同じだと考えている点が
伝教が天台の後身であることはそもそも「道邃和尚付法文」に書かれてあることであって、
大聖人が言い始めたことではないし、天台の本地についても学会が勝手に言っていることではない。
「一代聖教大意」において大聖人は次のようにお書かきになられている。
「邃和尚云く「此の一蔵は開く可き鑰無し天台大師自ら出世して開き給う可し」と云云
其の時伝教大師日本より随身の鑰を以て開き給いしに此の経蔵開けたりしかば
経蔵の内より光室に満ちたりき、其の光の本を尋ぬれば此の一念三千の文より
光を放ちたりしなりありがたき事なり、其の時邃和尚は返つて伝教大師を礼拝し給いき、
天台大師の後身と云云、依つて天台の経蔵の所釈は遺り無く日本に亘りしなり、
天台大師の御自筆の観音経章安大師の自筆の止観今比叡山の根本中堂に収めたり。」
権威付けのために位置づけているなどという批判はまったく的を得ていないだろう。
権威付けが行われたとすれば、それは天台宗自身によって行われているのだ。
また、伝教の教説が天台のままであると考えているなどいうのは勝手な思い込みに過ぎない。
伝教が法門の確立をせず世を去ったため、後の密教化の禍根を残してしまったことは
間違いないだろう。しかし密教を取り入れることと、密教化が同義ではないということは
留意すべきであろう。
>>430 > 題目は浄土からのマンマパクリ
如此愚人、多造衆悪、無有斬愧。
命欲終時、遇善知識、為讃大乗十二部経、首題名字。 <この部分に経の主題を讃える
以聞如是諸経名故、除却千劫極重悪業。 <記述あり升
智者複教、合掌叉手、称南無阿弥陀仏。
日蓮聖人は題目をこしらえたとき、文証をどこら引いてきたのでしょうか。
まさか、上記のお経ではないですよね。
>>435 訂正
> 斬愧→慚愧
> 日蓮聖人は題目をこしらえたとき、文証をどこら引いてきたのでしょうか。
∧
か
>>436 またカキコせ〜言われる前にとりあえず書いとく・・・
此れの如きの愚人、多く衆悪を造りて慚愧有ること無し。
命終わらんと欲る時に、善知識の、ために大乗十二部経の首題の名字を讃むるに遇わん。
是の如きの諸経の名を聞くを以っての故に、千劫の極重の悪業を除却す。
智者また教えて、合掌叉手して、南無阿弥陀仏と称せしむ。
マハバイは只今文証を探しています。。。しばらくお待ち下さい。
>>438 ワロタ(^▽^)
まだ就業中です・・・
それに題目をこしらえたときって言われてもな〜
中国仏教のカン違いでしたじゃダメ?・・・(-〜-)u-
ヲイ、ヲイ、バイちゃ
焼きスレでも騒いでる題目を勘違いですませちゃうの
宇宙の・・・なんてデムパの元でもあるのだが。。。
http://knowledge.yahoo.co.jp/service/question_detail.php?queId=718047 回答した人: ID非公開 投稿日時 : 2004/ 9/ 7 21:26:08 回答番号 : 3778745
やはり、金儲けの為の胡散臭いモノが蔓延っているからでしょう。
それに加えて、現在の日本人はそれなりに裕福な人が多く生活に困っていないので、宗教なんて…という考えなのでしょうね。
ちなみに、神というのは架空の存在ですが、仏というのは実在します。
例えば、有名なインドの釈迦仏は熟脱の仏といいます。
身に三十二相というものを身に着けているのがその証拠です。
頭頂が盛り上がっている頂上肉形相や、眉間にイボのようなものがある眉間白豪相。その他、舌や耳たぶが異常に長いというように、一般人と姿形が違うのです。
これらは、見る人をして尊敬の念を起こさしめる為です。
更にいうと、釈迦仏より位が遥かに高く尊いのが、日本の鎌倉時代に出現された日蓮大聖人です。
こちらは下種の仏といいます。
何で創始者の釈迦より後世の偽教義で人殺しを推奨した日蓮が上なの?
創価信者はキチ街の集団ですか?
釈迦よりはるかに上だと誰が決めたのですか?
マハバイは只今帰宅途上です。。。もうしばらくお待ち下さい。
>>443やっと着いたよ家に・・・風がすごい・・・
>>435さんの言ってる題目は、発声としての意味でしょう・・・
ちょっと念について・・・
語源anusmr.tiには発声という意味はないらしいが、漢字の念にはおぼえる、となえる
の意で用いられる。念=唱える は中国的感覚かも知れないとの意味で
>>440 文句記9
「一念信解とは即ち是れ本門立行の首」など・・・
中国・天台宗からの影響と思います・・・(私見)
南無妙法蓮華経と唱えることが法華経には見当たらないが
何に因ってるかというのがよくわからんな。
神力品
是故汝等 於如来滅後 応当一心 受持読誦 解説書写 如説修行。
の読誦でよいのでは?・・・
御義口伝にも
「此の品の題目は日蓮が身に当る大事なり神力品の付属是なり」
とあるし・・・
そりやコジツケ杉じゃねーの、お経を読むのと
タイトル(題目)を唱えるを一緒くたにすんなよ。
448 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/08 08:56 ID:SyILDzBx
唱題自体は平安時代からあったようです。法華懺法の際に唱えられていたよう
です。日蓮はそれを末法にふさわしい易行として見出したのでしょう。日蓮は
法華経の色読を通してその行法を法華信仰の中心に立てたのであって、何らか
の根拠が経典にあるということではないのでは。法華信仰は受持・読・誦・解
説・書写が伝統的な修行法であって、それらの行に末法の衆生は堪えられない
だろう、ということが出発点なのでしょうが、佐渡流罪以降に強くあらわれる
題目・曼荼羅への展開は日蓮が天台の枠組みを超え出てゆくオリジナルなもの
であって、末法にあっては伝統的な五種類の修行を超えた行法として位置づけ
ているのでしょう。
>>448 そのオリジナル性がどこから由来したもなのかと・・・?
易行を見出さなければならなっかたのは、
浄土宗の言っていた千無一?などに対しての為とも考えられるし・・・?
ぶちゃけ・・・
> 題目は浄土からのマンマパクリ
とまでは思わないが、かなり意識していたのは否定できないかも・・・?
とも思います・・・(お詳しい方解説キボン・・・)
文字曼荼羅の前に唱題があったのですよね・・・
ネタですが、前のNHK大河ドラマで日蓮祖が唱題しながら歩いてるシーンが
ちょくちょく放映されましたが、実際はどうなんでしょう?・・・
450 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :04/09/08 14:07 ID:ZrwL4NoB
題目も念仏も同じこと
優劣をつけているようじゃ駄目だと思いますよ
( ゚∀゚)ア───ッハハ八ノヽノ \ / \ ( ゚∀゚)ア───ッハハ八ノヽノ \ / \
452 :
善蔵:04/09/09 02:11 ID:/u8/b1Pr
>>442 何を根拠に「人殺し推奨」と言うのか?
釈尊涅槃経に曰く
「我その時に於いて心に大乗を重んず婆羅門の方等を
誹謗するを聞き・聞きおわって即時に其の命根を断ち
き善男子是の因縁を以って是より己来地獄に堕せず」
釈尊の末流を匂わす者であれば、この文をどう説明
するのか?
餓鬼みたいなお振る舞いが目や鼻に付くソッカーに言ってやれよ(ワラ
>>452 日蓮って他宗の坊主の坊主の首を刎ねろとか言ってたんだろ?
あのさ、宗教団体の人間以外にも分かるように翻訳も載せろよ。
層化の試験じゃ翻訳もやるみたいだからできるでしょ?
とりあえず、普通の人にも分かるように説明のできないものは世界宗教とは呼ばないから顔洗って出直しな。
456 :
善蔵:04/09/09 23:03 ID:/u8/b1Pr
>>454 よく読めよ!
「釈尊曰く」だぞ!
それにお前に言ってるんだよ!どう解釈するんだよ。
自分で回答不能を宣言し、層化に助けを求めているのかい?
ほほほほほほほほほツ
繰り返すが、釈尊 涅槃経において曰く
「我その時に於いて心に大乗を重んず婆羅門の方等を
誹謗するを聞き・聞きおわって即時に其の命根を断ち
き善男子是の因縁を以って是より己来地獄に堕せず」
日蓮を殺人狂呼ばわりするのであれば、釈尊ですら
言っているこの過激な発言以上の狂気の文証を御書の
どこから引いて来るのかな?
ほほほほほほほツ
>346
> 親鸞と日蓮は異母兄弟みたいですな。(笑)
ここまで読んでふと気付いた、浄土門は救いのパイを広げようと教典に依り誠実に
布教した。
日蓮は只、己の法華経に対する執着から教典の主題を唱えたものの、実は、教典
を度外視し、五時教判で自ら方便として退けた教典群から人々を欺く予言めいた
騒ぎまでおこして自説を説く事のみに執着した。
異母兄弟とは言葉が優しすぎるのではないか、なんだか、識者・哲人の引用をし
無知なるものに自説と錯覚させる池田教のような感じがしてきた>日蓮
458 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/10 00:23 ID:hy+owSm9
>>457 >日蓮は只、己の法華経に対する執着から教典の主題を唱えたものの、実は、教典
を度外視し、五時教判で自ら方便として退けた教典群から人々を欺く予言めいた
騒ぎまでおこして自説を説く事のみに執着した。
あなたの言っていることはおかしくないですか。日蓮は法華至上を天台五時教
判に基づいて判断しているのですから、「己の執着」ではないでしょう。それ
に五時教判は経典の時系列設定であって、爾前経であるから釈迦の教えではな
いとは言ってはいないでしょう。日蓮にとってはすべて釈迦の教えであるので
すよ。方便であるから意味がない、わけではないでしょう。
上(>1)から順番に読み直してからもう一回書いてみたら。
460 :
善蔵:04/09/10 00:31 ID:rUOM46fa
>>457 やれやれ、苦し紛れに話題を反らして来ましたか。
なるほど釈尊の末流か何か知らんが、もっとしっかり
経典を熟読してから批判せな恥かきまっせ(笑)
法華経の五に云く
「文殊師利是の法華経は無量の国中に於いて乃至名字をも聞く
ことを得べからず」
第八に云く
「汝等但能く法華名を授持する者を擁護する福量る可らず」
提婆品に云く
「妙法華経の提婆品を聞いて浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん
者は地獄餓鬼畜生に堕ちず」「若し善男子善女人有って是の経
の名を聞いて悪趣に生ずと云わば是の処(ことわり)有ること
無けん」
日蓮曰く「道理 証文よりも現証にはすぎず」
創価が展開してきた仏法興隆の世界現象に勝る現証を見せられ
る訳でもなく、ただ野干(犬)の遠吠えの如き内輪話でせいぜ
い教学の低さを世間様にご披露することですな。ハハハハハツ。
>>456 は宿題にしておいてあげますよ。
461 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/10 00:34 ID:pJaSaZFq
462 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/10 00:35 ID:KhCdVAFl
>>457 一般人は浄土門などと書かない罠。(藁
ミエミエ
>>460 善蔵さん
あなたは学会員でありながら
>>456のような発言をしているのですか?
本心から忠告しますが、そのような誤解されることはめったなことでは言わない方が良いです。(このような場で出すのは最悪です)
僕だけでなくあなたの周りの学会員も皆そう思うはずです。
一度身近な幹部の方に考えを聞いてみてください。
不殺生戒と申すは是の如き重戒なれども法華経の敵になれば
此れを害するは第一の功徳と説き給う。(秋元御書)
法華経の敵とは三類の敵人の事と解釈・・・
特に僭聖増上慢を示すと思われる・・・
やはり北条執権と結託して連祖を迫害した良観、道隆等を示すと思いますが
どうなんでしょう?
撰時抄の
彼等の頸を由比の浜にて切らずば日本国必ずほろぶべしと申し候了ぬ
と同じ・・・
殺人というより当時の死刑にすべき・・・と私は解釈していたのだが・・・
>>460善蔵氏 宜しければ御教授ください・・・
>>464 マハーバイロさん
あなたもよく立場の分からない学会員さんですよね・・・。
創価学会や創価学会の教義に対してはどのような考えをおもちなのですか?
>>465 ひゃっきまる氏
私は創価班です。
末端会員ですので
学会組織のあり方には素朴に疑問を持つ事もしばしばです。
2chでは自分の感じたありのままを書きたいと思ってます。
私が折伏され入信したのは宗門戦争勃発時です。地元の寺に行って入会しましたが
大石寺には入る事ができませんでした。
私は「日蓮正宗創価学会」教学を勉強したいと思っていて、そのようなスタンスでの
書き込みが多いと思いますがお許しください・・・
○文殊師利、この法華経は無量の国の中において、ないし名字をも聞くことを得べから ← けいしゅの喩えの導入箇所
ず。いかにいわや見ることを得、受持し読誦せんをや。 「安楽行品第十四」
○もろもろの羅刹女、この偈を説きおわって、仏に白して言さく、「世尊、我れらまたまさに
身みずからこの経を受持し、読誦し、修行せん者を擁護して、安穏なることを得、もろもろ
の衰患を離れ、もろもろの毒薬を消せしむべし。」
仏、もろもろの羅刹女に告げたまわく、「善哉善哉、汝等ただよく法華の名を受持せん者を ← 羅刹女(鬼)のお話し
擁護せんすら福量るべからず。 「陀羅尼品第二十六」
○未来世の中にもし善男子・善女人あって、妙法華経の提婆達多品を聞いて、浄心に
信敬して疑惑を生ぜざらん者は、地獄・餓鬼・畜生に堕ちずして十方の仏前に生ぜん。 ← 十方の仏??
所生の処には常にこの経を聞かん。もし人・天の中に生るれば勝妙の楽を受け、もし (ちなみに竜女は南方)
仏前にあらば蓮華より化生せん。」 「提婆達多品第十二」
真理のことば(P-28)
129 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。
己が身をひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。
130 すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。
己が身をひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。
城中下などDQNに対する気休め。。。
善縁に会えばこころ善くなり。悪縁に近づけば心悪しくなるなり。
我がこころ元より悪しと思うこと勿れ。唯だ善縁に随うべきなり。
460は話題そらしって言い掛かり、頭痛いの?
ひゃつきまるさんの方が頭が痛いだろうにな。
そういえば、
百鬼丸が主人公の"どろろ"がゲームになりましたな。(笑
472 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :04/09/10 09:34 ID:EXQmb1xO
法華経や、御書の文面の論議だと思うけど
どうかいてあるかよりも、その言葉が示す仏が重要だと思います
でも、御書って私にはぱっとしないですね
情熱は感じるけど、仏は見えてこない
473 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ佛所 ◆IByKs72gR2 :04/09/10 10:17 ID:41P8Q4Bu
斜め読みしているからでしょ。
御書は広めることだけが目的だろ。
伝染病みたいなもんだな。
感染するとDQNに・・・
>>466 マハーバイロさん
質問があります。マハーバイロさんにとっての信仰の要とはなんでしょうか? 何が信仰に一番大事なものだと思いますか?
>>472 Sbさん
僕もどちらかといえば御書にはあまりピンとこない方ですね・・・。むしろ法華経や一念三千の理論なんかに感じるところがあります。
しかし、すごく辛い境遇にある人や、「熱い」気性の人なんかは日蓮の心境にシンクロすることがあるんじゃないかと思います。
>>475 非常に難しい質問です・・・
質問の意図と答えの範囲が広すぎて・・・
もしそれに模範的回答というものがあるならば、私は示せないでしょう・・・
敢えて言うならば、「確信」ですが・・・
確信するという事は難しい・・・
>>477 マハーバイロさん
すみません。この場にふさわしくない質問でしたね。
日蓮の教えは、煎じ詰めて言えば「唯一の正しさ」そのものに対する強い感情や確信が要であると僕は思っています。
しかし現代において、この「唯一の正しさ」は完全に根拠を失ってしまっています・・・。
このことについて何かお考えがありますでしょうか。
479 :
善蔵:04/09/11 02:27:26 ID:yn9M6J/n
>>463 >あなたは学会員でありながら
>>456のような発言をしているのですか?
人のことを勝手に学会員にしないで欲しいものですな。
私は自称日蓮の末流にて、学会ウォッチャーですけれど。それが何か?
聖教新聞はこの10年以上購読しているんでね。ある程度の考え方も行動
も知っているつもりだよ。別に学会の肩を持つ訳ではないが、ここに来る
釈尊の末弟子や日蓮の一門と自負する者すべてに問いたい。
学会は行動で仏弟子の姿を示した(示そうと行動し続けている)。
あなた達は如何なる行動・実践で真の仏弟子の証を打ち立てようとしてい
るのかな?
世界ではキリスト教徒・イスラム教徒でその人口のほとんどを占めている。
真弟子ならば仏法を地球の隅々まで広めようと行動するのではないのかい?
ここでは所詮、井の中の蛙がお手手つないでお遊戯しているのと変わらんと
思うがね。
480 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ佛所 ◆IByKs72gR2 :04/09/11 02:28:30 ID:logGWjmM
この末流っつのがねえ。正宗信徒だったりして。
>>456 善蔵とやら、筋金入りのアホだなお前は。
釈迦が人殺し推奨してる発言なんてのはお前らの御書だけだよ。
殺生はいけないと説いてる人間が殺しをしてたら仏教は広まってねーよ。
それとも、お前はそういう矛盾した人間の教えを正しいと思えるのか?
オウムと一緒だぞそれでは。
洗脳されているアホは首吊って命の尊さを学べ。
>>479 善蔵さん
>私は自称日蓮の末流にて、学会ウォッチャーですけれど。
それは失礼しました。しかし、あなたは学会を貶めたいのか、誉めたいのか。後者であれば、やはり
>>456のようなことは言わない方が良いのではないですか?
法華経も涅槃経も釈尊の死後数百年後に成立し、またその思想も歴史上の釈尊が説いたものとはかなり異なるだろう、というのは現代では常識です。釈尊も「正しい法を守るためには人殺しも辞さない」という考えだったのだ、と主張することはできません。
あえていうなら、涅槃経ではそのような思想を説いていて、日蓮はそれに賛同した、というべきでしょう。他の経、特に法華経では正反対の内容が説かれているわけですから。
>482 ひゃっきさん
創価が広めたのは仏が広めた救いですかね。
救いがないから、創価板が隔離板になり、また、
書き込みも後を絶たないのではないかと思う。
ひゃっきさんは自分の云いたいことを理解してくれてるようです。
>>483 すいません。ちょっと意味がわかりません。あなたがどういう考えをお持ちなのかもわかりませんし。
>>471 自分の好きな漫画が再評価されるのはうれしいですね。買わないと思いますけど。
百鬼丸の設定は、親や生まれによって強いられた運命に対し、自分探しの戦い、本当の自分を取り戻す戦いを挑む、ということであると思いますが、非常に普遍的なテーマだと思います。
特に創価学会の二世、三世の方は、学会肯定派であれ否定派であれ、切実に感じていることではないでしょうか。
>>479 >学会は行動で仏弟子の姿を示した
どんな行動だよ。選挙違反と折伏大行進のことか?
>世界ではキリスト教徒・イスラム教徒でその人口のほとんどを占めている。
>真弟子ならば仏法を地球の隅々まで広めようと行動するのではないのかい?
一神教の信仰者を全員折伏するつもだったら笑えるな。
物を選ぶときは
"どれにしようかな
天の神様のいうとおり"
って選ぶのをやめて
"どれにしようかな
日蓮様のいうとおり"って選んだらイカガで酢?
>善蔵
↓こんなこと言ってるガカーインがいる訳だが。仏教徒にあるまじき脅迫的言動だ。
468 名前: Mail:
名無しさん@お腹いっぱい。
04/09/11 14:43:05 ID:0GPwzT+A
ガッカイは社会のあちらこちらにいます。
あなた達がガッカイの悪口を言っていることも筒抜けになっています。
そしてこれから報復準備に取り掛かっています。
釈迦直伝ではないことは確かですよ。
涅槃経団は、迫害から身を守るために武器を持ち相手を殺害してもよいとした。
仏教を名乗る教団でポアやるところはこういうのを根拠にするのでつな。
法華経と涅槃経は、別別に作成された。しかし鎌倉時代に留学もしていなくて
そんなこと分かるはずもない。輸入経典みんな釈迦直伝と思っても仕方が無い
「ムシャムシャしてやった
草だったら何でも良かった
今は反芻している」
天台大師智ギも、経典を全て釈迦のの説法と思ってしまった
四十余年間未だ真実を顕さず
自己の正当性を優位にするために、40年間、
釈迦が嘘を説いたことにしてしまった。
そんな、でたらめやってしまったために、後世
カルト宗が生まれ混乱する
学会員もやっと最近になって法華経が正しい根拠、
無量義経を偽者と認識できるようになった。が少し進歩したが思考停止は直らない
開祖日蓮大聖人は見破れなかったが、鎌倉時代では仕方ない
493 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/11 19:43:52 ID:6jxKjvyp
誰が言い出したか釈迦滅後、正法→像法→末法となるそうである
500年+500年+500年、
500年+1000年+1000年
1000年+1000年+1000年
自己の都合によりその説は変わり、みんな予言みたいなことを言い出す
鎌倉時代は、末法と思い込んだ人の中に開祖日蓮大聖人もいた
末法には釈迦仏法は役に立たないから日蓮仏法であると言って回った
しかし、当時知られていた釈迦の入滅時期が、間違っておりどう
計算しても永承七年一月二十六日からが末法ではない。。
494 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/11 19:44:40 ID:6jxKjvyp
思考停止の理由には、
末法の時代には、いくら正しい事を
愚かな民衆には伝わらない
というカルト特有のロジックが隠されている
学会ウオッチャーねぇ…。しかもシンパときたか。普通は逆だが。
仏教・宗教一般からいえば仏教徒のあり方として言ってることに間違いはないが、
それが学会に当てはまるとは到底思えんな。
学会側とそれを批判する側、どちらが正しいかは別としても
いくら誹謗中傷して出ていった人間や憎い坊主でも敬称もつけずに呼び捨てにして
三流雑誌のごとき見出しで人格否定するかのような行為までして
徹底的に批判したおすことが仏教徒のすることだろうか。
たとえ自分が正しく相手が間違ってても、その釈明をきちんとすればいいこと。
なにも一個人である相手の人格までを公にして攻撃する必要はない。
したがって、学会には仏教、常不軽菩薩のような精神はまったく感じない。
ま、所詮2ちゃん。シンパでも何でもどうとでも言えるがな。証明のしようもないのだが。
学会やそのシンパは嫌悪するが、
涅槃経に説く「殺人」が仏教団体の根底にあるというのはまったく的外れ。
経典成立時の背景や違いを考慮できないのもいかがなものか。
しかも、その教えの「解釈」というものは宗派によってまるで違うものだ。
そもそも経典によってまったく正反対を説くこともあれば、
涅槃経ですら最初と最後の方で違うことを言っている。
経文を文字だけで読み取ろうとするとダメ、と涅槃経でも書かれていることを知るべし。
>>494 大方は同意。しかしその後のロジックもまた用意されていることを付け加えておかないと。
ほかの教えはダメだが、この教えなら(これこれこういう理由で)末法に通用する、というね。
>>478ひゃきまる氏
まず、ひゃっきまるさんの仰る「唯一の正しさ」との表現の前提には(何々のなかで)とか(何々と比べて)と言う言葉や概念が入る筈と思うのですが・・・
その上で(根拠を失っている)とは何の事を指しているのでしょう。?
日蓮祖は表面上は相対性による正誤の検証を基本とした論調のように感じとれます。
しかし、もし曼荼羅が森羅万象宇宙の全てを顕すとするならば、相対性が介在しない為、すべてが含まれる故に、正しいとの前提から検証していかなければなりません。
「まず先に信じろ」になってしまいますね・・・
現代日本人は自然哲学的思考と科学的思考を相分化する事に慣れていますが、
(正しい)の証明には自然哲学的議論と理論科学的議論との合理性を必要としてしまうのだと思います。
つづき
よってひゃっきまるさんのいう(根拠を失う)の理由を考えると・・・
超常現象の根拠(例 太陽が二つや光ものなど )
歴史的考察の分野(最古の仏典が成立したのがシャキャームニ滅後百数十年後であることなど)
言語訳の分野(原典の喪失や漢訳の間違いまた選定基準)
また仏教と呼称されるもの全般(ブッダは一人でしょうか?複数でしょうか?
シャキャームニ自身も過去仏信仰を持っていたのだろうか?)
などなどの事を仰っているのではないかと思いますがどうでしょう・・・
私としては確かに、
結局、読み手受け取り側の解釈次第でいかようにも・・・という事だと思います・・・
一殺多生の根拠さえ仏典のなかには多々・・・
その「解釈」というのが恐ろしいのでつな
いかようにでも自己都合に合わせた「解釈」して
場合によっては付け加えられて発展していく
良し悪し関係なく
涅槃経も最初と最後で違うのは、書いた人が違うから
書き換えたと判断してよいのではないでしょうか?
真面目なスレ上げるべ
>>498-499 マハーバイロさん
>何の事を指しているのでしょう。?
「唯一の正しさ」を説明した教義は、「五重の相対」「五時八教」ですね。これらの説明が現代では根拠がない、という意味です。
>しかし、もし曼荼羅が森羅万象宇宙の全てを顕すとするならば、相対性が介在しない為、すべてが含まれる故に、正しいとの前提から検証していかなければなりません。
う〜ん。ずいぶん悩んだのですが、すみません、文章の意味がわかりません。
「曼陀羅に向かい法華経の題目を唱えると自身の内の仏界が顕現する」といったものは、理屈では説明不能のものです。
まさに信じるか信じないか、という話ですが、それが「五重の相対」「五時八教」もしくは他の諸教義抜きに単独で説得力を持ちうるか、と言えば、そうではないと思います。
余談ですが、宗教なのですから、信じる信じないの問題は個人の勝手、ということになろうかと思いますが、「五重の相対」「五時八教」を事実と教えられた学会員が、他宗を信仰すると不幸になる、と批判するのは大きな問題であると思います。
>>502 「五重の相対」に根拠がないということを説明してもらえますか?
逆に、五重の相対の根拠をお聞かせ下さい
505 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ佛所 ◆IByKs72gR2 :04/09/12 01:00:47 ID:6GXVnidU
勝劣派の屁理屈だからな〜〜。(藁)
ハキリって、自称セーラー服が似合う美少年なんだってさ。(爆ハゲ
>>502 ひゃきまる氏
「五重の相対」は 浅深 高低 優劣を比較したものと思います。
語弊ある言い方かも知れませんが、信仰の対象としての評価の損得・・・
正誤とは捉え方が違うかも知れません・・・
またシャーキャムニが五時八教の順番どうりに教を説いたのではないのでは?
という議論については興味深いと思います。
今後資料など調べていきたい・・・
508 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/12 02:19:19 ID:AK5yWPz8
「五重の相対」は一つの価値判断なのですから、根拠もなにもないのではない
でしょうか。ひゃっきまるさんが言いたいことはおそらく「五時」という事実
判断の根拠が現在では成り立たないのにそれを事実として教えてきた創価学会
の在り方に対する批判であると思います。
ひゃっきまるさん、「五重の相対」「八教」といったそれぞれの価値判断はそれ
はそれとして有効なのではないですか? 銀舌居士さん、「五重の相対」に根
拠がないということの説明を求めるならば、やはりその根拠を示さなければな
らないのではないですか? 私は根拠など不要と思いますが。ことは価値判断
に属する問題であるのですから。
509 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ佛所 ◆IByKs72gR2 :04/09/12 02:22:06 ID:6GXVnidU
それって一歩間違うと勝劣派と一致派の論争に踏み込みそうだな。
生暖かく見てよう。(藁)
510 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/12 02:23:05 ID:AK5yWPz8
>>507 >またシャーキャムニが五時八教の順番どうりに教を説いたのではないのでは?
という議論については興味深いと思います。
といいますか、事実、五時に示されるようにはブッダは説いていません。
511 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ佛所 ◆IByKs72gR2 :04/09/12 02:26:30 ID:6GXVnidU
だからエエじゃん。純円教で。また同じ議論が延々と繰り替えされるのかね。
エンドレステープだな。
数年間最低2年以上常連していないと同じ議論か分からない
過去ログ探すのも大変。というかサバー破損で過去が消滅してる。
新鮮でええのです。 ええ
純円教に破綻の逃げ道があるのですか?
純円教というのをご教授ください
純円教とは、天台の教学です。
天台の教学の特徴は、我々凡夫の心(これを、一念三千という)に
三千世界の全てが備わっているというもの。すなわち、人の心のあ
りようそのものが、三千世界のありようというもの。
外向きに、一念三千なるものを提示したのが勝劣派と呼ばれる教学。
それに対して、内向きに一念三千を提示したのが天台本流の教学。
これだけのこと。
増上慢を済度できない(示唆=その意思表示もしてない)教えが純円教といえるのかねぇ…。
515 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/12 10:01:25 ID:A00DnpKH
>>513 > 天台の教学の特徴は、我々凡夫の心(これを、一念三千という)に
> 三千世界の全てが備わっているというもの。すなわち、人の心のあ
> りようそのものが、三千世界のありようというもの。
つまりは本覚思想を根拠づける論理でしょうな。天台の教判思想が相対化されれば純円教
という概念そのものも運命をともにするでしょう。
日蓮の本心は、南無妙法蓮華経を捨て去ること。
「わたしが乞うているのに、あなたが施してくださらないならば、今から七日の後に、あなた
の頭は七つに裂けてしまえ。」偽りをもうけたそのバラモンは、呪詛の作法をして、恐ろしい
ことを告げた。
日蓮も、南無妙法蓮華経を捨て去ることは、頭が七つに裂けると言っている。しかし、明知
を得た者は、捨て去ると知ってのことなのである。
バーヴァリは、その偽りをもうけたその呪詛のことばを聞いて、苦しみ悩んだ。
そこで世尊は「無明が頭であると知れ。明知が信仰と念と精神統一と意欲と努力とに結びつい
て、頭を裂け落とさせるものである。」
明知を得た者は、南無妙法蓮華経を捨て去る。
>>496 >涅槃経に説く「殺人」が仏教団体の根底にあるというのはまったく的外れ。
>経典成立時の背景や違いを考慮できないのもいかがなものか。
おおむね同意ですが、これだけで解決してはいけない問題があります。
日蓮は悪世末法における布教方法は「折伏」でなければいけないとして、この涅槃経の文をあげています(相対する布教方法は「摂受 」であり、法華経にはこれが説かれているとして、涅槃経と法華経の矛盾を説明しています)。
創価学会は殺人など肯定していませんが、この文は、「強制的にではあっても入信させることが相手のためになる」という考え方の元になっているのです。
>>507 マハーバイロさん
>>508さんの前半の文章と同意なのですが、「五重の相対」「五時八教」に関しては、単純に価値判断の問題ではないと思っています。
まず、教典を全て釈尊が説いた、という前提抜きに、「五時八教」は成り立たないと思います
(くどいようですが、教典のほとんどは釈尊死後数百年の間に成立したもので、特に大乗仏教に関しては釈尊が直接説いたであろう思想からかけ離れているだろう、というのは現代では常識です)。
「五時八教」は単純にそれぞれの経の優劣を論じるものではなく、「最終的に最高の法(法華経)を説くために、順次低い教えから説いて行き、最後にそれらが方便であることを明かし、最高の法を説く」というストーリーでもあります。
そのストーリーの中ではじめて、法華経が最高の法である、ということが言えるのではないでしょうか。
また、それぞれの教典がそれぞれに成仏の方法を説くものであるとすれば、「どの方法が最も優れているのか」という意味で純粋に価値判断として経の優劣を論じればよいわけですが、法華経はそうではありません。
・・・どちらにしろ、「五時八教」の前提となる時代背景が現代では誤りである、という認識のもと、「それでも五重の相対、五時八教の価値判断は通じるんだ」という議論が創価学会でされているのでしょうか?
