ちょっと前のことなのに、今じゃ考えられないことをしてた・・・みたいなことありますよね。
都会だけど鍵を開けたまま寝てた、とか。
若い人には信じられない、古い人にもそうだったなぁ・・・と思わせるような事。
そういう事実を書いてください!
基本的に、特に皆さんがよくご存知の昭和に限定させていただきます。
マタ〜リと参りましょう。
. 。 。 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
\ / | チャンネルも電話も回すものだぞゴルァ!! |
___⊆⊇____ \____ ___________/
|:::::|| ̄過去ログ ̄|(ii)| ∧∧ )ノ
|:::::|| .
>>2 |(ll)| (,,゚Д゚)⊃=ムo ジーコ
|:::::||_ .
>>3__|::| ノ ⊃ 。_。§ ジーコ
. ‖‖  ̄ ̄ ̄ ̄ ‖‖ とと,_, )) /(=)ヽ
 ̄ ̄
今じゃ考えられない昭和の生活◆20
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1317088667/
乙
そういや電子レンジって「チン」と言わなくなって久しいのに「チンする」って表現は生き残ってるな
>>4 うちなんていまだに「エレックする」だぞ。「ナショナル」の電子レンジなんて
使ってないのに。
この書類ゼロックスしてくれ
という爺さん役員がつい最近までいた
電話を掛ける時
「ダイアルしてください」という言い方やダイアルを回す仕草
>>6 あるある
うちの会社は他社の複合機なのにメーカー担当者が来たら
でっかい声で「ゼロックスさんが来ましたよ!」なんて言ってる
担当者ニガワラ
そう言ってる奴の中にも瞬間接着剤を「アロンアルファ」と呼んでしる者が
エレクトーンとピアニカは多いよね。ホチキスは
ほぼ100%なんじゃないだろうか。
セロテープガムテープ
ゼロックスする
レンジでチンする
ホチキス
セロテープ
マジック(インク)
シャーペン
この辺まではまだ良いとして、
ソニーのファミコン
セガのファミコン
これだけは許せない
>>11 ロッテリアでマックシェークってのもあるぞ
> ゼロックスする
昔一緒に仕事してたアメリカ人は「Please xerox this.」と言ってた。
向こうでも普通にそう言うとのこと。今は知らんけど…
官公庁では今も「ゼロックスする」
なんでも青焼と区別するためらしいけど…
図面以外で青焼なんて、今じゃ見ないよね
青焼独特の酸っぱい臭いが懐かしいねえ
あと、ガリ版の油臭さとかw
アメリカではウォークマンのことをsonyと言ってた。
【教育】 "衝撃的" 「太陽が沈む方角は?」→なんと大学・短大生の4人に1人が不正解…「地球の周囲を回る天体は?」は半分が誤答
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1321606694/ 1 名前:☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★[
[email protected]] 投稿日:2011/11/18(金) 17:58:14.67 ID:???0
・「太陽は東に沈む!?」−。
大学・短大生の4人に1人が、日没の方角を問う問題に不正解だったことが、
東海大産業工学部(熊本市)の藤下光身教授らが実施した天文基礎知識調査で分かった。
調査は、今年4〜5月に県内外にある公私立の短大3校・大学2校で実施した。
日没や月の満ち欠け、太陽系などについて基礎知識を問う9問(選択式)を出題。
1、2年生を中心に667人が回答した。
「太陽はどちらの方角に沈みますか」との問いで、「西」と正解したのは75%。
「東」と回答した人が22%に上り、「南」「北」も合わせて3%いた。
バカボン恐るべしw
俺もバカボンの逆って覚えたので、基準はバカボン
>>16 製図の世界で青焼きの代わりって今は何使ってるの?
青焼きはコピー機のコピーに比べて
ズレ・ゆがみが少ないから生き残ってたと思うんだけど、
今はどうなんだろう。
コピーじゃなくプリントが主流だったりするのかな。
しかし書類に使うにはゼロックスタイプの方が使いいい
お役所の印鑑登録制度が、
役所にはんこ押した書類の現物持ちこんで、係が役所の印影台帳と見比べて「同一です」と確認印を押す
何ともあやふやで時間の掛かる古来の方式から、
いまの「あらかじめ役所に保管してある印影を役所が申請に応じてコピー、
登録された見本を渡すから、押したはんこと同一かは自分で見極めてね」
という方式に切り替わったのは、手軽な乾式コピー機の普及が大きく影響している。
この方式切り替えのお達しが当時の自治省から出たのは、昭和49年のことだった。
元版がCADデータになったのでプリントのみ
平均台みたいなプリンタでデロ〜っと出力&現場ではダブレット
静電プロッタやXYプロッタも絶滅しました
>XYプロッタ
これ懐かしいな
20世紀の末まで普通に使ってたわ
シャーペンの芯がなくなったらプロッタが
ぐるぐるぐるぐる
ガッガッガッガッ
ぐるぐるぐるぐる
ガッガッガッガッ
ってペンを振って芯を出す操作をしていた
>これ懐かしいな
ペン式のは「黒」「赤」「青」のペンを、いちいち取りにホームポジションに
取りに行く仕草が健気でしたw
ファンフォルド紙にキャラクタ多重打ちで「モナリザ」描いていたと思えば
XYプロッタでは多色重ね描きでスーラ調の点描風「モナリザ」が…
なぜに「モナリザ」がそこまで好きだったのやらw
遅レスですが、「ゼロックスする」は正しいです
静電潜像式写真技術=ゼログラフィ だから他メーカは苦笑するのみです
デジタル化され、光源がレーザーになろうが、ミラーが回るようになろうが
ドラムに潜像書いている時点で(LBPも)ゼログラフィなんだな
>>19 うち(建築設計事務所)には青焼きコピー機(ジアゾ複写機)があったけど
使わなくなって7年くらいになる。
青焼きコピー機は業者に処分を頼むと2万円かかるってんで自分でバラした。
今はCADデータをでA3プリンタで出力が主流。申請なんかも縮小版でOK。
A2・A1版が必要な時はインクジェットのプロッタで出力。
昔は青焼きが低コストだったけど、今は現像液もジアゾ感光紙も高くなったから使う人H少ないと思う。
昔のトレシングペーパーの原図をコピーするとかじゃないと使わないかな。
25 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/19(土) 08:16:55.02 ID:FnVue48Q
ゼロックスはともかく
セロテープとホチキスはほかに言い方ないだろ。
平成生まれは「ステイプラーで綴じてください」とでも言うのか?
外国でも「MAX」が動詞になってる国が多いんだし。
昔、外人のボスが「この書類デュプリケイトしてステイプルして(原文英語)」といっていたな
ゼロックスは今でも聞くけど、リコピーって聞かなくなった気がする
流れ変えて
今朝歯みがきしてふと思い出した
昔の歯みがき粉はアルミ製のチューブに入っていたのが多かったよな
70年代後半ぐらいまで主流だったと記憶している
新しいうちはいいんだけど、残りが少なくなってくるとチューブの亀裂から
中身がウニュって飛び出てきたものだ
そうならないよう、新しいうちからチューブの一番奥(出口の反対側)
から順に丸めて使うように心がけていた
もっと昔の歯磨き粉は、文字通りの粉で、缶に入って売られていたんじゃぞ。
今でも売っておるがな。
昔の食器洗い洗剤も粉で、ビニール袋入り。
それを、各々で空き缶に詰めて使っておったんじゃが、粉ミルクの空き缶に詰め替えた者が居ってのお…
今、詰め替え用洗剤に、「必ず、何ちゃら洗剤の容器に詰め替えて下さい」と書いてあるのは、その時代の苦い教訓じゃ。
まあ、同じ性質の洗剤やシャンプーじゃったら、メーカーが違ってもおkなんじゃがの。
>>28 そういや子供の頃は惰性で「歯磨き粉」と言ってたな。すでに
チューブに入ってたけど。
>>28 ああ、そうだそうだ
父ちゃん専用の缶入り歯磨き粉が我が家にあったわ
父ちゃん、自分の歯ブラシを缶に入れるもんだから強制的に他の人は使えんわなw
チューブ入りのは練り歯みがきって言ってたかな
子供の頃って、水場が一カ所だけで、料理も歯磨きも
洗顔もぜんぶ流しでやってたな。
>>30 父ちゃん専用のは「タバコライオン」かい?
昭和と言えばヤクザが普通に闊歩してたな。
よく若頭みたいなのが20人くらい子分連れて歩いてたわ。
でも漫画にあるように八百屋の店先のリンゴ勝手に食ったり
するんじゃなくて、逆に若頭の方から各商店主に「おはよう
ございます」と声掛けて歩いてた。
今みたいなラミネートチューブは「ハロー」が最初だったかな。
遅くなったが
>>1乙!
さり気なくAAが進化してるしww
>>11 \\
\\\ @@@ あんたら!
(⌒\@# _、_@ ファミコンばっかやってないで宿題やんな!
\ ヽヽ( ノ`)
(mJ ^ ⌒\
ノ ∩ / /
( | .|∧_∧ OKOK。
/\丿 | ( )母者マテ!ときに落ち着けって!
(___へ_ノ ゝ__ノ これはファミコンじゃなくてプレスt
この人が許せないんですねわかります。
>>31 その影響か、うちのオカン(70)は今でも洗面所を使わない、というか使えない
なんか「高さが合わんのよ」とか言ってるが、使い慣れないから嫌がってるだけだろう
>>27 そうだね
子供の頃は「いつかはうちもラミネートチューブ・・・」と思っていた
昭和50年代半ばぐらいまでは
100%のmpオレンジジュースやトマトジュースなんかは
小さな缶切りで2カ所の穴をあけるやつが主流だった。
お中元やお歳暮で100%ジュース20本詰め合わせが来ると嬉しかったなあ。
>>31 今は流し台のシンクと言えばステンレスのシステムキッチン、洗面台は陶器、と相場が決まっているが、
昔は目の細かいタイル張りとか、更に安上がりだとコンクリートの桶みたいなのまであった。
今でも昭和40年代に建った古い公共施設とかの洗面所で見かけることがあるね。
タイル張りは見た目凄く手間が掛かってるのがわかるんだけど(昔は左官職人の手間賃が安かったんだろうな)、
目地のモルタルがかびると掃除が大変だった。目地だらけだもん。
40 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/20(日) 08:57:28.38 ID:nasTMI0N
うちのはもっと古い、コンクリじゃなくて砥石みたいな灰色の加工石のだったぞ。
蛇口はもちろんしんちゅう。
>>40 わかるわかる。そういうのもあったね。
真鍮の蛇口はクロームメッキしてあるんだけど、段々はげてくる。
でも人がしょっちゅう触る物だから、はげた所なりに光って味は出てるんだよね。
ステンレスは昔は高くてなかなか使えない材質だったのに、
今では100円ショップの毛抜きから、電車の車体に至るまで、当たり前のように普及しちゃったね。
>>40 今はもうない、ばあちゃんの家の流しはなんで出来てただろう。
コンクリだっただろうか。
夫が石工だったので加工石かもしれない。
いずれにせよ、もう現存さえしないが、底の方がぬめぬめしていた。
昔の台所の蛇口にはなぜかどこの家も輪ゴムが巻いてあったな
そういえば昔は物を捨てなかった。頂き物の包装紙なんて
綺麗に剥がして畳んで、何かのときに使ってた。
46 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/20(日) 15:01:35.08 ID:8C78lMaA
饅頭の箱なんかも、大事にとって置いていたな。
祖父は戦地から空き瓶持って帰って来た
空き瓶に入って帰ってきたのかと…
(・_・;)シツレイ
茶髪の南極隊員はいなかったよね
>>43 人研ぎ(ジントギ:人造石研ぎ出し)ってやつかな
51 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/20(日) 21:22:06.14 ID:FvgHH31I
サッカーの北朝鮮戦の北女子見てたら、高度成長期の日本女子て
あんな感じだったのかな?と思った。
52 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/20(日) 21:53:51.57 ID:nasTMI0N
>>43 そうそうつるつる平らじゃないんだよね。だからいつも濡れてて端のほうは
ぬめってた、今思えばだけどあんな流し台で皿とか洗ってたら、しょっちゅう
割れたんじゃないのかなぁ。
朝顔を洗う時はその石の流し台にアルミの洗面器持って来て洗ってた。
53 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/20(日) 22:19:47.81 ID:ai5lyT36
うちは釜戸あったよ。風呂は薪。水道がなくて井戸で手押しポンプで水汲み出す。
今から50年近く前だけど。小学校の時にプロパンガスになった。今は都市ガスだけど。
54 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/20(日) 22:57:38.72 ID:srynzgy9
東北地方って、家の中で牛飼ってたってマジ?
長屋な牛舎のこと?
伊豆とかでもそんな家は結構あったけど。
曲がり屋?
>>54 家の中で飼っていた(同じ屋根の下にスペースがあった)のは馬。
牛舎は別棟。
九州辺りをバスで走ってると、家庭で牛飼ってるのが見えるね。
59 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/21(月) 21:15:21.63 ID:xXl6ys1+
ホークス優勝って、水島漫画でもあり得なかったな、昔は。
近鉄には一度でいいから日本一を体験させてやりたかったな
>>59 一応、最初期の「あぶさん」で優勝には手が届かなかったものの、
日本シリーズで巨人と優勝を争う描写はある。
>>59 >>61 一応、1974年巨人V9最後の年に、南海はパ・リーグ優勝を果たし、
日本シリーズで巨人と大戦している。その後、ダイエ―時代になるまで(なってからも)
ホークスは長い低迷期に入る。
ゴメン、
×1974年じゃなくて、
○1973年だった。済まない(^^ゞ
64 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/22(火) 08:34:34.21 ID:o24xDczQ
土日はパリーグのデーゲームのテレビ中継があったな。
今はすっかり無くなってしまったが。
65 :
忍法帖【Lv=7,xxxP】 :2011/11/22(火) 10:22:45.12 ID:vLx1QnEG
土日の午後は遊びのコアタイム、というか
土曜のけんちゃんの再放送、日曜のパネルクイズが終わると、
子供が見ても楽しくない番組になってTVを消してたかな。
1時半に家を出ると、まだたっぷり半日遊べるぞ、という感覚だが、
2時を回ると、太陽も西に傾きだし、ちょっと遅かったかな、という感覚がした。
雨の日は、人生ゲームとかのボードゲームとかしてたかな?
ゲーム機(ゲームウォッチ含む)登場以前。
ドラフトではパリーグの不人気チームの指名を蹴るのは普通だった。
金持ち球団が増えてきてからそれも減ったな。
>>66 ロッテに指名された愛甲が、露骨に嫌そうな顔してたのが未だに忘れられない。
みんなの前でデブスにいきなり告られた高校男子みたいな顔だったな。
うえぇ〜!って感じ。
自伝本には、母校の逗子の中学じゃ、学年の半分が万引き常習犯だと
書いてあった。ごひいきにされてる店は悲惨だったろうな。
高校の同級生でそこの中学出身の子3人いたけど、たしかに2人は
万引きやって補導されたみたい。
厳しい家庭で育った自分には、そいつらが反省もなくケロっとしてたのが怖かった。
ブスと聞いてこれ思い出した
111 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/08/12(日) 19:42:12.51 ID:LHQT/+Bt0
ブスがイメチェンして教室入ってきたときに
みんなでドリフみたいにイスから転げ落ちたり
机ごと倒れこんだりしたら不登校になった
71 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/22(火) 19:02:31.17 ID:kNRa7Tao
巨人のエースになるのが子供の頃からの夢でしたなんてほんとに
今じゃ考えられない昭和の発想だな。ただし謀一族を除くだが。
72 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/22(火) 22:04:48.49 ID:+smzF7fh
野球、なんてピンポイント的なスポーツ、話題を「生活」版で独占・展開されるのは、甚だメイワク…。
野球板、プロ野球板とかで「今じゃ考えられない昭和のプロ野球」とかのスレ建ててやっていただけません?
男の子は野球が好きに決まっている、っていう決め付けがいやでたまらなかったよ。
そういうのが得意な他人の、球技=玉遊びなんて知ったことじゃないのに。
昔、おしゃれなライフスタイルとしてカワチポテト族というのが
流行ったそうですが、ググっても今ひとつ分かりません。何が
おしゃれだったんでしょうか?
>>73 なんやワレェ、ポテトやないかワレェ
みたいな
75 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/22(火) 22:23:31.55 ID:I3AzWStr
昭和のマンガ・コントでは、唐草模様の風呂敷を背負った「押し売り」がやってきて、
そこで売られるのが「ゴムひも」
往々にして、「さっき、ムショ出てきたばかりなんだがよ」
玄関先の包丁を突き刺したりする。
実在したのかね。
で、昭和の男のパンツといえばブリーフなんだが、腰の部分のゴムが、幅広い奴じゃなくて、
普通に布が折り返されて、その中をゴムひもが通るタイプで、よくゴムが切れて、ズボンの中を
ズルズル下がっていく経験をしたものだ。
幅広ゴムに切り替わって、まるっきり切れてしまうことがなくなり、
ゴムがゆるくなってきたな→そろそろお役御免、という気配(ケハイ)を感じ取れるようになった。
これは進歩だと思った。
昭和40年代後半〜50年ごろ。
女子のパンツはどうですか?
そういや、泥棒ヒゲでハンチング被って、っていう典型的な
泥棒のスタイルって誰が最初に考えたんだろうね?
前に知り合いの刑事さん(かなり年配)にそういう泥棒を捕まえたことが
ありますか?と聞いたら笑われた。
>>70 国鉄時代はともかくとして、(サンケイ時代はわからん)ヤクルト時代はジャイアンツの次くらいに
カネある球団じゃなかったかな?ちがった?まぁ広岡がなんとかするまで戦力的には弱小だったけど。
>>75 実在した。
うちのかーちゃんは仕方ないからゴムヒモ買ってやったっていってた。
>>76 南伸介がよくそういうコントやってたけどね。その後アニメ化された天才バカボンでは既にそのスタイルが
定着してた。
80 :
忍法帖【Lv=8,xxxP】 :2011/11/22(火) 22:37:06.25 ID:gn0ULwNb
>>76 実際は、作業着&軽トラで乗りつけ、引越し業者や電気屋を装うそうだ。
今じゃ威迫を伴った押し売りも犯罪になることが普通に認識されてるし、
各家庭に電話が普及、携帯もあり、という時代だから、
むしろ上手く口車に乗せての詐欺工事・販売の方がメインになったな。
>>80 それでどこかのテレビ局が白昼堂々グランドピアノ盗まれたらしいね
うち店やってるけど、今でも時々飛び込みで雑貨とか京都の有名店(聞いたこともないが)の大福なんかを売りに来る
オッサンじゃなくて若い女が来ることがあるよ。
ただしこういうのって噂によると宗教関係の物販らしいが。
高額のお布施を出せるほど金持ってる信者はいいけど、それがない人はこうやって物を売り歩いて金作るんだとか。
>>82 その手口で堂々と営業中のデパートから品物を盗んでた窃盗グループもあったらしいよ。
>74
カウチのおっさん乙
>>80 ママンの兄ちゃんが、そいつらに家財道具まるっとやられたって。
…ちなみに、ママンの兄ちゃんがやられたのは、昭和39〜40年ごろだったという。
その頃から、引っ越し屋のふりした窃盗団はいた。
当然、近所の誰ひとり不審に思ってない。
>>72 言ってもムダだよ。
前にも注意した人がいたけど逆ギレされてた。
いまだに野球にやたら執着する人何人か知ってるけどみんなこんな感じ。
だからこそ週末のナイター中継だけが楽しみ、みたいな人生になっちゃうんだろうけど。
72は、一部の地方の方とはこのへんでさようなら・・・の地方の人なのかな。
地方には厳しかったな、テレビはw
昭和の娯楽と言ったら野球観戦は普通。
サッカーの話題をする人なんかほとんどいなかったし、韓流スターなんか
チョーヨンピルしか有名じゃなかったしな
91 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/23(水) 10:41:58.23 ID:9a7KTALn
92 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/23(水) 10:51:25.18 ID:DRjKEyLj
一部の地域どころか関東キー局でも、昭和50年代前期までは、
8時50分過ぎには強制終了で、親父たちはラジオの中継に耳を傾けていたっけな。
TBSだと、「この続きはTBS(←筆記体ロゴ)ラジオ954(950)KHzでお楽しみください」というスーパーが流れた。
50年代中盤に、9時24分まで延長、ってスタイルになっていたと思う。
テレビ神奈川や千葉テレビではリレーナイターをやっていたらしいが。
TVの野球中継は昔のアングルの方が好きだな。
226 Trader@Live! sage 2011/11/19(土) 05:11:13.26 ID:SmHjKhcs
常識とやらは、いつの間にか、ある日一夜にして変わっています
・へそのゴマ
昔=触るな → 今=掃除した方がよい
・傷口の処理
昔=徹底消毒徹底乾燥 → 今=無消毒で湿らす
・発熱の対処
昔=徹底して下げろ解熱剤飲め → 今=むやみに下げるな
・歯磨きのタイミング
昔=食後すぐ磨け → 今=30分以内に絶対磨くな、むしろ虫歯を促進する
・朝の歯磨き
昔=寝る前に磨いてるから朝食前は別に必要ない → 今=寝起きが口内のバイ菌は最大(※ゆすぐだけでいい)
・歯磨き粉
昔=磨いた後は残さず何回もゆすぎなさい → 今=ゆすぎ過ぎはせっかくのフッ素成分がで虫歯に
・視力のダウン
昔=暗いとこでPCや本やTV見ると目悪くなるよ → 今=ありえません。それはただの疲れ目
・不妊解決
昔=毎日出さないで精子を貯め、濃くなったのを入れなさい → 今=頻繁に出させ常に新鮮な精子をぶち込みなさない
・介護の心得
昔=怪我しないようになんでも手伝いなさい → 今=手伝うごとに衰えます、何でも自分でやらせなさい、虐待に冷酷に見えるくらいに
・強盗するなら
昔=コンビニ → 今=すき家
>>88 前にテレビ番組で実験やってた。世帯主の許可を受けて、
引っ越しトラックで窃盗実行。堂々と引っ越してた。
帰宅した事情を知らない家族が唖然としてた。
そういや、今では自家発電も、性器トレーニングアンド精子の入れ替えというので奨励されてるな。
「ウイークエンダー」のオープニングで加藤芳郎さんがその日の巨人戦の結果を報告してた。
延長がなかったからね。
しかし、こんな番組今じゃ絶対出来ないよね。
うちの親なんざ、当時小学生の自分らが起きてて横にいてもしれーーっとして見てたから
結局一緒に見てたw
この番組のおかげで「大人のおもちゃ」というジャンルを知ったもんだった。
そういえば、住んでたのが観光地だったからか
大人のおもちゃ屋があった。
小学生低学年の頃、背伸びして、「大人のおもちゃ屋に入っちゃうんだから」と暖簾をくぐった。
アレなものもあったような気がするけど、どちらかというと王様のアイデア的なものが並んでた気がする。
あとで親にばれて怒られた。
加藤芳郎さんと言えば連想ゲーム思い出した
今思えば実にNHKらしさに溢れていた番組だったな
コストかけずに人と人とのかけ引きを楽しみながら国語の勉強にもなる
加藤芳郎さんといえば苦しいときの違反ヒントの達人で、
「八方美人」の答えがなかなか出ないとき「よん かける に」を
ヒントに出したときは思わず爆笑したw
あと番組常連の田崎潤氏
ここぞというときに超大声で解答するんだけど、
正解したときのスカッとしたカッコ良さとは違って
間違えたときの何とも言えない間の悪さがまた良かったw
「鶴光のオールナイトニッポン」で
「僕は子どもの頃、大人のおもちゃというのは子どもには買えない高いラジコンなどを売っている店だと思っていました」
というハガキが読まれたのを覚えているんだけど、そういう自分もウイークエンダーで知るまでそうだと思ってましたw
高〜いのとか、子どもには難しくて作れないプラモとか。
101 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/23(水) 14:19:31.89 ID:bAB2kV1e
あのねのねが昔「大きな栗とリスの歌」というのを歌ってたが、
小学生だったから、何が面白いのか分からなかったな。
>大きな栗とリスの歌
コーヒー代120円返せwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
/\ うちの小学校
/ \ 横から見るとこんな格好をしていた
/| |\
| |
| |
| |
| |
 ̄ ̄ ̄ ̄
γ⌒ヽ 雪が降ると当然こうなる
γ/\⌒ヽ
γ/ \ )
/| |\ )
| |
| |
| | γ⌒ヽ
| |γ ⌒ヽ
 ̄ ̄ ̄ ̄
γ⌒ヽ ある日、人気者のSが窓から顔を出した
γ/\⌒ヽ
γ/ \ )
/| |\ )
| |
| |i○/ ヒョコッ
| |/γ⌒ヽ
| |γ ⌒ヽ
 ̄ ̄ ̄ ̄
γ⌒ヽ 屋根から落ちた雪が軒下の雪山に反射し、
γ/\/ 窓のSごと吹っ飛ばした
γ/ \
/| ドカッ |\ ↓
| | ↓
Σ|○/.三≡ ←┴→ クラス中大爆笑でみんなでヒイコラ言いながら雪掃除したんだけど、
|亡二==一γ⌒⌒ヽ 今思えばかなり危ない事故だったw
| |γ ⌒ヽ
 ̄ ̄ ̄ ̄
>>101 あれさ、♪大きな栗と リスの歌〜って、間あけて歌ってたね
で、最後だけ繋げて歌うんだ
自分は意味が分からなかったけど、当時20才の兄貴が赤くなってたw
笑天の大喜利で、落語界の瀬古俊彦と腹黒男としての名をほしいままにしていた楽太郎さん(現・円楽氏)が
「回文」を織り込んだ川柳を作れという、お題に、
「きもちよか(※)談志が死んだ(だんしがしんだ) きもちよか」
(※当時、楽太郎氏が出演し、流行語にもなった湿布薬{パスタイム」のCMの一節)
というのを披露していた。
立川談志師匠、ご冥福をお祈りします……。
>>107 一昨日死んだことが今日の午後発表された。
弟子で今日になってもまだ知らない者もいたようだ。
昔の落語の世界なら、弟子連に呼び出しをかけてみんなで臨終に立ち会うというパターンだったろうが
あの談志がそういうのを喜んだとは思えないので、それならそれでいいと思った。
>>99 終戦直後(ラジオ時代)から昭和40年代あたりのNHKは
色々な業界の才人を引っ張ってきて、そういう味のある面白い番組を作るのがうまかった。
なおかつ品が良かった。偽善的ではあるが。
たてかわだんしがしんだ、わかってた?
ダンシの落語聞いたことないし、タダのバンダナ巻いた
偉そうな物の言い方するオッサンとしてしかイメージが無い・・・(´・ω・`)
112 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/23(水) 22:20:27.25 ID:9a7KTALn
>>76 遅レスだが、ハンチング帽は三億円事件がきっかけじゃないかな。
君は何か大きな勘違いをしてるような気がする。
>>94 最後のは常識かよ(w 今ならなか卯も狙い目かと。
>>110 談志の、落語そのものは別として、ああいう物言いや風貌は、いかにも「昭和のへそ曲がり」って感じだよな。
とくにあの、相手の言うことを頭から否定してかかる物言いは団塊世代のちょっとすねたおっさんとかがよくやる。
そういうおっさんは、あの手の人から乱暴に全否定されるとなぜか喜ぶw
>>115 > とくにあの、相手の言うことを頭から否定してかかる物言いは団塊世代のちょっとすねたおっさんとかがよくやる。
全共闘世代にとってはそれが礼儀であったと高梨俊一が書いている。
まー、厨二病が昂じて学生運動とかやってた人たちだから
中二病の学生運動あがりは、
談志みたいに大学行かなかったけど有名になった人に弱いんだな
自分の頭で考える習慣を作れなかったから、頭ごなしに決めつけられるのが快感なのだろう。
>>99 連想ゲームといえば、ヒント「伝統」回答「こけし!」というのがあったな。
昔のnhkは真面目だったな。
最近なんかすごいよねw
>>120 タモリもしばらくNHKは出られなかったからね。しかも理由が
サングラスっていうからおどろき。
タモリをはじめて見たのはNHKのテレビファソラシドだったかな
タイトルうろ覚えだけど
>>123 「電動」だろうな。
ベッドが答えでヒント「回転」ってのがあったけど
NGで取り直したと加藤芳郎が何かで言ってた。
そういえばタモリって最初のころアイパッチつけてたね
>>126 タモリは片眼が義眼だというが、実のところ真偽がはっきりしてない。
ジャズシンガーでエンターテイナーであったサミー・デイヴィス・ジュニアが、1950年代中期に自動車事故で片眼を失明、
療養してからステージに復帰して、派手なアイパッチをとっかえひっかえ着けてトレードマークにしていた時期があった。
ジャズ屋のタモリだから、そこに憧れたのかも知れない。
(もっともサミー、芸を認めてくれていた兄貴分のフランク・シナトラに
「ステージでアイパッチなんか着けるんじゃない!世間から、おまえの芸じゃなくてアイパッチでしか憶えてもらえなくなるぞ!」
と正論で叱られて反省、以後は義眼を入れてアイパッチ無しで生涯を送った)
昭和の芸人にはサミーとかフレッド・アステアを映画で見て、鮮やかなタップダンスの粋に憧れた人が多かった。
ビートたけしもその一人で、たけし軍団員にタップダンスを「ヘタでもやってみろ!」と命じ、踊らせた。
先日亡くなった立川談志もアステアやサミーが好きで、タップダンスも大好き。
アステア来日時に都心で偶然遭遇、サインを貰って有頂天になり、
また東京の劇場のステージでは先輩格のコメディダンサー・泉和助のタップをこよなく愛した。
>>121 長髪とかエレキwでもダメだったって言うよね。
不良っぽいってことか?
