「南京大虐殺」を未来永劫語り継ぐスレ

このエントリーをはてなブックマークに追加
280189
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/korea/1141029410/465
書いたこととダブりますが、私は昨年9月にハン板の雑談・質問スレPart58で
南京攻略戦に参加した祖父の件でお世話になった者です。
(この当時のやり取りは↓URL参照)
http://blog.goo.ne.jp/cars-kitahefu/e/b6c2d9951f7e33b41ef5cfd4a5b039a5

それからいろいろ調べ物をしたりする中で、先月南京攻略戦に参加した別の
お爺さんに直接話を伺うことが出来ました。その内容がようやくまとまったので
これから書き込みます。

板違いのネタかもしれませんが、ハン板で話を聞いてきた手前、この板のスレで
報告させていただきたいと思います。
(さすがに雑談・質問スレで続けるのはどうかと思いましたので、こちらのスレで
書き込みます。このスレも板違い気味だとは思っておりますが…)

私が知りたいのは、私の祖父が日中戦争に参加していた当時、現地の兵隊さんは
どのような生活/行動をしていたのかを知りたい(調べたい)ということがメインで、
いわゆる南京虐殺に関することは、どちらかというとオマケ的な部分になります。

今回話を聞いたお爺さまにも、当時のことをいろいろ聞く中で、南京のことに
関することも合わせて聞いたという感じになります。

とりあえず実際に南京攻略戦に参加した方の生の声ということで、
今後の議論のネタにでもなればと思います。
281189:2006/04/18(火) 01:11:46 ID:PzJDvSAJ
今回お話を聞かせていただいた方について簡単に経歴を記しますと、
 ・大正3年生まれの93歳。90を過ぎた今でもすごく元気な方です。
 ・昭和9年に近衛歩兵第4連隊10中隊に入営して東京の青山に行くが、
  御尊父が亡くなられたのを契機に1年で帰休。
 ・昭和12年に召集され、歩兵47連隊(大分)の第4中隊に編入。
 ・同年12月の南京攻略戦で負傷し、13年1月に内地還送。
 ・その後、歩兵第47連隊補充隊勤務。
 ・昭和18年に歩兵第123連隊第2機関銃中隊に編入し南方戦線へ。
  (ジャワ・ジャカルタ方面)
 ・最終的に歩兵第42連隊第8中隊で終戦を迎え、昭和21年6月に
  田辺港に上陸して復員完結。
 ・戦後は地元企業の社長をされていた。(現在は会長職に退いている)

という方です。地元の名士の方です。私は当然名前を知っているのですが、
ここでの名前の公表は差し控えさせていただきます。
ここでは「お爺さま」と表現させていただきます。

また、同じ会合の場に御尊父が47連隊にいた方(60代男性)も同席されました。
この方の御尊父(20年程前に亡くなられたとのこと)は、47連隊在籍中に
軍務の傍ら写真を撮られていたそうで(従軍カメラマンではない)、
当時の貴重な写真を持ち帰られ、戦後展示会等を開催されています。
ここでは「写真屋さん」と表現させていただきます。
お爺さんとは、この方を通じて連絡を取ることが出来ました。

まず本題に入る前に、お爺さまが軍にいたことを示す客観的(公式)な記録として、
平成11年に大分県高齢者福祉課が発行した軍歴書のコピーをお爺さまから頂いて
いますので、その中から支那事変に関する部分を列挙します。
282189:2006/04/18(火) 01:12:36 ID:PzJDvSAJ
昭和12年
7月27日 動員下令
7月30日 充員招集のため歩兵第47連隊に応召、同日第4中隊に編入
8月10日 門司港出発、同日大連港着
8月12日 関東州通過
8月23日 朱家務附近の警備に任ず
9月14日 永定河附近り戦斗、追撃戦斗に参加
9月22日 保定附近の戦斗に参加
9月25日 保定付近の警備に任ず
10月 1日 石家荘・落陽会戦に参加
10月 1日 同日より笵談村附近の警備に任ず
10月 2日 上海方面に転身のため同地出発
10月26日 塘沽出発
11月 5日 坑州湾北岸金山衛城附近の上陸戦斗に参加、同日湖東会戦に参加
11月16日 同日より崑山附近の警備
11月18日 崑山出発 喜善に向い転進
11月21日 喜善警備
11月29日 同地出発 南京に向い前進
12月10日 南京会戦に参加
12月11日 鳳凰村の戦斗において右大腿部並に下腿部受傷す
12月11日 同日受傷のため南京野戦病院に入院
12月29日 南京柳川軍予備病院転送

昭和13年
1月 4日 上海兵站病院に転入
1月17日 内地還送のため上海出発
1月21日 門司港上陸、同日小倉陸軍病院に収容
  同日 同日歩兵第47連隊補充隊に転属 同日第4中隊に配属
283189:2006/04/18(火) 01:14:44 ID:PzJDvSAJ
お爺さまの南京での戦いと負傷の状況について

47連隊が大分を出てから南京に到着するまでにどのような戦いを行ってきたのかに
ついては、>>159-189を参照して欲しいのですが、ここでは南京攻略戦の部分に
ついて、聞いた話を書きます。

まず前提の話として、47連隊はコレラ騒ぎで進軍が遅れていたため、強行軍で
南京に向かっていたものの、47連隊の本隊が第6師団主力に追いついたのは、
すでに南京会戦が始まっていた12月10日の日中になります。(>>179-181参照)

お爺さまのいた部隊は着いたその夜より攻撃に参加したとのことで、このときの
進軍経路は下の画像の「右翼隊 歩11旅団主力」の矢印となります。

「熊本兵団戦史・支那事変編」 (昭和40年4月初版) より
P118 南京城第六師団攻撃経過要図
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/9f/97b2f2bf304bf5bc994ffe29fd00f016.png

以下、お爺さまの体験談を箇条書きします
 ・12月10日の夜に夕食を食べて、手榴弾を積んで、潜伏斥候に出発した。
  82高地のトーチカと鉄条網が連なる谷へ向かった。

 ・雨花台と別れる谷間の道を通った。

 ・日本軍は速射砲の方がよく使われていた。歩兵砲のアベ小隊長(中尉)が、
  80〜100m程先にあるトーチカを速射砲で狙っては逃げていた。
  (逃げるのは、砲撃すると相手から反撃を受けるため)

 ・その日は一晩中撃ち合いが激しく、砲声が響いていた。
284189:2006/04/18(火) 01:16:58 ID:PzJDvSAJ
 ・シナ軍は迫撃砲をよく使っていた。朝になって砲撃が治まったかなと思う頃、
  近くにいた朝食を作っていた兵士2〜3人が迫撃砲で吹き飛ばされた。

 ・お爺さまは砲弾を太ももに被弾した。一般的に、砲弾の破片の多くは弾の
  進行方向(順方向)に多く飛んでいくものであるが、お爺さまは逆方向の
  上から飛んできた破片で負傷された。

 ・負傷したお爺さまは立ち上がることが出来なくなってしまった。
  なんとか這って動くことはできたものの、身動きはままならず、寝たまま
  大便を行う有様となった。段差はなんとか脚をかけて上がることはできたが、
  逆に段差を降りることはできなかった。

 ・負傷したときは12月11日の明け方であった。その時の敵の砲声は大きく、
  南京城に近い位置まで到達していたのだと感じた。

 ・その後、お爺さまは味方兵に担架で救出された。
  その晩に連れて行かれたのが、第6師団の第4野戦病院だったと思う。

 ・10日から始まった戦闘での被害が大きかった話(>>181-182参照)は、
  野戦病院で聞いた。

 ・南京が落ちて4〜5日してから、後から来た柳川軍の野戦病院に転院した。
  閲覧式や慰霊祭(>>187-188参照)が行われたことは、病院の中で聞いた。

 ・その後、病院船に乗って上海の病院に転院した。上海から日本へはまとめて
  送られるため、上海でしばらく足止めされたから日本に帰国した。

 ・日本に戻ってからは小倉の病院に転院し、補充隊付けとなった。

負傷〜帰国までのお話しは以上となります。
285189:2006/04/18(火) 01:18:28 ID:PzJDvSAJ
なお、お爺さまが南京攻略戦で見た風景は、下記URLの画像の右上にある
八二高地の写真の光景そのものだったそうです。