ひゃっきまるさん、私の
>>503をスルーしないようお願いします。
>>504,
>>508 ひゃっきまるさんが考える「日蓮が考える五重相対の根拠とするもの」について
私が答えられるはずがないでしょう。
面白いねソッカーは、池田と創価は五重の相対に則せば、《外道》ですな。(藁
522 :
阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/09/12 12:20:42 ID:A00DnpKH
内外相対とかなんとかあるみたいだが、正宗系の「因果倶時」とかなんかサーンキヤの因中有果説、
つまりは常見外道説。だいたい外道はどっちなんだということになるのじゃないかと思います。
「大小相対」とかいう読む方がや恥ずかしくなるものもありますな(失笑)。たとえば原始佛典を「小乘教」
とか言ってますが、龍樹や無着・世親という大乘の大論師が所説を述べるにあたって教証として引用
する佛説の殆どがその「小乘教」と貶められる原始佛典に依拠していることを知らないのでしょう。手に
入りやすいのから試しに読んで確認されれば良いでしょうに(笑)。
阿呆陀羅經さん、あなたは死にかかったにも関わらずまだ懲りていないようだ。
まだリハビリ中なのだから、ネットはメーリングリストで留めて養生しておればいいのだよ。
議論などして体に障って症状が悪化されたら、こちらとしても迷惑である。
524 :
阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/09/12 12:37:38 ID:A00DnpKH
>>523 > 阿呆陀羅經さん、あなたは死にかかったにも関わらずまだ懲りていないようだ。
鼻毛抜きよりはこちらの方が退屈しのぎにはいいでしょうな(笑)
> まだリハビリ中なのだから、ネットはメーリングリストで留めて養生しておればいいのだよ。
キーを打つのもリハビリです^^
> 議論などして体に障って症状が悪化されたら、こちらとしても迷惑である。
議論だなんて・・・。去年他所で出した使い古しのネタの棚卸しです(笑)。
>>503,
>>519,
>>520 銀舌居士さん
レスが遅いときがありますが、一応目を通していますので・・・。
根拠がない、とは断定的すぎる言い方だったかもしれませんが、僕は大体以下のように考えています。
1 内外相対 内道(仏教)と外道
日蓮の説明した、仏教以外は過去未来を説いていない、という説明は、現代において、はたして仏教と仏教以外を区分した適切な説明と言えるでしょうか?
また、仏典のほとんどが釈尊の直接の思想とは異なり、また、多くの他宗教の影響を受けていることを考えると、仏教と仏教以外を分ける明確な基準等あるのだろうか、といぶかしく思います。
2 大小相対 大乗仏教と小乗仏教
大乗仏教、小乗仏教という区分け自体が現代ではナンセンスでしょう。また、どちらが優れているか、と論じられる問題でしょうか。
3 権実相対 法華経と法華経以外
「四十余年未顕真実」が通じない現代では意味の無い分け方です。五時八教の話の後にした方がよいでしょう。
4 本迹相対 法華経前半と後半
解釈次第ですからこの辺はなんとも言えませんが、前半と後半で言っていることが違う、というのは、単純に段階的に成立したからだ、とも考えられますね(実際そう考える人が多い)。
5 種脱相対 下種(日蓮仏法)と脱益(釈迦仏法)
基本的に現代が末法である、という前提の元の考え方ですよね。
・・・五重の相対を全面的に否定するわけではないですが、現代においてそのままに通じる話でもないことは確かだと思います。
526 :
阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/09/12 13:38:11 ID:A00DnpKH
>>525 ひゃっきまるさん、はじめまして。
>
> レスが遅いときがありますが、一応目を通していますので・・・。
> 根拠がない、とは断定的すぎる言い方だったかもしれませんが、僕は大体以下のように考えています。
>
> 1 内外相対 内道(仏教)と外道
> 日蓮の説明した、仏教以外は過去未来を説いていない、という説明は、現代において、はたして仏教と仏教以外を区分した適切な説明と言えるでしょうか?
> また、仏典のほとんどが釈尊の直接の思想とは異なり、また、多くの他宗教の影響を受けていることを考えると、仏教と仏教以外を分ける明確な基準等あるのだろうか、といぶかしく思います。
諸行無常・一切皆苦・諸法無我の三法印、もしくは諸行無常・一切皆苦・諸法無我・涅槃寂静の四法印が判断規
凖となります。表札だけこれを使う似非佛教もありますので要注意です。
> 2 大小相対 大乗仏教と小乗仏教
> 大乗仏教、小乗仏教という区分け自体が現代ではナンセンスでしょう。また、どちらが優れているか、と論じられる問題でしょうか。
小乘とは部派の一部の傾向に対しての批判語が独り歩きしたものに過ぎず、それに対応するものが実在したわけではありません。
それに原始佛教≠小乘・部派仏教≠小乘です。
>
> 3 権実相対 法華経と法華経以外
> 「四十余年未顕真実」が通じない現代では意味の無い分け方です。五時八教の話の後にした方がよいでしょう。
> ネタ元の『無量義經』そのものが漢土撰述でしょう。
> 4 本迹相対 法華経前半と後半
> 解釈次第ですからこの辺はなんとも言えませんが、前半と後半で言っていることが違う、というのは、単純に段階的に成立したからだ、とも考えられますね(実際そう考える人が多い)。
概ね同意です。二乘作佛も久遠佛思想も別に法華経オリジナルではありません。
> 5 種脱相対 下種(日蓮仏法)と脱益(釈迦仏法)
> 基本的に現代が末法である、という前提の元の考え方ですよね。
末法思想そのものがいかがわしいものでしょう。
> ・・・五重の相対を全面的に否定するわけではないですが、現代においてそのままに通じる話でもないことは確かだと思います。
馴れ合うつもりもないが、挑発のつもりでもなかったのだが、まぁよいか。
>内外相対とかなんとかあるみたいだが、正宗系の「因果倶時」とかなんかサーンキヤの因中有果説、
「因中有果」とは原因の中にすでに結果の性を内具するという説、
要するに決定論、宿命論の類であるが、
「因果倶時」とは一念に因と果が具足することであり、それとは全く異なる。
一念三千に即して言えば、一念の生命に三千の諸法が円融具足する故に、
いずれを因いずれを果として差別することができないことをいうのである。
「生れによってバラモンとなるのではない。生れによってバラモンならざる者となるのでもない。
行為によってバラモンなのである。行為によってバラモンならざる者なのである。
行為によって農夫となるのである。行為によって職人となるのである。
行為によって商人となるのである。行為によって傭人となるのである。
行為によって盗賊ともなり、行為によって武士ともなるのである。
行為によって司祭者となり、行為によって王ともなる。
賢者はこのようにこの行為を、あるがままに見る。
彼らは縁起を見る者であり、行為とその報いとを熟知している。
世の中は行為によって成り立ち、人々は行為によって成り立つ。
生きとし生ける者は業に束縛されている。進み行く車が轄に結ばれているように。」
阿呆陀羅經さんの大好きなスッタニパータ(650-654)にも以上のように、
今なにをしているかがその人を決めると説かれているのである。
行為とその結果の因果関係が同時存在であること、これを因果倶時と言うのであって、
因中有果説などとは別物である、というのは最早言う必要もあるまい。
529 :
阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/09/12 14:15:28 ID:A00DnpKH
>>527 因中有果説とは原因に結果が既に内包されているというある種の决定論的見解。サーンキヤ派で主張され、
『大乘大般涅槃経』ではヴァイシェーシカ派の因中無果説とともに退けられます。行為とその結果が同時に
存在するのは不可能。論理命題ならば可能でしょうが。『スッタニパータ』の引用箇所は行為と生業との関係
が述べられているまでで「因果倶時」の教証にはなりえません。
これから仕事に取り掛かるので
>>522の後半部のレスとひゃっきまるさんへのレスはまた次回とする。
少々お待ちいただきたい。
>>529 >因中有果説とは原因に結果が既に内包されているというある種の决定論的見解。サーンキヤ派で主張され、
>『大乘大般涅槃経』ではヴァイシェーシカ派の因中無果説とともに退けられます。
大聖人も開目抄においてそれらを外道として退けている。
>行為とその結果が同時に存在するのは不可能。
ふむ、はたしてそうだろうか?
卑近な例で考えるなら、
例えば大根をおろしている時、おろすと同時に大根おろしができているが
これはどう説明する?
>行為と生業との関係
ここで言う「行為」とは"kamma"であるのだから、行為と業は同じ事を指している。
あえて別のこととして捉えているのは、「生業」を「ナリワイ」と読ませるためか?
それとも生業とはまたなにか別のことなのか?
531 :
阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/09/12 15:25:04 ID:A00DnpKH
追記です。
>>530 > これから仕事に取り掛かるので
>>522の後半部のレスとひゃっきまるさんへのレスはまた次回とする。
> 少々お待ちいただきたい。
>
>
>>529 > 例えば大根をおろしている時、おろすと同時に大根おろしができているが
> これはどう説明する?
大根おろしが出来るのは大根がおろし金に接触した後。その前後関係を無視して同時に思うの
は自由ですが・・・。
> ここで言う「行為」とは"kamma"であるのだから、行為と業は同じ事を指している。
> あえて別のこととして捉えているのは、「生業」を「ナリワイ」と読ませるためか?
勿論「生計手段」を指しています。生計手段たる職務行為と生活そのものが因果同時とはこれいかに。
>>518 ひゃっきまるさん
私の捉え方は概ね>>508さんと一緒です。
「分類と対比の手法の提示」と考えてますから。
だって実際には「相対」は無限にあるのですから・・・
その内容の論議についてはレスを読んで学させていただきます。レベルが高すぎて(・・)・
ひゃっきまるさんは学会においていまでも使っているか?議論されているか?
という事をお尋ねかもしれませんが、私も組織を離れているのでリアルな部分は知りません。
なんの疑問も持ってない人が多いでしょう・・・
任用試験に出るのじゃないかな?そしたらネタで貼ります。
その前に「任用試験を笑うスレ」とか立てられたりして・・・
>>513 元教学部代理さん、ありがとうございました。
間、議論進んでしまいました。
なるほど、一念三千 外向が○、で内向が×ということですか、
日蓮大聖人は、天台教学の誤りを指摘していますが
天台教学からの流用でなりたっているところもあるのですね。
天台大師智ギの理論体系が崩れたら一緒に倒れる危険性は
ないのでしょうか?
自動販売機などで、どれにしようかな?日蓮さまのいうとおり!
って言って商品などを選べ
ゴラ゛アァーー!!!!
どーれーにーしーよーうーかーな?
にーちーれーんーーさーまーのーいーうーとーおーり!
てねw
どーれーにーしーよーうーかーな?
にーちーれーんーさーまーのーいーうーとーおーり!
だぞw
日蓮ファンはドキュソが多い。
しかしここまでくるとドキュソというより基地害だな。
>>534
善蔵結局遁走したね。
>>537 確かにイっちゃっるね。もうだめぽ
>>529 >大根おろしが出来るのは大根がおろし金に接触した後。
>その前後関係を無視して同時に思うのは自由ですが・・・。
大根をおろしたことがないのか?
大根がおろし金に接触したら大根おろしが出来る、
なんてことがあるわけがないのは・・・言うまでもあるまい?
すりおろしている時にすり減っている分が大根おろしでなかったら
一体あれは何だというのか・・・説明できるか?
>勿論「生計手段」を指しています
>>527で引用したものはバラモンのなり方について釈尊が答えているものであるが、
「622 紐と革帯と綱とを、手綱ともども断ち切り、門を閉ざす閂を滅して、
目ざめた人(ブッダ)、−かれをわたくしはバラモンと呼ぶ。」
と引用部分より前の部分においては書かれている。
このようなバラモンが「ナリワイ」であるわけがあるまい。
ところで、六因の中に、倶有因というものがあるが、
三枝充悳氏もこれについて『随想 仏教と世間と』において
「偶有因においては因果同時であるという。(232p)」と書いているぞ。
540 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/13 00:46:03 ID:ZnqqNdmK
>>517 ひゃっきまるさん。
五時は歴史的な事実であるかのように学会内で機能してしまっているとは思い
ますが、八教は化儀の四教・化法の四教ともに経典の形態の分類の話であって、
その優劣のつけ方はやはり価値判断の一つの基準であると思います。
五重の相対も、やはり歴史的な事実なのではなくて、教義上の比較を行ってい
るのですから、事実判断ではなく価値判断の範疇にはいるのではないでしょう
か。たしかに
>>525でいわれたような問題はあるのでしょうが、例えば、三
世を説くことが果たして価値の高いことなのか、それを高いということは一つ
の価値判断であって、そうは思わないといえば、それまでのこと。その価値判
断に果たして根拠はありえるのでしょうか。二乗作仏、悪人成仏を価値あるも
のとすることと、それに価値を見出さないものとがあるのであれば、権実相対
を成り立たせている根拠とはなんでしょうか。価値判断の問題となりませんで
しょうか。
>>520 銀舌居士さん。
「「五重の相対」に根拠がないということを説明してもらえますか?」という問
いの言外に、根拠がないという発言への否定的な雰囲気を感じたので、そうで
あるならば、このような根拠があるのだからあなたの発言はおかしい、という
「言い方」をすべきだ、といいたかったのです。ひゃっきまるさんが考える「日
蓮が考える五重相対の根拠とするもの」ではなくて、あなたが考える「日蓮が
考える五重相対の根拠とするもの」を提示すべきではないかということです。
もちろんそのような根拠はないとあなたがお考えならなにもいうことはござい
ません。
541 :
文 河畔:04/09/13 01:59:14 ID:QT566+Tu
はじめまして、初心者です。
少し前からこの掲示板を読んで興味をもちました。とても刺激的な
内容なのでついこのような書き込みをして気を悪くなさらないで欲しいのですが、率直
に感じた疑問は ひょっきまるさんや7資産とナなしさんは何を信じ、そしてこの
掲示板をROMしてる人たちに何を訴えたいのです?
これまで読んでいると釈尊を信じている訳でもなく、タイトルからして当然
日蓮上人を信じている訳でもなさそうですからね。日蓮上人は正法を誹謗する僧侶たち
に限っての処刑を示唆したことはたしか御書に書いてあったと思います。
それは正法を誹謗する僧侶たちを「罪人」として刑罰にせよとの意味であって、
オウムのように無差別テロを実行しろなんて一言も口にしていません。
現代風に言えば、庶民が苦しい不況に喘いでいる世の中にあって更にその血を吸い取ろ
うとする消費者金融の経営者全員を正式な裁判に掛けて「極刑」にしてしまいなさい。
と言っただけのことです。現代の庶民感覚に近いと思いますよ。
ひょっきまるさんや7資産とナなしさんは現代人にどのような救いの言葉を述べて下さ
る方なのですか?ただの二乗の下痢ウンコなんですか?
543 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :04/09/13 02:25:28 ID:6dCkbAsD
話の流れは面白いですね
でも、仏教ってなんだよ
生きる、生きていく=四苦八苦する
その苦とどう向き合っていけばいいか、その方法が、仏教なんじゃないのかな
経典に何が書かれているかを議論するなんて、愚の骨頂
その経典と自分の苦の向こうに仏と見い出すことが問題じゃないのかな
>>541 信じるもの=自由と正義
訴えたいこと=真実
この板には釈尊を信じる者もいる。
>日蓮上人は正法を誹謗する僧侶たちに限っての処刑を示唆したことはたしか御書に書いてあったと思います。
>それは正法を誹謗する僧侶たちを「罪人」として刑罰にせよとの意味であって、
>オウムのように無差別テロを実行しろなんて一言も口にしていません。
日蓮の思想が法律だとでも言いたいのか?
権力を振りかざし暴力を用いて目的を果たすその姿勢は確かに現代まで受け継がれているようだな。
しかし釈尊の教えは衆生救済である。
人を処刑するように命ずる思想が仏法であるわけがないだろう。
>現代風に言えば、庶民が苦しい不況に喘いでいる世の中にあって更にその血を吸い取ろ
>うとする消費者金融の経営者全員を正式な裁判に掛けて「極刑」にしてしまいなさい。
>と言っただけのことです。現代の庶民感覚に近いと思いますよ。
本当にそう思うなら池田大作及び本部幹部を処刑しろ。
救いの言葉は自分でさがせ。
>ただの二乗の下痢ウンコなんですか?
御書を暗記することが教学だと思っている層化信者はこれだな。
>>541 消費者金融の経営者全員を正式な裁判に掛けて「極刑」と、あるが、正式な裁判ではどう考えても極刑にはならんだろ。
それに、お前の尊敬する大作先生は金融業者出身だろうに(笑)
こんな宗教のことも詳しくない人間に突っ込まれるようでは2ちゃんねるは100万年早い。
物を例えるなら少しは考えて言えよ。単細胞君。
善蔵と文 河畔のためにage
反論ないな。。。
日蓮の教えは間違ってるということでいいのね?
幕府に奏上する立正安国論の提案では、
「布施を止める事で罰する」ことでの治罰に限られています。
550 :
阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/09/14 17:53:36 ID:Mypoe2ho
>>539 >
> 大根をおろしたことがないのか?
> 大根がおろし金に接触したら大根おろしが出来る、
> なんてことがあるわけがないのは・・・言うまでもあるまい?
つまり、あなたの論法に従えば、ピアノの鍵盤を押さえるのと音が聞こえるのとが同時ということ
になりますな。ピアノの構造や音声が聞こえる仕組みはご存じのはずだと思いますが・・・。
> すりおろしている時にすり減っている分が大根おろしでなかったら
> 一体あれは何だというのか・・・説明できるか?
どうして大根がすり減るのでしょうね。行為や事象の因果関係や前後関係を逆転してはいけませんよ。
あなたの論法だと大根おろしをいつまで経っても食べられません。
>
> >勿論「生計手段」を指しています
>
>
>>527で引用したものはバラモンのなり方について釈尊が答えているものであるが、
> 「622 紐と革帯と綱とを、手綱ともども断ち切り、門を閉ざす閂を滅して、
> 目ざめた人(ブッダ)、−かれをわたくしはバラモンと呼ぶ。」
> と引用部分より前の部分においては書かれている。
> このようなバラモンが「ナリワイ」であるわけがあるまい。
612〜619偈の内容を参照してくださいな。それにおっしゃる場合の「バラモン」の概念規定が曖昧ですね。
> ところで、六因の中に、倶有因というものがあるが、
> 三枝充悳氏もこれについて『随想 仏教と世間と』において
> 「偶有因においては因果同時であるという。(232p)」と書いているぞ。
これを因果関係全体の概念規定にトレースするのは無理。三枝氏はこうした因果把握に
非常に 批判的であったと思いますが。
>>530 >大聖人も開目抄においてそれらを外道として退けている。
その文献の箇所と教証引用の出典は判りますか?出来れば大正蔵。
>>525 ひゃっきまるさん
>1 内外相対 内道(仏教)と外道
>日蓮の説明した、仏教以外は過去未来を説いていない、という説明
大聖人は・・・そのようなことは一切言っていない。
あなたは大聖人の内外相対に関する文章に目も通さず想像で書いているに決まっている。
間違いない!
>2 大小相対 大乗仏教と小乗仏教
>大乗仏教、小乗仏教という区分け自体が現代ではナンセンス
大聖人御在世当時、阿含部の経典は原意から離れた後世の見解が盛り込まれて解釈されていた。
この大小相対とはそうした当時の日本及び中国の仏教界の状況や、思想史一般乃至
文化史一般を吟味して、はじめて大聖人御在世当時の意味から離れずに解釈されうるものとなるのである。
そうしたところを理解も吟味せず、ただ現代的な見解を盛り込んで解釈しても、
それは大聖人が言うところの大小相対とはかけ離れた別物にしかならない。
>3 権実相対 法華経と法華経以外
>「四十余年未顕真実」が通じない現代では意味の無い分け方
>4 本迹相対 法華経前半と後半
>前半と後半で言っていることが違う、というのは、単純に段階的に成立したから
>5 種脱相対 下種(日蓮仏法)と脱益(釈迦仏法)
>基本的に現代が末法である、という前提の元の考え方
これらはひとまずのところ、大小相対の場合と言いたいことは同じであるので省略する。
あなたの反応を見つつ、内外大小も含めて続きを書くことにしよう。
552 :
阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/09/14 18:49:34 ID:FNdkMP+t
>>551 >2 大小相対 大乗仏教と小乗仏教
> >大乗仏教、小乗仏教という区分け自体が現代ではナンセンス
>
> 大聖人御在世当時、阿含部の経典は原意から離れた後世の見解が盛り込まれて解釈されていた。
> この大小相対とはそうした当時の日本及び中国の仏教界の状況や、思想史一般乃至
> 文化史一般を吟味して、はじめて大聖人御在世当時の意味から離れずに解釈されうるものとなるのである。
> そうしたところを理解も吟味せず、ただ現代的な見解を盛り込んで解釈しても、
> それは大聖人が言うところの大小相対とはかけ離れた別物にしかならない。
日蓮時代の佛教観に現代の我々が従う必要は全くないし、その誤りが発見されたならさっさと修正すればいいだけの
話。 吟味されるべきなのはそれらの前提自体でしょう。タイトなドグマで自縄自縛になるとにっちもさっちもいかなくな
りますね(苦笑)。
>>550 >つまり、あなたの論法に従えば、ピアノの鍵盤を押さえるのと音が聞こえるのとが同時ということ
>になりますな。ピアノの構造や音声が聞こえる仕組みはご存じのはずだと思いますが・・・。
同時なのは、ピアノの鍵盤を押さえることと、力を使って指に疲労が蓄積していくこと、
だろう?
>どうして大根がすり減るのでしょうね。行為や事象の因果関係や前後関係を逆転してはいけませんよ。
>あなたの論法だと大根おろしをいつまで経っても食べられません。
大根がすり減っていくことと、大根おろしができていくことはやはり同時だよ。
あなたの論法だと食べられない状況下にある大根おろしは大根おろしでないとなるが?
釈尊は次のように説いているが、
648 世の中で名とし姓として付けられているものは、名称にすぎない。
(人の生まれた)その時その時に付けられて、約束の取り決めによってかりに設けられて
伝えられているのある。
あなたが言っているところの「大根おろし」はただの名称にすぎないのではないか?
>612〜619偈の内容を参照してくださいな。
>それにおっしゃる場合の「バラモン」の概念規定が曖昧ですね。
612-619は生業のことを述べているのではなく、
「バラモン」ではないという人のことを列挙しているのだよ。
618において「司祭の職によって生活する者」までバラモンではないと
述べていることを見落としてはならないだろう。
620からは「バラモン」について言及されているが、生業としてのバラモンが
ここで一切認められないことは言うまでもあるまい。
>三枝氏はこうした因果把握に非常に 批判的であったと思いますが。
では、三枝氏の文章を引用しよう。
「倶有因においては因果同時であるという。すなわち因が果が因となって
相互に重なり合う。しかも因はもと因、果はもと果であり、上述をうけて、
因が果であり、果が因であるということになる。
因果同時となると、そこにはプロセスはなく、縁の介在も許されないごとくに見える。
だが、実はここには縁がすでに熟しているのであり、極言すれば(倶舎論の説とは
必ずしも一致するとはいえないけれども)、因縁果の同時現前と称してもよい。
またそこではプロセスはそのままスタートであり、同時にまたゴールであるということにもなろう。
(中略)
仏教の実践論が、おおむね動機論に傾いているということの真の意味は、この因果同時に
もとづくのではないか。一つ一つの行為に動機があり、それが同時に結果を伴っており、
そこでの意・口・身の三業のはたらきは同時一点でありつつ、それをつらねるときにその
プロセスそのものにほかならぬ。
(中略)
一歩を踏んで道はあり、一歩ずつが道そのものなのである。そこでは因果同時であり、
世間のいう結果論とは異なって、みずからの一歩が果の実現であり、同時に、
当然のことながら、因をも果たしている。」(232-233p)
>その文献の箇所と教証引用の出典は判りますか?出来れば大正蔵。
「其の所説の法門の極理或は因中有果或は因中無果或は因中亦有果亦無果等云云、
此れ外道の極理なり所謂善き外道は五戒十善戒等を持つて有漏の禅定を修し
上色無色をきわめ上界を涅槃と立て屈歩虫のごとくせめのぼれども非想天より返つて
三悪道に堕つ一人として天に留るものなし」(創価学会版御書全集187p)
経文の引用などは特に見当たらない。
>>552 >日蓮時代の佛教観に現代の我々が従う必要は全くないし、その誤りが発見されたならさっさと修正すればいいだけの
>話。 吟味されるべきなのはそれらの前提自体でしょう。タイトなドグマで自縄自縛になるとにっちもさっちもいかなくな
>りますね(苦笑)。
大乗が起こった理由は説明するまでもなくあなたも御存知のはず。
私はドグマを言っているのではない。
そこにある普遍的な精神を見落とさないで欲しいのだ。
それと、
多忙につき、週末までレスがつけられなくなるかもしれないことを前もってお知らせします。
557 :
阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/09/14 21:07:56 ID:JzjNJCuu
>>553 >
>>550 > 同時なのは、ピアノの鍵盤を押さえることと、力を使って指に疲労が蓄積していくこと、
> だろう?
論点ずらしですか(失笑)。
鍵盤を押さえた結果疲労が蓄積するわけですな。立派な前後関係。
> 大根がすり減っていくことと、大根おろしができていくことはやはり同時だよ。
大根がすり減った結果として大根おろしが増えるわけ。
> あなたの論法だと食べられない状況下にある大根おろしは大根おろしでないとなるが?
あなたの論法では大根おろしをこしらえること自体が不可能(w。
> 釈尊は次のように説いているが、
> 648 世の中で名とし姓として付けられているものは、名称にすぎない。
> (人の生まれた)その時その時に付けられて、約束の取り決めによってかりに設けられて
> 伝えられているのある。
それなら、あなたの提出した命題や言辞など皆無効ですな。自爆行為?
> あなたが言っているところの「大根おろし」はただの名称にすぎないのではないか?
議論内容に関係しない唯名論 に関わり合う義務はありません。それに大根おろしを持ち出したのはあなた(w。
後出しじゃんけんですか。
> >612〜619偈の内容を参照してくださいな。
> >それにおっしゃる場合の「バラモン」の概念規定が曖昧ですね。
> 612-619は生業のことを述べているのではなく、
> 「バラモン」ではないという人のことを列挙しているのだよ。
> 618において「司祭の職によって生活する者」までバラモンではないと
> 述べていることを見落としてはならないだろう。
> 620からは「バラモン」について言及されているが、生業としてのバラモンが
> ここで一切認められないことは言うまでもあるまい。
そうしたらその「バラモン」を持ち出してくる意味がますます曖昧になりますな。因果同時の教証にも
なっていないし・・・。
558 :
阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/09/14 21:26:40 ID:JzjNJCuu
>>554 > >三枝氏はこうした因果把握に非常に 批判的であったと思いますが。
> では、三枝氏の文章を引用しよう。
> 「倶有因においては因果同時であるという。すなわち因が果が因となって
> 相互に重なり合う。しかも因はもと因、果はもと果であり、上述をうけて、
> 因が果であり、果が因であるということになる。
> 因果同時となると、そこにはプロセスはなく、縁の介在も許されないごとくに見える。
> だが、実はここには縁がすでに熟しているのであり、極言すれば(倶舎論の説とは
> 必ずしも一致するとはいえないけれども)、因縁果の同時現前と称してもよい。
> またそこではプロセスはそのままスタートであり、同時にまたゴールであるということにもなろう。
> (中略)
> 仏教の実践論が、おおむね動機論に傾いているということの真の意味は、この因果同時に
> もとづくのではないか。一つ一つの行為に動機があり、それが同時に結果を伴っており、
> そこでの意・口・身の三業のはたらきは同時一点でありつつ、それをつらねるときにその
> プロセスそのものにほかならぬ。
> (中略)
> 一歩を踏んで道はあり、一歩ずつが道そのものなのである。そこでは因果同時であり、
> 世間のいう結果論とは異なって、みずからの一歩が果の実現であり、同時に、
> 当然のことながら、因をも果たしている。」(232-233p)
つまりは因果関係の無窮の連鎖を主張しているわけで、因果同時の論証にはなり得ていないと思います。
倶有因が六因四縁五果の一つであることが前提されているわけで、やはりこれを因果関係全体の概念規
定にトレースするのは無理でしょう。
>三枝氏はこうした因果把握に非常に 批判的であったと思いますが
縁起説における「相依性」概念の手厳しい批判者であったということです。説明不足失礼しました。
個人的には縁起説を論理的側面から把握する概念としては「相依性」はとりあえず有効であると考えています。
> 経文の引用などは特に見当たらない。
パーり長部の『梵網経』あたりを繰ってみるとなんらかの発見があるかも。
因果異時と因果具時の法論なのだろうか?
どちらにしても因果互具に変りにないような気がするが・・・
一瞬=同時なのだろうか?
それとも厳密に言えば同時はありえないのだろうか?
今後の議論の展開に期待・・・
560 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/14 21:48:50 ID:fd8mm1cb
>>551 >大聖人は・・・そのようなことは一切言っていない。
儒教については言ってますよね。「過去・未来を一分もしらず」って。
まあ因果を弁えないという枠の中で言っているようだけれど。
>大聖人御在世当時、阿含部の経典は原意から離れた後世の見解が盛り込まれて解釈されていた。
ということは大聖人は阿含部の原意を意識して大小相対をされたって言うことですか?
大聖人の批判した部分は阿含部の原意ではなくて、そこから離れた後世の見解と言うこと?
開目抄の前半では大小相対はほとんど語られていないみたいなんですけれど、
それがうかがえる御文はどのあたりにあるのですか?
率直にいって日蓮って当時のいろんな開祖の中でも頭悪い方だと思う。
彼の言ってることに完全な整合性を望むのはやめたほうがいいのではないか。
>>557 >そうしたらその「バラモン」を持ち出してくる意味がますます曖昧になりますな。
>因果同時の教証にもなっていないし・・・。
釈尊以前の因果論の主流は簡単に言ってしまえば、
「前世で賤しい行いをしたから、今世で賤しい身分として生まれ、
来世でも賤しい者として生れる」といった決定的、直線的なものであったろう。
>>527などで引用した箇所において釈尊は、それを越えるものとして、
「生まれ」ではなく「行為」がその人を決定づけるものであると説いている。
もしこれが因果倶時ということがないならば、賤しい者は過去世の業によって
今世においても賤しい行為から免れることは出来ず、永遠に賤しい者として
生き続けることになるのではないか?
>大根がすり減った結果として大根おろしが増えるわけ。
無論、目測で解からないくらいの次元で言えば前後が当然だ、言うまでもない。
あなたはどうも本気で、私がミクロの次元においても因果に前後がないということを
説明しようとしていたと思っているようだが・・・・・・恐ろしい男だよ、あなたは。
「因果倶時」が現象のことを言っているのではないことは、
最初に次のようにも述べているのだから解かって欲しかったのだがね。
>「因果倶時」とは一念に因と果が具足することであり、それとは全く異なる。
>一念三千に即して言えば、一念の生命に三千の諸法が円融具足する故に、
>いずれを因いずれを果として差別することができないことをいうのである。
>倶有因が六因四縁五果の一つであることが前提されているわけで、
>やはりこれを因果関係全体の概念規定にトレースするのは無理でしょう。
あなたが説明するまでもなく、「六因の中の倶有因」と私は既に言っているのだが。
いつ私が因果関係全体の概念規定にトレースしている?
