1 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :
2010/09/13(月) 11:10:42 ID:y+9c9s9o0 とかく評価にバラつきのある人物。いったいどっちなの? それともどっちでもないの?
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/13(月) 11:56:23 ID:BsTGLQZm0
2010-09-09 22:42:31
安川寿之輔氏対佐高信氏、全面対決か!安川氏側助っ人には雁屋哲氏も。
「現代史を考える会」
9月18日(土)午後1時開会 (受付開始12時半)
調布市文化会館たづくり(京王線調布駅南口から徒歩3分) 8F映像センター
資料代 1000円
テーマ1 「女子若年定年制」
午後1時〜2時20分
テーマ2「日韓併合と福沢諭吉?坂の上の雲は明るい明治か?」
2時30分〜4時
安川寿之輔
テーマ3「日本国民にとっての朝鮮問題」
4時10分〜5時30分
岩本正光
*雁屋哲さんがフロアーから発言するそうです。それだけではもったいない。
せっかくの機会ですから(オーストラリア在住)雁屋さんとの交流会を、館内
のCAFEで持つことになったそうです。時間は4時10分頃から30分から1時間
で参加費は各自の飲み物などのオーダーのみということです。
*少し楽屋裏話的なことです。週刊金曜日に安川さんのインタビューが載り
ましたが、「金曜日」の編集委員である佐高信さんが(もともと福沢諭吉信奉
者)怒って次号に反論を載せることになったようです。それに対して,今度は
雁屋哲さんが「オレが反論する」と張り切っているというこことも聞きました。
ちょっと楽しみ?です。
http://ameblo.jp/sataka/entry-10644026428.html
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/13(月) 11:59:09 ID:BsTGLQZm0
想定問答>> 安川がいつもの講演をした後、次のような質疑がある 質問者「なるほど、時事新報の社説にはひどいものがあるとは分かりましたが、 それが福沢諭吉の思想であるという証拠はあるのですか?」 安川 「これらの社説は福沢全集に掲載されています」 質問者「でもそれらは石河幹明が書いたものでしょ」 安川 「時事新報の社長は福沢だから、そこに掲載された社説は、福沢の意見とみなせます」 質問者「では、週刊金曜日の社長は佐高信だから、そこに掲載されている論説やインタビュー も、佐高の意見ということになりますね」 安川 「そうなります」 質問者「だとすると、週刊金曜日8月27日号の、安川先生の福沢批判のインタビューも、 佐高の意見になりますね」 安川 「……」 質問者「佐高は9月10日号でそのインタビューに反論していますが、要するに、自分の意見に 自分で反論していることになる。そんなことがありえるのでしょうか?」 安川 「わたしは石河幹明を、今でも愛している!」
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/13(月) 12:01:40 ID:BsTGLQZm0
あはははっ!!!
これだけでも面白いが、ここはカリヤスレだから、それにかかわらせて続けるなら、
安川サポーターとして、カリヤはどうフォローするか、というのが重要だろうな。
フォローその1:時事新報社における福沢の権威は、週刊金曜日における佐高の比ではなかった、
だから、福沢全集の社説は福沢の思想だ!
それへの反論「そんな証拠どこにあります? 雑誌より新聞のほうが、思想の幅
は広いのが普通でしょ。朝日にだって船橋洋一がいるくらいだし」
フォローその2:石河は福沢を尊敬しきっていて、その採録は確実だ!
それへの反論「でも、現在残っている福沢直筆原稿社説の過半数を、石河は自
分が採録した全集に入れていませんよ。判別できる、というのはウソだったのです」
フォローその3:福沢を帝国主義者とする見方は、完全な定説だ!
それへの反論「服部之総、遠山茂樹、安川寿之輔、鹿野政直、子安宣邦なんて、
みんな共産党支持者ばかりじゃないですか! それは共産主義者の常識ですよ」
>>3 >>4 >>5 漫画板雁屋哲スレより転載
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/13(月) 12:50:04 ID:BsTGLQZm0
次も雁屋スレ
カリヤはともかく、最近の安川が、福沢全集に入っている社説の執筆者問題に
まったく触れないのはおかしい。
丸山門下の平石さんは、今でも石河幹明を弁護しているようだが。
124 名前:右や左の名無し様[] 投稿日:2010/09/10(金) 09:44:42 ID:X6thFoF+
「2010年9月1日付 平石直昭氏への書簡(石河幹明の社説採録を信じられない3つの理由)」
http://blechmusik.xrea.jp/d/hirayama/h93/
>>6 平石直昭という人は、前の日本思想史学会の会長だな
リンク先、なかなか興味深い
>>4 ちょっと下劣な感じがするジョークだが、面白い。
>質問者「では、週刊金曜日の社長は佐高信だから、そこに掲載されている論説やインタビュー >も、佐高の意見ということになりますね」 >安川 「そうなります」 そんな誘導にはさすがに安川さん引っかからんと思ふ。 無記名社説と記名論説やインタビューは違ふ。
>>9 >>4 はジョークだろうが。
ただ、福沢所有の新聞だって、全部が福沢の意見とはいえないだろっ、
ということについては、よい線をついている。
1500もある全集所収社説のどれが福沢で、どれが石河かを区別するのは
難しい。
平山さんは全部が怪しい、といい、安川さんは全部が福沢だ、という。
こんなざっぱくな対立では、きちんとかみ合う議論はできない。
ところで、平山さんは石河の直孫と近所付き合いをしているんだな。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/16(木) 12:42:09 ID:6manTII00
今度は平石さんとするのか。安川さんよりはるかに頭のいい相手だ。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/16(木) 14:56:09 ID:6manTII00
>>3 あさっての講演が調布三田会にめちゃくちゃにされたら
怒った安川一派は来月慶応で開かれる倫理学会の
近代部会に乱入するんジャマイカ?
ヤクザの出入りだね、これは
この間の「金曜日」の件といい、安川の積極的な講演攻勢といい、 このところの反福沢運動の無理やりな盛り上げの裏には、何があるんだろうか。 今年が日韓併合100年だからか、それとも在日選挙権獲得運動とのからみからだろうか。 どうも背景を疑ってしまう。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/16(木) 17:02:10 ID:PZF/21zr0
去年4月の「ささきのぶひこ」らの策動は、 はっきりと総選挙が関係していた。 今度のは併合100年にかこつけた参政権運動が真の目的だろう。
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/16(木) 21:34:23 ID:X/bqgric0
そういう陰謀論は
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/17(金) 06:00:29 ID:NzMg/QVcO
べつに陰謀ではなく、ただの政治活動
ともかく安川らが、純粋に学問的な動機によって福沢批判をしているわけではないことは、 火を見るより明らかだ。社説のほとんどは実際には石河幹明が書いたということがはっきりしているのに、 そのことに触れないからね。 ともかく、何が何でも福沢を巨悪に見立てたいのさ。参考まで。 742 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2010/09/10(金) 13:56:40 ID:k9wqE3ZD0 [3/4] マスコミ板も学問板もオチているのでここに書くが、週刊金曜日9月10日号の投書欄に、 笹井良太(23歳)会社員による、 「「脱諭吉」で新たな日本百年の計を」というのが載っていた。 こりゃ、朝日の吉外投稿級で、どっかで聞いたような論調だと思って、 試しに「笹井良太」「共産党」でググッたら、出るは出るは。 蟹工船の読書感想文で賞なんかをとっていた。 ようするに、安川・雁屋らの福沢批判は、日本共産党の活動方針にのっとったもので、 佐高ら社民党・民主党左派支持グループとの路線対立にすぎない、 ということサ。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/17(金) 11:40:50 ID:2P2jTGxI0
>>18 つ
>>6 最後になりますが、私のほうは、
10月9日・10日に慶應大学三田キャンパスで開催予定の 日本倫理学会での主題別討議で、
「福沢諭吉における国家と個人」という発表を行う予定で、
今その準備に追われています。
他の討議者は静岡県立大学の同僚でもある 八木公生先生と青山学院大学の 朴倍暎先生で、
どのような討議になるのか、ふたを開けてみなければ分かりません。
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/17(金) 16:04:52 ID:JzNhNgsg0
>>17 そういや諭吉の1万円札が初登場したときに、
朝日に掲載された「アジア蔑視の諭吉なぜ札に」
という投稿をした人物は、数年後共産党から
京都市長選に出馬したんだったな。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/18(土) 00:12:15 ID:Zzuoe4+50
ここのスレを見ると安川・平山論争では平山がマウントポジションとって安川の頭をボコボコ 殴りつけている印象を受けるのだが、本当なんですか? どこかにこの論争観戦記はありませんかね。古井戸やコバテツ以外の。
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/18(土) 02:15:30 ID:H1H95jGlP
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/18(土) 15:17:36 ID:hwxdUIim0
けっきょく三田会は殴りこんだのかな
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/19(日) 10:09:00 ID:3XVsN7oA0
>>21 ここの住人は、主に保守よりの考えをもつ大学院生が中心だからね。
昔あった大物近代史家スレの水準が下がってしまったので、
こちらに避難してきて以来、福沢サポーターが仕切っている。
前スレの最後のほうでも、アンチ福沢がデマを飛ばしていたが、
即座に論駁して追い払ってしまった。
ここばかりでなく、アンチ福沢は、ネット上で主導権を握れずにいる。
その理由は、
(1)服部之総、遠山茂樹、安川寿之輔らが批判の根拠にしてきた
全集所収社説が、福沢執筆ではないとされて、論拠が揺らいだ、
(2)左翼の一部は、「そうだとしても石河は福沢が選んだ論説委員だろ」、
という批判をしているが、上の週刊金曜日の例のように、
社長が自己所有の刊行物の言論を統制できないことはままあるので、
福沢にどの程度責任を負わせてよいものか、はっきりしなくなった、
(3)そのため左翼は、福沢の人格批判(礫川全次・週刊金曜日特集など)を
はじめたが、それはかえって、「品性が卑しいのは、お前のほうだ」、
という反応を引き起こして、ドン引きされている、
ということがある。
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/19(日) 16:12:29 ID:+DjtIZ+fO
社説の信憑性についてはもう誰も信じていないのに、 まだ侵略主義者福沢で押しきろうとする安川さんたちは、異常だよね
>>23 良スレだった大物近代史家スレはどうしてあんな酷い有様になったんだろうな?
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/20(月) 09:19:26 ID:7M75soso0
>>26 特定の二人がののしりあうようになったからだろ。
研究者公募スレもかなり有用なスレなのに、
また彼らがやってきてむちゃくちゃにしている。
そういえば、大物近代史スレの最初のほうには、
福沢スレでの中心人物の安川や平山の話題があったような気がするな。
ログをもっていないし、何年も前のことなのでうろ覚えだが。
日本史いた公募スレに公募の話がなくなっている
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/21(火) 17:59:02 ID:9nRQYQSK0
残暑が厳しすぎて、思想上の問題について議論する気にもなれない。 この2ヶ月間同じような暑さが続いて、あと10日で10月とはとても思えない。
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/22(水) 07:23:39 ID:jR/kK2fqO
日本史板の他スレも荒れているな
クズ崎と学者オタか。あんなことをしていて、人生の浪費だとは思わないのだろうか?
クズ崎と学者オタ、どっちに軍配を上げる?
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/22(水) 22:54:28 ID:Uh5IOOse0
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/23(木) 15:22:37 ID:oX5mbee20
>>35 やっぱり出すのかカリヤたん。
安川先生をそんなに尊敬なさっているのなら、お名前くらい正しく表記してやれよ、と言いたい。
安川寿之「助」じゃないだろ、「輔」だろ。
安川先生のご両親だって、それなりの考えでその漢字を選んだろうに。
こうした創氏改名には断固反対せざるをえない。
ところで、この漢字の間違いによって、『福沢諭吉の真実』のアマゾン・レビューで、たった一人
★一つとしたレビュアーが、雁屋哲だとバレちまった。
雁屋スレで嘲笑の的になっていたのを、本人は気づかなかったのかな。
偽書『東日流外三郡誌』もホンモノと信じていて、恥の上塗りをしている。
以下、問題のレビュー
★☆☆☆☆ 『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』も併せて読むべき
├2006/8/17
└参考になった(28中11人)
└良識派市民
この新書を徹底的に批判している安川寿之助『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』が上梓された。こ
の新書を読了した人は是非とも読むべき本である。
安川はこの新書を、「福沢の思想への内在的考察を怠った、形をかえた新たな福沢諭吉美化論に
すぎない」(p.69)と、平山を論駁している。その根拠の一つとして、石川幹明が福沢の思想に忠実であったことを論証しており(p.73-)、非常に興味深い。
また安川は平山批判にとどまらず、古田武彦の「"天は人の上に…"の出典は『東日流外三郡誌』
」説を基本的に支持する意向を表明する(p.369)など、福沢研究を発展させている。
この新書の「あとがき」(p.240-)によれば、安川・平山間での論争が発端となり出版されたということ
である。以上の点につき、平山の再反論を読んでみたい。
>>36 それが、本当にこの漫画原作家の人が描いたものなら、
その人は古史古伝を真に受けてるような人であり、
その人が書く本は、あんまり質の良いものじゃなさそうだな。
ただ、漢字の間違いだけで、本人とするのはどうかと思うが。
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/23(木) 17:42:12 ID:oX5mbee20
>>37 カリヤスレでの検証によれば、このレビューが投稿されたのは、
安川の 『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』が刊行された直後のことらしいです。
その時点でその本を入手していた読者は限られるうえ、
カリヤはブログで 『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』をすぐに読んだと明らかにしています。
そのうえで、カリヤも良識派市民も、「輔」を「助」と間違っているのだから、
これはもう同一人とみるよりほかはない、ということなのです。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/23(木) 18:17:22 ID:oX5mbee20
連投 今ちょっと調べてみたのですが、上の良識派市民のアマゾンへの投稿日、 2006年8月17日というのは、版元の高文研のHPを除いて、 『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』への一番古い言及のようです。 同書の刊行日は7月10日ですが、一般の書店に並ぶ本ではなし、 良識派市民はどうしてその本の出版を知ったのでしょう? 9月8日付朝鮮新報に同書を激賞する書評が載っていますが、 それはアマゾン・レビューの3週間もあとのこと。 良識派市民は、安川から直接贈本されたのでは?
「福沢諭吉」と「正義の悪漢」でググルと面白いよ この「正義の悪漢」は「良識派市民」と同じ人物のよう その直後に雁屋がブログで福沢批判をはじめた
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/23(木) 19:53:06 ID:oX5mbee20
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/23(木) 19:55:14 ID:LqM2wBaqO
福沢の義理の息子はいわゆる「相場師」だった。福沢はこのことに関しては心底困っていた。
>>41 自分で自分のことを良識派市民か・・・
今までもずっと思ってたけど、本当に気違いだな
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/23(木) 20:12:55 ID:Q7BooOF+O
こりゃあ、おもしろくなってきた 超有名漫画原作者が、あちこちのブログに米しているなんて
>>41 雁屋が自分で正義の悪漢と称していたとは、知らんかった
雁屋スレに通報しよっ!!
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/24(金) 09:19:16 ID:RPHNCgwE0
ここに来て腹を立てているカリー支持者に、いいことを教えてやろう。 このスレで前に話題になったのだが、ウィキで福沢関連の項目を仕切っている 「敷島健一」は、某有名人本人じゃないかという疑惑がある。 まあ、探究してミソ。
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/24(金) 10:10:38 ID:VrueLay+0
>>41 の証拠
色々なブログがありますが、古井戸さんのブログは、中身が充実していて、読み応えがあります。
福沢諭吉に関するやり取り、大変共感を抱いて読みました。
平山さんは訳の分からない理屈をこねる人ですね。
福沢諭吉の主催する新聞の社説の内容が福沢諭吉の思想と全く関係ないなどと、子供でも考え
つかないことだと思うのですが。
古井戸さんと平山さんのやり取りを読んでいて、古井戸さんにとって消耗なことだなあと思いまし
た。私には、平山さんが「本物の古井戸」に思えましたよ。「古井戸」の中に向かって、何を叫んで
も闇に吸い込まれるだけですからね。「本物の古井戸」に何を語りかけても、まともな言葉は返っ
てきません。
古井戸さんが新しい書き込みをする度に、楽しみにして読ませて頂いていますが、一つ、注文。
掲載されている写真の質が低いですね。おおむね、ピンぼけです。
どうしてかなあ。今では、一番安いデジカメでも、接写・手ぶれ防止機能がついているので、もっ
とまともな写真が撮れるはずですが。
あ、しつれいしました。
遠く、オーストラリアから、拝読しております。
これからも、いろいろと、深い内容の物をお書き続け下さい。
by 正義の悪漢 (2007-10-18 16:34)
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2007-10-11
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/24(金) 10:24:53 ID:VrueLay+0
ということで、正義の悪漢は雁屋哲本人ということで、キマリ
で、下のコメントもカリーとなる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私も、佐高氏の「福沢諭吉伝説」を購入し、読んで、仰天しました。
私は「週刊金曜日」の創刊時からの継続読者です。
佐高氏は石原慎太郎との対談の時にも、まるで、日頃言っていることに似合わない無様な姿をさらし、
落胆しましたが、この本を読んで、彼の真の姿が分かったと思いました。
彼は、確固たる思想のない、単なる売文業者でした。
私は、安川寿之助氏の福沢諭吉に関する本も、平山洋氏の本も、平山氏が大いに援用した井田進
也氏の「歴史とテクスト」も全て読みました。
福沢諭吉全集も、石河幹明の「福沢諭吉伝」も読みました。
結果として、安川寿之助氏は厳しすぎるが、福沢諭吉に対する、批判は正しいと思います。
ただ、氏は「福沢諭吉の戦争論と天皇制論」の最後に、古田武彦氏の「真実の東北王朝」に書かれ
た「東日流三郡史(そとつがるさんぐんし)」を援用していますが、その「東日流三郡史」は現在、99
パーセント偽書と認定されています。
どうして、安川寿之助氏ともあろう人が、そんな偽書に引っかかったのか、それだけが残念です。(続く)
http://electric-heel.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-dc20.html
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/24(金) 10:27:14 ID:VrueLay+0
平山洋氏は、福沢諭吉全集も、石河幹明の「福沢諭吉伝」も全く読んでいないと思われます。
石河幹明の「福沢諭吉伝」を読めば、平山氏が「福沢諭吉の真実」の中で、石河幹明を大悪
人のように言っていることが飛んでもない作り話であることがよく分かります。
石河幹明は福沢諭吉を神様のように崇拝しています。
平山洋氏の描いた異常な悪人の姿は石河幹明の本を数ページ読めば、飛んでもないことだ
と分かります。
それに、平山洋氏は「福沢諭吉の真実」の中で、嘘を書いています。
その嘘が余りに多いので、ここには書き尽くせませんが、最大の嘘は、福沢諭吉が最初の脳
溢血を起こした後まるで廢人のようになってしまって、何も書いたりしゃべったり出来ない失語
症だったと書いていることです。
石河幹明の「福沢諭吉伝」には、最初の脳溢血のあと、驚くほど早く回復して、様々な揮毫を
残したことがその写真入りで示されています。
見事な筆跡で、とても廢人同様だった人間に書ける字ではありません。
「慶應義塾修身要領」に、天皇崇拝の文章を付け加えたり、婦人問題についての文を書いたり、
園遊会を催して大勢の客をもてなしたりしています。(続く)
http://electric-heel.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-dc20.html
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/24(金) 10:29:30 ID:VrueLay+0
残念ながら、安川寿之助氏の本は、まるで一般に読まれていないようです。
私の周囲には慶応大学出身者が多いのですが、その中で、誰一人まともに福沢諭吉の書いた者を読
んだことのある人間がいません。
福沢諭吉をきちんと批判することが、今日本人にとって、大事なことなのではないでしょうか。
日本を1945年の破滅に導いたのは、福沢諭吉だと私は考えています。(終わり)
投稿: 正義の悪漢 | 2009年6月28日 (日) 21時43分
http://electric-heel.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-dc20.html ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
オソマツさまでした! これはもう、洗脳じゃなかろうか?
詐欺師本人に、「オマエは俺をだましていないよな」と尋ねるような人が 詐欺に引っかかりやすいようだね w
第三者が書いたものならともかく、当の石河が書いた本を根拠に石河は 悪人じゃないとみなすのは軽率だろ。自分に都合が悪いことを石河が書くわけ がない。
>>52 そのあたりの構造は真実に書いてあったような気がするんだがな
雁屋のこの主張はまさに平山さんが批判した「石川への盲目的愛」そのものだな。 福沢には批判的でその言い分は信用しないのに、その弟子の石河の主張は無批判に信用してるし。 本当に石河が平山さんが主張してるようなことをやってるんであれば、自分に都合の悪いことは 書くはずがないし、悪行の隠蔽のために最初の脳溢血後も健康体であったかのように嘘を書いたり、 後ろめたさから福沢を神のように持ち上げたりする可能性は十分ありえることなのに、雁屋は そういう疑問は浮かばないのかな。
>>46 カリー支持者なんて存在するの?
ネットではカリー批判ばかりのようです。
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/24(金) 14:40:06 ID:bovzz1Fh0
石河が従順な弟子だとしたら非常に変だ、という証拠が、
>>34 のリンク先に挙げられている。
福沢直筆の社説・論文を、わざと全集に入れなかった、
というのは事実のようだ。
だとしたら、
>>47-50 でカリーの言っていることなど、
まったく成り立たないことは明白。
>>54 福沢批判者の特徴は、福沢本人が言ったことは信用しないのに、
なぜか石河の言うことは信じる、というところダネ
しかも、彼らが批判する福沢の社説というのが、
実際のところ石河が書いたとなっては、もう…
ようするに自分に都合の良いことを言っているから、石河を信じている、
ということなんだな
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/24(金) 15:01:30 ID:bovzz1Fh0
>>55 安川やカリーのような思考回路が大学人の常識だということを、
忘れてはいけないだろうね。
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/24(金) 15:18:51 ID:VrueLay+0
人事を牛耳っている w
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/24(金) 15:38:27 ID:0ckrKKBf0
>>47 −50の雁屋の主張は、警察が容疑者の言い分を鵜呑みにしてこの容疑者は
シロだと言ってるのと同じだな。
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/24(金) 15:42:29 ID:bovzz1Fh0
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/24(金) 15:45:43 ID:bovzz1Fh0
投稿がかぶって連投スマソ。
>>60 そう、この間の厚生労働省のでっち上げ事件と同じ構造。
部下のしたことは上司は知っていたはずだ、
そのほうがこちらの見取りにも合う、
という恐ろしい検察ファッショと同じことをしているんだよ、
安川一派は。
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/24(金) 15:51:12 ID:0ckrKKBf0
紙幅の都合で『福沢諭吉の真実』では割愛された無署名論説(社説)の起筆者の 推定に関する部分はその後出た論文や著書で載ってる?
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/24(金) 16:04:46 ID:0ckrKKBf0
ご教示感謝。
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/24(金) 16:06:19 ID:0ckrKKBf0
佐高VS安川&雁屋なんて、左翼の内ゲバもいいとこだな。佐高が福澤に好意的なのは 慶應OBというのも大きいのだろうけど。
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/24(金) 16:39:47 ID:bovzz1Fh0
>>66 共産党の大物にも、
慶應出身の野坂参三とか、野呂栄太郎とかがいたからな。
慶應に行ってマルクス主義経済学でもなかろう、
という気もするが。
佐高対安川一派の対立は、
さかのぼれば日本資本主義発達史講座の、
講座派(共産党系)と労農派(社会党系)の対立にさかのぼる。
前者は明治政府を絶対君主制として完全否定し、
後者はブルジョア資本主義として、半分は肯定した。
つまり後者の立場の人々は、福沢を肯定的に評価した。
佐高はこの流れ。
ちなみに野呂(野坂も)は講座派で、
慶應出身だからといって、福沢に甘くはなかった。
戦後の福沢批判者の系譜は、
服部之総・遠山茂樹・安川寿之輔と、皆講座派の流れ。
日教組も。
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/24(金) 17:04:57 ID:0ckrKKBf0
安川は交通費以外はタダで日本全国で、そして中国の大学に対しては交通費も 自腹で福沢批判の講演続けてるとは、何がなんでも福澤を貶めたいという執念を感じるな。
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/24(金) 17:25:08 ID:Ifw+X9E/O
>>68 教育機関のありかたとして、慶応が気にくわん、ということダロ。
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/24(金) 17:28:07 ID:0ckrKKBf0
安川や雁屋は坂野潤治さんは批判してないね。坂野さんも脱亜論を侵略宣言と 見ることに異を唱えてるのに。
学生時代には、安川教授の講義を聴いて真に受けていて 「福沢諭吉は悪」という思いこみを植え付けられていた。 80年代後半は、高校向けの参考書でさえ 「福沢は浅薄な欧化主義者」みたいな書き方が一般的だったから、 高校出たばかりの学生にとっては自然な成り行きだった。 自分にとって、福沢諭吉の名誉回復には『文明論之概略を読む』が必要だった。 90年代初めには、安川は岩波新書の『文明論之概略を読む』を読まずに、 福沢諭吉を批判していたのではないかという気がする。 ついでに言えば、ルソーに対しては、 バートランド・ラッセルによるさらに苛烈な批判を読んで、逆に強化されたw 今思えば、同じ「社会思想史」の単位でも、 水田洋先生のほう取った方が、自慢になったような気がする。
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/24(金) 19:53:55 ID:0ckrKKBf0
佐高の他には、丸山真男も左派だけど福沢を肯定的に評価してるな。
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/24(金) 20:31:24 ID:Ifw+X9E/O
>>71 当時の名古屋には伊藤ノユウもいたんでは?
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/24(金) 21:09:22 ID:QCux5dJm0
>>73 いたけど、伊藤は文学部、安川は教養部と所属が違ってた。
安川寿之輔は、教育学部出身の教養部教授。 自分は教養部で彼の講義を聴いた。 伊藤之雄は残念ながら知らない。 Wikipediaで著書リストを見ると、いろいろと面白そうな本を書いていることが分かったけど。 (安川の本は読む気にならない。)
伊藤は単著だけで11冊出してるが、どれも面白いよ。
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/25(土) 07:10:49 ID:hwc5Q5l40
>>76 伊藤之雄さんは「福沢諭吉の真実」を激賞していたな。
平山さんとはハーバードで一緒だったようだ。
ところでいつまでも助教のようだけれど、なにかあるの?
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/25(土) 12:17:50 ID:Jr2xvDf80
>>77 いつもは他人の著作は手厳しく評価することが多い伊藤さんがあそこまで
絶賛してたのが新鮮だった。
>>72 丸山は岩波お抱えで、スタンスは、非共産党左翼のリーダーだった。
岩波が出した福沢全集を礼賛しつつ、服部による無署名社説批判は黙殺し続けた。
丸山は、昭和戦前版の続福沢全集の編纂の経緯も知っていたから、
「日清政争以後の社説は、ホントはニセモノなんだよーっ!」
と告白したかったに違いないのサ。
今安川がやっている丸山批判は、服部のリフレイン。
丸山門下の飯田泰三に、やっぱり黙殺されている。
「アジア蔑視」のほうは、本当に何でもない話だと思う。 もともとアジアの文化が尊重するに値しなかっただけのこと。 「侵略を肯定」のほう、 例えば、大隈重信は対華21ヶ条要求の時の内閣総理大臣だった。 ここまで言い訳できない立場だと、批判する人もいなくなるw
まさか安川は一万円札の肖像に福沢が起用されてる点も批判してんじゃないだろうな?
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/25(土) 16:19:55 ID:4QLRU+Di0
何故安川はここまで福沢批判に血道を挙げるのか、全く理解出来ない。
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/25(土) 16:37:23 ID:zFX96yWxO
今回の件を見ても、福沢の支那評は完璧に正しかったと言わざるを得ない。
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/25(土) 16:49:02 ID:4QLRU+Di0
福沢はかつて自身も行ったのことあるアメリカとは日本はどう付き合えばいいと言ってるの?
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/25(土) 20:04:33 ID:wzHUbmYM0
>>77 安川みたいのは、どの大学にもいるからねぇ。
>>78 梅田正己+伊藤之雄でググると、面白いことが分かるよ。
>>79 政治学のご専攻ですね。
>>80 対華21か条は、べつに侵略を肯定しているわけではないよ。
WWTでドイツと戦っていた日本として、
ドイツを打ち負かしたら権益を引き継げるかどうか尋ねただけ。
>>81 ようつべで、福沢諭吉を一万円札から引退させようといきまく
ナマ安川先生を見ることができます。
http://www.youtube.com/watch?v=l2fqwcyLpyg&feature=related >>82 その朝日新聞への投書は、京都市長選挙に出た共産党の人が書いたものだった。
>>83 どうも本心から福沢が侵略主義者だと信じているわけではなくて、
日本資本主義批判の一環としてのような気がするな。
あるいは慶應義塾批判かも。そうすると一般大衆の人気を得られる、
と思っているのかも。
>>84 同意。ただし、アジア蔑視という感じはしない。「脱亜論」も。
>>85 当時太平洋はあまりに広すぎて、隣国という感じではなかった。
ただ、福沢のアメリカ好きは筋金入りで、独立自尊つまり、
インディペンデント・アンド・プライドというのは、
いかにもアメリカ人が好みそうなモットー。
英国のことはあまり好感をもっていないみたい。
福沢は既に明治時代から中央集権より地方分権のほうが国の発展に寄与すると 主張してたな。
中公新書の「華族」という本を買って読んでいたのだが ここに福沢の華族論が載ってあった。 福沢は旧藩主や軍人に爵位を与えることには肯定的だったが 伊藤博文や山県有朋といった成り上がりに爵位を与えることは反対だったようだ。
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/26(日) 02:37:50 ID:lUSogfVMP
326 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/04/27(木) 21:17:17 ID:kJRyzEmN0
そもそもいきなり新書にしないで学術書でもっと
徹底した分析を出さなきゃいけなかったんでねの?
327 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/04/28(金) 00:02:57 ID:HczqV5fr0
>>326 がものすごくいいこと言ったな
で平山氏ってなんで助手のママなの
328 名前:318 投稿日:2006/04/28(金) 07:18:50 ID:5D7P205u0
>>326 学術出版社に持ち込んだがハネられたらしい。慶應?
東北大? 東大? ミネルヴァ? 日本図書センター?
>>327 同じ分野の某教授が嫉妬で身をもだえさえているため、
というのがもっぱらのウワサ。
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/26(日) 08:02:25 ID:4sLN0INL0
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/26(日) 16:09:06 ID:4sLN0INL0
週刊金曜日で、佐高信氏による安川寿之輔インタビュー批判への反論を、
雁屋哲氏がするんですと。
http://ameblo.jp/sataka/entry-10658181730.html このエントリのコメントがまた面白いので引用しておく。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
金曜日社長を辞め、どこか他の雑誌(『サイゾー』とか?)にヘッドハントされる交渉が進んでいる
のではないか?と想像してしまう。
いくらなんでも編集者としての礼節を欠く。
安川教授の「説」が「違う」と思うのであれば、他の学者、福沢諭吉研究者(平山教授とか)を掲載
するというのが筋であろう。
「学問のことは学問で返す」というのが、礼儀である。(仮にも編集者であるのならば)
自分から呼んでおいて、インタビューさせておいて、いきなり「政治」に絡めた個人攻撃とは、いく
らなんでも、世間的にも非常識であろう。しかも社長自らが。金曜日最新号では、福沢を擁護す
る、なんで安川教授のインタビューなど掲載したのか!という趣旨の投書を、わざわざ選択して
「論争」欄に載せている。
ひきょうな見え透いたやらせである。
これはもはや謝罪、かつ社長辞任でもしない限り、雁屋氏の「反論文」を掲載したとしても、取り
返しがつくようなレベルの汚点では無い。
人間としての常識も無いような男だったのか、あるいは自分だけはそれを踏み外す特権を持って
いるーそれがカッコイイと思い込んでいるのであろう。
金曜日をわざと自爆倒産させるつもりで、このようなな振る舞いをしているのか?と勘繰ってしま
った。
KO 2010-09-26 12:08:21
雁屋の主張で賛同できるのは反捕鯨に反対してることだけだな。
>>92 安川さんへの批判を平山さんに書かせるというのは、なかなか
面白いアイデアですね。
『週間金曜日』誌上で、安川・平山論争を再現するわけですね。
福澤の遺体は70年代に今の場所に改葬するために掘り起こしたら死蝋化 してたんだな。遺族の希望で解剖とかもされず荼毘に付されたそうだけど。 せめて遺体写真は現存してないのかな?
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/27(月) 08:58:18 ID:nKytxNWD0
平山洋は教授ではなくて助教だろ w
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/27(月) 09:46:34 ID:PH6N6aQl0
意地悪なやつがいるな。
それはさておき、
>>96 あんなもの全部見るのがいるかい、って感じだろ。
同じネタだけで40年も話しているんだよ、安川は。
>>88 華族の身分は世襲だから、ポッと出の維新の元勲の子孫が代々爵位を得るのはおかしい、
と感じたのだろう。英国のように1代限りの爵位を設ければよかった。
それに、爵位は貴族院議員の職とも連動するから、注意が必要でもあった。
>>95 「医者から見た福沢諭吉」だったかに、その話があるね。
遺族は、自分で望んでミイラ化されたわけではないから、ということで、
何もせずに荼毘に付したよう。
だが、今考えてみれば、解剖を実施していたら、
脳溢血の発作の脳へのダメージがどの程度だったかが分かったかも。
>>99 それを考えると惜しかったが、遺族の意向なら仕方ないな。
荼毘に付す前にせめて写真だけは撮っておくべきだったとは思うが。
>>100 上で紹介した新書に、掘り返されたときの様子を写した写真が掲載されている。
読売新聞に載ったようだ。
遺体そのものの検分写真はないよう。
ミイラといっても清水に浸かってできたものだから、そうとうグロだったはず。
ま、遺族感情からもやむをえないだろうね。
福沢の好きな食べ物と嫌いな食べ物はそれぞれなんだったのかな?
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/28(火) 19:52:20 ID:GDcC41MlO
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/29(水) 00:00:38 ID:IxHbCcOoO
好きなもの:中津名物諭吉の里 嫌いなもの:支那朝鮮の食べ物全般
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/29(水) 08:24:11 ID:uoOYgx0AO
>>104 福沢の時代には、日本には中華も朝鮮料理もなかった。
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/29(水) 12:49:15 ID:ZrWTHapP0
福沢が存命中に自ら作った「福沢全集」には、無署名社説は入っていなかった。 そこには安川さんが批判するアジア蔑視や侵略主義を志向する文章は含まれていない。 福沢自身が、「これがおれの思想だ」と言っているのだから、 それだけでもう十分だと思う。
原稿が残っている社説に、問題が指摘されているものはあるの?
109 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/29(水) 14:34:48 ID:74tfXzTr0
福沢が作った『時事新報』は、昭和期に経営が傾いて、元鐘紡社長で 慶應OBの武藤山治が社長になってかなり持ち直したけど、武藤が暗殺された 後、再び傾いて1936年についに終わちゃったな。武藤が暗殺されずにもっと 長生きしていたらもっと長く続いていたかな?
>>109 その可能性は否定されたんじゃなかったっけ?
>>110 武藤が引き継いだときには、もうダメだったようだ。朝日や読売がすでに台頭していたから。
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/29(水) 16:15:36 ID:i2G7vjrz0
>>110 仮に武藤が長生きして存続したとしても、戦時中の統廃合で都新聞みたく
他紙と合併させられてた可能性もある。
福沢存命中の慶應はまだ男子しか入塾できなかったの?
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/29(水) 19:18:44 ID:uoOYgx0AO
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/29(水) 20:55:07 ID:uoOYgx0AO
慶應の大学部が大学令に基づく大学に昇格したのは、福沢死後の大正時代だったな。
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/30(木) 07:25:29 ID:wxcuCpuXO
>>118 日本で学士号を授与できないので、ハーバードとの提携を図った。
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/30(木) 08:33:16 ID:5+9y7yzS0
>>118 そもそも大正時代より前は、帝国大学令しかなかったのだから、大学はすべて帝大だった。
大正の中期にそれ以外の大学の設置が認められて、
その第一陣として早慶など私大と、東京商大(一橋)など新たな官立大学ができた。
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/30(木) 09:22:06 ID:bXLFZc1B0
今でも慶應とハーヴァードは仲いいの?