大分聯隊写真集 P100より
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/b0/47d72e8729337ef4bc2a1688d7e064f7.jpg

この画像だと不鮮明ですが、本物の写真だとトーチカと思わしき小さな人工物が
ぽつぽつと写っているのがなんとか見えます。ちなみに写真の下側にある白い
帯状のものはシナ軍がわざと造った疑似道路で、日本軍がこの道路を通ろうと
すると、トーチカから集中砲火を浴びせるようになっていたとのことです。

このトーチカについては、前出の熊本兵団戦史に次のような記載がありました。
「歩兵第十一旅団長坂井徳太郎少将の手記によれば、敵を駆逐後トーチカを点検
 すると外部にクサリを巻き施錠してある。内部の守兵にとっては絶対の墓場で
 あり、人道上許しえない暴状である。つらつらこのトーチカに追い込まれて
 死守した戦士の心境に思いを致すとき、深い同情を禁じ得ない。涙をそそいで
 その霊を慰め冥福を祈ったとのことである。」
286189:2006/04/18(火) 01:21:10 ID:PzJDvSAJ
本題の南京事件については、次の通りです。

Q. いわゆる「南京大虐殺」について、見聞きしたことやお爺さまの考えを
  聞かせてください。

A. まず自身の体験において、虐殺行為とされる出来事については、
  見てもいないし、聞きてもいない。

以下、お爺さまが「私の主観が大いに入る」と前置きされた上で述べられた
コメントとなります。

・当時日本軍は大損害を負いながら、やっとの思いで南京を攻め落とした。
 その状況下で、殺戮を行うためにわざわざ兵力を割く(貴重な戦力をつぎ込む)
 ようなリスクを負うことは考えられない。

・戦後、谷師団長が銃殺されたことを知っている。しかし第6師団だけがいわゆる
 虐殺行為をする訳がない。

・南京の件は、ある種の思想を持った人たちが政争の具に使ったような感じを
 受けている。

・同じ大分県出身の中島中将(京都16師団長の中島今朝吾中将)が南京に入る前に
 「捕虜はできるだけ取るな」という師団命令を出したと思う。そもそも捕虜を
 取るなという命令自体がおかしなことだと思うが、「捕虜を取るな」という
 ことは「殺してしまえ」ということと同義なので、そのことが誤り伝えられて、
 虐殺という話までに広がったのではないかと思う。

・あと、日本軍は(戦後言われているような)残虐な軍隊ではなかったですよ。
 祖国を離れ異国の地に攻め入っている立場として、もし逆に日本が同じ立場に
 立ったことを考えると残虐なことはできなかったし、そのような残虐とされる
 行為を聞いたこともなかった。ただ中には心ないヤツもおったので、一部には
 非道とされる行為があったかもしれんですなぁ。
287189:2006/04/18(火) 01:24:14 ID:PzJDvSAJ
続いて便衣兵のことについてです。

Q. 便衣兵についての話を聞かせてください。
  便衣兵が不法戦闘員であることや、逆に敵の正規の捕虜はそれなりの待遇を
  与えなければならないことを、当時認識していましたか?
  もしくは教わっていましたか?

A. 当時の認識については明確な回答は無し(分からないか、覚えていない)。
  その代わり便衣兵については、次のコメントを頂きました。

・シナ兵は(南京に到達する)以前から、守りきれないと判断すると民家に入っては
 着替えて脱出するということを行っていた。

・日本兵は、便衣兵には大変困惑していた。なおシナ兵には女の兵士もいた。

・日本兵は一般民衆と便衣兵を見分けるために、額を見て判断しようという話が
 あった。(普段兵士の格好をしている者は帽子をかぶっているため、額の部分が
 日焼けしていないという判別方法。ちなみに私の祖父からも全く同じ話を聞いた
 ことがあります)

・日本軍が南京城を攻め落とした当時、シナにとっては最後の砦であった城を
 落とされた状態にあった。そのため日本軍に城内に踏み込まれてもなお、便衣兵
 として抵抗を試みるシナ人がいたことについては、その心情は理解できた。

・南京城内において便衣兵と一般民衆をよく調べずに殺害したとされる件に
 ついては、そういうことはあったとしてもおかしくない話だと思う。
 このことがいわゆる虐殺行為として言われているのかもしれないですね。
288189:2006/04/18(火) 01:25:27 ID:PzJDvSAJ
南京の件については、以上となります。

今回話を伺ったお爺さまの話を整理すると、
 ・お爺さま自身は南京直前で負傷したため、南京では病院にいた。
 ・見聞きした範囲では、いわゆる大虐殺とされる行為はなかった。
 ・ただ民間人が便衣兵と間違えられて殺害されることや、一部日本兵による
  非道な行為はあったとしてもおかしくないと感じている。

というところでしょうか。
(お爺さまは、南京大虐殺があったとされる今の風潮を間違った歴史認識だと
憂いておりました)

個人的には南京城内にいた便衣兵について理解を示されていたのが印象的でした。

他にも色々話を聞いているのですが、それについてはまたの機会に報告できれば
と思います。とりあえず、こんなとこで。
289娜々志娑无 ◆1ONcNEDmUA :2006/04/18(火) 01:29:15 ID:kSiYLbvj
>>288
 乙ですた。貴重なお話を聞けてよかったですね。
290マンセー名無しさん:2006/04/18(火) 07:01:46 ID:45fHKoYq
>敵を駆逐後トーチカを点検すると外部にクサリを巻き施錠してある。

…何も言えない。
291マンセー名無しさん:2006/04/18(火) 12:01:14 ID:ecSPLpum
南京戦の体験者からのお話を書き込んでくれています。
第六師団 歩兵第47連隊(大分)のかただそうです。

--------------------------引用------------------------------

遅くなりましたが、別のお爺さまに南京攻略戦に参加した当時の話を
聞いてきて、その内容をまとめますた。
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/korea/1142249989/280-

292マンセー名無しさん:2006/04/18(火) 12:03:10 ID:ecSPLpum
他スレへの紹介を誤爆した orz
スマソ
293マンセー名無しさん:2006/04/18(火) 14:29:01 ID:Mvt/fmmo
>>288
貴重なお話乙でした 
私個人の誠に勝手な思いとしては是非とも他の方のお話を伺って将来出版でなくとも
HPあたりで公開していただけたらなぁとは思います
益々シナのど畜生やチョンの妄言が晒されていくこと 誠にもって慶びにたえません
少しずつで結構ですので報告お待ちしております
294マンセー名無しさん:2006/04/19(水) 06:18:27 ID:sAcA25OW
そもそも便衣隊は明確なハーグ条約違反じゃあないか。
その場で射殺されても文句を言える立場じゃあない。
ゲリラ戦を行えば一般人にも被害が出るのは数々のゲリラ戦で証明されている。
そもそも南京大虐殺なんてぇものは存在しない、シナの捏造でっち上げ。ただしね便衣隊と
間違えられて殺された一般人がいたのは事実だろうが、それも正規軍ではない便衣隊なるゲリラ戦を
仕掛けたシナ側が責を負うべきで日本が責を負う理由は何もない。

とにかく嘘つきシナの言うことをまともに聞いてはいけない。相手は国家ぐるみ嘘をつく輩であることを
常に心しておく必要がある。
295マンセー名無しさん:2006/04/19(水) 06:24:03 ID:QuhYxGMx
まぁグダグダ言っててもしょーがねーから
1ヵ月後ぐらいに一度やってみるといい。
中国人30万人集めてさ。
俺に百人斬りやらせてくれ。
296鵜来 ◆URgaC/KtX6 :2006/04/19(水) 06:34:10 ID:4+wqL4+0
>>288
本物の経験者が語る貴重な証言
とりまとめお疲れ様でした

