1 :
日本@名無史さん:
日本史上最強のタッグといわれてるけどさ。
結局どっちの方がすごいんだろう。
業績は西郷、立ち回りのうまさでは大久保、かな?
でも業績も大久保、って人も結構いるみたいね。
2 :
日本@名無史さん:2007/01/07(日) 06:38:04
二人でひとつなのよ
終了
4 :
日本@名無史さん:2007/01/07(日) 08:03:02
一緒に運動してた時ってどっちが主導権にぎってたの?
5 :
日本@名無史さん:2007/01/07(日) 08:14:33
こういうのは近代史板とか漫画板に隔離の方向で。
6 :
日本@名無史さん:2007/01/07(日) 08:15:24
調べてみたら年は西郷の方が2つほど上だったみたいね
両方凄惨な最後だな。
西郷の方は覚悟の自決だから救いはあるかな。
8 :
日本@名無史さん:2007/01/07(日) 09:17:48
突然やられた大久保の方が楽そうだけどな。
9 :
日本@名無史さん:2007/01/08(月) 00:03:09
お互い、維新の時、彼らと志を一にした者たちの凄惨な死を見てきただろう。
それに比べれば、己の死など何ほどのこともないと覚悟して逝ったと思う。
10 :
日本@名無史さん:2007/01/08(月) 03:54:36
統率
西郷>大久保
政略
大久保>西郷
11 :
日本@名無史さん:2007/01/08(月) 06:18:34
>>9 いい事言った。大久保は何より国を考えていたと思う。
死んだ時の財産も借金だったそうだ。国を思えば友情とか言ってられなかったんだろう。
>>10 統率ww
大久保だろ。
というか西郷のすごいところがわからない。
なぜか有名だけどな。
大久保は頼朝・尊氏・家康に連なる創始者だと思う(この面子と並べたら地味に見えるがな)
大久保が地味に見えるってことじゃなく幕府開闢者の3人が一見地味ってことね。紛らわしい文になった
14 :
日本@名無史さん:2007/01/08(月) 11:59:52
紛らわしいじゃなく、誤文だろ。
15 :
日本@名無史さん:2007/01/08(月) 12:44:30
西郷は、武士の世を否定する明治藩閥政府に対する
アンチテーゼとして持ち上げられただけ。
今で言えば、社民党の土井たか子的なポジション。
一言で片付けるなら
南洲は哲人、甲東は不屈の能吏。
17 :
日本@名無史さん:2007/01/08(月) 15:01:25
まあ、その大久保を殺した陰湿金沢人がDQNってことでFAだな
今もその陰湿さはそのまま残ってる
18 :
日本@名無史さん:2007/01/08(月) 20:09:29
西郷の業績も相当なもんだと思うけど。
廃藩置県やら王政復古の大号令やら戊辰戦争やら江戸城無血開城やら。
細かくいえばもっとある。薩長同盟も実は龍馬の手によるものじゃなくて西郷
の手によるもの、っていう説が通説になってるんだろ?
幕末維新の主役は他でもない西郷でしょ。ただ西郷は世渡りが下手だったんだろう
19 :
日本@名無史さん:2007/01/08(月) 20:15:56
大久保にきまってんだろ!
糞スレ終了!!
20 :
日本@名無史さん:2007/01/08(月) 23:21:26
>>19 >幕末維新の主役は他でもない西郷でしょ。ただ西郷は世渡りが下手だったんだろう
薩摩藩のプレイヤーは島津斉彬→島津久光
西郷、大久保、小松はブレイン。
斉彬はともかく、久光も担がれたわけではないことが明らかになりつつある。
21 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 00:41:57
彼のお二人は 事を成す 最高のコンビでしょう 惚れられる西郷さあ 信頼される大久保さあ どちらが欠けても 事
はならなかったでしょ
新撰組の近藤さんと
土方さんも似てますね
22 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 01:53:09
>>21 >新撰組の近藤さんと
>土方さんも似てますね
スケールが違いすぎるけどね
23 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 04:18:52
そうそう だけど 組織
の基本だよね 西郷さあ
竜馬 高杉 勝 榎本 の 表の役者に 対して
大久保 中岡 桂 小栗
大鳥 の 裏方さんが
いるよね 私は南州翁
の生き様は 大好きだ
男の強さ 弱さを 丸出
しで 生き抜いた! 松陰先生共々 男はかく
有りたい
24 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 09:28:33
韓国派兵論の西郷と内政優先論の大久保。結局大久保に殺された西郷…地元じゃ大久保って人気ない?のか
25 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 12:56:52
>>23 小説や時代劇の見過ぎ。
>>24 間接的には長州閥の圧力を大久保が庇いきれなかったともいえる。
結果的に西郷党の壊滅、久光の武力背景が消滅したわけだ。
一昔前までは、大久保は故郷に刃を向けた悪人のように思われていたが今はそうでもない。
西郷は名前しか知らない子供でも、すごい人と思われている。
来年は篤姫や小松人気が急騰するだろうね。
26 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 13:04:02
一蔵どんは
精忠組をダシにして久光
に取り入り 寺田屋の後
河内の助親子惨殺
岩倉具視との暗躍
(竜馬暗殺 黒幕説) 反征韓論に続く 地元を
敵に回した西南戦争と
暗いイメージが強いよ
仕事が出来るが人気は
無い人の 典型だね
27 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 13:30:25
22=26のようだな。
大久保は近藤高崎崩れで父が遠島、自分が謹慎になったとき辛酸を舐めた。
泥を啜ってでも権力を持つ側にいないと正義も通らない、と。
久光は斉彬、斉興親子の死後、すぐ権力を握ったように思われているけれど、
実際には、斉興派や息子忠義派との主導権争いに勝った上で藩父として実権を掌握した。
掌握する過程で小松、大久保、中山といったのちに久光に取り立てられる面々の助力があった。
竜馬暗殺は見廻組の一存による暗殺が定説。
薩長にとっては大政奉還の献策も想定内だったし、竜馬、中岡も倒幕は想定内だった。
薩長は出兵の準備でこの時期忙殺されており、竜馬にかまっている暇はなかった。
むしろ余裕があれば、竜馬を守る側の人々だ。
28 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 13:39:47
俗に「維新の三傑」と言うけれど、明治以降の言動で作られたイメージが強い。
桂小五郎は欧米視察後、日本のあるべき姿を見通していたが、行動する時間も体力も残されていなかった。
大久保は思想というよりは国権強化のために手段を選ばなかった。内憂外患に対し身を挺して当たった。
西郷は斉彬のビジョンを具体化したかったのだが、明治以降は参謀役に恵まれなかった。
29 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 16:43:16
桂は思想家としては先進的で偉大だと思う
31 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 17:34:38
地に足がついてない夢想を温めるだけで政治家が勤まるなら苦労は無い。
桂には実行力が致命的に無いのでいかなる思想を信奉していたとしても無責任に権力者にブータレ続ける野党にしかなれない。
しかも桂の思想は単に西洋のエピゴーネンで先進的とは言い難い。
暴虐非道な西洋は文明と呼ぶに値しないと喝破した西郷の方が遥か未来の現代でも説得力を放つ卓見だ。
32 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 21:37:22
>>31 >暴虐非道な西洋は文明と呼ぶに値しないと喝破した西郷
その時に限っては説得力あるか?
33 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 21:43:00
西洋は古代ローマの昔から絶え間なく暴虐非道じゃん
34 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 22:33:54
それは感情の問題でしょ?
あの時の日本の成長は西洋文明を取り入れたからなのは確か
35 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 23:02:09
小説(主に司馬遼太郎)とかだと、大久保の一番の理解者が西郷になっているけど実際はどうだったんだろう?
36 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 23:06:39
>>35 思春期辺り一緒にすごしてないか?
理解者かどうか知らないけど誰よりもお互いの事知ってるだろうね。
大久保の一番の理解者は西郷だろうけど、稚児の頃から知っていたわけではないらしい。西郷と竹馬の友なのは吉井幸輔、税所篤。
まぁ二才(にせ)になるころは、四人は親友だったわけだが。
39 :
日本@名無史さん:2007/01/10(水) 01:20:50
感情だ?
西郷南洲遺訓も読んでないのか?
西洋みたいに強者が弱者から身ぐるみはがしたり外国を侵略して外国人を家畜化したりするのは野蛮への退行であって、
文明化なんかでは断じてない。
西郷はそういう事を指摘したんだよ。
西洋化を単純に成長としか評価出来ないのは大航海時代レベルで知的成長が停止している。
20世紀後半に入ると西洋思想界でも漸く西洋文明を手放しで価値基準とする弊害をヨーロッパ中心主義と呼んで自己批判するのが常識となったが、
それは西郷が100年も前に通り過ぎていた段階に過ぎない。
西郷に遅れる事1世紀にして西洋はやっと西郷のレベルに辿り着いたのだ。
西郷の思想は先進的と言う他は無いが、木戸は単に流行を後追いする事を成長と錯覚した西洋かぶれの輩に過ぎない
ここは例の最強タッグについて語るスレッドです。
逃げ足くらいしか取り柄が無い雑魚の話題は控えませう。
42 :
日本@名無史さん:2007/01/10(水) 02:44:32
だが1が提起していることよりも充実した内容になってきているのも事実。
タッグタッグってプロレスじゃないのだから・・・話の流れるままでいいのでは。
43 :
日本@名無史さん:2007/01/10(水) 02:59:30
いや、全然。
皆と逆なんだが、
西郷=実績いまいちだが、人当たりがよく人脈もあったので出世
大久保=怜悧だが、権謀が巧みで実績が評価され出世
これで戊辰後の明治政府に突入したイメージがある。
>>31を見ると西郷は理想論者のようにも取れる。
>>44 実績はすごいんだが、現場の状況判断で藩主の父(久光)の命令を破るから
2度も流された。(1度目は入水自殺と幕府から西郷を隠すためだから別にする)
ただ、佐幕倒幕関係なく、他藩の人間と交流したり、どの人間からも一目置かれてる存在。
薩摩が政治上で上手くいかなくなったら、流した西郷を引っ張り出してくるのが常。
(そしてそれを促すのはいつも大久保)
新政府に改まった後も西郷は隠遁したが、各地の一揆やら新政府の腐り具合をみて
やっぱり大久保が西郷を東京に連れて来いと西郷の弟に命令している。
つまり、あの頃の幕府の威光に代わる存在として、西郷があったという事。
リーダーシップさね。大久保はきついい方したら、有能な官僚に近い、と思う。
でもこの二人でないと、なし得なかった事は多い。
私は、どっちがすごい、って訳でもなく、車の両輪だったと思っている。
46 :
日本@名無史さん:2007/01/10(水) 04:10:55
>>45 ようするにビートたけしと明石家さんま、みたいな関係ですね。
二人がいなければひょうきん族はなしえなかったという。
48 :
日本@名無史さん:2007/01/10(水) 04:36:59
バイクの前輪と後輪の
方が分かりやすいかも
吉の助さあは前輪で
方向を決める 一蔵どんは後輪で
前へ進める どちらが 欠けてもバイクはこける
49 :
日本@名無史さん:2007/01/10(水) 04:41:02
西郷の並外れた行動力と大久保の計画性と知略。
二人は揃って初めて日本を動かすほどの大きなうねりが生まれた。
西郷だけだったらただの犯罪者、大久保だけだったらただの陰気臭い官僚。
まったく性格が違う二人が目指すところを一つとしたのはかなり貴重な事。
50 :
日本@名無史さん:2007/01/10(水) 04:47:28
全くです 二人が後十年
生きて 明治政府を率いていたら 今の日本も かなり 違っていましたね 良い方に
51 :
日本@名無史さん:2007/01/10(水) 04:51:27
>>50 俺が思うに革命という一つの目的を失った二人が離反するのはある種必然だっ
たようにもみえる。
なんせ上にも書いたけどまったく性格が違う二人なんだもん。
まったく性格が違う二人だから一種の化学反応が起きたわけで目的を失った
瞬間二人の関係の寿命は尽きたんだよ。
>>51 それは自分も賛成する。
あの二人は革命と、初期の日本の政治の根源を作るという意味では
必要だったが、それ以降は必要ではなかった。
なんとなくなんだけどね、西郷も大久保も天が、日本の国難に際して天が派遣した人で
役目が終わったら、取り返しにきた様に感じている。
天とは、西郷さんが言っていた、天、だがねw
天が自分を生かすなら、そこまでは自分に役割があるのだろうと、本人は思っていたそうな。
大久保もそう時期が変わらないうちに殺されたのも、木戸が早々死んでしまったのも
そういう見えない力が働いたように・・・自分は勝手に感じているw
53 :
日本@名無史さん:2007/01/10(水) 05:44:38
敬天愛人!ですよね しかし 西郷どんの顔 本当の写真て見てみたい見たら心を奪われたと 言われた 顔を
維新早々から汚職に奔走する長州閥を駆逐しようとした江藤司法卿が西郷のバックアップを受けていたのを大久保が妨害してしまったのが全ての間違い。
結局そのせいで清廉潔白な2人と江藤の方が死期を早めて長州閥が残留する最悪の結果を招いた。
55 :
日本@名無史さん:2007/01/10(水) 06:53:08
西郷は情、大久保は理の人といわれてるが、なるほど当たってる。
しかし西郷については、徹頭徹尾『仁』の人ともいえるだろう。
何にしろ、空前絶後の人物にちがいない。
57 :
日本@名無史さん:2007/01/10(水) 11:39:45
イメージとしては倒幕の功労者が西郷で、日本の近代政体化の功労者が大久保かな?
西郷は維新前と維新後では人が変わったような気がする。
59 :
日本@名無史さん:2007/01/10(水) 17:00:30
いつも不思議に思うのは、西郷の維新後のあまりに 主体性の無さ
まるで戦略を感じない? ワザワザ負け戦をする為の熊本に行ったみたいだ…
60 :
日本@名無史さん:2007/01/10(水) 17:16:59
写真も残らない不気味な西郷
>>57,59
司馬遼に影響されすぎw 他のも嫁!
62 :
日本@名無史さん:2007/01/10(水) 20:07:21
海音寺潮五郎の 西郷と大久保 がおすすめです
海音寺は鹿児島出身だしな。
何を以ってすげーというのかわからんけど、
大久保利通のほうが好きだな。
地道で責任感が強く権謀術数に長け、世間から冷徹で独裁者だと思われてる
けど、実は、公正無私で、意志の強さ故「冷徹」って誤解されてるだけで、
実は心の中では涙を流してる ってイメージだから。
江藤の件でさえ何か心に期すものがあったからでは、とさえ思う。
小説も幕末ドラマも何も見てないけどそう思う。
>>64 娯楽見ないで歴史書ばかりだなんて。
ずいぶん勉強家だな。
66 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 08:10:16
娯楽みなくてもイメージとして漠然とあるよね
西郷像と大久保像
西郷像→豪快な人情家
大久保像→冷徹な策略家
一般的な認識はこんな感じでしょう
67 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 09:32:39
そろそろ西郷と大久保の友情を主題にしたドラマをまた大河でやるべきだと思う。
二人とも龍馬のせいでやたら過小評価されてる気がする。
二人の業績は今考えると本当に半端ない。
一人一人だと普通の政治家だけど二人でやった事は信長以上だと思う。
68 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 10:57:51
>>67 西田→西郷と鹿賀→大久保を越えるキャスティングは難しそうだ。
69 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 13:01:45
薩摩藩を西郷・大久保中心に見てしまうことは、維新倒幕の動きを龍馬を中心に見てしまうことと似ている。
小説ドラマレベルは時代劇板にまかせて、史実レベルを語りたいもの。
70 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 13:11:16
どっちも価値無し
西郷は最後には賊軍になり大久保は独裁?で殺された
71 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 13:12:09
>>69 似てなくね?維新自体西郷と大久保中心でおきたもんでしょ。
証拠に明治政府は大久保利通を中心に回ってたし官軍を指揮してたのは西郷
なんだし。この二人と龍馬を一緒にするには流石に無理がある。
>>70 独裁で殺されたのではなく、西郷を慕っていた旧武士に殺された。
(石川県の武士)
73 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 13:29:16
特に西郷を慕っていたというより、当時の新聞が大久保独裁体制を批判する為に大久保が汚職で私腹を肥やしたのなんのと出鱈目な記事をトバシていたのを真に受けた。
犯人達は犯人達で巨悪を成敗する為に命を捨てる覚悟を持つ真のサムライだった訳だ。
惜しむらくは彼ら程の立派なテロリストが標的に選んでしまったのは太陽系史上最高の政治家だった事だ。
74 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 13:32:43
いいんだよ。
西郷さぁと大久保どんの友情物語の結末はあれ以外ないんだよ。
革命が終わった後は道を違えるのが決定していたような感じだよね。
お互いの資質の違い故に。
76 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 13:37:53
>>75 まったく資質が違う二人がタッグを組むから強かったんだよね。
ただかなり神経質な間柄になるけど
「考えが違うということは、実は素晴らしいことなのです」
77 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 14:15:12
>>71 一方方向からしか物事を見ていない点で「見方をする者」が似ていると言っただけ。国語力不足だな。
明治政府が大久保中心に回っていたのは明治六年政変以降。それまではかなり複雑な権力闘争があって紆余曲折している。
大久保が薩摩閥の代表で新政府の中心人物の一人と言うなら分かるが、大久保を中心に回ってなどいない。
西郷は一時的に戊辰役から抜けており、官軍の総指揮官でも参謀総長でもない。
各方面軍の指揮官はいただろうけれど。参謀総長は事実上大村益次郎だろう。歴史力も不足しているな。
>>75 西郷も大久保も明治新政府が発足するまでは島津久光の部下だった。
新政府発足後、大久保は薩摩藩から出向したのだが、久光から離れて一人歩きし始めた。糸の切れた凧のように。
西郷は一時的に帰藩し、久光の命令で戊辰役以降の藩政を刷新したが、御親兵編成から廃藩置県で大久保に助力し、結果的に久光を裏切ることになった。
スレ違いは承知の上だが、皆は一方的な物の見方しかできていない。
結果から遡ってしか見ていないし、人によっては司馬史観のコピーでしかない。
言ってみれば桐野利秋が面白おかしく講談しているレベルだ。
>>64氏のようにもっと歴史書読め。ついでだが
>実は心の中では涙を流してる ってイメージだから。
>江藤の件でさえ何か心に期すものがあったからでは、とさえ思う。
大久保も木戸も、江藤には憐憫の情のかけらも持っていなかっただろう。
一歩間違えれば薩長閥は政府から放逐され江藤政府が出来上がっていただろうから。
78 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 14:24:50
どうでもいいけど
>国語力不足だな。
>歴史力も不足しているな。
こうやっていちいち煽りいれるのやめれ。
見ていて不快
79 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 14:28:41
>>78 >言ってみれば桐野利秋が面白おかしく講談しているレベルだ。
ま、これが最強の煽りなのだが。君等のレベルは見切ったから去るよ。
80 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 14:47:40
何がしたかったんだ・・・
81 :
75:2007/01/11(木) 14:53:56
>>77 西郷が久光配下で、大久保は久光から離れていったのは知ってるよ。
久光は西郷に廃藩置県ならずと厳命していたにも関わらず、
西郷、大久保がそれをやって、久光が抗議で花火を打ち上げた事もね。
大久保は廃藩置県の後、逃げるように欧州への旅に出ている。
国を豊かにするため西洋を見て回るというのは確かに必要だったと思うが
まるで責任を西郷一人に押し付けるかの様だ。
まぁ、西郷の大衆からの人気度と、東と西の反乱を阻止する為の
軍事力があったればこそだけどさ。
西郷は留守内閣で国家の根本に関わる政策を次々打ち出している。
で、2年後洋行から帰ってきた人間達と権力争いが始まった。
ダシに使われたのが征韓論で、西郷は元々権力争いは嫌いだから
それで下野してしまった。
ここまで書いたが、これでもまだ知識が足りないと申されるか?
頭ごなしに否定されると誰でもむかつくよ。
私は大久保のやり方も解るし、西郷のやり方も解る。
その資質故に道を違えたんだろうな、と思っている。
西郷が内閣に残っていたら違った未来があっただろうけど、
彼はそういうのを望まない人でしょうに。
82 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 15:02:08
>>81 まま、去ってくれたんだからいいじゃない。
83 :
75:2007/01/11(木) 15:11:03
>>82 知識を持つ故に上から罵倒するようなレスは嫌いだよ。
誰でも最初から全て知っている訳ではないだろうに。
知識が無い人間は、発言の権利が無いとでもいいたげなのは、腹が立つ。
慰めてくれてありがとね。
肩の力を抜いた発言があってもいーじゃないか。
そこが知識を求める扉になるかもしれないし、と、自分は思うのだ。
マジレスごめんよ。
84 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 16:14:48
最後の元老と呼ばれた西園寺公望は新聞のインタビューに応えて
「大久保以外の連中なら代わりが務まる人材は幾らでも居た。
しかし大久保の代わりが務まる者は誰も居ない。
他の誰が欠けても大久保さえ居れば維新は成功しただろうが、
もし大久保1人居なければ必ず維新は瓦解したと確信する」という見解をコメントしている。
明確に別格視してるんだよね。
自分の目で見ていた人が西郷や木戸らと見比べた上でそこまで言ってるんだから、
大久保が維新の中心という見解は決して間違いではない。
表面的には紆余曲折を経て明治6年以降ようやく大久保が政局の中心に立ったように見えなくもないが、
実は終始大久保が中心だったと見做すべきだろう。
85 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 16:25:17
大久保と岩倉のタッグはマジで陰湿でこえ〜w
正直策略や謀略でこの二人に勝てる気がしない
>>84 西郷の行動力も特筆に値するぞ。
個人的に大久保は机の上で物事を画策するのに慣れすぎていたと思う。
現場に西郷がいたからこそ大久保が活きたんだと思う。
どっちの代わりがいないか、といえば確かに大久保だけどね。
86 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 16:26:24
日本洗濯坂本龍馬ヶテーイ!
87 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 16:34:41
龍馬は凄いよ。
一介の素浪人が薩長同盟の重要な役割を果たしてるんだから。
でもその薩長同盟でさえ龍馬の裏で西郷さんが見え隠れするんだよね。
なんか、西郷さんの操り人形にもみえる。俺の私見だけどね。
88 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 16:36:48
大久保は幕末に殺されりゃよかった
大阪遷都はかなわず
なんか役に立ってきた?
メーカーでいうと
竜馬は営業部長
西郷は工場長
大久保は生産管理
90 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 16:50:36
>>88 大久保単独では王政復古の大号令、明治政府の官僚体制があるじゃないか。
91 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 18:17:34
ヤオイでは近藤土方が大人気だが、西郷大久保のドロドロの愛憎劇のほうが萌え要素満載だと思う。
人気が出ないのは大物だからか。
92 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 18:27:57
彼等の生き様は
歴史そのもので顔等以外は謎の部分が少ない
要するに想像や創作をする小説にしても業績や 事実が圧倒してしまう それだけわたし
93 :
75:2007/01/11(木) 18:32:38
94 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 18:36:14
彼等の生き様は
歴史そのもので顔等以外は謎の部分が少ない
要するに想像や創作をする小説にしても業績や 事実が圧倒してしまう それだけ私達に全てを見せてくれている貴重な 方達だ 書き出すだけでも大変なんだから なかなか居ないよ あんな忙しい人達は
95 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 18:46:02
近藤は不細工だよ
96 :
75:2007/01/11(木) 18:47:23
>>95 土方が美形だから。やー西郷さんは金玉でかくてよかったよ。(そんな史実嫌がるでそ?)
調べれば調べる程畏れ多くてネタに出来ません(T^T)
>>64 だけど一言。
同じ史料でも解釈の違いがあるし、新しい書簡等が発見されれば
今までの有力説と全く違う通説ができあがるし、
歴史書や史料を読みつくしてるつもりでも、書いてる人読む人自身の
感性とかによって、千差万別の解釈ができあがると思う。
何が真実か、本人達の真意は何かなんて、ひょっとして本人達にも
明確には分からない複雑なものが多かったと思うよ。
だから、これが正解で他はすべて間違ってる無知だなんていうのは、
それこそ一方的だと思う。
大久保が久光の部下だった頃でも実は久光は上手く大久保の手の上で
躍らせてるだけかもしれず、でも久光は自分が指示をだしてるつもり
だったかもしれない。その時々で逆だったかもしれないし。
>>73 当時の新聞に殺意を感じる
>>93 顔?
大久保はハンサムだろ。
西郷さんも銅像よりよっぽどいい男だって夫人が言ってたそうじゃないか。
失礼な奴だな。
>>77より腹が立つ。
ちなみに、明治天皇と維新の志士達の集合写真は偽物だそうだ。
100 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 19:33:47
西郷の体型がいけないんだな
101 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 19:37:14
さあ どうだろうね
102 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 19:54:27
西郷実物の写真はまだ発見されてない?
103 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 19:55:49
西郷・大久保を崇拝してる奴が、なんで竜馬に対しては低評価なんだ。
そっちの世界にもそういう派閥みたいなものがあるのか。
104 :
75:2007/01/11(木) 20:19:42
>>99 顔でそこまで怒るのは何故・・・
自分も大久保はいい顔だと思うし、西郷も人を弾きつける顔だったと文献にある。
かの源義経は本物は酷い顔だったらしいけど
判官びいきで美形扱いになっているし、人気があるように、
若くして亡くなった人間に人が惹かれる所があるのではないかと。
西郷さんも大久保さんも戦争で死んだり暗殺されたりしているけれど
亡くなった時、既に結構いい年だったのも、影響していると思うよ。
歴史上では東郷平八郎が美形だったらしいんだが
なにせ長生きしているものだから、あまり顔で云々言われないと聞いた事がある。
105 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 20:20:36
98さんに大賛成だな 私の場合は
一蔵どんも凄いと
思うが 吉つぁんの方が好きだ でいいよね ! 斉彬公に死なれ 心中を
計り 島流し 久光公に
逆らい 島流し 蛤御門
で凄みを見せるも 長州
に同情等々 人間らしさ
を見せてくれます 同時代の者にも魅力的 だったに違いないです 人に好かれる!政治家
には重大な要素ですよねとにかく吉つぁんが お気に入りです
106 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 20:23:49
競馬でゆうと、テンポイントとトウショウボーイかな
107 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 20:42:21
ここで 西郷どんと大久保どんの対比に 伊藤博文と井上馨を 引き出します 彼等は エロい名コンビ オンナ 大好きで京へ江戸へ果てはイギリスへ明治には
正に酒池肉林の大騒ぎ
もしかすると正反対!
108 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 20:48:39
なぜ桂高杉じゃなくて伊藤井上をだしてきた
109 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 21:12:00
野球選手で例えると・・・
大久保=イチロー
西郷=清原
どうでもいいけど西郷は松井だろ
111 :
日本@名無史さん:2007/01/12(金) 01:21:36
清原にはカリスマ性があるから西郷に例えるのもいいけど、
松井のような人格者かと聞かれれば微妙。
112 :
日本@名無史さん:2007/01/12(金) 01:39:30
力士で例えると・・・
大久保=琴欧州
西郷=武蔵丸
113 :
日本@名無史さん:2007/01/12(金) 10:00:30
野球選手で例えると
西郷=長島
大久保=王
114 :
日本@名無史さん:2007/01/12(金) 11:33:38
カー娘で例えると
西郷=小野寺
大久保=林
115 :
日本@名無史さん:2007/01/12(金) 11:48:54
ミュージシャンで例えると
西郷=ジョン・レノン
大久保=ポール・マッカートニー
116 :
日本@名無史さん:2007/01/12(金) 12:12:52
種で例えると
西郷=キラ・ヤマト
大久保=アスラン・ザラ
117 :
日本@名無史さん:2007/01/12(金) 13:05:15
また時代劇で南洲翁が取り上げられる事があるなら、配役は武蔵丸にやってほしいw
118 :
日本@名無史さん:2007/01/12(金) 13:12:46
2chで例えると
西郷=ひろゆき
大久保=けんすう
119 :
日本@名無史さん:2007/01/12(金) 15:21:05
北斗の拳のラオウ 西郷 ケンシロウが大久保 いや トキかな ジャギ
は有村俊斉
120 :
日本@名無史さん:2007/01/12(金) 15:34:53
ジョジョ第四部なら
西郷=ゴールド・エクスペリエンス
大久保=スティッキー・フィンガーズ
小松=パープル・ヘイズ
俊斉=セックス・ピストルズ
綱良=ムーディ・ブルース
新七=エアロスミス
121 :
日本@名無史さん:2007/01/12(金) 15:42:12
122 :
日本@名無史さん:2007/01/12(金) 17:20:45
123 :
日本@名無史さん:2007/01/12(金) 17:57:33
西郷と大久保→伊藤と山県→桂と西園寺→東條と近衛
→吉田と岸→池田と佐藤→角栄と福田
明治以後の歴史は二人組みで考えると覚えやすい
124 :
日本@名無史さん:2007/01/12(金) 20:23:57
伊藤と山県
いきなり物凄い劣化が
125 :
日本@名無史さん:2007/01/12(金) 20:42:01
本当は板垣と大隈の時代もあったはずだが彼らは傍流だから排除された
126 :
日本@名無史さん:2007/01/12(金) 23:11:11
馬場と猪木
127 :
日本@名無史さん:2007/01/13(土) 05:30:11
偉いばかりじゃなくて 月性上人と心中に失敗 生き残ってしまって懺悔を続け事あるごとに泣いていた 西郷どんや 何をさせても万能なのにほぼ人に好かれなかった 大久保さあ の人間性に注目 結局 西南戦争はこの二人の痴話喧嘩みたいな 気がします
128 :
日本@名無史さん:2007/01/13(土) 10:51:36
>>127 大久保も薩摩藩内の若者には、意外と人望厚かったのだが・・・
まぁ西郷と比較されると厳しいけどね
大久保は『冷徹な政治家』と思われがちだが、若い頃は
熱血漢だったらしいし
西郷が久光の逆鱗に触れた時に『共に死のう』なんて
西郷に迫ってるしなぁ
対照的な二人だが目的に対するアプローチのやり方が
違うだけで、実は根本的に似た者同士だった気がする
大久保が嫌われていたというのは語弊がある。
明確に嫌ってたのは慶喜くらいで、大久保の部下として働いた役人らが新聞のインタビュー等で明かした所では皆大久保の事を非常に恐れてはいたが悪口らしい話は皆無に等しい。
むしろ責任は大久保が引き受けるから思うようにやれと言われて全権を任せてくれるから非常に働き易かったと口を揃えている。
大隈重信や伊藤博文が派閥を超えて自ら大久保の下に付いたのも大久保の度量に心服したからだ。
木戸などは部下に仕事を任せるどころか何を提案しても細かい所まで嘴を挟みたがるから自然と部下が離れて大久保の方に集まるという様相だった。
木戸が晩年精神を病んだのはその孤独感もしくは大久保の人気に嫉妬したからだと思われる。
130 :
日本@名無史さん:2007/01/13(土) 10:56:42
維新前後なら
坂本>久坂>越えられない壁>西郷・桂・勝
131 :
日本@名無史さん:2007/01/13(土) 11:16:25
坂本や久坂程度の小物はもし居なくても代わりの人材はいくらでも居たという話をどこかで聞いた。
132 :
日本@名無史さん:2007/01/13(土) 11:43:29
久坂は生き残っていたら桂、高杉レベルの人物だろう。
桂、高杉だって薩長密約以前に死んでいたら久坂レベルで終わっていたろう。
犬死率の高さでいったら
水戸>長州>>土佐>>>薩摩
挙藩体制の強いところほど犬死率は低く個人プレイ率も低いが脱藩率も高い。
薩摩は郷中教育のためか脱藩率は低いな。
坂本、中岡は薩長密約に絡んでいたから凄く思われているような感もある。
大政奉還の建策は坂本が後藤に言わなくても、どこかのタイミングで慶喜公は実行しただろう。
司馬遼太郎や武田鉄矢が実物以上に大きく見せている。
133 :
日本@名無史さん:2007/01/13(土) 14:01:39
大久保さあが嫌われた とは言ってないよ。 隙がない怜悧な信頼できる漢だったろう 付き合ってる内に尊敬される タイプ だから西郷さあ みたいに会った途端に 愛されてしまう事を 羨ましかったろうと
134 :
日本@名無史さん:2007/01/13(土) 17:04:15
しかし本当、西郷と大久保は最強のタッグだよなぁ
お互いがやるべき事を分かっていて、しかも相手を
信頼し敬愛してる
さらに私利私欲に全く興味のない二人だ
同時期にこんな英傑を二人も生み出した薩摩
二人の生家は直線距離で1`くらいしか離れてない
んだよな
この周辺の地域は、他にも多くの人材を輩出してるし
ご近所さんからだけでも、歴史に名を残す人物は十指
では足りん
これは土地柄なのか? 地域教育か?
後世の人間から見ても二人の出身である加治屋と高麗
周辺は、歴史的に不思議な地域だよ
135 :
日本@名無史さん:2007/01/13(土) 17:20:04
>>134 同意。
西郷も大久保も一人一人が信長と同じくらいのインパクトを持った偉人なの
にその二人が一緒に行動してた、ってのが奇跡的。
革命を世界史にみても稀な手際で成功させる事が出来たのはこの二人が同時
に近くに生まれたという奇跡の賜物だろう。
136 :
日本@名無史さん:2007/01/13(土) 17:55:37
どっちも糞
語るほど身分高くない
137 :
日本@名無史さん:2007/01/13(土) 18:35:55
>>136 身分語るスレじゃないから。
業績を語るスレであって生まれや階級なんかそんなに重要じゃない。
と、コミューンが申しておりますw
139 :
日本@名無史さん:2007/01/13(土) 19:42:07
全くだ 生まれとかを 言うなら 大名だとて 怪しい者さ 私が思うに
西郷さあ お一人では 多分 島流しの時点で 終わったのでは そこに 大久保さあの助力が 有って初めて あれだけ の事を成したのだと どんな偉人も大概 死んでから敬われるが
生きてる内にあれだけ 慕われたのは西郷さあ
だけ大久保さあと言う
スーパーサブが
いたからでは こう見る と大久保さあが偉いか?
140 :
日本@名無史さん:2007/01/13(土) 19:44:17
身分や出仕が低かったのに日本を動かす活躍をしたっ
てのが、この二人の魅力でもあるんだが・・・
つか上級士族の出だったら魅力半減だろ
>>139 二人で一人というか、二人でいなかったらなし得なかったかな、と。
142 :
日本@名無史さん:2007/01/13(土) 20:10:06
大久保も西郷に大分助けられてるしね。
相互作用だよ
143 :
日本@名無史さん:2007/01/13(土) 20:12:18
ここの 皆さん 真面目でいいね
144 :
日本@名無史さん:2007/01/13(土) 20:18:51
薩摩の小松帯刀って上級武士?
維新後は目立たないな
>>144 小松さんは上級だからこそやれる事をやってくれたと思う。
147 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 01:02:32
小松さあですか たしかに名門好きの久光公と大久保さあの 間に
立って 素晴らしい働き
をしたんだよね 維新が
成った後も久光公に藩籍奉還を進める等の重要
な役割を果たしたんだ 期待もされてた しかし 病気で早死に 若かったのにね
148 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 01:26:09
>>147 >名門好きの久光公
そんな事実あったか?
149 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 02:03:40
語弊かな 久光公は自分 にコンプレックスが
有ったから つい回りを 名門で固めていたんだ 随分 大久保さあも苦労 したんだと思う うまく 彼等の手柄に成るよう
に画策したりして
西郷さんは血気盛んな不平士族の居場所を作ろうとしたものの
抑えきれずに旧体制の遺物とともに自ら滅んでいったという悲しい
英雄であるといえます。新政府と戦う事の無意味さを戦い続ける事で
自分の命とをもってわからせたんだろうか?
「晋どん、もうここらでよか」というシーンは
なんかもう今すぐにでもドラマという形で見てみたい!!
間違いなく泣けるクライマックスである事は誰でもわかるはず!!
私学校が政府と和解できていれば、あるいは武器庫を襲撃した輩を
新政府に突き出していれば、日清戦争は清国を史実以上に
ボコボコに叩き伏せる事ができただろうか?
「おはんらは死を恐れて理屈を言うのか!!」
に対しては「おはんこそ西郷先生の心がわからんか!!」
新しい時代の人間ならばこういうべきだったかもしれませんね
(歴史にそういうのは禁句だというのはわかってるんですよ一応)
151 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 02:34:53
>>150 史実と小説の区別くらいつかんのかいな・・・
西郷の末期の言葉なんて誰が聞いたんだよ
末期の言葉、というよりは、
最終突撃を他の人間とやって、銃弾を受けたので
「もうここらでよか」(もうこのくらいでいいか)と言って、
周囲の見守る中で別府晋介に介錯をさせた。
ということだったと思います。
153 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 02:43:54
>>149 久光のコンプレックスというのは初耳だけど。
回りの名門って具体的には誰のことだろう?
