それでも邪馬台国は九州にあった16

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1佐賀原住民
前スレ
それでも邪馬台国は九州にあった15
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1339247085/l50


                                     ,○ _______
                        ,_      _   //ー(^o^=,,)◎))3333Ξ<
                          \\/|\// //  __二二二二二二 ̄
                          > /|\ <  //ー(^O^@)◎))3333Ξ<
                    ワーイ. /二二二二\//  __二二二二二二 ̄
           .ハ,,,ハ           ̄(´∀` ) ̄/ー(^O^=,,)◎))3333Ξ<
           (´・ω・)           (    つ    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           c(,,____,)            (⌒)ヽ__) ))
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                  ''^"~ " "
九州説のみなさん頑張ってください。

前スレの>1をコピーさせて頂きました。
2日本@名無史さん:2012/07/10(火) 22:55:28.05
このスレが伸び始めたのはけっこう最近だと思う。
畿内説ももう終わってしまったなあ。
3日本@名無史さん:2012/07/10(火) 22:56:11.52
>>1
: : : : : : :,!    !: : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : ゜: : : : : : : : : : : : : : :
+ ' . '!     '!        ∧,,∧    みんな九州説にな〜れ!
.  o  '、    .'、    (`・ω・)つ━☆ ・ * 。 ,    ,   。     ゚
. ,     丶.    丶   ⊂  ノ      ・ ゚ +.          ,   。
  .。   ヽ、    ヽ  し'´J  ノi    * ・ °。     。
 .  .。   `'-、,  `ー−--‐'" ,ノ   ゚  ・ ☆  ゚.     ,    ,。
           `゙''ー‐- ---‐'''"     *  ・  * ☆
  +     ゚  . +       . . .゚ .゚。゚ 。 ,゚.。゚. ゚.。 .。
     ゚  . o    ゚  。  .  , . .o 。 * .゚ + 。☆ ゚。。.  .
       。                 ゚   .   。
  。      ,ハ,,,ハ (ヽ_/) ∩w∩ ∧,,∧ γ''""ヽ ヘ⌒ヽフ
         ( :;;;;;:::) ( :;;;;: ) ( ,,;;;;;;;;)( .::;;;;;; ) U .,;;;;;;U ( .;;;;;;;;)
         (::;;o;;:) (:;;;o;;:) (;;;;o;;;;;)( :;;O;;;:) (,;;;O;;;) (:;;;ζ;;;)
     ‐''"´'''"""''"`''""`"""''''''"´'''"""''"`''""""'''"''''''"`"""''''``'

              キナイハジョウダン   キューシューデキマリ
       ヤッパキュウシュウ  シコクハアラヘン  キナイハアホ  マサニ キュウシュウヤナ
         ,ハ,,,ハ  (ヽ_/) ∩w∩ ∧,,∧ γ''""ヽ ヘ⌒ヽフ
         ( ・ω・) (・ω・)( ・ω・)( ・ω・) U ・ω・U ・ω・)
         ( ∪∪ ( ∪∪( ∪∪ ( ∪ ∪ o(,,∪∪ つ と)
     ‐''"´'''"""''"`''""`"""''''''"´'''"""''"`''""""'''"''''''"`"""''''``'‐
4筑紫の民:2012/07/10(火) 23:02:39.14
>>1佐賀原住民 様
スレ縦ありがとうございます。
しかし、絵に季節感がないので、下の絵をプレゼントします。
                     /■\
                 (_´∀`)_     わっしょい!
               /,/-_-_-_-_-_\     わっしょい!
        ( (   /,, /― 九州説 ―\    わっしょい!! //
             (。'。、。@,。,。,。,。,。,。,。,。,。,。,。@  ) )
             ∩ヽヽ∩ヽXXXXXXXX/ .∩
             i||i ∩i||i:||::::¥_][_¥::::||. i||i
             †人=†††¶┌┐¶††††
  /■\/■/■\[/■ /■\/■\]  /■\■\/■\
 ( ´∀(´∀(□二二( ´∀( ´∀( ´∀`).□´∀` )Д´)□∀`)
 ( |つ⊂|_ | | ノつつ|祭)~| |祭) ̄||祭) ̄|つ ⊂|_((|祭)~ノ | ) )つ
  〓_| |__〓」 〓_|=|_ 〓__ノ 〓二ノ〓二ノ) ( / (L〓|〓二|〓=〓ヽ
  し'し' (_(_ し(_) (_)_)し(_)し(_)(_(_,(_)(_)し'  (_)
5佐賀原住民:2012/07/10(火) 23:07:53.70
>>4
ありがとうございます。
次の機会があったらそちらを使わせて頂きます。
6日本@名無史さん:2012/07/10(火) 23:12:57.79
       ___
     /|∧_∧|
     ||. (・ω・ | たまには畿内説を連呼しておかんと飯の食い上げ
     ||oと_ U|
     || |(_)J|
     ||/彡 ̄ ガチャ

       ___
     /|∧_∧|
     ||. (    | すいません スレ間違えました
     ||oと_  /|
     || |(_)J|
     ||/彡 ̄ ガチャ
7奈良原住民:2012/07/10(火) 23:23:28.64
九州説の小生も頑張ります。
8日本@名無史さん:2012/07/11(水) 00:44:22.90
九州説はとりあえず、東遷説に統一したほうがいいんじゃないか。
といえば、王朝説が黙っていないか…。
9日本@名無史さん:2012/07/11(水) 01:30:43.40
それでも邪馬台国は関西にあった

∩( ・ω・)∩サイキックバカばんじゃーい
10奈良原住民:2012/07/11(水) 01:49:48.39
>>8
>九州説はとりあえず、東遷説に統一したほうがいいんじゃないか。
>といえば、王朝説が黙っていないか…。

王朝説も7世紀後期の東遷説です。
11日本@名無史さん:2012/07/11(水) 03:31:33.94
>>8
九州往生説はとっくの昔に王朝しちゃったから、もう考えなくていい。
12日本@名無史さん:2012/07/11(水) 07:23:18.70
しかし九州説には全く進展がないねぇ…
正直他説の方が新鮮で興味深い話が多い。
13日本@名無史さん:2012/07/11(水) 07:25:44.55
箸墓の3世紀後半はまだしも3世紀中頃っておかしいんじゃね?
土器とかC14とかそういうのを根拠にしてるのは知ってるけどさ
等高線ぱっと見しただけであれが250年に見える?
14日本@名無史さん:2012/07/11(水) 09:27:49.53
>>8
>九州説はとりあえず、東遷説に統一したほうがいいんじゃないか。

大賛成!!
15日本@名無史さん:2012/07/11(水) 09:29:57.03
>>10
九州王朝は、白村江の戦いの後、大和朝廷に併呑されたんだろ?
16日本@名無史さん:2012/07/11(水) 09:40:32.99
大和王朝というのはなかったんだよ。九州にあった倭国王朝の出先が大和。
17日本@名無史さん:2012/07/11(水) 10:01:27.18
>>15
世界最大級の仁徳天皇陵はどうするよ・・・
九州にあのレベルの古墳があるのかい?
18日本@名無史さん:2012/07/11(水) 10:13:06.74
そういえば九州の隼人は仁徳紀には、天皇や王子の近習であった
と早くから記されてるんだよな
19日本@名無史さん:2012/07/11(水) 10:14:10.00
>>17
頭悪すぎ
20日本@名無史さん:2012/07/11(水) 10:49:11.18
魏晋南北朝の天子の墓はみな小さい。
その王朝の臣下(大将軍位)であった倭国王の墓がでかいはずがない。
これは高句麗や新羅などでも同様の事実。

仁徳陵を作るような王朝は、魏晋南北朝とは無縁の田舎の王様である証拠。
21日本@名無史さん:2012/07/11(水) 11:26:04.39
曹操の墓はデカいはずだが?
22日本@名無史さん:2012/07/11(水) 11:52:21.74
>>17
>九州にあのレベルの古墳があるのかい?

墓なんかに頼らなくてもよかったから
特に大きな墓をつくらなかっただけ。
その証拠に
畿内でも
それ以後さらに大きな大古墳が作られてはいない、。

大検力=大古墳としか考えられないのは頭緩すぎ。
23日本@名無史さん:2012/07/11(水) 11:57:17.56
>>8
>九州説はとりあえず、東遷説に統一したほうがいいんじゃないか。

>>10
>王朝説も7世紀後期の東遷説です。


東遷したのは邪馬台国ではなく邪馬台国を滅ぼした勢力(九州在住の大和朝廷の前身、博多湾岸勢力)だ。
24日本@名無史さん:2012/07/11(水) 13:19:35.87
>>21
薄墓令は文帝から。
曹操だって、せいぜい仁徳陵の二十分の一くらいだろ。
25日本@名無史さん:2012/07/11(水) 13:25:26.17
九州勢力は本州を植民地にしたからといってすぐに東遷なんぞしないんだよ。
単に出先をおいていただけ。未開の地にあわてて都を移す馬鹿はいない。そして、
白村江で負けたときに、九州にいては危ないからその出先へ移ったということだね。
26日本@名無史さん:2012/07/11(水) 13:29:22.09
バカか、九州は成敗された夷だろw
27日本@名無史さん:2012/07/11(水) 13:36:55.57
やたら大きな墓を作るのは蒙昧たるの証左。
28日本@名無史さん:2012/07/11(水) 14:08:38.91
新地を開拓しても、長年作り上げた都から、
そう簡単に移ることはない。
29日本@名無史さん:2012/07/11(水) 14:15:30.73
>>26
バカはお前。
内部対立での勝ち負けだ。
30日本@名無史さん:2012/07/11(水) 14:26:43.42
邪馬台国は、
     / /             _      _
 / ̄ ̄  ̄ ̄7         | |  r¬ .| |
 ~ ̄7 / ̄7 /         | |  | |  | |
   / /  / /   _    П| |П| |П| |
  / /   / /   / /    レ| | U| |.U| |
  / /   / /__/ /     / /  | |  | |
 / /  ___/     / /  | |  | |
  ̄             / /   |  | |
                ̄       .Ll で決まり!

・・・くやしかったら「近畿」と大きい字で書いてみろやw
31日本@名無史さん:2012/07/11(水) 14:29:53.43
>>20
晋や南朝もだったっけ?
魏だけじゃなくて?
32日本@名無史さん:2012/07/11(水) 16:29:06.00
んだ
33日本@名無史さん:2012/07/11(水) 16:42:26.56
>>22
しかしまあ、畿内にそれだけの人員を導入できる巨大王権があったことを
否定はできないよね?
それに、巨大古墳のことは日本書紀にも書いてあるんだよ。
少なくとも日本書紀に描かれる倭国は九州のことではなくて
畿内王権のことだわな。

遺跡もない、古墳もない、だけどそれはそんなもの必要なかっただけ。
ろくな文明もないド田舎なんだけど、九州のほうが国の中心だったのなんて矛盾だらけだわな。
34日本@名無史さん:2012/07/11(水) 16:52:17.88
>>29
やっぱりバカだな、倭王の発言だろ。
わざわざ本拠地を貶す必要性もないw
当然東遷の可能性は更にない。
35日本@名無史さん:2012/07/11(水) 19:15:49.45
箸墓を卑弥呼の墓に比定するのは早計だが、
3世紀後半から4世紀初頭までのスパンに築造時期はおさまるので
台与かその後の王の可能性はかなりある。
いずれにせよ3世紀後半に箸墓が畿内で作られた時点で九州説など
完全にありえん。箸墓築造後は箸墓をベースに全国に
前方後円墳が作られだすので、倭国の中心部は3世紀中には
すでに畿内に移ってる。あたりまえの話だがw
36日本@名無史さん:2012/07/11(水) 19:34:34.24
>>35
日本書紀に箸墓は出てくるけど、台与は出てこないよね?
37日本@名無史さん:2012/07/11(水) 19:38:19.64
>>36
日本書紀とかそんなもんを史料として扱ってるから
民間の邪馬台国関係者はただの素人基地外マニアだと馬鹿にされるのw
まあ邪馬台国のおかげでマニアつう人種はほんと糞ってことだけは
勉強になるがなww
プロの学者はさすがに頭いいやつ多いんで、そういう基地外馬鹿との
接触を極力避けるべく邪馬台国には触れないようにしてるのが笑えるがw
38日本@名無史さん:2012/07/11(水) 19:43:07.19
記紀をスルーする奴もただのアホウだよ。
作為はあっても公式な歴史書なのは間違いからな。
39日本@名無史さん:2012/07/11(水) 19:52:36.36
>>38
邪馬台国研究において記紀など活用してる専門家はおらんだろww
そんな素人みたいなことしてたら馬鹿にされまくり学会にいられなくなるし。
一応学問として邪馬台国を扱うなら、文献資料などせいぜい、
魏志倭人伝の曖昧ではない箇所くらいしか使えんよ。
行程記事は曖昧すぎるからこんなもん使えんし。
あとは最新の考古学上の発見と、科学的な年代測定等から
可能な限り復元するしかない。おまえらのやってることは
学問でもなんでもない、ただのオタクの気持ち悪い妄想でしかない。
前方後円墳など3世紀にあるわけない、倭人伝では東じゃなく南と
書いてあるし九州に決まってるとかただの思い込みで言ってるだけ。

40日本@名無史さん:2012/07/11(水) 20:03:17.83
あげく東遷とか妄想もたいがいにしろってww
そんなことあった物的証拠でもあるならともかく
ないくせにつじつまあわせで言うとか
法廷だったら話にもならんだろうに。
ほんと邪馬台国とかそういう素人の参入障壁低すぎて
レベル低いのばっかすぎるし、もう手を引け。
そんなやり方じゃ子供じみてるし論外だよ。
41日本@名無史さん:2012/07/11(水) 20:08:59.12
>邪馬台国研究において記紀など活用してる専門家はおらんだろww

えっ?沢山いたと思うけどw
42日本@名無史さん:2012/07/11(水) 20:10:23.36
>>40
>レベル低いのばっかすぎるし、もう手を引け。
>そんなやり方じゃ子供じみてるし論外だよ。

そっくりそのままお返しする
43日本@名無史さん:2012/07/11(水) 20:10:54.54
程度が低い意見だな。一級資料の倭人伝を曖昧だとかけなして、曖昧きわまりない
考古学やら裏付けようがない年代測定とかのごまかしに頼ってただの思い込みで畿
内説にしがみついているだけ。妄想もたいがいにしろってww
南と書いてあるのを東だとか言っていては法廷にでようにも出られんぞ。カカカ
44日本@名無史さん:2012/07/11(水) 20:12:53.13
畿内説の人は、もう負けが見えてるので、
やれ「もう邪馬台国は止めろ」だの「学者は触らない」だの、のたまう。

江戸の昔から、本格派の研究者は当然「邪馬台国」に取り組んできた。
これは、日本古代史のエポックなんだから、当然だ。
卑弥呼ほど有名な古代日本人はいないからな。
45日本@名無史さん:2012/07/11(水) 20:18:47.31
記紀のどの箇所で邪馬台国研究で使えるんだよww
そんなもん使って論文書いて相手にする専門家などいるかあ?
そもそも邪馬台国とかもはや研究テーマとしても拒否られてるがなww
素人どもが各自の妄想で九州だ四国だ出雲だといいたい放題のネタだし、
あげく自分の地元に無理やり邪馬台国をもってこようとするような輩も多いし
実に馬鹿馬鹿しいかぎりだ。
文献史学では邪馬台国問題は進展しない。んなもんで進展するなら、
かれこれ300年このネタで研究やってるわけないだろw
古代だし史料も限られるんだしつまりはその手法じゃ無理なの。無理だと
理解できない頭悪いやつがまだ記紀だ倭人伝だと連呼して
この問題に首突っ込んでるだけ。この問題が動く可能性があるのは
新しい考古学上の発見か、年代測定の精度が極限まで高まるか
それくらいしかないよ。素人のオタがどんなに妄想したとこで
一ミリも動かないから。なので時間の無駄だと言ってるの。
まあ馬鹿なオタクはそういう話に聞く耳もたずひたすらわが道をいくんだろうけどな。
46日本@名無史さん:2012/07/11(水) 20:23:50.66
だいたい畿内説、九州説で勝ちだ負けだと言ってるのが気持ち悪すぎるww
ほんとオタ臭いしオタってのはだめな人種だわ。
そういう邪馬台国の所在地探しなどもう時代遅れだし、
仮にどこにあろうが東遷なんてもんはあるわけないんだし、
日本史的に見て大きな影響はないだろうに。九州だったら
奴国や伊都国の延長で邪馬台国があり、中国から金印もらった、
その後大和朝廷に吸収された、それだけの話だろうにw
畿内なら邪馬台国がそのまま大和朝廷に発展した。どちらでも
別にいいだろうにそんなことにむきになって延々議論してる馬鹿どもの
気が知れないわ。ほんと気持ちわりーな。
47日本@名無史さん:2012/07/11(水) 20:27:20.56
>>46
必死で長文打ってる君の方がキモいぞw
48日本@名無史さん:2012/07/11(水) 21:21:40.27
畿内説の断末魔を聞いている心地がする
49日本@名無史さん:2012/07/11(水) 21:26:18.52
>>44
九州説の人って畿内説を揶揄するばかりで全然根拠をあげないよね。
畿内説優位の根拠
@考古学的には圧倒的に畿内(纏向遺跡など弥生時代の遺跡が豊富)
A大和と邪馬台、どちらも「やまと」で音が似ている
B畿内王権を書いた記紀に鬼道を行う卑弥呼を髣髴させる皇女が登場する
うーん、どこが九州優位なんだかw
50日本@名無史さん:2012/07/11(水) 21:32:28.32
@考古学的には圧倒的に畿内(纏向遺跡など弥生時代の遺跡が豊富)
    纏向遺跡って弥生時代か?
A大和と邪馬台、どちらも「やまと」で音が似ている
    九州の山門、山田も似ているな。
B畿内王権を書いた記紀に鬼道を行う卑弥呼を髣髴させる皇女が登場する
    女性は人口の半分いるな。

51日本@名無史さん:2012/07/11(水) 21:40:34.88
>>49
@弥生遺跡は、奈良盆地より筑紫平野のほうが圧倒的に多い。
ABは根拠にはならない。
52日本@名無史さん:2012/07/11(水) 21:41:03.85
奈良文研の遺跡データベースによれば、
奈良の弥生遺跡数は福岡の1/4程度。
これは兵庫など周囲の県と比べても少ない。
53日本@名無史さん:2012/07/11(水) 21:42:23.40
巻向は間違いなく弥生後期からだろう。
まぁ一般的には奈良で弥生遺跡なら隣の鍵唐古だが。
54日本@名無史さん:2012/07/11(水) 21:51:55.68
奈良の弥生遺跡数は、周囲と比べても明らかに少ない。
真空地帯といわれるゆえんである。
55日本@名無史さん:2012/07/11(水) 21:54:45.25
九州も畿内もそれなりの根拠はあるが決定的根拠はない
だから結論が出ないんだろうが
それを「○○で決まってる」なんて言える奴は漏れなくめでたい奴だよ
56日本@名無史さん:2012/07/11(水) 21:55:22.49
奈良は夏暑く冬寒い盆地だし河川流量も少ないし
57日本@名無史さん:2012/07/11(水) 22:02:08.18
兵庫県の弥生遺跡は多いね。
邪馬台国が兵庫というなら、まだ納得できなくもない。
58日本@名無史さん:2012/07/11(水) 22:11:07.10
>>49 が無知すぎる
59日本@名無史さん:2012/07/11(水) 22:14:37.56
福岡の場合、何かしら掘ったら出てくるからなあ。

九州国立博物館のところにあった、九州歴史資料館が移転したが、
移転先の工事中に、また遺跡が見つかって、それもそれなりに大きい遺跡だったという。
60日本@名無史さん:2012/07/11(水) 22:27:08.86
福岡は博多駅の近くの比恵から、那珂を経て春日市の須玖遺跡に至るそれぞれ100ヘクタール級
の広さの地域に遺跡が途切れなく存在する。
比恵那珂遺跡は弥生終末には、側溝を持つ幅6〜7mの縦貫道路遺溝が出てくる。比恵遺跡では幅20mの運河が出てくる。(柳田)
これで2万戸の奴国の中心部
7万戸の邪馬台国の中心部の王都で考えられるのは今のところ纏向しかないな
纏向もまだ3世紀の部分は多くは見つかってないが
共立後に建設されたのであれば奈良の遺跡数は関係なかろう
61日本@名無史さん:2012/07/11(水) 22:30:30.76
今、邪馬台国論争には論点がなくなっている。
論争の体をなしていないということで、
まあ決着はついているとも言える。
62日本@名無史さん:2012/07/11(水) 22:33:29.85
>>共立後に建設されたのであれば奈良の遺跡数は関係なかろう

それなら、奈良である根拠もないな。
63日本@名無史さん:2012/07/11(水) 22:44:34.63
全国20万以上都市(四捨五入)

【北海道地方】 札幌市 191万 旭川市 35万 函館市 28万

【東北地方】 仙台市 105万 いわき 35万 郡山市 34万 秋田市 33万 青森市 30万 盛岡市 30万 福島市 30万 山形市 25万 八戸市 24万

【関東地方】 特別区 880万 横浜市 367万 川崎市 141万 さいたま 121万 千葉市 96万 相模原 71 船橋市 60万 八王子 58万 宇都宮 51万 川口市 50万
 松戸市 48万 市川市 48万 横須賀 42万 町田市 42万 藤沢市 41万 柏市  40万 高崎市 37万 川越市 34万 所沢市 34万 前橋市 34万
 越谷市 32万 市原市 28万  水戸市 27万 平塚市 26万 府中市 25万 草加市 24万 春日部 24万 茅ヶ崎市 23万 厚木市 23万 大和市 23万
 調布市 22万  上尾市 22万 太田市 21万 つくば 21万 伊勢崎 20万 熊谷市 20万 小田原 20万 西東京 20万

【中部地方(北陸)】 新潟市 81万 金沢市 46万 富山市 42万 長岡市 28万 福井市 27万 上越市 20万

【中部地方(東海+内陸)】 名古屋 226万 浜松市 81万 静岡市 71万 豊田市 42万 岐阜市 41万 長野市 38万 一宮市 38万 豊橋市 38万 岡崎 37万 四日市 31万 春日井 30万 津市 29万 富士市 25万  松本市 24万 沼津市 21万  鈴鹿市 20万

【関西地方】 大阪市 266万人 神戸市 153万 京都市 147万 堺市 84万 姫路市 54万 東大阪 51万 西宮市 48万 尼崎市 46万
 枚方市 41万 豊中市 39万 和歌山 37万 奈良市 37万 吹田市 36万 高槻市 35万 大津市 33万 明石市 29万
 茨木市 27万  八尾市 27万 加古川 27万 寝屋川 24万 宝塚市 22万 岸和田 20万 伊丹市 20万

【中国地方】 広島市 117万人 岡山市 70万 倉敷市 47万 福山市 46万 下関市 28万 呉市  24万 松江市 21万 鳥取市 20万 山口市 20万

【四国地方】  松山市 52万 高松市 42万 高知市 34万 徳島市 26万

【九州・沖縄地方】 福岡市 147万人  北九州 98万 熊本市 73万 鹿児島 61万 大分市 47万 長崎市 44万 宮崎市 40万 那覇市 31万 久留米 30万 佐世保 26万 佐賀市 24万
64日本@名無史さん:2012/07/11(水) 22:59:36.27
>>59
三沢遺跡は卑弥呼の時代と合わないだろ
まだ発掘が始まったばかりで規模も不明
65日本@名無史さん:2012/07/11(水) 23:07:13.28
弥生時代の人口は各人が頭の中で再評価されてもいいと思う。
確かな物証なんて未来永劫見つからない。
66日本@名無史さん:2012/07/11(水) 23:38:55.24
>>59
そう言えばずっと気になってたんだけど、香椎宮の裏のほう住宅開発し始めたら何か遺跡が見つかったとかで開発止めて何年にも渡ってずっと発掘やってたが、
その後どうなったか聞かない。
今は埋め立てて住宅になっているようだ。
あれってどうなったか誰か知らない?
福岡はともかく掘れば何か出てくるって感じだよね。
鴻臚館跡の下にも(そもそも鴻臚館だって平和台撤去の工事をやったら出てきた)の下にも古墳があるらしいし、
博多駅の下にもあったらしい。(今は壊されてビルの下になっているらしい)
最近宮地嶽古墳を見てきたが、あれだって江戸時代に山崩れで出てきてみんなびっくりだったと聞いた。
掘れば何か出て来るんだが、いかんせん、長い歴史にそれこそ埋もれてしまって外には残っていない。

67日本@名無史さん:2012/07/12(木) 03:32:35.32
どこかで博多←波潟(はかた)という起源譚を聞いたことがあるような気がするが、真偽がよくわからんかった。誰か知ってる?
68日本@名無史さん:2012/07/12(木) 06:48:45.13
文献を曲解し、考古学的知見も無視し、4世紀築造の箸墓古墳を卑弥呼の墓とし、
3世紀の日本で最大の纏向遺跡=邪馬台国 とする畿内説は学問ではない。
愉快犯的電波工作活動に過ぎない。
69日本@名無史さん:2012/07/12(木) 09:43:20.35
>>68
つ鏡
70日本@名無史さん:2012/07/12(木) 11:19:52.42
馬鹿学者や馬鹿マスゴミが、いまさら畿内説を引っ込められないだけで、空回り。
畿内説の骨子ってどれも詐欺だから、国民から相手にされないんだよ。
放置しておけば、九州説以外残らない。
71日本@名無史さん:2012/07/12(木) 12:10:06.95
前方後円墳の発展段階は、「後円部に対して前方部が肥大化すること」において理解できるのであるが、
桜井茶臼山古墳を見れば判るとおり、前期の前方部は長方形で全体として「手鏡」のような形をしている。
中期で前方部と後円部がほぼ均衡し、後期では前方部が後円部を超える「てるてる坊主」のような形となる。

それを踏まえて、箸墓古墳を見るに、ほぼ長方形の前方部先端両脇に盛り土がなされ、撥(ばち)状になっている。
これは初期に作られた前方後円墳ではなく、前期から中期への過渡期の前方部形状と見ることができ、
少なくとも桜井茶臼山古墳よりかなり後で造られたであろうことが判る。
http://www.geocities.jp/jw_mura/kofunn/kofun_are.htm

箸墓からは円筒埴輪が見つかっていることから、殉葬者はいないことは明白であり、
「奴婢百人余りを殉葬した」という記述とも矛盾し、年代的にも卑弥呼の墓でないことは断言できよう。
72日本@名無史さん:2012/07/12(木) 12:17:47.80
九州説は相変わらずファビョるだけしか出来ないんだね。
73日本@名無史さん:2012/07/12(木) 12:36:41.59
>>71
後円部と違って幅の狭い長方形の前方部は崩れやすいからね
台風や大雨のたびに補修する必要が生じたと思われる
前方部が肥大化していったのには、土木技術的、物理的必然性がある

最初は長方形だった前方部が、箸墓古墳のように左右から補強されて、中期古墳(百舌古市)へと発展し、
最終形態である後期古墳(今城塚)に進化していっただろうことは想像に難くない 
74日本@名無史さん:2012/07/12(木) 12:48:03.27
長方形と言うと、桜井茶臼山古墳のような柄鏡式の前方後円墳ってことですか?
75日本@名無史さん:2012/07/12(木) 13:00:14.86
当の橿研も箸墓は卑弥呼の墓ではないって言っているのに

マスコミに踊らされた畿内説論者は梯子はずされた感じでかわいそうだねw
76日本@名無史さん:2012/07/12(木) 13:00:58.79
@→A→B→C
‖→¶→V→▽ ←前方部
◎→◎→◎→◎ ←後円部

【前方部の変遷】
@前期古墳(長方形‖・桜井茶臼山)3世紀末→ A過渡期古墳(撥形¶・箸墓)4世紀? → 
B中期古墳(二等辺三角形V・堺大仙)5世紀 → C後期古墳(直角二等辺三角形・今城塚)6世紀
77日本@名無史さん:2012/07/12(木) 13:17:15.35
>>75
卑弥呼の墓でも台与の墓でもないってことは、邪馬台国とは関係ありませんと言ってるようなもんだな。
箸墓を卑弥呼の墓だと豪語していた学者は恥ずかしくてたまらんだろうな。
78日本@名無史さん:2012/07/12(木) 13:19:26.38
>>72
>相変わらずファビョるだけしか出来ないんだね。

そっくりそのままお返しする

79日本@名無史さん:2012/07/12(木) 13:36:12.09
まあ、九州からは卑弥呼の墓候補すら見つかってないわけで
80日本@名無史さん:2012/07/12(木) 13:55:29.17
>>76
その分類、偶然にも@Aは大和盆地、BCは河内平野になってるw

大和盆地で前方後円墳築造技術(台風や地震に耐え得る前方部の安定形状)を確立した大和朝廷が、いよいよ河内平野の再開発に当たって、
(地方豪族には造れないような)中期巨大古墳築造に着手したと見ることもできるだろう
81日本@名無史さん:2012/07/12(木) 14:06:53.43
>>75
ふーん、公式見解でも発したのかなあw
で、九州説では何処が候補ですか?
82日本@名無史さん:2012/07/12(木) 14:11:14.61
>>78
行程ぱずるとかファンタジー小説みたいな妄想ばっかりで
ファビョる程の対象がないのですが‥
83日本@名無史さん:2012/07/12(木) 14:11:54.32
84日本@名無史さん:2012/07/12(木) 14:21:33.93
>>71>>76
同意。
>前方後円墳の発展段階は、「後円部に対して前方部が肥大化すること」
桜井茶臼山より箸墓の方が前方部が肥大してるんじゃないのかと。
85日本@名無史さん:2012/07/12(木) 14:23:40.04
>>83
亀山の事?自然丘陵だろw
86日本@名無史さん:2012/07/12(木) 14:28:36.88
>>81-82
おまい、もう電波工作にも飽きた頃だろ 

「真実を知りたい」という欲求の裏返しで、敢えて九州説を叩いてるんだろ?
素直にこっちへ来いyo! 一緒に本当の建国史を探ろうze!
87日本@名無史さん:2012/07/12(木) 14:38:22.59
>>86
いや、九州説を主張する位なら阿波説をとるよw
88日本@名無史さん:2012/07/12(木) 14:41:51.17
>>85
森浩一氏は、中国では冢(ちょう)と古墳は区別されており、冢はいわゆる高塚古墳ではないと言われています。
卑弥呼の「径百余歩の冢」についても、魏の薄葬にならい、自然の丘陵を利用して頂上部分に手を加えたのではないかと推定されています。

卑弥呼と台与は魏に使節を派遣し、この使節は首都・洛陽まで行っています。
この当時の魏は徹底した薄葬で、曹操などの墓は山林や自然の丘陵を利用して頂上部分に手を加えて造られたものです
(魏王朝は墓の築造に関して、自然の丘陵などを利用して薄葬にせよとの命令を出している)。

倭国に帰国した使節は、中国の技術・文化と共に墓制についても倭国に持ち帰ったと考えられます。
つまり、卑弥呼の墓は魏の墓制の影響を受けた可能性が極めて大であります。
宇佐神宮の建つ亀山はこれにぴったりで、百体神社とセットになり邪馬台国宇佐説の非常な強みです。
89日本@名無史さん:2012/07/12(木) 14:51:25.11
>>88
>邪馬台国宇佐説の非常な強みです。

あの場所周辺に七万戸もの人口居住地は出来ないよw

90日本@名無史さん:2012/07/12(木) 14:54:05.17
纏向遺跡は、生活遺跡じゃなくて祭祀遺跡だよw
91日本@名無史さん:2012/07/12(木) 15:52:02.19
平成10(1998)年の纏向遺跡第109次発掘調査で、箸墓の周濠から木製の鐙(あぶみ=乗馬の時の足掛け)も出土していました。
その時は話題になりませんでしたが、平成13(2001)年に桜井市教育委員会がこの鐙を4世紀初頭の物と発表してから問題となっています。
鐙自体は三国時代(220〜280年)の後、西晋王朝が中国を統一した時代(280〜316年)に発明され、邪馬台国より時代が新しく、
記紀の記録でも「日本で馬の使用は早くても4世紀後半」です。
中国の北方民族(匈奴など)は乗馬が得意で鐙は使用しませんが、不得意な漢民族は乗馬の道具として発明したとされます。
今回、箸墓周濠から出土した鐙は「かなり使いこなされた痕」が残っており、4世紀末〜5世紀の物と判断すべきです。

@鐙(あぶみ)の発明は通説の西晋時代とするのが現段階では妥当。
ただし、それよりも遡る可能性は皆無ではないが、一般的に普及しているような状況ではない。
A何より問題なのは、魏志倭人伝に「倭地には牛・馬は無し」と明記された3世紀前半に、大陸から馬と鐙が渡来し、
中国にも無い(有ったとしても一般的で無い)鐙が日本で「使いこなされる」状況ではない。
B日本で馬具が出土した古墳は1,000基を超えるが、全て5世紀以降の築造である。
仮に箸墓周濠から発見された鐙が邪馬台国時代とすれば、5世紀以降の多数の古墳から出土した馬具とは150年以上の空白期間となる。
これは箸墓を卑弥呼の墓(247または248年頃の築造)とするからで、従来通説のように箸墓築造を3世紀末〜4世紀前半とすれば、
5世紀の馬具出土と連続し不自然でなくなる。

こういう状況を踏まえると、箸墓は従来通説のように3世紀末〜4世紀前半の築造とするのが妥当です。
92日本@名無史さん:2012/07/12(木) 16:35:59.10
>>91
箸墓古墳内部から出てりゃ問題だが、周辺の溝じゃ問題無いけどな。
大体周辺は水路だし、古墳周辺なんて何度も改修、古戦場でもあるんだよw
93日本@名無史さん:2012/07/12(木) 16:38:58.79
>>91
>平成13(2001)年に桜井市教育委員会がこの鐙を4世紀初頭の物と発表

マジか?
94日本@名無史さん:2012/07/12(木) 16:41:09.97
古墳の築造年代なんてすぐに50年、100年動くよ。
いつと言ったら都合がいいかってことで決めてるだけだ。
あてにはならん。
95日本@名無史さん:2012/07/12(木) 16:55:56.44
>>87
ファビョってんじゃねーよ!W
96日本@名無史さん:2012/07/12(木) 17:06:15.74
箸墓の築造年代は4世紀後半〜5世紀前半?!
http://www.oyagine.com/voke/tomb/topics/tomb_topics2.php
97日本@名無史さん:2012/07/12(木) 17:14:12.82
本当に箸墓叩くしかやることないんだなw
でも箸墓は出土物だけじゃないぞ。
比定人物、文献や逸話の資料にも一応裏付けがあるからな。
何より巻向遺跡、三輪山の隣だし。
98日本@名無史さん:2012/07/12(木) 17:15:56.23
>>97
だ・か・ら>>90
99日本@名無史さん:2012/07/12(木) 17:20:19.95
鬼道を使うにはピッタリだなw
100日本@名無史さん:2012/07/12(木) 17:21:51.94
sageたりageたりして別人を装ってんじゃねーよ!W
101日本@名無史さん:2012/07/12(木) 17:23:12.66
えっ、別人じゃないのは普通にわかるだろw
102日本@名無史さん:2012/07/12(木) 17:24:53.75
カミングアウトしてんじゃねーよ!W
103日本@名無史さん:2012/07/12(木) 17:27:34.33
そろそろ帰宅部の厨房・工房が帰ってきたころか…orz
104日本@名無史さん:2012/07/12(木) 17:31:38.00
まぁ九州説は既に終わってるよ。
文献解釈でも考古学からの見地でも矛盾だらけだ。
おまけに半島工作員も絡むから滅茶苦茶だよ。
105日本@名無史さん:2012/07/12(木) 17:34:59.69
>>104
>既に終わってるよ。
>文献解釈でも考古学からの見地でも矛盾だらけだ。
>おまけに半島工作員も絡むから滅茶苦茶だよ。

そっくりそのままお返しする
106日本@名無史さん:2012/07/12(木) 17:39:16.90
まぁ頑張って候補を絞らなきゃな。
「ハシハカガー、レキハクガー」と吠えてるだけじゃ情けないよw
107日本@名無史さん:2012/07/12(木) 17:41:18.18
>吠えてるだけじゃ情けないよw

このままお返しします
108日本@名無史さん:2012/07/12(木) 18:34:21.77
>>107
よくある邪馬台国絡みのイベント行ってみな。
実際九州説の爺ちゃん達が吠えてるぞ〜
109日本@名無史さん:2012/07/12(木) 18:39:48.74
>>97
>本当に箸墓叩くしかやることないんだなw

箸墓なんてどうでもよいが
卑弥呼やイヨの墓なんて捏造されたら黙っている訳にはいかない。

>比定人物、文献や逸話の資料にも一応裏付けがあるからな。

邪馬台国とは全く関係のない記述しかない。

>何より巻向遺跡、三輪山の隣だし。

邪馬台国とは全く関係のない話だ。
110日本@名無史さん:2012/07/12(木) 18:41:16.82
まぁ畿内説は既に終わってるよ。
文献解釈でも考古学からの見地でも矛盾だらけだ。
111日本@名無史さん:2012/07/12(木) 18:42:43.14
そもそも、畿内説なんて言い出した奴は誰だ。
あらゆる情報がまったくかすりもしてないのに。
112日本@名無史さん:2012/07/12(木) 18:48:15.34
九州説って邪馬台国らしき遺跡もなければ古墳もないんだよね?
誰が言い出したの?
113日本@名無史さん:2012/07/12(木) 18:48:27.48
徳島県脇山中学の教師で後に徳島大学教授となった笠井新也氏が大正13年に論文「卑弥呼即ち倭トトヒ百襲姫命」で
箸墓を卑弥呼の墓と唱えて以来、畿内大和説では最近までこれに従う論者が多かったのは事実です。
しかし、箸墓は卑弥呼とは年代が合いません。

畿内説の牙城であった橿原考古学研究所さえ、箸墓は卑弥呼の墓ではないと言い出しており(台与の墓とか台与の後の男王の墓と言っている)、
最近は完全にトーンダウンしています。従って、畿内説は卑弥呼の墓を新たに見つける必要があります。
例えば、橿原考古学研究所の寺沢薫氏は共著「最新邪馬台国事情」(平成10年)などで箸墓築造を280〜300年とし、
「箸墓=卑弥呼の墓」説を否定した上で、台与の後の男王の墓としています。
また、橿原考古学研究所を経て徳島文理大学教授の石野博信氏は著書「邪馬台国の考古学」(平成13年)で箸墓を270年頃の築造と推定し、
「箸墓=卑弥呼の墓」説を否定しています。

