1 :
おさかなくわえた名無しさん:
ちょっと前のことなのに、今じゃ考えられないことをしてた・・・みたいなことありますよね。
都会だけど鍵を開けたまま寝てた、とか。
若い人には信じられない、古い人にもそうだったなぁ・・・と思わせるような事。
そういう事実を書いてください!
基本的に、特に皆さんがよくご存知の昭和に限定させていただきます。
マタ〜リと参りましょう。
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
。 。 | チャンネルも電話もラジオのダイヤルも |
\ / | 車のウィンドーも回すものだぞゴルァ!! |
___⊆⊇____ \____ ___________/
|:::::|| ̄過去ログ ̄|(ii)| ∧∧ )ノ
|:::::|| .
>>2 |(ll)| (,,゚Д゚)⊃=ムo ジーコ
|:::::||_ .
>>3__|::| ノ ⊃ 。_。§ ジーコ
. ‖‖  ̄ ̄ ̄ ̄ ‖‖ とと,_, )) /(=)ヽ
 ̄ ̄
【前スレ】
今じゃ考えられない昭和の生活◆22
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1325598284/
2 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/03/05(月) 15:50:48.27 ID:KTwNaCNj
3 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/03/05(月) 15:51:39.79 ID:KTwNaCNj
1乙。
子供の頃、うちには置き薬を宅配に来る人がいて毎度風船をもらった記憶がある。
うちの実家では今も置き薬を現役で使っているんだが、置き薬を知らない
うちの娘が実家に行ってた時、置き薬の配送の人が来ていて、玄関に座って
俺の母親と世間話しながら、薬を並べていく様子を見て、娘は
おばあちゃんが訪問販売の詐欺に遭ってる、助けなきゃ!って
飛び掛かるタイミングを見計らってたらしい。
毎朝会社で営業車のマットを取り替えてくれる女子社員に「いつもすまないねえ」と言ったら、
「いえ、全然!」と返された。
そうだよなあ
そんな昔のコントなんか知るわけないか Orz
手も震わせないとな
8 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/03/06(火) 14:40:57.62 ID:jKeCF7Lk
志村か?
志村とゲストのアイドルがやってた新婚夫婦のコントも好きだった。
>>8 なべおさみと安田伸のキントト映画ネタだよ。
11 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/03/06(火) 15:39:26.88 ID:X1OTZsYG
>>11 これ何がすごいって、当時のなべおさみはまだ鞄持ちで
クレージーキャッツファミリーの中では最下層の芸人なんだよな。
それが大先輩というか、神であるハナ肇の頭をボカボカ殴らせてる。
>>12 後に、銅像コントやらで後輩芸人が遠慮して殴ったり水かけたりしなかったら「遠慮しないの!!お仕事だから!!」
って態度とってたよね。
新春のスターかくし芸でウンナンが銅像のハナ肇を散々ボカスカやったあと、
カットの一声で撮影が終了し、二人して「ありがとうございました!!」と土下座したことがあったなw
>>13 いかりやの長さんも同じ芸風だね
それに比べると。。。
ダウンタウンやとんねるずだとマジキレしそうだからな
と言うかマジキレする。
>>15 www
>>16 雲泥の差だわ。特にとんねるずは単なるイジメじゃんな。
最近のTVって死亡や後遺症が残るような大事故とか史跡や自然に対する破壊行為とか多いけど
昭和期ってどうだったっけ?
ヤラセが多かったのは覚えてるんだけど。
昭和期のテレビは、アメリカあたりのパクリとヤラセと意欲的な試みが混在して
微妙にバランスがとれていたいい時代。
ヤラセがヤラセとバレないことが多かったんじゃないかな。ネットがなかったから
視聴者がわーっと暴いて祭りになる土壌がまだなかった。
せいぜいラジオの深夜放送とかで実はアレって・・・とか語られる程度。
>>18 ドリフのコントって、2階の屋根くらいの高さからタライに乗って落下させるとか
普通にやってたらしいよ。長さんが率先してやるから誰も文句言えなかったらしいけど。
あと全員集合の大道具の予算が半端無くて、日テレがドリフを半年間借りたとき(その間
TBSはクレージーの出発進行をやっていた)、日テレの社長がドリフの予算に音を上げて
TBSに返したとか。
>>20 ステージ上で、スタントマンが運転するパトカーをセットにダイブせたりとかな
綿密な計算の上でやったことらしいが、今ならステージ上って時点で許可されないだろう
23 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/03/07(水) 00:16:00.48 ID:5mJiMvM2
昔はお笑いも真剣にやっていたから面白かった。
今のお笑いは単にふざけているだけだから面白くない。
昔のテレビはコントにしてもギャグにしても
色々計算ずくだったんだろうね。
ドリフのドタバタに綿密なリハがあったのは有名だし、
ほかの芸人のコントも綿密に練られた台本に基づいてやってた。
その分、偶然の勢いやノリを掴む生の面白さは少なくなるとも言える。
コント55号のコントはやや生の勢いに近かったけど、
それでも練った台本ではあった。
台本に頼らずもっと生の勢いを活かそうとし始めたのは
ツービートとかあのあたりからなのかなぁ。
その後とんねるずあたりでいったん完成した感じ。
別にたいした事件じゃなくても、新聞に顔写真が載ってたのっていつまでだっけ
>>24 萩本欽一もリハーサルは徹底して台本を練り込んで、その上での
アドリブだから面白かった。一時は「欽ちゃん」系の番組を3本も
持っていたけど、放送作家に徹底的にダメ出しをしていた結果が
3本とも視聴率20%以上に繋がっていたんだよな。最近は欽ちゃんを
バカにしてる連中が多いけど、全盛期のたけしでさえあの数字は
出してないんだから、少しは先達を敬えと言いたい。
>>25 あと容疑者を呼び捨て。
コント55号のアドリブは萩本欽一が事前に考えておきながら、打ち合わせでも
二郎さんには伏せておいて舞台でいきなりぶつけるんで二郎さんが素で
困惑して固まったり、必死になってついていこうとしたりするのが
迫真感をかもし出して笑いになってたとか聞いたことがある。
>>24 > ドリフのドタバタに綿密なリハがあったのは有名だし、
全員集合で極々稀に台本通りに進行しないことがあったのだが、その時の盛り上がりようったら半端じゃなかった
単に「やーい失敗したー、カッコわりいwww」という冷やかしの類ではなく「弘法も筆の誤り」の喩で
昔はドリフに限らず、生放送でスターが失敗なんてそう見られるものじゃなかった
言い換えれば全ての出演者が並々ならぬ緊張で臨んでいた、それがかつての生放送
今は全っ然ダメ
「生放送だからどんなことが起こるかな?」という視聴者側の楽しみが、そのまま出演者に伝播されている
むしろ「生なんだからここでチョンボやって盛り上げようぜwww」と悪い意味でのヤラセがミエミエ
だからテレビ番組がつまらない
本番中に停電とかあったよね。>全員集合
>>28 火災もあったし、セットの壁が倒れて志村が落っこちるはずがセットごと倒れたこともあった。
>>28 クレージーキャッツの「大人のマンガ」も台本が緻密に練られていたんだけど、
ある回でシリアスな演技の途中で誰かが笑いを堪えられなくなり、それに端を発して
次々と笑いを堪えたために台詞が言えなくなって、最後まで「プ・・・」「・・・」の
連続だった回があったと植木等が回想してたな。しかもその回が一番評判が良かったと
青島幸夫がマジで怒ってた。
>>29 あったあった。「八時だよ!(ぷつっ・・・・)」と停電。復旧したのは8時40分過ぎだったな。
>>30 始末書の数が半端無かったといかりや長介が回想してたな。
今、台本が作り込まれてるお笑い番組ってスマスマくらいかな。
それはひょっとしてギャグで言っているのか?(AA略)
もう、作りこまれていてしかも笑えるお笑いなんて絶滅しと思ってたけど
前期にテレ東深夜でやってた「ウレロ」は見事にそれを実現していて驚いた
この間のNHKのひるブラで、中継に紛れ込んでしまったおっさんがスタッフに引っ張られ、
「なんやぁ!」
とブチ切れたのは、生放送ならではの緊迫感があった。
昔のテレビスタッフはタレントにひどく横柄だった。
コント55号、鶴瓶、甲斐バンド、さんま、とんねるずと後の大物が皆
テレビスタッフにいやな目に遭わされたと語ってる。
>>35 今のテレビスタッフは一般人に横柄みたいだな。
お笑いの若手なんてちょっと活きのいい素人みたいなものだからな
昭和の末、美空ひばりのコンサート前におけるリハーサルのエピソード
ある曲の部分で、美空ひばりが演歌にありがちなタメ(音楽記号でいうフェルマータ)を用いて歌ったのだが、
演奏者の一人がそんなのお構いなしと譜面通りの一定のリズムで演奏を続けた
ひばりはそれを聞き逃さず、演奏者をキッと睨みつけた
「生演奏のコンサートは譜面の通りに弾けばいいってもんじゃないの
あたしに合わせなさい」
という無言のメッセージだったそうだ
------
ドリフの人気コーナー、少年少女合唱隊の早口言葉
あれにも様々なゲストが登場したが、いわゆる大御所と呼ばれる方々のシーンを見ると面白い
「♪なまむぎ なまごめ なまたまご なまむぎ なまごめ なーなたーまごぉぉお」
という風にタメを作りがちになるのだが、これが若手演歌歌手だと全部歌い終わらない内に次の演奏が開始される
要するに、「演歌歌手の○○さん、ちょっとテンポが遅いですよwww」なる小学生向けの笑いを演出している
ところが三船敏郎クラスの超大物ともなると、最初から思いっきりタメが入り上の比ではないほど思いっきりズレまくる
このとき、三船氏が歌ってる最中はリズムを刻んでるだけで、完全に歌い終わってから次の演奏が開始される
これは明らかに三船氏に対する敬意の表れだと思ってる
何気なく見ていた全員集合に、生ならではの様々な緊張感とか阿吽の呼吸などが見てとれるから面白い
>>475 いや火木土の朝の読書会の余興みたいなもの。被ったら次回。
誤爆ッス
社会科の教科書が縦書きだった
野良犬がたくさんいた。
それでも道路が犬のフンだらけにならないのは、土の道路だし、空き地、山林など土の地表だらけだったから。
良くない野良犬は野犬と呼ばれ、犬コロシのおじさんにつかまっていた。
そういや昔のマンガには、少年が野良犬に噛まれるという描写がよく見られたな
犬だけじゃなかった。
猫以外の肉食雑食獣って、大抵運子食う。
>>43 幼稚園のときリアルで襲われてからしばらく犬恐怖症になった。
みんな自分の母親の陰に隠れたけど俺は共働きで一人通園(よその
お母さんに頼んで通園)だったので隠れるところがなくて餌食に
なってしまった。
ネコが草を食うようなもんかな。
>>47 運子は動物にとっては存外滋養が豊富なもんなんじゃよ。
草食獣の一部には、離乳食代わりにおっかさんの運子を食するものもいるというぞ。
やはりKの国は獣人の国だったのか
火星のことかな?
734 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2012/03/11(日) 20:02:51.16 ID:9KcbU8kg [3/3]
そういやどの家の玄関先にも毎朝牛乳があったな。
よく盗まれなかったもんだ。
735 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2012/03/11(日) 20:03:54.00 ID:VwtMWThV [1/2]
>>734 ウチは向かいの家に毎日盗まれてたよ
736 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2012/03/11(日) 20:08:22.87 ID:toRnASdG
>>734 ウチの向かいの家は毎日盗まれてたよ
54 :
忍法帖【Lv=19,xxxPT】 :2012/03/12(月) 18:26:22.25 ID:O6qkPRha
電波時計やクオーツ時計が安くなる前、
ビデオや炊飯器用のタイムスイッチは、電源周波数に依存するものが多く、
切り替えスイッチがついたりしていた。
炊飯器は、タイマーを内蔵していなかったり、
あってもX時間後に起動、というダイアル式タイマーだった。
>>54 切り替えスイッチどころか、家電の種類によっては、同じ機種で
50Hz地区用と60Hz地区用が売られていた様な記憶が…。
タイマーがゼンマイだったのは周波数に依存しないためか
あったなゼンマイタイマー。
×分以下にセットするときはいったん×分以上まで回してから戻してください、とか書いてあるの。
巻きが足りないとちゃんと動かないんだろう。
ゼンマイ式タイマーは、今でもオーブントースターや安い電子レンジでは現役だ。
21世紀になっても。ナショナルがパナソニック二なっても。
で、チ〜ンだな。
>>55 同じ機種と言うか
50Hz専用、60Hz地区では使えません
こう言う電気製品はまだあるよ
回転数が狂ったり、発火まではしないだろうが過熱したりするよ。
>>60 そういやあ、今どきの電子レンジってチンなんて鳴らないのに
21世紀に生まれた子供にも「チンする」って通じるんだよな
うちは電子レンジが世に出てすぐにかったから
今でも「エレック」と言ってる。
エレクックなんて言葉を流行らせようとしていた気がする。
出始めの電子レンジって20万円ぐらいしたよね。
親が「チンして」って言うから慣れてるんでしょね。
チャンネルまわしてはさすがに言わなくなった。
>>66 当時の給与水準からすれば導入に家族会議が必要なレベルだったよw
でも、昔の家電って頑丈だから長く使えてよかったとも思う
うちの実家では30年ほど前に買った電子レンジが今世紀に入ってもしばらく現役だった
あたためる以外の機能はついてないんだけど、そんなにいろいろ使わんしな
>>64 えーっうちの電子レンジはチンって鳴るよ…と思って確認に行ったら、
ピッピッピーって鳴ってた。自分の脳内で勝手にチンに変換してたみたいだ。
さんを付けろよデコ助がー!
ピッピッピーっさん?
>>68 アラフォーの自分が物心ついた頃からうちにあった電子レンジも10年以上使ってたっけな。
単機能でもちろんターンテーブルなんかなくて、オーブントースターみたいに目盛をグルっと回して時間設定してた。
うちのレンジはまだ、チーンだぞ。メモリはダイヤル式。
ターンテーブルは付いてる。
>30年ほど前に買った電子レンジが今世紀に入ってもしばらく現役
あの頃の奴って落雷サージにやたら弱くてすぐ壊れなかった?
ウチのは電子レンジとエアコンがそれで何回も修理するんで早々に買い換えた
電流火花が走ったんですね?
ウチの壁掛け式のゼネラルエレクトリックのエアコン、まだ動く。
昭和50年代前半の代物だぞw
すごい!でもまともに使ったら電気代半端ないのでは?
>>74 そのへんは運不運があるでしょ
全ての家電が落雷で壊れるわけじゃないんだから
>>75 「ジロー、チェンジ!」
(父親が息子に不良品を交換しに行けと)
奇っ怪だ
なんなんだろうな、昔の家電の耐久性。
あと、なぜかグリーン。
レバーを倒すと1合ちょうど出てくる(ハズ)のこめびつとマッチしてた。
オーブン機能はつい最近壊れたが、電子レンジとしては未だに実家で現役。
ターンテーブルのスイッチと、電子レンジのスイッチが独立してて、しかも
ボチンと押し込むタイプのやつ。チンと鳴ると再び飛び出してくる。
>>81 ばあちゃん家にあったハイザーと電子レンジを思い出したわ。
なんでか知らんけどグリーン(モスグリーン?)だったね。
昭和50年生まれの私が物心ついた時には既に合ったレンジ
まだ動くわ。
>>81 高いもんがそう簡単に壊れてたまるもんかい。
>>なんなんだろうな、昔の家電の耐久性。
価格競争がなかった分、部品にたっぷり冗長性を持たせられたんだろうね。
>>グリーン家電
アメリカの映画やドラマのシステムキッチン・大型家電への憧れだろうね。
>>84 あと小型化が求められてなかったから(大きいことはいいことだ、
ってな台詞があったくらいだし)、いまみたいに部品がギュウギュウ詰めじゃ
なかった、ってのもあったな。
何かとちいさくすることに躍起だったソ○ーは、
昭和の頃から、耐久性でナショナルとかとは差があった。
ウチは父親の影響で、白物はナショナル、AV機器は○二一が多くて
よく分かった。
>>87 うぉぉぉ・・・良心回路(ジェミニ)がぁぁぁぁ
はいはい。
いわゆる生活家電を「白物」というのは、平成になってから、
それも、もともと家電が本業じゃない○○カメラみたいな量販店の店員とかが付けたあだ名みたいな気がする。
昭和期(50〜60年代)の冷蔵庫やレンジといえば緑色だったし、ジャーやポットは花柄やピンク、
エアコンは木目調だった。
テレビやステレオ、エレクトーンまでが家具調(木目調)だった。
テレビ、木目調というか、木で出来てた
電子レンジはどこの家でも意外ともつもんだねー
うちの田舎の家でも30年前のおしゃべりエレックさんを
5年ほど前リフォームするまで使ってた
おしゃべりは最初は物珍しさからオンにしてたけど
オーブン機能だと「初めに余熱をします」とか
いちいちうるさいから、途中から使わなくなった
久々にオンにしてみたら、いつの間にか声出なくなってたわw
台所用品はやたら花柄
シンクに水はね防止の網みたいなやつが敷いてあった記憶
今もあるのかな
>>96 ダイソーに行けば、プラやゴムやスポンジで出来たのがうじゃうじゃ売ってる。
初代の黒電話は壁から直結(モジュラージャックじゃない)、
ベル音量の調整もできなかった。
昭和の頃は、詰め込み教育といわれ、こどもはもっとのびのびと、遊びから物事を学ぶべきだと、と言われたものだが、
今や、土日でも空き地やゲーセン、スーパーなんかで小学生くらいの子どもたちだけで遊んでいる、という光景をめっきり見かけなくなったな。
(0とは言わないが)
つめこみ教育あったねえ
学校の先生もそれだけ真剣にやっていたんだろうな
小学5〜6年の担任が恩師と呼べる素晴らしい先生で、毎週土日は原稿用紙5枚以上の作文
算数は抜き打ちテストで不合格だったら100問演習、それでも不合格なら200問演習
勉強の質はともかく、量はとにかくやらされた記憶がある
でも外で遊び回った記憶もあったなあ
ゲーム&ウォッチもない時代の話だけど、男子が数人集まったら遊びなんて簡単に思いつくんだよなw
だいたい天気の良い日に家に居たら、普通に親に怒られたもの
「晴れの日に男の子が家にいるんじゃない!外で遊べ外で!」とw
あの頃、体感的に一日が36時間ぐらいあったような気がする
10歳の子供にとっての1年って、50歳の人の5年くらいに感じるからねえ。
家電て、壊れてから買いに行くと浦島太郎だね…
家電オタクみたいな人はしょっちゅう最新式に買いなおしてるんだろうか。
新聞紙で鼻をかむと、鼻が黒くなった
>>100 うちみたいな田舎だとまだまだ見る光景だけど
都会は「男が歩いていたという事案が発生」ってな時代だからなあ
公園も「あれはダメ、これはダメ」って規制だらけで遊べないし
子供にしてみれば、じゃあどうすればいいんだよって言いたい気分だろう
公園で野球禁止になったせいもあるんだろうけど、今じゃ
野球とサッカーの立場が完全に逆転してしまったよなぁ。
地元じゃ小学校ごとに野球チームがあって、それでもまだ
10年くらい前までは結構メンバーもいたんだけど、今は
息子の小学校のチームは9人しかいないから、誰か怪我か
病気にでもなれば試合すらできない。練習も校庭の端っこで
細々とやってるだけ。サッカーチームは50人以上いるし、
親も全員練習に来てグランド占領して派手に練習してる。
少年野球チームが小学校ごとにあったのは当たり前
校内だとクラス対抗野球大会もあった
1クラスで1チームを作るのは簡単だった
むしろ倍率が高くて登録外に振り分ける方が大変だった
ウチのほうは、そんなに田舎でも都会でもないが、
おきてはいないものの、昨今報道される不審者問題や不慮の事故対策で、
何かあったら大人の責任にされるからか、こどもだけで外出させる風潮ではなくなった。
ジジババ同居の家も少なくなり、共稼ぎの家は増え、
駅から近いのに、みんなが郊外のスーパーへ買い物するようになったおかげで
閉店する店が増えて、日中でもめっきり人通りがなくなった。
遊びに行くのにも、大人が車で連れて行く。
地元発祥の商店や中堅どころの企業もバタバタ廃業。
市名を冠した信金や農協も合併、店舗統廃合で、高校出ればどこかに就職できる、
という雰囲気はなくなった。底辺校と言われた高校でも、大学進学が当たり前になったのか、
ヨタヨタ歩いている高校生もいなくなり、夜たむろっているのは、もっと年上のニート風。
就職先がないから大学行ったっきり、若者が帰ってこなくなった。
円周率は3、とかで親が、このままゆとり教育に委ねていてはイカン、と思ったのか、
幼稚園の頃から公文やスイミングやら目標意識を持った習い事させてるし、
昭和の頃、いや20世紀のうちは、中学受験とも無縁だったのに、
電車で数駅の距離に中高一貫校ができて進学熱も勃発。
チェーンの進学塾も進出して、自分たちが子供の頃とは様変わりしてしまった。
このスレ、スレタイと反対なことも半分くらい混ざってるね。
昭和じゃ考えられない今の生活。
まあ別スレ立てるほどでもないけど。
>>109 そこから推測して昭和は違ったよな、今じゃ考えられないよな、
って話だからまったく問題ないと思うんだけど。
スイミングだの英会話だの、そんな教室は都会しかなったよ。
野球やプロレス、動物(犬・昆虫など)とか、
いかにもな男の子の嗜好に興味がないと、気の合う友達も限られ、
なんか、もっと面白いことないか?と日々思っていたっけな。
とにかく野球だったな
18人居なくても、ボール(ゴムボール)さえあれば野球
習字とそろばん教室は結構どこにでもあった気がする。
ブルースリー、空手バカ一代のコンボの頃は空手道場が増えたなあ。
>>112 ちびっ子は三角ベースかゴロベース。
雨の日は狭い廊下でロクムシ。
ボールが好きだったよね−。
新聞紙で尻を拭くと、尻が黒くなった
アッー!
>>113 しょっちゅうイベントをやるAそろばん塾(ピクニック、映画鑑賞、遊園地に豆まきなど)
イベント全然なしのBそろばん塾があった。
最初はAに通ってたんだけど、同世代のA家の子供たちと折り合いが悪く、未就学児しかいない
Bに転塾した。
同じ理由でB塾に転塾した子は結構いた。
…努力しろったって、そろばんって絶対に向き不向きがあるから、頭打ちになって進級できなく
なると居づらいんだよね。
電卓がまだ普及していなかった頃、クラスの半分強の子はそろばんを習っていた。
家柄、成績で言えば中くらいの子、自営業の家の子は多かった。
女子はほとんど高卒で就職し、事務系に就業する子が多かったせいだろう。
上位1/4くらいの子(医者、名家〔老舗・会社経営等〕の子)は、そろばんは習わず、
進学関係や英会話、女子ならそれに加えてピアノや日舞。
(もちろんそこに通っている中流の子もいたし、上流の子でそろばんを習っている子もいた)
つまり、指先の技量よりも理論・受験とか、計算は部下にさせるような家業、
就職の心配をしなくていい家柄の子(女子・旧家→旧家で専業主婦として嫁入り)は習ってなかったな。
あとの1/4は、家からして教育に無関心そうだったり、経済的事情や
短期間で転校を繰り返すような事情のあるような子だったな。
俺を除くクラスの全員が同じそろばん塾に通ってた。
俺は一人で遠い町にピアノ習いに行ってた。
40年代の終わりから電卓は見る見る普及していったけど、
子供に触らせると計算ができなくなってバカになるとか、
指を使い、計算の仕組みを覚えることは大切、と
すくなくとも50年代半ばまでは、そろばん塾は、廃れなかったな。
そろばんだと計算できるのに筆算ができない奴もたくさんいたんだけどねw
シャーペン使うと字が汚くなるという俗説もまかり通っていた。
まぁそれだけ新しいものが次々と普及する時代だったということか。
シャーペン使うと字が汚くなる、は俗説の皮かぶってるけど、
要は「学校に高いもん持ってくんな。無くすと面倒だから。筆記用具だからいいじゃん?よくねぇよ」という裏話があったらしい。
嫁さんが演劇部時代、演劇部でやった劇に「シャープ」という謎の筆記用具が出てきたが、要はシャーペンだった。
無くしてひと悶着あるんだが、超高級品扱いだった。万年筆ぐらい。
その時代から脈々と続く大義名分だったんだろ。
>>120 今の小学校の教科書にはな、
電卓マークがあるんだぞ。これは電卓で計算してもよし、と。
>>122 そういや進学祝いに万年筆ってのも廃れたな。
万年筆が良くてシャーペンがダメという理屈が分からん。
125 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/03/23(金) 11:21:22.99 ID:Q04XOPqw
昔(40年代以前)中高生は、「消えてはいけないもの」はみんな万年筆で書いていたのだろうか?