>122
「テレビファソラシド」という題名は間違っています、
正しくは「ドレミファソラシド」ですから訂正して下さい。
>127
たけしのタップは師匠の深見千三郎仕込みだったと思うよ、
目の前でいきなり華麗にタップ踏んでみせて「芸人だったらこれくらい出来て当たり前だ」
と言われて、劇場のエレベーターの中でずっとタップ練習してた、と。
日曜、祭日はガソリンスタンドが休みだった
>>129 テーマ曲はテレビファソラシドって歌ってたな。
133 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/26(土) 08:35:04.99 ID:U+lTo0Zr
>>99 勝ち抜きゲーム(りんごとみかんを取り合うやつ)のコーナーが終わった時に
番組スタッフじゃなくて若手出演者がイスを片付けるのが印象に残ってる
あと、ワンワンコーナーがもう終わってるのに、
うっかり繰り返しの言葉を答える回答者がよくいたのを覚えてる
そう言えばクイズ番組が多くて、家族全員で一緒に答えてたな。
紅白ってアイドル歌手はなかなか出られなかったよねw
大御所メインて感じで。
ある年突然若者にも見てもらおうと、普通は選ばれそうもない微妙な
アイドルを多数投入したのを覚えてる。河合奈保子とか。
それ以前だと、五木ひろしが新曲出したら小学生も鼻歌でうたうような状況だったからね。
演歌ファンが特定の年寄りに固定されて若者が背を向けたから、路線を変えたのだろう。
昔は大晦日といえば、民放全局フルネットのゆく年くる年だったな。
昔の紅白の裏番組って、欽ちゃん二郎さんのが有名だけど、それ以外って
何放送してたんだろ。
>>139 時代劇とか再放送的な特番とか。ほとんど投げやり状態。
仕事関係のイベントで毎年余興として歌謡ショー的なものを企画しなきゃならないんだけど
招待者の年齢が30代〜70代くらいまでと幅広いので毎回人選に苦労するよ。
今は全年齢誰でも知ってる大スターとか誰でも歌えるヒット曲とかないからね。
SMAPでも呼べれば不満は出ないんだろうが、さすがにそこまで予算ないしw
>>129 × ドレミファソラシド
○ テレビファソラシド
◎ ばらえてい テレビファソラシド
>>142 当時、そういう投書があったって話だと思う。
>>140 日テレの時代劇はよかったよな?
白虎隊とか。
145 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/26(土) 13:42:44.25 ID:Of1+TASG
>>141 自分も仕事で無理と思いながら一応SMAP問い合わせた事あったけど、そもそも営業はやってないけど呼べたとして一人一時間2〜300万だと。
古谷三敏が、昔、少女雑誌に「わざとベタで古臭い設定とストーリーで描いた」ちょっとけったいなギャグ漫画
「母恋い千鳥」ってのがあったんだが、調べてみると、主人公の薄幸の少女が、全裸で鞭でしばかれるシーンが
あって、すげえ驚いた。
>>131,134
オイルショック以降にものごころついた人だね。
それ以前は年中無休のところも多かった。
マイカーがぜいたく品、といわれていた頃で、不要不急のドライブをやめさせ、
産業界に優先させるために通産省から行政指導があった。
個人経営のところでは、(燃料店と名乗る、薪炭売りから発展、LPガスもやっている)
表向き休んでいても、誰か店(家)の人がいて、給油してくれたもんだよ。
子供の頃は、まだ練炭や石炭(?)が山積みになっていたよ。
うちの実家の町内に2件あったけど、2軒ともつぶれちゃったな。
町内が年寄りばかりで車で遠出しなくなり、
建て替えやリフォームでオール電化、灯油やガスも売れなくなってきたんだと。
少女マンガといえば、りぼんが、都会の高校生や大学生を主人公にした
小じゃれたものが多く、東京の香りがした。w
かたや、なかよしは、怪談、時代劇をモチーフにしたもの、ギャグはみなもと太郎とか、
ゴーストライターに書かせたと思しき、アイドルに頼った記事、
お便りコーナーがキャロライン洋子とダメラのMCと子供っぽく、
これ、本当に東京で編集してるの?て感じだった。
昭和40年代後半〜50年ごろ)
>>146 今じゃアグネス検閲官に焼き捨てられるようなマンガが普通にあったよな。
永井豪の「凄ノ王」とか4週に渡って公園で女子高生が全裸にされてレイプされる
描写が延々と続いてたし。女性教師が可愛い男子生徒(小学生)を全裸にして
SMプレイでいたぶるマンガとかもあったし。どっちも少年誌。
ダメラw 懐かしいな…
思い出したんだが、なかよしに読者の悩み相談のページがあって、小6少女の相談で
自慰が気持ちよくてやめられないが成長に影響あるの?背が伸びなくなると聞いたが
という内容でした。回答は「成長に特に問題はないが、体がいつも身体をきれいにする
自浄作用というものがありますから、膣には金属の棒などは入れないように〜」
みたいな回答で衝撃を受けた。
確認のために国会図書館で昔のなかよし見せてもらいたい。
最近は若者雑誌で、性の悩み相談コーナーってないよね?
>>150 フジオプロや、吾妻ひでおのギャグ漫画では、去勢シーンや男性器リンチシーンもあったとです…
これらの作品のせいで、変な性嗜好に目覚めた人もいるとか。
>>151 なかよしは、全体的に子供子供したつくりだったのに、そんなのものあって、すごく大雑把な感じがしたな。
海水浴とブルーデーがぶつかりそうだったら、薬局でホルモン剤が買え、って回答があった。
ただし、年2回以内に限る。とか。
ミスなかよし、は(昔の)健康優良児としかいえないふっくらした子のスクール水着姿。
いがらしゆみことかは、性的なシーン、展開が多かったり、女の子が初経を迎える話が多く描いていたり。(編集部の意向?)
>148
いわゆる燃料屋さんの屋号に「ウロコ」が付く事が多いのは何故なのかずっと疑問だった
>最近は若者雑誌で、性の悩み相談コーナーってないよね?
2chやSNSで匿名なんだけど本音でガンガン言う方が圧倒的に便利になっちまったからな
うちの商店街では、歳末大売り出しの福引きに
お笑い歌謡ショーやってたな
牧しんじのウクレレ漫談とか、ギター漫談などのボーイズ演芸が来てた
ボーイズ演芸も廃れちゃったねえ
>>158 千鳥ちゃんガリガリだし、よく見ると今流行してるえら隠しヘアなのですよ。
160 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/26(土) 18:44:23.60 ID:uRHj/buf
>>139 歌謡曲とかアイドルの人気絶頂の頃はレコード大賞を3時間か4時間ぐらい
かけてやってて、紅白と時間が重なる部分があった。だから受賞者は
紅白出場が後半だったり、NHKホール以外の場所で歌ったりもしてた。
それ以前はレコ大が9時まで紅白が9時からで住み分けができてたんだが。
>それ以前はレコ大が9時まで紅白が9時からで住み分けができてたんだが。
有名歌手の会場移動が毎年、名物だったね。
それをニセ道路工事で妨害して歌手本人が怒ったら
野呂圭介が「どうも生中継のドッキリです」というアイデアを提唱していたのが
故・景山民夫。
演歌歌手の暴力団との交際問題があったし、もう紅白から演歌は
排除すればいいじゃん、年忘れにっぽんの歌があるし。
とはいえ、紅白に出る出ないはドサが多い歌手からしたら死活問題なのだろうな。
>>151 もし今そんなコーナーがあったら2chねら〜の餌食になるがなw
>>149 70年代のりぼんは確かに大人っぽかった
お姉さん雑誌のYOUが創刊されて
元の子供向けに戻ったけど
週刊マーガレットに連載されていた
「池田理代子の青春相談室」
中学生くらいの女の子から
「水虫ができて死にたい」という投書があった。
リヨコ先生は「それくらいで死ぬなんてくだらないからやめなさい」
みたいな回答してたのをなぜか強烈に覚えてる。
>>164 一条ゆかりとか、かなり大人な作品描いてたしね
エチーのシーンもあったし、おおやちきもレイプ未遂描写してた
おおやちき、絵が華麗だったな〜
>>166 おおやちきって「ぴあ」のパノラマ館の人だっけ?
おおやちき、画集持ってたよ
マネキンぽい絵描く人だったよなあ
169 :
忍法帖【Lv=13,xxxPT】 :2011/11/28(月) 19:37:00.07 ID:AcYmBOSd
ぴあが月刊だった頃、毎月、手の込んだ絵のクイズ出してたよな。
いつごろやめちゃったんだっけ。
23 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2011/11/28(月) 13:37:55.69 ID:smVeJ9k+0 [2/2]
バブルって何が凄かったの? 当時のことを教えてくれ
7 :名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/11/25(金) 23:38:00.14 ID:lgTL2K6A0
トヨタに入社すると新車もらえたという伝説がある
115 :名無しさん@涙目です。(長野県):2011/11/26(土) 00:23:51.11 ID:2hFkADdt0
年利5%以上とか普通にあった
168 :名無しさん@涙目です。(埼玉県):2011/11/26(土) 00:57:22.46 ID:aYCoqe5M0
タクシーの年収が800万くらいだっけ?
306 :名無しさん@涙目です。(東京都):2011/11/26(土) 02:34:38.05 ID:sA99vaGN0
今の子は信じられないだろうが公務員が負け組み扱いとかかな
313 :名無しさん@涙目です。(兵庫県):2011/11/26(土) 02:37:13.34 ID:E5wKD1Fc0
スキー場が大盛況で駐車場に入るのすら大渋滞で2時間待ちとかあった
351 :名無しさん@涙目です。(長崎県):2011/11/26(土) 03:13:35.81 ID:2n1heE040
あんまり儲けすぎて海外から顰蹙買ってたから「日本を休もう」なんてキャンペーンを政府主導でやってたがそれでも金が余ってた。
448 :名無しさん@涙目です。(関東・甲信越):2011/11/26(土) 05:53:26.31 ID:K6Y9fJmjO
内定が平気で何十個も取れてしまい、内定をどうやって断るかのマニュアル本もあった
700 :名無しさん@涙目です。(SB-iPhone):2011/11/26(土) 10:29:56.66 ID:AJUCUOIB0
金使うところを探さなくてはいけないくらい潤ってた
>>170 年利5%は低すぎ。ワリシンとかワリトーとか14.5%だったから
遺産を1億相続したらそこに預ければ死ぬまで年収1千万が保証される
予定だった。バブルが弾けるまでは。
債券のデザインはみな一緒で債券の金額と縁取りの色が額面によって異なるんだよな。
100万円券以上は見たことないけど。
買うとき、換金するときはすべて「番号札」で処理される。
これが「無記名」。
勉強になる
子供の頃、ワリシンとかワリショーとかなぞの言葉の
広告があって、不思議だったのを思い出した。
証券会社や発行銀行(興銀とか東銀とか)店頭には
本日の価格「¥XXXX」って電光掲示があった。
元利保証、固定金利なんだけど、○月債が一ヶ月にわたって販売されると、
年数%の利率があると販売価格に開始日と終了日じゃ数円の差が生じたのだ。
>>170 俺と巡回してるスレが同じなんだな
大抵はこっちのスレの内容がそっちのスレにコピペされるんだが今日はその逆かいw
177 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/28(月) 22:14:13.19 ID:NVojSfa1
それと、国電の扇風機には、シーズンオフになると
ワリトー・リットーの広告の入ったカバーがかけられていたものだな。
178 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/28(月) 22:43:21.14 ID:NVojSfa1
金利自体は、バブル時代に入ったころに劇的に下がった。それまでは高かった。
こんな低金利なら貯金しても馬鹿らしいから、投資でもしようというのがバブルの一面。
ワリコーとかは、無記名のためマル優が適用にならない。
そのため利息に必ず18%の税金がかかった。
それを考慮すると、1年物の銀行定期の利率を下回っていたし、融資を受けるのに、
実績にならないので、庶民には無縁の金融商品だった。
で、なんで、こんなものが存在したのか。
最高5千万円が1枚の無記名の証券になる。
よく脱税が摘発されると、畳の裏や甕のなかから割引債が発掘されていた。
興銀…etc.は、全国に店舗が少なく、やや高い金利と無記名を売りに
金持ちから「暗黙の了解」のもとに資金を集めていた。
もちろん、そんな人たちは表に出せる金で普通の預金や株・土地なんかにも投資してしたが、
利息なんかよりも課税されたくない、元本割れさせてくない資金の保管法として利用されていた。
そのシステムを温存させていたのが政治家とそのおともだちというわけ。
マネーロンダリングとかが言われだした2000年頃から電子化とかされるようになり、
無記名利用ができなくなると続々取り扱いをやめていった。
バブルの頃、N○Cは新入社員一人一人に名前入りの社用箋を配っていたし、
損保や証券の大卒女子の1年目のボーナスが100万近くあった。
芝のプリンスホテルのテニスコートも22時頃が一番予約が取りにくかった。
>>178 1980年頃、定期が8%だった記憶があるけどなあ。
何年定期かは覚えてないけど。
郵便局の定額貯金は、10年で倍になったらしい。
親から聞いた話だけど。
185 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/29(火) 04:39:30.90 ID:y9YYnjkD
>>184 そう、そうなんですよ
子供の頃に貯めた、小遣いやお年玉が
すごい増えててビックリ
けど、銀行が営利企業である以上、貸し出し金利が、ひいては経済成長率がそれ以上でなければ
銀行は稼げないし、借り手の企業は返せない。
経済成長に応じて物価も成長するから、ただ預金するだけでは、目減りするだけだったのだ。
よく、銭湯の入浴料、電車・バスの運賃、新聞、散髪代金、コーヒー・ラーメン
なんかが物価の指標になっているが、
たとえば、昭和41年に15円で出せた手紙は、昭和47年に20円、オイルショックの落ち着いた
昭和51年には50円になっていた。
平成2年ごろに預け入れて10年後が満期になっていた人か、昭和期が子供で、
そのお金と生活と結びついてなくて思ったより、という人じゃないかな。
>>178に出てくる高金利商品で金を集めたが、バブル崩壊でそれ以前のサイクルは崩壊。
そこに出てくる銀行の多くの経営がおかしくなってしまった。
床屋の代金は、2〜3年に1度、「4月からXXX円になるからね」と
やっていることは同じなのに、無条件で値上げを通告されていた。
しかも、みんな組合に入っていて、どこも一律料金、月曜定休だった。
これも規制に守られた業界だったのだろう。
そんなふうに無条件に値上げできたのも、平成初頭まで。
平成10年ごろには、シャンプーなどをはしょった千円カット店が登場、
フルサービスで2千円っていう店も多くなってきた。
いまや、坊ちゃん刈りや坊主刈りの子供も珍しいくらいで、技術も要求される。
物価や規制緩和などの世の中の変化が垣間見える。
188 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/29(火) 07:01:58.63 ID:9eRFmMMZ
競争する業界はいいけど、競争しない業界の価格は高いまま。
代表例が公共料金、外国の5倍以上は当たり前。
>>187 丸刈り・おかっぱが校則だった時代、地元の中学校御用達だった近所の床屋は
髪型が自由化したらすぐに淘汰されてしまった。
同じく中学御用達で、毎年新入生にクソ重い&クソ高いママチャリを売ってた
近所の自転車屋も今や…
昭和の頃は、社会全体が、小さな不法・不正行為、っていうのを容認していた気がする。
むしろ、声を上げると、疎外されたものだ。
学校の先生は生徒を蔑称で呼んだり、体罰をふるったり、家庭教師の闇アルバイトをしたり、
大学のサークルは、未成年の新入生に酒を飲ませ、
サラリーマンは、会社の通勤費で1ヶ月定期分が毎月支給されて、6ヶ月定期を買って差額を浮かしたり、
自営業者は、仕事に使わない高級常用車を、税務上、経費で買っていたりした。
許認可のいる店じゃ、組合が受け皿になって、お役人を来賓として宴席に招いたり。
そうしないと、許可が下りなかったり、事前通告なしに立ちいり検査があったりする。
無限の成長に思えた自営業者と違って、公務員は一生涯に稼げる金が見えてしまうので、
そのくらいの余禄がないとね、と容認されていた。
191 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/29(火) 11:17:22.75 ID:Fm1B2+6N
>>190 俺の小6の時の担任はクラスの成績Top5を自宅に呼んで補習して、
この5人を今で言うお受験私立中学を受験させた。無料だと聞いたが、
たぶん親たちは何がしか包んでいたんだろうな。俺は何か後ろめたくて
3回で行くのを止めた。おかげで地域の公立中学校に進学したのだが。
192 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/29(火) 11:19:25.53 ID:Fm1B2+6N
大学生の時(昭和50年代)、もう千円散髪あったぞ。
ちなみに名古屋。
昭和50年頃には、渋谷で800円散髪屋というのがあった。
それは、人口が多かったり、学生街とかだからやっていけたのだろう。
オレも、昭和のころに、東京のM大学の近くで2軒ほど見かけた。
もっとも、客はみなオッサンだったが。
たぶん、日本のほとんどの地域(住宅地)じゃ、暗黙の規律を乱すとか、
組合に入っていないとか、同業者や近所からアウトローとしてハブられたと思う。
>>193 昭和60年頃なら札幌にもいくつかあった。
店員が店の中で鬼ごっこしてたり散々だったなぁ。
きっと卒業したばかりのプロ意識の薄い人とかを安く雇ったんじゃないかなと思ってた。
価格は魅力だったけどあまりひどいので行かなくなった。
それから平成になって1000円の店がたくさんできるまで組合店の料金で我慢してたよ。
>>189 昭和時代って、そういうあからさまな業者と学校の癒着があったよね。
転勤族から「そんなクソつまんねえしがらみ押し付けんな!」「こんなとこだって判ってたら、
最初っから子供なんか連れて来なかったのに!!」と大嫌味をこかれてたけど。
そんなこといったら、たいていの公立中学の女子や西日本の小学校の制服とかはどうするのだろう。
たいていは、「郷に入っては郷に従え」、少々のことなら他の子と一緒にしないとかわいそう、
って言っていた様な。
坊主刈りとかの校則とかにも、全文開示しろとか、文句をつける思想すらなかったし、
それとも、はじめの1歩に毅然とした態度が肝心(1つ受け入れたらなし崩しになってしまう)で、
そんな「良識」も通用しなくなったか。
水彩や書道、裁縫セットが違うくらいでは、へぇ〜、ってかえって珍しがってたくらいだけどな。
今でも指定業者は高いよ。どう考えてもあんな体操服(普通の
シャツと短パン)上下5000円は高すぎる。
>>190 そういや熊本の叔父さん(公務員)が月一くらいでうちに来て
泊まってったけど、あとで聞いたら出張費の宿泊費をポケットに入れるため
だったらしい。
200 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/29(火) 12:50:45.18 ID:9eRFmMMZ
今でもクリスマスケーキ注文するのかね?
子供の頃は大抵食ってた。2段のクリスマスケーキとか。
今食ったら不味いだろうね。当時はおいしい、おいしいと思って食ってた。
当時ショートケーキなんか食ったことなかったし。
50年近く前だよ。
>>194 人口10万ほどの田舎だが、俺が高校生だった昭和50年代後半に1200円だか1300円って床屋があった
ただ「あそこは仕事がいいかげんで虎刈りにされる」との噂があり、なかなか足が向かなかったんだが
それならそれで話のネタになるかと友人2人とつれだって出かけたところ、いたってふつうに刈ってもらえた
あの噂は組合に入ってる床屋が流していたんじゃないかなあ、と思ったりしたね
>>171 ワリシンとかの年利14%というのは、ちょっと考えずらい。
おそらく「源泉分離課税18%」というのを見間違えていたと思われる。
利率そのものは、銀行の1年定期よりコンマ数%高かった程度と記憶している。
昭和期は、ロクイチ国債(10年物で年6.1%)が低金利の代名詞といわれていた。
これを1億円買って置けば、10年間毎年610万円(税引き前)の利金が入ってきたのだ。
それでも、みんな株や土地に走っていたが。
>>199 せこいね。そういや当時は公務員に向けられた目も今ほどきびしくはなかったな。
ただ、公務員の出張旅費はいろいろ変な制約があって(国鉄分は出るけどそこから乗り換えた私鉄は出ないとか)
まともにやってると必ず赤字になるから、その叔父さんにも少しは同情する余地がある。
叔父さんが毎度、相応のおみやげを持ってきたりごちそうしてくれたりしたのなら、
誰からも文句が出ない良い方法だったのだろうな。
>>197 そういうのが積もり積もって、転勤の際は妻子を都会に残しておくようになったり
若い者が田舎に住んだり嫁いだりを選ばなくなってしまったんじゃよ。
>>202 実際に知らないくせに自分の常識で考えられないものを否定するってのは
よくないよ。
俺も当時、夕刊で金融債(当時はそういう名前は知らなかった)の
広告をよく見てた。年利15%近くだったよ。1億預ければ毎年1500万の
金利(税引き前)が懐に入るので、金持ちはすごいなと思っていた。
>>178 俺が見たのは30〜35年くらい前だったと思う
>>200 そういやなんでわざわざ予約してたんだろ。
人気店のケーキならわかるけど、今じゃどこでも売ってるし
たいてい売れ残ってるし、昔は注文じゃないと作らなかったのかな。
うちは父親の好みでアイスケーキだった。一度でいいから普通の
クリスマスケーキを食べてみたかった。
でも昔のケーキってバタークリームだからたくさん食べると
気持ち悪くなるんだよな。
昔のバタークリームはマーガリンっぽいもので作ってたんだっけ?
今のバタクリはちゃんとしたバター使ってるから美味しいし、時々食べたくなる
だけどたくさん食べられないのは同じだな。何せバターだしw
給食で鯨の肉が普通に出てきてたw
長髪=江口洋介だった
年末の31日から正月2日までは店が休みだった
んで正月にしゃけの餅とか食いたかったら30日までに魚を買っておかないと悲惨な新年になる
武田鉄矢が年とっても、江口洋介がいれば、金パチ先生シリーズは安泰だと思っていたっけ。
>>212 そりゃ昭和も末期の方だろ。昭和40年代〜50年代は大晦日まで
店はやってるけど新年は7日までお休み。パンも普段みない
長いパンを買ってきたり、親父がタバコをカートン買いしたり、
ビールをケース買いしたり、みかんを箱買いしたりと、非日常が
楽しかった。買い忘れると超悲惨。
お年玉もらってもデパートが5日まで休みだから使えなかったな。
駅ビルは2日だけ営業してたけど。
親も5日頃までは正月気分で昼間から酒飲んでた。親戚とか会社の人
とかが入れ替わり立ち替わりやってきて、夕方には真っ赤な顔して
帰ってった。
215 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/29(火) 19:32:18.12 ID:IvumodBt
規制といえば、米と酒、あと薬とタバコの販売もかな、
割と最近(10年くらい前?)まで出店規制があって、どこか廃業しないと新規出店できないとかで、
スーパーでも米や酒を扱っていないところがあって、よく届けてもらっていた。
八百屋や電気屋なんかが早々に大型店にやられていくなかでも生き残っていたほうだと思う。
コンビニも酒を扱っていない店が多かった。で、解禁ともにほぼ全店で酒を扱うようになった。
どこの地方の部落だよ
217 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/29(火) 19:53:28.94 ID:9eRFmMMZ
給食で出てきたのは鯨の肉もあったが、鯨の皮も出てきたのではないか?
脂身みたいでゴムみたいな弾力があった。
>>187 高校生の時は官公庁の庁舎内の床屋に潜り込んで安く済ませていた。
>>215 最初の頃に酒を置けたコンビニは、酒屋から転業した店だけだったね。
>>218 官公庁内の店は、床屋や食堂などポケットマネーで払う店は安い。
逆に、文具屋や名刺印刷など、経費で支払う店は滅茶苦茶高い。税金泥棒だな。
床屋でなにも言わないとテクノかっとばりにモミアゲを剃られる
お気に入りの曲をカセットテープに録音する為に、ラヂヲを聞きながら
スタンバイしてたのってマジ?
昭和54年生まれで、曲とかに興味を持ちだした時にはMDがあって、普通に
レンタルCDを借りてきてコピーできたからなあ。
>>218 で、お母さんから散髪代として3千円とか貰ってたんですね
223 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/29(火) 20:18:31.43 ID:9eRFmMMZ
給食はコッペパンたまに食パン、脱脂粉乳の牛乳?、おかず、たまにデザートで林檎、みかん等だった。
林檎は切ってあって塩水で変色しないようにしてた。
ご飯が出てきたことは一度もなかった。
家の食事が貧しかったので、給食は不味いとも思わなかった。
当時は今と違って、国民のほとんどが貧しかった。
アスファルトの道路も一部しかなかった。自家用の乗用車持ってる家は
殆ど無かった。水道はなく井戸、プロパンガスが出始めた頃で、
釜戸の家が多かった。石油ストーブではなく、火鉢。電気こたつはあった。
>>221 FMで流す音楽は、リリース前の新譜や非有名作なんかもあって、その幅広さはレンタル屋の在庫の比ではない。
カセットからMDに進化したら楽になるとかそういう問題じゃないんだよ。
80年前後からレンタルレコード屋はあったけど、やっぱりFMの存在価値は大きかった。
ちなみにラジオの前でスタンバるのが面倒な人のために、オーディオタイマーという商品も売っていた。
225 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/29(火) 20:20:59.03 ID:9eRFmMMZ
昔はカセットもなかった。オープンリールのデッキだ。
FM放送が中学生の頃始まった。
226 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/29(火) 20:23:54.79 ID:9eRFmMMZ
訂正
FM大阪が始まったのは高校生の時だ。
>>221 ネタじゃなくてマジですよ、お兄さんw
より正確に言うと「録音+一時停止の状態」でスタンバイし、
お気に入りの曲がかかった瞬間から録音を開始するの
曲のアナウンスのしかたも番組毎に特徴があってね
「松田聖子さんでピンクのモーツァルト」→(録音開始)→イントロ なら成功
「松田聖子さんでピンクのモーツァルト」→(録音開始)→「三曲続けてどうぞ」→イントロ なら大失敗ww
これで何度頭取り失敗したことかwww
そんなエアチェックしたカセットがうちには500本ほどあるんだが、なかなか捨てられないんだな
FMステーションとともにおいらの10代のメモリアルだわ
そして録音中にカーチャンが「ごはんよー」とか言ってその声もバッチリ入っちゃうんですねわかります
>>221 昭和43年生まれだが、中学高校のころは、エアチェックとかいって、FM放送の音楽部分だけを録音してた。
FM放送は、発表前の新譜もそうだが、ライブもレコードには無い貴重な音源だった。
230 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/29(火) 20:54:36.03 ID:IvumodBt
>>228 そりゃ小学生がラジカセでTVの歌番組を録音するときだろ。
FMは、チューナー直結だからそんなことは起こりようがない。
231 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/29(火) 20:56:31.67 ID:IvumodBt
FMレコパルとかで、事前に曲を察知してたりたな…。
新聞の日曜版とかにも、FMでかかる曲を網羅した番組表がのっていたっけ。
>>223 昭和48年頃、テレビで「米余り」が報じられたころに、米飯給食が始まった。
当時小学生だったが、古米処理だということははっきりわかった。
>>230 しかし、それでも録音中に家の電灯をオン・オフするとパチパチというノイズが入るので、
おマニヤ様は、エアチェックの最中は家族に家中の電灯をつけっぱなしにしておくように頼んでおいたものだ。
当時のNHK-FMの「軽音楽をあなたに」は有り難い番組だったな
曲にDJがかぶらない、アルバム丸々1枚流す、貴重なライブとか充実してた
>>233 俺は中学の頃にお年玉と小遣いためて、ノイズフィルターとFM専用アンテナとブースターを買った
アナログはやればやるほど結果に表れるから、そういう意味では実に面白かったなあ
アルバムが買えない貧乏時代は、新譜はラジオで入ってたなあ。
日立ミュージックハイソニックだっけ。
そんな番組があって、けだるい音楽と共に素敵なアナウンサー
くり万さんのナレーション。
モノラルだけど何度も何度も聞いたわ。
237 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/29(火) 22:04:01.07 ID:9eRFmMMZ
FMで映画音楽、シャンソン、カンツォーネ、ラテン等を聞いてたな。
俺みたいのはほとんどいなかったろうね。
土曜の午前授業が終わって特に遊びに行く用事がないときは、大急ぎで帰宅して
「♪こ〜せ〜 化粧〜品〜 歌謡ベストテーン」と「♪ダーーーイアトーン ポップスベストテン」
を飯食いながらチェックしたものだ
平日の夜は「コンピューターベストテン」てのがあったんだが、これはローカル(北海道)だったのかな
よくタイマー録音したのはNHKの「昼の歌謡曲」と>234の「軽音楽をあなたに」だな
あとはお決まりの「クロスオーバー・イレブン」
一時かなりハマったのが土曜の深夜の「ビッグ・スペシャル」
たしか25:00〜27:00と二時間枠で毎回いろんなテーマが選曲されるんだけど、
自分の好みとドンピシャと一致したらそれは何が何でも録音しなければならないw
眠い目こすってヘッドホンしながらよくお付き合いしたものだ
その「ビッグ・スペシャル」が1986年に「オール・アバウト・40イヤーズ1946-1986」
という企画を半年がかりのロングランでやった
40年間の国内外の流行曲を紹介するってんで、自称音楽通の俺は殆どを録音した
おかげでいろんな海外アーティストを知ることができたな
それにしてもなんで10代って、こんなに音楽に真剣になれるんだろ
>>236 >日立ミュージックハイソニックだっけ。
ん? と思ったから昔録った音源聞いてみた。
日立ミュージックインハイフォニックが正しいみたい。
あのテーマ曲とナレーションを久々に聞けて懐かしい。
AMだからステレオじゃないのと、
短時間番組だから音楽がフェードしてナレーションとかぶるのを除けば、いい番組だったなあ。
関東のはずれだとモスクワ放送が混信して録音できる音質じゃなかった。
高校生の頃、隣町に友&愛が出来た。
カセットテープは高かったけど、聞けるアルバムは何倍にもなったな。
今「友愛」って聞いたら全く別の響きに聞こえるよなw
それはそうと友&愛、俺もよく世話になったわ
あれって全国チェーンだったの?