それにしても、施錠式トーチカ
ソ連が戦車の操縦者を逃げ出さない様に鎖でつないでいた話し、思い出しました
297マンセー名無しさん:2006/04/19(水) 08:41:53 ID:PDApYWGu
>>295
豚か牛の枝肉にしとけ
298マンセー名無しさん:2006/04/19(水) 08:43:15 ID:PDApYWGu
>>296
> それにしても、施錠式トーチカ
> ソ連が戦車の操縦者を逃げ出さない様に鎖でつないでいた話し、思い出しました
くっ シナのど畜生といい外道のやるこたぁ変わりまへんなぁ
299マンセー名無しさん:2006/04/19(水) 09:00:41 ID:QuhYxGMx
【海外芸能人】
http://tv8.2ch.net/celebrity/subback.html

おい、お前ら!
ここに韓国人スターのスレが乱立してるが絶対に荒らすなよ!
コピペ貼りまくったりするなよ!
300189:2006/04/20(木) 09:10:26 ID:CfZwrP21
>>293
コメントありがとうございまつ。ここに書き込んだ内容は、
追々ブログの方に転載しようと思います。

今回話を聞かせてもらったお爺さまによると、お爺さまが知る限り、
当時のことを知り、話が通じる(ご存命で呆けていない)戦友の方は、
あと一人しかいないということですた。

その方についても、お話しを聞き残しておきたいなと思ってはおります。
(関東在住の身なので、簡単に行けないのが難点ですが…)
301189:2006/04/20(木) 21:57:24 ID:CfZwrP21
あなたのおじい様の戦争体験を教えて その11
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1144591772/

ここの>>69さん、ご参考までに。


〜 郷土部隊奮戦史 (昭和37年10月15日発行、平松鷹史 著) P199-202より抜粋 〜

満州事変の中で一番、日の当たらない苦労をなめたのは兵たん部の兵士たちで
あった。第一線のはなぱなしさはないし、その働きぶりが新聞に報じられることも
なかった。彼らは大陸特有のぬかるみ、けわしい岩山、きびしい寒暑、天然の
悪条件の中で行動のにぶい荷馬車をかかえ軽武装で敵のグリラと戦うという
戦争のカゲの苦労を一身に背負わされていた。

兵たん部隊の苦心は熱河作戦編の初めにかんたんにふれたが、当時軍需品の輸送に
当たっていた第十中隊特務曹長岩元丸江(のち大尉、日出町在住)の手記から当時の
輸送部隊の苦心をふり返ってみよう。

満州事変に六師団が参加したとき、この師団には平時編成であったため師団輜重隊
や大小行李は付属しておらず、軍需品その他の輸送には関東軍の責任で行なわれた。
四十七連隊では第五中隊(大尉永沢悦二) 第十中隊(大尉熊谷操)がこの輸送隊として
抽出された。
302189:2006/04/20(木) 21:57:57 ID:CfZwrP21
輸送に使うシナ馬、馬車、馬夫などは奉天、鉄嶺など鉄道沿線から徴発することに
なり、各地の官公署に対し徴発命令が発せられた。各地区では指定された期日までに
馬、馬車、人員を調達しなければならないわけで、どこも大混乱を起こした。

強制徴発であったが、借り賃や人夫の日当、使用中の事故にたいする補償などの
契約もちゃんとしており、使用期間は一ヶ月であった。日当はシナ人一日五十銭、
同監督八十銭、シナ馬、馬車一日一円くらいがその値段。徴発解除のさいは、
徴発の現地まで引率帰還のうえ、賃金を精算するという契約であった。

徴発された馬、馬車、人員は日本軍が監督して錦州から朝陽寺まで列車輸送、
そこから朝陽まで行軍し、朝陽から赤峰までの約三百二十キロ(八十里)の翰送に
任じたわけだ。輸送縦列は一個中隊が六個縦列を担当、二個中隊で十二個縦列を
受け侍つことになった。

一個縦列の警戒兵は小銃二分隊、軽機関銃一分隊の約二十五人、縦列長は小隊長と
先任分隊長があたり、シナ馬に乗って縦列を指揮し、五縦列ごとに行動、中隊長は
随時に縦列とともに行動した。縦列はイロハ順にオまであり、馬夫はイの何番という
番号腕章をつけて整理したが、のちには馬夫の逃亡が相つぎ指揮の兵隊たちを
悩ませた。
一車両にはシナ人馬夫一人、馬三頭引きとし、ほかに縦列ごとにシナ人監督二人、
蹄鉄工二人も付属するという大部隊であった。
303189:2006/04/20(木) 21:59:01 ID:CfZwrP21
熱河省はだいたい平地の少ないところであり、ほとんどが山岳地帯、もちろん
鉄道はなく道路もほとんど開発されていないというありさまだった。
このため輸送隊の苦心も言語に絶するものがあり、指揮官の心労はなみたいてい
ではなかった。

縦列の距離をなるべく短くしようとするが、馬車の数が多いためどうしても
ダラダラと長い行列になり、馬車と馬車の間がどうかすると三百メートルも開き、
一縦列の全長が四千メートルになることもあった。この長ったらしい縦列を
警戒する兵は先頭に五、六人、中央に五、六人、後尾に五・六人といったわずかな
もので、これで敵のゲリラから輸送品を守ろうというわけだから無謀に近い。

もし襲撃を受ければ馬車を一ヶ所に集め応戦することにしていたが、幸にも大きな
敵襲はないままに終わった。困ったのは馬夫の逃亡だ。宿営して一夜明けると
馬夫の数がぐっとへっている。仕方なく警戒兵が馬車を御しながら警戒を兼務する
という曲芸もやってのけた。
304189:2006/04/20(木) 21:59:18 ID:CfZwrP21
約一ヶ月の輸送期間中に馬夫が毎日のようにへってゆき、最後には一縦列八十台
あった馬車が三十台にやせ細ってしまい、縦列数をへして合併して使用するという
苦心を重ねた。

逃亡した馬夫たちは酷寒の地、しかも故郷から遠く離れた熱河の奥地で金も
食糧もなくただからだ一つで逃げ出し、はたして無事に帰ったかどうか。
戦争のカゲにはこうして軍の強制徴発に倒れた民衆の数も少なくなかった。

また「輜重輸卒が兵隊ならばチョウチョウ、トンボも鳥のうち」などという
失礼千万なざれ歌に耐え戦史の裏街道を黙々と歩き続けた兵たん線の将士の苦心を
われわれは忘れることはできない。太平洋戦争に敗れた大きな原因の一つに
この兵たん線の断絶があったことはすでに明らかなところである。報いられぬ
苦心は兵たん線を歩き続けた兵士たちの上において最もいちじるしい。
「奮戦史その後」にあえて一項をさいたゆえんである。
305マンセー名無しさん:2006/04/25(火) 10:12:26 ID:MVVBQGXM
こんなのが出るみたい。

「南京事件 国民党極秘文書から読み解く」
東中野 修道 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/479421488X/qid=1145927279/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/250-5471109-8273055
台湾の国民党党史館で2003年に発掘した極秘文書『党中央宣伝部国際宣伝処工作』
をもとに、これを検証したのが本書です。数々の疑問点、矛盾点を衝き、これらの報道が、
中央宣伝部が総力をあげた対敵宣伝の、赫々たる戦果であったことを明らかにしていきます。

著者の東中野修道亜細亜大教授は、昨年、『南京事件「証拠写真」を検証する(草思社刊)
』を上梓。同書では、143点もの写真に証拠能力なしとの評価を下し、おおいに議論を呼びました。
その続編ともいえる本書は、〈南京大虐殺〉という概念じたいを突き崩す画期的研究成果といえ
るでしょう。

