1 :
日本@名無史さん:
君が爺さん、婆さんから聞いた、リアルな実体験話を
皆に聞かせるためのスレッド。
歴史上の有名人との接触
歴史上重要な出来事に関わった話
先祖が英雄で、身内しか聞けない話
その他、どうでもいいがおもしろい話
こんなところかな
個人的には黒船から日露戦争までの時代の話を聞きたい
とあるスレのご希望により立てさせていただきました。
2 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 04:00:28
ネタとして明日、爺さん婆さんに聞いてみるのも可w
喜んで話してくれる事でしょう。
3 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 04:29:14
子供の頃にお歯黒をしてるおばあさんを見た事あるぞ
80過ぎても虫歯が無いし全部自分の歯だと自慢してた
おそらく明治後期に生まれた人だと思う
俺の死んだ婆ちゃんは明治37年生まれ〜
婆ちゃんの前で夜に口笛を吹くと怒られた〜
あと、真言宗以外のお寺で拝むと怒られた〜
服装は常に和服で洋服を着ている姿を見た事は一度もない〜
婆ちゃんの兄弟の名前はみんなカタカナの2文字の簡単な名前だったさぁ〜
もっと婆ちゃんに昔話を聞いておくべきだったと後悔しているのさぁ〜
5 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 07:26:53
大正生まれのおじいちゃんがいます。
スレが大正の話までとしてあるのでスレ違いですが、すみません、ちょこっと質問させてください。
おじいちゃんから昔の戦争の頃の話をもっと聞きたいのです。
ですが、おじいちゃんにとっては、戦友を亡くしたりしてて
辛い思い出まで混じっているから、きっと話していると
いろいろ思い出して悲しい時ときもあるんじゃないかって思って・・
そう思うとこちらからは、どうやって質問したらいいか分からなくなります。
だから、すごく大まかなことしか知らないまま。
今年で86のおじいちゃん、まだまだ元気でいてくれます。
皆さんだったら、どうやって昔の戦争体験を聞きますか。
(86年の歴史に生きてきてるって、素ですごいなと思います。
人生経験の先生としても、色々そういった話をしてたいんだけどな・・。
今の核家族の日本って、とてももったいない損失してると思います)
6 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 07:35:45
うちの爺さんは戦争に行ったとき病気で入院し、
本当は治ったのに、体温計をこすって仮病でさぼって
たと自慢してた。
7 :
5:2006/11/06(月) 11:29:43
どうせ仮病(笑)で数日だけ伸びても、近いうちにまた戦場に出なければいけないのは分かってのこと。
誰もが家族が待ってるのだから、生きて帰らなければならない義務をもってる。
それでも、一度戦場に出れば、がむしゃらに生きようとする一方で覚悟もまた持っている状態になるんだろう。
そんな中で、あなたのお爺さんが無事帰ってきてくれたから、あなたがいる。
立派な自慢ですよ^^
8 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 11:59:38
/ ̄ ̄ ̄\
ミミミ 丶
ミミ /一◎-◎-)
(9 U (_ _) )
| ∴) 3 ) お金よりカキコミ 誰かして〜〜〜エ
/ \_____/
/ | | / |
/ | | ヽ |
/ l | ) |
__/ | ⊥_ x_)| _________
⊂ ̄| `ーヽl_l_l.} ヽl_l_l.}  ̄⊃ \
⊂ (、`ーー、ィ } ̄` ノ ⊃ \
⊂_ `ー、、___/`"''−‐" _⊃ I \
⊂_______⊃ D D \
9 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 12:24:04
ほんじゃなかなか良スレっぽいので、あげ銭
爺さん婆さんの子供のころは、いまのような目覚まし時計で
はなくて、一家に一台のぜんまい鳴り物時計使用。
こんこん音がするけど、間隔が等しい音でうるさくないので、
よけいに眠くなるwだけどそれすら使わなくても起きれる。
おれはむり。目覚まし時計なかったら毎日ちこく。
昔の人って自力で起きれちゃうからすげー。
俺の友達のおじいちゃんは第二次世界大戦で銃弾を2発浴びながら生還したって自慢してた
子供の頃に傷痕も見せてもらった
とても頑固なおじいちゃんだったな
そのおじいちゃんが飼っているフナやコイを勝手に砂場で川を作り泳がせたら怒られたっけ
確か、俺が18ぐらいの時に亡くなった
もちろんちゃんと葬式にも顔を出した
11 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 16:10:19
元嫁の3年前に92歳で亡くなった新橋育ちのばあちゃんは、
若い頃に銀座でミルクセーキを初めて飲んで、
世の中にこんな美味しいものがあるのかと思ったって言ってたなw
12 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 16:25:14
>>6 うちの爺さんは大陸は広くてひたすら逃げ回ってたから助かったって言ってたな
でも、幼い孫には聞かせられない体験したんだと思う
太平洋に行ってたらきっと死んでたとも言ってた
13 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 16:45:00
大正後半から昭和初期の話だが、うちの曾祖母は小卒後、地元の県立工業学校で自動織機を学びながら働いてて、
当時としては貴重な技術だったため、小学校の校長と同じ給料を貰ってたとさ。
数ヵ月に一度は実家に田畑を買ってやったと言ってた。
歳にして13〜だから、今の時代じゃ考えられんな。
俺なら田畑を自前で所有して、零細農家から買ってきた娘を小作兼妾として囲ったなw
おじいちゃんやおばあちゃんが子供の頃には幕末生まれの人と会話をした可能性があります
遠いようで近い幕末
何か幕末のエピソードがあったら教えてください
15 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 16:58:28
爺さんの親父は戦好き
爺さんの名前は平和な名前
16 :
13:2006/11/06(月) 17:02:00
そういえば、曾祖母の曾祖父or祖父は徳川慶喜の鷹狩、釣り、カメコ活動の際に色々と案内してたそうな。
その繋がりで葵紋付きの刀や提灯等々貰ってて、曾祖母が小さい頃はそれらを纏って慶喜さんごっこをしてたと言ってたw
親戚の子が学校で喧嘩になった時に、その刀を持って報復しに行ったとも言ってたなw
昭和頃に任侠だったおじさんは普通に刀を持ち歩いてたけど、何も言われなかったと。
他にも色々あるけど、総論として今より法律が緩いなと感じる。
17 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 18:45:05
>>16 リアル葵の御紋スゲー
それって今じゃ重要文化財モノだよね
18 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 18:49:41
爺さん婆さんに戦争の話を聞き込む方法
これはもう、真面目に
「俺らの世代は悲惨さを分かってないから、どれだけのものだったのか、
俺の今後の人生のために教えてくれ」と
膝を突き合わせて聞くしかないでしょう。
そういう態度に爺さん婆さんグッと来るはず。
俺は全員他界したから、聞けるのが羨ましいよ
>>17 どうだろ?
十本近くあったくらいだから、安いのじゃないかな?
一本は実家にあるらしいけど、残りは戦時中に供出したみたい。
他の品はほとんどが台風で屋根ごと飛ばされたと言ってたw
とりあえず来年に金を持って行ってみようかと思ってるがw
ちなみに他スレで書いた、大塩平八郎の子孫説がある家だからあまり信用は出来ないw
>>18 レス有難うございます。がんばってみます。
うちのじいちゃん、第二次大戦中の当時は18歳だったけど赤紙来なかったな。
うちの仏壇には直接ご先祖じゃない方の位牌があります
大変珍しい苗字で幕末を生きた方
一人息子を彰義隊で亡くし、その方が亡くなってお家断絶になってしまったそうです
その為、親戚筋だった祖母が(すでに嫁に出ていたので苗字は別)位牌を引き取ったとか
父は子供の頃、祖母に連れられ上野の彰義隊史料館で
「この戦争で亡くなったお前の親戚だよ」と亡き息子さんの名前を見たそうです
他にも父方の曾祖父の明治期の写真とかが残ってるのですが
大半が年月不明のものなので一度年代とかも調べてみたいです
携帯からなので改行変だったらすみません
明治の世になって、天皇さんが京都から東京に在所を変えるのに
とにかく貧しくてお金がなかったとかで、当時ものすごい額の御寄付をしたとか言ってたよ。
あと天皇の藩塀だとかなんとかで、東京まで行かされたっていってた。
24 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 22:05:41
>>22 義のために死んだことが、残された一族の誇りになるんだ
ということがよく分かる逸話ですね。
先祖を大事にする気持ってそういうところから生まれるのか、
初めて分かったような気がする。
>>24 大陸で戦病死した曾祖父の最後の地に改名したおいらも誉めてクレクレ
ウチの婆ちゃん末さん(78・薩摩人)の祖父が西南戦争で火縄銃を持って戦に行っていたと聞いたことがある。
その当時で火縄銃って本当かな?詳しい人教えて。
それから婆ちゃんのお友達、春さん(80・佐賀人)の実家は庄屋だったらしくて江藤新平の逃亡している時に
かくまった事があるとか言ってましたね。
確か西郷どんの軍の武器は旧式のが多かったって本に書いてあったような
江藤さんは斬首されて晒し首の写真が残ってますね…
28 :
日本@名無史さん:2006/11/07(火) 17:24:37
良スレの予感
29 :
日本@名無史さん:2006/11/07(火) 17:38:26
ウチのヒイヒイ爺さんの兄が神風連だったそうだ。それに感化されたヒイヒイ爺さんは死ぬまで電気水道ガス電話ラジオを拒否した生活をしといたとか。
30 :
日本@名無史さん:2006/11/07(火) 18:07:05
ヒイヒイ
ハァハァ
神風連の乱にも参加してたの?神風連の乱では殆どが戦で死んだか処刑されたらしいけど
ひいひいじいちゃん兄はどうだった?
しかしこの当時の若者は頑張ったんだなぁ。新政府と作った方も新政府から弾かれた方も。
>>29 興味はあるのだが、神風連の詳細しらない。
よければ説明してください。
33 :
日本@名無史さん:2006/11/07(火) 21:57:14
31才のおれでも、ひいひい爺さんは天保生まれ。
俺の爺さんが子供の頃は当然生きとった。いろんな話も聞いとるやろう。
(爺さんからいろいろ聞いときゃよかった・・・。)
ま、我々に置き換えると、祖母、祖父から太平洋戦争の話をよく聞いた!
程度の事なんやろうけど・・・。(俺らが80、90になった時、孫の世代が
「俺の爺さんが若かったころ、特攻隊の生き残りがまだ生きとったらしい!
とか、硫黄島の生き残りがまだ生きとったらしい!みたいな・・・。」)
明治生まれも、もうほとんどおらん。俺ががきの頃は年寄り=明治生まれで
明治10年代の生まれとかとも会話したもんや。今のうちにいろいろ聞いとけよ!
ところで、君らの好きそうなネタ!君の生まれた年の日本最高齢者は・・・?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%89%E9%87%8D%E5%8D%83%E4%BB%A3
34 :
日本@名無史さん:2006/11/07(火) 22:06:06
うちの爺さん今も生きてる戦艦大和生き残り兵です。
うちの母の祖父母は農家から分家して夫婦で大荷物を担いで歩いて城崎から
京都まで出てきて色々苦労しながらもそこそこ成功して本家の子弟も呼び寄
せたそうです。
うちの祖母ちゃんが子供の頃曾祖母ちゃんから聞いたらしいんだが。日露戦争の時に玄界灘からドーンという音が何回も聞こえて来てなんかと思ってたら日本海海戦の艦砲射撃の音だったらしい。
37 :
OPS:2006/11/07(火) 23:42:00
祖母の祖母から聞いた日露戦争の話なんですが
祖母の祖母は最初から勝てる見込みは日本になかったっといっていますし。
日本が勝てたのは東郷さんのおかげっといっていたようです。
当時の一般庶民が、歴史的事実をどう認識していたか
すごく興味があるので、このスレの方向性いいとおもう
ロシアの自爆だった気がするが
赤間氏が書いた新撰組の本で、子孫や地元の住民の話をまとめた本があります
かなり面白かった
>>37 えっ?その話を詳しく聞かせて欲しいです。一般の人たちは日露戦争は負けると思っていたの?
当時の新聞とかでは勝利を疑って無かったようだけど。(新聞だから当たり前なのですが)
ただ一般の人はマスコミに踊らされるものだから、負けると思っていたのが信じられない。
行きつけのバイク屋の爺ちゃん。我が親父の元世話役だった。
陸軍の整備教育を受けたことが大の自慢。
「一式戦(ハヤブサ)、九七重(爆撃機)で教育を受けた」から始まって、
百式重では人が沢山事故死した(高速で飛ばないと危険な殺人
爆撃機だったらしい)とか、三式戦(ヒエン)はラジエターに直ぐ穴が
開いて大変だった(配管の取り回しが悪かったらしい)とか、
語らせたら一時間は喋り捲る。ハ103号の整備マニュアル
コピーを渡したら大変に喜んでくれた。
街で一番古いホンダのバイク屋で、今でも現役整備士。
ソーイチロウさんから直に受け取った表彰状など多数あり。
俺の死んだばあちゃんは戦争の話とかよくしてくれたけど、俺がまだ小さかった&当時はあんまり歴史に興味なくてほとんど覚えていない…
俺の爺さんは戦後シベリアから生還した。
婆さんは空襲で爆弾が落ちてきて死んだと思ったら
肥溜めに爆弾が落ちて不発だったらしい。
間一髪俺がいるんだな。
45 :
OPS:2006/11/08(水) 19:56:53
>>45 ここなら取り寄せできるみたい
http://myshop.7andy.jp/myshop/baragaki ちなみに本の内容はたくさんあるから書ききれないけど、赤間さんが新撰組や新撰組にゆかりのある土地に行き、子孫の方や地元の方の話を紹介しています
近藤勇の生まれた家や子孫を取材したり、近藤が処刑された場所を詳しく調べたり、近藤が処刑された時にお世話した人の話、近藤のお墓の話
沖田の臨終の場所の特定、他の隊士の話もたくさん載ってます
47 :
46:2006/11/08(水) 22:45:43
あ、本の名前は新撰組女一人旅です
大正時代婆さんの爺さんが役所の退職金に馬を貰った、とても利口な馬で
農作業中よく脱走したが晩飯時にはちゃんと家に帰ってきたそうな
49 :
日本@名無史さん:2006/11/09(木) 04:13:25
その馬は日本の在来馬なのかな?
日本の在来馬を見てみたいなぁ。
50 :
日本@名無史さん:2006/11/09(木) 04:19:27
51 :
日本@名無史さん:2006/11/09(木) 08:12:47
気持ち悪いスレだな・・・
52 :
日本@名無史さん:2006/11/09(木) 10:40:12
↑
お前の人生がな
53 :
日本@名無史さん:2006/11/09(木) 21:12:57
幕末生まれの人って気性が荒い?
子供の頃にちょっとでも悪さするとよく殴られたって話を聞いたんだが
54 :
日本@名無史さん:2006/11/09(木) 21:41:12
わしらが子供の頃(50年ほど前)にはまだ幕末生まれの人間が生きていて
大企業の会長などをやっていたものじゃ。
わしらはそれを見て江戸時代の人間がまだ生きていると思って仰天した
ものじゃった。
1960年代の高度成長以前はまだ江戸時代の続きのような雰囲気が濃厚に
残っていたが、日本が豊かな社会になって急速に江戸時代は遠くなった。
日本史は1960年以前と以後に分けられると思うほどの変化じゃった。
今の日本はフランスで言えば第2共和国、第3共和国時代にあたるの
じゃろう。
昭和中期位まで親父ってのは恐いもんだよ
こぶしが飛んでくるのは当たり前、悪さすると木に縛られたりとかな。
56 :
日本@名無史さん:2006/11/09(木) 21:51:52
爺さんから聞いたじゃなくて、爺さんのボヤキスレになっちまったなw
俺も昔は親父にボコボコ殴られたな。
まだ工房だが。
近所の娘は中二の時に漫画ばっか読んでたら祖父に怒られ、
パンツ一枚で何時間か庭の木に縛りつけられてたよ。
塾の隣の家だから皆で観察してたな。
父権が強すぎるとこういう輩もいるんだろう。
娘をパンツ一枚
それなんてエロゲ?
俺の爺さん、というか先祖の話
元々は初代島津家の後見役として鎌倉から鹿児島へ行き。
江戸中期の島津家のお家争いに巻き込まれ、左遷させられた。
それから没落はしたが、子孫はかなり増えたらしい
と、盆正月での一族の話題だw
>>56 大歓迎!ご年配の方々がいらっしゃったら、どうかいっぱい書き込んでください。お願いします。と、私は1じゃないけど・・
61 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 16:22:05
ご年配の方にカキコしてほしいなら年代別板に宣伝に行くとかすれば
結構書いてもらえるかもよ
62 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 16:36:17
そんなことしなくても爺さんはたくさん居るだろ、この板にはw
63 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 16:47:17
うちのヒイヒイ爺ちゃんは佐賀藩お抱えの力士
関取にまでなって大金手にして料亭をいくつか出して妾も抱えて食いつぶしたらしいw
そのおかげで高等教育を受けさせてもらえた爺ちゃんは立派に満鉄系の工場に就職したらしく満州で工場長に
しかし終戦で地獄の満州引き上げ、そこで婆様があぼーん
地元に戻ってきて小学校だか中学校だかの校長を務めるもすぐに爺ちゃんもあぼん
中学生のオヤジは集団就職で名古屋に
って感じだな
64 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 17:25:34
65 :
57:2006/11/10(金) 17:31:32
>>58 孫だよ。
かなり衝撃的だった。
昔はよくあった事なのかな?
>>65 別段珍しいことじゃないかと。
というか、今が幼児虐待がポルノが如何とか五月蝿過ぎ。
昔はこういうことはしても、テレビを賑すようなアレなことはそれほど。
現代がアホを生み、アホが師匠になって今に至っているというか。
67 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 17:45:21
ここは今を憂うスレなのか?
ならば諸悪の根源は団塊世代にあり。
漏れ今29歳だが
ガキの頃、冬は毎日のように素っ裸で庭の柿の木に縛り付けられたよ
どこの家でもそう言うものなんだな、安心したよw
69 :
57:2006/11/10(金) 17:59:21
>>66 でも普通に同級生なんかの目にも触れるわけで、さすがにマズイでしょ。
お仕置きなら性的な事も仕方無しで、セックルもアリなのか?
もちろん男なら全裸で放り出しても問題無いわけだが。
>>68 うちは団地だったから、ベランダから宙吊りにされたなw
家から追い出された時は、他人に見られないように戻るのがスリル満点だったww
70 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 18:03:10
俺のジイサンは90近いのにまだピンピンしてやがるw
71 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 18:55:53
ご存命のうちにいろいろ聞いとけよ
72 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 18:59:02
73 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 19:04:50
>>71 そうだな。
ジイサンは今はええ時代じゃと言ってるな。
ただ、美しい山河や動物が損なわれていることには、
反省と不満があるようだ。
既に他界した祖父は明治45年生まれなんだけど
母経由で太平洋戦争に従軍した話を聞いたことがあって、
「小笠原付近で自分の乗った船の前後の船は撃沈されたが、自分の船だけはなんとか
助かった。その後終戦を迎えた。」
という簡単な話であるんだけど、これだけじゃ祖父がどういう軍団に属していて、
どの船に乗っていたかなんて分からないよね…
明治、大正の町並みって、今とは激変だろうな。
ど田舎で列車が走るだけでも感動しただろうし
沿岸部は、コンクリ堤防が無く眺望は最高だったろう
ただ道が舗装されてないのは痛いね
そういうどうでもいいが激変の風景みたいなものを
聞けたらいいなと思うね。
俺にはジイジいないから聞けないが
76 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 19:42:55
>>74 軍の令状とかそのあたりが残ってたりしないか
近代史スレとか軍板あたりのが詳しいかも
77 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 19:43:28
近代史スレじゃなくて近代史板だた
78 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 19:51:07
民族学の範疇かも知れんが、婆さんは狐にだまされる話を
リアルに信じている節がある。
79 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 20:19:16
大正生まれの漏れの親戚のじいさん。
特攻隊の訓練で鹿児島の鹿屋で終戦迎えたそうな。
じいさんの数人前までの隊員がみんなアボーソして、じいさん曰く
「あと数週間終戦が延びてたらアボーソしてたな…生死なんて人間にどうこうできるもんじゃない」
スンゴイ重みのある言葉
ちなみにじいさんがリア消防の頃はそのへんのメカもの(時計、チャリ)を片っ端からバラしまくってたくらいの機械好き。今も精密機器の製造会社を自営でやってる。
最近は携帯電話のアプリを自作しようと挑戦中…携帯バラしてますorz
節じゃなくリアルに信じてるな
81 :
:日本@名無史さん :2006/11/10(金) 20:23:08
女ほど騙されやすい生き物はいない。
>>74 各県の県庁に行けば(行かなくとも問い合わせれば)
祖父殿の「兵籍簿」を手に入れられる。
本人か配偶者、または三親等内の血縁なら問題ない
ただ、都道府県によっては一部しか見せてもらえないところもある
海軍の兵籍簿は厚生労働省にあるので陸軍よりは
紛失などの恐れはないだろうと思うので参考にされたし。
83 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 20:40:27
84 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 21:36:05
>>83 筑後の守、池袋に出没しても違和感ないなw
86 :
1:2006/11/10(金) 22:03:23
予想外に面白くなってますねw
>>79 僕らって、現代の技術が進んだせいか、
どこかで過去の人よりも今の方がレベルが上、みたいな錯覚があると思う。
でも79の爺さんの話や他の話を読んでると
技術や便利さを得た分、人間として懸命さがたりないような
変な感じがしてる。。
今の自分だったら戦争体験の時点で鬱になって立ち直れない気がするし orz
うちのじいちゃんは蒲田にあった撮影所の話をよくしてたな。
あと、死んだあとに、川崎重工に勤めてて、優秀だから戦時中もすぐ呼び戻されたと聞いた。
高学歴とも聞いたことないし、家で機械を弄ってるのさえ見たことないのでかなりショックだった。
89 :
日本@名無史さん:2006/11/11(土) 04:10:47
91 :
日本@名無史さん:2006/11/11(土) 06:13:29
12月4日新撰組ファンならみる【燃えよ剣】原作:司馬竜太郎(時代劇ちゃんねる)でやるぜ!
92 :
日本@名無史さん:2006/11/11(土) 09:02:12
司馬竜太郎
いいスレですね。
でもさすがに昭和の話が多い・・・。
で、私もひとつごめんなさい。
先ごろ亡くなった知り合いのおばあさん、4人子どもがいるけど、
長男とえらく折り合いが悪い。
太平洋戦争の頃、医師をしていたご主人と満州に渡り、
そこで長男を含む子どもを持ったらしい。
終戦のドサクサ前に帰国を果たせたそうだけど、その後の
長男との仲悪さに「満州においてくれば良かった」と愚痴ってました。
でも、実際そういうことになったら、どれだけ辛いか、必死で探したか・・・。
94 :
OPS:2006/11/11(土) 17:29:26
95 :
日本@名無史さん:2006/11/11(土) 19:37:35
ネタを垂れ流すのはかまわんが
ネタを信じ込む厨は痛々しいね
96 :
日本@名無史さん:2006/11/11(土) 21:03:59
97 :
日本@名無史さん:2006/11/12(日) 21:09:46
爺さん婆さんから聞いた日清日露第二次の話ってスレは無いのか
うちはみんな死んでしまってるから聞く相手が居ないんだが
98 :
日本@名無史さん:2006/11/12(日) 21:13:22
戊辰も入れてもいい
99 :
日本@名無しさん:2006/11/13(月) 01:04:53
私の親父の婆さん、つまり私の曾婆さんだが、
田舎では大正の初めごろに電化されて電球がつくようになったとか。
そうなったときの曾婆さんの一言「ああやっとランプを磨かなくて済む」と。
まあ磨くまではよいが、煤が手や服につくと取るのが面倒だしな。
そんな手で炊事洗濯をするわけにもいかんから、さらに大変だ。
100 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 09:19:02
どうでもいい話だが
幕末の武士の写真てなんでヒゲ生やしてないんだ?
101 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 09:53:30
明治時代の髭は欧米人の影響だ
江戸には髭生やす習慣はあまり無いな
居ないことも無いかもしれんが
102 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 10:05:36
ヒゲは戦国時代までは武士の象徴で付けヒゲつけてるやつもいる(秀吉)
が、江戸の始め頃、土井利勝が何故かいきなりヒゲを落として登城した
家康の落胤とも噂され、一代で身を起こし老中、大老に上り詰めた人物だけに、
周囲が真似をしていつのまにかヒゲをはやす習慣が廃れたという説がある
家康と顔が似てるのを気にしてヒゲを落としたとも言う
103 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 10:28:38
あ、なんだ
江戸時代の武士はヒゲ生やす習慣がなかったのか!
時代劇見ながらヒゲ生えてない武士なんて邪道だと思ってたオレが邪道だったか
104 :
日本@名無しさん:2006/11/13(月) 10:52:29
正保2年(1645)、大小刀の寸法、髪・頬髯の制を定める。
要するに風紀の為だが、これを切欠にエラそうな髯が衰退した。
でも従者は「髯奴」というくらいで、(頬)髯がないと貫禄が無いと
言われもしているが(笑)
105 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 11:25:19
御家人とかにはヒゲ面も結構居たと思うんだ
106 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 13:21:55
それは余裕が無いだけじゃあるまいかw
曽祖父(鹿児島生まれ)が「せごどん(西郷隆盛)は本当は(西南)戦争をしたくなかったんだ」と言っていた。
あと、せごどんは鹿児島に帰ってきてから、川で着物を洗濯し、それを木に干して、
乾くまでその木の下で昼寝をするような呑気な生活を送っていたそうだ。
鬼女板に書いたけれど、伏見宮博英王は、杉並区にあった別荘に200羽も鶏を
飼っていて、1日に16個も卵を食べていたそうだ。
109 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 14:18:02
普段服を一枚しか持って無かったとか だから洗ってるときはいつも褌
これは鹿児島に帰ったときだけじゃなく、着る服が無くて会議に遅れたことも有ったらしい
110 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 14:48:28
百年前…親戚の親戚の親戚に明治天皇がお泊まりになりました。
今は石碑が建ってます
111 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 00:49:12
死んだ爺さんはノモンハンに従軍して無傷で帰ってきたが、
(今ではソ連側の資料で双方大損害であることが明らかだが)
当事者として感じたのは、
「これだけ装備に差があって勝てるわけがね〜」
だったそうです。
もう一方の爺さんはビルマから復員したが、死ぬ間際はうわごとで
「上官殿ォ〜!我々はお国と銃後を守らねばならぬ〜!」と何度も叫んでいた。。。
おそらくフルメタルジャケット的新兵教育を受けたのがよほど辛い経験
だったと思われる。
あと、さすが軍隊にいただけあって俺のおもちゃのピストルを
指でくるくる回してホルスターに入れるのが巧かったw
幕末でも明治でも大正でもない話ですまそ。
俺が10才の時に死んだヒイ爺さんは、日露戦争開戦時に東京で学生してたが
第二軍第三師団(名古屋)の兵士として出征し、遼陽や奉天で戦っている。
大学の同級生の多くも志願したが、第三軍(旅順攻撃)に配属された
東京・北陸・四国・北海道出身者のほとんどは戦死したそうだ。だから
「乃木のせいでいい奴らが沢山死んだ」と乃木大将の事をひどく嫌っていた。
陸軍の兵士だったのに、海軍の東郷元帥のことを神のように崇めていて、
客間に東郷元帥の御真影が飾ってあった。
太平洋戦争時は「東條みたいなキチガイが起した戦争に勝てる訳がない」と
公言して、非翼賛候補を応援したり、自由主義者を家に匿ったりしたから、
警察に呼び出されたり、私服警官が家の廻りをウロウロしたりしていたそうだ。
もし在郷軍人会の役員じゃなかったら逮捕されていた。
でも戦後は在郷軍人会の役員してたのが仇になってパージ食らって、
共産主義者から吊し上げ食らってたそうだ。「折角戦争が終わったのに、
特高の嫌がらせよりも、アカの嫌がらせの方が陰湿だ」と嘆いていたそうだ。
朝鮮戦争が始まると今度はアカの連中がパージ食らって、ヒイ爺さん達が
復活し、昭和30年頃までは町中が落着かなかったらしい。
116 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 18:51:13
うちの祖父はいまだに戦時中の悪夢にうなされる
明治生まれの亡くなった祖母は自分の事をオレと呼んでいました
118 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 19:00:01
>>115 わかる。
まだ日本男児の気概が残っていたんだろうな。
俺の母の爺ちゃんの話で戦時中でもそういう男気のある日本人がいたことは聞いているし。
119 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 20:08:26
大正生まれの死んだ婆ちゃんは大阪のど真ん中に住んでたスーパーお嬢様。昭和の初期に宝塚観劇に日参し、神戸の外人が経営するケーキ屋やチョコレート屋に買い物に行っていたそうだ。
戦時中は別荘に疎開し、そこでもすき焼きやアイスクリームを食べていたという。弟は家にある砂糖や水飴を持ち出して、それを餌にナンパ三昧だったそうだ。
現代と変わらない生活をしていたが、死ぬまでヒトラーとムッソリーニは日本に味方をした素晴らしい人達だと言っていたのが、時代を感じる。
120 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 20:18:23
親族じゃないんだけど、大学のゼミの教授の恩師のお爺さんは桜田門外の変を目撃したそうです。めちゃくちゃ寒い日だったので、襲う方も襲われた方も、手が震えて刀が全然抜けなかったので、見ていて面白かったそうです。
井伊直弼もほとんどされるがままに首を切られて持って行かれたそうです。
121 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 21:27:15
120>
幕末いいね〜!桜田門外の変!
まだ150年たってないんだよね。俺の爺さん(明治40年生まれ)
が若い頃は当時を知る人がいっぱい生きてたと思うと、江戸は遠くに
なかりけり。やな!(ちなみに俺31歳が生まれた1975年、まだ江戸時代
生まれが、かろうじて数人生きていた!)
122 :
日本@名無史さん :2006/11/14(火) 21:32:19
123 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 22:25:44
友達のひいじいさんが桜田門外の変で、井伊を襲った一人。
友達の苗字が『芹澤』だから、多分『芹澤』というのだろう。
井伊のお付は刀を布の入れ物に入れていて、その紐を解くのに手間取っていた。
だから襲った側の圧勝だったみたいだよ。
勝負って案外そんな所で決まるんだな。
124 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 22:27:34
そうそう、徳川慶喜の乳母が、芹澤という侍の母親か何か近い親戚らしい。
125 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 22:46:19
泉重千代以前の長寿日本一だった人に、「小林やと」というお婆さんがいた。
この人は弘化3年(1846)出生で、同い年には、徳川家茂、和宮などがいる。
昭和39年(1964)に死去。118歳。
>>115 波乱万丈だなw
ちょうど、
日露から太平洋戦争跨いで終戦後までを生きた世代の人ってぜったい面白い話ゴロゴロ持ってるよな。
酸いも甘いも経験してるっつうか。
>>119 船場のこいさんってやつかな。
当時砂糖は貴重品だったし、毎日宝塚観劇となると本当にお嬢って感じだね
128 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 00:03:04
弘化3年(1846)生まれで昭和39年(1964)に死去か!
俺の定年まぎわの父親、就職活動しとる頃やな・・・。
ちなみに最後の江戸時代生まれ泉重千代は1986年まで生きとった。
泉重千代の前は「河本にわ」文久3年(1863)から昭和51年(1976)。
昭和51年(1976)ちゅうたら、をれ、生まれとるやないか!
そこまで長寿でなくても、志賀直哉が昭和46年、武者小路実篤が51年まで
生きてたというのも何気に感動する。
志賀直哉の没した年は「仮面ライダー」や「帰ってきたウルトラマン」放送中、
実篤の没した年は「ゴレンジャー」放送中。
で、志賀直哉の場合、幕末に二宮金次郎の弟子で維新期に相馬藩の重臣だった祖父の
薫陶を受けて育ってるわけで、そんな人が昭和46年まで健在だったってのも面白い。
>>123 いわゆる「桜田十八士」のなかで生き延びたのは
海後磋磯之介と増子金八のみ。
明治生まれの一番最後の人でも、いまや94歳。
明治も完全に歴史の彼方に去ってしまったな。
133 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 01:42:30
>>132 その日本開闢以来の激動の時期に生きた人々が、
いまや世界一の長寿大国のトップランナーだと言う点が
実に不思議で興味深い。
死んでいった周囲の人々の分までも命を永らえているかのようだ。
俺たちはそこまで長生きできるかどうか疑問だからね
134 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 02:21:42
>>123>>131 「桜田十八士」が正しいのなら
関鉄之介、稲田重蔵、山口辰之介、鯉淵要人、広岡子之治郎、黒沢忠三郎
斎藤監物、佐野竹之助、大関和七郎、森五六郎、蓮田市五郎、森山繁之介
海後磋磯之介、杉山弥一郎、岡部三十郎、広木松之介、増子金八、有村冶左衛門
「芹澤」はおらぬ
本当の話なら苗字が変わったんじゃないか
135 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 03:13:21
>>123 桜田十八士は、自刃したり傷がもとで死んだり斬刑になったりで
海後磋磯之介(1903年死亡)と増子金八(1881年死亡)以外は翌年くらいまでに死んでる
襲撃の関与者では
金子孫二郎、高橋多一郎、高橋庄左衛門、有村雄介、佐藤鉄三郎、川崎孫四郎
小室治作、大貫多介、山崎猟蔵、島男也竜雄、小野寺慵斎、宮田瀬兵衛
が居るが、ほとんどが自刃、獄死、斬首
例外は追放刑の佐藤鉄三郎(1915年死亡)
ちなみに彦根藩側も全員、戦闘や傷で死ぬか無疵で帰邸したことを咎められ斬首だ
ただ襲撃関係のメンバーが20代〜50代まで居て、結構歳の人間も多いから子孫自体は居るかもな
おれの爺さんが大正のうまれですが、聞いてほしいこととかある?
