まんまどっかの本に載ってそうな考えですな。
脳内メモだからいちいち出典示してないけど、
「グルー」概念の問題提議は青山拓央『タイムとラベルの哲学』より、
「グルー」概念自体は青山がクリプキから借用したもの、
アスペクト概念や主観的性質・客観的性質の区分の話は野矢茂樹「心と他者」より、
アスペクト概念自体は野矢がウィトゲンシュタインを解釈したもの、
ホピ族の宇宙観についての引用は真木悠介『時間の比較社会学』より、
ホピ族の調査自体はサピア・ウォーフによるもの、
A特性概念の解釈は伊佐敷隆弘の論文「マクタガートの時間の非実在証明について」より、
もちろん、A特性やA系列の概念自体はマクタガートがソース、
あと、文字には残ってないけど、全体的な着想はフォコニエ『メンタル・スペース』の影響もあり。
じゃあ何がオリジナルかっていったら、「特定時点の同一対象は時制によって性質を変えない?」っていう
論点について青山が肯定的に述べたのを受けて、逆に否定的に見直すことを話のとっかかりにしたとか、
細かいところもちょくちょくあるけど、核となる部分は、
認知科学のメンタル・スペース理論の見方を哲学の時間論に持ち込みつつ、
過去・現在・未来っていう狭い枠に囚われてることが時間論の閉塞の原因じゃないかって主張を背景に、
アスペクト論にも繋げて、もっと広く統一的に時間を捉えなおせるんじゃないかって提案したことかね。
芸術とは違って、学問では「既成の道具立て9」+「1のオリジナルな一歩」くらいのペースが丁度いいのよ。
どんなに発想豊かな人だって、それを語る言葉まで自分で発明してたら人に伝えようがない。
10のオリジナルを作りたければ、その一歩一歩の作業を10回積み重ねればいい。
それでも、別々の芸術作品はそのまま継ぎ足しても特に価値は増えないのに比べて、
学問は既存の成果を積み重ねたり新しい繋がりを創れば意義が足し算にも掛け算にもなるから、
オリジナリティの出しやすさって面ではそれほど遜色ないと感じる。
まあ学者の論文なんか、ただ既存の学説をこねくり回してるだけなのは論外としても、
本当に新しい考えを示してる論文だって、大抵、見た目は引用だらけなもんだ。
「厳密さ」が重視される学問では、既存の考えをいかに解釈し、発展させるかってことを全く考えずに、
闇雲に自分の発想を自分の言葉で語るだけじゃ、むしろ人に伝える態度として不誠実ってことになる。
といっても、きちんと体裁整えず、まだ発展させるべき所も放置して、
脳内メモのままぶつ切りで垂れ流すのも、明らかに学問になってないんだけどw
なんつーかだね。ケムがどう思ってるかは別として、オレ個人としては
哲学板並の議論をしたいっつうワケでもなく、考えるっていう思考を楽しみたいワケでさ。
当然、まぅー程に知識に長けてるワケじゃあないから、専門的用語が入る長文だと
レス全体への理解には苦しいのだよね。
そん中で、解るトコから思考や視野を広げてくのをここでの面白みと思ってるんだけど。
逆に、自分の感覚を表したレスを誰かがそれなりに感じれたならこれまた面白みなワケでw
勿論、正規な哲学情報は参考になるし有り難いけど、まぅーが望むよな議論はオレには多分無理w
いや、俺の書いたレスも専門用語が入ってるんだろうけど、
ユダのレスも俺から見たら専門用語だらけなわけよ。
ただ、俺の使う用語は出典を辿っていけば必ず明確なソースに行き当たるようにできてるけど、
ユダの方は完全なユダ語だから、どこを調べても理解する手掛かりが見当たらないってこと。
考え方や語彙の参考にしてる文献があるなら言ってほしいんだけどね。
test
328 :
ケムマキ:04/07/21 02:14 ID:k+7y/Nkw
んーとね、別に僕も高尚な議論をするスレだとは思ってないんだけど、
(というか、僕には出来ないし)ここはここに書き込む人が自由にものを
考えて書き込む場所だからKの書き込みが否定される理由なんてどこにもないし、
分かんなかったらまず聞くって姿勢も大事だと思う。
それに答えるかどうかは人の勝手なんだけど。
Kの文章は注意深く読めば、いってることの内容は明晰だと
思うよ。ただ、色んな制約があって、わかりにくくなってるとは思うけど。
A特性なんて言葉聞いたことないし、検索して調べればいいんだけど、
そうしないと通じないってことなんだろうと思う。
ユダの文章は、理解するのにもっと大きい背景が必要になるんだろうなって感じ。
それは悪いことじゃなくて、ユダの個性だし、このスレの特性からしても、
そのあり方は全然歓迎するべきなんだろうなって思う。
けど、ユダの言ってることが理解できると、多分楽しいんだろーなって思ってるよ。
329 :
ケムマキ:04/07/21 02:27 ID:k+7y/Nkw
>>265 ・同一時点における異なる地点(空間)にある対象は必ず別個のモノである。
しかし
・異なる時点における同一地点(空間)にある対象は同一のモノでも別個のモノでもありえる。
これ見てて思ったんだけど、
異なる時点における、異なる地点にある対象は、同一のものでも、別個のものでも
ありえるんだけど、絶対に同一のものであり得ない場合もあるよね?
