1 :
おさかなくわえた名無しさん :
2011/07/07(木) 21:50:15.87 ID:Ps9yOF9z
テレビの上に時計を置くと狂う
どの企業でも女子社員は茶汲みだけして、のんびり仕事っぽいことをして、5時帰宅。24歳で寿退職。
>>4 …ブスや遺伝性疾患で結婚できない女の人には厳しいっすね。
実際一般職女性は27くらいで定年だったんだよね。 結婚する予定がなくても花嫁修業とか言う名目でやめざるを得なかったりした。 友達のお姉さんが24で売れ残り、お局と言われて泣いていた昭和末期、関東の片田舎…
昭和の歌は、なかなか結婚しない男に愛想尽かして すぐ結婚してくれる男に鞍替えする情景を歌った歌詞が多い 「あずさ二号」とか
22歳の別れとか、今考えたら早すぎだろー?!って思うよね。
10 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/08(金) 19:07:03.99 ID:XTvORuHv
>>3 樟脳の入っているタンスに腕時計を入れると機械油が固まって壊れてしまう。
>>9 22歳は確かに若いけど、17歳の頃からずっと付き合ってて結婚に進展しなけりゃ
諦めてしまうかもな
12 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/08(金) 20:59:16.73 ID:MQld9Pjb
>>6 割れ鍋に綴じ蓋でそういう人には多少難ありの相手が紹介されたもんだよ。
子持ちやもめの後妻とか障害持ちの人とか。
オレは、 「女の子をキズモノにしたらお嫁にいけなくなります」 「あなたが勉強や仕事に励んでいれば、見る人は見ていて、いい人を向けてくれます」 と聞かされて、こちらも操を守って励んできたんだが…。 (ま、それ以前に、学校・職場で、”出来れば挨拶もしたくない”扱いされてたんだが) (両親は見合い婚、父親が家庭顧みないタイプなので、母のシンパだった) オレが28のとき、27歳のコの見合い話が持ち込まれた。 「へぇぇ、きれいな方ですね。こんな方がいままでひとりで?」 「じつは、来年小学校に上がる息子さんがいて…。男同士だから気が合うでしょ…」 いくらなんでも、交際もしたこともない俺に、そんな手垢のついた…。 しかし、その後、話が持ち込まれることはなかった…。
>>14 下から3行目を読んで
「見合い相手に男を紹介された」
と勘違いしそうになったw
。゜゜(´□`。)°゜。ワーン!!
「男同士だから気が合うでしょ」ってのは何の根拠も無くてすげえな。
>>7 前にも書いた気もするが、男女雇用機会均等法が施行されて
二年目なのに、うちの大学の就職部の女子求人票に
「25歳で辞めていただきます」と堂々と書かれていたものがあった。
女子は男性社員に嫁をあっせんするために採用してたようなもんだからね。 だから昭和の頃までは高卒かせいぜい短大卒あたりで採用して、 何年か社会勉強的にお勤めしてしかるべき男性社員と結婚して退職、ってルートがあったわけだ。 そのため特に女子の採用は縁故かあるいは身元調べや素行調査をかなり厳しくされるかってのもよくあったのだろう。 これは女子に限らんが、昭和の頃までは 「片親家庭の子は採用しない」 ってところが結構多かった。 バブルの頃の前代未聞の就職戦線売り手市場だった時でも、母子家庭の子が就職活動に苦労してたのを覚えてる。
自分が就職してすぐに男女雇用機会均等法が施行され なんやかんやいわれながらも 着実に女性の雇用は進んできていると思う 自分は高齢独女で、好きな仕事をして生きているわけだけど 周囲にも同じような人は多いし、そう特別な存在でもない でも、20年前だったら、確実に「いきおくれ」だっただろうなあ 今でも、心の中でそう思ってる人はいるだろうけど 一応、面と向かって言われることはないから、まだマシだよね
>>13 …そういう訳あり婚って自分の身の回りを見ても大抵破綻してたなあ。
訳あり婚家庭の子…特に女の子は結婚してないし、そのことを咎められても「ざかあしいわ!」
って言うとるわ。
するべきじゃない人に結婚させてたのが、全ての不幸の元凶だよ。
>>18 その時代時代の男の子像とか知りも知ろうともしない、
あるいは表面だけ知った気で、自分や自分の子らと同じ認識で、
どんな男の子でも野球や車やヒーローモノが好きに決まって
毎日ノーテンキに遊んでいるとか
なかよく釣りやキャッチボールをやる父子像くらいしかイメージしてないだろう。
>>20 もうほとんど平成ってころでも、
女子社員はいわゆるお嬢様系短大からの採用のみで、
自社の男子社員のお嫁さん要員、もしくは、
役員とかが取引先の若手社員との見合い話を持ってくる、まぁ要は営業ツールとして使われる、みたいな感じだったらしい。
某やんごとなき方面とつながりのある会社の話。
25 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/09(土) 09:15:28.23 ID:gmN45OgB
自分が入った会社も表向きには女子社員も公募していたが、 内情は縁故採用で、そこいらに取引先やら役員やらの何たらがごろごろ。 それでも形式的に最終面談はグループ面談で公募の人と一緒だった。 縁故の人に対しての役員の質問が「筑前煮の作り方を知ってますか」 だった。 そういう女子社員が結婚退職するときは、上司が「うちの御嬢さんが ご退職されます」って本人と一緒に社内中を挨拶し、抱えきれないくらいの 花束もらってハイヤーで帰宅するのがデフォだった
日本の高度成長を支えてきたのは女子社員と筑前煮
俺的には卵焼きを押したいな
巨人、大鵬、卵焼き が、昭和のちびっこたちの憧れだったんだそうだ
29 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/09(土) 22:47:23.71 ID:6wqHAjSx
エリマキトカゲのコイン買って喜んでたけど、実はオーストラリアのお金だった。
30 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/09(土) 23:23:31.11 ID:hwb15pz+
コールタールべっとりの電信柱 暑くなると微妙に溶けで所々べたついてる 近所の直樹は、真夏にその電信柱に登り、服に着いたコールタールに慌てて下りようとして チンチンを足掛け?に引っ掛け、怪我した
デニーズは高級レストラン
ここって地方出身高卒の鬼女や腹の出た冴えないオッサンが多そうだなw
うむ、地方出身の腹の出たオサーンですが何か
サイゼリヤも当初は「おしゃれなイタリアンカフェバー」だった。 (南新宿の店しか知らないが)レンガ作りで間接照明の効いた洒落た店だったが、 いつから、鶏の餌やり工場みたいな「激安系ファミレス」になったんだろう。
>>34 腐ったミカンも今やハゲデブミカンですしねえ…
サイゼリヤ、 昔はミルクセーキとかバイオレットフィズとかあったなぁ。
>>35 それはびっくり。
パッとサイゼリアみたいな名前のネタ系ファミレスだと思ってたので
全然オシャレなイメージ無かった。
バイオレットフィズ懐かしいぃぃ! 大好きだった サイゼリアはどうかわからないけど、カカオフィズとかメロンフィズとか色々あったね また飲みたいなぁ 何でなくなっちゃったんだろう
昭和末期の酎ハイブームの時は 酎ハイベースのカクテルもどきがたくさんあったなぁ。 バイオレットハイだのブルーハワイハイだのw 池袋だと、大都会とかおらんだ屋敷といった居酒屋が 30種類の酎ハイとかやってたっけ。
日本代表は全日本だった。 どの競技も「他に何があるの?」とばかりに 白地に赤ポイントのユニフォームだった。
>>28 戦後人気が落ちたものとしては
バナナ・スピッツ・タイガース だそうな。
>>43 バナナは今や専用ケースが売られるほどの定番健康食品になったし、
タイガースは人気不振のプロ野球にあって唯一人気を博しているから、
この2つは平成に入って人気復活したんだね。
スピッツって犬?
スピッツはキャンキャン鳴き声がうるさいから敬遠されるようになったとかで 今は品種改良であまりうるさい鳴き声を上げない犬種のがいるらしい。
>>45 (´・∀・`)ヘー(´・∀・`)ヘー(´・∀・`)ヘー
そういや最近、狆を見かけないなあ。
スピッツの人気が落ちたのは70年代に入ってからだよ、親戚で飼ってたなぁ。
>>47 色柄でパピヨン、顔でシーズーに取って代わられたような。
日本独自の犬種だから頑張って欲しいな。
浮世絵に描かれる引目鍵鼻が美人と言われた時代にぶちゃいくな狆(ちん)を美女が抱っこしてると美女が引き立って良いとされた時代もあったが、
今で言うなら小雪が狆を抱っこしてても狆がかわいく見える不思議w
親戚がもう30年以上も狆の保存会?やってるんで二頭飼ったことがある。 (獣医や関係者の紹介が必要で、面談してからでないと譲らない) 狆は、ブラッシングを毎日ちゃんとしてあげれば 無駄吠えも少ないし、性質もおとなしいし、 室内飼には最適なんだけどね。 (本物の「ちんくしゃ(狆のくしゃみ)」って可愛いんだぜw) 日本スピッツは母親が若い頃に飼ってた。 よく吠えるというよりも、声が甲高くてうるさいんだと。 昔は、それが番犬としては適していたんだろうけどね、って話。
>>49 それに加えて、狆の白黒の毛色は女性の着物の色柄をも引き立てた。
どんな着物を着て抱いていても目にうるさくないし、第一可愛いということで
江戸時代には流行した犬だから、細々とでもいいから続いて欲しい。
…犬種数が少なくなると、種の保存のためにどうしても高くなるし、入手しづらくもなるだろうねえ。 純血種を真面目に飼うという観点からはそっちの方がいいんだろうけど。 不真面目ブリーダー、インチキブリーダーが作った乱繁殖犬種は、どうしても色んな部分に障害が出る。 スピッツはそれで「バカ、ダメ」という不名誉な噂が立って数が減った。 自分の周りでは、シーズーがいい意味でブーム。 結局、老人でも御せて、性格に険がない…他の小型犬はどうしてもきつい部分がある、という部分で評価 されてると思うし、実際、小型犬の飼い主に話を聞くと「犬がいなければ死んでた、頃されてた」ケースが 多くて驚いた。 山奥の方に、真面目なシーズーブリーダーがいて、そこから売られてるんだって。
狆はおとなしいけど陽気っていう気質も良いんだよね
最近でブサ犬っていうとパグとか?
狆とペキニーズとシーズーとパグの基礎になった犬は全部同じらしいね。
野菜が不味かった。 特にトマト。八百屋に一種類くらいしか置いてない。 青臭く、農薬臭く、異様な酸味、切ると青いゼリー状の怪しい汁がどろりと出て来る。 昭和期のトマトは最悪。ていうか、どの野菜も農薬で真っ白だったし、 熟す前に機械的に収穫するから青臭く激マズ。 農家自身でさえ、自分たちの食べる無農薬野菜と出荷用の農薬たっぷり野菜を別々に栽培していた。
うちの祖母(生きてれば85歳)、死ぬほど農薬使ってたなあ。 自分たちのぶんを無農薬にしてたわけでもないけど。 「昔ながらの生活マンセー」みたいなのってよくあるけど 昔ってそんなにいいもんじゃないよな…
>>57 >昔ってそんなにいいもんじゃない
同感。
CDも無ければDVDも無い、パソコンも無ければ、もちろんネットも無い。
ホンの10分で指定温度に沸くお風呂も無ければ、
ウォシュレットも無いような生活には耐えられそうも無いよ(´・ω・`)。
昭和30年代が「貧しいけど希望に満ち溢れていた」とか そりゃ直前の戦争期が酷すぎただけだろうと。
でも未来は明るいものというイメージだったろ。 今みたいな2012年で世界が滅ぶとか地球温暖化だとか そういう暗い未来のイメージはなかったと思う、オイルショックまでは。
>>58 まったくだ。台所に電気とガスと水道が無い時代(ほんとうにどうやってたのか
イメージ湧きにくいよな)ってそんなに昔じゃないのにノスタルジーで「あの頃は
よかった」ってやるのはどうも違和感あるよな。
62 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/11(月) 23:15:34.42 ID:GOxQ5+WR
>>60 1999年7月に、アンゴルモアだかなんだかいうのがやって来て、
世界が滅びるって言われてたよ。
いつ頃からいわれだしたのだろうか。
63 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/11(月) 23:17:57.06 ID:GOxQ5+WR
あと、公害問題があったし、核戦争で世界が滅びるって話もあった。
貧しいと心が荒むからねぇ。 多分30年代の貧しさってのは今の「貧乏」とは質の違う貧しさなんだよね。 医療や食事の面で貧しいことが死に直結するような。 衣食足りて礼節を知るっていうけどやっぱり50年代くらいまでは町中とか汚かったよ。 煙草の吸い殻やゴミのポイ捨てとか平気でしてる人が多かった。 高級住宅地みたいなところを除けば身なりに気を遣わない人が多くてそういう面でも 金持ちと貧乏人の格差がはっきりしてた。
>>63 >公害問題があった
あぁ、あったな。
小学校の校庭に光化学スモッグの旗が立ってるのは日常茶飯事だった。
それに至るところにドブ川があって、夏になると鼻が曲がるほどの悪臭を放っていたぞ!
清貧って難しいよね。
67 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/11(月) 23:29:04.01 ID:w+1sFCwS
今は、(本当だったら)便利な世の中だけど、幸せ度で言ったら昭和と平成どっちかな?
幸せ絶頂の代表みたいに言われるバブルの時期ですら、 「浮かれ騒ぐのはごく一部の大人たちだけで、特に子供たちは 管理教育の下、圧迫感にあえいでいた」みたいな論調もあったんだよなあ。 門死とかってそのころじゃないっけ?覚えてる? 震災後はともかくとして、「なんとなくマスコミが不幸をあおってるから 不幸な気持ちになってたけど、実は結構幸せだった」っていう面も ありそうだよな。
>>60 2012年に地球が滅ぶ・・・なんて一部でしか言われてないし、映画になっても
みんなすぐに忘れてんじゃん。
我々昭和を生きた人間には、ノストラダムスの大予言というなーんの根拠も
無く、兆しすらないものがどよ〜んと心の中を支配してただろ?
俺は三十何歳で死ぬのか・・・って子供の頃覚悟したもんだよ。
大体、1974〜75年頃に大ブームになったからね。
昭和55年頃だったか、テレビのUFO特番でちょろりと「地球温暖化の危機!」なんていう話題が出た。 でもって翌日、クラスではその話題(地球温暖化)で持ち切りで、 「地球温暖化」なんて将来有り得るのか?と理科の先生にみんなで聞いてみたところ、 「馬鹿かおまえら! 馬鹿! マンガの見過ぎだマンガの! ないないない温暖化の危機なんてなーーーい はいおしまい!」という返事が返ってきた。
既出かもだけど、 中学の運動部、練習中は水を一滴も飲んではならぬというルールがあった。 当然、熱中症で倒れる生徒続出。外の渡り廊下(ちょっと涼しい)は、 各運動部の熱中症患者が何十人もずらりと横に寝かされており、築地の魚河岸みたいだった。 倒れても水を飲ませてもらえなかったみたい。よく死人が出なかったなと。
>>68 逆を張るそういう論調が無かった時代は無いと思う。
そして「何となくみんな景気いい感じがする」状態こそが
好景気を後押しする原動力だと思うしその逆もしかりだよね。
好景気でも不景気でもご飯は食べられるわけだから。
73 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/12(火) 00:59:30.36 ID:kRl+L/mH
>>71 自分は運動部じゃないけど、体育の授業で水飲む時は
何口までとか言われてた気がする
のんびり平和だった気がするし 丈夫な子が多かった 今はアレルギーもいろいろあるなぁと思う
全然関係ないんだけど、自分、このスレを最初に立てた者です。 普段は全然来ないんだけど、気がついたら18までになってて驚いた。 最初、「昭和の暮らしを懐かしむスレ」というのがすでにあると言われて、 それとはちょっと違うニュアンスで・・・って言い訳してたんだけど、 主旨を理解して書き続けてくれた皆さんのお陰でいつのまにかそっちも 超えて、嬉しい限りです。これからもどうぞ宜しく。 って、本当にしょうもない主張ですみません。
2chはおっさんとおばはんで構成されてるからね。 仕事の量で言うと、ことIT産業面では昭和中期頃に比べれば、 かつての3日分の仕事を1日でこなしていると思うんだけど、 早く帰れるようになったわけではなく納期が短くなっただけだよね。 ITの進歩は目覚ましいけど、「産業」としての進歩は何一つ無い。 公私共に「待ち」の時間が少なくなった。 産業を回す人を踏みつけて進む進歩は進歩なのかな。
うちには、自分が小学2年になるまで電話がなかった 隣の家の電話を呼び出しで使わせてもらってたけど 当然、本当に用件があるときのみだった 家族で出かけてて(買い物程度)家に帰ってみたら たまに、自転車で訪ねてきた祖父や叔母が 玄関の前でぼーっと待ってた
>>71 そういう運動部のマイナス面ばかりを見聞きアンドスポ根アニメの特訓シーンを見て
運動部になんて絶対に入らない!体育なんて大嫌い!!どうせ真面目にやったって出来ない
し実際まじめにやっても成績は最低のまんま、だったら真面目になんて絶対やらない!!!
というマイナス感情が芽生えました。
隣の家には風呂がなくて 時々我が家に借りに来てた。
>>56 個人的には、あのころのすっぱいトマトのほうが好きだ
最もぜいたくな(そして行儀の悪い)食べ方は、
頭のところを切って、あの青い汁だけをジュルジュルと吸って本体は残すw
>>71 ちょいと違うが、吹奏楽部の話。
中学も高校も住宅街にあった関係で、合奏練習のときは音楽室の窓を閉め切っていた。
夏場など、やっているうちに酸欠状態になって、気分が悪くなる部員も続出したけれど、
(もちろん休憩するときには窓をいっせいに開ける)
今はどっちもエアコンがあるから快適と聞いて、昭和は遠くなりにけりか、と思った。
>>79 もらい風呂に行くと、湯の表面いっぱいに白いものが。
…入浴剤でも湯の花でもなく、 家 人 の 垢 であったそうなwww
>>78 同じく。
中学になっても運動部なんて絶対入っちゃいけない!と思っていた。
小規模中学だったので部活全入制だったけど、数少ない文化系の美術部に逃げた。
小学校(私立)にはプールがなかったので、水泳授業は近所の公営施設まで歩いて通ってやっていた。 中学(公立)にはプールがなかった。 なので水泳部の面々は3月の寒い時期、大雨で増水の6月、もみじまい散る10月まで川で泳がされていた。 こんな環境でなんで水泳部に入ろうと思った人がいたのか全く理解できなかった。
水泳部だけは水飲んじゃいけないって言われない
86 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/12(火) 14:39:10.57 ID:g03PpQ/H
俺はスポ根漫画に憧れて、のせられた方だな。 喧嘩番長漫画とかにも乗せられて、随分馬鹿丸出しな事を言っていた。今にして恥ずかしいと思う。
本宮ひろ志ワールドだなw 思い出したら枕に顔押し当てて「うああああぁぁぁあぁぁぁぁ」とかなるわけかw
女子も運動部に入ったら最後、年頃の娘の様な恋やオシャレも全てかなぐり捨てて 一心不乱に部活に打ち込む事こそ美徳とされてたな。
>>88 学校によっては、運動部の女子にスポーツ刈りに近い短髪させてる所があるけどね。
あれ、迷惑。はっきり言って。
公衆トイレなんかに入って来られたら、銀行にフルフェイスメットの奴が入って来た
ような気分になるし、実際、変質者が混じってても判んないよ。
今はスポーツ選手でもおしゃれな人が多くてそこそこ奇麗だったりイケメンだったりするけど 昔は青春捨ててるようなwタイプばっかりだったなぁ。
>>90 そういう自己完結した世界を、他人様の鼻っ面に付きつけられても不愉快な気分になる人だっているということが
判ってないから、TPOをわきまえずに小汚いジャージで公共の場に出たり教壇に立ったりするんだよねえ。
何かに打ち込むことと、人様に不快な思いをさせないことは違うんだよ。
>>75 を華麗にスルーする住人達www
>>84 何で私立小学校から公立中学校に行くことになったの?
>>92 親の見栄で入れられたのと通学時間が片道2,5時間で(5時半の始発に乗らないと遅刻する)耐えられなかったから中学受験ブッチして公立に都落ちした。
小学校はそこそこの都会で、家は山深く谷深い場所。
外から見える縁側とか、プールサイドとか、 公園とかで、井戸端会議しながらとか、平気で赤ん坊に授乳してる女の人(複数)がいた。 あと、わきの下の毛がぼーぼーなのに日傘さしてノースリーブで買物してるおばちゃんとかもいた。 わき毛はともかく、道端やプールサイドでおっぱい丸出しで授乳なんてしたら、 おまわりさんに捕まるんじゃないだろうか? 捕まんないか? どうであれ、写メされちゃうね。
>>94 アメリカで、公共の場で乳やりしてた女性が猥褻物陳列剤でタイーホ。
それに激怒した女性たちが、「乳やりは猥褻ではない!!」大勢で公共の場で乳やりして撤回させたという
事件があった。
日本では、「乳やりは神聖なる行為であーる!!」という認識が年配の方中心にまだ一定数いるのでタイーホは
ないと思う。
若い人はやらない人が増えたけど。
それだけ、意識が向上したということだろうな。 話変わって、いまや幼稚園でも着替えの男女別は常識。 新設のところは、男女別か女児用の園児用更衣室もある。 羞恥心の芽生え云々以前に、世の中はトイレも温泉も、服を脱ぐところは、 男女別が常識です、を身につけさせるためらしい。 たぶん、女児の親が騒ぎ出して始まったんだろうが。
日教組敗北か? 良い事だ
…野原みさえさんが、我が息子に、一人でお着替え一人でお風呂で体を洗うを 躾けてたのは、とてもしっかりした考えだったんだなあ。 現実には、一人で出来なくて女湯、女子更衣室に連れ込まれるその年頃の男児の 多いこと多いこと。 特に地方に行けば行くほど多い。
おおきいお友達の出来がりです
>>96 幼稚園・保育園のプールも、昔は女の子もパンツ一丁だったけど、今はちゃんと水着だね
逆に昭和の子供時代のおおらかさがあったころなんだがな。 小学校の着替えって男女別だった? オレは、昭和51年度小卒だが、小6まで、体育・水泳の着替えは教室で、 子ども会のお祭りの時なども男女一緒だったよ。 女子も、普通の白いシャツにプチプチのついたシミーズ+ブルマーはきっ放し。 お互いが眼中にない感じだった。 (オレは、漫画みたいに膝まであるスリップのほうがかわいいのに、と思っていた ネェちゃん(?)のシミーズ着てきてしまった男子が目ざとい女子に見つけられて 囃し立てられたことはあった。) 修学旅行の風呂と部屋は別々だったが、のぞこうとするやつもいなかった。 女子限定映画会も卒業直前で、プールも修学旅行もとっくに終わっていた。 徒歩遠足で市内の別の小学校へ行ったら、児童用トイレが男女共用でビックリ。 (しかも非水洗) それでも、当時でも他の学校では、小1から着替えは別が、普通らしく、驚かれた。 あと、小2のとき、1つ下の従妹の家に行った時に叔母さんから3人でのお風呂に誘われたが、 その子が断った。
そいや、0歳児〜保育のある保育所も、おむつやトイレの世話は同性の保育士が行い、 変質者対策や、親族からの性的虐待も含めて、物心つく前から、異性に身体を晒すものではない、 を覚えこませるんだろうな。
オレが居た小学校も、オレが4年生の時まではトイレは男女共同・汲み取り式だったな。 汚い話になるけど、特に男子の方は小便器が一個一個立ってるわけじゃなくて、ただ、 溝と壁があって、その手前の30センチくらい高くなっているところに立って放尿してた。 溝と壁は当然小便まみれで、溝にはでっかいウジがごろごろしてたよ。 昭和48年〜51年頃の九州の話。
本宮不良漫画は「男一匹ガキ大将」の連載もアニメも知ってるが、子供過ぎて面白くなかった。 小学校高学年で読んだ「朝太郎伝」は燃えた。自分もチビだったから投影したんだろうなw 「ガクラン八年組」や「Let'sダチ公」、チャンピオンのどおくまんが連載してたのが不良漫画末期かね。 ガクラン〜の敵なんか身長4M6M8Mがゴロゴロしてたw
>>104 漫画の上達には、漫画家の絵の模写が一番。
そう思って模写したのがどおくまんの絵だった。
…当時、小5女子。
何考えてんだ、自分orz
>>103 よく分かる。
で、女の方が性に関して興味持つのが早いから、立ちションしてると脇から覗いてくんだよな。
誰々は大きいとか小さいとかって話してんのが聞こえてきたな。
私はメーテルや宇宙戦艦ヤマト(の船)を一生懸命模写したよ。 結構上手にかけた。(当時小4女子)
>105私の場合 こまわりくんの「死刑」@小1 メーテル(裸)、ヤマトのテレサ(裸)@小5ぐらい
キャンディーキャンディーの絵書いてって言われて描いてあげたら なかよしの応募者プレゼントにあたったらしくて自慢された。 私が描いたのにお礼一つも言われなかった。 私は故和田慎二さんとかひたか良の漫画模写してたな。 この前book offで久しぶりにあの頃の漫画家さんの本見つけて読んでみたら デロデロのエロ本でがっかりした。 原ちえこさんは割と早めにエロへシフトしていったっけね。
昔は少女マンガ誌に昼メロみたいなストーリーとかあったよね。 今の性コミの明るいエッチwみたいのじゃなくてもっとドロドロしたストーリー。 これから規制が厳しくなるからああいうストーリーはもう描けなくなるんだろうな。 歴史マンガなんかは史実通りにすると描けなくなる要素が多いから 歴史マンガ→歴史好きになった私みたいなタイプも減るかなぁ。
>>103 昔の駅の男子トイレってそんな感じじゃなかった?>溝と壁があって、その手前の〜
>>103 >>111 あったな〜そんなトイレ
妙に恥ずかしいヤツ
これ今でも地方とかの敷地ばかり広大で
設備が遅れた工場(造船所とか)
では一部現役だったりするw
>>93 片道2時間半!?
それはヒドイ。学校着いたら疲れきってないか・・・?
>小6まで、体育・水泳の着替えは教室で、 >子ども会のお祭りの時なども男女一緒だったよ Tシャツとか脱ぐ時のいわゆる「女子脱ぎ」って,これが原因だと思うんだ。
小6まで体育の着替えは教室で、もちろん男女一緒だった 女子は前開きのブラウスとか着てきて、その上から体操着を着て 袖を通さないでブラウスのボタンを外し、体操着の下からスルスルと脱いでいた いかに上手く、隠しながら着替えるかを考えたものでした 水着の時は、バスタオルを輪っかにして、上にゴム入れたのを母親に作ってもらって これまた隠しなが着替えたものでした
>>110 意地悪な先輩キャラがいて、主人公はいじめられる可哀想なキャラというのが定番だったな。
そして最後が近くなると和解して意地悪キャラがありえないほどいい人になってw
少年向け漫画の、殴り合い→はっはっはっお前強いなw→友情 も定番。
>>103 >>で、女の方が性に関して興味持つのが早いから、立ちションしてると脇から覗いてくんだよな。
>>誰々は大きいとか小さいとかって話してんのが聞こえてきたな。
ちょっと信じられない。
うちの年代、学校(オレのいたクラスだけかもしれないが)
幼稚園年長〜小3あたりに、野球拳(コント55号)、ハレンチ学園、ちょっただけよ
が流行ってしまったせいか。女子のガードが一気に固くなってしまった。
標的にされる、Hなことは毛嫌いしていた、という雰囲気。
夏休みの登校日でも、スカートの下にブルマーはきっ放し。
卒業まで、男女対立状態となり、教室の席も中央から真っ二つ。
各委員も男女1人ずつがそれぞれの意見をまとめる。あいさつもしない。
女子は、男子のちょっとした悪ふざけや言葉使い、寄り道とかを目ざとく見つけて
学級会で正論を展開。
お楽しみ会、フォークダンスも先生の前での形だけ、いやいや仲よくやっていた感。
おれは、何とか仲良くなりたくて「そのワンピースかわいいね」とか会話しようとしたが、
まるで、男子がワンピースという言葉を知っているのがおかしいとばかりに、
かなりキツめに「スケベ!」と返された。
どんなに野球が旨かろうと、頭がよかろうと女子は男子を話題にすることはなかった。
授業中の手紙回しや交換日記もサイン帖も女子の間だけで行われていた。
(それを、女は、デカくなってもチマチマしたことやってんな、という風に見ていた)
うんぱかハレンチうんぱっぱぁー♪
落語にあったな。 ワンピースとツーピースどちらにします? グリンピースにしてください。 って。
らくご? 誰か特定の師匠のマクラじゃなくて?
昭和の少女漫画で不治の病といえば、癌か白血病。 そして何故か、血の繋がった兄妹と互いに知らず愛し合い不幸な結末に至ると いうベタな設定もよくあった。
宗方仁と緑川蘭子は 異母兄弟だったね。
…エースをねらえ!が好きな男の子は存外多かったように思う。 ストイックな描写がつぼったのかな?