ところであたりさわりない話ひとつ:
よく昔の川は本当にきれいで、どこでも魚が取れたって言っている
他の爺さんも揃いに揃ってみな全くおなじことを言うから
今の爺さんたちの目には、現在の環境汚染が相当に際立って映るのだろう。
137 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 11:33:55
>>135 実は彦根藩士のなかに一人だけ寺に逃げ込んでそのまま坊主になり生き延びた人が居る
138 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 17:03:43
大正生まれのうちの爺さん、戦争中は潜水艦にのってました。今でも酔っぱらうと当時の事を話ます。
追い詰められて、音をたてて敵にみつからないよう真っ暗な艦内の中、ただ耐え忍ぶ恐怖。
聞こえるのは敵がおとす機雷の爆発音だけ。極限の状態で思い出すのは母親の顔だったそうです。
こういった体験を自分の子供達に伝えていくことも、僕らの大切な役目だと考えます。
>>138 Uボートの別名は鉄の棺桶。
日本軍のはそれに輪を掛けて酷かっただろうね・・・。
140 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 18:14:03
山県有朋や松方正義と話したことのある人が生きている可能性はあるな。
141 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 18:31:47
>>136 朝鮮人の密入国の状況、乱暴ぶりを聞いてほしい。
142 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 18:41:19
陸軍の戦車部隊にいた祖父晩年まで整備の鬼だったそうだ。祖父の愛車はエンジンルームの中まで塵一つなくピカピカに輝いていて、陸軍でそうやって仕込まれたからと、さも当然のように語っていたらしい。
143 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 18:47:04
>>136 あなたのおじいさんの幕末の好き志士、嫌いな志士を聞いてください
144 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 18:50:55
極貧の集落に育った爺さんは、自分が尋常小学校で首席だったので、集落で唯一高等小学校に進学したのを死ぬまで誇りにしていた。下士官で勲章を貰ったのも自慢だった。
今ではどのくらいすごいことなのか図り知れないが、すごいことだったんだろうな。
>>140 うちの婆ちゃんは91才だが、東郷平八郎と会っている。
どういう理由か、婆ちゃんが通っている女学校に来たそうだ。
生徒を代表して婆ちゃんが「閣下、揮毫して下さい」と言ったら、
気軽に一筆書いてくれたそうだ。それは今でも学校にあるらしい。
何か御言葉があるかと期待していたが、最初から最後まで一言も発せず
声は聴けなかったそうだ。最初耳が聞こえないのかと思ったが
「揮毫して下さい」と言ったら直ぐに書いてくれたので、
聞こえてたはずだとのこと。
146 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 19:59:38
オレの曽祖父は大工だった(祖父も)。
その曽祖父が横浜の本牧に、ある政治家の肝煎りで遊郭のようなものを作り始めた。
ところが準備万端整えて建て前までしたのだが、突然打ち切りになった。
曽祖父は引くに引かれず仕方なく最後まで作ってしまったらしい。
曾祖母はそれいらい政治家のことが大嫌いになった。
その政治家とは尾崎咢堂である。
147 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 20:15:13
>>146 貴重な話をありがとうございます。
素晴らしい!!
148 :
日本人 :2006/11/15(水) 20:40:56
明治生まれのツネバーさん死ぬまでノーパンだった。
>>145 薩摩隼人だからな、尋常じゃないくらい無口なんだろうw
150 :
日本人 :2006/11/15(水) 21:55:04
小泉前首相。旧姓鮫島という薩摩隼人。よくしゃべった。
明治30年代生まれだった祖母は洋服を「簡単服」と言っていました。
キセルで煙草をばんばん吸っていました。
153 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 02:28:11
簡易服
ある意味なるほどと思った
154 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 08:21:01
戦前は新潟でも指折りの金持ちだったという知人(70歳前)の叔父さんの家は、
新潟でも一番の大店で、長岡にあったそうだ。米騒動のときに
貧民が押しかけてきて、蔵の中に米がまったくなかったのを怒って放火し
屋敷は炎上したそうだ。米がなかったのは貧民に無料提供していたためだという。
その知人のお母さんも長岡出身で当時3歳、近所の家が炎上するのを覚えていて、
後にその知人の家に嫁入りし、「あの家の親戚だったのか」と驚いたとか。
その嫁入りは信濃川を延々と嫁入り道具を積んだ船が続き、有吉佐和子の
「紀の川」の冒頭のようだったと覚えている高齢者もいたそうだ。
富山でも富農の家が放火され、米騒動というのは実際には暴動だったとか。
この間の「そのとき歴史が動いた」は米騒動を美化していて、
全然あんなものじゃなかったと、その知人は怒っていた。
155 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 09:13:06
証言スレなら東亜とかに逝けよ
あからさまな電波を突っ込んでも荒れるんだから
156 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 09:50:12
俺の曾祖父さんは日露戦争に出征した時、上官が負傷して動けなくなったのを
背負って後方の基地まで運んで助けたそうな。
その事が手柄になったそうで、金鵄勲章と報奨金(当時で100円もの大金)をもらったそうな。
実際にその勲章を見た事あるんだけど、普通に上官助けたぐらいで金鵄勲章なんて凄い物もらえるものなのかな?
かなり上の人物を助けたのかな???
157 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 10:11:13
俺の爺さんは童貞だった。
ほーーー。
>>156 金鵄勲章といってもピンキリ。
勲五、六等なら、状況次第では貰えるんじゃないか。
160 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 20:25:02
157>
せっかく荒らしのない良スレだったのに・・・。(ま、これでこそ2ちゃん!)
145>
東郷平八郎か!すごいな!薩摩藩士として薩英戦争にも参加しとるし、
当然戊辰も・・・。(悪く言えば、倒幕の志士の端くれやが・・・。)
たしか、昭和9年まで生きていたはず!そんな人と会話した人がまだたくさん
生きているなんて、不思議なもんや!
161 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 20:33:44
>160
ちなみに、158も連帯責任で同罪!
それにしても、139年前は、まだ江戸時代!
この国の発展はすごいよね!
162 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 20:38:01
俺の爺さんも童貞だった。
163 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 21:06:50
>>154 その事件で被害を受けた人にとってはそうだろ。
戊辰戦争で、官軍に火を点けられた町の人たちはいまだに薩長軍は強盗だと言ってるし
164 :
:日本@名無史さん :2006/11/16(木) 21:29:30
関東じゃ有名な話だけど、薩長が日本中で嫌われてる本当の理由は九州や中国
の強盗まがいの在日部落民を戊辰であちこちに移住させたから。朝鮮系パチ屋
やサラ金やヤクザは皆その系統の移民。
165 :
:日本@名無史さん :2006/11/16(木) 21:38:25
まさに隔離地域というかパンドラの箱・・・。
166 :
:日本@名無史さん :2006/11/16(木) 21:52:32
>160 東郷平八郎って幕末のときには名前も出てこないぞ・・
薩英に参加してたってマジですか・・初めて知った。そんな昔の人だったか。(べ、勉強します)
169 :
日本@名無史さん:2006/11/17(金) 00:25:17
昔ばぁちゃんからこんなしりとり教えてもらった
ニッポンノ→ノギサンガ→ガッセンス→スズメ→メジロ→ロシヤ(ロシア)→ヤバンコク→クロバタキ→キン〇マ→マケテクヤシヤチャンチャンボウ→ボウシ→シリノワレメハジュウモンジ→ジイのアタマハハゲアタマ→マンジュウイッチョウ→チョウセンニ
ときどき解読不可能だけど(うろ覚え)日露戦争の歌だよな?
170 :
日本@名無史さん:2006/11/17(金) 02:14:58
薩長の最大の罪は、明治期以後江戸の町並みと文化を完全に破壊しつくしてカケラも残さなかったことじゃないだろうか
171 :
日本@名無史さん:2006/11/17(金) 07:17:21
俺は廃仏毀釈やら城郭の打ちこわしやらの文化財破壊が・・・ってスレチガウ
五重の塔でさえ売りに出したんだもんな。馬鹿過ぎだよ
>>170 関東大震災と東京大空襲で、江戸の街並は灰燼に帰した。
京都は1985年頃まで古い街並がよく残っていたが
バブルの地上げで見る影もなくなった。
174 :
日本@名無史さん:2006/11/17(金) 12:20:10
チュンやチョンの民度の低さを笑うやつがいるが、
程度の差こそあれ日本もたいしたことないな。
下がいない分、上もまったくいないからな。
>>173 京都の惨状は世界的に有名らしいね。何故あんなに貴重な文化を破壊したんだ!ってさ。
アメリカのメル友に嘆かれた事ある。作り話じゃなくて。
176 :
日本@名無史さん:2006/11/17(金) 14:43:03
京の街並みの近くに高層マンションも建ってるし
>>175 米軍も、京都と奈良は文化遺産保護のために爆撃しなかったからな。
戦争でも守られた文化遺産を、不動産屋やヤクザが次々に破壊しても
見て見ぬ振りをしているんだから、解同採用枠のある京都市役所らしいよw
178 :
日本@名無史さん:2006/11/17(金) 15:34:58
>>177 その文化遺産保護ってのは本当なんだっけ?
>>178 湾岸戦争やイラク戦争でも、ウル、バビロン、ニネベといった遺跡を
米軍は爆撃しなかったから、良い悪いは別にして国民性だろう。
>>179 でも占領政策で博物館、美術館放置で石油プラントのみ大事に保護して、
貴重な文化財や書物、骨董品が根こそぎ盗難にあってしまったんだよな。
爆撃の選別は建前で占領政策が本音のように思えた
181 :
日本@名無史さん:2006/11/17(金) 20:07:18
薩長人=朝鮮人には文化は全く理解できなかったのです
廃仏毀釈はひどいよなあ
あれで貴重な自然もたくさん破壊されてしまった
183 :
:日本@名無史さん :2006/11/17(金) 21:05:59
川崎や新宿、渋谷にもやつらが居座ってしまった。
男の居なくなった戦後も土地不法占有したり、女犯しまくったし。
>>182 神社の御神体が仏だったり
神を拝む寺があったり
現世利益(密教)の神社があったり、
もう教義がグチャグチャだったからな。
今でもそれほど余り状況は変ってないが。
185 :
日本@名無史さん:2006/11/17(金) 21:53:30
耶蘇でもないのにクリスマスを盛大に祝うのは日本人だけ
>>185 トルコはイスラムの国だが、
欧州の影響が強く、クリスマスは盛大に祝う
>>182 自然は破壊されてない。戦後の復興時と、それ以上に自然は自然のままが1番!と言う馬鹿な自然保護を訴えてる今が一番酷い。
>>187 工工エエェェ(´д`)ェェエエ工工
熊楠の努力知らんのか
>>188 製材業について詳しく調べてみるといいよ。
その結果、鳥も動物も棲まない死の森が多数できたわけだが
191 :
日本@名無史さん:2006/11/18(土) 08:26:00
まぁどうだか知らんけど
とりあえずスレ違いだと思うんだ
192 :
日本@名無史さん:2006/11/18(土) 08:32:22
爺さんの戯言だ、そっとしておいてやれ。
193 :
日本@名無史さん:2006/11/18(土) 10:23:38
>>186 イスラムではキリストも予言者の一人だが・・・
194 :
日本@名無史さん:2006/11/18(土) 10:37:16
すれ違うってば
廃仏毀釈もあったが、神社統合も酷いもんだ。
あれのお陰で鎮守の森が無くなったり、地元民に親しまれていた社が無くなったりな。
んで田舎の婆ちゃんに話を聞きたかったが、大正生まれだから幕末明治大正の話は聞けなかった。
聞けたのは、爺ちゃんが海軍呉工廠の職員で大和建造の工員だったとか、
第二次大戦での昭和20年の呉空襲で港にいた軍艦が次々に爆撃され哀しかったって事ぐらいだった。
スレ違いスマソ。
>>193 ←このヴァカは、イスラムの国全てで
クリスマスを祝うとでも思っているのか?w
アラブの国じゃクリスマスは祝わないよ。
イスラムではトルコぐらい。
197 :
日本@名無史さん:2006/11/18(土) 15:15:21
198 :
日本@名無史さん:2006/11/18(土) 17:50:42
>>196←このヴァカは、何一人で勝手に決めつけて一人で発狂しているんだ?
人が言っていないことがそんなに可笑しいのか?
可笑しいのはお前の頭だ
馬鹿同士仲良くしろよ
ちなみに第三者には両方ともに朝鮮人並のオツムの持ち主にしか見えないよw
馬鹿は別の板に移住してくださいねw
185 :日本@名無史さん :2006/11/17(金) 21:53:30
耶蘇でもないのにクリスマスを盛大に祝うのは日本人だけ
これは明らかに間違い。
間違いを指摘された198は、逆切れしてしまった
201 :
日本@名無史さん:2006/11/18(土) 19:56:23
>>200 キリストはイスラムと全く無関係ではない。予言者の一人とされているからイスラム教徒が敬意を払うのは全く不自然というわけではない。
仏教や神道とキリスト教は何か関係あるのかな?
あなたが信じているカルト宗教では大ありかも知れないがw
202 :
日本@名無史さん:2006/11/18(土) 20:17:39
>>201 スレタイ嫁。
爺さん婆さんから聞いた幕末明治大正の話 その1
× 予言者
○ 預言者
>>165 ばあちゃんから日清戦争の歌を聴いたことがある。
「にっしんだんぱんはれつして おにの〜」までしか覚えてないが、全部聞きたかった
>>201 しつこいぞ。お前の言う
「耶蘇でもないのにクリスマスを盛大に祝うのは日本人だけ」
は、明らかに間違い。
間違い指摘されたからって逆切れするな。チョンコか?
自分の間違いを認めろ。
205 :
日本@名無史さん:2006/11/19(日) 01:31:10
>>195 ぜんぜんスレ通りの内容ですよ。
軍艦が空襲で沈没するのが悲しかったという、
その時代の視点が平凡でも、今の世では確認すべきことだから
近藤勇の処刑の場所は板橋の馬捨て場で当時は川が流れていたらしい
207 :
日本@名無史さん:2006/11/19(日) 04:15:45
たんなる情報ではなく当時の人間の息吹を感じる「人」の証言こそがこのスレの趣旨と思う
208 :
日本@名無史さん:2006/11/19(日) 11:35:56
>>207 同意
少々事実とのギャップがあっても、一つの物語として聴きたいね
明治生まれの俺の爺さんが父親(俺のひい爺さん)から聞かされた話だが、
ひい爺さんは西南戦争に従軍していたらしい。西郷軍には戦国時代の鎧兜姿や
火縄銃を持って従軍した兵士がいたそうだ。そこらへんに腐乱死体が転がっていて
悪臭がひどかったとか聞かされた。
あげ
211 :
日本@名無史さん:2006/11/20(月) 02:16:01
世の中あっという間に変わる。
戦争は嫌だね。
212 :
日本@名無史さん:2006/11/20(月) 07:27:05
他スレから拾ってきた
第二次の話だけどね
玉音放送が15日だから本当にぎりぎりだな
41 :日本@名無史さん :2006/11/17(金) 08:22:11
うちの祖父は軍属で樺太に派遣され、8月14日に引き上げたそうだ
終戦の混乱で帰宅が遅れ、家族が心配していたところある日の真夜中に帰ってきたらしい
祖母は深夜に目覚めたら枕元に祖父が立っていたので、死んで夢枕に立ったのかと思ったそうだ
祖父は帰宅まで8月16日のソ連侵攻を知らず、その後シベリア抑留があったことを知ったときには
正直肝が冷えたと言っていた
213 :
日本@名無史さん:2006/11/20(月) 18:50:48
なぜか西南戦争ものが多いな
語らなきゃという文化が残っていたからかなー
個人的には満州や東南アジアなどで生活した体験談とかも聞きたいね
214 :
日本@名無史さん:2006/11/25(土) 00:59:40
あげ
祖母から聞いた歌が「クロポトキンの首をとり〜」
日露戦争時にはやった歌の一部らしい
216 :
日本@名無史さん:2006/11/26(日) 22:40:33
うちの曾祖母が明治生まれだからいろいろ聞いてみるかな
217 :
日本@名無史さん:2006/11/26(日) 23:20:50
>>215 お手玉しながら唄うヤツだろ
漏れは母親から聞いたorz
ゲキレツランパン破裂して
日露戦争始まった
とっとと進むは日本の兵
さっさと逃げるはロシアの兵
クロポトキンの首を取り
東郷元帥万々歳
だったな。1行目は意味不明。なんでクロポトキンをやって東郷が万歳なのかもわからないし。
うちの婆ちゃんのお手玉の歌はこれだった。
もちろん全然意味が判らなかったが、
ガキの時にさんざん聞いたから耳から離れない、今でも歌える。
文部省唱歌だったんだな。
旅順開城約成りて 敵の将軍ステッセル
乃木大将と会見の 所は何処水師営
庭に一本棗の木 弾丸あともいちじるく
くづれ残れる民屋に 今ぞ相見る二将軍
219 :
日本@名無史さん:2006/11/27(月) 02:17:17
司馬遼太郎の「坂の上の雲」を思い出すな
220 :
日本@名無史さん:2006/11/27(月) 09:43:27
うちの死んだ爺さんは明治30〜40年ぐらいの生まれだが、学校を
出てから海軍に入隊するまでの間、帯刀してたらしい。曽祖父が60
ぐらいの時に生まれたそうで、その曽祖父は西南戦争で薩摩軍に参加
した郷士だったらしい。都城の戦いで負傷し、西郷隆盛と涙の別れを
したと聞き、色々調べたが、そんな史実はなかった(笑)
それと、話題の手毬歌だが、僕の聞いたのは、こうです。
にっぽんの 乃木さんが 凱旋す
すずめ めじろ ロシア
野蛮国 クロバタキン 金の玉
負けて逃げるは チャンチャン坊 棒で叩くは犬殺し
シベリア鉄道長けれど 土瓶の口からはきだせば
バルチック艦隊万々歳
221 :
日本@名無史さん:2006/11/27(月) 20:58:17
220>
すごいな!あんたの曽祖父!
おそらく天保とか弘化の生まれちゃうか!
もろ江戸時代をしっとる世代や!薩摩藩士か?
ちなみに俺の曽々祖父は、明治になっても新政府
に抵抗した備中松山藩士!田舎侍やが、俺は誇りに思っとる!
222 :
日本@名無史さん:2006/11/29(水) 11:34:34
良スレあげ
223 :
日本@名無史さん:2006/11/29(水) 11:53:22
うちの母方はそれほど裕福な家庭でもなく
昭和のはじめだというのにうちの母親は奉公に出されている
小学校には通えたが奉公先の赤ん坊のお守りをしていたのでロクに授業など受けれず
いまだにアルファベットは読めない
スレ違いだと思いますが昭和の時代でもこんな感じです
224 :
日本@名無史さん:2006/11/29(水) 12:15:48
>>223 あんまり関係ない話ですが、戦前の教育を受けた人って
小学校ぐらいしかでてなくても、字がきれいな人が多いですよね。
やっぱり学ぶ機会が少ない分、それだけ授業にも身がはいっていたのかな。
225 :
日本@名無史さん:2006/11/29(水) 16:17:08
明治生まれの亡くなった祖母も小学校4年ぐらいまでしか通ってなかったみたい
おれも婆さんからいろいろ話を聞いたけど、
印象に残ってるのはほんと差別が凄ぇな昔は。
橋がかかってる場所のこっち側と向こう側では別世界、
例えるなら白人居住地と黒人居住地みたいな差別があったらしいな。
地方や集落により様々だろうけど、
今の時代もてはやされる双子ちゃんは、
犬畜生みたいな捉え方で、生まれてすぐ・・・してたと聞いたな
特に男と女の双子は心中したもんの生まれ変わりで
最も忌み嫌われたらしいなぁ
227 :
日本@名無史さん:2006/11/29(水) 20:24:26
じいさんが大正4年生まれ。
生まれつき病弱で小学校には6年中5年しか通えなかったけど、算数(数学)と
習字が得意だったそうな。あと
>>226にもある通り、じいさんの生まれ育った
中国地方某村でも双子はあまり歓迎されていなかった。ただし幼児死亡率が
高かったため、里子に出したり間引いたりという惨いことはせず、どちらか一方を
1年か2年若く戸籍に登録させたそうだ(母方の祖母の姉もこのケース)。
228 :
日本@名無史さん:2006/11/29(水) 21:28:11
うちのひいおじいちゃんは空襲で亡くなった。
当時の蘇我は川鉄があったからよく空襲にあったらしい。
空襲警報が鳴って、急いで近くの防空壕に入ったんだけど
その防空壕は狭くて、まだ子供だったおじいちゃんとその兄弟を押し込み
自分は入れなくて、外にはみ出ていたらしい。
そこに爆弾が命中。おじいちゃんやひいおばあちゃんは助かったけど
ひいおじいちゃんは亡くなった。
会ったことも、見たこともないひいおじいちゃんだけど
子を思う親の愛はすごいなって思って、涙が出た。
あと、おばあちゃんに聞いたんだけど
終戦の直後も米軍の飛行機が飛んでいて怖かったらしい。
しかも林の中とかに隠れていないと、米兵士に連れて行かれる。と言っていた。
貴重な話を聞けるこの時代に生まれてよかったと本当に思う。
229 :
日本@名無史さん:2006/11/29(水) 22:45:14
ばあさんが明治生まれ
本家の娘が高等女学校に逝ってて、許婚がいたのに好きな東大生と駆け落ちしたそうな
それで学問をすると不良になると、ばあさんの家では男は中等学校まで、女は尋常小学校までしかいかせてもらえなかった
母親の爺ちゃんは明治初め生まれ。まぁ俺にとっては曾爺ちゃんだな。
爺ちゃんの家は四国の何処だか忘れたが結構な地主の長男だったらしいが遊び人だったそうな。
そんな爺ちゃんが九州に遊びに行った時に知り合って仲良くなって好きあった娘さんが、顔も知らない歳も
離れた人と結婚しなくてはいけなくなったそうで、爺ちゃんとその娘さんは結婚間際に夜逃げしたそうだ。
んでその娘さんと結婚して各地を点々としていたそうだが夜逃げから半年後に四国の実家に帰ると
実家の土地の山が一つ売られていたんだそうだ。理由は娘さんの結婚相手に対する侘びに必要な金を工面
する為に売ったんだそうだ。んで爺ちゃんは父親に勘当され家を追い出されたんだが、まぁ世間体を考え勘当
したんだそうで、その代わり結構な金額を手切れ金?としてもらったそうな。
その後爺ちゃんは遊び癖が治らず遊んでばっかだったそうだが、遊びで手に入れた金と婆ちゃんの働きで5人の
子供を自分の様な遊び人とは無縁の立派な人に育て上げた。
だけど死ぬまで遊び癖は治らず金は入っても直ぐ出て行くみたいで、死んだ時の遺品がひょうたん一個だけだったそうな。
豪快な生き様だとは思うが、マネはしたくないw
長文スマン
231 :
日本@名無史さん:2006/11/30(木) 09:33:08
うちの母方のおじいちゃんは徴兵されたが身長が足りなくて
兵隊じゃなく船の調理係として採用されたらしい。
でも行く途中の船が爆撃され上陸もしないままあぼーん。
フィリピンのミンダナオ島沖です。
ばあちゃん当時25歳で4人の子供を抱えた未亡人になってしまった。
でも散々苦労して4人をちゃんと育て上げました。
親戚も多かったからみんなから助けてもらってたみたいだけど。
でも私が1歳の時に62歳の若さで亡くなった。
乳がんだけどちょうど私も生まれて忙しくしてたから病院に行けなかったらしい。
(自主的に病院に行く人じゃないらしいけど)
おかんは今でもその事を悔やんでるけどおばあちゃんは愚痴とか人の悪口とか一切言わなかったらしい。
晩年はたくさん孫がいて幸せだったんじゃなかったのかなと思う。
あとうちの親父が長崎の原子雲を見たと言っていたが福岡の内陸部の筑後川沿いの村から見えたのかなー?
近所で大騒ぎになったそうです。
232 :
日本@名無史さん:2006/11/30(木) 15:16:46
俺の婆さん(90歳。ご存命!)が子供の頃、近所に住んでいた老婆は
(天保以前、ひょっとして文化、文政生まれくらいか?)
少女の頃、打ち首になった自分の父親の首をフロシキに包んで、家まで
持って帰ってきたらしい。「ミニにたこができる」ほどこの話を聞かされた。
233 :
日本@名無史さん:2006/11/30(木) 16:51:52
234 :
日本@名無史さん:2006/12/01(金) 00:09:03
ドラマティックな人生のほとんどが世の中の流れの影響受けてるんだと再確認。
だからこそ戦時中などは心の中にしまってあるドラマ多いんだろうな。
それを聴きだして世に出してあげる役目だな、このスレは
235 :
日本@名無史さん:2006/12/01(金) 00:38:41
俺の爺ちゃん
若い時、本田宗一郎の知り合いで
本田宗一郎がバイク屋を始める時に
一緒にやらないか?と誘われたが
金にならないからと言って断った
爺ちゃんの見る目無し!
236 :
日本@名無史さん:2006/12/01(金) 01:10:24
>>235 ウ ホ ッ ! や ら ま い か ?
237 :
日本@名無史さん:2006/12/01(金) 01:11:00
当時本田家の近所(赤坂?)では「スピード狂のオヤジ」扱いだったらしい
世界を変えるのはいつも奇人変人
凡人はその後をついていくだけなのだ
明治生まれの俺の祖母は戦争中に近所の人を田舎の実家に疎開させて食料とかも世話してたからみんなに感謝されたって俺に自慢げに話してた
>>239 いい祖母さんだな。その祖母さんの子孫としての誇りを持って生きろよ
241 :
日本@名無史さん:2006/12/01(金) 22:54:03
良スレには、荒らしの入る余地がないな!全く・・・。
俺の父親(昭和40年入社。来年春定年予定)が新入社員の時、
ひいきにしてもらってたお客さんの家には、まだ慶応生まれの
爺さんが生きていて、会話もしたらしい!維新から97年後の
1965年の話。ほんと、時代の転換点やったんやな〜。
242 :
日本@名無史さん:2006/12/02(土) 11:05:26
この板では全然盛り上がらないだろうが、オレが入社した時、職場で再雇用されてはたらいていたおじいさんが元海軍の航空整備士。
プロペラが後ろに着いた飛行機が飛ぶのを見たって・・・・それ震電だろ
243 :
日本@名無史さん:2006/12/03(日) 23:13:10
税所篤の縁者がタイフォされた。
明日のトップニュースだ。
とんだ政争の巻き添え。
244 :
日本@名無史さん:2006/12/04(月) 02:48:34
うちの母親桂太郎が韓国の小さな幼皇帝日本に招き京都の街連れて
あるいてイルのみてあぁもうすぐ合併だなぁ、と思ったそうだ。
おやじは日清戦争でチャンコロやっつけろと幼少の身ながら町を練り
歩いたそうな 今でも変わらんナァ
246 :
日本@名無史さん:2006/12/04(月) 03:41:33
100年も前か。あんたも結構な年だな
247 :
日本@名無史さん:2006/12/04(月) 18:48:58
父からのまた聞きの話だが、
うちの爺さんかひい爺さんは、幼いころの与謝野晶子のご近所さんで、
与謝野晶子は近所では「あの子と遊んじゃいけません!」なんて言われている
不良娘だったらしい。
248 :
日本@名無史さん:2006/12/04(月) 19:08:08
249 :
日本@名無史さん:2006/12/04(月) 22:07:22
明治〜大正〜昭和〜平成〜4世代を生き抜く力
250 :
日本@名無史さん:2006/12/04(月) 22:52:13
>>247 ま、今では当たり前だがその頃恋愛結婚なんてふしだらな事やったんだからな
40年前にジーパン履いて歩き回るようなもんだよ
251 :
日本@名無史さん:2006/12/14(木) 17:13:26
うちの曽祖父曾祖母はお互いの顔を結婚式当日まで知らなかったらしい
父方も母方もそう言ってるから「結婚は家同士で行う」って意識が強かったんだろう
そんな曽祖父ですが、はっちゃけた伝説が多いらしく親戚からは割りと白い目で見られてたそうな
北関東の片田舎から東京の下町に出てきて店おこしただけで結構大変なことと思われてたらしい
(大正期の話ね)
その夫婦の娘(=ばあちゃん)とこに婿入りしたじいちゃんは
太平洋戦争時に大陸で戦ってきたんだそうだが
非常に体格が良いので兵隊に甲種合格したのが自慢
自分が小さい頃、一緒に風呂入ると肩やら鎖骨やらの傷見せてきて
「こっから鉄砲の弾が身体ん中入ったんだ」
と教えてくれたっけな
50年くらいたってようやっと摘出手術受けてたけど…
ばあちゃんは随分前に死、甲種合格のじいちゃんも今じゃ半身不随
とりあえず死ぬまでは優しくしてあげたいと思います。
うちの祖父は関東軍で、終戦でシベリアに抑留され復員したのは昭和24年。
その時うちの親父は5歳で、写真でしか自分の父親を知らなかったから
写真とは変わり果てた父親から「お父さんだよ」と言われても実感がなく、
見知らぬおじさんだと思って逃げてしまったそうだ。祖父も辛かっただろうな。
シベリアの収容所では全員が栄養失調で、毎日のように戦友が死んだそうだ。
夕べ「おやすみ」と言い合った仲間が、朝になったら死んでいる。
「こんなところで死ねるか、絶対に生きて帰ってやる」と強く思いつづける事で
生き抜いた、と言ってた。8年前に死ぬまでロシア人を呪っていたよ。
祖父の口グセは「ロスケだけは信じるな」だった。
子供の頃、婆ちゃんが字が読めないということに気付いたときは、
ちょっと厳粛な気持ちになった。
254 :
日本@名無史さん:2006/12/16(土) 01:18:58
>>253 明治生まれの俺の婆ちゃんも漢字はあまり読めなかった
小学校は4年ぐらいまでしか通えなかったみたいだし
255 :
日本@名無史さん:2006/12/16(土) 01:25:27
爺さん婆さんの話って時系列がゴチャゴチャになってるし人名とか固有名詞も適当だから困る
256 :
日本@名無史さん:2006/12/16(土) 01:41:16
うちの曽祖父は、天誅組と戦った。
マジで凄い。
257 :
日本@名無史さん:2006/12/16(土) 05:47:45
>>256 それは凄いですね
良かったら詳しく教えてください
258 :
日本@名無史さん:2006/12/16(土) 08:22:05
曾祖母は乗馬となぎなたの名手で、大変なお転婆娘だったそうです。
で、おとなしい曽祖父(従兄妹にあたる)に嫁として押し付けられたそうです。
おそろしく気が強くプライドの高い女性だったとか。
昔は同族結婚ばかりしていたみたいですよ。
259 :
日本@名無史さん:2006/12/16(土) 10:20:51
明治生まれの祖母は英語読めたけど当時としては珍しいのかな?
