「南京大虐殺」を未来永劫語り継ぐスレ

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1マンセー名無しさん
南京大虐殺
tp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA
証言・南京大虐殺
tp://www1.ocn.ne.jp/~sinryaku/nankin2.htm
ノーモア南京の会
tp://www.jca.apc.org/nmnankin/index-j.html
2マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 20:40:56 ID:sMS1UmEx
今日の判定ひどくね?
3呂-50 ◆B5FTrr3p86 :2006/03/13(月) 20:41:12 ID:YtvDhfYh
いつも思うんだが、
何故「南京」関連がハン板で?
4新那智神社神主 ◆NYASFBo6FQ :2006/03/13(月) 20:42:23 ID:y6OfvZMI
>>3
「南京は韓国固有の領土」って主張してるんじゃないスか?
5マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 20:42:34 ID:tkswFjoM
誘導

中国
http://academy4.2ch.net/china/
ニュース極東
http://tmp6.2ch.net/asia/


■■■■■■■■■■■■終 了■■■■■■■■■■■■
6呂-50 ◆B5FTrr3p86 :2006/03/13(月) 20:45:31 ID:YtvDhfYh
>>4
・・・いいのかそれで?
宗主国さまが黙ってないぞ(w
7新那智神社神主 ◆NYASFBo6FQ :2006/03/13(月) 20:47:00 ID:y6OfvZMI
>>6
つ【高句麗】
つ【三国志の地図に半島国家割り込み】
つ【5000年の歴史】
つ【文明9000年】
8呂-50 ◆B5FTrr3p86 :2006/03/13(月) 20:49:12 ID:YtvDhfYh
>>7
あぁ、心配したウリが馬鹿だった(w
9マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 20:49:21 ID:jjNVnkEU
>>3
実行犯が朝鮮人だったから。
10地の底から小生 ◆IZUMIWBva. :2006/03/13(月) 20:49:39 ID:B/arsXBX
立った立った、駄スレが立った!

という訳で以後放置推奨。
11六四六 ◆AUtW056hW. :2006/03/13(月) 20:50:31 ID:pK7ibk2b
>>7
日本が後押ししてみるのも面白いかもしれない。
12新那智神社神主 ◆NYASFBo6FQ :2006/03/13(月) 20:57:58 ID:y6OfvZMI
後押ししたら法則がw
13六四六 ◆AUtW056hW. :2006/03/13(月) 21:01:41 ID:pK7ibk2b
>>12
後押しして、抜き差しならない状況に追い込んでから、さっと身を引くですよ。
14マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 21:05:30 ID:qsREDnl7
>>7
重要なものを忘れていますよ?
<丶`∀´>つ【大百済帝国】
15新那智神社神主 ◆NYASFBo6FQ :2006/03/13(月) 21:06:23 ID:y6OfvZMI
ああ、大朝鮮帝国史を忘れていたw
16マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 21:10:32 ID:okntLVX/
超汚染人は氏ね!
17マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 21:15:53 ID:ZVhfm9LS
いっそ、死んだのが朝鮮人で
30万が3000万だったらなあ・・・
18日の本退屈男 ◆2LEFd5iAoc :2006/03/13(月) 21:18:50 ID:PeSF3D8O
南京虫の話をするな!!痒くなる!!!
19六四六 ◆AUtW056hW. :2006/03/13(月) 21:21:06 ID:pK7ibk2b
>>17
3000万虐殺なんて、虐殺世界チャンピョンのケザワ君でもなきゃ無理です。
20マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 21:22:42 ID:EO35F6b/
まぁ、超賎も厨獄も似たようなものだからどうでもいいんじゃん?w
21マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 21:31:15 ID:ZVhfm9LS
>>19

実は、実行犯は症疥咳ってことで・・・




なんか、中韓のやってること見てると
こっちも話を作ってみたくなる。
22陸奥 ◆Mutsu.Oznc :2006/03/13(月) 21:40:49 ID:GCGMf9Ie
今日もハン板はいつもどおりだね。
23地の底から小生 ◆IZUMIWBva. :2006/03/13(月) 21:41:37 ID:B/arsXBX
きっと、明日もいつもどおり。
24マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 21:41:55 ID:uauNpVjp
南京スレをこんなところに立てるなんて。
>>1は左翼系キチガイ荒しか?
25マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 21:43:42 ID:QeRoUHpC
>>1
板違い
26六四六 ◆AUtW056hW. :2006/03/13(月) 21:45:01 ID:pK7ibk2b
>>22-23
「そのときの僕は、そう信じていました…」
27マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 21:46:54 ID:uauNpVjp
>>14
しかし韓国人って大百済帝国は日本を支配していたニダ!
とか日本書紀にも中国の文献にも載ってない妄想をするよね。
実際は広開土王碑にも中国の文献にも
大和朝廷が支配を朝鮮半島の南部まで広げていたことが書かれていたのに。
28マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 21:52:25 ID:sJwBBRSP
この事件を風化させてはいけない
29地の底から小生 ◆IZUMIWBva. :2006/03/13(月) 21:53:46 ID:B/arsXBX
>>28
風化云々の前に、板違い。
30マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 21:54:04 ID:qsREDnl7
>>27
<丶`∀´>つ【超時空天下人秀吉】【汎宇宙侵略軍日帝】
     <証拠は秀吉が焼いたか日帝が収奪したと判ってるの!、あと
      チョッパリの捏造なの!
31六四六 ◆AUtW056hW. :2006/03/13(月) 21:54:07 ID:pK7ibk2b
>>28
そうだね、特亜馬鹿による歴史捏造事件を風化させてはいけないね。
32マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 21:54:38 ID:lbSCQJVC BE:149264238-
こんなスレがハン板に立つという事は、南北朝鮮は支那の一地方に過ぎないって事を、
ホの中の連中自身が自覚しているって事でFA?
33マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 21:55:06 ID:7rEZvEzJ
>>28>>1
このバカを風化させてはいけない。
34新那智神社神主 ◆NYASFBo6FQ :2006/03/13(月) 21:55:28 ID:y6OfvZMI
この話、今出したら自爆にしかならんぞ。

支那当局でさえ、「鉄証如山、鉄証如山」しか言ってないんだから。
35マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 21:57:43 ID:lbSCQJVC BE:124386454-
例の映画の件で、レイプオブナンキンもプロパガンダだって事が、表面に出ちゃったしねぇw
やり過ぎは毒だぞw
36マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 22:00:32 ID:wGVmF/A6
>>35
どの映画?
37六四六 ◆AUtW056hW. :2006/03/13(月) 22:00:38 ID:pK7ibk2b
レイプオブナプキン





…ごめん、思いついただけです。
38六四六 ◆AUtW056hW. :2006/03/13(月) 22:01:21 ID:pK7ibk2b
レイプオブパンプキン






…いや、悪気はないんだけどね。
39地の底から小生 ◆IZUMIWBva. :2006/03/13(月) 22:01:23 ID:B/arsXBX
また寒気が……雨戸閉めてるのに。
40マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 22:01:32 ID:HxW0fz++
>>37
( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )ヒソ
41マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 22:03:08 ID:qsREDnl7
>>36
新しい歴史レイプオブナンキン
・・・いや、タイトルは知らないですが、南京大虐殺の新映画を米国有名俳優に
作らせるアル!でデマが流されたでそ?、その件。
42マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 22:04:04 ID:lbSCQJVC BE:49755124-
>>36
クリント・イーストウッドが云々って映画ニダ

バックにレイプオブナンキンの時と同じ集団がいるって書いてある記事を貼っとくニダ
http://www.sankei.co.jp/news/060307/kok030.htm
43マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 22:04:37 ID:iUWxn2tq
朝鮮人が元冦の時にやった事や、ベトナム戦争の時にやった事も、未来永劫語り継ごうね^^

たしか元だか清の将軍が、配下の朝鮮人の略奪行為は酷すぎるって記した記録無かったっけ?
44マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 22:09:09 ID:GPKYmJTL
どうしてハン板に中華ネタのスレがあるんでつか?
( *´艸)( 艸`*)ププッ
45ナマコ:2006/03/13(月) 22:10:35 ID:GlMLNKUq
>>日本だけじゃなくて世界じゅうに広めろよ。事実が白日の元に晒された時、恥かくのはチョンだろうからさ
46マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 22:11:14 ID:r0V76Rh1
南京のど飴?さては南京魂すだれ?
47マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 22:11:32 ID://QuAiOD
支那が近々、ギネスブックに登録申請するに100ウォン
48ナマコ:2006/03/13(月) 22:12:06 ID:GlMLNKUq
>>1日本だけじゃなくて世界じゅうに広めろよ。事実が白日の元に晒された時、恥かくのはチョンだろうからさ
49六四六 ◆AUtW056hW. :2006/03/13(月) 22:12:43 ID:pK7ibk2b
>>46
知らnかった…

タマちゃんて、すだれなん?
50マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 22:16:26 ID:ZLCRLJDk
住民が虐殺されてベッドから鍋釜まで略奪されたんだけど、日本軍が
ベッドや椅子や机を持ち帰るはずが無い。中国人こそ主犯であり
反省すべき。
51マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 22:16:40 ID:wGVmF/A6
>>41>>42

ありがとう。
52六四六 ◆AUtW056hW. :2006/03/13(月) 22:20:14 ID:pK7ibk2b
>>50
ベッドや椅子や机は、叩き壊して薪にされました。
53マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 22:26:37 ID:xx2RuTG0
南京大虐殺はありませんでした
54マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 22:28:20 ID:wGVmF/A6
 【ワシントン=古森義久】日本軍の南京攻略を題材とする映画が米国のハリウッドで著名な
俳優のクリント・イーストウッド氏の監督で制作されるという情報が中国の新聞などで流され
ていたが、イーストウッド氏のエージェント(代理人)は二十四日、「全く事実に反する」と述べ、
同監督の関与を完全に否定した。
 一九三七年の「南京事件を主題とするハリウッド映画」という話は一月十八日付の上海の新
聞「文匯報」などによって伝えられた。同紙は、この映画が江蘇省文化産業グループなどの
制作協力を受けてイーストウッド氏が監督、同氏と映画「マディソン郡の橋」で共演した人気
女優メリル・ストリープさんが出演し、ハリウッド映画として作られ、二〇〇七年十二月の南京
事件七十周年を記念して全世界で同時公開される予定となったとの記事を掲載していた。
 「南京・クリスマス・1937」と題され、南京に当時いた米国人宣教師の目を通して日本軍の
中国人大量殺害を描く内容になる見通しだったという。
 しかし、イーストウッド氏の代理人を務めるウィリアム・モリス・エージェンシー社(カリフォル
ニア州ビバリーヒルズ)のレオナード・ハーシャン氏は二十四日、産経新聞の電話インタビュ
ーに応じ、「南京事件に関する映画にイーストウッドが出演するとか監督をするという話はま
ったく事実に反する」と述べた。さらに同氏は「イーストウッドがこの話にはまったくかかわって
いないことを日本や中国の人たちに幅広く伝えてほしい」と強調するとともに、「私自身は数カ
月前にこの話を中国の新聞で読んだという中国人から聞いたが、だれかが広め始めたデマ
だといえる」と説明した。
 
55マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 22:29:03 ID:wGVmF/A6
さらに関係者によると、イーストウッド氏は現在、太平洋戦争の硫黄島の戦闘を題材とした
映画を日米両国の視点から制作しようとしているため、ここ一、二年のスケジュールは詰まっ
ており、女優のストリープさんも多くの企画を抱えて南京事件の映画に出演する余裕はない
はずだという。
 ハーシャン氏ら当事者のこうした否定表明から判断すると、「クリント・イーストウッド氏が南
京虐殺の映画を監督する」という話はそもそも根拠がなく、中国側の政治プロパガンダ、ある
いは政治謀略的なディスインフォメーション(故意の虚報)として広められた可能性も高くなっ
てきた。 

Yahoo!ニュース 海外ニュース 

 ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060226-00000011-san-int&kz=int
56日の本退屈男 ◆2LEFd5iAoc :2006/03/13(月) 22:35:25 ID:PeSF3D8O
正直、南京での虐殺行為はあったと思う。
狂気が支配する戦場での犯罪行為は、日本軍でも中国軍でもあった。
少数の犠牲は間違いなくあったと思う。
それを誇張し、利用するのは如何な物か?と思う。
57マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 22:38:03 ID:sJwBBRSP
うんこ
58マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 22:39:30 ID:lbSCQJVC BE:93289853-
>>57
このスレの事か?
自覚はあったんだぁ、糞スレってw
59マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 22:40:18 ID:CpTxOLQn
>>56
私も、個人レベルでの非道はあったと思いますが、軍が組織的に民間人を虐殺したことは、
当時の日本軍の体質を考えても、あり得ないと思います。
当時の日本軍上層部は、よくも悪くも頭が固いごちごちの軍国主義者で、純粋な軍事目標
以外のものに弾薬を使ったり、兵の労力を使ったりすることを、悪いことだと思ってましたから。
民間人は、軍事目標ではありませんからね。
60六四六 ◆AUtW056hW. :2006/03/13(月) 22:40:37 ID:pK7ibk2b
>>58
自己紹介じゃないかな?
61マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 22:47:03 ID:fDPseJR/
>>1
未来永劫語り継がなきゃな。
プロパガンダの典型的な例として。
62マンセー名無しさん:2006/03/13(月) 23:19:22 ID:yvwNNjKU
>>59
あの久米のnew捨てで取り上げた際でもVの冒頭から弾薬は乏しかったと入ってるからねぇ
其れでいて弾を湯水のように使うなんざ妄言はチョンやシナ畜しか言わんなwwww
63マンセー名無しさん:2006/03/14(火) 00:58:13 ID:IzDiwXu3
日本刀で100人切りを…
(中略)
…ミステリー
64マンセー名無しさん:2006/03/14(火) 01:05:56 ID:VvM8Vock
ここはハングル板では半ば伝説となった「南京事件」について語る
スレッドです。知らない方も多いと思いますが、2ちゃんねる歴が
長い方は覚えてる人も多いと思います。
かくいう俺も「南京事件」を見てから2ちゃんねるにはまった
ひとりでして、あれを見たときのショックは今でも覚えています。
誰か「南京事件」を保存してる人いますか?
65マンセー名無しさん:2006/03/14(火) 01:51:18 ID:douZJ2RM
鮫島事件とみずきに並ぶ2ちゃん初期の三大事件だな。
つーか、知ってる奴はもうほとんど居ないだろ。
66マンセー名無しさん:2006/03/14(火) 09:47:15 ID:VGygIFIM
>>64
お前・・・消されるぞ。
あの事件はハン板の影の部分だ。
つーか、やっと忘れかけたのに思いださせるな!!
67マンセー名無しさん:2006/03/14(火) 10:30:09 ID:05f1homN
朝鮮人の仕業だからな
永遠に語り継ごう
68マンセー名無しさん:2006/03/14(火) 11:27:43 ID:vv576VAh
最低だ
69マンセー名無しさん:2006/03/14(火) 15:28:18 ID:EMInkUap
>>68
そうですね、>>1のような捏造中傷は知性あるものとして最低ですね。
まあ特定アジアには要求できないことと諦めてますが。
70マンセー名無しさん:2006/03/14(火) 15:32:41 ID:VvM8Vock
事の信憑性においては、南京も鮫も同じレベル。
71マンセー名無しさん:2006/03/15(水) 09:47:27 ID:NecCXbD3
>>52
朝鮮人がベッドで寝てたのか。
72マンセー名無しさん:2006/03/15(水) 13:15:56 ID:uuZhCo73
>>63
それ言う奴にこう言ってやりたいよな、
「ポン刀で百人斬りなんてファンタジー、
 アニメの見過ぎ、ゲームのやり過ぎ、不可能です、
 現実をしっかりと見ろよ?」
と、
まさかリアルで三国無双が出来るとでも思い込んでいるのだろうかな?
73マンセー名無しさん:2006/03/15(水) 13:31:24 ID:T4iBDek6
日本刀で100人なんて普通に切れるだろw
何回か突き刺したり切ったりしたら日本刀は折れるとでも思ってるの?

ネタならともかくマジ言ってるなら痛すぎ。
74マンセー名無しさん:2006/03/15(水) 13:34:13 ID:Y6RNUtc/
助けてください
このままでは日本が滅んでしまいます

韓国が迫ってくる
http://ex14.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1142384579/
75マンセー名無しさん:2006/03/15(水) 13:40:15 ID:wwBqaKU5
>>73
人間を巻き藁か何かと同じだと思ってるの?

血と脂で切れ味が鈍る>
そのせいで骨にぶつかって刀身が歪む>
勢いで切れなくなり刃が欠ける



76マンセー名無しさん:2006/03/15(水) 13:48:48 ID:I0lx/HGy
>>73
いいか 薄ら馬鹿ペクチョン
そんなに無敵なら何故二等兵までに支給しなかった?
当時お国の為といえば相当数、終戦時でも三軒に一本の割りで家庭にあったのだぞ
徴発できたはずだ
つまり実戦ではタイマン位にしか利用できないと軍も分かっていたのだ
オマーのイタイ頭では理解できんだろうがなwwwwwwwwww
77カッター:2006/03/15(水) 13:51:31 ID:8NKaGy22
73日本刀で100人は無理だろ。また日本軍無敵伝説ですか。おまえがイタァイは
78在日魂+:2006/03/15(水) 13:54:50 ID:OOcjAv3E
首だけ狙って斬りつけりゃ、よい刀なら10人は逝けるだろ。
79マンセー名無しさん:2006/03/15(水) 13:58:49 ID:wwBqaKU5
>>78
日本兵全員が沖田宗司かあずみだったらなw
80マンセー名無しさん:2006/03/15(水) 14:00:32 ID:An6EbM72
何人逝けるかは知りようもないが
100人は無理っぽい。
81在日魂+:2006/03/15(水) 14:01:40 ID:OOcjAv3E
本宮ひろしの漫画であったように、刀は取り替えて斬ってたんじゃねえか?
82マンセー名無しさん:2006/03/15(水) 14:03:11 ID:wwBqaKU5
>>81
取り敢えず発言する前に推敲してみたら?
83在日魂+:2006/03/15(水) 14:05:41 ID:OOcjAv3E
いちばん厄介なのは脂が刃につくこと。これさえ拭ってやれば、けっこう数は斬れる。
84マンセー名無しさん:2006/03/15(水) 14:06:45 ID:2A56hi2o
>>81
「何人の日本兵が」「何本の日本刀を使って」「どれだけの期間に」「何万人を」「何の為に」殺したのさ。w

どちらにしろ、1本の日本刀で100人は無理だって事は確定ですね。。
85在日魂+:2006/03/15(水) 14:09:15 ID:OOcjAv3E
名刀だって立て続けで100人は無理でしょう。
86マンセー名無しさん:2006/03/15(水) 14:10:49 ID:94kE8e9P
つーか百人は切られるのを待ってたのかよw
87マンセー名無しさん:2006/03/15(水) 14:11:57 ID:wwBqaKU5
>>83
刀は一人当たり何本持ってたと思う?
刀を拭くものはどれだけ必要なの?
それだけの豊富な物資を日本兵がその時持っていたわけないだろと
そんなん持つ位なら銃と食糧を持つわな

ほぼ一撃必殺で急所だけを狙って、毎回素早く脂を拭き取って、刀が壊れたら新しいのに代えて…

あほかと
88マンセー名無しさん:2006/03/15(水) 14:12:29 ID:w7JzV9VF
日本軍の兵士は、虐殺後の軍刀とレイープ後のチンコを拭くために、
多量のティッシュを持ち歩いていたことで判っています。
89マンセー名無しさん:2006/03/15(水) 14:15:34 ID:wwBqaKU5
「国が燃える」自体、作者が資料の信憑性を確かめもしないで
いい加減なものを描いたったてお詫びしてるし
90在日魂+:2006/03/15(水) 14:23:39 ID:OOcjAv3E
「おい望月あこにいる支那人をつれてこい」命令のままに支那人をひっぱって来た。
助けてくれと哀願するが、やがてあきらめて前に座る。少尉の振り上げた軍刀を背にしてふり返り、
憎しみ丸だしの笑ひをこめて、軍刀をにらみつける。
 一刀のもとに首がとんで胴体が、がっくりと前に倒れる。
首からふき出した血の勢で小石がころころと動いている。
目をそむけたい気持も、少尉の手前じっとこらえる。

望月五三郎手記より
91在日魂+:2006/03/15(水) 14:27:32 ID:OOcjAv3E
その他の大量斬殺例

「私が50人なのか100人なのかと聞かれても答える口はもちませんよ。
差し料(自分の所持している刀剣)が普通程度のものであれば、白兵戦で敵と渡りあって
ガタガタにならない限り、据え物だったら相手が抵抗できんように痛めてあるから、
100人位十分殺れるんじゃないですか。 …そして相手を人間と思わんことですよ。
まあ私は犬コロくらいにしか思ってませんから、まず失敗なんてありっこないですよ。
ホラ見てください、これを……」
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/sonota.htm

まあ私は犬コロくらいにしか思ってませんから
まあ私は犬コロくらいにしか思ってませんから
まあ私は犬コロくらいにしか思ってませんから
92マンセー名無しさん:2006/03/15(水) 14:33:46 ID:wwBqaKU5
思いっきり反日自虐サイドのHP紹介して何か意味あんの?
93在日魂+:2006/03/15(水) 14:34:27 ID:OOcjAv3E
1967年陸士49期(野田少尉の同期)の会報「鎮魂」に、野田少尉の父親が寄稿している。
その中で、「我が愚息野田毅は確かに百人斬りを行った」云々という記述がある

向井少尉は「百人斬り」が行われていたとされる時期に負傷後退していたという「アリバイ」を主張しているが
、向井少尉の率いる歩兵砲小隊の兵士(田中氏) の日記が発見されている。
いつ、誰が戦死した、負傷したという記録が正確に記載されているが、
小隊の最重要人物であるはずの小隊長の負傷後退という記載はない。
従来、志々目彰氏の証言のみで野田少尉の講演の模様が伝えられていたが、
実はこの時期帰郷していた野田少尉は「百人斬りの英雄」として数多くの講演会等をおこなっており、
そのことは各新聞の鹿児島県版に度々記載されていた。
などの新しい証拠の存在が明らかとなりました。その証拠の量は、裁判官がぽろりと
「こんなに証拠が出てくるとは思わなかった」と漏らすほどのものであったようです。