やたら日教組が悪者扱いされてる今日この頃だけど、 日教組が強い小学校は、親の監視が厳しかったからだろうか、暴力教師がいなかった。校内暴力がなかった。おおむね平和だった。 逆に、日教組が弱い小学校は、国士舘卒の教師が大勢いて、口より先に暴力が出るし、 暴力で怪我したり入院したりする児童がいたし、それを上手に揉み消すし、校内暴力もいじめもすごかったし、 家庭訪問のときには「ケーキ出せ」だの「茶だけですますなよ」とか 「時間が遅くなったら飯食わせろ」だのメチャクチャだったよ。
どっちもどっちw
つまり教師ってのがそもそもゲスだと
>>125 卒論でデータ集めたが、
日教組組織率が高い学校は管理教育も徹底していて
結果、暴発としての校内暴力件数も高かったんだが
>125 ゲスだったねえ。昭和の小学校教師っていうのは。特に田舎だと。 家庭訪問シーズンに担任教師の発言。 「おいー、○○、おまえんちさー、去年番茶のでがらしみてーなのだけだっただろ? □□んちはケーキ出してくれたんだぜ、ケーキ。なあおい、今年はまともな茶菓子くらい出せよなー?貧乏でもそのくらい出せんだろ? いったい何件まわってると思ってんだよ。みんなも茶ぁだけ出しゃいいなんて思ってんじゃねーぞ? おいー」 「きのう(家庭訪問最後の家の)△△ん家で食べた鯉こく、うまかったあー。じゅるり(汚ねぇ舌なめずり音) (一日の家庭訪問の)順番最後の奴ー、なんかうまいもん用意しとけよなー」 もうこいつは特別に下衆な奴だったけど、こんな下衆でも教師ヅラできたんだよね。昭和って。
アンカー間違えた
>>127 >>128 「管理行き過ぎ」か「不良教員野放し」か
どっちもごめんだね。
アタリハズレがある教育・・・ なんか、笑える。
>>125 自分の出身の中学校には活動家の暴力教師がいたが。
まあ新左翼の内ゲバが常態化していた時代だったからしょうがないか。
>>130 家庭訪問のときは、わざわざ前もって
「お茶は出さなくていい」って言われたけどなあ
1日何軒も回って、そのたびにお茶出されたら
お腹たぽたぽになるから…って
自分の学校がそうだっただけで
全国的なもんじゃなかったのか
熱中症予防のため人道的に水を出すならともかく、 公立学校の先生(公務員)に味のついた飲み物を出したり、お菓子を出すと、 心証を良くするための供応接待、つまり贈収賄に当るわけだからね。 体罰も、むしろ愛のムチ的に恩師、聖職と思われてたものだが、 平成に入ってから、税金で雇われている公僕って、 即クレームって体制って感じになってきたな。 きっかけは校門圧死事件かな。 最近は、不景気で、公務員にたいするやっかみもあろうかと。
…生徒を使って他人の山でマツタケ盗る競争(しかも、盗れたのはみんな集めて分け前数本 ずつ配ってあとはみんな自分が街で売ってお小遣い、盗れなかった子には体罰)してた鬼畜 狂死よりはましです。 しかも、山の持ち主が盗れなかった子の遠縁と知ってからは、ケーキや洋服や学用品買い与えて やんの。
>>124 初期は比較的オーソドックスな少女マンガだけど、途中から登場人物がみんな修行僧みたくなってくよねw
(本物の坊主である桂コーチのほうがさばけているキャラだったりして)
絵柄も、やはり初期は典型的少女マンガのそれだけど、中期からは、当時としては珍しいシャープなものに変わって、
物語・絵の両面から男でも読みやすいものであったように思う。
組合活動が盛んで平和教育に熱心な 広島の少年暴力事件の高さw 80年代管理教育は凄かったねえ 教師が定規を持ち出して何センチ何ミリ単位で、 髪や制服のチェックするって、今じゃ正気の沙汰じゃないよな
ヒロツマは元々の土地柄が(ry
>>135 …戦時中または、戦争体験のある教師は、生徒に一生物の障害を負わせるような体罰をかましといて
被害者に向かって「ああいう時代だったから」とおほざき遊ばして謝らない人がごまんといらっしゃった
そうでありますよ。
広島ですけんのぉ・・・
回覧板でPTAから「子ども達にドリフを観せないようにしましょう」なんてーのが回ってきた。 おいらがおとーちゃんとドリフ観て大爆笑している最中に、 おかーちゃんが鬼のような顔して部屋へ入ってきて、 ブツンブツンと乱暴にチャンネルを回転させ、おとーちゃんを何やら叱りつけた。 やれネタが下品だ、食べ物粗末にしてるだの言う前に こういうギスギスしたコミュニケーションのほうが教育に良くないと思うんだけど、 昭和の人たちって超真面目ゆえ視野が狭い行動に走りがちだったじょ。
加藤茶がストリップ小屋で見た物をそのまま再生しただけの 「ちょっとだけよ あんたも好きねえ・・・」を全国の小学生が意味分からずに笑ってた。
連投スマソ ピンクレディーが好きだったのである。 ピンクレディーの下敷と筆箱を学校へ持って行ったら、それを見つけた先公がつかつかつかとやってきて、 乱暴に取り上げ「これは大問題だな」と、筆箱でおいらの頬をピタピタぐりぐりやりんがら、ニヤリ。 文具には何の既成もないはずで、イラスト入りが良くてピンクレディーがNGなのがよくわからんかった。 後々、学校へおかーちゃんが呼び出された。 昭和ってへんてこりんな時代だったよ。
加藤茶の「ちょっとだけよ あんたも好きねえ・・・」 あのバックに流れるトランペットは生演奏だったというのが昭和。 いまじゃ生演奏はありえないだろう。
ドリフターズ自体がコミックバンドだから トランペットが生演奏と聞いてもあんまり驚かないかな。
>>145 ちなみに、そのストリップ小屋は、広島のロキシー座。
>>146 男の子だったのかい?
だったらマセガキ認定されたんだねえ。
>>149 男だよ。確かに女子だけに人気あったよピンクレディー。
グッズ持ってると女の子たちが寄って来るっていうのもあった。
ちょっとした冗談で「大きくなったら痴漢になる」という作文を書いたら
またおかーちゃんが学校に呼び出された。
目をつけられていたんだな。
そういえばひょうきん族の懺悔のコーナーも クラスの男子(小学生)が、しょっちゅうマネして遊んでたな。 「懺悔」の意味もよく分からず、あのバツのポーズが「懺悔」だと思い込んでいたっぽい。
クレイジーキャッツはともかく、ドリフで楽器をまともに 演奏できるメンバーは・・ ビールのCMで、長さんがウッドベース弾いてたけど もちろん吹き替え。
志村けんは三味線が弾けるぞ。 バンドとは関係ないけどw
154 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/16(土) 22:49:50.23 ID:tPwaX1RC
>>152 >演奏できるメンバーは・・
いるのかいないのか、あなたがどう思っているのか
まずはっきりさせてくださいね。
それとも超絶な技巧をお持ちの、楽器演奏のプロのかた?
まったくピンクレディーに興味がなかった クラスの女子の中で私だけ踊れなかった 練習しようとも考えなかったし思いもしなかったなぁぁ(笑) だから休憩時間は孤独してたし、放課後は早く帰宅して犬と遊んでいた 不満もまったくなかった まさしくピンクレディーフィーバーの頃、地方でも芸能界デビューのオーディションがいくつか開催されていて、クラスの半分以上はペアーを組んでピンクレディーかビューティーペアーで応募していた
今も変わらないというか、どこの家庭でも母親が張り切り(笑)衣装も手作り、母親がメイクまでさせて会場へ乗り込んでた(らしい) それ以前に隣の家のお姉ちゃんは高校生時代、芸能界に憧れ当時の登竜門、なんとかというスクールメイツ?(アイドルの後ろでダンスする)のオーディションの為の練習に東京まで通ってた 私にはまったく意味わからん世界だったw とにかくピンクレディー踊れない女の子は私ぐらいだった時代(笑)
>>154 もはやコミックバンドでなくなってからデビューした志村以外は全員弾けるよ。
小学生の時は本当にピンクレディー凄かったなぁww でも興味ない私は冷静だった、つか二人共 10代の割には老けてるなぁとまじまじ観察していた クラス内での男子と女子のわだかまりも面倒だったw 我が家はあまり学校行事に積極的でもなく、地域にこだわらない付き合いが多かったから、学年や年齢にこだわりなく他校の友達と遊ぶ方が楽しかった、私は男子や女子という垣根の感覚さえなかった
今にして思えば、親は視野を広くフレンドリーな性格に育てたかったんだろうとわかる 兄弟下が小学生になると家族で月に一度は、よそ行き洋服を着せて洋食マナーの練習としょうしナイフとフォークのレストランへ連れて行かれ(前日は自宅で豚肉ステーキで練習(笑)) 日曜日はスキーやキャンプ、スケート、無人島探検…お正月は温泉宿で過ごす… 早くからいろんな事にチャレンジさせられた 県外の友達も多かった
将来お年頃になって彼氏ができデートの時、知らなくて困ったり躊躇する娘にはしなくない…父親は言っていた 何事にも気後れする娘にはしなくなかったらしい(笑) 出しゃばらず、凛として所作の美しい女の子が父親の理想なのだ(笑) m(_ _)m お父さん、ごめんなさいwww こんな不貞不貞しいオババになりましたww しかし彼らの教育には何かしら間違いがあったようだww いまだに嫁げませぬw
>全国の小学生が意味分からずに笑ってた このパターンで一番凄いのはとんねるず石橋の「おならじゃないのよ!」と「ごめんねごめんね」だろうなぁ。 >152 自分で弾いてるし、ウッドベースじゃなくてアップライトのエレクトリックだ。
今現在の学校の様子を知らないから勝手なイメージで書くけど 「雨が降ったから母親が傘を持って迎えに行く」なんて昭和な感じ。 まあ昭和でもそんなこと自分はしてもらったことないけど。
あみめでお迎えうれしいな
>>145 赤信号がストリップ小屋に出てたのを見たことがある。
知られている渋谷の道頓堀劇場じゃなくて新宿2丁目にあったアート劇場。
まだ無名だったのに妙な凄みを感じた。
?
>>160 自ら無人島と化してしまったのか・・・うるうる
ストリップ劇場からのし上がってきたコメディアンが少なくないんだねえ。 たけしとかコント55号とか、寅さんの渥美清も。
>>166 少なくない、と言うより昔はほとんどが浅草出身だったから、
たいていの芸人はストリップ劇場を経験してるよ。
>>152 あえて釣られてやんよ。
>ビールのCMで、長さんがウッドベース弾いてたけど
>もちろん吹き替え。
はぁ???? 何言ってんのあんた????
チョッパー奏法は長さんが編み出したんだぞ、っていうデマ(by 近田春夫)が
広く信じられたくらい長さんの腕は確かだったんだぞ。
まあ確かに演奏の腕はクレイジーの方がはるかに上だけどさ(特にボントロと太鼓)。
クレイジーキャッツで思い出したけど あの頃の日本映画は輝いていたなあ。 アメリカのコメディのマネじゃんって話もあるけど すごく楽しめるのが多い。
>>169 ほとんど規制ゼロでやりたい放題だったもんな。古い映画って最初は
馬鹿にしてたけどはまると面白いわ。
クレイジーの映画で、いきなり核実験の衝撃的なシーンでスタートして、
「人類は滅亡へと向かっている」みたいなシリアスなナレーションに続いて
米ソ首脳の会談のシーンがあって、そこにハナ肇が出て来て、米ソ首脳の
言いたいことはこういうことです、と言った後、全画面に映画のタイトル
「わかっちゃいるけどやめられない」ってのが出たのは笑った。
ドリフが演奏できないっていうのは勘違いだと思う。(志村は別として) 加藤茶など、いかにして音楽で飯を食って行くかということばかり考えていた下積み時代だったそうだ。 長さんは演奏が下手な奴はあっさりとバンドを首にするバンドリーダーだったとか、 武道館のビートルズの前座はドリフターズ。
ドリフが全然楽器ができないという意味じゃなくて。 爆笑問題のラジオに犬塚弘がでたときに言っていた。 クレイジーはクラシックの譜面でもできるけど、ドリフはそういうのは全然・・・ というニュアンスで話していた。 長さんのCMでのベースが格好いいと太田が言ったら、あれは吹き替え・・ ということも言っていた。 クレイジーはクラシックの譜面でもうんぬんは真に受けられないけど、 戦後のジャズから出てきたクレイジーと、その後のドリフという ことを考えると、音楽技術的には差があるのかもしれない。 ま、植木等の半生を綴ったNHKの番組で、昔のバンド仲間が、植木の ギターについて「うまくはなかった」と笑い顔で話していた。 っていうか、ドリフの演奏なんて、まともに聴いた経験ないよね。
アイドルは清純なものだった。 結婚するときに「尚、妊娠はしていない模様」なんて注釈は付ける記者はいなかった。
おまいらブーさんのウクレレの超絶技巧知らねーのかよ。 クラプトンまっ青だぞw
山口君と竹田君の山口の方を新宿ミュージック劇場で見たのを思い出した。 まだ竹田と組む前だったみたいで数人でコントをやってた。 途中から出てきたらいきなり 「いやぁ、さっき線路の向こう側で沖雅也が京王プラザから飛び降りちゃってさぁ」 俺がマソコ見てるときに彼は涅槃ダイブをしたらしい。
高木ブーのウクレレは有名だよね。
しかし、萩本欽一とかなんであんなに人気あったんだろうな
コント55号の頃はテンポの良さかな。
絶頂期の大村昆なんぞ、まっすぐ家に帰ることさえできないほどの人気だったというぞ。
コント55号は面白かったなあ。 いまじゃ信じられないけど、ビートたけしだって面白かった時期があった。 小林信彦によると、萩本欽一とショーケンは同じ時期に人気者だったので、 ライバル意識を持っていたのだとか。こうなると、わけがわからんな。 ジャンルは違えど芸能人、人気があるほうが勝ちってことなのか。
>>177 「小学○年生」とかの学年誌に、コント55号のシールがついてた。
それぐらいの「アイドル」だったんだよね。信じられんけど。
顔だけが写真になってる、アイドル達やドリフの総出演ギャグ漫画も載ってたよね。>学習雑誌 余談だが、小学館の学習雑誌の漫画には句読点がついている。 自分をはじめとした多くの子供たちが、漫画を通じて「いろいろな文章での句読点の打ち方」を 自然に身に付けた気がする。 あと、学研の学習漫画は内山安二。 二等辺三角形とその種類、7たす6は13になることはもちろんのこと、高校や大学で習うような 科学知識まで面白くしかも判り易く教えていただきありがとうございました。
小学館の「学習雑誌」のほうといえば、 学習とは名ばかりで、学習記事など免罪符のようについているだけで、 サンデーやコロコロなどのマンガ雑誌に誘導して、ビッグコミックに いたる小学館のマンガ雑誌漬けようというコンタンがミエミエだった。 小学5、6年生が廃刊もむべなるかな。 そのうち「一年生」以外は休刊になると踏んでいる。
首チョンパは?
>>183 それは言える。
小学○年生は学習雑誌じゃない。
単なる幼年向け娯楽雑誌だ。
だからベネッセのように別枠教育費で家計の予算から出されず
高学年になるごとに読者が減っていく。
>>180 有名になったのはショーケンのほうが先だな、GSだし。
萩本欽一と萩原健一で名前が似てるからって意味もあるだろう。
よしだたくろうの「青春の詩」の歌詞に「ジュリ〜!、ショ〜ケ〜ン!欽ちゃ〜ん!」って出てくるよな。
>>183 わしがやめたのは、4年生の頃じゃったかのお…
その頃は、少年チャンピオンの全盛期じゃったので、そっちの方を読んだわい。
猫も杓子もチャンピオンチャンピオンで、オカルト好きはマガジンを読んじょったのお。
スーパーカー好きな一部の子がジャンプじゃった。
…わしも、ド根性ガエルがのっちょると聞いてジャンプを手に取ってみたら…
運悪く、「はだしのゲン」の、原爆投下で大惨事になっちょる部分を開いてしもうて。
それから何年も、よう読まんかったわい。
189 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/18(月) 06:32:14.68 ID:aXsjVjM/
自分も3年か4年のときだな。 科学と学習もとっていたので、学年誌3つもいらないでしょ?と親にいわれ、 「○年生」を斬った。 決めては付録。「○年生」はすべて紙製で科学・学習に比べると見劣りがした。 その科学・学習も今はない。
>>185 教育費云々と言うより、ジャンプやマガジンやサンデーに流れる方が大きいと思う
少年誌も昔はやりたい放題だったな。たまに発禁処分もあったし。 特に永井豪の性描写は子供には刺激が強かった。
192 :
189 :2011/07/18(月) 06:48:18.84 ID:aXsjVjM/
そのころ、ジャンプとチャンピオンを買い出した。 趣味・娯楽はお小遣いで、という決まりだったので 小遣いで買っていた。 (歯医者や床屋のある週はそこで読んで節約) その2誌も、6年生の時分にナニを始めてしまうと、 超人やらなにやらの荒唐無稽、現実離れした設定に 「毛の生えてないガキを躍らせるもの」、 という感じがして卒業してしまった。 だが、プレイボーイ、いやサンデー、マガジンのグラビアは 自分を世話してくれた年代の女性たち(一緒に入浴していた頃、 母やその姉妹は20代だった・バスト=赤ちゃんを育てるための 器官…等)をHな目で見る気がして、存在そのものがいやだった。 同級生女子が天使のように見えた頃。 で、その後入門したのがなぜか少女マンガ。 湯月光とかのえちぃ雰囲気のあるマンガに熱中。
>>183 でも、教科書なんかには絶対に出てこないようなオッペケペーな表記での句読点の打ち方は学べたぞwww
自分も学習雑誌読んでて楽しかったのは4年までかな。 それ以降はお仲間も減り、ちょっと恥ずかしいような… 科学の付録は魅力だったけどw 兄の読んでるチャンピオン、マガジン、ジャンプをはじめ なかよし、りぼん、マーガレットなど漫画雑誌読みまくった。 少女雑誌もえぐいにがありましたよ。 高階良子のオカルトものとか。 先ごろ亡くなった和田慎二のスケ番刑事もトラウマになるほど 恐ろしいシーンの連続だった。レープだのリンチだの。
>>191 永井豪といえばマガジンの「凄ノ王」って漫画で4週にわたって
延々とレイプ描写ってのがあったな。挿入された表情とか生々しくて
子供ながらにチンコ硬くなってどうしようかと思ったよ。
ハレンチ学園じゃ騙されてポルノ映画(文化祭で上映)に出演させられて
泣いてる女子高生を縛り上げて下半身を素っ裸にして(靴下は履いてたか)、
みんなでかついで「主演女優のご挨拶〜」とか言いながら公衆の面前で両足持って
左右に開いて「ご開帳〜」とかやってたな。そのあと発狂して病院に送られてた。
>>195 マガジンってヤンマガだろそれw 少年誌じゃねーしw
少年マガジンの読者年齢の設定はわりと高めだったのかな。 サンデーでやってたおいら女蛮とかイヤハヤ南友とかはもっとソフトな子供向けえっち路線だったね。 白土三平のワタリで女の子がワタリの変装だと誤解されて裸に剥かれるとか 手塚治虫のアラバスターで透明人間の女の子がロックに捕まって あたりが静かになるコマを挟んで、女の子が「なんでこんな酷い事をするの」 と言った後にロックの言うことを聞くようになったりするのを見て、当時はなんだかわからないなりに興奮したなあ。
弓月光はご本人がスレにときどき現れるね 2chとかめちゃくちゃ煽られたり貶されたりする場所なのに強いなあ、とか思う。 ヤングジャンプ以降のも面白いんだけど 少女漫画家時代のちょっとえっちなラブコメはとっても面白かった。
>>195 最後発狂って、なにそのポストパンクでR15なあらすじ。
ハレンチ学園ってコメディじゃなかったっけか? なんかすげーなー。
あばしり一家とハレンチ学園は読むの禁止されてたよ。
例によってPTAからの指示だとかなんとか…。
>>189 学習・科学は2009年まで持ちこたえたがついに休刊か
書店売りの縛りが無いせいか、昭和とは思えないほど付録が豪華だった(特に科学)
学研の学習と科学取ってたけど、所詮マンガ部分や読みやすい記事を流し読みしてただけだった。 アレはもっと気合い入れて読んでおけばよかった・・・と今更にして思う。
>>200 ギャグ演出だから。
おもらいくんとかあの変の表現と同じ
運動会か何かで生徒を素っ裸にして天ぷらの衣をぬったくって
油の煮えたぎる鍋の上の一本橋で戦わせて
落ちて負けた方はそのまま天ぷらに
天ぷらは父兄にも振舞い、
父兄は「〜子、こんなに美味しくなってしまって」と舌鼓を打つ
なんてのもあって、はちゃめちゃだったよ。
正直、あのころのの永井豪はめちゃくちゃ面白かった。
なんか2chで最近の一部の少女漫画のセックス描写で大騒ぎしてるのが可愛く思えて来るな。 ちょっとPTAの人らの気持ちが分かるかも…w
最近の一部の少女漫画は性行為そのものを描写してるからなあ あれはちょっと引く。 結局のところ、子供はなにがなんだかわからないながらもそのとき知ってる事を元に理解しようとするわけで 漫画とかは規制なんてしないで、ほっとけばいいと思うけどなあ。
ハレンチ学園がなければマジンガーはなかった…なくていいよ。 ハレンチ学園TV版が小1の時に流れ、自分は物怖じして参戦できなかったが、 スカートめくりや追っかけまわしが流行ってしまい、女子の態度が硬化。 登下校や遊びのグループも男女別になってしまい、仲の良かった幼なじみとも縁が切れた。 1回見たけど、確か高校が舞台(ヒロイン役がセーラー服着てた)で、従姉が 餌食にされているように見えて、10分もしないうちにチャネルを替えた) それ以上に過激だったマンガ版がその何年か前に中高学年に流行ったんだから、 マンガ・アニメといえば、オバQやパーマンみたいなのほほんとした世界 (それでも白眼視されていた)からあんなもんが出てしまっては、学校側だって 困惑しただろう。 全国同時多発ライダースナック投棄事件に発展するほど仮面ライダーも流行ったが、 (ウルトラマンやゴジラに対しても)こんなもん現実にはありえない子供だましの作り事、 保育園のハナタレ小僧と同じものにハマれるか!と思っていて、夢中になっている 同級生と交流したくなかった。 ただし、ど根性がエルなどのギャグマンガには、良くこんなこと思いつくなぁ!と 生身の体で子供相手に一生懸命演技するドリフには心酔していた。
>>198 高校生大学生の御用達雑誌だったからねえ。>マガジン
サンデーにも「銭ゲバ」というすげえ漫画が載ったもんだ。
ジャンプは子供向け(けなしてんじゃないよ)って感じだったな。
少年、といえば少年法では未成年のことだが、 雑誌は、思春期前後で分けるべきだと思うな。 コロコロとマガジンみたいに。
>>206 仮面ライダーといえば
変身シーンを真似して「へんしーん」と言いながら高いところから飛び降りる子どもが増えて
骨折、死亡事故が続出。
番組冒頭で
仮面ライダーが「良い子は真似しないように」と警告していた記憶がある。
>>209 ウルトラマンAは男女が合体ってのがPTAの逆鱗に触れたんだろうか?