260 :
日本@名無史さん:2006/12/16(土) 11:15:00
死んだ祖父の親戚見たことないなあって思ってたら実はお妾さんの子供だったらしい
親がこの前ポロッと言って、あんた知らなかったっけ?と言われた
旦那はけっこうな大店の主人だったらしい(妾は子供三人生み、贅沢な生活ができてた)が…
調べたいが病床の祖母には聞きにくいorz
でも今聞かないと知ってる人いなくなるだろうしなあ…
262 :
日本@名無史さん:2006/12/16(土) 12:22:05
曽祖父はクリスチャンになって(元は曹洞宗)、ピアノを弾きながら賛美歌を歌っていたそうです。
表紙が子羊の皮の大きな聖書が残っています。
伊達男だったので、英国直輸入の生地で洋服をあつらえさせていたそうで、
当時は洒落ていたという帽子も残っています。
元は武士でした。ずっと昔に郷里から取り寄せたという戸籍が士族になっていますし、
郷里には親戚もいるし、県とか町の郷土史みたいのにも苗字が出ているそうです。
家宝はないので傍流だったんでしょうが、明治維新後にうまく転身できたんですね。
子孫はパッとしないですけどw
明治生まれのうちの爺ちゃんもクリスチャンで、
子供の頃からカナダ人宣教師に教わっていたから英語が出来た。
戦後、米軍が進駐して来たら引っ張りダコになったが
通訳の仕事は板挟みになるから嫌だ、と言って嫌がっていたそうだ。
ただ、うちの親父曰く「爺ちゃんの英語は変だった。学生時代、
家で爺ちゃんに英語を教わっても、それを学校で話すと英語の先生に
間違いを指摘されて混乱した。aをアじゃなくて、エと読んでいた。
でも爺ちゃんが進駐軍の将校と早口で喋っている姿は何度も見ているし、
我々のジャパニングリッシュじゃなくて、本当の英語だったんだろうな」
とのこと。ちなみに爺ちゃんには子供が4人、孫が7人いたが
誰も英語はモノにならなかった。英語を教えるのは苦手だったみたいだ。
>>261 戦前にお妾さんになる女性が多かったのは、
女性の就職機会が極めて少なかったのと、
社会福祉制度がほぼゼロに近かったため、
女性が男性に依存せずに生活してゆくことが
難しかったことによるものでしょう。
もちろん人生の幸福は本人の価値観によるものですが・・・
>>264 それは関係ないんじゃないか。
今のように女性の就職機会が多くて、
社会福祉制度があっても、
妾になる人はいくらでもいるよ。
うちの曾祖父
晩年はボケてしまって、隣家の囲炉裏端に座って隣人が帰ってきたら「よくいらっしゃったなあ」とか言ってたそうだ
徘徊老人のはしりだな
>>265 本番ありの風俗やAVにいく女性も増えてるね。
不景気にも関係あるんだろうけど。
バブル期でも風俗に行く女性はいっぱいいたから
景気より手っ取り早く大金が稼げるってのが大きいのかもね
>>262-263 うちはひい爺さんの代に田舎から出てきたけど、檀家にしてくれる寺を探すのに苦労したらしい。
なんとか小さい寺に引き受けてもらえたけど、最後まで見つからなかったらクリスチャンになってたかも。
ちゃんとした葬式を出してもらうあてがないまま死ぬのが物凄い恐怖だったらしいね。
誰か明治30年〜45年頃の話を聞かせて
271 :
OPS:2006/12/26(火) 19:13:27
うちのひいばあちゃんは明治35年(1901)生まれ、でもって話好き。
四国の生まれだが8歳のとき蝦夷開拓移民団で北海道へ
17歳で四国に帰り大阪へ奉公に
そこで結婚した。
北海道へ行く時の船は四国から、下関 金沢 新潟 函館 と(江戸廻船!)ルートだったそうな。
途中で日露戦争の大砲の音を聞いたといってた・・
北海道の開拓はものすごかったが若かったのでおもしろかったとか
クマの話や馬橇に乗るのは病人の出たときだけだったって。
結婚したら米騒動、
鈴木商店や三菱(大阪)の倉庫の周りを
銃剣つけた兵隊さんが囲みその周りを竹やりのおっちゃんたちが囲んでいるのを目撃したらしい。
「男が俵もって逃げるのを見てたら、
ほいねぇちゃん・・いうて米ぎょうさん地面にこぼしてくれて、
おおきに いうて手ですくうて前かけいれて・・」と話し出すときりがない・・・
ばあちゃんの小さいころすでにおばあさんだった人から
エエジャナイカ参りの話を聞いて「昔はむちゃしたんやなぁ」と思ったそうです
99まで生きて2000年没
それでは・・・
おばあちゃんのうち(下町の長屋)には太平洋戦争中もでかいユニオンジャックがあった
これは、日英同盟のとき町内会で購入したもので
日の丸とぶっちがいにして家の前に飾った
大きな木綿の布なんて戦争中は貴重品だったけど
「柄が柄やから、買出しの風呂敷にも使えん」
仕方がないので、押入れで布団を包んであったそうです
みんな1945年3月の大阪大空襲で焼けた
275 :
日本@名無史さん:2006/12/30(土) 22:32:20
婆さんが子供の頃、決して刃物を使ってはいけない厳しく言われた時刻があった
(6時から7時だった気がする)。と言うのは、この時刻に何代か前の先祖が
切腹したかららしい。
なぜ切腹させられたかというと、勘定役だった先祖の部下が仕事中にうまの合わ
ない同僚を刀を抜いて切り殺したそうだ。その場にいた人たちは、先祖も含めて
クモの子散らすように逃げ出してしまった。江戸時代後期になると武士も結構軟
弱になったてたのだろう。
その士道にあるまじき行為を咎められ、上司としての部下の管理責任も問われ、
先祖は謹慎を命ぜられた。処分は近親だけだったが、それを恥じて切腹したらしい。
蜘蛛の子散らしたように逃げる武士たち
ちょっと微笑ましいな
幕末に流行った「ええじゃないか」の逸話が聞きたい
ええじゃないか参り うちのおばあちゃんの話
明治の終わりごろすでに年寄りだった人からの伝聞
(at 徳島県北部)
最初はどこから始まるんかわからんのやけどな
道を行列でひとがくるらしい
おなかがすいたら、
人のうちの台所(だいどこ)に大勢で勝手に入って
そこにあるもん勝手に食べるんやて
文句ゆうたら
「ええやないか、ええやないか、なんでもええやないか」
それだけ言うて、ほかにはなんにもしゃべらへん
人数の勢いで食べたら出て行くねんて
大勢で入れる台所やから大きな家でそんなとこは
しゃないなぁ・・ってことになるらしい。
(徳島だから)船も「ええやないか」でどやどやのったら
乗せていってくれたんやて。
お伊勢さんのそばまで行ったらもう歩かれへんほどの人で
おまつりみたいやったそうな
「帰りはどうしたん?」(by孫)
さぁどうしたんやろなぁ
とにかく、返ってはきはったらしいで、四国まできたら
お遍路さんのお接待もあるさかいねぇ・・・
こんな話です。(あたしと母とで思い出した分のみ)
あんまり話が面白いのでうちではテープにとったものがあるのですが、
昔のオープンリールなので再生ができん。
>>278 >昔のオープンリールなので再生ができん。
それってすごく惜しい!
伝承館とか博物館とか?そういう側でも聞いて見たいんじゃないかな。
貴重だと思うよ。
>>278 大学かどっかの研究機関なら涎垂らすぐらい欲しいんじゃないか?それ。
278です
じつは私も少し関係のある分野にいるのですが
ええじゃないか参りについては曾祖母も伝聞ですので
あまり資料価値はない様に思うのです
むしろ、米騒動は彼女が実際に経験したものですし
いち庶民の事件への受け取り方の例として意味があるかもしれないとは思っていました
ちなみに、うちの父の家は商家で、米騒動のときは襲われて逃げたほう
店を閉めて表戸に筋交いを張り、
二階の物干しから裏の家の屋根に逃げたそうです
表戸はすぐに壊されたそうですが
「いつも来てくれるお客やのに、顔色が変わってた、」
「ああ○○はん・・って名前呼んでも聞こえへんみたいやった」
「引いてはまた戻ってきて波みたいになんべんも入って品物もっていった」
曾祖母は母方でこちらは米の高騰で
一ヶ月近く米櫃がほとんど空だった状態を経験してます
上に書いた鈴木商店倉庫の話はそのときのもので
「あのおっちゃんはええひとやった」
「あのときほど男が頼もしかったことはなかった」
「銃剣つけた兵隊さんもなんもせえへんかった」
「目ぇそらして見えへん振りしてたで、しゃぁなかったんやから」
これはおもしろいとおもいました
>>281 父方の話は父方の大叔父の話です
曾祖母と同世代
283 :
日本@名無史さん:2007/01/10(水) 00:59:38
嫁の母親の曽祖父は、寺の坊主だったが志願して兵になり、
武士の資格を手に入れた。
戦争では鉄砲玉を身体の中に食らったまま戦い、それでも
生きて帰って来た。
そのおかげで、嫁の実家は「会津武士の末裔」をいまでも
誇りにしている。
284 :
日本@名無史さん:2007/01/16(火) 20:57:54
皆、じいちゃんばあちゃん大事にしろよ・・・
つい最近知ったんだけど
曾祖父が満州国の関東軍司令官だったらしい
満州かあ…
身バレするぞ
287 :
日本@名無史さん:2007/01/18(木) 22:26:34
貧乏の子沢山ってやつで、うちのじいちゃん、十四人兄弟の末っ子。
一番上のお兄さんとは親子くらい年が離れてたらしく
早くに両親がなくなってからは戸主になったそのお兄さんに育ててもらったんだそうな。
去年じいちゃんが90歳で亡くなって相続関係のために戸籍を取り寄せたんだけど
見てみたらなかなか面白かった。
じいちゃんは八男で、仲の良かったらしい六男の話は生前聞いたことがあったんだけど、
七男の話は聞いた事が無かった。戸籍を見てみたら七男は四歳で亡くなってたよ。
昔の戸籍は手書きで味があるね。文字が読みにくくて解読に時間かかったがw
今回初めてひいじいちゃんの名前を知ったんだが、それ以前のご先祖様についてはわからなかった。関東大震災で焼失しましたって書いてあった。残念。
>>287 本家や菩提寺に行ったら過去帳とかあるかもよ
289 :
日本@名無史さん:2007/01/19(金) 01:39:14
幕末から明治初期生まれのひいひいじいさんの話です。
話の時代は明治中頃から大正あたりにかけてその人は何でも秋田を拠点に材木商で相当稼いだらしい。
宮城県北部にある家は元々農民(郷士?)の家柄だけどその人がどんなつてで商人になったかは不明です。
地元にもどってからよく着流しに紋付き羽織と流行りの帽子を被って近所を堂々とあるっていたらしいです。
一時は村一つほどの土地をもっていたのに博打に手を出しおかげで没落。なんとかうちのじいさまあたりで持ち直したけど(^_^;)
しかし一だいでそこまで家をもり立てた先祖は尊敬してます!
着流しに羽織に 帽 子
明治の流行だったのかな
明治生まれのおばあちゃんは自分の事を「俺」って言ってた
292 :
日本@名無史さん:2007/01/19(金) 07:23:15
ウチの田舎では今でも女の人も「オレ」だよ
293 :
日本@名無史さん:2007/01/19(金) 07:57:06
大正生まれの故人はとにかく物が無かった。食料の調達が
大変だったといってた。
それから、何かにつけありがたい、ありがたいと言ってた。
感謝の心は大事だね。
西南の役時、周りはうちの先祖の畑だった。
(元地方豪族なんで土地だけはやたらある訳で)
そりゃー畑にゃ死体や弾丸が転がって処理に苦労したそーな。
田原坂を通ると必ず金縛りに合うんだけど超迷惑(`Д´)
>>290 どちらかというと大正時代に流行ったような
296 :
山下健三:2007/01/24(水) 03:17:01
幕末の話なんてのはないけど
昔の人はすごく早死にですぐ病気にかかっては死んでいったと言うよ
じいさんの戦争中の話だったら幾度も聞いた
兵隊には小遣い以上の給料が貰えたんだって、それで好きな本やお菓子を買って
楽しみにしていたらしいよ
あと、ビルマ・シンガポール・中国を転戦して
誇らしげに語っていたな
満州の中国人は日本人とすごく仲がよくて
日本人の親切な配慮にすごく喜んでいたそうだ
別に中国や朝鮮で差別らしきものがあったとは語っていなかったな
297 :
日本@名無史さん:2007/01/24(水) 04:24:46
298 :
日本@名無史さん:2007/01/26(金) 23:47:43
299 :
日本@名無史さん:2007/01/27(土) 08:13:42
子供の時に夜に口笛を吹くと明治生まれのおばあちゃんに怒られた
オナニーすると婆ちゃんに起こられた
>>299 ♪真夜中に一人吹く 口笛を 叱ってくれる 人もなく
という歌謡曲を覚えていますが、水木しげるによりますと
妖怪を呼ぶという伝承があるからだということだそうです。
302 :
藤原南家工藤氏34代目:2007/01/28(日) 00:07:30
こんなスレッドあったんだな、今日知ったよ。それでは俺が聞いた本物の話を。
20年ほど前に97歳で亡くなった祖母(明治25年生まれ)が、そのまた祖母から聞い
たと言っていた話。
@自分(祖母)のばあやんの頃にひどい飢饉があって(たぶん天保の大飢饉のこと)、普段な
ら普通に道端に生えているはずの草までが食べ尽くされて一本も無かったと言っていた。
A昔、大地震があって、すごい揺れのために善光寺の軒が地面についたということだ。
Bやはりその地震の時に、善光寺の裏手から大きな火柱が上がったのを見たそうだ。
今から25年ほど前に亡くなった近所のおじさんが言っていた話。
@自分の祖父が子供の頃、官軍が石村の道(今の長野市豊野町石)を通って進んで行った
のを見たそうだ。そしてしばらくすると大道橋のあたりからパンパンという鉄砲の音が
したんで、屋根に上って眺めていたと言っていた。
こういう話って、やっぱ貴重だよね。
みなさん、ちと情報拝借。
みなさんの爺ちゃん婆ちゃんのお名前で、ちょっと変だ?ってのありました?
誰か「ケサクマ(爺)」「ケサカメ(婆)」の意味というか由来みたいなのをご存知の方は
いらっしゃいませんか?
こんなところにごめんなさい。存命中の明治生まれの方がもしもいらっしゃったら
訊ねてもらうことってできないでしょうか・・・
よろしくお願いいたします。
あいかわらず日本語下手だな
どこの国の人だろう
305 :
日本@名無史さん:2007/01/28(日) 09:54:30
306 :
日本@名無史さん:2007/01/28(日) 16:50:13
うちの祖父は生まれつき病弱。
太平洋戦争のとき志願したけどイランといわれてとても悲しかったそう。
祖父の弟は健康で180センチ以上の大男だったからもちろん兵隊になれた、
兵隊さんたちが行進をしてくると必ず一番前で(兵隊は背の高い順だから)祖父の自慢だったらしい。
でも南の島で戦死、遺骨は帰ってきていない。
その祖父のお父さん(この人も180以上、地元相撲では必ず勝っていた力もち)は、
日露戦争の時、敵に撃たれた味方の兵隊を助けた功績でいくつか勲章をもらっている。
助ける時に手を撃たれていて、その銃弾はずっと手に残っていたそう。
307 :
日本@名無史さん:2007/01/28(日) 17:02:08
祖母は一応武士の家系。
刀狩りの時、埋めて隠すような者がいた中、祖母の家は正直に全て出したといっていた。
武士の家系でしかも長女という事もあり、厳しくしつけられたようで、
小さい頃はあれこれ良く注意された。
筋が通っていたから不満ではなかったけど。
308 :
日本@名無史さん:2007/01/28(日) 23:51:05
武士の家系なのになんで隠さないといけないんだ?
ほんとだw 変だね
310 :
日本@名無史さん:2007/01/29(月) 00:42:07
廃刀令と刀狩間違って書いてるようじゃ・・・
312 :
日本@名無史さん:2007/01/29(月) 01:48:18
それまで大事にしてきた刀(身分的特権)を取り上げられる武士達にとっては、まさに「刀狩り」って
認識だったんじゃないかな?
武士の家系だから隠す家もあったと思うよ。
それまでの身分的特権だしね。
うちの父方の祖先は隠したんだけどね…。何でも廃刀令の時に一番大切な刀は所有する山に埋め隠し
二束三文のどうでもいい刀を届け出し、その後掘り返し秘蔵してきたそうな。
だから今も本家の家にあるよ。俺の父が三男だからうちの物では無いけど。
刀を戦争の時に国に出さなかったの?
非国民なんじゃ
315 :
日本@名無史さん:2007/01/29(月) 04:22:52
武家の人っておでんとか食べるんだろうか
ガキの頃本物の焼夷弾の筒を爺様に見せてもらったことがある。
それだけ。
我が家は先祖代々一生童貞の家系なんだ
奇遇だな。俺んちもだよ
もう、母方も父方も祖父、祖母ともに死んでるし
もともと空襲があまりない地域に両親がいたからあまり聞く事ないけど。
父のお父さんは関東軍で父は満州生まれ。
お父さん(祖父)は生粋の職業軍人で最後は少佐。
前線に出ない部隊にいたけど、最後は病死でした。
お父さんの出身地の名士には名前が載ってます。
どこの家にもあるんだろうけど、遺留品がたくさん。
満州の女優さんと撮ったらしき写真。処刑した人の写真(´Д⊂
勲章、短刀、杯など。
の妻の祖母は戦争中でもいい暮らししてたらしく
おうちにマヨネーズとかあったそうな。(戦後かも知れん)
母方のお父さん(祖父)はどうやら兵役審査で落とされた様子
(もしかして、長男だったらというのもあるかもしれないが)
村で一人だけバイクを所有し、珍走団してたそうなwww
そのほかの親戚の男子達は殆ど南方で戦死。
父のおかあさんは俗にいう「はいからさん」でその後
粋な姉御風でキセルでタバコを吸い、父達を良く叱り飛ばしてたそう。
320 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 01:19:26
321 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 01:58:05
>>262 後漢書には次のように書かれている。
安帝永初元年、倭國王帥升等獻生口百六十人、願請見
これを素直に読むと、倭国王帥升等が生口160任を献じ、請見を願う、
となる。
どうして帥升自身が行ってはいけないのかその理由のほうが聞きたい。
どこの誤爆だよw
12年くらい前にいた会社(小さい海運会社)の社長(当時70代)が
226事件の時に出兵してたそうだ
下っ端で雪の中ずっと見張りだけしてたらしい
詳しく聞けばよかった
324 :
家系:2007/02/06(火) 20:57:54
うちの家は安土桃山時代から続いてるらしい、その性の本家なんだって。
確かにじいちゃんちの周りには同じ性の人達が密集してるわけだ。
じいちゃんちの蔵には天保何年って書いてある古い木のお札がいくつかあった。しかも、戦時中の軍刀があったし。メッチャ錆びてたけど。
じいちゃんの弟は満州で戦死したんだって、仏壇の前には出兵前の写真があった。確か左胸に幾つか勲章を付けてた気が…。それと先祖(じいちゃんのじいちゃんのぐらいの世代)の写真も仏壇の上に立て掛けてある。
あと逸話だと思うがあの名将、武田信玄が訪問してきたらしい。
何げに自分の家の歴史を調べるのは面白い。
おまえがエロいことだけはわかった
326 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 22:31:34
327 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 23:13:48
同じ性の人達が密集してるわけだ
328 :
日本@名無史さん:2007/02/06(火) 23:14:27
西郷隆盛がイモを喰って死んだという説は割と流布してたらしいw
329 :
日本@名無史さん:2007/02/15(木) 10:45:38
330 :
あ:2007/02/15(木) 11:25:47
俺のひいじいさん 日露戦争で工兵だったんだけど 戦争の時は 倒れてうめいている兵隊の上を踏んづけて進まないといけなかったらしい 何の戦いか分かりませんが
331 :
日本@名無史さん:2007/02/18(日) 19:52:19
age
流行ってないから
332 :
日本@名無史さん:2007/02/18(日) 20:52:25
≫144
333 :
日本@名無史さん:2007/02/23(金) 18:44:46
歯って幕末でももう磨いてた?
334 :
日本@名無史さん:2007/02/24(土) 02:15:45
江戸っ子は歯が綺麗なのが自慢
鉄漿でも歯は磨いてたんだろうなあ
336 :
日本@名無史さん:2007/02/24(土) 03:00:43
ハチ公目撃した人ならまだたくさん健在してるな。うちの祖母は
ヘレン・ケラーにも会ってるし。曾祖父が出口王仁三郎と一緒に撮った
写真も、なぜか俺のカラー写真のアルバムに混じっててその唐突さにびびった
337 :
日本@名無史さん:2007/02/24(土) 05:35:18
うちの母方のじいちゃん、俺が小6の時に亡くなったんだけど、そのじいちゃんの実家が江戸時代から続く宿場町の旅籠の家。明治期に蕎麦屋に。
俺が高校の時、日本史の先生が持ってた宿場の古地図?にじいちゃん家の名前があった時はかなり驚いたな。
じいちゃんは長男じゃないから家を継げなかったけど、西郷さんの掛け軸、日本刀等が縁の下にゴロゴロあったそうだ。
そんなじいちゃんだけど、兄貴が南方戦線で亡くなったそうだ。年が離れていたからあまり記憶はなかったみたいだけど、やっぱり身内の死は堪えがたいものがあったらしい。
徴兵されたが間も無く終戦を迎えたという話や、戦後は北海道の炭鉱で出稼ぎ、友人がトロッコにひかれて亡くなったとか、一緒に風呂に入りながら聞いたな〜。子供心に怖かった。
学校に年中裸足で通って休んだ事がなく、健康体が自慢のじいちゃんだったけど、若い頃の輸血が原因が元で亡くなった。じいちゃんの死を知らされた時は足が崩れてそのまま泣き伏したよ。
曲がった事が嫌いで、野球好き。俺が学校から帰るといつも酒飲んでたな。でも大好きだったな。
江戸時代、もしくはもっと前から続く血、大好きなじいちゃんの血を継いでる事を誇りに思ってます。
かなりの脱線・長文、スマソ…思い出話になっちまったな…
本当かどうか確かめようの無い事だけども、
うちの母方の曾祖父は仕立て屋銀次を
匿ったことがあると聞いた。
戦前、満州での事だと聞いてるけど、
仕立て屋銀次が満州に行ったのかどうか
よくわからないので半信半疑。
自分から言ってくる話ってたいてい嘘だったりするからな・・・
本当なら黙っているパターンのが多い
340 :
日本@名無史さん:2007/02/24(土) 22:37:25
>爺さん婆さんから聞いた幕末明治大正
2ちゃんでは俺もかなり上の年代だと思うけど、爺さん婆さんの話はせいぜい昭和の戦前、戦中、戦後まもない頃ぐらい。
幕末って・・・
そういえば、この間、親戚が集まったときに長老たちから戦前の炭坑の話を聞いたが結構面白かった。
俺みたいな、相当なおっさんでもせいぜいこんな感じなのに。
幕末って・・・
341 :
日本@名無史さん:2007/02/24(土) 23:14:44
団塊の世代の先輩から聞いた話。
その先輩が、老人と話していると、戦争の話がよく出てくる。
「この前の戦争ではなあ・・」と何回も出てくるが、どうも話がかみ合わない。
そのうち「乃木将軍がなあ」と出てきて、今まで太平洋戦争のことだと思って聞いていた話が、
日露戦争の話だと初めて分かったという。
これは今の若い人には、ピンと来ないかもしれないが、
少なくとも40歳以上の人にとって、「戦争」「戦後」といったら、
無条件に太平洋戦争を連想する習性があるという教訓。
ついでに、これもその先輩から聞いた話。
その先輩が、京都の旧家のおかみさんと話してて、
「この前の戦でみんな焼けてしもうて古い記録は残っておません」と
いわれたそうだ。「はて、京都は空襲にあっていないはずだが・・」と
思って、問いただすと、禁門の変の大火のことであったとのこと。
これには、もう一つ似た話があって、禁門の変ではなく「応仁の乱」というヴァージョンもある。
しかし、ここまで来ると、京都人のタイムスパンが他の地域の人とはかけ離れているという、
京都人の変なプライドをちゃかした話になってしまう。
342 :
日本@名無史さん:2007/02/24(土) 23:27:47
俺も2ちゃんでは相当なおっさんだからか高祖父母の話だと幕末になる
みんな当時の話を昨日の事みたいに話すよ
爺さんの家なんて1000年以上前から場所が変わってないしね
田舎は時間の経ち方がとんでもなくゆっくりなんだなと思ったよ
正直いうと、歴史的資料と考えると幕末・明治は無理。歴史的な
大事件に結びつけたい気持ちは分かるけど史料としての価値は無い。
伝聞になるから・・・
それよりは父母や祖父母の「実体験」・・戦争・空襲とか・・を記録したほうが
後世の為になる
ちょww
それも伝聞ジャマイカw
345 :
日本@名無史さん:2007/02/24(土) 23:58:40
昭和にまたがってしまいますが、
爺さんが三ヶ月のときに関東大震災で生家消失
川に飛び込んだ爺さんの祖母がアボーン、父親が半身不随に
東京大空襲で家屋全焼、土地を朝鮮人ヤクザに分捕られる
米軍基地で仕事、米兵にコーラを頼まれるも
間違ってココアを持っていったらぶん殴られる
>>344 なぜ? 空襲体験者はまだ生きているだろう?
体験者から直接聞き取って記録するんだよ?
体験者本人が自分史として記録するのが望ましいが
347 :
345:2007/02/25(日) 00:04:43
ちなみに空襲の日、ふせたらたまたま目の前に高級な万年筆が転がっていたらしい
じゃあ曾祖父の体験をじかに聞いた叔父から聞いて記録したら伝聞?
349 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 00:28:50
>>346 体験者が嘘や創作や自己解釈を混ぜない保証はないよ
それにこのスレは歴史的資料や記録なんかを求めてるわけじゃなく
単に爺さん婆さんから聞いた話と書いてくスレなんだから伝聞で無問題
>>348 それは伝聞。あいだに一人(以上)入っているから
352 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 00:41:10
>>351 実体験者の創作混じりの可能性のある話も史料の価値はないだろ
というか、史料作るスレじゃないんだが
>>352 わからんお人だなw ここは「日本史板」だろ
「日本昔話」のひとつとして聞くぶんには、いっこう差し支えないよ
2ちゃんの史板に史料求めてくるのは相当痛いぞ
この板三国人の工作レスとスレだらけって知らないのかね
>>354 基準を馬鹿のほうに合わせてやる義務はない
356 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 01:25:22
>>353 「日本史板」と創作混じりの可能性があっても直接聞いたら史料で、人が入ると伝聞で史料にならない
の繋がりがよくわからないんだが
ウチのじいちゃんは東京専門学校卒だった。
当時は学歴社会じゃなかったので専門卒でもいい企業(某財閥系の銀行)に
就職できたみたい。
伝聞や言い伝えも資料だよ。
他の資料とあわせて検証したりする材料の一部だね。
で、史料ってのは文献や遺物だから直接にでも間接にでも
聞いたものそれだけでは史料にはならない。あくまで資料、補助的なものかな
学校ってそもそもいつからできたんだっけ・・・
寺子屋は江戸時代で尋常小学校が明治じゃなかったっけ
幕末はどうだったの?
寺子屋でしょ
363 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 03:40:23
>>357 東京専門学校って早稲田大学の前身だね。
364 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 08:11:36
当時でも立派に学歴社会だなw
明治になってもしばらくの間は、大学と名が付くのは
東京大学だけだったからな
東京専門学校卒といったら、たいへんなインテリだw
幕末辺りの話ができる人がいるんなら、新撰組を当時の人らがどう見てたのかが知りたいな
誰か聞いたことある人いませんか?
昔、死んだおばあちゃんに、おばあちゃんのおばあちゃんはどんな人だった?
って聞いたことあるけど、すでにわすれてしもうた・・・・・・
368 :
日本@名無史さん:2007/02/27(火) 07:22:20
晒し首を見たとかそういう話があったら教えてください
俺は任侠という存在があまりにもむしがよすぎるように思う
>367
ばあちゃんに同じ質問をしたら
「おっかなくて気軽に話なんてできなかったよ」
とのこと。
371 :
日本@名無史さん:2007/03/04(日) 19:28:27
ん?アンカーミス?
372 :
日本@名無史さん:2007/03/04(日) 22:32:59
曽祖父の義母は上野の商人の娘。幕末、彰義隊の残党を納屋に匿った。
藁をたくさん積んで、その下に隠したらしい。やがて官軍の追手がやってきて
藁をブスブス槍で何度も刺したが、奇跡的に彰義隊員は助かって逃げられたらしい。
一部始終を目撃していた高祖母は「あんなコワい目にあったことはない」と
昭和30年代に亡くなるまで言い続けました。
>>372 そういうのって映画の世界だけのものじゃなかったんだな。
374 :
日本@名無史さん:2007/03/05(月) 08:06:41
明治時代生まれの祖母にばあちゃんの兄弟はどんな人だったの?って聞いたら姉さんには頭が上がらなかったとかそういう答えしか帰ってこなかった記憶が
375 :
日本@名無史さん:2007/03/06(火) 19:16:11
昔の人は上下関係かなり厳しかったみたいだね
実際しっかりしてたみたいだし
376 :
日本@名無史さん:2007/03/08(木) 00:08:01
幕末、明治の葬式は今とは違うのかな?
幕末の頃は死体を川に捨てる
川には捨てないだろう。普通に埋葬してるよ
お墓に年号が彫ってある
>>378 昔は90%の人が水呑百姓だったから、河へ流すのも結構あったんじゃない?
ウチの近所の寺には江戸時代の墓があるけど、名字はだいたいそのあたりの
地主に限られている。
>>379 水葬はあんま聞いたことないなあ。昔は土葬だよ
庶民は盛り土をし目印しとして木や石を置く程度だったから
墓石が残ってないだけじゃないか。
あと、お墓に苗字を彫る風習は江戸時代にはないと思う
>>380 表にはだいたい「南無阿弥陀仏」って彫ってあって裏に
年号や家名が彫ってある。
そういや裏は見たことないな。表ですら苔むしててほとんど読めないw
今度チェックしてこよう
384 :
日本@名無史さん:2007/03/09(金) 08:28:08
新撰組の本に書いてあったんだけど
川の上流から血のついた畳が流れてくると、それを見た人たちが「また新撰組で誰か切腹させられたんだろ」と話をしていたそうな
遺体が見つかったとは書いてないから畳だけ流してたのかもしれないけどね
父方の実家の年寄りたちが昔語りをしているのを聞いていた時、
「死んだら川に流して・・・云々」と言うのを耳にした。
一緒に聞いていた旦那と「今亡骸を川に流したって言ったよね!?」と
話したんだけど、実際は肺病なんかで亡くなった人の使っていた
布団を流したということだった。
他にもいろいろ話してたんだけど、何しろ方言が混じるんで半分も
わからなかった。残念。
水葬すると下流の村の人が豚みたいに水膨れした水死体を拝むことになるし
その水を使って炊飯や洗濯するってことになるから、あんまりない習慣だと思うよ
インドは…
もちろん日本ではってことだよ
インドはそういう宗教だからね
大正生まれの老人を怒らせた森進一
390 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 17:08:52
清水の次郎長の話きぼんぬ
391 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 19:49:42
ヤクザの組の名前で揉めてたな
392 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 22:22:39
うちのひぃばぁちゃんは祇園の芸子やったらしく新撰組はあまり人気がなかったみたいです。
393 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 22:24:12
通訳で軍属として徴用され日米開戦をマニラ湾上の船内で聞き
東京大空襲の後日本に戻ってきた爺さんが
その間書いていた従軍日誌は一級資料になるかな?
コレヒドールで捕虜扱ってたりマニラで宣伝してたりしてたんだけど
394 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 00:44:25
俺のジーちゃんは戦時中はしがない整備兵だったけど、南方で死ぬ前日の山本五十六に
話し掛けられたらしい。気さくな感じの人だったと。
ちなみにこのジーちゃんの祖父は西南戦争時の熊本鎮台指令官の谷干城の従士みたいのを
してたらしい。詳しいことはほとんど伝わってないが谷干城のことを周りの人は「たてき」
と呼ばずに「かんじょう」さんと呼んでたらしい。たいした話じゃなくてごめん
395 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 05:30:16
うちのばあちゃんのじいちゃんは、一旗あげようと淡路島から樺太まで行ったもののあまりに寒くて引き返し結局網走付近に定住したとか。
いつの頃話かは不明。
396 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 11:07:12
ワロタ
だがそこが現実的で良い話だ
網走でも樺太でも同じ位寒いんじゃ
398 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 23:11:00
399 :
日本@名無史さん:2007/03/19(月) 22:49:59
俺の爺さんは商船乗りで、戦争を外国で避けたみたいだ。
体験談を全然聴けなったが、妙な舶来品が山のようにあった。
あとは書きかけの小説とか隠してて、ハイカラな爺さんだったようだ。
400 :
日本@名無史さん :2007/03/20(火) 03:25:32
? ? ? ? ?