一方、橿原考古学研究所調査研究部長の河上邦彦氏は箸墓を卑弥呼の墓としています。
しかし、河上氏は「箸墓は当初は円墳」「箸墓を卑弥呼の墓と信じたい」と発言されるだけで、明確な根拠は示されていない。
なお、箸墓は当初は円墳(円丘)で後に前方部が付け加えられて「前方後円墳」になった、との説は以前からありました。
しかし、最近の発掘調査で最初から前方後円墳として築造され、「当初は円墳」は「トンデモ説」であることが明らかになっています。
114日本@名無史さん:2012/07/12(木) 18:54:16.90
しかしどうでもいいけど、墳丘上に茶室はつくるなよ
な、織田、お前日本人じゃないだろ
115日本@名無史さん:2012/07/12(木) 18:57:01.36
>>113
箸墓が卑弥呼の墓でなかったところで
邪馬台国が畿内になかったことにはならんわな

九州など比定されるような古墳も当初からないのに騒いでるんだから
116ローガン:2012/07/12(木) 19:03:55.41
>>88
>卑弥呼の「径百余歩の冢」

項羽焼秦宮室掘始皇帝冢 この「冢」の盛り土115m。
117日本@名無史さん:2012/07/12(木) 19:11:36.98
南九州には遺跡、古墳、遺物があるよ。
住居址は倭人伝の記載にぴったり、生目古墳などは径百余歩、中国から王侯と
認められた証の穀璧もでている。武器も倭人伝の記述と合っているな。
118ローガン:2012/07/12(木) 19:16:17.67
>>91
>ただし、それよりも遡る可能性は皆無ではないが、一般的に普及しているような状況ではない。

それは不明。ただ
「子敬孤持鞍下馬相迎足以顕卿未…呉書魯粛伝」
下馬の際、鞍を抑えようって事は、鐙に体重がかかるからと考えるのが自然でしょう。
119日本@名無史さん:2012/07/12(木) 19:22:30.38
ほんとここのやつらって毎日同じこと延々言って
ループしてるだけだなww基地外じみすぎてるし
書き込みももう10回くらい見たような同じ内容だし。
箸墓は卑弥呼の墓ではない可能性のほうが高いよ。
理由は倭人伝の径百歩の塚と矛盾する点と、箸墓から出る土器は
布留0式なので、卑弥呼の死亡時期である240年代では若干早いこと。
あと箸墓築造30年後の地層から4世紀初頭の鐙がでたことなどが
挙げられる。これももうすでに出たネタだろうになぜまだわからない?w
でも邪馬台国は畿内でほぼ間違いないと言ってるだろ。
東遷した事実はほぼないんだし九州に邪馬台国があったわけがないんだよ。
所詮知能指数低いオタ体質の馬鹿がいまだに邪馬台国は九州だとか
毎日のように連呼してるだけ。ほんと無意味極まりないw
120日本@名無史さん:2012/07/12(木) 19:31:01.44
100歩≒23〜25m(周髀算経)
121日本@名無史さん:2012/07/12(木) 19:49:47.79
しかし、九州に3世紀半ばの古墳とかあるの?かなりでかい奴だよ。
122日本@名無史さん:2012/07/12(木) 19:58:17.94
>>119
なぜそんなにイキっているんだ?。もともとここは九州説スレで九州説の人達が意見交換する所だよな。
畿内説をレスる方がおかしいんだけどな。
あんたが畿内説を正しいと思うなら自分だけで自己満足していれば良いことだろう。
あんたが言うように先輩学者達が邪馬台国には触れなくなっているとしたら、なぜあんたは口をだすんだ。
私はとても先輩達のような立派な歴史研究者には成れません、って自白しているのか?。
123日本@名無史さん:2012/07/12(木) 20:02:21.73
   
径100歩の冢
100歩≒25.5m(周髀算経)

祇園山古墳はサイズ的にぴったりだな。
時代的にも合う。
124日本@名無史さん:2012/07/12(木) 20:11:28.41
台与も西晋に266年に朝貢してるんで、
この時点まで九州が邪馬台国を中心とした連合体制だった可能性はほぼないw
台与の後は男王が爵位を受けたとあるし、266年以降も邪馬台国が
続いたと思われるので、4世紀に入る頃まで邪馬台国が九州にあったと
考えるのは九州王朝説とかそっち系の基地外マニア路線のやつくらいw
さすがに3世紀後半からは明らかに全国に渡って巻向の影響受けまくってるんでね。
なのに中心部の巻向にいる王じゃなく、地方の九州の王が中国から冊封され
続けたなんてありえんでしょ。
125日本@名無史さん:2012/07/12(木) 20:13:45.95
学術的にも終わっている畿内説は、
いまさら畿内説を引込められない馬鹿学者と馬鹿マスゴミだけが、
詐欺にいそしんでいるだけの状況。

畿内説なんて放置しておけば、自然消滅する。
126日本@名無史さん:2012/07/12(木) 20:23:37.47
畿内乞食説
127日本@名無史さん:2012/07/12(木) 20:27:52.53
大分宇佐説は説得力あるよね
128日本@名無史さん:2012/07/12(木) 20:28:23.25
畿内説は吠える事すらできない。
特に箸墓廚はどうしたらいいのか分からず挙動不審になってる。
129日本@名無史さん:2012/07/12(木) 20:33:36.57
畿内説では卑弥呼はあそこに箸が刺さって死んだことになってるんでしょ?
不敬って言うかなんていうか
130日本@名無史さん:2012/07/12(木) 20:34:41.14
俺の見立てでは卑弥呼の墓は象鼻山だ
そして九州厨も畿内厨も死亡
131日本@名無史さん:2012/07/12(木) 20:43:06.47
>>111
元々江戸時代以前は九州説自体どころか論争さえないわ。
隋書倭国伝の記述により大和=ヤマタイという認識だよ。
132日本@名無史さん:2012/07/12(木) 20:43:14.22
   
しかし、祇園山古墳が卑弥呼の墓だとしているのではない。

可能性のある場所
@平地の微高地
A尾根の末端
B山の頂上

更に、@ABの近くに「祠」があればなお可能性が上がる。

祇園山古墳の場合はAにあたる。近くの「祠」は高良大社。
久留米の南部に候補地が数箇所ある。
133日本@名無史さん:2012/07/12(木) 20:43:24.68
素人オタクが自費出版とかで出す本のほとんどがアンチ畿内で
九州説が多いんで、結局こんなん学会の権威に反抗して、
九州だと言ってる自分は古代史通だしカッコいいぜとか
思ってるオタ心理w箸墓や△鏡もすべて学会の発表どおりの時期に
作られたものじゃないととにかく学会批判して専門家に対抗することで
自分のくだらんプライドを満たしてる小さい人間どもw
ほんと邪馬台国関係者のオタ連中は痛い、痛すぎるやつらだ。
134日本@名無史さん:2012/07/12(木) 20:46:33.73
>>133
学会ってw
君も相当痛すぎるよ
135日本@名無史さん:2012/07/12(木) 20:48:50.38
>>132
そんな俺様根拠なのばかりだから九州説が馬鹿にされてんだよ、
いい加減気付けよ‥
136132:2012/07/12(木) 21:25:45.76
>>135
根拠は何も書いていませんが。
137日本@名無史さん:2012/07/12(木) 21:32:30.51
>>132は根拠を書かないので有名なおじいちゃんだw
138日本@名無史さん:2012/07/12(木) 21:33:46.70
>>120
その話、他の根拠かがことごとく叩き潰されて消え去った王朝説の最後の砦なんだろうけど、単なる文献曲解にすぎなくて、なんの根拠にもなってないことに気付いてないのかい。
139日本@名無史さん:2012/07/12(木) 21:45:17.20
>>136
それじゃ妄想だろw
140120ではないが:2012/07/12(木) 21:52:47.17
>>138
文献を読みこなす能力のない、天文学白痴、数学白痴のおっさん。

周髀算経はBC1100年頃の天文学や数学を書いたもの。
周髀算経には、天の北極が小熊座β星から5.0度の位置にあり、
1000里は75.5kmであると書かれている。
141日本@名無史さん:2012/07/12(木) 22:04:21.74
メートル法で書いてあるんだw
142日本@名無史さん:2012/07/12(木) 22:19:28.44
新唐書は、かなり日本書紀を参考にしたフシがあるが、
倭王が筑紫城にいて、後に移ったと書いてあるね。
143120ではないが:2012/07/12(木) 23:10:46.32
>>142
>倭王が筑紫城にいて、後に移ったと書いてあるね。

そうですね。

遷京(遷都)したのが684年であることの伝聞記事。
これは、旧唐書「或曰 倭國自悪其名不雅 改爲日本」記事の反映。

そして、旧唐書「或云日本舊小國 併倭國之地」は、701年大和朝廷成立の反映。
144ローガン:2012/07/13(金) 00:16:40.88
>>143
>遷京(遷都)したのが684年であることの伝聞記事。

唐書によれば、「欽明之十一年直梁承聖元年」 の28代前が「彦瀲子神武立更以天皇為號徙治大和州」
どんな計算しても684年にはならん。
145日本@名無史さん:2012/07/13(金) 07:10:13.35
>>140

間違い::周髀算経には、天の北極が小熊座β星から5.0度の位置にあり、

正しい計算::周髀算経には、天の北極が小熊座β星から6.41度の位置にあり、
146日本@名無史さん:2012/07/13(金) 08:02:48.97
倭国が周辺に20国くらいあったのでどこがどこか判らないんでしょ
倭の意味は小さいと言ういみですか
147日本@名無史さん:2012/07/13(金) 08:15:39.12
モノ320円
京阪260円
148日本@名無史さん:2012/07/13(金) 08:33:55.65
>>143
何を根拠に684年??
倭人伝にだって伊都には代々王が居て、後に卑弥呼が
共立されたとある訳だが。
149卑弥呼は朝鮮にいた:2012/07/13(金) 10:10:53.41
ここの連中は史書もまともに読めないのか。
新唐書に書いてあることは、ウガヤまで凡そ三十二世、
そのときまで筑紫城にいた、その子の神武のときに大和に移った、それだけのことだ。
つまり記紀に書いてあることをそのまま伝えただけだ。

九州王朝などとは何の関係もない。
150日本@名無史さん:2012/07/13(金) 10:39:31.35
NHKの大英博物館の古墳の番組見ていたら、古墳時代は3世紀中ごろから
始まるとなっていた。まあ、これはこの番組だけでなく、定説のように
語られる傾向があるが、では3世紀半ばの古墳て具体的にいったい
どの古墳なのだ?

これなんかは、畿内説得意の根拠のない既成事実化なんだろうな。
古墳時代をどうしても卑弥呼時代と絡めたいらしい。
151日本@名無史さん:2012/07/13(金) 10:50:06.28
卑弥呼は畿内在住だったと言いくるめんがための、
畿内説詐欺による「古墳時代の三世紀開始妄想」ですね。
152日本@名無史さん:2012/07/13(金) 12:00:08.82
むしろ3世紀中ごろからというのも遅すぎるのでは?
というのが最近は出始めてるよw
瀬戸内辺りに嚆矢があるからね。
153卑弥呼は朝鮮にいた:2012/07/13(金) 12:41:18.59
あの番組を見て私が思ったのは、考古学者は何と馬鹿なのかということだ。
棺の置かれている部屋が墳丘の真下でないことについて、新しいタイプの古墳か、などと議論していたが、
どこか別の入り口があって、真下にも棺室があるに違いないのだ。
素人でもそれくらいのことは考え付く。

要するに考古学者なんてのはあの程度の人間がやっているのである。
文献学者も似たり寄ったりだろう。だから、学者の言うことを信用してはいけないのである。
154日本@名無史さん:2012/07/13(金) 12:46:11.76
限られた情報しかない番組だけで判断する奴の方がどうかと思うw
155日本@名無史さん:2012/07/13(金) 12:48:26.17
中には馬鹿な学者もいるってことでok
156日本@名無史さん:2012/07/13(金) 13:49:59.71
>>146
倭という文字の、当初の意味は矮小の矮と同じだったんじゃないかな。
157日本@名無史さん:2012/07/13(金) 13:56:58.19
>>154
つうか、そもそも番組を企画するのはディレクターであって学者ではないし、
番組で取り上げられる「学者の発言」は、番組の意図・ディレクターの意図に適合するものだけ、
どんな番組でも、同じことだよな。

だから、テレビ番組での学者の発言はたいていの場合は信憑性が薄い
テレビ番組だからしかたがない。テレビってのは、そういうものだ。
158日本@名無史さん:2012/07/13(金) 14:51:38.88
>>149
新唐書をそのまま読んだら倭王が筑紫にいたのは紀元前だぞ
そら神武天皇から歴代天皇の名を全部羅列して書いてるんだから
(皇極を舒明の子にしていたり一部間違ってるのもあるが)
そうなるわな
159日本@名無史さん:2012/07/13(金) 16:45:30.73
130歳とかの無茶を言わなければ、
紀元前後に収まるんじゃない?

160日本@名無史さん:2012/07/13(金) 17:01:57.24
ホケノ山古墳を3世紀半ばにしたい人もいるらしいが、大きな無理がある。
3世紀半ばが最初にあって、それに合わせる古墳を探している感じ。

畿内説自体が、最初に結論があって、それに全てを合わせる論法なのだが。
161日本@名無史さん:2012/07/13(金) 17:33:24.45
>>160
で、九州説ではどこが3世紀半ばの卑弥呼一族の墓なの?
(男王や台与の墓も近くにあるはず)
162日本@名無史さん:2012/07/13(金) 17:40:09.79
>>159
413年に遣使した倭王を仁徳と仮定
神武〜応神まで15代(ほぼ親子相続)
親子間の年齢差は平均20歳としても300年
紀元後すぐに大和へ来てないとおかしいよね?
卑弥呼の時代より前に
163日本@名無史さん:2012/07/13(金) 18:08:30.93
>>162
日本書紀の年代を、神武天皇から武烈天皇まで半分にする(半年歴)。継体天皇から一年歴にすると、
神武天皇即位はBC76年あたり。
崇神天皇即位は205年あたり。
神功皇后は388年ごろ崩御で、西暦400年は、応神天皇の時代。
164日本@名無史さん:2012/07/13(金) 18:15:56.56
>>163
で、天皇家の先祖は神武即位時点で大和に来てるでしょ?
実在は崇神からでも構わないんだけど
(卑弥呼の時代と同時代)
165日本@名無史さん:2012/07/13(金) 18:28:14.30
>>160
>ホケノ山古墳を3世紀半ばにしたい人もいるらしいが
いや、既に3世紀前半という意見が多いけどw
166日本@名無史さん:2012/07/13(金) 18:29:13.71
>>91>>96>>160
ホケノ山古墳が3世紀末もしく4世紀、箸墓の築造が4世紀中頃〜後半ということになると、
纏向遺跡そのものが4世紀の遺跡だった可能性も出てくるね。
167日本@名無史さん:2012/07/13(金) 18:47:27.72
願望を述べるのは勝手だが、色々九州の出土品も
見直しという事にもなるんだけどな。
168日本@名無史さん:2012/07/13(金) 18:49:53.18
>>166
纏向遺跡が4世紀、箸墓築造が4世紀中頃以降なら、
「3世紀、日本最大の纏向遺跡=邪馬台国!3世紀中頃の箸墓=卑弥呼の墓!」をセットで喧伝してきた畿内説(町興しキャンペーン)が
根本から崩れるなw
169日本@名無史さん:2012/07/13(金) 18:57:20.35
邪馬台国畿内説の候補遺跡を最大限に年代引き下げられるだけの下限だけを追いかけて
ほらほら、あの遺跡ってばもっと遅い可能性があるんだってよ→もう、遅いことで確定にしちゃおうよ!
っていうことにばかり躍起になって
九州の候補遺跡や候補墓は一切見つかけられない人たちですからw
170日本@名無史さん:2012/07/13(金) 19:01:21.26
巻向を遅くしても、その母体になる讃岐や阿波にも
沢山候補がある事をわすれないでねw
171日本@名無史さん:2012/07/13(金) 19:05:04.21
もともと、箸墓古墳は4世紀とか5世紀あたりで、
あとでで百年ほどずらされたんじゃなかったっけか。
172奈良県民:2012/07/13(金) 19:08:10.56
>>168
うああああああ、オラが村の町興しがああああっ!!!なんちゅうこと言うんや!!

纏向遺跡を邪馬台国、箸墓を卑弥呼の時代に早めるために、県民税で作った橿原考古学研究所が水の泡やないかああああっ!
173日本@名無史さん:2012/07/13(金) 19:19:02.95
得意な行程パズルでもやってれば?
174日本@名無史さん:2012/07/13(金) 19:23:57.58
そもそも畿内の銅鐸国家なんて、簡単に滅亡しちゃっているんだから、
畿内説自体が成り立たない。
175日本@名無史さん:2012/07/13(金) 19:24:57.40
>>172
「奈良県立」橿原考古学研究所。所詮は「奈良県」お抱えの歴史操作・詭弁研究所w
176日本@名無史さん:2012/07/13(金) 19:26:20.35
>>172
似非奈良県民、乙。
奈良には東大寺に平城京跡、春日大社に法隆寺、唐招提寺などなど
おかげさまであまたの世界文化遺産がそろっていますので。
纏向など観光整備もしていませんから。

吉野ヶ里程度の遺跡を観光収入にしている九州のほうがよほど必死だよね
177日本@名無史さん:2012/07/13(金) 19:29:39.38
>>175
橿原考古学研究所の論文を完全否定できる学説を
2ちゃんねるで平日昼間に頑張ってる
考古学に携わったこともない九州説の爺さんたちが
出してきたのを見たことがないw
178奈良県民:2012/07/13(金) 19:31:37.96
畿内説のみなさん、九州説を叩きのめしてください!
そして「纏向遺跡を邪馬台国、箸墓を卑弥呼の墓や」っていろんなとこで言い触らしてください!!
今まで高い金払うて京大の偉い先生雇って作った橿原考古学研究所が全部無駄になってしまいます!!!
なにとぞ、今まで以上に朝から晩まで「纏向=邪馬台国、箸墓=卑弥呼の墓」連呼をよろしくおねがいします!!
179日本@名無史さん:2012/07/13(金) 19:35:53.41
www
180日本@名無史さん:2012/07/13(金) 19:41:18.13
>>174
銅鐸文化圏とか未だに言ってるの?
北部九州でも製造されてたのにw
181日本@名無史さん:2012/07/13(金) 19:45:01.30
>>175
九州の遺跡も役所主導で発掘調査するのやめるべきだよねえ?
税金で掘ったら地元の言うとおりにねつ造するんだったら
九州の遺跡も全部ウソってことになる。
182日本@名無史さん:2012/07/13(金) 19:52:04.01
>>181
九州は、畿内みたいに橿考研みたいなインチキ作ってマスコミ操作する必要がないからねぇw
183日本@名無史さん:2012/07/13(金) 19:57:07.52
>>182
ふうん、橿原考古学のどこが間違っていて九州のどこが間違ってないのでしょう?

つうか、九州説に都合が悪いから研究所のせいにしてるだけでしょ。
橿原考古学研究所は九州の大学とは違う測定法を行っているという
証拠を出そうよ。
野次だけ飛ばせば3世紀の卑弥呼が急に遷都を宣言して
急遽九州に邪馬台国が来てくれるわけじゃあるまいし。
184日本@名無史さん:2012/07/13(金) 20:01:49.25
△鏡詐欺、箸墓詐欺、年輪年代詐欺など、畿内説の根幹はぜんぶ詐欺。
九州説は詐欺じゃないから、卑弥呼の墓を無理に比定したりしないし、
卑弥呼の証拠を無理矢理捏造したりしない。
185日本@名無史さん:2012/07/13(金) 20:02:20.33
人の恣意的な数値が入らないC14だけで年表作ったらどうなるかね?
無論誤差はあるが、50年以内くらいで精度が出るから、
傾向くらいはわかるんじゃなかろうか。

土器は原理上、前後関係はわかっても、絶対年代はわからない。
年輪は追試が行われていない。

純粋なintcal04とかでやってくれんかな。

時々見かけるデータでも、なんかすごいことになりそうな感じかする。
186日本@名無史さん:2012/07/13(金) 20:05:31.73
多分、純粋なc14intcal04で年表作ったら、
畿内説が大幅に変更になるのはもちろんだが、
九州説もかなりびっくりする結果になる。
187日本@名無史さん:2012/07/13(金) 20:08:23.72
>>184
レキハクガーの次はカシコウケンガーか…
行動様式が本当に半島人だなw
188日本@名無史さん:2012/07/13(金) 20:09:49.72
詐欺畿内馬鹿なら、もっと気の利いた言葉を返せよ。
189日本@名無史さん:2012/07/13(金) 20:12:01.10
先に九州バカはまともな候補地探せよw
190日本@名無史さん:2012/07/13(金) 21:35:05.27
九州説は、伊都国を倭人伝どおりに比定するだけで十分。
191日本@名無史さん:2012/07/13(金) 22:04:48.28
九州説は、詐欺じゃないから、
嘘までついて邪馬台国の都を無理矢理に比定したりしないよね。
192日本@名無史さん:2012/07/13(金) 22:08:21.18
里程たどって行くといやでも平群郷に到着してしまうよな
193日本@名無史さん:2012/07/13(金) 22:12:17.07
平群郷ってどこ?
194日本@名無史さん:2012/07/13(金) 22:12:36.52
九州の考古学関係者で九州説とかまだおるの?
195日本@名無史さん:2012/07/13(金) 22:18:05.34
川をさらに遡ると曽我郷になるが

本来は「そわれ」と読むのが本当らしいよ

すなわち「早良」隠しなのではあるがな
196日本@名無史さん:2012/07/13(金) 22:19:00.24
考古学者は畑違いだから、普通は邪馬台国問題に口を出さない。
でも、出したくなることもあるだろうな。
考古学的には畿内説なんて大口を叩く人がいると…。

魏志倭人伝に書かれている光景が実際に出ている遺跡は九州だし。
197日本@名無史さん:2012/07/13(金) 22:25:38.39
そりゃ參問倭地してるのが北部九州だからね
なんなら壱岐だけでもいい
198日本@名無史さん:2012/07/13(金) 22:29:20.93
>>196
別に九州の情景だけじゃないんだけどな。
199日本@名無史さん:2012/07/13(金) 22:33:19.84
他の東夷の国の記述に比べて、上層階級の装束とかがないよな
あの程度なら倭国の商人からの聴き取りでも書ける
200日本@名無史さん:2012/07/13(金) 22:38:04.21
関東のJR駅
特急停車駅
駅名は漢字三文字
同じ民鉄の二路線と接続
201日本@名無史さん:2012/07/14(土) 01:16:24.49
>>197
參問倭地の意味くらい調べてから言えよ。
202日本@名無史さん:2012/07/14(土) 01:19:10.58
>>198
周旋可五千餘里だからせいぜい
九州中北部だ。
203日本@名無史さん:2012/07/14(土) 07:05:46.16
桃の種で大騒ぎする畿内説ってw
204日本@名無史さん:2012/07/14(土) 07:06:15.72
>>185
>土器は原理上、前後関係はわかっても、絶対年代はわからない。

纏向遺跡=3世紀前期、箸墓=3世紀中頃の築造 にするために、
布留0式土器や大和盆地の全ての前方後円墳の築造年代をかなり早めに繰り上げている可能性が高い

>年輪は追試が行われていない。
ということは当然、河内平野の池上曽根遺跡の年代も「纏向遺跡=3世紀前半」に矛盾しないよう、繰り上げ操作されていると見ていい
205日本@名無史さん:2012/07/14(土) 07:26:27.15
って優香、「纏向遺跡が邪馬台国」という結論に導くために日本の考古学が存在していることに、いい加減気づけよ!w
206日本@名無史さん:2012/07/14(土) 07:39:03.21
>>205
ちゃんと病院行けよw
207日本@名無史さん:2012/07/14(土) 07:56:28.18
巻向を邪馬台国にして日本の考古学の学者どもにとって
なんのメリットがあるというんだ?w
むしろ九州在住の素人が邪馬台国を地元に誘致して
町おこしとかに使いたいから九州説は譲れないと
思ってるふうに明らかに見えるんだがw
208日本@名無史さん:2012/07/14(土) 08:26:38.89
>>207
考古学は事実を明らかにすること
メリットなんか求めちゃいけませんぜ
その書き方だと、メリットがあるから考古学者は近畿説だって捏造してるみたいに見えるぜ
209日本@名無史さん:2012/07/14(土) 08:27:01.13
だから別に箸墓をはじめとした巻向古墳が4世紀でも
なんの問題もないって。吉備の墳丘墓の延長線上にそれらがあるのは
確実なんだし、3世紀中には畿内を中心とした連合体制に移行してるのは明らか。
つーかむしろ九州説のやつらが言うように布留0式や箸墓が
4世紀後半から5世紀にかけてのもので、△鏡も4世紀以降にすべて国産されたもの
ととらえるほうが明らかに矛盾を生じるので恣意的な考えといわざるをえないんだがw
特に箸墓のサイズを基本ベースにして全国に前方後円墳が作られだしたのを
忘れるな。箸墓がつまり最古の前方後円墳で間違いないよ。
210日本@名無史さん:2012/07/14(土) 08:32:35.94
考古学者は邪馬台国などもうどうでもいいだろw
むしろ素人マニアがうるさいので専門家にとっては
タブーな領域だと思ってるよw
極力触れないようにしてるし、専門家はさすがに
素人よりは頭いいから、畿内が正解だとほとんどわかっちゃって
九州説派もほとんど畿内に鞍替えしたにすぎない。
現に学者ではない井沢元彦も逆説の日本史の中で偉そうに
九州宇佐説だと言ってたが、最近は畿内説に鞍替えしたようだしw
自分の著書を否定するような行為をするのはデメリットなのにね。
つまり真実は畿内だということが彼の頭でも理解できたんで
やむをえず畿内に鞍替えせざるをえなかったというわけ
211日本@名無史さん:2012/07/14(土) 08:38:11.04
原始的な形状というか、発生期の変遷過程に該当する古墳は、
宮崎のほうが多いような印象があるな。

畿内のは、ある程度完成されたように見える。
212日本@名無史さん:2012/07/14(土) 08:59:22.26
宮崎もないだろ。どうせ記紀と絡めたいんだろうが。
九州説の根拠がそうした文献上の解釈のみだしな。
倭人伝では東じゃなく南だから九州だとか、記紀での神武東征が
邪馬台国が大和朝廷に発展する暗示だとかww
文献がすべて正しいこと書いてあるなら、邪馬台国は当時最大人口の
7万戸なんだし、宮崎が7万戸もあったのかあ?
九州ではたしか安本の甘木が最大人口密集地だったはずだろうに。
213日本@名無史さん:2012/07/14(土) 09:05:34.06
纏向遺跡は生活遺跡じゃないよw
214日本@名無史さん:2012/07/14(土) 09:12:34.44
考古学年代にケチつける割に、九州説の大半は何もわかってないだろ。
箸墓は瀬戸内東部の影響を受けた巨大前方後円墳だぞ?
仮に年代が四世紀初頭になっても、
阿波や讃岐の初期円墳がクローズアップされるだけだわ。
モモソは元々淡路島の海人族の娘だという事知らないんじゃないか?
215日本@名無史さん:2012/07/14(土) 09:17:23.12
19才というのはプロ固定だな
大学生でもないだろ
216日本@名無史さん:2012/07/14(土) 09:19:59.21
>>215
畿内説のテコ入れに来てスレ活性化させようとしてるのはみんなわかってるよ。
史学科の大学生にしては知識が表面的だし、史学の根本が身についていない。
まあ踊ってもらうだけさ。
217日本@名無史さん:2012/07/14(土) 09:21:28.91
親魏倭王、そして親晋倭王として冊封された卑弥呼と台与が
九州にいて、九州内は2世紀末〜4世紀前後まで連合体制だった・・・わけがないw
台与の後は男王が立ったのも中国側は把握してるし、
いったいいつまで九州内での連合体制が維持できていたのかとww
218日本@名無史さん:2012/07/14(土) 09:22:59.25
なんちゃらたらゆうたいまんなおやじが

「纒向型前方後円墳」として抽出するときに名前だけ便利使いされた筑紫の墳丘墓のが

墳丘形状が前方後円形をとる墳丘墓としてはもっとも古いステージのブツにきまるだろ

ちなみにニワトリの津古生掛のは神功皇后が船出したとされる津古のポートに位置しますが

その時の目的地は山門郡であったはずですわ 熊襲の田油津ねえさんが敵ですわな
219日本@名無史さん:2012/07/14(土) 09:27:45.32
>>214
何が言いたいのか分からんが、箸墓などの古墳の年代が4世紀となると、3世紀の畿内には大したクニは無かったってことだな。
220日本@名無史さん:2012/07/14(土) 09:30:08.42
3世紀以降の奴国伊都国の遺跡からは明らかに衰退の
跡が見られるんで九州説はない。画文鏡の流入状況からも
倭国大乱後は明らかに畿内主導に変わってる。
221日本@名無史さん:2012/07/14(土) 09:31:54.10
九州は先進的というか、あぶれ者の渡来人がでたらめに現地人と混血して
ごった煮状態だったのが3世紀頃だろ
今の華僑のいる東南アジアにイメージが近い
後漢末頃まではまだそれなりのヒエラルキーはあったようだが
222日本@名無史さん:2012/07/14(土) 09:32:43.72
>>219
で?
九州の3世紀最大級の古墳ってどれ?
223日本@名無史さん:2012/07/14(土) 09:34:08.61
>>222
は?
3世紀の古墳?
224日本@名無史さん:2012/07/14(土) 09:42:17.44
>>219
河内の曽根遺跡や阿波の矢野遺跡辺りがクローズアップされるだけだよ。
七万戸の国なんて本来九州なら面積三割位占めてもいい大きさだ。
225日本@名無史さん:2012/07/14(土) 09:42:55.43
自分は考古学専攻だったからはっきりはわからんが
ふつう史学科の教授というのは、学生が邪馬台国とか言い出すと
はしかにかかった子供を見るような目になるよな
そんなことに興味を持つより
変体仮名でもみっちりやって古文書を読めるようになれというのが多いんじゃないかな
そこにはまっとうな学問のタネが転がっているわけだし
あとは素人さんが歴史ネタで盛り上がってるところに水を差すようなマネは教えんだろう
226日本@名無史さん:2012/07/14(土) 09:43:06.90
>>221
三国史記新羅本記に新羅192年4月大雪、後漢193年6月寒風冬の如し、
倭人が食糧難で渡海してきたと。
後漢末の九州は異常気象で食料難で大混乱ですww
それでヒエラルキーも崩壊して畿内政権の傘下に組み込まれたのが真実。
227日本@名無史さん:2012/07/14(土) 09:51:49.79
●■ので糸島最大のは金鍍金された○◇の出たところで

墳丘の全長103m、後円部径61m、

    高さ約9m、前方部幅31m、

    前方部高さ4m(推定)、  ですと。

金鍍金された○◇は熊本に1例とあとどこか一箇所あるけど大和のほうなのかな?


●■ので稲葉古墳群つうのが貢物検査するポートの入り口のところにあるが

場所がらからいってこれも王墓だろうね
228日本@名無史さん:2012/07/14(土) 09:53:51.04
新羅192年w
229日本@名無史さん:2012/07/14(土) 09:54:02.74
史学科の教授は3世紀とか史料もろくにない時代の
出来事など手を出すなと教えるよ。史料至上主義なのでね。
その前に今時史学科なんかいっても歴史の教師くらいしか職はないんで
いかないほうがいいんだがなww
歴史なんて素人の趣味でやるくらいがちょうどいい。
邪馬台国なんて素人が参入しやすいかっこうのネタだし、
素人が自費出版で一番多く本出してるのも邪馬台国だww
230日本@名無史さん:2012/07/14(土) 09:56:58.33
>>223
卑弥呼が死んだのは3世紀でしょ
231日本@名無史さん:2012/07/14(土) 09:59:54.08
ホントに学生なら掲示板とかに書き込んでないで中国語と英語やればいい
232日本@名無史さん:2012/07/14(土) 09:59:57.95
今回の九州の豪雨みてもわかるように九州は自然災害もろに受けまくる。
農業社会では自然災害は深刻な問題で、自然災害多い九州が衰退し、
畿内に中心が移ったのは自然な流れ
233日本@名無史さん:2012/07/14(土) 10:04:45.98
卑弥呼のお墓の第一候補はこれだな
http://maps.google.co.jp/maps?q=33.538853,130.244996

写真が数枚みれたりする
http://www.panoramio.com/photo/69113936
234日本@名無史さん:2012/07/14(土) 10:06:22.20
主食である米もあまりとれないよね>九州
江戸時代には飢饉多発で南国でもとれる薩摩芋植えてたくらいだし
稲作に適しているのは畿内や北陸
弥生時代になればそっちのほうが国力あったよね
235日本@名無史さん:2012/07/14(土) 10:08:47.42
学生なら歴史学など一番役に立たない格下の学問だという認識をもて。
その中でも古代史など一番史料ないんでいらないからアカポスが少ないジャンルだ。
さらにその中でも邪馬台国など一番研究テーマとしては下で、
基地外くらいしか飛びつかないネタだw

つまり邪馬台国とかこんなばかげたネタからは手を引け。
工学や医学とか実学をやったほうがいいよ。
236日本@名無史さん:2012/07/14(土) 10:11:45.61
気候不順は程度の差こそあれどこでもそうだろ
九州は人が多かったから争いが多く、集落が近かったからまとまらなかった
237日本@名無史さん:2012/07/14(土) 10:15:16.91
サツマイモを主力にしてたのは薩摩藩だが、薩摩藩の表高70万石が、
さつまいもで実質石高はその1.5倍くらいあったそうな。

また、当時、有明海は筑紫平野に入り込んでいたとおもわれるが、
それでも、甘木朝倉など、久留米より上流はすでに広大な平地だった。
238日本@名無史さん:2012/07/14(土) 10:15:53.51
時代を追うごとに人口は増大していくわけだし、
九州の人口増加率に対する、耕地面積率が飽和点に達したので、
2世紀末当時の倭国の範囲が九州限定から畿内を中心とした
西日本全域に広がっただけのこと。
239日本@名無史さん:2012/07/14(土) 10:18:35.00
>>233
それ、4世紀末の前方後円墳
240日本@名無史さん:2012/07/14(土) 10:20:19.81
>>237
おいおい、ただの荒らしかよw
石高は米でしか表せないよ
薩摩藩の借金とか知らないのかよ
琉球併合でもってたようなもんだったろ
241日本@名無史さん:2012/07/14(土) 10:20:40.38
堀もしないでてきとおに時代割り振ってるのばっかりだからね
242日本@名無史さん:2012/07/14(土) 10:31:16.76
お墓なんてさ主葬部からブツが出てきてなんぼのもんだからね

追葬のもあるし、後日の墳墓のメンテナンスとかのもあるし

だいたい土器で編年したがるの自体がへんだろ
243日本@名無史さん:2012/07/14(土) 10:42:10.97
九州は旱害や水害は多かったろうが冷害よりマシだよ
旱害や水害は被害は特に低い土地や水が得にくい土地に限られるが冷害は全滅するレベル
今のように人為的に寒地適応させた品種は無いうえに弥生末から古墳初めにかけては寒冷化していた
244日本@名無史さん:2012/07/14(土) 10:42:57.40
△鏡や画文鏡が畿内から出て、
かつ東遷がない時点で九州説などありえんと言ってるだろうにw
お得意の4世紀〜5世紀の後世の国産だとか言い訳したとこで、
100年以上経ってから作った鏡に景初3年とか昔の年号入れること
自体おかしいだろうがwようはその年号が鏡を製造した国に
とって重要だったから年号入れたってことだし、
結局国産でも邪馬台国は畿内なのは変わらんよ。
245日本@名無史さん:2012/07/14(土) 10:46:46.77
熊襲の土人の女酋長さんはあとの毛人こき使う暴力的な酋長が大和にいただけだわ
246日本@名無史さん:2012/07/14(土) 10:46:51.41
王仲殊先生は邪馬台国畿内説だな
247日本@名無史さん:2012/07/14(土) 11:03:46.53
九州説なら東遷を立証できなければ成立しない。
5世紀中には確実に大和朝廷を中心に歴史は動いてくわけだし。
248日本@名無史さん:2012/07/14(土) 11:07:48.45
鏡の話は最近は西川寿勝説とかよく聞くな
画文が公孫氏領域の楽浪郡あるいは帯方郡で造られたもので
三角はその流れを汲んで現在の北朝鮮領域辺りで作成されたとする説
魏鏡説でも国産説でもないが特鋳説ではあるという
249天の声:2012/07/14(土) 11:36:06.39
>>248
>画文が公孫氏領域の楽浪郡あるいは帯方郡で造られたもので

画文帯だろうが三角縁だろうが、
神獣鏡は漢中あった張魯の政治手法(鬼道=天師道)の呪具だ。
その西川寿勝とかいうの。
神獣鏡を公孫氏領域で造るほどに、
鬼道=天師道という新興宗教が公孫氏領域に浸透していた
という新事実でも提示してるのかい。してるわけかがないわなー。

よくよくそいつの論拠を追い詰めてみてみ。「時代」を無視した憶測言説のはずだ。
素人と何も変わるところはない。
250日本@名無史さん:2012/07/14(土) 11:37:09.99
九州限定とかいう発想がもう古過ぎなんだよ。
251日本@名無史さん:2012/07/14(土) 11:50:02.37
>>249

「張魯の政治手法(鬼道=天師道)の呪具」とか言うものが存在したとして、
画紋帯や三角縁のベースは、それとは無縁の世俗鏡だよ。
後漢以来の普及鏡の部品を寄せ集めて造ったパッチワーク。
銘文は、位至三公鏡みたいな出世祝いの贈答品と同じだし、
外区や内区の文様は、幾何紋鏡や画像鏡からパくったところが多い。
このことから、神獣の意匠も「天師道」とかの思想は関係なく、
「縁起もの」程度の理解で採用されていることがわかる。
三角縁の現物をよく眺めて見ろ、思い付きだけで四の五の言ってても恥掻くだけだぞw
252天の声:2012/07/14(土) 11:54:58.32
●神獣鏡は楽浪郡では造らない
景初2年までこの領域を支配してきた公孫氏親子は、中原の覇を目論む曹操、劉備、孫権らをはじめ、
劉焉(劉璋)、張魯、張角らと競合して独立国家樹立をめざした領袖の一人である。
張魯が民心掌握の手段(政治手段)とした天師道を、歓迎したり奨励した事実はない。
必然的に、公孫氏が支配した時期の遼東郡や楽浪郡で神獣鏡が造られることもない。
事実、公孫氏勢力の動向をみても、洛陽の遥か西の漢巴の地にあった天師道とは何の接触もない。

さらには、景初3年には公孫氏一族は根絶やしになって存在していないし、
これ以降の遼東郡、楽浪郡、帯方郡は魏の郡県下にあって、
神獣鏡が作られる環境が存在した可能性は尚一層ない。

※画文帯神獣鏡のほとんどが4世紀以降の古墳から出土する。
副葬用呪具の神獣鏡を、つくられてから100年間も使わず伝世したあとで副葬するか。

思い付きだけで四の五の言ってるのはお前短絡細胞のほうだ。タコ
つまらん言説を垂れ流すな。害虫
253天の声:2012/07/14(土) 11:58:06.91
>>251
>それとは無縁の世俗鏡だよ
信仰的精神性というものは、
お前の、邪馬台国はどこかにあったことにしたいという矮小な心理などとは、
比較にならないほど切実な心理問題だ。安い詭弁をいうな。カス
254日本@名無史さん:2012/07/14(土) 11:59:55.86
いさくのばか
255天の声:2012/07/14(土) 12:12:46.11
俺しか・まもともな内容の投稿をするのはいないだろ。
抗する手だてたがない弱虫ガキが、「バカ」と叫ぶしかないのと同じ図だな。
256日本@名無史さん:2012/07/14(土) 12:17:23.48
初歩的な質問で申し訳ないんですが、斜縁神獣鏡って何ですか?
257日本@名無史さん:2012/07/14(土) 12:47:11.23
>>253
鏡は張魯が造るわけじゃないだろう。
職人が造るんだよ。
造れる技術が備わっていれば何だって造る。
258日本@名無史さん:2012/07/14(土) 12:52:14.74
下の詩は、誰の作だかわかるやついるかな?
神仙とは、古来、中国の教養人にとって基本中の基本だ。
日本で言えば、某宗教教団が鶴のマークを掲げるからといって、鶴を毛嫌いする奴は少ない。
伊作は、これを某教団が嫌いな奴は、絶対鶴も嫌いにならなければいけない、と宣たまうわけだw

晨上散關山,此道當何難! 晨上散關山,此道當何難!
牛頓不起,車墮谷間。
坐磐石之上,彈五弦之琴。作為清角韻,意中迷煩。
歌以言誌,晨上散關山。

有何三老公,卒來在我旁? 有何三老公,卒來在我旁?
員?被裘,似非恆人。
謂卿雲何困苦以自怨,徨徨所欲,來到此間?
歌以言誌,有何三老公?