>>200 他にもバイオレンスジャックとか過激だったよ。関東大地震で無法地帯と
化した東京にスラムキングってのが君臨してるんだけど、これのペットが
若い男と女の両手両足をぶった切って舌を引っこ抜いた人間犬。もちろん
全裸で飼ってた。たまにドーベルマンに女のほうを犯させたりしてた。
少年誌よ、少年誌。
>>208 なるほど、精通してから表紙のアイドルをおかずにして
ヤングヤサグレ漫画の湘南爆走族や男組、カメレオン、愛と誠
なんかが載っているサンデー、マガジン、キングを読みましょう
ってことか。
確かに大人と子供の境界みたいのはあいまいだったなぁ。 TVなんか今から考えるとひどい内容だった。 子供は性的なものは見ても分からないから野放しでOKみたいな変な思い込みがあった。 子供の犯罪(性犯罪)が多かったのはそれが原因の一端なのかも。
>>209 うちの弟だw
公園のトイレの屋根から飛び降りて脚を折った
>>212 そういやテレビで普通に裸が流れていたよね。子供が見るギリギリの
時間帯なんて普通に裸やセックスのシーンがあったし。
昔は複数台テレビがある家が少なかったと思うし(あっても2台) 家族全員がお茶の間で同じ番組を見るしかなかった。 兄弟のチャンネル権に破れ、ずっと心残りだった番組を 大人になってからCSで見ることができた時は嬉しかったが やっぱりリアルタイムで見たかった。
>210 人間犬って「家畜人ヤプー」かいな。永井豪って狂ってる…… キューティーハニーは面白かったんだけどナ。 昭和といえば「狐狗狸さん」。 強烈な自己暗示で自殺した奴もいた。 やだねー まがいもんの降霊術で命落とすなんてさ。
自殺者を出すなんて恐ろしい呪いじゃん まがい物だったとしても、その時点で本物になる
218 :
to:sage :2011/07/18(月) 16:51:14.73 ID:rpcNQMUn
洗剤が巨大な箱に入ってた
219 :
to:sage :2011/07/18(月) 16:51:29.07 ID:rpcNQMUn
洗剤が巨大な箱に入ってた
220 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/18(月) 17:08:45.97 ID:f76OGXzQ
昔の漫画の方が面白かったよ。今の漫画は、球に立ち読みするくらいだけど、規制だらけで綺麗事ばっかり。タブーに切り込むような冒険心はゼロ。
コミックの単行本カバーがビニール製だった
>>205 なんか最近は凄いみたいだね。よく言えばおおらかというか。
昔は朝チュンでごまかしていたところも今はそれ見せ場とばかり
詳細に書いてあるらしい。
うちの姉が書店員なんだけど検品時に少女向け雑誌をパラっと見たんだって。 慌てて閉じて思わず後ろを確認してしまったって言ってた。 いい年の既婚女が思わずヒくような内容で、一瞬レディコミと間違えたのかと思って表紙を再確認、 ローティーン向け(12、13才向け)の雑誌だと分かって唖然としたそうな…。
三学期の授業はいつもサッカーだったわ。 神奈川の女子校だが。 マットや平均台のようなものが不得手だったのでありがたかった。 ピーパンだとボディラインぴちぴちだったしな。
たしか月刊ジャンプだと思ったが何の漫画だったか永井豪先生。 女の子を三角木馬に跨らせて 「A地点からB地点まで食い込んでいるわけです」
けっこう仮面か? つーか昔は著作権がゆるゆるだったなぁ
永井豪のネタは盛り上がるな。俺が覚えてるのは、作品名は忘れたけど、 小学校のグラマーな女教師が自分のクラスにいる可愛い男の子に惚れてしまって、 その子が先生に「好きな人がいる」とか言ったもんだから先生が嫉妬して 放課後に男の子を虐めるという話。 教室で男の子を全裸にさせて、自分も全裸になって、いろんなSM行為でいじめぬく (全体的にはギャグムード)。最後は金玉に注射器で水を注入して巨玉にしちゃう。 でも実はその好きな人っていうのが自分のことだと知った先生は反省するんだけど、 絆創膏を剥がしてもすでに注射跡が閉じてしまって金玉がでかいまま。 怒った男の子が先生にも同じことをしようとするんだけど金玉がないので、「先生 隠してるでしょ」って言うと、先生が「ほら」って股を広げて見せると(繰り返すが全裸)、 男の子が「あれ?ない」とか驚く。少年誌だからなー。
>>207 去年だったか一昨年だったか、その「銭ゲバ」が実写ドラマ化されることになった時に
リアルで連載を読んだうちの夫が
「あれを今の時代にどうやってドラマ化するんだ!?」
と驚いていたのだが、それであらすじだけググって見てはー、なるほど、と思った。
当時自治体によっては有害図書指定されてたんだな。
永井豪のエロネタが分かる人って、いま年齢どの辺なん? いや、俺がジャンプ読み始めた頃はもう、キン肉マンだのDBだの北斗の拳だの星矢だの銀牙だの トンチンカンだの奇面組だのオレンジロードだのキャッツアイだの、連載作品がもう片っ端からアニメ化されて 永井豪のエロネタなんて全くリアルで体験出来んかったわけだが。
けっこう仮面で覚えているのは人質の女の子がタコで充たされた水槽に入れられていて 全身にタコが吸い付いているの。 結局けっこう仮面に助けられた後で人質のコが「もっとゆっくりでよかったのに〜」って言うやつ。 チンコ勃っちゃった。
永井豪といえばテレビアニメでしか知らなかった「デビルマン」 をコミック5巻を完読してショッキングな内容に結構トラウマっぽくなった。
>>232 >コミック5巻を完読して
そんな短かったっけ? アニメは全然別物だよね。
原作はデーモン軍の攻撃よりも、そのあとの人間による魔女狩りが
怖かった。不動明をかばったミキの家族が人間に惨殺されて、襲った
人間達がミキの生首を槍にさして気勢を上げてる場面。
永井さんの作品だと、YJで「花平バズーカ」とかいうのがあったな。 同時期に俺の空刑事編もやってた。 創刊当時は川崎のぼる、手塚治虫、トイレット博士の続編、小林よしりんの 東大快進撃などあり、ある意味すごい内容の雑誌だったわ。 ライバル誌?のヤンマガも面白かった。
>228 「ちぃ子先生」シリーズの1作だね。 サブキャラだった天変地異子先生をメインにした短編で3作くらいあったような。
>>226 イヤハヤ南友だね
クラス対抗の運動能力とか学力の競技会みたいなのが
どんどんSM大会になっていってた
>>203 のはあばしり一家で、次男の通ってた高校の体育祭w
>>230 47歳だよ。
ちょうど小学生の頃、ハレンチ学園やあばしり一家が流行ってた。
よく行く理髪店に掲載雑誌が揃ってたから、いつも読んでた。
ちなみにデビルマンはいまだに怖くて読めない。
天変地異子先生はこの前までやってたリメイク版どろろんえん魔くんにも出てたね。 おいら女蛮でも蛮子の母親のライバルとして出てきてわくわくしたけど おいら女蛮自体が唐突に 俺たちの戦いはこれからだエンドしてしまって悲しかった。
>>234 「花平バズーカ」は主人公男が自殺を試みて醤油をガブ飲みするシーンを憶えている。
「俺の空 刑事編」はもうすぐドラマ化するらしい。
メインの殺人教唆の国会議員逮捕ストーリーより
誘拐犯をプロファイリング捜査する話のほうが印象的。
>>236 「イヤハヤ南友」といえば極度の便秘症令嬢をドリルで「開通」させて
学校がウンコで埋もれてしまうスゴイ話があった。
アナウンサーが流されながら叫ぶ 「便秘便を5年間も溜めないでください!」
なんでみんなそんなに詳しいんだw
…好きだったものの思い出話は止まらへんでぇ〜
>>239-240 それって以前漫画VOWで似たようなの見たことあるけどあれかなあ。
「ふんづマリイ」とかって名前だったと思う。
手塚治虫の「ふしぎなメルモ」は 女の子のハダカがやたらと出てくるので 悪書扱いされていたことがある。 今じゃ手塚作品ってだけで名作扱いだもんなあ、 この手のひら返しは何なんだよ。
てか、雑誌掲載開始当時は、性教育的なヨウ素は全くなく、 Oh!モーレツやハレンチ学園のブームに乗っかり、 幼年層(幼稚園「小一」「小二」に連載)を対象にし、 大人になったり赤ちゃんになったりする際にスッパダカになるのを 一種のお約束シーンとしていたドタバタマンガだったがな。 お母さんも存命。 タイトルも「ママァちゃん」だった。 ちなみに、あの赤・青のキャンディには、総称として、 グリゴの1粒300mを文字った「1つぶ10年」という名前がついていた。
キューティーハニーも小さいころドキドキしながら見てた
キューティーハニーのラストの投げっぷりはちょっと驚いた エヴァンゲリオンもびっくり
永井豪の漫画はタイトルもなかなか面白くていい。 あと関係ないが永井豪の場合、「マンガ」ではなく「漫画」だと思う。
>>210 ウルトラマンAは合体時の掛け声「ウルトラタッチ」が、子どもたちの間で
女子のお尻とか前を触る遊びに用いられたことが教育界での問題点。
ただし夕子の降板は視聴率低迷によるテコ入れ策だったとか。
>>249 実はかぐや姫でした、とか無茶すぎるよなw
ウルトラマンシリーズは「帰ってきたウルトラマン」から
駄作になった。ティガからちょっと復活したけど。
昭和の生活と言えば、書籍を書店で注文すると、出版業界 独特の流通の仕組みのために4〜6週間も掛かったこと。 だから大きな書店は需要があった。今じゃ翌日、最速で 当日だもんなぁ。
近所の電気店で信用貸しの月賦で家電が買えたこと。 うちは店(時計と眼鏡)をやってたんだけど、親父がよく 近所の電気屋から月賦で買ってたな。「今月は苦しいから 待って」とか「儲かったから2ヶ月分払う」とか言ってたわ。 うちも近所に月賦で時計とか売ってた。お互い信用してたんだよな。 あと、そういう店でも夜はガラス戸に簡単な鍵を掛けてカーテン 閉めただけだった。うちもそうやって店の奥で家族で寝てたけど、 ある晩、強盗がガラス戸を切って押し入ろうとしてたところを 通り掛かった酔っ払いが目撃して110番。おれらは店の前で光る パトカーのランプとサイレンで目が覚めた。親父はすぐにシャッターを 導入したけど、なんか味気なかったな。閉めると真っ暗だったし。
>>244 「不思議なメルモ」は今考えるとすごく良く出来た性教育マンガ・アニメだったんだよね。
今時の小学校の性教育という名の性交教育なんかじゃなく
あのアニメを授業で見せた方がよっぽど子供のためになると思うわ。
>>253 …カラオケで「ふしぎなメルモ」のテーマを歌ったら、何故か滝のように涙が噴き出して止まらなくなったことがあるとです。
サザエさんに夢中で放送していることも知らなかった
>>今時の小学校の性教育という名の性交教育なんかじゃなく そうなんだよ、いろいろなステップを飛ばしてセクロスだけを教えている。 いきなりズボッ、じゃないだろう。 ちゃんとオーラルコミュニケーションとかを教えないと
図書室にあった「ベロ出しチョンマ」に男女ともどもニヤニヤしていた。 貸し出しカードに名前が残るので、誰も借りなかった。
俺の人生初ズリネタは、思えば、ななこSOSだったような気がする。
>>241 10年くらい前に再販されたからな
なのでBOOKOFFに置いてあることもあるし
>>今時の小学校の性教育という名の性交教育なんかじゃなく ところが、先日、小5の甥に聞いたんだが、 4年の教科書に載っていたものの授業はなく、 お姉さんや妹のいない男の子のための疑問解消とかの 幼稚園から授業は一切なかったという。 「ぼくどこからきたの」的な本の存在も知らない。 (「むいて洗う」は教わったそうなので、この手の話を隠しているわけではなさそう) プールで女子のほうが見学が多くないかい?とたずねても 全く気づいていない。保健委員なのに。 小学生の親=30代=といえば、小学生時代に思春期突入は想定内だから 家々に下駄を預けているらしい。 平成ヒトケタあたりの教育に問題があったのか?実践しちゃったりとカ。 昭和50年前後だと、女子だけ集めての映画会だった。 男子に対しては何かありましたか?>各年代
55年。高学年辺りで男女一緒で視聴覚室で妊娠の仕組みの映画観た。 精子が卵子と出会って赤ちゃん出来るのは解ったけど、 なんで精子が卵子と出会うのかさっぱり解らなかった。 その後、男子のみ集めての精通及び夢精の説明はあった。
>>257 プライバシーの保護で、貸し出しカードに名前が残るのも無くなったな
>>263 そういえば昭和のときは個人情報保護なんて概念すらなかったよね。
雑誌の文通コーナーとか「売ります・買います」のコーナーに本名と
住所と電話番号とか平気で載ってたし。
>>260 55年。男子に対しては何もなし。
ただ、夏休みの学校おとまり会で上映された映画が「ふしぎなメルモ」だったw
男女一緒に観てた。
女子は保健室で性教育 男子は視聴覚室で性教育 その日、熱を出して保健室のベッドで寝ていた俺は 女子のほうの教育を耳ダンボにして聞いていた
オガクズ満載の果物の入った木箱ってなくなったなあ・・・
>>264 新書のカバーの裏とか平気で作者住所載ってた気がする
みんな若いな。 俺の時代は女子は保健室で衛生指導。 男子は運動場でソフトボール。 女子には指導内容を男子に話してはいけないという 指導もあったらしい。
昔は台風のたびに(年に何度も)川が氾濫して何万戸も床上浸水してたな。 台風のたびに畳を全部剥がして二階に上げたりしてた。うちの前が川みたいに なっていろんなものが流れてきたので子供としては楽しかったけど。 そういや最近は、窓を外から板で打ち付けてる光景みないね。
>>269 サッシは木戸と違って雨風に強いけえのお。
>オガクズ満載の果物の入った木箱ってなくなったなあ・・・ 梱包材、経木もそうだけと、匂いが移るというデメリットがあったのだ。 放射線には匂いもない。
>>269 壁の造りも違うから 釘で板打ち付けるのもやりづらい。
今は生理用品の品質が良くなって嬉しい。 昭和40年代生まれだけど、初潮をむかえた頃は本当に 「お座布団」と呼びたいような代物で、生理中はズボンはけなかった。 しかもかぶれても親が買ってくるので選択肢が無かった。
>>273 しかも、テープ面は手前に横一か所のみ。
縦二列式を望んでそれが出た時、裏全面糊つきが出た時はうれしゅうございました。
小6か中1のころ(昭和53年前後)高分子吸収隊とやらが採用され、 劇的に良くなったらしい。 研ナオコが「まだお厚いのがお好き?」とか宣伝していた。 同学年でも、小学生のうちに始まった子は、その旧型を知っているが、 中学に入ってからの子は、新型しか知らないそうな。 夜用がなくて2枚をずらして当てたり、テープがなかったりしたそうな。 男ですが、オクテに見られたらしく、周りの席の女子が教えてくれました。 大体周期も把握していて、とくに○子ちゃんはツラそうだから、 (休み時間も動けず、机に突っ伏している) 掃除の時間は変わりに机を移動してあげたりしていたな。 お礼はバレンタインの義理チョコ。(他意はなし) 1対1になるつもりは双方なかったので、 (そんなにかわいくなかったし、あくまでも人道的支援) 周期を知ったからといって利用する気はなかったな。 席が近かったかったからおしゃべりする仲だっただけ。 高校は別々なので、その後はどうなったか知らない。
縦型テープから全面テープ、薄型の開発から さらに羽根付きへと進化を遂げ、後ろまで安心の夜用が出たときは これでもう本当に安心して眠れる〜と喜んだものでございました。 そういえば昭和のマタニティドレスは、何故かピンク一択だった気がする。
中学生でタンポン使ってるということがバレたらビッチ扱いされた。 だって量が多くてナプキンと併用しないと仕方なかったんだよ。 今はどうなんだろう?
>>277 自分は工房の頃から、夜寝るときはタンポンとナプキンを併用してたね。
朝までぐっすりww
280 :
275 :2011/07/20(水) 20:40:19.09 ID:0UOjOU3g
タンポン使わないの?て聞いたら? 「あんなこわいのもの」っ言ってたな。 お母さんが心配してくれたり、祝ってくれたり、体の中にリズムを持ってるってのが、 不思議というか神秘的で、うらやましかった。自分のナニは、変な顔で見られたから。 そういや、タンポンのCMって最近見かけないけど、夜用とかが良くなって使う人が減ったのでは? と推測。
281 :
275 :2011/07/20(水) 20:57:36.16 ID:mXY1iKf6
ほかに 「痛み止め飲まないの?」 「お母さんが、薬に頼っちゃダメだって言ってた」 とか ○○部は絶対に休ませてくれないとか。 いろいろ聞きました。 小学校での映画会の内容を聞こうとしたらツンケンだったけど、 中学では「聞いて!聞いて!」状態だった。
>>280 あの頃のタンポンは、プラスチック製の挿入器具が付属してなかったから、経産婦じゃないとどえらい使い勝手が
悪くてのお。
タンポン自体は今でも大勢の人が使ってるよ。
ただ、子宮内膜症との関連が指摘されてるから、自分のように夜寝る時や運動入浴水泳時限定の人が多いんでないかい?
昭和の頃は「エイズ」はギャグネタだったのが懐かしい。 ゲイリブの概念すらないから小学生がYMCA踊ったり。
生理用品の話が続いてるのを見て、昨日、永井豪の話で 盛り上がってしまって悪かったと真剣に思った。
>>282 タンパックスは紙製アプリケーターが付いてました。
基本は付いてるもんじゃなかったっけ?
棒状の器具もあったけど。
ユニチャームが画期的なこと発見したお!!みたいに
あのフィンガータイプを発売したような。でもすぐ消えたねw
40年代前半生まれで小学生のころにきたクチだが、 アンネやユニチャームの大手だと1列でも2列でも固定テープが付いていたもんだが、全くないメーカーもあった。 生理用ショーツにちっちゃい鉄のクリップが付いててそれで端を止めてた。 夜用はあったような気がするがただ長いだけで2時間おきぐらいにトイレに行かないといけなかったので、整理中は熟睡できなかったな。 マリアナプキンってメーカーはまだあるのかね? 配達車がベージュにピンクでお姫様のシルエットが書いてあってかわいかったやつだ。
いつまで続くのこの話題?
同年代女子がそろそろ引退の頃に、小生、切れが悪くなってきて、ナプキンデビュー。 小学生じゃあるまいし、最新(現行)型しか知らないです。 小袋がテープの裏紙をかねているのに感心。 絆創膏や湿布みたいに裏紙があって、わざわざはがすと思っていたので。 レギュラーサイズで竿がぴったり収まる。ライナーでは心細い。 貼る位置が違うので、羽根は不要。 ロリエとセンターインは余計なくぼみがついているのでイラン。
別スレの書き込み読んで思い出したけど、昔は携帯電話なんて なかったから、友達と話すときも家の固定電話に掛けてた。 親子電話も少なくて、なぜか電話はリビングに置いてあることが 多かったから、長電話がしづらかった。特に付き合ってる彼女に 電話するときは、親という関所を通らないと行けなかったので 掛けづらかった。
中学の時だが 用事がありクラスのA子の家に電話をかけたが A子の家では「彼氏から電話が来た」とちょっとした騒動?になったそうだ 今じゃそう言う事は無いだろうな
>>290 今じゃ親が子供の交友関係とかまったく把握できんからなー。
今のガキは「夜分遅く申し訳ありません」とか言わねえんだろうなあ。
女子高を舞台にした漫画の「櫻の園」で「ざぶとん」「ちとせあめ」って言葉が出てきてたけど、 本当にざぶとんだったんだな。
294 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/21(木) 02:00:19.78 ID:qZJ0a4T2
>>275 ってキジョ丸出しなんだけど何の目的で男ぶってんの?気持ち悪い
>>284 …漫画の話から漫湖の話になっただけじゃ。気にするなwww
>>294 キジョかどうかは知らんがキモいってことには同意
昭和50年代生まれ 水泳の着替えは5年まで、教室で男女混合 6年の臨海学校は男女混合雑魚寝、先生達はお約束の宴会 1メートルもある定規を常に持ち歩き、校内で何か意に染まぬものを見かけると 尻や背中を叩く小学校教諭(結構痛い) 給食残しは認めない、たとえ昼休みどころかその次の掃除が始まっても 泣きえずく子供に完食を強要する先生 部活中の水分補給は認めない ブルマ 結構エロ本がそこらかしこに落ちてた 冬も半ズボン(今見かけないね半ズボン)の男の子や ジャージの袖口鼻水でてっかてかな子とか絶滅したよね…… ってか子供全体の顔レベル嘘みたいに上がったよね
>>297 あったあった。臨海学校なんて部屋で全員一緒に素っ裸になって
着替えてて、当時は子供なんてあっけらかんとしてたから、女子の
マンコが目に入って気になって仕方なかった。
追記。
>>297 >冬も半ズボン(今見かけないね半ズボン)の男の子
うちの学校男子は一年中半ズボン強制だったよ。真冬で
雪が積もってても半ズボン。
消費税なんてものは無かった。 時々「売上税」とか「福祉目的税」とかいう制度が国会に提案されて 野党や左翼のデモや署名活動につぶされてた。
>>298 昭和50年代生まれが小学校に行くのって1980年代だろ。
もうさすがにそんなにあっけらかんとはしてないだろ。
清岡の児童ポルノ全盛期だし。
逆に2次性徴は当たり前、恥ずかしいことではない、という教育が徹底していたりして。
303 :
298 :2011/07/21(木) 13:55:45.11 ID:fm40TDwA
>>301 >>清岡の児童ポルノ全盛期だし。
まだ、知る人ぞ知る時代だった。
警戒というより、性への関心は恥ずべきことではないみたいに、
40年代より開放されていた感がある50年代。
性教育の絵本などもゾクゾク刊行され(40年代はなかった)
TVなどでも、活発な女の子はパンツが見えて当たり前、
伊藤つかさみたいに、ロリコンに寛容にすらなっていた。
「パンツ丸見え体操」や「まいっちんぐマチコ先生」なんか野球拳や
「ハレンチ学園」などよりぜんぜん容認されていた。
女の子同士でスカートめくりしていたり。
普通のエロ本に小中学生を対象にした盗撮(としか思えない)があったり、
(バトントワラーやパンツ丸出しで公園で鉄棒など)野放し状態だった。
ロリコン、子供が性的対象になりうると一般に認識されたのは、
平成元年のM事件だろう。
>>290 そういや、趣味のサークルやってた時、年上男性の家に連絡のため電話したら
「あんた息子のなんなんですか!?」ってカナキリ声で叫ばれたことあったよ。
何でもないんだけどw その男性は見るからに喪な毒30リーマン。
びっくりして切っちゃったけど、「何の用だったんですか?気になります」という
ハガキが来て怖くなった。
今はいいよね、メールで全員に同じ内容を一斉送信できるし。
彼氏にかけた時「○○くんいますか?」とかけてしまったら、母親が臍を曲げて
しまったらしく、「いません!」とガチャ切りされた。
「はじめまして。私○○と申しますが、○○さんいらっしゃいますか?」
ぐらい言わないといけなかったみたいだ。教育ママだったし。
>>305 それは教育ママだったとかそういう問題じゃないぞ。
307 :
!sage :2011/07/21(木) 17:18:59.72 ID:TxN6ZazE
>>305 それじゃ、小学生の電話のかけ方だよ。
何歳の時の彼氏か知らないけど。
いや、
「電話をかけたときは、先にこちらから名乗る」は、小学生のうちに躾られるものでは?
少なくともウチはそうだった。
躾のなってない、息子をそそのかす娘、という第一印象を与えるに充分。
俺、高校の部活の連絡で女の子に連絡したら「いま何時だと 思ってるんですか!?」と怒られた。午後7時だったのに。
たぶん、305は、生理とかで汚したパンツもそのまま洗濯機へポイ。 後の工程はすべて親任せで当たり前だとおもっているよ。
大学の時の同窓会の案内でちゃんと同窓生の○○だと名乗っているのに 「うちの息子とどういう関係だ」ってマザコンの母親に誰何されたよ。 奴、大学推薦で某銀行に就職したというのに彼女の「大阪に行っちゃいやだ」 (大阪本店の銀行だった)の一言であっさり退職した。そのため、その後 十数年その銀行の推薦枠がなくなった。
>>309 なんでそこまでキモくて悪意に満ちた考えが出てくるんだか。
305はちょっと電話のかけ方が残念だけど、お前ほど下品でも下衆でもないと思うわ。
>308 スーパーもデパートも街角の小売店も夜7時になったら全て閉店してたなぁ… 今は24時間いつでも食料が手に入るけど、かつてはありえない話だった。 おいら思うんだけど、全国的な肥満の増加ってそれが原因なんじゃないかと。
スーパーやコンビニで売ってる、工場製の食パンがまずかったよね 超熟が発売されたときは本気で感動した 最近セブンの食パン食べて、昭和の食パン思い出したw
>>312 何を言う。デパートなんて6時閉店だったぞ。だから日曜日に
遊びに行って帰りにデパートで何か買ってもらうときとか、
下手するとデパートが閉まっちゃって残念だった。三省堂とかの
大型書店もすべて6時閉店。さらに正月は5日まで休みだから
お年玉を使えなくて困った。
ついでに正月ネタ。 大晦日ですべての店が閉まってしまい、6日頃まで、下手すると 松の内はどの店もやってなかったので、大晦日に食料を買い忘れると 死活問題だった。父親はタバコを2カートンくらい買って、普段見ない 長い食パンが家にあった。4日くらいまでは完璧に正月気分で、朝から 父親が酒を飲んでいた。
316 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/21(木) 21:57:43.02 ID:iVMSYwJl
正月ネタだと 12月31日は17時ごろ店じまい 1月1日は完全休業 2日、3日初売り 4日以降、最初の土日は休み(連休) こんな感じだったな 自営業やっている同級生が 完全休みの日があるから正月が好き と言うのを聞いて 将来働くとき、小売業は止めておこうと思ったよ
子供の時に、 二層式洗濯機に水入れて、風呂だよと言われたな〜 弁当もちろんないからパクった金で食べてたな〜 いまだに自分貧乏だけど、今のが遥かに幸せ! おかんにテレビ買った。支払い大変だけど、これぐらいしかできない。
2日3日が初売りとはお若いのぅ 昭和40年代は、デパートも三が日しっかりお休みだったよ 2日が誕生日の自分はずっと涙目の子供時代を過ごしたわ ケーキもないしプレゼントもないし ぶつぶつ
そういえばケーキはバターケーキだった 何故大きいケーキはマズいのかとても不思議だった
昭和47年 我が家に有ったもの 電話機、TV2台、内風呂、車(軽自動車) 我が家に無かったもの カメラ、ラジオ、レコードプレーヤー 金持ちだったのか、貧乏だったのか。。。
年末の忙しさが異常だった。 家族総出で買い出しに行かなかった? で、買った食料をひたすら切って焼いて煮て漬けて。 正直二度とやりたくない…。
バタークリームが不味いってよくきくけど・・・ 今でこそ生クリームとの違いがわかるけど子供の頃は全くわからなかった。 ケーキなんて本当にクリスマスくらいしか口に入らなかったんだもの(´・ω・`)貧乏 でも任天堂のテレビゲーム15はあったんだぞ(・∀・)
>>318 ご同輩よ。ただ俺の地元はおもちゃ屋以外は6日まで
休みだったよ。横浜の駅ビルは2日に初売りをするのが
常だったけど、その後は6日まで休み。高島屋なんて7日
まで休み。
>>320 同じく昭和47年。
あったもの。自動車、電話、カラーテレビ、
クーラー、ステレオ。
なかったもの。風呂。
商店街だったんだけど、ご成婚のときにカラーテレビを買って、
商店街中の人達が集まって見てたら(映画「三丁目の夕陽」状態)
店の時計をごっそりと盗まれたわ。
風呂はあったけど木で出来た風呂だったな 浴槽ではしゃいでると「底が抜けるから」ってよく怒られたよ
>>322 うちも貧乏だったが、たまに、ごくごくたまに、母がケーキを買ってくれることがあったから、生クリームのおいしさを知っていて、
それこそ319の感想と全くいっしょで「大きなケーキというのはまずいもんだ」と思っていたよ。
でも、ケーキがまるごと食卓に乗ってるってこと自体が幸せでさ。
少数派だと思うけど、 自分はバタークリームケーキ大好きだった。 特にショートニングの安いやつ。 親が生クリームのケーキ買ってくるとがっかりだった。 自分の誕生日は当然バタークリームをリクエストしてた。 今も当時みたいなバタークリームケーキ食べたいけど、 売ってるとこないんだよね…
アイスで出来たケーキ一度食ってみたかったな
バターケーキは美味いよ 次の日が美味い カレーみたいだな スポンジと相性がいいのはバターのほうだぜよ
>>328 ヤマザキでクリスマスに予約できるよ!偽バタークリームのケーキ
コンビニでチラシ置いてるよ
昔、うちの風呂は木の桶みたいなやつで
上がり湯を入れる所が別にあって、木の蓋がついていた
おでん屋で、おでん鍋を見るとその風呂を思い出すよ
銅板?を貼った煙突がついてて、触ると火傷した
332 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/22(金) 02:20:15.60 ID:EyyJbO9+
昔は駄菓子屋、玩具屋が多かったな。 老夫婦とかおばちゃんが経営してるような店で、 何も買わないような餓鬼でも邪険にせず相手にしてくれてた。 住宅地にも意外と店が多かったのを覚えてる。 食堂に洋服屋、本屋や電器屋、時計・宝飾・文具・小物店 お茶屋とか毛糸屋もあったな。 飲み屋もカウンター一列の小さな店で、夜の11時には閉まってた。 色々な商店がいつの間にか消えて、コンビニとチェーン店ばかりになって 駅前や商店街には、地域と共存していない、迷惑な飲み屋ばかりになっちゃった。 駅前でメニュー持ってしつこい客引きして、朝まで営業な上に真夜中に大騒音とか… 粋で地域で共存していた商店が消えて 代わりにプチ歌舞伎町みたいな町並になっちゃった。
333 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/22(金) 02:25:15.91 ID:Re57hO5F
昔のケーキには黄桃の缶詰がよく入っていたが 最近はあまり入ってないような 高級感に欠けるからだろうか? イチゴだけのショートケーキより 黄桃とイチゴのケーキが食べたい
>>173 清純な筈のアイドルなのに、みんなヌードになっちゃったよな。
石川ひとみとか、雑誌でヌードになりながら、NHKの番組でレギュラーだったりとか…
逆に今は凄いよな
セックスの話を赤裸々にしたり、ヤンキーの過去暴露されたり、出来婚〜離婚してまでも
脱がされる事無く普通に芸能活動しているし…
昔は離婚の出戻りはヌードで復活が当たり前だったし
性の話や不良時代の過去なんか暴露された日には、引退か日活ポルノ行きだった
不祥事や黒歴史暴露のような目に遭わなくても、トップに上がれないアイドルは
一定以上の年齢になると脱がされてたよな。
335 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/22(金) 04:45:00.59 ID:6B4Jji9A
昭和45〜47年にあった カラーテレビ、電話、電気(お座敷用)てんぷら鍋、自家用車(コロナ) 電気毛布、ホームラジオ、ホットカーラー&被り物とホースがついて髪セットするヤツ。 パタパタ式デジタル時計。(空港によくあるヤツ) 昭和50年にあった(45〜47年にはなかった) 電卓、ジャー炊飯器(一体型)、※電子レンジ、もちつき機(もチッコ) ステレオ、ガステーブル(ガスコンロつきダイニングテーブル)。 サロンドライヤー(美容院にあるスタンド式の「釜」) なかった エアコン、ビデオ ※電子レンジは早かったかもしれない、47年に水害があって、電器屋で 展示していた本体は助かったが、箱や説明書などの付属品が流され、 安く売ってくれたそうだ。新幹線でしか見タコとがなかったものが突然家に来たのでビックリした。 一体型のジャー炊飯器以前は、単機能の炊飯器。1人だけ食事が遅れると、 本来は蒸し器で蒸かすんだろうけど、1人のためにそれをやるのは時間や手間が かかるので、冷や飯のまま食べたり、お茶漬けにすることが多かった。 蝿帳もまだ活躍していた。
(つづき) 餅つき機とガステーブルは流行らなかった?結構あちこちの家にあったけど。 ガステーブルは、鍋料理なら五徳、焼肉やお好み焼きなら鉄板を載せ換え、 使わないときはコンロの部分に周囲と同じ色調のふたにして真っ平らになる。 (買わなかったけど)冷水機つき冷蔵庫はあこがれていたけど子供がねだって買ってくれるものではないしね。 流行当時は、冷蔵庫もボロくなかった。1ドア→2ドアに買い換えたのは、52〜53年ごろ だが、冷水機ブームはすっかり下火になっていた。 ビデオは、昭和55年にベータマックス!J7。 フェザータッチ、リモコン、スロー、初のピクチャーサーチがついた、フル装備機だった。
県名一文字の自動車のナンバープレートが格好よく見える今日この頃。(徳島県なら「徳57」みたいな) 昔は軽自動車も白ナンバーだった。
Wikipediaで調べたんだが。 バターケーキは冷蔵すると味が落ちるからデコレーションケーキに向いてないだけで、ちゃんと作ればうまいらしい。
>>336 冷水機付き冷蔵庫ね。
洗浄しにくく雑菌が繁殖しやすいと判ってさくっと廃れたの。
うちもあったけど、水が出るところにやーな感じでピンク色の物が繁殖してるのが見えて、自主的に利用しなくなったわ。
つかボトルに水や茶を入れて冷やす方がいいわな。
>>318 オイラも誕生日が1月2日!