信憑性 信憑性 信憑性 信憑性 信憑性
全 員 糞 嘘 話
401 :
日本@名無史さん:2007/03/20(火) 06:12:27
話それるけど、俺の先輩に赤穂浪士の小野寺十内の末裔がいるぞ。
402 :
日本@名無史さん:2007/03/20(火) 20:39:46
現在98歳のばあちゃん。特に戦争時代の話はしないよ。
母方の爺ちゃん婆ちゃんもしなかったなぁ。
ただ原爆のきのこ雲は見たそうです。
地鳴りがして外に出たら広島方面の空が真っ赤だったって。
恐くて直ぐに家に戻ったらしい。
403 :
日本@名無史さん:2007/03/20(火) 22:59:55
辛いのかも知れないけど、バンバン話して欲しいね。
戦後時間はたっぷり経ってるし。
このまま歴史に埋もれてしまうのは、何とも惜しい。
404 :
日本@名無史さん:2007/03/20(火) 23:20:13
良スレ!
405 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 02:09:47
鹿児島の明治生まれのお爺ちゃん
昭和天皇が崩御した時泣いてた
そのお爺ちゃんも死んじゃった、もっと昔の話を聞いておけば良かった
西郷さんの話とか聞いてみたかった
西郷さんはほんとに犬を連れていたのだろうか
父方の祖父は、戦時中『日本が勝ったら、白人の鼻に鼻輪つけて牛みたいに引いて歩く』と言ってたそう 母方の祖母は戦時中『日本が勝ったらオーストラリアに行って、白人をアゴで使う』と言ってたそう こんなんでも良い?
408 :
日本@名無史さん :2007/03/22(木) 20:07:09
嘘スレ!
409 :
日本@名無史さん:2007/03/22(木) 21:39:22
白人はジャップといって日本人を差別してます
410 :
日本@名無史さん:2007/04/02(月) 10:06:31
幕末の人って怖いのかな?
411 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 00:56:08
うちの先祖は金子姓だがひいじいちゃんに独立さすときに
お前の家は坂の下に土地を用意したから姓を坂下にしろと
いわれ坂下姓になりました。
伝えられている先祖は「金子ただたかはんがん」(漢字が不明)
と聞いている。
>>341 よく誤解されてるけど、京都も空襲されたんだよね。
ウォーナーリストageなんてファンタジー。
おいら、30歳だけど高祖父はぎりぎり幕末期の人でとある藩の藩士だった。
(ちなみに高祖母も御殿女中をしていた「最後」の生き残り)
時代は数十年下がり、息子である曽祖父は日韓併合後
朝鮮総督府で勤務するも、曽祖父は現在の韓国にて
事故死してしまう。
曾祖母は同じ藩内の庄屋の出であり、そのせいか武家である
曽祖父と折り合いが悪かったのか、曽祖父の骨を実家の墓のある
ところに埋葬してしまう。
それを知った高祖父は「土百姓と同じところに埋葬するとは何事か!」
と骨を掘り起こす(;´д` )
挙句の果てに孫である祖母と祖母の弟である大叔父を無理やり
連れ帰る…
時代は幕末から明治・大正となっていたにも関わらず、やはりサムライの
鼻息は荒かったようで。
祖母が実際に見聞きしたサムライの武勇伝もあったりもします。
414 :
日本@名無史さん:2007/04/04(水) 07:25:54
サムライの武勇伝をお願いします。
>>414 ぐへへ、会津のオンナはうまかったぜ。
納屋で輪姦したあと、マンコに木刀ぶっこんでやった。
俺のじいちゃんは九谷焼職人の三男だったが、呉で駆逐艦降りてから
そのまま広島に住んだらしい・・・
で、祖父の話でなくて恐縮なんだが、浪人時代の予備校の先生の話。
終戦も近い少年時代(中学生だったかな?)に登校しようとすると、急にお母さんが、
「いいかい。けっして止まってはいけないよ。」と言ったそうだ。
はて、止まってはいけないとは何のことかと思って学校に行くとなにやら軍の人が来ていて
男子は校庭に集合とのこと。
医者が座っている椅子みたいなくるくる回る器械に乗せられて、男子が次々に回されている様子。
例外なくほとんどの男子がふらふらになって降りるのを見て、生来の負けん気がふつふつと湧き上がり、
よし、見ておれ!とばかりに、器械から降りてぴたりと止まって立って見せたそうだ。
「よし!」の一言がかけられ、あえなくいわゆる特攻隊の候補生に選抜されましたとさ。
もちろん、すぐに終戦、助かったわけだが、先生の口癖は「戦争はいかん。だが、卑屈になってもいかん。
祖国に誇りを持ち、正しく判断できる人間になるよう精進したまえ。」だった。
ああ!!すまん。誤爆した!!本当にごめんなさい。
418 :
日本@名無史さん:2007/04/06(金) 00:35:47
リアルな当時の人間模様の数々、為になります(`・ω・´)ゞ
>>415 おいら413だが、高祖父は徳川一門に連なる親藩の藩士だから
そっちへは行ってない(笑)
日本文化チャンネル桜は、平成十九年三月三十一日をもってスカイパーフェクTV!Ch.767における
24時間放送を休止し、同Ch.241「ハッピー241」の夜の時間帯で放送を続けることになりました。
※「ハッピー241」での放送時間(4月1日?)は、以下のとおりです。スカイパーフェクTV!
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黒船来航前の歴史は疑ってかかった方が良いね。
>>414 先祖のほとんど全員が奥羽越列藩同盟のとある藩の下級武士。一応人物関係は藩の分限帳で確認できた。
亡き祖父(明治末生まれ)の話によると、高祖父(戊辰戦争時数えで15歳)は、藩士(高祖父の父親)の子弟を集めた部隊に属して越後戦線に赴いたが、
赤痢になって帰還したとのこと。鉛弾に当たったなんていう話もあるが、もしほんとだったら祖父が
傷を見たりしている筈なのにそういう話は聞いたことがないので、後者は多分事実ではないだろう。
高祖父母の父の世代では、藩の記録で確認できる限りでも6人が越後に出征している。ちょうど一世代のズレで、祖父母から上記以外の戊辰戦争の話は
聞けなかった。
ただ、上に出てきた祖父の曾祖母が、祖父が幼い頃まで生きていて、上記の高祖父の祖父(元治二年隠居、明治七年歿)が藩命で江戸に出かける時のことなどを
祖父に話してくれたそうだ。十手がなんのとか、体力があったとかそんな程度の話だけど。
人間関係が複雑ですまん。
祖父の曾祖母=上記の高祖父の母
あ、一応言っておくと会津藩ではないです。会津の隣藩。逆に言えば会津ほど悲惨な
話がないからそんなに戊辰戦争の話が伝わってないとも言えるね。
会津藩絡みでは、私の曾祖母の母は戊辰戦争の時会津から逃げてきたらしく、その父は
会津藩士だったそうな。戸籍は大正時代に市役所が焼失したせいで途中までしか辿れず、
なんの根拠も発見できなかったが、この人物は昭和十五年に数え91歳で歿したので、
祖父の弟妹あたりに聞けばなにか分かるかも。
図書館で幕末と明治の写真見た
普通に晒し首の写真とか殺された外人の写真があってびっくりした
426 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 10:32:29
>>390 近代史の任侠スレから
31:名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/13(月) 03:14:05 ID:5uhZKHkjO [sage]
数年前に闇金で話題になった五菱会(現:二代目美尾組)の創立者は、
清水一家の後身である清水湊次郎長一家の組員だった。
清水湊次郎長一家は戦後しばらくして解散したが、
最後の親分はまだ存命中で、組の看板も残っている。
うちの曾祖父は昭和中頃まで清水で名の売れていた任侠だったので、
下手を打ったチンピラが曾祖父の家に逃げ込んで来る事があったが、
曾祖父がたまたま居ない時に逃げ込んで来たチンピラが、
追手の次郎長一家構成員に屋敷内で切り殺されたという事があったそうだ。
祖母はその現場を目の前で見たと言ってた。
ちなみに曾祖父は昭和30年頃に引退するまで、外出時には長ドスを普通に持ち歩いてたそうだ。
他には、、、
太平洋側で唯一の油田である相良油田は次郎長が開墾したもの。
地元で当時から営業している追分ようかんに確認したところ、
追分三五郎は創作された人物で実在しなかった。
う〜ん、、、とりあえずこれくらいで。
427 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 23:34:59
んなもん知っとるわ
俺が聞きたいのは当時の次郎長の実像
428 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 17:40:43 ID:yI7M7dq+0
在位中の大正天皇に関するあまりにも有名すぎる逸話について・・・
爺:1900年生まれ
婆:生年不詳
時:戦前もしくは戦時中
所:現在の三重県四日市市
シチュ:家庭内で娘(私の母)に向かって
爺「あのな、絶対にゆうたらあかんぞ、紙まるめてな、そっからのぞいたんや」
婆「そんなことゆうたら憲兵に引っ張られますに」
429 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 00:48:15 ID:SxtdUie2O
ほす
430 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 01:30:51 ID:spXofBM70
>>1さん、相当な高齢者の祖父母じゃないと幕末期〜大正の話は聞けないよ。
俺は今年29歳で、親父は61歳。現在生きてる婆ちゃんが明治43年生まれの98歳。
幕末〜大正の記憶を持ってる人に話しを聞くなら、俺の婆ちゃんの親世代でないと無理でしょ。
つまり、俺の親父よりさらに上の世代の人以上でないと無理だよね。
俺の親父よりさらに上の世代の人間が2chに書き込みできるとは、到底思えない。
431 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 04:55:08 ID:U0glScqc0
>>430 それはそうなのだが。
幕末の話は無理だとしても、祖父母から孫・曾孫への言い伝えもあるわけだから、
明治、大正の話を聞いている人間はもっと下の世代にもいるのでは。
まあ、そこのところは、あまり厳しく考えず、
上の世代から聞いた一昔前の話、程度でいいのでは。
あと、歴史的な出来事や大事件でなくでも、聞いて印象に残っている話や
普段の昔の暮らしでも驚いた話などが、漏れとしては、このスレで見たいものだが。
近代庶民生活史のオーラル版ってやつ。
極端な事を言えば、今、はやりの懐かしの昭和30年代でもいいんじゃない。
>>428の話が何のことか全くわからないんだけどどういうことですか?
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 05:41:28 ID:U0glScqc0
大正天皇が、国会開会式で、詔書をまるめて望遠鏡みたいにして、
壇上から議員たちを眺め回したという巷説。
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 09:14:21 ID:VgCQ4AxqO
おれの爺さんはサイパン陥落の直前、アナタハン島に逃げてな。
・・・いや、もうそれ以上は言えない
436 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 14:04:22 ID:MInZy0Uo0
最近、幕末好きになったオヤジです。
俺、32歳がガキの頃、近所にまだ明治18年生まれのオババがロボットのごとく
動いとった。(親は勿論、江戸時代生まれ)もっといろいろ聞いときゃよかった。
でも当時の日本最高齢者は「泉重千代」(慶応元年生まれ。1986年まで生きていた)。
俺の生まれた時の日本最高齢者は「梅田ミト」(文久3年生まれ)。
430の婆ちゃんが生まれた頃はまだ、天保生まれなんてのはゴロゴロ生きてて、
文化、文政、下手すりゃ寛政生まれとかも生きていたはず・・。江戸は遠くになかりけり・・・。
いまのうちに、いろいろ聞いとけよ!
437 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 15:20:41 ID:gVB1IS0n0
>>431だとしたら、祖父母から曾孫って4世代だよな?
その間に正い話なんて伝わらないと思うよ。
特に負けた方なんてのは確実に遺恨だけ伝えるでしょ。
オヒレつきまくりで、信憑性はないよ。
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 15:25:03 ID:gVB1IS0n0
>>436長生きの名前だしても意味無いって
皆が皆長生きするんじゃないんだしさ
超高齢者の話しに信憑性持たせたいんだろうけど
無理があるでしょ。
近年亡くなった、鹿児島のかまとばあちゃんが
歴史話しして、信憑性あると思うか?
基本高齢者の話しを持ち出すのは会津厨側だけど
毎回信憑性には欠けるでしょ
「近所の古老」とか「うちの長い生き婆ちゃんとか」
笑われるぞw
439 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 15:29:16 ID:gVB1IS0n0
実際に幕末を生きた人間なんていないんだからさ。
太平洋戦争中に子供でしたくらいだよ。
それか10代の頃に被爆したとかね。
幕末期の話しを聞こうというのが、無理がある。
言い伝えは必ず誇張がある。
特に負けた方は、遺恨をつたえるのみ。
440 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 15:51:26 ID:NhYvLk3q0
>>437-739 >正い話なんて伝わらないと思うよ。
>オヒレつきまくりで、信憑性はないよ。
それはそうなんだけど、「言説分析」の観点から見ればおもしろいんじゃないかな。
勝者の記録史料と敗者のオーラル資料を見比べて、
どこが、どれだけ、ゆがめられ、誇張されるのか、
なぜ、ゆがめられなければならなかったのか、などを考えれば、
それはそれで、multi vocalな歴史学になるんじゃないかな。
441 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 20:35:45 ID:3+wXGVCd0
おもしろいのは悪意があるからだよ
東京の歴史家とか遺恨話をとりあげてばっかし
それにオヒレをつけて話してる方はいいかもしないが
つけられて話されてる方はたまったもんじゃないでしょうが
そんな信憑性のない話が「歴史学」になるんもんかよw
そんな与太話広めてるから、会津厨みたいなのが多いんだろ
442 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 20:43:52 ID:3+wXGVCd0
付け加えておくけど
東京出身で山口県萩市在住の歴史家一坂太郎は
わざわざ会津から人を萩に連れてきて、
その時に会津人が吐いた暴言を「おもしろい」と称して
長州奇兵隊〜勝者の中の敗者という駄作で掲載してるんだよね
わざわざそんな事までして、暴言吐かせて掲載して出版…
しかも東京人特有の自虐や嫌味がたっぷりの本で
まったく面白くない。陰湿な本だよ。
443 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 03:33:34 ID:QwO27SxR0
俺も明治大正の話しを聞くのは無理があると思う。
数年前に他界したばあちゃんが大正生まれだったけど
大正時代は子供の頃だし、記憶も曖昧だったよ。
戦争中や戦後の話しなら聞けたけどね。
それに今の子達の祖父母って昭和生まれでしょ?
さらに明治大正の話しを聞くのは無理があるよね。
遺恨に花裂かせてる遺恨民族なら捏造遺恨話し聞けるだろうけどw
444 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 14:05:21 ID:Gu0nJrXQO
>>433 大正天皇の遠眼鏡事件は反軍の陛下を陥れる為の作り話
反軍って事で元老らの不興をかった大正天皇はでっち上げの病気で隠居させられ
皇太子である昭和天皇が摂政として奉りあげられて行ったのだが…
当時の大正天皇の聡明ぶりは各国の大使からも伝えられてるのだが
これも日本の闇の一部だね
元老らに言わせれば明治大帝は単なる「玉」であり神輿
明治大帝が反対した日清戦争を無視して強行
元老らは事あるごとに昭和天皇に注文をつけた上に
意にそぐわないお妃の事を身体障害者とまででっち上げ迫害した
特に山形有朋の度重なる無礼は許される事では無い
445 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 15:06:52 ID:jSeKuoRa0
山形でなく山県もしくは山縣ね。
字も知らないような君の意見もまた無礼なんだよ^^
446 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 00:57:05 ID:q6vf+FKTO
いちいち誤字の訂正に長文ウツナ
ウゼ
447 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 01:07:28 ID:16vsqygm0
>>4452行が長文なのか?凄い短気だね。そこまで行くとビョーキじゃない?
つか、そろそろ会津厨辺りの「婆ちゃんに聞いた」的話しに
信憑性がないって事に皆気づいたかな?
年代的にも無理だし、こと負けた方は誇張されすぎ。
448 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 01:45:13 ID:ZgRkkqeD0
俺の熊本の婆ちゃんちは、裏に小川が流れていて、洗い場代わりに使っていた。
川上から1m程の間隔を開けて、食器洗い場・野菜洗い場・洗濯物の洗い場の3つがあった。
なんか、川上に行くほど口に入る物をきれいな水で洗うためにそうなっているとか言っていたが、
20m程上流に、別の家の同じような洗い場があったので、意味ないじゃんを思っていたが、
最近「三尺流れれば水また清し」という諺があることを知って、
婆ちゃんは、まさにこの諺を実践していたんだなと思った。
449 :
新撰組:2007/05/11(金) 02:57:31 ID:nP3HW/ZjO
先日100歳で亡くなった祖母から新撰組の話を聞いたことがある。近藤や土方のことは知らなかったが芹沢は「鴨が来た〜!」と言って皆が戸を閉めて恐がっていたらしい。(京都市内在住)
450 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 06:32:09 ID:WcCo3Eu90
1907年生まれのおばあさんの話を聞いてるあなたの年齢が知りたいですね。
451 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 19:42:07 ID:hFCHAkt30
>>449 そのお婆さんも、更にその祖父か祖母辺りから聞いたんだろうね。
それはともかく、幕末までの武士階級や明治以降の人たちの場合は、個人でも、自分の来歴とかを書いたものを残してる人も結構いると思うんだけどどうだろう?
452 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 19:56:30 ID:ZgRkkqeD0
>>451 その手の話は、この本に一杯載ってるよ。
7. 幕末百話 / 篠田鉱造. -- 角川書店, 1969. -- (角川選書 ; 14)
11. 幕末明治女百話 / 篠田鉱造. -- 角川書店, 1971. -- (角川選書)
13. 明治開化奇談 / 篠田鉱造. -- 明正堂, 昭和18
19. 明治百話 / 篠田鉱造. -- 角川書店, 1969. -- (角川選書 ; 24)
他にもそういう話を集めた本って探せばあるよ。
庶民の視点で幕末、明治が覗けて結構面白い。
454 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 12:29:26 ID:ImOaHF5S0
明治期を過ごした人が書きとめた物は
主観的だろうから、社会的にはどうかと思うけど
明治期に生まれて大正期を過ごした人の話を真に受けるのはどうかと思う。
特に会津厨はよく古老話し持ち出すから信憑性も低いつか大嘘だろ。
現在90歳としても幕末明治は過ごしてないし、誇張も絶対ある。
455 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 17:45:26 ID:3OfoXxBK0
>>454同意です。
まぁ戦時中や戦後の話しまでだろうね聞けるのは。
俺の祖父母は明治と大正の生まれだが
明治時代の話や大正時代の話なんて覚えてもなかったぞ。
それに現代の10代なんて祖父母は確実に戦後生まれでしょ?
リアルに話しが聞けるのは、最低でも70代以上の人の祖父母でしょ。
つまり無理がいっぱいなんだよね。古老の話しなんだけど・・・
って毎回付け加える会津厨の話しって。
456 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 22:39:56 ID:+cMDp2dZ0
長生きしてる老人が言ってるといえば信憑性が増すと思ってるだけでしょ。
韓国の元慰安婦と一緒。お婆さんが泣きながら訴えてる、可哀想…きっと本当なんだ・・・
と、同情を買おうとしてるだけ。コスイ手だよね。
457 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 01:42:03 ID:Gy+lK5CL0
俺の婆さん90才(まだ、ご存命。)が幼女の頃、近所に住んでいた老婆は(おそらくは天保〜安政くらいの生まれか・・・。)、
子供の頃、打ち首になった自分の父親の首をフロシキに包んで、家に持って帰ってきたらしい・・・。
そんな人と実際に会話した事のある人がまだご存命なんて・・・。「江戸は遠くになかりけり」やな。
458 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 01:59:28 ID:Y36e5qtd0
とうとう高齢者が幼女期の話しまでさかのぼったかwwww
90歳のおばあさんが幼女期の事覚えてるんですか?それはそれはw
459 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 03:20:20 ID:GRwyjaZT0
あんまり老人の記憶を莫迦にしてはいけない。
朝、メシを食ったかを忘れても、鮮烈な数十年前の記憶は生々しく覚えている場合も多い。
460 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 13:51:26 ID:BzbAzRrN0
人間の記憶なんて曖昧だよ
年月が経つと強烈な印象の想い出しか残らない
また、反復して語るうちに段々自分に都合がいいように記憶が置き換えられる
年をとればとるほど昔のことを思い出すのは本当。
最近のことは忘れても、なぜか、3歳とかそこらの物心つかない頃の強烈なイメージはでてくるようになる
462 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 22:20:00 ID:IHYsCmBs0
強烈な話だから覚えてたんじゃねーの?
あと、細かいけど
>俺の婆さん90才(まだ、ご存命。)
「ご」はいらんよね
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1046313288/ 50 :文久3年生まれ(泉重千代さんと同い年)の曾祖母は80歳過ぎてで死ぬまでお歯黒
つけてたそうです。戦後すぐの頃はお歯黒のバアサマは結構いたのでは?
普及率ならお歯黒の方が上です。明治初期まで人妻、未亡人は皆つけていた。
独身でも御殿女中と遊女はつけます。
53 :この祖母はおしんのモデルみたいな人で語るべきことが一杯ありますが、
明治末年に世帯もった当座は何年か丸髷にお歯黒スタイルだったとのこと。
しかしさすがに眉を落とす人はもういなかったようです。お歯黒用の道具
耳盥(祖母はミミダレと訛った呼び方をしてました)や房楊枝などは戦災に
遭うまで押入れに保存してあったようです。
↓
こういう話なら、会津坊も出てこないのでは?
464 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 18:56:15 ID:El9xwvj90
あいまいでも聞くだけで楽しいので、このスレの趣旨はいいとおもうがな
例えば昭和初期の日本の人々が、どうやって戦争一色の世の中に染められかとか
そういう時代の流れの中の逸話などは、けっこうためになると思う
それが事実かどうかは本人の良識的判断しかないけどねえ
465 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 02:02:03 ID:fuEJ9v/L0
>458
そりゃあ、覚えてることもあるだろ。別に乳幼児とは言ってないだろ。
>460
そうはいっても、記憶がいけないという話になったら、およそ証言と
いうものが、全て成り立たなくなる。
466 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 03:43:32 ID:huwLT1pj0
昔の日本人は結構アバウトというか、ホラ吹いて面白がるようなところがある。
ウソをウソとわかった上で楽しんでたのだよ。
100%真に受けちゃいけないが、「当時の人々はそうであった」というのも歴史の一面。
彼らのトンデモ話の中に隠された真実を探るのもまた一興。
このスレって確か日本史板で見たと思ったのにこっちの板だっけかな
と思ったらこっちに飛ばされてきたのか
468 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 21:12:25 ID:PrrpCxCM0
>>465 だから歴史学では事件発生直後の証言や記述を史料として重視するんだよ。
誰だって昔の記憶は少しずつ自分に都合がいいように取捨選択や勘違いされるもの
469 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/22(火) 09:27:43 ID:dlFCVMT80
>自分に都合がいいように取捨選択
これは何も記憶に限ったことではない。
記録文書も、作成者の作成意図に沿って、記録内容の取捨選択、編集が行われることは
古事記の時代から明らかなこと。
したがって、可能な限り多くの多角的な史資料をつき合わせて、史料批判をしていくしかない。
どれも時代の権力者に都合のいいように編纂されてるしな
471 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/23(水) 07:25:23 ID:aoeuQdhB0
打ち首やさらし首を生で見た人の話を聞いた人の話しを聞いたことある人いる?
472 :
酒たまねぎや:2007/05/25(金) 00:42:02 ID:hWppsk7W0
funわかって誰ですか???
私はそのような方は知りませんよ??????????????????????
473 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/26(土) 13:21:58 ID:5ocTbMX50
古老から聞いたなんて話が通用すると思うなよ
474 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 01:25:22 ID:3mqcIsjE0
勝ったやつが、書き残した記録なんかが通用すると思うなよ。
勝者が隠蔽改竄してきたものが正史となる
勝てば官軍
476 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 09:25:19 ID:5recxl4y0
負けたヤツの恨みつらみ誇張なんかもっと信用できん
勝てば官軍?薩長土肥が官軍として賊である徳川と会津を討ったんだろ。
討った後に官軍になったわけではない。パーかオマエ等w
477 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 13:11:36 ID:3mqcIsjE0
勝ったやつの自己自慢なんか、全く信用できん。信用するやつはアフォ。
薩長が官軍になったのは、京都でのクーデターにたまたま成功したからに過ぎない。
偶然がなければ、賊軍だ。パーかオマエはw
478 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 18:16:41 ID:dE8C1tds0
だからそういう捏造の歴史でない部分を知りたいのが
このスレの意義じゃないのかな。
勝ち負けじゃなく個人の観点からの歴史ってのが新鮮だ
479 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 20:03:18 ID:I6Fy5Gn50
昔から偽令旨とかニセ宣旨なんぞいくらでもある
480 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 04:09:11 ID:KIf/hzsZ0
偽歴史書もたくさんあるぞ。
津軽三郡史など。
後世の人間が、古代の人になりすましてでっち上げた。
481 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 11:19:06 ID:Qyx8y7Ub0
たまたま成功ってw
>>477そんな大昔の話しが悔しいか?負けて?www
偶然で日本の政権なんぞ新しくできるか?このアンポンタンがw
母方に桜田門外の変に加わったテロリストがいます(>_<)
483 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 16:27:25 ID:KIf/hzsZ0
>>481 たまたま勝って嬉しいかw?このアンポンタンがw 。
>偶然で日本の政権なんぞ新しくできるか→ できます。
明治維新が、歴史の機微がうまい具合に重なって成り立ったことは、みんな知っていること。
偶然と必然の微妙な積み重ねが歴史の本質じゃ。
少しは、歴史を勉強してから、出直して来い、アフォタレが!!!
484 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 18:40:34 ID:3IkMCjG1O
俺のオヤジがガキの頃 B29が不時着して パラシュートで若い米兵が降りてきたんだと
当時の村中のオヤジ逹が隠し持ってた日本刀やら出刃包丁やら持ち出してきて
その米兵逹を取り囲んだそうだ
「今ここで一人残らずぶっ殺しちまえ!」とか物凄い迫力で 米兵に脅しかけたもんだから
米兵は全員ブルっちゃって 涙流してたそうだ。
当時 ガキだったオヤジは物陰からその光景を見てて
本当に可哀想だと思ったらしい 何とか許してあげればいいのにと 子供心に思ったそうな
でも、その晩食べた米兵汁のうまさは格別だったとか。
今でもテレビを見ていてダニエル・カールが出てくると「美味しそう」というよ。
486 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/31(木) 11:17:35 ID:a5sBFezF0
そりゃ戦争中に敵国の兵隊が来れば
民間人だって、危機感持って包丁だのクワだの持つだろ
殺しに来てる奴等だぞ
戦争だよ?せ ん そ う
487 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/31(木) 15:01:05 ID:Mu7MVudu0
488 :
484:2007/05/31(木) 17:33:37 ID:sS3S/eUGO
あ 書き忘れたけど 一応話のオチがある。
結局 村のオヤジ逹はさんざん脅したんだが やはり
殺すとなると大変なことだ 人だかりの群衆に囲まれてた米兵は
村の駐在所のお巡りさんが手錠かけて連行していったようだね
おそらく しばらく留置所にでも入れられて 終戦と同時に釈放されたと思う
オヤジはその生々しい現場を目撃してたんで 俺が二十歳の時ぐらいに話してくれた
一応 場所は茨城県の片田舎。
それと B29は結構落とされてるぞ
でも その米兵は国に帰ってから その出来事を家族や子供に話してると思うぞ
489 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/31(木) 18:32:03 ID:el6xEcjy0
その話は伝わらず廃れていくよ。
オマエの一族だけだ、そんな話が継承されてるのは。
敵兵の子供の「?」顔でオマエを見てるだろうよ
情けは人の為ならずっていうからね
日本人は情け深い民族だ、殺されなくて良かったと語り継いでくれてるといいんだけど
アメリカ人の民度の低さを考えると、日本人は弱虫だHAHAHA!とか子供に言ってそうな
気もする(´・ω・`)
491 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/01(金) 20:04:26 ID:vyuPkpIz0
ま、どーでもいいじゃん
492 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/02(土) 16:12:19 ID:0a1D19BA0
埼玉県民よりどーでもいい
当人にとって興味の無い伝承は、語り継がれることはなく、無価値なものとして唾棄されることすらある。
信じられるし、本当だ。
おまえら何の為にこのスレ見に来てるんだよ
495 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 22:13:22 ID:gZfjEEjQ0
会津房の出現を阻止するため。
会津房ってなんだ?
見えない敵と闘うなら精神病院でやれ
497 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 01:25:50 ID:BH1rWBlX0
文明開化を目の当たりにした話きぼん
町並みの変化とか、風俗とかね
498 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 09:26:56 ID:RNDPoKzA0
会津厨とは主に東京・埼玉あたりに生息する幕末史ヲタである。
地域柄幕府側のファンで、会津・新撰組に親近感を持つ人達。
純粋な歴史ファンではなく、遺恨や悪意が好きで
現実と過去が混同しすぎ、薩長土肥官軍の出身者に対しても
平気で悪口を言える神経の持ち主だが、誇張がかなり織り交ぜられる。
相手がちょっとでも歴史を知らないと、毎回の如く悪口を言う人種。
近年は2chのスレで、捏造と誇張がバレてきたので、引っ込み思案になっている。
相手を貶すためだけに誇張された歴史感を好む・学ぶ傾向がかなり強い。
499 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 14:50:16 ID:hT4dr5fP0
↑
上の文章は、
「会津厨」を「アンチ会津厨(または会津厨叩き)」に、そして
「会津・新撰組」を「薩長土肥」に
入れ替えても、そのまま通じる文章だなぁ。
どちらにしても、多角的視野に立つことなく、視野狭窄の歴史観の持ち主であり、
客観的な史料批判よりも、感情的反発だけで、相手を罵倒することのみに生き甲斐を感じている人々。
500 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 18:24:17 ID:0X5/hg3J0
>>499 >視野狭窄の歴史観
まさに会津と会津厨の事ではないかw
501 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 20:28:41 ID:OSRNIBnG0
502 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 11:26:10 ID:KlJe/1Nx0
まったくだよな。
503 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 15:00:55 ID:fzsSR6WT0
会津は武家屋敷にわざわざ蝋人形作って、悲劇の再現なるものをしている。
504 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 11:29:16 ID:jeENQdY40
1990年頃99歳で死んだ婆さん(京都丹後生まれ)は
勝海舟を江戸を焼失から護った恩人として尊敬していた。
幕末の頃「江戸を見るなら今の内(焼失前)に見ておけ」
という俗謡がはやったとよくいっていた。
時代も合わないし信頼できない話だが、
まあ明治後期に江戸城無血開城の話が
人口に膾炙していたということだろう。
505 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 09:08:05 ID:BGs4xoHZ0
99歳のお婆ちゃんが
子供の頃に聞いた話を
覚えているのかね?
こういった話は、大抵嘘だから。
506 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 11:11:31 ID:DUuy4Wkt0
>>505 俺はオマエの言い草の方が嘘だと思うがw
100歳近いおばあちゃんが子供の頃に聞いた唄の
歌詞の続きを探すってのをテレビでやってたけど、元の歌詞とぴったり合ってたよ。
三つ子の魂というか、子供の頃に覚えたものはなかなか忘れないってことだ
祖母の家は東北の農家で、小さい頃は
「お嬢さんは他人の土地を踏まずにお嫁に行ける」
と言われながら育ったそうだ。
ところが父だか兄だかが、全部芸者にバラ蒔いて、
残ったのは高梁の旧家とその分の土地だけ。
このばあちゃんは着付けができたので、
ハサミを修行して理容師になった。
これがそこそこ繁盛して多少の財産を作る。
戦後一時期はソ連兵の髪をたびたび扱ったそうで、
一緒に仕事もしたこの人の養子は今でも
「ロスケの頭は臭かった」
と語る。
こういう例っては明治末〜大正〜昭和をまたぐ人生の
一典型のような気がする。
509 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 04:19:07 ID:asU7ngM2O
俺、16歳なんだけ80年後の2087年に生きていたら(96歳か)
俺が子供の頃は、特攻隊の生き残りや、戦艦大和の生き残りが生きていたって曾孫に話すよ。
そして、その曾孫が100歳になった2180年に
曾孫がまた曾孫に、
『俺のひい爺ちゃんが子供の頃は240年前の太平洋戦争の生き残りが沢山生きていたらしい!』
『ひい爺ちゃんは240年前の特攻隊の生き残りと話もしたらしい』って話す。
なんかロマンを感じる。
510 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 06:27:24 ID:g90BRxHu0
落語家の三遊亭円楽さんが、かなり前に語っていた話
円楽さんが子供の頃、近所にかなり高齢のおばあさんが住んでいたそうです
天保生まれ、と言われてたとか。
そのおばあさんがある時、大名行列の話をしていて
「大名行列というのは、『下に〜、下に』という風にゆっくり、のっしのっしと歩くと思われそうだけど
それは人の行きかいの多い、宿場町街中の話で、町から離れた人の少ない街道では
割とさっさと歩いていた」と語ったそうです
確かに、「下に〜、下に」の調子で歩いたら、例えば江戸から京まで2ヶ月くらいかかりそう。
511 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 15:58:58 ID:wGtnZLVO0
はいはい、高齢になっても子供の頃の記憶があればいいなオマエラw
半世紀近く生きてるけど、子供の頃の事は鮮明に覚えてるよ
おとといの晩御飯何食べたかって方が思い出すのが難しい
513 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 21:55:16 ID:OGdA0MFT0
死んだ祖母は夏目漱石の小説の新聞連載を楽しみにしてたから
夏目漱石が死んだときは友達と「残念なひとをなくしたね」と
話し合ったという。
514 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 00:03:01 ID:rg8HmxSk0
>>512 50才で2ちゃんですか?w
頑張ってくださいね。
心配すんな
お前もすぐなるから
俊子さんや、俊子さん。夕ご飯はまだかね?