我居崑崙山,所謂者真人。我居崑崙山,所謂者真人。
道深有可得,名山歴観。
遨遊八極,枕石漱流飲泉。沈吟不決,遂上升天。
歌以言誌,我居崑崙山。

去去不可追,長恨相牽攀。去去不可追,長恨相牽攀。
夜夜安得寐,惆悵以自憐。
正而不譎,辭賦依因。経傳所過,西來所傳。
歌以言誌,去去不可追。
259日本@名無史さん:2012/07/14(土) 13:00:40.33
いくら、百科事典の説明みたいなものを長々書いても、肝心の結論文に結びつかない伊作の文章。
結局、自分の「思い込み」だけしか「論拠」が無いことに気がつかない伊作。、
260日本@名無史さん:2012/07/14(土) 13:04:43.27
伊作に関係なく、畿内説は純粋詐欺だから成り立たない。
話はここからだ。
261日本@名無史さん:2012/07/14(土) 13:10:03.42
    :.:/:.:.:/:.:.:./:i:.:.:.i:、:.\:.:.:.:.:il:.:.:.:.:.ヽ:.:.:.:.:ヽ:.:ヽ
    /:.:.:/:.:.:./:.:.:./i:.i:.:.:.:i:.:.l:.:.:.ヽ:.:.:.il:.:.:.:.:.:.l:.i:.:.:.:.:.l
   l:.:.:.:/:.:.:./:.:.:/il:.:l:.:.:.:.il:.:.i、:.:.:ヽ:.:.i|:.:.:.:.:.:l!:.l:.:.:.:.:l
   |:.:.:/:.:.:.l:.:.:./ il:.:i!:.:.:.:.il、:lヽ:.:.:.ヽ:.il:.:.:.:.:.:il:.:l:.:.:.:.l
   |:.:.l:.:.:.:.|:.:./  |:.!l:.:.:.:.:ilヾ! ヽ:.:.:.:l:il:.:.:.:..:.ij_:|:.:.:.:.|
   l:.:.l:.:.:.:.|:.:/  l:i l:.:.:.i| i! ヽ:.:.:l:i!:.:.:.//´_`ヽ:.:l
   |:.:l:.:.:.:.:l:/二ー-i! |:.:.:|ーli 二ヽ:i:i:.:.:// ,'::::::! l:.:l もしもし
   |:.:il:.:.:.:i:lヽ r'`!`i  l:.:.| '"´r'`l`/li:// ,'::::::::i /:.l  警察ですか?
   l:.:!l:.:.:.:lゞ、_`ー' )-‐ヾi(´ `ー',)=l、/ ,':::::::://:.:.l   伊作が来てますよ
   .!:i li:.:.:.l::l ` ̄ l   i!  ̄ ̄〃 i、ヽ:::::::://i:.:.:.l    
    l:! li:.:.:.l::l     |        /:::ヽ \ヾ!:.:!:.:.:l
   . l! !:.:.:l:i:l    `      ,/-‐、::ヽ V 7:.i:.:.l
    i! |:.:.l:i:::ヽ、   ニニュ  r'-‐‐=、 ヽj  Y:.:.i:.:.l
      !:.l:.i:i:.:.:.i\    / ̄\ `    .l:.ヾi:.:l
     _,. |:.i:.:i:ii:.:i:l ヽ、  `ニ ̄ヽ      l`ヽ、;j
  ,イ |´  |:.:.:.:i:.ii:.ll    ̄_,. -‐フ 〉      /    `l ヽ、
/ | ヽ、 |:.:.:.:l:.:ii:l|   /,.-ー ノ`!     /i      / / \
   ヽ ヽ、!:.l:.:l:.:ii:ilー// / ,.イ    /:.:l    / /
ヽ 、   ヽ |:.l:.:.l:.ii::l/   / / l    /:.l:l:l -‐ '  /
    ` ヽ、l:.:l:.:.l:i/     /  |    l:.:l::l:l:|-‐ '
262日本@名無史さん:2012/07/14(土) 13:40:19.18
>>260

だから、畿内説はどうでもよいから、純粋に九州説を語れよ。
箸墓とか、纏向とか、神獣鏡とかは全てスレチなんだからさ。

263日本@名無史さん:2012/07/14(土) 13:52:09.87
http://kagoshima.pmiyazaki.com/yagoroudon/

弥五郎三兄弟です。鹿児島県曽於市岩川、都城市山之口、日南市飫肥。
風貌、体格から渡来人と思われるが、大陸から海路薩摩半島笠沙を経由して大隅半島
内之浦、志布志湾波見から南九州へ拡がった渡来人が熊襲。

日向神話は今の宮崎県と思われているが、日向(ひむか)は宮崎県、鹿児島県(薩摩半島、
大隅半島)で、その中心は大隅半島。渡来人の熊襲が勢力を南九州まで拡げ、同じ一族から
邪馬台国と狗奴国が分かれたと思われる。邪馬台国は宮崎で狗奴国は大隅半島か。
264天の声:2012/07/14(土) 14:40:05.71
体制側が邪教扱いした鬼道の産物たる神獣鏡を
体制側の尚方では絶対につくらない。これで神獣鏡が魏鏡だった可能性は消える。

後漢末の動乱期に盛んになった鬼道の産物たる神獣鏡を、
公孫親子支配下の郡県で造ることも絶対にない。鬼道はまだ遼東まで広がっていない。

他愛のない主張に自我を張るバカどもにこそ、
メンツと主義主張を重んじた古代人の自我がわかるだろう。
他人ごとだからと勝手な詭弁をいうでない。わかったら話題を変えろ


265日本@名無史さん:2012/07/14(土) 14:47:07.07
中国側だって反体制派だっているし、
倭の海人族だって勝手に交易、手引きする奴もいるだろう。
266日本@名無史さん:2012/07/14(土) 14:47:26.35
本来の意味には関係なく形だけ劣化コピー
粗悪品に食われて本家が衰退
現代ではよくあること
中の人は一緒なんだぜ
267日本@名無史さん:2012/07/14(土) 14:56:07.26
ここ読むと畿内説の人って根本的に
  邪馬台国=大和朝廷
になっちゃってるなぁ。これすら色々諸説有るのに。これが崩れると畿内説は崩壊か。
268日本@名無史さん:2012/07/14(土) 15:03:55.99
>>264
「景初三年」銘とはこれ如何に?
269日本@名無史さん:2012/07/14(土) 15:51:54.58
>>267
九州説も邪馬台国=九州の野蛮国の一点張りじゃん
畿内と九州で文化の一貫性がないため邪馬台国が東遷して大和王権になった説は不可能
そのため邪馬台国は倭国の主要国などではなく
九州の野蛮酋長連合という地方野蛮国説が崩れると崩壊してしまうんだね
270日本@名無史さん:2012/07/14(土) 16:05:02.50
>>246
王仲殊さんは、畿内説の人の招待でやってきて、いろんな接待を受けた。
でも、結論は、三角縁神獣鏡は日本製という畿内説にとっては過酷なもの。
王仲殊さんとしては、畿内説に気を使って擁護せざるをえなかっただけのこと。

こういう、しょうがない畿内説の人はけっこう多い。
271日本@名無史さん:2012/07/14(土) 16:19:15.23
>>268
余念なく作ってほしかったものだ。
272日本@名無史さん:2012/07/14(土) 16:19:57.35
>>270
本気でそう考えてるなら君は少し病んでるのでは?

畿内説で△国産説でも全然困らないし
むしろ今は多いですよ。
273日本@名無史さん:2012/07/14(土) 16:31:32.82
>>272
畿内説にとって三角縁神獣鏡がどういう意味を持っていたのか、を知らない
人も出てきたということなんだろうな。

というか、5000万円の壷と思って大事にしていたら、3000円と言われて
捨ててしまったという感じなのかもしれない。
274日本@名無史さん:2012/07/14(土) 16:43:10.39
>>273
ここ15年位の発掘状況で変わってきたという事だよ。
銅鐸・銅矛文化圏なんて分類も過去の物だし。
275日本@名無史さん:2012/07/14(土) 16:55:48.12
>>273
ちょっと違う。
古代の人々は三角縁神獣鏡が価値の低いものだと分かっていた。
副葬のされ方を見ても分かるように、三角縁神獣鏡は棺の外や足元などにばら撒かれてる。
頭のまわりや身体の近くには後漢鏡などが置かれ貴重に扱われている。

三角縁神獣鏡をありがたがってるのは畿内説だけ。
276日本@名無史さん:2012/07/14(土) 17:08:35.09
>>275
>三角縁神獣鏡をありがたがってるのは畿内説だけ。

お前がそう思い込みたいだけだろw
277日本@名無史さん:2012/07/14(土) 17:14:34.27
>>276
じゃ何で頭のまわりなどには置かれずに、棺の外に置かれたり足元にばら撒かれたりしてるんだよ?
ほれ理由を言ってみい。
278日本@名無史さん:2012/07/14(土) 17:24:47.82
>>277
頭悪いのか?畿内説だけど△を重要視してない人も
今は多いよ、という話だろw

△を畿内や北部九州でどんどん造って配布したという論調。
その為に銅鐸も材料として使われたのでは?という考え方だ。
279日本@名無史さん:2012/07/14(土) 17:52:33.15
三角縁神獣鏡もダメ、
記紀もダメ、

あれ、畿内説の根拠はないね?
280天の声:2012/07/14(土) 18:06:04.72
>>275 >副葬のされ方を見ても分かるように、

これは、素人にしては非常にいい着眼だ。
副葬品の配列にも重要な意味があったのだが、日本の考古学はこれに注目してこなかった。
遺物にまつわる歴史や古代人の信仰心には頓着せず、土の下から出る遺物だけをみてきた欠陥だ。
専門家からアマチュアにいたるまで、いかに唯物的・表層的研究をしてきたかたを確認しよう。

●中国古来の鏡信仰
中国では古くから鏡に呪術的な機能があるとして、貴族たちは人が死ぬと墓に鏡を副葬した。
漢代になると、皇帝は臣下が死んだ際には遺族に副葬用として鏡を贈るようになる。
鏡は身分や男女の区別なく副葬され、一人一面だけでなく複数の場合もある。
一つの鏡を2つに割って(いわゆる一つの破鏡)、二人別々の棺に納められていた例もあるという。
このような、銅鏡を「邪を払う・神に会う」ための呪具とする信仰は、
のちの道教の中に継承されることになる。(王育成)

●三種の神宝・呪具の誕生
銅鏡に対する呪術的な機能は中国支配層の間にも古くから存在した。
この、銅鏡を邪をはらう・神に会うための呪具とする信仰は、
2世紀末の天師道(鬼道)の登場によって「鏡に剣を加えた二種の神宝」へと変わる。
続いて4世紀頃、天師道が儒教を取り込んで道教へと昇華するとき、
儒教の神宝である玉(ぎょく)を加えて、「鏡・剣・玉の三種の神宝」が誕生することになる。

つづく
281天の声:2012/07/14(土) 18:06:38.28
つづき

●「神獣」に込められた意味
(天師道の後身たる)道教において、
鏡は神仙示現・予知・不老長生・辟悪などに関わる呪具として用いられるものであり、
副葬品としての鏡もまたそうした多様な呪術的性格を持ち合わせていたのではないかと思われる。
たとえば神獣鏡に描かれた神仙や霊獣が道教的思想を反映して描かれたことは、
神仙が東王父・西王母などに対応して配置されていること、
霊獣が巨(矩)と呼ばれる呪具などをくわえた例などからもうかがわれる。
その際、霊獣は神仙の乗り物として
死者の霊魂を仙人のいる天上世界に導いてくれることを期待されたのではないか。(王金林)

●三種の呪具の機能(それぞれの呪具=明器としての機能は次の通り)。
@銅鏡は神仙と会い悪魔を制御する呪具。
A剣は死者の魂が神仙世界に昇る尸解の呪具。
B玉は不朽で永遠に存続する呪具。

●副葬呪具の配列のもつ意味
墓に副葬された道教の呪具の中で、玉は不朽で永遠に存続する、
銅鏡は神仙と会い悪魔を制御する、
さらには、銅鏡を被葬者の左右に置く「日明鏡」、
銅鏡を前後左右に置く「四規鏡」は、神仙と会い悪魔を制御し、
俗から離れて仙人になる目的を達成する思想による。(王金林)

……これまで、敬虔な気持ちで墳墓発掘に向かっている墓掘り学者はいたろうか。
282日本@名無史さん:2012/07/14(土) 18:30:05.11
三種の神器はじゃがいも豪族の持物だと書いてたのは見たことがあるw
283天の声:2012/07/14(土) 18:33:15.33
>>268   >「景初三年」銘とはこれ如何に?
禅譲を受けた正統王朝たる魏の尚方で邪教鏡を造ることは絶対にないこと。
その魏では絶対に造らない邪教鏡に魏の年号が入っていること。
この、超のつく不条理に着目して問題提起したのは俺が初めてだ。
なぜか。頭わるいなりに考えてみろ。

それでも、卑弥呼に贈るために魏で作った鏡だというか?
284天の声:2012/07/14(土) 18:41:00.39
>>282
>三種の神器はじゃがいも豪族の持物だと書いてたのは見たことがあるw
道教がルーツの三種の神器は鏡と剣と玉璽(璽符)だ。
その中で玉(ぎょく)だけを、日本書紀が勾玉(まがたま)に変えてしまった。
これをじゃがいもたちは信じて、権力の象徴や祭器としている。

なぜか。
玉璽は、秦の始皇帝以来、倭国でも皇位継承の大切な神宝だった。
道教の神宝と天皇だけんが所持する神宝が同じではまずかろう。
かくして、依然として皇位継承の証したる神宝は玉璽としてあるわけだ。

ここまで書いたが、誹謗目的の引用だと、誹謗らしい内容になるわな。
285日本@名無史さん:2012/07/14(土) 18:42:54.51
鏡の配置や道教に神仙思想とくれば、
当然最重要なのは水銀朱なんだけどね。
勿論そうなると畿内説が有利になるのは言うまでもないことだw
286天の声:2012/07/14(土) 18:46:25.85
というわけで、倭国に道教が伝わる以前の墳墓に、
「鏡と剣と勾玉」が副葬してあったからと、
これを三種の神宝といってきたのは時代錯誤・歴史しらずの恥言説、
という論理に帰結する。これを指摘したのも俺が初めてだ。
けっこうあるだろ。
弥生時代の墳墓に「三種の神器」が副葬されていたなどというバカ言説。

半端素人ばかりの中に、本物がやってくる有り難みを知れ。
287日本@名無史さん:2012/07/14(土) 18:46:32.16
>>280
バレバレの自演するなよ‥
288日本@名無史さん:2012/07/14(土) 18:47:53.91
>本物がやってくる有り難みを知れ。

アホの伊作さん乙

289天の声:2012/07/14(土) 18:49:26.01
おーい。
>>275で  >副葬のされ方を見ても分かるように、
と書いた名無しよ。

俺は名無しでは投稿しない人なんだ。
>>287 のゲス野郎にゲスの邪推だってことをいってやれ。
290日本@名無史さん:2012/07/14(土) 18:50:13.57
>俺は名無しでは投稿しない人なんだ。

じゃ、遺作でいいじゃんw
291日本@名無史さん:2012/07/14(土) 18:52:15.30
いぜんから疑問なのだが、水銀朱が祭祀に必要だとして、
入手できるルートが確保出来てればいいのではなかろうか。

鉄が重要だとしても、鉄鉱石や砂鉄のある鉱山で都ができるということもなかろう。

現に九州各地で水銀朱が使われているし。
292天の声:2012/07/14(土) 18:52:41.32
>>287  >>288
きちんと論拠を提示して・バカにもわかるように正論をぶつと、
こういう中身のない投稿が目につくようになる。進歩がないな。

半端素人が思いつきを書き垂れる2ちゃんらしいところだ。
293天の声:2012/07/14(土) 18:56:05.95
さて、サッカーだ。 「オラはreds!!」
294日本@名無史さん:2012/07/14(土) 18:57:02.53
>>292
といいつつ神仙思想と水銀朱については逃げますね。
一度国内の状況について薀蓄語ってよ。
巻向周辺には水銀朱の為の古墳まで存在するからな。
295日本@名無史さん:2012/07/14(土) 19:01:38.28
>>291
中国人は資源に対しては今も昔も貪欲だぞw
当然正規の役人じゃなくてもやってくるし、出土地とパイプも出来る。
魏と各地の関係は大きくなってゆくと思うけどね。
296日本@名無史さん:2012/07/14(土) 19:22:39.10
ホケノ山からも画文鏡が出てるのに、
画文鏡も4世紀以降のものだとか力説するこの天の声とかいう
やつは馬鹿だろw
どうせこいつも九州が地元で九州に邪馬台国を誘致して
町おこしにしたいんで、結論ありきでまず邪馬台国は九州だという
前提ですべてそれにつじつまあわせてるにすぎない。
297日本@名無史さん:2012/07/14(土) 19:47:37.36
>>269
畿内説では偽書とされる記紀。天皇の正当性を表した書物。
この2つに、九州筑紫への天孫降臨、神武の東征が書かれているのは何故なんだろうね。
天皇家に都合よく書かれているので、大和朝廷が畿内発生なら、何で天孫降臨を畿内にしなかったのかな?
神武の東征も物語の見方が強いが、何故記紀に書かざるを得なかったか。
何らかの作用が九州から畿内にきたことは間違いないと思うよ。
298日本@名無史さん:2012/07/14(土) 19:50:11.34
>>246
王仲殊先生はそんな馬鹿だったのか?
299日本@名無史さん:2012/07/14(土) 19:52:12.42
>>247
>九州説なら東遷を立証できなければ成立しない。

邪馬台国と大和朝廷は別の勢力なのだから
そんな必要は皆無。
300卑弥呼は朝鮮にいた:2012/07/14(土) 19:55:58.69
伊作はあいかわらず嘘ばかり書いているな。

>道教がルーツの三種の神器

こんなのは真っ赤な嘘だ。
契丹古伝の冒頭に鏡の原義が書かれているように、
鏡というのはもともと満州朝鮮族が尊んだ品だ。
ネットの高句麗史を見ても、位を譲るときは剣と璽を与えている。鏡は無いがね。

もともと日本神話に最初から三種の神器が出てくるではないか。
伊作という男がいかに中国かぶれであるかがよく分る。
301日本@名無史さん:2012/07/14(土) 20:00:07.44
ほんとどいつもこいつも胡散臭い文献引っ張り出して
ああだこうだ言ったり、あげく鏡は国産に決まってるだの、
古墳は3世紀なわけないと勝手な思い込みばかりw
ほんと素人の邪馬台国論などまじ糞ってことがよくわかるわ。
ちゃんと大学で歴史学の専門教育受けてない奴が
手を出すとすぐにこういう妄想のオンパレードになるし
堂々巡りで結論などでない不毛なループを繰り返すだけになる。
302日本@名無史さん:2012/07/14(土) 20:06:49.04
魏でも神獣鏡がたくさん作られてるから、「これからは鏡はやっぱり神獣鏡だねっ」ということで
倭に神獣鏡が100枚贈られたんだろうな
303日本@名無史さん:2012/07/14(土) 20:10:17.28
プロなら研究は成果主義で期間も設定されてるんで
邪馬台国などまず研究テーマにしないしなw
△鏡が全部国産だとか言ってるここの素人どもも
完全な思い込みだしもう頭おかしくなってるだろw
304日本@名無史さん:2012/07/14(土) 20:12:24.27
>>301
大学の専門教育を受けた、歴代の歴史学者様たちのおかげで
現在の邪馬台国論争の混迷があるんですよ。

少しはまともな古代史観を国民に植え付けて欲しいもんですな。
特に、国民の税金で食ってきた官立大学の学者様には。
305日本@名無史さん:2012/07/14(土) 20:16:56.34
結局史料も乏しいのに古代史学など専門にしてた
歴史学者が糞だっただけw
考古学会は昔から邪馬台国は畿内でほぼ統一されてたし。
文献史学から邪馬台国へのアプローチの第一人者が
あの古田武彦だし終わってるw
彼も所詮魏志倭人伝をこねくりまわして無理やり北九州に
邪馬台国を誘致してるだけだし素人と大差ない。
306日本@名無史さん:2012/07/14(土) 20:19:27.22

もちいふが旦那さん奥さんよいしょのの△のは「三角縁世俗鏡」と呼ぶべきですねえ
307日本@名無史さん:2012/07/14(土) 20:24:06.27
歴史学者が考古学的資料を参考にするというのが正当なやり方なのだ。
考古学者は邪馬台国を口にしてはならぬ。
308日本@名無史さん:2012/07/14(土) 20:31:15.03
邪馬台国は完全に考古学の領域だろw
倭人伝くらいしか史料がないのに歴史学者が邪馬台国なんかに手を出しても
結局放射説だのなんだのと倭人伝の解釈論に終始して終了だ。
素人と変わらない。むしろ考古学者のみが邪馬台国に口だしすべきで
歴史学者は黙ってるべき。素人など論外もいいとこw出る幕など最初からない。
一応歴史の本出して食ってる関祐二や井沢元彦の邪馬台国論だってそりゃひどいもんだろw
309日本@名無史さん:2012/07/14(土) 20:35:28.90
結局邪馬台国はヤマトと言うことだよ。
310275:2012/07/14(土) 20:39:00.18
>>287
下衆の勘ぐりだな
311日本@名無史さん:2012/07/14(土) 20:41:37.75
そういうこと。邪馬台国はヤマトのことだし
江戸時代まではそれが定説だったんだが、
新井白石あたりが九州じゃないかといい始めてからおかしくなった。
倭人伝の行程があいまいだったためにね。
でもってそこに歴史マニアが飛びついて、勝手な妄想を繰り広げる
領域になったわけw史料が乏しい時代なのもあり、素人でも
参入しやすいネタだったのも影響してもう民間の邪馬台国関係者は
痛い奴だらけwほんと自分だけの邪馬台国を探し回って主張してるにすぎない。
312日本@名無史さん:2012/07/14(土) 20:48:06.64
三角縁神獣鏡がダメで箸墓がダメで畿内説にはあと何が残ってるの?
313日本@名無史さん:2012/07/14(土) 20:50:00.48
>>308
だから、椿井大塚山古墳とか黒塚古墳とかが誰の墓で、それはどういう人
なのかがわかるなら、考古学も有用だろう。
あるいは、発掘調査された遺跡がなんという国なのか考古学でわかるのならば…。
314日本@名無史さん:2012/07/14(土) 20:51:30.34
三角鏡も箸墓級の古墳もない九州には最初からなんにもないだろww
そもそも三角鏡にいたっては景初3年とか卑弥呼朝貢年の年号入りなのも
あるんだし国産だろうがそうでなかろうが明らかに卑弥呼と
関係ある鏡で間違いないだろうに。その鏡が九州じゃほとんどでないんだし
九州に邪馬台国があったわけない。いい加減目を覚ませ
315日本@名無史さん:2012/07/14(土) 20:54:33.08
>>314
思い込みもここまで来たら犯罪だなw
316日本@名無史さん:2012/07/14(土) 20:58:59.32
根拠無くまくし立てるのは、知障の19歳によく似とるが…
317日本@名無史さん:2012/07/14(土) 21:02:41.87
プロがもうほとんど畿内説支持してるのに
素人が九州説が正解だとかまじ笑えるなw
まあオタクってのはそういう人種だけど。
318卑弥呼は朝鮮にいた:2012/07/14(土) 21:04:58.48
>>314
だから19歳よ、その三角鏡も箸墓級の古墳も、
卑弥呼とは何に関係もないと、九州説の諸君は言っているのだよ。
三角鏡は国産だと言っているのだし、
卑弥呼の墓は箸墓級の古墳でもなく前方後円墳でもない、と言っているのだ。

そこを突き崩さないと、お前がいくらワンワンキャンキャン吠えたところで無駄なのだ。
それに人を嘲笑するのが目的なら、こんなところには出てこなくてもいいのだ。
319日本@名無史さん:2012/07/14(土) 21:07:50.78
そりゃもう消去法で言えば九州説の可能性なんてないからな。
そんなの皆判ってるから必死なんだろうが‥
320日本@名無史さん:2012/07/14(土) 21:13:04.71
>箸墓級の古墳でもなく前方後円墳でもない

でもこの主張を九州説の連中がしちゃうと、
吉備や阿波には円形周溝墓とかが候補としてあるからな。
こちらは箸墓より古いし円墳なのは確実だし。

阿波の八倉比売神社とか祭神アマテラスだぞ‥
321卑弥呼は朝鮮にいた:2012/07/14(土) 21:13:10.83
この19歳という男は大学の史学科に籍を置いているということがよほど自慢なのだ。
やたら専門家だのプロを連発している。この男は学者とか学界というものを、
よほど権威のある立派なものだと思っているのだろう。
自分がエリートの仲間入りをしたものだから、大学の専門教育を受けていない人間など、
ハナから馬鹿にしているのである。
要するに自分がエリートであることを自慢したいだけであり、
われわれを嘲笑したいだけなのである。
322日本@名無史さん:2012/07/14(土) 21:14:33.72
C14と年輪年代との整合から、箸墓も九州説が言うほど後の時代ではない。
科学的データでそういう結論が出ててプロの間でもそうしたコンセンサスがあるんだし
素人風情がそれ否定するのはないわ。
3世紀後半の古墳でいいと思う。もしくはもう少し後でせいぜい4世紀初頭くらいまでだ。
卑弥呼の墓である可能性など関係なく、箸墓のサイズを基準に
その後全国に前方後円墳が作られだすと言ってるだろうに。
つまり箸墓がある巻向が当時の日本の中枢で間違いない。
遅くとも4世紀初頭までには畿内巻向を中心とした体制になってるわけで、
九州説だと台与やその後の男王の時代まで九州に邪馬台国があったことになり
矛盾しまくる。ほんといい加減それを理解しろ。
だから邪馬台国に手を出す素人は頭悪い基地外だらけといわれるんだよw
323日本@名無史さん:2012/07/14(土) 21:18:45.05
>>322
君痛いな
324卑弥呼は朝鮮にいた:2012/07/14(土) 21:18:54.65
だから卑弥呼の墓は前方後円墳ではないと言っているのに。
馬鹿か、お前は。
325日本@名無史さん:2012/07/14(土) 21:24:27.82
本人は「旧帝国大学」と大威張りだったが、国立の中でも私学と間違えられてしまうような、名古屋大学だからなあ。
秀才が遠方の国立大学受けるなら、九大・京大・阪大・東大・東北大からしか選ばないな。
326日本@名無史さん:2012/07/14(土) 21:26:01.53
前方後円墳は4世紀になると同時多発的に全国一斉に造られ、しかも規模の面で中央と地方の序列がある
3世紀中に西日本が畿内を中心とした連合体制になっていたということ
327日本@名無史さん:2012/07/14(土) 21:26:27.59
ここでやや厳密性をもたせてゆうと

卑弥呼の墓はそのシェイクダウン時に前方後円墳として製作されたものではないと。

後日にどの様な魔改造が加えられているかとかのは不明。
328日本@名無史さん:2012/07/14(土) 21:28:53.09
>>326
根拠なく叫ぶだけか?
329日本@名無史さん:2012/07/14(土) 21:29:19.16
しかしそのころ、九州では、円墳も作っていた。前方後円墳より大きな物を。
そして、全く作らなかったところも。
330卑弥呼は朝鮮にいた:2012/07/14(土) 21:30:42.42
>前方後円墳は4世紀になると…

こんなのは学者が言っていること。
記紀には箸墓は崇神の代に造られたと書かれている。
崇神は紀元前の天皇だ。
331日本@名無史さん:2012/07/14(土) 21:31:27.68
九州は古墳時代を過ぎても
バリエーション豊富で困る。

全然統一されやしねえ
332日本@名無史さん:2012/07/14(土) 21:33:35.91
九州は古墳の形状にあまり法則がないから、
装飾古墳の絵柄を見たほうがいいかも
333日本@名無史さん:2012/07/14(土) 21:35:02.64
>>329
何処?具体的に言えよ
334日本@名無史さん:2012/07/14(土) 21:40:29.10
>>330
紀元前に鐙はねぇよ
335日本@名無史さん:2012/07/14(土) 21:40:52.95
>>326
そんなのは、江戸時代の城を見て、ああだ、こうだというのに等しい。
姫路城や大阪城に将軍が住んでいたなんてのもいえるわけで、
文献がなければ、何とでも言える。どんな理屈でもつけられる。
336卑弥呼は朝鮮にいた:2012/07/14(土) 21:43:39.72
>>334
そんなことは分らない。学者が言っているだけだ。
お前は学者の言うことは何でも信じるのか。
337卑弥呼は朝鮮にいた:2012/07/14(土) 21:47:12.70
そもそも古墳の外部から何が出ようと、
そんなものは築造年代の決め手にはならない。
こんな簡単なことが、考古学者もここの人間も理解できないでいるのだ。

まったくアホとしか言いようがない。
338日本@名無史さん:2012/07/14(土) 21:49:31.10
大阪城は江戸時代以前に築造されていて、江戸時代は幕府直轄の城だろwww
339日本@名無史さん:2012/07/14(土) 21:51:52.56
ここの九州説は畿内中心の連合体制というと、すぐに大和自生と直結させるからな
340日本@名無史さん:2012/07/14(土) 21:52:35.57
そういえば尼寺一本松遺跡で、カメ棺から、
方格規矩鏡がでてたな。
もはや、古墳ですらない。
341日本@名無史さん:2012/07/14(土) 21:58:22.37
そもそも古墳時代とはなんだろう。
342天の声:2012/07/14(土) 22:01:08.22
>>304
> 少しはまともな古代史観を国民に植え付けて欲しいもんですな。

国立歴史民族博物館が、管轄官庁の意向を受けて畿内説で頑張ってる。
単独では、手品まがいのことをしてまで頑張れるわけがなかろう。
その歴博の息のかかった下っ端が、ここで半ば仕事としてプロパガンダしてる。
見え見えというよりも、使命感を漂わせて必死だ。

もう数年前から、歴博のやることに対しては、
考古学協会も一部のマスコミも距離をおきつつある。
本当に日本の古代史を正常に戻したかったら、
文科省以下管轄官庁と管轄機関の仕分けが必要だろう。
343日本@名無史さん:2012/07/14(土) 22:03:15.88
前方後円墳で統一されているということは、
周囲の豪族の宗教観が一致していることを意味する。
それは、ひとつの氏族から派生した場合に起こりやすい。

統一されていないのは、様々な宗教や文化を持つ氏族が、
同時並行で発展している場合だ。
344日本@名無史さん:2012/07/14(土) 22:04:18.39
箸墓の年代に文句言うくせに、溝から出てきた鐙を論証にする‥

学者を信用しないのなら鐙の年代も信用するなよw
345日本@名無史さん:2012/07/14(土) 22:07:56.37
白蟻に毛の生えた如きものに期待とかするほうがどうかしている
346日本@名無史さん:2012/07/14(土) 22:08:29.72
鐙が掘られた溝最下部の地面に接触していたので、
築造時とほぼ同じ時期と判断されたのではなかったかな。
347天の声・さいけい:2012/07/14(土) 22:14:17.85

畿内説を唱える者にとって、邪馬台国は研究対象ではなく処世ツールであり、助成金の蛇口にすぎない。
考古学・古代史学の世界には畿内説でつくるヒエラルキーみたいなものがあって、
これに依存して生きることを選択した者は、このヒエラルキーの中で就職・昇進・栄達というコースを歩む。
そうして、死ぬまで畿内説を叫ぶことになる。
WEB上を徘徊する畿内説者の質も色々で、何らかの形で畿内説ヒエラルキーの末端に属すると思わせる者が、
WEB上でプロパガンダをやってる匂いすらする。

正面から「箸墓、纏向」を掲げるのは歴博だけだ。橿原はそうでもないらしい。
こうした見え見えの欺詐を用いて、ある種使命感すら感じさせて畿内説を推進する者がいるのは、
「お上の意向」を具現化しているからではないのか。
ここでいう「お上」とは、管轄する官庁組織、研究費・助成金を管轄する組織だ。
一部官僚のご意向かどうかは不明だが、「お上」が畿内説の拠り所で免罪符なのだろう。
彼らにとっては、ひたすら邪馬台国は畿内にあったといい続ければいいのである。

いま畿内説ヒエラルキーの頂点は、
「箸墓、ホケノ山、纏向」を持ち出すところからも佐倉の国立歴史民族博物館のようだ。 
邪馬台国は永久に不明を願う「心理」と、 真相解明の足を引っ張る「動き」と、
畿内にあったことにしなければならない「都合」があるかぎり、この現象は続く。
邪馬台国に関する古代史社会は、正論をいえば通る世界でもないし、正しい見解が認められる世界でもない。
正論は聞き流し・黙殺しつつ、新手の畿内説推進手段を模索し続ける。それができた者は栄達を約束される。

どのみち一発狙いをするのであれば、こちらの生き方を選択する手もあるぞ。
畿内説を有利にする新説でも構築すれば、
お上をはじめ畿内説学界やマスコミまでが喜んで取りあげ、一躍時の人になれるぞ。
だが、ここで畿内説をほざく野郎たちも、古くさいのを孫引きしているだけで、目新しいものは何も見られない。
穴狙いの手法=「いかに巧妙にウソをつくか」を模索してもネタ切れだ。
348日本@名無史さん:2012/07/14(土) 22:18:07.00
伊作もサイキバレベルまで落ちたな
349日本@名無史さん:2012/07/14(土) 22:21:00.18
神仙詐欺だけに詭弁は得意だなw
350日本@名無史さん:2012/07/14(土) 22:21:30.76
箸墓って作りがしっかりしすぎだろ
250年とかそのくらいの時にはまだ形も試行錯誤のはずでさ
試行も無しに最初にいきなり完成形を作ったの?
他のバチ型とかいう古い古墳見てみろよボロボロになってるだろ
あの形の中ではいちばん後くらいに出来た完成型が箸墓だろ
351日本@名無史さん:2012/07/14(土) 22:28:12.05
>>344
鐙だけじゃないんだが、鐙を論証にするから箸墓の年代に文句言うんだよ
お前思考がおかしいぞ

352日本@名無史さん:2012/07/14(土) 22:30:03.76
なんで九州と畿内を切り離して考えようとするのか理解できん
353日本@名無史さん:2012/07/14(土) 22:32:35.07
>>347
九州は助成金をもらわずに発掘やってるとでもいうのかね?
纏向優勢なのが腹が立つからって詐欺でっち上げ長文を平日も土曜も一日中連投って
あまりに恥ずかしくね?
これだから九州説はレベルが低いと言われるんだよ
354日本@名無史さん:2012/07/14(土) 22:38:19.16
>>351
その理屈は変だろ、どちらの判断も学者がするものだ。
それに内部から出てない以上は参考にもならないよ。
355日本@名無史さん:2012/07/14(土) 22:50:03.41
>>354
日本語と考古学をもうすこし勉強してきなさい
356日本@名無史さん:2012/07/14(土) 23:02:53.34
>>344
貴方はとんでもない馬鹿ですね。
鐙から箸墓の年代がおかしいのですよ。
357日本@名無史さん:2012/07/14(土) 23:14:15.13
>>353 末端クン
言いたいことはそれだけですか?

>九州は助成金をもらわずに発掘やってるとでもいうのかね?
何に対していっているのか不明だが、多分巻向に対して九州と言っているのかな?
九州の考古学は、特に「邪馬台国」と直接結びつけようとはしていないだろう。
むしろ、九州の出土物に対しては大和政権との結びつきを強調することが多いし、
弥生時代の遺跡も発掘してみたら、たまたま、見つかっただけ。
ただし、九州で見つかってしまった弥生遺跡は確実に邪馬台国に近い遺跡ばかりだけどね。

>纏向優勢なのが腹が立つからって詐欺でっち上げ長文を平日も土曜も一日中連投って
>あまりに恥ずかしくね?
たいして、連続書き込みはないみたいだよ。そんなに気にしているの末端の君だけじゃないの?

>これだから九州説はレベルが低いと言われるんだよ
そっくりそのまま末端の君のことだよ〜wwwwwwww

畿内説の低能ぶりをさらけ出しちゃったかな〜、末端の君
358日本@名無史さん:2012/07/14(土) 23:25:56.98
>>357
あれ?
吉野ヶ里が見つかったとき「邪馬台国か!」と大はしゃぎしてたのはどこのどなたでしたっけ?
地元の自治体も「これが邪馬台国なら観光の目玉になる」として税金相当投入して
観光施設として整備しましたけど?