「学生時代」には、ノートとインクの匂い、と歌われていたし。
50年代に入るとマーカーとかも出てきて、インク切れやつまり、ペン先に気を使う、
万年筆を使う機会はほとんどなかった気がする。
ただ、昭和末期までは、願書や履歴書などはボールペンではなく、万年筆で書くもの、
という作法は生き残っていた。
昔はシャーペンなんて言わなかったよ。
シャープペンシルとか略さず言ってた。電機メーカーになるとは。
>>124 消せる筆記具は安い鉛筆があるのに、なぜ高いシャーペン!?ってのがあるのかねえ。
サインペンやボールペンのない昔は、消せない筆記具は万年筆オンリーだったし。
(つけペンは持ち歩きに不便だし)
>>124 小学校がシャーペンを持つと授業中に芯を替えてカチカチやったりして気が散るからでしょ
↑小学校→小学生
ダンスといえばフォークダンスだったよね?
まさか中学でヒップホップを授業でやるようになるとは。
>>130 女子と手をつなぐのがイヤでつないでるフリしてたら体育の教師が飛んできて
首が後ろに回るくらいぶん殴られたな。たったそれだけのことで暴行罪レベルの
体罰。ちなみにキリスト教系の私立校だった。
>>122 というかうちの娘は中学校で電卓持っていかないといけない授業があったぞ。
俺自身は小学校の校内販売で最初のシャーペンを買ったから、
学校に持ってくるなはなかったな。昭和40年代の話。
シャーペンそんなに高いものじゃなかったけどなぁ。
100円もしなかったと思う。たしかに1本あたりだと鉛筆のほうが安いけど。
芯は0.9ミリだったよね。
シャーペンが普及し始めるのが今だったら扱いは逆だったかもね。
木で作って年に何本も消費してしまう鉛筆より
一本買えば何年も使えるシャーペンの方がエコ信者には受けがよさそう。
136 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/03/23(金) 21:27:32.57 ID:nbzcv0Ua
シャープペンシルが小学生に流行りだしたのは、昭和47〜48年頃かな。
塾通い用のグルービーケースや電子ロックの筆箱と同じころだったと思うが、
それ以前は低学年だから持たせられなかったのかもしれない。
昭和50年代前期に、外見が鉛筆にそっくりの格安シャープが出るまでは、
万年筆みたいな気取った外観をしていて、結構高かった。
1000円とか1500円とか。
普段の学用品の延長ではなく、親にねだらないと買ってもらえなかった、と記憶している。
芯は0.5ミリが主流だったと思う。
0.3ミリの芯は倍くらいの値段だった。
学習机、筆箱、サイクリング自転車…。子供の目を奪うどうでもいい装備が満載だった。
デコチャリに近かったよね。>自転車
最近、小学生、下手したら幼稚園くらいでも、男の子と女の子の遊びや感心なんかがまったく違ってきた気がする。
昔は、もっと男女混合で遊んでいたような気が…。
女の子はファッションにかなり小さな時期から目覚めるようになってきたが男子は無頓着。
昔は、バレンタインなんか流行ったもんだが、いまは眼中になし、という感じ。
クラスは一緒でも、着替えやら、最初から世界を区切っている感じ。
>>138 今の時代、小学館「小学〇年生」みたいな雑誌は男女別に刊行した方が良いのかもな。
>>137 自分が小学生の頃は、スーパーカーライトと変速機能付自転車の全盛期で、いずれも高価な奴は
電動(電池)式で、安物はワイヤー式だった。
平成ヒトケタ時代はまだまだ昭和の感覚を色濃く残してフェードアウトしてった感じだが、
フタケタ時代に入ってガラッと昭和っぽさを消し去ったもの。
酒、煙草に対する寛容度、個人情報、セクハラに関する感覚。
連絡手段が携帯・メール主体に。就職活動。
高級・高価格志向が廃れ、ライバル同士だったデパートが合併したり、
スーパー・コンビニの配下に下だり、ユニクロや島村や白木屋みたいなのがもてはやされる。
>>141 平成1ケタ→2ケタの区切りがほぼミレニアム(死語)と一致してるんだよな
それまで慣れ親しんだ西暦1000年代から2000年代に変わろうかというとき、なんか物凄い歴史の節目の瞬間を見届ける思いだった
もっとも世間は2000年問題でそれどころではなかっただろうが
昭和時代子供だった世代は、20世紀・21世紀の区別にこだわるけど
平成生まれの子は何世紀ってのに興味無いみたい。
数人に今何世紀か?って聞いても知らない、世紀って何?と言われた。
そりゃ平成生まれ=ゆとり世代=池沼だからな
>>144 カウントダウンとカウントアップとでは前者の方がスペクタクル性に勝るからな
1998年「うわあ、あと二年で2000年かあ」
1999年「ちょwwwいよいよ西暦1000年代も今年で終わりかあ」
と考える人はいるけど、
「2000年から○○年過ぎたかあ」はあんまりいないだろ
世紀も似たようなもので、節目を過ぎたら普段は意識することがないと思われ
昔、昭和40,50年代は21世紀=夢の未来のイメージだからね
21世紀ってもっとすごい時代になると思ってた
もちろんPCやら携帯やらは凄いんだが、思ってた未来とは違う
昭和30年代、40年代の子供にとって「未来」=「21世紀」だったから、
本当にその21世紀を迎えるという現実がビッグイベントだったんだよ。
鉄腕アトムの誕生日を迎えて興奮したのも同じ世代。
BOOWYが1986年に発表したアルバム「JUST A HERO」の収録曲に「1994 -Label Of Complex」というのがある
1994年なんて随分先の話だなあ
90年代って響き、なんかいいなあ
と思っていたら今じゃ1994年が随分と昔の話になってしまったw
「21世紀」という単語に「夢の」という枕詞が付いていた時代
確かにチューブの中を高速に行き来する乗り物は走ってないけど、テレビは壁に掛かる
ようになったし、電話は各自一台持ち歩きになったし、そこにテレビは付いてるしアポロ
飛ばしたコンピュータよりはるかに高性能なのが簡単に個人で持てるし電気自動車は
実用の域に達してきてる。リニアモーターカーももうどこに線路引くかってまで具体化してる。
いろいろ夢は実現してるのになぜか「夢の21世紀」って感じじゃないな。
>>148 現実の21世紀ってまさに「コレジャナイ」感いっぱいなんだよなあ
ぴっちりした服を着てエアカーに乗って空中の透明チューブの中を走るんだと思ってたのに
畳の部屋で納豆食いながらサザエさん見て「また月曜が来る」って早くも疲れてるだけなんてな
でも冷静に考えたら未来の道具であふれてるのも確かなんだよな
今、俺の目の前にあるこの箱とか、それでできるあれこれとか
もちろん、ほとんど万能道具と化した携帯電話とか
リニアモーターカーは上海で2002年ぐらいから実用運用されてるそうで。
子供の頃日向の実験車両が走るのを見て
ちょっと感動してただけに先を越されたのが
ちょっと悔しく思った記憶が。
中には変な道具もあってだな
最新の炊飯器は当然のようにコンピューターが内臓されていて、いつでもお好みの炊き方ができるらしいな
それはいいんだが何が狂ってるって、最新テクノロジーを駆使してわざわざ昔の釜戸炊き風のおこげをつけるという機能
これをどう捉えればいいのやらw
80年代のDCブランドばっちり着こなした流行最先端の人達に
今時のファッションを見せてやりたい
もっさりした森ガールとか裾の広がったパンタロン風パンツとか
特に70年代のサイケデリックなファッションは80年代に入った途端に徹底的にダサいものになってしまって
当時のお洒落さんは、二度とこんなイカれたファッションは流行る事などないと思っていたから
今時のギャル服の70年代テイストには???となると思う
>>151 うちの地元はふつうの地下鉄が上に出てきて透明チューブの中走ってるよ。
>>154 画一化されてることが便利で正しいって価値観からの反動じゃないかな
電気炊飯器が普及して「おこげ」ってものは「不便だった時代の遺物」になったと思うんだけど
いやいや「おこげ」って美味かったよな、という声もあったわけで
じゃあ今の時代らしくコンピューターで制御して「美味しいおこげ」を作りましょう、と
なんか変な感じがするのはおおいに同意するw
158 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/03/24(土) 15:05:15.58 ID:R6Q+hgsV
>>151 テクノロジーは進歩したが、本質的な部分で進化したかは疑問だからな。
音楽で言えば、シンセや録音技術は発達したが、肝心の楽曲が素晴らしいものが
生み出されているかといえば、はなはだ疑問だしな。
ビートルズを越えたバンドがいるのかと。
そのビートルズも元はといえば当時流行し始めたエレキギターの先駆者だったわけで
新しい音楽を否定したくなる気持ちは分かるし俺も時々そういう衝動に駆られるんだが、
Gパン、長髪、エレキギターを不良のシンボルとして禁止したような頭の悪いジジババにはなりたくないものだ
>>158 最近じゃ「作曲のコツ」みたいなのが定着してるから、CMで聴いて
いい曲かなと思って買うと、CMで流れてる部分以外はクソだったり
どこかで聴いたコード進行だったり、つまらんものばかりだよな。
しかも作曲ソフトが手軽になったから、誰でも作曲できると勘違いしてる
アホも多い。
曲自体が消費財と化してるしな。AKBの新曲なんて、1000曲単位で
上がってくるのを秋元康が1ヶ月くらい掛けて絞り込むそうだわ。軽い曲しか
出ないはずだわ。新曲の歌詞聴いても次がお約束の展開ばかり。
>>160 歌詞については「作詞家」がいなくなったなあ、という印象がある
自分で作ることを必要以上によしとする風潮の中で貧弱な語彙しか持たない歌手が書く、いつもおなじ内容のものか
秋元みたいな大量生産のプロによる、そつはないけど面白みもないもののどっちかって感じ
>>162 前にボーカロイドで作ってネットで大ヒットしたっていう曲があって、
コメントが「やばすぎる」とか「涙が止まらない」とかたくさんあったから
聴いてみたら、やっぱりニートのオナニーソングだったわ。
今は聴く方がダメだからな。お高く止まってたら売れないわ。バカに合わせて
バカソングを安く大量生産、大量消費、の時代。
年末のカウントダウンとかサッカー試合後など渋谷などに大勢タムロして騒ぐようになったのは
いつの頃からだろう。
自分的にはアレに抵抗なく参加できる若者が「平成世代」という感じ。
少なくとも80〜90年代カルチャーでは皆が大勢集まって同じ事で騒ぐのは
「ダサイ事」だった。
エー(゚ε゚)
85年のタイガースの優勝の時はすごかったが
>>164 サッカーW杯が日本で行なわれた時か?
その前のドーハの悲劇の時は、そんなに集まってなかった気がする
>>152 >>現実の21世紀ってまさに「コレジャナイ」感いっぱいなんだよなあ
「未来都市」にならず、団地や旧商店街がそのままの姿で朽ちていくところとかね。
予想もつかなかったこととして、スーパーには大人用のおむつがいっぱい並んでいるとか。
でも昭和30年代の人間がこの時代にタイムスリップしてきたら
やっぱり「すげーな未来は」って言うと思うよ。
手のひらサイズの機械で電話だけじゃなくてテレビもビデオも見れちゃうし、
それにほっそいコードを挿しただけで想像でもできないほどクリアなサウンドで
音楽が聴けちゃうし、テレビの映像は映画館よりきれいだし、好きな映画がいつでも
好きなだけ見られるし。
自分の世代には居なかったような美女が全部まる見えのポルノに出てるし、しかも
いつでもどこでも見られるし。
薄い、よくわからない機械を開くとテレビみたいになってて、それが世界中とつながってるし。
169 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/03/25(日) 03:21:49.94 ID:SbetBJcT
でも、何かが違う
でーもー何かがちーがーうー♪
… でーもー何かがちーがーうー♪
問題はね、20世紀と21世紀が実は地続きだったって処だね。
携帯電話だってTVだって20世紀にはあって、20世期には小さくなっただけ。
それと、SFの定番ツールで何処でも情報型の小型コンピュータって有ったけど、
うーん、まさかそれが電話機の形をして登場するとは思ってもみなかった。
>>164 >>165 85年が最初だと思うよ。
あの後、阪神が18年間優勝から遠ざかったから、
道頓堀に飛び込む口実がサッカーに移った。
指の爪ぐらいの小さなSDカードに広辞苑数冊分の情報が入る
当たり前過ぎて普段は意識することないけど未来のアイテムはそこら中にあるはず
>>168 > でも昭和30年代の人間がこの時代にタイムスリップしてきたら
煤煙のない工場地帯、汚染のない水域を見て日本の経済は終わったと思うかもな
少年マガジンには頭が良くなる輪っかが売っていた。
金属製で、イオンの力で脳の血流が良くなりそうな感じ。
子どもが頭に巻いて机に向かっている写真があった。
孫悟空が頭にしてたようなやつ?
雑誌の最後の広告欄に沢山載ってるアイテム?
今見たら全部買いそうで怖いわw
月賦で。
月賦というのも最近はあまり見ない言葉だな
少年漫画誌などすっかり見なくなったので今はどうか知らないが
昔は怪しいグッズの通販広告がよく載っていた
卵のオスとメスを見分ける道具とか
どういう仕組みなんだろうと
ちょっと興味を持ってしまった痛い思い出
永久ライトってのが売ってて、買ったよ。
麦球と水銀電池が入った消ゴムぐらいの大きさの懐中電灯。
もちろん永久に使えたりはしない。
今だと広告に偽りありってことになるのかな。
180 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/03/26(月) 06:12:25.62 ID:0Jd+zWXC
シーモンキー
うじゃうじゃ増えすぎて困ったわ
>>180 飼ってる魚の生き餌にする人もいたような
月賦はローンというカタカナ言葉に変わったな…
高利貸しは、キャッシングとかカードローンという名前に。
>>181 つーか元々ブラインシュリンプという生き餌をシーモンキーとして
売ってただけで、卵だけならシーモンキー1セットに含まれる卵の
500倍以上も入って500円とかで売ってる。3%濃度の塩水に入れて
エアレーションしてれば48時間で孵化する。
>>184 え……
シーモンキーってプラインシュリンプだったのか……
最近、水槽で色々買いはじめて、稚魚生まれるからプラインシュリンプとやらを買わんとな、と思ってたんだが、
シーモンキーだったのか……
>>185 「プ」じゃなくて「ブ」ね。Brine shrimpだから。
>>186 ブ、か。フォント小さめにしてたから完全に間違って覚えてた。
190 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/03/26(月) 21:55:08.56 ID:Agv2VSgc
昭和の終わりにはあったけれど、中盤にはなくて、
これがなくて生活できてたの?考えられない!
ってものはなにがあるかな?と考えてみた。
電卓…計算能力を身につけるため、そろばん塾に大多数の子供が毎日のように通っていた。
炊飯ジャー…炊飯器すらなかった頃は、つきっきりで火加減をみていなければならなかったし、
電子ジャーが登場するまでは、食事時間がずれようものなら
(蒸し器はあったが、後片付けが面倒なので)
たいていは冷たいままかお茶漬けで食べていた。
電子レンジもなかったので、おかずも。
>>190 昭和中盤って戦後から1970年ごろってことか?
それなら電話かな。家の電話。
電話が一家に一台じゃなかったからな。
それこそ一人に一台の今じゃ考えられない。
意外なところでは保冷宅配便なんてのも
線引きが難しいが、少なくとも昭和50年代までは個人レベルで生鮮食品を冷蔵で送るなんてのは不可能だった
193 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/03/26(月) 22:48:50.33 ID:8uVloXe3
クオーツの時計かな。
いまは100円ショップで買える時計ですらそうだけど、
それ以前の時計は不正確で、毎日テレビやラジオの時報で合わせないと、分単位で狂っていた。
電波時計が普及してきたのか、いまじゃテレビでも、ぽぽぽ〜んは聞かれなくなった。
さらに、ぜんまい式の時計も幅を利かせてて、ぜんまいを巻くのを忘れると、1〜2日でとまる。
時計そのものも貴重品扱い、時計機能内蔵のものもほとんどなく、
とくに子供などは、周囲の人にちょくちょく時間を尋ねていたものだ。
水谷豊の宣伝してた「デジアナ」ってのがあったな。
>>193 > 電波時計が普及してきたのか、いまじゃテレビでも、ぽぽぽ〜んは聞かれなくなった。
デジタル放送だからじゃないかな?
>>193 ぽぽぽぽーんは去年散々聞いたから、もういいやww
ともあれ、無くなった理由は
>>195のとおり。
ラジオでは未だに健在。まだアナログなので、テレビと違ってタイムラグがない。
時計を合わせようと正確な時間を知ろうとすると逆に難しくなってるな。
タイムラグあるやつばっかりで。
テレビはだめだしラジオもradikoやらじるはラグあるし
117かけても携帯電話やひかり電話じゃラグあるよな。
>>197 PCや携帯でも正確な時刻は分かるけど、
テレビは受信する側のアプリで何とかなりそうなもんだけどね。
逆に、電波時計が珍しくなくて、時報もラジオも聞きなれてない21世紀生まれが、
ラジオのぽぽぽぽ〜んを聞いたらどう思うのかね。
>>190 >>これがなくて生活できてたの?考えられない!
比較的新しい視点(昭和60年代)だと思うけど、
コンビニや電子レンジのない下宿生活。
50年代前半まで固定電話、風呂付のアパート、コインランドリーなんかも贅沢だったはずだ。
時間のある学生ならともかく、スーパーや個人商店も遅くまで営業しておらず、
独身サラリーマンは不自由したはずだ。
だから結婚が早かったのかもしれない。
女子は、3年前後一般職でお勤めしたあと結婚しないと周囲の目がうるさかった。
結婚が早ければ、おのずと二人、三人と子供をもうけるようになるから、
世の中が不便であれば、ここまでひどい少子化は起こらなかったかも知れない。
くわえて、キャッシュカード(CD/ATM)がなかったこと。
平日だと3時までに銀行行って書類書いて降ろさなきゃってこと?
それとも、給与振込み自体が普及していなかったら降ろす必要もなかったって事?
>>197 携帯電話は他と同期させなきゃいけないから
自動的に修正されてるので、壁紙をFlash時計にしておけば秒単位までわかる。
>>199 んでも、そう考えてみても「この人は結婚してはいけない、子供を持ってはいけない」
人まで結婚して子供を持つ方が悲劇だと思うの。
>>199 その時期に一人暮らししてたけど、コンビニもキャッシュコーナーもあったよ。
バイト代は振り込みでなく手渡しだったけど。
地域差の問題かな。うちは名古屋住まいでした(当時)
電子レンジ、風呂付はお金を出せば手に入ったけど
貧乏学生だったのでうちにはなかった。
神田川レベルの古いアパートで銭湯通いの女子大生だったわ。
就職したときに男女雇用均等法が始まったけど
もちろん数年後に寿出産退社した。
>>202 昭和50年代に大学生だった俺のバイト先はコンビニ。
レジに小銭が無くなったら隣接の銀行のATMコーナーに行って
自動両替機で両替してた。コンビニの対面はホカ弁屋。
24時間のファミレスもあった。ちなみに名古屋。
◆奥様が語る昭和の思い出6◆
111 :可愛い奥様:2012/02/19(日) 00:42:31.35 ID:8oSCUq1D0
半ドン・・・土曜午後ののんびりとした空気が好きだった
学校から帰って来て昼ご飯食べながら「女の60分」。
その後「傑作ワイド劇場(土曜ワイド劇場の再放送)」をドキドキしながら見て
(子どもに容赦ないエロシーンがお約束だったw)
5時半から「まんがはじめて物語」
6時から「料理天国」
6時半から「イッパツマン」(タイムボカンシリーズ)
7時から「まんが日本むかしばなし」
7時半から「巨泉のクイズダービー」
8時から「8時だヨ!全員集合」→前半コント終わったらフジに回して
「タケチャンマン」
9時からは父親へチャンネル権以降
土曜の晩はカレーの日が多かった
カレーのにおいを嗅ぐと、小学校低学年だった昭和56〜58年のあの頃を思い出す。
同じ歳だけど
当時は1日あたり1時間か30分しかテレビ見せてもらえなかったし
ご飯食べてる時はテレビは消された。
どこの家庭もそんなもんだと思ってたけど違うのか。
男だけど、その時間帯は、低学年のうちでも、洗濯物取り込んだり、
肉屋や八百屋をはしごしてお使いしたり(その頃はスーパーが近くになかった)、
調理補助もしたもんだけど。
家政婦や料理人のいるそこそこの家なら、勉強や習い事とかしてる時間だろうし。
家の手伝いをしようともしないし、させようとしない親(家)か。
教育や躾がなってない家なんだろうな。
>>204
家によるでしょうね。
うちは土曜午後はテレビ見放題だったけど自営放置家庭だったので
テレビOKな代わりに昼食支度、掃除、洗濯、買物、夕飯支度はすべて子供たちの仕事だった。
テレビ見ながら兄とカレーを作ったよ。
金は稼いでいたので教育はさせてもらったけど躾は偏りがあったと思う。
>>204 うちとほぼ同じだ。
月〜金までは友達と外で遊んで、帰宅して勉強してテレビはほとんど見ず
土曜だけはお昼に学校から帰ってきて宿題を済ませたら
たくさんテレビを見せてもらえた。懐かしいなあ。
共働きの家だろうな
テレビ見呆けの土曜の晩にカレーの匂いがひとりでに漂ってくるから、親任せ。
家でテレビ見ていると塾の先生に殴られた。
いろんな意味で今じゃ考えられない話。
>>212 小学生の時、日○研に通ってたけど、風邪引いて咳してる生徒がいただけで
講師が「うるさい!」って名簿で頭殴ってたよ…結構な勢いで
今だったら絶対苦情くるレベル
>>194 「デジアナ」はセイコー
水谷豊はシチズンで「アナデジ」だ。
昭和は今よりギスギスしてた印象がある。特に中高が。
授業中でも部活中でも常に教師の怒号が飛び交っていた。
三善英史と美川憲一
森田健作と桜木健一
の区別がつかない
>>215 弱者や障害者や持病を持っている人間は常に少数派だということが頭からすっぽり抜け落ちている
「平等で民主主義的な多数決()」の時代でもありんした。
>>214 「デジアナ 水谷豊」くらいでぐぐってみな。
>>214 セイコーは「ハイブリッド」
ジャズミュージシャンの坂田明がCMしていた。
父の遺品を整理してたら古いセピア色の写真が出てきた。
そこに写っていたのは江戸時代風の髪型、着物、化粧の女性。
うわっ、これは貴重な江戸時代か明治の風俗を伝える史料かって興奮してたら、
昭和に撮影された写真だった。一緒に写っている小さい男の子が父で、
その女性は父の叔母に当たる人だった。恋愛遍歴の派手な人だったらしく、
年をとっても艶っぽい人だったよと姉。姉は小さい時にその人に会ったことが
あるらしい。同じ昭和という時代にそんな江戸時代の雰囲気を伝えてる
人たちがいたことに驚き。
>>220 昭和初期だったら、江戸時代の人がまだ生きてたりしたから。
「ちゃっきり金太」という映画でも、演じ手がすげえ上手に江戸時代の雰囲気を出してたって。
そういや明治末期生まれの亡くなった祖母2人とも頭の天辺がハゲてた。
小さい頃「何でハゲてるの?」と容赦なく訊ねた記憶がうっすらと…w
日本髪結うために長年髪を剃ってたからハゲちゃったらしい。
日中は部分用のカツラつけて、寝る前に外してたみたい。
ホントの日本髪っててっぺん剃って拵えるのか。
っていうか昭和の終わりごろまで生きてた明治
生まれの人達は、基本着物だったからな、若い頃は。
当たり前だっての。今更驚くこっちゃない。ばあちゃんの
遺品は着物ばっかだったよ。1円札とかもあったな。
田舎の蔵からは普通に寛永通宝出てくるし。田舎
舐めちゃイカンよ。
そういや、昔、遠足だかの男子小学生が、山の中で油紙で封をした徳利を見つけて
開けてみたら中から一分金をはじめとした江戸時代の小銭じゃらじゃらって話があった。
江戸時代の人の忘れ去られたへそくりだったんだろうなあ。
>>223 髪の毛の量や太さにもよるけど、剃らないと上手くまとめられないことはあるらしい
あぼーん
>>228を見て、昔のエロ写真広告で、「女子高生の恥ずかしい写真!毛までまる見えの恥ずかしい穴に色んなものを入れ放題!!」
なんてのを注文すると、女子高生が鼻毛の見える鼻の穴に指やら鉛筆やら入れてる写真が送られてきたという昭和の笑い話を
思い出した。
「ワタシの恥ずかしい写真」でオール1の通知表を写したもの、とかな
6尺の大イタチとか?