出典kwsk orz
154 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 02:52:13
何を置いても西郷さあ の魅力は戦国大名の ように褒美や家柄を
関係なく若者があれだけついて 行ったこと これは凄い事と思いませんか 細か事にかもちょ たら 何もできゃせん! 今 僕達は細かあ
久光が権威主義ってのも、初めて聞いたなぁ
人材の登用を見る限り、むしろ逆だと思うんだが
人事に絡むトラブルを押さえつつ若い人材をドンドン
登用していった手腕を見れば、決して久光が凡庸な
指導者ではなかった事が想像される
156 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 03:17:11
寺田屋 自分の命に従わない者を上位討ち 田中河内親子惨殺 生麦事件 官位切望
とことん公武合体 を見れば権威主義者では 無いと
157 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 03:21:51
斉彬急逝後は、
斉彬派:orz orz (実はテクノクラートが多く、藩政の中枢には人物がいなかった)
斉興派(前藩主):邪魔な藩主が死んでウマー(財政改革をしたい)
忠義派(新藩主):俺たちの時代だウマー(日の目を見る側近たち)
門閥派(守旧派):幕府に恭順しろゴルァ!(変革よりも現状維持のほうが重要)
・・・で、後事を兄から託さても久光は動きようが無かった。
しばらく各派閥の様子を見ながら自分の手足となる有能な人材を密かに捜していた(しばらくは斉興派の勢力が強かった)。
その時に捜索網にかかったのが、中山、堀、大久保といった面々。別に島津一門でも上士でもない。
158 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 03:23:00
どう考えても竜馬を殺したのは薩摩
159 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 03:39:39
西郷が流刑された理由って何よ
薩人の考え方って理解不能だよね
160 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 03:44:39
>>156 薩摩藩は挙藩一致で行動するのが大原則であり、藩命から逸脱する者は反逆に等しかった。
この点、他藩とは個人の行動原理が異なってくる。
西郷吉之助にしても、一橋公の将軍擁立のための他藩との連携で名を上げたが、志士活動というよりは藩命による行動だったわけだ。
寺田屋の場合は朝廷の意向に従ったこともあるが、説得に応じなかったのでやむなく上意討ちにした。
田中河内親子惨殺は部下を唆されたと思えば憎みこそすれ、温情はないだろう。
この場を逃れた真木和泉にしても、意地悪な見方をすれば後で長州藩を唆すことになるのだから。
生麦事件の件は省略。郷に入って郷に従わなかったイギリス人のほうに非がある。
官位切望は藩主忠義の父というだけで無位無官の身では、幕府や朝廷に改革をできないから。猟官が目的ではない。
>とことん公武合体
これは斉彬の遺志でもある。四賢侯会議から一会桑政権の政局で一橋慶喜に翻弄されて、
さすがの久光もこの男には日本を任せられないと思った。→倒幕へ路線変更。とあいなる。
ちなみに出兵にあたっても藩内での派閥抗争を制さなければならなかった。
この時期、西郷、大久保、小松も藩論統一のために帰藩している。坂本龍馬の暗殺はこのころ。
とても龍馬一人に関わっている余裕もなく、藩外戦力を失ってしまった。
161 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 03:57:00
>>159 西郷は久光の上京に先駆けて情勢を探索し、馬関(下関)で久光を待ち状況報告するよう言われていた。
しかし、尊攘派が突出するのを制止するため大阪に向かった。命を背かれた久光は怒った。
しかも、海江田武次(有村俊斉)や堀次郎(伊地知貞馨)が西郷は突出派を煽動している、と誤った情報を久光に伝えてしまった。
西郷と、共に行動していた村田、森山は捕縛され、鹿児島に送還された。
森山は息子が寺田屋で上意討ちで死んだことを山川の船内で知り、自死した。
西郷、村田は遠島。
久光は西郷が急進派に担ぎ出されるのを、非常に警戒していたという話もある
西郷のその性格ゆえに、ミイラ盗りがミイラになりかねないと
自分の命に従わずに行動した西郷は、もはや久光の目には危険人物として写ったろう
のちに西南戦争で西郷は、実際に不平士族の若者達から担ぎ出される
これを見れば久光の心配は、けして的外れな物ではなかったわけだ
>>162 >>139 しかも京都政局の行き詰まりに西郷の力がどうしても必要だと悟ると、島から呼び戻す。
大久保たち旧誠忠組の運動もあったとはいえ、今度は西郷を使いこなすぞという久光の強い意志も感じられる。
後年の西郷下野の時も、大久保にもう少し先見の明があったなら軟禁してでも西郷を東京に留めておくべきだっただろう。
久光や大山綱良や桐野では反乱の旗頭にはならなかっただろう。たぶん。
大久保は直義、西郷は尊氏ってとこだな。
後者のほうがその後の歴史はマシだったかも。
大村:間もなく西より足利尊氏の如き者がやってくるのでアリマス
話しはそれるが、西郷に神扱いされ久光に敬愛された斉彬って
どんだけスゴイ人物なんだよって感じだな
167 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 10:16:45
斉彬公ですか! この人と阿部正弘が後 ちょっとでも長生き
していたら、あの
遠回りの 幕末は無かったくらいの人です!
龍馬が他より、進んで
いた開明思想を持ち
公武合体による
大名合議制を志向し
最終的にはアジアを
まとめ西洋に対しよう
とされた彼の人が
健在なら本当に
歴史が変わって
いたろう 桜田門の変が 起こらなかったしね
ケネディに例えても
いいかも
168 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 10:42:57
西郷の留守内閣では日本は一気に近代化したみたいだな
府県の統廃合(3府72県)
陸軍省・海軍省の設置
学制の制定
国立銀行条例公布
太陽暦の採用
徴兵令の布告
キリスト教禁制の高札の撤廃
地租改正条例の布告
等枚挙に暇がない
wikiから引っ張ってきただけだけどな!w
169 :
日本@名無史さん:2007/01/14(日) 12:24:41
西郷は斉彬を「二つビンタ」と形容した。
ビンタとは頭の意味で、脳味噌が2人分もあるくらいの英才という訳だ。
斉彬の偉大さは薩摩の領主として生まれた身分をフルに活用して日本を西洋の植民地化から守り、
ゆくゆくは東洋全体の力を結集して西洋列強を撃退する為の態勢作りに着手した事に尽きる。
公武合体も明治新政府も本質的には斉彬の目指した東洋解放を実現する為の手段であり、
西郷や大久保も突き詰めれば斉彬の遺志を実現する為の手順に関して意見を違えたが故に私情を捨てて内戦を始めたようなものだ。
西洋文明を積極的に取り入れて富国強兵を実現する為に討幕までやってのけた西郷が、
維新直後に命懸けで手に入れた権力を放り出して鹿児島に引きこもり、
賊軍として征討した庄内藩士達の前で西洋は文明にあらずなどと講釈していた。
公武合体〜討幕〜征韓論〜西南戦争の局面ごとに支離滅裂な迷走を呈したかに見える西郷の奇妙な言動は私利私欲だとか薩摩一国の権益を動機だと邪推したら全く説明が付かない。
しかし、斉彬が何を目指していたのかを調べていけば、
西郷の奇妙な言動は全て斉彬の遺志を受け継いだが故の一貫性を保つ事が分かる。
170 :
日本@名無史さん:2007/01/16(火) 12:50:30
西郷隆盛=長嶋茂雄
大久保利通=王貞治
島津斉彬=川上哲治
島津久光=川上哲治
西郷隆盛=星飛雄馬
大久保利通=伴宙太
島津斉彬=巨人の星☆彡
172 :
日本@名無史さん:2007/01/16(火) 16:03:02
大リーグボール一号:『久光さぁは地五郎じゃっで』
大リーグボール二号:『短刀一本で片付きもす』
大リーグボール三号:『おはんらに、この命あずけもそ』
173 :
日本@名無史さん:2007/01/16(火) 21:30:04
なんいうか ああた 征韓論はこん一徹が許しもはん せごどん おはんの最大の味方にして 最大の敵はおいどんじゃっで 征韓論でせごどんが朝鮮へ行っていたら
かなり 良かったような あの人なら なつかれて 朝鮮の人がついてきた
かも 好かれる!は政治の 大事な要素ですから
174 :
日本@名無史さん:2007/01/16(火) 23:37:54
大久保も支持しているレスが多いようなので安心したが、ここで皆様、今青年誌(確かイブニング)
で連載されているマンガ、どう思います?今の所大久保を徹底的に卑怯に描いているのだが。
今時西郷>>大久保って構図はあり得るのか?それとも今時だからこそ温故知新ってことか?
175 :
日本@名無史さん:2007/01/16(火) 23:44:38
あの漫画は鹿児島出身の作家が描いてる感じがするな。
西郷に向けた尊敬と大久保に対する冷めた視線のアンバランスさが時代錯誤というか不勉強だ。
176 :
日本@名無史さん:2007/01/16(火) 23:49:36
漫画とは 偏見に満ちた 変態が書くものだよ こんな考えも有るのかと自分の意見を持ってればいいと思うよ
鹿児島県人にはむしろ大久保支持者が多い。
むしろ、熊本県人の匂いがする漫画だ。
鹿児島じゃ人気ないって話がどっかで出てたが一体どっちなんだ?
どっちにしろ大久保好きなんでせごどん買わないことに決定
鹿児島だと西郷人気が圧倒的
しかしこれは、せいぜい30代くらいまでの話しだねぇ
今の若い鹿児島人は大久保の業績を見直す風潮が主流だよ
>>174 西郷を持ち上げるには、大久保を見下げて書いた方が物語を作るのは楽だろうから
181 :
日本@名無史さん:2007/01/17(水) 01:45:16
そうだよ 主人公を 持ち上げるのに誰かを 適役にすると楽なんだよお話しが 新撰組を主人公にすると 倒幕派は 極悪人にするみたいに 大久保さあを主人公に 感情の激しいせごどんを引き立て明治維新する ゲームでも作れば
西郷は壊す人。大久保は創る人。どっちも実績はなかなかだが、哲人的要素
カリスマ性の内面を加味して、じゃっかん西郷有利。
184 :
日本@名無史さん:2007/01/17(水) 03:56:30
やだ ここがいい
185 :
日本@名無史さん:2007/01/17(水) 04:08:13
ちょッまっごた
>>174-181じゃッタ まぁ馬んマラでも食もいながら語っくい
つ
./ ̄ ̄ ̄う ̄ ̄薩\
./ マ ま 銘摩 ..\
/ ラ ン 菓 \
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
186 :
日本@名無史さん:2007/01/17(水) 10:09:24
>>178 遺骨を鹿児島に入れるのに何十年も掛かったとか、
誰かに大久保の銅像が無いね、と言われて渋々つくったとか噂では聞く。
都市伝説的な感じがしないでもないが、実際はどうなんだろう?
187 :
日本@名無史さん:2007/01/17(水) 13:23:23
そりゃハリウッド映画の題材になった西郷のほうが凄いよ
188 :
日本@名無史さん:2007/01/17(水) 14:48:30
ラストサムライだね あれの大村って
原田監督が演じた あれは大久保さあが
モデルだね どう見ても でもねぇ せごどん
きゃんたまがでこう
なる病いで馬には
乗れず籠も足出して
底の抜けたものに
乗っちょったらしい
半次郎どんらも笑い
を堪えるのに大変
だったろうね又
そこがよか
金玉でかいからなぁ・・・せごどん
大村のモデルはてっきり山県有朋かと思ってた
191 :
日本@名無史さん:2007/01/20(土) 04:02:45
背の高さはほぼ互角。
映画ラストサムライは西南戦争が元ネタらしいから劇中のオームラは大久保に該当するのだろう。
ただし史実の大久保とは似ても似つかないチンピラ風のキャラにされて、
あたかも薩摩vs長州と見まごう善悪対立の構図に改変されている。
西郷と大久保が共に清廉潔白な親友同士であるにも関わらず激突した奇怪な事実がハリウッドのマーケティング理論では採算に合わないと判断されたのだろう。
まぁアレはアレ。完全フィクションだからな。西南戦争をきっかけにした、
というくらいで殆ど繋がりはない。
194 :
日本@名無史さん:2007/01/20(土) 11:22:45
あの映画も西南戦争をリアルに再現すればあんな意味不明な迷作にはならずに済んだろうにな。
政府側の抜刀隊も主力は薩摩人なんだから史実を追うだけでも格段にドラマチックな展開を描けた筈なのに。
195 :
日本@名無史さん:2007/01/20(土) 11:26:06
196 :
日本@名無史さん:2007/01/20(土) 11:32:30
そもそも勝元なんて、中世の土豪か野武士の頭目みたいな描き方だもんな。
インディアンの部族の酋長を無理やり日本の武士に翻訳しましたって感じw
197 :
日本@名無史さん:2007/01/20(土) 22:25:08
ラストサムライのオームラって大久保な要素あったっけ?
名前といい品の無い顔といいドハデ衣装といいてっきり
木戸+大村+伊藤+井上+山県の長州人総合キャラだと思ってた
つーかお雇い外国人の世話して兵制改革やって財閥仕切って鉄道作って反乱鎮圧して
どんだけ有能なんだよオームラ
むしろカツモトよりお前の存在が奇蹟だよオームラ
198 :
日本@名無史さん:2007/01/20(土) 23:13:30
真の維新三傑
高杉・坂本・西郷
大久保?誰ソレ??www
高卒DQNで歴史に関心持つとは良い心がけだ
>>199
201 :
日本@名無史さん:2007/01/21(日) 03:19:38
ラストサムライの元ネタが西南戦争でカツモトのモデルが西郷ならオームラのポジションは大久保以外に有り得ないというだけだな。
ただカツモトを尊敬の的として描く反面オームラを軽蔑の的として描くなら、大久保とは似ても似つかない長州的なキャラを作るしかなかった。
>197
改めて見ると長州人って金に汚くて人格的にもアレな連中ばかりなのに、
実務は有能なのがそろってるんだよな。
大久保がこの辺と手を組んだのも国家有用の人材だと認めたからか。
ここだけは西郷には真似できないところだよな。
長州人が金に汚いというより、身分の低い連中が新政府高官になって成金になった
桂、広澤、大村などある程度上の人々は金に汚くない
>>199 維新ミーハー信者持ち三傑って感じだな。
>>200 そう考えると微量ながら心が温かくなる。
かもしれない。
206 :
日本@名無史さん:2007/01/22(月) 04:09:51
長州人って? で気づいたんですが! 土佐の以蔵さんや 薩摩のしんべさあ はんじろどん みたいな 人斬りの有名人がいません 伊藤さんもガセくさいし 誰か知ってますか? どっちかというと せごどんが凄い大久保さあは賢い!
幕府と長州を相剋させて漁夫の利を独り占めしようと画策した西郷
久坂・吉田稔らの一級人材を次々と屠り計画は順調…に見えたが、一人生き残った松下イズム最後の継承者高杉に見事に立ち回られ、結局維新回天の壮業の功を長州と二分するハメに…
208 :
日本@名無史さん:2007/01/22(月) 04:22:30
/ヽ、 ,, -ー――- 、
(.::::::ー'' ......::::::::::::::::::::::.` 、
< ..........:::::.::::::::::::::::::::::::::::::....i
| ゝ..::::::/ ヽ.::::::::, 、:::::::::::::::::i
.| |,ヽ_( ) ノ―ヽ ::::::::::::::::i
|| 、 、 \:::::::::::i 立った!立った!
| ⌒ ノ ⌒ |::::::::::ヽ
| ヽ |/ヽ:::::::ゝ、 ペーターのチンチンが立った!
.| ● -―- ● ノ:::ノ-ー ┐_
_ _ ヽ ヽ- ノ ヽノ' |
/ ヽ、 , ' ノiiiiiiil |
| liii` ー '' 'iiiiiiiiil | __
__| liiiiiiiii\、 _,,ノiiiiiiiiiiiil し
209 :
日本@名無史さん:2007/01/22(月) 04:36:24
せごどんの征韓論に話は戻りますが、もし行っていたら、まだあの国は豊臣の侵攻を恨んでいる事から考えて、島津の家臣のせごどんが行くのはまずかったのか?と(殺)
身分は余り関係ない。
私腹を肥やさなかった長州人の中で言えば伊藤と大村あたりが農民出身だ。
日頃から大久保を見習うんだという口癖で知られていた伊藤は心底から大久保を尊敬して学んでいたので汚職に狂奔する長州閥の大多数とは一線隔てていた。
大村は変人の類で蓄財目的の職権乱用には興味が無かったっぽい。
>>207 ショッカーの幹部じゃあるまいし、薩州重臣一人でそんな策謀は無理よ
どっちにしろ長州に偏りすぎだよね。そのまま読めば西郷の外交センスを
褒めてることにしかならないしw
長州のオウンゴールの数々
長井雅楽を謀殺
正義党対俗論党の内ゲバ(水戸、土佐並に酷い)
真木和泉の策に乗せられる
数々の自滅的軍事行動(その遺伝子は日本帝国陸軍へ注入)
戊辰戦争後、自藩統制できず
214 :
日本@名無史さん:2007/01/22(月) 19:49:18
そういえば正義党と俗論党というタームも偏向丸出しだよな。
正義党を自称する側が敵対勢力を俗論党と呼ぶのは勝手だけど、
部外者にまでそういう党派性を問答無用で押し付ける独善性について含羞のカケラも感じない無神経さが朝鮮人みたい。
まぁ実際のところ
正義党:藩政改革派、過激派、尊皇攘夷派、松陰門下生多し
俗論党:現状維持、穏健派、幕府恭順、門閥や上士多し
幕末藩主:毛利‘そうせい侯’敬親
なわけだがw 一般的にそれで通るので仕方あるめ
どの雄藩でも改革派vs穏健派のせめぎ合いはあったのだが、かくもストレートDQNなネーミングはさすが長州
たしかに俗論党って名称すごいよな。
「商=殷」みたいな感じだろうか。
217 :
日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:50:27
誰が考えても穏健派が俗論党を自称したり過激派を指して正義党と呼んだなんて思わない。
正義党を名乗る連中(この点一つをとっても痛いネーミングだが)が反対派を打倒したが故の表現に過ぎないのに、
正義だの俗論だのという評価を第三者にまで検証もさせずに押し付けたがる必死さがみっともないし、
そのみっともなさを自覚できない幼稚さは長州人全体の品格を疑わせる。
そもそも正義派俗論党は誰が名付けたんだ?
当時の穏健派が俗論党を呼んでいた記録も無いが、
当時の過激派が自分達を正義派と呼んでいた記録も無かったはずだが。
高杉や久坂、桂らが自分達を正義派と呼ぶ記録なんてあったっけ?
後世の歴史編纂に関わった誰かじゃないの?
そいつらが当時の彼らを正義と決め付け、名付けただけじゃないの?
219 :
日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:01:34
薩摩に当て嵌めてみると…
精忠組が不忠組から実権を奪い〜
みたいな表現になろうか。
精忠組の中の人はさすがにそこまで恥知らずにはなれなかったみたいだが。
220 :
日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:07:04
正義党だの俗論党だのと名付けたのが後世の第三者だとは思えない。
後世の第三者なら尚更そこまで露骨に偏ったネーミングは避けるだろう。
反対派を俗論党と呼ぶ自称正義党が実権を握って反対派を打倒しない限り、
正義党や俗論党というDQN過ぎるネーミングが歴史用語として定着する筈は有り得ない。
だから大正〜昭和初期くらいの人。まだ地味に薩長閥が残ってる頃。
そもそも国史編纂が始まったのが明治も終わる頃なんだし、その頃かなあと。
というか、それ以前の人がそういう風に記述した本ってあるの?
明治初期〜後期にかけての幕末維新期の歴史書で正義派俗論党というのが使われてたっけ?
出所が解らないんじゃどうしようもないと思うんだけど。
ちなみに幕末の頃の上にあげた三人の書簡や日記なら読んだことあるけど、
そんな記述は無かったはずだよ。他の人の書簡も幾つか読んでるけどそれにも無かったし。
223 :
日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:31:12
当事者同士の抗争が決着してかなりの年月が経過した時点で、
第三者が精忠組の敵対勢力を指して不忠組と名付けたりしたとしても歴史用語として定着するか?
ありえねーだろ
ウリは正義党ニダ、ウリは俗論党に勝ったニダ
の方が自然だ。
だから歴史書を編纂する際に裏からの圧力がかかっていたかも知れないけど、
(だから長州閥が地味に残っている大正〜昭和初期をあげた)
当時の人たちがそんな主張をしていた訳ではないよ、って言いたいの。
大体、そんな主張を著作として残した過激派の長州人っていたっけ?
自分達を正義と主張するのは当然として、正義派だなんて呼称付けてた覚えは無いんだけど。
自然とかそういう問題じゃなくて、何時頃、誰が言い出したかが解らないんじゃ、
どうしてそういう名前が付いたのかなんて解らないでしょう。
それが自然って言うのは、あくまで何も知らない、ただ字面から受けた印象だけで語った憶測以外の何物でも無い。
225 :
日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:48:25
いつ圧力をかけたとしても、それは正義党を自称して自分たちの敵を俗論党と呼ぶ事に他ならないよ。
226 :
日本@名無史さん:2007/01/23(火) 01:07:03
マトモな感性を持ってる人なら幕末に長州藩で主導権を握ったというだけの過激派を正義党などと名付け、
負けた穏健派を俗論党だなんて名付けたら長州全体の品格を疑われるだけだという事くらい分かる。
後世の第三者がわざどうしてわざそんな下品なネーミングを採用しなきゃならんの?
227 :
日本@名無史さん:2007/01/23(火) 02:02:00
イルボンじゃない、日本人だ!
228 :
日本@名無史さん:2007/01/23(火) 04:33:07
>>209 最初はお前は意味不明な存在だったが最近段々萌えの対象になってきたんだが
成長したんだな。
大西郷の深遠なる精神世界に同調する為の心の準備が整いつつある証拠だ。
維新早々汚職で評判ガタ落ちの長州閥の前身を正義党なんて呼ぶ第三者が実在したなら何か貰ってるかホメ殺しだろ。
231 :
日本@名無史さん:2007/01/23(火) 17:47:27
長州は!芸術家とか宗教家とかにたとえますか?生きていると邪魔者だけど、死んだら価値が出る。いい長州人は死んでる長州人だ! 薩摩っぽは政治家
とか漁師?生きる為に事を行う。しかし死を恐れない!たくさん人は居るから一概には言えないがね!せごどんは、薩摩には珍しいタイプだと思います。死にたがり!でしたから
232 :
日本@名無史さん:2007/01/23(火) 18:41:18
>>231 そこが西郷の魅力につながってるんだろうな。死を恐れない大胆な政策。
大久保は生きてないと正義は通らないっていう考えだったから両方とも正義
を持ってたけどこの考えの違いが最後の結果につながったんだろうな。
力(権力)がないと正義も通らない、生きてないとやる事が出来ないっていう
考えの大久保。どんなに非力でも権力に立ち向かっていく、死んででも正義
を通すっていう考えの西郷。
233 :
日本@名無史さん:2007/01/24(水) 05:30:04
結論としては二人で一つなんだから比べようがないって事か。
お父さんとお母さんを比べるようなもんだな。
234 :
山下健三:2007/01/24(水) 05:45:02
薩摩士族を見捨て国体を考えた大久保
薩摩士族を見捨て切れなかった寛大な西郷
どっちもすごい
どっちもすごくない。
江藤にまかせとけばよかった
236 :
日本@名無史さん:2007/01/24(水) 06:00:27
江藤に任せたら反動勢力で新政府壊滅だったかも
江藤は警察は握っていたが当時は武力整備されていなかった
しかも軍も旧藩武力もバックになかったから
物知り中学生。大歓迎じゃないか
>>234 乱暴に纏めればそのような表現になるのだろうけれど。
大久保にしても薩摩藩から出向する形で新政府に出仕していたが、どこかで日本国全体を大局的観点から見るようシフトチェンジした。
西郷は戊辰役の途中で帰藩したり、戦後の藩政改革を任されたりで、藩士であり続ける。
斉彬直伝の日本の青写真は持っていたろうけど、それを実現させる位置にはいなかった。
薩摩藩が統率を保ちつつも武力を維持できたことは、新政府初期において大久保の政治力の後ろ盾にもなったはず。
西郷が「武」を手放そうとすればできたことだ。
手放してさえいれば世界史的な大政治家になっていたかも
241 :
日本@名無史さん:2007/01/24(水) 06:54:55
西郷が武を手放さなかったから大久保は政治家であれたんだよ。
政治家としては西郷ほどのバックアップがあれば本当に頼もしいよ。
242 :
日本@名無史さん:2007/01/24(水) 07:04:45
>>241 明治六年政変以降は必死に鎮台兵と秘密警察の強化に努めた。
新政府が自前で武力と諜報機関を強化せざるをえなくなった。
基本は大村(鎮台兵)と江藤(警察)が組み立てていただろうけれどね。
江藤の乱〜明治九年の乱が皮肉にも実戦演習になった。
大村、江藤、大久保。
人望のなさげな人たちばっかりだけど
この3人が長生きしてたら
日本も変わってたと夢想してならない
244 :
日本@名無史さん:2007/01/24(水) 07:15:47
大久保に人望がないなんてとんでもない。
>243
シバリョが大好きな3人男だね。小説の主人公に書いてるし。
ただもし長生きしたとしても、そのトリオは成り立たんだろ。
江藤もそうだけど大村も大久保嫌いで
あんなバカとやってられっかって辞表叩きつけて、木戸を慌てさせている。
246 :
日本@名無史さん:2007/01/24(水) 07:55:22
色々批判はあるが
結局のところ、日本が当時のアジアの国としては奇跡的に
驚異的な近代化に成功したのは、
明治政府というものがそれだけがんばって、旧習を廃し、富国につとめたからだよ。
その基礎を作った中心人物は、やはり大久保。
大久保の地位にあるのがもし別の人だったら、近代化は成し遂げられなかったかも知れない。
薩長の利益を優先した門閥政治、とか悪口言われるけど
今までずーーーっと血統のみで地位が確定する社会を続けてきた日本で
いきなり、あれだけ徹底的な機会均等をなしとげ、
しかも旧特権階級(武士階級)を完全になくしてしまった、というのは、かなりすごいことだよ。
(清朝末から中華民国なんかと比較してみると、よくわかる。)
247 :
日本@名無史さん:2007/01/24(水) 07:57:44
>>246 当時の日本は、よっぽど追い詰められた状態だったのかな・・・
人間、追い詰められないと大事は成せないね。
うむ、今の日本はざっくりしたいいかたでいうと
大久保ジャパンであると思う
そして司馬遼が『翔ぶが如く』を書くきっかけとなった'太政官政府の形'は
130年以上過ぎた今でもシステム疲労を起こしながら民に批判を受けながら生き長らえているわけよw
250 :
日本@名無史さん:2007/01/24(水) 08:04:39
清朝のダメダメさを見てるからな・・・やっぱり必死だったんだろう。
だいたい太平天国の洪秀全みたいに、
革命を標榜しておきながら、実際に自分が権力を握ると
旧体制と同じ支配者になりたがる奴の方が、圧倒的に多い。
大久保やら西郷やら木戸が、そういう奴とは根本的に違っていた、
というのが日本にとっては非常に幸いなことだった。
日本人の国民性も大きく寄与しているよ。維新時に錦の御旗立てたら、
ま、しょうがねぇか時勢だし、と割と官軍についちゃう藩多かっただろw
聖徳太子ってあんな昔に見抜いてたんだからすげぇ。新体制には、馴染み
やすい国民。
アメリカに負けたときモナー
253 :
日本@名無史さん:2007/01/24(水) 09:11:48
大久保さあを支持する
方々、岩倉具視を
忘れてませんか?
彼が有っての幕末後期
の大久保さあの活躍
だったと思いますが。
しかしながら、
この二人は参謀で、
将では無かった訳です!ここにせごどんの
代わりは居ないと
私は考えますが。
悪くいえば、せごどん
のカリスマを
うまく利用した!
幕末の岩倉は単純に朝廷の権力回復を狙っただけ。
岩倉は武力的後ろ盾を薩摩に求め、薩摩は朝廷工作を岩倉に任せた。
たぶん岩倉の代わりはいたと思う。たまたま薩摩が当時利害関係の一致した岩倉に白羽の矢を立てただけ。
和宮降嫁以降、干されていた岩倉にとって、薩摩は願ってもない助け舟だった。
結びつきで言えば近衛家が島津家との結びつきは深いが、格式があるため汚いことはできなかった。
新政府でも岩倉は要職には就くが、主導権を握ると言うよりは飾り的存在だった。
公家勢力の代表としては三条とともにあまり力を発揮できなかった。もともと武力もってないし。
255 :
日本@名無史さん:2007/01/24(水) 19:50:23
256 :
日本@名無史さん:2007/01/24(水) 20:49:35
岩倉は薩摩と結ぶ前から策士ではあるけど、所詮お公家さんだから変節するし、時には大芝居打つしw
鯨酔公や西郷相手の凄みはやはり只者ではないね。
257 :
日本@名無史さん:2007/01/24(水) 23:10:40
高杉晋作・久坂玄端>>>>>西郷・大久保
258 :
日本@名無史さん:2007/01/24(水) 23:26:47
高杉と桂じゃね
消防波の釣り乙
でもだれもかからん団子
260 :
日本@名無史さん:2007/01/25(木) 00:01:25
いかん、大久保というとチョンを連想してしまう。
261 :
日本@名無史さん:2007/01/25(木) 00:45:14
262 :
日本@名無史さん:2007/01/25(木) 16:51:10
西郷と大久保に上下関係なんかないんだよ。
上下関係があったら両者の粗を埋めあえない。
西郷の無謀さも大久保の行動力のなさも
263 :
日本@名無史さん:2007/01/27(土) 03:09:22
なにはともあれ、仲良きことは良いことだね。
264 :
日本@名無史さん:2007/01/27(土) 12:29:40
喧嘩する程仲が良いとはいうが、日本中を巻き込んで凄絶な内戦を始める位の仲良しさんだからな。
265 :
日本@名無史さん:2007/01/27(土) 14:26:00
西郷は詩人。大久保は政治家。
>>264 そ・・・それは、迷惑というやつなんだな(;´・ω・`)
268 :
日本@名無史さん:2007/01/27(土) 19:48:40
269 :
日本@名無史さん:2007/01/27(土) 20:01:06
燃え上がる友情
270 :
日本@名無史さん:2007/01/27(土) 20:40:04
一年半も海外で見聞を広め いろんな制度を見て 日本にも警察をとか、せごどんにみやげば買ったりして、楽しみにしちょったに、江藤と仲良しんなって、楽しか事をやっちょったなんて、くやしかあ許せんばい征韓論も、なんも、かんも、ぶちこわしちゃる!うきぃ
271 :
日本@名無史さん:2007/01/27(土) 20:43:46
272 :
日本@名無史さん:2007/01/27(土) 21:12:37
ちげもす 一蔵さあ、なんもかんも、こん国の為ごわす!征韓ももう決まった事 おいが行って、収まればよし、おいが殺されたら、それが征韓の大義になりもす そいにおはんも長州の伊藤と仲良しんなって おいを捨てるんね ああた
273 :
日本@名無史さん:2007/01/27(土) 21:18:31
>>272タソは改行してないから塾帰りの女子高生の携帯厨とみた。
274 :
日本@名無史さん:2007/01/27(土) 21:23:05
中年坊の ケータイだよ
275 :
日本@名無史さん:2007/01/27(土) 21:27:41
日本中に延焼する友情
まぁ、西郷と大久保の大きな違いは、外国を直にこの目で見たか、否かな気がするけどね。
せごどんも外国を自分の目で見ていたら、こりゃあかんこいつら日本を食い尽くしに来る、と思ったろうて。
ただ、留守内閣にはせごどんが必要不可欠だったし(反乱を押さえるため)
ifを考えても、結局こういう結末になるんだよな。大久保の暗殺はなかったかもしれんが。
277 :
日本@名無史さん:2007/01/28(日) 01:25:59
>>262 大久保が行動力がないとは・・・
単に無恥なのか、友情を美化するあまりの思い込みか知らんが、
あなた、新選組腐女子と同じレベルだよ。
278 :
携帯 中年坊:2007/01/28(日) 02:13:31
あまり いじめては行けませーん、あの時分は携帯も車もあまつさえ、まともな地図や靴も無い!我々には想像もつかない時代っすよ。せごどんも大久保さあも信じられないくらい、歩いて、論じ続けて、あれだけの事を成したのです!行動力が無い!など自分の事ですね!正に
279 :
日本@名無史さん:2007/01/28(日) 02:15:22
>>262 征韓論に際して、「西郷は冒険家な夫、大久保は慎重な妻」って評してるのがある。
確かに大久保は慎重派だけど、考えすぎて結局動けないというタイプではない。
上下関係はどうだろう。
佐々木克著の『大久保利通』の中で、親友という表現は適切でない、
薩摩の郷中制度から考えると二人の歳の差からして対等な関係にはなりえない、
お互いに敬愛しあう先輩と後輩という関係であると指摘されてる。
そもそも友人という概念自体が浸透し始めたのは近代以降じゃなかったかな。
280 :
日本@名無史さん:2007/01/28(日) 03:32:55
またヤオイ女が飛びつきそうなエサを…
281 :
日本@名無史さん:2007/01/28(日) 05:40:52
>>279 でも維新における倒幕運動では明らかに対等な関係だよ。
王政復古の大号令にいたっては大久保が主役で西郷が脇役やってくれてるし。
こういっちゃなんだけど、どっちも無欲で本当に日本をよくしようと思ってた人なんだからさ
同志的な感覚はあったと思うよ。対等とか、友情とか上下とか、
もうそーゆーのとっくに逸脱してたんじゃないかと。
あの二人が為し得た事を考えると、もうそうとしか考えられないんだよな。
空前絶後すぎる。今で言うと官僚、内閣皆総辞職で給料取り上げられたみたいなもんだからなぁ。
それで自分の蓄財の為でもなんでもなかったんだから、肝が太か杉>二人とも
283 :
日本@名無史さん:2007/01/28(日) 07:27:47
確かに凄い。
あのクーデターの渦の中心にこの二人がいた事は間違いないし。
共通した猛烈な目的を持った者同士は家族以上の固くて細い絆で結ばれてる
んだよ。同じ目的を持った二人の間に誰も割って入る事は出来ないし目的の
妨げになるなら簡単に片方を切る事もする。(西南の役)
青年期、貧乏のどん底に陥った大久保家を西郷が助けたり(西郷家も借金まみれだったのに)、島津久光の
怒りを買った西郷を大久保が救おうと駆け回ったり(最後には西郷とともに自決する覚悟すらしてた)などと
簡単に「友人」という言葉では語れない経緯が二人にはある
二人とも美男子とは言えなかったので、幸いな事に腐女子の餌食にはならずにすんだのだが
286 :
日本@名無史さん:2007/01/28(日) 12:17:48
>>285 その経緯を知ってれば西南の役も単純に大久保を責める事は出来ないな。
大久保の心中を察するに。
287 :
日本@名無史さん:2007/01/28(日) 13:14:46
そもそも征韓論(遣韓論)で西郷が鹿児島に下野した事も、大久保自身は大した問題とは考えてなかったのではないだろうか
元来、西郷はすぐに鹿児島に引っ込んでしまう「帰郷癖」とも言えるものがある
そしていざ大問題が発生すると請われて出て行き、その度に大ナタを振るってきた
今回に関しても政論に敗れて帰郷する西郷を「政府首脳洋行中の代役を務めた疲れを癒すためにいい機会だ」くらいに大久保は思って
いたのかもしれない
まして薩閥急進派も西郷について行って鹿児島に帰ったもんだから「政府の混乱を鎮めるために、西郷どんワザと芝居をうったか?」など
と最初は大久保も心中感謝してただろう
なんと言っても今まで西郷は、必要な時にはちゃんと戻ってきて大活躍してくれる英雄だったのだから
それゆえに要職の肩書きの一部は西郷の名のまま残したりもした
お互いに政道を違えても長く友情を交わしてきた二人なのだから、いずれその信頼関係も回復すると思っていたに違いない
「今までだってそうだった」のだから、そうやって共に歩んできた二人だったのだから
しかし今回は大久保の読みがはずれた
薩摩を覆い始めた暗雲は次第に新政府を不安にさせ、そこにいる英雄西郷に警戒の目を向ける事になる
やがて西南の役を迎えるが「もはや行き着く所まで行かないと問題は解決すまい」というのが、西郷と大久保の本心だったろう
288 :
日本@名無史さん:2007/01/28(日) 13:27:43
大久保にとって西郷はもう不要の捨て駒にすぎなかった
>>285 大久保はいい顔だと思うけど、と一応いっとく。
つーか、面長でキレイ系と思うけどなー
ヤオイ女を牽制する為の布石だと思うことにしよう。
290 :
日本@名無史さん:2007/01/28(日) 17:11:42
二人とも英雄的風貌と表現されることが多いね
大隈の西郷デブい、大久保カコイイ!発言はさすがに露骨すぎてワロタけど
大久保は美男スレに名前が上がることもあるし、それなりにいい顔ではあるんじゃないか
西郷は従道に似てるとしたら男前かも
大久保や木戸、伊藤、江藤とか明治政府のメンツはイタタな面もふくめてそれぞれすごく好きなのに、
西郷は英雄だのなんだのマンセーされるほど自分の中では冷めてく
スゲー魅力があるんだろうが、力説されるほど「フーン」になる
好きな奴はとことん心酔するだろうが、わからない奴は本当に理解できない、それが西郷
だそうだが、まさにそうだと思う
291 :
日本@名無史さん:2007/01/28(日) 17:25:50
>>290 坂本竜馬が西郷に会った印象を、師である勝海舟にこう語っている
「西郷というやつは、わからぬやつでした。釣り鐘に例えると、小さく叩けば小さく響き
大きく叩けば大きく響く
もし、バカなら大きなバカで利口なら大きな利口だろうと思います
ただ、その鐘をつく撞木が小さかったのが残念でした」
>西郷は英雄だのなんだのマンセーされるほど自分の中では冷めてく
>スゲー魅力があるんだろうが、力説されるほど「フーン」になる
あなたのこの意見はまさに坂本竜馬の言葉と同意であろう
もはや書籍でしか西郷を知る事の出来ない我々は、西郷と言う鐘を大きく叩く事も大きな響きを聞くことも出来ない
西郷の実物に会えない後世の人間は「さらに小さな撞木」でしかないのだから
冷静になればなるほど、我々は西郷を小さくしか叩けないのだ
292 :
日本@名無史さん:2007/01/28(日) 17:39:03
大久保は美男子だよ。大久保のヤオイジャンルも小規模ながら存在している。
293 :
日本@名無史さん:2007/01/28(日) 17:41:30
294 :
日本@名無史さん:2007/01/29(月) 19:35:28
大久保が暗殺された時には生前の西郷から貰った手紙が懐にあったんだよね。
三条が読んでみたいからと借りていたのを返して貰ってそのまま持ち歩いていた。
みんな西郷の事が好きだったんだね(´;ω;`)
295 :
中年坊:2007/01/29(月) 19:50:24
男は大きいモノが
大好きだ!あのせごどんのどうしようもない でかさ!が そうかあ!偉いのは大久保さあだ! せごどんはでかいんだ!それはもう途方も無く!
296 :
日本@名無史さん:2007/01/29(月) 20:26:33
昨日テレビで大久保と西郷やってたね。
大久保の顔まじまじと見ちゃった。(すごく長く静止画像だったから)
あんまり知られてないけど、顔良いんだね。
ネットでも調べたけど、美男って言えるくらい。
>>294 それ昨日の番組の最後でも言ってて、二人は心の中では
つながってたとかなんとかで番組を締めくくってた。
初めて知ったエピソードだった。
結構ドラマティックな話なのに、一般にあまり知られてないのは、
残念な気がした。
しかも、手紙の内容がちょうど顔の話題だった。
>>295 せごどんはもうでかすぎて、この世の人とは思えませんですよ!(死んでるけどねw)
天が国難に際し、この二人を遣わしたとしか思えん位ですよ!
