【三十一谷人】福沢諭吉について(其の10)

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1名無しさん@お腹いっぱい。
・「三十一谷人」とは、福澤諭吉の雅号です。

前スレ
【三十一谷人】福沢諭吉について(その9)
ttp://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1345889094/
【三十一谷人】福沢諭吉について(其の8)
ttp://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1323680099/
【三十一谷人】福沢諭吉について(その7)
ttp://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1301829575/
【偉人】福沢諭吉について(その6)【悪人】
ttp://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history2/1284343842/
【偉人】福沢諭吉について(その5)【悪人】
ttp://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history2/1272338953/
【偉人】福沢諭吉について(その4)【悪人】
ttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1253956268/
【偉人】福沢諭吉について(その3)【悪人】
ttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1243898641/
【偉人】福沢諭吉について(その2)【悪人】
ttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1226896359/
【偉人】福沢諭吉について語るスレ【悪人】
ttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1147733623/
2名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/05(土) 14:50:08.06 ID:5VIo6jjS0
日本紙幣に居座り続ける古顔、福沢諭吉
中国メディアが見る日本
http://j.people.com.cn/94473/8396555.html

一つの国の世界観や価値観は各国の紙幣、特に最高額紙幣の上に浮かび上がる。
北京晨報が伝えた。

2001年に欧州通貨単位のユーロ紙幣がドイツの紙幣に制定される以前、
ドイツの最高額紙幣、1000マルク紙幣に印刷されている人物像は、
現代ドイツ語辞典を編纂したグリム兄弟だった。
現在、日本の最高額紙幣1万円札に印刷されているのは福沢諭吉だ。

福沢諭吉(1835-1901年)は江戸時代末期に下級藩士の家に生まれた。
日米修好通商条約に伴い派遣された咸臨丸の艦長の従者として渡米したり、
欧州各国の使節団に同行するなど、西洋の学問に心酔し、明治時代における
「文明開化」に尽力した人物だ。また、福沢諭吉は日本の近代思想史において、
最も早くに「Civilization」を「文明」と翻訳し、「文明」の概念を導入する
と当時に、文明の優劣を説いた。(つづく)
3名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/05(土) 14:52:15.19 ID:5VIo6jjS0
■18世紀のフランス、「野蛮」に対立する意味で使用された「文明」

欧州を中心にして見た世界は2つに分かれていた。秩序があり優れた欧州と、
半開の国で野蛮な欧州以外の地域。福沢諭吉が指摘する以前から、
日本人はすでに、イタリア人イエズス会員・カトリック教会の司祭
マテオ・リッチが持ち込んだ世界地図によって、この世界は「中華と四夷
(古代中国で中国を中華と呼ぶのに対し、四方の異民族を指して四夷と言った)」
という秩序のほかに、新たな秩序、つまり東西や欧亜といった線引きが
あることを理解していた。また、日本人は宣教師が自らの故郷を欧州と
呼ぶことや、中国や朝鮮、日本がある大陸は「アジア」と呼ばれている
ことも徐々に理解していった。この理解の基礎の上に、福沢諭吉はかの有名な
「脱亜論」という文明の優劣による評価を導入した。これにより、近代日本人は、
西洋文明の風が国境を越えてアジアに流れ込めば、古いしきたりに囚われた
清国や朝鮮は国家滅亡の運命から逃れられないと見て、清国・朝鮮との間に
明確な境界線を引き、2カ国の滅亡の巻き添いになることを避けなければ
ならないというアジア観の基礎を打ち立てた。

福沢諭吉の中国に対する認識は、アリストテレスからヘーゲルに至る思想に
基づいたところが大きく、最終的には「アジア的生産様式」を引き合いに出し、
「中国の停滞性」を主張した。

簡単に言えば、アジア社会、特に中国社会は土地の私有制度がないことから、
大型水利工事施設の建設を基礎とし、国がすべての経済活動を計画準備する
専制政治体制を形成している。アジアの専制社会は完全に停滞した状態で、
発展する動力を欠いた社会形態であるというものだ。福沢諭吉が提出した
「脱亜論」は日本の思想史に対して深く影響を与え、今でも日本の多くの
国民が日本のことを、「西洋には属さないが、アジアの独特な文明とも異なる」
と考えている。(つづく)
4名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/05(土) 14:57:03.22 ID:5VIo6jjS0
日本紙幣に居座り続ける古顔、福沢諭吉 (2)
http://j.people.com.cn/94473/8396557.html

「脱亜入欧」(後進世界であるアジアを脱し、ヨーロッパ列強の一員となる)
の機運が盛り上がった後、表面的にはそれと相反する思想も沸き起こってきた。
岡倉天心は「アジアは一つ」とするアジア主義を打ち出し、日本と中国と
インドは文明的にも共通性があることを強調した。この2つの見たところ
相反する思想はこれ以降も、甲午戦争(日清戦争)、日露戦争、辛亥革命、
10月革命などの大きな歴史的事件において、それぞれの擁護者を引きつけて
いき、第2次世界大戦において完全に結合する。これが、大東亜共栄圏の
イデオロギー、すなわち「満州・中国と同盟し、アジアを統一して、
アングロサクソンの世界に対抗しよう」というものだった。これは、
「欧州にとって『他者』であるアジアは、帝国主義主導型の世界秩序を
打ち破る必要がある。日本はアジアにおいて先に現代化を実現させた盟主
であり、他のアジア諸国にもこの使命を遂げさせる義務と能力を持つ」
という構想だ。

福沢諭吉が1万円札の上に刷られているのは決して偶然ではない。日本が
歴史問題を認めないのも偶然ではない。この二つの事柄はすべて同じ歴史的
根源から来ている。これこそが、近代日本の自己定義における主体の欠如
なのである。

「犬と鬼知られざる日本の肖像」(2002年)の作者で米国の日本通と呼ばれる
アレックス・カー氏はかつて、中国学を学ぶほうが日本学を学ぶよりも
気持ち的に楽しいと語ったことがある。なぜなら、中国人学者は日本人学者と
違って「自国の文明の特異性と優越性」を強調したり、それを研究の最終的な
帰結点としないからだと述べている。これは、日本の思想が現代化の過程に
おいて生み出した、「他者の視点から自分たちを位置づけ、自己評価を行う」
という面白い現象にもつながる。実際、福沢諭吉の「脱亜論」であろうと、
岡倉天心の「アジア主義」であろうと、背後に隠されているのは他者による
観察視点である。(つづく)
5名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/05(土) 15:00:44.07 ID:5VIo6jjS0
米コーネル大教授の酒井直樹氏は「日本思想という問題--翻訳と主体」という
著書の中で以下のように解説している。ある人物がもし内部の視線から自己を
観察する場合、自分を特殊だと思うだろうか?自己の特異性を強調するという
ことは、外からの視線で自己を観察していることを表し、これによって観察の
主体が消失してしまっていることを示している。自我の主体が崩壊するのに
伴い、核心的価値観も喪失される。

日本の歴史認識が世界の形勢の変化に伴い、大きく揺らいできたのは明らかだ。
米国の占領時期から冷戦時代にかけては、左翼が勢いを得て、一時は
自己批判・反省の機運が高まったこともある。しかし、戦後民主主義の
指導的人物である丸山真男や竹内好などの人物が相次いで世を去ると、
特に2000年以降に中米関係が日増しに緊張してくると、日本の歴史観は
急激に右へと傾いていく。このような揺さぶりが激しく、不安定な歴史観は
まさに、核心的価値観の欠如を表している。

現在、500ユーロ紙幣にはグリム兄弟に代わって抽象的な現代建築が印刷され
ている。欧州憲法の制定や欧州通貨単位ユーロの発行に伴い、第2次世界大戦
後の古い体制のままだった欧州は今や、一つの新しい欧州に向け体裁を
整え始めている。しかし、福沢諭吉は今もなお1万円札に印刷されており、
一代、また一代と日本人の成長と衰退を見つめ続けている。(編集MZ)

「人民網日本語版」2013年9月11日
6名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/05(土) 20:49:39.03 ID:crFWJal7P
なかっち 動画
http://www.youtube.com/watch?v=z2qK2lhk9O0s



みんなで選ぶニコ生重大事件 2012
http://vote1.fc2.com/browse/16615334/2/
2012年 ニコ生MVP
http://blog.with2.net/vote/?m=va&id=103374&bm=
2012年ニコ生事件簿ベスト10
http://niconama.doorblog.jp/archives/21097592.html


生放送の配信者がFME切り忘れプライベートを晒す羽目に 放送後に取った行動とは?
http://getnews.jp/archives/227112
FME切り忘れた生主が放送終了後、驚愕の行動
http://niconama.doorblog.jp/archives/9369466.html
台湾誌
http://www.ettoday.net/news/20120625/64810.htm
7名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/06(日) 19:28:20.02 ID:LSHSNzNCO
まい発表内容を忘れてしまいそうです。。。
約5時間前
詳細
tachibanakoji ご本人にもお伝えしたが、日本語論文限定なのが残念。
約6時間前
詳細
tachibanakoji 平山先生のご発表。
約6時間前
詳細
tachibanakoji 会場が涼しくて快適です。会場関係者の皆様ありがとうございます。
8名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/06(日) 21:57:42.12 ID:vKcSn5EDO
詳細
tachibanakoji あれ、みんな笑わなかった。私はクスッときたのだけど。
約8時間前
詳細
tachibanakoji このショーとムービーは使えそう。
約8時間前
詳細
tachibanakoji ググってもでななかったのであ、あれとおもった。
約8時間前
詳細
tachibanakoji youtubeか。
約8時間前
詳細
9名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/07(月) 22:48:19.40 ID:eOM3BbUL0
>>1
   ノ
  (´・ω・`)
   ( (乙
   <ωヽ
10名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/08(火) 09:39:05.91 ID:64GpRlPl0
>>7>>8は、
______________________________________________________________________________________________________________________


941 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2013/09/17(火) 06:15:15.00 ID:uuXKbs4N0
日本倫理学会大会

2013 年 10 月 4 〜 6 日 愛媛大学・城北キャンパス

共通課題 倫理学は生き方の指針を与えることができるのか

10 月 6 日(日) 13:00 〜 17:00 グリーンホール(共通教育講義棟)

奥田太郎、平山洋、寺田俊郎、高橋文博、蔵田伸雄

_______________________________________________________________________________________________________________________

の実況
11名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/08(火) 11:33:51.80 ID:rD11paMF0
>>10
なんか映画でもみせたのかな
12名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/08(火) 11:38:52.07 ID:rD11paMF0
で、即座に自己解決

コレ

http://www.youtube.com/watch?v=AL5NyAUr2Mk
13名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/08(火) 12:33:00.30 ID:vb23REQ2O
福沢と関係あるのかな
14名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/08(火) 14:19:18.97 ID:Fna1q4Cx0
>>12
映像は悪いがスゲエおもしろい!
15名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/08(火) 20:00:14.02 ID:2W8/Bq/s0
こちらのほうはどうだったんだろうな
http://sky.geocities.yahoo.co.jp/gl/yamada55132/view/20131002/1380717199
16名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/08(火) 20:47:17.15 ID:2W8/Bq/s0
17名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/08(火) 22:04:12.48 ID:Ij+MClBuP
>>15>>16
すごい
安川の話はいつも同じなら、その感想も同じだ
機械みたい
18名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/09(水) 02:37:50.65 ID:Vu61D84Q0
19名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/09(水) 14:36:42.61 ID:LaqyAH/70
>>18
前半が天狗党の乱で後半がブレランとゆー、むちゃくちゃな発表
20名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/12(土) 14:52:12.36 ID:CX+QN3380
Amazon.co.jp:カスタマーレビュー: 福沢諭吉の教育論と女性論
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4874985246/

----
5つ星のうち 1.0 先に結論ありきの書, 2013/10/11
By 原田環 - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 福沢諭吉の教育論と女性論 (単行本)

先に結論ありきの著書で、党派制の強い内容である。
もっと福澤諭吉が向かい合っていた状況を復元し、
彼の言説を丁寧に検討する必要がある。
現在のある立場から福澤諭吉を断罪してる。
----
21名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/12(土) 15:02:31.38 ID:046YXHg/0
福沢が何を言ったかよりも読み手がどう考えるかが大切
22名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/12(土) 19:37:15.87 ID:kFOO3oqSO
原田環って?
23名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/13(日) 08:40:03.99 ID:0diTVRI9O
自己解決
高名な歴史学者じゃん原田先生
24名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/13(日) 11:51:34.39 ID:he3ft0lF0
>>20
つくしん坊はアマゾンから購入していないのに、原田先生はアマゾンから買っているね。
つくしん坊自演説はますます有力だ。

このところ学界からまったく無視されていた安川さんとしては、
原田先生かまってもらえただけでも、書いた甲斐があったというものだろう。

きちんと対応するべきだ。
25名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/13(日) 15:44:23.54 ID:K65tgbvf0
>このところ学界からまったく無視されていた安川さん
安川の説を扱うことができるほど学界が成熟していないだけだろうが
26名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/13(日) 21:28:29.56 ID:he3ft0lF0
>>25
ものは言いようですネ
27名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/14(月) 19:16:53.23 ID:u9zL5gFGO
安川講演会を伝えているブログはひとつだけ?
よっぽど人の入りが悪かったんだろうな
28名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/14(月) 22:00:28.41 ID:YlUJOvS60
29名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/15(火) 09:17:36.93 ID:YjmPgglr0
>>28
ステマかもしれんが、なかなかいいことが書いてある。
平山の講義からの引用ばかりではなく、福沢の著作からの引用もある。
30名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/15(火) 12:23:29.55 ID:sFmaUc+E0
>>28
近代ばかりをやっているわけではないんだね
31名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/16(水) 18:15:26.02 ID:bHTLwcXX0
福沢諭吉と多元的「市民社会」論―女性・家族・「人間交際」 [単行本]
福吉 勝男 (著)

1 人中、1人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 福澤が日本の文明化(市民社会化)のために必須だと考えたものは何だったのか。 2013/10/8
By kevin

かなり長い時間をかけてじっくりと拝読させていただいた。
福沢研究超初心者である当方にとってはレベルが高すぎてついていけない部分も多かったが、
懇切丁寧な説明を読み進む内に著者の主張の一部を理解できたと考える。
福澤諭吉とヘーゲルという、一見、無関係な存在を、
鋭い考察で結びつけていこうとする著者の努力を感じ取ることができたし、
実際、その両者には大きな繋がりがあると言える。
福澤とヘーゲルでは生きた時代が違うので会ったことは絶対にないし、
福澤はヘーゲルの著書を読んだことがない(と著者は断言している)のであるが、
その共通性には驚きを隠せない。後半は福澤の女性観(家族観)についての論述であるが、
「新女大学」「女大学評論」「修身要領」という福澤晩年の著書を丁寧に解き明かし、
福澤の先進的な考え方を余すところなく解明している。
日本の近代化、文明化を目指す時、
個人レベルからの対等な男女関係が必須であるとの福澤の考え方に心を動かされた。
単なる女性解放論者ではなく、文明国日本の樹立のために、今、何を為すべきか、を高い目標に挙げていたことに気付かされた。
                                                       
32名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/16(水) 18:49:18.60 ID:Z3+WwJpq0
>>31
福澤は基本的にドイツ嫌いなんじゃ?
33名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/17(木) 07:34:59.64 ID:LBXYSHKI0
>>31
そもそも日本のドイツ思想重視という風潮が、福沢の嫌いな伊藤博文が事実上作った
帝国大学のシステムに由来するというのを、知らないのかな、この先生。
34名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/19(土) 11:38:35.46 ID:tBO3DutWO
瀧井一博ってどうよ
35名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/21(月) 12:27:50.42 ID:B2mpMCwx0
今ハーバードだっけ?
36名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/21(月) 18:38:20.12 ID:fCpSMZk20
umiushiakaiドイツで人類のゲノム解析やってる大学教授の話
朝鮮民族は近親相姦の物と思われるゲノム上の痕跡(修正不能)が多すぎて、他の
民族では考えられない異常な近親相姦を、民族として繰り返してたと思われるあまりに
ショッキングで常軌を逸した内容なので、そのゲノムの発表は出来ない。
また、朝鮮人男性の40%に発症すると言われる統合失調症も、それが原因である可
能性が大きい。異常な民族と言わざるを得ない。


教養のある人物だから近親相姦が凄かったって言えなかったんだ
37名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/23(水) 07:42:14.23 ID:3nlnJ4CMO
スレストッパーだな
38名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/24(木) 19:24:36.90 ID:IEX9BuqLO
福沢関連でなにか話題は?
39名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/25(金) 00:34:06.67 ID:dC/X8fQL0
>>38
こんな話題はいかが?

----
 時として韓国で吹き荒れる社会運動の1つに「国語醇化(=純化)」がある。

 しかし、韓国の「国語醇化」運動は、日本の「正しい日本語」運動とは異質だ。

 前者は、韓国で日常使われている言葉(すなわち韓国語)の中に溶け込んでしまっている倭語(日本語)や中国語を、本来の韓国語に言い換えようという、「反日」的で強圧的な民族主義運動なのだ。

 ところが、醇化運動には、どうにも越えられない壁がある。

 日本人が創作した概念語だ。

 科学、経済、主義、資本、共産、社会、哲学…。みんな江戸時代末期から明治初頭にかけて、福沢諭吉ら日本人が考え出した漢字熟語であり、これらの言葉は中国でも韓国でも、そのまま取り入れられている。
----
【新・悪韓論】韓国が越えられない日本文化の壁 反日的「国語醇化」の限界 2013.10.24
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20131024/frn1310240724000-n1.htm
40名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/25(金) 07:36:43.38 ID:xcMChCIhO
お、ありがとう!
本居宣長みたいなもんか
41名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/25(金) 14:00:45.78 ID:yTh4NO6m0
福沢諭吉なるものの抹殺か
韓国はやるねえ
42名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/27(日) 13:41:03.56 ID:AM9avRYx0
43名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/29(火) 12:07:36.41 ID:UGChL9O00
は?
44名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/29(火) 20:18:51.74 ID:rO42RMZr0
>>42
福沢直筆社説の候補を42に絞るまでの手続きがどうもな。
これらのうちいくつかは、本当に福沢が書いたようではあるが。
45名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/30(水) 13:10:57.01 ID:361WKPpa0
「文明の進路を遮ることなかれ」(18830806)http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/editorials/1883/18830806/
「黒船打ち拂ひ」(18840910)http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/editorials/1884/18840910/
「支那帝國に禍するものは儒教主義なり」(18850318)http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/editorials/1885/18850318/

の三つは本物だろう。福沢の思い出話だ
46名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/30(水) 16:41:40.41 ID:Cj/UdKJx0
なんで全集に入っていないの?
47名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/30(水) 17:35:41.39 ID:361WKPpa0
>>46
草稿が発見されていないし石河が選んでもいないから
48名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/31(木) 09:47:00.76 ID:fhe/ZKt70
49名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/31(木) 10:12:07.55 ID:j3gdR8VF0
>>44
そうそう
なんでそうするのか、のところが無いんだよこの人
50名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/31(木) 11:31:51.59 ID:yni8VrnW0
>>49
目的ははっきりしているだろう。つまり現在の全集を無効にする。
その策略は成功しているんだよ。
51名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/31(木) 15:38:49.42 ID:MYBuv48M0
>>48
かんじんの中身がわからんじゃないか
52名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/01(金) 10:42:22.01 ID:3M2V3vm20
ヤフオクに安川本と杉田本と平山本が出品されています。
杉田本はバーゲンブックなのでまだ在庫がありそうです。

難あり 福沢諭吉のアジア認識 安川寿之輔 高文研
http://page13.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/r107704095

開始時の価格: 100 円
最高額入札者: なし
開始日時: 11月 1日 6時 2分
終了日時: 11月 4日 22時 59分


杉田聡『福沢諭吉 朝鮮・中国・台湾論集』
http://page15.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/t338682743

開始時の価格: 1,800 円
最高額入札者: なし
開始日時: 11月 1日 6時 5分
終了日時: 11月 3日 6時 5分
商品の状態: バーゲンブック


★平山洋「アジア独立論者福沢諭吉」★ミネルヴァ書房
http://page18.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w83501607

開始時の価格: 2,800 円
最高額入札者: なし
開始日時: 10月 27日 18時 50分
終了日時: 11月 3日 18時 50分
53名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/01(金) 13:58:33.46 ID:670Gd2fU0
>>52
どちらの本も安いね。売れてないんだろう。
54名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/02(土) 20:40:16.38 ID:aYjLXdR60
>>42
>>45の3編だけでなく、ほかにも福沢真筆は含まれていそうだ
55名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/02(土) 20:53:35.43 ID:fTCrCmdLP
文庫化するならぜひ歴史背景と人間関係の詳細な説明をできる方に、丁寧な解説をお願いしたいです!
解説者は平山洋先生か、宮地正人先生にお願いしていただきたいです。

そして
「朝鮮独立党の処刑」
「亜細亜諸国との和戦は我栄辱に関するなきの説」
この二つの社説は必ず収録していただきたいです。 (2013/10/23)

『脱亜論』文庫化リクエスト
【著者】福沢諭吉(福澤諭吉)
56名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/03(日) 11:52:38.41 ID:kijra8DB0
>>55
『脱亜論』の執筆者=福澤諭吉とは言えないんジャマイカ?

それに、もし収録するとすれば、
「国交際の主義は修身論に異なり」
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h21/
「朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す」
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h13/
「朝鮮の滅亡は其国の大勢に於て免るべからず」
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h15/
「支那人親しむ可し」
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h38/
「支那人失望す可らず」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1078087/160
も入れるべきジャマイカ?
57名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/03(日) 11:55:39.67 ID:hZGxdcNg0
なんで朝鮮やシナにばかりこだわるの分からない
どうでもいい国は無視して国内政治を語ったものだけを収録すればよい
58名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/03(日) 15:28:49.75 ID:kijra8DB0
>>57
『時事新報』の朝鮮・中国・台湾の論集なら杉田本が既に出ていますね。

杉田聡『福沢諭吉 朝鮮・中国・台湾論集』
http://page15.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/t338682743

開始時の価格: 1,800 円
最高額入札者: なし
開始日時: 11月 3日 6時 5分
終了日時: 11月 5日 6時 5分
商品の状態: バーゲンブック
59名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/03(日) 17:48:35.60 ID:nSXm5q5v0
>>57
中国と韓国がことあるごとに「脱亜論」を使って福沢批判をするからだろう。
丸山真男がきちんと反論しなかったばかりに、遠山茂樹や服部之総はては安川寿之輔の批判が拡散されることになった。
60名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/03(日) 20:24:02.90 ID:GDrTKMAv0
天は人の上に人を乗せて人をつくる
61名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/04(月) 12:18:19.05 ID:KT9n/BGEO
そんなもんだよ世の中は
62名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/05(火) 10:48:32.86 ID:LIh0F9IL0
テスト
63名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/05(火) 23:18:34.08 ID:mQFNEVsS0
>>60ギャハハ
64名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/06(水) 05:45:16.99 ID:ZOTkHenOO
つまらん
65名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/07(木) 01:03:53.18 ID:KB+DX/2H0
『新潮45』11月号で、藤原正彦さんが
「世界に誇る日本の出版文化を壊すな」
という記事を書いています。

----
(前略)
 十八世紀のイギリスの思想家、エドマ
ンド・バークは、一七九〇年に出された
『フランス革命の省察』という有名な本
の中で、前年に起こったフランス革命を
痛烈に批判し、人間というのはとかく論
理的な考えで社会を改革しようとするが、
それは誤りである、と指摘しています。
 自由平等を掲げ社会全体を一気に変え
ようとするのは、非常に危険なことだと
言うのです。彼は、長く続いてきたシス
テムには、必ずそれに値するだけの人類
の叡智が含まれていると説きます。だか
らこそ、それを変えるときには、よほど
の理由がなければいけない。
 考えに考え、躊躇に躊躇を重ねてから、
それでも必要と思うならやっと変える、
というぐらいでちょうどいいのです。実
際、バークの予言したとおり、フランス
革命の後、六、七十年もの間、フランス
は混沌の中にありました。大量の血が流
される騒動が続き、文化も、数学も、停
滞しました。
 実は日本の名著にも、同じことを指摘
した本があります。バークの本が書かれ
た少しあと、一八七六年に出版された
『学問のすゝめ』第十五編です。
 当時、日本は文明開化、国中が欧化を
持て囃し、何でも西洋の真似をしようと
していた時期です。いかにも福沢諭吉自
身、『文明論之概略』などを著し、西洋
文明を日本に紹介した立て役者でした。
 しかし、それと同時に彼は、『学問の
すゝめ』の中で、無批判に文明開化をし
きりに叫ぶ人たちを「開化先生」と呼ん
で皮肉り、習慣など全ての場面において
日本の旧来のやり方を簡単に変えてはい
けない、やはりそこには培われてきた叡
智というものがあるのだから、それを変
えようとするなら、よくよく考えてのこ
とでなければいけないと、バークとまっ
たく同じことを言っているのです。
 その頃バークの本はまだ日本で翻訳さ
れていませんし、原典を読んだというの
も考えにくい。私は、福沢諭吉という人
はやはり明治期の日本で一番の偉人だと
思います。約百四十年経った今でも、福
沢諭吉の言葉が新しいのですから、人類
とは進歩しないものです。
(後略)
----
『新潮45』2013年11月号、21〜22頁。
http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/
66名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/07(木) 01:22:49.57 ID:KB+DX/2H0
『新潮45』11月号に、藤井聡さんと適菜収さんの対談
「対談 デモクラシーの毒」
という記事が掲載されています。

----
(前略)
藤井 近代化していても、民度の高い国
と民度が低い国がある。その差は、一握
りの言論人の質によると思います。1億
人の国民がいたら、100人、あるいは
10人、あるいは3人ぐらいの言論人のレ
ベルに民度は影響されるのではないか。
例えば明治黎明のころの人々のレベルは
民主主義に耐えうるレベルに無かった。
それでも福沢諭吉は、ジョン・スチュワ
ート・ミルの『自由論』や『代議制統治
論』を読んで、ヨーロッパの知的伝統と
武士道の精神を融合させて『学問のすゝ
め』というすばらしい本を書いた。あれ
を読んだ国民は、実は10人に1人いたん
ですね。これはすごい話です。
適菜 福沢は近代啓蒙思想家と誤解され
ていますが、近代の毒を知り抜いていた。
(後略)
----
『新潮45』2013年11月号、124頁。
http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/

後は雑誌で読んでね。
67名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/07(木) 12:30:01.43 ID:sV4RVCAF0
福沢ってバークは読んでいなくてもバークが著作集を編集していたブラックストンの本を読んでいたような
ブラックストンからバーク的なものを読み取ったんでしょ
68名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/07(木) 18:40:21.34 ID:EbzWjT+P0
>>67
もう少し整然とした説明がほしいな
69名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/08(金) 07:30:19.34 ID:vD0YCm6Y0
>>66
『学問のすすめ』に武士道の側面はほとんどないと思うが
7067:2013/11/08(金) 16:35:56.74 ID:TH8/vKEJ0
>>68
バークとは?
ブラックストンとは?
バークがブラックストンの著作集を編集したとは?
福沢とブラックストンの接点は?
ヒント->http://koara-a.lib.keio.ac.jp/ocw/j/economics/02A-007_j/lecture_contents/theme031.html

順を追って調べれば分かることだよ
てっきり常識だと思っていたんだけれどそうじゃないのか
71名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/08(金) 16:58:40.60 ID:vD0YCm6Y0
>>70
素人もいるのでね
72名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/08(金) 21:16:22.30 ID:b//CQNwi0
日本再生ニュース
http://sakura4987.exblog.jp/2903831/
73名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/09(土) 00:57:33.94 ID:V9Q3r+4Y0
適菜収さんといえば、以下の文庫本も出していますね。

適菜収『福沢諭吉に学ぶ賢者の知恵』大和書房 (だいわ文庫)、(2013/5/11)
http://www.amazon.co.jp/dp/4479304312/

内容(「BOOK」データベースより)
「バカは上に立つな」「権威に媚びるな」…日本人としてしっかりと
心に刻みこみたい珠玉の言葉。近代日本で「正しいこと」を最も多く
言った福沢諭吉に学ぶ「筋の通った生き方」。
74名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/09(土) 08:22:57.14 ID:t9oNedp/0
>>73
この手は類本が多い。特別なウリがあるんですか。
75名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/09(土) 10:57:51.79 ID:Kdv94ry70
福沢論吉
76名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/10(日) 09:16:36.49 ID:tgWLxe1T0
>>70
ははあ、福沢が社会契約を重視しないのは、バークからの間接的影響なのか
77名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/10(日) 17:06:02.49 ID:5KlwKGFaO
英国思想の伝統だろう
78名無し:2013/11/11(月) 00:39:40.32 ID:bmceMSrU0
中央大学の一戸祥ってウザいしキモイよね。
79名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/11(月) 16:47:21.16 ID:pLsRoSed0
23時間前

@kohaku_nanamori

kohaku@kohaku_nanamori

@syakekan ありがとうございます。なんと(゜ロ゜;!真贋の確度をランク付けする方法だったと思いますが、
偽筆認定したのが出てきちゃうとは、平山説にとってはマズそうですね。井出メソッドの信頼性が揺らぐのか、
平山先生の使い方がまずかったのか気になります・・・

posted at 17:09:53

23時間前

@kohaku_nanamori

syakekan@syakekan

@kohaku_nanamori 偽筆認定した史料の原稿が出てきたとかどこかで聞きました(゜ロ゜;

Retweeted by kohaku


retweeted at 17:09:42

23時間前

@kohaku_nanamori

kohaku@kohaku_nanamori

そういえば、平山洋の『福沢諭吉の真実』で読んだ全集の真贋判定って今どういうな評価になってるんだろう?
安川寿之輔が反批判して、平山洋が反反批判してたのはネットで読んだけど、一般的にはどういう扱いなのかな?

posted at 16:58:48

23時間前

@kohaku_nanamori

ヴァルデガマス侯爵@MValdegamas

『社会思想史研究』の最新号を読んでいた。http://www.fujiwara-shoten.co.jp/shop/index.phpmain_page=product_info&products_id=1337&cPath=112_167… …
安川寿之輔「戦後日本社会における福沢諭吉研究の批判的総括―『丸山諭吉』神話の解体と戦争責任問題」まだやってたのこれ…(呆)

Retweeted by kohaku

retweeted at 16:58:30
80名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/12(火) 00:58:07.89 ID:yqnaYUie0
石平さんが『Voice』2013年12月号に掲載された
「「敬遠中国」で再び日本は輝く」で以下のように述べています。

----
「脱亜論」で福澤諭吉翁が喝破したこと

 明治という時代を特徴づける言葉の一つを選べば、そ
れはやはり「文明開化」となろう。ここでいう「文明」
が、西欧の先進文明を指していることはいうまでもな
い。西欧文明をモデルに文明開化を図ることによって日
本を近代国家としてつくり上げていくことは、まさに明
治国家の掲げた最大の使命であり、福澤諭吉翁が名著
『文明論之概略』で提唱した「時代の精神」そのもので
ある。
 その一方、明治政府は文明開化の入欧政策の推進と同
時に、その反対として「非アジア化」、あるいは「脱ア
ジア化」も進めた。文明開化のモデルが西欧であるなら
ば、反対の位置にあるアジアはもはや文明開化の妨げで
しかない。
 福澤諭吉翁の「脱亜論」においては、文明開化の一環
としての「脱アジア化」の意味が次のように論じられて
いる。
「国中朝野の別なく、一切万事西洋近時の文明を採り、
独り日本の旧套を脱したるのみならず、亜細亜全洲の中
に在て新に一機軸を出し、主義とする所は唯脱亜の二字
に在るのみなり。我日本の国土は亜細亜の東辺に在りと
雖(いへ)ども、其国民の精神は、既に亜細亜の固陋(ころう)を脱して、
西洋の文明に移りたり」
 諭吉翁からすれば、「脱亜」とはたんに地理的にアジ
アから離れようということではなく、アジア諸国との交
渉を断絶しろという単純なものでもない。日本の国土が
「アジアの東辺」にあることは永遠に変わらない現実で
はあるが、日本人の「国民精神」を「亜細亜の固陋を脱
して西洋の文明に移す」ことができるし、そうしなけれ
ばならない、ということだ。それはすなわち、文明の転
換論としての「脱亜論」の意味であるが、明治期の日本
は、まさにこのような意味においての「脱亜」を果たし
た。それによって日本は、当時のアジアでは唯一の「非
アジア的」な近代的先進国家となることができた。
----
続く。
81名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/12(火) 01:00:36.82 ID:yqnaYUie0
続きです。
----
 そして、脱亜論の旗手である諭吉翁も論じているよう
に、当時の日本にとって離脱すべき「固陋アジア」の代
表格はすなわち近隣大国の中国であり、あるいは中国を
中心とした中華文明圏そのものであったのだ。
「脱亜論」に先立って発表された「支那風を擯斥(ひんせき)すべ
し」という文章のなかで、諭吉翁は文明論的な意味にお
いて、中国との「断絶」をこう主張している。
「……到底今の支那人に向ては其開化を望む可からず、
之を友とするも精神上に利する所なし。……双方の交際
は唯商売のみに止まりて、智識の交は一切これを断絶
し、其国の教養を採らず、其風俗に倣はず、衣服什器玩
弄(がんろう)の品に至るまでも、其実用の如何に拘はらず、他に代
ふ可きものあらば先づ支那品を擯(しりぞく)ることを緊要ならん」
 つまり、貿易上の交渉以外に中国との交際をいっさい
断絶し、「教養」「風俗」から「衣服什器玩弄の品」ま
で、中国の文明・文化を構成する諸要素のすべてを「擯
斥すべし」という、まさに徹底した「脱中華文明」の主
張であった。
 そののちに著された「脱亜論」では、日本が「謝絶」
すべき「アジア東方の悪友」として挙げられるのは中国
(清国)と朝鮮の二国であるが、当時の朝鮮は自ら「小
中華」と称して中華文明に完全に嵌(は)まっているから、諭
吉翁のいう「脱亜」はそのまま「脱・中華文明圏」であ
る。「固陋」な中華文明を徹底的に擯斥し、日本を西欧
先進国と肩を並べる近代文明国家としてつくりあげる。
それこそが「脱亜入欧」という合言葉によって示された
明治国家の正しい文明志向であり、賢明な国策だ、と諭
吉翁は喝破したのだ。
----
石平「「敬遠中国」で再び日本は輝く」『Voice』2013年12月号、55-56頁
http://www.php.co.jp/magazine/voice/?unique_issue_id=12432

後は雑誌で読んでね。
82名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/12(火) 01:31:51.68 ID:fvjgi97HO
この分でいくと中華人民共和国は早晩自壊するだろうね。
日本企業は速やかに撤収しないと。
83名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/12(火) 06:53:20.88 ID:FfWT/aUU0
>>79
>@kohaku_nanamori 偽筆認定した史料の原稿が出てきたとかどこかで聞きました(゜ロ゜;

これ、デマですよ!
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h84/
84名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/12(火) 19:57:46.55 ID:TxfCKBAk0
>>79
『社会思想史研究』の最新号
安川寿之輔「戦後日本社会における福沢諭吉研究の批判的総括
―『丸山諭吉』神話の解体と戦争責任問題」まだやってたのこれ…(呆)

安川さんも>>80>>81にあるように、「脱亜論」がこうまで再評価されるとは、思ってなかったろうな w
85名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/13(水) 13:56:49.80 ID:jjxowH0a0
偽筆認定したのが出てきたなら
その推定方法を修正すればいいじゃん
ただそれだけだと思うんだがな
86名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/13(水) 14:03:51.58 ID:HORXVPEX0
>>85
具体的にはどの社説のことなのか、まずはそこから検討しないと
87名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/13(水) 23:42:23.97 ID:o8qKdttJ0
坂野潤治さんの『近代日本とアジア』が出ています。

坂野潤治『近代日本とアジア: 明治・思想の実像』(ちくま学芸文庫)筑摩書房(2013/10/9)
http://www.amazon.co.jp/dp/4480095764/
----
内容紹介

近代日本外交は、脱亜論とアジア主義の対立構図により描かれてきた。
そうした理解が虚像であることを精緻な史料読解で暴いた記念碑的論考。

内容(「BOOK」データベースより)

近代日本の対外論は、「アジア主義」対「脱亜論」という図式によって
描かれてきた。前者は欧米のアジア侵略に東アジア諸国とともに対抗
しようとする立場であり、後者は欧米列強の一員としてアジア進出に
参加すべしという主張だ。福沢諭吉、山県有朋、陸羯南、青木周蔵ら、
少なからぬ政治家・思想家が、この二つの対外思想の間で揺れ動いたと
理解される。だが、そうした論理の使い分けは、第一次世界大戦後に
欧米の中心がイギリスからアメリカに移り、アジアにおける中国の存在感が
増すにつれ、通用しなくなっていく―。日本外交を規定する構造と
その変化を明らかにした記念碑的論考。
----

どなたか読んだ方はいらっしゃいますか?
88名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/14(木) 00:15:08.13 ID:aubHhWze0
>>87
これ、昔の本なんじゃ?
89名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/14(木) 01:01:25.50 ID:QKh3U+Yj0
>>88
おおっ、そうでしたか。なるほど、1977年に『明治・思想の実像』という本がありますね。

坂野潤治『明治・思想の実像』(1977年) 創文社 (叢書身体の思想〈8〉)
http://www.amazon.co.jp/dp/B000J8Y7MA/

どうやら、この本が文庫になったようですね。
90名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/15(金) 20:49:14.40 ID:GEc/+S670
『産経新聞』の「産経抄」で福澤諭吉の話題がありました。

----
 サイエンスライター、後藤秀機さんの近著『天才と異才の日本科学史』
(ミネルヴァ書房)の冒頭に登場するのが、福沢諭吉である。
後藤さんによると、諭吉は、日本に流れ込む西洋の学問のなかで、
物理が「王者」であることを早くから見抜いていた。

 ▼同時に「彼は物理が性にあった」という。「物理の世界では、
身分の上下と関係なく、有無を言わさず黒白を付ける」からだ。
後に開校する慶応義塾の入学生にも、物理の習得を奨励した。
----
【産経抄】11月14日 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/life/news/131114/trd13111403120000-n1.htm

後藤秀機さんの近著とはこの本のことですね。

後藤秀機『天才と異才の日本科学史 開国からノーベル賞まで、150年の軌跡』
ミネルヴァ書房、2013年09月30日。ISBN 978-4-623-06682-7
http://www.minervashobo.co.jp/book/b114570.html

「物理の習得を奨励した」云々のネタ元はこれかな?

福沢諭吉「物理学の要用」 - 青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/cards/000296/card46686.html
91名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/15(金) 23:42:18.89 ID:kKzrqn+hO
これはステマだな
92名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/16(土) 12:06:54.67 ID:Iu1AqcEZ0
kohaku@kohaku_nanamori

『国際関係・比較文化研究』という雑誌が初出だったりしてるけど、こういうのって、
掲載した雑誌の権利とかは、どうなってるんだろう? Kindle 本にするのはわりと簡単なのかな?
posted at 13:08:16

11月14日@kohaku_nanamori
kohaku@kohaku_nanamori

これとかは http://ci.nii.ac.jp/els/11000815488.pdf?id=ART0009667795&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1384398850&cp=
http://ci.nii.ac.jp/els/11000815488.pdf?id=ART0009667795&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1384398850&cp=
http://ci.nii.ac.jp/els/11000756986.pdf?id=ART0009394523&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1384401113&cp=
はciniから読めるけど、引っかからないタイトルもあるな。
posted at 12:55:08

11月14日@kohaku_nanamori
kohaku@kohaku_nanamori

平山洋は、kindle で自分の論文まとめたものを Kindle で書籍化していたのか。
もう28冊も出ているんだ / “http://Amazon.co.jp: 平山洋 kindle: 本” http://htn.to/HaHddF
posted at 12:42:18

11月14日@kohaku_nanamori
kohaku@kohaku_nanamori

kindle の本は、こっちが初出かな /
“CiNii 論文 - 石河幹明が信じられない3つの理由 - 『福澤諭吉全集』「時事新報論集」の信憑性について” http://htn.to/wAhXCs
posted at 12:14:03

11月14日@kohaku_nanamori
kohaku@kohaku_nanamori

こんな本が出ていた。 / “http://Amazon.co.jp: 石河幹明が信じられない三つの理由、および、福沢諭吉における国家と個人 (常葉叢書) eBook: 平山 洋: Kindleストア” http://htn.to/eCKPUD
posted at 12:12:26
93名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/16(土) 18:40:22.68 ID:H8WptNAG0
>>74
> この手は類本が多い。特別なウリがあるんですか。

特別なウリがあるとすれば、歯に衣着せぬ現代語訳になるのかな?
「バカは上に立つな」って正にその通りですね。

> 内容(「BOOK」データベースより)
>
> 「バカは上に立つな」「権威に媚びるな」…日本人としてしっかりと
> 心に刻みこみたい珠玉の言葉。
> 近代日本で「正しいこと」を最も多く言った福沢諭吉に学ぶ「筋の通った生き方」。
http://www.amazon.co.jp/dp/4479304312/
94名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/16(土) 19:27:40.44 ID:H8WptNAG0
ヤフオクに安川本と杉田本と平山本が出品されています。
杉田本はバーゲンブックなのでまだ在庫がありそうです。

福沢諭吉と丸山真男 「丸山諭吉」神話を解体する 安川寿之輔
http://page7.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/g132981999

開始時の価格: 800 円
最高額入札者: なし
開始日時: 11月 16日 11時 5分
終了日時: 11月 20日 22時 2分


福沢諭吉の戦争論と天皇制論 安川寿之輔 高文研
http://page10.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/m114458734

現在の価格: 500 円
最高額入札者: nak***** / 評価:189
開始日時: 11月 16日 11時 7分
終了日時: 11月 20日 22時 5分


杉田聡『福沢諭吉 朝鮮・中国・台湾論集』
http://page15.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/t338682743

開始時の価格: 1,350 円
最高額入札者: なし
開始日時: 11月 15日 22時 36分
終了日時: 11月 17日 22時 35分
商品の状態: バーゲンブック


★平山洋「アジア独立論者福沢諭吉」★ミネルヴァ書房
http://page18.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w83501607

開始時の価格: 2,800 円
最高額入札者: なし
開始日時: 11月 10日 18時 50分
終了日時: 11月 17日 18時 50分
95名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/16(土) 20:06:50.40 ID:wb9ke/xbO
売れん本対決 w
96名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/17(日) 17:35:36.38 ID:hxrja5qG0
97名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/18(月) 15:48:05.99 ID:XI+SCpnN0
>>87
よんだ。
平山説の原点だね。
文庫にしてはやや高い気もするが、読む価値は十分だ。

新たに苅部直東大教授の解説「「脱亜論」と「アジア主義」のまぼろし」が
付されていて、これがまたいい。
その最後に1977年のこの坂野本が出て以降の福沢のアジア観についての
主要な研究がリストアップされている。

丸山真男「福沢諭吉の『脱亜論』とその周辺」
平山洋『福沢諭吉の真実』
平石直昭「福沢諭吉と『時事新報』社説をめぐって」
青木功一『福沢諭吉のアジア』
酒井哲哉による青木本の「書評」
小川原正道『福沢諭吉の政治思想』
ですと。

安川本も杉田本も入っていないね w

まあ、妥当なセンとは思うが。
98名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/18(月) 20:13:53.78 ID:RLjZVkeL0
>新たに苅部直東大教授の解説「「脱亜論」と「アジア主義」のまぼろし」が付されていて、これがまたいい。
どういう風にいいの?
何か目新しいことを言っていた?
99名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/19(火) 16:42:03.84 ID:XUqeY+Dw0
>>98
福沢の真実の最終章にちょっと似た感じで、もう少し丸山よりの解説だった。
苅部先生は後継者なのだから当然か。
ほとんど知られていない裏話が満載だった。

安川先生は、今度は苅部先生を主敵として活動しないとな。
どうせ相手にもされんだろうが。 w
100名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/20(水) 08:18:54.35 ID:LDOJypQS0
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1288969637/330
↑    ↑   ↑    ↑   ↑    ↑   ↑    ↑  
101名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/21(木) 00:37:36.47 ID:Hcmd6T3w0
>>99
苅部さんの解説を読みました。
これって安川さんにも当てはまりますね。

----
 研究史の上ではすでに葬り去られている謬見が、日本国内でも中学・高校の教科書など
に残存し、俗論となっていまだに流布している例は多い。とりわけ福澤の「脱亜論」につ
いては、プロの研究者として遇されている人々にも、それを信奉している人が少なくない
のである。
----
苅部直「解説 「脱亜論」と「アジア主義」のまぼろし」210頁。
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480095763/

この本は読む価値ありですね。これから本文も読みます。
102名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/21(木) 14:34:36.20 ID:2nP0PINh0
>研究史の上ではすでに葬り去られている謬見
それは自分たちの狭い研究領域の話しであって
福沢研究全般からすると安川の説が未だに強い説得力を持っているだけだと思うんだが
こんな事態になっているのは安川バッシングを真剣にやってこなかった研究史の学者のせいでしょ
福沢研究上では、って言うらまだしも
研究史の上では、って弱々しく限定をしている時点で情けない
103名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/21(木) 14:51:38.59 ID:54YFZkWo0
ここに来ている東大関係者の皆さん
>>102の書き込みを苅部先生にお伝えください
104名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/21(木) 14:53:48.46 ID:54YFZkWo0
>>101
あ、おれが>>99
105名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/22(金) 02:17:37.03 ID:iITrW/fX0
>>102
まあ、「安川の説」というよりも、歴史的にいえば、
「遠山茂樹・服部之総・竹内好の説」という方が正確かな。
106名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/22(金) 07:35:38.28 ID:0v9QeH5nO
遠山服部と竹内とは同じ立場かな?
107名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/22(金) 08:25:28.69 ID:BY/kko0n0

通名の方々:


教師(教員、学校の先生)・大学教授・医師(医者)、看護師・法曹界(弁護士、検察官、裁判官)・内閣総理大臣・閣僚・事務次官、官僚・
地方自治体の長(知事、市長、町長、村長、区長)・地方議員・公務員(国家、地方)・警察・消防・自衛隊・親方日の丸会社・
経団連・経済同友会・日本銀行・公益法人・旧軍人・巣鴨プリズン

焼き肉屋・定食屋・そば屋・うどん屋・お好み焼き屋・寿司屋・ラーメン屋・レストラン(フランス料理、イタリア料理、スペイン料理、和食・・)・
スーパー・コンビニ・デパート・八百屋・肉屋・魚屋・花屋・酒屋・靴屋・服屋・デザイナーズブランド・薬局・寺・喫茶店・パン屋・ケーキ屋・
文房具屋・本屋・自転車屋・眼鏡屋・時計屋・スポーツ品店・楽器屋・床屋・美容室・不動産屋(大家)・消費者金融・映画館・パチンコ屋・カラオケ・
競馬・囲碁・将棋・歌舞伎(古典芸能)・飲食店・性風俗・ホテル・塾・教室(スポーツ、音楽、ピアノ、バレエ、・・・)・予備校・ペットショップ・うなぎ屋・
自動車教習所・印刷屋・専門学校・クリーニング屋・
108名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/22(金) 08:26:07.25 ID:BY/kko0n0

通名の方々:


NHK・TBS(JNN、ニュースバード、NewsBird)・テレビ朝日(ANN)・日本テレビ(NEWS24、NNN24)・フジテレビ(FNN)
共同通信(Kyodo・47News)・時事通信
新聞(朝日新聞・毎日新聞・読売新聞・産経新聞・日本経済新聞・東京新聞・・・)
ラジオ・出版社

芸能人・作詞家・作曲家・演奏家(ミュージシャン)・指揮者・作家・漫画家(アニメ)・ゲーム・映画監督・歌舞伎・美術、建築系・宇宙飛行士・
勲章を持っている人・文化人、知識人・アナウンサー・記者(ジャーナリスト)・気象予報士・テレビに出てる人・本を出している人・雑誌の表紙・
アダルトビデオ(女優、男優、AV)・性風俗・
スポーツ選手(プロ野球、サッカー、テニス、ゴルフ、バレー、水泳、体操、柔道、相撲、ボクシング、プロレス、・・・)
ヤクザ・暴力団・暴走族・同和
109名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/22(金) 09:38:11.57 ID:uaB+R06a0
>>106
遠山服部は共産党系だが、大東亜戦争を一部肯定している竹内はそうではない。

広く保守層まで読者をもっていた竹内が「脱亜論」を紹介したために、
それが有名になったと丸山はいっている。
110名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/22(金) 16:23:44.83 ID:vp/EYd7F0
>>105
そこまでそうやってグループ化できるものなのかな
111名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/22(金) 20:49:11.87 ID:TjsyPNcQ0
>>109
ほう

>>110
まあ、だいたいそんなもんじゃない
112名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/23(土) 01:45:41.85 ID:y6ynnyV80
>>109
なるほど、竹内好さんの立場は遠山・服部連合とはちょっと違う
立ち位置にあるわけですね。

それで、丸山真男の発言に関しては平山さんが『福沢諭吉の真実』で
以下のように指摘していますね。

----
丸山は「脱亜論」の一般化には主に竹内の影響力が寄与していたと述懐している
(岩波書店刊『丸山真男座談』H〈一九九八・一二〉八三〜八四頁)。
----
平山洋『福沢諭吉の真実』文春新書、223頁。

また、苅部さんは『近代日本とアジア』の解説で以下のように指摘しています。

----
「脱亜論」の文面に対清開戦論など書かれていない。この論説が広く知られるようになっ
たのは、『竹内好評論集 第三巻 日本とアジア』(筑摩書房、一九六六年。ちくま学芸文庫
の『日本とアジア』として再刊。収録論文「日本のアジア主義」が本書の序章と第一章で言及さ
れている)に収められた論文「日本とアジア」(一九六一年初出)が出てからのことと思わ
れるから、「脱亜論」それ自体が同時代の一般大衆に影響を与えたとも考えにくい。まし
て、日本人の「大国意識」や戦後の「アメリカ追従国策」についてまで責任を負わせるの
は、ほとんどたちの悪い冗談だろう。こういう見解が中国や韓国にまで流布して、反日感
情を支える一助になっていることを考えると、犯罪的である。
----
苅部直「解説 「脱亜論」と「アジア主義」のまぼろし」210頁。

最後の部分の「中国や韓国にまで流布して」というのは、安川さんの
『福沢諭吉のアジア認識』が中国語や韓国語に翻訳されていることを
指しているのかもしれませんね。
113名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/23(土) 08:35:46.11 ID:+4YeZsQL0
>>112
なんだ、すでに指摘されているのか。

あと、こんな tweetがあったぜ。誰かこのスレでの議論を伝えてやれば?