まだDVDもDL動画も無かった時代、
男性の公衆便所のちょうど目の高さに貼ってある広告、
極秘ビデオ、ぶつかり合う肉体、ほとばしる汗、3本5000円。
届いたのは大相撲のビデオだった。
公衆便所と言えば、小便の最中に壁が抜けて丸見えになるという
「どっきりカメラ」があったな
大相撲の勝利力士インタビューを編集したエロテープもどきもあった。
そういえば、最近の勝利力士はあんまり息が乱れてないし、声もかすれてないな。
あるある
238 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/04/02(月) 07:32:03.86 ID:W+WHHPch
40年代半ばまでは、定番の遊びだったが、今ではすっかり廃れた子供の遊び
「ちゃんばらゴッコ」
テレビでは連日のようにチャンバラシーンの出てくる時代劇や映画が放送され、
大人にもストレス解消がてらか人気があって、一緒に見ている子供の暴れたい本能を刺激していた。
女の子でもプラスチック製の「マイチャンバラ」を持っていたものだ。
40年代後半になってくると、西部劇やギャング、刑事モノなどがカッコいいという風潮になり、
銀玉鉄砲に流行が移ってていく。
こちらも水鉄砲と並んで女の子でもマイピストルを持っていたもの。
駄菓子屋によっては金色にコーティングされていた玉も売られていて、
近所のオテンバな女子がよくブッ放していた。
ヌンチャクもトンファーも手作り
ヌンチャクの 稽古に励み 鼻血出す
チャンバラは、今はスポーツチャンバラというのがあるね。
カルチャーセンターでは、有料の習いごととして存在してるw
ストレス解消にいいらしいよ。
つか、238が書くような女子は見たことないな。
地方にもよるんだろうけど。もう少し年代が上なのかも。
お風呂は今みたいに自動で止まってくれる機能なんてなかったので、
水張りの時に止め忘れて何時間も溢れっぱなしとか、
湯を沸かして止め忘れて沸騰しまくりとかよくあった。
>>238 実は、戦隊物というのは、チャンバラ時代劇のフォーマットで作られててねえ。
(何たって、制作は東映だもの)
要するに、そういう子たちは、今はみーんな戦隊物ごっこをしとるんじゃ。
エイプリルフールのこと「四月馬鹿」って言わなくなったのか
四月馬鹿なんて初めて聞いたって書き込み、所々で見た
>>242 うちは、建物の構造上電気やガスの温水器が取り付けられないので、今でもバランス釜だ。
水を張る時と湯を沸かす時、双方でキッチンタイマーが大活躍。
246 :
たけのこ:2012/04/02(月) 22:27:40.53 ID:HD31m0t6
大切な話の最中いきなり着メロが鳴り出すと白熱していた会話がしら〜っとします。
仕事場にそぐわない曲を着信に設定している人って
いきなりジャカジャカと携帯が鳴り出すと、一応申し訳なさそうに「スイマセン」なんていって慌てるけど
慌ててあやまるくらいなら、サッサと恥ずかしい着メロ換えろよ!って思うんですよね。
私は携帯の着信は常にマナーモードにしています。
何時鳴るかわからない携帯の着信音はなるべく邪魔にならない音で、かつ、その場の雰囲気を壊さないようなものにしたほうがいいと思う。
着メロなんて、2〜3秒くらいしか鳴らさないのに。
大好きな曲をを毎回2〜3秒でちょん切るなんて、もったいない!
大山ドラのテーマにしてる奴が結構いたなw
♪あんなこといいな できたらいいな
コピペなのかな?
実はマナーモードのバイブの音の方がうるさいとか
テーブルの上で携帯が踊りだした上にテーブルから落ちてとかそういう落ちがあるのかと思った。
昭和の話じゃない品。
言われてみればそうだ。平成だね。
数字が出るポケベルと辞典ほどもある携帯電話で昭和は終わったんじゃなかったんだっけ?
昭和の終わりには、駅(電車)の発メロは、パロパロ(電子音)になっていたっけ?
着メロの定番は「ルパン3世のテーマ」。むしろ他にはなかった。
スレタイ読め。
昭和に着メロはなかったんだ。
昭和末期〜平成初頭のポケベルや携帯は、単音・音階なしの「着信パターン」をかえる程度だったはず。
そういやそうだ。一般人が携帯持ち出したのは平成も5年目以降だったな。
>>251 辞典ほどもある携帯電話 って
てっきりマニュアルがそんなに分厚いのか?とか思ってしまった。
「携帯電話」が「辞典ほど」の大きさだったわけねw
>>251 あれは携帯って呼んでたかなあ。持ち歩いている人は見たことない。
自動車電話を車から降ろしてきたものだと思ってたよ、当時は、
>>255 阪神大震災ではずみが付いたんだろ。うちの会社からも支援に行く人がいて
俺がレンタルショップへ借りに行かされた。その後、会社で2台買った。
>>257 >>あれは携帯って呼んでたかなあ。
あれこぞ「携帯電話」以外の呼び方がなかった。
「けーたい」と言っても、電話を連想できなかったし(携帯式のなに?ってかんじ)
ムー場とか出るのは平成になってから。
>>257 >>阪神大震災ではずみが付いたんだろ
あの頃は、携帯の加入者が少なくて、まさに飛び道具だったけど、
近年は、固定電話との加入者数が逆転して、何か起こると真っ先に携帯がつながらなくなる。
廃れたはずのPHSが見直されている。
ショルダーホンて言うらしいよ。
俺はそんな言い方初耳だけどね↓。
tp://www.interq.or.jp/blue/rhf333/K-HIST.htm
IDOっていうのは覚えてる。
それ(TZ-803A)は、別物だよ。
TZ-802Bは、まさに国語辞典くらいのサイズがあるな。
中高の社会科の授業で三公社五現業という言い方を覚えさせられたけど
あれにどれほどの意味があったのだろう。それから10年以内に3公社とも
無くなって、桂三枝の新作落語「ぜんざい公社」も再演が難しくなっただろう。
そこに就職したヤツもいたからなぁ。
「準公務員」っていうことで人気があった。
263 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/04/04(水) 22:10:30.91 ID:u5kFk4ml
>>262 そこに就職した奴です
今では民間企業。でもぬるま湯です。
この前、本社から部長が来て
「うちの会社の従業員の中には、親方日の丸の意識の人がまだ居るが…」
と講話をしていったが
最近の若い者には「親方日の丸の意識」が通じなかった。
あじゃぱ〜・・・・
飛びます、飛びますっ ><:
>>264 アジャパーは、4〜5年前に小学生の間でプチブームが到来してたよ。
内閣総理大臣と自民党総裁と日本国首相は同じ人だった
>>267 内閣総理大臣と日本国首相が違うことってあるのか?
あるんでしょ、267の中では
270 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/04/05(木) 21:12:20.43 ID:reeY3H/6
>>261 社会科で「三公社を挙げてみよ」と先生が問いかけると、必ず
「交通公社!」って答えるやつがいたよな。
当時でもマークも対外略称もすでに「JTB」だったんだな。
271 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/04/05(木) 21:56:21.40 ID:xrbsWVK9
国鉄のストライキのニュースで、労組側と経営側とが生放送で激論するのが風物詩だった。
>>261-263 昭和の頃の電電公社や専売公社の入社倍率ってどうだったんだろう?
景気の良かった頃は、公務員は、生涯賃金が計算できちゃう、って敬遠されていたものだけど。
電電に入社できたら、そのままNTT社員に横滑りできたのかな?
昔は、どんな町にも有人窓口のある電話局があって、架設の申し込みや料金の授受をしていたものだ。
窓口のおばちゃんも準公務員の身分が保証されていたんだろうな。
>>243 おお、なるほど納得。
時代活劇物→赤胴鈴之助、ライオン丸→戦隊物なわけですね、わかりますん。
275 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/04/05(木) 22:13:32.47 ID:Ou7JeoSh
>>272 高卒現業入社組は
各学校に対し1名or2名の割り当てがあり
よほどのことが無い限り落ちることは無かった
キャリア組だと
省庁>>現業会社と言う序列があったので
国家公務員第一種の合格者でも下位の者が入社していた
それ以外の大卒組はよく分からんが
理系だとメーカーの方が人気高だったし
文系だと商社・銀行が人気高だった(ような覚えがある)
第二電電とか日テレとかが言い出すまで、
長距離電話の料金体系に疑問を呈するものはなく、下宿生活や旅行に出ると、
10円玉の落ちる速さで「思えば遠くに来たもんだ」を実感するだけだった。
手紙のやり取りが多かったよな。
277 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/04/05(木) 22:35:31.80 ID:J/qLEMe5
電話局が近くにない郵便局にも、
電■報(■=電電公社のマーク)が表題の電報の頼信紙が置いてあった。
民営化後は、NTTのマークになったバージョンがあったのだろうか。
民営化されると、FAXを使った競合商品のレタックス
(登場当時はたしか電子郵便と言っていた)ができたのと
国が民間会社の代理業務をやるのはおかしい、という論議があって(?)
郵便局は電報業務を辞めてしまった。
中卒市役所勤務で退職金が2000万だったらしいよ、昭和の時期だけど。
昭和の頃は、旅行の際の旅館の部屋とか、
内容は分からなくても○万円の部屋という風に選んでいた。
一番安いのは避けようとか。
もっといろいろなもんが、店・業者からの言い値で、料金別に松竹梅みたいなコースを提示されていた。
いまは、必要な用が足せればギリギリまで安いもので間に合わせようとするし、
福袋にも内容を開示させようとするな。
あーそうだね
「分からないからお任せします」的なことが少なくなった
子供の頃に爺様から郵便配達で家まで建てた人の話を聞いた時は
地道にコツコツとすげーと思ったが、今になって思うと単純労働で
そこまで稼ぐのおかしくね?って考えてしまう。
282 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/04/05(木) 23:00:50.55 ID:k+WS9SAL
「愚直」で資産を築くと、尊敬されたのが昭和。
疑問視するのが平成。
普通、運用するだろ。
職業〒だけど、今は区域の管理とか転居関係のデータとか配達資料整備(当然これもPC管理)とか
そちらのほうが忙しい。全部中央のサーバで集中管理されてるからそのへんのオペレーションと、
バイトさんがたくさん入ってるからその管理とか、昭和時代と比べてかなり質が変化してる。
「愚直」で務まる仕事をやってる正社員がたくさんいたのも「今じゃ考えられない昭和の生活」だと思う。
今の郵便局は、何もかもオートメーション化
されてて、覚えなけりゃいけないこと多くて大変そうですな。
そういや、昭和の電電公社の時代に高卒で入った奴は、今
結構偉いさんになってるな。市役所とかも高卒のほうがはるかに
入りやすかった。え?こんな奴が?ってのが一杯あった。
世の中にまだまだ余裕あったんだなあ。
>>274 余談だが、ライオン丸でヒカリ丸を演じた白馬は、その後、ダイナマンでメギド王子の愛馬
「流れ星」(これも、白馬童子の愛馬から引用した名前)を演じて、86年頃に死んだそうな。
>>272 叔父が電電公社→NTTと横滑りして定年退職。
郵便局に置いている電報のフォーマットはNTTマークになっておいてあった。
郵便局がレタックスを始めてからは知らない。
288 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/04/06(金) 23:04:15.34 ID:gYFyLvjf
>>251 アレが発展すると腕時計型のテレビ電話に(もちろん腕時計に顔を近づけて
喋ってる様子が写る、歩いていれば全身が)なる予定だったのに・・・
腕時計のベルトに付けるカレンダー流行ったよね
>>285 なんのためのオートメーション化なんだろうねw
人減らしの為だから。
>>285 昭和50年代に高校卒業したけど、高卒の進路選びは
実に気楽だったな。2/3が大学進学、1/3が就職してたけど
就職組はイコール「大学行けない組」だったので成績も
よろしくない連中が多かったけど、それでも第一勧銀
(今のみずほ)とか日産とかにも就職してたのがいたな。
大蔵省(当時)に行ったのもいた。
>>251 昭和62年ごろ弁当箱みたいの、肩から提げていた。
電車の中で地上げ屋みたいのが一人でデカい声でしゃべってた。
聞こえよがしに「○億だろ、あれは」みたいな会話。
「病院へ行こう」という映画の中でさなだひろゆきがでっかい携帯使ってる映像が見れる。
>>289 あったねーw 折り曲げてバンドに固定するんだよね
会社に毎月来る保険のおばさんがくれたな。住友生命。
嫁の場合
高卒→某病院でお礼勤務をしながら看護学校を卒業
金が無くても看護士になることは出来た。
お礼勤務
看護学校の授業料を病院側が負担する代わりに
卒業後何年間はその病院で働く
昭和の時代はこういう人が少なくなかった。
しかしアサピーが「お礼勤務は非人道的」ってキャンペーンを貼り
いつしか廃れた
そして「新聞奨学生」マンセーなキャンペーンを行なった。
>>297 マジかよ。経験者として言うが新聞奨学生こそ奴隷だぞ。
ああ 94年頃だっけ
お礼奉公とかが随分問題になってNHKでも取り上げられていた
「お礼勤務」って別に他の看護婦より夜勤が多いとか
給料が少ないとかじゃないんだよね。別にいいじゃんと思ったよ。
東海大の看護学校なんて確か在学中に給料までくれたよ。もちろん
小遣い程度だけど「バイトなんてしなくて済むように」という配慮で。
>>300 お礼勤務が無くなって
同時に看護士不足が問題になったね
ってこれは平成話か
名前を上げれば誰でも知ってるような大手企業の奨学金もらう代わりにその企業に就職しなければならない
という美味しい制度もあったな。そうしない場合は奨学金返済すれば良かった。
今もあるのかな。
304 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/04/07(土) 12:16:01.49 ID:7Y+Ne2bj
防大とか似たような感じじゃね?
町を歩いてると声をかけてくる自衛隊のオッサンとか補導されると
採用試験の願書をくれるお巡りさんとか今はいないみたいだね。
305 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/04/07(土) 12:22:42.80 ID:rzFT1nbq
うんこ くみとり(笑)
306 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/04/07(土) 12:23:15.21 ID:rzFT1nbq
ケツの下に大量のうんこ
夏は目が痛い
307 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/04/07(土) 12:23:46.05 ID:rzFT1nbq
うんこやまもり
>>304 ああ ちょっとやんちゃな男の子が自衛隊にスカウトされた話はよく聞いた
当時の自衛隊は破壊組織みたいな扱いだったから人を集めるのに必死だったのだろう
>>303 うちの兄貴、それで高専から技科大に行って、就職してから社会人留学みたいな形で大学院にも行ったよ
早く社会に出たいし親にあんまり負担かけたくないからって高専に行ったのに、気がつけば兄弟でいちばんの高学歴だわw
それにひきかえ・・みたいな?w
防衛医大とか自治医大は今でもそうだな>卒業後一定期間自衛隊や地方医療をやると学費タダ
東電学園ってのもあったな
工業高校卒の生徒を2年間勉強させて
現場技術者にしあげる
卒業後は東電or他の電力会社に就職
税務大学校も。
就職先としての税務署の嫌われっぷりは当時もあったな。
親もいい顔はしなかったよ。特に親類にでも自営業者がいるところは。
>>315 わかる。昭和の商売って、いろんな意味で持ちつ持たれつだったから
公にできない数字をお互いに融通し合ってたりしたからねぇ。それで
経済が回ってた面もあったわけだから、杓子定規に税務署がメスを入れれば
いいってもんじゃないでしょ。
うちの実家も宝石商を営んでいたんだけど、脱税ではないにせよ、あまり
人には言いたくないお金で買ったり、余り人には言いたくない人にあげる
プレゼントとして何百万〜何千万単位の宝石を買ってくれるお客さんが
たくさんいたんだが、うちの店で使い込みをしてクビになった元店員がいやがらせに
偽のたれ込み情報を国税局に持ってったら、ある日一斉に強制捜査が入った。
もちろん叩いても何も出て来ないので、たれ込みを信じて強制捜査に踏み切った
連中は全員左遷。ところが客先に「あの店は危なそうだ」という噂が流れたので
上客が次々と離れてしまって、ついには潰れてしまったよ。
税務大学校って今はないの?
知り合いが大学行かずに高卒で合格し、1年間寮生活を送りながら
猛勉強させられたらしい。大卒者に猛烈にいじめられたそうだ。
税務署に就職してから夜学で大学行ってたわ。
今思えばすごい頭のいい子だったんだな・・・。
>>317 今でもあるけど高卒でV種採用者が研修を受けるのは船橋や大阪などに集約された。
自分も進学資金がないので行った口だが体壊して辞めた。
自分が小学生の時、
「お爺ちゃんお婆ちゃんに戦争体験を聞いてきましょう」って宿題があった
うちは近所に祖父母が住んでたけど、戦争の話はしてくれなかった
語りたくなかったんだと思う
こっちが学校で聞いた戦争の話を勝手にして、それに対してただ相づちを打ってただけだった
だから、それを適当に作文にした
今思うと、ひどい宿題だなあ…祖父母が身近にいるとは限らないというのに
「お母さんのごはんで一番好きな物は?」という質問もあったし
今だったらなんでお母さん限定?ってことになる
320 :
タツノオトシゴ:2012/04/09(月) 01:01:02.71 ID:dRePfbi5
『大人なったら就職して早く結婚して 結婚したら子供を生む』 何やそれ? 金儲けのルール?
んでお前が未熟過ぎて子を育てられへんくなって一言『生むんじゃなかった?』
商品?
お前の残りの人生使って子供に謝れ
そんなに産んだこの子供達が要らんのなら俺に渡せ 命を返せ! ! ! ! クズが
親のお前もまた親から生まれた絶対に愛されなあかん大切な子供、命や
お前らの寂しさと憎しみは俺の戦闘力を3から100000000000000000000000000000に変えた
By 羊に羽が生えた世界に最後の戦いを挑む者・カカロット
https://twitter.com/SHOTHEMC
>>319 話したくない人もいるだろうね。
自分が子供の頃習ってたそろばん塾の塾女は米軍相手のパンパンだったらしいw
よく更正したなあ。
>>321 そういうレスされると、まるでうちの祖父母も、やましいことがあったから話したくなかったみたいな流れになってしまうではないか
戦争体験を祖父母にきく課題あったな〜
田舎の農家だし特に不自由した話もなくてあっさりしたもんだったわ
今の子供たちは映像とか書物でしか戦争を知らないだろうから、
日本中の人が戦争で悲惨な目に遭ったと思い込むのかな。
うちの地元は空襲も無く、進駐軍の駐留もなかったそうだし、
うちの両親は子供でその上の世代でも出征した人がいなかったから
戦争の悲惨な話ってリアルで聞いたことがない。そういう人、地域も
結構あるはずだよね。
俺は北海道だが、カルタの「さ」の絵札とかで桜+ランドセル背負った新入生という構図や、
のび太君やカツオ君は冬でも半ズボンで登校というのは東京が基準だと理解していた
戦争体験も同様で、俺の曾爺さんに当たる人が満州で戦死したぐらいで直接被害を受けた人は殆どいない
東京の出来事≒全国の出来事 なんだなあと偏狭の地で思っていたよ
別に文句を言ってるつもりはない
首都東京はそれだけの影響力があるんだなと言いたかっただけ
地方でも都市部はそれなりに空襲があって大変だったようだけどね
うちの地元、大都会岡山市も大空襲はあったし
他の地方都市部も空襲とか遭ってんだろうなと
ただ記録や文献としては知ってても、実際そういうのあった人に話聞いたりしたことがない
そりゃまぁそんな中にいたら死んでるわな
うちの祖父満州行ってロシア捕虜だけど、怪我して帰らされたし
世間で聞くロシア捕虜談とえらい違い
>>325 都内の私立小学校だったけど男子の制服は真冬でも半ズボンだったな。
寒くないかと言われれば無茶苦茶寒かったけど、寒い場合は高学年でも
タイツ着用だったから我慢してた。
戦争と言えばうちの親父が館山に疎開してて、東京大空襲の夜は夜景が
綺麗だとみんな人ごとのように見ていたと言っていた。
うちも千葉だけど、父は大空襲の時、「東京からお金が降ってきた」
(比喩的な意味ではなく本当に100円札?が降ってきたらしい)と言ってた
うちの爺さんは、南の空が明るいのは何でだろう?と不思議に思ったそうだ。
>>328 広島に原爆が落ちた時は、呉市に100円札どころか、障子戸が降ってきたそうですよ。
当時小学生(国民学校生?)だった農村部出身の祖母が言うことには、
その親たちが、着物とかを持って買出しにやってきた東京モンに、
レーティングをどんどん吊り上げていくさまを目の当たりにしていたそうだ。
>>330 呉軍港で働いてたうちのじーさんが同じ話をしたときにウソだと思ってふーんで済ましてたが、
神戸の地震で山一つ向こうが火の海になった時に、風に乗って段ボール箱の形のままの灰が振って来て、こりゃじーさんの話もある話だなと思った。
欽どこ(70年代放送分)だと
ゲストとのトークで戦争ネタが出て来るんだよな
大抵は疎開の話だが
二十年位前まで戦時中に掘った防空壕跡にサトイモやジャガイモを入れて保存していたんだけど
落石があると危ないってんで今では立ち入り禁止になってる。
20m程のトの字の横穴だったけど奥は涼しくてカマドウマしかいなかった。
カマドウマの気持ち悪さは異常
昔古い家住んでた時は風呂やトイレによくいたな
やめてカマドウマやめて
虫全般大丈夫だけどヤツだけはダメ
337 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/04/09(月) 23:56:08.93 ID:+MU4Cewx
カマドウマって目つきが虚ろだよね。
すぐに足がもげたりするし、
「日蔭者」って言葉がぴったりだ。
便所コウロギって言われてるやつのことかな?
>>327 父親が千葉で兵隊してたので助かった。
母親は茨城の取手の先に住んでたが、東京大空襲の火事は見えたそうだ。
カマドウマってあの足が嫌
なんかやたら筋肉質でなまめかしくて気持ち悪い足してるよね
素足で踏んじゃったことがあるとです…
まる虫は好き?
そういや何年もダンゴ虫見てないな。
土に触れる機会がめっきり減ってしまった。。。
大きな石どかせばどっちゃりいるよ
どかしてみ
蟻地獄に蟻落として
蟻が捕まりそうになったら掘り起こして救出するという
意味の解らない遊びをしてた
田舎で暇だったんだもん…
地蜂の穴にねこじゃらしの茎を突っ込んで振動を感じて、あ、いるいるwって遊んでた。
ゆっくり引き上げると蜂が茎にしがみついて出てくるから釣れた釣れたと大喜び。
俺も田舎で暇だったからw
>>332 うちのばーちゃんが呉で仕事してた時に、遭遇した
原爆のこと話してたなあ。何かカマボコかなんかの数
数えてたら18,19っていう時に凄い音ときのこ雲が・・。
って。原爆じゃないけど親父が呉軍港で勤労奉仕やってて、
呉が爆撃された時は道の真ん中しか歩けなかった、って
言ってたな。両脇の家が全部延焼中で熱くてたまらんかったそうな。
爆撃あった後に、水引いた川の砂州にビッシリ焼夷弾が
突き刺さってたそうな。よく聞くグラマンとかの機銃掃射も
しょっちゅうあって、よく海や川に飛び込んだそうな。
爆撃でお亡くなりになった人の後片付けが大変で、
最初は嫌だったけどすぐに慣れたって言ってた。
カマドウマって暗闇でピョンピョンしてるあれかw
こないだ押入れ掃除してたら、ピンポンパンのレコードが出てきた。
歌詞の紙に、
石毛恭子お姉さんとかの現住所が
番地まで書いてあってビックリした。
…ちなみに練馬区でした(藁
そういや近所の信用金庫、窓口に座ってる人の
プロフィールとして現住所や電話番号まで書いてあったな。
さすがに今はやってないけど。
昔は野球選手の名鑑に自宅住所が載ってたもんな。
寮に入ってる若い選手だったらなんと実家の住所、しかも家族の名前まで全部。
芸能界でもある時期までは普通に出版されてる芸能雑誌に住所が出てたし、
漫画雑誌にも「○○先生にファンレターを出そう!」ということで○○先生の自宅住所が出てたもんだった。
うちに昭和40年代の漫画大百科とかいう本が現存してるんだけど、
そうそうたる先生方の自宅住所一覧がついてる。
これを見ると山上たつひこが当時大阪在住だったとか、松本零士と牧美也子は既に夫婦だったんだなとか
長谷川町子の住まいは同じ桜新町でも今の美術館とは違うところだったようだ、となんか色んなことが分かる。
それだけ治安も良かったし、さほど問題にならなかったんだろうなきっと。
岡田奈々の自宅に今で言うストーカーが押し入って朝まであんなことや
こんなことをしたっていうのも有名人の住所がある程度明かされていたから
なんかな?
>>352 まんがの描き方って本も。昭和40年ごろの本。
けっこう練馬区が多い。
今だって熱狂的なファンは、興信所とか使って住所調べるんじゃね?