298 :
日本@名無史さん:2007/01/30(火) 00:32:58
>九州街道物語
この番組いいなあ、見たい。このスレ九州の人多いのかな?
他にも五代友厚とか、特定の人物にスポット当てた回があったりしておもしろそうだね。
TVでもっと歴史教養番組やってくれたらいいのに。
本で読むのもいいけど、映像だと知ってたことでもわくわくしながら見れるよ。
NHKでやった「海外から見た日本−岩倉使節団」とかおもしろかったな。
>手紙の内容がちょうど顔の話題
それって「写真見たけどヒゲは見苦しいからやめれ」ってやつ?
そんな手紙読んでどう思ったんだ三条w
299 :
中年坊:2007/01/30(火) 21:38:42
彼等が今、いたらどう見るかな?この時代を?小金を貯めて自分達の利益しか考えない!あの腐った方々、私は今、せごどんや一蔵さあ それに斉彬公がいたらと、
300 :
日本@名無史さん:2007/01/31(水) 05:35:04
>>299 友達同士でも殺しあった彼等だからね。安倍の仲良し政権を見たら失望するんじゃないかな。
日本のために身内を生贄に捧げられる人間なんて今はいないだろう。
まぁあの時代でも長州人の事はあったが。
薩摩人は身内というより自分自身をイケニエにした真のサムライって感じだな。
討幕間もない頃は治安が不十分で政府要人も護衛無しでは外出できなかったが、
薩摩武士だけは護衛をつける臆病を嫌がって一人歩きを好んだ。
自分の命を危険に晒す事を躊躇していない。
大久保も独裁者の癖に護衛嫌いだからアッサリ殺されちゃった。
政治指導者としてはかなり問題のあるリスクマネジメントだが人間的にはカッコ良すぎ。
302 :
中年坊:2007/02/01(木) 10:23:44
そういえば、今の我が国 長州さんが政治してますな! まんま幕末に似てますね!汚職や無責任発言やら、前の方は慶喜公みたいだったし、そろそろ、せごどんの出番かな?誰だろうね?今のせごどん
303 :
日本@名無史さん:2007/02/01(木) 11:17:53
日本は腐ってる
304 :
中年坊:2007/02/01(木) 11:33:26
だいたいの腐れは あの今慶喜公がした事さ!百才あって至誠足らず! 本当によく似てるよ!
政治ってもんは真面目にやったら赤字な世界だろうから
今の政治家にせごどんを求めるのは酷っつーもんですよ。
一人の英雄に詰め腹切らせるんじゃなく
足りないながらも、一人一人が変えていく意識を持たないと。
せごどん&大久保は、本当に、日本の国難だったから
誰かが助けによこしてくれた特別な人だと思っておいたほうがいい。
マジレスでした。
306 :
中年坊:2007/02/01(木) 17:29:35
そうだね 最近よく思うのが、せごどんや一蔵さあにしろ 斉彬公 阿部正弘 ケネディ 信長公 達は そのままいたら、本当に皆を幸せにしていたように思えてならない!天が我等に与えた方々だ!しかし後少しで 殺されてしまう。これは何かの法則だろうか?
実は小渕総理もそうだと思っているんですが、内緒です。
俺の遍歴
厨房 西郷すげー!でけー!カコイイ!
工房 大久保すげー!頭(・∀・)イイ!!カコイイ!西郷無能( ´,_ゝ`)プッ
その後人生経験積んで今は両方尊敬してます。
歳を取ると西郷さんの偉さがよく分かるようになりました、はい。
308 :
日本@名無史さん:2007/02/02(金) 12:25:16
二人で一つ、っていうのが答えなんだよな
309 :
日本@名無史さん:2007/02/02(金) 12:30:32
もっかいこの二人大河ドラマ化してくんねーかな。
光のあたらなかった二人が力を合わせて革命を成功させて一気にひ
のき舞台へ→徐々に二人の友情に陰りが見え始める→殺し合う→
西郷が死ぬ→残党に大久保も暗殺される→若かれし二人の日々を回想
ドラマよりドラマチックだ。
今こそ二人の再評価のためにもやるべきだな。
>>309 とぶが如くを見たいんですが、WOWWOWは入れてないんですよー・・・
DVD出してくれたらいいのに。総集編しかないorz
ラストサムライ・西郷
312 :
中年坊:2007/02/04(日) 03:11:36
敬天愛人せごどんは 死んじゃおらんよ!こうして、みんなでいろんな事を言いあっちょるウチは生きております!サムライも我等の中に!
うわあ 恥ずかしい
313 :
日本@名無史さん:2007/02/04(日) 08:43:50
今朝NHKのラジオで竹村健一と竹中平蔵が対談していたけど、
小泉首相からは「自分が全部責任を持つから思いきりやりたいようにやれ」と全面的にバックアップされていたんだと。
おお、さすが薩摩士族の末裔を称するだけあって大久保流だな〜と今更ながら小泉の事を見直したよ。
だけど小泉の勝負強さについての話題になると、
「相撲と同じでダラダラ考えてると負ける。一瞬の判断が大事だ」と言っていたらしい。
このあたりはOKを出す時でさえ「それは御評定にかけましょう」と言う大久保の慎重さの片鱗も無い。
郵政やアメリカの意向以外行き当たりばったりの小泉と大久保比較するなんて池沼のふりもたいがいにしろよ
>>312。君は天然だから許すw
315 :
日本@名無史さん:2007/02/04(日) 10:22:33
行きあたりばったりで常勝無敗というのは神技だぜ
316 :
日本@名無史さん:2007/02/04(日) 10:54:19
ある意味できレースだがな
317 :
日本@名無史さん:2007/02/04(日) 10:55:57
行き当たりばったりが時勢によっては「臨機応変」になる事もあると・・・まぁ結果論ってやつww
318 :
日本@名無史さん:2007/02/04(日) 11:38:22
政治家は結果が全て。
行きあたりバッタリでもアメリカ資本のパシリでも不良債権処理で結果を叩き出して当面の危機であったデフォルトを阻止できれば及第点。
小泉と竹中は残り時間が僅かな状況で見事に任務を果たした。
319 :
日本@名無史さん:2007/02/04(日) 13:31:05
貧富差拡大と毎年3万人の自殺者と引き換えに、だが
大久保西郷だって使えない士族層を漸進的に貧困層に落とした点は共通しているかもな
320 :
日本@名無史さん:2007/02/04(日) 13:58:58
山積する問題を同時に片付けるのは無理だ。
時間が無かった難題をキッチリ解決して小泉と竹中はステージを自ら退いた。
改憲と核武装は安倍の仕事だ。
そこまで片付けたら後は麻生あたりが莫大な日本の国富を盗んでいた反日勢力を一掃する事業に着手して自殺者を減らせるだろう。
321 :
中年坊:2007/02/04(日) 14:56:11
私は小泉氏は石田三成
ぐらいにしか 見れないですね!くらしの苦労
を知らない政治家が机
の上で辻褄合わせを
したに過ぎないと、
靖国参拝 マスコミ大騒ぎ、そのスキに無理な
法案を通し、葬式の
会計士だよ彼は、
この程度の人物と
せごどんや一蔵さあを
一緒くたにしないで
くれ。又出てくるよ!
きっと
どさくさ紛れに税金上げて、上がりませんと嘘ついたりするしね。
上げるのは仕方が無いとしても、せめて嘘などつかず正直にやればいいのに。
323 :
日本@名無史さん:2007/02/04(日) 20:27:39
民主主義体制下ではいかにうまく有権者を騙すかというのも政治家の大切な仕事。
有権者に諮った多数意見が専門家の見識を凌駕する可能性は皆無に等しいからね。
大久保が民主もとより適用すべからずと喝破したのもそういう事。
大久保の時代は野次馬に耳を貸す義務が無い時代だからわざわざ騙さなかっただけ。
324 :
日本@名無史さん:2007/02/04(日) 20:58:08
やっぱ後世の評価 あのブッシュジュニアだって気にしているらしいしな
325 :
中年坊:2007/02/04(日) 21:05:02
その民衆の行く先を明るく、照らすのも政治家の仕事ですよ!たとえ借金が山積みでも葬式の会計士より お祭りの会計士の方が、いいじゃないか?今慶喜公は理詰めで、楽しくない!だから、せごどんみたいな、皆を明るい気持ちにする。政治家はいないのか?と
それにしても民主もとより適用すべからず…とは言い切ったもんだ。
臨終の病床でも民主主義マンセーの駄文を書き続けていた某とはやはり政治家としての格が違う。
328 :
日本@名無史さん:2007/02/05(月) 20:34:35
>>326 民主主義はダメなら何主義がよかったの?
329 :
日本@名無史さん:2007/02/05(月) 21:02:31
政治家が自分の議席を獲得・維持することに多大な労力と時間と金を費やし、
世間的な人気を得ることに腐心して肝心の政策がおろそかになりがちな、
民主政治や選挙というものにも疑問を感じる。
大臣がちょっと失言したくらいで国会の審議がストップして、日常の政務が滞るような
民主政治なんてアホらしい。
衆愚政治になる危険性があるからなぁ。
民衆のレベルを上げる以外に、それを回避する方法は無い。
確かに民主主義にも欠点はあるけど、
それならばどんな政治体系を取れば良いの?
332 :
日本@名無史さん:2007/02/05(月) 21:18:32
総選挙でも地方選挙でも、選挙って一種のお祭り騒ぎって感じがする。
しかもテレビとかメディアが面白おかしく煽って乱痴気騒ぎになってる。
でも、政治家がその地位を維持すること自体に多大な労力と時間を消費し、
議員になるという「手段」が「目的」化している本末転倒は民主政治の弊害だな。
議員になるとか議席を維持するとかいう、あくまで政治に参画するための手段が
政治家最大の仕事になってるというのは・・・
333 :
日本@名無史さん:2007/02/05(月) 21:24:15
現職の政治家にとって選挙運動のための時間と労力ってものすごく無駄だ。
以前、大臣としての仕事が忙しくて選挙区に帰れず、落選した人がいたそうだが、
これっておかしいよな。
大臣なら大臣としての仕事に専念するのが当然であって、選挙民のご機嫌取りを
しなかったからといって落選するような選挙なら、選挙自体馬鹿馬鹿しいよ。
民主主義の弊害については今の政府を見てりゃ解るが、
それならば民主主義に代わる政治体制としては何が良いんだ?
大体、政治体制なんてどんな物を選んだって弊害だらけだしな。
藩閥政府だって弊害はあったし、徳川幕府だってそうだ。
具体的な代替案が無きゃ論じたって無駄じゃない?
政治体制って、正直よく分からんわ。
公務員試験の時、政治学、行政学、法律全般、
各国の歴史、国際関係、主要各国の政治体制や成立過程、
関係ありそな分野もかなり学んだものだが、答えは出なかった。
システムが民主的でも民度が低ければ運用で躓くし、
民度が高くてもシステムが悪いと悲劇になる。
かと言って民度だけが決定的かと言えば、システムが民度を育てることもある。
北欧みたいにおよそ民主的とは言い難い政治体制が民主的に機能するケースもある。
政治体制って、正直よく分からんわ。
公務員試験の時、政治学、行政学、法律全般、
各国の歴史、国際関係、主要各国の政治体制や成立過程、
関係ありそな分野もかなり学んだものだが、答えは出なかった。
システムが民主的でも民度が低ければ運用で躓くし、
民度が高くてもシステムが悪いと悲劇になる。
かと言って民度だけが決定的かと言えば、システムが民度を育てることもある。
北欧みたいにおよそ民主的とは言い難い政治体制が民主的に機能するケースもある。
337 :
日本@名無史さん:2007/02/05(月) 21:51:47
少なくとも、議席を得ること自体が政治家の最大の仕事になってる状況はいかがなものかと。
338 :
日本@名無史さん:2007/02/05(月) 22:41:02
党利党略で動いているから>今の政治家
明治以降の大久保は内憂外患から日本をどう守りどう育てるかについてはぶれなかったな
しかも旧勢力や藩閥の圧力を撥ね退けて横死するまで戦い抜いた
果たして何十年後かに××は世論や悪評をものともせず強い日本を作るために戦い抜いた・・・
と評価される為政者は今の日本にはいないだろうなorzorz
おいおい大久保は立派だと思うが
あの時代は二度と戻りたくない時代だろう。
今からじゃ想像もつかないほどの独裁体制だぞ。
340 :
日本@名無史さん:2007/02/05(月) 22:58:07
いや良い時代だとは言ってないよ
ただ後世が今の政治家たちをどう評価するのかなと問うてみただけさ
341 :
日本@名無史さん:2007/02/05(月) 23:05:22
強いアメリカを実現した結果、国を誤った大統領もいるから
「強くなくとも豊かな日本」と言いたいとこだけれど
それは既に実現していたわけで
エコノミック・アニマルとさえ呼ばれたわけで
だから僕は、「美しい日本」にしたいと願った訳で――
吾郎「純、ハガキが来てるぞ」
――びっくりした。
蛍「お兄ちゃん――」
ハガキには、こう書かれていた。
『“ふつうの日本“が分からなければ、
強くも豊かにも美しくもなれないよ』。
――打ちのめされた。
342 :
日本@名無史さん:2007/02/05(月) 23:18:52
>>339 役所(内務省)ではどんな下っ端役人に対しても、必ず敬語で話していたのが
不気味
343 :
日本@名無史さん:2007/02/05(月) 23:29:26
ふつうの日本が一番のほめ言葉だな(ことばおじさん)
344 :
日本@名無史さん:2007/02/05(月) 23:29:40
資本主義や共産主義は経済的形態じゃないですか。
民主主義の他にどんな政治形態がある?言葉として、の話だけど。
345 :
日本@名無史さん:2007/02/05(月) 23:34:27
ファシズム,王政,宗教国家・・・
346 :
日本@名無史さん:2007/02/05(月) 23:35:18
政権交替の都度いちいち人命を(とりあえずは)やり取りしなくて済む民主主義体制への移行という現象は、
産業革命と同じように善悪とは無関係に歴史の必然。
政権交替に臨んで人々が殺し合う必要から(とりあえずは)解放された事は民主主義の唯一にして最大の利点。
その引き換えとして政治家の資質が劣化する事と政治の非効率化は不可避のデメリット。
そのデメリットが蓄積して清算が必要になると戦争などの蕩尽によってリセットする必要が高まる。
アメリカが15年おきに戦争を起こさないと崩壊すると言われているのも、
民主主義政治で生じる歪みを外国人の死という形でアウトソーシングしているから。
347 :
日本@名無史さん:2007/02/05(月) 23:40:01
とりあえず俺は民主主義より資本主義に問題があると思うんだが
>>339 絶対選択を間違わず、外国に負けない外交をしてくれる人物だったら独裁も甘んじて受け入れます。
349 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 00:07:59
民主主義と資本主義には密接な関連がある。
まず資本主義(capitalism)はマルクスが提唱した共産主義思想に基づく造語なので自由市場経済と言い換えるが、
自由市場経済は産業革命によって資源の大量消費が技術的に可能となった事から大量生産の手段を手にした資本家の要望によって維持される事になった。
金持ちは工場を建てる事が出来て、
資源を大量に買い付ける事が出来て、
大量生産で安価な商品を市場に供給する事ができる。
しかし、大量に売り出された商品を買って貰う為には世の中の消費者が可処分所得を沢山持つ必要がある。
貧乏人はあまり金を使ってくれないから商売の効率が悪いのだ。
消費者がほどほどに満遍なく可処分所得を増やす状況が資本家にとっては一番望ましい状態なので、
最低賃金規制や雇用創出などの政策は社会全体の要望となる。
産業革命によって資源の消費速度が増大していなければ自由市場経済が規模を拡大する事もなく、
資本の蓄積が進む事による貧富の差も階層化には到らない。
従って産業革命以前の支配層は知識や武力によるアドヴァンテージを民衆に対して確保すれば良かった。
しかし今は資本家による金儲けの邪魔は許されない時代なのだ
350 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 00:39:45
さりとて資本家は消費者が過剰に私有財産を蓄える事を望まない。
もしも仮に今の全人類に一人あたり100億円ずつ給付したと想定してみよう。
普通の金銭感覚で言えばどこで暮らすにしろよほど無茶苦茶な散財に走らない限り利子収入だけで生涯働かなくても暮らせる程の財産である筈だ。
しかし事はそう簡単ではない。
誰もが働かなくても済む筈の金を得ても、誰かが何らかの形で労働を担う必要は無くならないからだ。
例えばゴミの収集車やデパートの便所掃除を考えてみよう。
他の職業なら暇潰しがてら物好きな金持ちが勤める事例も充分考えられる。
現在ではあまり良い仕事とは思われないタクシー運転手なんかでさえも趣味でやってみたいという人々は少なからず居るだろう。
しかしゴミ収集車やデパートの便所掃除は必要とされる人手を物好きなマニアの志望者だけで満たせるとは到底考えられない。
誰もが100億円ずつ所有している社会で誰かにゴミ収集や便所掃除を任せる為には、日給1万や2万では全然話にならない。
結局は誰かを使う為の人件費が高騰して100億円の有り難みが減殺されてしまうだけだ。
資本家は消費者がある程度の可処分所得を持つ事を望むが貧富の差が消える事は望まない
351 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 00:46:05
ていうか、政治家が政策立案とかより政局や選挙運動に労力と時間を奪われてる状況は、
民主政治の欠点だな。
選挙なんか関係なしに政務に専念できるようじゃないと、いい政治はできんよ。
352 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 01:00:50
資本家は自分に好都合な政治を実現する為に政治家を飼育する。
政治家の仕事は有権者の支持を集めて政治権力を入手した上で、
スポンサーである資本家の要望を実現する事だ。
353 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 01:11:10
命のやり取りを伴わずに民意に添ったという建前に基づいて政権交替がシステマチックに遂行される民主主義体制は、
資本家が民衆を支配する為に最適の方法として採用された。
大多数の有権者は自分が主権者として主体的に政治に参加していると錯覚しているから社会秩序に命懸けの挑戦を試みたりする事もなく生涯従順な労働力として資本家に奉仕し続ける。
政治家は有権者を上手く騙す仕事に成功すれば命の危険もなく飼い主の資本家から有形無形のご褒美を貰える。
354 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 01:50:51
民主主義体制を廃止するのは産業革命を廃止するのと同様に不可能。
産業革命が環境破壊と資源の枯渇を回避できないように、
民主主義による政治の停滞と有権者の愚民化は阻止出来ない。
355 :
中年坊:2007/02/06(火) 02:09:07
私は偏った人間ですから、参考にしないで下さいな!私はあのタブーにされている。ナチズムが理想だと、かのヒトラーはまず資本家を取り込み、国家一丸と成る道具に
ユダヤ人の迫害を
提唱し、道路整備 産業復興 敗戦処理の不平等の撤廃、文化の推進 なにより、頑張った民
には家とフォルクス
ワーゲンの提供 正に見事な政治を実行した
わけです。
調子に乗って戦争を
始め!本気でユダヤ人
を迫害 (マダガスカルにユダヤ国家樹立)
で世界中に彼等は悪人
だと決めつけられたの
ですが!ある時期まで
のナチスを見習うべき
かと、日本人と言う
民族には、資本主義は
合わないと考えます、
なんなら私に付いて
きますか!
うわあ最低の戯れ言だ 次回は金持ちの義務に
ついて
356 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 02:10:47
民主主義の最終形態は共産主義であるから資本主義などの
煩瑣なものは省いて一気に共産党独裁にするのがよい
357 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 02:22:18
良い悪いではない。
民主主義とその極相であるプロレタリアート独裁の悪夢を克服する為には、
人間がそれ以上の存在として進化する以外に道が無い。
薩摩武士は歴史上唯一その可能性を実現した存在だが、今は絶滅した。
358 :
中年坊:2007/02/06(火) 08:15:11
今は貧乏のふりをする。偽物の金持ちだらけ
だから、こうなる!
お金は自分の周りで
使え!海外行ったり、
外国人雇ったり、
大事な日本のお金を、
外国へ垂れ流し 日本は借金国だから国民に
イタミを、だと
ふざけてませんか?
いくら物価が安くても お給料も安いから
ダメー!無理してでも
国産の良いものを
買いましょう。
富国強兵はせごどん達
の願い!今は世界平和
はムリ!せめて我が国
の繁栄を、それから
世界平和に貢献では
有りませんか?
金持ちはお金を
使いましょう!
生産性の高い民主主義など、地獄に等しい
テキパキと全会一致、または多数決で国民の利害が動く訳だろ
国の財政が厳しくなりましたので来年4月にデノミやります、
賛成!賛成!ハイ、決まりました、
これは怖いよ。
デノミやったらお年寄りの貯金はどうなりますか総理!企業の活動は!
いやそうは言ってもねぇ、国にこんなに金がないとインフラも整わず、
その不利益は他ならぬ国民や企業に返る訳ですからねぇ、
なんとか健常に戻さないと…
このウダウダ感そのものが民主主義の根幹。
過程が大事。
明治初頭みたいに何をやるべきかが分かりきってる時は、
桂や西郷みたいな合議主体の政治家よりは大久保みたいな独裁肌の人の方が生産性は高いわな
お年寄りと旧士族が重なるな
361 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 13:50:04
今だってやるべき事は分かり切ってる訳で、そこを分かってない幕府みたいな連中が足手まといになってる事に変わりない。
構造改革と幕政改革
国家公務員と幕閣旗本
が重なる
363 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 15:20:02
俺はそこに国家公務員じゃなくて資本家が来る
364 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 15:25:29
現代大衆社会は参政権の幅が広く
価値観や世界観も多様化して一概な政策集約が難しい、
というのが政治学のイロハ。
試しに、あなたの考える「分かりきった政策」を言ってごらん。
断言してもいいが、かなりの抽象論になるか、
または具体的である余りに疑義の余地ある議論になるか、
きっとどっちかだよ。
365 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 15:46:10
だが反対勢力ってとりあえず今の政権ひっくり返して話はそれからだって考えたりもする
西南戦争だって民権派や旧幕派が西郷軍に吸い寄せられるように参加していたわけだし
例えば宮崎八郎は西郷政権樹立後に西郷をひっくり返すところまで皮算用してたらしいw
そうなれば血で血を洗うフランス革命状態
幕府の人間のほうが先進的な思考は持ってたけどな
議員だって一応は頭のいい連中だろうに
とりあえずもう一院制でよくね?
大久保って慎重だけど楽観的というか、けっこう丸投げ思考だよね
弊害が出てきたらその時になんとかすればいいよみたいな
お手本はあるものの手探り同然だったから、考えるよりまずは行動が求められたんだろうけどさ
>>342 それ言ったら伊藤なんかは誰に対してもフランクじゃないかw
維新がなって間もない頃に上も下もあんめえ
>>366 参院は都道府県代表の色合いが比較的強い。
それに参院がないと衆院が解散中立法権がすべて停止してしまう。
また、衆院を廃止すると政治情勢がタイムリーに国政に反映されなくなる。
それは御評定になりますまい。
368 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 18:30:34
衆議院が公選なのはやむをえないが、参議院は公選ではなく任命制でいいと思う。
選挙民のご機嫌取りとお祭り騒ぎは衆議院だけで十分だ。
369 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 18:35:21
分かりきっている事を理解できてない御仁に向かってわざわざ講釈するのは時間と労力の無駄だ。
分かってる人にとっては現在遂行中の作戦なんだから攻撃目標が無力化される以前に種明かしする訳ないだろ。
370 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 18:35:24
イギリスの上院は、いまや任命制の一代貴族がほとんどで実質は勅撰議員と同じ。
カナダの上院も任命制。
ドイツの上院は各州政府から州の代表として派遣される任命制の議員。
>>369 つまり国民的コンセンサスはない話なのな
そんなら敢えて聞かんでもええわ
>>368>>370 任命制って…
一院制から話がすり替わってんじゃん
372 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 19:39:29
そりゃ、別の人間が書いてるんだから、話題が変わって当然。
参議院なんて任命制で上等だ。
373 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 20:01:53
民主主義は門外漢の群れに多数意見を諮る事に重大な瑕疵があるという話の後で
「国民的コンセンサス」
とは何とも素晴らしいジョークだ。
374 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 20:27:43
二十年近く前の都知事選挙で、NHKの磯村キャスターが自民党から立候補してたが、
選挙のプロの入れ知恵かどうかしらんが、銭湯で下町の爺どもの背中を流してたよな。
票稼ぎのため、本人の本来のキャラに合ってないような泥臭いことをやらされて、
いままでフランス通のお洒落を売り物にしてた人物が無様な裸体をテレビで晒された。
これで元々、磯村が好きだった層が幻滅したのも事実。
こういう、ことさらに泥臭いことをしなければいけない民主選挙など、クソ食らえだ。
375 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 20:29:01
資本家は有能な詐欺師を雇って立候補させる。
雇い主の資本家が望む政策をあたかも国民的コンセンサスであるかのように演出する事が民主主義体制下における政治家の役目。
376 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 20:34:01
自民とか民主党右派の保守系の候補に多い、鉢巻、タスキがけのスタイル。
絶叫調、哀願調、浪花節調のわざとらしい演説。
ああいう泥臭い演出、やめてほしいわ。
昔の農村や下町のオッサンが相手の時代ならともかく、21世紀まであのスタイルかよ。
あと、国会の議事進行でいい年こいたオッサンが「ぎちょ〜〜〜」とか馬鹿声で絶叫したり、
民主党のナガタみたいなパフォーマンス馬鹿が下品な野次とばすのはやめてほしいわ。
何のスレなんだここは、知識合戦はもういいよ
ご高説は大学のゼミかなんかで存分に披露すれ
せめて語るなら西郷と大久保と関連付けて語ろうぜ
378 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 21:20:24
木戸が民主主義マンセーのレベルから最後まで脱皮する事なく生涯を閉じたのを尻目に、
民主もとより適用すべからずと一刀両断に切り捨てた大久保の偉大さを考察する為には、
目から民主の鱗を落とす必要があるのだよ。
379 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 21:45:20
>>378 その大久保もボトムアップ式の案件には
「ご評定」というまるで社禝のような神聖空間を設定し、
自己の権威を否定したということだから、
やっぱり大久保は偉大なんだね。
「俺がやいもそ。
なあに、俺が口利きすれば3日で決まいもす」
とかだったら後世からしたら大久保の偉大さは半減するもんね。
>>378 勝が伊藤に対して
「議会なんて思い上がり甚だしい、あの大久保ですらまだ先のことだと考えてたのに早すぎる」
そう指摘したように、大久保だって頭っから民主主義を否定してたわけじゃないだろ
民度が低い状態では民主主義国家は成立しない、そう考えてのことだと思うんだが
義務教育が制定されて、平均的な地盤のできた現代の民主国家体制とじゃそれこそ比較にならない
民主主義だ社会主義だとその制度”だけ”を語るのはここではお門違いなんじゃないか?
それと、378さんの木戸は民主マンセーだと否定的なところは、
「大久保を考察する上で民主の鱗を落とす」のではなく
「はなっから民主を否定した上で大久保を考察する」としか思えないんだが
381 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 22:46:02
まだ民主主義に幻想を持ってんのか。
民主主義は産業革命を導入したら不可避の体制となる。
言わばスモッグや赤潮と同列な公害の一種に過ぎないんだよ。
382 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 22:47:49
確かに選挙という馬鹿騒ぎや国会議員という下品な連中を見ると、
公害の一種と言いたくなるな。
383 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 22:53:44
384 :
中年坊:2007/02/06(火) 22:54:51
主義とかじゃなく! 政治って みんなが
食べて行くためのもの
ですよね!せごどんは
まず農民達が食べられて、藩にもちゃんと
年貢が納められる方法
を建白して、斉彬公に
認められたんですよ!
国家がとか主義とか
じゃありもさん!
今は非常事態が
そこまで来てます!
でもご飯食べなきゃ
ささ 飯の支度しよう
385 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 22:55:15
鉄道を敷設したり発電所を建設したりする政策だな。
386 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 23:00:47
>>385 「産業革命を『導入』」ってなあに?
日本は産業革命を「導入」したの?
387 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 23:03:59
導入したんだよ。
鉄道を敷設したり発電所を作ったりな
388 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 23:07:16
>>387 ってことは、鉄道と発電所がある国は産業革命「導入」済みなの?
満州や中国は清国時代から産業革命に至ってたってこと?
389 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 23:10:25
こういう言葉遊びのイチャモンで給料もらってるのが代議士なんだよなw
言葉遊びっていうか、
>>381の理論の破綻を突いただけだと思うがな。
391 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 23:15:21
まぁ西郷も大久保も木戸も言葉遊びに耽るような低脳ではなかったな。
392 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 23:16:14
>>389 そういう屁理屈こねて貰っても結構だけどね、
俺は「産業革命って何だ!?」という大きな疑問を解決できないでいる派だ。
産業革命ってなあに?
ドイツみたいにちょっと呆れるくらいの関税保護貿易で
資本を蓄積した国には産業革命はあったの?
あったとすればいつ?
別に定義君じゃぁないが
そもそも産業革命って定義はあんのかよ?
393 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 23:20:48
同じ頃アメリカでは白人による弾圧に対抗する為に黒人の間で武装勢力が形成されていた。
黒人たちは白人と殺し合う為に所持した銃をイコライザーと呼称した。
イコライズとはイコールにする、均等にするという意味だ。
銃というのは剣術や弓矢などの武器とは異なり非常に短時間の練習で絶大な戦闘力を発揮する。
武士は幼少時から生産活動を免除される事で得た余暇を武術の習得に費やす事で民衆に対して圧倒的なアドヴァンテージを確立していたが、
産業革命により銃の性能が急速に発達し大量生産で安価に普及すれば、
長年の稽古で確立した武士階級の軍事的アドヴァンテージはたちまち覆る。
産業革命が民主主義と不可分の関係にあるのはこういう現象としても確認できる訳だ。
394 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 23:31:54
>>393 せっかく書いてくれた訳だけど、
はっきり言ってよくわかんないな。
だって、明治の民衆が士族と対峙してたなんてことは言えないじゃん。
産業革命は一般には日清・日露戦争の後からと言われてる訳だけど、武士と何か関係あるのかい?
(実際はいつから始まっていつ終わったの?疑問。)
395 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 00:11:54
いや、破綻してるのは民主主義に変な幻想持ってる馬鹿の方だよ。
396 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 00:20:29
明治維新の頃にどこかの村で一揆が起こって、
武士が1人か2人くらいしかいなかったのに村人数十人を返り討ちにしたという事例をどこかで読んだ覚えがある。
誰か詳細知らない?
397 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 00:23:31
選挙に多大な労力と時間とカネをかけて、政策がおろそかになるのは、
やっぱり民主主義の最大の欠陥。
あと、野党が数でかなわないからって、与党政治家の言葉尻に難癖つけて、
しょーもない屁理屈や言葉遊びで国会の審議をストップさせたり、
議員がDQN厨房なみの口汚い野次を飛ばすのが当然視されてることもな。
ここは民主主義だのなんだのと議論する場ではないと何度言えばry
先ほどから懇切丁寧にもうんちくを垂れ流してくださってるが、「だから何?」としか言えないんだが
ご自分のご大層なご意見と、用語の説明を書き連ねて一体何がしたいのか
ここは、 西 郷 、 大 久 保 に つ い て 語 る ス レ で す
378さんが「大久保を考察する上での民主主義の視点」を主張したから、
380でそれに対して意見をしたのに、それが「民主主義に幻想を抱いてる」ことになるのか?
こちらは民主主義の良し悪しを語りたいわけじゃないんだが
399 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 00:32:51
結論
選挙民に媚びへつらう必要もなく、選挙で無駄な時間と労力を使わずにすんだ
大久保卿の時代は政治家にとっては理想的だった。
支配される民衆にはたまったものではないが。
400 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 00:35:12
大久保卿もいまの日本で政治家だったら、選挙向けの馬鹿みたいなパフォーマンスを
余儀なくされる。
彼にとっては、あの時代で幸運だったと言える。
401 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 00:41:47
産業革命ってのは蒸気機関の実用化を契機として外燃機関や内燃機関といった強力で応用しやすい動力源を得た産業構造への変化だな。
資本の蓄積は産業構造の変化によって時間あたりの生産量、消費量が増大した事で生じた結果であって産業革命の前提ではない。
402 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 00:49:58
大久保が明治維新に極めて重要な役割を担い、
明治維新が産業革命の導入と不可分の事件である以上、
産業革命が社会にもたらした公害である民主主義体制への移行という現象について大久保がどう対処したのかは黙殺できない。
現に民主もとより適用すべからずという至言で知られてる訳だしな。
大久保も民主主義を完全に否定している訳じゃなく、
今この混乱期に適用は出来ないと言っているだけなんだけどな。
決してそれそのものを否定していたわけじゃない。
404 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 00:56:48
でも、まあ現代のような下品な民主政治になるとは予想してなかったろうな。
405 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 00:57:31
否定も何も不可避の災厄なんだから否定しても仕方ない。
「オレは産業革命を導入するがスモッグは否定するぅっ!」と喚いてもスモッグは消失しない。
406 :
中年坊:2007/02/07(水) 00:58:15
本当に人間て難しいよね神のごとく、尊崇していた斉彬公の西洋好きは、せごどん どうしても止めて欲しかったそうですからね!人は他人を許容する事から、始めましょう!やいやい言うより、楽しく、おかしく、せごどんも腐ったオヤジギャグ大好きだったそうですから!
>選挙向けの馬鹿みたいなパフォーマンス
日本のため、誠心誠意つくしてまいります。
国民の皆様、大久保〜利通、大久保〜利通をどうぞよろしくお願いします!
とか想像してワロタ
半径2mの男のたろさと違って、近寄りがたいオーラの大久保は苦労しそう
民主主義が本格的にどうこうなる前に死んでるからなあ
明治期の産業が民主体制という害悪をもたらしたと仰るが、
そもそも大久保自身、産業を起こすことに力を入れた一人じゃなかったか
408 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 01:07:53
大久保は産業革命がもたらすスモッグやスラム街と一緒に民主主義という害悪に社会が汚染されるリスクを引き受けたんだよ。
409 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 01:10:26
「民主主義は馬鹿を産む機械」発言。
410 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 01:39:19
>明治の民衆が士族と対峙してた
西南の役なんて西郷がすぐ負けて終わりだろpgr、と揶揄した錦絵が描かれてるな
逆に政府側を揶揄して、大久保川路を油であげて〜なんてえ歌もはやってる
士族と民衆がはっきり真っ二つに対峙してたなんてことはないだろうが、
士族の商法なんて言葉もあるし、不平士族の熱に対して民衆が冷ややかな部分はあったんじゃないかな
411 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 01:49:32
今ならヒルズ族が荒稼ぎしたり敵対的買収で火花を散らしたりタイーホされたりを見物するようなもんだろ。
産業革命で実現した技術のイコライズが不可避の公害として民主化をもたらすという指摘はまさに目からウロコですな
413 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 06:21:38
基本的な事項の確認だが、産業革命と民主主義はセットでも不可避でもない。
その議論で行くとロシアはツァーリズムの頃からソヴィエト体制に至るまで
民主体制でなかったことの説明がつかない。
もちろん、民主体制でなくともスモッグも公害もあった。
414 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 07:33:11
不勉強な奴だな。
自由と平等は両立不可能な理念だ。
自由を追求すれば市場経済の極相として貧富の格差が極大化する。
時間の経過に伴い金持ちは稼ぐ金額を増やし続け、
貧乏人は借金の額を増大させる。
早い話が自由な社会とは純然たる弱肉強食社会に他ならない
だからと言って平等を追求する為には自由を制限しなくてはならない。
貧富の差が発生しない完全なる平等社会とは自由が剥奪された社会に他ならない。
従って自由と平等を追求する民主社会はいずれ必ず自由を捨てて平等社会を指向する運命にある。
ほどほどの自由とほどほどの平等を両立させようとするのは不自由と不平等を追求している事に他ならないからだ。
「機会の平等」などというタワ言もしばしば聞くが、
要するにグリーンベレーと2歳児を同じリングで殺し合いをさせるような話を平等社会だと言わんばかりの詭弁に過ぎない。
共産主義社会は、民主主義思想が必ずたどり着く最終形態、いわゆる極相という事だ。
それから民主主義が産業革命と不可分の関係にある事はこのスレで既に解説済みだ。
反論があるなら理詰めで書くんだな。
415 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 07:52:55
何百年間もロシアで貴族に搾取され続けていた農奴たちも、産業革命の影響で扱い易く高性能な武器を安価に入手できるようになった。
だから剣や弓矢の達人揃いの貴族相手にイコライズが可能となったんだよ。
待て。就業時間になっちまったから午後にレスする
417 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 08:10:03
慌てる必要は無い。
どれだけ時間をかけようが理詰めのレスであれば問題ない。
当方は寝言が書き込まれた場合に容赦なく粉砕するだけだ。
陰謀説に類するが大家族を解体して核家族化、さらには1人暮らし化を促進する政策は資本家の要望に添ったという指摘があるな。
10人が共同生活する大家族なら1世帯が買うべき洗濯機や冷蔵庫、炊飯器etc...は大きめなものが1台ずつあれば事足りる。
しかし家族全員がバラバラに1人暮らしするなら小さめな商品が10個ずつ必要となる。
民衆を人権思想で洗脳するのは個人を家族から切り離して消費市場を拡大する為に好都合だったという事だ。
419 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 12:10:10
共産主義になったら好きな音楽も聴けなくなるんだよ?
面白い漫画も読めなくなるんだよ?
面白いバラエティー番組も見れなくなるんだよ?
それでいいの?
420 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 12:53:30
便宜上、産業革命をこのスレに沿って
「鉄道や工業などにより生産・消費・分配が質量とも近代化すること」として話す。
まず、産業革命と自由主義がごっちゃになっている。
「啓蒙先制君主」って言葉知らない?
自由主義に立脚しない近代化もあるということ。
もちろん自由主義に立脚した近代化もあるし、その中間だってありえる。
「自由主義」が民主主義と本来相容れず、概括すれば近代社会が現代社会に移行するに従って、
自由主義から民主主義へのシフトが見られるという主張はその通り。
しかしそれも「自由民主主義」という思想の確立が背景にある。
では、共産主義は自由主義の極北、あるいはなれの果てなのか?