こんなに証拠が出てくるとは思わなかった
こんなに証拠が出てくるとは思わなかった
こんなに証拠が出てくるとは思わなかった
94マンセー名無しさん:2006/03/15(水) 14:35:12 ID:I0lx/HGy
>>92
魂ちゃんの釣り・・・・・ のつもりwww 
95マンセー名無しさん:2006/03/15(水) 14:36:37 ID:wwBqaKU5
刀自体で物理的に不可能って事実があるわけだが
96マンセー名無しさん:2006/03/15(水) 14:37:17 ID:wwBqaKU5
>>94
使い古されたネタでよくやるワw
97マンセー名無しさん:2006/03/15(水) 14:38:18 ID:w7JzV9VF
>>93
捏造なのにね。
98マンセー名無しさん:2006/03/15(水) 14:50:16 ID:BRroQECB
【朝日社説】卒業式での国旗国歌指導はやりすぎだ (電話突撃あり)
http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50416564.html
99在日魂+:2006/03/15(水) 14:52:56 ID:OOcjAv3E
・1967年陸士49期(野田少尉の同期)の会報「鎮魂」に、野田少尉の父親が寄稿
・望月五三郎手記

これらが捏造だというのか?ま、別にどーだっていいけど。
100マンセー名無しさん:2006/03/15(水) 15:00:38 ID:I0lx/HGy
>>99
アリバイがある人がどうやってできるわけww
ならば捏造に決ってるやんwwww
だ・か・ら あんたにゃ釣りは無理だってwww
101在日魂+:2006/03/15(水) 15:12:06 ID:OOcjAv3E
向井少尉は「百人斬り」が行われていたとされる時期に負傷後退していたという「アリバイ」を主張しているが、
向井少尉の率いる歩兵砲小隊の兵士(田中氏) の日記が発見されている。
いつ、誰が戦死した、負傷したという記録が正確に記載されているが、
小隊の最重要人物であるはずの小隊長の負傷後退という記載はない。
102マンセー名無しさん:2006/03/15(水) 15:23:01 ID:I0lx/HGy
>>101
だから何?ww その程度だから追い込みも失敗すんだよ
103マンセー名無しさん:2006/03/15(水) 18:14:45 ID:n620IwzT
『ザ・レイプ・オブ・南京』の著者アイリス・チャンが、
或るアメリカ人記者からインタビューされた時のエピソードである。

アイリス・チャン「台湾と尖閣諸島は勿論、モンゴルもウィグルも
         チベットも朝鮮半島も沖縄もベトナムも
         インドネシア諸島も、みんな中国領土なのよ!」

アメリカ人記者「インドネシア諸島まで?」

アイリス「そうよ!あの辺一帯の島は、
     実は“海底で中国と地続きになっている”のよ!」

呆れ顔のアメリカ人記者は言った。
「じゃ、オーストラリアやアメリカも中国領土なんですか?」

白人に馬鹿にされたと察したアイリスは、激怒した。

アイリス「あなたは馬鹿!? アメリカと中国ほど遠く離れた土地が、
     繋がっているわけないじゃない!」


・・・彼女が拳銃自殺を遂げる、僅か2週間前の出来事だったという。
104マンセー名無しさん:2006/03/15(水) 18:22:40 ID:n620IwzT
『ザ・レイプ・オブ・南京』の成功で味をしめたアイリス・チャンは、
続いて反米本『アメリカにおける中国人』を出版した。

しかし、たちまちアメリカ人たちに捏造を暴かれ、
TIME誌をはじめとする大手に酷評されてしまった上に、
『ザ・レイプ・オブ・南京』の捏造までばれてしまった。

作家生命の危機に陥ったアイリスは、日本兵が米兵を虐待したといわれる
バターンを題材にした本を書くことを思いつく。
アメリカ人を悲劇のヒーローとして描くことで人気を回復させると同時に、
再びアメリカ人を反日へと導き、彼女が嫌いなアメリカ人と日本人を
同士討ちさせるという、素敵なアイデアだ。

さっそく執筆活動に入るアイリスであったが・・・
数日後、彼女の書斎から苦悶の声が響き渡ることに。

アイリス「駄目よ!書けない!書けないわ!」

心配した夫のダグラスが駆けつけ、妻を優しく慰めた。

ダグラス「大丈夫。君の才能は、まだ枯れていない。
     少し休めば、また書けるようになるさ」

すると、アイリスは泣き叫びながら、ヒステリックに答えた。

アイリス「違うのよ、ダーリン!
     日本人の悪口を書くページは、すごく快調なの!
     でも、アメリカ人を悲劇的には、どうしても書けないのよ!
     アメリカ人の悪口なら、幾らでも書けるのに!」


・・・・結局、彼女は原稿を完成できないまま、拳銃自殺を遂げることになる。
105マンセー名無しさん:2006/03/15(水) 18:23:33 ID:btzhNiWC
この事件は決して忘れてはいけない
106マンセー名無しさん:2006/03/15(水) 20:47:08 ID:a+0ucoDx
そうだな。
プロパガンダのために捏造された事件であることを忘れてはいけないね。
107マンセー名無しさん:2006/03/15(水) 20:51:51 ID:h725j2Kr
>>103-104
おい、途中までマジメに読んじゃったじゃねーかコラwwww
108半万年ロマー:2006/03/18(土) 02:55:19 ID:3dzgDVoT
ttp://www.geocities.jp/nankin1937jp/page025.html
取りあえず張ってみる。
109マンセー名無しさん:2006/03/18(土) 13:11:55 ID:/Lz+E/T6
ジオのソースを恥ずかしげもなくよく貼れるなw
このドアホ
110マンセー名無しさん:2006/03/18(土) 14:53:46 ID:tOYQDAtp
軍刀なら100人どころか1万人でも切れるよ。
人を切るための刀だから包丁とはわけが違う。
111マンセー名無しさん:2006/03/18(土) 14:58:02 ID:iAS0bX9c
>>110
ソースをお願いします。

なんだったら、刀鍛冶が打った包丁で、生きた豚を一万頭切ってきて写真をうpでも可です。
112マンセー名無しさん:2006/03/18(土) 15:00:25 ID:SZKI4rmW
斬れるわけねーwww
・・・しまった、釣られたか
113マンセー名無しさん:2006/03/18(土) 15:02:51 ID:TqAIvZY9
日本刀は世界最強!
10万人でもいける。最強の日本刀を作る技術を持たないチョソの戯言は
相手にせず!どこまで日本をおとしめれば気が済むんだ。お前らの
一千万人ぐらい、日本刀一本あれば十分だ!チョソシネ。
114マンセー名無しさん:2006/03/18(土) 15:33:55 ID:iAS0bX9c
>>112-113
すまん、刃物好きのウリとしては、ジョークや釣りとわかってても
日本刀に関しては見過ごしたくはないだよ。
115マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 09:46:52 ID:HSaQdCJs
日本の鬼畜行為を忘れるな
116マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 09:49:15 ID:AXHWmXlp
日本が南京大虐殺を遂行出来るような力があれば、
戦争にはもっと強かったよ。
当時の日本の国力や軍事力では、南京大虐殺などは能力的に無理。
117マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 09:52:09 ID:FRNXyyTR
>>110
軍刀ってどんなものか調べて来い

釣りとわかっていても……
118マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 09:53:32 ID:HSaQdCJs
>>110
包丁でも100回くらい余裕で切れるよなw
突いたり切りつけるくらいなら100回程度は余裕でできる。
1万回でも可能だろうな。
119マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 09:54:36 ID:HSaQdCJs
>>117
銃剣もあるが。
120マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 09:55:40 ID:HSaQdCJs
>>116
数万規模なら充分可能。
121セイラ・マス・大山:2006/03/19(日) 09:58:38 ID:wU5AK0VF
>>118
つまり、中国人は骨もなく、厚みも薄いと。
122マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 10:01:05 ID:wEPTCFM6
>>121
むしろ脂で切れなくなる。
123マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 10:01:36 ID:pEl7wqhC
>>121
てか、ハゲ類
124マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 10:03:04 ID:AXHWmXlp
>120
可能ではないと思うよ。
どれだけの期間で、数万規模を殺害したかだよ。
1年間もかけてなら出来ただろうが、
当時の日本軍の通常部隊では、1ケ月間でもかなり難しい。

ナチスの親衛隊の虐殺専門部隊(アインザッツ・グルッペ)ですら、
ハリコフで数万殺すのに1ケ月以上もかかっている。
125マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 10:03:54 ID:TmpotEgn
おい!>>1
糞スレを立てたぞ!
     ∧_∧
    (´Д`) r-っ
    /⌒ヽ/ / _)
   | \\//
   |  \/
   |  ∧二つ
   |  \
   / /\ \
   / /  > )
  / ノ  / /
 / /   / /
`/ /   ( ヽ
(_)   \_つ

そうか!よし!殺す!
  -=≡ ∧∧
 -=≡ (´Д`) ハァハァ
-=≡___/ /_
≡ / __  ゛\  ∩
 / / /  /\ \/ /
⊂_/ /  /  \_/
=≡ | _L_
-=≡ \__ ヽ
 -=≡ / / /
‐=≡ // /
-=≡/| /
≡/ /Lノ
(  ̄)
  ̄ ̄
126マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 10:06:39 ID:HSaQdCJs
訓練受けた人間なら刀で100人殺すことは可能だろ。
しかも相手は無抵抗に近い捕虜や民間人なんだし。
127マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 10:08:08 ID:zELjyVo0
だから刀がもたないんだろ
128マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 10:09:28 ID:AXHWmXlp
>126
「可能」とは言えないだろう。
例えば1日では無理だろう。100日なら可能かもしれないが。
だから、そういう大雑把な話は問題にならないし、
そういう大雑把なことで話を進めようとするのは中国の立場だが、
貴兄は親中国派なのかな?
129マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 10:11:02 ID:bezdL2Cq
刀ってどんなんを想定してるんだ?
エクスカリバーとか王者の剣か?
130マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 10:11:26 ID:HSaQdCJs
>>122
脂がついたらふけばいいだろ。
それに脂がついてても鋼鉄の刀は充分殺傷能力がある。
頭に思い切り振り下ろせば死ぬよ。
131マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 10:11:54 ID:wEPTCFM6
>>126
そこのコッパゲ
寿司屋で包丁拭かずにトロ100かん握ってくれと頼んでみろ
断られるから

理由は脂で切れなくなるからだ
132マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 10:12:14 ID:bezdL2Cq
最初から鉄棒持った方が早いだろw
133マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 10:12:22 ID:3Gk47beU
殺したとしても、結局死体の処理(埋める、焼く等)をしなきゃならないんだから
数十万人殺すなら、始めから「生き埋め」か「生きたまま焼く」方を選ぶと思うのだが。
南京大虐殺証言者?の言うように、わざわざ刀や銃剣で殺すとは思えない。
134マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 10:14:45 ID:wEPTCFM6
>>130
あのなハゲ
刀ってのは叩く武器じゃないんだよ、刃こぼれして使えなくなるし
叩く武器としては軽すぎて威力がない

剣ってのは切る武器じゃないから角で叩くために重くできてる
135マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 10:20:26 ID:wEPTCFM6
無抵抗の相手を大量に頃すならトサツ場でやってる方法が一番だろ
136マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 10:25:26 ID:HSaQdCJs
100人斬りといっても連続100人って意味じゃないぞ。
数日〜程度らしい。
137マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 10:26:39 ID:bezdL2Cq
さて、話が変わって来たな。
138マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 10:26:52 ID:AXHWmXlp
軍刀や銃剣による大量殺害はまず無理。
日本軍の現地通常部隊の能力からも無理だし、兵隊の精神状態からも無理。
機関銃など兵器による殺害も無理。日本軍にはそういう余分な弾が無い。

日本が南京大虐殺をしたかどうかであるしとか、それの是非よりも、
そもそも日本軍にはそんな能力が無い。
極端に言えば、やろうと思っても出来ないということ。
139マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 10:27:47 ID:AXHWmXlp
>136
数日で100人斬りはまず無理。
140マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 10:28:58 ID:Wa6T5YY8
チ ョ ン ざまあ w w w
三国無双で1000人斬りしてろ
141ロシナンテ ◆ZnBI2EKkq. :2006/03/19(日) 10:29:14 ID:2j22WoH9
>>136 <`∀´>?
142マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 10:30:59 ID:wEPTCFM6
>>136
どうしても刀で切ったことにしたいんだな
ハンマーで頭殴る方が効率良いのに
143マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 10:32:21 ID:bezdL2Cq
流石に、ハンマーだと証言がないからな。
朝鮮も宗主国も、数に弱過ぎ。
144マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 10:39:44 ID:kJPS++RT
>>142

ハンマーの柄がもたないのでわ?

それと、誰も死体処理についてツッコんでいないけど・・・
145マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 10:41:35 ID:3aGjMbYs
>>144
>>133

でも先ずは、それ以前の問題をってね。
146マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 10:42:36 ID:wEPTCFM6
>>144
杭打ち用のハンマーならトサツ場で実績あります。

死体は放置だったらしいですな。
147イルボンサラム:2006/03/19(日) 10:43:06 ID:zWEBg4+j
そろそろ、「やっていないという証拠を出すニダ!!」という予感が……
148マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 10:45:37 ID:kJPS++RT
>>145

ありがとうございます。書き込む前にざっと目を通したんだけど
見過ごしたみたいでした。
149マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 10:45:56 ID:3CVZcWcJ
朝鮮人の顔は気持ち悪いニダw ノムヒョンの偽造目の二重もはじくれてて気持ち悪いニダw
150マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 10:49:26 ID:wX/zsV9g
>>143
証言なら後から幾らでも必要なだけ出てくる。
151マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 11:03:23 ID:Wa6T5YY8
チ ョ ン ざまあ w w w
152マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 11:05:45 ID:wEPTCFM6
普段は無視され、たまに相手されるとボコボコの木端微塵
ハゲ哀れよのう
153マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 11:05:48 ID:kJPS++RT
>>151

いい加減ウザイ!!

チョンと同レベルになってそんなに楽しいか?
154マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 11:17:28 ID:3ocHU05c
>>142
>>144
そこでバールのようなものですよw
155マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 11:19:50 ID:kJPS++RT
>>154

をぉっ!!なるほど〜!
んでも、バールのようなものって、チョン専用じゃなかったの?
156マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 11:23:36 ID:wDCVqY/X
つ 【当時は(残念ながら)日本兵】
157マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 11:26:18 ID:kJPS++RT
む〜
今日はなんかボケてばっかりだ。
158マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 20:31:46 ID:eEYze3hx
↓のスレの138です。

スレッドを立てる迄も無い質問・雑談(63)
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/korea/1141029410/

これから南京攻略戦に参加した47連隊(大分)に関する記録を連続貼り付け
しますので、気付いた方は支援おながいします。
159マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 20:32:40 ID:eEYze3hx
歩兵四十七連隊(大分)の行動について
  〜〜 郷土部隊奮戦史 (昭和37年10月15日発行、平松鷹史 著)より 〜〜

--------------------------------------------------------------------------
参考: 第六師団の編成(昭和12年12月)

第6師団(熊本) 谷寿夫中将
 |
 +−歩兵第11旅団(坂井徳太郎少将)
 |  +歩兵第13連隊(熊本) 岡本保之大佐
 |  +歩兵第47連隊(大分) 長谷川正憲大佐・・・・・←ここ
 |
 +−歩兵第36旅団(牛島満少将)
 |  +歩兵第23連隊(都城) 岡本鎮臣大佐
 |  +歩兵第45連隊(鹿児島) 竹下義晴大佐
 |
 +−騎兵第6連隊(熊本) 猪木近太中佐
 +−野砲兵第6連隊(熊本) 藤村謙中佐
 +−工兵第6連隊(熊本) 中村誠一大佐
 +−輜重兵第6連隊(熊本) 川真田国衛大佐
 +−その他(師団通信隊、師団衛生隊、師団野戦病院) ほか

参考URL
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/sougou/sosikizu/D006.htm

--------------------------------------------------------------------------
160マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 20:34:57 ID:eEYze3hx
S12.07.27 15:28
 動員下令

S12.08.01
 17:50 兵営を出て大分駅に向かう。大分市民の熱狂的な歓迎を受ける。
 20:04 万歳の声に見送られて軍用列車は大分駅を出発して門司へ。
    乗船順序待ちのため、門司で2泊。

S12.08.03
 13:00 軍用船天竜丸に乗船。
 15:00 釜山に向けて門司港を出港。

S12.08.04 02:20
 釜山港に入港

S12.08.05 05:00
 上陸を開始し、朝靄の朝鮮に第一歩を踏み出す。同夜は釜山に宿泊。

S12.08.06 09:16
 鉄道輸送で釜山から奉天に向かう。

S12.08.07〜09
 豪雨で鉄道がストップし足止めを喰らう。停車駅付近の民家で宿営。
 連隊本部が宿営した森本氏邸で女の子が生まれ、連隊長が勝子と命名。
 みんな縁起がよいと喜ぶ。

S12.08.10 18:45
 国境の町安東を通過し、シナ本土に入る。

S12.08.13 16:30
 北京南方黄村駅で下車。この駅は北京近郊で、盧溝橋のすぐ近く。
161マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 20:35:59 ID:eEYze3hx
S12.08.15
 黄村を出て梁家務に宿営。

S12.08.17
 梁家務を出て朱家務に到着。
 以降、9月14日の永定河渡河戦まで朱家務に駐屯。
 ここで活発な地形偵察や斥候戦を演じる。

S12.08.20
 見習い士官の立山英雄(戦死後、少尉)が偵察斥候中に敵襲を受けて戦死。
 長谷川部隊最初の犠牲者となる。享年24。
 最後の言葉は、「おかあさん、おかあさんによろしく」

S12.08.31
 北シナ方面軍、第一軍、第二軍の戦闘序列が発令。
 47連隊は第一軍(香月清司中将)−第六師団(谷寿夫中将)に所属。
 永定河渡河→保定攻略戦に向かう。

S12.09.03
 谷師団長が長谷川部隊を視察。その際、谷師団長が宇佐八幡宮の白羽の矢
 2本を送り武運の長久を祈る。長谷川連隊長はその矢を軍旗の竿に結びつける。

S12.09.11
 攻撃命令を下達。
 高木副官は長谷川連隊長に対して次の二項を厳守することを進言する。
  (1) 強姦、略奪の厳禁
  (2) 戦死者の火葬を鄭重にし必ず遺骨を遺族に送還すること
162マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 20:37:11 ID:eEYze3hx
S12.09.14
 14師団と連携して、白昼に永定河渡河を決行。
 47連隊は第六師団の右翼を担当。
 高木副官の発案で合い言葉は「加藤」「清正」に決定。
 後にこの合い言葉は、シナ軍でも知られるようになる。

S12.09.14 14:05
 永定河河畔の竜各荘で渡河の機を伺った後、長谷川連隊長が軍刀を抜いて
 前進を命ずる。シナ軍の抵抗は強く、六師団の主力方面はかなり困難な
 渡河となる。砲兵の渡河が困難であり、長谷川部隊はしばらく砲兵無しの
 攻撃前進をやらなければならなかった。

S12.09.14 14:53
 渡河完了

<永定河渡河戦のエピソード>
 永定河を突破したものの敵の反撃が激しく、頭に砂をつけたまま射撃ができない
 状態となった。そのとき第一機関銃中隊長の大江一二三少佐は、この状況を見て
 いきなりダッと30m程走り、悠々と敵に背を向けて立ち小便を始める。
 敵弾が集中する中、中隊長は「目標、中隊長のキンタマァー」と大声で叫び、
 初の実戦で我を忘れかけていた兵士に、心の余裕を持たせる。

 戦後の大江さんの述懐「立ち小便のとき、もしこのスタイルで弾丸が当たったら
 どうしようかと思ってヒヤヒヤした」

 なお、永定河渡河戦の前に大江中隊長は兵を集めて次のように言っていた。
 「戦争は誰でも怖い。その怖さを乗り切ってこそ初めて戦いに勝てる。
  最初敵弾を浴びた者は必ず唇の色が変わり、喉が渇くものだ。
  それは決して臆病のためではない。人間、緊張すればみんな同じことだ。
  今後、誰が臆病だとか、誰が唇の色が変ったなどと言った者は厳罰に処する」
163マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 20:37:55 ID:eEYze3hx
S12.09.14 16時過ぎ
 次の拠点の辛務に進撃して占拠。
 その後、後謝家務→宋各庄を通り、西下士という小部落に向かう。
 この後、謝家務で3個中隊が全滅の危機に瀕する。
 背の高いコーリャン畑での戦闘で苦戦する。

S12.09.14
 夜半までの進出の望みは絶たれる。各中隊で壕を掘って15日の攻撃に備える。

S12.09.15 04:00
 拠点部落に立ち寄った第三中隊が強烈な逆襲を受ける。このとき主力兵器の
 軽機関銃が過熱して使用できなくなり第三中隊は沈黙。火力が衰えたことを
 知ったシナ軍はさらに攻勢をかけてくる。
 敵に囲まれ、血路を開く決心をしているときに、軽機関銃手の阿部上等兵が
 (残しておいた)最後の軽機関銃一丁を持って敵の正面に射撃を開始。
 日本軍に火器なしと見ていたシナ軍は総崩れとなる。

S12.09.15 朝
 架橋作業の遅れで到着が遅れていた野砲1門が到着。
 1門とはいえ、砲の支援はありがたかった。

S12.09.16
 戦死者を火葬し、大強村を経て汪家営に露営。
 保定城に向かって急行軍となる。敵との不定期遭遇戦となる。
 食料が不足し始める。コーリャン畑での戦闘で苦戦する。
164マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 20:39:16 ID:eEYze3hx
<コーリャン畑でのエピソード>
 旅団長は47連隊に進撃中止命令を伝えようとするが、無線連絡が取れない
 状況となる。そのため、旅団通信隊の萩平隊長(中尉)が馬に乗ってコーリャン
 畑を進み、47連隊を目指すが、敵部隊と遭遇してしまう。