2013年11月19日(火)1 tweetsource

11月19日

@kohaku_nanamori

kohaku@kohaku_nanamori

@junksai5 平山洋の福澤論は『福澤諭吉の真実』と短い文章をいくつかしか読んでないんですが、
時事新報の社説の真贋判定とか限定された要素から論じていて
シャープな反面おっしゃる様に薄い印象も。
(対安川論争の一環として書かれたからなのでしょうが)にしても学商とは言い得て妙ですね

posted at 22:48:19


2013年11月14日(木)1 tweetsource

11月14日

@kohaku_nanamori

kohaku@kohaku_nanamori

平山洋は、kindle で自分の論文まとめたものを Kindle で書籍化していたのか。
もう28冊も出ているんだ / “http://Amazon.co.jp: 平山洋 kindle: 本” http://htn.to/HaHddF

posted at 12:42:18


2013年11月10日(日)1 tweetsource

11月10日

@kohaku_nanamori

kohaku@kohaku_nanamori

そういえば、平山洋の『福沢諭吉の真実』で読んだ全集の真贋判定って今どういうな評価になってるんだろう?
安川寿之輔が反批判して、平山洋が反反批判してたのはネットで読んだけど、一般的にはどういう扱いなのかな?

posted at 16:58:48
114名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/23(土) 12:36:40.57 ID:HgedtggiP
字がドデカすぎる「脱亜論」関係のエントリ

http://blog.goo.ne.jp/mori-gpart/e/d7f1e5d6b3e736dc21ee13050c4fa5b2
115名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/23(土) 18:16:11.72 ID:+4YeZsQL0
>>114
ちょっと正気とは思えんな、これ。
116名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/24(日) 16:18:23.40 ID:gHfOyaVS0
>>114
中国が20年後に最貧国に転落するというのは、おそらく本当だろう。
その前に分裂してチャイナ系諸国家連合になるのだろうが。
117名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/25(月) 01:01:46.58 ID:3gmNTYItI
sage111
おう
118名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/25(月) 09:05:20.31 ID:O/fGWhot0
>>112
けっきょく苅部教授は「脱亜論」の趣旨に賛成しているわけ?
119名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/25(月) 17:47:17.39 ID:zZmhsGmy0
平山キンドル本からの引用集

http://a.linkof.info/ebook/author/%E5%B9%B3%E5%B1%B1%E3%80%80%E6%B4%8B

よくやるわ
120名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/25(月) 18:36:21.64 ID:xxQGyEgp0
長崎事件を忘れてはいけない
121名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/25(月) 20:06:24.01 ID:EbblVvmiO
長崎事件というのは清国水兵の騒乱だっけか
122名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/26(火) 07:43:43.64 ID:tcir5sKQ0
>>119
福沢の著作と平山による解説が混在している
123名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/28(木) 14:03:51.45 ID:Sh0M+4oM0
福澤研究センター主催【シンポジウム】
 
 日 時: 2013年11月29日(金)13:30〜17:00

 会 場: 慶應義塾大学 三田キャンパス 東館8階大会議室

 演 題: 『明治期における中等教育の展開
                ―接続問題を考える―』

 パネリスト: 新谷 恭明氏(九州大学教授)
        伊藤 彌彦(同志社大学名誉教授)
        真辺 将之(早稲田大学准教授)

 コメンテーター: 米山 光儀
         (慶應義塾大学教職課程センター教授)
 
※予約不要・入場無料です。どなたでもご聴講いただけます。
 ぜひご参加ください。
124名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/28(木) 21:55:48.25 ID:iamQskxzO
何についてのシンポジウムなのか
125名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/29(金) 11:36:36.55 ID:zVrAbz590
>>123
福沢センターのなら、演題に「福沢諭吉」を入れないとねえ
126名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/01(日) 18:14:12.48 ID:SYnDdMHlP
>>120
> 長崎事件を忘れてはいけない
この書き込みの意図は?
127名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/02(月) 07:28:38.67 ID:BauaJOqZO
あれだけ無視されるとどんな気分なんだろうな
安川さんのこと
128名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/02(月) 12:31:35.41 ID:C6qZBjkg0
129名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/02(月) 13:14:19.78 ID:L5ax9a3b0
最新作についても、まったく黙殺されただろう?
130名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/02(月) 14:11:12.71 ID:C6qZBjkg0
最新作に眼を通し損ねたという方が正しい指摘じゃないの?
131名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/02(月) 15:25:30.86 ID:L5ax9a3b0
>>130
13年前の「アジア認識」はすごい盛り上がりだったのにな w
132名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/03(火) 07:46:00.73 ID:tZb1OJ6I0
>>130
刊行されたことすら知られていない。これではいくら勝利宣言をしたところで。
133名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/03(火) 10:45:07.78 ID:WKk4D8lb0
安川寿之輔・悦子夫妻にお子さんはいるのだろうか。
認知症高齢者の孤独死が問題化している昨今、彼らの行く末が心配でならない。
134名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/03(火) 11:35:21.81 ID:42Gyn9bq0
>>132
学者たるもの関連する分野の論文や書籍には一通り目を通すべきだと思うんだけれど
そうじゃないのかな?
135名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/03(火) 12:35:30.70 ID:tZb1OJ6I0
>>134
安川は学者とは見なされていないんじゃないのかな。苅部教授も西沢教授も無視しているし。
136名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/03(火) 19:19:14.18 ID:MKY5EiZl0
そういや安川は法政の飯田泰三にいたくご執心だったが、まったく無視されていたな。
「反論がなかったので、自分の主張は正しいと認められた」などと、
いかにも老人特有の症状モロ出しの言い訳をしていた。
137名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/03(火) 21:36:41.90 ID:6ZNIeuyzO
あはは
138名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/05(木) 12:27:48.06 ID:5HjPLwdH0
倉山満「じっくり学ぼう日韓近現代史」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm22377493
139名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/06(金) 07:54:30.31 ID:/uVTH2Hh0
>>138
なんか下品だな、倉山の語りは
140名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/07(土) 07:47:30.34 ID:e8e0TM3kO
どうも政治的主張くさいな倉山
あれでは福沢も迷惑だろう
141名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/08(日) 16:36:13.35 ID:WfniADB00
http://togetter.com/li/357309 ←こんなのがあったよ!
142名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/08(日) 18:52:21.36 ID:TkiN9HpZ0
>>141
情報ありがd!!

スサノオのくりいむ@muhonnocream さんは、
旧字旧仮名で脱亜論の卒論を書くと言っていた方ですね。

坂野潤治さんの『明治・思想の現像』(創文社、1977年)という本は、
この前復刊された『近代日本とアジア』(ちくま学芸文庫、2013年)の
元の本ですね。
http://www.amazon.co.jp/dp/4480095764/

原田 実@gishigaku さんは「と学会」運営委員の方ですね。

「福沢の「悪名」ばらまいている方々」というのは、
遠山茂樹、服部之総、竹内好、安川寿之輔、杉田聡ほかの方々ですね。
143名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/09(月) 20:52:05.10 ID:ss370vFQP
>>141
いろんなところで議論されているんだね、福沢問題
144名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/15(日) 03:54:10.72 ID:d1epTaIT0
あげ
145名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/15(日) 07:17:39.38 ID:vJwfwvWzO
もう福沢先生へのネガキャンはほとんど聞かれなくなった
146名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/19(木) 07:08:20.44 ID:ZDmCR0iR0
福沢諭吉ネタにしての近代日本批判は、もう日本への圧迫にならないと
中韓が気づいたせいだろうね。

10月くらいに安川が講演してから、そうした活動は皆無のようだ。
もっとも、福沢支持派の見解にも、新しい主張は見られないようだが」。
147名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/19(木) 20:08:55.19 ID:vrU1f+tzO
今年出た福沢本ベスト10は?
148名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/21(土) 19:37:57.05 ID:pZt4/eIh0
>>147
アマゾンで福沢本を検索してみました。出版日の順で以下の通りです。

福澤 諭吉、齋藤 孝 『現代語訳 文明論之概略』 (ちくま文庫) (2013/2/6)
http://www.amazon.co.jp/dp/4480430385/

福沢 諭吉、適菜 収 『福沢諭吉に学ぶ賢者の知恵』 (だいわ文庫) (2013/5/11)
http://www.amazon.co.jp/dp/4479304312/

小室 正紀 編著 『近代日本と福澤諭吉』慶應義塾大学出版会 (2013/6/7)
http://www.amazon.co.jp/dp/4766420489/

西部 邁 『福澤諭吉 - その報国心と武士道』 (中公文庫) (2013/6/22)
http://www.amazon.co.jp/dp/412205799X/

安川 寿之輔 『福沢諭吉の教育論と女性論』高文研 (2013/8/6)
http://www.amazon.co.jp/dp/4874985246/

福吉 勝男 『福沢諭吉と多元的「市民社会」論―女性・家族・「人間交際」』世界思想社 (2013/8/31)
http://www.amazon.co.jp/dp/479071604X/

福沢諭吉、伊藤 正雄 (翻訳) 『現代語訳 学問のすすめ』 (岩波現代文庫) (2013/10/17)
http://www.amazon.co.jp/dp/4006003005/


あと、Kindle版では平山さんの常葉叢書シリーズが¥ 99 で出ています。

福沢諭吉の「脱亜論」と<アジア蔑視>観 (常葉叢書) 平山 洋 (2013/4/2)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00C6AUCNC/

ナショナリズムの根拠―福沢諭吉の場合 (常葉叢書) 平山 洋 (2013/4/10)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00CBDXMEU/

福沢諭吉は公金一万五千ドルを横領したか? (常葉叢書) 平山 洋 (2013/4/14)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00CCY5E8K/

『学問のすすめ』と『文明論之概略』 (常葉叢書) 平山 洋 (2013/4/23)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00CI5RB9S/

福沢諭吉は朝鮮甲申政変の黒幕か? (常葉叢書) 平山 洋 (2013/4/26)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00CJLA4K4/

誰が『尊王論』を書いたのか? (常葉叢書) 平山 洋 (2013/4/29)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00CLECQO6/

「朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す」と文明政治の六条件 (常葉叢書) 平山 洋 (2013/4/29)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00CL1HZFE/

石河幹明が信じられない三つの理由、および、福沢諭吉における国家と個人 (常葉叢書) 平山 洋 (2013/5/1)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00CM7OCT4/

福沢諭吉と慰安婦 (常葉叢書) 平山 洋 (2013/5/14)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00CSPVBXU/

『西洋事情』の衝撃と日本人 ―赤松「口上書」・龍馬「八策」・天皇「誓文」・覚馬「管見」等へ与えた影響について (常葉叢書) 平山 洋 (2013/6/23)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00DLJYZI0/
149名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/22(日) 07:16:17.30 ID:yrEcaK/nO
西澤本は去年?
慶応出版からは他にも出ているんじゃ?
150名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/22(日) 14:54:00.14 ID:07yQfXde0
【国際】福澤諭吉が予言した「朝鮮滅亡」 韓国の屈折した負のスパイラル
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1387675478/
151名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/22(日) 14:54:33.09 ID:07yQfXde0
朝鮮人民のために其国の滅亡を賀すが新聞に載るなんて珍しいね
152名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/22(日) 17:07:50.98 ID:ZRK6xHy30
>>150
それに関して、こんなツィートが
https://twitter.com/BlogJoseph/status/414630468575711232
153名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/22(日) 22:09:50.06 ID:kGLTyQukP
>>152
処分に処罰の意味はないそうな
154名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/23(月) 18:38:00.72 ID:Nb2yuQju0
いやあるでしょ
そんなことを言うなら処分に処罰の意味が出てくるのはいつだっていうんだい
昔から使われてきた言葉だよ
155名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/23(月) 20:06:54.22 ID:g2qp26AzP
>>154
明治時代の後半から。

処分は、最初は「捨てる」、ついで「法的なけじめをつける」、最後にそれから
派生して「処罰」の意味が加わった。

役人について「停職6ヶ月の処分」などという表現がなされたため、
処分=処罰となった。

「琉球処分」(1878)の時期には、まだ「法的なけじめをつける」
という意味だった。
156名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/23(月) 20:59:34.66 ID:6qLw3AQN0
>>150>>151
情報ありがd!
ネタ元はMSN産経ニュースですね。

----
【軍事情勢】
福澤諭吉が予言した「朝鮮滅亡」 韓国の屈折した負のスパイラル 2013.12.22 09:35

《脱亜論》《朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す》《文明論之概略》などを総合・意訳すると、福澤諭吉(1835〜1901年)の朝鮮・中国観はこうなる。

(1)過去に拘泥し、国際紛争でも「悪いのはそっち」と開き直って恥じない。この二国に国際常識を期待してはならない
(2)国際の法やマナーを踏みにじって恥じぬ二国と、隣国故に同一視されるのは一大不幸
(3)二国には国際の常識・法に従い接すべし。(国交は別として)気持ちにおいては断交する
(4)文明とは智徳の進歩なり
(5)大国に擦り寄り右往左往する事大主義、国家に挺身する憂国の志士の少なさは、国家を滅亡させる。

福澤の溜息が聞こえる。(政治部専門委員 野口裕之)
----
http://sankei.jp.msn.com/world/news/131222/kor13122209410001-n4.htm
157名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/24(火) 13:41:17.88 ID:Uysxaolr0
>>156
(1)から(4)の要約は、ものすごく恣意的だ。福沢の時代の国際認識は、現在とは違う。
158名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/24(火) 20:36:08.36 ID:HfTH2Unp0
>>157
(1)から(3)は、「脱亜論」(1885年(明治18年)3月16日)から、
(4)は、『文明論之概略』(1875年(明治8年)8月20日 )から、
(5)は、「朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す」(1885年(明治18年)8月13日)から、
の要約ですね。

平山さんの説によると、『西洋事情』初編からあとの福澤の著作は、
ほとんど全ての単行本において「文明政治の6条件」がテーマになっていて、
「脱亜論」や「朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す」のような無署名論説に
おいても「文明政治の6条件」に照らし合わせて理解できるようです。

福澤諭吉「朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す」と文明政治の6条件
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h27/
159名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/24(火) 20:47:45.95 ID:YDQUejZW0
疑問なんだけれど10年もたって世界情勢が大きく代わったのに
福沢は文明政治の6条件のときの考えを変えることはなかったってこと?
だとしたら随分頭が固かったんだな
160名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/24(火) 22:56:25.82 ID:HfTH2Unp0
>>159
その「文明政治の6条件」とは、

> @個人の自由を尊重して法律は国民を束縛しないようにすること
> A信教の自由を保証すること
> B科学技術の発展を促進すること
> C学校教育を充実させること
> D適正な法律による安定した政治によって産業を育成すること
> E国民の福祉向上につねに心がけること
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h27/#c6

という抽象的な条件だから、具体的に中に何を盛り込むかは、
TPOでいくらでも異なる解があるということジャマイカ?
161名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/25(水) 09:08:06.38 ID:TB27CV790
>>159
文明政治の六条件は、国際政治にかんするテーゼではなく、
近代化・文明化自体を定義づけるもの。

この条件に照らすと、現在の朝鮮民主主義人民共和国はまったく反文明となるな。
162159:2013/12/25(水) 11:59:22.43 ID:YksdzhNY0
ありがとう
だとするともっと疑問なんだけれどさ
近代化・文明化自体のテーゼってことは分かるけれど
実際の政治の場面で使えるのは国際政治に関する方なんだから
国際政治にかんするテーゼを出さなかった意味がわからない
福沢は具体的な国際政治には無頓着で抽象的な文明論に耽っていたわけね
163名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/25(水) 13:03:23.26 ID:TB27CV790
>>162
文明政治の六条件は1866年の『西洋事情』の冒頭にあるんだからさ、
まだ日本は国際政治がどうしたなんて言えるレベルじゃなかったのさ。

今で言えばミャンマーくらい?
「西洋先進諸国はこうしてます、だから真似しましょう」くらいが関の山。

日本が辛うじて大国扱いを受けるようになるのは、
30年後の日清戦争の頃から。
164名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/25(水) 19:35:44.55 ID:GrcjtfYZO
なるほど!
165名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/26(木) 10:45:35.06 ID:Rt9A/i7c0
>>159=>>162が出てこんな
166159:2013/12/26(木) 12:08:23.39 ID:CwZ1evq90
>>163
これはわかりやすい説明だね
てっきり日本が外国とのつきあい方を考えるときに対等な関係だと思っていたわ
言われてみればたしかに福沢の見ていた世界では日本は弱小国でなんとか綱渡りでやりくりしていたんだもんな
すっきりしたよ
167名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/27(金) 01:36:17.94 ID:+UQtaCAf0
なんで福沢諭吉が一万円札になってるんですか?
おっさんは見飽きました
見てて癒されないです
初音ミクくらいの女の子がいいな
168名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/27(金) 16:49:25.81 ID:/W5C3m5s0
>>167
それでは偽造されやすい
169名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/27(金) 21:08:34.26 ID:hdD3gzRm0
>>167
> なんで福沢諭吉が一万円札になってるんですか?

ウィキペディアの「福澤諭吉」の解説によれば以下の通りです。

> 現在「最高額紙幣の人」としても知られているが、昭和59年(1984年)11月1日の
> 新紙幣発行に際して、最初の大蔵省理財局の案では、十万円札が聖徳太子、
> 五万円札が野口英世、一万円札が福澤諭吉となる予定だった。その後、
> 十万円札と五万円札の発行が中止されたため、一万円札の福澤諭吉が
> 最高額紙幣の人となった[48]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E6%BE%A4%E8%AB%AD%E5%90%89

ちなみに女性の肖像なら5000円札の樋口一葉がいますね。
ウィキペディアの「樋口一葉」の解説によれば、
2000円札の紫式部は肖像画ではないそうです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%8B%E5%8F%A3%E4%B8%80%E8%91%89#.E4.BA.94.E5.8D.83.E5.86.86.E7.B4.99.E5.B9.A3
170名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/28(土) 09:43:00.58 ID:D89SBQRl0
>>166
安倍首相の靖国参拝への中韓の過剰反応を見ると、国際関係の指針としての
「脱亜論」というのは、もっと重要視されてもいいだろう。

中韓がどんなに騒いでも、平然としていればいい。
それで大きな不都合が起こる心配はないと思う。
171名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/28(土) 18:08:19.47 ID:D89SBQRl0
この間の産経の記事ではないが、中国と韓国を特別視する必要は、
もうないと思う。
福沢諭吉の慧眼にはいまさらながら恐れ入る。
1万円札から引退しても、10万円札はぜひ福沢にしてほしい。
172名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/28(土) 19:16:13.37 ID:iMN4W76B0
>>170>>171
「脱亜論」を福澤の代表作だと考える人は、福澤研究の素人ですね。
福澤研究者の間では、「脱亜論」を福澤の代表作だと考える人は、
皆無ではないかしら?
173名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/28(土) 19:36:35.66 ID:D89SBQRl0
>>172
それはそうだが、自分でも重要とは思ってもいなかった「脱亜論」が、
実は重要なメッセージを含んでいたと(後から分かった)
ってことだって、あるだろ?
174名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/28(土) 20:12:09.23 ID:iMN4W76B0
>>173
それはそうですが、ネトウヨが「脱亜論」を持ち上げて、中韓に対する
強硬論だと評価するのは、なんちゅうか有難迷惑のような希ガス。
175名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/29(日) 07:02:20.15 ID:FzfnhSUhO
>>174
脱亜論を評価しているのは倉山みたいなネトウヨばかりではないだろ。
渡辺利夫や坂野や平山まで一緒にはできないよ。
176名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/29(日) 10:38:36.55 ID:xxtGr75Y0
いや平山と倉山は同じにおいがする
177名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/29(日) 11:17:46.59 ID:p7RuCrTj0
>>176
脱亜論の位置づけひとつをとってみても、倉山と平山は違う。
倉山は朝鮮を見限った証拠とし、
平山は残念だ、という失望感の表出と見なしている。
これは坂野の系譜だからだろう。
渡辺利夫についてはよく分からない。
178名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/29(日) 17:27:35.78 ID:oXCm6Mi30
>>177
渡辺利夫さんは「脱亜論」を当時の国際情勢を冷徹に分析したリアリズムの
産物として高く評価しているようです。

----
渡辺利夫『新脱亜論』文春新書、2008年05月20日。ISBN 978-4-16-660634-4
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166606344

【作品紹介】

東アジアは『坂の上の雲』と同じ舞台設定に立ち戻った

福澤諭吉の「脱亜論」をはじめ、陸奥宗光、小村寿太郎などの明治の
先人たちのしたたかなリアリズムに学ばねば、日本の針路は実に危うい
----
 「先祖返り」する極東地政学
 私は先に現在の極東アジアの地政学は、日清・日露の両戦争が戦われた明治のあの頃に「先祖
返り」したかのように酷似していると述べた。そういう気分を胸中に充満させているからであろ
う、福澤諭吉が「脱亜論」を執筆した時の気分が私にもよく理解できるように思える。福澤の脱
亜論はみずからが創刊した『時事新報』の明治一八(一八八五)年三月一六日付(『福澤諭吉全
集』第一〇巻、慶応義塾編纂、岩波書店、一九六〇年)の社説として掲載された。
「今日の謀を為すに、我国は隣国の開明を待て共に亜細亜を興すの猶予ある可らず、寧ろ其の
伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、其の支那朝鮮に接するの法も隣国なるが故にとて特別
の会釈に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に従て処分す可きのみ。悪友を親しむ者は共に悪
名を免かる可らず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」
 福澤がここで「謝絶」せんと断じた「亜細亜東方の悪友」とは清国と朝鮮である。福澤を激越
にもそう主張せしめたのは、当時の両国の、自国を取り巻く国際環境に対する手の施しようのな
いほどのリアリズム欠如であった。福澤はさらにこういう。
「我輩を以て此の二国を視れば、今の文明東漸の風潮に際し、迚も其の独立を維持するの道ある
可らず。……先づ政治を改めて共に人心を一新するが如き活動あらば格別なれども、若しも然ら
ざるに於ては、今より数年を出でずして亡国と為り、其の国土は世界文明諸国の分割に帰す可き
こと一点の疑あることなし。如何となれば麻疹に等しき文明開化の流行に遭ひながら、支韓両国
は其の伝染の天然に背き、無理に之を避けんとして一室内に閉居し、空気の流通を絶て窒塞する
ものなればなり」
 現実の歴史は福澤の予告通りであった。
----
Amazon.co.jp: 新脱亜論 (文春新書): 渡辺 利夫: 本、12-13頁
http://www.amazon.co.jp/dp/4166606344/
179名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/30(月) 09:13:51.06 ID:GtvXaOi40
>>178
坂野平山よりの見解だな。
韓流ブームの中で思い切ったことを言っているが、
主張にオリジナリティは見られないよう。
180名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/30(月) 16:17:03.50 ID:LxHQdM0rP
本日付朝日新聞のひと欄で、安川寿之輔が取り上げられている。
近く1万円札の肖像画を変更させる会を立ち上げるとさ。
181名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/30(月) 17:23:33.54 ID:FmoNI/aC0
頑張れ安川!
安倍の行動のおかげで福沢の危険性を広く知らせるチャンスが来たぞ
182名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/30(月) 19:36:02.38 ID:GtvXaOi40
>>181
安倍内閣への支持率は、靖国神社参拝後80%を越えた。
多勢に無勢だろうね。w
183名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/30(月) 20:19:58.56 ID:frT3CU9Z0
福沢は嫌い。
184名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/30(月) 21:36:43.44 ID:GtvXaOi40
>>183
どうぞどうぞ。福沢もあなたが嫌いだと思いますよ。 
185名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/30(月) 21:40:14.10 ID:fzdYeSpP0
>>180
朝日新聞キタ―――(゚∀゚)―――― !!

(ひと)安川寿之輔さん 福沢諭吉像の見直しを唱える名古屋大名誉教授
http://www.asahi.com/articles/DA2S10905612.html
186名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/30(月) 21:52:03.69 ID:frT3CU9Z0
>>184
福沢のような歪んだ人間に嫌われたら本望ですな。
実際歪んでるでしょ?差別発言しまくり。
散々論議されているが、弟子が書いたのが事実だとしても
言論誌の編集人として同罪でしょうが。
187名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/30(月) 22:39:57.08 ID:fzdYeSpP0
>>180
Yahoo!ニュースにもありました。

(ひと)安川寿之輔さん 福沢諭吉像の見直しを唱える名古屋大名誉教授
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131230-00000014-asahik-soci

 1万円札の肖像でも知られる福沢諭吉とは、市民的自由主義者なのか、アジア侵略の扇動家なのか、戦前から評価が分かれてきた。自国独立を最優先して国家への服従を説いた保守主義者であると一石を投じ、波紋を呼んだ。
 8月に出版した「福沢諭吉の教育論と女性論」は、これまでの4冊と同様、福沢全集21巻や率いた新聞社の社説を読み込んだ。
 「朝鮮……小野蛮国」「廃娼(はいしょう)反対」など保守的な言動を分析。有名な「天は人の上に人を造らず……と云へり」も伝聞体。啓蒙(けいもう)思想を紹介する文章と教育勅語に「感泣」し、アジアを蔑視した自説の文章とは区別すべきだと説く。……
188名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 00:07:25.51 ID:hELKH8EP0
>>186
イザベラバードの旅行記読んでみ 外人が見ても朝鮮は独立は無理と言われていた
189名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 03:52:29.16 ID:kmV/poe10
>>180
ブログに転載されていました。

----
安川寿之輔さん 福沢諭吉像の見直しを唱える名古屋大名誉教授

 1万円札の肖像でも知られる福沢諭吉とは、市民的自由主義者なのか、アジア侵略の扇動家なのか、戦前から評価が分かれてきた。自国独立を最優先して国家への服従を説いた保守主義者であると一石を投じ、波紋を呼んだ。

 8月に出版した「福沢諭吉の教育論と女性論」は、これまでの4冊と同様、福沢全集21巻や率いた新聞社の社説を読み込んだ。

 「朝鮮……小野蛮国」「廃娼(はいしょう)反対」など保守的な言動を分析。有名な「天は人の上に人を造らず……と云へり」も伝聞体。啓蒙(けいもう)思想を紹介する文章と教育勅語に「感泣」し、アジアを蔑視した自説の文章とは区別すべきだと説く。

 安倍晋三首相が国会演説で福沢の「一身独立」を引用し、自立心を説くのを聞き、やはりと思った。「国のために進んで忠義を尽くせという権力者に都合のいい思想。自由主義者という評価は、のちの高名な学者が誤読しただけです」

 もとは地味な教育史研究者だ。1998年に名大を定年後、不戦の市民運動を本格化させ、福沢研究を再開。「問題社説は部下が書いた」という研究者が現れ、評論家佐高信氏も反論。
一方で漫画「美味しんぼ」の原作者、雁屋哲氏が応援を買って出て論争は学界外にも広がった。福沢のアジア論集が改めて出版され、自著は中国語などにも訳された。近く、紙幣の肖像から福沢を外す運動を始める。

2013/12/30 朝日新聞より (文・写真 伊藤智章氏)
http://blog.goo.ne.jp/dentamaonoyu/e/d1e5572cff83d0ee8574a9b7257b6311
----
190名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 04:18:50.01 ID:zNz5hgHNO
>>180
> 本日付朝日新聞のひと欄で、安川寿之輔が取り上げられている。
> 近く1万円札の肖像画を変更させる会を立ち上げるとさ。

伊藤智章とは何者?
191名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 09:27:15.48 ID:M7jNOWo2P
>>186
福沢はどの言論誌の編集人だったのですか?
192名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 21:37:56.95 ID:QP4yX1K90
>>190
朝日の記者なんて、みんな中国や韓国に買収されているのサ
193名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/02(木) 04:53:39.17 ID:cu/hUPIs0
【東大0.5%】入学辞退率について考える【慶應59%】
合格  辞退  辞退率
東京大学  3107   17   0.5%
京都大学  2928   16   0.5%
一橋大学   947    4   0.4%
慶應義塾  9995  5899  59.0%
早稲田大 18300 12640  69.1%
http://www.logsoku.com/r/joke/1272215449/
ダブル合格・進路追跡調査(河合塾、2000年度)
(出所:サンデー毎日)
北海道大学(法・経)45人−慶応(法・経)6人
金沢大学(法・経)33人−慶応(法・経)3人
名古屋大学(法・経)71人−慶応(法・経)6人
大阪大学(法・経)73人−慶応(法・経)1人
神戸大学(法・経・営)95人−慶応(法・経・商)4人
広島大学(法・経)22人−慶応(法・経)9人
九州大学(法・経)44人−慶応(法・経)5人
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1311891133
194名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/02(木) 14:46:40.78 ID:5WmRTWeq0
「国立大に行く学生は、数パーセントずつ増えています。
早慶レベルに受かっても、筑波大や東北大クラスなら迷わず国立大に行きます」

「やはり不況のせいでしょうか、できれば国公立という生徒は多いです。
東大、一橋大、東工大はもちろんのこと、
横浜国大、埼玉大、千葉大などでも、自分の行きたい学部ならば、早慶よりも国公立を選んでいます」
http://www.geocities.jp/plus10101/wgoukakusyanosentaku.jpg

「私立トップの早慶でも、勝負になるのは千葉大や横浜国立大から下のレベルです。」
http://www.geocities.jp/plus10101/smai.jpg

【慶應理工−横国理工】W合格者対決で横国勝利
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/joke/1375961389/
195名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/03(金) 16:47:06.17 ID:OH+9ZkIi0
196名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/03(金) 16:57:07.24 ID:OH+9ZkIi0
岩上安身というのは狂人なのか?
http://ameblo.jp/kpoop123/entry-11430211161.html
197名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/03(金) 17:34:06.44 ID:OH+9ZkIi0
198名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/03(金) 18:40:31.35 ID:5OV1rtFy0
>>195
>「福沢諭吉朝鮮・中国・台湾論集?国権拡張脱亜の果て」杉田聡編(明石書店)。
>福沢の「脱亜論」等は評判が悪い、と聞いて、わかったような気になり、今さら当時の論説をわざわざ読み返さなくてもいいだろう、時代制約もあったろうし、と、思ってきた人(私もその1人)。
>読んでみた方がいい。

>ここでつまみ食いをして紹介するより、実際に読んでもらった方がいい。
>福沢諭吉の対外政策に関する論説群は、ありのまま読めば、ネトウヨと変わらない。
>こう書くと、ネトウヨの元祖は明治の「知の巨人」、ということになり、ネトウヨにお墨付きを与えるようで、複雑ではあるが。

福沢=ネトウヨ疑惑は一部であったけれどやっぱりそうだよな
岩上はなかなか鋭い
199名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/03(金) 18:44:02.26 ID:OH+9ZkIi0
>>198
なんで同じことしか言えないの、この人たち、ってね。まったく進歩がない。
200名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/03(金) 19:02:59.90 ID:Cm5FFLgcP
>>198
ネトウヨという言い方自体が…
岩上は金に困っているようで、誰かに買収されてんじゃないの?
201名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/04(土) 17:24:17.37 ID:3njI/CfS0
"交詢社オープンフォーラム第五回「日本が目指すべき憲法の姿」"
ttp://www.kojunsha.or.jp/movie05/forum01.html

櫻井 よしこ 氏(ジャーナリスト/公益財団法人国家基本問題研究所 理事長)
パネルディスカッション
パネリスト
田久保 忠衛 氏(杏林大学名誉教授)

コーディネーター
葛西 敬之 氏(東海旅客鉄道株式会社 代表取締役会長)
渡辺 利夫 氏(拓殖大学総長)
水島 朝穂 氏(早稲田大学法学学術院教授)
202名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/04(土) 19:45:20.13 ID:YXfNKhxw0
日本財政破綻 → 安倍政権崩壊 → 小沢日本誕生 → UFO着陸 → マイトレーヤ小沢会談実現!

スノーデン「アメリカ政府は地底人に攻撃されることを恐れている」
http://www.youtube.com/watch?v=CGin8uVnjLA
シャンバラの住人とアメリカ軍の戦いがある。日本人はボーッとしてるだけなんだよ、知らんぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=KnTCMXdDBTk
釈迦が予言、やがてシャンバラは地上に姿を現わす。恐らく我々が生きてるときに見られる事件です。
http://www.youtube.com/watch?v=lvaE4UqCPnc

Q 世界平和にとって最大の脅威である国はどれですか。A イスラエル、イラン、アメリカです。

それは間もなく日本から始まる世界的株式市場の暴落によって起こるでしょう。
日本はアメリカの国債の25%を所有していますが、それを引き出すと世界経済全体が破綻します。
株式市場崩壊後に出現する新しい政権は日本国民の側に立つものであろう。
Q 世界的株式市場の崩壊が今でも期待されますか。A おそらくその動きは増大するでしょう。

マイトレーヤは、衛星中継によるテレビ網をとおして全世界に直接語りかけるでしょう。
テレパシーで私たちがパニックにならないようテレビに出演されるのです。
Q 世界中で同時に起こるのですか。A 英国の午後3時に行うとその頃、東京は夜の11時でしょう。
Q 14歳より下の子供たちは体験するでしょうか。A テレパシー的な連結は生じないでしょう。
Q マイトレーヤのインタビューはまだロシアでのみ行われていますか。A はい。

過去60年間、諸政府は意図的にUFO情報を隠してきました。
そして今、それらの証拠を破棄し、彼らの不正行為を隠し始めています。
Q UFO活動が行われています。A 活動は増え続けるでしょう。
Q UFOの着陸は世界中で起こるのですか。A はい。
Q テレビに出るでしょうか。A いいえ。
203名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/04(土) 22:34:41.74 ID:KLoo7pqp0
世の中にはフェアな考え方の立派な人物もいる
  ↓
http://blog.livedoor.jp/sumiin/archives/3972544.html

岩上安身は ↑ の爪の垢でも煎じて飲め
204名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/06(月) 10:27:30.06 ID:2TudBz480
>>197
涙なくしては読めないな、この報告。
岩上安身はまもなく破産だろう。
にもかかわらず反福沢運動にこれだけ積極的に関わるというのは、やっぱり怪しい。
特定アジアの支援を受けているのでは、と勘ぐりたくもなる。
205名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/06(月) 11:45:00.89 ID:LSLIlUOz0
>>204

これがとくに怪しい!
国税当局は把握してんのか?
  ↓
<また、2012年度におきましては1,000万円を超える大口の寄付を一件、
頂戴いたしました。個人の方からで、一切の条件は無く、
「IWJの報道によって助けられたから感謝の気持ちです。
活動の一助としてお役立てください」とのことでした。心から感謝するとともに、
IWJの基礎づくりのための費用として活用させていただきました。>

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/106368

岩上に無償で1000万円も寄付したという「個人の方」の名前を
ぜひ知りたい。

この情報をネット上にばらまいて、
広く情報を集めるべきだ。
206名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/06(月) 19:07:15.77 ID:PSRA1NJZO
岩上はやっぱり紐付きなのか
207名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/07(火) 16:07:10.52 ID:OqBVqvIC0
正気とは思えない w
  ↓
http://space.geocities.jp/afptrsnk/index.html
208名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/07(火) 16:09:22.60 ID:OqBVqvIC0
209名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/08(水) 12:55:45.05 ID:znLS9mPWO
安川はもう何か始めたの?
情報を求む
210名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/08(水) 19:12:58.12 ID:ldYYlluiP
12月31日

@ichigekistk

一撃筆殺@ichigekistk

@ichigekistk なぜ、朝日新聞の伊藤智章記者は佐高信さんが
週刊金曜日誌上で安川寿之輔氏に批判をぶつけておきながら、
雁屋哲氏に反論されるや否や、「不名誉教授」と子供の喧嘩の
ような罵倒を捨て台詞にして遁走、そして週金社長辞任したこ
とを書かないのか。@asahi_tokyo

posted at 14:29:36
211名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/09(木) 12:12:35.82 ID:zv8iQ00Q0
http://togetter.com/li/611401

よくやるなあ。やっぱり誰かから金をもらってんじゃね。
212名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/10(金) 12:20:32.42 ID:MIMP/oA20
福沢先生も生きていれば今日で満179歳か
213名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/11(土) 01:00:37.68 ID:fLgCC1IM0
渡辺利夫さんの記事です。

【正論】年頭にあたり 今こそ、福澤の「脱亜論」に学べ
2014.1.10 03:06 (1/4ページ)拓殖大学総長・渡辺利夫
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140110/plc14011003060002-n1.htm

さっそくスレが立っています。

【オピニオン】歴史は循環するもの。今こそ、福澤の「脱亜論」に学べ…拓大総長
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1389308558/
214名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/11(土) 16:50:49.23 ID:ZBRMVu9qP
渡辺利夫も古田博司も慶応卒だな
215名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/11(土) 17:13:59.76 ID:9QES3vlt0
>>214
『悪韓論』・『呆韓論』の室谷克実さんも
慶應義塾大学法学部卒。

『「従軍慰安婦」強制連行はなかった』・
『ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った!』の松木国俊さんも
慶應義塾大学法学部政治学科卒。

『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』・
『面白いけど笑えない中国の話』の竹田恒泰さんも
慶應義塾大学法学部卒。

『「反日」の正体 中国、韓国、北朝鮮とどう対峙するか』・
『「反日」の構造 中国、韓国、北朝鮮を煽っているのは誰か』の西村幸祐さんは
慶応義塾大学文学部哲学科中退。

『ひと目でわかる日韓・日中 歴史の真実』・
『ひと目でわかる「日韓併合」時代の真実』の水間政憲さんは
慶應義塾大学法学部中退。
216名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/11(土) 17:57:46.02 ID:ZBRMVu9qP
佐高信も田久保忠衛もだ
217名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/13(月) 08:39:42.46 ID:HmHgYmcYP
福沢諭吉先祖考」無料配信中

http://www.amazon.co.jp/dp/B00HS849I6
218名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/13(月) 12:43:19.72 ID:vSqAB2Mh0
>>217
情報ありがd!! 平山さんの新作ですね。

>構想9年、執筆2年、福沢諭吉の先祖と
>信州福沢の場所がついに明らかとなる!

で、けっきょく信濃国福沢とはどこなの?
219名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/13(月) 14:40:44.51 ID:3bLeAIjvO
ただなら読んで報告してケロ
220名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/13(月) 14:50:44.17 ID:WN0KVBW+0
kindleもってないし
221名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/13(月) 17:05:35.36 ID:3bLeAIjvO
持っているやつ、報告して
222名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/15(水) 22:15:47.16 ID:J5gq3pnb0
>>218-221
よんだ。
前半は福沢家系図の検討と中津残存資料の検討。
今までの研究に見落としがあったようだ。
福沢家の初代兵助らしき人物を17世紀の記録から拾い上げている。
後半は信州福沢の探索。
長野県内にある地名福沢11箇所すべてに立ち、
あれこれ調べたあげく、結局やっぱり現茅野市内の豊平福沢らしいとさ。
享保時代の福沢村の名主の名前は平助といった、というのが新発見。
223名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/16(木) 15:01:33.66 ID:lvHehVN60
それってそもそも福沢研究なのか?
224名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/16(木) 15:07:16.01 ID:OApbRJ+P0
>>223
今いいこといった
諭吉自身は知らなかったはずのことだからな
225名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/16(木) 19:16:31.76 ID:ZluPKgjpO
いや歴史のひとこまとして興味深いんでは?
226名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/17(金) 06:51:58.51 ID:07uhnmgD0
福沢研究としては、こちらのほうが重要なんジャマイカ
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/report-on-presumption-of-the-writer-between-1882-03-and-1885-03/
227名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/17(金) 16:29:29.68 ID:WD5M9xk+0
何これ
228名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/17(金) 21:43:10.33 ID:re4Dm9kT0
全集に載っていない、しかし福沢が書いたに違いない社説についてのレポ
229名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/18(土) 15:25:19.08 ID:eDVL1waO0
>>42の論文化だな>>226
230名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/19(日) 10:37:52.69 ID:mTvCIl/BP
もし福沢諭吉だとしたら、ますぞえ、宇都宮、細川、たもがみ
のうちだれを支持する?
231名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/19(日) 11:40:06.53 ID:KF/Iq7DE0
福沢が政治家を評価するときにどこに目をつけたのかがよくわからないな
瘠我慢之説の勝批判って要は勝の身の振りようの不適切さをいろいろな形で言っているだけだと思う
政策論から政治家を批判したり賛美したことはどれくらいあるんだろう
232名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/19(日) 17:56:04.21 ID:mTvCIl/BP
>>231
大久保については辛らつだったろ
233名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/20(月) 09:59:42.90 ID:EcdHGFy50
福沢だったら名護市長選挙の結果にどのような評価をくだすか
「時事新報」の社説の文体をまねてこたえなさい。
234名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/21(火) 15:36:00.80 ID:1A2RYcaT0
>>233
これはちょっと難しすぎるな
235名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/23(木) 19:47:53.57 ID:3efyBBkMO
マスコミでは福沢礼賛しか報じないね
236名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/26(日) 13:58:39.85 ID:uweZ7zHTP
北朝鮮の新指導者、金正恩氏の母、高英姫氏(2004年死亡)が
在日朝鮮人出身であるだけでなく、
後に「喜び組」と呼ばれる接待役だった経歴などから、
祖父の金日成主席が生前、正恩氏を正式な孫と認めていなかったことが14日、
関係者などの証言により分かった。
父は日本軍への協力者といえる軍需工場労働者で、
密航船を運営し逮捕され、やむなく北朝鮮に渡ったことも判明。
“負の出自”は、16日の金正日総書記生誕70周年を境に
加速しそうな正恩母子の偶像化に打撃となりそうだ。(桜井紀雄)
237名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/26(日) 14:16:04.22 ID:b/LNTcS5O
金英姫の母親は日本人
238名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/27(月) 07:34:49.66 ID:0bf1F2yfO
金正恩は日本人だ
239名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/28(火) 07:07:55.01 ID:HofhPCac0
今の北朝鮮の状況をみるにつけ、「脱亜論」の慧眼に驚かざるをえない。
半島で何が起こっても放置がいいだろうな。
240名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/30(木) 20:10:15.39 ID:6x6RfIw3O
韓国とは仲良くするのが得策では?
241名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/31(金) 08:23:28.79 ID:Rr3FL3nC0
中国や韓国の言い分を100パーセント飲むべきだね。それで問題は全て解決する。
242名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/01(土) 01:58:05.28 ID:kkkdHmaK0

通名の方々:


教師(教員、学校の先生)・大学教授・ノーベル賞受賞者・医師(医者)、看護師・法曹界(弁護士、検察官、裁判官)・内閣総理大臣・閣僚・
事務次官、官僚・地方自治体の長(知事、市長、町長、村長、区長)・地方議員・公務員(国家、地方)・警察・消防・自衛隊・親方日の丸会社・
経団連・経済同友会・日本銀行・公益法人・旧軍人・巣鴨プリズン・明治政府〜・

焼き肉屋・定食屋・そば屋・うどん屋・お好み焼き屋・寿司屋・ラーメン屋・レストラン(フランス料理、イタリア料理、スペイン料理、和食・・)・
スーパー・コンビニ・デパート・八百屋・肉屋・魚屋・花屋・酒屋・靴屋・服屋・デザイナーズブランド・薬局・寺・喫茶店・パン屋・ケーキ屋・
文房具屋・本屋・自転車屋・眼鏡屋・時計屋・スポーツ品店・楽器屋・床屋・美容室・不動産屋(大家)・消費者金融・映画館・パチンコ屋・カラオケ・
競馬・囲碁・将棋・歌舞伎(古典芸能)・飲食店・性風俗・ホテル・塾・教室(スポーツ、音楽、ピアノ、バレエ、・・・)・予備校・ペットショップ・うなぎ屋・
自動車教習所・印刷屋・専門学校・クリーニング屋・
243名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/01(土) 01:59:26.78 ID:kkkdHmaK0

通名の方々:


NHK・TBS(JNN、ニュースバード、NewsBird)・テレビ朝日(ANN)・日本テレビ(NEWS24、NNN24)・フジテレビ(FNN)
共同通信(Kyodo・47News)・時事通信
新聞(朝日新聞・毎日新聞・読売新聞・産経新聞・日本経済新聞・東京新聞・・・)
ラジオ・出版社

芸能人・作詞家・作曲家・演奏家(ミュージシャン)・指揮者・作家・漫画家(アニメ)・ゲーム・映画監督・歌舞伎・美術、建築系・宇宙飛行士・
勲章を持っている人・文化人、知識人・アナウンサー・記者(ジャーナリスト)・気象予報士・テレビに出てる人・本を出している人・雑誌の表紙・
アダルトビデオ(女優、男優、AV)・性風俗・
スポーツ選手(プロ野球、サッカー、テニス、ゴルフ、バレー、水泳、体操、柔道、スケート、相撲、ボクシング、プロレス、・・・)
ヤクザ・暴力団・暴走族・部落(同和)
244名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/01(土) 07:27:07.11 ID:zQFAFr1QO
韓日の和解が早急に必要だな
245名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/03(月) 21:56:09.24 ID:nyqdxhpE0
今日は雪池忌ですね。
246名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/04(火) 07:33:01.15 ID:tChUu9lY0
>>245
没後113年ですね
247名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/05(水) 07:18:54.77 ID:xlhmLky1O
福沢先生は寒いときに生まれて寒いときになくなったのですね
248名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/06(木) 19:02:48.47 ID:FV6/yIRnO
青木功一の福沢研究ってどうよ
249名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/10(月) 08:11:39.51 ID:fxxvJ+xy0
2014.01.28 Tuesday

福沢諭吉の教育論と女性論

 1万円札の肖像になっている福沢諭吉、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言えり、
で始まるあまりに有名な「学問のすゝめ」から、リベラルな人権思想家かと思っていました。
諭吉の著作は数多くありますが、学問のすゝめさえ全文読んだことのない私は、
考えてみれば福沢諭吉がどのような思想を持っていたのか全く知りません。
恐らく私だけではなく多くの人の福沢諭吉に対する勝手な思い込みを激しく揺さぶるのが諭吉の研究者安川寿之輔氏による本著です。

 本著は教育と女性に関する諭吉の思想に焦点を当てていますが、
福沢諭吉は富国を唱えて戦争に協力し朝鮮や中国などアジアに対する蔑視で日清戦争から始まり太平洋戦争に至る明治か
ら昭和へのアジア侵略戦争の思想的なバックボーンになっていたことも述べられています。
近代国家を建設する上で果たした啓蒙思想家としての諭吉の役割や慶應義塾で人材を育成した貢献などすべてを否定するつもりはありませんが、
諭吉の思想を正しく知れば、現在1万円札に載せて崇めることは不適切であることがわかります。

 福沢諭吉の教育は富国のための強迫教育で万民が等しく教育を受ける権利を主張しているのではなく、
富国のために必要な教育を施すことが必要と主張しています。学問のすゝめではすべての民への教育を説いていましたが、
「最も恐るべきは貧智者」と主張して貧しいものが教育によって人権に目覚めることを脅威とみなしたり、
工場で働く児童に対する教育に反対したり、諭吉の教育論の全ては富国のためで社会状況により変遷しました。
女性論に関しては一貫して男女平等を主張しているとする諭吉の研究者も多いのですが、諭吉は性による役割分担を肯定し、
女性は家政を行い政治に関与することは否定しています。妾を作ることには反対していますが公娼制を肯定しています。
本著では諭吉の女性論が現代の女性の人権に配慮した男女平等の思想からは程遠いことが指摘されています。

 著者は戦後、社会科学者が福沢諭吉の著作を「実体をこえた読み込み」「読みかえ」をすることによって、
1万円札の肖像にするまで評価を高めたとして、その一人に丸山眞男を上げています。丸山眞男が作り上げた諭吉像=丸山諭吉が流布し、
現在間違って認識されている諭吉の思想を正す本書は、「誤読」による<福沢神話>の虚妄を砕く、と副題が付けられています。

 諭吉の富国のための教育思想や性別役割分担など保守派と呼ばれる政治家の考えと重なるところも多く、
公娼制度維持は従軍慰安婦必要悪の議論にもつながります。
諭吉の思想を正しく評価し、福沢神話の間違いを正すことは日本の戦後民主主義社会を確かにするためにも必要なことでしょう
250名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/10(月) 21:40:00.68 ID:8OLeVGSR0
>>249
ソースは「亀力のブログ」のようですね。

----
「行動薬理学のススメ(http://kameriki.info)」の著者が、
行動薬理学にこだわらず雑多なテーマについて綴ります。

2014.01.28 Tuesday
福沢諭吉の教育論と女性論
http://blog.kameriki.info/?eid=463
----
251名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/12(水) 06:36:01.45 ID:nz4iAoelO
最新の研究を論破しているの安川本
252名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/13(木) 13:34:48.39 ID:DyKnaLlf0
>>249
ここに書かれていることが本当なら、安川以前の学者は全て
安川よりも劣っていたことになる。

これは安川のほうがおかしいのではないか、と普通の人なら思うだろう。
253名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/13(木) 16:08:42.91 ID:It8VoEfM0
>>252

あはは、それだ!

安川およびそのシンパは、このフツーの感覚にキチンと答えなきゃな
254名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/13(木) 18:33:38.63 ID:DDq1IrJB0
普通の人がどう思うかなんて通俗受けをねらう学者様がいいそうな事だね面白い
安川のメッセージに正面から反論しないならば福沢研究者は敗北を認めたということ
255名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/13(木) 20:11:13.34 ID:XjjyYs/MO

意味不明
256名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/13(木) 21:16:47.45 ID:2nHTjX4Z0
>>254
安川さんが2003年に『福沢諭吉と丸山眞男 「丸山諭吉」神話を解体する』
http://www.amazon.co.jp/dp/4874983049/
を出版しても、丸山門下からは何の反応も無かったようです。

それで安川さんは自分の説が勝ったと思っているようですが、
実際は単に黙殺されただけジャマイカ?
257名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/14(金) 03:48:04.70 ID:NOpUEeyjO
>>254
>>256に反論を
258256:2014/02/14(金) 11:26:58.69 ID:zfvIEqXQ0
>>257
論破されたから黙るしかなかっただろうに
259名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/15(土) 01:07:47.07 ID:VzVPc7CiO
安川さんが新たに本を書いても、平山説の援護にしかならない皮肉
260名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/17(月) 14:36:42.54 ID:rz0xypro0
都市伝説となっていた「大正デモクラシー」 | BUSHOO!JAPAN
http://bushoojapan.com/scandal/2014/02/17/14471
脱亜論の受け止め方と似たような変遷をたどっていて面白い
261名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/18(火) 07:11:00.61 ID:Cfr/IIUx0
>>260
大正デモクラシーがなぜ戦争をとめられなかったか、
それは国民が民主的手続きによって自ら戦争を選びとったからサ
262名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/19(水) 10:36:10.81 ID:ziwAtyHOP
 匿名掲示板「2ちゃんねる」で2月19日未明から大規模なサーバダウンが発生しています。「2ちゃんねる サーバ負荷監視所」によると、2月19日午前9時時点で、トップページを含むかなりの板がいまだ閲覧できない状態。

 サーバダウンは昨夜の3時〜4時ごろから発生しており、中には6時間以上にわたってダウンしているサーバも。ネットでは「DDoS攻撃か」といった声も見られるものの、現時点でサーバダウンの原因などについては発表されていません。

●追記
午前10時時点で、少しずつ復旧しつつあるようです。
263名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/20(木) 12:37:52.97 ID:dINbY2cl0
脱亜論の影響と福沢諭吉が言いたかったこと

(前略)

そして福沢諭吉は脱亜論を発表すると朝鮮人留学生の受け入れを中止し、朝鮮に対する積極的な支援をやめることとなる。
また、日清戦争になると共に文明開化を目指すべきとしていた清を諦め、軍費を寄付するなど日清戦争を応援した。
東アジアへ冷たくなった福沢諭吉であるが、金玉均が上海で暗殺された時には供養を行い、青山霊園に墓まで作っている。


 ではこれらの背景から福沢諭吉が「脱亜論」で本当に言いたかったことはなんだったのか。
これはつまり単純明快で、東アジア全体の近代化を諦め、日本だけで列強の1国になるべきと考えていたのだ。
ここには人種差別な考えは決して含まれておらず、朝鮮半島や中国を見下すような意図はまるでない。
つまり歴史的な背景を踏まえれば、ネトウヨが指摘するような人種差別的な考えなど毛頭なく、
そして福沢諭吉自身にはまるで先見性がなく、自らの失敗により後悔と方向転換を発表しただけなのである。


『ネトウヨに読んで欲しい脱亜論の真の意味』より(高踏出版)
264名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/20(木) 13:55:33.12 ID:aaiA/qYK0
ネトウヨに読んで欲しい脱亜論の真の?意味 小高翔
http://www.amazon.co.jp/dp/B00I8Z69RM
福沢はやっぱり侵略主義者だったんだね
265名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/20(木) 16:45:33.11 ID:dINbY2cl0
>>264
侵略という概念は、当時はなかっただろ
266名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/21(金) 00:03:22.96 ID:D0yWyvtn0
>>264
ネトウヨに読んで欲しい脱亜論の真の意味 [Kindle版]
http://www.amazon.co.jp/dp/B00I8Z69RM
の内容は以下の通りです。

------------------------------------------------------------
内容紹介

 最近、インターネット上の掲示板やブログ、まとめサイトなどでは、
いわゆる嫌韓、嫌中が蔓延っている。そのような中には、明治18
(1885)年3月16日に日刊紙「時事新報」の1面に掲載された
社説である『脱亜論』を褒め称える論説がある。
どのような内容か一例をあげると、

「福沢諭吉すげーwww100年前から法則を言い当ててるwww」
「日本は朝鮮併合なんてしなければよかったんだ」
「この当時から中国朝鮮は世界の害悪だったんだな・・・」
「この頃から何も進歩してない中国と韓国」
「明治の時代から差別される朝鮮人w」

などなど。つまり福沢諭吉の先見性、世界観などがすごい、そして
いかに昔から中国・朝鮮が悪い国であったかを表しているとの書き込み
である。そしてそのような人たち(ネトウヨ)の考えは、中国、朝鮮と
友好関係を結ぶべきではないという結論に落ち着いている。しかしこれは
福沢諭吉の考えをまるで理解していない、自分に都合のいい情報をいいように
解釈しているただの「ネットで真実を知った人たち」なのである。

 私はこのような「ネトウヨ」の考えを根底から否定し、福沢諭吉が
どのような考えを持って脱亜論を書いたか説明したいと思う。

ご意見はレビューへどうぞ
Twitterアカウント@OtakaSho123
------------------------------------------------------------

[無料サンプル]ボタンをクリックすると冒頭部分を試し読みできるようです。
267名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/21(金) 10:02:47.64 ID:etdm7LRT0
>>266
甲申政変の敗北が背景にあったのだから、
1885年の時点では朝鮮と清国と友好関係を結ぶべきでない、
という結論になっているんじゃないかな。

それが普遍的なものかどうかは分からんが。
268名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/22(土) 20:07:48.97 ID:v5GScSAw0
>>267
アマゾンにカスタマーレビューが書かれていました。

http://www.amazon.co.jp/product-reviews/B00I8Z69RM/ref=dp_top_cm_cr_acr_txt?ie=UTF8&showViewpoints=1

カスタマーレビュー
ネトウヨに読んで欲しい脱亜論の真の意味
2レビュー
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おすすめ度 5つ星のうち 1.5 (2件のカスタマーレビュー)
1 人中、1人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。

5つ星のうち 1.0 現実を見る意思のない人間の知識に意味はない, 2014/2/22
By トラ猫 - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: ネトウヨに読んで欲しい脱亜論の真の意味 (Kindle版)

>ではこれらの背景から福沢諭吉が「脱亜論」で本当に言いたかったことはなんだったのか。
これはつまり単純明快で、東アジア全体の近代化を諦め、日本だけで列強の1国になるべきと考えていたのだ。

 著者がこれをどこのネトウヨに読ませたいのかわかりません。
 なぜならネトウヨは皆この福沢諭吉の考えに賛同しているので、改めてこれをネトウヨに読ませたいという著者の真意が全然わからないのです。

 脱亜論で福沢諭吉が説いたのは、東アジア(中国・朝鮮)はいかに日本が援助しても、近代化は不能であると言う事でした。
 それは福沢諭吉が自分自身散々李氏朝鮮の近代化の為に援助をしてきた末に得た無惨な結論だったのです。

 しかしこれは実は現代の保守層と同じです。 この10年来、日本で嫌韓言論の中心となっている人達の中で年配の人達の多くが実は嘗て非常な親韓派でした。

 朴正護時代、日本のマスゴミが韓国を悪の独裁国家と攻撃し続けた時代に、韓国を擁護し韓国を支援し続けたのが右翼や保守派勢力でした。

 その典型が現在マスゴミが「ヘイトスピーチ」と騒ぐ嫌韓デモを主催している維新政党新風の瀬戸代表です。 彼は70年代極貧だった韓国の農村の入り、農業技術の近代化を助けたのです。

 今風に言えばボランティアですが、本業が福島の果樹農家である瀬戸氏のような人の助けは、韓国の農村にとっても非常に有難い事だってでしょう。

 ところがそう言う草の根の援助努力の果てに韓国がどうなったか?