そこまで逝くとストーカーだがw
>353
違う違う、治安は悪かったけどそれをだれも問題にしなかっただけ
吾妻ひでおとかの回想読むと、新作が載るたびに罵倒の手紙を直接投函する奴がいたそうだ
野球選手なんかも成績が振るわないと家に色々な物が送りつけられたとか
単なる庶民でも普通にお父様お母様って言ってた
うちの親も爺ちゃん婆ちゃんに対してそう言ってたわ
あと、うちの婆ちゃん、スネオのママみたいな典型的なざーます言葉だったな
「〜でございますのよ」とか
これは東京の方言か
漫画版サザエさん見てもそういう喋りだけども、今じゃありえない言葉だ
芦屋の大地主の土地でやってる駐車場借りた時にそこの奥様から聞いたことあるぞ。
>>359 言葉にも流行り廃りがあるからねえ。
どっかで出てたが、女性の「てよだわ言葉」は、下町のおっさん言葉を柔らかな口調にしたもの。
そういや、鬼瓦権造さんの喋り言葉を文章にするとそんな感じだ。
原爆死した女学生の家族あての手紙には、末尾にいちいち「ですのよ」「ますのよ」とついていた。
お嬢様風が当時の流行りらしい。
子供時代の写真は、皆ボンネット帽だし。
362 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/04/13(金) 13:09:46.14 ID:tRGvP4Lw
>>352 大昔のこち亀のコミックスのカバーに書いてある作者のコメントに
宛先が亀有公園前派出所になってるファンレターが来るってのがあった。
自宅に来たのか、編集部に来たのかはしらないけど。
>典型的なざーます言葉
いわゆる「山の手ことば」は要するに山の手地域の方言だからな
昔はコミケのサークルカットでも住所氏名を書くのが普通だったな。
メールとかない時代だったし、今ほど危険意識が薄かったんだろうな。
「ざぁます言葉」は学生時代に中元・歳暮配達のバイトをしたときに何度か聞いたことがあるな
うひゃあ、ホントに「ざます」っていう人がいるんだ?ってビックリした
跡取りの意味もあるのか、長男も次男も姉から「さん」付けで呼ばれていた。
うちの母親が三女でその後やっと生まれた長男と次男。
長女、次女からも「さん」付け。逆に弟たちは姉のことを「ちゃん」付け。
あー、うちも「さん付け」で呼ばれたわ
でも男とか女とか長男とか長女とか関係なく、全員さん付け
爺ちゃん婆ちゃんや親、親戚に呼び捨てにされたことが無いw
漫画だけど
サザエさんがカツオに「カツオさん」
パーマンで母親が息子(主人公)に「ミツオさん」
って呼んでいるね
>364
そのせいで推し掛け事例が多発して合宿所が(ry
>>366 あったな。末っ子でも長男は上座に座るし、お祝い事でもあからさまに差をつける。
福岡出身の知り合いの家はいまでもそうらしい。
最近はそうでもなくなってきたみたいだけど、当地では「喪主は長男」というのが決まりで
若死にした人の場合、小学生や、どうかすると幼児が名目上の喪主だったりしてたなあ
古い家だとちゃんと紋付を着せたりしてた
俺も高校生の時に母方の祖父の葬式で喪主を務めた(特に何もしてないけど)
祖父には息子がいなかったので長女の長男である俺にお鉢がまわってきたんだな
>>370 俺は昭和30年代の生まれで、旧家でも何でもなかったけど
やっぱり長男優先だったなぁ。お祝い事に呼ばれても連れて行くのは
4つ上の兄のみ。俺はお留守番。正月、目を覚ましたら家に誰も居なくて
夜みんなで帰って来たということもあった。
兄は大学まで行かせて貰って、入学と同時に免許取ってフェアレディZの
新車を買ってもらったな。俺は成績悪くなかったけど早く自立したくて
高卒で就職。免許も車も自費でまかなった。ついでに兄の結婚式は盛大に
行われたが、俺は自分で細々とやった。兄の結婚式に呼ばれないとか
俺の結婚式に親が来ないとか、そこまではなかったけど。
ただし、兄は否応なしに家業を継ぎ、バブル崩壊の煽りを受けて実家は倒産、
兄は若くして1億近い借金を背負うことになった。俺はすでに独立してたから
影響なし。結果としてどっちが良かったんだかねー。
人生のいいところを先食いしちゃったんだろうな、これからご両親の介護や見届けも待っているだろうし。
しかも自分はそれが普通と思って育ってるから先食いした実感は無いんだよな。
主観的にはかなり悲惨だろう。
375 :
372:2012/04/14(土) 20:17:09.15 ID:8NnJCQbp
>>373 >>374 父はすでに他界、母は80過ぎでも元気(ピンコロタイプかなぁ)。
兄が偉いなと思うところは、事情の借金を背負ってるにも拘わらず
弟の俺に愚痴一つこぼさないこと。やっぱり子供の頃は自分のほうが
優遇されてたって実感があるのかな。
>>371 そういえば小3でオヤジの葬式の喪主やったな。当然名前だけ。
長男のことを「位牌持ち」と言う田舎。
配偶者(妻)より長男の方が立場的に偉いの?
喪主って配偶者がやるもんだと思ってた
当主の嫁と次期当主
どっちがえらい?
557 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日:2012/04/15(日) 00:13:42.80 ID:y4lCa7v00 [3/3]
>>549 俺が読んでた頃は1ページが上下二段にわかれてたなw
>>376 それで行くと、死んだ当主の嫁は、「写真持ち」だな。
うちの方は長男がそれなりに歳行ってれば喪主、そうで
なければ当主の嫁が喪主だったな。でもオフクロが
ボケてたんで喪主は長男の俺がすることに・・。って
昭和のハナシじゃねえな。
昭和って言うより、地方か都会かって話だなあ
>>372>>375 >>366だけど、長男じゃないと優遇されないんだね。
うちは叔父の話なので長男昭和4年生まれと次男昭和7年生まれ。お宅と同じ、事業失敗で
破産、病死、70歳ぐらいで。一家離散だが次男(叔父)は商売上手でまだ生きていて今年80歳。
次女(伯母)は88歳。今年母(三女享年74歳)の十三回忌で会うかもしれない。
うちは昭和50年代生まれだけど
長男は確かに優遇されてたな(自分は末っ子で女)
家事やら何やら私にばっかり女の子だからやりなさいって言いつけてたくせに
長男は長男の自覚も特にないし
何だか損だなと思うよ
家事・炊事は女の仕事だろ
んじゃ外でしっかり働いて稼いで来るのは男の仕事だよね
それが出来ない男はクズってことでいいよね
うっ、・・・
お前らいいコンビだなw
長男教が残ってたのも昭和かもしれんが、
核家族化が進んだのも昭和だし、マスオさん現象が広まったのも昭和だろ。
俺は長男だが、家族4人の典型的な核家族家庭だったから、長男もくそもなかった。
継ぐものなんてなかったし。
昭和30〜50年代くらいの生まれだと、「長男の長男か次男以降の長男か」で
随分違うかもな。後者は核家族の可能性高いから意識がまったく違ってくる。
俺は三男の長男だけど、親父が就職で都会に出てきて核家族だったから
たまにど田舎の親父の実家行くと噛み合わなかったw
昭和初期の農家では、旧制中学に行かせてもらえるのは長男だけだったという話聞いて
なんてひどいんだと思ったけど、考えてみればこの辺だと当時は千葉高と木更津高くらいしか
旧制中学無かったから殆どの人はどっちみち入れなかった
リアルな話、うちは今でこそやってないけど代々豪農だったので
たくさん農地や山を持ってるわけで
長男の兄がその遺産つぐことになるんだろうから
頼むからしっかりして欲しいんだよね
親が甘やかすからこういうことになるんだろうなと腹が立つ
こんなところで愚痴失礼
392 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/04/15(日) 19:13:00.66 ID:qC8KqEpt
変な話、特攻隊員の選出基準に長男と一人っ子は除くってのがあったけど、
当時はそんだけ家が大事って感覚だったのかな?
男の子が生まれて一安心って遺書に書いて飛んで行った隊員もいたらしいし。
393 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/04/15(日) 19:18:11.01 ID:tU911Ihi
そもそも家督は徴兵されないんじゃなかったっけ
戦争が激化して時代によって基準が変わったってやつじゃないの?
理系の学徒も最初は免除だったはずだし。
>>393 某県の大豪農の家督が徴兵されて戦死してその家はあっさり廃絶という実話があるお。
…うちの母方の祖母の実家だけどね。
ウチは農家じゃないけど、長男のオレには厳しく、弟・妹には甘かったぞ。
長男以外はいずれ家を出て行くから、今のうちにいい思いというか、長男以外にはたいしたものが譲れないのか。
オレには、身上を潰さないよう、辛抱を教えられた感じだ。
オレは菓子や勉強に役立つもの以外の、オモチャ類なんか買ってもらえなかったが、
妹・弟は、誕生日とかのいわれもないのに買い与えられていたし、
夕食直前でも菓子・ジュースは飲み放題、食べ放題。(オレには厳禁だった)
マンガもゲームも無制限だった。
不平を言うとビンタが飛んできた。
地方だったせいか、小学生だった頃は、スーパーが出店する以前の個人経営の「○○食料品店」しかなかった。
取り扱うメーカー・商品に限りはあるもので、
ポテトチップスは湖池屋がカルビーより10年以上前に発売していたにも関わらず、
「100円でぇ〜」のCMでカルビーが発売するまで、ポテチというものを知らなかった。
シンプルなのに、こんなウマイお菓子があるなんて…と50年代に入ってから感動したもの。
かっぱえびせんが人気商品だったせいか、カルビーの取り扱いはあったようで、
ライダースナック、札幌ポテトはよく買っていたが。
キャラメルも森永オンリー。
明治のヨーグルト・クリームキャラメルやカルミンが長寿商品だったなんて知らなかった。
ライダーカードのオマケにベタ甘いスナックが付いてくるというあの伝説のライダースナックかw
懐かしいな。
>>393 うちの母親の実家先代は長男だけ出征したよ。
次男は年齢足りなくて学徒動員。
>>397 確かに、カルビーが発売する以前にポテトチップスを食した記憶がない
カルビー以前の湖池屋は不味かったよ。
ぎゅうぎゅうに詰め込んであるから粉々になってて
油がギトギトに染みて透き通ってて
しつこくて量が多いから食べきれない。
だからといって残すとたちまち湿気る。
手に負えないしろものだと思った。
カルビーが中身スカスカの袋で出して
当初は空気を売ってるのかと揶揄されたけど
あれが正解だったんだな。
>>392 知り合いの小父さんの話で(前も書いたかも)旧制府立一中(日比谷高校)から
出征して後からか特攻隊になった長男もいる。南の島で戦死。
三男は旧制府立三中(両国高校)の中途から志願して特攻隊へ。
この三男は終戦で助かった。次男は不明。
403 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/04/15(日) 22:56:03.85 ID:tU911Ihi
そうか、それはすまなかった
>>401 小さい赤いタイの形のスナック(駄菓子)大好きだったな
ウチの父方の実家は見事に長男は徴兵されず
兵役に付いた次男と三男はどちらも戦死
実家にはその2人に送られた勲章が飾られてた
406 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/04/16(月) 02:01:36.16 ID:60mfVI34
3種の神器だな
あの頃冷蔵庫ほしくて、必死で金貯めたからな。
初め家に冷蔵庫来た時は、子供がキャッキャ喜んで、自慢したくて、友達を沢山連れて、来たのは、良い思い出だな。
>>401 そういえば、昔の湖池屋チップスは今のようなアルミ袋ではなく
ビニールっぽい袋で、小売店では日光当たりまくりで中が酸化してたこともあった。
中身が細かく砕けていたこともあった。
ライダーといえば、ストロンガーの方が亡くなりましたね。
自分はリアルタイムでは見てなかったが、合掌。
見てたのは1号2号、V3、スカイライダー、スーパー1。
>>404 はね鯛ですね。
消防の頃、同級男子母が参観日に二歳女児を連れてきたんだが、その子がずーっと授業中の教室で
それ食ってて、お兄ちゃんにも「はいどーじょ(当然食えない)」すんのがうざかった。
かっぱえびせん以前は、甘辛味の小麦粉スナックが多かった。
>>406 俺が生まれた時にはうちにはもう冷蔵庫も洗濯機もテレビもあったから、
それが当たり前の世の中だと思ってたんだが、ある時、近所の人の買った
肉か何かをうちの冷蔵庫で預かってるってことを知った。そのお宅にはまだ
冷蔵庫がなかっただんだな。無いということが理解できなくて、何でうちで
預かるんだろうと不思議に思ってた。
>>410 そういや昔は電話がない家とかも多かったよね。
子供の頃、それほど親しくないけどたまに電話を借りに来る
近所のおばちゃんが保険の外交を始めて、「うちは電話がないので、
名刺にお宅の電話番号入れさせてもらいました」って報告に来て
親父が物凄く怒ってたから、子供心に「なんで怒こるんだろう?」と
思ってた。いま考えたら当たり前だわw
クラス名簿でほんの数人だけ電話番号の横に(呼)となっていて
何だろうと不思議に思っていた。
ウチのほうは、農家を中心に農協の有線が普及していて、
(有)○○ー××、となっている家が7〜8軒あった。
↑有限会社のことではない。
>>412 そういや以前は各種の申込書の電話欄に「(自 / 呼)」の丸付け欄があったな。
昭和がどうかわからんが、「たけしのウルトラクイズ12回」にクイズコーナーがあり
女子高生の三種の神器は?という出題で回答が口紅、名刺、ポケベルだった。
そんな時代あった?平成初期かな
昭和の終わりごろで、若手サラリーマンが会社から持たされる、って時代じゃなかったかな。
数字だけの表示で、ベルト通しのついたケースに収めていた。
ドコモに分割される前の、モロNTTマークのついた奴。
まだ保証金が2万円くらい必要で、OLや大学生には普及してたかな?
下宿学生にはようやく固定電話が普通になってきた頃だとおもう。
電機屋で留守電機能電話機買ったついでに0077とかに加入するとか。
で、ベル持った奴は、飲み会なんぞで得意になってベル番教えて、
かかってくるはずのない社内(こと会議中)でベルが鳴るのであった。
>>397 スーパーができる前だと、洋服も個人商店の○○洋品店しかなかった。
大人向けの紳士服や呉服の専門店はあったが(これも個人経営)
で、その1軒の洋品店に紳士・夫人・子供服が並べられているのだが、
ことに子供の下着まで店頭に並べるスペースはなく、洋服を買うついでに、
この子のサイズのシャツとパンツを何枚と頼んで、奥(倉庫)から出してもらうという感じだった。
低学年までだと、TVアニメのキャラのワンポイントが入ったものが適当に出てくるが、種類は選べなかった。
中学年になると、そういったのは幼稚になるのか白一色の子供グンゼ。(男子の場合)
女子はブルマはきっぱなしで分からなかったけど、たぶんおんなじじゃないかな?
>>415 うん 昭和終期から平成初期ごろそういう高校生がいた
で暗号みたいなもので会話していたのをよく雑誌が取り上げていた
今日の夕食で子供たちがかぼちゃの煮物を奪い合ってたのを見て思ったんだけど
俺らの子供の頃はかぼちゃとかにんじんが今と違ってもっとマズくて独特の
匂いがあったと思うんだけどどうよ。今のは品種が違ってるんだよね?
かぼちゃ、にんじん、ピーマンって子供の嫌いな野菜ワースト3だったような。
江川-ピーマン-北の湖という言葉もあるけど。
芋たこなんきん女の好物って聞いたことある。かぼちゃ(南瓜)はまずくなかった気がする。
昭和ヒトケタの父親の回想によると、父親が子供の頃はトマトは臭い物という印象があったそうだ
あーそうだね。トマトは独特の薬臭い臭いがした。
女は昔から芋とかぼちゃは好きだったと思う。
そうだなぁ・・・・かぼちゃ、昔のほうが美味かった。
野菜と言えば、小学校の時の調理実習できゅうりのへたを切ってからグルグル回して灰汁を取ると習ったけど
きゅうりってそんなに灰汁ないよね?昔のはあったのかな
>>423 昔は下手の部分に苦みが溜まってたのでそうやってたけど
最近のは品種改良されたから不要です。
>>423 やったやった。やるとなんかペースト状の白いものが出てきたよ。
でもあれってさそのちょっと先を切ってまたやるとまた出るんだよね。
キリがない。
>>424 家庭菜園で作ったキュウリに、時々すっげえ苦いのがあるお。
ニンジンは、あいかわらず「嫌いな野菜」で上位にある一方
「好きな野菜」でも上位に顔を出すことがあるようになったらしい
ほうれん草も、今では「カルシウムを破壊する」と敬遠されるようになったし、鳥や牛豚のレバーも
「ダイオキシンや抗生物質の行きつく先」というイメージで敬遠されるようになりました。
今は生で食える雪下人参があるからなぁ…今の時代の人がちょっと羨ましく感じる
その昔、中一コースを読んでたんだが、あだち充とその実兄のあだちつとむが
漫画を描いてた。
名前を思い出したので懐かしくてぐぐったら、もう亡くなってたんだな…。
女の子はメチャ可愛かった。
その世代なら、ミクといえば、初音ではなく、御厨さと美のことだよな。
学習雑誌の読者コーナーやらでよく見かけた宮のぶなお。
おねいさんの絵はえらく上手いのでどうしてだろうと思ってたら、弓月光のチーフアシなんだってね。納得。
>>430 「兄貴は全然売れてないのに、弟は売れっ子ですねpgr」なーんて投書が来ると、もう嬉々として載せてたなあ。
宮のぶなおが土田よしこ(赤塚不二夫がただ1人とった女弟子)とつきあってたなんて知らなくていい事だからな。
冗談はよし子さん
__________
\ \\Π |
.. I ̄ ̄ ̄ ̄\Kコ |
.. l'⌒ヽ '⌒ヽ\\.|
|,'⌒ヽr'⌒ヽ く\ |
| , ni n } ヽ レ⌒i
| c 6 j
/ __ rー'
 ̄) ̄ ̄/ ) i ____
i⌒ヽ,_/_/ | /
ヽ ノ < よし子先生!
`'−-r / \_
そういや梅さんって空手八段なんだよな。
「つる姫」で、クラスの男の子が、好きな女の子のタイプを話してて、
「石鹸のにおいがするような女の子が好きだなー」と言ってるのを
聞いたつる姫が、誰も見てないところで
「私だって、私だって石鹸食べたら石鹸のにおいぐらいするわい」
と泣いていた、というのを今でも思い出す。
>>437 手刀できゅうりをあっという間に薄切りにしたシーンがあったw
ドラえもんの声で知られる大山のぶよぶよ氏とサザエさんの声で知られる加藤みどり氏は、
それぞれがはまり役となる前は、野沢雅子氏とほぼ同じポジションの
「やんちゃな男の子」(的)役をよく演じていた。
大山のぶよ…石田国松、のらくろ、初代磯野カツオ
加藤みどり…カンちゃん(ハクション代魔王の宿主)、デコッ八(もーれつア太郎)、チビ丸(ピュンピュン丸)
サザエさんやドラエもんが、これほどヒットしなければ、
このお三方は、永遠の少年御三家と言われているかもしれない。
失礼なやっちゃな
442 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/04/18(水) 23:52:57.41 ID:ip9QT6jR
>>416 医者の世界では飲んでる→ポケベルで呼び出される→飲酒運転→
お巡りさんに見つかるが見逃してくれる→オペをする。なんてのは
当時は当たり前だったとウチの父ちゃんが言ってた。
>>442 叔父が監察医かなんか知らんが警察関係の医者をやっていたんだけど、
これがまた酒飲みで、しょっちゅう飲酒運転してたそうだ。管轄内で捕まると、
「先生、代わりを呼びますから後ろに乗ってください」と後部座席に座らされて
代わりの運転手(警官かどうかは不明)が家まで送ってくれたそうだ。もちろん
飲酒運転のお咎めはなし。古き良き(?)時代の話。
団塊世代の叔父さんの話だが、S40年代に働き始めてすぐに免許とって車買ったんだと
土曜の夜は飲みに行く→そのまま朝までドライブ が定番だったとのこと
たまに警察に呼び止められることもあったが、
「あー運転手さん、お酒飲んでるんだ。気をつけて運転してよ」だってさ
445 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/04/19(木) 10:30:33.00 ID:441h3fLe
ギリ昭和生まれだから、あんまり覚えてないけど
よく親父に煙草買いに行かされてたな。あのころの喫煙率はすごくて、
男なら全員のんでるといっても言い過ぎじゃなかったよね。
煙草のまない人のほうが珍しかった。大人は吸うものだと思ってたな。
親父の匂いは煙草の匂いだったな。
446 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/04/19(木) 10:41:12.41 ID:LF4bUnXx
10円か20円で
モンジャ焼きが食べられました。
常連の婆さんは、50円以上で生卵が入っていた。
これが、羨ましくね〜
羨ましくねえのかよ!
未だにもんじゃ焼き食べたことないや
>>445 親戚が集まると叔父さんは全員吸ってたな。一人だけ叔母さんも吸ってた。
その叔母さんは独身主義でカッコイイ感じだったけど、お袋含めて叔母 / 伯母さん
達からはちょっと嫌われてる感じだったな。兄よりも俺がお気に入りで、
俺を観ると「○○ちゃんちょっといらっしゃい」と言って、昭和40年代だってのに
5000円とかお小遣いくれた。親に見つかると没収されて「困るから」と言って
叔母さんに返してた。俺も5000円もらっても困るから500円でいいと言ってたな。
後で聞いたら親父に俺を養子にくれと言ってたらしい(←こういう話があったのも
昭和だなぁ)。
私は平成2年の24歳の時に、叔母さんから養女にしたいと話が来たと聞いた。
叔母夫婦には、子供がなかった。
「行く?」と聞かれたけど、「行かない」と即答。
半年後には結婚が決まってたのに何で聞くんだ、うちの親。
あぁ、養子にしてくれ、はあったな。
俺も爺さんの家に養子に来てくれとかなり言われたらしい。
爺さんが小さな会社の社長だったんだが、娘(母)は女姉妹でだったから。
相続の問題もまぁあったんだが、家・土地・会社・ビル諸々とかを
(自分の血が入った)「長男」が「跡取り」として、という話だった。
結果的には断ったけどね。
長男・長男って話は最近聞かないな、そういえば。
親戚間で養子ってのはけっこうあったよな
ウチも母親の一番下の弟が、子供のなかった母親の叔父の家に養子に入った
まぁ、俺から見るとどっちにしてもおじになるわけだが
家族の秘密の古いスレ見ると親戚間での養子の話が良く出てるけど、
単に子供がいないっていう理由だけじゃなくて、相続絡みなんだよね。
昭和の頃の「血筋」っていうのは「一族」>「親子」っていう価値観だったんだろうね。
うちの親戚でも何件もあったらしい。
ネイティブアメリカンはインディアンだった
>>446 おれも、羨ましくねえのかよ!って訊きたいw
456 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/04/19(木) 20:55:40.02 ID:441h3fLe
>>449 当時三十路過ぎて嫁に行ってないと、かなり色眼鏡で見られましたよね。
その叔母さんは、時代の先を行ってますね。
昔は結婚せずにいると周りが放っておかず、
見合いさせまくってとにかくくっつけてたよな。
無職の男性にでも「結婚すりゃ真面目に働くようになるだろ」とくっつけようとしてた。
イヌイットはエスキモーだった。
>>456 その叔母さんは歌舞伎役者と浮き名を流したり、かなりの遊び人
だったみたいだよ。タバコを吸う姿が子供心にも粋に見えた。
洗剤を、お米計るようなカップで計って大量に投入して洗濯してたこと。
異様に泡が立ってたなぁ。今じゃキャップ一杯なのに。
>>457 そーいう奴は、結婚しても態度を改める訳じゃないので、妻子が煮え湯を飲まされるはめとなるのです。
ちょっと決めつけないでっ
>>461 その通り。
ベタなドラマやコントで、奥さんが造花造りの内職をしている所に、
酒や博打に溺れた亭主が帰ってきてクダ巻くシーンがよくあったよな。
「じゃりン子チエ」のテツもそんなキャラだった。
テツ酒飲めないんだよね
じゃりんこちえの面白さが全然わからなかったな
関西の人にしか解らないんじゃないかとか、文化が違う
とか不思議に思いながら昔漫画読んだわ
関西といっても、大阪市民でも、出来れば新世界には行きたくないからな。
こないだ大分から出てきた女の子が「串カツ食べてみたいから一人で行ってくる」と言いだして困ってしまったわ。
>>465 戦艦大和と肉じゃがの街では、背中に漫画が描いてあるおじさま方に絶大な人気を誇っておりました。>じゃりン子
新世界ってそんなにやばいところなの? 関東在住だから
想像もできん。
東京から大阪へ観光に行って2日目ぐらいに新世界行ってみたよ。
確かに面白いところだった。成人女性が男の肩車に乗って男の目を
両手で塞いで右とか左とか言ってた。写真にも収めた。
フィルムの写真なのでうpする方法を知らないから見せられないが。
なにそれ、言わんとするところは?