>九州で見つかってしまった弥生遺跡は確実に邪馬台国に近い遺跡ばかりだけどね
具体的な遺跡名をあげようね。
どんなに大見得張ってもそれができないのが九州説の悲しいところ。

結局具体論もないのに畿内は捏造、と連投しているニート末端君の悲しい末路でしたw
359日本@名無史さん:2012/07/14(土) 23:48:35.94
纏向しか心のよりどころがない畿内説も九州説と似たり寄ったりwww
360日本@名無史さん:2012/07/14(土) 23:49:23.48
>>355
馬鹿には無理な注文です。
361日本@名無史さん:2012/07/14(土) 23:52:36.95
卑弥呼が共立されたのは2世紀。
2世紀に
畿内が九州を含む西日本を支配していたというのは妄想だ。

畿内説は成立すろ余地がない。
362日本@名無史さん:2012/07/14(土) 23:57:21.00
邪馬台国連合体制は卑弥呼の死で揺らぐ程度のもので、支配といえるようなものではないと思う
363日本@名無史さん:2012/07/15(日) 00:08:33.58
仲良し連合には無理がある。
支配のほうがはるかに現実的。でも、2世紀は早すぎて非現実的。
結局、畿内説は非現実的。
364日本@名無史さん:2012/07/15(日) 00:18:31.70
北部九州にはそれほどの資源がないから、中国が認めた九州の3分の1の小さい倭国は存在し得ない
それは現実に糸島の遺物が証明している
弥生後期には北部九州が鳥取の青谷上寺地遺跡を攻めている
弥生終末期の倭国は小さくない
365日本@名無史さん:2012/07/15(日) 00:23:44.60
>>363
単なる君の願望だろ、それはw
366日本@名無史さん:2012/07/15(日) 00:28:34.67
>>355
残念ながら日本の考古学者で、
九州説なんてもう殆どいませんよw
367日本@名無史さん:2012/07/15(日) 00:32:31.29
2世紀には九州の方が先進国。
畿内は田舎。
九州の国々が見も知らぬ畿内の田舎女性など共立しようはずもない。
畿内説は成立しない。
368日本@名無史さん:2012/07/15(日) 00:34:24.62
探究心のかけらもない
369日本@名無史さん:2012/07/15(日) 00:35:28.85
>>366
残念ながら日本の考古学者は馬鹿ばかりと言うことになる。。
実に情けない。
370日本@名無史さん:2012/07/15(日) 00:41:36.27
>>369
だから半島人に九州説論者が多いんだね‥
371日本@名無史さん:2012/07/15(日) 00:46:24.25
みったくないから熊襲の土人の女酋長さんの奪い合いとかやめたら?
372日本@名無史さん:2012/07/15(日) 00:54:26.76
>>347
>正面から「箸墓、纏向」を掲げるのは歴博だけだ。橿原はそうでもないらしい。

橿原から、箸墓卑弥呼の墓説は聞いたことも読んだこともない。
373日本@名無史さん:2012/07/15(日) 00:55:09.31
>>370
半島出身の
畿内説詐欺師が何か言っている。
374日本@名無史さん:2012/07/15(日) 00:59:33.83
>>373
俺は元々中国系なんだがね。
だから結構冷静に判断してるつもりだよ。
375日本@名無史さん:2012/07/15(日) 01:11:48.79
>>370
>だから半島人に九州説論者が多いんだね‥

半島人が九州説論者なのではない。
半島人には九州説が都合良いので、九州説を引用しているだけ。

九州説論者にとっては迷惑なことだ。
376日本@名無史さん:2012/07/15(日) 01:19:43.61
對海国、一大国、末廬国、伊都国、奴国、不彌國、他に書かれていないところを合わせて女王国。
戸数は最低でも4、5万戸、後の書で1万戸とされる伊都国など戸数の誤りも勘案して最高10万戸、
女王は争いを避けるための一応の共立。筑後平野のどこかに居る。実権なし。
すぐ南の狗奴国は熊本+α。戸数は3、4万。
女王国と狗奴国は抗争中。勢力的にも脅威。
邪馬台国は女王之所都ではない。邪馬台国のことは何も知らない魏の使者。
邪馬台国には女王はいないし一大率も置いていない。一大率を置いたのは女王国。
邪馬台国どころか奴国にすら行ってない。実は女王は近くの北部九州のどこかにいた。
377日本@名無史さん:2012/07/15(日) 01:24:12.59
>>374
詐欺師の証言を信じるのは馬鹿。
378日本@名無史さん:2012/07/15(日) 01:26:42.96
>對海国、一大国、末廬国、伊都国、奴国、不彌國、他に書かれていないところを合わせて女王国。

読解力理解力欠乏症。
379日本@名無史さん:2012/07/15(日) 02:45:09.35
>>376
奴国、不彌國、投馬國、邪馬壹國の4ヶ国を合わせて女王國。
戸数は、2万戸、5千家、5万戸、7万戸の合わせて14万5千戸。

女王は争いを避けるための一応の共立。邪馬壹國のどこかに居る。実権なし。
実権があるのは邪馬壹國の元王、難升米と掖邪狗である。
邪馬壹國の王都は、女王之所都ではなく、難升米と掖邪狗等が居る所。

女王國(投馬國と邪馬壹國)のすぐ南の狗奴国は熊本+α。戸数は10万以上。
女王國と狗奴國は抗争中。勢力的にも脅威。

魏使が駐る所は伊都國。
魏使はその都度伊都國から女王之所都に赴く。
伊都國の宿泊所から女王之所都まで日帰り行程の距離。
380日本@名無史さん:2012/07/15(日) 03:09:53.80
そりゃあ古代は西からの文化が栄えたに決まっている
九州が大陸に近いのだから
西の九州から栄え東に文化を伝えたんだ
畿内はのちに栄えたんだろう
九州の文化のが古い
381日本@名無史さん:2012/07/15(日) 08:10:51.80
>>377
なる程、九州王朝詐欺とか地名相似詐欺の事だね。
382日本@名無史さん:2012/07/15(日) 09:01:21.81
>>366
以前、考古学的に邪馬台国は存在しない。だから、私は邪馬台国について
語ったことはほとんどない。と言っていた石野博信さんが、今は、考古学者は
みんな畿内説で、九州説を唱える人はいない、と言っているわけだろう?
まあ、意味不明な人物だな。畿内説はこんな人ばかりなんだろう。
383日本@名無史さん:2012/07/15(日) 09:13:54.17
考古学の見地からだと九州説の主張なんて矛盾ありまくりだからw
384日本@名無史さん:2012/07/15(日) 09:18:38.91
ほんと毎日延々同じ内容でループしてるだけに見えるし
マジ邪馬台国オタとか基地外ばかりだなwww
385日本@名無史さん:2012/07/15(日) 09:25:40.39
>>383
考古学的に邪馬台国は存在しない、の意味がわかってんのかなあ。
386日本@名無史さん:2012/07/15(日) 09:28:22.22
魏志倭人伝などの中国の歴史書がない場合、
いくら地面を掘り繰り返して発掘調査しても、邪馬台国は永久に出てこないのだよ。
387日本@名無史さん:2012/07/15(日) 09:32:18.13
考古学的にも邪馬台国は存在するよ、当たり前の話だが。
ただ学者は何でも邪馬台国に関連付ける風潮が、
作業の邪魔になるため極力距離をおいてるだけの話。
388日本@名無史さん:2012/07/15(日) 09:40:23.90
>>387
では、畿内説的には、吉野ヶ里遺跡は何という国なんだい。
全面的な発掘調査がされているらしいが、国の名前も王の名前も出てこない。
せいぜい、倭人伝から国の名前を拝借するくらいのもの。

遺跡の発掘調査はたくさんされていると思うが、何という国かわかったことは
まずない。出雲も吉備もわからない。これもせいぜい倭人伝から拝借する
くらいのもの。

なのに、畿内説は邪馬台国だけは明確にわかるらしい。そんなのはおかしい。
389日本@名無史さん:2012/07/15(日) 09:46:52.58
大多数の畿内説的に吉野ヶ里は伊都周辺国だろ。
倭人伝を元に考古学的判断をすれば。
390日本@名無史さん:2012/07/15(日) 09:50:07.49
>>389
倭人伝を元にして伊都周辺国とすれば、倭人記載の距離的に畿内説は無くなりますね
391日本@名無史さん:2012/07/15(日) 10:02:23.23
>>390
>倭人記載の距離的に畿内説は無くなりますね
当然無くならないけどw
392日本@名無史さん:2012/07/15(日) 10:07:17.91
また雌鳥の熊襲の土人の女酋長さんの奪い合いとかしているの?
393日本@名無史さん:2012/07/15(日) 10:14:06.77
>>391

倭人伝には伊都国より南が邪馬台国と書かれてますからね。
吉野ヶ里を伊都周辺国すれば、その東にある畿内は違うということに
394日本@名無史さん:2012/07/15(日) 10:24:19.18
>倭人伝には伊都国より南が邪馬台国と書かれてますからね。
そんな事は何処にも書かれてないけど?
奴国二万戸の範囲が本州西部に及ぶ可能性もあるしな。
何せナガトの国だし。
395日本@名無史さん:2012/07/15(日) 10:28:24.44
今日もその南であって東じゃないネタかよww
それもう100回くらい聞いたよww
畿内説九州説とか説で争う時代などもう終結してるだろ。
専門家の間ではもう邪馬台国は畿内で決着して
これにて終了状態だぞ。いまだにそんなこと言ってるのは
まじ基地外素人くらい。
396日本@名無史さん:2012/07/15(日) 10:35:29.56
とりあえず妄想はやめろ。
学問板なんだし学問の領域で邪馬台国を語りたければ語れ。
胡散臭い文献など学問としては使えんし、
魏志倭人伝の行程解釈など時代遅れすぎてそんなもんいまだにやってるのは
馬鹿な素人くらい。そのポイントじゃ結論なんて絶対にでないから
ここまで邪馬台国論争が長引いたわけで。
397日本@名無史さん:2012/07/15(日) 10:35:38.72
南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月官有伊支馬次曰彌馬升次曰彌馬獲支次曰奴佳醍可七萬餘戸

南に至る・・・邪馬台国女王の所・・・・
398日本@名無史さん:2012/07/15(日) 10:48:45.38
邪馬台国に女王はいない北九州に女王はいただの、女王国に一大卒がいただの
もうそういう妄想はやめろつってんのww
延々そういう妄想の言い合い、同じネタのループになってるだけじゃん。
よく誰もこんな作業は馬鹿馬鹿しいと突っ込まないもんだ。
ほんと邪馬台国関係者などみんな糞ってことがよくわかるわww
399北斗の声:2012/07/15(日) 10:50:20.49
日本考古学協会総会に出席して
http://hpcgi3.nifty.com/washizaki/bbs/wforum.cgi?mode=allread&no=17

日本考古学協会も一部のマスコミも、
歴博の箸墓=卑弥呼の説とは、とっくに距離を置きつつある。
そんな危機感もあってか、
悪あがきにも似たプロパガンダを書き垂れる末端工作員がいるようだ。
400日本@名無史さん:2012/07/15(日) 10:59:10.45
つーか歴博のC14が出た時点で他の考古学者はみなブーイングだったぞ
そんなピンポイントができるもんではないことは誰もが知ってる
あと名古屋大のタンデトロンは関係が深いからな
401日本@名無史さん:2012/07/15(日) 11:06:37.25
まぁ考古学的に九州は論外という点では共通してるよ。
一番箸墓にこだわってるのは九州説だというお話w
402天帝の声:2012/07/15(日) 11:29:28.62
畿内説無理押し急先鋒の歴博。もともと官僚寄りのNHK。
両者ともに「国立」だ。公的機関だ。
その動きをみると、管轄省庁・官庁の意向が畿内説なのだろう。
だから、半ば堂々と・半ば冷や汗して畿内説を叫ぶ。
定期的に叫ぶことで、助成金を管理する窓口役人も上に通しやすくなる。

「墓の周濠から出た・土器に付着していた・ススを・炭素年代法で測定した」だと。
どの土器に・どのように付着していたのか。見せられた者はいるか? 

コンチキ図、神獣鏡、年輪年代法、C14炭素年代法、箸墓、纏向。
やってきたことを冷静に観察すると、畿内説の意識構造はマンガだ。

403日本@名無史さん:2012/07/15(日) 11:35:45.80
「ハシハカガー、レキハクガー」
と連呼するとお金が貰える簡単なバイトです。

盛り上げないと本が売れないので大変ですね。
404日本@名無史さん:2012/07/15(日) 11:38:41.46
>>403
マヌケは黙ってろ 
本とか個人収入になるだけだし、歴史フアンなどたかが知れてる
研究助成金の話だ
405日本@名無史さん:2012/07/15(日) 11:54:55.55
銅器出土数、鉄器出土数で、福岡が他を圧倒している。
弥生遺跡数、土器出土数なら、兵庫が福岡をちょっと超えている。

奈良は数量的には何も見るものはないので論外。

畿内周辺なら、兵庫を研究すべきではないだろうか。
地勢をみても、割と緩やかな平地、丘陵地帯がひろがる
良い場所である。姫路、明石とその上流部は重要かつ
広大な場所だと思う。
406日本@名無史さん:2012/07/15(日) 12:15:56.72
>>399
もともと箸墓=卑弥呼の墓を言い出したのは畿内考古学だった。
歴博を批判できる立場にはないだろう。
407日本@名無史さん:2012/07/15(日) 12:48:11.64
河川に堤防がない古代は筑後平野や熊本平野に王都どころか中小の都市も難しいのがわかるな
蛇行している大きな河川がある近くや火山灰質の脆い土壌はリスクが大きすぎる
408天帝の声:2012/07/15(日) 13:46:23.28
>>406
箸墓=卑弥呼の墓を言い出した畿内説考古学の急先鋒が歴博に移っただけだ。
歴博は、畿内説でもって出世コースを歩むの連中の本城になった。

>407
>河川に堤防がない古代は筑後平野や熊本平野に王都どころか
左巻き台風とは違って、西から九州山脈にブチ当たる豪雨だ。
現代ならではの気象異常で珍しい現象だ。
護岸がなかった古代においては、洪水など日常茶飯事で、
河川の流域や平地はあんなもんだったろう。

それでも、天才が比定する帥升の王城と卑弥呼の王城は、
2ヵ所とも台地の上だから「へ」でもない。
日田だの・朝倉だの・八女だのを邪馬台国とするタコなんざ・いい・ざまだな。
409天帝の声:2012/07/15(日) 13:58:27.42
おっと、いい忘れた。

古代人なりに、それまでの数十年・百年サイクルの経験則で、
台風のたびに水びたしになるような所に王城は築かない。当然の理屈だな。
ということは、洪水に遭うような場所に邪馬台国はなかったということだ。

ところで、
今度は近畿に「西からの豪雨」が降るようだが、静観するとしょう。
 
410日本@名無史さん:2012/07/15(日) 14:04:46.78
矢部川の下流の柳川市や旧三橋町は標高が低いから、
今回の水害はひどかったな。

日田の方は、筑後川の源流に当たる場所で、暴れ川で有名。

朝倉の平塚川沿遺跡、日田の小迫辻原遺跡も今のところは大丈夫そうだ。
まあ、過去二千年あまりをくぐり抜けてきたんだから、
古代人の土地の選定が良かったとは言えるだろう。

むしろそんな土地にまで住まなければならない現代人って、うむむ。
411日本@名無史さん:2012/07/15(日) 14:56:20.92
堤防が決壊してひどいことになった地域もあったようだが、古代の場合は
もともと堤防がない。雨季の洪水は当たり前のような状態じゃなかったろうか。
412日本@名無史さん:2012/07/15(日) 15:30:37.45
>>410

日田の遺跡は、みな、ちゃんと台地上にあるけど、
平塚川添は、その名のとおり川の傍で、押し流された住居跡とかの洪水遺構なども残っている。
流路の変更などで、長期に渡って水没していたことも確認されてますね。
413日本@名無史さん:2012/07/15(日) 16:33:54.77
熊本周辺に邪馬台国は存在しないのは確実。
九州では唯一大分〜宮崎周辺だけだな。
414日本@名無史さん:2012/07/15(日) 17:01:58.14
熊本は菊池川流域は弥生前期から北部九州の経済・文化圏には入ってるが宇土を除く中南部には広がらない
熊本平野に進出するよりも宮崎、四国への移住のほうが早い
あまり魅力のある土地ではなかったのだろう
大規模集落跡もないし、人が安定して住める状態ではなかったかもしれないな
水害の被害が多い土地は大国の直轄の開拓集落じゃないと雨が降るたびに食料難民になってしまう
415日本@名無史さん:2012/07/15(日) 17:19:05.95
熊本や筑後川上流部は、台地が多く住むには良いが、
広大な水田は望めない。
人口増加や食料増産に迫られて、下流低湿地帯に進出したと考えるべきだろう。
そして、都は台地に据えられると。
416日本@名無史さん:2012/07/15(日) 17:21:12.36
それと被害にあった地域に対して「いいざまだ」と罵声を浴びせる日本人は少ない
今回の東北の被災された方達の冷静な対応は世界でも評価され、同じ日本人として誇らしく感じた
何とか力になりたいと思った日本人がほとんどだろう
417天帝の声:2012/07/15(日) 18:20:30.37
>>416
勝手な誤解をしておいて非難かるのは誹謗だぞ。

日田だの・朝倉だの・八女だのを邪馬台国とするタコなんざ・
(いまごろ間違いに気づいてるはずだ)いい・ざまだな。

ここは邪馬台国比定地の話だ。
被害にあった地域に対して罵声を浴びせたのとは違うぜ。訂正しろ
418日本@名無史さん:2012/07/15(日) 18:25:18.43
九州説は地元説の人が多い
お前の普段の言動で判断するだろう
419日本@名無史さん:2012/07/15(日) 18:28:02.88
伊作に今さら徳や良識を求めてもな
420天帝の声:2012/07/15(日) 18:49:50.10
日向を邪馬台国だとしたがる奴がここまでデバってきるようだな。
こいつらは何を考え違いしたものか。

九州山脈東側は痩せひコケた傾斜地ばかりで生産能力がない。
(つい最近まで、イモとヒエとソバと麦しかつくっていなかったのだ)。
左巻き台風が直撃した時の惨憺たる被害状況は記憶に新しいところだ。

古墳群。西都原古墳群を鬼首もので掲げるが、
あの程度の国営葬祭センターは熊本にもある。塚原古墳群だ。
しかもここは、円墳、方墳、方形周溝墓、前方後円墳と、
それぞれに秩序をもって古墳群の区分けがされている。
秩序とは、計画的かつ指導的な力が働いているということだ。

花弁型住居も佐賀や熊本でも出ているし、これからも出る可能性はある。
いったい何をトチ狂って、貧しくて自然災害の多い東側に倭国王都があったというのか。
願望カラ念仏を唱えたかったら、誰も相手にしない閑古鳥スレに戻ってやれ。
421日本@名無史さん:2012/07/15(日) 18:50:37.91
邪馬台国は熊本にあったんだろ?
422日本@名無史さん:2012/07/15(日) 18:50:45.46
>>414
九州南部に広がる火山灰地帯(シラス台地とか)では稲作が困難なこともあって、弥生集落は少ないんだろ?
423天帝の声:2012/07/15(日) 18:53:35.22
熊本には吉野ヶ里クラスの弥生遺跡が幾つかあるし、
平地で稲作、外輪山南麓の広大な台地では畑作、眼下には豊穣の内海だ。
左巻き台風の被害がすくないし、外海からの津波の心配もない。
宮崎県でこういうところを探してこい。
424日本@名無史さん:2012/07/15(日) 18:55:25.47
>>415
当時、先進文明を築き上げていた中国でも、首都は近郊の村々で収穫される食糧に依存していた。
だから、近隣に多くの農村が散在してないと、首都を維持経営できないんじゃないか。
425日本@名無史さん:2012/07/15(日) 18:56:38.53
邪馬台国が東遷して大和朝廷になったなら、
邪馬台国と大和朝廷の間にどんな連続性があるというのか?
426天帝の声:2012/07/15(日) 19:00:32.84
>>422
>火山灰地帯(シラス台地とか)
使い古された誤認情報を孫引きしてるも知ったフリして垂れるな。
ほれ、知識と意識の180転換だ。

南九州には、カルデラ火山が集中している。
人びとの生活はこれらの火山と共にあったといえる。
なぜ危険な火山地帯に人は住むのか。
大阪市立大学理学部教授・熊井久雄氏が調べた結果、
太古から火山地帯は生活する上で大変理にかなったところだったという。

火山は天然の貯水池でもある。火山灰土壌は雨水を吸収しやすく、
下部へと降りた雨水は水を通しにくい泥炭層とぶっかり、溶岩の中を通ってゆっくりと下流へと向かってゆく。
それはやがて湧き水となって裾野の地表に出る。
この水が人々を潤した。火山の周りを流れる河川の流量も湧き水同様に豊富なことから、
人々は火山の周辺に居を構えたと考えられる。

さらに、火山は土壌を豊かにしている。日本の火山灰の中でも特に黒みがかった火山灰土壌は、
有機物が豊富で非常に肥沃だという。そのため木々や植物が良く育つ。
その後の日本で畑作や稲作が栄える背景にも、火山灰土壌の存在が深く関わっている。
(「火山地帯の悲劇と恩恵」荻野太郎)
427日本@名無史さん:2012/07/15(日) 19:01:31.64
邪馬台国が熊本にあったら噴煙を上げる阿蘇山や雲仙普賢岳のことを記述しないのは不自然じゃね?
428日本@名無史さん:2012/07/15(日) 19:02:25.23
やっと九州説スレに戻ったな。畿内説は畿内説スレを作ってやってろ。
429天帝の声:2012/07/15(日) 19:11:21.21
>>427
「不自然じゃね?」てタコ。
当事者が当事者の考えと感性で選択して書いたものを、
1700年もあとの人間の価値観で「書かなきゃおかしい」
というのがおかしいのだ。

わかりやすくいえば、
分譲マンションを買う者には、隣人を選択する権利はない。
(隣を誰が買うのか選択の権利はない)。
なのに、「あの人が隣に住むのはおかしい」としいうようなもんだ。
わかるか?
430日本@名無史さん:2012/07/15(日) 19:14:21.21
皇帝に報告する官製記録を感性で書くなんておかしいぜぇw
431日本@名無史さん:2012/07/15(日) 19:19:03.56
エッセイじゃあるまいし・・・
432日本@名無史さん:2012/07/15(日) 19:23:26.74
熊本平野の南の端っこの塚原古墳群は古墳時代に入ってからのものだな
皮袋形土器(アジアの遊牧民の使用する皮袋を模したもの)も出てるし、
ヤマトが統治に来てから造った墓場だろうな
その前にも先住の小さな集落や墓はあったろうけどな
433日本@名無史さん:2012/07/15(日) 19:23:33.70
そうだな、やっぱ阿蘇山はポイントだな〜
後年の隋書にはちゃんと記述されてるしな

中国人には、特に「火山」は物珍しいんだからな
434日本@名無史さん:2012/07/15(日) 19:25:32.48
弥生時代に稲作じゃなくていいなら、縄文時代の技術で十分だな
435日本@名無史さん:2012/07/15(日) 19:26:29.33
>>429
変な喩えだな。誰かわかるか?
436日本@名無史さん:2012/07/15(日) 19:28:13.05
ハイ、熊本消えたぁ!www
437日本@名無史さん:2012/07/15(日) 19:29:50.03
>>429
自分で中国人にとって火山は珍しいとか指摘しときながら、よく言うわw
そんなんだから森田笑龍ごときにとことんバカにされまくるんだよ
438日本@名無史さん:2012/07/15(日) 19:32:13.68
菊池川流域以外の熊本中部は北部九州製の小型仿製鏡が配られてる地域だからな
439日本@名無史さん:2012/07/15(日) 19:42:18.77
前後の記述から見て、倭人伝に言う丹が、
阿蘇山ベンガラと見られるので、
やはり阿蘇山に触れていないのは不審と言わざるを得ない。

とくに海側から訪問した時の阿蘇の雄姿は印象的だし
440日本@名無史さん:2012/07/15(日) 20:22:31.03
森田笑龍て誰?
441日本@名無史さん:2012/07/15(日) 20:56:00.73
正確に解釈したら、ベンガラは仙薬ではないので丹じゃない。
442日本@名無史さん:2012/07/15(日) 20:57:35.37
阿蘇の南の球磨地方は水銀朱出るよ。
443日本@名無史さん:2012/07/15(日) 21:00:46.68
いや、当然鉱脈はあるのだが、それを採掘した弥生遺跡が出ないとね。
証拠を固めるという点で弱いと言わざるを得ない。
444天帝の声:2012/07/15(日) 21:04:09.47
>>433
>後年の隋書にはちゃんと記述されてるしな
その後年に使節がきた旧唐書には書いてあったか?

>>435
>変な喩えだな。誰かわかるか?
哲学的だから。

>>437
>自分で中国人にとって火山は珍しいとか指摘しときながら、よく言うわw
俺のことがよほど気にになるらしく、しゅっちゅうストーカーしてるようだな。
俺の実力と魅力を認めてる証拠だ。
珍しいから必ず書くとは誰が決めたんだ。単細胞

>そんなんだから森田笑龍ごときにとことんバカにされまくるんだよ
ふーん、けっこうなストーカー野郎だな。 俺に会いたか?

>>439
>やはり阿蘇山に触れていないのは不審と言わざるを得ない。
それは・お前の・価値観。それが絶対だと誰が決めた。お前か。わらわら
445天帝の声:2012/07/15(日) 21:07:11.66
九州王朝説の残党が。俺を逆恨みしてストーカーか。
で・阿蘇山を持ち出して駄論をぶり返す魂胆か。
446日本@名無史さん:2012/07/15(日) 21:29:46.21
自称天災さん、なんか急にファビョっちゃったねw

やはりここは通説通り、
北九州の邪馬台国連合を率いる卑弥呼が、熊本平野の豊かさを我が物にしようと、魏の権威を後ろ盾に
狗奴国の王卑弥弓呼の官、狗古智卑狗(菊池彦)と争っていたと見るのが自然なんジャマイカ?

447日本@名無史さん:2012/07/15(日) 21:35:22.88
>>446
ちょうど徳川家康が、陸海の要衝にして豊かな「天下の台所」大阪城に居座る豊臣秀頼を滅ぼしたようにか?
448日本@名無史さん:2012/07/15(日) 21:38:49.61
>さらに、火山は土壌を豊かにしている。日本の火山灰の中でも特に黒みがかった火山灰土壌は、
>有機物が豊富で非常に肥沃だという。

「日本の火山灰の中でも特に黒みがかった火山灰土壌は」という部分は間違いである。
「黒みがかった火山灰土壌」は火山灰から形成された土壌のうち腐植が蓄積し(て黒色化し)たものであり、
火山灰ではない。
「日本の火山灰土壌の中でも特に黒みがかった火山灰土壌は」という表現が正しい。
ただし、そのように表現を改めても、南九州が畑作や稲作の点で特に有利であるということにはならない。
449日本@名無史さん:2012/07/15(日) 21:56:00.14
>>446-448
そうだよね。

20数ヶ国加盟の邪馬台国連合を、たった1ヶ国で相手にしていた狗奴国と交戦中だった状況や、
熊本平野は天然の要害でもあるし、戦争が長引いたのも、ゲリラ戦になったのも、
なぜか数では圧倒的に有利な邪馬台国が魏に後ろ盾を求めたことも考え合わせると、

肥沃で最高の土地=最高支配者がいた土地 とは短絡できないよね。

ネット検索バカ「転の肥」が、基地外単細胞に見えてきたよ・・・
450日本@名無史さん:2012/07/15(日) 22:02:33.91
一大率の件がある。
伊都国に置いて諸国を検察する。諸国はこれを畏れ憚る。
邪馬台国が九州の北の方にあったとしたら、一大率を置く意味がない。
451天帝の声:2012/07/15(日) 22:03:45.94
>>448
ささいなことで断片衒学か。本論に何の関係があるか・カス

>南九州が畑作や稲作の点で特に有利であるということにはならない。
熊本の広大な台地は、陸稲を含む有数の畑作地だったと思うぞ。いまでもそうだ。

それから、シラス台地の話を持ち出した野郎。
熊本平野は沖積平野だ。シラス台地ではない。
半端情報を真に受けてさも知ってるフリをして、
熊本平野が農耕に適さないシラス土壌のようなウソをつくな。わかったな
452天帝の声:2012/07/15(日) 22:10:03.30
>>446
俺が登場すると、飢えたヤブ蚊がワンサカと集まる。
例によって蹴散らしにかかってるのよ。

>やはりここは通説通り、
なーにが「やはり」だ、「通説通り」だ。
どこの田舎町で通説になってるというんだ・言葉づかい詐欺野郎。
453日本@名無史さん:2012/07/15(日) 22:14:49.92
>>450
ないね
454日本@名無史さん:2012/07/15(日) 22:15:30.74
>>446-447
うむ、同意。やっぱり熊本平野は狗奴国っしょ!
455天帝の声:2012/07/15(日) 22:16:15.26
>>449
>肥沃で最高の土地=最高支配者がいた土地 とは短絡できないよね。
誰かが、そんな稚拙なことをいったのか?
誰かの意見を稚拙なお前の頭で咀嚼して書くと、
そういう稚拙な話になるというわけか。わらわら

>ネット検索バカ
ネットだろうが書物だろうが、道具は何でも構わないのだ。
要は使い方がじゅうようなのだ。お前が単細胞機発想してるぞ。

>基地外単細胞に見えてきたよ・・・
総合的な話を部分的にして、部分をつついて喜ぶバカこそ単細胞だ。
なぜならば、総合的かつ構造的に考えられないから。
456日本@名無史さん:2012/07/15(日) 22:18:40.04
>>455
構造的天災詐欺師ですか。

総合的・構造的っていう説は、どこか一箇所でも崩れればみな崩れるってこと解って言ってる?
457日本@名無史さん:2012/07/15(日) 22:26:46.08
>>449
たしかに
狗奴国がなぜ一ヶ国だけ女王国に属さず、戦争まで継続できたのか?
それはひとえに、天然の要害、熊本平野の豊かさあればこそだな
458日本@名無史さん:2012/07/15(日) 22:27:50.59
熊本平野に戦闘の痕跡でもあった?
459天帝の声:2012/07/15(日) 22:35:25.59
>>454
>やっぱり熊本平野は狗奴国っしょ!

弥生の鉄鍛冶の本場で、吉野ヶ里クラスの遺跡はあるし、
西都原に匹敵する古墳群はあるし、
間仕切りをもつ花弁型住居もあるし、ベンガラは出るし、
平原1号墳の2倍もの方形周溝墓はあるし、
稲作物・畑作物・水産物が豊富な土地柄ではあるし、
自然の災害からも守られた立地にあるし、
有明海を使えば半島へ海路アクセスもいいし、
王族の棺に使うピンク石も産出するし、

狗奴国は倭国一広い領土と豊かで先進的な国だったというわけだ。
で・狗奴国の南のはどうなるわけだ? 宇土だ・人吉だ・鹿児島はよ。

おっと。熊襲は8世紀の創作。
熊本の熊は、加藤清正が隈元を熊本に変えたもの。
熊襲の熊と熊本の熊は何の関係もないぞ。短絡するなよ。

隈元は「隈の元」だ。鞠値の奥まった所に帥升の城があった。
佐賀とか福岡にはナニ隈、カニ隈が売るほどあるぜ。
これらは隈元の支配下にあったということだ。
460日本@名無史さん:2012/07/15(日) 22:35:42.04
結局九州説には妄想ネタしか出て来ないw
461日本@名無史さん:2012/07/15(日) 22:36:58.21
アホみたいに熊本=狗奴国なんていうのがいるが、熊本は広いだろう。
菊池川流域の玉名、山鹿、菊池。
阿蘇地方。
熊本市あたりの白川流域。
宇土、城南町から八代あたりの地域。
人吉・球磨地方の盆地。

熊本=狗奴国なんて単純な図式がいかに馬鹿げているかわかるだろう。
462天帝の声:2012/07/15(日) 22:39:22.36
>>456
>どこか一箇所でも崩れればみな崩れるってこと解って言ってる?

またぞろ抽象的発言で衒学か。具体的にいったらどうだ。カス
俺のは、粗末なレンガを積み重ねた家のような駄論建築ではない。
正論で構造的に固めた日本一まっとうな論だ。どこか一箇所でも崩してみらせろ。

まったく口先だけのカス野郎ばかりだぜ。
463天帝の声:2012/07/15(日) 22:41:50.45
>>461
>アホみたいに熊本=狗奴国なんていうのがいるが、熊本は広いだろう。
典型的な単細胞的クズ論だ。
464日本@名無史さん:2012/07/15(日) 22:45:02.96
景行天皇の逸話から見て、
熊襲は宮崎、鹿児島。

まあ、熊襲がクナ国とは限らないけどな

仮に熊襲をクナ国とすると、
境界領域は、人吉、えびの、都城が入ってくる。

ここを獲ったり取られたりしてたと見る。
465天帝の声:2012/07/15(日) 22:45:19.50
狗奴国は広大で豊な熊本平野以南で、

投馬国と邪馬台国は矢部川流域にちまちまと、
あとは、茶畑にしか使いみちがない八女丘陵てか。
そして、その後には土蜘蛛の女頭目が居座ったてか。

構造的にみることができないボンクラのいうことは・けっさくだぜ
466日本@名無史さん:2012/07/15(日) 22:48:55.60
久留米から、八女そして荒尾は投馬国じゃないかねえ?
467日本@名無史さん:2012/07/15(日) 22:49:27.41
熊本、大分で鉄器が出るのは阿蘇周辺の集落跡
この辺りに大きな勢力はいない
熊本側の阿蘇周辺の鍛冶工房を持つ集落は北部九州勢力側の菊池川流域勢力だろうな
468日本@名無史さん:2012/07/15(日) 22:49:42.92
伊作だけ話が噛み合ってないな
469天帝の声:2012/07/15(日) 22:50:49.31
>>464
>景行天皇の逸話から見て、
創作ものがたりなんて・どうだっていいよ。
大和朝廷の統一が徹底しなかった時代には、河川の上流部や
丘陵・山岳地帯の辺境には、服わぬ社会部族が散在していた。
これらを熊襲・熊鷹・土蜘蛛など呼んだのだ。

身長が低くて足が長いの原縄文人の体形だ。
そんな土蜘蛛なんざ全国に散在してたということだ。
何かと出て来る葛城だった土蜘蛛の本拠地の一つだったのだ。
470日本@名無史さん:2012/07/15(日) 22:52:12.87
もっこす伊作
471日本@名無史さん:2012/07/15(日) 22:53:28.87
熊本の鉄器関係の遺跡は、北の玉名山鹿あたりと、
南側の宇土八代方面に集中している。

一応、熊本一国を邪馬台国と考えているが、
北側が投馬国、南側を邪馬台国という線も捨て切れない。
472天帝の声:2012/07/15(日) 22:54:13.50
>>468
思考深度と思考領域と思考構造とレベルが段違いってことよ。
はっきりしてるだろ。
俺は、お前たちのような最底辺の底上げを目的として矯正の投稿をしてるのだ。
ちっとはありがたく思って糧にしろい。
473日本@名無史さん:2012/07/15(日) 22:58:31.95
ちなみに、熊本県宇土市の向野田古墳。
http://www.city.uto.kumamoto.jp/museum/pro/kodai/mukounodakohun.html

いつ見ても凄い石棺だと思う。
鏡は、内行花文鏡、方格規矩四神鏡、それに鳥獣鏡だったかな。
棺の外には凄い量の鉄器があった。1mを越えるような鉄剣数本から
小刀数十本や斧など。斧もかなり大きい。おびただしいと言えるくらいの鉄の量。
内部には腕輪や玉類など多数。かなりの女王と考えられる。
474天帝の声:2012/07/15(日) 23:00:27.92
>>467
>阿蘇周辺の鍛冶工房を持つ集落は北部九州勢力側の菊池川流域勢力だろうな

おい。菊池川流域勢力が倭国の中心勢力だ。北部九州勢力側もその支配下にあった。
「北部九州勢力側」なんて、そっちに取り込むつもりか。歴史どろぼー

>>470
>もっこす伊作
ごまめの歯ぎしり。

>471
>一応、熊本一国を邪馬台国と考えているが、
よし。

>北側が投馬国、南側を邪馬台国という線も捨て切れない。
投馬国き都城盆地が本拠地、狗奴国は人吉盆地。
こういう良い土地は王族か有力者にあたえられるものだ。
この2国は南の隼人に備えておかれた有力国だったのだ。

きょうはこのくらいにしといたらー。
475日本@名無史さん:2012/07/15(日) 23:04:05.89
>菊池川流域勢力が倭国の中心勢力だ。

これは100%無い話。倭の中心は瀬戸内だ。
476天帝の声:2012/07/15(日) 23:05:43.09
>>473
>かなりの女王と考えられる。

こういう安いセリフをいうのは、九州北部説のタコどもに譲ろうぜ。
そもそも、政治と祭祀は一体の時代だ。
祭祀は支配者とその一族の女性がとり仕切っていた。
支配層の女性が祭祀色の強い副葬品に囲まれているのは当然だ。
決してシャーマンだとか呪術巫女でもなければ、女王でもない。
ごく普通の、有力者の妻とか子女だってこと。
477日本@名無史さん:2012/07/15(日) 23:06:12.27
菊池川流域とその南では文化が違う
弥生前期から弥生期を通して北部九州文化圏
478天帝の声:2012/07/15(日) 23:07:17.80
>>475
来る所を間違ってるぞ。な
479日本@名無史さん:2012/07/15(日) 23:08:48.71
五島は弥生前期から弥生文化を受容れたところ
宇土、薩摩は隼人繋がりだろう
480日本@名無史さん:2012/07/15(日) 23:10:32.82
>投馬国き都城盆地が本拠地

都城盆地に投馬國35万人は収容できない。

481日本@名無史さん:2012/07/15(日) 23:10:53.21
>>478
そうか、ここは傷の舐め合い会場だったねw
482日本@名無史さん:2012/07/15(日) 23:18:56.33
>>菊池川流域勢力が倭国の中心勢力だ。

これは100%無い話。倭の中心は筑紫平野だ。
筑紫平野に倭の14万6千戸73万人が住んでいたのだ。
483日本@名無史さん:2012/07/15(日) 23:23:16.40
   
筑紫平野=北野平野+筑後平野+佐賀平野+白石平野
484天帝の声:2012/07/15(日) 23:37:34.10
>>482
>倭の中心は筑紫平野だ。
洪水で水びたしになる平野のど真ん中に王都てか。
リバーフロント、シーフロントてのは、しょせんフロントなのだ。
通交通商の玄関口・農業水産の生産地、商工業地、
防衛管理の軍事拠点、庶民の生活都市。
そして、お前たちが大好きな墓場と。

王都というものは、そういった喧騒とは無縁の場所に築かれて、
庶民とはかけ離れた都文化が育まれる。思いつきか願望を断定的にハッタリするな。
485天帝の声:2012/07/15(日) 23:44:17.37
>>480
>都城盆地に投馬國35万人は収容できない。
バカの相手も疲れてきたぜ。
俺は「本拠地」といったはずだ。国といえば領域がある。
球磨川流域と大淀川流域。ともに狗奴国と投馬国が支配していた。
両国ともこの河口部まで支配していなくては、物理的に海へは出られまい。
球磨川と大淀川下流域の古墳こそ、狗奴国と投馬国の墓域なのだ。

国といえば領域がある。
遮眼帯をつけた駄馬みたいな視点でものをいうな。
486日本@名無史さん:2012/07/15(日) 23:44:28.80
まあいいじゃないか、お前えも願望を断定的にハッタリしとることだし
487日本@名無史さん:2012/07/15(日) 23:45:45.10
>>473
「おびただしいと言えるくらいの鉄の量。」