 平気で条約を破り、遡及法を作るような事をする国が本当に民主主義国家と言えるのか?
 近代国家と言えるのか?

 共産主義と闘う仲間として領土問題にまで目をつむって韓国を支援した人々の善意の結果は、反日カルト国家の韓国の成立でした。

 福沢諭吉の失望と悔恨は実は現在のネトウヨの失望と悔恨なのです。

 しかし現実の見えない著者は、とにかく綺麗事の日韓日中友好を喚くしか能がないのです。
 洞察力も観察力も無い人間には、知識も学歴も何の役にも立たない事の証明です。

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5つ星のうち 2.0 要するに, 2014/2/22
By レビュアー927 - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: ネトウヨに読んで欲しい脱亜論の真の意味 (Kindle版)

著者が重箱の隅をつついて「俺が一番冷静」と言いたいだけの本。
田母神論文の時の宮台真司と同じ。
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269名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/23(日) 13:53:24.47 ID:iSpKNSPw0
>>254
今時安川の名前を持ち出してくる池沼がいるとは思わなかったww
福沢関連の著作は平山洋に華麗に論破された化石みたいな極左売国奴ですが・・・

福沢の脱亜論はむしろ全面的に正しいことがここ最近の隣国動向を見ても証明されてるよw
ちなみにこれの主旨は「中韓を侵略せよ」とは全く異なり「中韓に関わるな、手を切れ」だからねw


安川の所属団体・役職↓
不戦兵士・市民の会副代表理事
日本戦没学生記念会元事務局長
イラク派兵違憲訴訟の原告(東京地方裁判所)
韓日平和100年市民ネット共同代表
270名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/24(月) 15:11:24.36 ID:Yy6snUXl0
>>269
冷酷非道な金正恩のお仲間だからねえ、安川寿之輔先生は
271名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/26(水) 06:36:20.45 ID:rOXAqTVk0
>>270
安川派批判はそれが一番利くかもね。北朝鮮の手先だというのが。
272名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/26(水) 13:58:29.77 ID:ymAW4eq60
誰か答えてやんなよ


yamasan99dayさん

歴史については素人ですが(脱亜論・征韓論)

私の通っている中学校で以前歴史の先生が
征韓論は板垣退助と西郷隆盛、福沢諭吉もそっちよりだと・・・
私は以前に福沢諭吉は脱亜論を唱えたとインターネット上で見かけました
脱亜論も征韓論も全文読んだわけではありませんが
この矛盾はどこから来るのでしょうか?
それと
歴史の教科書に
脱亜論は朝鮮侵略を肯定したものだと書いてありましたが
それも疑問です
歴史については全くの無知ですがお願いします

質問日時:2014/2/23 12:10:40.
解決日時:2014/2/23 20:11:08.
閲覧数:71回答数:3.
お礼:知恵コイン50枚
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13121479058
273名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/26(水) 15:34:12.96 ID:F0X7ZwV+0
福沢諭吉は丸山諭吉で矛盾の権化だった
証明終了
274名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/26(水) 19:03:06.33 ID:kbRjuqj90
>>273
いい加減目を覚ましなさいって w
275名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/02(日) 11:41:00.70 ID:z6CskB2N0
脱亜論は侵略目的でなく、単に静観せよの主張ということの持つ意味が、
いまさらながらひしひしと感じられる今日この頃です。
276名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/03(月) 09:45:16.00 ID:PqHS2jfZ0
アンネの日記切り裂き事件が、日本の右翼と関係がある、ねえ…
277宇都宮メルヘンタウン ウサギの女の子:2014/03/04(火) 15:43:22.04 ID:PWxAa2xH0
大学ランキング 2014/3/1

【SSS+】東京大、国公立大医学部、★慶応大(医)、自治医大(医)、防衛医大(医)
【SS】一橋大、東京工業大、京都大、大阪大、順天堂大(医)、日本医大(医)、東京慈恵会医大(医)、大阪医大(医)、産業医大(医)
【S】北海道大、東北大、筑波大、お茶の水女子大、東京外語大、名古屋大、神戸大、九州大、国公立大歯学部、国公立大薬学部、早稲田大、★慶応大、上智大、国際基督教大/ICU、東京理科大、中央大(法)、私立大医学部
【AA】東京農工大、東京学芸大、首都大東京、横浜国立大、千葉大、金沢大、京都府立大、大阪市立大、大阪府立大、神戸外語大、広島大、明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大、学習院大、津田塾大、同志社大、立命館大
【A】小樽商大、国際教養大、高崎経大、埼玉大、埼玉県立大、電通大、横浜市立大、新潟大、信州大、静岡大、名古屋市立大、名古屋工大、京都工繊大、兵庫県立大、岡山大、長崎大、熊本大
【A】文教大(教育)、成蹊大、成城大、明治学院大、東京女子大、南山大、豊田工大、関西大、関西学院大、西南学院大、星薬大・京都薬大などの私立大薬学部
【B】岩手大・宇都宮大などの国公立大、獨協大、國學院大、駒澤大、芝浦工大、専修大、武蔵大、日本女子大、愛知大、愛知淑徳大、中京大、名城大、京都産大、佛教大、龍谷大、甲南大、立命館アジア太平洋大、北里大・昭和大などの医療系私立大
【C】北見工大・名桜大などの僻地国公立大、北海学園大、東北学院大、文教大(教育以外)、玉川大、東京経大、東京都市大、東京農大、東洋大、日本大、二松学舎大、武蔵野大、立正大、神奈川大、大阪経大、近畿大、広島修道大、松山大、福岡大
【D】亜細亜大、国士舘大、工学院大、大正大、拓殖大、東海大、東京工科大、東京電機大、金沢工大、岐阜聖徳学園大、愛知学院大、中部大、桃山学院大、大阪工大、摂南大、神戸学院大、阪南大、久留米大
【E】北海商大、白鴎大、中央学院大、城西大、西武文理大、駿河台大、東京国際大、桜美林大、多摩大、帝京大、淑徳大、千葉工大、大東文化大、高千穂大、文京学院大、明星大、目白大、和光大、関東学院大、山梨学院大
【E】愛知工業大、名古屋学院大、大同大、大谷大、追手門学院大、四天王寺大、大阪経法大、大阪産大、大阪商大、帝塚山大、流通科学大、岡山理大、広島国際大、広島工大、広島経大、徳島文理大、九州産大、福岡工大、熊本学園大
【F】その他私立大
278名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/05(水) 21:45:21.05 ID:c45tdiewO
旅順マサカ
279名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/07(金) 17:15:17.51 ID:SoiZlMcy0
坂野潤治『近代日本とアジア』と安倍晋三 - kojitakenの日記
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20140208/1391839131#c1391940888
坂野氏と安川氏の共通点をずばり見抜いた人がいた
すごいね
280名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/07(金) 17:42:15.10 ID:hAKlNEsO0
坂野さんの「脱亜論」の位置づけは、敗北宣言じゃなかったっけ?
281名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/07(金) 18:57:41.09 ID:hAKlNEsO0
福澤と慶應を知る100冊
http://www.keio-up.co.jp/kup/keio-yukichi/
282名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/08(土) 03:00:20.44 ID:VxZteZy20
>>281
情報ありがd!!
ざっと見たところ、平山本は3冊選ばれています。

ミネルヴァ日本伝選 福澤諭吉 平山 洋 著 2008 ミネルヴァ書房
福沢諭吉の真実 平山 洋 著 2004 文春新書
アジア独立論者福沢諭吉 平山 洋 著 2012 ミネルヴァ書房

佐高本が2冊選ばれています。

福沢諭吉伝説 佐高 信 著 2008 角川学芸出版
福沢諭吉と日本人 佐高 信 著 2012 角川文庫

小川原本が2冊選ばれています。

福沢諭吉 「官」との闘い 小川原正道 著 2011 文藝春秋
福澤諭吉の政治思想 小川原正道 著 2012 慶應義塾大学出版会

杉田本が1冊選ばれています。

福沢諭吉 朝鮮・中国・台湾論集 福沢諭吉 著/杉田 聡 編 2010 明石書店

安川本はゼロですね。
283名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/08(土) 06:07:41.30 ID:L2PsQ6yCO
安川さんは慶応に抗議しないとな
284名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/08(土) 07:03:56.55 ID:lkEhVYcf0
>>281>>282
佐高本はちょっとな。齋藤孝による現代語訳は販売上の配慮だろうが必要かなあ。
安川本は1冊は入れてもよかったかも。北本上下を2冊とするのはいかがなものか。
あとはだいたい妥当かな。
285名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/08(土) 11:44:53.04 ID:nzlWwSqq0
なんで妥当なの?あまりにも政治的に偏っている
286名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/08(土) 13:30:12.77 ID:lkEhVYcf0
>>285
遠山も礫川も杉田も入っているだろう? 安川を1冊入れればなおよい。
287名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/08(土) 17:08:15.29 ID:9zaFxHl+0
>>284
一番多いのが齋藤本で5冊も入っています。

現代語訳 学問のすすめ 福沢諭吉 著/齋藤 孝 訳 2009 ちくま新書
NHK「100分de名著」 福沢諭吉 学問のすゝめ 齋藤 孝 著 2012 NHK出版
現代語訳 文明論之概略 福澤諭吉 著/齋藤 孝 訳 2013 ちくま文庫
現代語訳 福翁自伝 福澤諭吉 著/齋藤 孝 編訳 2011 ちくま新書
座右の諭吉 斎藤 孝 著 2004 光文社新書

>>285
サヨクなら、遠山・礫川・杉田の他に佐高も入っていますね。
保守なら、西部・北岡も入っていますよ。

福澤諭吉 その報国心と武士道 西部 邁 著 2013 中公文庫
独立自尊 福沢諭吉の挑戦 北岡伸一 著 2011 中公文庫

>>286
平山本が3冊も入っているのに、安川本がゼロという結果は、
選者が安川本を嫌っているとしか思えないですね。
誰が選んだのかしら?
288名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/08(土) 19:58:13.98 ID:lkEhVYcf0
>>287
斎藤孝はいつ福沢の勉強をしたんだろうね
289名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 21:08:56.83 ID:iZxtYtXo0
>>281
石河幹明著『福澤諭吉伝』が入ってない!
290名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 22:56:49.66 ID:VcyoTqvb0
>>289
おそらく『福澤諭吉伝』は在庫切れのため入ってないと思われ。

以下の本が入ってないのも、在庫切れのためと思われます。

福沢諭吉家族論集 福沢諭吉 著/中村敏子 編 1999 岩波文庫
福沢諭吉の手紙 慶應義塾 編 2004 岩波文庫
「文明論之概略」を読む <上> 丸山真男 著 1986 岩波新書
「文明論之概略」を読む <中> 丸山真男 著 1986 岩波新書
「文明論之概略」を読む <下> 丸山真男 著 1986 岩波新書
291名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/10(月) 08:07:00.14 ID:yLb3gadd0
>>290
福沢諭吉の真実だって在庫切れじゃん
292名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/10(月) 13:05:25.53 ID:esFFz0jC0
>>291
杉田本

福沢諭吉 朝鮮・中国・台湾論集 福沢諭吉 著/杉田 聡 編 2010 明石書店

もバーゲンブックになったので、版元では在庫切れだと思われますが、
流通在庫はまだ残っているようです。

おそらく平山本

福沢諭吉の真実 平山 洋 著 2004 文春新書

も流通在庫が残っていたものと思われます。
293名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/11(火) 10:40:42.14 ID:ZV+fmy0m0
>>292
だとしたら、この慶大出版会と慶大生協の共同企画は、
「福沢と慶応を知るオールデイズ100冊」ではなく、
「福沢と慶応を(現時点で)売る(ための)100冊」になるね!

つまり本当によい参考書・研究書は、絶版のため入っていない可能性がある
294名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/11(火) 16:38:02.86 ID:ptXRv8h/0
>>293
辛らつですね! 慶大生協や出版会の担当者の方、見ていますかあ?
295名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/12(水) 09:13:24.11 ID:eowsLd7m0
するとこの100冊は、現役の福沢研究者の書いた本、というわけね。出身大学や勤務校はどうなっている?
296名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/12(水) 17:02:59.78 ID:qxJm22Sl0
福澤と慶應を知る百冊


書名 編著者名 刊行年 出版社
学問のすすめ(改版) 福沢諭吉 著 2003 岩波文庫
現代語訳 学問のすすめ 福沢諭吉 著/伊藤正雄 訳 2013 岩波現代文庫
学問のすゝめ 福沢諭吉 著/伊藤正雄 校注 2006 講談社学術文庫
学問のすすめ 福沢諭吉 著/佐藤きむ 訳/坂井達朗 解説 2006 角川ソフィア文庫
学問のすすめ ほか 福沢諭吉 著 2002 中公クラシックス
現代語訳 学問のすすめ 福沢諭吉 著/齋藤 孝 訳 2009 ちくま新書
現代語訳 学問のすすめ 福沢諭吉 著/桧谷昭彦 訳・解説 2010 知的生きかた文庫
まんがで読破 学問のすすめ バラエティ・アートワークス 企画・漫画 2008 イースト・プレス
NHK「100分de名著」 福沢諭吉 学問のすゝめ 齋藤 孝 著 2012 NHK出版
文明論之概略 福沢諭吉 著/松沢弘陽 校注 1995 岩波文庫
現代語訳 文明論之概略 福澤諭吉 著/齋藤 孝 訳 2013 ちくま文庫
新訂 福翁自伝 福沢諭吉 著/富田正文 校訂 2002 岩波文庫
福翁自伝 福沢諭吉 著/土橋俊一 校訂・校注 2010 講談社学術文庫
福翁自伝(新版) 福沢諭吉 著/昆野和七 校訂 2008 角川ソフィア文庫
現代語訳 福翁自伝 福澤諭吉 著/齋藤 孝 編訳 2011 ちくま新書
福翁百話 現代語訳 福沢諭吉 著/佐藤きむ 訳 2010 角川ソフィア文庫
現代語訳 福翁百話 福沢諭吉 著/中村欣博 現代語訳 2011 金園社
明治十年 丁丑公論 瘠我慢の説 福沢諭吉 著 1985 講談社学術文庫
福沢諭吉教育論集 福沢諭吉 著/山住正己 編 1991 岩波文庫
現代語訳 福澤諭吉幕末・維新論集 福澤諭吉 著/山本博文 訳・解説 2012 ちくま新書
新日本古典文学大系 明治編 <10> 福澤諭吉集 福澤諭吉 著/松沢弘陽 校注 2011 岩波書店
福沢諭吉 小泉信三 著 1984 岩波新書
福沢諭吉 飯田 鼎 著 1984 中公新書
福沢諭吉 高山 毅 著 1981 火の鳥伝記文庫
福沢諭吉 三上修平 シナリオ/後藤長男 漫画 1989 集英社
福沢諭吉 浜野卓也 文 2010 ポプラ社ポケット文庫
近代日本の思想家〈1〉福沢諭吉 遠山茂樹 著 2007 東京大学出版会
ミネルヴァ日本伝選 福澤諭吉 平山 洋 著 2008 ミネルヴァ書房
この人を見よ!歴史をつくった人びと伝 <29> 福沢諭吉 プロジェクト新・偉人伝 著 2010 ポプラ社
コミック版世界の伝記 <7> 福沢諭吉 吉田健二 漫画/上永裕正 監修 2011 ポプラ社
YUKICHI 福沢諭吉の青春物語 誉田龍一 著/中川 学 絵 2011 くもん出版
福沢諭吉の哲学 丸山真男 著 2001 岩波文庫
福沢諭吉 国を支えて国を頼らず <上> 北 康利 著 2010 講談社文庫
福沢諭吉 国を支えて国を頼らず <下> 北 康利 著 2010 講談社文庫
福澤諭吉 その報国心と武士道 西部 邁 著 2013 中公文庫
福沢諭吉 「官」との闘い 小川原正道 著 2011 文藝春秋
独立自尊 福沢諭吉の挑戦 北岡伸一 著 2011 中公文庫
福澤諭吉に学ぶ思考の技術 岩田規久男 著 2011 東洋経済新報社
福沢諭吉に学ぶ賢者の知恵 福沢諭吉 著/適菜 収 編著 2013 だいわ文庫
知られざる福沢諭吉 礫川全次 著 2006 平凡社新書
福沢諭吉伝説 佐高 信 著 2008 角川学芸出版
福沢諭吉の真実 平山 洋 著 2004 文春新書
福澤諭吉理念の原点 石坂 巖 著 2005 労務行政〔発売〕
福澤諭吉 国家理性と文明の道徳 西村 稔 著 2006 名古屋大学出版会
瘠我慢の精神 萩原延壽・藤田省三 著 2008 朝日文庫
福沢諭吉の原風景 谷口典子 著 2010 時潮社
福沢諭吉と多元的「市民社会」論 福吉勝男 著 2013 世界思想社
福沢諭吉と日本人 佐高 信 著 2012 角川文庫
福沢諭吉と中江兆民 吉田傑俊 著 2008 大月書店
福澤諭吉と大隈重信 池田勇太 著 2012 山川出版社
勝海舟と福沢諭吉 安藤優一郎 著 2011 日本経済新聞出版社
福沢諭吉 朝鮮・中国・台湾論集 福沢諭吉 著/杉田 聡 編 2010 明石書店
アジア独立論者福沢諭吉 平山 洋 著 2012 ミネルヴァ書房
297名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/12(水) 17:03:31.85 ID:qxJm22Sl0
座右の諭吉 斎藤 孝 著 2004 光文社新書
福沢諭吉なら、今、こう言う 加藤 寛 講話/宮崎 緑 インタビュー 2009 星雲社〔発売〕
福澤諭吉先生の言葉 しみじみ朗読文庫(CD) 藤原銀次郎 朗読 2013 響林社
独立のすすめ 福沢諭吉 著/ロゼッタストーン編集部 編訳 2010 ロゼッタストーン
福沢諭吉のレガシー 柴田利雄 著 2005 丸善
福沢諭吉 背広のすすめ 出石尚三 著 2008 文春新書
福澤桃介式 福澤桃介 著 2009 パンローリング
名門大学の「教養」 NHK「爆笑問題のニッポンの教養」制作班 監修 2011 主婦と生活社
やっぱり!慶應 Benesseマナビジョン編集部 編 2009 ベネッセコーポレーション
異端の系譜 中西 茂 著 2010 中公新書ラクレ
慶應義塾幼稚舎 中川眞弥 著 1999 萱原書房
慶應幼稚舎 石井 至 著 2010 幻冬舎新書
私が40年間実践してきた慶應義塾幼稚舎での教え方 中山 理 著 2012 新人物往来社
最強の小・中・高・大一貫教育 小田卓爾 著 2007 ディスカヴァー新書
早稲田と慶応 橘木俊詔 著 2008 講談社現代新書
慶應の人脈力 國貞文隆 著 2010 朝日選書
1943年晩秋 最後の早慶戦 早稲田大学大学史資料センター・慶應義塾福澤研究センター 共編 2008 教育評論社
エンジョイ・ベースボール 上田 誠 著 2006 生活人新書
慶応ラグビー 魂の復活 渋谷 淳 著 2009 講談社
コンパクト版 西洋事情 福澤諭吉 著 2009 慶應義塾大学出版会
コンパクト版 学問のすゝめ 福澤諭吉 著 2009 慶應義塾大学出版会
コンパクト版 文明論之概略 福澤諭吉 著 2009 慶應義塾大学出版会
コンパクト版 福翁百話 福澤諭吉 著 2009 慶應義塾大学出版会
コンパクト版 福翁自伝 福澤全集緒言 福澤諭吉 著 2009 慶應義塾大学出版会
福翁自伝(新装版) 福澤諭吉 著/富田正文 校注 2001 慶應義塾大学出版会
現代語訳 文明論之概略 福澤諭吉 著/伊藤正雄 訳 2010 慶應義塾大学出版会
現代語訳 童蒙おしえ草 ひびのおしえ 福澤諭吉 著/岩崎 弘 訳・解説 2006 慶應義塾大学出版会
福澤諭吉事典 福澤諭吉事典編集委員会 編 2010 慶應義塾大学出版会
近代日本と福澤諭吉 小室正紀 編著 2013 慶應義塾大学出版会
福澤諭吉 家庭教育のすすめ 渡辺徳三郎 著 2010 慶應義塾大学出版会
福澤諭吉と女性 西澤直子 著 2011 慶應義塾大学出版会
福澤諭吉と門下生たち 服部禮次郎 著 2009 慶應義塾大学出版会
明治人の観た福澤諭吉 伊藤正雄 著 2009 慶應義塾大学出版会
福澤諭吉と自由主義 安西敏三 著 2007 慶應義塾大学出版会
福沢諭吉の思想と近代化構想 寺崎 修 著 2008 慶應義塾大学出版会
福澤諭吉の政治思想 小川原正道 著 2012 慶應義塾大学出版会
文明と啓蒙 アルバート・M・クレイグ 著/足立 康・梅津順一 訳 2009 慶應義塾大学出版会
福澤諭吉のアジア 青木功一 著 2011 慶應義塾大学出版会
福澤諭吉歴史散歩 加藤三明・山内慶太・大澤輝嘉 著 2012 慶應義塾大学出版会
慶應義塾の名講義・名講演 小泉信三「福澤諭吉を語る」 小泉信三 講演 2011 慶應義塾大学出版会
慶應義塾史事典 慶應義塾史事典編集委員会 編 2008 慶應義塾大学出版会
写真集 慶應義塾150年 慶應義塾創立150年写真集編纂委員会 編 2008 慶應義塾大学出版会
回想 慶應義塾 鳥居泰彦 著 2013 慶應義塾大学出版会
新編 随筆慶應義塾 高橋誠一郎 著 2009 慶應義塾大学出版会
証言 太平洋戦争下の慶應義塾 白井 厚・浅羽久美子・翠川紀子 編 2003 慶應義塾大学出版会
太平洋戦争と慶應義塾 本文篇 白井 厚 監修 2009 慶應義塾大学出版会
慶應義塾で学んだ女性たち 慶應婦人三田会 編 2008 慶應義塾大学出版会
298名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/12(水) 21:03:02.39 ID:vOTtrXOZ0
>>295
しかし何故か安川本は1冊も入っていないのです。
すると安川さんは、現役の福沢研究者ではないってことかな?
299名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/12(水) 21:09:55.45 ID:w/rvYr0E0
>>298
本人はほんとうの福沢研究者は自分だけだといってるんじゃ

ところで福沢関連のブログを見つけた
http://fukuzawayukichi1858.blog.fc2.com/
300名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/13(木) 10:43:08.14 ID:jdj/ylMy0
>>296>>297
ざっと見たところ、今現在大学にいる福沢研究者は少ないね。
福沢について学びたい学生は、やっぱり慶応に行くのがよいのだろうか。
301名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/13(木) 22:11:31.97 ID:K4sicIzj0
>>289
石河幹明著『福澤諭吉伝』なら、ヤフオクに出品されていますよ。

福澤諭吉伝 明治 思想 近代 和本 古文書
http://page13.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/r111782854

現在の価格:820 円
開始日時:3月 10日 18時 31分
終了日時:3月 16日 21時 30分

『福澤諭吉伝』は平山さんの『福沢諭吉の真実』で酷評されてから
古書店で買い叩かれるようになったようですね。
302名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/14(金) 14:37:02.02 ID:d9pvVSoN0
>>301
全4巻で現在の値段820円って、紙くず扱いじゃないか!

ところで100冊のリストで大学院のある大学の先生というのは、
斎藤孝(明治大)、小室直紀(慶大)、小川原正道(慶大)、西村稔(京大)くらい?
福沢を研究対象にしている院生っているのかな。
303名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 18:48:05.57 ID:tfjA4LrLO
京大で福沢ネエ
304名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/17(月) 20:53:14.82 ID:q7JcozBoO
福沢を知る百冊中のベストは?
305名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/17(月) 21:50:15.15 ID:M7RGXRrP0
安川
306名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/18(火) 00:06:41.27 ID:cs8ux4VXO
そもそも百冊の中に入っていないだろうが安川は
307名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/19(水) 04:20:48.07 ID:+rTCiFJ40
福沢研究をするなら、やっぱり慶応の経済か法の大学院に行けばいい、ということ?
308名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/20(木) 08:05:04.09 ID:8TSybT3/O
専門にやっているのは福沢センターでは?
309名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/20(木) 20:00:54.71 ID:n6bYrtbk0
早稲田と慶応の関係について
何か細かい人間関係を追っている
http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/1693/
310名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/21(金) 06:31:30.09 ID:jphOi/bqO
福沢センターに大学院はあるの?
311名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/21(金) 17:34:46.38 ID:EfP7bCU00
福沢センターはもともと事務部門で、塾史編纂室だった。さらにさかのぼれば、
石河幹明の福沢伝編纂所にたどりつく。
312名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/22(土) 09:02:56.68 ID:+gkv3oJN0
安川さんの反福沢運動、いっこうに盛り上がらんな
ブログでいうと、
http://suyiryutei.exblog.jp/21838909/
あたりが最新か

何か動きがあったら、ここに書き込んでチョ
313名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/25(火) 23:00:58.00 ID:z35hbRuM0
慶應義塾福沢研究センター『近代日本研究』第30巻 目次

【特集 慶應義塾福沢研究センター開設三十年】座談会
福沢研究センターの「これまで」と「これから」
小泉 仰
坂井 達朗
小室 正紀
米山 光儀
岩谷 十郎
平野 隆
p.1〜34
【特集 慶應義塾福沢研究センター開設三十年】論説
福沢諭吉に於ける理想的人間類型に関する一考察
―「万物之霊」・「自信自重」・「独立自尊」―
安西 敏三 P.35〜65
【特集 慶應義塾福沢研究センター開設三十年】論説
生誕一五〇年記念福沢諭吉展の前後
小野 修三 P.67〜89
【特集 慶應義塾福沢研究センター開設三十年】論説
初期議会期における市民の政治参加と政治意識
―議会観、議員観を中心として―
末木 孝典 P.91〜122
【研究ノート】
慶應義塾海外留学生の派遣実態とその意義 辻 直人 P.123〜151
【研究ノート】
竹越与三郎と『日本経済史』
―近代日本史学史の知られざる一面―
堀 和孝 P.153〜169
【講演録】
英学の終焉と学生の英語力の低下
―それでも英学の終焉は進歩だったのか― 太田 雄三 P.171〜195
【資料紹介】
福沢諭吉関係新資料紹介 福沢研究センター P.197〜213
314名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/25(火) 23:06:00.53 ID:/WMT6ldy0

通名の方々:


NHK・TBS(JNN、ニュースバード、NewsBird)・テレビ朝日(ANN)・日本テレビ(NEWS24、NNN24)・フジテレビ(FNN)
共同通信(Kyodo・47News)・時事通信
新聞(朝日新聞・毎日新聞・読売新聞・産経新聞・日本経済新聞・東京新聞・・・)
ラジオ・出版社

芸能人・作詞家・作曲家・演奏家(ミュージシャン)・指揮者・作家・漫画家(アニメ)・ゲーム・映画監督・歌舞伎・美術、建築系・宇宙飛行士・
勲章を持っている人・文化人、知識人・アナウンサー・記者(ジャーナリスト)・気象予報士・テレビに出てる人・本を出している人・雑誌の表紙・
アダルトビデオ(女優、男優、AV)・性風俗・
スポーツ選手(プロ野球、サッカー、テニス、ゴルフ、バレー、水泳、体操、柔道、スケート、相撲、ボクシング、プロレス、・・・)
ヤクザ・暴力団・暴走族・部落(同和)
315名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/25(火) 23:07:07.66 ID:/WMT6ldy0

通名の方々:


教師(教員、学校の先生)・大学教授・ノーベル賞受賞者・医師(医者)、看護師・法曹界(弁護士、検察官、裁判官)・内閣総理大臣・閣僚・
事務次官、官僚・地方自治体の長(知事、市長、町長、村長、区長)・地方議員・公務員(国家、地方)・警察・消防・自衛隊・親方日の丸会社・
経団連・経済同友会・日本銀行・公益法人・旧軍人・巣鴨プリズン・明治政府〜・

焼き肉屋・定食屋・そば屋・うどん屋・お好み焼き屋・寿司屋・ラーメン屋・レストラン(フランス料理、イタリア料理、スペイン料理、和食・・)・
スーパー・コンビニ・デパート・八百屋・肉屋・魚屋・花屋・酒屋・靴屋・服屋・デザイナーズブランド・薬局・寺・喫茶店・パン屋・ケーキ屋・
文房具屋・本屋・自転車屋・眼鏡屋・時計屋・スポーツ品店・楽器屋・床屋・美容室・不動産屋(大家)・消費者金融・映画館・パチンコ屋・カラオケ・
競馬・囲碁・将棋・歌舞伎(古典芸能)・飲食店・性風俗・ホテル・塾・教室(スポーツ、音楽、ピアノ、バレエ、・・・)・予備校・ペットショップ・うなぎ屋・
自動車教習所・印刷屋・専門学校・クリーニング屋・
316名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/26(水) 07:56:51.68 ID:eQ3DgpzpO
福沢センターの雑誌でも、福沢研究ばかりが載っているわけではないんだな
317名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/26(水) 13:48:39.09 ID:GwsiCX980
>>313>>316
ここに
http://www.fmc.keio.ac.jp/publication/modernjapan/
近代日本研究の全巻目次があるが、なんか地味なんだよな
318名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/27(木) 09:55:03.04 ID:Z/A0zGbV0
>>317
近年とみに福沢から離れているような感じだ。
福沢協会の年鑑との棲み分けかな。年鑑は見るのが大変。
319名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/28(金) 14:52:16.84 ID:/9akDXoi0
“変人”の正論「親友なんていらない!?〜福澤諭吉編〜」
実は「親友なんていらない。人間はしょせんウジムシだ」という暴論を残していた福澤諭吉。
http://www.television.co.jp/programlist/detail.php?id=2000770758-1-1190-1396014900-1396016400&amp;amp;ref=recommendation
320名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/28(金) 14:56:31.42 ID:xALCUHZp0
「其業たる最も賤しむ可く最も悪(にく)む可くして、然かも人倫の大義に背きたる人非人の振舞なりと云ふの外なし」
http://d.hatena.ne.jp/NextLounge77/20100508/p1

http://ixzpapa.com/modules/xpwiki/394.html
321名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/29(土) 08:06:21.58 ID:MLDvIMEuO
どんな番組だったの?
322名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/29(土) 19:58:12.57 ID:CLrEbIBh0
>>321
誰か見た人がいたらレポートよろしく!
323マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/03/31(月) 22:30:31.14 ID:AbUgrv9d0
ちわす。過疎ってるし「「文明論之概略」を読む」購読して感想書こうと思ってるんだがスレチではないか?
丸山諭吉とか言われてるがレビューが少なすぎる。
まだちょっと時間はかかるかもだが。
324名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/01(火) 00:47:30.96 ID:YS8frJuG0
>>323
スレチではないと思いますよ。感想よろしく!

文明論之概略を読む 上 (岩波新書 黄版 325)
http://www.amazon.co.jp/dp/4004203252/

「文明論之概略」を読む(中) (岩波新書)
http://www.amazon.co.jp/dp/4004203260/

文明論之概略を読む 下 (岩波新書 黄版 327)
http://www.amazon.co.jp/dp/4004203279/
325名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/01(火) 11:45:52.40 ID:z00vhHa00
>>323
・面白いと>>323が思った話
・読んでもよく分からなかったこと
とかを書いてほしいな
326名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/01(火) 18:55:07.97 ID:2nbo7bUb0
福澤諭吉という舞台を大阪でやってんのね
柴田恭兵あたりの出演で
327マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/01(火) 19:49:20.13 ID:c+kebf6x0
>>324>>325
「忠誠と反逆」の方が今手元にあるんだが、ここでも福沢を扱ってたのでちょっと要約してみる。
「近代日本史における国家理性の問題」だ。40頁の未完の論文で、福沢は旧来の「華夷思想」を打破を決定的にし、近代的国家理性を確立させた存在として位置づけられている。ただ確立する前のところで終わってる。難解なとこもあるが俺なりにかみ砕く。
「国家理性」とはなんぞや? といわれると難しい。
発祥はもちろん西欧ではあるが、ただ単に字面で国家が理性を持ってるとすると言うようにだけとるのは不当らしい。
現在でも通用されている「国際社会」感は17世紀のヨーロッパで確立された。
「西洋国家体系”The Western state system”」という言葉が出てくる。
これは王権神授説などによってそれぞれ主権を獲得した西欧国家が各々の主権平等と勢力均衡を原則として成長したものであり、
「西洋国家体系」を理屈づける「国家理性」もこの中で醸成された。その後侵略が表立って禁止されたりマイナーチェンジはあるものの、現代でも通用してる概念であるとする。
328マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/01(火) 19:51:53.36 ID:c+kebf6x0
ニュースで普通に見る「領土」「領空」「領海」なんて言葉も、ヨーロッパの「国家理性」の概念に拠っている。
対して「華夷思想」だと夷狄は「冊封」されるわけだから、主権国家の平等を謳うなんて、そもそも理解できない話なんだよな。
幕末に於いて、日本はなんでその主張から脱却できたかと言えば、逆説的な事に支那伝来の儒教観念によってであったと丸山はする。
グロティウスの「万国公法」を翻訳する際に朱子学のタームが宛てられてることに着目し、当時の基礎教養であった儒学の言葉を用いて、一般に海外の概念を飲み込ませることに成功することができた、と。
横井小楠なんかは早いうちに「有道の国を拒絶することはいかん、無道の国だけを拒絶せよ」と、相手さんの国のやり口によって判断せよと唱えており、「冊封」国の口出しなど一切聞かん的な「華夷思想」から実質脱却している。
一方、「小児病的排外主義者(橋川文三)」儒学者大橋吶庵なんかは日本と支那を一種の「対偶(偶の字は難字)」であると捉え、「義を尊ぶ国は華であり、利を尊ぶ国は夷」であると規定する。
しかるに近頃の支那は夷狄の列に加わった、今残る華の国は日本だけであると。これはまあ町田なんかのいう「東夷の小帝国=東亜の大帝国」と近接した思想であるわけだ。だが大橋は徹底した西洋アレルギーであり自然科学=技術に対しては断固拒否の姿勢を貫いている。
当時の知識人層には技術だけは海外に求めるというのは常識的になってたのにも関わらずだ。
329マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/01(火) 20:01:27.28 ID:c+kebf6x0
ここで出てくるのが「大攘夷」思想であるのだが、丸山は主唱者の大国隆正「新真公法論」を検討して「華夷思想」からの脱却を計っているとする。
大国はグロティウスを参照して、自分の「公法」はより優れた物であると自賛する。とはいえ、大国は国学者だから天皇を諸国家元首と平等との関係を結ばせろとはいえない。
だから大樹公=将軍を他の国の元首と対等の存在に立てて、天皇は「万国統轄の君」であるべきだという。国ごとにも善悪尊卑は必ずある、
だから「万国統轄の君」である天皇は全ての至上に位置する存在である。ヨーロッパ国際法の基礎である天主=キリストは天照大神と同種のものである。
それ故に天皇は「万国統轄の君」であるべきなのである、という理屈だ。
これは「「皇国」に対する上級制約者としての規範を認めない」と言う点で、近代的国際法からは矛盾するが、一方で大国は「華夷思想」を徹底的に批判する。
グロティウスの「公法」も私のより劣ったものではあるが「華夷思想」を否定する存在としては神慮だったのだとまで書いてる。
ただ大国の書には「万国統轄の君」に見られるような「汎日本主義の論理」はまだ潜在しており、ウルトラ・ナショナリズム=超国家主義として再燃する危険性は残された。
330マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/01(火) 20:52:23.53 ID:c+kebf6x0
こうして国学者と儒学者は仲悪いんだが、お互いに「華夷思想」は持ってて、それを変容させて「国家平等観念」を認識していった過程が示される。
ただ世間の流れ的には攘夷論はなかなか捨てられず、偉人襲撃事件とかは明治に到っても起こっていた訳だからなあ。維新の元勲連にしても、自らが煽った攘夷思想の後始末をさせられる面はあった。
長くなったがここまでが前座で、福沢の重要性は丸山の中では大きい。既成の思考範疇をずらして受け入れてもいいかなとなっていたところに、
もっと徹底して抜本的に旧来思想を批判して国家平等観を提唱した人物として福沢諭吉が提示される。


さて政権掌握後の慶応四年正月に明治新政府は「宇内之公法」つまり国際法を以て海外諸国との交際にあたる事を宣言した。
突然やれと言われてもそうできるもんではない。「希望と同時に苦難に満ちた出発」に際して、急激な状勢の変動にあたって、近代化の大道を示したのが福沢諭吉である。
福沢は先駆けて慶応年間に「唐人往来」を著し、江戸市中のじじばばを全て開国派にすると気炎を吐いた。清国が千年も二千年間も古人の行った事を守り、改革を嫌い、
うぬぼれが強く、西洋のことを夷狄呼ばわりしていたにも関わらず、先年のアヘン戦争や天津事件で醜い敗北を喫した事を強く批判した。
同時代の論者は夷狄の侵略的野心を批判する際にアヘン戦争を引き合いに出すことが多かったんだが、福沢はその辺りは違ってて、「華夷思想」が明確な破綻を来したことを示す実例として提示した。
日本は神国だなどという思い込むこと排外主義を否定し、通商貿易が国民生活に悪影響を及ぼしたというのは虚妄である。西洋人の侵略的野心を云々するいわれもないことを主張した。
丸山が注目するのは「唐人往来」の中に流れる自然法的観念らしい、つまり世界中に様々な国はあり言葉、政治形態はそれぞれ異なるけれども、仁義五常の教えのない国はなく、
どんな国でも親不孝はいけない、国(ノット君主)に不忠でいいというような治教は存在しないと道徳の普遍性を説いた。国際関係に於いても「万国普遍の道理」という自然法的制約を強調している。
331マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/01(火) 22:06:14.40 ID:c+kebf6x0
そしてそのことが外国の侵略的野心を否定する論拠になっている。日本が弱いからと行ってそれに乗じて日本に侵略する国は世界の道理に背くものだから、それに対する戦いは筋の立った義戦であり、
必ずや日本に味方する国が現れてくるであろうと主張する。道理を守るものは他より動かしようもないのだから。福沢のこういった国際社会における正義へのオプティミズムは、後年の福沢の著作と対照をなしていると丸山は書く。
明治五年の「学問のすゝめ」では「唐人往来」では断片的だった論が整理され「天は人の上に人を造らず」という本書を貫く姿勢が示されるようになった。自然法的発想は全面的な展開を遂げた。
(まあこのスレで以下は説明不要かもしれんが)ウェイランドの「モラル・サイエンス("The Elements of Moral Science"のことか?)」に依拠した本書では個人と一国がパラレルに語られる。
"Equality"(平等)と"Reciprocity"(相互性)という同一の原理で貫徹されている。二編で「人は同等なる事」三編で「国は同等なる事」とし、両者の命題は「一身独立して一国独立す」という有名な命題で結ばれることになる。
国家平等の理は詰まるところ、人間平等の理を拡大したものに他ならないのである。国とは人が集まった物であって、一人が一人に害を加えるの理がないとすると二人が二人に害を加えるの理もない。
百万人集まろうが千万人集まろうが同じ事であって、物事の道理とは人物の多少によって変わるものではないよ、と。
その際の平等っていうのは物資、軍事力などの事実上の平等を言うのではなしに、権利の平等、すなわち基本的人権に基づく平等を意味するし、国家の場合でも基本的国権の平等を意味するのだよと。
332マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/01(火) 23:10:13.72 ID:c+kebf6x0
>>327
タイトルにミスあり。
近代日本”思想”史だった。こことかも参照↓
http://philosophy.hix05.com/Politics/politics204.kai.html


世界中には様々な国があるけれども貧弱な国だからといって、無理を加えることは、力士が病人の手を握る如く許せないことである。
日本も西洋諸国も結局は同じであり、お互いに足りない物を補い合えば良い。理のためにはアフリカの黒んぼうとも仲良くするし、道のためならイギリス、アメリカの軍艦も恐れない。
国の恥を受けた時は、国民皆でその恥を命を捨てて国の以降を落とさないことが一国の自由独立である。
ここでは完全にかつての「華夷思想」は打破されてるよね。華=夷の場合、夷と決めつけた国は有無を言わさず「冊封」されるべき対象であるのに対して、
福沢は、どんな相手のいいところはとりいれる姿勢を示していたのだから。福沢がいたから日本近代は支那化であったとも単純にいえないわけだ。
ただ面白いのは先祖返り的なのが起こること。しかし先祖返りしても全く先祖には戻れない訳でグロテスクなものになる。
丸山は「日本の思想」ではそういう現象を「思い出」と名付けてるのだが、興味深い。
戦後相当に書かれた「転向論」とかも参照しなくてはならないだろうな。
丸山の弟子の橋川文三はその起源は明治国家の疲弊にあったのではないかと、問題提起してる。
(『昭和維新試論』特に「平沼騏一郎と国本社」、「日本的儒教の流れ」は短いし必読。現代でも時折漢学復興運動は起こりますね。後者には諭吉も出てるぞ!)
少なくとも、福沢は個人主義と国家主義、国家主義と国際主義は見事な形でバランスを得ていた。真に幸福な瞬間ではあったが後に福沢自身がそのバランスを打ち崩さなければいけなくなる時がくる――
という面白いところでこの論考は未完に終わっている。


Francis Wayland "The Elements of Moral Science"
http://www.lonang.com/exlibris/wayland/
333マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/02(水) 00:49:27.82 ID:90H9+lCX0
補注を参照するに、丸山はそのバランスが崩れ、「国家理性」はいかにして目覚めたかというとこまでは論を進めたかったらしい。
明治十年の「時事小言」で福沢は「国権論”nationalty”」的主張をし、
天然の自由民権は正道であるし人為の国権論は権道であるけれども前者は公で後者は私であるという事もできると、
中国古典において使われる言葉を援用した後、自由平等人権の普遍的規範が国際権力政治にたいして道徳的優れているとしつつも、
「にもかかわらず」当時の東アジアに西洋列強が殺到し始めた状況を見て私的な道に過ぎない「権道」を敢えて行う宣言を行った。
西洋列強が行ってるのは間違いなく「禽獣の世界」ではあるが、日本もまたその「禽獣」の一員として行動せざるを得ないという。
「国家理性」を定義したマイネッケは第一次世界大戦後に崩壊したドイツ帝国を見て、かつて影響を受けていたヘーゲルやトライチュケの国家を人倫の最高の実現態とみる国家観から離れて、
国家権力の「魔性」の中に自然的=動物的衝動を見るという結論に達したが、福沢は1880年代において既に国際社会の中で行動する日本を「禽獣の一員」として直視していた。
日本の国家の権力行使に対して、道徳的美化をする余地がいささかもなかった事が当面のイッシュなのであると。
早くも普遍的理念/国家固有の権力利害追求という「二つの魂」の相剋の上に立っていることの認識は、福沢だけでなく、中江兆民ら他の論者にも、また明治の為政者(陸奥宗光、山縣有朋)たちにもあったということ、
その日本の「国家理性」の「早熟な目覚め」が1930〜40年代の日本の国家主義とどれほど異なっていたかと言うこと、
そして陸羯南らの初期の国家主義者もまた後年の者たちには見られないような柔軟な「国家理性」観をもっていた事まで論を伸べたかったと見える。だが力不足で及ばなかったと。
まあこれは下手したら一生掛かりそうな研究対象だからなあ。

権道について
http://kotobank.jp/word/%E6%A8%A9%E9%81%93
334マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/02(水) 02:02:03.63 ID:90H9+lCX0
ここまで要約してきたが「国家理性」ってのが難しいんだわな。どちらにしてもあんまりその後日本で定着したり論じられた感じがしない。早い話マイネッケの本を読めと言うことか。
ただ、よく「政治家の二枚舌」と時に言われる現象が、この「国家理性」に基づいていることもあるように見えるんだよな。
中国人(補注は中国語版のもの)が思い付く「権謀術数」との訳語は正しくないらしい。これはマキャベリズムの訳語として定着しているとおり、
「国家理性」とはもちろんそういう「権謀術数」的な要素もあるのであるが、盾の裏面として、主権国の平等を認めることと、それに基づく「国際秩序」のイメージを欠いているので、
「国家理性」の古代的形態に留まるらしい。
山縣有朋が主張した、「主権線」と「利益線」というのは真にそういうものであったということだ。


思うんだが日本史と思想史もあんまり行き来がない気がするな。日本史の方で丸山の提示した問題を考察できていれば、攘夷思想に対する考察ももっと進んでいる気はする。
弟子の橋川はそうした問題意識を受け継いでるし、「昭和維新試論」はそれならば何故そういう「国家理性」は喪失していったのか、というところに重点を置いてる、こちらも未完ではあるが。
後、「華夷思想」と「冊封」に関してはその後批判があったらしく、それは「礼的秩序」であって、西洋の「権力政治」を前提とした国際関係とは違うと言われた、
論者=丸山としたら中国の近代史に即して語るつもりはなかったのだが、実際に清末の外交を見るとそうかなあと思えるところはある。本当に「礼的秩序」にまで留まっていたのか?
「洋務派」の李鴻章などは皮肉にも「中体西用論」に固執し、華夷観念を東アジアを巡る状勢の変化に従って読み替えただけなのではないかと。
近代的な国家観を確立するに当たっては、「国家理性」というのは兎も角も主権国家の独立・平等の原則必要で、従来の「華夷思想」は完全に打破されなければならなかった。
そしてその「華夷思想」の打破を成し遂げたのは福沢諭吉を始めとした日本の思想家で、支那側はそういう思想家を持てなかったというところに大きな差異があるのではないか、と丸山は言いたい訳だろう。
もちろん儒教論理を媒介にした国家平等概念の把握がやりやすかったという側面はあろう。それは大きな国を前にして日本がひたすら受容する側にあったことに起因するとも説明されている。
シナ帝国は与える一方であったが、日本からすればそれを取捨選択して、身につけていかねばならなかった。だからこそ、国学者連の「からごころ」に対する反発も起こったわけだ。
本居宣長なんか、漢語では一切書かないと全て和語で書いたほどだからな。そして、こうした国学者や儒者が国家平等概念を受容する一助になったのも今まで見てきたとおりである。


中体西用論について
http://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E4%BD%93%E8%A5%BF%E7%94%A8%E8%AB%96

近代史における国家理性の理念
http://www.amazon.co.jp/dp/4622017423/

忠誠と反逆―転形期日本の精神史的位相
http://www.amazon.co.jp/dp/4480083987/
335マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/02(水) 02:45:38.59 ID:90H9+lCX0
以上長々とまとめてみたが分かりやすかったか? 論理の流れを出来るだけ追ったが、理解がいいように別の部分に書かれてる事を繋げた箇所もある。
「禽獣の世界」に関する考察とかはおもしれえな。丸山諭吉なんて言われてるが案外丸山論は読まれてないんじゃ無いのか。
特に「国家理性」と重ね合わせた部分など今まで見たことも聞いたこともない。
ただ「国家理性」は細かく考えると難解ではあるが、分かるところではあるんだよな。現在は余りに当然になりすぎ、捉えにくいが。
本を読んでみるに如くはない。原文はちょっと分かりにくいところはあるな。簡潔に出来るのにと思う側面もある。


んで今は「欧化と国粋」という本を買った。これも福沢とちょっと関わるとこだ。アメリカ人の書いた本で、若き日の蘇峰徳富猪一郎がなんと欧化主義者として捉えられている。
336名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/02(水) 17:37:29.67 ID:Id+0F4L30
ありがとう。
そのまとめで分からなかったことが二つあるよ。
>福沢は先駆けて慶応年間に「唐人往来」を著し、江戸市中のじじばばを全て開国派にすると気炎を吐いた。清国が千年も二千年間も古人の行った事を守り、改革を嫌い、
>うぬぼれが強く、西洋のことを夷狄呼ばわりしていたにも関わらず、先年のアヘン戦争や天津事件で醜い敗北を喫した事を強く批判した。
>同時代の論者は夷狄の侵略的野心を批判する際にアヘン戦争を引き合いに出すことが多かったんだが、福沢はその辺りは違ってて、「華夷思想」が明確な破綻を来したことを示す実例として提示した。
夷狄の侵略的野心を批判するのって同時代の論者にはどういう意味があったんだろう?
夷狄が侵略的野心を持っているから下手に関わると侵略されるぞ、みたいな国家防衛を真っ先に考えた?野蛮なやつらと関わると自分自身も野蛮になってしまうぞって説教しようとした?
それと仮定の話だけどさ「アヘン戦争や天津事件で醜い敗北を喫し」なかったら、そもそも外国が清にせめていなかったら、福沢はこう議論をできなかったんじゃないかな。
清の敗北があってやっと華夷思想を本格的にしたっていうのは、裏返すと、思想だけでは華夷思想をやっつけるのが難しいのかな。

>日本が弱いからと行ってそれに乗じて日本に侵略する国は世界の道理に背くものだから、それに対する戦いは筋の立った義戦であり、必ずや日本に味方する国が現れてくるであろうと主張する。
>道理を守るものは他より動かしようもないのだから。福沢のこういった国際社会における正義へのオプティミズムは、後年の福沢の著作と対照をなしていると丸山は書く。
これってもろに「万国公法」と絡んでくる正戦論だよね。
正戦論って古代ギリシャ時代からある考え方で実態はオプティミズムなんて生やさしいものじゃないはず。戦争の正当性を裏側から積極的に根拠づけるテクニックだし。
それに正戦論って19世紀に廃れたはずだけど廃れている当時の福沢が高らかに宣言すること自体すごいじゃん。
むしろ19世紀は正戦論への反対論が歴史的にかなり強かった時期。
正戦論は第1次世界大戦が終わってからやっとぶり返してきたから、丸山はそういう政治環境に慣れきっちゃって福沢の鋭さを理解できなかったんだろうね。
丸山はこういうことに気づかなかったのかな?
337マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/02(水) 20:12:38.83 ID:90H9+lCX0
>>336
前者はちょっと史料を見て書く。


本場での正戦論については詳しく知らないので、知ったかするのはやめておくが、
内村鑑三が日清戦争を肯定するために書いた文章を知ってるので、それを貼っておく。
>19世紀は正戦論への反対論が歴史的にかなり強かった時期。
内村も、「義のための戦争」は「現代の人にとっては、ピューリタン時代の旧習古俗と等しく、全く廃止されるに至り、人は義戦を口にはしても、これを信じる者はいなくなりました」とは書いてる。
福沢には遅れるものの、内村もまた同様の発想に立った考え方をしてる事が分かるな。
その上で「しかし、歴史上義戦があったことは、誰も疑うことができません」とし、
以下、旧約聖書やギリシャの古事に依拠して、正義のための戦いというものは存在すると主張してる。
当然キリスト者ではあるので、キリスト教は参照しているものの、宗教と関係なく義戦は有り得るといいたいのだろう。
だからこそ非キリスト教圏からも古事を引いてきて、西洋が忘れ去った義戦を、日本人が行った事に対する正当化を行った。
同時に内村も金玉均等の処刑には憤ってるのが読み取れる。
その事で「支那は社交律の破壊者です。人情の害敵です。野蛮主義の保護者です」とすら書いてるわけで、これは清を前近代的だと批判してるのも等しいことになる。
丸山はこの文章内では正戦論には全く言及していないな。書いてるものがないか探してみる。
実際内村、福沢、天心岡倉覚三の三者を並べて比較した文章も「忠誠と反逆」内で書いてるな。それも参照してみる。



日清戦争の義 原文では”Justification”だから日清戦争肯定論とまで訳していい気がする。 (訳文)
http://green.ap.teacup.com/lifework/107.html
338マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/03(木) 03:34:34.32 ID:cVOFgf5e0
>>336
侵略と言っても単に物理的侵略だけに限らんぜ。
精神的侵略、つまり宗教的侵略を受けることを恐れたという面はあるんじゃないのか。
アヘン戦争に関するものでいい例が見つからなかったが、ちょうど面白い文章があったので要約しておく。「九条尚忠文書 第二巻」に収録されてる、
「飯田左馬吟味申口書」だ。安政五年に帥宮(後の有栖川宮熾仁親王)が広橋前大納言へ意見書を出した。
外夷(特にアメリカ)は邪教(キリスト教)を広めようとしてるので、外交を拒絶すべしというものだ。
もちろんこれは帥宮が全部考えたものではなくてブレーンがいた。それが近習役の飯田忠彦(左馬)。
良くも悪くも当時最高クラスの知識人の一人だろう。その後同年末に飯泉喜内に連座して捕まった時の取り調べ書なんだが、
外夷との関わりは古く、元寇が神風によって潰えた後は、大内氏大友氏など一部が交易を行っていたが、
足利時代の末にいたって京堺長崎の者たちが海外で交易をするようになり、織田信長が政権を握ると、
邪宗門が渡来し、夷狄は愚民共を利欲によっててなづけ、心服させたところにキリスト教に帰依させた。
信長は晩年になってキリスト教を禁止しようとしたが、果たせず明智光秀によって討たれたので、
秀吉が変わって禁止を行おうとしたが完全にはうまくいかなかった。家康の時代になって、やっと禁制が果たされた。
清国とオランダは邪宗門を唱えてこないので、交易を許すことにした。
これを見れば分かるように外夷は交易などとは言い条、邪宗を布教したがっているのだ。
端から邪宗を主張してもこちらは相手にしないので、港を貸してくれとか言って貿易を申し込み、
段々と結び付きを強めて深入りしてくる。これが外夷の心根である。
だからアメリカは金銀が沢山出るなんぞといって取り入ってきてやがて日本を深みへと引きずり込んでいく。
そして思う存分理不尽を言ってきて、測量などをして我が国を併呑すると見える。嘆かわしいことである。
元より日本国の物資は豊富だけれども、肥沃な大地を吸い取れば、蚕が桑の葉を食べるように日本国の産物を持ち帰り、
日本国が衰退する原因にもなるであろう。だから外夷との交易は程良く止めにして、日本国万民の養育を専一とするべき事を帥宮に入説したところ受け入れられたのだ述べている。