5年くらい前に中野に行った時あったよ>友&愛
中古ソフト店として細々と何軒かは残ってるみたい。
NHK−FMのサウンドストリートのエアチェックしたテープはまだ持っている。
今考えれば毎日凄い面子だったな。他には中西龍がナレーションをした
明智小五郎シリーズのラジオドラマとか
アナログレコードの天敵はほこり。なのでほこりを取るために
四苦八苦してた。ピクソールという5000円もするほこり取りを
買ったもんだ(今の物価なら2万円くらいか)。
さらに、レコードプレーヤーの先端のピックアップという針の部分も
高価で、人気のあったシュアというメーカーなら2万円(同じく8万円
くらい)、しかもその先端の針は消耗品で定期的に取り替えなければ
ならなかった。
音楽を聴くのも一苦労だった、という話。
246 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/29(火) 23:20:39.08 ID:Fm1B2+6N
>>231 FMレコパル買ってたなぁ。中学生の頃。
フュージョンブームの時はクロスオーバーイレブン、あれは曲名言わないから
とにかく録音しっぱなしで後で2台のラジカセで編集。倍速ダビングデッキがなくてな。
248 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/29(火) 23:25:12.39 ID:Fm1B2+6N
レンタルレコードができ始めた頃、図書館にもレコードが置いてあって
貸し出しもしてた。
FMレコパルのインデックスは重宝したな
うる星やつらのインデックスとかまだ残ってるわ
軽音楽をあなたにでは時々ブートレグも放送したよね
どうしても録音したいときは部活サボってすっ飛んで帰宅したっけ
>>247 買いましたよMC、はい。小遣い貯めて全部はたいて。
252 :
250:2011/11/30(水) 00:12:21.44 ID:v8Q5VT2e
>>250 すげーなー
てことはさぞ立派なレコードプレイヤーをお持ちと推測する
昔MMとMCの違いを説明するのにこんな喩があった
「男が腰を振って女に尽くすのがMM、女が腰を振って男に尽くすのがMC
高くつくのはどっち?」
>>252 ああやっぱりそういう感じなのね。
自分も欲しくて迷ったけど金無かったから手がとどかなかった。
中高生の頃だったから別のことに消費して正解だったかな。今なら試しに買っちゃうとこだけど。
255 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/30(水) 00:40:05.50 ID:E4K/zLn5
>>238 中学の時、誕生日にカセットデッキ買ってもらってエアチェックしまくったな。
あの当時ラジオから流れてくる曲は、バラエティに富みワクワクさせるものが多かった。
256 :
250:2011/11/30(水) 00:42:20.24 ID:v8Q5VT2e
>>253 プレーヤーのメーカーは忘れちゃった。アンプは山水、
スピーカーはDenon、デッキはソニーだった記憶がある。
チューナーはどこだったかなー。
デンオン(デノンじゃねぇぞ)の大理石のプレイヤーに憧れたなぁ
振動が伝わらないからどうたら、ワウフラッターがこうたらとか
ブロックでスピーカー作ろうと思ったが、加工がかなり大変なので断念した
ナガオカ〜♪
山水とデノンとはまた随分と渋いチョイスだなあ〜w
俺が憧れたのはJBLのパラゴンとこれ→
http://audio-heritage.jp/DIATONE/diatoneds/ds-5000.html 一度だけDS-5000をショウルームで試聴させてもらったことがあるんだが、
一般人の知ってる「音」とは全く次元が違う
なんつーか、アニメのギャートルズみたいに声が3D文字になって浮かび上がってくるって言うか
それに対しパラゴンはあの横幅の所為もあるけど、
オーケストラの演奏者が100人いるとしたら、100通りの方向から楽器が聞こえてくる感じだった
余談だがパラゴンはmade in USAではあるが、実際に作っていたのは日系アメリカンとか
チューナーはTRIOでした
262 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/30(水) 03:40:18.34 ID:S1y4j4sd
ラックスの真空管アンプ、アルティックのスピーカーとかあったな。
赤ちんという名の水銀含有物を、傷口に塗りこんでいた
マランツのプレーヤーとアンプだけ買ったらボーナスがパーになった。
金持ちの後輩にその話したら、哀れと思ったのかKEFのスピーカーを(送料向こう持ち)
くれた。最初に鳴らしたパバロッティのオーソレミオは涙が出たわ。
後日その後輩に、KEF捨てて何を買ったか聞いたら、タンノイでしたorz
その翌年だか、厨房になった息子にオーディオセットを買ったとき、自分の1/3位の
値段のにしたが厨房にしてはどえらく贅沢なコンポが買えた。
>>264 今は音質もデジタル処理だし、5万も出せば
けっこうな音が出せるんだよね。何よりヘッドフォンが
ものすごく進化した。昔はそれこそ100万掛かってたのに。
でも昔の方がなんか幸せだったような気がする。
>>265 想像力と思いこみを強化する対価に金使うのは最適だからな。仕方ないさ
>>264-265 なによりCDが安くなった。
1970年代後半、LPは2500円前後した。
小遣いで月に1枚買うのがやっとだったよ。
>>267 再販制度の対象だったからね。アメリカじゃLPが
8ドル前後だったってのに。
そういや高校の頃にエアメールとMoney Order(郵送小切手)
使って直輸入したっけか。船便で6週間掛かった。包装が雑だから
反ったりしてたな。
我が家では今でも親父の形見であるトリオのアンプを使っとります
好きな子に自分の好きな歌をオムニバスでたくさん録音したテープを
プレゼントしていた。
今思えば押し付けがましい行為だったな。
自分が好きな歌いっぱい入れたからあなたも聴け!だから
>>270 でも女の子の方もまんざらでもなかったんだよなー。
あの人と同じ曲を好きになりたい、とか。初々しいわー。
>>270 当時はレコードでカセットだから、録音時間はきっちり再生時間分かかる。
作るのも一苦労だった。
今じゃ、CDRに48倍速ww で書き込みだもんなあ。
テフロン加工のフライパンて昭和からだよね。
274 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/30(水) 13:40:01.77 ID:jLgCsHc+
>>267 だから聞くときも、気合を入れて聞いたな。
原付がノーヘルでもよかったw
オーディオ話終わったら起こして
>>274 LPのすべての曲をそらで歌えるまで聞き込んだ。
280 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/30(水) 14:32:06.05 ID:2L0xz12h
エルピー全部聴くのが当然だった。おいしい曲しか聴かないのは邪道と思っていた。
ペットボトルがCM初登場したのは、たしかポンジュース
「落ちても割れない!」みたいな宣伝をしてた
1.5リットルのペットボトルは、出始めのころは底が丸くなってて、外側にプラスチックの「囲い」がついてた
>>280 カセットに落としたとしても曲とばすのって面倒だったしね
CDになってからアルバムの中で聴かない曲って増えたな
レンタルを利用してカセットに落とす娘とcdを買う息子、利口なのはどっちか?と聞かれたので
「ただひたすら安く上げたい娘さんにも一理ある。頭出しが煩わしいと感じるかもしれない息子さん
にも一理ある。価値観の相違なのでどちらが正しいとは言えない」と答えた。
まだMDやIpod等がなかった時代のお話。
>>283 そういやそうだ。頭出し機能の付いたカセットがすごく便利だったけど、
結局は時間が掛かるんだよな。劣化するし。レコードも曲を飛ばすには
自分でアームを動かさないといけないし。だから全部聴いてたのか。
あと、レコードの片面はどんなにがんばっても30分くらいしか入らなかったから
途中で裏面にしなきゃいけなかった。クラシックの超大曲なんて曲の途中で裏返したり
してた。
287 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/30(水) 16:51:12.17 ID:PEFYDPsR
レコードは買ってきて始めてプレイヤーのテーブルに載せて針を落として
ブチって鳴ってから1曲目の音が出るまでの一瞬の静寂のわくわくした気持ちが
しびれるほどだった。北山修氏も同じようなことを自身のエッセイの中で書いてた。
288 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/30(水) 16:54:09.99 ID:PEFYDPsR
昔は映画の音声だけを録音したLPレコードっていうのもあった。
音声だけ聞いて映画のシーンを思うかべるために。
宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999のレコードが今でもあるよ。
その後レンタルビデオが一般的になって、ビデオデッキ2台並べてダビングした
こともあったけど、いまやDVDだもんな。
何もかも皆懐かしい
>>287 耳済ませると、実際に始まる数秒前に隣のトラックの音拾って
かすかに聞こえるんだよね。
>>279 CDと違って嫌いな歌をとばして聴くのは難しかったからね、レコード。
テープも頭だし機能がついてるデッキ以外だと難しかった。
キュルキュルいわせながら早送りした。
出先でLPなんか買おうものなら、帰りの満員電車で押しつぶされないか
ヒヤヒヤしたわ。
293 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/30(水) 18:32:35.83 ID:3HvE8C6i
プレーヤーもアンプもカセットデッキも、サンキュッパやヨンキュッパじゃ
最低ラインのものしか買えなかった。
カセットデッキは、ガチャメカ、オートリバースなし、リモコンなんて夢のまた夢。
いまじゃ、へたしたら、オーディオじゃないけど、絵まで録れて、リモコン、500GBHDD、BS/CSダブルチューナー内蔵のブルーレイレコーダーが49,800円で買えるからなぁ。
∧__,,∧
(´・ω・)
(つ●と)
`u―u´
∧__,,∧
(`・ω・) パリーン
≡つと≡
u―u
.,';:
295 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/30(水) 18:45:40.31 ID:Af9QQ9ez
>>290 昔はオープンリールの磁気テープに録音してたから、一周前の分がコピーされてしまうのだ。
>>288 それを聞きながらアニメコミックを読むのじゃ。
音楽関係のスレなんかで「アルバム聴く時にこの曲は飛ばす」なんて書いてる人がよくいるけど、時代を感じる。
LPだと飛ばす面倒をやるぐらいなら続けて聴いた方が楽だったし、
そもそも当時の物価に比べてレコードが高かったからそういうもったいない聴き方はまずしなかった。
意外と初印象がしょぼい曲の方に、聴けば聴くほど味が出るのがあったりもしたしね。
そう、当時のガキにとってLPレコードは高価なものだった
だから同じ\2,800のアルバムでも、中心に近い無音部分のミゾが多いものは凄く損した気分になった
小学生時代、TVのチャンネルは回す方式だったので
チャンネル権争いが膠着すると、チャンネルだけ外して
持って逃げるという荒業にでていた
貸しレコード屋は合法か違法かで随分長いこと裁判やってた。
>>299 うちのテレビはチャンネル部分が外れたので、ペンチで挟んで
回していた。結構長い間。
紅白を見なきゃいけないという雰囲気
神田さやかの曲なんて今年売れたのか?
民放のゆく年くる年が全部同じだった
東北、四国、九州の大半の県は民放TV局が2局しかなかった。
日本テレビ、TBSの番組が優先されることが多いので、
笑っていいともが夕方4時から放送されたりしていた。
それでも「お昼休みはうきうきウオッチング〜」ってやっていた。
お昼には笑ってる場合ですよ!という番組をやってた。
いいともの前の番組。
お笑いスターが日替わりで出ていたね。
ツービート、B&B、のりおよしお、小朝
フジ系列をUって言ってた
九州だけど
NHK総合は、午前0時になると吹奏楽?の君が代をバックに
青空にはためく日の丸の旗の映像が流れて放送を休止した。
で、朝の5時か6時頃に同じような感じで放送が始まった。
朝のほうのはともかく、真夜中の日の丸と君が代が
子供の頃はとにかくもう怖くて怖くてしかたなかった。
まあ子供だからめったにはそんな時間まで起きてないけど、
ごくたまに夜更かししてうっかり見てしまうと
憂鬱で眠れなくなるくらい嫌だった。
深夜に青空と日の丸ってのがまずシュールで怖かったし、
日中に聴いたら全然なんてことのない君が代の演奏も、
真夜中に聴くとなぜかものすごく不気味に感じたんだよね。
君が代終了後に、明日死ぬ予定の人の名前一覧が出る・・・
そんな都市伝説もあったな。やっぱり不気味に思った人が多かったのだろうな。
昔のテレビのリモコンはすごかったな。
チャンネル変えるとガチャっ、ガチャっって、まるで幽霊がチャンネル回してるみたいに動く。
>>299 対抗策として「空き地などに捨ててあるテレビからチャンネルだけ取ってくる」という方法があってだな
家電の部品をなくすと二度と手に入らないと思っていた。
ウチはちゃんねるのツマミを壊してしまってペンチでまわしていたが、
数百円で取り寄せられるものだったんだなぁ。
>>310 「ズバコン」とか言うやつだね、
うちにはなかったけど昔ナイトスクープで探してた。
確かリモコンは別売りでテレビ本体にコードで繋ぐやつで、それ使うとチャンネルは変わるけど
例えば1見ててちょっと3に変えてみて、また1に戻そうと思ったら4、5、6…と一周させないと戻らなかったんで
その点が不便だったらしい。
「ズバコン」ならワイアレスだったよ。
すまん。
何かと勘違いしてたようだ。
>>306 その番組が急に終わっちゃって、とりあえず半年くらいのつなぎで
始まったのが「笑っていいとも」。とにかく好きにやれと言うことで
タモリが好き勝手にやってたらこんな長寿番組になっちゃった。
最初の頃はコーナーの時間もいい加減で、テレフォンショッキングの
ゲストが喋りすぎて12時50分近くまで続いたこともあった。あと当時は
ガチだったから、電話しても「明日は無理です」と断られる人も結構いた。
ダイヤル式の電話、特に遅いタイプは、0とかダイヤルすると戻るまで
5秒くらい掛かったから、ダイヤル完了まで30秒以上掛かってた。
>>317 そうそう
それで0が自然に戻るまで待ってらんないから、
指で強制的に左に回すと電話機ごと落っこちたりw
10ppsのヤツだな。
10と20のがあったけど、あれの使い分けは何だったんだろう?
20だと古い交換機が対応できないとか?
子供用の福袋に灰皿が入っていた
321 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/01(木) 14:38:55.23 ID:mvg9BkeI
中古レコード店というのもレンタルレコードと同じ頃に出てきたような気がする。
昔は中古レコードは売ってなかったよね?
それはない。
中古レコードの歴史はレンタルなんかと違って古い。
法的な問題はないし、昔から古物商が扱う対象だし。
教職員室がタバコの煙で充満していた
325 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/01(木) 15:15:55.54 ID:p6blMNuR
そういえば、小学生の頃、教室で普通に先生が煙草すってたな(笑)
>>316 三浦友和から清志郎紹介のとき
寝ぼけた声で「夕方電話して・・・」 ガチャ ツーツー
深夜CMの老舗、新宿のハンターって中古レコードじゃなかったっけ?
「ハンタァ〜〜〜〜!」
昭和40年代は海外に行くだけで近所から注目され、親戚などへの土産を
ガッツリ買わないと批難された。
まだ海外土産は中国産じゃなくて日本産だったかな。
ジイチャンが、海外が好きでよくパックツアーで行ってた。
まさか自分でも行けるようになるとは幼いは当時は思いもしなかった。
レンタルレコードの「友&愛」のバイトから店長になって出資してもらい
バイト仲間と会社立ち上げたのが現在のエイベックスの松浦。
>>328 そのかわり土産はマカデミアナッツでも充分に喜ばれたよね。
今じゃ気の利いたものを探すのが大変。
下北沢で中古ビデオCD本屋でバイトすることになり、
店の人から万引き対処法を教わって、レジに座ったら
客から見えないところに「油断するな万引き客に注意!」とか「客はスキをねらっている」とか
びっしり書き込まれていて、それに注意がそがれて
ビニール詰めを怠ったら1日でクビになった。
332 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/01(木) 18:08:52.06 ID:LJQBDv4+
コンビーフの丸かじり
小学生は名札をつけて登下校しないと叱られた。
コンサートのチケット取りは繋がるまで電話を掛けまくるのが主流だったが
ダイヤル電話でもちろんリダイアル機能なんかないから大変だった。
当時東京都内まで3駅のところに住んでいたので市外局番03を回すタイムロスをなくすために
わざわざ電車に乗って都内の公衆電話に掛けに行ってたw
>>333 何か懐かしい!って思うものと、マルシンハンバーグやココアシガレット
みたいに今でも普通に売られてて珍しくもないものとが混在しているな。
ドンパッチはおいしい粒状の飴だと言って、母親の口にに一袋まるごと
入れてやったことがある。目を白黒させていたよ。
そんな母も今はボケちゃって私のこともわかりません('A`)
337 :
333:2011/12/01(木) 20:06:15.35 ID:VuegZdWm
どちらかというとオレは、イシイのミートボールとハンバーグの世代だなぁ。
あ、背理、背理ゆえ背理法の丸大ハンバーグも。
>>333 スポロガムは、もう製造されておらんとです…
>>338 イシイのミートソーススパゲティをもう一度食べたい
レトルトハンバーグを壁に叩きつけてミートソース作れ。
>>308 深夜の日の丸&君が代エンドって今はやってないの?
平成になってもしばらくはあった気がするんだけど。
教育テレビでもやってたよな。確かに子供の頃は怖かった!
>>344 鬱になるねw
これで砂嵐になると貞子が出てきそう・・・・
>>319 古い交換機だと、電話機のダイヤルの動きに合わせて交換器の中の
セレクタ(スイッチ)が動いてたから、20ppsだとセレクタの動きが
追いつかなかった。
347 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/02(金) 01:01:50.43 ID:NsxscyGy
マルシンて、後楽園の巨人×ヤクルト戦のチケットがあたる懸賞をよくやってたな。
放送関係でトラウマになってるのは、ラジオのオールナイトニッポンの
糸居さんの無機質な声だな。
今聞いたらカッコいいのかも知れないが。
ラジオで怖かったやつと言えばこれだな
世界のファッション
イトキン
349 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/02(金) 01:40:52.95 ID:tqjYTZzt
地デジ化して、MXやテレビ埼玉もクリアに見れるようになって感じたけど
昭和時代のアニメが凄いな。
今のテレビだと線のかすれ具合も分かるし、本当に画面に映っているセル画を満喫出来るw
昔は如何に鮮明じゃないテレビで見ていたかって事だな。
マシンザウラー覚えてる人いない?
>>334 今は「危ないから登下校のときははずせ」だもんな
>>343 今は365日24時間放送しているから、エンドは無くなった
ラジオは、たまに保守点検で放送中断があるから、そのときに流れる
スレを呼んでて懐かしくなって、5歳下の嫁さんに
「むかし『スポロン』っていう乳酸菌飲料があって、そのCMソングで、スポロン体操ってのがあって」
「スポロンのんだらどうなるのぉーー?」
「スポロンのんだらこうなるのぉーー」
「ハッ、スッポロン、ハッ、スッポロン・・・」
って歌なんだけど、と言ってもわかってもらえなかったorz
なぜかその夜激しかったことを付け加えておきます。
20数年前までは衣替えの季節となると、
満員電車は樟脳臭かったものだが…
今は全然そういうことないね。
雨の日の長靴やゴムカッパも
30年以上前から見なくなっったな。
東京以外ではまだ見かけるのかな?
>>357 樟脳のニオイまきちらすのは年配の人だけだね
あのニオイがしないと効いてる気がしなくて不安なんだろうw
359 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/02(金) 18:41:53.11 ID:NsxscyGy
>>350 MXって、下手なCS局よりマニアックだよね。
電人ザボーガーは毎週実況がすごい盛り上がってた。
映画化の宣伝のために放送したようだけど。
小学3年生、4年生休刊か。
どらえもん、谷ゆきこのバレエ漫画とか面白かった。
夏になると心霊写真特集とかあったな。
ニュースの報道見たら、一番部数が出てる世代だったわw
>>308>>343 教育テレビ(いつの間にかEテレって名前になってた…)では今でもやってるよ
朝の「ババーン」ってファンファーレと共に日の丸が出るのはともかく、真っ暗な真夜中に青空バックの日の丸がはためく映像(しかもBGMは君が代)は怖いというかなんか違和感あるわ…
まあガキの頃オリンピック見れば、アメリカ国歌あたりがカッコ良く聞こえてしまうのはしょうがない
今じゃ断然君が代だけどなw
あれほど力強く、美しく、心に響くメロディは他にないだろう
東ドイツ国家があるよ。
363 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/02(金) 20:32:32.89 ID:dacPE6zo
>>359 「小三」「小四」休刊…。
ちょっとずれるが「小五」か「小六」に、性教育をテーマにした小説やマンガがあったね。
「いちごのタルトレット」が印象的。
364 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/02(金) 21:05:00.18 ID:EOWxbVis
東京の地下鉄は、駅も車内も蒸し風呂だったこと。
>>352 その危ないってのは、個人情報とかそういう理由?
366 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/02(金) 22:29:15.50 ID:NsxscyGy
大人になっても雑誌の廃刊はさびしいね。
小学校の頃読んで、豪華な執筆陣にびびったプリンセスはいつ消えたんだろう。
調べればわかるが、ちょっとつぶやいてみた。
>>361 個人的にカナダ国歌が好きだ。
他はよく知らんだけだが。
国家なら、ソビエト。今のロシアのも歌詞は違ってもメロディは一緒かな。
あれは来ますよ。
>>365 名札で名前を知られる危険を回避する為
名前を知られると
○○ちゃんでしょ お父さんが事故に遭って大変だから
おじさんと一緒に病院に行こう
てな感じで連れさられたりしたから
俺はフランス国歌がわりと好き。
ロス五輪で、空からプロペラをしょった人が降りてきたのは、
本当に衝撃だった。
タケコプター的なもの、実現してるじゃん!みたいな。
あれ実は操作が難しくてかなり危険だったらしい。
結局実用化には至らなかったしね。
>>361 旧東ドイツ国歌を聴くとなぜか下半身が…
373 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/03(土) 01:04:29.82 ID:J2WYuxCY
>>370 プロペラじゃなくて、ジャイアントロボで大作少年が背負って空を飛んだやつだ。
374 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/03(土) 01:05:56.29 ID:J2WYuxCY
>>364 その話題は懐かしむスレのほうで現在進行中。
>>366 プリンセスは消えてなどおりませぬぞ。
以前あった、「母恋い千鳥」という全裸少女の鞭しばきシーンが掲載されたのがこの雑誌。
ヒロインは、ナルトのヒナタに似ていた。
最期は、母の消息が判り、列車に乗って母の待つ地へ旅立つ場面で締めだそうな。
プリンセスまだあったの?知らなかった。
消えたのはひとみか。
りぼんやなかよしはピンクとかパステル調のふろくが多い中、毒々しい色の
付録で怖かった。
今知った、小学三年生、小学四年生廃刊。
学習雑誌とは名ばかりの漫画雑誌だったけど、主人公が全員同学年だったので
他の漫画雑誌より親しみが持てて好きだった。残念。
今の子はやっぱりベネッセコーポレーションに流れてるのか?
うわさの姫子世代です
少女マンガに結構重いテーマの作品があったなぁ。
被爆者差別とかレイプ被害者の苦悩とか。
学園もののラブコメや当時流行ってたスポ根ものとかに混じってそういうのが普通に載ってた。
>>378 あの本は、漫画のセリフにも句読点が打ってあったので、色々な文章での句読点の打ち方を自然に学べてよかったぞ。
んでも、厚さ自体は自分らの頃の半分以下になってる上に値段も700円以上するので「こりゃ誰も買わんわ」と思った。
>>381 価格はともかく、紙は質が上がって
昔よりかなり薄くなってる。
昭和50年代と比べると薄さは半分くらいだな。
LALAだったかプチフラワーだったか忘れたけど、
「今号から全体が薄くなりましたが
紙が薄くなったためで総ページ数は変わりません」
というお知らせが出てたのを覚えてる。
383 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/03(土) 14:11:32.92 ID:FQX3nZGQ
ageてる奴にはキチガイしかいないの法則
385 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/03(土) 14:50:44.93 ID:FQX3nZGQ
懐かしくてオクで昔の少女漫画雑誌や全盛期の少チャンを買ったことがある。
紙のインクが裏ページまで達してて読みにくいことこの上なかった。
マイナーな作品だとコミックスにさえなってないものもあったり
絶版になってるものもあるので、どうしても読みたければ古雑誌しかないんだが。
>>380 被爆差別漫画は、俺の空夫人の「あした青春!」とかいうヤツかな。
オクで文庫本コミックふろくをまとめて売ってる人がいたので買って読んだが
今は原爆3世4世差別とかはないよね?
レイプのトラウマ漫画は緑色の砂時計かな。故・和田先生の。
そのあと近親相姦ネタもあって引いた。小学生が読む雑誌の漫画ではなかったが。
>>386 平成に入ってからも「夕凪の街 桜の国」で、二世差別ネタをやってた。
> 今は原爆3世4世差別とかはないよね?