広さがあるから。ただ、それだけなんだけど、なんとなく思いついたから書いとく。
330 :
ケムマキ:04/07/21 02:31 ID:k+7y/Nkw
>>284の
>地点P時点T/地点P’時点T’:同一個体(移動)または別個体
こっちにも同じことが書いてあった。
移動して、そこにある可能性もあるけど、そこに同じモノが絶対ない
可能性があるっていうのも、ちょっと面白いかな〜って・・
331 :
ケムマキ:04/07/21 02:33 ID:k+7y/Nkw
それと、モノの同一性ってのが関連するかどうかは分からないけどね。
そんじゃ、寝よ。
>>326 いやさ。。オレは別にわかんねーよって否定してんでなく
すまんね、相手になれなくてって言ってるつもりなんだけんど。。w
>>327 うぃ。
とりあえず今日も、もうだめぽなので説明だけでオチ。。すんまそ。。
334 :
煙:04/07/29 23:38 ID:WiRv+RAt
まー、本当は時間と空間の話にはそんな興味はないんだけどね・・・
今思ったら僕、昔のこと思い出さない。
思い出さないから、過去のことはどんどん忘れていってる。
今の自分があるだけ。
なんだか、空洞っていうか、抜け殻みたいだね。
間違いなく、過去は今の自分を作ってるし、無関係なわけないんだけど、
記憶としては、思い出すことがほとんどないからな。
昔のことを思い出して、今の自分を思ったりだとか、みんなしてるのかな。
それとも、意外とみんなも昔のことは思い出さないのかもね。
335 :
煙:04/07/29 23:42 ID:WiRv+RAt
なんで、人間って怒るの?
怒りって感情を表すことによって他人に何を求めているのか。
怒りってテーマでやってみたいんだけど。
336 :
煙:04/07/29 23:45 ID:WiRv+RAt
怒りに対して哲学的な知識とかないから、経験だけでやる。
だから、薄っぺらくなるかもしれないけれど、
ちょっとづつみんなで深めていけたらいいな。
337 :
煙:04/07/29 23:50 ID:WiRv+RAt
まず、どういう時に人は怒るかっていうことから考え始めると、
社会とか個人の掟とか、犯された時?
やってはいけないことをやられた時に怒るっていうのが基本かな。
>>334 途中辺りから、そだと思った。。w
感情についてはちょと別スレでも個人的にやってるんだけれど、
連想キーを置いておこうかね。。排出。解放。循環。
この辺りから何を思い浮かぶかな。
339 :
煙:04/07/31 00:13 ID:JQu4xYZP
排出、解放、循環・・・
人間が生きていると、なんか、押さえ切れない力ってのがあるよね。
感情って言うのは、そういう力の排出であったり、解放であったり、
循環だって、ユダは言いたいのかな。
確かにそういう側面もあるだろうけれど、
他人がする態度や発する言葉ってものが、直ちに怒りに結びつくのも確かだよね。
なぜ、人は怒るのか。動物だって怒るだろうけれど、人間にとっての怒りとは?
他人に怒ることで、何を求めているんだろうって思って。
一つに、謝罪ってもんを求めているところがあるんじゃないかって思ったんだけど、
どう思う?