563 :
五六:04/09/15 00:35:45 ID:A2tB7KIz
銀舌居士さん。
急がないけれど、
>>560にもレスくださいね。
・・・すいません。レスしたいのはやまやまなんですが、なかなか忙しくて。
連休辺り時間つくれたらいいんですが。どなたかかわりに議論続けてくれると幸いです。
(って、すでにレスしてくれてる人がおられますね)
もちろん僕自身の文章でレスつけますが、ROMしてる方もどんどん参加してくださいね(ただし、なるべく礼儀正しくお願いしたいです。このスレはあまり荒らしたくないので)。
565 :
阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/09/15 09:23:26 ID:4MfPlBdn
>>562 > 「前世で賤しい行いをしたから、今世で賤しい身分として生まれ、
> 来世でも賤しい者として生れる」といった決定的、直線的なものであったろう。
ファナティックな学会員だった同級生もそんなことを得々としゃべって周囲の顰蹙と
失笑を買っていました。
> 「生まれ」ではなく「行為」がその人を決定づけるものであると説いている。
ブッダの業論は果から因が遡及的に認識されうるものとしてのそれであり、決定論的に
考えると誤解の元です。不共業や共業などの複雑多岐に亘る探究がなされていますよ。
> もしこれが因果倶時ということがないならば、賤しい者は過去世の業によって
> 今世においても賤しい行為から免れることは出来ず、永遠に賤しい者として
> 生き続けることになるのではないか?
誰もそんな胎生的「生まれ変わり」などを持ち出してませんし、念頭にもおいていません。
> 無論、目測で解からないくらいの次元で言えば前後が当然だ、言うまでもない。
目測から誰もが類推できる範囲内のことしか申していませんが。
> 「因果倶時」が現象のことを言っているのではないことは、
現象ならぬ一体何のことでしょう?
> 最初に次のようにも述べているのだから解かって欲しかったのだがね。
> >「因果倶時」とは一念に因と果が具足することであり、それとは全く異なる。
「全く異なる」のであればそもそも喩例には使用不可能でしょうに。
> >一念三千に即して言えば、一念の生命に三千の諸法が円融具足する故に、
> >いずれを因いずれを果として差別することができないことをいうのである。
その「一念」なるものに一切が具わっているという思想はこれはもう佛教版因中有果説、
サーンキヤ哲学たる本覚思想ですな。末法思想と並んで佛教を腐敗させる元凶でしょう。
> あなたが説明するまでもなく、「六因の中の倶有因」と私は既に言っているのだが。
> いつ私が因果関係全体の概念規定にトレースしている?
でなければ三枝氏の著作の引用の意図が曖昧になります。氏の縁起説や因果律に関する
論攷は非常に示唆に富みますが、文脈に配慮しないと誤解の元です。
566 :
阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/09/15 10:39:27 ID:Ak+xqh1T
>>555 > 大乗が起こった理由は説明するまでもなくあなたも御存知のはず。
> 私はドグマを言っているのではない。
> そこにある普遍的な精神を見落とさないで欲しいのだ。
これを論ずるには、「大乗」についての認識をある程度共有しておく必要を感じます。
「誰それが大乗というから大乗だ」という定義付けは避けなければならないのはいう
までもありませんが…。それと「普遍的な精神」といわれてもあまりに抽象的すぎて
理解に苦しみますな。
567 :
五六:04/09/15 16:44:30 ID:ueEr6d+D
>>565 阿呆陀羅經さん。
>ブッダの業論は果から因が遡及的に認識されうるものとしてのそれであり、決定論的に
考えると誤解の元です。
いや、銀舌居士さんは「釈尊以前の因果論の主流」について決定論的だと言っているんだよね。
で、因果倶時は釈尊の本意だって言いたいんだと思うよ。
因果関係を主体的に生きる、って言うことでしょ。
因と果が同時であるとか前後するとか、そういうことを言ってるわけじゃないんじゃない?
本人もそう言ってるしさ。
568 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/15 22:40:19 ID:giGLRJRz
創価学会の人が教義語るときって、端からみるとこっけいなくらい偉そうな態度。
これこそ二乗ってやつじゃないの?
>>ひゃっきまるさん
お久しぶりでちゅ。
わしのことは覚えていらっしゃらないかなぁ。
また仏法対話でもしまちょう。
>>569 くびらィ ◆naIWZqTvvM ←こいつの特徴
1嘘つき
2キモい幼児言葉
3下品な暴言
4層化マンセー
5超賎人
結論;くびらィ=人間のクズ
571 :
文 河畔:04/09/16 01:21:46 ID:sT8tlYSX
政教分離さんと七資産へ(超スローなレスですんません)
お二方はあまり得意でない教学的な説明で恐縮ですが、
正法とは=万人の生命の中に仏性という仏の命があることを説き、
万人が差別なく成仏できると説いた教えで、釈尊の教えの中で最高に
位置付けられる法華経を指します。
処罰の対象者=この正法を誹謗する者(特に法謗の僧ら)です。
処罰する理由=正法が廃れると社会の秩序が乱れて荒廃し、民衆が苦しい目に
遭う為。(政教分離さん風に言えば真の正義と真の自由を守る
ためその原因を取り除く)
説明したかったのは、法律を司る立場でもない日蓮大聖人自身が正法を誹謗す
る僧らを直接排斥するとすれば違法だけれど、鎌倉当時に司法・行政・立法の
頂点にあった人間(北条宗家)であれば合法です。それによって社会の秩序の
回復がなるということです。
くどいと笑うかもしれないが。。。
日蓮は病死しました。したがって、題目の功徳は無効です。
信心が病気に効くウンヌンは大ウソです。
同時代の親鸞は90才まで活躍しました。
私くらい生きていれば、学会葬に出席させていただくことも多い。
はっきり言って、「首から上の病気」で亡くなる学会員が多い。
先日は、脳溢血でした。
布教のためとか言って、あまりウソをついてはいけない。
自らの体験から、事実関係だけしっかりと押さえよう!!
>>571文河畔さん
もう一人はSbさんのことですね。
私のレスをします。
「正法とは=万人の生命の中に仏性という仏の命があることを説き、
万人が差別なく成仏できると説いた教えで、釈尊の教えの中で最高に
位置付けられる法華経を指します。」
このように考えた場合、層化の言動と矛盾しないですか?
日顕を呪い、共産党を誹謗中傷し、さらに悪いことに、
日本人を妬みの民族と罵る邪悪な教団が正法とは笑止です。
「処罰の対象者=この正法を誹謗する者(特に法謗の僧ら)です。」
「処罰する理由=正法が廃れると社会の秩序が乱れて荒廃し、民衆が苦しい目に
遭う為。」
処罰される身にもなってください。他の宗派もそれぞれが正法を自称していたはずです。
日蓮宗だけが正法であると主張して他の宗派の人を殺害するような残虐なことをすれば、
必ずその行為は深い業を生じせしめることでしょう。これは即ち邪道です。
キリスト教とイスラム教が殺し合いをするのと同じことになります。
仏教とはかけ離れた概念ですね。「粛清」「ポア」と言った方が近いです。
私が言った自由と正義は近代合理主義の人権思想に基づく概念です。
宗教的な意味合いはありません。
歴史的な経緯についてですが、それはそれでいいでしょう。
現代の社会で通用するような考え方ではないということだけ、
了解していただければ結構です。
そもそも「正法」という言葉自体が傲慢なんですよね。
ただ「法」と言えば済むものを「正」を付けないと気がすまない「とらわれ」が、
言葉にあらわれているのです。
世界宗教者会議で、どうしてお互いを尊重できるかと言うと、
信仰はそれぞれ本物でも、それを信じる人間には「限界」があると、
皆、悟っているからなのですね。
信仰は本物でも「自分の判断力が、神のごとく無謬ではない」
そう分かっているから、お互いに尊重できる。
「これこそが誰にとっても一番正しい宗教」という考えは、
傲慢かつ未成熟な人間のものですよ。
575 :
大倉 義視:04/09/16 02:25:15 ID:sT8tlYSX
>>572 念仏の祖と知られる善導は、自ら首に縄をくくって木の枝に登り自殺を
はかりました、が不幸にも縄は切れ、枝も折れ落ちた更に場所が悪いこ
とに硬い土の上で、腰の骨を砕き・・・と不幸が重なり、そのため、
七日七晩の間、もがき苦しみ苦しみ抜いて死んだのは有名な話です。
念仏は現実の世界を逃げ、西方のはるか極楽浄土に生まれ変わるという
その現実逃避の思想ですから先の祖と同様に、自殺する人が後を断ちま
せんね。
人間は死んだ後でも残された人々の口に「あの人はこんなにいい人だった」
とか言われて偲ばれるものですが、それが自殺の場合は身近な家族の間
でもタブーになるのでは?話が出たとしてもみんなが哀しい気持ちになる
だけでしょうに。かわいそ。
念仏信仰者にはその死後も辛いですね。世界〜さんはご年配者のご様子。
色んなご経験もおありでしょうから解って頂けるかと思います。
日蓮系では自殺はほとんどありません。皆しぶといから(笑)。
576 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :04/09/16 09:50:38 ID:FYib7tWh
>>571 >正法とは=万人の・・・
その根拠はなんなのでしょうか?
何に書いてあっても、誰が言ったとしても、
その最大の根拠は「あなたが信じているから」だけです
法華経を最高のものとしてしまうことは諸法無我に反します
仏教は、教わって学ぶでは駄目なのですよ
それを諦し悟らなければ何の意味もありません
法華経は所詮月をさす指に過ぎないのです
経典を最高なものとして、悟を目指さぬのであれば
経典はただの紙くずと化します
法華経全巻は一輪の花に劣るのです
577 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :04/09/16 09:53:47 ID:FYib7tWh
>>575 題目も念仏も同じ
同じことを悟ることなく争えば、
仏道よりは離れ、邪道と化しますよ
578 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/16 09:59:15 ID:HPUR1CDX
自分が何を信じようと、かってですが、他を批判したり、
しつこい勧誘はやめて頂きたい!!
新聞要らないし!!勝手にポストに入れんじゃね〜!!
しかも、金とるな!!
層化えお潰してください!!
>>526,
>>552阿呆陀羅經さん
ほぼ同意です。
>>532 マハーバイロさん、
>>540さん
日蓮教学における自宗の唯一性を説明するものが単に分類や相対的説明であるとは思えません。そのことは
>>518で述べました。
また仮に、分類や相対的説明のみで自宗の唯一性を説明した場合、それはその宗教内でしか通じない価値観であると言えると思います(他宗を批判する根拠とならない)。
>>541 文 河畔 さん
僕は創価学会の信仰の全てを否定するつもりではありませんが、教義に問題があり狂信的な傾向があると思っています。それを非難しています。
>それは正法を誹謗する僧侶たちを「罪人」として刑罰にせよとの意味であって、
もしまかりまちがって当時の権力者が日蓮の言を取り入れ、それが実行されたとしたら、それが中世という時代であったとしても、日蓮は後々まで極悪人として語り伝えられたと思います。
政治的な権力によって一宗教を保護し、他の宗教を禁じてそれを布教する人間を処刑するなどということは昔も今も許されません。
>>569 くびらィさん
すいません。名前はわかるのですが、どのような主張をされていた方かちょっと思い出せません・・・。
>>551 銀舌居士さん
まず
>>551にレスする前に、根本的な誤解があるといけませんから、確認したいことがあります。
銀舌居士さんは、今現在でも、五重の相対は機能し、現代における宗教の分類と正邪を区別することができるとお思いですか?
そして実際、その結果「創価学会」は現代においては唯一正しい宗教であり、他の宗教を信仰すると不幸になると判断できる根拠になると思っていますか?
僕は、五重の相対が単に創価学会という宗教の中だけで信者が信じればよい、というものなのであれば、それはそれでよいと思っています。
それを用いて、他の宗教を信仰すると不幸になる、という主張がされれば、批判させていただこうと思っています。
銀チャンはまた戻ってくるだろうが、
いずれトンズラするなぁ。コリャ
>>579 ひゃっきまるさん
私もかなり前のことなので、どんな主張をして
対話していたか自分でも思い出せません。
>>579 ひゃきまるさん
私が言っているのは「五重の相対」「五時八教」の内容ではなく表現の表す手法なのです。
もし法華経が最勝ならば、トーナメントだろうがリーグ戦だろうが別に良いと思います。
現代においても他宗教との勝劣を比較検討するべきで、内容においては大いに議論すべきでしょう。
ひゃっきまるさんが法華経が他経に劣ると思うならばその内容を検討すれば良い話で、
「五重の相対」自体の意味合いを喪失する事ではないと思うのです。
仏説に従えない人々まで済度しようとするのが本当の仏教。
それを放棄して他経に譲っている時点で法華経が一乗ではないことを既に暗示している。
586 :
豪鬼:04/09/17 21:34:46 ID:???
ガカーインに瞬獄殺!!
>>584 マハーバイロさん
微妙に議論がすれちがっている気がするのですが、マハーバイロさんが積極的に五重の相対、五時八教の正当性を主張するつもりでないのでしたら、とりあえずこれにて終わりにしようと思います。
588 :
十証丸:04/09/18 03:42:53 ID:pur5aRDk
15年前に人の道を踏み外し、人生の裏街道を生きていた私のような
人間でも折伏して激励を重ねてくれた男子部(今は壮年部)のAさん
によって、この信心を知ることができ、そのとき(5年前)から私の
人生は180℃変わり始めました。
今は、一人の男子部員として、後輩達と苦楽を共に分かち合う日々
をおくっています。またどうしてもと請われて、断りきれずに中学校
のPTA会長としても頑張らせて頂いています。今まで知らなかった
自治会など地元地域の方々と親しく交流させて頂いており、気が付け
ば、ほとんど人付き合いの無かった自分に、今では内外問わずに大勢
の知り合いができ道を歩けばあいさつばかりしているような状態です。
大勢の方が私の顔を覚えて下さり気さくに名前を呼んでくれます。
この信心でこれほど人生が変わるものなのかと、怖くなるくらいこの
信心は凄いですよ。本当です。みなさんお互いの一面ばかり気にして
収拾がつかないと思います。一度冷静になってみてはどうでしょうか。
589 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/18 05:57:27 ID:salw1SJW
兄は一族とそこに関わる人達を脱会させました。
しかし現罰で平成7年、癌でその病院始まって以来の断末魔の
阿鼻叫喚の叫びうめきの中で死亡!
さらに妹も平成9年、癌で悶え苦しみながら死亡!
またついこの今月25日(1998・10・25)兄にそそのかされて脱会した
花巻の法王寺の元講頭がまた同じく癌で死亡したと報告がありました。
婦人部の体験発表から転載しました。
こういう発言もあなたは良いと?家族の死にもこれですよ。
これじゃあ世間も嫌うのは当たり前ですので。異常です。
>>585 同感。畢竟して法華経は全衆生を救済することは眼目にない。
だからどちらが正しいかはともかく、誹謗中傷して出ていった人間を
罵って批判はしても救済の手をいっさいのべない姿勢というのが学会に現れている。
仏教徒として慈悲憐憫を忘れ、他を非難する姿は
法華経を正しく理解してないことから起因しているといえるだろう。
これは折伏とは言わない。
高柳のババァの説法か。
なんであんな辛気くさいのが全国婦人部長なんかなったんだろうね。
顔には生命力が無く、声はくぐもって通らない。
学会員でも引くって(笑
>>589 よく分からないのが、
日蓮ご本人が癌らしき「やせ衰える病」で長患いの末に亡くなったのに、
日蓮系宗教は「功徳で病気が癒える、あるいは、病に罹らない」かのような発言をすることです。
最初から望みが破綻しているのに、なぜそこに望みをかけるのかが、理解出来ません。
題目をとなえるよりも、斉藤一人さんのように「ついてる」を繰り返したほうが、
よほど免疫力が上がると思うのですが。(あの人自体は嫌いなんですが・・・)
593 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :04/09/18 13:30:48 ID:LwtxPYOF
>>588 人の道を踏み外すようなこともなかったし、
裏街道を生きてきたわけでもない
ごく普通に育って、生活しておりますが
学会の信心などしなくても
大勢の知り合いはいます。
道で挨拶をすることなど、当たり前のことです
>>587 ひゃっきまるさん
同意です・・・了解しました・・・
もう少し的を絞った対話をしたいですね・・・
ところで、ひゃっきまるさんは現役?
1年位前に他の板で銀舌居士さんとの対話を読んだ記憶あったものですから・・・
2chの過去ログ読んでないもので・・・
もちろんこの質問はスルーで結構です。
595 :
阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/09/18 15:45:59 ID:RVKrapnX
日蓮は僧侶でした。
現代に生きるその弟子は日蓮正宗です。
破門された者どもが成仏することはありません。
>>595 阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ さん
大変参考になりますね。
「五重の相対を再構築させるべき」を読みましたがまさに同意です・・・
当時の簡易的な相対でしかないと思うのですよ。
現代に照らせば、ひとつひとつ比較して行かなければならないわけで・・・
これ、一生かかっても終わりませんね・・・
598 :
阿呆陀羅經 ◆A91q4BsXNQ :04/09/18 16:34:08 ID:RVKrapnX
599 :
589:04/09/18 17:30:04 ID:VZk32qB6
591さん
この方創価内で有名なんですか?
会員全員がああいう考えでないならいいんです。
もし全員が同じ考えなら大問題だと感じたまでで。
でもあんな恐ろしい発言する人が地位が高いなんてありですか?
釈迦って漢字で法華経を書いてたの?
それともマガダ語から法華経を翻訳したの?
どこから法華経は持ち出されたの?
日蓮はどこで法華経を手に入れたの?
妄想ではなく、学術的ソース希望
>>599 有名もなにも創価学会婦人部のトップです。
おおかれすくなかれ、バリ会員は同じような感覚でしょう。
私もなんであんな女が全国婦人部長をやってるのか不思議でなりません。
まあ、池田に気に入られたっつーことでしょうか。
602 :
十証丸:04/09/19 01:35:25 ID:VT7wZjTS
593>>
私の人間性を否定されたように思える屈辱的な発言と感じると共に
私の言い方も悪かったのかなと反省もしております。
私が申し上げたかったかったことは、ある平凡な学会員さんのお陰で私の人生は
生まれ変わることが出来たという事実だけです。
私はみなさんにただ感謝しています。誰も恨んだりしておりません。
誰かを恨みたくもありません。
ただ、もしここに来られる方々の中に、私の恩人のAさんのように
誰かの破綻した人生を軌道修正することを実践し、そしてその人に
心から感謝されている方がいらっしゃれば、是非その体験談を述べ
て頂けないでしょうか。
その後で初めて、私はみなさんのご意見を心から拝聴できる気持ちに
なれる気が致します。今は、みなさんがここで批判をされても何も共感できるものが
私にはなく、みなさんが「悪いこと」と言っていることをここで、みなさんご自身が
実践されているように思えて仕方がないのです。
>>595 阿呆陀羅經さん
リンクの内容についてはほとんど完全に同意です。日蓮の思想や日蓮、釈尊の現代における位置づけについても同意です。大変わかりやすく、明快に説明されているのに感心しました。
>>十証丸さん
僕は十証丸さんや他の学会員のかたがたの信仰を否定するつもりはありません。
また、信仰によって幸せになったと言うのは嘘ではないと思うし、信仰による人と人の結びつきには他のコミュニティにはない素晴らしいものがあるとも思っています。
まず、「アンチ」という枠組みで十把一絡げにした扱いはやめるべきであると思います。
人によってここに書き込んでいる意図はさまざまでしょう。
無礼なレスは無視するしか手がありませんが、もちろんここには話の通じる人もいますので、対話を試みてはいかがでしょうか。
コテハンを使っていて、言葉遣いがおだやかな人が無難だと思います。
根拠のない誹謗中傷をしているだけのように思えても、きちんとその人にはその人の考えと人生があり、それなりの理由があってそうしていることがわかるはずです。
あとは、書き込む内容はスレッドの主旨を理解した上で書き込んだ方がよいように思います。このスレッドは、創価学会の教義および日蓮の思想について議論するものです。
>>602 >私の人間性を否定されたように思える屈辱的な発言と感じると共に
>私の言い方も悪かったのかなと反省もしております。
いいえ、ちっとも悪くなんかありませんよ。
>>602 >十証丸さん
なんで、あのように書いたか解らないのですか?
人生をより良く生きる法は学会の専売特許ってわけじゃないからですよ
「学会なら、学会だから」ではなく「学会も」なんですよ
一つの方法でしかないものを、さも唯一の方法のように語られている
その傲慢さを批判したのです
PTA会長をなされているそうですから、いい年齢だと思いますが
学会を唯一絶対のものにしているのは、法華経でも教学でも日蓮さんでもなく
信じたあなた自身
すなわち、あなたが自らを唯一絶対のものだと思っているゆえです
>学会を唯一絶対のものにしているのは、法華経でも教学でも日蓮さんでもなく
>信じたあなた自身
>すなわち、あなたが自らを唯一絶対のものだと思っているゆえです
そう、そこがポイントですね。
宗教を問わず、信仰というのは実は「自らを唯一絶対のもの」としていることに気が付けば、
つまり自分の限界について認識があれば、「世界宗教者会議」のようなものも違和感がなくなる。
「日蓮」が長患いの末、病死したことを知って、それでも功徳があると盲信できる理由は、
実は信仰の対象となっているのは「この信仰が真理だ」と判断している「自分自身」だから、なのです。
なかなか気が付けないところなんですが。
「自分自身が神」になってしまうと、事実を指摘されても「失礼な!」という反応しか出来なくなる。
悲しい人間の性です。
人生を180度変えてくれた。といた意見発表する
新興宗教は数知れずあります。
オウム心理教(アーレフ)の信徒であってもそうでしょう。
人生が180度変わり良くなったと感じるのは事実ですし
創価学会だけに限らないと思います。
むしろそうでないと教団は続きません。
成仏したかったら財務汁
まあ!ウンコ宗教団体!
結局、日蓮は仏教を信仰していたのではなく、
「これが真理だ!」と判断した「自分の判断を神のごとく盲信した」、と言えないでしょうか?
そうでなければ、「自分の字」それもあの時代にあって下手な部類の自分の字を
意味ありげに配ったり、拝ませたりは出来なかったでしょう。。
相当な我の強さを感じます。
612 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ佛所 ◆IByKs72gR2 :04/09/22 01:42:30 ID:CWTK1azo
あはは。自我というかそういうのは強かったみたいなんだなぁ〜〜。
そういう強烈な個性をもつ人物に惹かれる、というのはよくあることですよ。
613 :
ひゃっきまる:04/09/22 01:44:07 ID:HVArWOBP
>>611 世界〜です。さん
>>595のリンク先の内容に目を通してみてください。
日蓮の人物像への見方が変わると思いますよ。
>銀舌居士さん
もう見ておられないのでしょうか? 他の創価学会の方も?
それより、
>>1のお邪魔の方が気になってたりする。
ひゃっきまるさん
597のページはサンスクリットにも詳しいですね。
掲示板にも顕正居士さんなど知識の高い方の書き込みもみられた。
脱会した方の主催のようです。
ただ、この批判は学会批判にとどまらず、すべての宗教に言えることではないでしょうか?
個人的には、正宗や学会は他宗派よりも真偽や未決に対しての態度に一歩遅れている感も致します・・・
もっとも、末端会員に開示しないだけかもしれませんがね・・・
教義を実生活に約すのが学会であってそれ以上ではないのでは?とも思っています。
本仏論に関しては軽々しい発言は控えます。私から見れば、日寛師も日朝師も
どちらも天才・・・
縁あってたまたま「別々」に出家したのだろうと・・・
ひゃっきまるさん。
あなたが示してくれたリンクを全部読みましたよ。
私が、法華経全部を読んで感じたこと、「大日蓮展」で感じたこと、
学会員に接して感じたこと、学会葬に出席して感じたことと、何ら違和感ありません。
書いてあることは、「普通であり、あたりまえのこと」として受け止めましたよ。
でも、日蓮さんに対しての私の見方は変わりませんが・・・あなたは何が言いたかったのですか?
617 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/23 01:03:52 ID:4CfLt+DK
世界〜は読解能力が低そうだからなあ
>>617 「自分の主張が認められない=相手の読解力が低い」ということにはなりませんよ。
自動販売機などで、どーれーにーしーよーうーかーな?にーちーれーんーさーまーのーいーうーとーおーり!
って言って貴様の欲しい品などを選べ
ゴラ゛アァーー!!!!
長患いで病死した日蓮さんの言うとおりにしたら、
きっと欲しくない品物が自動販売機から出てきてしまうでしょうね。。
お金が詰まって出てこなくなるかも・・・。
財務をしても、功徳が肩透かしになるのと同じですね(笑)。
壊れた自販機と間違った信心は、ちょっと似ているかもしれません。
622 :
ひゃっきまる:04/09/23 22:09:05 ID:uGivE55g
>>615 マハーバイロさん
>ただ、この批判は学会批判にとどまらず、すべての宗教に言えることではないでしょうか?
かならずしも「全て」ではないと思います。普遍的な教えは時代を超えて残るものだと思います。
また、時代状況を考慮に入れたら教えを根本的な部分から見直さざるを得なくなるような教えは、それがオカルト的なものを含んでいるからのように思えます。
>教義を実生活に約すのが学会であってそれ以上ではないのでは?とも思っています。
そんな難しい(というかややこしい)話ではありません。間違っているものは間違っている、というだけの話です。
そして、間違った教義を根本にした信心では不幸になる、というのが昔からの創価学会の主張です。
623 :
ひゃっきまる:04/09/23 22:25:46 ID:uGivE55g
>>616 世界〜です。さん
リンクの内容を読んでくれてありがとうございます。
読んで意見が変わらなければ、それはそれでかまいません。
僕はてっきり、世界〜さんが創価学会を通して日蓮を見ているので、日蓮が実際どのような人物だったのか、という点に関して誤解があるのかもしれない、と思ったのです。
>でも、日蓮さんに対しての私の見方は変わりませんが・・・あなたは何が言いたかったのですか?
すでに了解済みのことだと思いますが、
「日蓮は自分を仏などと思っていなかったし、また自分を拝めなどとも言わなかった」
「日蓮の主張の本筋は、釈尊への信仰に還れ、ということだった」
「日蓮は宗祖といえるほど独自の思想を打ち立てたわけではない」
これらのことが僕の言いたかったことです。
日蓮は病死したそうですが、仏ではないのだから不思議でもなんでもないわけです。
生きている間も殺されそうになったり、流罪にあったり、さんざんひどい目にあっていて、それは前世で法華経を誹った報いを受けているのだ、と自分で言っているのですから。
死ぬときも苦しんだのは日蓮にとっては当然のことだったのでしょう。
624 :
十証丸:04/09/24 00:46:19 ID:vfRyNMV6
>>ひゃっきまるさん
>あとは、書き込む内容はスレッドの主旨を理解した上で書き込んだ方がよいように思います。
>このスレッドは、創価学会の教義および日蓮の思想について議論するものです。
確かに、私の発言はこの掲示板の趣旨にそぐわない内容であったかもしれませんが、
上記の「創価学会の教義」と「日蓮の思想」について議論したと信じて、これまでに誰が
どのように幸福になれたのでしょうか。
ここで、誰かが「創価学会の教義」をコネクリまわして、ハイ判りましと教義が変わる
と信じている人はまず居ないでしょう。
ここで、学会の教義を基として、新たな信仰の教義が生まれるのでしたら、もしもその
信仰によって誰かが幸福になれるのでしたら、あなた達の議論は永遠に称えられるでしょ
うが、私は今までの内容を拝見していましても、未だそんな期待を抱く気にはなれません。
ここへ来られる方は、一体誰を幸福にしようと考えていらっしゃるのでしょうか。
また、誰を幸福にすることが出来た方なのでしょうか。
>生きている間も殺されそうになったり、流罪にあったり、さんざんひどい目にあっていて、それは前世で法華経を誹った報いを受けているのだ、と自分で言っているのですから。
>死ぬときも苦しんだのは日蓮にとっては当然のことだったのでしょう。
なるほど、そうすると日蓮の考えは、
「前世が悪ければ、この世で正しい信心したとしても、苦しんで死んでいくのがあたりまえ」
ということになりましょうか?
「前世」という悪しき架空の考えのおかげで「自分にまで罪のヌレギヌ」を着せているとすれば、
なんとも仏教というものは、救いのないものに感じます。
「自分の過去生の罪をでっちあげて、その上、現世で解決できない」
のでは仕方がないではありませんか。
長患いで病死された日蓮さんは、結局、その信心では救われなかったのでしょうね。
627 :
ひゃっきまる:04/09/24 01:04:05 ID:RXJafbFZ
>>625-626 世界〜さん
僕は日蓮の信仰姿勢については何とも言えません。
単に、世界〜さんが日蓮という人間像について誤解をしているとしたらそれを直したいというだけですから。
日蓮は頑固だったかもしれませんが、傲慢な教祖というよりは、愚直な一僧侶だったということです。自分の不遇を教えにではなく、自分の罪に求めるほどに。
628 :
ひゃっきまる:04/09/24 01:27:47 ID:RXJafbFZ
>>624 十証丸さん
>私は今までの内容を拝見していましても、
十証丸さんは嘘をついています。もしくは、書き込み内容を真剣に読んではいないということです。
十証丸さんが自分の考えを他人に理解してもらいたいと思うのと同様、他の人も同じように思って書き込んでいることを忘れないで下さい。
十証丸さんの強い思いは伝わってきますが、他人の考えや思いを理解しようという態度でなければ、いつまでも対話はすれ違い続けると思います。
やや繰り返しの内容になりますが、反論、意見をしたいのであれば、特定のレスもしくは特定の人に対するものにしてください。
ここのスレの内容そのものだとかいうのは大雑把すぎるし、そもそも失礼だと思いませんか。
それぞれの人がそれぞれの思惑でかきこんでいることですから。
以下からはあくまで僕の考えとして書きます。
629 :
ひゃっきまる:04/09/24 01:28:39 ID:RXJafbFZ
>>624 十証丸さん(つづき)
>上記の「創価学会の教義」と「日蓮の思想」について議論したと信じて、これまでに誰がどのように幸福になれたのでしょうか。
誤った信仰によっては不幸になるというのは創価学会の主張です。
教義について議論することそのものが否定されるのはおかしいと思います。
創価学会では教義の是非について議論することをよくないこととしているのですか?
>ここで、誰かが「創価学会の教義」をコネクリまわして、ハイ判りましと教義が変わると信じている人はまず居ないでしょう。
創価学会が教義をすぐに変えるとは思いませんが、創価学会が誤った認識をしているということは明らかになるでしょう。
>ここへ来られる方は、一体誰を幸福にしようと考えていらっしゃるのでしょうか。
>また、誰を幸福にすることが出来た方なのでしょうか。
何度もいいますが、僕は創価学会の全てを否定するわけではありませんが、狂信的なところがあると思っています。
具体的には、他宗教を信仰すると不幸になる、という主張です。
これは、例えば強引な布教方法を正当化するとか、内部の信者を恐怖心で思考停止の状態に追い込むとか、他宗教への怒り・憎しみを正当化するとかいう問題を引き起こしていると思います。
「誰を幸福にすることが出来た」と問うのは傲慢ではありませんか?
まるで創価学会だけがそれをしてきたとでもいいたげですが、誰でも誰かと関わり合いながら生きているし、僕も自分と関わる人間を幸せにしようと生きています。
一個人が誰かを幸福にするなどという大層なことはできないかもしれません。
誰かを幸福にするなどという新興宗教特有の傲慢さは危険だと感じます。
会員個人の問題としてきり捨てられている様々な問題、これは個人の資質の問題ではなく
組織によって意図的に引き出された行為であるとともに、創価学会という社会問題を
頻繁に引き起こす団体の根拠は正しいかという論点を考察する上で重要です。
良い人がいるから=正しい というのは他のカルト系信徒でも共通することですし
むしろそこが論点ではないと感じます。
>層化では教義の是非について議論することを良くないこととしているのですか?