306189:2006/05/01(月) 22:05:24 ID:dyC3XDPp
>>280-288 で話を聞いたお爺さまの戦争体験談の続きです。

南京事件とは直接関係ない部分ですが、雑談・質問スレPart58で論争となっていた
部分を含みますので、ご参考ということで。

<杭州湾上陸作戦について(>>172参照)>
 ・先発隊は明け方に上陸作戦を開始したが、お爺さまがいた部隊は午後2〜3時頃
  作戦開始となった。

 ・上陸作戦で海に降りるときに、浅瀬に降りれた者はよかったが、深いところに
  降りてしまった人は大変だった(笑)。浅瀬になるか、深いところになるかは
  実際に降りてみないと分からない博打状態だった。

 ・杭州湾上陸作戦で上げられた「日軍百万杭州湾上陸」の大アドバルーンは、
  潜望鏡のような役割を果たしていた。

 ・お爺さまのいた部隊の杭州湾上陸後の進軍経路は、「土と兵隊」で知られる
  部隊とほぼ同じだった。
307189:2006/05/01(月) 22:06:00 ID:dyC3XDPp
<機関銃及び私の祖父のいた機関銃中隊についてのお爺さまのコメント>
 参考画像
 http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/c9/26556039dc7789b94f1876e989f2b559.jpg

 ・軽機関銃は持ち運びが出来て、伏せて撃つと曝露面が小さくなって敵の攻撃を
  受けにくく、非常に優れた兵器であった。ただし弾詰まりを起こしていきなり
  使用できなくなるというリスクがあった。

 ・重機関銃は強力な火器であったが、射手は車のハンドルを握るような格好で
  銃撃するため曝露面が大きく、反撃を喰らいやすかった。重機関銃の射手は
  敵側から真っ先に狙われ、実際に死傷する者も多かった。
  (この話を聞いて、うちの爺さんが生きて帰れてよかったと思いますた)

 ・機関銃中隊は他の中隊の支援を行う立場であった。南京一番乗りを果たした
  第3中隊のように、戦果(功績)は歩兵中隊に行くことが多く、機関銃中隊は
  そのような功績が認められない、陽の当たらない立場であった。
308189:2006/05/01(月) 22:06:54 ID:dyC3XDPp
<写真屋さんの御尊父に関するお話>
 ・父は従軍カメラ軍ではなく普通の兵士であったが、なぜかカメラ等の
  撮影機材を持って軍公認の立場で撮影をしていた。そして戦後、写真を
  持って引き上げてきた。

 ・父は兵士の仕事がメインであったので、撮影した写真に戦闘中の
  血なまぐさい光景のものはなく、保定城入城式(>>168参照)のような
  晴れやかなシーンを撮影したものが多かったようだ。

 ・貴重なカメラを持っていたため、渡河作戦等では連隊長の近くのような
  恵まれた場所にいることがあった。そのことを妬まれて宿舎に戻ったときに
  リンチを受けることもあったらしい。

 ・これらの写真の展示会をしているときに、写っている兵士のご子息の方が
  お見えになることもよくあった。中には南京城に5番目に登られた方の
  ご子息もいらっしゃったことがある。

 ・写真は現在は地元の歴史資料館に依託している。
309189:2006/05/01(月) 22:11:45 ID:dyC3XDPp
<軍票や食事について>
 Q. 支那事変の頃、軍票を使ったことはありますか?
 A. ない。連隊本部の主計辺りは持っていたかもしれないが、私のような
   前線の兵士は、軍票を見たり使ったりしたことはなかった。

 Q. 当時の食事や食料確保のことについて、教えてください。
 A. (軍から支給される食料事情については、基本的に>>214の内容通りの
   説明を頂きました。それに加えて次のコメントとなります)

  ・食料を持つと重たいので、まずは米から食べて荷物を軽くしていた。

  ・揚子江流域は米の産地であり、南京付近では米の確保にはあまり苦労して
   いなかった記憶がある。

  ・食事は分隊単位で行っていたが、分隊によって食事に情熱を傾けるところと
   そうでないところとの差があった。お爺さまの分隊は後者の方で、歩くのに
   疲れて、食べ物獲得に力を入れるのは面倒くさい方であった。
   食べ物は別の分隊から分けてもらうこともあった。

  ・食事を作っているシナ兵と戦って、戦闘後、シナ兵の食事を頂くことが
   多かった。
   (前述の熊本兵団戦史・支那事変編を見ると、八二高地・雨花台の激戦地で
   シナ兵の残した豚汁に舌鼓を打った話がありました。郷土部隊奮戦記では
   逆の例で、突然戦闘が始まってしまったため、泣く泣く完成直前の食事を
   残して進軍しなければならなかった話や、熱々の飯盒を抱えて慌てて移動
   するといったエピソードがありました)

  ・鶏をとっつかまえて、羽をむしりながら宿営地に戻る光景はよく見かけた。
   その人が通った後は、羽が転々と続いていた。

  Q. 私:祖父から沼や池に手榴弾を投げ込んで魚を捕っていた話を聞きました。
  A. お爺さま: それはよくやっていた。
310189:2006/05/01(月) 22:15:14 ID:dyC3XDPp
<外地・沖縄出身の兵士について>
 Q. 私の祖父の戦友に沖縄出身の荷川取さんという方といました。
   この方はご存じですか? また沖縄出身兵について話を聞かせてください。

 A. 荷川取さんのことについては知らない。
   全般的な話として、沖縄出身兵は、九州出身の兵より練度が落ちる
   (兵士としての質に劣る)という感覚があった。

 Q. 外地(朝鮮・台湾出身)の兵はいましたか?

 A. 支那事変の頃はいなかった。
   南方戦線では、台湾出身の兵がいた。


<南京城攻略戦についての補足のお話(お爺さま)>
 ・決死隊が城壁を登るときの援護は、重機関銃よりも速射砲の援護の方が
  大きかった。

 ・南京を攻め落とす日時については、昭和12年12月12日の12時というのに
  こだわりがあった。
311189:2006/05/01(月) 22:17:43 ID:dyC3XDPp
<最後に:祖父のアルバムの謎の写真について>
 うちの爺さんのアルバムに↓の祭りのような写真がありました。
 http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/50/eb85d963f4d8844ac216e0a35432518f.jpg

 何の写真なのか分からなかったのですが、これはどうやら年に一度一般市民にも
 営内を開放して、仮装行列や余興などを行っていた「軍旗祭」というお祭りの
 一部のようです。

 大分聯隊写真集(P28-30)
 http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/28/11f1762389e64e9981a2f9f076a86295.jpg
 http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/52/808f6f98b549d75474b683353d2ab569.jpg
 http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/61/f42d02fddd49b320e081e4520abc9977.jpg

 戦時中でもこんなコスプレ祭りをやっていたのかと思うと、違った意味で
 驚きでした。

とりあえず、こんなところです。
312鵜来 ◆URgaC/KtX6 :2006/05/02(火) 19:52:21 ID:bIkBTFkn
また貴重な当事者の証言、ありがとうございます
食事関連の話しや爆弾漁法など、本当の記録は為になります
あまり大きい声で言えませんが、米軍相手だと飯盒炊飯の煙は良い標的になった様で
砲撃や空襲喰らった話しが有ります
313中道秋也 ◆rBmfiUE12. :2006/05/02(火) 20:05:17 ID:NYt7FIM4
314マンセー名無しさん:2006/05/02(火) 20:51:54 ID:ukv5oFnN
石井部隊の人体実験はあったのに南京虐殺がないとは言わせないよ。

現地人の肉を食ったことも明らかになっている。
315新那智神社神主 ◆NYASFBo6FQ :2006/05/02(火) 20:52:27 ID:3ZswZ4Ks
む、エサか?
316マンセー名無しさん:2006/05/02(火) 20:54:26 ID:+lGlHe+q
>>315
NO