 萩平中尉は馬を捨てて徒歩で(コーリャン畑に身を潜めて)行動するが、
 愛馬が萩平中尉の後ろについてきてしまい、敵にバレて中尉と馬はシナ軍に
 拿捕されてしまう。
 その後、萩平中尉は挟撃作戦中に脱走し、無事13連隊に収容される。


S12.09.18
 麻子営、張家営を通過

S12.09.19
 倉上、義今庄、肖魚池、孫各張、達子村を通過。
 敵は塹壕を掘って迎撃態勢を取ろうとするが、その前に日本軍が叩きつぶす
 という状態を繰り返す。行軍が遅れればその分だけ敵に防御態勢を取る時間を
 与えることになるため、補給を受けずにひたすら進撃する。
 陣中日誌にも「米ナシ」の記録が増えてくる。

S12.09.20
 長谷川部隊は徐水に集結、21日に謝坊に向かう。

S12.09.21
 第一軍が大清河河畔の保定前面陣地の線まで到達。
165h.t ◆fN6DCMWJr. :2006/03/19(日) 20:39:50 ID:4tQ15OBJ

支援
166マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 20:40:15 ID:eEYze3hx
S12.09.22
 47連隊は13連隊岡山大隊と守備交代の命令を受けて王荘に進出。
 長谷川連隊長が毛家営の視察をした夜から敵の反攻が強くなり、
 47連隊の各所で死闘が演じられる。
 このときシナ軍にはかなりの死傷者が出ていたことに間違いないが、
 敵は見事に死傷者を収容し、陣を退くというあざやかな退却を行っていた。

S12.09.23
 第6師団は干坊南方附近一帯から大清河を突破し、23日10時頃には
 保定城外郭陣地に殺到。47連隊は馬官営を攻めて奪取。
 敵の攻撃の激しさが増し、四方八方から敵弾が飛んでくる中、
 空腹の兵士は(上官の注意には耳を貸さず)暇を見ては芋掘りを行う。
 (永定河の渡河から10日、3日そこそこ分の携帯食料は底をついていた)

S12.09.23〜24 保定城攻略戦
 24日未明より(正確に言えば23日夕刻から)保定城攻撃戦が始まる。
 日本軍は城内に火器を揃えていると思っていたが、シナ軍は野戦陣地に
 火器を集中配備しており、予想以上の猛攻を受け、屍山血河の状況となる。
 23日の戦いで第五中隊長鈴木大尉、第十一中隊長川谷大尉戦死。

 日本軍が攻めあぐめ、シナ軍も徹夜の応戦で疲れ切った中、第九中隊より三名の
 決死隊が選ばれる(石田軍曹、後藤上等兵、芦刈一等兵)。
 軽装の決死隊は、軽機関銃、重機関銃、砲の支援を受けながら、垂直のレンガの
 城壁に打ちかぎ足場を作って這い上がる。
 このとき城の敵からの手榴弾攻撃を受けるが、死角に入って避ける。
 敵が重機関銃を真下に向けて打ちかけるが、味方の山砲がこれを撃破。

 侵入した決死隊は敵の銃剣を奪って制圧。戦意を失った敵は武器を捨てて投降。
 24日8:50 長谷川連隊長、第三大隊から第一線奪取の報を受け取る。
 24日9:10 保定城占拠
167マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 20:40:57 ID:eEYze3hx
 この戦いでの47連隊の損害は戦死90(将校4)、負傷280(将校3)。
 10月27日付で、3人の決死隊に対して六師団長から賞詞が与えられた。

<保定城攻略戦のエピソード>
 (1) 不思議なお坊さん
  激戦場の真っ只中、京漢線の鉄路の上に鶯色の僧衣を着て頭を丸めた僧が
  ウチワ太鼓を叩き、南無妙法蓮華経を唱えていた。
  この僧侶に銃弾は一発も当たらなかった。
  兵士にはこの僧の行動が奇嬌というより神々しく見えていた。
  戦いが終わって47連隊の兵士がこの僧を捜したが見つからなかった。

 (2) 4人目の決死隊
  保定城の城壁を登った決死隊は実は4名であった。名前が出てこない1名は
  第9中隊のH氏である。H氏は予備役兵で実戦経験がなく、非力であった。
  H氏はコーリャン畑での戦いで激戦中に足がすくんで動けなくなり、
  第9中隊から取り残されてしまった。翌日の点呼中に戻ってきたH氏は、
  敵前逃亡した卑怯者のレッテルを貼られてしまう。

  H氏は決死隊に進んで参加し、若い現役兵3人に混じって勇敢に戦った。
  後藤上等兵は一番乗りの手柄にH氏も加えるように強く主張したが、
  認められなかった。H氏は敵前逃亡の罪と一番乗りの手柄が相殺される
  形となったが、これは当時の陸軍としては温情あふれる処置であった。
  H氏は後に内地に帰り病没した。

 (3) 幸木少尉の戦死
  第2機関銃中隊第1小隊長の幸木少尉は、この戦いで喉を打ち抜かれる。
  幸木少尉は虫の息の状態で「久子、子供ヲ立派ニ育テヨ」との走り書きの
  遺書を残して絶命。享年30。
168マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 20:42:07 ID:eEYze3hx
S12.09.25 14:27 保定入城式
 香月第1軍司令官、谷第6師団長、土肥第14師団長、川岸第20師団長らが
 「海征かば」のラッパと全軍の捧げ銃の中を黒塗りの車で入城。
 引き続き保定攻略祝賀会が開かれる。(日本酒、スルメ、勝栗等が用意)

S12.09.25〜29
 一般将兵は城内/城外の部落に分宿し、警備と休養に入る。
 2週間ぶりの風呂に入り、脚を伸ばしてのんびりと宿泊する。

<保定城内の民衆について>
 民衆は即製の日の丸を振り、サイダー、タバコ、サツマイモ、アメなどを持って
 続々と連隊本部を訪れて日本軍に贈った。たった今まで城壁を挟んで死闘を展開
 していたとは思えないほど多数の民衆が、即製の日の丸を持って現れる。
 (その時代、その時代の為政者に尻尾を振らねばならない民衆の哀しさを感じる)

 長谷川連隊長はこの時の様子を「わが飛行隊の爆撃で城内の大方の民衆は逃げ、
 または死んだと思ったがこの有様である、異様な感じがしたとともに砲爆撃なる
 ものの効力の限度を知った」と書いている。


S12.09.30
 第六師団は京漢線以東の地区を前進して、10月9日までに正定東北地区に
 集結すべく、第二期作戦行動開始。長谷川部隊も保定を出発。
 保定→白団村→王牛薜荘を経て平定に向かって行動開始。このとき、
 地元の若い兵を連れてきて背のうを担がせて行軍した(若者の臨時徴発)。
 この行動は、軍の行動や住民感情の面から好ましいものではなかったが、
 兵は急行軍で疲れ果てていたため、中隊長は黙認した。
169マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 20:43:18 ID:eEYze3hx
S12.10.06
 47連隊は新楽に到着。沙河を渡って、正定に向かうところで問題発生。
 沙河には応急仮設の軍橋(重量制限あり)と京漢線の鉄橋がかかっていたが、
 どの連隊が先に軍橋を渡るかを巡ってトラブルとなっていた。
 (ここには複数の連隊が集結していた)

 このままではラチが明かないと判断した長谷川大佐は鉄道連隊長に直談判して、
 軍用列車を一時的に止めてもらい、47連隊は大急ぎで鉄道の方の橋を渡る。

 なお別の連隊では、軍橋を渡る順番を巡って連隊長間の話し合いでも調整がつかず、
 連隊長は橋を架けた工兵の責任者に順番を決めてもらうことにする。
 しかし難問を持ち込まれた工兵6連隊第2中隊長の横尾少佐は、上官の依頼を断る
 わけにもいかず、ヘタに軍配を上げるわけにもいかず、頭を抱える。
 「渡橋順位について工兵隊は何とも言えないので、連隊間で話し合って欲しい」と
 やんわり逃げるが、連隊間で話し合いがつかず、再び横尾少佐の判断に任される。
 横尾少佐は連隊長の号令の声が大きかった方を優先する方法を提案する。


S12.10.08
 36旅団が8時より砲撃開始し、正定城の攻撃に取りかかる。
 47連隊は旅団の攻撃を側面から援助しつつ、大急ぎで★沱河(こだが)の
 渡河を始める。渡河は徒歩ではできないため、舟艇渡河を行う。
 ★=さんずいに虎構えで、虎構えの中の「七」の下が「乎」の文字

 渡河の際、敵の火力を浴びて大きな犠牲が出ることも覚悟したが、
 敵は36旅団の猛攻と16師団(京都)の攻撃で戦意を喪失し壊走していたため、
 幸いにして無血渡航となった。
170マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 20:43:59 ID:eEYze3hx
 <★沱河渡河前のエピソード>
  47連隊が舟艇渡河を行うために河岸に集結しているとき、第一機関銃中隊長の
  大江少佐は河岸の民家の陰で酒盛りをしている異様なドロ人形のような
  (埴輪のような)の一団を発見した。
  彼らは輜重特務兵で、泥まみれになって渡河材料を運び、工兵隊に引き渡して
  一息ついているところであった。

  これから命がけの戦いを行う歩兵の前で酒盛りをするのは不謹慎であるが、
  大江少佐はそのことを責めるよりも、彼らの苦労に胸が詰まった。
  大江少佐は列車が立ち往生したときに泊まった民家の少年からもらった
  ハーモニカを黙って彼らに与えた。


S12.10.12
 ★沱河渡河以降、47連隊は戦闘行軍を続けながら趙州を目指す。その間、
 敵は便衣に着替え、小部隊に別れ、指揮系統混乱のまま敗走を続けており
 47連隊は戦闘らしい戦闘を行わずに趙州に入る。
 趙州では警備と休養の生活を送る。

S12.10.15 10:30
 趙県城内で六師団慰霊祭が行われる。
 六師団はこのとき北シナ方面軍から中シナ方面へ転用される内示を受けていた。

S12.10.16
 05:00 47連隊は趙州を出発。第一大隊を先頭に石家荘に向かう。
 17:20 石家荘に入る。石家荘には6師団各連隊が続々と集結する。
     23日までの一週間、警備と新戦場の準備に当たりつつ完全休養となる。

S12.10.20
 10月20日付けで第六師団は第十軍(柳川平助中将)配下となる。
171マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 20:45:00 ID:eEYze3hx
S12.10.24 14:30
 石家荘を出発し、中シナ方面に向かう乗船地の溏沽へ急ぐ。長谷川連隊長は
 シナの民衆を欺くために「シナ軍を叩いたのでこれから内地に帰る」と
 宣伝して、軍用列車に分乗する。

S12.10.26〜27
 第六師団の各連隊が溏沽に到着。乗船を始める。

S12.10.28 01:30
 溏沽を出発。師団司令部は、しゃとる丸に乗船。47連隊の第三、第四中隊と
 機関銃半個中隊が護衛に当たる(第三中隊長の三明大尉が指揮官)。
 行き先は明かされなかったが、将兵達は上海方面だろうと当たりをつけていた。

S12.10.30
 予定通りに朝鮮半島の木浦港に入港。

S12.10.31
 中隊長以上に初めて杭州湾上陸作戦が下達される。
 将兵は興奮を隠しきれず。

S12.10.30〜11.02
 木浦で猛烈な上陸作戦演習を行う。
 なお上陸作戦は広島第五師団のお家芸である。

S12.11.02 16:30
 木浦港を出発し、杭州湾へ向かう。

S12.11.03 09:00
 明治節。各輸送艦のデッキで遙拝式をあげる。
172マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 20:45:41 ID:eEYze3hx
S12.11.04 夕刻
 杭州湾到着の前日、柳川司令官の乗ったしゃとる丸の前方で一頭の鯨が
 高々と潮を吹き上げているのを監視兵が発見し、柳川司令官に報告。
 その報を受けた柳川司令官は、「わが船団の前方にクジラの潮を吹くを見る。
 まことに吉兆なり。本作戦の成功間違いなし」と電報で各艦に伝える。
 各艦ではどっと歓声があがった。

S12.11.05 03:40頃
 杭州湾沖に投錨。
 昨日は快晴で夜から朝にかけて急激に冷え込んだため、濃霧が発生。
 将兵は「この濃霧こそ天佑神助なり」と喜ぶ。
 将兵は息を殺して上陸開始命令を待つ。

S12.11.05 05:30頃
 第一線の国崎支隊が上陸開始。猛反撃が予想されたが、敵は濃霧のために
 上陸に気付かず、無血上陸に成功する。
 「日軍百万杭州湾上陸」の大アドバルーンを上げる。

 第2陣の長谷川部隊も濃霧の中で上陸を開始し、無血上陸成功。
 国崎支隊と長谷川部隊は展開を開始。
 砲兵は容易に上陸できないため、軽機関銃が頼りとなる。

 歩兵部隊は、上陸から3日間程は重機関銃や砲の支援を受けないまま、ひたすら
 (丸裸の状態で)直進を続ける。47連隊は正確な地図を持たなかったことや、
 水深が深いクリークが網の目のように走っていることもあり、進軍に苦労する。

 特に機関銃・大隊砲・速射砲の部隊は上陸に遅れた上に、兵器を分解した重たい
 荷物を持って、(軽装で敵兵を追走する)先行の歩兵部隊に追いつくために、
 不眠不休の言語に絶する急行軍となる。
173h.t ◆fN6DCMWJr. :2006/03/19(日) 20:45:50 ID:4tQ15OBJ
長そうなので、もう一度支援
174マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 20:46:52 ID:eEYze3hx
S12.11.06
 曇天、夜雨。47連隊は上海〜蘇州の中間にある要衝である崑山攻撃部隊となる。

S12.11.07
 この日は車軸を流すような大暴雨となる。
 崑山攻撃を察知したシナ軍が金山防衛部隊を派遣する。
 (金山は黄浦江の支流に沿った細長い町)

 6:30 47連隊は金山の手前で戦闘開始。シナ軍は急編成のために戦力が低く、
 1時間半の戦闘で金山南端を占領。捕虜になったシナ兵の中には、少年の気が
 抜けきらぬ無邪気な若者達も多数いた。

S12.11.07夕刻〜11.08
 余山鎮天文台での激戦が行われる。
 第三中隊(三明中隊)は約200名でシナの大軍と戦い、大きな戦果を上げる。
 シナ軍の遺棄した遺体は概算で3000以上あり、辺り一面土が見えないくらいに
 死体が残されていた。三明中隊は戦死3、負傷7。
 三明中隊はこの戦いで六師団長賞詞が与えられる。

<余山鎮の戦いのエピソード>
 三明中隊が旅団命令で後退したたときに、御手洗上等兵は一人前線の壕の中に
 取り残される。シーソーゲームの陣取り合戦となっていたため、中隊本体が
 退却するとすぐに、御手洗上等兵のいた壕にも将校級の敵兵が入ってくる。

 御手洗上等兵は同じ壕にいた同僚の戦死体の上に伏せて息を殺し、死んだふりを
 する。御手洗上等兵は見つかって殺されるのを覚悟したが、シナの将校はそれに
 気付かず、その後移動する。

 その後、シナ軍は御手洗上等兵がいた壕の横に砲を設置し、余山鎮天文台を
 狙いはじめる。(重火器を持たない日本軍はピンチとなる)
 そこで御手洗上等兵は手持ちの手榴弾を砲の下に投げ込み、撃破する。
 御手洗上等兵はその後、同僚の戦死体を収容して中隊本部に帰還する。
175マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 20:47:53 ID:eEYze3hx
<堤防での激戦>
 第八中隊は余山鎮の裏を流れるクリークにかかる橋梁の確保を命じられる。
 第八中隊は夜の警備中に、クリークを利用して武器運搬をしている舟艇群と
 遭遇し、戦闘となる。

 第八中隊は堤防から軽機関銃で舟艇群をひたすら銃撃する。
 シナ軍はこのままだと射撃の的になるだけなので、血路を開くために
 舟艇もろとも堤防に突進し、突撃しててくる。

 この堤防を駆け上がる敵兵に対して、関准尉(剣道4段)は軍刀で戦う。
 手榴弾が飛び、銃剣で攻め立てられる中、関准尉は正確な剣裁きでひたすら
 敵を袈裟切りにする。この戦いの後、関准尉の軍刀は折れたり刃こぼれして
 16cm近くも短くなっていた。


S12.11.07
 11月07日付けで松井石根大将が中シナ方面軍司令官となる。

S12.11.10 10:30
 長谷川部隊は崑山の南にある要衝、青浦城を攻める。
 第一大隊が左第一線、第二大隊が右第一線で一斉攻撃を開始。
 しかし敵の有力な火器と正確な射撃により被害が大きくなる。

S12.11.11 03:00過ぎ
 軍刀で武装した斥候隊が敵陣に忍び込み、歩兵砲陣地に切り込みを実施。
 05:00過ぎに所命の地点を占拠し、日章旗を立てる。
 その後47連隊本隊が青浦城を占拠。
 この戦いで第一中隊長立川大尉が負傷し、内地還送となる。
176マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 20:48:40 ID:eEYze3hx
S12.11.11 朝
 分捕り品のサイダーやみかんが将兵に配分され、
 徹夜の攻撃でくたくたになっていた将兵を喜ばせる。

 朝食後の休憩中に青浦城にゆうゆうと向かってくる大部隊を察知。
 敵はまだ日本軍が青浦城を落としていることに気付いていない状況。
 長谷川連隊長は「重機、軽機、大急ぎでオレについてこい。タマをたくさん
 持ってこい」といって、銃撃準備を命じる。

 シナ兵が47連隊のすぐ目の前に来て、中にいるのが日本軍であることに気付いて
 慌てて方向転換しようとしたところで連隊長が「撃てッ」と命令。
 重機、軽機の流し打ちを浴びせて大打撃を与える。

S12.11.11 11:00
 青浦城を出発。蘇州河の線に向かって追撃。

S12.11.11 22:40
 白鶴巷鎮に宿営。敵の敗残兵が出没するため、警戒態勢のまま露営。

<白鶴巷鎮で敵の軍事機密資料を発見>
 白鶴巷鎮の民家の中から敵が遺棄した軍事密書類を発見し、押収。
 その中に日本軍編成表があり「歩四十七長長谷川正憲」という名前を発見し、
 当の長谷川連隊長が苦笑いする。
 この書類には前任の47連隊長が進級して北満に行っていることも記載されており
 情報収集の行き届いていることに驚く。

 またこの中での日本軍の長所短所は次のように書かれていた:
 「松井大将は威力乏しくこれがため陸海軍の共同円滑ならず、重要事項
  ことごとく東京に請訓す。従って日本軍の戦略的指導は鈍重なり。
  日本陸戦隊の威力乏し。艦砲射撃は恐るるに足らず。
  日本の歩兵は勇敢なり。またその砲兵の射撃術は良好なり。
  東京、大阪の兵は弱く、九州の兵は剽悍なり。」
177マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 20:49:25 ID:eEYze3hx
S12.11.12
 蘇州河を挟んでシナ軍と対峙。シナ軍は戦意旺盛で火力も強く、渡河できそうな
 地点の正面に陣取っているため、渡河は困難な状況となる。
 この状況下、第4中隊第2小隊(草本少尉)に対岸に繋いである4隻の川舟を
 分捕ってくるようにとの困難な命令が下される。

 先に下川上等兵が裸になって川に入って泳ぎだし、続いて草本小隊長自らが
 泳いで対岸に向かう。下川上等兵は敵岸での舟の分捕りに成功するものの、
 日本側の堤防に戻る途中で、気付いた敵から猛射撃を受けて両大腿部を打ち
 抜かれて舟の上に倒れる。下川上等兵を乗せた舟は下流に流されるが、
 草本小隊長が泳ぎながら舟を引っ張って引き戻す。

 この状況の報告を受けた長谷川連隊長は、救援のために舟の対岸の敵に
 集中砲火を浴びせる。その結果、シナ軍は堤防から動けなくなる。
 この間に日本軍は草本小隊長と下川上等兵の舟を救出し、その後この舟を
 手がかりに4隻すべての舟を分捕り、舟を使って対岸に上陸して堤防の敵陣を
 撃破する。

 渡河後ただちに追撃を開始し、安亭鎮に向かう。
 18:00 安亭鎮に入る。夜半まで敵敗残部隊の反撃が続く。


S12.11.13
 47連隊は崑山へ追撃開始する。
 13日の午後、上海派遣軍(第9軍)が安亭鎮に入り、上海派遣軍と第10軍が握手。

S12.11.14
 05:00 安亭鎮の陣地を撤する。
 08:30 前進開始。師団予備隊として崑山へ向かう。
     途中の道路は遺棄死体、兵器、弾薬が山のように捨てられていた。
 15:30 白王庄に到着し露営。ここで味噌、乾パン、缶詰、酒などの支給があり、
     連隊は久しぶりにのんびりした露営を行う。
178マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 20:50:19 ID:eEYze3hx
S12.11.15
 36旅団(牛島旅団)・13連隊(熊本)と戦っていた崑山の敵が退却を始める。
 47連隊は師団予備隊として師団右翼隊の後方を前進、鉄道線路上を進んで
 崑山停車場に向かう。

 崑山停車場では敵の軍用列車を捕獲し、膨大な米と新品綿製防寒被服を押収。
 兵士に分け与える。寒さが厳しくなる折、兵士は大喜びであった。

S12.11.16〜17
 崑山で休養。

S12.11.18
 6師団は柳川兵団(第十軍)主力と合流するため、嘉善に向かって来た道を
 引き返す(転進)。崑山から安亭を経て施紀浜までの28kmを行軍。

S12.11.19
 雨のためドロで膝まで没するような悪路の中、大橋頭までの28kmを行軍。
 将兵一同、極度に疲れる。

S12.11.20
 この日も雨。黄浦江の橋が壊れたため、4時間の大休止の後、渡河を開始。
 雨で水かさが増していたため、連隊が渡りきるまで3時間20分を要する。
 将兵とも疲労でアゴを出しながら、黙々と雨の中を歩き続ける。