122 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/30(木) 09:24:04 ID:bXLFZc1B0
>>120 福沢存命中の慶應は国の法令ではどういう学校と位置づけられていたの?
専門学校?
>>120 慶應の大学部にはすでに医学科もあり
文学科にも森鴎外や山路愛山が就任するなど既に総合大学だったし文部省の区分も専門学校では無かった。
その点が和田大やその他ゴミ私大とは大きく異なる。
>>121 HBSには慶應出身者が多数とのこと。あと、クレイグ教授は福沢の専門家だから、
慶應との交際も密だろう。ただ、ハーバードの体質(各国のNo.1としか親しくしない)からいって、
東大との関係のほうがより深いと思う。
>>122 専門学校、だと思う。
>>133 明治の中期まで医学所が併設されていたが、それは大学部の設置前。
医学部は大学昇格後のことだから、大学部があった時代には、医学科はなかったのでは。
125 :
124 :2010/09/30(木) 10:39:04 ID:5+9y7yzS0
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/30(木) 11:58:11 ID:CX6w8mWZ0
『修業立志編』を平山さんの校訂と解説付きで出版してほしいな。
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/30(木) 12:25:54 ID:2p0Rj86E0
そういや『福翁百話』の現代語訳が最近角川学芸から出たが、平山さんの解説だった。 『修業立志編』を出すとしたら、やっぱり角川じゃね。
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/30(木) 13:31:05 ID:CX6w8mWZ0
福沢はスポーツについてはどんな考えを持ってたんだろう? 慶應の野球部が出来たのは福沢存命中だっけ?
>>124 大学部に医学科はあったぞ
大学令の前だ。
それと、文部省の区分は「各種学校」で専門学校では無かった極めて珍しい学校だった。
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/30(木) 14:23:45 ID:2p0Rj86E0
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/30(木) 14:44:43 ID:CStTHNIF0
軍事については福沢は論じたことあったっけ?
>>130 今書庫まで行って、『慶應百年史』を調べてきた。
たしかにその通りで、
大学部医学科本科は、大学医学部に昇格する直前、1年だけ授業をしている。
各種学校についても正解。よく知っているなあ。
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/30(木) 16:30:19 ID:MHvhscoR0
福沢は何で一万絵札の肖像に選ばれて、さらに数年前に千円札と五千円札の 肖像は変わったのに福沢だけ変わらなかったんだろう?
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/30(木) 16:30:55 ID:2p0Rj86E0
>>132 『通俗外交論』と『兵論』かな。
石河が書いたものは、どの程度福沢の意を体現しているか分からないので、
あまり参考にならないと思う。
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/09/30(木) 19:55:17 ID:nWPIPACH0
福沢は慶應ではどんな科目を教えていたの?文系?
『時事新報』はどうして福沢死後急速に傾いていったんだろう?
>>137 死後急速に傾いたわけではない。
石河が主筆だった大正10年あたり(福沢死後20年)までは超一流紙だった。
石河は時事の内紛で追い出されて困っていたところを、
慶應当局が福沢伝を依頼することで拾ってやったようだ。
傾いた理由は、大衆の台頭に応じた紙面づくりをしなかったため。
上から目線の論調では読者はエリート階層に限られるが、
彼らが購読料を10倍払ってくれるわけではない。
といって、いまさら大衆向け紙面にすれば、従来までの読者がそっぽを向く。
それまで小新聞といわれていた、読売・朝日・日日は、
最初は今のスポーツ紙の様なものだったが、
夏目漱石(元東大講師!)を小説担当に迎えたりして、
読者層を「上」に拡大していった。その分時事は読者を減らした。
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/01(金) 10:41:29 ID:CrCJAudZ0
>>136 学問のすすめの頃には、もうほとんど授業はしていなかったようだ。
修身だけ、だったかな。
週刊金曜日10月1日号63ページに、雁屋哲による佐高信への反論「議論は理性的に」が掲載されている。 その中に、「福沢諭吉は、金玉均に軍資金を与え、武器をそろえ、壮士という暴力団を助っ人として用意し 金玉均のクーデターを指図したのである」とある。それは事実か? また、その出典は? ぜひ知りたい。
>>127 『修業立志編』は講談社学術文庫から出してほしいです。
>>140 出典があるとすれば、石河幹明の『福澤諭吉伝』かしら。
143 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/01(金) 13:52:17 ID:cLN1NF2a0
このアマゾンレビューもスゲエ レビュー対象商品: 福沢諭吉のアジア認識―日本近代史像をとらえ返す (単行本) 本書読後、安川の「福澤諭吉を批判したい」「福澤諭吉を断罪した」「先行研究者の丸山真男、 羽仁五郎他を批判したい」「司馬遼太郎は嫌いだ」との底意と安川が信奉するイデオロギーが見 えてしまう作りの一冊です。スターリン全盛期のソ連、文化大革命期の中国もかくあったのかと 想像させる憑依した文体が読む者を疲れさせます。本書は、後述の平山洋氏より論破されるた めに生まれてきた書と言ったところです。平山洋氏の主張は後に『福澤諭吉の真実』(文春新 書 2004/08)にまとめられている。 安川の本書と平山本を比較し、各版(福澤自身によるものと、福澤没後のもの)の『福澤諭吉 全集』他初出紙誌史料に対する吟味の姿勢、史料批判能力から、判定は平山の技ありを思わ せる。 史料の吟味能力を鍛えず、福澤生前の『全集』と後の編纂による『全集』の差異の意味を考え それに気付き、他の資料にもあたる基本的な動作の忘却が、大きな汚点を呼び込み、一躍「著 名」となった一例です(安川・平山論争)。全集編纂者・先行研究者の負の遺産に安易に追従し た安川の責任は、指弾されてしかるべきでしょう。 己の論の根拠とした資料が砂上の楼閣であった時、研究者はどのように対処すべきか、その 身の振り方を含め難儀な問題です。 さて、潔い安川を見たいが、2010年現在(参照:『週刊金曜日』8月27日号■安川寿之輔・名 古屋大学名誉教授に聞く/虚構の「福沢諭吉」論と「明るい明治」論を撃つ /歴史を歪めた丸山 眞男と司馬遼太郎の「罪」)も無理な模様です。 次に企画される『福澤諭吉全集』は、慶應義塾等の手により福澤自身による『福澤諭吉全集』に回帰すると思われます。
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/01(金) 14:23:05 ID:TfhOjNpN0
>>138 石河が主筆だったころまでは超一流紙だったということは、石河は
それなりの能力ある人物だったということ?
>>144 そりゃそうさ。新聞を売る秘訣は、「真実がどうか」というよりも、
「読者はどのような報道を真実として好むか」とういところにあるからね。
石河の社説は、今読んだら差別的・抑圧的で不愉快極まりないものでも、
紙面に掲載された当時は拍手喝さいされたのだろう。
http://blechmusik.xrea.jp/d/hirayama/h07/#Hirayama_16 http://blechmusik.xrea.jp/d/hirayama/h07/#Hirayama_30 で、『福沢諭吉伝』を調べてみた。
第3巻340ページから341ページに、井上角五郎の談話が載っている。
その出典は示されていない。井上はまだ存命だったから、
石河は直接聞いたのかもしれない。
暗号や日本刀については、引用文より後の地の文にあって、
「元来この事件に関して先生は最初から金朴等の計画を与り聞かれ、実際これがために
金を費し人も使っていられた。勿論これには先生自身の記録もなく又往来文書の
残っているものもないが、井上は現に先生との通信のことに当たっていて、
其のいうところによると、先生と金玉均と井上と三人の間における電信の暗号を
もっており、又事変の発する前に飯田三治をして横浜の商人の名をもって
数十口の日本刀を井上の手元に送らしめた等の事実は、先生がいかにこの事件に
関係の深かったかを証する足るものである。」
すでにガトリングガンが実用化されている時代に、日本刀を送ったって?
そんなことをしたら、甲申政変の背後に日本がいるのがバレバレになる。
スゲー怪しいヨタ話のような気がするぞ。
ますます面白くなってきた。今度は飯田三治を調べてみよっ!!
となると、『下に』読者層を拡大することに失敗した時事は上で既に言及されてるように、 武藤山治がもっと長生きしても、紙面づくりを抜本的に変えなきゃ廃刊は避けられなかっただろうな。
武藤が慶應にいた頃は福沢から直接教えを受けた代だっけ?
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/01(金) 21:06:53 ID:egOGzcJS0
130年前の大賢人の預言を百回聞いて猛省しろ 日本の不幸は中国と朝鮮半島だ。 この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、 同じ古典を共有しているが、もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、 日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。 情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、 過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。 この近代文明のパワーゲームの時代に、教育といえば儒教を言い、 しかもそれは表面だけの知識であって、現実面では科学的真理を軽んじる態度ばかりか、 道徳的な退廃をももたらしており、たとえば国際的な紛争の場面でも 「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。 (中略) もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。 「東アジア共同体」の一員としてその繁栄に 与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。 日本は、大陸や半島との関係を絶ち、先進国と共に進まなければならない。 ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。 この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。 悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。 私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。 (明治18年(1885年)3月16日 ■福沢諭吉) >悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。 >悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。 >悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。
149 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/01(金) 21:40:29 ID:9bRVA+xN0
>>146 武藤が長生きしても時事の廃刊は免れなかったろう。
時事の暖簾を今ももっている産経は、戦後読者層をずっと引き下げる戦略をとって生きながらえている。
だが、時事のようなクオリティペーパーとはまったくみなされていない。
>>147 同姓同名の社会党代議士がいるんだな。
それはさておき時事の社長になった武藤の塾生時代には、福沢は授業はもっていなかったようだ。
だが三田演説会での演説はしょっちゅう聴いていたはず。
>>148 「脱亜論」は侵略主義でもアジア蔑視でもない。当時の清国・朝鮮国批判にすぎない。
それにしてもどこをどう読めばこれを侵略宣言と解釈できるのだろう。
関係を心において謝絶する、とあるのに。
そもそも批判しただけで蔑視になるんなら、中国や韓国は日本を蔑視していることになる わけだが、安川らは中韓の日本批判には何ら批判せず、むしろ「アジアの声」 だなんだと自分たちの主張を補強するのに使ってるしな。
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/02(土) 06:34:13 ID:tBxSc4Dr0
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/02(土) 10:58:19 ID:Thr0j3Qs0
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/02(土) 12:39:31 ID:4SUonRPS0
福沢諭吉の後を引き継ぐ骨のある日本人はいなくなってしまったな 唯一、三島由紀夫がその後継者だったのにサヨクによって潰されてしまった
もう韓国、中国は日本を抜いてるじゃないか。
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/03(日) 09:17:14 ID:14cu2o7K0
民度の点も含めて抜かされた、ということは無いんじゃないか。 とくに中国に。 経済が大きくなって量的に日本を抜いたといっても、 人口も10倍なので、一人当たりのGDPは日本の10分の1になる。
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/03(日) 13:41:25 ID:BA0xIFEvO
1998年11月。品川区。 歩道で慶応大1年A子(19歳)と立教大4年B子(22歳)が突然スカートとパンティを脱いで脱糞をし始めた。 脱糞AV撮影のためだった。それを見た公安が2人を逮捕した。 A子は良家の娘で英検準一級を持っていた才媛。B子は裏本「君を忘れない」で有名だった。
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/03(日) 19:25:13 ID:W5lBj5Xt0
福沢の子供たちはどうなったの?
160 :
145 :2010/10/04(月) 10:00:05 ID:zQvYjjUa0
全集21巻の人名索引によると、飯田三治は、17、18、20、21の各巻に登場している。 前2巻は書簡、後2巻は資料。この人物は、朝鮮人留学生の世話役だったようだ。 まず第21巻374ページに、在朝鮮の時事特派員に託された暗号表なるものを発見。 秘密に連絡を取り合う必要はあったろうから、それは不自然ではないだろう。 問題は、「壮士」の手配と「日本刀」の送付だ。 続いて第20巻392ページに、「朝鮮人へ貸金の記憶書」がある。金らへの貸し出しは 飯田を介して行われていたとわかる。なんと1万5千円が貸しっぱなしになっていて、 返済されていない、と福沢は怒っている。だが、日本刀の記載はない。 要するに20、21巻の資料には、壮士・日本刀関連の記述はない。 では、書簡か。17巻の明治18年までにはいずれの記載もなし。 で、18巻12ページの明治19年3月23日付飯田三治宛書簡中に、 次の記述を発見。 「朝鮮より未だ便は無之候得共、注文品は百本丈御用意被成下候よし。」 この書簡の註には、注文品は未詳とある。石河はこれを「日本刀」と解釈したんだろうか。 だが、奇妙なのは、「日本刀」は、普通「本」ではなく「振」で数えること、 それに、発信の日付は、甲申政変の翌翌年で、時間が経ち過ぎていること、 がある。 1886年3月に飯田が朝鮮に「何か」を100本送ったことは分かったが、 それが日本刀だったかどうかは、???だ。 飯田が登場する書簡は全部見たが、これ以上に関係していそうなものはなかった。
>>160 金 玉均・朴 泳孝・徐 載弼とかの開化派に関する記載はどうなっていますか?
注文品の読み方については口とかいてフリと読ませるらしいので、
100本って書いてあるものを日本刀とするのは無理があるよねえ。
あなた自身が
>>145 で書いてあるけど『福沢諭吉伝』から引用では、数十口とかいてあるんだし。
162 :
145 :2010/10/04(月) 16:02:46 ID:zQvYjjUa0
>>161 明治維新前の自分たちのようだ、という一般的な印象が語られているだけで、
甲申政変より前に、何かを共謀しているような記述はない。
当然のことで、日本経由で事大党に秘密が漏れるかもしれないから。
「勿論これには先生自身の記録もなく又往来文書の
残っているものもない」
>>145 とあるとおり。
つまり、「壮士」だの「日本刀」だのは、実際に政変が起こってから、
日本人壮士が日本刀で武装していた、という事実が明らかになって、
それと福沢を結び付けようとしたフレーム・アップの可能性が高い。
石河は社説執筆にあたっても、そうした小細工をしていたんじゃなかろうか。
派手な話にすると読者が喜ぶからね。
壮士やら日本刀やらを用意したのは、外務省の井上馨外相や竹添公使らのほうで、
一介の民間人である福沢がしていたのではなさそうだ。
ただ、井上角五郎へ福沢が日本刀を贈った、という記述は、
井上園子著『井上角五郎は諭吉の弟子にて候』に、
壬午軍乱のすぐ後、最初に朝鮮に行く前のこととして記されている。
明治15(1882)年12月のことで、危険な朝鮮に行くことになった角五郎に、
「自国自身唯莫忘」と大書した自筆に一振りの日本刀を添えて贈った」(57ページ)
とある。
要するに守り刀で、危険な場所に向かう弟子に贈ったとしても、べつに不自然ではないな。
この出典は、『井上角五郎君略伝』という本らしいが、未見。
角五郎は1938年まで生きたから、それまでの間に、ほぼ同年の石河を含めた友人たちに、
「朝鮮に行ったときには、ぼくは福沢先生から日本刀をもらったよ」
と吹聴したに違いなく、それがいつの間にか甲申政変の準備のために、
と変化したのかも。
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/04(月) 16:18:21 ID:VHMMqK3l0
井上角五郎は、後藤象二郎の秘書から政治キャリアを出発させた男だな 昨日(大河ドラマでは)海援隊と手を組んだ土佐の
西洋事情中の文明政治の6条件、船中八策、五箇条の誓文の類似を最初に指摘したのは平山さんかな。 それとも松沢弘陽さんか。
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/05(火) 09:33:34 ID:vjMWKhzV0
安川が何冊か本を出してる高文献は左寄の出版社だな。
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/05(火) 10:11:47 ID:PDCCi20G0
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/05(火) 12:01:11 ID:vjMWKhzV0
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/05(火) 12:19:56 ID:PDCCi20G0
>>169 >電話・FAX 0565−33−8110(新婦人事務所)
>電話・FAX 0565−88−2588(篠田木末)
>電話・FAX 0565−53−3357(冨田八千代)
こういうのを見ると、調べたくなっちまうおれがいる
何だよ。安川の話題になったのか。
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/05(火) 19:22:57 ID:NXvZNlD1O
安川のせいで福沢ファンがどんどん増えている
>>169 確かに違う意味でエネルギッシュだな。そのエネルギーをもっと建設的な
ことに使えばいいものを。
後藤象二郎は福沢が好きそうな人物だな 酒飲みで、器の大きい人物。
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/06(水) 09:24:07 ID:HIwWaoWl0
>>175 調べてみたら
>>170 の方々は案の定共産党系プロ市民だった。
こうした会に、シンパ以外が出ることはあるんだろうか。
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/06(水) 19:25:31 ID:jF0QunUw0
>>174 後藤は交詢社の社長(会長)になったんだっけ?
高島炭鉱経営には失敗したが
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/07(木) 06:17:24 ID:jbWpk4dK0
日本は韓国には抜かされないまでも 経済、軍事、政治の国際的影響力と、さまざまな部分で 中国には抜かされてる。 一人当たりGDPなんて、国同士で比較すると関係ない。 これはどげんかせんといけん!福沢しぇんしぇ〜
182 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/07(木) 12:30:12 ID:L2+F+GJo0
>>179 より
「平山氏の史料批判を全面的に受け入れて、アジア蔑視や大陸侵略肯定の、
後期の時事新報社説を福沢の思想から削ったとしても、
前期の「学問のすすめ」「文明論之概略」「帝室論」など明らかに福沢真筆の史料を読む限り、
「あ〜福沢って、やっぱ明治絶対主義のイデオローグ。
初期から学問・知識のない人や国家に対する蔑視・愚民観がスゴいし、
天皇利用論は打ち出すし、明治国家の富国強兵・対外膨張の帝国主義路線と何ら対立しない。
初期福沢のどこが典型的な市民的自由主義者!?」とか個人的には思います。」
ホントかな? 続全集所収の社説類が知られるまで、福沢に「明治絶対主義のイデオローグ」
なんていう評価はなかったと思うぞ。
そう言い出したのは法政大学教授の服部之総で、たしか1952年のこと。
安川支持派の別のブログでは、
「そもそも福沢諭吉は、同時代、平山洋の言うような自由主義者、
として批判されることは少ない。
むしろ、思想的なものよりも、拝金主義者、ほら吹き、無節操、変節漢といった人格批判こそ、
福沢批判のメインストリームだったのだ。」
http://plaza.rakuten.co.jp/boushiyak/diary/200701300000/ とある。
左翼の中でも、意見が分かれてきたのかな。
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/07(木) 20:24:56 ID:/BCgKsFQO
中国を過大評価するのは、どうかな
184 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/08(金) 06:53:01 ID:hmPWsE+g0
日本倫理学会第61回大会(2010年度)日程・会場案内等 第61回(2010年度)大会は慶應義塾大学にて、次の要領で開催されます。 【主題別討議】(カッコ内の*が責任者、その他は提題予定者です。) 期日 2010年10月9日(土) 午後 会場 慶應義塾大学(三田キャンパス) 1. 内在主義と外在主義―道徳判断と動機づけの関係について― (*成田和信、奥田太郎、萩原理、田村圭一) 2. 道徳(徳)は教えられうるか(初等・中等教育における道徳教育) (*荻野弘之、田中伸司、桑原直己、寺田俊郎) 3. 明治の思想における国家と個人 (*佐藤康邦、八木公正、平山洋、朴倍暎)
>>184 非会員が直接行って参加できるんだろうか
186 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/08(金) 10:46:23 ID:jBAP1RCr0
平山氏は明日9日に東京で、安川氏は明後10日に愛知で、それぞれのお立場の情宣活動か・・・ もう直接対決というのはないのかな ここで架空対決でもしてみるか
ざっとネットで検索すると、大雑把に平山系7、安川系3くらいの勢力分布になっている。 安川系はあくまで現行全集死守、ひどい社説は石河が書いたと認めつつ、 その石河は福沢に忠実だった、とすることで、 福沢を批判している。 平山系は、全集の社説採録は信用できない、福沢のものだけなら、 アジア蔑視でも侵略でもない、福沢はただの近代化論者、という評価。 安川系が、社説の採録が信用できることを証明しないうちに、 信用できない証拠は山積みになってきたので、 平山系が優勢となっている。 ウィキもその路線の記述で、一般人への影響力は、圧倒的に平山系の優勢。 これはアマゾン・レビューなどでも明らか。 しかし安川系はけっしてへこたれたりあきらめたりしないので、 形式的には論争は未だに続いていることになっている。
188 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/08(金) 13:09:06 ID:jBAP1RCr0
>>187 ま、たしかにそんなモンだわな
福沢が関与した証拠がない、といって、関与しなかったといえるか!
てなもん
福沢には脳溢血にならずに、大正時代まで生きていて欲しかったな。
>>189 確かに。ほぼ同じ世代の徳川慶喜も大隈重信も大正まで生きているからね。
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/08(金) 20:56:25 ID:xfdC5aNP0
>>182 > 明治国家の富国強兵・対外膨張の帝国主義路線と何ら対立しない。
「対立しない」からって妥当だとは言えないでしょう。
たとえば、血液型性格占いで、X氏の性格が
O型性格と対立しない、
A型性格と対立しない、
B型性格と対立しない、
AB型性格と対立しない。
だから、X氏の血液型はO型かつA型かつB型かつAB型である
とは言えないですよね。
人たらしの天才 福沢憎し!の暗殺しようとする藩士に「私の話を5分聞いてから殺しなさい」 と言って、5分後、「福沢先生、弟子にしてください」だものww
196 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/09(土) 06:36:13 ID:yfrPJEeEO
198 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/10(日) 09:09:16 ID:SLHN1T9AO
1898年の脳卒中で失語症になったということは、その時点で言論人、思想家としての 福沢は死んだことになるね。
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/10(日) 17:46:23 ID:SLHN1T9AO
>>199 だと思う。全集には80くらい入っている
週金で批判されていた社説は、そのまさに発作以後に掲載されたもの。 書いたのは石河だと、自分で言っている。 アイディアもそうだ、ということだろう。
>>210 何という名前の社説が批判されていたの?
最近福沢の著作を読んで素晴らしいなーと思い2chでスレタイ検索してここにたどり着きました いろんな論争があるんですね 嫌な気分になりました サヨクの人たちには早く死んでもらいたいです
204 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/11(月) 17:55:20 ID:/Cn+QVUnO
>>203 左翼は反革命の象徴として福沢をたたいている
>>205 反サヨクの象徴として福沢を称えているというのは何か違う気がする
単に脱亜論が自分達の主張と一致するからだと思う
サヨク達が福沢叩きに掘り起こした脱亜論が、今現在逆に再評価されているというのは皮肉なものだ
>>206 反サヨクの象徴とは言い過ぎかもしれない。
ただ、脱亜論を対アジア強硬論と解釈するのは止めてほしい。
脱亜論では、単に「近代化しなければ清国も朝鮮国も滅びる」と言っているだけで、
外交関係を断絶するとか貿易を止めるとか言ってはいない。
外交関係は今まで通り続けるが、
「其支那、朝鮮に接するの法も隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、
正に西洋人が之に接するの風に従て処分すべきのみ。」
とあるように、特別扱いせずに西洋諸国のようにドライに接するだけだ。
また、関係を謝絶する訳でもないが、
「我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。」
とあるように、単に「心の中で」謝絶するだけ。
これのどこが対アジア強硬論とかアジア蔑視論になるのだろう?
>>207 著作や自伝見ても強硬論とかとるような人ではないのがわかるよ
とりあえず言ってみるけどダメなら捨て置く、、、くらいの気軽さかな
自伝読み返してるけど本当におもしろいなー、全集欲しくなってきた
きちがいが勝手な解釈で因縁つけるのはもうしょうがないのかもね、死ぬのを待つしかないよ
自伝の翻訳はもう発表されて長いから 時事新報社説の翻訳本を出して欲しいのー
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/11(月) 22:21:24 ID:vvVNHRH70
>>205 東谷暁も平山洋も、リアル世界での保守派であって、ネット「右翼」ではないだろ。
ところで、右翼を悪い意味で捉えているようだけれど、それはどうして?
「自分の祖国を貶めることに反対する」のは立派なことで、
悪いことではないはず。
それにどちらも、他国を貶めてもいない。
>>210 自国を持ち上げるために他国を不当に貶めるようなことを言ったりするのは
いただけないでしょ。
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/11(月) 22:44:20 ID:vvVNHRH70
>>211 誰が他国を貶めているのかを聞いているんだけれど。
>>212 >>205 は、ネトウヨが「脱亜論」を用いて中韓を貶めているのに反発して、
あのインタビューをリンクさせているのだろ。
つまりネトウヨへの反論として。
>>210-213 ネトウヨの例として、東谷暁や平山洋を取り上げたのではなく、
「脱亜論なんて戦前には誰も気にとめていなかった」の続きとして
リンクしたのです。紛らわしくてスマソ。(_ _)
> ところで、右翼を悪い意味で捉えているようだけれど、それはどうして?
それは、単に反サヨクとして、サヨク的な発言に何でも反対する輩を
ネトウヨと書いただけで、右翼を悪い意味で捉えているわけではないです。
たとえば、嫌韓厨みたいな輩のことです。
215 :
210 :2010/10/12(火) 03:41:02 ID:LaswhFoc0
>>214 それならナットクだし、カキコにも同意だ。
>>214 いわゆるネトウヨは、「脱亜論」を、中韓蔑視の根拠のようにして使っているけれど、
あれは民族蔑視ではなく政治批判。
実際の福沢は、「シナ人親しむ可し」と主張していた。
http://blechmusik.xrea.jp/d/hirayama/h38/ 安川さんはこの社説を「ウソ」と断定したが、
『福沢諭吉の真実』のなかで、この社説が本物であることは証明されている。
つまり福沢は、「中国人朝鮮人を蔑視してはイカン」と言っていたのであって、
実際このスレ住人の調査によっても、福沢名で発表されている著作に、
差別表現はほとんどないことが明らかになっている。
そうなると、日清戦争以後の、差別表現満載社説の発表には、
福沢は関与していなかったことになるのだが。
ところで、週末に開かれた、福沢関連のシンポはどうだったんだろう?
>>184 平山さんの発表要旨を読む限り、
福沢は教育勅語を肯定していて、晩年の著作でその解説をしていた、
というのが論旨のようだが。
http://blechmusik.xrea.jp/d/hirayama/h91/ 慶応で開催されたのだから、ここの住人に出席者はいなかったのかな。
いたら報告よろしく。
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/12(火) 10:21:56 ID:jF26AH5v0
>>214 韓国側の言論の一部に、福沢諭吉を不当に悪者にする傾向があるからね
感情的な攻撃にたいして同じように感情的な反応をしてしまうんだろうよ
ネトウヨは
218 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/12(火) 12:00:47 ID:eZU6oEmm0
>>202 レス遅れてスマソ。
週金2010.8.27(P19)には、「シナ兵の如き…豚狩の積り」が引かれているが、
これは「国のために戦死者に謝す」という1900年6月21日掲載の社説の一節。
脳卒中の発作後の社説は全部自分が書いたと石河はいっているのだから、
これも石河の作。福沢はこの7ヵ月後に死去する。
福沢本人が書かせたはずもなかろう。
石河があんなことをしたのは、自分のことをさして評価して無かった 福沢や、自分よりも高く福沢から評価されていた、高橋ら元同僚たちに 対する意趣返しのつもりだったのかな?
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/12(火) 13:16:05 ID:eZU6oEmm0
>>219 けっきょくその解釈が有力になってしまうね。
東谷さんいうところの、石河=サリエリ説。
あと、もし自分が新聞人石河の立場で考えるなら、
新聞社説というのは当日しか読まれないわけだから、
自分が生きた証は、
何かの書籍にまとめなければ永久に消滅してしまう、
という恐怖心があったのかもね。
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/12(火) 13:43:23 ID:13uKmvP20
福沢は津田梅子や新島襄といった、同時代の他の教育関係者とは交流あったの?
>>216 日本倫理学会のミニシンポで、発表と討論を聴きました。
平山先生のご発表は、予稿集にある通りで、それをさらに肉付けした面白いものでした。
朴先生も、金玉均と福沢諭吉の関係をきちんと捉えたよいご発表でした。
問題はもう一人のY先生で、予稿集とはまったく違う話を、
資料もなくクドクドと述べるという、ひどいしろもので、
資料を三田のコンビニでコピーしようとしたら、
自宅に忘れてきたことに気づいたんですと(怒)。
持ち時間30分のうち、15分は予定と異なる発表をすることの言い訳、
残りの時間は教育勅語についての恩師のエピソードや、
勅語の解釈には水戸学を応用しなければならない(どうして?)、
などというとりとめもない話で埋めていました。
223 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/12(火) 14:24:55 ID:jF26AH5v0
>>221 新島は同時代だが、梅子は友達の娘だろ w
津田仙と福沢は一緒にアメリカに行った
師匠没後も福沢は緒方家と交流あったの?
>>222 あはは、やっぱりいたね! 貴重な情報をありがとう。
福沢は師匠の緒方洪庵のことは後々まで尊敬していたの?
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/12(火) 19:47:47 ID:PZ/hEjYZO
>>226 自伝の次には洪庵伝を企画していたらしい。その矢先に卒中で倒れた。
福沢ほどの思想家・言論人が、晩年は失語症で文章を書く事も会話することも ままならなくなったというのは悲しい話だ。肉体的に死んだのは1901年だけど、 思想家・言論人としての福沢は脳卒中で失語症になった1898年に死んだんだな。
>>229 リンクを読むと、八木先生の立場は、
明治憲法や教育勅語の前提として皇室祭祀がある、
ということのようだ。
>>222 の水戸学の応用というのも、そのことだろう。
だがどうもよく分からんのは、なぜ祭祀が重要と考えるのか、だ。
福沢なら、こんなもの、と鼻で笑うだけだろう。
自伝の中に、英国の皇太子に御祓いした、というエピソードを、
明治政府のとった情けない事例として紹介している。
>>230 どうやら和辻哲郎の孫弟子のようだから、祀る/祀られる神との関係で、
そうした考えを抱いているのではないかな。
>>232 この人すごいだろ。書いていることにハズレがない。
足尾鉱毒事件については福澤は何か見解を発表してないの?
>>234 明治30年4月13日付「内務大臣の鉱毒視察」と5月28日付「足尾銅山鉱毒事件の処分」の2編があるな。
どちらも全集第15巻に入っている。
福沢の原稿はない。時事が労働・民衆運動に冷淡なのは周知の事実。資本家・支配層の新聞だから。
福沢の原稿はないってことは、2編とも無署名論説で、福沢筆じゃない可能性 があるということ?
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/13(水) 19:27:25 ID:ZoZC/DD60
>>235 ライバルの勝海舟が、田中正造を支援し、銅山の即時操業停止を主張して政府と
古河財閥を厳しく批判したのとは対照的だな。
238 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/13(水) 19:45:02 ID:dTbi4ecGP
>>237 労働運動や大衆運動に肩入れするほうが正しい、という前提があるわけね
くだらん価値観だが
239 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/13(水) 19:56:02 ID:ZoZC/DD60
>>238 別にそういう意味で言ったわけじゃないよ。ライバルだけあって違うなと
思っただけ。
>>218 レスありがとう。
「国のために戦死者に謝す」という社説は、平山さんによると、
「『福澤諭吉伝』の中で引用されているのに、『福澤諭吉伝』の前に
でた大正版全集には収録されておらず、『福澤諭吉伝』の後に
なってでた昭和版続全集になってから収録されたのは変だ」
とツッコまれていたものですね。
241 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/14(木) 10:24:24 ID:cRUEj9aJP
>>239 こちらこそ申し訳ない。なんとなくプロ市民的なカキコだったもので。
242 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/14(木) 10:42:50 ID:x1GQd5OP0
>>240 石河による伝記は満州事変直後の刊行だから、
読者はあの社説を、「国のために(満州事変での)戦死者に謝す」
として読んだはず。
つまり、1900年の北清事変と、1931年の満州事変をかぶらせている。
243 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/14(木) 10:48:15 ID:x1GQd5OP0
>>236 社説だから無署名さ。こうした場合は、同時期の署名入り著作や演説、
それに手紙で言及していないかを調べるしかない。
もし明治14年の政変が起きずあるいは福沢が関与せず、当初の予定通り政府系 新聞として『時事新報』を創刊していたら、どうなってたかな?
>>244 14年政変は福沢が関与しなければそもそも起きなかった政変。
まったくの推測だが、福沢は伊藤博文はともかく、
井上馨とはつるんでいたと思う。
つまり、井上は、裏では福沢・大隈の意向に同調していて、
議院内閣制度導入の見返りとして、
福沢の反政府的言動を縛ろうとしたのではないか。
福沢としては、議院内閣制度になりさえすれば、
政府は国民の信任による政府になるわけだから、
その政府に従属した新聞でもかまわない、と思ったのかも。
現実は情報が14年早々に漏れて、伊藤の怒りに井上がおびえて寝返り、
大隈と福沢系官僚の追放に帰結した。
14年政変が起こらなかったら、藩閥政府のままなのだから、
福沢は政府系新聞の発行を拒否したのでは。
早慶ってライバル関係なのに、創立者同士は仲よかったんだな。
247 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/14(木) 19:43:53 ID:WKsFEA2vO
>>246 いや経済活動担当が慶應、政治活動担当が早稲田で、住み分けがあった
戦前は政友会の有力者は慶應が多かったような気がする。 早稲田は戦後に大きく躍進した。
大隈重信は、内閣総理大臣を経験している。 しかも第一次世界大戦時のことで、日本を戦勝に導いた功績がある。 桂太郎や伊藤博文と同格の功労者ではないかな。
大隈は何故佐賀の乱に加わらなかったんだろうねえ? 司馬遼太郎に言わせると「頭の悪い策士」 勝海舟に言わせると「どんぐりの背比べ」 だそーだ
>>249 大隈は二回総理やってるけど、史上初の政党内閣だった第一次内閣はは自由党系との
内輪もめでわずか4ヶ月で総辞職、第二次内閣では対華21か条要求で中国はもちろん、
英米との関係も悪化させるなど、首相としては大隈はイイトコなしだよ。
252 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/14(木) 23:35:46 ID:kk/q3YvQ0
福澤と勝は心から嫌悪しあってたの?それとも思想は違えど、互いの実力は 認め合ってたんだろうか?
>>250 明治6年の征韓論で下野した人たちが引き起こしたのが、萩の乱・佐賀の乱・神風連の乱、
そして西南戦争なわけだから、その時点では下野しなかった大隈が、
佐賀の乱に参加するはずはないよ。
大隈は鎮圧する側にいた。
ただし、佐賀の乱の首謀者として江藤新平(元参議・司法卿)が処刑されているが、
彼は帰省していただけで、実際には乱とは無関係だったらしい。
254 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/15(金) 10:46:39 ID:VdnFH0iL0
>>252 福沢と勝は年齢差があるから、ライバルとはいえんだろ
勝は薩摩・長州の軍門にくだった幕府にとっての裏切り者
福沢が勝を嫌悪していたのは間違いない
>>253 > 彼は帰省していただけで、実際には乱とは無関係だったらしい。
はあ?w適当なことを言うなw
>>255 反乱者たちに、乱を思いとどまらせようとしていた、だな、正確には。
257 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/15(金) 12:35:15 ID:4OY6oFQh0
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/15(金) 13:03:21 ID:xLxBgQOVO
すいません教えて下さい。 福沢諭吉さんって教育者になりますか? 慶應義塾作ったのはわかりますけど。 イマイチ考えがわかんないです。。 手前ミソですけど、 新島の方が教育者って感じがするんですが… わかってますよ。 DOー志社が慶應義塾の足元にも及ばないって事は。
>>258 新島は結局しょうもない社会主義者しか生み出せなかったからね
教育者としても失格だと思う
現在活躍中の同志社出身者って、誰かいる?