池田教では「教義についての裁定は会長がこれを行う(意趣)」と会則で
決められてるんじゃなかったっけ。池田等三代会長のDQNトリオの
問題発言(差別発言・エセ哲学...etc)に頬被りして知らんプリを決め込む格好だ。
そのような池田教の中で会員は、上意下達システムで思考能力を奪われるもの、
或いは、自己を肯定するためにご都合主義的な行き当たりばったりの
解釈でわかったつもりになっているものなどしか残らず、
結局、社会に迷惑な存在にしかならない。
青年3級の教材から、
『弘安二年十月十二日』の文言が消えた。
>日蓮は頑固だったかもしれませんが、
>傲慢な教祖というよりは、愚直な一僧侶だったということです。
>自分の不遇を教えにではなく、自分の罪に求めるほどに。
このあたりの見解が、かなり私と違いますね。
@「題目」という「ナムアミダブツ」の変奏曲を作り出し(対向意識でしょう)、
A「他教を排斥する」という「自らを神のごとき判断力を持つもの」との過信を暴露し、
B「自分の不遇を教えにではなく、自分の罪に求めるほどに」
・・それほどに、それほどまでに、傲慢だったのです。
「愚直」で「忠実」であろうとしたまでは良かったが、
自らが得た結論を、その結論を得た自分を「神のごとく盲信した」のです。
音楽の喩えでお話しましょう。
「クラシック好き」がいる「ジャズ好き」がいる「ロック好き」がいる。
それぞれ「100%の好き」の気持ちを持っています。
普通は「世界著作権会議」で、何の違和感も無く集ってお話が出来ます。
ところがそこに、とんでもない「パンク好き」が現れて、
「世界一素晴らしいのは、パンクだ!他の音楽は劣っている、下らない!」
そう言い出して、他の音楽家を排斥し始めたとします。
これが、日蓮です。
世界には、その風土に合った、思想・宗教があります。
南の島のエメラルドグリーンや太陽の陽光と、
「正座して習字を拝む宗教」はマッチしません。
様様な宗教は、人間に与えられた恵みであり、
それぞれの恵みを尊重するべきです。私はそう思います。私は。
>>634-635 まあ、歴史上の人物の評価がいろいろにわかれるのは自然なことだと思います。
ただ、史実に関して誤りがあってはいけないと思いましたので。
たとえば、日蓮はただの一度も自分を仏だなどと言ったことはありません。この事実は重要と思います。
>>637 それはそうですよ(笑)。
「私は神だ!」「私は仏だ!」そう言い出したら、
精神科の患者ですよ(笑)。
ただ、ここで言っておきたいのは「日蓮的なる」感覚を持った人は、
「世界宗教者会議」のようなものに違和感を持つんです。
音楽の喩えのところで書きましたが、
「100%の信心」と「他教を同等に尊重すること」は全く矛盾しない。
>>638 >「100%の信心」と「他教を同等に尊重すること」は全く矛盾しない。
同意。
640 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/24 19:37:11 ID:8gMDthx8
>>634はなにを言ってるのかわからんぞ。
学会員に祭り上げられてるだけかもよ。
それをたたいて、なにか意味があるのか?
>>635 日蓮って、その昔、たしかにそういうところはあったらしい…
まあ、こっちについては、史実は史実だな。
つまり、日蓮が祭り上げられてるってこと。
642 :
乾闥婆:04/09/25 00:15:20 ID:vf5JLOX2
>>634 >@「題目」という「ナムアミダブツ」の変奏曲を作り出し(対向意識でしょう)、
行法の易行化というのはむしろその時代の要請ではなかったでしょうか。南無
阿弥陀仏が庶民に浸透していったように法華信仰を浸透させるための方法とし
て題目を見つけだしその信仰の中心においた。そのことがなぜ傲慢であるので
しょうか。
>A「他教を排斥する」という「自らを神のごとき判断力を持つもの」との過信を暴露し、
日蓮は五時八教の教判に基づいて法華最勝を見出したのであって、自分の「神
のごとき判断力」で「他教を排斥する」などとは日蓮は考えていなかったと思
いますが。
B「自分の不遇を教えにではなく、自分の罪に求めるほどに」
・・それほどに、それほどまでに、傲慢だったのです。
日蓮にとって法華経を広めている自分に諸天の加護がないことは不思議であっ
たのですね。そこを突き詰めて考えて、不軽菩薩の姿などを法華経に見出す。
「数数見擯出」といった言葉も見出す。過去において法華誹謗の罪が自分には
あるのだと思う。過去世の業をいま膿を出すように軽く転じて出しているのだ
と思う。そのような受難を喜びであるとさえ言う。・・・傲慢というのとは違
うのではないですか?
たとえば
>>625のあなたの捉え方というのはひどく間違っていると思います。
日蓮が前世での業ゆえに難にあうと捉えているのは、決定的で動かし難い宿命
のようなものと捉えているのではなく(そのような虚無主義ではなく)、法華
経をひろめることによって、その過去世の業をすべて吐き出し、<今>をより
強く主体的に引き受けて生き抜いてゆく、という覚悟であるはずです。
>>638 世界〜さん。
あげ足とりかもしれませんが、釈迦は「私は仏だ!」と言った実在の人物ですね。
仏教では覚りを開いた人間を仏陀と呼びます。釈迦の弟子たちも覚りを開いたということですから、彼等も仏ですね・・・。
仏教は仏に成ることを目的とした宗教ですから、誰も仏に成れないとしたら逆に変なんです。
>音楽の喩えのところで書きましたが、「100%の信心」と「他教を同等に尊重すること」は全く矛盾しない。
全く同意なんですが、実は法華経のテーマがそれであると僕は思っています(三車火宅の譬え、三草二木の譬え、など)。
それぞれの人に合った様々な教えがあり、それぞれが正しい、ということを表現しているように思います。
無論、日蓮宗や創価学会とは違う解釈ですが。
>>642 乾さん
お久しぶりです。お元気でしょうか。
645 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :04/09/25 02:28:28 ID:4iSoKltQ
>>642 >乾さん
100%さんが間違っているって言うのはなんか違うような気がします。
人の評価など、人によって変わるものです
ただ、情報が間違っているか、言葉を間違って理解している可能性はあります
ちょっとオーバーな表現が多いですしね
>>643 >ひゃっきまるさん
仏というものも、言葉として捉えられない物に被せた名ですから
簡単に仏に成るということをイメージすることは難しいのではないでしょうか
仏教は仏に成ることを目的とした宗教ですが、誰も仏には成れないし、すでに仏である
仏とはこの矛盾と感じられるものが矛盾ではないもの
即心即仏=非心非仏
>>645 Sbさん
仏や覚りが何であるかは、時代により、宗派により、人により、様々でしょう。
十証丸さん
導いて更正してくれた恩師のいる学会が間違いなわけがない
活動はすばらしく日々充実している世の中に貢献している
と感じ、他のスレッドを色々と見回して、被害妄想的に考えて
しまうのは分からなくもないですが
話し読んで創価学会が変わるとか、誰かを救ってやろうとか、
そんなこと考えて書き込んでいる分けではないと思いますよ。
ある人にとっては過去の総括、自分が感じているもやもや、
ここで整理している。 そんな感じのスレッドです。
共産党やニッケン宗の人間が、学会攻撃のために書いているのではなく
みんな自分の思うように書いていて、ある人にとってはマインド・コントロール?
ある人にとっては呪縛を解く作業(自己整理)をしているのたと思います。
学会を離れた人は、誰も助けてくれません。また学会員に攻撃される筋合いもない
自分の力で考え整理しているという面もあります。
少なくとも知恵をもったかたの書き込みを目にすることがありますので
ROMしているだけでも、学会内部で教えられている教えの浅墓さが分かるでしょう。
これは、参加していない多くROMラーにとっても何らかの助けになっていると思っています。
>>624 十証丸さん
私も学会員ですが、
「創価学会の教義」とは何を指すのでしょう?
連祖師を正宗は飛躍的に解釈して、学会は正宗をさらに超飛躍的に解釈したのではないかと思いますね。(良し悪し別にして・・・)
現在の学会の教義とは、「大善生活」「幸福製造機」「人間革命」やら「宿命転換」「宇宙生命」etcではないかと思うほどです。
実際、学会員は仏法対話と称してこの手の話をするのがほとんどではないでしょうか?
十証丸さんも、「創価学会の教義」と「日蓮の思想」と相分して表記していますよね・・・
このスレで表記する十証丸さんの「学会の教義」とは?
〔釈迦が説く・方便が後・蓮華経〕
〔法華経は・後世人の・創作文〕
〔南無をつけ・勤行作詞の・日蓮さん〕
>>642 >
>>634 > >@「題目」という「ナムアミダブツ」の変奏曲を作り出し(対向意識でしょう)、
>
> 行法の易行化というのはむしろその時代の要請ではなかったでしょうか。南無
> 阿弥陀仏が庶民に浸透していったように法華信仰を浸透させるための方法とし
> て題目を見つけだしその信仰の中心においた。そのことがなぜ傲慢であるので
> しょうか。
ここは傲慢ということじゃなくて「パクリ」だということをいいたかったのでは?。
> 日蓮にとって法華経を広めている自分に諸天の加護がないことは不思議であっ
> たのですね。そこを突き詰めて考えて、不軽菩薩の姿などを法華経に見出す。
> 「数数見擯出」といった言葉も見出す。過去において法華誹謗の罪が自分には
> あるのだと思う。過去世の業をいま膿を出すように軽く転じて出しているのだ
> と思う。そのような受難を喜びであるとさえ言う。・・・傲慢というのとは違
> うのではないですか?
法華経を広めている自分に諸天の加護がないことは、過去において法華誹謗の罪が
自分にはあるのだという考え方は「前世」のせいにしてるってことですね。
当時の日蓮は「今の自分に問題がある」とは考えなかったんですね。
>>646 >ひゃっきまるさん
様々であり、1つであります
概念として捉えられるものではない
それこそ、悟るしかないのだと思っています。
言葉ではどうしても掴めないものを掴む方法が悟なのかもしれません
>>654 Sbさん
Sbさんの説明は非常に「禅」的な仏観ではあると思いますが、やはり仏というのは人によって様々だとしかいえないと思いますよ。
656 :
乾闥婆:04/09/26 00:05:47 ID:parBNauz
>>644 ひゃっきまるさん。
お久しぶりです。気が向いたときに「ブッダとは関係なさそうだ」スレッドに
つまらないことを書き込んだりしています。
>>645 Sbさん。
そうですね。傲慢と映るかどうかは人によって様々でしょう。しかし傲慢の根
拠として上げた三点は違う、と思いました。
>>652 傲慢であると判断する理由として三つあげているように読めましたので。
>当時の日蓮は「今の自分に問題がある」とは考えなかったんですね。
そうでしょうね。日蓮は「正法」を広めていると確信していましたから、自分
の行為に問題があるとは考えなかったでしょう。「正法」を広める自分を迫害
する側こそ問題があると考えていたのだと思います。
>法華経を広めている自分に諸天の加護がないことは、過去において法華誹謗の罪が
自分にはあるのだという考え方は「前世」のせいにしてるってことですね。
前世の「自分の」せいにしているということですね。
『対機』や『縁起』無くして猪突妄信はカルトだ罠
だから嫌われる。
乾闥婆さん。
当時、「南無アミダブツ」が巷を席巻していたわけですよね?
それ以外に、「南無〜」を唱えると成仏する、という宗教は他にあったのでしょうか?
「南無観音様(笑)」とかね。
当時、流行していた一部を改変して、「南無〜」という形をとったのは、
明らかに「対向意識」から来るものだったと思います。
現代でも、フレーズを「パクって」、開き直って流布していれば、
「傲慢」という評価になるでしょうね。(さすがに流罪にはならないでしょうが)
乾闥婆さん。
>日蓮は五時八教の教判に基づいて法華最勝を見出したのであって、
>自分の「神のごとき判断力」で「他教を排斥する」などとは日蓮は考えていなかったと思
いますが。
そのとおり、考えていなかったと思います。つまり、気が付いていなかったのです。
「法華最勝」を見出すのは個人の勝手ですが、
他教を排撃するのは、「自らを神とする」ことなのです。気が付いていなくとも。
前に挙げた音楽の例。
「クラシック最勝」を見出すのは個人の勝手ですが、
他のジャンルの音楽を排撃に出るのは、他人の判断を尊重していないということです。
「自分の判断」を「他人の判断」より、100%尊重しなければ、
つまり「自分の判断」を神のごとく尊重しなければ、他教排撃は出てきません。
>過去において法華誹謗の罪が自分にはあるのだと思う。
>過去世の業をいま膿を出すように軽く転じて出しているのだと思う。
>そのような受難を喜びであるとさえ言う。
>・・・傲慢というのとは違うのではないですか?
「過去世の業がある」などと、自分の過去を「でっちあげて」悦に入っているのは日蓮さんの勝手です。
過去世そのものが「でっちあげ」なのはもちろん、
「その過去世で悪い事をした」のは、2重の「でっちあげ」です。
自分が苦しむのは勝手だが、それを広めて信者を「SF過去世」で苦しめ、
自分も信仰の甲斐なく病死し、他人様の宗教を排撃する。
これが「傲慢」でなくてなんですか?
661 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :04/09/26 12:21:13 ID:7yw/Kzjj
>>655 >ひゃっきまるさん
様々なのです、そんで、その向こうではひとつ
どっちかではないのです、同じことなのです
禅的な見方というより、仏教的な見方なのです
あまり歴史詳しくないので申し訳ないが
当時専修念仏は、仏教各派より批判されていて、幕府に訴えられていた。(興福寺からなど)
奈良の方では既に禁止命令で・・・弾圧されていた。
幕府から日蓮は一応「由緒ある天台」の一派程度に思われていたのじゃないかな。
「対向意識」という部分否定しないが・・・
念仏の方が「新興勢力」で日蓮の方が「過激原理派」
「対向意識」からパクる必然性もないように思います。
663 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :04/09/26 12:33:46 ID:7yw/Kzjj
>>658 ありますよ、南無観世音菩薩、ノウマクサンマンタバサラタンカン
南無八幡大菩薩などというのもあります
形を取ったのではないのです、サンスクリット語の「on」帰依しますという意味です
法華経に帰依します、というのはパクリでもなんでもないですよね
中途半端な仏教知識で批判するのはいかがかと思いますよ
ちなみに南無阿弥陀仏のサンスクリット読みは
オン アミリタテイゼイ カラ ウン となります
でも「念仏無間」はちょっと言い過ぎだよな。
言われる方は腹が立つだろうよ。
報復されてしかるべし。
五時八教も五重三段も、もともと天台からなのだから、
100%他人の意見を尊重してますね(笑
慈覚大師(円仁)は、最澄の弟子で、彼も唐に渡り、天台密教の基礎を築き、法華三昧・常行三昧も導入しました。
第3世天台座主。最澄→円仁→源信→良忍→叡空→法然と、大乗菩薩戒が伝授されています。
日蓮は誰から大乗菩薩戒を伝授されているのだろう。。。
まさか、パクリじゃないよな。
>663
同意。
>>661 Sbさん
仏教全体を一貫した一つの教え(この場合ですと、「覚り」とは何か)でとらえられる、とする考え方に僕はかなり懐疑的です。
例えば、中国で考えられた三宝印、四宝印なるものがあります。
これで仏教と仏教以外を規定できれば便利なのですが、これに該当しないものも多くあるように思います。
それらを似非仏教として排斥しよう、というのも何か違うと思います。
>>654のSbさんの説明は、「仏」を説明するものというより、この世のあらゆる概念にあてはまるように思いました。
例えば、「熱い」という感覚はそれを体験した人しか分かりません。
「熱い」という感覚は言葉では伝えられず、経験してもらうしかありません。
ある人にとっての「覚り」が、他人にとっては、それは「覚り」ではない、ということもありうるし、どちらが正しいか、というのを誰が裁定するのでしょうか。
釈尊の時代の頃の「覚り」とは、もっと素朴なものだった可能性もあります。
ある種の身体的な感覚であったかもしれません。
仏が神格化され、仏がもっと哲学的な意味で解釈されるようになった時代のものと同じであるとも言い切れないと思います。
更に、「覚り」とは仏教だけではなく、インドに昔からある伝統的な宗教観です。
六師外道が説いていた「覚り」と釈迦の「覚り」にはどのような違いがあり、また現代に続く仏教は全て釈迦の「覚り」を一貫して守ってきているのでしょうか。
「その向こうは一つ」とおっしゃるSbさんの言葉は、法華経の三乗一乗の思想に通じるものがありますから、僕個人としては好きです。
しかし、それを保証するものが何一つない以上は、それは「理念」以上のものではないと思います。
668 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :04/09/26 15:35:49 ID:7yw/Kzjj
>>667 ひゃっきまるさん
仏教とは何かということですね
私は四苦八苦とどのように向き合うかだと思います
逃げることはできない、今の意味でのあきらめてはいけない
四苦八苦と向き合ったときに見えるものが仏
その状態が悟り
大幅に端折って乱暴な帰結ですが(笑)
>
>>654のSbさんの説明は、「仏」を・・・
熱いという経験をした人ならば熱いという言葉で伝わりますよね
であるから、悟る必要があるのではないでしょうか
>ある人にとっての「覚り」が、他人にとっては、・・・
というよりは、同じ経験をしても結果が違うものになるのです
熱い物を触れば、大概熱いのですが、
公案を読んでも、同じようにはならない
そして、同じかどうかを検証することもできないのです
釈尊拈華に答えを求めることはできないのです
>しかし、それを保証するものが・・・
いえ、私が言いたいのは、どちらかだけでは不十分であるということだけです
様々であることを提示するならば、その反対の一つも併記しなければ片手落ちになってしまうのです
>>668 Sbさん
よく分かってもらえなかったようですが、このスレッドでこの件に関してこだわるつもりはありません。
仏がなんなのか、というのは僕の中でもいろいろ変化していますね。最近は、「大人」ってことじゃないかな、などと思っています。
Sbさんは覚った経験がおありなんでしょうか。
Sbさん、どうもありがとうございます。
>念仏の方が「新興勢力」で日蓮の方が「過激原理派」
>「対向意識」からパクる必然性もないように思います。
念仏を攻撃しておいて、「題目」という名の念仏を作ったあたりがアサマシイと思うのです。
唱えれば救われるという「易行道」の形式からみると「同じ穴のムジナ」に感じるのですが。
「易行道」って「原理主義」なんですか?ただ繰り返し唱えれば良いという形は仏教の「原理」ですか?
>法華経に帰依します、というのはパクリでもなんでもないですよね
>中途半端な仏教知識で批判するのはいかがかと思いますよ
「南無」がサンスクリットから来ているのは岩波文庫版法華経の解説で読みました。
ただ、繰り返し唱える文句として、経典から言葉を切り出して
「南無〜」をもってきたのは昔からではないのではありませんか?
トンチンカンなら申し訳ありませんが、ブッダが特定の「南無〜」の一言を繰り返せとは言っていませんよね?
返事が遅くなってしまい、すみませんでした。
>>560 >儒教については言ってますよね。「過去・未来を一分もしらず」って。
>まあ因果を弁えないという枠の中で言っているようだけれど。
内外相対で外道として挙げられているバラモンは三世を説いているのですから、
過去未来を説いていないものが外道であると大聖人が考えているとは言えません。
ということです。
>ということは大聖人は阿含部の原意を意識して大小相対をされたって言うことですか?
いえ、意識はしていません。
大聖人はどっぷりと当時の見解にそって解釈し、判断されていると思います。
返事が遅くなってしまい、すみませんでした。
>>580 >今現在でも、五重の相対は機能し、現代における宗教の分類と正邪を
>区別することができるとお思いですか?
私は「五重の相対」は現代でも道標になると考えています。
「五重の相対」は大聖人の思索の流れそのもの、生き方そのものでもあり、
大聖人が導き出した、宗教や思想を比較・検討するうえでの規範・原理の一つ
であると言えます。
ひゃっきまるさんが指摘するように、大聖人が根拠とされている事柄は現代において
証拠としては認められませんので、客観的・物質的な根拠とは成り得ませんが、
しかし「五重の相対」で示されている事柄をコト的に捉えるならば、
原理としては現代でも機能すると私は考えています。
>そして実際、その結果「創価学会」は現代においては唯一正しい宗教であり、
>他の宗教を信仰すると不幸になると判断できる根拠になると思っていますか?
上記のように「根拠」にはならないと考えています。
>僕は、五重の相対が単に創価学会という宗教の中だけで信者が信じればよい、
>というものなのであれば、それはそれでよいと思っています。
>それを用いて、他の宗教を信仰すると不幸になる、という主張がされれば、
批判させていただこうと思っています。
「五重の相対」を即物的・教条主義的に信じるのはダメだ、
という意味であるのならば、それは私も同意します。
日蓮の教えがよいと思うのであれば日蓮正宗が正当だな。
人間を革命するなど外道の業。
>私は「五重の相対」は現代でも道標になると考えています。
私はならないと思います。
「比べること」自体が、子供じみた、心無い行為だと思います。
統一教会も同じように、他の宗教と比べて「やはり統一原理は優れている」という本を出していました。
宗教比較は、「比較をした主体たる宗教」が勝つことになっています。
「五重の相対」は日蓮さんが主体ですから、主体が正しい結論になるのみです。
でも、どんな論理を展開しても、功徳なく病死してしまっては、
説得力のカケラも残らない、と私は思います。
>>673 銀舌居士さん
お忙しいところお返事ありがとうございます。
はっきりとお答えいただけなかったようですが、創価学会は今でも他宗教を信仰すると不幸になる、という主張をしており、それが教義となっているのだろうか、というのが僕が最も問いただしたい点なので、その点にこだわって質問させていただきます。
まず、僕が昔創価学会で五重の相対、五時八教を習った時には、「現代においてはどうなのか」という点について全く教えられませんでした。
それどころか、まるで鎌倉時代に考えられたこれらのことが現代でもそっくりそのまま通じる、というように習いました。
今でもそう信じている会員はほとんどだと思います。
このことについて銀舌居士さんはどのようにお考えですか?
>しかし「五重の相対」で示されている事柄をコト的に捉えるならば、 原理としては現代でも機能すると私は考えています。
例えばその「原理」を用いて具体的に、「キリスト教」「スッタニパータ」「般若経」「日蓮宗」はどのように「創価学会」より劣っており、信仰すると不幸になる、と言えるのでしょうか。
ぜひ実演していただきたく思います。
人間革命は日蓮の思想なのかと小一時間(ry
>>565 >ブッダの業論は果から因が遡及的に認識されうるものとしてのそれであり、決定論的に
>考えると誤解の元です。不共業や共業などの複雑多岐に亘る探究がなされていますよ。
しかし残念ながら、決定論的に誤解を重ねてきたのが仏教の歴史でしょう。
当然ながら決定論的には私も考えておりません。
不共業・共業について私はよく知りませんが、何か違和感を感じます。
詳しく解説されているサイトを御存知ならば教えて戴きたい。
>目測から誰もが類推できる範囲内のことしか申していませんが。
>現象ならぬ一体何のことでしょう?
私は大根をおろしている間の瞬間を切り取って言っていたのですが、
あなたが言っているのがそうではないということは理解しました。
私は先に「「因果倶時」とは一念に因と果が具足すること」と述べていますが、
一念は瞬間の生命であり、目測ではわからないこと、理論上のことです。
> >「因果倶時」とは一念に因と果が具足することであり、それとは全く異なる。
>「全く異なる」のであればそもそも喩例には使用不可能でしょうに。
「それ」が指すのは因中有果説です。
>その「一念」なるものに一切が具わっているという思想はこれはもう佛教版因中有果説、
>サーンキヤ哲学たる本覚思想ですな。末法思想と並んで佛教を腐敗させる元凶でしょう。
一念というものをなにか勘違いされていると思います。
本覚思想は後世の人間が作り上げたものであって、一念三千説とは異なります。
ひゃっきまるさん。
>全く同意なんですが、実は法華経のテーマがそれであると僕は思っています(三車火宅の譬え、三草二木の譬え、など)。
>それぞれの人に合った様々な教えがあり、それぞれが正しい、ということを表現しているように思います。
>無論、日蓮宗や創価学会とは違う解釈ですが。
私の法華経の読後感からすると、ひゃっきまるさんの解釈より、もっと法華経は偏狭です。
法華経信者に、選択の余地はないですよ。「法華経に疑いを生じれば地獄行き」なのですから。
「芸人と交わるなかれ」とまで言う偏狭さの中に、おっしゃるような「心の広さ」はないですよ。
現代になってから、法華経をネタに解説業をされている宗教者が、
意味を現代風に「広く」解釈しているのだと思います。
すぐに書き込めませんが、法華経の「偏狭な」思想は、枚挙に暇が無いでしょう。
(法華経論のスレにさんざん法華経から転記したのを覚えておいでですか?)
>>679 世界〜さん
法華経は現代ではあくまで物語として読むべきものであり、フィクションでありますから、感想は人それぞれでよいと思いますよ。
僕が読み取ったものと、世界〜さんが読み取ったものが違うというだけのことです。
法華経の一字一句を正しいと思って信仰しているわけでもありませんし。
古典は「いいとこ取り」「自分なりの解釈」で全然かまわないと僕は思っています。
どこからが解釈の部分なのか、飛躍しすぎてはいないか、ということを意識する必要はあるかと思いますが。
時代状況を考慮しようにも、我々は実際昔の人ではないのですから、想像にも限界があります。
しかし僕の解釈はけっこういい線いっていると思うのですが。
法華経には繰り返し、「多様性」と「普遍性」が対比されたテーマが出てきます。
他の方はどう感じるでしょうか。
681 :
乾闥婆:04/09/26 22:04:45 ID:+jJp+k90
>>658 題目自体は日蓮以前からあったようです。日蓮の創作ではないでしょう。しか
し口称念仏としての題目は確かに日蓮のオリジナルでしょう。そこに念仏への
対抗意識がうかがわれるのは当然でしょうね。五時八教の教判による日蓮にと
って浄土教などに法華信仰が負けてはいけなかったわけですから。帰依する対
象が違えば念仏と題目は自ずと違うものでしょう。パクリであるとかないとか、
そもそも問題ではないと思いますが。ましてや傲慢であることの理由にはなり
ませんね。
>>659 >そのとおり、考えていなかったと思います。つまり、気が付いていなかったのです。
考えていなかったことについてどう気付とおっしゃるのですか?
>「法華最勝」を見出すのは個人の勝手ですが、
個人の勝手ではなく五時八教に基づいて見出したのです。
>他教を排撃するのは、「自らを神とする」ことなのです。気が付いていなくとも。
それはあなたの「思い」であり「希望」なのでしょう。日蓮は「自らを神とす
る」ことなどありませんでしたでしょう。
682 :
乾闥婆:04/09/26 22:05:33 ID:+jJp+k90
>>660 >「過去世の業がある」などと、自分の過去を「でっちあげて」悦に入っているのは日蓮さんの勝手です。
過去世そのものが「でっちあげ」なのはもちろん、
「その過去世で悪い事をした」のは、2重の「でっちあげ」です。
日蓮は経典や自身の経験に基づいて自己の業を類推したのであって、「でっち
あげ」などと悪意を持って言われるような判断をしたのではありません。あな
たは現代社会に生きる人間の常識から中世に生きた日蓮を詐欺師まがいのよう
に言いますが、当時を生きた日蓮の心の内をまったくうかがい知ろうともして
いません。あなたの言っていることはほとんどいいがかりです。
>自分が苦しむのは勝手だが、それを広めて信者を「SF過去世」で苦しめ、
自分も信仰の甲斐なく病死し、他人様の宗教を排撃する。
これが「傲慢」でなくてなんですか?
まず、当時SFなどという概念はありません。業の捉え方については再度私の
文章を引用します。もう一度よく読んで下さい。
引用
たとえば
>>625のあなたの捉え方というのはひどく間違っていると思います。
日蓮が前世での業ゆえに難にあうと捉えているのは、決定的で動かし難い宿命
のようなものと捉えているのではなく(そのような虚無主義ではなく)、法華
経をひろめることによって、その過去世の業をすべて吐き出し、<今>をより
強く主体的に引き受けて生き抜いてゆく、という覚悟であるはずです。
683 :
乾闥婆:04/09/26 22:06:23 ID:+jJp+k90
>>670 >「易行道」って「原理主義」なんですか?ただ繰り返し唱えれば良いという形は仏教の「原理」ですか?
Sbさんが「原理主義」と呼んだのは、天台・伝教への回帰のことでしょう。
当時の浄土教は既成教団に対して「新興勢力」だったのであり、日蓮の主張は
むしろ保守反動とも言うべき旧仏教からの揺り戻して考えることもできると言
うことではないでしょうか。日蓮における行法の易行化はむしろ出発点におい
ては「新興勢力」に対しての対抗手段だったのであり、寄って立つ場はあくま
で、当時の伝統仏教である天台・伝教だったということでしょうね。念仏と題
目を「同じ穴のムジナ」と捉えているようでは、その関係性は見えてこないで
しょう。
684 :
乾闥婆:04/09/26 22:15:50 ID:41DAaEHF
>>683 失礼。Sbさんではなくてマハーバイロさんですね。
乾闥婆さん。落ち着いて下さい(笑)。
ちょっと回答が「らしく」ありませんよ。別人でしょうか?
すこし日を置きましょう。
ひゃっきまるさん。
そこまで頭の中が、ほぐれていらっしゃるなら、
私からお話することは特にありません。変わりましたね。
ありがとうございました。
>>658 世界〜さん
乾さんはおそらく何も変わっていないし、冷静だと思いますよ。
世界〜さんが誤解するのも無理はないかと思いますが、乾さんは誠実で生真面目なだけなのだと思います。
乾さんも世界〜さんも頑固さでは日蓮に通じるものがありますね。
論理的であろう、という点、思いの熱さ、という点では乾さんの方が日蓮らしいな、とも思いますが。
僕もべつに考え方は昔からずっと変わっていません。
考えが異なる人との意思疎通というのは大変難しいことですし、相手に受け入れの態度がないといくら努力しても空回りになりますから、あまり固く考えず、適当に合わせて話をしようと思っています。
ひゃっきまるさん
>古典は「いいとこ取り」「自分なりの解釈」で全然かまわないと僕は思っています。
それはそれでかまわないかもしれませんが、でもそれでは学会と同じですよ。
仏教の法典から自分の都合の良い解釈だけ抜き取るのは・・・
だからこそ、先人達の論議や釈を研鑽する必要があるのだと思います。
ひゃっきまるさん。
分かるような気がします。
信仰をしている以上、絶対に譲れない「前提」としての一線があって、
私はその「前提」そのものを認めていないので、ここから先は平行線でしょうね。
分かり合うのが目的ではなく、
この板に来た一般人に、こういうやりとりを見てもらうのが目的ですので、
「勝ち負け」ではなく、時々コメントしていただけるとありがたいです。
特に学術的に、史実的に私が明確に間違ったコメントをした際は。
(でも、あの時代にSFはない、という乾さんの生真面目さには参りました・・笑)
恐らく譲れない「前提」の一つが、この板の学会員にとっては「前世がある」ということでしょうし、
統一教会員にとって譲れない「前提」は、「この世の人は罪を背負っている」ということでしょう。
前世の業があるから、学会員は信心で埋め合わせる。
罪を「トウゲン」しなければならないから、統一教会は信仰の道を歩む。
どちらも科学的に「数値化」も「検証」も出来ず、心の問題ですからね・・・。
その「心」を組織にどのように利用されるか、が問題です(スレ違いですね、失礼)。
>>687 マハーバイロさん
>それはそれでかまわないかもしれませんが、でもそれでは学会と同じですよ。
>仏教の法典から自分の都合の良い解釈だけ抜き取るのは・・・
>だからこそ、先人達の論議や釈を研鑽する必要があるのだと思います。
解釈が人や立場によって違うのは当然です。
しかし、最低限判断する材料(この場合は現代仏教学)を与えずに、時代おくれのある特定の解釈が絶対に正しく、他は絶対に誤っている、と半ば強迫的に教え込むのは、良いと言えるでしょうか?