え?さっき食べた?
何を言うんだ俊子さん、ワシは何も食べさせてもらってないぞ。
517 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 01:48:20 ID:spkgh8iu0
>>512 人間とは、新しい記憶が入れば、その分、過去の記憶は出て行くものなのです。
基本、頭に残ってる過去の記憶は、その人の意識のうちに美化されたり
まったく別の内容になってしまうんですよ。一種の症候群なんですけどね。
ですので、50代の
>>512さんが覚えてる幼少期の鮮明な記憶は
>>512さんの中で、都合よく残っているものだったりするのです。
分かりやすく説明すると、子供の運動会で、徒競走に参加したお父さんが
よく、足がもつれてコケたりしますよね?あれがそうなんです。
血気盛んな時期に「足が速かった」という、記憶を残してるからなんです。
実際足が速かった人もいますが、実際以上の速さが記憶として残されてるんです。
ですので、走り出すと、記憶の中と体の反応の違いに足がもつれてしまうんです。
でのすので、基本「記憶」とはあまり信憑性のない物だとされているのです。
事、幼少期の記憶だとか、青春時代の記憶、辛かった時の記憶は誇張されるか
辛い記憶から、まったく別の記憶を作ってしまう症候群もあるのです。
日本史板にあった頃のが住人の質がよかったな
519 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 06:54:54 ID:JBait7fx0
512が可哀想な人に見えてきた
520 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 15:29:12 ID:XFj76v2F0
夢想話しや誇張や嘘で話すより、こっちの住人の方がいい
つまらん創作や小噺はもういいよ
521 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 18:18:42 ID:u8HwDJ420
こっちの住人って荒らしレスばっかじゃん
このスレ死んでるよ
522 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 21:53:30 ID:f/YWld7g0
シンドロームスレッドだなここw
523 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/13(水) 07:11:04 ID:HbPU3Xx50
江戸時代生まれの人と話したことある人ってまだ生きてる?
30代の自分が子供の頃に江戸生まれの泉重千代さんが御存命だったし
話したことがある人は余裕で生きてるでしょう
525 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/13(水) 17:38:46 ID:ZUGSpEqn0
またシンドロームか?wいいかげん古老の話を持ち出すのはやめろ。
517を読め。恥ずかしいぞ。
526 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 15:23:48 ID:TcuS/yUd0
お祖母ちゃんの家には立派な樹があって、
明治神宮の森を造成するとき奉納せよとの命令が村役場からあったのだが、
必死に拒否して守りぬいたということだ。
その樹は後にある事情で太平洋の側のホテルの庭に移されたのだが
1960年のチリ津波で海水を被って枯れてしまいましたとさ。
527 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 20:11:28 ID:IVSjgkjH0
>>1さん、相当な高齢者の祖父母じゃないと幕末期〜大正の話は聞けないよ。
>>430 それはそうなのだが。
幕末の話は無理だとしても、祖父母から孫・曾孫への言い伝えもあるわけだから、
明治、大正の話を聞いている人間はもっと下の世代にもいるのでは。
まあ、そこのところは、あまり厳しく考えず、
上の世代から聞いた一昔前の話、なんて程度でいいのでは。
あと、歴史的な出来事や大事件でなくでも、聞いて印象に残っている話や
普段の昔の暮らしでも驚いた話などが、漏れとしては、このスレで見たいものだが。
近代庶民生活史のオーラルヒストリー版ってやつ。
極端な事を言えば、今、はやりの懐かしの昭和30年代でもいいんじゃない。
529 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 23:24:02 ID:84ASl4aL0
>>528 昭和30年代の60年安保騒動なら覚えている。
俺は小学生だったが、皆で「安保反対、岸を倒せ」
とか集団で叫んで遊んだ記憶がある。
丁度、麻原尊師の歌が10年数年前に小学生にはやったと
同じような感じだった。
530 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 08:53:19 ID:Oie9eYyq0
過去が好きな人々が多いね
根拠のない話に華咲かしてるな
なんか・・・なぁ〜(^^;
531 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 09:05:18 ID:dKJYmagW0
>>529 これ見て「60年安保なんて新しすぎだろ」と思ったが
よく考えたら、今年は60年安保から47年たっていて
明治時代の45年間より既に長いのだな、と感じた
532 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 22:13:06 ID:50VR6yXy0
戊辰戦争に新政府軍の一員として従軍したうちのひいひい爺ちゃん。
戦後は東京に出てきて政府の役人(会計官だか何か)を勤めたそうな。
職務上、後に元勲と呼ばれるような人と接する機会があったらしいけど、
中でも大隈重信と西郷従道は非常に面倒見が良くて立派な人だった
という話がかろうじて我が家に伝わっとります。
ちなみに、ひいひい爺ちゃん自身は若くして亡くなっております。
しかし何故だかお墓がかなり立派で、裏に漢文調で経歴がびっしり刻まれとります。
今度、ちゃんと読んでみよ。。。
533 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 16:16:55 ID:WeH7Q9+50
↑はいはい、よかったね
534 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 13:23:27 ID:tsppc/mGO
ようつべでカラーで検索したら1920年ぐらいのカラー動画が出てくるぞ。
ただ今と街並みはそんなに変わらない
オイお前達!俺は53歳妻子有りだけど2ちゃんが楽スィくて仕方がないよ!
536 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 20:49:44 ID:IVGTIWrA0
昭和5年生まれでFPSゲームが好き、HPまで作るスーパーお爺さんがいるくらいだ
50台なんてまだ若造
子供の頃(小1か2)、床の間に飾ってあった掛け軸の夫婦像が気になって、
祖母に、「この人誰?」って聞いたらえらい剣幕で、「乃木大将知らんのか!
学校で何を習っとるんだ」と叱られた。尋常小学校出のばあちゃんにとって
は基本だったのかと。
538 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 22:36:15 ID:BRed2R/D0
若くして死んだ俺のばあちゃんの遺影がものすごく美人
今の俺よりも若いし…
ちなみに爺さんの弟は、近所の火事で中の子供を助けるために火に飛び込んで
死んだ。かっこええ
以上身内の自慢w
539 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 23:45:24 ID:Hk3wnvP70
「最後の将軍」徳川慶喜 1913年(大正2年)死去
「最後の幕末藩士」田中光顕 1939年(昭和14年)死去
「最後の大名」林忠崇 1941年(昭和16年)死去
「最後の華族」原嘉道 1944年(昭和19年)死去
「最後の皇帝」溥儀 1967年(昭和36年)死去
「最後の江戸生まれ」泉重千代 1986年(昭和60年)死去
「最後のA級戦犯」鈴木貞一 1989年(平成元年)死去
「最後の宦官」孫耀庭 1996年(平成7年)死去
540 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 08:53:55 ID:rQjP9FLNO
爺ちゃんは、子供のころ(多分終戦直後?)アメリカ兵に近所の溜め池に突き落とされ、友達はみんな死んでしまったが爺ちゃんだけ生き残ったって言ってた。
あと、長崎に原爆が落ちたとき、福岡の名前は忘れたが原爆投下候補1位の地にいたらしい。
あの日、福岡が快晴だったら、俺は今いないなー。
あと、鑑定団見てるときによく言うのは、昔、近所に大きなお屋敷があり、刀や鎧に掛け軸などがいっぱいあったらしい。
当時にしてはめずらしく、ピアノがあったり、マンガ雑誌が全種類買ってあったからよく遊びに行ったって。
今は、お屋敷は跡形もなく、いったいあのお宝は何処にいったか不明。
542 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 03:16:34 ID:GoKYGmw90
俺の熊本の婆ちゃんちは、裏に小川が流れていて、洗い場代わりに使っていた。
川上から1m程の間隔を開けて、食器洗い場・野菜洗い場・洗濯物の洗い場の3つがあった。
なんか、川上に行くほど口に入る物をきれいな水で洗うためにそうなっているとか言っていたが、
20m程上流に、別の家の同じような洗い場があったので、意味ないじゃんを思っていたが、
最近「三尺流れれば水また清し」という諺があることを知って、
婆ちゃんは、まさにこの諺を実践していたんだなと思った。
543 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 12:56:25 ID:q8IbRokL0
昭和の話になるけど
うちの(故人だけど)婆様、本物のハチ公を見た事あるってさ。
本当に駅前にちょこんと座ってて(哀愁を漂わせつつも)可愛らしかったみたい。
何だかハチ公には諸説あるようだけど、あれは間違いなく主人を待ってたと
婆様は確信しておりました。
544 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 15:39:52 ID:Wtvd+MLm0
545 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 21:43:36 ID:B5zfY2m50
小さい頃、西郷さんのお手玉歌で遊びました
東京でも伝わっているのだから西郷さんの人気は全国に行き渡っていたのでしょう
546 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 22:27:08 ID:SVXP9qEN0
>>539 >「最後の華族」原嘉道 1944年(昭和19年)死去
どういうこと??明治の初めに「華族」に組み入れられた代の人で最後の人ってこと??
元華族の籍に入っていた方はまだかなり生きているよね?たとえば、津和野藩主家(伯爵)の次男の亀井久興衆院議員も、おそらく終戦直後には祖父か父が戸主の華族籍に入っていたはず。
爺さんが高校生(旧制中学生)の時の軍事教練担当の
退役軍人から聞いた日露戦争体験だけど。
203高地に突撃して連隊ほぼ全滅、その人は辛うじて
助かったんだけど暗くなるのを待って帰還しようとしたら
夕暮れ時にロシア兵達が来て倒れてる日本兵に(銃剣で?)
止めを刺しながら金品アサリをしにきたらしい。で、その人は
幸運にも見過ごされて帰還したら勲章もらって帰国させられたらし。
549 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 18:00:49 ID:NuxKQMb10
もう20年前に亡くなったヒイバーチャンの話。
関東大震災の時に、余りの揺れの為赤子ほっぽり出して家から飛び出したそうな。
その赤子は、そうオレのジーサン。
ちょっww何か間違えばオレいねーしw
相当な揺れだったんだろうな。
ジーサンも4年前に亡くなっちまったよ。もっと色んな話聞いておくんだった。
550 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/09(木) 06:32:23 ID:DJTeMDGc0
小学校の先生が元予科練だった。米軍機が機銃掃射してきて、
友達が死んだ話とか、爆弾が落ちたときの対ショック体勢を習った。
明治生まれの俺の祖父は明治の法科を出て役人になったが、東大法卒の
年下上司にねちねちと虐められたそうだ。私大卒はほとんど出世できず、、
貧乏で、同期の半分以上が病死したんだって。ちなみに司法省。
大正元年生まれで20年近く前に亡くなったうちの祖母談。
「長崎と広島に落ちた原子爆弾はな、あれは日本がポツダム宣言受け入れたから
あれだけで終わったけれど、そうでなかったら○日に神戸、○日に京都、○日に大阪、○日に名古屋・・・・
(以下日本の殆どの主要都市を言ってた記憶があるがちょっと憶えてない)と順番に落とされる予定
やったんや・・。もし受け入れてなかったら、わしも○○ちゃん(私)もここにおらんかったかもな」
っていってた。
(高1くらいの時、よくある日本史の先生が「お祖父さん・お祖母さんに戦争の話きいてきなさい」の課題)
京都や新潟が有力候補地だったというのは近年になって知ったけれど、その他の日本の
大都市にも軒並み落としていく予定だったっていうのは、殆どきいたことないですよね。
552 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 08:52:46 ID:SDYwXHF40
>>552 その映像で丸の内って紹介されてる映像は日本橋であって丸の内ではない。
正面の列柱の建物は三井本館だし、最初左の方にチラッと見える建物は日銀。
三井本館は現存するから見に行ってみるといいよ。
554 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 02:31:22 ID:Wl2U05EV0
>>
20年前に亡くなった祖母の話だと、玉音放送は、集会所で聴く予定だったが、昆布取りに忙しかった為に無視し、村長から怒られたとの事。
原爆は、星の大きさくらいある爆弾(殺傷能力=火薬量)との認識。
田舎は平和だね〜。
557 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 17:59:08 ID:FSJLCvJD0
うちの祖父から聞いたのだが、うちのひいひい爺さんは、北越戦争の時、
農民だったが、ある奥羽越列藩同盟側の郷士様に従って官軍と戦い、
先祖は、足を撃たれて逃げ帰ってきた。
その後郷士様は北海道開拓使で働き、その頃のやりとりの手紙が最近まであったが、
曾祖母にゴミとして焼き捨てられた。 もったいねー
558 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 19:59:23 ID:MiQxSqOn0
明治・大正生まれの人間がそんな記憶いいわけないでしょw
俺の父方の婆ちゃんは明治生まれの98歳で健在だが
自分が子供の頃に聞いた話なんか、覚えてもいないぞwww
母方の祖父母は大正生まれだが、数年前に他界してる。
口伝が一番不確かで信憑性はないんですよ。
文章でだって、信憑性があるかどうかは、検証が必要だってのにwww
あのね、ここに書きこんでる人間がみんな10代な訳じゃないんだよ
例えば今50歳の方が20歳の頃明治・大正生まれの人に聞いたとか
想像できませんか?
それに口伝えは不確かで信憑性はないかも知れないけど
聞いた話を書こうって言ってるんだからいいんじゃないの
560 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 00:40:49 ID:VwP4r4zH0
561 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 01:23:42 ID:/DeouHIX0
大正・昭和の時代の印象は、新幹線も高速道路もない環境で変に観光地化されていない
日本の原風景が広がる別天地の様な今からすると静かな夢のような世界が広がっていた印象があります。
実際、高度成長期以前の日本はどんな雰囲気の国だったのでしょうか?
562 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 02:52:33 ID:l6P2Ixtw0
>>561 少し前にNHKアーカイブスでやってた「現代の記憶 新中仙道」って番組が面白かった。
ちょうどモータリゼーションが始まる1960年代前半、江戸時代から変わらない宿場町の
軒先を大型ダンプやトラックが猛スピードで走りぬける様は圧巻。
563 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 03:21:36 ID:dIznv88x0
よくよく思い出してみればガキの頃、
腕一本無いおっさんやら、指が何本か無い爺さん連中が、けっこうそこら辺にいたと思う。
564 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 14:49:50 ID:QLttVGnI0
>>562 日活の裕次郎映画「憎いあンちくしょう」(1962年)のDVDをもっているが、
東京から熊本まで裕次郎がジープを運ぶ実写のロードムービーで
泥だらけの国道とか尾道とか、60年代の日本の風景が見られる。
566 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 17:45:43 ID:xfnbUTfq0
「憎いあん畜生」というネーミングも味わい深い響きのある言葉ですね。今の映画
では考えられない鈍くさくも味のある映画題名だとおもいます。
567 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 21:00:29 ID:tcd7H7VZ0
>>563 俺は九州出身だが、1970年頃までは、お祭りの時、出店の並びの一角に、
傷痍軍人がよくいたなぁ。
ボロボロの軍服を着て、立っていると、通りすがりの人々がお金を呉れる。
兵庫県川西市出身だけど、俺がまだ川西に住んでた20年程前まで
傷痍軍人が居たよ。
最後に見たのは90年代初めだったと思う。
死ぬまで傷痍軍人やってたんじゃないかな。
569 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 23:54:27 ID:QLttVGnI0
傷痍軍人はバブルを境にあまりみなくなったな〜
子供の頃はとにかく怖かったな
570 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 01:49:49 ID:xDC7CGk60
どんだけ老人なんだ、このスレに常駐してる輩どもわ
80年代後半くらいまで戦後の景色っていうのは結構普通に残ってたから、
そんなに高齢じゃなくても戦後からそのままのバラックや川岸に杭を立てて
その上に家を建ててる水上生活者、河川敷や高架下の不法占拠住宅、傷痍軍人、
闇市がそのまま移行した商店街なんかは知ってるよ。
ここ15年くらいで急に姿を消した。今でも探せばまだ結構有るんだけど埋もれて解りにくくなってる。
自分35だけど、子供の頃はお祭りに行く途中なんかに
たくさん傷痍軍人の人達が普通に居たよ
大体小学生から中学生の頃には見なくなったかも
573 :
HaruMix:2007/09/12(水) 14:45:11 ID:39T1JSqi0
曾祖母から聞いた話を書きたいと思います。
父方の曾祖母は1978年、老衰でなくなりました。104歳でした。
県最年長寿で日本でもベスト10に入っていたと聞いたことがあります。
60年代後半、小学生であった私は夏休みには祖父、祖母、曾祖母のいる父方の実家にだいたい一ヶ月ぐらいあずけられておりました。
あ、歳がバレルかな、その時曾祖母から色々な話を聞きました。
今回は曾祖父の話をしたいと思います。
曾祖母から聞いた話ですが、曾祖父は『人買い』に売られたのだそうです。
素行の悪かった曾祖父は14歳で家の金を着服し家出、東京に辿り着いたそうです。
上野か浅草か、私もよく憶えていませんがたぶん浅草だと思うのですが、仕事があるとの甘言につられ、築地の『蒲鉾屋』に売り飛ばさたと聞きました。
確か3年分の給料が前借りされ、その『人買い』に渡され本人は3年間無給だったようです。
その間曾祖父はメキメキ腕を上げたそうで、曾祖父のつくった蒲鉾は宮内庁にもおろされたとか、、
無給だった3年間がおわっても曾祖父はその『蒲鉾屋』にいたのですが、飲む打つ買うの3拍子そろった遊び人だったようで、
心配した『蒲鉾屋』の主人が所帯を持てば落ち着くのではと思い、
奉行人だった曾祖母を紹介、『蒲鉾屋』の主人夫婦の媒酌のもと祝言をむかえたとのことでした。明治20年代後半ぐらいですかね。
後に暖簾分けをしてもらい、渋谷村に店をだしたそうです。
娘(祖母)も生まれ深川に家を建て順風満帆だったのですが関東大震災が全てを変えたとのことでした。
ここは、たいへん興味深いトピですね。
数十年ぶりに曾祖母のことを思い出しました。また続きを書きたいと思います。
575 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 23:44:42 ID:IzDgdQbr0
>>573 当時の浅草は今の渋谷並だからなあ、渋谷村つうのも良いね
いい感じな江戸前感が伝わってきますね
576 :
HaruMix:2007/09/14(金) 00:12:25 ID:5Mdensgl0
こんばんわ
HaruMixです。
曾祖父と曾祖母は、能登出身だったそうで、だから『蒲鉾屋』の主人が二人を結び付けたのかもしれません。
けど曾祖母が言うには遊び人だった曾祖父に、本人自称『しっかり者』の自分が必要だ、と『蒲鉾屋』の主人に言われたとか、、
ま、それも本当だったのではないかと思います。
渋谷村の店は背後に竹林を抱いた坂道、駅から5分位のところにあったそうで、今考えると、スペイン坂のあたりではないかと思います。
背後の竹林も家の土地だったとか、
土地が安かったし『ショウデン(山手線かな)』『イチデン(都電かな)』の駅が近かったからね、と曾祖母が言っていたのを憶えています。
渋谷村、、、目の付け所がよかったんですね。
あのまま土地を持ち続けていてくれたら今頃私は億万長者、、、
渋谷の土地は関東大震災後売却されたそうです。残念、、、
曾祖母から他にも聞いたのは『ジャリ』、これは東急玉川線のことではないかと思います。
後に東急玉川線は、多摩川で掘り起こされたジャリの運搬に使われていたと聞きました。
明治30年頃から大正12年ぐらいまでのことですね。
渋谷村に店を出してから、曾祖父と曾祖母は、蒲鉾の他、弁当の仕出しを始めたそうです。
ま、蒲鉾は元々保存食ですし、米も渋谷村で仕入れていたと聞きました。
渋谷で米がとれたんですね。
朝早く渋谷へ行き竹の子を掘ります。竹の子は日持ちがよいように濃いめの味付けで煮染められ、皮はおにぎりを包む包み紙になるんだそうです。
冷蔵庫が無い時代、売れ残りの弁当はすぐゴミになります、
1965年頃の、曾祖母と当時11歳の私の会話
曾祖母『弁当はね、売れ残ったら捨てるしか無いんだよ、』
私『次の日に売ったら?』
曾祖母『冷蔵庫なんて便利な物、なかったからね、たくさん売れると思って売れないと大損害だよ、逆に売り切れると悔しかったね。なんでもっと作っておかなかったと思ってね』
晩飯は売れ残りの弁当、そんな日がよくあったと、曾祖母だけではなく、祖父、祖母からも聞かされたことがあります。
次回より祖母のことも書かせてください。
以上でした。
577 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 01:20:52 ID:1+lFy2gO0
読みやすいし空気感がイイ
戦争に入る辺りとかも聞きたいですね
578 :
HaruMix:2007/09/15(土) 17:42:38 ID:oStHcDrE0
曾祖母いわく、曾祖父は物凄い遊び人だったとのことですが、聞いたことを思い出す限りではそんなに悪くなかったように思えます。
曾祖母から聞かされた話をまとめると
『店の金を持ち出す、真っ昼間から酒を飲む、仕事を放り出して浅草の寄席にいったり芝居を見に行く、賭場に顔を出す、色町に遊びに行く、贅沢品を買う』
ですけど、借金もつくらず渋谷村に店をだし深川に家をたてる訳ですから遊びの限度をわきまえていたのではないかと思います。
曾祖父の写真を見たことがあります。拳をにぎり足はハの字、着物の上から背広をはおりジャズバンドのメンバーがかぶるような帽子を斜に被っています。まあるい目玉を見開き口はヘの字、なんかイキです。
もっとも曾祖母いわく
『この写真だってね、このあと飲みに行って酔っぱらってドブにおちてダメにしちゃったんだよ。高いお金払って銀座で仕立てたのにね、私がいなければ、店も家も建たなかった。』
と、豪語していましたが、シワクチャの曾祖母の顔がちょっと嬉しそうに見えました。
祖母は深川で生まれました。明治30年代後半だと思います。関東大震災のおりにはもう成人してましたから、、、
日露戦争真っ最中の頃青春を迎えたと思われるのですが、祖母から日露戦争の話を聞いた記憶がありません。
祖母は渋谷の女学校に通っていたそうです。JISXXXXじゃないかなと思うのですが定かではありません。曾祖父は祖母をダシにして遊びに行っていたようです。
『娘が芝居を見たがっている』
と称して店の金を持ち出し、校門の前で待っているんだそうです。
祖母いわく、
『そりゃ、うれしかったわよ。美味しいものも食べれるし、お芝居もみれるし』
曾祖母いわく、
『ふん、あんたが芝居を見ている間、あの人はなにをやっていたことやら』
85歳になる父が昭和42年、月島にマンションを買って以後祖母はちょくちょく上京、歌舞伎や寄席見物をしておりました。
で、私も結構、御相伴に預かりました。
579 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 19:02:50 ID:291ewN/r0
昔の日本はずいぶんおおらかというか、人間的に気持ちいいい人たち
が多かったのですね。神経質でぎすぎすした人間関係になりがちな現代では
とても考えられないいい時代だったのではないでしょうか。
580 :
名無しさん@お腹いっぱい:2007/09/15(土) 20:37:05 ID:y76G5E+C0
祖母が祖母のお母さん(私の曾祖母)から聞いた話
曾祖母の実家が日露戦争時の第2軍司令官奥元帥の旧家の近くだったらしく
戦争後、たびたび東京から戻ってきては地元の集まりに顔を出していたそう
です。
その時本人は和服姿でお供も連れず来るのですが、宿泊先の元帥服の周り
には従卒が2人立って警備していたそうです。
582 :
HaruMix:2007/09/16(日) 23:45:31 ID:k5ZPKqtP0
関東大震災
我が一族の生活を一変させた災害、これについてはそれこそ耳にたこができるほどきかされました。
追ってお話しようとは思いますが、もう少し曾祖父、曾祖母、祖父、祖母の話をさせてください。
こうやって書いているとずいぶん色々なことを思い出してしまいまして、、、
祖母は渋谷で狐に騙されたことがあったそうです。
夜、渋谷の店の裏口より外に出ようとした時のことです。
祖母『川だよ、裏口の戸の外、ごうごうと川が流れていたんだよ、家が呑み込まれるんじゃないかと思ったね』
慌てて扉を閉める祖母、一呼吸おいて再び扉をあけると、そこはいつもの見慣れた竹林だったとか
祖母『そしたらね、竹林の向こうに狐火が、チラチラ見えるじゃないか、このあたりはよく狐が出るとは聞いていたんだけどね、まさか私が騙されるとは思ってもいなかったね』
渋谷にはまだ狐が住んでいるんですかね、スペイン坂あたりだと思うのですが。
大正10年頃、女学校を卒業した祖母は、お店の職人であった祖父と結婚します。結構腕の良い職人だったとのことですが、不思議なことに祖父も能登の出身なんですよね。曾祖父か曾祖母が能登から呼び寄せたのかも知れませんが今となっては真意の程はさだかではありません。
>>582 この時代はまだこういう話が当たり前にあったんですね。渋谷で狐なんて今では考えられない。
近代と近世が混じりあったなんともいえない雰囲気がいいですね。
584 :
HaruMix:2007/09/20(木) 02:26:46 ID:L7J08zVN0
こんばんわ
HaruMixです。
>この時代はまだこういう話が当たり前にあったんですね。
>渋谷で狐なんて今では考えられない。
こんな話を、曾祖母、祖母から聞かされました。
まだまだあるのですが、とりあえず関東大震災の話をさせてください。
>近代と近世が混じりあったなんともいえない雰囲気がいいですね。
そうですね、
米国に22年在住、7年前帰国した私から見ると、近代と近世が混じりあった世界は、まだ日本のどこかに、生き残っているような気がします。
585 :
HaruMix:2007/09/20(木) 02:29:16 ID:L7J08zVN0
関東大震災(その1)
その日、祖父は伊豆の御用邸(正確には御用邸に料理を降ろす仕出し屋)の手伝いに出ており深川の家には、曾祖父、曾祖母、祖母、そして生まれたばかりの叔母がいたそうです。
叔母への授乳が終わり昼食の準備も終え、いざ食べようか、という時にソレは来たとか、
叔母『なんかね、ゴーッて音がしたんだよね、そのすぐ後だね、ドーンと揺れが来てね』
曾祖母『なにがなんだか解らなかったよ。お茶の準備をしようとヤカンに水を入れてたらドーンだよ。気が付いたらヤカン抱えて炊事場の土間に這いつくばっていたね』
叔母の目に跳ね回る、生まれたばかりの叔母が写ったとか、
叔母は激しい揺れの中、叔母を捕まえ抱え込みうつ伏せになったそうで、、、
叔母『立てないからね、よつんばになって跳ね回るXX子(叔母)を捕まえてね、腹の下にいれようとしてふと窓の外をみると、お隣さんの家の瓦がザーッと崩れ落ちていてね、これは大変な事になったと思ったね』
叔母の泣き声がひときわ響くようになり、気が付くと揺れはおさまっていたそうです。『逃げるぞ』と曾祖父。
隣のお家は無くなっており、家のちゃぶ台はひっくり返りおかずやら茶わんやらの破片が散乱しています。
叔母『床も傾いちゃってね、また揺れが来たらこっちも下敷きだと思ったからね。逃げなきゃいけないと思ったわよ』
熱い日だったそうで、曾祖父はステテコ一丁姿だったそうです。
曾祖父はひっくり返った洋服ダンスをこじ開け着物を取り出し着替えはじめたそうです。
結構イキな人だったそうですから、こんな時でもはステテコ一丁姿で逃げたくはなかったんでしょうね。
曾祖母はヤカンを抱えて、炊事場の土間でボーとしていたそうです。
祖母も箪笥より帯を引っぱりだし叔母をおぶって帯で締め上げ、倒れた仏壇をひっくり返し、風呂敷に包まれた店の売り上げを帯に挟み込んだとか。しっかりしてますね。
着替えの終わった曾祖父がまた叫びます。
『逃げるぞ』
ボーとしていた曾祖母が、はっとして立ち上がり、家から飛び出す曾祖父に続きます。叔母をおぶった叔母も家から飛び出します。
曾祖父の叫び
『俺についてこい』
曾祖母、祖母、そして生まれたばかりの叔母は、曾祖父に従い家を飛び出したそうです。
関東大震災(その2)に続きます。
586 :
HaruHix:2007/09/20(木) 02:53:17 ID:L7J08zVN0
ごめんなさい
祖母が叔母になっている所があります。
587 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/20(木) 16:37:51 ID:9DKUttCw0
だれか幕末の話聞かせてくれ
588 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/20(木) 17:28:24 ID:0RVBiPO90
俺のじいちゃんの先祖はもともと萩に住んでた士族だったらしいけど明治に
なって下関に住んだらしい。
んであほみたいにでかい屋敷に住んでたらしいけどじいちゃんが20歳ぐらい
の頃に第二次世界大戦の空襲で家は全焼した。
ちなみにじいちゃんは当時海軍で長崎に原爆が落とされたとき小倉にいたから
雲がなかったら死んでたわって言ってた。
おれの曽祖父は播州の地主だったが、
明治の末ごろに大阪の堂島の米相場で
身上をつぶしたということだ。
当時は手旗信号で米相場を伝えたということだ。
あのあたりでは米相場を張るのが
はやったのかもしれない。
590 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/21(金) 17:45:26 ID:QqFp3Iuq0
もう20年以上前に爺さんから聞いた話で、すっかり忘れていた頃に読んだ本で再度、思い出したこと。
戦前、昭和12年位まで軍人は意外と市民生活で邪魔者とされていた。
軍人(将校)が電車に乗ると軍刀が乗り合わせた人にブツかったりして市民から怒鳴られていたと。
そんな物をもってくるな!と市民に怒鳴られて、軍人が謝っていた風景が全国であったんだと。
実は、うちの爺さんも何度か怒鳴った口でw
それだけ軍が市民より下に見られていた。
それが一変したのが支那戦争だと。
591 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 08:13:26 ID:J53SZFTn0
近代を代表する伝説の有名人に会ったって話はないのかなぁ
漱石とか芥川とか
592 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 08:36:15 ID:J53SZFTn0
今読んでて泉重千代の話が何回か出てきてるけど
この人の江戸時代生まれってのは、かなり眉唾物らしいよ
当時の戸籍の制度みたいのはまだいい加減だったらしく
兄弟の生年月日の可能性もあるとか何とか
実際は明治12年生まれ(永井荷風と同い年)という説もある
593 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 08:38:15 ID:J53SZFTn0
↑これは山田風太郎の「人間臨終図鑑」にも書かれてます
594 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 04:01:39 ID:65dx3aTS0
お前の脳内空想よりは信憑性がある
596 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 21:57:54 ID:tmMEfXlA0
40年前、父に連れられて知床方面の山にキノコとりに行った帰りに
迷っちゃって、だんだん暗くなってきてしまい道も見えなくなってきたから
もう駄目かなぁ〜って思ったときに藪の中から不思議な風変わりな
格好をした謎の婆さんが出てきて帰り方(道ではなかった)を教えてくれた。
帰宅後、当時70歳だった祖母が真面目な顔して、
その婆さんには尻尾が生えてなかったと聞かれた。
597 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/06(土) 22:29:13 ID:ljXD8x6a0
曾ばあちゃんが子供のころ(大正初期)、よく家の近くを山本権兵衛が出仕の馬車に乗って
通ってたらしい
んで「ゴンベさん」とか言って呼ぶと,
庶民相手なのに「ハイーッ!!」と返事して
馬車上からキチんと敬礼したらしいです
598 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/07(日) 10:59:28 ID:POs3pJpb0
>>597 こういう、本人には些細な言動でも逸話が3代残るというのが侮れないなw
格好いいっす
599 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/07(日) 14:49:13 ID:meRuoFEf0
>>597 この話ほんとだとしたらこの板で一番レベル高くない?