キャデハゲのようです
317マンセー名無しさん:2006/05/02(火) 20:56:20 ID:ukv5oFnN
重慶の爆撃はほとんど民間人が犠牲になった。

日本軍は当時の国際協定をやぶっとる。
318新那智神社神主 ◆NYASFBo6FQ :2006/05/02(火) 20:57:07 ID:3ZswZ4Ks
>>316
ははっ、それでは撤収します。
319陸奥 ◆Mutsu.Oznc :2006/05/02(火) 20:59:27 ID:ACyI7lrq
>>317
文句は民家のすぐ近くに軍需工場建てた支那政府に言え。
320マンセー名無しさん:2006/05/02(火) 21:02:37 ID:UKCP33Io
>>314
ソースキボン
321マンセー名無しさん:2006/05/02(火) 21:03:28 ID:eNvJbtu1
南京事件はあったかも知れませんが
南京大虐殺は無かったと思います
322ズバリ言うわよ! >巨大軍需利権としての英霊商売:2006/05/02(火) 21:05:44 ID:/fETUd93
2006年の今こそ如何に困難で厄介であろうと靖国英霊という侵略強盗殺人の犯罪兵士とその共犯兵士を裁く新たな東京裁判を戦後世代の手で開始しなければいけない。
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/mondai/rape.html
現在、続発する残虐犯罪は靖国英霊という侵略強盗殺人犯の「戦後社会による放置」が原因である。
家族のために天皇のために国のためになどとほざいて、海を渡り侵略強盗・強姦殺人を繰り広げた靖国英霊という犯罪兵士が許されるのなら、道徳などどこにも存在しないに等しい。侵略殺人英霊兵士の罪が放置された「平成」社会にはどんな法律もモラルも機能するはずがない。
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/mondai/gyakusatu.html
靖国A級戦犯だけを分祀すれば済む問題では断じてない。
http://esashib.hp.infoseek.co.jp/fukasaku05.htm
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-10-31/03_01.html
小沢一郎と中国・胡錦濤(コ・キントウ)はあたかも侵略殺人強盗の責任がA級戦犯だけにあるような暴言を振り撒いている。侵略殺人の実行犯人である靖国英霊という個別の兵士が免罪されると本当に思っているのか。靖国英霊という個別の侵略強盗兵士に殺されたアジア各地の
被害者を無視して、何の未来だ! 何が歴史だ! この恥知らずめ。
http://home.kanto-gakuin.ac.jp/~hirofumi/gallery.mal02.htm
親分=A級ゴロツキ戦犯だけが罪を問われ、侵略強盗殺人強姦の実行犯である子分=皇軍兵士が許されるなどという社会がどこにある。数千万のアジアの人たちの人生を破壊した靖国英霊という侵略強盗殺人の犯罪兵士とその共犯兵士が許される筈がない。
http://yeoseong.korea-htr.com/jyoseihoutei/nisino.htm
国のために平気で人を殺すような軍人を大量に飼育している韓国、北朝鮮というチンピラ軍事国家も分かっているのか!
http://kyoto-getto.hp.infoseek.co.jp/okinawa/war/war2/war2f.html
323中道秋也 ◆rBmfiUE12. :2006/05/02(火) 21:13:50 ID:NYt7FIM4
>>313の動画を見る限り、南京大虐殺はなかったと誰もが思うだろう。

日本は、欧米列強の傲慢を打ち倒し、戦乱の世を終わらせようとしただけ。
324中道秋也 ◆rBmfiUE12. :2006/05/02(火) 21:18:15 ID:NYt7FIM4

1944年、本土防衛線といわれたサイパン島が玉砕。
思えば、それが日本の敗北を決定付けた。

破れた防衛線を超え、アメリカは日本本土に攻め込んできたのである。

沖縄では20万人、東京大空襲では10万もの罪なき日本の一般民衆を無差別に殺したアメリカこそ
鬼畜であったと後世の人々は語るだろう。

一方、毛沢東率いる中国共産党は文化大革命の名のもとに、千万を超える自国民を虐殺した。

中国・アメリカが歴史を歪曲し、盛んに旧日本軍の残酷さを喧伝するのは、自国の残虐非道を
隠蔽するために他ならない。

元来、日本民族ほど人が良く、平和主義者はいないのである。

「東京大空襲」
http://www.ne.jp/asahi/k/m/kusyu/kuusyu.html
上記サイトを見ても、懊悩し死んでいった人々の苦しみを、少しは感じられるでしょう。
325マンセー名無しさん:2006/05/02(火) 21:19:27 ID:ukv5oFnN
欧米にやられたことをアジアに向けただけ。

欧米にやられて損した分はアジアでとりかえせ。

当時の日本の考え方。
326李鐵枴 ◆lbzZYfbVSA :2006/05/02(火) 21:24:39 ID:6nd/q+cF
>>325
日本人にはそんな発想はありません。
朝鮮人ではあるまいし。
327honest John:2006/05/02(火) 21:24:42 ID:NjjwIwHi
Korean You! lier!
http://www.sell.com/2221PV
328マンセー名無しさん:2006/05/02(火) 21:26:11 ID:9fHOBLj8
>>325
妄想乙
329朋萌 ◆sFTomoRYi. :2006/05/02(火) 21:30:29 ID:J8ETUUHT
 キャデと戯れる臭いスレだな。
 真面目な議論など不能だろ。
330中道秋也 ◆rBmfiUE12. :2006/05/02(火) 21:49:09 ID:NYt7FIM4

日本には古来から、「昨日の敵は今日の友」「罪を憎んで人を憎まず」
「恨みつらみは水に流す」と言った気風がある。

素晴らしい民族性である。

恨みを忘れぬことが良いことだとする中韓の人々は、学ぶべきである。
331マンセー名無しさん:2006/05/02(火) 22:37:25 ID:M6Sjm1hD
この場合の虐殺は、軍事的脅威でない敵国民に対する一方的な殺戮の事だと思われるので
当時の南京市民は敵国に占領されても、同胞が何人殺されようとも、全く抵抗活動をしなかったのですね。大変素晴らしい事です。

日本は「一億総玉砕」やら「一人一殺」とかを政府が掲げて、老若男女に軍事教練したものだから
国力低下が主目的の都市爆撃を何度くらっても
帰りの随伴機が、余った機銃弾で遊び半分に、田植え中のじーちゃんばーちゃん
登校途中の小学生を機銃掃射してキルマークを競ったりしても
「潜在的脅威の排除」だとか言われてしまえばそれまでで、例え何人死のうが虐殺認定させてくれないのですよ。

総力戦をしなかった中国の人は、全く羨ましい限りですね。
332娜々志娑无 ◆1ONcNEDmUA :2006/05/02(火) 23:25:12 ID:Fry60v+Z
>>329
 はて? 朋萌 ◆sFTomoRYi.ニムとも思えぬご発言。
スレにきちんと目を通されておりますかな。
333朋萌 ◆sFTomoRYi. :2006/05/03(水) 02:36:51 ID:KKQlpLR6
>>332
 ここ数レスだけの例外って事で。(w
334マンセー名無しさん:2006/05/14(日) 04:55:45 ID:tHvfZ9Na
日本刀で百人斬りは出来るんじゃないか?動脈斬れば良いだけだから。あと、肯定サイトの方が資料や検証も有って納得出来る…
335刺青 ◆1mDQNBpTa2 :2006/05/14(日) 05:37:58 ID:TF59XoCb BE:239286645-#
>>334
(´-`).。oO(無理)
(´-`).。oO(不可能)
(´-`).。oO(それに動脈斬り?)
(´-`).。oO(凄い手練れだねw)


<>
336鵜来 ◆URgaC/KtX6 :2006/05/14(日) 08:01:02 ID:N7LksFin
>>334
そんな手間かけなくても、大ハンマーで頭殴ればイチコロ
ポルポトも刃物使わないで、撲殺しています