>>260 私より十年くらい前ですと結構派手でした。
私の頃はラグビーが強かったくらいですね。
京都ってのがあるかも。
>>261 根本的な原因は、近畿圏の地盤沈下かな
上京したい奴はいても
都落ちをしたいとは思わない
京大だって、関東の高校生には魅力薄だからね
>>262 ありえますね。
それと京都って土地柄。
戦前の滝川事件など。
京大、同大、立命大、
結構派手でしたよ。
後期試験中止とかありましたよ。
今は、立命なんかはおしゃれな大学にイメチェンですから。
あの頃ムチャクチャ学費安かったと記憶してますよ。
福澤と勝は何で、いつから仲悪かったんだろう?咸臨丸の時から?
福沢は大阪生まれの大阪育ちだから江戸っ子の勝とは合わなかったんだろうな。 しかし咸臨丸で共に渡米した肥田浜五郎や木村芥舟とは晩年まで深い親交があった。
266 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/16(土) 20:02:10 ID:5P5ib8fZ0
福沢が学んだ適塾は、元は蘭方医を養成する塾だったから、福沢は文理どちらか といったら理系?
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/17(日) 00:47:22 ID:RBRut83rO
>>264 仲悪いと言うより、
幕臣が明治政府に入って来たのが、
気に入らないんじゃなかったと思うけど。
268 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/17(日) 07:53:54 ID:Lg1LQNB1P
>>266 適塾は医学部だっただけでなく、理工学部でもあった。
島津斉彬や黒田長博は電信機の製作を緒方洪庵に依頼した。
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/17(日) 22:23:18 ID:VzbCJ6QMO
>>266 大学部にも医学部や理工学部を造りたがったからね
271 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/18(月) 11:32:42 ID:WQGKQqZD0
日頃から健康に気を配り、頑健な肉体を誇っていた福沢が脳卒中になった原因はなんだったの?
>>271 長男の一太郎が病気になって、その心労がきっかけらしい。
看病の記録を付けている最中に発作になった。
>>272 父親の百助が卒中だったという説があります。
そうならば遺伝かもしれませんね。
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/18(月) 22:16:38 ID:bY3qQmd+0
石川にとって、敗戦で価値観が良くも悪くも激変したこと、関東大震災で焼失したと されていた福沢の中上川宛書簡が戦後に発見されたことは、結果的に誤算だったな。
>>274 そうですね。
そうすると、1996年に井田メソッドが開発されて、福澤執筆説に疑問が出るまで、
みんな石河に騙されていたことになりますね。
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/19(火) 08:32:11 ID:p2sR8o6RO
>>276 おれもそう思う。
というのは、服部之総が批判の俎上に載せているのは、
どれも現在本物と確認されているものだから。
昭和版続全集には、
安川が槍玉にあげている福沢最晩年の悲惨な社説が多数入っているのに、
なぜかそれらは対象にしていない。
おそらく服部さえも、続全集に贋作があることを知っていた。
>>276-277 確かに、平山さんも『福沢諭吉の真実』の「おわりに」で、
丸山眞男や服部之総らが気づいていた可能性があると指摘していますね。
↓
----
富田はもとより丸山・服部・遠山も「時事論集」の杜撰に気づいていた
可能性があるということである。
----
『福沢諭吉の真実』「おわりに」235頁
前の続きです。
----
支那の今日の有様を見るに、何としても満清(まんしん)政府をあ
の儘(まま)に存じて置(おい)て、支那人を文明開化に導くなんと云うことは、コリゃ
真実無益な話だ。何は扨(さて)置き老大政府を根絶やしにして仕舞(しまつ)て、ソレか
ら組立てたらば人心こゝに一変することもあろう。政府に如何(いか)なるエ
ライ人物が出ようとも、百の李鴻章(りこうしよう)が出て来たって何にも出来はしな
い。その人心を新(あらた)にして国を文明にしようとならば、何は兎(と)もあれ、試(こころ)みに
中央政府を潰すより外(ほか)に妙策はなかろう。
----
福翁自傳 - 466 ページ :
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_text.php?ID=116&PAGE=466 ※これは間違いやすい所ですが、日本人が清朝を倒すのではなく、中国人が清朝を
※倒して新政府を作れれば、中国も文明開化できるだろうという、
※「中国人による中国革命」に期待を寄せた文です。
以上、どれも「脱亜入欧」を主張したものではないと解釈できますね。
280 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/20(水) 16:01:59 ID:YSDEWebv0
文献によって「福沢」だったり「福澤」だったりするけど、どちらの表記が正しいの?
281 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/20(水) 18:34:41 ID:dgoX3IH80
『脱亜論』の現代訳 日本の不幸は中国と朝鮮半島だ。 この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、 同じ古典を共有しているが、もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、 日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。 情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、 過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。 この近代文明のパワーゲームの時代に、教育といえば儒教を言い、 しかもそれは表面だけの知識であって、現実面では科学的真理を軽んじる態度ばかりか、 道徳的な退廃をももたらしており、たとえば国際的な紛争の場面でも 「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。 (中略) もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。 「東アジア共同体」の一員としてその繁栄に 与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。 日本は、大陸や半島との関係を絶ち、先進国と共に進まなければならない。 ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。 この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。 悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。 私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。 (明治18年(1885年)3月16日)
神戸大学にヒラヤマヨウスケ教授というのがいるんだな www さっきNHKラジオに出ていた 住宅問題の専門家
「脱亜論」については、原稿は残っていないものの、文体的には福沢ということになっていますね
あと
>>281 も分かっているとは思うが、侵略主義でも、シナ・朝鮮蔑視でもない
両国政府を批判した社説。
>>284-285 「東谷暁インタビュー: 平山洋 福沢諭吉「脱亜論」の真実」
http://blechmusik.xrea.jp/d/hirayama/h07/ このインタビューからポイントをピックアップしてみました。
ポイントは以下の通りです:
(1) 「脱亜論」は肯定的に引用される?
↓
真実:
「脱亜論」が取り上げられる場合は、福澤を貶めるために引用される。
肯定的に取り上げられるのは、1981年に、坂野潤治が、
『福沢諭吉選集』第7巻(岩波書店)の「解説」で書いたものが最初。(発表から96年後)
坂野潤治によると、
“「脱亜論」というのは、脱亜を言わなければいけないくらい、残念ながら
日本を除いた東アジアの国々は意識が遅れている、本当に残念だ”
という意味で書いたもので、それを蔑視と捉えるのは間違いだ。
要するに精神的に近代化せよと言っているのであって、地理的概念のアジアから
離れるとか蔑視するとか、そんなことは全然書いてないわけですよ。
http://blechmusik.xrea.jp/d/hirayama/h07/#Hirayama_07 (2) 「脱亜論」はアジアを蔑視している?
↓
真実:
福澤が問題視していたのは、儒教的な文化圏のなかで日本を周辺部として位置づける
清国や朝鮮の日本蔑視のほうです。日本というのは文化的に遅れているんだ、武力しか
なくて野蛮な奴らなんだという侮日の意識がある。福澤は「近代化」を西洋的近代化に
限定するわけだから、当然それを阻害する要因になると考えたわけですね。
http://blechmusik.xrea.jp/d/hirayama/h07/#Hirayama_10 (3) 「脱亜論」は福沢を貶めるために引用されたという話をして頂いたわけですが、
アジアから見た福澤というのも、同じようなことになっている。
↓
真実:
ええ、日本と中国と韓国の左翼による共同作戦があるのだと私は思います。
金谷譲さんという中国思想の専門家の面白い指摘がありました。
中国の大学入試に 「脱亜論」が出題された際、その引用の仕方が遠山茂樹の論文と
そっくりだったというのです。「我れは心に於いて亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」と
いう部分だけが引用されて、その説明である「悪友に親しむ者は共に悪友を免れる可からず」、
という部分を「……」で省略してあるところまで同じだと(笑)。
おそらく答えも遠山さんの見解が正答とされたのではないでしょうか。
http://blechmusik.xrea.jp/d/hirayama/h07/#Hirayama_42
>>286 福沢が、シナの小日本思想、朝鮮の侮日思想に反発して「脱亜論」を書いた、
ということは理解できるが、
東アジア的な価値観をはなれて、西洋的な価値観からいって、
アジアを遅れた地域とみなした、ということはないのかな。
いわゆる、「アジア的停滞」観というやつ。
日本だけはそうした奴らとは違って、西洋文明を受け入れつつある、
と言っているのだとすると、
西洋的視点にもとづく、別のアジア蔑視になるのではないか、ということなんだけれど。
288 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/22(金) 16:22:00 ID:KL1HsuAV0
>>234 遅レスだが、まさにそのテーマを扱った論文が一本見つかったよ。まだ未完結だけど。
福沢諭吉と足尾鉱毒事件 足尾鉱毒事件研究の一環として(一)
三浦顕一郎 白鴎法学22号
ttp://ci.nii.ac.jp/naid/110001161298 足尾鉱毒事件については、
>>235 が取り上げてるものにこの論文で言及されてる一本加えて、
計3本の論説を『時事新報』の社説として発表してる。社説だから無署名な上、この論文では
井田メソッドなどによる起筆者推定とかはされてないから、石河とかが書いた可能性は否定出来ないけど、
3本とも明治30年と、福澤が脳出血で倒れる前(明治31年)のものだから、福沢真筆の可能性は弱くない。
この論文によれば、福沢は有識者からなる審議会の答申を手放しで絶賛し、押出し等被害農民の請願運動を
批判して、裁判所に提訴して法で争うべきだと主張したそうだ。
>>281 つまらない文章だな。
ユーモアのかけらも感じられない。
『学問のすゝめ』と同じ人が書いたとは思えないほど。
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/23(土) 07:12:33 ID:ju0lvZdaO
元(大蔵)財務官僚榊原英資(東大0B)がもうじき福沢諭吉の一万円札がなくなるよと発言していた 榊原英資は東大卒だが慶大教授→早大教授→青学教授天下りの渡りを繰り返している元財務官僚
>>289 「脱亜論」は社説だからユーモアはないですね。
「時事新報論集」には、社説のほかに漫言も収録されています。
漫言にはユーモアがありますよ。
291は取り敢えず無視しておけば良いか。
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/23(土) 23:28:03 ID:ju0lvZdaO
>>288 貴重な情報ありがとう
こうした情報のやりとりが、学問板の本来の姿だと思う
296 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/26(火) 11:39:44 ID:Bk9jjV6E0
この間の竜馬伝で、船中八策が扱われていたが、 後藤が竜馬に命じて作らせた、というのが真相のようだ。 後藤は福沢と文久3年(1863)以来の知人だった可能性が高く、 慶應2年(1866)刊行の西洋事情もすぐに読んでいたはず。 竜馬は福沢の著作をも参考にして八策を作ったのだろう。 西洋事情の中には、アメリカ憲法の全文が翻訳掲載されている。 文明の六条件とアメリカ憲法のエッセンスを箇条書きしたものが、 船中八策で、それはめぐりめぐって、翌年明治元年(1868)の 五箇条の誓文に引き継がれている。
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/26(火) 20:22:29 ID:A9aOF9rHO
五箇条の誓文を起草したのは由利公正だろう。 坂本なにがしなどただの鉄砲玉。
>>298 由利だけでなく、
慶應4年3月に、江戸総攻撃に加わっていなかった京都在留の新政府要人の合作。
由利は横井小楠の弟子で、松平春嶽の部下。
もとはといえば公武合体派で、
福沢ら幕臣と交流があった。福翁自伝にも登場している。
横井小楠の弟子といえば、帝国憲法を起草した井上毅や国民新聞の徳富蘇峰も
>>292 > 「時事新報論集」には、社説のほかに漫言も収録されています。
> 漫言にはユーモアがありますよ。
さすがは諭吉さんwwwww
>>300 井上毅は保守派の肥後学校党員で、実学党とは対立していた。
蘇峰が弟子なのではなく、その親父の徳富一敬が弟子だった。
小楠の息子の時雄は蘇峰と一緒に同志社に入学し、
後にキリスト教の牧師になった。
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/29(金) 07:55:14 ID:NMdpjHUUP
へー
福沢諭吉は、慶応義塾の創始者として知られています。文明開化の推進者、
近代化を進めたジャーナリスト。『時事新報』を発行して、その社説に健筆を振
るいます。多忙な時や、晩年には、弟子に論旨を話して社説を書かせた、という
ことです。そのためか、全集の中には福沢の意見とは違うものが混ざっている
ようです。帝国主義的な侵略戦争の捉え方に、全く正反対のものが入っている、
と言います。更に民族蔑視も書かれているそうです。
これらは『福沢諭吉の真実』という書で、平山洋氏が綿密に考証しています。
弟子を名乗っても、師匠を顕していない不肖の弟子もいるのです。
玉出教会:説教ライブラリー
http://www.tamadech.jp/sermon/content.html?id=779&d=20100926
>>304 なぜキリスト教会の説教で福澤先生の話題が出たのか?と思って
見てみたら、師匠と弟子との関係の話から派生したようですね。
平山さんも福澤先生と石河幹明との関係をキリストとパウロの関係に
たとえて説明していましたね。
↓
---
間違った福沢像を覆してくれて慶応は喜んでいるでしょう、と皆さんおっしゃる
わけですが、全然そうじゃないんです。そんなに簡単なものじゃないんですね。
カトリシズムのようなものなんです(笑)。新約聖書のなかでも、イエスの言葉は
ごく一部ですよと言いたいのだけれども、パウロの系譜というのがあって、それを
守るしかない現実がある。
---
東谷暁インタビュー: 平山洋 福沢諭吉「脱亜論」の真実
http://blechmusik.xrea.jp/d/hirayama/h07/#Hirayama_49
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/30(土) 12:55:19 ID:S2UGiZ0WP
あの牧師が『福沢諭吉の真実』に気づいたきっかけは、 大西祝研究の関係からだろうか
307 :
月孔雀 :2010/10/30(土) 14:26:48 ID:xrmCT9tc0
ちょとお邪魔します。 福沢諭吉に代わる偉人はいないんでしょうか? 一万円札いつまで、福沢? 聖徳太子しかないかな・・・
>>308 聖徳太子はともかく、野口英世はどうかな
万札は福沢でいいと思う。しかし、せっかくイケメンの誉れが高いんだからもう少し観賞用の写真なり肖像画を使ってもらいたい。
312 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/31(日) 03:56:38 ID:znFdVenB0
313 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/01(月) 20:02:50 ID:7Oui4qOvO
福沢思想ってなんだろう
>>312 これじゃあ誰か分からんな。売れてない俳優みたいだ。
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/02(火) 09:44:38 ID:qrcjJpyI0
>>312 ドイツかどこかの百科事典の日本人の項目で、
日本人の顔として掲載されたという写真はこれかな?
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/04(木) 19:20:38 ID:rsL2dRKBO
確かロシアだったような
318 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/05(金) 09:16:37 ID:i53TzTJmP
江戸時代には皆がこんな髷を結っていたというのは、 やっぱり奇妙な気がするな
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/05(金) 21:27:15 ID:p6Js2QRs0
>>320 たしかドイツだか、外国だったとオモ。
イケメンすぎワロタ。
下の報告を読む限り、安川の脳内では平山さんからの批判と反論は無かった
ことになっているようだ。
福沢諭吉と『坂の上の雲』─「暗い昭和」につながる「明るくない明治」 安川寿之輔(名古屋大学名誉教授)
ttp://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-c567.html >>すでに安川は、T『福沢諭吉のアジア認識─日本近代史像をとらえ返す』(2000年)、
U『福沢諭吉と丸山眞男─「丸山諭吉」神話を解体する』(2003年)、V『福沢諭吉の戦争論と
天皇制論─新たな福沢美化論を批判する』(2006年、すべて高文研)の3著において、戦後日本の
福沢諭吉研究に圧倒的な影響を及ぼした丸山の福沢研究が、壮大な虚構の「丸山諭吉」神話で
あることを論証し、丸山門下生を含めて、基本的に反論のない原状にある。
>>安川の三著に対する学問的な反論はなく、
>>323 情報ありがとう。
安川さんはこんなことも言っていますね。
↓
----
> 安川の三著に対する学問的な反論はなく、ほかならぬ慶應義塾大学が二度にわたり
> 福沢の講義に安川を招いた事実や、T『福沢諭吉のアジア認識』が中国語訳(2004年)
> されたのに加え(Uの中国語訳も間もなく刊行)、「韓国併合」100年の来年春に
> 韓国語訳も出版されるという
----
Uとは『福沢諭吉と丸山眞男─「丸山諭吉」神話を解体する』(2003年)のことです。
Uの中国語訳やTの韓国語訳も出るようですね。トホホ…
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/07(日) 00:20:28 ID:qVMpRTpC0
やはり「福沢諭吉はアジア侵略の先導者であり差別蔑視者であった」 安川寿之輔(やすかわじゆのすけ・75歳) 週刊金曜日2010.10.29号の論争欄に安川寿之輔氏は >> 「井田進也をはじめ……『時事新報』の社説や漫言が福沢の直筆であったかどうか」を問題にした 研究が「全面的な誤謬」であることは、私の『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』(二〇〇六年、高文研、 以下同様)で論証済みであり、井田からは直接の反論はなく、注文として「私の名前と方法を編った・・ ・平山(洋)氏と並べて”井田・平山呼ばわりはどうか御勘弁ください”』という返信が来た(平山洋が同 列同格以下という井田の見解は、共有)。ーーーーーーーーーー 福沢の金玉均への支援・保護の真意については、一〇月一日号で雁屋哲が解明している通りであり、 「日本の影響力と独占的な国家利益の拡大・深化のため」(岩波『日本近代思想大系』12)「侵略のた めの文化工作」(尹健次)という常識的な見解を、同上書でも紹介した。 ーーーーーーーー 私の『福沢諭吉と丸山 眞男』(二〇〇三年)が解明したように、その儒教主義路線に反対した井上毅が 教育勅語制定に中心的役割を果たし、福沢もその勅語発布に「感泣」して学校教育で勅語の「仁義孝悌 忠君愛国の精神」の「貫徹」を要求する社説を、石河幹明記者に書かせたのである。「儒教主義と開明 政策とは、国家富強という目的の為に、相互に妥協」(石田雄)させられたというのは、明治史の常識 である << と投稿してあった。
326 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/07(日) 07:26:07 ID:iCFbOjP90
327 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/07(日) 07:43:31 ID:iCFbOjP90
>>324 こうした事実から、安川らの資金源がどこにあるかが分かる。
外国から金を貰って政治運動をしているだけなんだよ。
>>324 自著の中国語訳と韓国語訳を出版して両国の人に誤った福沢イメージを
流し、それを真にうけた中韓の声を根拠に福沢はアジアの人々から憎悪
批判されているなんて主張する安川のやり方はマッチポンプの典型だな。
>>329 それは、まずサヨクが国内問題にして火をつけて、中韓を焚き付けて、
最後には国際的な反日運動が燃え上がるという方程式と同じ構造ですね。
・教科書検定問題も、
・靖国神社参拝問題も、
・従軍慰安婦問題もしかり。
左翼の思想の基盤は、「万国の労働者よ団結せよ!」 だから、売国という意識はないのだろうな。 彼らにとって越えられない壁は、どの国の労働者もナショナリティ を優先させるから、相互に手を結ぶことができない、 ということだろうね。
332 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/07(日) 16:19:01 ID:iCFbOjP90
>>329-331 日本のサヨクはアジアの人民に期待をし恋焦がれたとしても
けっきょくは利用されて捨てられるのがオチなのさ
333 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/07(日) 20:56:19 ID:cbOfVxm60
かつて立花隆が、ロッキード裁判の是非をめぐって論争した渡部昇一を 評して「反論され、論破されてもそれが分からないから、同じことを 繰り返す」と言っていたが、この言葉は安川の福沢批判にもそっくり そのまま当てはまるな。
礫川 全次 著 知られざる福沢諭吉 下級武士から成り上がった男 ってのは、どうなの?
>>334 福澤先生を下級武士からの成り上がりと見る視点が新しい本ですね。
それ以外では、個人的には渡辺修二郎の情報が貴重でした。
>>333 引くに引けないんだろうな。社説集が全体として怪しいとなると、
安川の丸山批判も成り立たなくなってしまう。
丸山は大部分がニセモノだと気づいていたから福沢の侵略的側面に触れなかったらしいが。
Wikipediaでみると、「時事新報論集」の採録基準には > 「時事新報」の社説は一切無署名で、 > 他の社説記者の起草に係るものでも > すべて福澤の綿密な加筆刪正を經て發表されたもので、 の記述があるそうだ。 こういう経過で発表された社説ならば、、 文体で福沢の単著とは見なせなくても、 論旨が福沢の意図を反映させたものである可能性はあるんじゃないのか?
338 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/08(月) 19:46:26 ID:AlC2zjegO
>>338 つーことは、逆に石河が真実を言っていた場合は、
ニセモノ説にも疑念を差し挟む余地はあるわけか。
340 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/09(火) 06:53:43 ID:9G/jc3liO
石河は「自分が代筆した社説も時事新報論集に入っている」と明言しているわけだから、 誰が書いたか、はとりあえず問題ではない。 ただ、現在の個人全集の編纂にあたって、そうした文章を収めるべきかどうかは、 疑問がある。 それから、石河は、残っている福沢直筆社説の過半数を、 自分で編纂した全集には入れていない。 判別できなかったのか、それともわざと入れなかったのか?
342 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/09(火) 10:27:53 ID:RlrvE/2v0
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/09(火) 10:51:45 ID:5eE1IQx+0
344 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/09(火) 11:01:38 ID:5eE1IQx+0
篠原 「革共同」ってのは、設立の時は知りませんが、私は1957年10月頃からやりだしたでしょ。
さっき少し話に出ましたけど、守田典彦とか大坪保男とかと。
確かレッドパージかなんかで大学を放校されて、共産党の山村工作とかなんかやっていた人た
ちなんだよね。
その後共産党からも追放されて。九大教養が妙なことになっていると聞いたのか、現れてきて。
彼らに指導を受けるような感じになっていったんですね。守田はたぶん革共同の創立の時から
絡んでいると思います。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/3724
今度安川さんたちを招いく松山市議の武井多佳子(無所属)は、 小金井市議の漢人あき子(無所属)と仲がいい。 漢人は大賀と仲がよくて、 その大賀の実兄がこぶちさわ9条の会で、この8月に安川さんを 講演に招いた人物。 どうも、守田典彦の門下生グループが、福沢や坂の上の雲の批判を しているようだ。
こんなエントリも見つかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして、59年に九大でも、福岡でもブントの結成になりました。
ブント結成のリーダーは守田典彦さんで、1951年、単独講和反対闘争で九大を放校、
除籍処分になり、それ以後共産党の活動に専従をしてきた人です。
彼の指導が決定的でした。年長の者は、共産党ないしそのシンパですから共産党、
そのシンパから離脱をして、57年以後に現役で入学した私とか篠原浩一郎君とかは、
初めから共産党のみならずソ連にも批判的であり、違った経路でブントに参加しました。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~oyabu/ayumi/kyudai.html ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
守田さんと安川さんは6歳違いで、安川さんが福岡高校の生徒だった頃、
守田さんは九州大学を放校になったことになる。
二人は、その頃からの知り合いだったのかもしれない。
347 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/09(火) 13:47:13 ID:Bn9dBizE0
>>346 九大と福岡高は2キロくらいしか離れていない。
守田典彦と安川寿之輔は、ほんとうに近くにいたことになる。
ちょうどその時期、玄界灘の向こう側では朝鮮戦争が続いていた。
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/09(火) 15:34:02 ID:/q8fJxn/0
>>339 石河がわざと福沢直筆の社説を落としていたなら、
全集の時事新報論集は、まったく信用できなくなるだろ。
>>34 がその問題の焦点。
>>337 福澤先生は「時事新報」の社説について次のように仰っています。
↓
----
併(しか)し私も次第に年をとり、何時(いつ)までもコンな
事に勉強するでもなし、老余は成る丈(た)け閑静に日を送る積りで、新聞紙
の事も若い者に譲り渡して段々遠くなって、紙上の論説なども石河幹
明(いしかわみきあき)、北川礼弼(きたがわれいすけ)、堀江帰一(ほりえきいち)などが専ら執筆して、私は時々立案してその出来た
文章を見て一寸(ちよい)々々(ちよい)加筆する位にして居ます。
----
福翁自傳 - 546 ページ :
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_text.php?ID=116&PAGE=546 「新聞紙の事も若い者に譲り渡して段々遠くなって」
「私は時々立案してその出来た文章を見て一寸(ちよい)々々(ちよい)加筆する位にして居ます」
というわけで、晩年は新聞紙の仕事から段々離れていったようです。
351 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/10(水) 10:47:15 ID:qc8ZsVnW0
>>350 直筆草稿のリストによれば、1897年以降に福沢が書いた社説の原稿は残っていないようだね。
脳卒中の発作が1898年9月だから、かなりのブランクがある。
その前に執筆している社説も、経済を中心にしたべつにどうということもないものが多い。
いくら 福沢が関与した証拠がある社説に変なのがない といっても 耳をかさないのだろうな 安川たちは
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/10(水) 14:57:47 ID:q4egZOGO0
354 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/10(水) 15:03:23 ID:q4egZOGO0
355 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/10(水) 15:16:27 ID:tOckTnpB0
>>353 >>354 あと数年ほっぽっておけば、安川先生も別世界に旅立って、
彼の主張なんて忘れられるんじゃないか?
ググってみたら 安川本は本当に無視されている もう金曜日しか相手にしていないのではないか
357 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/10(水) 19:38:35 ID:93jQPpfF0
週刊金曜日の中だけなら害悪も少ないだろうからな。 外に漏れないようにすればよい。
>>355 自分が安川の講義聞いたのは20年前だったぞ。
それが、福沢教の本山とも言うべき慶應義塾大学で講演するなんて、
安川も偉くなったもんだ。
359 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/10(水) 20:10:56 ID:WeEH1sHQP
>>358 そんなたいそうなものじゃないんだよ。
教養の連続講義でゲストに呼ばれただけのこと。
>>356 まあ、カリーのように安川シンパになってしまう人もいますが…
>>354 どうして友好が必要なのか、よくわからないな。
ビジネス上の対等な付き合いでいいと思うが。
362 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/11(木) 11:09:02 ID:zj/vXtOf0
今回の尖閣の件を機会に、全国民は福沢の「脱亜論」と「支那人親しむ可し」を 精読するべきだと思うな。
福沢は中国とは貿易など経済面での結びつきを重視したけど、現代の 日本経済のように、過度に中国に依存することや、経済界が中国での 経済活動のために国益を損ねる要求をすることには賛同しないだろうな。
>>362 「脱亜論」はよく読まれるようになったので、それはめでたいが、
「シナ人親しむべし」はそれほどでもない。
この社説を安川さんは『アジア認識』で「ウソ」と断じているが、
なぜそんなウソをつく必要があったのか、
説明できないでいる。
365 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/11(木) 13:27:20 ID:xkm5n5UX0
>>360 カリーがブログに※欄も設けていない理由
http://kariyatetsu.com/nikki/1179.php >私のこのページは、他の方のように読んだ方が自由に書き込む場所を
設けていない。
(略)
>何故、私がこのように用心深くしているのか、知りたかったら、Googleで
私の名前を引いてみてください。
>すさまじい数の私にたいする誹謗中傷の文章が並んでいる。
>こういう状態で、いわゆる「コメント」欄など自由に書き込む場所を作った
ら、私のページがどうなるか目に見えている。
純粋な批判もあるだろうに。
批判と蔑視や中傷が区別できないと、
人間は進歩しなくなる。
ジュノーンのように。
二人はほんとうに似ている。
366 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/11(木) 13:49:21 ID:V18BN+Mh0
当時と違ってあからさまに領土侵犯してるもんな しょせんこれが本性
368 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/11(木) 16:48:29 ID:xkm5n5UX0
371 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/12(金) 08:04:05 ID:Fto5+3Zb0
>>370 安川さんは決してこの社説に触れようとしないな
372 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/12(金) 19:05:13 ID:pp8c5Qvp0
杉田聡という人は「現代の理論」という雑誌の2010年10月10号でも 福沢諭吉について書いてるみたい。 現代の理論は日本共産党から除名され、離党した人達がつくってた雑誌らしいから、 福沢たたきは、やっぱ、左翼思想が関係してるのかな。
>>372 おおっ!こんな本が出ていたんですね。さすがは明石書店!
これって、台湾出兵に批判的だった「征台和議の演説」や、
征韓論に反対した「亜細亜諸国との和戦は我栄辱に関するなきの説」は
収録しているのでしょうか?
>>374 反福沢派の主張は、
「なんでもかんでもホンモノの福沢」
というのだから、
まともな社説も入れるべきなのにな。
>>375 どうやら、社説は「時事新報論説」に限るみたいです。
そうすると、『明六雑誌』に掲載された「征台和議の演説」や、
『郵便報知新聞』に掲載された「亜細亜諸国との和戦は我栄辱に関するなきの説」は
収録されてないようです。
↓
----
内容説明
『時事新報』に掲載された福沢諭吉の論説集。
「脱亜論」を始めとする侵略主義的・帝国主義的な対朝鮮・中国・台湾論のほか、
解説、資料・史料一覧、朝鮮半島付近関連地図などを収録。
----
http://www.bk1.jp/product/03340233
>>376 直筆草稿が残存している社説にかぎればいいんだよ
379 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/14(日) 15:23:34 ID:DaZ7VOhk0
>>372 「支那人親しむ可し」をスルーしているところに、その論集の悪意と結論ありきの
姿勢が見て取れるな。
380 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/14(日) 19:12:18 ID:VKpOR/OT0
>>379 まあ、福沢批判のためのネタ本だからねえ。
高文研から出ている一連の安川本と同じく。
朝鮮総連が大量にお買い上げになるんじゃないの?
381 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/14(日) 21:53:18 ID:qHJdErr2P
NHKの灼熱アジアなんかを見れば、 中韓の某勢力が、ビジネスのために、 日本のサヨクを利用しているにすぎないのがわかる。 サヨクは経済オンチだから、 自分たちの主張が 友好のために役立つなどとバカげた妄想を抱く。 実際は、相手の企業が仕事をするのに、 有利な環境を作り出しているだけ。
>>380 おそらく、石河が執筆したアジア蔑視・アジア侵略を主張した論説が
たくさん収録されて、それを元に福澤批判がおこなわれるでしょう。
ここにも「石河への盲目的愛」に囚われた人がいるんですね。
>>380 『福沢諭吉 朝鮮・中国・台湾論集』の目次を調べてみると以下のようです。
----
第1章 対外論一般
第2章 朝鮮・中国論(壬午政変、甲申政変、日清戦争、旅順虐殺、王后暗殺)
第3章 台湾論
----
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1102985584/subno/1 それで収録されている論説を予想してみると、以下のようになりました。
第1章
「東洋の政略果して如何せん」(1882年12月7日〜12日)
「輔車唇歯の古諺恃むに足らず」(1884年9月4日)
「東洋の波瀾(ポーランド)」(1884年10月15, 16日)
「求る所は唯国権拡張の一点のみ」(1885年2月5日)
「国交際の主義は脩身論に異なり」(1885年3月5日)
「一大英断を要す」(1892年7月19, 20日)
「唯決断に在るのみ」(1892年8月2日)
「日本外交の進歩」(1894年1月16, 17日)
「大に軍費を拠出せん」(1894年7月29日)
「軍資の義捐を祈る」(1894年8月14日)
「私金義捐に就いて」(1894年8月14日)
「日本臣民の覚悟」(1894年8月28, 29日)
「外戦始末論」(1895年3月26日)
「兇漢小山六之助」(1895年2月1日〜7日)
「私の小義侠に酔ふて公の大事を誤る勿れ」(1895年3月28日)
「対外前途の困難」(1897年6月25日)
「日米の交際」(1897年5月11日)
「対外前途の困難」(1897年6月25日)
第2章 「朝鮮の交際を論ず」(1882年3月11日) 「支那を滅ぼして欧洲平なり」(1884年9月24, 25日) 「支那風賓斥す可し」(1884年9月27日) 「国の名声に関しては些末の事をも捨つべからず」(1884年10月11日) 「戦争となれば必勝の算あり」(1884年12月27日) 「朝鮮独立党の処刑」(1885年2月26日) 「脱亜論」(1885年3月16日) 「朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す」(1885年8月13日) 「朝鮮の多事」(1885年12月18日) 「朝鮮の事」(1885年12月19日) 「朝鮮は日本の藩屏なり」(1887年1月6日) 「朝鮮談判の落着、大石公使の挙動」(1893年5月23日) 「朝鮮の近情」(1893年6月4日) 「速に出兵す可し」(1894年6月5日) 「支那政府の長州征伐」(1894年7月22日) 「支那朝鮮両国に向て直に戦を開く可し」(1894年7月24日) 「日清の戦争は文野の戦争なり」(1894年7月29日) 「直に北京を衝く可し」(1894年8月5日) 「支那将軍の存命万歳を祈る」(1894年9月20日) 「旅順の殺戮無稽の流言」(1894年12月14日) 「唯堪忍す可し」(1895年6月1日) 「朝鮮問題」(1895年6月14日) 「支那に対して更らに要求す可きものあり」(1898年4月27日) 「対韓の方針」(1898年4月28日) 「国法を励行す可し」(1899年7月20日) 「国の為めに戦死者に謝す」(1900年6月21日) 「政府に責任あり」(1900年8月4日) 第3章 「台湾割譲を指令するの理由」(1894年12月15日) 「台湾の騒動」(1896年1月8日) 「先づ大方針を定む可し」(1896年7月29日) 「台湾当局者の人選」(1897年5月27日) 「台湾の事唯英断を待つ」(1897年7月29日)
385 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/15(月) 20:06:49 ID:bXnsghrc0
>>386 そういう判定をするから、「身びいきだ!」といわれるんだよ。 w
それはさておき、「東洋政略」くらいしか原稿残存がないというのは、
やっぱり見事なことだな。
ちなみに、大正版・昭和版掲載状況はどうなの?
ほとんどが昭和版掲載だと予想しているんだが。
388 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/16(火) 12:52:04 ID:nAGtNsh70
389 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/16(火) 13:42:38 ID:xjgCHHdn0
>>387 調べてみたら、大正版に載っているのは、次の17編だけだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「東洋の政略果して如何せん」(1882年12月7日〜12日) 福沢直筆原稿残存 ※
「国交際の主義は脩身論に異なり」(1885年3月5日) 推定福沢 ※
「一大英断を要す」(1892年7月19, 20日) 推定石河
「朝鮮談判の落着、大石公使の挙動」(1893年5月23日) 石河(大正版に明記)
「日本外交の進歩」(1894年1月16, 17日) 石河(大正版に明記)
「支那政府の長州征伐」(1894年7月22日) 石河(大正版に明記)
「大に軍費を拠出せん」(1894年7月29日) 推定石河
「軍資の義捐を祈る」(1894年8月14日) 推定石河
「私金義捐に就いて」(1894年8月14日) 福沢(署名入) ※
「日本臣民の覚悟」(1894年8月28, 29日) 推定石河
「外戦始末論」(1895年3月26日) 推定石河
「兇漢小山六之助」(1895年2月1日〜7日) 推定石河
「私の小義侠に酔ふて公の大事を誤る勿れ」(1895年3月28日) 推定福沢 ※
「唯堪忍す可し」(1895年6月1日) 福沢(書簡で言及) ※
「朝鮮問題」(1895年6月14日) 推定石河
「日米の交際」(1897年5月11日) 石河(大正版に明記)
「対外前途の困難」(1897年6月25日) 石河(大正版に明記)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
17編のうち5編は石河が自分で書いた、といっている。
平山によれば、残り12編中、石河が起筆したと推測できるのが、
さらに7編で、福沢が関与していると推測できるのは、
※の5編。うち原稿残存1、署名入1(社説ではなく意見広告)、
書簡での証明1、文体判定2。
石河以外の論説委員が生存していた大正年間末までに、全集に入れることができた
対外関係論説はこれだけで、
しかもその中には石河が書いたことが周知のものがあったため、
明記するしかなかった、ともいえるな。
390 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/16(火) 21:48:36 ID:Q/S1JQNY0
>>390 貴重な情報ありがとう。
----
2010年12月10日までにご予約いただいた方には、予約特別価格12,000円(税込)でご提供します。
12月11日以降は定価14,700円(税込)での販売となります。
----
さっそく予約してみました。
12月21日に発売のようなので今から楽しみです。
392 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/17(水) 09:12:47 ID:BApx94XW0
>>390 これは福沢センターが中心になって作ったものかな。
だとするとセンターの前身は石河の伝記編纂所だから、
「石河は全部正しい」という立場になるのでは。
そうだとしたら、慶應もバカだな。
わざわざ左翼から攻撃されやすいような事典を出すわけだから。
『脱亜論』を英語にすると、「Escape from Asia」になるらしい これでは海外に対して誤解を招くのは必至ですな
>>393 2010年1月31日にNHKで放送された「日本と朝鮮半島2000年」の
「第10回“脱亜”への道〜江華島事件から日清戦争へ〜」の中で、
坂野潤治さんが“脱亜”とは escape from Asia だと仰っていました。
↓
----
三宅キャスターから「あれだけ支援していたのになぜ”脱亜”?」には
坂野氏が「可愛さ余って憎さ百倍。帝国主義になるというのではなくて、
亜細亜から手を引く、入亜しない。英語で論文を書けば"escape from Asia"。」
に大桃さんも加わって「え〜! エスケープ? 逃げる?」
金氏は「福澤の”脱亜”には、おそらく清への怒り、そして朝鮮王朝への幻滅が
複合していると思う。しかし、”脱亜論”はその後日本が帝国主義化へと進む
1つのきっかけになった、朝鮮侵略の理論的根拠になった、と韓国ではみている。」
坂野氏は「それは戦後日本の進歩的学者がそうとって、それを韓国の学者が読んで、
そう言っている。その時代にそうだったかはわからない。脱亜論を読めば確かに
そう書いてあるからそうなんだが。しかし、福澤がやって来たことをずっと
見てくると前後の関係から僕のような好意的解釈がしたくなる。」
----
http://d.hatena.ne.jp/cangael/20100206/1265435414 動画だと、
YouTube - 第10回 脱亜への道〜江華島事件から日清戦争へ〜 7/9
http://www.youtube.com/watch?v=_eYNByje24M&feature=related の一番最後の所(9:55 / 10:00)で escape from Asia と言っています。
395 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/20(土) 23:29:49 ID:7UAPcLEwP
エスケープなら、侵略論文と誤解されることもないのでは?