ここのところを理解できない感性がにぶいひともいるんだね
488日本@名無史さん:2012/07/16(月) 01:40:36.07
>>485
古墳時代に人口35万人の大国っつったら、
ほぼ九州全域ぐらいの広大な領土が必要だろうが。
489日本@名無史さん:2012/07/16(月) 01:50:15.07
筑紫平野の1/3で十分だよ
490日本@名無史さん:2012/07/16(月) 02:09:34.58
>>485
景行天皇の話が各地の話をくっつけたものだとすれば、
えびのは獲ったり取られたりしていたんだろうね。夷守の
石瀬河(岩瀬川=大淀川上流、小林市)で、或いは賊か、
と尋ねたが、食事を献上するために集まった人々だった、
と書いてあるので、宮崎平野と同じ勢力ではあるけれど、
賊も出得る地域だったってことで境界域が見える。
都城やそれより南の志布志湾はそこからは分からない
けれど、同じ勢力なら5万戸くらいは可能だと思う。
491日本@名無史さん:2012/07/16(月) 02:14:03.73
そりゃ無理な話w
492日本@名無史さん:2012/07/16(月) 02:15:26.11
>>473
向野田古墳
http://maps.google.co.jp/maps?q=32.663227,130.673742

倭製鳥獣鏡
倭製四獣形鏡(銘文なし 11.2cm)
http://www.city.uto.kumamoto.jp/museum/photo/pro/kodai/mukounodakofunsyutudo3_b.jpg

獣なんてどこにもいないじゃん 手抜きでネーミングされてもな

これわ

雌鶏の日の聖母の女王雞、熊襲の女大酋長のの「倭製鶏日卵黄鏡」とでもゆうべきだわ

「王妻號 雞彌 後宮有女六七百人」

雞彌(きみ)の意味がようやくわかりかけましたわ

わりと骨太のおばはんが

鶏卵殻にもぐって永眠するとかもおやめて石の箱に収まって眠っちゃってますねえ
493日本@名無史さん:2012/07/16(月) 03:17:34.80
なんか可愛い鏡だねw
494日本@名無史さん:2012/07/16(月) 06:41:31.64
卑弥呼の時代は、小学生にも通り「関門海峡を制するものが日本を制す」訳だから、 ここを大きく離れる「女王之所都」は考えられない。
一方、狗奴国を九州第二の熊本平野と見れば、
おそらく卑弥呼と卑弥弓呼は姉弟で、地元熊本の豪族・菊池彦に煽られて、卑弥呼率いる邪馬台国と仲間割れから交戦状態に陥った可能性が高い。

よって(熊本を南に見る)九州最大の筑紫平野〜関門海峡を見渡せる国東半島までの「どこか」に邪馬台国があったことが容易に判る。

第一候補としてはやはり筑紫平野だが、玄関口である一大卒をわざわざ置いていることも考えると、博多湾周辺ではない可能性が高い。
そこで第二候補として、関門海峡から奥まった瀬戸内海・周防灘沿岸の宇佐八幡宮が目に止まる。
ここの祭神は卑弥呼を思わせるもので、神体山の亀山は卑弥呼の墓に相応しい。歴代の天皇たちが宇佐八幡宮に神託を求めたのも理解できる。
関門海峡が天然の要害で、そこから奥まったところにあり、外国海軍が攻めてきたとしても安全、
外海の津波からも安全で、台風の被害も比較的少なかったと思われる。
それでも何年かに一回の大雨で水浸しになることから、狗奴国の支配する熊本平野への遷都を求めて長年争ったと思われる。
495日本@名無史さん:2012/07/16(月) 08:13:34.78
>>417
屑。
496日本@名無史さん:2012/07/16(月) 08:53:15.52
>>494
神社というものは、たいていは先祖を祀るものである。
はるかな昔にその地に来て、その地を開拓した先祖を祀るもの。
宇佐神宮でいえば、メインは比売大神で、応神や神功は後世の付け足しである。
三世紀の現実の人間である卑弥呼が神社に祭られることはない。
後世には神社もいいかげんなものになって、天皇などを祀るようになったとはいえ、
神社本来の姿はそういうものではない。
497卑弥呼は朝鮮にいた:2012/07/16(月) 08:57:05.66
名前を入れるのを忘れたが、
その格調高い内容から察せられるように、
上の投稿は私である。
498日本@名無史さん:2012/07/16(月) 09:19:03.64
別に箸墓が卑弥呼の墓でなくともなんの問題もなく
畿内が邪馬台国で相違ないしw
499日本@名無史さん:2012/07/16(月) 09:48:51.23
メインの比売大神は別名八幡大菩薩と呼ばれた6世紀の帰国子女で没年まで判明してるよ
応神や神功は少なくともたてまえ上はその帰国子女の先祖にあたるのだが3-4世紀の人物だわな
500日本@名無史さん:2012/07/16(月) 09:51:24.11
3- けずってちょ
501日本@名無史さん:2012/07/16(月) 09:54:07.38
宇佐とか井沢元彦や高木あき光の影響受けすぎww
当の井沢元彦も著書では偉そうに宇佐説を言っておきながら
最近は畿内説に鞍替えしてることも知らんのか?w
502日本@名無史さん:2012/07/16(月) 10:02:00.40
古事記に出てくる「ウサツヒメ」じゃねえの?
ならば、神武と同年代の人物となるが
503日本@名無史さん:2012/07/16(月) 10:22:25.68
神武と同年代だの神話の世界と現実を混同してるし
まじ素人で邪馬台国に首突っ込むやつが基地外多すぎww
504日本@名無史さん:2012/07/16(月) 10:33:41.22
天の声とかいうやつも全部憶測妄想の素人オタの典型だなw
最初に九州説という結論ありきで、あとは自分の都合のいいように
妄想して自説を固めてるだけ。ほんとにくだらないし気持ち悪い。
邪馬台国オタとかこんなんばっか
505天帝の声:2012/07/16(月) 11:22:40.21
>>503 >>504
おい。
とうとう畿内説推進一派では、
「素人の九州説を排除しろ」という方針でも打ち出したのか?
506天帝の声:2012/07/16(月) 11:24:36.64
東夷伝末尾の文章をパロって。

「世にいわく。東京は九州説を打ち出し、京都は畿内説を採用した。
昭和の世、両説遂に衰え、かわって市中に清張説・宮崎説あり、
さらには古田説までが現れるに及び、末端にて時に論じらる。
歴史書の記述は一つにして、なんぞ畿内説・九州王朝などあらんや!」


わ・はは
507天帝の声:2012/07/16(月) 11:41:42.84
末端工作員をワラう。

畿内説はすでに人気がなく、スレッドは閑古鳥で沈殿。
手のうちをすべて見透かされて打つ手もなし。 
スレッドを立てる意欲もなく、やることはせいぜい、
ここで邪馬台国論の書き込みを卑下するのみ。

完全に世間から見放された畿内説を維持せんとする・無力なあがき。
508卑弥呼は朝鮮にいた:2012/07/16(月) 11:55:02.87
>>499
どこにそんなことが書いてあるかは知らんが、そんなのは後世の付会である。
比売大神というのは、アトランティス時代に降臨したか、
あるいはアトランティスの崩壊後に朝鮮半島から宇佐に渡って入植した一族の神なのである。

神社というのは基本的にそういうものだと理解しておいた方がいいぞ。
509日本@名無史さん:2012/07/16(月) 11:55:57.88
そりゃ世間的、考古学界で邪馬台国はヤマトで結論出てるからな。
ここで必死に書き込んでるのは一部の半島勢力と結託した連中と、
本が売れなくて困ってる人だけです。
510日本@名無史さん:2012/07/16(月) 12:26:51.00
>>508
www
511天帝の声:2012/07/16(月) 12:36:20.29
>>509
>考古学界で邪馬台国はヤマトで結論出てるからな。
焦りか。ウソをいってまで推進するハメになったか。
下卑た根性の奴が畿内説をとるという証しのようなもんだ。

邪馬台国興味をもつのは個人の自由。
議論に参加するのも個人の自由。
どういう形で発表するかも個人の自由。

批判なら、その内容や手法に限るべきなのだが、
82でも同じ畿内説者の特徴の一つが、
何さまのつもりかは知らんが、個人の自由にまで口出しすることだ。
超えてはならんボーダーの認識すらない非常識者の集まりだ。
512天帝の声:2012/07/16(月) 12:38:17.03
おまえらのせいで、
畿内説広告塔の歴博がますます嫌いになってきたぜ。
513日本@名無史さん:2012/07/16(月) 12:38:30.73
伊作も卑弥呼は朝鮮も、紙一重だな
514日本@名無史さん:2012/07/16(月) 13:07:19.89
それでは畿内説と九州説を魏志倭人伝において比較してみましょう。
距離(帯方郡より万二千里)>畿内説の負け。
方角(南)>畿内説の負け。
絹を産する>畿内説の負け。
矛や鉄鏃を使う>畿内説の負け。
棺はあるが槨はない>畿内説の負け。
宮室、楼観がある>畿内説の負け。
東に海を渡るとまた倭人の国がある>畿内説の負け。
周旋五千余里>畿内説の負け。
あらら...
515日本@名無史さん:2012/07/16(月) 13:10:05.03
>>514
これが九州脳という奴かw
516日本@名無史さん:2012/07/16(月) 13:12:04.27
>>515
反論できなくて訳の分からないこと言い出したな。
思考崩壊か。
517日本@名無史さん:2012/07/16(月) 13:13:22.92
まあ、倭人伝を基準にすると、畿内説は何一つ合わないというのは周知なわけで。
518日本@名無史さん:2012/07/16(月) 13:15:29.29
はは

楽しく平和に暮らしてきた銅鐸の民を喰い物にして食べちゃったくせして

のおたりんが野蛮な土人のこと先祖ぼこりしてえばるな
519日本@名無史さん:2012/07/16(月) 13:15:33.08
>>516
最初の万二千里の時点で九州説終了ですw
520日本@名無史さん:2012/07/16(月) 13:16:06.92
倭人伝と一致する割合が90パーセントが九州説。
10パーセントが畿内説。
521日本@名無史さん:2012/07/16(月) 13:16:33.77
>>519
おいおい一つかよw
お前レベル低すぎ。
522日本@名無史さん:2012/07/16(月) 13:18:00.17
>>517
脳内倭人伝ならブログで書いてればいいんじゃないか?
多分誰もこないと思うがw
523日本@名無史さん:2012/07/16(月) 13:18:38.56
ほんとは無理して合わないように読めるところのが10%
524日本@名無史さん:2012/07/16(月) 13:19:31.49
>>522
いいから反論してみろよw
525日本@名無史さん:2012/07/16(月) 13:19:52.86
脳内倭人伝は畿内説の定番だろ。
あるいは、倭人伝などなかったと言い出すか、だな。
526日本@名無史さん:2012/07/16(月) 13:21:13.84
まあ、九州説は候補地に人物比定も出来ないんだからな。

足りない知識で糞みたいな解釈してたら
90%一致するだろうw
527日本@名無史さん:2012/07/16(月) 13:21:29.10
>>522
お前怖くて九州説のブログは見れないらしいなw
528日本@名無史さん:2012/07/16(月) 13:22:22.04
>>526
だから反論してみろって。
529日本@名無史さん:2012/07/16(月) 13:23:52.06
>>524
倭人伝の記述に一番一致するのは四国東南部だね。
畿内説の証明はこれだけでOK。
530日本@名無史さん:2012/07/16(月) 13:25:39.51
>>529
畿内説が無理な証明ね。
531日本@名無史さん:2012/07/16(月) 13:26:16.79
畿内説の候補地の定番といえば、箸墓にモモソヒメらしいが、
その根拠を語れる者は誰もいないという。

それらしい年代の女性を記紀から持ってきただけなので。
532日本@名無史さん:2012/07/16(月) 13:26:41.66
阿波や吉備から畿内へ海人族が移住したんだろ?
これだけで九州王朝とか東遷なんて寝言も終了ですよw
533日本@名無史さん:2012/07/16(月) 13:28:05.93
>>532
電波乙
534日本@名無史さん:2012/07/16(月) 13:29:50.66
>>531
>その根拠を語れる者は誰もいないという。

あんたが無知なだけだろ‥

モモソヒメはどんな人物かしってるの?
畿内の人物じゃないよ。
淡路島の海神の娘の子だよ。
立派な海人一族の娘だよ。
535日本@名無史さん:2012/07/16(月) 13:35:17.78
だれか>>514に反論してくれ
536日本@名無史さん:2012/07/16(月) 13:40:14.71
古代日本の海運を担っていた海部氏の本拠は阿波の東南部にある。
その海部氏の系図にはモモソ=日神、神大市媛、又の名が日女命(ヒミコ)と
記述されているのは有名な話だ。
そのモモソが海人族だという時点で更に倭人伝の記述と一致する事になるね。

>>535
全文コピペして書き換えるだけだろw。
537日本@名無史さん:2012/07/16(月) 13:43:14.34
>>536
は?
こいつ頭大丈夫か?
538日本@名無史さん:2012/07/16(月) 13:47:17.98
>>514に対しては
畿内説は話題をそらすしかないな
539日本@名無史さん:2012/07/16(月) 13:48:07.55
>>537
で、
九州説で誰が卑弥呼で何処が宮なの?
540日本@名無史さん:2012/07/16(月) 13:51:32.25
>>539
反論してみいって言ってんの。
アナタニホンゴワカリマスカ?
541日本@名無史さん:2012/07/16(月) 13:56:04.95
>>539
ここでは公表できませんが九州には卑弥呼はたっくさんいますよ
邪馬台国だってたーっくさんあるんだから
九州圧勝ですよ、公表はできませんが
542日本@名無史さん:2012/07/16(月) 13:57:12.13
>>539
>九州説で誰が卑弥呼で何処が宮なの?

だいたいそんな事分かってたら邪馬台国論争終わってるって。
543日本@名無史さん:2012/07/16(月) 13:59:04.99
>>539
箸墓じゃないことは確かだな
544日本@名無史さん:2012/07/16(月) 14:00:33.18
>>540
じゃ、簡単な話だけね。

距離(帯方郡より万二千里)‥瀬戸内海の女王国までの距離です。
方角(南)‥宇佐から土佐を回って海部へ向かいました。

絹を産する 、矛や鉄鏃を使う
棺はあるが槨はない宮室、楼観がある‥
別に畿内でも大半確認済み、それに畿内説では北部九州も当然倭ですw

東に海を渡るとまた倭人の国がある‥東海地方、房総(アワの国)の事です。
周旋五千余里‥使いが廻った距離ですよw
545日本@名無史さん:2012/07/16(月) 14:02:58.32
12000−7000=5000
机上で計算しただけですよw
546日本@名無史さん:2012/07/16(月) 14:03:36.16
ネタだけなら八女やら宇佐やら、無責任に女性を持って来ることはできるが、
だからなんだ、名前が似ているだけか、ってはなしになるから、
決定はできないな。

畿内説みたいに該当者がひとつしかなければ、選択の余地はないけどな。
547日本@名無史さん:2012/07/16(月) 14:07:00.29
九州説なんて何時までも寝言言ってちゃだめだよ。
もっと決定的なネタもあるが、まだ発表はできないんでねw
548日本@名無史さん:2012/07/16(月) 14:08:46.57
>>544 は、平然と嘘を並べるな。
549日本@名無史さん:2012/07/16(月) 14:09:12.18
>距離(帯方郡より万二千里)‥瀬戸内海の女王国までの距離です。
だめです。帯方郡から末魯国まで一万里、あと二千里では辿り着けません。
>方角(南)‥宇佐から土佐を回って海部へ向かいました。
だめです。そっちは東です。
>別に畿内でも大半確認済み
嘘はだめです。
>それに畿内説では北部九州も当然倭ですw
それは反論ではありません。
>東に海を渡るとまた倭人の国がある‥東海地方、房総(アワの国)の事です。
瀬戸内海から?
>周旋五千余里‥使いが廻った距離ですよw
あたりまえですw
550日本@名無史さん:2012/07/16(月) 14:17:20.43
>>549
>だめです。帯方郡から末魯国まで一万里、あと二千里では辿り着けません。
充分可です。奴国の範囲は何処まで見るかでね。
あとマツロ国の位置も通説の松浦半島じゃ近すぎ、南とも書かれてないし。
>だめです。そっちは東です。
純粋に南に進める場所は存在しませんw
>嘘はだめです。
勉強不足ですよ。
>それは反論ではありません。
イミフですw
>瀬戸内海から?
紀伊半島から


551日本@名無史さん:2012/07/16(月) 14:19:47.36
さすが畿内説、平然と嘘をつく。
552日本@名無史さん:2012/07/16(月) 14:24:43.57
>>550
まずは末魯国を探してください。
つぎに地図で南を確認してください。
そしてもっと勉強してください。
日本語も。
最後に紀伊半島から東海には歩いていけます。
地図で確認してください。
553日本@名無史さん:2012/07/16(月) 14:27:01.72
>>550
末魯国探しに一生を費やすんだろうなw
554日本@名無史さん:2012/07/16(月) 14:38:03.34
ま、九州説の人は候補探しを続けりゃいいんじゃないの?
畿内説はそんなレベルじゃないのは明白だし。
後四国には水銀朱の鉱山が既に確認済みなのも大きい。
ますます差がつくだけだねw
555日本@名無史さん:2012/07/16(月) 14:41:15.06
>>552
ヤマトタケルは房総半島へ海を渡ると表現してるよ。
日本の古文献も調べなきゃな。
556日本@名無史さん:2012/07/16(月) 15:19:36.81
>だめです。帯方郡から末魯国まで一万里、あと二千里では辿り着けません。
帯方郡から末魯国まで一万里一千四百里、あと六百里で女王國です。

>あとマツロ国の位置も通説の松浦半島じゃ近すぎ、南とも書かれてないし。
末盧國は松浦半島ではなく松浦川、「南」の字を使わないで南と書かれている。

>末魯国探しに一生を費やすんだろうなw
末盧國は確定しました。
末盧國の東南五百里38kmにある伊都國は、佐賀平野となります。
557日本@名無史さん:2012/07/16(月) 17:43:20.57
いつもだけど佐賀平野の先にはいかんの?w
558日本@名無史さん:2012/07/16(月) 18:33:33.79
>いつもだけど佐賀平野の先にはいかんの?w

伊都國で女王國にほぼ到着です。
帯方郡から伊都國までは一万一千九百里ですから、
佐賀平野の伊都國から女王國までは一百里7kmとなります。

これは女王國の一部が佐賀平野にあることを示していることになります。
佐賀平野は筑紫平野の西端ですから、
女王國は筑紫平野の大部分を占めることとなります。

白石平野、佐賀平野、筑後平野、北野平野の全体を筑紫平野と称します。

邪馬壹國は北野平野と筑後平野を占める人口35万人の4ヶ国連合国家です。
なお、投馬國は佐賀平野と筑後平野の大部分を占める人口25万人の連合国家です。
奴國は佐賀平野の大部分を占める人口10万人の分国です。
559日本@名無史さん:2012/07/16(月) 18:45:50.39
百里7kmって里数は国境間の距離を測ったの?
560日本@名無史さん:2012/07/16(月) 18:50:51.28
箸墓の被葬者は男王だと思うんだが、女王とする根拠って何?
561日本@名無史さん:2012/07/16(月) 18:55:11.42
伊都國の城柵と奴國の城柵の距離が百里7km。

末盧國の場合は津
末盧國の津と伊都國の城柵の距離が五百里。
562日本@名無史さん:2012/07/16(月) 19:02:29.61
津と城柵? 倭人伝の記事の対応箇所と佐賀の遺構はどれ?
563日本@名無史さん:2012/07/16(月) 19:10:35.64
>>558
また妄想ですか?
その辺りじゃ倭人伝に書かれた気候風土と一致しないので
ダメですよ。
564天帝の声:2012/07/16(月) 19:45:53.06
●カラ頭かき回し言説を一つ。
伊都は「いつ」と読むのが正解。
佐賀市南部の新北神社に樹齢220年の「びゃくしん」の古木がある。
ここが弥生時代にはすでに島か陸地だった証拠だ。
その南部に、「いつ」という地名を持つ港があった。

伝説によると、徐福が上陸して手を洗った井戸があったことから、
「手洗いの井戸のあった津」で寺井津となって残っている。
このあたりは、古代から天然の良港として機能していた津が幾つかある。

ほれ。ああでもないこうでもないと騒げカラ頭しょくん。
にひひ。    にーひひひ。
565天帝の声:2012/07/16(月) 19:47:09.65
220年→→→樹齢2200年
566天帝の声:2012/07/16(月) 19:49:52.41
偉そーで何もしないオザワみたいな一大率のタコは、
ここの津で卑弥呼関係の荷物だけを「早漏」してたんじゃないのかー?

にー・ひひひのひ。
567日本@名無史さん:2012/07/16(月) 19:50:54.50
個人的な場所の比定だが、

松浦の次の伊都は、小城と比定する。
千戸と国の規模がそれほど大きくないことと、
唐津へ向かう唐津街道の出口に当たる場所だからである。
この出口を押さえていれば、ほとんどの唐津の交易品は
よそに流れることなく管理できるだろう。
また、千戸くらいなら問題なく確認できる土生遺跡という
広域集落遺跡がある。

伊都の次の奴国は、大和町から佐賀市を比定する。
二万戸という広大な面積を確保する必要があるが、
当時かなりの部分が湿地帯と思われるものの、
佐賀城周辺の与賀神社などかなり海に近い部分ですら、
1400年の歴史を誇る神社があることから、
かなり広大に利用されていたと思われる。

また、この周辺では主要国家であること、肥前国一宮であり、
与賀神社と関係の深い與止日女神社、そして、肥前国庁や
国分寺が設置されたことからも、

この周辺での政治文化的中心であると思われる。


568日本@名無史さん:2012/07/16(月) 19:53:56.59
新北神社、こないだ行ってきたわ
びゃくしんも見たぞ
569日本@名無史さん:2012/07/16(月) 19:55:44.42
佐賀平野にいた弥生人は現代の韓国人らと同じグループ

http://www.47news.jp/CN/200306/CN2003062301000329.html
http://www.47news.jp/CN/200405/CN2004051401004477.html
570日本@名無史さん:2012/07/16(月) 19:56:24.43
奴国は関門を抑えた国だから、本州西部に跨る国でしょう。
長門(ナガト)の名はそこから来てるのです。
571日本@名無史さん:2012/07/16(月) 19:57:51.75
まあ、湿地帯ではあっただろうが、
利用できないわけではなかったということだろう。

むしろ水田での稲作では、ある程度水が残った
湿地帯のほうが都合が良かったのかもしれん。
572日本@名無史さん:2012/07/16(月) 20:05:07.63
>>564
イツは厳島のイツであり、伊豆のイツだな
崇神が船の建造を命じたのも伊都国だと思われる
573日本@名無史さん:2012/07/16(月) 20:13:49.15
次の不弥国であるが、距離と方向から考えると、
城島、あるいは大川の付近となる。

城島、大川は筑後川に接した国であり、
川を挟んだ後の肥前国の境である。

筑後川を挟んだ東は筑紫国の領域であり、
肥前の勢力とは異なる勢力である。

従って、ここから筑紫国を避け、水行で南に向かう。
574日本@名無史さん:2012/07/16(月) 20:14:10.18
「都」ツは呉音だろ
575日本@名無史さん:2012/07/16(月) 20:19:09.33
でっ
576日本@名無史さん:2012/07/16(月) 20:39:56.19
>>574
元々の交流経路は呉経由だろ
半島経由は帯方郡以降
577日本@名無史さん:2012/07/16(月) 20:56:04.08
呉経由で半島人(現朝鮮人)が佐賀平野に住んだ?w
だから西晋では「都」ツと読んだ?w
578日本@名無史さん:2012/07/16(月) 20:56:26.27
>>562
>津と城柵? 倭人伝の記事の対応箇所と佐賀の遺構はどれ?

末盧國の津
  中原遺跡、古松浦湾の南岸、虹の松原(縄文時代の第二浜堤)の南は湾になっていた。

伊都國の城柵
  惣座遺跡:佐賀市大和町 吉野ヶ里遺跡と同じ構造の壕がある。

奴國の城柵
  佐賀城:城建設時に遺跡は消失したものと思われる。
  佐賀平野平地部での唯一の城柵適地

不彌國の城柵
  吉野ヶ里遺跡:倭面土國王帥升の城柵跡 メタ(米多・目達・米田)の地
579日本@名無史さん:2012/07/16(月) 21:22:41.93
末盧國は津からの距離であるという根拠がない
惣座遺跡は郡使が滞在していたことが考えられる遺物がない
奴國は消失してない
1里の距離を仮定してただ繋ぎ合わせてるだけだろ
580日本@名無史さん:2012/07/16(月) 22:22:39.03
>>573
北側に敵ありとか、なああんか狗奴國側から眺めてるみたいですねえ
581天帝の声:2012/07/16(月) 22:25:48.28
>>574
>「都」ツは呉音だろ
7世紀の隋書が「都斯麻」と書いてる。
呉音というのは8世紀ごろ唐音が入ってきたときに、
それと区別するために、それまでの古い音を呉音と名付けたのだ。
唐音で都を「と」と読む。
西都原は8世紀以降の命名で、古代名は斎殿原だ。
これに新しい文字を当てたにすぎない。
この西都原に、斎殿原と同じく古い「都万」けという地名がある。
これは「つま」と読む。わかったかターコ。

万年落第生よ、ナマかじりで生意気をいうな。笑止だぜ
582日本@名無史さん:2012/07/16(月) 22:30:48.19
お前その話別サイトで説明してもらっただろ
583日本@名無史さん:2012/07/16(月) 22:36:32.24
もっかい行って読みなおしてこいw
584日本@名無史さん:2012/07/16(月) 22:51:24.93
>妄想基地外「天帝の声」のサイトについて知りたい人

[邪馬台国 奇跡の解法] [海を渡った倭人] で検索!
585日本@名無史さん:2012/07/16(月) 22:58:15.76
三国志の中で「都」をツと読ませる箇所は
タダの一箇所もない

記紀では確かにツと読んでる。
586日本@名無史さん:2012/07/16(月) 23:01:12.74
>>584
その下品なタコ、小学生でも解る関門海峡の重要性を自分がやっと理解できただけで、自分を天才と叫んでる真性キチガイだろw
「呉鏡に魏の年号が入ってる理由」の考察も俺が最初に指摘したと豪語する割には、お粗末そのものw 
あとはネットと他人の著書からの引用を自説として構造的に妄想してるだけwww
こんなタコ坊主に惑わされていてはいけないぞ!
587日本@名無史さん:2012/07/16(月) 23:10:22.61
サイトを見るなら平衡感覚をもって研究しておられる方達が集まってるブログや掲示板を見たほうがいいぞ
588日本@名無史さん:2012/07/16(月) 23:13:53.71
>>586-587
そうだね。
それ以外は全部他人の説を並べ立ててるだけっぽいしね。
俺はこんだけ調べてきたんだぜ!どうだ、凄いだろ!って自慢してるにすぎない。
見っともない大人1だな。こんなのにストーカーされてる建国の神々も迷惑千万だろうな。
589日本@名無史さん:2012/07/16(月) 23:24:32.91
火(肥)の国が長崎、佐賀、熊本というのが気になるな。
590日本@名無史さん:2012/07/16(月) 23:27:54.93
鏡山のとこの拡張域だからね
591日本@名無史さん:2012/07/16(月) 23:40:17.93
小学生の頃、たまたま手に取って読んだ複数の本の順列組み合わせしただけで「俺、天才!」とか言っちゃう奴、よくいただろ?
基本的にそれと同じさ
592日本@名無史さん:2012/07/16(月) 23:41:09.97
末盧國の有四千餘戸ところのは

内行花文・方格規矩が出てくる女王墓クラスのがごろごろのくせに

何故か官の記載が無いのね

「ひなもり」くらい書いてくれてもいいはずなんだけどね

さらには景観描写がやたら海辺の森の中みたいので僻地っぽい

そのくせに人口が2万クラスの四千餘戸だからね

なにか中心部を回避して旅しているみたいなふいんきですよ

593日本@名無史さん:2012/07/16(月) 23:44:52.45
で正しけりゃいいんだけどさ、間違ってんだよねこいつの場合
他の人が丁寧に説明してあげてもさ、またどっかいって同じこと言ってんだよな
594日本@名無史さん:2012/07/16(月) 23:48:00.38
>>498
寝言は寝て言え。
595日本@名無史さん:2012/07/16(月) 23:58:09.18
>>539
卑弥呼は卑弥呼だ。
他の誰でもない。

「誰が卑弥呼で」
とは馬鹿の言うこと。
596日本@名無史さん:2012/07/17(火) 00:14:43.03
>>595
よく言った。そのとおりだ。
597日本@名無史さん:2012/07/17(火) 00:40:49.05

たぶんかあちゃんは 伊賀迦色許賣
598日本@名無史さん:2012/07/17(火) 00:50:05.84
>>595
そう、卑弥呼は卑弥呼だ。
国宝の系図にモモソは日女命(ヒミコ)と書いてるから
それでOKだな。
599日本@名無史さん:2012/07/17(火) 00:50:38.91
むしろなんで最近畿内説が有力なのか解らんのだが
600日本@名無史さん:2012/07/17(火) 00:53:21.31
九州説がなんで未だに存在出来るのかわからんわ。
601日本@名無史さん:2012/07/17(火) 01:14:02.66
>>599
邪馬台国論争としては畿内説は全面敗北。
今の畿内説は、フラフラの状態で、目は腫れ上がって見えず、鼻血も
止まらないのに、勝利宣言しているボクサーのようなもの。
勝ったと言い続けているだけ。

三角縁神獣鏡も箸墓も負け、先の見えない纏向のすがっているだけ。
その纏向さえ何の根拠もないわけで、畿内説は寂しい限り。同情したくなる。
602日本@名無史さん:2012/07/17(火) 01:18:14.82
>さらには景観描写がやたら海辺の森の中みたいので僻地っぽい
>そのくせに人口が2万クラスの四千餘戸だからね
>なにか中心部を回避して旅しているみたいなふいんきですよ

魏使は末盧國の中心部を通っていません。

末盧國の人口集中地域は松浦川の西北地域現唐津市の中心部側。
魏使が千里を渡海しての上陸地点は、古松浦湾の南岸の中原の津。末盧國の外れだ。
魏使は、上陸後鏡山の周囲を湾岸沿いに進み、それから玉島川沿いに佐賀平野伊都國に向かう。
だから古松浦湾に水没して漁労する風景も知ることができたのだ。

>内行花文・方格規矩が出てくる女王墓クラスのがごろごろのくせに
>何故か官の記載が無いのね

末盧國は大陸への重要拠点。
古くは伊都國(倭都國)及び女王國の直轄地で官不在の国。2〜3世紀の間。
王墓級の墓の存在は、2世紀初頭以前と3世紀末期以降となる。
603日本@名無史さん:2012/07/17(火) 01:33:26.01
「直轄地で官不在の國」とゆうのがまぬけ。

直轄地に官が不在とゆう発想は何処から出て来るもんだか

まあ修正するんだろうけどな

それに汽水域で潜っても浅いからつまらんよな

文死んで害避けるとかのの記載からは程遠いいめえじ

だいいいち森をスルーするところのがうまく説明できていないしね

ここのはもっとぐぐるああすとかで地勢とか観察すると良いよ

ちなみに律令制下の官の道のはみるかしのほうまわるんだけどさ
604日本@名無史さん:2012/07/17(火) 01:46:28.49
唐津から佐賀はずっと谷になってて、天然の間道よ。

唐津から糸島は、
海まで切り立った崖が突き出ているから、
陸路で行く意味は無いね。

国道202号線も、切り立った崖に突き出たところに
コンクリで道を浮かしてつけてあるね。

あとの有料道路にいたっては山の上だね。

だから、佐賀方面に移動で妥当と思うよ。
605日本@名無史さん:2012/07/17(火) 01:58:10.44
たんじゅんなひとだなあ

こうゆうふうに親切には書いてあげれんだろ

あさおきました
かおをあらいました
ちょうしょくをたべました
うんこしてからしゅっぱつしました
はじめは東南に向けて森の中をいきました
しばらくいくと展望が開けて眼下に海原が見えました
坂を下ると港がありました
そこでお船に乗りました
606日本@名無史さん:2012/07/17(火) 03:02:08.30
>>567
>松浦の次の伊都は、小城と比定する。伊都の次の奴国は、大和町から佐賀市を比定する。
倭人伝が放射式に書かれていることを理解してないな。
伊都国は南への水行の出発地でなければならん。
607日本@名無史さん:2012/07/17(火) 03:49:42.76
>>602の補足説明

帥升倭國乱の時代2世紀末まで⇒女王國の時代3世紀
自称王⇒官・・・末盧國以外
自称王不在⇒官不在・・・末盧國


「濱山海居」・・・古松浦湾沿岸の風景
「草木茂盛 行不見前人」・・・玉島川沿いと観音峠越えの状況
「好捕魚鰒 水無深淺 皆沈沒取之」・・・古松浦湾沿岸の漁業民の風景


末盧國→伊都國のルート・・・国道323号沿いルート
古松浦湾→玉島川沿い上り→観音峠越え→嘉瀬川沿い下り→惣座(佐賀市大和町)
 観音峠付近では田畑があるような緩い坂道。
608日本@名無史さん:2012/07/17(火) 05:28:31.37
>>581
隋の(みやこの)人々が使ってた発音は、呉音じゃなく唐音(漢音)だぞ
609日本@名無史さん:2012/07/17(火) 06:45:16.34
>>586
本人はコロンブスの卵のつもりなんだろうなんだろうけど、着眼点は小学生レベルだな

△鏡の「呉の意匠に魏の年号の矛盾」問題の独自解釈から見るに、この品のないタコ自身は相当レベル低い
あとは他人の受け売りを喚いているだけで、建国の神々を自分の虚栄心を満たすために使う「おそまつ君」というあだ名を付けてあげよう!
610日本@名無史さん:2012/07/17(火) 07:31:37.12
>>607
末盧國→伊都國のルートは凡そ国道203号沿いかと思ってるんだが
323もありえなくないしそうすると伊都国の比定地も微妙に変わってくるな
611日本@名無史さん:2012/07/17(火) 07:58:31.80
日本列島の8割は山脈で平野は2割に過ぎない

水耕稲作には平野が最も適しているわけだから、工業化する以前の日本列島においては必然的に平野を制したものが覇者となる

まして弥生時代には、九州最大の筑紫平野を制した者が九州島の覇者になるわけだ

毎年水浸しになるわけではないw
612天帝の声:2012/07/17(火) 08:03:08.10
●神獣鏡は、体制側が邪教扱いした鬼道の信仰的精神性を強く反映した呪具だ。
巷間ではこれを「呉式鏡」いっている。文句はないな。

●禅譲を受けた正統王朝たる魏の尚方で、邪教の神獣鏡を造ることは絶対にない。
これは天才が叫んできたことだが、王朝の威厳・メンツ・信仰心の違いなどからみて、論証の必要のない常識だな。

●魏の尚方では造らない「神獣鏡に魏の年号が刻まれている」という超矛盾現象。
これも天才が初めて指摘したことだ。文句あるか末端カス

●この現象は俺にいわせれば「ねつ造」だ。時代の常識と精神文化の面からあり得ないことが起きている。
これは鏡の本場の中国での現象ではなく、鬼道が持ち込まれた倭国でのことだ。
鬼神を抑える破邪具としての鏡が、支配層からじゃがいも地方豪族まで蔓延している。

●こんなねつ造芸当は、真の職人ならやらない。
●まして、魏の尚方の「皇帝おかかえの職人」がやることはない。
魏の尚方で神獣鏡をつくってる職人がいたと譲っても、
関西で学ぶ大学生が九州説をやってると教授がやってきて、
「きみは何で畿内説をやらないんだ?」と声かけるのと同じで、
その職人は「邪教の信徒」ということでただでは済むまい。これが現場の臨場感からみた常識だ。

さあ。
三角縁神獣鏡を卑弥呼に贈るために魏朝が特鋳したと叫んできた畿内説の学者よ
出てこい!!  そして国民に詫びろ!!
てなことにならないよう、畿内説ヒエラルキーの末端工作員どもよ。
ことを大きくしたくなかったら、そのへんでやめとけ。
613日本@名無史さん:2012/07/17(火) 08:03:24.31
毎年毎年水浸しになるようなところだったら弥生遺跡なんかありえない罠www
614日本@名無史さん:2012/07/17(火) 08:07:43.46
そだね。
今年の大雨被害だけ見れば、福岡平野や佐賀平野に弥生遺跡があるのはおかしい、って話になる。
615日本@名無史さん:2012/07/17(火) 08:16:19.23
海岸線も今とはまるで違うしな。これは畿内も同じだけど
616日本@名無史さん:2012/07/17(火) 08:20:54.01
>>612
それは誰と誰と誰の受け売り?
617冷えらる気・末端どもへ:2012/07/17(火) 08:24:49.24
もともと畿内説など、真に信じている学者などいない。
いたとしたら、そいつの研究者・教育者としての資質こそ問わねばならない。

学者が畿内説を唱えるのは演技だ。処世術だ。ご都合方便だ。
だから、忘れた頃に「新手の畿内説の根拠」を編み出す。
その手の内が知れて否定されても、誰も尻ぬぐいをしない。

もともと、間違っていたら「腹を切る」覚悟で唱えたものではない。
間違いと分かっていて唱えた「助成金窓口のお上の顔色うかがい方便」だ。
バレてもやりっ放しで頬かむりを通す。

バレるまでの間に、名誉教授から副館長・館長へと登りつめて定年退職すればいい。
歴博で、次に副館長・館長へと登りつめるのは、C14の手品を編み出した「H」か?
そうなったとき、天才の所見が出しかったことが分かるだろう。

佐原真と一度接触したことがあったが、まこと、根は善人だった。
畿内説で栄達をとげた人間(ウソをついて成り上がった人間)の悲壮感を見た気がした。
618日本@名無史さん:2012/07/17(火) 08:26:43.09
>妄想基地外「天の声」「天帝の声」「冷えらる気・末端どもへ」のサイトについて知りたい人

[邪馬台国 奇跡の解法] [海を渡った倭人] で検索!

619冷えらる気・末端どもへ:2012/07/17(火) 08:31:18.14
>>618
宣伝してくれてありがとよ。どうやるならURLを提示しろ。
「正直でまっとう」という点で奇跡的な論考だ。
数多の駄論の幾つかに目を通した人間ならばそのことがわかる。

邪馬台国・奇跡の解法  
http://blog.goo.ne.jp/dogs_ear

海を渡った倭人
http://blog.goo.ne.jp/isaq2011/

堂々たるもんだろ。カスども
620冷えらる気・末端どもへ:2012/07/17(火) 08:38:38.47
>>616
>誰と誰と誰の受け売り?
受け売りだと思うなら、「これが先駆だ」と提示すれば済むんじゃないか?
情けない書き込みをするな。

畿内説の常套手段は、濡れ衣・ねつ造ありの誹謗と攻撃。
本当に手強いと見た相手(つつけない相手)は、人格誹謗から信用失墜工作。
そしてしまいには人格破壊へと向かう。
まるで、信仰宗教の普及活動の手口と同じだ。十分に体験済み。

俺が姑息な手を使わない奇跡的な論客であることを証明するために、
俺はサイトを堂々と提示している。
それが、お前たちのウソ誹謗がウソであること証明する。

畿内説の工作員が最も攻撃に手を焼くタイプだ。なぜならば「きれい」だから。
621冷えらる気・末端どもへ:2012/07/17(火) 08:41:14.21
ということで、スレッドの主旨にお構いなく、
この天才に対する個人誹謗と攻撃に集中するのかな?
622日本@名無史さん:2012/07/17(火) 09:07:12.63
何故学生が九州説をとってると注意されるか?