ここで面白いのは、精神的侵略と物質的侵略が盾の両面のように入れ替わって、しかも主張者自体が気付いていないっぽいところだ。
外国の侵略的野心を批判する時はこう言う精神的な面でも異教に支配されるかもしれないという恐怖感が前提にあったことも重要なんではないか。
相手方が理不尽なもの、無理を言ってくるものだとする絶対の前提がある。
とはいっても時流の流れに従って物理面では受け入れていかないといけないとは自明のことにはなったんだが、精神面では相手のいいところなら取り入れたらいいんじゃないか、というある意味当然の事を言う思想家はなかなか出てこなかった。
アヘン戦争がなかったら、という過程は難しいなあ。もう情報は早い時点で日本に入ってきていたらしく、それで清の破綻が明らかになった側面はあるのだから。
ただ基本的に当時の人は誰もが支那より日本優先ってとこはあるわな。例えば大橋吶庵も清と運命を共にしようと言う気はさらさらなく、華ではなくなった支那は夷狄と同じ列に落ちたとまでいうわけだろう。
日本ageのために「華夷思想」を利用しているという側面はあるんじゃないのかね。




帥宮の意見書「孝明天皇紀 78巻」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991859/9

「九条尚忠文書 第二巻」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/945339/415
339名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/03(木) 13:58:54.56 ID:EXVMEFPW0
丸山真男の解説としてはよいのかもしれないが、
もう少し分かりやすく書いてくれないかな。
340マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/03(木) 17:27:50.67 ID:cVOFgf5e0
>>328
>グロティウスの「万国公法」
前半に当たるこの辺りに俺の理解が足りてなかったので捕捉する。
国際法の輸入についてはホイートンの「万国公法」がウィリアム・マーティンによって漢語訳されたものが日本に入り込んできて、
「宇内の大道」などの言葉で呼び習わされるようになったとき、その言葉のうちには儒教の「天道」という言葉が連想されていた。
ホイートンはグロティウス以来の自然法の流れを汲んでおり、自然法は「聖人の道を一方、宇宙の「天理」に、他方、人間の「本然の性」(性理)に基礎づける宋学とあたかも照応した」。

>>339
まとめると日本が国際社会に加わって行くためには「国家理性」を持つことが必要不可欠となった。それは主権国家は皆平等であり、人間も平等であるという認識と、
俗に言う「権謀術数」を併せ持ったもの出なくてはならない。
日本に於いてそれを定着させるには「華夷思想」の打破が必須であった。
なぜなら近代国民国家の指導原理をなすナショナリズムが本質的な契機としている「主権」概念は、いかに国家が暴走していても、
「主権」を持った国民国家が他に存在している事を認めている時点で、自分が世界の中心だとして夷狄は打ち払うべきだとする「華夷思想」とは相容れないものだからだ。
日本の儒学者や国学者のどちらの中にも「華夷思想」は深く根付いていた。
だが、国際法の概念が日本に受け入れられ易かったのは儒学のタームでそれらが翻訳され、説明されたことにある。それによって、知識階層は「華夷思想」から脱却していったが、
抜本的に主権国家の平等観を根付かせたのは福沢諭吉であった。福沢は「華夷思想」を完全に打破し、海外の思想を取り入れていく事を主張した。
また国家の平等と個人の平等は繋がる物である事を認識させた。
福沢はその後更に一歩論を進めて、国家と個人の平等を認めた上で、日本もまた東アジア状勢を「禽獣の道」に加わって行かなければならないという、近代的な「国家理性」を唱えるに到る。
明治初期の指導者もそう言う「国家理性」認識を共有しており、それが近代日本が「国家理性」の「早熟な目覚め」を示した事の証左であった。

こんなとこか。これでも分かり辛いかもしれん。
341336:2014/04/03(木) 18:46:22.80 ID:8/iTq+KN0
なるほどね。かなり勉強になる。
おかげで大分議論の筋が見えてきた。
福沢の目標:日本が国際社会に加わる
 福沢の目標達成のための必須アイテム:国家理性
   国家理性:「主権国家は皆平等であり、人間も平等である」+「権謀術数」
日本の当時の現状:華夷思想の普及(儒学者や国学者)
 華夷思想:「主権国家は皆平等であり、人間も平等である」と相容れず
その後の日本:「主権国家は皆平等であり、人間も平等である」が徐々に浸透(儒学のタームで)
福沢の功績1:「華夷思想」を完全に打破して、抜本的に主権国家の平等観を根付かせる
福沢の功績2:国家の平等と個人の平等は繋がる物である事を認識させた
福沢の次の目標:近代的な「国家理性」の獲得
 明治初期の指導者もそう言う「国家理性」認識をすでに共有していた

そうなると福沢が平等の考え方を広めたのは究極的には闘争を正当化する目的にすぎなくて、
その理論付けが広まってみんなに理解されたので、次のステップに予定通り?移行したってことかな。
でもこの平等の考え方って、国際社会における正義へのオプティミズムと相容れない、実力主義の依ってたつところだよね。
こうゆう平等観って19世紀の侵略主義者が持っていそう。
うーん、国際社会における正義へのオプティミズムが使われる場面と使われない場面で、多分議論の文脈自体が相当違うんじゃない?
丸山は昔の福沢と後の福沢は言ったことが違うといってるみたいだけど、議論のテーマ自体が変わったり、想定する読者層が変化したとかで、正義を持ち出す必要がなくなったとか、そういうところが落としどころの気がする。
つまりさ、福沢の考えが実はそれほど変わっていなくて、議論によっては正義を持ち出したり持ち出さなかったことも考えられるんじゃないかな。

あ、福沢の中で平等の考え方が変遷したってことも考えられるかも。
同じ土俵に立つという意味の形式的な平等と、何かしらやり過ぎは良くないみたいな実質的な平等が混ざっている?
342マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/04(金) 03:47:50.72 ID:Ka5larhv0
>>341
闘争を正当化する目的にしかすぎない、という風には見えないと思うがなあ。
むしろ考え方が変化したんだと丸山は言いたいのだろう。人間の平等が国家の平等になるってのは核になる考えだから変わらんとは思う。
それを認めた上で、敢えて「禽獣世界」に身を投じていくことを説いたと。

http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_text.php?ID=93&PAGE=101&KEY=
出典はここかと。「通俗国権論」の第七章「外戦止ムヲ得ザル事」だ。
ただ原典に当たってみるとちょっと丸山は言い過ぎなのでは、と思えるとこも見えてきたな。
確かに「今の禽獣世界に処して最後に訴うべき道は必死の獣力に在るのみ」とはあるものの、
この文章で福沢は具体的な東アジア状勢に限定して語っているのではない。
むしろもっと深く立ち入って戦争それ自体の効用を論じている。万国公法に関しても批判的な記述が見える。ここ、注目されていいと思うけどな。
世界各国が何れも持っている「報国心」の発露として戦争をするべき、という主張である。
一国の人心を興起させ、全体を感動せしむるものは外戦に如くはないと書いてる。
以下のあたりとか読めば興味持つと思うぞ。
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_text.php?ID=93&PAGE=114&KEY=
ただ、こうも書いてる。
「右の如く余輩は外戦の論を主張すと雖も、外交無事の時に際して今月今日、戦を挑むと云うに非ず。今月ならず、今年ならず、
又来年ならず、或は永年外戦の機会なきを期すべからず。斯の如きは則ち憂うべきに非ず、祝すべきなり。之を要するに余輩の
主義とする所は、戦を主張して戦を好まず、戦を好まずして戦を忘れざるのみ」
戦わなければ外交の困難は意の如くになるであろうといった主張をした者が当時は結構いたらしい。
理由としたらとても西洋を敵にして勝てるわけがないから、戦争するなら百年後の方がいいと。
こう言う意見に対して、福沢は批判を加えたかったのだと末尾に書いてる。


「時事小言」もちまちま読んでる。長い。今見てる限りここでは「禽獣世界」という単語は出てきてない。
アーカイブで検索しても出てこねえなあ。ただ、「義戦」については語られてる。
他の文脈で語られてる文章を、ついうっかり「国権論」というとこで丸山がゴッチャにしてしまった可能性もあるのではないか。
343マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/04(金) 04:04:53.47 ID:Ka5larhv0
ちなみに「時事小言」では、
「前の正論(世界各国交際を知らなかった孟子が春秋に義戦なしと言ったこと)を目安にして論ずれば、
今日我輩は即ち世界古今に義戦なしと云わざるを得ず」
と言ってる。西洋の歴史に依拠しても、道徳上のいかなる条約を遵奉して、その戦争を思いとどまったものがいただろうか、
私はそのような例を見いだせない。そういうことを鑑みれば、義戦はないと言えると書いてる。
この意見はオプティミズムからは離れてように見える。

それでも尚且つ主権国家の平等を認めてるっぽいんだよな福沢は。それはなぜかと言えば直ぐに説明できないが。

http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_text.php?ID=97&PAGE=32&KEY
344名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 07:13:51.38 ID:mXezlb1L0
>>340
>>339ですが、だいたい分かったような気がします。
ただ、丸山はゲルマン臭が強すぎて、本来の福沢の主張と
ズレがあるようにも感じられます。
日本に必要とされたものは、西洋的近代化だった、とするだけでは
なぜいけないのでしょうか?
345名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 08:00:07.48 ID:IQz0xnTL0
良スレ発見
346名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 16:31:21.37 ID:LtKRsroD0
西洋近代化=ダーウィンの進化論かな?
347マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/04(金) 19:50:02.39 ID:Ka5larhv0
>>344
ゲルマン臭かー。そりゃ元になってる本がドイツ人マイネッケが書いてるからそうなるだろうなあ。
西洋的近代化だったとはいえないという説も最近は唱えられてきているようだぞ。アジア主義とかを例に挙げて。
ただそれにしても丸山とか過去の議論が踏まえられていないという感じもしないではなかったので要約してみた。
348名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 20:52:22.80 ID:0jiBwrS8O
あとら分からないのは明治に健全な国家理性が確立したのに、
なんで昭和に超国家主義になるのかだな。

明らかな退歩だろう?
349マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/04(金) 22:52:16.66 ID:Ka5larhv0
>>348
その辺りは橋川の「昭和維新試論」が詳しい。丸山の考え方を更に一歩進めていると言うか。
明治の末には凄い退廃的な世相になったという事実はあるらしいな。
350マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/04(金) 23:00:06.37 ID:Ka5larhv0
>>348
その辺りは橋川の「昭和維新試論」が詳しい。丸山の考え方を更に一歩進めている。
明治の末には凄い退廃的な世相になったという事実はあるらしいな。そこから変化が起こっていった。
351マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/04(金) 23:02:37.78 ID:Ka5larhv0
二重投稿スマソ
352マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/05(土) 02:11:47.37 ID:AcBymVEI0
今の話と関係ないが、福沢ヲタの諸君は、「痩我慢の説」に関して、以下のような本が出てた事知ってるか。
グーグルブックスでただで読める。サイトの方でググってもあまり取り上げられていないみたいなんで紹介しておく。
槙武は史料が少ないが福沢と知人の実業家らしい。信太歌之助は旧幕臣らしく、その立場から反駁した書のようだ。公表されて日が浅い時の批判であり、貴重かもしれん。高橋泥舟関連の書籍には再録されたらしい。

&#30246;我慢の説に関する槙武氏の談話(題箋)
http://books.google.co.jp/books?id=mji5IovQ1c8C
福沢諭吉先生ガ瘠我慢ノ説ヲ駁ス 信太歌之助
http://books.google.co.jp/books?id=nwd4qc3UXUIC
353マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/05(土) 02:18:17.30 ID:AcBymVEI0
354マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/05(土) 03:35:44.64 ID:AcBymVEI0
>>352
前者読了。槙の語る同志社の吉村秀太郎の逸話が面白い。この情報もあまり出回ってないっぽいな。
「痩我慢の説」が「奥羽日日新聞」へ無断で掲載された事を福沢に知らせたのがこの人物らしい。
同志社出身ではあるが新島襄よりも福沢の方が偉いとして「三田の聖人」という冊子に福沢の文章を纏めており、
当時二人を並べた論評を連載していた徳富猪一郎の事をけしからん、福沢と新島を同列に並べるとは、と気炎を吐いてたようだ。
「痩我慢の説」も冊子に入れたいと言ってきたが、変名で出した物だから先ず先生に許可をとらないとといって、槙は吉村を福沢に引き合わせる。
そんでその冊子を見た福沢は最初は苦笑するも「痩我慢の説」が世間に広がってることを知り、激怒したと語られている。
なぜ流布したのかと言えば原稿を預かっていた栗本耕雲が懇意の「奥羽日日新聞」社長友部伸吉(この人も水戸系)にそれを見せ、友部が書き写して新聞に載せたと言う経緯らしい。
ちなみに現在では評判の悪いらしい石河幹明は吉村の顔は知っていたが福沢と会っていたことまでは知らなかったようだ。
吉村秀太郎の後年の消息は不明らしい。
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_title.php?id=119
こことかは多分この槙武談話を参考にしてるんだろうな。
石河が勝手に公表しちゃった説を聞いたことあるが、ここで喋ってることを信じるなら「時事新報」で公表しようとしたちょっと前に「日本新聞」にすっぱ抜かれたらしい。
このあたり実証できそうか? デジタルアーカイブとかあれば分かるのだろうが。
355名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/05(土) 08:34:43.41 ID:Aa+n79zZ0
ショートノーティスですが、東大出版会常任顧問の竹中英俊氏による
講演会が明日4月6日に開催されます。

http://www008.upp.so-net.ne.jp/shonan/info20140406.pdf
356名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/05(土) 09:53:11.26 ID:Aa+n79zZ0
>>354
槙の談話に採録されている慶応関係者の座談のうち、
石河の発言の信憑性について調べる必要があるな。
石河は、先に『時事新報』が発表準備していたと話しているが
『日本』がすっぱ抜いたので、『時事新報』も後追いで公表したんじゃ?
それから、亡くなる1ヶ月前の福沢と、本当に会話が成立していたんだろうか。
いまさら確かめるすべはないが。
357名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/05(土) 10:12:31.22 ID:Aa+n79zZ0
>>342
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_about.html
で調べてみたかい。「禽獣世界」の用例は
『文明論之概略』以降たくさんあるね。

あと、刊行本に入っていない社説については、
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/
のサイト内検索でだいたいの傾向がつかめる。
358名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/05(土) 11:00:43.44 ID:636mETrm0
だいたいの傾向って?どこをみればいいんだよ
359名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/05(土) 12:37:34.19 ID:Aa+n79zZ0
>>358
サイトの検索窓に調べたい用語を入れて検索すれば、
いつの社説で使われているか、また使われていないかがわかる。
360マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/05(土) 14:56:53.67 ID:AcBymVEI0
>>356
福沢先生を憶う
http://www.aozora.gr.jp/cards/001207/files/46829_24777.html
木村芥舟の筆記に拠れば、1月25日までは普通に話せたみたいだぞ。この日「時事新報」に掲載された石河の「瘠我慢の説に対する評論について」という文章に関して話をしたと書いてる。
夜に倒れたらしい。木村と福沢の関係から嘘を吐くとも思われんし、当時は存命だったので、石河の手が入ってる可能性も低い。話せたのは確かっぽいんじゃないか。
http://www.amazon.co.jp/dp/4622026716/
福沢の晩年についての資料を集めたものらしい。ネットでは見れないっぽいが気になる。
>>357
調べてみた。「禽獣世界」の用法は『文明論之概略』が初みたいだな。西洋文明は「禽獣世界」だという文脈で使われてるな。
361マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/05(土) 15:24:45.92 ID:AcBymVEI0
「瘠我慢の説」自体はもう結構世間に出回ってたみたいだからなあ。

傍証もあった。
慶應義塾幼稚舎史日録
http://books.google.co.jp/books?id=iTBw1SSr0o8C

これの64頁。教員日誌から引用がされていて、1月11日に福沢邸で年始の祝詞が述べられたとある。
あと時事新報からの引用で新年に実家に帰らず寄宿舎で越年する生徒が数名いて、普段は福沢邸を訪れることを習慣としていたが、
体調の問題のためか、代わりに福沢は生徒たちへ双六を数枚と菓子を送ったと記されてるな。出典をはっきり書いてるし、出版した元が慶応なんでほぼ間違いないだろう。

その後25日の日誌からの引用では午後八時に脳充血で人事不省に陥ったとも書かれているから、木村の筆記と一致する。
362マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/05(土) 16:42:24.72 ID:AcBymVEI0
http://books.google.co.jp/books?id=eTGwZtqmQ6wC
検索したら当時の学報が見つかった。貴重情報がざくざくと。福沢の病中記事あったぞ。大体この本の真ん中あたりで、
筆者が誰か不明なんだが、二十五日に木村と会ったことはここにも記されてた。やはり時事新報掲載の「瘠我慢の説」に関して話し合ったとある。
その後広尾の別荘まで従者を連れて散歩した。気分は爽快、夕食はことのほか美味いと言ったらしい。夕刻になって寄宿舎舎監葦原雅亮と、大学部生小山完吾と会い、
ここでもまた話題は「瘠我慢の説」から勝安房論に進んで大いに喋ったということだ。余りに喋りまくるので客は口を開く余地がなかった程だと。
到底六十八の老翁しかも病後だとは信じられない勢いだったと言うことだ。ただ頻りに尿意を催して中座し厠へは向かった。就寝の時間に近くなったということで小山は帰った。
暫く経って厠から福沢が出たときに脳充血の発作が起こったと書かれている。次第に痺れていって言葉を喋れない状態になったらしい。
「霽天の霹靂」とあるから、発作が起こる寸前までは元気だったんじゃないか。つまり雑誌掲載の時点までは石河は福沢の許可を得ていた可能性は高いと思う。
訪問者の間でも「瘠我慢の説」が話題になっていたことはこの記事からも読み取れる。目撃者も多くいることから嘘とも思われんし、
石河が勝手に公表したとまで言うのはどうかなあ。
363マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/06(日) 01:47:09.14 ID:k7mef9ut0
「大阪毎日新聞」が>>362の学報には転載されていて、死ぬ直前に福沢が喋ったとされる勝批判の内容が分かる。
勝ほど卑劣な奴はいないとまで語ってる。ただこれはどこまで本当か分からんがな。当時の新聞は話を盛ったので、大袈裟に書かれてる可能性はある。
その後厠へ行き倒れたとするのは病中記事の記述と一致する。塾生某というのが小山完吾の事か。一読の価値はあろう。
直前まで批判をできる元気だったことは間違いないだろう。急に容態が悪くなることはあるからな。
このあたり殆ど知られてないよなー、福沢の死の直前の様子が結構わかるのに。全て本当のことかどうかは分からないにしてもな。

小山完吾
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B1%B1%E5%AE%8C%E5%90%BE
364名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/06(日) 09:33:50.65 ID:tSF2UIy50
>>360
脳卒中による失語症は、単語は発生できてもそれを文の形で語ることができない。
だから大部分は身振り手振りでメッセージを伝えたのだろう。
その様子は『福沢諭吉伝』第4巻でも描かれている。
発作後、福沢が「書いた」文章は、ほとんどない。
演説したという記録もない。
通常の会話はできなかったのではないか、という感じだ。

哀悼録は弔辞を集めたもの。
みすずがリプリントで出していた。

>>361
これは幼稚舎の生徒が福沢に向かって祝詞を述べたんだね。

>>362
これが哀悼録。
病中記事は無署名で、この初出が時事新報だとするなら
石河が書いた可能性もあるんでは。
すでに『やせ我慢』は掲載されているので、多くの人が話題にするのは
当然でしょう。1901年1月1日から3日までが掲載日。

>>363
ライバル紙掲載の伝聞記事ですからねえ。
365名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/06(日) 10:02:19.38 ID:tSF2UIy50
>>362
読み直してマグナ氏の誤解に気づいた。

1901年1月25日の発作は2回目で、
1898年9月26日が1回目の大発作。

このときすでに危篤になっている。
366名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/06(日) 12:00:45.05 ID:WsOthMNN0
ん?よく分からなくなってきた
誰か年表でもつくって欲しい
367マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/06(日) 13:54:20.83 ID:k7mef9ut0
>>364
なるほど、哀悼録はこれのリプリントか。

病中記事には診察した松山棟庵の日誌も引用されてるが、そこでも朝方には「快談」できる状態で、晩餐後に発作を起こしたと書かれてるぞ。石河が書いたとして、これまで流石に偽造せんだろー。
日誌が現存してるかは謎だが。発作の時間が午後八時というのも他の記録と同じだ。
仮にこれらが全部が怪しいとしても、>>360の木村証言がある。ここでは福沢は木村と石河の書いた文章について話をしたと書かれている。
木村はこの年の暮れに亡くなるが、「瘠我慢の説」が出版された時に自分の文章が併収された事は認識しているはず。
だから木村の文章に石河は手を加えられないと思う。福沢との結びつきの強さから見ても、木村が嘘を言うとは思えんし。

祝詞を聞けるぐらいには回復していた、ともいうことができる。

大阪毎日新聞はライバル誌だったのか。それは知らんかったな。かなり誇張が含まれてる可能性は高そうだ。

>>365
1898年の大発作に関しては皆知ってる思って敢えて書かなかった。病中記事にも九月の際には「昏睡不醒殆ど一週間、病態頗る危篤なりし」と書かれている。
だがその後に、「次第に快復して、殆ど従前に異なる所なく」人をして、大患後の先生かと訝しがらせた程だ、とある。
脳充血=今の脳出血で回復すると言う例は珍しいな。
しかし、吉田蓑助のような例がない訳ではない。医学のことは詳しくないが、文章を書くことは出来なくなってもある程度喋ることが出来るという事もあるのじゃないか。
それに厠から出た後に再発と言うのもリアルなんだよな。しゃがむから血圧の変動がおこりやすい。

>>366
1898年9月26日 一回目の発作。
その後、喋れるまでには回復した、と「病中記事」は書く。
1901年1月25日
午前中に木村芥舟と談話、この日に「時事新報」に掲載された石河の文章について語る。
その後広尾まで散歩する。戻ってきて、葦原、小山等と面会。
勝の事について喋る。厠に行き、出た後に再発し、人事不省に陥る。
1901年2月3日
死去。
368マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/06(日) 14:03:52.93 ID:k7mef9ut0
>>367
>午前中に木村芥舟と談話
ミス。木村本人に拠れば午後一時頃になってる。
369366:2014/04/06(日) 14:59:39.48 ID:WsOthMNN0
>>367
thanks!
370マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/06(日) 21:18:10.68 ID:k7mef9ut0
http://www.keio.ac.jp/ja/contents/mamehyakka/61.html
これなんかも福沢が1900年大晦日〜1901年の元旦頃にはまだ元気だったことを示す証拠の一つではあるな。
実際書いて見せたという話も伝わってるらしい。筆跡も多少脳卒中の影響はあったのかも知れないが福沢のものだと思われる。
物的証拠ではあるだろう。
371名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/06(日) 21:19:00.74 ID:EFp1M++x0
>>367
脳卒中の発作で、いったん失語症になってその後前と同じまで回復した例は
聞いたことがないな。長嶋茂雄くらいの回復振りだったんでは?
372マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/06(日) 22:18:37.23 ID:k7mef9ut0
>>371
内科医の土屋雅春は一回目の発作を脳溢血ではなく、脳梗塞だったとみてるようだ。二回目は脳溢血か。
「医者のみた福澤諭吉」を「脳梗塞」で検索。誰か本持ってる人がいれば見て貰えると有り難いのだが……。
http://books.google.co.jp/books?id=5LS_AAAAIAAJ
373名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/06(日) 22:43:17.18 ID:tqkothwm0
Twitter / Nobukuni_Koyasu: 私がなぜ台北に飛んで行ったのか、その理由はすでに明らかだろう ...
https://twitter.com/nobukuni_koyasu/status/452716701960773632

さすが『文明論之概略』を精読した子安先生だ
厳しい政権批判もできる大学者ってすばらしい
374マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/06(日) 23:08:45.60 ID:k7mef9ut0
http://books.google.co.jp/books?id=BsZFAAAAIAAJ
病床日誌に関してはやっぱり実在してるようだ。ここで検索するとでる。現存してるのかは謎だが、土屋は見たらしいから少なくとも震災戦災はくぐり抜けてきてるようだな。
>>373
子安は文学板でも時々名前を聞くな。このスレではあんまり語られてないっぽいが。
375「ガスライティング 集団ストーカー カルト」で検索を!:2014/04/06(日) 23:56:20.57 ID:yh+Dtk690
★マインドコントロールの手法★

・沢山の人が偏った意見を一貫して支持する
 偏った意見でも、集団の中でその意見が信じられていれば、自分の考え方は間違っているのか、等と思わせる手法

・不利な質問をさせなくしたり、不利な質問には答えない、スルーする
 誰にも質問や反論をさせないことにより、誰もが皆、疑いなど無いんだと信じ込ませる手法


↑マスコミや、カルトのネット工作員がやっていること

TVなどが、偏った思想や考え方に染まっているフリや常識が通じないフリをする人間をよく出演させるのは、
カルトよりキチガイに見える人たちを作ることで批判の矛先をカルトから逸らすことが目的。

リアルでもネットでも、偽装左翼は自分たちの主張に正当性がないことを自覚しているのでまともに議論をしようとしないのが特徴。
376名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/07(月) 06:54:49.97 ID:34LKg9W0O
子安の文明論精読はひどいもんだよ
377名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/07(月) 07:46:33.95 ID:W9T1OBZB0
>>373
>>375がいっているのはお前のことだろう
378マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/07(月) 13:57:50.58 ID:oAXANyT40
>>376
そんなにあれなのか。レビューよろ。


ところで話は変わるが、「昭和維新試論」で中岡慎太郎が「西洋事情」を読んでたってという話がでてたがマジ?
それでワシントンも一種の「攘夷」を行った英雄として理解したと。
マリウス・B・ジャンセンの本に書かれていたということだが、こちらは未見だ。
それに関して気になることはある。前別件で調べていて見付けたんだが、元陸援隊士で土佐出身の豊永貫一郎(高義)が明治五年に出した建白書がある。
ここではまさに「女学」を西洋文明で行われていることだと豊永は理解し、日本でも行う事を建白している。
http://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?KEYWORD=&LANG=default&BID=F0000000000000050474&ID=M0000000000000056040

「府下一小区毎に小学一校を建立し、四民の区別なく男女七歳に及ぶ者は必ずこの校に通学し、
 和漢西洋各国の建(原文では木偏に建)経の学を講習せしめ」

当時二十代の渡米経験も恐らくはない若者が、こう言う建言をする場合、どこかに元ネタがあると考えられる。
最初に読んだときはぴんとこなかったが、これはまさに「西洋事情」の影響ではないか。とすると陸援隊長の中岡慎太郎の影響により豊永が「西洋事情」を読んでた可能性が強くなる。
陸援隊内で回覧されてた可能性もあるな。
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/the-impact-of-the-things-western-and-japanese/
379名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/07(月) 14:35:34.10 ID:/N/7h9zS0
>>378
龍馬が読んでいたなら中岡だっておなじだろう。
あと、明治5年ともなれば西洋事情だけではないのではないかと。
380マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/07(月) 17:11:58.64 ID:oAXANyT40
そりゃそうなんだが当時の若者がどんな本を読んでどんな風に考えていたかって意外と分からんもんだぞ。本当に読んでたのか細かい実証もいるし。
何でもフランス革命の時に貸本屋でよく借りられていた本は啓蒙書ではなくエロ本だったらしい。
そのエロ本の中に革命を煽り立てるような考えを入れていって、それが世に広まっていったと言う研究があるらしい。

明治5年頃にはどんな西洋本が読まれていたんだっけ。
豊永の建白書と福沢の「西洋事情」を並べて見よう。

人生れて六、七歳、男女皆学校に入る。或は校に止宿する者あり、或は家に眠食して毎日校に行く者あり。
初て入る学校を小学校と云う。先ず文字を学び、漸くして自国の歴史、地理、算術、天文、
窮理学の初歩、詩、画、音楽等を学ぶ。斯の如くすること七、八年、諸学漸く熟し、又大学校に入る。
381名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/08(火) 08:00:13.19 ID:W9Gbnll10
>>380
どれが建白書で、どれが西洋事情なんですか?
382名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/08(火) 09:06:34.90 ID:is0FGlIV0
>>373
それは日本が幸いにも権力批判ができる国だからじゃないかな
北朝鮮でもやってみろよ、といいたい
383マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/08(火) 13:58:25.47 ID:KYK+dW870
>>380
>>378が建白書。元の文はカタカナで読点はないので読みやすくした。>>380が西洋事情。
384名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/08(火) 14:24:35.15 ID:W9Gbnll10
>>383
私むけ?
なるほど、そっくりですね。
385名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/08(火) 14:38:11.05 ID:uNf1R39D0
386マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/08(火) 14:39:32.16 ID:KYK+dW870
>>384
うむ。安価ミスだった。
この本を豊永は読んでいてそれを思い出して書いたんじゃないかなーと。
387名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/08(火) 15:57:55.11 ID:W9Gbnll10
>>386
西洋事情は15万冊も売れたそうですから、手元にあったのかもしれませんね。
388マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/08(火) 16:34:38.95 ID:KYK+dW870
>>387
可能性は高いな。同時代の日記で探してみると慶應三年五月二十四日当時太宰府にいた五卿東久世通禧は、
「西航日記」で「西洋事情、これを読むに珍しきことあり」と記してる。出版後半年近くで西国にいた公家にも読まれてたわけだ。
15万と言えばまあ半端ねえからなあ。
389マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/08(火) 16:49:18.00 ID:KYK+dW870
それに東久世っていったら「五箇条の御誓文」制定に関与した。
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/the-impact-of-the-things-western-and-japanese/
>翌明治元年(一八六八)一月、参与に就任していた由利公正が、「議事之体大意」五箇条を起案し、同じく参与の東久世通禧を通じて議定兼副総裁・岩倉具視に提出した。
見えてくるもんはあるだろ。
390名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/08(火) 16:54:40.82 ID:peF1mwHL0
>>386-389
面白い見方だ。
福沢研究者でここまで突っ込んで考えた人はいなかったのだろうか。
証明できれば高校の教科書が書き換わりそう。
391名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/08(火) 16:57:06.28 ID:W9Gbnll10
マグナさんはいろいろお詳しい。沈滞していたこのスレの救世主です。
ところで新発見の龍馬の手紙については、どうお考えですか。

【歴史】 龍馬直筆の手紙の草稿見つかる
http://ai.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1396873888/
392名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/08(火) 17:01:05.91 ID:W9Gbnll10
>>390
発想のヒントは平山さんの
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/the-impact-of-the-things-western-and-japanese/
のようです。
豊永や東久世もそうだった、とさらに話が大きくなってます。
393名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/08(火) 17:15:38.87 ID:wJcaaB86O
>>378
なんでもかでも福沢の差別意識のなせるわざ、だとさ
子安精読
394マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/08(火) 18:18:51.75 ID:KYK+dW870
>>391
やっぱり「龍馬の手紙」だとこれだけ大きく報道されるもんだよなあ、と思う。
ブランド力というか。新発見よりも細かいところで事実をあきらかにしていくことが重要なんだよな。簡単にはいかないことだが。
>>390>>392
東久世と福沢の関わりはちょっと面白い。
明治2年5月に養子の道暉を福澤の元へ入塾させてる。すぐ辞めたようだが。
http://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?KEYWORD=&LANG=default&BID=F0000000000000001433&ID=M0000000000000074666
それから明治27年の日清戦争の際に、福澤等は「報国会」という団体を作り、軍資金を募った。発起人に東久世の名前もある。
http://www.shibusawa.or.jp/SH/kobunchrono/ch1894.html
>栄一、三井八郎右衛門・岩崎久弥・福沢諭吉・東久世通禧
渋沢栄一の年表からなんだが、実業家の中に何故お公家様が、といった感じなんだよな。
これも西洋事情を読んだことから福沢との縁ができたと見た方がよくないか。
ちなみにこの団体を解散させたのが伊藤博文で、福沢は伊藤嫌いだったらしいが、このあたりと関係あるのか。
395マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/08(火) 18:24:59.63 ID:KYK+dW870
>>378>>394
とか直リンではつながらんか。
↓のサイトで、
http://www.digital.archives.go.jp/
前者を豊永高義、後者を福沢、東久世で検索するとすぐに出る。
396マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/08(火) 19:16:56.84 ID:KYK+dW870
>>393
差別かー、その辺り拘る人多いな。
だが差別は絶対にダメと言う意識が生まれたのは実は新しいからな。
397名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/08(火) 19:24:14.42 ID:wJcaaB86O
新政府綱領八策の送り状じゃないのか、新発見の龍馬の手紙
398名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/08(火) 19:44:40.05 ID:peF1mwHL0
坂本龍馬が発掘した人材が実現した金融財政政策 - シェイブテイル日記
http://d.hatena.ne.jp/shavetail1/20140408
>三岡八郎は、福井藩の財政再建で手腕を振るった人物で、後に由利公正と名を改め、五箇条の御誓文の起草者としても知られ、明治新政府では初期のころに金融や財政に携わりました。
むむむ?>>389がさらにここまでつながるか?
399名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/08(火) 19:57:19.03 ID:wJcaaB86O
西洋事情の影響力はまさに圧倒的だな
400マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/08(火) 21:15:11.38 ID:KYK+dW870
由利公正ってあんまり知らんなあ。このあたりはもうちょっと調べんと。
地味なところだが重要人物ではあろう。
401名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/09(水) 01:28:25.21 ID:aT+lTKhzO
福沢の友達だよ由利
自伝にも出てくる
402マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/09(水) 01:33:16.91 ID:dk0fiY8T0
ここだな。

即ち明治元年であるが、その事に就て当時会計を司って居た由利公正さんに遇て後に聞た所が、
ドウもあの時金を払うには誠に困た、明治政府には金がない。如何やら斯うやらヤット何十万弗拵えて払たと云う話を私が聞て、
ソレは大間違いだ、マダ幾らか金が余て彼方に預けてある筈だと云うたら、爾うかと云って、由利は大造驚いて居ました。
403マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/09(水) 01:35:45.49 ID:dk0fiY8T0
そういえば福沢が2.26事件の将校に嫌われてたとかいっていた人がいたんだが、と言うかこのスレにもいると思うが、
あのネタはどれを出典にしてるんだろうか。明確なものがあるのか確かめてみたく思ってな。
404名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/09(水) 07:48:42.17 ID:tpCZieWT0
すごい!
マグナさんはまさにこのスレの救世主だ。
ずっといてください!
405名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/09(水) 18:49:41.26 ID:jINiytSf0
>>403
『福沢諭吉の真実』のなかに、
東大助教授だった平泉澄が書いた陸軍士官学校の教科書『本邦史教程』で、
『学問のすすめ』が攻撃されていたことによって、
陸軍将校の福沢嫌いが決定的となった、
みたいなことが書かれていたよ。
406マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/09(水) 19:21:02.67 ID:dk0fiY8T0
>>405
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/comment_on_sugita_satoshi_2010/07/
>東大国史学科の助教授だった平泉澄は福沢伝の記述に明確な疑念を抱いており、自ら執筆した陸軍士官学校の教科書『本邦史教程』(昭和12年刊)で福沢批判を展開した
ここか。昭和12年っていったら1937年だから、2.26事件の将校たちがそうだったとはいえないんじゃないのかな。影響を与えれたとしたら、これ以降敗戦までの8年間となる。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/985676
将校たちが子供だった頃の大正6年に出版された『本邦史教程』をざっと見たが近代史のとこには福沢批判的な文言は見えない。


北一輝が「痩我慢」批判と取れなくもない言葉を書いてることはググって知った。ただこれは支那事情についての文章で、福沢の痩我慢を孫文に強いるなといってるだけだしなあ。また北の思想=将校達の思想でもない。
https://web.archive.org/web/20130507101849/http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/kindaishico/2.26zikenco/ideoroguco/shinakakumeigaishi.html
>しからば独り日英干渉の殺到せる支那に於て福澤の『痩我慢誅』を孫逸仙に強いんとするは何ぞ。
>不肖は一般日本人と共に維新革命に於ける両雄の大局行動に誇を有するものなり。
>故に抑制すペからざる痩我慢を殺して一切を袁に讓りし革命党諸氏の統一的愛国的覚醒を同樣なる大局的行動なりとして敬重せざるを得ず。
407名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/09(水) 19:51:26.50 ID:jINiytSf0
>>406
蓑田胸喜は慶応の先生で、原理日本社の綱領で福沢を誉めていたくらいだから、
右翼の全部が反福沢ってわけでもないだろう?

『坂の上の雲』の秋山兄弟のうち、兄(名前なんだっけ?役者はあべ寛)は
『学問のすすめ』を読んで感激し、立身出世の手段として
陸軍を選んでいた。彼は中将になった。

とはいえ陸軍将校の出身階層は中以下が多いだろうから、
慶応ぎらい、というのなら一般的にいえると思う。
408マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/09(水) 20:19:08.38 ID:dk0fiY8T0
>>407
福沢は何といってもやはり愛国精神はあるから、その辺りを知ってる層からは人気あったのではないか。
秋山好古が福沢好きだったのはググると結構出てるなー。これは本人の発言とか出典はあるんだろうか。

将校には地方出身者も多かったとは前テレビでやってたな。末松太平の「私の昭和史」とか読みたいとこだ。

当時の福沢嫌いは「楠公権助論」を誤解してるところから起こってる感じはあるな。平泉の文は読んでないが、これも楠公に関する解釈についての批判とある。
と言っても福沢は「学問のすすめ」内では楠公については言及してない。例に出してるのは赤穂義士の方。世間から楠公の事について言及していると誤解された過程はちょっと興味深い。
「痩我慢の説」がこれと矛盾すると主張するのも結構決まり切った意見になってる。
前貼った信太なんかも「湯屋の三助」と楠公を同列にみなしたと言う風に頭から決めつけてるし。
当時の楠公人気も調べないとこのあたりは分かりにくいなー。
409名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/09(水) 20:42:30.32 ID:jINiytSf0
>>408
楠公権助論とはいえ、名前は挙がっていないのだから、楠木正成のことではない、
という弁護が儒者の大槻磐渓からあっ、ということが、平山著『福澤諭吉』280、281ページに書いてある。
磐渓は奥羽越列藩同盟の思想的指導者だったそうで、意味深長ではあるな。
410マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/09(水) 21:05:03.41 ID:dk0fiY8T0
>>409
盤渓は福沢の知人だったな。手紙のやりとりもある。
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/chi06/chi06_03890_0230_0012/index.html
それは面白いとこだなあ。早い時点でそういう指摘があったのか。
一つには当時は「忠臣」という言葉が即楠木正成を指していると考える人は多かったのではないかな。代名詞みたいなもので。
そういえば盤渓の弟子の玉虫左太夫も渡米時の記録を残してるな。
411マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/09(水) 21:43:50.16 ID:dk0fiY8T0
>>410
例として「才女」と言う言葉は今では特定の誰かを指すという事は無いが、ある時代においては決まって曾野綾子と有吉佐和子の事だったらしい。

ところで、地域蘭学者門人帳人名データベースって諸君使ってるか?
http://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/login.pl?p=param/rung/db_param
こんな面白いものを使わんのは損だぞ。慶應義塾門人の外、佐久間象山、伊東玄朴、適塾、坪井信道等の門人帳まで網羅されてる。
>>394で書いた東久世道暉も「東久世大夫」の名前で確認出来るが、入塾が明治2年3月13日ってなってる。
後東久世家来も2名同月中に入塾してるな。
412名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/09(水) 22:17:50.24 ID:jINiytSf0
>>411
たしかにすごいデータベースですね。
でも試みに「大村益次郎」で検索したら出なかった。
「村田蔵六」でも出ない。
そこで師匠「緒方洪庵」で検索すると639件出て、
どうも「村田良庵」で調べないとダメのようだ。
最初の呼び名を知らないと検出されないみたい。
413マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/09(水) 23:16:13.42 ID:dk0fiY8T0
>>412
昔の人は何度も名前変えるからなあ。「村田良庵」で検索しようとする人なんか稀だ。
多分、元になった本の表記のまま入力されてるのだろうが、有名人物であったら、互換もやってくれればありがたいのだが。
【別称ほか】で書かれてることも多いが、検索には反映されてない。
坂本「龍馬」ではでない「竜馬」でないいとでないとか。吉田「松陰」でも「寅次郎」でもだめで「大次郎」じゃないと駄目とか。
多少調べるのにコツはいるデーターベースだな。反面コツが分かれば面白い。
例えば「八重の桜」にも出てたという古川春英なんかは「会津藩教育史」では藩医山内春瓏に学んだ後すぐ脱藩して適塾に辿り付いたみたいな感じで説明されてるが、
これによると坪井信道に学び、広瀬元恭に学んだ後、「春龍」と変名して緒方洪庵に学んでる。ちなみに広瀬も緒方も坪井の弟子だった事もあるということだから、同じ系統の間を行き来してることが分かるな。
414マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/10(木) 15:32:40.45 ID:kPtnzlya0
青空文庫で検索してると記述を見付けた。相馬って聞いたことあるなあと思ったら、「中村屋のボース」を匿った人だった。
という事は頭山満とか犬養毅とかと交流があった人なんだよな。その人が福沢の影響を受けたと明言してるのは面白い。

私の小売商道 相馬愛蔵
http://www.aozora.gr.jp/cards/001147/files/43527_17334.html
明治のはじめ、福沢諭吉翁が唱えていた「独立自尊」という言葉ですが、私はだいたいあの気持で商売をやって行きたいと思ったのです。
政治家が政治をするのも国家社会のためであるだろうが、商人が商売をするのも国家社会のためでなければならぬ、同じく国家社会のために、政治家となり、商人となっているのだとすれば、政治家が身分がたかく、商人は卑しい者だなどということはないはずである。
ところが我が国では、昔から、うまく胡麻化して儲けることが商売であるくらいに思っていて、商売には人格とか道徳だとか全く無用のものと考えている者が少なくなかった。
その結果は、他人も商人を卑しい者だと思うし、商人もまた自ら卑しい者だと思うようになってしまった。だがそれではいけない、立派な商品をつくり、正しい商売をやって行けば、商人は決して卑しい者ではない。
人に卑しめられ、自ら卑しめる必要は全くないのである。私はそういう信念を持っております。
415マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/10(木) 18:24:43.81 ID:kPtnzlya0
所謂「アジア主義者」の中には福沢に影響を受けたものもいたのではないかな?

以前貼ってる人もいた「東亜先覚志士記伝」見たが、現在の世間一般で流通してる福沢観と180度違って驚くぞ。
「支那朝鮮を誘導してこれと事を共にし、もって東洋に迫って来る欧米の勢力に当たらなければならぬというのは大体多くの先覚者が抱いた共通の意見であったが、
彼はもし支那朝鮮が我国の誘導に応ぜざる場合は実力をもって強制しなければならぬという意見によって軍備の充実を唱えたのであった」(引用は現代仮名化し、当て字を平仮名に直した)

後、現代ではアジア主義って支那朝鮮ばかりが強調されるけれども、インドの両ボースとかとの関わり、フィリピンのアギナルドやホセ・リサールを日本人が支援したというとこも重要なのではないかと思われる。
偏にアジア主義は愚かな思想だというのもどうかと思うがなあ。

東亜先覚志士記伝 下巻
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1207591/748
416マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/10(木) 19:26:26.93 ID:kPtnzlya0
https://www.youtube.com/watch?v=ilKZhm-ca7Y
この動画とあんまり関係ないんだが、文明開化って欧米人が訳すと”Westernization”ってなるんだねえ、と。
ニュアンスを拾い切れているだろうか。
417マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/11(金) 03:20:39.86 ID:kBa6qee70
んで、諸君。福沢の生涯でなんか疑問に思ってるところとか不透明なところはないのかね。
可能な限りで調べてみようと思うんだが意見を求む。
418名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/11(金) 06:17:40.00 ID:Yxki7G+d0
>>417
それならやっぱり自伝の空白期間に福沢が何をしていたのか、つきとめることでしょう。
慶應元年(1865)と二年(1866)の記録が残っていないらしい。

平山洋『福澤諭吉』では佐幕活動家、安藤優一郎『勝海舟と福沢諭吉』では、
さらに進んで小栗派だったと書いてある。

自伝で空白になっているため、松沢弘陽による注釈もない。

>>390もいうように、従来までの定説がひっくりかえるかも。
419名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/11(金) 08:36:39.34 ID:QUKIvBVY0
政治に無関心だったから幕臣をやめたのではなく、
小栗が下野したので一緒にやめたのかもな。
本当は徹底抗戦派だったとか。
自伝の記述はウソ八百ということに。
勝らを批判した「やせ我慢」とは整合するね。
420マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/11(金) 15:28:37.45 ID:kBa6qee70
>>418
慶応元年、慶応二年ごろというとそれこそ大童信太夫とか、仙台藩士と福沢は頻繁に交流してるみたいだな。佐幕活動をしててもおかしくはない。
安藤本で小栗よりだったとする根拠はどこなんだろ。
石河幹明が「福沢から聞いた話を纏めた」とする「瘠我慢の説に対する評論について」からか?