396 :
[―{}@{}@{}-] 名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/22(月) 18:44:18 ID:zOBRiTELP
諭吉先生を10万円札に格上げするべきだ
>>395 Escape from Asia, enter into Imperialism だと解されるのでは?
401 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/24(水) 21:16:07 ID:jCkO8redO
脱亜論はすっかり名誉回復がなされたな
>>400 見てみましたが、『脱亜論』と「脱亜入欧」とは無関係なのに
キーワードに挙がっていますね。
403 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/25(木) 17:22:04 ID:vcJ+J4A/0
>>403 正確には、福澤諭吉と「脱亜入欧」とは無関係というべきでしょう。
↓
----
福澤は署名著作・時事新報論説のすべてにおいて「入欧」という言葉を一度も使用していない[2]。
さらに福澤が「脱亜入欧」という語句と関連付けられるのは第二次世界大戦後の1950年代以降である[3]。
[1] 「「入欧」という言葉にいたっては(したがって「脱亜入欧」という成句もまた)、
福沢はかつて一度も用いたことがなかった。」
丸山眞男「『福沢諭吉と日本の近代化』序」『福沢諭吉の哲学 他六篇』 岩波書店〈岩波文庫〉、2001年6月、282頁。ISBN 4-00-381041-4。
[2] 「日本で、「脱亜入欧」という成句が、あたかも福沢自身の造句であるかのように
喧伝(けんでん)され、いなそれ以上に、福沢の全思想のキー・ワードとして、
学界だけでなく、一般ジャーナリズムの世界にまで流通するようになったのは、
きわめて最近の現象であり、たかだか一九五〇年代以後の傾向である。」
『福沢諭吉の哲学 他六篇』 岩波書店〈岩波文庫〉、2001年6月、285頁。ISBN 4-00-381041-4。
----
脱亜入欧
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B1%E4%BA%9C%E5%85%A5%E6%AC%A7
>>404 内容からは、福沢の脱亜思想は、脱亜入欧の思想といってよいと思うけれどね。
左翼はネガティブに捉えるのだろうが、それが侵略主義と全面的に一致するわけでもない。
文明政治を導入する、という肯定的な意味でも理解できる。
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/27(土) 10:28:42 ID:Zs3EEVKrO
とにかく脱亜論にネガティブイメージはなくなった
脱亜乳王(なぜか変換できない>ATOK
>>382-385 今見てみたら、『福沢諭吉 朝鮮・中国・台湾論集』掲載の論説一覧が
アップロードされていました。 2010-11-27 更新のようです。
「『福沢諭吉朝鮮・中国・台湾論集』所収論説一覧」
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/sugita_satoshi_2010/ この論説の中で、原稿が残存しているのは、以下の三つだけのようです。
----
出兵の要
東洋の政略はたしていかんせん
兵力を用ゆるの必要
----
>>405 その通りですね。
もっとも、未だに『脱亜論』と「脱亜入欧」と「脱亜思想」の区別がつかない人や、
福澤諭吉が「脱亜入欧」を主張したと思い込んでいる人や、
『脱亜論』が「アジア侵略を主張した論説」だと考える人が多いので困ります。
409 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/27(土) 21:57:55 ID:TvkaEUmjP
411 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/28(日) 03:12:53 ID:0mhxCyeRP
>>411 それは、
「現行版全集に新たに加えられた社説」≠「原稿残存の社説」
だからですよ。
すなわち、「原稿残存の社説」には、
@明治版収録の「日本婦人論」1編と、
A大正版収録の20編と、
B昭和版収録の22編と、
C現行版収録の原稿残存の社説とを合併したものの他に、
D「現行版全集が出た後に見つかった原稿残存の社説」
があるからです。以下の『福澤諭吉年鑑』所収の社説11編がそれです。
----
5.『福澤諭吉年鑑』所収の社説は、現行版全集の刊行以後の新発見資料である。
1885-01-20 支那の談判は速ならん事を祈る 福澤年鑑18
1887-08-29 社会上の問題にも売薬主義を廃す可し 福澤年鑑03
1888-08-19 炭坑視察 福澤年鑑21
1890-01-25 政府且つ切迫することを休めよ 福澤年鑑03
1890-09-11 相場所営業の延期 福澤年鑑16
1890-09-20 壮士を如何せん 福澤年鑑21
1891-12-25 震災地方は今正に災害の最中なり 福澤年鑑16
1891-12-26 金銭談 福澤年鑑16
1892-01-21 震災地方民の難渋 福澤年鑑16
1892-06-11 追加予算案 福澤年鑑16
1892-10-20 教育の説 福澤年鑑16
----
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h71/ そうすると、原稿残存の社説92編の内訳は、
@明治版収録の「日本婦人論」が1編、
A大正版収録が20編、
B昭和版収録が22編、
C現行版全集に新たに加えられた社説、
D『福澤諭吉年鑑』収録が11編、
となります。したがって、
Cの「現行版全集に新たに加えられた原稿残存の社説」は、
92-1-20-22-11=38編
となります。
ちなみに、原稿残存の社説の比率を計算してみると、
大正版は、20/224=8.9%
昭和版は、22/1246=1.8%
現行版は、(20+22+38)/(224+1246+83)=5.2%
となります。
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h30/01/#subsumption
413 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/28(日) 18:08:28 ID:0mhxCyeRP
>>412 それでも数字が合わない。
83編には、大正版・昭和版にすでに入っていた原稿残存社説が含まれている。
つまりその分はダブルカウント。
415 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/28(日) 19:24:25 ID:0mhxCyeRP
>>414 それはおかしい。
現行版には原稿残存のものしか増補されていない、とあった気が。
>>415 @「現行版全集の刊行以後の新発見資料」11編は全て原稿残存の社説ですが、
A「現行版全集に新たに加えられた社説」83編は必ずしも原稿残存の社説とは
限らないです。
つまり、「現行版に増補された社説」とはAではなくて@のことですね。
417 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/30(火) 09:03:50 ID:E77yl1WJ0
>>416 原稿が残っていないのに現行版で増補された社説はあるの?
418 :
「つくしん坊」って、誰? 1 :2010/11/30(火) 12:07:38 ID:YoJ8t6on0
アマゾン・レビュアー「つくしん坊」の評価、なかなか興味深い
http://www.amazon.co.jp/gp/cdp/member-reviews/A2F11FUYWAEHJG/ref=cm_cr_dp_auth_rev?ie=UTF8&sort_by=MostRecentReview まず今日書かれたレビューから
福沢諭吉研究 丸谷 嘉徳 福沢諭吉の思想の変遷を丹念にたどる, 2010/11/30 星4/5
「学問のすすめ」や「文明論之概略」など、初期の著作で代表されがちな福沢諭吉の思想だが、
実際には生涯を通じて大きく変化している。本書は、福沢諭吉の著作や新聞の論説などを丹念に
追跡することで、その思想の変遷をたどったものである。
本書から見えてくる福沢諭吉は、啓蒙家や教育家の側面はごく一部である。むしろ資本主義の
信奉と実践者、自ら創刊した日刊新聞「時事新報」を拠点にしたイデオローグとしての役割が大き
い。著者は福沢の思想を次のように要約している。「常に権力志向であり、反権力的ではない」、
「常に強者を賛美し、弱者を蔑視」、「強者アメリカに追随する一方で、弱者中国に対しては侵略主
義」、「農民や労働者階級への弾圧や抑圧を肯定」、「弱肉強食、優勝劣敗思想」など。これらがす
べてあいまって、福沢諭吉を、国民をアジア・太平洋戦争に駆り立てる原動力(イデオローグ)とし
て働かしめたのである。
近年、史実を無視した福沢諭吉美化の動きがある一方、安川寿之輔『福沢諭吉の戦争論と天皇
論』(2006年)など、丹念に新聞論説を追うことで、アジア蔑視・侵略主義者としての福沢諭吉の実
像を再構築する動きも盛んである。本書は、これらの福沢諭吉の実像を補強するものとして評価
できる。
福沢諭吉 朝鮮・中国・台湾論集―「国権拡張」「脱亜」の果て― 杉田 聡 福沢諭吉の対外政策思想が集約された本, 2010/11/28 星5/5 福沢諭吉が創刊し、主宰した日刊新聞『時事新報』に掲載された論説を編集し、 解説・解題付きで、現代かなに改めたものである。『福澤諭吉全集』(岩波書店)第 8巻〜第16巻に収められている膨大な時事新報論集の中から、朝鮮・中国・台湾 に対する対外政策に関する社説を収録している。読みやすい形で福沢の対外政策 思想が集約されている。 『時事新報』の無署名論文の著者が果たして福沢だったのかについては、本書でも 詳細に検討が行われ、疑いもなく福沢の思想そのものであることが結論付けられて いる。このことについては、安川寿之輔『福沢諭吉の戦争論と天皇論』(2006年)と全 く同じ結論である。 本書から浮かび上がる福沢諭吉は、朝鮮・中国・台湾の人々を侮蔑・罵倒し、侵略を 煽る、今日で言えばネオコンのイデオローグそのものである。福沢に代表されるアジア 蔑視思想が現在に至るまで日本に影響を与えていることが本書でよく分かる。かつて 本書のような議論が日本の政治・外交を動かしていたことを史実として知ることは、今 後のアジアとの対応を考える上で重要である。
420 :
「つくしん坊」って、誰? 3 :2010/11/30(火) 12:14:21 ID:YoJ8t6on0
福沢諭吉伝説 佐高 信 新たな「福沢諭吉伝説」の捏造, 2010/11/27 星1/5 福沢諭吉を巡る様々な人物を配置してエピソードを紹介している。極め付けは、福沢が 創刊した日刊新聞『時事新報』に発表された「脱亜論」が福沢の執筆でなく、従って福沢は アジア侵略主義者ではない、とするものである。ところが、その根拠が、平山洋『福沢諭吉 の真実』というのだから、お話にならない。平山洋『福沢諭吉の真実』は、安川寿之輔『福 沢諭吉の戦争論と天皇論』(2006年)によって、インチキ本であることが完璧に論証されて いる。金均玉に関する記述も、史実からはかけ離れている。 安川寿之輔『福沢諭吉のアジア認識』(2000年)、『福沢諭吉と丸山真男』(2003年)、『福沢 諭吉の戦争論と天皇制論』(2006年)によれば、福沢諭吉は、「典型的な市民的自由主義 者」などではなく、すさまじいアジア蔑視・アジア侵略主義者であることが論証されている。 丸山真男が「創造」した「福沢諭吉=典型的な市民的自由主義者」説はもはや過去のもの である。史実を踏まえた福沢諭吉論でない本書は、新たな「福沢諭吉伝説」の捏造であると いわれても仕方がない。
421 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/30(火) 12:39:59 ID:D7dYgoIz0
422 :
「つくしん坊」って、誰? 4 :2010/11/30(火) 12:50:00 ID:YoJ8t6on0
丸山真男の誤読で創りだされた「福沢諭吉神話」から目を覚まそう, 2010/9/14 レビュー対象商品: 福沢諭吉と丸山眞男「丸山諭吉」神話を解体する (単行本) 星5/5 福沢諭吉といえば「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり」という『学問のすすめ』 の冒頭の句によりあまりにも有名であり、近代的な民主主義者の代表ということになっている。戦後 定着したこの定説には、著名な思想史家丸山真男が、戦後いち早く福沢を絶賛したことが大きく貢献 している。 本書は、このような「福沢諭吉神話」が、丸山真男の誤読によるものであることを、原典を豊富に引 用しながら証明している。その証明方法は、そこまでやるか、というほど徹底しており、丸山真男が、 自分が創りあげた福沢諭吉のイメージに合った文言しか利用しないという、研究者にはあるまじき誤 読で「福沢諭吉神話」を創出したことは疑う余地がない。 福沢諭吉の実像はどうだったのか。実際の福沢は、「愚民を篭絡する」詐術としての天皇制を肯定 し、大日本帝国憲法や教育勅語の賛美者であった。また、『脱亜論』にも見られるように、すさまじい アジア蔑視主義者であり、日清・日露戦争という日本の帝国主義的な行動を、言論人として先頭に 立って扇動した。その他、貧者に教育するのは無用など、教育の機会均等を否定しているように、あ からさまな差別主義者でもあった。現在で言えば、一世を風靡したネオコンそのものである。 以上のような福沢諭吉の本質は、多くの同時代人には見抜かれていたが、戦後になってから丸山 真男が「福沢諭吉神話」の創始者となり、現在に至っている。それどころか、1万円札の肖像にすらなっ ている。日本の侵略を受けたアジアの国々には、福沢諭吉が1万円札の肖像になっている限り日本は 信用できないという人がいるほどである。本書は、丸山真男の誤読で創りだされた「福沢諭吉」神話か ら目を覚ます良い機会である。
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/30(火) 13:27:40 ID:eDaHuewD0
>>418 ググっても250件しかない人物の、
しかもはるか昔に絶版になっている本に
レビューをつけるとは、ナカナカ度胸があるな。
これじゃ、自分が誰かすぐにばれてしまうだろうに。
マペッティア通信のブログ主だろうな、文体からいって。
そしてその人物は、高文研のオーナーでもある。
安川3部作を高く評価しているというのは、
自分のところの本を売るための販売促進活動なのだろう。
424 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/30(火) 13:56:46 ID:D7dYgoIz0
>>423 「つくしん坊」のレビューは、2005年の最初のほうは営業の軽い本が多いのに、
2009年あたりから反福沢・明治キャンペーンぽくなっている。
書き手が変ったかのようだ。
パペッティア通信の最後は2009年3月9日になっているが、それと関係があるのか。
つくしん坊は2008年3月4日から2009年1月16日まで投稿していない。
ここで書き手が交代したのかな。
あれ、話があらぬ方向へ
>>418 によって、ここの住人の野次馬根性に
久しぶりに火がついたみたい
426 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/30(火) 16:33:01 ID:eDaHuewD0
>>418-420 >>422 つくしん坊のいうことがもし本当なら、
6年前に『福沢諭吉の真実』を絶賛した新聞・雑誌は、
こぞって訂正・謝罪記事を掲載しているはずだ。
「読み直してみたら平山より安川のほうが正しいと分かりました」
なんていう記事を見たことはないぞ。
安川本を肯定的に紹介しているのは、朝鮮総連の
『朝鮮新報』だけ。
427 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/30(火) 16:49:23 ID:D7dYgoIz0
丸谷嘉徳が住んでいる岸和田市荒木町2丁目に 朝鮮学校がある。 丸谷のいう差別はそちらのほうなのかな。 どうも同志社の政治学の出身者らしいが。 学者としてはぜんぜん聞いたことがない。
428 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/30(火) 19:08:49 ID:vSw8H3chO
すると帰化人なのかな
>>418 > 本書から見えてくる福沢諭吉は、啓蒙家や教育家の側面はごく一部である。むしろ資本主義の
> 信奉と実践者、自ら創刊した日刊新聞「時事新報」を拠点にしたイデオローグとしての役割が大き
> い。著者は福沢の思想を次のように要約している。「常に権力志向であり、反権力的ではない」、
> 「常に強者を賛美し、弱者を蔑視」、「強者アメリカに追随する一方で、弱者中国に対しては侵略主
> 義」、「農民や労働者階級への弾圧や抑圧を肯定」、「弱肉強食、優勝劣敗思想」など。これらがす
> べてあいまって、福沢諭吉を、国民をアジア・太平洋戦争に駆り立てる原動力(イデオローグ)とし
> て働かしめたのである。
このあたりは、むしろ福沢の面白さだと思うんだけどどうだろう?
丸山真男の福沢好きも、このあたり相通じる部分があったかもしれない。
福沢、丸山の文章が好きな人なら別に怒らないでしょ。
430 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/30(火) 20:47:51 ID:v/Z6TZ+t0
>>420 >>平山洋『福沢諭吉の真実』は、安川寿之輔『福沢諭吉の戦争論と天皇論』(2006年)
によって、インチキ本であることが完璧に論証されている。
そんな事実は聞いたことないんだが。
>>417 あるようです。
「現行版全集に新たに加えられた社説」83編から
「原稿残存の社説」38編を差し引いた、残りの45編がそれのようです。
>>422 > 丸山真男が、
> 自分が創りあげた福沢諭吉のイメージに合った文言しか利用しないという、研究者にはあるまじき誤
> 読で「福沢諭吉神話」を創出したことは疑う余地がない。
「自分が創りあげた福沢諭吉のイメージに合った文言しか利用しない」という姿勢は
安川さんの方にこそ当てはまりますね。
たとえば、安川さんは『福沢諭吉のアジア認識』で社説『支那人親しむ可し』を嘘と
断定して無視していますが、これこそ「研究者にはあるまじき」姿勢ですよ。
> 福沢諭吉の実像はどうだったのか。実際の福沢は、「愚民を篭絡する」詐術としての天皇制を肯定
> し、大日本帝国憲法や教育勅語の賛美者であった。
前にも指摘がありましたが、これは「愚民を籠絡するの一欺術」などと笑う人もいるけれど、
それは「民心軋轢の惨状を知らざるの罪なり」と指摘したものです。
↓
----
王室の功徳は共和国民の得て知らざる所なれども、その風俗人心に関して
有力なるは挙て言うべからず。人或(あるい)は立君の政治を評して、人主が愚民を
籠絡(ろうらく)するの一欺術などとて笑う者なきに非ざれども、この説を作(な)す者は畢
竟(ひつきよう)政事の艱難(かんなん)に逢わずして民心軋轢(あつれき)の惨状を知らざるの罪なり。
----
帝室論 - 29 ページ :
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_text.php?ID=99&PAGE=29 >>430 安川さんの『福沢諭吉の戦争論と天皇論』に関しては、
平山さんが以下のページで反論しています。
↓
『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』の逐語的註
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h29/
>>431 愚民を篭絡という特徴的な表現を、反福沢、反天皇制、反坂の上の雲、
そして親北朝鮮の一団は好んで使うね。
北朝鮮の工作員は200名くらい国内に潜入しているというけれど、
この一団と関係がありそうだ。
丸谷も関係者かも。
>>420 > 極め付けは、福沢が
> 創刊した日刊新聞『時事新報』に発表された「脱亜論」が福沢の執筆でなく、従って福沢は
> アジア侵略主義者ではない、とするものである。
佐高さんの『福沢諭吉伝説』を読んでみましたが、「脱亜論」が福沢の執筆でないとは
書いてなかったです。
福沢諭吉が金玉均を支援したことを強調して、「脱亜論」がアジア侵略を主張した社説
ではないと解釈して、結果的にアジア侵略主義者ではないと主張しただけです。
>>434 もともとは、
>>418 の
丸谷嘉徳『福沢諭吉研究』に対する「つくしん坊」のレビュー
http://www.amazon.co.jp/gp/cdp/member-reviews/A2F11FUYWAEHJG/ref=cm_cr_dp_auth_rev?ie=UTF8&sort_by=MostRecentReview が話の発端ですね。
>>420 佐高 信『福沢諭吉伝説』に対するレビューでは、「つくしん坊」さんは
> 「脱亜論」が福沢の執筆でなく、従って福沢は
> アジア侵略主義者ではない、とするものである。
と説明していますが、佐高さんはそんなこと書いてないですよ。
----
この無署名の「脱亜論」が、たとえ福沢の筆になるものだとしても、私は福沢の行動によって、
その真意を判断したい。
(『福沢諭吉伝説』、295頁)
とりわけ金玉均の面倒を福沢は見たのだが、私は「脱亜論」その他の言論よりも(仮にそれが
すべて福沢の真筆だとしても)、金に対する行動によって、福沢がアジア蔑視主義者だったかどう
かを判断したい。
(『福沢諭吉伝説』、295頁)
最後に金の話をもってきたのは、金を支持し、助けたという事実をもって福沢の「脱亜論」へ
の悪評を葬りたいと考えたからだった。
(『福沢諭吉伝説』、305頁)
最終章では、朝鮮独立に殉じた金玉均をあくまでも助けた諭吉の行動によって、その「脱亜
論」を覆すことまでしたが、諭吉の言説に拠るのではなく、諭吉についての逸話を積み重ねるこ
とで、これまでの福沢諭吉像とは一味違った諭吉像を提示できたのではないかと思う。
(『福沢諭吉伝説』、310頁)
----
つまり、新たな「福沢諭吉伝説」の捏造をしているのは「つくしん坊」さんの方です。
>>420 のレビューによって「つくしん坊」さんがちゃんと本を読まずに書評する人と
いう事実が明白になりましたね。
437 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/01(水) 19:36:35 ID:RnswviezP
>>423 だとしたら梅田正己ということになる
つくしん坊
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/01(水) 19:47:21 ID:rpOkJYtZ0
既出かもしれんが、諭吉の娘婿はいわゆる相場師だったね。 諭吉は嫌ってたらしいね。
>>437 ひょっとして、「つくしん坊」=「カリー」ということは考えられないかしら?
440 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/01(水) 20:45:28 ID:CI6rCBwjO
しかし、福沢が大陸侵略を唱えたからそれがどうしたと言うのだ? 日本が日本であるためには中国を日本の領土にしなければ成り立たんだろう。 「倭」は7世紀から中国の属国だろう。 今こそ日本は中国に帰属すべきだ。
元朝と清朝は、異民族が中国全土を支配した例だわな。 地方王朝も数えれば、異民族王朝なんてさらに多い。 もし秀吉が朝鮮出兵に成功して、そこを足がかりに明を攻略できていたら、 明朝と清朝の間に倭朝とか出来ていたかも知れない。
444 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/02(木) 09:27:12 ID:Wfih71rM0
>>439 いや、『福沢諭吉の真実』のアマゾンレビューで星ひとつをつけた
「良識派市民」がカリーだとはっきりしているので、
同時期にレビューをしている「つくしん坊」がカリーというのは不自然だ。
最初書評していた本もビジネス本ばかりだし。
>>441 前段と後段で言ってることが正反対なのだが
446 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/02(木) 12:17:00 ID:7nzrZWs60
>>445 日本中国というくににするべきだ、といっているんじゃね
杉田の本によって平山の執筆者判定メソッドが大ダメージを受けたね 私はそう考えたけど、同じ考えの人はいる?
448 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/02(木) 21:13:43 ID:7kX0Crc4O
>>447 いない。なぜなら平山本の肝は執筆者認定にはないから。
認定が曖昧だとしても、石河が信用できることにはならない。
石河のウソは、筆者認定とは別に客観的に証明されている。
だから、時事新報論集は無効。
>>447 平山さん自身は杉田本によって逆に自身の説が補強されたと解釈しているようです。
↓
----
杉田聡氏編のこの論集によって、私が以前から唱えていた、
「福沢諭吉は侵略論者ではない」との主張がますます補強されたことを喜んでいます。
その要点は次の通りです。
(1)杉田氏によれば、1882年12月12日から1884年12月14日まで丸2年間、
1885年8月14日から1887年1月6日まで1年4ヶ月間、1887年1月8日から1892年7月18日まで
5年6ヶ月間、1892年7月20日から1894年5月29日まで1年10ヶ月間、そして
1896年7月30日から亡くなるまでの4年6ヶ月間、合計15年2ヶ月の間朝鮮・中国・台湾に
関する論説を書いていない、ということです。福沢が時事新報を創刊したのが
1882年3月1日、没したのが1901年2月3日で、18年11ヶ月ですから、福沢は大部分の期間、
それらの地域に関心がなかったことになります。
(2)杉田氏が採録した論説の、大正・昭和・現行版全集の収録状況は、全54編のうち、
大正版8編、昭和版44編、現行版2編となっています。つまり大多数は満州事変(1931年)
直後の1933年以降に増補された論説である、ということです。福沢のものとされる
アジア関係論説が、時局迎合のために集められたのではないか、
という拙著『福沢諭吉の真実』の主張が、改めて確認できたことになります。
(3)杉田氏が採録した論説のうち、自筆草稿が残存しているものは3編です。
また、草稿は残っていないものの署名入りで発表された意見広告「私金義捐について」が
あります。福沢の自筆草稿残存社説は現在のところ92編発見されていますが、
残る89編には問題がなかった、ということなのでしょう。
(4)杉田氏は、私と同様に、安川寿之輔氏の研究に疑問を呈されているようです。
というのは、安川氏は、『福沢諭吉のアジア認識』巻末のリストにおいて、
1896年7月30日以降、1898年9月26日に福沢が脳卒中に倒れるまでに発表された20編を
問題社説としています。その中には、武装蜂起した台湾原住民を全滅させよ、という
1896年8月8日発表の「台湾島民の処分甚だ容易なり」が含まれていますが、杉田氏は
なぜかそれらを「台湾」の部に収めていません。安川氏は、脳卒中の発作後の5編も
リストアップしていますが、杉田氏はそれらも本論集に入れていないのです。
これは、杉田氏が解説では安川氏を高く評価しているといいながら、
実際にはそれらが福沢のものではない、と考えていることの証左でしょう。
このような次第で、福沢が書いたとはっきり分かっている
「土地は併呑すべからず国事は改革す可し」「支那人親しむべし」は収められていない
ものの、結果として本論集は私の見解を強く支持するセレクションになっています。
とりわけ私が福沢の対外論説として高く評価している、「国交際の主義は修身論に異なり」
「脱亜論」「朝鮮人民のためにその国の滅亡を賀す」が収録されているのは喜ばしいかぎりです。
多くの人にこの論集が読まれることをねがってやみません。
----
『福沢諭吉朝鮮・中国・台湾論集』所収論説一覧
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/sugita_satoshi_2010/
450 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/03(金) 07:17:25 ID:kwmOubInO
杉田の完敗だな、こりゃ
451 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/03(金) 08:32:11 ID:ZWdSPr000
また参加者が増えてきた。
値段からいって、ぜんぜん売れていないだろうな、杉田本。
これで、
>>449 のネット情報が一般に広まれば、
「杉田本は平山本を強く支持する内容だ」
というのが常識になるだろう。
杉田は自腹を切ってでも、大学図書館にこの論説集を寄贈しないと。 ww
webcatによれば、まだ1校も収蔵していない。
453 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/03(金) 11:52:27 ID:XaK7qZfb0
>>448 石河は福沢の原稿が残存している社説の過半数を
自分が編纂した全集に入れていないからね
455 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/03(金) 12:14:37 ID:XaK7qZfb0
>>451 日本近代史板で上位にあがっているからね
456 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/03(金) 12:42:48 ID:ZWdSPr000
457 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/03(金) 13:22:23 ID:Ux6i9owD0
ここを見ているであろう杉田聡帯広畜産大学教授は、 面食らっているだろう。井田・平山の息の根を止めた、 と信じて、一人悦にいっていたところ、 逆に自分の首を絞める結果となっているから。 wwww 世間の人々は、杉田先生が思っている以上に意地悪なんだよ。
458 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/03(金) 14:26:08 ID:XaK7qZfb0
カリーが福沢本を書く準備を始めたようです。
----
でも、仕事の方も忙しくて、来年発行予定の「福沢諭吉」についての本を書くために、
東大の資料センター付属の「明治新聞雑誌文庫」まで出かけていって、福沢諭吉の発行
していた新聞「時事新報」の復刻版を丁寧に読んで、コピーを取ったりもしているのだ。
----
しっこし(尻腰)のない国はごめんだ
2010年12月3日(金)@ 15:50 | 雁屋哲の美味しんぼ日記
http://kariyatetsu.com/nikki/1284.php
460 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/03(金) 21:25:22 ID:QMpjsWcw0
>>459 どうせ、自分の説に都合の良い論者の本のウラを取っているだけだろう。
自分に都合の悪い文章は曲解するか、採り上げないだろう。
雁屋とはそういう人間だ。
461 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/04(土) 08:36:19 ID:9fI6vcUNP
このスレの初心者のために書くなら、
カリヤと福沢との関係は、
>>36 >>41 あたりを読むと分かる。
アマゾンに※したり、反日ブログに※したり、
カリヤもようやるわ。
462 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/05(日) 07:31:15 ID:DoN7Cgv/P
463 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/05(日) 07:35:03 ID:DoN7Cgv/P
上の授業案の一部 一万円札を透かしてみれば…〜アジア侵略の背景〜 日本人はどのようなアジア観をもっていたのか?福沢諭吉を中心に考える。 福沢と言うと「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」 ということばで知られるが、実はそのあとが大事。「と言えり」。 福沢はアジアに対する蔑視・偏見・マイナス評価をたれ流す。 さらに日清戦争に対し、福沢は明治天皇の海外出陣までも呼びかける。 日本の最高額面の紙幣の肖像画は、福沢でいいのだろうか? 1万円札を透かしてみれば、別の福沢の顔が見える。 安川寿之輔『福沢諭吉のアジア認識〜日本近代史像をとらえ返す〜』(高文研)、 安川寿之輔『大学教育の革新と実践―変革の主体形成―』(新評論) ようするに安川と同じ そのわりには党勢はサエないな、共産党
464 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/05(日) 10:58:19 ID:DoN7Cgv/P
>>462-463 これは清水工業高校の2003年度の授業録(日本史の部屋)ですね。他にも、
2006年度の授業録(日本史の部屋)を見てみると、こんな授業もしているようです。
↓
----
「大韓独立万歳」〜アジアの民族独立運動〜
近代に入って、日本の人びとは中国や朝鮮の人々に対して差別・蔑視の感情を
抱くようになる。その背景には福沢諭吉の「脱亜論」があった。そして、
日清・日露戦争を通じて朝鮮半島の植民地化をすすめていった。しかし
第1次世界大戦後の「民族自決」の潮流は朝鮮半島にも及び、「大韓独立万歳」を
叫ぶ朝鮮民衆の声は朝鮮半島全域をおおった。こうした朝鮮半島における
「民族自決」に対し、当時の日本人は「暴徒」による「暴動」としかみなかった。
しかしながら、石橋湛山のような認識を示した人もわずかながらにいた。
安川寿之輔『福沢諭吉のアジア認識〜日本近代史像をとらえ返す〜』(高文研)、
日中韓3国共通歴史教材委員会『未来をひらく歴史 東アジア3国の近現代史』(高文研)、
歴史教育者協議会編集『歴史地理教育 2005年3月増刊号』、
鹿野政直『近代国家を構想した思想家たち』(岩波ジュニア新書)、韓国独立記念館WEB
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http://www2.wbs.ne.jp/~i-kazu/jugyo/2006/nihonsi/1gakki.html
466 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/05(日) 18:13:59 ID:DoN7Cgv/P
>>465 すげー、1951年に発見された「脱亜論」が、どーして韓国併合に影響を与えるんだよ!
と、今ならば言える
467 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/06(月) 08:33:37 ID:aYkimUv1O
結局杉田氏は、社説の選び方自体で負けを認めたことになりますね。
>>466 全くその通りですね。
1950年以前には「脱亜論」に言及した資料が発見されていないのに、
韓国併合に影響を与えたとするなら、その証拠を示してほしいですね。
Amazon.co.jp の『福沢諭吉のアジア認識』のカスタマーレビューです。
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5つ星のうち 2.0 史料批判、史料吟味能力の欠如が論争を呼び込んだ書, 2010/9/24
By 歯職人 - レビューをすべて見る
(トップ1000レビュアー) レビュー対象商品: 福沢諭吉のアジア認識―日本近代史像をとらえ返す (単行本)
本書読後、安川の「福澤諭吉を批判したい」「福澤諭吉を断罪した」
「先行研究者の丸山真男、羽仁五郎他を批判したい」「司馬遼太郎は嫌いだ」との底意と
安川が信奉するイデオロギーが見えてしまう作りの一冊です。スターリン全盛期のソ連、
文化大革命期の中国もかくあったのかと想像させる憑依した文体が読む者を疲れさせます。
本書は、後述の平山洋氏より論破されるために生まれてきた書と言ったところです。
平山洋氏の主張は後に『福澤諭吉の真実』(文春新書 2004/08)にまとめられている。
安川の本書と平山本を比較し、各版(福澤自身によるものと、福澤没後のもの)の『福澤諭吉全集』他初出紙誌史料に対する吟味の姿勢、史料批判能力から、判定は平山の技ありを思わせる。
史料の吟味能力を鍛えず、福澤生前の『全集』と後の編纂による『全集』の差異の意味を
考えそれに気付き、他の資料にもあたる基本的な動作の忘却が、大きな汚点を呼び込み、
一躍「著名」となった一例です(安川・平山論争)。全集編纂者・先行研究者の負の遺産に
安易に追従した安川の責任は、指弾されてしかるべきでしょう。
己の論の根拠とした資料が砂上の楼閣であった時、研究者はどのように対処すべきか、その身の振り方を含め難儀な問題です。
さて、潔い安川を見たいが、2010年現在(参照:『週刊金曜日』8月27日号■安川寿之輔・名古屋大学名誉教授に聞く/虚構の「福沢諭吉」論と「明るい明治」論を撃つ /歴史を歪めた丸山眞男と司馬遼太郎の「罪」)も無理な模様です。
次に企画される『福澤諭吉全集』は、慶應義塾等の手により福澤自身による『福澤諭吉全集』に回帰すると思われます。
----
Amazon.co.jp: カスタマーレビュー: 福沢諭吉のアジア認識―日本近代史像をとらえ返す
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4874982506/ref=dp_top_cm_cr_acr_txt?ie=UTF8&showViewpoints=1
470 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/07(火) 07:41:58 ID:5Z/UkvfiO
471 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/07(火) 15:34:20 ID:QJs5J5cP0
脱亜論が戦前に影響をあまり与えていなかった? そんなわけはあるまい。 そもそも福沢は脱亜論以外でもアジアを蔑視していた。 そんな福沢は「学問のすすめ」を書いた大ベストセラー作家だった。 売れっ子作家がアジア蔑視をあらわにしたら、社会に影響を簡単に与えられる。 状況証拠からして福沢の影響は明らか。 現に、アジアの人は、一万円の肖像に福沢が使われていることを不快に思ってる。 福沢を擁護したい人は、福沢が悪い影響を与えたという事実をまず認めてから、 議論すればいいと思う。
472 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/07(火) 17:18:37 ID:5Z/UkvfiO
>>471 それは妄想では?