 同日、大本営が設置され、敵国の首都(南京)を攻略する段階に入る。
 後の12月1日に南京攻略の命令が松井司令官に伝達される。

S12.11.21 18:30
 嘉善に到着。
179マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 20:51:08 ID:eEYze3hx
S12.11.21〜29
 部隊にコレラが発生。防疫と休養を兼ねて嘉善に滞在することになる。
 各師団が南京目指して急行軍していた中で1週間の足止めを喰らうことになり、
 連隊幹部にとっては大きな痛手であったが、行軍に疲れ果てていた兵士には
 「コレラ様々」の休養となった。

S12.11.29 07:00
 一週間遅れで嘉善を出発。
 カラリとした晴天の中、先行する師団主力を追って激しい行軍となる。
 太湖の岸を回り、金山、嘉興、湖州を経て広徳から南京を目指すコースを
 行軍する。

S12.12.02 15:30
 太湖沿岸の湖州に到着。ここで酒・タバコ・米などの支給を受ける。
 疲れ切った兵士達はわずかな酒・タバコを押し頂くようにして少しずつ楽しむ。

 長谷川連隊長は柳川兵団司令部を訪れて柳川中将に到着の挨拶を行い、たまたま
 戦線視察に来ていた軍参謀長・参謀次長らに戦場の実情を伝える。

 このとき長谷川連隊長は、食うや食わずやで泥まみれで戦ってきた兵士達が
 わずかな酒・タバコを押し頂いているのに、司令部では一個大隊に相当する
 大人数(1000人)の後方勤務者がのんびりと働き、彼らの机にアラレや洋菓子が
 並んでいる様子を目の当たりにして、かなりむかつく。

S12.12.03
 湖州を出発。
180マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 20:52:29 ID:eEYze3hx
S12.12.03〜08
 湖州を出発したあと、長興−下洫安−広徳の全長82kmを3日間で踏破するなど、
 急行軍となる。兵士達は疲れていたもの、第6師団先発隊はすでに南京城に
 迫っているとの情報があり、また栄えある敵首都攻略に参加しようと、
 全身の余力を両脚にこめて黙々と歩き続ける。

 長谷川連隊長は、「光輝ある敵の首都攻略に間に合わないようなことになっては
 これまでの英霊に相すまぬ。大分県民に対して申し訳ない」と悶え悩んでいた。


S12.12.08
 47連隊は南京の南方約40kmの甫家ウ(ウは「土于」)に進出。
 この頃すでに第6師団の先発隊は、南京城の一斉攻撃開始の準備に入っていた。
 このとき軍旗を向かえに来たトラック5〜6台が到着する。

 第6師団はこれまで旅団や連隊単位で戦うことが多く、4本の軍旗(連隊旗)が
 揃うことはなかった。そのため長谷川連隊長は、崑山で谷師団長に対して
 「南京城に攻め入るときは、軍旗4本を揃えていただきたい」と申し入れて
 いた。

 しかし47連隊の到着がコレラの影響で遅れていたため、谷師団長は気遣って
 「オイ、誰か四十七の軍旗を迎えに行ってやれ」と命じていた。
 長谷川連隊長は、谷師団長の温情に涙を流さんばかりに喜んだ。

 長谷川連隊長は、第五中隊と機関銃を連れてトラックで先行。
 もし47連隊主力の到着が間に合わない場合は、47連隊の名誉をかけて、
 この戦力だけででも戦う覚悟であった。

 南京南方約8kmの鉄心橋で長谷川は谷に会い、謝意を表すとともに、
 南京城攻略命令を正式に受ける。
181マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 20:54:04 ID:eEYze3hx
S12.12.09 正午
 松井石根司令官は、南京防衛司令官 唐生智に対して24時間の期限を付し
 投降を勧告する。

S12.12.10 早朝
 シナ軍は猛烈な砲火を持って攻撃を開始。
 ここにおいて日本軍は南京城一斉総攻撃を開始する。

S12.12.10 12:00
 緒方中佐(第一大隊長)率いる47連隊主力が二牌営の師団主力に追いつく。
 前進陣地は日本軍の手に落ちていたが、南京の本城と周辺に野戦陣地には
 強固なトーチカが無数配備され、敵の精鋭部隊が南京城死守の決意で
 迎撃準備を進めていた。


<82高地をめぐる攻防>
 47連隊の正面に当たる82高地はコンクリートのトーチカが連なり、
 2線の鉄条網で固められていた堅陣である。ここから有力な火力が非常に
 狙撃技術に優れた敵によって繰り出され、日本軍は損害が続出。
 また雨花台からも激烈かつ正確な砲攻撃を受ける。

 近くの墓地にいた長谷川連隊長の周辺にも着弾し、連隊長も「いよいよ
 この墓地で往生か」と覚悟する。他の連隊幹部も「今度こそはいよいよ
 生きておれまい」とひそかに遺書を書き、死の決意を固める。

 第11中隊(首藤中尉)に82高地の奪取が命ぜられる。第11中隊はこのときすでに
 総員94名しかおらず、普通の場合の半数であった。
 首藤中尉は事前に敵陣の状況や突撃地点を詳細に調査し、夜襲計画を立てる。
 強行軍で疲れ果てているわずかな兵で突撃するため、誰も生きて帰れるとは
 思っていなかった。
182マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 20:54:54 ID:eEYze3hx
 18:00 中隊全員の集合を命ずる
 19:00 背のうをおろし、白ダスキをかけ、着剣して出発。
    その後、誰も鉄条網を切るハサミを持っていないことに気づき、
    木崎伍長がハサミを取りに戻る。

 その後、約300(3倍)の敵に対して攻撃を加え、殴る、突く、射殺するの
 メチャクチャな白兵戦となる。
 敵は一旦主陣地を手渡すが、すぐに400の兵力で中隊を包囲。
 兵力・火力に勝る敵に囲まれた第11中隊は死傷者が続出。
 全兵力わずか24名となる。

 その生き残った24名も片手がぶら下がっていたり、脚に穴が空いていたりと
 ひどい状況。それでも立ち上がれる者は戦友の死体を土嚢代わりにし、
 銃剣と手榴弾で戦う。
 敵も「全員戦死」を合い言葉に戦い抜いており、北シナで戦った兵とは
 まるで人が変わったように勇猛であった。

 82高地の奪い合いは、11日の朝になって日本軍の勝利で終わる。

 首藤中隊長も右大腿部貫通の重傷を負い、11日に担架で後送されたが、
 後に小倉陸軍病院で死亡。首藤中隊長は、応召前は国崎農学校の教頭先生を
 していた温厚な人物であり、補充要員として崑山より着任した召集将校で
 あったが、わずかな期間によく部下を掌握し、困難な戦闘を戦い抜いていた。
183マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 20:55:40 ID:eEYze3hx
S12.12.11
<大士菴をめぐる攻防>
 82高地奪取後47連隊第3中隊(三明中隊)は、強固な陣地を築き、右手前方から
 猛烈な攻撃を浴びせてくる大士菴部落の奪取に当たる。

 第3中隊は11日の日没を待って、日本軍vsシナ軍が撃ち合ってる最中に夜襲を
 かける。敵は夜になり膠着状態になった機会に交代で夕食準備にかかっていた
 ときに襲撃を受け、大混乱になる。

 第3中隊は大士菴を奪取するが、敵の猛烈な逆襲を受け、孤立してしまう。
 大士菴では敵の残した重機関銃を逆に向けて砲身が焼けるまでメチャメチャに
 撃ちまくり、近づく敵は銃剣で刺し殺す激闘となる。

 そこで長谷川連隊長は、第4中隊第2小隊(草本少尉)を応援に出す。応援に
 駆けつけた巨漢の草本小隊長は、たじろぐ敵を2,3人掴むと、そこら辺りに
 叩きつけるなど奮戦し、結局敵は大士菴奪還をあきらめる。
 三明中隊と草本小隊は、大士菴で一夜を明かす。

 また日本軍を苦しめていた雨花台の陣地も45連隊(鹿児島)が攻め落とし、
 南京城は丸裸で日本野戦軍にされされる。
184マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 20:56:45 ID:eEYze3hx
S12.12.12 快晴
<南京城中華門をめぐる攻防>
 47連隊は13連隊(熊本)とともに、中華門攻略を担当。
 47連隊はコレラで転進が遅れた影響で師団予備隊にとられており、実際に
 南京城攻略戦に参加したのは、第1大隊(緒方中佐)と第3大隊(江島少佐)と
 第2大隊の第5中隊だけであった。

 13連隊は右第一線、47連隊は左第一線として攻め上げる。

 南京城はクリーク(幅約40m、深さ2m、水勢はかなり激しい)に囲まれ、
 高い城壁(高さ20m以上、厚さが7〜13m)があった。そのため47連隊は、
 第1大隊を城壁突破、第3大隊を側面からの攻撃援助する体制で攻略を
 開始する。

 日本軍はすさまじい攻撃(砲撃)を行うが、なかなか効果が上がらず、
 シナ軍からもものすごい量の鉄砲弾が浴びせられていた。

 最前線の第3中隊(三明中隊)は、クリークの手前の師範学校の建物から戸板や
 壁板をはがして材料にし、なんとかしてクリークに応急架橋を試みる。
 しかし水流で流されたり、決死の架橋隊がクリーク両側に設置された敵火器に
 よって片っ端から射殺されたりと、なかなか先に進めない状況となる。

 緒方大隊長は第2中隊にハシゴ作成を命じ、4mと6mのハシゴ2本を作り、
 第3中隊の位置まで運搬する。

 そしてクリークの渡河材料を探しているうちに、偶然、長さ4m程の小舟が
 流れてくる。この小舟を見酉上等兵が身を切るような冷たい水の中を泳いで
 確保する。
185マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 20:57:32 ID:eEYze3hx
 三明中隊は城壁城の銃座と城外野戦陣地からの集中砲火を浴びることを
 覚悟した上で、決死隊を突入させる。三明中隊長は6人の決死隊を選び出し、
 残り少ない水筒の水で別れの杯をあげた。

 決死隊が突入を開始すると敵の砲火が決死隊に集中し始めるが、日本軍からも
 支援砲火がガンガン浴びせられる。決死隊はハシゴをかけて城壁を登るが、
 先頭を切っていた粟津一等兵は脚を打ち抜かれて高い城壁から落ちてしまう。

 その後5人が一団となって頂上近くに達したが、ハシゴの長さが足りないため、
 ツタやカヅラを手がかりに、古くなった城壁のレンガを剥いで足場を作る。
 そして命を刻む15分が経った頃、5人は城壁に手をかける。
 城壁上の敵兵が集まっており、たちまち壮烈な白兵戦が始まる。

 安藤軍曹、真鍋・寺山一等兵が戦死、江口一等兵も負傷。
 残る中津留伍長は敵が捨てた軽機関銃を分捕って撃ちまくり、敵がひるんだ
 スキに銃につけた日章旗を大きく打ち振る。この間に三明中隊長は第2陣
 (祥雲伍長ら7〜8名)を救援に向かわせ、続いて第3中隊主力も次々と城壁を
 登った。

 主力到着と同時に麻縄で軽機関銃・重機関銃を城壁に次々とつり上げ、
 ここに日本軍は中華門一帯を制圧、一番乗りの日章旗を打ち立てる。
 この時、昭和12年12月12日12時20分。
 (あと8分早ければ12という数字が揃ったのに残念であった)

 後に47連隊は砲の支援なしに連隊の持つ火力だけで中華門の西方300〜400mの
 城壁を破壊し、連隊主力を城内に突っ込ませる。

 その後、他所の攻撃隊も次々と攻め落とし、13日夕刻までには城内の掃蕩も
 終わり、南京城を完全に手中に収める。南京城を放棄したシナ軍は武漢三鎮を
 目指して敗走し、日本軍は直ちに追撃線に移る。
186マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 20:58:32 ID:eEYze3hx
 そのとき47連隊は主力を持って南京城内にある通称、四眼井(しかんせん)高地
 という小高い丘を中心に掃蕩を実施。城内にはまだ各所に敗残兵がひそみ、
 治安は極度に乱れ、随所で日本軍が狙撃される状態であった。敵敗残兵は
 民間人の服装に着替え一般民衆と一緒になって日本兵を奇襲した。
 日本軍はいつどこから飛んでくるかわからない手榴弾や小銃弾に極度に緊張
 しながら、徹底的に掃蕩した。※

 ---
 ※ 郷土部隊奮戦記ではこのときにいわゆる「南京大虐殺」が行われたとして
   当時の状況・背景についてページを割いて記載されています。

   しかし筆者は虐殺で殺害されたとされる人の数が曖昧であることや、
   正規の戦闘による殺害と、いわゆる「虐殺」と言われる行為との線引きが
   難しい点であることにも触れており、
   ・日本軍の一部に非人道的な殺戮行為に走ったものがあったことは
    事実であろう。
   ・ただ軍としては「犯さず、殺さず」の大原則を持ち続けたことは事実。
   ・第6師団が最大の責任を負わされたこと(谷師団長は戦後、南京の雨花台で
    刑死)については、必ずしも当を得たものではなかった。
  という筆者の見解が述べられています。

  この章は全文を通して読まないと筆者の意図が伝わらない(曲解される恐れが
  ある)と思われるので、ここでは深く触れません。興味のある方は、全文を
  参照されることをお勧めします。
 ---
187マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 20:59:12 ID:eEYze3hx
<南京攻略戦のこぼれ話>
 (1) 中津留伍長が日章旗を振っているとき、日本軍のある連隊ではシナ軍が
   日本軍の目をくらますために振っているものと考え、これに重機関銃の
   急射撃を浴びせる一幕もあった。

 (2) 中央統帥部では第3中隊が一番乗りに使ったハシゴを記念として靖国神社の
   遊就館に保存することを決め、ハシゴを東京に送ることを命じた。
   しかし回収に行ったハシゴはすでになく(民衆が燃料にするために持ち
   帰ったのではないかと思われる)、代わりにシナ軍が制作した南京城の
   内側にかかっていたハシゴが中央に送られた。


S12.12.17
 南京入城式が行われる。47連隊は南京城南方地区の警備に任じていたが、
 この日は各中隊とも警備要因を残して全員が入城式に参列した。

 午前11時、「かしらーッ、右ッ」の号令で谷師団長の軍刀が光る。
 朝香宮鳩彦中将を先頭に、松井石根大将の馬が中山門から静かに進む。
 陸海軍は各部隊は中山門から国民政府に至る大通りに整列し、空には
 陸海軍機が大編隊を組んで南京上空を乱舞。

 感激と興奮の中、朝香宮を先頭に各師団長、部隊長は午後1時に国民政府
 正門に到着。正門のセンターポールに大日章旗がするすると掲げられ、
 全将兵一同、当方はるかに祖国を遙拝、松井軍司令官の音頭で万歳を三唱、
 数万の参加将兵全員が声をかぎりに唱和し、荘厳な南京入場式を終わる。
188マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 20:59:51 ID:eEYze3hx
S12.12.18 10:30
 南京飛行場において中シナ方面軍主催の慰霊祭があり、47連隊からも
 ほとんど全員がこれに参列する。(神式仏式混合の大慰霊祭)

 祭壇中央に建てられた白木の墓標には「中シナ方面陸海軍戦没者墓標」の
 文字が濃い墨であざやかに書かれていた。従軍僧の読経が湿りがちに流れ、
 「国の鎮め」のラッパが高く鳴り響く。


S12.12.12〜20
 約10日間、南京の警備に任じる。

S12.12.21 06:50
 長谷川連隊長を先頭に南京城を出発。
 安徳門を出て新しい任地の蕪湖に向かう。

S12.12.23 16:20
 2日間の旅次行軍を経て、蕪湖に到着。
 28日までの6日間、平和でのんびりした年末を楽しむ。

S12.12.26
 11月5日以来、約2ヶ月ぶりに内地からの郵便物、慰問袋が届く。
 小麦粉を探してきて手打ちうどんを作ったり、やせうま(※)を作って会食
 するなど、各兵隊は腕によりをかけての郷土食コンクールに舌鼓をうった。
 (※大分の郷土料理)

S12.12.28
 雪が降る。第2中隊では陣中の餅つきを行い、ふるさとの正月を忍ぶ。
 13:00 47連隊に師団命令が下り急遽寧国(※)に向かうことになる。
 寒く、雪と雨のどろんこ道を突いての行軍が始まる。
 ※寧の字は[ウ冠に必、その下に再の第一画が無い字。寧の異体字]
189マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 21:00:54 ID:eEYze3hx
S12.12.29
 連隊主力(連隊本部、第2、第3大隊)は寧国に入る。
 緒方中佐率いる第1大隊は湾沚鎮警備隊となって駐屯。
 47連隊は昭和13年の新春を迎えた後、同年5月の安慶作戦に出動するまでの
 約5ヶ月間をこの付近一帯の警備生活で過ごすことになる。

S12.12.31
 師団命令で合い言葉が変更になる。「加藤⇔清正」から「阿蘇⇔霧島」に
 変更となる。

S13.1.1 10:00
 寧国、湾沚鎮ではそれぞれ新年遙拝式をあげ、万歳三唱。
 陣地と宿舎の整備、街路の清掃などで新しい年を迎える。

S13.1.2
 1月2日付で第6師団長 谷寿夫中将は中部防衛司令官に転出。
 騎兵集団長 稲葉四郎中将となった。

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連続貼付はこれで終わりです。
支援ありがとうございますた。
190h.t ◆fN6DCMWJr. :2006/03/19(日) 21:20:10 ID:4tQ15OBJ
>>189
乙でした。
ゆっくり読ませてもらいます。
191娜々志娑无 ◆1ONcNEDmUA :2006/03/19(日) 21:41:53 ID:j/9BodQ1
>>189
 乙でした。読み応えありますね。

>>176
>東京、大阪の兵は弱く、九州の兵は剽悍なり。

 またも負けたか八連隊、でつな。中国人にも知られていたとは(w。
192マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 21:49:03 ID:eEYze3hx
だー、一番最後の書き込みで記入漏れです。

誤: 騎兵集団長 稲葉四郎中将となった。
正: 後任は、騎兵集団長 稲葉四郎中将となった。
193マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 23:10:50 ID:vs4gxSCw
>>189
ご苦労様でした 
これで「南京 戦線後方記録映画」
製作 : 東宝映画文化映画部
収録時間 : 56分
発売元 : 日本映画新社

の裏が取れました 間違いなく南京大虐殺は無いと言えます
194半万年ロマー:2006/03/19(日) 23:17:33 ID:Bvko2Bdh
とりあえず南京大虐殺を信じている人は中国人は百位人いてもたった一人の戦士に
おびえて逃げ惑うような軟弱者であると扱き下ろしているわけだ。
195マンセー名無しさん:2006/03/19(日) 23:52:35 ID:b+Mje3eI
こんなの見つけた
http://blog.yoshiko-sakurai.jp/archives/2005/06/
>約2ヵ月ぶりに韓国を訪れたが、この国にはいつも驚かされる。お会いした金鍾泌(キムジョンピル)元首相が、日本の歴史を次のように難詰したのだ。

>「日本は南京で30万人を虐殺した。その事実がなかったとは言わせない」と。


http://blog.yoshiko-sakurai.jp/archives/2005/07/post_353.html
>先週の当欄で、韓国元首相金鍾泌(キムジョンピル)氏の発言に触れた。氏は、日本軍は南京で30万人を虐殺した、南京の人口は1937年、38年当時、60万人いたのが、日本軍の30万人虐殺のせいで30万人に減ったのだと憤ったのだ。
196マンセー名無しさん:2006/03/20(月) 00:03:11 ID:51mKHxoN
偏向教育を受けて育った中国人の中には、政府の宣伝を100%信じるメデタイ人間はいないに
しても、日本の軍隊は怖い……と思う若者がそれなりに居るとか居ないとか。
妙なハイテク兵器幻想とかをこれに含めてもいいのかとか迷う。

(しっかし、あれだけ、防衛費・人員数の割に外征に不向きな装備とかにしてあるのに…)

ともあれ、中国で軍に勢力基盤をもっていて意図的に反日をやり始めた連中は、日本が脅威
というイメージに日本が怖いというイメージが混入しても構わなかったと思う。
長期的に見て、いろいろと歪な副作用は出ていると思うが。

自家中毒の症状が出始めてるのだとしたら笑えるんだけど、中国国民の実態を確認する手段
なんて漏れはもたない。どうなんだろうな…。

10数年前にみた上海エリート階層の大学留学生は、政府がどういうプロパガンダをしてい
るのか百も承知だって雰囲気はあったが、若い世代で農村部とかだとどうなんだろう。
197Jolly Rogers ◆I0h8/JeUjY :2006/03/20(月) 02:06:02 ID:L8pRfjK/
>194
 ちと違う。
 逃げ惑いすらせず、ひざまづいて首を差し出して切られるのを待ってた、くらいにしないと
それだけの数を殺すのは無理、なんだけどねえ。
198マンセー名無しさん:2006/03/20(月) 07:37:22 ID:YnI3rKK9
日本人は最低だな
199マンセー名無しさん:2006/03/20(月) 07:43:55 ID:2mvgwB9D
韓国人のが最低だなwwwわずかな人間を戦争で殺されただけでいつまでもぐだぐだ引き合いに出してるwww
日本はアメリカに核爆弾で市民をものすごい数殺されているわけですがもう過去のとこととして割り切ってる。
ドイツも大虐殺を行ったが韓国のような国にいつまでも言われることは無い。
もう分かると思うが韓国人の自己顕示欲の強さからしてただの嫉妬心や気に食わないという理由でいつまでも叩いてるということが分かるな。
反発すればするほど墓穴を掘ってるということをいい加減理解できないのか?馬鹿チョンがwww
200マンセー名無しさん:2006/03/20(月) 07:43:59 ID:qhjbuKQy
>>198
野球で負けたからってこんなスレあげて・・・気は晴れた?
201マンセー名無しさん:2006/03/20(月) 07:59:14 ID:VgXzRX7o
なぜ韓国人が南京に拘るのかが、わからんよ。
日本と中国との話で、韓国は全然関係ないだろーに。
それとも何か?韓国には原爆や東京大空襲や南京事件や真珠湾や
アウシュビッツが無いから、羨ましいのか?
202マンセー名無しさん:2006/03/20(月) 08:18:08 ID:/U/JXP17
>>201
ウリは「本当」に「虐殺」されたかったニダだろ
203マンセー名無しさん:2006/03/20(月) 15:36:18 ID:z9oO/j1j
韓国の某大学の学長