瘠我慢の説に対する評論について
http://www.aozora.gr.jp/cards/001206/files/46828_24775.html
421マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/11(金) 15:47:12.37 ID:kBa6qee70
http://kotobank.jp/word/%E9%9A%88%E5%B7%9D%E5%AE%97%E6%82%A6
ほお、隈川宗悦って浅田宗伯の弟子なのか。早い時期から隈川宛の手紙があるからパイプはできてたはずで、
浅田の動向が隈川経由で福沢の耳に入ってきてもおかしくはないな。
422マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/11(金) 16:03:35.58 ID:kBa6qee70
ところで福沢「宛」の手紙集成ってまだ出版されてないんだっけ。関係文書的な感じで。
膨大な量にのぼるだろうから整理が大変なんだろうが目録とか知ってたら教えて欲しい。
423名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/11(金) 17:01:56.08 ID:Yxki7G+d0
>>420
安藤さんの「海舟と諭吉」の134ページには、海舟の回想が引用されています。
その後に、「小栗の考えとは、先に見た諭吉の長州征伐論と本質的にはまったく同じ」
とあって、福沢が小栗よりだったという根拠は、海舟の証言によるようです。
424マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/11(金) 20:16:47.98 ID:kBa6qee70
425名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/11(金) 20:52:09.24 ID:EWMsTVuz0
>>424
慶喜、小栗、勝、板倉、それに福沢と木村が知っていた全員かな
426マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/11(金) 21:07:33.33 ID:kBa6qee70
>>423
>>424上が海舟全集第10巻の「古今人物談」だ。このあたりか。
「小栗は長州征伐を奇貨として、まず長州を斃し、薩州を斃して、
幕府の下に郡県制度を立てようと目論んで、仏蘭西公使、レオン、ロセスの紹介で、
仏国から銀六百万両と、年賦で軍艦数艘を借り受ける約束をしたが、これを知っていた者は、
慶喜殿外閣老を始め四五人に過ぎなかった」
>>420
での石河が参照した福沢証言が正しいとすれば、小栗の動向に関する情報を福沢は得ていたことになるから可能性は高いな。
427名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/11(金) 21:15:31.80 ID:EWMsTVuz0
>>421
小栗と福沢は基本的に同じ江戸城で勤務していたのだから、交流があったのは当然では?
外国方の上司と部下だったわけで。
428マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/11(金) 21:27:41.55 ID:kBa6qee70
>>425
何か史料とかが残ってないものかねえ、それに関連して。
429名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/11(金) 21:46:16.07 ID:EWMsTVuz0
>>428
長州再征建白がのこった経緯がわかればね。
430マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/11(金) 22:04:50.66 ID:kBa6qee70
>>427
ちょっと調べてみた。「維新史料綱要」によれば
福沢が外国奉行の元で働く事になったのは元治元年10月6日からとなってる。
小栗はこの時点では外国奉行から外れており、勘定奉行を勤めていた。後に軍艦奉行も兼ねる。だから最初は上司ではなかったはず。
勘定奉行に外国奉行も兼帯となるのは慶応2年2月12日からだ。福沢と関わりができるのはそれ以降になるのか?
ちょうどこの頃の経歴は空白が多いんだよな。
>>420何か見ると慶応元年の横須賀製鉄所の設立の頃まで遡って言及してるな。
431マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/11(金) 22:31:56.28 ID:kBa6qee70
勘定吟味役の小野友五郎あたりからかね、接点があるとしたら。
432マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/12(土) 00:33:01.46 ID:ho6F2Cv40
>>429
これググってもよくわからねえな。実際に建白されたのか? それだと「維新史料綱要」に収録されててもおかしくない気がするのだが……。
見た人の記録は残ってるらしいが↓
http://kbaba.asablo.jp/blog/2005/06/01/15299

ちなみに小栗の処刑命令を出したのは柳図子党の一人にして東山道総督府参謀宇田栗園な。
433マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/12(土) 01:07:56.17 ID:ho6F2Cv40
海舟全集第9巻
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1177471/70
ここが面白い。勝の日記で慶応四年二月朔日付における「伏見敗散」以前の慶應三年暮れ頃の回想なんだが、
「時の権威あるは司農にして小栗上野介、小野友五郎、此党数人」で始まる文章。
この連中+栗本鋤雲が権力を握り、「長州薩州は、後幕府に害あり、必ずこれを滅せずんば害あらん、
我フランスに頼らば軍艦武器及び金幣といえども、送り来して差し支ゆべからず」
とフランスに唆されて、薩長を征伐しようとした。それをイギリス人が西国に知らせ、また幕府側も金を荒く使ったので今回のような事態になった的な内容で当時の物だけあって>>424のものより相当切迫感がある。
「此党数人」の中に福沢がいたのではないか、説な訳だな。
勝の主観が大分入ってる書き方ではあるが、小野、栗本は共に福沢と知遇があったわけで、勝との確執の一要因としては説明できそうだ。


この本で知ったんだが、分かりやすく訳してくれてる。49〜51頁。
http://books.google.co.jp/books?id=ADHHlCquDFwC
434名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/12(土) 08:37:57.55 ID:b25c+lWR0
>>430
平山洋著『福澤諭吉』の人名索引を使って調べてみた。

小栗忠順と福沢は、1860年4月には確実に知り合いになっている。というのは、咸臨丸
でサンフランシスコに到着した一行は、3月29日に到着した小栗を含むポーハタン号組
と4月5日まで同宿していたから。(119ページ)

福沢の外国方出仕は、万延元年(1860)11月下旬、身分は中津藩士のままの出向。
推薦者は木村喜毅、外国方に受け入れたのは、世界一週後9月28日に帰国し、
同年11月8日に外国奉行に就任したばかりの小栗らしい。(134ページ)

文久2年(1862)の欧州旅行中に、日本学者ロニからロシア軍対馬占拠事件(1861年)
について聞かれているが、対馬まで出向いて交渉のは外国奉行の小栗である。
(147ページ)

第二回米行の団長になった小野友五郎は、元治元年(1864)六月に勘定奉行の小栗
配下となっている。(214ページ)

まとめるなら、万延元年11月以来、外遊中を除いて、福沢と小栗はごく近くにいたことに
なるね。
435名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/12(土) 08:46:33.37 ID:b25c+lWR0
ところで、ウィキペディアなんかも参考にしているんだが、小栗の項目にある剣術の師
島田虎之助は中津藩士で、勝の師匠でもあるんだな。しかもこの島田は福沢百助の
友人でもあった。人間の縁とは妙なもの。
436マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/12(土) 13:50:23.63 ID:ho6F2Cv40
>>434
どうも。
なるほど、中津藩士として出仕したときには外国奉行だったのか。福沢については「維新史料綱要」には記録少ないからなあ。
ただ福沢が小栗について書いてるものって数少ないんだよな。手紙とかの往来も聞いたことない。
生来饒舌な人なのに敢えて話さなかったのはどうしてなんだろうな。
437名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/12(土) 14:18:34.01 ID:b25c+lWR0
>>436
城中で顔を合わせていたのなら、手紙を出す必要はないですね。
維新後は、小栗との関係は秘匿される必要があったのかも。
なにしろ長州取りつぶし論者だったわけで。
438マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/12(土) 14:55:15.16 ID:ho6F2Cv40
>>435
島田見山かー。
福沢父と友人だというのはちょっと初耳だ。
中津藩出身で水口に仕えた中村栗園とは仲がよかったらしく、中村の文の中では時々名前が出てくるな。
中村と百助も友人。福沢宛に文を送ってる。横の繋がりがあるわけすなあ。
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_text.php?ID=89&PAGE=87
やっぱり知人に書ける人がいた剣客は史料が残りやすい。
「島田虎之助」で「類聚伝記大日本史」に伝記があるが、これは注意。流泉小史の本から史料として引用があるが、流泉は小説家なので偽文書を作中で幾つも盛り込んでくる。
それがそのまま昔の伝記では使われてたりする。

「近古史伝名家奇文」では奇しくも宇田栗園と中村の名前が取り違えられてしまってる。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/777617/89
439マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/12(土) 15:03:37.59 ID:ho6F2Cv40
>>437
それはあるな。余りに親しいと手紙はかえって書かない。今のメールとは感覚が違うからな。
その後小栗は官軍に斬られてしまったと言う面も大きいのかも知れん。これは運が悪かったとこが大きいと思うけどな。
後代になって、小栗の身内の蜷川新は憎くて新政府側をめちゃくちゃ書きまくったわけだ。

福沢も晩年に至ってやっと語ったとすれば、石河の文章も多少は信頼できる。
440名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/12(土) 19:21:08.88 ID:2r0AOYc30
>>435>>438
平山さんの『諭吉の流儀』に関係する記述が見つかった。

「この中村栗園と福沢百助の共通の知人に、島田虎之助という人物がいました。
中里介山の小説『大菩薩峠』の中では、架空の主人公机龍之助と対決したことになっている剣客ですが、
この島田虎之助は実は中津藩士で、一般には勝海舟や小栗上野介にとって、
若き日の剣術の師匠として名が知られています。
 諭吉が生まれた天保五年には上方で修業していた虎之助は、途中中津藩蔵屋敷に立ち寄り、
そこで百助の世話を受けたと言います。中村栗園はその時既に水口藩の儒者となっていて、
虎之助は次に幼馴染の栗園のところへ向かい、そこで剣術師範を務めました。
江戸に赴いたのは天保九年のことで、浅草に開いた道場で、勝や小栗など、
幕末の有名幕臣を指導したのでした。」(163頁)

へー、だな。
441マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/12(土) 20:04:28.68 ID:ho6F2Cv40
>>440
へー、小栗も島田門下か。
門人帳とか目録とかのこってんの?
結構門人とか師弟関係の文書ってないもんだからなあ。

関係ないが平山の文章読んでて、生田目経徳はちょっと気になった。
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h86/
調べたのが前世紀なら除籍謄本取得する手立てもあったんだがなあ。今は子孫が見つからないと無理だ。
この文章以後分かった事とか誰か知ってる?
高橋箒庵とも繋がりあんのな。「萬象録」は香川敬三の訃報が記されてたので参照したことがある。
442名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/12(土) 21:57:06.45 ID:2r0AOYc30
>>441
ここの過去スレで、何人もの住人が懸命の探索をしたと記憶します。いつだったかな。
443マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/12(土) 22:37:28.28 ID:ho6F2Cv40
http://read2ch.net/history2/1253956268/
このあたりか。
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1323680099/
ここでもちょろっと名前は出てるな。レファランスした人がいる。
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000101687

ちょっと生田目の出自に関わりそうな資料を見付けたので買ってみた。到着次第引用してみよう。もちろん、「久慈人」の奴とは別だ。
444名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 06:18:05.90 ID:RoTCrIXH0
昨晩NHKで放送した龍馬の手紙、原文と現代語訳。
http://www.nhk.or.jp/athome/onair/20140412c01.html#letter
445マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/13(日) 13:37:39.69 ID:BojdogO60
読んだ。報道されてる、新政府ができた暁には由利公正を幹部に、とまでには読めないけどなあ。
金銀のことならばこの三八が詳しいよといってるだけではないか。実際由利はそういう方面には昔から長けていたわけだし。
446名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 16:15:20.74 ID:RoTCrIXH0
>>445
事実として由利は明治維新政府の財政担当にはなったわけでしょう? 福翁自伝にも出てくる。
447マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/13(日) 17:33:20.53 ID:BojdogO60
まあ人物を見る力はあったのは確かだろうなあ。
事実龍馬死後一月後の12月23日には由利は名古屋藩の林左門と共に参与に命じられ、
学習院に設けられた金穀出納所に出勤を命じられてる。
448名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 21:15:07.57 ID:0/fDt4WW0
>>441
生田目経徳は戦後秋田にいたとあるね。なぜなんだろう?
449名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 22:23:17.36 ID:QJlKesIJ0
福沢諭吉は辞世の句を残していないのか?
どのような三十一文字だったのかと、興味深く探してみたのだが。
450マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/13(日) 23:00:30.76 ID:BojdogO60
>>448
それがわからんのだよな。疎開だとしたら都会に戻ると思われるし、縁類もいない秋田に何故いたんだ。子供が暮らしていたとかだろうか。
>>449
突然昏倒したらしいから作る時間はなかったのでは。
451名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 23:48:32.55 ID:QJlKesIJ0
>>450
そうだなあ。
でも危篤状態から復活したこともあったので、死期を悟って詠んだりしなかったのかなと。
回復して長生きするつもりだったのかな。

児童書扱いだが北康利氏の『子どものための偉人伝 福沢諭吉』はわかりやすくて面白い。
452名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 23:52:47.73 ID:QJlKesIJ0
連投スマン
↓の声って本当に福沢諭吉のなの!?
ttp://www.hi-ho.ne.jp/ohsamu/mp3/fuku.html
453マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/14(月) 00:30:10.28 ID:5nHfCTfS0
>>451
和歌とか俳句はあんまり嗜まなかったとあるからなあ。三十一谷人とはいいつつ。漢詩は作ったらしいが。
http://kbaba.asablo.jp/blog/2007/03/14/1259932

同じ北著で講談社文庫から福沢伝が出てるが、これを子供向きに分かりやすくしたのが、この本になるのか。
http://www.amazon.co.jp/dp/4569687474/
454マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/14(月) 00:41:51.42 ID:5nHfCTfS0
>>452
なんか合成音声っぽくないか? 声は、なかなか残りにくい。もう現代に近くても太宰治も肉声残ってないよな。

肉声が残ってる幕末明治の人物と言えば、
乃木希典
https://www.youtube.com/watch?v=3LySDGi_E0g
東郷平八郎
https://www.youtube.com/watch?v=8Iogm4RakFM
田中光顕
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13050174
大隈重信他
http://www.nicovideo.jp/watch/nm7531257
455名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/14(月) 00:43:29.44 ID:yGAlCLoD0
>>453
春秋左氏伝を11回読んだってことだし、漢詩の方がなじみ深かったのかね。

北氏の「国を支えて国を頼らず」もいいね。文庫になる前の本で持ってる。
五万円札、十万円札が発行されるはずだったという話もこの本で知った。
456名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/14(月) 00:46:02.46 ID:yGAlCLoD0
>>454
よく見たら同じHPに織田信長や紫式部の声もある。
おそらく肖像画から声を復元したみたい。

福沢の肉声を聞いてみたいけどさすがに残ってないか。
写真撮影に見られるように新しもの好きだから声を記録していなかったのかなと思ったけど。
457マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/14(月) 00:57:23.47 ID:5nHfCTfS0
このあたりが最古の録音と言うことになるらしい。1900年のパリだからなあ。福沢が亡くなるのはこの翌年だから残ってない可能性は高い。もうちょっと長生きしてたら残っていたかもしれん。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm11707305
458マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/14(月) 01:05:33.50 ID:5nHfCTfS0
>>455
>五万円札、十万円札が発行されるはずだった
それは初耳だな。どんな感じなんだ。
>>456
難しいところだなあ。あと十年長命だったら、ほぼ確実に肉声は残ってたと思う。
459名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/14(月) 01:15:05.87 ID:yGAlCLoD0
>>458
1984年(昭和59)の新紙幣発行の際に十万円札、五万円札発行の構想があった。
十万円札=聖徳太子、五万円札=野口英世、一万円札=福沢諭吉、五千円札=新渡戸稲造、千円札=夏目漱石の予定。
しかし紙幣の発行残高が頭打ちだったのと、インフレに拍車をかけるという懸念から、
十万円札と五万円札の発行は見送られた。

ならばスライドして一万円札=聖徳太子、五千円札=野口英世、千円札=福沢諭吉となってもよかったが、
そう遠くないうちに十万円札と五万円札が発行されるだろうという認識だったとかでスライドはせず、
福沢諭吉が最高額紙幣の一万円札の肖像になったとのこと。

ついでに、この紙幣改訂の際に大蔵省に寄せられた苦情の一番は「なんで聖徳太子を使わないんだ」だったとのこと。

この話は著書の冒頭部分に書かれています。

>あと十年長命だったら、ほぼ確実に肉声は残ってたと思う。
確かに。まあ66歳で逝去したことで、江戸時代と明治時代それぞれを半分ずつ生きたことになったわけだが。
460マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/14(月) 01:41:13.22 ID:5nHfCTfS0
>>459
へー、野口の肖像画を使うと言う話は以前からでてたわけか。それも知らんかった。
1984年と言えばバブル直前にあたるが、なんでもできそうなそのころでもできんかったんだなあ。
現在だととても考えられないが、発行されるだろうという見通しもあったとはたまげたもんだ。

>江戸時代と明治時代それぞれを半分ずつ生きた
それも不思議な感じだよなあ。天命を感じる。
461名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/14(月) 09:36:23.67 ID:uZIWJmjR0
>>450
どうも生田目家は水戸の佐竹遺臣のように思われる。佐竹は秋田に転封になったから、
その家来の生田目と交流があったんじゃないかなあ。
あとは平田篤胤の関係か。思い浮かぶのは。
462名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/14(月) 10:07:42.91 ID:gBf8Xqfr0
>>460
あの肖像、聖徳太子なのか、という疑問が出てきているからな
463マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/14(月) 15:34:24.96 ID:5nHfCTfS0
>>461
だな。佐竹遺臣から水戸藩に仕えたものは結構いたらしいからなあ。
俺の親類なんかも一度佐竹家に仕えていて秋田移封で移動するんだが、また水戸に戻ってきてる。
ただ生田目って水戸人なのか、ちょっと微妙な記述があったりするからな。
464マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/14(月) 15:54:09.70 ID:5nHfCTfS0
>>462
むかしの肖像とか結局わからんからなあ。足利尊氏が高師直だったとか。脳内で尊氏となってたものを後から修正しろとなるとなかなか難しいからな。
465名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/14(月) 16:36:51.47 ID:DTU2x/Iz0
上野戦争の時、慶應義塾では通常通りの授業をやってたって本当??
466名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/14(月) 17:13:59.30 ID:unWTfVh20
経済学の講義をやっていた気がする
ソースは忘れた
467マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/14(月) 20:23:18.41 ID:5nHfCTfS0
>>463
生田目の若い頃の記述を入手したので書いてみる。
依田百川の「学海日録」第8巻の90頁。明治23年6月12日。
「国文編輯人生田目(なまため)経徳という書生来りて余が艸を請う。
めずらしき姓なれば問いしに、下野国芳賀郡の人なり。この姓多しといえり。清の党にて旧家のよしなり。
されどもこの男は極めて麁野の人物にして、礼儀を知らぬものと見えたり。座の中央にいて腕ぐみなどして」
学生時代の生田目の姿が描かれている。依田に原稿依頼(「国文」が不明。雑誌か?)をしに来た生田目が出自を問われて答えた訳だ。
清の党といえば下野の国に定着した紀清両党の清原氏のことだな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E6%B8%85%E4%B8%A1%E5%85%9A
この日は内田魯庵と幸田露伴が依田を訪ねてきていた。(この翌日には山田美妙がくる。明治文学のオールスターだな)
だが極めて粗野な男だったらしく、座の中央に坐って腕組みをするので、さすがの依田先生も呆れている。露伴と魯庵という難物二人よりも態度がでかかったのかもしれん。
直接生田目の発言を第三者が記したものだから信用はできそうだ。ただ一族の出身地、という事かもしれんからな。
水戸の人という証言と符号しないわけでもないのかもしれん。「なまため」というふりがなは依田のものではないか。
編集方針として他の難読漢字にふりがなついてなかったりするので。

ところで小野友五郎について生田目が記した文章も入手したんだが、テキスト化して貼ろうか? 
そんなに内容はないし、未完で終わってて、福沢の記述はぱっと見なく、スレチになる可能性は高いが、参考になるとこはあるかも。
468マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/14(月) 20:28:05.81 ID:5nHfCTfS0
>>467
「国文」分かった。
>明治二三(一八九〇)年五月 『国文』第一号(雑誌)園田三郎共編 国語伝習所刊
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h86/
これだな。
469マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/15(火) 01:59:25.43 ID:xX1hHTCd0
あと小栗日記も見た。慶応三年、四年の間には福沢の名前はなかったように思うけどな。
浅田宗伯、柴田松庵には頻繁に面会してる。稀に名前が出てくるとこでは古賀謹一郎(筑後守)、小野友五郎。
470マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/15(火) 02:33:24.86 ID:xX1hHTCd0
生田目は小野友五郎について伝記を書こうとしていた形跡が見られる。だが例によっていろいろな方面に手を出していたので、関心が他に移り途絶した感じだろうな。
資料収集も熱心に行っていたと見えるが、一冊の本を書くまでの気力はなかったものと見える。文久期で止まってるぞ。
471名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/15(火) 13:19:38.10 ID:fRYBcKFEO
なんで生田目が小野の伝記を書く必要が?
472マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/15(火) 14:56:39.03 ID:xX1hHTCd0
>>471
動機までは分からないが、明治33年(1900年)8月〜12月に「海」という海軍関係の雑誌で、生田目が小野友五郎の業績紹介の連載を行っていることは分かっている。
読んでみると、確かに小野の日記類や一次史料(久世広周、安藤信正の書簡など)が引用されてる。で、これは>>468でも書かれてる、生田目が小野遺族から史料を借り受けた翌年に当たっている。
ただこの連載は三回までで未完に終わり、その後再開した様子はネットで見る限りではなさそうだ。
473マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/15(火) 17:32:58.00 ID:xX1hHTCd0
http://irisio.seesaa.net/article/99427662.html
しかしまあこれは。平山の論文が発表される前はこういう状態だったわけだから、それなりに価値はあったものであると思いたい。
474マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/15(火) 17:36:40.53 ID:xX1hHTCd0
ちなみに浅田宗伯の娘婿が>>473で晒したような幕末ミリオタの間で人気が高い浅田惟季らしい。妙なところで繋がってくるもんだ。
475名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/15(火) 17:49:32.47 ID:Aacsz2kC0
>>473
>藤井氏によると、この福沢が、大変なお荷物だった。
>彼は前二回の洋行経験から採用されたのだが、彼の英語力は観光レベルでとても仕事を任せられる状態ではなかった。
>和訳はまだしも英訳はてんで駄目で、公文として使えるレベルではない。
>翻訳や通訳は他の能力のある団員に任せ、周囲の負担を増やさざるを得なかった。
>福沢は、任された為替が現金化できない、雇った現地人に公金を持ち逃げされる、
>荷物の荷揚げ高尚に手間取り将軍から大統領への贈り物が間に合わない、などなど、まともに事務のできなかった。

>このころ福沢は、もちろん幕臣。であるのに、団の使命も責任も自覚しておらず、私的な物品書籍の購入ばかりしていた。
>小野は福沢に、幕府の公的な必要書籍の購入を命じる。
>彼は幕府の公共物と自分の私物を一緒にして、卸値で購入する。
>そして卸値と小売の差額を手数料として自分のものにしたいと小野に申し出る。
>もちろん公務なのに手数料など払えるものではないと小野は拒否する。
>しかし福沢はひそかにこれを実行した。さらに悪いことに、私用の書籍代まで、公用の代金に含ませた。

これまじ?
福沢諭吉の評価が地に落ちたよ
476マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/15(火) 18:14:11.67 ID:xX1hHTCd0
>>475
これは藤井本を元にした記述だろ。
んでその出所が「覚書」でこれを後から作成したのが生田目であろうと言う推定>>468だ。
つまり>>473のやつはそれを鵜呑みにして、福沢悪であるかのように書き立ててる訳。
一昔前はまあこの程度のミリオタ君が物知りとネットでは崇め奉られてたね、と言うお話だ。
477マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/15(火) 19:01:50.38 ID:xX1hHTCd0
>>467
普通生田目氏は紀の党らしい。それでも清の党だといったというのが興味深いな。
ただ単に依田が間違えただけか、清原姓の生田目氏がいたのか。
478名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/15(火) 19:31:34.64 ID:YEgYEp3Q0
>>472
これはかなりな発見、平山さんの目録にも載ってない
479名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/15(火) 19:32:16.87 ID:YEgYEp3Q0
>>472
あと、どうすれば読めるんですか?
480マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/15(火) 20:18:38.69 ID:xX1hHTCd0
>>479
国立国会図書館の図書館配信データーベースを見れるとこに限られるが、最寄りの図書館で、「生田目経徳」と入れれば出る。
タイトルは「本邦の海軍と小野友五郎」ただ経徳は「經コ」、友五郎の郎は「カ」となってるのでグーグル検索ではヒットしにくかったのだろうな。
481マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/15(火) 20:32:22.03 ID:xX1hHTCd0
http://dl.ndl.go.jp/
http://dl.ndl.go.jp/ja/soshin_librarylist.html
これな。他都市と比べ横浜だけがなぜか見れる館が多い印象。
グーグルではダメだが、データーベースだと検索したら正漢字でなくてもヒットする。
482名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/16(水) 06:45:16.30 ID:yr6v7BAp0
>>480
平山さんの推測、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
以下は私の推測になるのだが、生田目は熊次郎に、
『福翁自伝』での小野の不当な扱いに関して雑誌に福沢への反論を書くつもりである、
などという約束をしたか、
あるいは、咸臨丸渡米談の劇化を思い立ったので、
そのための参考資料にしたい、などという口実を使って、
小野家から友五郎の日記その他を借りたのだと思う。
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h86/
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
とはちょっと違っていましたが、生田目は結果を公表していたのですね!
483マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/16(水) 15:08:07.69 ID:njiSfhyE0
>>481
本にする予定はあったのかはわからんけどなあ。ちょうど福沢死去直前の号の連載で中絶してるのは興味深い。

継続して生田目が接触あった人物に井上哲次郎がいる。「巽軒日記」を見て先ずその交友範囲の広さに驚くが、
ネットで探せるとこでは明治40年〜明治42年には何度か会ってる。原本は東京大学史史料室にあるらしい。
http://www.u-tokyo.ac.jp/history/pdf/vol31_1article-3.pdf
http://www.u-tokyo.ac.jp/history/pdf/vol32_1article-3.pdf

あと生田目の筆跡って入手できるぞ。国会図書館蔵の品川弥二郎関係文書の中に品川宛の書簡として現存する。
http://rnavi.ndl.go.jp/kensei/tmp/index_shinagawayajiro1.pdf
これと「覚書」を比較すれば生田目のものか福沢一太郎のものか分かるな。参照しやすい関東圏の人は調べてみてもいいかもしれん。
484名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/16(水) 16:31:03.98 ID:yr6v7BAp0
>>483
すごい情報収集能力ですね!
生田目経徳の評伝でも書かれてはいかが
485マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/16(水) 18:43:46.18 ID:njiSfhyE0
>>484
グーグルフル活用すればそれなりに色々分かるぞ。調べ方にコツがいるが>>480みたいな例がある。
書くにしても関東じゃないから慶大、東大の調査はきついものがあるからなあ。関東以外だと福沢関係史料のマイクロフィルムを所蔵してるとこが少ない。

生田目は京都にも行ってたようだが↓
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/60his/6-1_HONBUN.html
>酒間古文書取調及蒐集の為め来京したる東京の国学家生田目経徳氏
486名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/16(水) 19:47:55.45 ID:pUqgfHFj0
>>485
それにしてもこの生田目は、どうやって生きていたんだ?
どこかの教師ではなかったようだし
487マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/16(水) 21:01:09.30 ID:njiSfhyE0
>>486
それがわからん。
匿名でライター的な事をやっていたのかも知れんし、知られていない筆名で小説とか書いてた可能性もある。
488名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/17(木) 05:50:46.70 ID:M89hqyEo0
>>487
演劇関係に人脈があったみたいですね
489マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/17(木) 13:34:13.32 ID:jyAWlYLg0
>>488
春雨亭主人でググると、以下のようなサイトが。

http://www.j-texts.com/encho/n2.html
「春雨亭主人報」か。明治14年。これは速記ということなんかね。そうだとすると三遊亭円朝とも関わってたことになるな。
まだこの時は学生だったはずだから、アルバイト感覚か。
それともまた別人かもしれんが。
490名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/17(木) 14:14:05.19 ID:ILS46gYZ0
>>489
よくもまあ見つけ出すなあ。明治14年に活動していた同一人が戦後まで生きているもんかな。
491マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/17(木) 15:12:45.20 ID:jyAWlYLg0
当時ハイティーンだったら、生きてるかもしれん。
平山の推測通り元治〜慶応年間の生まれだとすると明治14年には17歳ぐらいか。
1948年には84になってるが、一応手紙のやりとりはできると思う。安政〜文久ぐらいだともっと年齢高くなる。
佐佐木信綱は同級生らしいが、年齢的には下なんではないかな。生田目が明治20年に確認できる最初の本『新註戯曲妹背山婦女庭訓』を出した時に、
佐佐木は15歳だった。本を出すからには生田目は当時20歳は越えていたと思われる。するとやはり元治〜慶応あたりの生まれが妥当だ。
492マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/17(木) 15:39:30.22 ID:jyAWlYLg0
http://books.google.co.jp/books?id=paVkAAAAIAAJ
を「生田目」で検索。
>一期の国書課には、西田敬止、赤堀又次郎、鹿島則泰、平岡好文、生田目経徳氏等
生田目以外がネットで生年がわかる。西田(1861年生)、赤堀(1866年生)、鹿島(1868年生)、平岡(1866年)だ。
世代的に見ると文久〜慶応明治ぐらいに固まってることは確かだな。

以下を参照。
http://kotobank.jp/word/%E8%A5%BF%E7%94%B0%E6%95%AC%E6%AD%A2
http://www.ksskbg.com/kashima/noriyasu.html
http://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00000836
http://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00156721
493マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/17(木) 15:50:52.49 ID:jyAWlYLg0
グーグルブックスではちょっと文字化け等があるため「明治・大正・昭和の人々」を一度確認してみる。

http://id.ndl.go.jp/auth/ndla/
このデーターベースは出典も書いてくれてるので非常に役立つが、生田目は名前は出てるものの生年の情報はない。

佐佐木が最初の本を出したのが20歳の時だな。佐佐木はローティーンで大学入学してるから、
1892年。このあたりも参考になるだろう。
494名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/17(木) 15:56:57.85 ID:ILS46gYZ0
>>491-493
さっそくありがとう! すごい調査能力ですね。疑問なのは、出自を誇っていたらしい生田目が、
なんで自分の素性を明かさなかったか、ってこと。
495マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/17(木) 16:07:50.52 ID:jyAWlYLg0
>>494
それが不思議だ。
「明治維新秘史 小塚原烈士常行会講座」
では若い頃に京都に行ってたことが語られてるが、「あなたは水戸の人なので」的な事を言われたとは述べてる。
しかしこれもなんかはっきりしたものではない。出自を誇ってたとすればはっきりいうはずなのに、暈かしたいい方しかしないんだよな。
496名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/17(木) 16:19:33.61 ID:RqLDhqXk0
>>495
ヨコからです

こうした場合は私生児を疑うもんじゃ
497名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/17(木) 16:36:43.94 ID:ILS46gYZ0
>>495
まさに謎の人物ですね。

>>496
ああ、なるほど…。
498名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/17(木) 17:23:43.50 ID:RqLDhqXk0
>>497

ちょうど生田目又一郎が潜伏していた時期に
経徳は生まれている
499マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/17(木) 17:39:45.85 ID:jyAWlYLg0
戸籍が取れればいいんだがな。住所とかはわかってるから。
↓以降は規定が厳しくなって難しい。
ttp://www.moj.go.jp/MINJI/minji150.html
500マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/17(木) 18:39:12.96 ID:jyAWlYLg0
なるほどな。明治24年頃に生田目は巌本善治の元で所謂通信制の通信教授をしてたのか。
といってもこの記述だけではあれなので、「女学雑誌」をもうちょっと調べる必要はあるな。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1221104/23
>日本歴史 生田目建(ママ)徳
東京教育社から出てた、「貴女之友」には生田目の文章が載っていた。
なんでかなあと思ってよく考えてみたらこの雑誌にも巌本善治が文章を寄せてはいる。

巌本善治って言ったら勝海舟だろ。とすると勝海舟を悪くいった福沢、その福沢の横領について文を書いた生田目、生田目を教授に選んでいた巌本、微妙に繋がってくるが、
この繋がり以上の物を妄想したら駄目なとこだなあ。
501マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/17(木) 18:40:06.98 ID:jyAWlYLg0
>所謂通信制
所謂通信制女学校の
502マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/17(木) 19:54:39.47 ID:jyAWlYLg0
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1345889094/793
この発言を勝から引き出したのも巌本なんだよなあ。何というか縁の恐ろしさだ。
503マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/17(木) 20:28:40.02 ID:jyAWlYLg0
まあ俺もaoiのブログに書いてなかったらこのスレには来てなかった訳で、ある意味それも縁な訳ではあるが。平山論文も読むことはなかった訳だ。
だが今から思うとやつは平山の書いたもの引き写して喋ってんのな。内村鑑三の不起立云々とか、日清戦争に戦争反対主張してないとか、ぜーんぶ平山の言ってることまんまで呆れた。
内村が義戦を主張した>>337とか普通にググればでてくるのにね。
504マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/17(木) 20:42:09.11 ID:jyAWlYLg0
>>500
訂正、巌本の文章が載ってるんじゃなく、
「巖本善治、中島俊子の二人に与う」という文章があるだけだったな。「貴女之友」見てると生田目の師という内藤耻叟も文を寄せてた。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1559335/5
(目次を押せば見れる、まあ中見はどっちにしろ図書館じゃないと見れないがな)
505マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/18(金) 01:01:55.81 ID:fyCm5BoB0
連投になるが、>>500に関して萩原タケでググるとちょっと分かった。
この時期「女学雑誌」が関わって、家庭に入った女性や田舎の女性も勉強ができるように「通信女学講義録」というのが出されてたとのことだ。15号までは続いたと書かれてる。
ググると少量だがpdfが出てくるので参照すべし。
萩原が読んでたのがそれだな。購読会なども開かれてたらしく、それなりに影響力はあったようだが、ただどうも詳しく調べてる人はいないみたいだな。
一応国立国会図書館に所蔵は確認出来る↓これも関東の人ですぐ国会図書館でいける人がいたら見たらなにかわかるかも。
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000004-I000556131-00
「通信女学」で、講義をすることで生田目が生計を立ててたとすると謎が多かった事はちょっと納得出来るな。
このころはまだ洋化は素晴らしいことと思われてたんだなあというのは↓に引用されてる文でわかる。
https://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/31477/1/KyoikugakuKenkyukaKiyoBetsu_17_2_Sekimoto.pdf
506マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/18(金) 01:25:57.58 ID:fyCm5BoB0
>>505
あ、これ国会図書館じゃなく、大阪に所蔵があるのか。
一部の号だけみたいだが、それだったら見れるな。機会があればいってこよう。
507名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/18(金) 04:10:06.44 ID:vHBx69zAO
>>503
? 意味わからん
508名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/18(金) 07:10:47.53 ID:sPhTXg9S0
>>505
なるほど、生田目はやっぱり学校教師をしていたのか。
岩本との関係といい、勉強になります。
509マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/18(金) 12:13:54.02 ID:fyCm5BoB0
>>507
このスレでもよく貼られてたブログ主と仲がこじれた的な事が前にあったんだな。
って言うかこのスレ見てると思うが。
>>508
教師というか通信誌に講義録を載せるというかたちだったんじゃないかと思う。ただ、イベント的な感じで講義もしてたのかもしれん。
実際確認してみないとわからんとこだが、日本歴史というから生田目の得意分野であることは確かだな。
510マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/18(金) 14:18:55.07 ID:fyCm5BoB0
>>500
ここで出てるメンバーで今も名前が知られてるのが巌本を除くと、
三島通良、渡辺辰五郎、磯貝雲峰(由太郎)だな。
渡辺こそ年長者だが、後の二人は生田目と同世代ぐらいだ。

http://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E9%80%9A%E8%89%AF
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E8%BE%B0%E4%BA%94%E9%83%8E
http://kotobank.jp/word/%E7%A3%AF%E8%B2%9D%E9%9B%B2%E5%B3%B0

百瀬玄渓は、
http://ci.nii.ac.jp/naid/110003499766
が残ってるがあんまりよくわからない人物だ。
511マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/18(金) 20:29:04.63 ID:fyCm5BoB0
「慶応義塾出身名流列伝」
http://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=T3xKAAAAIAAJ
まあこれ自体はよく知られた本だと思うが、ここの73頁に石河幹明が載ってる。
顔写真も載ってるのでこういう顔の人かとよく分かるぞ。ググっても肖像が全然がヒットしてこないからな。
興味深いのが74頁にあるこの文の結び。
>故久米幹文氏は氏(石河)と甥叔父の間柄なりしとぞ。
まあ伝聞体だが、当時存命人物の記述であるのでほぼ間違いないだろ。久米っていえば生田目の「聖訓述義」序文を書いてる。
姻戚関係も未出情報かもしれん。
512マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/18(金) 20:36:41.03 ID:fyCm5BoB0
まあ非の打ち所のない好人物として描かれてるな。
513マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/18(金) 22:13:06.91 ID:fyCm5BoB0
http://sucra.saitama-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php?file_id=14699&#8206;
まじかー。生田目が与謝野鉄幹や落合直文と共に跡見女学校で教えてただと。
やはり若い頃の生田目は女学に拘っていたらしいな。元本も当たってみないとな。
514名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/18(金) 22:45:11.77 ID:Gk22SkF+0
>>511
石河幹明の妻は井伊直弼を暗殺した関鉄之助の姪だ。
おじの石河明善は諸政党として明治2年に獄死している。
515名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/18(金) 22:48:27.83 ID:Gk22SkF+0
>>511
「幹文」の署名が有る。久米桑園は水戸の人で、

本姓は石河氏、名は幹文、字は公斐、号を水屋・

桑園などと称し、平田篤胤や本居内遠に師事した

国学者で、徳川斉昭に仕えて斉昭没後は幽閉さ

れるが、維新後は諸社の宮司や一校教授等を務

め、漢詩文に長じた能書家の歌人としても知られ

ている。
516マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/19(土) 00:11:29.35 ID:8EFcsfJ70
>>514
ほお、そういう繋がりがあったのか。天狗と諸生では結婚すらできなかったというが、そうではない例だな。
>>515
http://www.ic.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-2436.html
ここだな。なるほど、本姓は石河氏なのな。幹の字が被るから不思議には思ってた。
517マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/19(土) 00:16:49.69 ID:8EFcsfJ70
石河家は立場的には天狗よりな面もある気がするんだがなあ。
幹明の祖父石河徳五郎の同僚は皆どちらかといえば天狗系だし。
518マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/19(土) 00:57:35.05 ID:8EFcsfJ70
というか栗田寛が石河明善の弟子ということで、生田目ともそこでは繋がってるよな。
519マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/19(土) 03:02:00.62 ID:8EFcsfJ70
>>513
跡見女学校で漢文(生田目は国文)を教えてたという、
>渡辺重石丸
この人、福沢の親戚じゃん。しかも福沢が増田宗太郎に狙われた一件の首謀者だ。これ別件で探してて知ったんだが、しかしまあ驚いた。「鶯栖園遣稿」ってどこで読めるんだ。
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/a_reason_for_nationalism/
この人が生田目と同僚だとなると何とも因果なことだなあ。
520マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/19(土) 03:18:37.59 ID:8EFcsfJ70
ただ、面識が二人に会ったのかは不明だがな。
しかし仮に同僚で面識があり、渡辺から福沢への悪感情を吹き込まれていたとすれば、生田目が福沢を貶める文章を作成した動機付けの一つにはなるわな。バックボーン的から見ても生田目が渡辺に共感する可能性は充分に有り得るだろう。
花蹊日記も見てみようかねえ、あんまり書いてないかも知れないが。
521名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/19(土) 07:38:39.30 ID:sYdyz/Kk0
>>517
石河明善は、桜田門外の変で、襲撃犯を追及するするべきだ、という上書を書いている。
岩波の思想体系の「幕末政治思想」に入っている。
はっきりとした諸政党だよ。
522名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/19(土) 11:45:18.73 ID:rTZMGU5a0
>>514
そんな情報をすぐにだせるあんたは何者だよ
523名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/19(土) 12:02:24.54 ID:sYdyz/Kk0
>>522
水戸学スレでむかしやった。
平山の『福澤諭吉』132ページ。353ページ。人名索引ですぐにわかる。
あとは検索で。
524マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/19(土) 13:17:04.38 ID:8EFcsfJ70
>>521
それまじ? 読んでみたいな。
>岩波の思想体系の「幕末政治思想」
http://ameblo.jp/mothra-flight/entry-10053492939.html
このシリーズではないのか。目次にないが。
525マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/19(土) 14:19:17.51 ID:8EFcsfJ70
明善遺稿という本の存在は確認した。
526名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/19(土) 15:06:30.55 ID:xbM5Jr950
>>524
いや、おそらくこれだろう
  ↓

幕末政治論集

吉田常吉, 佐藤誠三郎校注

(日本思想大系, 56)

岩波書店, 1976.4
527名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/19(土) 15:16:57.70 ID:xbM5Jr950
>>523
らしいことに言及している論文がみつかった
「石川幹二郎」で検索してみな

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kiyou/pdf_23-3/RitsIILCS_23.3pp.103-118FUJINO.pdf#search='%E7%9F%B3%E6%B2%B3%E5%B9%B9%E4%BA%8C%E9%83%8E'
528マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/19(土) 16:29:49.43 ID:8EFcsfJ70
>>524
あ、これ筑摩のだったか。名前が似てるので間違えてた。
>>526
どうも。色々収録されてるみたいで面白そうではあるな。早速買っておく。
>>527
これ見た感じ井伊を討ったことは天下のためには「大幸」だけれども、水戸家のためには良くないという論旨ではあるようだな。
そのために「激生共」を処罰せよと。
529名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/19(土) 21:10:11.77 ID:xbM5Jr950
>>528
石河明善の没年が、資料によって食い違いがある
どうも謀殺されたくさい

あと、明善、幹明の親父、久米は三兄弟ということになるが
それでOK?
530マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/19(土) 22:22:43.63 ID:8EFcsfJ70
>>529
「水府系纂」見ればそのへんは分かると思うんだがな。茨城県にいけば見れる。
http://www2.ocn.ne.jp/~so-sweet/pedigree/suifu-keisan/index-i.htm
>石川 徳五郎幹忠
531マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/20(日) 04:11:17.77 ID:og70bxKK0
前、山本覚馬の「管見」が「西洋事情」の影響を受けてましたってのをブログで読んでへーと思ったんだが、
後から実は平山の主張そのままで萎えたことはあったんだな。だからやはり識者の意見引き写しではダメで、それなりに書いて出す以上自分なりにプラスアルファはすべきだとは思うんだ。
それこそ平山も読者参加で時事新報の筆者調べとか呼びかけているみたいだし。学者も人間である以蔵間違う事はあるわけで。
532マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/20(日) 04:19:47.93 ID:og70bxKK0
以蔵→以上
頭おかしいミスだった。
533名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/20(日) 08:48:07.60 ID:6rnJwxM40
>>531
この論文のことですね。
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/the-impact-of-the-things-western-and-japanese/
何があったか知りませんが、素人のブログについて目くじらたてても。
534マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/20(日) 12:42:39.51 ID:og70bxKK0
まあ、俺も素人だけどな。
535マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/20(日) 13:46:55.90 ID:og70bxKK0
>>533
で書かれてる嵯峨根良吉の「時勢改正」新発見史料であるかのように報道されたらしいが、
実は明治42年の「国事鞅掌報効志士人名録」で全文読むことができる。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780216/200
履歴と全く同文のもののようだな。

鹿児島出身の男爵園田孝吉は門下生だ。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020169/63
そもそも嵯峨根は薩摩藩の開成所で教えていたらしく、前島密とは同僚だったようだ。
その縁で園田は嵯峨根の私塾に入った。
536マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/20(日) 14:54:04.24 ID:og70bxKK0
荘田平五郎
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030687/146
後に福沢の門下生になる荘田平五郎も鹿児島へ行ったときに嵯峨根と会ってる。
荘田の日記が引用されてる。慶応4年4月20日付けのものだ。嵯峨根が死ぬ約三ヶ月前のものとなる。
ところがこの伝記には>>535で貼った履歴と食い違う重大な情報がある。
嵯峨根は寺島宗則と並んで薩摩藩開成所のナンバーツーともいえる地位であったとし、
>議論行われざるがために、後二年(慶応四年)にして自刃した。
履歴も荘田伝記も、一時史料は提示されていないので即断はできないが、後者は日記を多く引用してる事から信憑性は高い。
福沢スレ的に面白いのは嵯峨根と会う二ヶ月前に、荘田が福沢と初対面してること。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1030687/144
「コルネル氏ハイスクウルの地理書」ってのが味噌で、
https://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/sogokyoiku3-02.pdf
慶応義塾で素読されていた。ここの頁13。どうやら長崎会所で購入したものを渡したようだ。
福沢塾でどういう手段でテキストを入手していたかも分かって貴重だな。
537名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/20(日) 15:15:12.05 ID:6rnJwxM40
>>534
それはまたご謙遜を。私はまた大学院生か若手教官かと。

>>535
平山論文の穴をうめるような史料は紹介されていますか、そこに。
538名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/20(日) 15:33:30.88 ID:6rnJwxM40
>>535
平山論文には、嵯峨根の死について、

また薩摩藩開成所(軍事学校)助教を命じられて、講義の傍ら英国海軍法規を翻訳していたが、
明治元年(一八六八)六月、三二歳で病没した。
現在のところ、嵯峨根良吉の死には不審の点は発見されていない。

とありますね。「自刃」とすればその理由は?
539マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/20(日) 15:54:40.27 ID:og70bxKK0
>>538
その辺りは一時史料が無く何とも言えないなあ。ただ、幕臣で佐渡の役職を歴任した中山信安の妻幸子は嵯峨根良吉の妹にあたる。
幕臣との姻戚関係がある事から、確執が起こって……とは考えられるかもしれん。

http://ya-na-ka.sakura.ne.jp/nakayamaNobuyasu.htm
http://ya-na-ka.sakura.ne.jp/nakayamaNobuyasu.htm
540名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/20(日) 16:01:13.16 ID:6rnJwxM40
>>539
嵯峨根良吉の妹中山幸子のエピソードを読むと、
旧幕府への内通が疑われたのかもしれませんね、良吉は。
自刃したのは戊辰戦争の最中。
http://ya-na-ka.sakura.ne.jp/nakayamaSachiko.htm
541名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/20(日) 16:04:59.94 ID:6rnJwxM40
>>539
おやおや中山信安も適塾出身ですか。福沢より少し上。
しかも幕末は勘定奉行配下ですから、小栗系列だったのは間違いない。
542マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/20(日) 16:07:03.12 ID:og70bxKK0
ちなみに中山信安も適塾で学んでいた。>>411のデーターベースで検索すると出てくる、
「中山八郎」が恐らく同人だろう。嵯峨根も「良吉」と「見龍」の名前で出てくるんだが、面白い共通点が見いだせる。
共に適塾に学んだ後、同じ安政三年に数ヶ月遅れで大野藩の洋学館に入学してる。これを見てもかなり親しい友人だったという事は確かだと思われる。その縁で妹を貰ったのだろう。
幕臣に知り合いがいる嵯峨根からすると、討幕に向かう薩摩藩幹部と対立してもおかしくない。実際>>527でも、「天幕御合体、諸藩一和、御国体相立候」とあるから、
嵯峨根が親幕府だったことは確かだ。
543マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/20(日) 16:33:30.85 ID:og70bxKK0
法学士で学習院の教授だった嵯峨根不二郎は良吉の子供ではないのか? 鹿児島県士族とあるし。
http://ya-na-ka.sakura.ne.jp/saganeFujio.htm
著作もいくらかはある人だ。
現在谷中墓地に良吉の墓とともにあるようだが、その子供が中山家の養子に入ったりしてるらしい。
544名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/20(日) 17:22:14.21 ID:vDpiHernO
話が福沢からどんどん離れていくぞ
545マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/20(日) 17:35:32.91 ID:og70bxKK0
それなら>>536とか誰か反応してくれないと。
ここは相当重要だ。嵯峨根も福沢とは顔見知りだった可能性は高い訳で、荘田と会ったとき福沢の話も出たかもしれない。
546マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/20(日) 18:46:29.95 ID:og70bxKK0
意外な事に中山信安も福沢の知人なんだな。これは相当嵯峨根との繋がりが繋がりが出てくることになるぞ。

http://books.google.co.jp/books?id=tP4WAAAAIAAJ
石河の福沢伝で検索すれば出てくるが、このスレでは持ってるやついると思うからページとか特定できるか?
547マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/20(日) 18:47:22.42 ID:og70bxKK0
まあ適塾で学んでた訳だから意外でもないかもしれんが、交遊の記録があるのは大きい。
548名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/20(日) 19:06:03.13 ID:F9+GO64r0
(朝鮮日報日本語版) 「朝鮮の不公正な法が日本に植民統治の口実を与えた」 (朝鮮日報日本語版) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140420-00000147-chosun-kr
これって福沢が批判した朝鮮の刑罰の過酷さのやつだな
549名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/20(日) 21:21:04.24 ID:liS6sb+L0
>>548
今の北朝鮮のほうが、もっと過酷だろう、というのはおいておいて
>>545
荘田との関係もいいが、小栗との関係のほうが重要だろう。
中山は小栗の子分だったのか?
それと小野友五郎も。
自伝に御国益論についてあるが、小野も参加していた
これは幕府の財政改革で、フランスとの合弁商社と
関係があるんだろうか。
550マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/20(日) 21:55:56.77 ID:og70bxKK0
>>549
それがちょっとわからんのだよな。佐渡奉行で中山の上司である鈴木重嶺は小栗と関わりがあったらしい。
「旧事諮問録」にそういう記述があるということだ。こちらも一応見て確かめて見るか。

小野友五郎に関しては完全に不明。

http://www.amazon.co.jp/dp/4003343816
551マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/21(月) 02:33:33.89 ID:TSLP60nA0
小野友五郎日記見ると、そんなに福沢と不和な感じはしないな。ちょっと不穏にも見えなくもない記述もあるが。
英語の手紙が多く福沢に回されてるところを見ると、訳読能力の方に長けていたのか。
552名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/21(月) 19:31:44.20 ID:CGn1FJX8O
まあ翻訳方だからね
553名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/22(火) 06:36:39.10 ID:ARXKat7x0
>>550
横浜国大の西堀先生の
http://kamome.lib.ynu.ac.jp/dspace/bitstream/10131/1442/1/KJ00004479940.pdf
に、ロッシュの行動が詳細に記載されている。
おそらく小栗の意図と一致しているのだろう。
福沢の建白書は英仏蘭連合艦隊が兵庫に到着する直前に
在京老中板倉に提出されている。
となると、福沢はこの艦隊で長州攻撃をせよと迫ったのか?
554名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/22(火) 07:05:56.18 ID:ARXKat7x0
>>550
あー勘違いだった。連合艦隊の兵庫入港は、第二次長州征伐の1年前だった。
つまり福沢の建白書とは無関係。史料はきちんとみないとな。
555名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/22(火) 10:31:22.27 ID:85b7SC0m0
>>551
小野と小栗との関係については?
556マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/22(火) 13:43:22.04 ID:1Kmmr3hL0
>>553>>554
福沢の建白書の日付は慶応二年の何日だったっけ? 現物確認してねえからわからんなあ。
>>555
小栗と小野は「小栗日記」を見たらわかる。何度かは面会してることがわかる。簡潔な日記なので何話したかまでは書かれてないが。
小栗日記は図書館発信のデジタルアーカイブにもあるな。
557名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/22(火) 14:15:08.32 ID:85b7SC0m0
>>556
関係していたことは分かっても、どんなことをしていたかまではわからないのか。なるほど。
558マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/22(火) 14:21:39.54 ID:1Kmmr3hL0
まあ上司と部下だしな。
関係があるのは当然なんだが、小野の幕末期の史料が散逸したのと、小栗が殺されたこともあってわからない側面は多いんだろうな。
生田目も問題あるが、寄贈せずに性分してしまった鈴木家も勿体ないことをするな。
559マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/22(火) 14:23:22.78 ID:1Kmmr3hL0
例えば生田目が引用してる久世とか安藤の小野宛書簡も今現存してないはず。生田目の子孫がいればもしかしたら一部持ってるかもしれんが。
広島県にあるのは明治後期からのものだけだ。
560マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/22(火) 14:24:23.32 ID:1Kmmr3hL0
>>558
性分→処分
561名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/22(火) 16:44:03.71 ID:ARXKat7x0
>>556
図書館で確認してきた。
福沢の建白書に日付は入っていない。
第二次征長で井伊と榊原の軍勢が敗退したことを受けて書いているから
慶應二年七月頃執筆とされている。
562マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/22(火) 17:49:42.84 ID:1Kmmr3hL0
>>561
ども。小瀬川で井伊と榊原が敗戦したのは「維新史料綱要」では慶応二年六月十四日だから、七月頃だとすれば比較的早く入手してるな。
譜代の軍が敗走したとはいっても、征長で負ける可能性が出てきたとは福沢は思っていないのか。
http://chushingura.biz/p_nihonsi/siryo/0851_0900/0898.htm
ここで引用される限りではそんな感じはなさそうだが。
563マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/23(水) 00:11:40.21 ID:fE7uREgZ0
日本思想大系の「西洋見聞集」古本屋でゲットしたのでざっと見てみたんだが、直ぐには福沢スレ的に面白い部分は出てきそうにないな。
柴田貞太郎の日記はある事はあるんだが福沢と洋行した時のとは違う、仏英行の日記だ。福田作太郎の筆記も併録されてる。これを福沢の書いた物と比べると面白いかもしれん。
564名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/23(水) 07:27:42.25 ID:wt01Ujae0
>>562
いや、陸戦では負けるかもしれんから、外国艦隊の支援を受けたい、ということだろ。
長州軍を率いていたのは、はるか昔からの知り合いの大村だからね。
おそらく福沢の念頭には3年前の四国連合艦隊下関砲撃や、2年前の鹿児島戦争が
あったのだろう。
外国軍を金で雇え、その費用は長州藩取りつぶしで幕府領に収用した分から支払え、とある。
小栗はフランスから金を借りようとしていたから、ここは小栗とは違う。
あるいはフランスから当座で借りた費用をそれで返済する、ということかもしれん。
福沢の第二次征長建白には小栗との連動をうかがわせるような部分は見当たらなかった。
565マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/23(水) 13:54:49.56 ID:fE7uREgZ0
>>564
おお、外国艦隊か。福沢の考え方では金は他国に出して貰うよりも自国で捻出する事が重要だったのかも知れんな。
その辺りは後の考え方に繋がってくるか。

例の石河が福沢の発言を纏めた文章からの引用だが、
http://www.aozora.gr.jp/cards/001206/files/46828_24775.html
>その計画は造船所の設立、陸軍編制等の事にして、専ら軍備を整うるの目的に外ならず。すなわち明治政府において外国の金を借り、またその人を雇うて鉄道海軍の事を計画したると毫も異なるところなし。
566名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/23(水) 14:29:19.69 ID:ky+xomja0
>>565
自伝に軍備増強関連の資金調達が書いていなかったか?
567マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/23(水) 14:46:47.75 ID:fE7uREgZ0
>長州征伐は幕府創立以来の大騒動にして、前後数年の久しきにわたり目的を達するを得ず、
>徳川三百年の積威はこれがために失墜し、大名中にもこれより幕命を聞かざるものあるに至りし始末なれば、
>果して外国人に干渉の意あらんにはこの機会こそ逸すべからざるはずなるに、然るに当時外人の挙動を見れば、別に異なりたる様子もなく、長州騒動の沙汰のごとき、一般にこれを馬耳東風に付し去るの有様なりき。
このあたりも後から冷静になって俯瞰したらそうだというわけで、当時としたら外国に動いて欲しかった面もあったのか。
福沢全集20巻入手しないとな。
568マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/23(水) 14:57:15.57 ID:fE7uREgZ0
>>566
へーマジか。征長に関しての軍資金を?
569名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/23(水) 17:00:02.60 ID:wt01Ujae0
>>565
石河のこの文章、2週間ばかりで書いたにしては詳しすぎないか?
脳卒中後の福沢がこれほど細かく指示できたとは思われない。
第1回の発作前に石河に書くように命じていたんだろうか。
570マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/23(水) 17:35:46.87 ID:fE7uREgZ0
>>569
だが石河の生年(1859年)を考えると本人が見聞したことを福沢に仮託してるとも考えられんからな。
確かに全てが福沢の指示で書かれているとは思えず、何か参考になった記述なり談話なりがあったとは考えられるが。木村芥舟によれば、福沢はこの文章について話した日の夜に倒れてる。
「時事新報」掲載までは福沢のOKは出たのではないか。
571マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/23(水) 17:47:44.02 ID:fE7uREgZ0
>>565の文章は国民新聞に載った「痩我慢の説を読む」への徳富蘇峰への反論として書かれているんだよな。
石河が蘇峰に対抗する意図を持っていたことは明白だが、福沢がそういう意図を持って指示したかはわからんな。
情報提供をするという感じだったのかもしれんし。
572名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/23(水) 19:35:07.32 ID:/KJPlzqz0
>>570
ひょっとすると福地源一郎あたりがネタもとかもな。小栗の子分だっただろ。『幕末政治家』あたりと似ているんじゃないか?
573マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/23(水) 21:14:31.24 ID:fE7uREgZ0
>>572
幕末政治家 小栗上野介
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778589/135
短いので読んだ。 事蹟の解説は兎も角、表現とかで被るとこは少ないけどな。
栗本鋤雲の書いたものにも詳しいと文中にあったのでそちらも見てみることにはする。
まあ栗本はこの時点では故人だし、痩我慢の説が世に出るきっかけを作った人でもあるが。

匏菴十種
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992845
574マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/23(水) 21:20:24.26 ID:fE7uREgZ0
俺が>>565の文章の信憑性が高いと感じる所以は、浅田宗伯の名前が出ていること。
実際小栗の日記を見ると浅田との接触は多い。一番会っている、側近に近い人だともいえる。
今浅田って行ったら浅田飴の印象が強く、小栗の名前と検索しても200件ぐらいしかでない。
現代ですら世の中に膾炙してない内々の情報が書かれていることからしても福沢の証言だと信じていいように思われる。
575マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/23(水) 21:31:48.78 ID:fE7uREgZ0
まあ会ってる回数でいえば柴田松庵の方が多いか。こちらは要調査の謎の人物。
576名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/24(木) 07:05:57.51 ID:g4IcVQe8O
570木村が情報提供者だった可能性もある
577名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/24(木) 09:16:13.62 ID:eNIybwb50
>>570
http://www.aozora.gr.jp/cards/001206/files/46828_24775.html
を読み返してみて、これは『福翁自伝』でカットされた部分を再構成したもんじゃないかという
気がしてきた。だから福沢の意向が反映されている。
578マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/24(木) 13:42:39.11 ID:4L+/zbff0
>>577
その可能性はあるだろうなあ。石河が処分した資料もあると思われるので、なんといってもこの文章は石河が手を加えたにしては、
ディティールが細かすぎる。石河が蘇峰への反論の文章に仕立て上げたのかもしれないが。
579マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/24(木) 14:57:48.07 ID:4L+/zbff0
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778158/14
参考として蘇峰の福沢追悼文。かなり褒めてる。ヴォルテールに匹敵するとまで。
580名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/24(木) 15:37:13.35 ID:Dx/BtYpG0
>>577
もしもそうなら福沢研究のなかでも大ヒットじゃん
だけどどうやってそれを証明する?
581名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/24(木) 16:25:53.57 ID:eNIybwb50
>>580
ただの思い付きだよ。そもそも従来から福沢が石河に口述筆記させたもの、と言われてきた反論文。
福沢に由来しない、というのなら大ヒットだが、由来するのなら従来の見方に変更が加えられたわけではない。
582マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/24(木) 17:29:57.34 ID:4L+/zbff0
福沢が喋れたのか喋れなかったのか糺明するのは重要だと思うけどな。
長い文章は書けなくなったかも知れないが、一応喋れて、揮毫もできたというのは確かだろう。
583マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/24(木) 17:30:52.17 ID:4L+/zbff0
究明か。ここははっきりした表現を使っておかないと。
584名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/24(木) 19:33:51.68 ID:g4IcVQe8O
脳梗塞による失語症だとふがふがでも、
なんとなく意思の疎通はできるぞ
585マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/24(木) 20:44:08.45 ID:4L+/zbff0
それはそうだな。近親に脳梗塞を患った者がいるのでわかる。
ただ福沢は揮毫もしてる訳だろ。哀悼録から医者の松山棟庵の証言を平山が引いていたが、脳梗塞からの快復は常人を外れたものがあったとされてる。
586名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/25(金) 02:38:19.34 ID:FaSs5r5oO
松山証言は肉体についてのことだろう
587名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/25(金) 10:24:18.94 ID:OOCYiApw0
よく知らないんだが、失語症は聞き取り、発話、読み書きすべてに影響するものなのか?
発話だけ?
晩年の福沢が発話が駄目になったのはわかるが、一般的な症状が具体的に思い浮かばない
588名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/25(金) 10:50:56.99 ID:Dw/oRBGs0
>>587
基本的に発話と文章作成はできなくなる。ただし手本があれば字は書ける(画像として認識)。
第一回脳卒中発作後の福沢が直接書いたという手紙は姉にあてた三通のみ、だとさ。
589マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/25(金) 18:33:37.83 ID:MRfo3p4k0
ところで嵯峨根良吉のあまり取り上げられてない建白書入手したんだが、見たいやついるか? 短いもので要旨が纏められてるのではなく、本人の書いたものと思われる。
「西洋事情」とのクロスチェックも出来そうな内容だ。日付は明治元年閏四月。死の二ヶ月末だ。
590マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/25(金) 18:48:38.62 ID:MRfo3p4k0
>>588
「独立自尊迎新世紀」は手本があったから書けたのか?
591マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/25(金) 19:03:02.64 ID:MRfo3p4k0
>>586
「心身機関の不調子がアヽ迄迅速に解けて行くとは何うも不思議で堪らない」とあるぞ。
592名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/25(金) 19:49:02.64 ID:S48qb1z00
>>589
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/the-impact-of-the-things-western-and-japanese/
とは違うもの?
それならぜひ見たい。
それから、どこに掲載されていたのか教えてくれないかな。
593マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/25(金) 20:47:09.47 ID:MRfo3p4k0
>>592
だな。違う。
「大久保利通関係文書」の4巻、89に活字化し、収録されてる。原文は国立国会図書館の憲政資料室だ。
http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/307347.html
594マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/25(金) 22:03:49.18 ID:MRfo3p4k0
要旨を書こうと思ったがわかりにくい部分や意味を読み間違う可能性があるので表記を一部わかりやすくして引用する。
得点を補い、改行や短絡も変えた。原典参照を推奨。貨幣論、礼服論まで展開している。

国政朝廷より出るに似て、その実は威な諸侯より出ず。
これ外国人の既に説く所なり、故に学校を設け、
皇家及び縉紳家の教育を先にし、広く宇内の事務に通ぜしめ、
人材の出るを待って朝廷の政を執らしめ、諸侯及び天下の人材を助く、
すなわち、皇威海外に広からん。
政一徹ならず、諸侯各権をもって度を制し、刑法国に従って異なり。
この旧弊を改め、制度刑法海内を同じうするを要す。
世間幣類多し、各その品を異にす。
今日に至って速やかに改むべきの一幣なり。
朝廷新たに銭を鋳て印するに国号をもってし、海外の幣と値を同じうして、
あまねく万国に通用するを要す。
服式なし、あるいは英国の記号ある服を着け、あるいは仏国の記号ある帽を頂く人あり。
古より衣冠は上下を分かち、尊卑を弁し、例を致す所以なり。
各国服式あり、独り 我が邦服式なきに似たり、
俗を乱し、国体を失えばすなわち外侮を受く、故に一新の服式を設けるを要す。
于預の人 朝廷の威を借り道路叱々の声をなし、もって国民を煩わす未だ聞かず、
外国この事あるを○一塁去って一塁生ず、民安んずるの日なし、除くべき一煩なり。
微賤の身をもって天下の大計を説く、各罪の至りに存じ奉り候えども、
今日に至って改めんずんば外国の侮りを浮くべき両三幣申し上げ奉り候 以上。

閏四月                    嵯峨根良吉
595マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/25(金) 22:07:53.39 ID:MRfo3p4k0
皇威海外に広からん。→皇威海外にあまねからん。
が正しい。読み間違いだった。
596マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/25(金) 22:16:58.14 ID:MRfo3p4k0
浮くべき→受くべき。
597名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/26(土) 07:24:17.93 ID:ImuykQtQ0
>>594
ありがとう! 時期は山本の「管見」とほぼ同じだね。短いのではっきりとはいえないが、骨子も同じと思われる。
598マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/26(土) 12:51:43.57 ID:wFXX1daW0
>>594
得点は「読点(とうてん)」だったな。うっかりだがこういうとこで無教養がばれる。
後本文のとこでも「例を」→「礼を」。さくっと打ち込んだからミスはあるな。
>>597
確かに「西洋事情」→「管見」の人材教育、貨幣に関する見解と類似してる。過去の嵯峨根の建白書とも近い。
今回の嵯峨根建白のオリジナルな部分として服式か。これは礼服採用を明治政府が早期になってるし、面白い箇所だと思う。
気になるのはこの建白書の提出時期である。大久保利通日記を見ると、大久保は明治元年閏4月京都にいる。しかし嵯峨根が同時期に鹿児島にいたのは荘田日記によって確認出来る。つまり建白書の起草はこの時期かもしれないが提出はそうではないといえる。
月を追っていくと、大久保は明治元年6月21日に江戸に到着した。これは嵯峨根の亡くなる6日前である。ここから考えると、この短い期間の間に既に江戸へ登っていた嵯峨根と大久保に接触があったと見る事はできないか。
大久保日記には特に関係のありそうな記述はないが。嵯峨根の墓が東京にあるのも興味深い。
599名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/26(土) 15:10:38.57 ID:fhjJftuo0
>>591
でもそれ、松山が書き取ったものだろう?
ほんとうにそう言ったかどうかなんて、分からないじゃない。
大相撲の勝利力士のインタビューを思い起こせばよい。
600マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/26(土) 15:45:43.89 ID:wFXX1daW0
>>599
まあそれはそうだなあ。松山の日誌があるから、それを確認してみないといかん。
関東圏の人でいける人が慶応大学にいったら誰でも読ませてくれると思うぞ、多分。事前連絡はいるかもしれんけどな。
601マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/27(日) 01:52:35.66 ID:DF622av80
生田目又一郎の諱が嘉教で、その父親が教次、祖父が嘉明か。
諱では経徳と共通するところはない。次男以下はまあ変わる事が多く、読みは「のり」の音が共通するけどな。
602名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/27(日) 06:46:44.62 ID:1860MknC0
>>601
どうやって調べたの?
603マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/27(日) 12:31:33.62 ID:DF622av80
>>602
http://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/db.html
ここのDBで、「勤王殉国事蹟」を検索する。
41(茨城県[中川井篤孝〜内田〓蔵])を選択。
150からが生田目又一郎の記述だ。詳しく載ってる。多分平山が参照したものと同じだと思うが。
604名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/27(日) 15:12:29.49 ID:1860MknC0
>>603
こりゃすごい! 