当然貴重な時間が無駄になるからだろ…
爺さんの老後の娯楽にはちょうどいいかもなw
623日本@名無史さん:2012/07/17(火) 09:07:47.38
二千年前の弥生遺跡が現代まで残っていたということは、
その二千年間、遺跡が破壊されるほどの水害が起こっていないことを意味する。
624日本@名無史さん:2012/07/17(火) 09:17:39.34
>>622
畿内説は昔から九州説に目を向けさせないようにしてきた。
なぜか。真実は強いから畿内説から離れていくのは必至だから。
とにかく、一方にしか目を向けさせないのは学問的な態度じゃない。
他の考えを異教扱いする宗教的な態度ということになる。
625日本@名無史さん:2012/07/17(火) 09:28:39.25
>>624
逆だよ、以前は自説と異なる説も研究しようと説いていた。
でも昨今は出土状況等で九州説は既に無意味、という感じだからな。
626過激な九州論者:2012/07/17(火) 09:52:31.26
>>625
>出土状況等で九州説は既に無意味、という感じだからな。
土器・古墳・遺跡の年代を繰り下げる手品が学問か?
627過激な九州論者:2012/07/17(火) 09:59:14.58
九州説は畿内説などなくても独自に繁盛するが、
畿内説は九州説に横車押すことでしか存在をアピールできない。

その証拠に、畿内説を語るスレッドは消えてなくなった。
新たに立てようという動きもない。
畿内にあった・畿内にあったというだけで、どうせ閑古鳥とわかってるから。
こんな所へやってきて虚勢でアピールするしかないザマだ。
世の邪馬台国論は九州説に集約している。その証拠がお前たちの言動にある。


628過激な九州論者:2012/07/17(火) 10:03:19.12
>>622
>何故学生が九州説をとってると注意されるか?

タコ。学生にたとえたが、
畿内説を捨てて関東にきた教育者から直接聞いた実話だ。
九州説だと後ろからプレッシャーをかけられるだとよ。
嫌気がさしたのだとよ。
629日本@名無史さん:2012/07/17(火) 10:14:32.29
>>617
>もともと、間違っていたら「腹を切る」覚悟で唱えたものではない。

お前に「腹を切る」覚悟があるのか、タコ

>その手の内が知れて否定されても、誰も尻ぬぐいをしない。
>バレてもやりっ放しで頬かむりを通す。

お前のことだ、タコ
姑息な手を使わないとか抜かす割にHNコロコロ変えやがってw
630過激な九州論者:2012/07/17(火) 10:28:44.08
>>629
>お前に「腹を切る」覚悟があるのか、タコ
自由な立場の外野と、公的存在たる公人を一緒にしてのことか。
ガキのなじり合いを演じたければほか行け。タコ
それから、「タコ」などと、他人のボキャブラを勝手に盗むな。


>姑息な手を使わないとか抜かす
使わない。
URLを提示したのだ。論らしい体裁を整えて、
どこか、姑息な手を使っていたら指摘してこい。

抽象的な中傷は無用だ。
631日本@名無史さん:2012/07/17(火) 10:30:28.04
>>610
>末盧國→伊都國のルートは凡そ国道203号沿いかと思ってるんだが
>国道323号もありえなくないしそうすると伊都国の比定地も微妙に変わってくるな

伊都國の城柵は、佐賀市大和町惣座、肥前国庁址付近。
この付近は弥生遺物の宝庫。どこを掘っても弥生遺物が出土する地域。
632過激な九州論者:2012/07/17(火) 10:31:50.89
>>629
>HNコロコロ変えやがってw

俺の遊び。俺の自由。違反行為でもない。
ハンドルネームの変化も面白いだろ。名無しの姑息ものよ。んー?
633日本@名無史さん:2012/07/17(火) 10:37:26.73
>>630
それから、「タコ」などと、他人のボキャブラを勝手に盗むな。

その前に>>612は、誰の説を勝手に盗んで作ったか答えろ、タコ
634過激な九州論者:2012/07/17(火) 10:46:31.70
>>633
>誰の説を勝手に盗んで作ったか答えろ、タコ

これかー。明言したのは俺が初めてだ。他に先駆者がいたらあげろ。
●禅譲を受けた正統王朝たる魏の尚方で、邪教の神獣鏡を造ることは絶対にない。
これは天才が叫んできたことだが、王朝の威厳・メンツ・信仰心の違いなどからみて、論証の必要のない常識だな。

●魏の尚方では造らない「神獣鏡に魏の年号が刻まれている」という超矛盾現象。
これも天才が初めて指摘したことだ。

ほれ。不当な濡れ衣作戦・新陽失墜工作に出てきたようだが、具体性がないぞ。
635日本@名無史さん:2012/07/17(火) 10:46:47.12
>>628
>畿内説を捨てて関東にきた教育者から直接聞いた実話だ。

アホ、実名なきゃ意味ねーだろw
もしくは何処の団体か位はいってみろよ。

636日本@名無史さん:2012/07/17(火) 10:48:55.83
>>634
>具体性がないぞ。

そのままお返しする
637過激な九州論者:2012/07/17(火) 10:50:59.44
>>633
おまえ。
「どこから盗んだか」ということは、この俺説が正しいことを求めたわけだな。
82でも、お前など足下にも及ばない畿内説者が知っていることだし、
この論が俺説であることはそういう連中が証人になる。
その畿内説者が、つい最近も俺の力量と信用度を認める発言をしたぞ。

なめるな
638日本@名無史さん:2012/07/17(火) 10:51:57.20
考古学者は邪馬台国に関しては極力コメントしないでしょ。
研究者によれば露骨に嫌な顔するよ。
何故なら頓珍漢な爺の妄想話に付き合うのはウンザリだからだ。
639日本@名無史さん:2012/07/17(火) 10:53:09.24
>>637
2ちゃんねらーが証人なんです!ってバカか、タコ
640過激な九州論者:2012/07/17(火) 10:54:33.19
>>635
>実名なきゃ意味ねーだろw
その必要はない。てめえ、己を何サマだと思ってやがる。

>>636
>そのままお返しする
バカでもなけりゃ「論証の必要のない常識」だとわかる。
無意味で具体性が無駄投稿だ。
641過激な九州論者:2012/07/17(火) 10:57:44.30
天才攻撃のゴマノハエどもに、面白い逸話を垂れてやる。

俺の姉の嫁ぎ先が、九州である商売やっている。
旦那は商売を姉に任せて、3日と開けずにイノシシ猟(有害鳥獣駆除)をやっている。その体験談。
紀州や甲斐などのハイブリッドで、日本犬の野性味を抽出した猟犬を数頭つれて山に入る。
2〜3年生のイノシシならば、鉄砲など使うこともなく、猟犬が寄ってたかって食い散らす。

イノシシとの初遭遇でこれを体験したバカ犬は、
巨大なイノシシに出くわしても同じように食ってかかる。
巨大な奴のほんの首のひと振りで、腹を裂かれて飛ばされる。
飛び出した腸を詰め込んで応急処置をして奇跡的に助かっても、その犬はもう猟犬としては使えない。

相手がどんな力量でどんな「道具」を所持しているのかも分からないのに、
行きずりのケンカを売るとしたら愚かな行為だ。
人は経験則で判断し行動するものだが、お前たちはチビイノシシを食い散らした猟犬と同じ。
お前たちがこれまでに、寄ってたかってコケにしてきた九州論者と同じ程度に俺をみているだろ。

そのくせ、俺説に対して論らしい体裁を整えた反論を投げることはできず、
誹謗と攻撃文言か、中傷的な否定文言か、ふにゃふにゃの詭弁反論を書き並べるだけ。
………なせならば、畿内説がウソだから。
642日本@名無史さん:2012/07/17(火) 10:58:18.09
>その必要はない。てめえ、己を何サマだと思ってやがる。

典型的な妄想爺の言葉だな。
自説に合わない発言をすると皆こう言うからなw

643日本@名無史さん:2012/07/17(火) 11:01:11.16
まぁまぁ、ここは冷静に。

例え邪馬台国があったとしても九州説の場合、おそらく神社か何かに変わってて具体的な遺跡を示せないわけだから、
仮説を超えないわけだからさ、お互い仲良くやろうよ。

まず「過激な九州論者」さん、まず貴説の大枠を箇条書きに示した上で、どういう文献や遺跡を根拠にその仮説に至ったかやってちょ!
それとあまりに品がない挑発は(出来るだけでいいから)慎んでよ。じゃないと、みんな訳ワカメで、せっかくの議論が見えなくなっちゃう。

そこんとこよろすく!

644過激な九州論者:2012/07/17(火) 11:03:22.72
>>639
>2ちゃんねらーが証人なんです!ってバカか、タコ

>>637をちゃんと読んだか?。取り乱して読み違えたらしいな。
で・「これが前駆だ」という証拠はなしか。
ま・俺説が三角縁神獣鏡の欺瞞をあばきだす決定打になったことは事実だ。
もう・三角縁神獣鏡を畿内説の論拠に持ち出す恥知らずは出まい。痛快だな

ごまめ。歯ぎしりが聞こえてきそうだぜ。
645日本@名無史さん:2012/07/17(火) 11:09:57.93
>>642
確かに、狂犬病としか思えんw

邪馬台国がどこにあったにせよ、古墳時代になれば大和朝廷に収斂しちゃうのに狂気の沙汰だねw
646過激な九州論者:2012/07/17(火) 11:12:20.87
>>643
>まぁまぁ、ここは冷静に。
毎度のことよ。バカが感情ムキだしでわめく。

>お互い仲良くやろうよ。
誹謗と攻撃をしかけてくるのは決まって畿内説だ。
論理で勝てないから園手段へ走る。それに、倍々返しで対応してるだけよ。

>貴説の大枠を箇条書きに示した上で、どういう文献や遺跡を根拠にその仮説に至ったかやってちょ!
俺の論説のURLを貼付けたばかりだが。
ここでの俺とは別人のような論説と展開だ。
(ここで誰かがそう評価していたな。内容は九州説でも古田・安本を超えると・わははー)
自分で確認する意欲がないなら関与しなくていい。

>それとあまりに品がない挑発は慎んでよ。
ウンカのごとくたかる畿内説のゴロツキたちにいうことだ。
俺は倍々返しで対応してるだけ。
紳士的に議論するセンスも持ち合わせてるんだぜ。
647日本@名無史さん:2012/07/17(火) 11:17:30.51
狂犬病でも、2ちゃんねらーに誉められれば嬉しいんだw
648日本@名無史さん:2012/07/17(火) 11:17:52.05
>バカが感情ムキだしでわめく。

冷静になってスレ読み返してくれば?
誰が当てはまるか一目瞭然だよw

年齢を重ねても冷静に自己分析出来ないようじゃ、
とてもこの分野には向いてないんだよ。
649日本@名無史さん:2012/07/17(火) 11:22:01.49
>俺は倍々返しで対応してるだけ。
>紳士的に議論するセンスも持ち合わせてるんだぜ。

まともな社会生活を送ってる香具師なら、絶対吐けないような感情剥き出しの下品な書き込みしといて、よく言うわw

650過激な九州論者:2012/07/17(火) 11:29:25.20
>>645
>邪馬台国がどこにあったにせよ、
>古墳時代になれば大和朝廷に収斂しちゃうのに狂気の沙汰だねw
そこに至る歴史的経緯を(何でも大和に突然自生ではなく)
史実に近いところまで検証しようというのが本来の邪馬台国論だ。
お前たちは、その邪魔をすることに集中している。末端工作の下っ端。

>>647
>狂犬病でも、2ちゃんねらーに誉められれば嬉しいんだw
少なくとも、お前たちゴロツキよりは正直だ。

>>648
>誰が当てはまるか一目瞭然だよw
投稿の内容みれば一目瞭然だわなー。

>>649
>絶対吐けないような感情剥き出しの下品な書き込みしといて、よく言うわw
ゴロツキが急に善良な小市民になったか。よしよし
そのまま「ごまめ」市民になってろ・
651過激な九州論者:2012/07/17(火) 11:31:36.50
でゴロツキども。
なんだかんだと、九州説にへばり着いていなくちゃ畿内説も存在感が保てないか。
くやしかったら、畿内説スレッド立てて、「畿内で決まり」といってろ。



「あっ・そ」で終わるから。
652日本@名無史さん:2012/07/17(火) 11:31:39.73
>そこに至る歴史的経緯を(何でも大和に突然自生ではなく)
>史実に近いところまで検証しようというのが本来の邪馬台国論だ

それも結局は、仮説に過ぎないわけだろw
653日本@名無史さん:2012/07/17(火) 12:05:51.83
熊本平野はないわぁ〜

もし熊本平野に邪馬台国があって、それを見た漏れが陳寿だったら、絶対にこういう意味のことを必ず皇帝に報告する。
すなわち「女王之所都、阿蘇山の麓なり」って。活火山は中国人には珍しいんだし、たといその時噴火してなかったにしろ、
おそらく何万年という単位で後世にも残っているだろう熊本平野のランドマークにして雄大な阿蘇山>>433>>439は、
書かないはずはないと思われ。

俺って変?
654日本@名無史さん:2012/07/17(火) 12:31:25.96
>>625
畿内説は、纏向から何も出ていないじゃないかというと、発掘調査したのは
ごくわずか、これから何が出るかわからないという。

一方で、畿内説の考古学者は、東遷の根拠など一切ないと言い切る。
畿内説の考古学者ってのは、感情の赴くままに発言する人種らしい。

>>653
陳寿が日本に来たと思っていること自体が大変。
655日本@名無史さん:2012/07/17(火) 12:33:24.82
確かに雲仙や阿蘇の近くへ行って火山の記述が無いのは変だよな。

隋書には阿蘇山の記述があるが、その頃には熊本辺りも
倭国に編入されたと考える事も出来る訳だ。
その方が倭王が西を成敗したという記述に合致する。
656日本@名無史さん:2012/07/17(火) 12:36:25.76
>>654
>ハンドルネームの変化も面白いだろ。名無しの姑息ものよ。んー?

今度はHNなしの姑息者の仲間入りかよw 
657日本@名無史さん:2012/07/17(火) 12:53:04.82
>>655
>隋書には阿蘇山の記述があるが、その頃には熊本辺りも
>倭国に編入されたと考える事も出来る訳だ。
>その方が倭王が西を成敗したという記述に合致する。

根拠の曖昧な推論を、全く別の記述の裏付けにするようじゃ、
君はとてもこの分野には向いてないよ。
658日本@名無史さん:2012/07/17(火) 12:53:07.16
>>654
纏向の調査は一部にしか入っていないというのは事実だよ

2ちゃんの九州説が「纏向は発掘完了、今後一切何も出ない」
と力説してるのには笑った
659日本@名無史さん:2012/07/17(火) 13:04:10.35
>>656
意味がわからないな。

とにかく、畿内説の考古学はあまり信用しないほうがいい。
畿内説であることが唯一絶対なわけだから。
660日本@名無史さん:2012/07/17(火) 13:04:54.87
>>657
そんなことはない。古田や安本みたいな歴史詐欺師には向いてるw
661過激な九州論者:2012/07/17(火) 13:13:40.44
>>656
ほれ、貧相な半島からの集団労働渡来民の末裔が、
>>654 を俺だと思って邪推してやがる。卑しい奴
>>654を書いた名無しよ、別人だといってやれ。

>>658
「ここが邪馬台国だ」といって助成金をせびって、いくらでも掘ればいいんだ。
「ここが邪馬台国だ」といって助成金をせびった手前、
(発掘してる専門家的には明言できないからい)、
マスコミを使って邪馬台国を匂わせて濁す。
で・助成金を出した地元の宣伝に役立っているフリをする。

これをみて・最底辺のタコどもが騒ぐ。この繰り返しだな。
662日本@名無史さん:2012/07/17(火) 13:15:30.33
>>661
出た、歴史詐欺師!
663日本@名無史さん:2012/07/17(火) 13:20:34.78
>>661
九州説はすぐそういうことを言うから
「九州は助成金なしで発掘調査やってんのかよw」
と叩かれるw

九州は助成金貰ってもここが邪馬台国なんて口が裂けても言いません?
ん?
吉野ヶ里が出た時邪馬台国邪馬台国騒いで
県民税市民税使って観光施設にしましたよね?

纏向は観光施設はおろか復元建物一つ作られていませんよ。
664日本@名無史さん:2012/07/17(火) 13:27:13.27
根拠の曖昧な推論を強引に結論づけるのが、
安本や古田を始めとする九州説論者だからな。

新たな出土や発見続いて自説に都合悪くなると
考古学界を叩くしか無いわけか、そりゃ相手にされない訳だw
665日本@名無史さん:2012/07/17(火) 13:27:31.29
>>661

>ほれ、貧相な半島からの集団労働渡来民の末裔が、
>>>654 を俺だと思って邪推してやがる。卑しい奴
>>>654を書いた名無しよ、別人だといってやれ。

ねぇ、「過激な九州説」さん、申し訳ないんだけどこのスレから出ていってくれないか。
貴兄がいると、九州説全体が胡散臭い目で見られちゃうし、「見える議論」が出来なくなってしまう。
貴兄は自身のブログで真実を追究すればいいんだし、それを評価してくれる人を相手に自説を説けばいいじゃない。
何も掲示板で反撃とはいえ、お里が知れるようなエゲツない汚い言葉を吐かないでくれ。
やがては貴兄の身元は割れるんだし、その時に貴兄自身の人格信頼性にも傷が付くんだよ。

666日本@名無史さん:2012/07/17(火) 13:32:15.63
九州なんて官民上げて邪馬台国を村おこしに使ってるよなw
JR九州なんて社歌にまで邪馬台国を入れてPRする始末。
大して西日本なんか最寄り駅(どころか真上)でさえ無人で放置だよw
667日本@名無史さん:2012/07/17(火) 13:36:01.15
そういえば吉野ヶ里って港のような遺構も出てますよね?
東に小川が流れているようだけど、割と近くまで海岸線だったのかな。
668日本@名無史さん:2012/07/17(火) 13:50:17.44
大分県の宇佐八幡宮で「第5回 復活!全日本邪馬台国論争大会」が行われた。
大会は、同市のまちおこしグループが建国したミニ独立国「新邪馬台国」のイベント
イベントとして、81年から86年にかけて4回開いた。昨年11月に映画が公開され、
宇佐へのバスツアーや雑誌、テレビの取材が増えた。「ブーム再燃の兆しかも。
不況の中、地域活性化につなげたい」と再開することにした。
全国から論文を募集し、選考委員会で選んだ5人が持論を発表した。邪馬台国の場所に
ついて、4人が宇佐を含む北部九州説、1人が山陰説で、コーディネーターの安本美典氏
(75)=雑誌「季刊 邪馬台国」編集責任者=も北部九州説を唱えた。
http://digest2chnewsplus.blog59.fc2.com/blog-entry-6180.html

九州も町おこしに邪馬台国利用してるじゃねえかw
669日本@名無史さん:2012/07/17(火) 13:52:52.84
670日本@名無史さん:2012/07/17(火) 13:55:03.41
>>665
そうそう。邪馬台国・熊本説の歴史詐欺師は去れ!
671日本@名無史さん:2012/07/17(火) 14:01:56.61
リアルでは北九州に比べたら熊本説とか全然理性的
672日本@名無史さん:2012/07/17(火) 14:07:28.74

「過激な九州説」さんへ

>>665のついでだけど、

奇跡の論客として姑息なマネはしないと宣言してる貴兄だから、杞憂とは思うが、
他人・別人に成りすまして意見の対立を煽るようなこともやめてくれ。

673日本@名無史さん:2012/07/17(火) 14:51:58.60
>>661
>ほれ、貧相な半島からの集団労働渡来民の末裔が、
>>>654 を俺だと思って邪推してやがる。卑しい奴
>>>654を書いた名無しよ、別人だといってやれ。


一体どんな環境で育ったらそんな下品な言葉が出てくるんだよ?w

>>672
他人に成りすましてみて、連れた香具師を叩くなんて朝飯前なんだろ
所詮、その程度の歴史詐欺師ってことさ
674日本@名無史さん:2012/07/17(火) 15:23:35.59
>>416
日本人は日本人以外のことしか興味がない
日本以外の事はどうでもいいと思っている
レディガガが日本に募金したとき
何で日本に募金したのかと質問したメディアが叩かれたが
俺もハイチやチリの震災の時に募金したら
知人から「何で募金したの」と聞かれた

どうも日本人は世界が日本に募金するのは当然で理由などいらない
募金されて当然の特別な国だと思っているらしい
675日本@名無史さん:2012/07/17(火) 15:25:28.15
>>671
いや、やはり阿蘇山の記述が無いのが致命的だろう。
あれだけ動植物を調べてるのに火山の記述が無いのは変。
676日本@名無史さん:2012/07/17(火) 15:56:16.55
>>667
>そういえば吉野ヶ里って港のような遺構も出てますよね?
>東に小川が流れているようだけど、割と近くまで海岸線だったのかな。

港のような遺構については何かわからないが、
海岸線は少なくとも吉野ヶ里遺跡の約2km南である。

参考地図
flood mapの地図で、海抜3mの付近
http://flood.firetree.net/?ll=33.8339,129.7265&z=12&m=3

国土地理院の地図で、海抜5mの等高線の付近
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?meshcode=49307350
677日本@名無史さん:2012/07/17(火) 16:29:02.86
>>675
阿蘇山も凄い爆発をしていたりしたら目立つだろうが、そうじゃなかったら
ただの山だし…。
678日本@名無史さん:2012/07/17(火) 16:31:02.94
>>655>>672
うむ、同意

関門海峡の決定的重要性は九州説にとっては既知だし、
△鏡の「呉の意匠に魏の年号」に対する見解はあまりにお粗末
どのような独自研究を以って天才を自称するのかは判らんが、
彼のような人格破産者は九州説にとって本当に迷惑だ
679日本@名無史さん:2012/07/17(火) 16:33:34.39
伝説的悪ガキ伊作について知りたい方はこちら
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1316716114/
680日本@名無史さん:2012/07/17(火) 16:34:42.92
>>672
彼は自意識が強いから名無しでの書き込みはないだろう。

>意見の対立を煽るようなこともやめてくれ。

意見の対立をなくして仲良くしようってか。
だったら、畿内説はここから出て行くことだな。
全く違う主張をしながら、対立するなとかありえない。
681日本@名無史さん:2012/07/17(火) 16:39:28.64
>>680
解ってないな。
九州説にとって迷惑なんだよ、畿内説はもちろん、それ以上に熊本説の基地外が。

>>671
もしお前が例の基地外でないというなら、どういう根拠に基づいて熊本説なの示してくれ

682日本@名無史さん:2012/07/17(火) 16:45:38.78
>>681
ひょっとして一番心の狭いのは福岡の人間かな。
異常に所在地に拘る九州の畿内説なのかもしれない。
邪馬台国は、筑後であってもいいし、肥後であっても良いし、日向であっても
良いと思う。議論することが重要。
683日本@名無史さん:2012/07/17(火) 16:49:45.08
>ひょっとして一番心の狭いのは福岡の人間かな。
>異常に所在地に拘る九州の畿内説なのかもしれない。

例の熊本説の基地外が九州の畿内説だろ。
ちなみに俺は九州の人間じゃない。

>筑後であってもいいし、肥後であっても良いし、日向であっても良いと思う。
>議論することが重要。

だから議論をしろよ。
お前が例の熊本説基地外でないなら、どういう根拠に基づいて熊本説なのか示してくれ。

684671:2012/07/17(火) 16:59:38.76
熊本説
・弥生時代の熊本平野は筑紫平野並に広い
・4世紀初めに卑弥呼的な人物がいた(以前にいても不思議ではない)
・佐賀伊都国から水行十日陸行一日で熊本
(干満の差が大きく干潮時にはかなり沖まで陸化する有明海は短時間しか水行できない)
685日本@名無史さん:2012/07/17(火) 17:02:09.74
>>683
筑後でも肥後でも日向でも良いと言っているのに、熊本の根拠を示せというのも
おかしな話だと思うが。一応、その線で答えてみると、

まず、倭人伝の行程の記述から、伊都国を佐賀平野と考えるのが妥当。
なので、投馬国や邪馬台国への水行は、有明海を南下すると考えられる。
この時点で有明海よりも北はありえない。

邪馬台国は熊本あたりにないと、伊都国に一大率を置いて、諸国を検察する意味が
ない。目が届かないために一大率を置くわけだから。

熊本の場合は、弥生時代の人口が多く、盆地のために生産も豊か。
鉄器の生産量も群を抜いている。
延喜式でも、九州で唯一の『大国』となっている。

火の国という名前もなんとなく「ヒノミコ(卑弥呼)」と関係ありそう。

そのほか、日向との関係も地理的に可能。など。
686日本@名無史さん:2012/07/17(火) 17:03:35.04
邪馬台国・肥後熊本説って有名どころで誰がいるの?
687日本@名無史さん:2012/07/17(火) 17:06:09.98
白鳥庫吉は肥後・山門説。
山門(郷)という地名は菊池地方にもあるらしい。
688日本@名無史さん:2012/07/17(火) 17:07:44.40
>>606
>倭人伝が放射式に書かれていることを理解してないな。

間違った理解をしているな。
689日本@名無史さん:2012/07/17(火) 17:09:24.42
>>684>>685
サンクス。箇条書きは解りやすい。

>>685
ところでお前は>>684>>671とは別人なのか?
それとも1人で2人分の人格を使い分けているのか?
690日本@名無史さん:2012/07/17(火) 17:15:13.72
>>689
別人。人格を使い分けるような器用なことは出来ない。
691過激な九州論者:2012/07/17(火) 17:21:10.64
>>675
>いや、やはり阿蘇山の記述が無いのが致命的だろう。
九州に上陸して少しは内陸部を見て回ったろうから、
阿蘇山に着いて言及しなくてはおかしい。とは、誰が勝手に決めたルールなんだ。
そのルールでいけば、倭国王都が宮崎だろうが太宰府だろうが、
阿蘇山について言及していなくてはおかしい。
となると、古田説応援し隊にいわせれば、
3世紀の倭国王都は九州にはなかった。7世紀の倭国王都は九州にあった。
こんな理屈になるぞ。何を鬼首ものではしゃいでやがるか、単細胞。

>>665
>申し訳ないんだけどこのスレから出ていってくれないか。
我流妄想駄論が書き込めなくなってしまうか?

>貴兄がいると、九州説全体が胡散臭い目で見られちゃうし、
うさん臭いことばかりいうから矯正してやってるのだが。

>「見える議論」が出来なくなってしまう。
何が見える? 卑弥呼の蜃気楼か?
692過激な九州論者:2012/07/17(火) 17:23:19.70
>やがては貴兄の身元は割れるんだし、その時に貴兄自身の人格信頼性にも傷が付くんだよ。
脅しでもほざいてるつもりか?  もとより覚悟の上よ。隠すつもりはない。
道づれに大勢の身元を割れ。で・邪馬台国研究とは「こんなに汚い」と
騒いで世間に注目してもらおうじゃないか。
その時は、身元が割れたお前も信用を失うことになる。覚悟があっての発言なんだろ

>>672
>他人・別人に成りすまして意見の対立を煽るようなこともやめてくれ。
俺は名無しでは書かない。

>>675
>いや、やはり阿蘇山の記述が無いのが致命的だろう。
九州に上陸して少しは内陸部を見て回ったろうから、
阿蘇山に着いて言及しなくてはおかしい。とは、誰が勝手に決めたルールなんだ。
そのルールでいけば、倭国王都が宮崎だろうが太宰府だろうが、
阿蘇山について言及していなくてはおかしい。
となると、古田説応援し隊にいわせれば、
3世紀の倭国王都は九州にはなかった。7世紀の倭国王都は九州にあった。
こんな理屈になるぞ。何を鬼首ものではしゃいでやがるか、単細胞。

>>678
>九州説にとって本当に迷惑だ
デタラメをいう九州説にとっても目障りな存在よ。

>>686
>邪馬台国・肥後熊本説って有名どころで誰がいるの?
近年では、言語学者・服部四郎氏。
693日本@名無史さん:2012/07/17(火) 17:26:14.95
ここで暴れてた邪馬台国熊本説
「過激な九州論者(天の声・天帝の声)」=日本史板の有名コテハン「森村伊作」
過去に森本伊作の著者名で「奇跡の解法」などの自費出版本を出し長年日本史板に君臨
(現在は同名タイトルのブログをやっている)

過去に伊作を語る専用スレまで立てられていました
http://romch.net/read/awabi.2ch.net/history/1316716114/-100
http://hh-web2ch.org/ag/awabi/history/1316716114/
694693:2012/07/17(火) 17:28:34.00
>森本伊作の著者名で

訂正。
著者名は「森村伊作」です
695過激な九州論者:2012/07/17(火) 17:36:16.03
>>678  >九州説にとって本当に迷惑だ
どんな九州説だ?  
たぶん、目を三角にして批判する畿内説と同じ手口に手を染めて、
前原から博多までは道連れで、そこから先への別れ方で口論する九州説ただろ。
それても、宮崎だ西都原だとのたまう願望亡者か?
どっちにしても俺が目障りで・迷惑で・やりづらいだろうよ。

九州説に限らず、不正解釈・小細工解釈・ご都合詭弁にまやかし、
論拠ねつ造・場末の手品的姑息な手法を使う奴にとって、正論しかいわない俺は論敵だ。
非常に都合の悪い存在だ。だから、俺の周りは敵ばかりよ。
もとより承知。それほどに邪馬台国論は汚れきっているのだ。

そういえば、
熊本説を見直す意見もちらほら出てはきているようだ。
俺の底辺浄化活動と底辺底上げ活動も、少しは効果が現れていい。
696日本@名無史さん:2012/07/17(火) 17:42:53.10
>>695
あんたは「森村伊作」なのか?
697過激な九州論者:2012/07/17(火) 17:53:43.33
>>693
>「奇跡の解法」などの自費出版本を出し
知ったふりをするな。事実誤認の情報垂れは誹謗だぞ。
最初は企画出版。印税も頂戴した。タイトルはまったく違う。
巷間の邪馬台国論に影響されすぎた内容で、デキは30点。

2回目は自費出版・生死の境をさまよう大手術の前に遺言のつもりで出した。
出版の目的には、「こういうことを提唱していた」という証拠づくりもある。
ともに本名で出した。今度だせばファイナルになるが本名で出す。

平成12年だったか。ホームページを開設した。
デザイナーにちょこちょこ更新させると金がかかる。
現在は、自分で更新できるブログにしている。
それは先に提示した。公明正大。堂々としてるだろ。
それだけ、自分の論考と検証の手順と手法に自信と誇りをもっている。

まともな文章も書けず、構造的な論の一つも構築するだけの能のないのが、
こういうかき捨て板で、断片知識をふりかざして断片衒学する。
そこへ俺みたいな奴が入ってくれば、そー目障りで・やりにくいわなー。
バカのくせに利口のつもりでいるから、冷や水をかけてやってるのだ。

ねたみ・そねみ・ひがみが渾然一体となって、
しまいには ♪出ていってくれ〜 てか。
698過激な九州論者:2012/07/17(火) 17:58:18.67
>696
>あんたは「森村伊作」なのか?
俺のマイナーな電子書籍でのペンネームだ。何も隠してるわけじゃないぜ。
それにしてもマイナーだから売れるどころか誰も気づかない。

この板で誹謗・中傷してる野郎は、
俺のブログで電子書籍の紹介をしていたのを見て書いてるだけだ。
699日本@名無史さん:2012/07/17(火) 18:01:13.44
>>697
>巷間の邪馬台国論に影響されすぎた内容で、デキは30点。

あんたにとっては30点でも、ここの畿内説のタコどもにとっては130万点ってこともあるんだから、
教えてくれ。ぜひ読んでみたい。

>生死の境をさまよう大手術の前に遺言のつもりで出した。

なんかカッコイイ!

ブログも気軽に更新できて便利なんだろうけど、どうしても同じ話が重複したりして、
考えながら読まなくちゃいけないから、長時間凝視してると目が痛くなる。
ぜひ活字で出してくれよ。
700日本@名無史さん:2012/07/17(火) 18:03:04.54
>>697
伊作爺さん、2ちゃんねるで自分のブログの宣伝するのはどうなのかね?
ころころコテハン変えても文体一緒・・・
正々堂々とやるならコテハン統一しろ
701過激な九州論者:2012/07/17(火) 18:03:39.21
さーこい。
俺には弱みも後ろめたさもない。隠すことは何もない。
誰かが脅したように、身元が割れてもいいぞ。
身元が割れてもいいという覚悟のある奴は、誹謗・中傷しにかかってこい。
702日本@名無史さん:2012/07/17(火) 18:11:48.36
>>701
皆、伊作爺さんの下劣な言葉に怒ってるんだよ
ここの住人たちを散々誹謗・中傷しておいて、
「俺のことを誹謗・中傷する連中」だ?
自分の書き込み、見てごらんよ・・・
って、2ちゃんねるから登場した最初の頃から反論が増えると
他の人を「タコ」とこきおろすことしかできない人だったねw
703日本@名無史さん:2012/07/17(火) 18:17:07.11
で、伊作爺さん、あんたがくたばる前に、三菱の工場の下を一部でもいいから掘らせてくれんのかよ?

じゃないと、あんたがどんなに強弁を張ったところで、間接証拠と文献資料への着眼点と解釈の違いの堂々巡りだぜぇ
結局、邪馬台国が九州島のどこにあろうと、古墳時代は大和朝廷の天下になるんだし、そんな青筋立てる必要ないんじゃないの?
身体ボロボロなのにそんなに興奮すると、血圧が上がると脳溢血になっちゃぜぇ
704過激な九州論者:2012/07/17(火) 18:17:35.72
>>699
>どうしても同じ話が重複したりして、
ご指摘通り、十分に自覚している。くどいと思っている。
本にするときはシェィプアップする。

>>700
>2ちゃんねるで自分のブログの宣伝するのはどうなのかね?
まーだ・こんなチビた発想するのがいるのか。
この板でブチあげる誹謗・中傷が誹謗・中傷であることと、
俺が実は、奇跡的なほど誠実で正直な論客であること。
これを証明するためのバックボーンとして提示してるのだ。

誹謗したがる奴には、自分が誹謗している内容とは真逆で、
きれいすぎてまぶしいだろう。汚れ者には何度提示しても正視できるわけがないのだ。

>正々堂々とやるなら
名無しでコソコソやってるわけじゃないぜ。

>コテハン統一しろ
俺の自由だ。何サマのつもりで自由の領域に踏み込むか?



705日本@名無史さん:2012/07/17(火) 18:21:42.73
>>704
だったら「伊作大先生(お前が過去に使ってたコテハンね)専用スレ」でも立ち上げて
自分の信者たちとの交流の場にでもしろよw
九州説の雑談の場を占領するな
706日本@名無史さん:2012/07/17(火) 18:24:27.92
伊作に一生懸命説教しようとしてる御仁(>>702)がおられるようだが、
やめてくれ。

伊作は○○(忘れた)とかいう病気なんだYO!
あんたみたいなのに一生懸命レスされるのが大好物なのよ。
そうする結果、dondon伊作は増長跋扈することになる

伊作の弱点は無視されること。
このスレの常連のように、まったりと対応してくれや
707日本@名無史さん:2012/07/17(火) 18:24:56.48
熊本南部説なんで、伊作氏がいても別に困りはしないが、
口が悪くて、嵐になりがちなのがちょっと困るな。
708日本@名無史さん:2012/07/17(火) 18:26:53.97
>>702>>704
みんなの気持ちを代弁してくれてサンクス!

頼むから社会人としての最低限のマナーも守れないなら、このスレからは消えてくれ。
ブログで誰にも相手にされないからって、こっちに殴り込まれると正直迷惑だ。
みんな気軽にジグソーパズル的な頭の体操をしたいのに、あんたが来ると雰囲気が壊れて、それができなくなる。

709過激な九州論者:2012/07/17(火) 18:29:41.77
>>702
>伊作爺さんの下劣な言葉に怒ってるんだよ
言われっ放しにはしない男でな。礼節を大切にと何度も警告したろ?
倍々返しを四の五のいうなら、はじめから大人しくすればいいのだ。

>ここの住人たちを散々誹謗・中傷しておいて、
どっちが先か、いったいわないにど、
女学生の口論みたいな話にする気でもなかろう。

>2ちゃんねるから登場した最初の頃から反論が増えると
反論といえるほどの質と体裁の投稿などない。
そのくせ偉そーな口をきく。今のお前がそうだ。
ほれ、日本語もまともに書けないだろが。自覚してるのか?タコ。

>>703
>邪馬台国が九州島のどこにあろうと、古墳時代は大和朝廷の天下になるんだし、
九州から引っ越しがなければ、大和盆地などただの田舎だったわけだ。

>そんな青筋立てる必要ないんじゃないの?
俺は常に冷静だ。怒るときも冷静に怒る。
何をいってる分からんほど理性と理路を見失うこともない。

>身体ボロボロなのにそんなに興奮すると、血圧が上がると脳溢血になっちゃぜぇ
血圧は正常。身軽で俊敏。見かけは10歳若い。
邪馬台国論と同じに、憶測でハッタリかますな。「おねー狐」じゃあるまいに。
710日本@名無史さん:2012/07/17(火) 18:30:24.97
伊作氏じゃなくても、頭がおかしい19歳くんとかが、度々出没するのも、
うざったい。
711日本@名無史さん:2012/07/17(火) 18:37:46.39
>>706
スルーされると伊作爺はすぐにコテハン変えてくるから
知らない人が気づかずにレスつけてしまうんだよね。
伊作爺は成りすましで常に邪馬台国スレに常駐していると
考えたほうがよさそう。
712日本@名無史さん:2012/07/17(火) 18:38:48.51
>>708
相手にされないんじゃないの、常連たちからバカにされてんのw
だから自己顕示しようと朝から晩まで一日中張り付い煽り煽られを繰り返してるわけ。
少しは建設的なことやればいいんだけど、伊作爺さんは病気なんだよ。
本出したところで、知ってる香具師は誰も買わないよ。
関門海峡だの△鏡だの、壊れたレコードみたいに全く同じことの繰り返しだから。
713過激な九州論者:2012/07/17(火) 18:41:07.70
>>705
>九州説の雑談の場を占領するな
雑談のわりには、いざ「証拠だ・論拠だ・論理だ」と、意味も分からずナマいきをいうだろ。

>>706
>伊作に一生懸命説教しようとしてる御仁(>>702)がおられるようだが、
自己中心的なわがままだ。

>伊作の弱点は無視されること。
「俺に構うな」といってもからむ奴ばかりだが。
お前らに、俺について話題にもしてもらいたくない。

>>707
>口が悪くて、嵐になりがちなのがちょっと困るな。
倍々返しといってるだろ。
他人に大人しくしてもらいたかったら、自分たちがまずしおらしくすることじゃないのか?