違う。そう考えたのは空想的社会主義者とマルキストぐらいで、
実際には中国も旧ソ連も共産・社会主義体制をややくつろげ、「自由化」している。
はい、よい例が出ました。
経済や体制を「自由化」することが、旧ソ連などではそのまま「民主化」でもあった訳です。
ほらね、リベラルとデモクラシーは常に相反するわけじゃないでしょ。
ゴヘンカン
啓蒙先制君主 ×
啓蒙専制君主 ○
民主主義と工業化をどうしても結び付けたい人が
いるようだが。。。
たしかに、社会のある発展期に高度な産業社会と相性がいい
ことは現代や、古代ローマやギリシャ、中世ルネサンス期の
一部の都市国家等で示すとおりだ。
ただ、実は経済学的には大した根拠はないことが知られている。
むしろ論理経済学的には、民主主義はかなり効率が悪いことも
証明されている。それは、誰しも体験でわかると思う。
にもかかわらず相性がいいのは、技術革新の影響で社会と
経済が成長し余剰の富が庶民にいきわたり、それが活力と
消費につながり、さらなる成長を生むという好循環の歴史
過程にあるから、というに過ぎない。確かにこの世界で
もっとも利益を得るのは、資本家だ。
ただ現代で、あまりにうまくいっているように見えるので
過去の歴史でその主張に当てはまった文明が滅んだ事例は、
現代は本質的に違う要素があるということで、ほとんど
無視され、もはや歴史法則であるかのようにいわれる
風潮が最近まであった。
それが、社会の影響力をもつ人々にも都合がよかった。
ところが、近頃、中国やロシアの台頭で一変した。
民主的でなくても工業化できるという反例とみられ
最近はその社会モデルの研究がすすんでいる。
なんで、工業化と民主主義が不可分なんてことは
いまでは少し、古い人の主張ということになってる。
あ、書いてる間に、同じこと先にいってたのね。
すまん。まぁ最近はそういう風に常識は変わって
るってこと。
>>423 タッチの差でかぶったねw
しかも俺が言おうとして言わなかった「古い」を言ってくれてありがと。
425 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 13:48:51
奴隷階級が存在したギリシャ、ローマね民主政と平等を理念とする民主主義は本質的にモノだよ。
朝鮮民主主義人民共和国は民主主義を理想に定めた国家だから実態の隔たりとは無関係に民主主義国家だが、
古代ギリシャ、ローマは自由と平等を追求するという産業革命以後出現した馬鹿げた政治思想を国教とするカルト国家群とは無関係な社会だ。
字面が似てるだけで混同する御仁こそ古典的なミスに陥っている。
それから産業革命が自由市場経済を励起させた結果、
市場における商品の品質や性能を競う競争が激化して科学技術が急速に発達した事は、
産業革命以前の被支配階級に知識と技術の普及をもたらした事に変わりない。
その社会現象を見て見ぬふりして啓蒙専制君主もヘッタクレも無い。
島津斉彬のような啓蒙専制君主もまた産業革命の産物なのだ。
426 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 13:51:11
訂正
本質的にモノだよ×
本質的に別モノだよ○
>>425 人に理詰めを要求するなら自分も理詰めで書いてくれ。
飛躍ばかりでロジックがズタボロだし、
「ヘッタクレもない」ってそれが理詰めか?と。
人に理詰め求めといて罵倒で返すのはフェアじゃないね
428 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 13:57:14
自由と平等の両立を志向する民主主義の実現を追求すると、結局は共産主義になるしかないんだよ。
産業革命と同じで良い悪いとは関係ない話だ。
民主主義を崇拝する信奉者は、自覚の有無とは無関係に共産社会の実現に向かって邁進しているのだ。
だから民主主義国家はカルトなんだよ
429 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 13:59:32
ロジックはしっかりしているとも
島津斉彬は啓蒙専制君主の実例だし、
島津斉彬が啓蒙専制君主になった事は産業革命がもたらした影響だ。
430 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 14:12:07
>>429 エカテリーナやマリア・テレジアでなく島津斉彬が出てくることに多少の違和感があるが…
(元々ロシア・ドイツ・オーストリア君主を呼ぶ言葉だし…)
まあ、日本史板だからそれはまあ、いいや。
で、島津斉彬が啓蒙専制君主だとして、
それが産業革命の産物だったとしよう。
いったい薩摩藩はどんだけ早く産業革命が起きたんだ?
確か産業革命は鉄道に代表されるインフラ革命や工業生産の飛躍化という形で現れるというのがこのスレでの前提だったね。
1850年代の薩摩には鉄道が敷設され蒸気機関がジュッポジュッポ大量の紡績機を稼働させていたとでも言うのかね
431 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 14:15:14
斉彬は集成館という施設を建てて西洋の技術を国産化しようとしていた。
啓蒙がてら産業革命を薩摩に導入しようとしていたのだよ。
432 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 14:22:01
エカテリーナやマリアテレジアもまた、産業革命によって力関係がイコライズされつつある従来の階級構造を維持できなくなった事を察知して啓蒙を始めた例だな。
433 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 14:22:24
>>428 自由と平等を指向するアメリカ独立革命以降の民主主義だと、
どうして必ず共産主義になるの?
いや、もっと明確な聞き方にすると、
共産主義に行き着かない民主主義は皆無であると考えるのは何故?
論理学的に対偶をとっただけだからね。
「誰が皆無と言った」なんて言わないでね。(対偶にするために「共産主義になるしかない」の逆をとった)
434 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 14:29:11
>>431 「啓蒙専制君主は産業革命の産物」論はどうなったの?
そっちは引っ込める訳?
435 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 14:31:08
さっきも書いたが自由という理念と平等という理念は両立できない。
さっきの説明で不足ならノーベル賞学者のアマーティア・センが詳しく証明していたから論文を検索してみな。論文の趣旨は俺が書いたからここで読めるがね。
自由を追求すれば純然たる弱肉強食社会になるから自由の追求を諦めて平等を追求するしか民主主義の信奉者には残された道がない。
中途半端な自由と中途半端な平等は両立可能だが、
それは不自由と不平等を追求するのと同義だ。
436 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 14:34:16
産業革命がなかったら斉彬が集成館を建てようとする事もまず有り得ない。
南九州の小土侯が集成館を建てたり啓蒙を始めたのは産業革命がもたらした出来事なんだよ
437 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 14:35:02
>>429-431,434
斉彬の改革の行き着く先はわかるが早過ぎる死で頓挫したわけだ。
薩摩は産業革命→工業立国する前に幕府を倒してしまった。
明治以降の藩政改革も組織改革であって工業化と呼べるものではない。
438 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 14:38:58
討幕も産業革命が日本にもたらした影響だよ。
島津斉彬が臣下を啓蒙したり西洋の学問を奨励したのは「工業化」の始まりだ。
439 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 14:56:08
このスレにはマルクスの論文書けば無条件に単位もらえた世代でも生息してるのか
民主だろうが共産だろうが、社会がある程度発展すれば停滞していくのは避けられないことだろ
今の状況だけ取り上げて、やれ害悪制度だカルトwだなんだと決め付けて論じるのは笑止としか
むしろ社会学板か経済学板のほうでやれ
ここよりよっぽど的確に切り込んでくれるんじゃないのか
440 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 15:00:19
共産主義を民主主義の対義語だと錯覚してる世代なら紛れこんで寝言ばかり書いてるようだがな。
共産主義には民主集中制という別名があるとおり、
民主主義を否定する思想ではない。
共産社会は民主主義思想が導き出す極相にすぎないんだよ
441 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 15:08:22
さて、民主主義体制は産業革命がもたらした公害の一例という指摘に対する反論はこれで出尽くしたかね?
啓蒙専制君主の出現は産業革命の産物だから反論になってないぜ。
>民主カルティア2世
やっと少しわかった…
どうも話が噛み合わないと思ったら、
お前の言う産業革命って「イギリス産物革命」のことな。
2世の(と思われる)レス読み返して来るからしばし待て
443 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 15:13:21
イギリス産物革命?
最近の用語には詳しくないが産業革命と言ったらイギリスで蒸気機関が実用化された事を発端とする産業構造の変化を指し示すに決まってる。
444 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 15:15:46
だからさ、それをここで説明してどうしたいの?
へー、そうなんだ、すごいね!頭いいね!って言われれば納得すんのか?
あんたさっきから、他がどんだけ意見してもそれに対する反証がちっともないよな
ただどっかのテキストから抜き出したような文章書きなぐってるだけで
他者の意見が受け入れられず、ただただ自分の意見が絶対正しい!至高!と信じて疑わないんなら、
レポート用紙にでも自由に書いて、俺の思想最高!と一人で優越感に浸ればいいんじゃね?
445 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 15:18:40
何言ってんだ?
民主主義体制が産業革命のもたらした公害という事実を指摘しているにすぎない俺にかみついて反論にもなってない支離滅裂なレスをつけてるのはそっちだろ。
446 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 15:27:51
事実だと確信してるんなら、それをここで指摘してどうしたいんだ?
あんたが「これが事実だ!」と思ってるならそれこそ何を求めてここに書いたんだ?
そっから西郷、大久保、明治政府について導き出されるもんでもあんのか?
447 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 15:31:31
民主主義が産業革命の産物に過ぎないのはカルト的な信奉者以外にとっては常識。
銃の性能向上と大量生産による低価格化が武力で維持されていた従来の階級構造を解体したのも産業革命の産物。
市中に安く出回る銃と弾丸を入手して操作方法についての簡単なレクチャーを受けるだけで幼少時から数十年間剣術や弓術を修業している支配階級の構成員を一撃で殺害できる。
産業革命以前にそのような状況は実現しなかった。
明治維新も武家支配の終焉も産業革命なしには有り得ないんだよ。
448 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 15:39:54
銃器、戦艦は外国から買ってたんだがそれでも産業革命なのか?
449 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 15:41:22
銃であれ戦艦であれ、産業革命がもたらした高性能化は産業革命の賜物だからな。
450 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 15:47:16
「外国から買い付けて」る状況も産業革命なのか?と聞いてるんだが
451 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 15:47:59
明治13年には西南戦争で最前線に立って戦っていた薩摩武士である村田経芳が開発した日本国産の軍用小銃が世界最高の性能を実現して兵器関係者の度肝を抜く。
メイドインジャパンが最高の品質と性能を携えた最初の事例だ。
452 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 15:52:45
>明治維新も武家支配の終焉も産業革命なしには有り得ないんだよ。
こう述べたはずだが、なんでそっから明治13年まで飛ぶんだw
メイドインジャパンの高性能だからどうした?産業革命とは結びつかないんだが
明治維新と産業革命は関係ないってことですか?
ふう。ざっと読み直した。
なんとも読みにくい文章だ。
>>443 >>450 民主カルティアの「産業革命」の使用法が古すぎるから、
話が食い違うんだよ。
カルティアはあくまで18Cイギリスで始まった産業革命を指してる。
現在は産業革命という言葉は単なる「工業化」とか「近代化」というようなニュアンスに落ち着いて来てるわけだが、
昔はフランス革命と同じくらい劇的なイメージでもってそういう語法をしてた。
叔父の方か甥の方か知らんがAトインビーも罪つくりなことをしたもんだよ。
454 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 15:56:38
戦艦に関しては日露戦争中に建造していた国産戦艦「薩摩」が当時の最高性能を競っていた。
戦時中に「薩摩」の設計図を見たイギリス海軍は日本が間もなく完成しつつある国産戦艦が世界最強の座に就く事になるのを知ってイギリスで建造中の戦艦を全て中止。
改めて「薩摩」を凌駕するスペックを備えた「ドレッドノート」級を大急ぎで建造して「薩摩」を超えようとした。
日露戦争で資金難などのトラブルが重なり「薩摩」の完成はドレッドノートに遅れてしまったが、
既に日本の戦艦が世界のトップ争いに加わっていた事を示す事例だ。
455 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 16:00:08
明治維新は産業革命を日本に導入する為の改革に他ならない。
明治13年には内戦から僅か3年後であるにも関わらず世界市場でも最高性能を持つ工業製品を作り上げた。
日本の産業革命はこのように進行したのだ。
456 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 16:03:55
・・・・・・もうね
>明治維新も武家支配の終焉も産業革命なしには有り得ないんだよ。
と言っておきながら
>明治維新は産業革命を日本に導入する為の改革に他ならない。
ですか?
支離滅裂です
457 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 16:06:10
近頃の教科書は用語をコロコロ変えるから一々つきあってらんないんだよ。
もともと産業革命といえばイギリスで蒸気機関を実用化して以来の産業構造の変化を指すのが本来の定義だからそれを踏襲すればよろしい。
用語をコロコロ変えたがるのは曲学阿世の愚に陥ってる青二才にありがちな間違いだ。
458 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 16:06:24
で、読み直した結果、ポイントは2つ。
1つは、「産業革命を導入」(前述の通り古い観念に基づく用例なので以下レスでは単に「近代資本主義化」)した場合に、
民主主義は不可避敵に付帯するものである、
というのがカルティアの主張。
その際、民主主義そのものは否定的にとらえている。
2つめ。民主主義を推し進めて行くと、自由と平等の相克が起こる為、
民主主義国家は平等にシフトして行かざるを得ない。
さらに究極にまで平等を追求した結果、
(架空の極相または現実問題として)社会主義または共産主義が訪れる、
というのがカルティアの主張。
>カルティア
この解釈でいいな?
459 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 16:09:06
産業革命は外国で発生した現象だから、明治維新は産業革命の産物にして産業革命の導入を目的とするというのは矛盾しない。
産業革命とは一瞬にして完了するような事業ではないからな。
460 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 16:10:56
>>456 その一見の矛盾もカルティアの産業革命の用法が2つあるから。
前者はイギリスの産業革命を指し、後者は日本の近代化を指す。
(解説ばかりで反論する暇がないぞ!)
>>457 研究の結果「産業革命」に対する概念自体が転換起こしてるんだから仕方ないだろ。
学問に「進むな」と言ってるのと一緒。
461 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 16:12:14
産業革命を本来の意味で使うのは当然古い用語だが、それが正しい用語だ。
イギリス産物革命なんて変てこな呼び変えに走る必要などどこにも無い。
462 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 16:14:19
支離滅裂ではない。
産業革命とはイギリスから始める変化を指す。
それが遠く離れた日本にも変化を波及させただけだ。
矛盾など無い。
>>461 産物は変換ミスだ。産業って打とうとした。
464 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 16:15:08
明治維新なくても幕府主導で産業革命の技術は早晩導入されたと思うけどな。それと、
斉彬の技術導入も頓挫したと考えるのが普通。斉彬の死後、技術者たちは干されたわけだし。
465 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 16:17:41
>>462 >日本にも変化を波及させた
しかし実体は伴わなかった。考え方の変化は大きかったろうけど。
466 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 16:19:20
イギリス産業革命と書きたかったのかね。
道理でアホくさい用語だと思ったわ。
ならば改めて確認するが、イギリスから始まり諸外国に波及した産業構造の変化が産業革命だ。
それをイギリス産業革命などと呼び変える必要など無い。
467 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 16:20:43
明治13年には早くも先端分野で明らかな成果を叩き出してるんだがね。
>>466カルティア殿
半ば一般名詞化してるんだから仕方なかろうが
469 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 16:25:53
仮にも学徒の端くれなら本来の定義を踏襲するべきだ。
世間の誤用や拡大解釈に追従してこちらが本来の用語を変えるのは曲学阿世というものだ。
470 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 16:29:37
カルティアの産業革命の定義以前に支離滅裂だろ
そもそも
>明治維新も武家支配の終焉も産業革命なしには有り得ないんだよ。
>明治維新は産業革命を日本に導入する為の改革に他ならない。
こう考える根拠をどちらも示してない
上文の根拠を求めれば、いきなり明治13年に飛んだあげく、説明にもなってない
さらに求めればいきなり下文の意見になる
さっきからとんちんかんな答えしか返ってこないんだけど
471 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 16:31:43
とりあえず、「すごい」の定義を教えてくれや。
472 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 16:34:13
支離滅裂ではない。
イギリスから発生した産業革命の影響が日本に波及するには当然タイムラグが生じる。
島津斉彬が啓蒙専制君主となる為にはイギリスで産業革命が始まっていなければ有り得ないが、
島津斉彬みたいな名君1人がイギリスの学問を修めたというだけでは日本が産業革命を完了した事にはならないのだ。
473 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 16:37:46
よし、で、反論
1近代資本主義化をする為には民主化は不可避か
不可避ではない。
実際、明治政府も当初は民主政体ではなく、盛んな民権運動も起きている。
明治政府は概して国権的だった。
ロシアに至っては専制体制だった。
営業の自由や私有財産制は最低限必要だが、
民主主義は資本主義化の必須要件とは言いがたい。
また、よく混同されがちだが、自由主義と民主主義はまったくの別物。
自由主義に基づく経済をマルクスが定義すると資本主義になるわけだから、
むしろ自由主義との相関なら考えられる。
474 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 16:44:00
自由主義は民主主義の同義語ではないが、関係は断ち切れない。
市場で自由な経済活動を実行する為には個人の権限が制約されていない必要があるからだ。
民主主義なくして自由主義も有り得ないのだよ。
そして両方とも産業革命がもたらした産物だ。
475 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 16:52:20
つづき
2民主主義を追求すると自由と平等の相克が起こり平等にシフト
自由と平等という用語は何とも微妙で、
自由を自由主義、平等を民主主義に置き換えると
政治学で当てはまる理論にはなる。
ただしそれも参政権の拡大やライフスタイルの多様化をふまえたものであって、
カルティアが言うような根拠もなく自由と平等なら平等が強いから平等が勝つ、
というような飛躍論理ではない。
つづきは終業後に
476 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 16:56:22
中途半端な平等を目指すのは平等主義でも民主主義でもない。
それは不平等主義もしくは弱肉強食主義と呼ぶべき考え方だ。
477 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 18:23:16
よしゃ、業務終了。
>>474 個人の権限は制約されない、
これは典型的な自由主義思想だよ。
自由主義と民主主義は元々は時として対立的でさえあった思想で、
自由民主主義という新しい考え方が「発明」される20Cまでは、
「切っても切り離せない」なんて単純に言えたものではなかった。
カルティア君よ、再レスするのはいいが
自分の主張繰り返すばかりでほとんど反論してないじゃないか
せっかく再レスするなら理詰めで反論してくれないか
478 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 18:37:25
というわけで、つづき
3「平等」にシフトした結果、共産主義に至るか
カルティア君が、自由主義と民主主義の対比を
「自由と平等」という言葉に置き換えたものかどうかわからないが、
いずれにしても自由主義的な近代市民社会が民主主義的な現代大衆社会にシフトするにあたり、
その価値観は多様化を極めることが指摘されており、
物質的分配面の「平等」(共産主義)が成熟した民主社会にマッチするとはかなり言い難い。
というか短絡に落ちる。
価値の多様化をふまえ、成熟した民主社会における「平等」を模索するとすれば、
それは既にカルティア君が揶揄している「機会の平等」もまた一案であると言える。
多様な価値観の中で、それを選びたい人がいるときには、チャンスだけは平等に、公平に。
何もおかしくはない。
それが何故グリーンベレーと子どもの格闘になるのか、
まずさっぱりわからんね。
479 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 18:41:46
>>476 中途半端な平等ってなんでしょう。
いやむしろ徹底した平等って何?
一応、法学上では「同じ条件、同じ状況であれば何人たりとも同等に扱う」のが平等であるという考え方が主流のようですが。
産業革命と明治維新を結びつけて見るなら、
洋学を積極的に学び、軍備面、産業面で当時抜きん出てた佐賀藩が、
維新に出遅れてしまってるところがおもしろいね。
このスレの住人は大学で史学専攻だったりするの?
私は歴史は趣味の範囲で、学術では門外漢です。
481 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 18:52:00
まだ、産業革命がどうのこうのとかやってるのか?
何、意地になってるんだw
民主主義なんてくだらんって話題だったんじゃないのかよ。
民主主義は(イギリスの)産業革命を(他国が)導入した時に生じる公害、
民主主義思想はカルトだという主張をひたすら繰り返す
通称「民主カルティア2世」による呂律の回らないレスのため炎上しております。
もうしばらくお待ち下さい。
483 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 19:41:44
民主主義では平等と同時に自由を尊重しようと悪あがきする。
自由でない物事はあの手この手で自由化し、同時に平等でない物事はあの手この手で平等化する。
完全なる自由と完全なる平等を際限なく追求するのが民主主義の目的なのだ。
むろん実現しない訳だが。
実現可能なのは不完全な自由、すなわち不自由と、
不完全な平等、すなわち不平等だけだ。
しかし民主主義が重んじる理念とはあくまでも自由と平等であって
不自由と不平等ではない。
「機会の平等」式の詭弁を弄すれば自由=不自由、
平等=不平等と言ってるのと同じになるだけだ。
484 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 19:48:06
オレはつねに理詰めだよ。
民主主義みたいな寝言を信奉してるからオレが理詰めの指摘に終始しているのを認識できないだけだ。
め、目がすべる〜(汗
日本史板に強烈なキャラ誕生したみたいだねw
じゃここもひとつ理詰めで、できれば明確に答えて欲しいのだが、
1、完全なる・不完全な、自由・平等ってなあに?
2、1は、不完全な自由がすなわち不自由になるメカニズムを含有する形で答えて
不完全な自由=不自由というのはカルティア君の思い込みかも知れず、
さもなくとも飛躍してるように思うので。
487 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 20:04:25
分からなかったか?
要するに「機会の平等」というのはグリーンベレーと2歳児を檻の中に監禁して
「君たちには今から殺し合いをしてもらいます。」ってな事をやるのと同じ事なんだよ。
それを平等だと言い張るから平等=不平等という訳だ。
>>487 悪いが全く分からない。
なぜ同じだと思うの?
489 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 20:08:47
自由が完全に実現していなければ自由ではないんだよ。
つまり不自由以外の何物でもない。
>>489 それじゃ
>>486の特に1の答えになってないよね。
ひょっとしてだけど、
「答えられない」
って訳はないよねぇ?
491 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 20:14:04
「機会の平等」とは真の平等とは似ても似つかない代物だ。
すなわち不平等に他ならない。
それを平等だと錯覚してるカルト信者にとっては不平等すなわち平等という理屈になる。
信者本人がその破綻を自覚しているかどうかは別にしてな。
492 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 20:15:20
完全な自由が実現していない状態は自由な状態ではないよ。
つまり不自由な状態だ。
>>491 それも
>>488の答えになってないね。
なんで機会の平等はグリーンベレーと2歳児に殺し合いさせるのと同じ事なのか説明して下さい
おおくぼさーとせごどんの話がききたーい
>>492 ええと、聞き方が悪かった?
その「完全な自由」とは何か、というのがまず最初の質問なんですが。
496 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 20:21:37
グリーンベレーと2歳児の比喩は自由市場経済下における資本家と貧乏人が同じ土俵でバトルロイヤルをさせられている現実を分かりやすく例えた訳だ。
答えになってないんじゃない。
お前は民主主義の欺瞞を指摘するオレの説明を直視するのが辛いだけだ。
497 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 20:23:16
完全な自由とは制限が一切無い状態だな。
当然ながら現実世界では有り得ない夢だ。
もう決着ついただろw
大久保の話に戻そう。
499 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 20:31:34
民主もとより適用すべからず
501 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 20:36:06
西洋のどこが文明ぢゃ
502 :
中年坊:2007/02/07(水) 21:36:19
はんじろどん しんべさあ 分からず屋は 斬! 上意ごわす! 言葉で遊んではいけもはん みんなが見ちょるんじゃ 少しは楽しませなさっしゃい!
503 :
中年坊:2007/02/07(水) 21:41:54
ちなみに 村田銃はほとんど日本製じゃないよ!フランスに作って貰ってたんだよ ちゃんとマスプロしたのは昭和の九十九式小銃からだから、銃器に関しては、はんぱはだめでごわすえ!
留守政府の頃が一番色々な改革を断行して、
日本の基礎を築いた時期だなんて評価を見かけることがあるけど、
その中で西郷はどんな役割担ってたんだ?
西郷を評価する際に、征韓論以前の留守政府の頃はあまり取り上げられないような…
板垣と弁当食って昔話に興じてただけなんてのじゃあんまりな気がする
>>504 責任を取る係りでごあんど。
まぁ軍のトップと考えてもええんでないかなぁ。
話少し変わっちゃうけどさ、
留守政府って何だったんだろうな。
いや外遊組もそうなんだけどさ、
日本の首脳部の半数以上が揃って国をあけたことは前にも後にもこの時だけだ。
>>506 廃藩置県に生じて起こる内乱を避けたんじゃないかと。
無論外遊は成果があった訳だが、残った人間の末路を見ていると
なんだかなぁと思ったり。
>>506 遅れを自覚していて、
手本になるものがあるならそのくらいの思い切った外遊は十分にありえる。
ロシアのピョートル1世なんて国王本人が使節団の一員になっているし、
スウェーデンのグスタフ・アドルフも国外に学んだことがある。
509 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 23:30:09
主目的の条約改正は失敗→外遊になったわけだし
王様の外遊は帝王教育(兼娯楽?)の一環だろうから別な話だ
当時のロシアの状況で帝王教育だの娯楽だのと言っていられるかと。
511 :
日本@名無史さん:2007/02/08(木) 00:23:05
条約改正は当初の主目的じゃないんでは?
えらく友好的な空気に当てられて森や伊藤が調子乗っちゃったんだろ
しかし大久保や木戸までそれを楽観視してたのが笑える
使節団が外遊に出たのは、大隈あたりを牽制するためとか、
井上が財政に暗い大久保をおっぽり出すためとか色々言われるが、
結局どれが主目的だったんだろう
何にしろ思惑絡みまくりだな
使節団自体は決して無駄ではなかったとは思うけどさ
512 :
日本@名無史さん:2007/02/08(木) 08:45:18
井上ごときが大久保を隔離する為にそんな計画を実行したなんてのは陰謀説だよ。
井上が内心何を考えようとも大久保や岩倉は自分が何らかの必要を認めない限り問題山積みの日本を後にして長旅に出る訳が無い。
帰って来たら実権は江藤らが奪取して無血クーデターが完了していたなんて懸念も当然想定される訳だし。
井上自身が画策して追い出したとは言わないよ
渋沢が大久保とはやってられねーと井上にグチる
↓
じゃあ大久保を外遊にでも出しちゃえばいいんじゃね?
の流れも外遊に出た要因の一つとして提示されてるよねってこと(『岩倉使節団という冒険』だったかな?)
ちょwやっぱ行かれると困る、と井上は最終的には渋ったみたいだけど
陰謀説、だとしたらその場合に得をするのって誰になるのかな・・・井上に陰謀って失礼だけど似合うw
>帰って来たら実権は江藤らが奪取して
実際に帰ってみたら土肥にほぼ掌握されてたわけで
薩長のように広い繋がりを築いていたわけではないから、征韓論にかこつけて奪取することはできたけど
西南の役とかその後の波及を考えると犠牲が大きすぎた気がするよ
そこらへん留守政府への対策が万全とは言えないような・・・井上、山県の失脚あたりが響いてるのか?
514 :
日本@名無史さん:2007/02/09(金) 03:21:34
日本に残す方にも別にわざわざボンクラを選んで揃えた訳ではない。
一旦留守を任せる以上は外遊組のコントロールが効かなくなるのは容易に予想できる事。
それでも権力闘争の達人である大久保や岩倉が足元を掬われる危険を顧みず日本を離れる事にしたのは西郷が居たからだろう。
江藤や板垣では脛に傷を持つ山縣や井上を失脚に追い込む事は出来ても西郷から発言力を奪う事は不可能だからだ。
515 :
日本@名無史さん:2007/02/09(金) 04:23:29
そりゃ西郷は武力が背景にあるから
516 :
日本@名無史さん:2007/02/09(金) 04:25:13
無視しても怖くない雑魚がどんな高説を垂れようが無視される。
武力は発言力の基盤だよ。
517 :
日本@名無史さん:2007/02/09(金) 04:45:38
自分の背後にどの程度の武力を手配出来るのかを測り損ねると江藤みたいに生首加工されてしまう。
518 :
日本@名無史さん:2007/02/09(金) 05:06:37
今の国会で野党が柳沢バッシングに終始してる様子も単なる揚げ足取りに堕してしまって合理的に政策案を議論すべき議会にあるまじき醜態を成している。
結局野党は致命的な議席不足を取り繕う為に自民党に対する悪印象を有権者に植え付けようとしてるだけだというのは見え透いてるもんな。
自民党はそんな野党の姑息さを有権者に見せつけて失望させてる点で一枚上手。
せごどんなら大丈夫!という確固たる自信があったんだろうなぁ。
でなきゃー、留守は任せられんだろ。
520 :
日本@名無史さん:2007/02/09(金) 21:01:24
共産主義で民主主義ってありえる?
521 :
日本@名無史さん:2007/02/09(金) 21:26:06
冷戦時代に入って以降はあたかも対義語であるかのように勘違いした半可通が増えたが、
もともと共産主義と民主主義は矛盾する概念ではないからな。
大久保が西郷を信頼してたとして、西郷のほうはどうだったんだろう
西郷の船沈んじゃえばいいのに発言とか真意がわからない
留守をうけおったもののこっちに押し付けすぎ、と重荷に感じる部分があったのかな
正直、大久保は国民感情とか批判の矢面に西郷立たせすぎとはちょっと思う
江藤関連の本読むとだいたい大久保が悪者扱いでへこむ
逆に大久保関連の本読むとだいたい江藤がぬけた人扱いでやっぱりへこむ
この二人を中立に論ずるのは難しいんだろうか
首チョンパだもんな・・・
523 :
日本@名無史さん:2007/02/09(金) 21:57:16
ニュアンスに誤差があるからだな
語句は不正確だが本来西郷が口にしたのは「要人を満載したあの船が沈んだら面白い」という発言だったと記憶している。
西郷は日頃からそういう軽口を好んでいたので別に沈没を願望としていたと考える必要はない。
こういう発言があったらしい、だけで書いてたよ不勉強でスマン
この発言てどこが出典なの?
小説だけ見ても書かれ方が違うので原文が気になる
司馬「沈んだら日本がおもしろいことになりそう」→冗談だろうけど不穏
海音寺「沈んだら一生のんきでいられる」→冗談、深読み不要
徳永「沈んだらおもしろい」→肚に据えかねて
525 :
日本@名無史さん:2007/02/10(土) 02:47:01
別に嫌ってなくても日本の重鎮をあれだけ満載した船が沈んだと空想したら面白いのは確かだろ。
腹にすえかねてかどうかは甚だ疑問
526 :
中年坊:2007/02/10(土) 03:17:42
かなり、真剣に捉えて
いたのでは?せごどん 気持ちがテンパると
冗談を言い出すクセが
有ったみたいですから
!本当はこん国の
一大事に何が物見遊山
だと 苦々しく思ってたと思います。クルクル
変転するせごどんの
人生でも一番いやな
時期ですよ!さんざん
勝手な事決めて自分達
は一年半も逃げ クールダウンした頃に帰る
つもりに見えますから
岩倉使節団
527 :
日本@名無史さん:2007/02/10(土) 08:05:52
嫌気がさすと役目を降りて鹿児島に逃げ込む習性がある西郷さんは自分を棚に上げてそんな事を怒るとは思えないが。
528 :
中年坊:2007/02/10(土) 09:57:36
しかしああた! 自分達が帰るまで、何もするな!起こすな!と 約束させられて、士族達の不平不満を引き受けさせられれば、キツい冗談のひとつも言いたくなりますよ ああた 当時の船旅は危険な物でしたしね!
529 :
日本@名無史さん:2007/02/10(土) 11:44:12
遭難の危険を顧みず日本を旅立った大久保らに深い敬意を抱いていたからこそ、
いきなり沈没したら面白いだなんてキツい冗談を言う資格がある。
とはいえ、国家の要人クラスが遭難して命を落としたなんてことはこの時代そうあるもんじゃない。
531 :
日本@名無史さん:2007/02/10(土) 12:47:53
当時は清との戦争に備えてフランスに建造させた戦艦「畝傍」が日本へ回航中に消息不明になる時代だ。
本来は日本の要人があれほどの大所帯で同じ船に乗るべきではない位には危険が伴う。
発言の出典はわからなかったんだけど、
大久保利謙氏と田中彰氏の使節団と西郷をテーマにした対談の中で、
船が沈めばおもしろい発言は征韓論以降に出てきたエピソードだと指摘してた
さらに大久保利謙氏が、西郷は冗談でもこんな発言しないだろうと付け加えていた
征韓論の空気の中でただの冗談が別に意味づけられてしまったか、それか全くのデマかってこと?
>自分達が帰るまで、何もするな!起こすな!と 約束させられて
大久保利謙氏の説だと、その約定は留守組側から申し入れたものだとしてるみたいだね
内容を考えると、当然外遊組からだと思ってたんだけど・・・
533 :
中年坊:2007/02/10(土) 19:06:40
勝てば官軍!後から自分の都合よく歴史を作り替える事 又は解釈する事は有ることです。かく言う私もせごどんが大好きできっとこうだろうなあと偏った考えをつれづれに書き込んでますから!ざんね、、、ん
534 :
日本@名無史さん:2007/02/10(土) 20:57:37
>>532 留守政府組が十二条の誓約(何もするな〜)を言い出したってのは、
近年の有力説らしいね。
井上や三条の書簡、大隈の行動からそういう可能性が高いらしい。
大久保らがいなくなるのは当時の状況ではかなり不安だったらしい。
特に井上は大久保の力がなくなるのは嫌だったそうで。
西郷を扱った著述は大抵、西郷さんが持ち上げられすぎなような
気がするのですが、
そうではない本当の西郷を勉強できる本はないでしょうか?
>>535 それなら島津久光や小松帯刀関連の本読めばいい。
久光が会社社長で小松がプロジェクトリーダーとするなら、
西郷,大久保はプロジェクト専従課長のように描かれているから。
ただし‘本当の’なんてどこにもあるわけがないよ。
537 :
中年坊:2007/02/14(水) 07:30:39
現在 我々自身が幕末に 居てせごどんのそばについていても 多分、何が起こっていて誰が偉大なのか!馬鹿なのか!も分かんないよね?きっと今の自身が何者かも分からないから、昔の人を模範に自分らしく、気張って生きましょう!ね
538 :
日本@名無史さん:2007/02/16(金) 09:40:35
6カ国協議の会場に核ミサイルが撃ち込まれたら面白かこつ
大物は一人もいないから、アフリカのどこぞの都市に
落ちるのと大差ないと思う。
540 :
日本@名無史さん:2007/02/16(金) 14:24:13
西郷は親分大久保は参謀
541 :
日本@名無史さん:2007/02/17(土) 17:55:00
どっちもすげーよ
すげーといえば、巨根
543 :
日本@名無史さん:2007/02/20(火) 00:23:32
毛利敏彦の明治6年政変に反論している本ってありますか?
西郷が征韓論者であったかそうでなかったかはっきりさせたいのです
関係ないけど毛利敏彦って大久保嫌いなの?
西郷と大久保、と銘打った本の中でさえ西郷寄りで大久保に手厳しい内容だし、
江藤の本にいたっては考えの足りない小者扱い(と感じた)
もちろんいい面ばっかクローズアップして書けなんてことは言わないが、
大久保好きとしてはなんか不快になるんだよなこの人の本・・・
歴史本が著者によって偏るのはしょうがないってわかってるけどさ
毛利は「大久保利通」では大久保を褒めちぎってるよ
「明治六年政変」では西郷、江藤を高く評価してる
「江藤新平」は読んだことないが
大久保と西郷、明治六年政変辺りはまだまだ研究の余地がありそうだねー
547 :
日本@名無史さん:2007/02/21(水) 01:49:32
西郷の犬の名前は?
いちぞう
549 :
中年坊:2007/02/22(木) 12:41:29
たしか ハチ せごどんは犬を溺愛していて、普通に一緒に食事したりしていたそうだね!鉄砲持って愛犬と山を歩くのが本当に好きな、せごどん ごわ
ツン?
西郷って、幕末に具体的に何やったのかイマイチ分かり辛い。
写真も無いし、暗殺者の桐野の親分な訳だし、何してんだか分からないのに
人気と人望が絶大というのが不気味。
斉彬時代からして御庭番な訳で、CIA長官とかって雰囲気が合うと思うのだが。
対して、大久保は2度目の遠島から西郷戻してる訳で、同時の常識から言って、
西郷の完全な命の恩人。少なくとも西郷は大久保に頭上がんない状態の可能性アリ。
って思ってるんだけど、どうでしょう?
西郷は故郷を選んだ好漢
大久保は日本を選んだ名君
553 :
日本@名無史さん:2007/02/23(金) 01:32:03
西郷は優しすぎた
554 :
中年坊:2007/02/23(金) 02:30:56
せごどんはでっかい
重石だよ!まずは
斉彬公に見いだされて、その力を発揮出来る
ように、各藩大名や
名士に顔を売り込み、
名声を得た!だが 井伊の安政の大獄で失敗
自殺を図る!その後は
もう、自分を殺し、
ただ天下の為に働く
大久保や皆の為に 看板に徹した! 功績もたくさん有るが 要はせごどん無くば 維新は無かった!明治は来なかった
ろうね!
555 :
日本@名無史さん:2007/02/23(金) 05:14:25
高崎崩れと呼ばれた政変で失脚した大久保の父利世が遠島に処されている期間、
半ば村八分状態で極貧生活に耐えていた幼い大久保が食いつめると何も言わず夕飯を馳走していたのが西郷家。
木戸に責め立てられて西郷を追討する決断を下した大久保の心中を察すると痛ましい限りだ。
556 :
日本@名無史さん:2007/02/23(金) 09:24:28
その二人より村田と海江田の方が…
557 :
中年坊:2007/02/25(日) 14:16:27
分からない 村田さあは 人物なのは知っとりますが 海江田さあは有村さあでしょう 暗くてやな感じの人だ しかもこの二人がタッグでも無いし
558 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 19:42:01
気負い坂で大久保が暗殺されて
その懐から西郷から貰った手紙が出てきたらしいけど
どんな内容の文章だったの?
559 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 20:23:03
そのヒゲは似合わないと書いてあったらしい
どっちもスゲーが、西郷のすごさは王道的すごさ。
大久保のすごいところは、アウグストゥスのすごさに
通ずるもんがある。
非常に地味。あと10年いきてれば間違いなく、
アウグストゥスみたく近代日本を完成させてたろう。
その日本をみてみたかった。
西郷って王道的‥‥‥かね?