「私は平素学生に対して、韓国人としての自覚を促している。
日本の韓国併合に抗議する前に韓国人自身が考えなければならないことがある。
日本の韓国併合に対してアメリカもイギリスも誰も抗議しなかった。
世界は当然のような顔をして受止めていた。
それはなぜか。
日清戦争のとき、清国軍がソウルを占領しても韓国人は戦わなかった。
だから日本が戦って清国を追い払った。
ロシアが入ってきた時もわれわれは戦かわなかった。
日本軍が血を流して戦い、朝鮮からロシアを追い出した。
だから日本はこれ以上トラブルは嫌だと朝鮮を併合してしまった。
韓国は自ら亡んだのだ。
責任を日本に押し付ける前に、われわれは戦わなかったから亡びたことを
知らねばならない。」

あなたたちの国にも正常な人いるじゃん
まずは、ここから勉強しなさい。

204マンセー名無しさん:2006/03/20(月) 17:49:03 ID:2mvgwB9D
中国はチベット虐殺を行い。尼僧のマンコに電流が流れる金属の棒を突っ込んで感電死させたり
子供の前で親を殺し。その子供を親の死体に乗せて子供も同じように殺したww。そういうことがあるから
人のことは言えないはずだが?wwww
205マンセー名無しさん:2006/03/21(火) 14:43:00 ID:7+pZU/go
その通リだね。
日本は半世紀以上前に何万だか殺したかもしれない、
基地外じみたでっち上げ数字でも30万・・・・
対し近年3000万以上を餓死させ、未だに600万以上を
虐殺進行中の基地外国家に、とやかく言われる筋合い
は微塵もない。
チベットでの虐殺だけをとってもナチの虐殺をすでに
追い越す勢いだ。

さらにチョン韓に至っては戦後帰還者に対する虐殺、
暴行、略奪について、さらには拉致被害者にまず謝罪、
補償してから講釈をたれろ。

昔、コソ泥やってたからって、今、大ドロボーやってる
やつに、とやかく言われるようなものwww
206マンセー名無しさん:2006/03/21(火) 17:23:03 ID:iaIIKl10
>>175
> この堤防を駆け上がる敵兵に対して、関准尉(剣道4段)は軍刀で戦う。
> 手榴弾が飛び、銃剣で攻め立てられる中、関准尉は正確な剣裁きでひたすら
> 敵を袈裟切りにする。この戦いの後、関准尉の軍刀は折れたり刃こぼれして
> 16cm近くも短くなっていた。

これって百人切りの論争に影響あるのかな?
207マンセー名無しさん:2006/03/21(火) 20:03:53 ID:KcEdugot
>>206
そりゃあありますよ 100人斬りできるなら一寸の事では刃毀れなんぞ出来はしないですから
それこそ時代劇のように斬っても、少しも折れたりしなければ伝説は達成できまへんからねぇwww
208マンセー名無しさん:2006/03/21(火) 20:10:20 ID:dgkcBE9A
敵が何人いたか?何人斬ったか?がわからないんだから、影響なんて
ないのではないかな。
あるとすれば、「軍刀で戦った人はいた」ことが判るくらいか(今までも
判ってただろうけど)。
209マンセー名無しさん:2006/03/21(火) 20:28:28 ID:KcEdugot
まあ いっそのことチョンやシナ畜に日本刀一振り渡して
牛でも豚でもいいや 人くらいの枝肉100本切らしてみればいい
一本ごとに脂を拭って行くにしろ何本斬れるか 
いい実証になると思うのだが
210マンセー名無しさん:2006/03/21(火) 21:10:09 ID:cbJCYeyj
呂布で1000人斬りしました。
211マンセー名無しさん:2006/03/21(火) 22:26:59 ID:dgkcBE9A
>209 あのー。まだ彼らに、実証主義が通用すると思ってるのですか?
212マンセー名無しさん:2006/03/21(火) 23:28:23 ID:KcEdugot
>>211
いいやww ウダウダ言うならテメエで実証汁って話ww
テメエでやるなら一応手抜きはしないだろうからww
まあ それでもどうせ認めるわけが無いのは分かってるよwww 
213マンセー名無しさん:2006/03/23(木) 11:53:11 ID:H7Z4Wn/f
ttp://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20060322&a=20060322-00000095-kyodo-spo
チョンの民度の低さには驚きを隠せません。
この再試合に勝ったら世界一と言い出すよ・・・きっと

スポーツの世界でこの未練ガマシイ陰湿さは、まさにチョソ
世界の笑いものだね。
214189:2006/03/26(日) 01:41:42 ID:HdDcuNmW
小ネタに郷土部隊奮戦史にあった、当時の食糧事情に関する記述を転載します。

〜〜〜〜〜
当時の作戦記録の中に「★州保定地区攻撃に関する六師団の給与」という
一文があるので引用してみよう。(★=さんずいに「琢」の右側のような文字)

【大黄垈野戦倉庫ヨリ】
尋常糧抹   五日分
携常糧抹   三日分(乙二日分)
加給品    若干
各馬携帯馬糧 二日分

すなわち兵隊一人が所持する食糧は甲(米)一日分、乙(乾パン)二日分の
計三日分だ。

尋常糧抹は大コウリが持っているが、これの補給を受けることは追撃中は不可能
であり結局三日分でひといくさ終わるまでを食いのばさねばならないわけだ。
六師団の給与は永定河渡河戦(九月十四日)に支給され、次の支給は保定攻略の
終わった二十四日に行なわれているから三日分を十日に食いのばした勘定になる。

不足分は現地調達をすることになっていたが、北シナで食えるものといえばナツメ、
トウモロコシ、イモに野菜少々といったところだ。ナツメをかじって空腹をいやして
いたが、前の部隊が次々に千切るため手の届くところに実はなくなり、高い枝に
たわわに実るナツメをうらめしそうにながめて進軍という場面もあった。

イモにしろトウモロコシにしろ「略奪禁止令」が厳重に言い渡されていたため勝手に
取ることはできず、代表が部落の長から買い求めるという方法で必ずしも十分に手に
入らないウラミがあった。
215189:2006/03/26(日) 01:43:26 ID:HdDcuNmW
こんな話がある。第一大隊長の中佐緒方敬志(のち歩兵五十連隊長、テニアンで戦死、
中将)がハラをすかして行軍していた。みごとに実ったトウモロコシ畑を通りながら
かたわらの副官にこういった。
「オレはこどものころこのトウモロコシが好きだったよ。だが、皇軍の名誉にかけても
無断で取ることはできないぞ」苦しいナゾである。副官がその夜このトウモロコシを
手に入れ大隊長に進呈したことはいうまでもない。

砂糖とアズキを手に入れたある中隊が血まなこで小麦粉を捜した。久しぶりにぜんざいを
しようというわけだ。あるあき家で小麦粉らしい白い粉を見つけてさっそくぜんざいを
作った。ちょっと油くさいがみんながまんして食ったところ、これがなんとロウソクの
粉末であった。
しかしだれひとり腹をこわした者はなかったというからすき腹はおそろしい。

夜、クリークの水で飯をたいた。生ぐさいが、大して気にもかけずに食い、翌日出発の
とき見ると水をくんだあたりにはシナ兵の死体がいくつも浮かんでいたこともあった。
216189:2006/03/26(日) 01:44:08 ID:HdDcuNmW
シナの民衆が室内で使う便器を日本のオヒツと間違って飯を入れた中隊もあった。
ある将校が部落で顔を洗おうと思い部落民に洗面器を貸してもらった。これが例の
便器だった。かんかんになった将校殿がどなるとその部落民はこういったそうだ。

「便器でもきれいに洗ってあるから汚いことはない」

将校「いくらきれいに洗ってあっても便器で顔が洗えるか」

シナの大人はこう答えた。
「ではおたずねするが、日本人はフロに入るときに上半身と下半身を別々にして入るかね」

シナの大人の勝ちである。
217マンセー名無しさん:2006/03/26(日) 11:24:54 ID:zERGxvRM
【ウヨク死亡】元陸軍特務機関員が南京大虐殺を語る
http://live22x.2ch.net/test/read.cgi/news/1143309725/
218マンセー名無しさん:2006/03/26(日) 11:44:07 ID:rfO6Ycjv
>>217
昭和17年当時、その人は何歳だったんでしょうか
219マンセー名無しさん:2006/03/26(日) 11:52:47 ID:fzOJX7Uq
518:マンセー名無しさん :2006/02/14(火) 01:15:43 ID:K3x9wqqv
いいか、チョパーリ

        <`д´ >
        (| y |)


お前には亜細亜の心が分かってないニダ

       心  < `д´>  亜
       \/| y |\/


亜細亜の心が一つになった時、

        < `д´>心  亜
        (\/\/


・・・・・・・・。

         <`д´ >
     悪_/| y |


ウリは漢字読めないニダ

        <`д´ >   ポイ
        (| y |\
              ヾ悪
220マンセー名無しさん:2006/03/26(日) 12:05:49 ID:ww8Qch40
>>216
浴槽の湯で顔まで洗うシナ人の不衛生さがわかるだけ
221マンセー名無しさん:2006/03/26(日) 12:17:18 ID:kBZHHyhj
>220
日本人も、浴槽のお湯で顔を洗うが?
まさか、日本人はシャワーを使う、とか言い出さないよね?
222マンセー名無しさん:2006/03/26(日) 12:17:45 ID:+l9Y/dTV
ハン板で南京…。
ついにシナの属国に成り下がったか。
223マンセー名無しさん:2006/03/26(日) 12:51:50 ID:d2RWfuD2
元将校が証言してたな。
ネットウヨの屁理屈より1000倍信憑性があるな
224マンセー名無しさん:2006/03/26(日) 12:52:48 ID:IwOlUjj/
>>223
なあ、韓国じゃあ17の餓鬼が将校になれるのか?
225マンセー名無しさん:2006/03/26(日) 12:54:33 ID:d2RWfuD2
年齢の表記ミスだろ>>224
年齢表記のミスで全証言を否定できるわけがない。
226マンセー名無しさん:2006/03/26(日) 12:57:00 ID:d2RWfuD2
加害者も被害者も証言し、それが一致してんだから
第三者のウヨが何言っても説得力がない罠。
227マンセー名無しさん:2006/03/26(日) 12:58:00 ID:IwOlUjj/
つまり年齢程度も正しく表記できなかった捏造ですか。
228マンセー名無しさん:2006/03/26(日) 12:58:14 ID:zERGxvRM
証拠が何もないだろw
229マンセー名無しさん:2006/03/26(日) 13:19:04 ID:Knb3j9ae
>>226

ヒント:自作自演
230マンセー名無しさん:2006/03/26(日) 13:22:50 ID:UQ30maYE
>>226
素朴な疑問だけど、南京大虐殺の被害者20万とか30万とか40万とかの数字の根拠って何?
被害者名簿とかあるの?
231マンセー名無しさん:2006/03/26(日) 13:24:07 ID:xBBmsMBz
てか朝鮮人が日本人になりすまして、虐殺、強姦とかしたんでしょ??
232半万年ロマー:2006/03/26(日) 15:07:10 ID:oiT8XEFb
>>230
南京の人口は20−30万人程度
233マンセー名無しさん:2006/03/26(日) 16:27:19 ID:CRYef4Eb

WR2267日中戦争の問題点を検証する66号060324岡崎
http://world-reader.ne.jp/renasci/history/okazaki-060324.html

>1937年(昭和12)7月29日午前4時、冀東(きとう)保安隊による日本人虐殺事件が発生した。

長文なので注意。あと、グロ文章があるので、グロ文章に弱い奴は注意しる。

ちなみに書いた人は歴史研究家の女性です。

長文ソース全部貼ったカキコ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/china/1138943317/322-333

ちなみに被害者の中に朝鮮人もいました。

興味深い記述も

>女性器に杭を打ち込むのは、たくいんとよばれる。支那人や朝鮮人の暴行はよく女性に対してこれを行う。
>罪を犯した女性の生殖器の「筋をてっきょ」する、
>すなわち雌の馬や豚に施術して性欲をなくさせるという意味がある。明代に行われた。
234マンセー名無しさん:2006/03/26(日) 17:45:16 ID:aqfnelQj
>>230
特亜のいうやつは、みんなそんなんばっか。日本では、蒸発させられた
原爆被害者でさえ、死んだ状況まで含めでちゃんとしらべ上げ、一人一人
名簿に記されてる。日本人の死者に対する考え方と、特亜の連中のそれと
の違いは明白。
235マンセー名無しさん:2006/03/26(日) 17:47:01 ID:9Eqa6B4u
その四つの内の一つと思われる「洪」姓
------------------------------------
洪正秀弁護士のやさしい法律相談 Q&A

『氏名の変更(97年9月)』
ttp://web.archive.org/web/20010228062307/http://www.korea-np.co.jp/douhou-hiroba/hou-soudan/hon9709.htm

>実は私も朝鮮学校に通っていた時代には「尹(ユン)」という
>氏を使用していました。
>『戦後』、父が『密航』で日本にやってきて、『他人の外国人登録を買った』
>ためでした。
>そのため、親族と会うときは「洪(ホン)」の氏を使用し、学校
>では「尹」の氏を使用しました。

と朝鮮人2世である弁護士みずから父の犯罪を自白しています。

他にも
>通名を長く使用したので、外国人登録の本名を通名に変更することもできます
>この場合には、通名を使用した期間が問題となります。一概には言えません
>が、成人であれば7年ないし8年程度通名を使用していれば、家庭裁判所の許可
>が出るようです。

このように他人の外国人登録証を元から自分の物だったと偽るのに
通名を悪用するわけです。 もはや通名が犯罪の温床であることは明白
です。本名以外使用禁止にすべきです。
236肉 ◆sZFsUBvw1E :2006/03/26(日) 18:04:20 ID:dlpxlElG
>>1もそうだが
とっくの昔に論破された話題を、板違いで出すとは
やはり特定亜細亜の人間は学習能力が皆無のか?
237マンセー名無しさん:2006/03/26(日) 18:47:02 ID:w4Ha00Gh
大躍進政策失敗による凶作で餓死者、約2000万人以上
プロレタリア文化大革命→無実の罪によるリンチ粛清約2000万人以上虐殺
チベット自治区における「民族浄化政策」による粛清約200万人以上虐殺
こんな国家的犯罪を犯してもなお南京大虐殺をデッチあげ、靖国参拝を平気で
批判し、内政干渉し、日本の円借款供与で核ミサイルを装備し、日本を狙い
日本の資源を実力で奪い取る野蛮な基地外国家の暴言を聞く必要など一切無い!!
毅然とした対応をしないからナメられるんだ。!!
238鵜来 ◆URgaC/KtX6 :2006/03/26(日) 18:49:21 ID:z/7o3chA
南京で、支那人を殺したのは日本に雇われた朝鮮人だったから、ハン板?
239マンセー名無しさん:2006/03/26(日) 18:54:54 ID:w4Ha00Gh
石原都知事が昨年、アメリカで公演したとおり
「中国においては人命の価値など極端に低い」
例え数千万人が死んだとしても十数億の人口から見れば
取るに足ら無いというのが中国共産党の思想。
だから、中国に「一人一殺」で来られたら例えアメリカ
でも戦争には勝てない。中国人の戦争観は危険で邪悪な
思想だ!!
240マンセー名無しさん:2006/03/26(日) 18:56:16 ID:wKFfRK5o
石原都知事の発言はかなり人種的差別を含んでいる!!
241鵜来 ◆URgaC/KtX6 :2006/03/26(日) 19:05:22 ID:z/7o3chA
>>240
支那人の命は、安い
開発に反対して、支那共産党公認軍閥に殺害された支那人に払われる金は
日本の自賠責上限よりも遥かに低い
普通の支那人なら、日本の平均的リーマンの年収以下の価格
これは支那人の公定価格
だから、支那に出向いて日本人が死ぬと、もめる
242マンセー名無しさん:2006/03/26(日) 19:05:27 ID:0HQe/lGb
>>240
そうやって吠えてるけど、どこに?
243マンセー名無しさん:2006/03/27(月) 18:27:56 ID:o4q8Tx4Y
忘れちゃいけない
244マンセー名無しさん:2006/03/27(月) 19:46:17 ID:3iVtAELs
>>243

なにを?
245マンセー名無しさん:2006/03/27(月) 20:31:09 ID:SYc75z2w
>>244

忘れた
246マンセー名無しさん:2006/03/27(月) 21:40:56 ID:CxVuAncu
>>238

極東や東亜+兵とかで、虐殺を朝鮮人のせいにするカキコが
ときどきあるけど、
朝鮮志願兵の募集は1938年4月から(朝鮮特別志願兵令の制定は同年2月)
なんで、(406人の定員に2964人が募集した)
南京大虐殺があったとされる1937年12月〜1938年1月には朝鮮兵はいなかったお。


つまり、南京大虐殺なんてなかったんだお。
247マンセー名無しさん:2006/03/27(月) 22:04:02 ID:zkbv5uwQ
素朴な疑問だけど、南京大虐殺の被害者20万とか30万とか40万とかの数字の根拠って何?
被害者名簿とかあるの?

納得の出来る回答が出るまで、何度でも貼ります
248マンセー名無しさん:2006/03/27(月) 22:07:57 ID:gCAZ4AMb
>>240
人種差別ではなく 国家の価値観の話しだろw
石原は中国人を貶したのではなく 中共の人命軽視を非難してるんだが・・・
249マンセー名無しさん:2006/03/27(月) 22:09:25 ID:eiGic2Ev
>>247
中国大使館に聞いたところ
「歴史学会での定説」
だそうです。
中国政府による調査は無いそうです。
そのため被害者の死因の割合なども不明とのことです。

どこの歴史学会での定説かは聞き漏らしました。
主唱者の学者の氏名も聞き忘れました。 オソマツ
250マンセー名無しさん:2006/03/27(月) 22:10:22 ID:8msf+yxY
>>247
南京ってどこにあるか知ってる?
本当にその疑問の答えを知りたかったら、それに相応しい板で聞いておいで。
251因幡の白兎 ◆oGlpzfIsHA :2006/03/27(月) 22:16:39 ID:ic9BZsP1
なんかの本に「埋葬屋が出した報告書(?)に数万人
の遺体を埋葬したって書いてある」とか書いてあった
でも、信憑性がまったく無いそうだけど
252マンセー名無しさん:2006/03/27(月) 23:39:55 ID:rCy7kV5W
>>247
もともとは、蒋介石が武漢で「30万人戦死しましすた」
と声明をだしたのが最初。
それをうけて、イギリス人ティンパリー(現在では国民党宣伝工作員だった事が判った)が
「長江一帯で30万人が戦死し、同数の市民が虐殺されますた」
と捏造。

それがいつのまにか南京だけで30万人頃されたことに。

このあたりの考察は
北村稔氏の『「南京事件」の探求』(文芸春秋 2002年)
を参照。
253マンセー名無しさん:2006/03/27(月) 23:42:44 ID:KXt8dkLR
>>247
中国が【南京城内】で【30万人】j殺されたと東京裁判で主張したから。

で、不思議な事にそんな大量殺人があったにも関わらず南京城内の人口が
南京侵攻前後で増えているという第3者機関の文書が残っているw
254マンセー名無しさん:2006/03/27(月) 23:49:31 ID:SYc75z2w
中国の国民感情を考えたら30万以上にして貰わないと困る。根拠の問題ではない。
と、中国の先生方は申しております。
255マンセー名無しさん:2006/03/28(火) 00:01:49 ID:K/k6RoYi
>南京侵攻前後で増えているという第3者機関の文書が残っているw

捏造だよ
256マンセー名無しさん:2006/03/28(火) 01:41:53 ID:wZlTP/wO
南京での大虐殺を隠すために日本は悪辣にも人口統計まで偽造し・・・・











と言う話が出てこないのは何故だ?
サヨが好きそうな電波話なのに
257鵜来 ◆URgaC/KtX6 :2006/03/28(火) 06:00:51 ID:X4DWVwV3
>>246
よく読んでくれ
日本兵として、朝鮮人受け入れたのは1938年
輜重の人足として、支那に行った朝鮮人はいた筈だ
しかし、それが問題ではない

当時、故郷へのお土産として日本兵は支那人の干し首を欲しがった
そこに目を付けた、韓国人の干し首業者が、大量に南京近郊に入り込み
支那人の干し首を製造した 結果、30万の支那人が死んだ

証拠の干し首?
韓国製なので、すぐ腐ってしまい残っていません
韓国に干し首を作る習慣が有ったかどうかは、知りません
日本兵が支那人の干し首を欲しがったかどうかですが、元亀天正の習慣が日本軍に
引き継がれていた可能性はあります 

これで否定派や、懐疑派もイチコロだぁ(棒
258マンセー名無しさん:2006/03/28(火) 10:44:31 ID:zPraLB3U
>>257
おもしろい新説だね!
でも14点くらいかな。
チョンの干し首業者の証言があれば、もう少し面白くなるけどね。

まあ、この手の作り話で合格点いく話は、いまだに聞いた事ない
けどね。
259マンセー名無しさん:2006/03/28(火) 17:14:13 ID:+h/jyEGW
>>257
ソース出してから言え
260マンセー名無しさん:2006/03/28(火) 17:18:42 ID:BE+Ll439
>>259
ネタにマジ切れカコ悪い
261鵜来 ◆URgaC/KtX6 :2006/03/28(火) 20:27:34 ID:X4DWVwV3
>>259
日本軍が支那人絶滅作戦を、行ったと主張する人の話しは
この程度と言う例です

本気で現実の枷をクリアして、2ヶ月30万を現実させるのは、困難
262マンセー名無しさん:2006/03/28(火) 22:20:39 ID:sz37U1l/
>>261
>2ヶ月30万

天下無双の日本男児ならそれくらい素手で出来ます(ww
263因幡の白兎 ◆oGlpzfIsHA :2006/03/28(火) 22:26:22 ID:i8cAykoD
>>261
2ヶ月で30万人か…左は三国無双のやりすぎなんでないのか
264マンセー名無しさん:2006/03/28(火) 23:32:13 ID:sz37U1l/
ジャーン、ジャーン
265マンセー名無しさん:2006/03/28(火) 23:40:20 ID:wZlTP/wO
真・大戦無双
銃剣持った日本兵がワラワラ・・・
銃剣持ったアメリカ兵がワラワラ・・・
銃剣持ったドイツ兵がワラワラ・・・
銃剣持った中国兵がワラワラ・・・