>>708
>頼むから社会人としての最低限のマナーも守れないなら、
社会人としての最低限の礼節をもって投稿したのが何人いるか。
下劣なお前にいわれたくないな。

>こっちに殴り込まれると正直迷惑だ。
好き勝手な我流論を垂れているといつでも矯正にやってくる。当初からの方針だが。

>みんな気軽にジグソーパズル的な頭の体操をしたいのに、
>あんたが来ると雰囲気が壊れて、それができなくなる。
どうやら、それがここの九州説おたくの本音のようだな。
知ったふりしても矯正されて恥をかくからやりにくいか。
714日本@名無史さん:2012/07/17(火) 18:47:53.64
>>711
やっぱりね。 
2ちゃんで持説をばら撒いてるわけだねw
誰が認めるんだそんな糞説。邪馬台国以外やることないのかね。

>>713
自分で煽ってるくせに煽り返されると、お前らのマナーがなってないとか自分勝手すぎるだろ、爺さん。
なんでもかんでも他人のせいにしてると、いつかシッペ返しがくるぜw
715過激な九州論者:2012/07/17(火) 18:50:53.44
>>711
>スルーされると
スルーされたことがないな。ウンカのようにたかってくる。
現状がいい事例だ。このウソつき野郎。

>伊作爺はすぐにコテハン変えてくるから
どうだっていいことだろ。気分屋だからな。

>知らない人が気づかずに
これほど強烈なキャラがほかにあるか?

>伊作爺は成りすましで
発想が貧困すぎるぞ。そうとう頭が悪そうだ。

>>712
>本出したところで、
お前たちに買ってもらおうなどとは思わない。見せたくもない。
本は、お前たちとは遠いところに距離をおく。のぼせるな

>壊れたレコードみたいに全く同じことの繰り返しだから。
決定的な新説だ。
表だっては虚勢を張ってるが、ボディブローよりも効いているはずだ。
716過激な九州論者:2012/07/17(火) 18:55:39.96
あのなー・ボンクラども。

俺の投稿のスピードと内容をみてみれ。
達人は達人を知るというが、
お前たちとは比較にも相手にもならない切れと回転の速さが分かるだろ。

自分を過信しているのかどうか。
いっちょ前にからんでくるバカさ加減は片腹痛いぜ。

バカを自覚できていないバカには手を焼くが、
お前たちみたいに、バカなくせに利口だと思ってるのも困りものだぜ。
717日本@名無史さん:2012/07/17(火) 18:56:45.20
誰か伊作爺さんをアク禁にできない?
本当に荒し以外の何者でもない。
718過激な九州論者:2012/07/17(火) 19:04:55.85
>>714  
>誰が認めるんだそんな糞説。
認めてもらう必要はない。わるいが、お前らに認めてもらっても何の価値もない。
過去から現在まである論説の欠陥と汚さを映す「鏡」になればいいのだ。

>>713
>自分で煽ってるくせに煽り返されると、
だから、女学生の口論なみにする気か?といったろに。

>お前らのマナーがなってないとか
現実に、いまのお前のマナーがなってない。
しかも「煽り返されると」とウソをついている。

>いつかシッペ返しがくるぜw
逃げ口上か脅しか。なんでもいいが、どんなシッペ返しだ?
719過激な九州論者:2012/07/17(火) 19:11:00.68
>>717
>誰か伊作爺さんをアク禁にできない?
お前のように、何にもならん投稿する奴こそアク禁にふさわしい。
ただの「板ダニ」だ。

♪出ていってくれぇ〜 か。
とうとう泣きが入ったか。じゃ、
畿内説者たちにゴミクズ扱いされながら、「ガキの寄り合い」をやってろ。
720過激な九州論者:2012/07/17(火) 19:14:28.71
おっと。
向けた背中に向かって、電柱の影で吠えるようなマネをしたら、
きびすを返して引き返して蹴散らす。承知だな
721日本@名無史さん:2012/07/17(火) 19:22:33.34
この爺さんが頭振ったら壊れたブリキのおもちゃの破片が周囲にブチまかれそうだw



一言で言えば精神障害者だがね
722日本@名無史さん:2012/07/17(火) 19:26:52.75
このスレみてると知り合いの大学教授や学芸員等の専門家に
邪馬台国ネタふるとすごい嫌がられるのがよくわかるわw
こんな基地外素人ばかり参入してくるネタ、そりゃ触れたがらんわけだ。
スルーするのが最も賢い
723日本@名無史さん:2012/07/17(火) 19:33:05.72
伊作爺さん、久しぶりに野良犬っぷりフルスロットルだな

ボロボロの身体でようやるわ。
弱い犬ほどよくキャンキャン吠えるって昔の人はよく言ったもんだよ。
724日本@名無史さん:2012/07/17(火) 19:36:23.91
伊作爺の被害と今後と展望を語るスレ

奇跡の解法●森村伊作邪馬台国を語る●大和の揺籃
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1316716114/553-653
725日本@名無史さん:2012/07/17(火) 19:39:13.32
726日本@名無史さん:2012/07/17(火) 20:03:12.36
>>699
長時間パソコンを見る人は、
画面の輝度を落とした方が目のためですよ
727過激な九州論者:2012/07/17(火) 20:05:34.41
>721
>この爺さんが頭振ったら壊れたブリキのおもちゃの破片が周囲にブチまかれそうだw
>一言で言えば精神障害者だがね
そういうお前の文章は精神分裂症ぎみだが。

>>722
>邪馬台国ネタふるとすごい嫌がられるのがよくわかるわw
そういうお前こそ、こういう処に出没するのをやめろ。

>723
>弱い犬ほどよくキャンキャン吠えるって昔の人はよく言ったもんだよ。
キャンキャン吠えてるのはお前たちのほうだが。自覚なしか

>>724
そうやって、俺もどんどん有名になる。根性も鍛えられる。

>725
宣伝してくれているのか。礼はいわんぞ。
728日本@名無史さん:2012/07/17(火) 20:06:05.51
729日本@名無史さん:2012/07/17(火) 20:14:52.47
>>727
2chで有名なコテハンっていうのは、世間から白い目で見られるってことだよ(知ってると思うけど)。
こんなとこで野良犬根性を鍛えてないで、自慢の天才的持説を一回でいいからまともな学会に提出してみなよ。
730日本@名無史さん:2012/07/17(火) 20:19:59.23
もうすぐ死ぬだろ
731日本@名無史さん:2012/07/17(火) 21:13:22.37
ここを見て熊本に無い事を確信したわw
732日本@名無史さん:2012/07/17(火) 22:18:05.04
そんなこと、見なくたってわかるだろうが。
733日本@名無史さん:2012/07/17(火) 22:31:16.64
>>731
>ここを見て熊本に無い事を確信したわw

熊本にあったのは、狗奴國連合と言うか卑彌弓呼王率いる男王國ですね。
734日本@名無史さん:2012/07/17(火) 22:40:22.65
狗奴國連合かどうかはわからないけど、熊本平野南端の城南町から南の方は
弥生時代文化が分かれるね
735日本@名無史さん:2012/07/17(火) 22:50:33.15
>>733
どう読んだら狗奴国が熊本にあったことになるんだ?
736最も正統な九州論者:2012/07/17(火) 22:53:37.91
倭人伝を、3世紀の中国人の価値観で大人になって読めば、
誰だって行き着く所に大差はない。
それが俺の場合は球磨もと平野になった。それだけのことだ。

むしろ大多数の人間は、そこへは行きたくないという自我があるから、
色々と邪な手法をこらしているだけのこと。そうじゃないのか?
737最も正統な九州論者:2012/07/17(火) 22:56:50.88
球磨もと平野→→→熊本平野

倭人伝に手を染めて最初に「このあたりか」と思うのは
誰しも熊本平野だろう。なぜか。
倭人伝はまさに、そのあたりと書いているから。
738日本@名無史さん:2012/07/17(火) 22:58:39.98
熊本平野に勢力はいない
739日本@名無史さん:2012/07/17(火) 23:07:01.19
>>738

根拠をどうぞ。
根拠を説明せずに、言いっぱなしは良くないよ。
740日本@名無史さん:2012/07/17(火) 23:08:24.05
痕跡がない
741日本@名無史さん:2012/07/17(火) 23:24:33.91
倭人伝を読めば狗奴国は女王国よりも南とある。
女王国=邪馬台国かどうかは問題だが、狗奴国は邪馬台国よりも南だろう。
となれば、狗奴国は北九州から水行十日陸行一月よりも遠いということだ。
とうてい熊本ではないな。

742日本@名無史さん:2012/07/17(火) 23:26:43.76
熊本県には1584件の弥生遺跡がある。
勢力の痕跡としては十分だろう。
743日本@名無史さん:2012/07/17(火) 23:28:37.46
3世紀に熊本県という領域はない
744日本@名無史さん:2012/07/17(火) 23:28:43.23
伊作氏は凄い!
伊作氏は天才だ!
常人とはかけ離れた精神構造の持ち主だ。
人間国宝に推薦したい。
745日本@名無史さん:2012/07/17(火) 23:36:04.37
狗奴国は単独で女王国に抗し得るというか悩まし魏の威を借るに至らしめる軍事力を持つ国でなきゃならない。
それか狗奴国が女王之所都に地理的に近い等の事情。
746日本@名無史さん:2012/07/17(火) 23:43:51.61
>>745
狗奴国はその後どうなったと思う?
747日本@名無史さん:2012/07/17(火) 23:47:53.49
わからない。
もしかすると女王国を呑合してしまったかもしれないw
普通は逆だと思うけど。
748日本@名無史さん:2012/07/17(火) 23:55:06.67
後漢書には、
「自女王國東度海千餘里至拘奴國、雖皆倭種、而不屬女王』とある。

女王国より東に千里、海を渡ると拘奴國に至る。倭種といえどもしかして女王に
属さず。

倭人伝の『南』とどっちが正しいのか…。
749日本@名無史さん:2012/07/18(水) 00:10:48.48
後漢書が書かれた頃には、すでに狗奴国はなくなっていたということだろう。
倭人伝が正しいんだよ。
750日本@名無史さん:2012/07/18(水) 00:22:02.20
>>735
>どう読んだら狗奴国が熊本にあったことになるんだ?

女王國の南に境界を接して狗奴國があると読める。
女王國は筑紫平野だから、その南は熊本平野。
ゆえに、その境界は現在の福岡県熊本県の県境と推定できる。

>>746
>狗奴国はその後どうなったと思う?

狗奴國は女王國を呑合し、筑後平野八女に進出。3世紀末〜4世紀初頭
倭王旨・倭五王・磐井へと勢力を拡大した。4世紀中葉〜6世紀初頭
一方、狗奴國の残留勢力の王は後の肥君。
狗奴國勢力の北進は、横穴式装飾石室墓形式の北進として見る事ができる。
751日本@名無史さん:2012/07/18(水) 00:26:49.59
馬鹿だ。
752日本@名無史さん:2012/07/18(水) 00:34:46.44
狗奴国は奴国の南

奴国はぐるっとまわってからに2度でてきます

奴国の南とゆうと火の国ですわな

狗奴国の血筋のが腋邪狗さんで

王家が割れて南北王国になっていたところが

女王が狗奴国の王様とかくわえこんでからに成した子が腋邪狗さんでよし
753日本@名無史さん:2012/07/18(水) 00:35:53.15
>女王國は筑紫平野だから、
北九州から水行十日陸行一月かかって筑紫平野はないな。

>狗奴國は女王國を呑合し、筑後平野八女に進出。3世紀末〜4世紀初頭
>倭王旨・倭五王・磐井へと勢力を拡大した。
中国史書はそれを邪馬台国と書いている。狗奴国とは一言も書いていない。
754日本@名無史さん:2012/07/18(水) 00:44:21.27
>>748
>女王国より東に千里、海を渡ると拘奴國に至る。

訳文が間違っている、正しくは以下の通り。
 女王国の東、千余里の海を渡って拘奴國に至る。

拘奴國と狗奴國は異なる国。
後漢書では、狗奴國は二十餘國の東鯷人の国々として書かれている。
なお、卑彌弓呼王の率いる男王國即ち狗奴國連合は、二十餘國の東鯷人の国々である。
755日本@名無史さん:2012/07/18(水) 01:14:01.33
>>753
>北九州から水行十日陸行一月かかって筑紫平野はないな。

邪馬台国は帯方郡から水行十日陸行一月
投馬國は帯方郡から水行二十日

>中国史書はそれを邪馬台国と書いている。

旨〜磐井の期間(4世紀中葉〜6世紀初頭)について、そんなことを書いた中国史書はない。
隋書では、多利思北孤(7世紀初頭)の時代には邪馬台国であると書いてある。
756日本@名無史さん:2012/07/18(水) 01:36:39.92
>>755
でたらめな読み方をしていては話にならん。

>そんなことを書いた中国史書はない。
ちゃんと読んでから出直すことだ。
757日本@名無史さん:2012/07/18(水) 09:00:33.64
>>752
>奴国はぐるっとまわってからに2度でてきます

なぜ奴国が2度出てくるのか?
758正統派九州論者:2012/07/18(水) 09:18:34.72
>>744
>伊作氏は凄い!
そうだ。

>伊作氏は天才だ!
その通りだ。

>常人とはかけ離れた精神構造の持ち主だ。
ワイルドだろ。文句あるか。

>人間国宝に推薦したい。
畿内説推進期間の文化庁の管轄だから無理だ。

んー。
宮内庁なら、王朝儀礼と、その威厳と格式と伝統を、
「重んじて理解を広めよう」という動きを歓迎するだろうな。
759日本@名無史さん:2012/07/18(水) 09:18:49.73
>>756
>でたらめな読み方をしていては話にならん。

出鱈目なのは貴君です。

>>そんなことを書いた中国史書はない。
>ちゃんと読んでから出直すことだ。

書いてある史書があるなら提示しなはれ。
それなら読める。

但し、周書と北史以降に成立した史書は出鱈目で参考にならない。
隋書以前に成立した史書では何に書いてある。
760正統派九州論者:2012/07/18(水) 09:19:33.18
畿内説推進期間→→→畿内説推進機関
761日本@名無史さん:2012/07/18(水) 09:20:49.55
部落民でも人間国宝に慣れるのか?
762日本@名無史さん:2012/07/18(水) 09:23:44.50
>>757
>>奴国はぐるっとまわってからに2度でてきます

二つの奴國は別国だ。
763日本@名無史さん:2012/07/18(水) 09:28:50.51
おはよう、伊作爺さん!今日は「正統派九州論者」か

ところで森田昇龍ってあんたの「大和の揺籃」>>725の出版に関わってるのか?
見出し(題名)がダメだとか、文章がなってないとか、散々ダメだしだされてるけど
764正統派九州論者:2012/07/18(水) 09:54:18.48
>>763
>森田昇龍って
俺のサイトをみて向こうからコンタクトしてきた。
鏡について貴重なヒントをくれた人だ。

>あんたの「大和の揺籃」>>725の出版に関わってるのか?
おまえ。何をかんがえてるんだ? 関わるわけがなかろう。
どーだっていいことを、女の腐った小姑じゃあるまいし。

>見出し(題名)がダメだとか、文章がなってないとか、
どこで見たんだ? 俺には記憶がないが。
誤字を指摘して皮肉をいってきたことは一度ある。彼特有の親しさの変形だ。

>散々ダメだしだされてるけど
小姑ストーカー。彼とは俺にダメだしするほどの関係じゃないぜ。


おまえ、実社会でも「廊下とんび」を演じて貴重がられていると錯覚して、
その実は嫌がられるタイプなんだろうな。ここは、似たようなタイプが集まる所だ。
765日本@名無史さん:2012/07/18(水) 10:10:59.63
まったく関係ない話だが。
長崎県には今でも『郷』という地域の単位が残っているんだな。
766正統派九州論者:2012/07/18(水) 10:22:38.29
>>764 ………まてよ。
俺の方からコンタクトしたんだったか? ちと記憶があいまいだ。
いずれにしろ、彼も俺の論調を「たて板に水」と評してくれた。
そういえば彼は、「魏の尚方では造らない神獣鏡に魏の年号」
という不条理を俺が提起したことを知っている。

今回俺がここに首を突っ込んだのは、
「画紋帯神獣鏡は楽浪郡で造られた」に対する異論だった。
彼に、呉地域から出た神獣鏡に画紋帯神獣鏡があるか否かを
問い合わせた。以下にその解答が出た。
独特のジョークセンスをもってるからブッ飛んでみえるカモしれないが、
これが森田氏の掲示版だ。
http://8541.teacup.com/moritasyouryuu/bbs

呉地域では画紋帯神獣鏡が出ているそうだ。
「画紋帯神獣鏡は楽浪郡で造られた」もボツの色が濃くなってきたわけだ。
767正統派九州論者:2012/07/18(水) 11:08:46.47
ところで >>763小姑名無し。

お前、俺と「お近づき」になりたいのか?
ならば早いほうがいいぞ。「来る者は拒まず」「争う者は容赦せず」だ。
闘将伊作軍団は年功序列・早い者順に上格となる。
その気になったら、ブログに提示してあるアドレスにメールしてこい。

768日本@名無史さん:2012/07/18(水) 11:30:15.34
伊作爺はリアルで基地外だな。
769正統派九州論者:2012/07/18(水) 12:01:23.67
>>768
>リアルで基地外だな。
その気違いを超えるようなまともな投稿をしてみせろ。
抽象的中傷文言しか書けないクズ野郎。
770日本@名無史さん:2012/07/18(水) 13:02:04.17
>>759
宋書倭国伝には次のようにある。
倭國在高驪東南大海中、世修貢職。
隋書にも記載がある。
771759:2012/07/18(水) 15:43:53.43
>>770
宋書には、倭王讃から倭王武までの5世紀の倭國が連続しているとあるだけ。

隋書には、7世紀の倭都と3世紀の倭都が同じ場所とあるだけ。

シナ史書では、倭國の王統が卑弥呼から連続している王統であるとは書かれていない。

日本の古文書には、3世紀から6世紀まで、王都が連続していると書かれたものもあるが。
772759:2012/07/18(水) 15:46:20.35
間違い
 3世紀から6世紀まで

正解
 3世紀から7世紀初頭まで
773日本@名無史さん:2012/07/18(水) 16:15:19.96
九州王朝年号が、517年の「継体」からだよね。

ここで、それ以前の王朝と、なんらかの入れ替えがあったかも。
774日本@名無史さん:2012/07/18(水) 16:18:56.49
単なる邪推にすぎないかもしれないが、

前九州王朝から、新九州王朝になった時、年号を制定した。
九州年号「継体」の開始である。

九州王朝から大和朝廷に変わった時、記紀を編纂した。

記念事業というか、威信を示すためというか。
そんなのが必要だったのかも。
775759:2012/07/18(水) 16:27:42.98
>>773
同意。
「統治体制」か「王統」が変わったと思われる。
場合によれば両方が変わった。
776日本@名無史さん:2012/07/18(水) 16:32:34.19
>>771
読解力がないねえ。宋書は、倭國在高驪東南大海中、世修貢職で始まるんだ。
5王は、倭国の王の話であって、狗奴国の話ではない。
倭国と狗奴国とは別の国だということは分かってるんだろうな?
777日本@名無史さん:2012/07/18(水) 16:35:48.39
>隋書には、7世紀の倭都と3世紀の倭都が同じ場所とあるだけ。
それだけではない。7世紀の倭都もツクシにあると書いているよ。
ツクシよりも東は「附庸国」つまり植民地とあるだろうが。

778日本@名無史さん:2012/07/18(水) 16:58:07.77
金印や倭国王帥升、倭の五王、天多利思比孤などは、
筑紫のことを指しているように思われる。

しかし、倭人伝の行程は、肥前国から水行、肥後国(7世紀以前は肥国で一緒)
方面を意識するような内容になっている。

この行程は筑紫国を通らない(避けた?)行程であるが、
何か意味がありそうだ。
779日本@名無史さん:2012/07/18(水) 17:11:12.06
正直、倭人伝の行程記事には、誤写等があるんだろう。
考えて見れば、何度も書写を繰り返すんだから仕方ない。

ということで、伊都国以降の正確な位置比定は難しい。しかし確実なこと。
それは、記述の詳細さから言って、邪馬台国が九州にあると見られる点。
間違っても奈良ではありえない。これを出発点としなくてはならない。

じゃあ、詳しい比定はどうするのか?
それは、倭人伝ではなく、出土遺物等によってゆっくり研究してゆけばよい。
780日本@名無史さん:2012/07/18(水) 17:44:19.95
真正基地外の歴史詐欺師は消えたのか?
781日本@名無史さん:2012/07/18(水) 17:50:21.68
九州のどこかにあったことは確かだが、熊本平野でないことは確か。

もし邪馬台国が大和朝廷になったのなら、祖先の発祥地を神社の形で残しているはず。
熊本に該当する神社は皆無だ。
782日本@名無史さん:2012/07/18(水) 18:07:12.27
祖先神が意識されてるのは宇佐神宮だね。

それとは別に、熊本には幾つかの天子神社が点在してて、
景行天皇ゆかりと位置づけされてるが、実際のところはどんなもんだか。
783日本@名無史さん:2012/07/18(水) 18:20:02.78
(中国に臣下の礼を取っていた史実を消すために編纂された)古事記・日本書紀の記述と矛盾しないように、
大和朝廷はかつて邪馬台国があった場所に、神社を建てて高い社格(神宮/大社)を与え、
祭神を差し変えて(たとえば架空の人物と見られる神皇皇后などに)卑弥呼を祀ったと考えられる。

邪馬台国が瀬戸内海を東遷して大和朝廷になったのなら、漢委奴国王も、帥升も、卑弥呼も間違いなく、建国の神々だから、
祭神(建国の神々)として全国の神社に祀らないはずはないと思われる。
この3神がそれぞれスサノオ・大国主・アマテラスだったら面白いんだけどw
784日本@名無史さん:2012/07/18(水) 19:17:37.71
久留米の妄想は筑紫平野のグループが福岡市側と熊本側と敵対し、征服して九州王朝だよな
そしてその筑紫平野のグループには佐賀の現韓国人DNA集団がいる
これだと朝鮮人による日本征服妄想だな 有力な根拠でもあれば話は別だが
韓国では大学の学長が大学の敷地内に『高天原故地』の石碑建てて、根拠なく
「イザナギノミコト、イザナミノミコト、アマテラスオホミカミ、スサノヲノミコトがここにいて、
スサノヲが朝鮮半島を追放されて日本に行った」と日本人観光客に説明してるらしいが
785日本@名無史さん:2012/07/18(水) 19:26:33.53
朝鮮人集団が「いた」というのと「支配していた」というのは違うだろ。

滋賀穴太にも朝鮮人集団が渡来して帰化したけど、それが当時の大和朝廷を征服したとは考えられない。
俺たちが未開の国に行って、現地の王を滅ぼして支配しようとした場合を思い浮かべりゃ判るが、
渡来人が支配層を駆逐するには、国家間の全面戦争がなければムリ。
786日本@名無史さん:2012/07/18(水) 19:33:42.58
グループの中の一集団が韓国人DNAという事実から、
どうしていきなり朝鮮が日本を征服したと飛躍させて、その飛躍を現代の事象の根拠としてしまうのか?

君は伊作氏の弟子になるべきだw
787日本@名無史さん:2012/07/18(水) 19:37:58.96
普通はそうなんだけど
久留米の妄想は佐賀平野グループが倭奴国滅ぼしてるんだから
朝鮮人がいる側が同じ民族を滅ぼす構図のほうが無理あるだろ
788日本@名無史さん:2012/07/18(水) 19:41:44.94
ここは東遷説のスレじゃないの?
九州王朝説は古田スレでよろ!
789759:2012/07/18(水) 19:46:21.88
>>776
>倭国と狗奴国とは別の国だということは分かってるんだろうな?

「倭國」と「倭の女王國」「倭の狗奴國」は分類方法が違う。

>>777
>7世紀の倭都もツクシにあると書いているよ。

竹斯國も俀國に含まれると書いてあるのだ。
俀都は、竹斯國にあるとは書かれていないが、竹斯國にあると看做せる。

>>778
>金印や倭国王帥升、倭の五王、天多利思比孤などは、
>筑紫のことを指しているように思われる。

そうだけれど、
金印は福岡平野、帥升は佐賀平野、多利思北孤は北野平野と筑後平野。
(佐賀平野も筑紫の時代があった。筑紫米多國の表記あり。筑紫風土記の米多(米田郷)は佐賀県。)

>この行程は筑紫国を通らない(避けた?)行程であるが、何か意味がありそうだ。

福岡平野には奴國(旧倭奴國)があり強大な反女王国勢力であったから。
伊都國東南の奴國は、親女王派で女王国を構成する一員でもあり、奴國(旧倭奴國)の分国であろう。
790日本@名無史さん:2012/07/18(水) 19:46:51.84
東遷説もおk、九州王朝説もおk
ソースを出してね
791日本@名無史さん:2012/07/18(水) 19:51:41.33
米多の語呂合わせだけで妄想ストーリ電波されても迷惑なんだよな
792日本@名無史さん:2012/07/18(水) 20:02:33.90
米田が、いまのメタバル付近を指しているのなら、
吉野ヶ里と鳥栖久留米の間くらいの場所だな。

吉野ヶ里でも鳥栖でも、戦の痕跡が出てくるから、
このあたりを獲ったり獲られたりしていたのだろう。

しかし、筑紫米田の記述があるなら、
当然そののちには肥前だから、文字が残る時代の
そのあとまで戦が続いていたということになる。

そうなると、磐井とかの時代にまで続いていたかもしれない。

あと、倭の五王の一人が磐井だとするなら、
倭の五王は案外熊本系かもしれない。

久留米付近を、熊本系、福岡系、どちらが握るかで、
筑紫平野の主導権が取れる。

以前純軍事的な観点から、久留米は守りにくく攻めやすいと書いたことがある。
四方が大軍を送り込み安い、広大な平地だからである。

ここを維持できるということは、それだけの軍事力を持っていたということになる。
793日本@名無史さん:2012/07/18(水) 20:03:13.66
>>784
>久留米の妄想は筑紫平野のグループが福岡市側と熊本側と敵対し、征服して九州王朝だよな

中心権力について
倭奴國までは福岡市側(福岡平野勢力)の時代。
帥升から壹與までは筑紫平野勢力の時代。
旨から磐井までは肥後から筑後平野に進出して来た勢力の時代。
磐井より時代が下がると主に福岡平野勢力の時代。
794日本@名無史さん:2012/07/18(水) 20:07:55.38
福岡筑紫系と、熊本肥国系の戦い。
最終的に久留米が筑紫になったところを見ると、
福岡系が勝利したのだろう。

磐井自体はおそらく筑紫系だが、
そののちに潰され、磐井の岩戸山古墳には、熊本系の石人石馬が置かれる。

ひょっとしたら、熊本系が宗教的に磐井を抑圧するつもりだったのかもしれない。

石人石馬のある岩戸山古墳の「ひろば」は、
取ってつけたように、あとから築造した感が否めないからである。
795日本@名無史さん:2012/07/18(水) 20:11:31.43
根拠出さないと朝鮮人学長の妄想とかわらんよ
弥生中期の殺傷痕人骨とかだけ出してもw
796日本@名無史さん:2012/07/18(水) 20:13:03.90
奴国が福岡から佐賀までの広大な国の時代があり、
熊本勢が一度、久留米から鳥栖を切り取って、
佐賀の奴国と福岡の奴国を分断した。

そののち、佐賀は肥国に編入された。
しかし、筑紫勢が久留米から大牟田を取り返した。

そんなシナリオがかけるかもしれない。
797日本@名無史さん:2012/07/18(水) 20:16:31.87
みんなウリナラ起源説w
798日本@名無史さん:2012/07/18(水) 20:17:29.89
>>792
>あと、倭の五王の一人が磐井だとするなら、
>倭の五王は案外熊本系かもしれない。

磐井は倭五王最後の武を引き継いだ王。武は6世紀初頭までの人だから。
磐井の墓が八女古墳群にあるから、磐井は肥後から筑後に進出して来た勢力の末裔。
倭五王王統の最後が磐井と看做しても良い。
799日本@名無史さん:2012/07/18(水) 21:11:00.37
しかしまあ毎度のことながら事実上「九州王朝説スレ」の様相だなwwwwwwww

九州王朝説を憎んでそうな 森村伊作 にしても事実上九州王朝説の分派
『熊本王朝説』みたいなもんだしwww

800日本@名無史さん:2012/07/18(水) 21:11:07.21
>>781-783
やっぱり熊本はないよな

客観的に見て卑弥呼も建国の神の一人なんだから、
邪馬台国の跡地に三菱の工場を建てさせたりしないよw
801日本@名無史さん:2012/07/18(水) 21:18:07.74
烏奴国の跡地に石橋の工場を建てさせたりするのが佐賀県
802日本@名無史さん:2012/07/18(水) 21:23:37.22
九州のどこかにあった。後はそれぞれが仮説を立てて楽しめば桶。

直接証拠が示せない以上、すでに発見&公表されている遺跡のみから史実性の高さを求めても、所詮は仮説の世界。

部落だウリナラ起源だとかは、この際どうでもいい。どうもこの2派は真性基地外が多くていかんなw
803日本@名無史さん:2012/07/18(水) 21:30:08.95
基臨尼今五年黄龍(368 神功48 戊辰) 急利女水皇妻倭太子
804日本@名無史さん:2012/07/18(水) 21:33:47.88
>>800-801
邪馬台国>烏奴国だし、跡を残すなら神社か祠でしょ
805日本@名無史さん:2012/07/18(水) 21:34:01.17
すでに発見&公表されている遺跡から可能な限り3世紀前後の倭国の状況を把握し
その上で文献から推論するなら意味がある
どうせ決定的物証は現段階で出てないからと、好き勝手に妄想して地元にもって行こうというのが
ウリナラ起源説
806日本@名無史さん:2012/07/18(水) 21:37:35.00
>>805
決着を見ないという点では、五十歩百歩
807日本@名無史さん:2012/07/18(水) 21:38:31.56
>>806
根本的に違う
808日本@名無史さん:2012/07/18(水) 21:40:27.30
>>805
>推論するなら意味がある

推論は推論さw

要するにウリナラ起源説を使って他の説を潰したいんだろ?
809日本@名無史さん:2012/07/18(水) 21:41:39.28
開き直ってウリナラ起源説を正当化されても困る
810日本@名無史さん:2012/07/18(水) 21:51:38.55
そもそも邪馬台国を「後の大和朝廷の基礎」というなら、大仙陵以前の奈良盆地の南北にある巨大古墳は一体なんなんだ?
卑弥呼の墓は直径百歩の円墳なんだろ?
811日本@名無史さん:2012/07/18(水) 22:01:36.81
女王國+自女王國以南の其餘旁國20ヶ國のがまとめて 邪馬壹(臺)國なんだけど

辺境の土人のこと詳しくのべるのもまんどくさいし

むだにかまっても有効な利益とか出てこなくておいしいこととかないから

遠絶で其戸數道里不可得略載って書いておいてあげよう  byちんじゅの代筆
812日本@名無史さん:2012/07/18(水) 22:03:26.65
倭人の衣食住とか動植物にあんなに細かく書いてるのに?
813日本@名無史さん:2012/07/18(水) 22:08:18.97
自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之

自女王國以南の其餘旁國20ヶ國のは

有如(州)刺史ひとのこととか

はばかってもらわんくてもべつにええよ   byちんじゅの代筆    

814日本@名無史さん:2012/07/19(木) 00:18:08.50
帥升〜卑弥呼〜磐井までが、筑紫平野王朝。 金印の「委奴国」or「奴国」はしらん。
815日本@名無史さん:2012/07/19(木) 01:06:28.29
>>798
>倭五王王統の最後が磐井と看做しても良い。

その通り。

>磐井の墓が八女古墳群にあるから、磐井は肥後から筑後に進出して来た勢力の末裔。

磐井は大和朝廷系列で博多湾岸勢力の出自だ。
磐井の乱は同一勢力内の戦い。


磐井は肥後狗奴国の末裔ではない。
石人に熊本の石が使用されているのは熊本を支配していただけの話。
816日本@名無史さん:2012/07/19(木) 01:19:07.63
博多湾岸(チクシ)の大和朝廷系列の勢力と
有明海沿岸(ツクシ)の邪馬台国系列の戦いが倭国大乱。

その南の地域の熊本が狗奴国。

四世紀以降蓮田湾岸勢力が邪馬台国を滅ぼして
有明海沿岸諸国も支配地にした。
だから
敗者である邪馬台国の記録が一切残されていない。
817日本@名無史さん:2012/07/19(木) 01:23:01.99
筑紫チクシは博多湾岸
筑紫ツクシは筑紫平野(ツクシヘイヤ)
818日本@名無史さん:2012/07/19(木) 01:54:06.23
末廬国、伊都国、奴国、不彌国で九州北西部は使い切ってるだろ。
邪馬台国はそこから遠いどこかにあるのさ。
大和とか…な。
819日本@名無史さん:2012/07/19(木) 08:15:39.02
肥後国が肥前国に一大率を派遣した。
邪馬台国の主力は肥後国。

ただし、卑弥呼自体は、ちょっと奥まった神秘的(雰囲気)の場所に
隠れ住んでいたかもしれない。

また、クナ国が景行天皇時代の熊襲国と同じ物なら、
熊本南部の人吉、えびの、都城の各盆地が、
敵本拠地、あるいは最前線となるだろう。
820日本@名無史さん:2012/07/19(木) 08:19:55.68
相変わらず根拠無しの妄想ばっかりw
後の歴史との矛盾は相変わらずスルーだし。
821日本@名無史さん:2012/07/19(木) 08:24:54.71
倭の五王が熊本系なんて絶対有り得ない話。
西国を成敗してるのに、なんで本拠地を夷扱いするんだよw
822日本@名無史さん:2012/07/19(木) 08:28:18.29
>>820

きちんと突っ込む根性がないから、
そんな二行レスしかできないのさ。

きちんとやらなきゃ、負け犬の遠吠えにしかみえないぞ。
823日本@名無史さん:2012/07/19(木) 08:31:12.06
景行天皇の熊襲退治の熊襲は、

北九州東部、大分、宮崎で終了。
あとは有明海をゆったりと行幸して帰る話。

熊本は熊襲ではない。
824日本@名無史さん:2012/07/19(木) 08:36:20.69
熊襲の酋長がまわりの熊襲をやっつけてまとめあげてからに大酋長に化けるとゆうストーリー

よって

熊本のも熊襲でよし
825日本@名無史さん:2012/07/19(木) 08:44:00.65
熊本本拠なら、西から東国を成敗し、まとめたと書けば済むだけの事。
本拠地を持ち上げない英雄話なんて有り得ないから。
826日本@名無史さん:2012/07/19(木) 08:45:27.25
景行天皇の段で禰疑野〜日向高屋宮の間に何処を討った誰を討ったとは一切書かれていない。
827日本@名無史さん:2012/07/19(木) 08:49:52.80
そういえば、古事記の筑紫島の記述が、
熊本目線だな。
筑紫の白日別、豊の豊日別、熊襲の建日別だが、
肥前肥後は、変に長い。
828日本@名無史さん:2012/07/19(木) 08:59:10.71
筑紫平野と熊本平野の大半でも何処誰を討ったとは一切書かれていない。
景行天皇は北東部九州で誅しまくっている。
高屋宮で作戦会議をしてアツカヤ、サカヤを誅した。
熊県(球磨郡)で弟熊、玉杵名邑で津頬を誅した以外はただ通っただけ。
829日本@名無史さん:2012/07/19(木) 09:00:51.19

肥国の古事記国生みでの呼び方

建日向日豊久士比泥別

これって、建、豊を傘下においている、
とか読んでは行けないのかねえ。
830日本@名無史さん:2012/07/19(木) 09:04:04.90
大倭=大和=ダイワが
邪馬台=ヤマトの音をぱくって
大和をヤマトとよぶようにした。
831日本@名無史さん:2012/07/19(木) 09:05:04.82
国産みなら神名が付いてるのは四国だけどな。
神武東征だって四国周辺国を束ねて畿内へ入る話。
普通に解釈すればごく簡単な事だ。
832日本@名無史さん:2012/07/19(木) 09:06:48.19
神武東征のルートは、瀬戸内海の本州側を
点々としてなかったか?
833日本@名無史さん:2012/07/19(木) 09:09:19.88
素人に言わせれば倭臣熊彦とか葛城襲津彦とか名前があやしい
襲津彦とか襲の彦って意味じゃん
834日本@名無史さん:2012/07/19(木) 09:15:57.73
石人石馬は熊本的。
835日本@名無史さん:2012/07/19(木) 09:29:51.51
>>829
建日向日豊久士比泥別

拓「日向+日豊」& 「久士~日禰」別
836日本@名無史さん:2012/07/19(木) 09:31:30.21
>>833
紀伊半島南半分だってクマソだけど。
837正統派九州説:2012/07/19(木) 09:32:54.39
●熊襲を誤解するな
熊襲は7世紀に成立した歴史書の創作。
熊本は「隈本」だったものを加藤清正が熊本に変えた。
熊襲の「熊」と熊本の「熊」は何の関係もない。

熊襲は福岡・大分・宮崎に多く、熊本平野にはいない。
わずかに玉名と人吉盆地にいた。
熊本は現在に射たまで、尊王思想の強い土地柄だ。
朝廷に逆らう勢力はいない。

倭人の文化も種族も、もとは長江流域からの渡来人だ。
黥面・文身・お歯黒・無文字文化の非漢民族だ。
基本的には同じ民族だが、少しずつ文化の異なる多数の種族がやってきている。

大和朝廷の統一が徹底していなかった時代に、
河川上流部・丘陵部・山岳部には服わぬ種族が散在した。
(現在の中国の少数民族のようなもの)
これらを熊襲・熊鷹・土蜘蛛など呼んだにすぎない。
土蜘蛛などは全国に散在していた。
838正統派九州説:2012/07/19(木) 09:33:27.10
●磐井を誤解するな
九州には色んな君が実在した。宗像の君、筑紫の君、水沼の君、肥の君、阿蘇の君、
芦北の君、宇佐の君、大分の君。あげればきりがないほどだが、
「君」は天皇家の血筋から分かれた豪族(皇別豪族)が名乗った呼称である。
この多くの「君」たちは、朝廷から領地をもらって九州を分担支配していた。
支配者の親近血族に領地を与えて各地に配するのも古来からの通例である。
磐井はもともと、数多の君と並んで九州を分担領有していた一豪族にすぎない。
その証拠が磐井の乱の前後の状況に明確にみえている。