他人の考えや先人の議論、文献的知識を得るために努力するのはよいことと思います。
ただ、学問的探求に終わってしまってはあまり意味がありませんから、自分が正直にどう感じたのか、という点も大切にしたいですね。
ちょっと一言・・・
>恐らく譲れない「前提」の一つが、この板の学会員にとっては「前世がある」ということでしょうし
もし世界さん〜が「生まれ変わり」を言っているのなら、否定する学会員は多いと思いますよ。
>>689 世界〜さん
学会員は前世の業を否定的には捉えない、という信仰をしています。
よく「宿命転換」「人間革命」という言葉がありますが、それは、この世において、前世の罪業を滅し、運命を変えようという積極的な決意のことです。
自分という人間を決定しているのは過去世の業であり、その業を克服することで「生まれ変わった自分になる」ということを目指しているわけです。
それが仏教なのか、ということは僕には分かりません。
また、実際に創価学会の信仰にそういう力があるのかも分かりません。
また、その心を組織に利用されている可能性もやはりあると思います。
しかし、実際それで「宿命転換できた」と喜びの体験談を語る人が多くいるのも事実です。
決して創価学会を擁護するつもりはありませんが、そういった人がいるのを無視して創価学会を理解するのは難しいと思います。
>>690ひゃきまるさん
同意です。
>最低限判断する材料(この場合は現代仏教学)を与えずに、時代おくれのある特定の解釈が絶対に正しく、他は絶対に誤っている、と半ば強迫的に教え込むのは、良いと言えるでしょうか?
私は学会が科学進歩によって解釈が違っても良いと思います。
その理由や根拠、証拠を示した上で個人の判断を尊重すべきだと思います。
これは石山にも言えることだし仏教界全体にもいえる事だと思います・・・
本尊や仏像のほんのちょっとの木片を検査すれば良いのですから・・・
694 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :04/09/27 01:04:22 ID:xB2mIfn7
>>689 100%さん
>恐らく譲れない「前・・・
それは間違いですよ
彼らが譲れないのは、日蓮さんが絶対に正しいということ
そして、それを今正しく教えられるのは池田氏だけいうこと
ですよ
695 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :04/09/27 01:19:47 ID:xB2mIfn7
>>679 100%さん
法華経に疑いを持てばというのは、法華経の文言ではなくて、
御書にあるものだったと思いますが
法華経自体はきちんとした経典です、しっかりと仏への道を説いているものです
編狭な面も方便です、ですから、その経典をどのように用いて人を導くかが問題であり
それは修行をした僧侶の仕事なのです、生半可な教学で折伏できるような代物ではないのです
経典は薬のようなものです、使い方を誤ったり、生半可な知識で用いれば副作用もありますし、毒にもなります
しかし、毒の面、副作用の面だけを見ても駄目なのです、薬の面も見るべきだと思います
>>693 マハーバイロさん
>私は学会が科学進歩によって解釈が違っても良いと思います。
>その理由や根拠、証拠を示した上で個人の判断を尊重すべきだと思います。
マハーバイロさんはちょっと楽観視しすぎかもしれません。
もし創価学会が現代仏教学を考慮に入れた教義解釈をすれば、もしかしたら創価学会の「全て」を否定することになる可能性だってありますよ。
日蓮正宗や創価学会は今まであまりに原理主義的な教義解釈をしすぎました。
もうこれ以上は嘘をつきつづけるしか道はないかもしれません。
>696
そうだよ創価は嘘つきなんだよ、東大印哲をでた会員がいても釈尊の仏滅年さえあきらかにしない。
それは、末法の年がずれちゃうからなんだよね。(笑
>>659 横レスですまん。
学会批判の立場や排他的思想を批判するのには異論ないけど
宗教と音楽と同列で見るのは、ちと違うと思うよ。
「世法即仏法」というのはあると思うけど、そっくりそのままイコールではないしね。
仏法から見れば世法は安易に同列に論ずべきではない。
それと、何も日蓮だけが他経を排撃していたわけではないからね。
浄土宗の法然だって「捨閉擱抛」などといってるし、他にもいっぱいいるよ。
宗教の世界では優位性を主張するのはある意味当然。度を越さなきゃね。
>>676 >まず、僕が昔創価学会で五重の相対、五時八教を習った時には、
>「現代においてはどうなのか」という点について全く教えられませんでした。
>それどころか、まるで鎌倉時代に考えられたこれらのことが現代でも
>そっくりそのまま通じる、というように習いました。
>今でもそう信じている会員はほとんどだと思います。
>このことについて銀舌居士さんはどのようにお考えですか?
私は学会が組織的に仏教史を教えているという現場には
一度も出くわしたことがありませんし、私自身教えたこともありません。
あなたは学会員に仏教史を教えてあげると言われて、
五時八教が現代的な仏教史の成果だと教えられたのですか?
もしそうだとすれば、その人は嘘つきでしょうね。そうなのですか?
私は五時八教を天台大師が立てた教判だということで教わりました。
それが現代的な仏教史の成果だというふうにはまったく教わっていません。
学会がこれまで教えてきているのは日蓮大聖人の思想・教学です。
聖教新聞に五時八教について掲載されている場合なども、
教学の講座等と銘打ってされていると思いますが、五時八教とは結局、
あくまで大聖人の思想を学んでいくために教わるものなのですよ。
仏教史として取り扱われているわけではないのです。
また、仏教史について学会が隠匿しているなどということもありません。
1975年には池田会長(当時)は『私の釈尊観』という本を出しています。
これの内容には五時八教の五の字もありません。
学会の機関誌・大白蓮華においては、1994年1月号〜2000年2月号に
現代的な仏教史の研究成果をふまえた『仏教入門』が連載されています。
このように学会が現代的な仏教史を無視しているという事実はありません。
あなたの組織に対する批判は的外れなものだと私は思います。
>>676 >例えばその「原理」を用いて具体的に、「キリスト教」「スッタニパータ」「般若経」
>「日蓮宗」はどのように「創価学会」より劣っており、信仰すると不幸になる、と言え
>るのでしょうか。
>ぜひ実演していただきたく思います。
あなたは他の宗教を批判することを否定しているのに、
私にそれをさせようと言うのですか?
自己矛盾もいいところですね。軽蔑に値します。
たかが議論のため、私が他の宗教を批判していると
私を貶めようということでしょうか。
宗教というものはそれほど軽々しいものではありません。
本気で信じている人は一生懸命です。
批判するときは私だって相当の覚悟をもって真剣にするのです。
遊び半分でするようなことではないのですよ。
日蓮 「他宗の坊主の首をはねろ」
学会員 「日顕! このクソ坊主!」
こんな宗教など真剣に信仰する価値はない。狂信者は頭が狂っているのだろう。
学会員は口先ばかり偉そうなことを言って人に迷惑をかけてまわる最悪の人種。
このような宗教に溺れてしまうようでは人間失格だ。思い上がるなよ。
>>700
>>696ひゃきまるさん
>マハーバイロさんはちょっと楽観視しすぎかもしれません。
これは宗教観の違いはないだろうかと思います。以下は個人的な学会に対する宗教観です。
学会は、牧口会長の価値論から始まったと思っています。
最近はあまり読まれないようです。(私も書棚の奥で正確に引用できない)
「ひとつの目的(絶対的幸福)に到達する方法(最短)は一本である。」
これが学会の言う「唯一の正しさ」であり「前提」ではないかと思います。
到達する方法として、「日蓮正宗という地図」を使用しているわけです。
地図の読み方や実践を指導しているのが歴代会長であり、地図を護持していたのが宗門だと思います。
読み方や実践が誤っていれば諫言する者がいなければなりませんし、地図が間違っていれば修正しなければなりません。またそれによって脱会するひともいるでしょうが、自由でしょう。また脱会しても目的地は同じ場合があります。
同じ目的地を目指すならば、批判しあう事に意味があります。
逆に目的が違うものを相対しても意味がありません。目的地が違えば比べようがないからです。また目的が違うのであれば、否定しあうものではないはずと思います。(例えばキリスト教の博愛精神を尊ぶ)
五重の相対も(目的を同じにするならば)という仮定を想定して解釈しています。
余談ですが、たぶん、sbさんや世界〜さんとは目的地が大きくちがうだろうと思います。
くどくどとすいません・・・
>経典は薬のようなものです、使い方を誤ったり、生半可な知識で用いれば副作用もありますし、毒にもなります
>しかし、毒の面、副作用の面だけを見ても駄目なのです、薬の面も見るべきだと思います
Sbさん。一つ聞きたい。あれほどまでの毒を撒き散らして、
つまり、誹謗すると「らい病」になるとまで言ってまで、伝えなければならない
「法華経」の薬としての教えって何ですか?私は法華経を通読して、読み取れませんでした。
明解にお答えいただきたい。肝心かなめのところだと思いますので。
ひゃきまるさん。
>学会員は前世の業を否定的には捉えない、という信仰をしています。
>よく「宿命転換」「人間革命」という言葉がありますが、
>それは、この世において、前世の罪業を滅し、運命を変えようという積極的な決意のことです。
ですから、
「前世がある」というのは良く言えば「仮定」、悪く言えば「でっちあげ」です。
さらにその「仮定」を土台にして、「罪業をなした」というのは「2重の仮定」であり、
悪く言えば「2重のでっちあげ」です。
つまり、最初に「前世の罪業」という「2重のマイナス」を与え、
「信仰をすれば良くなる」という3重めの「仮定」をプラスにしたら、
プラス・マイナス・ゼロです。世間ではこれを「マッチ・ポンプ」と言います。
法華経は仏罰と功徳を使い分ける、カルト宗教の恐ろしさを説いて
います。
このマッチ・ポンプのテクニックは、多くのカルト宗教で勧誘に使われています。
もちろん統一教会などのカルト宗教では、
「この信仰で救われた」という心からの「あかし(告白)」に満ちています。
私の言いたいことは、なんとなくでも伝わっていますか?
飴と鞭でしょ。
べつに宗教に限らず、日常生活でもあるがな<飴鞭
テロと戦争がマッチポンプということもある
>>706世界〜さん
よく解りますよ・・・
でもね、ゼロはないのです・・・
つまり「幸福」でも「不幸」でもない「普通」の状態というのが
逆に私には理解出来ないです。
それが「悟る」って事なのかな?とか考える時があります。
711 :
乾闥婆:04/09/27 21:54:23 ID:JnXbtmaO
>>685 >乾闥婆さん。落ち着いて下さい(笑)。
ちょっと回答が「らしく」ありませんよ。別人でしょうか?
すこし日を置きましょう。
私は落ち着いているし、ひゃっきまるさんが言うとおり、なにも本質的には変
わっていません。むしろあなたが「一般人」という名で書き込みをしていたと
きの方が激しくあなたを非難したはずですが。
>>688 >(でも、あの時代にSFはない、という乾さんの生真面目さには参りました・・笑)
事実でしょう? 皮肉も含まれていますが感じ取れませんでしょうか?
>>689 >恐らく譲れない「前提」の一つが、この板の学会員にとっては「前世がある」ということでしょうし、
そんなことはありません。前世などあってもなくてもかまいませんが。
>>703 法華経の中心的思想は「誹謗すると「らい病」になる」ことですか? 法華経
の眼目はなにをさしおいても「誹謗すると「らい病」になる」ことであると主
張する概説書などありましたら教えて下さい。あなたは法華経や日蓮に悪意を
持っているから、そういう部分にしか目が行かないということでしょう。
712 :
乾闥婆:04/09/27 21:55:59 ID:JnXbtmaO
>>699 銀舌居士さん。
>五時八教が現代的な仏教史の成果だと教えられたのですか?
私は五時は事実だと教えられました。「四十余年未顕真実」も当然事実だと教
えられました。だから他の経典に基づいた宗教や法華経を正しく理解していな
い他宗は末法においては間違っている、破折して正しい日蓮仏法を継承する日
蓮正宗・創価学会につかせなければならない、と教わりました。そう教えられ
た当時の私はそのように友人にも語りました。仏教史などという言葉は出てき
ませんが、事実であると教えられた以上、現代的な仏教史なるものがあっても、
その事実は肯定されるだけだろうと思うのは年少の信仰者においては当然では
ありませんでしょうか。
法華経はライ病云々って幸福の科学の人もよく使う?
714 :
乾闥婆:04/09/27 21:59:23 ID:JnXbtmaO
>>700 >あなたは他の宗教を批判することを否定しているのに、
私にそれをさせようと言うのですか?
自己矛盾もいいところですね。軽蔑に値します。
軽蔑に値する先輩かたがたは多く学会内部の現場にいましたよ。五時教判や「四
十余年未顕真実」を振り回して、折伏できていない人間を卑怯な奴だと見下し
蔑み、詰めると称して多人数で取り囲み、折伏することを強要する。あなたは
ひゃっきまるさんにその同類とでも思われたのではないでしょうか。あなたが
どのような立場でどのような活動をしているのかは知りません。私が軽蔑に値
すると考えた人たちとは違うのだろうと思います。しかしそのようにして苦し
んできた二世、三世の人間を軽蔑に値すると見下しますか。なぜひゃっきまる
さんがあのような問いをあなたに発するのか、それが分かりませんか。あなた
が軽蔑に値する人間かどうかを確認しているのではないですか?
>>712 「事実であると教えられたから事実なんだろう」。そう考えるのですね。
しかし、それが事実であると教えた人は本当に正しかったのだろうか?
おそらく今まで疑問に思ったことはなかったのでしょうね。
乾闥婆さん。
「前世があってもなくてもよい」というお答えは驚きました。私の認識不足でしたね。
これまでの失礼があってお答えいただけないかもしれませんが、
結局、「法華経の教え」とは何ですか?
あなたのおっしゃるとおり、私には法華経の悪い点しか見えません。
読んでみて、何一つ得るものはありませんでした。
もちろん、貴方から見れば、私に非があるのでしょうが・・・。
例えば「仏になる」と言われても、「なぜ仏になるのが良いことなのか」が理解できません。
「フィールド・オブ・ドリームス」という映画のクライマックスで、
「天国はあるのですか?」「あるとも、夢のかなう場所さ」
という会話がありました。
そこで振り返った主人公の眼に写ったのは、
夕陽の中でブランコに乗った娘と妻の姿でした。
それは素晴らしいと思いましたし、
また、私も今、天国にいることに感謝しましたが、
「仏になる」ことは、ちっとも素晴らしいとは思いません。
718 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/27 22:32:36 ID:EU6M8akM
/〉´ ̄ヽ
( i ○゜ i
)人 .|
/ノヽ\ヽ|
___.i;;. : ;;`i.ノ
./ ヾ .|;; .. ..;;|
.__ .\|;;. i ..;;|
_ノ\i_); ...;;|
 ̄ .|;; i ..;;|
.|;; i ..;;|
.|;; ...;;|
.|;; i ....;;|
ノ;; ,.‐ ;;-.;i
/;;; /' '' ;;;X
|;; ;i;;.. 〜 ;;|
X〜 ;i;;; ;;,. ;;;/
ヽ;;__\_;;/
とりあえず、ちんこ置いときますね
マハーバイロさん。
>つまり「幸福」でも「不幸」でもない「普通」の状態というのが
>逆に私には理解出来ないです。
>それが「悟る」って事なのかな?とか考える時があります。
「普通」という状態が「幸福」なのではありませんか?
まったく、「生きていること」「愛する家族があること」
これ以上の幸福が、いったいどこにあるというのでしょうか?
この素晴らしい人生を「苦」だととらえる宗教は、全く理解できません。
>>700 そう激昂なさらずに、貴方の考えでは
キリスト教を信仰すれば不幸になるか否か
イエスorノーで答えてごらんなさいよ
あくまでも貴方個人の考えとしてネ
721 :
:04/09/27 22:43:24 ID:???
仏教そのものを否定する気にはならない。
佛教の「一切皆苦」は
苦から解放されるためのひとつの知恵でしょ。
いろいろ苦労してみれば、わかると思うけど、、、
逆になんの変哲もない普通の日常も、それに執着すれば
今度は苦になるし。
創価学会につっこみ入れるのは、対等なかたちで同じように
「世界人口を100%とすると、学会員は0%です。」ので正解。
しかし、日蓮を信ずる人にとっては、はらだたしいと感じるのでしょうな。
学会は変だが日蓮をちゃかすようなことは許さないというかたは
想像以上にいます。
坊主憎けりゃ学科委員。
>>714 >軽蔑に値する先輩かたがたは多く学会内部の現場にいましたよ。
>五時教判や「四十余年未顕真実」を振り回して、折伏できていない人間を
>卑怯な奴だと見下し蔑み、詰めると称して多人数で取り囲み、折伏することを強要する。
私は事実ではないことを事実であると言う人は「嘘つき」だとは言いましたが、
五時教判を事実だと信じる人を軽蔑に値するなどとは一切言っておりません。
「卑怯な奴だ」と見下し蔑んだ人間は、誰かを見下し蔑みたいという欲望が
あったから五時教判を悪用したのでしょう。言葉は使う人次第です。
>しかしそのようにして苦しんできた二世、三世の人間を軽蔑に値すると見下しますか。
一般化は不可です。
ひゃっきまるさんは全てのそうした二世、三世の代表ではないのですから。
>なぜひゃっきまるさんがあのような問いをあなたに発するのか、それが分かりませんか。
>あなたが軽蔑に値する人間かどうかを確認しているのではないですか?
分かっていようと分かっていまいと、どちらにせよ私の返答に変わりはない。
感じたままに言ったまで。媚を売る気もなければ、胡麻をする気もないのです。
727 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :04/09/28 01:11:11 ID:cqVfFeyj
>>703 ですから、薬物なのです
薬はその症状、年齢などによっても処方が変わります
あなたには効果が無かったり副作用のある薬でも、他人には効くのかもしれません
法華経で救われる人や、悟れた人、仏を見い出せた人もいるのです
副作用があるということは作用するということでもあるのですから
>>704 仏教にとって前世は有っても無くてもどうでもよいものです
有ることで救われるならよし、無いことで救われるならよしです
728 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :04/09/28 01:58:29 ID:cqVfFeyj
>>719 四苦八苦
生、病、老、死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊成苦
ではなぜ、一番最初に生がくるのか
生きていれば、苦より逃れることはできない
故に一切皆苦なり
幸福であることは普通なのではない
幸福であり、不幸であることが普通なのです
どんな素晴らしい人生でも苦から目を背けることはできない
カタルシスは本当の救いではない
苦である人生と真正面から向かい合い生きていくことが仏道なのです
雲門が、修行僧に問われた、「仏とはどのようなものなのでしょうか?」
雲門は答えた「便所の糞掻き箆だよ」
洞山和尚が、修行僧に問われた、「仏とはどのようなものでしょうか?」
和尚は答えた「麻が三斤だよ」
馬祖が、大梅に問われた「仏とはどのようなものでしょうか?」
馬祖は答えた「即心即仏」
馬祖が、修行僧に問われた、「仏とはどのようなものでしょうか?」
馬祖は答えた「非心非仏」
Sbさん、ご回答ありがとうございます。
残念ながら、ちょっとかわされたかな?という感じがいたします。
ちょっと、そちらの方面の素養がないと、せっかくのお言葉が心に届かないようです。
「ライ病になる」と脅してまで届けなければならない「薬」って何でしょうか?
つまり「薬」にしても、「法華経ならでは」の相当の強力な「ききめ」がなければ、
あのような脅迫めいた言葉を延々と連ねる必然性もないはずです。
ひゃっきまるさんのように「いいとこどり」をするためだけならば、
あのような「脅迫めいた言葉の累積」も必要ないのではないでしょうか?
「コスト」と「薬効」のバランスがとれておらず、
現代においては、「仏罰」などの「恐怖信仰」の副作用が強いようです。
730 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :04/09/28 11:32:38 ID:bi2hU729
>>729 かわすというよりは、あなたが求めているような答えは仏教には無いのです
明確にこうであるとしてしまうと違うものになります
もっと言えば、答えは誰も提示することは出来ません
さまざまな事象から、あなたが答えを悟る以外に無いのです
そのさまざまな事象である方便が法華経であると思います
また、ほかの経典であり、書物であり、公案であり、
そして、全ての事象であります。
癩病云々は今と、法華経が書かれた時代では扱いがまったく違うものなのです
合わない部分は本当なら改定するべきなのでしょうけど、それは僧侶の仕事です
>「コスト」と「薬効」のバランスがとれておらず、
あくまで、あなたにとってなのです
法華経を批判するなら、まず、悟ることだと私は思います
「よい子にしてなきゃお化けに食べられちゃうぞ」みたいな。
それと同じレベルでしょうよ。平たく言えば。
人が何か敬虔な感情を抱くときは、
尊いと思う気持ちと、恐ろしいと思う気持ちが同居するもんじゃない?
ただし尊敬と恐怖の匙加減が、聖職者や教団に委ねられてることは問題かもしれないよ。
にしても世界100%サンは随分とライ病云々にこだわるね。
732 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/28 16:16:34 ID:MhXCbNUy
>>731 >それと同じレベルでしょうよ。平たく言えば。
それと同じレベルだったら、このスレで真剣に語ってる人達はいったい(・X・)......
>「ライ病になる」と脅してまで届けなければならない「薬」
法華経が説かれたのは、平均寿命が20に満たない紀元後の苛烈な時代
です。
大半の人々が、今日を生き延びることが目的のような人生だったと考え
られます。
おそらくは来世に対する絶対の保証を、人々が渇望しその要請に答えた
のが法華経ではないかと推察します。
らい病で脅す一方で、ご利益てんこ盛りの異様な経典は、長寿社会が実現
して豊かな現代に於いてはその存在意義は疑問に思われてきますが、
その豊かさから取り残された頭の足りない人たちにとっては救いなのかも
しれません。
Sbさん、ご回答ありがとうございます。
>かわすというよりは、あなたが求めているような答えは仏教には無いのです
>明確にこうであるとしてしまうと違うものになります
>もっと言えば、答えは誰も提示することは出来ません
>さまざまな事象から、あなたが答えを悟る以外に無いのです
悟りは、各個人にゆだねられているのですね。
もし、そうであるならば、
「仏教」にこだわるのは、むしろ選択に「壁」を作ってしまいそうです。
幅広く読書し、思索し、あらゆる宗教から「いいとこ取り」をすれば良いのではないでしょうか?
「仏教」にこだわるのは、一つの「とらわれ」であり、悟りの障害になる可能性はないでしょうか。
仏教を信仰しているのは、世界人口の6%です。
法華経最高、と思っている人は、世界人口比率でやはり1%を切ると思います。
その1%に満たない人々は、世界に均等に分布しているのではなく、アジアに集中しています。
もちろん数字だけで正否は決められませんが、
30歳や40歳そこらの知識で「法華経信仰」だけにしがみついてしまっては、
悟りも「中成功」で終わるのではないでしょうか?
「法華経に疑いを生じれば地獄に・・・」
なんとも日蓮ご本人、および時代の限界を感じさせる言葉です。
日蓮はあの時代だから仕方がないとしても、
現代で真にうける人がいるのは、実に異常なことと思います。
銀ちゃんへ
貴殿にとって弘安二年十月十二日の戒壇本尊は
どのようなものですか?
すでに青年3級の教材から「二十七年」の解釈に
「弘安二年十月十二日」の文言が消えましたね。
既に学会の中枢は戒壇本尊は後世の創作だと
結論しているのかもしれませんよ。
>>735 米を主食とするのは世界人口の何%でしょうか?
喩えて言うならそういうもんだと思います。
米を食べてればパンを食べなくても済みます。
勿論見聞を広めることは大いに結構だと思いますが。
>>737 「米を食わないと地獄に・・・」なんて話は聞いたことがありませんが(笑)。
いいえ、
例えば子供を躾るときなど「ちゃんと食べなきゃ罰が当たるよ」
とか言いますね。
かつて学会は「諸宗は本尊に迷えり」と公言していたのですけどねえ
ずいぶん変わり果てましたね。創価学会仏なるものの出現が近いの
かもしれません(W
創価辞めないと罰が出るよ。
まあ私が言いたかったのは米を喰うもパンを喰うも
主食に変わりないということです。
あまり深読みしないでください。
しかしながら糞を喰えば腹をこわすでしょうが。
仏教を信仰しているのは、世界人口の6%です。
法華経最高、と思っている人は、世界人口比率でやはり1%を切ると思います。
その1%に満たない人々は、世界に均等に分布しているのではなく、アジアに集中しています。
もちろん数字だけで正否は決められませんが、
30歳や40歳そこらの知識で「法華経信仰」だけにしがみついてしまっては、
悟りも「中成功」で終わるのではないでしょうか?
「法華経に疑いを生じれば地獄に・・・」
なんとも日蓮ご本人、および時代の限界を感じさせる言葉です。
日蓮はあの時代だから仕方がないとしても、
現代で真にうける人がいるのは、実に異常なことと思います。
>>743 前から気になっていたのだが
あんたは何故斜めに書き込むんだ?
>> 現代で真にうける人がいるのは、実に異常なことと思います。
学会員でそんなこと真に受ける人はほとんどいませんよ。
ごく一部の池田大作にだまされている人だけです。
>学会員でそんなこと真に受ける人はほとんどいませんよ。
「法華経に疑いを生じれば地獄に・・・」は複数の創価信者から
直接聞いています。
自分は信じていなくても、布教のために脅しをかけていたという
事ですか。
>>744 @自分なりに、どうしたら読みやすいか(アイキャッチか)を考えて、
改行や空白行、を駆使しているのです。
今では意識しなくても、勝手に手が動きます。
特に、はじめて来た一般人に書いていることを見てもらいたいのです。
A高速でスクロールしたときに、自分のカキコを見つけやすいのです。
>>744 仏罰、厳罰は四面でよく見る言葉だよ。
先生からの御手紙を真に受けちゃ駄目なのか(藁
>745
脅しなどしません。
学会員は真面目なのでごく一部が池田のような悪党にだまされて
操られているのです。
>746
そうですか。了解しますた。
>747
先生からのお手紙www
池田先生が学会をダメしているのです。
あの既知外がいなくなれば学会はもっと発展します。
あいつの言うことを信じる学会員は一部にすぎないという
ことをご理解ください。
学会の活動をすればそのことはよくわかります。
>>744 大半が池田大作にだまされているから脱会しないのではないか?
普通の常識的な感覚の人間ならば、大作を見て逃げ出しますよ。
750 :
我ニ必勝ノ策アリ:04/09/28 21:16:39 ID:AqU4F/Xd
自分は学会2世でアンチ創価なんですが・・・
今日、おもしろい夢を見たんです。
創価を事実上の解散へと導いた夢です。
工房の戯言と思って聞いてくれる方おりませんか??
>>748 邪宗撲滅を叫んでいた時代の創価は、わかりやすかったんだが、
今の創価は外からはよくわかりません。
宗教としての活動が見えなくなりましたね。
最近、ストーカーも来ないし。
>>748 おかしなコトを言うね。
大多数の学会員が、くびらィ氏言うところの「既知外池田」の指針の載った
聖教購読拡大に頑張ってるのはどういうわけだ?
大多数の学会員が、くびらィ氏言うところの「既知外池田」に騙されてる証拠じゃないか(藁
753 :
月やん ◆Moon/fPAsI :04/09/28 21:43:23 ID:aB8pzHuP
>750
>工房の戯言と思って聞いてくれる方おりませんか??
面白そうだから書いちゃえば。聞けないけど見てますよん。(笑)
754 :
我ニ必勝ノ策アリ:04/09/28 21:49:49 ID:AqU4F/Xd
>>753 ありがとうございます。長くなるので何回かに分けますね。
途中で馬鹿らしいと思ったら言ってください。
俺は学会員でも人前で堂々と恥をかくようなことはできませんから・・・。
755 :
我ニ必勝ノ策アリ:04/09/28 22:16:07 ID:AqU4F/Xd
今日の夢はいつもと違って、カラー映像で目が覚めたときも鮮明に覚えていて(普段とは比べ物にならないくらい印象が濃い)
とにかく特別なような気がしたんです。
夢の世界では、まず僕は家の近くの創価学会の会館にいました。日付は20011年3月16日で、
その日は周りの人々の様子が違っていたんです・・・。
僕は大人たちの様子をジッと見ていると「池田先生がおかしな男に殺された」などの言葉を聴いたのです。
そこで周りの様子がおかしいのは理解しました。洗脳された大人たちは自分たちを幸せへと導いてくれると信じてた指導者を
急に失ったことに動揺を隠せずにいたのでしょう・・・。
しかも過去の2人の会長と違って自分の私利私欲のために学会を利用してたのだから後継者のことも考えてなかったのでしょう。
それが余計に大人たちを不安にさせたのでした・・・。
僕は「ここで何か大きな波が来るかも」と思って即座に自転車で家に帰って
PCの電源を付けて「2ちゃんねる」の創価・公明板に目を通したら思ったとおり2ちゃんねらーが「祭りだ!」と騒いでました!
そして何より興味深かったのが・・・
>>752
性格な数字はわかりませんが
学会の会員数が800万だとします。
あなたは800万人が下劣な人間のくずともいえる池田大作に
だまされているとお考えですか?
私は内部で活動をしていた実感として壮年部や婦人部を中心とした
200万人程度であろうと思います。
男子部などになると既知外池田にだまされている人間の割合はさらに
低く10分の1程度ではないでしょうか。
全体が800万としてそのうちの200万が学会員の大多数といえますか?
4分の1にすぎません。
残りの4分の3は傲慢で名誉欲の強い池田にだまされているわけではありません。
つまり4分の1が目立つだけであり残りの4分の3は私のように
池田に扇動されて周囲に迷惑かけるようなことをせずに学会員として
存在しているのです。
その点をご理解ください。
757 :
我ニ必勝ノ策アリ:04/09/28 22:29:17 ID:AqU4F/Xd
「時は来た!今こそ3年作戦を遂行すべし!!各自、与えられた役割を果たすのだ!」
というレスが各板に貼られていたことでした!