ケーキはサンタさんが乗ってたり門松がはえてた。
クリスマスと誕生日のプレゼントはいっしょ。
バタークリームの本物はすごいリッチなおいしさなんだけど、専門店じゃないと 売ってないっぽい。 偽のは胸焼けするからトラウマだけど。 先日行ったドームのハムー楽天(ダルとまー君の投げあい)見に行ったんだが 超満員で、昔は巨人戦が毎日こんなに客が入ってたなーと思い出しました。 今の巨人は大金払ってまで見たい選手がいないね…
うちは父親がデパート勤務だったが、子どもの頃の正月は 1日が初詣、2日が父方の親戚訪問、3日が母方の親戚訪問と決まっていて、 色んな人にお年玉をもらえてうれしかった。 ダイエーの躍進がめざましくなってきて、デパートの初売りが 1月4日から3日に繰り上がってうちの正月は2日までになった。
昭和45年ごろ、近所のパン屋さんの娘さんが電子レンジ買ってもらって 店頭においてホットドックを作って売るようになった。カウンターと 椅子もおいて今風のベーカリーやカフェみたいな感じかな。 電子レンジというのはホットドック製造機なんだと思ってた消防時代。
>>341 その投げあいなら満員であたりまえか、と思ったけど、
昔のパリーグなら山田−東尾なんて対戦でも満員にはならなかったわけで、
選手なり試合そのものなりを見に行くようになったというのは、
プロ野球としては健全になってきたってことだね。
>>328 食板にバタクリスレがあるよー 情報満載だよー
自分も去年末に突然バタクリ食べたくなり、ずっとロムってお世話になってたw
ログ参考に買いに行って幸せだったよー
>>342 うちは親戚が田舎から出て来て、最初に出て来たうちの親父と
お袋が世話役みたいになってたから、正月は親戚がたくさん来て
お年玉がたくさん集まって嬉しかったなぁ。何しろ親父とお袋
併せて兄弟姉妹が15人だし、血が繋がってない人や遠い親戚まで
来てたから。
親戚どうしは一度に来ないから、俺と兄と、あとはたまたま
居合わせた他の親戚の子には渡してたけど、うちの親は全員の
子供にお年玉渡してたけど、大変だったろうな。
今の子は親戚が少ないからお年玉も少ないんだろうな。うちも
兄だけだし。
>>347 …うちは、親戚づきあいがあまりなかったので、お年玉は親からしかもらえんかったとです。
チョコレートパフェの6割を占める部分がアイスじゃなくて 生クリームだったときのショックといったら・・
昭和の頃は電話とかにキルティングカバー掛けていた。
昔、カセットテープに音楽を録音してたころ、 テープデッキによって微妙に回転速度に差があって、録音したデッキ以外のデッキで聞くとほんのわずか音程が狂った。 誰かのラジカセでエアチェックした曲を耳コピーしようとして、 キーボードの音とピッチがずれてて気が狂いそうになった記憶。 CDではありえない話だけど。
>>350 ドアノブにカバーかけて滑るっていう何がしたいのかわからない状態あったなw
手垢をつけないための布カバーが、逆に埃を呼んだりとかな。 でも、ノブが壁に接してしまう場合、カバーのおかげで壁に傷や汚れがつかないといういい点もあったんだよ。
354 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/22(金) 15:39:07.26 ID:GwembdiD
嫁いだ時、築100年くらいの薄暗い古民家だったから、 義妹が少しでも明るい雰囲気になるよう気を利かせて、 色んな物(ドアノブ、電話、ティッシュetc‥)にフリフリのカバー着せてくれてたんだが‥ 生憎私はそういうのすごく苦手で。 イヤなんだけどちょくちょく帰省する義妹の手前剥ぎ取ることも出来ず。 そういや義妹はいまだに車にもハンドルカバーやらシフトレバーカバー?やら 座布団やら満載してますわ。
355 :
305 :2011/07/22(金) 16:01:47.15 ID:GooklgA3
309みたいな叩かれ方されるとさすがに引きますわ…。男性? 相手は偏差値75の高校の超エリート男子で、ママが怖いといつも 言ってたのを忘れてましたわ。
※マタ〜リと参りましょう。
そういや昭和の生活ってひと言で表せば「すべてがアナログ」だったよな。 電話もジーコジーコと回していたし。
腕時計は無駄にデジタルだった
そういえば、ヤマトもスター・トレックも、未来の計器がアナログだった。 21世紀になれば、エアカーが飛ぶようになるのか、と思ってた子供の頃。
*ただしメーターはアナログ
おもちゃバラせば子どもでも理解できるような物理的な動作してたなあ。ピタゴラスイッチ的 おもしろさがあった。
「自宅の置時計や掛け時計がデジタル式だと お子さんの時計を読む能力が遅れますので できるだけご自宅の時計は針式のお使いください」 って通知が来た。小学校1年生の時。 スポーツの点数掲示板みたいに ぱたぱたと文字盤が回転して時刻を表示するタイプの時計も 「デジタル時計」って呼ばれてたな。
そりゃ呼ぶでしょうよw
>>362 そのタイプの「デジタル」時計って、数字が書かれたプレートが
少しずつずれてぱたりと落ちてくるから、逆さまにするとバサッと
めくれちゃうんだよね。しかも逆回りができないから、時計が進んでて
少しだけ戻したいときとかものすごく大変だった(機種によっては時と分が
別々に動かないから23時間50分進めなきゃいけなかったり)。
そういや中島みゆきの唄に「カタリとデジタル時計が変わる〜♪」ってのがあったな。
あれは「ぱたぱた時計」と呼んでた。 デジタルという言葉を聞かなかったなあ。 2001年宇宙の旅に出てきたシャトルはパンナムで、 操縦席の計器はニキシ管だったよ。 アメリカ人はパンナムが消滅してしまうなんて想像しなかったろう。
バタークリームのケーキの上には 銀色の仁丹みたいなのと、 赤や緑の透明の丸いのが乗ってた。
そういやクリスマス名物の三角帽に鼻眼鏡の酔っ払いは 絶滅したなぁ。
>>366 アラザンね。
あとアンゼリカっていう緑色の輪っかの正体が
フキの砂糖漬けだと知った時はびっくりした。
>>371 あと、頭にネクタイ巻いて土産の折り詰めの結び目をつまみながら
千鳥足で鼻歌交じりに家に帰るお父さん。
携帯が普及していない時、彼女への連絡手段は 家に電話するしか方法が無かった。 オヤジさんが出たらどうしようといつもビクビクものだったな
>>367 ビートたけしがたけしのオヤジ世代のクリスマスの光景だって言ってたな。
昭和初期か大正か。
デジタルの腕時計は表示が赤い7セグのLEDで カレンダーすら付いてなく、電気喰うから ボタン押さないと何も表示しなかった
>>375 7セグLEDの腕時計なんてあったのか…!
テレビ録画した番組を再生して観ると、画質の悪さから言われなくても録画したやつってわかった けど、今のLEDテレビ&HDD録画のコンビネーションなら、画質がリアルタイムと遜色無いから分からない リアルタイムの番組観ててCMになったら早送りしようとしてしまうし、録画番組を観ててCMなのに、ウゼーと思いつつCM明けを待つ
学年ごとに色の違うショーツ型ブルマ (なぜか男子の短パンは3学年共通色) はみパンして大変だった 調べたら、やっぱり不評でハーフパンツに移行されてったんだね
379 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/22(金) 23:50:21.92 ID:pbN/q2e7
FMレコパル
「はみだしYouとぴあ」で大笑い
2ちゃんみたいな世界だったよね、はみだし。 明星だか平凡だかの悩み相談ページでセックスカウンセラーの 奈良林とかいう人いなかった?
高校生以上は実質酒が公認されてたな。特に県立の進学校とか レベルの高い学校だと、合宿の夜は先生も一緒に酒盛りってパターンが 多かった。タバコはもちろんNGだったけど。
>>383 >高校生以上は実質酒が公認されてた
あぁ、同感。
特に「進学校とかレベルの高い学校」というのがポイント。
基本的に真面目な学生で、普段一生懸命やるなら、
大人の承認があれば高校生でも飲酒OKという雰囲気だったよ。
今は20歳未満の飲酒には凄く厳しくなったな(´・ω・`)。
>>384 正月とか普通に酒飲んでたしな。ただし、未成年だけで
店で飲んだりは絶対にしなかった。神奈川だったんだけど、
吹奏楽連盟の合同合宿は毎晩酒盛りだったよ。今は当然
やってないんだろうなぁ。
手回し式の磁石電話機、懐かしい。駅とかに あった。ドイツ軍の線引っ張る工兵思い浮かべた。 TV関係では、大きな転換点は、モノクロ→カラーが 昭和44年あたりだったか?VTR来たのが昭和54年位? その前に、田舎ではUHF放送が始まった。これが40年代の 終わり頃か?俺の田舎は必ず違う方向に2本、VHFと合わせて 3本のアンテナが屋根上にあったんだが、これも地デジ化で 実質1本か、ケーブルだとなくてもOKになるものなあ・・・。 考えれば、地デジは物凄い転換点だな。
>>331 >>328 >>346 遅くなったけどバタクリの情報ありがとう!
今年のクリスマスはヤマザキ要チェックや!
バタクリスレにも行ってみる!
>>333 長崎のケーキ屋さんが作る
「シースケーキ(またはシースクリーム)」は
黄桃&パインまたはメロンのショートケーキだよ。
苺じゃなくてごめんだけど、黄桃は確実にのってる。
>>384 19の時、ウイスキーを原液にして一合近く飲んで酩酊状態になった。
この件で、自分の適量が判ったんだけど。やっぱ大人の目がなかったりするといきなり適量ぶっちぎって
芯だりすることがあるから厳しいんだろうねえ。
イッキやらせようとする吉外もいるし。
あ、そうそう。
思春期の習慣飲酒は、生殖線の細胞を破壊するからダミよー。
書道教室でたまに読む雑誌に載っていたガッツ乱平っていう漫画は 何が言いたいのかサッパリ解らなかった。
ガッツ乱平ってジャンプだったっけ 色んな要素詰め込みすぎて訳わかんなくなってた漫画だな 流行りを取り入れて路線変わっちゃうの結構あったよね、750ライダーとか
登場人物が天才ばかりという設定だから、我々凡人の理解の埒外を突っ走っちゃってるんだよwwww
ジャンプなら小谷憲一の「テニスボーイ」が好きだった。バブルな頃じゃなきゃありえない設定とか
>>383 オレの母校がまさにそれだ。県立の進学校。
なにかというと打ち上げと称して酒を飲むんだが、ホームルームで担任から注意がある。
「酒を飲むなら校内ではやるな。あと飲食店もまずいからな(つまり誰かの家でやれ、と)」
なんのことはない教師の大半はOBなんで自分もやってたことだから禁止はできないわけ。
>>390 人間と犬の交流漫画が、いつの間にか犬が喋り出して徒党を組んで
喧嘩をしながら全国制覇を狙う男一匹ガキ大将化したのがあったな。
間抜けな異星の王子が繰り広げるギャグマンガが友情プロレス漫画に
なったりw
>>394 犬が喋るの「銀牙」だったな
子供の世代まで続いてたよ
よく喋る犬、無口な犬もいたw
396 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/23(土) 09:44:17.25 ID:O/hlYKWz
酒あったなぁ 中学3年の時、俺含む4人を、スポーツクラブの若いコーチが一人暮らしの自宅に泊まり掛けで招いてくれた 行き付けの居酒屋で酒盛り→自宅でジンやウォッカの割り方をレクチャーw→ノーカットのAV鑑賞→怪しいビデオは海外のノーカット検死解剖orz 俺らまだ14〜5歳だからねw 同じく中3公立中学の理科教師 車侵入禁止の河川敷に愛車のジープで突入 俺らをジープの外側にしがみつかせ(一人は屋根w)芝の河川敷を暴走 急ハンドルを切ったりしてみんなギャーギャー楽しんだ 正にアクション映画さながら 振り落とされたりした奴もいたが、不思議とケガしないんだなぁ で帰りに焼き肉バイキング 今じゃPTAから訴えられて免許剥奪されかねないな いい恩師に恵まれた時代だった
397 :
教えて!goo参加中minaotehon :2011/07/23(土) 10:17:58.15 ID:TSrmSNrR
くだらないイカレタ心理云々の仕業が判らぬまま心労から精神疲れる哀しすぎる人間が居た 今では漠然と判断つくが悔しい憤りは今よりも強かったに違いない
>>386 昭和は長かったんだなと「手回し式電話」で実感。
んなもん、本でしか見たことないし。
昭和天皇崩御のとき新卒だったんだけど、
当時の上司が「記帳に行くのなら遅刻してもよい」と言ったので、
それ(記帳)を理由に映画を一本観て、午後3時に出社した。
「あはーすごい行列でしたねー」とか言って。
いい年して若い頃の「やんちゃ自慢」する人って本当にいるんだなぁ。 交通違反やら10代の飲酒やらみたいな「恥」って普通なら隠すもんなのに…。
古い電話つーとなんか変な電池がついてたなあ。 四角くて外側が紙っぽいやつ。
>>400 「やんちゃ」じゃないんだってば。それが当時の習慣であって、
悪いことをするという意味で酒を飲んだわけじゃないの。農民が
「ハレ」の日に酒を飲む習慣が続いてたようなもの。
昭和の時代の「やんちゃ」は シャレにならない犯罪行為のこと。
スレタイくらい読めよ。
確かに昭和のやんちゃは、ハンパなかったわ。 今みたいに遊びが過ぎるってレベルじゃない。 やんちゃ=犯罪なら犯罪も草食系になったもんだなww オレは、先輩のリンチが怖くてパシリやってました。
>>398 駅のホームの柱に付いている職員連絡用の電話機が、昭和末期まで手回し式だったと思う
昭和の高校生が主人公のジュニア小説wとか読むと結構酒飲んだり夜遊びしたり 男女交際とかも大人顔負けな濃さだった。 バンカラな気質が残るような学校だと余計そうだったのかもね。バンカラって言うと聞こえはいいけど 今で言ったらDQN?
>>399 えっ、ウィードに子供が?
そっかあ、そうだよなあ
>>405 DQNとバンカラは違うと思う。昔のバンカラは筋が通っていたというか、
曲がったことが大嫌い、みたいなところがあった。今で言うDQNは当時は
チンピラとか愚連隊と呼ばれていた。
酒は、大人が若者に飲み方を教える、という風習の名残だと思う。俺も
高校のときに親父にキャバレーに連れて行かれて二日酔いどころか三日酔いした
経験があって、そのときの気持ち悪さを今でも覚えているので、深酒はしたことが
ない。ついでにタバコも吸わない。
何もかも遮断して純粋培養しておいて、20歳になったら「はい、解禁」って
自由にやらせる方が怖いと思うよ。
410 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/23(土) 15:35:04.93 ID:86JGg/ga
最近の学生は、親のウィスキーを盗み呑むとか、タバコを隠れて便所ですったりしないのか? にちゃんを読む限り、ちょっと規則違反したらどきゅん、どきゅんと叩くが、皆、そんなにおとなしくなったのか?
>>410 最近は杓子定規な連中ばかりで息が詰まるわ
「携帯忘れちゃったから○○の電話番号教えて」
「個人情報だから無理です」
○○も俺もおまえも泊まり合って飲み明かしてる仲だろ。それに
俺の携帯にはあいつの番号が入ってるんだよ。そう言っても
「△△さんの携帯に○○さんの電話番号が入ってることが確認できたら教えます」
おいおい・・・・
ポップティーンが「これがチンポだ!」等の見開き企画をやって国会で問題になった 少女コミックは真面目な少女漫画だった
ジャンプでしゃべる犬といえば、わが輩はノラ公ってのがあったなあ。 子供がチビとあと一匹なんだったっけかなあ。
>>411 まあ、今の時代それは仕方がなかろうよ…。
個人情報で思い出したけど、昔の雑誌には「文通コーナー」とか「売ります買います」 的なコーナーがあって、当然のことながらお互いに連絡を取り合う必要があるので、 住所(番地まで)・氏名(もちろん本名)が、どどーんと載っていたなぁ…。 あと、オレが昭和60年に就職した会社では、毎年年末になると全社員(100人程度)の 住所と電話番号が書かれた社員名簿が全社員に配布されていた。つまり年賀状の 宛名書き用としてだが、これも現代の感覚ではどうなんだろうねぇ…。 ちなみにオレは平成11年にその会社を辞めたが、その時点ではまだ、 名簿の配布は続いていたと思う。
高校の卒業生名簿とかも住所や勤務先載せてたな
エレクトーンおじさん。
みんな9Vの四角電池の端子を舐めたよな?な?
それは006pと呼ばれてる電池のことだと思うけど なめなかったよw 電池をなめると苦辛いって記憶はあるから なんらかの電池をなめたことはあるんだと思うけど。
>>420 なめたなめた。新品だと特にこれがもうw
+と−の電極の間に、糊を塗りたくったりもした。
>>412 POPEYEか何かで、「これがマムコだ!」という見開き規格があったけど、
中身は船を上から見た絵(実物と全く関係なし)で、ここら辺にクリトリスがあるとか
いう説明だけで「なんじゃこりゃ」と思ったことがある。
成人女性のマムコとヘアだけが異様に厳しかったな。
…口の中に銀歯があったら舐めたときしみませんか?
電池?マムコ?
>>417 昔は同窓会の一番の仕事というと名簿作りだったのだが、
今は名簿そのものを作らなくなっているところが多いようだな。
>>410 若い時は悪いことをした、ということを反省してる風じゃなく、武勇伝のように得意げに語ってる人って恥ずかしいよね
>>410 そりゃ表面化したからには叩かれるべきだと思うよ
429 :
忍法帖【Lv=23,xxxPT】 :2011/07/23(土) 23:44:29.22 ID:jlwRky+/
その辺が昭和と平成の違いだろうね。 気は心、とかが通用しなくなった。 コンプライアンスってやつ。
430 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/23(土) 23:51:34.09 ID:jlwRky+/
昭和は、良識ある逸脱(脱法)行為、が一般的だった。 それが、飲酒運転も、増長しちゃって、東名や博多の事件。 被害者キャンペーンで一気に厳しくなったな。
偉そうなこと言ってる時の諺の誤用ってどうにも間抜けだな
>>427 武勇伝とか、そういう感覚とはぜんぜん違うんだってば。
「子供の頃ってトンボとか採ったよね」と同じ感覚。それが今は
「昆虫採集は生命への冒涜です」みたいな風潮になってると言ったら
分かってもらえるだろうか。
当時は悪いことをしている意識なんてなくて、今でも当時は悪いことを
したなんてことは全然思ってないんだよ。世間の見方が変わってしまって
今の物差しで見れば当時の行為は悪いことになるんだろうなぁ、ということ。
そこでスレタイですよ。
いやだから「今の物差しで見たら違法行為」なんだからその当時の事を 反省もせずに得意気に語るのはオカシイだろって話なんだが…
>>433 オマイは「昭和」生きてないの?じゃあ分からんよな。
生きてれば分かるはず。たかがタバコ隠れて吸ったとか
親のウィスキー隠れて飲んだとかでそれほど違法行為とか
言う神経が分からん。今と比べることがそもそも間違い。
それが昭和。「若気の至り」って言葉もあるしな。
「若気の至り(笑)」で何でも片付けられたら警察はいらんわなw
盗んだバイクで走り出す♪ なんつー歌がヒットしたご時世だったからね。 仕方がない。
>>416 俺は融通効かせて共通の友人にその場にいないヤツの番号教えたら、スゲー怒られてあやうく絶交されるところだった。
よほどのことがない限り、今の時代はそういう融通は効かせない方が無難。
信用を失いかねない。
>>438 >>411 のケースとは違うだろ。たまたま忘れてきた携帯には
その人の番号が登録されてるってんだから。
>>437 そういやそうだww
>>436 >>435 は微妙に論点ずれてるから気にしないでいい。
何も昭和を全肯定してるわけでも、昭和の方が良かったと言ってるわけでも
ないんだよ。
ビーバップとかあんな世界、本当に実在したんだろうか? 学校サボるとか万引きとか、そんな世界都市伝説でしょ?としか思えない。 でも、たまにいるよね、ビーバップな世界に生きたことを自慢げに語るおっさんw
上の方で学校で酒盛りとか言ってる奴がいたけど もし俺がそんな場面に出くわしたら、県教委にチクった上で 隠し撮りして実名入りでネットに晒すわw
>>441 あれはマンガなので、かなり誇張した部分がある。
でも、雰囲気はあんなもんですよ。オレもそういう高校に居たので…。
433、435、どちらも言いたいことわかるよ。 他人への暴行や盗難は別として、 飲酒喫煙に対して昭和の頃は確かにゆるかったしな。 まあ一応は違法行為だから自慢気に語るべきではないけど、 今の尺度で反省しろって言われても困るっちゃ困る。 つまりどっちも間違ってないと思うんだけど、 こういうのは個人の考え方だから平行線かもだ。 自分も多少の飲酒喫煙はしてた口だけど、 「子供ががんばって粋がってた」という自覚があるので、 人に語るのはなんとなく恥ずかしい。
>>443 不良なのに毎日学校行ってるのが偉いよねw
>>445 どんなに着崩しても変形でも制服は着てるとかねw
その手の常識って地域差が激しいからねえ。
でもね違法行為については今の若者のほうが長けていると思うな。 昔の未成年の飲酒とか暴走行為とか可愛いもんだよ。あんなの得意気に語られても なにそれ可愛いで済まされるだろw
なんという夏休み
>>426 うちの高校、卒業生名簿は10年ごとに更新してたけど、
ついに今年「諸事情に鑑み名簿の作成は休止します」って言ってきたわ。
あくまで休止なので不満のほうが多ければ再開するのかもしらんが。
旧制中学時代から100年ぶん以上なんで、
「どこまで厚くするんだろう?いつか分冊になるんだろうか?」
などと思っていたんだが。
同窓会の連絡とかどうするんだろう?
>>451 ああ、書き方が悪かったね。休止したのは卒業生に販売する名簿の話なんだ。
連絡用の名簿は同窓会事務局や各学年の幹事は保有してるんだよ(してるんだろう)
同窓会だよりに住所変更届けのハガキもついてるしね。
>>437 >>盗んだバイクで走り出す♪
所詮、保護者に守られた上でイキがってるだけなんだよな。
こっちがいくら道はずしても縁は切れないのを逆手に取る。
衣食住人任せのクセに、寂しさ持ち寄ってベッドキシませてるんだから、
勘違いも甚だしい。まさにおままごとの思想だよ。
シーツ汚しても洗濯は親任せで何の疑問も持たない。
454 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/24(日) 09:43:57.72 ID:21sW/ON/
まあ虫も殺したことがない世代とは話が合わんわなw 虫、魚、は虫類、両生類には残虐行為をしたが、ほ乳類は、さすがに気味悪くて残虐なこと出来なかった。
>>454 一方、ある国では大の大人が幼児の手の骨を踏み砕いていた
>>441 うちの中学がリアルビーバップだったw卒業したのがちょうど昭和最後の年度。
でもそのころにはもう、都会ではそういうヤンキー文化は廃れていたんじゃないかと思う。
地方の工業都市での話。
ヤンキー以外の生徒は、ヤンキーを空気のようにスルーしていたな。
下手に関わるとカツアゲとかの対象になるから。
一本筋の通ったw不良だかなんだか知らんが一般家庭に育った一般生徒はそんな風に関わらないのが普通だったよね。 見た目は全部同じだし、見た目だけで人を威圧しようとしてるのは一緒なんだし。
弱者をよってたかっていじめなかったね。 今じゃ自分が安全なところ、集団の中にいて異端者をよってたかっていじめる。
>>448 > でもね違法行為については今の若者のほうが長けていると思うな。
> 昔の未成年の飲酒とか暴走行為とか可愛いもんだよ。あんなの得意気に語られても
だからそういう話じゃないって何で理解できないんだろう。
たとえば、道交法が改正されて、スピード違反は例え1km/hオーバーでも速免許取り消し
みたいに変わったとして、20年後くらいに「昔は周りの流れを見て幹線道路ならプラス
20km/hくらいで走るのが普通だったよな」と言うのに対して、その時代の若者が「年寄りが
得意げにワル自慢してる」と言ってるようなもの。
誤解して欲しくないのは、当時も万引きや暴力、破壊や暴走行為、薬物などはちゃんと「悪」と
認識していたし、それらに手を出すか出さないかで線引きがされていた。暴走族に憧れるような
奴は今で言うDQNで、底辺の連中としか付き合っていなかった。ビーバップハイスクールみたいなのは
底辺校の話。
今回の流れはあくまでも「酒に寛容だった時代」という話。悪いことをしているという意識は
なかったので、ワル自慢でも何でもないよ。
>>457 中学は、高校と違って棲み分けができてないからなぁ
高校は、入試である程度振り分けられるんだけどさ
>>441 万引きはどうか知らないが、平成に入ってから確かにDQN校の出席率は上がったらしいね
そして授業を聞かずおとなしくメールしてる
女子高生コンクリート詰め殺人がリアルタイムで珍走団も全盛の世代だったから 当時の大人はみんな眉をひそめてたな。「荒れる十代」とか言われてた。 うちの方は比較的平和な地区で大した事件はなかったんだけどね。 でも隣町では不良同士の喧嘩とか結構あったみたい。 親は妙義山のリンチ殺人とか浅間山荘事件とかがリアルタイムな世代だったけど ああいうのは関わらなければいいけど不良は子供の身近にいるから怖いと言ってた。
飲酒とか喫煙はワルっているか、大人にあこがれてる面もあったと思うけどね。
466 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/24(日) 16:00:05.28 ID:Z97Opodr
お受験バトル漫画がいつの間にやらボクシング漫画にw
昭和の頃は、やたらと「子供のくせに」といわれて なんでもかんでも制約されていたから 子供自身が「早く大人になりたい!」と思ってたよな だから、中高生はやたらと背伸びしたがっていた。 それが今や、子供の人権wとやらが主張できるようになり 子供のままでいた方が得な時代になっちゃったねえ 引きこもりニートとか、昭和なら精神病院送りだわw
そういや昭和の小中高って、普通に先生に殴られてたよな。
体罰がなくなったのは進歩だし教育現場が改善されて良かったと思う。 生徒が教師を舐めるようになったとか尊敬しなくなった、とかいう意見もあるけど 昭和の時代だって、やみくもに体罰を加えるような教師は尊敬されてなかったし 体罰無しで尊敬されている教師だってちゃんと居た。 問題をすりかえるなと言いたい。
このスレ見てると未だに恨んでる人がけっこういるみたいだね 教師による体罰。
>>470 俺の場合は殴られたのにちゃんと理由があったので、
意外とそうでもない。むしろイヤミが酷い奴のほうが嫌いだった。
>>470 むしろ子供の頃はそれなりに納得していた
今の常識で照らし合わせるとひどいことされていたと思うだけで
まあそれなりに悪いことした奴がゴツン、とやられてた 訳で、納得の上だったよな。決して体罰はいいことでは ないけど。今は先生になるのもある意味命がけで難儀。 昔以上に、「聖人」装うことを強要されるものな。 あくまで「装う」のな。
474 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/24(日) 22:18:13.77 ID:c1dAe7MS
いじめはいじめられるような、鈍くさい子が悪いと、教師も親も信じていた。 何か下らない失敗でもすると、「恥ずかしくて外を歩けない!」と親がガキのせいにして理不尽な思いをさせるのが教育だった。
悪いかどうかは別として 「いじめられる人にはいじめられる理由がある」と思う キジョは発狂するのやめてね
>>475 仮にそうだとしても、それを理由にいじめていいってもんでもないだろう。
いじめる奴は屁理屈だろうが何だろうがいじめたがるんだよ。
ほら来た だから自分は「いじめられる人にはいじめられる理由がある」としか言ってないんだつーの
>>477 単純に人がいじめられて困る姿を楽しみたくて、いじめる者もいるじゃないか。
たとえばストレス解消とか。そういうことも想像できないの?
蚊取り線香
そういえば、喧嘩に負けて帰ると怒られたな 再戦して勝ってこないと家に入れてもらえない子もいたけど 僕らはなんでそんなに勝たなければいけなかったのだろう。
>>477 「いじめられる人にはいじめられる理由がある」ってのは本当だな。たくさんいる人から
その人がターゲットに選ばれるのにはある程度理由がある。
ただ、「こうだからいじめられてもしょうがない」って用法でそれを使う人間は下衆。
>>481 世の中には、自分よりいいものを持ってるという理由にならない理由でいじめる人がいる。
たとえばいい自転車乗ってるとかいい服着てるとか何とか。つまり嫉妬。
理由は根本的なものもあるけど、後付けのものも少なからずある。
気に入った相手、親しい相手だといじめないけど、疎遠な相手、親しくない相手だといじめる人がいる。
話がかみ合ってないw
>>478 それでも「ターゲットに選ばれる人と選ばれない人がいる
社会生活送っててそれに気づけないとは…
>>483 いつもこういう反応だよ主婦とか
言ってもないことに激高しだす
いじめに類する行為は、太古の昔から今に至るまでずっとある。 ワザワザこのスレで論ずるのはネタ違い。 いじめについて語りたい連中は、いじめ議論スレで存分にやりあってくれ。
>476の過剰反応と馬鹿さに引いた いじめられてるんだろうな
488 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/25(月) 01:54:00.54 ID:UkUZKG6+
昔のヤンキーは茶髪にする事より パーマだった気がする 上の方はダンカットのパーマで 襟足は細く残して小さく結んでた子がいた オオカミカットってやつ?
髪の毛の脱色といえば、オキシドール 毛染めは爺婆の使うもので、今みたいな若者向けの毛染めなんて無かった。
自制心のなさ、自分の欲望に忠実という意味では、昭和より今の方が巧妙だと思うよ。 集団でイジメとかは、昭和の方が自制心というか世間の目が働いていたような気がする。
複数の小学校の卒業児童が通う公立中学校で、A小学校の花子ちゃんの悪口を、B小学校C小学校の 子にまで言いふらして、男子生徒ほぼ全員が加担して虐めるという、とんでもねえ女の腐った様な 話があったと聞いてますよ。 対人スキルを身に付ける時間をそっくりダメにされた被害者は、就職結婚はおろか恋人も作ってない。 ちなみに、昭和50年代の事だとか。
>>488 校則にパーマ、アイパー禁止ってのがあったwアイパーって何の事なのかわかったのはずっと後だった。
カラーリングっていうのは昭和の時代にはあまりなかったね。
ゴミの出し方がアバウトだったよね。 黒い袋に入れて出すから中身わからないし。 ガス抜きしてないスプレー缶が爆発したり、収集車の人は怪我が絶えなかったろうな。
>>494 子供の頃は燃えるゴミ、燃えないゴミとかの分別が一切無かった。
缶だろうがビンだろうが全部まとめて黒いビニール袋に入れて出してた。
つーか燃えるものは家で燃やしてたw 紙や落ち葉のたぐいは庭の隅のドラム缶で燃やし、 生ゴミは同じく庭の隅に掘った穴に埋め、 ビンは酒屋の御用聞きが持ち帰るし、 缶はときどき来るくず屋さんが引き取ってくれた。 どうしても燃えそうにないゴミだけ役所からくる収集車が持っていった。 そんな昭和40年代。
>>495 そういや要らなくなった机とか冷蔵庫とかゴミ置き場に
捨ててあったよね。いつの間にか回収されてた。置きっぱなしの
冷蔵庫に子供が入って遊んで熱死する事故とかたまにあった。
駅には待ち合わせをする人のための「伝言板」という黒板があった。 「一輝へ。0時まで待ったが来ないので先に行く。氷河」 とかいうオタク心あふれる伝言をよく見かけた。 それを時間ごとに消すのが駅員さんのお仕事。
>>498 遅く来そうな人宛に書く伝言は
できるだけ長く残してもらえるように、
書き添える時刻を遅めに書いたもんじゃった。
(たしか2時間くらいで消されるんだったよね?)