代わりに東北出身者に対する差別が
体操服が男は短パン、女はブルマ立ったのが今はどちらもハーフパンツ。
味気無いな。あのギリギリ感が良いのに。
このスレ、年寄りばっかだな、
ちょべりばー。
ちょべりばってのも懐かしい言葉だな
90年代っぽい
君たちイマいね。
今夜はフィーバー
395 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/04(日) 01:10:05.84 ID:0Fb3nqub
ナウいじゃん
スレタイに照らし合わせると、ちょべりばーというのは新しすぎて却下だな
さーって、ボインちゃんとチョメチョメしてくるか
>>390 性別年齢血縁関係なしにお下がりできる方が経済だし、転勤先で無駄な出費をさせられたくない
という志向も反映されてるのよ。
所持品の性別による色分けの強制が無くなったのもそのせい。
異性の兄姉を持つ子は大喜び。
>>398 ただ、男女の性差が無くなったのと男女含めて色気が無くなったのはつまらないよ。
同じ事は水着でも言える。
男は競パンだったのが今はハーフパンツだし。
>>399 女の子の水着はワンピースからセパレーツになった方がいいよ。
しっこのたんびに上半身まで脱がなきゃならないのは煩わしい。
…つか、幼少期に性犯罪の被害にあった子供は、男女問わず性差や色気という型にはめられるのを物すごーく嫌がるし、
上記の経済はもちろん、個人の嗜好という問題までも絡んでくるので、とやかく口出しするべきじゃない。
人には言えない言いたくないなんて問題、ごまんとある。
チョメチョメはアイアイゲーム
ホニャララはぴったしカンカン
>>400 それが面倒だから股布を横にずらしてシッコするって知人の女性に聞いたが
>>402 そこは人それぞれ。
あと、低学年はワンピースの水着を一人で着るのって難しいんだと。
とある地域では、そういう理由で1・2年生は、男子も女子も海パン一丁で水泳させてて、
周囲と転校家庭をドン引きさせてた。
まあ脹らみかけてもいない胸を隠す意味とか本来無いからなあ。
>>400 今セパレーツの学校もあるよ。ビキニじゃないけど。
>>404 今時はそういうのを見てハァハァする輩がいるしなぁ
つまるところ、ハアハアな人の存在に無頓着だったから、性差を強調することを強要したり、(男らしい、女らしい恰好がしたい
子がそうするのは自由だよ)逆に海パン一丁で水泳させてたんだなあ…
宮崎事件の時、どっかの小学校で「高学年女児の身体検査でおっきしそうになった教師、正直に手を挙げろ」と言ったら、ほぼ
全員そうしたので、身体検査の付き添いは女性教師のみにした小学校もあるというし。
昔は教師のセクハラなんて当り前だったよね。
親に言ってもマセた子だなぁくらいでまともに聞いてもらえないし。
>>409 セクハラもそうだが鉄拳制裁とかも普通だった。
今はモンペのために出来ないから、教師がなめられるし、子供なら何でもやっていいという風潮になる。
アメリカのように、「外出禁止1週間。その際の娯楽は一切禁止、禁止を破ればまた1週間延長」
と言った、体罰に代わる罰を用意すりゃあいいんだよ。
>>411 それをやったところでサクヨが人権侵害と言い出すのがオチ。
子供はその場で叩かれないと分からないよ。
叩かれてやってはいけないことと覚えたものを思い出せないけど、
親の涙を見てやってはいけなかった、二度とやらないと思ったものは思い出せるな。
>>410 キリスト教系の私立学校だけど,男子はよくビンタされてたよ。
女子もされてたな。でも自分達が悪いので,その後は気まずさと
反省しか残らなかった。
むしろ中高で不公平な教師にイヤミ言われたりとかそっちの方が
嫌な記憶で残ってるわ。
私立女子校だったが、プールがなかったので金槌な自分は助かった。
男性教師はたいてい卒業生と結婚。
在学中から好みのカワイイ子の性格や家庭環境などたっぷりチェックできるから
選び放題でよかったみたいだw
昔は出会いが少なかったせいで、そこそこのルックスの男性教師は
もてていたし。
もちろん成績も下駄はかせてた模様。
オウム真理教の教祖が普通にテレビに出てた
>>416 あの人,若いころは結構ちゃんとしたヨガの達人だったんだよな。
痩せてたし。
418 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/04(日) 23:38:55.61 ID:xKhizOga
無粋かもしれんが、オウムは平成だ。
フライング尊師 っていうスクリーンセーバーが出回ったのは昭和だったが
あのおっさんは、昭和60年代初頭に、マジでインドに渡って修業しちょるよ。
当時、インドら辺を貧乏旅行していたさいとう克弥青年が、実際にあって話をしちょる。
「何かしらの理由で待ち合わせに遅れる」が
恋愛ドラマの定番だった
あとは、警察ドラマ=拳銃を撃ちまくり
>>421 そういや最近の刑事ドラマは発泡シーンが少ないね。
>>421 「発泡シーン」
口から泡を吹いてぶっ倒れる、って言うシーンか。
誤変換には突っ込んでやるのがやさしさです
誤変換そのものは、毎日誰もがやってること。
だが、それを推敲しないでポストする奴が揶揄されるのは仕方ない。
>>423 誤変換を指摘した奴が誤爆レスしてるというギャグですね
ちゃんと説明してくれないと分からんよw
>>422 しかも刑事の拳銃は弾が無限。
よく親父が「こんなに弾が入ってるわけがない」と言ってた。
で、都合良く弾が切れる。
変え弾倉はなぜか無限に持ち歩いてる
どんなに都会の大きな駅でも、トイレは全て和式だった。
紙なんかないのがデフォで、紙の自販機があれば
御の字だった。
あと、一般家庭ではトイレットペーパーなんて洒落たものは
まだまだ普及しきっておらず、B5サイズくらいの
四角い形のトイレ紙がごく当たり前に使われてた。
そういや最近の公衆便所ってきれいに保たれてるところが増えたね
外見がボロいから「切羽詰ってるし背に腹は変えられん」と思って入ったら便器は意外ときれいだったりする
ありがたいことだ
>>430 それは昭和でも中期以前の話だな。
ビルなど大きい施設のトイレは、わざと洋式と和式の両方を作って、
あとは使う人の好みに任せるという融通性こそが昭和日本の発想法。
今の新幹線なんかでもまだその発想でやっている。
駅ビルなんかシャワートイレのところが多いから、子供の頃から家が
シャワートイレな自分は、出先で大を催した時助かる。
(母親がぢだったためいち早く設置したらしい)
海外旅行に行くとほとんどシャワートイレがないので
親譲りの切れぢが何度か再発して困った。紙で拭くのいやぽ
うちは10年ぐらい前からウォシュレットを設置したのだが、
これに慣れるとウォシュレット無しのトイレが使えなくなるという話を聞いていたから
俺は一度も使ったことがない
還暦過ぎた爺さん婆さんは設置直後から好んで使っていた
結果、それまで山菜取りキノコ取り山登りが好きだったのに、
今ではほとんど外出もせずヒキコモリになってしまった
ポータブルタイプもあるようだから勧めてあげて
>>432 そうかな、自分の記憶では昭和50年代くらいでも
割とそんな感じだった気がしたんだけど、普段は田舎在住で
時々上京して都心の駅のトイレを使うくらいだったから
記憶に偏りがあるのかも知れない。
家庭のトイレに関しては、我が家のあたりはずっと汲み取りだったので
昭和50年代後半になってもなかなかワイルドなトイレが多かったな。
> わざと洋式と和式の両方を作って、あとは使う人の好みに任せるという融通性
これは本当に大切だと思う。
普段は体調が悪いとき以外は和式派だから、選べないと結構ガッカリする。
437 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/05(月) 14:25:10.82 ID:Wr/o1NiH
>>430 それは「落とし紙」って言うんだよ。
俺の子供の頃は近所のタバコ屋で売ってたな。
うちは水洗になってからもしばらくは落とし紙だった。
>>431 東急日吉の駅前にあった公衆便所は平成5年ごろまでポットン便所だった。
ミス慶応も入ったかもしれないのに。
>>437 反町駅(もうない)の外にあった公衆トイレ,
両足を乗せるところが5cmくらい高くなってて,
なんだろう?と思ったら,水を流すと床全体に
水が流れて掃除する仕組みになってた。
知らずに使ったから物凄く驚いた。
昔はボットン便所に、便所蜂みたいなのがいた
お尻を刺されやしないかと怖かったな〜
最近、奥多摩の鍾乳洞に行ったんだけど
懐かしいぼっとん便所だった
便所蜂もいたw
ぼっとん便所は、時々、尻にくっさいのが跳ね返ってくるのが嫌だった。
…とある田舎の駅で、下を覗くと、そこには大量のうごめく物が
>>440 ひぃぃぃ!!
ハエトリ紙が吊り下げてあったりするのもあったねw
昔は公衆トイレで洋式のところだけあいてたりした(不人気で)けど、今は和式が空いてたりするね。
後ろに子供さんが並んでて「先に入る?」と聞いたりすると「和式なので…入れないんです」と言われたりする。
幼稚園や学校に入る前に、一度和式体験をさせておいて!ってお達しがあったりするんだってね。
442 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/05(月) 21:28:36.81 ID:E/GapVPH
>>440 そういう便所の便層の中に潜んで覗きして捕まった変態もいたな
民家のそういうとこに潜んで死んだ青年の事件は有名
>>442 「ウイークエンダー」で時々類似事件が取り上げられてたね。
昭和って、書店に本を注文しても流通の仕組み上、
4〜6週間も掛かってたよね。
446 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/06(火) 00:23:22.47 ID:ngCpADUi
俺が初めて東京に出て家を探した時、木造2階建てのアパートで
ポットン便所というのが結構あった。葛飾、足立、江戸川のほうでね。
外から見ると2階の床下から太い管がまっすぐ地面に伸びているので
それと分かった。名古屋では見たことなかったから、驚いたよ。
昭和60年ごろのこと。
都会のデパートは、中国人観光客のおかげでトイレがとんでもなくなってる
と聞いたがどんなことになってるんだ?
拭いた紙をゴミ箱に入れるとか、水浸しになってるとか?
>>445 スーパーの書籍売り場で注文した本を出先で発見してしまい、買ったことがある。
半月以上してから入荷したの連絡に、「もう買ったからいいです」と
言ったら、電話かけてきたパートのおばちゃんが激怒してたわ。
こっちが悪いのは十二分にわかるがw
今って客に怒ったりする店員ていなくなったね。
逆切れされたり事実を捏造されて客声にかかれるからかな。
>>442 くみ取りトイレから手が伸びてきて…の怪談のモデルは、そういう変態さんだったというwww
>>445 そういう時の裏技で、古本屋に頼むという手がある。
古本屋のネットワークで書店よりも早く安く届く。運次第だが新品がやってくる可能性も高い。
「新古で」と指定しておけば必ず新品。
子供が一般書店で万引きしたジャンプコミックスをブックオフで転売とか
ありえなかったな、昔は。
未成年から買うというのもどうかと思うが
つか、スレタイトルからずれてるな・・・。
昭和じゃ考えられない平成の生活になってる。
>今って客に怒ったりする店員ていなくなったね。
>逆切れされたり事実を捏造されて客声にかかれるからかな。
長引く景気の低迷もその原因の一つだろうね。
どこも生き残りをかけてるから黙ってても物が売れた時代と違ってどんなにアレな客でも
何か買ったり利用したりする以上は「お客様を悪く言えない」ってことになるんだよな。
だからネット掲示板や投稿4コマの「DQN客」「嫌な客報告」が定番化してなくならないということかも。
>>447 本が届くまで時間が掛かったのって、仲買が2つも3つも存在する
システム上の問題だからな。再販禁止法の上ににあぐらをかいてた典型だわ。
今はネットでストレスいらず。
三省堂や紀伊国屋みたいなでかい本屋で、ベストセラーでもない
マイナーな本探すと1日のエネルギー使い切る。
ポイントカードがある店なら買うけど、何の見返りもなくクレカも
使えない店はスルー。
>>454 目的なくぶらりと入って意外な本に出会う、みたいな趣味を
持ってる人以外は意味なくなってきたと思う。最近じゃちょっと
立ち読みできるネットサイトもあるし。
年とったせいか、全てがめんどくさいしw
時間つぶしに入って、何が売れているのかチェックするぐらいなら
楽しいんだけどね。
457 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/06(火) 16:05:26.10 ID:oddSWcgC
ぽっとん便所の壁は、ウジ虫が競争するようにはい上がっていたなあ。
本に関しては劇的に環境が改善されたよな
取り寄せ2ヶ月、コミック不可とか当たり前だったし。
ちょっとマイナーそうな本だと「全国の有名書店で販売中」とか
書いてあった。
語学やら資格取得でとっつきやすい本を探すときかな、本屋へ行くの。
情報ならネットのほうが手っ取り早い。
小説など、特定できる本なら迷わず尼。
なぜかどの自販機もトマトジュースを売っていた
あと黒い缶のバヤリースとか粒入りのオレンジジュースとか。
当然どれもスチール缶でリングプル
今は高校を途中で辞めても、通信制の○○高等学院みたいな名のバイパススクールで
救済されて高卒資格を安易に取れるね。
昭和時代は、高校中退したらそれで学歴終了じゃなかった?
思い直して大検受けて進学する子も多少はいたかも知れないが。
コーラとかの清涼飲料水もコーヒー類も皆250mlだったね。
でも、ビーボって自販機にはそれより一回り大きい
280ml?だかの缶飲料が売ってて、値段は同じ100円だったので
お得感につられてそればっかり買ってたわw
で、「ビーボよりうまいのはビーボだけ」ってキャッチが
自販機の胴体に書いてあった。
>>462 それ地域の問題じゃね?
関西は350mlでそれ以外の地域は250mlだった記憶がある
>>455 俺にとっては、そういうことをやろう、と決めて行く場所になったな、本屋って
雑誌もたいがい定期購読だし、あの楽しみを求める以外には本屋に用がまったくない
しかしサプライズ発生率ではブコフなんかのほうが高いから新刊書店にはさらに行かなくなる
>>463 そうそう
関西に住んでたガキのころ、夏に友達と東京に遊びに行って自販機に250しかなくてさ
「東京の自販機はケチやなあ」と思ったりした
今でも新幹線の中や、山の頂上みたいに独占的に売れる場所では250缶。
缶以前はビンだったな。ファンタなどで200ml。
コカコーラはちょっとケチで190mlしか入ってなかったから、あまり買わないようにしてた。
>>454 カバーかけてほしいときは実店舗
だから、カバーかけてくんない店は行かない
>>457 ありがたいことにそんなカオスなぼっとんトイレには
遭遇したことはないが、ウジちゃんたちはいったいどこに
行きたいのだ?
肛門
北海道の缶も350ccがデフォ。
小さいのもあったけど。
>>440だが、全く
>>457と同じだったよorz
筒井康隆の様な、回虫便所じゃないだけましと思わないとやってらんねえ。
うちの還暦の親は単なる一般庶民だけど普通に親に「お父様、お母様」って言ってるし
電話に出るときも「○○(名字)でございます」と出るし、
喋るときに語尾に「〜ございますのよ」とか言うし(これは東京の方言か)、
自分も親と同じく昭和生まれだけど、こういう言葉遣いはしたことないし、してる人がいたら笑う
こう考えると昭和って長いんだな
473 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/06(火) 22:34:21.57 ID:ngCpADUi
>>463 それこそ地域。
コカコーラって一つの会社じゃなくてトヨタのディーラーみたいに地域別に分かれてて、
例えば関西は近畿ココカコーラと三笠コカコーラつうのがあった。350ml缶は
近畿が作ってて、で三笠エリアは250mlだった。両方が入り混じる京都府南部だと
両方のサイズが買えた。
昭和54年に三重から京都に修学旅行に行った時の
土産が350ml缶のファンタオレンジだった
初めて見て凄いお得感があった
>>452 この番組で犯人を罵倒してた朝丸は、現在ざこばとなってナイトスクープで号泣してる。
すいぶんキャラが変わったもんだが、ちなみにナイトスクープはウイークエンダーのオマージュだと聞いたことがある。
476 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/07(水) 00:35:49.95 ID:HPJc1kR7
昔の修学旅行は、キーホルダーとか定番のものを買った記憶がある。
もっと色々調べていたらよかっただろうが、当時は情報が無かったからなあ。
今もキーホルダーがご当地キティストラップに変わっただけで
大して変わってない
>>476 ペナントと温度計付の置物忘れちゃいかんよ。
479 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/07(水) 05:36:30.26 ID:2etPQ3zm
お土産と言えば、カエルやこけしの置物
なんかを買った覚えがある
カエルはもちろんキャラクターのような可愛い物でなく
リアルな和風のカエル
>>478 その置物は金メッキのプラスチック製ですね判ります
ペナントって、もう作られてないみたいですよ。
木の枝をスライスしたようなのに筆字で「努力」とか書いてあるのが隅っこに刺さってるとか、
くるっとまわすと日付が変わるようになっている金属製の万年カレンダーとか、
土台が石かなんかで意味不明なくらい重いとか、
そういうのな。
ミニ提灯も忘れないでっ
今でも京都とか修学旅行生ホイホイの土産物屋に
サザエボンとか、アジダスのTシャツって売ってるの?
484 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/07(水) 10:50:32.47 ID:TB/3M7X6
ペナン島のペナントとか、ハンテンの半纏がほしいなあ。
昔江ノ島の土産物やでバイトしてた時、サーフボード型で湘南貴族と
書かれたキーホルダーが売ってて吹いた。
思わず買って、千葉埼玉の友達に配ったわ。
>>481 「努力」とか書いてるの、将棋の駒の形でデカイの
に書いてあったのもあったな・・。後定番が
城とか古戦場とか京都にある、木刀。最近は減ってる
のかな?
懐かしいな、木刀。上京してきた友達と鎌倉に行ったときに、衝動買いしちゃって
始末に困った記憶がある。電車でこそこそ帰ったけど、小学生じゃなかったら
どこかで呼び止められる羽目になってたかも。
雑誌で「文通しましょう」コーナーがあり
住所、氏名を普通にさらしていた。
○○先生に応援のお便りを書こうって
漫画コミックに作家の住所が載ってた。
488 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/07(水) 12:25:45.62 ID:ZeB/aXvM
ペナント、コレクションしてた。
天井に貼っててさ、天井がいっぱいになっていくのが楽しみだった。
引越しの時にはがしてその後行方不明。
製造されなくなるんだったら、レアものだったかもしれないなぁ。
489 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/07(水) 12:28:53.76 ID:ZeB/aXvM
俺の高校の修学旅行は寝台特急で行った。
その後の運動会の盆踊りの時、何人かが寝台車備え付けの
浴衣を着て踊ってた。その寝台特急がもうほぼ全廃なんだよね。
今高校の後輩たちは飛行機で行っているらしや。
修学旅行で寝台車といえば思い出すのが中学のそれで
台風のせいで、予定していたルートが鉄道も道路も使えなくなって
けっきょく、手当てできた移動手段が他になかったという理由で、うちの中学だけ
1泊目:寝台車
2泊目:旅館
3泊目:夜行バス
という、実質「1泊4日」という地獄のような目に遭わされた
でも、みんなで寝台車に乗ったのは楽しかったよ
自分の時は横浜から新幹線で京都まで行き、仏教校だったので高野山で一泊修行w
そのあと大阪からフェリーで宮崎まで行き九州一周した。
帰りは福岡から東京まで新幹線。
団体で横浜停車のひかりや飛行機が取れなかったのかね。
ある地味な子は、東京に来たことがなかったらしく帰路どうしようかパニくていた。
横浜の学校でしたが。北海道希望だった自分、涙目。
うちの中学校は北海道だからかもしれないけど修学旅行は5泊6日。
東北あちこち回った。関東までは行かなかったような気がする。
高校の時、夜中に女の子呼んで不純異性交遊した奴がいたのは内緒w
5人部屋だったけど、しかし人の見ているところでよく出来たなぁ・・・・・
バレたら退学ものだったろうな。
俺も北海道で中学のときは同じく四泊五日で東北をあちこち周った
ただ地域性からうちの中学はDQNが多いため引率の教師のバリヤが厳しく、
女子の部屋はおろか違う班の部屋にすら行けなかった
494 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/07(水) 14:52:43.91 ID:MtDHE78d
修学旅行なんか止めればいい。義務教育は小学校ぐらいでいい。
後は自由にすればいい。
就学旅行はロスとかの西海岸だった。
飛行機の長旅と窮屈さにまいった。
大正〜昭和40年代の話だが、北海道遠別町に正修という集落があった
地名を聞いてピンと来たら相当な変態、もといマニアックなお方とお見受けするw
いわゆる「盲腸集落」の一つで、集落から一方向に道は伸びているが
反対方向はなし、つまり「この先は誰も住んでませんよ」なる行き止まりの街
遠別町中心街から南南東へ山道を進めば辿り着くが、その距離なんと40km
汽車も車もない時代によく歩いて移住したものだと関心させられる
正修については歴史的資料が殆どなく、町史以外で往時を知るのは難しいが
その手前に大成という集落があった
80年代まで大成小中学校が存在していたこともあり、これについては
正修よりもいくらか資料が残されていて、現在でも割と容易に確認できる
そこに通う子供達の殆どは生まれてから一度も大成集落を出たことがない
そんな子供達が修学旅行で札幌まで行くことになるのだが、
初めて乗った列車の中では誰一人として荷物を離さず(上の棚に置かない)、
大都会札幌を歩くときはカルガモ親子のように固まっていたとか
ちなみに普段の登下校時は、クマに襲われないよう口笛を吹きながら歩くのがデフォ
80年代まで北海道にこういう集落が普通に存在していたことが信じがたい
>>492>>493 うちの中学では、男子宿舎と女子宿舎が、バスで5分くらい離れておったぞぬはははは。
ちなみに、この年、宿舎において男子が新聞沙汰で裁判になる事件をやらかしたせいで、翌年の修学旅行では、
DQNは全員お留守番と相成った。
思い出したけど、今年の春に函館に行ったら道内から来たらしき厨房旅行生が
いっぱいいた。
震災の自粛ムードのせいか、恐ろしいほど観光客がいなかった。
厨房が市電内で自分の学校気分で大騒ぎするので切れて、運転士に
「うるさいから注意しろよ!」と言ったら「あ、スイマセン…」と言われた。
今は厨房とか怖いから誰も注意しないんだな。自分もだけどw
自分の中学の時は京都奈良で、自由時間はほぼゼロでした。買い食いも禁止。
今年の秋にシアトルに行ったら、制服着た中学生らしき団体に遭ったが、
スタバ1号店で山盛り土産買ってて、自由すぎるんじゃね?と思ったわ。
その前の時代は修学旅行は男子校のみだったらしい
500 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/07(水) 18:46:25.38 ID:iueqm/uj
>>496 面白い話だなー
最初に入植したのはひょっとして榎本軍の落ち武者だったりして
幕府軍による落ち武者狩りはそうとうひどかったようだから
>>500 北海道は、本州以南と違って、既存の町村から「分村」する例が戦後まで見られたよね。
それだけ入植者がいたんだ、と思うが、今のように一通り道路が通じ、寂れるべき所は既に無人に返っている北海道とは
ずいぶん違ってたんだろうね。
昭和29年の洞爺丸台風はもちろん青函連絡船多数の海難による大被害が有名だが、
北海道の山林に生えた豊富な木材資源は、相当なダメージを受けた。
そのために新たに森林鉄道や林道を開設して、台風で倒れた木を数年のうちに引き出して片付ける措置がなされ、
その間は賑わったが、以後は衰退方向に向かった。
道東・別海町にある、オホーツクに突き出た野付半島上の
立ち枯れたトドマツ森林跡の湿原「トドワラ」の劣化スピードが早まった原因が、
洞爺丸台風のせいだという。平成に入ってからは風化の進行でもう消滅も間近ではと言われている。
もっとも、昭和30年前後にトドワラの存在を知っている本州の人間なんてほんのわずかだった。
北海道がいったいどういう土地か、内地の人間は誰も知らず、イメージは外国同然。
だから飛行機が大衆化してきた昭和50年代までは「死ぬほど寒いしクマは出るし」「いや美味い物が多くていいところだ」
とみんな遠い異国のように噂していた。
お土産というと観光名所の写真の絵はがきやしおりが10枚くらい入ったセットが良くあった。
今みたいに気軽に写真撮れるようになると誰も買わないんだろうなぁ。
CD(コンパクトディスク)
かさ張るから、聴く人いなくなったね。
かさばるっつーか、ネットにいくらでも落ち……おや、誰か(ry
>>502 中国人、韓国人、台湾人がエアメール書くのに買ってる
アーティストの直筆サインでも入ってるんじゃなきゃ
買う価値ないね。
これほんの一例だけど、デフレ不況ってネットが大きく影響してると思う。
バブルが終わって平成になってから、まともな好景気が来たことないorz
508 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/07(水) 20:23:25.25 ID:RGrAJajM
今だと音楽も映像も無料だから・・・・あれ誰か来た
レンタルビデオ店も、もう2年ほど利用したことが…あれ、こんな時間に郵便が
510 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/07(水) 21:13:34.39 ID:mR4OF+TA
貸本屋もここ30年ほど利用したことが・・あれ、こんな時間に電報が
>>496 おもしろいなあ
でも80年代まで本当にそんなんだったの?
集落を出たこと無い、って家族でお出かけとかしないの?
不思議
素朴な疑問なんだけど買い物とかどうしてたんだ?
コンビニやスーパーも無いのに、日用品食料品補給が困るだろ。
513 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/07(水) 21:44:23.93 ID:lJX5d082
年末年始なんか必要以上に買い込んでたし。
必要に迫られて、婚期も早かったんだよ
女子も補助的な仕事しかつかせてもらえなかった。
>>512 コンビニはともかくスーパーは昔からあった。
特に昔は、小さなスーパー(当時は「○○ストア」とか名乗ってた)が田舎の町でも
結構あちこちにあった(それこそ現在のコンビニに近い感じ)のでなんとかなっていた。
>>502 んなこたーないよ。
個人で写真を撮ってもうまく撮れない場合が多い。
だからすごく気に行った景勝地では絵葉書買うよ。
んではがきが入る写真立てに飾ったりする。
>>512 北海道の僻地の話?
そういう所には村に一軒くらい個人商店があったんじゃないのかな。
北海道じゃないけど神奈川の僻地、清川村では品物を積んだトラックが巡回して
物を売ってたそうな。小学校の時に社会で習った(昭和50年代)
>>512 そもそも食料品が調達できないところに人が住めるわけがない。
農協のストアとか意外とどこにでもあったんだよね。
自分が住んでた村は、歩いて行ける場所には雑貨屋2軒農協1軒だけだったな。
それから農家じゃなくても自分で畑作ってる人普通にいたよ。
うちは公務員だったけど、キャベツ、きゅうり、なす、トマト、メロン、スイカ、いちご、ジャガイモ、かぼちゃ
トウモロコシ、大根あたりは自分自給自足だった。ほかにもあったかもしれない。
肉、魚、調味料、米、その他日用品など最低限ひと通りは売ってたから村から出なくても一応生活できる。
年に何度か、どうしても欲しいけど無いものは大きな町に行って買いだめとかしてた。
各家庭に、食料品を貯蔵する仕組みもいまより備わってたね。むろとか蔵とか。
テレビCMに出てるスポーツ選手の99%がプロ野球選手だった。
518 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/08(木) 01:19:18.35 ID:E2t1kbPI
>>511 俺の友達が奈良県の山奥の分校の先生してたんだが、そこも
>>496みたいな感じだった。
その分校は全校生徒8人の小学校で運動場がその地区で一番広い平地。
それでもバレーボールのコートぐらいしかない。そこの運動会は
全種目に全校児童がエントリーし、さらに村人が参加する方法だった。
その自治体役場(村役場)の前には村内唯一の信号機がある。
それは村内の子供たちが町に出た時にびっくりしないように付けたもの。
村内の小学校6年生は修学旅行に行く前に村内の農協で買い物をさせられる。
そこが村内唯一の商店で村内の子供のほとんどが自分でお金を持って買い物を
したことがないからだって。1980年代前半のこと。
思い出した。小中学校(どちらも同じ学校の中にある)の運動会がさぁ
午前中が学校の運動会で、午後から村民の運動会になるんだよなぁw
それから年に一度くらい、「映画」が夜に学校の体育館で上映されて村民が見にくる。
なんかある時、時代劇だったけど女の人が捕まって吊るされて股ぐらを火で炙られて
あぁぁぁぁぁっんみたいなとんでもないのをみんながほぉーって感じで見ていたw
もちろん子供も見てた。
「花田少年史」の運動会シーンのロケで、「本当にこうだったらなあ」「昔はこうだったのに」
って言ってる人たちがいっぱいいたって。
496 おさかなくわえた名無しさん:2011/12/07(水) 15:10:19.43 ID:6p6yLZed
大正〜昭和40年代の話だが、北海道遠別町に正修という集落があった
地名を聞いてピンと来たら相当な変態、もといマニアックな方とお見受けするw
いわゆる「盲腸集落」の一つで集落から一方向に道は伸びているが反対方向はなし
つまり「この先は誰も住んでませんよ」なる行き止まりの街
遠別町中心街から南南東へ山道を進めば辿り着くが、その距離なんと40km
汽車も車もない時代によく歩いて移住したものだと関心させられる
正修については歴史的資料が殆どなく、町史以外で往時を知るのは難しいがその手前に大成という集落があった
80年代まで大成小中学校が存在していたこともあり、これについては正修よりも幾らか資料が残されていて
現在でも割と容易に確認できる
そこに通う子供達の殆どは生まれてから一度も大成集落を出たことがない
そんな子供達が修学旅行で札幌まで行くことになるのだが、
初めて乗った列車の中では誰一人として荷物を離さず(上の棚に置かない)
大都会札幌を歩くときはカルガモ親子のように固まっていたとか
ちなみに普段の登下校時は、クマに襲われないよう口笛を吹きながら歩くのがデフォ
80年代まで北海道にこういう集落が普通に存在していたことが信じがたい
518 おさかなくわえた名無しさん:2011/12/08(木) 01:19:18.35 ID:E2t1kbPI
俺の友達が奈良県の山奥の分校の先生してたんだが、そこも496みたいな感じだった
その分校は全校生徒8人の小学校で運動場がその地区で一番広い平地
それでもバレーボールのコートぐらいしかない
そこの運動会は全種目に全校児童がエントリーし、さらに村人が参加する方法だった
その自治体役場(村役場)の前には村内唯一の信号機がある
それは村内の子供たちが町に出た時にびっくりしないように付けたもの
村内の小学校6年生は修学旅行に行く前に村内の農協で買い物をさせられる
そこが村内唯一の商店で村内の子供のほとんどが自分でお金を持って買い物をしたことがないからだって
80年代前半のこと
520 おさかなくわえた名無しさん:2011/12/08(木) 05:58:32.62 ID:LqIszHfv
「花田少年史」の運動会シーンのロケで「本当にこうだったらなあ」「昔はこうだったのに」って言ってる人がいっぱいいたって
↑すまん
完全誤爆
523 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/08(木) 17:38:26.83 ID:+QgQf/Pu
こっちの県では山間部が多い県なので、小さな学校が多くあった。
グラウンドが狭い、生徒が少ないので、体育館や狭いコートで出来るスポーツが盛んで、少人数で出来る卓球、テニスが県で上位に食い込むくらい強い学校が結構多数あった。
不思議と漁師町の学校は野球が強かった。
524 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/08(木) 17:58:56.86 ID:ULHeDssA
鼻歌まじりで歩いてるおじさんとか、鼻歌まじりで自転車乗ってるおじさんとかいたよね
最近は鼻歌なんてもんじゃなく1人カラオケ状態で歌ってるやつなら見かける
もしかしたら本人は大きな声を出していることに気づいていないかもしれないけど
>>525 深夜に、酔っぱらいがでっけえ声で歌ってたよ。
「私バカよね〜」
…ほんっ、とーに ク ソ バ カ ですね。
学校といえば最近見なくなったのはプール開きシーズンに子供用目薬のCMかな。
目薬買ったらドラゴンボールの専用ケースが付いてたよな。
あと、運動会シーズンにぶつけるように家庭用ビデオカメラのCM。
パスポートサイズは平成だったっけ?