脱亜論のころには、もっと若い論客が出ていたから
474 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/07(火) 21:33:08 ID:5Z/UkvfiO
>>473 そういうことじゃなくて、福沢の脱亜的態度だよっ、
などと無限に範囲を広げるのであろうよ、
反対者は
>>474 それは、社説の「脱亜論」と思想の「脱亜思想」を混同していますね。
「脱亜論」と「脱亜思想」とは、ちゃんと区別してほしいです。
www
477 :
471 :2010/12/08(水) 12:35:19 ID:+JSuZOoe0
脱亜論の中ではこのフレーズが特にひどい。
侵略的な意図をおおっぴらにしている。
>その伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、
>その支那、朝鮮に接するの法も、
>隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、
>まさに西洋人がこれに接するの風に従て処分すべきのみ。
中国・朝鮮と親密にはならないべき、とただ単にいうなら
西洋人云々というくだりは不必要なはず
距離を置いた外交をすべし、といえばいいだけだから
当時の西洋は植民地主義だから、
「西洋人がこれに接するの風」ってことは、
侵略を推し進めるということになる。
さらに「処分」ときた。
こんな過激なことを新聞に掲載したという事実それ自体が恐ろしい。
>>473 こんな恐ろしい思想を為政者があけすけに語るわけはないだろうに。
為政者がひっそりとしかし確実に代々受け継いだ思想がこれだ。
書かれてこなかったということは、侵略的意図の邪悪さが隠ぺいされてきたことを表してる。
福沢が書いたものの影響力を過小評価するのは誠実な態度じゃない。
478 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/08(水) 17:02:47 ID:zNIym7XJP
>>477 当時「処分」はそんなに重い意味ではなかったようです。
[名](スル)1 取り扱いを決めて物事の決まりをつけること。処理。
「書生下女を差図して家事を―し」〈鉄腸・花間鶯〉
「花間鶯」は明治20年の作品ですから、ほぼ「脱亜論」と同じ時期ですね。
>>477 >為政者がひっそりとしかし確実に代々受け継いだ思想がこれだ。
史料的根拠のない陰謀論。
>>477 > 中国・朝鮮と親密にはならないべき、とただ単にいうなら
> 西洋人云々というくだりは不必要なはず
> 距離を置いた外交をすべし、といえばいいだけだから
いや、第一段で西洋文明が東洋まで影響していると言っているので、
単純化していえば、「文明化」=「西洋化」ということなのです。だから、
「西洋化」を拒絶することは「文明化」を拒絶することになるから、
日本が「文明化」するためには、支那、朝鮮のように「西洋化」を拒絶
してはいけないと言っているのでしょう。
> 当時の西洋は植民地主義だから、
> 「西洋人がこれに接するの風」ってことは、
> 侵略を推し進めるということになる。
これは隣国だからといって特別な関係を結ぶのではなく、西洋人が
外国に接するようにドライに付き合いましょうと言っているのです。
別に外交を断絶するわけではなく、これまで通り接するのですが、
ただ「西洋化」を拒絶することには「心の中」で拒絶するだけです。
>>478 そのようですね。
当時の「琉球処分」のように単に処理するという意味でしょう。
↓
----
コメント欄で、平山氏は、「脱亜論」で使用されている“処分”という語
には、「処罰」の意味は含まれていない旨を指摘しています。
----
「脱亜論」
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h03/#id_4_1
だから、処分という用語自体がまずいわけ。 杉田聡(2010)は「処分すべきのみ」の一文を「『割亜』もしくは『制亜』と呼びうるこの主張」(23ページ)と的確に指摘してる。
482 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/09(木) 07:54:47 ID:V2QEFPhQO
483 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/09(木) 09:04:53 ID:E/w13sXSP
>>481 どこからそんな解釈が生まれるのかを教えてよ。
484 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/09(木) 12:36:30 ID:E/w13sXSP
485 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/09(木) 17:23:39 ID:V2QEFPhQO
>>477 > こんな恐ろしい思想を為政者があけすけに語るわけはないだろうに。
> 為政者がひっそりとしかし確実に代々受け継いだ思想がこれだ。
> 書かれてこなかったということは、侵略的意図の邪悪さが隠ぺいされてきたことを表してる。
為政者の反応ではなくて、ジャーナリズムの反応のことを言っています。
1885年3月16日に「脱亜論」が発表されてから、1951年に遠山茂樹が再発見
するまで、「脱亜論」に関する記事が一つも見つからないのは、
1950年以前に「脱亜論」の影響がまったく無かったことを示しています。
> 福沢が書いたものの影響力を過小評価するのは誠実な態度じゃない。
福沢が書いたものの影響力を過大評価するのは誠実な態度じゃない。
487 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/10(金) 10:32:32 ID:eUE9D7hwP
5つ星のうち 1.0 予断と推測で書かれ、「真実」とは程遠い内容, 2010/12/9 By つくしん坊 (東京都) - レビューをすべて見る レビュー対象商品: 福沢諭吉の真実 (文春新書) (新書) 福沢諭吉が自ら創刊した日刊新聞『時事新報』の論説から、アジアに対する 「侵略主義者」であるとの見方がある一方で、諭吉は初期著作時代から一貫 して「市民的自由主義者」であったとする見方もある。本書は、『時事新報』 の論説が、福沢が執筆したものではなく、主に社員の石河幹明が執筆したも のであり、福沢がやはり「市民的自由主義者」だったと主張している。 本書の著者が頼りにした、論説の真贋を判別する手法である「井田メソッ ド」とともに、著者の主張は、安川寿之輔『福沢諭吉と丸山真男』(2003年) および『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』(2006年)により、完璧に否定され ている。要するに、福沢は、たとえ自らが執筆しなくても、『時事新報』の 論説の内容に絶大な影響を及ぼしており、書簡など客観的な資料からも、論 説の主張は間違いなく福沢の主張そのものなのである。 残念ながら本書の主張は予断と推測が多く、「真実」を明らかにしたとは とても思えない。しかし、学問的な論争は歓迎されるべきなので、安川寿之 輔らの論考に対して、新しい著書での再反論を期待したい。
488 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/10(金) 15:34:09 ID:rMnmRgm20
489 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/11(土) 19:05:08 ID:7JygxyWP0
>>487 予断だとどうして分かるんだ?
それこそ予断では
490 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/12(日) 15:43:03 ID:zCGi8QLv0
>>481 杉田聡(2010)という表記から、
ID:ahNhc3Lf0が研究者をよそおいたいシロウトだ
ということが分かる。
493 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/13(月) 20:41:49 ID:ISQk7I4SO
ここで話題になっていることがすぐにウィキペディアに反映している。
494 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/14(火) 11:54:47 ID:f+Ad68aVP
495 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/15(水) 20:38:46 ID:buq7DHHYO
反福沢運動は完全に失敗したな
496 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/16(木) 10:29:58 ID:TcY49vFOP
5つ星のうち 3.0 最新のテキストマイニングによる検証が必要である, 2010/12/11 By つくしん坊 (東京都) - レビューをすべて見る レビュー対象商品: 歴史とテクスト―西鶴から諭吉まで (単行本) 中江兆民の全集編纂時に、従来兆民のものと言われてきた無署名論説を取り入れるかどうかの 判断に当たり、真贋判定に用いた手法を、西鶴や諭吉のテキスト判定に応用したものである。著 者の手法は「井田メソッド」と呼ばれ、この手法に全面的に依存して、福沢諭吉の思想の見直し が提案されている(平山洋『福沢諭吉の真実』)。一方、「井田メソッド」およびそれに依存し た福沢諭吉見直しに対する全面的な反論もある(安川寿之輔『福沢諭吉のアジア認識』、『福沢 諭吉と丸山真男』、『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』)。井田・平山対安川の論争を判断する上 で、本書の手法が果たして信頼できるのかどうかは、極めて重要である。 「井田メソッド」は中江兆民のテキスト分析用に、1980年代に開発され、本書のような他の著 者への応用は1990年代初めに行われたようである。手法の詳細説明はないが、どうやら手作業で カードを作成し、真贋判定のキーとなる単語を抽出し、これも手作業でテキストの真贋を判定し ているようである。常識的に考えれば、手作業の精度には疑問があるし、また最終的な真贋の判 定も恣意性が入らざるをえない。30年前にはこのような手法でも通用したのかもしれないが、客 観的にテキストを比較分析可能な、最新のテキストマイニングの観点から本書を見ると、疑問点 がいくつも生じる。 (1) テキストの真の著者(たとえば諭吉)の癖と判断している用語が本当にそうなのか。真の著 者のテキストだけでなく、当時の他の論説と比較した数量的な指標が必要である。 (2) 真の著者も長年の間には言い回しが変わるはずである。「井田メソッド」には、「著者の癖」 の経時的分析を行い、その癖が安定しているかどうかを分析している様子はない。 (3) 「井田メソッド」の真贋判定が信頼できることを証明するには、署名入りで真の著者である ことが客観的に明確なテキストと、他の著者の可能性が高いか、または確実に他の著者のもので あるテキストに対して、全く同じテキストマイニング手法を適用することが不可欠である。その 分析の結果、「著者の癖」を表す用語の出現頻度を算出し、その頻度が真贋と高い相関があるこ とを示して、初めて手法としての信頼性を確立できる。 「井田メソッド」が、果たして信頼に足るのかどうかは、上記のような科学的手順を踏んで初 めて判断できることである。多くの古典のディジタル化が格段に進歩した現在、最新のテキスト マイニングによる「井田メソッド」の検証を大いに期待したい。
>>496 > 著者の手法は「井田メソッド」と呼ばれ、この手法に全面的に依存して、福沢諭吉の思想の見直し
> が提案されている(平山洋『福沢諭吉の真実』)。一方、「井田メソッド」およびそれに依存し
> た福沢諭吉見直しに対する全面的な反論もある(安川寿之輔『福沢諭吉のアジア認識』、『福沢
> 諭吉と丸山真男』、『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』)。
平山さんの『福沢諭吉の真実』が出たのは、安川さんが『福沢諭吉のアジア認識』や
『福沢諭吉と丸山眞男』を出した後だから、この二冊の本では、「井田メソッド」および
それに依存した福沢諭吉見直しに対する全面的な反論はできないと思われます。
出版された日付は以下の通りです。
[1] 安川寿之輔『福沢諭吉のアジア認識』2000年12月
[2] 安川寿之輔『福沢諭吉と丸山眞男』2003年7月
[3] 平山洋『福沢諭吉の真実』2004年8月
[4] 安川寿之輔『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』2006年7月
498 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/17(金) 09:48:49 ID:U3jkZ9JsP
499 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/20(月) 00:08:14 ID:mCrcFEA+0
脱農論についてはどう思うよ?
501 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/20(月) 12:38:20 ID:luc4jI5eP
伊藤之雄さんが、『伊藤博文』の著者メッセージで次のようなコメントをしてるね。
>>私の周りには、民主主義を唱えて進歩的なポーズをとっているが、内実は独断的で抑圧的な
知識人が少なからずいた。また、責任ある立場にいながら、発言の重みをほとんど感じていない
ような人が現在も増えているように思われる。どうして日本はこんな国になってしまったのだろうか。
ttp://shop.kodansha.jp/bc/100/past/ito_y_index.html >>民主主義を唱えて進歩的なポーズをとっているが、内実は独断的で抑圧的な知識人
>>責任ある立場にいながら、発言の重みをほとんど感じていないような人
正に林博史や中塚明や安川寿之輔とかにピッタリ当てはまる指摘だな。
502 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/20(月) 16:47:21 ID:luc4jI5eP
中塚や安川の著書を何冊も出している出版社の顧問が、毎日新聞の伊藤之雄さんの
コメントに対して、現在の価値観や国際法に基づいた的外れな批判を展開してるな。
>>その非人間性ゆえに、現代においては植民地化はめられないし、許されない。この認識は、
20世紀後半に至って、ようやく人類が全世界的に到達した認識である。
それは、1960年「アフリカの年」に国連総会で採択された「植民地独立付与宣言」に象徴的に示されている。
学問研究においても、植民地問題を対象にすえる際は、この認識をつらぬかなくてはならない。
ttp://www.koubunken.co.jp/Pense/2010/06.html 1960年に国連で採択された宣言を持ち出して1905年-1909年の伊藤の韓国統治や、1910年の韓国併合を
批判するのは事後法で裁くのに等しい不当な行為だな。
学者ヲタさん、スレ違い。
敗戦で売国薩長史観が覆されたからな。 幕臣の福沢がなったことは幕末史を捉えなおすという観点からも優秀である。
507 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/21(火) 14:20:27 ID:5YmDSMF+0
508 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/21(火) 15:20:47 ID:9Oh0b/sIP
>>507 朝鮮日報というのは、朝鮮総連の機関紙だな。
ナチスにも匹敵する朝鮮労働党に言われたくないが、
この書評はそれはそれで面白い!
彼らがこうした意見を広めようとすればするほど、
福沢ファンが増える、ということに、
いい加減気づいたらどうかな。
>>507 福沢はもともと結構口が悪いからなぁ。歯に衣きせぬというか。
「朝鮮…南洋の土人にも譲らず」「朝鮮…人民は牛馬豚犬に異ならず」
って、暴言ちゃー暴言であるが、他にも暴言はいっぱい吐いている。
おもいつくままにあげると「インド人は奴隷である」とか、「楠公権助論」とか。
「楠公権助論」は現代の価値観からすると暴言とはいわれぬが、当時は
暴言だったわけだな。
こういう批判のやりかたって、日本ではちょっと前に一部で流行した オリエンタリズム的批評をベースにしてるように見受けられるね。 偶像破壊の効果をねらってるわけだ。といっても、こういうやりかたが 十分効果をあげるためには、福沢の朝鮮観がどのようであったか、それを 多くの時期にわたり、詳細に検討せねばならないね。福沢は朝鮮に たいして、最初から最後まで、良い印象をまるでうけたことがなかったのか どうかとか。トクヴィルを現代のイスラム系歴史学者が批判するに当たり オリエンタリスト的批評に有効性をもたせるため、トクヴィルの発言を どんな些細なものにいたるまで、微に入り細に穿って検討したそうであるが 同じような努力をこの書物もやっているわけであろうか。
511 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/21(火) 19:16:07 ID:rdVx5mu0P
>>509 調べてみると「朝鮮…南洋の土人にも譲らず」
「朝鮮…人民は牛馬豚犬に異ならず」
は、明治31年4月28日の「対韓の方針」のようだ。
原稿はないし、昭和版になって載せられた。
福沢ではなくて、石河が書いたんじゃないの?
>>507 情報ありがとう。『朝鮮日報』の書評を読んでみました。
書評子の卞宰洙氏も「石河への盲目的愛」に囚われていますね。
↓
----
著者の独創的な福沢論は、その代表作と目されている前述の4冊の著書を除いて
彼の思想的本質が圧縮されている「時事新報」に掲載された論説群に焦点を
当てているところにある。
----
この書評における「福沢への評価」を「石河への評価」に置き換えたなら、
書評子の意見に100%同意します。
>>508 なるほど、朝鮮総連の機関紙だから、
----
朝・日間に堆積する未解決の諸問題(それらはすべて日本に責任がある)
----
などと発言するわけですね。拉致問題も核開発問題も日本の責任なのかな?
>>509 まあ暴言といえば「赤穂不義士論」もそうですが、これらの発言は
「文明政治の六条件」に基づく批判であって蔑視でも差別でもないわけです。
「インド人は奴隷である」というのは『学問のすすめ』にある以下の箇所ですね。
↓
----
印度は既(すで)に英国の所領
に帰して、その人民は英政府の奴隷に異ならず、今の印
度人の業は、唯(ただ)阿片(アヘン)を作て支那(シナ)人を毒殺し、独(ひと)り英商
をしてその間に毒薬売買の利を得せしむるのみ。
----
學問ノスヽメ. 十二編 - 20 ページ :
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_text.php?ID=55&PAGE=20 >>511 明治31年4月28日の「対韓の方針」なら、石河執筆の可能性が高いです。
石河自身は以下のように記しています。
↓
----
固より社説記者は私一人のみではなかったが、私が筆に慣るるに従って起稿を
命ぜらるることが多くなり、二十四五年頃からは自から草せらる重要なる説の外は
主として私に起稿を命ぜられ、其晩年に及んでは殆ど全く私の起稿といってもよいほどであった。
----
昭和版『続福沢全集』「附記」
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h45/#text_body
>>511 そうかもね。
>>512 「文明論之概略」にも、印度人は英人の奴隷となれり、っていう記述があったね。
514 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/22(水) 09:12:19 ID:ctO72aYkP
>>515 >「プラザマ・ラジヤ」の子孫も英人の奴隷と為れり。
という箇所だけを抜き出して提示すると、暴言のように聞こえるって
ことだね。特に福沢のような歯に衣きせぬものいいする人間の
場合は。文章のコンテクストを無視すれば、いくらでも「暴言」を
抽出できるだろうってこと。
>>516 禿同。『脱亜論』にしても一部だけ取り出してみると、
アジア蔑視論だとかアジア侵略論だとかに思えるかも知れないが、
全体を読んでみるとそういう解釈はこじつけのように感じられる。
518 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/23(木) 19:49:10 ID:Bw7uOlQpP
例の人々の福沢批判は、ためにするもので、結論は最初から出ているからな。
519 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/23(木) 20:13:06 ID:4PQhW9GcP
安川といい、杉田といい、雁屋といい、ほんとうに元気だ。 反省することがないから、悩むこともないのだろう。
>>518-519 例の人々は未だに1951年の遠山茂樹の『脱亜論』解釈を墨守していて、
佐高信のように別の解釈をすると裏切り者呼ばわりするくらいですから、
まったく反省も悩みもないのでしょうね。
福沢としては、インドや中国も旅行したかっただろうね これがあったらかなり論説が面白くなっていたに違いない
>>521 福澤先生は、1862年にヨーロッパに渡航したときに、途中のホンコンやシンガポール、
セイロン(スリランカ)などに上陸していますね。
そのホンコンでの体験を記したのが、『時事新報』の無署名論説
「圧制もまた愉快なるかな」1882年03月28日(大正版全集収録)
のようです。
523 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/25(土) 12:14:31 ID:3EHEb7f3P
欧州派遣のときには、スエズから鉄道に乗ってカイロに入り、 ナイル川を下ってアレキサンドリアから船でマルセイユ入りした。 つまり当時のアラブについても知っていた、ということだね。 ついでに、第二回渡米では、パナマにまわってワシントン入りしたから、 中米の様子も知っている。
>>523 あと、第一回渡米では、帰りにハワイに寄っていますね。
このときの報告書が『万延元年アメリカハワイ見聞報告書』です。
それで、欧州派遣のときの記録が『西航手帳』と『西航記』ですね。
連投、遅レスでスマソ。
>>390 > 来月慶大出版会から福沢に関する大部な事典出るね。
その福澤事典ですが、さきほど慶大出版会から小包で届きました。
ttp://www.keio-up.co.jp/kup/150/ 12月25日刊行で、慶大出版会からのクリスマスプレゼントですね。
> 目次読む限り、『時事新報』社説・漫言一覧があるから、そこに平山さんが
> 石河執筆とみなした社説が入ってるか否か見物だな。
その『時事新報』社説・漫言一覧ですが、福澤先生が存命中の論説が
すべて掲載されてリストになっていました。
リストの「全集」欄には、以下の印が付されています。
◎印は、掲載後に福澤名義で単行本化された社説
○印は、現行版全集に収録されている論説
×印は、現行版全集に未収録の論説
*印は、原稿残存または福澤執筆の証拠がある論説
*(加)印は、福澤加筆の証拠がある論説
あと、リストには「紙面記名」欄があって、執筆者名などが掲載されていて、
そこに福沢諭吉とか〔福沢諭吉演説〕とか記されている論説があります。
大正版全集と昭和版続全集の情報は掲載されていないようです。
526 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/25(土) 16:54:46 ID:3EHEb7f3P
>>525 情報ありがとう!
かなり良心的な編集方針とみた。
福沢センターはもともと石河が設立した伝記編纂所で、
慶応出版会の前身の慶応通信の社長は富田正文だった。
そのわりにはキチンとしている。
527 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/25(土) 17:45:52 ID:TuiV2Lvw0
在学中は愛校心だとかそういうものは全くなかったのに、 卒業して数年、福澤先生の伝記を読み、福翁自伝を読んだあたりから 不思議なことにいわゆる愛校心のようなものが芽生えてきた。 卒業アルバムの個人写真も撮っておくべきだったかなと今になって思う。 日比谷公園で騒ぐとか全然しなかったし。 慶應義塾史事典と福澤諭吉事典のほか、来年から順次刊行されるという 全19巻の慶應義塾150年史資料集もそろえたいと考えている。
>>527 慶応出身者は大体似たようなことを言うな
530 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/26(日) 20:05:43 ID:BoHDnveEP
>>529 『修業立志編』が認知されるようになるまで、
まだ少し時間がかかりそうだな。
なぜ全集に入れられないのか、
明確な答えはどこにも無いようなんだが。
>>530 『修業立志編』は長い間、慶応義塾で教科書として使われていたのに、
なぜだか分からないのですが、扱いが冷たいように思いますね。
平山さん監修で講談社学術文庫あたりで復刊してくれないかな。
532 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/26(日) 23:19:21 ID:BoHDnveEP
>>531 国会図書館のデジタルライブラリーでタダで読めるわけだからね。
お金を出してまで購入する読者がいるかどうか。
ところで、全集に落ちている9編について、
時事新報紙上での初出は判明したの?
534 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/27(月) 06:37:51 ID:3XhwDHe10
福沢辞典にヒントはないか、ってことでしょ
そこまで修業立志編に拘る理由がわからないな 福沢が書いたと分かるものだけを精読すればいいんじゃないか?
536 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/29(水) 07:10:35 ID:QbCc3bhnP
>>535 こだわるもなにも、修業立志編は署名著作なわけだから、
重要視するのは当然
杉田さんは、朝鮮中国台湾論集の解説で、 修業立志編中の「忠孝論」と「心養」は弟子の執筆で、 それゆえに石河は全集から落とした、と言っているけれど、 どうなの?
デジタルライブラリーで読む限り、「忠孝論」はホンモノっぽい。
540 :
537 :2010/12/30(木) 11:43:45 ID:6QtKO+ZO0
「少なくとも平山が「極めて有効である」として全面的に依拠する「井田メソッド」に基づけば、 「心養」の語彙はほとんど石河的のものである。」(杉田論文集348ページ) 「(文明論の概略についての)この文言は、「忠孝論」を他記者起草と見てもなんら矛盾しないし、 むしろ「忠孝論」が他記者起草であればこそ、引証の必要を感じた福沢がこの文言を付け加えた と推測することは、十分に可能である。」(杉田論文集349ページ)
541 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/30(木) 15:13:01 ID:ej12fZJlP
.RT @Bonjin_21 『政治思想学会会報』第30号(学会頁にPDFあり)での 『時事新報』をめぐる資料批判(平石直昭)と、第31号での反論(平山 洋)を契機に、福澤をめぐる解釈の混戦を知る。革命への貢献をめぐる モンテスキュー評価の不毛な論争を想起させ、頭がクラクラ。 7:34 AM Dec 21st webから Bonjin_21宛
>>540 杉田さんは、これまで福澤執筆と考えられていた「心養」と「忠孝論」が
石河執筆だったと主張なさるわけですね。
そうすると、「これまで福澤執筆と考えられていた論説の多くが
石河執筆だった」と主張する平山説が却って増強されちゃうことになる
のですが、それでいいの?
544 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/01(土) 11:53:56 ID:r9u66ubC0
>>542 すると、石河はわざわざ自分の書いた論説を福沢全集から取り除いたことになる。
そんなバカな・・・。
なんだよこのスレ、福沢諭吉のおもしろエピソードでもあるかと来てみれば アジア蔑視は大罪だ!と思ってるジジイ活動家たちのスレかよw
546 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/03(月) 10:02:47 ID:3Yv8fU/yP
>>545 というより、ジジイ活動家を批判するスレ
前のほうも読んでみてね
明治期に活動した思想家で、その思想が今も生き続けているのは、 福沢だけだからな。あとは読まれもしない。 サヨの主敵が今でも福沢だというのには驚く。 慶應が金持ち大学だから、ということか。 東京にいると、東大と慶應の差はあまり感じない。 東大は田舎の裕福ではない層を救済するために活躍している、 というイメージ。政治的リベラリズム、といのはそんなもの。 慶應は内部出身のイメージで、階層的エリートという意味がある。
548 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/03(月) 12:56:23 ID:MbAN7ISM0
>サヨの主敵が今でも福沢だというのには驚く。 それはないよ。旧社会党系の丸山真男シューレは、福沢マンセーだから。 福沢を主敵にしているのは安川寿之輔など一部の共産党系学者と支持者。
そういえば丸山真男の最晩年、共産党が赤旗で丸山叩きをしていたのを記憶している。 何で叩いているのかは忘れたが。
この間の佐高と安川+雁屋のけんかもその流れか。 佐高は社会党系民主党の応援団長。
551 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/03(月) 20:36:33 ID:BykKr+Fq0
雁屋哲は旧社会党シンパではなく共産党支持者なの?
552 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/03(月) 21:28:45 ID:lU/lrLGY0
>>551 民主党内極左から社民の路線じゃないかなあ
去年の12月に福沢本が出ていました。
早稲田出身の方が執筆されています。
『福沢諭吉の原風景―父と母・儒学と中津』
http://www.amazon.co.jp/dp/478880655X/ 内容(「BOOK」データベースより)
『学問のすゝめ』は諭吉が「唾して」去った故郷、中津の人々へのメッセージでもあった。
中津には諭吉のアンビバレンツな発想の原点があった。そこには父百助の儒学と、母於順との孤高生活があった。
亡き父を慕い、19歳まで学び続けた儒学。啓蒙思想家福沢諭吉の原風景とは。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
谷口 典子
早稲田大学文学部卒業。早稲田大学経済学研究科特別研修生修了。経済学博士。日本ペンクラブ会員。
現在、東日本国際大学教授。儒学文化研究所所長
554 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/04(火) 15:58:12 ID:ypSbqc7tP
>>553 教授になっている世代で早稲田大学文学部卒ということはありえんだろう。
第1か第2かをはっきりさせなきゃ。
大学院研究科の研究生なら、修了はこれまたありえない。ただいただけ。
じゃあどっから博士号をもらったのか、という疑問が…。
デュプロマ・ミルからじゃね。
556 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/05(水) 08:13:44 ID:9GCUjq5XP
聞いたことのない大学だけれど、学生はいるの?
>>557 関東学院の学位か…。マトモな学者としてはぎりぎりのラインだな。
こりゃオモロ! こんなところに安川寿之輔と平石直昭の名前が!
以下引用・・・
『なかった 真実之歴史学 第3号』の西村俊一教授の「福沢諭吉の学問のすすめ」に
ついての論文をホームページ原稿に移す作業などをしました。
その文章は次のようなものです。【(前略)ついでながら、筆者は、公共哲学京都フォー
ラムにおける議論の中で、福沢諭吉の『学問のすすめ』の冒頭の一文「天は人の上に
人を造らず人の下に人を造らずと云えり」は、米国の独立宣言」からではなく、『東日流
外三郡誌』を含む一群の『和田家文書』からの借用であるとの説もあることに言及した。
ところが、即座に丸山真男門下の平石直昭が侮蔑的な言葉でそれを遮ったのであった。
それは平石直昭・金泰昌編『知識人から考える公共性』(東京大学出版会、2006年)に
も記録されている。
しかしながら、筆者は平石直昭が前期文書を実地に考証したことを寡聞にして知らないし、
何よりもこのような応接は極めて無礼であった。最近、安川寿之輔は、その著『福沢諭吉
の戦争論と天皇制論』(高文研)において、この一文を福沢諭吉の思想であると誤解させ
たのは丸山真男が創作した「丸山諭吉」神話であるとし、むしろそれは『和田家文書』から
の借用である確度が高いと論じている。丸山真男は、吉本隆明がまさに指摘するように、
「方法の原理的な一貫性と整序性」に拘泥するあまり、福沢諭吉を新たな時代の生んだ
近代的知識人の典型として過度に理想化した。そして、それを平石直昭がこの旅の「寛
政原本」の発見にどのように対応するか見守りたい。(後略)】
「偽書」と決めつけて、「寛政原本」が出た、といっても知らんぷり、で済むのかなあ、と偽
書説を煽った方々に聞きたいものです。
http://ameblo.jp/torashichi/entry-10748816524.html ・・・この引用では、安川は未だ和田家文書を信じていることになっている。
大変ですぞ安川さん。早く誤解を解かねば。
安川をバカにした平石が、福沢全集についてはともに石河サポーターである、
というのもおかしい。
560 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/08(土) 13:42:32 ID:igGLGZMN0
福沢諭吉関係人物相関図 平石直昭・飯田泰三(東大法学部丸山門下)=協調(石河支持)=坂井達朗・竹田行之(慶應塾員岩波書店系) ↑ ↑ 対立(丸山・福沢の評価をめぐって) 対立(石河の評価をめぐって) ↓ ↓ 安川寿之輔・杉田聡(旧左翼反福沢反丸山派・石河支持)←対立→平山洋(慶應塾員文藝春秋ミネルヴァ書店系・石河不支持) さらに、井田進也(東大教養岩波書店系・石河不支持)、古田武彦(東北大日本思想史ミネルヴァ書店系)、 佐高信(慶應塾員旧左翼)、雁屋哲(東大教養旧左翼)などが加わり、話がややこしくなる。 井田は本来平石・飯田・坂井・竹田ら福沢諭吉協会内の重要人物。石河不支持という点で平山と同じだが、 世代と人脈の関係からか平山支持ではない(週刊金曜日の安川の証言による)。 平山の大学院の先輩の古田は東北大村岡典嗣門下。村岡は東大法にも出講していて、丸山の師匠にあたる。 つまり、平石・飯田と古田は広義の兄弟弟子。
561 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/08(土) 17:17:13 ID:jCGF684jP
安川さんが思いつきで 古田さんの東北王朝説に乗っちまったから、 話が拡散してしまったようだ。 とにかく安川さんは、誤解をとくべく、 もはや和田家文書を信じてはいない、 ということを、もっとはっきり言うべきだ。 そうでないと、いつまでも信じていることになって、 研究の内容とは無関係に、 安川さんの言うことはまったく信用できない、 ということになっつぃまう。
>>563 安川さんの本って、戦争論以後何か出ていたっけ?
左翼出版社だね
ちょっと古いがカリヤブログ。昨年の大晦日付
なんで弱気になっているんだろ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
2010年も、終わろうとしている。
読者諸姉諸兄におかれましては、どんな年でしたか。
私にとっては、厳しい一年でした。
企んだことが、何もかも上手く行かず、
気の滅入ることばかり、気がついたら今年も終わっていた。
http://kariyatetsu.com/nikki/1287.php
>>568 福沢諭吉批判は出してくれよ。楽しみにしているのだから。これはカリヤにね。
>>569 禿同。カリーの福沢批判本はツッコミどころ満載のトンデモ本になりそう。wktk
571 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/12(水) 12:02:05 ID:XXIUwPEoP
福沢諭吉事典が出たみたいだけれど、 何か面白い話題はある?
>>659 カリーの「美味しんぼ日記」が更新されていました。
新年のご挨拶
2011年1月12日(水)@ 11:28 | 雁屋哲の美味しんぼ日記
http://kariyatetsu.com/nikki/1304.php > 懸案の「福沢諭吉」の本の執筆に取りかかりました。
> 3月か4月出版を目ざします。
ついに3月か4月に福沢本を出すようですね。
> 福沢諭吉は自分の発行している新聞「時事新報」などで、当時の、朝鮮、清(今の中国)
> の侵略を徹底的に煽り立て、日清戦争の結果、台湾を獲得すると、今度は
> 「台湾が欲しいのは、その豊かな土地だけ。その上の人間はいらない。
> 日本の支配に抵抗する者は皆殺しにしろ」とまで、主張する有様。
これは、1896年1月8日掲載の「台湾の騒動」のことかな?
> 日本がアジア各国を侵略できたのは、その根本に、アジアに対する蔑視観があったからだ。
> そのアジアに対する蔑視観を日本人に植え付け、アジア侵略を説いたのは福沢諭吉なのだ。
そんな事実はないのだが…。
> 1945年の日本の敗戦による壊滅は、福沢諭吉が叩き込んだアジア蔑視感を土台にして、
> 福沢諭吉があらかじめ引いたアジア侵略路線を日本が突っ走ったからだ。
日本の敗戦も福沢諭吉のせいにするつもりですね。
何でも福沢諭吉のせいにしないでほしいものです。
日本人が書いた福沢関連の書籍の中で、最低のものとなるだろうね、雁屋の本
574 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/13(木) 13:05:12 ID:t/GtDtmdP
雁屋本、切り口からいって、安川先生全面支援、という感じだ。 安川先生が出してももう誰も相手にしないから、 雁屋に書いてもらう、という程度のシロモノ。 岩波書店でも慶應でも福沢協会でもいいが、 いい加減「時事新報論集」には福沢以外が書いたものが多い、 と認めたらどうか。 せめて、福沢が書いた証拠がない、でもいいが。
>>574 > 雁屋本、切り口からいって、安川先生全面支援、という感じだ。
カリー自身も福沢批判本を出すにあたり、安川先生全面支持を表明しています。
暑いねえ、今年は
2010年9月22日(水)@ 17:28 | 雁屋哲の美味しんぼ日記
http://kariyatetsu.com/nikki/1276.php > 私は、来年の春を目指して、中学生にも分かるような内容で
> 福沢諭吉についての本を書く準備を現在進めているが、一番助けになるのは
> 安川寿之輔先生のお書きになった福沢諭吉研究の4冊の御本である。
この発言からでも、雁屋本の内容が予想できますね。
576 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/14(金) 13:46:14 ID:WOwCvhNzP
カリヤは、前は安川寿之「助」と書いていたが、 今は正しく表記しているんだな。
577 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/14(金) 19:04:34 ID:lSbqIw2e0
>>575 今さら安川に助けてもらったって、
新しい何かが出てくるわけでもあるまい。
今の全集は完璧だ、と言い続けるしかない。
福沢ではない証拠、なんか出てこやしないだろうが、
安川由来の言葉を信じるマヌケもいないだろう。
>>577 > 今さら安川に助けてもらったって、
> 新しい何かが出てくるわけでもあるまい。
それは確かにその通りで、カリーもそういう意見は予想しているようです。
http://kariyatetsu.com/nikki/1276.php > それでは、安川先生のその4冊の御本があるのだから、今更私のような学者でもない、
> ただの漫画原作者ふぜいが福沢諭吉について、何も言う必要はないようだが、
> 安川寿之輔先生のような専門家の書き方と、漫画原作者の書き方とでは、方法が違うので、
> 別の角度から福沢諭吉を描くことが出来るかも知れない。
だからと言って、今さら別の角度から描いても、何か意味があるのか分かりませんが…
> 私の本を読めば、もっと福沢諭吉について詳しく知りたくなって、安川寿之輔先生の本に
> 進んでくれれば有り難い。私の本は、福沢諭吉への入門書という位置づけだと思う。
福沢諭吉への入門書というよりは、安川本への入門書らしいです。
>>578 ははあ、安川流の福沢観を子どもに植えつけようというんだね。
むかし「脱亜論」を教科書に載せようとした一派と同類だからね。
小学校からずっと公立という人たちに、階層的な憎悪をもたせるのが狙い。
不景気だし、いまがチャンスと考えているのかも。
福沢の脱亜入欧論がその後のアジア侵略のイデオロギー的基礎になったことは 間違いないのだから、福沢を日本の近代化に貢献した啓蒙主義者として 讃えるのはやめにしよう。
>>580 アジアへの進出に積極的だったのは、親英米派の多い慶應出身者ではなく、
もっと別の勢力じゃないかな。
興亜会やその他の右翼勢力のほうが熱心だった。
>>579 カリーの福沢本は、安川史観のプロパガンダ本ですね。
個人出版社の遊幻舎から出るのかと予想していたが、
そうすると、高文研から出るのかな?