「XYZ」と書き込んだのが最後だったな。
駅の伝言板ネタは、そろそろガイシュツネタとして、テンプレにしない? XYZの話も飽きたよ。
ケガしたら赤チンつけて絆創膏。 はがしたらカサブタが剥がれることの繰り返し。 自分の子どもは湿潤療法のキズパワーパッド。 赤チンて成分的にもよくないらしいし、 あんなもんよく子どもに使ってたなとおもう。
赤チンて水銀が入ってるとかわかって消えたんだっけ。 見た目も激しく良くなかった。 その後はマキロンが主流。 昔はハガキ職人ていたけど、今雑誌に投稿するのってメールばっかなの? イラストはハガキかな。データで送るんか?
フィキサスチーフがないから、はがきの裏全面に水濡れで読めなくなるのを防ぐために蝋を塗ったりしてね。 華桜小桃さんが、「あれ(蝋塗り)っていったいなんのおまじないなの!?」って言ってたww
>>504 現役ハガキ職人ですっ!!(o^-')b
507 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/25(月) 20:31:59.29 ID:wrg5Btvk
ラジオに送るハガキは、字が汚いと読まれないと聞いていたので、一回も書かなかった。 そんなこと気にせずに、もっと積極的にラジオに関われば良かったのにと思う。 メールになってからは、下らない内容でも読まれるので、感慨が薄いな。
秋元康もハガキ職人出身でつね。鶴間政行も。 今活躍してる放送作家はラジオのハガキ職人出身者が多い。 ってことは、ハガキ職人が廃れたら放送作家も減るかも。
確かに空き地の冷蔵庫に子供が入って出られなくなったっという事故を 昔はよく聞いたけど、何で中からじゃ開けられないの? レバーを捻ったりラッチがある扉なら外からじゃないと 開けられないのはわかるけど・・・ 冷蔵庫の扉ってペタンってくっつくだけなのに(´・ω・`) 博識なお方、バカな自分に教えてください。
今突然思い出したんだけど水中花って見なくなったねぇ。 うちは母があれ大好きで夏になると必ず買ってた。 最初の頃は紙製でそのうちビニール製のが出てきて、でもビニール製のはあんまりきれいじゃなくて 母と紙製のを探して回ったりした。 そのうちいつの間にか紙製のもビニール製のも見かけなくなった。
この前の東京ドームのダルと田中マーの投げ合いを見に行ってしみじみ思ったが 昔の日ハムって、巨人様の球場を間借りしてるって感じだったね。 タダ券配ったり少年FCで豪華な景品配ったりしたが限界はあった。 片や巨人戦は連日満員だった。 今や年間観客動員数、巨人より上になるんじゃないの。 移転して良かったと思うよ。昔は関東関西にチームが集中しすぎてた。
>>511 あったあったw
「後楽園球場でプロ野球観戦チケットプレゼント!」って
楽しみにしてたら日本ハムだったり。
>>509 閉じ込め事故が多かったので、マグネットになった。
それまでは肉屋の冷蔵庫みたいながっちりしたラチェットハンドルだったんだよ。
しかも、中から開けるための仕組みもなかった。
昭和50年ぐらいまで閉じ込め事故はあったねえ。
パリーグは関東関西に集中してたな。所沢、後楽園、川崎、なんば、藤井寺、西宮。 それが今では北海道、東北、関東、関西、九州と散って、それぞれの土地に熱烈なファンがいる。 実にいいことだと思う。 しかし何で昔から地域を分散しなかったんだろうね。 俺は関西出身だが、テレビでやっていたのはひたすら阪神戦ばっかりで、折角パに3チームもあったのにパの記憶がほとんど無い。 勿体無い話だ。
515 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/25(月) 23:14:29.36 ID:UkUZKG6+
>>498 聖闘士星矢・・・!この頃から
美形アニメが増え始めたのだろうか
もっと前はずんぐりむっくりした
アニメばかりだった気がするけど
伝言板って、今の駅には無いのか。 じゃぁXYZとか、どこに書けばいいんだよ。
ツイッターにでも書いてろよ。
>しかし何で昔から地域を分散しなかったんだろうね 地方都市では大赤字になると言う先入観があったからね 例 広島カープ
ハガキ職人→構成作家の道は個人情報保護法云々で消えたらしい。 (深夜の馬鹿力より)
駅の伝言板の話題ってこのスレでよく出てくるね。 あんまりその存在を意識してなかったけどな。
>>498 ところが名古屋の地下鉄だと現役なんだな
今年の春開業した駅にもしっかり設置されたし
今更なのにいざ撤廃するとプロ市民が騒ぐから撤廃出来ないらしい
昔のプロレスってすぐ流血したり、凶器攻撃した印象がある。 歯をやすりで削ってる人もいたな。プラッシーだっけ? あの頃は団体がすごく少なかったんだろうね。 今いくつあるのか知らないけど。 アニメ・タイガーマスクの影響で、いまだにプロレスが怖い。
駅にはたんつぼがあったなあ。 ごめんなさい、白状します。 学生の頃酔っ払ってあれにげろ吐きました
>>523 ブラッシーな
プラッシーだと米屋で売ってたオレンジジュースになっちゃうw
…おまいら。 芦田豊雄氏がお亡くなりになりましたよ。
キャリアの長いオタクにとって、 昭和57(1982)年3月18日(17時55分)は、 人生を変えた時。
528 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/26(火) 05:49:03.44 ID:LwMHFLr7
会社の若い衆と話していて驚いたことのひとつが、 下着は白が基本、男性の下着は上下とも白がデフォであったことが、 基礎知識、共通認識としての常識ではないことだ。 (家庭〔親〕からも伝承されていない) とくに、少年期においては、親があまり考えずに買ってくることもあり、 純白のブリーフ×orU首シャツorランニング(夏季)の一択状態だったこと。 もっと驚いたのが、着替えが小学一年次から別で、 当時の同年代男子の下着がどうだったのか、女子がまったく知らないことだった。
半ズボンは超ショート丈で、あまり伸縮しないデニム地。 キレイな声の子の号令や独唱、朗読を聞いてしまったり、 スタイルの良い子の鉄棒大回転などを目の当たりにすると苦しかった。 他人に気づかれるのではないかと心配でもあった。 体格が気になってくる女子の体育時のブルマとともに、 ゆったりしたハーフパンツ状のものが主流になったのは、そのせいだろう。
>>529 所持品の性別での色分けが廃止されたり、体操服が男女共通になったりしたのは「強制購入なら
性別血縁関係なくお下がりさせやすいようにしろやゴルァ!!」圧力もあるそうな。
確かに、銭湯の暖簾や公衆トイレのマークじゃあるまいに、家庭の経済事情や個人の価値観にまで
ずかずか立ち入られて「これを強制購入!!」は感じ悪いもん。
変質者に、「この子は女です襲って下さい」と、個人情報を目に付く形でさらけ出すことを強制
されるいわれもないし。
ちなみに「お下がりさせやすいようにしろやゴルア!!」は、異性のきょうだいを持つことによって 異性カラー学校用品を持たされた子供だった人から上がった声だそうな。
532 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/26(火) 06:31:36.73 ID:jnquPt3U
でも学年ごとに違うカラーだったりしない?
>>532 学年カラー学級カラーは、全国的な物ではなく、地域的な物だと聞いております。
入学時に決まった色を、6年間使い、6年生が卒業したら、新入生にその色を割り振るそうですね。
公立小学校での制服同様、転勤族には顰蹙買いそうなシステム(地元にずっと定住してる人の
メリットしか考えてない)だとは思いますが。
>>514 交通機関だよ。蒸気機関車で長距離移動を4,5日おきに繰り返す負担がでかかったから。
その昔、高校野球夏の大会期間に阪神がズタボロになっちゃうので死のロードって言われてた。
>>525 ワロタwww
プラッシーは微妙に薄くて好きだった。
536 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/26(火) 08:53:29.47 ID:SE/J7Vz3
昭和後期のヤングの必須アイテム(死語)であったラジカセ。 昭和50〜60年代の製品は、TV音声が受信できる、って言うのをウリにしていた機種もあった。 これで歌番組を録音しても、「ごはんよ〜」が入らずにすむと。 だが、この機能も一昨日でお役ご免となりました。
537 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/26(火) 09:00:41.15 ID:rKlBIUf4
コリーを見かければラッシー! テリアを見かければベンジー! シェパードを見かければカール! と勝手に呼んでいた
>>502 立てた後から「あれ入れろこれ入れろ」言うよりも
次回から
>>502 が立ててテンプレに追加しよう。レベル24なら
スレ立て出来るし。
>>536 読んで思い出した。
昔は録音機とテレビを直結できなかったから、スピーカー部分に
テープレコーダーのマイクをあてて録音してた。するとなぜか
いつもおかんの「ごはんよ〜」の声がする。録音中なので返事
できないでいると「○○〜!ごはんよ〜!」とさらに声が大きくなる。
その場合の録音の最後はたいてい「もう!録音中だよ!ガチャッ」になる。
>>536 テレビとラジカセを、ジャックとコードでつなげば、「ご飯よー」は入らんのじゃ。
…ただ、ポータブルテレビとラジカセをジャックでつなぐと、テレビが「ぼんっ!」って言って
ご臨終してしもうたがのwww
あと別の部屋で蛍光灯点けたらブチっと音がした ラジオでエアチェック中あのノイズが入ったらイラッとしたなあ
>>541 プチっ、チチチチ…みたいなノイズだな。
でも、当時は煩わしいと思ってたけど、30年くらい経った今、そのテープに残された
ノイズを聴くと当時のことが色々と思いだされて、ちょっとジーンとくるんだ…。
>>542 わかる。
古いカセットテープ何十年ぶりかに聞いていて、
プチプチノイズとか、母親の「○○ごはんよ〜」が突然聞こえてきたら泣ける
過ぎてしまった時代は美しい
>>514 ライオンズは昭和53年までは福岡にあったんだよ
ロッテは川崎におちつく前は仙台を本拠地にしていた時期もあった
(まあ、その前は東京だったけど)
パリーグというのは元々は「毎日新聞+電鉄」リーグという感じで
当初は毎日、阪神、阪急、南海、近鉄、東急、西鉄、大映だった
(阪神はセリーグに鞍替えしちゃうわけだけど)
プロ野球チームを持てるほどの鉄道会社となると大都市に集中するのもしかたない
セリーグでは大洋(今の横浜)が当初は下関を本拠地にしていた
でもけっきょく人口集中地域を背負ってないと経営は成り立たないってことなんでしょう
メジャーリーグだと本拠地の人口は50万とか、もっと少ないところもあるけど
周辺もあわせた都市圏人口で見れば、少ないところでも200万人規模ではある
録音開始 \ ____ (; ゚∀゚) | ̄|ヽ _\ ( ∪ ∪ _____ | |= ) ) と__)__) [_i(::)ェ] | | r r / | ̄ ̄i ̄ ̄ ̄| / \ ____ ゴハンヨー ('A` ) | ̄|ヽ _\ \ ( ∪ ∪ _____ | |= ) ) と__)__) [_i(::)ェ] | | r r / | ̄ ̄i ̄ ̄ ̄|
>>545 下関時代の関係で、横浜と広島のファン同士は仲が良い。
実は、西日本5県のうち、4県…特に漁港の付近は現在でも横浜ファンの方が多かったりする。
小学校の時の同級生の女の子が「走れコータロー」が聞きたいって 言うから夜のヒットスタジオで録音したテープあげたっけ。でも カセットデッキもないって言ってたのが良い思い出だわ。 それからわずか10年でラジカセもステレオも溢れる生活になろうとわ。
ステレオと言えば昔はコンポ組むのが憧れだったな。 山水のアンプにマランツのプレーヤーにDENONのスピーカー。 ちなみにスピーカー1個20kg。レコードプレーヤーのレコード針の 部分をカートリッジというんだが、そこはシュア製の3万くらいするやつ。 交換針が1万円。音にこだわる奴はカセットテープなんて使わずに オープンリールのデッキ。ツートラサンパチ。
>>546 あっ、もう貼られてるけど、これのさらなる発展形みたいな。
>>545 ロッテは南千住にあった球場(オーナーのポケットマネーで建設?)が
老朽化したあと仙台を準フランチャイズにしながら、ジプシー球団と
呼ばれていたような記憶がある。
少年キングで「おれと金やん」という漫画が連載されるほど金やんは
マニアには人気があった。
オフはタレントしてたね。「特ダネ登場」の回答者とか。
>>518 カープは親会社を持たない市民球団だったもんだからシャレにならんレベルで金がなく
選手の給料が払えないからって大樽置いて募金を呼びかけたことがあるんだよな
金を払って見にきてるファンに「さらにお金を恵んでください」とたのんだんだから正真正銘の乞食球団
そんなチームが苦節四半世紀を経て優勝したんだから、昭和50年の喜び方が尋常じゃなかったのもうなずけるし
近頃、負けても、負けても、負けても、熱心に応援するのも「わしらのチーム」という意識が浸透してるからだろうね
他のチームのファンにはバカみたいに見えるだろうけど、カープファンにはカープが在ってくれるだけでも充分なんだ
でも、できればクライマックスシリーズくらいは出てほしいなあ……
カープすげーよ。 全員野球とか赤ヘル軍団とか、阪神以上に熱烈なファンがいてもpおかしくない。 甲子園中に死のロードとか苦しい境遇でもってのがファン心理を加速させてるのだとしたら まだまだ甘ったれてるよな。
ブラッシーの歯研ぎは日本で思いついたパフォーマンスだったらしい。 来日時に丁度差し歯にした歯があったので、目立てヤスリを入手、 それで差し歯を研いでみせたそうだ。
そういやタイガージェットシンってせっかくサーベル持ってたのに グリップ側でしか殴らなかったよね。
558 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/26(火) 15:47:52.62 ID:zSEhPWno
笑
怖くて実際には試せないんだが。 プロレス好きに「プロレスには脚本が云々」て言ったら烈火の如く怒るの? 誤解しないで欲しいが、プロレスを悪く言う意図は無い。
G馬場ってアニメじゃ左門豊作の声と同じだったな。 大人になってから気がついたが。
>>559 反応は人それぞれだが、オレの友人のプロレスファンは怒らんよ
ただし、だからこそおもしろいんだ、とか熱弁が始まるので地雷であることに変わりはない
なるほど、何事も然るべき背景があってそうなっている、ということですな。 ライオンズが九州にあったことやホエールズが下関にあったことをすっかり失念していた。 地方チームの遠征は大変だったみたいだね。 夜行列車の座席や床で寝ながら丸一日かけて東京に移動とか。
>>561 まあ実際ガチンコ試合を標榜して、10ラウンドの間延々と牽制と小競り合いを見せられ続ける
K-1とか総合格闘技とかが面白いかというと…だからな
ガチンコ試合を見たいなら相撲だな(棒)
ファンクラブの入会数だけで見ると、他11球団は本拠地近辺の人数が一番多いが、広島だけは全国に散らばっているそうな。 神戸に住んでいるが、阪神やオリックスが優勝した時は町中それ一色だったから驚かなかったが、 横浜が優勝した時にふらっと北野の異人館あたりを通りかかった時に「祝・ベイスターズ優勝」の横断幕がかかった建物があってびっくりした。 建物の名前を見たら大洋真珠でなるほどと思った。
>>557 たまに剣先で突いたり、自分が剣先で刺されたこともあるぞ
もうひとつ。フリッパー
>>563 選手が夜行列車で寝ずに花札しながら酒盛りしてたそうだ。
しかもそういう連中が完封したりガンガン打ちまくったりw
あとピレネー犬を見かけたらジョリィ! ビスケット1枚あったら♪あったら♪ ジョリィとぼくとで半分こ♪
全国的にホームゲームかと思うほどファンが多いのは阪神だろうな。 地元でも人気がないのがベイじゃないのw 優勝した時のニワカ人気はすさまじかったが。 そうそう、アライグマを見たらラスカル!
あらいぐまはラスカルと決まってた
574 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/27(水) 02:03:48.19 ID:JMolMlnh
夕方5時に文房具屋が閉まる。買わないといけない物があるときは困った。 オヤジに頼むから怒らないでくれと哀願しながら、街の店に会に連れて行って貰ったことがあるが ボケだのアホだの、ありとあらゆる罵声を浴びて、さんざんな思いをした記憶がある。 素直に言ったらボロクソに怒られるから、なんでも隠蔽する癖がついた。
もういっこあった。 ビーグル犬はスヌーピー。
>>563 > 地方チームの遠征は大変だったみたいだね。
> 夜行列車の座席や床で寝ながら丸一日かけて東京に移動とか。
硬い木の座席で眠りながら北海道を転戦して、ようやく本州(青森)に戻ってきたと思ったら
東京から颯爽とやってきたチームに完全試合食らったでござるの巻ってやつですね
「あんな試合、取材する価値ねえよ」って記者が誰も来てなかったので
日本プロ野球史上初の完全試合は映像どころか写真1枚残っていないという……
話は変わるけど、今のラジオ体操って声が若いね(ちょうど今やってた)
俺らのころはハキハキしたオジサンの声だったが、おにいさんの声になってる
一日一善 笹川良一
余りにも古すぎてスレチ気味かもしれんが 昭和17年の後楽園球場にて変則トリプルヘッダーがあった 第一試合:朝日3-2名古屋(延長10回) 第二試合:大洋1-0巨人 第三試合:大洋4-4名古屋(延長28回) 大洋は休憩25分挟んだだけで37イニング連続出場 そんでもって大洋の投手に野口ってのがいてこいつがまさにバケモノ トリプルヘッダーの前の日、対朝日戦に登板して一安打完封 トリプルヘッダーの第二試合、代打で登場 そして第三試合、28イニング完投 もっとも一番辛かったのは47イニング(三試合)フル出場した審判との説も
>>576 中日に星野仙一が監督として赴任したときに、ポケットマネーで全員を
新幹線のグリーン車で移動させて、「巨人は毎回こうやって移動してる。
おまえ達も強くなればそういう待遇になるんだ」と言って奮起させたらしいね。
>>573 ラスカルは罪が重いね。
あのアニメのせいであらいぐまのイメージが良くなり過ぎた結果、
ペットになり、面倒見切れなくて捨ててしまったあらいぐまが
野生化して日本の生態系を壊したり、人間をおそったり。
熊だってことを忘れちゃいけない。スレチだが。
外来種の哺乳類を飼うときは、金玉や子宮は摘出しておこうね!! 良い子のお約束だよ!! …つか、そもそも原作だって最終回は手に負えなくなって野に放す(しかも、ラスカルにとっては 野生の仲間のいる生まれた地)のに、なぜ日本で野に放すのかと。
大学の試験(もちろん入試以外)が実質カンニングし放題だったこと。 ただしレベルの高い大学限定。一流大学だと入学式以降、ほとんど学校に 行かなくても卒業できた。
大学の教授も大らかだった。 六大学野球を見に行った場合は出席とみなす、とか。
>>580 アニメでも、成長するにつれて野性の本能を発揮して迷惑かけるところとかちゃんと描かれてるんだけど
そういうところは忘れられて、かわいらしさばっかり記憶されてるね
夏休みは親子でゴハン食べながらお昼のワイドショーを見ていた。 家出人捜査とか、あなたの知らない世界とか。 月曜・女の事件簿というコーナーはエロい再現ドラマだったな。 愛人とか出てきてドロドロ。 学校の給食の時間はと、ベルトクイズQ&Qしか見せてくれなかったので新鮮だったw
>>572 >全国的にホームゲームかと思うほどファンが多いのは阪神だろうな。
でも85年のフィーバーから数年経った頃は
あまりの弱さにさすがの阪神も人気が無かった。
前にサンテレビで87年の甲子園での阪神大洋戦を見たけど、
キーオと遠藤のエース対決にも関わらず
外野スタンドはガラガラ、歓声もパラパラで
球場全体も何だか薄暗い雰囲気。
あと最近はかわいい耳を付けてピンクのユニフォームを着た女の子が多いけど
当時は観客はおっさんばっかりで女の子の姿が無かった。
>>586 OL丸出しの格好をしてライトスタンドにいた私が通りますよ…と。
当時は会社帰りにふらっと行っても入れたなぁ。
今は前売り買わないと無理。
人気球団になったなーと思う。
ビクターの首かしげた犬の置物
今は野球がすっかり下火になって他の番組に迷惑かけなくなったけど もうTV自体見なくなってしまってその恩恵はあずかれなかった。 昭和期に野球中継がなければ悔しい思いをする場面はずいぶん減っただろうにな…。
PL学園はヤクルトより強い そう言われてたな 阪神とPLの中村監督を入れ替えろ これは暗黒時代だから平成か。。。
高卒ルーキーがあたりまえのように20勝とかしてた時代なら、甲子園の優勝校はカープやホエールズより強かったかもしらんね いくらなんでもそれはないか……ないよね?
昭和の野球選手の私服って金のネックレスやらロレックスやらをジャラジャラ付けて セカンドバッグもってたイメージがある
>>588 今、私の目の前で首かしげてるけど・・・
昭和の「阪神タイガース」っていうのは85年以前のタイガース。 今年は優勝するぞ!って言いながらファンも選手も優勝するとは思ってなかった。 だから1985年に一番戸惑っていたのは元からのファン。
>>596 言ってるだけだからなw
最初に貯金して、しばらく喜んであとは毎度のように。
1998年のベイは「多分死ぬまで優勝は見られないだろう」と覚悟してた 大洋時代からのファンを複雑な気分にしてくれた。 あの事件で心が離れてしまっていたファンもいたしな。
>>592 派手なネクタイにソフトスーツ、ブランド物のセカンドバッグだったw
イチローとかが最初にその路線から外れたのか?
>>599 ヤクザファッションから脱却したのは、ナベQとか工藤みたいなライオンズの面々だったと思うけど
それでもけっきょくスーツって線は捨てきれていなかったわけだから、
そのへんのアンちゃんみたいな格好するようになったのは、やっぱりイチローあたりからかな
吉川晃司ばりに肩を張ってな。
ナベQの変り果て方はあんまりだと思うw モデル体型で当時流行だったDCブランドを着こなし、パンチパーマ主流だった時代に髪を伸ばし、 タレントやモデルと浮名を流したシチーボーイwだったととある記者が語ったところ 現在の部下である若い選手(実名出ておらず)があっさり 「想像もつきませんが」 と返したそうだ まだ当時はああいうスタイルの選手は珍しかったのだが、 今の若い選手は当たり前に小顔で手足が長いモデルみたいなスタイルのが多いね 日本人そのものが変わったということか
603 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/28(木) 12:04:46.93 ID:QPI8uY/N
夏休みの午前中はアニメ(バカボンやトムとジェリーなど)を帯時間でやってたな
今でも昭和40〜50年代な雰囲気が漂う野球選手は阪神の金本。 ファッションセンスが広島の水で洗われたものだからだろうか… 広島の田舎の方に住んでいた友達が子供の頃市民球場に連れて行ってもらって球場に入ろうとしたら、 後ろから白スーツ白エナメル靴パンチパーマのいかにも893が追い抜いて行って球場に入っていったと。 うわー893じゃ893じゃとドキドキしていたら、その893に向かって入り口の係員が 「おはようございます衣笠さん」とあいさつしていてびっくりしたとか。
若い頃のナベQはかっこよかったね。 今でも顔自体は変わらないと思うが、中年太りって怖い… その点あまり原監督は変わらないな。
607 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/28(木) 20:28:24.02 ID:qKyShf/A
プロ野球なんて、田舎だったから夢のまた夢の世界だった。 子供の頃から球場に出入りしていたなんて、なんという地方とのギャップと思う。
地元の市民会館(1500人くらい入る)の前に 広大な公園があるんだけど、前にそこにプロ野球の 球場と、鉄道の駅まであったと聞いて驚いた。 ちなみに飯能。
609 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/28(木) 21:11:25.13 ID:tktlK8Tb
プロ野球、それも巨人が国民的人気を博していた頃…。 広告媒体としては、超一等地といってもいい、後楽園球場のスコアボードには、 日本を代表する大企業である三菱重工、トヨタ、新日鉄、JALでもなく 「カラーテレビ」のメーカーにとっても絶好の場所にもかかわらず、 松下・日立・東芝といった総合電気メーカーをも差し置いて、音響機器しか 作っていない(当時)パイオニアが、ペイントではない造りつけの広告を 取り壊されるまで出していた。 テレビ、冷蔵庫、洗濯機といった必需品的家電品がほぼそろい、次は、 文化・娯楽的商品であり、ほとんど普及していなかった「ステレオ」と いうものが、砂漠に水を撒くかのように売れて、破竹の勢いだったんだ んだろう。 ┏━━━━━━━━━━━━┓ ┃ 世界の時計[<]SEIKO┃ ┗━━━━━━━━━━━━┛ ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ┃ DRAGONS ミスターG GIANTS ┃ ┃パ 7 藤 波 栄光の背番号3 8 柴 田 パ ┃ ┃ 4 西 田 7 高 田 ┃ ┃イ 8 井 手 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 R H E 3 王 イ ┃ ┃ 5 大 島 D 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 4 1 5 長 嶋 ┃ ┃オ 3 広 野 G 0 0 2 5 1 1 1 0 X 10 13 0 9 末 次 オ ┃ ┃ 1 佐 藤 PL 松橋 Av.244 HR15 6 黒 江 ┃ ┃二 9 大 隈 1B 富沢 S 4 土 井 ニ ┃ ┃ 6 三 好 2B 田中 世界のステレオ B 2 吉 田 ┃ ┃ア 2 金 山 3B 鈴木 PIONEER O 1 横 山 ア ┃ ┃ ┃ ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
>>579 昭和じゃないけど、阪神の某エースはグリーン車を払い戻して自分だけ
普通車に乗ってたらしいな。節約が趣味らしい。
今ヤンキースのマイナーにいる、ある意味NY1有名な日本人w
いまやプロ野球はCS加入するか球場にじかに行くかしないと、滅多にみられない
ものになってしまったな。
東京ドームの立ち見1000円というのは会社帰りのリーマンにはいいと思う。
しょっちゅう4,5000円払いたくないし。
>>610 彼の伝説だけでサイト1つができたあの方ですね。
野球選手がレコードを出していたのも昭和かな。
落合・掛布・小林繁・王さん・江夏…新庄か松坂が最後だったような気がする。
ナベQと言えば、ニュースステーション金曜名物、「クドちゃんナベちゃんのキャンプフライデー」だなw
この2人と阿波野・西崎、のちに潮崎と並んで完全なアイドル扱いだった。
今もあるけど「プロ野球ai」というアイドル雑誌もあった。
野球スレはこちらですか?
そうですがなにか? 昔はオフになるとプロ野球かくし芸大会や歌合戦があり、女装して 寸劇したり、自慢の喉を披露したり、今じゃありえないわ…。 女形になった荒木大輔やら、越後獅子踊らされた若手数名やら。 マイケルジャクソンの仮装する人も多数いた。
今の球場はどこでも外野から埋まる傾向があるが、 昔は不入りの球場は外野なんぞガ〜〜〜ラガラ。 代表格が東の川崎球場、西の大阪球場。 外野スタンドで流しそうめんしてたり周りを気にせずキャッチボールしてたり、 挙句アベックがいちゃついてたりしてたもんだった。 珍プレーでそういうのを集めた「観客編」ってコーナーまであったぐらいだが、 これが原因で出張中の浮気がバレた人がいるという噂を聞いたことがある。本当か?
プロ野球もあったけど、大相撲部屋対抗歌合戦もなかったっけw 歌うまい人が多かったように記憶してる。
>>615 うん、なぜかお相撲さんは歌が上手な人が多かった。
琴風とかレコードだしてたし。
>>584 そこまで含めてアニメをトレースして悦に入ってる香具師が大量発生した
…と深読みしてみる。
増井山の「そんな女のひとりごと」は名曲。 おすもうさんはおなかから声を出して腹筋を鍛えてるから歌がうまいんだと説明されて納得していた。 後年、相撲教習所で相撲甚句の訓練をすると聞いて驚いた。 棋士も出してたよね内藤なんとかってひとの「おゆき」
>>616 歌がうまいことの条件のうち、腹筋が強い・見られることに慣れている
の2つが人並み優れて鍛えられているから。
現代ならそれに加えて音感の良さや良い音楽に触れる機会も多いだろうし。
>>611 オイオイ、徳島の英雄を忘れてないか?
今はゆで卵ホラ吹きジジイになっちゃってるけどさ。
「燃えよド○ゴ○ズ」
>>620 アンジェラアキが彼に続く徳島の有名人になりたがっていたって話は本当みたい。
ほんばにもーわすれとったわ。
アイドル扱いでロッテ球団が出していたフリーペーパー「URE・P」の表紙にとんでもない格好をさせられた伊良部が載っていたと書きたかったが、忘れてたら…自殺とな?
>>618 > 棋士も出してたよね内藤なんとかってひとの「おゆき」
Q芸能界で将棋がいちばん強いのは誰か?