>>528 そういや昭和の終わり頃って,家電が3ヶ月に1回くらい
新製品にアップグレードしてたよね。
530 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/09(金) 08:29:50.27 ID:1fRuySDB
今でも野球のオフのいろんなことをストーブリーグって言うの?
勝負は下駄をはくまでわからないって、メジャーでも同じ意味の英語あるのかな。
>>533 It's not over till the fat lady sings.
というらしい。
>>535 太った女が歌うまでってなんじゃらホイ、と思ったらワーグナーから取ったんかいw
カラオケがない頃の宴会って、アカペラ&手拍子で歌ってたんだろうな。
今のようにテレビを録画したり歌詞が字幕で出たりしなかったから
歌詞も耳で覚えて適当だったに違いない。
雑誌の付録の歌本読むと、ちがいに気がついたりした。
>>537 まさにその通り。みんなで手を叩きながらお皿叩いて
一緒に合唱したり踊ったり。今みたいに歌ってる本人だけが
悦に入ってて他の人が下向いて曲選んだり携帯いじったりなんて
ことはなかった。
はず。
>>537 生バンドがいたり、流しのおっちゃんがいたりしたが。
ママのピアノ演奏で歌うとかね。
ギターが弾けるとちょっとしたヒーローだったよ
>>539 おくれ毛とか残り香とかオッサンワードがよく似合うイメージだw
ママ、チーク踊ろやチーク!
542 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/09(金) 22:37:34.11 ID:1fRuySDB
543 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/09(金) 23:56:59.59 ID:uUHhjlRP
544 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/10(土) 00:29:49.04 ID:GPjBqYHT
レコード買えない人にとってはオルゴールが単なるオモチャじゃなくて「音楽を聞くための道具」だった。
そういや
>>1に電話は回すものだとかってあるけど、
自分が物心ついた頃の我が家の電話はダイヤルすらなくて
本体脇に手回しハンドルみたいなのがついてるやつだった。
多分まだ交換手につないでもらってたんだと思う。
電話番号も局番なしの108番とかだったような気がする。
まあ、その電話機を見たのは本当に小さい頃のごく一時期で
その後ダイヤル式の黒電話になり、局番もできたけど。
昔は電話といえば電電公社、たばこと塩は専売公社、
電車といえば(主に)国鉄だったなあ。
>>545 それは有線とかいうやつじゃなかったっけかなあ>局番無しの108
親父の実家に有った、と思う。同じく、直ぐ普通の黒電話に変わった。
それだけではなんなry
夏休みが楽しかった。真っ黒に日焼けして毎日遊び呆けた。小川でハヤを取ったり、
蝉を追いかけたり。宿題しろ、とか親も言わなかったな。
>>546 田舎で農家だったら、大抵有線あったよな。
あれって、農協か何かで割引あったんだろうなあ。
しかし、昔はカーステレオ(笑)もなんせ8トラ
だったものな。ハコスカとかに演歌の8トラがあって
懐かしいな・・。ガッシャンって感じでイジェクトする。
クルマの内装とかも酷かったよな。軽なんて内張りないし
「ビニールレザー」ってのが主流だったな。
あの、ビニールレザーとガソリンのいれこになった香りを思い出すだけで、えずきそうになるとです…
>>546 電電公社(現NTT)でも、ハンドル式+局番なし電話番号あったよ。
本土だとだいたい40年代いっぱいでダイヤル化し、有線はやや遅めだった。
たぶん、40歳以下だと、手動式電話と有線の識別は難しいんじゃないかと思う。
(覚えていてもおぼろげ)
>>547 有線は、農協そのものが運営していタンじゃないかな?
6時少し前に音楽を流しはじめ、その後7時半ごろまでNHKラジオの中継。
あと正午もやっぱりNHKのニュース、ひるのいこい(日曜はのどじまん)、
夕方は、市や農協からのお知らせ、農産物の市況を放送していた。
火災速報も流していた。(夜中でも)
私が小学校に入った40年代後期の連絡簿には、(呼)のほかに有線の番号、
「○○(2桁)ー××(2桁)」だけだった家(ほとんど農家)が結構あった。
6年ごろや中学の連絡網では、有線だけの家はほぼなくなっていて、たいていの家で電話になっていたな。
ただ、ちょっとかわいそうな家(不遇というより家・親自体の評判が良くない家)は、
そんな時期になっていても(呼)な家がクラスに2軒くらいあった。
その子も風呂に何日も入っていなさそうだったり、掛け算(×2,×3)とべき乗(^2,^3)の区別ができなかったり、国語の要約の課題も全文書写にしてし
まうような。
>>537 歌謡曲の歌詞を集めた本があったなあ。
平凡や明星に、歌謡曲の歌詞と、ギターのコードが載ってた。
年に一度、「歌謡曲大全集」って分厚い雑誌になってた。
あと、本屋には小型で横長の歌詞本もあった。
宴会とかバス旅行とかでつかうやつね。
これを新宿や上野の「流し」が何冊か持ち歩いてて
「お客さん、どうです?」って本を片手に薦めて、
それを片手に、流しに伴奏して貰って歌った。
昭和末期の相場で、3-4曲演奏して貰って千円渡して、
ビール一杯奢ってやったな。
今から思えば、自分のキーやテンポに合わせて演奏して貰って、
1曲500円以下ってのは安いな。
キャバレーとかの生バンドが勤まらなかった人たちがやっていたからだよ。
552 :
[―{}@{}@{}-] おさかなくわえた名無しさん:2011/12/10(土) 08:52:49.01 ID:nZkV5ykK
有線ていうのはトンと見当がつかないや。初耳だ。
>>549と同世代なんだが、
地方による差なのかな?
俺が小学校に入った時にはもう家に電話があった。当然近所の人が
借りにくるんだが、隣とかはす向かいだけじゃなくて、少し離れた家の
若いお姉さんがよく借りに来てたのを覚えている。今思えばあの人は
恋人に電話をかけていて自宅の周りの人に聞かれないように遠いうちまで
来てたのかなって。うちのおかんもスピーカーだったんだが。
>>550 学校の修学旅行とか林間学校とかだと、ガリ版刷りホチキス綴じの学校オリジナルの「歌集」が配られたりしたよな。
キャンプだと「家路」とか「山賊の歌」とか「燃えろよ燃えろ」とか定番だった。
そういえば昭和の高校の修学旅行にはギターを担いでくる奴がいたw 先生も別に怒らなかった、つか喜んだw
平凡明星の歌本は洋楽も載ってて、英語の歌詞の下にカタカナで読み?がついてたな。
イエスタデイワンスモアはそれで歌詞を覚えた。
歌本て、歌の下に歌手のミニ情報も載ってた気が。
「18歳の秋を迎えてちょっと大人っぽい歌に挑戦した○○ちゃん」とか。
昔はアイドルはソロが基本、グループは多くても3人だったねw
弱小プロの男性アイドル歌手は、ジャニにつぶされて消滅した。
555 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/10(土) 09:56:55.69 ID:mQZ/+j+e
今の電話は保留にすると相手方に電気的にメロディーが流れるが、
昔は受話器をのっけると実際にメロディーが流れる装置があった。
>>549 昭和50年代の片田舎だが、同じ小学校の男子で、
父親が当時問題になっていたサラ金苦で自殺、ボロ家住まいの貧困農家、電話なし、
本人は侏儒(こびと)レベルの発育不良で声変わりせずどもり、
特殊学級レベルの知恵遅れまでは行かないが、低い知能程度で奇矯な振る舞いが目立つ問題児扱い、
という「なぜそこまであらゆる面がボロボロなんだ」ってぐらいにひどい身の上の奴がいた。
ろくに風呂に入ってないみたいで身なりも服も汚かった。何処かから貰ってきたような古着みたいなのを着ていた。
関わってなつかれたりするとめんどくさいから、
という理由で、頭の働く連中からは接触や会話自体を避けられていて、
専らDQNグループのおもちゃとなって(本人にはいじられている自覚がなかったようだが)つるんでいた。
平成初期に成人式で「小学校時代と変わらない容姿と言動」で
子供用みたいな借り物の紋付き袴姿ではしゃぎ回っていたのが同級生たちに姿を見られた最後。
いま、そいつもそいつの母親も兄弟も行方不明で、同級生も地域の人々も行方を知らない。
世の中には、家庭環境と肉体条件とにとことん恵まれていない奴が現実にいるんだな、と
そいつの存在が思い知らせてくれたような気がする。
田舎の公立小中学校はいいことも悪いこともあったが、まあ、いろいろな人生のサンプルではあった。
>>557 栄養状態が悪かったり、日常から何かを学んだりする機会がないせいで(たとえば、
三枚のお皿に六個のコロッケを二個づつ盛り分けるとか)大脳が育ってなかったり
成長ホルモンがあまり出なかったりするんだろうねえ…
そういえばクラスに1人だけ電話の無い家の子がいた
今みたいに携帯電話ならあるとかじゃなくて本当に電話が無かった
>>555 それウチに一時期あったわw
>受話器をのっけると実際にメロディーが流れる装置
何でその選曲なのか分からないが、メロディーが荒城の月で
暗い曲調なのにやたらチャンカチャンカした音質で
流れるもんだから、たまたま電話してきて聴いた友人に
大笑いされてギギギ…ってなったw
うちには有線はなかったが、商売をやった知り合いの家には
電話と有線と両方あって、音楽とかが良く流れてた。
で、たまに女の人の声で「8番8番」「11番11番」とか
アナウンスが入ったんだけど、あれは個別の番号の
呼び出しか何かで、該当する番号の家が応答してたのかな。
最近「若者の○○離れ」ってよく言うけど、あれって実は携帯電話の普及が
関係してるんじゃないかと思う。
どういうことかというと、昔は「物」を買うのにお金を使ってたけど、今は「データのやりとり」に
お金を払ってる、ということ。
「携帯代」と称して、単なるデータのやり取りに毎月1万円とか使ってたら、物を買うお金が
なくなっちゃうんじゃないだろうか? >いまどきの若者
と、昭和のおじさんは心配してしまいますw
いまごろ気がついたの?
そんなの10年前から言われていたジャン。
昭和の頃はヤフオクもアマゾンマケプレも無かったので
いったん買い逃したらもう買えないかもしれないという意識が今より強く
やたら無駄買いしていた。
565 :
561:2011/12/10(土) 13:55:28.19 ID:neywVBc2
>>562 あー、やっぱり以前から言われていたんですね。
物を買えば、物の動きがあるわけだから、そこに関与してる人にお金が落ちる。
けど、データのやり取りで払うお金は、そういう価値は生み出さない。
これって、経済の面からいうとヤバイよねえ
>>565 確かにそれに関わる人の仕事はなくなるな。
が、みんな、逆にお金を落とさないですむようになったのを喜んでいるがな。
かつて、若者が金を使っていた、音楽、本、雑誌なんかかも、中身じゃなく、
レコードなりCD、紙媒体という物理的な物体の製造、在庫、輸送、展示、販売に多大なコストと労力を要していた。
もちろん、こちらから足を運ぶ労力、金銭、エネルギーが必要だったし、
欲しい商品があっても、最寄の店にはないのに、別の店では売れ残っていたり、
本なんか、委託制だから、そんなミスマッチしたものやら、一定期間の過ぎたもの、
展示にぎやかし用の商品が大量に返品されて廃棄されている。
そんなコストが商品にのっけられていたわけで、昭和はそれを当たり前だと思っていた。
で論調を握っているもんだから、これで大量のエネルギーやコストがムダになっていることは隠蔽している。
文化を担っているのを錦の御旗にしている。
レコードなんか針やらスプレーやら消耗品も多くて、それに巣食っていた人もいたんだな、と
本なんか電子化が進むべきなのに、作家や版権を出版社が握っているから、形だけ参入して広まらないようにしているからな。
コンテンツ電子化のおかげでいくらでもロハでダウソできておいしいです(^p^)
まで読んだ
>>563,566
なるほど、「モノ」の「偏在」という視点は思いつきませんでした。
確かに昭和の時代だと、ちょっとマニア向けの本だと、近所で1軒だけ入荷する本屋さんに、
発売日にあわてて買いに行って、なんてことがよくありましたね。
そういう意味では
「どうでもいいもの」(趣味の物)を手に入れるのに、「どうでもいいこと」(モノそのものとか、輸送とか)に
お金を払っていたのが、純粋に「どうでもいいもの」の対価だけ払えばよくなった、という見方も
できるわけですね。
さらに、ネットの普及によって「本当にどうでもいいもの」w に対する市場ができて、それなりに
商売になったりする、というのもありますね。
でも、そんな悠長な感想を言ってられるのは、昔を知ってる昭和生まれの特権で、
今の若い人は情報に飲み込まれかけてて大変そうですw
いつの世も育った時代はカオスということか
この前黒部ダム(黒四ダム)の建設工事の本読んだんだけど今と倫理観が違っててびっくりしたわ。
工区に不備があって現場の社員の人が重傷を負うんだけど
それを本人が「自分で転んでケガをしたことにしてくれ」って言って、それが通ってしまう。
周囲も「それだけこの工事に懸けているんだな」って胸アツ。
どうみても事故隠しだし他に犠牲者出たらどうするんだって感じだけど昔は人の命安かったもんなー。
>>551 生バンドが入ってたようなグランドキャバレーも昭和までだったねえ。
(今も銀座の白ゆりが残ってるけど、グランドっていうにはやや小さい)
キャバレーロンドンはテレビでCMやってたし、
しびれるキャバレー日の丸は、地下鉄に広告出してた。
それこそ「今じゃ考えられない」なあ。
>>570 黒四には二回行ったなあ。
線香立てに、火のついた煙草が挿してあったのが御愛嬌。
あの頃はみーんな吸ってたっけ。
>>571で思い出した。
某駅の周辺はストリップ劇場とかエロ映画館とかが複数ある場所で、駅のポスターが
そういうお子様は見ちゃいけません!系のものばかりだった。
んで、そこを利用すると図書館と青少年センター(プラネタリウムがあった)に一番
近かったので毎月のようにその駅を利用していたが小学生にはちょっと恥ずかしかった。
昭和50年代後半の話。
今でもストリップ劇場はあるみたいだけど、いつの間にかポスターは無くなったな。
俺の住んでいた市は、昭和28年に市制執行されたが、wikiによると、郵便局が昭和41年まで、
電報や電話交換業務を行っていたと記載。
建物の古さからして、そのときに電話局ができ、移管、ダイヤル化されたらしい。
なので、
・昭和25〜38年に製造されていた、
『4号電話機』(その後の型と違う、上部がすぼまった感じになっている)
・昭和30〜36年に製造されていた
縦長ではない赤電話(市外電話ができない)
が存在しなかった。
それと、駅やら市役所、市民会館などがその頃、鉄筋で建ったが、公共上下水道がなかったので、
テレビなどでトイレの象徴とされる、頭上からひもがぶら下がるハイタンク式の水洗トイレも見かけなかった。
(前述の公共の場は、水道管直結のレバー式)
50年代に一般家庭で水洗化が始まったときには、ロータンク式オンリー。
道路上に標識のついた火災報知機・消火栓もなく、あるのは防火水槽。
逆に、農村型有線は、都心部にはないだろう。
それでも、そろばん塾やピアノ、習字とかの塾通いは一般化していた。
ケーキはいつでもは買えない。
クリスマスと誕生日にパン屋(既製品を売るだけ)や食料品店に注文しておかないと食べられない。
親戚とかの手土産は、たい焼き、今川焼き、焼きだんごなど和風のものしかなかった。
>>563 それはあるねー。
ほとんどの物はオクなどで買えるから、抽プレ品や雑誌のふろくなど
そこそこの出費で入手できる。高値の物もブームが去れば値崩れするし。
女子の間でピアノを習うことがすごく流行っていた。
母親らのライバル心からみんな競って習わせたのかな。
才能もやる気もないので発表会の時母親が「下手すぎて恥ずかしい!」と
文句言ってたが、何故か家族みんなで見に来てた。
兄も小さい頃無理やり習わされて泣いてたよw
別にライバル心とかじゃなくみんなやるからうちもだったんじゃないの
習字やそろばんもみんなやってたし
そろばんは一気に廃れていったなー
うちの実家の近くのそろばん塾は人多かったから、週2回で、4時、5時、6時の3部に分けないと
人が入らないくらいだったのに、今は週1回、5時からのみになってたな
俺がそろばんやってなかったら、今の地位にいることは絶対無かったと思うくらい
超優良な習い事なのに
今は逆に人気だったりすると聞いたけど違うのかな>そろばん
>>579 黄金町かも知れんな。
俺の母校は黄金町なんだけど、シャブ中が朝から
道路に寝転がってるような環境だったな。
今は随分と綺麗になったみたいだけど。
丙午の俺が小学校の頃にやらされてた習い事や塾は…
・剣道(家のすぐ隣が警察署だった。小1-6まで)
・そろばん(小1-4まで。塾内で他校の生徒と喧嘩して退塾)
・英会話(小5-6まで。塾内で他校の生徒と喧嘩して退塾)
昔は他校の生徒とよくいがみあったもんだったなあ。
別に何の恨みもないんだけど、学区が違うだけで喧嘩になってた。
うちの子たち見てると全然そんなことなくって、時代が違うと思うなあ。
>>581 あったあった。俺は私立小だったんだけど、よく近くの公立校の
男子が殴り込みに来てたわ。
583 :
忍法帖【Lv=18,xxxPT】 :2011/12/11(日) 08:50:03.86 ID:ODmqh5Hi
自家用車が普及しだし、「交通戦争」とよばれていたころ、
車を運転している人は、自分たちを特権階級だと思っていたのか、
信号のない交差点で、小学生が手を上げても停止してくることはまずなかった。
田舎育ちなので、歩道橋のある都会がうらやましかったが、
実際、行ってみると歩道橋をわたっている人は1人もいなかった。
日の出町だか黄金町のあたりは、ホモ映画館もあるね。
神奈川新聞に上映タイトルが載ってるんだが、普通は一般紙に乗せないだろw
昔は中華街、イセザキ町あたりも怪しい雰囲気だったと母親が言ってた。
違う学校に通ってる生徒に遭遇したとき、未知の生き物に出くわしたかのような緊張感があったな
昔はビデオレンタル屋でテープのダビングを請け負うところが多かったけど、
今は自分で録画した内容すら満足にコピーできないから、世知辛い世の中になったな。
裏ビデオのダビング依頼があった日には店のスタッフ分の録画もしたりしたw
588 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/11(日) 13:32:43.22 ID:7BTp2ZFD
ソフトバンクが出るまでは携帯料金があまりにも高くて、若者は他に金使うことができなかった。
月数万払うのが普通、中には10万以上。
携帯電話料金で不景気。
今でもまだ携帯料金が高すぎると思うが。
それは激しくスレチだな
>>586 大昔、マニアックなビデオをレンタルした時、店でダビングも頼んだけど
1000円かかった。テープ代は自腹で別。
ビデオレンタル自体も1本1000円とかしたよねw
今は旧作準新作なら1週間100円とか普通だわ。
今はデジカメで自分で撮影・プリントアウトもするけど、フィルムカメラの頃は
そこまでできる一般人はなかなかいなかった。
1時間仕上げの店でバイトしたことがあるが、たまに恋人どうしのH旅行とか
オッサンが風俗店で変なことしてるフィルムが持ち込みされて
バイトみんなで鑑賞したものだ。局部がもろに写っているものはプリントNGという
ルールがあった記憶が。
H写真を受け取りに来た客に対して噴出しそうになるのを我慢が大変だった。
高いといえばインターネット代が昔は高かった。
これは平成の話だろうけど。
その分、自分大好き☆なくだららないブログはないよい時代だった。
>>590 海外旅行行くのにビデオテープ10本買って5万くらい払ったよ。
ソフトバンクって平成になってかなり経ってからじゃないかなあ。
昭和時代のソフトバンクはメーカーの援助を受けつつ提灯記事ばかりを載せる雑誌の出版社。
携帯電話の費用が安くなったのは1995年ぐらいに始まったPHSによるものが大きい気がする。
>>591 そういや昔の海外旅行は、フィルムカメラを山ほど持参+X線を通さない
鉛の袋に入れて持参したわ。
あれはかなり重かった・・・
撮影してもその場で確認できないので、全部現像に出すと手ぶれ失敗写真など
結構無駄もあった。
1枚プリント50円ぐらいしたかな。そのうち0円プリントも登場し
つぶれかかった雑貨屋などが委託受付していた。
APSカメラっていのもあったけどすぐ消えたね。
昭和の映像と言えば8mmだな。1本1000円くらいするフィルムを
1500円くらい掛けて現像して3分間、しかも音無しの映像しか撮れなかった。
でも上映会はワクワクしたんだよな〜。たいてい1〜2回見てお蔵入りなんだけど。
>584
その昔、京浜安浦(京急安浦)駅があった頃は、京急電車の手すり、つり革を絶対触らない女性客が血行いたとか
s50年代中盤、電車の中でも喫煙可だったような気がするんだが、記憶違いだろうか?
ホームは全面喫煙可で電車が入って来そうになると、線路にポイ捨てしてる人が多かった。
京急の話です。
ラッシュ時の改札駅員の切符入鋏の早さと鋏の捌き方はプロの技だった。
切符カスの量も大量だった。
ひっきりなしに鳴らされる鋏カラ打ちの音で、自然にみんな早歩きになってた。
入鋏がなくなってハンコになった時はカチカチって音がしなくてマヌケな感じだったし、
駅員も手持ち無沙汰で寂しそうだったな。
京急弘明寺を使ってた。
>>596 東武伊勢崎線の車両の端には、ただ「禁煙」の文字だけじゃなくて
「浅草〜館林・新栃木、亀戸線、大師線、野田線」みたいな
禁煙区間の表示があった。田舎のほうでは通勤電車でも吸えた。
ホームの前の線路は勿論タバコの吸殻だらけ。
>>597 独特なリズムがあったよね。あのハサミはターミナル駅だと
3日でダメになってたらしい。
>>598 東武の通勤車両が禁煙区間を撤廃して車内全面禁煙になったのは何と1993年。
しかも灰皿などないから時間帯によっては床は吸殻だらけだった。
JR宇都宮線も部分禁煙区間とかあったな。
確か上野−小山間だったかな?
そこを過ぎると喫煙おkだったんで、近くの人が吸い始めると
気管支の弱い自分には苦痛でしょうがなかった。
もちろん、ボックス席の窓際には灰皿付きがデフォだった。
盲人はあの音を頼りに改札の位置を探したんだって。
ハンコとか自動改札になっても点字ブロックが整備されてない駅だと電車乗るのに苦労したとか。
603 :
573:2011/12/11(日) 17:20:07.00 ID:gMl2EAzL
>>579 あたりです。
首都圏とすら書いてないのにわかるとは思いませなんだ。
>>580、584にあるように横浜の一角に昭和の頃はえらいガラの悪い地域があって
昼でも女1人では歩けないようなところだったんだけど(byうちのオカン)
今って横浜にそういうエリアあるかな?もう絶滅したような気がする。
そしてそういう危ないエリアを端とはいえ非居住者の小学生が1人うろうろと歩いて
いくというのも今ではないのかな?
604 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/11(日) 17:57:14.32 ID:xzhN5JWa
新聞や雑誌の広告で、カタログやらを請求するのに、
1〜2センチ角の「資料請求券」というのが印刷されていた。
これに印刷されていた暗号で、出稿した誌紙の広告効果を見る。
サンプル請求には、切手同封、というのはあった。
どちらも、フリーダイヤルが一般化すると、ハガキ、切手代を要するこれらは廃れていった。
>>603 うわっ!当たってたw
数年前に野毛山動物園行くのに降りたけど、ストリップ劇場まだあったよ。本日の出演者として嬢の写真も飾ってあった
市立の中央図書館へ行く道の途中に、未だにあるのにビックリしたww
子どもの頃、家族で伊勢佐木町→関内→中華街とか行くのに利用した駅だけど、本当にいかがわしい街だった
そういえば、メリーさんも何度か見かけたな〜
>>605 黒澤明の「天国と地獄」に黄金町〜日ノ出町界隈が出てくるけど
シャブ中がゴロゴロしてる。まさにそんな町。
607 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/11(日) 22:35:41.59 ID:w52Ao7Jy
横浜の町としてのイメージが上がったのはいつからだろうね。
ユーミンの山手のドルフィン辺りか?