>>580 福沢は脱亜入欧論を唱えたことはないし、したがって、福沢の文章が
アジア侵略のイデオロギー的基礎になったこともない。
福沢諭吉は自由主義者ではなくて絶対主義天皇制の許容範囲内での啓蒙主義的改革を 唱えたにすぎない。現代の視点では福沢の思想には何の価値もない。
>>583 その認識はかつての講座派の主張。
大日本帝国憲法によって議会も開設されているのに、
その体制を絶対主義と考えるのは、およそ現実を見ていないといえる。
大日本帝国憲法では、緊急勅令は議会の事後承認が必要。
第8条 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ
法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス
2 此ノ勅令ハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出スヘシ若議会ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ将来ニ向テ其
ノ効力ヲ失フコトヲ公布スヘシ
つまり、天皇大権たる統治権の総攬についても、議会が支持しなければ不可能ということ。
これは解釈によってそうされたのではなく、大日本帝国憲法自体に明記されている。
>>584 絶対主義天皇制に立憲的な化粧を施したに過ぎない福沢の思想が戦後の天皇制に
取り入れられたのは、戦後の天皇制自体が絶対主義の革命的打倒の上に成立せず
絶対主義のなし崩し的修正として成立したからだ。
587 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/17(月) 16:35:14 ID:LGuy+K+tP
>>586 君、本気で言っているんだろうね。
どうも釣りのような気がしてきた。
>>587 禿同。なんだか共産主義者に成りすましているような希ガス。
589 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/18(火) 17:41:20 ID:R6rGQZcHP
>>586 は前にも出てきていたような気がするんだがな
590 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/18(火) 20:38:44 ID:WgaOJPCL0
>>580 >>福沢の脱亜入欧論がその後のアジア侵略のイデオロギー的基礎
・・・アジア侵略というより、アジアへの革命輸出だろう。清帝国や李氏朝鮮のような徳川幕府以下の旧体制国家を潰してやろうという親切心だったのだ。
余計なことといえばそうだった。放置しておけばよかったのだが、ロシアに盗られるのは日本の国防上まずかったからな。
591 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/18(火) 20:44:07 ID:WgaOJPCL0
>>580 日本が敗戦になると予想通りシナは共産化、北鮮は李氏朝鮮に逆戻り、という結果になったな。
日本が侵略してもしなくてもシナ・朝鮮は近代化が嫌いで旧体制が好きなようだ。
>>580 福澤諭吉は「脱亜入欧論」を唱えたことはありません。
福澤諭吉が「脱亜入欧」という言葉を使ったことは一度もないからです。
じっさい、丸山眞男は「『福沢諭吉と日本の近代化』序」の282頁、285頁で
次のように指摘しています。
↓
----
福澤は署名著作・時事新報論説のすべてにおいて「入欧」という言葉を一度も使用していない[2]。
さらに福澤が「脱亜入欧」という語句と関連付けられるのは第二次世界大戦後の1950年代以降である[3]。
[2] 「「入欧」という言葉にいたっては(したがって「脱亜入欧」という成句もまた)、
福沢はかつて一度も用いたことがなかった。」
丸山眞男「『福沢諭吉と日本の近代化』序」『福沢諭吉の哲学 他六篇』 岩波書店〈岩波文庫〉、2001年6月、282頁。ISBN 4-00-381041-4。
[3] 「日本で、「脱亜入欧」という成句が、あたかも福沢自身の造句であるかのように
喧伝(けんでん)され、いなそれ以上に、福沢の全思想のキー・ワードとして、
学界だけでなく、一般ジャーナリズムの世界にまで流通するようになったのは、
きわめて最近の現象であり、たかだか一九五〇年代以後の傾向である。」
丸山眞男「『福沢諭吉と日本の近代化』序」『福沢諭吉の哲学 他六篇』 岩波書店〈岩波文庫〉、2001年6月、285頁。ISBN 4-00-381041-4。
----
脱亜入欧
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B1%E4%BA%9C%E5%85%A5%E6%AC%A7
593 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/19(水) 08:18:14 ID:1/ul85Nz0
>>592 サヨというのには、プロパガンダの専門家みたいのがいるからね。
福沢がいかにも言いそうなことを、それとなく広めて行くんだろう。
「脱亜論」についても、発見者の遠山茂樹は、自分が発見したなどとは一言も言わずに、
東大出版会の『福沢諭吉』では、「有名な「脱亜論」」と書いているそうな。
fukkan.comがリニューアルされたので再投稿です。
----------------------------------------------
福澤先生著『修業立志編』を復刊しよう!
修業立志編 福沢諭吉 復刊リクエスト投票
http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=52303 福澤先生著『修業立志編』は慶應義塾で38年以上も国語の教科書に使われた単行本です。
それなのに『修業立志編』は単行本としては『福澤諭吉全集』(岩波書店)には収録されていません。
みんなで今では忘れられた幻の単行本『修業立志編』の復刊をリクエストしましょう。
595 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/20(木) 21:08:38 ID:Br5m1B2gO
よくやるね
福沢諭吉を讃えたら韓国との仲がまずくなる。
597 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/21(金) 11:49:29 ID:Xf89Ee+v0
599 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/21(金) 19:06:08 ID:hcjv8UsW0
>>598 それは、ノムヒョンの残党の言い分。
当時の情勢では日本との協働を図るのがもっとも合理的な選択だった。
韓国の反日分子摘発は、階級闘争の一種 日本支配時代に日本人に認められなかった人々の 復讐の手段
601 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/24(月) 07:49:06 ID:TbqzD2bvO
福沢を評価しないのは 韓国でも左翼だけ
602 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/24(月) 12:23:56 ID:HLuh15NY0
杉田聡の『福沢諭吉論説集』ぜんぜん話題になっていないな。無視されたんだろうか。
福沢は天皇制を支持し、アジア侵略を鼓吹した帝国主義者。
604 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/24(月) 21:13:26 ID:5ppkRD990
>>603 アジア侵略でなくてアジアの前近代旧体制打破を図っていたんだ。打倒される側から見ると侵略かも知れんがな。
で、いつまでたってもシナ・朝鮮には革命が起こらないので見切りをつけて脱亜へ切り替えた。
帝国主義者ではなくて近代化主義者だ(当時の日本全体が御一新、文明開化の時代だしな)。
2011年の現代になってもシナ・朝鮮は前近代から脱け出せていない、どうしようもない民族だ。
>>602 反響といえば、『朝鮮新報』で文芸評論家の卞宰洙氏が絶賛していたという
>>507 で紹介されていた情報くらいかな。
〈本の紹介〉 福沢諭吉−国権拡張脱亜の果て
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2010/06/1006j1217-00002.htm ----
「脱亜論」に集成されている福沢諭吉の思想を、今批判する作業は、
朝・日間に堆積する未解決の諸問題(それらはすべて日本に責任がある)を
洗いざらい掘り起こして解決するうえで、極めて有意義である。
なぜならば、ウルトラ・ナショナリズムを基盤とする福沢の朝鮮侵略思想、
ひいてはアジア全域への侵略思想が、日清戦争、日露戦争、そして朝鮮植民地化、
中国侵略戦争、東南アジア侵略戦争を招き、そこから生じた罪禍が未だに清算されて
いないといっても過言ではないからである。
簡明にして要を得た注釈・解説を柱とし、詳細な参考文献を添えた398ページの
本書上梓の今日的意義は大きいと言わねばならない。
(杉原聡編、明石書店、3800円+税、TEL 03・5818・1171)
(卞宰洙・文芸評論家)
[朝鮮新報 2010.12.17]
----
606 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/25(火) 08:42:30 ID:Sv/UJfu80
>>605 およそ現実を見ていない書評だね。ある意味すごいと思う。
オーウェル的世界だ。
>>605 杉原聡って、引用者が間違えたのかと思ったら、
朝鮮新報自体のミスじゃん。
編者名くらい正しく表示しなよ。
608 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/25(火) 16:03:29 ID:ch49HvMj0
>>605 シナ・朝鮮が近代化の意志・能力がないのなら放置していくしかないわな。
日本は近代化する方向へ向ったんだから欧米と歩調をあわせるしかない。
いまさら憲法を変えて一党独裁、世襲政治などに戻れんからな。
609 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/25(火) 18:40:36 ID:8rKjXx7A0
朝鮮新報にほめられるというのは 不名誉なことジャマイカ
610 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/26(水) 12:11:33 ID:6ud+UXmD0
611 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/26(水) 12:58:17 ID:zFKhsHZ90
612 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/26(水) 13:31:33 ID:oTSg563P0
>>610 まず無理だろうな。
10年前に『福沢諭吉のアジア認識』を肯定的に紹介した一般マスコミが、
『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』が出ても無反応だったことから、
それが『福沢諭吉の真実』の反論としては「無価値」との判断を下された
ということがはっきりした。
もし有力な反論とみなされたなら、
一般マスコミによる『福沢諭吉の真実』叩きが始まったはず。
安川本は黙殺、平山本は依然売れ行き好調ということから、
すでに勝敗はついている、というのが世間の認識。
613 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/26(水) 15:31:58 ID:1LPiOYRx0
>>610 > 今年は雁屋氏の漫画も出版されるから、
カリーの本は漫画じゃなくて普通の単行本になると予想しています。
おそらく、自分の出版社である遊幻舎から出すんじゃないかな。
大アジア主義の侵略志向に眼を瞑るのが"脱亜入欧"批判者の 特徴。かれらの目的はアジアの平和なんかではなくて中共覇権下の 大東亜共栄圏だろう。
617 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/27(木) 12:05:08 ID:Pptdu4Kh0
福沢諭吉の曾孫がカーレースで死んだという話が大分前にあったな。
618 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/27(木) 18:06:35 ID:/CAfRb6EP
>>615 いや、00のうえの方にある、次へ→ で01をめくると、
ちゃんと読めるようになっている。
どうも00の設定ミスのようだ。
620 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/29(土) 10:27:14 ID:XRF+ORpqP
まあ福澤がアジア侵略を煽ったってのは事実だよ。 実際問題、福沢の論説を必死に真似ようとした徳富蘇峰はガンガン戦争を煽ったしね。 でも、さっさと国内改革をしなかった清国と李氏朝鮮が悪いのだよ。 特に清国なんかは領地を欧米に食い荒らされてからやっとこさ立ち上がった。
だれか、まとめサイトつくってくれ。
623 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/29(土) 15:49:45 ID:XRF+ORpqP
>>620 貴重な情報ありがとう。一通り読んでみましたが、論争が
安川・平山論争から杉田・平山論争に移ったようですね。
あと、以下のような新しい事実が判明しています。『福澤諭吉事典』932頁参照。
↓
----
最近刊行された『福沢諭吉事典』巻末掲載の福沢存命期全社説題名一覧により、
「忠孝論」が「在ボーストン某生」(日原昌造)の起筆と判明した。
----
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/comment_on_sugita_satoshi_2010/06/#paren_22 >>621 > まあ福澤がアジア侵略を煽ったってのは事実だよ。
いや、そんな事実はないですよ。
少なくとも、福澤の署名著作・書簡・草稿残存社説には、
アジア侵略を煽ったものは含まれていないのが事実です。
> 実際問題、福沢の論説を必死に真似ようとした徳富蘇峰はガンガン戦争を煽ったしね。
徳富蘇峰が「ガンガン戦争を煽った」のが事実としても、
それは「福澤がアジア侵略を煽った」ことにはならないです。
625 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/29(土) 19:50:16 ID:XRF+ORpqP
>>624 こりゃ、平山側の黒星だな。安川や杉田や雁屋は勢いづくだろう。 www
また面白くなってきた。
こういうのは、ワンサイドゲームになると関心が薄れてしまうから。
あと、ダークホースの平石がどんな発言をするのかにも要注目だ。
626 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/29(土) 20:03:29 ID:XRF+ORpqP
>>624 今、問題の部分を読んでみたが、要するに平山が井田メソッドを用いずに
福沢真筆と判定した「忠孝論」を、井田メソッドを否定する杉田が、
試みに井田メソッドを使って非福沢と判定したら、
それが実は正しい判定だった、というわけね。
なんたる皮肉。
これでは杉田は井田メソッドを批判できなくなる。
カリーのブログが更新されていました。
↓
ああーっ気持ちがいいーっ!
2011年1月30日(日)@ 6:08 | 雁屋哲の美味しんぼ日記
http://kariyatetsu.com/nikki/1311.php ----
ああ、いい気分だ。
これで、気合いがしこたま入ったから今取りかかっている「福沢諭吉」の本がぐわーっと進むだろう。
最後に、シュートを決めた、リー・忠成は在日韓国人だったのだが国籍を日本に変えたのだそうだ。
リー選手は、日韓友好のためにも活躍している訳で、本当に嬉しいことだ。。
----
628 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/30(日) 13:10:29 ID:CBocCdp/0
日本が優勝したことを喜ぶおのれの愛国心は恥じないんだな>雁屋哲
日本のアジア侵略のイデオロギー的基礎を作ったのが 福沢諭吉。偉人でも何でもない。ドイツで『マインカンプ』が 発禁になってるのに見習って福沢の著作を発禁にしてしまえ。 そうしてこそアジア諸国との友好ができる。
630 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/30(日) 15:54:53 ID:Z0T+uWFbP
>>629 フェアな通商関係さえあれば
格別友好などと言う必要はない
平山が何でそこまで福沢を擁護しようとするか分からん
福沢の言説だけに注目すれば、杉田のように批判的になるはず
>>626 皮肉でもなんでもないじゃないか
手段(井田メソッドを使うかどうか)が違うのに同じ結果(真筆かどうか)になったとしても
別段驚くことでもなんでもないし
訳が分からないことを言うもんだね
632 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/30(日) 16:36:30 ID:Z0T+uWFbP
>>631 君は
>>626 をきちんと理解していないね。
杉田は井田メソッドは無効だと主張していたのに、
結果的に有効だということが証明されてしまったことが、
皮肉だと言っているのだよ。
>>631 > 平山が何でそこまで福沢を擁護しようとするか分からん
それは福沢諭吉の真実の姿を明らかに示したいからでしょう。
> 福沢の言説だけに注目すれば、杉田のように批判的になるはず
いや、何が福沢の言説なのか?何が福沢の言説でないか?という、
根本的なテキストの判別方法に対して批判的になっているのです。
福沢の署名著作・書簡・草稿残存社説には何の問題も無いのに、
無署名論説のみにアジア蔑視・侵略論があるのは変だという疑問
から福沢全集の時事新報論集の判別方法を批判している訳ですね。
カリー…
>>632 そりゃないだろ
杉田は、自分が参照できたデータだけをもとにして
井田メソッドが使えないと判断したわけ
それ以外の資料である忠孝論の執筆者が分かったからといって
それを嬉々として取り上げるスタンスが気持ち悪い
んなもん皮肉でも何でもない
で、真筆だと誤認定した平山のこれまでの研究はそのままでいいのか?
>>633 だから、その点は安川や杉田がさんざん論破してきただろ
時事新報に載った社説は「福沢の思想以外の何ものでもない」(杉田397)
>>635 いや、『時事新報』社説には相互に矛盾するものが存在するのだから、
全てを福澤の思想と解釈すると、整合性が取れなくなってしまいます。
そもそも『時事新報』社説は、その当時の主幹と福澤が回りもちで執筆していたもので、
全てが福澤執筆でないのは勿論、全てが福澤発案でもない訳です。
だから、『時事新報』社説の全てを福澤の思想と見做すのは無理がある訳です。
安川さんや杉田さんは、自分の都合がいいように『時事新報』社説を選んで、
それを福澤の思想として論じているのです。
637 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/31(月) 09:28:46 ID:o1NKy5JKO
638 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/31(月) 16:46:49 ID:YtAcHc690
639 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/31(月) 20:45:08 ID:ZSyjKvnUP
640 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/31(月) 20:52:49 ID:ZSyjKvnUP
>>635 > 時事新報に載った社説は「福沢の思想以外の何ものでもない」(杉田397)
その『時事新報』に載った社説については、福澤先生は『福翁自伝』の中で、
以下のように話しています。
↓
----
併(しか)し私も次第に年をとり、何時(いつ)までもコンな事に勉強するでもなし、
老余は成る丈(た)け閑静に日を送る積りで、新聞紙の事も若い者に譲り渡して
段々遠くなって、紙上の論説なども石河幹明(いしかわみきあき)、北川礼弼(きたがわれいすけ)、
堀江帰一(ほりえきいち)などが専ら執筆して、私は時々立案してその出来た
文章を見て一寸(ちよい)々々(ちよい)加筆する位にして居ます。
----
福翁自傳 - 546 ページ :
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_text.php?ID=116&PAGE=546 つまり、少なくとも晩年になると、新聞の仕事からほとんど手を引いたことに
なります。
これでは、とても「『時事新報』社説=福澤の思想」とは言えませんね。
642 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/01(火) 08:05:22 ID:/aZ5ijoL0
>>641 杉田は、時事新報創刊号の
その論説のごときは
(社員の筆硯に乏しからずと雖ども、)
特に福沢・小幡{篤次郎}両氏の立案を乞い、
またその検閲を煩わすことなれば、
大方の君子もこの新聞を見て、
果して我輩の持論如何を明知して、
時としては高評を賜わることもあらん。(G7)
の一節のうち、上のカッコ内を省略することで、
まるで全部を福沢が検閲したかのように装ったんだとサ。
福沢諭吉はアジア蔑視と侵略の鼓吹者。
645 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/01(火) 11:35:20 ID:snXngJGO0
646 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/01(火) 11:43:47 ID:/aZ5ijoL0
647 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/01(火) 16:16:07 ID:snXngJGO0
安川や杉田のホンネはだいたい下の引用に尽くされているな たとえ批判の手段として用いていた無署名論説の信憑性に疑問が 生じたとしても、その事実をもって福沢評価をプラス方向にもってい こうとする気はそもそもなかったのである。なぜなら侵略的絶対主 義者とされる前の評価として一般的であった、単なるブルジョア思 想家としての福沢からしてが、すでに人民の敵であったからである。 (『福沢諭吉の真実』237頁)
648 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/01(火) 16:25:49 ID:iVS6gIku0
>>639 確かに候補者が最大でも4名で、
そのうち福沢が全部書いた社説だけを選ぶ、
というなら、高精度での選別ができそうだ。
そうでないと、どこが先生なの、ということになる。
649 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/01(火) 19:37:27 ID:sQeP0LPSO
杉田先生がキノドクすぎる せっかくの本が3か月で無効になってしまうなんて
650 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/02(水) 19:16:25 ID:MF6nIesp0
でも、安川も杉田も雁屋もけっしてあきらめないんだよな
651 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/02(水) 20:59:00 ID:gfcxDkbA0
福沢諭吉は近代化の偉人でも何でもない。 アジア蔑視と侵略を鼓吹した帝国主義者。
652 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/03(木) 09:06:55 ID:vuNVk7U40
653 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/04(金) 07:19:43 ID:qeST001SO
福澤先生は偉大だ
654 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/04(金) 16:25:06 ID:nP36Om6v0
ちなみに福沢批判本の内容はこんな感じです。
↓
新年のご挨拶
2011年1月12日(水)@ 11:28 | 雁屋哲の美味しんぼ日記
----
福沢諭吉は自分の発行している新聞「時事新報」などで、当時の、朝鮮、清
(今の中国)の侵略を徹底的に煽り立て、日清戦争の結果、台湾を獲得すると、
今度は「台湾が欲しいのは、その豊かな土地だけ。その上の人間はいらない。
日本の支配に抵抗する者は皆殺しにしろ」とまで、主張する有様。
福沢諭吉は、日本が西洋文化を輸入したことで、文明国として日本の方が朝鮮、
清より進んでいるとして、途方もなく滑稽な優越感を抱き(従って、同時に西洋
には劣等感を抱く)、浅ましいまでに下品な言葉を使って、朝鮮、清、の人間を
非文明人、と嘲罵する。
朝鮮、清、台湾の人々に対して福沢諭吉の投げつけた侮蔑の言葉は、読むだけで
恥ずかしく悲しく、胸が苦しくなる。
日本がアジア各国を侵略できたのは、その根本に、アジアに対する蔑視観があったからだ。
そのアジアに対する蔑視観を日本人に植え付け、アジア侵略を説いたのは福沢諭吉なのだ。
日清戦争に日本が勝利した後、福沢諭吉は大満足して死ぬが、その後の日本は、
福沢諭吉が主張していた通りに対アジア侵略を推し進めて行った。
1945年の日本の敗戦による壊滅は、福沢諭吉が叩き込んだアジア蔑視感を土台
にして、福沢諭吉があらかじめ引いたアジア侵略路線を日本が突っ走ったからだ。
と言うような、非常に、不愉快で、日本人の感情を逆撫でにする内容になってしまうが、
真実は真実なのだから、仕方がない。
ご期待下さい。
----
ttp://kariyatetsu.com/nikki/1304.php
>>654 誰かカリヤに、「そんな社説はニセモノだ」と言ってやりなよ。
福沢の署名著作や書簡に、台湾に言及したものはない、
と聞いたことがあるが。
>>655 > 誰かカリヤに、「そんな社説はニセモノだ」と言ってやりなよ。
カリヤは平山さんの『福沢諭吉の真実』を読んでいるようです。
◎ 福沢諭吉について1
2009年7月5日(日)@ 22:35 | 雁屋哲の美味しんぼ日記
http://kariyatetsu.com/nikki/1128.php ----
静岡県立大学国際関係係学部助手平山洋氏が、その著書「福沢諭吉の真実」の中で、
大妻女子大学比較文化学部長井田進也氏の作り上げた科学的な文獻検証法を
用いて検証した結果、安川寿之輔氏が福沢諭吉批判に使った福沢諭吉の文章と
されている物は、実は他の人物の書いた物であることが分かったと主張していると
紹介している。
----
◎ 福沢諭吉について2
2009年7月9日(木)@ 11:50 | 雁屋哲の美味しんぼ日記
http://kariyatetsu.com/nikki/1129.php ----
AERAの記事を読んで福沢諭吉に改めて興味を抱き、
まず平山洋氏の「福沢諭吉の真実」を買って読んだ。
一読して、実に奇怪な本だと思った。
----
◎ 福沢諭吉について4
2009年7月21日(火)@ 22:00 | 雁屋哲の美味しんぼ日記
http://kariyatetsu.com/nikki/1133.php ----
私はAERAの記事に触発されて、平山洋氏の「福沢諭吉の真実」、
井田進也氏の「歴史とテクスト」、安川寿之輔氏の「福沢諭吉のアジア認識」
「福沢諭吉と丸山真男」「福沢諭吉の戦争論と天皇論」を読んで、
平山洋氏と井田進也氏は安川寿之輔氏に完膚無きまでに論駁されたと理解し、
それで、以前、福沢諭吉の「帝室論」「尊王論」を読んだときの、
福沢諭吉に対する私の認識の混乱も解決した、と納得した。
----
>>656 だとしたら、なんであんな社説を本物と信じ続けるんだろうか
ドイツではインカンプが発禁になってるのに福沢諭吉全集が堂々と売られ、 福沢がお札の肖像画にまでなっているこの日本!毛沢東の肖像が 紙幣に刷られてる中国とどう違うのか。
>>658 日本近代への貢献からいって、福沢が1万円札の肖像であるのは、
妥当だ。伊藤博文や大隈重信はすでに過去の人で、
現在に引き継がれるような仕事はない。
漱石や野口英世といった文学者や学者は、
海外でのイメージがまったくない。
一人福沢だけが、現在なおも読まれ続けている思想家で、
海外での評価も高いからね。
1万円札どころか、10万円札の肖像にしてもよいくらいだと思う。
>>659 >海外での評価も高い
「海外」とはどの国?アジア蔑視欧米崇拝を説いた福沢が欧米で評価されても
どうってことないよ。福沢の侵略思想の犠牲となったアジア諸国の評価こそが
正しい評価だよ。福沢が讃えられているのは日本人が歴史の反省をしていない
からだね。
661 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/05(土) 11:43:10 ID:pCuOPn1fP
>>660 分かっていないなあ。
福沢の評価はアジアでこそ高いんだよ。
遠山茂樹や安川寿之輔の必死の売込みにもかかわらず、
帝国主義者としての福沢、
などという位置づけはほとんど定着しなかった。
安川・杉田本を評価しているのは、朝鮮総連の機関紙
朝鮮新報だけだろ。 ww
>>660 どこかに純真な魂をもったアジアの青年がいるとでも思っているの?
みんなギトギトとビジネスチャンスを狙っているのだよ
中国・韓国・台湾はもとよりベトナムやフィリピンでも
そんなとき手本になるのは福沢の思想なんだよ
663 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/05(土) 19:43:57 ID:o+3zFmouO
>>657 > だとしたら、なんであんな社説を本物と信じ続けるんだろうか
カリーは安川さんのシンパになってしまったので、
安川本の内容を頭から信じ込んでしまっているようですね。
特に『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』を信じているようです。
福沢諭吉の帝室論は絶対主義に立憲主義の化粧を 施そうとしているだけだ。ほんとうに立憲君主制を目指 すなら絶対主義天皇制と革命的に対立しなければな らない。絶対主義が革命抜きで立憲君主制に進化す ることはありえない。福沢は天皇制絶対主義の擁護者で、 天皇の名の下でのアジア侵略の狂信的鼓吹者。
「恥を知れ佐高信」というエントリへのこのコメントは、雁屋哲が書いたと証明されている。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 私も、佐高氏の「福沢諭吉伝説」を購入し、読んで、仰天しました。 私は「週刊金曜日」の創刊時からの継続読者です。 佐高氏は石原慎太郎との対談の時にも、まるで、日頃言っていることに似合わない無様な姿をさらし、 落胆しましたが、この本を読んで、彼の真の姿が分かったと思いました。 彼は、確固たる思想のない、単なる売文業者でした。 私は、安川寿之助氏の福沢諭吉に関する本も、平山洋氏の本も、 平山氏が大いに援用した井田進也氏の「歴史とテクスト」も全て読みました。 福沢諭吉全集も、石河幹明の「福沢諭吉伝」も読みました。 結果として、安川寿之助氏は厳しすぎるが、福沢諭吉に対する、批判は正しいと思います。 ただ、氏は「福沢諭吉の戦争論と天皇制論」の最後に、 古田武彦氏の「真実の東北王朝」に書かれた「東日流三郡史(そとつがるさんぐんし)」を援用していますが、 その「東日流三郡史」は現在、99パーセント偽書と認定されています。 どうして、安川寿之助氏ともあろう人が、そんな偽書に引っかかったのか、それだけが残念です。 平山洋氏は、福沢諭吉全集も、石河幹明の「福沢諭吉伝」も全く読んでいないと思われます。 石河幹明の「福沢諭吉伝」を読めば、平山氏が「福沢諭吉の真実」の中で、 石河幹明を大悪人のように言っていることが飛んでもない作り話であることがよく分かります。 石河幹明は福沢諭吉を神様のように崇拝しています。 平山洋氏の描いた異常な悪人の姿は石河幹明の本を数ページ読めば、飛んでもないことだと分かります。 それに、平山洋氏は「福沢諭吉の真実」の中で、嘘を書いています。 その嘘が余りに多いので、ここには書き尽くせませんが、最大の嘘は、 福沢諭吉が最初の脳溢血を起こした後まるで廢人のようになってしまって、 何も書いたりしゃべったり出来ない失語症だったと書いていることです。 石河幹明の「福沢諭吉伝」には、最初の脳溢血のあと、 驚くほど早く回復して、様々な揮毫を残したことがその写真入りで示されています。 見事な筆跡で、とても廢人同様だった人間に書ける字ではありません。 「慶應義塾修身要領」に、天皇崇拝の文章を付け加えたり、婦人問題についての文を書いたり、 園遊会を催して大勢の客をもてなしたりしています。 残念ながら、安川寿之助氏の本は、まるで一般に読まれていないようです。 私の周囲には慶応大学出身者が多いのですが、その中で、 誰一人まともに福沢諭吉の書いた者を読んだことのある人間がいません。 福沢諭吉をきちんと批判することが、今日本人にとって、大事なことなのではないでしょうか。 日本を1945年の破滅に導いたのは、福沢諭吉だと私は考えています。 2009/06/28 正義の悪漢
>>665 ちょうど来たようだから書くが、福沢の『帝室論』は、バジョットの英国王室論の焼き直し。
福沢のオリジナルではない。
それから、日本の場合は、絶対君主に相当するのは徳川将軍家で、
維新後の天皇は絶対君主ではなかった。
だから革命的に対立する必要はなかったってことさ。
668 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/06(日) 18:36:19 ID:MH2/r6e4O
博識の住人が多い
>>665 『帝室論』は「帝室は政治社外のものなり」という言葉で始まるように、
皇室が政治に関わらないで、政治から独立して存在することを述べたもの
ですね。だから、絶対王政を主張した訳ではないですよ。
670 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/07(月) 08:57:37 ID:2u4n73FR0
>>666 一般的には福沢率いる慶応閥は、親英米派の牙城なんじゃないか?
なんでその慶応系が英米に戦争を仕掛けることになるの?
>>667 市民革命後のイギリスの王室論を明治の日本に
そのままあてはめれば絶対主義擁護論になるんだよ。
歴史の発展段階が異なるんだよ。
そもそも明治の天皇制が絶対君主制の一類型である
ことは史学界では解決済みだよ。歴史修正主義の
ネットウヨが明治維新で日本は近代国家になったと
喚いてるだけ。
>>671 市民革命後の英国王室というのは、立憲君主なのでは?
673 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/07(月) 12:09:24 ID:60cqVyge0
>>671 >そもそも明治の天皇制が絶対君主制の一類型である
>ことは史学界では解決済みだよ。
誰が言っているのか?
>>671 > そもそも明治の天皇制が絶対君主制の一類型である
> ことは史学界では解決済みだよ。歴史修正主義の
そもそも「明治の天皇制がどうであるか?」については、議題ではないですよ。
「『帝室論』が絶対主義の君主論を主張しているかどうか?」についてが議題です。
『帝室論』では、皇室が政治社会から独立して存在する事を主張しているのですから、
絶対君主制を主張しているのではありませんね。
675 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/07(月) 21:13:11 ID:IIkWe1tt0
>>671 絶対君主制なら議会など無用の長物だろう。日本の議会は君主翼賛議会だったか?
第一回国会は野党自由党が多数派だっただろう。
戦時中という非常時に軍部のごり押しで大政翼賛議会になっただけだがな。
676 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/08(火) 08:00:44 ID:OyZW3Bc70
>>671 >>585 にもあるが、明治憲法では緊急勅令は
帝国議会の賛成が得られなければ無効となった。
一般勅令はそもそも法律の範囲内でしか出すことはできない。
どこが絶対主義なのか。
天皇が元首で統治権の総覧者で神聖不可侵なんだから 誰も天皇には逆らえないんだよ。絶対王政の典型じゃないか。
678 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/08(火) 10:30:54 ID:BGy5fIU+0
>>677 神聖不可侵というのは君主の免責条項といって、
君主は政府のコントロール下にあるから行政上の責任を問われない、
という意味。
プロイセン憲法にもあるし、英国でも慣例としてそうなっている。
昭和天皇が東京裁判で不起訴となった根拠もそこにある。
679 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/08(火) 11:31:05 ID:OyZW3Bc70
>>677 アメリカ大統領も元首で統治権の総覧者だが、
だれも逆らえないのか?
>>680 アメリカ大統領は国民に選ばれて任期もあるんだよ。
そもそもアメリカは市民革命で生まれた国だ。明治日本は
封建制の再編成としての絶対主義国家だ。歴史の段階が
違う。
682 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/08(火) 19:20:28 ID:HwXedJGtO
>>681 すると立憲君主制と
絶対君主制の区別は?
>>682 歴史の段階が違うって言ってるだろう。
絶対主義を革命で打倒した後に成立する政体が
立憲君主制と民主共和制なんだ。近代天皇制は
市民革命の後に成立する立憲君主制じゃなくて
世界史的にはチューダー朝やブルボン朝と同じ
絶対君主制なんだよ。もっと社会科学を学んで
人類史の基本法則を身に付けろ。
684 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/08(火) 19:54:29 ID:HwXedJGtO
>>683 世界各地の歴史がすべて同じ経路で進むという根拠は?
絶対君主制と言っても親政をしていたわけではないんでしょ。 明治憲法下の勅令は、現行憲法の政令に相当するわけで、 緊急勅令は内閣が、政令によって臨時に法律相当のものを作れるという意味。 絶対君主制 内閣の議会に対する優越 立憲君主制 議会が内閣を牽制 じゃないかな?
686 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/08(火) 22:32:06 ID:qnVMFedG0
なんか共産党系・講座派バリバリのが一匹いるな。 同じマルクス主義史学でも、旧社会党系・労農派は明治維新をブルジョア革命と位置づけて いるんだが。
687 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/09(水) 07:51:50 ID:h7CPmB/y0
688 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/09(水) 16:26:16 ID:7I1nlSTp0
>>683 のような硬直した考えが、多くの人をあきれ返らせているのが、
わからんのかな。
689 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/09(水) 18:56:01 ID:8ty4TBLx0
>>683 のいう「社会科学」って、案外、マルクス主義と同義語かもよ。
東大に社会科学研究所というのがあるが、この「社会科学」が英語名では単数形で、
マルクス主義を意味している、つまりマルクス主義以外の社会に関する学問は、
社会科学ではないという意味だから。
690 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/09(水) 19:24:48 ID:JMTdr7bvO
社会学というもの自体がサヨの牙城
雁屋?
692 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/10(木) 07:35:57 ID:KtmokviT0
ID:gfcxDkbA0、ID:seOxO7Dh0 、ID:Yd2okqgp0、ID:9SitXL+p0、ID:7Alybch00
>>650 のカキコのすぐ後に登場。そうなると、雁屋か杉田になるのか。安川はネットはできんだろうから。
694 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/10(木) 09:01:58 ID:KtmokviT0
年明けからだと、1月15日のID:BOtXSIt+0が最初のようだ。
695 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/10(木) 09:04:02 ID:KtmokviT0
まちがえた。こっち。ID:NBPM+ZSr0 上のはそれへのレス。
697 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/10(木) 10:44:46 ID:Cq8i3ljs0
こんどの福沢批判本の対策をカリーは今必死で立てているんだろうが、 それでもすぐにネット上に反論がのるのだろうね。
>>685 明治憲法下の政府の見解は、天皇が親政をしている、ということだった。
実質的にはそうでないのに、あたかもそうであるようなフリをしたのは、
政府の権威を高めるため。
700 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/10(木) 18:18:28 ID:BmiuRJnCO
講座派おじさんから反論は?
なんだか講座派おじさんを
つるし上げているようなながれになっていますが、
それは意図せざることです。
自分としては、
>>683 の、
「チューダー朝やブルボン朝と同じ絶対君主制なんだよ。」
に関心がもたれます。
チューダー朝には議会がありましたが、開くも開かないも国王の勝手で、
議会の決議を国王はしばしば無視しました。
ブルボン朝には議会はなかったと記憶します。
となると、明治期に絶対君主制だったのは、
前憲法期にかぎられると思うのですが、どうでしょうか?
じっさいこの時代は有司専制時代などとも呼ばれています。
ブルボン朝の宰相というと、リシュリューやマザランが有名だな。 リシュリューはルイ13世の親政時代で、 マザランはアンヌ・ドートリシッシュの摂政時代。 もしかして、親政かそうでないかは、摂政がいるかいないかだけの違いだったりして。
703 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/10(木) 22:44:44 ID:BmiuRJnCO
講座派の主張のようわからんところは、 明治憲法の制定を境に体制が変わったとは考えんことだ。 明治21年までは絶対君主制というのはまだ分かるが、 伊藤博文までが政友会を率いるようになった後まで、 まだ専制と呼ぶ根拠を知りたい。
>>704 > 明治憲法の制定を境に体制が変わったとは考えんことだ。
普通は考えないけどね。
706 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/11(金) 19:25:12 ID:oOllYrpWO
>>705 内閣官制が明治18年、大日本帝国憲法が明治22年、
第一回衆議院議員選挙が明治23年。
法律や予算はは議会で決められる。これでも大きな変更はないと?
>>707 そう言われると、大きな違いかも。
>685の分け方で絶対君主制→立憲君主制の移行が起こったということか。
昭和20年の「八月革命」よりも大きな政変?