A内藤國雄
というクイズがあったのを思い出した
囲碁の石田芳夫もレコード出してたな。
>>619 たしかに人前でTバックになって全国放送されることに慣れたら
あがらなくなるかもね。長野オリンピックの開会式で土俵入りを
やったら、フランスの選手団が腹抱えて笑ってた。
去年だったかな、懐メロ番組で内藤さんが生で出てきたが、うまいと思ったわ。 2ちゃんの実況でも人気でしたw ガラガラの川崎時代のロッテに入団したあの人は、鉛筆みたいに細いハーフの美少年だった。 その後渡米し物議をかもしたが、まさかこんなことになるとは…。 合掌…
>622 Q将棋界で歌がいちばん上手いのは誰か? A内藤國雄 ってのと対だったね
昭和のおっさんにありがちなこと ギター=白 とりあえず弾く曲=禁じられた遊び、ベンチャーズのペケペケ部分
さっきまで見てて思った。 「アポロ計画」あれは凄かった。 サターン5型の打ち上げとアポロ11号の月着陸。 衛星放送されたんだよなあ。夏休み前でTVの前でかじりつき だったな。多分同じ年にあった大きな出来事は、松商ー三沢の 延長18回再試合。井上と太田の投げあい。うっかり便所にも 行なかったなあ。あの頃のTVはエキサイティングだった。
>>628 ギターが弾ける人は、毎回毎回「ねぇねぇ禁じられた遊び弾いてよ」と言われるのが
かなりうんざりだったと思う。
>>628 世代差かなぁ。
俺の時は神田川のイントロと魚屋のオッサンが屁をこいただったけど。
>>630 今度なんか奢ってやりたいほど同意。アルハンブラとか弾くと途中で飽きられる。
ブルース進行でアドッブを入れながら弾いてると「何それデタラメ?」とか言われて軽く殺意がわく
>>631 自分の周りだととりあえず22才の別れのスリーフィンガーか、東へ西へのかき鳴らし系か。
すごく以前に、イアン・ギランだかリッチー・ブラックモアだか来日したときに、久米宏のNステにゲスト出演したんだが、
「街角smoke on the water」と称して新橋の駅前にエレキ1本置いて、道行くサラリーマンにいじらせるという企画があった。
これがまた、酔っ払いのおっさんたちが嬉々として例のあのフレーズを次々におっぱじめてなぁ。
うろ覚えで妙な音になったりキー違いだったりいろいろしたが、とりあえず持った奴はたいがいやれるという。
その映像見たお二人さんもなかなか感慨深そうだった。
あちこちにどぶ川があって、各家庭のネズミ取りがヒモで結ばれて水没していた。 後で取りに来て水死したネズミを川に捨ててた。
>>629 自分は昭和49年生まれなんだけど
10年ほど前、「人類月に立つ」っていうドキュメンタリー番組のスレで
当時を知っている人とレスのやり取りをしたことがあって、
その人も
「今から思うと昭和40年代は毎日がお祭りみたいだった」
って言ってたな。
>>636 俺は37年生まれなんだけど、ホントに毎日のように
いろんなことがあったよ。悪い事件もよい出来事も。
月面着陸のときは夜中に起こされて一緒に見たけど、
何が起きてるのかよくわからんかった。ただ眠いだけ。
万博で月の石見たけど軽いしみたいだったなぁ。4時間も
炎天下に並んで、館内が涼しかったのだけ覚えてる。
ついでに万博ネタ。警備とかけっこう杜撰だったから フェンスの穴から勝手に入ってきて商売してる連中がいた。 とくに給水所が少なかったので、長時間並んでるパビリオンの 付近じゃ自家製のかき氷を売ってたな。かき氷アイスの入れ物に 砂糖水入れて凍らせただけのものが500円とか。1970年だから 今なら2000円くらいの価値か。
アポロ11号の「飛び出す絵本」持ってた
>>639 あー…、なんかそんなのオレも見たような気が…。
スーパーカー・ブームの頃の話ししてっ
>>641 ブームど真ん中世代のワシらはコカコーラを飲みまくったので骨がもろいんじゃよ
>>641 スーパーカー・ブームといえば、オレ的にはコカコーラの王冠。
ヨーヨーじゃなくて?
>>641 近所にスーパーカーの展示場みたいな店があって、
毎週日曜(当時は土曜は休みじゃなかった)は有料で
公開してた。子供が長蛇の列で、それを見越したたこ焼きの
屋台とかも出てた。
そのうち、その会社が潰れて、ある晩ヤクザがトレーラーを
横付けしてガラスたたき割って車全部持ってっちゃった。
>>641 フェラーリ派 vs カウンタック派 の争いだったな
渋いとこでは ロータスやポルシェ911
トランザムやサンダーバードは?
スーパーカーっちゃあサーキットの娘だろ
狼だろw 池沢早人師サーキットの狼MUSEUMってのを茨城に建てたらしいけど、 漫画の収入じゃスーパーカーは買えないだろうなあ。
>>650 鳥山明なんて200億円以上の資産があって、いまだにガンガン
増え続けてるっていうからね。死ぬまでに使い切れないってすごいよな。
>>652 あと、高橋留美子の御大も、天仰いで口開けてたら飯が降ってくる身分じゃないかい?
あのお方は、「漫画とは呼吸や心臓の鼓動なり」なので描き続けるが。
>>647 アメ車はスーパーカーにあらず
そんな感じだったなぁ〜〜
吉沢やすみさんは現在60ちょっと過ぎぐらいらしいけど 「ド根性ガエル」の1作しか目立った作品がないにも関わらず その1作だけで一生働かなくても生活していけるぐらいの印税収入があるそうだね。 だから今はもう特に何もしてないんだって。 「ド根性ガエル」って地方局ケーブルテレビも含めて 本放送(昭和40年代だったはず)から現在まで、必ずどこかしらで再放送されてるから。
ど根性カエルは何回かCMに起用されてるのとパチンコ、パチスロに使われているってのもあるからかも。 娘はギャラクシーエンジェルとか描いてる漫画家だし 娘婿もマイナーとはいえ有名(?)な漫画家だったり。
ファミコンが大人気で、スーパーカセットビジョンとぴゅう太があまり流行らなかった。
スーパーカーたちの性能見てみると時代感じるなあ。 ロータス・ヨーロッパ 1558t:126PS:730kg ポルシェ・カレラRS 2687t:210PS:1075kg ディノ246GT 2418t:195PS:1080kg ランチャ・ストラトス 2418t:190PS:980kg ちなみに今のランエボ 1998cc:300PS:1600kg GT-R 3799cc:530PS:1740kg 非力さと軽さにびっくりする。 ちなみにこれは今見てもおいおいって思うくらいすごい。 ランボルギーニ・ミウラ 3928t:370PS:1180kg
船橋ヘルスセンターだったか谷津遊園だったかの跡地でスーパーカー展示ショーが開催されたのを見に行った なぜか端っこでせんだみつおがレコード持って営業してたのを覚えてる
>>658 >ロータス・ヨーロッパ 1558t
非力なロータスに乗った風吹裕也がパワーに勝るマシンをテクニックで抜く、
という「サーキットの狼」に憧れたな。
後になると、吹雪もロータスをターボ化したり、ランチアとか乗ったりするんだけど、
却って面白く無くなったな(´・ω・`)。
>>658 実際のミウラの出力は300PS辺りだったそうな。
PCのプログラミングがパンチカードだったこと。 少し進化してカセットテープ。
大学生のとき紙テープでメートル単位で買ってたな
>>662 カセットテープは伸びるので定期的に別のテープに保存すること。bsaveだっけ。
カウンターがマジで大事。
665 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/07/31(日) 00:51:36.17 ID:QehMKMIw
>>663 アイドルのコンサートで投げるため(´・ω・`)?
>>665 当たったら痛いから紙テープの芯は抜いておくのがマナーだぜ。
投げる時は上斜め45°で投げるとテープが螺旋を描いてきれい。
中に切り込みを入れておくと、最後に紙吹雪のようにハラハラとテープが散って美しいぞ
>>662 その頃のはPCと言わない。 ミニコンかオフコンかメインフレーム。
船出のときにもテープ投げてたなw今じゃやらないよねw
別れぇテープを 笑顔できればぁ〜
IMSIにテレグラム端末をつなで使うてきなことsてた人間は日本ではあんまりいないんじゃないかなあ。 計算センターにプログラムを送る場合はマークカードとかパンチカードとあったけど。
>>637 おお、同学年ですな。
万博は、迷子が大量発生してたな。
母ちゃんだけ会社の旅行で行ってズルイって、スネた覚え
あるな。おみやげの「ブリティッシュ・コロンビア館」の
アメだけ何故か覚えてる。
アポロの月着陸船のプラモとサターン5型のはセットで買ったなあ。
>>665 説明足りなくて失礼
コンピューターの記録媒体としてでした
662の少し前か
そう。そしてその紙テープを人間がふつうに読んでいた
>>665 ビットごとに穴あけて記録していたんだよ。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7080132 NHKの解約を先週日曜に電話入れた。
解約手続きの封筒が届いたのは30日(土曜日)。住まいは東京。
返信用葉書(封筒)無料が、31日期限。
これは、31日にポストに入れなければ8月分も実質請求するって話か。しかも東京に住んでるのに、なんで1週間近くかかってるんだよ。
意図的に発送日を遅らせてるだろ このNHK野郎が
>>671 万博はネパール館とかがガラガラだったよね。
アメリカ館は期待外れだった。三菱未来館が想像以上に
すごかったのを覚えてる。ちょうど落雷で象が暴れて
飼育員が踏み殺された(死んでなかったかな?)日に行ったわ。
お昼ご飯食べようとしたら2時間待ちの行列だったんだけど、
隣のレストランが誰も並んでなかったので、父親が「こっちに
しよう」と入ったら、水中レストラン(地下にあって壁面が
360度水槽になってる)。しかも超高級ステーキハウスかなんかで、
たしか一人6000円が最低料金だった(今なら2万くらいか)。
空いてるわけだわ。肉嫌いだったからステーキの味は覚えてないけど、
涼しいレストランで食べたマスクメロンが美味しかった。
当時は景気がすこぶるよかったから、3日で100万くらい遣ったと
言ってた。いろんな意味で今じゃ考えられんわ。
>>637 一方、新潟の片田舎で38年に生まれた俺は万博に行きたかったけどダメだった。
貧乏な我が家には大阪はあまりにも遠すぎた。
毎日テレビに映し出される華やかなパビリオンと、にぎやかな人の波が羨まし
かったよ。
そしていまだに太陽の塔は実際に見ていない。
万博って記憶にあるのは三波春夫の歌ぐらいだな…
母の実家に、カラーテレビの景品だった「太陽の塔」の鉄製ミニチュアがありました。 思えば、あれが初めて身近に触れた現代芸術。 美術鑑賞大好きになりました。
>>678 うちは横浜。新幹線で行った。でもあのあと不景気になって
バブルのだいぶまえに家業が潰れたから、うちは万博の頃が全盛期だったかも。
万博の時、クラスで行ってないのは自分と男子がもう1人だけだった 都区内住みでお金持ちも多い学校だったから行った率が高かったんだろうなあ 「万博行ってない奴手を挙げろ」と担任が言って、挙手したとき悲しかったでござるよ
世代が違うので万博は行ってないが、太陽の塔は見た 1985年に修学旅行に行った時に あの時点で岡本太郎氏といえばすでに奇人変人扱い(失礼) されていた感があるから塔の現物見ても 「なんか変な顔だなあ」ぐらいにしか思わなかった 一般的に東日本の高校生は修学旅行と言えば西日本へ 京都・奈良といった史跡をメインに巡るのが定番であろう うちの高校も例外ではなかったのだが、ほぼ全ての生徒が 帰宅後にそんな思い出は遥か彼方にブッ飛んでしまった 何故かというと旅行中に大事件が起こったから 四泊五日の四日目に自由行動の日が設けられていた 予め先生にスケジュールを提出してあって 門限までに宿に戻って来ること、と固く言いつけられていた 宿は大阪だから、大部分の生徒が大阪を自由に散策する… …はずだったのだがこんな偶然ってあっていいのだろうか、 そのたった一日の自由行動の日が何と阪神が日本一になった日でもあった 宿を出発した時点で既に町中大盛り上がりだったてのに、 帰る頃には歩道橋に人は溢れてるわ道頓堀にダイブするわ、 知らないおっちゃんに絡まれておめでとー!と抱き合ったり… 結局その日の宿は遅刻者続出 あろうことか引率の先生も数名が門限を破ってしまった 翌朝になって戻ってきた生徒もいて聞けば知らない集団と一緒に 朝まで六甲おろしを合唱していたとかw さすがに学校側も予期せぬ事態に巻き込まれたからと 遅刻者を叱ることはなかったが携帯もPBもない時代に よく全員が生還できたものだと思う
>>682 >「万博行ってない奴手を挙げろ」と担任が言って
今そんなことやったら大問題だよな。
去年の上海万博同様、国を上げて万博に行くことを奨励してたんじゃないかな。 筑波万博とかはそんなことなくて、 ふつーに過疎ってたよね。
そのときの事がトラウマになってるんだろうな
近所のおばちゃんが、それ服じゃなくて肌着じゃないの?て格好で 玄関先でおしゃべりしていたこと。 自分を含む子どもが熱を出したりすると みんなが解熱剤もってきたりあれこれ世話を焼きにくること。 って解熱剤て現代ではあんまり使わないよね。。
家の前にドブ(側溝)があって、天ぷら油とかそこに流して捨ててたこと。
オイル交換した廃油を、家のぼっとん便所に流した。薬じゃ死なないウジ共全滅。
>>683 生きた社会勉強で、まさしく修学旅行じゃないかw
コンピュータも電卓も有りませんでした。 子供の多くはソロバン塾に通ってました。
そろばん塾では落ちこぼれのボクはプログラマーとして働いています。
そろばん一所懸命やってた人はたくさんいたけど、というかクラスでそろばん塾行ってないのが 俺一人だったという異常な状況だったが、今思えば暗算までできるようにならなかった人にとっては 費やした時間無駄になったなw
筑波万博、未来への手紙とかいうコーナーがあったらしいが、家族で行ったと 話してた彼氏から来るんじゃないかとドキドキしてたw そのあと1年ぐらいで別れちゃったけどね。 あて先不明の郵便が多数だったろうな。
そろばんも、万博も経験させてくれた親に感謝だよねw トラウマにならずに成長できたんだからw
むしろそろばん塾はトラウマものだったなあ。 なんかひいきとかすごかったし。
>>683 めったに無い(←残念ながら・・・泣)事態に立ち会えて良かったなあ
>>694 お察しの通り不明も多かったけど、ものすごい苦労してベテランに聞いたり
して出来る限り配ったよ。
どうしても自信がないやつとかは手渡ししたんだけど、亡くなったご主人
からの手紙渡したら奥さんが泣き出した。
幼稚園児の自分からの手紙もらって少し呆然としていた女の子もいた。
糞忙しい年末年始に頑張ったかいがあった瞬間だったなあ。
699 :
683 :2011/07/31(日) 23:43:11.05 ID:WEJU+g0F
>>690 >>697 レスありがとさん
あれはほんっと宝くじの高額当選並みに貴重な体験だったわ
それまで法隆寺だの銀閣寺だの古墳だの、静的なものばかり見せ付けられていたから
あの動的な盛り上がりが一層強烈なインパクトとして記憶に残った
阪神のリーグ優勝は何度かあるけど、日本一ってのはあの時一回限りと知ってさらに驚いた
まず自由行動の午前中のヒトコマ
この時は日本シリーズの試合前だってーのにタクシーに乗ったら運ちゃんが
「ところで兄ちゃんたち、どっから来たん?おー北海道から修学旅行かあ、ええなあ
北海道ゆうたら、当然野球は阪神ファンやろ?
……
何黙っとんや、阪神ファンやろ聞いとるんじゃ」
『えっと(皆で顔を見合わせて)…あ、はい、阪神です』
「おーやっぱそうか、いやあおじちゃんもな、兄ちゃんたちきっと阪神ファンやろ思ってたんや
よっしゃ、ほならタクシー代学割きかしたるさかい」
まず通常では絶対にあり得ない展開w
その後も時が経つにつれて町全体の興奮度が高まっていくのを肌で感じとることができた
阪神が日本一になったと思われるその瞬間、町中のあちらこちらから
それこそ右から左から前から後ろから、上から下から物凄い地鳴りのような轟音がw
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!
勝ったあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!
ドドドドドドドドドドドドドドドドドド んざー ドドドドドドドドド !! ばんざ ドドドドドドドド んざーい ドドドド
こりゃ予定通り宿に帰れないなと気付いた時はもう手遅れ
仮に軍隊が出動しても鎮圧できないだろうという凄まじい熱気と興奮に包まれながら群集が増える増える
近くの店(たこ焼き屋orお好み焼き屋?)では店長と思しきおっちゃんが「今日は全〜部タダや!!」
大阪駅(または新大阪?)の歩道橋では明石の将棋倒し並みに群集に押されるわ
そこら辺の見知らぬ人にハグされるわで、それはそれは貴重なアンビリーバブルな体験だったよw
>>694 >>698 死んだじいさんからの手紙が来て、正月早々泣いたよ。
自分は当時小学生だったのだが、この手紙を受け取る時にはもう結婚して子供もいるかなと書いてあった。
まるで実績なくてごめんよじいさんorz
俺関西出身だけど最初親に万博はうちみたいな貧乏な家は行けないと言われてた。 そんなある日、近所のパン屋でフジパンのくじがあって、くじの入った箱に 手を突っ込んでかき混ぜてたら1枚だけ箱の内側に貼り付けてあるのが感触で 分かった。それを強引に取り出したら大当たり。万博のフジパンロボット館に ご招待だった。入場券は1枚だけだったが、それがきっかけで両親が無理して 家族4人で万博に行くことができたよ。
いいなあみんな万博行けて。 俺なんか四国だから、行けなかった。何か万博 特集の本だけはしっかり見た覚えあるな。 「底に顔のあるグラス」は何故か家に未だにあるな。 昭和の修学旅行の思い出は、何故か記憶にある、福島の 野口英世の生家。トーホクってあんまり縁なくて、 東京以北に行ったのはその時1回キリだった。通り越して 北海道は行ってるけど。
四国から大阪へは「ボクは5歳」の例があるから、 強い意志と実行力があればよかったかもね。
あいつは例外
心は五歳児
706 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/08/01(月) 07:44:58.85 ID:1OVBbRTE
数年前に万博で書いた手紙が届いたなあ。 ただその内容はすでに忘れてるんだけど 手紙が来たという事実だけが強烈に記憶に残っているw
神奈川だったけど、小さい子どもを何人も連れて行くのは面倒だと思ったのか 親は大阪万博の話もしなかったと思う。 じいさん一人で行って、僕も行きたいと小1の兄が泣いてたな。 女の子だったし別に関心なかったけど、むしろ全員集合の公開放送の方が 猛烈に行きたかった。 マジでカトちゃんのお嫁さんになりたかったなw 再婚おめ。
>>707 >父親が不機嫌になったりした。
あったあったwww
俺もチビ助だったから、行列から抜け出して水飲みに行ったり
できたんだけど、父親は喉渇いてて暑かったから「自分だけ飲んで!」とか
怒ってた。大人げねーww
万博行った。愛知から。子ども会かなんかで行ったと思う。 深夜観光バスで地元を発って、朝現地着、夕方まで居てまたバスに乗り夜中に帰ってくるという強行軍。 すいていたオランダ館でチーズを買って、それが雪印のプロセスチーズ以外で初めて食べたナチュラルチーズだった。 おみやげに買った3Dパノラマの覗き眼鏡みたいなの。2,000円くらいの値札がついたまま。 まだ実家にあるよ。キレイに見える。
兄弟三人とも行っても記憶に残らない年アンド貧乏なので行かず。 叔母が行ってきて、土産にもらったぺナントがあったが、引っ越しの時捨ててしまった。
ペナントってお手軽なお土産の代表格だったね。
>>712 我が家には円が2つ出来るほどあったわ(´・ω・`)
>>712 小学校の修学旅行で買ったのをきっかけに集めたなぁ。
どこにしまい込んだかなぁ。
私は大阪万博には行った「らしい」のだが、何しろ3歳になるちょい前ぐらいだったため何も覚えていない。 旦那は小学生で東京に住んでたけど義父が国鉄職員だったためか、まあなんか行きやすかったらしく 夏休みに連れて行ってもらって有馬の多分当時の国鉄の保養所に宿泊したんじゃなかったかなと。 「三菱未来館」に入るのに炎天下の中2時間以上並んでたら、 通りがかったオッサンに「人類の『辛抱』と『長蛇』やねんで」 とギャグをかまされたらしいw 行ってないならともかくあれだけの国家的大行事に行ったのに何も覚えていないので 今になって旦那の話や色々出てる万博関連の本を読んでると損した気が倍増する。 「太陽の塔」の中のオブジェを見て、岡本太郎の感性を感じ取りたかった。
>>712 お土産ぺナントは、現在生産されていない…らしい。
万博当時は幼稚園児で大阪に住んでいたが、親戚が結構な頻度で万博見物に来ていた その際に俺のすんでいたアパートのボロ部屋にみんな泊まりにきていたので、おれはだ いたい万博に連れて行ってもらえていた。 多分、近所で言った回数は一番多い部類だったとは思うが、残念だったのはみんなアメリカ 館のあまりの行列に辟易してついに月の石を見ずに閉会を迎えたことだ。 くれしんのアッパレ大人帝国はいろんな意味で涙が出そうになる。
大阪に母の姉が住んでいるのだが、 万博期間中我々身内のみならず 「うちと一体どういう関係があるのかよく分からん人まで泊めた」 と話してたことがある。 京阪神地区には同じようなお宅が多かったんでは。
70年に大阪で生まれた子どもは、「博」という字が入ってる人が多い
>>720 しもた!まじってもおたわ。教えてくれておおきに!
ペナン島のペナントがあったら、ミドルエイジ以上の日本人観光客に バカ売れ…するかも知れないね。
723 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/08/01(月) 15:54:31.64 ID:yeWgoyRi
>>637 あの時代ノリでバブルを煽って、今の若者を草食系とか言って上から目線で蔑むんでつね
724 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/08/01(月) 16:04:54.16 ID:yeWgoyRi
>>563 広島カープが初優勝した昭和50年は新幹線が博多まで延伸開通したという年という事を考えるとね…
まぁ山本浩二や衣笠が円熟を迎えた時期だし、いつかは優勝するだろうと言われてたらしい
癌とわかっても本人には告知しないのが当たり前だった。 患者本人も自分は癌ではないかとうすうす気づいておきながら 問いただしたりしないのが暗黙の了解みたいになってた。
胃がんだったら胃潰瘍と言い張るとかね 当時はがんと死が直結していた そう思うと医学の進歩はすごい
>>719 茨城出身の永作博美も、自身を含め同級生に多かったって言ってたな
>>724 広島カープ初優勝記念?の下敷き未だに
家にある。市民球場で写ってる面々が懐かしいのなんの・・。
>>718 新聞だか週刊誌に「なにわの主婦大わらわ」みたいな特集が組まれたとかw
親戚の親戚とか友達とか、あらゆる伝をたどって泊まりにきたらしいね。
「手土産は名産品や菓子ではなく現金を!」とか薦める記事だった。
自分、神戸に住んでいたんだけど、父親の従妹の友達とか縁もゆかりもないような 人が大勢泊まりに来て万博見に来た。なんでも京都のラブホテルではそれ以来、 Hが目的でない家族向けにも宿泊Okになったらしい
自分は万博当時5歳だった 関西の端っこに住んでいて日帰り圏内だったので1回だけ行った 母と弟を待たせ、父と二人でえんえん並んで、何かのパビリオンに入ったこと 子どもが水遊びできるスペースがあって、そこで弟とパチャパチャやったこと やたら人が多かったこと、覚えているのはこのくらい 当時3歳だった弟は、写真はあっても実際の記憶はないらしい
>>699 >北海道ゆうたら、当然野球は阪神ファンやろ?
何でやwww
733 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/08/01(月) 21:17:22.36 ID:1OVBbRTE
浮かれてたんでしょ。 なんでやねんのツッコミを待ってるの半分、 ノリで阪神ファンてのに同意してくれるのに期待するのも半分て とこじゃないかなあ?
万博から10年後、高校の遠足で記念公園にできた民族学博物館に行った。 その辺りの公園には「スイス館跡」みたいな記念のプレートが置いてある。 自分が入ったパビリオンのプレート見つけてむちゃくちゃ郷愁を感じたよ。 お祭り騒ぎということばがあるけど、ほんとにあれはお祭り騒ぎだった。 子供心にめちゃくちゃ印象深い。
>>734 ついこの間、俺の勤め先が万博公園でBBQしたんだが、その時のオリエンテーションで、
特定のヒントから、指定のパビリオン跡の写メを五個集めて集まった奴からクジを引くってのをやったんだが、
おっさんチームの圧勝だった。
「俺ここで並んだから!」「覚えてるもんだねー」ってホクホクしてた。
俺の親世代より少し下なんだが、いい時代を過ごしたんだなぁって羨ましくなった。
万博時 我が家にも大勢の親戚が宿泊。寝る場所がないので廊下にも布団を
敷いた 自分も小遣いを全て使い10回行った。
>>735 のようなオリエンテーションがあれば10個でも20個でも余裕で集める自信あり。
>>734 スイス館は無数の電球の明かりのキラキラが池に映り込んで綺麗だった。
この反応の熱さだけで万博ってのがどんだけビッグイベントだったかわかるな・・・。 今、こんな熱いイベントできないだろうからこの流れがまさにスレタイ。
738 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/08/02(火) 00:05:00.06 ID:hKAc+fxU
愛・地球博(一発で変換できてw)は混んでそうで行かなかったなあ。 娯楽の少ない時代で、かつそこそこ庶民が富んできた まさに隙間時代の狂乱とでも言うのは言い過ぎだろうか。
つくば万博しか行ったことないけど、父に聞かされた大阪のときの熱気は感じなかったな 往復の連結バスもなんかしょぼかったし
740 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/08/02(火) 00:51:45.01 ID:uir/1BVM
もしかして オリエンテーリング
>>737 たしかに言えるかも。その前のイベントは東京オリンピックだろうけど
2歳くらいだから全然覚えてない。
当時、とても聞き分けのよい子だった兄(6歳)が、どうしてもカラーテレビで
オリンピックを見たくて、お袋に「ダメよ」と言われて一度は納得したものの、
黙ってポロポロと泣いているのを見た親父が電器屋から月賦で(クレジットじゃなくて
店との交渉で10回払い)カラーテレビを買ったそうだ。商店街中の人が集まって
(まさに「三丁目の夕陽」の一場面)開会式を見てたら、その隙に店の商品を泥棒に
盗まれたとか。
昭和だよな〜。
>>740 その通りだ……
頭の中で、オリエンテーリングとレクリエーションがごっちゃになってた。
花と緑の……は俺も小学生で、行って命の塔に名前を残したが、
自転車で五分の所に引っ越して有り難みが無くなった。
ココナッツジュースが美味しかった記憶があるが、多分思い出バイアス。
万博公園は昔、吹田市に住んでたから、単純に太陽の塔が怖かった。
比較的大人になってから、何かの機会で中を見る事が出来て、感動したけど。
「東京オリンピックをカラーで見よう」ってキャンペーンがあって、 それに乗ってカラーTVを無理して買ったらカラー放送は開会式だけだったというオチ、 騙された、と石坂浩二が話していた。
自宅用カメラの普及率が低かった昭和20年代生まれまでだと 子供は遠足や修学旅行で業者に集団写真を撮ってもらうことをとても楽しみにしていた。 おかげでこのデジカメ全盛の今でも年配の人は団体旅行で集団写真を撮ってもらいたくてウズウズしている。
>>741 ご同輩かも
小さな白黒テレビに東京五輪の開会式が映って、その前に2歳の自分の写真がある。
でもって、自分の中の一番古い鮮やかな記憶が東京オリンピックの開会式の日の空。
窓から見上げた空に五色の輪っかが描かれて、すごく綺麗だなーと思ったのを覚えててね。
あの綺麗なのをもう一度見たいなー、と小さい頃密かに思ってた。
あとから、あれはあの日だけの特別なことで、自衛隊機によるものだと知った。
>>743 そのあとでNHKが「カラー契約」とか作っちゃって、受信料の実質値上げ
白黒からカラーへの移行期に、自分の家は貧乏だったから長い間白黒テレビで テレビを見ていた。 番組の開始時に「カラー」ってロゴが出るのが妙に悔しかったのを覚えている。
>>745 おや37年のお生まれ?