当時の最高権力者と接したばかりかその素顔まで垣間見るとは・・・
600 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/07(日) 15:59:17 ID:eJNu9loS0
うちの近所に山口男爵というのが住んでいてすごく貧乏で
皆に馬鹿にされていたと聞いた。
その孫がその縁で民主党から選挙に出た鮫島だそうだ。
601 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 19:25:47 ID:bQAVW3nM0
名古屋城北の練兵場に、飛行機というものが来るというので、
みんなで観に行って、始めてみる飛ぶ姿と音の大きさに驚いたと。
22年前に86歳で亡くなったばあちゃんの若い頃の話。
「ツェッペリンが我が家の上空を飛んでいった」
伯母の口癖でした。
しかし、調べてみると、ツェッペリンが日本に来たのは伯母が生まれる前。それに我が家がある地域には来ていません。
別の伯母の証言によると、子供の頃、家の壁にツェッペリンが日本に来た時の新聞の切り抜きが20年ぐらい貼りっぱなしになっていたそうだ。
603 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 00:06:24 ID:qYBS5rRXO
人の記憶ってアテにならないね
604 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 18:48:20 ID:DOFE3+cW0
ご先祖様で「ええじゃないか」を見た人はいますか?
605 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 01:22:21 ID:kOiovSDy0
>>597 旧幕・佐賀の海軍士官を片っ端から切っていった怖い人だと思ってたが、
この話は萌える。
606 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/26(金) 10:05:50 ID:M1rBr7eH0
時代劇で綺麗な着物を着た可愛い町娘がチャラチャラ歩くシーンは嘘。
当時の女性はやたらと表に出たりせず
やむをえず出かける時は頭に布をほうかむりにし
そそくさと目立たぬよう歩いた。
と爺さんの婆さん(高祖母)が言ってたそう。
ほうかむりって泥棒みたいだなw
南方では豚がうまかった。
じいさんの太平洋戦争の思い出(存命中)
609 :
608:2007/10/26(金) 20:05:12 ID:MontIRJ1O
スマン大正までか。
実家の近所で幕末に銃撃戦があって何人か死んだらしい。長州軍に志願したがいざこざを起こして
脱走し、故郷に帰って勝手に暴発・挙兵して幕府の役人と戦った連中がいた。
>>608 うちの大正生まれのじいさんも、先の大戦で南方に行ってた(もうすぐ三回忌)
食事は結構恵まれていたらしいね。
日本にはない美味しいフルーツたくさん食べたとか
ばら寿司やおはぎが食事に出されたこともあったと話していた。
戦後はしばらく敵(フランス?)の警護をやらされたらしい。
でもベトナム人は「日本人はトモダチ」と言って、
じいさんたちが警備についてるところでは
ベトコンは手を出したりしなかったと言っていた。
(このあたりの歴史は自分疎いので、何があったか知らん。聞いたママ)
南方に行ってたうちのこの間死んだ祖父さんの話で面白かったのは、
非戦闘時、前線を物資交換の船が行き来してたって話だった。
こっちは日本酒、向こうは洋酒なんかを交換してたって。だから前線では美味い洋酒が飲めたって。
諜報合戦でもあったんだろうけど、のどかな話だ。
613 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/28(日) 04:54:48 ID:oFMKausv0
>>612 なんか19世紀までの戦争を髣髴とさせる良い話だね。
日露戦争くらいまでは休戦中に敵味方が交流したりしてたんだろ。
>>613 第一次大戦の時、ドイツ兵とイギリス兵が一緒にクリスマスを祝ったという話がある。
それを見たドイツ軍の伍長は激怒して、同僚を「売国奴」と罵ったそうだ。
615 :
人誅:2007/10/30(火) 23:53:08 ID:gZ5GG7qg0
俺の曾爺は日露戦争に行って、203高地の戦いに赴いたにもかかわらず、
生きて内地に帰ってきた。
また、曾爺の息子(爺さん)は大東亜戦争で南方に送られそうになったが、
親類にお偉いさんがいたため、そのとりなしで内地の軍需工場で働いた。
616 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/02(金) 05:49:52 ID:4GzHL4LwO
爺さんが子供の頃 海の沖から黒煙が上がり大砲の音がドンドンなり 海岸にロシア兵、日本兵の遺体が流れ着いたと聞いた。
>>614 戦メリみたいなことって本当にあったんだな
>>617 もっと暢気だよ。
一次大戦自体は最悪の肉弾戦でちょっと例の無い無残な戦争だけど。
619 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/03(土) 13:50:43 ID:JRBaT70A0
>>614 その伍長ってアドルフ・ヒトラーのこと?
おまいら、爺さんに聞いとけばよかったと嘆くんだったら
父ちゃん母ちゃんに昭和の話を聞けばいいじゃないか。
いずれそれも貴重な歴史になるんだから。
母方祖父の祖母はその父が明治新政府のけっこう偉い軍人で、
部隊を率いて西南戦争に行っていた時にこの曾曾祖母が
生まれたので、「熊本征伐の記念に名前は『熊』とせよ」と
手紙をよこし、ずっとひそかに父を恨んでたらしい、と
曾祖母に聞いたことがある。戊辰戦争の話は伝わってないんだ。
まあ、官軍だから、大した身分じゃないだろうけど。
母方祖母の先祖は姫路の酒井家のご祐筆で武家としても教養高い家系
だったのに、そっちの逸話もナシ。母方の曾祖母にもっと聞いとけばよかった。
622 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/04(日) 02:02:03 ID:s7xsby/sO
うちのじいさんは農家の息子だったけど、太平洋戦争がまだ始まる前に、「海外の日本の統治領に行って農業を教えてくれたら東京帝国大学(現東京大学)を卒業したことにしてあげるよ」みたいなこと言われてスマトラ島に行ってきたらしい
>>622 何という裏口入学
お前の爺さんは間違いなくなべやかん
624 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/06(火) 21:21:55 ID:w4GL3LU30
ヒイヒイジイサマのお仕えしていた人物は藩内でも少数の尊皇派だった。
同志と共に独断で京都へ行って、朝廷の人達に「我が藩をよろしく」と
挨拶してきたのは良かったんだが、それが殿様のお気に召さなかったらしく、
藩に戻る事も許されず、切腹するハメになってしまった。
同行していたヒイヒイジイサマはご主人様から殿様に宛てた手紙をあずかって
殿様に届けたとか届けられなかったとか・・・。
なんか謡曲の題材にもなってるらしい・・・詳しくは判らないが。
>>617-618 敵兵同士サッカーしたとか逸話あるけど、戦争勃発最初の年だけ。
さすがに殺戮の度合いが深まるにつれ嫌悪感が増していったらしい。
一次大戦がはじまった頃までは戦争と言えば騎士道の時代だったのかもね。
そんなことを言ってられなくなったのが一次大戦でもあるんだろうけど。
このスレ面白いな
正月帰ったら聞いてみよう
どうでもいいけど日本舞踊の井上流の家元は代々長生き
二世 井上八千代 1770-1868
三世 井上八千代 1838-1938
四世 井上八千代 1905-2004
このスレの主旨によれば、二世から三世、三世から四世へと何らかの話が
伝えられていた場合、一気に寛政の改革あたりの日本を知ることが出来たわけだ
629 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/15(木) 06:16:05 ID:YHnlUfAR0
死んだ俺の婆ちゃんは1905年生まれだ
って事は、幼い頃は幕末生まれの人とたくさん接してきた訳なんだよな
もっと話を聞いておけばよかったぜ
関東大震災と戦争で疎開した話しか覚えてないや…
630 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/15(木) 10:11:56 ID:N3rnG5rWO
うちのじいさんは昔、戦争中のいかがわしい武勇伝を語っていたよ。
足首が180°回転した話とかあったな〜。
631 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/15(木) 12:36:46 ID:vRQ5maDsO
俺には子孫に伝える昭和はあるかな・・ 「あの辺は竹藪だらけで、昆虫を捕まえて遊んでたよ」こんな物語り継がれるか・・orz
632 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/15(木) 13:07:35 ID:sVNOdzwuO
俺のご先祖は近江の大庄屋だったんだが(名字帯刀を許されたらしい)、幕末の混乱の中で運送業をやって成功し、議員になったらしい。
その選挙の応援演説で板垣を呼んだが、反対勢力に邪魔されて・・・とか、いろいろあったらしい
死んだ母ちゃんのはなしだけど
どっかの奥さんが農作業してたら進駐軍の兵隊が話しかけてきて、
よく分からないから知ってる単語のYES YESって言ってたら
やられちゃったらしい。
祖父の叔父は、大連を拠点に、関東軍に食料や物資を供給する軍属で、
大連郊外に建てた屋敷には牧場や農園もあって、召使いが20人いたそうだけど、
戦争で何もかも失って、カバン2個で内地に帰ってきて、半年後にはポックリ
亡くなったとのこと。まだ46才だったけど、気力が無くなったんだろうね。
昭和60年にその叔父の息子達(祖父の従兄弟)が、かつての大連の屋敷に行ったら
屋敷は小学校になって当時のまま残っていて、父親を偲んで泣いたそうだ。
>>631 逆バージョンなら可能性大。
「昔は金持ちもビンボー人もガソリン自動車に乗っていたんだぞ」とか、
「夜中でも都会は明るかったんだぞ」とかね。
今世紀中期から本格的なエネルギー不足時代になると思う。
俺たちの祖父とは逆の展開。世の中回り持ち、上手く出来ている。
>>631の話はいいと思うけどな
家だらけのところが、昔は竹やぶで虫が取れたなんてロマンを感じるよ
明治生まれで京都人の俺の死んだ祖母が小さい頃、じいちゃんばあちゃんから
三条大橋で晒し首見たって話を聞かされたって言ってたな。
もしかしたら近藤勇とか有名な人の首だったかもと思うと感慨深い・・・
あーあ、もっと色々な話聞いとけばよかったな(´・ω・`)
638 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 00:44:53 ID:eLmleKlT0
母方の曾婆ちゃん明治生まれで
昔俺もいろんな話聞かして貰ったが今もう全然覚えてないやw
すげー優しかったけど家が貧しかったらしくて字が書けなかったのは印象深かったな…
父方の方の曾爺ちゃんは凄い人だったらしい
あんまり詳しくは知らないけど…
でも父親の実家に宮本武蔵が描いた掛け軸とか凄い名刀があってビビったww
よく考えたら俺らの先祖も白刃の舞う幕末とかを生きてたわけだよな〜
感慨深いな…
639 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 01:16:56 ID:eLmleKlT0
あともしかしたら曾爺さん婆さんの親や祖父たちは新選組(甲陽鎮武隊)をみているかもしれない
勝沼に住んでいたらしいから。
そんだけ
>>639 それはスゴイね、当時は付近の村は大騒ぎだったからきっと見ているね
女性の方なんて一張羅に着飾って「勇見物(局長見物)」に通ったという話が残ってる程だし
>>638 もっとよく考えると俺らの先祖は赤穂浪士が吉良邸討ち入ったときも、
関が原で家康が勝ったときも、義経が壇ノ浦で平家滅亡させたときも
蘇我入鹿が暗殺されたときも、卑弥呼が邪馬台国の女王になったときも
日本のどこかで存在してたんだよなあ・・・
いや、もしかしたら半島や大陸にいた時代もあるかもしれんなw
645 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/17(月) 13:04:38 ID:Sm+zQ+nS0
幕末を知ってる祖父母を持つお前等は何歳だよ?
俺は来年30歳で、祖母は来年の1月1日で99歳だが
昔教えてくれたのは、戦前南米に渡って商売してた話しと
戦争が始まって引き上げたくらいの話ししか覚えてないぞ。
そもそも口伝なんて一番曖昧じゃないか。信憑性は相当低い。
>>645 それは人それぞれだろw晒し首と見たとか、当時の有名人を見たという
インパクトのある経験を全ての人間がするわけでもない。
幕末騒乱と言ったって日本の土地全てでそうだったわけじゃないし。
ただ、京都とか騒乱の舞台になった土地の人間はそういう経験していてもおかしくない。
そして、そういう経験は忘れないし、誰かに話したいと思うもんだ。
大正とか昭和初期はまだ江戸時代生まれの人間がゴロゴロしてた時代だしな。
そういえば最後の江戸時代生まれの人は1986年に死んだっけ。
>>645 30近くにもなって自分の周囲の例でしか物事を判断できないの?
本当、人ぞれぞれじゃん
648 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/17(月) 22:45:03 ID:vIwS0t/10
人それぞれで済ますなwww
口伝なんて一番信憑性もないし
資料としても5次資料以下でしょうがw
幕末ヲタに一番多いんだよ「俺婆ちゃんが」
「近所の古老が」なんてのはなw
そういう爺さん婆さんでさえ、体験してない事を
口伝えで爺さん婆さんから聞いてるわけだろ?
お前等に伝わるまで尾鰭がないとでも思ってるの?ウケルw
>>648 人それぞれに決まってんだろ。歴史的な事件があった土地の
人間とそれ以外の土地の人間が同じ経験するわけねえ。
皆が同じ経験してたらそっちのほうがおかしいわ、何トチ狂ってんだおまえは?
だいたい、このスレで言ってるのは歴史の新事実ってわけでも無い
たわいのないもんだろw
そうなんだろうね
まあ何と狭い世界で生きていることか
652 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 15:29:45 ID:9Lwqs2n00
つうか信憑性に関しては譲っても、こんな事で必要以上に熱くなってしまう
>>645>>648の器の小ささが哀れ
653 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 16:11:15 ID:SfTQlveV0
亡くなった爺様は 中等野球(今で云う高校野球)に出場したのが自慢やった
まだ その当時のグローブが家に残っているけど ものすごく小さくて凧糸でぬったグローブ
654 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 16:21:01 ID:SfTQlveV0
そのくせ 火の噴くようなボールを取ったとか(笑)
655 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 16:59:21 ID:uq7P4KUX0
まだ高齢者の話しにお耳を立ててる奴がいるのか?wwwww
90越した呆け老人の話しなんて、幼稚園児の証言以下並に信憑性ないってw
悔しかったら論理的に反論しな。老人は皆ボケてるというおまえの
頭が一番ボケてるのに気づけよ、間抜けw
657 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 17:15:47 ID:uq7P4KUX0
口伝えこそ理論的に説明できんだろ?
658 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 17:20:27 ID:uq7P4KUX0
人間長く生きてりゃ思考もおかしくなるし
呆けてない人間だって「誇張」して話す奴だっているわけだし
そういう話を鵜呑みにできる方が間抜けじゃない?
被爆者や大東亜戦争体験者が語るならまだしも
140年も前の江戸末期の話しを口だけでする超高齢者が語るなんて
「ああそうだね〜お婆ちゃん^^」程度なもんだろw
鵜呑みにして史実として語るには、信憑性も資料性もないっての。
こういうのって大抵は、論破されそうになった奴が使う姑息な手段なのよ。
単純に年齢を計算してみなさいってwww
>人間長く生きてりゃ思考もおかしくなるし
その断定が意味わからんwならなかったら?
>140年も前の江戸末期の話しを口だけでする超高齢者が語るなんて
ご先祖様が140年前にボケボケの老人だったわけじゃねえだろw
若いときに体験した話を老人になってから俺らの祖父母に話す。
これのどこがおかしいんだ?
今の老人が語る戦争中の話は全部妄想かよ、間抜けw
おまえの説得力の無さにはビックリだw
660 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 19:49:33 ID:GIJ5KkcA0
普通、老いればその分脳も老いますよ?
ご先祖様も年をとるわけだし
年々呆けるのは否めない
話してくれる時には、すでに記憶が不確かかもしれないし
伝えた基の人間に悪意があるという可能性もある。
誇張される場合だってある。一番信憑性のないのは
やっぱり口での言い伝えだよ。伝言ゲームですら
ちゃんと伝えれないんだからね。
661 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 19:51:37 ID:GIJ5KkcA0
例えば、いつの時代の話しを持ち出してもいいんだけど
友人や知人が「俺の先祖って〜」って話しだした時って完全に鵜呑みにします?
「へ〜そうなんですかぁ」程度じゃない?確たる証拠がないと普通は信じないけどねw
662 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 20:41:17 ID:P7TDA/cN0
のんびりした消防署員の119対応でドンキホーテの店員焼死
663 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 21:43:20 ID:WKWkm9Oe0
誰も信憑性を確かめようとか史料と照らし合わせて検証しようって
言ってないと思うんだけど・・・
昔話聞かせてもらって自分は楽しいけどな〜、例え信憑性がないにしても
そんな事があったかもな〜って想像するだけで。
664 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 21:51:12 ID:T8yHc4FZ0
普通はそう捉えるよな。
なんか一人だけ過敏反応して吠えてる奴がいるみたいだけどw
だよね
歴史に信憑性を求め出したら
そもそも「歴史」の教科書自体が嘘だらけw
みんなわかっててこのスレを楽しんでるんだけどなあ
666 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 22:12:08 ID:4PZt1CmA0
でも小さい頃兄ちゃんに
俺らは義経の子孫なんだぜ!
っていわれて小学校高学年になるまで信じてた俺は負け組。
>>660 おまえはそれしか言えないのか、間抜けw
>>661 >「へ〜そうなんですかぁ」程度じゃない?
その程度だろこのスレは。そいつがこの掛け軸買ってくれないか?
って言って来たら証拠出せって言うわw
それを証拠だの信頼性だのアホみたいにわめいてるおまえはただの基地外w
668 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/19(水) 01:10:49 ID:K1V7Vkpy0
皆純真なんだね。人の話しを直ぐに鵜呑みにしちゃうんだwwwかわいいwww
基地外乙
670 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/19(水) 01:42:32 ID:dJQ2QVwq0
口伝を馬鹿にしちゃいけない
記紀も口伝をもとにした壮大な神話だしね
くだらないのは自慢系・押し付け系の話だが、意外にそういうレスは少ないしね
爺婆の人生を肯定してやる優しさが必要だよね
671 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/19(水) 02:15:09 ID:TQHYI/AwO
ええじゃないか
672 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/19(水) 03:16:47 ID:cfauOKj90
真性キティに釣られ過ぎだろお前ら
なんだろ?幕末ものの小説とか読み過ぎて別の次元の話みたいに
感じちゃってんのかな?
戊辰戦争で被災した人が60年後の1928年に思い出を語るのも、
太平洋戦争で被災した人が60年後の2005年に思い出を語るのも同じ。
その中で著名な人物と接点があった人間がいてもおかしくない。
当然、話をふくらませたり、捏造したりする人間はいるとしても、
ほんとに経験した人間がまったくいないということはあり得ない。
信頼性がないとする論拠を聞けば老人は呆けるからって理由。
老人蔑視も甚だしい、基地外ですね。
ただの釣りだろ。お前ら反応しすぎだ
せっかくID表示板に引っ越せたんだし、あぼーんして華麗にスルーしてやれ
676 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/24(月) 02:59:12 ID:49Utim3P0
ウチの爺ちゃん大正生まれの87才
骨太のごつい体つきなので徴兵検査で甲種合格したのが自慢
大陸で撃たれた鉄砲玉が未だに体内に二発入ってるとか(レントゲンで見える)
その治療後、鹿児島から南方へ向かう途中、乗ってた軍艦が沈没して泳いで帰ってきたとかいろいろ逸話がある
爺ちゃんが帰ってこなかったら戦後生まれの母親はいなかったわけで、なんだか生きて帰ってきてくれて本当に感謝だわ
沈没した軍艦から一緒に鹿児島まで泳いだ戦友さんと最近まで年賀状のやり取りしてたが、向こうさんが亡くなられたらしく凄い気落ちしてた…
678 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/24(月) 22:33:14 ID:49Utim3P0
戦友って言葉が凄いリアルだな…
679 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/24(月) 22:43:00 ID:hbx+mD5t0
泳いで帰ったくだりはリアルじゃないけどな
沈没地域がそんな離れてなかったら泳いで帰れるよ
>>677の補足
出航して最初の夜に沈没したみたいだよ
夜中の海が真っ暗で死ぬしかないと覚悟を決めたらしい
生き残った人が何人か海上で集まれて必死に泳いだらしい
この辺の下りは直接聞いたわけじゃなくて母親からの又聞きだからニュアンス違うところあるかもしれないけど
本人は最近あまり戦争の話をしたがらないので聞くのが躊躇われます
うちの祖母の家は明治になって士族屯田で北海道に入植したクチ。
北海道に来てからは農家をやりつつ地主としてわりと裕福な暮らしをしてたらしいんだけど、
祖母曰く、勉強が嫌いだったので女学校には行きたくなかったとの事。
(でも親には行けと言われて・・・)
で、女学校の時は学校さぼって映画を観に行ってばっかだったらしい。
そんな祖母には3歳年下の妹がいて、その妹が祖母の言う‘尋常小学校’に行く頃になったら
‘尋常小学校’では無くて‘国民学校’になっていた、てのがなんかすごくショックだった。
うまく言えないんだけど、なんかすごくショックだった。
昭和の話でゴメンナサイ。
683 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/26(水) 06:17:39 ID:1HHKx72PO
明治生まれの人はかなり少なくなってきたよね…
684 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/26(水) 10:40:48 ID:7QTK9UiJ0
最低でも95歳以上だからね
685 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/26(水) 10:41:25 ID:7QTK9UiJ0
ましてや明治時代の記憶がある人となると
本当に希少だ
686 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/26(水) 23:49:35 ID:7nfBrExk0
年末年始に実家に帰って昔話を聞きにいこうぜ
小さい頃にはまだ明治生まれの方々はピンピンしていたのにもう今では…
昭和生まれの奴は昭和の記憶をこの先もしっかり覚えておいて孫に話せるようにしておけよ。
でも多分、昭和生まれは明治生まれほどちゃんと長生きしない
689 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/27(木) 10:54:55 ID:uX8PJ6SS0
昭和生まれは80歳〜18歳まで幅広い
オレの死んだ爺ちゃんは明治生まれ。
太平洋戦争に行って怪我して帰ってきて天寿を全うした。
小さい頃から戦時中のいろんな話を聞かされたけど、若い時分はちょっと左で
「なんで天皇のために戦争に行って人殺すんだよ」って食ってかかった。
そのたびに寂しそうな顔してたことを今頃思い出す。
ごめんよ、じいちゃん。今さらだけどいろんな事が分かったよ。
今なら「俺達のためにありがとう」って言えるよ。
明治44年生まれでもう亡くなった母方の祖母から聞いた話。
関東大震災の頃に横浜に住んでいた。震災当日は物凄く暑くて、
前日の夕日が凄く真っ赤だったと。
母方の高祖父は江戸末期に山梨に自分の名前の付いた田んぼをもっていたが、
幕末頃流行ったコレラに罹って、畑を焼いてその土地から
出る事になった。
俺が生まれた時にすでに無くなっていた祖父は、浅野中学に通っていて
マントを纏い、人力車で送り迎え。
692 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/29(土) 03:11:25 ID:+uMKhW0aO
ばあちゃんが生まれた明治時代は自然が多く残ってて綺麗だったんだろうなぁ
明治といわず1950年代でも山村行けば江戸時代と大差ない風景がまだまだ残っていただろうに。
50年代って…大昔だろ。せめて20年前くらいの事を言ってくれ。
若者には分からないよ(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
695 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/29(土) 21:01:15 ID:JUCrwde90
スレタイくらい読めや
山削ったりしてなければ田舎の山村風景は江戸時代とそう変わらないと思う
明治頃の写真を見たら、海辺はさすがに埋め立てたり防風林の様子が変わってたけどね
697 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 03:42:37 ID:3W0/WkQmO
ニホンオオカミ、トキ、ニホンカワウソ、コウノトリ、ニホンアシカ、クニマスは、まだ明治時代には絶滅してなかった
見たかった
明治時代でも、それら全部を普通に見られたのは前半だろうね
剥製でしか見た事がない動物だから動いているところを見たかったな
699 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 09:10:40 ID:SR4owlulO
ニホンカワウソは動画映像が残っているはず。見たことがある。ニホン狼とエゾ狼についてはない。タスマニア狼は映像ある。
700 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 09:59:54 ID:LBYZGHhb0
701 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 02:41:58 ID:EEdR1ozbO
川とか海とか空は超綺麗だろうなぁ
魚もたくさんいたんだろうなぁ
薩長のチョンどもが「オイドンの故郷みたいに汚くするニダ」と日本中に公害を撒き散らして日本を朝鮮みたいな不毛の土地としようとしていたからな。
703 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/02(水) 01:36:49 ID:ldbVlY+hO
晒し首や処刑を見た人の話が聞きたい
>>703 爺様の体験談。
訓練のために、その辺にいた農民を捕まえてきて、柱に縛り付け、銃剣で刺したそうだ。
心臓を突くのは至難の業で、胸を刺すと銃剣が抜けなくなるので、腹を刺した方が良いそうだ。
705 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/02(水) 13:58:27 ID:wtHV4BoB0
ここ良スレだと思って見てたけど
定期的に妄想だの信用度が低いだの煽る人がいて残念
半分、物語として聞けばいいこと
先祖自慢UZEEEみたいなコンプレックスのある人がいるのかな
という自分は大した先祖はいないが、面白く読んでる
>>704 それはいつ頃のどこの話?
日本だったら普通に捕まると思うが
707 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/02(水) 23:42:01 ID:RwzoQuur0
歴史教科書に載ってるような時代を、自分と血の繋がってる人が生きていたというのを実感するだけでも意義がある。
そしてそういう時代の変遷を生き抜いてきた先祖、あるいは老人に対して敬う気持ちも生まれるってモンだ。
そしてまた、俺らが生きている現代も、数十年後の歴史の教科書に載るだろう・・・
こうして歴史が続く・・・今でこそ「歴史的な事件」も当時の人々にとっては現実で起きた出来事の一つに過ぎない。
そんな当たり前のことをこのスレは思い起こさせてくれる。
708 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/03(木) 02:06:07 ID:wrDQVWaT0
幕末時代を「経験」してない高齢老人から
幕末の話しを聞くなんて、どうかと思うが…。
こういう話は、せめて大東亜戦争からじゃないだろうか?
それでも結構無理が生じると思うが。
709 :
704:2008/01/03(木) 02:59:18 ID:ij8dampQO
>>706 戦時中の大陸での話だよ。
酔っ払った時に時々話してくれた。祖母様は嫌な顔していたけど。
710 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/03(木) 03:24:25 ID:/5kXMDF8O
>>706 捕まる訳ないだろ。なぜならたぶんその農民は朝鮮人だろうから。
関東大震災時には吊し上げられ、石など投げられた。とか色々話しはあるよ。今でも親を目の前でこのように殺された在日なら沢山いるぞ。
哀れな事に所詮、日本人は村社会だからな。
711 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/03(木) 03:33:47 ID:/5kXMDF8O
俺今二十歳だけど学問に目覚めるのが遅すぎて、数年前に日露戦争を余裕で経験した婆ちゃん亡くしちまった。
戦争体験者が在命の間にいち早くオーラルヒストリーをもっと発展させるべきだと思う。今ならICレコーダー、ビデオとかあって生の声を証拠として未来を保存できるし、ほら形見にもなるしさ。
御厨貴さん辺りはもっと言論活動すべきだな。
712 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/03(木) 05:01:44 ID:lMyeNs+80
徳川慶喜の肉声なら残されているみたいだよ
渋沢栄一の声なら聞いたことあるけどね
713 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/03(木) 15:21:55 ID:jNQV2xua0
聖徳太子の声も聞いた事あったなw
>>709 なるほど。大陸でそういう感じだったってのはよく聞くね
>>710 まあ、日本は村社会だからな
715 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/05(土) 07:05:57 ID:kanpGbEY0
子供の頃に友達のじいちゃんに戦争で銃で撃たれた傷跡を見せてもらった
そのおじいちゃんが大切に飼ってるフナを、勝手に友達の庭で池と川を作って泳がせて死なせてしまいえらく怒られた
18ぐらいの時にそのじいちゃん死んだけど、お葬式に行けて良かった
716 :
か:2008/01/10(木) 21:16:50 ID:gGemROVcO
沖田総司は子供が大好きだったって。
司馬さんが沖田に遊んでもらった、老婆に取材したとか
717 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/10(木) 22:22:52 ID:mAVRZ8Zj0
子母澤寛じゃねそれ
718 :
名無しさん@お腹いっぱい:2008/01/10(木) 22:44:23 ID:XlpWA4xQ0
実は某試験帰りなのだが、特攻隊が始まったのはレイテ戦?
ミッドウェー戦?変な問題だろ。マジなんだな、これが。
「実践躬行(理論や信条をそのとおりに自分自身で実際に行うこと。)」
とにかく、日本の旧制中学や旧制高校の学生たちは、徹底的に本を読みフィロゾフィーレン(哲学する)
していました。しかし、単なる「ブッキッシュ・ラーニング」(本を通しての頭だけの理解)に終わらず、
常にその成果を実人生に反映させながら実践し、苦悩し、呻吟していた。
それなのに、このような素晴らしい思索的で哲学的な雰囲気が、
戦後の日本教育の中でほとんどすべて否定されるようになったのは、かえすがえすも残念でなりません。
私が大陸の中国人のことをあまり評価しない裏には、同じ「孔孟の書」に接しながら、
武士道に培われた日本人のこのような考え方、すなわち「実践躬行」の精神が希薄だからなのです。
まさに「論語読みの論語知らず」で、口先ばかり。そして平気で嘘をつく。
中国文化はなぜこうまで腐り切ったのか。理由は極めて明快です。言行不一致、
言っていることと、やっていることが全く違うからです。
私が声を大にして「心霊(精神)改革」をやらなければだめになると言っているのも、
まさにこのような意味においてなのです。巧言令色鮮し仁。言葉だけ巧みに使って人を騙してはい
けない。 李登輝「『武士道』解題−ノーブレス・オブリージュとは」
720 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/15(火) 04:44:20 ID:wN1zJ4fh0
父方の婆ちゃんに聞いた話。
婆ちゃんが高等女学校に通っている頃、作家の井伏鱒二が婆ちゃん達の村にやってきて
しばらく滞在していたそうだ。すると、婆ちゃんの同級生が井伏鱒二と恋仲になり
学校をやめて結婚すると言い出した。同級生の親や、学校の先生は「頭を冷やせ」
「卒業が先だ」と言って、必死で止めたそうだ。
当の井伏鱒二は、事の成り行きをどこ吹く風で見ていたらしく、数ヵ月後に行き先も告げず
引っ越してしまったそうだ。
同級生は井伏鱒二がいなくなってしばらくは落ち込んでいたが、また元気になって
女学校を卒業し、まったく違う人と結婚したそうな。
721 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/15(火) 14:33:49 ID:sKk/b9gS0
年代的にスレタイに無理がある。
大正・昭和の話しの方がいい。
ま、それでも口伝だから信憑性には欠けるが
幕末や明治の話しよかマシでしょ。
722 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/15(火) 16:44:01 ID:WZi9J0y60
お前は歴史的遺物に基づく信憑性のある史実を語るスレでも立ててやってろよ
723 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/16(水) 00:53:55 ID:3qB1OK0zO
忠犬ハチ公は、飼い主を待っていたのではなく、
渋谷駅前にあった、焼き鳥店の焼き鳥目当てで駅に来てた。
724 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/16(水) 01:13:39 ID:gSzDAoS00
>>723 失礼なこと言うな。忠犬ハチ公に謝れ。
ハチ公は藻前が考えているよりずっと賢い。
飼い主でも焼き鳥でもなく、銅像になるのを待っていたんだ。
どうだ?そこいらの政治家の先生方並みに賢いだろう。
725 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/16(水) 05:33:15 ID:beg6Ad1LO
私の爺ちゃん満州行ってて、当時の話聞きたいんだけど、爺ちゃんバツ一で婆ちゃんヤキモチ焼きで根に持つタイプだから、爺ちゃんに昔話させて、もし女の話が出て来たら婆ちゃん多分怒るからなかなか聞けないでいる。
もう一人の爺ちゃんは戦争中に初めて自分の本名を知ったらしい。
戸籍の名前と、実際使われてる名前が違うのはよくある話みたい。
昔は出生届?出す時って口頭だったのかな。
スレズレですね、ごめんなさい。
726 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/16(水) 17:32:13 ID:mnCuar4M0
会津兵に犯されそうになった会津領民が官軍に救われた話知ってる?