>>708 いわゆる1945年8月15日革命説こそインチキのきわまり。
8月15日は「ポツダム宣言受諾による停戦」が国民に知らされた日にすぎず、
特別な政治的意味はない。
戦艦ミズーリ上の降伏文書調印式は9月2日で、それまで戦争は続いていた。
北方領土の日本軍がソ連軍と交戦をしたのはそれまでの間。
だから8月15日以降の戦死者もたくさんいるし、英霊として靖国神社に合祀されている。
10月まで戦死者の名前が敬意をもって新聞紙上に掲げられていたし、
東条英機は元首相兼退役大将として、なんら批判の対象とはされていなかった。
大日本帝国憲法の改正に反対する美濃部達吉の論説が朝日新聞に掲載されたのは、
9月頃だったと思う。
10月にGHQが新聞の発行を制限して、戦時中の言論人を追い出し、
左翼的な人しか意見を表明できなくなった。
710 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/12(土) 12:52:13 ID:1Mmnw3uH0
でてこないな講座派おじさん
またしばらくしたら出てくるだろうよ。そして薄っぺらなことを言って、反論されてまた引っ込む。
ネットが知識の源だからな。
713 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/12(土) 21:11:07 ID:BwSMLn8ZP
明治22年から昭和22年までの日本は、 絶対主義などではなく、立憲君主制だということは、 皆さん理解できましたネ。
小林よしのり次第。
715 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/13(日) 11:37:56 ID:Od5tc/u1O
いや教科書しだい
>>713 エジプトのムバラク政権はどっちに分類される?
717 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/13(日) 13:44:58 ID:LE64fzuXI
八月革命説って、もともと日本帝国と日本国に法的継続性があるって、説明したいがためのまあ当時は必要あったのもわからんが 少し技巧的な理論で釈然としないな。弟子の芦辺もなんかこの説どうでもいいみたいな感じでした。 やはり、日本国民は降伏文書に調印したけっか、無条件降伏したわけで。 結果として、憲法は押し付けられる形で、新しい新国民国家の日本国という国が誕生。 日本帝国は滅亡。両国は法的断絶があり、別の国である。と解釈する方がすなおだ。 日本国憲法の正当性は、今の国民の同意に求めるべきという芦辺博士の主張のほうが筋がとおる
718 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/13(日) 14:25:58 ID:Od5tc/u1O
ムバラクは王位についたの?
>>717 > 八月革命説って、もともと日本帝国と日本国に法的継続性があるって、説明したいがためのまあ当時は必要あったのもわからんが
継続性が無いという主張かと思っていたが……
>>717 ここではスレ違いになるが、
日本は無条件降伏などしていないぞ!
ポツダム宣言を読み返してみなよ。
受諾の条件の一つが日本国軍隊の無条件降伏なんだよ。
政府はGHQの統制下に置かれる、だろ。
国家の無条件降伏と言われるようになったのは、
1960年代のことだよ。
721 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/14(月) 02:11:42 ID:M7AOEsg7I
ポツダム宣言では、軍の降伏しかしてないが 降伏文書で、国が降伏してるから、無条件降伏で正しい。 まあ、スレ違いなんで、ここでは通説、判例どおり無条件降伏でいこうや つっかかるなら別スレで。
722 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/14(月) 07:52:42 ID:LRGAg8zOO
福澤の話に戻せよ
723 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/14(月) 18:15:07 ID:yt54Jb290
724 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/14(月) 20:52:29 ID:BPsXdm9Zi
>>719 宮沢説は、占領下で行われた改正手続きを合法にするための説なんで、日本国憲法と日本帝国憲法を同一とみる。
逆に、憲法を押しつけ憲法とし、改正手続きは押しつけのもとだから無効。今の国民の承認をもって有効とする説は理論的には、日本国の無条件降伏により日本国と大日本帝国に、法的断絶があるとする。
前から福沢の話なんかしてないけどな、安川の話ばっか。 はっきり言って、 福沢諭吉>>>(越えられない壁)>>>安川寿之輔 なんだよ。
>>724 帝国憲法が有効なら国民の承認があっても、天皇から国民に主権が移ったりしないでしょ。
宮沢説をそう解釈するのは少数派じゃないのか?
727 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/14(月) 23:10:25 ID:mBy7k4mJI
だから、それを説明するために法的な革命がおきた。と説明してるんじゃない。 そんな技巧こらすくらいなら いっそ、無条件降伏で日本は滅亡。改正手続きも全て違法ということにして 新しい国とともに、日本国誕生 日本国憲法は最初は違法でも 国民の追認があったから、今の段階では合法とみなせば、結論も妥当になる 日本国無条件降伏で国家断絶説明が一番わかりやりやすいね。芦辺もそんなトーンだよ
728 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/15(火) 00:00:20 ID:7WLGufCQi
しばしば右翼から槍玉にあげられる。 八月革命説だが、宮沢の本よめばわかるとおり まず、改正手続きを合法とするための説で 帝国憲法との断絶を認めたくない旧世代の保守系一般人から支持されたんだよ 確かに、時代の波に取り残された戦前時代の論客のメンタリティかんがえればこれが戦後すぐ通説になったのはある意味必然 八月革命とかいう名前から、右翼は、ことさらに宮沢批判するけど あいつの本よめばわかるけど、美濃部の弟子だし、オールドタイプのリベラリストだから 今で区分すりゃ、極右の書いた憲法本にしかみえないぞ。普通に非嫡出や女子の差別肯定してる まあ、八月革命説を極左の説というやつほど、勉強がたりてないの吐露してるようなもん。 芦辺は宮沢の弟子だが、八月革命説についてはもともな評価してない。
729 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/15(火) 07:42:17 ID:cLbUWa3P0
憲法の話自体はいいが、福沢と関わらせて語ってくれ
730 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/16(水) 07:10:41 ID:n413T2OM0
福沢諭吉は脱亜入欧を説いてアジア蔑視と侵略を鼓吹した。 今でも福沢が近代化の偉人として仰がれるのは日本の恥。 マインカンプと同じように福沢の著作は発禁になるべきだ。
福沢はイギリス流の憲法を理想としていたけど、バショットの著作は 読んでいたの?
加害者である日本人は被害者である韓国人の福沢評を 真摯に受け入れて反省しなければならない。
735 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/16(水) 13:59:57 ID:MthA6sQc0
>>734 1910年から1945年までの日本統治下に、
日本が朝鮮半島に経済的損失を与えたことはないよ。
主権を奪ったという同義的責任のみ存する。
福沢は一貫して朝鮮の独立を支援していたのだから、
福沢についてはその道義的な責任もない。
736 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/16(水) 14:16:40 ID:pPnMXJ0z0
>>733 「帝室論」に引用がある。ところで、
>>734 に関係してのことだが、
>>723 の下の韓国人によるブログを自動翻訳して知ったんだが、
韓国でも福沢の再評価が進んでいるようだ。
>>734 のような見解は、日本人の旧左翼特有の考え方だろうね。
737 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/16(水) 18:20:30 ID:L6A8Xgq60
>>734 韓国人が福沢嫌いだなどということは、聞いたことがないぞ
反省しなければ同じ過ちを繰り返す!!
739 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/16(水) 20:05:41 ID:aiW5KUnsO
>>733 >>736 『帝室論』では以下のように引用されています。
----
「バシーオ」氏の英国政体論に云(いわ)く、世論喋(ちよう)々、(ちよう)帝室は須(すべか)らく華美なる
べしと云(い)う者あり、須らく質素なるべしと云う者あり、甚し(はなはだ)きは華美の
頂上を極むべしと云う者あれば、之に反対して全く帝室を廃すべしと
云う者あり、皆是(こ)れ一場の空論のみ、今の民情を察して国安を維持せん
とするには、中道の帝室を維持すること甚(はなは)だ緊要なり、理財の点より観察
を下すも、例えば百万「ポンド」を帝室に奉じて人心収攬(しゆうらん)の中心たるを得
るは、策の最も良きものにして、百万は百万の用を為(な)すものと云うべし、
今これを減少して七十五万「ポンド」と為し、その用法を異にして人心を得
ること能(あた)わざるときは、七十五万の全損にして拙策の甚しきもの云々(うんぬん)と。
----
帝室論 - 70 ページ :
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_text.php?ID=99&PAGE=70
市民革命を経た後のイギリスの君主論をそのまま絶対主義天皇制に あてはめれば絶対主義擁護論になることは明らかじゃないか。 革命で絶対君主制を打倒しなければ民主共和制はもちろん、 立憲君主制も確立されない。福沢は天皇制が立憲君主制に 平和的に立憲君主制に転化しうるかのように説くことによって 絶対主義天皇制に奉仕した。
742 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/18(金) 07:31:35 ID:barqDy2W0
743 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/18(金) 17:49:36 ID:Z5aIh3Om0
>>741 日本は明治維新で徳川絶対王政を打倒したぞ(戊辰戦争)。
その後の薩長藩閥政府では天皇はお飾りだ。
薩長政府を天皇絶対王政と言えないし、自由民権運動後の国会開設で日本は立憲君主国になったのだ。
744 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/18(金) 17:57:36 ID:Z5aIh3Om0
>>741 立憲君主制を否定して天皇絶対王政を主張したのは軍部の皇道派だ。
明治時代の文明開化派(福沢を含む)はそんなことは主張していない。
745 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/18(金) 19:27:10 ID:zJH9IE7i0
師匠の緒方洪庵は福沢の思想形成にどんな影響を与えたんだろう?
徳川って封建制じゃなくて絶対王政なの?
>>744 実際には純然たる天皇機関説だったらしいけどね。
体制を批判したければ、誰もが天皇の意思に根拠を求めるしかなかった。
天皇は自分の意思を表示しないから、論者は自分の好きなようにその意思を想像することが出来た。
天皇を国民と言い換えれば、今と何も変わらない。
749 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/18(金) 21:54:05 ID:E7up4YMGP
>>747 福沢自身は徳川政権をハプスブルグ帝国になぞらえていたようだ。
ハプスブルグ家のオーストリアが皇室、
ホーヘンツオルン家のプロイセンが徳川家、
バイエルンが島津家など。
だから、徳川幕藩体制の次の体制はドイツ連邦(連盟・1815年成立)となる。
(ドイツ帝国ではない。それは維新後の大久保の構想。)
これは『福翁自伝』の中で、欧州視察の途上、寺島宗則(後の外務卿)と
話し合って同意したこと。
いわゆる天領と譜代大名領は、徳川家を絶対君主とする領邦国家で、
譜代大名は幕府の官僚に過ぎなかった。
また、外様の国持大名たちは、それぞれの領地の絶対君主だった。
だから当時の日本は、絶対君主国の集合体であって、
封建領主の集合体ではなかった。
版籍奉還がスムーズに行えたのはそのせい。
750 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/18(金) 22:23:04 ID:zJH9IE7i0
>>744 皇道派は一君万民の国家社会主義体制を希求したんだろ。
天皇は象徴で、あとは社会主義そのもの。
それゆえに近衛など貴族院の公家や資本家や
エリート階層出身者の多い統制派(東条英機は学習院初等科出身)から
恐れられた。
大正天皇・東条英機・近衛文麿が 学習院初等科で一緒に学んだ時期があったかどうか調べたら、 大正天皇より5歳年下の東条は学習院で同時期に学んでいたが、 東条より7歳下の近衛は、そもそも初等科出身ではなかった。
>>749 > だから、徳川幕藩体制の次の体制はドイツ連邦(連盟・1815年成立)となる。
> (ドイツ帝国ではない。それは維新後の大久保の構想。)
> これは『福翁自伝』の中で、欧州視察の途上、寺島宗則(後の外務卿)と
> 話し合って同意したこと。
『福翁自伝』の中で寺島宗則の名前が登場するのは以下の箇所です。
----
夫(そ)れでも私に全く政治思想のないではない。例えば文久二年欧行の船
中で松木(まつき)弘安(こうあん)と箕作(みつくり)秋坪(しゆうへい)と私と三人、色々日本の時勢論を論じて、その時
私が「ドウだ迚(とて)も幕府の一手持(いつてもち)は六(むず)かしい、先(ま)ず諸大名を集めて独逸(ドイツ)聯
邦(れんぽう)のようにしては如何(いかん)と云うに、松木(まつき)も箕作(みつくり)も、マアそんな事が穏かだ
ろうと云(い)う。夫(そ)れから段々身の上話に及んで、今日吾々(われわれ)共の思う通りを
云(い)えば、正米(しようまい)を年に二百俵貰(もら)うて親玉(おやだま)(将軍の事)の御師匠番になって、思う様(よう)
に文明開国の説を吹込(ふきこ)んで大変革をさして見たいと云うと、松木が手
を拍(うつ)て、左様(そう)だ/\、是(こ)れは遣(やつ)て見たいと云(いつ)たのは、松木の功名(こうめい)心もその時
には二百俵の米を貰うて将軍に文明説を吹込むぐらいの事で、当時の
洋学者の考(かんがえ)は大抵皆大同小異、一身の為(た)めに大きな事は考えない。後に
その松木が寺島宗則(てらしまむねのり)となって、参議(さんぎ)とか外務卿(がいむきよう)とか云(い)う実際の国事に当
たのは、実は本人の柄(がら)に於(おい)て商売違(ちが)いであったと思います。
----
福翁自傳 - 317 ページ :
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_text.php?ID=116&PAGE=317
近代天皇制が絶対君主制だったことは歴史科学者の共通認識。 福沢諭吉も美濃部達吉も吉野作造も天皇制の革命的打倒を 主張しなかったから絶対主義天皇制の下僕だ。絶対君主制が 市民革命抜きで立憲君主制に転化することなどありえない。
754 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/19(土) 10:34:59 ID:Etv6G2uV0
スペインが立憲君主制となったのは、フランコ総統によるカルロス皇太子(当時)への後継者指名があったから。 オランダはナポレオン戦争後共和制から君主制に政体を変更した。 いずれも市民革命によって立憲君主制になったわけではない。 ついでにタイ王国でも市民革命はなかったが、立憲君主制になっている。
明治維新が市民革命ではなくて絶対君主制の確立だったことは すでに歴史科学によって証明されつくしている。封建国家の支配 階級だった大名、武士、公家があるいは華族という特権身分となり、 あるいは高級官僚となって権力を行使し、徳川慶喜や賊軍の諸藩主 すら華族に叙せられる。農民は解放されずに半封建的地主制のもと で搾取され続け、近代的産業資本ではない前近代的財閥資本が特 権的に育成される。これが絶対君主制でなくて何だ!!
758 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/20(日) 17:15:01.54 ID:wwN6ZPcGP
761 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/20(日) 23:33:02.99 ID:L8xbRQx50
>>756 明治維新当時20歳にもなっていなかった明治天皇がどうやって独裁者になれたんだ?
担がれていただけの絶対君主制か?
762 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/20(日) 23:37:35.93 ID:L8xbRQx50
>>753 フランスは革命後にナポレオン独裁、ナポレオン皇帝になったが、また市民革命を起こして立憲君主制になったのか?
763 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/21(月) 07:53:58.68 ID:Y3qYT5S3O
764 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/21(月) 09:14:52.08 ID:6LNYnay10
質問です。 文語文ってどうすれば理解できるようになれますか?
諭吉って維新志士を軽蔑してた? それとも内心自分はブームに乗りきれなくて嫉妬してた?
>>765 言語板で聞いてごらん。古文板はダメだよ。
>>766 軽蔑していた。命を捨てるほかにはとりえのない人々だと考えていた。
瘠我慢
770 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/23(水) 11:42:12.75 ID:DYvlxYqn0
>>768 大学紛争のときのノンポリと同じだな。
新撰組は民青で、長州は核マルみたいなものか。
771 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/23(水) 12:01:12.92 ID:JiqoTkwq0
>>770 メンタリティからいって、福沢の立居地はまさにノンポリ。
学生運動上がりのジャーナリストで、福沢がすきというヤツがいないのはそのせい。
福沢には隠していることがあるんじゃないか?
ノンセクト≠ノンポリ ですよねw
774 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/24(木) 07:37:45.99 ID:slWFxS5GO
反民青反全共闘
福沢批判本、雁屋は何か言っている?
福沢賛美者は、南京大虐殺はなかったとか、大東亜戦争は アジア解放の戦争だったとか言ってるやつらだよ。
777 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/24(木) 14:32:49.92 ID:RQ2eOSmH0
>>776 福沢賛美者は、日本社会の上層だよ
彼らとはクラスが違う
778 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/24(木) 17:05:46.83 ID:QXeWYSgZ0
>>766 特に攘夷主義者を軽蔑していただろうな。
勤皇主義も幕府打倒の口実と見抜いていただろうし。
薩長政権ができても自民党が民主党に代わるだけで大したことはできんと思っていたんではないか。
779 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/24(木) 22:55:38.17 ID:1xtn656r0
>>777 白洲次郎とかのレベルだな。
武相荘には福沢諭吉の書が飾ってあったとか。
>>776 批判者の方が、ベクトルは逆でも実証性に乏しい面では共通してるし、
歴史修正主義者に近いように思う。
福沢を批判している人たちは皆、近代日本のアジア侵略を 真摯に反省し、アジアとの和解と友好を誠実に追求して いる人たちだ。
782 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/25(金) 10:11:49.28 ID:TeXS7kOI0
>>756 >>これが絶対君主制でなくて何だ!!
・・・明治初期の薩長藩閥政権はそうかも知れんが、自由民権運動>国会開設後は立憲君主制だ。
いわゆる絶対君主制は20数年間だけだったな。帝国議会の多数党は野党自由党だった。
783 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/25(金) 20:00:58.13 ID:GudEJ26Q0
>>781 >近代日本のアジア侵略を真摯に反省し、アジアとの和解と友好を誠実に追求して
いる人たちだ。
当時の国際情勢が頭にない単細胞な人たちです。
785 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/26(土) 07:12:36.44 ID:OIpQr/Z7O
丸山真男と久野収って、今見ると、逆方向向いているように思えてならない。 生きているときには仲良かったようだけど。 佐高信も親福沢だったっけ。 久野収は福沢に対してどんな姿勢でいたんだろう。 鶴見俊輔の福沢評とかもあれば面白そうだ。
787 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/26(土) 11:51:47.61 ID:tUjO/ELL0
>>787 佐高は、一見浅薄な印象受けるあたりは福沢に似たスタイルかもね。
>>788 佐高はよくありがちな大衆迎合サヨで、
福沢のような骨太の自由主義を唱えているわけではない。
違うだろ。
790 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/26(土) 16:07:52.07 ID:NjK2k0zbP
「脱亜論」というのは、脱亜を言わなければいけないくらい、 残念ながら日本を除いた東アジアの国々は意識が遅れている、 本当に残念だという意味で書いたもので、 それを蔑視と捉えるのは間違いだ、というわけです。 私はそのころ慶応義塾大学にいて、 福沢は嫌な奴だと思っていたのですよ。 でも、そういう気持ちを取り去って、虚心坦懐に読んでみたら、 なるほどそうなのか、と納得した。 要するに精神的に近代化せよと言っているのであって、 地理的概念のアジアから離れるとか蔑視するとか、 そんなことは全然書いてないわけですよ。
>>792 「脱亜論」といえば、アジア強硬論やアジア侵略論のような解釈が多いから、
平山洋さんの『「脱亜論」の真実』を読んで驚く人も多いと思われ。
ついでに、平山さんの論文も読めばさらに吉といえよう。
福澤諭吉の西洋理解と「脱亜論」
小泉仰監修西洋思想受容研究会編『 西洋思想の日本的展開−福澤諭吉からジョン・ロールズまで』慶應義塾大学出版会、2002年、34-53頁所収
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h32/
福沢諭吉の脱亜入欧論がアジア侵略のイデオロギー的正当化の 基礎を提供したわけだから福沢の罪は限りなく重い。
福沢の脱亜入欧論とは、アジアを侵略される側、欧米を侵略する側に 分けたうえで日本は欧米側に立ってアジア侵略に乗り出すべきだと する露骨で恥知らずな帝国主義思想。
文明国の六つの要訣 法の下で自由が保障され、 人々の宗教には介入せず、 技術文学を振興し、 学校で人材を教育し、 安定的な政治の下で産業を営み、 病院や貧院等によって貧民を救済すること。
797 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/27(日) 09:56:09.60 ID:5LPbqJhp0
福沢の脱亜入欧論とは、弱肉強食の帝国主義の時代において 自己改革の意欲も能力もない中国朝鮮と組むことの愚を論じただけ。
798 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/27(日) 12:17:34.53 ID:C5fBXneAO
慶應や岩波は福沢全集の作り直しをする気はないの?
801 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/27(日) 18:31:59.33 ID:2d6wj/q20
>>795 福沢諭吉の脱亜はアジア侵略でなくて明治維新革命の輸出だろう。
特に朝鮮に対しては金玉均など朝鮮革命派を援助して近代化を勧めたが、朝鮮留学生の体たらくを見て朝鮮人には無理だと見捨てたようだがな。
日清、日露戦争のあとシナでは辛亥革命、ロシアでロシア革命が起きている。
日本が中露の旧体制を破壊してやったからだ。朝鮮は自力では改革できないので、しょうがなく併合してやったがな。
>>686 > 同じマルクス主義史学でも、旧社会党系・労農派は明治維新をブルジョア革命と位置づけて
> いるんだが。
それすらもイデオロギー狂い的な大間違いだろ。
明治維新は全国各地の農民一揆の激発やええじゃないかがなければ、ああはスムーズに行ってないよ。
だから、明治維新は、全体として、有能な市民主導による、ただの市民革命として十分理解できる。
木戸孝允・大村益次郎・伊藤博文・桐野利明、近藤勇・土方歳三らは、明らかに、武士の生まれですらない。
自由民権→憲法発布・国会開設→大正デモクラシー →昭和恐慌→国体明徴→軍国支配→八月革命→55年体制 ブルジョア革命が起こったとすれば、これらのどこかじゃないかな。 中核vs革マルの時代になると、マルクス主義者も ブルジョア革命が起こったか時期なんか問題にしなくなった。 それにしても大正デモクラシーから55年体制までの変化こそ恐るべきものだな。 福沢諭吉はこれらの変化を見ることなく世を去ってしまったわけだ。 逆に丸山真男は、この変化のただ中に身を置いていた。 そういう点で、丸山によるリスペクトは福沢そのものの言説より重要かも知れないね。 ちなみに、安川寿之輔は軍国支配以降しか生きていない。
>>803 大正デモクラシーと55年体制というのはかなり連続的で、
途中の軍国主義が全体の流れから逸脱している。
小津安二郎の昭和初期のサイレントのものと、
1950年代のトーキーのものを見比べても、
市井の小市民はほとんど同じ価値観で生きていたようだ。
近代日本史の中では特別異常な軍国主義の時代に幼少期を送る
ハメになった安川寿之輔・井上ひさし・大江健三郎たちの「憎しみ」は、
「俺たちは純粋な小国民だったのに、あの時代の大人たち(丸山より上の世代)
にだまされた!」
という、落ちた偶像(昭和天皇や自身の父親)への幻滅感がある。
大江は愛媛の雑貨屋の息子で、父親は早くに死んでいる。東大卒。
井上は山形のみなしごで、キリスト教系の施設で育った。上智卒。
安川は神戸生まれの福岡育ちらしいが、
自己の来歴を決して明かさない。神戸大卒・名大院修了。
共通点があるね。
軍国主義とマスコミの関係についてのNHKスペシャルが始まった。 『福沢諭吉伝』(1932)それと『続全集』(1933、34)は、 満州事変以後の軍国主義に迎合するために編纂されたんだよな。 安川は決して認めようとしない。知っているくせに。
先日、小説『我、弁明せず。』を読んでみた。 主人公は池田成彬。 三井の転向とか北一輝への資金供給とかやった人。 時事新報社にいたことがあるらしい。(二週間だけ) 福沢諭吉の思想の影響って、計り知れないのか計りにくいのか。
>>804 > 大正デモクラシーと55年体制というのはかなり連続的で、
> 途中の軍国主義が全体の流れから逸脱している。
幣原喜重郎の復活とか象徴的ですな。
吉田茂も牧野伸顕の娘婿だし。
809 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/28(月) 12:54:24.33 ID:cCqtq2VH0
>>808 1931年から45年まで威勢がよかった軍国主義派がパージされて、
それ以前の政党政治の面々が復活したからだろ。
810 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/28(月) 17:42:10.01 ID:VywaR9u3O
軍国主義派の本質は社会主義だと思う
磯部浅一 『獄中日記』 > 陛下が私どもの挙をおききあそばして、 > 「日本もロシヤのようになりましたね」と言うことを側 > 近に言われたとのことを耳にして、私は数日間気が狂い > ました。 > 「日本もロシヤのようになりましたね」とははたして如 > 何なる御聖旨かにわかにわかりかねますが、何でもウワ > サによると、青年将校の思想行動がロシヤ革命当時のそ > れであるという意味らしいとのことをソク聞した時には、 > 神も仏もないものかと思い、神仏をうらみました。 > (中略) > 天皇陛下 何というご失政でありますか、何というザ > マです、皇祖皇宗におあやまりなされませ。
812 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/28(月) 22:54:28.51 ID:VywaR9u3O
>>811 自分たちはどう規定しようが、外からはそう見える。
813 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/01(火) 07:48:01.88 ID:7wji3zUH0
>>811 磯部は天皇に謝罪を要求している。これはメンタリティが、安川と同じである証拠だ。
もし真の天皇崇拝者なら、そうしたことも全て受け入れ、喜んで処刑されたはず。
思想じゃなくクーデターという行為が、じゃね?ロシア革命のようだって まぁどっちにしろ、天皇親政なんざ上手く行ったとは到底思えんが 真崎辺りが政権の中枢とかギャグだろw
>>814 鋭いね!
たぶんそうだ。
天皇親政といったって、結局自分たちのいいようにするのだから、
首謀者たちの独裁になってしまうのは目に見えている。
816 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/01(火) 11:07:04.51 ID:KIwkBYMs0
>>815 薩長や討幕派公家の思い通りにならん孝明天皇などは毒殺されたという説もあるしな。
>>816 それが大政奉還後の慶喜排除と連動している。
福沢が明治政府嫌いだったのも、
本来十分以上に尊王家だった15代将軍を、
朝敵に貶めた連中だったから。
>>816 あのタイミングで孝明帝が崩御して、一番得したのは慶喜ちゃんだぞ
お陰で対外関係の癌だった神戸開港問題も片付いたし
まぁ、だからといって慶喜ちゃんが毒殺したとか思わんがね
>>817 木戸なんかは慶喜を政府内に迎えようとしてたらしいね
結局、新政府に迎えるにしては、旧幕府将軍という肩書きが余りにも大きすぎたのでは
>>818 んなばかな。
伊藤や岩倉による毒殺説はどうなる?
げんに明治天皇の即位によって幕府はつぶれただろ。
木戸については長州では例外的な穏健派。
あと、母方が皇族なのは武家では水戸徳川家出身の兄弟だけだ。
>>815 > 天皇親政といったって、結局自分たちのいいようにするのだから、
そらそうだ。
北一輝の思想は純然たる天皇機関説。顕教による密教討伐。
帝大卒のエリートでなくても、天皇の意思決定に関わる資格があるはずだというのが根本。
考えてみると、超国家主義の担い手が偽インテリだったという、丸山真男の認識とも一致しているな。 超国家主義と軍国主義がどれくらい重なるのか知らないけどさ。 「超国家主義の論理と心理」だけ読んで「軍国支配者の精神形態」を読んでね〜。
823 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/02(水) 10:14:54.89 ID:f3wesbCL0
>>822 丸山の分析は正当と考えるが、「俺たち(東大法卒)は真性インテリだけれど、
超国家主義者はニセものよ」というスノビズムは嫌な感じがする。
岩波書店はイヤだ、というのにも繋がるが。
大川周明も箕田胸喜も東大卒なんだが。
なんかその辺は形を変えて、色んな所で出てくるイメージがあるな。
>>819 そら”説”だろ。反論されて現状毒殺説は劣勢だぞ。
あの頃の朝廷と最も近しかったのは明らかに幕府。
そんな時期に孝明帝を暗殺しても、それこそ”幼君を君側の奸に利用される”って状況をお膳立てすることになるだけ。
実際に慶喜はその状況を巧みに利用し、孝明帝の意向でストップしてた神戸開港問題を解決、窮地を脱してる訳で。
一方的にどっちが有利になったって単純な問題じゃないよ、明治帝の即位は。
まぁそれは兎も角、伊藤て。
伊藤が厠に潜んで槍でさしたとか言う珍説が混じってないか?w
大体、長州人と見れば切捨て御免だった当時の京で、あえてその長州人を最も重要な役目に起用する意味が全くねぇw
>>824 おれだって毒殺説は信じちゃいない。
動機の点で怪しまれているのが長州と攘夷派公家ということ。
動機って点なら、慶喜ちゃんとかの幕府側にもあるぞ。 上の方で散々述べたから繰り返さないけどw
>>819 原口清さんが病死説を発表して以降は毒殺説は劣勢になった。
当初は毒殺説だった佐々木克さんも、原口説の発表以降は病死説に
転じて、最近の著作である『岩倉具視』では毒殺説を「岩倉の構想を
深く検討しない上に、当時の朝廷内外の政治状況を正確に把握しないで
なされた、まったくの妄説である。」と一蹴している。
福沢に話を戻しなよ
>>823 > 超国家主義者はニセものよ」というスノビズムは嫌な感じがする。
それは、丸山の最大の弱点だと思う。
久野収と丸山真男が逆方向向いているようにみえるのは、まさにその点。
だから、久野収がどうだったかに興味を引かれる。
丸山真男が親福沢で佐高信も親福沢であるだけに。
『現代日本の思想』(久野収、鶴見俊輔/岩波書店1956)は
・白樺派
・日本共産党
・生活綴り方
・超国家主義
・実存主義
の5つに触れているけど、福沢には触れていない。
当時既に過去の思想だと認識されていたのかも。
福沢諭吉からも、そんな弱点を読み取れなくもないかなとも思ったりもする。 有名な『帳合之法』凡例 > 今此学者と此金持とをして此帳合の法を学はしめなば、 > 始て西洋実学の実たる所以を知り。 > 学者も自から自身の愚なるに驚き、金持も自から自身の賤しからざるを悟り、 > 相共に実学に勉強して学者も金持と為り金持も学者と為りて、 > 天下の経済更に一面目を改め全国の力を増すに至らん乎、 > 訳者の深く願ふ所なり。 非常に感動的な文章なんだけど、 世の中には「金持」でも「学者」でもない人こそ多いんだよね。
832 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/03(木) 10:03:57.94 ID:4PciNjia0
>>831 ちょっとその解釈は違うんじゃないか?
福沢のいう学者は、金銭は卑しい物と考える古いタイプの知識人のことで、
ブックキーピング(簿記)も学問なんだよ、
とその偏見を取り除こうとするのを目的にしているように思われる。
金持ちとは、当時は卑しまれていた商売人のことで、
彼らに、自ら卑下する必要はない、と励ましているのでは?
>>832 そういう解釈も出来るということだけ納得しておきます^^;
自分のは、青色発光ダイオードの発見で有名な日亜化学工業株式会社で例えると、
「学者」は中村修二氏
「金持」は株主(日亜持株組合(20.2%)、協同医薬研究所(7.0%)、徳島銀行(4.8%)以下略)
みたいなとらえ方だった。
複式簿記は資本と利益が明確に記述されるという面白さがあって、
そこに福沢がどんな価値付けをしていたかというのには興味が尽きないですね。
労使協調で有名だった鐘淵紡績(今は無きカネボウ)の歴代社長が慶應出身者で占められているとか、
会計制度の透明性向上を改革の核に据えた小泉/竹中コンビの両方が慶応出身だという点も含めて。
福沢って文章が面白いからそれに目を奪われて、思想の全体像みたいなものは捉えにくくなっているかも。
834 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/04(金) 08:15:18.27 ID:LvbXZfjZ0
福沢諭吉集
松沢 弘陽 校注
■体裁=A5判・上製・函入・496頁
■定価 5,880円(本体 5,600円 + 税5%)
■2011年2月25日
■ISBN978-4-00-240210-9 C0391
-------------------------------------------------------
「如何なる西洋嫌いも口腹に攘夷の念はない」.幕末から明治へ,
激動する時代の光明と暗部を濃密に生きてきた福沢が,晩年,新
しい世紀を前に試みた回顧録『福翁自伝』.政局や文明観のみな
らず,まさに口腹の領分まで縦横無尽に展開する稀有な一書は,
何を語り,何を黙したか.自伝という新文法に刻印された日本近代
の自画像.
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/24/X/2402100.html
835 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/04(金) 08:32:51.40 ID:mx8XnsYL0
>>831 その書に固定資産の減価償却とか含み利益・含み損、取得原価主義・時価主義会計とか書いてあったのかな?
836 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/04(金) 08:59:52.85 ID:yeWoHbKp0
単式簿記というのはようするに大福帳のことだね。
松沢さんの福沢集には何が入っているの?
>>838 『福沢諭吉集』に収録されているのは『福翁自伝』だけのようです。
------------------------------------------------------------
作品 著者 ページ
------------------------------------------------------------
福翁自伝 福沢諭吉 著 1―382
自伝の「始造」 松沢弘陽 著 495―513
------------------------------------------------------------
http://www.bk1.jp/DtlBibCollectionList/?bibId=3384581
>>839 それでなんで「集」なんだよ。
ようするに『諭吉の流儀』と同じ路線なわけね。
>>835 この本は面白かったと思う。
『会計学はこう考える』(友岡賛/ちくま新書)
そういう話って現代でも結構難しくて、
しかも非実用的だとみなされがちな話題だと思うのだけど、
新書レベルでそれを書いてくれる人がいることがスゴイ。
この著者も慶応出身で慶応の先生だね。
842 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/05(土) 09:44:19.46 ID:RygzKbzA0
843 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/05(土) 09:47:09.16 ID:RygzKbzA0
>>841 最近は金融工学などという文科系では理解不能の会計学まであるしな。
>>843 相関係数とか回帰分析レベルの統計学だと思う。
丸山真男の『「文明論之概略」を読む』の中巻の第7講には統計学の話題があって、結構楽しい。
(というか、『文明論之概略』の第四章に統計学が紹介されている。)
回帰分析・相関係数の発明者と優生学の提唱者が同一人物である関係で、
"優生学 福沢諭吉"で検索するといくつかページが引っかかりますなw
845 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/05(土) 16:05:20.23 ID:2GFONY5QO
>>844 アイヌ民族の子供は学者になれない、だっけ?