>>747 そう言えば昔のテレビ欄って「カラー」っていう表記があったよね。
日曜の昼といえば演芸場や劇場からの中継ばかりだった。牧信二とか。
知らなかったけど、牧信二ってノイローゼになって3日くらい失踪事件を
起こしてたのね。気がついたら青木ヶ原の樹海を裸足で歩いてたらしい。
当時はワイドショーも写真週刊誌も無かったし、芸能人の話題をニュース
なんかじゃ取り上げなかったから話題にならんかったな。
テレビ番組で昔はよかったとか言う人いるけど、昔の方が馬鹿だったような
気がする。
>>747 あの表示はカラーテレビで見ている人のためのもので
白黒テレビでみている自分ちには関係ないと思ってたけど
今思うとそうじゃなかったんだな。
あの表示は白黒テレビで見ている人を悔しがらせるのが唯一の目的だったんだ。
カラーテレビで見ている人はあんな表示なくてもわかるから。
そういや、地デジ移行の「アナログ」表示観て、「カラー」表示を思い出したっけw 何十年か経ってもおんなじことやってんだな、TV業界って。
>>699 > 「おーやっぱそうか、いやあおじちゃんもな、兄ちゃんたちきっと阪神ファンやろ思ってたんや
> よっしゃ、ほならタクシー代学割きかしたるさかい」
なんぞこれwwww
>>747 >自分の家は貧乏だったから長い間白黒テレビでテレビを見ていた。
>「カラー」ってロゴが出るのが妙に悔しかった
俺も家も昭和47年まで白黒だった。
悔しいより、悲しい・情けない気持ちになったな(´・ω・`)。
本来カラーの「ウルトラマン」とかを白黒で見ても面白くないんだな、これがw
家のメインのテレビは比較的早い時期(昭和40年代終わり頃)にカラーになったが、 二台目、三台目として買ったテレビはかなり現代に近い頃までモノクロだったな。 特に三台目として買った日立のラテカセ(ラジカセに小型のテレビが付いてる)は、 平成に入った後も数年間、現役で使っていた記憶がある。
大阪万博に連れて行かれたらしいが記憶が全くない世代。 親が同じ職場で共働きだったため、会社の夏休みしかまとまった時間が取れなかったので 真夏に山陰から夜行で行ったらしいのだが、 まだろくに歩けもしない小さい子連れだったこともあり、両親の「万博の記憶」は 「とにかく暑くて、広くて、人が多かったことしか覚えていない」 さて月日は流れ愛知万博にこれまた暑い時期に夫婦で出かけた(子はいない)。 やっぱり、「暑くて、広くて、人が多かった」というのが一番の感想であり今後も記憶として残る事だろう。 子がいない我々でもそうだったのだから、小さい子連れの人には「万博を楽しむ」という余裕はなかったかもだね。
>>739 つくば博にも行ったんだが、全然記憶に残っていない。
どうやって東京からつくばまで行ったかさえ思い出せないんだ。
大阪万博は昨日のことみたいに思い出せるのに。
当時小学生。
>>752 うちはカラーにするのが遅かったから、初代仮面ライダーも最初は黒色だと思ってた。
帰ってきたウルトラマンにハヤタ隊員が出てきて科特隊の征服がオレンジ色だったことに衝撃を受けた。
少女漫画雑誌の付録は紙やビニールばかり。 素材に規制があってプラ、金属系などのグッズは全員サービスで申し込んで やっとゲットできた。しかも雑誌代金の半額程度の切手を送付。 しかも到着まで2ヶ月位かかった。 今は文具、コスメ、バッグ、時計、缶ペンケースなど豪華な付録つきまくり。
>>748 うん。37年生まれ だけど早生まれだから学年は違うのかも
サリーちゃん スーパージェッター 赤影
これらの再放送がカラーで見られるようになったときは、ある意味衝撃的だった
>>757 つい最近まで付録規制厳しかったもんな。
それでも当時は「ソノシートが付いてる!」と言って驚いてたけど
>>757 ただ、少女誌の付録は実用性があった。
レターセット、ジグソーパズルにノート下敷きにペン立てに筆入れ、手帳にシール…
付録付き少年誌の実用性もひったくれもないものよりはずっとましだった。
>>758 サリーちゃんとジェッターは途中までモノクロ。
ジェッターはモノクロ制作の話もカラーで作り直したけど、サリーちゃんはそれをやらず。
だから、再放送は、必ずカラー第一話の18話からで、人物関係がつかみづらかった。
ちなみに、モーレツア太郎。
これは、大半の話がモノクロ制作で、カラーは18話前後しか作られてない。
再放送されると、サリーちゃん以上にワケワカメ。
最近は連載漫画のアニメを収めたDVDとかつくこともあるね。 今月の「りぼん」のふろくをぐぐったら、ノートやシールなど普通だったw 本誌に何故か両さんが載ってるらしい。映画の宣伝か。 こち亀がスタートした時ってみなさん小中学生じゃなかった?長い作品ですね
なんと孫六も長いぞ。
なにそれ?知らない… あと、すごく長いのは「ガラスの仮面」とか。
王家の紋章も忘れないでw
>>758 おお、ご同輩。
赤影、サインはV、巨人の星は嫌ってほど再放送見たよね。
再放送はルパン・コブラ・かぼちゃワインだな 土曜日のお昼にやってて、吉本新喜劇とどっちを見るか兄貴ともめたもんだ
かぼちゃワインはなんかしらんけど平日朝やってて 変な空気になりながら親と朝見てた。 キン肉マンは学校から帰ってきてラーメンマンの死闘の回をみて 本気で嗚咽しながら見ていた記憶あり。 はだしのゲンしかり、感受性が強い種類のこどもには刺激が強かった。
>>767 露天風呂で襲われそうになる話ではエルの股間が堂々と写っていた。
もちろん毛などは描けないからツルツルの美しい土手だったと記憶している。
最近は雑誌の付録に紙とビニール以外のものつけていいんだー 全然雑誌とか買ってないので知らなかった そういや、ブランドもののバッグとかあるもんね(しょぼいけど) 昔、自分の伯母が書店に勤めていたので、古い雑誌の付録を山ほどもらってた りぼんやなかよしの付録はうれしかったよ 小学○年生の付録は、雑誌がないので作り方が見られなかったけど いろいろ考えながら作ってたなー 幻灯機とかひな祭りの段飾りとか、ピストルもどきとかが定番だった 今の学習雑誌の付録は、何が定番なんだろう
ふろくの割りピンなつかしす@1974年生まれ その後割りピンつーのを見たことないので余計に印象に残っている。 暇を持て余してたじいさんが作ってくれたときはすごくよくできたけど、 自分が作ったときのふろくはたいていボロボロだったなー… その後5、6年で死んでしまったじいさん。 いま思うと、なんて急なんだろう。 もっといろいろ話をしたかったな。
少年画報の来月号付録はいつも誇大広告だった。 ちゃんと作れてちゃんと作動した験しなし。
>>760 実用性はあるけど実用できなかったな。
もったいなくて使えず、大事にしまって時々眺めていたよ。
切手収集が流行っていて、 ジャンプなんかの裏表紙には切手の通販の広告があった。
切手収集といえば、それを収納するアルバム?についてる薄紙、あれを親はブーブー紙と言ってたな。 クッキングシートみたいの。ブーブーってなんだ? 昔の本にも、表紙めくるとだいたいついてるね。
グリコ森永事件なんか、まさに昭和臭漂う事件だよな。 今じゃ、駅や鉄道、車や高速のPAを使った劇場型犯罪なんか絶対不可能だろう。
>>774 本の表紙ってえとセロファンのことか
昔は本を大事にしてたってことかな・・・?
児童書で名作文学なぞよく豪華な箱に入っていたけど、今はどうなんだろ?
>>774 トレーシングペーパーみたいなのの事が言いたいなら、それは遊び紙と言う。
学習雑誌って、夏になると納涼企画がなかった? こわい話とか心霊写真とか。 最近はデジカメが普及して心霊写真がなくなったらしいな。 夏休みの再放送はピュンピュン丸、ジャイアントロボ、サリーちゃん
>>774 口に付けて息を吹き込んだり声を出したりすると、ブーブー鳴るからブーブー紙…らしい。
折り目をつけて穴をあけて息を吹き込んだりしてもいいみたい。
…昆虫や亀を仰向けにして、足をじたばたさせる様を、「ケレケレ」と呼ぶ方いませんか?
あれ、おかあさんといっしょの二代目体操、「ジャンポンポン」に由来するらしいですよ。
780 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/08/03(水) 07:43:41.98 ID:4uzoSUBP
>>774 グラシン紙というそうです。
主な用途はトシーシングペーパー。
吸湿・耐水性があるので、岩波文庫にまかれたりしたものだが、
酸性紙なので、長期保存にはむかない。
その認識ってここ20~25年くらい。岩波がこれをやめたきっかけかも。
これにパラフィン(ロウ)を塗布したのがパラフィン紙。
>>775 警察無線がディジタル化したり、高速や主要道路に通行車全部のナンバーを
記録する装置がつけられたのもこの事件がきっかけだっけ?
>>780 グラシン紙、年月がたつとパリッパリになっちゃうよね。
触るとはらはらと崩れる。
>>775 筆跡鑑定されないように活字で脅迫状送ったんだろうけど
そもそもあの時代日本語ワープロ(タイプライター?)を
使用している奴が圧倒的少数なんだよな
784 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/08/03(水) 08:55:11.28 ID:jhYMGCPE
横いりすみません、、、 母が、、、(昭和42年生まれ) 駅の伝言板 ドクトル チエコ だそうです。
>>784 奈良林祥、ドクトル・チエコ、謝国権
wikipe見たら、お三方とも鬼籍に入られてた。
>>783 パンライターだな。
和文タイプライター。活字を拾いながら打つやつ。
博物館学芸員の資格とる授業の中でこれを使って説明パネルを作るっていう実習が
あったけど今となっては何それ?な技術だ。
俺が大学生の時は先輩の修士論文の浄書を手伝わされるってことがよくあった。 何人もで分担して原稿用紙に書き写すの。徹夜の作業。 パソコンで書いてメールで送信する今の学生には理解不能な年中行事だな。
>>786 そういや昔の脅迫状と言えば新聞から活字を切り抜くのが
主流だったよな(ドラマとかで)。足がつかないように
わざと他紙を駅の売店で買ってみたりとか。
昔の松本清張原作ドラマ見ると出てくるね。 この文字は○○新聞のどこどこ板・何日の何面の文字だとか。
コメディドラマで同居してる長男の嫁が誘拐されて新聞切り抜きの 脅迫状が届く。数日前、金に困った次男が新聞を切り抜いてるのを 目撃した同居人が警察に通報、次男が逮捕ってのがあったな。なんの ドラマだったか思い出せないけど。 結局は嫁さんが旦那(長男)の関心を引こうとした自作自演で、次男は 営業の宴会先で披露する紙切り芸の練習だったというオチ。なんだっけなー。 次男は石立鉄夫だったような記憶がある。
学校新聞は、青い紙を針金みたいなペンで削って文字や絵を書いてた。 修正液が青かった。あれの成分は何だったんだろう?
>>790 気になる嫁さんかな?
でもあれはダンナが死んだって設定だったけど。
石立ドラマといえばパパと呼ばないでだが、昔はあんな大家族で全員成人しても同居してて
その上、下宿人を入れるってことが普通にあったんかな?都会で。
>>787 あったなぁ。
ってか、手書きしか受け付けない教授とか居て、ワープロで原稿書いて、最後に原稿用紙に書き写すとか。
今書いてて思ったが、「ワープロ」だもんな。
文豪とかオアシスとか。
2DDのFDがどうしても必要で、手元の2HDのFDに目隠しテープ貼ってフォーマットしたなぁ。
>>788 おじゃまんが山田君でそれ見た
身代金目的の誘拐犯の男が完璧な計画を練っていて脅迫状の活字切り張りもその一つ
指紋や唾液から足がつかないよう、手袋はめてマスクして活字を切り張りすんの
こうして僅かな証拠も残さず、郵便で身代金を要求するわけだが犯人はあっさり逮捕
理由は脅迫状の封書に、わざわざ差出人(犯人)の住所と氏名があったから
RTで見てたとき、腹筋爆発するぐらい笑い転げたわw
そういえばグリコ森永事件を模倣した脅迫状もけっこうあったよね
これも腹抱えて笑った事件なんだけど、とある企業が狙われて金を要求されたの
脅迫状の内容(毒を入れる云々)は忘れたけど、そうされたくなかったら19,800円を払え
という手書きの物凄く汚い文書だったの
犯人はすぐにつかまってなんと近所の小学生
聞けばファミコン欲しさにグリコ森永事件を真似たとか
自分、就職して最初にやったことが ワープロの習得だったよ リコーのワープロだった 今でもあれはけっこう使いやすかったと思う
>>793 うちの卒論は手書き・ワープロ・タイプどれでも可だったけど、
(仏文科なのでフランス語で書く場合があり、その場合は手書き不可)
自分は手書きにこだわって上等の原稿用紙買ったりした。
当時は400字詰め30枚以上が規定だったけど、
今はほとんどパソコンだろうから
原稿用紙換算しないはずだよね。
何字以上とかいう規定になってるのかな?
ワープロは文書を作るだけに特化した機械だから単純に文章を打つのには使いやすかった。 PCで手紙文とか作ってるとイラッとすることが結構あるよね。 特にWordはすごく使い辛いのになんでこんなに普及してるのか分からん。
>>797 Wordで英文書いたら、驚くほど使いやすかった。
そもそも、日本語は単語間にスペースが無いから、ワードの詰めは使いにくいし見目が悪い。
原稿用紙+禁則処理が読む方も一番慣れてるしね。
>>797 東芝のJW-7から使ってたけど、処理がものすごく遅かったな。
「改頁」ってボタンを押しても反応しないから待ってると30秒
くらいして改ページされる。「あれ?」と思って何回も押すと
押した分だけ改ページされて、1ページごとに30秒待たされるから
悲惨だった。
>>792 あー、それかも知れん。長男は山田吾一じゃなかったかな。
長男の嫁が、えーと、あの細腕繁盛記とか奥様は8歳とかに
出てた意地悪おばさんの人。
あれは弟の嫁さんが同居するんだけど、出張中だかに急死
しちゃって、嫁さんだけ未亡人で同居して残ってるんじゃ
なかったかな。
>>800 奥様が8歳だと大問題w
細腕繁盛記と奥様は18歳の意地悪役なら、富士真奈美のことかな
ものすごく綺麗なのにイジメ役が多かったね。 ご本人は優しそうな笑顔の人だよね。
そういえば松坂慶子も伊藤かずえも綺麗どころなのに、
イジメ役で有名になって、そこからいい人役や主役をもらっていったね
どこの会社にも「窓際族」というポジションがあって、 単純作業等の閑職を行っていた。 出世の見込みのない奴や使い物にならない奴が窓際族になっていた。 今なら窓際通り越していきなり窓の外に放り出される=リストラ解雇だもんな。
>>775 >グリコ森永事件なんか、まさに昭和臭漂う事件だよな。
>
>今じゃ、駅や鉄道、車や高速のPAを使った劇場型犯罪なんか絶対不可能だろう。
高速のPAを使った犯罪と思われる事件が現在進行形じゃないですか
国会中継見ていきなり「保土ケ谷PA」なんて出てきたのにはのけぞりましたわ
>>801 >奥様が8歳だと大問題w
あ、ホントだwww
そうそう、富士真奈美!「加代ぉ!」の憎まれ口を覚えてる。
親が「本当はいい人なんだよ」と言われてもピンと来なかった。
そういや秋野陽子が意地悪お嬢様の役やってたとき、本当は養女で
本人は知らないって設定だったらしいんだけど、電車とか乗ってると
知らない人が寄ってきて「あんたね、意地悪ばっかりしてるけど、
本当はもらいっ子なんだよ」とか言われたらしい。とりあえず「ええっ!
そうなんですか!?」って泣きそうな顔したと言ってた。
>>800 末っ子の嫁(未入籍)がアメリカの大学に留学してるダーリンの帰りを
待ちながら同居だっけ。
末っ子は父親役の佐野周二の実子だっけ。あまり似てなかったが。
定年してパチンコぐらいしか楽しみがなく、子どもに食わせてもらってる
オヤジさんの苛立ちが何だか辛かったな。
お手伝いのタマさんも味があって良かった。
>>801 伊藤かずえは、その後「ゲキレンジャー」に出演し、我が子を迎えに行った保育所で
男児達から真剣な眼差しでゲキレンジャー達の戦いの行方を尋ねられたそうな。
…嶋大輔なんか迎えに行ったら親たちは「横浜銀蠅だ!」子供たちは「雨宮雄介だ!!」
出パニック状態になったとか。
ところがドラマの人気が出すぎると現実との区別ができなくなっちゃう場合もあるんだな おしんがその象徴で、おしんの母役泉ピン子は貧乏人(の役)だからと同情されて 食料がたくさん届けられたり、おしんの姑役高森和子はその苛めっぷりが容赦なく、 「(おしんの姑が住んでいる)佐賀県のイメージダウンになる!」 とNHKに抗議が殺到したとか
wikiから翻案乙。そんなに“俺は時代の生き証人”ぶって、807さんスゲーッて思われたいの?
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/おしん >>嫁姑戦争の舞台となった佐賀県では、「県のイメージダウンになる」とNHK佐賀放送局に抗議の電話が殺到
>>姑を演じた高森和子はテレビのトーク番組に出演し「あれは演技の上ですよ」と苦笑しながら釈明している。
>>ドラマと現実の区別がつかなくなった熱狂的な視聴者が、おしん役の小林や母ふじを演じた泉ピン子宛てに米を送った
「おしん」(朝の連ドラ)は、朝・昼の放送だったので、子供は学校なので見られない時間帯だったが、 小学校の朝礼でも校長先生が話題にしたりしていた。 子供にも見せるべきとの声がNHKに殺到し、夕方(PM6:05〜)「600こちら情報部」が夏休みで休止になる時期に、 少女編(小林綾子主演の部分)を再放送していた。 サンリオの辻社長も「おしん」に感化された一人。 いちご新聞に、いちごの王様として、いま君たちはこんなに恵まれた生活をしているけれど、昔の日本の女の子はウンヌン… 的なメッセージを書き、当時「キタキツネ物語」や「ユニコ」等で映画事業が好調だったため、勢いで NHKのドラマの配役をそのまま声優に据えたアニメ映画を造り、キャラクターグッズまで造って サンリオショップで売り出したが大コケしてしまった。
>>791 ガリ版用の原稿用紙に鉄筆で傷をつけて印刷するんだよね
傷を修復して埋めてたんだから溶剤みたいな成分だったのかな
>>804 が書いてるのは赤いシリーズかな?
伊勢湾台風で赤ん坊が入れ替わってしまうとか、何とか…。
1970年代に引き合いに出される大災害の代表が伊勢湾台風と室戸台風だったような気がする。
大地震と言っても新潟地震(昭和36年?)が語られることはあんまりなくて、一気に関東大震災だった。
この前上司と話をしてたらグラフ用紙の罫線が青いのはブルーコピーの名残だと。 今は緑とかグレーとかもあるようだが。
>>805 >お手伝いのタマさんも味があって良かった。
浦辺久米子かっ。「リキぼっちゃま〜」だな。鶴太郎がよく物真似してたよね。
>>810 おしんはイランでも社会現象になるほど人気だったらしい。
イランの場合は姑にいびられて苦労するあたりが人気が高かったとか。
イスラムも大変なんだね。
>>812 それだ。赤いシリーズだ。ヒロインは百恵だったっけ?
秋野陽子が味方のシリーズもあったような気がする。悪徳理事長の
悪事の秘密を探るために、秋野陽子に惚れてる理事長のひょろひょろ
馬鹿息子を誘惑するってのがあったな。デートに誘って池でボートに
乗ってるときに「えいっ!」って池に突き落として、泳げなくて溺死
しそうになってるところで「助けてあげるから手を貸して」とか、もう
ムチャクチャだったな。しかも「手伝ってくれたら結婚してあげる!」って
本当に結婚しちゃうし。
おしんにはモデルがいて、たしか八百半デパート創業者の母
昭和と言えば食え食えだったな。部活の合宿でも飯を山盛りにされて 食え食えと。給食なんて残せなかったし、なんであんなに食わせたんだろ?
>>810 うちの学校はある時期から給食の時間に教室のテレビでおしんを見るのが認められるようになった
スーパー戦隊シリーズは、結構年齢層に幅があった。 「忍者キャプター」なんか中学生〜45歳までがメンバーだった。 今は同年齢層ばっかりだな、なんでだ。
>>819 親の世代が戦後の食料難を体験してるから、子にはそんな不自由はさせたくなかったのだろう
いわゆる「田舎」では、とにかく「量」を食わせないと恥、という文化が根強かった。 夏休みに両親の実家へ帰ると「本家」の嫁はとにかく大量に食い物を出してきた、 ただし「質」は一切考えられてないので非常に難儀する事になる。 大ザル一杯に茹でられた乾麺のうどんをドサっとだしてきて「お〜いし〜どぉ〜」 とか言って食わせようとするんだけど、量を作る事しか考えてないから、 茹でてザルにあげてからずっと放置してるとか当たり前で、すでにかたまりになってる。 箸で取るのも一苦労するようなうどんを「どんどん食べて」といえるあの神経は理解できなかった。
>>822 そういや昭和には肥満児が多かったな。子供を痩せさせてるのは
恥みたいな価値観があったのかな。
>>823 あるある。親戚が10人くらい集まると、料理だけで30人前くらいは
用意してたな。刺身だけで舟盛り2つくらいあって、さらにホットプレートで
鉄板焼きとか始めて。肝心の本家の人間は酒飲むだけであんまり食べず、
客が無理やり食わされた。
あと、親戚の家に行くと、最初にどんなに断っても食い物が出てきた。
「これから食事に行くので」と言えばさすがに出てこないだろうと思ったら
「若いんだから食べられるでしょ」とか言ってうどんとか出て来た。正直、
大迷惑だった。
>>807 >おしんの姑役高森和子はその苛めっぷりが容赦なく、
「(おしんの姑が住んでいる)佐賀県のイメージダウンになる!」
とNHKに抗議が殺到したとか
父親が佐賀県出身だったが、我が東北の地では珍しかったこともあり、
出身地の話題になって「佐賀です」と言ったら、露骨に嫌な顔をされたことがあった。
朝の連ドラを誰もが無差別に無批判に見ていた時代らしい話だとよね。
政治家なんかがインタビューで「好きなテレビ番組」を聞かれると、
そのとき放送中の連ドラ名答えるケースも多かった。
>>825 特に男は「男の子なんだからもっと食べなきゃ」とか言われて、うちの地方だとばら寿司を
ギャグ漫画かってくらいに器にドッサリ盛られて食わされたな。
決して食の細い方じゃない俺でも食いきれないほど出されて、残したら「男のくせに情けないわね〜」
「は〜、やっぱり街で育つとひ弱になっちゃうのね〜」なんて言われるので
田舎の親戚の家に行くのはとても嫌だった。
あと、田舎に行くとひっきりなしにおやつが出てくるのもかなわんかったなあ。
夏休みにジジババのところに遊びにいくと、山盛りのスイカが待ち構えていたなぁ 井戸水でひやしたもので美味しいんだが、さすがにそんなに食べられない。 今売っているのって小ぶりなものが多いが、昭和の時代は直径30センチくらいが 普通だった気がする。
スイカを1玉丸ごと買うのも贈答用とかになったなぁ。 昔は、自分ちで食うのに買うのが当たり前だったのに。 しかし、スイカが1玉3000円とは。 米5キロより高いんだ。 オヤツの値段じゃねぇ。
>>830 うちの親父は果物好きで、おれら兄弟も果物好きだったから、
文字通り毎日果物を買ってた。西瓜は1個買いが当たり前で、
常に半分に切った西瓜が冷蔵庫に冷えてた。毎日食ってたな。
グレープフルーツというのが始めて日本にお目見えしたときに
珍し物好きな親父が買って来たけど(ラーメン150円の時代に
4個3000円くらいだったかな)、剥いて食べたら口が曲がるほど
酸っぱくて苦くて大変だった。後に砂糖を掛けて食べるという
ことが判明。
>>725 >癌とわかっても本人には告知しないのが当たり前だった。
>患者本人も自分は癌ではないかとうすうす気づいておきながら
>問いただしたりしないのが暗黙の了解みたいになってた。
一種の義務と演技だろうか。
もう癌になった人は「生者」の枠から出た人と見なされてたのかもな。
ある意味、ひどい話だ。
>>831 うちでは、すっぱ系の柑橘にはちょびっと重曹かけて食ってた。
>>832 「癌は告知すべきか」みたいなテーマでえぬhkが特集番組組んだりしてたなあ。
病院も抗癌剤投与するのは患者が寝ている夜中とか、
ホント患者本人の意志は無視だった。
でも不思議と患者から「どうして病状説明の場に自分を呼ばないのか」
という苦情は無かった。
>>822 うちの母がそれだな
終戦直後の、ただでさえ物の無い時代に極度の貧乏生活をして、家にあった大鍋で、いつも水みたいな雑炊ばっか食っててさ
「大人になったら、この鍋に食べきれないくらいの料理を作ってみんなで食べるんだ」って思って成長したんだって
だからとにかく料理はドカーンと作る
カレーならカレー、おでんならおでんが、3日くらいは食べなきゃなくならないくらい鍋にあるのが基本
俺達が育ち盛りのころはそれでもよかったんだけど、大人になって独立すると当然あまるわけじゃん
だから、実家とおなじ市内に住んでる妹のところにはしょっちゅう「○○を取りに来い」って電話がある
俺が帰省すると、あれやこれやとドカーンと作ってくれて、ありがたいけど食べきれないから困るんだが
あるとき、もったいないからこんなに作るなよって言ってたら、涙ながらに語られて、悪いこと言ったなと思った
(兄貴のところは息子ばっかり3人だから、帰省してきた時は母もやりがいがあるだろう)
>>832 手塚治虫は、告知されなかったけど、気付いてるよとほのめかすことを日記に書いてた。
>>832 知り合いのお父さんが工場経営してたんだけど、肝臓がんを
死ぬまで内緒にされてたから、本人は単なる肝炎でまだまだ
生きられると信じて無理を続けて死んじゃったな。しかも
親会社に内緒の帳簿が死んでから出て来て、残された奥さん
顔真っ赤だったとか。少なくともある程度の地位や責任が
ある人には最後の整理のための時間が必要だよな。
>>836 そりゃ医師免許持ってんだから、気付いただろ(´・ω・`)?
>>725 >癌とわかっても本人には告知しないのが当たり前だった。
>患者本人も自分は癌ではないかとうすうす気づいておきながら
>問いただしたりしないのが暗黙の了解みたいになってた。
叔母がそうだった。告知されず亡くなった後、看護婦さんから
「実は自分は癌だと気づいておられたけど、それを隠して、
取り乱さずに私たちにも普通に接しておられた」と、
まるで美談のように語られたのに、子供心に疑問に思ったな(´・ω・`)。
>>808 wikiに書いてない「おしん」ネタだと
山形の銀山温泉(だったかな?)
大根メシをメニューに加えたら
「おらたちは、こんなに美味いものは食ってね」
と地元の婆ちゃん連中から抗議の声が上がった
佐賀県の姑は悪い人ばかりではありませんよ〜
って佐賀の嫁達(婦人会?)が声を上げた
ちなみにジョークネタになって
佐賀の嫁:佐賀県の姑は一部を除いて皆良い人たちです
他県民 :一部の人って?