・・・銃? そんな武器は邪道!!!
266マンセー名無しさん:2006/03/29(水) 01:08:02 ID:nGMD20MD
ワラワラと沸いてくる便衣兵を軍刀で切りまくる
100人切ると朝日新聞に掲載!!
267189:2006/03/29(水) 01:46:21 ID:bEjrsU4W
268189:2006/03/29(水) 01:47:22 ID:bEjrsU4W
P104上-南京作戦9
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/41/ef59bc16b0831a591b53c413365f6d03.jpg

P104下-南京作戦10
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/d2/c4b87b487848bb4951785496fb1e821d.jpg

====================================================================================
「第四十八師団歩兵第四十七連隊第一機関銃中隊名簿と戦跡」より
http://library.pref.oita.jp/OIPLIB/servlet/search.detail_list?tilcod=1009410439778

中国大陸作戦行動路
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/9e/5fa7b962ed21516e0e6b4b39c384ec02.jpg

====================================================================================
「熊本兵団戦史・支那事変編」 (昭和40年4月初版) より

P118南京城第六師団攻撃経過要図
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/9f/97b2f2bf304bf5bc994ffe29fd00f016.png

====================================================================================
269マンセー名無しさん:2006/03/30(木) 00:49:08 ID:zGzPZQMR
>>266
あれは東京日々新聞だって。
とりあえず、毎日新聞工作員のバッチを上げましょう。
270マンセー名無しさん:2006/03/30(木) 08:08:57 ID:lIzngFD/
>>265-266
> 真・大戦無双
その話題はこっちのスレの方が相応しいかと(w

【皇国無双】史実を勝手に無双ゲーム化【欧州無双】
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1137169662/
271マンセー名無しさん:2006/03/31(金) 10:35:52 ID:34aOsx0D
>>108
のぞいて見たら山本弘の南京電波本の突っ込みでした
272マンセー名無しさん:2006/04/04(火) 16:14:36 ID:JPofBqzB
裁判の件なんだけど、訴えられた側が事実関係を争点にしない場合、
訴えた側の主張がそのまま判決文に書かれると聞いたことがあるな。

だから、判決文を読んだだけでは事実はわからないはず。
273マンセー名無しさん:2006/04/04(火) 16:15:20 ID:JPofBqzB
電凸スレの誤爆です。ごめんね。
274あぼーん:あぼーん
あぼーん
275マンセー名無しさん:2006/04/11(火) 21:07:56 ID:ND0abDgm
忘れちゃいけない
276マンセー名無しさん:2006/04/11(火) 21:08:57 ID:wLtdCXQb

■日中韓の正しい歴史 基礎知識入門サイト

 韓国は“ な ぜ ”反日か?
http://3.csx.jp/peachy/data/korea/korea.html

東亜板では最も有名なサイトのうちの一つ。

韓国の話を中心に、中国や日本に関する問題を
過去・現在ともに、わかりやすい言葉で大雑把に把握できる。


まだ読んでない人はぜひ一読を。
277マンセー名無しさん:2006/04/12(水) 00:42:46 ID:vUDTeUH/
アジア諸国の日本による植民地支配を経験した世代は日本語の「やらないか?」という言葉に未だに恐怖を覚えます。
日本兵が植民地の街頭で一般人の男性に「やらないか?」と声をかけるのです。
何をやるのかというと刃物を持っての決闘です。一般人が刃物を持って一対一で日本兵と戦わされるのです。
断るとどんな目に合わされるのか分からないので日本兵に従います。
そして決闘が行われる地下コロシアムに連れて行かれます。
その試合は侵略者である日本人の賭けの対象になっています。
訓練を受けていない一般人が勝つことが殆ど無いために、一般人が何分持つかというのも賭けの対象になっていました。

日本兵は何もできない一般人を痛めつけて遊びます。すぐに倒すと面白くないからです。
ギブアップは認められていますが恐怖と痛みで声が出ません。
ナイフで斬り付けたり突き刺したりしながら「どうした?降参か?」とニヤニヤしながらいたぶり続ける日本兵。
しかし一般人は恐怖と痛みで「アッー! アッー!」としか声が出ません。
ギブアップしないと最後には殺されてしまいます。
しかしギブアップしても屈辱的な仕打ちが待っています。
観客の前で下半身裸になって日本兵を受け入れなくてはいけないのです。
日本兵のモノが入ってきたときには痛くて「アッー!」と声が出てしまいます。
大勢の人間が見ている前でオカマを掘られるのです。
日本兵に性的暴行を受けたのは女性だけではないのです。
278マンセー名無しさん:2006/04/12(水) 00:44:07 ID:cV3S7Vjw
↑妄想小説?
279イルボンサラム:2006/04/12(水) 00:58:59 ID:CPuzRFXA
>>278さんへ。
↓の為の小説かと思われます。

  Λ_Λ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 <=( ´∀`) <ウリはkinji!
 (    )   \__________
 | | |
 〈_フ__フ
280189:2006/04/18(火) 01:09:58 ID:PzJDvSAJ
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/korea/1141029410/465
書いたこととダブりますが、私は昨年9月にハン板の雑談・質問スレPart58で
南京攻略戦に参加した祖父の件でお世話になった者です。
(この当時のやり取りは↓URL参照)
http://blog.goo.ne.jp/cars-kitahefu/e/b6c2d9951f7e33b41ef5cfd4a5b039a5

それからいろいろ調べ物をしたりする中で、先月南京攻略戦に参加した別の
お爺さんに直接話を伺うことが出来ました。その内容がようやくまとまったので
これから書き込みます。

板違いのネタかもしれませんが、ハン板で話を聞いてきた手前、この板のスレで
報告させていただきたいと思います。
(さすがに雑談・質問スレで続けるのはどうかと思いましたので、こちらのスレで
書き込みます。このスレも板違い気味だとは思っておりますが…)

私が知りたいのは、私の祖父が日中戦争に参加していた当時、現地の兵隊さんは
どのような生活/行動をしていたのかを知りたい(調べたい)ということがメインで、
いわゆる南京虐殺に関することは、どちらかというとオマケ的な部分になります。

今回話を聞いたお爺さまにも、当時のことをいろいろ聞く中で、南京のことに
関することも合わせて聞いたという感じになります。

とりあえず実際に南京攻略戦に参加した方の生の声ということで、
今後の議論のネタにでもなればと思います。
281189:2006/04/18(火) 01:11:46 ID:PzJDvSAJ
今回お話を聞かせていただいた方について簡単に経歴を記しますと、
 ・大正3年生まれの93歳。90を過ぎた今でもすごく元気な方です。
 ・昭和9年に近衛歩兵第4連隊10中隊に入営して東京の青山に行くが、
  御尊父が亡くなられたのを契機に1年で帰休。
 ・昭和12年に召集され、歩兵47連隊(大分)の第4中隊に編入。
 ・同年12月の南京攻略戦で負傷し、13年1月に内地還送。
 ・その後、歩兵第47連隊補充隊勤務。
 ・昭和18年に歩兵第123連隊第2機関銃中隊に編入し南方戦線へ。
  (ジャワ・ジャカルタ方面)
 ・最終的に歩兵第42連隊第8中隊で終戦を迎え、昭和21年6月に
  田辺港に上陸して復員完結。
 ・戦後は地元企業の社長をされていた。(現在は会長職に退いている)

という方です。地元の名士の方です。私は当然名前を知っているのですが、
ここでの名前の公表は差し控えさせていただきます。
ここでは「お爺さま」と表現させていただきます。

また、同じ会合の場に御尊父が47連隊にいた方(60代男性)も同席されました。
この方の御尊父(20年程前に亡くなられたとのこと)は、47連隊在籍中に
軍務の傍ら写真を撮られていたそうで(従軍カメラマンではない)、
当時の貴重な写真を持ち帰られ、戦後展示会等を開催されています。
ここでは「写真屋さん」と表現させていただきます。
お爺さんとは、この方を通じて連絡を取ることが出来ました。

まず本題に入る前に、お爺さまが軍にいたことを示す客観的(公式)な記録として、
平成11年に大分県高齢者福祉課が発行した軍歴書のコピーをお爺さまから頂いて
いますので、その中から支那事変に関する部分を列挙します。
282189:2006/04/18(火) 01:12:36 ID:PzJDvSAJ
昭和12年
7月27日 動員下令
7月30日 充員招集のため歩兵第47連隊に応召、同日第4中隊に編入
8月10日 門司港出発、同日大連港着
8月12日 関東州通過
8月23日 朱家務附近の警備に任ず
9月14日 永定河附近り戦斗、追撃戦斗に参加
9月22日 保定附近の戦斗に参加
9月25日 保定付近の警備に任ず
10月 1日 石家荘・落陽会戦に参加
10月 1日 同日より笵談村附近の警備に任ず
10月 2日 上海方面に転身のため同地出発
10月26日 塘沽出発
11月 5日 坑州湾北岸金山衛城附近の上陸戦斗に参加、同日湖東会戦に参加
11月16日 同日より崑山附近の警備
11月18日 崑山出発 喜善に向い転進
11月21日 喜善警備
11月29日 同地出発 南京に向い前進
12月10日 南京会戦に参加
12月11日 鳳凰村の戦斗において右大腿部並に下腿部受傷す
12月11日 同日受傷のため南京野戦病院に入院
12月29日 南京柳川軍予備病院転送

昭和13年
1月 4日 上海兵站病院に転入
1月17日 内地還送のため上海出発
1月21日 門司港上陸、同日小倉陸軍病院に収容
  同日 同日歩兵第47連隊補充隊に転属 同日第4中隊に配属
283189:2006/04/18(火) 01:14:44 ID:PzJDvSAJ
お爺さまの南京での戦いと負傷の状況について

47連隊が大分を出てから南京に到着するまでにどのような戦いを行ってきたのかに
ついては、>>159-189を参照して欲しいのですが、ここでは南京攻略戦の部分に
ついて、聞いた話を書きます。

まず前提の話として、47連隊はコレラ騒ぎで進軍が遅れていたため、強行軍で
南京に向かっていたものの、47連隊の本隊が第6師団主力に追いついたのは、
すでに南京会戦が始まっていた12月10日の日中になります。(>>179-181参照)

お爺さまのいた部隊は着いたその夜より攻撃に参加したとのことで、このときの
進軍経路は下の画像の「右翼隊 歩11旅団主力」の矢印となります。

「熊本兵団戦史・支那事変編」 (昭和40年4月初版) より
P118 南京城第六師団攻撃経過要図
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/9f/97b2f2bf304bf5bc994ffe29fd00f016.png

以下、お爺さまの体験談を箇条書きします
 ・12月10日の夜に夕食を食べて、手榴弾を積んで、潜伏斥候に出発した。
  82高地のトーチカと鉄条網が連なる谷へ向かった。

 ・雨花台と別れる谷間の道を通った。

 ・日本軍は速射砲の方がよく使われていた。歩兵砲のアベ小隊長(中尉)が、
  80〜100m程先にあるトーチカを速射砲で狙っては逃げていた。
  (逃げるのは、砲撃すると相手から反撃を受けるため)

 ・その日は一晩中撃ち合いが激しく、砲声が響いていた。
284189:2006/04/18(火) 01:16:58 ID:PzJDvSAJ
 ・シナ軍は迫撃砲をよく使っていた。朝になって砲撃が治まったかなと思う頃、
  近くにいた朝食を作っていた兵士2〜3人が迫撃砲で吹き飛ばされた。

 ・お爺さまは砲弾を太ももに被弾した。一般的に、砲弾の破片の多くは弾の
  進行方向(順方向)に多く飛んでいくものであるが、お爺さまは逆方向の
  上から飛んできた破片で負傷された。

 ・負傷したお爺さまは立ち上がることが出来なくなってしまった。
  なんとか這って動くことはできたものの、身動きはままならず、寝たまま
  大便を行う有様となった。段差はなんとか脚をかけて上がることはできたが、
  逆に段差を降りることはできなかった。

 ・負傷したときは12月11日の明け方であった。その時の敵の砲声は大きく、
  南京城に近い位置まで到達していたのだと感じた。

 ・その後、お爺さまは味方兵に担架で救出された。
  その晩に連れて行かれたのが、第6師団の第4野戦病院だったと思う。

 ・10日から始まった戦闘での被害が大きかった話(>>181-182参照)は、
  野戦病院で聞いた。

 ・南京が落ちて4〜5日してから、後から来た柳川軍の野戦病院に転院した。
  閲覧式や慰霊祭(>>187-188参照)が行われたことは、病院の中で聞いた。

 ・その後、病院船に乗って上海の病院に転院した。上海から日本へはまとめて
  送られるため、上海でしばらく足止めされたから日本に帰国した。

 ・日本に戻ってからは小倉の病院に転院し、補充隊付けとなった。

負傷〜帰国までのお話しは以上となります。
285189:2006/04/18(火) 01:18:28 ID:PzJDvSAJ
なお、お爺さまが南京攻略戦で見た風景は、下記URLの画像の右上にある
八二高地の写真の光景そのものだったそうです。

大分聯隊写真集 P100より
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/b0/47d72e8729337ef4bc2a1688d7e064f7.jpg

この画像だと不鮮明ですが、本物の写真だとトーチカと思わしき小さな人工物が
ぽつぽつと写っているのがなんとか見えます。ちなみに写真の下側にある白い
帯状のものはシナ軍がわざと造った疑似道路で、日本軍がこの道路を通ろうと
すると、トーチカから集中砲火を浴びせるようになっていたとのことです。

このトーチカについては、前出の熊本兵団戦史に次のような記載がありました。
「歩兵第十一旅団長坂井徳太郎少将の手記によれば、敵を駆逐後トーチカを点検
 すると外部にクサリを巻き施錠してある。内部の守兵にとっては絶対の墓場で
 あり、人道上許しえない暴状である。つらつらこのトーチカに追い込まれて
 死守した戦士の心境に思いを致すとき、深い同情を禁じ得ない。涙をそそいで
 その霊を慰め冥福を祈ったとのことである。」
286189:2006/04/18(火) 01:21:10 ID:PzJDvSAJ
本題の南京事件については、次の通りです。

Q. いわゆる「南京大虐殺」について、見聞きしたことやお爺さまの考えを
  聞かせてください。

A. まず自身の体験において、虐殺行為とされる出来事については、
  見てもいないし、聞きてもいない。

以下、お爺さまが「私の主観が大いに入る」と前置きされた上で述べられた
コメントとなります。

・当時日本軍は大損害を負いながら、やっとの思いで南京を攻め落とした。
 その状況下で、殺戮を行うためにわざわざ兵力を割く(貴重な戦力をつぎ込む)
 ようなリスクを負うことは考えられない。

・戦後、谷師団長が銃殺されたことを知っている。しかし第6師団だけがいわゆる
 虐殺行為をする訳がない。

・南京の件は、ある種の思想を持った人たちが政争の具に使ったような感じを
 受けている。

・同じ大分県出身の中島中将(京都16師団長の中島今朝吾中将)が南京に入る前に
 「捕虜はできるだけ取るな」という師団命令を出したと思う。そもそも捕虜を
 取るなという命令自体がおかしなことだと思うが、「捕虜を取るな」という
 ことは「殺してしまえ」ということと同義なので、そのことが誤り伝えられて、
 虐殺という話までに広がったのではないかと思う。

・あと、日本軍は(戦後言われているような)残虐な軍隊ではなかったですよ。
 祖国を離れ異国の地に攻め入っている立場として、もし逆に日本が同じ立場に
 立ったことを考えると残虐なことはできなかったし、そのような残虐とされる
 行為を聞いたこともなかった。ただ中には心ないヤツもおったので、一部には
 非道とされる行為があったかもしれんですなぁ。
287189:2006/04/18(火) 01:24:14 ID:PzJDvSAJ
続いて便衣兵のことについてです。

Q. 便衣兵についての話を聞かせてください。
  便衣兵が不法戦闘員であることや、逆に敵の正規の捕虜はそれなりの待遇を
  与えなければならないことを、当時認識していましたか?
  もしくは教わっていましたか?

A. 当時の認識については明確な回答は無し(分からないか、覚えていない)。
  その代わり便衣兵については、次のコメントを頂きました。

・シナ兵は(南京に到達する)以前から、守りきれないと判断すると民家に入っては
 着替えて脱出するということを行っていた。

・日本兵は、便衣兵には大変困惑していた。なおシナ兵には女の兵士もいた。

・日本兵は一般民衆と便衣兵を見分けるために、額を見て判断しようという話が
 あった。(普段兵士の格好をしている者は帽子をかぶっているため、額の部分が
 日焼けしていないという判別方法。ちなみに私の祖父からも全く同じ話を聞いた
 ことがあります)

・日本軍が南京城を攻め落とした当時、シナにとっては最後の砦であった城を
 落とされた状態にあった。そのため日本軍に城内に踏み込まれてもなお、便衣兵
 として抵抗を試みるシナ人がいたことについては、その心情は理解できた。

・南京城内において便衣兵と一般民衆をよく調べずに殺害したとされる件に
 ついては、そういうことはあったとしてもおかしくない話だと思う。
 このことがいわゆる虐殺行為として言われているのかもしれないですね。
288189:2006/04/18(火) 01:25:27 ID:PzJDvSAJ
南京の件については、以上となります。

今回話を伺ったお爺さまの話を整理すると、
 ・お爺さま自身は南京直前で負傷したため、南京では病院にいた。
 ・見聞きした範囲では、いわゆる大虐殺とされる行為はなかった。
 ・ただ民間人が便衣兵と間違えられて殺害されることや、一部日本兵による
  非道な行為はあったとしてもおかしくないと感じている。

というところでしょうか。
(お爺さまは、南京大虐殺があったとされる今の風潮を間違った歴史認識だと
憂いておりました)

個人的には南京城内にいた便衣兵について理解を示されていたのが印象的でした。

他にも色々話を聞いているのですが、それについてはまたの機会に報告できれば
と思います。とりあえず、こんなとこで。
289娜々志娑无 ◆1ONcNEDmUA :2006/04/18(火) 01:29:15 ID:kSiYLbvj
>>288
 乙ですた。貴重なお話を聞けてよかったですね。
290マンセー名無しさん:2006/04/18(火) 07:01:46 ID:45fHKoYq
>敵を駆逐後トーチカを点検すると外部にクサリを巻き施錠してある。

…何も言えない。
291マンセー名無しさん:2006/04/18(火) 12:01:14 ID:ecSPLpum
南京戦の体験者からのお話を書き込んでくれています。
第六師団 歩兵第47連隊(大分)のかただそうです。

--------------------------引用------------------------------

遅くなりましたが、別のお爺さまに南京攻略戦に参加した当時の話を
聞いてきて、その内容をまとめますた。
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/korea/1142249989/280-

292マンセー名無しさん:2006/04/18(火) 12:03:10 ID:ecSPLpum
他スレへの紹介を誤爆した orz
スマソ
293マンセー名無しさん:2006/04/18(火) 14:29:01 ID:Mvt/fmmo
>>288
貴重なお話乙でした 
私個人の誠に勝手な思いとしては是非とも他の方のお話を伺って将来出版でなくとも
HPあたりで公開していただけたらなぁとは思います
益々シナのど畜生やチョンの妄言が晒されていくこと 誠にもって慶びにたえません
少しずつで結構ですので報告お待ちしております
294マンセー名無しさん:2006/04/19(水) 06:18:27 ID:sAcA25OW
そもそも便衣隊は明確なハーグ条約違反じゃあないか。
その場で射殺されても文句を言える立場じゃあない。
ゲリラ戦を行えば一般人にも被害が出るのは数々のゲリラ戦で証明されている。
そもそも南京大虐殺なんてぇものは存在しない、シナの捏造でっち上げ。ただしね便衣隊と
間違えられて殺された一般人がいたのは事実だろうが、それも正規軍ではない便衣隊なるゲリラ戦を
仕掛けたシナ側が責を負うべきで日本が責を負う理由は何もない。

とにかく嘘つきシナの言うことをまともに聞いてはいけない。相手は国家ぐるみ嘘をつく輩であることを
常に心しておく必要がある。
295マンセー名無しさん:2006/04/19(水) 06:24:03 ID:QuhYxGMx
まぁグダグダ言っててもしょーがねーから
1ヵ月後ぐらいに一度やってみるといい。
中国人30万人集めてさ。
俺に百人斬りやらせてくれ。
296鵜来 ◆URgaC/KtX6 :2006/04/19(水) 06:34:10 ID:4+wqL4+0
>>288
本物の経験者が語る貴重な証言
とりまとめお疲れ様でした

それにしても、施錠式トーチカ
ソ連が戦車の操縦者を逃げ出さない様に鎖でつないでいた話し、思い出しました
297マンセー名無しさん:2006/04/19(水) 08:41:53 ID:PDApYWGu
>>295
豚か牛の枝肉にしとけ
298マンセー名無しさん:2006/04/19(水) 08:43:15 ID:PDApYWGu
>>296
> それにしても、施錠式トーチカ
> ソ連が戦車の操縦者を逃げ出さない様に鎖でつないでいた話し、思い出しました
くっ シナのど畜生といい外道のやるこたぁ変わりまへんなぁ
299マンセー名無しさん:2006/04/19(水) 09:00:41 ID:QuhYxGMx
【海外芸能人】
http://tv8.2ch.net/celebrity/subback.html

おい、お前ら!
ここに韓国人スターのスレが乱立してるが絶対に荒らすなよ!
コピペ貼りまくったりするなよ!
300189:2006/04/20(木) 09:10:26 ID:CfZwrP21
>>293
コメントありがとうございまつ。ここに書き込んだ内容は、
追々ブログの方に転載しようと思います。

今回話を聞かせてもらったお爺さまによると、お爺さまが知る限り、
当時のことを知り、話が通じる(ご存命で呆けていない)戦友の方は、
あと一人しかいないということですた。

その方についても、お話しを聞き残しておきたいなと思ってはおります。
(関東在住の身なので、簡単に行けないのが難点ですが…)
301189:2006/04/20(木) 21:57:24 ID:CfZwrP21
あなたのおじい様の戦争体験を教えて その11
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1144591772/