今は観光地化が進んで昔の混沌さを駆逐しつつあるかな。
警官も増えて隣の人外地区からの客引きも結構少なくなりつつある。
それでもまだまだ怖いところではあるがね。
>成人女性が男の肩車に乗って男の目を
両手で塞いで右とか左とか言ってた。
肩車されてるのが少年なら
バイオレンスジャックって漫画で
ロボットに少年が乗って操縦するという
マジンガーZの設定を
盲目の空手家に肩車された少年が
目の替わりになって指示するという
設定にもじった奴かと思った。
バイオレンスジャックもマジンガーZも
作者はともに永井豪。
バイオレンスジャックの舞台は
大地震で日本列島から分断化され
無法地帯となった関東。
>>469 川崎とか日暮里みたいなもんだし。
わざわざ行きたいと思うところでもないけど、
別に行くのを避けるほどのこともないで。
>>474 北区の生まれやけど、怖ぁてメインストリートから外れたところはよう行かんぞ。
476 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/04/21(土) 07:40:13.52 ID:IMVea6zn
バスに車掌さんがいた
今や電車でもワンマンなのに
自分も田舎から大阪来て行ってはダメな場所として教えて貰ったわ
東成、新世界、新今宮とかかな
>>469 ヤバいというか深いというか、異次元というか……
昔に比べたら安全になってきたから裏路地とか入り込まなければだいじょうぶだと思うけど
オッサンやオバハンに急に絡まれたりして怖い思いしても責任は持てんぞ、という感じか
大阪に来て20年以上経つけど、当時は勿論のこと、
観光客で賑わうようになった今でも、日中で人手のあるときにしか行くな、
と家人に言われている。
それも一人では絶対に行くな−ですよ。
481 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/04/21(土) 12:01:33.59 ID:JqoWF4aA
大阪行った事ないからわかんないけど、西条のこと?
子供の時、南海沿いの親戚の家に行くんで乗換えでよく新今宮に行った。
新世界の商店街でご飯食べたりもしたからかな、俺は平気だな、あの辺。
昭和のと言えば大阪では鶴橋の市場。今みたいに韓流とかいう言葉が無い頃に
よく行ってたけど、あそこはモロに戦後!っていう雰囲気を残してたな。
上司が韓国料理おごってくれるんでよく行ってた。
平成になってたけど、あそこは昭和だった。
東京で言ったら昔の新大久保みたいな感じかなぁ
>>479 よくあいりん地区は絶対逝ったらだめって言うけど、そんなに危険なのか?
>>484 前に屈強な男が一人で行ったんだが、帰って来たときは3人に増えてた。
嫁さんと子供つれて帰ってきたってこと?
あいりんだけに、
天皇陛下が退院時に病院玄関で医師や看護師に見送られてる映像を見て、思い出した
昭和の芸能人も退院時にいちいち病院玄関で花束渡されたりしてたよね
自分も子供の時に病弱でよく入退院を繰り返してたんだけど、「なんで自分が退院する時は誰も見送ってくれないんだろう」って不満だったw
あと結婚式中継とか、今でもたまにあるけど、あったら確実にpgr対象だよね
>>490 うちの子供が生まれてすぐ病気に罹って、3ヶ月入院して
退院したとき、小児科の先生と看護婦(当時)さん達が
花束くれて拍手で退院したよ。嬉し恥ずかしかった。
>485がどういう「洒落」なのかさっぱり分からない。
496 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/04/22(日) 00:43:33.31 ID:rXrCx01Y
通称 アイリーン
あいりんあいりんあいりん・・さんにん・三人・・
>>490 正面玄関じゃ無く裏口から退院するときなら、エンゼルケアをした看護師が見送ってくれると思うよ。
↑ んな訳ない。
うちの母のときは看護師と、たまたま手空きだった主治医が見送ってくれましたよ
運転手さんに「○○先生が見送られるのはめずらしいですよ」って言われた
(副院長で忙しい人だから)
病院の規模にもよるよね
小さな病院なら見送りあるかもしれないけど、聖路加とかあの規模でわざわざ見送りってよほどVIPじゃないと無理っぽい
わしも判らんけえ、誰か教えてつかあさい。
全然わかんねえ
オカ板の某スレではよく話題にあがるから知ってたけどさ
>>495 俺も分からんなぁ。
「汝の隣人を愛せよ」の「あいりん」だから、2人なら何となく分かる気がするけど。
だからナポリタン言うてるやないの。
ナポリタンの意味わかんね
ってか、西成やら新世界は、大阪に昔から住んでる人の方が
「行った事が無い」って人の方が多いと思うよ。
あと、別にどうってことが無い場所っぽいけど実はあんまり良くない場所
ってのも結構多いけど、そういうのも全部親に小さいころから言われ続けてるからな。
>>509 マジレスしちゃうと「意味ありげだけど実はなんも意味はない」ということ
>>507 「あいりん」ってそういう意味やったん?
一番それから遠いヤツらの巣窟やんw
1回の洗濯でスプーン3杯半とかね>昔の洗剤
金銀パールプレゼントも懐かしい
一度も当たったことはなかったけれど
カルビーポテチが内容量135g(今のLサイズの量)でスーパー価格88円ぐらいだったな。
>>319 今だったらガチで○○のお惣菜とかコンビニの弁当とか答える餓鬼続出しそうwww。
ちょっとスレチでスマソ。
昔一緒に働いてた人が息子(現30代後半)が一流小学校出身だって自慢して
たけど、その人と仲のいいおばちゃんから聞いた話。
その息子が学校のテストで「この中で畑で作られる物、工場で作られる物、海
で作られる物をそれぞれ振り分けなさい。」って問題で、都内在住だったその息子は全部工場に振り分けたって言ってた。
昭和50年代当時だったのにどーやら畑を見た事がなかったらしい。
それを担任から聞かされた息子自慢母は、慌てて息子を海や山、工場見学に連れてっ
たらしいけどその事が周りにバレないように息子に口止めしてたらしい。
バレたら笑い者になるのがプライド的に許せなく。
そんな母に育てられたせいか、息子現在引きこもりに。
>>213 算盤塾で一級の試験練習してて、二問ぐらい間違えても「こんなもん、間違えてたら
将来会社で働けんぞ!!」って分厚い辞書でブン殴られた。
今だったら即ワイドショーネタになりそうだな。
体罰算盤塾の実態!!とかいって。
あれから30年、「計算はExcelが全部やってくれんじゃん!!」
算盤やってて唯一助かってるのは買い物する時の合計額がすぐに暗算できる事ぐらい。
さっきのニュースで、養護学校の教師が体罰、みたいに
仰々しく取り上げてて、証拠の録音を流してたけど、
おれらが中高のときなら「何が問題なの?」ってレベル
だったな。むしろ「熱血教師」と言われてたかも知れん。
>>518 養護学校だから問題なんじゃん??
社会的弱者に暴言みたいな。
体罰する奴は養護学校なんかで働いちゃいけません。
オレは、昭和40年代の小学1〜2年の時分に4つ足の鶏をを書いて、先生が言葉を失った。
ついに田舎にもこんな子供が現れたか?以上に、絶句、ショックという表情だった。
写生だったのに。
動物は、言葉を覚えるついでに、アレが象だ、キリンだと覚える位で、生態にはまったく興味がなく、
まず動物は4本足で体を支えるように描くもので、アニメや絵本で見ていても全然目が行っていなかった。
幼稚園で行った遠足で行った動物園は臭くて汚くて、何でこんなところにつれてこられたんだろう、としか思わなかったし、
スズメやツバメも一杯いたはずだが、眼中になく、ツバメが来ると、家の周りを汚されるので、メイワクだとしか思っていた。
>>514 何年か前、すっかり小さくなったブルーダイヤ。
安かったので買ったら、金銀パールやっていて、懐かしかったw
洗剤が小さくなったときは革命だったなあ
>>522 西原理恵子の「人生画力対決」みうらじゅんの「記憶力スケッチ」を見ると、4本足の鶏を描いたくらいでは
「だから何?」としか思えません。
特に「画力対決」での、一流漫画家たちが記憶だけで描いた絵の凄まじさときたら…
「記憶スケッチ」と言えばナンシー関だと思ってたが違ったのか(´・ω・`)
岡持ちといえば、かき氷の出前に使うものだった
おれが願望・妄想で結び付けているだけかも試練が。
既婚男性がたまに風俗に行くのは半ば公認ではなかったか?
昭和40年代、オレが園児〜小学生、父親が30前後の頃だ。
田舎マチ(一応市)だったので、ナントカ風呂とかナントカサロンのような
あからさまな風俗店はなかった。
父親はよく夜、飲みに行っていたが、時々ちょっと雰囲気が違っていて、
帰りがかなり遅い(オレが寝ている間で気づかない)ということがあった。
「今日パパは、いいトコマンザイ??(まんじゅう??)に行っている」
「おとなになればわかる」
母は、ちょっと吐き捨て気味に言い、それ以上は聞けない雰囲気があった。
その時は、キャバレーのようなベタベタしたサービスをする店に行っていると…実際はそうだったかもしれない。
母のいい方は、息抜きのひとつ、おとなの男のひとなら仕方ないわね、という雰囲気。
翌朝大喧嘩なんてことはない。
そのあたりの知識がついてくると、母側の体調とかで応じきれなかったのでは?と
ちょっと怪しげな雰囲気の飲み屋が何件かあり、
早い奴だと高校、あるいは町内、消防団などに入ると
そんな店で「仲間入り」??…という話(ウワサ)も聞いた。
そんな店も昭和が終わる頃に姿を消していたような。
昭和の、地方では、そんな風だったのかな?と思う。
半ば公認ってところは「ど田舎」だからだろうな。
>>529 うちの父は、フィリピンやタイに大人の男共をツアー旅行へ 連 れ て 行 っ て た 。
熱心に言葉を覚え、ウキウキと楽しそうだった。
自分も行きたいと思ったが、連れて行ってはもらえなかった。
それがどんな旅行なのか知ったのは、成人してからだった。
母は知らなかったのか、特に変化はなかった。
未だに知らないのかもしれない。
>>531 昔バックパックやっていてさ。
タイに行く飛行機で隣に座ったおっさん。
一人旅なのにぜんぜん旅慣れて無くって、機内で記述するイミグレシートとか、
簡単な英語も読めなくって、大丈夫なの?この人状態。
その内ちょっと話すようになって、建築関係の仕事で、チェンマイに家を買って現地妻。
ミソ、醤油とか送ってあって、その方が空港に迎えに来ているとか。
ただね、イミグレシート面倒がって書かないと入国できないよおじさん。
こっちも途中から面倒になって、確認しなかったけど、入国できたかなぁ。
現地妻の人はちゃんとチェンマイから迎えに来たのかなぁ。
>>529 うちのヨメが結婚したての頃、実家に泊まったときに洗濯物をたたんでて、
俺のアンダーシャツがよれよれになってるのを見た時に母親に叱られたって。
男の人は家を出たらいつどこで服をぬぐことになるかもしれないので、
いつもぴんと白い下着を着せなさいと。何か時代を感じたわ〜ってヨメが感心してた。
>>532 昭和の頃はまだタイとかフィリピンへ買春って盛んじゃ無かったんじゃないか。
当時はせいぜい韓国。
その頃のタイ・チェンマイと言えば現地で幼な妻16人と重婚した日本人が
週刊誌の格好のネタになってたな。確か今でもタイに入国させてもらえないとか。
結婚して数年経った頃(平成だけど)旦那が会社の旅行で韓国に行くことになったときに
実家の母からちゃんと避妊具を忘れずに持たせなさい、と言われたよ
昭和の終わりに韓国の床屋さんの話は知ってたし
旦那はタイ経験もあったようだから、母の進言は素直に聞き入れてたわw
>>534 「昭和の時代に」に、反応。
自分の父がタイやフィリッピン(戦争に行った祖父の言い方)に行ってたのは、
昭和58年前後だな。
60年越えた頃、妻たちから苦情が来たらしい。
母が父にグチグチ言ってたのを聞いた。「旦那たちばかり旅行に行ってる」
「仕事にならない(北関東の田舎の農家の亭主がGWに行くんだから、仕事にならない)」
「私らも連れて行け」
その後は行かなくなったのだけど。
…純粋に旅行に行っていただけなら、いいんだけどなぁ。
>昭和の頃はまだタイとかフィリピンへ買春って盛んじゃ無かった
逆じゃね?
昭和期がピークで平成に入ってから段々下火になったと思う
「飲む撃つ買うは男の甲斐性」といわれ、このうちひとつにも関心のない男は心身に欠陥があるとまで言われた。
ただ、3つすべてをやると、体と身上をつぶすと。
旦那の風俗通いは、法的には離婚の理由にはなろうが
まったく家庭を顧みないのでもないかぎり、自分の親に相談しても耐えろ、と言われてたんだろうな。
それと、離婚すると、親子ともども世の中の風当たりが強かったこともあるのでは?
>>538 撃っちゃまずいだろ…
まぁでも、酒は飲めて当然だったし(しかもカクテルとか女の酒wwって感じだった)し、
麻雀出来ない奴は友達の居ない可哀想な奴、だったな。
最悪麻雀のメンツがそろわなかったりしたら、カブとかしたし。
今日日麻雀セットもカブ札も花札も無いんだろうなぁ。
あって子供用トランプか。
射的とか狩猟とかは男の本能をくすぐるんだろ
>>539 カクテルって、あの見た目で結構度数は強い…
すなわち、相手を潰してお持ち帰りする下心酒だと聞いたことがある
>>538 落語で有ったね。
飲む、打つ、買うでどれが一番ましな道楽かって。
酒飲みと女郎買いには親分は居ないけど、博打打には親分が居るから博打打だって。
>>541 女(にのませるため)の酒だったのか……
ドレスの色に合わせたカクテルを注文するものだった。
>>540 撃つは打つの間違いな
賭博を打つとか、つまり賭事のことを言ってんだよ
>>543 君は若手だな? それかそうとうな堅物なおっさん
オレみたいな軽薄なオスは雑誌のカクテル特集みたいなページをくいいる
ように見てアルコール度数などを頭に叩きこんでたな
甘くて飲みやすいが実は度数はかなりあるとか 女と飲みいくとそういう
工作はかかせなかったぜ まオレもヤングでギラギラだったんだなー
トホホ
>>537 HISとかマップとかの格安航空券屋が勃興したのが昭和50年ごろだから、
海外貧乏旅行が一般化してきたのはその頃かなと思うんだけど
買春オヤジたちはそれに先行してたんか。
>539
「任天堂」と聞いて、あぁ花札屋ね、と思う世代はもう50代かな
元々この屋号自体が博打道具を作る商売から「運を天に任せる」って意味
>>546 カクテルの極意はレシピを覚えることではない。バーテンダーを味方につけることだ。
>>549 ママンが、「女は目の前で栓を抜いてくれる飲み物しか飲んじゃいけない」って言ってた
ママンさんが飲料工場で働いていた子かな?
>>551 当たり。
特に「初めて行く店では、絶対に目の前で栓を抜いてもらえ」って言ってた。
「目薬を混ぜる」って定番ネタは、具体的にどの成分の効果だったんだろう?
>>555 ロートエキス。
現在の目薬には入ってないよ。
調べたらチョウセンアサガオの仲間から採れるエキスか。有名な通仙散の成分もこれに近いのかな。
しかし、チョウセンアサガオ=キチガイナスビは、はまりすぎw
空飛ぶ鳩の群れ=ロート製薬一社提供番組のオープニング
>>559 ローォト♪ロート♪ローォト〜♪ローォト♪ロート♪ローォト〜♪
ローォトォー♪せ〜や〜く〜♪
篠沢先生に全部。
563 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/04/27(金) 12:43:40.41 ID:iyvtKhx2
あげ
篠沢教授、ALS(筋萎縮性側索硬化症)で闘病中なんだよね。
気管切開してしまったからもう喋ることもできなくなったとか…。
竹下景子の三択問題の正答率ってどれ位だったんだろう
女王って呼ばれた位だから9割越えてたのかな?
クイズダービーは、はらたいらが問題の順番を間違え回答しちゃって、仕込みがあったことがバレちゃったな。
(大人向けの)マンガ家は、ネタを探すために、毎日数紙の新聞や雑誌に目を通し、
マンガにするために資料を調べたり、世の中の流行にアンテナを張り巡らしているから
博識なのだ…と言われていた。
(複数の新聞を購読していたのは本当)
経済が成長していて実際、物価も収入も右肩上がりだったので、
スーパーの特売とかを別として、みんな安物に手を出さなかった。
安いものには何か理由があると。
価格破壊や競争もなかったから、よっぽど下手な経営をしない限り
個人商店は安泰だったし、店員さんも正社員待遇が多かった。
国内の製造業、町工場も順調だった。
何の不安もなく車や服など高価なものを次々買い、
経済が好循環していた。
平成になり、価格破壊が進むと、大手でも破綻や閉店が相次ぎ、正規雇用も難しくなった。
みんな、なるべく金を使わない悪循環になり、どんどん苦しくなっていっている。
569 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/04/29(日) 08:36:58.64 ID:k/vrhqAY
>店員さんも正社員待遇が多かった
大学生も卒業後、2〜3年就職しない人もいた
工場だと出稼ぎによる季節労働者(有期限労働者)がいた
女性に関しては、出産〜育児休暇と言うものが無かった
(教師・公務員除く)
ようは今の派遣労働に相当する立場の人がいたわけ
それを地位向上を目指し全員が正社員相当の待遇を求めたため
今度は派遣社員と言うモノが出来てしまった。
コンビニは食材などスーパーより割高だったが
ビールや雑誌はどこでも値段が変わらないので買っていた
昭和じゃなくて今だけど、スーパーよりコンビニの方が安い場合もあったり
仕入れ値のせいなんだろうけど、スーパーも大変だな。
572 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/04/29(日) 11:15:39.11 ID:vrHVybVZ
>>516 そういう「身近な事を知らないガリ勉くん(都会っ子)」
都市伝説ってどの時代にも存在するよね。
必ず「うちの息子」でなく「誰々さんの息子が言ったらしい」。
どの時代でも「無知な今時の子供(若者)」というネタが大好き
な大人っているんだろうな。
ガリ君ってそう言う時出題者の意図を察知して振り分けるよね普通。
女の子の生理はとめられないから学校生活に支障をきたすけど、
男子のは、快楽だからね。
教える先生もこっぱずかしくないかい?
男の生理は白で、女の生理は赤。
だから紅白はおめでたいのだと思っていました
>>569 派遣は、小泉が「どんな業種でもオッケー」って改革やったから激増したんじゃなかったか?
あいつは本当に総中流の日本を勝ち組と負け組のある国にしちゃったな。
そういや、ミンスのサギフェストに「派遣を原則なくす」みたいなのなかったか?
ネットの普及で求人募集を探すのは容易になったが
新卒就職時のエントリーシートとか
転職時の職務経歴書とか
面倒な事もいつの間にか普及した。
その求人も正社員でなく派遣、契約社員ばかりだし。
昭和時代なら正社員前提で雑誌、新聞、チラシ、事業所前張り紙で求人探して
履歴書持っていけば大抵は面接だった。
新卒は送られてくる電話帳のようなブ厚い求人募集誌から
ミシン目のハガキ切り取って会社説明会へ。
>>572 似たようなので
「今時の若い娘さんはお米を洗えって言われたら洗剤で洗っちゃうらしい」
って話は60代後半のうちの叔母が娘時代にはあったそうな。
こっくりさんって昭和50年頃に流行ったけど
実は昭和初期にも流行ってたらしい。
昭和のほぼ終わりに小学生だったけど、当時も大流行だったよこっくりさん
で、あまりに流行したから学校で禁止令が出た
>>579 明治時代に外国船の船員が持ち込んだのが初上陸、だそうだ。
582 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/04/30(月) 05:40:52.80 ID:8ed4EPPG
こっくりさん、子供の自分にはゾッとするぐらい怖かった
しかし一度やってみると、明らかに
友人の手に力が入っていて動かしていたw
何か文字がでたけど、怖くなくなった
昔チョイ悪だったおじさんが亡くなって俺がその部屋を借りたときに
掃除してたら40年?くらい前の大量のハイミナールが見つかった。
調べたらそれはいわゆる合法ドラッグみたいなもの。
誤った服用をすればラリるらしい。
昭和40年代に流行ったそうだ。
おじさんも何処にしまったのか判らなくなったのか
若しくは卒業したのか今となっては不明だが恐る恐るのんでみたら・・・
まだ薬効成分は生きていた。ラリってみたい衝動はあるけどちょっと怖い。
>>581 へぇー外国生まれだったのか!
こっくりさんって第2次世界大戦で亡くなった兵隊さんの霊だと
うちの中学校では信じられてたけど、それぞれの時代でそれぞれの
謂れがあったんだろうな。
585 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/04/30(月) 11:44:43.51 ID:oqw2Q84z
こっくりさんはジサマの話だと軍隊で流行ってたそうな。
あるときにもうすぐ帰れるってお告げがでたらホントに戦争が終わったらしい。
こっくりさん懐かしいなぁ
終わりの儀式の為にチャイム鳴っても止められないから、先生はぶちギレ
うちも禁止になった
あれは時々思い出しように流行ったね。
時代や地域によって微妙にやり方が違っててエンジェル様とかキューピッド様とかの亜流?みたいなものあった。
今でもやる子いるのかな?
>>585 現場の感ってやつか。
兵隊とかだと「もうダメぽ」とか解かるんだろうなやっぱ。
こっくりさんの直接的源流は多分19世紀末にイギリスで起こったオカルトブームだろうな
コナン・ドイルもハマって晩節を汚したのが有名だけど、
降霊術とか妖精騒ぎとかと並んで流行ったウィジャボードが近い感じ
>>582 こっくりさんやったとき、「僕は大人になったら何になりますか?」と
聞いたら「やぎ」って答えだったので軽く絶望したわ。
八木さん家の婿養子に入るのかもな。
>>588 山本七平の本に、こっくりさんの言うとおりに動いてる小隊長だったかの話があった。
もう万策尽き果てるとそういうものに頼るようになるらしい。
生き残ったやつだけが話を残せるからこっくりさんで生き残ったように思えるだけだろ。
>>583 大量ってどのくらいなの? 笑っちゃうくらい?w
恐る恐るって、ホントはラリったんでしょ? チョイ悪つながりでしょ!w
こっくりさんて、女の子はキューピットさんとかいう似たようなのをやってなかった?
自分はどっちもやったことないけど。
子供の頃はどっぷりオカルトに漬かってたなあ。
遠足写真では心霊写真探しした。
ちょうどその時代は全体的にオカルトブームだったと思う
エコエコアザラクとかうしろの百太郎とか夢中になって読んだな
テレビでもオカルトネタの番組ををよくやっていた
東京12チャンネルなので関東ローカルかもしれないが
ビックリ大集合という番組がクラスでも人気で自分も大好きだった
いま見たら「やらせくさい」と思うかもしれないが
それでもネタの豊富さと作り込みの濃さは今でも圧倒的だったと思う
>>595 そうそう。作り込みは今よりはるかに上だったよ。
「人類がいまだかつて踏み入れたことのない洞窟に、
川口隊長が初めて入って行く」というナレーションと共に
から撮影してるし。そういうのにツッコミ入れてはいけないと
言うのが暗黙の了解だったよね。心霊物の番組では途中で
スタジオのライトが点滅したりセットが壊れたり。
電車のシートにカバーがついてた。
シートにカバー見たことない
何線?
自分が子供の時には、銀座線はよく停電してた
今思うと痴漢とかスリとか怖いよなあ、あれ
電車は覚えがないが、バスなら覚えてる。ビニールのカバーだった。
地下鉄で停電って怖いな。
>>598 横須賀線とか。
さすがに山手線にはついてないと思うw
>>598 銀座線はもともと配線の途切れ目で
照明が一瞬消える仕様だったね。
それ以外にも停電ってよくあったの?
近鉄特急にはついてたような気がする、>シートカバー。
おしぼり配ってたしな。
停電といえば、私が幼稚園の頃までは、昼間の突然の停電があったな。
父が大怪我して、病院でチクチク縫われている時に停電して、
看護婦さんと母とで懐中電灯を持って傷口を照らしていたとか聞いた。
北関東の小さな田舎町の、39年前までの話。
その後は台風の時に一度あった。
今でも夏は雷がよく発生するので、ゴロゴロ聞こえて来ると、バシャンバシャン停電するけど。
都会なのに脆弱なんですね
昔の停電は都会も田舎もなかったよ
うちはド田舎だったけど、子供の頃は結構停電があって「またか」と思ってた
小学一年生のクリスマスに停電した時、ちょっとウキウキした
仏壇にあるありったけのロウソクに火をつけて家の中を照らして、テレビが見られ
ないからみんなで歌を歌って、両親からプレゼントを貰った
プレゼントの鉛筆削りは大人になってからもしばらく持っていたなあ
そういや、テレビの「しばらくお待ちください」ってのも長いこと見てないな。今の子供知らないんだろうな。
電車が自動ドアになって指を挟まないよう注意を促すシールが貼られていた
↑今でもあるヤン。
京王だったかな、キティの奴とか
国鉄時代のプラスチック容器に茶パックが入ってて
購入時に熱湯を入れるお茶。
あれ、プラスチック味がしたけど今思うと体に悪いだろ。
もっと前は素焼きのミニ急須みたいなので売ってた。
>>609 なぜか旧100円玉の絵だったな。あれ?それは別?