それ以前は伊勢崎町ブルースとかブルーライトヨコハマのイメージだった。
608 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/11(日) 22:43:16.32 ID:w52Ao7Jy
揚げ足とるんじゃないけど海外旅行にビデオカメラ持って行くようになったのも
平成になってからだよ。昭和の終わりごろにハンディカムが普及し始めたけど
まだまだ一般的じゃなかった。海外旅行自体が貴重な経験だったしな。
もっと古いと、淡谷のり子の名歌「別れのブルース」だな。
歌詞をよく読み込まないと単に横浜の酒場女の歌のように聞こえるが
実は横浜に寄港する外国船の船員を相手に商売する「チャブ屋」と呼ばれる本牧の売春宿が舞台。
(歌詞の意味と背景を知っている人にはわかる。作詞家と作曲家はそのつもりでチャブ屋に出かけて雰囲気を知ってから作った。
淡谷さん本人は最初気付いてなかったらしいが、潔癖性なので売春婦の歌と知ったら歌わなかっただろう)
戦前まではそういうところがあったわけです。
>>608 http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/6900.html 昭和55年は400万人弱だった海外渡航者数は
昭和60年には500万人弱となり、61年には550万人を突破。
62年には680万人突破、63年には840万人突破だ。
(その後、平成2年…1990年の1099万人まで上昇し続ける)
昭和60年代には都市圏ではOLが夏休みにハワイに行くのは普通だった。
(マンガ『OL進化論』あたりにも描写されてるね)
ソニーの8ミリビデオ・ハンディカムが爆発的に売れ始めたのは、
初代パスポートサイズ(TR55。昭和64年発売)が契機だったが、
その前にビクターなどVHS陣営が採用してたVHS-Cカムが
昭和60年代初期から旅行記録用に売れてた。
(BTTFにも出てきたぐらいの大ヒット商品)
>>594 懐かしい。うちも8mmよく撮ってた。
いったん見終わったあと、巻き戻し兼ねて
逆回転を見るのが楽しかったなあ。
何度も何度も見てるものなのに、
毎回家族で大爆笑だった。
>>611 映写機がフィルムを噛んで止まるとコマが燃えたよね。
あと、フィルムが最後まで行って完全に巻き取られちゃうと
巻き取り側がクルクルと高速回転してフィルムの端っこが
タン!タン!タン!って映写機本体に当たって。
親がすぐに電気を点けちゃうんだけど、その間の短い時間で
影絵をやってた。
>>608 俺は昭和60年にばかでかいカメラ持ってカナダ行ったぞ。
>>612 うちも影絵やったよ! 手で動物とか作るやつ。
ほんと懐かしいなぁ。ちょっと涙が出そうだ。
上映中、天井に映ってる映写機の光も大好きだった。
コマが燃える時って、スクリーンに映ってる映像が
斜め下かからちゅるるるっと赤くなって消えてくよね。
>>614 サイレントの8mmはカタカタカタカタ言う音の中で
「これは○○だったんだよ」とか解説が入るんだよね。
3分間、暗闇の中で、あの独特な匂いと光と音と解説と
笑いと、みんなが一体になってた。
数十分のダラダラしたビデオとは全然違う味わいがあった。
>>608 それは庶民レベルの話で、金持ちや新しいもの好きは、いつの世にもいるもんだよ。
もちろん、率としては1/10以下だろうけど。
テープ1本5千円時代だと、カメラとデッキが一体型じゃない頃だろうけど、
そんな頃でも幼稚園や小学校の運動会には、1,2人撮ってる親もいたし。
パスポート取るのに
貯金残高が分かるもの(通帳のコピーとか)が必要だったような気がする。
いまはどうなの? 平成になってからパスポートに縁がないのでわからん。
618 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/12(月) 09:01:35.42 ID:dzzzSmoA
>>617 俺が始めてパスポートを取った昭和57年にはそういうものは出さなかった。
学生だったしな。
619 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/12(月) 09:10:19.78 ID:dzzzSmoA
俺が大学生だった頃に学生が海外旅行に行き始めた頃だったが、4年間に1度でも
外国に行ったことがあるってやつはまだ少数派だった。当時まだできたばかりの
秀インターナショナル(今のHIS)に足しげく通って格安旅行の知恵を付けた
友だちがいて、そのままバイト→正社員に。最初はバイトの延長戦で回りは
心配してたが、まもなく会社急成長で羽振りがよくなってた。
彫金残高照明が必要なのは留学する時じゃなかったっけ。
昔のことはわかりませんが…。
自分が海外に行き始めてからまだ20年ですが、サーチャージがなく
個人旅行でも安く行けた。
団体旅行のようにゾロゾロ連れて行かれるのではなく、綿密に
スケジュールを組んでる時の緊張感が好きだった。
というか、個人旅行する自分、カコいい!とか思ってたんだろうなw
今はいちいち旅行会社に問い合わせ電話することもなくネットでフライトも
宿も探せる。
>>618 当時の「地球の歩き方」(1987年発行)見てみたよ。
「旅行引受書、または渡航費用の支払い能力を立証する書類」が必要だった。
普通は旅行会社が前者を発行してくれるので問題ない、とあった。
618さんは書類がきちんと整っていたんですね〜。
>>616 横浜米軍機事件の時も、そういう酔狂なお父さんが、我が子を撮ろうと思って持ってきた
撮影機材で偶然撮ったんだっけなあ。
8o持って行って仲間を撮ってやった時が面白かった。
みんなカメラが自分の方を向くと、急に不動になってしまう。
普通の写真撮影の時のクセが出てしまうんだな。
まだ動画を撮られる習慣が普通人にはなかった頃はこんなもんだった。
今ではもうそんな人はほとんどいないだろう。
>>623 で、「動いて動いて!」って言うと
なんかわけわからん踊りとかするんだよなw
アホの坂田
倖田來未の結婚にアン・ルイスと桑名正博を思い出す。
そしていわゆるDQNネーム命名も思い出す
628 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/13(火) 12:25:22.37 ID:HGpDy51y
今は写真撮られるときは、みんな決まってピースサインをするが、
昔の小学生はウルトラマンのスペシウム光線出すポーズかイヤミのシェーだったな。
>>628 シェーは、やんごとないお方までなさったほどの定番ポーズだったからなあ
今の子ってさ、写真を撮ると「見せて、見せて」って来るじゃない?
その場で見られるのがあたりまえになってて
お店に持っていって何日か待たないと見られない、なんて信じられんだろうね
>>629 しかもフィルムも現像代も高かったから、失敗写真が多かった。
>その場で見られるのがあたりまえになってて
お店に持っていって何日か待たないと見られない、なんて信じられんだろうね
活字も同じだな
手書きの文書を活字にするためには、印刷屋に持ち込むしかなかった
>>631 そういや東芝のワープロが出始めの頃、仕事で大事な書類を
ワープロで清書してもらって16ドット×16ドットのプリンタで
印刷してもらうだけでA4 1枚2000円取られたわ。
633 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/13(火) 17:11:22.92 ID:RaOgLsF2
>>628 写真ってポーズなしで撮っていた事も多かったわ
特に小学生時代は、何もなしでクラスメートと写ってるのとかあるw
突っ立ってるだけとかw
634 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/13(火) 18:54:10.73 ID:ESukv6Wh
>>629 24枚か36枚撮りきらないと現像に出せない(出さない)から、
旅行から戻っても最後のフィルムだけカメラに残ってて
次の機会まで待っててとかもあった。
そのまま忘れてデジカメの時代になって10年以上放置していた
フィルムがあったよ。
>>634 萩本欽一が「4枚増えて値段は同じ。で、どっちが得かよーく考えてみよう」
というCMをやるまで、24枚じゃなく20枚撮りフィルムが普通だった。
>>634 しばらく現像しないでフィルムが溜まってて、まとめて現像すると
すごく懐かしい写真が出てきたりしたよね。
637 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/13(火) 19:37:48.70 ID:Qp7FxsGO
ここの住人は、みんないい人生を歩んでいるなあ
638 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/13(火) 19:59:32.75 ID:gpmKQPR5
>>635 このCMが、さくらカラ、フジ→コダックと影響を与え、
この影響で、世界中の(共産圏は知らないが)20枚撮りフイルムが24枚撮りになった。
当時でも、日本は世界第2位のフイルム消費国だった。
日本人は、よほど記念写真好きらしい。
>>636 そういう、フィルムが貴重だった時代に産み出されたのが、ハーフサイズカメラ。
ライカ版でポピュラーな35mmフィルムの画面を、半分に使って2倍撮れるという発想。
これが日本で一時大ヒットしたのは、昭和34年にオリンパスが
小型ハーフカメラ「オリンパス・ペン」を出して注目されてから。
後にオリンパスの社長も務めたカメラ設計の名手、故・米谷美久が、入社2年目にしてほとんど一人で設計した。
使いやすくてよく写るうえに値段も安く、フィルムが節約できるメリットもあって大変に売れ、
オリンパスの名を一躍高めた。
……その名門メーカーの栄光も今やあの体たらくだが。
ペンの他にも、リコー・オートハーフとかキャノン・デミなど、
昭和40年代にかけてなかなか気のきいたハーフサイズカメラが売り出されて、あちこちで使われてた。
640 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/13(火) 21:17:44.66 ID:l9gGhOIz
現皇后陛下も工場見学され、愛用されたんだよね>オリンパスペン
それくらい日本を代表するカメラだった。
経営陣はともかく技術者は大切にしてほしいな
>>638 だって海外漫画に出てくるステレオタイプの日本人って
メガネで出っ歯で必ず首からカメラ提げてるじゃない。
>>642 パンナムとかの航空会社のショルダーバッグもお忘れなく。
これでハイ、海外旅行パックツアー団体おのぼりさん日本人の出来上がり。
佐々の書いたあさま山荘事件回想録で、山荘の偵察差芯撮影を強引に買って出た県警の写真班が帰ってきたんで、
写真見せろと言ったら「いや、まだフィルム使い切ってないんで現像してません」と天然ボケかまされて雷落した、ってのがあったな。
持ってたぞ〜オリンパス・ペン
確かにフイルムは2倍節約できるんだけど、一本現像に出すとプリント数が2倍になるから
結構財布へのダメージはデカいw
しかもフィルム上ではハーフサイズだから引き伸ばしたときの映像の荒さが目立ってあまり
良くなかった。一眼レフできっちりピント合わせて撮ったほうがはるかにキレイなので
結局キャノンのEFという完全自動露出もの買ってしまった。ガキのくせにカメラに凝ってたからなぁ。
昔から慣れ親しんだ海外ブランドも様変わりだな。
ゼネラルモータースは一度倒産。
パンナムは消滅。
コダックは破産寸前。
>>646 そこでベタプリントですよ。1枚に全部のコマンドをプリントして、
そこから選んで本プリント。
少女漫画の主人公が通っていた高校の名前が金玉学園だった
650 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/14(水) 04:04:55.17 ID:bqFU6e45
>>647 パンナムは日本路線から撤退したあとも相撲の表彰だけは続けてくれてたねえ
デビッド・ジョーンズさんの「ヒョーショージョウ!」は千秋楽の名物だった
いっぺん、放送時間に収まらなかったんで、そのまま中継を終了したら
NHKにどえらい数の抗議電話がきたらしいw
そりゃそうだわな
みんな、あれが見たくて、そこまでの(どうでもいい)表彰を見てたんだから
昔のランドセルは馬糞紙で出来ていて雨にあたるとやばかったらしい(母談)
給食の時間になると校内放送で下記のような歌が流れてた。
♪せっけんで 手を洗お
♪せっけんで 手〜をあ〜ら〜お〜〜
655 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/14(水) 12:49:23.85 ID:qUoNtEHq
>>642 映画のポリスアカデミーに出てくる日本警察の研修生がめがねかけて
ばちばち写真撮りまくるやつだった。
>>655 いたいた。背は低いけど柔道が強くて、キャラハンと結ばれた。
658 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/14(水) 18:38:43.96 ID:+Ov5XmxV
∧,,∧ .∧,,∧
(´・ω・)(・ω・`) .∧,,∧ アタタカイネ
∧,,∧つ と)( つと ノ(・ω・` )
(´・ω・)  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \と )∧,,∧ コタツ
ノ ,,⊃\_____∧∧_.\,,(・ω・`∩ イイネ
〜(,,_ゞ ※ ※,'´(´・ω・) ※ヾ∪,,,,,,'丿
\,,`ー─,,人,,つと人ー─ヽ,
 ̄ ̄  ̄ ̄
659 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/14(水) 18:45:05.20 ID:8GFYk16a
一台のテレビを、家族皆が見ていた。
チャンネルのつまみを持って逃げるんですねわかります
>>657 キャラハン役のブリジット・ニールセンはモデル上がりのウルトラ長身金髪美女だったが、
B級映画でイロモノな役ばかりやって、結局早々に映画界から消えちゃったな。スタローンと結婚してたこともある。
80年代の個性派B級女優の一人として記憶に残る。
オリンパス トリップ35が去年、実家の押入れからサルベージされた
兄貴(もう50台半ばだが)が嬉しそうにもって帰った。
兄弟3人で使いまわした懐かしいカメラで、おれもいろんなところへ連れて行った
きっと動かないだろうけど、兄貴には大切にして欲しい。
665 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/14(水) 22:45:57.20 ID:qUoNtEHq
オリンパスといえばOM-1。
昭和50年代の一眼レフブームの時、小型軽量ながら、エベレストにも登った
丈夫さが売りだった。しかし人気ナンバーワンのキャノンAE-1や
ジーパンを脱ぎ脱ぎするミノルタに押されてたな。
>>662 >>664 あ〜びっくりした。ググったらレスリー・イースターブルックだって。
もう60歳過ぎてる。
タックルベリーやハイタワーは故人だし。
テレビ番組の途中で、「機械不調のため一時中断します」という
テロップとお詫びした人のイラストが出てた。
30年位前。物心ついてから2〜3回記憶があるんだけど。
@九州の民放局
ポリスアカデミー好きだったなぁ
マホーニとかハイタワーとか
ハックルベリーとか
>>668 東京でもしょっちゅうだったよ。
水谷豊のバンパイヤが放映時間中ほとんどその表示で見られなかった記憶がある。
>>666 俺も、「えーニールセンもうちょっと若かった気が
するし、胸の感じが違うし・・」などと考えてたな。
決め手はオッパイの「感じ」で違和感が・・。
ポリスアカデミーを翻案したのが、パトレイバーだよね。
ハイタワー、タックルベリー、キャラハンなんかは一目で判るし、他のキャラも大体分かる。
カメラの話で思い出したが、そういう機械類が家の中で少なく、
男の子は興味をそそられるので、目覚まし時計を分解してしまった…という話は良くきいた。
そしてその次のステップが、ラジオの自作。
テレビや電話が子供の自由になるものではなかったので、自分のものになる情報機器だった。
東京近郊だと、部品を買いに秋葉原に行くのが通過儀礼だった。
たいていの子は本の通りに部品を買い集めて組み立てるだけだったが、
そこから興味を持って、小学生でも学校で習わないオームの法則などを身につけ、
理工系に進んだ子も少なくない。
家の中の機械類が増えて珍しいものがなくなり、ラジカセなど完成品
を買ってもらって楽しむのが当たり前になると、通過儀礼ではなくなっていった。
>>671 そういやキャラハンは当時流行ったスイカおっぱいだったな。
>>673 最近は家の中に「仕組み」が見られるものはほとんどないよね。
見られたとしても基板があるだけ。
A「ラジカセぶっ壊れちゃったんだよな」
B「だったら俺が直してやるよ」
A「おう、頼むぜ」
−−−−−−−− 数日後 −−−−−−−−−
A「おお〜、直ってる直ってる」
B「……えっ、ホントに大丈夫なのか?」
A「何言ってんだ、ちゃんと動いてんじゃん」
B「いや〜、実を言うと組み立てる時にネジが一本余っちゃったんだよね」
677 :
忍法帖【Lv=20,xxxPT】 :2011/12/15(木) 10:11:25.09 ID:vl/G8KUJ
>>673 で、物を壊さずに済まそう、と商品化されたのが「電子ブロック」
ただ自分の場合、抵抗を値の違うものしたらどうなるだろう?とか
オリジナルの回路を組み上げてみよう、なんてことは考えず、
組み間違えて部品を壊しちゃったらどうしよう、
とおそるおそる回路図集通りに組み付けてはバラし、電子小鳥だの、風呂ブザーだの
いろんなものができるんだ、って面白がって遊んでただけだった。
子供の頃、親が「子供の科学」って本を買ってくれて
ワクワクしながら読んでたな
>>610 俺、ビクターのVHS-Cのビデオカメラ持って、
昭和62年3月に卒業旅行行ったよ
行き先はインドネシアのバリ島だったが
友達が半裸でケチャック踊ったの撮影したwww
自作したものといえば、鉱石ラジオ、トランジスターラジオ、スピーカー、インターフォン、お風呂湯量ブザー、真空管アンプ。
修理したものは、ラジカセだな。
680 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/15(木) 14:34:45.86 ID:yBL+cGAM
学研の科学の付録だったか、おもちゃ屋で買ってもらったかは忘れたが、
鉱石ラジオのキットもデンシブロックのラジオも組んだことがあったが、
放送局から遠い田舎だったので、まったく用を成さなかった。
もう少し先の山の向こうは、中継局で再送信してる、そんな地域だった。
市販のラジオでも、8石とかの高級タイプじゃないとよく受信できなかった。
中学あたりだと、そんなラジオとは段違いな高性能なラジカセで深夜放送を聴くようになるな。
ちょっとダイヤルをずらすと、北京放送やモスクワ放送が聴けた。
俺は北海道のず〜っと端に住んでいたが、外国語の放送はクリアに聞き取れ、
ニッポン放送なんかはノイズにしか聞こえなかったわw
手元に、昭和4年の当用日記があるんだけど、巻末に、日用お役立ち辞典がついてる。
そこに、「ラジオを聴取する際の注意」ってのがあるけど、「アンテナ立てるときは、絶対に電線や電話線に接触させんなよゴルァ」
(意訳)とある。
…かなり、シャレにならん事故があったようですな。
683 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/15(木) 19:02:51.31 ID:SnIdUMBn
BCLが流行った頃、弱い電波をひろう裏技として、
ラジオのアンテナにビニール包みのニクロム線の端を巻きつけて、
もう一方の端をコンセントのどっちか(長いほうか短いほうか忘れた)に
突っ込むと外の電線がアンテナになるというのを雑誌で読んで実際にやってた。
感電の危険ありまくりなんだけどね。
今のBPLの原型…なわけないか。
684 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/15(木) 19:41:13.88 ID:s4QitID0
こちらモスクワ放送 と言うのが、よく聞こえた記憶があるな。
今もあんな放送聞こえるの?
>>682 ゲルマニウムラジオのアンテナ線作りで
「電気プラグの片足を外して、コンセントに差し込むことで、アンテナになります」
とこども向けの工作本に書いてあって「えっ大丈夫なの?」と思った。
686 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/15(木) 22:21:27.30 ID:aNT3VJO4
>>672 21世紀になったら人型のロボットが普及している社会の夢・・・・
687 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/15(木) 22:53:56.07 ID:E3/hgBIX
雑誌や本の編集(部)というのは、
表紙のレイアウトや掲載順序をを決めたり、
発売日から逆算した締め切りに応じて作家にハッパをかけるなど、
文字通り「編集作業」のみをやっているのだと思っていた。
漫画の内容などは、漫画家が好き勝手に描いているものだと思っていた。
さっき他スレで、ものすごく久々にセクロスのことを
「ニャンニャン」と書いてる奴を見て懐かしくなったw
恋愛用語とかエロ・下ネタ用語も流行り廃りが色々あって、
一昔前の用語が一周して今また普通に使われてたりするね。
巨乳はボインって言ってたし、貧乳はナインペタンだったw
あと、ラブラブって言葉は今はごく普通に使われてるけど
一時期ちょっと古臭い・ダサい表現扱いされてた気がする。
アベックとかランデヴーとかみたいな感覚で。
>恋愛用語とかエロ・下ネタ用語も流行り廃りが色々あって
A・B・Cなんていうのもね
>>685 うむ。あれはこわっかった。理屈はわかるんだけど。
>>682 実際ラジオ関係が原因ではないが俺のいた田舎では電線に感電して両腕失った子供を
複数見かけた。頻度的にはかなりのものだと思う。
こいつもかよ・・・って感じ。学校では送電線の恐怖についてちゃんと注意されたよ。
>>690 バカなことやってるとあいつみたいになるぞ
…と注意するのが昭和クオリティ。
>>689 A・B・C懐かしいw最近とんと聞かんねw
沖田浩之のE気持ちとかも、多分このABCが前提にあって
その延長上にあるタイトルだよね。
そう言えば、キスのことをチューって言い方するのも
一時期なりをひそめてたけど、最近は普通になったね。
昭和の頃は、チューするって表現はどちらかというと
幼児語的なイメージがあって、大人はキスって言うか
それこそAって言ってたように思う。
まあ、当時の自分の周りが判断基準なんで、
地域とか年代によっては違うかも知れんけど。
>>692 だって沖田の親衛隊の女の子達の掛け声が
A・B・C・D・E気持ち だったじゃないか。
しかしなかなかすごい曲だったね。
♪ABC、ABC あぁ〜ん いいきも〜ち〜
今ならテレビで放映できるかどうか微妙だなw
市内に結構大きな川があって、小学校では、泳ぐのは禁止、釣りなどでも子供だけで遊ぶなと言われていた。
が、そういう禁を破る子はいるもので、3年生の時、他のクラスの子が流されて死んでしまった。
数年に一遍はそういう事故があったらしい。
今だったら、学校が生徒や保護者を集めて説明会、
おそらく、父兄が詰問、っていう構図なのだろうが、
学校以前の家庭の躾の問題、自業自得、学校の責任ではない、で済んでいた気がする。
>>689 「はじめてのC」という本がセックスの手引書かと勘違いしていた。
>>694 島嶼部のド田舎小学校。
海水浴の際の校則は、「必ず保護者に言うこと」「些細な体調不良でも泳がない誘わない」
この二つのみ。
あと、未就学時に関しては、親か兄弟が同伴という、集落ルールがあった。
どんないじめっ子でも、故意に人を溺れさせるようなどあほうはいなかった。
些細なことが死につながる。
自然を、そして海をなめるな。
死亡事故が発生すると、結局遊泳禁止になってバカを見るのは自分。
そういう考えが徹底されていた。
んで、都会の学校のプールで、故意に人を溺れさせようとする脳足りんがいるのには閉口してた。
DQNの川流れを引き起こすのは、こういう手合いだろうな。
>>696 まあ、あれを電車の中で読むのには勇気が要ったことは確かだw
「はじめてのC」は昔は評判のいい本だったけど今はわけわからんと酷評されてるな。
ゆとり教育のせいかと思ったらそういうわけでもないようだ。
昔の人はいきなりCなんかやらなかった。そこへ至るまでにいろいろ経験を積んでいた。
今の若い人はいきなりCだからいろいろな経験を前提としているこの本は合わない、ってことみたいだ。
プログラミング言語の話なので誤解のなきよう。
>>昔の人はいきなりCなんかやらなかった。そこへ至るまでにいろいろ経験を積んでいた。
>>今の若い人はいきなりCだから
>>プログラミング言語の話なので誤解のなきよう。
ちゃんと意味が通っててワロタ。
Assembler (アセンブラ)
↓
Basic (ベーシック)
↓
C
ですね、わかります。
はじめてのCOBOL
コボルちゃん
>>701 ジョークのつもりなんだろうが、80年代は正にその通りだったんだよ。
いつになったらフォートランに辿り着くんだよw
いきなりBから入った俺は下手すりゃ痴漢扱いだなw
>>704 B言語がC言語に取って代わられたのは70年代の初めだろうが、こらw
COBOLといえば、グレース・ホッパー准将が先日亡くなったねえ。
女性が作ったコンピューター言語はCOBOLだけかな?
ってか、ボインが巨乳に、ナインが貧乳にというのはわかるが
ABCって今の子は言わないならいったい何て言ってるの??
Aから始まっていきなりCまで行っちゃうの?
男性は知らないかもしれんが、昔の少女漫画で「れもん白書」っつーのがあって
「これがB!ウワサのBね!!」というセリフがあったんだけど
今なら何て書けばいいんだか(´・ω・`)
これが手まん!ウワサの手まんね!!
みたいな感じか
712 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/16(金) 23:32:51.63 ID:VtjYwEh2
あ〜なたにおんな〜のこの一番大切な〜ものをあげるわ〜。
で親父どもをニヤニヤさせた山口百恵がその線でか、旺文社のCM
ABCは知っててもそれだけーじゃ困ります。
旺文社カセットLLスーパー。
ビデオデッキが憧れだった
「君んちビデオあるの?」って会話がよく交わされてた。
今じゃどこの家でもDVDを再生できるのが当たり前。
>>683 うちのあたりでは「久里浜アンテナ」と呼んでいた。
久里浜は火力発電所のある地名。
ビデオデッキねえ・・あれって、出初めの頃の
ダイヤルのチャンネル付いてるごっつい奴でも
32万くらいしたんだよなあ。なんて高価だったんだろ。
ついでにベータが懐かしいなあ。
もっとついでに「ブルーフィルム」なんてのも
あったなあ。
>>693 アニメキャラ(声優)がカバーしてたりはするんだがな。バナナの涙とか。うん、びっくりだ。
発禁されたレコードとか書籍とかもあったな。アンサーソングも結構出てた気がする。あのねのねの曲を聞きたくても、レコード売ってる店自体が少ないからなぁ。
まりちゃんズの「ブスよ世間を恨みなさい」だっけか。
あれ、女性団体以前に悪童がいじめのネタにしてたからなあ。
720 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/17(土) 09:06:08.30 ID:9/nsU3zV
>>716 ブルーフィルム、うちにあった。洋物。
俺が見つけた時にはうちの映写機はもう壊れてて再生できなかったけど。
721 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/17(土) 09:09:44.51 ID:9/nsU3zV
俺が大学生の頃はセミナーとか学会じゃスライドを投影する人が多かった。
始まる前に円盤みたいな器にスライドフィルムをセットするのが
学生の仕事だった。たまに裏表逆に入ったりして。
パワーポイントはスライド映写機を駆逐したな。
722 :
妻夫木似 ◆K5WjQ6ib2U :2011/12/17(土) 10:49:21.93 ID:rS+ZuIVd
>>721 微妙にスレ違いの気がw
そんな昔の話じゃないように思うw
独身で高齢の女性をオールドミスって言ってたね。
今で言うとお局ってことになるんだろうけど、お局ってのは
既婚者でも若めの年齢の人にでも使われたりするから、
微妙にニュアンスが違う気がするな。
そもそも、女性が何歳くらいからオールド扱いされるのかも
時代によって変遷してきてるしね。
昔は28か29あたりでも既にオールド扱いだった気がするが、
今なら35歳で独身でも別に珍しくない。
>>714 昭和時代から考えたら「どこの家にもコンピューターがある」って状態もすごいな
携帯電話だって、ひと昔前のパソコンよりよっぽど高性能だし
あと、ファクシミリというものがドッと普及してサッと廃れた感じがする
>>724 ファックス専用機とかもあったもんねぇ。今じゃファックスなんて
画面に表示して消すからプリントしないし、PCでも受けられるし。
第一ファックスの需要自体が低くなってるでしょ。
726 :
妻夫木似 ◆K5WjQ6ib2U :2011/12/17(土) 13:20:16.59 ID:rS+ZuIVd
>>725 そうか?w
FAX、たまにコンビニでも使うし、不動産賃貸の時、派遣でタイムシート
を提出する時なんかに結構使っているけどねw
727 :
妻夫木似 ◆K5WjQ6ib2U :2011/12/17(土) 13:33:49.55 ID:rS+ZuIVd
>>723 そういえば、ロマンスグレー、フルムーン辺りも聞かなくなった気がするw
個人的に、ロマンスグレー=岡田真澄、フルムーン=上原謙、高峰三枝子のイメージw
728 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/17(土) 13:40:02.64 ID:Gna1zMAn
☆★☆ アート書籍人気ランキング 〜2011年上半期〜 ★☆★
1位 岡本太郎 「今日の芸術―時代を創造するものは誰か」 (光文社)
2位 野村順一 「色の秘密―最新色彩学入門」 (文春文庫PLUS)
3位 オーギュスト・ラシネ,マール 「世界装飾図」 (マールカラー文庫)
4位 筒井はじめ 「KIMITOMO」 (ザメディアジョン)
5位 アドルフ・ヴェルフリ 「アウトサイダー・アート」 (求龍堂)
6位 アール・ブリュット 「パッション・アンド・アクション」 (求龍堂)
7位 ヘンリー・ダーガー 「非現実の王国で」 (作品社)
8位 大野智 「FREESTYLE」 (M.Co.)
9位 久家靖秀 「ニッポンの老舗デザイン」 (マガジンハウス)
10位 木村泰司 「巨匠たちの迷宮 名画の言い分」 (集英社)
※小学館調べ
>>723 女性は25過ぎたら嫁き遅れという意味でクリスマスケーキにたとえられていたな
25で独身が珍しくなくなると次は年越しそばなどと言われたりもしていた
>>725 普通の情報のやりとりだけなら言うまでもなくネットが主体だけど、有印私文書や公文書の場合は普通にFAX使うぞ
もちろん参考にしかならないけど、改変が可能な電子情報よりは書類としての重みが違う
昔のFAXは感熱紙を使ってたから時間が経つと印刷が消えたけど、
今はもう普通紙を使うから保存効くしな。
中身が本物である証明はできないけど、送った事実もNTTに記録が残る。
733 :
724:2011/12/17(土) 16:17:18.63 ID:xEMNjOrq
すまん、ファクシミリの前または後に「家庭に」が抜けていた
俺が子供のころ「21世紀はこうなっている」みたいなやつで
壁にファクシミリが備えつけられていて、新聞はここから出てくる、みたいなのを見ててさ
そしたら、形はちょっと違うけど20世紀のうちに家庭に普及したわけじゃない?
ところが21世紀になってみたら家庭用FAXなんて無用の長物と化していて
仕事では俺も使うけど、家のはまったく使わなくなったなあと思ったんだ
ディズニーランドのスターツアーズの出口のとこにあった「未来の家」覚えてる人いる?