ここの>>69さん、ご参考までに。


〜 郷土部隊奮戦史 (昭和37年10月15日発行、平松鷹史 著) P199-202より抜粋 〜

満州事変の中で一番、日の当たらない苦労をなめたのは兵たん部の兵士たちで
あった。第一線のはなぱなしさはないし、その働きぶりが新聞に報じられることも
なかった。彼らは大陸特有のぬかるみ、けわしい岩山、きびしい寒暑、天然の
悪条件の中で行動のにぶい荷馬車をかかえ軽武装で敵のグリラと戦うという
戦争のカゲの苦労を一身に背負わされていた。

兵たん部隊の苦心は熱河作戦編の初めにかんたんにふれたが、当時軍需品の輸送に
当たっていた第十中隊特務曹長岩元丸江(のち大尉、日出町在住)の手記から当時の
輸送部隊の苦心をふり返ってみよう。

満州事変に六師団が参加したとき、この師団には平時編成であったため師団輜重隊
や大小行李は付属しておらず、軍需品その他の輸送には関東軍の責任で行なわれた。
四十七連隊では第五中隊(大尉永沢悦二) 第十中隊(大尉熊谷操)がこの輸送隊として
抽出された。
302189:2006/04/20(木) 21:57:57 ID:CfZwrP21
輸送に使うシナ馬、馬車、馬夫などは奉天、鉄嶺など鉄道沿線から徴発することに
なり、各地の官公署に対し徴発命令が発せられた。各地区では指定された期日までに
馬、馬車、人員を調達しなければならないわけで、どこも大混乱を起こした。

強制徴発であったが、借り賃や人夫の日当、使用中の事故にたいする補償などの
契約もちゃんとしており、使用期間は一ヶ月であった。日当はシナ人一日五十銭、
同監督八十銭、シナ馬、馬車一日一円くらいがその値段。徴発解除のさいは、
徴発の現地まで引率帰還のうえ、賃金を精算するという契約であった。

徴発された馬、馬車、人員は日本軍が監督して錦州から朝陽寺まで列車輸送、
そこから朝陽まで行軍し、朝陽から赤峰までの約三百二十キロ(八十里)の翰送に
任じたわけだ。輸送縦列は一個中隊が六個縦列を担当、二個中隊で十二個縦列を
受け侍つことになった。

一個縦列の警戒兵は小銃二分隊、軽機関銃一分隊の約二十五人、縦列長は小隊長と
先任分隊長があたり、シナ馬に乗って縦列を指揮し、五縦列ごとに行動、中隊長は
随時に縦列とともに行動した。縦列はイロハ順にオまであり、馬夫はイの何番という
番号腕章をつけて整理したが、のちには馬夫の逃亡が相つぎ指揮の兵隊たちを
悩ませた。
一車両にはシナ人馬夫一人、馬三頭引きとし、ほかに縦列ごとにシナ人監督二人、
蹄鉄工二人も付属するという大部隊であった。
303189:2006/04/20(木) 21:59:01 ID:CfZwrP21
熱河省はだいたい平地の少ないところであり、ほとんどが山岳地帯、もちろん
鉄道はなく道路もほとんど開発されていないというありさまだった。
このため輸送隊の苦心も言語に絶するものがあり、指揮官の心労はなみたいてい
ではなかった。

縦列の距離をなるべく短くしようとするが、馬車の数が多いためどうしても
ダラダラと長い行列になり、馬車と馬車の間がどうかすると三百メートルも開き、
一縦列の全長が四千メートルになることもあった。この長ったらしい縦列を
警戒する兵は先頭に五、六人、中央に五、六人、後尾に五・六人といったわずかな
もので、これで敵のゲリラから輸送品を守ろうというわけだから無謀に近い。

もし襲撃を受ければ馬車を一ヶ所に集め応戦することにしていたが、幸にも大きな
敵襲はないままに終わった。困ったのは馬夫の逃亡だ。宿営して一夜明けると
馬夫の数がぐっとへっている。仕方なく警戒兵が馬車を御しながら警戒を兼務する
という曲芸もやってのけた。
304189:2006/04/20(木) 21:59:18 ID:CfZwrP21
約一ヶ月の輸送期間中に馬夫が毎日のようにへってゆき、最後には一縦列八十台
あった馬車が三十台にやせ細ってしまい、縦列数をへして合併して使用するという
苦心を重ねた。

逃亡した馬夫たちは酷寒の地、しかも故郷から遠く離れた熱河の奥地で金も
食糧もなくただからだ一つで逃げ出し、はたして無事に帰ったかどうか。
戦争のカゲにはこうして軍の強制徴発に倒れた民衆の数も少なくなかった。

また「輜重輸卒が兵隊ならばチョウチョウ、トンボも鳥のうち」などという
失礼千万なざれ歌に耐え戦史の裏街道を黙々と歩き続けた兵たん線の将士の苦心を
われわれは忘れることはできない。太平洋戦争に敗れた大きな原因の一つに
この兵たん線の断絶があったことはすでに明らかなところである。報いられぬ
苦心は兵たん線を歩き続けた兵士たちの上において最もいちじるしい。
「奮戦史その後」にあえて一項をさいたゆえんである。
305マンセー名無しさん:2006/04/25(火) 10:12:26 ID:MVVBQGXM
こんなのが出るみたい。

「南京事件 国民党極秘文書から読み解く」
東中野 修道 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/479421488X/qid=1145927279/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/250-5471109-8273055
台湾の国民党党史館で2003年に発掘した極秘文書『党中央宣伝部国際宣伝処工作』
をもとに、これを検証したのが本書です。数々の疑問点、矛盾点を衝き、これらの報道が、
中央宣伝部が総力をあげた対敵宣伝の、赫々たる戦果であったことを明らかにしていきます。

著者の東中野修道亜細亜大教授は、昨年、『南京事件「証拠写真」を検証する(草思社刊)
』を上梓。同書では、143点もの写真に証拠能力なしとの評価を下し、おおいに議論を呼びました。
その続編ともいえる本書は、〈南京大虐殺〉という概念じたいを突き崩す画期的研究成果といえ
るでしょう。

306189:2006/05/01(月) 22:05:24 ID:dyC3XDPp
>>280-288 で話を聞いたお爺さまの戦争体験談の続きです。

南京事件とは直接関係ない部分ですが、雑談・質問スレPart58で論争となっていた
部分を含みますので、ご参考ということで。

<杭州湾上陸作戦について(>>172参照)>
 ・先発隊は明け方に上陸作戦を開始したが、お爺さまがいた部隊は午後2〜3時頃
  作戦開始となった。

 ・上陸作戦で海に降りるときに、浅瀬に降りれた者はよかったが、深いところに
  降りてしまった人は大変だった(笑)。浅瀬になるか、深いところになるかは
  実際に降りてみないと分からない博打状態だった。

 ・杭州湾上陸作戦で上げられた「日軍百万杭州湾上陸」の大アドバルーンは、
  潜望鏡のような役割を果たしていた。

 ・お爺さまのいた部隊の杭州湾上陸後の進軍経路は、「土と兵隊」で知られる
  部隊とほぼ同じだった。
307189:2006/05/01(月) 22:06:00 ID:dyC3XDPp
<機関銃及び私の祖父のいた機関銃中隊についてのお爺さまのコメント>
 参考画像
 http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/c9/26556039dc7789b94f1876e989f2b559.jpg

 ・軽機関銃は持ち運びが出来て、伏せて撃つと曝露面が小さくなって敵の攻撃を
  受けにくく、非常に優れた兵器であった。ただし弾詰まりを起こしていきなり
  使用できなくなるというリスクがあった。

 ・重機関銃は強力な火器であったが、射手は車のハンドルを握るような格好で
  銃撃するため曝露面が大きく、反撃を喰らいやすかった。重機関銃の射手は
  敵側から真っ先に狙われ、実際に死傷する者も多かった。
  (この話を聞いて、うちの爺さんが生きて帰れてよかったと思いますた)

 ・機関銃中隊は他の中隊の支援を行う立場であった。南京一番乗りを果たした
  第3中隊のように、戦果(功績)は歩兵中隊に行くことが多く、機関銃中隊は
  そのような功績が認められない、陽の当たらない立場であった。
308189:2006/05/01(月) 22:06:54 ID:dyC3XDPp
<写真屋さんの御尊父に関するお話>
 ・父は従軍カメラ軍ではなく普通の兵士であったが、なぜかカメラ等の
  撮影機材を持って軍公認の立場で撮影をしていた。そして戦後、写真を
  持って引き上げてきた。

 ・父は兵士の仕事がメインであったので、撮影した写真に戦闘中の
  血なまぐさい光景のものはなく、保定城入城式(>>168参照)のような
  晴れやかなシーンを撮影したものが多かったようだ。

 ・貴重なカメラを持っていたため、渡河作戦等では連隊長の近くのような
  恵まれた場所にいることがあった。そのことを妬まれて宿舎に戻ったときに
  リンチを受けることもあったらしい。

 ・これらの写真の展示会をしているときに、写っている兵士のご子息の方が
  お見えになることもよくあった。中には南京城に5番目に登られた方の
  ご子息もいらっしゃったことがある。

 ・写真は現在は地元の歴史資料館に依託している。
309189:2006/05/01(月) 22:11:45 ID:dyC3XDPp
<軍票や食事について>
 Q. 支那事変の頃、軍票を使ったことはありますか?
 A. ない。連隊本部の主計辺りは持っていたかもしれないが、私のような
   前線の兵士は、軍票を見たり使ったりしたことはなかった。

 Q. 当時の食事や食料確保のことについて、教えてください。
 A. (軍から支給される食料事情については、基本的に>>214の内容通りの
   説明を頂きました。それに加えて次のコメントとなります)

  ・食料を持つと重たいので、まずは米から食べて荷物を軽くしていた。

  ・揚子江流域は米の産地であり、南京付近では米の確保にはあまり苦労して
   いなかった記憶がある。

  ・食事は分隊単位で行っていたが、分隊によって食事に情熱を傾けるところと
   そうでないところとの差があった。お爺さまの分隊は後者の方で、歩くのに
   疲れて、食べ物獲得に力を入れるのは面倒くさい方であった。
   食べ物は別の分隊から分けてもらうこともあった。

  ・食事を作っているシナ兵と戦って、戦闘後、シナ兵の食事を頂くことが
   多かった。
   (前述の熊本兵団戦史・支那事変編を見ると、八二高地・雨花台の激戦地で
   シナ兵の残した豚汁に舌鼓を打った話がありました。郷土部隊奮戦記では
   逆の例で、突然戦闘が始まってしまったため、泣く泣く完成直前の食事を
   残して進軍しなければならなかった話や、熱々の飯盒を抱えて慌てて移動
   するといったエピソードがありました)

  ・鶏をとっつかまえて、羽をむしりながら宿営地に戻る光景はよく見かけた。
   その人が通った後は、羽が転々と続いていた。

  Q. 私:祖父から沼や池に手榴弾を投げ込んで魚を捕っていた話を聞きました。
  A. お爺さま: それはよくやっていた。
310189:2006/05/01(月) 22:15:14 ID:dyC3XDPp
<外地・沖縄出身の兵士について>
 Q. 私の祖父の戦友に沖縄出身の荷川取さんという方といました。
   この方はご存じですか? また沖縄出身兵について話を聞かせてください。

 A. 荷川取さんのことについては知らない。
   全般的な話として、沖縄出身兵は、九州出身の兵より練度が落ちる
   (兵士としての質に劣る)という感覚があった。

 Q. 外地(朝鮮・台湾出身)の兵はいましたか?

 A. 支那事変の頃はいなかった。
   南方戦線では、台湾出身の兵がいた。


<南京城攻略戦についての補足のお話(お爺さま)>
 ・決死隊が城壁を登るときの援護は、重機関銃よりも速射砲の援護の方が
  大きかった。

 ・南京を攻め落とす日時については、昭和12年12月12日の12時というのに
  こだわりがあった。
311189:2006/05/01(月) 22:17:43 ID:dyC3XDPp
<最後に:祖父のアルバムの謎の写真について>
 うちの爺さんのアルバムに↓の祭りのような写真がありました。
 http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/50/eb85d963f4d8844ac216e0a35432518f.jpg

 何の写真なのか分からなかったのですが、これはどうやら年に一度一般市民にも
 営内を開放して、仮装行列や余興などを行っていた「軍旗祭」というお祭りの
 一部のようです。

 大分聯隊写真集(P28-30)
 http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/28/11f1762389e64e9981a2f9f076a86295.jpg
 http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/52/808f6f98b549d75474b683353d2ab569.jpg
 http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/61/f42d02fddd49b320e081e4520abc9977.jpg

 戦時中でもこんなコスプレ祭りをやっていたのかと思うと、違った意味で
 驚きでした。

とりあえず、こんなところです。
312鵜来 ◆URgaC/KtX6 :2006/05/02(火) 19:52:21 ID:bIkBTFkn
また貴重な当事者の証言、ありがとうございます
食事関連の話しや爆弾漁法など、本当の記録は為になります
あまり大きい声で言えませんが、米軍相手だと飯盒炊飯の煙は良い標的になった様で
砲撃や空襲喰らった話しが有ります
313中道秋也 ◆rBmfiUE12. :2006/05/02(火) 20:05:17 ID:NYt7FIM4
314マンセー名無しさん:2006/05/02(火) 20:51:54 ID:ukv5oFnN
石井部隊の人体実験はあったのに南京虐殺がないとは言わせないよ。

現地人の肉を食ったことも明らかになっている。
315新那智神社神主 ◆NYASFBo6FQ :2006/05/02(火) 20:52:27 ID:3ZswZ4Ks
む、エサか?
316マンセー名無しさん:2006/05/02(火) 20:54:26 ID:+lGlHe+q
>>315
NO

キャデハゲのようです
317マンセー名無しさん:2006/05/02(火) 20:56:20 ID:ukv5oFnN
重慶の爆撃はほとんど民間人が犠牲になった。

日本軍は当時の国際協定をやぶっとる。
318新那智神社神主 ◆NYASFBo6FQ :2006/05/02(火) 20:57:07 ID:3ZswZ4Ks
>>316
ははっ、それでは撤収します。
319陸奥 ◆Mutsu.Oznc :2006/05/02(火) 20:59:27 ID:ACyI7lrq
>>317
文句は民家のすぐ近くに軍需工場建てた支那政府に言え。
320マンセー名無しさん:2006/05/02(火) 21:02:37 ID:UKCP33Io
>>314
ソースキボン
321マンセー名無しさん:2006/05/02(火) 21:03:28 ID:eNvJbtu1
南京事件はあったかも知れませんが
南京大虐殺は無かったと思います
322ズバリ言うわよ! >巨大軍需利権としての英霊商売:2006/05/02(火) 21:05:44 ID:/fETUd93
2006年の今こそ如何に困難で厄介であろうと靖国英霊という侵略強盗殺人の犯罪兵士とその共犯兵士を裁く新たな東京裁判を戦後世代の手で開始しなければいけない。
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/mondai/rape.html
現在、続発する残虐犯罪は靖国英霊という侵略強盗殺人犯の「戦後社会による放置」が原因である。
家族のために天皇のために国のためになどとほざいて、海を渡り侵略強盗・強姦殺人を繰り広げた靖国英霊という犯罪兵士が許されるのなら、道徳などどこにも存在しないに等しい。侵略殺人英霊兵士の罪が放置された「平成」社会にはどんな法律もモラルも機能するはずがない。
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/mondai/gyakusatu.html
靖国A級戦犯だけを分祀すれば済む問題では断じてない。
http://esashib.hp.infoseek.co.jp/fukasaku05.htm
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-10-31/03_01.html
小沢一郎と中国・胡錦濤(コ・キントウ)はあたかも侵略殺人強盗の責任がA級戦犯だけにあるような暴言を振り撒いている。侵略殺人の実行犯人である靖国英霊という個別の兵士が免罪されると本当に思っているのか。靖国英霊という個別の侵略強盗兵士に殺されたアジア各地の
被害者を無視して、何の未来だ! 何が歴史だ! この恥知らずめ。
http://home.kanto-gakuin.ac.jp/~hirofumi/gallery.mal02.htm
親分=A級ゴロツキ戦犯だけが罪を問われ、侵略強盗殺人強姦の実行犯である子分=皇軍兵士が許されるなどという社会がどこにある。数千万のアジアの人たちの人生を破壊した靖国英霊という侵略強盗殺人の犯罪兵士とその共犯兵士が許される筈がない。
http://yeoseong.korea-htr.com/jyoseihoutei/nisino.htm
国のために平気で人を殺すような軍人を大量に飼育している韓国、北朝鮮というチンピラ軍事国家も分かっているのか!
http://kyoto-getto.hp.infoseek.co.jp/okinawa/war/war2/war2f.html
323中道秋也 ◆rBmfiUE12. :2006/05/02(火) 21:13:50 ID:NYt7FIM4
>>313の動画を見る限り、南京大虐殺はなかったと誰もが思うだろう。

日本は、欧米列強の傲慢を打ち倒し、戦乱の世を終わらせようとしただけ。
324中道秋也 ◆rBmfiUE12. :2006/05/02(火) 21:18:15 ID:NYt7FIM4

1944年、本土防衛線といわれたサイパン島が玉砕。
思えば、それが日本の敗北を決定付けた。

破れた防衛線を超え、アメリカは日本本土に攻め込んできたのである。

沖縄では20万人、東京大空襲では10万もの罪なき日本の一般民衆を無差別に殺したアメリカこそ
鬼畜であったと後世の人々は語るだろう。

一方、毛沢東率いる中国共産党は文化大革命の名のもとに、千万を超える自国民を虐殺した。

中国・アメリカが歴史を歪曲し、盛んに旧日本軍の残酷さを喧伝するのは、自国の残虐非道を
隠蔽するために他ならない。

元来、日本民族ほど人が良く、平和主義者はいないのである。

「東京大空襲」
http://www.ne.jp/asahi/k/m/kusyu/kuusyu.html
上記サイトを見ても、懊悩し死んでいった人々の苦しみを、少しは感じられるでしょう。
325マンセー名無しさん:2006/05/02(火) 21:19:27 ID:ukv5oFnN
欧米にやられたことをアジアに向けただけ。

欧米にやられて損した分はアジアでとりかえせ。

当時の日本の考え方。
326李鐵枴 ◆lbzZYfbVSA :2006/05/02(火) 21:24:39 ID:6nd/q+cF
>>325
日本人にはそんな発想はありません。
朝鮮人ではあるまいし。
327honest John:2006/05/02(火) 21:24:42 ID:NjjwIwHi
Korean You! lier!
http://www.sell.com/2221PV
328マンセー名無しさん:2006/05/02(火) 21:26:11 ID:9fHOBLj8
>>325
妄想乙
329朋萌 ◆sFTomoRYi. :2006/05/02(火) 21:30:29 ID:J8ETUUHT
 キャデと戯れる臭いスレだな。
 真面目な議論など不能だろ。
330中道秋也 ◆rBmfiUE12. :2006/05/02(火) 21:49:09 ID:NYt7FIM4

日本には古来から、「昨日の敵は今日の友」「罪を憎んで人を憎まず」
「恨みつらみは水に流す」と言った気風がある。

素晴らしい民族性である。

恨みを忘れぬことが良いことだとする中韓の人々は、学ぶべきである。
331マンセー名無しさん:2006/05/02(火) 22:37:25 ID:M6Sjm1hD
この場合の虐殺は、軍事的脅威でない敵国民に対する一方的な殺戮の事だと思われるので
当時の南京市民は敵国に占領されても、同胞が何人殺されようとも、全く抵抗活動をしなかったのですね。大変素晴らしい事です。

日本は「一億総玉砕」やら「一人一殺」とかを政府が掲げて、老若男女に軍事教練したものだから
国力低下が主目的の都市爆撃を何度くらっても
帰りの随伴機が、余った機銃弾で遊び半分に、田植え中のじーちゃんばーちゃん
登校途中の小学生を機銃掃射してキルマークを競ったりしても
「潜在的脅威の排除」だとか言われてしまえばそれまでで、例え何人死のうが虐殺認定させてくれないのですよ。

総力戦をしなかった中国の人は、全く羨ましい限りですね。
332娜々志娑无 ◆1ONcNEDmUA :2006/05/02(火) 23:25:12 ID:Fry60v+Z
>>329
 はて? 朋萌 ◆sFTomoRYi.ニムとも思えぬご発言。
スレにきちんと目を通されておりますかな。
333朋萌 ◆sFTomoRYi. :2006/05/03(水) 02:36:51 ID:KKQlpLR6
>>332
 ここ数レスだけの例外って事で。(w
334マンセー名無しさん:2006/05/14(日) 04:55:45 ID:tHvfZ9Na
日本刀で百人斬りは出来るんじゃないか?動脈斬れば良いだけだから。あと、肯定サイトの方が資料や検証も有って納得出来る…
335刺青 ◆1mDQNBpTa2 :2006/05/14(日) 05:37:58 ID:TF59XoCb BE:239286645-#
>>334
(´-`).。oO(無理)
(´-`).。oO(不可能)
(´-`).。oO(それに動脈斬り?)
(´-`).。oO(凄い手練れだねw)


<>
336鵜来 ◆URgaC/KtX6 :2006/05/14(日) 08:01:02 ID:N7LksFin
>>334
そんな手間かけなくても、大ハンマーで頭殴ればイチコロ
ポルポトも刃物使わないで、撲殺しています

南京大虐殺を肯定する人も居ますが、根本的な証明はなされていません
機関銃一つとっても、大虐殺に向いた銃を日本軍は装備していませんし弾も無い
国民党軍からも鹵獲していません

そして、バーサーカーみたいなのが押し寄せてきても、逃げもしない支那人
ここが一番不思議だw
337刺青 ◆1mDQNBpTa2 :2006/05/14(日) 08:56:04 ID:TF59XoCb BE:478572858-#
(´-`).。oO(当時大陸に居た方々に聞いても)
(´-`).。oO(「南京で虐殺?聞いたことも無いよ」と言ってますし)
(´-`).。oO(私が見せてもらった写真などは)
(´-`).。oO(日本からの慰問袋を持って学校を訪れ)
(´-`).。oO(子供達に配って、楽しげに記念撮影してましたしね)