>>612 やっぱりみんなあれの印象は「プラスチックの味」なんだなw
赤いネットに入った冷凍みかんもお約束みたいなもんだった。
>>613 絵柄はいくつもあったように思う。
函館の周辺だったと記憶しているが、昭和の末までとんでもない列車が運行されていたそうだ
たしか乗降のドアが手動開閉で、走行中も車内から開けることが可能だったとか
しかも国鉄時代の末期、夏のクソ暑い時期ったら「開けっ放し」で走行するのがデフォだったらしい
今だったら確実に大問題になるだろうなw
昔機関車が引っ張ってた青や茶色の客車は、基本的にその仕様だった。
今JRが時々イベントで走らせている奴は走行中に鍵がかかるようになっている。
大井川のSL列車は昔のままなので、「完全に止まってから降りてください」のアナウンスがある。
>>615 その手の客車なら山陰本線でも、それくらいの時期まで走ってたよ
駅に着くと高校生なんかは止まりきらないうちに飛び降りちゃって
あとで車内放送が「列車が完全に静止してからお降りください」ってやるのが定番だった
>>609 最後に見たのは、とんねるずの「ナントカ紅鯨団」だったのを思い出した。
そういえばあったねー。「しばらくおまちください」
鳩の絵を覚えてる。ntvだ。
>>615 主導開閉ドアは今でもあるよね。ドアの横のボタン押してロック解除してからドアを開くやつ。
それ以前は駅に着いたら車掌がロック解除して降りる客が最寄のドアを開く。
そういうのは気動車で昭和の頃に関西本線にもあったよ。
>>614 そう
全然美味しくなかったけど、昔は缶のお茶なんて便利なものはなかったので
弁当を買う時は仕方なく一緒につけてた
缶のお茶は結構美味しいよね
>>620 いや、あのプラスチック臭が旅情をそそってたから、俺は好きだな。
「美味しんぼ」であのお茶を旨そうに飲むのを見た親父が激怒するという
シーンがあったが。
>>619 今の手動ドアは、無駄なドアを開けないことで冷暖房(特に寒冷地の暖房)の効率上げるのが
目的じゃないかな。
>>621 いちいち他人のやることに突っかかるやつが多いんだよな、あのマンガ。そういうふうに激怒してる
親父に、「その着こなしはなんだああああああ!!」と、服飾界の海原雄山が突っ込んだりとか、
「そのだらしない腹はなんだああああああ」と、美容業界の海原雄山が突っ込んだりしたら面白い
だろうなw
623 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/05/02(水) 20:29:17.40 ID:1DQP3NqW
>>617 数日前、地下鉄に乗ってて
ドアが開いたので降りようとしたら
電車が完全に止まりきってなかったぞ
>>622 www
他にもわさびをしょうゆに溶いて食べるのを見たわさび農家の親父が
いきなり大激怒とか、うどん好きを自称する男の家のコンロが小さいのを
見た親父がへそを曲げるとか、ワガママ人間だらけ。
で、必ず最後は大団円。
ドアで思い出したけど、回転ドアって今もあるけど、なんとなく懐かしいイメージ
>>623 5km/h以下では安全装置は解除されるので、
車掌がスイッチを操作すればドアは開いてしまう。
停止した段階でドアが完全に開いている状態にするため
あえて停止寸前にドア開閉スイッチを操作していたところもある。
>>617 山陰本線といえば昭和の昔に一人旅して驚いた。
鈍行列車の寝台車、乗ってみたら朝が煩くて起きたら
狭い通路に通学の高校生が一杯。
列車最後部の車両だとホームが未達で民家の庭先に下車。
小学生の頃、理科の授業で太陽レンズを作成した。
スライドグラスに蝋燭の煙を当てて煤で黒くした物で太陽を観察。
太陽を見た後は目を瞑ると中心に明るい点が見えたものだ。
煤でやったのって目に悪いんだってね
子供の頃、少し欠けた太陽見た記憶が僅かにある
学研の付録で日光写真があったなーと思い出した
子供の時は、黒い下敷きが配布されたけど、きっとダメダメ
>>628 >>629 小学生のころ部分日食があって、先生の指導のもと、クラスのみんなが
そのように蝋燭の油煙をつけたスライドグラスで日食を観察した憶えがある。
太陽がオレンジ色に見えた。
また、その日は俺の父親が、感光・現像した白黒フィルムの切れ端を俺に持たせてくれて、
それで日食を観察したのもいい思い出。
本当はどっちも目に良くないんだってね。
>>625 何年か前に、どこぞのトンマが回転ドアで死亡事故を起こして以来、日本では
ドーム式球場など絶対必要な箇所を除いて、普通のビルからはほぼ姿を消した。
今まであったものは、使われなくなって脇にある普通のドアから出入りする様になったか
普通のドアに入れ替えれられるかしたので、見かけなくなったんじゃないかと。
ヨーロッパやアメリカ大陸の寒い地域では、ビル内の暖気を外に逃がさないための必要から
回転ドアが発達したけど、日本ではどちらかと言えば機能性よりもデザイン重視で、
そういった差し迫った必要性抜きで回転ドアを設置していったので、肝心な安全対策の
ノウハウが無かったのが、↑の事故が起こった背景にあるらしい。
かつてグアテマラで、日食を観察する際の不手際が原因で、かなり多数の失明者を出したことがあったそうな。
>>633 日本の場合は、やたら何でも自動にする所に問題があるような気がする。
海外って言ってもカナダなんだけど、ホテルとか劇場、確かに回転ドアは見かけたけど、全て手動。
回転ドアと自動ってものすごく相性が悪いような気がする。
636 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/05/03(木) 13:03:26.26 ID:M65wk99Y
回転ドアであった話で過激派の事件が流行っていた時にオウム事件の時の
国松長官が警察署長をしていた本富士署で、署長室に火炎瓶が投げられて
犯人を追いかけた機動隊員が重装備なので回転ドアに引っかかって取り逃がした
ことがあるそうだ。
あの人は自分が狙われても助かるけど、犯人は取り逃がす?
肥満の人や妊婦はどうするん?
いや、俺自身もやった事はないし、考えられないと思っていたが?
昔、塾に通わない僻地の子供だった時、教育社のトレーニングペーパー(通称トレペ)という
通信教育の参考書で勉強していた。
根気が足りない子供だったので、数年取った最後の頃は飽きて、親の目をごまかすために
適当な答えやぐちゃぐちゃの線を書き込むだけになっていた。
親に見つかって、トレペ購読は終わった。
トレペを出版していた教育社は、科学雑誌ニュートンの出版があたって、
今はニュートンプレスになった。
>>633 自分が通ってる病院は回転ドアだよ。
1スペースに5,6人入れるぐらい広くてやたら遅い自動ドア。
横でガードマンのおばさんがぼーっと立ってる。
手動の回転ドアは怖いね。海外で首はさまれてやばかった。
>>640 熟には通ってたけど進研ゼミもやってた。
いずれもレベル低すぎていい高校・大学には逝けませんでしたw
つか自分が悪いんだろうが
>>641 ネットの体験談読んでると、進研ゼミをやっていた人が多いみたいですね。
広告マンガで盛り上がっていたりして、うらやましいです。
トレペはマンガなくて、時々コラムが載ってた気がするけど、問題ばかりの
無味乾燥な教材だった。
643 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/05/03(木) 16:21:29.09 ID:mtILYb8p
こちらの田舎では、教育に金をかけるのは恥ずかしい、過保護だ!と言う風潮があった。今さらになって成功した人の生い立ちを読むと、昔でも教育に理解がある家庭が多かったんだなあと驚いた。
祝日には玄関に国旗飾ってた。
今はぜんぜんやってないけど、ふと思い出した。
トレーニングペーパーか
あのような昭和的根性教材に手を出してしまったのは失敗だった
旗日かw
ネットで見たけど最近の進研ゼミの漫画って、昔みたいに進研ゼミをやって勉強も
恋も部活も、全て上手くいってバラ色人生のキャラの比較対象として、進研ゼミをやらずに
勉強も恋も部活も失敗して人生を落伍して行くキャラを描くんだよな
「ああ、あの時進研ゼミをやらなかったばっかりに…」みたいな締め付きで
先生に殴られるのは当たり前。
家に帰って先生に殴られたと言えば、
「お前が悪さしたんだろ!」と更に親に殴られる。
家庭訪問でも親が先生に、
「こいつが悪さしたら遠慮なく殴り倒して下さい」と頼んでいた。
宣伝漫画といえば、日ペンの美子ちゃんだな。
何年も目にしているうち、ついには入ってしまった。
教材放置してたら、おかんが文句言いながらやってたわ。
>>638 俺が引退したのは、どうせパンツしか見えない、という禅問答みたいな理由だったw
だけど、あの布の中にあるすべてを知ってからは逆に、パンツが見える風景みたいなものにワビサビを感じるようになった。
素晴らしいよパンツは。
>>647 (個人の感想です)とかは付いてないの?
スカートめくりってのは別に昭和の一般的な遊びというわけではなく永井豪の「ハレンリ学園」の影響で野火のごとく広がった
おれも「パンチュ見えたからって何?」と達観してた小学生だったが本家の「ハレンチ学園」ではキチンをパンツを脱がしてたw
自分も小学1・2年の頃に女子中学生のスカートをめくりまくったが
当時のスカートはひざ下まであったからパンツ見えるまでめくることは無かった。
まあ、パンツを見る為ではなくスカートをめくる行為自体を楽しんでいたからな。
小四の息子に「たんたん♪たぬきの金玉は〜♪」って知ってるか?って聞いたら
笑い転げながら知らないと言ってた。当時は誰もが知ってたんだが。
今後もし学校で流行ったら、流行源はうちの子だな。
>>635 トロントでは、自動の回転ドアを結構見かけたが…。
普段は止まっていて、人感センサーか、日本の自動ドアにもあるような
押しボタン式のスイッチで動き出すような奴。
パンツそのものより、「パンツと太ももの境目」が見たかった小学生時代。
あのころ見たパンツの、中身のひとつも数年後に見たので元は取ったと思う。
小学生の頃、女の子もジーパンが流行って、けっこうピチピチのを
履いてる子の股間が割れ目に入り込んでクッキリと見えてたんだけど、
当時はなぜそうなるのか疑問だった。いま思うともったいないことをした。
>>657 昭和期はなんと言ってもブルマーだったから、そりゃもうクッキリ。
体育のときはもちろん、掃除や花壇なんかの作業、休み時間のゴムとび、
ヘタすりゃ登下校時、公園、回覧板届けに言った先で、
普段着(+名札)+ブルマー姿って女の子が珍しくなかった。
スカートの下にいつもをブルマーをはいていて、機動服みたいに
男子の前でもサッとスカート脱いでブルマー姿になっていた。
クラスのマドンナ的な子が割とクッキリだった。
体育のときに「かつぎ合い」っていうのがあって、
組むのは、列の前か後ろの男子、女子同士なのだが、
ぶつからないよう片方が外側に出て都合4列になる、
で、横向きになって、それをやるわけだが、
内がわの番で自分が担ぐ時になると目の前には思いっきり食い込んだ…。
大切なところを冷やしちゃいけない(ましてスカート)からいつも2枚はいている、という認識もあった。
高学年になると見えなくなってくる子が多くなってくるのは、
母ちゃんみたいにもしゃもしゃになってきたんだろうな、と思っていた。
スカートめくりで、何色!って楽しみはなかったが、
警戒されて楽しみがなくならないように、男子にもいっさい公言しなかった。
鉄腕アトムやマジンガー乙、プロレスラーのようにかっこよく、
何で女子だけ?とも思っていた。
飛行機や新幹線、ロケットの前頭部のように無駄がなく、
はけば、とび箱や鉄棒がもう2段は高く飛べるとおもってたっけ>ブルマー
パンツのはなしの延長で、
昭和のころは、下着は白が基本で、清潔、清純、時には純潔の証、とまで言われていた。
男も、恋人には、初Hのころには純白の下着をつけていてほしいといわれていた。
男の下着は白以外考えられなかった。
白は汚れが目立つようにといわれていたが、いまや、白い下着をつけているのは、
汚れを周囲に察知させる必要がある?じいちゃんくらい。
汚れが見えたところで外じゃ思うように取り替えられないし、かえって人目についたら不快だからということだろうか。
いつからこうなった?
おおきいお友達が集結しています
おまわりさんこっちです
「パンツ」って云うと
いつの間にか ズボンのことを指すようになったね
男子は真冬でも短パンが普通だったな。南関東だが。
長ズボンはいてる子は体が弱い子だけだった。
で、横チンとかもたまに見えましたw
横チン先生
ああ 運動会でピースして映ってる写真が横チンとか
旗日のでっかい旗も懐かしいけど、
ばあちゃんの家の居間には昭和天皇の家族写真が何枚も飾られてた
だから小さい頃は昭和天皇は親戚のおっさんなんだと勝手に思ってた
うちのじいさんの家にはクリスチャンでもないのに聖母マリアが御子抱いてる絵がかかってた。
ふつうの和風の長屋なんだけどねw
日曜学校にはきれいな絵が貰えるから行ってた
キリストの何たるかも知らなかったw
いいとこの子ですね
今でも言われているかも知れないが、ある程度の歳になったら、
自分の下着は自分で買う、のが大人へのステップのひとつなんだそうだ。
俺は成人してから聞いたが、普通は中学生か高校生あたりらしい。
俺は一人暮らしをはじめたから、他のものと一緒、で特に意識しなかった。
普段服を買う、ジーンズショップなどで下着類も売っていることは知っていたが、
スーパーへ買いに行くのがめんどくさい人のためかと思っていた。
定価販売だったし、その分服が買いたいし、そんなことをわざわざ親に言って、金もらうって考えもなかった。
黙っていれば親がかってに買ってくるし、高校卒業まで、仲間も上下とも全員白。
柄物がほしいとも思ったこともなかった。
なぜ服やハンカチなどではなく下着なのか?オヤツを自分で調達するのとは違うのか。
汚れる恐れのあるものは、親任せにせず、自分で意識、管理しろってこと?
異性とのその機会を意識しろってこと?
まず数百円のモノから自分のものは自分で管理する練習?
俺って、けじめなくずるずるだったってこと?
>>671 昭和40年代にベストセラーになった躾け本にそういうことが書いてあったかららしい
たまたま読んだ小説に、写真屋さんが出てきて暗室で現像の仕事してたんだけど
もしかして今の子供(適当だけど小学生から下くらい?)は、この写真屋さんが何をやってるか
おかあさんにきかないとわからないんじゃないか?
>>671 おっかさん任せにしておくと、だっさださのグンゼパンツを買って来られるのが嫌で、
「自分で買うから金くれ」と言い出すようになってゆくものだと思っておりました。
>>667 うちも仏壇のご先祖写真に混ざって、天皇陛下の写真が
しかも一番見栄えする位置にあったから
親戚とかご先祖の誰かと勘違いしてたわ
確か友達の家でも確か貼ってあったと思うから案外よくあることだったんだろう
>>673 俺には逆の体験がある。
昭和60年代にカメラ屋に就職して、小学生のころ親と一緒にやった自家現像の体験から
(ちょっとしたブームだったらしく、引き伸ばし機まで買っていた)
ミクロファイン(フィルム現像剤)は缶入りだったとか、定着のおわった印画紙は30分位風呂場で水流しっぱなしにして、
フェロタイプ(乾燥機)で乾かすんですよね〜、と得意げに言ったら、
いつの時代の話だい?といわれた。
50年代に、印画紙表面に防水加工が施されるようになり、内部まで薬液がしみないようになったので、
薬液の洗い流しは数分でよくなったんだそう。
でも、あれで、何%の薬液をつくるには?とか、
露光時間と絞り、現像(化学反応)は温度と時間がトレードオフ、
ていう化学の基本を学校で習うより前に体感できた気がする。
パンドール、フジフィクス、コレクトール、月光…。
就職したときは、α7000ショックのころ。
>>674 俺は大学入ってから一人暮らしでトランクス派に転向したんだが、
たまに実家に帰ると母親が白いブリーフ買い置きして渡されて困ったもんだ。
学習能力ないのかその後も続いた。
>>676 写真屋△!
自分たちで現像までする「写真部」「光画部」というのに入りたかったけど
私の行った高校大学には無かった。
今でも暗室には憧れる。自宅現像もしてみたかったなぁ。
写真が好きすぎてで写真学科に入り、現像引き伸ばし、撮影の露出や補正
みっちり勉強したが、今となってはwww
看護学校にでも行けば一生食えたのに。
昔はビデオなんて無くて、8mmフィルムが一本1000円、現像に一週間、
1本1000円の現像料、それで無音で3分。しかも再生には高価な映写機が
必要。
なんて不便だったんだと思うけど、撮影会はワクワクしたもんだ。
>>678 ちょっと待て。「光画部」って実在するのか?迷惑だなあ。
>>680 へぇ8ミリってそんなにかかるものだったんだ。
うちにも親父が昔撮ったフィルムがあるけど見る術がない。
俺は初代ハンディカムが出た時に飛びついた口なんだが、
カメラが壊れ始めた時に撮りためたテープを大急ぎで全部DVDに取り込んだ。
そのDVDもそろそろ10年経つから、そのうち見れなくなるんだろうな。
>>682 8ミリをdvdに焼いてくれるサービスがあるお。
話は変わって。
知人が山のようにβテープを持ってて、「もう見られない」って言ってたから
dvdに焼いてくれるところを紹介したら、復元可能な素材だけdvdにしてもらえてた。
>>681 都立板橋高校に実在した(最近、写真部に改名したらしい)
「あ〜る」の光画部のモデルであり、たわば先輩こと、とまとあきの母校
「ハレンチ学園」のモデルになった学校でもある(永井豪もOB)
80年代の少女漫画で心霊研究会とかオカルト同好会みたいな
サークルが出てくるのをよく見かけたが
さすがにこれは現実には存在しない……よね?
>>685 オカルト同好会、というか研究会みたいなのは
実際にあったよ。
たまにテレビに出てくる京大や東大のクイズ研究会
とかも自分からしたら本当にあったんだそういうの
って感じだわ
写真部にある暗室って
お菓子やジュースを隠す場所のことだろ。
>>679 でも、そうやって“好き”だけで突っ走れたのが昭和の面白さだと思う
20代30代で人生踏み外しても、幾らでも修正出来たし
趣味人もその道の技能を持てば周りも評価してくれたもんな
いいやいやいやいやいや〜w
また出たな「実在した事のない脳内昭和」
>>688 いやギシアンの…
こういう脳の人がいたので、引き延ばし、定着で夕方6時ぐらいまで異性の先輩と2人でこもってたら、
先生に厳重注意をうけたわー
>>689 昔は何かと不便だったから、何でも特技があればとりあえず
それで食べて行けたからね。
>>693 親父は時計の修理で食べてた。デジタル時計が登場してから
ほとんど仕事が来なくなって眼鏡屋に転向したけど。こういう
時計屋→眼鏡屋とかの転向も可能だったよね。
>>576 あれはホントに改悪だわな。
俺の居る会社は昔から常駐の技術者を派遣する会社なんだが、
派遣法が改正されてから完全に「派遣社員www」なんて一般職から笑われるような感じになった。
もともとこの業界、プロパー10人に常駐80人、スポット10人みたいな感じなのにな。
「最近の携帯は派遣が作ってるから品質が悪いw」とか言うが、はっきり言って
昔からプロパーが実際の詳細設計以降のフェーズ、設計製造する事はあんまりない。
基板屋、ハード屋、ファーム屋、ソフト屋、テスト屋と全部わかれてる事も多い。
大工なんかもこの形なんだけどね。だから総中流が成り立ってた。
ドイツのマイスター制を日本で、とも言うけど、似たようなのを破壊して何を言うのかと。
あとOLなんかがコピー機の修理の兄ちゃんみて「底辺」と嗤う様になったのも最近だよね。
じゃあお前にコピー機直せんのかと。
最近「どざえもん」と言わなくなった
>>696 それ、昭和の時代でも言わなかっただろ。
江戸明治大正時代のハナシ?
♪どざえもん どざえもん
いまは廃れてきたが、電車なんかの優先席はシルバーシートといわれていた。
これは国鉄が、優先席を設ける際、識別用のシート地に、
普通席の青でないものとして、新幹線用の座席のブルーでないほうを流用したから。
たしかそれ以前はお年寄りを「シルバー層」ということはなかったと思う。
>>699 えっ?今は言わないの?シルバーシート。
まだ残っているかも知れないけど、JRとか大手は、
お年寄り以外の人も対象なので、ここ10年くらいで「優先席」に変えつつあるよ。
どざえもんで思い出したが、
国民的児童漫画の「ドラえもん」も第1作のアニメは、
裏番組の「マジンガー乙」に押されて半年で終わってしまった。
最終回では、ちゃんとドラは未来へ帰った。
乙やらがっちゃマンやらの主人公もかっこいいメカ・ロボットアニメに人気が集まると、
ぱっとしない主人公のもとに、とぼけた異邦人が居候にやってくる〜
オバQに始まる、パーマン、ウメ☆デンカ、ジャングル黒ベェ、ドラ…といった
不二子不二夫の漫画・アニメの人気は、幼児向けで時代遅れっぽい印象となり、下火になる。
アンパンマンを描く前のやなせたかしは、「手のひらを太陽」の譜面の片隅の「作詞:やなせ…」に気づいた奴くらいしか知らなかったと思う。
ときおり、子供向けの絵本雑誌とかに、子供でも読めるように、目立つひらがなでサインが入った奴もあったが。
水森亜土みたいにタレントとして活躍していた人以外は、漫画家以上に、絵本作家・イラストレーターの名を気に留めていた人はほとんどいなかったと思う。
いわさきちひろも、多くの人もその絵を見ているはずなのに、
一般に名が知れるようになるのは、没後の「窓際のトットちゃん」の挿絵からだったと思う。
いわさきちひろは小さい頃
「わたしの おねがい おまどに かいた」
ってセリフのシーンが印象深かった
「あめひののおるすばん」って絵本を読んで知った。
やなせたかしは、「チリンのすず」ってアニメで名前を知った。
昭和の恐怖絵本と言えば「なおみ」
今35歳くらいの人なら覚えているかな
あんなこといいな、できたらいいな
あんなゆめ、こんなゆめいっぱいあるけどー
(中略)
SMプレイがやりたいな、ハイお兄さん90分1万5千円!
アンアンアン、やくざの女でどざえーもん
>アンパンマンを描く前のやなせたかし
俺は「NHKの麻番組で良くレポーターやってる画も描くおじさん」と認識していた
恐怖漫画なら
神のたたりちゃんかな
知ってる?
私は図書館に置いてある「詩とメルヘン」の編集長のイメージだった
同じく良く図書館に置いてある「暮らしの手帖」の編集長と
イメージが重なって、知る人ぞ知る名物編集長だと思っていたら
いつのまにか超有名になっていた
書くの忘れた。やなせたかしが。
花森安治といえばスカート姿のおっさん
>>702 ジャングル黒べえだけがなーんか浮いてるなあと当時から感じてたんだけど、あの作品、原案は
藤子不二雄じゃなくて宮崎駿だそうな。
言われてみりゃあキャラデザがもののけ姫に似てるし、「自然と心を通わせる不思議な力」を持って
るわな。
宮崎キャラと藤子キャラに意匠が似通ってるのがちょくちょくある理由もこれで納得。
魔太郎がくる!!
A,Fと作者名を分けて発表する前は、
絵柄は同じなのに魔太郎やプロゴルファー猿は、ずいぶんと子供っぽくないなぁ、
いつも子供向けの作品ばかり書いていると、たまにはそうじゃない作品も描きたかったんだろうなぁ、と思っていた。
まだ子供でマンガ雑誌も数誌しか読んでなかったから手塚治虫も青年向けの作品を描いているとか、なんて思いもしなかったころ。
昭和の注射は今の10倍くらい痛かった
ふと思い出したけど、昭和って、身近にそういうのがあったかどうかは別として、
「親に結婚を反対された若いカップルが心中」って話があったよね。今じゃ現実味が
無さ過ぎて小説にも漫画にもないけど。
少し前に結婚を反対されたカップルが駆け落ちしたら
男が略取誘拐罪で逮捕されたな。
>>719 昭和初期に流行った三原山飛び込み心中は
行きの船中で知り合った即席カップルの「心中」も多かったみたい。
結婚前に子供なんて出来ようものなら何言われるか分からなかった
今日の読売新聞の人生相談に「25年前に姑に言われた台詞が忘れられない」
というのがあったけど、昭和はそれが普通だった。
>>720 なんだろね。負のエネルギーで盛り上がっちゃうのかね。
>>721 そういや最近でこそ「デキ婚」なんて普通に言われてるけど、
昭和の時代は結婚前に子供ができたなんて恥ずかしくて世間様に
顔向けできない、なんて言われてたな。
でも明治まではそれが普通だったらしいね。
昭和の時代って、風邪引いたりしても
すぐにケツに筋肉注射されてたよなあ・・。
今はもう静脈注射も滅多にしないよな。
>昭和初期に流行った三原山飛び込み心中
なっ何ですかそれ?流行って。
>>720ってまさか明治生まれ?