あれってほんの15年足らずくらいで全部実現しちゃったんだよね。
>>733 「家庭用」の限定ならFAXに限らず、プリンターだってほとんど使用しないと言っても過言ではないな
パパは会社勤め、ママはパート、子供は中学生と小学生という平均的な家族がいるとして、
業務以外でFAX使うことってほとんど無いと思うし、プリンターは私用の年賀状ぐらいか
いくらPCが一般家庭にも普及したとはいえ、子供達の主役は今でも手書きのノートなんだから
プリンターは、出かける前に目的地の地図を印刷するのに使うな。
あと夜行バスをよく利用するのだが、メールで来た搭乗券をプリントアウトして持って行くようになってる。
俺は面倒だから持って行かないで口頭ですますけど。
>>733 ファックスもそうだったが、特にテレビには「大型化・壁掛け(または壁埋め込み)」の未来イメージがあった。
実際には住宅建築の構造の方がさほど未来化しなかったので、平成フタ桁に入り、液晶採用でテレビが大型・薄型化しても
壁面の強度不足で壁掛けにはならなかった。
住宅建築と路面舗装工事で、
いまだに大工と土建屋が基本的に昭和後期から大して進歩のない昔ながらの工法を使っているのは、
コストダウンの妨げになってると思う。
>>737 それでも、大工が金槌で釘を打っているのを見なくなったな。
昭和の頃に比べ、衣と食は相対的に安くなった気はするけど
住は安くなっていない。
私は特に「衣」を感じるなあ。
大学の頃、冬にバイト先まで7,8キロある道をアクリルのカーディガンに
毛が生えたような上着で原付で行ってたけど、我ながらよくやってたなあと思う。
あんまり辛いので無理してデサントのダウンジャケットを買ったが
2万位したような気がする。
今はロングのぬくぬくコートが数千円も出せば手に入るのいいなあ〜
だが、衣料品外にも家電とかで“消費者が選んだ”安さと引き換えに生産現場は中国に行ってしまい、
雇用の場、特に正規雇用の機会が失われてしまった。
洋裁の内職をしていたうちのオカンに言わせると昭和頃は衣料品が高かったと。
なのでよっぽどのお金持ちかポリシーがない限り子供はお下がりがメイン。
あとは親が手作り。だからミシンは嫁入り道具だった。
今は手作りする方がポリシーがあるよなあ。
>>740 まあ、確かにそうなんだけど衣料品っていうのは労働力の安い国での生産が
しやすいという特徴がありまして。だから今は中国はもうダメでもっと安い
賃金のところにシフトしていってる。
30年前に妹が「家庭科の授業」で仕立ててくれた
ヒッコリーストライプのシャツが現役だw
国産衣料品の耐久性は異常。
ckのJ国産シャツなんか20年保ってるけど
試しに某量販店のセミオーダで作ったシャツは半年でオシャカ(C製
意外だったのはギャルソン・シャツがやたら丈夫な件(仏製もやるね
>>738 >昭和の頃に比べ、衣と食は相対的に安くなった
特に衣服や眼鏡は安くなったな。
スーツや眼鏡は、平成の始めなら両方とも5万位した。
今はスーツなら1万円台、眼鏡なら8000円台で手に入るようになった。
744 :
妻夫木似 ◆K5WjQ6ib2U :2011/12/18(日) 08:43:20.47 ID:wwmlF9S/
>>743 「安物志向」が流行りだからねw
「ブランド物を持っていること自体が恥ずかしいw」
「しまむらを着ていても注目される、素材の良いあてくし」アピールw
で、スマートフォンを持っていること自体は絶対のステータスというねw
これも「時代の流れ」だそうですw
745 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/18(日) 09:20:31.97 ID:EmflBdDw
>>741 うちのオカンのミシンに対するこだわりは相当なもんだったな。
引越しの時に邪魔だからって昔の黒い足踏みミシンを手放したんだけど
後で結局また新しいの買ってた。
うちの娘が家庭科の授業でミシン習い始めたら、孫にミシンを買うといって
聞かない。いくらいらないと言っても嫁入りする時にいるもんだからって。
>>737 壁掛けテレビって模様替えが制限されるって面からも人気出そうにないんだよな
70年代の漫画で初めて「壁掛けテレビ」なる未来の便利道具の絵を見たが、
あれって要するにブラウン管だけが薄くなったものという認識だったな
で、その壁にかかった大型モニタに見入る一家団らんの構図が未来の世界にあると
も一つ言うと、未来の「テレビ電話」はテレビが母体でおまけに電話がついていた絵をあちこちで見たが、
まさか電話の方が母体になるとは全く予想できなかったなw
明治人が予想した、西暦2000年の世界では、壁掛け電話の送話口に、相手の顔が映ってた。
どっかで書いたかも知れんが、この未来予想、通信・輸送分野ではほぼ100パーセント当たってる。
それどころか2000年時点で追い抜いてる予想さえあった。
>>748が見たものが、明治人の予想の全てなんだから仕方無いな。
電線で荷物を送れるとか
ポストとトイレが兼用だとか
夢見たものじゃ
>>749 自然農業分野では外れてる物が多いし、外れて良かったものもあるよ。
未来の予想っていうと、キャッシュレス社会が来るってのは前からずっと言われてて
たとえば遠い未来を舞台にした漫画で現金ってものが出てくるのを
「そんな未来に現金なんて使ってるわけないだろw」と思ったりしたんだけど
現金しか信用しない、という感覚が消えないかぎり現金も生き残っていくのかなと今は思う
なんかこう、未来的なデザイン(ロケットとか描いてある)の紙幣とか漫画で出てくるでしょ
あんなデザインになるかどうかはともかくとして、使われ続けていくんだろうなと
>>753 ドラえもん「ボーナス1024倍」にそんなお札が登場していた気がする
テレビ電話という物があこがれの物だったこと。
今では実用化されて持ち運ぶことができるのに、使っている人を見たことがない。
>737他
壁掛けテレビを使いそうな人はプロジェクターを使っていそうだ
>>745 今ではもう営業してるかどうか知らないけど、
足踏みミシンを、今風の電動ミシンに改造してくれる業者がいた。
俺の子供の頃に、うちの古いミシンがそれで見違えるようになった。
757 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/18(日) 22:23:00.50 ID:EmflBdDw
>>737 海外だと壁掛けテレビになってるところが結構あるよ。
ホテルとか短期滞在のアパートとか。
建築の安全基準が違うからね。
758 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/18(日) 22:25:17.98 ID:EmflBdDw
ウルトラセブンの腕時計型の通信装置が憧れだったな。
実際に腕時計テレビは試作されたらしいけど、実用的じゃないから
はやらなかったみたいだ。
懐かしいなあ電卓付き腕時計
ウルトラマンで使ってた電話は馬鹿でかいところが古くさいけど、
ちゃんとコードレスになってた
>>756 一時期流行ったらしいけど、しょせん無理があるものだったようで結局は長持ちしないものが多いらしい。
762 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/18(日) 23:37:54.48 ID:PNEEg+X3
住は参入規制、談合、甘下りで安くなっていないのだろ。
>>756 それやったら、結局物すげえ使い勝手が悪くなったので、やらなきゃよかったって
ママンが愚痴ってたよ。
>>759 この間、リサイクルショップで安価で売られてるのを見て(新品)懐かしく思ったw
住宅建築は安くなってるぞ?
坪単価が昭和の頃に比べて5-10%ぐらい安くなってる。
25年前の価格より安くなってるんだから、
実質的には凄いディスカウントだ。
結局、日本では、まともな住宅を作ろうとしたら、
土台(基礎)に手間がかかるんだよ。
基礎を手抜きすると柱がすぐに腐るからな。
あと、壁に液晶大型テレビをかけたいんなら、
在来工法(軸組)じゃなくて、壁工法(2x4など)にしとけ。
ところで、金正日が死んだぞ。
昔はキンショウニチとかキンニッセイって言ってたっけなあ。
ほんとかよ、と思ったらマジじゃん!
あのオバサンアナウンサーが姿消してたのはこれの予告みたいなものだったわけかな
車も高くなる一方だね。
オートマ、パワステ、エアコン、エアバッグなんかが標準になっていることもあるけど、
軽トラでもなければ、いらない、という選択の余地がない。
昭和の終わりごろで、マーチ、スターレットの売れ筋は100万以下、
軽も100万超なんて考えられなかったのに、いまや100万以下で買える軽乗用車も数えるほどになった。
時代に対応するために新しい技術がどんどん盛り込まれるから、それに応じて値段がはねあがっていく。
>>767 昔のブリキ細工のような安全性ゼロの車で良ければ、
今ならもっと安くできると思うよw
まあ、軽自動車はずいぶんよくなったよね
昔の「屋根がついてて動くんだから文句言うな」みたいなのとは雲泥の差だ
スレタイに合わせて言えば「自動車に2ストエンジンが積まれていた」なんて今の子は信じられないだろう
今のは中が広いからゆったり乗れるし、高速を走ってもまずまずだいじょうぶ
(さすがにタントとかは高速走行は怖いか?)
その上でジムニーやコペンみたいなのもあるし、楽しいことは楽しい
コペンとか、もうないけどカプチーノとかいいよね〜
昔は70キロでもかなりのスピードに感じられたけど、今の車だと全然平気だもんな。
そういや昭和の頃は日本人が海外のプロスポーツで活躍するなんて
あり得ない話だった。トヨタカップだって、南米チャンピオンと
欧州チャンピオンの世界一決定戦を(南米でやっても欧州でやっても
フーリガンが大暴れして死人が出るので)中立国の日本でやろうという
話だったし。
サッカー嫌いなので全然知らなかったけど、いつの間にか日本が世界クラブ
チーム選手権で3位にまでなっていたとは。
野球もメジャーからの助っ人が強すぎた。ホーマーとか。まさかこんなにたくさん
日本人が世界で活躍するようになるとは。
開催国枠で出て3位といってもなあ…
あきらかに欧州>>南米>>(越えられない壁)>>その他、でしょう
アジア王者として出て日本以外のところでやって、とにかく他の地域には勝ったということならいいけど
昭和では各メーカーに個性的なキャッチフレーズがあった
カメラだと
報道のニコン、スポーツのキヤノン、風景のペンタックス、ポートレイトのミノルタ、マクロのオリンパス…
デジタル時代の今じゃ「何でも出来ます、何でも得意です、イメージをかためないでください」だもんねえ
>>773 ああ、そういう枠だったのね。知らなかった。
>>774 まぁ芸能界でもマルチタレントにならないと生き残れないのと言うのと同じでしょうね。
一般企業でも、あれが得意な人材より、あれもこれも出来る人材の方が求まれるんじゃないかと思うし。
>>774 50年代中盤〜だと、ニコンかキャノンの2択だったけどな。
コンパクトじゃなくわざわざ一眼に手を出すわけだから
プロと同じか1歩でも2歩でも同じことがしたい、形から入りたかったんだ。
たとえ戦場へ行かなくても。
写真部でとにかく安い一眼が欲しいってヤツは、リコーやチノンだったかな。
CMで踊らされるやつがミノルタX7と。
ミノルタα7000って伏兵もあったけど、キャノンやニコンがAF機に本気出すとまた埋没してったな。
昭和50年前後、写真部でニコマート(一番安易かも)だった。
先輩たちの多くはニコンFだった。
初代某レトルトカレーのクソ不味かったこと。
随分進歩したなぁと思うよ。今は何杯でもおかわりしたくなる。
>777
T90オーナーだが後悔はしていないぞ!
直後にEOS発売だったが、後悔は…
マウントがマイナーに転落したが後ka……
現役だし
>>778 調べたら、ニコマートという名のカメラがあるのを知った。
なぜここでコンビニの話が出るのかと思ったよw
>>781 「安心できるニコマート♪」ってキャッチフレーズが
今も思い出されるw
そういや昔はコンビニが24時間営業じゃなくても
別に不思議に思わなかったし、スーパーとかデパートも
今みたいに夜9時10時まで開いてることなんてなかったよね。
旧大店法で規制があったんだっけ?
デパートなんかは午後6時頃に閉店してたもんなあ。
>>782 >デパートなんかは午後6時頃に閉店してたもんなあ。
そうそう。だから家族でお出かけのとき、遊園地や映画の帰りに
デパートで玩具買ってもらったりとかだと、6時ギリギリに入店して
焦って選んだりしたこともあった。スーパーも7時閉店。
その代わりに個人商店はたいてい9時か10時までやってた。俺は
商店街で生まれ育ったから、10時頃まで通りが明るかったの覚えてる。
大人になって、東京のほうで夜中の2時頃までスーパーで刺身を売ってるのを
見たとき、驚いたと共に「こんな時間に誰が買うんだろう?」と不思議だった。
今じゃ個人商店の方が7時に閉まっちゃうね。
昭和の頃に加護ちゃんくらいのヤラカシすれば芸能界追放だっただろうな
>>784 むしろ写真週刊誌ができるまではやりたい放題だったみたいよ。
牧信二が全盛期にノイローゼになって、仕事全部すっぽかして
三日間も山中を彷徨ったことがあったらしいけど、とりあえず
芸人仲間が空いた穴を埋めてくれて、戻って来て元気になったら
普通に仕事続けてたと言ってたが全然知らなかった。
昭和30年代のロカビリースターとか、石原裕次郎クラスの映画
スターは移動の列車内でライフル撃って遊んだりしてたらしい。
山中を彷徨いながら、「あーあ,やんなっちゃった」と言ってたら本物だ
>>787 昔は芸能人やスポーツ選手による拳銃の不法所持事件ってのがちょくちょくあったから
ライフル撃って遊んでたってのもウソとは言い切れないものがあるような気がするよ
当時の証言など見ても銃器を隠し持つことが、そんなに悪いことではないと思う空気があったみたい
>>785-788 たけしが昔DJやってた頃のANNで言ってたよ。
(マッチのマネージャーに対する態度が悪い、っていう話を前フリにして)
「昔のロカビリーの連中に比べりゃマッチなんてかわいいもんだよ。
ロカビリーの連中で、マネージャーが「あの・・・朝ですけど・・・」って起しにきたら、
「何ぃ!」ってピストル撃っちゃった奴いるんだから」って言ってたな(´・ω・`)
>>782 コンビニなんて言葉はなくて、「深夜スーパー」「24時間スーパー」と呼ばれていたと思う。
>>789 「うるせぇ!」って日本刀振り回した奴もいたって言ってたな。
マネージャーは分かってるからタイミング見て避けるけど、避け損なえば
確実に死んでたとか。
赤塚不二夫は、みんなで飲んだときに単なる「ノリ」で一緒に飲んでた
担当編集を殺そうとしたことがあると言ってた。そいつが嫌いとかじゃなくて
単に面白いから、という理由で。失敗したけど。
天才バカボンの大ヒットで講談社の社長が直々に一席設けたときは、担当編集に
命じて社長の頭を靴で殴らせたそうだ。理由は単に面白いから。
「バクマン」とか読んでると異次元の話に思える。
芸能界であからさまに「お泊り」「デキ婚」やったのって誰が元祖だっけ?
昭和じゃないけど、宮沢りえ×貴乃花が印象的だな。
これからやります!ばりにファンやカメラマンに手振ってたんじゃなかったっけ?
>>792 薬丸と石川秀美が結婚した時に前代未聞アイドル同志の出来婚と言われていた
>>793 石川秀美は結婚会見まで妊娠を隠してたから、その前に出てたドラマを見て
何でこんなに太ったんだ?と不思議だった。
里見浩太朗も拳銃密輸したんだっけ?
ゆれて湘南
それまでタブーだった「アイドルが交際宣言」を明言したのは多分、89年の浅香唯が最初。
写真誌に男との交際報道→所属事務所は否定させる記者会見
事務所部長「もう、大人なんだから、何を言うべきかわかっているよな?」
浅香「はい、分かっています。」
(本人は大人はウソついちゃいけない、と勘違いして)
浅香「雑誌に書かれた通り、お付き合いしています。」
慌てた事務所は会見はさっさ打ち切り。
>>790 田舎では、「ナイトショップ」って言われてたな、
今のコンビニに当たるモノが。ふくろうのマークが
付いてたりした。
番組宣伝のための恋愛宣言なら「ありがとう」をやっていた時の
石坂浩二&水前寺清子というのがある。
石坂浩二もおしどり夫婦で売っていたけど、いろいろあった
番組を降板する羽目になった大怪我(料理中に包丁を足に落とした)
というのも、ほんとは愛人宅での出来事だった
>>798 「いしづち」かな?
よく弁当とか買ったよ
ケンちゃんと三原じゅん子て何の意図があったんだろ?
>>799 >ほんとは愛人宅での出来事だった
一番過激だった頃のビートたけしも、
「石原裕次郎が倒れたのも愛人宅なのに、マスコミは決して書こうとしない」と
マスコミ批判に事寄せて思い切り暴露してたな。
804 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/22(木) 11:21:30.43 ID:PFuE6LY9
>>797 ふつーに、山口百恵が最初じゃないか?恋人宣言。
1979年。
友和百恵も番宣カップルという強い噂はあったけど、結局本当だったんでちょっと驚いたわ
そういやラブラブショーってのあって、たまになんでこの二人?って
思うカップルが出てた。あれ番宣だったのか。
807 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/22(木) 14:10:05.51 ID:tcDm+yOx
>>774 報道のニコン、スポーツのキヤノン、
風景のペンタックス、ポートレイトのミノルタ、
マクロのオリンパス…
違うだろw
報道のニコンはいいとしてキヤノンは広告(コンタックスもな)だろ
さらにポートレートといえばペンタックスだろw
篠山紀信、秋山庄太郎という当時の二大巨頭の影響でなw
篠山はミノルタのCMイメージ強いが
マジ撮りでのメイン機材はペンタだったから
スポーツだってほとんどニコンだったぞ
>>774 ニコンのレンズは解像度が高いから、群衆の顔までわかる
キヤノンのレンズはダイナミックな描写力が持ち味
ペンタックスのレンズは広角に強く山岳写真に向いている
ミノルタのレンズは優しい色合いで人の肌を自然に描写する
オリンパスはマクロレンズの歪みがなく、細部までくっきりと描写する
…だっけか?
今から考えれば、なんとかして特徴を出そうとしてたんだろうね
今突然思い出したんだけどなんか「天中殺」っていう占い(?)流行らなかった?
流行語にもなったような…。
あれどういうものだったんだろう。
昔からある普通の占い方法だよ。なぜか時の話題にされただけ。
ごく普通に長年あっただけだから、多分今でもあるはず。
田宮二郎は自宅にライフルか何かあったんだろう。
銃の免許持ってたんだな。
高木ブーも持ってるから気をつけないとな。
>>809 算命術のおっさんだよね、後で暦に誤差があるから当たらないとし
逆に算命術や天中殺の根拠がないと批判する方に廻った。
オリンパスOM-2とかミノルタXDとか、特徴のある名機も多かったね。
キヤノンとニコンがシャッター優先と絞り優先のどちらが優れてるかで論争してたり。
そこで登場したミノルタXDの両優先。単純なインターフェイスがすばらしかった。
今のプログラムAEのご先祖様だね。
http://ivva.info/blog/archives/2007/0213000217.php 35mmフィルム型デジカメ(たのみこむ)
35mmフィルム(パトローネ)の形をしていて、銀塩カメラに入れることでクラシックカメラでもデジタル写真が撮れるデジカメ。
これ自体にはシャッター、レンズはついておらず、あくまでも「フィルムの代わり」にレンズからの光に反応して画像を記録する。
撮影後は取り出してUSBでPCに転送。たしか昔、一眼レフのバックプレートを交換する事でデジカメになる部品があった気がするが、
フィルムと同形状にする事で汎用性を持たせたい。
ただ一般の写真と異なるのは受光部にあるのが受光素子ではなく再使用可能な蛍光塗料を塗ったシートであることです
撮影後にこれをレーザー光使用のスキャナーで画像を読み込み光ディスクに保存またはレーザープリンター(医療用の特殊なもの)でフィルム出力します。
(最近では受光素子を使ったものも出てきました)
これと同じ仕組みでフイルムの代わりに蛍光ロールシートと専用スキャナを使うことがもし出来れば、
旧来の銀塩システムにフイルム時代の長所を失うことなくデジタル写真の恩恵を受けることが出来ます。
つまりEOS-1Vを使えば11コマ/秒で1300万画素の写真が36コマとれることになります。
もしくは、昔アメリカの会社が企画した、フィルム型のレンズなしデジカメをどこかで作って欲しい。
あれの欠点は、CCD部がフィルムほど薄くできないことだが、背面液晶を省略すれば、圧版の撤去で何とかなると思う。
ライカM型とか、ニコンのFシリーズとか、大量に出荷されていて、裏蓋が交換できる機種だと、ある程度個別に対応できるのではないかと思う。
まあ、マニア向けなので、カラー液晶なし(撮影可能枚数と電池残量表示のみ小さい液晶で表示)、
APS -CサイズCCD、元のカメラにライカビットくらいの底部付き、というくらいだったら15万円くらいでいかんかしら。
-------
ジオラマ大好きなスネ吉兄さんの講釈思い出したわw
カメラの話題延々続けてる奴等がいるけど
どっか他所でやれよ ルールやマナーを守れないなら死ねよ
野球の話を延々続けてた人たちもそうだけどヲタが空気読めないのは昭和も平成も変わらないねw
これは今も昔も変わらんなw
俺の知らない話題をするなという自己中心的な奴
それが嫌なら自分がその話題を勉強するか、他の人が興味ありそうな別の話題を振ればいいだけなのにね
なぜわざわざ嫌われ者キャラであり続けるのか、理解できんわ
>>809 天中殺は八甲田山の映画の宣伝で使われてたっような気が…。
カメラヲタさんたちは話がみんな長い上に、ヲタとしての本領発揮しちゃうから
空気読めない扱いされちゃうのかな。話題のすり替え方は上手いと思うけどね
天中殺ブームの火付け役だった人は
その後なぜか反占い派に転向
占い師を本人の目の前でメッタメタにこきおろしたりしていたな
単にブームに陰りが出始めた頃の話題作りだったのかもしれないが
>>820 天中殺はその後太木数の子さんによって大殺界と名前を変えられましたよ。
アレって算命占星術だったのか、知らなかった。
占いはかたちを変えつつもしぶとく続くね
新聞屋が毎年暮れに高島易断の暦を配るんだが、
この暮れに配られた暦の冊子裏表紙には、QRコードで易のサイトにアクセスする方法が入っていたw
迷信はなかなか廃れないものだと思った
>>821 ああいう占いは旧暦を使うもんだけど
太木さんのはカレンダーの暦なんだよね
より一層雑になってるw
いわしの頭も信心
天文学者と占星術者は兼業していたらしいよ。
ケプラーなんかもそうだ。
占星術は文明の起源のころからあったのだから歴史は古い。
>>821 太木さんってヘアヌード写真集出してなかったけ。
本当に占い師が本業なの?
>>826 昔は化学者が錬金術やってたしね。
って、いつの時代だよ。昭和どころじゃないだろ
>>827 本業は女ヤクザだろう
僕が言ってるのは太木さんであって細木さんじゃないですよ?
この前久々にレベッカのラブイズCashって曲を聴いたら、
真夜中のラブコールはコイン1枚、タイムリミットの3分間〜
という歌詞があって、そういや昔の公衆電話は
10円で3分間通話できたんだよな、と思い出した。
104の番号案内も無料だったし。
公衆電話が1分10円になって、番号案内が有料になったのって
いつ頃からだっけ。
>>830 あと公衆電話にも電話番号が書いてあって、外から長電話するときは
相手にその番号に掛けてもらったりしてたな。もちろん待ってる人が
いないとき。
なにしろ電話って家に1台しかなくて、それが今のど真ん中にあったり
したから、恋人同士が会話するのは難しかった。
昭和40年代は電話を玄関に置いてる家がけっこうあったような気がする
ソースは俺んちと友だちんち
種ともこの「10円でゴメンネ」なんてのもモロにそういう内容だなぁ、
「3分間を戦わなくちゃ」「ピンチのウルトラマンみたいさ」「迫り来るよタイムリミット」とか。
バービーボーイズの「負けるもんか」にもあったね、そういう描写
近くまで来てるのよ 泊めてくれる?
いきなりで悪いけど帰れないの
ねぇ いいでしょ コインがないわ
詳しく話すから着替えでも探してて
ダイヤル回して♪手を止めた〜♪ってのもあったな。
でもあの時代ってすでにプッシュホンが主流だったと思うんだが。
>>836 なんだっけ…思い出せないな
チェッカーズだったか?
NTTはとりあえず電話加入権をちゃんと返金しろよ。
>>837 金妻の主題歌。名前なんつったかな。もしも願いが〜♪かなうなら〜♪ってやつ。
肥満した女が歌ってたような。
>>839 恋におちて だな
その替歌でこんなのがあったな
♪もしもしかめよ かめさんよ
世界のうちで おまえほど
あゆみののろい ものはない
どうして そんなに のろいのか
む〜かし むかし うらしまは〜
助けたカメに つれられぇてぇえ〜
竜宮城へ 行ってみれば〜
絵にも描けない 美しさ〜
まさかり かついだ 金太郎〜
クマにまたがり お馬の稽古
>833 あまり知られていないけど、NTT以外が通信に参入できるようにしたのは、
小沢一郎の功績なんだよな。日米構造協議に関連して、小沢が豪腕で
NTTの独占をヤメさせた
>>838 電話加入権ってめちゃくちゃ高かったよね。
自分が大学生になって一人暮らしを始めた頃で
確か7、8万円くらいした。学生には痛い出費だった。
高額だから、いわゆる売買・交換掲示板みたいな場で
加入権売ります・譲って下さいってのを良く目にしたし、
レンタル電話なんて商売もあって、
良くコインランドリーの壁なんかに広告看板が貼られてた。
そういえば、当時の後輩が仕送り日前に大ピンチになり、
電話を質に入れて乗り切ったって話をしてたことがあった。
当時は漠然と「電話を質に…?」と不思議に思ってたけど、
その「電話」ってのは電話加入権のことだったのかな。
>>842 今じゃ初期工事費も翌月の電話料金と合算請求だし、申し込めば
初期費用ゼロで加入できるもんなぁ。
電話回線網をベースに普及が始まったインターネット
今度はそのインターネット網をベースに無料(に近い)電話が普及しようとしてるんだからなあ
ドリカムの「あなたにサラダ」を久々に聞いたら
「夕方も♪6時を回り♪閉店まであと30分足らず♪」って
歌ってたわ。大店法改正前の歌だったんだな。
>>840 うまいことはまるもんだなw
それはそうと浦島太郎の歌詞、竜宮城は「来てみれば」だよ
847 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/26(月) 10:53:35.28 ID:qeaqYw2+
>>839 肥満した女は「あなた」を歌った小坂明子だなw
なお「恋におちて」を歌ったのは小林明子
実際当時からまぎらわしかった
おもひで酒?
>>847 ジャケット写真を見るかぎり小林明子もぽっちゃり系ではある
小坂明子だって「あなた」で世に出た当時は肥満というほどではなかったし
>>849 「あなた」のときは巨漢だったよ。痩せたらヒットしなくなった。
そのかわりダイエットの広告に出ることができた。
一発屋としては幸運な方だろう。
>>849 「あなた」デビュー当時、明星の歌本に載ってたプロフには
確か「155cm 50kg」と記載されていたように記憶してる
友人達と「50kgは少ないだろ。そんな体重じゃないだろ。実際は60kgとか65kgくらいあるだろ」と
ツッコミ会話をしたのも覚えてる
営業身長体重なんて知らなかった頃とはいえ、当時の小坂明子は少なくとも軽肥満ではあったと思う
>>852 90kgは行ってたと思う。何でこんなに太った人が歌ってるんだろう?と不思議だった。
なんか太ってる=歌が上手いって印象あるなあ
あの当時は特に上手いとは思わなかったが、
ソロでは使い物にならないレベルの歌唱力のなさを踊りで誤魔化し、
字幕無しでは何を言ってるかも分からんような最近の奴等と比べたら、
やはり神だと思う。
小坂明子とミッキー吉野って似てないか?
857 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/26(月) 15:05:08.63 ID:N39dLSq2
小林明子ってデブなんだと思ってたが
今思うとそんなに太ってないよな
>>858 実際相撲取りは歌うまい人多いよ。
最近はレコード(これも昭和だなあ)出す人はいないけど。
増位山ナツカシス
861 :
忍法帖【Lv=6,xxxP】 :2011/12/26(月) 16:35:28.81 ID:h1oNuhZL
そういえば正月とかには、力士や野球選手の歌やゴルフの特番があったよな。
サッカー選手のそれは聴いたことないよな。
落合監督もうまいよw
>>861 懐かしい、お相撲さんは何でみんな歌上手いんだろうって
ずっと不思議だったわ。
>>863 相撲甚句を歌わないといけないから、歌が必修らしい。
>>859 琴風とかね〜
>>861 正月の番組と言えば薬にも毒にもならないようなのばかりだったよね。
笑点のスペシャルでタレント大喜利とか。
お正月ネタの続きだけど、昔はお正月と言えば5日くらいまでは
普通にみんな休んで大人は酒飲んでたよね。松の内までお休みなんての
ざらだった。元旦は家族だけで過ごして、2日以降、親戚が来たり
親戚の家に行ったり。
うちは父母両方とも地方出身で、最初に上京してきて後から出てきた
弟妹達の世話をしたし、どちらも祖父母が早くに他界してたから、
親戚は里帰りの感覚でうちに集まってた。朝から親戚がたくさん集まって
お酒飲んで、すごく賑やかだったな〜。
正月くらいしか会わないいとこ達と遊ぶんだけど、最初は何かギクシャクして、
そのうちに打ち解けて、仲良しになったころにお開き。一抹の寂しさがあったっけな。
868 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/26(月) 18:33:27.96 ID:jf4E8lvS
官公庁やサラリーマンの家はそうなんだろうけど、
オレのほうは、農村部(いや市なんだが)で農家や自営業主体のところだと言うこともあって
2日からほとんどの店が開いていた。初売りでタオルとかのオ年始がもらえた。
その頃の商店街は毎週○曜が定休ではなく、4のつく日とか10日に1回。
連休なんてお盆くらい。従業員に法令どおり週一の休み与えてたんだろうか?