>>720 その作家はとんだやり逃げ野郎だな
まあ、昔から作家はそんなもんか
曾爺さんが日露戦争で満州に出兵した
部隊一ニを争う大酒のみで、あまりに飲みすぎて二日酔いが抜けなくて
地面に立ったまま顔だけ出して体全体埋められたらしい
おかげさまで、ウチの一族はみんな酒飲みだお
729 :
1:2008/01/16(水) 23:21:38 ID:swQHFNHo0
>>721 もしも次スレが立つようなら、昭和も入れることにしましょう。
でも幕末は消したくないな
各家庭の伝説を覗き見するみたいな感覚で面白いからねw
730 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/19(土) 04:24:16 ID:6m+kPe6GO
道民だが、うちの先祖はクセありまくりだぜ
(父方の祖父の家系)
明治中期頃に金沢から北海道へ開拓移住するってんで親族に金借りたはいいが移住後踏み倒しw
当然関係は断絶したが、祖父と向こうの奇特な方が辛うじて手紙のみで通じていた。
んで今年ほぼ100年ぶりに父と母が銀婚式を兼ねて代表として金沢に訪問。家交樹立w
(父方の祖母の家系)
曾祖父系、開拓初期に来道し、いい意味で暴れまくる。その頃の書物で漢認定www
曾祖母、大正初め頃に勘当され広島から北海道へ移住。勘当ってwww
当然行き来なし。手紙のみ。んで10年前に祖母姉妹で70年ぶりに広島訪問。家交樹立w
正直、オージー共を笑えん。てか開拓前後の北海道はカオス過ぎて書ききれん。日本だと思えんよ。
まぁ、何だかんだで両家系とも後に地方名士になるから面白い。
俺?ただの穀潰しwww
あっ、何だかスレの主旨と違ってたかな。
ごめんなさい。
お詫びに伝聞した開拓当時の地元の情景。
・眼下の地面が動いていたので驚いてよく見ると1000頭超のエゾシカだった。
・川の流れが止まったのでよく見ると川を埋め尽くした鮭の背広が突き出ていただけだった。
・木を倒して開墾?楽勝wwwと高を括っていたら、ほとんどが御神木並の巨木だった。
・雷雲かと思いきやイナゴの大群だった。
・人跡未踏かと思いきや矢尻や日本刀が見つかった。
732 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/19(土) 09:41:00 ID:SYyHuU8Y0
>>729幕末は無理だって。幕末〜明治・大正は文献見るしかない。
よくて昭和だよ。戦争末期〜戦後だな。口伝・記憶は曖昧だからよ。
曖昧でもいいんじゃない?
みんなそれを全部本当だと思ってないでしょ。伝説というか逸話みたいなの面白いからいいと思うけど。
734 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/19(土) 10:41:55 ID:5dNbJAvoO
俺の曾祖父は宮澤賢治と同級生。
とても仲が良かったらしい。
735 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/19(土) 12:17:15 ID:DjXI3ygp0
口頭伝承は多少食い違いも起きるが、お年寄りの記憶力は
馬鹿にしない方がいいよ。
痴呆になった老人が、最近の事は覚えていないのに、
小さい頃の記憶を詳細に喋ったりとかするから。
738 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/20(日) 00:54:10 ID:mKHA1pw10
想像だけど、
>>1って、俺と同様、40歳過ぎなのかな
俺が小さい頃って、明治生まれがまだ大勢いて、
中には明治中期生まれもいて、で、その親なら江戸時代生まれが多かったわけで、
それなら、幕末の様子も比較的伝わりやすい状況だったはず。
そういう感覚で今、「幕末」の話を聞きだそうとすると、やはり無理がある、ということかな
>>732 俺が高校の時、まだ大正生まれの教師がいたけど、
大正でさえ、もう文献に頼らざるを得ないかもね、今では。
739 :
1:2008/01/20(日) 01:39:37 ID:6+ei+5W90
>>738 昭和40年代後半ですよ。団塊ジュニア
ただ家系が古いので、盆正月に親類が集まると一族の伝説話で盛り上がるよ
逆に自分たちの当時の話をしたがらないところがあるかもw
あとは単純に、坂本竜馬や西郷隆盛が活躍してた時期、うちの身内はなにしてたのかなあと
知りたい気分があるんだよね
だから信憑性や現実感がともわないのは確かにあるが、
面白かったり含蓄があるはなしならいいんじゃね?という感じですね
740 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/20(日) 01:43:01 ID:6+ei+5W90
>>731 そうそう、こういうのが知りたいことなんだよなー
現代に生きる俺らってちいせえなぁとか思ってしまう。
741 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/20(日) 01:46:17 ID:mKHA1pw10
>>739 そうでしたか、失礼しました。
その「一族の伝説話」というのも聞きたいですね
自分も今度、今年100歳になる祖母に、色々話を聞いてこようと思います
742 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/20(日) 01:48:59 ID:3YQ+lJCH0
口伝は曖昧と言い張ってんのは何で?
俺の爺さんも明治生まれだったが孫や子供に嘘は言わないだろうし、
口伝が曖昧と指摘する根拠は記憶違いがあるのでは?という短絡的な発想からだろ?
翻って文献が100%真実かといったらそうではないだろ。
歴史的書物の中には政治的圧力や当時の執筆者の家系の名誉等の理由から
真実を歪曲して書かれたものも事実多数存在している。
そういった様々な文献から本当の史実を分析するのは学者の役目であり、
ここの住人の短絡的発想で幕末・明治の口伝が曖昧であると一方的に決め付けられてもな。
>俺の爺さんも明治生まれだったが孫や子供に嘘は言わないだろうし、
自分の都合のいいように記憶を改ざんするのは
わりと普通にあると思うが(悪意はないのだろうが)
多少の違いもあったっていいだろう。
なんでも科学や論理的に実証しなければいけないという側面を持つ
現代の風潮が必ずしも良い文化を創るわけではない。
745 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/20(日) 17:16:09 ID:NyDV5enw0
まあ例えば俺が有名な文化人、政治家と話をしたことがあるとして、それを
子孫が語り継いでいけば、100年後には「先祖が歴史上の人物と話をした」ってことになる。
そんなことがあっても普通じゃないかな。
歴史上の人だって、一般人と全く別の世界で生きてたわけじゃないんだし、接点を持ってた人がいても不思議じゃないでしょ
746 :
銀色の侍:2008/01/20(日) 18:04:48 ID:hK6de4ab0
江戸時代が終わってから140年、凄い昔のように思えるけど江戸時代
を生きた人を見ている人だって現代にたくさんいるんだから決して
昔ではないよ
いずれにせよ口伝は話半分で割り引く必要はあると思うけどな
だからと言って文献が100%正しいというわけでも無いが
748 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/20(日) 21:54:51 ID:28ovLbIc0
だから、そんな事全て内包してるスレだろ
信憑性云々も含めて。
各々楽しんでるのに口伝曖昧厨はくどいな
2chの書き込み自体が口伝だしね
信じるか信じないかは人それぞれ。
750 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/21(月) 07:33:52 ID:txzd5CiI0
アイヌ人は自分達の先祖の伝説に拍子をつけて歌にし、
その歌を伝えていく風習があったらしいよね
それなら歌詞間違えにくいし。
古今和歌集なんかもそういった役割持ってるから、
生き生きと1200年前の情景を現代に伝えてくれる。
ただの話だと尾ひれが付いてしまうが、本物の口伝とは
そういった古代からの工夫もある
和辻哲郎や柳田國雄にしても
文献でなく地元の口伝を参考に民俗学を作り上げていった。
751 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/21(月) 14:29:33 ID:wACZV5Sd0
俺の母の曾祖母は勤皇の志士の愛人で
明治時代に競馬で(今の競馬とはだいぶ違う、上流階級の人の遊びだった)
大穴を当てて、その金で京都に「千鳥」という料亭を開いた。
「千鳥」というのはそのとき勝った馬の名前だそうだ。
料亭は昭和にかけて栄えていたが、映画関係者とヤクザの賭博場と化し
再三の手入れの末、人手に渡ってしまった。
だから今でも京都の親戚は映画関係者というと眉をひそめる。
勤皇の志士の愛人を身請けした曾祖父は偉いな
うちはもう亡くなった母方の明治生まれの婆さんは妾の子だった。
餓鬼の頃、といっても昭和50年代後半だったが、
いつも和服を召した老女が近所に住んでいたが、その人は
政治家?だかお偉いさんの妾さんだったらしい。
でも妾さんって結構シャンとした人なんだよね。
仕事で、ほぼ毎日のように客のお妾さんに会っているけど
(中小企業の社長の妾が金庫番しているケースが多い)、
ああいう人達は、プライドだけはすごく高いよ。
そのプライドを傷付けないように、言葉使いとか結構気を使う。
当たり前だが「奥さん」と呼ぶのは絶対に禁句。
お妾さんも、社長様に嫌われたら何もかも終わり、という不安定な職業だから
金持ちの正妻のような、おっとりしたところは全くない。
確かにみんなシャンとしているなあ。
「妾」というと、若いねーちゃんのイメージかもしれないけど
40〜50代ぐらいの人が結構多い。たぶん妾歴が長いんだろうな。
もちろん、みんな若作りしているけど。
755 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/28(月) 09:58:06 ID:t3q8wvkbO
明治時代の晒し首や磔の写真が普通にウィキに載ってるね…
ひいおばあちゃんとかは見たことあるのかな…
>>755 今の人が見たらグロいな〜って思うだろうけど
昔の人はどう思ってたんだろ?
「また馬鹿がさらし首になっとるぞいw」とか
757 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/28(月) 22:47:20 ID:FmYTBHQ50
自分の母方の実家
(もと田舎の街道筋の宿場村で、江戸後期から幕末にかけて名主兼本陣)の
叔父さんの昔語りより
戊辰戦争の時に輪王寺宮が昼休みを取った時の事、
玄関から上段の間にかけて、中が見えないように紫の幕を引いていたのを
先祖の幼い息子が、中に入っていって、宮さんの手ずから
お菓子を頂いたそうです。
それからしばらくして、官軍が通行するに当たり、
折からの雨の中、人馬継立てに大わらわだった最中、
先発隊の者が、まだ本隊が着くまでには時間が有るからと、
本陣の風呂を使っていたところ、そこに本隊の隊長が到着、
この有様を見て隊長は、「下の者に先に先に風呂に入られるようでは
明日の戦いは負けだ、いっその事この場で腹を切る」と言い出す始末。
当時名主だった先祖は風呂を掃除して塩を撒いて清めた上で
庭先で土下座してようやく思い止まってもらったとか。
(ちなみに、明治になって書かれた「村誌」ではこの「風呂一件」は記されて
おらず、かわりに、仮病の兵士に駕篭を手配したとか、これまた名主の
気苦労の話が、伝わっています。)
長々と失礼いたしました。
>>757 オタクの先祖が「そうですか。では坊さん呼んできます。」と言っていれば世界史上希に見る大惨劇、会津大虐殺は起きなかった。
俺の婆さんは大正12年の9月1日は熱海の温泉にいたそうだ
とにかくすごく地面がゆれたと何度も言っていたなぁ
760 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/29(火) 13:59:19 ID:60v7/d3H0
おれのばあさんは昭和20年8月15日に箱根にいた。
小田急線がダイア通りに動いていたので、
「なんだ敗戦とか言ってもたいした事無いじゃん。」
と思ったそうだ。
761 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/29(火) 19:12:49 ID:YRw0obcf0
明治生まれの祖母は「昔の話を教えて!戦争の時の話とか教えて!」って俺が子供の頃に尋ねると色々な事を話してくれた
でも今ではほとんど覚えてない…
ごめんよ婆ちゃん…('A`)
762 :
757:2008/01/29(火) 20:11:36 ID:TzpT0XuZ0
>>758確かにw
ただ、直接会津には係わらなかったようです
でも、二本松には悪いことをしたかもしれません。
昔語りの続きでは
その後、その村を出発した隊長は、三春方面に向かう途中、
官軍の通行を予期した三春藩士に、試し撃ちをした上で、木に括り付けて
照準を固定した鉄砲に狙い撃ちされて、落命したそうです。
これに驚いた官軍は、急遽三春攻撃に援軍を要請。
その結果、敗戦必至と見た三春藩では河野広中が白旗を掲げて使者に立ち、
降服の意を伝え、今度は官軍と共に二本松方面へ…
そして、話の結びは、この一句
「会津イノシシ仙台ムジナ、三春キツネにばかされた。」
明治生まれの我が祖父は南樺太出身だった。
日露戦争後、新たに得た南樺太へ官僚だった曽祖父が赴任して生まれたのが祖父。
長じて内務省の技師となり、各地を転勤した後に樺太に赴任。
樺太のなんとかいう建築は自分が設計したのだと言っていた。
我が父も南樺太生まれ。
昭和二十年に内地に転勤になり、日ソ開戦時の難を逃れる
日露戦争で、乗ってた輸送艦がロシア艦隊に撃沈されて、
おれの曾爺さんは28才の若さでボカチンしちまった。
生後まもない一粒種の爺さんが成人するまで、母、祖母、曾祖母の女3人で
家業を必死で守り通し、爺さんを育て上げた。
爺さんは皆の期待に応えて家業を再興し盛り立て、終戦期の混乱も乗り越えて
晩年は業界団体や県・市の様々な名誉職にも就いて、85才で亡くなった。
亡くなったのが丁度バブル期で、継いだ伯父さんが有料老人ホーム等に手を出して
爺さんの会社と財産のをほとんどなくしてしまった。
再興するのは本当に大変で、爺さんが一生を費やしたが、なくす気は一瞬だった。
でも伯父は爺さんの資産をまだ一部隠しているらしい。親父兄弟は呆れているよ。
伯父さんは、爺さんの資産のほとんどを食い潰したんだから
残った分は弟妹に分けれやればいいのに、そんな気はサラサラない。
爺さんは明治生まれの気骨を持つ人格者だったが、長男の教育は誤ったみたい。
765 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/31(木) 12:34:43 ID:MH90muDX0
私の曾祖母は、噴火する前の磐梯山を見てたらしい。
766 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/31(木) 12:58:07 ID:Md7uXPeG0
東郷元帥は陽気なじいさん
767 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/31(木) 13:24:14 ID:CrQZujtxO
医者だった祖父がアメリカ相手に喧嘩を売る日本はバカ、負けるに決まってると言い放ち、
近所の人たちに非国民扱いされた。
768 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/31(木) 14:38:00 ID:A66LB9U60
アメリカがケンカ売ったのに何で日本がケンカ売ったとか言うの?似非?
>>767 ちょっと前までは戦争に反対した人はヒーローだったけど、
大東亜戦争の真実を知ると非国民扱いは当然だな
負ける戦争をやるのは論外だろw
771 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/31(木) 23:44:26 ID:Pj3GF1PZ0
当時の世界情勢を考えると、結局列強を相手にせざるをえなかったよ
だよな
ほっといたら植民地にされただけだ
結局負けて米の植民地になったが
日本の強引な拡大主義が列強を刺激し、出る杭は打たれる結果
になったのはある意味自然な流れだろう。
拡大主義は他の列強国も同じだろ
拡大主義の是非を問うているわけではなく、その結果として
列強の反発を食らうのは当然だろうって話。
776 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/01(金) 14:49:33 ID:0LbI6wNmO
現在のアメリカに宣戦布告しても日本は負けると思う。当時の政治家が勝つと本気で思っていたのか信じ難
い。暴走の陸軍と喧伝したマスコミ、それに乗った国民、引きずられた政治家、みんなが
悪いんだろうけどね。
777 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/01(金) 14:53:20 ID:1hKx0u7C0
↑
よく意味が判らん
当時の話か、それとも現代の仮定の話か?
戦争は、「両国の思想が、どんな平和的手段で以てするも一致しえない場合、
遂に武力に訴えて相手国の思想を転換せしめようとする手段」なんだと
日本人は大東亜戦争で国民が一丸となってアジアを白人の植民地から解放するために
戦ったのはホントみたいよ
戦後、アメリカに洗脳されてウソということにされたけどな
大東亜戦争を太平洋戦争にしたのもGHQで、太平洋戦争史を新聞に掲載させ
自虐史観を日本人に植え付けたんだとさ
>>776 ちょっとした識者であれば勝てる戦ではないことは認識してたはずだよ。
軍の上層部でもそうだったろう。だからこそ日露戦争と同様に
短期決戦で華々しく勝ちをあげて講和に持ち込む算段だったんだろうが
いかんせんもうそういう時代では無くなってた。
仮にハルノートを受け入れ、戦争が回避されていれば、
朝鮮と台湾は日本領として残ったんだろうか?
彼ヲ知リ己ヲ知レバ、百戦シテ殆ウカラズ、ではないけれど、元アメリカ駐在武官はたいがい対米開戦反対
山本五十六、栗林忠道、高須四郎、山口多聞…
>>780 日本が自国領土を全て捨てるのが戦争を回避する条件じゃなかった?
朝鮮と台湾を維持できるなら、当時の日本政府もアメリカの要求は受け入れただろうよ
783 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/01(金) 20:10:57 ID:Iq4JgpBT0
当時かりに台湾と半島を領土として大戦を回避していたとしても
その後もっと悲惨な戦争に繋がっていただろうな
>>782 支那及び印度支那からの撤兵だから台湾、朝鮮は除外される。
そもそも台湾、朝鮮についてはアメリカにどうこう言われる
筋合いのものではないしな。
スレ違いだ
いつまでやってんだよ
786 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/03(日) 14:19:34 ID:9yIRCGYY0
曾祖母の兄が大阪千日前を明治期以降に再開発したらしい
そのとき、松竹の社長と関わりがあったらしくその縁で
祖母(前述の姪にあたる)は千日前あたりの
劇場、小屋へ顔パスで入場できたとの事
787 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/03(日) 14:59:16 ID:VFMwP7yP0
磔になっている壮吉とあるので踏まないでおこう
主人の曽祖父は、戦前に赤坂で寄席を経営していたらしい。
戦争で他県へ疎開してしまい、寄席は無くなってしまったのだが
本籍は当時の住所のままになっているので
婚姻届を出す時に戸籍を貰いにわざわざ港区役所まで行ったよ。
ちなみに、本籍の住所をググッてみたらサンクスになってた。
本籍がサンクスですか・・・
時代の流れってある意味恐ろしいですね。
791 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/08(金) 16:16:39 ID:snwDtji10
10年以上前に、爺様婆様の寄り合いで聞いた、俺の町の歴史の話。
うちの地元は山間にひっそりとあって、水呑百姓しかいない貧しい村だった。
街道筋を北上すると、会津がすぐそこにある。
幕末になって戊辰戦争が起こると、会津軍がその街道を辿って逃げてきたそうな。
ほぼ唯一まともな建物だった寺を接収して、去る時に村の建物を焼いてった。
建て直すのにそりゃあ苦労したそうだ。
寺は無事だったんだけど、寺の天井に市松模様ではめ込まれた菊の御紋が
気に食わなかったらしく、一つずつ墨で×印をつけていった。
政変とか正直どうでもいい田舎の百姓、踏んだりけったり。
そんな訳で会津近辺といえど、地元の対会津好感度はそう高くないw
今でも寺には×をつけられた菊印が残ってるから、本当の話だとは思う。
793 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/12(火) 19:51:41 ID:Z3laKRMP0
>>792 街ぐるみでのリアルな話だね
やわらかく言ってるが、会津民大嫌いなんだろうなw
がんがって後世に伝えてください
794 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 12:26:58 ID:IPgfBQ94O
ウチの村の寺は薩摩チョン軍が泊まったときに、仏像や経典を薪にされたという話が伝わってる。
建物は江戸後期だか御本尊をはじめ、仏像は明治以降のだ。
795 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 14:58:42 ID:XtelOZV90
俺の母方の爺ちゃん特攻隊員で、仲間が次々と出撃して死んでいった。
そしていよいよ爺ちゃんの番になって「よし行くぞ!!」と覚悟決めてたら
終戦したらしい。
父方の爺ちゃんはロシアにとっ捕まって牢屋に4年間ぶち込まれた。
仲間は飢えや寒さで次々と死んでいった、爺ちゃんは牢屋のねずみとか
捕まえて食ってたらしい。そんで生き延びて帰国。
我が家の家系はどっちも運が良い。
796 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 15:15:38 ID:Qpno843u0
797 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 18:14:15 ID:O3rymr1H0
薩摩と長州は秀吉が捕らえてきた捕虜が土着したところだから。
798 :
ワンコそば:2008/02/13(水) 20:57:26 ID:4ia9Mmq+O
俺のひぃGちゃんは明治6年生まれの九州某県士族。幼い頃に士族への政府からの支給金を止められ家計は火の車。歯をくいしばって寺子屋モドキで勉強して師範学校を出て先公になった。
恐らく先公だったので日清日露の役にも従軍しなかった。国税15円を払えるのが自慢だったらしい。子ども達には皆高等教育を受けさせた。でもその中の一人が進歩的思想にハマって軍事教練を拒否。
家は大騒動だったらしい。何せ演歌とか歌謡曲など口づさんだだけで張り倒してたくらいだ。昭和の頭の頃には引退。敗戦時には山に避難(アメ公とチャンコロに殺されると思ってた。)する皆に対し、『僕はここで死ぬ』と言ってひぃ婆ちゃんと家に残った。
昭和30年に死んだ。思えば激動の時代を生きた人だ。
799 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 23:18:33 ID:ojrg6Dj90
俺の婆ちゃんは明治35年生まれの頑固な婆ちゃんだった
後ろなんか見てないのに勝手に「オーライ オーライ」って車庫居れを誘導して、親戚が車を壁にぶつけてたw
800 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/14(木) 06:10:31 ID:ttlDhuR6O
801 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/14(木) 09:37:43 ID:ZIkBmQVo0
大正生まれが90歳なのに明治35年生まれとなると
君はそうとうな高齢者だなwww
>>797根拠を示せカス。
自分30代だけどばあちゃん明治生まれだったよ?
30代って相当な高齢あつかいなの?
803 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/14(木) 10:00:37 ID:X9zVyL4l0
>>796-797 捕虜つうか、陶工チョンとかは
監視された限定的集落での土着化だろ。
薩摩大隅日向なんて隼人族や熊襲の神武系統だべ。
804 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/14(木) 10:41:35 ID:Lrztr/gI0
805 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/14(木) 13:01:39 ID:rnOjW5R70
>>801 俺は30歳だよ
祖母が42歳ぐらいの時に親父を産んだから、かなり歳が離れてる
俺は30代前半。祖母は明治生まれ。昨年亡くなったけどね。
いとこは上が40前半、下は中学生。
子供(叔父叔母)が多いとこんなもんだよ。
807 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/15(金) 00:23:02 ID:o4DkB8Hb0
薩長のチョンだからだろ
809 :
40台:2008/02/16(土) 22:20:24 ID:U7vujMN+0
>>806 先日、10数年ぶりに帰郷。
で、先祖の墓参りしたついで墓誌を注意深く見てみた。
俺は40代前半。
祖父は明治29年(1896年)生まれ。
平成2年<1990年)永眠
曽祖父は嘉永5年(1852年)生まれだった
なんと 将軍 徳川家慶の時代 ヒャー
いとこは上が50台中半、下は30台後半。
叔父叔母は60後半〜80台歳前半。
そんな祖父との思い出はこんだけ
●海軍だったが敵と戦闘したことなかった(いつの戦争か?)
●西南の役の歌?を教えてもらった(内容覚えてない 当時興味なし)
(故郷は激戦地田原坂の近辺)
●曽祖父はおっかない人だった
小学生の頃、まだしっかりしていたので近所?で起こった
「西南の役」のことをもっと聞いておけばよかったと悔やむ
何か言ってたんだよなー 西南の役のこと
西南の役は1877年…
811 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 18:45:55 ID:PhlyF2vsO
明治生まれを祖父母に持つ人は、祖父母の祖父母が幕末の志士たちと同世代になることが多いのかしら?
812 :
806:2008/02/17(日) 18:57:49 ID:wbIqaOgj0
>>810 809氏の祖父が曽祖父から伝え聞いたのでは?
>>811 私の高祖父(曽祖父の父)は幕末の頃に流行ったコレラに罹ったと
祖母から聞きました。
813 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/18(月) 01:50:58 ID:wv5eI6z0O
あ
814 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/20(水) 18:13:22 ID:ZmeIcSPy0
ラッタッター
815 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/20(水) 19:23:53 ID:C38cvG0pO
あと20年ぐらいしたら明治生まれの人がいなくなってしまうかもしれないんだよね…
うちの爺様は大正生まれでまだまだ元気
大震災の翌月東京で生まれ
2・26の事を克明に記憶している元職業軍人だ(中尉らしい)
飛行学校時のときのアルバム話とか面白いぞ
817 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 04:00:37 ID:8xyTe/lLO
俺のひいじいちゃんは岡山藩主池田の薬番してたらしくて薬の箱とか今でも蔵にあるよ
818 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 09:32:14 ID:4ShJ8TFi0
台湾人犯罪が発覚しないカラクリ
2. 「中国」は、台湾を含む。
2. 「中国」は、台湾を含む。
2. 「中国」は、台湾を含む。
2. 「中国」は、台湾を含む。
2. 「中国」は、台湾を含む。
2. 「中国」は、台湾を含む。
2. 「中国」は、台湾を含む。
2. 「中国」は、台湾を含む。
2. 「中国」は、台湾を含む。
2. 「中国」は、台湾を含む。
警察庁ホームページ(平成15年度)
ttp://www.npa.go.jp/toukei/keiji19/H15_27.pdf
819 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 21:30:11 ID:qQcjPOkR0
100歳の老人に「今までの人生の中で最も印象に残った出来事は何ですか?」って尋ねたら
2.26事件って答えてた
820 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 23:24:44 ID:CpQySQ1i0
「外国人に参政権を認めるのは憲法違反である」 読売新聞が正論を展開してくれました。
外国人参政権 国のあり方を政争の具にするな(2月23日付・読売新聞社説)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20080222-OYT1T00802.htm 憲法の規定や、国のあり方という基本的な観点から見て、たとえ地方であっても、外国人に
参政権を認めることはできない。
憲法は、地方も含め、外国人の参政権を明確に否定している。地方自治も憲法に基づく
秩序の一環だ。憲法に反することは許されない。
地方参政権付与論が蒸し返されるのは、95年の最高裁判決が、傍論部分で、永住外国人への
地方参政権付与は憲法上、禁止されておらず、国の立法政策にかかわる問題としているからだ。
だが、傍論は明らかに本論と矛盾し、法的拘束力もない。傍論を根拠にした地方参政権付与の
主張は、無理がある。
問題なのは、民主党内で、「自民、公明両与党分断の揺さぶりになる」という判断が加わって、
地方参政権付与の推進への積極的な動きが出ていることだ。
私の祖父の兄の話。
祖父の兄は、太平洋戦争中東南アジアの方に行っていた。残念ながらそこで戦死したわけだが、戦時中に日本の家族に宛てた手紙がまだ残っている。実際は絵葉書で、イラストは日本兵が草むらに隠れて米軍に対し銃を構えてる感じ。
文面は超達筆でぶっちゃけ何書いてあるのかさっぱりだったけど、内容は「僕(祖父の兄)は学校に行って勉強が出来なかったから、彼(祖父)には勉強させて欲しい」とかそんな感じらしい。
終戦後、祖父は学校に行きしっかり勉強して銀行員になったとさ。
祖父の兄が亡くなったという知らせは手紙一枚だけ。遺骨は勿論無い。
つくづく、恐ろしい世の中だったんだなーと思います。
うちのばーちゃん先日めでたく100才になった明治生まれ
子供の頃、薬屋に「ルーデサック」ありますって看板がかかってて
何のことか分からずに「ルーデサック ルーデサック」と唄いながら子供達は道を歩いていたが
大人になって知ったけどルーデサック=コンドームの事だったらしい
女学生の頃水兵さんにデートに誘われて、妹同伴で船上パーティーに行ったことがあるらしい。
水兵さんはモテモテだったらしい。
伝声管から水兵さんが注文すると、ケーキと紅茶が運ばれてきて生まれて初めてケーキを食べたと言っていた。
おじさんは、狐に化かされた事があるらしい。
私の祖父がシベリア抑留経験者
シベリア抑留の悲惨な実態を知り、祖父に尋ねてみたが、
「ロシア人は優しかった」と、全く予想外の返事がきた。
祖父曰く、ロシア兵はよく残飯をくれて、それで命が助かったと。
なんとも評しがたい話だが、祖父はただ生還できた事を感謝していた。
祖父の話は他にも、農作業の後収穫したジャガイモが一人に2つずつ
配られ、それで餅を作ったとか、食い物に関してばかりだった。
824 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 19:16:47 ID:/RsUP5+i0
>>823 帰還できたのは何よりですね、
私の祖父はシベリアからは還ってくることが出来ませんでした。
祖母の許には(誰のだか判らないような)赤茶けた髪が一房
届けられただけだったそうです。
うちのじいちゃんは捕虜になったがジャワだったから無事に帰ってこれた、といっておった
トナリノシマハギョクサイシタkラナ
826 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 16:37:44 ID:mqcbXH81O
俺の祖父が小さい頃にその祖父の祖父のソフトの
口伝によると家康は人に化けた狸だったとか
>>823 光人社の戦記見てても、
ソ連許せねええええええええええええええええええ
って人でも、ロシア人は優しかったってみんな書いてるんだよね
大体食い物ネタだが…
友達のじいちゃんから聞いたけど、食べ物はよくもらってたらしい。
あと、捕虜に暴行したソ連将校が二等兵に降格された話とか
日本軍じゃ考えられんって驚いてたな
俺の爺ちゃんもシベリア行って戦った。周りの戦友は死んでて、そこに敵が一人現れて、死体に次々と槍を刺して死んでるかを確認したそうだ。
爺ちゃんは一番離れた場所にいて、死んだふりをしていたが、ついに敵が目の前に来たんだそうだ。
「あ〜、死ぬな…」と思ったら、敵は「もういいか、どうせ皆死んでるだろう」と言って去っていったそうだよ。
爺ちゃんはいまだに「ハラショー、イハラショー」などなど言葉を教えてくれるよ。病気で今年生きれるかも微妙なんだけどね…
>>828 シベリアで戦いっていつの話?
1920年代じゃないっすか
>>829 ごめん。何だか凄く勘違いしてました。
爺ちゃんは今85歳で、捕虜(?)になる前の戦の事を言っているみたいです。
ちょっと爺ちゃんの言う地名の呼び方が独特だということと自分の知識不足故、曖昧な情報な上に勘違いしてました。ごめん。
831 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 00:19:24 ID:IklPLgu30
まあ、ユダヤ国家ソ連は残虐ですからね。ロシア人が優しかったというのも、ユダヤ
とは違うからでしょうね。なんと言っても、シベリア抑留のような捕虜収容所兼民族
抹殺収容所は、ボーア戦争の頃からユダヤの十八番ですからw
832 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 22:05:25 ID:brTGh2mX0
会津の小鉄こと上坂仙吉は、かなりの高所恐怖症だった
うちは札幌だから何分歴史がなくてだめだ。
>>833 開拓時代やロシアとの交流などが聞けるかもしれん
先祖が屯田兵か犯罪者か食えない水百姓の次男三男だからな
聞きづらいだろ
836 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/11(火) 00:18:27 ID:zwx72gnt0
マン汁もどきのヌルヌルローションは江戸時代以前からあったそうだ。
フノリという海藻を煮詰めたもののようです。
”オマンチョから出てくる本物がいいなあ!エッチな臭が最高!
ああ、昔に戻って、お向かいにいた佳代ちゃんのおまんちょにぐいぐいハメたいなあ!”
と、96才のスケベ爺ちゃんが言ってました。
837 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/12(水) 23:07:07 ID:tX+xwLSi0
爺さん元気そうだなw
爺さんが羨ましいw
爺さん長生きするぞ!