その作戦の内容は・・・
2006年から2008年の間に2ちゃんねらーの間では創価を批判しても何も始まらないという人たちが出てきて、
2ちゃんねらーは創価に入って内部から崩壊させるという作戦を考えてきたそうです。
そして2008年から3年間の間に創価内部では来る日のために2ちゃんえらーが着々と内部工作をしていたらしいのです。
皮肉なことに2ちゃんねらーが幹部だったりもしたそうです。
そして、先ほど記述した2011年3月16日に池田氏が亡くなると幹部の間で後継者を決める会議を行った結果・・・
選ばれたのが2ちゃんねる内でも有名なアンチ創価の方に決まったのです。
そこで夢は覚めました。ここからは僕が勝手に夢の続きを想像したのですが・・・
新会長は前会長の批判を行い、学会が学会員には教えずに行ってきた犯罪を暴いていった・・・。
そして解散。 (゚д゚)ウマー
800万の数字は既知外池田、ないし取り巻きが流したデマだろうな。
くびらィ氏の言う「200万人程度」が実数だろう。
今までアンチが言ってた数字に近い。
200万のうち、婦人部、青年部は騙され会員の部類だな。
残りの数十万が信心利用、もしくは池田利用の目先の利く学会員。
759 :
我ニ必勝ノ策アリ:04/09/28 22:33:38 ID:AqU4F/Xd
文章は読みづらいは、区切るトコ間違えるは、何言ってるのか分からなくて
すみません・・・。お目汚しをしてしまい申し訳ないです・・・。
最後に・・・とにかく変な夢でした。普段は学会を批判しても無くなれとは思ってないので、
こんな夢見るとは思いませんでした。
夢を
760 :
月やん ◆Moon/fPAsI :04/09/28 22:51:26 ID:aB8pzHuP
>757 必勝さん
> そして2008年から3年間の間に創価内部では来る日のために2ちゃんえらーが着々と内部工作をしていたらしいのです。
> 皮肉なことに2ちゃんねらーが幹部だったりもしたそうです。
今でもやってる人が居るかもしれませんな。しかし、サラリーマンでも酒を飲むと気が大きくなって
俺が偉くなったら云々カンヌン言うひとが居ますが、実現したのを見たことがないです。(笑)
<夢は語るもの 願は行ずるもの>ですな。
> 新会長は前会長の批判を行い、学会が学会員には教えずに行ってきた犯罪を暴いていった・・・。
> そして解散。 (゚д゚)ウマー
なんだか分派がたくさん出来るだけのような悪寒。。。
分派が出来るのは、素晴らしいことです。
それだけ、自分の頭で判断し、「良し」と思う人が増えたということですから。
キリストだって、自分以前の宗教の分派です。
ブッダだってそうでしょう。
「自分の頭で考えて、次の一歩を自ら踏み出した」・・これは素晴らしいことです。
一番良いのは、派閥を作らず、自分だけで前に進むことです。
組織のいいなりの「ロボット人間革命」よりずっと良い。
そういう意味では、日蓮さんは素晴らしい。
勢いに押されて、ただついていった安直な弟子達がダメなんです。
そう、どんな宗教に属していても、
いつかは、みんな自分が作った宗教の教祖たりえるのです。
だって、同じ人間ではないですか。
それこそ、真の「人間革命」と言いうる、と私は思う。
>>756 4分の3の会員が、組織のしがらみで付き合わされているとしたら
ますますグロテスクな教団に思えてきます。
個人の信念としての信仰は良いと思います。
しかし、数百万人の集団が、一まとめに動かされているとしたら
不気味ですね。
764 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/28 23:15:25 ID:cYmx87hb
一括信者は早く氏ねよ、このウンコ野郎。
三井住友VISAのリボのみが勝ち犬。
最強の金持ち専用だ。
VISAインターナショナルは三井住友カードの1メンバーに過ぎない。
VISAは三井住友のブランド。
三井住友VISAこそプロパーVISA。
本物のVISAは三井住友のVISAだけなのは世界の常識。
ちなみに三井住友安置は世界の基地害だろうなwww
結局、安置は貧乏で本物のVISAも持てないのかw
「私、○○さんの弟子でした・・・」
「いいんだよ、昨日までのことは全部、いいんだよ。」
「私、ずっとついていきたい。」
「・・でも、それだけでは、だめだよ。」
・・・「夜回り先生」の読みすぎでしょうか(苦笑)・・・
・・・・私、これ読んで泣きました。書店で。自宅で。・・・・
766 :
我ニ必勝ノ策アリ:04/09/28 23:23:04 ID:AqU4F/Xd
ちなみに「我ニ必勝ノ策アリ」というHNは夢の中で作戦の指揮を行ってた人が
使ってました。
今思えば、本当に抜け目のない作戦だった気がします。
>>764 「リボ払い」は、最悪の罠です。
銀行員の教え子は「銀行員は私生活でも、リボ払いが禁止されてます」と言っていた。
金利が高く、どんどん残高が増えて行き易い。「リボ払い」に手を出してはだめだよ。
すみません。激しくスレ違いでした。ちょっと美味しい酒をいただいたものですから・・。
失礼いたしました。(でも「リボ払い」に手を出してはいけないよ。ググってごらん)
769 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/29 00:46:27 ID:Z9L5dP2X
通常、破綻直前の香具師の支払いパターンは、
一括払いでギリギリまで無利息で支払いを先延ばしし、
後からリボ変更のミニマムペイメントによる必死の金利払いといえる。
つまるところ、
一括払いは負け犬専用借金払いであり、
余裕の金利払いができるリボ専用カード愛好家だけは
勝ち組なわけかね?(w
所詮、リボ>一括とも言える。
一回払いの使いすぎの末、
苦肉の策でリボ変更し分割払いするとはリアル破綻。
リボ専用なら常時繰り上げで
使いすぎなどありえない。
一回払い=破綻への第一歩に間違いない。
結局潤沢な預貯金のあるリアル金持ちは
リボルビングができるが、
貧乏な一括信者は金利も払えないってことでOKなわけかね?
770 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/29 00:47:00 ID:Z9L5dP2X
リボ払いが多ければ、リボ利用により景気が回復し経済が活性化される。
その結果、国民全体の仕事と収入が増えるわけだよ。
つまるところ、長い目で見れば、リボ利用者にも一括払い者にも現金払い者にも
等しく利益はあるわけだ。
しかし、一括払いが多ければ、目先一括利用者の利益は出るが、
景気は落ち込み経済が冷え込んでしまう。
結果、国民全体の仕事や収入が減少し、
長い目で見れば、リボ利用者にも一括払い者にも現金払い者にも
等しく不利益が返ってくるわけだ。
つまり、得をする順に並べると
カード会社 > 一括払い者(金利を払わないカード利用者) > 現金払い者 > リボ払い者(金利を払うカード利用者)
となる。
リボ払いが多い場合は「得」の度合いを表す順番となり符号は全て「プラス」であるが、
一括払いが多い場合は「損」の度合いを表す順番となり符号は全て「マイナス」なわけだよ。
まあ、社会全体が裕福に向かうリボと、社会全体が貧困に向かう一括では、
明らかに一括信者は負け組なわけだ。
世の中がリボ払いのみになれば、世界中が裕福になるのは言うまでもない。
ようは
一括払い=普通に一ヶ月以上無利息利用していると、長期的に社会全体が損をする。=欠陥
リボ払い=普通に繰上返済利用していると、長期的にも社会全体が得をする。=良質
771 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/29 00:48:01 ID:Z9L5dP2X
@実社会におけるマナー@
現金主義=現金
リボ主義=リアル現金
一括主義=リアル借金
分割主義=借金
以上。
772 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/29 01:14:21 ID:kIGtCR3Y
>>770は金利に対する基礎知識が不足しすぎている 時間が彼自身に教えるだろう
DQNはほっておくに限る そのうちにリボの怖さに震えるだろう
773 :
乾闥婆:04/09/29 01:54:22 ID:AZLAJpmo
>>725 銀舌居士さん。
>五時教判を事実だと信じる人を軽蔑に値するなどとは一切言っておりません。
私もあなたが「五時教判を事実だと信じる人を軽蔑に値する」と言っている、
などとは一切言っておりません。私もそのようなことは言っていません。
>「卑怯な奴だ」と見下し蔑んだ人間は、誰かを見下し蔑みたいという欲望が
あったから五時教判を悪用したのでしょう。言葉は使う人次第です。
五時教判を事実だとしたとき、その事実に基づいて折伏を行うことが正義であ
り、そのような行動を起こさない人間は卑怯者である、という意識構造が、学
会内部にはあるでしょう、ということを言っているのです。「見下し蔑んだ人
間」を生み出しているのは、その当人ばかりに原因が求められるものではあり
ませんでしょう。そのような悪用を誘発する構造が五時教判を事実とする信仰
にはあるのではないかと言っているのです。人間は言葉を使いますが、言葉に
使われもするのです。
>一般化は不可です。
ひゃっきまるさんは全てのそうした二世、三世の代表ではないのですから。
二世、三世を一般化することなどしておりません。様々なタイプの人間がいま
すからね。私が言っているのは、二世、三世にあらわれる一つの傾向としての
ひゃっきまるさんであり、私であるのです。私のいう「そのようにして苦しん
できた二世、三世」とは当然そのことでしょう。
774 :
乾闥婆:04/09/29 01:55:07 ID:AZLAJpmo
>>725(続き)
>分かっていようと分かっていまいと、どちらにせよ私の返答に変わりはない。
感じたままに言ったまで。媚を売る気もなければ、胡麻をする気もないのです。
学会の現場において、上記のような状況は多く見受けられるのですよ。最近は
以前ほど激しくはなくなりましたが、活動成果の上がらない会員や未活動の会
員に対する非難するかのような眼差しや言動はあるのです。そのような不活動
が罰につながると真剣に悩んでいる人間もいるのです。年少の頃にそういった
悪感情に晒されたり罰という恐怖を植え付けられたりして、心に傷を負ったま
ま生き続けている友人を私は知っています。あなたはそのような会員が存在し
ていることにどれだけ自覚的なのでしょうか。そのような会員が五時教判を事
実とすることをおかしいと考え、そこにそのような教判に対して肯定的な人間
が現れ、そのような教判でどのように宗教の優劣を付けるというのかと問いを
発する。それをあなたは軽蔑に値するという。あなたは人のことを軽蔑する前
に、もっと創価学会が内外に向けてどのような人間を生み出しているのか真剣
に考えるべきではないのですか?
775 :
乾闥婆:04/09/29 01:55:56 ID:AZLAJpmo
>>716 法華経は二千年近い過去に成立している経典なのですから、ただ現代に生きる
人間の視点で読んでも、その意は汲み取りきれないのではないでしょうか。経
典成立の文脈なども踏まえる必要があるかと思います。法華経の入門書などを
読むことをお勧めします。田村芳朗著『法華経』(中公新書)や菅野博史著『法
華経入門』(岩波新書)は値段も安いですし、手に入りやすいと思います。そ
の中心的な思想は一仏乗、久遠実成、それに菩薩道でしょうか。読んでみて下
さい。
>>717 >例えば「仏になる」と言われても、「なぜ仏になるのが良いことなのか」が理解できません。
あなたの言う「仏」がなんなのか分かりませんが、「夕陽の中でブランコに乗
った娘と妻の姿」を見ている心を「仏」と思ってみてはどうでしょうか。
776 :
世界思想状況ニュース:04/09/29 01:57:42 ID:FQ3VNhas
アメリカの学者が国境の無い世界の方が現在の世界よりはるかに
人類を滅亡に導く危険性の高いということを完璧に証明。
>>704 世界〜さん
僕が言った事は、マッチ・ポンプの原理とは全く違います。
創価学会の信仰の特徴は、具体的に生活を改善していこう、という目標をもっていることです。
これは、自己啓発セミナーや他の新興宗教にも共通する価値観と思います。
自分の性格や環境に問題があると感じ、それを変えて行きたい、と思う事がまずの出発点であり、その方法として創価学会の信仰があるということです。
一般的な言葉で言い換えれば、「性格や環境の悪さを全て自分に原因があるのだと主体的に受け止め、またそれを変えられるものであると信じ、具体的にそのために努力していく」ということです。
それを宗教的に説明した場合に、「でっちあげの仮定」と捉えられてしまうかもしれませんが、上記したような非常に一般的な言葉に言い換えることが可能です。
ただし、創価学会では創価学会しかそれを行う力がない、としているので、それは非常に問題であると思います。
いろいろな方法があってしかるべきだし、認めるべきです。
>>702 マハーバイロさん
>「ひとつの目的(絶対的幸福)に到達する方法(最短)は一本である。」
>これが学会の言う「唯一の正しさ」であり「前提」ではないかと思います。
価値論にそんな内容はありましたでしょうか? それではまるで宗教です(価値論自体は哲学思想ですよね)。
僕は、いろいろな宗教やいろいろな考え方・理想をもつ人間が、お互いにお互いを尊重しあえる社会が理想と思っています。
考えは違ってもお互いを尊重する、お互いが実は同じ目的を向いている、ということを法華経は説いているように僕は思っているのですが・・・。
>>764,769,770,771 ← こいつ華元だよ
>>699-700 銀舌居士さん
議論がすれ違っているようです。大変激昂させてしまったことはひとまず申し訳なく思います。
(乾さんフォローありがとうございます。僕は自分の考えていることを言葉にするのが非常に下手なのですが、大変適切に説明していただけて感謝しています)
僕はあくまでも、創価学会が「現代では通じない世界観を持って、他宗教を邪教よばわりしている」ことを批判しているわけです。
また、天台の立てた教判として教えているとか、学会は現代仏教史を認めている本を出版している、だとかいうのはこの件に関して本質的な問題ではありません。
実際に会員が「何を根拠と信じて他宗を邪教としているのか」「どのような折伏指導を行っているのか」が問題なのです。
ですから、いったい以下の3つのいずれが実際には該当するのかはっきりしないことには議論は進みません。
1・創価学会は五重の相対、五時八教などの世界観に基づいて「現代の」他宗教を誤った宗教として否定している。
2・創価学会は五重の相対、五時八教などの世界観は現代では通じないことを認めており、故に他宗教を否定しない。
3・創価学会は五重の相対、五時八教などの世界観は現代では通じないことを認めている。しかしその「原理」は現代でも通じるものであり、「現代の」他宗教を誤った宗教として否定している。
僕は自分の経験や観察から、「1」が該当すると思っています。
また、「3」は実際には不可能だし、そんな「原理」などないと思っています。
しかし、 銀舌居士さんが「3」だとおっしゃるのなら、実際にやってみてほしいと言ったのです。
781 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :04/09/29 10:04:11 ID:oCem0g4T
>>734,735
>仏教を信仰しているのは、世界人口の6%です。
しかし、四苦八苦しながら生きている人間は100%です
仏教は四苦八苦と向き合って生きていくことを提唱するだけです
仏教の四法印、諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静
にて、拘ることは無意味化されています
私は法華経より、般若心経のほうが好きですから
782 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/29 10:25:47 ID:74GCuuUJ
日蓮は我執の塊ですな。
今回のプロ野球の騒動で際立つのがOBたちのだらしなさである。
沈み行く舟に媚びてまだおこぼれを預かろうという卑しさである。
そのありさまは取引先の大企業や官庁が腐敗しきっていてやがて
世論の指弾を受けたり司直の手が入ることを誰よりも知っていながら
まだ裏金作りを手伝っている惨めな零細企業を思わせる。
そもそも古田選手たちが立ち上がらざるを得ない状況を作り上げた
責任の一端はオノレらにあるのに恬として恥じるどころか開き直る
外道がいるのには仰天するしかない。TBS日曜日朝『サンデーモーニング』
のスポーツコーナーは業界から煩さがられつつも、孤峰として屹立した発言を
する大沢親分と汚泥の中で利権談合野郎のスポークスマンを務める張本勲
こと張勲(チャン・フン)との好対照がいつも人としての生き方と戦後利権と
三国人のかかわりを教えてくれて興味深いのだが昨日のそれはあまりに
あからさまで思わず耳を疑った。
選手会側に理解を示す江川紹子さんの
コメントに対して張本はスタジオが凍りつくほどの剣幕で声を荒らげて
つっかかりこう言ったのである。
「業界には業界にしかわからないことがあるんだよ!」。至言である。
今回のコトの本質を最も薄汚い男が一言で言ってのけたのである。
なるほど「業界」の中で泥水を吸っていないと言えないセリフである。
江川さんは思わず絶句し司会の関口宏さんは不愉快そうな表情をして話を
次に進めたがここはひとつ具体論を挙げて張本に反論してほしかった。
パリーグ衰退の理由は優秀な選手を育て上げるとセリーグに強奪されてきたからだ。
そしてその主犯は巨人にほかならずその先鞭をつけたのはまさに76年に日本ハム
から巨人に移籍した張本自身ではないか。天に唾するとはこういうことであり心ある
巨人ファンならば王長嶋張本と並び称したことをあと二人の名までもが汚された思い
でさぞかし嫌な思いをしたであろう。闘病中の長嶋そして良心と立場のはざまで苦悩
を額に刻んで発言を続ける王の姿を見るにつけても。いやあ番組としては面白かったですよ。
同じ江川でも次の椅子が見えてきた江川卓が裏の日本テレビ『ザ・サンデー』の自分のコーナーで
ストに一言も触れないという「偉業」を達成したことと合わせてね(爆笑)。
華元死ね
785 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/29 12:27:24 ID:+O0/h90I
自力で唱える題目も
他力と悟る日もありなん
786 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/29 12:52:13 ID:zRT/ibxY
学会員恐い特に婦人部と青年部無理やり勧誘しすぎ
友達嫌がってるのに心配です。どうしたら断れますか
選挙前は特にそう。どうなってるのか誰か教えてください
787 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :04/09/29 14:04:06 ID:oCem0g4T
>>702,778
絶対的幸福など、仏教では否定されているのですから
目的に成りようがありません
否定されている絶対的幸福への方法を、否定している仏教に求めるのは可笑しな事です
そしてその方法も仏教の名を借りながら、仏教とはまったく違う考え方です
子供の教育方法で、ルールを作り、お互いを尊重させるというのが注目されています。
まずは挨拶をすることをルールとするそうですが
>「ひとつの目的(絶対的幸福)に到達する方法(最短)は一本である。」
このような考え方の下では相手を尊重するなどということは出来ません
テスト
>>712 >仏教史などという言葉は出てきませんが、事実であると教えられた以上、
>現代的な仏教史なるものがあっても、その事実は肯定されるだけだろうと
>思うのは年少の信仰者においては当然ではありませんでしょうか。
私は当然だとは思いません。
何故、肯定されると思うのか私には理解できませんね。
素直な人間ならば、普通素直におかしいと感じるはずですが。
>>773 >五時教判を事実だとしたとき、その事実に基づいて折伏を行うことが正義であ
>り、そのような行動を起こさない人間は卑怯者である、という意識構造が、学
>会内部にはあるでしょう、ということを言っているのです。
「折伏しない人=卑怯者」なる意識構造など私は知りません。
あなたは顕正会と学会を勘違いしているのではないですか?
>そのような悪用を誘発する構造が五時教判を事実とする信仰
>にはあるのではないかと言っているのです。
五時教判がそもそも誰が立てたものか、どこの宗派の教判か御存知ないのですか?
天台宗が折伏をしていましたか?積極的に弘教していましたか?してないでしょう。
五時教判にあなたがそのようなことを求めるのは間違っています。
そもそも比較・相対というものはどこまで重ねてもいっても相対ではないですか。
それは常識のはずです。にも関わらずあなた方は、五時教判や五重の相対に
「唯一絶対」「正義」の根拠を求める、これは非常識です。破綻していると思います。
>>一般化は不可です。
>>ひゃっきまるさんは全てのそうした二世、三世の代表ではないのですから。
>二世、三世を一般化することなどしておりません。
大胆なすり替えを平気で行うのですね、あなたは。
私はひゃっきまるさんを一般化することを認められないと言っている。
二世、三世を一般化しているとは思っていません。
ひゃっきまるさんはひゃっきまるさんだと言っているのです。
私が軽蔑に値すると言ったのは、二世、三世などということと全く関係のないこと。
あなたの誤解以外の何者でもない。
それと一つ言っておきますが、私はひゃっきまるさんを甘く見ません。
彼はこの板で1,2を争うほどの古参コテハンであり、根っからの2chネラーであり、
しかも波木井などと違って叩かれるということもなく今までやってきている。
叩くのはごく一部の学会員しかいないし、そういう人はもうここにはいない。
ある意味、不自然なことです。
彼は成人であって年少ではない。ただの悩める2世3世などでもありません。
ここが2chである限り、私が彼を甘く見るなどということは
決して有り得ない事だと思ってください。
>>774 上に記したようにあなたの論理は破綻しています。
その上、私は五時八教について肯定などしていないし、
それをもって優劣をつけるということもしていません。
でたらめなことを書いて批判するというのは卑怯なことですよ。
>>790 >>根っからの2chネラーであり
多くの人はその言い方は侮辱だと受け止めるだろうな。
人により違うだろうけど。
学会への偏見を高めさせた池田教徒は消えて欲しいでちゅ。
>>786
それは学会内で少数派の池田教徒の仕業でしょう。
どうしようもないですね。やつらは洗脳されているから。
>>791 「でちゅ」とか言うなよ。キモイからな。
>>778ひゃきまるさん
了解です。私も同じです。
価値論については、私の主観に過ぎない事に訂正させてください。
「五重の相対」については微妙に私と解釈の違い感じますが、ひゃっきまるさんの言っているのは、
現実の学会員の在り方というというか本質を議論しようと言うことなのだと思います。
一言だけ、
今回、大百蓮華の10月号に五重相対についてが掲載されました。
学会のS30年代の折伏教典などを探して五重相対について読んでみましたが、
変らずに言ってることは、勝劣、高低、浅深についての比較だと言うことです。
正邪とは言っていないのです。
ここからは、私の独善的解釈でありますが・・・
つまり「与奪」にあたるのではないかと思います。法華経に含んでいるので不必要という事であって、
大部分はバッテングしないのではないかと思います。
これは、ひゃっきまるさんが、
>考えは違ってもお互いを尊重する、お互いが実は同じ目的を向いている、
>ということを法華経は説いているように僕は思っているのですが・・・。
と言っている意味の部分と同じ?如何でしょうか?
>>787 Sb ◆SbSGI7AtEAさん
「絶対的幸福」 という語句を学会がどこからか持ってきたのか、
または造語であろう事は理解していますよ。
もともと学会は新造語だらけですからね・・・
新興宗教だからな(w
論点が定まらないから
「キリスト教を信仰すれば不幸になる」
イエスorノーでさくっと答えてよ。
銀チャン。
池田真理教?
>>796 不幸になるかもしれない。但し、層化に入会すればもっと不幸になる。
>>780 まず断っておきたいと思いますが、現在、学会は他宗教を邪教呼ばわりしていません。
邪宗と呼ぶのは宗門に対してのみと現場では指導されています。
ですから「何を根拠と信じて他宗を邪教としているのか」ということは
宗門に対してのみの事柄となります。確認しますがそれでよいのですか?
また、五時教判についてですが、私の知る限り教学試験の出題範囲にも入っていません。
脱講運動はしていても、他宗を叩くことを勧めるということはありません。
また、大白蓮華などに仏教史が紹介されている以上、学会が仏教史を隠蔽している
という事実はありません。あなた方の批判は中傷行為にあたります。
それを示されても全く反省もせず「本質的な問題ではない」というのは
虫がよすぎるというものです。
折伏指導については聖教新聞を読めばわかりますが、五時教判などまず出てきません。
他宗は他宗であって、邪宗呼ばわりしていません。
あなた方の批判は宗門に対しては当てはまりますが、現在の学会に対しては
当てはまらないのです。現実世界に即したことを言ってください。
>しかし、 銀舌居士さんが「3」だとおっしゃるのなら、実際にやってみてほしい
>と言ったのです。
私の考えと、あなたが五重の相対を理解していないことととどう関係があるというのか。
あなたは本来ならば、「五重の相対」云々と批判する前に、
自分の「五重の相対」についての認識が間違っていました、ということを
認めなければいけないのです。
問題に問題を返して、一度は善意からつきあってあげました。
しかし、さらにつけ入るような真似をするのは一切認められません。
>>799 他宗?
邪宗?
学会の立場云々はどうでもよい。
キリスト教等について
あ な た 個 人 が、
どう考えているのか
聞いているのです。
再度問います。
他宗を信仰すれば不幸になりますか?
五時教判は過去の教学試験にさんざん出てきます。
ウソはいけませんよ。
>>791 解釈によるだろう。
私が言う2chネラーとは2chの理をよく弁えているもの、という意味だ。
>>801 過去のことは言っていない。
現在のという意味である。
>銀舌居士 ◆NYbq0lZQG6
都合の悪い質問はスルーしとけば安全だよな(藁
>>791 >>802の続きだが、つまり、ひゃっきまるさんは
私が答えなければ答えないで、
>>804のような人間が必ず出てくるということを熟知しているということです。
答えれば答えたで、また別に粘着質な批判者を現れるということも
当然ながら熟知しています。
根っからの2chネラーというのはそういう意味です。
>>803 では、『華厳、阿含、方等、般若、法華 云々』の文言が、
聖教、大白等で、最も最近使われたのは何時だが知ってますか?
知りませんね、その口ぶりじゃ。
>>806 教学試験の出題範囲として出ているのですか?
出ているのでしたら訂正しますが?
>>807 そこはこだわるトコロじゃないでしょう(笑
逆に教学試験の範囲にこだわるなら
弘安二年十月十二日の文言が3級の教材から消えましたが
戒壇本尊は貴方にとって三宝に含まれますか、含まれませんか?
>>807 法華経以外は方便の教え、と何度も創価信者が書き込んでいますよ。
大半の信者の頭の中は、昔の教学のままなんじゃないの。
ボク以外にもたくさんの人が↓を貼ってくれてるみたい!
どんどん貼ってpeaceful worldを広めよう!
みんなもネットの中で「 peaceful world 」を 探 そ う よ !
♪焼ーけ ♪焼ーけ
♪YAH YAH YAH♪
Λ_Λ Λ―Λ
(-●●) (´∀`* )
( ) Θ⊂ ⊂ )
| | |. │ | ( (
(__)_) │ (_ (_)
┴
>>808 私は
>また、五時教判についてですが、私の知る限り教学試験の出題範囲にも入っていません。
と書いているのですからこだわるトコロです。
>戒壇本尊は貴方にとって三宝に含まれますか、含まれませんか?
私の考えでは含まれますが、あの板漫荼羅だけが本門の本尊だというふうには
認められません。
本門の本尊があの板漫荼羅だけだとして、もし仮にそれが焼失でもしたとしたら、
大聖人の仏法が滅び、自身の信仰も終わりだということになってしまいます。
そもそも物はいずれ朽ちて滅びるものです。
板漫荼羅は垂迹でもなんでもありません。
板漫荼羅が真筆かどうかということについても私にとってはどうでもいい問題です。
大聖人の随身仏はどこの誰がつくったのかもわからないものでした。
ついでに言えば相承があったかどうかもどうでもよい問題です。
大聖人ご自身、当時の伝統仏教からは相承がないのに宗派を立てることなど
けしからんというふうに批判されているのです。
そういうことを問題とするのは所詮、政治的なことであって、
信仰者がかかずらうことではないと考えています。
>>809 五時教判を強調しなくても、爾前経という言葉は法華経自体に書かれているのですから
そのあたり変わらないのは当然とも言えます。
本来、法華経が言うところの方便というのは結局、説一切有部などの部派仏教と
彼らを小乗として貶めていた大乗の一部の教説のことを言うのだと思います。
訂正
失敗しました。法華経自体には爾前経という言葉はないようです。
三乗方便などはいろいろあります。
>>811 戒壇本尊についての回答ありがとうございます。
五時教判は今でも学会の教義として生きているはずですよ。
現時の3級教材に出てこなくとも、将来の2級、1級には
出てくる可能性は充分にあります。
814 :
813:04/09/29 20:14:49 ID:???
私は一往学会員ですが、
日蓮正宗のものである戒壇本尊と呼ばれる板曼陀羅を
いまさら法宝と拝する必要はないと考えてます。
極論すれば、『教団のコンセンサスが得られる上』においてなら
どの曼陀羅でも本門戒壇であると考えています。
さらに『聖人御難事』の二十七年も
曼陀羅建立を指しているとは考えていません。
3級教材の記すとおりです。
それにしても学会中枢は、教義の修正に関して
しらしむべかららす、よらしむべしの態度で
知らず知らずのうちに既成事実化していくというやり方をしますね。
感心できません。
815 :
813:04/09/29 21:01:30 ID:???
キリスト教を信仰するか、イスラム教を信仰するか、佛教を信仰するか、
これらは上で喩えにも書いたが、米を主食とするか、パンを主食とするかの
違いのようなものであろう。主食に変わりわない。
近・現代では人種や民族・習慣文化・宗教は対等であると捉える。
それは真理などではなく、大戦で辛酸を嘗めたヒトが編み出した知恵である。
しかしながら、それらに勝劣をつけることもまた可能である。
対等と捉えるか、勝劣がを唱えるかは時流である。
そう考えると五時教判や五重相対は過去のもの。
但し、ヒトを惑わし誑かす場合は厳しく勝劣を問い、叩くべきである。
池田真理教は叩かれるべき側に入る。
816 :
乾闥婆:04/09/29 23:26:36 ID:MBJEU3I2
>>789 銀舌居士さん。
>何故、肯定されると思うのか私には理解できませんね。
簡単なことです。はじめに五時教判が事実であると教え込まれているからです。
「現代的な仏教史」をちゃんと学べば分かることでも、学んでいなければ、「現
代的な仏教史」は事実を肯定してくれるだろうくらいにしか思わないでしょう。
事実と信じ込んでいるのですから。
>「折伏しない人=卑怯者」なる意識構造など私は知りません。
ほんとうですか。最近入会された方ですか。それともあまり現場にコミットす
る機会のない方でしょうか。確かに最近は随分と穏やかになりましたから。
>あなたは顕正会と学会を勘違いしているのではないですか?
かつての学会は顕正会と似ていたのかもしれませんね。顕正会に籍をおいたこ
とはありませんから分かりませんが。たしかに顕正会の人と議論になったとき、
以前私が嫌悪していた創価学会員と同じ匂いを感じましたよ。
817 :
乾闥婆:04/09/29 23:27:25 ID:MBJEU3I2
>>789(続き)
>五時教判がそもそも誰が立てたものか、どこの宗派の教判か御存知ないのですか?
天台宗が折伏をしていましたか?積極的に弘教していましたか?してないでしょう。
五時教判にあなたがそのようなことを求めるのは間違っています。
私は五時教判にそのようなことを求めた覚えはありませんが。いつそのような
ことを私が言いましたか。学会内部にそのような傾向があるという話をしてい
るのでしょう。よく文章を読んで下さい。
>そもそも比較・相対というものはどこまで重ねてもいっても相対ではないですか。
それは常識のはずです。にも関わらずあなた方は、五時教判や五重の相対に
「唯一絶対」「正義」の根拠を求める、これは非常識です。破綻していると思います。
私は「比較・相対というものはどこまで重ねてもいっても相対」である思って
いるのであり、そのように思っていない創価学会員がいることを批判している
のでしょう。とくに八教や五重の相対に関しては私はまだ一言も言っていない
し、価値判断基準としてはむしろ私はそれらの「比較・相対」を受け入れてい
ます。五時に関してもひとつの物語として受け入れています。私はその物語が
好きですからね。物語である限りは。しかしそれを盾に取り、事実と主張し、
自分たちの「唯一絶対」「正義」を保証する原理であるかのように使用し、弘
教活動に邁進しない会員を蔑む人間がいる、そういった人間を生み出す傾向が
学会内部にあることを批判しているのですよ。ひゃっきまるさんにしても五時
八教や五重の相対を根拠に「唯一絶対」「正義」を振りかざすことを批判して
いるのであって、それらが「比較・相対」にとどまって使用されるのであれば、
ひとつの価値判断基準としては否定しないのではないですか。
818 :
乾闥婆:04/09/29 23:28:19 ID:MBJEU3I2
>>790 >ひゃっきまるさんはひゃっきまるさんだと言っているのです。
私が軽蔑に値すると言ったのは、二世、三世などということと全く関係のないこと。
あなたの誤解以外の何者でもない。
ではひゃっきまるさんはなんの関係性も抱えない無菌室で育てられた人間とで
もお思いですか。彼や私が二世として生まれたことは彼や私のような考え方を
形成する上で必要不可欠でしょう。そのような関係性を排除してなにを我々と
語ろうというのですか? 一般化などどうでもいいのですよ。私があなたに苛
立ちを感じるのは二世、三世といった状況の中で苦しんでいる人間に対して、
なぜその発言がなされざるを得ないのか、といったことへの洞察もうかがえず、
軽蔑に値すると切り捨てたことです。もちろんひゃっきまるさんも私も苦しむ
二世の代表ではない、しかし苦しむ二世そのものでしょう。一般化などどうで
もいいのであって、二世であることを背景として持つひゃっきまるさんや私と
話すべきだといっているのです。しかし潜在的に私たちのような二世、三世が
多くいることは知っていてもらいたいと私は思っています。私はそのような状
況に対するあなたの無自覚に苛立っているのですよ。それをあなたは「一般化」
といい「不可」という。ひゃっきまるさんのような発言に到る背景に対して、
あなたは想像力がなさ過ぎるのではないかと私は言っているのです。
819 :
乾闥婆:04/09/29 23:29:08 ID:MBJEU3I2
>>790(続き)
>上に記したようにあなたの論理は破綻しています。
そしてそれは私の論理ではないことをすでに述べました。
>その上、私は五時八教について肯定などしていないし、
それをもって優劣をつけるということもしていません。
そうですか。「比較・相対」の基準としても認めませんか?