340 :
:04/07/31 00:36 ID:KhkAmU1P
怒り、と何かを求める・・・って結びつかないなあ。
仮に求めるんだったら、「謝罪」というより「存在」とか「許し」を
求めてるイメージ。
怒りってのは「自分なりに正しいと思う道」から外れてしまっているのを
見たり、されたりしたときに出るのだと思うんだけど、その
「自分なりに正しいと思う道」って、あやふやじゃない。
ほんとに正しいのか、わからない。(答えなんてないんだろうけど)
だから出そうとすると、躊躇してしまうし、ストップかけようとする気持ちも
働く。
そこで、その躊躇してしまう気持ちよりも「出したい」って気持ちが大きいのならば
きっとその「自分なりに正しいと思う道」を確認したいのかなー・・・と。
341 :
煙:04/07/31 00:57 ID:bqZB+I8k
>>340 例えば、人に怒った時、怒る原因ってのは、例えば気にしていることを
言われた時とか・・・その時は、何かを求めているんじゃなくて、
ただ単純に感情を剥き出しにしているんだけど、怒る行為によって、
じゃあ怒られた人はそれに対して謝罪するだろうし、反省するだろうし、
そういう謝罪や反省が怒りって状態を解く行為だとしたら、
怒りっていうのは、謝罪を求めているんじゃないかと思って。
悪いことをした子どもを怒る時の、躾の意味での怒りみたいのはもっと
そういう要素が顕著じゃないかなって今思った。
342 :
煙:04/07/31 01:03 ID:bqZB+I8k
「自分なりに正しいと思う道」こういうのを犯された時の怒りって、
もっと動物が持ってる怒りよりも人間的な気がする。
本来はもっと、自分に直接的な害が与えられた時に出るんだろうな。
好きなおかず横から取られたときの怒りとか・・・
自分だけの利害じゃなくて、「自分なりに正しいと思う道」っていうのは、
社会的であったりもするだろうし、友人を傷つけられたとか。
これもま、自分への害なんだろうけど、間接的だし。
怒る切っ掛けとゆうはまあ色々あるワケだけど、共通して言えるのは
人っつのはテンポ、リズムなどが乱れると快不快を感じるのさね。
解放、放出、循環のキーは例えで表すと歯車辺りが妥当かな。。
順調に回っている歯車に外部から動きを阻害する力が加わったとする。
そすっと、止める力と動く力がぶつかりあって歯車を動かしている力の負荷が増し
通常より強いエネルギーが生産される。
340さんの出したいって感じる部分やね。これが怒りのモトみたいなモン。ケムがいう謝罪を求める心も
その当人が組み立てている積み木の一部、積む予定だったモノに掴みかかられて
阻害されそうになるバランスの不安定感が起こすようなモンじゃないかな。
ケムがいう求める、で言えば、投げたダーツの矢を抜いてくれっていう「求め」の要求になるのだろね。
誰か親切な人、ここの過去スレURL貼ってくれないか?たのんますわ
【怒りの種類】
◇道徳的・倫理的にしてはならないことに対して。(例えば、理不尽な暴力)
◇自己の存在を軽んじられた時。(適当に話を受け流されるなど)
◇欲望を阻害された時。(夢中でゲームをしている時に、話しかけられるなど)
一番、上のものは、謝罪や改善や中止を要求する怒りであると思うけれど、
下二つは、それ以外の怒り。
346 :
煙:04/08/02 00:11 ID:usFBem1M
人と喧嘩した時、お互い謝って丸く収まるのが大体だけど、
怒りの感情を放出した後は、人間はまた、社会をうまくまとめようとする
方向で落ち着くと思う。
そうではなくて、ずっと、仲直りもなくお互いをいがみ合っているのは、
怒りではなくて、憎悪で、怒りと憎悪はまた違う感情だと思った。
347 :
煙:04/08/02 00:15 ID:usFBem1M
348 :
煙:04/08/02 00:23 ID:usFBem1M
>>343 なるほど。
それじゃあ、ユダは、一体どういった種類のテンポやリズムの阻害が
怒りに結びつくと思う?
>>345 それじゃあ、下の二つはどういう怒りだと思う?
ゲームを夢中でやっている時にそれを邪魔された。
それで怒ったら、そのままゲームが快適に出来る環境がまた戻れば
怒りは収まるんじゃないかな。
それって、改善は求めてるのではないだろうかって思って。
その辺についてはどう思われます?