会社でも土曜はきっちり5時まで営業していた。(40年代)
===============
ウチは人が休みの時に忙しいサービス業従事だったが、本家は会社経営。
いつもタイヘンな思いをして都合をやりくりして出席しているのに、
呼びつけてはドンチャン騒ぎをし、出ないとイヤミを言う家になんか嫌悪感があって、
小3くらいから、お年玉がもらえなくなってもそこの家にいくのをボイコットしていた。
家の子も知的で、かるたをやろう、というから、率先して絵札を並べたら、
オレには未知の百人一首。読み札を並べてしまったという赤っ恥をかいた、ということもあるが。
>>868 うちは商店街だったよ。5日までおもちゃ屋以外の全部の店が閉まってた。
駅のデパートも6日くらいまで休みだからお年玉を遣う場所が無かった。
>>868 土曜はお昼まで、ってイメージだなあ(´・ω・`)
だって「半ドン」って言葉が生まれたのって明治時代とかじゃなかったっけ?
>>856 当時の小坂明子の顔は林家三平(当時の)に似ていたと思う。
>>870 自分の中では、学校は半ドンで午前中で終わり、
会社は企業によりそれぞれで、半ドンのところと
きっちりフルタイムのところがあるイメージ。
我が家は両親が共働きだったけど、両親ともフルタイムで
土曜日は家で親の帰りを待つ時間が長かった。
とは言っても、友達と遊んだり近所で面倒見てもらったり
キンカンの民謡番組や独占女の60分を見たりしてるうちに
あっという間に時間は過ぎるんだけどね。
なんで半「ドン」なんだろうね。
半ドン懐かしいと思う反面
両親で食堂やってたから、土日は何か殺気立ってて嫌だったんだよね
忙しいときメシ作ってもらえなかったし
軍隊が置かれたところを中心に、正午に「午砲」と言って、
大砲を撃っていた(鳴らしてた」のが語源だったかな。
大砲を「ドン」と呼び習わして、半日で仕事が終わる、だから半ドンとか。
大体が幕藩時代の城址に置かれてたから、それぞれのお城見ると台座とかあるかも。
大阪城にも天守のすぐ横になんかあったような。
877 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/26(月) 22:15:35.98 ID:vA6ufZvf
学校が半日で終わり、「欽ドン」をやるから土曜を「半ドン」というのか、と思って質問もしなかった。昭和50年ごろ。
でも、祝日を「旗日」というようなどちらかというと「年寄り語」だった気がする。
当時30代だった両親はそんな言葉使っていなかったし、父より年上の叔父とかおじいさんだったかな、
使っていたのは。
子どもの頃は聞いたことがなかったけど、会社に入ってから旗日という言葉を使うようになった。
業務上の必要から。
ところで、半分ドンタクだから半ドンが正しいね。
>>878 ドンタクなんて言葉も意味も初めて知ったわ。
オランダ語なんだ。
小阪明子さんの『あなた』は最初ラジオで聞いてすごく感動した。
きれいな歌声と少女っぽい歌詞の内容から勝手に原田知世さんみたいな
か弱そうな女性をイメージしてた。初めてテレビで見た日にゃ…。
882 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/27(火) 07:11:02.02 ID:31zzQVgS
ゾンタークは日曜日じゃね?
叔父は親の弟
伯父が親の兄
>>863 ・864も言っているように新弟子が入る教習所で相撲甚句を習う(節回しが上手くなる)
・場所の打ち上げなどで歌わされる機会が多い(歌に限らないが力士ってけっこう芸達者)
・巨体が共鳴箱になって美声になる(オペラ歌手にも相撲体型が多い)
>>882 それがどんたくの語源だと聞いたことがある
>>884 決して下手ではないんだけど、なんとなくつまらないんだよね>相撲鳥の歌
誰の聴いても同じ感じ。
デブな鳥がさえずってるイメージが湧いた
小坂明子はもともと作曲家志望で
自分が前に出て歌うつもりはなかったらしいので
そっとしておいてあげてください
「レコード大賞」が大晦日に放送されていたこと。
放送終了後、歌手は大急ぎでNHKに移動して「紅白」に出ていたこと。
>>891 え?今は違うの?
ここ10年以上見てないから知らんかった。
昔は新人賞、歌唱賞、レコード大賞の3部門しかなかったから
権威あったよね。
893 :
891 :2011/12/30(金) 18:24:29.43 ID:cADGYFnA
>>892 いつ頃からか、レコード大賞は30日(つまり今日)に放送されるようになった。
むしろ、「レコード大賞」が国民的な関心事だったことを先に言わないと、
今どきの人達にはわからないだろう
造られる流行に踊らされなくなってきたってことだね。
しかし今年の紅白はつくづく見る気がしない。
ヒット曲どころか、新曲も出していない歌手が相変わらず出ているし、
聞いたこともないグループの支援歌とか。
前身番組から数えれば80年以上の歴史がある「ゆく年くる年」は昔から変わらんな。
紅白で蛍の光が歌われるのを見計らって茶の間に下りるんだ。
僧侶がぐーっ、ぐーっ、ぐーっと撞木をスイングさせて、ナレーターの声が入り、
一拍おいて
「ゴーン」
あけましておめでとうございます。
あの雰囲気を毎年変えずにやっているのは好きだ。
三波春夫とか田端義夫なんか興味ないのに、ナイターと同じく拒否権がなかった。>紅白
紅白なんざとっくの昔にオワコンだろ
昭和最後の紅白だったと思うが、当時売れてたTMネットワーク(TMNの前身)が紅白初出場おめでとう!
となったんだけど、時はBOOWY解散直後の押しも押されぬバンドブーム
既存の「歌謡曲」っぽさが残っていた紅白とは既に別の路線を歩みはじめていた
TMネットワークも「大晦日の予定を勝手に決めんな、当然辞退する」と突っぱねたんだけど、
NHKの担当者が相当しつこく食い下がってきた
そこでTMネットワークは(NHK側に断らせるように、法外なギャラふっかけてやろうぜww)と考え、
文字通りとんでもない額を提示したんだが、なんとNHKは一発OK
こうなったらTMネットワークは断れるはずもなく、渋々紅白に付き合わされることに
ギャラは非公開だが、一説には数億〜数十億と噂される
>>896 > あの雰囲気を毎年変えずにやっているのは好きだ。
いやぁ、昨年は結構雰囲気変わってて少し残念だったぞ…。
>>899 NHK以外はどの局でも同じ番組なのが新鮮で、あちこちのチャンネルを
回しては親に叱られてた。
>>893 そうだったのか。なんか賞も増えたみたいで有り難みが薄いよね。
>>894 レコード大賞取れば歌手として一生安泰(その一曲で食っていける)
だったからねー。
そうでもないんだけどな・・・・・
かなり落ちぶれちゃった人もいるよ。
31日はレコ大(7〜9時)→紅白(9〜11時)とハシゴするのが
当時は人気歌手の証だった
そういや紅白って昔は夜9時開始だったのに、いつから7時台とか8時開始になったんだ?
そーいや、子供の頃は正月になると獅子舞が家に来るので
めっちゃ怖かったんだが、すっかり見かけなくなったね。
>>907 恐い思いして頭噛まれて親が笑いながら金払って
理不尽だったよな
年末を感じさせたものといえば、手帳、暦(高島易断とか)と並んで
「現代用語の基礎知識」
永らく独占だった「現代用語の基礎知識」に
「イミダス」や「知恵蔵」なんてのが新規参入した頃、負けじと話題づくりに
流行語大賞を始めた感があるが、いまやライバルもいなくなったせいか、
ことなかれ、存在目的アピールとしてのデキレースにしか見えない。
去年の大賞が「ゲゲゲの」って何だよ。
ゲゲゲの亭主とか、ゲゲゲの○長(司)、とか誰が使ってたよ。
>>894 他にも、日本歌謡大賞とか日本有線大賞とか、歌の賞レース番組がいろいろあったね。
今、いくつ残ってるんだどう。
>>910 浅間山荘事件はずっと同じ映像が続いてたので
いったい何がなんだかわからなかった。
>>907 うちの近所の商店街にはまだ来てるよ@23区内
915 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/31(土) 15:48:28.51 ID:TZm1kpZW
>>900 TMネットワーク(笑)が〜?ギャラは非公開だが、一説には数億〜数十億と噂される 〜?
ありえんわ そんなもんあんたがあいつらの信者かほんの一部の業界人のヨタ話
日本語でおk
ソースなしの与太話に「自分がありえんと思うから」噛み付いちゃう人って…
まあ、数億〜数十億ってすごく幅が広くて、それは想像で言ってるよね、って感じもする。
紅白のギャラで「数億〜数十億」は有り得んよ。
話聞いただけでガセと判る(´・ω・`)
紅白も本当に普通の歌番組になってしまったな
視聴率70%80%叩きだしてて裏番組何やってたか全然覚えてないのに
921 :
忍法帖【Lv=10,xxxPT】 :2011/12/31(土) 21:32:42.42 ID:IO/5R8hD
年末年始…。
1.お歳暮に新巻鮭、っていうのも、すっかり廃れた風習じゃないか?
2.「数の子」もすっかりスーパーでは隅に追いやられたような。
子孫繁栄、といういわれより、ピザや焼肉、寿司の時代。
車の正月飾りもほぼ絶滅。門松を立てる家もめっきり少なくなった。
>>921 数の子、別に旨くないもんな(´・ω・`)
そういえば数の子高騰した時に数の子買占めて
大儲け企んだけど
高すぎて誰も買わず
在庫抱えて倒産した商社があったな。
黒幕は三菱商事だった。
924 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/31(土) 22:16:30.32 ID:Ir3NyuGf
昔は親戚が戻ってきて、ああだこうだと言いながら紅白見ていたものだった。
今は独りぼっちでパソコンに話しかけている・
925 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/01/01(日) 03:29:42.11 ID:GeCjoCJ3
昭和の正月番組ってエロかった気がする。水着ギャルが出てきたり。
>>921 数の子ってなんで高級品扱いされてたんだかわからん
>>919 紅白に限らずNHKのギャラはランクで決まってて、最安が1番組3万円、
最高でも1番組15万円だよ。それであれこれやらせられるけど、なにしろ
全国ネットだから最高の宣伝になるから出てる。
>>926 語呂合わせ+保存が利く のコンボで、美味しいかどうかは二の次だった。
数の子=子供が大勢(子孫繁栄) 昆布=【よろ】こぶ 黒豆=苦労をまめに
ごまめ=田作り ・・・まだあったような気がするが、覚えているのはこんなとこ。
しかし、「津軽海峡冬景色」いいなあ〜。
青函連絡船も復活か?の噂もあるけど、とっても昭和
だよなあ。連絡船、というか瀬戸内でもことごとく
フェリー廃止になって橋とかトンネル壊れたらどうするんだ?
とか思った。島の人困るよなあ。
>>921 主婦の負担が大きいし、飾り物はカネがかかる割に役に立たない。
田舎の我が家でもおせちを重箱に詰めなくなってから数年経過している。
どこも似たようなもので、伝統を重んじる大正世代がいなくなって重圧が解けたせいだともいう。
>>929 技術的に道路や航空での補完不能だったから、ローカル航路は長年ぎりぎりでやってこられたけど、
無茶な赤字なんか屁とも思わず本四架橋3本、高速1000円とかやらかしちゃったからなあ
国鉄青函連絡船の就航自体は明治41年だが、
はしけを使わず、青森と函館の桟橋に直接接岸して貨車も載せられる最初の近代的連絡船「鳳翔丸」就航は大正時代末、
トンネル開通に伴う連絡船廃止が昭和63年。
その間、昭和40年代までは本州と北海道の間の交通の相当部分を連絡船が担っていた。
いまじゃ青函間の代表格だった東日本フェリーすら潰れて、以前はトラック専業系のフェリー会社が一般客室設置して対応する始末。
高松空港があれなんで、ちょっと天候が悪いとすぐに欠航するし、橋は
風が吹くと電車も車もダメなので、やっぱり船があった方が万一の時は助かる
932 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/01/01(日) 11:24:37.26 ID:QgACLzpB
洗髪は毎日しなかったなぁ、家族が入った浴槽のお湯で洗髪してた。
昭和のシャンプーは洗剤みたいなものだったから
毎日すると髪に悪かった
>>932 我が家では毎週日曜日が洗髪の日と決まってた。
それまでの1週間は髪を洗わないわけだが、
小学生くらいまでは特に気にならなかったし
周りの子も似たようなもんで、髪が汚れてるとか臭うとか
指摘されたりいじめられたりとかもなかったな。
思春期になったらどんどんオイリーヘアになってきて、
週一のシャンプーでは厳しくなってきたんだけど
母と妹はドライヘアで、週一でも全然無問題だったらしく
私が日曜日以外の日にシャンプーするようになったのが
何でなのか全く理解できなかったらしい。
それは凄いな
夏は大変だろ(´・ω・`)?
60年代後半から70年代初頭頃に男が長髪にするようになった頃の写真見ると、
ミュージシャンとかの人前に出るような人でもベタベタ髪のままなのが普通なんだよね。
そういや昔の不良はビールとかオキシドールとかで染めた汚い茶髪だったなー。
なんであんなの流行ったんだろ?
元不良の人がいたら訊いてみたいわw
>>938 単に「反抗」の証なんじゃないの?
オシャレかどうかは二の次だったと思う(´・ω・`)
その割に不良やヤンキーは初詣に和服で行く輩が多かったように思う。
不良やヤンキーは単にかまってちゃんだから
・目立ちたい
・人の多いところにいく
・やたらからんでくる
でも、ボンタンとかはすごく動き易くて、あぁ、これは喧嘩用のズボンだなって気がした。
あと、靴に鉄片貼るのもめちゃくちゃ効果あったし。
>>940 成人式にも羽織袴で来るのはたいていヤンキーだけど
それはふだんの格好とおなじ理由で「他の連中とちがう服装」ってだけ
>>942 あれは応援団あたりが発祥なんだろうが、エンダンだとエールを送るためにどうしても頻繁に屈伸するんで
普通のズボンだと酷使ですぐ膝が出ちゃうから、その対策なんだよね。
>>944 鳶がニッカボッカなのも、「ぴちっとしたズボンだと動きにくい」からだそうな。
>>937 1966年、来日したビートルズにE・H・エリックがインタビュー。
エリック(「長髪ですけど髪を洗うのはどれくらいの頻度?」
通訳「ほぼ週一回です」
エリック(「こまめに洗髪されているのですね」
というインタビュー映像を観たことある。
あの頃はシャンプーといえば圧倒的にエメロンだったな
そのうち後発みたいな形でバスボンが出てきたけれど
当分はエメロンの牙城は揺るがなかった
948 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/01/02(月) 08:03:32.14 ID:QjfmLaEc
エメロン杯バスケットボール と言うバスケの国際大会があった。
>>947 エメロンとバスボンは、そもそもネーミングで勝負にならないと思ってた。
ボディ用石鹸ならともかく、シャンプーだからなぁ。
バスボンガールの2人をレオタード姿で踊らせてつま先から顔まで舐めるように撮影した
CMが懐かしい。
951 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/01/02(月) 16:05:49.77 ID:UHi5Ls/B
その後エッセンシャルが出て、すごい最先端な感じがして
親に「エメロンやバスボンは嫌、エッセンシャルにして」
とねだった覚えがある
今思えばエメロンって赤っぽい液体で洗剤みたいだったね
カオーフェザーも思い出してやって下さい
駅の自動改札がない時代をちょっとだけ覚えてる
切符を駅員さんがパチンとハサミ入れてた
切符を切り落とした部分がいっぱい周囲に散らばってた
あれが自分の一番古い記憶かも
赤っぽい容器で透明な液体のシャンプーって何処のメーカーだったんだろ?
藤沢駅がまだ自動改札じゃなかったころ、出口側にいる駅員が
改札を通っていく客たちに半ギレ状態で文句を言っていた。
どうやら切符を適当に放り投げていくのが気に入らないらしい。
勿論俺も切符は放り投げて改札を通ったw
956 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/01/02(月) 16:42:17.64 ID:ZPi0ktac
ウチの県は今でも自動改札がないよ。
一両編成の列車も多い。
>>956 そこまで行くともう改札も券売機もない、電車やディーゼル車にバス同様のワンマン運賃箱が付いている、
と言うパターンか?
昭和時代は、まだそんな状態の1両列車でも、車掌は乗っていた。
958 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/01/02(月) 17:16:08.23 ID:PS8KpRjA
>>943 ヤンキーの羽織袴はやくざや右翼へのわけわからねーリスペクトつーか
まねっこして、はくつけたいんだろ
>>958 リスペクトはないと思われ。
単に目立ちたいだけ。
皆の注目の俺様カッケーだから。
>>958-959 同感。
暴走族の集会に「特攻服」着ていく感覚と変わらないと思う(´・ω・`)
シャンプーは1回ずつの今のしょう油入れみたいのがあったが
あれは昭和30年代だろうな。
>>946 ちょうどそのころ、クラスの女の子に何日おきに髪洗ってる?って聞かれて
3日おきと答えたら笑われたことがある。笑った真意はわからない。
ホントはもっと間隔空いてたんだが。
>>955 出口のブースにただ座っているだけで、ロクにチェックもしてなさそうな態度だから、
そんな事もしたくなる。
ブースに座らない駅員の場合は客が放り投げる以前に駅員が手を出して来る。
>>956 徳島県の方ですか?
徳島の方は、「列車通勤(通学)」とか「気動車通勤(通学)」とか言ってるんですよね。
なにせ、「電車」が走っていない(全県非電化)んですから。
964 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/01/02(月) 22:51:33.76 ID:+li7DmVp
海外旅行が庶民の手に届かなかった昭和40年代。
「百万ドルの夜景」と言われた香港の夜景は、
1ドル360円だろ3億6千万円。
物価も勘案すると、いまだと15〜20億円くらいイメージ。
さもありなん、な金額だった。
それがいまや100万ドルは7,700万円。
なんかショボイ金額になったもんだ。
>>963 大正時代に地元資本で「路面電車」レベルの電車を走らせる計画が一度だけあったが、
それすら頓挫してその私鉄は蒸気機関車で開業した。
それくらいに、徳島は電車と縁がない。
>>964 香港ドルだと、昭和50年代後半でも1ドル35円位だったので、3500万円。
今は1ドル10円くらいまで値下がりしてるので、1千万円。
こう考えると、さらにショボさが際立つな。
実際の夜景も、夜景のビューポイント(ヴィクトリアピーク)の目の前に高層ビルが
いくつも建って、昔と比べると「真珠を散りばめた」様な風情がなくなって、
大味になった気がする。
あと、昭和時代に「香港」というと、敵対している組の親分のタマを取ったヒットマンや、
銀行強盗なんかの定番の高飛び先ってイメージだったな。
そういや毎日シャンプーしてたら怒られたなあ。
洗髪は髪に悪いし、水が勿体ないからって。
真夏でも十日に一回とか言われて、こっそり毎日洗ってたわ。
>>965 昔は、JRの機関車というか列車を全部、「汽車」って
言ってたよな。「電車」なんて平成になってやっと
メジャーに。四国はそうだった。まあ俺のところは
路面電車も私鉄も小さいながら昔からあったけど。
坂の上の雲の街だからね。
銭湯は、入浴料と別に 「洗髪料」 があったね。一人一人チェックするのかよ、と
思ってたが。 実際、坊主刈りのガキなんかは頭洗っても取られなかった。
日本髪の女性なんかが髪解いて洗ったらえらくお湯使うから、そういう人用だね。
自動改札が出始めて間もない頃、でピンポーン音が鳴って通せんぼされたとき、周囲から奇異の目で見られ恥ずかしい思いをした。
その後、相互乗り入れが進んだり、2枚投入や、磁気きっぷとICカードの同時使用、機械側のICカードの読み取りミスなどで、ピンポーンが鳴る回数が増え、誰も気にしなくなった。
>>953 切符切りの駅員さんて、切符持ったお客さんが通らない時でも常にカチカチカチカチ「素振り」をしてなかった?
あのイメージがあるんで、今でも普通のハサミ持った時につい素振りをしてしまって周囲の人に引かれる・・・
昭和の香港って言ったら、九龍城の恐ろしげな雰囲気。
観光で行くと、土産屋が強制的に組み込まれたバスに乗せらせ、タイガーバームガーデンを見る
のがデフォだった。
カイタック空港の着陸の怖さと言ったら半端じゃなかった。これは移転前の広島空港も同じかな
>>958 でも「男は羽織袴がふつう」ってことになってたら、やつらは特攻服とか普段着とかで来ると思う
けっきょくのところ「目立つ」が優先でリスペクトだのなんだのは後付けの理屈だよ
造花の事を「ホンコンフラワー」と呼んでいたね
>>976 ホンコンフラワーは、オールプラスチック製の造花限定じゃぞい。
わしは、便所花(なぜか便所に良く飾られてたアンド、小さなホンコンフラワーをあしらったトイレ防臭剤があった)と呼んでおったがの。
>>975 倉田ナントカといつもやり合う香港のマンノスゴイ逆三角形のムキムキマン(死語?)が
倒されたのに、また香港特番のときに出てきて「私はお前に殺された
○○の弟だ!」と言って出てきたときはワロタw
倉田保昭
子供が夕方遅くまで遊んでいると
「さらわれて香港(マカオ)に売り飛ばされる」
などと脅かされたりしたな
981 :
1:2012/01/03(火) 21:15:03.43 ID:sDbBG7j+
>>1なんだけど、次スレにさらにAAで追加できないかと思ってる
「チャンネルも電話も」の他になにか「回すもの」があれば
おまいらのお知恵を拝借
音楽も(レコード、カセット)
車のドアガラスも
985 :
1:2012/01/03(火) 22:55:14.55 ID:sDbBG7j+
>>984 アチャーw
どうせだったらラジオのダイヤル回すAAを追記したいところだったのだがw
ま、それは次スレ以降に持ち越しましょ
順序が逆になったけどスレ立て乙
>>983 車のウィンドウはいいね
だけどそれはAAにできないわ
少なくともテレビと電話が一緒じゃw
986 :
1:2012/01/03(火) 23:45:32.04 ID:sDbBG7j+
988 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/01/04(水) 00:22:59.57 ID:Q3X76+UD
まぁまだそこまで変わりきってはいないけど
ガスコンロや水道の蛇口もそのうち「昔は回すものだったなぁ」ってことになるかもね。
少なくともうちの家の水道で蛇口回すのはトイレだけになっちゃたし、
ガスコンロも左右に移動のレバー式だ。
>>974 山手線とか大阪環状線は「国電」と呼ばれてた。
そいでJRになった時、募集して「E電」と改めたが、定着せずひっそりと消え去った。
>>971 ホントはアレ、鋏の切れ味が悪くなるから良くないらしい。
とはいえ、目の不自由な人にとっては、改札口を知るための大切な音だったそうだ。
都内の主要駅なんかだとあのパンチ1週間くらいで使い潰すくらいの消耗品だったらしい。
駅ごとにパンチの形状が違うから量産ができず、実は全て鍛冶屋が手打ちした特注品なんだよね。
キセルやる奴は駅ごとのパンチの形を覚えていて、最低区間の切符に
そのかたちを自分で切り抜くというのもいた。駅の方でも対策として、大きな駅だと
時間でパンチの形を変えるなんてこともしていた。
昭和の頃はキセルを捕まえる駅員の追いかけ方が半端じゃなかった
さらわれてサーカスに売られるというのもよくある都市伝説だったな。
毎日酢を飲まされる(w
>>989 E電は、募集で集まった上位の案(1位は民電・2位は首都電…)を全部無視して
20位だったE電を、選考員(小林亜星ほか)がゴリ押しで決めた。
あの当時から「こりゃ絶対定着しないわ」と思ってたら、その通りだったな。
NHKの「Eテレ」も多分ダメだろうね。
まあ元々教育テレビなんて、一般人は話題にもしないがw
>>990 あれには「鋏に詰まった切符の切りくずを落とす」という
意味もあるそうだよ。
>>980 「人さらいが来てサーカスに売られる」……はさすがに古いかw
今となっては逆に信じてもらいにくいんだが、70年代から80年代
日本海側では「夜に海に行くと北朝鮮にさらわれるぞ」と言われていた
政府が対応しなかっただけで、北による拉致って事実として認識されてたんだよ
上で「逆に」と書いたのは、こう言っても「いやいや、作ってるでしょw」と笑われるんでな
997 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/01/04(水) 08:37:57.25 ID:6zCayU1w
外国並みに鉄道運賃が安ければ、キセルするのは無くなる。
平成の初期の話なんだが梅ついでということで
沿線全ての駅が自動改札となって間もない頃、俺の同僚Aがキセルが発覚して罰金を請求された
手口はこうだ
X駅 Y駅 A宅 A勤務地
┠───╂────────────╂────────┨
←\120→
←────── \1,200ほど ────→ ←── 定期 ──→
Aの奴、日帰り出張でX駅からA勤務地へ移動しようとして、途中のY駅〜A宅をキセルしようとしたんだな
ところがA勤務地で降りようとしたら自動改札が閉じて駅員に連行
結果、定期の額面の3倍の罰金を請求されたらしい
本当にそんなことあるのかなと思って、Aと似たような境遇だから俺もためしてみた
俺の場合はX駅でちゃんと\1,200の切符を買い、定期券でA勤務地で降りようとした
そしたら、本当に改札が閉じてびっくりしたw
しかも、通常とは明らかに違う警報まで響いてやがるw
すぐに駅員が飛んで来たんだけど、俺は切符と定期を見せて
「ちゃんと乗車区間の料金は払ってるのに、定期だと改札通過できないんですか?」と聞いてみた
そしたら駅員さん、強面から急に(お客様は神様です)みたいな満面の笑顔になって、
「ああ、まだお客様に浸透していなかったんですね、失礼しました。
この場合、X駅で切符買うとき、券売機に定期を入れて下さい。
そうすると自動で必要な切符が発券されて、定期券にはその記録が残りますから。
その定期で当駅の改札を通過して下さい。
キセルと疑ってしまってね、本当に申し訳ないw」
ということがあった。
イチゴに掛けるコンデンスミルクはチューブではなくて小さな缶に入っていた。
>>994 小林亜星の黒歴史
全然定着しなくて、JR線とか線名(山手線、中央線等)をそのまま呼ぶようになったな>E電(笑)
平成のものになるけど、全く定着していない物と言えばETCの愛称「イーテック」
正式名称の方が言いやすいし書きやすいのですぐに消え去った。
>997
いくら安くてもキセルする奴はいると思う。
タバコを吸う道具としてのキセルも電車のキセルも平成生まれには???な
古い日本語になってるんだろうな。
1001 :
1001:
.................................. ── ....................................................
........................../ \..........................................
....................../ ..................................................... .
.. ... ... ... ../ ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ...
... .. .. .. ...| |.. .. .. .. .. .. .. .. .. .
. . . . . . . .| |. . . . . . . . . . . . . .
. . . . . . . . . . . . . . /. . . . . . . . . . . . . . .
. . . . . .\ . . . . . . . . . .
. . . . . . . .ー __ /. . . . . . . . . .
次スレへ行こうね うん
∧_∧ | ̄ ̄| | ̄
 ̄ ̄| (::: ´∀) ∧_∧  ̄ ̄| |  ̄ ̄ 1000を越えたのでもう書けません。
 ̄ ̄(::: つヽ(∀`::)  ̄ 新しいスレッドを立ててください。
..___ |::: | | ( o ::)ゝ . ._____
/ (__)_) J`J .... \ 【生活全般@2ch掲示板】
/ ..... 三三 三 ... .. \
http://yuzuru.2ch.net/kankon/ / 三三三 .. 三三 .. .. \