"学問に〜"の訳で意味が変調した感があるが、
本来、王道ってのは正統的正しさみたいな意味だよ。
わかりやすいすごさという意味でつかったんだが。
王道の反意語は回り道ではなくて覇道。
564 :
ホッシュジエンの国内ニュース解説:2007/03/02(金) 12:01:41
西郷隆盛らの征韓論を記述した日本史教科書に、西郷が朝鮮との平和的
交渉を目指したとする「遣韓論」も併記するよう鹿児島県の伊藤祐一郎知事
から要請を受けた教科書出版社の一つが、「西郷は征韓論を唱えた」との
記述を削除していたことが1日、分かった。伊藤知事が県議会で自民党県議の
質問に答え、明らかにした。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
彡ミ ___ __ 尊皇攘夷とともに韓国へ武力で開国を迫る
|ヽ /| ,,,,,,,,l / / 征韓論者、西郷隆盛。
|ヽ | | ミ ・д・ミ/_/旦~~
⊥ |  ̄| ̄|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| 国民にとって最も危険な人物らを支持させ
凵 `TT | ̄l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l ようとするのは、国の常套手段ですけどね。(・A・ )
07.3.2 日経「『西郷は征韓論』を削除・鹿児島知事要請で教科書出版社」
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20070302STXKE074001032007.html
565 :
中年坊:2007/03/03(土) 10:07:54
うわあ 歴史を自分達の 都合で書き換える!典型例だよ。良かれ、悪しかれ、ね 訂正かもしれないけど。政党が絡むのはやだ その内、現代に西郷と大久保議員が出現!するかも 四世ぐらいで
566 :
日本@名無史さん:2007/03/05(月) 20:22:34
大河で西郷とか大久保使うと天皇の登場数も多くなるから
題材として扱いにくいんだろうなぁ
俺は見たいけど。
567 :
中年坊:2007/03/07(水) 01:40:13
本当に描くなら 朝の連ドラではどうかな 連続テレビ小説 もう ここらでよか! 世の中 細か男ばっかじゃ なんもかんも ひっくるめて おいにまかせんしゃい! で ど?
568 :
中年坊:2007/03/07(水) 01:48:24
もう ここらでよか! 第一話 びんぼでびんぼで大変な西郷家 吉の助はハラのへる、びんぼが大嫌い そんなある日 友達の一蔵が自分家より びんぼな事に気づいた。吉の助は、
569 :
日本@名無史さん:2007/03/07(水) 01:59:03
前新聞に鹿児島にいる西郷さんの曾孫が載ってたがすごい似てた。
というか西郷さんってこんな感じのひとだったんだろうなって感じ。
遺伝子は残っていたのかと思い嬉しくなった。
570 :
日本@名無史さん:2007/03/12(月) 21:06:50
小松帯刀が早死にしちゃったから西郷と大久保が喧嘩しちゃったんだよ!
本当に凄いのは小松だよ!
まぁ、次の大河の小松帯刀が二人以上の準主人公格らしい。
あつひめの活躍時期が小松帯刀の存命期間と重なるし、
無理にでも引き立てられるんじゃね?
さすがの中年坊主も飽きがきたようだな
>>544 遅レスだが、岩波新書の西郷隆盛で猪飼隆明が反論してたよ。
本自体も征韓論争について詳しく書いてあった。
知ってたならスマソ
西郷の南州翁遺訓を読みたくて岩波文庫の原文と
現代訳の本を買ったんだけど面白いね。
西郷という人は政治家というよりも思想家っぽいなと感じた。
>>573 おれは西郷は征韓論者だと思うよ。
ただ彼の場合、強烈な慈愛からでてるがな。
俺らみたいな、かつて韓国を植民地化した後の時代
に自虐史観を植え込まれた、現代日本のヌクヌク
とした環境でそだったプチ左翼は、西郷さんが
征韓論者でないと思いたいんだろう。
でもよーくよーく調べてみると、
彼の慈愛と残酷さと大きさと激しさ
がみえてくるんだな。これが。
とにかく、彼の本質は革命家。
その情熱はまさに天に届くほど強いのだが、
でもすこし優しすぎて、普通の為政者なら
悩まないところでその情熱によって自分を焦がす。
そんな地獄の中でもう一歩、征韓論を唱える。
そこがまたスゴイんだね。
575 :
日本@名無史さん:2007/04/25(水) 21:12:37
西郷過大評価されすぎw
>>574 わたしは毛利さんの西郷遣韓論も納得できる部分も大いにあるけど
そうだ!、と決め付けるには弱い感じがするから、いまだにどっちなのかわからない。
というか西郷って人自体良くわからないので現代において評価が分かれるのも判るな。
毛利さんの明治6年の政変が唯の征韓論論争ではなく肥前閥(江藤)の排除のための
政争だったという考えそのものは説得力があると思ったんだけど、あんまり有名でもないのかな。
ところで大久保についての本でお勧めありませんか?
佐々木さんの「大久保利通と明治維新」はちょっと大久保を神聖視しすぎて駄目だったので
もう少し中立的なのが読みたい
>毛利さんの明治6年の政変が唯の征韓論論争ではなく
>肥前閥(江藤)の排除のための政争だったという考え
>そのものは説得力があると思ったんだけど、
>あんまり有名でもないのかな。
有名だと思うよ。ていうか高校とかの教科書じゃ話が
複雑なんで征韓論にやぶれたって一言かいて済ませてるけど、
普通は留守政府で主導権をもちつつあった江藤派排除のために、
訪欧連中が巻き返しの具として朝鮮使節派遣問題が
つかわれたという方が常識だと思う。
西郷は至って本気だったけど。
よく調べるとわかると思うけど、どう考えても、
大久保の論は強引、というか言いがかり。
当時の朝鮮は、ガチガチの儒教国家で万が一にも礼を
損なうような事はしなかったはずなんだが、その万が一を
すべての根拠にし、話をいたずらに大きくしたんだね。
彼は、大政奉還のときも似たような手法をとった。
つまりわざと言いがかりをいう。論がはじめから破綻して
いるので相手は反論できず、正論をいっても通じないので混乱する。
その間を利用して朝廷工作や多数派工作をして、主導権を握るんだね。
578 :
日本@名無史さん:2007/04/27(金) 23:07:53
当時の朝鮮が礼を損なっていたからこそ日本国内では征韓論が盛り上がっていた件。
その根底に、士族の不満のやりどころに困惑していた件
フランス革命→ナポレオン戦争 のように移行できなかった
580 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 18:40:02
そんなのは主要な問題ではない。
朝鮮が非礼の振舞いに及ばなければ士族の怒りが朝鮮に向く事も無いからな。
581 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 18:45:51
朝鮮人の非礼さにムカついてるのは別に明治時代の武士に限った話じゃないもんな。
今でも世界中の国々で一番嫌われてるのがコリアンという現実。
582 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 19:40:27
朝鮮人の非礼さこそ瑣末な問題
武士のフラステレーションをどこに向けるか、いかに新政府からそらすかが問題
ついでに言うなら、国家転覆の不可能を知らしめることのほうが内政では重要課題だった
陸軍大将だった西郷潰せば、そりゃ池沼でも武力蜂起は無駄だと悟るわな
もっと余計なこと言うなら、大久保を殺しても国家の屋台骨はなんら揺らがなかった
これで、政府要人を暗殺しても、何も起こらないことを基地外にも知らしめた
西郷も大久保も非業の死を遂げることで、結果的に新政府を守ったとは皮肉なことだ
>>577 ありがとう、やっぱ有名なのか。
色々本を見てても、外遊派は内治優先で反対したと書かれてるものが
多かったからどうなのかな、と思ってたんだ
自分の見た本が悪かったかな。
挑戦関係そのものについては当時の国民は、
士族に限らず朝鮮に怒ってた人が多かったみたいだし、
成功の是非はともかく、西郷がわがままで行きたい
といっていた訳ではないんだよね。
当時の朝鮮については実際西郷、もしくは誰かが行ったとして
どうなったんだろうね?
毛利さんは当時の朝鮮が西郷を殺すはずないし、
上手くいったはず、と言う一方絶対成功しなかったと言う人も多い。
どっちも両極端すぎてよくわからないけど
もし成功してたら、今とは全然違う関係だったのかな
西郷もいっているが、そもそも下級の役人が礼の形式云々で
(日本の政権交代に端を発し)紛争をおこしているのが原因なので、
筆頭参議(いまでいう、首相みたいな)自分が乗り込んで、
話し合えばすぐに解決するということで、朝鮮使節代表
としていくことを決めた。
今の外交的常識としてみても当たり前の対応なんだね。
でその準備をしてるところに訪欧団が帰ったきたというわけだ。
で、外交オンチの、世論と公家そのほかを利用して巻き返し
の道具にしたわけだ。
このスレに同じ話がのってるよ。参考にしては?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1156441365/ >上手くいったはず、と言う一方絶対成功しなかったと言う人も多い。
>どっちも両極端すぎてよくわからないけど
>もし成功してたら、今とは全然違う関係だったのかな
そうだね。そのスレにものっているけど、西郷が下野して
舌の根もかわかないうちに大久保は大砲外交を始めた。
まぁ大久保には朝鮮のどうにも時代錯誤な現実を踏まえて、
仲良くしても安全保障上の(ロシアにたいする)立場の
強化にならないと考えたのかもしれないが。
585の紹介してくれたスレは読んでる。
ここと毛利説をみると成功はともかく行く価値はあると思ったんだけど
近代板の江藤スレで見つけた
>当時の朝鮮について、アメリカ公使フレデリックは、国務長官宛に「朝鮮はペリー渡航前の日本よりも
>さらに厳しい鎖国状態にある」と送っている。
>というのも、大院君支配下の朝鮮は清人の入国さえ禁じ、入国した一般の清人は全員が暗殺されている。
>(明治5年に、日本の外務省から派遣された探索員の報告)。
>清人に対してすらこの仕打ちである。西郷が無事である保証がどこにあるのか。
>さらに、アメリカの艦隊ですら、江華島からの砲撃を受けている。丸腰の鉄鋼船で行ったところでどうやって、
>大院君のいる漢城までいくつもりなのか。
>もう一切使節は受け取らんといい、実際そのようにしめしている朝鮮の国内を、丸腰で、海岸ぞいにあるわけ
>でもない漢城まで行こうというのだから、殺されないと思う方が不自然だ。
また、猪飼さんの西郷隆盛では10月23日の岩倉の天皇への上奏で「使を発する日はすなわち戦を決するの日」
と明確に述べて、この間西郷の使節暴殺の論を否定する論調が全く無いので
朝鮮がそれほどの対応をすることは政府の共通の認識だったとしている。
で、いくら西郷が軍隊を率いないでも天皇の勅旨をもって朝鮮王京に向かうのは、
朝鮮にとって絶対許せない暴挙だと言っている。
こういう意見もあって混乱してる。
でも、大久保たちも遣韓自体には反対してないしなあ
結局今の朝鮮があんな状態っていうのもあって、客観的に当時の朝鮮をみれなくなってるのかな
大久保は個人的に大砲外交と江藤のことだけはどうしても評価下がるな
大砲外交は現代でこそ西郷のときと状況が違うから仕方ないと言われても、
当時の人からも批判されてたし、江藤に関しては私怨にすら見える
あくまで、当時の政治状況からみる個人的な推論でしか
ないが、
そもそも朝鮮は清の属国であることを認めているわけだから、
清の役人は殺さないでしょう。
日本も同じ”清の臣たる日本国王”の使者という形式を
とれば清の同じ臣下を殺すわけにはいかないでしょう。
そこんとこは、ちょっと前まで攘夷馬鹿だった政府の
ほとんどの役人にはわからないでしょう。
西郷とか大久保、木戸あたり、数人にしか判断つかない
政治判断だと思う。
「使を発する日はすなわち戦を決するの日」〜というのは
自分は資料の元をしらないので、なんともいえない。
その後の出世をみても、意図してなければ反乱を防げなかった
責任をとらされる。結果論でわかることだが、目的は反乱を
起こさせるのが目的なのがわかる。
また、佐賀の乱の鎮圧に出かける前、
大久保は警察権・裁判権・軍事権の権利の行使すべてを天皇から
借り受けたらしい。大久保としてはかなり前の時点で江藤をどう
するかを決めていたんだろう。
裁判も江藤のいいわけをほとんど利かず、わずか数刻の
裁判で夕方には士族籍剥奪の上梟首。
江藤がいいわけをしようとしたという話は本当かしらないが、
だとしたら、県令がだれで状況を考えば、江藤はあまりにも
政治的に疎いと言うほかない。
多分大久保はある段階で反乱が起こるのは不可避とみて、
機先を制するのに、江藤を選んだ。参議クラスの大物で
政敵の排除、新政府軍の実力をつける、見せつける等の複数の
政治的意図があったと思う。
乱でしんだ人には悪いけど、大久保の先を見て計画し機を知り
実行する意思にはいつも畏怖の念を感じる。はっきりいって
超人レベル。こんな人が日本の歴史に存在できるのかと、
感じるほど。もっというと近所に西郷がいたのも信じられない。
すみません。
>>588の前のところ
佐賀の乱の前に佐賀県令に岩村高俊が任命された。
彼は明治政府でここ暗い仕事をを担当した人物。
手際よく、暗い仕事をやる人物で、その後の岩村の経歴や
その後の出世をみても、意図してなければ反乱を防げなかった
責任をとらされる。結果論でわかることだが、目的は反乱を
起こさせるのが目的なのがわかる。
>>586 >結局今の朝鮮があんな状態っていうのもあって、
>客観的に当時の朝鮮をみれなくなってるのかな
そういうのはあると思う。征韓論に関して韓国併合
の頭で書かれた書物のなんと多いことか。
>>588 司法畑の江藤は裁判があんなに一方的になると思わなかったのかも
こうして見ると大久保の手際の良さ・周りから何を言われても実行する行動力とかは凄い
西郷は行動力、大久保はそのブレインのような感じがするけど
実際は二人とも両方持ち合わせていて、そんな二人だから維新ができたんだろうね
ただ西郷に比べて暗いとか冷徹と言われるのもわかるな
大久保は必要だからしたことだけど、客観的に見れば策謀と言うか反則ギリギリなものが多い
逆に明治になってからの西郷は自分に課したかのように策謀とかは使わなかったようで
だから馬鹿になったとか、幕末は部下のおかげとか言われることもあったのかな
(西郷が暗いことをしてないとか大久保のやったことが悪いと言いたいんじゃないよ)
>>590 征韓論スレとか見ると西郷が行くこと自体はやってみる価値があったと思うんだけど
やっぱり難しいよなあ…
>(西郷が暗いことをしてないとか大久保のやったことが悪いと言いたいんじゃないよ
これにはちょっと苦笑。自分も大久保のことを
書くと高く評価してるのに、いつのまにか悪い
印象で書いてしまうもんな。評価の難しい人だ。
高評価と悪印象は両立する
594 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 15:59:15 ID:LYONUQzG0
西郷さんと大久保さんの関係は、毛沢東と周恩来の関係にちょっと似ている。
特に、西郷さんと毛沢東は似ていると思う。
建設より破壊が得意、軍略に長けていて、精神性を重んじる。
ただ、重大な差が西郷さんは権力に恋々としなかったが、毛沢東は
権力の亡者だったことだ。それは、日本にとって幸福なことだったのだろう。
大久保さんは、周恩来よりも、もっと決然とした人間で、リーダーシップを
とっていく。その点では、革命の地味な実務を取りながら独裁者になった
スターリンにも似ている。
スターリンはしかし、為政者として大久保や周の足元にも及ばないきがするけど。
595 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/25(金) 09:39:31 ID:+5UxRY2s0
ところで、佐高の西郷本だけど、やっぱ金払う価値無い?
596 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/25(金) 20:16:59 ID:QsBarcFm0
西郷は、自らの死によって明治維新を完結させた。
他動的な西南戦争での西郷の動きは、
もはや自らの死をもって完了させるしかないという確固たる信念によってなされれたものである。
西郷の意識的な死は、大久保利通への最後の友情だったのだ。
597 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 21:40:42 ID:mpBec4ij0
跳ぶが如くは読んでないんだけど
エッセイ見ると司馬遼太郎って
西郷=不平士族の親玉
死後は右翼のアイドル化
的な見方しててかなり否定的に捉えてない?
599 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/31(木) 23:25:45 ID:ggBmcEq+0
>>598 翔ぶが如くでは西郷のことを日本史上唯一の「英雄」(これは微妙な観点だったが)とか感情の量が豊富で人に親切にしなければ気がすまない人、見たいなことを書いてた希ガス。
あと後書きだったと思うが、大久保と彼が作った日本のため不平士族を抱いて心中したとかいってた。
大河ドラマでは西田敏行がそのマンマの台詞を言っていた。
昔は西郷は士族を守ろうとしたとか、西洋の考えを取り入れることを
嫌ったとする説が多かったが実際は士族にとって厳しい政策を進んで行っているし、
武士の精神自体は愛していたとは思うが文明開化を拒んでいたとか
士族に特権を与えようとした事実もない。
司馬は西郷を武士が起こした最大の反乱である西南戦争を起こした事実
(起こしたくて起こしたのではないが)を重視して不平士族の親玉的見方をしたのでは?
そういえばこの人明治期に西郷は頭を打っておかしくなったとか書いてたような。
征韓論は不平武士のためという説が有力だが
実際に西郷自身は士族に対して何かしなければと思っていたのかな
士族について何か言及してたんだろうか
ってか、明治維新を南北朝の視点から見る人居ないの?
602 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/01(金) 19:11:44 ID:5i39W/V/O
西郷や大久保よりも木戸孝允が優れていたと
書いたら(私は実際そう思っているが)スレ違いかな?
603 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/01(金) 22:07:49 ID:+3eI7hvNO
司馬は明治6年10年を書くのが早過ぎたんじゃね?
毛利説が世に出る前だから、
通説の征韓論イメージ以外の可能性を含めて考察できなかった
「常識」を疑うのはとても難しいことだ
604 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/02(土) 21:14:18 ID:RKUUOsiu0
西郷さんは本質を見抜く目を持った稀な人。
毛利の征韓論が出た後の司馬の対談を読んだけど
基本的に飛ぶが如くと同じこと言っていて
西郷に対して明治以降は結構手厳しい感じだった。
司馬いわく明治以降の西郷は青写真がなかった
だから例えば板垣に民権だといわれて「そうですこれがしたい」と答えるが
べつによくわかってなかったらしい
青写真がなかったのはわかるんだがよくわかってないって言うのはちょっと疑問・・・
明治の西郷ってそんなに評価低いのかなあと。
ちゃんと留守政府の親分として皆をバックアップしてたと思うんだが
606 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 22:45:36 ID:C5gvj2YW0
大久保、木戸、伊藤等が外遊組で西郷、板垣、江藤等が留守組だったのて
なんか意図的なものがあったんだろうか。
これが逆だったらどうなってたんだろう。
607 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 00:08:28 ID:JcKzpVGI0
>>606 物質文明ズッポシの西洋を見てセゴどんの右傾化がコヴァ並みになります。
読んだ本によると元々洋行を言い出したのは大隈でそれを退けたのは大久保。
大久保と西郷は難物の木戸を追い出してその間に諸改革を行おうと考えていた。
実際木戸が反対していた榎本等の進退など留守政府の時期に行われてる。
伊藤については木戸が誘ったみたい。
大久保的には10ヶ月の洋行だし、その間に派閥のバランスは崩れないと思っていたらしい。
現実は自分のミスと不運で洋行が伸びて江藤が勢力を伸ばし、長州は汚職で壊滅的。
江藤については、元々洋行の予定があって、実際大久保が日本から再出発するときに一緒に
発つ予定だったんだが、三条にとめられてやむなく断念している。
西郷と大久保は途中で交代という話もあったみたい。
個人的に留守政府の面子だからこそあれだけの改革が実行できたと思う。
江藤や大隈、山縣、井上などがいて西郷がどーんとにいたからこそできたんじゃないかなと。
西郷贔屓すぎかw
609 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 00:04:53 ID:5ZZZ+9bX0
西郷いいかげんにせんかっ!
610 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 05:05:30 ID:oR/bx4W00
「西郷 隆盛」
画数:西(6) 郷(11) 隆(11) 盛(11)
天画(家柄)17画 中吉 負けず嫌いな頑固者
地画(個性)22画 凶 不平不満・短期で失敗
人画(才能)22画 凶 不平不満・短期で失敗
外画(対人)17画 中吉 負けず嫌いな頑固者
総画(総合)39画 中吉 逆境を糧にする上昇運
評価 : 61.9点
モバイル姓名判断(
http://n1.mogtan.jp/?s10485)
611 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 11:32:23 ID:HqVkO5Jn0
>>567 亀だがクソワロタwwwwwwwwwwwwwwww
>>605 西郷は民権論にしても何にしても
「なんとなくそういうこと」、「だいたいそういうこと」みたいな
意見が多い。
だから、周囲からは「西郷どんは話が分かる!」となって
それが世間にも伝わる。
西郷は自分の偶像ばかりがでかくなって、
実権は自分では握れない。
大久保、江藤、大隈なんかは政策のイメージには差があるが、
政策実施のためのステップを作りながら
うまく実務家を使えたから実権を握れた。
慶応2,3年ごろに大久保や小松と一緒に
慶喜や春嶽を追い込んでいた時と比べると、
維新後の西郷は別人と感じる。
613 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 20:16:59 ID:YecsqSmF0
>>612 西郷に政府をまかせていたら江藤なんかに実験にぎられそうになった
事からもそれは大体想像がつくな。
それで下野して政府の挑発にのって戦争。
どうも西郷は大久保がいないと粗が目立つ。
もちろん大久保だけでは維新なんてありえなかったが。
614 :
りりい:2007/09/19(水) 11:08:42 ID:f+HnqI6o0
よろ^^
615 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 13:32:12 ID:7XQVjJYQ0
>>612 いやいや維新前後の西郷は基本的に「斉彬公の遺志を実現させる」の一点で動いてただけだから
結局のところこれを実現させるためには手段を選ばなかっただけって話でね
西郷にとって尊敬する斉彬光の遺志は神の啓示みたいなものなのよ
んだから明治維新が軌道に乗り自身の役目が終わったと思えば簡単に鹿児島に引っ込む
それ以降は己の思想で動いてるから別人になったようなイメージを受ける
見る角度を変えれば大久保も同じなんよ
斉彬光の遺志を実直なまでに継いだ久光公の下で動く(久光自身は薩摩藩という頚木からは逃げられなかったが)
最終的にはその範疇を超えて「日本の大久保」といて動く事になるが、斉彬光の遺志の延長線上(遥かに先を行ったが)って事では大久保も変わらない
西郷・大久保・島津久光が「斉彬公の遺志」の元に進んでいた頃は一貫性があったが、ある一定のラインを超えた時点で各々異なる道を歩んだって事だね
全てが「二つビンタ(頭脳)」と西郷に呼ばれた程の天才である、名君島津斉彬の申し子であるんだよ
>>615 斉彬の影響は確かに無視できないとは思う。
ただ、慶応2年以降の西郷・大久保の立ち回り方は、
「幕藩体制ではもうムリッポ」
「藩主?天皇政権作るまでは機嫌取りますよ」
「天皇?藩士・志士たちを起たせる興奮剤という意味ではエロ本と一緒」
みたいな部分がハッキリしてきている。
四候会議も完全に大久保の筋書き通りに沿って進められ、
初めだけ威勢の良かった容堂もへこまされ後藤に丸投げして逃走。
筋書き通り事を進めるために10万両近い決済なんかも
大久保が申請して藩主が「アイヨー」とハンコを押して進んでいく。
斉彬・斉昭の富国強兵論の頃とは、
「国家」という部分についての考え方そのものが根本的に変わってしまっている。
この頃の大久保の手紙・日記コワス。
西郷=正成
利通=足利
618 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 18:55:26 ID:ZSZmNL4X0
大久保ってアナキンからベイダーに変わったのと似てるなww
理想論者が現実主義に変わった感じでw
619 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/12(火) 08:02:17 ID:AADbafvsO
保守
620 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 23:13:44 ID:i73YgtOn0
西郷は韓国に開国を促しに行こうとしたが、大久保が明治天皇を
使ってやめさせた。もし、西郷が韓国に無事に会談しても、
韓国が日本の要求を断ったら、西郷はどうしただろう?
おにぎりを沢山食べただろう
坂本竜馬が一番凄い
糸冬。
624 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/21(金) 09:43:56 ID:1/JPLxR10
高杉晋作の太政官を見てみたかった。
626 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/06(日) 20:40:40 ID:i4V/ZDJ1O
西郷と大久保は車の両輪。
西郷は糞。
大久保は神。
628 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 12:24:55 ID:HFjSsXnUO
薩摩には他に小松帯刀(肝付尚五郎)という凄いのがいるぞ。
629 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 10:25:53 ID:MXrWJuyg0
明治維新後パッとしなかった元薩摩藩士
吉井友実
岩下方平
税所篤
桂久武
630 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 17:31:32 ID:oXJ1PmhzO
ほす
631 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 20:02:18 ID:aPJJ2SCWO
二人合わせれば最強!
岩倉使節団がもっと素早く帰国できていたら、二人は(というか政府は)また違う運命だったのかな…?
632 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 20:53:07 ID:P1uvH2/d0
地味で目立たないけど西郷の弟は凄い政治家だよな、日清戦争や日露戦争でもいなかったらどうなってたか
普段は居ても居なくても空気みたいだが大事な要所要所では身を捨て事をやるのは西郷と似てる
633 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 13:20:14 ID:hL2ePLr50
その最強の西郷・大久保に岩倉も合わせて、謀略の限りを尽くしながら
最後まで倒せなかった、彼らよりひと回りも年下の徳川慶喜っていったい何者ー!?
慶喜の不幸は無能で頑迷な幕府と会津を背負っていたことだな。
クソッあの鳥羽伏見の幕府兵の、暴発と惨敗さえなけりゃ…
634 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 16:12:03 ID:X0+3xnbeO
635 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 07:54:46 ID:RqTnIAgj0
636 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/30(月) 20:12:09 ID:E3jZS7Lq0
西郷も朝鮮にこだわったばかりに「あの国の法則」が発動したんだねえ・・・
637 :
名無し募集中。。。:2008/07/08(火) 04:54:25 ID:eCGMfLqtO
>>627ほど極端じゃないけど
僕もどちらかと言えば大久保だと思う
評価される場所が違うからなぁ…
オレは西郷が好きだけど、近代政治家としては大久保のほうが有能だよね〜。
明治維新の構図として
旧政権(幕府)を旧勢力(侍)を使って打倒している。
大久保西郷の違いは、侍の力を使う論理だろう。
大久保は、維新後の象徴である合理性に基づき、それが最良であると判断したからだが、
西郷は、旧時代の象徴である精神性に重きを置き、国難に当たるのは侍だと判断したから。
もっとも二人とも初めからこのように考えて行動していたわけではおそらくなくて、
どちらも侍が必要だと判断していた倒幕の頃には自覚していなかったかもしれない。
大久保も旧時代の精神性を軽んじていたわけではなくて人生を通して常に意識していたはず。
最終的には人に嫌われることを厭わない大久保が、合理的に薩摩を処理したわけだが。
西郷も士族はもうダメだってのは頭では理解してたんじゃないかと思うよ
「今、世界各国はみな親しく交わっているように見えるが、それは全く表面的なことで、
本当のところは弱肉強食であり、大国が小国を侮るというのが実情である。
例えば国際法というものがあっても、それは大国の都合で存在するものであり、
自国の都合のいいときには国際法をふりまわし、
自国に都合が悪くなるときには軍事を用いる。小国は実に哀れである。
国際法の条文を一生懸命に勉強し、他国に害を与えること無く自国の権利を守ろうとしても、
大国というものは国際法を破る時には容赦なく破る」
ドイツ〔プロイセン〕首相・ビスマルクが大久保利通らに語った言葉 参考文献・『米欧回覧実記』
642 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 22:23:45 ID:P+FSfSne0
(´ー`)y━~~ ホス
643 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/01(水) 16:11:24 ID:iX0NnyI10
やっぱり大久保かなあ。
西郷は理想主義者だし、木戸は当時としては先進的過ぎたし、これに対して
大久保は現実的なヴィジョンをもって近代国家を構築したと思う。士族の特
権を廃したけれども、殖産興業の担い手としては士族を当てることを考えて
いたようだし。
有志専制が悪いことのように言われることもあるけど、基本的にはデモクラ
シーの合理性には理解があったといわれている。だが、当時の日本の民衆の
レベルではまだ時期尚早と考えただけではないかな。
西郷は征韓論で革命の輸出をしたかったのだろうが(このあたり、チェ・ゲ
バラに似てるなあ)、そんなことしたら列強諸国にボロボロにされてたこと
は間違いない。
というわけで、大久保利通は聖徳太子、源頼朝と並ぶ日本の三大政治家とい
ってもいいのではないか。何しろ焼く700年続いた武家政治を終焉させるとと
もに、日本の近代化の礎を構築したのだから。
でも西郷と両輪の働きが無ければ維新は成立しなかったことは確かなんだけれ
ども...。西郷は維新後は目標を失ってしまったようだったなあ。
徳富蘇峰は「西郷は英雄、大久保は政治家である」と喝破し、それを聞いた税所
篤は「そこだ、それで安心した」と言ったらしい。
優良レス
【麻生太郎!原爆殺しの血脈】
【麻生太郎4代前】、もと下級兵士の【尊王攘夷の大久保利通】は、
「21世紀まで統治体制を遅延させた張本人!」
なぜ「封建社会でもない」「天皇制でもない」、新しい国造りができなかったのか!
開国して「明治天皇治世」王政復古。
敗戦して、象徴に書き換え乍ら「権能の天皇」誕生。
▼大正天皇既婚後も別荘で、侍従らに【かごめかごめ】をして遊んでもらっていたとは!
▼大正天皇が生まれつき【脳障害】をもつ者であったからには【昭和天皇裕仁】は彼の実子ではあるまい。
▼嫡子が誕生せねば天皇家は【旧態依然の斉宮もどき、身辺へ侍る巫女に男児出産させるシステム】
▼現天皇の二男も長女も、出生は【公然の秘密】、21世紀も亀卜体制!
▼鬼頭英昭氏の【原爆の秘密】外国篇へ、大正天皇の妻であり、
昭和天皇裕仁の母【貞明】皇太后は、【樺山愛輔】と【深く結ばれていた】と表現。
神道否定「クェーカー教徒」裕仁と裕仁の母「貞明皇太后」
【麻生太郎の祖父吉田茂】が「クェーカー教徒」である裕仁の母「貞明皇太后」の為に
「ヨハンセングループ結成」。
これを中心にして【原爆投下】情報を1早く知っていた【麻生太郎祖父吉田茂】と
【裕仁とその母貞明皇太后】
裕仁と皇居、伊勢神宮が「原爆投下の標的」となり、
裕仁に「疎開を指示」された貞明皇太后。
彼女は皇居の地下へ【格別な防空壕】を建設せよ!と、首脳部へ命令。
【裕仁の首】と【皇居と伊勢神宮】と差し替えに、原爆投下は【広島と長崎】を指示し、
食糧も届けられない日本兵を3日間かけて原爆投下中心地へ招集。
▼原爆投下の日時も知っていながら
▼国民へ避難警告も出さず
▼食糧をとどけなかった兵士もろとも
病人も、赤ちゃんもおじいちゃんもおばあちゃんも、老若男女みな焼き殺した
【麻生太郎の祖父吉田茂】と【天皇裕仁と貞明皇太后】
どこが政治家か!!【麻生太郎!原爆殺しの血脈】
政府、首脳部とは【国民の安全と国土】を守るのが第1ではないのか!
▼アメリカが「飛行機で避難警告のビラ」をまいたものまで没収。
国民を原爆殺ししておきながら【敗戦処理は、すべての悪事を隠滅】した
天皇万歳の【麻生太郎の祖父吉田茂】
万世一系などない、どこの馬の骨か分らぬ者でも「天皇の地位」へ就けてしまえば
万世一系の天皇家と信じ込む【狂言的な天皇】は【日本の弱点】と
1983年から海外では指摘し戦略プランとしてきた。
▼これは、日本の自衛隊員レベルで海外「周知の事実!」
また狂言的天皇を信奉する劣等感の塊である【責任がとれない首脳部】を狙え!と
攻められつづけているのが分らない【狂言者自民党】
明治維新の市長と大正の村長ではどっちが上よ。
647 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/11(日) 15:26:38 ID:fbFKrQ420
僕のどこかに西郷隆盛を尊敬する気持ちがあります。大久保利通よりずっと好きなことはたしかです。
ですから奄美でも、到着直後に龍郷町龍郷を訪ねました。西郷が島流しにされたとき住んだという家のあとがあります。
入場料を払うほどのものではないと思って外観を見ただけですが。
2冊の本をぱらぱらめくっているとこの島の人たちの西郷に寄せる思いは複雑なことが伺われます。
西郷は「島妻」愛加那が生んだ二人の子を後年、愛加那から奪い、手紙の一通も書かなかったといいます。
648 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/11(日) 15:27:17 ID:fbFKrQ420
また、西郷は明治維新後も島津藩が奄美の砂糖の専売制度を維持することを主張し、
それによって奄美の人々から絞り上げた大金が西南戦争の軍資金にもなったとか。
専売制度の撤廃の嘆願に来た人々を監獄にぶち込み、挙げ句の果てには若い嘆願団員を強制的に西郷軍に従軍させたとも。
幕末には島の人口の20%から30%がヤンチュといわれる債務奴隷にされたという薩摩の過酷な奄美支配についてはこれから勉強しようと思います。
鹿児島でも奄美でもタブーにされてきちんと研究されてこなかったことだといいます。一体どういうことでしょう。
649 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/11(日) 15:27:41 ID:fbFKrQ420
西郷もまた、いや、西郷こそ、維新後も続く奄美の人々の黒糖地獄の元凶であったとすれば
僕の西郷認識も本当にいい加減なものです。
650 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/11(日) 16:59:58 ID:PnUHQkqg0
すげぇ〜のは大久保、偉いのは西郷、違う意味で偉いのは江藤
651 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/14(水) 22:02:05 ID:yUuIeR0q0
伊藤博文も凄ぇ有能
652 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/20(火) 04:32:47 ID:7xk6SmtWO
西郷=ナポレオン
大久保=リンカーン
653 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/20(火) 04:43:44 ID:p6ooqgAj0
鹿児島県内でしか通用しないスレはここですか?
人間として熱狂的に好かれるのが西郷
政治家として冷静に評価の高いのが大久保
って印象がある。薩摩の人、あまり知らないんだけど。
大隈とか、西郷が偉大であることを世間とか周りの人の様子で知ってるけど
自分で実感したことはない。でも、大久保が有能であることは、実際に付き合い
なくてもわかる、みたいな感じで、そこが違いかな、と思う。
西郷の魅力は魂に訴えちゃうようなものなんじゃないか、と。
自分にはわかんないんだけど、「わかる」ってのが違うな、みたいな。
大久保は、マジで日本有史上、最も能力の高い人物だろ。
西郷だって政治家としてもっと高く評価されるべきだよな。
士族独裁主義なんかじゃない、開明的な人だったんだから
別の視点で言うと、外交や軍事・政治力・経済政策・民政という点で、
完璧に近い評価を与えられる大名・貴族は、武田信玄と島津斉彬
656 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/31(日) 17:32:19 ID:YGAo1gHF0
近現代で見れば最強かな
小泉も人気あったけど何を考えてるか分からん人だったからな
657 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/01(月) 13:17:34 ID:Z5d4e8s70
658 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/23(月) 16:37:32 ID:aOcnkaiy0
>>655 島津斉彬が名君であったことは疑いようがないけど、
島津斉彬がもし突然死せずに生きていれば、
明治維新は、「維新」というほどの大きな変化じゃなくなってかもしれないね。
もっと緩やかな変化というか。
659 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/23(月) 16:41:41 ID:1KRsw69V0
西郷も大久保も時代になくてはならない人だった。
浪漫の西郷と、実務の大久保。
ただ、世間的にはちょっと大久保が過小評価されていると思う。
もっと大久保は評価されていい。
661 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/23(月) 18:46:08 ID:CQlPbgC50
浪漫の西郷w
662 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/23(月) 19:55:17 ID:oA+pADlx0
西郷は古い時代を変えるために必要だった。
大久保は新しい時代を作り上げるために必要だった。
どっちもすごいよ。
663 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/23(月) 22:17:28 ID:7uldF7wn0
しかし、明治政府の基礎を作ったのは大久保が、これだけ過小評価されているのは
何が原因なんだろう? 独裁的だったから?
西南戦争で、自分の故郷を戦場にして大量の死者を出したから?
よくわからない。
明治政府の基礎枠組を作ったのは木戸だよ
というか、木戸こそ過小評価されすぎだと思う
シビリアンコントロール他、現代でも通用する普遍的な価値観を当時唯一持っていた
木戸の場合、「逃げの小五郎」のイメージが悪さをしているのかもしれないね。
ただ、
> 現代でも通用する普遍的な価値観を当時唯一持っていた
これはダウト。
普遍的な価値観などない。価値観は時代とともに変わるもの。
現代の価値観が普遍的などと思うのは現代人の思い上がりでしかない。
666 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/24(火) 00:35:55 ID:wLuIh9Jq0
>>665 来たな信者がw
別のスレで、現代の価値観で当時を語っても意味が無いとか言ってた信者w
あのなあ、「現代の価値観が普遍的」などとは誰も書いてないぞw
西郷(および鹿児島人)の業績がかすむような書き込みがあると、
否定しなければwという思いが先に立つのか、
レスをよく読みもせず、幼稚すぎる価値論を人に押し付けてくるとは、
これぞまさに信者の思い上がりでしかない、わなww
>>664 大久保だよ。明治政府の基礎を作ったのは。
木戸はあまりにも後ろにいすぎたね。
五箇条の御誓文、版籍奉還、廃藩置県、これらの中心にいたのは木戸で
これらが明治政府はもとより明治時代の基礎じゃないのか
まあ、なにをもって基礎とするのかは個人によるだろうが、木戸がまだ身体が万全だった時期にやったことは
その後の基礎基盤になってると思う
この人がもっと健康だったらいろいろと変わったかもね
半身不随で頭痛がひどくて不眠症、胃も滅茶苦茶悪くて歯もボロボロに抜けてしまって急に意識を失うこともしばしば
…そんな病状でも隠居させてくれない明治政府の人材枯渇っぷりがなんとも
669 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/24(火) 01:20:52 ID:AmUErx/d0
>>664 いや、木戸は十分に評価されてるよ。鞍馬天狗でw
なにに書いてあったかは忘れたが
木戸が創って大久保が守ったのが明治政府ってあったな
この二人が長生きできてりゃなぁとは思うが、片方が長生きしても上手くはいかなかっただろうなとも思う
大久保が専制政治やるにしても対等な批判者がいないとバランスが取れないし
木戸は誰かを上に置いて力を発揮する宰相タイプだし
この二人は絶妙なコンビだったと思うよ
普段は反目してても何かあったときの結束っぷりが半端なくて資料読んでて面白い
>>670 > 木戸は誰かを上に置いて力を発揮する宰相タイプだし
言葉が矛盾してない?