生田目又一郎は幕末の四年間北関東各地に潜伏していたことになるね。
経徳に関わりそうな記述はない。維新後は名誉が回復されて地域の区長だから、
地方の名士だったのだろう。

となると経徳は潜伏中にできた子か、あるいは又一郎とはまったく無関係か。
605マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/27(日) 16:14:02.79 ID:DF622av80
>>604
水戸藩には、他にも生田目姓いるようだからな。電話帳で見ても旧久慈郡には現太田市瑞龍町以外に生田目姓は分布してるとこがある。
「水府系纂」に名前はないようだから藩士としてそんなに身分は高くなかったのかもしれん。
606名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/27(日) 16:19:49.96 ID:1860MknC0
>>605
ただ、天狗党として弾圧された経験をもつ生田目は又一郎だけなのだろ?
自分の親戚が処罰されてもいないのに、桜田烈士常行会の会長になんか、なるかなあ。
607マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/27(日) 16:56:31.05 ID:DF622av80
>>606
生田目仙(扇)右衛門渉という人がいる。天狗党の前身の玉造党で、捕らえられた。獄死はしなかったようでその後の消息不明。玉造党は桜田門外の変参加組と繋がりが深い。
ただこの人の出身はちょっと分からん。生き延びたようだからかえって経歴不明。
608マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/27(日) 17:15:24.97 ID:DF622av80
面白いとこで、この玉造党の一人と思しい神永甚之允と栗田寛は友人だ。栗田といえば生田目経徳の師匠である。
そういうとこで知友関係もあるので、経徳はこの仙右衛門の倅または縁者である可能性がある。
609名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/27(日) 17:18:00.87 ID:1860MknC0
>>607
その人、>>603のデータベースに記載されていますか?
610マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/27(日) 17:55:09.02 ID:DF622av80
>>609
「勤王殉国事蹟」には残念だが記載されてないんだよな。
「水戸藩死事録」の玉造党の部分にも名前がない。後の天狗党殉難者の名簿でも名前を見た記憶が無いな。
「水戸藩史料」に引用されてる史料に名前が出てるぐらいだ。茨城にいけば探せる可能性はあるが。
維新期に活動してても、その後、特に事件に参加して亡くなってたりしないと顕彰されないから謎の人物に終わることは多い。
611マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/27(日) 18:38:11.70 ID:DF622av80
>>607
生存者野口哲太郎の「鶯谷集」の末尾を見ると、玉造党幹部の大津彦五郎以下八人の者は皆死んだとある。
ただしこれは野口自身の手になるものではなく、歌集を纏めた縁者が末尾へ記したものなので、仙右衛門が獄死したかはわからない。
歌集の本文には、仲間が一人一人死んでいったことが記されてるが、その中に仙右衛門の名前は記されてないんだよな。
実際維新後に茨城県人が殉難者を纏めた「水戸藩死事録」には大津等の名前はあるが、やはり仙右衛門の名前はない。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1117172/15
という事もあって出自は分かりにくいとこがある。
612名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/27(日) 21:02:52.61 ID:6wVlGHwg0
>>585
そんなに回復したのなら、どうして社説の立案メモが一切残されていないの?
613マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/27(日) 21:05:47.87 ID:DF622av80
念のために「殉難録稿」を確認。大津彦五郎等の名前はあったが生田目仙右衛門の名前はなかった。その後どうなったか謎が残るんだよな。
614マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/27(日) 21:41:18.09 ID:DF622av80
>>612
ここか。まだこのあたりは調べてないのでなんともいえないとこだな。
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/comment_on_sugita_satoshi_2010/07/
>社説の原案メモのようなものが残されていなければならないはずだが、そうしたメモ類は一切残されていない

失語症の根拠として示されている鎌田栄吉の福沢病中病後のエピソードはネットで読める。引用されてるものとは違うようだが、
こちらの方は口語体でわかりやすい。
確かに「言葉などすっかり忘れてしまった。文字なども無論忘れてしまっております」とはいってる。
だが、困難は伴いつつも、鎌田と福沢が会話をしてることは前後の文章でわかる。失語症といっても完全に喋れなくなる感じではなく、
ところどころ言葉が発声できなくなるという感じではなかったのか。文章を書くことはあきらかに不得手になったのは確かだろうけどな。


「鎌田栄吉全集」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1914341/130
615名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/27(日) 22:53:23.59 ID:xBJm/ur1O
どこまでもグレーだな
616マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/27(日) 23:17:15.13 ID:DF622av80
>>615
そこなんだよな。福沢ほど知名度があり、史資料が豊富な人物でも細かい事実を確定するのは相当に難しいことがある。
なおさらもっと史料の少ない人物であれば何か一つのことを事実だ、真実だと言いきれるのかと言う微妙さがある。
617名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/28(月) 12:13:49.30 ID:+oSit7av0
脳卒中発作後の福沢については、家族にも弟子にも、
頭の中身は正常であってほしい、新聞を指揮できる状態であってほしい、
という強い願望や、そう報道する動機があったことを、忘れてはイカンだろうな。
618マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/28(月) 13:10:40.69 ID:qJqVzLDN0
そういう部分はあるだろうなあ。しかし、複数の弟子の証言が残ってるわけだが、いずれもそれなりには快復していたと伝える。
全員が口裏を合わせていたのか?
福沢が全く言葉が喋れない状態になっていたら何らかの証言になって残ってると思われるんだよな。平山が参考にした鎌田も喋れたとは言ってるわけで。
619マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/28(月) 15:01:41.93 ID:qJqVzLDN0
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/954783/69
鎌田の別の著作で御下賜金が会った当時の福沢の様子が描かれてる。寝ていて、人をやったとは書いてるが、
使い道について家族や弟子に指示を出してる。名誉に関わる部分の記述なので、創作したとは思えんなあ。
明治のことであるし、今の医学的な文脈の失語症と同じニュアンスで弟子が使っていたかも謎だ。
万が一嘘も方便で、喋れなくなった福沢は独立自尊の精神に反するとして家族や弟子が隠したとして、その証拠は欲しいところだ。
もちろんこの事と晩年の社説の執筆者が誰か、と言うのはまた別の話ではある。
620名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/28(月) 15:22:42.43 ID:GZnoXe5Z0
>>618
だったら文章も書けたんじゃないか、とも思うが、それはいくらもないんだろ?
621マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/28(月) 15:30:42.44 ID:qJqVzLDN0
その辺りは確かめて見ないとな。
「福沢諭吉全集」「書簡集」の方をあたって、1898年以降に書かれた文章を探してみるか。
ttp://kenkyuyoroku.blog84.fc2.com/blog-entry-869.html
で見る限り、倒れた以後の明治32年の書簡も減ってはいるものの何点か掲載されてるぞ。
622名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/28(月) 15:49:41.33 ID:+oSit7av0
>>621
これがその指摘かな。

この社説も含め昭和版にはいずれも福沢の指示によって石河が起筆した旨が注記されているが、
これは明白な虚偽である。
発作後初めて筆を執ったのは姉の鐘宛の書簡(一八九九・八・三)であることは確実なので、
九九年二月一五日から七月二七日にかけて掲載された二二編は、
口も利けず字も書けなかった福沢から指示を受けて起筆されたことになるからである。
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/comment_on_sugita_satoshi_2010/07/

「発作以後」と「福沢書簡」でググっただけで、簡単に見つけられた。
623マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/28(月) 17:16:27.18 ID:qJqVzLDN0
>>622
一応筆は執れてる訳だな。8月3日の鐘宛以前に、
小田部菊市、中川横太郎宛ての書簡があるようだがこれは口述筆記なのか?
624名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/28(月) 17:22:23.70 ID:AXxK+TX50
平山なら虚偽というのかな
625名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/28(月) 19:33:13.69 ID:wGB3fMzv0
>>621
福沢本人が書いた文章を探してくれよ!
626マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/28(月) 22:07:00.49 ID:qJqVzLDN0
古本だが福沢諭吉全集そこそこ高いな。端本一つで変動は大きく、数百円〜数千円ぐらいする。
627名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/29(火) 05:56:10.45 ID:a3AKzLzT0
>>626
全集でほんとうに必要なのは20巻と21巻と別巻だけだろう。
あとは調べたくなったらどこかの図書館に行けばいいし。
628名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/29(火) 11:15:19.42 ID:CopMHSGf0
福沢諭吉全集の著作権は切れているよな
画像だけでいいから誰かアップしてくれればいいのにさ
629マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/29(火) 13:26:51.73 ID:Lu+PbiAu0
>>627
その辺りは手元に追い説くべきだなあ。弾劾一件とかも収録されてるし。
>>628
マジで希望。やはり見れるのが福沢全集と続福沢全種だけだとな。
630マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/29(火) 14:36:11.79 ID:Lu+PbiAu0
続福沢全集だった。
ところで国立国会図書館のデジタルアーカイブ繋がらん。何か作業中か。
631名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/29(火) 18:55:20.37 ID:a3AKzLzT0
>>629
明治版の分は慶應のHPで見ることができるからイランだろ。
632名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/29(火) 19:28:35.37 ID:Ur3dd6zyO
勝手にアップしたら岩波からクレームがつくんじゃないか
633マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/29(火) 20:47:35.00 ID:Lu+PbiAu0
>>631
それはそうだなー、このスレ的には諭吉全集の方の資料編の方が重要ではある。
>>632
校訂者の著作権が関わってくるからな。富田正文の著作権が切れるのが今から31年後。土橋俊一は不明。
634名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/29(火) 21:56:15.87 ID:a3AKzLzT0
>>633
あと福沢諭吉事典を入手しておけば、たいていのことは調べがつく。
635マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/30(水) 01:34:27.95 ID:jXLNUFju0
>>634
事典は入手したいが高いな。一万五千円か。
636名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/30(水) 09:01:40.64 ID:r9NtAqCT0
>>635
アマゾン中古で8600円で出ています。
637名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/30(水) 09:23:28.02 ID:34eEK8Di0
平山 洋『福沢諭吉の真実』(文春新書)は、福沢晩年の、とくに帝国主義的な論説はすべて弟子の石河幹明による
ものだったとして、福沢は生涯を通して民主主義者だったと主張しました。
 福沢は膨大な著作を残しておりますが、その多くは自ら創立し、論説主幹をつとめた時事新報の社説です。したがって当然、無署名です。
その無署名論説に対し平山氏は、先行研究の井田進也氏による「語彙や文体の特徴」から判断する筆者認定法を適用し、とくに日清戦争以降の社説は、
「民族差別主義者・天皇制賛美者」の論説記者・石河らによるもので、福沢の執筆ではなかったと主張、福沢は死ぬまで「市民的自由主義者」だったというのです。

 しかし、明治一五年、伊藤博文らの要請を受け、自由民権運動への対抗言論機関として時事新報社を設立、ここを舞台に論陣を張った福沢が、
日清戦争時には全国第二位の一万円の献金を拠出するほどに意気軒昂だったのに、新聞社にとって最重要の社説を記者まかせにすることなど到底考えられません。

 事実、本書の著者、安川寿之輔氏が平山氏の挙げている事例を『福沢諭吉全集』の原文に当たって検証してみると、そのほとんどが平山氏の作為と虚偽、
あるいは研究不足によるものだということが判明したのです。
 たとえば、日清戦争の開戦後まもなく福沢は、義捐金を呼びかけるとともに二回連載の社説「日本臣民の覚悟」を掲載しますが、
その筆者は福沢ではなかったと平山氏も井田氏も主張します。理由は、民主主義者・福沢が「臣民」などという用語を使うはずがないからだというのです。

 しかし安川氏は、福沢がこの一〇年も前から「臣民」という新しい語を発明し、使用していたことを実証します。
 このように本書は、平山、井田氏の主張を検証したものですが、平山氏の取り上げた論説が日清戦争期に集中していたため、
期せずして福沢の戦争論と天皇制論を浮き彫りにするものとなりました。書名の由来です。

 なお、本書の序章では、著者から見れば「作為と虚偽の書」である平山氏の本がマスコミできわめて好意的に取り上げられたことについて述べられています。

 図書紹介と軽く考え勝ちですが、一冊の本を取り上げることについて、それをどう書評するかについて、一研究者からの問題提起として、深く考えさせられます。
638名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/30(水) 09:34:14.49 ID:34eEK8Di0
>>80
脱亜論は中国人に大人気だな
639名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/30(水) 09:47:09.80 ID:34eEK8Di0
ネトウヨに読んで欲しい脱亜論の真の意味 [Kindle版]
http://www.amazon.co.jp/dp/B00I8Z69RM
の内容は以下の通りです。

------------------------------------------------------------
内容紹介

 最近、インターネット上の掲示板やブログ、まとめサイトなどでは、
いわゆる嫌韓、嫌中が蔓延っている。そのような中には、明治18
(1885)年3月16日に日刊紙「時事新報」の1面に掲載された
社説である『脱亜論』を褒め称える論説がある。
どのような内容か一例をあげると、

「福沢諭吉すげーwww100年前から法則を言い当ててるwww」
「日本は朝鮮併合なんてしなければよかったんだ」
「この当時から中国朝鮮は世界の害悪だったんだな・・・」
「この頃から何も進歩してない中国と韓国」
「明治の時代から差別される朝鮮人w」

などなど。つまり福沢諭吉の先見性、世界観などがすごい、そして
いかに昔から中国・朝鮮が悪い国であったかを表しているとの書き込み
である。そしてそのような人たち(ネトウヨ)の考えは、中国、朝鮮と
友好関係を結ぶべきではないという結論に落ち着いている。しかしこれは
福沢諭吉の考えをまるで理解していない、自分に都合のいい情報をいいように
解釈しているただの「ネットで真実を知った人たち」なのである。

 私はこのような「ネトウヨ」の考えを根底から否定し、福沢諭吉が
どのような考えを持って脱亜論を書いたか説明したいと思う。
640名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/30(水) 09:48:21.07 ID:34eEK8Di0
「福沢諭吉すげーwww100年前から法則を言い当ててるwww」

↑慶應信者
641名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/30(水) 12:23:46.19 ID:TIrcrc9T0
ネトウヨ=福沢信者
福沢=ネトウヨの教祖様
はっきりわかんだね
642名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/30(水) 13:30:16.59 ID:r9NtAqCT0
>>637
>理由は、民主主義者・福沢が「臣民」などという用語を使うはずがないからだというのです。
の出典を教えてくれ。『福沢諭吉の真実』の何ページにあるのかと。
643名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/30(水) 14:01:26.17 ID:a4aABD+R0
今さら民主主義がどうのこうの
なんてタワゴトを言う奴がいるとは驚きだ。

それに、いわゆるネトウヨと慶応関係者は
まったく階層が違うだろう?
644名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/30(水) 14:17:48.53 ID:a4aABD+R0
>>639
あと、自分が言いたいことは
この本のレビューに尽くされている。

トラ猫氏の感想は秀逸だ。
645名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/30(水) 15:45:25.53 ID:r9NtAqCT0
>>644
>>266に全文がありますよ。 ID:34eEK8Di0は小高翔本人で、定期的にステマを仕掛けてくるんです。
でもぜんぜん売れていないようで。 w
646名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/30(水) 15:47:23.55 ID:r9NtAqCT0
>>266ではなく>>268でした。トラ猫さんのレビューは。
647名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/30(水) 16:08:46.93 ID:sAUQJtFu0
おい、落ち着け!
>>637>>639の中身ではない。なんだよこれ。>>639の主張は
平山さんとほぼ同じで、>>637はぜんぜん違うところから
引っ張ってきている。
>>637は安川本に関する高文研の梅田正己の紹介文だ。
ひでえな。ソースくらい明示しろ>>637
648マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/30(水) 16:45:07.29 ID:jXLNUFju0
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_tbl.php
ここで検索したら普通に「臣民」でるぞ。平山の言ってた「皇張」と「興張」もでるが。
649マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/30(水) 16:55:27.86 ID:jXLNUFju0
俺が「ネトウヨ」視する一つの条件は中国に行った事も、中国史を学んでもいないのに中国批判をするやつか。
そんでアメリカは行った事あるのでアメリカよりと。
この「中国」は別の人、物、あるいは国を代入してもいい。
650名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/30(水) 17:02:30.69 ID:r9NtAqCT0
>>647
そういうことでしたか。妙な書き込みがあると荒れますね。

ところで図書館に行って、『福沢諭吉書簡集』第九巻を借りてきました。
脳卒中発作後の手紙は、明治31年11月10日付の2260番から、
明治33年12月31日付の2271番までの12通。

うち代筆でも印刷でもないのは、姉の鐘宛の明治32年8月3日(2262番)と
対馬健之助宛明治32,33?年7月21日(2268番)、そして鐘宛の明治33年10月14日(2269番)の
3通だけ。2268番は発信年未記入なので、2通だけというほうが正しそう。

最初の発作以降、亡くなるまでの2年5ヶ月で、2通だけ。

2262番には、「今日病後はじめて筆にしるし」とあります。
やっぱり最初の発作後10ヶ月間は、何も書けなかったんじゃないかと。
651マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/30(水) 17:25:42.45 ID:jXLNUFju0
>>650
おお、どうも。
殆どは代筆とか印刷なのか。それを見る字書くことはうまくいかなくなった方がいいな。
社説に関しては病後の殆どは他人の手になるものだろうとは思われる。ただ気になるのが、
ビヤヅリー氏歓迎会に於てというもの。これは福沢の書いた物を子息一太郎が上野精養軒で行われた同会で朗読したものらしい。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1078087/279
652マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/30(水) 17:49:05.80 ID:jXLNUFju0
>それを見る字書くことはうまくいかなくなった方がいいな。
それを見るに字を書くことは上手くなったと見た方がいいな。
だった。

筆記能力が衰えたと考えると、後は口述筆記が重要視される訳だが、
コミュニケーションはできたという風に鎌田は証言してるんだよな。
実際>>651も外部に情報を伝えることができなければ、書くことができない訳だ。
誰か弟子が福沢になりきって書いたと見てもいいかもしれんが、経歴を間違えてるあたりが却って本人の談話に基づくものではないかとも思える部分があったりする。
病前に福沢の書いた物を参照したとしたら、こう言う間違いは起こらない訳だから。
653マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/30(水) 17:58:51.80 ID:jXLNUFju0
>>651
福沢の書いたものとついうっかり書いたが、正格には福沢の喋るのを記者が書き留めたものだな。

後、続福沢全集と福沢諭吉全集ではタイトルが若干違う。
654名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/30(水) 19:55:44.75 ID:3ud5RyZjO
その演説については真実になにかあった気がす
655マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/30(水) 22:30:12.40 ID:jXLNUFju0
まじかー。どんな感じだ。
656名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/30(水) 22:38:30.98 ID:34eEK8Di0
>>644>>646
トラ猫さんのレビューがまんま

>「福沢諭吉すげーwww100年前から法則を言い当ててるwww」

これなんだよねww

内容紹介

 最近、インターネット上の掲示板やブログ、まとめサイトなどでは、
いわゆる嫌韓、嫌中が蔓延っている。そのような中には、明治18
(1885)年3月16日に日刊紙「時事新報」の1面に掲載された
社説である『脱亜論』を褒め称える論説がある。
どのような内容か一例をあげると、

「福沢諭吉すげーwww100年前から法則を言い当ててるwww」
「日本は朝鮮併合なんてしなければよかったんだ」
「この当時から中国朝鮮は世界の害悪だったんだな・・・」
「この頃から何も進歩してない中国と韓国」
「明治の時代から差別される朝鮮人w」

などなど。つまり福沢諭吉の先見性、世界観などがすごい、そして
いかに昔から中国・朝鮮が悪い国であったかを表しているとの書き込み
である。そしてそのような人たち(ネトウヨ)の考えは、中国、朝鮮と
友好関係を結ぶべきではないという結論に落ち着いている。しかしこれは
福沢諭吉の考えをまるで理解していない、自分に都合のいい情報をいいように
解釈しているただの「ネットで真実を知った人たち」なのである。

 私はこのような「ネトウヨ」の考えを根底から否定し、福沢諭吉が
どのような考えを持って脱亜論を書いたか説明したいと思う。
657名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/30(水) 22:45:20.99 ID:34eEK8Di0
 事実、本書の著者、安川寿之輔氏が平山氏の挙げている事例を『福沢諭吉全集』の原文に当たって検証してみると、そのほとんどが平山氏の作為と虚偽、
あるいは研究不足によるものだということが判明したのです。
 たとえば、日清戦争の開戦後まもなく福沢は、義捐金を呼びかけるとともに二回連載の社説「日本臣民の覚悟」を掲載しますが、
その筆者は福沢ではなかったと平山氏も井田氏も主張します。理由は、民主主義者・福沢が「臣民」などという用語を使うはずがないからだというのです。
658マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/30(水) 22:48:56.03 ID:jXLNUFju0
安川という人物は謎だな。
659名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/30(水) 22:58:40.02 ID:34eEK8Di0
>>658
そうなの?
660マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/04/30(水) 23:18:36.82 ID:jXLNUFju0
なんか福沢諭吉に対して強烈に恨みがある爺さんというぐらいだ。
教員をしてたらしいがちゃんと教えてたのか。
661名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/01(木) 05:54:42.77 ID:u9KY0syo0
>>652
>>654が指摘してんのは、『真実』で、演説中福沢の経歴が間違っていたところだろ。
『福翁自伝』を口述筆記したばかりなのに、ビアズリー演説では、
「外国方に採用されてから咸臨丸に乗った」と述べている。
これはありえんことだろうて。

あと、>>660については、昔ここの過去スレで、安川の身上調査みたいのをやったはず。
福岡高校では朝鮮戦争反対運動(って、要するに北朝鮮のスパイか?)、
神戸大学では被差別部落の研究者、そして名古屋大学大学院で
福沢の教育を批判、なんていうか、絵に描いたようなだ。

宮城教育大学、埼玉大学、名古屋大学と日教組の拠点みたいなところを
渡り歩けたのも、代々木人事のなせるワザか。

マグナさんには、安川の経歴について、もっと突っ込んだ調査をしてほしい。
なにしろ素性が知れないということでは、生田目に匹敵する御仁で。
662名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/01(木) 11:44:35.66 ID:lCeZVwF10
>>661
>これはありえんことだろうて。
『福翁自伝』の口述筆記が正確すぎることの方が重要なんじゃね?
福翁自伝は福沢フリークの第三者が入念にチェックしたような気がする
663マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/01(木) 16:12:18.52 ID:d+4mNIwK0
>>661
そこは重要なんだよな。ビアズリー(と書くと同姓の画家の絵がつい浮かんでしまうが)演説は、速記的に作られた感がある。
つまり福沢かもしくはそれに近い弟子が喋って書き、それを筆記したという流れだ。
もしかすると筆記者は書かれている通り、ただの新聞記者かなんかで福沢にはそれほど詳しくなかった可能性もある。

存命人物はなあ。少なくとも兵庫県の電話帳に安川姓は多いな。
>>662
福翁自伝は福沢が文章に手を入れてるとか聞いたことあるがあれはこのスレ的にはどうなんだ。
664マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/01(木) 19:36:10.29 ID:d+4mNIwK0
生田目の顔写真載ってる本入手したぞ。
しかも蓑田胸喜の友人で同じく危険人物宅野田夫とツーショット。
665名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/02(金) 06:39:14.78 ID:IQn3xors0
>>662
自伝の連載は脳卒中の発作後にも続いたが、
発作前に福澤自身が入念なチェックをして、弟子に
浄書させていた。
つまり、口述筆記ではあるが、中身は福澤が
保証している。
666名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/02(金) 08:02:23.05 ID:HELX+Ea00
なぜスレタイから悪人を外したの?
途中から慶應義塾関係者の福沢研究者に乗っ取られたのか?
667名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/02(金) 08:04:42.88 ID:HELX+Ea00
118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/25(月) 09:05:20.31 ID:O/fGWhot0
>>112
けっきょく苅部教授は「脱亜論」の趣旨に賛成しているわけ?
668名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/02(金) 08:53:46.01 ID:L+hAcHEC0
>>664
なんて本? ぜひ教えてくれ
669マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/02(金) 12:04:24.71 ID:4eMegIol0
>>668
「日本主義的教養の時代」 竹内洋・佐藤卓己編の256ページ。佐藤論文内に収録。「日本第一新聞」第33号からの転載らしい。
何でも宅野は南町塾という私塾を作っていた。そこから発行されてたのが「日本第一新聞」。
南町は南朝に通じるということで南朝忠臣の遺風継承を目的としていたということだ。
1934年頃には毎月第三日曜日午後一時より水戸学者生田目経徳による「憲法志料」講義が行われていた。顧問は末永節、蓑田胸喜。
垂れ目でどこか陰鬱な顔をした禿頭の男である。年齢は60、70ぐらいか?
670名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/02(金) 12:40:03.39 ID:2LldXyyT0
憲法志料って何だ?効いたことがないな
671名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/02(金) 13:15:12.39 ID:L+hAcHEC0
>>669
おお、ありがとうございます!
672マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/02(金) 14:13:37.71 ID:4eMegIol0
>>670
俺もよく分からんのだが、
http://tsaya.sakura.ne.jp/minogami/yowa50.html
>明治十年から司法省で「憲法志料」が出版になったが、これは故木村正辞(まさじ)博士の編纂で、推古天皇から後陽成天皇の慶長年中に至るまでの法文を集めたもの

ネットで見れる。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991745
>印記: 司法省図書印章 陽春廬記 宅野田夫
とあってなるほどと。見ると確かに漢文で各時代の法文が纏められてる。聞くところによるともう昭和半ばぐらいには漢文を自在に読みこなせる人は減ってたらしいので、古株で蘊蓄と実績の多い生田目が抜擢されたという感じではなかろうか。
673マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/02(金) 14:15:29.73 ID:4eMegIol0
あと木村正辞が生田目の先生だった可能性もあるな。
674マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/02(金) 14:17:08.06 ID:4eMegIol0
昭和半ばぐらい→昭和一桁ぐらい
675名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/03(土) 02:59:11.07 ID:Q65ouKQYO
生田目の先生は津田信存
676マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/03(土) 13:21:55.14 ID:1tg/n20W0
津田は水戸の先生ではないか。木村は帝国大学の国書課にいた時の先生だと思われる。
677マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/03(土) 13:31:30.68 ID:1tg/n20W0
ところで諭吉全集十九巻入手したぞ。何か質問あるか。
678名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/03(土) 15:24:33.30 ID:EGEdiHSV0
どうでもいいけど中津(なかつ)のアクセントって平板じゃないのか?


  か つ

なの?(頭にアクセント) youtubeにある福沢諭吉のアニメーションでそう発音していた。
679マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/03(土) 15:41:21.28 ID:1tg/n20W0
大阪に中津って同名のとこがあるが、それは(俺の知る限りでは)平板なアクセントだな。
680マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/03(土) 20:48:38.16 ID:1tg/n20W0
倒れる二日前の講演が最後だな。福沢全集に収録されてる分では。
あんまり長時間喋れる状態ではなくなったというのはどうも確かっぽいなあ。
681名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/04(日) 00:18:43.13 ID:bU1+W6HF0
>>679
なるほど。これは現地の人がどう言ってるか知りたいところですわ

>>677
全集とは直接関係ないだろうけど、『脱亜論』は福沢の書いたものではない、
って話を聞いたが真実はどうなんだろう。
文体が福沢のものと違うとか、実際に書いたのは石川敏明(とメモってあるが、
このスレにも出ている石河幹明の間違いと思われ)らしい、って某予備校講師が言ってた。
682マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/04(日) 01:20:35.46 ID:FMZVjAfw0
>>681
このあたりの比較は既にもう何人も行ってるんだろうが、ちょっとやってみるか。
俺は「脱亜論」は福沢の書いたものだと思う。なぜなら表現がその著書と被る箇所があるから。
細かい語彙の被りは相当あるので表現がある程度近似したものだけを掲げる。

脱亜論は、
http://www.jca.apc.org/kyoukasyo_saiban/datua2.html
後は全てデジタルアーカイブからの引用。

脱亜論
>世界交通の道、便にして

品行論
>近来は世界交通の道至便

脱亜論
>唯交通の利器を利用して勢に乗ずるが故のみ

士人處世論
>何れも人間交通の利器にして之を利用すれば日本はむかしの日本にあらず


脱亜論
>支那朝鮮の士人が惑溺深くして科學の何ものたるを知らざれば、西洋の學者は日本も亦陰陽五行の國かと思ひ

時事小言
>畢竟支那人がその国の広大なるを自負して他を蔑視し、
>且数千年来、陰陽五行の妄説に惑溺して事物の真理原則を求るの鍵を放擲したるの罪なり。


脱亜論
>輔車唇歯とは隣國相助くるの喩なれども、今の支那朝鮮は我日本のために一毫の援助と爲らざるのみならず、

時事小言
>輔車相依り唇歯相助るとは、同等の国と国との間には通用すべしと雖ども、
>今の支那、朝鮮に向て互に相依頼せんことを望むは、迂闊の甚しきものと云うべし。何ぞ之を輔と為し又唇と為すに足らんや。
683マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/04(日) 01:49:25.35 ID:FMZVjAfw0
まあ福沢の著作で立案とかなってるものはどこまで福沢の手が入ったのか微妙ではあるが。
684名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/04(日) 05:40:33.55 ID:oBzXam0OO
マグナさんは平山さん以上だね
685名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/04(日) 08:12:29.74 ID:bU1+W6HF0
>>682
具体的な比較サンクスです。確かに似通ったどころか、もろ被りの表現が多く見受けられますね。

福沢の著書はタイトルだけしか知らないものが多いが、やっぱ一通り読まないといかんですね。
こういう話になったとき自分なりの確信とか考えも持てないなあと思った。
686名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/04(日) 08:56:43.23 ID:dBNn3KXf0
>>682
本当にすごいね、マグナさんは。
ところで平山洋が進めている全集未収録社説の起草者推定作業
   ↓
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/report-on-presumption-of-the-writer-between-1882-03-and-1885-03/

が、どれくらい確からしいのか、ちょっと検討してみてくれませんか。

平山さんは自信たっぷりなんだが、はたしてそう言えるのかどうか疑問があります。
687名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/04(日) 14:21:02.47 ID:DqR3HnMY0
なるほどね
平山は使われている文字ばかりみていたけど
マグナさんは社説の流れから他の著作とちゃんと紐付けている
一枚上手だ
688マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/04(日) 14:33:41.71 ID:FMZVjAfw0
輔車唇歯については推定渡辺治のコラムがあるが、福沢の示唆はあったのかもしれないな。
時系列的には時事小言が最初だ。
689名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/04(日) 14:46:13.81 ID:dBNn3KXf0
>>687
難しいのは、文体というか表現というのは、弟子も同様に使うことがあるということです。
「脱亜論」と福沢著作には表現のダブリがあるのは確かですが、
弟子が書いた社説にもダブリがある。
となると、「脱亜論」は弟子の必死の作の可能性もある、と堂々巡りに。

>>688
その表現は、実は当時の流行語かもしれませんしね。
690マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/04(日) 23:31:04.88 ID:FMZVjAfw0
>>689
>文体というか表現というのは、弟子も同様に使うことがある
それはあるな。師匠に敢えて似せて書くという事は全員で「福沢諭吉」と言う意識があったのかもしれん。
今の著作権意識と大分違うだろうからなあ。師匠が弟子の書いた物に手を入れるのはもちろん、その反対も許される雰囲気だったのかもしれん。
691マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/05(月) 02:25:02.47 ID:VUzFjxv/0
>>686
結構難しいとこはあるな。綺麗にテキスト化されてないし、pdfだと字がかすれてて文字が読みにくいと事かあるしという外面的な問題でもそうだが、
数個見てみたところでは、うまいこと福沢著作と表現が被るとこは少ないな。そういう意味でも著作と被るところが分かりやすい「脱亜論」はやはり名文じゃね。
692名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/05(月) 08:40:49.32 ID:Bk1lmMu00
>>690
いや、そもそも新聞社説なのですから、福沢を含めて時事新報社の意見、という感覚があったのでは。

>>691
そうなると、石河は自分が入社する前に新聞に掲載された社説を、どうやって選び出したのかな。
693マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/05(月) 14:49:00.82 ID:VUzFjxv/0
石河個人の文集とかでてないのかねえ。
694名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/05(月) 15:14:26.52 ID:TamfPFer0
平山が石河社説集でも作ればいいのにね
695名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/05(月) 15:58:21.59 ID:Bk1lmMu00
>>693
これは? 石河幹明の仕事とあるが
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/
696名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/05(月) 16:00:56.22 ID:Bk1lmMu00
うまく指定できんな。下が具体例
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h50/
697マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/05(月) 17:19:14.63 ID:VUzFjxv/0
>>696
読んだ。そこそこうまい文章だな。
福沢は西洋文明を、石河は共産主義に対して病気の比喩を用いてるな。
698名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/05(月) 17:35:47.01 ID:Bk1lmMu00
>>697
続福沢全集に入っている石河が書いた社説だとさ。福沢没後10年!!よくやるなあ、石河。
これらを石河の文章のデータベースにできないか?

1911-01-24 「事に原因あり」
1911-01-25 「平民主義の謀反人」
1911-01-26 「袞龍の袖に隠る」
1911-01-27 「政府城の割拠」
1911-01-28 「逐風捉影の愚」
1911-01-29 「極端苛烈の気風」
1911-01-31 「上流の泉源濁る」
1911-02-01 「局外の老政治家」
1911-02-02 「上下親愛」
1911-02-04 「当局者に望む」
699マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/05(月) 18:32:51.23 ID:VUzFjxv/0
>>698
明治31年社説「儒教主義の害は其腐敗に在り」とか一瞬石河のものかなとは思ったものの違うな。
700名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/05(月) 20:34:19.29 ID:Bk1lmMu00
>>699
1898年3月15日付けのもんだね。昭和版になって増補分。石河「ではない」とする根拠は?
701マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/05(月) 20:41:24.07 ID:VUzFjxv/0
”周公孔子”という言葉が使われてるからか。
平山サイトを検索すると福沢とされてるコラムの中でも”周公孔子”が使われてる。
最初はちょっと石河の文体に似てるかと思ったのだが。
702マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/05(月) 20:42:15.42 ID:VUzFjxv/0
後、こう言う風に表現を繰り返して飲み込みやすく説明するのは福沢の文体かなと。
703名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/05(月) 21:57:10.15 ID:Bk1lmMu00
>>701>>702
おおっ、説得的なご意見。平山さんのほうにタレ込んどきなよ。感謝されるよ、きっと。
704名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/06(火) 12:07:03.23 ID:YxdVaXt+0
つまり福沢=石河なんだよ
705マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/06(火) 12:38:10.22 ID:AFfkzfET0
ヤフオクで西洋事情でてるな。
http://page6.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/f134272176
706名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/06(火) 16:53:52.80 ID:80U0KinK0
>>704
アンカーくらい付けろよな
707マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/07(水) 01:09:16.49 ID:wZacjNs60
福沢全集21巻は興味深いな。特に金銭出入帳が。これで福沢の病状等は分かる可能性がある。
708マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/07(水) 01:10:54.00 ID:wZacjNs60
福沢家全体のは別巻の方か。
709名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/07(水) 20:25:21.05 ID:u9IadTZ00
>>707
福沢本人が書いた出納帳だから、病気になってからの分はないだろ
710マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/07(水) 21:14:32.44 ID:wZacjNs60
>>709
別巻の方に福沢家の金銭出納帳が収録されてるらしい。明治32年前後の。
711名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/08(木) 18:23:06.53 ID:xZfDgw570
>>710
別巻の「金銭出入帳」を確かめてみた。明治30年6月1日から明治33年7月8日まで。
ただし「三十一年九月脳溢血症を発して以後はすべて夫人の筆蹟」(149ページ)
とある。
712マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/08(木) 18:34:18.65 ID:DnZXRo4I0
夫人か。内容的にはどうだ。日を追っていって何か福沢の健康状態を示唆するような記録あったりするか?
例えば自分から意図して書物を買ったりとか、福沢自身がどこかへ出向く費用とか。
713マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/08(木) 18:36:16.44 ID:DnZXRo4I0
福沢の精神が復活してなかったとすると、出入帳の記述にはそれらしい記述が出てくるはずだからな。
証言とかだったら嘘を言う可能性があるがが、普通に考えると金の出納に関しては嘘はないと思うので。
714名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/09(金) 06:25:12.37 ID:XGNdrE4f0
>>712
諭吉の病状について示唆している記述はないな。よくある家庭の出納帳だよ。子供への仕送りとか。
715名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/09(金) 06:36:43.95 ID:XGNdrE4f0
>>713
明治31年11月12日に東大医学部のベルツに50円を支払っている。
これは急性期の治療費で、ここまででひと段落だったのかもしれない。

だいたい、出入金と「銀座地代」だの「新聞社俸給」だの簡単な項目だけだから、
福沢の意思が作用したかなんて、わかりっこないよ。

ただ、ちょっと気になったのは、支出の項目で、「朝鮮人へ」というのがあり、
明治31年9月28日に710円が支払われている。

調べてみたら、発作の前もあともずっとほぼ毎月同日に710円が支出されている。
親日派朝鮮人への支援だろうか。
716名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/09(金) 13:19:21.85 ID:NZS5FbCY0
そんな支援が晩年に行われていたなんて初めて聞いた
本当なのか?
717名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/09(金) 13:54:15.85 ID:XGNdrE4f0
>>716
日清戦争後瞬間的に親日政権が樹立された。しかし朝鮮国王はそれを好まず
ロシアと手を組もうとして親日政権は崩壊。

どうもそうした人々に資金援助していたんじゃないかと。
718マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/09(金) 14:23:00.11 ID:6eu6vvcy0
>>715
あんまり詳細な内容ではないっぽいなあ。
支援金は確かに興味深い。当時710円っていったら相当な額だろ。
719マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/10(土) 13:59:52.52 ID:EvjBvRXy0
別巻には他にも「語(戯去戯来と記しながら……) 明治32年秋」というのもあるが、
これもあんまり内容のあるものではなさそうか。
720名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/10(土) 16:02:24.23 ID:jqSwjWIg0
脳卒中になってからの福沢は、やっぱり文章らしい文章は書けなかったんじゃないか?
721名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/10(土) 16:33:32.26 ID:3m7eP+9W0
いや絶対書けたよ
722マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/10(土) 17:15:39.46 ID:EvjBvRXy0
弟子以外で、福沢の体調を知れた人間の記録とかはないのか。明治も30年になってからだし、それなりにあるはずだが。
723名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/11(日) 07:34:25.86 ID:tpKHHBW60
>>721
根拠を
724マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/11(日) 18:56:16.75 ID:YpntN9OH0
止まったな。何か新ネタないのか。

某スレから転載だが↓


「岩倉公実紀」によると大隈は伊藤博文とそれほど意見に違いがあったつもりはなかったらしいぞ。「帷(唯か?)小異アルノミ」だとさ。下巻p1746
どうも大隈が上奏文をある意味独断で出してしまったらしい。その際、有栖川宮熾仁親王に覆奏を願い、親王もこれを奏したらしいが、
内容を見てみると明治十五年に議員を選挙し、明治十六年初頭に国議院を開くべきというような内容で親王は驚いた。そこで三条実美と岩倉具視に相談し、
大隈に問いただすと、伊藤と意見に殆ど違いはないと答えたらしい。伊藤に聞いてみると、前伊藤が自分の意見書を見せたとき大隈は異義はないと言った。
にも関わらず、今更こういうことを上奏するとは分からない。こういう人間と政治を行うことは出来ないと言った。それ故に伊藤は大隈の職を解こうと動き始めたらしい。
実際伊藤自身が大隈の上奏文をメモしてる訳だから、衝撃ではあった訳だろう。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3860372
まあ大河ドラマでこう言う細かいところまでやる必要はねえわな。
725マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/11(日) 18:57:14.73 ID:YpntN9OH0
福沢の関与はどれぐらいだったんかね。少なくとも弟子に政治家が多かった事は分かってるが。
726マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/11(日) 19:59:54.39 ID:YpntN9OH0
井上、伊藤宛の福沢書簡も読了。なるほど、福沢は>>724的な事情は殆ど知らなかった訳だな。
なんか知らないうちに勝手に知らない方向に流れていた、という感じで当惑してるのが分かる。
727マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/11(日) 22:46:21.44 ID:YpntN9OH0
>>724
訂正。
”帷”じゃなく”惟(ただ)”だなこれ。
728名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/12(月) 09:57:47.44 ID:Z0ob0PQx0
>>726
福沢としては維新直後に『英国議事院談』を出版しているので、
明治14年ともなれば、とっくに国会開設の機は熟していると考えていたのだろう。
国会開設となれば維新の元勲たちは力を失うかもしれないので、
伊藤らが時期尚早と抵抗したのもうなずける。
729マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/12(月) 13:37:00.85 ID:Mda+pHLV0
>>728
「明治辛巳紀事」読んだ。短いので是非読んで見ることをお勧めする。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1078138/245
これを見た限り福沢は国会開設を強く推進してたようには見えないな。寧ろ開設を迫る鹿児島県人に対し、開かれないと決まったことではないとしつつ、いさめたとある。
それどころか大隈との繋がりも世人が大袈裟に喧伝してるだけだともいいたげに見える。
730マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/12(月) 14:31:21.74 ID:Mda+pHLV0
「ミリタリ・グロリ」”武辺の功名”を重要視する福沢からすると、自分は維新の時に功名のなかった幕臣だから、
政治に参画するのは、他人の宴で相伴に預かるようなものだという。
鹿児島県人は西南戦争の巻き返しを国会の開設に託しているのだろうけれども、
今の政府に参画している鹿児島県人以外に国会議員に参画すべき人材が幾人いるだろうか。
「功名」のある派閥の人間が政府を担えばいいので、
今現在の政府の人間を大いに進退することなく、国会開設することが重要なのであると書いてるな。
3年の間に国会が開けるかも知れない、とかいてるのでやはりそう性急に開設を急いでいたようには見えんな。
731名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/12(月) 16:10:34.66 ID:Z0ob0PQx0
>>729>>730
いや、それは後の弁明による解釈だろう。政変前は交詢社案憲法草案の実現を画策していた。
大隈はその天覧を図ったわけで、天皇にゴーサインを出させようとしたわけだ。
そうなれば欽定憲法としての交詢社案が明治憲法となり
即座に国会は開設されたはず。憲法に規定されているので。
732マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/12(月) 16:26:49.50 ID:Mda+pHLV0
「交詢社案憲法草案」ってのは名前聞いたな。どこかで原文読めるのか。大隈の上奏文は岩公実記で読んだので、比べてみてもいいかもしれんが。
福沢がどれほど関わっていたのかとか実証されてるのか。
「明治辛巳紀事」は明治十四年当時に記されたものだから、リアルタイム性のある史料だぞ。

[大隈重信の上奏文(写)]
http://www.ndl.go.jp/modern/img_t/023/023-001tx.html
733マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/12(月) 16:58:29.59 ID:Mda+pHLV0
交詢社は勿論福沢の創立によるものだが、憲法草案にどれだけ福沢の筆が入っていたのか、ってことだな。
福沢諭吉全集の目次見る限り収録されていないようだ。
734名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/12(月) 17:22:35.79 ID:Z0ob0PQx0
>>732
「国会論」のことだよ。
735マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/12(月) 17:22:58.86 ID:Mda+pHLV0
実際福沢の大隈宛書簡は「続福沢全集」6巻に少なくなく収録されてあるんだが、憲法草案の話はざっと見る限りでは出てなかった。話題としては三菱関係が多い。
福沢と大隈が提携して、憲法草案を練っていたとするなら、その関係の話題に言及するはずだと思われるんだがな。もちろん口頭でという事もあるだろうから、一概には言えないが。
明治14年3月10付の手紙で「時事小言」の一部を書簡に添えて送ってるのがちょっと気になるぐらいだ。
736マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/12(月) 17:24:00.36 ID:Mda+pHLV0
737名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/12(月) 17:31:40.12 ID:Z0ob0PQx0
>>736
勘違いスマソ。
これは同じ報知新聞に掲載された交詢社案の解説ともいうべきものであって、
私擬憲法そのものではない。
738名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/12(月) 17:35:08.36 ID:Z0ob0PQx0
>>736
ざっと調べたところ、交詢社案の解説としては、これがいいかな。
http://touarenmeilv.blog88.fc2.com/blog-entry-21.html
739マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/12(月) 17:51:49.14 ID:Mda+pHLV0
>>737
勘違いかー。
>>738見たところ藤田茂吉、箕浦勝人が執筆者となってるようだな、「私考憲法草案」は。
740マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/12(月) 18:01:19.11 ID:Mda+pHLV0
国会論読んでると、イギリスでは大憲章(マグナ・カルタ)から現在の立憲政体に到るまで六百年も掛かったのだから、イギリスの憲法をそのまま日本にあてはめてもいけないともいってるぞ。
これは福沢の独自色で、藤田、箕浦の名義にはなってるが、彼等とは考え方の違う部分なのではないかな。
741マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/12(月) 18:43:40.70 ID:Mda+pHLV0
ttp://panse.livedoor.biz/archives/52133407.html
ところで三島由紀夫は余り福沢諭吉を評価してなかったようだな。
742マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/12(月) 21:34:05.54 ID:Mda+pHLV0
福沢の憲法草案が大隈にどれだけ影響を与えていたか謎だ。三菱とか後藤象二郎関係で繋がりが密だったことは分かるんだが。
大隈と親しかった矢野龍渓を経由してという説が有力らしいが、福沢と矢野ってそれほど書簡のやりとりしてないな。
まあ特に身近にいたら残らないものだが、側近ともいえる中上川彦次郎の書簡も結構残ってるのに、諭吉全集の目次で確認出来るのは明治24年のものが一通、
明治21年の井上角五郎が関わった事件で裁判所に呼び出された際の大隈の矢野書簡があるきりだ。
実際、上奏文を勝手に出した一件にしても大隈との交流が密だったら福沢が知らない訳がない。
だが井上馨、伊藤博文宛の書簡にはその一件が出て来てないことを考えると、案外福沢=大隈のイギリス式憲法という通説はちょっと引っかかりを覚える。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1078112/153
743マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/12(月) 21:35:24.15 ID:Mda+pHLV0
大隈宛の矢野書簡だったな。
744マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/12(月) 22:32:35.58 ID:Mda+pHLV0
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/wa09/wa09_06404/
これだな、矢野が起草したという大隈の上奏文は。つまり>>732と同文のものだ。
だが弟子だからといって福沢の意を必ずしも汲んでるか、というのは今までの例がそうであるように、断言できないところは多いと思う。
実際「明治辛巳紀事」では福沢は矢野等が免職になったことを「不可思議」としている。大隈の上奏文提出の流れを福沢がよく把握していたら、また書き方が違うのではないだろうか。
>>742
>その一件が出て来てないことを考えると
見返したところ、出てきてた、すまん。それどころか上奏文の話など提出した時点では聞いたこともなかったとはっきり書いてるではないか。