心中事件といえば天城山心中事件。
ラストエンペラーの姪の話。
俺が生まれるはるか前の話だけど。
>>716 昔は注射針も注射器も煮沸消毒して使いまわしてた。
そのため、針は「鋭さ」よりも「長持ちする」作りになってたんで、切れ味が悪くて
痛かったんだと思う。
今は注射器から針からメスの刃から、なんでもかんでも使い捨てになってるんで、
切れ味に関してはものすごく良くなってます。
(そのかわり、すぐ切れなくなるので、本当に使い捨て)
>心中事件といえば天城山心中事件
あれについて愛新覚羅家(というか嵯峨家というか)は「心中」ではなく「誘拐の果ての無理心中」」
と主張しているよ。
火曜サスペンスですね
中学生ぐらいだったかな?
溥傑さんが奥さんとラジオ体操やっている映像をTVで見て、驚いた事がある。
そういえば、日本は心中の文化があるから、昔は裁判でも「心中による情状酌量」があったと聞いた
今の感覚なら、ただの殺人だろって感じだけど
>>729 アメリカとかは心中という概念がないし、自殺自体が罪と見なされるから
子供を連れて無理心中とかして生き残ると第一級殺人犯になるんだよな。
まあ当然っちゃ当然だろうけど。
携帯が無かったから待ち合わせで会えない、行き違いすれ違いが普通にあって
それがあってこその恋愛ドラマの展開も面白かった
今は簡単にコッソリ連絡とれちゃうから、ドラマも小説もつまらなくなった気がする
>>728 愛新覚羅溥傑さんと奥さんの人生って本当にドラマだよなあ。溥儀とはまた
違ったレベルでの波乱万丈だと思う。
733 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/05/10(木) 02:33:48.46 ID:SyOVOaoo
Wikipediaって、色々貶されてるけど、
昭和の頃の趣味の専門書を見ると、今のWikipediaより遥かに内容薄いんだよなw
こんなんで1000円以上したしww
情報が(嘘も多いけど)無料でいつでも手に入るのは素晴らしいけど
こんなんじゃ本も売れなくなるよな
>>733 ほんとにwikipediaは間違いが多いよ。
「間違いでは言えないけど正確とはいいがたい事象」の記述も多いし、
体系や分類が書かれてる場合、系統が混在してめちゃくちゃになってるのも多い。
自分はとある趣味に関わる仕事してるけど、
仕事用の資料作る場合、wikipediaは絶対使わない。
>>734 > 仕事用の資料作る場合、wikipediaは絶対使わない。
社会人としてあたりまえのことをドヤ顔で言われても…
>>734 それは昔の本も似たようなもんだよ。どうでもいいことなら
Wikiで十分だし、裏を取りたければ10〜20カ所くらいのサイトで
調べりゃだいたい正確な情報が得られる。
最近とあるシンポジウムに参加したんだが、市町村レベルの公文書ならwikiからの引用はけっこう認められてるんだとさ
>>732 知ってるつもりか何かでやってたよね、奥さん=ヒロさん(?)の生涯。
映画ラストエンペラーを先に見てたから遠い昔の話みたいに思ってたんだけど、
横浜に住んでた時、溥傑さんの下の娘さんの家の近くに住んでたことを知った。
目黒のタイ大使館にビザもらいに行った時には、そこがヒロさんの
育った家だったと聞いたりと、実は同じ昭和の話だってことを実感したよ。
>>736 > 裏を取りたければ10〜20カ所くらいのサイトで
> 調べりゃだいたい正確な情報が得られる。
どのサイトも同じ資料を参照してたり孫引きしてたらって思うと
怖くて、書籍などの他の資料もあたってみようって思うけどな
インターネットは情報の入手も掲載もお手軽にできるメディアだから、
情報を載せる奴の心構えも同じようなのが多いだろうって不信感がある
幼稚園から小学校低学年のころ…。
なんで、アクビちゃんとタラちゃん、カンちゃんとチビ丸とデコっ八とサザェさんは同じ声なんだろう?
ケメ子とQ太郎、バカボンと花沢さん、石田国松とのらくろ、ルパン3世とズッコ、峰不二子とキャンティ…
友達と話しても、ぜんぜん通じない(頓着がない)。
母親は察知してくれて、一緒にムーミンを見て、この声の人、女の人なんだよ、と
自分は、エッ、うっそだ〜っと。
そこから興味を持ち、エンディングのスタッフロール(?)を注視するようになった。
貴家とか千々松とかは読めなかったが。
中学年のころ、クラスの男子ほぼ全員が猿の惑星のパクリ、もっともらしい設定をつけて、
幼児の暴れたい本能に訴える「サルの軍団」に熱中する中、SFの香りのするヤマトを見ていた。
だが、みんなの反応は、まだテレビまんが(アニメという語が一般的ではない)なんて見てるの〜?と(特に女子)
(女子は、ハイジではなく、NETか12ch系の歌番組をみていたようだ)
そして、数年後、中学では…。
ヤマトやルパン3世が再放送を繰り返すうちに人気が出、
あれほど、人を馬鹿にしていた女子たちが、雑誌の切抜きなどを下敷き代わりのハードカードケースにはさみ、
「古代ク〜ン!」「井上真樹夫サマ〜!」
「アンタ、この魅力がわからないの〜!」
なんて手のひら返しの態度をとりやがった。
>>740 あの頃は、中学生が学校でアニメの話をしてもオタク呼ばわりする不遜な奴はおらんかったのお…
明和電機の社長も、学校でアニメ好きを公言してはばからんかったもんじゃわい。
CSつけたら「巨人の星」やってた。
日雇いにんぷでピーになるのは知ってたが、他にも差別用語があったのか。
姉ちゃんがガソリンスタンドでバイト中に怪我をして、手術しないと
一生ピーになってしまうというシーンがあった。
日雇い家庭では、国民健康保険すら入ってないだろうな。
「僕の…僕の父ちゃんは日本一の『ピーッ』です!」を思い出した。
そういや「隠し砦の三悪人」(古い方)を見たとき、
三船敏郎がピヨピヨピヨピヨ言ってたな。
姫「わらわは今からオシじゃ」
悪1「姫様、ツンボになって頂けりゃいいんで」
悪2「阿呆かおまえは。オシは生まれつきオシなんじゃねぇ。
ツンボだから言葉覚えられなくくてオシになるんだ」
こんな台詞のオンパレードw
数年前、海外の古い漫画見てたら基地外病院に行け!という台詞がそのままだった。
昔ある俳優さんが日本アカデミー授賞式のスピーチで、「ちんばの演技は・・・・・」と言って、
生放送だったから進行役のアナウンサーが後から「不適切な発言を云々」とお詫びしてた。
>>742 左門の貧乏っぷりに衝撃を受ける星だが、
野球のボールが通る穴の空いた家も相当なものだぞ
豊作は貧乏な割りにはよく肥えている。
それにしても消える魔球の仕組みがいくら分かろうと
あんな不規則変化する球なんて打てるわけないよな。
現在なら大リーグボール1号なんて危険球で即退場だろな。
消える魔球もマジであの原理だったら、横アングルから撮影すればすぐに正体バレる
てか、魔送球とか、それの縦変化バージョンとか、その時点で充分魔球なんだから
それ持ってるだけで無敵のピッチャーなんだが
>>752 >横アングルから撮影すればすぐに正体バレる
今初めて気がついたわ。最初の消える魔球を見た2塁ランナーが呆然自失で
累から離れてタッチアウトになって、ベンチに走って戻りながら半狂乱で
「ボールが消えてるぞぉぉぉ!!!!」って叫んでたけど、2塁から見たら
消えて見えんわな。スタンドからも消えて見えないだろ。
新巨人の星の最終回は、日本シリーズ最終戦で、飛雄馬が今までのすべての大リーグ
ボールを次々と投げて勝利するんだよな。で、その様子を病院のベッドの中から
テレビで見ながら、勝利を確認した一徹が番忠太に看取られながら死ぬ、と。
というか、川上と長島の声が野太すぎだわ。
消える魔球ってボールに付着させた砂を撒き散らしながら飛んでくるからグラウンドと保護色になって見えないんじゃなかったっけ?
>>754 だから背景がグラウンドじゃない人から見たらただのモアモアボール。
2塁からだと玉の後ろにはキャッチャー(の玉)があるから消えないはず。
や、それはわかってるんだが、それを言ったら打者の視線だって背景はグラウンドじゃないわけでさw
(3号みたいなアンダースローで投げてくるってんなら、まだわかるけど)
だから自分で書いといてなんだが「グラウンドが保護色」ってのは関係ないのかなと思った
単に「モアモアボール」だから見えないんですよーってことなのかと
>>749 産みの両親は居ない
兄弟で親戚の家に居候
親戚夫婦は悪人のように描かれていたけど
左門含めて6人兄弟を養っているんだからエライよ
758 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/05/11(金) 21:05:10.70 ID:1IFIeRu7
大リーグボールで危険球なんていっていたら、
侍ジャイアンツやアストロ球団なんかどうなる?
>>758 侍ジャイアンツなんて最後マウンドで死ぬしな。
>>757 たしかにw 「火垂るの墓」なんて、兄ちゃんのワガママで節子死んでるしな。
7人兄妹養ってくれてるなんて仏様だよ。
野球系のアニメで
「魔球」が打たれたからって
勝手にマウンド降りるなよ、監督交代告げていないし、試合続いているよ
と思っていた。
>>761 つーかさ、魔球を打つコツが分かったって、十分変化球のうちの一種として
使えるだろ。
763 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/05/11(金) 21:24:03.32 ID:o7O9flOi
牧場くん
千羽くん
田所
岡部さん
ターボー
魔球ってさ、それだけ投球フォームが極端に違うから、打ち方解かっちゃうと使えナイだよ
765 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/05/11(金) 22:01:23.75 ID:o7O9flOi
といっても、大リーグボールの2号消える魔球は消えなくても縦と横に曲がるからかなりの脅威。
3号のように体に負荷はかからないし。
ハイジャンプ魔球の時にボークだと抗議した眉月が、誰がどう見ても完全ボークの
大回転魔球にはケチをつけない不思議。
>>760 そう考えると左門って、自分の才能で弟妹の面倒見て、美人の嫁さんもらって、カッコよすぎるな
え?俺????
>>756 単にグランドが保護色になるのじゃなく、魔送球の強烈な回転が地面の土を吸い上げてボールを包み込む。
だからバッターから見てもスタンドからみてもボールが縫い目からまき散らすホコリと協力して完全に消える。
白い鞠が白いパンツに重なるという段階では単なる保護色だけどそれはあくまでも発想のヒントであって
実際の2号はそこからさらに一歩進んでたんだよ。
>753
それアニメ版?漫画版の終わり方しか覚えてないわ
魔球を投げ続けて勝つっていうよく考えるとカッコよくないよな。
決め球として1球だけスコンと魔球投げる水原勇気のほうがかっこよかった。
金環日食の話を親としたら、親が子供の時はガラスを燃やしてススで真っ黒にして、
それを通して太陽を見ていたと言っていた
それって意味あるのだろうか?w
飛雄馬は生涯成績酷いしなぁ
775 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/05/12(土) 08:32:05.58 ID:Sc/BDzaX
>>773 子供の頃、ウチの死んだ爺さんがそうやって見せてくれた。
綺麗に太陽だけ見えたけど、子供だったので凄いとも思わなかったな。
小学館の学習雑誌で、よくオカルトっぽい特集をやっていた。
休火山の富士山が大噴火して日本全滅!という記事に震えたものだが、すぐ
「そんなこと起きるわけない。大げさすぎW」と思ってたが・・・。
777 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/05/12(土) 09:21:43.44 ID:cmgqGxvG
オレのときは、地球氷河期だった。
科学、学習も読んでいて他の雑誌も読むようになり、
親から3つも(学年誌)いらないでしょ?といわれ、
付録がしょぼい『○年生』を斬った。
学習部門なんて申し訳についている程度だったし、
マンガもゴーストライターぽい人が描いていて、
他のマンガ雑誌のように毎週は読めず、過激さとかを抑えた作品郡に飽きてきてもいた。
>>776 1982年9月に富士山が爆発する
そんなデマが流れたよね
779 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/05/12(土) 09:28:43.54 ID:cmgqGxvG
「小学」館だから、マンガ本とか、図鑑や事典なんかも、子供の理解力や好奇心、
探究心を見くびって、一歩上へ誘導しない、掘り下げの浅い本しか出さない出版社だと認識して、
辞書なども、学研や旺文社など、中高生の好みそうな出版社のものを買うようにしていた。
>>779 内山安治の「コロ助の科学質問箱」なんぞは、高校や大学で触れる科学知識のオンパレード。
それを小学生でも理解できるレベルで描いてた。
今で言う「週刊そーなんだ」みたいなものか
>>776 あったあったw
「1958年6月2日、探偵のジムステイラーが歩いていると、突然地面が割れ、
ジムを飲み込むと元通りに閉じてしまった。周りには誰もいなかったので
彼は誰に見られることもなくこの世を去ったのだ」って言うのを読んでしばらく
地割れが怖くて仕方なかった。
誰も見てなきゃ誰が伝えたんだよその話w
中岡俊哉とかの心霊系の本が面白かったなぁ。
TVの「あなたの知らない世界」みたいのも大好きだった。
>>777 中学生の頃、SF小説ばっかり読んでた。その中で特にヘビーだった近未来もので
眉村卓・福島正実共著の話が、地球が冷え始めて世界の秩序が乱れて
社会構造が崩壊していく話だった。誰も温暖化ってことは考えなかったのかな。
>>784 あったなぁ。誰の小説だったか忘れたけど、短編物で、
女子高生が憧れの先輩の家で告白されて、天にも昇る気持ちで
幸せなキスをすると、気が遠くなって意識を失ってしまう
(原因は紅茶に入っていた睡眠薬)。場面が変わって、その家の
家族が全員で、久しぶりに「肉入り」スープを食べてるところで
終わり。
いいお話ですね。
今は、原発事故のおかげでフル火力でやらなきゃならなくなったためか、
節電はともかく、地球温暖化だの、元素記号もわからない子供にCO2を減らすために…、なんてことも聞かなくなったな。
788 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/05/12(土) 20:59:15.63 ID:YOhOd4BH
ペットを飼うことに飽きると自然に帰すことが一番だと信じて疑わなかった。
外来種による固有種の圧迫だの、遺伝子汚染なんて夢にも思われていなかった。
>>788 金魚を川に放したりしたな…
金魚って絶対自然界じゃ生きられないんだってね
790 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/05/12(土) 21:14:51.26 ID:GaAB6ARH
科学質問箱夢中になって読んだなあ。あとジュニアチャンピオンコース とか。 帝銀事件とか重い話題も子供にも解るように書かれていたな
>>789 絶対かどうかわからないけど、確かに野生の金魚っていないね。
自然界じゃ生きられないといえば、蚕もそうだけど、今養蚕をやっている家
どのくらいあるんだろう。
昔は、埼玉の北の方や群馬では当たり前のように桑畑があったけど。
>>791 温泉地の近くでは川に放したグッピーが野生化してるよ。
カイコは「シルクワーム」という名前で、爬虫類の餌として
盛んに流通してる。
>>792 グッピーは金魚と違って「奇形を人為的に定着させる」交配をしてないからねい。
猫は野生化して代が下るにつれてキジトラばかりに、犬は中型としては小さく、小型としては大きいくらいの
サイズになるらしい。
…ちなみに、ブタは野に放すとさくっとイノシシ並みの凶暴さになるとか。
そういや実家の近所はいのししが人里まで下りてくるようになって、
この前帰郷したとき、夜中に山に面した道を歩いてたらいのししが歩いてて驚いた。
「少年朝日理科年鑑」っていう、毎年出る本が面白かった。
その時々の科学のトピックスを解説してて、大人でも楽しめる内容だった。
一度、医学部の助教授にシャレで贈ったら、
「自分の専門分野以外のことって意外と知らないんで、これいいわ」
と言われ、何年かプレゼントしてたことがありました。
調べてみたら、今は「朝日ジュニア学習年鑑」という、社会科系メインの本に
なっちゃってるみたいね。
>>794 ああいう人里に下りてくるイノシシって、野生化した豚の子孫が多いと聞いた。
>>796 金魚ほど極端な奇形の固定が図られていない個体は生きる目があるだろうし、温泉の水には日本古来の魚は住めないのではないでせうか。
金魚と言っても和金なら生きられるかもしれません。
>>798 和金も改良品種だよ。金魚はみんな元フナ。
まじで?
>>799 極端な奇形じゃないでしょ?
目ん玉飛び出したり背骨が曲がった丸っこい体型になったり頭にイボイボがあったりとかの。
阪神タイガースはそんなに人気はなかった。
昭和37年、39年にちょこっと強かった時期でもさほど注目されず、
大阪の人は当時強かった南海ホークスの方に肩入れしてた。
甲子園球場も巨人戦以外はガラガラだった。
たまには近鉄バッファローズのことも思い出して上げてください。
>>795 うちも買ってた。
一つ覚えている内容は「二足歩行ロボット」を作るのがいかに難しいか、
という読み物。
ASIMOの滑らかな動き見てると、隔世の世を感じるわ。
昭和40年代後半の「カープ」は強かったなあ。
未だに優勝記念の記念撮影下敷き持ってるよ。
山本浩司、衣笠の時代だよなあ。
外野で火焚いてたの思い出すなあ。
>>807 カープが強かったのは50年代でしょ
初優勝が50年なのに40年代が強かったとはこれいかに?
ちなみに初優勝の前は3年連続最下位だよw
あの頃のカープはスタンドの応援がやたらウザいという印象しかないな。
そして、あろうことに他の球団もそれにならい始めてもう球場へ行くのが嫌になった。
>>809 うちのママンのいとこが一番最初にそれをおっぱじめた大バカ野郎ですだよ。
ママン曰く「あれは、子供の時からお調子者で目立ちたがり屋だった。」だそうです。
>>806 天覧試合で職業野球がプロ野球に変わり
黒い霧事件で人気がセ・リーグ>>>パ・リークになり
10.19で再びパ・リーグに人気が出てきた
こんなところか?
10.19はリアルで見てた。というかテレビから離れられなくなった唯一の試合。
今総集編見ても鳥肌が立つよ。
今見直してた。涙出るな、この試合だけは。
パリーグの人気復権は西武黄金時代からじゃないか。
工藤、渡辺、秋山、清原が活躍しだした頃。
>>808 ああ、50年だったのね。もう昔のことだから
覚えてねーよ。あやふやだから「40年代後半」って
書いたのよ・・。2,3年なんてどうでもいいや。俺には。
下敷き捜さなきゃな。どっか行った・・。
>>803>>806 阪神ファンってプロ野球のチームのファンっていうよりも
ひとつのカルトな世界だよな
それに見合うキャラの濃い選手や監督が増えてきたのも展覧試合以後だし…
いろいろな意味で阪神をその他11球団と同じに考えちゃいけない気がする
俺にとって阪神と言えば昭和60年の虎フィーバーだな
神のお告げ
>>815 どうでもいいことなら悔しげにレスしなさんなよw
大リーガー養成ギブスとか
しかし巨人の星って今なら虐待だな。
サザエさんでも押し入れや物置に閉じ込めるお仕置きシーンがなくなったのは
視聴者から「あれは虐待ではないのですか?」てなクレームが来るようになったかららしい。
タマに味噌汁かけごはんをやっただけで「ネコに味噌汁とはなんたること!」ってクレームが来るんだって。
モンプチやらないと駄目なのか?
>>821 今ならじゃなくて、あの当時でも虐待。
というか、作品内でも、飛雄馬は人とコミュニケーションをとるのが下手糞で、時々とんでもない大失敗をしでかしてる
描写が散見できる。
友達と同じ遊びをすることさえ許さないという教育がもたらす弊害の典型例。
>>821 そうやって「あれもダメ」「これもダメ」で出しガラになってつまらなくなり終了したのが水戸黄門なんだよな
>>821 俺は押入れに入れられたことない。というか幼児ですら入れる余裕なんか
無いぐらい物が詰まってたからな。というわけで納屋にはよく入れられた。
うちは納屋の中に井戸があって、俺が生まれた頃にはもう井戸は使われて
いなかったから、開かずの井戸。だけど密封すると井戸の神様が息ができなくて
祟ると言われていて、ふたがちょっとだけ開いてた。そんな話もあったから
納屋に閉じ込められるのが幼児にはとてつもない恐怖だった。
>>825 逆に押し入れ入って遊んでると叱られたな。
>>824 最後はきっと「印籠出して無理やり解決って、差別がどうのこうの」
で、もうやめ時かな・・・
>>827 つか最後の土下座が差別的とか言われそう。
私の曾祖父は、大阪市営地下鉄御堂筋線の建設のために川崎から吹田にやってきました。実際に曾祖父は大阪市営地下鉄御堂筋線の工事に建設に関わっていました。
>>828 そうですよねえ。
あの土下座シーンはよくないですよ。
やっぱり、心から済まないって思ってるんなら、焼けた鉄板の上で土下座してもらわないとねえ。
ざわ・・
ざわ・・
さとぉーきびばーたけわっ
よくトップテンの中継を修学旅行生が見に来ていた
うちの姉ちゃんが山奥の中学校で先生やってた時のこと。
そこの中坊らにとっては山のふもとにある町=都会。
修学旅行は東京見物。
ふもとの町から電車に乗って新幹線の駅まで行っただけで大興奮。
東京駅に着いた時には地元とのあまりの落差に茫然自失。
バスの中では誰も一言も発しないほどカルチャーショックに震えてたそうだ。
ふと思い出したが「失恋して自殺」って今じゃほとんどないよな。
そうだねー
体を許した相手に24,25で捨てられるということは
相当な絶望だった
昭和30年代から40年代はじめくらいか?それ以降は映像メディアが田舎にも入ってるぞ。
>>837 逆に男が女を押し倒すと、女は抵抗しつつも「お嫁さんにしてね?
お嫁さんにしてね?」と言ってたとかなんとか。
処女じゃない女は(それが強姦だったとしても)年上の子持ちバツイチ
とかの相手しかいなくて、それでも親は「おまえは傷物なんだから、
これでも有り難い話だと思え」とか言ってたとかなんとか。
今でもイスラム圏は似たようなものらしいが。
時代劇かよ・・。
昭和の50年代にはもうないだろ。
>>839 田宮版の白い巨塔にもそういうシーンが出てくる。
お婿さんにしてね? お婿さんにしてね? ねっ?
「お嫁さんになる」は今は死語だよね。
>>838 テレビで見るのと目の当たりにするのはぜんぜん違うよ
べつに都会に限ったことでもなく自然景観や遺跡なんかでも同じことでしょ
>>839 うぉ CS再放送ドラマにありそうなシーン
>>841 あったあった。結局、財前教授に不利な証言をして病院を追われ、
破談になっちゃうんだよな。あの娘が可哀想だ。
848 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/05/17(木) 16:09:39.58 ID:IjpUMAXr
高額所得者の税率がやたら高くて90%ぐらいだった。だから、あまり給料が上がると
会社にこれ以上、上げないでと頼むのもいた。
>>848 90%って異常だよな。九割持ってかれちゃうんだから。
そう言う人は高額納税者パスみたいの作って、普段の生活で
何か優遇してあげないと可哀想だ。今でも半分持って行かれるのは
やっぱりおかしいと思う。
高額納税者が収めた税金を高額納税者自身に還元するて…
収入が不安定なら還元してもいいと思う
小室哲哉は全盛期何億、何十億って稼いだと思うけど、今は比べ用もない
こういう場合、払った分の何割かは返してあげてもいいんじゃないの
>>849 高額納税者はそれなりに節税していたんだよ
節税→高額なモノを買う→高額なモノが売れる
ある意味、それで経済が廻っていた。
そういえば黒柳徹子さんの「窓際のトットちゃん」がベストセラーになり多額の印税が入って
徹子さんはそれを全額寄付や基金にしたんだけど
ほとんどが税金に消えてしまって実際に寄付できた金額は少なかったって聞いたなぁ。
江川が金に汚いみたいなイメージだったけど、用は年俸1億でも昔は
手元に残るのは3千万くらいだったんだよな。何かの番組でそれを
訴えようとしたら「また江川が金の話を始めた」みたいな空気になって
話が遮られたのは今でも覚えてる。
>>850 そうじゃないよ。1億以上の税金を納めている人は
何段階かの色でパスがあって、公務員にそれを見せると
優先的に扱ってくれる、とかそういうの。
発想がゲスいなあ。
公務員に見せて優先的に扱うのはどんな優遇サービスがあるんだ?