木戸は誰かを上において力を発揮するフィクサータイプだし、なら分かるが。
この機を逃すまいと、大久保が内務卿として強引なまでの改革をしなければ
明治政府が上手くいったとは思えないな。
初期の頃それができたのは間違いなく西郷の存在があればこそだと思うが。
私財を投入してでも、明治政府を軌道に乗せることに力を注いだ割には、
世間一般の評価が小さすぎると思う。
その原因は、やはり、西南戦争での冷徹なやり方や専制政治で敵を多く作った
こともあるのかもしれないな。大久保自身は、暗殺された時に西郷からの手紙を
大事に持っていたそうだから、ちょっと悲劇的だね。
>>670 誰かを上に置いて力を発揮する宰相タイプは
大久保じゃねえの?
薩摩時代は久光や西郷を、新政府では木戸を、
木戸が弱ってからは天皇を上に置いてきたイメージだが。
それもかなり意識的に。べつに悪い意味ではなくてね。
木戸はそういう権力の力学に首を突っ込むのが嫌いで、
自分の立場を強化するためのはかりごともしない人で、
それが信用になって、逆に皆に立てられた人というイメージだが。
674 :
現代社会の父の復権を望む ◆5eiUxLfsPpft :2009/11/24(火) 02:16:10 ID:KJH7rXRI0
四傑にしてもいいから「板垣退助」を入れたらどうかな。
彼は甲府勝沼で武田の末裔作戦で知略で近藤勇率いる幕府軍を内部崩壊させたし、
何よりも東北戦争での活躍は大きく、会津戦争で薩摩・長州・肥前の軍を率いて
勝利し、「平潟戦線」においても勝利し、「越後戦線」後の板垣の切り崩し工作に
より米沢藩が降伏。米沢藩に働きかけをさせ仙台藩の降伏にも成功する。
これによって双方の被害を最低限にとどめることに成功する。
それに自由民権運動を行い、現在の民主主義制度の根本を確立。
衆議院議会創設の親でもあり、彼の作った自由党は憲政会派として
二大政党制の一翼を担い、現在の自由民主党・民主党にも通じる。
国会議事堂の中央広間三銅像には板垣退助、大隈重信、伊藤博文の銅像が鼎立する。
【三傑などの枠組みに参加できなかった最大の要因】
この当時財政面の問題などから「一代華族論」を唱えていて、
二度の授爵の勅(公爵・侯爵)を断った為、「三度の拝辞は不敬にあたる」と周囲から諭されて、
三度目にして、やむなく伯爵位を授爵した。
伯爵議員としての互選も勅選議員の任命も辞退したため、議席をもたず、
子孫に爵位を継がせなかったため、木戸・大久保・西郷のように子孫や親類が政治の中枢に居らず、
(例えば西郷は大山巌・西郷従道、木戸は木戸幸一、大久保は牧野伸顕等、それが更に閨閥化し)
後世においても復権運動が起こらなかったのが原因だろうと思われる。
>>672 大久保が内務卿になって改革するのは西郷が下野した後だから関係ないよ
むしろ西郷の存在がなくなったからこそ薩摩閥のトップに君臨したんだし
使節団前までの大久保は木戸派の抵抗勢力でしかない
>>668さんに同意。維新同時、基礎というか枠組みを作ったのは間違いなく木戸。
>>664さんの言う木戸が過小評価ってのも同意。
廃藩置県とかの大事業の時は木戸がトップだったし、大久保は木戸が基礎作りをしてくれた後だからこそ力を発揮できたと思う
大久保はある程度は整った土台の上でなら素晴らしい力を出すんだと思うが、ゼロから全く新しいモノを生み出すという力ならやはり木戸。
>>665 木戸の思想が普遍的ってのはあると思うよ。世状としてそれを口にできるかどうかは別にして、戦争は凶事、死にたくなんかないってことを思わないわけないんだから。
そこに通じるのが木戸が断固として貫いたビジリアンコントロール。
洋行前が木戸で洋行後が大久保のイメージかな。
どのみち明治の大久保を語る上で木戸ははずせないはずだが、過小評価されすぎて話題にもされないことが多い。
西郷に関して言えば古い時代の人間を率いて、早々に旧時代の幕引きをする意味では必要だった。ただ『作る』側としての西郷は要らないとは言わないが大久保には明らかに劣る。
>>673 > 誰かを上に置いて力を発揮する宰相タイプは
だからぁ、、「上に立ってるのが」宰相なんだからさw
馬鹿?
下に動いてもらう宰相や、上に動いてもらうフィクサーはあり得ても、
「誰かを上に置いてる」宰相なんて言葉、自己矛盾。
「誰かを上に置いてる」時点で宰相じゃないっつーのw
680 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/24(火) 23:11:46 ID:wLuIh9Jq0
>>680 あほう。
宰相の上には君主しかいない。日本の場合、天皇ってこと。
683 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/24(火) 23:52:53 ID:wLuIh9Jq0
>>679 はあ?
「誰かを上に置いて力を発揮する宰相タイプ」
という表現のどこがおかしいというのだろう?
君主や天皇を上に置いてる時点で、
おまえの言う、「上に立ってるのが」宰相、という状態が成立しないんだがw
宰相というのは「誰かを上に置いてる」から宰相なんであってw
上に誰もいなかったらそれは「王」とか「皇帝」ということでしょ。
これって世界の常識じゃなかった?w
>>683 馬鹿か。恥の上塗りとはことのことだなw
685 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/25(水) 00:14:51 ID:Gh+7wPMf0
名宰相って名ナンバー2のことだよ
686 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/25(水) 00:21:56 ID:Gh+7wPMf0
宰って字は補佐って意味。
家宰とかね。
687 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/25(水) 00:22:12 ID:xtA5uafOO
言葉の意としては
>>680さんは正しいけど?
日本の君主は天皇であって諸外国の『王』とは違い、宰相位に就くことはどちらかと言えば『王』に近い。
(もちろん天皇が位としては上だけど実質的な最終決定者だから。)
ならば『宰相』という言葉の本来の意味に近いのは大久保ってことでしょ。680さんが言いたいのは。
688 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/25(水) 00:25:35 ID:xtA5uafOO
あ、ゴメン。なんか↑の書き込み言葉の運びが変だった。
日本の宰相位は諸外国の『王』に近いから『誰かを上に置いて〜』が違和感を感じるのは解るけど、ってことね。
689 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/25(水) 00:31:16 ID:Gh+7wPMf0
違うよ
王に相当するのは大統領。
家宰とは家老のこと。
家老が実質藩を取り仕切る。
徳川幕府なら老中や大老か。
殿=王はお飾りなわけ。
そのお飾りに実務をやらせてるのが大統領。
間違ったのは
>>679さんでしょ。
立憲君主制と封建制と共和制
これらの違いを知ればわかるよ。
また自演がはじまってるよ。やだねぇ。恥の上塗り。
ID:wLuIh9Jq0
口惜しかったら出てきてごらんよ。
出れるもんならなw
692 :
683:2009/11/25(水) 00:55:29 ID:OiINhdnK0
なにか?w
大久保は能力はあるし信用もあるし
実権を自分に集める芸当もできたが、
自分はいまいち人気が無い官僚タイプだという現実も自覚していたでしょ。
だから人気の無い自分の口から命令を発するのではなく、
自分は宰相として、上にふさわしい人(最後は天皇)を置いて、
勅命みたいな形で自分のプランを実施していったということです。
これは司馬の受け売りですけどw
693 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/25(水) 01:03:03 ID:xtA5uafOO
レスつくの早いな。私は
>>680さんじゃないよ。
>>689さんの指摘はああそうかもと思ったけど、『宰相』という言葉の意は、何人かの人が言ってるようにナンバー2。
だから言葉の使い方としては正しいと思うんだよ。
>>680さんて、木戸はそれこそ『王』というか、決定して、実務は(丸投げじゃないが)自分より上手く出来る者が居たら任せちゃう、指揮者タイプで、
大久保は自分の上に誰か責任者を置いて実務の上での実質的な権力を握ること(まさに689さんの言う老中=宰相)が向いてるってことでは?
694 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/25(水) 01:04:17 ID:azIMqzLL0
自演がすんだから、また入りなおしたの? 分かりやすいひとですね(笑
だから馬鹿にされるんだよ。
しかも、司馬の受け売りなんて(大笑
695 :
683:2009/11/25(水) 01:11:00 ID:OiINhdnK0
>>693 言葉の意味からも違うでしょう。
近代以後にあえて「宰相」と使う場合、実務的な政治のトップを意味します。
そんなの常識でしょう。
近世以前に使われてた意味の「宰相」で、近代の「宰相」を語るのはナンセンスです。
知ってるとは思うけど、あまりにもレベルが低いので言っときますけど、
明治は近代です。
698 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/25(水) 01:20:57 ID:xtA5uafOO
>>696 実質的にそういう意味なのは当然ってます。でもそれは時代の流れで自然に解釈がそう変わったのであって
>>680さん(
>>695さんなんですね)は、
『宰相』という言葉の本来の意味として使ったんだから正しいでしょう?
文脈からそんなの明らかじゃないですか。
>>693 木戸は丸投げタイプではないと思う。
人の意見に自分なりの意見もいれる感じ。
完全に人にまかせきりはしないタイプでそんなところも伊藤が大久保側に付いた要因の一つに思える。
そのタイプは大久保のほうがまだ近いような。
木戸は欠点が皆無なわけではないが、非常に理想的な近代政治家というふうに感じる。
例えば今の日本の政治家が木戸みたいな人ばっかだったらいい政治になりそうなんだけど現実はそんな人ばっかになるわけねえっていうか。
700 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/25(水) 01:26:49 ID:xtA5uafOO
×当然ってます
○当然知ってます。
ナンセンスとかじゃなくて、
>>695さんの『宰相』という言葉の使い方からすれば695さんの発言に矛盾はないって言いたかっただけです
>>698 近代のことを話してるのに近世以前の意味でしか通用しない「宰相」を使っているのはナンセンスです。
近代以降で、あえて「宰相」を使う場合、
通常、実務的な政治のトップを意味します。
原意を含ませて使う場合(現代では、ほとんどありませんが)、
”天皇に任命されているから”という意味を含ませる場合はありえますが。
つまり、「天皇」に代わって政治を指揮しているという意味。
その意味でも「宰相」の上は、「天皇」でしかありえません。
実務上の政治で「宰相」の上の役はありえません。
>>680さんは、そのことをごっちゃに
話をしているから、いい加減であると馬鹿にされたのでしょう。
704 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/25(水) 01:36:13 ID:xtA5uafOO
>>669さん。 私も木戸が丸投げタイプだとは思ってません。だから()書きもしましたけど、
要は自分の意見はもちろん入れるししっかり責任も取るが、それを自分よりも上手く出来る人間が居た場合に、責任は取ってやるが実際の主導権を委託する、ということを躊躇わないタイプだと思います。
大久保はよくも悪くも任せることはしないでしょう。自分の描いた構想は自分が主導で作ろうとするタイプではないでしょうか。
705 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/25(水) 01:38:03 ID:xtA5uafOO
↑のレス
>>699さんね。レスつくの早すぎてアンカーナンバー混乱してる。すみません。
>>704 あなたの木戸好きはじゅうぶん伝わったよw
しまった、俺もアンカーミス。↑のレス、
>>699さんに向けたレス。
708 :
683:2009/11/25(水) 01:42:26 ID:OiINhdnK0
>>701 >>702 そもそも「宰相」ではなく「宰相タイプ」と書いてるんであって、
大久保が宰相位かどうかではなく、大久保のスタイルが宰相的がどうかを
言ってることぐらいおまえの頭でも分かるだろ?
おまえの指摘はあげ足取りにもなってねえよw
ごくろうさんw
>>708 っというか、あんたが馬鹿すぎるんだろ。
歴史を語る前に日本語を正確にしゃべれるようするのが先だろ?
>>703 この書き方だと褒めすぎになるかw
木戸は確かに好きなんでそこは否定しない。
>>710 もしかして○○藩出身の方ですか?、ってねw
>>711 残念ながら兵庫より西に行ったことないんだわw
郷土の偉人ってそんなに思い入れあるものかね。
このスレとか日本史系のスレを見ると不思議な気分になる。
地域や年齢にもよるだろうが。
木戸は地元にも好かれてない、萩行ってもほとんど松陰と高杉ばかりだし単独の資料館も無い。
通っていない松下村塾に何故か写真を混ぜられてるくらい適当な扱い。
下手したら鹿児島での大久保人気より低いんじゃないか
>>677 >洋行前が木戸で洋行後が大久保のイメージかな。
洋行前が健康で実権を握っていたのは確かだが、木戸の洋行後の思想の成熟っぷりは凄いと思うけどな
一次資料見てると、理解力や先見性は当時ずば抜けていたんだろうと思わせるものがある
この人が健康であと20年くらい生きてたらどういう考えに至っていたか気になるんだよな
まあ、学者肌だった感じは否めないが
715 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/25(水) 08:59:35 ID:xtA5uafOO
>>714 同感です。もう少し健康で政府の実権をそれなりに握って主導出来る立場であり続けたなら、憲法の制定なども早かったかも。
封建社会で育ってよくぞあの先見性、開明さを持てたなと思う。
716 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/25(水) 09:07:43 ID:xtA5uafOO
>>713 それは仕方ない。木戸ははっきり言って当時、いい意味で時代錯誤(思想的に先取りしすぎ)だし、堅実な性格だから、英雄には絶対なれない。
日本人て特に理想に生きて死ぬとかの『英雄』大好きなんだから。
西郷・松蔭・高杉・真田幸村とかね
兵制論争というのがあって、
武士の藩兵を排して、徴兵による国民軍を創るべしと主張する天才大村と、
それに強硬に反対する大久保が激しく対立したことがあった。
大久保の意見が通り、大村は辞めようとしたが、
大村を支持する木戸に説得され留意した。
欧米視察の前です。
洋行後、考えを変える大久保にくらべ、
木戸はこのころからブレてない。
大久保も内心、木戸怖るべしと思ったはず。
>>717 思わないんじゃない?
大久保は、西欧から学ぶものは学ぶべきと言う考えには違いないけど、
日本独自の国づくりを模索していた。
岩倉使節団に参加して欧州、アメリカを視察後もそれはぶれていない。
スラム街で貧困にあえぐ人々を目にした大久保は、
「自分は江戸幕府を倒して天皇の政治になそうと考えその事業もほぼ成った。
しかしあとはどうも困る。・・・(中略)・・・我々はこんな進歩の世には適しない。
文明社会にはまったく辟易する」
と語っている。
そのロンドンのイーストエンド視察は二人とも行ってて、文明の影の部分もしっかり認識した。
んで洋行後の大久保は、良いものは取り入れよう、弊害は後の連中がどうにかしてくれる、
木戸は、将来への影響を考え慎重に取り入れねば、という姿勢。
洋行前は開明派の親玉だった木戸と、それに反対していた保守派大久保は
どちらも意見を急変した、ぶれたと思うけど。
どっちもぶれたというのはなんか違う気もするなあ。さしたる理由もなく意見を変えたのならぶれたでいいのだろうけど。
ちょっとした言葉のとらえかたの問題だろうけどさ。
大久保内閣って問題先送り内閣だったのな…
江藤関連をとっても大久保は法治主義を理解していたようには思えないし
大久保は政敵をぶっ殺しまくって自分が権力を握り、内容の良い悪いは置いておいて、政策を断行していったという部分に於いて評価すべき人物なんだろうな
大久保の江藤関連はちょっと問題
あれが元祖統帥権の独立だとか言う人もいるよね
当時内務卿は文部卿兼任木戸だが、木戸の許可なく現地で独断したから。
お前が木戸に内務卿押し付けたんだろうに。
まったく良い印象がないんだが、そこを誰か大久保擁護的な視点で解説してヨロ
723 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/26(木) 15:08:16 ID:yRZibEYlO
江藤に関しての大久保擁護は難しいよ。
それに大久保って征韓反対したくせに直後と言っても良い征台は推奨している矛盾。まあこれについては江藤だけではないが、これがあるから大久保の征韓反対は政敵を下野させるためだったとか言われるんだろう。
木戸はそもそもの征韓論者だったが洋行で考えが変わったね。
ただこれが
>>719さんの言うような『ブレ』だとは思わないが。木戸はその後の征台にも明確に反対しているから、ブレたというより変わったという感じ。
724 :
719:2009/11/26(木) 15:47:59 ID:kbg9RjMKO
ブレという表現が続いてたので乗っかっただけです、不快な印象を与えていたらすまない。
別に非難する訳でもなく、大久保が一貫しているというのに対しちょっと訂正したかっただけ。
大丈夫。不快とかじゃないです。ただ言葉から受ける印象に違和感があっただけで。
それに
>>719で言われている部分は私も同意です。
大久保はとにかく当面に重点をおいて考えていたというのと、木戸は将来性までを考えていたというの。
そういう意味では根幹は二人とも変わっていないと思う
打ち出す政策は変わっても政治思想は変わってないというか。
特に木戸はすごくそれを思うのは、日記などで自分の考えを詳細に記しているからかもしれませんが、少なくとも『つくりたい国』があったんだなというのは伝わってくる。
ただ権力に溺れたという感じはしませんよね。大久保の個人借金で国庫補填もですが。
726 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/29(日) 13:48:59 ID:l2qRMbd+O
ピタリと書き込みが止まってる(笑)
江藤関連での大久保擁護は確かに難しい。完全な暗黒裁判だからね。
で、スレタイに異論?を言ってみると、普通に日本至上最強タッグは木戸、大久保だと思う。
あの二人、合っていた時は最強。
しかし、そのタッグには伊藤というパシリが必要不可欠なので最強トリオということで。
確かに最強トリオだ。じゃあまあ、伊藤は間違いなく日本一役に立ったパシリ。ってことで。
729 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/29(日) 22:03:10 ID:KGQrNNPS0
NHKは、いまだかつて近代日本の黎明期をきちんと描いたことがない。
描くためには、大隈重信の生涯(有能な書生⇒維新官僚⇒国民政治家)をやらなければいけない。
それを放棄しておいて、坂本龍馬とか浅井の三姉妹とか、語り尽くしたネタを繰り返しておきながら、
いきなり日清・日露の時代へひとっ飛びするなんて、とても評価できない。
730 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/29(日) 22:31:09 ID:fvkn+uFWO
>>726 その最強タッグが、数年前の小学生歴史人物認知度検査でワーストワンツー
フィニッシュなんだがどうすればいいw?
あ、パシリはもうちょっとマシだったけど
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/30(月) 00:23:59 ID:bjbM9G6Z0
江藤を抹殺した無能凶悪人
もっと江藤を活躍させるべきだった
732 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/30(月) 08:04:27 ID:hz2aJS8PO
>>730 それは教科書の記述がちゃんと二人のやったことを教えないから仕方ない。五箇条の御誓文とか廃藩置県とかですら概要だけで誰が主導かとか、
経緯とかすっ飛ばす。小学生はよほど出ない限り教科書以上のことを調べようとはしないから。
西郷すらも西南戦争でしか出てこないもんな
734 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/30(月) 21:54:57 ID:UZCRgoau0
日本史上、有能・出来の良さ度で言うと、大久保利通が一番じゃね?
あと、島津斉彬とか。
735 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/30(月) 23:29:26 ID:hz2aJS8PO
構想を実現していったという意味なら伊藤になると思う。
山縣なんかも凄かったけどさ。
大久保と西郷は偉大だよ
お前ら分かってねえなあ。
西郷が大久保より人気があったのは、
江戸幕府を倒したからでも、無血開城したからでも、
新政府に抵抗していた庄内藩を丁重に扱ったからでも、
留守政府で改革を次々と断行したからでもない。
たとえ西南戦争で国賊とされても、多くの人が西郷を畏敬し続けたのは、
彼が「義」を重んじたラストサムライだったからだ。
どっちがすげーの?なんて質問すること自体おかしい。
西郷と大久保とでは全然系統が違う。
国を変えるのは緻密な政策。
でも国を変えるのは人の心。
政策に命を吹き込むのは、結局は、人の熱意なんだからさ。
幕末のような混乱期に、多くの人たちの熱意を束ねて前に進める力が
西郷には強かったんじゃないのかな。
738 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/01(火) 00:46:07 ID:Oj3jglW70
維新の三傑の中では木戸孝允がNO.1と思っている人もいるね。
俺も、木戸孝允が一番好き。次が大久保。
西郷はイマイチ好きになれない。
739 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/01(火) 01:20:07 ID:kjLnUxU6O
>>732 近代以降世の中が一気に複雑になって、誰が何をしているのかを理解するのに
相当の背景知識を必要とするようになったからね。
その点、中世以前の武将や将軍なんかと同じように
浪花節とか人情論とかその手の尺度だけで全てを語り尽くせる西郷どんなんかは、
ボケ老人や小学生なんかにも簡単に理解できるからね。
ちょっと頭おかしいんじゃない、あんた。
むしろ、簡単に理解できない人物だろ、西郷って。
しかも、むしろ逆。
若い頃に大久保のほうが好きだと言ってはばからなかった人が、
年を取るにつれて価値観が変わってきたのか、
西郷の良さが分かるようになったって言う人が不思議なほど多い。
どうしてなんだろうね?
>>739 もしかして、君は、このスレで何日か前、日本語が不自由だと散々
馬鹿にされてた西郷憎しのお馬鹿さん?
743 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/01(火) 04:52:01 ID:kjLnUxU6O
>>740 あなたがそういう人間ばっかり集まるネットのコミュニティに
どっぷり浸かってるからそう感じるんではないでしょうか。
>>741 西郷どんの魅力は子どもからお年寄りまで理解できると言っただけなのに、
信者は何をそんなにいきりたっているんですか?
ひょっとして西郷どんの信者であることに選民意識でも持っているのですか?
744 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/01(火) 08:31:39 ID:RecCI+FNO
>>738 ですね。私も木戸が一番だと思ってます。明治の枠組みを作ったのは木戸ですからね。
大久保や西郷って(特に西郷は参議になったのは間違いで考え方がほぼ軍人のままだった)立案能力に欠ける気が。木戸と比べての話だけどね。
木戸って議会の発足提唱などはスレでも言われていたけど新聞発行などもさせてメディアの発達への貢献もある。
木戸は司馬史観の被害者だよなぁ
なんでこんなに過小評価されなきゃならんのかわからないくらいに近代国家的思想の理解や先見性、将来への責任感
更には日本の文化・歴史への理解が半端ない
単純な「頭のよさ」なら木戸が一番だったろう
が、賢いだけじゃ政治は出来ないんだよなぁ…
つ気まぐれ、学者肌
ただし木戸をヒステリーていう奴には全力で異議を申し立てる
司馬自身も翔ぶでは木戸を好評価しているのに、司馬信者には評価されない不思議
大久保にしても司馬は良く書いてるけど一般人気は低い不思議
西郷の前に出ると言いたい事が言えなかったとか
維新後は一人で行動する寂しい男とか
木戸をよく知らんころは根暗な奴って
司馬小説のイメージ強かったな
749 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/01(火) 14:26:03 ID:RecCI+FNO
>>746 学者肌っていうのは多病になって取り仕切れなくなったからそう思うのでは?
あと木戸は気まぐれじゃないと思う。
むしろ木戸ほど打ち出す方針が一貫して居る人は居ないと思う。
征韓論だけは変わったけど、あれは洋行で今まで頭で考えてたのとかなり違う西洋との差を感じたからで。
その後は1度も変わっていないし。
なにが凄いって西南戦争間近で鹿児島がバタバタし始めても「兵を悪戯に増やすのは退歩だ」と提言してるとこだよなぁ。
後の第二次世界大戦のある意味洗脳的な国民教育を思うと、凄さがよく解る。
木戸オタの連投が多いな。
木戸スレはスレッド数が多いし、固定客がいるようだね。木戸スレに帰れよ。
751 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/02(水) 01:32:26 ID:f+Sk6sCLO
そのとおり。
ここは西郷どんの人徳と器に陶酔するためのスレ。
西郷ど〜ん、西郷ど〜んw
752 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/03(木) 01:15:15 ID:MSKw5rQe0
西郷は何故、岩倉使節団に加わらなかったの?
辞退したの?他から留守を頼まれたの?
753 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/03(木) 02:30:36 ID:GqHnr3OG0
バカばっかだな、このスレの住人は。
贔屓の役者を巡って、どっちが凄いだの口論しているだけではないかw
贔屓役者かw
この流れでそういう例えが出てくるのはよいセンスと思ってしまったww
おれはやっぱ
>>753に一票だな。
いきなりそのスレの流れをぶった切って、多勢に向かって
バカ呼ばわりするその勇気、判断力、行動力は西郷、
大久保、木戸よりも賞賛されてしかるべきだと思う。
>多勢に向かって
ごめん、多勢って誰?久光のこと?
757 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/03(木) 12:58:53 ID:daIb+erZO
私学者ではないから意味はないって言われればそれまでだけど、多少なりとも西郷の過大評価、木戸の過小評価は事実である以上、(大久保は業績自体はまあ妥当に認められているような気はするが)
それぞれの考えを出す場としてはありだと思う。ただ書き込む時は誰を擁護するにしてもそう考える理由は書き込んでほしいが。
西郷だから凄いとか木戸だから凄いってのは無しで。
758 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/03(木) 13:00:09 ID:daIb+erZO
ごめん。↑史学者ではないから、ね。
759 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/03(木) 15:00:48 ID:UK/wIJLB0
でも木戸って別に何もしてねぇしな
760 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/03(木) 19:00:37 ID:cg+0YIT6O
>>752 交渉にわざと遅刻してみて先方を待たせて
上下意識を植え付けるみたいなつまらんはったり劇を
日本にいる時と同じ調子で演じられると、
まとまる話もまとまらなくなって迷惑だからです。
>>759 そんなわけない。ていうより明治スタートのひとつの象徴である五箇条の御誓文を作り上げたの木戸。誰でも知ってることでしょ。
廃藩置県とかも本当は功労者を1人だけ選ぶとしたら絶対木戸なんだけど、これはまた『西郷が〜』となるだろうしな。
けど少なくとも『なにもしてない』という時点で貴方は木戸を正当に評価してない。
762 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/03(木) 20:52:54 ID:rpT2rleq0
五箇条の御誓文って、別に木戸が一人で作り上げたものでもなんでもないし。
似たようなのに坂本龍馬の船中八策なんかもあるし。
そもそも由利の草案に手を加えただけで。
763 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/03(木) 21:18:04 ID:daIb+erZO
>>762 確かに最初は由利だけど、『最初に基になる考えなどを提言した人の手柄』ならそれこそ廃藩置県は間違いなく木戸の手柄ですよ。
鳥羽・伏見からまもなくに有名な
『三百緒候をして〜』と奏上している。
幕臣でも言ってた人いると言い出しそうだけど、それは意味無いでしょう。
明治政府を主導、影響力を誇る人間で言い出したのは間違いなく木戸だよ。
木戸の手柄の部分だけ論を変えるなんて変だよ。
廃藩置県が西郷、あるいは大久保らの協力がなければ成し遂げられなかっただろうというのは認めるけど、
少なくともどこをどう論じても観点を変えても、マトモに評価していたら『なにもしてない』人ではあり得ない。(これはまあ三傑共に言えることですね)
764 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/03(木) 21:22:45 ID:gUTMYi0lO
木戸って誰よ?
765 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/03(木) 21:30:19 ID:yAy46Cxb0
廃藩置県で西郷なんてなにもしてないだろ。
西郷のかわりの猿の置物があったほうがよっぽどスムーズにいった。
766 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/03(木) 21:33:21 ID:JakG+o6v0
まったくw
西郷支持者の書き込みって「西郷の協力が無ければできなかった」とか
「西郷が抑えたからこそ」などの抽象的なまやかしまがいの根拠ばかりだし。
767 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/03(木) 21:51:03 ID:gakR+dzoO
大久保の偉大さは誰もが認めていて、
西郷信者と西郷アンチがいちゃもんつけあってて、
たまに出てくる木戸イラネに対して木戸信者が長文で噛み付く、というスレか
岩倉も同列で語って欲しい
768 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/03(木) 21:51:13 ID:yAy46Cxb0
反対派が最後に説得に応じた事をもって、
その人物がいなければいけなかったというのは詭弁にもほどがある。
769 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/03(木) 22:09:20 ID:rpT2rleq0
実際薩摩の兵力を握ってたのは西郷だし、西郷は実行者としての影響力が大きいから評価が高いんだろう。
久光に絶対するなと釘を刺されて上洛し、兵力を背景に断行したのは西郷の政治力に負うところが大きいのは事実。
770 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/03(木) 22:23:09 ID:yAy46Cxb0
ほんとに影響力が大きければ、西郷は自分の方針を実行させているよ。
木戸の方針が実行された時点で、木戸のほうが影響力の方が大きいのは明白だが?
京で木戸の説得を受けた時に
どれだけ外堀埋められた状況だったか次第じゃね
772 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/03(木) 22:34:14 ID:daIb+erZO
>>765-766 ですかね。私は西郷が居なかったら、を考えなかったので、薩摩士族に絶大な存在感を持ってしまった西郷が居る以上、廃藩置県に西郷の協力は必要だったと書きました。
でもそもそも居なかったら、士族達も団結し辛くて廃藩置県は元より西南戦争があれほどにはならなかったのかな、とは思います。
まあある意味、西南戦争はあの規模で起きたからこそ鎮圧が一度で済んで、明治10年以降、反乱らしい反乱がなくなったのかとは思いますから、『幕末の幕を一気に引く』という意味では西郷は必要だったと思います。
創る人として必要な人物だったかは疑問ですがね。
木戸は学者みたいな頭でっかちの印象がある。
言い出しっぺであるかもしれないけど、言いっぱなしっていう印象もある。
774 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/03(木) 23:25:03 ID:JakG+o6v0
印象ねえw
西郷支持者らしい非論理的な人物評ですなあw
しょうこおねいさんに三人の似顔絵をかいてもらいたい。
>>767 その大久保が最後は結局木戸を選んだんだよな、西郷じゃなくて
とりあえずどんな理由にしろ新政府は木戸が必要だったらしい
777 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/04(金) 01:18:21 ID:yoa0S9Yy0
そら、新政府は薩長の寄木細工だったからねえ。
同じ薩摩閥でも意見の相違があったし、
そこに土肥も絡んでグチャグチャだったのが現実。
長州で唯一、一つ頭抜けてたのが木戸だったから、抜けられると困るんだよな。
何だかんだで木戸は一度も大久保を裏切らなかったから
引き戻しとかで苦労させられたものの
大久保にとって十分実のある相手だった
ちょっと見てなかったら三傑スレ(なんで西郷が三傑か、みたいな)がなくなってた。
同じ理由でここに来てる木戸スレ住人、確かに多そうw
誰か三傑の新スレ立てたらどうかね?
木戸の功績がわかってない基本的に論外の人は置いておくけど、西郷は「功績」じゃ語れない
んじゃないか?
薩摩ってよくわかんないんだが、一種独特な土地じゃないだろうか。薩摩全体を島津の分家が分割統治してて
少なくとも長州とは基本的に違う成り立ちだよね。他に似てる藩てあるのかな?
明治維新=非門閥/非島津家の解放みたいな図があって、全国的には西郷軍vs新政府軍なんだけど、
薩摩では、門閥/島津vs下層武士+その他みたいな局面もあったんじゃないかね。
いわゆる高崎くずれから続いてるような内紛というか。
そういう旧社会と、明治以降の社会を他所の人間にはよくわからん情とか義とかでとりまとめている
シンボルが西郷なんじゃないだろうか。それが上野まで来ると、旧社会のノスタルジーに
うまいこと合体する、みたいな。
なんにしろ、自分には理解できないし、感じることのできないものなんだよ。西郷の魅力って。
西郷がそういうふうに神格化されたのは
西南戦争のあとでしょ。
鹿児島で郷土至上主義的な洗脳教育(郷中教育の変形のような)が始まってからでしょ。
西郷が生きてたころは、そんな神秘的なものではなく、
あくまで鹿児島武断派士族の親分で同時に武断派の抑え役という、
木戸や大久保から見れば、どちらにもいい顔して大物づらしてる困った奴、
という存在だったと思うよ。
しかし西郷はその生前から既に偶像となっていたと徳富蘇峰は言ってる
782 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/04(金) 21:49:22 ID:9a8Vd1wn0
むしろその徳富蘇峰みたいな右がかった人が西郷を偶像化していったと言うべきだろう。
783 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/04(金) 22:32:01 ID:hvRwJypK0
西郷翁は明治維新の生き残りで唯一英雄扱いされた人物
784 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/04(金) 22:40:25 ID:hvRwJypK0
大久保はまだ薩閥の長・新政府のリーダーとして威厳あった
木戸に至っては書生のようと西園寺も言ってるな
そういう他人から見た印象とかイメージが重要なのか?
木戸は政府の高官の中でもさらにトップクラスの地位でありながら、若手のように勉強熱心で目下の者にでも教えを請う謙虚さもあるからなあ。
これは木戸の美点だと思うけど、大久保のような威厳は出にくいかもしれないな。
木戸は特にそうだけど、長州出身者っていつまでも書生ぽくて、
部下まかせより自分で動こうとして威厳が無いイメージ
で、威厳のあるなしにどういう意味があるんだ
789 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/05(土) 01:07:38 ID:FmBLd8vz0
「人間は心が狭くてはだめである。
憚らずに申せば、木戸公は心の広いほうではなく、むしろ狭いほうで、
人を容れることができなかったために、大した仕事も成しとげられなかった。
自分は先代木戸公には容易ならぬ知遇を受けたが、
しかしその間、先代の狭量には困ったことも多かった。
そこへゆくと、大久保利通という人はまことに度量が広かった」
伊藤博文
伊藤ちゃんは正直だな〜
その大久保も死後、考えが古すぎるとか愚図だったとか後輩から言われまくってたけどね
>>780 ちょっと、あんた、病的な偏執狂だねw
西郷は当時から生きる伝説だったのは、当時の記録を見れば明らか。
>>787 長州のイメージが良く無いのはさ、京都での天誅。
テロ行為のイメージがどうしても付いてまわるね。
794 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/05(土) 02:11:33 ID:0NhEqams0
>>792 西郷が生きる伝説だったとする当時の記録とは?
それなのに何故か長州で一番人気かと思われるのが高杉晋作という不思議!
高杉やら久坂は長州内外問わずいろんな人に迷惑かけまくったイメージしかないんだが、なぜあんなに持て囃されるのかわからないわw
早死にするって得だわな、いやマジで
796 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/05(土) 02:20:06 ID:JQ5dHWMaO
>>792 生きる伝説ってなにさ。当時士族人口における薩摩の率が非常に高く、
それゆえに地元薩摩で人気があることが、そのまま士族の大元の人気のように見えたんでしょ。
こういう論の持っていき方なら納得するが、生きる伝説ってさ、個人的な西郷崇拝で語っていると吐露したようなもの。
薩摩で人気があるだけ?w
それだけでは人はついて来ないwww
798 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/05(土) 02:37:22 ID:JQ5dHWMaO
>>797 明治政府って初期は平たく言って薩長政府だよ?
だから薩摩士族に人気があれば充分人を抑えるだけの力になるし、人だってついてくる。
>>798 薩長閥というのはM10年以降の言葉ですが
時々、西郷が気に入らない、大嫌いだっていうひとが現れるけど、
憎しみばかりが先行していて、その彼らが使う「論理的」っていう言葉の響きが虚しく聞こえるよね。
しかも、そういう人に限って、自分の無知を晒してるのに自分だけが気が付かない。
801 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/05(土) 02:45:50 ID:JQ5dHWMaO
言葉の話じゃなくてね(苦笑)勢力は当時から明らかに薩長でしたよ。
>>801 はいはい、アンタの方が偉いのね 偉い、偉い、、、はぁw
803 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/05(土) 03:17:21 ID:0NhEqams0
>>800 気持ちは分からなくもないが、
たとえばあなたがきちっと資料なりソースなり出して、
「論理的」に西郷の偉さを証明すればいいだけでは?
でた、得意の「論理的」
日本語が不自由だと馬鹿にされてた西郷アンチ野郎を思い出すな。
もしかしてお前?
>木戸に至っては書生のようと西園寺も言ってるな
西園寺が知ってる木戸は、岩倉使節でフランス行って、仮面舞踏会とか行ってるときの
木戸だろ?木戸は戊辰戦争行ってないし、西園寺が帰国する頃には、木戸は死んでる。
基本的に、政治家じゃなくて、物見高い観光客なんだから、「書生」はほめ言葉では?
親しみやすいとか、気さくとか、ノリがいいとか、そういう意味だと思うが。
>>793 長州は明治後の汚職と日本陸軍を牛耳ってたってイメージのせいだろ
京都で天誅やテロって、有名なの何かやったか?
四大人斬りにだって長州出身者はいないし
江戸での赤報隊の方がよほどイメージ悪い
807 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/05(土) 20:52:04 ID:5+fStIcI0
西園寺は皮肉屋で大抵の政治家連中を馬鹿にしてたが、大久保の話が出たときは姿勢を正し
大久保さんが居られなかったら明治政府は根底から瓦解したでしょうと言ったらしい
大抵の政治家って、西郷や木戸のことも馬鹿にしたりすんの?