南京大虐殺を肯定する人も居ますが、根本的な証明はなされていません
機関銃一つとっても、大虐殺に向いた銃を日本軍は装備していませんし弾も無い
国民党軍からも鹵獲していません

そして、バーサーカーみたいなのが押し寄せてきても、逃げもしない支那人
ここが一番不思議だw
337刺青 ◆1mDQNBpTa2 :2006/05/14(日) 08:56:04 ID:TF59XoCb BE:478572858-#
(´-`).。oO(当時大陸に居た方々に聞いても)
(´-`).。oO(「南京で虐殺?聞いたことも無いよ」と言ってますし)
(´-`).。oO(私が見せてもらった写真などは)
(´-`).。oO(日本からの慰問袋を持って学校を訪れ)
(´-`).。oO(子供達に配って、楽しげに記念撮影してましたしね)


<>
338マンセー名無しさん:2006/05/14(日) 15:23:01 ID:beFotNAv
「百人斬りができる条件」を模索しても何の意味もないのに…
339マンセー名無しさん:2006/05/14(日) 23:35:19 ID:v3JSoOul
>>336
>そして、バーサーカーみたいなのが押し寄せてきても、逃げもしない支那人
>ここが一番不思議だw

いや、逃げたんですよ。当時の南京市民は。
もともと支那事変前は南京市は100万都市だったんだが、
支那には「屠城」って住民を城壁内に閉じ込めて虐殺する伝統があるうえに、
当時の南京放送が「日本軍が虐殺しまくリング」ってプロパ放送してたんで。
(アジア歴史資料センターで「南京放送」で検索してみそ)
340マンセー名無しさん:2006/05/14(日) 23:36:58 ID:zmFLkNJ3
南京事件の写真関係で捏造を暴いた有名な本があったじゃん。
あれ読んでると、大虐殺のあった南京市でどういうわけか
のどかに子供と一般住民とが日本人兵士と戯れてたり
物の売買があったりとそういう交流があって不思議だったなぁ(w
341マンセー名無しさん:2006/05/14(日) 23:45:35 ID:v3JSoOul
んで、現在の中共の主張は、

「南京陥落当時は、近辺の農民も避難して50万人がいますた
日本軍に虐殺されて20万人になりますた」

だけど、「屠城」の伝統がある支那で、わざわざ城内に避難するかっての。
342鵜来 ◆URgaC/KtX6 :2006/05/15(月) 05:55:54 ID:g5mwFWoa
>>339
日本軍は、支那伝統の屠城って戦術使ったの?
と言うか、日本軍が目標にする南京めがけて逃げる発想が解らん
例えば他方面に逃げる支那人が、全て日本軍に捕殺されていたから
仕方なく南京に逃げ込んだのかなぁ

日本軍の兵力で数倍の国民党軍と戦い、更に多数の支那人を狩り立てる?
南京戦の日本軍は余程機械化されていて、道路網も整備されていたんだなぁ

おまけに屠城が支那の伝統芸なら、支那人は普通城内に逃げ込まないだろう
なにしろ伝統芸なんだから、逃げ込んだ結果は緋見るよりも明らかなんだし

日本軍に殺される為に、支那人は南京に集まった
こんな不自然な主張をしないと、話しの辻褄が合わなくなって来てるのですか
中共も大変ですなw
343マンセー名無しさん:2006/05/15(月) 11:34:46 ID:/50UAZ2L
占領してしまえば一応、準帝國臣民扱いになるので、無下に扱う事が出来ないはずなんだが
それに、戦後処理でも苦労するのが目に見えているからな

例え虐殺があったとしても、果たしてどんなメリットが陸軍にあったのか?
俺は未だに分からんな、デメリットしか思い付かないぞ。

未来永劫に、そしてエントロピーが零になるその時まで、語り継ぐ為に
どんな下らない理由で大人しく屠殺されまくっちゃったのかを
教えて、虐殺肯定のエロイ人。
344マンセー名無しさん:2006/05/15(月) 16:33:57 ID:Lw4BW3K9
>342 話がかみ合ってなくね?
345鵜来 ◆URgaC/KtX6 :2006/05/15(月) 18:11:10 ID:oZDWYAU6
>>344
確かにw
346鵜来 ◆URgaC/KtX6 :2006/05/15(月) 19:59:51 ID:JZG9j+MC
きぃ取り直して
私の中共が言う「南京大虐殺」に対する姿勢
刑事事件風に言えば
動機が無い
物証が無い
傍証も無い
被害者と自称する人の証言は信憑性に欠ける
被害を見たと言う人にも整合性に欠ける証言が目立つ

コレで公判維持出来ると思うのは、司法の独立が無い普通選挙も行われていない後進国と
その信者だと思っています
347マンセー名無しさん:2006/05/16(火) 21:28:15 ID:nym5MTW1
>>334
 動脈切ると、噴水のように地が噴出しますが、、ああ斬った後時間を置いて出るのね、どちらにしろ錆びるよ。
348マンセー名無しさん:2006/05/16(火) 22:38:57 ID:HBtZjyHy
>347 あらかじめ血抜きをしておけばよい。
349鵜来 ◆URgaC/KtX6 :2006/05/17(水) 12:39:37 ID:KiOof2SI
>>348
静脈切るのかい?二度手間は、作業効率を下げる元だぞ
350マンセー名無しさん:2006/05/17(水) 15:50:34 ID:w6vX9G8f
>349
血抜きはどんな場合でも基本です。それを二度手間と言ってるようでは、
美味しく仕上げることはできませんよ。

忙しいからそんなことはできないということなら、絶対に錆びないステンレスか
セラミックスの刀を使ったならどうでしょう?
351鵜来 ◆URgaC/KtX6 :2006/05/17(水) 17:26:11 ID:KiOof2SI
>>350
ひょっとして、南京大虐殺ではなくて、南京大屠殺の話をされているのでしょうかw

真面目に考察すると、錆びないステンレスは、切れ味が落ちますし、高価ですから
将校が、自弁品(軍服も)である軍刀にステンレス製携帯していたとは考えづらいし
ステンレスによる刃物も存在したかどうか、怪しいです

セラミックは、碍子程度の物しか存在しませんし、折れます

血抜きは、日本軍から死体の払い下げを受けた支那人食肉業者が行ったと考えるのが自然です
日本軍は数をこなさなければならなかったのですから、刀使うよりも
頭蓋骨及び脳を破壊するハンマーやモーニングスター使った方が、効率よく殺害できます
百人斬りなどよりも、百人撲殺のほうがよほど現実的です

日本軍が通ったあと、支那人食肉業者によりずらりと逆さに吊り下げられて、血抜きされている支那人の写真が
その内発見されますw
352マンセー名無しさん:2006/05/17(水) 23:43:14 ID:gaEXtJF7
日本刀がそれほどの恐ろしいほどの耐久性が在るなら、こんな話は出ないな
豊臣秀次が切腹の際の事
介錯人がブルったか刀を肩に落としてしまい秀次に苦痛を与えるだけになった
だが秀次が焦らず落ち着いてやれと介錯人を励ました
今度は見事に介錯したとのこと

噂どおりなら肩に入ろうが豆腐の如くすっぱりと切れていなくてはならんだろう

また新撰組が度胸をつけるためだったか介錯等をやらせていたと言うが
ひとたび抜けば確実に人を切り裂くのだから必要性すらないだろう
353マンセー名無しさん:2006/05/18(木) 00:39:51 ID:L/Y0wUCy
>>348
 酢と塩で何でも片付くあのお笑い日報じゃないんだから。
354マンセー名無しさん:2006/05/20(土) 18:19:14 ID:waN/vVhK
【幻】原爆投下は捏造だった!3発目【水増】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1137811876/
【日本史上】広島核爆捏造【最大汚点】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1129287300/
355マンセー名無しさん:2006/05/20(土) 18:31:10 ID:7rX7HrBe
>>1

 「シナ人による」という前書き忘れているヨ!