>でたらめなことを書いて批判するというのは卑怯なことですよ。
私があなたを批判したのはひゃっきまるさん対して「軽蔑に値する」という言
葉を吐き付けたことに関連してだけですよ。もう一度私の文章を読み直して下
さい。あなたがひゃっきまるさんに対して「軽蔑に値する」といったことはで
たらめではなく事実です。
820 :
乾闥婆:04/09/29 23:58:42 ID:7+ZT6632
>>803 銀舌居士さん。
>過去のことは言っていない。
現在のという意味である。
過去に教育された者はどうでもいいと言うことですか。私やひゃっきまるさん
はつまりはその過去に主張されたことによって生じた負の遺産とでも言うべき
存在でしょう。あなたはそれを切り捨てて知らぬ振りですか。
2世3世もいろいろ気苦労があるのですな。それでもやめられないのはなぜだろう。
>>821 膨大なエネルギーを使ってまで脱会するより、嫌々ながらでも
今のままのほうが楽だからですよ。
おそらくは、離婚や転職と同じです。
人生の方向を変えるのはへとへとになる位のエネルギーが必要です。
これは経験した人間にしかわかりません。
あえてそれをやるほどの動機が無いということではないですか。
なんだ!?
学会では他宗教を邪宗呼ばわりして徹底的に排撃していたくせに、
今は言ってないだと!?実に都合のいい教えだな。
また日本の状況が変われば、排撃するんだろ。
今、学会員にとって邪宗と呼べるのは
池田真理教だけです。(w
825 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ佛所 ◆IByKs72gR2 :04/09/30 00:37:27 ID:dSo3D1Hl
なんじゃそりゃ。
>あなたの言う「仏」がなんなのか分かりませんが、「夕陽の中でブランコに乗
>った娘と妻の姿」を見ている心を「仏」と思ってみてはどうでしょうか
ずっと、レスの流れなどを見ていたのですが、そこで思ったことは、
現代人は、現代人の知識と判断で、「法華経」を触媒として、幸福を得ようとしているのかな?と。
あるいは表現を変えると、
ハワイに行くのに、船もある飛行機もある法華経もある、といったところでしょうか。。。
とにかく、娘と妻の姿は、娘と妻であって「仏の心」は余計な感じがします。
うまく表現できませんが、「仏」が入るとちょっと濁ったイメージになります。私は。
>僕が言った事は、マッチ・ポンプの原理とは全く違います。
>創価学会の信仰の特徴は、具体的に生活を改善していこう、という目標をもっていることです。
>これは、自己啓発セミナーや他の新興宗教にも共通する価値観と思います。
そのことを否定はしません。
ただ実態に問題がある。それは、若干認識の違いがあるとはいえ、
「実態に怒っている」ことは同じことだと思います。
「自称正義が悪をなす」ことは宗教を問わずありうることです。
「宗教に優劣がある」などというバカを言うものが、
たぶん「自称正義」の団体の愚行を助長するのでしょう。
昨日の酒が残っているかな(笑)。朗読して寝よう(もちろん法華経ではないよ)。
>>829 何をよむんだ?
俺は寝る前に新約聖書をよく読むけど。
学会員として他の宗教についても知っておくことは
必要だからな。
学会員の中でも一部の池田教徒は違うようだが。
832 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/30 11:54:38 ID:AF8NwE6D
>>830 >学会員の中でも一部の池田教徒は違うようだが。
なぜ?一部だと思うの?
>>816-819 あなたは言っていることはでたらめですね。
少し頭を冷やして下さい。私のほうからはもうコメントをつけません。
私がひゃっきまるさんを軽蔑したことであなたが怒っているというのは
よく理解しましたが、私は彼を罵倒をしたわけでもないし、
本来あなたから責められる謂れなどないのです。
そもそも私が何故「軽蔑に値する」と言ったのか、あなたは理解できていません。
勝手な思い違いのもとに批判されて、私ははっきり言って迷惑をしています。
あなたは個人の問題に軽々しく首を突っ込みすぎですよ。
>820
>過去に教育された者はどうでもいいと言うことですか。私やひゃっきまるさん
>はつまりはその過去に主張されたことによって生じた負の遺産とでも言うべき
>存在でしょう。あなたはそれを切り捨てて知らぬ振りですか。
切り捨てる?知らぬふり?
最初からあなた方と私には何の関わりもありません。
最初からあなた方と私は知らぬ者同士であります。
あなたは私の何を知っているというのですか?
あなた自身の問題はあなた自身が現実世界で解決するしかないのですよ。
なんか昔いた、コテハンの
学園出身クンを思い出したーよ。
滝なんとかだたーけ?
傾向性が似てるな
銀チャンは学園かS大にゆかりのあるヒトかい?
居士と名乗ってるわりには
オンナのような感性の持ち主だね。<銀ちゃん
まぁ根拠などないんですけどね、
イノチで感じるっつーの?
メメシイ
それと
『 他 宗 を信仰したら不幸になる』
イエスorノーで宜しくね。<銀ちゃん
池田真理教の教義は
『復讐こそ最も崇高な生き方』コレにつきる。
スピーチで公言しているので、嘘だと思うなら調べてご覧なさい。
第一次宗創戦争で学会はボロボロに負けた。
池田はその恨みを絶対に忘れることはない。
弱いから負けたんだよ。
2020年代頃の教学試験には
是非とも「池田真理教の邪義を破す」を
出題してもらいたいものだ
>>799 銀舌
>>学会は他宗教を邪教呼ばわりしていません
>>宗門に対してのみの事柄となります
あのさぁ。会長講演集は池田大作の講演を編集してあるわけだが
身延のことを邪宗といっているぞ。
池田は過去にこのようなことを言って反省もしない。
現在は違うならどうして変更したか説明すべきなのだよ。
その説明も反省もなしに現場で宗門だけを邪教というように
指導しているといっても言ってもなぁ。。。今だって現場でつかっているじゃん。
実際に年輩の学会員は他の宗教のことをどこでも邪教といっている
人たちはいくらでもいるぞ。それは池田のクズが発言をころころ変えながら
なんの反省もしないのが原因なのだがね。
反省もしない変更したことの説明もなし、それで昔からの学会員の意識は
他の宗教は邪教のまま。池田の無反省、適当な発言による被害は
非学会員に及びそれが池田教徒だけではなく、わしのような真面目な
学会員にまで跳ね返ってきている。
いま、目を外に転じますときに、なんら学会には関係ありませんが、身延の管
長のむすこだった石橋氏が首相になられたわけだありますが、もし身延に信心が
あり、身延に大聖人様の仏法があり、大聖人様の御予言に生きていたとするなら
ば、石橋氏が首相になったときこそ、公布を標榜するときであるにもかかわらず、
なんらの機運もなく、党利党略のみを考えて、ひとつも信心がないという姿は、
身延の宗教には大聖人様の御精神がないという証明なのです。
雑草は先に伸びますが、本物の木は、きっとその雑草の中に伸びる。これと同
じに、邪宗教は先にひろまる。同じく、いま、身延を代表した内閣が組織される
ことは、まさしく戒壇建立の暁にはわが学会員にとり、かつ、わが男子青年部の
手によって内閣を結成して王仏冥合を、大聖人様の御予言を達成すべき瑞相とも
いえるのではないかと思います。
『会長講演集 第三巻』昭和36年11月5日初版発行 P75
>銀舌
これも池田の講演集なのだが。。。
激しく他の宗教を批判しているぞ。まさに池田は既知外だ。
こんな本まで出しておいて全く反省もせずに、あの発言は
間違いだなどと訂正もせずに、現在は宗門だけが邪宗は無理があるぞ。
そういいたいなら池田は自分の誤りを認めるべきなのだよ。
池田は狂っているとおもわないか?
池田が狂っているソースなんていくらでもあるのに池田先生のために
1000万票、池田先生はなんでもわかってくれている、ソース、ソース、
IP公開、アク禁だなどと騒ぐ池田教徒がもし君の周囲にいたら
よろしく伝えてくれ。居たとしても気が進まないからいいけどねん。
学会に入って思ったけど学会員はいい人が多いのに池田のクズにだまされて
居る人がいる。
創価学会は、日本の柱なのはとうぜんでありますし、私は、世界の太陽が
創価学会であると断言するのであります。
他の教団、他の指導者たちは、ぜんぶウソつきであり、権力や名誉のために働いております。
私どもは、だれびとから批判されろうとも、だれびとから悪口罵詈されようとも、
日蓮大聖人の弟子らしく、日蓮正宗創価学会人らしく、堂々と、この人生を楽しく、
力強く、団結をして進んでいこうではありませんか。
『会長講演集 第二巻』 P95〜96
>銀舌居士さん、乾さん
今時間がないので、全てのレスは週末にでもつけるつもりですが、少しだけいいたいことがあります。
もし銀舌居士さんが創価学会を非難する僕を仏敵とみなし、僕に議論で打ち勝つことを目標としているのでしたら、大変残念に思います。
僕ははなから、このような掲示板で議論の勝敗などつくことは期待していません。
「負けない」ための議論など容易だからです。
もう一度言います。勝敗のための議論など全く無意味です。
僕が議論するのは、自分の悩みや考えを正直にぶつけ、また、相手の考えを理解するためです。
議論の過程によって自分の考えが変わることを望みさえしています。
また、相手に自分の考えを正確に知ってもらいたいと思っています。
もし勝敗にこだわれば、自分に「嘘」をついてまでも、負けないための議論を展開せざるをえないでしょう。
しかしそれは無意味なのです。
お互いに、とことん自分の正直な心に誠実になることをこころがけるしか、この議論が無意味になることを防ぐ道はありません。
お互いの信頼関係が必要です。
僕は信用に足らない、と思うのなら、どうぞここで議論を中止してください。
信頼関係なく議論を続けても決して意味のある成果を導くことはできないでしょう。
>銀舌居士さん、乾さん(続き)
僕は2世として、いろいろな意味で悩んでいます。
創価学会を肯定したい気持ちと否定せざるをえない気持ちに引き裂かれているということです。
それは非常に深刻なもので、僕も決して生半可な気持ちでこんなことをしているわけではないということをご理解ください。
このような2世の悩みが、創価学会という宗教の問題点に起因するのではなく、僕や乾さんの個人的な問題に起因する、というのが銀舌居士さんの主張であるならば、もう少し議論を続けたく思います。
僕が創価学会での活動をしていたころ、最も後悔しているのは、自分の心に嘘をつきつづけたことです。
それは吐き気を催すほどの感情です。大切な友達を何人も失いました。
だから、僕は決して自分の心に嘘はつかないと誓ったのです。
それを信じてほしいと思います。そして銀舌居士さんも自分の心に嘘をついた議論を決してなさらないでください。
どのような形での決着かはわかりませんが、引き裂かれた僕の2つの心が和解できればよいと思っています。
>顕正会と学会を勘違い
ね。 数十年前なら違和感ないと思うよ。
たった5年で過去だで済ませ、何も無かったように振る舞い
都合が悪くなるところころ変わる程度の低いものなのか?
ひゃっきまるさんは、真面目だなあ・・。
あまり、創価学会にこだわらないほうがいいかもしれませんね。
あなたの中にある「創価学会に関する思いや知識もろもろ」も、
地球全体で考えると、やはり0%になってしまうのですから。
いや、0%と誹謗しているのではなく、
「それ以外の、100%の世界」が貴方の人生の前に広がっている、と申し上げたいのです。
3年ぐらい、完全に創価学会から引いて、このスレにも出入りせず、
いろいろとめぐってこられてはいかがですか?
貴方にとっては「仏教」や「学会」が心の檻になっているかもしれません。
(勝手なことを申し上げてしまいました。・・いつもですが・・)
845 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/01 00:24:23 ID:cL5+x3u8
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:i' i:| !:::l _,r.、;;;;;,r''´ヽi. ll::i i::i l:::'i
それから、誰かが宗教を米やパンなどの主食に例えていたけど、
ちょっと違うなあ・・・。このスレでは・・・。
「日蓮的なるもの」は米だけを食べろ、パンを食べると不幸になる、というわけですよ。
たとえですけどね。
それから、主食にも優劣がある、と言っていたかもしれないけど、
それも違う。必然的に副食は風土によって決まってくる。
そういうものもセットに考えないとね。
栄養だけで比べるとカロリーメイトがベストの主食になるかもしれない。
ハワイでは、題目や法華経信仰は似合わない。
宗教に優劣なんかないよ。風土や歴史とセットで考えないとね。
それから、せっかく「日蓮って」というスレですから、書いておきますが、
「日蓮って」、病死しました。史実です。
受け止め方は、それぞれ、各人におまかせしますが、書いておきます。
>>839-840 邪宗を他宗と呼ぶようになった理由は、
邪宗と呼ぶことを悪と考えるようになったからではない。
国内においては他宗に拡大の勢いがもうないということや
学会の世帯数が非常に多くなったこと、
公明党の政権入りなど立場的にも客観的に見て優位になっているという現状、
そうしたことを踏まえての変更なのである。
であるからして反省はなくて当然と言えば当然なのである。
>池田が狂っているソースなんていくらでもあるのに池田先生のために
>1000万票、池田先生はなんでもわかってくれている、ソース、ソース、
>IP公開、アク禁だなどと騒ぐ池田教徒がもし君の周囲にいたら
>よろしく伝えてくれ。居たとしても気が進まないからいいけどねん。
何を言っているのか理解しがたいが、私の周囲に「池田教徒」なる者はいない。
あなたはよく言えば天真爛漫であり、悪く言えば気配りの下手な人物である。
あなたが反池田であり、そういった内容の書き込みを2chでするのは勝手だが、
例えば楽しいお酒の席でそういう話題ばかりしたとしたらどうだろうか?
参加者は引いてしまうし、次から飲み会に誘われなくなってしまうだろう。
場を弁えない人はその場から排斥されてしまうものなのだよ。
単にそういった次元の問題である可能性もあるのではないかと指摘しておく。
おまけ。
くびらぃさん、私はあなたの天真爛漫な性格は別に嫌いではない。
しかし、反池田ということに執着しすぎるあまりに今のあなたは
その魅力を害っているように思う。
あなたがどのような意見を持っていようとも私は別に構わないのだが、
ただ、執着しぎるというのはよくないだろう。
それではあまりにも偏狭になってしまうし、ギャグが足りなくなる。
もう少し気持ちを楽に持っていたほうがあなたはいいキャラになると思いますよ。
851 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :04/10/01 16:04:36 ID:XLmQyCGF
>>848 昔はそう説いていたけど、今はそう説いていないってことは
将来そう説いて、他宗を迫害する可能性があるってことでいいですね
そんなことは無いなんて言うのは無しですよ
それはあなたの思い込みなんですから
「他宗を邪宗と呼ぶのは別に悪い事じゃないぜ。あいつらもう増えそうにないし、
俺たちは“非常に多くなった”しね。邪宗と呼んだことに反省?するわけないじゃ
ん。政権与党だしさあ。」
っていうことなんだよな。
こわいね、この人たち。
ところで、卒業したんじゃなかったの?
>それではあまりにも偏狭になってしまうし、ギャグが足りなくなる。
何かおもしろいこと言ってくれ。
何かおもしろいこと言ってくれ。
銀ちゃん、ギャグが足りてるんだろうから。
銀ちゃん、ギャグが足りてるんだろうから。
>>銀舌
>>反池田ということに執着しすぎるあまりに今のあなたは
勤行に池田を感謝するという箇所が入ったことがとっても
気に食わないのじゃよ。
それに関しては地区でも幹部とかに文句いいまくったから
男子部の同志とも最近は言い争いが絶えない。
きみの意見には真摯に耳を傾けておくべき点も含まれているようだから
参考にさせていただこう。
>>854 今までの投稿が全部
捨 て 身 の ギ ャ グ !
>邪宗を他宗と呼ぶようになった理由は、
今ガカーイが他宗と呼んでるのは邪宗なの。
あくまでも邪宗なの。他宗って言ってるだけで邪宗は邪宗なの。
邪宗は邪宗なんだけど、いろいろあって他宗って言ってるだけなのよ〜。
ってことなんだな?
銀ちゃん、体裁を保ち続けるのは骨が折れるだろう。
アンタは開き直るのが下手なんだ。
体裁を取り繕うように、取り繕うようにと開き直る。
お気の毒様。
滝山ってホント人格を弄りたくなるキャラだった。( ´,_ゝ`)
Sbさん、ご回答ありがとうございます。
私もすべてのレスに答えるわけではありませんが、いかがでしょうか?
>かわすというよりは、あなたが求めているような答えは仏教には無いのです
>明確にこうであるとしてしまうと違うものになります
>もっと言えば、答えは誰も提示することは出来ません
>さまざまな事象から、あなたが答えを悟る以外に無いのです
悟りは、各個人にゆだねられているのですね。
もし、そうであるならば、
「仏教」にこだわるのは、むしろ選択に「壁」を作ってしまいそうです。
幅広く読書し、思索し、「あらゆる宗教・思想」から「いいとこ取り」をすれば良いのではないでしょうか?
「仏教」にこだわるのは、一つの「とらわれ」であり、悟りの障害になる可能性はないでしょうか。
(「日蓮的なるもの」はこうした考え方を否定すると思うのですが・・・)
861 :
乾闥婆:04/10/02 00:22:44 ID:9YPG+Nk5
>>833 銀舌居士さん。
>あなたは言っていることはでたらめですね。
少し頭を冷やして下さい。私のほうからはもうコメントをつけません。
せめてどこがでたらめか指摘して下さいませんか。一方的にでたらめと言われ
て、もうコメントもしないといわれても、わけが分かりません。そのような「軽
蔑に値する」行為をあなたがしてはいけないでしょう。
>本来あなたから責められる謂れなどないのです。
私はかつてひゃっきまるさんと議論を戦わしながら多くの問題を共有している
ことを確認しました。ひゃっきまるさんがあなたにあのような問いを発した心
情はよく理解しているつもりです。その問いに対してあなたは「軽蔑に値する」
と言い、2ちゃんの特質を知り尽くした上での計画的な問いだと断じた。その
ような侮辱は私に対してなされたも同然なのです。
862 :
乾闥婆:04/10/02 00:23:37 ID:9YPG+Nk5
>>833(続き)
>そもそも私が何故「軽蔑に値する」と言ったのか、あなたは理解できていません。
勝手な思い違いのもとに批判されて、私ははっきり言って迷惑をしています。
あなたがその発言をなされた前後を引用してみましょう。
引用
>>676 >しかし「五重の相対」で示されている事柄をコト的に捉えるならば、 原理としては現代でも機能すると私は考えています。
例えばその「原理」を用いて具体的に、「キリスト教」「スッタニパータ」「般若経」「日蓮宗」はどのように「創価学会」より劣っており、信仰すると不幸になる、と言えるのでしょうか。
ぜひ実演していただきたく思います。
引用
>>700 あなたは他の宗教を批判することを否定しているのに、
私にそれをさせようと言うのですか?
自己矛盾もいいところですね。軽蔑に値します。
863 :
乾闥婆:04/10/02 00:24:36 ID:9YPG+Nk5
>>833(続き)
なぜあなたが「軽蔑に値します」といったのか。それは理解するもしないもな
くあなた自身がはっきりと言っていることですよね。ひゃっきまるさんが他の
宗教を批判することを否定しいるのにあなたにそれを実演してみてくれと言っ
たから、とあなた自身が言っています。しかしひゃっきまるさんは「五重の相
対」が原理としては現代でも機能するというあなたに対して、どのように機能
するのかを示してほしいと言っているのです。彼は五重の相対が原理としては
現代でも機能するし、そのことは他宗批判につながるわけではないことが、ど
のようにしてありえるのかを知りたかったわけでしょう。理解できなかったか
ら。あなたに他宗批判させたいなどということが彼の本意ではないことがなぜ
読みとれないのでしょうか。彼は二世として次のように教育されています。
引用
>>676 >まず、僕が昔創価学会で五重の相対、五時八教を習った時には、「現代においてはどうなのか」という点について全く教えられませんでした。
それどころか、まるで鎌倉時代に考えられたこれらのことが現代でもそっくりそのまま通じる、というように習いました。
ひゃっきまるさんはそのように教えられてきたのですから、五重の相対、五時
八教といったものが、他宗批判を伴わないかたちで、どのように現代に機能す
るのかを本当に知りたかったのではないですか? しかしあなたは彼の問いに
答えることもせず「軽蔑に値します」と切り捨てました。あなたは彼を軽蔑す
る前に、五重の相対が原理としては現代でも機能するし、そのことは他宗批判
につながるわけではないこと具体的にきちんとを説明すべきだったのです。
これは、悩んでいらっしゃる「ひゃっきまる」さんからもレスをいただけるとうれしいのですが・・・
(いままでの行掛かりから、あまり期待してはいけないとは自覚しています)
865 :
乾闥婆:04/10/02 00:25:26 ID:9YPG+Nk5
>>833(続き)
>あなたは個人の問題に軽々しく首を突っ込みすぎですよ。
ひゃっきまるさん個人の問題に、ということですか? 上に記したとおりそれ
は私個人の問題とかぶるのです。
>最初からあなた方と私には何の関わりもありません。
最初からあなた方と私は知らぬ者同士であります。
あなたは私の何を知っているというのですか?
掲示板における関わりはその場で形成されるものでしょう。私はあなたがこの
スレッドで発言した内容を知っています。あなたも私がこのスレッドで発した
言葉を知っています。それ以外のなにを知ろうというのですか。私は創価学会
員であり、あなたも創価学会員である。私とあなたの関係はそれで充分ですよ。
今回は、乾闥婆さんの言葉は、よく心に響きますね・・・。
私は今まで乾闥婆さんを激しく誤解していたのかもしれませんね。。。
>>866 世界ーーー
よっていて書き込みする手がおぼつきませんが
学会員である私は寝る前に新約聖書をよくよみます。
あなたは何を読むのですか?
はぁ・これだけ書き込むだけでも訂正に大変ですた。
それと私は銀舌の言葉が心によく響きます。
868 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ佛所 ◆IByKs72gR2 :04/10/02 00:49:47 ID:C9o7tLQ6
その新約聖書も大本経典や天理経典風に日本語訳すると、とたんに怪しい
雰囲気になるんだよな。(藁)
>>868 全然。
映画館でのお前の方が、断然怪しい雰囲気になるのだが。
大本かぁなつかしいなぁ。
今日はよっているからねまちゅ。久しぶりにこれほど酔った。
まともにキーボードがうてない。
またね>はきたん 今度、宮にあそびにいきまちゅよ。
富士見の女はかわいいでちゅね。
酔っていてHNをいれわすれますた。
870はわしじゃ!!!!!
872 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ佛所 ◆IByKs72gR2 :04/10/02 01:00:56 ID:LI8p30ZA
わかってるよ。(藁)言葉尻で。(ゲラ)
おやすみ。
>>844 世界〜さん
例えば、自分の両親は地球の人口からすると0%でしょう。
自分の生まれ育った街の人口だって、0%でしょう。
両親や故郷は、たとえ0%でも、自分という人間を構成している大きな部分です。
世界〜さんの奥さんだとか、ご家族を考えたらどうでしょうか。
恋人の存在や、恋人の言葉は、世界から見ればちっぽけかもしれませんが、自分にとっては一番影響を与えるものかもしれませんね。
自分の人生ですから、世界人口という分母で割ることにあまり意味はないと思います。
違う世界に目を向けるのは大切ですけどね。
>>789銀舌居士さん
>「折伏しない人=卑怯者」なる意識構造など私は知りません。
>あなたは顕正会と学会を勘違いしているのではないですか?
「折伏しない人」は、面と向かって「卑怯者」とまでは言われないと思いますが、「駄目な人」「やるべきことをやっていない人」という目は確かに向けられていると思います。
程度の差こそあれ、これはどこの創価学会の地域でもあると思います。
よく聞く例え話として、「折伏をしない人は美味しいご飯を独り占めにして食べて、他人に分けようとしない心の卑しい人」というものがあります。
銀舌居士さんのところではどうでしょうか?
>>789銀舌居士さん
>天台宗が折伏をしていましたか?積極的に弘教していましたか?してないでしょう。
天台の五時教判における法華最勝とは、法華経を「円教(欠けることなく全てを含む教え)」とする意味であり、はなから他宗を否定などしていません。
仏教の全ての教えを包含しているという意味での法華最勝であり、他宗を信仰することによって不幸になるという主張など天台はしていないのです。
>にも関わらずあなた方は、五時教判や五重の相対に「唯一絶対」「正義」の根拠を求める、これは非常識です。破綻していると思います。
>>780で論点を明確にしようと3つの選択肢を提示しましたが、やはり明確にお答えいただけなかったようですし、よく理解されなかったようですので再度説明します。
僕の考えは、以下のようなものです。
(1)創価学会は他宗を信仰すると不幸になる、という主張をしており、
(2)その教義的根拠として「五時教判」「五重の相対」を会員に教えている
(3)その根拠は現代では通用しないものであるが、ほとんどの会員はその事実を知らない
僕も乾さんもとっくに五時教判や五重の相対が「唯一絶対」の根拠になどならないことは分かっています。
それを「唯一絶対」の根拠にしている創価学会を批判しているのですから。
>>789銀舌居士さん
>それと一つ言っておきますが、私はひゃっきまるさんを甘く見ません。
>彼はこの板で1,2を争うほどの古参コテハンであり、根っからの2chネラーであり、
>しかも波木井などと違って叩かれるということもなく今までやってきている。
>叩くのはごく一部の学会員しかいないし、そういう人はもうここにはいない。
>ある意味、不自然なことです。
この文章を読んだ時、はじめは何のことかよく分かりませんでしたが、直感的にひどく侮辱的なことを言われているのではないかと思いました。
一言いいたいのは、僕は乾さんとも世界〜さんとも激しい議論をしたことがありますし、おそらくその議論に決着などついていません。
しかし、僕はお二人になんら悪感情などもっていないし、お二人からも僕に悪感情はもたれていないでしょう。
議論によって、お互いに解りあうことができなかったにも関わらず、解りあうことができたのだと思います。
「考えが違う」ということは相手を忌避したり軽蔑する根拠にはならないからです。
>>799銀舌居士さん
>ですから「何を根拠と信じて他宗を邪教としているのか」ということは
>宗門に対してのみの事柄となります。確認しますがそれでよいのですか?
現場では未だに創価学会以外の他宗を「邪教」と呼ぶ人は多くいますが、確かに公共物ではそのような呼び方はやめているようですね。
では、「何を根拠と信じて他宗を邪教としているのか」を、「何を根拠と信じて創価学会以外の他宗を信仰すると不幸になるとしているのか」に訂正いたします。
>あなた方の批判は宗門に対しては当てはまりますが、現在の学会に対しては
>当てはまらないのです。現実世界に即したことを言ってください。
では確認しますが、今の学会と昔の学会は教義が違うのですね? 違うのでしたら、どの点が違うのかも明確におっしゃってください。
>自分の「五重の相対」についての認識が間違っていました、ということを
>認めなければいけないのです。
僕の質問の意味を全くとりちがえているように思います。
論点を整理するために、
>>780で提示した、1、2、3のうち、どれに該当するのが正しいのかお答えいただけませんか。
どうも、1と見受けられる発言、2と見受けられる発言、3と見受けられる発言が混じっているように僕には思えるのです。
>>850 パスワードによってはよくある現象だ。人違いである。
>>851 私がそんなことを言うと思っているあなたのほうこそ、
とんでもない思い込みをしている。
>>841 >お互いの信頼関係が必要です。
>僕は信用に足らない、と思うのなら、どうぞここで議論を中止してください。
では正直に言うが、あなた方のことを今は全く信用していません。
30日のレスまではまだ信用する面も残っていましたが、
その後の、けんだっばさんとひゃっきまるさんの「態度」を見、
私はあなた方にすっかり失望してしまいました。
失礼ですが、とてもではないが良識ある人間と思えないのです。
議論自体は語り尽くしていないため、続けたいという意志はある。
今後、続けるかどうかはあなた方の次のレスを見て判断させて戴きます。
>銀舌居士 ◆NYbq0lZQG6
内容に触れず総論否定するだけなら小学生でもできるぞ。
お前こそが最も軽蔑に値する。
>>879 議論の内容を否定しているのではないから内容に触れていないのだ。
881 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :04/10/02 08:52:44 ID:5/UQe+jw
>>876 >しかし、僕はお二人になんら悪感情などもっていないし、・・・
そうですね、だから意見をぶつけ合うのですよね
対話ってのはそういうことだと思います
くびらぃさん。
>学会員である私は寝る前に新約聖書をよくよみます。
>あなたは何を読むのですか?
今は「本気の教育でなければ子どもは変わらない」です。
最近、若手で頑張っている原田先生の本です。
もっとも、著者の彼は教員を卒業して人材育成の方面に行ったようですが。
歳を重ねると発声が悪くなります。だから朗読は必須なのです。
ひゃっきまるさん。
>例えば、自分の両親は地球の人口からすると0%でしょう。
>自分の生まれ育った街の人口だって、0%でしょう。
>両親や故郷は、たとえ0%でも、自分という人間を構成している大きな部分です。
どうも意図が伝わっていないようですね。
「世界人口を100%とすると、【学会員ではない人】が100%です。」
こう書いたほうが、意味がより通じるのでしょうか?
両親も学会も0%ですが、「自分に大きな影響」があるのはあたりまえです。
それ以外の「100%の広い大きな世界が広がっている」と言いたいのです。
いつまでも「マザコン」「ファザコン」では困りますよね?
くびらぃさん。
「新約聖書」をお読みとの事。
思い出したので書きたくなったのですが、
統一教会問題で教会に出入りしていた頃(今は行っていません)、
新約聖書を読んでいて感動した部分があったことを思い出しました。
確か「ヨハネの第一の手紙」に、【神の定義】が書いてあったと思います。
@神は光です。そしてA神は愛です。・・この2つの定義です。
「神は愛です」・・・ちょっと、若い当時の私には、カルチャーショックでした。
885 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :04/10/02 09:03:42 ID:5/UQe+jw
>>878 まず、私へのレスに関して
って事は、可能性があるってことを認めたということで受け取ります
それから、話の流れから
そもそもあなたは学会に批判するということが気に入らないのですよね
そのような人とは対話などできないし、信用などできるわけが無い
あなたは学会が正しいことを前提としなければ対話ができないのです
それに、あなたは二人の質問に何も答えていない
いや、二人の質問の趣旨を理解していない
ひゃっきまるさん。
>「考えが違う」ということは相手を忌避したり軽蔑する根拠にはならないからです。
本当にそのとおりですね。
人間は複雑多面体。一つの面が合わないからといって、全人格的対立になるのはおかしいですよね?
たとえば、
「宗教では徹底的に対立する。だけど年末は第九で一緒に合唱ができる。」
「政治の話では激論になる。しかしテニスの話では盛り上がる」といったように。
学会の方々も、宗教では日蓮正宗と徹底的に対立すればよろしいが、
たまには一緒にバーベキューにでも行くとよろしい。
「宗教面」の対立が全人格的対立になるのは、「餓鬼(ガキ)」の世界ですよ。
54 名前: ペルシャ☆ (9qsEuYFE) 投稿日: 2004/05/24(月) 21:02
遥様、モーリス様、はじめまして☆彡
ペルシャ☆ですの。よろしくお願いいたしますの。
銀舌居士さん。おひさしぶりですの。
ふふふ・・・☆
お名前は変えていてもトリップでわかります・・・☆
皆様、ご熱心に討論されているんですのね。いいことだと思いますわ。
77 名前: 銀舌居士 (ozoLVp46) 投稿日: 2004/06/08(火) 00:26
レスが大変に遅れまして申し訳ありません。
>>28 つぶやきさん
現在、仕事などで忙殺され気味ですので、ここには
あまり時間を割けられませんし、いつまで書き込むかも
わかりませんがよろしくお願い致します。
>>54 ペルシャさん
はて、どこかでお会いしたでしょうか?