349 :
煙:04/08/02 00:27 ID:usFBem1M
「許せないっ」って思いが、怒りの表明を歯止めしていた理性を
一気にぶち壊すけれど、結局、怒った後には、「許す」方向に
気持ちが向かうんじゃないだろうか。
許すために怒るとさえ言えるんじゃないだろうか。っていうのは言いすぎかな。
>>348 誤解させるような書き方をして、ごめんなさい。
「それは、倫理的に間違ってるよ。直してくださいね」という意味合いで、
「改善」という言葉を使いました。
ゲームの邪魔をされたことに対する怒りは、動物的なものであり、
相手への注意というよりも、排斥というかテリトリーの確保的なものだと思いました。
「改善」というと、「いけないところを直す」という感じなのです。
ゲームの場合は、自分にも悪いところがあると分かりつつも、欲望を押し通したい。
「改善」というよりも、「『自分の悪い点』に目を瞑ってもらう。寛容を求める。」感じかと。
「『相手の悪い点』を直してもらう」というのと、同列に並べたくなかったのです。
>>348 リズム、テンポってのは状況の変化のコト。その変化に合わせられない、流せなかったりすると支障が出るワケだね。
注意や否定を受けて怒るつのは、その状況や流れをよしとして感じているワケだから
阻害や阻止により怒るが「起こる」。
状況や流れに柔軟性があるなら、負荷をかけるコトなく切り替えられる。
もしくは新たに組み込むコトも出来るんだろうとは思うけどね。
責任能力のある普通の人間が自分を殴ったり傷つけたりしたら、
それは怒りの対象であり、刑罰の対象にもなる。
しかし、
責任能力のない心神喪失者・知的障害者・精神障害者・幼児が自分を殴ったり傷つけたりしても、
それは怒りの対象ではなく、単なる事故としか見なされない。
つまり、「怒り」の感情を抱くということは、
怒りの状況を作り出した原因に責任能力・故意・自由意思が存在していることを認知したことを含意する。
いわば、怒りとは一種のアニミズムであり、魂に対する態度でもある。
>>352 >責任能力のある普通の人間が自分を殴ったり傷つけたりしたら、
それは怒りの対象であり、刑罰の対象にもなる。
刑罰の対象にならないような怒りの対象もあるよね。
また、刑罰の対象にもなるけど怒りをもたないコトもある。
>いわば、怒りとは一種のアニミズムであり、魂に対する態度でもある。
理念、理性にもとずいた怒りとゆうコトなんだろうけど
オレはそれらと本能的怒りは別モノと感じるんだけどそこんトコはどう思うんさね?
>>349 いや、いいすぎってコトはないかと。許したいから怒るとゆうのも確かにあると思うよ。
場合によっては何かを変換して怒ってるコトもある。
悲しいとか恥ずかしいとかね。
ほげゃ。。ごめん。。寝呆けて妙な間違い方しちった。。ワラワラ
>>353 「刑罰の対象になる」ってのは
例としてあげた「殴ったり傷つけたり」を受けて書いただけで、
怒りの対象が刑罰の対象の必要十分条件だなんて言ってないよ。
要するに、人間が何かに怒りを感じるのは、
「そうせずに済ますこともできたのに、あえてそういう結果をもたらした」というように、
その原因において自由意思が存在していることを認知しているためで、
全く意思の自由と無関係に、そういう結果になるしかなかった「事故」のような出来事に対しては、
怒りではなくは悲しみや諦めのような別の感情が働くことになるってこと。
>>356 >怒りの対象が刑罰の対象の必要十分条件だなんて言ってないよ。
オレもそんなコトは言ってないw
刑罰に触れない怒りの対象もあるって補足しただけ。
>全く意志の自由と無関係に、そういう結果になるしかなかった「事故」のような出来事に対しては、
>怒りではなく悲しみや諦めのような別の感情が働くことになるってこと。
んー、だからさ。それは理性や理念とゆう要素が働いての感情の流れじゃないって言いたいワケね。
逆に責任能力のないモノは相手が何者であれ怒りうるだろ。