 正しくは

  「シナ人によるシナ人のための南京大虐殺」
356マンセー名無しさん:2006/05/20(土) 18:38:06 ID:sd8xwv50
>>355
ついでにチベット人をほとんど殺害したことも追記。
357マンセー名無しさん:2006/05/20(土) 18:40:46 ID:sd8xwv50
ねえ、20万人を殺すとなると(あとで30万人と中国は言ってるけど)、どれくらいの火気が必要になる?
ちなみに町の人口は急激に20万人増えている説明はどうなの?
358マンセー名無しさん:2006/05/20(土) 18:49:11 ID:sd8xwv50
>>209
外国の剣道と日本刀の紹介で真剣で食肉用の豚を切るっていうのがあったけど、
確かにスパっときったけど、皮膚、筋肉、アバラ骨程度で限度みたいだった。
人間の大人ならせいぜい3,4人で曲がると思う。
359焼き鳥屋 ◆4xcIIIIIII :2006/05/20(土) 18:56:27 ID:m2ohy3Hc
>>358
日本刀の正しい使い方は突きですからね払いじりをはじめたら負けますよ
360水かけ家 ◆33EyZUcQ2A :2006/05/20(土) 19:02:24 ID:58pUUt4y
>>357

大雑把だけど、

銃オンリー(手榴弾等はなし)、弾1発/人、正味20日で実施
死体処理はシナーにさせる(死体処理の時間を無視する)
30秒/発(弾そう交換を含む)、銃の整備は夜間に実施、
8時間/日のペースで実施

以上の条件だと、一丁あたり960人/日
20万人だと11丁ですみます。

死体処理を無視すれば、可能は可能
弾がそんだけあったかどうかは別として
361娜々志娑无 ◆1ONcNEDmUA :2006/05/20(土) 19:07:47 ID:TEIwq50o
>>360
 死体処理にしたって、四つ足のものはテーブルと椅子以外は
何でもOKというあの中国人に任せておけば何とかなる鴨ニダね。
362水かけ家 ◆33EyZUcQ2A :2006/05/20(土) 19:12:51 ID:58pUUt4y
>>361

その手がありましたかw

以前考えたときは、
二人一組で穴を掘らせて、一人をぶち込んでもう一人が埋める
これを繰り返すと等比級数的に減っていくから、
埋める場所さえあれば、数日で終わるなあと思っていましたが。

363マンセー名無しさん:2006/05/20(土) 21:09:44 ID:sd8xwv50
>>360
弾なんかそう都合よく当たるわけないよね。
友達の自衛隊員がマシンガンで弾幕張っても、命中なんて稀といっていた。
あれで死ぬ人はよっぽど神から見放されているともいってた。
大虐殺なんて絶対不可能。
普通の戦闘が民間人には虐殺に見えただけだろう。
というか死体が出てこないのが不思議。




364水かけ家 ◆33EyZUcQ2A :2006/05/20(土) 21:11:09 ID:58pUUt4y
>>363

確実に南京の虐殺だという写真もないそうですし。
365マンセー名無しさん:2006/05/20(土) 21:12:30 ID:NKx1Fxvi
>>363
まあ、特亜の言う日本軍を全部肯定しちゃうと伝説が出来るぐらいの強さだし
366マンセー名無しさん:2006/05/20(土) 21:15:28 ID:EjJs2nIS
>>365
コロニー落しくらいやらないと不可能なこととかあるしな。
367マンセー名無しさん:2006/05/20(土) 21:21:48 ID:sd8xwv50
聞いた話だけど銃剣と手榴弾で攻撃する中国兵5,6人を
一人の剣道4段の兵士が日本刀(といっても大量生産の軍刀だろうけど)
だけで倒したって聞いたことある。
そういうのが日本刀=恐怖となって話が肥大したような気がする。
368マンセー名無しさん:2006/05/20(土) 21:25:08 ID:sd8xwv50
>>366
実は日本軍にはガンダムGP02があったってことでよろしいですか?
369朝鮮総連と韓国民団の和合和解討論会:2006/05/20(土) 21:25:19 ID:hOzAqHLB
 2006年6月24日  在日新党 
真実は報道されていない、本当の事を言っていない在日ジャーナリスト日本の中の38度上に立って闘って憎まれて来た
川西杏〈チョンソヘン〉の声こそ総連と民団の和合の声だ!!
参政権運動30回立候補者、在日2世 川西杏66才が答えます。(日時)2006年6月24日(土)午後6時30分から9時迄 
但し、9時から討論会と食事会があります。各自お弁当と飲み物お菓子などを持ってきてください。
(場所) 杏ホール(2F)03(3300)6150   
  京王線千歳烏山駅西口改札        左に出て階段上がり目の前(料金)500円  (講演者) 川西杏(65歳)在日2世 
日朝韓親善在日新党党首1.朝鮮総連は金正日総書記に許可得た目的実現?2.韓国民団が朝鮮総連に乗っ取れた?はウソ3.日本人拉致事件問題の逃げ道になる。
朝鮮総連と韓国民団とのお互いの民族愛から発生の一つ・・・・・。どっちの団体が有利?杏ホール社会問題研究会 03(3307)0562       
杏ホール 03(3300)6150約束<このイベントは毎月、今後とも続けます。>いろいろな企画をもってやっていきます、
皆様のご要望のテーマ承ります。チョンソへン公式ページ http://www11.ocn.ne.jp/~c-sohen/MyPage/menu0.html
川西杏のイムジン河の歌、下記で電話でも聞ける。
川西杏ライブ情報&ホームページ  公式@(在日朝韓人2世65歳参政権運動とシンガーソングライター)
http://homepage3.nifty.com/kawanisi-kyo
フオークルのニセイムジン河を放送して、本物のイムジン河を歌う
チョンソヘンを出演させないNHK は人種差別だ 。
歌とライブ情報(24時間放送)03−3305−0123
370めそ@心の同盟国 ◆.6Ed2kmAUE :2006/05/20(土) 21:25:36 ID:6o3mGULl
>>368
南京はデストロイ様によって破壊されたんだとさw
371呂-50 ◆B5FTrr3p86 :2006/05/20(土) 21:26:34 ID:ssWCwo7r
>>367
家に伝わる日本刀を軍刀仕立てにして持っていった例も結構あるらしいから
一概に大量生産品とは言えない気もする。

ウリの(母方の)爺ちゃんの兄弟も
そうやって持っていったらしいし。
372マンセー名無しさん:2006/05/20(土) 21:28:02 ID:sd8xwv50
>>370
あるいは、ジャブローに落とすはずのコロニーが軌道がずれて南京に落ちた。
となるとレビルに賠償するべきだ。
373マンセー名無しさん:2006/05/20(土) 21:32:35 ID:KKpVQMh+
>>371
はい 俳優の池辺良と言う人も著書でそのように書いてますね
だから上官に軍刀としては少し短いとか言われたようで
襟章? それも自前で用意したそうでつ もっとも学徒出陣で見習い士官スタートだからでしょうけど
374鵜来 ◆URgaC/KtX6 :2006/05/21(日) 06:28:18 ID:KfME5li9
>>367
「武勇伝」の類いだと思います
昭和軍刀では、人はマトモに斬れません
おまけに、着剣した小銃持った5人に突き立てられたら
人斬りの手練でも負けます 西南戦争の薩摩西郷党もこのてで撃退されました
実際には、戦意の無い支那兵が逃げ散ったと言う所でしょう

日本刀は、世界的に見るとそれほど優れた刀剣(実用品として)では、無い様です
曲がる、折れる、柄と刀身の固定に問題が有る、人を斬ったら研がないと、刀身が腐食する等
100人斬るつもりなら、予備の刀(古刀)専属研ぎ師、拵え師がついてきてくれないと不可能ですなぁ
100人撲殺可能な大ハンマーなら、そこいらのホームセンターでも売っていますけど
お手軽手入れで、100人斬りなんて日本刀はこの世に存在しません
http://www.coldsteel.com/japaneseswords.html
現代だとこんなのも売っていますけど、製法が日本刀ではないw