黎明期の倒幕運動には特に功績のない西園寺が
そりゃ、法治主義も民主主義も文民統制もなにも理解してない独裁者である大久保相手にでかい口叩けないだろう
逆らったら江藤みたいに殺されるし
大久保ってやったことや思想がのちに悪影響及ぼしまくってるイメージしかない
当時それらを理解出来ていたのは木戸以外に何人いたのやらってレベルじゃね
権力の一点集中への危惧や文民統制、法治主義に三権分立、国民主権
古いモノをぶっ壊そうという流れのなかで歴史的文化財の保護の重要性を説いて
進んでいると思っていた西洋を実際に見たら失望し、漸進的に日本に合うよう制度を整えるべきと主張する
木戸の理解力と先見性が異常過ぎて周りが木戸を理解するレベルに達してなかったのかもしれないが
伊藤も急進政策やったけど木戸の言った通り漸進政策にすればよかった、恐縮したと回顧してたな
結局どっちもすごかったんだよ
それを言っちゃあおしめえだよ
813 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/06(日) 11:28:58 ID:4vBWgr3eO
>>810 同感。だから当時の人よりも現代人のほうがいかに木戸が凄かったか解るはずなんだけど異常に過小評価。
今、当たり前になってることを当たり前じゃない時代に声高に提唱したんだからもっと評価されるべきだと思うな。
814 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/06(日) 19:32:03 ID:2DMdk5g30
>権力の一点集中への危惧や文民統制、法治主義に三権分立、国民主権
こんなもん当時の列強そうだろがw
列強がそのレベルにあっても
日本人でそれがわかってた政治家は木戸くらいってことだろ
木戸は確かに明治初期の政治家としては異質なものがある
江戸時代から一気に
> 文民統制、法治主義に三権分立、国民主権
な国にできたと思うか?
現実を顧みずに理想を唱えるのは学者。
政治家であるならもう少し現実に沿った漸進的な方法を志向すべきだろう。
817 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/06(日) 21:49:03 ID:4vBWgr3eO
>>816 国民主権とかは別にして、文民統制は出来たと思うけど?別に軍を廃止するわけではなく参議や卿を兼ねさせなければいいだけ。
当初から木戸はそう言ってたよ
>816
言いたい事は解るけど、当時の空気の中で政治家が唱えるから凄いと思うんだが…。
木戸はもっと評価されるべきだと思うよ。
現実を顧みずに理想を唱えるのがおかしいというなら、
近代という現実に対応できず
郷中的国家観に逃避してしまった西郷などは
学者以下のうさんくさい宗教家と言わねばなるまい。
820 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/07(月) 00:03:52 ID:mMgR+ONX0
一日西郷に接すれば一日の愛生ず。
三日接すれば三日の愛生ず。
親愛日の加わり、今は去るべくもあらず。
ただ生死を共にせんのみ。
すげぇな西郷先生の政治力はw
>>819 日本語でおk?
大久保の江藤に対する暗黒裁判の上、首を部屋に飾ったり
自分の権力を強めるために軍人を入閣させることが当代的ないい政策だとは微塵も感じないわけだがw
>>816 いや、だから木戸は漸進論者だったんだろ
あの人は子や孫の代に至るまで考えてたよ
823 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/07(月) 00:38:58 ID:/3IuPeVIO
>>822-823 激しく同意
大久保は自分で創りたい国はあったんだろうし私欲には溺れなかったが、自分が権力を握ることに関しては凄まじい固執を見せた。
木戸は未来のことを考えてたよね。
当時の人達だって、『先々を憂いすぎる』と評する者は多かったようだがその憂いの通りになっているからな。
文民統制なんかは特に、もしも政府内で実際には西郷や山縣(明らかに軍人)の実権が強かったとしても、
正式な地位として参議である西郷を陸軍大将だと認めて、後に陸軍卿の山縣を参議にしてしまったことで増長してしまった。
実際がどうあれ制度上だけでも文民統制を貫いておけば明治中期以降の歴史が少し違ったかも知れない。
824 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/07(月) 00:43:53 ID:/3IuPeVIO
825 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/07(月) 00:46:19 ID:mMgR+ONX0
大久保は自分で海に入り必死に頑張った
木戸は海岸からあれは悪いこれは悪いと評論してただけ
826 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/07(月) 01:11:58 ID:/3IuPeVIO
>>825 てか周囲が木戸の開明さについてこれずに木戸の出した案を拾っていかなかったから結果的に反映されず『評論』になっただけじゃん。
あの人、結局は政府にしっかり留まってるでしょ。(辞職はしても戻ってきてる)
それに仮に評論だとしてもそれが如何に的確だったかは後の歴史が証明してる。
そんなに自慢げに長々と木戸をマンセーされてもな。
西郷と大久保は凄いと思うけど、木戸は全然そうは思わない。
828 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/07(月) 01:54:22 ID:t2qiiQkW0
勝や福沢みたいな人が評論家だというなら分かるが
木戸が評論家ってw
まがいなりにも政府のトップにあって数々の開明的な建言と
政策実行を率先して行い続けた人物が評論家のわけないだろw
木戸をかたくなに認めたくない人たちって、ほかに何か思惑があるんじゃないの?
単に司馬の小説が史実だと思ってるクチじゃないのか
>>825とかもろにそれ
逃げの小五郎がいくら偉ぶっても
831 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/07(月) 02:57:22 ID:/3IuPeVIO
木戸が何もしてない的な意見の人ってわかってんのかな?
木戸の提言を無意味として大久保、西郷ばかりを持ち上げることって、現代日本への第一歩を否定する事だよ。
国民主権や文民統制、三権分立など、木戸の提言がどれだけ現代に反映されているか。
ましてや大久保の暗黒裁判などは、少なくともこれにかんしては明らかに批判されるべきことだし。
別に西郷や大久保が凄いって意見はいいけど、凄いと思う理由を書きなよ。書かないから単なる薩摩上げにしか見えない。
確かに大久保が凄い具体的な例は挙げてほしいな、木戸は度々具体例上がるけど
威厳があったとか、国費補填とか、そんなことはどうでもいいからw
政治家としての政策・思想的な具体例を、な
まずは江藤への暗黒裁判→首を部屋に飾る行為と、軍人の入閣についての擁護を頼むわw
833 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/07(月) 10:18:07 ID:PXM2V+WgO
いつの間にかスレが
【木戸】どっちが、すげーの?【大久保・西郷】
になっている。
834 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/07(月) 19:12:18 ID:lBwTxPmMO
西郷→低学歴向け(大物だとか人徳があるとか言ってマンセーしとけばよい)
大久保→中学歴向け(司馬小説を読める識字力が必要)
木戸→高学歴向け(法学政治学についての素養が必要)
西郷→鹿児島のおっさん向け
大久保→ねらー向け
木戸→腐女子向け
で?w
大久保擁護視点からの江藤関連やら軍人の入閣やらについて早く説明してくれ
江藤関連はちょっと前も話振られてスレが止まってたなw
高学歴の必要はないが、木戸は一次資料かそれに近いものを読まないと好感を持ちにくい。
歴史小説はひどいもんだよ。
脇役ならしょうがないとも思えるが古川薫の木戸主人公の小説なんか、木戸は根暗って先入観もったまま書いているのがわかる。
838 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/07(月) 22:36:38 ID:1Fcz7bZ30
>>836 そんな事も分からんのか?逃げの小五郎厨はw
弱体だった政府の権威を強めるためであり、反乱者を処罰するためだろw
江藤の反乱をほっとくのか?w
>>838 では大久保が一番始めに統帥権を独立したと認めると
叛乱を鎮圧したこと自体は誰も批判してないだろ
問題はその後の暗黒裁判だよ
841 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/07(月) 22:59:44 ID:1Fcz7bZ30
>>839 統帥権?w
当時の日本に憲法はないんだが?
大久保は憲法を作るのは教育が発展し民度が発展した明治20〜30年を越えたあたりでよいという考え
それまでは政府主導による有司専制がよいとしてる
842 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/07(月) 23:08:04 ID:/3IuPeVIO
>>841 あのさ乱の鎮圧に出向くからと木戸を内務卿にしたの大久保で、岩倉は江藤の処分については内務卿(木戸)と相談するようにって言ったのに、
木戸の意見書待たずに梟首だよ?
『政府主導』じゃなくてまるっきり独裁者のやり方じゃん。
問題は、佐賀の乱に関する全権委任を大久保は江藤裁判の始まる前に失ってる点
佐賀で勝手に裁判を開き、処刑する権限はなかったのに強行したのは批判されても仕方がない
844 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/07(月) 23:24:24 ID:1Fcz7bZ30
大久保
「ようやく戦乱も収まって平和になった。よって維新の精神を貫徹することにするが、それには30年の時期が要る。
それを仮に三分割すると、明治元年から10年までの第一期は戦乱が多く創業の時期であった。明治11年から20年までの第二期は内治を整え、民産を興す時期で、私はこの時まで内務の職に尽くしたい。明治21年から30年までの第三期は後進の賢者に譲り、発展を待つ時期だ。」
どう考えても大久保の方が将来構想ハッキリしてるし、単なる構想ではなくそれを実現してったなw
>>838 邪馬台国ネタと江藤ネタは正体不明の佐賀県人が絡んでくるからスルーが
原則。
おや、江藤への暗黒裁判や軍人の入閣に対する擁護は諦めたのか?
そんな概念的なものではなく、もっと具体的な個々の政策・思想について、
上記二点については大久保が法治主義や文民統制に対する理解はあったのかと聞きたいんだが
そしてそれらが将来への及ぼした悪影響の数々に関してもな
>>846同意。
>>844 で、これのどこが具体的?
具体的って意味解ってる?
○○という結果を得るために(あるいは近づくために)□□という政策が必要だ
というのが『具体的』だよ?
そこいくと、(今すぐには無理でも)政権を国民に渡す時のために憲法が必要だ。
軍人が政治力を持つとどうしても戦いへの抵抗が薄れるから文民統制を徹底すべきだ。
と主張していた木戸の方がよほど具体的。
848 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/07(月) 23:49:04 ID:Hz+IfbXi0
>>844 というか明治20年までの日本は江藤の理想を成せるレベルにないと読んだのでは?
ある意味、冷徹な実務家の大久保のイメージを象徴する判断と思う。
維新前の大久保は西郷よりも熱血家で、むしろ江藤みたいな理屈家タイプに対しては、議論の相手として密接に関わりたがる人だったんだろうけどな。
冷徹にならざる得なかった日本の遅れ、それを嫌でも理解してたのが大久保だったと思う。
大久保と西郷の最大の違いは、そこで線を引くのを善しとするか、そこで線を引かないのを善しとするかだったかと。
もちろん前者は大久保で後者は西郷。線を絶対的な基準として掲げようとしてたのが江藤ってとこかな。
この時代の人はみんな熱いわ。
冷徹にならざるを得なかったからって
破廉恥刑に相当する鳩首にする必要があったのか?
そしてその写真を執務室に飾っておくのが熱い人間のすることか?
850 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/07(月) 23:59:25 ID:Hz+IfbXi0
>>849 それは別の意味で熱いかとw
どちらにしても、それが当時のご時世であり施政者の判断。
少なくてもその瞬間は大久保が勝者であり本道であり、現代人から見たら納得いかなくても江藤が敗者であったわけよ。
大久保の明治30年建設論を取るなら、江藤は20年早かった天才という事だろね。
そして時代を読み時代に則した大宰相の大久保もまた、役目が終わるとあの世に逝ってる訳だしな。
佐賀人と会津人の未練がましさと女々しさは同レベルだと言うことは
理解した。
852 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 00:04:45 ID:ctB9p+3d0
明治政府の弱さを大久保が一番知り、知ってる以上それを現実に守るために実現するのが大久保たるゆえんw
反乱を起こした前参議江藤を素早く圧倒的に鎮圧し、過酷な刑を与え内実は弱い新政府の恐るべき実力を天下に知らしめ反乱を起こそうとする士族を威圧(これによって西南戦争でも全国の士族は蜂起しなかった)
軍人を参議に奉じ、政府に協力せしめ政府に一致させる(ひ弱な政府の実力強化)
西南戦争までに政府の実力を整え、薩摩を撃退した大久保の戦略の正しさが証明された
江藤の暗黒裁判に関しては大久保の擁護は諦めたほうがいいと思うなあ…
854 :
。:2009/12/08(火) 00:08:40 ID:6gHLWpGl0
薩長どちらか忘れたが高官が 公金流用を 江藤司法卿に 追求されるのを恐れて 抹殺したんでしょ。
855 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 00:09:13 ID:FwcY1xcb0
>>851 いやいや、佐賀人は女々しく粘着する権利はあるだろw
あの時代で先進的な理想を抱いてたのは佐賀人だし。
ただ権力の座に付いた者は、現実と理想の違いを肌身で感じる羽目になったってだけでね。
それが薩摩人と佐賀人の大きな違いじゃなかろうかと。
長州人のように狡猾だがトコトン実務至上主義ってのも、ある意味理想家の究極形なんだろうがなぁ。
どちらにも徹しきれず情を捨て切れなかったのが西郷ってとこか。だからこそ今でも好かれるのはよく分るわ。
>>850 >それが当時のご時世であり施政者の判断
政府要人で江藤が死刑になると誰も思ってなかったんだから
江藤の処刑は施政者でなく独裁者・大久保の判断だよ
大久保信者って、独裁権力を正しいものとして認めんの?
明治政府が未熟ながらも合議制を取っていたのに
政治家は能力があって私心が少なければ
独裁者になってもいいってことか
857 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 00:16:08 ID:ctB9p+3d0
大久保の戦略感覚では、小規模な反乱(連携がない)は起こってくれた方が政府の強化につながり良いと思っていた
西南戦争も始め桐野のらの暴発で西郷は加わらないだろう、これで薩摩を潰せるし心中笑みが生じるくらいと書いてるw
858 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 00:19:40 ID:ctB9p+3d0
結局のところ西郷と大久保こそが維新が生んだ二傑ともいえよう
この二人が近代日本を生みだしたのである
ざらっと読んだが、結局のところ大久保は法治主義も文民統制も理解してなかったってことか
最初期からそれらを徹底していればその後の日本がたどってしまった道も違ったものになったかもしれなかったのに
ちょっと前に明治政府は大久保がいなくなって瓦解しただの言う人がいたが、それじゃあダメだろ
内務卿という凄まじい権力を作りあげて軍人を入閣させるということが将来にどんな悪影響を及ぼすか、考えが至らなかったんだろうか
860 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 00:22:34 ID:vZR3KFX5O
>>854井上、山縣を言ってるんだろうが、馬鹿じゃないの。今、誰もが知ってる暗黒裁判の話題なのになんでそんな意見がw
>>852 馬鹿馬鹿しいね。それで本当に反乱がピタリと収まったとしても結果論から無理やりの、道理を曲げたことに対する“言い訳”にしか成らないが、萩、そして鹿児島と結果的に反乱が起きてるんじゃ何の言い訳にもならない。
861 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 00:29:06 ID:FwcY1xcb0
>>856 残念ながら民主主義をほとんど経験した事のない日本。
独裁が悪い事ではなかった時代だぜ。
大久保は熱血漢であり理想家であり実務家であり夢想家だ。しかし完全超人ではないし市井の人もまた然り。
日本の社会がそのレベルに達してなかった時代の話だ。
それを大久保は30年かけてやろうとし、江藤は今すぐやろうとした。
単純に言うとその違いなんだよ。
独裁が悪だってのはもっと後の時代、もっと民衆が成熟してからだろな。
理想と現実のギャップを埋めようとすれば冷徹にならざる得ない。→大久保
理想と現実を両立しようとすれば狡猾にならざる得ない。→長州人
理想をごり押ししようとすれば殺さざる得ない。→江藤
理想も現実も情も取ろうとすれば、自ら死地へ赴くしかない。→西郷
まぁ、そういう時代だわな。全てが一気に近代政治に移行したわけじゃないんだからさ。
制度を変えようたって、市井の人の意識を入れ替えるのにゃ時間が必要だわな。
>>859 理解してなかったというより、理解はしてたが肌身にゃ感じてなかったということでしょ。
大久保とて基本的には武士であり薩摩藩士。
旧時代の慣行の中で生きてきた人間なんだし、分ってても簡単に同化出来ない部分ってのはあるよ。
理想を形にして現実の施政に飲み込むには、大衆にとっても大久保にとっても時間が必要だったってわけさ。
何か凄く勉強になるスレだな。
喧々囂々、色んな意見があって面白い・・・
863 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 00:38:17 ID:vZR3KFX5O
>>861 違うって。明治の初期は、『政治家が罪人を裁く』ことは当然とされた時代だが(だから木戸や江藤が主張していた三権分立まで大久保が達していなかったのは無理無いが)
岩倉が内務卿と相談せよと命じて、内務卿が木戸である以上、最終決定権は木戸にある。少なくとも相談し意見は取り入れなければおかしい。
どこをどう切り崩しても暗黒裁判に関しては明らかに大久保に正当性なんか無い。
大久保の独裁は綺麗な独裁
江藤への暗黒裁判→首を飾る行為は仕方がなかった
まさかこんな斜め上の擁護が飛び出してくるとは思わなかったw
というか擁護になってないだろ、これ
こんなものを納得しろってか
865 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 00:46:05 ID:ctB9p+3d0
>>859 徹底も糞もないw原則=憲法がないのにw
わけの分からん事を言わんでねw
>>860 戦略の基本である各個撃破が分かってないw
大久保が恐れていたのは乱ではなく、反乱の処理を遅れたり誤れば誘発的に次々と乱が起こり薩摩も立ち日本全国の士族が同時に蜂起してしまう事
それが起こったら当時の軍事力が卑小な明治政府じゃもう対応できない
866 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 00:51:32 ID:FwcY1xcb0
>>863 君の言わんとする事は分るさ。
そして君のようにあの時代に叫んでごり押しやって殺されたのが江藤。
正当性=正しい事と皆が認めて頷く時代の前の出来事だってのを忘れちゃいけない。
みんなが江戸までの残滓をまだまだ引きずっていたんだよ。
江藤は確かに正しいが、時代を引っ掻き回して下手すりゃ足踏みさせかねないくらい早過ぎたんだ。
>>864 綺麗な独裁も何も、そういう概念がまだ育ってなかったんだぜ。理想論の結晶でしかなかった。
だってみんな独裁(それが1人とは限らない、複数人の場合も)しか知らず、引っ張るべき人間が引っ張り役をさせられてたわけだし。
後世の人間が後世の視点で非難するのは簡単だが、そんなん何が正しくて理想的なのか当の被施政者すら分っちゃいない。
867 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 00:53:25 ID:ctB9p+3d0
三権分立だの言ってるのは頭に蛆沸いてるのではないだろか?w
明治初期の政府はとても政府と言えない、日本国は国家とも言えないと認識したのが大久保
だから30年までは専制で民力を高めねばならないとした
868 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 00:57:34 ID:vZR3KFX5O
>>865 もう少しまともなレスをしようね。
乱が続くのを恐れた?だから、江藤に対する処置とそれがなんの関係が?仮に最終決定者である木戸が同じように考えて『江藤梟首』と判断したならそれは正当な政府の決定だが。大久保が木戸に連絡を取って正式な手順ふむまでに1年かかるとでも?
無理な擁護は苦しいだけだよWW
大久保と木戸の目指す方向性はけっこう近いものがあったとは思うが、
大久保は自分が舞台から去るのはもっと先だと考えていて、
木戸は自分の死を予感していたような感じがある。
ある意味、大久保のほうが甘いとこがあったかもな。自分が生きていられるともかぎらないし、
後の時代の人間が理想通りにことを進めてくれるともかぎらない。
大久保や木戸みたいな政治家がトップのうちにやっておいたほうがよかったことは多かった気がする。
ちなみに木戸の言っていることは怖いぐらいいちいちあたっていたりするんだよな。
なんなんだこの人と思うことがよくある。
870 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 01:11:27 ID:ctB9p+3d0
江藤信者=法を無視し反乱起こしといて大久保は法にあわないけしからん!
木戸信者=これこれ言ったから凄い!でもなんら実行はしてない
>>870 木戸オタの、木戸は西欧の文献を猿真似したから偉い!みたいな発言が多くて、淋しい限り。
尊敬するとかそうでないとかはさておき、西郷、大久保は素直に凄いと思う。
でも、木戸は、それこそ長州の傘のもとに、後ろで腕を組んでただけじゃん。
もったいぶって「ついに木戸が登場してきた!」とか、笑わせる。
872 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 05:40:23 ID:oitNU9930
木戸は少なくとも洋行するまでは、政府の最高意思決定者で、
実行者。大久保は木戸の部下程度にすぎんし、西郷は置物にすぎん。
洋行後は大久保が木戸と対等になるが、西郷が失脚している。
少なくとも木戸がなにもしていないというのはありえない。
873 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 06:18:17 ID:vZR3KFX5O
>>870凄い凄いって馬鹿のひとつ覚えみたいに言わないでさ、『どうして』凄いのか理由くらい書いたら?
大久保、西郷を擁護する人って本当に理由書かないよな。
そして江藤問題から話を逸らさないでw
大久保が江藤にしたことは『権力さえ握ってしまえば法など無視していい』と知らしめた最悪の事例だよ
874 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 06:20:21 ID:vZR3KFX5O
法を守らない相手には自分も法を守らなくていいとな?w
もし大久保がそんな考えの持ち主だったのなら、大久保に為政者たる資格はなかったんだよ
>>871 一枚岩だった薩摩と違い、長州は木戸広沢前原のトップ3人がまとまってなくて、
木戸は佐賀人や幕臣をどんどん登用していった
長州の傘のもとどころか、そういった藩閥の偏りを無くそうとしていたのに、
薩長で固めるべきだと反発したのが大久保
>>876 西南戦争起こした奴らのどこが一枚岩なんだww
>>877 分裂するのは征韓論からじゃん
長州は戊辰の頃からまとまってない
まあ薩摩も久光という癌を抱えてはいるけど
879 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 08:10:24 ID:5wODxkSCO
>>878 つうか長州はまとめる人物がいなかったからなぁ
薩摩は島津斉彬死没後のバラバラな藩内を久光が掌握
小松帯刀が大久保や西郷に代表される血気盛んな志士達を存分に働かせる
薩摩がこういう有能な指揮者が統制していた時期、長州には対比できるような人物がいないんだよなぁ
長州と薩摩では政治体制が違うし殿様のタイプだってまるで違うだろ
長州はかなり以前から中堅の上士層が官僚として政治を動かして
家老クラスに実権はなかった
単純に同じ土俵で比べられることじゃない
881 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 09:55:23 ID:oitNU9930
そもそも長州は指導者が統制するシステムではないからな。
議論をして、それで方針をある程度決めるシステムだ。
勿論決まらず紛糾や分裂もありうるが、それは悪い事ではあるまい。
そして明治政府はその長州のシステムを採用したというわけだよ。
882 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 17:50:38 ID:0reaYLB00
そして西郷と大久保が大事を成した。
その偉業と実力に嫉妬したのが、木戸と愉快な信者と言うわけか。
木戸は幕末、高杉のクーデター成功後に
発言力を増した奇兵隊を制御するのに苦労したから
文民統制の必要性とか身を持って知ってたんじゃないか
大久保はその手の経験ないから
その辺イマイチよくわからなかったんじゃ
884 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 19:18:46 ID:vZR3KFX5O
>>882 どんな大事を成したと?木戸抜きで成したモノなど無いが?
ましてや最後には乱を起こした西郷が何を成したというw
結局西郷や大久保のどこが具体的に凄いのか、書けないんだね。
理由も書かずに好きな人を誉めて嫌いな人を貶すなら幼稚園でもやるよ。
理由を書けば賛同なり反論なりがちゃんと理由を書いて帰ってくるんだから西郷や大久保の凄さを書いてみなよ。くれぐれも具体的にね。
885 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 19:22:39 ID:0reaYLB00
どこが凄いって議ではなく実績あるでしょ?w
木戸は実績ないから日記の意見を取り上げるしかない
886 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 19:33:20 ID:vZR3KFX5O
>>885 だから、その実績を書いてごらんよ。あるんならかけるでしょうが。
ずっと前から私も含め何人かの人に『具体例書け』って言われてるじゃない。
なんで書けないのw
887 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 20:02:01 ID:9GgwH/Qf0
大久保利通。
・維新前は下級身分でありながら久光に取り入り、薩摩藩を操縦し倒幕勢力の主役に持っていく。
↓
・鳥羽伏見の戦いでは勅命と錦の旗を偽造し、徳川勢力は錦の旗を見て賊軍になったとショックを受け敗走。
↓
・維新後は政務が苦手な革命家上がりの中で、大蔵卿に就任し例外的に行政手腕を振るう。
↓
・征韓論では征韓派が圧倒的優位ながらも、得意の権謀を用い土壇場で征韓派を破る。
↓
・内務省を建設し内務卿に就任、現在に至るまでの行政機構を創設する。
↓
・新政府に不満があった戦力を各個撃破する為、佐賀の乱を起こさせ瞬殺。
↓
・日本中が新政府に不満を持つ敵だらけの状況で、ほぼ独裁者になり一人で新政府を支える。
↓
・台湾問題をめぐり清国と開戦直前までになるも、自ら清国に乗り込み粘り強い交渉で日本側の要求を清国側に丸呑みさせる。
↓
・新政府に従わない最後にして最強の薩摩士族を撃滅する。
↓
・最も困難な新政府の創乱期を見事乗り切るも暗殺される。
・薩摩藩を操縦し倒幕勢力の主役に持っていく→大久保が持っていったの?元々雄藩だろ
・錦の旗を見て賊軍になったになったとショックを受け敗走→結局、五稜郭戦までもつれこんだよね
・革命家上がり→大久保はもともと官僚じゃん。志士運動何かしたの?
・征韓派が圧倒的優位→長州閥は全員反対だったし、権謀は伊藤が巡らしたのでは?
・内務省を建設し〜、現在に至るまでの行政機構を創設する→内務省以前にも省はあったよ
・佐賀の乱→暗黒裁判が問題視されてるよね
・ほぼ独裁者になり一人で新政府を支える→長州閥の支持を失いたくなくて木戸を繋ぎとめてる
・台湾問題→そもそも台湾出兵自体に薩摩軍人の独走という大問題があった
・新政府に従わない最後にして最強の薩摩士族を撃滅する→木戸にぎゃあぎゃあ言わわれて着手
889 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 20:49:19 ID:vZR3KFX5O
>>887 はい突っ込んでいいかな。
鳥羽伏見まではいいさ。
その後何それ。全然具体例じゃないし。
それに明治の初期に政治手腕に優れたモノが居なかったってさ。可笑しい過ぎるよアナタ。廃藩置県主導したのは間違いなく木戸。
政治手腕に疎かったって、大久保が蹴落とした、江藤は僅か明治5年頃までに新典を整えたんだよ?
どこが疎いの。(そういえば暗黒裁判に関しては結局スルーねw)
征韓論はね、それこそ木戸の動きが重要だった。西郷、大久保が割れた時点で後は木戸がどちらにつくかが分かれ目。木戸がつけば『薩長の合意』が成り立つからね。
征台については、交渉がどうのと言う前に、征韓を反対したくせに間もなくの征台を推奨するなんて、政治家としての理念が無いってことじゃないか。
木戸が征韓から反対に転じるまでにはちゃんと理由があったし(洋行で肌で差を実感)その後の征台もしっかり反対しているよ。
西郷が下野した薩摩の動きを恐れて征台推奨したとかよく言われるけど、言い訳にもならないよ。
北京で粘り強く交渉するだけの力があったと言うなら、あくまで征台は反対して、その上で大久保が西郷を説得に行けばよかったんじゃないの?
そもそも薩摩士族を恐れなければいけないような弱体政府が台湾にかまける余裕があるの?
ざっと見ただけでこれだけ突っ込めるんだけどw
志士活動なぁ、パッと思い浮かぶのは確かに長州や水戸の鉄砲玉連中なんだよなぁ
そもそも大久保ってコロコロ意見変えてるみたいだが、公武合体論者じゃなかったっけ
しかし長州はあれだけ死んでいってよく人材が尽きなかったと感心するよ、マジでw
藩の、身分は問わない議論上等体質のおかげで若手が育っていったんだろうけどさ
891 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 21:21:53 ID:9GgwH/Qf0
木戸信者は阿呆が多いなw
政治がなんなのか理解できてない
ろくに反論もできずに言い逃げするよね、大久保信者って
>>891=
>>887は>>888-
>>889の反論に対して何か再反論はないの?
自分の意見に賛成しない人相手には「阿呆」呼ばわりして逃げるだけ?
893 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 21:41:57 ID:9GgwH/Qf0
何を反論するの?w
実績が無いとほざいてるのはアホな木戸信者だけです
うわあ、見てて痛々しい
子供の強がり以下だよな
自分の意見のどこに反論されてるかもわからないの
>>887の大久保の評価は過大だって反論されてるんだよ?
896 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 22:14:30 ID:9GgwH/Qf0
いちいち反論といえない難癖に反論するのは至極面倒だな
江藤がどうとかまた蒸し返して理解力のなさはいい加減にして欲しい
木戸もこんなグチグチしてたんだろうがw
密勅と錦の御旗は大久保より岩倉の功績だよなあ、
征韓論もうだうだ言って動かない大久保と木戸を伊藤が動かしたんだし
つか大久保主導だと東京遷都とか博覧会とか、具体的で分かりやすいのもっといっばいあると思うんだが
>>887は大久保信者ではなくただ木戸にケチつけたかっただけじゃないの
898 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 22:21:32 ID:6gHLWpGl0
よし、流れに乗ってみようかw
大久保って幕末期は公武合体論者だったんだが
彼の当時の思想や構想、実績っていったいどんなものがあったんだ?
900 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 22:32:42 ID:9GgwH/Qf0
藩内で久光を動かし最後は久光を騙して倒幕
901 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 22:33:10 ID:vZR3KFX5O
>>898 多分井上、山縣辺りのことなんだろうけど、そうやって大久保に都合悪くなってくると三傑に関係無いような長州落としにくるんだね。
解りやすいな〜w
本当に公金流用について知りたきゃ江藤スレに行っておいで。嬉々として教えてくれるから。
大久保、西郷の実績について語るスレではどうやっても木戸とか伊藤、江藤の名前は出てくるけど
井上、山縣を詳しく語るスレではないよ。
スレチにしてまで話逸らしたいのか、汚職した山縣を庇った西郷を『器が大きい』としたいのかどっち?(笑)
>>898 だからあー、佐賀人と会津人の相手をするなよー。
大久保信者って大久保のこと実はよく知らないんじゃないかなぁと
スレ読んでてなんか感じるんだが・・・
司馬の捏造小説を丸ごと全部史実だと思って
それプラス毛が生えた程度の知識しかないから
突っ込まれると言い返せないっていうか打たれ弱い
うわー。『そんなあからさまな話し逸らしに乗らないぞ』と当たり前なこと言っただけで佐賀人にされてるよ。その無理やり感がいっそ笑える(笑)
905 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 22:58:40 ID:9GgwH/Qf0
木戸信者は突っ込身の内容がお子様で、反論するのが至極面倒と思われてる事に気づかないんだろうな
ああ、言い方が悪かったかな
大久保が唱えていた「大久保の公武合体論」についての説明とそれによる影響・実績について説明してくれ
>>904 顔が真っ赤っかなのがアリアリと想像できますね。
木戸信者はけっこう史実史料読んでいる奴が多いと思うよ。
木戸については明らかに小説より史実史料にあたったほうが面白いから。
>>905 試しに、何か一つでもいいからちゃんと正面から反論してみたら?
言いたいことだけ言って突っ込まれたら、突込みが幼稚とか、面倒とか
そんな言い訳して議論拒否するなら、最初から書き込まなきゃいいのに
910 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 23:24:37 ID:9GgwH/Qf0
911 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 23:34:54 ID:SKjNmlIU0
意固地になって大久保持ち上げてる奴は
この前まで西郷マンセーしてた鹿児島厨だろ。
西郷じゃ分が悪いから大久保に乗り換えただけで。
もし川路が再評価されだしたら、川路マンセーすると思われ。
ようは、死ぬまで西郷を認めなかった木戸を叩き、
鹿児島出身者をマンセーすることで留飲を下げてるんだろうな。
突っ込まれても精神論まがいのしょっぱい反論しかできないのはそういうこと。
912 :
898:2009/12/08(火) 23:38:19 ID:6gHLWpGl0
このスレに載って 上の方で 大久保の支持者が 黒裁判を避けられないと 大人の政治、時代の限界といったから スルーか スルーかいってんでしょ。
あんなモノ正当化出来るわけがない。今も昔も。だけど あれが出来たのは大久保だけ。実績というか所行観れば君が突っ込んだ通りでしょ。
ただ、多分 大久保のスゲーとこは ・新政府に不満があった戦力を各個撃破する為、佐賀の乱を起こさせ瞬殺。 だね。
余人に代え難い。
大久保は何故 自明のことを したか が 違うと思うよ、君と。
不平士族は 結果的にも力で押さえられたが公金流用は 江藤に開陳されたら 政府が持たないよ。
多分当時だって 暗黒裁判はおかしいと思ったでしょう、安政の大獄のように。
ご一新で 変わる世の中に 庶民だって耳そばだててたのよ。新政府政策の喧伝の度に おまえが言うなに なる。
江藤には同情を禁じ得ない。書いたのみれば分かると思うが なんも知らんから 読んでるのに 君の読んでると 木戸も長州も評価下がりそうだね。
913 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 23:51:12 ID:9GgwH/Qf0
江藤は法律制度に優れてたが、政治的には大久保に遠く及ばず敗北しましたしたと云うだけ
政治的にも江藤は留守内閣の主導権を握って大久保を弾き出したり、かなりやり手だよ
明治六年政変は上でも言われてるように伊藤の功績が大きいし
大久保一人に遠く及ばず下野したってことではない
下野後の乱は政治とはまた別の軍事的センスの要素が絡んでくるしな
915 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 00:18:35 ID:oaz2IOvFO
>>912この前まで大久保や西郷信者さんは長州人は公金流用が〜その総帥の木戸なんてwとか言ってたのに今度は肯定?
呆れるわ。
そのくせ武力も経費も無いという理由で棄却した征韓論から1年立たないうちに、佐賀の乱で兵力を疲弊させ鎮圧させた直後と言ってもいいような時期に、兵力も金も莫大に消費する征台は許可するのw
916 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 00:40:45 ID:QXRE33Id0
>>912 薩摩信者は大久保の黒歴史はむしろ強調したいんじゃね?
冷徹で有能で黒い施政家ってイメージは西郷信奉の薩摩人が作ったもんだわな。
鹿児島で大久保が過小評価されてたのはそれだしね。
木戸の話が出てきたんで口を挟ませてもらうが、多くの人が大久保&西郷派以外の薩摩閥vs木戸と誤解しがちなんだよな。
どちらかと言うと薩摩閥を持ち上げてたのは木戸達の方で、木戸&大久保&薩摩閥vs西郷派&不平士族っつう構図だわ。
917 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 00:51:31 ID:cY5xTKQh0
西郷先生の対話
今日、日本国があるのは一にも二にも西郷先生のおかげです。
あなたが居なければ、日本国はなく。あなたが存在してなければ、日本人はありません。
現在、腐敗したゾンビがさまよう社会に置いても、多くの心ある清廉なる者たちが親しみと敬意を持って先生を尊敬しておられます。
一部、西郷先生に噛み付く小人匹夫が居りますが、ただの野人ですので気になされませんように。
西郷先生
「おいどんはそんな偉物ではごわせん。人並みの人間でごわす。敬天愛人は凡人の道でごわす。
おはんもそれがわかりかけてきたのではごわせんか?」
918 :
912 :2009/12/09(水) 01:18:23 ID:iT8sMEsO0
>>916 啓蒙感謝。思い入れも研究もしたことないんで、大久保のイメージは 西郷信奉の薩摩人が作ったもんだわな。の通りです。木戸の話 分かる気がします。実は木戸を再評価中。
>>915 佐賀の乱瞬殺の原因は 不平士族以上に 桂 山縣らの公金流用の方に 意味があったと言っているだけ。木戸とか総帥など言った覚えはないし。
神風連、秋月、萩、佐賀 元武士だから 連携しようとしてたが これだけでも 政府転覆しそうなのに その上、公金流用が表に出たら 薩長政府はもたんでしょと。征台は許可するのw しないのいえたのも、君の嫌いな黒裁判をしたから。
でも 図星なんだろうね 金もないのに 流用して 大久保の暗黒政治を止められなかったんだね、長州は。
まず読みにくいので、改行とか工夫してくれ
>桂 山縣らの公金流用の方
>公金流用が表に出たら
これ何の話だ?
井上の銅山汚職と山縣の山城屋事件のことか?
表に出たらって、既に表に出て司法卿時代の江藤に弾劾されて
井上と山縣は辞職してるが・・・
920 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 01:41:38 ID:oaz2IOvFO
>>918 貴方個人が木戸を総帥と言ったと取れたならそれはすみません。ただ大久保や西郷支持派にそういう言い方をする人間が多かったのは事実だよ。
長州(主に井上、山縣ね)は確かに汚職はしたが反面、井上については明治の初期、財政を立て直していることも忘れないでね。まあそれで汚職は正当化されないが。
けど自分の言ってること可笑しいと思わない?
長州が流用しなかったら暗黒裁判にならなかったなんて真面目に言ってる?
あり得ないだろう。つか政府の困窮は1人2人が汚職したからどうのというレベルではないし、
なんでそれが木戸に意見を求めず即日死刑なんて無茶を肯定する根拠になるんだか。
江藤を自由にさせては危ないというのなら軟禁拘束でもなんでもよかったじゃん。そうしといて木戸を説得なりなんなりすればよかったんだよ。あんな即日に刑が決められて執行される方が可笑しいんだから。
ま、所詮、逃げの小五郎ですからね。
いくら偉そうなことを言ってもね。
>>918 佐賀の乱を大久保が速攻で鎮圧した最も大きな理由が
明治政府存続のために、あえて汚職した長州人を守るために
江藤を屠ったってことか?
初めて聞くけど、一体どこの学者の説?
>>918 佐賀の乱は明治6年政変で江藤が下野した後です。
井上と山縣の公金流用、汚職が明るみになったのは政変より前の、江藤が大活躍中の時です。
そして、その山縣を庇ったのは西郷、山縣いなきゃ徴兵令が進まないからな。
大久保が長州の汚職を隠そうとしたのは聞いたこと無いなあ
自分は、薩摩は江藤のとき、内乱状態にあると踏んでるんだが。
西郷&大久保=薩摩 ではないだろう。とりあえず。
久光や鹿児島市(現在の)以外の島津家に面々と続くお歴々たちがいるのに、殆ど話題に
されてないのが自分は不思議。廃仏毀釈の影響の大きさから考えて、一揆とか打ちこわし
みたいなものが、そういう代々の重職の人らに対して起きてないとおかしい。
小松はその間をつないでたけど、弱いと思うなぁ。小松派というか、小松についてた
若い衆ってどのあたり?