佐賀の嫁:私の姑です。
>>812 「赤い運命」だね
父親(三国皇潤連太郎)が満蒙開拓団の一員だったってのも
時代を感じさせる設定だなあ〜
うちの母は、25年前にガンがわかった 告知はしなかった かなり危険な部位だったが、幸い手術は成功し、ありがたいことに今も生きている 本人はまだ自分がガンだったとは知らない ただ、母の知人の誰かが「あの人はガンだ」と触れ回っていたらしく 一時期「もう長くない」と噂になっていたそうだ それはいつしか母の耳にも入り「誰かが変な噂流して…」とプンプン怒っていた 今でもたまに聞かされるのだが、そのたびに微妙な気持ちになって困る
>>826 百恵版『赤い疑惑』の時は友和の母親役(いじめ役)の女優さんのところに
かみそり入りの封筒が届いたりしたらしい。
>>830 あぁやっぱりそうなんだよね。
俺も最近はスイカ高いなぁと漠然と思ってたんだが、
確か子どもの頃はバレーボールぐらいのスイカを紐でくくって買ってきて
ジュース代わりに食わされた記憶が鮮明。うちみたいな貧乏家でも
気軽に買えるぐらい安かったんだろうね。
スチュワーデス物語の時の片平なぎさにも結構嫌がらせがあったらしい。 みかんは箱買いがデフォだったけど、今よりもずっと寒かったためか 腐らずちゃんと食べきっていたなぁ
>>845 木箱やダンボールで買った場合、底のほうが腐っていた場合もあったぞ(´・ω・`)。
>>846 あったあった。毎年正月にはミカンやポンカンを箱買いしてたけど、
いくつかは青カビが生えてた。でも当時はそれでも八百屋に文句言ったりは
しなかったなぁ。
生涯で一番旨いと思った西瓜は、大人になってからだけど、君津市の市議選で
選挙活動として持ってきてくれた西瓜だったな(後で知ったけど現金じゃなくても
選挙違反なんだってね)。今でも覚えてるわ。あの濃厚な甘い西瓜。市議選は
バックレたけど。
みかん 箱買いすると絶対に1−2個青カビで腐ってた スイカ 台所の流しか洗面台に氷水を張った桶で丸ごと冷やしてたわ 夏休みのおやつといえば、スイカか茹でたとうもろこしだったなぁ とうもろこし食べてて、乳歯が抜けた個人的な思い出もあるw
百円のアイスは高くて買ってもらえなかった、今でいうハーゲンダッツくらいの価値かな 20円のちゅうちゅうアイスを兄弟で半分に折って分けて食べてた 溶けかかってるとうまく折れないし、でっぱりがある方を食べたくて喧嘩になった レディボーデン、リーベンデールは超高級品で、友達の家で食べて感動した
アイスといえば、ガリガリ君みたいな氷菓子(クリームもあったかな)にバーが2本ついていて、真ん中で2本に割って食べるというタイプのを最近見ない気がする。 安っぽいメロン型容器入りシャーベット(無果汁)がコンビニで105円もすることに昨日ショックを受けたばかりだし、物価云々はもちろん、本当にいろいろ変わったね。
>>850 二つに割れるソーダ味のアイスあったね
今は当然のように一人に一個なんだろうね
夏休みの自由研究で、アイスの棒を集めて小さなログハウス作ったw
今はガンもあっさり告知するね というか、告知なんて大げさなものでなく通知といったほうがいいかもしんない うちのおふくろが「ご飯が食べられない。食べてももどす」って言うんで 夜だったから大きな病院の救急外来につれていったんだ で、腸閉塞を起こしているから入院してもらいましょうってことになって 翌日か、内科の検査を受けて、結果はすぐに出たんだが 知らせに来た医師は開口一番「○○さん、ガンですね。大腸ガン」と笑顔で言った まあ、笑顔だったのは「切れば治る。転移してなければ後の問題もなし」という状態だったからで おふくろも説明を聞いて「ガンっていっても怖がることないんだねえ」と安心していたくらいだった (外科の医師からもおなじ説明があったし、実際、切っただけで治った) 安心しすぎて、退院する時に「孫と焼き肉を食べに行く」と言って、いきなり肉はやめとけって叱られてたけど
>>791 遅レス失礼。
それは「ガリバン」じゃなくて「ボールペン原紙」じゃないでしょうか。
ガリバンの時は、ロウ引きの薄ーい原紙(半透明のやや茶色)をザラザラの鉄板の上にのせて、
鉄筆で書いてましたけど、ボールペン原紙はちょっと厚みのある青?緑?の原紙に直接
ボールペンで書くことが出来ました。
出来上がった原紙を印刷機にセットして、最初何枚かはハンドルで手刷りで刷り具合を見て、
問題なければスイッチを入れると「ガッチャンコー、ガッチャンコー」とそれなりのスピードで印刷
してくれました。
そのうち、原紙を作るのが「ファックス」に変わりました。
ファックスといっても今使ってる「電話回線でデータを送る」じゃなくて、大きな金属の円筒に
手書きの原稿と、灰色の「ファックス原紙」を並べてセットして、電源を入れると、手書き原稿の
濃淡を読み取って、それを隣のファックス原紙に焼き付けて、印刷原稿を作る、というもの。
この機械を使うと独特のすっぱいにおいが立ち込めました。
>>854 大学の部活(今はサークルっていうのか?)で部室に輪転機あったよ。
報告書はボールペン原紙で書いてた。写真とか図を入れる時は
近くの国立大学にファックス借りに行ってた。
>>842 結果オーライってことにしておけ。
ホント良かったな。
大学生の頃、事務バイトで和文タイプ扱ったよ。 ワープロも出始めてたんだけど、 和文タイプの方が印字がきれいな上に、細かい調整や設定ができるってんで なんだかんだで和文タイプの方が重宝されてた。 89年にはお払い箱になってたけど
今の大学生は昔ほどサークル活動とかやらないようだね。
先輩との交流もあまりない。同年代とつるんでるだけ。
早慶レベルじゃないと、上下に人脈作ってもあまり旨みないだろうけどw
おしんの話題が出たが、20年前に初めて台湾に行った時、現地の大学生グループと
食事をしたが、「おしん」の話で質問攻めにされた。
「おしん」は有名だけど、放送時間的にも見てなかったので全く回答できなかった。
>>843 赤い疑惑の友和母役のおばさん、別のドラマでは何故か百恵の姉役で出ていて
ワロタ。無理ありすぎるだろ。
昔のドラマは真剣に見られるものが良かったな。
CSでやってる「ありがとう」なんか狭い人間関係でゴチャゴチャしてるが
基本的にはほのぼのしてていい。
医師「ガンです」 患者「ガーン」 以上、昭和ギャグでした
>>857 当時は和文タイピストは高給取りだったよね。
まさかワープロがあれほど普及するとは夢にも
思わなかったんだろう。
ワープロも出始めは高価な機械で、手書きの原稿を
ワープロ入力してもらって24×24ドットのワイヤドット
プリンタで出力してもらうだけでA4 1枚2000円だったわ。
大学時代に、専用カメラで撮影したものを、その場でスライドに出来る、という機械があるのを発見。 そこで、授業でグループごとに発表、という時に、最初にまず出席者全員のアンケートをとり、 グループのメンバーが発表している間にそのアンケートの集計をして、結果をパソコンでグラフにして、 印刷して、その機械でスライドを作って、発表の最後(数十分後)で 「では、このクラスの調査結果ですが」 とスライド映写をして、 「おれかっこいーww」 と悦に入ってました。 当時(昭和の最後のころ)だと、この程度のことでもかなり「すごいことをやった!」感がありましたけど、 今同じことをやろうと思ったら、携帯のサイト作ってそこに投票してもらえば瞬時に発表できますよね。 なんか、時代の変化を感じる。
某広告雑誌の編集で商品写真と文字データを合わせて本にするわけだが デジカメがない時は、ネガの管理や写真の管理が半端なかった 何日も泊まりこみで校了迎えたもんだ。 自社ビルまで建ててボーナスなしにさすがにぶち切れて社員一同で会社起こしたよ。 同族企業だったからけど一族全員生きてるのかな? 顧客も全部引き継いでそのまんま会社が変わったみたいな感じだった。
>>862 広告代理店は昭和末から平成前期にかけてIT化が進んで大変だった。
いち早くDTPを取り入れたところは大儲けしたらしい。
写植時代はいろいろ貼り込みのミスがあってVOWネタになったりとかしたなぁ。
DTPだかパソコンになってから「以外な感じがした」みたいなのが無修正で流れたりしている。
>>865 そうそう。当時は似ている活字のミスはあったけど、
読みの違いってのは無かったよね。
「口からたくさん血を吐いた」ってのが誤植で
「口からたくさん皿を吐いた」になってたの覚えてる。
手品かw
>>850 今食ってるw
ただし中はクリームじゃなくて外と同じ氷だけど。
ちゃんと棒二本付いてる。いつからクリームじゃなくなったのだろうね。
俺はもう高校生の時に通学路にコピー屋があって、試験前になるとノートを コピーする輩で行列ができてたんだが、仕事するようになって年配の上司に 聞いた話じゃ昔はコピーをとるのに課長の決裁が必要だったとか。
ザンギュラのスーパーウリアッ上
私はリアルには知らないんだけど姉は会社で「青焼き」の機械を使ってたって言ってた。 和文タイプも打てるよ、とか。
俺は塾講師してた頃に、軽オフセット印刷出来るようになった。 原稿を、ピンクの原版に焼いて、それを印刷機に入れて、インク入れて、 二三枚単発ボタンで試し刷りして、いい感じなら印刷開始。 塾生全員に配るプリントはコピー機じゃ追いつかないし、コストもかかる。 滅茶苦茶早い。ただしうるさい。 一回出来るようになったら、どんどんベテラン講師が「これもよろしく」って置いていくんだよな。
バイト先でコピーしろと言われてコピーして持って行ったら 誰がゼロックスしろと言った! と怒られた。 コピー=青焼き、ゼロックス=PPCだったんだな。 当時はコストがかなり違ったようだ。昭和55年頃。
>>874 今は凄い古い会社に居るんだが、こないだ新卒が嘱託の偉い人に
「これリャンメンでゼロックスしといて。天地逆で」って言われて泣きそうになってたわ。
ゼロックスじゃなくて「黒焼き」って呼んでた
そういや昔のコピーは白黒(湿式だから白青)で1枚100円だったな。
>>875 そういや昔の両面コピーって、片面だけ全部コピーしてから
今度はその紙を表裏逆にセットして裏面にコピーしてたよね。
新人に100頁の書類を両面コピーするように頼んだら、先に
p.1〜p.50までコピーしやがった。
派遣のおばさんが「コピーを取って」と言われて???みたいな顔してたので 頼んだ人は操作がわからないのかと思い教えようとしたら 「ああ、ゼロックスをかければいいんですね!そう言って下さい」とか言ってたなあ 人聞きのいい会社で事務やっててその後専業長かった人
広告代理店勤務だけど、光学機器メーカーのクライアントが来たとき、 キャノンなら「キャノファックスして」って言ってたな。新人の女の子が 「はい?なんですかそれ」って言って一同凍り付いた。お客さんの方が 「はは、ゼロックスでいいですよ」って言ってくれた。
俺が中学生の頃は「コピーする」という言葉の意味は プロのミュージシャンの歌と演奏を耳で聞いて自分で弾き語り できるようにすることだったと思うが、そうじゃない?
>>878 あれ面倒だったなー。偶数だけコピーして奇数を……って。
ってか今は手差しが出来なくなってる方が多いよね。
今のコピー機の、グレーの表現力には脱帽。網掛け頼まなくてもいいんだぜ……
>>880 リコピーとかw
>>881 確かにコピーといえば、コピーバンドとか、耳コピー、とかそんなのだったなぁ。
シャープファクスするとかネオドライする、っていってた会社もあったの?
>>879 「人聞きのいい会社」ってのは初めて接した表現だ
>>884 な。
「ふざけ心」に続き、初めて接したよw
>初めて接した というような人種には込めた意味が伝わらない模様
「そこのばってんエロばってんの車ー!」を何故か思い出したw ゼロックスするとか、どのくらいの年代から伝わらないんだろ。30代でも無理かな。
>>887 それって何だっけ。どっかのスレで見た記憶がある。
>>882 そんで裏面コピーしようとしたら上下逆さまにセットしちゃったりとかね。
リコーはワープロでも遅れてたなぁ。リコー独自の入力方法とか言って
すべての単語を2つ3ストロークで入力できるようにする、ってのがあった。
たしか「車が速い」は「かあまがたたい」と入力するんだと記憶してる。
営業が無気力に説明して他の覚えてるわw
エルカセット並に短期間で消えたけど。
>>888 さん
名前からするとこの板みたいだね。スレチスマソ
534 :おさかなくわえた名無しさん [↓] :2009/07/25(土) 09:49:58 ID:PrZk13oE
ちょっと脱線だが、
昔、ゼロックスが日本上陸して初期の頃、都内中をばんばんロゴ入りの車で営業に走り回っていたら、
数寄屋橋の交差点で渋滞につかまったかなんかして、スクランブルのヘンな位置に取り残されてしまい、
角の交番からスピーカーの大音響で、
「そこの、『ばってんエロばってん』(注)の車! 移動しなさい!」
とご注意を受けてしまった、と。
当時の営業マンから聞いた、たぶん実話。
昭和も終わりごろになってくると、ワープロで記述してフロッピィで入稿するライターが出てくるが、 そのころのデファクトスタンダードは、富士通のオアシス。 (ポータブルじゃなくて100シリーズ〜デスクトップというよりそれ自体が 事務机くらいあるやつ) 他に転用の効かない親指シフトというキーボードだったが、 編集機能が強力かつスピーディー。 入稿用に使えた唯一のフォーマットといってよかった。 今のグーグルじゃないけれど、1文字打っただけでフロッピィのヘッドが その読みで始まる辞書セクターを読みに行ったりいた。
>>891 うちは東芝だったな。東芝のフォーマットをJ-Starに
変換してくれるサービスがあって、そこまでわざわざ
持ってったよ。そう、電子メールなんてないから、全部
持参してた。
お客さんがみんなメーカーだから、東京から厚木とか
御殿場の工場とか、全部届けてたな。
>>893 J-Starのレーザープリントは活字のようだと驚いた物だ。
一式1000万だからよほどの会社じゃないと導入できなかった。
今じゃどの家庭でもそれ以上のプリントをカラーで
できちゃうんだからなー。
昔は手書きで、それをオペレータが入力していたんだけど、
俺は自分でワープロを打って仕事をしていたので、それだけで
驚かれた。今じゃ考えられないな。
半角は今でも使うけど倍角、四倍角は完全に死語だなw
J-STAR、なつかしー! たしか、日本語版開発チームがチームごと他社へ引っこ抜かれ、 マイナーバージョンアップさえ、ままならなかったことを覚えてるw 俺は仕事でJ-STARとキャノンEZPSを覚えさせられたが 結局、Macに全部移行したなあ
そういえば最初期のカラーインクジェットって、 1色印刷してはまた戻り、2色目印刷してまた戻り…って1枚印刷するのに10分くらいかかった覚えがある。 そういうのをレビューするのが仕事だったんで、倉庫みたいな機械室でぼけーっとそれを眺めていたなぁ。
>>895 うちの会社は未だにおっさんが、
「書類のタイトルは縦倍角だろ」とキレる。
ほんと新卒泣かせ。
小学校の時、教室で配布される印刷物のことを「プリント」って呼んでた。 ガリ盤刷りのわら半紙だったけどな。わら半紙っていうのはこの世からきえちまったのかな。
>>899 うちの子供の学校じゃいまだに「プリント」と呼んでるぞ。
もちろんガリ版じゃないけどさ。
発展途上国は教育に力を入れたいんだけど、教師の負担がえげつない。 1クラス50人とかのテストを、先生が何日か前から徹夜で全部手書きとか 普通にあるらしい。誤字脱字の許されない写経みたいな作業をテストがあ るたびに毎回毎回。それでも母国の教育程度を上げたいと願う先生たちは 頑張るらしいんだけど。 日本で不要になったガリ版の鉄筆、鉄筆でひっかくあの蝋を引いた紙みたいなの、 ローラー、懐かしい独特の匂いのインク・・・。 こいつらがものすごい革命的道具として渡って行ってるって話思い出した。
>>891 ライターだけど、自分もずっとオアシスワープロだった。
変換が優れていたり字詰め処理が簡単だったのもあるけど、
一番の決め手は何より1ファイルの記憶容量。
他社とは比べものにならないほど大きかった。
単行本1冊もオアシスだと数ファイルですむけど、
他社だと数Pで1ファイルが埋まってしまう。
字数が多い原稿だと1P未満で埋まることすらあった。
1冊分で数十ファイルにも分れるんじゃ仕事にならなかった。
雨を浴びると放射能で禿げる、という噂がまことしやかに子供の間で囁かれ 数年後、雨を浴びると酸性雨で禿げる、という噂が@80年代頭 よくわからんが雨を浴びるのはよくねーんだなと納得してた
>>902 そう言えばオアシスユーザが口癖のように言っていた「親指シフト」ってのが
いまだにわからん。そんなに入力しやすいの?つかどういう仕組み?
wikiれ。優れた入力方式なんだけど、指がqwerty覚えちゃってる人が大多数の今となっては 覚え直す手間のほうが多大なんで廃れちゃってる入力方式だ。
昭和のおわりに社会人だった、て このスレ50才ぐらいの人もいるのね。
そりゃいるにきまっとる
>>897 >そういえば最初期のカラーインクジェットって、
>1色印刷してはまた戻り、2色目印刷してまた戻り…って1枚印刷するのに10分くらいかかった覚えがある。
最近の昇華転写式のフォトプリンタ、その方式だよ
こないだ母に買ってあげてテストプリントした時に初めて知った
不惑の40代だよ
オアシスポケット欲しかったなぁ。 未だに欲しい。 ってか今のモバイルギア(三台目)壊れたら、出先で原稿書けない。 iPadとBluetoothキーボードってのも試してみたがイマイチだし、 ポメラは不便過ぎるし。
912 :
902 :2011/08/07(日) 02:00:25.10 ID:afYYKT+d
>>904 自分は1986発売のOASYS30AFからのユーザーで
JIS配列機使ってたから親指シフトはよくわからん。
ごめんね。
OASISは乾電池で動くのがあったねえ。
親指シフトは、ホームポジションからあまり遠くないキーにひとつあたり文字を二つ割り当てて それを親指付近のキー押して切り替える方法じゃなかったかな。 カナ直接入力のように1ストローク(同時2ストロークか)で1文字入力できるから速い。
英文タイプから入ったオレは、親指シフトモデルのオアシスをローマ字入力モードで使っていたが、 他社のワープロが変換やらのキーをスペースキーの幅を削っていて 空白を必要とするたび用心して入力速度が落ちてしまうのだ。 親指を変換・無変換・スペースに専従させられる、 英数字かとの切り替えもスムーズ、書式設定は0ページを指定、と ともかく直感的に操作できるのがよかった。 今でも、スペースキーで変換させたり、改行キーで確定させるのは、邪道だと思っている。 スペースはスペース、改行は改行だろ、と思う。 オアポケの2、3も使い倒した。 (もうメーカーサポートも終わっているはず) 単三アルカリ2本で本当にまる1日用をなす。 電池寿命で困ったことはない。 グレ電のモジュラー端子やPHSのみなし音声を使ってニフティサーブにアクセスしてた。
>>906 windows95 の時に20代後半だった人が40代中盤だからな。そりゃいるだろ。
泉屋のクッキーと文明堂のカステラが高級品だったなぁ。
泉屋のクッキーは今でも高くないか
920 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/08/07(日) 12:16:03.43 ID:O3tIhufJ
ボーナスが立った時代の話ですか?
出迎えと同時に「お風呂にします? それともお食事が先?」って恭しく言われた時代
>>920 そう言えば昔は月給もボーナスもぜんぶ手渡しだったよな。
しかもボーナス出ると大金を持ったまま飲み歩く人が大勢いた。
これは本当に今じゃ考えられない。今こんなことしてたら毎月
給料日は強盗天国になっちまう。
で、東芝府中の給料日を狙ったのが三億円事件
>>921 黒沢映画を観ていたら、一般家庭の旦那と舅が縁側でビールを
飲んでいる場面で、話の途中で「おい、信子!飯だ!」って言うと
奥さんが嬉しそうに「はい」って言うのがあったんだよな。黒沢は
リアルな描写をするから、当時はあんな感じの奥さんが普通だったの
だろうか。
男が女を平気でひっぱたいてたこと。「うるさい女はひっぱたけ」とか 「女房もひっぱたけないだらしない男」とか普通に言われてたこと。 ドラマの定番でも「あたしなんてあなたにはふさわしくない女だもの」 「ばかやろう!(ぱしっ!)俺にはおまえしかいないんだ。一緒になってくれ」 みたいなのが多かった。ひっぱたかれた女の方も嬉しそうにしてた。
そういや親に殴られるのって普通だったな。親父に拳固とか 母ちゃんにビンタとか。うちの親は暴力否定派だから殴らなかったけど、 学校の先生には、男子はよく殴られた。たまに女子も殴られてたな。
氷冷蔵庫って何で上に氷を置くの? もし少しでも溶けたら、滴って下の物がびしょびしょになるんじゃないの?
>>916 windows95、発売当時は画期的なOSだったんでテレビで特番も流れてたなw
こんなこともあんなことも出来るってすごい話題になってた。
今じゃ既に歴史の異物と化して、windows7が主流の時代。
95って動画処理はほとんど出来なかったしな、そういえば。
そういやDOSの時代はアプリケーションを1つずつしか 起動できなかったもんなぁ。しかも昔は日本語をハードで 処理してたから、日本人はPC-9801シリーズしか選択肢が 無かった。DOS/Vで日本語(言語)をOSで処理するように なってから一気に選択肢が広がった。
>>929 ニュース見た見た。午前0時の発売を前に長蛇の列。何か店側に
不手際があって、怒った客が「物売るってレベルじゃねぇぞ!」って
怒ってたな。
>>928 氷だけ上の部屋に置いて、下は熱交換で冷えるようになってる
98以前にも文作とかSORD Mとかビジネス用のはちゃんと日本語使えたよ。 F9450みたいなオフコンもあったし。 富士通FMRとかもあった。 あとDOS/Vが出るよりかなり前から、IBM-PCコンパチ機を東芝、三菱、日立とかが独自日本語化用ハードウェアを追加して出してた。 DOS/Vは特別なハードウェア無しで日本語を扱えるようにしたことで海外の安価なPCで日本語を使えることで 大幅にコストダウンした。
NECの98って当時バカ高かったな 高いやつは100万とかw 今でも会社に数台あるが一応現役… ほかにも三菱AXパソコン(MAXYとかいう奴で、 i386、Win2.0入り)もあるが産廃 まだ動くが誰も使わない IBM5550?なんてのもあったが先月捨てたらしい
>>934 ハードディスクが1MB1万だったな1GBじゃなくて1MB。
俺は少し安くなってから40MBのハードディスクを20万で
買ったわ。ゲートウェイのパソコンに1GBのハードディスクが
内蔵されてるのを知ったときは衝撃的だった。
スポ根ドラマ・アニメをまじめに見てた。 スクールウォーズや巨人の星などは今見てもおもしろいが ゆとりにはわからないだろうな。
いや 子供でもアニメ見る年代ならおもしろいだろう
>>933 J3100SL持ってた。
ラップトップ()笑
J-3100の中では一番の弱者、8086なやつだったねSL SGTとかSGXを仕事で使ってた人が個人で買うことは多かったみたい。 SLは後に出るノートのdynabook SSのベースになったとも言われていた。 J-3100は、キーボードとか筐体部分の出来が良かった。あのすべるように押し込まれるキーボードが今でもあればいいのにな。 ラップトップ、いいよね。
>>935 ( ´∀`)人(´∀` )ナカーマ
98RAが73万だったかな
何しろ初代ドンキーコングのゲーム全体の容量が256Kバイトだからな。 MバイトじゃなくてKバイト。
GATEWAY2000の名を生活板で見ることとは思わなんだw 就職2年目に個人輸入したのが懐かしい。
お前らコンベンショナルメモリとか熱く語れるだろw
CONFIG.SYSとかAUTOEXEC.BATのカスタマイズとかなw
>>924 共犯はいたかもしれないけど、実行犯1人であんなことができたというのも、古きよき時代ってことかね
>>939 確か80186だったような。ATOKの入れるバージョンが違った気がする。
キーボードすごく打ちやすかったけど、とにかく重かった。
くっくっくっ、SLなんぞはJ-3100の中では軽い方、SGXなんか6.4Kgもありましたさ。 NECとかエプソンのラップトップはもっと重かったけど。
パソコンの話をするのは構わんが 平成初期の話になってるぞ
1995年は平成7年だから平成初期でもない。 DOS/V以前のパソコンはともかく、Windowsは平成の産物だわな。
>>937 いや巨人そのものの価値観がすっかり変わっちまったから、
あそこまで巨人軍ってものにこだわる設定そのものが???じゃないか。
>>923 昔はダンナが給料袋から生活費を出して奥さんに手渡してたから
奥さんはダンナの給料がいくらか知らない人もいたみたいだし、
そうやって男の威厳を保ってたらしい。
振込み式になってから家の収支は妻が管理するところとなり、
ダンナはお小遣い制になって威厳が失墜したと言われている。
>>951 銀行口座、カードの使い道、ネットですぐ見られるし、
Suicaなんかも何日の何時にどこ駅に行ったかすぐネットに反映される。
よく考えると怖い時代だねw
>>950 …巨人軍以前に、野球そのものの価値が下落してます故に。
昔は、野球と相撲以外に娯楽スポーツなんてなかったもんなあ。
>>953 ただ、観客動員数は全体的に上がってるし、パリーグの人気がセと変わらなくなってきて
プロ野球そのものについては良いことなんだろうと思うんだよな
テレビで漠然と見るものじゃなく、積極的に見に行くものになったという点では
くっついて商売したい人にとっては良くないんだろうけど
>>954 国民的スポーツという意味では、野球の人気はずいぶん下がったよ。
一昔前なら、男で「野球興味無い」って言ったら
変人扱いされたけど、今は全然そんな事無いからね(´・ω・`)。
>>955 うん、だからそれは健全なことでしょ
興味あるやつだけが見て、足を運んで、球団の直接の収入も増えてるなら良いことじゃん
私も、男の子は野球が好きに決まっている、観のなかで育って、 ものごころついたころから毎晩父親にナイター中継でチャンネル権を掌握されて、 野球(プロレス・ボクシング・チャンバラ・戦争モノにも)に嫌悪感すら持っているが、 長島采配は見ておきたかった気がする。
ありがとうございました。 みたいな文章が早いんだ。>親指シフト 便利だったんだけどねー。
959 :
858 :2011/08/08(月) 11:16:49.91 ID:N7ZVUtxi
すまない。 なんでかリロードできてなかった。
>>926 今では、ひっぱたかれると、仕返しに山奥のやっすい老人ホームへ入れられます。
俺が小学校に入った年に母親がパートに出るようになり、以来俺は昭和の鍵っ子。 今は「鍵っ子」っていう言葉は無いのかな?
意味は違うが、今は家に人がいても鍵かけるの当たり前だから、普通にみんな鍵もってるよね。
ウチの子にカギって
無くさないように首から下げてたよね、鍵。 冬はすごく冷たくなって、ヒャッとする。
うちの子に小切手
小坊の時、爪を伸ばしたまま学校行ったら 担任にいきなりゲンコ喰らった 汚いとか、切るのが身嗜みだぞ、とか言われた 今同じ事すると問題になるし、似たような事を 言葉だけで注意した先生がいたらしいが、生徒曰く 「え?これでアンタに何か迷惑かけたん?」 終わってるw
スレの趣旨には反するんだが、夕方にさ、近所の公園で子供達が鬼ごっこか何かしてたんだ そしたら「バリア!」とか言ってて、こういうところは昔といっしょなんだなと和んだ で、しまいにはバリア使われてばっかりで切れたオニが泣き出してさw
鍵は持ってなかったな。玄関閉まっててもお勝手が開いてたりしたから 塀の隙間から侵入して。トイレに行きたいときはそうした。
昭和40年代半ばのサッカーブームをリアル体験してる人は居ないかなぁ
>>969 東京12チャンネルあたりで深夜番組やってた気がする。
イングランドとか西ドイツとか。
あとオリンピックで釜本がゴール決めて銅メダル取ったとか。
通りいっぺんだけどね。
昆虫セット。 針付きの注射器と怪しげな薬品二瓶とルーペのセットだった。 怪しすぎるw
コレクター
>>972 あったなあ、おいw 防腐剤となんだっけ。
と思って調べたら、殺虫液と防腐液だった。注射は危険だなあと子供心に思ってたが
PTAの反対で生産縮小に追い込まれ、「とある用途」に転用する馬鹿者がとどめ刺したらしい。
>>964 うちはゴムひもでランドセルのよこに繋いでた
今思うとよく無くさなかったなと思う
虫といえば、 綺麗な色のかなぶんや玉虫を大量に集めて、箱に並べて夏休みの宿題に出したりした ずっと同じ街に住んで居るのに、もう何十年も玉虫なんて見ないな
今もあるけど昔はどこの家の玄関にも木製の牛乳箱と緑のプラスチックの ヤクルト受け箱がつるしてなかった?母ちゃんが用事で出かける時は そこに鍵を入れて行くんで鍵持たないで学校行っても大丈夫だったよ。
>>976 俺は虫って言えばカナブンの首(?)に糸巻いて飼いカナブンにして遊んだ。
きつく巻いたりすると首チョンパで悲惨な結末に。
>>974 「とある用途」とは??
オレはカエルを生きたままメタノールに漬けたのは覚えてるw
倉庫の中探せば、まだあるかも(o^-')b
>>979 気に入らない奴の食物に混入したり、実際に注射針で刺しちゃったりとか。
ついでに、注射器をシャブ打ち用具として使う大人たちも続出したげなwww
983 :
979 :2011/08/09(火) 07:42:25.25 ID:2eHR2fxq
なるほどありがとうございます_(._.)_
ちなみに、毒の成分とか分かりますか??
>>982 警察が怒った理由ってのは、自分らの専売特許である注射器をこう売られると
自分らに入ってくるマージンがなくなるからでFAですな??
トラックでスイカ売りに来てた
バスにたまに乗るときはいちいち小銭用意してたなあ。 今はバスでもJRでも私鉄でもキオスク、何でもスイカで済むね。
987 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/08/10(水) 05:13:07.59 ID:RJdZwKlT
数年前でもそうだよw
>>986 電子マネーが交通機関についたのって平成に入って15年ぐらいたったあとじゃないの?
昭和の話じゃないでしょう。
いや その前からプリペイド式のイオカードとか出ていた
>>986 昭和のバスには車掌さんが乗ってた。
女の人が多かったような気がする。
バスの乗車口は車掌さんの立つスペースがあって、
ワンマンカー時代になってそこには回数券の発券機がぽつんと
置かれるようになった。
>>989 テレフォンカードが登場したのが昭和50年代だったようだ。
その後オレンジカード、もっとも電子マネーというより電磁マネーだけど。
>>991 昭和50年くらいまで母の実家のほう(山の中)がそうだったな
ジジババのところに遊びに行くためにバスに乗るのがたのしみでさ
ボンネットバスだったし
>>991 バスの構造が車掌乗務前提で、ドアが真ん中の1カ所だけだった。一番前は展望席で子どもの頃はそこに座るのが好きだった。
夏にならないとアイスが食えなかった それまではアイス入れてる冷凍庫はブリキの蓋をしてカギをしてた
>>991 車掌さんの胴回りにがま口の親玉みたいの付けて、開け閉めの時に
パチンパチンって小気味よい音。側は皮製だったのかな。
男だけどあれが欲しかった。
オヤジがチンチン電車の運転手でオカンがバスの車掌さんでしたw
999 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/08/10(水) 22:22:07.05 ID:RJdZwKlT
今日バスで小銭用意して払ったけど?
1000 :
おさかなくわえた名無しさん :2011/08/10(水) 22:25:32.38 ID:dTNGAGgc
上げ
1001 :
1001 :
Over 1000 Thread .................................. ── ....................................................
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次スレへ行こうね うん
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 ̄ ̄(::: つヽ(∀`::)  ̄ 新しいスレッドを立ててください。
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