「五月六月の頃と覚う、矢野文雄拙宅に参り様々時勢談の語次ぐ、極内々に大隈参議と伊藤参議は国会開設の事を奏して、
 その旨大同小異なり云々と耳語して固く他言を禁じたり。これによって始めて、同志三君の決意公然たるを証したれば、
 鹿児島参議への説諭も大抵行届きたることならんと臆測したれども、矢野が厳しく他言を禁じたるが故に、
 正直にこれを守り、その後大隈君へは新紙の談に付き度々面会したれどもその奏議の事に限りて聞きもせずまた語りせざりし」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1078112/50
と福沢自身がはっきり書いてる。これを読む限り矢野が大隈と動いたことで、福沢自身は完全に蚊帳の外である。何も情報がいってなかった。
寧ろ矢野から大隈と伊藤の意見は大差ない(これ、>>724の「惟小異アルノミ」と被るな)他の人には絶対に言うなと耳打ちされ、
福沢は固くその約束を守った、ということになる。これが違って、福沢が大隈の奏議に関与してたとなると福沢は嘘を書いたことになるぞ。
だからどうも福沢の知らないうちにどんどん話が進んでいった、というのが正しいのではないかと思うのだがな。
つまり大隈≠福沢になる。もちろん細かいところの影響関係は「交詢雑誌」と上奏文を比較検討してみないといけないだろうが。
745マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/12(月) 22:58:32.97 ID:Mda+pHLV0
>上奏文の話など提出した時点では聞いたこともなかったと
ここちょっと違うな。正確には上奏文の事もよく知らず、伊藤と大隈が奏議して、
その内容は大同小異だったということを矢野からあくまで伝聞として聞いた、というのが正しい。ややこしいとこだ。

何で伊藤と大隈の意見が大同小異だと、矢野そして大隈が思っていたのか謎だな。実際伊藤は怒った訳で。
その怒りも自分の感情とは違う、策略としての怒りだったことも考えられるがな。
福沢は政治家ではないから、ある意味発言の信憑性は高いと思う。全部知っていたとしたら、もうちょっと上手く書きようがあるというか、文面を読む限りでは当惑がみえる。
746名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/13(火) 07:08:38.19 ID:6Ejm7Jan0
>>742
福沢は自分の弟子を大隈や後藤象二郎の秘書兼用心棒としてつけていた。
彼らは頻繁に福沢邸に出入りして、情報をやり取りしていた。
ついでにいえば、新聞記者というのも一種のスパイだからね。

政治的に微妙な書簡が残っていないのは当然さ。
信書の秘密は守られていなかったし、密偵がうろちょろしていたから。
747名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/13(火) 12:20:31.25 ID:Qk2tSL+b0
それなら書簡の研究者は何をしているんだろう
エッセンスが抜けきった鶏ガラの骨でもみているのか
748マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/13(火) 12:54:21.78 ID:sCEuffrV0
>>746
密偵ってよくいうが実態はどれほどのものだったかよく分からんしなあ。
実証できれば良いのだが。確かめられないから密偵なのだといわれても。
確かに書生の往来はあったと思う。それは福沢書簡からも分かるところだが、そこまで都合良く情報をやりとりできていたのかと。
749マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/13(火) 13:08:21.49 ID:sCEuffrV0
福沢書簡を見る限り、国会開設のまで三年ぐらいはかかると福沢は考えていたらしく、しかもその三年というのも定まった期限ではなく、それぐらい開くのが難しいということだと書いている。
大隈と提携して早急に開設を企んでいたとまでするのはどうなんだろうな。
交詢社の草案を作ったのは矢野の外にも小野梓と馬場辰猪も絡んでいたらしいではないか。小野といえば早稲田の創立者であるし、福沢よりも大隈の意向が反映されてる部分は大きいのではないか。
750名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/13(火) 16:10:47.92 ID:6Ejm7Jan0
>>749
そうだとしたら、なおさらじゃないか?
弟子同士が独自に提携したとは思われないから。
751マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/13(火) 16:23:27.51 ID:sCEuffrV0
矢野と福沢の関係がわからんのだよな。実際に交友のあった市島春城は、福沢のことに全く言及しておらず、大隈の高等秘書官とでもいうべき存在であったと書いてる。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123355/151
752マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/13(火) 16:24:14.47 ID:sCEuffrV0
>>750
矢野に福沢が指示を出していたのか分からんからな。
753名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/13(火) 16:58:39.70 ID:6Ejm7Jan0
>>752
そりゃそうだが、ウィキの矢野の項目見たら、単独行動とはとても思えん。
あと、矢野の伝記を書いた小栗又一って?? 亡霊かよ。
754マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/13(火) 17:12:20.75 ID:sCEuffrV0
>>753
>1879年に福澤諭吉の推薦で大蔵卿であった大隈重信のもとに大蔵省に入り、
ってとこか。これはどれほどの推薦だったのかねえ。
どうやら矢野の弟が小栗家に養子に入ってるみたいだな。だから小栗家と矢野は親戚になる。
伝記を書いた又一は15代目又一だろう。詩人とあるな。

http://kingendaikeizu.net/oguritadamasa.htm
755マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/13(火) 18:45:33.37 ID:sCEuffrV0
>>749
すんません。馬場辰猪は福沢塾出身者だった。弟が馬場胡蝶かー。
756マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/14(水) 02:11:52.77 ID:y0lKEwQ+0
ttp://fukuzawayukichi.net/1058/
大隈=福沢説は坂野潤治の提唱なのか。この要約見ただけだが、井上毅側の史料を重要視しすぎなような気がするな。
井上は福沢をよく思ってないから否定的に書き立てるだろ。黒幕だとかいうのもそうだ。
757マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/14(水) 21:49:06.03 ID:y0lKEwQ+0
今日は人いねえな。
758名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/15(木) 01:01:49.38 ID:tVvCZWYJ0
ヤフオク!に『福沢諭吉全集 7冊』が出品されています。
現在の価格:570円ですよ。

H05976 福沢諭吉全集 7冊 岩波書店 ケース付
http://page21.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/j295110311

第7巻がヌケていて、第1巻〜第6巻と第8巻なのが残念ですね。
もし第7巻があれば、福澤の署名著作が一通り完結するんですが…
759名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/15(木) 01:06:24.81 ID:tVvCZWYJ0
「福澤諭吉著作一覧 - 全集・選集」
http://www.mita.lib.keio.ac.jp/search/complete_works.html#58
によると、『福澤諭吉全集』第1巻から第7巻に収録されているのは
以下の作品ですね。

・第1巻 福澤全集緒言/増訂華英通語/西洋事情 初編/西洋事情 外編/西洋事情 二編/

・第2巻 雷銃操法/西洋旅案内/條約十一國記/西洋衣食住/兵士懐中便覧/訓蒙窮理圖解/洋兵明鑑/掌中萬國一覧/英國議事院談/清英交際始末/世界国盡/

・第3巻 啓蒙手習之文/學問のすゝめ/童蒙教草/かたわ娘/改暦辧/帳合之法/日本地圖草紙/文字之教/會議辯/

・第4巻 文明論之概略/學者安心論/分権論/民間経済録/福澤文集/通貨論/通俗民權論/通俗國權論/

・第5巻 民情一新/國會論/時事小言/時事大勢論/帝室論/兵論/徳育如何/學問之獨立/全國徴兵論/通俗外交論/日本婦人論/日本婦人論後編/士人處世論/品行論/男女交際論/日本男子論/

・第6巻 尊王論/国會の前途/国會難局の由来/治安小言/地租論/實業論/福翁百話/福翁百餘話/福澤先生浮世談/女大學評論・新女大學/明治十年丁丑公論/痩我慢の説/

・第7巻 福翁自傳/舊藩情/ペル築城書/外国諸書翻譯草稿/海岸防禦論/幕末英字新聞譯稿/窮理全書譯稿/覺書/

第8巻から第16巻までは、時事新報論集ですね。
760名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/15(木) 08:25:03.41 ID:jI6jACWD0
購入しなさいよ、マグナさん!
761マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/15(木) 13:52:33.97 ID:Zcxmh0xv0
どうしようかねえ。
762名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/15(木) 16:50:49.15 ID:dmb2m64b0
>>761
迷うほどの金額かねえ
763マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/15(木) 17:29:56.92 ID:Zcxmh0xv0
スペース的な問題もある。
764名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/15(木) 20:28:02.82 ID:dmb2m64b0
>>763
なるほど、フルサイズの本だからね。いらない本を売ってスペースを造ったら?
765マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/15(木) 20:39:03.44 ID:Zcxmh0xv0
それも考えないとなあ。古本屋とかでもすぐに買うので、大分本が部屋を圧してるものだ。
766名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/15(木) 22:53:23.62 ID:tVvCZWYJ0
>>765
今なら自炊して全部のデータをパソコンや電子書籍リーダーに
入れる手もありですよ。
767マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/16(金) 00:02:56.51 ID:w9SRI/qF0
そういう手もあるか。だが電子書籍リーダーがないという。
電子書籍出版したのに読めるツールがないと。
768名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/16(金) 07:54:50.79 ID:pE4Apzgz0
>>767
どんな本を書いたの?
769マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/16(金) 21:41:51.22 ID:thMeUO9p0
>>768
ちとエログロ小説などをね。
宣伝↓
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00BOZ3ESK/
770名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/17(土) 16:56:29.74 ID:TzLGUrHi0
>>769
それでは今度は歴史小説を書くつもりなの?
771マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/17(土) 18:04:09.44 ID:FS9ZZruq0
まあ歴史は趣味で少々といったとこだ。文学と歴史だと通じるとこも多いので。
772マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/17(土) 20:45:51.03 ID:FS9ZZruq0
黒岩比佐子の「パンとペン」を買った。
堺利彦のことを書いてる本だが、この人は福沢と特に関わりは無かったっけ。同じ北九州出身だが。
773マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/18(日) 16:02:24.63 ID:WWdREMc00
>>772
福沢について記述があった。文庫版p74で福沢諭吉が1894年7月29日、「時事新報」の社説に於いて日清戦争を「文明と野蛮の戦争」だとした、とあるが、
これ特定できるか? 筆者は本当に福沢だろうか。
774マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/18(日) 16:55:30.62 ID:WWdREMc00
「日清の戦争は文野の戦争なり」か。
775名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/18(日) 22:49:51.18 ID:iFFDDqRZ0
>>773-774
時事新報の無署名社説「日清の戦争は文野の戦争なり」を
井田メソッドを使って、石河幹明執筆と認定したのは、
井田進也『歴史とテクスト』光芒社、2001年、38-39頁です。

----
 日清戦争を文明と野蛮の戦いと呼んだことでよく引かれる「日清の戦争は文野の戦争なり」も、「ある可らず」
(福沢は「非〔ら〕ず」)「雖も」(福沢は「雖ども」多し)「只」の石河的表記、「悛むる」「尋ぬれば」(福沢は
「尋れば」)「憐れむ」等の非福沢的表記から、石河色が濃厚である。この論説をさらに、「源平の合戦より足利時
代を過ぎ関ヶ原の大戦争」、「維新の戦争」から「西南の役」に至る長大な内乱講義、「臣民」「出師」の用語を
「日本臣民の覚悟」と共有する「軍資の義捐を祈る」とくらべると、「文明の誘導者たる日本国人」(「軍資の義捐
を祈る」では「我日本国人は東洋の先導者として」)、「我が軍人の勇武」(同じく「我軍隊の勇武」)、「文明精鋭の
兵器」(「武器精鋭」)、「彼等は頑迷不霊にして」(「支那人の不霊なる」)等、同じ発想のパターンが認められる上、
日清戦争を「人と人、国と国との事に非ずして、一種の宗教争ひと見るも可なり」とする粗雑なとらえ方などか
ら、石河自身の文章と推定される。これといって福沢でなければならぬ特徴もないから、評点は「軍資の義捐を
祈る」とともに、思い切ってEとする。
----
井田進也『歴史とテクスト』光芒社、2001年、38-39頁

ここでEとは「かぎりなく福沢でないことを意味する」評価です。

平山さんは以下のように解説しています。

----
 今日では「日清の戦争は文明と野蛮の戦争なり」というスローガンは、あたかも福沢の口か
ら発せられたかのように受け取られている。しかしこの言葉は同じ題の九四年七月二九日付社
説(この日は社説が二編あった)に由来しており、『福沢諭吉伝』第三巻七一四頁で初めて紹介
された時には、その出典は明らかにされていなかった。この社説は石河が執筆し昭和版になっ
てから『全集』に入れられたものである(『歴史とテクスト』三八頁)。
----
平山洋『福沢諭吉の真実』文春新書、2004年。ISBN 4-16-660394-9
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166603947
776マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/18(日) 23:52:14.48 ID:WWdREMc00
>>775
「パンとペン」は2010年の出版だが、井田指摘から10年近く経過しても、なかなか反映されてないよな。
著者は故人だから今更直しようはないし。
「日清の戦争は文野の戦争なり」は福沢筆とされていた時評の中でも、大分人口に膾炙してるものらしく検索すると取り上げてるサイトが多い。

堺利彦は福沢を崇拝していたようで、その死に影響を受けて社会改良運動に動いていったのではないか、とする指摘も文庫版p112〜115にはある。
777マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/19(月) 17:04:51.55 ID:VmdUwawM0
他にも「パンとペン」には、福沢の「女大学評論」「新女大学」の影響を受けて、堺は「家庭の新風味」で一夫一婦制等を提唱したのではないかとする記述が126〜127pにある。
778名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/19(月) 20:41:51.16 ID:y6+Hd5mU0
福沢の女性論はJSミルだからな。堺もそちらから直接影響を受けているのかも。
779マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/19(月) 21:48:35.11 ID:VmdUwawM0
まあ堺は大分洋書を読みこなしていたようだから、ミルを読んでた可能性は高いな。
堺自身は福沢は感化を受けたと明言してるが。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/887885/166
780名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/19(月) 22:07:45.72 ID:y6+Hd5mU0
>>779
どうやってこういうソースを探し出すんだ?
781マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/19(月) 22:36:12.70 ID:VmdUwawM0
「予の半生」から黒岩が引用してるぽかったからそれを国立国会のライブラリー(近代も使ってるが、それより範囲の広い方で探すのも吉)で探す。
すると小見出しでヒットした。だがこれ、このページに書かれてるのと「パンとペン」で引用されてる部分は違うから、このページの他に福沢の影響について書いた部分はあるのかもしれん。
他の場合はグーグルブックスだわな。ちょっと根気とコツがいってフルネームでは出ない名前も、旧字体にしたり、あるいは一部分でググったりすれば見つかったりする。
例えば生田目経徳だと”經コ”を使うとかな。生田目+関連ワードとの検索もあり。本が見つかれば色んな手段を使って確認する。
782名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/20(火) 14:07:30.13 ID:I+MsOPxP0
便利になったよな〜
783名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/20(火) 21:29:15.08 ID:HXYKvKnX0
>>781
おお、やっぱりマグナさんは平山さん以上だ!
784名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/21(水) 13:41:21.78 ID:SpKcoclF0
このスレから平山関係者のにおいがする
やだやだ
785名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/21(水) 14:33:59.96 ID:6P0DuRpE0
マグナさんも関係者かな
786名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/21(水) 15:20:27.36 ID:cptOHpbe0
>>784
平山さんは立場がはっきりしているから、研究動向の基準になるんだよ。
安川派もここでしっかり自分たちの意見を述べればいいんでは。
787名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/21(水) 19:19:00.38 ID:J11iUYkl0
ちょっとつつくと、すぐに逃げてしまうからなあ
788名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/21(水) 20:02:59.82 ID:J11iUYkl0
ところで、こんなブログみつけたんだが
    ↓
http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/a2e22670ff3eeb0e8ad9ef7934772501

※欄がものすごく面白い
789マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/21(水) 21:27:05.31 ID:DLfV06nm0
>>788
何か随分とあれな感じだな。
それはそれとして、青山忠正か。「明治維新史という冒険」なか見検索で前書き見てみたんだが、確かに分かりやすく読みやすい文章では書かれてるんだが、
ヨーロッパ・モデルによらない日本固有の「近代」化の観点から探っていくと書かれてて引っかかった。
もちろんこれは日本史本としてみたら何も問題はないんだが、ヨーロッパモデルを参照しないで、日本固有だけの「近代」観があるのは、わかりやすく右傾化に繋がるんだよな。
日本人独自の、だとか日本人の特徴論みたいな事を主張してるような暇はない思う。これは反対に勝手に規定されたそれを守れという動きになり、そうではないものを排斥する流れに必然的に陥る訳ね。
寧ろヨーロッパ・モデル、ジャパニーズ・モデルなどという枠組み自体を破壊することの方が重要なのであろう。
また「近代」と「前近代」みたいに分けて考えるのもいかん。実際普通に「前近代」とされるものは現代でも普通に残ってるし、
それを見ないというのは「近代」という言葉が結局一部のインテリの思想ゲームにしか過ぎない事実を露呈させてしまっている。
福沢諭吉は実際は「近代」という言葉をそのままの字義の「今に近い時代」という意味でしか使っていない。量もそんなにない。つまり、福沢諭吉を「近代論者」とするのはどうだろうか、という問題にも至る。結局丸山眞男の流れのままではないか。
790名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/21(水) 21:39:08.24 ID:J11iUYkl0
>>789
あれ、ってどういう意味よ?
791マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/21(水) 22:01:15.22 ID:DLfV06nm0
>>790
自分の言いたいことが先走って細々と史料を検討することを怠ってる文章だなあと。
792名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/21(水) 22:08:07.81 ID:J11iUYkl0
>>791
なんだ、イデオロギー的な枠組みを言ってたんじゃないのか
793マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/21(水) 22:16:31.06 ID:DLfV06nm0
日本独自のとか日本人の特徴とかにはもう寄り掛かれないし、
ヨーロッパ・モデル、ジャパニーズ・モデルなんていう枠組みがもう安易に当てはめられる世界ではない以上、断片化され裁断された”個”だけが残ってるって話だ。
>>792
という訳であんまりイデオロギーには興味持てないのですな。
794マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/21(水) 22:40:21.00 ID:DLfV06nm0
と言うか醒めて考えると、語句とか言ってることが一部通じるからと言って、影響があったとは断定出来ないしな。
俺も豊永と西洋事情でやったがそれは飽くまで俺の妄想なんであってだな。
ま、この人が書いてるのは恐らく陰謀論なんだろうな。HNでそう銘打ってるし。
陰謀論とか案外否定する輩もいるが、基本妄想であることは史料をいくら並べ立てても変わらんからな。それが実証という妄想。勿論俺は実証する方がいいと思ってるが、陰謀論を鼻から電波と笑えるか?
結局史料を見て妄想してるわけだからな。
795マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/21(水) 23:18:33.64 ID:DLfV06nm0
ましてや史料も碌に読まずに陰謀論を鼻で笑う輩は、(以下は関係ない人はスルーしてくれていい。あんたのことだよ、aoiさん)どうしようもないと思うわけだがね。
陰謀論の人たちは前世系の人がそうであるように自己完結してるからお花畑だなあと思っても別に害はない。
問題なのは自分が「真実の史実」というのを知っており、学者の言を我田引水して俺だけの史実=つまり妄想を押しつける連中だな。大河ドラマが私の思ってる史実ではないとか怒る訳ね。
史料読んでも読まんでも、結局は俺の思い込みの可能性が残る、と言うのは仕方がない事だろ。
ま、このコメの人はそのちょっと中間な感じはするが。

とまあ延々スレの趣旨から外れた話ですまん。
796名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/22(木) 09:49:15.52 ID:ZwcRwhen0
aoiってだれだ?
797マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/22(木) 21:53:40.36 ID:g2liwwcv0
>>796
元青いblogの人だな。
798名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/23(金) 08:05:14.66 ID:xpEW57Nl0
>>797
ああ、>>503の人か
個人的な話はしないほうがいいよ
799名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/23(金) 14:31:08.66 ID:Wm8GOqa40
福沢研究で最近何が流行ってるの
800マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/23(金) 15:50:59.73 ID:HaSt+hSm0
>>798
荒れるのも惜しいスレだし、ここでは自重しとくわ。
>>799
特にというのは聞かんねえ。
801マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/23(金) 19:55:54.36 ID:HaSt+hSm0
こいつ”memel_ko1”が分かりやすくまとめてる。恐らくK大生だろう。
軍隊でいじめを受けたというソースが出てないのは気になるが。
これを見ても福沢嫌いが高まるのは矢張り昭和10年代後半ぐらいにかけてだろうなあ。


(福沢)諭吉は今でこそ一般的に偉人として扱われるが、西洋の文物を導入しようとした人だけに戦時中は国賊扱いで、特に軍人には嫌われていた。
学徒出陣で軍隊に入った塾生はいわれもなく殴られたりなどのイジメを受けたという記録が残っている。塾生は戦争中肩身の狭い思いを強いられていたらしい。
戦争中に言論界を戦争に動員させるための徳富蘇峰を会長として国策で設立された「大日本言論報国会」が毎月発行していた「言論報国」という雑誌の1944年3月号において、徳富が西洋文化を導入した元凶として諭吉を激しく非難する記事を載せている。
「福澤先生は当時薩長政府に対して一番大なる存在だった。その点は先生は偉いと思うが、しかし西洋のことを無茶苦茶に輸入する点に於ては伊藤や陸奥なんかの比じゃない。
彼は西洋のいい点を輸入するというよりも日本のことを悉く壊すという方針でやってきた。先生の破壊した力は非常に大きなものだった」
文脈としては、大日本帝国には未だに西洋精神が根強く残っている。その元凶は誰か、という犯人探しのくだらない内容なのだが、後半をほぼ諭吉批判に割いている。
福澤は功利主義を導入して日本の伝統精神を崩壊させたとした上で、さらに「弟子については先生より相当下ったところに落ちていったと思う」と塾生批判を始める。
「福澤先生の結論は独立自尊ということになってしまった。独立自尊とは要するに個人主義を異なった言葉で説明したものだ。独立自尊であるため、国家の大事でも自分に於いては何等頓着ない。
今日の戦でも誰が戦をしているか。まるで外の人が戦をしているようなもので、それをただ眺めているだけである」
802マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/23(金) 19:56:24.27 ID:HaSt+hSm0
(続き)
今でも塾生なら誰でも教わる「独立自尊」を徳富は極めて否定的に捉えていて、この思想の影響を受けたものは皆自分勝手で愛国者たりえないと断定して語っている。
しかしこれが検閲を通って、戦争後半のほぼ唯一の言論雑誌「言論報国」に載ってきたということは、必ずしも徳富特有の考え方だったというわけではなく、それなりに広い支持があったということだ。
これに対して小泉信三塾長は猛反発し、反論をしたいから「言論報国」に載せてくれと頼むが、断られたため「三田新聞」の5月号に1面の大半を割いて徳富への反論を掲載した。
福澤が西洋文化を闇雲に動員したわけではないこと、西洋文化導入が当時の欧米のアジア侵略への対抗上必要だったことなどが証拠を上げながら書かれている。
しかし小泉塾長が一番怒ったのはそこではない。
「最後に福澤の教えを受けたものは愛国と縁が遠くなる云々の第三の点について言います。
福澤の教えを受けたものと言えば慶應の同窓の者は皆そうです。その中の幾千百の青年は今陸上海上空中において戦っています。
そうして彼等は皆福澤先生の名を口にして襟を正すものですが、それ等全てが非愛国者だと徳富氏は言われるのですか。まさかそんな事を言われるとは思いません」
これは前年の1943年に学徒出陣で既に多くの塾生が戦地に行ったことを言っている。 学問を中断させてまで門下の塾生を戦争に送り出したばかりの小泉塾長にとって、
一番許せなかったのは「塾生は個人主義で非愛国者で戦争に参加しない」と徳富が言った部分だった。
そして小泉塾長は、西洋文化や西洋精神を導入させた罪人は誰かという「犯人探し」に明け暮れる言論界の風潮を皮肉っている。
803マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/23(金) 19:57:58.59 ID:HaSt+hSm0
(続き)
「仮に一部の言論家が、愛国報国の専売特許を与えられたが如く立ち振る舞い、他を排し他を難ずるに急いで、
同胞国民中に非愛国者を求め之を数えてその多きを楽しむが如き外観を呈することが、ないとは思いますが、万一ありましたならば、敵米英の喜びこれより大なるはないと存じます」
「万一ありましたならば」と書かれてはいるが、明らかに徳富蘇峰と「言論報国」に対する皮肉である。
ちなみに三田新聞はこの1944年5月号を最後に発行禁止になり廃刊にされてしまいました。復活するのは戦後です。
徳富の言論は検閲を通ったのに小泉塾長の反論は通らなかったことからも戦争中の福澤および塾生の置かれた状況がなんとなくわかるというものだ。
結局徳富は死ぬまで自説を撤回せず。そういうわけだから、このことを知っている塾生はみんな徳富蘇峰が嫌いです。
804名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/23(金) 22:16:28.82 ID:CJnbuqoz0
維新前は、福沢と蘇峰の父一敬は連帯していたのにな
805名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/24(土) 00:27:14.98 ID:QB6GXWqa0
>>801
> 軍隊でいじめを受けたというソースが出てないのは気になるが。

軍隊でいじめを受けたというソースは『福沢諭吉の真実』にあります。

----------
陸軍に応召した慶応出身者はしばしば士官学校出身の上
官から目の敵にされたという、まことしやかなうわさがある(『太平洋戦争と慶応義塾』二二〜
二三頁)。
----------
平山洋『福沢諭吉の真実』文春新書、2004年。ISBN 4-16-660394-9。187頁。
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166603947

『太平洋戦争と慶応義塾』という題名の書籍は2種類あるようです。

----------
『共同研究 太平洋戦争と慶應義塾』慶應義塾大学出版会, 1999年。ISBN 4-7664-0773-3
http://www.keio-up.co.jp/np/isbn/4766407733/

『共同研究 太平洋戦争と慶應義塾 本文篇』慶應義塾大学出版会, 2009年。ISBN 978-4-7664-1710-4
http://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766417104/
本書は、1999年に刊行された『共同研究 太平洋戦争と慶應義塾』の文章部分のみを再版。
----------

平山さんが参照できたのは1999年版の方ですね。
806名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/24(土) 00:53:09.54 ID:QB6GXWqa0
>>804
> 維新前は、福沢と蘇峰の父一敬は連帯していたのにな

平山さんによると、蘇峰は父一敬の身代わりとして、
福澤に戦いを挑んだと考えられるそうです。

---------
徳富蘇峰の父親一敬が属する肥後実学党と福沢は、維新前から深い交流があった。蘇峰は、
著作を残さなかった実父の身代わりとして、天保の老人諭吉に戦いを挑んだ、と私は考え
ている。
---------
平山洋『アジア独立論者 福沢諭吉』ミネルヴァ書房、2012年。ISBN 978-4-623-06346-8。286頁。
http://www.minervashobo.co.jp/book/b101519.html
807名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/24(土) 08:16:41.98 ID:LKjQ6qgn0
>>806
中津藩と肥後藩は隣接していたからな
808マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/26(月) 21:45:32.20 ID:92jkRCEI0
http://page8.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h179827283
これマジで福沢のかねえ。


疳癪玉者溟家之重宝也
弥蔵而不可猥出用

癇癪玉は名家の重宝なり、
いよいよしまいて猥りに用出すべからず。

か。怒る事を戒めたものだろか。
間違いはあるだろうな。遠いのと勉強足らずで横の六文字は読めない。
銀仙産○○○か? 読める人頼む。
809マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/26(月) 21:54:12.69 ID:92jkRCEI0
最後のは「認」かね。
810マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/26(月) 21:58:09.18 ID:92jkRCEI0
>>808
このユーモアは福沢のものと見ていいのかもしれんがなあ。
811マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/27(火) 02:15:39.22 ID:dSdJvfP60
>>808
”溟”じゃねえ”汝”だ。
”汝家之重宝”かねえ。
812名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/27(火) 06:57:41.11 ID:/z4iYQ6z0
福沢諭吉事典836ページに落款印が掲載されている。
いずれも違う。贋作だね。
813名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/27(火) 08:33:20.42 ID:MfbIe1pO0
「脱亜論」についてまとめてみた
http://matometemita.info/0000012555.html
814マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/27(火) 13:33:34.66 ID:dSdJvfP60
>>812
あーたしかにそうっぽいな。
三十一谷人が谷の口がこれは三角っぽいが、既出の書幅だとちゃんと四角い。
815名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/27(火) 22:31:14.20 ID:L08X68Pi0
>>812
なるほど、その通りですね。
「三十一谷人」の「谷」の口がちゃんと四角いのは、こんな感じ。

これは福沢諭吉ですか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1196604406
816マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/27(火) 23:07:06.51 ID:dSdJvfP60
>>815
今はデジタルで複製可能だが昔は手彫りだから、なかなか印鑑までソックリという風には贋作はつくれねえわな。
だからこそ証明として印鑑がよく使われてたんだろうが。
817マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/27(火) 23:13:12.74 ID:dSdJvfP60
そういえば今話題になってる黒鉄の「新脱亜論」、甲午事変にもちゃんと踏み込んで解説してるんだな。
良くも悪くも無記名時評の脱亜論を大きく取り上げ過ぎなのもどうかと思うがなあー。
818名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/28(水) 07:40:38.46 ID:y7hwQfnB0
>>817
これか?

https://twitter.com/taro_yamada_21/status/470411430433263617/photo/1

「新脱亜論」は渡辺利夫の持論だね

鉄とどう違うの?
819名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/28(水) 07:42:53.16 ID:y7hwQfnB0
ここに黒鉄の発言全部があった

http://blog.livedoor.jp/ninji/archives/38303681.html
820マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/28(水) 12:26:49.31 ID:bnPRw+310
>>818>>819
それだ。渡辺のは知らんなあ。
821名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/28(水) 14:33:39.83 ID:mIixo+fy0
中国(清)の庇護下で日本は生きていくべきって
福沢が生きていた当時の知識人は言っていなかっただろうか
アジア主義はあくまでも日本と清の対等な関係構築を目指すものだし
福沢の脱亜は関係を断絶させるものだけれども
どうなんだろう
822マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/28(水) 15:51:19.67 ID:bnPRw+310
社会的に対清ってのはあったんじゃないか。
堺利彦も日清戦争時は戦争賛成派だったようだし、一個の愛国者だったと冷静に振り返っている。

田山花袋の文章がある。「日清の役の排外的気分は見事」であったと。
http://www.tanken.com/tayama.html
823マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/28(水) 16:01:56.05 ID:bnPRw+310
>>821
大陸浪人は孫文支援してただろ。梅屋庄吉の番組を見たぐらいだが。
清を引っ繰りかえせば変わると考えていたんじゃないか。

ウィキペディアからの引用ですまんが、出典が書かれてるで。(「中国の青島回収につき朝日新聞記者に回答せる書簡」1919年,『孫文選集』第三巻所収)孫文はこういうことも書いてるらしい。
「そもそも中国国民党は50年前の日本の志士なのである。日本は東方の一弱国であったが、幸いにして維新の志士が生まれたことにより、はじめて発奮して東方の雄となり、弱国から強国に変じることができた。わが党の志士も、また日本の志士の後塵を拝し中国を改造せんとした」
824マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/28(水) 18:50:23.38 ID:bnPRw+310
出典が書かれてるで→出典が書かれてるので、だった。
825マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/28(水) 18:59:47.46 ID:bnPRw+310
脱亜論が取り分けて特異って訳でもないのではないかなあ。脱亜論の以下の一節とか、>>823の孫文発言と驚くほど重なってくるだろ。寧ろ引き写してるんじゃないかとすら錯覚できるほど。
福沢が10年ほど長生きしていたら、孫文を支援したのでは無いかと思えてくるとこはある。
>幸にして其の國中に志士の出現して、先づ國事開進の手始めとして、
>大に其政府を改革すること我維新の如き大擧を企て、先づ政治を改めて共に人心を一新するが如き活動あらば格別なれども、
>若しも然らざるに於ては、今より數年を出でずして亡國と爲り、其國土は世界文明諸國の分割に歸す可きこと一點の疑あることなし。
826名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/28(水) 20:13:53.56 ID:hSLsbtGP0
>>825
孫文を支援していたのは福沢の弟子の犬養毅じゃなかったっけ?
827マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/28(水) 20:29:26.91 ID:bnPRw+310
あー、そういえばそうだったなあ。
ただ梅屋の番組によれば、犬養は途中で変心し、梅屋がそれを批判した的な紹介のされ方もしていた。
828名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/28(水) 21:15:12.27 ID:M+Op4TUY0
>>825
> 福沢が10年ほど長生きしていたら、孫文を支援したのでは無いかと思えてくるとこはある。

平山さんも同じ意見を言っていました。

----------
一八九五年、広州で最初の武装蜂起を図って失敗し、清国から追われる身
となった孫文は、九七年九月に横浜を亡命地に選んだ。その孫文を助けた
日本人の中に、福沢の愛弟子犬養毅(一八五五〜一九三二年)がいた。
福沢自身が孫文を知っていた形跡はないが、孫文の主張は、中華思想を
除いておおむね文明政治の六条件と合致していたから、もし知っていたなら、
朝鮮の革命家金玉均らの場合と同様に、熱心に支援したであろう。(終)
----------
平山洋「福沢諭吉は『アジア侵略論』者と言われたら」、
中嶋嶺雄 編『歴史の嘘を見破る――日中近現代史の争点35―』(文春新書、2006年)、34頁
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166605040
829名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/28(水) 23:06:05.13 ID:1d1qfzw+O
マグナ=平山 説
830名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/29(木) 11:58:12.68 ID:LKY4nuJ+0
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/on-suffrage/
によると平山は5月17日には間違いなく韓国にいた。

>>767-776あたりは書けなかったんじゃ?
831マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/29(木) 13:01:32.08 ID:UZLtg6wZ0
俺が平山な訳ねえが、書き込むならまあ色々方法はあるだろ。
832名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/29(木) 13:26:54.94 ID:7A3X+7Qx0
>>830
福沢のフの字もないな
今は福沢研究から離れているのか

>>831
そりゃま、なんでそんなことしなきゃならんのか
ということはあるワナ
833名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/29(木) 15:40:51.73 ID:BnouHKHu0
孫文って要は偽装親日人間でしょ
アメリカやソ連への接近や金の引き出し方を振り返ればそうだろう
日本人の愛人に子供を産ませてもいたな
>>828
平山は筋が悪い
金玉均の意気込みと孫文の上辺だけの調子を同一視するほど
福沢が頓馬な人物だとは考えられない
834名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/29(木) 16:01:01.38 ID:LKY4nuJ+0
>>833
親日とかそんな基準で人を評価するアンタが w
835マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/29(木) 17:30:41.11 ID:UZLtg6wZ0
ネトウヨっぽいなあ。
836名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/29(木) 19:05:43.10 ID:amok3Vcy0
>>831-835
スマソ。URLを忘れていました。

・「福沢諭吉は『アジア侵略論』者と言われたら」
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h82/
837マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/29(木) 21:27:39.40 ID:UZLtg6wZ0
>>836
そういえば服部之聡を平山は叩いてるが、左翼だからということに起因させてるのは気になるとこだ。
「東洋における日本の位置」という服部論文が福沢研究史の中で影響力があったというように認識してるようだが、検索しても平山論文を中心として二三ぐらいしかでないぞ。
グーグルブックスでも言及してるとこは少ない。
ヨリ(と左翼風に書いてみるかな)影響力のあった論文はその名も「福沢諭吉」の方だろ。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001263/files/50368_40163.html
ここでは「脱亜論」批判は出てこない。言及すらされていない。「唐人往来」に関する丸山と服部の見解は異なっていて、
前引用した「近代日本史における国家理性の問題」で、丸山は福沢の「唐人往来」がさも、世人に影響を与えたかのように錯覚させるかのように書いているのに対して、
服部の場合はこれを福沢の「自由主義的徹底開国論」が現れている書物であるとし、匿名で少部数に回覧しただけのものだと、実証的に示して影響力がなかったといってるかのようである。
同時期に脱稿された「西洋事情」は政治的無関心を装った物であるとして、政治的見解は隠匿されていたとする。
初期の福沢は政治的見解を示すことを避けていたとするのが服部的福沢観だ。
838マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/29(木) 21:44:09.02 ID:UZLtg6wZ0
服部、遠山、安川を同列に並べてるのも一考が必要だろうな。
839マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/29(木) 21:47:26.67 ID:UZLtg6wZ0
服部は西洋事情がベストセラーになったことも勿論言及していて、翻訳もこなす売れっ子のジャーナリストになりつつも、初期の福沢が政治を避けていた事を強調してる訳だ。
840マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/29(木) 21:59:23.20 ID:UZLtg6wZ0
確かに服部は前期福沢と後期福沢という風に考えてるっぽいが、この時点では侵略主義者的であるとする認識をはっきり打ち出していない。
もちろんそれはこの文書が戦前に書かれたものである、というところも重要である。 ということで遠山の見解を参照してみる必要性があるなあ。
841名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/29(木) 22:08:42.38 ID:amok3Vcy0
>>837-838
平山さんが作成した「脱亜論」紹介年表から1960年代までの史料を
ピックアップしてみました。

----------
1885年03月
「脱亜論」『時事新報』紙上に発表
1933年07月
「脱亜論」初めて『続福沢全集』第二巻に収録
1951年11月
遠山茂樹「日清戦争と福沢諭吉」福沢研究会『福沢研究』第六号「脱亜論」言及T
1952年05月
服部之総「東洋における日本の位置」『近代日本文学講座』(河出書房刊)「脱亜論」言及U
1953年08月
服部之総「文明開化」『現代歴史講座』第三巻(創文社刊)「脱亜論」言及V
1956年06月
鹿野政直『日本近代思想の形成』(新評論社刊)「脱亜論」言及W
1960年04月
飯塚浩二「極東・東亜・近西」『中央公論』四月号(中央公論社刊)「脱亜論」言及X
1960年06月
「脱亜論」『福沢諭吉全集』第十巻に収録
1961年06月
岡義武「国民的独立と国家理性」『近代日本思想史講座』第八巻(筑摩書房刊)「脱亜論」言及Y
1961年06月
竹内好「日本とアジア」竹内好・唐木順三編『近代日本思想史講座』第八巻(筑摩書房刊)「脱亜論」言及Z「有名である」とされる
1963年08月
竹内好「アジア主義の展望」竹内好編『現代日本思想大系』第九巻『アジア主義』「脱亜論」全文を掲載言及[
1967年04月
河野健二『福沢諭吉ー生きつづける思想家』(講談社刊)講談社現代新書「脱亜論」言及\
1967年12月
鹿野政直『福沢諭吉』(清水書院刊)「脱亜論」言及]この時点で「有名さ」が定着する
----------
・「脱亜論」紹介年表
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h33/
842名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/30(金) 06:24:40.10 ID:JNzkyv1/0
>>837
1952年05月
服部之総「東洋における日本の位置」『近代日本文学講座』(河出書房刊)「脱亜論」言及U
   ↑
のことだね。今は言及されなくても、当時はたくさん読まれたんじゃない?
講座という刊行形式は、当時は大流行で、手早く知識を入れたい読者が群がっていたから。
843マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/30(金) 12:22:51.93 ID:28o6ZDVc0
服部之総、脱亜論で探すとちょっと出て来た。橋川文三が「東洋における日本の位置」から引用してるっぽいな。
ただ服部自体が福沢に関する単文をかなり書いてるらしく、それも見ていかないとならんなあ。
844名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/30(金) 13:53:15.51 ID:UI95wZYD0
>>843
橋川文三の論説というとこれのことかな?

----------
1968年01月
橋川文三「近代日本指導層の中国意識1福沢諭吉」『中国』第五〇号(徳間書店刊)
----------
・「脱亜論」紹介年表
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h33/

この橋川文三の論説も加えても、1960年代終わりまでに発表された
「脱亜論」関連論説は全部で11件に過ぎないから、一人で全部
読むのも可能ジャマイカ?
845マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/30(金) 14:18:33.10 ID:28o6ZDVc0
>>844
それだ。
橋川文三著作集7に収録されてるがタイトルが変わってる。
5p「福沢諭吉の中国文明論」文中だな。
846マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/30(金) 18:22:54.86 ID:28o6ZDVc0
どうも丸山と遠山・服部の間で論争があったらしく、それに関して丸山の「福沢惚れ」に関してそんなのはいかんと服部が批判した過程があるようだ。
遠山の「福沢諭吉」なか見検索で見られるが。脱亜論が持ち出されたのもその論争の過程か?
847名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/30(金) 19:12:05.30 ID:TkSdfbwh0
>>846
その詳しい経緯は、『福沢諭吉の真実』の最終章にあるだろ
     ↓
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/how_did_datuaron_become_famous/
848マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/30(金) 20:51:57.91 ID:28o6ZDVc0
>>847
読んどくわ。
「近代日本思想史における国家理性の問題」について言及あるな。俺は特にこの論文を読んでおらず、とりあげたのだが。
>それは西洋的文明発展史観に基づいたとしても、儒教的華夷秩序から解放された国家平等観念が確立した後に、今度は文明発展の段階に応じて階層化された新たな華夷秩序は正当とされねばならない、ということである。
ここが引っかかる。俺がその論文を読んだ限りでは新たな華夷秩序を必要とするなどと丸山が話を進める事は有り得んと思う。
そもそも近代以降は華夷秩序ではやっていけないというのが丸山の主張だろう。何で新たな華夷秩序を必要とするようになるのだ?
大国隆正の主張する大攘夷は近代以降の超国家主義に繋がりうる側面を残していると書いてはいた。儒教的論理をずらす事によって開国を承認する事に成功したというのが丸山の大国観だ。
肯定するにせよ否定するにせよ「忠誠と反逆」は取り敢えず買っといた方がいい本だ。
849マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/30(金) 21:05:06.32 ID:28o6ZDVc0
>>848
「この論文」はこの平山の論文ということな。

確かに「近代日本思想史〜」は途中で終わってるが丸山が補注を付けてどういう風の論理を示したかったのか説明してはいる。平山が参照したのはもしかしたら雑誌掲載のもので補注がないのではないか。
俺の要約はその補注の部分も溶かし込んだ。
850マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/30(金) 23:35:32.18 ID:28o6ZDVc0
丸山は山縣の主権線と利益戦の話も出していただろ。あれは華夷秩序とは異なった価値観であるとみてる訳だ。
https://www.jacar.go.jp/nichiro2/sensoushi/djvu/seiji/seiji_03/A07050000300.djvu
851マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/30(金) 23:36:22.05 ID:28o6ZDVc0
>>850の32画像目な。
852名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/31(土) 14:51:45.70 ID:dxPw0Tm/0
>>849
丸山についての新たなる華夷秩序というのは、文明の発達段階という西洋的価値観の比喩だよ
853マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/31(土) 16:26:07.22 ID:PeHfFFsH0
>>852
ううむ、そうなのか?
>この考えによれば、清国が儒教的華夷観によって朝鮮への宗主権を主張することはもとより批判されなければならないが、
>ひるがえって西洋的基準からみて日本が文明上より高い発展段階にあるとしたら、西洋文明の朝鮮への移入を大義名分としてその内政に介入することはむしろ賛美されるべきこととなる。

更に平山はこう続けるが、丸山のいう国家理性はそういうものなのか。丸山ははっきり「忠誠と反逆」のp271で「「国家理性」の思想史的問題性は非ヨーロッパ世界の諸国家にとっても、けっして無縁とはいえない」と書いてる。
反西洋主義を標榜する国も結局「領土」「領空」「領海」など西洋の国家概念に基づいた考え方をしていると書いてるな。
だから日本によって西洋の概念が移入されると丸山は主張してる訳ではないんじゃないのか。
854マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/31(土) 16:28:24.50 ID:PeHfFFsH0
「文明の発達段階」、「文明発展史観」というのがちょっと分からんな。マイネッケの本参照してないからだろうが。
855マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/31(土) 16:32:10.50 ID:PeHfFFsH0
>>327-343
辺りでまとめたとこを見ても、文明の発達段階の話は出てなかったからなあ。
856名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/31(土) 19:56:39.72 ID:WQWzss2V0
>>853
ここで勉強させていただいている者ですが、この説明はちょっとわかりにくい。もう少しわかりやすくお願いできませんか。
857マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/31(土) 21:31:34.02 ID:PeHfFFsH0
>>856
分かりやすくいえるかわからんが、以下が丸山の意見。>>340の引用だが、

まとめると日本が国際社会に加わって行くためには「国家理性」を持つことが必要不可欠となった。それは主権国家は皆平等であり、人間も平等であるという認識と、
俗に言う「権謀術数」を併せ持ったもの出なくてはならない。
日本に於いてそれを定着させるには「華夷思想」の打破が必須であった。
なぜなら近代国民国家の指導原理をなすナショナリズムが本質的な契機としている「主権」概念は、いかに国家が暴走していても、
「主権」を持った国民国家が他に存在している事を認めている時点で、自分が世界の中心だとして夷狄は打ち払うべきだとする「華夷思想」とは相容れないものだからだ。
日本の儒学者や国学者のどちらの中にも「華夷思想」は深く根付いていた。
だが、国際法の概念が日本に受け入れられ易かったのは儒学のタームでそれらが翻訳され、説明されたことにある。それによって、知識階層は「華夷思想」から脱却していったが、
抜本的に主権国家の平等観を根付かせたのは福沢諭吉であった。福沢は「華夷思想」を完全に打破し、海外の思想を取り入れていく事を主張した。
また国家の平等と個人の平等は繋がる物である事を認識させた。
福沢はその後更に一歩論を進めて、国家と個人の平等を認めた上で、日本もまた東アジア状勢を「禽獣の道」に加わって行かなければならないという、近代的な「国家理性」を唱えるに到る。
明治初期の指導者もそう言う「国家理性」認識を共有しており、それが近代日本が「国家理性」の「早熟な目覚め」を示した事の証左であった。

ここまで。

これを踏まえて、現在の世界秩序が、西欧の諸国家が生み出した「国家理性」に対応する諸原則によって形成されているものだ、と丸山はいってる。
反西欧主義を標榜する国でもこういう諸原則には依拠しているんだとする。
しかし、その諸原則は日本から移入されるべきものであるとは丸山は書いてないんだよな。だからこの部分に関しては平山の穿ち読みという感じがどうしてもしてしまうんだよな。
丸山が語りたかったのは飽くまで日本に於ける「国家理性」の形勢であろう。
丸山はアジア侵略を正当化してしまうからこの論文を止めたのではない。アジア侵略に関しては言及がないが、寧ろ健全な「国家理性」に対する認識が無くなっていったから、戦争に突入していったのだ、という見方すらをしているぐらいだ。
858マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/31(土) 22:00:56.24 ID:PeHfFFsH0
丸山は比較的明治の「当局者」つまり指導者であった陸奥宗光や山縣有朋を肯定的に捉えている。
全面的に明治肯定してるわけではないが。
陸奥宗光は日清戦争の時、愛国心に酔う国民に対して非常にクールな、冷めた視線を向けていた。
こういう視線が保てなくなり自身もそれに飲まれてしまった、1930〜1940年代の「当局者」つまり指導者を否定的に捉えてるってことだな。
859マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/31(土) 22:11:24.10 ID:PeHfFFsH0
あと平山は「宗主権」という言葉を使ってるが、この言葉こそが「国家理性」に裏打ちされた言葉であり、「華夷思想」とは異なる。こっちの場合は「冊封」だろ。
とはいえ丸山に対して「華夷思想」は礼的秩序であり、宗主国→属国という国際関係に当てはめるのはおかしいという批判もされたと本人が補注の中で書いている。
860マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/05/31(土) 22:57:30.06 ID:PeHfFFsH0
>>857
「戦争に突入していったのだ」の戦争は勿論第二次世界大戦のことな。

後丸山は時評はほとんど言及せず、飽くまで福沢の著作をベースに論じてる。ちょっと操作的な引用があったりするものだが。
861名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/01(日) 05:50:24.19 ID:0NclFTTH0
>>857
ありがとうございます

以下、
「「朝鮮よ、滅亡せよ」と福沢諭吉は言ったのか?」
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h23/
からの引用

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
現在日本にいると忘れられがちなのであるが、
19世紀までの東アジアにおける他民族蔑視は、
日本人が清国人・朝鮮人を、という方向ではなく、
逆に、彼らが日本人を、という方向性をもっていたことは記憶しておいたほうがよい。

これを華夷思想と呼ぶが、
そもそもは個別の人間の上下関係を「礼」によって統制しようとした
儒教の考えを民族の範囲にまで広げたものである。

自民族の政治や文化を誇るのはよいのだが、
自民族こそが世界の中心で優れていて、
周囲の民族は未開で野蛮であると軽視するのは困ったものだ。
しかも中華とは儒教文明の中心を意味していたから、
その受容度によって中華は発祥の地中国を離れる可能性さえあった。

17世紀半ば、北京に漢民族ではない満州民族の王朝清国が建国されたことにより、
朝鮮国では、自分たちこそが儒教の正統的後継者である、とする小中華思想が芽生えた。
その場合日本は東夷にあたるから、当然格下である。
現に武官である征夷大将軍が統治しているではないか、
というわけで、朝鮮にはそもそも「侮日」の伝統があったのである。

こうした儒教文明に反対したのが福沢であった。ただ、そうだとすると、
今までアジア諸民族への偏見として糾弾されてきた記述は
西洋文明からの逸脱への批判にすぎないとしても、
そのことによって直ちに、福沢に侵略性までなかった、
とまでは言い切れなくなってくる。なぜなら、福沢の考えによれば、
儒教思想に基づくアジア的華夷秩序は打破されるべきではあったが、
翻って日本がアジアの諸国に比して、
西洋文明の観点からより高い発展段階にあるとしたら、
その文明の朝鮮や清国への移入を大義名分として内政に介入することは、
むしろ賛美されるべきことになるからである。
社説「朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す」の末尾で、
朝鮮の民衆はイギリスやロシアの支配を受けたほうが幸福だ、と言いうるなら、
日本の支配下に置かれたほうがもっと幸福だ、とも主張できる、ということである。

実際、第2次世界大戦後の福沢糾弾の急先鋒となった服部之総はそう解釈した(以下略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

どうも、新たな華夷思想と平山さんが言っていることの内実は、
服部之総が再解釈したもので、丸山に由来するのではなさそうですね。
862マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/01(日) 15:34:48.94 ID:mMbK8qVE0
>>861
なるほど、服部の書いた文章は要参照だな。選集見てみるか。
要約見た限りでは丸山と服部では随分認識違うなあ。
文明の発展段階ってのは多分唯物史観じゃないのか。
マルクスよく知らんが、昔授業で習ったところによると、唯物史観では文明の発展を段階的に捉えるわけだから。
863名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/01(日) 17:04:59.84 ID:0NclFTTH0
丸山の「国家理性の問題」について、誰か発言しているんじゃないか、
とおもって検索したら、こんな座談会記録が出てきた。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpt2000/2/0/2_193/_pdf

13年前の政治思想学会関連の記録らしい。
「国家理性の問題」について触れているのは平石直昭。
ほかの出席者は、苅部直、和田守など豪華。
864マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/01(日) 23:05:35.55 ID:mMbK8qVE0
>>863
ほお、津田左右吉への反論もしてたのか丸山は。それは知らんかった。
名前が似てる丸谷才一と勘違いしてるのでは無いかと思ったが超国家主義に関してだから違うな。丸谷には「津田左右吉に逆らつて」という論文もある。
高島俊男経由で読んだんだが、津田はそれこそ日本と支那は似てるようだが、全く異なってるんだと言うことを声を大にして主張した人と言う印象がある。
だから親アジア的であった日本政府からは睨まれた。戦後になって超国家主義に関しても論じてたのか。
865マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/01(日) 23:16:16.96 ID:mMbK8qVE0
丸山の抜けてるところを埋める形で弟子の橋川は「昭和維新試論」を書いたんだと思うがな。
これも未完で終わってるが、これ読めば平沼騏一郎おもしれえと思うし、高畠素之みたいな社会主義者から国家社会主義に転じた人物も取り上げてる。ただこの本は未完だし、併合に関してはあんまり論じてべえか。
「パンとペン」でも結構出てくるな高畠は。
丸山の本で先ず読むべきなのは「日本の思想」だな、これも難しいとこあるが短いのですぐ読める。よく使われる「タコツボ型」という言葉の起源もここだな。
866マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/02(月) 00:01:54.63 ID:bphKNSSz0
ttp://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51756592.html
イケノブのだが、妙に引っかかる。タコツボ型が江戸的? 
あと共産主義にだけ収斂させたいようだが、丸山論に乗っ取れば、タコツボ型になるのは自由主義も当て嵌まるだろう。
個人的には日本ではタコツボ型というのはある程度当て嵌まると思うが、丸山のササラ型と言うのはちょっと引っかかる。西洋がほんとにそうか、ってとこだな。
867マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/02(月) 00:07:19.49 ID:bphKNSSz0
「伝統」というのがあるという思い込みは、なかなか問題があるのではないかと思ってるぐらいだからな。
タコツボ型であるが故の良さ、というのもまたある。
868マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/02(月) 00:39:26.81 ID:bphKNSSz0
福沢は欧化主義者とか言われるが、実はそうではなくて、海外の文化で日本にそぐうところだけを取り入れたらいいという折衷論者な気がするのだがなあ。
寧ろ外国人から見たら、福沢は頑迷な昔気質の日本人という印象を受けたのではないだろうか。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/68_15177.html
神神の微笑 芥川龍之介
>しかし我々の力と云うのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです。
ここだろ、要点は。
869マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/02(月) 00:45:36.70 ID:bphKNSSz0
ただ折衷ってのは実は日本だけのことではないわな。ラテンアメリカとか折衷によって相当独特な文化を創り出してるわけだ。
870名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/02(月) 09:11:58.09 ID:QalOvn7O0
>>868
蓑田胸喜が尊敬していた日本人の一人が福沢だからね。
原理日本社の綱領にある。
871マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/02(月) 20:55:27.37 ID:bphKNSSz0
前も話題に出てたが、蓑田はどういう理屈で福沢を評価してたんだ。
872マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/02(月) 23:45:13.92 ID:bphKNSSz0
http://www.amazon.co.jp/dp/4104717029
書店で見たところ明治の表象空間 松浦寿輝で福沢が扱われていた。高い本なので一応上げておくだけにするが。
873名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/03(火) 09:10:16.53 ID:Vh8uJBbF0
>>872
高いね。でもこれで今現在アマゾン5000位というのはすごい。
874名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/03(火) 09:19:40.77 ID:Vh8uJBbF0
>>871
具体的には分からんが、昭和四年の綱領は福沢が入っているのに、昭和十六年のには入っていないトサ。