市役所の受付や免許証更新で待ち客がいても割り込みで受け付けるとか
交通違反を厳重注意ですませる
各種届け出や免許申請、許認可申請を優先審査するとか有る程度の不備があっても許可するとかか
或いは公営交通機関で無料、割引乗車券やラッシュ時の座席確保サービス
得なのかどうか微妙なサービスだな
アメリカみたいに、寄付したら所得から控除(税額控除ではない)すればいいのに。
そいうえば、昔の長者番付は松下幸之助とか錚々たる実業家ばっかりだった。
そもそも金あるんだからそこそこ権力もあるだろうし、
そんなことするまでも無いと思うんだが。
成金の発想だよ…
そういや昭和歌謡は洋楽のパクリのオンパレードだったな。
フィンガー5が、ジャクソン5のパクリなんて子供だったから知らなかったもんね。
>>861 「夏のお嬢さん」ですらパクリだからなー。
戦争SF映画のBGMに酷似で作曲者が抗議のために来日
→作曲者が盗作と認めたためジャケットが共作クレジットに修正された
「聖母たちのララバイ」とか
リリース後に盗作疑惑で裁判沙汰となってカバー曲扱いにしたために
ジャケットに原曲タイトルを挿れた「パーブルタウン」
で、韓国中国が周回遅れできっちり同じことを規模大きくしてやってくると。
>>863 この流れで我慢できなくなり、検索したらよく似た曲検証の動画見つけたんで
ただいま順に鑑賞中
そう言えばそう思ってたわーみたいなのがいっぱいあって結構楽しい
ピンクレディーの「インザネイビー」(だったっけ?)なんて日本語の歌詞をあてただけのような
もので、しかも元歌はアレな内容だし…
ピンクレディと言えば大人になってからSOS聞いて初めて
「うっとりさせるテクニック 腹が立つほどよ あなたシンドバット」って
サーフィンのことじゃ無いんじゃ・・と気が付いた。
中原理恵の「東京ララバイ」も洋楽にソックリなのがあったらしい。
ヤードバーズの「トレイン・ケプト・ア・ローリン」とシーナ&ロケッツの「レモンパイ」と聴いてみ
ただごとじゃないど
>>868 渋谷なんとかって人もカバーしてたな。>インザネイビー
さらばシベリア鉄道
映画だと、「夜霧よ今夜も有難う」とかちょっと新しいところで「ベストガイ」なんてどうだ?
>>871 失礼な
レモンティーは御大鮎川誠の作曲だ
>>872 渋谷哲平か。「セーラーマン」だな。
「セーラーマン!セーラーマン!足並み揃えてセーラーマン!」か。
あの頃は歌謡界が迷走してたなー。
>>873 逆に黒澤の用心棒をパクったのがクリントイーストウッドの「荒野の用心棒」だな。
何も知らずに日本にフィルム持ってプレゼンに来たら、観た映画関係者がカンカンに
怒って、持って来た外人も初めてパクリだと知ったらしい。
>863
一方、心の広いスティービ・ワンダーは「みずいろの雨」での"Another Star"パクりを黙認した
先日の由紀さおりのアルバムが海外で大受けって話題も
日本パクり史最大レベルの恥部「夜明けのスキャット」があるんで素直に喜べないんだよな
どう聞いたってバレバレだもんよ、アレ…
>>876 夜明けのスキャット何のパクリ?どっかで聞いたこと有るなとは思ってたんだけど。
あ、いいやくぐったら出てた。
パクリじゃなくてインスパイア
(キリッ
パープルタウンは八神純子がパクったというか、アレンジャーの方が大パクリではないかと…
昭和アイドルのシングルタイトルも洋画の邦画タイトルのパクリも幾つかあったね
アグネスの草原の輝きとかさ
「勝手にしやがれ」や「喝采」「青いサンゴ礁」「街の灯」もそうなるんかね
「フレンズ」(バンバンの嫁さん)、「夜の訪問者」(演歌)、「さらば友よ」(ムード歌謡)、
「別れの朝」「太陽がいっぱい」、「第四の男」(研ナオコ)なんてのもあったw
さすがに題名の引用までパクりに含めるのは違うと思う
888 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/05/19(土) 15:47:27.94 ID:XT+CilHw
アイドルのプロフィールで「好きな食べ物」の項では、
お菓子系(それも洋菓子のみ)か果物系しか答える事はできなかった。
今は餃子、焼肉、豆ご飯、イカの塩辛など当たり前に書いてあるが、
昔なら「そこはケーキと苺にしておこうか」と勝手に修正された。
889 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/05/19(土) 18:03:57.68 ID:bL87hcKW
宇都宮や前橋に家建てて、都内まで通ってた人達って今はどうしてるのだろう?
>>834 「アパッチ野球軍」の女の先生思い出した。
主役である野球部コーチが村を訪れると生徒にレイプされかかっててビックリ。
>>816 今一番カルトっぽい応援するのはロッテだろうな。はっきり言って異常に感じる。
川崎時代もある意味特殊な感じはしたが。
高卒でヤンキーぽかった選手が大学の先生になったり、甲子園のアイドルで
そこそこいい大学を出て10.19にも先発した投手が殺人で無期刑になるとか
人生わからんもんだ。
>>879 インスパイアまさに。
夜明けのスキャット聴いたときはすでにS&Gはラジオで流れて聴いていたし、
郁恵ちゃんの歌もスージークワトロの歌も知っていたが結びつかなかった。
そんなこと言ったらキリがないよね。
>>816 その虎フィーバーの時
池袋駅で西武球場帰りの虎キチ集団が騒いでいたのを思い出した
地元でもあんな調子なのかは知らんが思いっきり浮いてたわ
少し前にどちらかの昭和スレで阪神が日本一になった時に
たまたま修学旅行で大阪に来ていてフィーバーに巻き込まれ
忘れようにも忘れられない経験をした人の話があったな
>>863 この曲は作曲の共作者の一人が外国人という理由で
日本レコード大賞には不適切とノミネートから外されて
当時ですら時代遅れな考えだと思ったのだが
実はそんな事情があったんだな
>>894 そりゃそうなんじゃないかなぁ。
「日本」レコード大賞なんだし。
単純に日本で売れたレコードの大賞なら他に色々あっただろう。
896 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/05/20(日) 00:12:32.57 ID:BNF3FTNa
>>821 サザエさんってそもそも、一般庶民という設定なのに
今では「世田谷に土地つき一戸建てを持ってる勝ち組」なんていわれる始末
波平さんもマスオさんも家族といっしょに夕飯食えるんだよな・・・
898 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/05/20(日) 00:48:23.70 ID:Nszss5b1
波平「Back come on!」
899 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/05/20(日) 00:49:56.09 ID:rJZnaU+I
波平の髪のなさは、ストレス社会の今の方が合っている
>>888 大場久美子は「プリンが大好き!」とか思い出したわ。
>>896 でも波平は九州出身の設定だな。よく世田谷に一軒家が持てたな。
駅までバスを使うほど距離があるのにマイカーはない。帰りは駅から徒歩
いまだに黒電話使用、おやつはドラ焼きや大福とか昭和のまんま。
どう見ても70代のジジババ、30代のママパパ、三兄弟にしか見えない変な家族構成。
あれは、東京の新聞社で仕事をすることになった作者自身の生活をなぞっているからな。
終戦直後に電話を持っているのはかなりの資産家で、それをたたんで東京にやってきて、
最初のころだけ、大家が出てくるから、当初は借家で、後にそれを買い取ったと
「磯野家のなぞ」では分析していたな。
サザエとカツオ&ワカメの歳が離れてるのは、波平が兵隊に行ってたからという説明を聞いたことがある。
しかし、この説は原作の連載開始時期(昭和21年)と整合せず、成り立たない。
それよりカツオとサザエの歳の差はどう説明されていたっけ?
それはそうとウチは、オトンがG党だったので読売一筋、
サザエさんが読める家がうらやましかったな。
読売って、轟先生が終わっってからしばらく4コマ漫画が載っていなかった。
カツオとサザエの歳の差、っていうと、うちの
母ちゃんの兄弟思い出す。8人兄弟で母は「五女」。
一番上の兄貴とは20歳位離れてた。更に言うとばあちゃんは
10人兄弟だったらしい。これも「五女」。そんだけ兄弟多いと
もう上のほうなんて親なみ。母は小学生でもう「おばさん」って
呼ばれてた。昔は5人くらいは当たり前だったんだよなあ・・。
そりゃ人口減るはずだわ・・。
>>896 そりゃまあ世田谷に100坪ほどもある(と考えられる)土地を持ってりゃあねw
>>900 当時の世田谷は郊外の、人がそんなに多くは住んでいない土地だったはずだし
九州時代の波平は商売でもしてたのか羽振りがよかったので金はあったんじゃないか、とか
>>900 >駅までバスを使うほど距離があるのにマイカーはない。
これの何が不思議なんだかよくわからないんだが。
>>904 昭和ひとケタ〜10年代生まれくらいで
更に地方だとわりとよくある兄弟構成なのかな
>>902 NHKのマー姉ちゃんによるとカツオ=町子、ワカメ=末の妹で
マー姉ちゃんのそそっかしい出来事をネタにして書いた話が
あってその中にカツオも出てくる。九州時代の連載なので
戦前だと思われる。
>>892 俺は85年以前からのファンだが、
85年以前からの虎党で62年64年の優勝を知らない世代だと
阪神が優勝するということが現実に起こるとは思ってもいなかったから
どうしていいか分からなくて戸惑ってた人が多いよ。
八方師匠もそんなこと言ってた。
阪神なんか勝っても負けても熱心なファンが全国にいるからまだいいよ。
ベイスなんか長年の低迷で地元民にも馬鹿にされてるし・・・
長くなるので以下略。
>>907 大都市圏に住んでいると分からないと思う。
これが、例えば東京近郊なら埼玉のちょっと北の方まで行くと、駅からバス圏内というのは
一旦市街地を抜けて田園風景の中を通過した先にあるニュータウンとかになる。
当然、クルマがなければおよそ生活全般が成り立たない。
>>900の疑問は、その辺りじゃないかと。
>>900 最初にスルメとかモツ煮とか言ったのって誰あたりだったっけ?
>>912 東京都市部から23区内に引っ越してきたけど、
23区内の人のほうがたくさん歩いてるんじゃないかと思う。
市部では車がないと生活できない=ちょっとした距離でも車。駐車場の土地もたくさんある。
23区内は市部で車を使う距離も、バスや電車、地下鉄を乗り継ぐと短い/道が狭く車だとかえって不利
だったりして、徒歩や自転車で行ってしまうことが多いから。
>>902 原作の連載開始時期とは関係ないだろ。何しろ連載開始時には
磯野家にはマスオとタラオ以外は全員揃ってたんだから。
それに四コマでは「南方戦線で一緒だった戦友とバッタリあった」
みたいな描写があったし。でも1985年生まれだから1941年には
56歳だよな。太平洋戦争に行ってたとは考えにくいな。
>>912 だよなあ。世田谷のサザエさんが自家用車持ってないことの何が不自然なのかと。
まあ単純な話、サザエさんが始まった頃は東京だろうと地方だろうと庶民がマイカーなんて持ってなかったでしょ
商売をやってればオート三輪くらいあったかもしれないけどサラリーマン家庭ではね
>>910 90年代になると
「平成産まれの子供が知らないこと」で
(子供=園児)
阪神優勝と言うのがネタになってたな。
>917
パソコンはありかもだけどミニバンはなさそうだな。誰も免許もってなさそうだし。
携帯のほうが導入されそう。
JAのCMを信じるならマスオさんが持ってるよ
そして買うならミニバンしかない、あそこの家なら
確かにマスオさん車にはあまり興味なさそうだね。
カツオ君はあるいは大人になったら興味持ちそうだけど、
彼の場合は大人に成らないし。
ミニバンよりも送迎用の10人乗りハイエース。
タイ子さんたちが来ても大丈夫。
しかも50系(先々代・昭和モデル)をずっと乗り続ける。
>>889 「東京都」という住所が欲しくて、奥多摩に、23区まで2時間かかる、
清流流れるほとりに家を立てた人を紹介してた番組を見たことがある。
>>900 確か波平と舟は40代、サザエは24歳の設定のはず。
東京都なのにすごい自然の多いところもあるねえ、青梅とか。
子供を連れて行ったら川あそびで大喜び。
もっとも、大島とか伊豆の島も東京都だな。
沖ノ鳥島「……」
話ぶちきるが、最近運動会って春なのな
入場もオリンピックみたいにブラブラ歩いてたりして驚いた
自分の時は入場行進だけで、秋の炎天下に何時間も全学年で足並みそろうまで延々やらされた
左!!右!!左!!右!!全体止まれっ!!の後に綺麗にザッザッ!!って止まれないと地獄だった
ウチの方は昔から春だよ(主に5月)
来週辺りが運動会のピークかな?
この時期だと
・天候が良い
・田植えが終わって農閑期に入るのでジジババも見学に来やすい
>>928 あと、順延になった場合はお弁当じゃなくて給食。
理由は平日だと来られない親がいるから。うちの子は
小一〜小三までずっと雨で順延なので、一度も一緒に
食べたことない。今年はどうかな〜。
運動会直近の金曜日(午後の授業がある)
午後の授業をつぶしての予行演習。
5,6年全員のフォークダンスが終わると、
女子だけ暗幕の張られた体育館に…
(1年おきに5,6年合同で女子限定映画大会だった)
成長の遅い男子に別の機会はなく、しかも事前・事後ともまったく説明がなかった
だからというか、着替えは6年(卒業)まで男女一緒だったし、
向こうがブルマーの「担ぎあい」「懸垂」「棒のぼり」とか楽しかったよ。
みんなには内緒だが、成長が、じつはオレ、一番早かったのである。
ブルマこそ今じゃ考えられないわ
ただの分厚いパンツだし
小学校時代はジャージが無くて、冬も半袖とブルマ
一条ゆかりの「有閑倶楽部」もメインキャラの父親が
戦争に行った経験があったりするんだよな。
今でもニッセンには普通にブルマー売ってるけど
あれまだ使ってる学校あるのかな
>>926 > もっとも、大島とか伊豆の島も東京都だな。
車は品川ナンバー
>>934 スカートの時、おパンツの上に重ね穿くのじゃ。
ブルマーって、整理ナプキンのもっこりがわかってしまって
恥ずかしかったな。
938 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/05/21(月) 09:13:26.99 ID:o7v5DB0H
学校の先生に戦争体験のある人が居なくなって久しいね。
自分の頃の先生は疎開と空襲の体験くらいだけど、空襲から身を守る術って言って耳と目を手で
おさえて、口をあけて伏せるってのを教わった。
防空壕の話もしてたけど、どっちもアテにならないと思ってる口調だったな。
>>938 わしが消防の頃は、兵役経験のある教諭もいた。
女の先生で疎開体験を話してくれたなぁ
給食を残すと。。。オイオイ泣き出して(半分嘘泣き)
私が子供の頃は…
あなたが残した給食を、妹や戦地で亡くなった父に…
って感じで
942 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/05/21(月) 10:00:53.68 ID:o7v5DB0H
>>940 の先生はなにを教えてくれたんだろう?
昔、ウチのジサマは手りゅう弾の使い方を教えてくれたけど。
>>940 いたいた。ゲートルの巻き方とか熱弁してたわ。
>>941 そこまでじゃないけど残すと戦争の話を持ち出す教師はいたわ
居残りでえずきながら食べさせられたおかげでいまだにぐずぐずに煮えたサトイモが食べられない・・・
中高の校長が、朝礼で毎回毎回「私が子供の頃は戦争で…」と同じ話をし、しかも長くて生徒がバタバタ倒れてた
>>942 うちとこは
「ケツの肉がそげおちたら2.3日以内に死ぬ」
「玄米ばっかり食べてた」
「便所を掘りに行かされた」
「その便所で用を足したら、掘りが浅くてケツにおつりが跳ね返るが、玄米のカス(?)がケツにはりついていやだった」
と、全校生徒を体育館に集めて話す事か?と言いたくなるようなお下劣話。
しかも美術教師だったので、ケツに跳ね返るナニの図を黒板にチョークで書きながらな。
ちなみにその先生は少年Hと小〜高の同級生でした。
>少年H
山中亘に「事実に即さない間違った描写が多すぎる」って糾弾されたアレか
>>928 ぜんたあーい、止まれ!イチ、ニ。ピタ、な。
何回も練習した。今でもできるわ、たぶん。
>>930 俺の小学校は小4ぐらいから運動会のお弁当は教室に入って食べるってことに
なった。大都市のベットタウンで夫婦共働き&土日出勤で運動会を見に来ない
家もあるから、差別になるという理由だった。それって差別か?
>>942 受け持たれたことがないから判らないけど、なんか、朝礼でやたらと天突き体操をやりたがってた。
>>949 天つき体操ってなんか謎だな。
「刑務所の中」で花輪さんがやっていたけど。
そういや、厨房当時の英語の先生は准尉様
(下士官で最上位、準士官)重機関銃で敵の
戦車のてんし孔(外見るスリットね)を
狙い撃ってたとか言ってたな。当時から英語
出来たんで、敗戦時は勿論捕虜の通訳。
予科練上がりの先生がマツダのロータリー車に
乗ってたのも印象深い。(生徒ドライブに連れて行って
くれてた)いい先生多かったなあ・・。
運動会の昼食、来られない親がいる子供はかわいそうとかで
小学校中学年から教室で給食を食べるようになった気がする。
「家族は主役なしで校庭で食べるのか!」と父兄から文句が来て中止になったような。
954 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/05/21(月) 21:54:13.56 ID:zohn7kZi
でも天突き体操は良いよ
船漕ぎと組み合わせるとすぐ体が温まるし、腰痛の予防にも良い。
955 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/05/21(月) 22:35:30.57 ID:8BNNh0mP
>>933 「美味しんぼ」の富井副部長は、幼少時に満州から引き揚げてきたという設定。
運が悪ければ、残留孤児になるかもしれなかった年代
>>952 高校のときの先生で、元軍人がいた。
生徒と話すときも、一人称は俺や私じゃなくて
「自分は〜」と言ってた
>>952 アクの強い先生が許されたから「いい先生」も「最悪な先生」も多かったな。
アクが強いからA君にとっての「いい先生」がB君にとっての「最悪な先生」ってのも
その逆もあったけどバリエーションはあったな。
>>953 そういや俺、私立の小学校行ってたくせに親が店やってたから
一度も来てくれなかったな。他の友達は一族で来てたりしてたのに。
まあ高学年になれば関係無いんだけどね。
あれ?そういや兄(長男)のときは、わざわざ爺ちゃん婆ちゃん呼んで
うちも一族で行ってたな。
>>957 悲しい現実に気が付いてしまったね・・・
>>958 >>959 うーむ・・・そういやこれも昭和の話なんだろうけど、長男と次男以下の
扱いは全然違ったな。
中学の頃なんて、正月2日に寝坊して朝起きて下に行ったらみんな居なくて、
長男(兄)だけ連れて年始参りに行ってたりとかしてたな。夜になって
やっと帰って来た。書き置きも何も無し。自分でお雑煮作って、おせち並べて
テレビ観ながら食べたわ。
そういや子供がいない叔父(伯父?どっちだ?)夫婦だけがやたらと俺に優しくて
よく俺だけ家に招いてくれてたな。あとで聞いたら養子縁組の話がまとまり掛けてた
らしい。昭和だな−。
ドラえもんののび太のパパや叔父さんが小学生の頃も戦時中だったな
名作「ぞうとおじさん」のアニメが近年リメイクされた時
今となってはのび太の叔父さんでは年齢が合わないから
見知らぬおじさん(おじいさん?)の話に変えられていたとか
中学の時、特攻帰りの先生いたなぁ。
穏やかで優しい先生だった。
お元気だろうか。
先生じゃないけど、よくうちに遊びに来てた
親父の同僚が予科練上がりで、零戦のプラモくれたのを
覚えている。思えばあれが模型好きになった元だったな。
戦争経験したり空襲にあってても、何故か戦艦とかの
プラモ親父とか買ってくれたなあ。
おお、結構いるねw
うちの高校にもドラマになりそうなセンセいたよ!
帝大から学徒動員で陸軍に。
砲兵隊中尉で支那にて終戦、
否応無しに八路軍に身柄を拘束され
八路軍の砲兵中隊長として国共内戦で
国民党と戦う。
帰国したら日本が民主主義国家になっていてΣ(・□・;)驚いた
大学に復学して、のちに教員になる・・・
昔は戦後色が濃いドラマやアニメが結構あったな。
一番インパクトが強かったのは「巨人の星」だわ。
一徹とおちゃんは肩が良くて手榴弾投げとして南方に送られたんだっけ?
で、肩を痛めて選手としては使い物にならなくなり巨人を去った。
日本人じゃないけど、「あしたのジョー」ではベトナム戦争中に遺体から
食べ物を盗んで生き延びていた子供のことが描かれていた。
死にかかった兵士を石で殴って食べものを奪い取って、その兵士を見たら
自分の父親だったという悲しいエピソードもあった。
小学校6年の時の担任は陸軍の歩兵だったな。校長は特攻隊の生き残りだった。
大学の時の教授は戦艦なんとかに乗ってた。
高校生の時、
満州から帰って来た女性教師は、満州からの逃避行の悲劇を涙ながらに語りまくり、
本土にいた某男性教師は、軍需工場の事故の友達の死の様子を語り、
別の男性教師は、庶民の生活の悲劇を語ったな。
7月か9月になると、現代国語の先生他、戦時中を生きた先生たちが語るのを聞く授業があった。
詳しい内容は書かないけど。
まあ、悲惨な話を中心に語るから、みんな鬱々としながら聞いたよ。
そんな話をヨボヨボの祖父にしてみたけど、実際に戦線に立った祖父は、
「…そんなものか」くらいしか言わず、自身の体験は一切語らずに死んだ。
話すことが出来なかったんだと思う。悲惨すぎて。
>>967 > で、肩を痛めて選手としては使い物にならなくなり巨人を去った。
ちょっと違う
痛めた肩を補うために、打者走者をビビらせる「魔送球」をあみだすんだが
川上哲治に「巨人軍にふさわしくない」とか言われてチームを去る
飛雄馬の大リーグボール1号は魔送球を応用したもの
2号
二号じゃなかった?
2号よ2号。魔送球を縦に変化させたもの。
つーけどさ、あんなにグリンと縦に変化するんなら
消えなくても打てないっつーのよ。
2号と言えば南極2号。
2号なんだけど、実は1号も直線じゃなく魔送球的な変化でバットに当てるという話も
聞いたことがあるんだけどどうなんだろ?
>>975 1号はバットの動きを予測してそこに投げるから直線じゃなかったかな。
いずれにしても危険球で即退場だよな。
>967
金龍飛
ベトナム戦争じゃなくて朝鮮戦争だな
新巨人の星だっけ、ひうまが野手になって復活し、二塁ベース上に竜巻状の渦を
起こして上空に飛び上がりランナーを半殺しにするの。
俺が中学生の時の先生は軒並み全共闘世代で
大学でピケはった話とか機動隊の放水車と戦った話をよく聞かされた。
それでも運動会には日の丸揚げてたけどな。
>>979 全共闘は本質的には右翼だからw
健さん大好きだし・・・
次スレ立てます
今、連載中の野球マンガ(コミック)って
メジャーと孫六くらいか?
おお振りは?
986 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/05/22(火) 22:55:19.60 ID:AUezT6Hp
>>979 学生運動は当時の若者の流行、ブームだ。思想とかあんまり関係ない。
スポーツカーは憧れの的だった。
いまや、買う奴も売る奴も国賊と言わんばかりの叩かれ様だが(特にヤフコメやmixi)。
>>987 >買う奴も売る奴も国賊
どゆこと?エコじゃないってこと?
スポーツカーって?
俺らが子供の頃はスポーツカー=オープンカーだったような。
その後はフェアレディZとかRX−7とかかな。
今はSUVだわな。
スーパーカーブームの子供の頃、
「大人になったら絶対に買おう」と思っていたリトラクタブル・ヘッドライトの
スポーツカーは絶滅状態、中古探すしか無くて寂しい。
リトラクタブルライト、憧れたよなあ。
カウンタックとかランボルギーニか。「三浦」は違うな。
でも俺は大人になってから、アレ壊れると出っ放しか
閉じっぱなしじゃん、と諦めた。だからトレノよりレビン
好きだった。レビンは乗ってた。
子供の頃、外国のスポーツカーを見てでかい外人が乗るのに
何であんなに小さいんだろうって疑問だったわ。
後車高も低いけどあれだと坂道や段差で底を擦らないかって。
リトラクタブルライトって無駄にかっこいい。
チャリにもついてたな
指示器やらリトラクタブルやらレバー式変速機、ディスクブレーキ…
単一電池たくさん積むから異様なまでにヘビーになってた。時代だなw
あと、イオタは動かんがミウラのライトは動くぞ。
今新車ではまさに
>>991の理由で使えないんだってな。
違う。耐久性テストはバカほどやってるんだけど、昼間点灯義務化の流れで
格納できない国が増えて無意味になった。
ああいうのに憧れるのは厨二
>>993 「リトラクタブルライト」と噛まずに言えるようになったら大人への階段をひとつ登った気がした
つーことで埋め
1001 :
1001:
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次スレへ行こうね うん
∧_∧ | ̄ ̄| | ̄
 ̄ ̄| (::: ´∀) ∧_∧  ̄ ̄| |  ̄ ̄ 1000を越えたのでもう書けません。
 ̄ ̄(::: つヽ(∀`::)  ̄ 新しいスレッドを立ててください。
..___ |::: | | ( o ::)ゝ . ._____
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/ ..... 三三 三 ... .. \
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