>>845 そういう類の「発見」を垂れ流すものという認識で間違いないかも知れないですねw
でも、ポリティカル・コレクトを適用して、
「良い」結論と「悪い」結論を使い分けるという態度にも問題があって云々
福沢が統計のそういう面に無感覚だったとすれば、
『「文明論之概略」を読む』以前の、
国語教科書的な(「浅薄な欧化主義者」みたいな)福沢認識にも、
真理を突いた一面があったのかも。
>>845 おそらく、『徳育如何』の中で、
「蝦夷人の子を養ふて何程に教育するも其子一代にては迚も第一流の大学者たる可らず」
と言っている箇所を指すのでしょう。
これは、智徳を養うには教育が必要だが、智徳の根本は「遺伝の能力」と
「生育の家風」と「社会の公儀与論」であり、教育はその手助けをするだけ
と述べている所で、「遺伝の能力」の例として挙げている部分ですね。
これに続けて、
「武家の子を商人の家に貰ふて養へば自から町人根性と為り」
「商家の子を文人の家に養へば自から文に志す」
と述べて、「生育の家風」も重要だと続けています。
だから、「遺伝の能力」だけを重視している訳ではないのです。
----
又草木は肥料に由て大に長茂すと雖ども唯其長茂を助るのみにして其
生々の根本を資る所は空気と太陽の光熱と土壌津液とに在り空気乾
湿の度を失ひ太陽の光熱物に遮られ、地性瘠せて津液足らざる者へは
仮令ひ肥料を施すも功を奏すること少なきのみならず全く無功なるも
のあり教育も亦斯の如し人の智徳は教育に由て大に発達すと雖ども唯
其発達を助るのみにして其智徳の根本を資る所は祖先遺伝の能力と
其生育の家風と其社会の公議輿論とに在り蝦夷人の子を養ふて何程
に教育するも其子一代にては迚も第一流の大学者たる可らず源家八
幡太郎の子孫に武人の夥しきも能力遺伝の実証として見る可し又武
家の子を商人の家に貰ふて養へば自から町人根性と為り、商家の子を
文人の家に養へば自から文に志す、幼少の時より手に付けたる者なれ
ば血統に非ざるも自然に養父母の気象を承るは普く人の知る所にし
て家風の人心を変化すること有力なるものと云ふ可し
----
徳育如何 - 6 ページ
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_text.php?ID=101&PAGE=6
>>847 ようするに「育ち」のことだね。生物学的遺伝のことではなく。
849 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/07(月) 10:38:58.53 ID:I/2znbSR0
>>847 当時の人間としては当然の価値意識といえよう。
福沢本人は自分を庶民とみなしていたわけだし、
あまり大げさに捉えるのもどうかと思う。
>>849 > 福沢本人は自分を庶民とみなしていたわけだし、
文語体を使う人だから、「サムライ」というイメージがあるなあ。
幸徳秋水がサムライ社会主義だとすれば、福沢諭吉はサムライ啓蒙思想。
樋口一葉とか坪内逍遥とかは誰も読まないと思うけど、
文語体で語る人としては、福沢諭吉の読者数は驚異的に多いかもしれない。
現代人が文語を読むのは、森鴎外の舞姫と福沢諭吉の著作を読むときだけだったりして。
文語体といっても、福沢の易しさは驚異的。 中江兆民なんかは文体が災いして、原文ではほとんど読まれなくなっている。
852 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/08(火) 10:00:07.48 ID:Um7UwIHv0
今、司馬遼太郎の『花神』を読んでいるのだが 大村益次郎と福澤諭吉の対比が面白いね。 福沢も、もう5年早く生まれていたら、長州藩に雇われて 兵学者になっていたかもしれない。
854 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/08(火) 15:57:07.30 ID:covhqHJt0
>>853 じっさいに兵学者だったんだよ。
幕府や中津藩だけでなく、仙台藩と熊本藩にも雇われていた。
855 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/08(火) 23:02:24.28 ID:Um7UwIHv0
幕臣の榎本武揚や勝海舟が維新政府に出仕したことを批判しているが、榎本は無視していたな。
>>855 勝のほうの回答は榎本よりかっこいいね。
> 行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与からず我に関せずと存候。
> 各人へ御示御座候とも毛頭異存無之候。
858 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/09(水) 00:13:29.77 ID:582Q1GJIO
福沢が脱亜論を書いた頃は西洋もまだまだ近代世界を 開きたてで、いやっほう!状態だったのな。
860 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/09(水) 00:45:01.77 ID:582Q1GJIO
戦時中は大東亜協栄圏だったから埋もれてたんだろうな。
>>860 大東亜共栄圏はアジア侵略植民地化構想だから
福沢の脱亜入欧論と同じ。
862 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/09(水) 09:35:58.55 ID:FLFptxcg0
>>861 福沢の脱亜論を植民地主義と同等に捉えるのは、
服部之総・遠山茂樹・安川寿之輔らに特有の考え方だよ。
863 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/09(水) 11:45:26.34 ID:UUTqc1RH0
.「福沢諭吉伝説」では平山洋氏の「福沢諭吉の真実」を持ち上げて ほぼ丸々引用していた佐高さんだったが、 文藝春秋で平山氏の担当だった編集者は今取締役となっており、 佐高さんとは旧知の中だったという。 2011年3月8日 0:34:57 ついっぷる/twippleから
864 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/09(水) 12:02:00.76 ID:XxG5xrd80
>>858 フランスは皇帝時代、ドイツ・イタリアはまだ国内統一もできていない時代だしな。
アメリカは奴隷解放宣言だけはしたがまだまだ黒人差別時代だった。
865 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/09(水) 12:21:29.22 ID:FLFptxcg0
>>864 だから現在の評価基準で福沢を批判するのは間違っているんだよ。
そんなことでは、昔の人間はみな愚かだった、という
アタリマエの結論しか導けなくなる。
866 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/09(水) 13:05:07.49 ID:kR+Now+70
867 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/09(水) 15:08:58.04 ID:582Q1GJIO
相変わらず愚かなんだから、今の基準で愚かと言っても 仕方ないもんな。
868 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/09(水) 15:14:33.71 ID:582Q1GJIO
歴史を学ぶとは過去の他者経験を引き継ぐことだから、これを 軽んじると、人間の進歩がしなくなって、いつの時代もサルから やり直しになっちまうな。
869 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/09(水) 19:23:19.61 ID:XxG5xrd80
>>868 北鮮を見ているとそれを切実に感じるな。
871 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/10(木) 01:28:12.34 ID:HLKumTW+O
>>869 またまた、身のこなしだけは実に軽い。
まあ、いいか。
872 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/10(木) 10:05:39.73 ID:CMlEsLsd0
873 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/10(木) 11:31:34.69 ID:HLKumTW+O
またまた、恥ずかしがられないでも。
874 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/10(木) 12:21:42.72 ID:W2lwg4yc0
杉田聡編纂の福沢論説集、いっこうに話題にならないな。 もう誰も相手にしないのだろうか?
875 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/10(木) 12:26:57.57 ID:W2lwg4yc0
今ウィキの杉田聡の項目を見てみたが、著作の中に載ってなかった。 間違いを認めて絶版にしてしまったのだろう。
876 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/10(木) 20:03:10.16 ID:2lTaJCymO
知られる前に存在しなくなった本
877 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/11(金) 11:58:02.17 ID:96WLoHU10
>>875 杉本本を読んでも福沢批判と平山批判以外に何も得るものはないから、
福沢批判と平山批判の為だけにわざわざお金を出して本を買う人は少ない。
杉本本の書評は『福澤諭吉年鑑』にも出ています。
山田博雄執筆「研究文献案内」福澤諭吉協会『福澤諭吉年鑑』37(2010年12月20日発行)182頁
----
追記 本稿擱筆後、次の書物を得た。
◎杉田聡編 福沢諭吉 朝鮮・中国・台湾論集ー「国権拡張」「脱亜」の果て (書誌省略)
『時事新報』の論説から標題に係わるものを全部で五四篇集め、巻末に編者の解説
(六〇頁)を付す。たとえばこういう。「第一章では福沢の対外論全般の特筆を
よく示した論説を、関連する事件・執筆年代と無関係にとりあげる」(第一章解題)。
従来さんざん批判されてきた、福沢言説のそのような取り上げ方自体の問題(いかに
誤解を生ずる危険性に満ちているか)について、編者は少しも考慮していないかの
ごとくではある。
----
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/comment_on_sugita_satoshi_2010/00/#I_3 書評でも余り真面目に取り上げず、軽くいなした感があります。
>>878 ずいぶんエラソーな上から目線の紹介だけれど、
どんな人が書いているの?
>>881 聞いたこと無いな。福沢に関する論文は何かあるの?
停電だよ〜 耳庵さんボスケテ… カリーと鳩山は頭は悪いけど金もってんだから日本の復旧を手伝えよ笑
887 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/15(火) 10:41:42.63 ID:nMzHeuMx0
余震大杉 諭吉さん、ボスケテ〜
889 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/16(水) 09:01:26.71 ID:w+GYEDeD0
福沢は、明治三陸大津波のときに、時事新報紙上で義捐金を募った
890 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/16(水) 11:01:44.00 ID:M90zB18I0
>>883 に紹介されている本、別の論文を参考にする必要があって通読したが、
山田論文だけがヒドいので驚いた。
ネットで調べたらまったく誰も引用していない。
891 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/16(水) 16:28:42.72 ID:KbT7wn6Y0
山田博雄の論文「福沢諭吉論の変遷」も、 次のような部分ではいいことを言っているのではないか。 「福沢は、朝鮮・中国の儒教主義的「政府」を批判し (「脱亜論」もこれに強く係わる)、他方、だからこそ、「国家」の文明化を 目指す「国民」への援助を惜しまなかった。時にこれらの「国家」と 「国民」への激しい批判、度を超すような非難の表現が、福沢にないのではない。 しかし、それは相手がどこの国の誰であっても基本的に少しも異なりはしなかった。」 (寺崎修編『福沢諭吉の思想と近代化構想』208〜209ページ)
892 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/16(水) 16:50:47.93 ID:M90zB18I0
>>891 オヤオヤ、これにソックリな文章を、どっかで見たことがあるぞ! ww
>>889 前の災害の時には諭吉先生は存命だった、ってことか
アジア侵略の鼓吹者福沢諭吉を賛美する日本人は 世界の笑いもの。
>>889 明治三陸大津波は1896年(明治29年)6月15日に発生したそうです。
『福澤諭吉事典』で調べてみると、時事新報の社説では、
6月21日付「海嘯(つなみ)に就て富豪大家の奮發を望む」(現行版全集第15巻452頁)
6月27日付「目下の急を救ふ可し」(現行版全集第15巻454頁)
が該当するようです。
>>892 ソックリな文章ってこれかな?
↓
----
福沢は、国民国家として独立しかつ自国民の生活水準の向上に努める国を尊重し、
そうはしない国を軽くみる。そればかりでなく文明政治の6条件の実現を阻害する
政権は打倒されるべきでさえあった。そして福沢は、国民が自らの理想に基づいて
その時代にもっとも適した政府を組織するなら、いかなる政権交替も国体の変更
ではなく、むしろ好ましい改革であるとしていた。そして逆に外国人による支配は
国体の失われた亡国の悲劇であると常に唱えていた。
彼の外国評価はその政府が自国民の文明化にどれほど心をくだき、また同時に心身を
国に捧げる報国の士がどれほどいるかということによって決定されていたのである。
金玉均ら朝鮮の独立党を積極的に支援したのも、彼らが真の報国心をもつ有為の人材
であり、一方当時の朝鮮国は変革されるべき君主専制国家であると見なしたからに
他ならない。
----
「朝鮮よ、滅亡せよ」と福沢諭吉は言ったのか?(『諸君!』(2005年5月号、文藝春秋)に掲載)
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h23/#c9
>>895 平山論説と山田論文は、どちらが先に発表されているの?
>>896 オマエには目がついていないのか?
>>883 >>895 平山のほうが3年も前だよ。
しかもおそらく諸君!の読者は10万人くらい。
サイトの閲覧者も?万人はいるだろう。
いままで気づかれなかったのは、
山田の論文があまりにもマイナーだったから。
>>891 >>895 くらいの類似なら、いくらでもあるのでは?
両方ともが参考にした研究に似たような見解があるのかも。
文学部のヤツらが書くような「論文」に、早いも遅いもあるもんか。 1,000年以上前から似たようなことしか言ってないだろ。
豚切すいません。 福島の塾生です。 諭吉先生は、上野の山で官軍と西郷軍が戦争していても平然と教えていたというけど、座禅でもしてたんでしょうか。 居合だけなのかなぁと。 愚問すみません。
902 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/17(木) 19:17:35.55 ID:2RU8Apxf0
>>901 幕府残党の悪あがきなど見ていてもしょうがないと分かっていたからだ。
>>901 上野で戦ったのは、官軍と西郷軍じゃなくて、官軍と彰義隊ですよ。
福澤先生はいつも通りにウェーランドの経済書の講述を続けたそうです。
↓
----
その日は江戸市中は混乱のさなかにあり、「芝居も寄席も見世物も料理茶屋も
みな休んでしまって、八百八町は真の闇(やみ)、何が何やらわからないほど」
であったと『福翁自伝』は伝えている。もちろん授業をしている学校などあろう
筈はなかった。けれどもそのなかで福澤先生はいつもと変わらず土曜日の日課
であるウェーランド経済書(Francis Wayland: The elements of political economy,
1866)の講義を続けたのであった。そして先生は、世の中にいかなる変動があっても、
慶應義塾の存する限り、わが国の学問の命脈は絶えることはないのだと塾生を励まし、
それを大きな誇りとされたのであった。
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[慶應義塾豆百科] No.10 ウェーランド経済書講述記念日
http://www.keio.ac.jp/ja/contents/mamehyakka/10.html
ありがとうございました。内部生のおバカさ全開で失礼しました。 武道が精神に与える影響について知りたかったのであります。 諭吉先生は暗殺者からテロの脅威にさらされていたわけですし。
905 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/18(金) 07:50:18.85 ID:uSkF5Jq6O
906 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/18(金) 08:49:56.68 ID:dVGW0Zmq0
>>901 慶應では卒業生のことを塾員っていうんだよ。
たとえば、「東京電力社長の清水君は外部出身の塾員だ」というようにね。
ところで
>>878 あたりからの流れでは、
非塾員である山田博雄氏は、
塾員である平山洋君の研究を高く評価していなくちゃならないはずだけれど、
その点はどうなの?
>>898 少なくとも自分はそのような意見を見たことはない。
丸山真男にも、松沢弘陽にもないと思う。
「脱亜論」関連には近づかない、というのが彼らのお約束だから。
908 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/18(金) 19:37:53.31 ID:TwAF5p+I0
福沢諭吉はアジア侵略の鼓吹者。
910 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/18(金) 21:12:14.18 ID:TwAF5p+I0
東京電力の社長は慶応だよ!
912 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/19(土) 07:23:58.64 ID:bhEcqdmC0
>>908 山田による平山の福沢伝評を読んだ。
平山著作を高く評価しそうなのに、低評価なので驚いた。
どういう理由なのだろう?
913 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/19(土) 08:00:27.43 ID:bhEcqdmC0
>>891 の論文では平山著作はどう評価されているの?
持っている人ヨロシク。
915 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/19(土) 21:34:10.93 ID:PkZgHOu50
結局のところ平山説と安川説のどちらが多く支持されてるの?安川は平山からの 批判と平山との論争を「なかったこと」にして、さも自分の見解が受け入れられた かのように言ってるけど。
副沼輪古
福沢死すとも自由は死せず
>>915 この論争に関する人間模様のまとめは
>>560 にある。
じつのところ安川を支持する勢力は、もうほとんどない(例外週刊金曜日)。
もともと有力だったのは、
岩波・福沢協会系(丸山門下東大法+慶應というエスタブリッシュメントの集団)だが、
有力な与党だった朝日新聞・毎日新聞が平山支持に回ったため、
元祖平山支持の文藝春秋・講談社ともあわせて、
大マスコミはおおむね平山の意見を前提にしている(金曜日社長の佐高信は辞職して参加)。
これは、かつて安川本を肯定的に紹介していた大マスコミが、
安川を無視するようになったことからも分かる。
岩波・福沢協会系の代表ともいうべき平石直昭による平山批判については、
昨年秋のこのスレでも話題になった。
ちなみに最近このスレで人気者になった山田博雄は、
福沢協会の御用聞きのような輩。
919 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/20(日) 17:36:03.82 ID:3RUVwel50
>>919 安川の勝利を認めているのは、
もともと安川のお友達だった連中ばかりだからねえ。
朝鮮総連の機関紙しか書評を載せていないのだから、
もはやスポンサーしか相手にしていない、
ということ。
921 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/20(日) 22:01:31.36 ID:JkIVi75T0
>>323-325 で引用されてる 「安川の三著に対する学問的な反論はない」
「丸山門下生を含めて、基本的に反論のない原状にある」なんていう安川の
主張は大嘘もいいところだな。
>>921 「学問的反論はない」、ではなく、「もう誰も相手にしない」、
ということさ。
安川や杉田が書ける媒体の社会的影響力など微々たるもの。
昨年の夏にやった安川の講演(youtube)に
最後まで付き合ったのは、
半年間に50人程度、ということからも、
人気のなさがうかがわれる。
安川寿之輔は、教育学部出身の教養部教授。 もともと、科学的な裏付けだけが重要である世界じゃない。 藤岡信勝や西尾幹二みたいなもので、 それを子供にどう教えるのかも議論の射程に入ってくる。 法学部、文学部の先生とは論点が違うんじゃないの?
>>923 ほう? 学部によってある人物の評価が正反対であっても、不自然ではない、と?
ルソーとか福沢とか過去の思想家を引っ張り出し、それに白黒を付ける。 それが教育学部的な趣味趣向じゃないかなと思っただけ。 教育学部の教授は「亜インテリ」に理論を供給しなければならない と言ったら語弊があるかな。
>>925 だとすると教育学は学問ではなく政治的イデオロギーを植えつけるための場となる。
実際安川らの主張は日教組と緊密な関係がある。
>>926 > だとすると教育学は学問ではなく政治的イデオロギーを植えつけるための場となる。
そういうのに対する自己批判も、教育学の一ジャンルなんだろうけど。
北一輝→青年将校
向坂逸郎→三池労組
堀尾輝久(丸山ゼミ出身)→日教組
みたいな理論供給が、単純に否定されるべきものだとは思わない。
>>927 べつに否定しているわけじゃない。
そういうものだ、ということを分かっておくべきだ、ということさ。
安川オヤジによる諭吉へのストーカー的粘着は異常。 このスレの大半は諭吉への偏見に対する反論であり、結局諭吉とはなんだったか総括するにいたらないwww
930 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/21(月) 17:38:49.83 ID:hGTMSYqBO
なかなか建設的意見
>>929 安川への反論ばかりではないだろう。平石や山田の見解への検討もある。
安川も平石も山田も、最終的には石河を弁護していることになるね。 ww
934 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/23(水) 11:38:03.01 ID:KX9W7eqT0
今度の震災で、反福沢勢力はますます追い込まれるだろうな。 政権をもっているのが、彼らに近い立場の連中で、 政権与党=自民党=慶応、みたいな図式が使えなくなった。 マスコミは当分震災一辺倒だし、報道では反福沢勢力がキライな、 自衛隊やアメリカ軍への賛美が満ち満ちている。 普天間問題は、へのこ沿岸で決着するだろう。トモダチ作戦は大成功ということ。 もっとも、韓国・ロシア・中国にも世話になったから、 領土問題でも大幅譲歩を余儀なくされることになる。このことはウヨにとっては 痛いところ。でも仕方ない。 今年は縮み行く日本という現実がはっきりする一年になりそう。
>>934 今の状況はけっきょくのところ安川に有利なのか、平山に有利に働くのか?
936 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/23(水) 19:58:19.30 ID:IQl/2tC/O
不景気と天災という状況だからサヨに有利では?
937 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/24(木) 10:19:23.72 ID:BaGawXKv0
>>913 山田博雄「福沢諭吉論の変遷」(2008)で、山田が平山洋について言及しているのは、
次の一箇所のみ。
「たとえば平山洋の『福沢諭吉の真実』を評して、西村稔はのべる。「一定の福沢像」を
「前提としているところに一番大きな問題がある」(西村稔『福澤諭吉』304頁)。平山の
この本に対しては、平山が問題としている『福澤諭吉全集』編纂に関連して、当該全集の
編纂者・富田正文を直接に深く知る者によって批判がなされている。竹田行之「ジャーナ
リスト福澤諭吉」参照。」(『福沢諭吉の思想と近代化構想』257頁)
なんで富田正文が出て来るんだろう? 『福沢諭吉の真実』が批判していたのは、富田
ではなくて石河幹明だったのでは?
>>937 情報提供ありがとうございます。
たったこれだけですか?
意外だな。
西村というのは平山サイトでバカにされていた京大の先生だね
940 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/26(土) 19:01:49.34 ID:j7PR9ZZJ0
福沢先生が存命なら、原子力利用推進派になったのかな
>>940 福沢の思想が、現代の原発利用推進の是非を決定するのに有効か否かという話だな。
1895年 X線発見
1898年 放射能発見
1901年 福沢諭吉死亡
1905年 E=mc^2及び原子の実在証明
1938年 核分裂発見
1953年 DNAの構造確定
とりあえず、福沢が生きていた頃は、
原子力どころか原子の存在さえ確定した真実ではなかったと思われる。
もう一つ、福沢諭吉がプラグマティズムを知っていたかどうかに興味引かれるな。
デューイによる『哲学の改造』講演が1911年。
>>941 福沢についてはJSミルの功利主義との連関がよく言われているね
>>942 年代的には、モロに影響を被りそうですね。
ミルの翻訳を多数手がけた水田洋先生は、
このスレでよく話題に上る安川寿之輔氏と懇ろで、
家族ぐるみのつきあいがあったようです。
一方で佐高信は、自分がプラグマティズムの影響を受けていると、
西部邁との討論番組(諭吉の著書と題名が同じ)で言ってました。
>>943 まあ、名古屋大学同士だからな。
とはいえ水田と安川は、学徒動員兵士の戦争責任について意見の相違があって、
それで仲たがいしたと聞いたが。
諭吉本人でなくて、諭吉を論ずるおやじについての意見ばっかだな
>>944 > とはいえ水田と安川は、学徒動員兵士の戦争責任について意見の相違があって、
どっちがどういう考えを持っていたのかは想像しかできないけど、
戦時中、誰が「自由」で誰が「自由」でなかったかという問題ですね、おそらく。
水田先生はミルやバークを翻訳した人ですから、「自由」でない状態があり得る。それをナイーブに区別する。
安川だとサルトル的に「自由」でない人なんかあり得ない。区別の必要を感じない。
思想を英語圏から輸入した人とフランス語圏から輸入した人の違いかも。
>>946 そういう見方ができるかもしれないが、真相はもっと単純だ。
要するに、1930年代生まれの安川は戦争に一切の責任がなかったから、
自分を安全な場所に置いて学徒兵を批判できるのに対し、
1910年代生まれの水田は当事者でもあったから、
学徒兵を弁護した、ということさ。
とはいえ、安川がフランス思想の影響下にあり、
水田が英国哲学の重鎮だから、という考え方は面白い。
英米思想の研究者は福沢を高く評価することが多いのに対し、
フランス思想・ドイツ思想の研究者による評価は一般に低いようだ。
(例外はドイツ流の丸山真男)。
>>947 大妻女子大学の井田進也先生はフランス文学の出身で中江兆民の研究者だけど、
福澤研究センターの客員研究員でもあり、福澤の時事新報論集の研究をしているね。
>>948 そのお方は東大出身ながら福沢協会員にして、
石河幹明批判の嚆矢というビミョーな立場にあって、
『福沢諭吉の真実』以後ぜんぜん出てこなくなった。
>>949 そういえば『福澤諭吉事典』には、井田先生の名前が載っていないようです。
平山さんの『福沢諭吉の真実』も載っていないようですね。
安川さんの名前も見当たらないけど、まあこれは当然かな。
951 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/27(日) 21:23:20.76 ID:4MUE3cGOO
>>951 平山さんの『真実』はエポック‐メーキングな著作だと思うけど、
なぜか『福澤諭吉事典』には載っていないようですね。
平山さんがミネルヴァ書房から出した『福澤諭吉』は、伝記・評伝の
一冊として1093頁に載っているのですが。そういうものなのかな?
953 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/28(月) 07:27:00.41 ID:CvhLK9GUO
>>952 あれは新書だから学問ではないということだろ
だか、安川平山論争自体は扱ってもいいと思うが
項目はあるの?
954 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/28(月) 20:49:44.08 ID:1SnwZa5d0
今日京大で開催された日本イギリス哲学会に 水田洋が出席していた。 それだけでなくヒュームについての質問をした。 御年92才。まだまだです、と言う感じ。 人生は長い。
>>953 > あれは新書だから学問ではないということだろ
かつては、新書と言えば岩波、講談社、中公で、
実績ある学者による信頼できる解説というイメージがあった。
読者に対しても、高校卒業程度の前提知識を要求していて、
大学初年度の課題図書に指定されたりしていた。
今その役割を書籍に求めようとすると、放送大学テキストになるのかも。
岩波新書なら学問だが文春新書はそうではないということか つまらん権威主義だな
>>953 > だか、安川平山論争自体は扱ってもいいと思うが
> 項目はあるの?
ざっと見たところ、安川・平山論争の項目は無いようです。
というか、安川さんのことは何も載っていないようですね。
958 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/29(火) 07:53:14.99 ID:qfXqHSo60
>>957 つまり無視ということね。それは不誠実だな。
論争の水準はともかくとして、一般の話題となったことにかけては
最大の論争だと思うのだが。
>>956 まさかな。
批判能力を持った集団である学者の世界での発表をすっ飛ばして、
啓蒙書に混ぜて自説を発表してしまうのが不誠実だと思うだけだ。
960 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/29(火) 22:23:42.59 ID:ED67un+1O
>>959 先に日本思想史学会で発表されているんだが
>>958 当事者の一人である安川が、自らの脳内で「無かった事」にしてるくらいだから、
載らないのは致し方ないのかもな。
963 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/30(水) 06:46:51.05 ID:JzyRWhrqO
>>961 安川がなかったことにしたいのは、
完敗だったからだろ
964 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/30(水) 08:17:58.71 ID:yJm6OHQ70
>>964 自分が散々煽っておいて、論破されたら批判や論争をなかったことにして
さも自分の見解が何の批判も受けず受け入れられたかのように言うなんて、
安川は不誠実だな。そういう人間が歴史の歪曲は許さないとか言っても何の
説得力もないな。
966 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/30(水) 09:57:04.61 ID:yJm6OHQ70
>>965 一定のクライアント(北朝鮮政府?)の要望にしたがって
デマを流しているだけに見えるがな。
>>962 > 2001年10月に開かれた日本思想史学会平成13年度大会で先に発表していますね。
発表から10年経って、もう定説になったの?
専門家で『福沢諭吉の真実』の記述を疑う人は皆無?
『真実』に触れていない『福澤諭吉事典』をトンデモ本認定できる?
>>967 触れていないからトンデモ本というわけではなく、
読者が知りたがっているであろう情報が入っていない、
というところが問題なんだよ。
『福沢諭吉の真実』で、
「脱亜論」に関する記述はすでに定説になっていると思う。
韓国語や中国語でも紹介されているしね。
石河幹明が自分に都合のよい論説を全集に採録し、
福沢を侵略的絶対主義者として描いた、
ということについては、未だ定説となっているとはいえない。
だから事典は論争の経過について記述し、
従来までの見解、安川の見解、平山の見解を併記して、
その論争には決着がついていない、
と記述するべきだったのさ。
福沢諭吉事典の編集を行った
慶應義塾福沢研究センターは、もとは
慶應義塾塾史編纂室、さらに遡れば福沢先生伝記編纂所で、
石河のオフィスだった。
福沢諭吉の銅像は三田の旧図書館の前に立てられているが、
その背後にあたるところがそのセンター。
つまり福沢の銅像は石河のオフィスを守るように立っている。
象徴的だろ。
>>968 > 『福沢諭吉の真実』で、
> 「脱亜論」に関する記述はすでに定説になっていると思う。
読まずに言及してスマン。
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h82/ > アジア蔑視や侵略主義ではなく、文明政治の立場から、当時の清国・朝鮮国の政府を批判したものである
という文書の趣旨のことね。元から通説だったって事はない?
> 石河幹明が自分に都合のよい論説を全集に採録し、
> 福沢を侵略的絶対主義者として描いた、
> ということについては、未だ定説となっているとはいえない。
こっちは、すこし無理のある主張だと思うんだけどさ。
丸山真男の「『福沢諭吉と日本の近代化』序」(1992年)は、
> 福沢のもっとも詳細な伝記として定評のある、
> 石河幹明著『福沢諭吉伝』(全四巻、1932年巻)の中には、
> 「脱亜」とか「脱亜入欧」とかの表現が解説の中に登場しないだけでなく、
> 福沢が「脱亜」の文字を実際に用いた唯一の社説「脱亜論」さえ、
> ほとんど引用されていないことに示されている。
> 私の記憶が間違っていないならば、
> 戦前に刊行された福沢論文の『選集』の類に、「脱亜論」が選ばれて入った例はなかった。
という認識なんだよね。
> 従来までの見解、安川の見解、平山の見解を併記して、
> その論争には決着がついていない、
> と記述するべきだったのさ。
そういう意味では、安川の論評を入れないことにも、
不誠実さを指摘することは出来るかも知れないね。
弱点も死角も無い思想なんて、あり得ないんだから。
>>969 >> アジア蔑視や侵略主義ではなく、文明政治の立場から、
>当時の清国・朝鮮国の政府を批判したものである
>という文書の趣旨のことね。元から通説だったって事はない?
この部分は坂野潤治が1980年代初頭から唱えていたことと同じで、
『真実』出版時にはかなり賛同者が増えていた。
自分が定説といったのは、「脱亜論」の紹介の過程を追究したところで、
遠山茂樹・服部之総・安川寿之輔らの政治的意図を明らかにした部分。
次に君が引用しているのは、「脱亜論」が福沢にとって重要ではないことを
丸山は生前から指摘していた、という部分だが、
『真実』が重視しているのは論説「脱亜論」の扱いだけではない。
「東洋の政略」や「台湾の騒動」といった続全集所収の論説によって
『福沢伝』第3巻が構成されているという事実の指摘、これが重要。
つまり、石河は「脱亜論」自体は伝記で使っていないが、
それ以外の多くの石河自身が書いた社説によって、
大陸進出に積極的な福沢を描出している。
逆に言うと、続全集に入れられた社説なしだと、
安川が批判する福沢の姿は出てこない、という指摘が重要で、
それは『真実』オリジナル。
ただし、それら続全集所収の社説が「福沢の思想ではない」
と証明することはできないので、
どうしても水掛け論になってしまう、ということ。
>>970 「東洋の政略果たして如何」(1882年12月)は、大正版全集所収で、
昭和版続全集所収ではない。
しかも原稿残存社説だから、それに基づいて侵略的絶対主義者
としての福沢を石河が描いたのだとしたら、
その姿は妥当だといえるのでは?
>>970 > つまり、石河は「脱亜論」自体は伝記で使っていないが、
> それ以外の多くの石河自身が書いた社説によって、
> 大陸進出に積極的な福沢を描出している。
続き読んでたら、丸山真男が結構面白いことを書いていた。
>>969 に引用した文の続き
> しかも、いっそう皮肉なことに、1933年から1935年にかけて、
> かの近代日本の右翼――国粋団体の元祖ともいうべき「国竜会」が発行した
> 浩瀚な『東亜先覚志士記伝』全三巻において、
> 「東亜先覚志士列伝」という人名辞典が記載されているが、
> その「東亜先覚志士」には福沢諭吉も一項目として入れられている。
> 「脱亜」主義者どころか彼の名は大日本帝国における
> 多くの著名な「大アジア主義者」の同士とされているのである。
丸山真男は福沢諭吉の研究者ではないのだろうけど、
超国家主義の研究の第一人者又は先駆者であるのは間違いない。
石河まで責任を辿らなくても、
かつての超国家主義者は、福沢を自分の思想の先駆者と見なしていたりしたんだろうね。
ベストセラー作家の宿命?
973 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/31(木) 20:19:34.01 ID:cLFN6qvHO
>>972 まあ、金玉均の主要な支援者は福沢と頭山満だからな。
>>971 いや、侵略的絶対主義者としての福澤を石河が描いたのだとしても、
同時に、市民的自由主義者であることを示す演説
「明治三十一年三月十二日三田演説会に於ける演説」(1898年03月12日)
や論説
「支那人親しむ可し」(1898年03月22日)
が存在するので、侵略的絶対主義者としての福澤像が妥当だとは言えない訳です。
「明治三十一年三月十二日三田演説会に於ける演説」
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h39/ 「支那人親しむべし」
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h38/ >>972 「1933年から1935年にかけて」といえば、ちょうど福澤ルネッサンスの時代です。
石河の大正版『福澤全集』(1925年〜1926年)と『福澤諭吉伝』(1932年)が出版されて、
昭和版『続福澤全集』(1933年〜1934年)が刊行されている時ですね。
『東亜先覚志士記伝』で著名な「大アジア主義者」の同士とされているのも、
石河によって侵略的絶対主義者としての福澤像が宣伝された結果でしょう。
975 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/04/01(金) 08:42:25.19 ID:jB9ZrLCx0
>>972 >>974 のような考えもあるかもしれないが、
それはあまりに戦後的価値観に基づく思い込みに由来するのかもよ。
東大出身の蓑田胸喜は慶応予科の先生で、
国粋主義の一つの立場である「原理日本社」の総裁でもあった。
その綱領には、日本の尊敬するべき先達として、
福沢諭吉の名前が挙げられている。
蓑田が慶応の先生だったのは、1922年から32年までの10年間だから、
べつに福沢ルネサンスの余波で慶応にポストを得たわけではない。
つまり、福沢はもともと、侵略的絶対主義とは区別された国粋主義者として、
慶応内にもいたある種の右翼から高く評価されていたということさ。
考えてみれば、右翼だから侵略的、
というステレオタイプは矛盾をはならんでいる。
国粋を極めるなら、他国の国粋も同等に評価されるべきだ、
という考えもまたあり得るから。
頭山や蓑田、また北一輝ら当時から反体制的だった右翼と、
226以降に体制そのものになった統制派系平泉澄ら
福沢批判者とを同じにみるべきではない。
>>972 福沢がベストセラー作家だったのは、「学問のすすめ」まで。
「文明論之概略」ですら読まれなくなっていて、本人は不満だった。
>>975 > 国粋を極めるなら、他国の国粋も同等に評価されるべきだ、
> という考えもまたあり得るから。
かつての安川寿之輔の講義を思い出しながらの印象だけど、
彼はまさに「他国の国粋」を重視するような立場からものを言っていたと思う。
マルコムXを礼賛するような感性。
対して福沢や丸山は、「普遍的な正義」の立場から語っているようにみえる。
20年前の日本では、欧米中心主義批判が流行だったけど、
その当時の流行思想を批判してのけた『文明論之概略を読む』がスゴイんだと思う。
>>977 安川が、他国の国粋主義者は評価しても、日本の国粋主義者を認められない理由が、
どうも分からんな。
>>973 ちょうど田原総一朗の『なぜ日本は「大東亜戦争」を戦ったのか』(PHP研究所)の
第3部 頭山満(「脱亜」か「興亜」か)で、福澤諭吉と頭山満が比較されています。
福澤=「脱亜」vs 頭山=「興亜」という図式ですね。
そこで「脱亜論」の最後の部分が引用されています。
『なぜ日本は「大東亜戦争」を戦ったのか―アジア主義者の夢と挫折』PHP研究所
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4569794831.html ----
北一輝、大川周明、頭山満、松井石根―彼らは本来、大東亜戦争に反対だった…。
大戦略を構想した巨人たちの語られざる肖像に迫る。
日本近現代史のタブーを覆す渾身の力作。
第1部 東京裁判(致命的な失敗;侵略国のイデオローグ)
第2部 松井石根(大亜細亜協会;南京占領)
第3部 頭山満(攘夷から自由民権へ;「脱亜」か「興亜」か;孫文を救え;アジア独立の志士たち)
第4部 大川周明(「天皇」を発見した社会主義者;北一輝との決裂;五・一五事件;対米工作の失敗)
第5部 北一輝(帝国主義と社会主義;国体論;中華民国元年;『日本改造法案大綱』;青年将校;二・二六事件)
----
>>979 こうした本が驚きをもって迎えられるのも、
戦後に刷り込まれた「常識」が、
当時の「常識」といかにかけ離れていたかによるのだろうな。
頭山や北がアジア興隆主義とでもいう考えを有していたのは、
戦前にあっては、多くの人々によって共有されていた認識。
侵略を推進する人々によって
弾圧されたという事実からもそれは分かるのだが、
いまでは、どちらも似たような右翼、で括られてしまっている。
なお、福沢とその後継者たちも、
侵略を推進する人々、には含まれない。
脱亜主義というのはアジアの人々に、西洋的近代化を勧める
行動にすぎなかったから。
>>980 > なお、福沢とその後継者たちも、
> 侵略を推進する人々、には含まれない。
普遍主義 大アジア主義 国粋主義
といった並べ方ができるかも。
国粋主義は、原理的には侵略主義と相容れない。
大アジア主義は、実質的に侵略主義だった。
福沢と丸山は普遍主義に則っていて、それが彼らの魅力になっている。
でも、普遍主義は侵略主義を内包しているものなのだと言えば言える。
カダフィ大佐みたいな調子で。
>>981 だいたい賛成だが、侵略主義と普遍主義は不可分離なのか、
それとも何らかの指標によって区別されるのか、
そのあたりを知りたく思うな。
マルクス主義者なら、西洋近代化(普遍主義)ならば、
必然的に帝国主義(侵略主義)だ、
と言うのだろうが。
>>982 普遍主義によるあらゆる言明に侵略主義を感じる感性もあるかなと。
複式簿記や調性音楽を西洋ローカルの押しつけだと見なすことは可能なのだけど、
福沢や丸山のカッコよさは、断固としてそれらは普遍なのだと言い切るところだと思う。