その綱領第三項に着目してみると、原理日本社は『独露の〜』に記載してあるものでは聖徳太子、人麿
、実朝、親鸞、慈円、素行、松陰、井上毅、正岡子規、道元、日蓮、芭蕉、宣長、福沢諭吉の思想精神を
その顧慮の対象としているが、『留魂文鈔』では道元、日蓮、芭蕉、宣長、福沢諭吉が省かれている。
OH_BANG_OH/ノミ学徒 2012-12-29 21:08:11
1 fav by nekonoizumi

原理日本社の宣言綱領が改訂を何度か経たものだということはたしか蓑田全集の解説文かどこかでも
指摘されているが、昭和四年刊行の『独露の思想文化とマルクス・レニン主義』の巻末に所収されている
宣言綱領と昭和十六年刊行の『留魂文鈔』に所収されているそれとの違いに特に興味が出てきた。
OH_BANG_OH/ノミ学徒 2012-12-29 21:07:38
1 fav
875マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/03(火) 13:23:37.98 ID:i/lkO5ap0
>>874
http://books.google.co.jp/books?id=r7VaPUJ49MYC
ここの末尾で読めるな。これを読んだら蓑田が単純な東洋中心主義者でもない事が分かるな。
876マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/03(火) 13:34:48.76 ID:i/lkO5ap0
>>874
『留魂文鈔』見た感じ福澤の名前ちゃんと出て来てるぞ。
この人物がどの版を見たのか知らんが怪しいとこだなあ。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1031859/88
877名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/03(火) 14:12:03.04 ID:Vh8uJBbF0
>>876
ぬあんと! きちんと調べることの重要性がヒシヒシと。ありがとうございます。
878名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/03(火) 14:15:01.90 ID:Vh8uJBbF0
>>875
文章の組み立て方がマルクス主義者そっくりですね。
要するに国際共産主義には反対だが、階級性打破には賛成なのではないかと。
879名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/03(火) 17:37:01.53 ID:prwWdSyz0
ID:Vh8uJBbF0からネットに弱い福沢研究者のにおいがする
880名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/03(火) 18:37:37.70 ID:bBRohZta0
人に調べさせて実利を得ているんだから、要領の天才なんじゃいか?
881マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/03(火) 21:08:10.27 ID:i/lkO5ap0
http://books.google.co.jp/books?id=ga-IVBGWL0gC
ここで福澤が扱われてるぞ。105、106p。
西洋文化移入の第一人者福澤でさえも西洋文化を何でも取り入れるという風潮には批判的だったとし、民情一新から引用している。
882名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/04(水) 10:47:16.48 ID:1bOaYLsDO
それは正解
883名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/04(水) 13:21:43.40 ID:M9WMj+5c0
けっきょく何でも西洋礼賛ということで福沢が想定していたのは、
新島襄じゃないだろうか。

福沢が嫌いな社会主義思想を日本に持ちこんだのも同志社系。
884マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/04(水) 13:32:20.20 ID:X7IFL7RJ0
「欧化と国粋」読んでると蘇峰も最初はそうだったらしいぞ。とにかく抜本的に西洋化しなければならないと考えていたらしい。
885マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/04(水) 13:37:36.22 ID:X7IFL7RJ0
>>883
福沢が社会主義を批判した文章とかあるっけ。日本で社会主義熱が高まる直前で死んでるからなあ。
デジタルで検索しても出ないな、マルクスエンゲルスあたりでもでない。
弟子の石河はそれこそ猛烈に批判しているが。
886マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/04(水) 13:53:50.60 ID:X7IFL7RJ0
>>884
「新日本之青年」で福澤の折衷主義を批判したらしいな。
887名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/04(水) 15:12:22.67 ID:M9WMj+5c0
>>885
時事小言にらしいことが書いてあったように記憶するぞ。
888マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/04(水) 15:41:23.08 ID:X7IFL7RJ0
時事小言の刊行された時代って社会主義は受容されてたか? その時代で社会主義者って聞いたことがねえ。
889名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/04(水) 17:31:05.10 ID:UBwzc24j0
当時のイギリスだと社会主義がゆるくだけど流行っていたよ
ジョゼフ・チェンバレン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%AC%E3%83%B3
890マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/04(水) 18:06:10.88 ID:X7IFL7RJ0
海外は兎も角日本にどれぐらい入り込んでたのかって事だよな。
山田風太郎の明治断頭台ではそれがオチに繋がってくるがあれは若干アナクロっぽいから。
891マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/05(木) 16:42:25.14 ID:48dRVC5k0
福沢の蔵書とかはもう残ってないのか。
892名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/05(木) 17:33:18.88 ID:KXyz11aQ0
>>891
慶応が集めているよ
893マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/05(木) 17:48:01.80 ID:48dRVC5k0
目録的な物で見れたりはしねえものか。

漱石だったら見れる。
http://dbr.library.tohoku.ac.jp/infolib/meta_pub/G0000002soseki
894名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/06(金) 20:35:03.69 ID:PbEzrvk80
マイクロフィルムの目録があったんじゃないか?
オンラインで見れるかどうかは知らないが
895名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/06(金) 21:17:47.62 ID:92P7kyp70
PHP研究所から『論語と「やせ我慢」』という新刊が出ていました。
福澤の『瘠我慢之説』を引用して日本人の公共心を論じているようです。

----
現役キャリア官僚が、「公とは何か」をその本質から論じあげた新しい日本(人)論。
「やせ我慢」という福沢諭吉の言葉を手がかりに、小林秀雄、山本七平、吉本隆明らの
言説を紹介しながら、公共性を「善きつながりを創り出す性質」と再定義。日本人が
長らくつちかってきた公共心は、「日本ブランド」となりうること、その源流は論語に
あること、論語は日本人の心性を語った書であることを明らかにする。
----
羽深成樹『論語と「やせ我慢」 日本人にとって公共心とは何か』PHP研究所、2014/5/26。
http://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-81944-0
http://www.amazon.co.jp/dp/4569819443/

ちょっと読んでみたが、諭吉が父親から厳しく育てられたように書いている
のいかがなものかな? まあ重箱の隅の話ですが。
896マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/06(金) 23:13:42.12 ID:COXLnceT0
>>895
>小林秀雄、山本七平、吉本隆明
何でこのラインなんだろうな。著者の世代に受けた思想家だからか。
897マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/07(土) 21:27:32.81 ID:iDAp8D980
坂野の「日本近代史」読んでる。大凡半ばまで来たぞ。
898名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/08(日) 00:55:21.86 ID:I/C3WR620
>>897
勉強熱心で偉いなあ。この本、新書なのに464ページもあるのだ。

坂野 潤治 (著)『日本近代史』(ちくま新書) 2012/03/05 ISBN 978-4-480-06642-8
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480066428/
http://www.amazon.co.jp/dp/448006642X/

雨の日は読書に限るかも。
899名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/08(日) 20:14:18.69 ID:8hL1/Mi10
このスレッドまともだね
900マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/09(月) 00:20:20.59 ID:u7tMm7Xt0
もうすぐ読み終わる、これあれだな。「日本近代史」というよりも「日本近代議会史」だな。
901マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/09(月) 01:44:35.05 ID:u7tMm7Xt0
読了。>>900というのはだな。結局議会の形勢と二大政党制の完成、その四分五裂に重点が置かれて描かれていることだわな。
西郷の所謂「合従連衡」が「下院」に繋がったと書く辺りなどがまさにこの本の核を示している。
902マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/09(月) 02:53:07.02 ID:u7tMm7Xt0
ただ二大政党制っていうのはどう考えても難しかったんじゃないか。坂野史観だと”富国派””強兵派”みたいな細かい派閥の分裂は、維新後から既に起こっていたわけだから、
大きな二つの党派に分けても、それはやがて直ぐに分裂する。例に挙げられてる通りだ。
実際社会主義者内ですら、そう言う分裂は起こってるわけだしな。
維新前なら更にいろいろな派で分裂はあろうわな。西郷の棚上げ説にも異論はあろう。

http://www.ndl.go.jp/modern/img_t/023/023-001tx.html
再度大隈の上奏文みてるが、確かに国人の輿望を重視せよとはいっているから坂野の主張する「農民民権」に繋がるのかなあと思うものではあるものの、そこまで明確に二大政党制を志向している風には読めないけどな。少なくとも俺の読解力では。
後坂野の言ってるほど福沢と大隈の連携がなされていたのかは怪しいところはある。確かに福沢が時事小言の一部を大隈に送ってることは事実なんだが。
福沢は本人が言ってる通り飽くまで学者だろ。政治について語ってもそれに参入して行こうとはしないのではないか。況してや大隈を動かしてなどは考えていなかったし、そこまで大隈から情報は貰えていなかったのは書いてる物を読めば分かる。
前期と後期で二面性を読み込み、匿名時評を使うことでアジア侵略を正当付けたと解釈したのが、服部之総になるのかね。

後坂野も結構段階的に歴史を見るのは好きだわなあと思う。
903マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/09(月) 02:59:29.10 ID:u7tMm7Xt0
それから、武藤貞一に関しての記述は面白かった。
坂野は福沢関係では「近代日本とアジア」、「明治デモクラシー」は読もう。
ただ丸山の方が俺は好きかな。やはり坂野は文章としての面白みが少ないからだろうなあ。
904マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/09(月) 03:11:30.30 ID:u7tMm7Xt0
>>864
関係ないが、
>だから親アジア的であった日本政府からは睨まれた。
は直接的には間違いだった。矢っ張り間接的には影響あったんだろうなとは思うが。
905名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/09(月) 07:26:34.22 ID:dWMNFhPa0
>>903
『近代日本とアジア』はこのスレでも
>>87-89, >>142, >>279-280
で話題になっていますね。

坂野 潤治『近代日本とアジア 明治・思想の実像』(ちくま学芸文庫)、2013/10/9
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480095763/
http://www.amazon.co.jp/dp/4480095764/

----------
近代日本の対外論は、「アジア主義」対「脱亜論」という図式によって描かれてきた。
前者は欧米のアジア侵略に東アジア諸国とともに対抗しようとする立場であり、
後者は欧米列強の一員としてアジア進出に参加すべしという主張だ。福沢諭吉、
山県有朋、陸羯南、青木周蔵ら、少なからぬ政治家・思想家が、この二つの
対外思想の間で揺れ動いたと理解される。だが、そうした論理の使い分けは、
第一次世界大戦後に欧米の中心がイギリスからアメリカに移り、アジアにおける
中国の存在感が増すにつれ、通用しなくなっていく―。日本外交を規定する構造と
その変化を明らかにした記念碑的論考。
----------

『明治デモクラシー』は市民講座の講義を元にした新書で読みやすいです。

坂野 潤治『明治デモクラシー』(岩波新書)、2005/3/18
https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/43/5/4309390.html
http://www.amazon.co.jp/dp/4004309395/

----------
明治日本には,民主主義思想と運動の豊かな蓄積があった.
「主権在民」論と「議院内閣制」論の間のせめぎあいの中で,
それはどう深まり,挫折していったのか.また後の時代に何を
遺したのか.福沢諭吉,植木枝盛,中江兆民,徳富蘇峰,北一輝,
美濃部達吉らの議論を読み解きながら,日本の現在の姿をも
照らし出す刺激的な歴史叙述
----------

まだ未読の方は読んでみましょう。
906名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/09(月) 13:07:50.02 ID:m6p9DD5c0
読んでみようかな

ここだけ2chじゃないみたいでいい
907名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/09(月) 14:31:27.09 ID:pS/7Zsx/0
昔まともだったスレからこっちに流れてきた秀才が健闘している。
マグナさんは最近からの参加者のようだ。
908マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/09(月) 22:12:01.70 ID:u7tMm7Xt0
三谷博とかちょっと書店で気になったが、講演体のものだが「すべからく」誤用してたなあ。
図書館にするか……。
909名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/12(木) 09:26:40.40 ID:yiZ8Umf40
ちょっと動かなくなったので。話題投げ込み。小林哲夫のブログ
                     ↓
http://blog.livedoor.jp/kobatetu01-memo/archives/7697067.html
910マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/12(木) 15:22:51.35 ID:DkF4HAaA0
まあ”近代化”という言葉に規定するのは兎も角、今の大国はほとんど侵略国家である過去を持った国だというのはいえることだわな。
日本固有のものではないなこの現象は。
911マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/15(日) 15:56:34.34 ID:eKyJbrBM0
何か盛り上がらんなあ。
912名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/15(日) 17:27:01.04 ID:T3o53bvV0
これまでの福沢研究を批判するとか
疑似読書会のようなスレになれば面白いのに
913名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/15(日) 22:07:56.13 ID:EJSGuSXS0
>>911
盛り上げとかいらないw
914名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/16(月) 13:30:56.87 ID:kVyzd9JB0
最近ワールドカップの解説で井原正巳出てくるな

うちの曾祖父がなくなる前に井原見て、子供のときにみた福沢先生に似てるといっていた

芝居に福沢諭吉役の役者が出てくるとたいていイマイチの感じだが、いっそ井原にコスプレさせてみたいw
915マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/16(月) 16:57:18.26 ID:qdmxbWfB0
>>914
ほお、曾爺さんは慶大生か。写真と実物の漢字が相当に違ってることとかよくあるわな、特に昔の写真だと。
中原中也も実物は普通のおっさんだったという説は聞いたことがある。
916名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/16(月) 17:59:27.91 ID:BI1vsAk70
小沢栄太郎にも似ていたな
917名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/17(火) 20:56:01.66 ID:BTiJbRKJ0
>>914
明治何年生まれですか?
918名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/18(水) 06:28:50.88 ID:Fv2OZTJM0
ゼニゲバで鼻つまみ者で公金横領したとまで指弾されたレイシスト売文屋福
澤Y基地なる輩が時事新報にて陋劣なるヘイトスピーチを弄して喧嘩を売って
以来 朝鮮人・支那人と日本人は反目憎悪の感情を応酬増幅することになっ
た。
この民族蔑視とそれへの反発恨みという果てしない憎悪感情の連鎖は断ちが
たく、泥沼抗争は今後千年続き 朝鮮大統領支那共産党らが嘘八百を並べ立て
て日本を攻撃してゼニ・領土をたかりにくるだろう。 手段方法を選ばぬデスマッ
チと覚悟して対抗すべし。もはや あとへは退けぬ。

重要なことだから繰り返す。
手段方法を選ばぬデスマッチなのだ。

孤閨の寂しさと更年期障害により正気を失い日本を敵視し対話を拒否する阿Qクネ
クネが捏造歴史認識を反省し土下座して謝罪するまで断固として経済制裁を発動し
千年継続すべし!!

もたもたするな とりもろす小僧!
919名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/19(木) 16:50:29.39 ID:vPAJk/Hm0
>>918
脱亜論は戦前は有名ではなかった。
有名になったのは1960年代だった。

東谷暁インタビュー: 平山洋 福沢諭吉「脱亜論」の真実
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h07/#id_1
920名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/19(木) 23:06:29.13 ID:2pIjHM+I0
戦前は大東亜共栄だからな
921名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/20(金) 07:04:21.40 ID:CmZ7GyX50
>>919
おおざっぱにいっての脱亜思想なら、当時から有名だったんじゃないか?
922名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/20(金) 10:18:09.08 ID:5Qx/SxgT0
脱亜思想って?
923名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/20(金) 10:45:39.96 ID:CmZ7GyX50
924マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/20(金) 21:14:02.86 ID:loZX8v3Q0
坂野の「近代日本とアジア」買った。
925マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/20(金) 21:18:16.17 ID:loZX8v3Q0
>>922
高島俊男によれば戦前から日本語をかなだけにしようと目論んでた一派がいるらしいぞ。脱亜思想ってのは結構水面下ではあったようだ。
今も残っていて↓のサイトがそうだ。敗戦後に旧かなが廃止されたのは、こういう人々が動いたからのようだな。
http://www9.ocn.ne.jp/~kanamozi/index.html
926名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/20(金) 22:04:17.66 ID:jZ6aWDcK0
>>925
日本語をローマ字にしようとか、そういうもんじゃないだろ、脱亜というのは
927つうこうにん@おやすみ:2014/06/20(金) 23:04:29.06 ID:19bhU2s80
>>608
>南京で巻き込まれた民間人って多くても何百人単位だよね?

それを証明できるなら、外務省サイトに一報されてはいかが?

>>573>>607ほか
>盗賊、海賊容疑者を捕らえた場合の「文明国の慣習」の実例はどうした?

……拙>>537-538自体が「実例」と云ってるんだ、当方は。

文明国の警察は、盗賊容疑者を捕捉したら拘置所にいれ、裁判で真に一味なのか吟味し、
認定したのちにしかるべき罰を下す「習わし」だ。
主旨は、無実の者を盗賊として処罰してはならないから……。これは文明国共通。

ヘーグ前文では、戦争でも《文明国の間に存立する慣習、人道の法則……》等の支配に
従えと命じている。
ただの容疑者を、無裁判で処刑してならんのは警察も軍も同じなんだよ。
戦時国際法の基本には、非戦闘員をまきこまないことが前提だから当然なんだ。
国際法学者の立作太郎が重罪犯容疑者に対し、《……任意に定むる裁判所に於て審問
すべきもの……》としたのも、そのため以外にないよ。
                  (*立『戦時国際法』1913年 頁50)
軍人に文明国の慣習を超克した特権を持たせるのは、絵に描いたミリタリズムで、
国際的にダウトでしかないと思うぞ。
928つうこうにん:2014/06/20(金) 23:08:03.85 ID:19bhU2s80
すまんです、誤爆しました(土下座謝罪)
929つうこうにん@おやすみ〜:2014/06/20(金) 23:16:02.97 ID:19bhU2s80
>>908
誤爆ついでに……

「すべからく」を誤用しとるマンガを発見。
(ビックコミック「天智と天武」43話朝鮮出兵)

いや、それだけ。
930マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/20(金) 23:57:09.55 ID:loZX8v3Q0
>>926
それが意外にも脱亜思想とも繋がってくるとこなんだよな。
高島は漢字を多く(特に当て字などに)使う文章を書くことに批判的な中国文学者なんだが、やはり脱亜論を唱えた津田左右吉の影響を受けてる。
貼ったサイトにもこういう記述がある。漢字批判は脱亜にも繋がってくるからな。
>漢字がこのような災いを日本語にもたらした原因は、漢字が表意文字 (より正しくは表語文字)であることと、本来、日本語とはまったく系統の異なるシナ語を書き表わすために作られた文字であって、日本語を書き表わすのは土台無理なことなのだ、ということにあります。
931名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/21(土) 09:35:43.54 ID:NZVQaFfo0
あんたもここ見てたのかw
932名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/21(土) 11:40:41.15 ID:Jcz4zpZd0
明治初期の脱亜と戦後の脱亜は別もんと思うけど
933922:2014/06/21(土) 12:54:15.63 ID:ps5LXQuE0
ふむふむ
中華思想からの解放を考えることから、文字体系の反省を行ったということか
勉強にわった
934マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/21(土) 15:56:43.88 ID:jUePYdEy0
>>933
まあそれは俺の妄想も入ってるので、自ら調べる事を推奨する。
脱漢字というのは大きいと思うけどな。ローマ字化を提唱した西周の流れはあるだろ。
http://www.geocities.jp/masa_nip/Bunko/takeba/nisi-yoozi.pdf
935名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/21(土) 16:19:03.81 ID:w20yVk9y0
>>921-923
社説としての「脱亜論」と、儒教を廃して清国の文明から離れるための
思想としての「脱亜思想」とは、区別する必要があると思われます。

まとめると、以下の通りです。

「脱亜論」=新聞『時事新報』明治18年(1885年)3月16日号に無署名社説として掲載された社説。
「脱亜思想」=儒教を廃して中華思想から脱却しようとする思想。

参考文献:
脱亜論 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B1%E4%BA%9C%E8%AB%96

脱亜思想 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B1%E4%BA%9C%E6%80%9D%E6%83%B3

おまけ:
『時事新報』1885年(明治18年)3月16日号の影印 (PDF)
http://blechmusik.xii.jp/resources/hirayama/editorials/1885/18850316.pdf
936名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/25(水) 05:34:37.90 ID:MmsA0Qng0
>>935
すっかり定説化してきたね、この区分
937マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/25(水) 18:36:15.31 ID:fUgivpwb0
坂野本読んでるが青木周蔵も”唇歯”という表現を使ってるな。この時代の流行語だったのか。
それにしても青木の西洋被れが凄い、英語を候文に混ぜ捲っていてルー語みたいだからな。
938名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/25(水) 19:08:41.88 ID:MmsA0Qng0
>>937
青木周蔵は、福沢の伯父の橋本塩岩の弟子だったな。
幕末、福沢が外遊していた時期にちょうど中津にいた。
アメリカで撮影した写真を、福沢の母親から見せてもらったそうな。
939名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/25(水) 20:25:18.88 ID:hgDkJQPU0
東京電機大学中学校評判万引少年S君
http://i.imgur.com/Eogxp4h.jpg
稲城サッカースポーツ少年団評判稲城SSS評判
http://i.imgur.com/Eogxp4h.jpg
稲城市立向陽台小学校評判Y子(稲城市百村)
http://i.imgur.com/Eogxp4h.jpg
940マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/26(木) 01:09:38.99 ID:sNN7vG5P0
>>938
まじか。そういう繋がりがあるのかー。橋本塩巌の方だと結構検索でてくるな。
坂野本読んでるがこれは面白い。そもそもアジア主義とか脱亜論だというような区分けをして、それが対立項であるというように考えること自体が間違ってるという指摘だからな。
どっちも論だけが一人歩きして、今現在の気に食わない主張者の思想がそれに似てるとか見たいにするのはおかしい訳だ。
941マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/26(木) 01:29:56.41 ID:sNN7vG5P0
>>938
まじか。そういう繋がりがあるのかー。橋本塩巌の方だと結構検索でてくるな。
坂野本読んでるがこれは前のやつより面白いな。そもそもアジア主義とか脱亜論だというような区分けをして、それが対立項であるというように考えること自体が間違ってるという指摘だからな。
どっちもイズムだけが一人歩きしてる。それが唱えられた歴史的状況を見ずに今現在の気に食わない主張者の思想が似てるとかみたいにするのはおかしい訳だ。
942名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/26(木) 11:40:06.69 ID:7ey7PH/30
>>940
そもそも「脱亜論」の再評価を図ったのは、坂野さんですからね。
その言及は竹内好への皮肉かな。
943マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/26(木) 13:26:59.71 ID:sNN7vG5P0
竹内好は読んでないな。魯迅の翻訳は読んだことあるが。
竹内は樽井藤吉を論じているらしい。当時は存命だったこともあって、坂野はそこまでは踏み込んで批判できなかったようだな。

ネット上では安易に相手の主張を「新アジア主義」だとか当てはめる連中がいるからなあ。
勝海舟が「アジア主義」的で、福沢諭吉が「脱亜論」的だったとかそうじゃねえだろと思う。
見方によれば福沢諭吉も「アジア主義」的な訳だ。

玄洋社も安易に「アジア主義」と関連づけられてるが、それを批判した石瀧豊美の研究「玄洋社・封印された実像」があるらしく当たってみよう。
福沢諭吉と頭山満が交流があったらしいので、目次見ると福沢の名前もいくらか出てくるな。
944名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/26(木) 16:14:31.53 ID:zfr01Ppn0
>>943
福澤と頭山の交流とは初耳
どんな?
945マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/26(木) 17:41:47.09 ID:sNN7vG5P0
http://www.kuretakekai.jp/kaicho/kaicho_4.html
これを参照して言った。頭山の子孫の発言だ。頭山は交詢社に入社申し込み書を出してたりする流れはあるようだな。
井上角五郎、金玉均と交流があった事はハッキリしてるからなあ。
946名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/27(金) 06:31:22.09 ID:c/lwM87K0
>>945
おお、ありがとうよ。
でも、頭山が実際にしたのは、雰囲気的友好の場所つくり、だけだからナア。
思われているほどの影響力はなかったと思うぞ。

あと、こんなん見つけた。
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/bushido-business-mindness-patriotism/
947名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/27(金) 10:22:40.69 ID:XqaJGzig0
また平山関係者か
948マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/27(金) 14:27:03.72 ID:+tND0UqF0
大西祝ってそういえば岩波で三巻の選集が出てたな。同門の徳富蘇峰の本で追悼文が載ってた。
949名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/27(金) 22:06:09.25 ID:j/pTjk5i0
結局福沢のキリスト教批判の理由は何だったんだ?
950名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/28(土) 12:43:39.19 ID:TsiLfcT/0
キリシタンの奴隷商人が日本人奴隷を独占的に輸出していたからだろうな
951名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/28(土) 16:33:58.70 ID:oOznlm770
>>950
それは1587年に豊臣秀吉がバテレン追放令を発布する原因となったもので、
福澤の時代とは少し違うようですね。

バテレン追放令 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%B3%E8%BF%BD%E6%94%BE%E4%BB%A4
952マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/06/30(月) 02:06:14.59 ID:0Gv6FJ4t0
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/982101/33
こういう逸話が。当時中国では孫文と並ぶ程に福沢は知られていた、となるが本当なのか。
953名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/30(月) 11:42:06.73 ID:2HYjZwVl0
>>952
吉野作造の著書からですね。吉野が付き合っていた開明派中国人にとってはそうではないかな。
昭和版が編纂される前のことだし。
954名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/01(火) 22:06:42.02 ID:Ghaatk+x0
>>952
なかなか面白い逸話ですね。

-----
孫逸仙と福澤諭吉

 之は日獨戰爭當時青島守備軍の要部に在つた友人から聞いた話だ。
 戰爭終結後間もなく、神尾大將が巡檢の途次田舍の小學堂に立ち寄つた。支
那人の先生は日本の高官をもてなす積りで何なり質問して御覽なさいと云ふ。
依て大將は『今支那で誰が一番えらいと思ふか』ときいて見た。生徒は異口同
音に孫逸仙といふ。一人の異存者もない。『然らば日本では?』といふと、之は
また意外、大多數は口を揃へて『福澤諭吉だ』と遲疑する所なく云ひ放つた。
私の友人は之を聞いて駭然として色を失つたと語つた。
 いづれにしても、支那の子供は或る意味に於て日本人よりも能く日本を知つ
て居る。
(十三の九)
-----
吉野作造『主張と閑談』第4輯(公人の常識)、文化生活研究会、1925年、41-42頁。

ウィキペディアで調べてみると、以下のような結果になりました。

・孫逸仙 = 孫中山 = 孫文
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E6%96%87
・日獨戰爭 = 第一次世界大戦の青島攻略戦
(1914年(大正3年)10月31日〜11月7日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
・神尾大將 = 神尾光臣
(1914年(大正3年)11月から青島守備軍司令官。)
(1915年(大正4年)5月、東京衛戍総督。)
(1916年(大正5年)6月、陸軍大将。)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%B0%BE%E5%85%89%E8%87%A3

したがって、この逸話のあった日付は、

・戰爭終結後間もなく = 1914年(大正3年)11月〜1915年(大正4年)5月

と推測されます。当時は青島には日本軍が進駐していたので、
中国の他の地域よりも日本に対する興味は高かったのかもしれませんね。
955名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/02(水) 08:36:15.04 ID:VKj3s8WZ0
中国のテレビドラマ『走向共和』のなかに、日露戦争後清国の使節が
伊藤博文に近代化の秘訣を聞く場面がある。
    ↓
https://www.youtube.com/watch?v=8fTdGh8RNL4

清末にはそうした機運が芽生えていたようだ。

中国人もそうした過去を思い出してくれるとよいが。
956マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/07/02(水) 15:30:56.78 ID:f7dubQ0n0
所謂洋務派というやつか。
957マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/07/02(水) 15:42:09.96 ID:f7dubQ0n0
佐藤一斎に「独立自信」という言葉があるんだよな。これと福沢の「独立自尊」との関係やいかに。
http://diam47311066.blogspot.jp/2012/06/blog-post_10.html
958代理屋 ◆XFizselqIb3B :2014/07/02(水) 18:33:26.50 ID:BIzMvTYU0
>>955
>中国人もそうした過去を思い出してくれるとよいが。

同意。と同時に、日本もチャンコロ思想やらで中国に「人喰いの顔」
(※周作人)をむき出しにしとった過去も、もう少し検証しといたほうがいい。

諭吉は日本留学組には知られてた。山室信一『思想課題としてのアジア』には、
彼らが中国に逆輸入した和製漢語(諭吉作とされるものふくむ)がズラっと紹介され
とります。庶民はともかく、知識人/学生の間では有名だったかと。

>>935
孫文らは和製漢語同様、儒教を排せの「脱亜」については輸入したと
思うです。
959名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/02(水) 22:08:03.48 ID:L6itKjRE0
>「人喰いの顔」
?
960マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/07/03(木) 02:20:13.52 ID:YXJFu9se0
周作人は魯迅の弟だな。日本談義集からの引用か?
961代理屋 ◆XFizselqIb3B :2014/07/03(木) 12:31:41.96 ID:ZjqD3Tup0
936年の書簡。出展は劉岸偉『東洋人の悲哀』(河出書房新社 1991)
(※劉氏は中国人で、書簡の全訳はなさそう? 10年ほど前に調べたかぎり
では分からなかった)

周作人は「新しき村」を中国に紹介した人物で、彼のもとに学生の毛沢東が
学びに訪れたことでも知られる。作人は兄・魯迅と袂を分かち、国共両党から
売国奴と糾弾されるなか日本にとどまり文筆活動をつづけた。1937年当時の
日本は世界一の麻薬密売国で国連から非合法麻薬の90%は日本製などと批判され
てたが、(江口圭一『日中アヘン戦争』)そうした点は著書でアイロニカルに
批判しつつも親日を堅持した。
(それでも蘇峰らから非協力的と批判されるが)
作人は政治に関し、親交のあった武者小路にすら胸のうちを語らなかった。
武者小路は、周囲の両国の若い連中が激論する間も、微笑んで聞いている
だけだったと書き残している。
その作人も中国人編集者への書簡のなかでは《二十年来、中国に向けられた
日本の顔は人喰いのそれでありました》と、辛辣な口調で日本(軍)批判
していた。で、むろん「人喰い」は、『狂人日記』をかけた表現。

ちなみに『狂人日記』の最重要モチーフのひとつは、諭吉が初代会長を務めた
東京(日本)学士院の機関誌に掲載された、諭吉の幕政時代からの盟友の
小論文だったと当方は推測。この話を展開すると、日中の歴史の断面が浮き彫り
となり(※世界史の断層も^^)じつに興味深いですぞ。
962つうこうにん ◆XFizselqIb3B :2014/07/03(木) 12:40:52.34 ID:ZjqD3Tup0
訂正
〇 1936年
×  936年
963名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/03(木) 21:11:05.38 ID:z6l35a5U0
盟友て?

それ福沢と関係ある話?
964名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/03(木) 23:15:05.43 ID:nGrr40jN0
>>961
「諭吉の幕政時代からの盟友」って誰なの?
965代理屋 ◆XFizselqIb3B :2014/07/03(木) 23:32:23.01 ID:ZjqD3Tup0
盟友は言い過ぎかもしらんが……文部官僚となった神田孝平氏。

緒方塾の同窓で、諭吉が『万国国尽』など上梓した同年、自ら出版した
杉田玄白『蘭学事始』の「救い主」。地震の大火で玄白の唯一の原稿
(だれも写本してなかった)が焼け、関係者が絶望しとるなか、神田が
神田の露店で玄白自身が写本した一冊を発見。事なきを得たと、諭吉は
書いてる。
966名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/03(木) 23:33:22.26 ID:706Waiyb0
伊藤博文>>>>>>>福澤諭吉>>>大隈重信。
東京大学>>>>>>>慶應大学>>>早稲田大学
最近の保守系学者の研究によって明らかになりました。
967マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/07/04(金) 00:37:17.84 ID:ABewZcaW0
968名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/04(金) 01:38:56.05 ID:3VFkbcmg0
>>965
回答ありがとう。
神田孝平氏が『東京学士院会雑誌』に掲載した小論文とはこれのことですね。

「支那人人肉ヲ食フノ説」神田孝平 『東京学士院会雑誌』(一八八一)より
礫川全次『人喰いの民俗学』批評社、1997年06月。ISBN 4-8265-0224-9
http://www.hihyosya.co.jp/ISBN978-4-8265-0224-5.html

ちなみに、福澤先生が『世界国尽』を出版したのは1869年(明治2年)で
この年に先生が『蘭学事始』の復刊をおこなっています。
詳しくは、以下の先生の「蘭學事始再版之序」を参照してください。

--------------------------------------------------------
蘭學事始の原稿は素より杉田家に存して一本を祕藏せしに安政
二年江戸大地震の火災に燒失して醫友又門下生の中にも曾て之
を謄冩せし者なく千載の遺憾として唯不幸を嘆ずるのみなりし
が舊幕府の末年に神田孝平氏が府下本郷通を散歩の折節偶ま聖
堂裏の露店に最と古びたる冩本のあるを認め手に取りて見れば
紛れもなき蘭學事始にして然かも?齋先生の親筆に係り門人大
槻磐水先生に贈りたるものなり神田氏の雀躍想見る可し直に事
の次第を學友同志輩に語り孰れも皆先を爭ふて冩取り俄に數本
の蘭學事始を得たる其趣は既に世に亡き人と思ひし朋友の再生
に遭ふたるが如し而して之を再生せしめたる恩人は神田氏にし
て我輩の共に永く忘れざる所なり書中の紀事は字々皆辛苦就中
明和八年三月五日蘭化先生の宅にて始めてターフルアナトミア
の書に打向ひ艫舵なき船の大海に乘出せしが如く茫洋として寄
る可きなく唯あきれにあきれて居たる迄なり云々以下の一段に
至りては我々は之を讀む毎に先人の苦心を察し其剛勇に驚き其
誠意誠心に感じ感極りて泣かざるはなし迂老は故箕作秋坪氏と
交際最も深かりしが當時彼の冩本を得て兩人對坐毎度繰返して
は之を讀み右の一段に至れば共に感涙に噎びて無言に終るの常
なりき斯くて一兩年を過ぎ世は王政維新の變亂と爲り都下の學
友輩も諸方に散じて東西南北唯兵馬の沙汰を聞くのみ此時に當
り迂老は江戸に住居し獨り目下の有樣を見聞して我國文運の命
脈甚だ覺束なしと思ひ明治元年のことなり月日は忘れたり小川町
なる杉田廉卿氏の宅を訪い天下騷然復た文を語る者なし然るに
君が家の蘭學事始は我輩學者社會の寶書なり今是を失ふては後
世子孫我洋學の歴史を知るに由なく且は先人の千辛萬苦して我
々後進の爲めにせられたる其偉業鴻恩を空ふするものなり就て
は方今の騷亂中に此書を出版したりとて見る者もなかる可しと
雖も一度び木に上するときは保存の道これより安全なるなし實
に心細き時勢なれば賣弘などは出來ざるものと覺悟して出版然
る可し其費用の如きは迂老が斯道の爲め又先人へ報恩の爲めに
資く可しとて持參したる數圓金を出し懇談に及びしかば主人も
迂老の志を悦びいよ/\上木と决し其頃は固より活版とてはな
く先づ草稿を校正して版下に廻はし櫻の版に彫刻することなれ
ば彼れ是れ手間取り發兌は翌明治二年正月のことなりき即ち今
の版本蘭學事始上下二卷是れなり爾後不幸にして廉卿氏は世を
早ふせられ版本も世間に多からず然るに今回は全國醫學會に於
て或は其再販ある可しと云ふ迂老の喜び喩へんに物なし數千部
の再販書を普く天下の有志者に分布するは即ち蘭學事始の萬歳
にして啻に先人の功勞を日本國中に發揚するのみならず東洋の
一國たる大日本の百數十年前學者社會には既に西洋文明の胚胎
するものあり今日の進歩偶然に非ずとの事實を世界萬國の人に
示すに足る可し内外の士人この書を讀で單に醫學上の一小紀事
とする勿れ明治二十三年四月一日後學福澤諭吉謹誌
--------------------------------------------------------
杉田玄白 (翼) 著『蘭學事始』林茂香, 明23年4月
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/826051/5
969名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/04(金) 01:44:08.17 ID:3VFkbcmg0
>>968
自己フォロー。文字化けしちゃったけど、
「?齋先生の親筆」とは、
「※[#「懿のへん+鳥」第3水準1-94-71]斎先生の親筆」のことです。
970代理屋 ◆XFizselqIb3B :2014/07/04(金) 22:02:27.89 ID:Br0pNyoY0
お二人にレス感謝。

>>968-969
その論文です。ただ、諭吉が出版したときは「復刊」でなく初の公刊のはず。

>>967
紹介いただいたその二つ(※桑原論文と、李冬木氏の論考に出てくる
『国民性十論』)と、神田論文とを比べると、興味深いことに気付くです。

一連の「中国食人」関連の著述を時系列でならべると……

1)1881年、神田論文(※維新後初の中国食人論文とされる)
2)1910年、芳賀矢一 『国民性十論』(※当時のベストセラーで近ラにあり)
           h ttp://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/798465
3)1918年、魯迅『狂人日記』
4)1923年、桑原論文(※これも閲覧可)

となるのだが、日清戦争前に書かれた(1)と、日露後の(2)ならびに
一次大戦後の(4)では、ある【決定的な違い】がある。
その違いに注目すると、近代日本の自画像の変遷が浮かびあがり、いろいろな
意味で刺激的なんですが……レス違いといえばスレ違い。

さて書いていいものやら。
971名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/05(土) 00:55:43.54 ID:aLXy3io90
>>970
> 諭吉が出版したときは「復刊」でなく初の公刊のはず。

そのとおりです。失礼しました。
それで、年表にすると以下のようになります。

安政二年    『蘭學事始』の原稿、江戸大地震の火災に燒失
舊幕府の末年   神田孝平氏が古びたる冩本を発見
明治元年     杉田廉卿氏の宅で出版を決定
明治2年正月   諭吉が今の版本『蘭學事始』上下二卷發兌
明治23年4月   「蘭學事始再版之序」を追加して『蘭學事始』再販
972名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/05(土) 19:12:41.35 ID:CiMJ7lFH0
次スレ
【三十一谷人】福沢諭吉について(其の11)
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1404555135/
973代理屋 ◆XFizselqIb3B :2014/07/06(日) 17:29:28.53 ID:+/UY86xE0
新スレも出来たようなので、消化の意味をこめ当方の主張のアウトラインだけ
書かせていただく。(細かく書くとキリなし)


まず、神田論文をダイジェストすると……。(旧字を新字にするなどした)

中国は《……文明の国と称し道徳仁義を……》掲げてはいるが、
《……古来史中人肉を食ひしこと続々として……》あとを絶たず、食人理由も
《……飢に因りて……怒に因りて……味を嗜みて……病を医するか為……》
など多岐にわかるとしたうえで、食人記録を列挙した。 
               (*礫川全次『人喰いの民俗学』所収 頁41)

そして結論として、中国人が人を食べないのは法が殺人を禁ずるためであって、
彼らは法がなければ人を食べる「食人種」であると断じていた。

その後登場する>>970の(2)や(4)も、基本は上の神田論文に倣ったもの
だった。

ただし、神田論文は以下の点で【決定的に】異なった。
974代理屋 ◆XFizselqIb3B :2014/07/06(日) 17:56:41.66 ID:+/UY86xE0
当時の国定教科書の編纂にも参与した芳賀の『国民十世論』や、アジア史の大家の
桑原論文は、日本人はそれを【食べない】という大前提に立っていた。

桑原論文に至っては、飢餓のときすら日本人は食べなかったと、日本書紀の記述まで
否定してみせる念のいれようだった。

に対し、神田論文の結語は、日本の食人事例を一例も言及することなしに、ただ
明治になって肉食が解禁されると、鶴が食べられ急速に数を減らした事実のみ紹介し、

《……我復その食人人種たるを疑はざるなり》としていた。

上の主張は、あきらかに論理の飛躍があるが、それに構わず神田は強引に、
「自分は日本人も食人種だということを疑わない」と結論していたわけだ。


では、なぜ神田はこう書いたのか?
そもそも神田は、なぜ、この時期に、この論文を「かかねばならなかったのか」。

で、この核心を述べるまえに、当方が『狂人日記』の根に神田論文があったと
みなしたのかについて触れておく。
975代理屋 ◆XFizselqIb3B :2014/07/06(日) 18:16:07.43 ID:+/UY86xE0
>>967の李冬木論文は、魯迅が『国民性十論』を読み、同書を書いたとみていた。
たしかにその可能性は否定できない。神田論文はいかにもマイナーすぎる。

それでも当方が神田論文とみる理由は単純で、小説の記述との共通点だ。

『狂人日記』では、中国史を読むと《……どのページにも「仁義道徳」……》としか
書いていないが、凝視すると行間から「食人」の文字が浮かぶとしてた。
                      (*『狂人日記』岩波文庫 頁19)
一方、神田論文は前述のとおり《……文明の国と称し道徳仁義を……》とあった。
                   (*礫川全次『人喰いの民俗学』所収 頁41)

この「仁義道徳」→「道徳仁義」に加え、具体的な食人事例の紹介でも、
《……子を易へて食ひ……》(磯川 頁43)に《「子を貿えて食う」》(魯迅 頁22)と
同じエピソードが取り上げられていた。

李氏の指摘どおり最初に魯迅がベストセラーを読み、この件に感心をいだいたとしても、
執筆にあたり資料漁りをしたとすれば、神田論文にたどり着くのは時間の問題だったろう。
(※当時の留学生のネットワークを活かせば)
で、同じ下敷きにするなら、ベストセラーよりアカデミックなものを選ぶのは
「インテリ」さんの性だったのではないか^^

と、いうことでいよいよ本題。(後日につづく)
976名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/11(金) 11:03:51.80 ID:tF77Yhxs0
話題が福沢からそれたのでストップしているのか
977名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/11(金) 21:37:49.85 ID:1c43K/HY0
礫川全次というのは、例の福沢中傷本を書いたやつか
978代理屋:2014/07/12(土) 11:14:45.99 ID:anwEotK70
あれは中傷かなぁ?
幕政時代、長州征伐で仏軍の参戦を進言した記述を紹介しただけだろ?

おっとすまん。>>975のつづきをどこまで書くか迷ってる。
979名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/12(土) 14:36:58.68 ID:YsM4cELc0
>>977
例の福沢中傷本って、平凡社新書の『知られざる福沢諭吉』のことかしら?
図書館で借りて読んだが、中傷本というよりはゴシップ本という感じでした。
福沢が「脱亜入欧」を唱えたなどと書いてあったので、
まだまだ勉強が足りないなと思いましたです。

礫川全次『知られざる福沢諭吉 下級武士から成り上がった男』(平凡社新書), 2006年。ISBN 4-582-85348-X
http://www.amazon.co.jp/dp/458285348X/
http://www.heibonsha.co.jp/book/b163297.html

【この本の内容】:
福沢諭吉は、啓蒙思想家として高く評価されると同時に、生前から
そのイデオロギーや人格の面から批判も多い人物であった。
下級武士からのしあがった諭吉の大胆にして小心な実像を描く。
近代日本をリードした啓蒙思想家であり、
今でも「偉人」として評価される福沢諭吉。
しかし同時に彼は、拝金主義やほら吹き、変節漢といった
人格的批判も多く受けた人物だった。
下級武士から幕臣、啓蒙思想家へと異例の出世をした
福沢の真の姿はいかなるものだったのか?
福沢に対する人格的批判の当否を検証し、
「成り上がり者」福沢諭吉の心性を探る。

【目次】:
序章 福沢諭吉の知られざる一面
第一章 ペル氏築城書盗写事件
第二章 下級武士・福沢諭吉
第三章 苦学と逸話
第四章 慶応三年の謹慎事件
第五章 明治維新と慶応義塾
第六章 学商・福沢諭吉
第七章 商業立国とマンモニズム
第八章 脱亜の代償
終章 福沢諭吉論のために
980名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/12(土) 18:54:55.23 ID:Uu3ENB+z0
97NIHO
http://www.coara.or.jp/hiramatsu/Etckiko/mm.html
> 久しぶりの再会なので、お聞きしたいことが一杯ある。「福沢は脱亜入欧という言葉
を本当に言ったのでしょうか」

> 先生「福沢はこんな言葉を使っていない。だけど、同じ意味のことを言っている。そ
れは日本中心の興亜論、アジア観の台頭を恐れ逆説的に言ったものだ。脱亜入欧は福沢
の真意ではない。むしろ誤解されている」

丸山は分かった上で脱亜入欧って言っていたらしいぞ
981名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/12(土) 23:20:04.36 ID:YsM4cELc0
>>978
>> 先生「福沢はこんな言葉を使っていない。だけど、同じ意味のことを言っている。

その通りで、福澤先生は脱亜入欧という言葉は一度も使っていないのです。

丸山さんは、

丸山眞男 『福沢諭吉の哲学 他六篇』 松沢弘陽編、岩波書店〈岩波文庫〉、2001年6月。ISBN 4-00-381041-4。
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/38/4/3810410.html

の中で以下のように述べています。

> 「入欧」という言葉にいたっては(したがって「脱亜入欧」という成句もまた)、
> 福沢はかつて一度も用いたことがなかった。
> 丸山 2001、p.282

> 日本で、「脱亜入欧」という成句が、あたかも福沢自身の造句であるかの
> ように喧伝(けんでん)され、いなそれ以上に、福沢の全思想の
> キー・ワードとして、学界だけでなく、一般ジャーナリズムの世界にまで
> 流通するようになったのは、きわめて最近の現象であり、たかだか
> 一九五〇年代以後の傾向である。
> 丸山 2001、p.285

脱亜入欧 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B1%E4%BA%9C%E5%85%A5%E6%AC%A7
982名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/12(土) 23:28:27.92 ID:YsM4cELc0
>>980
礫川本には、他の本には載っていないようなネタもあるので、
一度読んでみるのもいいかもしれないです。

【目次】:

序章 福沢諭吉の知られざる一面
拝金主義者・福沢諭吉/「福沢屋諭吉」/攻撃される福沢/福沢諭吉と品格
福沢の品格を問う理由

第一章 ペル氏築城書盗写事件
遊学とその中断/二百丁の原書を盗写/人生を左右した大事件/貧家に生まれた悲哀

第二章 下級武士・福沢諭吉
福沢百助の古銭/諭吉の出自/上士・下士の分界/卑しき商工の風あり
下士のメンタリティへの誇り

第三章 苦学と逸話
砲術家の食客となる/門付けで施しを受ける/贋手紙を書く/大阪で豚を殺す
先祖ハ必ズ寒族ノ一小民ナリ

第四章 慶応三年の謹慎事件
小野使節団と「手数料請求」事件/小野・松本の告発文/藤井哲博氏の福沢批判
慶応関係者の反論/福沢の釈明と反省/事件の決着/開きなおりと放言
小野友五郎と品川台場/『夜明け前』と洋学者

第五章 明治維新と慶応義塾
慶応義塾と長崎出島/福沢における無節操/脇屋卯三郎切腹事件
「忠実な幕臣」時代の意味/小幡甚三郎の美談/速やかに火に投じて可なり
慶応義塾と甚三郎の客死

第六章 学商・福沢諭吉
焉用氏とは誰か/福沢を攻撃した本/明治三年の福沢諭吉/福山誠之館と福沢
日欧文化史の考証家/著作から見た渡辺修次郎/明治十一年の福沢評

第七章 商業立国とマンモニズム
生麦事件と卑商意識/啓蒙家の誕生/『農商弁』の先見性/『唐人往来』の独創性
初期の出版事業から/親鸞の顰にならう/福沢のいらだち/マンモニズムの宣教師

第八章 脱亜の代償
英国人民の圧政を羨む/脱亜の日清戦争/脱亜論の原点/脱亜の国内事情
内村鑑三の脱亜批判/内村鑑三の大和魂批判/屈するを以って先見者なりと信ず

終章 福沢諭吉論のために
福沢諭吉の暗い部分/「福沢惚れ」によらない研究/楠公権助論の由来
983名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/13(日) 07:34:29.63 ID:lgaE8/ha0
>>982
「諭吉の出自」というのは?
これにはなぞはないと思っていたが
984名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/13(日) 21:19:58.06 ID:enMhFUDB0
>>983
今、礫川本が手元にないので確認できませんが、
「諭吉の出自」自体には謎はなくて、
要は福沢諭吉の出自は下級武士だという指摘だったと思われます。
985名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/14(月) 03:18:13.06 ID:iY5VV0jz0
>>984
そんなこと、誰だって知っていることだろ
986マグナ ◆vI4NRkhGyA :2014/07/14(月) 14:35:43.69 ID:t6GlgREB0
>>982
脱亜論を強調するのはどうかねえ。当時の文脈からすればそこまで重要な文章ではない気がする。これを持ち上げるにしろ、腐すにしろ、福沢について語ってると言うより、その人が思う現代の政情を読んでるような感じがある訳よ。
坂野史観だと、これは諦めになるらしいが、俺からするとそこまで言えるのかねえと思う。
987名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/14(月) 19:06:18.88 ID:PEpruKT70
988代理屋 ◆XFizselqIb3B :2014/07/14(月) 22:02:10.85 ID:RjGkynkz0
順当にスレ進行しとるようで、お邪魔ゆえ拙>>973-975のつづきは中止します。

大意だけ述べとくと、先の神田論文は、神田が発掘に協力したモースの言説への
援護射撃の意味に加え、その前年に公刊された西南戦争従軍記『従征日記』に
つづられた戦場での「食人」行為への警鐘の意があったのではないかというもの。

来るべき「文明と野蛮の戦争」(*「時事新報」189408)において、野蛮の最たる
行為(*『世界国尽』)など、断じて受容されるはずもなく、文部官僚としての
危機感があの論文に込められていたのではないかと、当方は邪推しとるです。

で、それが日露後になると「日本人は食べない」とするエスノセントリズムの
言説へ化け、そのあげくが日中戦争や二次大戦における「食人」の歴史だった
と考えれば、歴史は検証しとく必要がある、というのが拙>>958でした。

なお大陸での食人話は、憲兵ふくむ出征兵士5名の回顧録に登場。食べたとされる
部位は共通して「脳」。脳や生首は、日本では幕政時代より梅毒の妙薬とされた。
玄白も梅毒の専門医をめざした若いころ、有効な治療法が見つからないなか、
夢で見た妙薬を試してる。それは人の頭蓋骨(※天霊蓋)を薬剤としたもので……
                     (*杉田玄白『形影夜話』1802)
……なんて話を書こうとしたが、スレ違だし長くなるし……失礼しました。
989名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/14(月) 22:20:03.67 ID:PEpruKT70
「文明と野蛮の戦争」(*「時事新報」189408)に食人の話なんて、出てんの?
990代理屋 ◆XFizselqIb3B :2014/07/14(月) 23:02:20.85 ID:RjGkynkz0
まさか。それは「日本臣民の覚悟」のなかで諭吉が日清戦争を
「文明と野蛮の戦争」と評した、という意味。

日露もだが、「文明国」であることを認知させることが
大戦略(戦争目的)だった戦争で、戊辰や西南でのキモ食い
なぞ金輪際あってはならん、ということ。
991名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/15(火) 00:07:45.65 ID:IvuvMxI40
>>990
> まさか。それは「日本臣民の覚悟」のなかで諭吉が日清戦争を
> 「文明と野蛮の戦争」と評した、という意味。

井田認定(『歴史とテクスト』34-38頁)によると、
・「日清の戦争は文野の戦争なり」(『時事新報』1894年7月29日)
・「日本臣民の覚悟」(『時事新報』1894年8月28日、29日)
の執筆者は石河幹明だそうです。

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 今日では「日清の戦争は文明と野蛮の戦争なり」というスローガンは、あたかも福沢の口か
ら発せられたかのように受け取られている。しかしこの言葉は同じ題の九四年七月二九日付社
説(この日は社説が二編あった)に由来しており、『福沢諭吉伝』第三巻七一四頁で初めて紹介
された時には、その出典は明らかにされていなかった。この社説は石河が執筆し昭和版になっ
てから『全集』に入れられたものである(『歴史とテクスト』三八頁)。ほかに清国を「野蛮」
とする社説には昭和版所収の「直に北京を衝く可し」(九四・八・五)があるが、これも石河
執筆である。大正版には福沢の署名論説はもとより、無署名(石河執筆も含め)のものにも清
国を野蛮国とみなす表現は見られないのである。
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平山洋『福沢諭吉の真実』文春新書、2004年。105頁
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166603947
992名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/15(火) 01:54:11.41 ID:CxIgKcK50
>>991
書いたのは石河でも、それを福沢の意見とみなすか、それとも石河自身の考えとみなすかが、
ここ10年くらいの研究史上の最大の論点だろう。

どうすればそれは区別できるのかな。
993名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/15(火) 10:09:53.52 ID:aeys0nfX0
時事新報社説が福沢の思想とは無関係、と断言することはできないから、
続全集に入っているめちゃくちゃな社説を排除できんのだな。
994名無しさん@お腹いっぱい。
>>988
> 順当にスレ進行しとるようで、お邪魔ゆえ拙>>973-975のつづきは中止します。

もうこのスレも残りわずかだから、最後に一発、最後っ屁を
ぶちまけて終わるというのは如何でしょう?