<>
338マンセー名無しさん:2006/05/14(日) 15:23:01 ID:beFotNAv
「百人斬りができる条件」を模索しても何の意味もないのに…
339マンセー名無しさん:2006/05/14(日) 23:35:19 ID:v3JSoOul
>>336
>そして、バーサーカーみたいなのが押し寄せてきても、逃げもしない支那人
>ここが一番不思議だw

いや、逃げたんですよ。当時の南京市民は。
もともと支那事変前は南京市は100万都市だったんだが、
支那には「屠城」って住民を城壁内に閉じ込めて虐殺する伝統があるうえに、
当時の南京放送が「日本軍が虐殺しまくリング」ってプロパ放送してたんで。
(アジア歴史資料センターで「南京放送」で検索してみそ)
340マンセー名無しさん:2006/05/14(日) 23:36:58 ID:zmFLkNJ3
南京事件の写真関係で捏造を暴いた有名な本があったじゃん。
あれ読んでると、大虐殺のあった南京市でどういうわけか
のどかに子供と一般住民とが日本人兵士と戯れてたり
物の売買があったりとそういう交流があって不思議だったなぁ(w
341マンセー名無しさん:2006/05/14(日) 23:45:35 ID:v3JSoOul
んで、現在の中共の主張は、

「南京陥落当時は、近辺の農民も避難して50万人がいますた
日本軍に虐殺されて20万人になりますた」

だけど、「屠城」の伝統がある支那で、わざわざ城内に避難するかっての。
342鵜来 ◆URgaC/KtX6 :2006/05/15(月) 05:55:54 ID:g5mwFWoa
>>339
日本軍は、支那伝統の屠城って戦術使ったの?
と言うか、日本軍が目標にする南京めがけて逃げる発想が解らん
例えば他方面に逃げる支那人が、全て日本軍に捕殺されていたから
仕方なく南京に逃げ込んだのかなぁ

日本軍の兵力で数倍の国民党軍と戦い、更に多数の支那人を狩り立てる?
南京戦の日本軍は余程機械化されていて、道路網も整備されていたんだなぁ

おまけに屠城が支那の伝統芸なら、支那人は普通城内に逃げ込まないだろう
なにしろ伝統芸なんだから、逃げ込んだ結果は緋見るよりも明らかなんだし

日本軍に殺される為に、支那人は南京に集まった
こんな不自然な主張をしないと、話しの辻褄が合わなくなって来てるのですか
中共も大変ですなw
343マンセー名無しさん:2006/05/15(月) 11:34:46 ID:/50UAZ2L
占領してしまえば一応、準帝國臣民扱いになるので、無下に扱う事が出来ないはずなんだが
それに、戦後処理でも苦労するのが目に見えているからな

例え虐殺があったとしても、果たしてどんなメリットが陸軍にあったのか?
俺は未だに分からんな、デメリットしか思い付かないぞ。

未来永劫に、そしてエントロピーが零になるその時まで、語り継ぐ為に
どんな下らない理由で大人しく屠殺されまくっちゃったのかを
教えて、虐殺肯定のエロイ人。
344マンセー名無しさん:2006/05/15(月) 16:33:57 ID:Lw4BW3K9
>342 話がかみ合ってなくね?
345鵜来 ◆URgaC/KtX6 :2006/05/15(月) 18:11:10 ID:oZDWYAU6
>>344
確かにw
346鵜来 ◆URgaC/KtX6 :2006/05/15(月) 19:59:51 ID:JZG9j+MC
きぃ取り直して
私の中共が言う「南京大虐殺」に対する姿勢
刑事事件風に言えば
動機が無い
物証が無い
傍証も無い
被害者と自称する人の証言は信憑性に欠ける
被害を見たと言う人にも整合性に欠ける証言が目立つ

コレで公判維持出来ると思うのは、司法の独立が無い普通選挙も行われていない後進国と
その信者だと思っています
347マンセー名無しさん:2006/05/16(火) 21:28:15 ID:nym5MTW1
>>334
 動脈切ると、噴水のように地が噴出しますが、、ああ斬った後時間を置いて出るのね、どちらにしろ錆びるよ。
348マンセー名無しさん:2006/05/16(火) 22:38:57 ID:HBtZjyHy
>347 あらかじめ血抜きをしておけばよい。
349鵜来 ◆URgaC/KtX6 :2006/05/17(水) 12:39:37 ID:KiOof2SI
>>348
静脈切るのかい?二度手間は、作業効率を下げる元だぞ
350マンセー名無しさん:2006/05/17(水) 15:50:34 ID:w6vX9G8f
>349
血抜きはどんな場合でも基本です。それを二度手間と言ってるようでは、
美味しく仕上げることはできませんよ。

忙しいからそんなことはできないということなら、絶対に錆びないステンレスか
セラミックスの刀を使ったならどうでしょう?
351鵜来 ◆URgaC/KtX6 :2006/05/17(水) 17:26:11 ID:KiOof2SI
>>350
ひょっとして、南京大虐殺ではなくて、南京大屠殺の話をされているのでしょうかw

真面目に考察すると、錆びないステンレスは、切れ味が落ちますし、高価ですから
将校が、自弁品(軍服も)である軍刀にステンレス製携帯していたとは考えづらいし
ステンレスによる刃物も存在したかどうか、怪しいです

セラミックは、碍子程度の物しか存在しませんし、折れます

血抜きは、日本軍から死体の払い下げを受けた支那人食肉業者が行ったと考えるのが自然です
日本軍は数をこなさなければならなかったのですから、刀使うよりも
頭蓋骨及び脳を破壊するハンマーやモーニングスター使った方が、効率よく殺害できます
百人斬りなどよりも、百人撲殺のほうがよほど現実的です

日本軍が通ったあと、支那人食肉業者によりずらりと逆さに吊り下げられて、血抜きされている支那人の写真が
その内発見されますw
352マンセー名無しさん:2006/05/17(水) 23:43:14 ID:gaEXtJF7
日本刀がそれほどの恐ろしいほどの耐久性が在るなら、こんな話は出ないな
豊臣秀次が切腹の際の事
介錯人がブルったか刀を肩に落としてしまい秀次に苦痛を与えるだけになった
だが秀次が焦らず落ち着いてやれと介錯人を励ました
今度は見事に介錯したとのこと

噂どおりなら肩に入ろうが豆腐の如くすっぱりと切れていなくてはならんだろう

また新撰組が度胸をつけるためだったか介錯等をやらせていたと言うが
ひとたび抜けば確実に人を切り裂くのだから必要性すらないだろう
353マンセー名無しさん:2006/05/18(木) 00:39:51 ID:L/Y0wUCy
>>348
 酢と塩で何でも片付くあのお笑い日報じゃないんだから。
354マンセー名無しさん:2006/05/20(土) 18:19:14 ID:waN/vVhK
【幻】原爆投下は捏造だった!3発目【水増】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1137811876/
【日本史上】広島核爆捏造【最大汚点】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1129287300/
355マンセー名無しさん:2006/05/20(土) 18:31:10 ID:7rX7HrBe
>>1

 「シナ人による」という前書き忘れているヨ!

 正しくは

  「シナ人によるシナ人のための南京大虐殺」
356マンセー名無しさん:2006/05/20(土) 18:38:06 ID:sd8xwv50
>>355
ついでにチベット人をほとんど殺害したことも追記。
357マンセー名無しさん:2006/05/20(土) 18:40:46 ID:sd8xwv50
ねえ、20万人を殺すとなると(あとで30万人と中国は言ってるけど)、どれくらいの火気が必要になる?
ちなみに町の人口は急激に20万人増えている説明はどうなの?
358マンセー名無しさん:2006/05/20(土) 18:49:11 ID:sd8xwv50
>>209
外国の剣道と日本刀の紹介で真剣で食肉用の豚を切るっていうのがあったけど、
確かにスパっときったけど、皮膚、筋肉、アバラ骨程度で限度みたいだった。
人間の大人ならせいぜい3,4人で曲がると思う。
359焼き鳥屋 ◆4xcIIIIIII :2006/05/20(土) 18:56:27 ID:m2ohy3Hc
>>358
日本刀の正しい使い方は突きですからね払いじりをはじめたら負けますよ
360水かけ家 ◆33EyZUcQ2A :2006/05/20(土) 19:02:24 ID:58pUUt4y
>>357

大雑把だけど、

銃オンリー(手榴弾等はなし)、弾1発/人、正味20日で実施
死体処理はシナーにさせる(死体処理の時間を無視する)
30秒/発(弾そう交換を含む)、銃の整備は夜間に実施、
8時間/日のペースで実施

以上の条件だと、一丁あたり960人/日
20万人だと11丁ですみます。

死体処理を無視すれば、可能は可能
弾がそんだけあったかどうかは別として
361娜々志娑无 ◆1ONcNEDmUA :2006/05/20(土) 19:07:47 ID:TEIwq50o
>>360
 死体処理にしたって、四つ足のものはテーブルと椅子以外は
何でもOKというあの中国人に任せておけば何とかなる鴨ニダね。
362水かけ家 ◆33EyZUcQ2A :2006/05/20(土) 19:12:51 ID:58pUUt4y
>>361

その手がありましたかw

以前考えたときは、
二人一組で穴を掘らせて、一人をぶち込んでもう一人が埋める
これを繰り返すと等比級数的に減っていくから、
埋める場所さえあれば、数日で終わるなあと思っていましたが。

363マンセー名無しさん:2006/05/20(土) 21:09:44 ID:sd8xwv50
>>360
弾なんかそう都合よく当たるわけないよね。
友達の自衛隊員がマシンガンで弾幕張っても、命中なんて稀といっていた。
あれで死ぬ人はよっぽど神から見放されているともいってた。
大虐殺なんて絶対不可能。
普通の戦闘が民間人には虐殺に見えただけだろう。
というか死体が出てこないのが不思議。




364水かけ家 ◆33EyZUcQ2A :2006/05/20(土) 21:11:09 ID:58pUUt4y
>>363

確実に南京の虐殺だという写真もないそうですし。
365マンセー名無しさん:2006/05/20(土) 21:12:30 ID:NKx1Fxvi
>>363
まあ、特亜の言う日本軍を全部肯定しちゃうと伝説が出来るぐらいの強さだし
366マンセー名無しさん:2006/05/20(土) 21:15:28 ID:EjJs2nIS
>>365
コロニー落しくらいやらないと不可能なこととかあるしな。
367マンセー名無しさん:2006/05/20(土) 21:21:48 ID:sd8xwv50
聞いた話だけど銃剣と手榴弾で攻撃する中国兵5,6人を
一人の剣道4段の兵士が日本刀(といっても大量生産の軍刀だろうけど)
だけで倒したって聞いたことある。
そういうのが日本刀=恐怖となって話が肥大したような気がする。
368マンセー名無しさん:2006/05/20(土) 21:25:08 ID:sd8xwv50
>>366
実は日本軍にはガンダムGP02があったってことでよろしいですか?
369朝鮮総連と韓国民団の和合和解討論会:2006/05/20(土) 21:25:19 ID:hOzAqHLB
 2006年6月24日  在日新党 
真実は報道されていない、本当の事を言っていない在日ジャーナリスト日本の中の38度上に立って闘って憎まれて来た
川西杏〈チョンソヘン〉の声こそ総連と民団の和合の声だ!!
参政権運動30回立候補者、在日2世 川西杏66才が答えます。(日時)2006年6月24日(土)午後6時30分から9時迄 
但し、9時から討論会と食事会があります。各自お弁当と飲み物お菓子などを持ってきてください。
(場所) 杏ホール(2F)03(3300)6150   
  京王線千歳烏山駅西口改札        左に出て階段上がり目の前(料金)500円  (講演者) 川西杏(65歳)在日2世 
日朝韓親善在日新党党首1.朝鮮総連は金正日総書記に許可得た目的実現?2.韓国民団が朝鮮総連に乗っ取れた?はウソ3.日本人拉致事件問題の逃げ道になる。
朝鮮総連と韓国民団とのお互いの民族愛から発生の一つ・・・・・。どっちの団体が有利?杏ホール社会問題研究会 03(3307)0562       
杏ホール 03(3300)6150約束<このイベントは毎月、今後とも続けます。>いろいろな企画をもってやっていきます、
皆様のご要望のテーマ承ります。チョンソへン公式ページ http://www11.ocn.ne.jp/~c-sohen/MyPage/menu0.html
川西杏のイムジン河の歌、下記で電話でも聞ける。
川西杏ライブ情報&ホームページ  公式@(在日朝韓人2世65歳参政権運動とシンガーソングライター)
http://homepage3.nifty.com/kawanisi-kyo
フオークルのニセイムジン河を放送して、本物のイムジン河を歌う
チョンソヘンを出演させないNHK は人種差別だ 。
歌とライブ情報(24時間放送)03−3305−0123
370めそ@心の同盟国 ◆.6Ed2kmAUE :2006/05/20(土) 21:25:36 ID:6o3mGULl
>>368
南京はデストロイ様によって破壊されたんだとさw
371呂-50 ◆B5FTrr3p86 :2006/05/20(土) 21:26:34 ID:ssWCwo7r
>>367
家に伝わる日本刀を軍刀仕立てにして持っていった例も結構あるらしいから
一概に大量生産品とは言えない気もする。

ウリの(母方の)爺ちゃんの兄弟も
そうやって持っていったらしいし。
372マンセー名無しさん:2006/05/20(土) 21:28:02 ID:sd8xwv50
>>370
あるいは、ジャブローに落とすはずのコロニーが軌道がずれて南京に落ちた。
となるとレビルに賠償するべきだ。
373マンセー名無しさん:2006/05/20(土) 21:32:35 ID:KKpVQMh+
>>371
はい 俳優の池辺良と言う人も著書でそのように書いてますね
だから上官に軍刀としては少し短いとか言われたようで
襟章? それも自前で用意したそうでつ もっとも学徒出陣で見習い士官スタートだからでしょうけど
374鵜来 ◆URgaC/KtX6 :2006/05/21(日) 06:28:18 ID:KfME5li9
>>367
「武勇伝」の類いだと思います
昭和軍刀では、人はマトモに斬れません
おまけに、着剣した小銃持った5人に突き立てられたら
人斬りの手練でも負けます 西南戦争の薩摩西郷党もこのてで撃退されました
実際には、戦意の無い支那兵が逃げ散ったと言う所でしょう

日本刀は、世界的に見るとそれほど優れた刀剣(実用品として)では、無い様です
曲がる、折れる、柄と刀身の固定に問題が有る、人を斬ったら研がないと、刀身が腐食する等
100人斬るつもりなら、予備の刀(古刀)専属研ぎ師、拵え師がついてきてくれないと不可能ですなぁ
100人撲殺可能な大ハンマーなら、そこいらのホームセンターでも売っていますけど
お手軽手入れで、100人斬りなんて日本刀はこの世に存在しません
http://www.coldsteel.com/japaneseswords.html
現代だとこんなのも売っていますけど、製法が日本刀ではないw


375189:2006/05/21(日) 11:11:50 ID:qpOwl7UX
>>367
多分ウリが貼り付けた>>175のこといっておられるのかな。
そこの部分をテキスト化したので、これから貼り付けまつ。

〜 郷土部隊奮戦史 (昭和37年10月15日発行、平松鷹史 著) P336-338より抜粋 〜

舟艇上にいてはいたずらに日本軍の餌食になるとみたシナ兵は雨注する日本軍の弾丸を
ついて遮二無二陣防橋の部落に上陸を企て、舟艇もろとも堤防に突進してきた。

堤防上で部下とともに待ち構えていたのが剛勇関頼平准尉だ。腰をひねると
スラリと腰の軍刀を引き抜いた。関は当時、中隊の中の最年長(三十七歳)ながら
剣道四段(現在五段)、兵隊に剣道指南をやっていた腕っ節の強い男だ。
抜いた軍刀は無銘ながらすでに何人かの生き血を吸っていた。武骨な作りだが、
無類の切れ味を誇る業ものだ。握り太の軍刀のツカをガッチリとにぎった。

舟艇の中の敵が必死に堤防にかけ上がってきた。降るような星だ。関が両足を
ふん張った。手練の太刀風一せん(閃)最初のシナ兵がケサがけに血煙りを上げた。
もうそれからは無茶苦茶な乱戦だ。関は腕にまかせて切って切って切りまくる。

堤防上で構えていては片っ端からズバリ、ズバリと切る。全部ケサがけ。
手練の太刀先は狂うことを知らない。手りゅう弾がくる、敵の銃剣がくる。
ノドがひりつく。恐怖が一瞬心臓をつきあげる。だが関の腕だけは正確に敵を
ケサがけにしつづける。
切る−
切る−
切る−
星空も血煙に曇る。

水車のようにふり回す腕がつかれて抜けそうだが、ここで力を抜いてはこんどは
関が切られるか、突かれる番だ。敵も味方も入り乱れて火をふくような猛闘だ。
夜が白々と明げた。敵は去った。
376189:2006/05/21(日) 11:12:35 ID:qpOwl7UX
夜が明け放れてみてその惨烈きわまる光景に日本兵たちはあらためて目を見張った。
この世の地獄であった。あたり一面折り重なった日シ両軍の兵士の死体で土が
見えなかったというのもこの場合、決して誇張ではなかった。関准尉の軍刀は
この日の激戦で折れたり、刃こぼれして十六センチ近くも短かくなっていた。

この剛勇准尉関頼平ものちに左膊部に負傷、上海に引きあげたが、終戦後、別府市に
帰り、食堂やバー、食料品店などを手がけ、現在は喫茶店を経営している。血刀を
にぎった手に絵筆をにぎりチャーチル会員として夫婦ともども油絵に親しんでいる。

「戦争は悲惨です。好むと好まざるとにかかわらず自分が殺されるか、相手を殺すか
二つに一つを選ばねばならないのです。私も人を切った。しかし、切らねば私が
殺されたからです」絵具とコーヒーの香りの中で暮らす現在の関頼平さんは六十一歳、
二十数年前の陣防橋の武勇伝もいまのこの人にとっては心の痛む話題なのだ。

関さんはこうことばを継ぐ。「私は階級制度というものをのろっている。私の人生の
うち二十数年という長い間を私は軍隊というがんじがらめの階級組織の中で暮らして
きた。それだけにいまの私は自由というもののありがたさを 満喫している。
永い戦争の間に善良な人々も数多く殺されたに違いない。それが戦争の宿命です」

シナ事変、太平洋戦争の長い期間を通じ大小無数の戦闘が行なわれたが、この
陣防橋の大殲滅戦と前述余山鎮の激戦ほど一小区域内における大量殺りく(戮)の
戦闘はなかったといわれる。

「敵の遺棄死体何千」という威勢のいい戦況のかげで肉親を失い悲嘆に暮れた人々の
いかに多かったことか。とくにシナの場合、日本軍の軍靴に祖国をふみにじられ、
戦局日に日に非なる時、肉親を奪われ路頭に迷った人たちも少なくなかった。
悲惨目をおおう戦闘の中で将も兵も鉄の規律にしばられ、非情な「戦いの道具」
として生命を的の追撃戦に明け暮れるのであった。
377Jolly Rogers ◆I0h8/JeUjY :2006/05/21(日) 14:30:19 ID:GGqv8aqM
>374
 歴史上で分かっている、もっとも奮戦した日本刀使いってーと、足利幕府第13代将軍の義輝かな?
 最後に自分が所蔵していた名刀を畳にぶっさしておいて、攻め込んできた松永久秀らの手勢を相手に
戦って果てたという。

 切れなくなったら側からぶっさしてあるのを抜いては切り結んだ、と。
 つまり、そうでもしなきゃ闘えないんですな。

 どうやったって100人は切れませんね(w
378マンセー名無しさん:2006/05/21(日) 14:51:12 ID:9mJg9E0p
>>377
100人斬れるのなら山田浅右衛門の折り紙なんぞ要らんわけでwwww
379マンセー名無しさん:2006/05/21(日) 15:56:16 ID:RDBWvWDI
イルボンは高振動ブレードかビームサーベルを使ったに違いないニダ!!!!!!!!!
反論してみろニダ愚かなモングキ達!!!111wwwww
380五右衛門:2006/05/21(日) 18:34:54 ID:egFDGR8H
>>379
呼んだでござるか?
381鵜来 ◆URgaC/KtX6 :2006/05/21(日) 19:45:57 ID:KfME5li9
>>375
モグラ叩きみたいな状況ですね
一つ疑問なのは、剣道では刀を引く動作はしません
例えば面、引く動作はせずに、手を絞ります
つまり、剣道は人斬り技能ではないのです

何となく講談の荒木又右衛門みたいな感じがするのは懐疑主義過ぎるでしょうか?
382マンセー名無しさん:2006/05/21(日) 21:55:42 ID:pfFPMDd8
>375
それなんてラノベ?
383マンセー名無しさん:2006/05/23(火) 23:03:48 ID:o8UyIZP/
語り継ぐのはいいけどさあ、世界の大国が必死に作り上げたでっちあげだぞ?
過去の恥部をこのまま何事もなかったかのように歴史の影に葬り去りたいのは某大国さんのほうじゃないのかなぁ。
というかすでに、暗黙の了解のような流れがあるよね。
384マンセー名無しさん:2006/05/24(水) 22:01:15 ID:SONcDisd
>>382
「なんきん☆DIEぎゃくさつっ!」民明書房刊
385マンセー名無しさん:2006/05/25(木) 03:54:21 ID:1OBNtfYZ

 YouTubeに元陸軍パイロットの証言動画が、UPされました。

 http://www.youtube.com/watch?v=PLBLDqLU0TU

 南京大虐殺どころか、南京事件すらも中共の捏造であることがハッキリわかります。

 「日本軍の軍規は世界一厳しかった。強姦なんか出来るはずはない」

 「南京は全く破壊されていなかった。これほど綺麗な戦争があるのかと言うほど…」

 とのことです。

 古来から、日本人ほど高潔な民族はないのであります。
386マンセー名無しさん:2006/05/25(木) 10:42:50 ID:yrZa/chJ
http://ryou-nikki.b.to/tedium/15

こういう極端な右翼思想こそ日本から葬り去るべきものである
平和を愛する親韓の人間には許しがたい侮辱だ

http://ryou-nikki.b.to/tedium/11
http://ryou-nikki.b.to/tedium/12
http://ryou-nikki.b.to/tedium/13
387マンセー名無しさん
親韓の人間は平和なんか望んじゃいないだろw
お前らの言う右翼の方が遥かに平和主義者だという事にさっさと気付け