375189:2006/05/21(日) 11:11:50 ID:qpOwl7UX
>>367
多分ウリが貼り付けた>>175のこといっておられるのかな。
そこの部分をテキスト化したので、これから貼り付けまつ。

〜 郷土部隊奮戦史 (昭和37年10月15日発行、平松鷹史 著) P336-338より抜粋 〜

舟艇上にいてはいたずらに日本軍の餌食になるとみたシナ兵は雨注する日本軍の弾丸を
ついて遮二無二陣防橋の部落に上陸を企て、舟艇もろとも堤防に突進してきた。

堤防上で部下とともに待ち構えていたのが剛勇関頼平准尉だ。腰をひねると
スラリと腰の軍刀を引き抜いた。関は当時、中隊の中の最年長(三十七歳)ながら
剣道四段(現在五段)、兵隊に剣道指南をやっていた腕っ節の強い男だ。
抜いた軍刀は無銘ながらすでに何人かの生き血を吸っていた。武骨な作りだが、
無類の切れ味を誇る業ものだ。握り太の軍刀のツカをガッチリとにぎった。

舟艇の中の敵が必死に堤防にかけ上がってきた。降るような星だ。関が両足を
ふん張った。手練の太刀風一せん(閃)最初のシナ兵がケサがけに血煙りを上げた。
もうそれからは無茶苦茶な乱戦だ。関は腕にまかせて切って切って切りまくる。

堤防上で構えていては片っ端からズバリ、ズバリと切る。全部ケサがけ。
手練の太刀先は狂うことを知らない。手りゅう弾がくる、敵の銃剣がくる。
ノドがひりつく。恐怖が一瞬心臓をつきあげる。だが関の腕だけは正確に敵を
ケサがけにしつづける。
切る−
切る−
切る−
星空も血煙に曇る。

水車のようにふり回す腕がつかれて抜けそうだが、ここで力を抜いてはこんどは
関が切られるか、突かれる番だ。敵も味方も入り乱れて火をふくような猛闘だ。
夜が白々と明げた。敵は去った。
376189:2006/05/21(日) 11:12:35 ID:qpOwl7UX
夜が明け放れてみてその惨烈きわまる光景に日本兵たちはあらためて目を見張った。
この世の地獄であった。あたり一面折り重なった日シ両軍の兵士の死体で土が
見えなかったというのもこの場合、決して誇張ではなかった。関准尉の軍刀は
この日の激戦で折れたり、刃こぼれして十六センチ近くも短かくなっていた。

この剛勇准尉関頼平ものちに左膊部に負傷、上海に引きあげたが、終戦後、別府市に
帰り、食堂やバー、食料品店などを手がけ、現在は喫茶店を経営している。血刀を
にぎった手に絵筆をにぎりチャーチル会員として夫婦ともども油絵に親しんでいる。

「戦争は悲惨です。好むと好まざるとにかかわらず自分が殺されるか、相手を殺すか
二つに一つを選ばねばならないのです。私も人を切った。しかし、切らねば私が
殺されたからです」絵具とコーヒーの香りの中で暮らす現在の関頼平さんは六十一歳、
二十数年前の陣防橋の武勇伝もいまのこの人にとっては心の痛む話題なのだ。

関さんはこうことばを継ぐ。「私は階級制度というものをのろっている。私の人生の
うち二十数年という長い間を私は軍隊というがんじがらめの階級組織の中で暮らして
きた。それだけにいまの私は自由というもののありがたさを 満喫している。
永い戦争の間に善良な人々も数多く殺されたに違いない。それが戦争の宿命です」

シナ事変、太平洋戦争の長い期間を通じ大小無数の戦闘が行なわれたが、この
陣防橋の大殲滅戦と前述余山鎮の激戦ほど一小区域内における大量殺りく(戮)の
戦闘はなかったといわれる。

「敵の遺棄死体何千」という威勢のいい戦況のかげで肉親を失い悲嘆に暮れた人々の
いかに多かったことか。とくにシナの場合、日本軍の軍靴に祖国をふみにじられ、
戦局日に日に非なる時、肉親を奪われ路頭に迷った人たちも少なくなかった。
悲惨目をおおう戦闘の中で将も兵も鉄の規律にしばられ、非情な「戦いの道具」
として生命を的の追撃戦に明け暮れるのであった。
377Jolly Rogers ◆I0h8/JeUjY :2006/05/21(日) 14:30:19 ID:GGqv8aqM
>374
 歴史上で分かっている、もっとも奮戦した日本刀使いってーと、足利幕府第13代将軍の義輝かな?
 最後に自分が所蔵していた名刀を畳にぶっさしておいて、攻め込んできた松永久秀らの手勢を相手に
戦って果てたという。

 切れなくなったら側からぶっさしてあるのを抜いては切り結んだ、と。
 つまり、そうでもしなきゃ闘えないんですな。

 どうやったって100人は切れませんね(w
378マンセー名無しさん:2006/05/21(日) 14:51:12 ID:9mJg9E0p
>>377
100人斬れるのなら山田浅右衛門の折り紙なんぞ要らんわけでwwww
379マンセー名無しさん:2006/05/21(日) 15:56:16 ID:RDBWvWDI
イルボンは高振動ブレードかビームサーベルを使ったに違いないニダ!!!!!!!!!
反論してみろニダ愚かなモングキ達!!!111wwwww
380五右衛門:2006/05/21(日) 18:34:54 ID:egFDGR8H
>>379
呼んだでござるか?
381鵜来 ◆URgaC/KtX6 :2006/05/21(日) 19:45:57 ID:KfME5li9
>>375
モグラ叩きみたいな状況ですね
一つ疑問なのは、剣道では刀を引く動作はしません
例えば面、引く動作はせずに、手を絞ります
つまり、剣道は人斬り技能ではないのです

何となく講談の荒木又右衛門みたいな感じがするのは懐疑主義過ぎるでしょうか?
382マンセー名無しさん:2006/05/21(日) 21:55:42 ID:pfFPMDd8
>375
それなんてラノベ?
383マンセー名無しさん:2006/05/23(火) 23:03:48 ID:o8UyIZP/
語り継ぐのはいいけどさあ、世界の大国が必死に作り上げたでっちあげだぞ?
過去の恥部をこのまま何事もなかったかのように歴史の影に葬り去りたいのは某大国さんのほうじゃないのかなぁ。
というかすでに、暗黙の了解のような流れがあるよね。
384マンセー名無しさん:2006/05/24(水) 22:01:15 ID:SONcDisd
>>382
「なんきん☆DIEぎゃくさつっ!」民明書房刊
385マンセー名無しさん:2006/05/25(木) 03:54:21 ID:1OBNtfYZ

 YouTubeに元陸軍パイロットの証言動画が、UPされました。

 http://www.youtube.com/watch?v=PLBLDqLU0TU

 南京大虐殺どころか、南京事件すらも中共の捏造であることがハッキリわかります。

 「日本軍の軍規は世界一厳しかった。強姦なんか出来るはずはない」

 「南京は全く破壊されていなかった。これほど綺麗な戦争があるのかと言うほど…」

 とのことです。

 古来から、日本人ほど高潔な民族はないのであります。
386マンセー名無しさん:2006/05/25(木) 10:42:50 ID:yrZa/chJ
http://ryou-nikki.b.to/tedium/15

こういう極端な右翼思想こそ日本から葬り去るべきものである
平和を愛する親韓の人間には許しがたい侮辱だ

http://ryou-nikki.b.to/tedium/11
http://ryou-nikki.b.to/tedium/12
http://ryou-nikki.b.to/tedium/13
387マンセー名無しさん
親韓の人間は平和なんか望んじゃいないだろw
お前らの言う右翼の方が遥かに平和主義者だという事にさっさと気付け