人違いじゃありませんか?(笑)
学会員はシレっとウソを言います。
私は地域の幹部に対して、あまりのシラの切りように
唖然としたことがあります。
みなさんなかなか同じ議論のテーブルになかなかつけないと言った感じですね。
学会は「宗教批判の原理」を持っていて、この中に五重の相対や五時八教も含めれている。
とにかく、内容や表現が多少変ろうとも現在でも「宗教批判の原理」と言う考え方は変ってないのは間違いないですね。
ただ、「宗教批判の原理」という中での「宗教」とは思想全般を指しているのであり、特定団体や法人や宗派などではないと思います。
逆に学会の「邪宗」や「他宗」と言った表現には、他の団体や当時の宗派そのものを指している場合が多いのではないかと思います。
銀舌さんはこの辺の議論の捉え方を言っているのではないでしょうか?
また、このスレに参加している方々も何らかの「思想批判の原理」を持って書き込んでいるのですから、
「批判原理」そのものを否定すると議論にならなくなってしまうと思うのですが・・・
ついでに言うと、価値論を基にした学会の言う、
勝劣、高低、深浅、とは価値評価の(大〜小)を言っています。
正邪、とは認識が正しいか誤っているかの○か×かのどちらかという事です。
「価値評価の比較」に「認識の正誤」を持ち出すと話がややこしくなります。
>>883 世界〜さん
言いたいことはわかります。
僕も別に創価学会や仏教だけに関心をもっているわけではありません。
過去に向き合う必要もあるというだけです。
例えば、幼児期になんらかのトラウマをかかえた人間は、そのことから逃げるだけではおそらく精神的な治療にはいたりません。
生まれた直後からの社会への排他的ドグマを含んだ宗教教育は、大きく人格形成に影響を与えると思います。
>>889-890 マハーバイロさん
僕は宗教はなんでもいい、と思っていたり、思想はなんでもいい、といっているわけではありません。
また、「価値評価の比較」と「認識の正誤」を混同しているということもありません。
おっしゃることは充分にわかっておりますので、念のため。
>皆さん
ダメもとで聞いてみるのですが、「日蓮って」のver.1から ver.9までのログを持っている方はおられませんか?
マハーバイロさん。
>価値論を基にした学会の言う、
>勝劣、高低、深浅、とは価値評価の(大〜小)を言っています。
これは私の考えですが、
宗教の「勝劣、高低、深浅、などの価値評価」は
地域により、風土により、個人により適したものが違うと思います。
高すぎてもいけない、深すぎてもいけない。
誰かが法華経の教えを薬に例えましたが、
「風邪薬こそ最強の薬で、胃腸薬(他教)はそれよりも低い存在である」とは言えない。
また、薬(宗教)を必要としないほど健康なら、それが「ベスト」とも思われます。
>>892ひゃきまるさん
了解です。
しかしそれならば、銀舌さんへの
>他宗を信仰すると不幸になるとしているのか
という質問はチョット意地悪な気もします。
>僕が創価学会での活動をしていたころ、最も後悔しているのは、自分の心に嘘をつきつづけたことです。
> それは吐き気を催すほどの感情です。大切な友達を何人も失いました。
かなり深刻な発言と受け止めますが、
私が1世の為なのか、正直よくわかりません。
確かに2世3世の学会員の人達とは違和感を感じることはあります。
私の違和感を感じる一番大きい原因はやはり彼らの「池田先生」信奉度について行けない
という感じだったのですが・・・
ひゃっきまるさんや乾闥婆さんの言う、2世3世の問題ってなんなんでしょう?
>>894の私の書き込みに対する反論は、もう耳元で聞こえますが、
今のうちに、すかさず
「史実として、日蓮は題目を唱えていても病死しました。」ということを書いておきましょう。
また希望的観念だけの「うちの宗教はスゴイ論」が始まってしまうといけませんからね。。。
>>894 世界さん
風邪の症状のない人や時に風邪薬はいりません。その通りだと思います。
どうせ飲むなら一番良い風邪薬にしたいだけです。
私も実は「プロテスタント」でした。ネームはありませんが・・・
今度、聖書もひさしぶりに読んでみようと思います。
>>895 マハーバイロさん
>>他宗を信仰すると不幸になるとしているのか
> という質問はチョット意地悪な気もします
これはこの議論の最要点です。
創価学会が「価値評価の比較」ではなく、はっきりと「認識の正誤」として他宗教を誤っているとみなしているかどうか、なのですから。
また、「価値評価の比較」として他宗教を劣っているとみなしているとしても、その根拠も同様に求められるでしょう。
>ひゃっきまるさんや乾闥婆さんの言う、2世3世の問題ってなんなんでしょう?
乾闥婆さんが僕をフォローする発言の中でだいぶ詳しくおっしゃっていたと思います。
このことについては僕もこのスレッドで何度も発言しました。
僕は「唯一性」「排他性」の教義に主要な問題点が還元されると思っています。
>創価学会が「価値評価の比較」ではなく、はっきりと「認識の正誤」として他宗教を誤っているとみなしているかどうか、なのですから。
創価問題の本質ですね。
例えば人種について「価値評価の比較」は出来ます。
運動能力、頭蓋の容積、免疫力、等々。
ところが「邪悪で劣悪で排斥されるべき人種」としたならば、
大変なことがおこります。
>私も実は「プロテスタント」でした。ネームはありませんが・・・
>今度、聖書もひさしぶりに読んでみようと思います。
そうでしたか、私も法華経を朗読素材の一つにしようと思っています。
口語のほうですけれどね。もちろん功徳も罰もないことは承知の上ですが。
「創価ひとすじ」の人は、見渡す限りの平原に、
小さく柵で囲った花壇だけで暮らしている人に似ています。
花壇の植生には誰よりも詳しくて、いろいろ教えてくれるのですが、
柵の外に出ると「罰」があると怯えているのです。
「ためしに出てみる」ということが出来ず、無理に出そうとすると怒ってしまいます。
この与えられた恐怖感は「法華経」が原点だと思っています。
確か、石井いさみ先生の「人間革命」冒頭のシーンは、
「ご本尊を大事にしなかったから恐ろしい仏罰があああ!」という場面でしたね(笑)。
あれ?本尊は法華経には出てきませんね(苦笑)。
やはり日蓮の「恐怖アレンジメント」が凄かったのでしょうか?
それとも創価学会の?
904 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :04/10/02 18:21:53 ID:hjT2Yala
>>897 ひとえに風邪薬といっても、その症状によって変わるわけです
鼻づまりの人が鼻炎薬をこれが一番良いと、咳をしている人に勧めても意味がないですよね
いや、意味がないって言うより、危険性すらあるわけです
つまり、自分にとって一番良い薬が他人にはそうであるとは限らないのです
最も優れている薬では効きすぎてしまう人もいる
だから、私は日蓮さんの提唱した折伏、王仏冥合、広宣流布、五重の相対などは
劇薬であるのだから、おいそれと扱うべきではないと思います
それと、薬には人を心をコントロールできる薬もあるのですよね
905 :
Sb ◆SbSGI7AtEA :04/10/02 18:37:38 ID:hjT2Yala
>>898 学会の「唯一性」「排他性」というのは、日蓮さんや正宗が持っていた要素もあると思うのですが
おそらく、維新後の西洋化に端を発する、キリスト教などの西洋宗教への憧れから
それらの持つ、一神教的宗教観を仏教的宗教観より上のものとする思想にあるのだと思います
よく、「宗教団体はほかの宗教と相容れないのは当たり前だ」というような意見が書かれますが
本来、仏教ではそのようなことは無かったわけです
実際、学会などのカルト要素の強い宗教団体以外は、他の宗派との交流は頻繁に行っています
一神教的宗教観と、仏教的宗教観がどちらが優れているかは分かりません
答えは無いのだと思います
>>904 Sb ◆SbSGI7AtEA さん
ひさしぶりに同意見です。
私は「薬の使用方法や地図の読み方がよく解らないから先生の指導通りについて行く。」
と言う方々を非難する気にはなりません。
全ては指導者の責任であると思うのですが、とりあえずスレ違いですので控えます・・・
>>905 >一神教的宗教観を仏教的宗教観より上のものとする思想にあるのだと思います
非常に的を得ている考察だと思います。
確かに、大正デモクラシー的思想が根本にあるように感じますね。
これもスレ違いなのでマターリと・・・
>>885 >まず、私へのレスに関して
>って事は、可能性があるってことを認めたということで受け取ります
私は学会の方針を決められる立場ではないぞ?何を言っているんだ?
普通の人間には確かなる未来なんてわからない。
そんなことは子供だって知ってることだろう。
質問すること自体が無意味なことだ。
>そもそもあなたは学会に批判するということが気に入らないのですよね
>そのような人とは対話などできないし、信用などできるわけが無い
>あなたは学会が正しいことを前提としなければ対話ができないのです
明確にそれは違うと言っておきたい。
それだったらわざわざここに書きこみに来るような真似は最初からしない。
物事には自分で気がつかなければ意味がないことがある。
以下のことは本来書くのも馬鹿馬鹿しいことなのだが、あえて書き記しておく。
そもそもひゃっきまるは具体的な宗教や経典をあげて私に実演しろと命じたが、
そもそもそんな権利は彼にはないし、私も実演する義務はなかった。
具体的にキリスト教、スッタニパータ、般若経、日蓮宗、とあげて
それらを信仰すれば幸福になるとひゃっきまるが本当に考えているならば、
当然のことながら、まずはそれを自分で説明し、証明してみせなければならないだろう。
自分の主義主張をしっかりと論じてから、異論があるなら聞かせてもらおうか、
と持っていくのが筋というものではなかろうか。
そうした筋を通さずに、相手に実演してみろ(私が批判してやるから)
というのは勘違いもはなはだしいことであろう。
具体例を持ち出してくるならば、持ち出す人間が先に論証するというのは当然ではないか。
私は彼に「裁かれる身」でもなければ「魔女」でもない。また、「カウンセラー」でもない。
あなたは、
>あなたは学会が正しいことを前提としなければ対話ができないのです
と言うが、そうした批判は私が受けるところのものではない。
私は彼らにそうしたことを要求していないし、また私の学会に対する感情を想像しろ
などと言って、押し付けるようなこともしていない。
感情を押しつけてきているのはどちらのほうかは言うまでもあるまい。
悩める2世3世の癒しなどというものはそもそもスレ違いであろう。
自分自身の意見を論証して批判にさらすこともなく、一方で相手に対しては、
拒否するにしても応じるにしてもどちらにせよ、その他の人間からの批判を
招くような選択肢をせまり、そうした他者に対して無配慮な方法をとることを
「悩める2世3世」という自己規定で自己正当化する。
こんなことでは信用することは不可能である。
また、
>>841でひゃっきまるは
>お互いの信頼関係が必要です。
>僕は信用に足らない、と思うのなら、どうぞここで議論を中止してください。
と述べているにも関わらず、私の返事を待たずに自らまた議論を再開している。
私にはこれはまったくわけがわからない行為であった。
そして、私一人を相手に、粘着も加えてけんだっばと二人で長文の波状攻撃である。
議論上のやり方についての私の批判を一顧だにすることもなく、
また、正々堂々と、一対一で議論する気など微塵も感じられない、
こうした態度に私は良識を疑うのである。
銀舌さんは、結局、「困った」と言っているだけのように見える。
私の勘違いだと良いのですが・・・。きっと勘違いでしょう・・・。
銀舌さん。せっかく「日蓮って」のスレですのでお聞きしますが、
私は国立博物館の「大日蓮展」で、日蓮さんが長患いの末、61歳で病死されたことを知りました。
一方、学会員は「信仰が病気に効く」かのような言動をすることがありますね?
宗祖が病気治しに失敗しているのに、どうしてこの信仰が病気に効くといえるのか分かりません。
銀舌さん個人は、いかがお考えでしょうか?日蓮さんの病死と教義は矛盾しないのでしょうか?
910 :
乾闥婆:04/10/03 01:33:33 ID:3GAQhnWq
>>908 銀舌居士さん。
>感情を押しつけてきているのはどちらのほうかは言うまでもあるまい。
私に関して言えば、当然のことなのですけれどね。私ははじめから「感情」の
話をしていたのですから。そしてあなたに対しても「感情」を要求していたの
ですから。しかしあなたはあまり「感情」を語りたいとは思っていないようで
すし、これ以上続けても不毛なのでやめたいと思います。そもそもコメントは
もらえそうにありませんしね。
>「悩める2世3世」という自己規定で自己正当化する。
これは言い得て妙と感じました。私はあなたに対して創価学会が生み出してい
る状況に対して無自覚だ、という発言しましたが、その対となるべき私たちの
無自覚でしょう。
>また、正々堂々と、一対一で議論する気など微塵も感じられない、
ひゃっきまるさんの名誉のために言っておきますが、私があなたの発言に対し
て怒りを覚えて議論に割り込んだのであり、一対一の対論を乱したのは私に他
なりません。その責は私一人が負うべきものでしょう。
私はこれにて身を引きますが、銀舌居士さんが五重の相対は原理としては現代
でも機能するし、そのことは他宗批判につながるわけではないといった論を大
いに展開されることを心待ちにしております。それこそ本題であり、私も是非
お聞きしたいと思っている内容です。
それでは、銀舌さん、
@五重の相対、とA日蓮さんの病死の件、良かったらお願いします。
コメントが難しかったら、逃げてもいいんですよ。
この板では「遁走」と言っています。よくあることなので気にしません。
「聞き方が失礼だ!」という逃げ方もOKです。気にしませんよ。
Sbさん。
>最も優れている薬では効きすぎてしまう人もいる
>だから、私は日蓮さんの提唱した折伏、王仏冥合、広宣流布、五重の相対などは
>劇薬であるのだから、おいそれと扱うべきではないと思います
ご承知でしょうが、
五重の相対などの「宗教比較」は、その比較をした人の所属する宗教が必ず勝つことになっています。
「あらかじめ決まった都合の良い結論」があって、それに向かって論説を組み上げているだけです。
「宇宙人はもう地球に来ている!」みたいなトンデモ本も、
「あらかじめ決まった結論」に向かって天文学や遺伝子学などを都合よく引用します。
>>909 >銀舌さんは、結局、「困った」と言っているだけのように見える。
>私の勘違いだと良いのですが・・・。きっと勘違いでしょう・・・。
勘違いだ。
>一方、学会員は「信仰が病気に効く」かのような言動をすることがありますね?
>宗祖が病気治しに失敗しているのに、どうしてこの信仰が病気に効くといえるのか分かりません。
>銀舌さん個人は、いかがお考えでしょうか?日蓮さんの病死と教義は矛盾しないのでしょうか?
大聖人の病死と教義の矛盾という点だけについて述べさせてもらうと、
まず、大聖人がご自身の病を平癒するため祈祷をしたという記録を私は知りません。
また、晩年の心中を察するに、ご自身の寿命を静かに受け入れてられていた様子です。
であるから、失敗であるとか矛盾であるとかいうことは論じることではないと私は思う。
61歳という年齢に関しても、50歳を越える高齢の身で2年以上もの間、過酷な環境の
佐渡に流罪にされていたことを考えれば、一概に短いとは言えないだろうと思う。
当時、佐渡に流罪されて生きて帰った者などほとんどいなかったという事実は
考慮に入れて然るべきだろう。
>>911 >コメントが難しかったら、逃げてもいいんですよ。
>この板では「遁走」と言っています。よくあることなので気にしません。
>「聞き方が失礼だ!」という逃げ方もOKです。気にしませんよ。
まぁはっきり言わせてもらえば、失礼極まりないし、傲慢だろう。
ただし
>>909については一応筋は通っているから、それについては特に問題はない。
>>908 銀舌居士さん
>また、
>>841でひゃっきまるは
> >お互いの信頼関係が必要です。
> >僕は信用に足らない、と思うのなら、どうぞここで議論を中止してください。
> と述べているにも関わらず、私の返事を待たずに自らまた議論を再開している。
「どうぞ議論を中止してください」と言いましたが、レスがあり、また議論を続けたいとおっしゃったのでレスをつけました。
>そして、私一人を相手に、粘着も加えてけんだっばと二人で長文の波状攻撃である。
まるで共闘しているかのように見えているのですね。
答えたくない相手に対しては、僕も含めて答えなければよいのではありませんか。
僕もここ(2ちゃんねる)では今までそうしてきました。
ただし相手に失礼の無いように、ということは気をつけてきましたが。
乾さんには、このスレでの本題ではないのでレスは控えます、とか、粘着(?)には僕との議論で答えます、とでも言っておけばよかったのではないかと思います。
> 議論上のやり方についての私の批判を一顧だにすることもなく、
僕を信用せず、また、完全に敵視しているようですね。
敵視してしまったら、もう正気を失ってしまって冷静に議論などできないのではないかと思いますが、レスがある限りは答えていきます。
議論のやりかた云々については、前に言ったように完全な誤解だといったはずです。
むろん銀舌居士さんがいつ議論を中止しようともけっこうです。
>>913 銀舌さん。
流罪というならば、同時代の親鸞さんは90歳まで活躍しましたが、
彼も流罪がありましたよね?
佐渡は暮らしやすいところですよ。
実際、「大日蓮展」で、流罪放免直後の日蓮さんの像がありましたが、
アゴが見事に「二重アゴ」でしたよ。
「坊さん」ということで、大事にされたのだなと、観ながら想像しました。
日蓮さんが病に罹ったのは、そのだいぶ後のことですよ。
因果関係は認められません。
>>915 失敗でもなければ矛盾でもない、ということについてはノーコメントか?
認めたということで了解した。もうレスをつける必要はない。
>流罪というならば、同時代の親鸞さんは90歳まで活躍しましたが、
>彼も流罪がありましたよね?
親鸞が流されたのは越後であり、遠島流罪という死罪に次ぐものには及ばない。
しかもそれは35歳の時のことであり、住まいも大聖人の住まわれた
廃屋同然の堂などとは比べようもないほどいい条件のものであり、
そこで彼は妻を娶り、子供をももうけている。
流罪は流罪でも同等に扱われるものではないのは本来言うまでもない。
>佐渡は暮らしやすいところですよ。
冬の佐渡、天井や壁に穴が開いていて中に雪が降り積もるような廃屋で
食料の調達にも事欠き、敵の襲撃にも備えながら、
寒さをしのぐために蓑を着て過ごしてから、もう一度同じ事を言ってくれ。
>実際、「大日蓮展」で、流罪放免直後の日蓮さんの像がありましたが、
>アゴが見事に「二重アゴ」でしたよ。
>「坊さん」ということで、大事にされたのだなと、観ながら想像しました。
いつ頃に製作された像を見て言ってるんだ?
祖師の絵や像というものは、見栄え重視で制作されるものであろうが。
>日蓮さんが病に罹ったのは、そのだいぶ後のことですよ。
>因果関係は認められません。
苛酷な環境というのは寿命を縮めるものだ。
一旦落ちた落ちた体力は高齢の身では完全に回復されなかったはずだ。
そうした状況において、赦免後に移った身延の険しい環境がまた身を蝕んだのだろう。
>失敗でもなければ矛盾でもない、ということについてはノーコメントか?
>認めたということで了解した。もうレスをつける必要はない。
いえいえ、日蓮さんが、
題目を唱える生活の中で、病に罹って亡くなられた史実は、
書き続けますよ。
別に、佐渡で罹ったわけではない。ずっと後で、病に倒れたのです。寿命ではない。
病気です。
>>910 >しかしあなたはあまり「感情」を語りたいとは思っていないようですし、
>これ以上続けても不毛なのでやめたいと思います。
そうですね、そうしてもらえると助かります。
>五重の相対は原理としては現代でも機能するし、
とりあえずは外枠のみ説明しておきます。
五重相対が思想・教理の比較・判定の原理というのは教学試験にも出るような
表の役割ですが、私は他に裏の役割があるのではないかと思っています。
それは日蓮仏法を信じる個人の内面・精神における規範としての役割です。
すなわち、
直面する運命に対し、原因を自己以外に求めるよりも自己に求めるほうが
勝っているということ(内外相対)
自身と他人を峻別して自身の利を追求する道よりも、自身も他人と悟って自他区別なく
人に利益を与えていく道のほうが勝っているということ(大小相対)
というように、信仰を離れた生活の場においても機能する側面があると思います。
ですから現代においても機能するということを言ったわけであります。
>そのことは他宗批判につながるわけではないといった論
五時教判や五重相対のみだと、法華最勝思想を導き出すことは出来ても、
伝統的な融和主義を破壊する力は出てきまません。
実際、初期の大聖人も融和主義者だったのだから事実関係を見てもそう言えます。
大地震と大飢饉という現実世界の惨状から「神天上の法門」が
すでに起きてしまったという現状認識をしたこと、
流罪などの迫害によって「法華経の行者」という自己規定による自己正当化がなされたこと、
これら2つの「攻め」と「守り」の教理が法華最勝思想に加わって初めて、
「法華独勝思想」が成立するのだと思われます。
であるから他宗批判の原理は特に「神天上の法門」にあると考えるのが筋だと思います。
>>914 >「どうぞ議論を中止してください」と言いましたが、レスがあり、
>また議論を続けたいとおっしゃったのでレスをつけました。
>>841の君の書き込みから
>>878の私のレスの間、
私はくびらィ宛にレスをつけはしたが、君には全くレスなどしていない。
議論を続けたいと述べたのは
>>878であるが、その
>>878中において、
>30日のレスまではまだ信用する面も残っていましたが、
>その後の、けんだっばさんとひゃっきまるさんの「態度」を見、
>私はあなた方にすっかり失望してしまいました。
>失礼ですが、とてもではないが良識ある人間と思えないのです。
と私は述べているのだ。
君の言っていることは前後が逆になっている。
君は私がレスをつける前にすでに議論を勝手に続け始めているのだよ。
このような「切り文」までしてくるようとはもう終わりだな。
>まるで共闘しているかのように見えているのですね。
>答えたくない相手に対しては、僕も含めて答えなければよいのではありませんか。
>僕もここ(2ちゃんねる)では今までそうしてきました。
>ただし相手に失礼の無いように、ということは気をつけてきましたが。
>乾さんには、このスレでの本題ではないのでレスは控えます、とか、粘着(?)には
>僕との議論で答えます、とでも言っておけばよかったのではないかと思います。
呆れたな。
主観の問題ではなく、事実上「銀舌居士vsひゃっきまる&乾闥婆」になっていたのは
客観的に見ても明らかだろう。居直り、開き直りはよしてくれ。
>>914 >僕を信用せず、また、完全に敵視しているようですね。
>敵視してしまったら、もう正気を失ってしまって冷静に議論などできないのではないか
>と思いますが、レスがある限りは答えていきます。
>議論のやりかた云々については、前に言ったように完全な誤解だといったはずです。
>むろん銀舌居士さんがいつ議論を中止しようともけっこうです。
何の根拠もなく「敵視」というレッテルを貼ってくるのか、君は。
君はストUなどの対戦格闘ゲームをしたことがあるか?
今回のことはそれに例えられる。
例えば、自分で具体例をあげておきながら、自分の主義主張は説明もせず、
相手には実演せよという。これは「待ち」だ。
相手に対しては、拒否するにしても応じるにしてもどちらにせよ、
その他の人間からの批判を招くような選択肢をせまる。これは「ハメ」だ。
結局君はマナーがなっていないということだよ。
意図してやったにせよそうでないにせよ、その事実自体に変わりない。
君自身が議論を壊したのだよ。
>>917 もともと信心したら絶対に病死しないなどという教義は存在しない。
釈尊だって赤痢で亡くなっているんだからな。
>>921 教義が存在しないのであれば、創価学会員が信心で病気が治ると主張するのは何故か。
923 :
第三者:04/10/03 15:50:25 ID:???
>>919 >呆れたな。
>主観の問題ではなく、事実上「銀舌居士vsひゃっきまる&乾闥婆」になっていたのは
>客観的に見ても明らかだろう。居直り、開き直りはよしてくれ。
客観的に見るかぎり自明でない。
>>919 銀舌居士さん
・・・もう何を言っても無駄ですか?
しかし誤解されたままレスもつけないというわけにもいかないのでとりあえず弁解させてもらいますよ。
>>「どうぞ議論を中止してください」と言いましたが、レスがあり、
> >また議論を続けたいとおっしゃったのでレスをつけました。
>>君の言っていることは前後が逆になっている。
僕を信用しないなら議論をする意味はないので、議論を中止してください、と言いましたが、その決定権はあくまで銀舌居士さんにあるという意味です。
実際それで銀舌居士さんは議論を続ける意志を示してくれましたから、特にそれに対してレスしなかったというだけです。
>君の言っていることは前後が逆になっている。
上に書いたように、レスの返答をもって議論の継続意志を確認したということではありません。
>主観の問題ではなく、事実上「銀舌居士vsひゃっきまる&乾闥婆」になっていたのは 客観的に見ても明らかだろう。居直り、開き直りはよしてくれ。
事実そうなっていましたね。
しかし、意図してそうしていたわけではないし、実際僕にどうしろというのですか?
これは銀舌居士さんと僕との議論だから、他の人は参加しないでください、とでも言えばよかったのですか?
なぜそういう状況になったことを僕の人格的問題として責められなければならないのですか?
>>920 銀舌居士さん
>何の根拠もなく「敵視」というレッテルを貼ってくるのか、君は。
言葉遣いが乱暴になったり、議論の内容ではなく僕の人格性を非難してくるあたり、そう感じました。
>例えば、自分で具体例をあげておきながら、自分の主義主張は説明もせず、
相手には実演せよという。これは「待ち」だ。
自分の主義主張はさんざん説明しているはずです。
僕は創価学会が未だに他の宗教に対して「唯一性」「排他性」を持っているかの「確認」をしたかったのであり、他の宗教が優れていると主張しているわけではありません。
>相手に対しては、拒否するにしても応じるにしてもどちらにせよ、その他の人間からの批判を招くような選択肢をせまる。これは「ハメ」だ。
どちらを応えるにしろ誤解を招じるような質問、それは、創価学会の教義の矛盾の本質をついているからだと僕は思っています。
銀舌居士さんは心では拒否していますが、それに気付いてしまったのではないですか?
僕は、銀舌居士さんが「創価学会が他宗を否定しない」だとか、「五時教判」「五重の相対」は事実として会員に教えていない、という主張をしはじめたあたりから、「この人は自分の心に嘘をついてまでも創価学会の現状をとりつくろうとしている」と思いました。
だから、嘘をついてまでも勝つための議論をしないでほしいと確認をしたかったのです。
僕は現実にでもネットでも多くの人と議論をしてきましたが、ほとんどの会員は「五時教判」「五重の相対」を事実と信じていましたし、「創価学会のみが正しい宗教」ということも信じていました。
僕がいくら説明しても絶対にその説明をうけいれようともしませんでした。
銀舌居士さんがどう思おうと、まさに「五時教判」「五重の相対」は教条主義的に会員に理解認識されている、というのはれっきとした事実ではないでしょうか。
926 :
第三者:04/10/03 16:08:30 ID:???
銀舌居士は議論から逃げ回っているようにしか見えない。
>>926 そういう言い方はやめろ。
銀舌居士が遁走する口実にされる。
「名無しも含めてみんなで僕をいじめる。ひゃっきまるの策略だ。
これでは議論にならない。アンチは卑怯者。創価学会は正しい
からこそ批判される。僕は批判された。僕は正しい。」
>>921 >
>>917 > もともと信心したら絶対に病死しないなどという教義は存在しない。
学会が発表する外部に対しての宣伝の意味もある信仰体験の中で、
「信心したから病気が治った」とか「病気ひとつしません」とかが頻繁に
露出しているし、会員もそれを折伏に利用しているからそれがあたかも
教義の中に存在してるかのような印象を外部に与えてるんですよ。
学会員自身もそれが教義にあると、中には思い込んでる人もいるし。
だからアンチはそういうところを突っ込んできてるんですね。
学会ももうちょっとうまくやればいいのにね。
何回読んでも
>>929の言ってる意味が分からないのだが。。。
>>930 自分もギコナビでNGワードを設定している。
(設定は主に差別用語で、世界・・・さんのことではないです)
「あぼーん」ばかりだと気になって、時々、あぼーん解除して読んで
しまうのですね。だから929さんの行っている意味はわかるよ。
ただし人を排除するようなことはどこかの教団と一緒なのでやめて
もらいたい。
銀舌=滝山は我欲を満たしたいだけで
議論などハナっからする気など無い。
「ボクってすごいでしょ」
「ボクって教学あるでしょ」
「見て、見て」
成長の無い人間は見苦しい。
>>918銀舌居士さん 横レス失礼します。
内外相応の場合のみの約し方だと思っていました。
それを相対に約すと、内(国家)、外(国民)
または、内(宗門)外(信徒)もありになってしまうのではないでしょうか?
総勘文抄の「内外相応」以外に(内外を一身に約す)との御書あるのでしょうか?
マハバイって嘘吐き、或いは宗教ジプシーなのか。
少し前は元浄土だと抜かしてたぜ。
銀舌さん。
>直面する運命に対し、原因を自己以外に求めるよりも自己に求めるほうが
>勝っているということ(内外相対)
くだらないよ。
君の心臓を動かしているのは、君の力ではない。
ウソだと思ったら、君の意思で止めたり動かしたりしてごらん。
地球は、その公転軌道が、たった1%太陽寄りで、燃え尽きてしまう。
たった、1%太陽から離れても、凍り付いてしまう。
人間の力では軌道を変える事は出来ないよ。
人間が生かされているのは、完全に他力だよ。(という考え方もある)
頑張ってもいい、頑張らなくてもいいんだ。どちらも等価値の人生だよ。
ちなみに、佐渡にだって、海水浴場がある。
年中寒いわけじゃないんだ。本当に良いところですよ。
曽我さんだって、佐渡で暮らすのが夢だと言っているでしょう?
宗祖の受難を高めるために、受難がいかに大変だったかと強調したい気持ちはわかるけれども、
日蓮さんが、「寒い」という愚痴を手紙に書いたからといって、
佐渡の暮らしが非道いというのは、佐渡の人に失礼だよ。
(ちなみに二重アゴの像は、佐渡流罪が放免された直後に作られたんだよ)
日蓮さんは、題目を唱えた功徳なく、61歳で病死した。
同時代の親鸞さんは、流罪にあったけれど、90歳まで活躍した。
「裏切った」といわれている日照さんは、101歳まで生きたのだよ。
「日照さんが101歳まで生きたと知ってショックだった」と書いたのは、
ひゃっきまるさんでしたか?私は日照さんがどんな人だか全く知りません。
938 :
名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/03 19:59:34 ID:K7t7Rrzt
日蓮って、創価の人の先祖って感じ。
強引さがそっくり。日本の民族性に合わない。
大嫌いです。創価
そんなことよりも、銀ちゃん功徳とやらを体験してるんだろか?
>>938さん。
そうですね。病死した日蓮さんは、
日本で自分が食べた「つくし」が大変おいしかったので、
世界中の人も食べるべきだ、と思ったのでしょう。他の食物を否定してまで。
広宣流布、と称して「ワイキキビーチの砂浜に【つくし】を植えようとした愚か者】だと私は思います。
日蓮さんは【自分の嗜好を世界に強制すべきだ】と思ったのですね。
池田はろくでもない人間だけど銀舌も含んで創価の同志は
いいやつばかりだよ。
一部が池田にだまされているだけ。
くびらィ氏の得た功徳ってなにかな?