物であれ動物であれ。
オレとしてはやっぱ怒りを純粋にみれば本能だと思うのさね。
そいとアニミズムっていったら対象だけでなく事象にも適応されるよな気がするんだけんど。
罪を憎んで人を憎まず、みたいな。事故を起こした対象でなく
事故とゆう事象そのモノも怒りの対象になりうるんじゃなかろかね。。
たくま、加古川の7人殺し、と聞いてまず思い出すのは死のうだなw
>>357 あのね、俺はあくまで典型例の話をしてんのよ。
そりゃ、物に対して怒りを感じて八つ当たりすることだってあるさ。
でもそれは、あくまで怒りの状況を引き起こした原因に対して、
「その結果をもたらさないことも可能であったのに、あえて引き起こすことを選択した」
という自由意思を認知することが基本にあるからで、
物に対する怒りというのは、その延長上として、
無意識的かつ一時的にその物体に自由意思を認知するアニミズムが作用してるってこと。
さらにそれを抽象化して、罪を憎んで人を憎まずっていう観念もアニミズムの結果として出てくるわな。
あとね、哲学者の大森荘蔵も言ってるけど、感情は一種の認識だから。
動物がテリトリーに侵入したり子供を脅かしたりする敵に対して牙をむく本能的行動と、
人間の「怒り」という言語で表現される感情は別物と考えるべき。
例えば、もしある状況下で人が「怒り」と全く同様な身体的反応を起こしたとする。
しかし、その状況が誰がどう見ても喜ばしいとしか解釈できないものだったら、
「喜びのあまり、怒りに似た反応を呈した状態」と自他共に解釈するしかないわけで、
結局、本能的な反応だけじゃ人間の感情は規定できず、状況を意味的に解釈する「認識」に依存してるってこと。
>>352>>359 >責任能力のない心神喪失者・知的障害者・精神障害者・幼児が自分を殴ったり傷つけたりしても、
>それは怒りの対象ではなく、単なる事故としか見なされない。
Kさんの言う、「怒りの対象」とは、「法的に罰することのできる対象」という意味で使っておられるのでしょうか?
「本能的」なものを「怒り」呼ぶべきでないということですが、
では、Kさんの言われる「怒り」というものはどんなものなのでしょう?
>>352の例を見ると、
「責任能力のある普通の人間が自分を殴ったり傷つけたりしたら、
それは怒りの対象であり」と書いてありますが、これは本能的な怒りも伴うのではないでしょうか。
361 :
老婆コテparsley=pokkiの実態(プ:04/08/04 21:55 ID:PNZvGyGh
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| =ロ -=・=- ‖ ‖ -=・=- ロ===
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(; 8@ ・。:// ̄ ̄ ̄ ̄\:\.”・:。;・’0.)
.\。・:%,: )::::|.  ̄ ̄ ̄ ̄ | ::::(: o`*:c/
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(ヽ ヽ:::: _- ::::: ⌒:: :::::::: -_ ノ
\丶\_::_:::::_:::: :::::_/:::: /
| \ \ ::::::::::: :::::::::: ::: ::__/|
↑parsley=pokki ◆YILEY2ojOY は世にも醜い老婆顔(プゲラ
頭髪にもマンコの毛にも白毛がぼうぼうと生え、口元は緩みっぱなしで
口臭がきつく加齢による黄ばんだ歯と前歯の銀歯がとてつもなく見苦しい50歳の老婆を実感させる
身体全体からは悪臭とも言うべき老人臭が半径10bに渡ってたちこめ
ワキガ同様、側に近づくと感染するやっかいな老婆である
>>360 >Kさんの言う、「怒りの対象」とは、「法的に罰することのできる対象」という意味で使っておられるのでしょうか?