木戸が周布や殿様と親密に連携してるような一体感はないんじゃないか?薩摩って。
明治維新以降は離れるけど、木戸と前原も敵対する関係ではない。完全に一体とは言えない
わけだけど、高杉が長州で内乱起こした時点で、ある程度、決着ついてると思うんだよね。
大体、弟がついて行ってないじゃん。西郷さんて。
でも、大久保には実績はあると思うよ。断行力というか、岩倉使節帰国以降の勧業。
やってるのは、いろいろ別の人だけど、やる下地を作ってるのは大久保だと思う。
あと、台湾だっけか?話まとめてきたのはすごいと思うけど。井上のおかげか?
この交渉の内容知らないんだけど、一緒に行ってるのって誰?
ただ、大久保は、内務省と内政(外交の反対の意味で)を混同してるような気はしないでもないw。
そんなに何もかも内務省に入れんでもいい。。。と思ってしまふ。
927 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 07:23:18 ID:w7KCBvOLO
>>926 江藤が下野した時期の薩摩は、西郷が藩政改革に取り組み始めていて藩内は全体的には平穏だな
小松帯刀は幕末〜維新の薩摩の中心人物と言っていい最重要な存在だろ
薩摩の志士集団である精忠組は小松帯刀の下で動いてたんだしな
そういや当時の鹿児島は超特別扱いの半独立国状態だったっけ
そりゃいろいろ言われるわ
で、大久保の幕末期の思想を説明できる人いないのか?
公武合体ってわかる?
大久保派の人は大久保の思想の変遷も知らないでなにを知ってるんだ?
929 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 10:51:08 ID:w7KCBvOLO
>>928 変遷って言う程のモノでもないと思うが?
薩摩の公武合体論は島津斉彬公から引き継いだもので、そもそも雄藩による幕政改革がセット
になってる
参与会議の崩壊で薩摩の倒幕への転換は必至になったわけで、久光公の下で動く大久保は藩命で
動く以上、変遷とかに関係なく方向性は変わるわな
幕末の頃は思想なんて大したものは持ってなかったってことか
上の決定に従うだけの手足だが
藩の行政処理能力には優れていた官僚タイプ?
>>929 ずいぶん前に読んだ本でいろいろ言葉を飾られていた印象だったが
実際はその程度だったのか
不勉強だったわ
しかしその程度の志で革命家のカテゴリーに入るのな
932 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 11:51:56 ID:oaz2IOvFO
>>928さんは
>>899さんかな?
私は
>>889なので、特別薩摩中心に日本史を詳しく学んだというわけではないことを先にご了承ください(細部には謝りがあるかも)
大久保(や西郷)の思想は実は変わってはいないのです。
慶応3年に(何月かは忘れました)『四賢候会議』というのがあります。
島津、松平、山内、伊達、を四賢候と言います。これに将軍就任前の慶喜を加えた会議です。
大久保の公武合体論は、元より、幕府が目指した『公武合体』とはまるで違い、ここで慶喜をやり込め幕府を御飾りにして雄藩(当然薩摩は入りますね)に実権を、という狙いでした。
ですが慶喜側の粘り勝ちで雄藩側の思惑は失敗。
幕府から実権をもぎ取ることは不可能と判断した大久保(薩摩)は、倒幕に動き出します。
平たく言って大久保は、薩摩、自分の掌に、権力が欲しかったのです。
歴史は多角から見るものですからもちろん違う解釈もあるでしょうが少なくともそう解釈することも出来ます。
こういうのって普通大久保支持派が大久保に有利な解釈をして書くものなんですけどね(苦笑)
×謝り
○誤りですね。すみません
>>932 なるほどそういう解釈もあったのか
勉強になった
自分もその辺り詳しくなくて、志士活動云々の話が出て急に気になったんだよな
昔調べたときは幕府のgdgdっぷりに絶望して倒幕に転じるとかあった気がするが、なにぶん記憶が定かではなくて申し訳ない
なんで読んだんだったかぁ
幕末期の大久保の思想
・偉い人に従ってただけだよ派
・実は一貫していたよ派
・幕府の内情を見て変わったよ派
いろいろ解釈があって面白いな
936 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 13:10:22 ID:S3cgTmD30
大久保が私心が無かったというのはその通りなんだろうけど、
権力を自分に集中させることに必要以上に執着する
一種の権力亡者の面があったのは事実だと思う。
大久保って自分に媚びてくる奴は多少おかしな奴(山県とか)でも可愛がるけど、
媚びてこない奴は能力あっても(大村、江藤など)徹底的に潰しにかかっているし。
大久保支持派に言わせればそれは「冷厳」とか「国家のためによかれ」ということになるんだろうが、
大久保に江藤などをもっと活かせる器量があったなら日本はまた違った国になっていたと思うがな。
そのへんの器量があったのが木戸だと思うが、木戸の政治スタイルっていわばノーガード戦法だから、
軍事力的な裏付けが無いんで、それを頼りなく思う人もいたんだろうな。
その点、大久保は警察力を握っていたし、西郷亡きあとは陸軍の山県、海軍の西郷弟がいわば大久保派で、
政府の中にいてこれに逆らうというのは無理な話しだ。
完全無欠な大宰相と近年でも好意的に評価される大久保だが、
大久保が権力を握ることで、ふるいからこぼれ落ちた貴重な原石のようなものも少なくなかったと思う。
937 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 13:42:47 ID:oaz2IOvFO
>>936 大久保、それから西郷は、気に入った者は優遇するが気に入らない者に対してはかなり狭量だったようですね。(西郷に関しては山縣を庇い井上を庇わなかったのがいい例。
西郷は軍人なんだから井上を庇う理由が無いという人が多いけど、西郷は参議です。私的な好みを廃して汚職に目を瞑り能力を取るというなら参議として井上を庇う理由にはなるはず。どちらも庇わなかったのならそれが1番正しかったんだが。)
木戸の思想が明治に受け入れられなかったのは仕方ないかなと思う。
木戸がやろうとした文民統制がなされたのは第二次世界大戦後。
木戸の死後約70年。
あの人はちょうど人の一生分ほど生まれて来るのが早かったことになるから。
けど現代でなぜこれほど木戸の評価が低いのか、不思議で不思議でしかたない。
半分は司馬と司馬の小説を史実と思い込む者達のせいだけどね。
大久保の志士活動、と考えて何故か畳回しを思い出したw
>>932 そういや西郷が久坂に対して、公武合体論者の長井を斬れと言ったのは、
尊攘派だからではなく、長州の勢力を落とす為と、
航海遠略策が幕府に都合が良く幕府がまた力を持ってしまうのを阻止する為だったな。
確かに薩摩を有利にという点では幕末通して二人とも全く変わらず一貫しているのか。
薩摩に詳しい人に聞きたいんだが8.18政変て大久保はどれくらい関わってるん?
なんかこう見たら木戸ってひたすらこの二人に振り回され苦しめられてるなww
939 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 14:46:48 ID:S3cgTmD30
>>937 西郷が犯した致命的なミスは、佐賀の乱後に鹿児島に逃げてきた江藤を見捨てたことだよ。
鹿児島が蜂起しなかったのはともかく、いわば亡命者の江藤を単身追い返したのはまずかった。
自分を頼ってくる者を見捨てるというのはヤクザの世界でもやっちゃいけないことで、
あれで全国の不平士族の信頼を西郷と鹿児島は失ったと思う。
薩摩士族さえよければそれでいいんだと全国に宣伝したようなものだもん。
かつて関ヶ原から敗走してきた宇喜多秀家をかくまい
命の保証がとれるまで徳川に引き渡さなかった戦国島津家とは対照的。
江藤をかくまうなり、江藤に元薩摩藩士を同行させ、江藤が殺されるようなことがあれば
鹿児島は蜂起するという姿勢を見せておいたならば、
その後の西南戦争で全国の不平士族も同調して蜂起したかもしれないのに。
江藤一人守れない西郷と薩摩士族には土佐ですら同調しなかった。
やはり西郷の発想というのは薩摩の郷中頭レベルのもので、
陸軍大将とか参議になってたこと自体がおかしかったと思う。
940 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 16:37:42 ID:w7KCBvOLO
>>930>>931 久光に取り立てられてから、小松が死ぬまでの期間に限定するならそういう事
敢えて言うなら藩の思想こそ(仔細に違いはあれ)自分の思想って事だね
これは基本的に西郷も同じ
大久保の志士として行動していたのは、精忠組に加わってから久光公に取り立てられるまで
それから藩政に加わり維新を迎え、上司だった小松が病床に伏すまでが官僚の時代
政治家大久保が誕生するのはそれ以降
維新後の薩摩に対する弱腰も、基本的に大久保は薩摩藩士であると自身で思っていたからと考えて
貰えば理解しやすいかと
ただし西郷の場合は藩命と思想の基幹は久光公ではなく、斉彬公だったわけだが
これが久光公と西郷の不仲の根源だわな
941 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 16:50:14 ID:QXRE33Id0
>>939 あの時点で西郷は江藤の動乱に組する気も、明治政府と退治する気もさらさら無いわな。
むしろ『こんな時期にバカやりやがって』って感じじゃね?
この時期の西郷は基本的に薩摩の藩政改革と人材育成が最優先の状態。
自分が江藤の親分なんて考えてもいまい、西郷は基本的に薩摩藩士っつう立場をとってたわけだから。
ただし見捨てたとは言っても、江藤に対して久光の庇護下に入るよう助言してるし、実際に江藤が西郷の助言を
飲んだら久光にとりなしていただろう。
>>937 うーん、あの時点での江藤の申し出を蹴ったこと自体には西郷に間違いは無いと思うが、それとは別に、西郷が薩摩のことしか考えておらず、参議の力量では無かったとは私も思います。
征韓論に敗れて、下野すること自体は解るんだけど、何年も参議で居て、流石にいつまでも薩摩だけが半独立国のような状態が許されると本当に思っていたのだろうか?
本当に思っていたなら先を見通す力が無さすぎるし、無理だと気づいていたなら下野後に、薩摩も政府に従うように久光を説得すべきだった。
それをしなかった以上、日本のことを考えていたとは言えず、薩摩のことを考えていたと取れる。
その上、私学校が暴発したら、結果的にでも挙兵した。
薩摩という地元を治めることだけならばともかく国の参議にしておくにはあまりに不適格な人材だった。
…西郷ってなんで幕府倒したんだ
長州は長州でカオスだが、薩摩の倒幕・尊王・攘夷思想ってどんなものだったんだ
マジで
>>929にあるように偉い人がそういったからなのか?
なんかいまいちわからなくなってきた、教えて詳しい人
944 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 21:53:43 ID:oaz2IOvFO
>>943 長州は官僚が政治を動かしていたし、身分的な意識も他藩と比較すればかなり緩く(長州独自の『育』制度がいい例かな。伊藤はこれだし山縣も功を認められて士分になってますね。)良かれ悪かれ自由に意見は出しやすかったから藩論が割れましたね。
若手と爺様達との間に立つ桂が攘夷派だったのも大きいかな。
薩摩や土佐は上下関係に厳しいと言いますね。
まあ長州の毛利が特殊と言っていいので長州と比べるのはナンですが。
ただ廃藩置県の時に1番反対したのは久光でしたし、久光は真面目に大久保に、『いつ将軍になれるのか』(まあこれは誇張かもしれませんが、大権を寄越せと)と言ったという説はあります。
それを思うと薩摩(久光)は、誰かに従うのは嫌だと思い、1番従わなくていい方法を模索していたと言えるかもしれません。
西郷は薩摩のことは思っていたようですが正直『日本』という考えかたは希薄だったように思います。
久光とは折り合いが悪かったようですが、薩摩を独立国化させたかったという部分では同意していたのかもしれませんね
945 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 22:12:41 ID:oaz2IOvFO
あ、読み返してみると上の説明下手だったかな?要は薩摩は、佐府とか攘夷とかの意識が希薄で、時流を読むことにだけ長けていたのではないかと。
長州ではよく因縁から薩摩と会津をセットで憎みますが(禁門の変。)勝ち目が薄いと知っても佐幕であり続けた会津とは薩摩は対照的かもしれません。
946 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 22:30:18 ID:QXRE33Id0
>>942 西郷が参議をやってたのは、それが藩命だったから。
日本の将来を考える=参議になる(権力に固執する)という考えは持っていない人だわな。
ここが大久保と西郷の大きな違い。大久保は私欲こそ無いが、理想を実行するためには権力が必要だと達観しているね。
あくまで西郷の日本を憂える考えは島津斉彬公から薫陶を受け遺訓を守ってきたもの。
これは久光公も同じだね、久光公は明治以降の頑固で独善的なイメージが付きまとうが、基本的には
斉彬公の遺訓を愚直といっていいくらい引き継いだ実直な人物。
また自ら積極的に物事を決定する斉彬公と違い、周りの意見を積極的に聞き入れ、最終決断は自分で行うという基本的
に調和型&協議型指導者。
>>944 >ただ廃藩置県の時に1番反対したのは久光でしたし、久光は真面目に大久保に、『いつ将軍になれるのか』
>(まあこれは誇張かもしれませんが、大権を寄越せと)と言ったという説はあります。
ただの俗説です。維新後の彼は薩摩藩の名を残す事には固執してたが、自身の地位にはこだわっていない。
そういうタイプの人物ではないからねぇ。
947 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 22:45:15 ID:oaz2IOvFO
>>946 えーと『大権を寄越せ』と言ったのは確かに説でしかありませんが、(それは
>>944にも書きました。)
廃藩置県に1番反対したのは久光ですよ。
それと、西郷が参議になったのは木戸からの要請です。というか木戸は西郷をと言ったわけではありませんが、自分1人が参議になるのは断固として断ると言い、それで西郷をとなりました。
この当時は西郷は明治政府として陸軍の地位にはついていなかったので木戸の主張する文民統制にも引っ掛かりませんでした。
>>947 ん?
>>946は久光が廃藩置県に一番に反対している、というところを指して俗説と言っているのではないような。
薩摩藩の名を残したいなら廃藩置県に反対してても矛盾はないと思う。
949 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 22:57:16 ID:QXRE33Id0
>>947 でも版籍奉還にゃ反対してないでしょ。
そういう俗説に振り回されちゃダメよ。版籍奉還の結果、大権を得るなんてのはとっくに不可能になってるんだわな。
まして久光公はすでに藩主の座を譲り渡しており、大権を得たとしてもそれを手中にするのは現藩主の息子だわ。
残るは出仕して中央権力に入り込むしかないが、久光公はそれもさっさと投げ出している。
ただし廃藩置県は版籍奉還と違い、薩摩藩という歴史ある藩が完全に消滅してしまうわけ。
これを受け入れるのは久光公のプライドが許すわけがない。
いずれは藩というものが無くなってしまうのは時流でも、自分の責で引導渡すのは嫌だったんだろね。
それと西郷を新政府に送り込んだのは久光公で、藩士である西郷は久光公の藩命の元に出仕してるんだが。
新政府を守り立てよという藩命があったから渋々参議も引き受けた。
そうでなけりゃ西郷もさっさと鹿児島に引っ込んでるよ。
西郷ってのは帰郷癖とでも言うか、とにかく鹿児島に帰りたがる悪癖があるからね。
>>944 ええー、薩摩の倒幕思想って薩摩の独立・権力拡大が目的だったのか(もちろんそれだけではなかったろうけど)
確かに土佐は上下の差が激しかったって聞いたな
だから土佐では下流層の地位向上のために尊王やるっきゃないという思想だっけ
肥前はとことん静観の姿勢か
薩長土肥以外では水戸が熱心だったな、水戸学の影響は計り知れない
確かに長州は藩論割れまくりだが、その長州でも尊王攘夷派はこんなイメージ
尊王:天皇家との繋がりもある大内家の後継者たる毛利家の誇り(キリッ
倒幕:リメンバー関ヶ原、徳川このヤロー!
攘夷:ぶちかませ松陰魂、このままだと夷人の(文化・思想的な)侵略で日本がマジやばい
上二つはどこまで本気なのかわからないがw
951 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 23:01:35 ID:QXRE33Id0
>>949 スマン、藩主の座を譲っていたではなく、最初から藩主ですらない。
一時期は幕府と対峙する為に息子を下ろして藩主になろうとした事もあったようだが、それも権力欲というよりは単なる
藩主の父という立場では幕府が相手にしなかったからの対抗策。
952 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 23:36:24 ID:oaz2IOvFO
>>948-951 すみませんレス一括しますね。
版籍奉還に反対してないと言われると確かにそうですね。それを考えると『大権を寄越せ』は信憑性が薄いか。すみませんでした。
けど藩という意識が強い人物だったのは間違いないようですね。それは明治後を見ていても明らかです。
『将軍になりたかった』というのは言い過ぎとして、久光公は領主ではありたかったのだと思います。(島津が領主であるという意味)
別に日本全土の上には立たなくてもいいけど薩摩の実権は島津が握っていたかったというか。
あと西郷の件ですが出仕そのものが久光公のというのはそうなのでしょうが、私が言いたかったのは参議という役職についたのは木戸の声があったのがきっかけということです。
まあどちらにしろ西郷は日本という広さでモノを見ることには長けて居なかったのでしょうね
953 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/10(木) 00:20:51 ID:XsbRGVlS0
>>952 後年の頑迷さや西郷との仲の悪さで評判を落としているが、この久光公ってのも相当な人物だってのは認識してた方がいいよ。
斉彬公死没後の混迷した(なんと権力三重構造!&過激な志士集団精忠組の存在)薩摩藩を結集し一本にまとめ、斉彬公以上
に身分を問わない人材登用。
事前に徹底的な議論とその結果出た部下の意見を重視し、絶妙の統制能力と上から下まで取り込む調整力。
一度行動にかかったら絶対に譲らない意思の堅さと、ここぞという場面で他者に口を挟ませず揺るがない決断力。
薩摩の名を残すことに拘ったのも、もし後世の藩主が決断したなら仕方ないが、自分では薩摩藩を消したくないってだけだったかと。
まぁ生涯ちょんまげを切らず和装で通した久光公を見れば、おのずと彼のプライドというか絶対に譲れない部分が透けて見える。
そもそも久光自身は、権力なんてものは交渉の場に立つためのお題目程度にしか思ってなかったのでは?
西郷に関しては日本という広さを見る能力が無かったのではなく、藩士としての自分の立場を超える事をしたくなかったんだろね。
それには師であり生涯の指針である斉彬公の影響が大きかったかと。
西郷にとって大恩ある斉彬公は薩摩藩主であり、薫陶を受けた自分の君主は斉彬公ただ1人。
その根幹となる自分自身の行動原理を名実ともに守るには、薩摩藩士に徹する(つまり生涯仕えるべき人は斉彬公のみ)って事こそ
本道と考えてたのかもね。
斉彬公に薫陶を受けた西郷と、久光公に取り立てられた大久保。
二人の権力に対する考え方の違いは、この辺りから発していると考えるべきよ。
954 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/10(木) 00:27:48 ID:ODhwEsZY0
逃げの小五郎厨は木戸が幕末も明治後も逃げ回ってた現実と向き合わんとな
西郷・大久保の2傑とは比べ物にならないほどの雑魚
>>950 そりゃ薩摩だけでなくどこの藩だって幕府より自分の権力だろ、御三家すら結局は保身に走ったし
特に薩摩は大きいから中庸を選べず、雄藩連合が無理ならもう倒幕するしか生きる道は無い
そこまでして薩摩を生き延びさせたかったのに、廃藩置県じゃあ久光は怒るわな
ちなみに大内云々以前に毛利の祖先は朝廷出身だし、
元就以降朝廷への献金(銀?)が認められてるのが尊王思想のもとだろうね。
関ヶ原は関係ないだろ、正月の挨拶は完全な後付け創作
956 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/10(木) 00:44:22 ID:4DSCzVTHO
>>954 久光公が(事実上の藩主たる)力量不足だとは思いません。
ただ貴方も上げているように久光公は時代に合わせて自分が変わる意志はなかったわけで。
貴方が褒めちぎるほど器の大きな人だとは思えません。
権力にまるで執着が無かったというのならなぜ、もう時代が変わり回りが全てそれなのに政府に従っているのに時流に従わなかったのですか?
そもそも薩摩藩を残したいということ自体が権力への執着ですよ。朝廷に従ったって華族としてしかも公爵で残るんですから。
958 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/10(木) 00:49:34 ID:4DSCzVTHO
959 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/10(木) 01:01:53 ID:4DSCzVTHO
>>950 最後の方は主には、『このままだと侵略で〜』だと思いますよ。高杉、井上、伊藤は実際に外国行ってますし。
桂も外交官ですから、諸藩の動向も解っていたでしょう。
960 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/10(木) 01:11:41 ID:a4Lpcl+H0
というか西郷やら久光やら以前に薩摩藩自体が過大評価されてないか?
借金踏み倒して、奄美から収奪した金がなかったら、
他藩同様何もやってなかったと思われ。
逆に金も無いのに出兵して破産した土佐はもっと評価してやっていい。
土佐?w スレ違い。
薩摩と比べただけで何故そんなに噛みつくww
それだけでスレ違いだったら江藤もスレ違いだ、切羽詰まってるねえw
噛みつく、っていうか、笑われてるんだろwww
964 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/10(木) 08:32:10 ID:a4Lpcl+H0
金が無かったら、斉彬は確実にショボーンとしていたろうし、
久光は誰にも相手にされてない。
郷中大好きの西郷も脱藩してまで志士活動するとは思えん。
唯一大久保らの精忠組の一部が脱藩して京で食い詰め浪人化してしまうのが現実かな。
公務員的なんだよね薩摩って。個人でなんとかしようという気概が無い。
965 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/10(木) 09:55:52 ID:4DSCzVTHO
>>964 そうかもしれませんね。
反対に長州は、罰が緩いことも手伝ってか皆が自分で考えて志士活動してる。
伊藤なんかも桂の育なのに久坂と一緒に長井を切ろうとしたり。
高杉の2回の脱藩や来原の脱藩も許されたどころか国葬(この場合の『国』=藩)
長州がどれだけ寛容かよく解る。
長州は『個人がそれぞれ思想を持って許される場所』だったと言える。
個人で好き勝手行動してそのツケを藩に回してる時点で
長州(の主に書生たち)だって薩摩とそう変わりない
藩に甘えてる分、薩摩よりある意味たちが悪い
上の者がなんとかしてくれる、ってんで
高杉なんか何度も脱藩しては一度以外は無罪放免で
個人の独断で軍艦買付けて巨額の請求書回したり
そういう体質が明治後の長州閥の負の面を育てたともいえる
967 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/10(木) 10:24:38 ID:4DSCzVTHO
>>966 長州藩の全てがいいなんて言うつもりは無いです。
でもやはり薩摩とは少し違うと思います。
『考える力』というモノが長州にはしっかり備わっているような。
言われたことを諾々とやるんではなくて、まだ年若い時期から色々と考えてきたからだと思うんですよね。
それが良かれ悪かれ第二世代(というか三傑無きあと明治20年代からか)になって、
長州が隆盛に薩摩が『薩派』と言われるほど小さくなっていく理由のひとつだと思う。
黒田、松方ら首相になった者達を見ても首相向きでは無いでしょう。
彼らは誰か(総理)が上にあって、大臣として手腕を発揮するタイプ。
968 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/10(木) 12:20:05 ID:q2WNVysSO
>>967 どうも久光の件といい薩摩藩の件といい、作られたイメージをまるで史実のように言ってないかい?
薩摩藩が藩で動くのは個よりチームで動く方が目的を達成する事が容易だから
決して個の意見を無視しリーダーが一方的に引っ張ってるわけじゃない
事前に徹底的な議論がなされたのちにリーダが決断し、チーム一丸で動く
普段の薩摩藩士は議論好きで、場合によっては年齢や上下を超えて日常的に論争が行われていた
郷中教育にもそういう側面があったんだよね
例えば西郷と大久保だが、本来なら大久保は絶対的な西郷に頭が上がらないはず
ところが実際には周囲が喧嘩と勘違いする程の議論を頻繁にやっていた
ちなみに二人が幼なじみっつうのも俗説な
二人は青年期に知り合い、年少期はお互い名前を知っていた程度
いわば近くの別の中学の先輩後輩
こういう過程を経てトップが最終決断を行い、チーム一丸で問題に取り掛かるのが薩摩スタイル
こういうのは優秀な人材が揃っていなければ無理な話だし、またそれを集約できる優秀なリーダーを
次々輩出してきた
『島津に暗君無し』
の薩摩藩だからこそ可能だったわけよ
ここ最近の薩摩や久光の話は面白い。
どこまで正しそうなのかは自分で史料にあたらないかぎりはまだわからないが、イメージだけで捉えているなんてよくあるからね。
調べるいいきっかけになりそうだよ。久光の話をしてくれた人ありがとう。
木戸がイメージだけで誤解されているよい例で、歴史入門書すらあてにならないもんなあ。
970 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/10(木) 14:22:09 ID:0nipOhDy0
>>968 大久保って西郷の家に飯食いに云ってたんじゃないの?
971 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/10(木) 15:14:53 ID:4DSCzVTHO
>>968 私が自分で感じる印象を書いたのは事実ですが、貴方の方も充分作られたイメージって感じがする。
『島津に暗君なし』こそ無理矢理薩摩の全てを肯定しようとしていませんか?
このスレに従って西郷の例で言うなら、西郷を見いだした斉彬を名君とするなら、その西郷を遠ざけた久光は暗君ではないのですか?
西郷は呼び戻されましたが結局久光は、西郷を認めようとはしませんでしたよ。
何もかもを肯定しようとしても無理ですよ。現に長州だって個として動くので伊藤と山縣は日本の主権を争うようになりました。
『長州』が権力を握ることを1番に考えるなら、伊藤と山縣は結束すべきでした。そうすればあの時期の薩摩など及びもつきません。
でもそれをしなかったですね。お互いに自分の主義を持っていたからでしょうが、本当に良かれ悪かれなんですよ。
長州の全てがいいとは思ってないとはそういうこと。
貴方も何もかもを無理に肯定しない方がいいですよ。
薩摩はあまり、身分を越えてまでの議論はしません。上の者達で話し合って、決まった方向性に皆が従うという感じですよ。
大久保らは側近であったから、もちろん意見も言えたでしょうけどね。
因みに議論好きで有名なのは佐賀ですね。
『佐賀の議論倒れ』という言葉があるほどに彼らは挙って議論しましたね
972 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/10(木) 16:10:05 ID:q2WNVysSO
>>970 それは大久保の父親が島流しにあい自分も免職されていた20歳〜の時期の話
二人が親交を成すのはこの頃から
大久保は年少期から日記を付けていて一部は残っているが、年少期には西郷と行動を伴にして
いたような記述はない
>>971 ほらほら、またイメージや俗説を史実のように言う
西郷が斉彬死後に奄美大島に流されたと言われるが、あれは幕府から隠すため
ちなみにただの潜伏なので給料も出てるし、島で結婚後は倍に加増されてる
現地の名家『龍家』からも生活に便宜が図られるなど罪人扱いではない
鹿児島の西郷家には藩から生活補助の金も払われている
つまり島流しじゃないのよ
しかもこの処置は斉彬死後に藩内の実権を握り、幕府恭順を指向する斉興派によるもの
この時期の久光はなんら権力は無く、薩摩藩を掌握するのは斉興の死後の話
ちなみに奄美から西郷を連れ戻した久光だが、当の西郷は久光の上洛に対して異を唱え久光の
側近に対して『久光はジゴロ』等と批判(当然久光の耳に入ったろう)、しかし久光は上洛の
先発という重要な役目を西郷に任している
>>971 横から茶々入れて申し訳ないけど、そんな白か黒かなんて態度には疑問を感じる。
あなたの理屈だと佐賀の議論好きだって印象でしか語っているということになっるわけで。
そういうことばかり言うと話も成り立たないしね。
今までの薩摩系の話はひたすら他を悪く言うことで持ち上げたようなレスが多く、こんなんでは話なんてできないのが多かったと思う。
ここ最近の薩摩の話はそういうのとは違う。
あなたが正しいか久光のことを語った人が正しいかを問題にしたいわけではないよ。
974 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/10(木) 16:54:50 ID:4DSCzVTHO
>>972 これに関してはイメージを史実のように、ではないでしょう。久光と西郷が折り合い悪かったのは事実ですよ。
扱いが在任であろうと無かろうと西郷を遠ざけ、側近達に言われるまで西郷を呼び戻そうとしなかったのは事実です。
というか大人なんだから個人的な感情で動かないのは当たり前のこと。
別に久光が暗君だと言いたいわけでは無いですが、貴方の言い方だと『薩摩の藩主って完全無欠』見たいに思えますから、そんなことはないですよということで。
また、薩摩が長州に劣るというつもりもないです。
ただ事実として、大久保無き後に指導者になっていくのが長州に偏っていくのは、藩としての気質が関係あるかなと思っただけです。
975 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/10(木) 16:59:28 ID:4DSCzVTHO
>>973 あ、因みに佐賀の議論好きは事実です。というのは佐賀って藩校の成績が悪いと緑にも影響してきたんですよ。
なので皆が成績を競い、それがため佐賀人は議論は大変優秀でした。
薩摩に詳しい人がいるみたいだからこの機会に尋ねるが
捨て身の倒幕長州や断固佐幕の会津と違って、幕末の薩摩ってどちらに転んでもOKなコウモリって感じがしていまいち好きになれないんだが
実際のところはどうだったの?
977 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/10(木) 18:22:17 ID:q2WNVysSO
>>974 だからイメージを史実のように語るなとね・・・
斉興の死後すぐに久光が藩内を掌握できたわけじゃない
久光は藩内の分裂を防ぐために、2年近くかけて注意深く薩摩藩を掌握していったんだよ
周りには斉興が抱えた重臣達がいたからね
そして1861年6月に久光は島津宗家に復帰しついに行動開始
10月には一気に人員斬新を計り、斉興以来の老臣を更迭し久光が権力を握る
それが完了した翌11月には西郷に召還状を出している
これが遅いと言えるかな?
そもそも西郷を召還すること自体、幕府との間で新たな火種に成り兼ねない心配もある
西郷は幕府から見たら月照上人を匿い共に入水した罪人
建前上は死んだとして幕府には届けられたが、それが生きていたとなれば幕府に虚偽を報告した事になる
公式の場には出さないまでも、西郷を前面に出して働かせるというのは、久光にとっても厄介な
責を負いかねない
西郷の召還は久光であっても易い決断ではなかったはずさ
それに久光と西郷の険悪な仲だが、これは当初西郷が久光に対して悪感情を抱いていた事に起因するわな
なんせ西郷は斉彬の子飼いであり斉彬を神のように崇めている
斉彬の子の次々起きる不穏な死や斉彬自身の死
これには久光の母であるお由良一派などの久光擁立派が関わっているという噂があった
その旗頭である久光に対して西郷が悪感情を持たないわけがない
西郷もまだ血気盛んで若かったしね
久光が西郷を召還したのは、斉彬時代に朝廷や幕府の間を奔走して
中央にコネや人脈が豊富なのが西郷だけだったからじゃないのか?
上洛を前に、久光の側近だけではほとんど何の下準備(朝廷工作)も
できてない状態だったと本で読んだが
それに久光にとって西郷の召還がそんなに政治的リスクがあるものなら
すぐまた久光自身が西郷を島流しにしたのはなぜ?
命令違反とか讒言とかの背景があるにしても、問答無用な感じを受けるが
979 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/10(木) 19:06:07 ID:q2WNVysSO
>>976 薩摩の倒幕への転身は会津の態度の変化が最大要因だろうね
共に幕政改革に向かうはずの会津が翻意し、薩摩排除に動き出した
薩摩にしてみれば今までの努力が無になるどころか、孤立し場合によっては存亡の危機という状況
かなりヤバイ橋を渡ってたんだよね
>>978 もちろん一つはそうだよ
実際に上洛計画はずでに時期を逸しており計画も穴だらけだったからね
それにもうひとつ、あくまで久光は斉彬の遺志を継いでの上洛であり、斉彬の遺臣である西郷は同志と考えてたろうね
また久光が期待してとりたてた精忠組面々や側近達の推薦も無視できない
若い頃の久光は頑迷ではあるが独善的独裁的な人物じゃないからね
久光自身は斉彬とは仲が良かったし薫陶も受けてる
斉彬の不振な死の噂にだって後ろめたい部分は一つも無いから、西郷にここまで嫌われてるとは
思ってなかったんだろな
西郷の島流しに関しちゃ二人の険悪な関係とは切り離して考えた方がいい
西郷は濡れ衣とはいえ下関にて待てという久光に対する命令違反の他に、寺田屋事件での精忠組突出
を扇動した疑いをかけられている
彼等を扇動した者に対する久光の怒りは、田中親子惨殺を例に上げるまでも無く尋常ではない
西郷は突出グループの精神的支柱であり、その西郷も彼等を煽ったとなれば重い処罰は免れようが
ないんだよ
さて980なので次スレを考えたいんだが、必要なら立ててくる
次は「維新三傑を中心に幕末・明治を語るスレ」だとか「倒幕派を中心に幕末・明治を語るスレ」だとかでいいかい
もうスレがそんなノリになってるし、なにより個人的に明治期より幕末期の話のほうが好きだから
この話題をもっと続けたいだけだがw何このスレ勉強になる
>>980スレタイ前者希望ノシ
よろしくお願いします
で、このスレタイの決着はどっちなの?
>>980 つい熱くなってスレ違いの暴走をした私が言うのもおこがましいが
やはりスレタイは今のままがいいかと
西郷と大久保の対比というのは、その立場や背景の対比にもなるので面白いしね
>>982 対比になるとどうしても煽りあいになったり、誰々がもっと凄い!となるから
語るスレ、程度が良いんじゃないか。
薩摩中心に維新を語る、でもいいけど。長土肥以外にも朝廷幕府も知りたいし
985 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/10(木) 22:42:17 ID:4DSCzVTHO
私は立てられないけど「三傑を中心に幕末明治を語るスレ」でいいんじゃないの?
薩摩を中心にとか長州を中心にとか、一藩だけ中心ってのは無理な気がする。
薩摩中心と言ったって西郷が関わる8月18日の政変とかだと長州が出るし、会津だって出る。
それか「雄藩の動きと共に幕末、明治を語るスレ」だと土肥の話題も出しやすくて視点が広がるかな?
三傑中心で他もありぐらいが語りやすい気がする。
いずれにしても今のこのスレは面白い。
うわあああ申し訳ない、自分も規制ですた・・・
テンプレは
>>983さんので良いと思われ。
んならば、私めも皆さんのご意見に従うという事で・・・
確かに話が広がった方が面白いかもね
993 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/11(金) 00:52:34 ID:LsdtM2yn0
ロム専 717から725 あたり 兵制論争を詳しく教えて下さい。
明治六年政変は 訪韓、征韓は西郷の士族救済策ではないかと。
それと 維新の立役者 そろい踏みなので。
994 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/11(金) 10:08:18 ID:kaiNrg96O
>>993 西郷の征韓論の最大目的は東アジア結集で西洋、特にロシアに対抗する事だろね
士族救済はついでというか、賛同を得るための西郷なりの副次的な理由付けにすぎんでしょ
これは斉彬が唱えていた、アジアが手を結び西洋に対抗するという理念を実現するための初手かと
西郷はとにかく対ロシアを下野後も事あるごとに口にしている
私学校の軍事教練部門の目的も対ロシアを語っているしね
私学校では段階的に士官教育を行ってるから、いざ対ロシアとなれば私学校から士官候補の人材
を供給するのが目的だったと推測する
兵は徴兵で揃えられても士官は長期の教育が必要だからなぁ
995 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/11(金) 17:44:37 ID:Jk4B1E0u0
最近の、薩摩の人によるものと思われる一連の書き込みはすべて同じロジックですよね。
初めに薩摩賛美、西郷賛美という結論ありきで、その結論に適合できそうなネタだけ拾い、
ネガティブな部分には何も触れないという。
典型的なプロパガンダですよね。
ご本人にそのつもりがあろうとなかろうと。
996 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/11(金) 18:04:12 ID:vyArC48iO
まず新スレ立てていただいた方ありがとうございます。
ただ三傑中心であるのにテンプレに西郷視点のモノしか無いのはよいのでしょうか?(いいふうに解釈しているテンプレだけで無いのは解っています。)
気にしすぎかな?
何故こんなことを書いたかというと過去スレを知らずに新スレから参加する人、西郷スレっぽく解釈するかな?とちょっと心配になりまして。文句を言うつもりではなくてちょっとした意見として。
>>995 う〜ん・・・あなたはイメージや俗説を、まるで史実や実際の人物像のように語ってた人かな?
あなたの思い込みが作った虚像を語るカキコミに対して、私は私なりに知り得る事を書き込んだつもりだが
あなたはどうやら結論ありきだね
自分がネガティブなイメージや俗説で固めた虚像に結論を持って行かないと気が済まないのかな?
そういうのってプロパガンダって言うんじゃないかい
久光の件にしても俗説を鵜呑みにしてたみたいだが、実際の久光像はあなたがネガティブに創造した人物
とはかなり違ったりする
歴史好きの中学生とかだったらそれでも構わないんだろうが、他人をゲッペルスのように言うん
なら自分でも少しは掘り下げて調べなきゃな
ネットで調べられる範囲だけでも、世間で語られるイメージが実像と違うであろう事は分かるでしょうに
999 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/11(金) 20:12:12 ID:vyArC48iO
>>998そうなんですか。わかりました。
>>997さん。イメージで語ったと認めた上で何度も書いてしまったのは
>>998さんの言う通り
>>996であって
>>995ではありません。別の方です。
私もこの先は気を付けますが、(少なくとも、○○という理由からこういう解釈も出来る、と個人の解釈であることが解るような書き方であるように。)
貴方の書き込みも同じような印象を与えたということです。なんかお互いに否定のしあいみたいになってしまいましたから。
それについては半分スレチのような話題を長引かせてしまったことも含めてお詫びします。
ただ多分貴方が私に感じたような印象を貴方にも持っている方は少なからず居ると思います。
>>995さんのように。
IDが同じではないのに同人物だと決めつけたようなレスはやめたほうがよろしいですよ。
>>998>>999 これは失礼した、申し訳ない
>>999 しかし、あなたに言いたい事は概ね
>>997の通り
ネガティブなイメージや俗説を集めて、虚像をさも史実のように語るのはいかがかと思う
さて、次スレも面白い議論が展開されますように・・・
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。