あ、もうしてるかw
840 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/13(木) 01:30:29 ID:s1mTqUIuO
ネーヤにふんどし・パンツにアイロンをかけてもらい通学していた。糊が効いてさぞかし痛かったと思う
841 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/13(木) 15:14:22 ID:tOaD8gI/0
うちの祖父も明治生まれで日露と太平洋戦争行って帰ってきた。
ロシアでは捕虜になってたらしい。
銃で撃たれた弾をナイフでほじりだした痕とか、腐った肉(ふくらはぎ)を
ナイフでこそぎ落とした痕とかをよく見せてくれた。
晩年は痴呆入って入院してたけど、天井の換気扇見ながら
敵に盗聴されてるってずっとうなされてたなぁ・・・
井上八千代 天保9年 (1838年 - 昭和13年(1938年)9月7日)
浅野長勲 天保13年7月23日(1842年8月28日) - 昭和12年(1937年)2月1日)
田中光顕 天保14年閏9月25日(1843年11月16日) - 昭和14年(1938年)3月28日)
小林やと 弘化3年2月5日(1846年3月2日)-昭和39年(1964年5月29日)
東郷平八郎 弘化4年12月22日(1848年1月27日) - 昭和9年(1934年)5月30日)
林忠崇 嘉永元年7月28日(1848年8月26日)- 昭和16年(1941年)1月22日
西園寺公望 嘉永2年10月23日(1849年12月7日) - 昭和15年(1940年)11月24日)
池田七三郎 嘉永2年11月13日(1849年12月27日) - 昭和13年(1938年)1月16日)
清浦奎吾 嘉永3年2月14日(1850年3月27日) - 昭和17年(1942年)11月5日)
中村重兵衛 嘉永5年4月27日(1852年6月10日)-昭和44年(1969年)5月5日)
森本いと 嘉永6年7月11日(1853年8月15日)-昭和45年(1970年)6月7日)
高橋是清 安政元年閏7月27日(1854年9月19日) - 昭和11年(1936年)2月26日)
田中舘愛橘 安政3年9月18日(1856年10月16日) - 昭和27年(1952年)5月21日)
御木本幸吉 安政5年1月25日(1858年3月10日) - 昭和29年(1954年)9月21日)
尾崎行雄 安政5年11月20日(1858年12月24日) - 昭和29年(1954年)10月6日)
宮部金吾 安政7年3月7日(1860年3月28日) - 昭和26年(1951年)3月16日)
三宅雪嶺 万延元年5月19日(1860年7月7日) - 昭和20年(1945年)11月26日)
白瀬矗 文久元年6月13日(1861年7月20日)-昭和21年(1946年)9月4日)
牧野富太郎 文久2年4月24日(1862年5月22日) - 昭和32年(1957年)1月18日)
分部光謙 文久2年11月3日(1862年12月23日) − 昭和19年(1944年)11月29日)
徳富蘇峰 文久3年1月25日(1863年3月14日) - 昭和32年(1957年)11月2日)
梅田ミト 文久3年2月9日(1863年3月27日) - 昭和50年(1975年)5月31日)
河本にわ 文久3年8月5日(1863年9月17日) - 昭和51年(1976年)11月16日)
小泉又次郎 慶応元年5月17日(1865年6月10日) - 昭和26年(1951年)9月24日)
泉重千代 慶応元年6月29日(1865年8月20日) - 昭和61年(1986年)2月21日)
岩崎久弥 慶応元年10月14日(1865年12月1日) - 昭和30年(1955年)12月2日
若槻禮次郎 慶応2年2月5日(1866年3月21日) - 昭和24年(1949年)11月20日)
宮武外骨 慶応3年1月18日(1867年2月22日) - 昭和30年(1955年)7月28日)
柳原極堂 慶応3年2月11日(1867年3月16日) - 昭和32年(1957年)10月7日)
宇垣一成 慶応4年6月21日(1868年8月9日) - 昭和31年(1956年)4月30日)
843 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/13(木) 16:46:34 ID:MRvQc6Hs0
841は相当歳くってるだろ。今年30になる俺の婆ちゃんですら
明治43年生まれで100歳にもなってない。徴兵年齢に達してる爺さんがいるなんて
あんた、俺の親父の歳より上だろwww
844 :
↑:2008/03/13(木) 20:26:56 ID:5KvYtaVE0
要するに、
>>841は年食ってるだろって言いたいだけ?
「w」3つもつけて喜ぶような事か?
ここは年配の方のレスこそ貴重なスレなんだがな。
>>843は30とはとても思えないな。リア小が書いたようだ
幼い脳味噌で30ってのは哀れだね
茨城の土浦に住んでた婆さんは、関東大震災の時の炎がそこまで見えたと言ってた。
当時は高層マンションも無いし空気も綺麗だったから見えたんでしょうね
ちなみに冬で天気が良くて空気が乾燥してる時には東京都北区の荒川土手から筑波山が見える時があります
俺の婆ちゃんは今年で30って読んじまった
先日の、東京大空襲のドラマ、途中からチラチラしかみなかったが、凄かったな。
ああいうものこそ、学校で見せるといいのに。
自分の小学生の時には原爆の写真集(かなり残酷)をみせてくれた先生がいたが、さすがにそこまでいくとあれだが。
残酷さを植え付けないまま危険なゲームなんかにはまると恐いよね。
つ思いっきりスレチですまん。
>>834 それって明治じゃん…
少なくとも曾祖父は国鉄にいたな。
いまさらな感じだが、お台場って処刑場だったんだってね。
>>687 昭和の話。。わろた。
平成初期の世界情勢も、中々かもね。
>>850 ちょっとスレチで申し訳ないが、残酷さってのは小2〜3までに
ザリガニ釣るために釣ったザリガニを剥き身にして餌にしたりとか、
蛙に爆竹詰めたとか、30代以上ならそういう経験していたりするんだな。
子供って残酷性持っているから、しかるべき時期に経験して、
昇華しないといけないのよ。
うちの亡くなった婆さんは1900年生まれ。
川遊びに行くときには必ず仏前に供えたご飯を食わされた。
河童にシリコダマを抜かれないように、とのことだった。
あと5年生きてりゃ19、20、21世紀という三世紀に渡る人生だったから残念。
855 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/21(金) 16:38:43 ID:oI1kaGqe0
森繁久弥のお父さんって江戸時代生まれって本当?
856 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/21(金) 18:02:45 ID:CwqWXR9W0
母方の先祖が奥羽列藩討伐で新政府に駆り出されたとか。しかも日記があるらしいので、今度見せてもらいます。
858 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 14:43:48 ID:b5XG+Dr90
>>856 久弥さん、まだご存命だけど、すでに歴史上の人物みたいだ・・・。
860 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/27(木) 22:23:40 ID:vmoJlKmb0
おれが親父からよく聞かされてた話
そのとき親父まだガキで、遊んでいたら兵隊さん達が続々集まってきてびびったらしいんだ
んで、ビビりながらも様子見てるとそのうち鉄砲の音がパーンって鳴ってかなり
ビビったってw兵隊どもがワーワー喚いてるし、もうこりゃヤバいなって思ってたらどなり
声がしたらしい
「義元が首、討ち取ったりぃー!」
「オオー!!」
曰く桶狭間の戦いだったらしので御座候
拙者も父上からかくの御話聞かされ候毎に興奮したので御座るよ
すごく面白いです。
清水次郎長が死んだ日に金さん銀さんが生まれたって本当?
863 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/28(金) 23:53:13 ID:nhXWrK3SO
明治生まれの祖母のアルバムを見たんだが、戦後の写真からしかなかった
戦争で焼失しちゃったのかなー
うちもうちの爺様の仕官学校時代の写真とか卒業文集とかは結構残ってるだけど
それ以前はないなぁ
ああ、爺様はまだ生きてるよ
うちは明治中頃と思われる、曽祖父の写真のコピーがある。
うちは大正10年撮影の曽祖父の曽祖父の写真がある
日露戦争勝利記念っていう朱塗りの盃がうちにあった。
曾祖父の名前と家紋が金字で書いてある。
それをきっかけにじーちゃんから曾祖父の話きこうとしたんだけど曾祖父曾祖母は赤痢で亡くなってしまって、幼かったじーちゃんは乳母に育てられたという話を代わりに聞いた。
なんか、複雑な気持ちだ…
うちは古くても昭和10年代の写真しかないな
そういえば昭和天皇の白馬に乗った写真もあったな御影って言うのかな?
869 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/31(月) 16:58:01 ID:AOVoRqX8i
ちなみにみなさんの家のお墓はいつの時代に建てられた墓ですか?
うちは昭和40年代に建てられた新しいお墓でした
父方は戦後。母方は明治だな。
母方のはいわゆるよくある墓石ではなくて、
大きな一枚岩というか一枚石みたいなお墓。
871 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/31(月) 18:43:21 ID:y1O52BIcO
B29の標的になるからと言って倉を黒く塗らされたらしい
それも軍需工場もないど田舎でW
872 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/31(月) 18:49:07 ID:QWvt9Yvq0
そもそも明治時代の写真が民家にあるの?
民家の人間が写真撮るのか?wおもしろいな〜オマエ等w
春だから変なのが湧いてきたな。
爺さんの実家にはガラス乾板写真があったそうだ。地方だけど、郡内指折りの大地主だったからね。
民家の人間(笑)
875 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/01(火) 23:13:41 ID:IYDQOhCwO
家には明治中期の頃のじいちゃんのじいちゃんの写真がある。江戸生まれで昭和の三十年代まで生きたそうな。うちのじいちゃんはピンピンしていて終戦時は海軍少尉。本土でグラマンと戦っていたらしい。
架空爺使った妄想スレか、知的障害者の研究材料にはちょうどいいスレだな(笑)
877 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/01(火) 23:59:30 ID:mTHWYuEl0
うちは武田の家系だったそうだが滅亡後は彦根に。
家にあった赤備えの鎧の眉間と口の周りを保護する鉄のマスクのようなものには
刀傷があった。言い伝えでは関が原でうけた傷とか。
幕末は槍の師範だったそうで桜田門外の変の時にはすくに江戸にとんでいったらしい。
以降うちの家系では女の子が生まれてもももの節句は禁止でこれは父の妹達のとき、
(昭和30年代でも)そうだった。おばさんたちは今でも文句言ってる。
戦後はGHQが来て天井ぶっ壊して刀や武具かっさらっていったんであいつらは野蛮人だって父は
怒ってた。結局父が事業に失敗し刀一本残して美術品も武具も泣く泣く手放しちゃったけど
鎧着た自分の写真は残ってる。昔の人は小さいと思った。
あと父が言ってたのは
「人斬るのは腰、体ごとぶつかるくらいで無いと実際には腰引けてて距離が遠すぎるらしい。」
父が刀に油を塗っているのを見て子供心に本当に怖かった。
見せてもらった中じゃ、明治初期の写真が一番古いのかな
爺様も婆様も当たり前だけど若かったw
風景写真も結構あって、今とは大分様相が違ってた
時が止まってるかのような田舎でも、やっぱ確実に変わってるんだなあと実感したよ
外国時代のも数枚あって、スーツやドレス姿で写ってた
お墓は江戸時代からのがずらっと苔むして並んでる
写真ある人はスキャンしてうpよろしく
880 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/02(水) 15:13:43 ID:PgteSWQXO
>>880 遺影以外でなんか古い写真あればうpよろしく。
個人特定とかされそうなのは無理だろうけど。
親の故郷にあるから無理だな・・・
ぷww
やっぱり逃げるんだなw
ぷwwwうぷぷwwwwぷぷっぷwwwwwwwwww
池沼が粘着してるな
春だしな
885 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/03(木) 21:50:44 ID:QZQ4Gt2q0
幕末の斬り合いを目撃した人の話って残ってるんだよね。
刀抜いて互いにすれ違うともう相手は倒れてたなんてのが多い。
あときり愛の後には指や耳、ほほや足がバラバラ落ちてたって。
きり愛ってとこがいいな
こまめに誘導こなしてれば生活費(爪に火を灯すレベル)くらいはかせげそうだもんね。
賞金は全部借金返済なのかもしらん。
888 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/05(土) 22:46:00 ID:bU0n5nhM0
西南戦争の生き残りのおばあちゃんの話を読んだことある。
「あたしゃ賊軍が一人で三人も斬るのを見た」
前に取り込み頼まれたやつだけ手元にあるから上げた。
身バレが怖いから今晩には削除するよ。
ひいじいちゃん&ひいばあちゃん、祖母の叔母と叔父。
祖母の叔母は101才で15年前ぐらいに亡くなった。(のでおそらく1903年前後の写真と思われる)
祖母の叔父は、帝大に進学したが芸者と恋仲になり、それをひいじいちゃんに反対され
20才で心中した。ひいじいちゃんはそれを許さず、遺体に会おうともせず、お墓も建てなかったらしい。
(のでこの人の写真や資料は残っている物が少ない)
この後になくなる叔父がかぶってる帽子に戦艦KASHIMAの文字がある。
当時の男の子は良くかぶっていたらしい。
田舎に帰れば、このひいじいちゃんの母親が嫁に来た時の花嫁行列写真もあるんだけど。
pass:1900
http://www2.uploda.org/uporg1353924.gif.html
貴重なうpGJ
うp 乙
ごめん、ひいじいちゃんじゃなくてひいひいじいちゃんだな。ばあちゃんのじいちゃんだから。前の代すぎてまちがえた
うおん見逃した
消してないんだけど流れたかw
祖父母の父母→曽祖父
曽祖父の父母→高祖父
これ位は覚えておこう。このスレなら役立つよ。
>>889 見逃したけど、こういう写真どんどんうpして欲しい。
個人特定のリスクもあるからできる範囲で。
特に昔の風景とか見てみたい。
昔の写真ばかり載せてるサイトとかあるからそっちも見てみれば
やっぱ東京大阪京都辺りが多いけどね
899 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/08(火) 17:38:35 ID:4vaqptARO
森本いと(享年117)
1853年生〜1970没。
ペリー来航→0歳
戊辰戦争→15歳
日清戦争→41歳
日露戦争→50歳
原爆投下→92歳
カラーテレビ普及→115歳
大阪万博→117歳逝去
↑こういう人がいるんだから、実際今の50代60代には
経験した本人から直接戊辰戦争や幕末の話を聞いた人もいるんだろうな。
家に伝わる幕末〜明治初年頃?の話
侍は道の真ん中を歩いていて、
それがとてもかっこよかったそう。
庶民は羨望のまなざしでみていたらしい。
>>897 そうですね。とりあえずネットで探して見ます。
何かおすすめのページとかあれば教えてください。
>>898 これNHKでやってたやつですね。自分も観てました。
こういうの大好きです。
902 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/08(火) 22:40:06 ID:zsxBNEF60
打ち首を見たって話が伝わってる。一発で落としたらしいけど結構難しいんでしょ、あれ
903 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/08(火) 22:50:45 ID:Z7grVEXL0
韓国は負の歴史を隠して国民に捏造した歴史を刷り込んでるし
福島は観光と書籍を使って会津史を美化してる。
韓国は日本を中傷し、福島は鹿児島・山口を中傷している。
しかも証拠もない事で。どれだけ恨文化が醜いか分かるだろ?
そんな文化が日本にも存在してるのが問題なんだよ。
905 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/11(金) 15:29:18 ID:LI7M7p8M0
幕末の動画はないですか?
906 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/11(金) 19:33:53 ID:5+KezbjlO
無い
明治の動画ならある
それは伊藤博文の葬儀の動画だったような
ちなみに徳川慶喜や渋沢栄一の晩年の肉声を録音したテープならある
>>906 慶喜の肉声ってどこかのサイトにある?聞きてえ
908 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/11(金) 21:20:17 ID:ylqIGOMK0
115歳から何を聴こうっての?w
909 :
↑:2008/04/11(金) 21:24:02 ID:5ozZXfBk0
何言ってんだろコイツは
910 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/11(金) 21:52:42 ID:FCfZHLWJ0
911 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/11(金) 21:59:42 ID:FCfZHLWJ0
実業家渋沢栄一は一橋家当主時代に登用した家臣で、明治維新後も親交があった。
渋沢は慶喜の晩年、慶喜の伝記編纂を目指し、渋る慶喜を説得し直話を聞く「昔夢会」を開いた。
これをまとめたのが『昔夢会筆記』である。
一部の座談会形式で記録されている章では、老齢の慶喜のいわば肉声が見ることができる。
こと歳のせいにして都合の悪い質問をはぐらかしたり、「島津久光はあまり好きじゃなかった」「鍋島直正はずるい人だった」と本音を漏らすあたり、彼の性格と当時の心境が窺える。
こうした資料を基に慶喜の死後完成したのが、『徳川慶喜公伝』である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E6%85%B6%E5%96%9C 俺も慶喜の肉声を聞きたいのだがまだ聞けてない
912 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 00:13:58 ID:5k0E/KKf0
明治の中ごろにはまだに本当で斬りあいってのが逢ったらしいよ、死んだ
じいちゃんの話だと
913 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 11:29:18 ID:1DWofJ7aO
戦前でもヤクザが斬り合いをしてたらしい
本に書いてあった
914 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 23:27:52 ID:0TyTdQTK0
やくざモンの斬りあいは昭和30年代まではごく普通。
曾祖父は陸軍大将で、貞明皇后に可愛がられたらしい。
今も御下賜品が家に伝わっている。
陸軍大臣に打診されたこともあるが、病気で辞退したらしい。
2・26事件の時は、青年将校が家に襲いに来たらしい。
祖母達姉妹は、カムフラージュの為に、寒い帝都を歩き回ったらしい。
こういう話は、祖母も親戚達もなかなかしない。
軍人の家系といえば後ろ指を指されると、未だに思っているらしい。
渡辺錠太郎?
917 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/13(日) 22:51:28 ID:F2AtJ7le0
師範代だったらしいうちの祖先。残ってるのは「斬りあいになったらまずすねを払え」
って言葉だけ。刀も鎧も槍もなーんもなし。没落家系なんだよね。
918 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/13(日) 23:29:56 ID:iZ+pLr7ZO
茨城に住んでいる祖母の家に行って初めて曾祖母の写真を見た
話を聞いたら何と曾祖母は1880年生まれだった
ってことは曾祖母の母はおそらく幕末生まれってことだよね?
祖母も母も俺(30歳)も末っ子だけど、4代遡ると幕末に届いちゃうなんて、意外と幕末って近いような気がした
>>918 今年は明治維新から140年らしいからね。
>>915 2.26で襲われた陸軍大将って渡邊さんだけだから、特定されまくり。
渡辺錠太郎の御子孫にご迷惑が掛かってはならぬので言っておきますが、
2・26で襲われた(襲われかけた?)けれど、生きております。
どういった状況で青年将校達が家に来たかは詳しくは聞いていないが、
ここのスレは身元の詮索をされることが分かったので以後は黙ります。
922 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 04:13:04 ID:8JsU6+s8O
28歳の俺の親父は71だし、爺さんは生きていれば105歳。
爺さんは11人兄弟の末っ子。
聞いた事無いけど、ヒイ爺さんは幕末生まれだろう。
923 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 13:52:51 ID:MVtcVie5O
28歳にして3代で幕末に届くなんて凄いね
身内に詳しい方がいれば、貴重な話を聞けるかもしれないね
924 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 14:42:18 ID:l6eS53Aw0
よかったね
>>920-921 渡辺は機銃掃射を受け、家族の目の前で、一瞬のうちにミンチにされてしまったんだよな。
室内は渡辺の肉片で天井から壁から床まで真っ赤に染まったそうだね。
926 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 01:30:06 ID:rqUwziQmO
>922は親父が43歳の時の子供で、その親父は爺さんが34歳の時の子供で
爺さんは曾爺さんの11人目の子供って事だから40歳過ぎの時の子かな?
28+43+34+40=145。2008年−145年で曾爺さんは1863年以前?
幕末なんて大昔って感じだけど、以外と近いな。
そのわりには幕末の話は無いのが不思議。
927 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 01:40:18 ID:rqUwziQmO
226事件で思い出したけど、昨年末に亡くなった
稲垣会の総裁の稲垣聖白は226事件で警備についてたらしいね。
俺は昭和最後の生まれてだけど、後90年も生きていれば
最後の昭和生まれてって持てはやされるかな?
爺さんが若い頃は明治生まれが生きてたとか言って。
時間って虚しいな。
928 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 09:45:54 ID:oOxKnQodO
森繁の親父は安政生まれ
929 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 16:04:07 ID:znUFfzjiO
昭和は戦争があった元号だから生き残りはもてはやされるかもね
>>929 父は戦争に行って捕虜になった。
どこかでボタンを掛け間違えていれば、
俺は生まれていなかったかもしれない。
ついでに。
父はサリンをまかれた日比谷線の
1本か2本後の電車に乗り合わせたとのことです。
931 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 19:41:42 ID:znUFfzjiO
戦争中は子供をたくさん産めとのお国の方針で、祖母が42の時に産んだのが俺の父
父が祖母のお腹にいる時に叔父さんが父の名前を決めたらしい
でも叔父さんは父が生まれる前に戦争で亡くなってしまった
932 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 20:04:52 ID:ZscZSD5rO
私の高校時代の先生のおじいさんは二二六事件を目撃してる。
軍人さんがたくさんいたとか。
ちなみに私の祖父は終戦後もしばらくシベリアで重労働をさせられていた(ノ_・。)
933 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 20:23:00 ID:OdYyAeQ90
「ああ野麦峠」を醒めた目で見る輪島市の老女
奥飛騨の貧しい農民の娘が野麦峠を越えて製糸工場へ働きに行かされた話
うちは奥能登で「貧しかったけど子供は家の手伝いで充分だった」と婆さんは言ってた
県境が貧しかったか、県境を越えて出稼ぎに行っただけで
岐阜や富山が子供を酷使したわけでも人身売買したわけでもない
奥能登は昔から諦めてたみたいよ、「ああいう田舎なら地震が起きてもいいんです」って
石原都知事に言われたぐらいのところですから、と婆さんの意見
魚もうまいし自然がいっぱい、北朝鮮にも近い、都知事も別荘持てば?
ヨット・ハーバーもあるよ〜
934 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 22:25:20 ID:7LmegdbbO
俺の祖父の兄は満州、フィリピンと6年くらい激戦地で戦いぬいてきた。だけど終戦一週間前にセブ島でマラリアにかかって亡くなったそうです。残念でくやしいです!!
935 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/16(水) 01:29:56 ID:qpJaK2F60
幕臣で戊辰を戦ったひいじいちゃん、指が2本なくて体には随分傷があったそうだ。
尋ねてくる友達も顔に怪我があったり耳なかったりしてて斬りあいの怪我だったそう。
子供心におじいちゃんは怖かったらしいけど
「あの頃は斬りあいでみんなどっかしら傷があったもんだ。」
って指なくてもさして気にしなかったらしい。
936 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/16(水) 03:13:00 ID:XXbxY/vX0
イラクじゃないけど死体転がってても気にならないってのと同じかね
937 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/16(水) 04:31:08 ID:sc/c+mnQO
私の祖父は戦前貿易会社に勤めていてボリビアに商用のため渡航していた。
で、現地で数年勤めていたら突然大東亜戦争が開戦し、帰るに帰れなくなり、
敵国人として捕えられて米国本土に送られて日系人収容所に終戦まで入れられた。
戦後無事帰朝して今に至る。
もし、日本にいたら徴兵されて戦死していたかも知れん。
939 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/16(水) 22:42:20 ID:ynctpA8B0
よく隅田川を泳いで横断したんだって、ひいじいちゃん
940 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 01:58:54 ID:Wl6P+j1N0
昔はきれいだったんだな
941 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 02:28:16 ID:LSPdlQdfO
親父は昭和30年代は隅田川や荒川で泳いだって言ってた
魚もたくさん居たって言ってた
その頃はまだ千葉の稲毛でも海水浴ができたくらい。
明治生まれのひいじいさん、名前の付け方が安直だった。
生まれ年とか、子供が生まれた頃に住んでた地名とか。
1923年生まれまら、23でフミさん。7人兄弟、みんなそんな感じ。
「名前に親の願いを込めて」なんて言わない時代だったとな。
944 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 14:40:43 ID:vsLWdSMT0
945 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 20:09:32 ID:lbSwCo2U0
>>941 戦前まで、荒川は、直接に飲料水として飲まれていた。
>>943 うちの父の母方の高祖父も、官軍の軍人で西南戦争に参加してたので、
留守中曾祖母が生まれた時に熊本で苦戦してたらしく、「名前は『熊』にしろ」
と手紙をよこしたらしい。私が生まれてすぐ曾祖母は亡くなったので
顔は覚えていないけど、若いころの写真を見たら相当の美女。品もある。
私だったらそんな父親を恨んだだろうけど、明治時代だからしかたな
かったんだろうな。ちなみに曾祖父が無骨な容貌なので、祖母は
十人並みの顔、叔母の一人がまあまあ美人。私は祖母似orz
947 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 15:34:29 ID:z3C5j0TiO
明治生まれの祖母の名前はカタカナ二文字の名前
祖母の姉妹はみんなカタカナ二文字の名前だったみたい
948 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 23:25:43 ID:RcTXZdhr0
死んだじいちゃんから聞いた話だけど侍だったひいひいじいちゃんは
幕末時々斬り合いで怪我してきたらしい。
で、その治療法ってのが焼酎ぶっかけて油紙とかいうのを巻くだけなんだって。
そんなのでなおったのかなあとじいちゃん時々話してた
949 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 23:36:09 ID:q29Pksre0
焼酎ぶっかけて治すって俺も本で見たことあるな
アルコールが入ってるから傷口の消毒に良いのかしら?
つアルコール消毒
祖父方にアインシュタインが急病になった時、
世話をした日本人医師が親類に居るとは聞いたけれど、ぐぐってみると該当してる人が居た。
ただ自分としては眉唾気味。
同姓だから勝手に親戚筋を名乗っていたのかなと思うけれど、身近な所に凄い人が出てきてワラタ。
一昨年亡くなった大正生まれの祖父(医師で共産党員)の話を母から聞いた
戦中か戦前かは定かではないが、
大学の卒業アルバムから必死に自分の顔を切り取ろうとしていたので、
祖母が何をしているのかと聞くと、自分がこの大学にいる証拠を消そうとしていたらしい。
そして、祖母は「そんなの他の人のが残っているんだから自分のだけから切り抜いたって仕方ないじゃない。」
と、言われたらしい。
終戦間近で研究所勤務の医師にも赤紙が来るかもしれないとのことでそれから必死に逃げ回っていたらしい。
また、戦後その研究所にいれば残っていた物資を少し分けてもらえたらしく
早めに帰ってきていた為、物資を貰えなかった祖父に対して祖母が「あんた何で残らなかったの!」
と怒ったんだそうだ。
あとは、炭鉱で働いてる人の健康診断料だか診察料だかを無料にしたらしい。
ただの面白みもない祖父語りみたいになってしまった…
>>952 ×そして、祖母は「そんなの
○そして、祖母から「そんなの
だった
954 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 12:38:18 ID:yvtVKG2i0
うちの地元では、明治35年生まれの曾祖母が子供の頃まで
チョンマゲを結ってる老人が結構いたらしい。
955 :
sage:2008/04/19(土) 15:16:36 ID:FG+uR3yo0
うちの母方の曾々祖母は幕末生まれで江戸(東京出身、母から聞いた話では
自分が子供の頃は町にお侍がいたのに、大人になって飛行船を見た(ツェッペリン号)ときには驚いたけど、まさか生きている内に人間が月に行くところを見られるなんてと言っていたらしい
祖父は大正時代に中国に移住した時に、よく馬賊に襲われて駐在さんが首をはねられたと言っていた。
馬賊が襲ってくる時にはまず駐在の建物に火をつけてきて、明るいところから暗いところへはいくら撃っても当たらないらしく、いつもやられていたって言ってた。
曾々祖母ってなんだよw
高祖母のことか?
>>955 かなり長生きだな。100歳くらいまで生きたのかな?
>>952 そういうリアルな話をもっと知りたいなあ
なかなか話してくれんだろうけどね
959 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 02:01:28 ID:2qqQDsT/O
初めて電気が通ったとき
奥の家から明かりがぽつぽつと通ってきたと
9?才のうちの爺さんが言ってた気がする
変電所?に近いところからぶぁーっと
電気が流れてきたって意味なんだけど分かるかな…。
960 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 02:17:40 ID:2qqQDsT/O
あと爺ちゃんと婆ちゃんが若い頃
旅行に行ったときの宿泊先に、射的屋があったらしい。
兵隊だった爺ちゃんは、景品を百発百中でどんどん倒していき
最後店の人にも、お客さんもうやめてください〜…と言われるほどだったとか。
なんか爺ちゃんかっけえ!と思ったエピ。
あんま幕末とかと関係なくてごめん(´・ω・`)
961 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 08:36:32 ID:Q0rCnCKrO
昭和10年代にチョンマゲしてる老人の写真みたけど、
あの写真の人はただの変わり者の気がする。
幕末生まれだとしても、チョンマゲ時代なんか数年しか過ごしてないんだからさ。
1830年生まれで明治維新時に40歳位の人なら、今更チョンマゲが切れるか!って死ぬまでチョンマゲを通す人もいそうだけど。
地域によってはチョンマゲもお歯黒も大正の前半までは存在したらしいね。
親戚の家で明治初期に輸入されたらしい鍵盤が象牙でできたピアノ見せて貰ったことある
当時日本に3台しか入らなかった外国製のピアノで、アップライト式だった。結構小さい。
なんか鍵盤の奥行きが短かったような覚えがある。
黒じゃなくて木目の見えるニス仕上げで、彫刻も美しかった。
>>960 昔の射的屋ってまんこさせてくれるとこだぜw
何本か真ん中あたりを射抜いたらさせてくれるとこ
964 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 13:55:13 ID:eYf+tOChO
昭和40年代にお歯黒をしている老婆が取材されてた
虫歯がなかったそうだ
数年前の歴史の雑誌に書いてあった
965 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 15:29:01 ID:Q0rCnCKrO
地域によっては明治末期までお歯黒する人もいたんだから
明治20年代、30年代生まれ人ならしてた人もいるかもね。
この前亡くなった日本最年長の婆さんが明治27年生まれだったから
まだ日本に一人位は残ってるかもね。
お歯黒キモス
とんでもない伝統文化だな
あまりの異様さにハリスが幕府に撤廃要求したんだろ
967 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 17:29:00 ID:eYf+tOChO
今、叔母さんが来てるから曾祖母について聞いてみた
52〜53年前に90歳で亡くなったらしい
って事は幕末生まれじゃねーかよ!
30歳にして曾祖母が幕末生まれだなんて驚いた
ほんとみんなの言うとおり幕末は意外に近いんだね
968 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 22:44:08 ID:T704iiv80
うちの婆ちゃん、旧姓がちょっと珍しい苗字なんだけど東郷平八郎の親戚だったと言ってる
なんだか戦前はそれなりの家柄だったらしくて、いろんなお宝とか持ってたらしい
全部空襲で焼けちゃったとか悔しそうに言うんだけど
ボケてるのかマジなのか
969 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 10:05:34 ID:vROEUeqmO
働くかな〜
970 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 17:25:12 ID:kb2gGLM70
又聞きの又聞きのお話・・・
漏れの親父は大正生まれ、その親父が中学校の先生から聞いた話というから
おそらく時代は明治の初めのことだと思う。
人と人とが斬りあう話・・つまりガチンコのチャンバラの目撃談。
最初は二人とも威勢がよかったが片方がグロッキーになり戦意喪失
最後は開き直って「さあ、殺しやがれ」状態になったらしい。
ドラマならば、「今日はここまでにしてやるぜ・・」となるのだろうが、
実際は腹部めがけて日本刀で串刺しに下らしい。
既に侍のいない時代だからおそらくやくざ同士の喧嘩だったのだろうな、、、
971 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 00:06:57 ID:mj2dTbXG0
新撰組始末記かなんかにはサムライ同士の斬りあいの様子が載ってるね。
お互い向き合って刀ふるってすれ違うともう相手は倒れてるって。
刀でチャンチャンバラバラにはならないって。
でもその一方で池田屋だかの斬りあいの時押入れに入って隠れていた
お店の仲居かなんかは刀が当たるたびに火花が散ってたっていうけど。
>>968 うちは高祖父が議員やってた関係で東郷さんがうちに遊びに来たりしてたらしい
書簡も残ってる。先祖同士で会ってたかもなノ
973 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 17:56:24 ID:hyIzxgUsO
日本刀って飾りなんじゃないの?
戦では槍を使ってたんでしょ?
974 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 22:24:31 ID:On3eEO3p0
戦国時代はね。でも幕末は「戦」でなく日常の延長での斬り合いが多かったんだよ
975 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 22:43:25 ID:hyIzxgUsO
なんで?
剣より槍の方が強いのに、剣で戦う理由がわからん。
もっと言えば、その頃には鉄砲とかもある訳でしょ。
ヤクザの抗争じゃないんだから、剣で戦ったとか嘘じゃないの?
日常槍は持ち歩かないだろJK
銃はそんなに普及してねーし
>>975 戦国時代のいくさみたいに大きな戦闘で使うわけじゃないし
路地とか家の中で使うなら小回りのきく刀の方がいいだろ
980 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 22:13:54 ID:k5bwW3hN0
まあまあ、いいじゃん。
うちのひいひいばあちゃんかなんかが打ち首を見たって話がうちにある。
結構娯楽っぽく人が一杯見に来るんだって。
一刀のもとに首落ちてそのあと胴体から血をしぼりだすらしい。
ばあちゃんが見たのはみんな一発で首が落ちたらしいけど法医学者には
首の骨の継ぎ目に入らないときれないとか言う人も要るけどね
981 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 01:40:46 ID:lh2TYnwx0
へぇ〜 結構イベントみたいな感じだったんですね
そういえば首を落とした瞬間に胴体がピクッって一瞬動くって話を聞いたことあるけど、どうなんだろうねえ
>>981 切り離された頭も数秒間意識が残ってることがあるって話もあるね。
中世のヨーロッパで実験した記録も残ってるらしい。
>>981 「首切り」でググれば動画山ほどヒットするぞ。見てみれw
コウダの動画とか、当時2ちゃんに貼りまくられてたしな
985 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 22:16:03 ID:Wb5yX4EE0
不謹慎な事言うな
自業自得じゃん
香田は同情できない
988 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 00:04:33 ID:2UkYQWND0
貼り付けは苦しそうらしいね
989 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 03:24:10 ID:laV9Hbd4O
誰か次スレ立ててよ
前方後円墳良子が