だから
>>356にも書いてるように、「殴ったり傷つけたり」という可罰的な対象は、
怒りの対象となる典型例として挙げてるだけで、
別に「怒りの対象」=「可罰的な対象」と定義してるわけじゃないよ。
ただ、そもそも人を罰する刑法というもの自体、
純然たる合理性のみでなく、「社会感情」にも根ざして作られてるんだから、
いわば最大公約数的な怒りの対象という意味で、怒りの対象の典型例と考えるのは自然なわけ。
典型例といったって、同じ「責任能力ある人間が自分を殴ったり傷つけたり」という出来事も、
サドとマゾの間の趣味で行われてるんなら、怒りなんて微塵も発生しないはずだし、
結局は全体的な状況認識に依存していて、一概に何が怒りの対象かなんて定義はできない。
本能や身体的構造による初期条件だって、全く無関係ではないけど、
結局、人間は記号の時空、シンボルの宇宙に住んでるわけで、
後天的にインプットされる意味付けが優位となることは感情も変わりがない。
ただ、境界事例の観察から導き出せる、怒りの対象とそれ以外とを分かつ一つの中核的な要素として、
「その結果をもたらさないことも可能であったのに、あえて引き起こすことを選択した」
という「原因における自由」の存在を挙げることができると言ったの。
刑法にも「原因において自由な行為の法理」ってのがあって、
酒で泥酔して心神喪失・心神耗弱の状態で人を殴る行為は、
普通は「しかたがない」ってことで、社会感情としても怒りが消滅・減退して可罰性が否定されるけど、
酔ったら他人を殴るって自覚がある人が、あえて飲んで暴行に及んだって話なら扱いは別で、
社会感情としても「未然に防ぐことができたのに、あえてその結果を招いた」ってことで怒りを覚えるし、法的にも可罰的な行為とされる。
363 :
老婆コテparsley=pokkiの実態(プ:04/08/04 22:54 ID:PNZvGyGh
parsley=pokki ◆YILEY2ojOY は金融に愛の告白をスレ上でしたが
顔にデカイほくろを付けたシワシワの醜い50歳老婆という容姿が
発覚した為、あっけなく振られ今度は自分より一回り年下の若い死のう?に
ラブアタック攻撃を開始し始めているらしい(藁
364 :
煙:04/08/06 00:36 ID:vTkSjI5f
どうでもいい人間に対して怒るって事あると思う?
自分に危害があるとか、そういうのじゃなくて。
もっと、人間的な問題で。
例えば、友達が自分なんて死んでもどうでもいいって言った時の怒りとか。
自分の個人的な感情を、社会とか、人に剥き出しにするということは、
物凄く人に対して真摯な態度だと思うし、それは
>>352の「魂に対する態度」
とは別かもしれないけれど、いい言葉だと思った。
365 :
安藤:04/08/06 04:14 ID:ovhVaRE6
デザイナーってのは二種類の方向性に別れてるんだよね。
引き出しをあけるデザイナーと辞書を繰るデザイナー。
引き出しをあけるデザイナーの長所は仕事が速い事。短所は大雑把でミスが多い。
辞書を繰るデザイナーの長所はとにかく手の込んだいいものができる事。
そのデザイナー自身の実力にもなる。短所は仕事が遅い。
俺の会社では後者が断然多いせいか、完全に前者派の俺は最終前に
いやでも苛立ちを感じる。
分かってるのに分かってあげられない事がある事を踏まえた上でみんな発言
してんのかな?
>>K
なんか人の言ってるコト反復してるばっかやん…(ワラ
>>364 どうでもいい人間に対しての例が友人じゃ、どうでもよくないのでは?w
怒りがわくのは対象より事象だからね。それが何に還元されるかが怒るなんではと。
>>365 わからないで苛々してる人がいるのはわかるけどだからどうしろと言われても
どうしようもない(ゎ
367 :
煙:04/08/14 23:16 ID:7JVenqqt
>>366 どうでもいい人間と、友人との比較のつもりだった。
対象より事象。そうだろうか?
僕にはむしろ、事象より対象のほうが重要な意味を帯びているように思える。
顔に唾を吐きつけられても、
その対象によって感情の種類や度合いは違うように思う。
事象に対して、定まった反応を示すのは最もだろうと思う。
けれど、対象のほうが人間の怒りには間違いなく意味があるように思う。
368 :
煙:04/08/14 23:26 ID:7JVenqqt
>事象に対して、定まった反応を示すのは最もだろうと思う。
これはちょっと違うかな。
僕が言いたかったことは、根源的なことで、なんていうか、
動物にこれこれこうしたらこうなる、とか攻撃を加えると怒るだとか・・・
そういうこと。
369 :
煙:04/08/14 23:34 ID:7JVenqqt
人間にとって、人間という対象そものもが事象だと
考えればユダの言っていることも分かるかな。
親密になればなるほど、下らない事でも、他の人間なら許せること、気にならない
ことであっても、怒りの度合いは大きくなることがあるだろう。
その時、その怒りの原因となった行為自体にはさしたる意味はないんじゃないだろうか。
むしろ、そんなことで怒りを覚えるその対象に意味があるんじゃないだろうか。
370 :
煙:04/08/14 23:46 ID:7JVenqqt
目下の人間にとられた態度とかで怒ったりもするだろうし、
それは先輩だったら同じ態度でも違ったりもする。
いろんな条件、でいろんな種類の怒りがあるだろうけれど、
事象よりも対象のほうに重点があるのでは?って思った。
真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