磐井は、継体天皇の命を受けて半島に出兵する近江毛野臣を邪魔してこういう。
「昔、我とお前とは伴として、肩や肘をすりあわせて、共に器を同じくして食った」。
伴とは天皇につき従って仕えることを意味する。
これは磐井が、近江毛野臣とともに(継体以前の)天皇に仕えていたことを示唆している。
当時、皇位継承権は第4親等までと決まっていたが、
第5親等で皇位継承権がなかった継体に対する「内輪の確執」。それが磐井の乱だ。
839正統派九州説:2012/07/19(木) 09:34:41.39
●史実を正視する勇気はあるか
磐井の墓は「赤緑黄の彩色で同心円文や三角文を描く石室」だという説がある。
※後円部主体の埋葬施設は横穴式石室で、南方向に石室が開口しており、
赤緑黄の彩色で同心円文や三角文を描く石室であることが知られている。(『古墳探訪』)
未確認ではあるが、この情報が正しければ紛うことなく装飾古墳である。

倭国の政権中枢が大和州へ移動したあと、依然として重要な九州の地を、
特定の豪族が力をつけすぎないよう細かく分断して、
支配者一族から分かれた皇別豪族「〜君」に支配・管理させた。
(それでも磐井のように力つけるのが出る)。
九州土着勢力の特徴著しい装飾古墳は、「〜君」を名乗った皇別豪族たちの墓だ。

そこには、長江流域の民が神と崇めた最古いの神(蛇神)の文様がほどこされている。
渦巻き文は蛇そのもの、鋸歯文(菱形文と連続三角紋)はウロコ、
同心円文は蛇の目。奇しくも加藤清正の紋が蛇の目だった。
神獣鏡にも、はっきりと連続三角紋がめぐらされている。
縄文後期の土器・土偶から銅鐸・銅鏡・埴輪・古墳から現代のしめ縄に至るまで、
蛇神にまつわる民族的文様としてある事実を正視することだ。

そうすれば、歴史動向の脈絡は、必ず一つのストーリーに集約する。
(それでも、自我に支配された者は自我のおむもく方向へ歴史をもっていこうとするのだろう)。
数多の九州北部説の欠陥は掃いて捨てるほどあるが、視野が九州北部限定で、
装飾古墳を放置してしまったこともその一つだ。
840正統派九州説:2012/07/19(木) 09:36:45.48
それにしても、「古田説・安本説を超える」という声があがったほどの天才説だ、
支持する奴がもっと出てもいいはずなんだが。

認めれば、邪な手法に頼った自論の否定につながることと、
自分ができなかった正統派正論を見せられて、嫉妬心と敵愾心を誘発するんだろうな。

真の九州説の道をたどるとき、そこには、すでに天才の足跡がついている。かんらかんら
841日本@名無史さん:2012/07/19(木) 09:41:25.04
建日向日豊久士比泥別を翻訳したらこうなった

建てて日向日豊久士がすりつぶしたものを比べてはいけません
ビバークの日トヨヒサ士が泥よりことを造ります
842日本@名無史さん:2012/07/19(木) 09:49:09.34
神武東征のルート

日向→宇佐→筑紫岡田(1年)→安芸(7年)→吉備(8年)→難波→紀伊→熊野→大和

四国に寄ったという記述はないね。
>>931は文体からして例の人だね。
843日本@名無史さん:2012/07/19(木) 10:02:13.47
熊本平野民勢力が南進をあきらめて日向に入植していってたりして()
日向海岸平野部から見れば山からやって来たように見えるだろうね
海幸は山幸の臣となった
844日本@名無史さん:2012/07/19(木) 10:21:36.42
>>842
四国に寄ったのではなく、四国の周辺国、
つまり対岸の国をとりまとめたという事だが。
例の人?何それ?
845日本@名無史さん:2012/07/19(木) 10:30:40.33
>>
>末廬国、伊都国、奴国、不彌国で九州北西部は使い切ってるだろ。

九州北西部を使い切っていない。

末盧國 四千餘戸2,000人 唐津湾周辺
伊都國 千餘戸5,000人 佐賀市大和町の一部
奴國 二萬餘戸10,000人 佐賀平野の中部
不彌國 千餘家5,000人 吉野ヶ里遺跡周辺

福岡平野、北野平野、筑後平野、佐賀平野東部、佐賀平野西部、白石平野が空白地域。
九州北西部の大部分が空白地域である。
846日本@名無史さん:2012/07/19(木) 13:08:46.78
伊都国を大和町の肥前国庁址とすれば吉野ヶ里遺跡周辺が不彌國になるだろうけど、
南東方向の奴国は筑後川に至る最短地点を意味するようにも思うのだけどね。
奴国は筑後川左岸東岸のようにも思う。
847日本@名無史さん:2012/07/19(木) 13:15:07.49
そういうことにすれば鳥栖付近の烏奴国の次に奴国が来るのも適うんだよな
848日本@名無史さん:2012/07/19(木) 13:28:32.81
烏奴國=鳥栖、支惟國=三井郡、巴利國=浮羽郡、躬臣國=玖珠郡、
邪馬国=山国川流域、鬼奴国=・・・みたいに
849日本@名無史さん:2012/07/19(木) 14:05:57.15
奴国は二万戸とでかい。
投馬国の五万戸、邪馬台国の七万戸もでかい。

それとは別に、千戸の伊都国のようなものもある。
戸数表記がないものもある。

県単位での呼び名と、そのなかの市町村単位での呼び名を
混同してるような気がしなくもない。

奴国二万戸の中に、松浦国や伊都国が含まれてるってことはないだろうか。
そして、奴国と表現しているのは、県庁所在地みたいなもので、
奴国の中心部とか。
850日本@名無史さん:2012/07/19(木) 14:23:33.91
851日本@名無史さん:2012/07/19(木) 15:01:45.48
>>849
慧眼!
「国」の定義が、混乱の元だな。
県規模の国も市町村規模の国も、同じ「国」と書かれているから、読み方には要注意かもしれない。

>奴国二万戸の中に、松浦国や伊都国が含まれてるってことはないだろうか。
>そして、奴国と表現しているのは、県庁所在地みたいなもので、奴国の中心部とか。

全く同感だ。
852日本@名無史さん:2012/07/19(木) 15:12:46.34
>>846
伊都國の城郭を肥前国庁址とすると、
その東南百里7kmの城郭適地となる微高地は佐賀城内となる。
故に、奴國の城郭は佐賀城城内である。
伊都國城郭の遺跡は佐賀城建設時に破壊されたと思われる。
佐賀城城内では弥生時代の遺物だけが発見れている。

吉野ヶ里遺跡は不彌國の城郭である。

3世紀の筑後川の流路
筑後川は久留米付近からも西進し続け、
吉野ヶ里遺跡の南2km付近で有明海に流れ込んでいた。

余談 メタ
吉野ヶ里遺跡東南約2kmの上峰町米多は倭國(倭面土國)王帥升の港と考える。
米多=米田郷=筑紫米多國
米多=目達(原)
米多=(倭)面土(國)
853日本@名無史さん:2012/07/19(木) 15:16:12.74
○ 奴國城郭の遺跡は佐賀城建設時に破壊されたと思われる。
× 伊都國城郭の遺跡は佐賀城建設時に破壊されたと思われる。
854日本@名無史さん:2012/07/19(木) 15:23:05.52
>>852
実に論理的かつ無理のない要領を得た推論である
855日本@名無史さん:2012/07/19(木) 15:26:27.48
倭人伝の原資料を書いた人物はかなりの教養人だ。国の概念を混同するような
馬鹿なことはしないよ。奴国、投馬国や邪馬台国は大きく、戸数が書いてない
旁国はたいしたことはなかったということだろう。
856日本@名無史さん:2012/07/19(木) 15:33:39.01
>>852-853
それいい!
古代の重要遺跡は自然の要害に建てられ、それは現代でも変わらないから、
重要拠点は近世城郭に取って代わられた可能性が高い。

ちょうど現代の多くの県庁所在地が近世城郭の跡地に建てられたように。
857日本@名無史さん:2012/07/19(木) 15:39:13.06
たしかに肥前国庁址から佐賀城までジャスト100里だ
858日本@名無史さん:2012/07/19(木) 15:41:28.83
古代重要遺跡→中世国府跡→近世城郭→近現代県庁
859日本@名無史さん:2012/07/19(木) 16:33:31.57
地名の件では、実際問題として、区別がつかない場合が多々ある。

筑紫(国)、筑紫(島)、(字としての)筑紫
日向(峠)、日向(国)

など。

気づかずに大きく見たり、あるいは小さく見たり、といったことがあるかもしれない。
860日本@名無史さん:2012/07/19(木) 16:45:46.45
七萬餘戸350,000人邪馬壹國について、
邪馬壹國には3人の次官と女王がいるので、
邪馬壹國は4ヶ国以上の国が合併してできた国と推定される。
その中心地は、浮羽、朝倉、小郡、三潴久留米、八女と推定される。

五萬餘戸250,000人投馬國について、
投馬國は、みやき町三根から荒尾に至る島々と海岸沿いの地域と考えられるので、
漁労民の数ヶ国が緩く連合した国と推定される。
(三根 ⇔ 城島 ⇔ 大川 ⇔ 柳川 ⇔ 瀬高(山門) ⇔ 大牟田 ⇔ 荒尾)
861日本@名無史さん:2012/07/19(木) 16:57:55.50
暫定的に、大国家として、奴国、投馬国、邪馬台国があり、
小国はこれに含まれるとするならば、

個人的には、

福岡から鳥栖を通り、筑後川の北西岸に添って佐賀、唐津が、奴国。
つまり背振山地を囲む形になる。

投馬国は、度々ツマ国ではないかという意見がある久留米を中心に、
甘木朝倉の平野と、八女筑後から大牟田までとする。

邪馬台国は熊本全域とする。むろん中心部はもう少しピンポイントに決めるべきだろう。
862日本@名無史さん:2012/07/19(木) 17:11:02.66
>>859
>気づかずに大きく見たり、あるいは小さく見たり、といったことがあるかもしれない。

行基図のように絵図を用いたり、箇条書きにせず、網羅的に連続した文章で書く場合、
知らず知らずのうちに大国と小国の区別が前後したり混乱したりということは大いにあり得る
行基図→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E5%9F%BA%E5%9B%B3

>>860
簡潔にして要領を得た、まさに最高の推理だ

>>861
>暫定的に、大国家として、奴国、投馬国、邪馬台国があり、小国はこれに含まれるとするならば、

そう。まさしくこの視点こそ、狭い九州で限られた平野部にあれだけの「国」が密集・錯綜していた状況を解く鍵となろう
863日本@名無史さん:2012/07/19(木) 17:46:28.31
ネットでしばしば見受ける日向峠のという名の初出はいつなのか教えてくれんか。
道程が日当たりのいい場所の多い峠ではないか?
その意の日向なら全国各地無数にあるのだ。
日向はヒナタではなく日迎の意での日向だ。
日向峠の初出はいつなのかどなたか教えてください。
864日本@名無史さん:2012/07/19(木) 17:57:02.97
奴国とか文献で出てくる国は、今でいう市町村レベルの国で、
邪馬台国は、都道府県レベルの話だろ。
だから使者が来ているところが既に邪馬台国の一部なんだよ。
帯方郡から投馬国(任那のあたり)まで、水行20日、
投馬国から松浦まで水行10日、そこから陸行1か月で邪馬台国についた。
865日本@名無史さん:2012/07/19(木) 18:08:51.33
>>864
かってよみ。
866日本@名無史さん:2012/07/19(木) 18:09:36.05
>>863
「日向峠」の私の初見は、昭和46年、古田武彦著「邪馬台国はなかった」である。
867日本@名無史さん:2012/07/19(木) 18:17:38.33
一応、日向峠の近所の、高祖神社の宮司を務める
原田氏の文献には、戦国時代には日向峠の文字は見えるようだ。
868日本@名無史さん:2012/07/19(木) 18:18:50.25
そんなばかな。
昭和46年より前に見えないということはないでしょう?
文献で見える初出を教えていただきたいのです。
869日本@名無史さん:2012/07/19(木) 18:22:44.47
原田氏の文献というのは何のことでしょうか。
書の名を知りたく思います。
地誌などで広く頒布されている文献で確認できないのですか。
870日本@名無史さん:2012/07/19(木) 18:24:04.39
「ネットでしばしば見受ける日向峠のという名の初出」を話題にしているのに
「自分が初めて読んだ文献」やら「この世で初めて書かれた文献」を話題にするのはおかしいだろ。
871日本@名無史さん:2012/07/19(木) 18:26:02.64
申し訳ない。
「この世で初めて書かれた文献」のことです。
872日本@名無史さん:2012/07/19(木) 18:26:34.45
古田武彦は、日向峠のふもと吉武高木遺跡付近、
室見川を見下ろす高台に卑弥呼の宮殿があったと推定していたようだ。
私には上記の様に読めた。
873日本@名無史さん:2012/07/19(木) 18:29:29.00
この時代は、

筑紫平野の邪馬台国(7万戸)奴国(2万戸)と、同盟国である宮崎平野の投馬国(5万戸)が
熊本平野の狗奴国(戸数不明なるも強国)を取り囲む四国時代。

卑弥弓呼と交戦中に卑弥呼が死去し、再び倭国大乱が勃発、台与が女王になって纏まった後、
南の投馬国との同盟強化のため、投馬国王と台与が婚姻関係を結び(12万戸)、長年の宿敵・西の狗奴国を滅ぼして倭国を統一。
国土中心点を求めて大和に東遷し、大和朝廷に発展したのではないか?
874正統派九州説:2012/07/19(木) 18:34:02.90
日向(ひゅうが)とは、いかにも万葉時代の読みだな。
熊本では「ひむき」という。いかにも倭人読みだ。
新幹線の新しい名をつけるときに誰かがいってたな。
希望を「きぼう」と読むのは漢字読みで「のぞみ」といえば倭人語になる。
それと同じだ。

「ひむき」という地名が熊本にも2〜3ヵ所残っている。 
熊本から一つ山越しゃ高千穂だ。

太陽の出る方角を向いているから陽が当たる。だから日向し「ひなた」へ変化する。
「ひむか」などと倭人はいわない。なにか恣意的な読み方か?
日本の歴史書が日向に「ひむか」などと読みがなをふってるわけではあるまい。
875日本@名無史さん:2012/07/19(木) 18:36:02.30
しつこいようで申し訳ない。
原田氏という方や古田武彦のことではどうでもよく、文献に見える初出のことです。
ネットで主張している方のページのどこにも見当たらない。触れていない。
あまり占有するのも申し訳ないのでここでやめますが。
876正統派九州説:2012/07/19(木) 18:36:40.74
>>873
かなり独善的でしつこいが、
そんな自己陶酔型のストーリーなら誰でもつくれるぜ。
877日本@名無史さん:2012/07/19(木) 18:53:52.04
峠という漢字は中国以外でできた漢字らしい(国字という)
「とうげ」は仏教語の「たむけ」から出来たと言うのが起源らしい。

これが正しいなら「日向峠」の単語は平安・鎌倉以降できたもんだろう。
「日向」の単語自体は、記紀に見える。
(例のクシフル峰、オドのアワキバラのあたりだよ)
878日本@名無史さん:2012/07/19(木) 18:55:05.35
>そんな自己陶酔型のストーリーなら誰でもつくれるぜ。

お前が一番のサンプルだよw
879正統派九州説:2012/07/19(木) 18:56:39.83
ここは、何の論理も論拠も提示せず、
ペラペラと思いつきのストーリーを語る場所か。

それならば、ウンザリするほど俺がしゃべってやるぞ。
880日本@名無史さん:2012/07/19(木) 19:01:44.73
877様へ
記紀以前にはおそらく無いでしょうから、記紀以後の文献になりますか。
記紀を信用ならないとして、場所比定に使わない、というのなら、できるだけ古い、
確かにその地を日向と読んだあるいは書いた証拠が必要です。
当たり前でしょう。
地誌でも古地図でも何でも良いのです。
881日本@名無史さん:2012/07/19(木) 19:31:01.20
近くに日向山、日向川(現室見川)はあるんだけど、
文献つったら少ないな。

古事記の日向表記が、どちらかを指しているのがわかれば
はっきりするんだが、どちらかわからない以上、
いくらたくさん書かれても根拠にならんし。

882日本@名無史さん:2012/07/19(木) 19:44:26.25
峠など小さな地名に、国名と同じ名前は付けにくい。混同するし。
883日本@名無史さん:2012/07/19(木) 19:44:54.33
ほんと毎日毎日もう30回くらいは見たことあるような
同じ内容の書き込みばっかだなw
まじ基地外だらけだ
884日本@名無史さん:2012/07/19(木) 19:57:09.04
熊本は狗奴国だと思うな。
官は久々知彦だし。
菊池より南側は狗奴国。
885日本@名無史さん:2012/07/19(木) 20:22:23.69
狗奴國は菊池盆地
熊本平野中南部は狗奴國に連合する国々のあるところ。
菊池川流域(狗奴國)@、白川流域から緑川以北A、緑川以南Bは別の国だ。
八代C、人吉D、出水E、天草Fは、又別の国々だ。
もちろん阿蘇Gも別の国。
上記の国々は、東鯷人の20ヶ国の一部だ。
886日本@名無史さん:2012/07/19(木) 20:41:26.61
http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=201012/04/41/c0213541_21321536.jpg
わみょうしょうべえすで古地名読み解いてあげるとだれがやっても辿り着くのがここいらへんだな
887日本@名無史さん:2012/07/19(木) 20:48:49.60
>官は久々知彦だし。菊池より南側は狗奴国。
官名と地名、まったく違ったものを結びつけられてもなあ。
それに、久々知彦と菊池じゃ似ても似つかん。
888卑弥呼は朝鮮にいた:2012/07/19(木) 20:57:30.29
狗邪韓國の狗邪が加耶のことなら、
カを狗と書いた可能性もあるわけで、
狗古智卑狗は、カコチヒカかもしれないぞ。
889日本@名無史さん:2012/07/19(木) 20:59:52.84
狗古智卑狗はクコッチヒク スコットランド人だろうな
890日本@名無史さん:2012/07/19(木) 21:53:57.55
九州説者の中ではやはり古田武彦と安本美典の両氏が横綱だな。
891日本@名無史さん:2012/07/19(木) 22:13:41.20
>>873
五萬餘戸250,000人投馬國の範囲をどこまでとするかは別にして、
宮崎には奥津城(墓域)として九州一立派な西都原古墳群、
そして天皇家関連の高社格社(宮崎神宮、鵜戸神宮、高千穂神社=皇祖神・日向三代の宮跡)が集中してるしな

案外、大和朝廷(天皇家)の起源ってそんなもんなのかもな…
892日本@名無史さん:2012/07/19(木) 22:31:55.06
>>887
>久々知彦と菊池じゃ似ても似つかん。
少しは調べて来いよw
893日本@名無史さん:2012/07/19(木) 22:31:55.22
894日本@名無史さん:2012/07/19(木) 22:54:52.36
ここは相変わらず妄想が酷い。
895日本@名無史さん:2012/07/19(木) 23:02:18.26
絶対畿内教やトンデモ四国説よりマシ
896日本@名無史さん:2012/07/19(木) 23:24:13.61
>少しは調べて来いよw
何を? 先人がいかに苦労してこじつけたかをか?
897日本@名無史さん:2012/07/19(木) 23:26:09.92
>>986
何を調べるべきなのかも理解できないとは。
898日本@名無史さん:2012/07/19(木) 23:29:40.39
自分で考えることだ。でないとくだらんこじつけに引っかかる。
899日本@名無史さん:2012/07/20(金) 00:52:41.80
調べるべき事を幼い知能で考えるからトンデモになる。
900日本@名無史さん:2012/07/20(金) 05:40:14.90
飛鳥昭雄の列島逆立ち説のネタ元?地図


  『魏志倭人伝』を地理的知識の先入観無しに読めば、繰り返して言うが
 「邪馬台国」は九州を超え、遥か南方海上に行ってしまうのである。

  しかし、行程だけを見た場合、「畿内説」を有利に導く一枚の地図が、
 存在している。

  みなさんは、「混一彊理歴代国都之図」(こんいちきょうりれきだいこ
 くとのず)なるものを、ご存知だろうか。

  それは、「李氏朝鮮」の時代の1402年に作成されたらしい地図であ
 り、そこに描かれている日本列島は、現在目にする地図よりも、大きく南
 にずれている。
  しかも、九州を支点として南へ約90度回転しており、九州を北にして
 本州が逆立ちしたようになっているのである。その結果、日本列島自体、
 南北にのびた島国になり、現在の沖縄の気候風土と同じになってしまう。

  この地図で言うならば、「大和」は博多から見てまさに南である。

  航海技術の発達した当時の、地図作製能力を疑うわけではないが、地図
 が作製されたのは、このときが初めてではないはずだ。おそらく、さらに
 古い地図があって、それを写し取ったものと思われる。
901日本@名無史さん:2012/07/20(金) 08:09:07.32
本末転倒。
「混一彊理歴代国都之図」
=酔狂人が「後漢書」の描く東夷を地図にしてみたもの

そう考えないと、朝鮮半島のバカでかさを説明できない。
902日本@名無史さん:2012/07/20(金) 08:16:32.42
>>891
大和盆地の佐紀楯列/大和柳本纏向古墳群、河内平野の百舌鳥/古市古墳群と並び、
宮崎平野の特別史跡(国宝相当)西都原古墳群は、まさに日本の「王家の谷」と言うべき風格がある。
しかも男狭穂塚は天皇家の重要な祖先であるニニギノミコト、女狭穂塚はその妃コノハナサクヤヒメの墓に比定(後世に改葬か)。

もしかすると、もしかするかもw
903日本@名無史さん:2012/07/20(金) 11:05:26.76
宮崎周辺は投馬国だろうからな。
904日本@名無史さん:2012/07/20(金) 11:29:29.57
>>873
天皇家の出自が宮崎の投馬国王で、筑紫の邪馬台国女王・台与に婿入りした後、邪馬台・投馬連合軍がそれぞれ北と東から
熊本の狗奴国を挟み撃ちに攻め滅ぼしたとすると、
一度は卑弥呼の急死と内輪揉め(倭国大乱)で圧倒的優位に立ちながら、無念にも逆転負けを喫した狗奴国の残党が
不満分子「まつろわぬ者」(熊襲)として、後の大和朝廷に対しゲリラ化したことも一応説明できそうだな。
905日本@名無史さん:2012/07/20(金) 11:56:23.57
>>904
南が欠けてるyo!

後の天皇家が日向(投馬国)王だったら、南隣の薩摩(隼人国・仮称w)王との安全保障のために長年血縁同盟していた可能性もあるんジャマイカ?

邪馬台国はその血縁関係に目をつけて、宿敵・肥後狗奴国を北と東と南から完全包囲「袋の鼠」にすべく、投馬国王との婚姻を急いだのかもしれんw


906日本@名無史さん:2012/07/20(金) 12:13:35.87
なぜ熊襲がまつろわなかったのか
事は単純ではないが単純化・矮小化して隠されてる臭いがする
記紀は当時の体制側が体制側について書いたものあるいは故意に書かなかったもの
伝承から想像するしかないが
907日本@名無史さん:2012/07/20(金) 12:31:41.32
根拠が無い物語
908日本@名無史さん:2012/07/20(金) 12:40:11.55
本当にトンデモ妄想説ばかりだね。
九州説は基本的に根拠がないからな。
909日本@名無史さん:2012/07/20(金) 12:43:24.54
>>906 
大和朝廷が、弥生(九州)時代の勝ち組み・邪馬台/投馬/隼人(仮称w)の三大連合によって形成されたとすると、
負け組みの狗奴国の扱いは酷いものだったろう。
ちょうど明治維新の際に、幕府軍として官軍に負けた旧会津藩のような扱い(最低予算、国立大学は戦後に設立)を受けたんジャマイカ?

反対に投馬国王(後の天皇家)は邪馬台国に請われて婿入りしたとすれば、入り婿の条件交渉で強気に出ることができ、
勝利の暁には「大王(天皇)の座」を要求し、見事獲得できたと思われるw

このように無敵だった狗奴国が投馬国/隼人国同盟が邪馬台国の側について負けたせいで、「この恨み晴らさでおくべきか!」
になっちゃったような希ガス・・・景行天皇の熊襲平定もその残党狩りだったんジャマイカ?

熊襲→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E8%A5%B2

>>907-908
電波流しまくってスマソw 目障りだったら華麗にスルーしちくり!
910日本@名無史さん:2012/07/20(金) 12:47:15.66
>>900
> 『魏志倭人伝』を地理的知識の先入観無しに読めば、繰り返して言うが
 「邪馬台国」は九州を超え、遥か南方海上に行ってしまうのである。

狗邪韓国〜末盧国が三千里なのに
末盧国から二千里で遥か南方海上に行けるわけがない。
陸路で山川を迂回すれば進む距離はさらに短くなり
鹿児島までも行けない距離だ。

>しかも、九州を支点として南へ約90度回転しており、九州を北にして
 本州が逆立ちしたようになっているのである。その結果、日本列島自体、
 南北にのびた島国になり、現在の沖縄の気候風土と同じになってしまう。

地図上で南になったら奈良が温暖になって
冬でも裸足で生野菜を食べれるようななるとでも考えているのか?
とんでもない馬鹿だ。

>おそらく、さらに
 古い地図があって、それを写し取ったものと思われる。

勅使が地図を参考に進んだとも
地図を作成した様子もなく
倭人伝の行程記事とアホな地図は全くの無関係。

第一
アホ地図を参考に進んだところで
地図を頼りに南へ進めば
畿内へたどり着く可能性は皆無。
それくらいのことも理解できないから
恥ずかしくもなく畿内説をやっていられるのだろう。
哀れだ。
911日本@名無史さん:2012/07/20(金) 12:50:05.11
>>903
>宮崎周辺は投馬国だろうからな。

周旋可五千餘里から宮崎は倭国ですらない。
間違って倭国だったとしても狗奴国の果て。
912909:2012/07/20(金) 12:52:10.45
訂正
×このように無敵だった狗奴国が投馬国/隼人国同盟が邪馬台国の側について負けたせいで

○このように無敵だった狗奴国が、投馬国/隼人国同盟が邪馬台国の側に付いたせいで負けたので

意味不明クマソw
913日本@名無史さん:2012/07/20(金) 12:55:42.16
>>909
うん。そういうことも考えたりするな。
入り婿の形だけど内実は乗っ取りとかさ。
想像だけどさ。
914日本@名無史さん:2012/07/20(金) 13:03:18.80
>>910
>第一
>アホ地図を参考に進んだところで
>地図を頼りに南へ進めば
>畿内へたどり着く可能性は皆無。

言われてみればそのとおりだ。
地図を見て、地図のとおりに南に行けば、
九州の邪馬台国に到着するだけか。

あの地図を見せて、魏使を東に歩かせなければならないが、
東にはなにもないから、魏使も東に進むはずはないと。
915日本@名無史さん:2012/07/20(金) 13:08:41.01
>>910
万二千里で邪馬台国へ着くと思い込んでいるところは間違いだな。
着く所は邪馬台国ではなく女王国だ。
そのほかは、正論というべきだろう。
916日本@名無史さん:2012/07/20(金) 13:09:41.14
自郡至女王國萬二千餘里と書いてあるのに
どうして遥か南方海上に出るのか意味不明だよな
逆にどうやっても九州を出れんわ
都合悪いとこは文字も見えないようになってんのか
917日本@名無史さん:2012/07/20(金) 13:13:51.89
>>908
畿内説は、何の根拠もないから、つまり、記紀も倭人伝も都合が悪いから
考古学に頼る。

考古学は、江戸時代終わり頃の土器などで明治維新を語るようなもの。
どだい不可能なことをやっているわけだが、逆に言えば、まったくの妄想を
語ることになる。だから、考古学的には畿内説もありうるわけだ。
918日本@名無史さん:2012/07/20(金) 13:13:52.09
>>905
南薩は熊襲のコアではないというか狭義の熊襲ですらない
ここと血縁関係を結ぶのは理に適っとるよ
919日本@名無史さん:2012/07/20(金) 13:17:41.95
>>915
女王國と邪馬壹國は=ではないと?
920日本@名無史さん:2012/07/20(金) 13:17:48.98
ホント九州脳はこれだからなw
逆に九州内でどうやって収められるんだよ?
人口でも距離解釈でも不可能だ、特に北部九州なんて有り得ない話。
921日本@名無史さん:2012/07/20(金) 13:36:14.98
僅か二千里に水行10日陸行1月もかかるわけはない。女王国というのは
邪馬台国を中心とする国々の総称だよ。倭国の乱は九州北部と九州南部の
戦いだった、その南部の国々を女王国と言ってるわけだ。
万二千里のところから女王国が始まるが、そこから女王国の終わりまでは
更に三千里ほどあるんだよ。
922日本@名無史さん:2012/07/20(金) 14:07:27.68
>>913
天ちゃん家、お人好しかと思いきや、上手く立ち回りやがったなw
さすが天ちゃんになるだけのことはあるわ 想像だけどw
923日本@名無史さん:2012/07/20(金) 14:24:13.99
>>921
南が狗奴国だろ?
東は倭種の国。
北は三韓。
924日本@名無史さん:2012/07/20(金) 14:31:28.65
やっぱり畿内説の人たちって飛鳥昭雄氏の影響受けてるんだよね


925日本@名無史さん:2012/07/20(金) 14:37:16.54
>>909
>このように無敵だった狗奴国が投馬国/隼人国同盟が邪馬台国の側について負けたせいで、「この恨み晴らさでおくべきか!」
>になっちゃったような希ガス・・・景行天皇の熊襲平定もその残党狩りだったんジャマイカ?

ひょっとすると日向の投馬国王(天皇家)は、南の薩摩だけでなく、西の狗奴国とも何らかの安全保障同盟を結んでいたのでゎ?

熊襲(狗奴国)にしてみれば、東の投馬と南の隼人が「大王の座」に釣られて邪馬台国に加勢し、
自分たちに襲い掛かってきたわけだから、より強い怒りの対象=絶対に許せない裏切り行為になる。

【九州島の勢力想像図】
奴国・邪馬台国(北)
狗奴国(西)+投馬国(東)
..........隼人(南)
926日本@名無史さん:2012/07/20(金) 15:58:44.53
>>923
>南が狗奴国だろ?
確かに南に狗奴国はあるが、それは南の一部だね。女王国が南端まで及んで
いる部分もある。だから、女王国の南四千里に侏儒国と書かれているわけだ。

>東は倭種の国。
これは問題ないだろう。

>北は三韓。
女王国以北に伊都国、奴国、不弥国などがある。これらの国々は女王国ではない。
三韓はその更に北だ。


927日本@名無史さん:2012/07/20(金) 16:40:54.30
>>925
その図を現在の行政区域(県)で表すなら、このようになろうか?
http://www.aeon-kyushu.info/tenant/images/map_kyushu.jpg

奴国(長崎/佐賀)邪馬台国(福岡/大分)
狗奴国(熊本)──┼──投馬国(宮崎)
.............隼人(鹿児島)
928日本@名無史さん:2012/07/20(金) 18:44:48.88
女王国というのは邪馬台国を中心とする国々の総称だよ。
その国々とは、奴國、不彌國、投馬國、邪馬台国の4ヶ国だよ。
倭国の乱は、九州北西部内の新勢力、現勢力、旧勢力の3勢力の戦いだった。
その新勢力の国々を女王國と言ってるわけだ。
新勢力は北野平野と筑後平野の国々、
現勢力は佐賀平野の国々、
旧勢力は福岡平野の国々。
新勢力と旧勢力が組んで、卑弥呼を共立したんだ。
万二千里のところから女王國が始まるが、
そこから女王國と狗奴國との紛争地まで更に四百里ほどあるんだよ。
929日本@名無史さん:2012/07/20(金) 19:06:07.56

最近に邪馬台国を興味をもったのでここの板を勉強をはじじめました

とても参考なりますので興味が深い勉強しています
930日本@名無史さん:2012/07/20(金) 19:14:14.90
>女王国というのは、奴國、不彌國、投馬國、邪馬台国の4ヶ国だよ。
女王国を複数の国とみたのはよいが、奴国、不彌國は万二千里よりも北だ。
女王国には入らない。

>新勢力は北野平野と筑後平野の国々、
万二千里にこだわって筑後平野から離れられないみたいだね。
931日本@名無史さん:2012/07/20(金) 19:15:04.66
大日本帝国はどこにあったか?
西に3000キロ行くと東京があり西に600キロ行くとソウルと言われる地に付く
大日本帝国はどこにあったか?
932日本@名無史さん:2012/07/20(金) 19:16:04.65
>>929
貴重な時間を無駄に過ごす事になるぞw
933日本@名無史さん:2012/07/20(金) 19:24:11.25

>>932

答えをありがとうございます

それは価値ある研究をされます
934日本@名無史さん:2012/07/20(金) 19:36:09.42
>>929
こんなとこにいる素人連中で正確な結論出せたら
専門家などとっくの昔に結論出せて邪馬台国論争などないことに
気づけw野球とかと一緒でプロと草野球で趣味でやってる素人とじゃ
実力に雲泥の差があるし、所詮こんなとこただの素人オタが
あれやこれやと妄想してるだけ。時間の無駄だからやめとけ。
専門家は邪馬台国問題になるとそういう妄想ばっかになるのがわかってるので
現時点での史料じゃ正確な判定下すのは無理だとスルーして距離置いてるよ。
それが正しいまともなスタンス。
935日本@名無史さん:2012/07/20(金) 20:46:22.43
素人にはまともなスタンスなんぞ分からんのだろ?
936日本@名無史さん:2012/07/20(金) 20:47:19.23
>>905
邪馬台国はその血縁関係に目をつけて、宿敵・肥後狗奴国を北と東と南から完全包囲「袋の鼠」にすべく、
投馬国王との婚姻を急いだのかもしれんw
>>909
>投馬国王(後の天皇家)は邪馬台国に請われて婿入りしたとすれば、入り婿の条件交渉で強気に出ることができ、
>勝利の暁には「大王(天皇)の座」を要求し、見事獲得できたと思われるw

卑弥呼亡き後の第二次倭国大乱を経て台与を女王に立てた邪馬台国は、まさに現在の民主党・野田政権のようだったと思われ。

卑弥呼(不仲の岡田前原派と小沢派をり両方公平に取り立てていた菅直人前総理)の急死(辞任)により、
立てた男王(野田佳彦現総理)が小沢派をないがしろにして、ついに内ゲバ勃発(小沢離党)で政権は過半数割れ寸前に!
(止む無く13歳の姪・台与を形式的に女王に立て、1000人もの兵士を失いもはや卑弥弓呼率いる狗奴国に負けるかも…)。
邪馬台国(民主党野田政権)はまさに存亡の危機に立たされてた。

そこに現れた白馬の騎士が、自民党谷垣総裁(投馬国)と公明党山口代表(隼人)であった。

しかしそれは見せ掛けに過ぎなかった。
弱り目に祟り目の邪馬台国(野田政権)の足元を見て、強気にマニフェスト撤回や早期解散総選挙など難問を吹っかけてくる。
一番な要求が、来年2013年夏の衆議院選挙で消費増税をマニフェストに入れ、総理の椅子(大王の座)を迫り、
邪馬台国(野田政権)は滅亡(野党に下野)するよりはマシと、止む無く要求を呑むしかなくなった。
選挙の結果、邪馬台国(野田政権)は過半数を失い、自民(投馬国)と公明(隼人)も過半数を取れず、
民自公大連立政権になり、見事、自民党総裁(投馬国王・弥弥)は総理大臣(大王の座)を獲得する。

自分でも何言ってるか訳がわからなくなってきたので、スルーでよろ…orz
937日本@名無史さん:2012/07/20(金) 21:09:39.77
邪馬台国も消費増税をするつもりだったのなら前回の共立の時にマニフェストに書いとくべきだろう
今の邪馬台国だと次の共立のマニフェストも全く信用できない
何も実行できずで倭国大乱で共立した意味がない
いや別に消費増税に反対しているわけではない
倭国連合が共立の時に判断するマニフェストをもっと尊重してほしいのだ
938日本@名無史さん:2012/07/20(金) 21:18:13.11
>>936
例えはイマイチだが、何となく言いたいことは解るw

要するに邪馬台国は、狗奴国との戦争に勝てば生き延び、負ければ滅亡するしかないわけだから、
足元を見た投馬国王(弥弥)の入り婿の条件である「大王(天皇)の座」要求をとりあえず飲んだんジャマイカ?

万一、邪馬台国軍の働きが投馬国軍より良ければ、勝った後で条件再交渉の余地もできるかも知れんしなw
939日本@名無史さん:2012/07/20(金) 21:30:54.73
>>936
>(止む無く13歳の姪・台与を形式的に女王に立て

どこの馬の骨か判らない中一の小娘を女王にするわけないから、台与は卑弥呼の弟の娘(姪)かな?
940日本@名無史さん:2012/07/20(金) 22:03:14.62
>>934
すでに結論は出ている。
専門家が誹謗・中傷を始めた時点でその説(畿内説)は負けと決まっている。
50年も前に決着は付いている。東大が表に出てこなくなったのもこの時期。
あとは畿内説の一方的な泥仕合。
941日本@名無史さん:2012/07/20(金) 22:29:16.37
考古学の連中の現実は畿内説一択だけどな、九州説は皆無だよ。
942日本@名無史さん:2012/07/20(金) 22:40:58.06
>>941
だけど、
「私は邪馬台国を研究してます」と
胸を張って言える考古学者は、唯の一人もいない
943日本@名無史さん:2012/07/20(金) 22:46:37.38
田舎でふさわしくないところスケールにしてやっちゃったとかて告白とかすると大事だしね
944日本@名無史さん:2012/07/20(金) 23:17:19.07
>>928
誤読と妄想。
945日本@名無史さん:2012/07/20(金) 23:19:41.44
九州説の人たちにとって、古田武彦は今どういう存在なの?
単なるイロモノ?昔、古田の本、結構好きだったんだけど、
東日流の頃から着いていけなくなった俺に教えてくれ。
946日本@名無史さん:2012/07/20(金) 23:40:20.66
古田は倭人伝の読み方がでたらめだからだめだね。島巡りとか日数を
ごまかすための帯方郡出発とかは恥ずかしいかぎりだ。
947日本@名無史さん:2012/07/20(金) 23:46:06.74
>>945
邪馬台国(邪馬壱国?)をどこに比定しているのか知らないが、行程論を
参考にしている人は多いかもしれないな。場所が同じならば…。
948日本@名無史さん:2012/07/20(金) 23:52:51.45
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  └┴┸┴┘

從郡至倭
循海岸水行 歴韓國 乍南乍東
到其(倭)北岸狗邪韓國(こぅやはんこく)
(~耶韓國 : ~耶瀚國 : ~耶彌馬國 : 加耶壬國 : 加耶任國)
七千餘里
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949日本@名無史さん:2012/07/21(土) 00:30:25.76
このころの帯方郡に限定してゆうと

帯方郡はピョンヤンのちょびっと南にあったとゆうのは駄目だな

どおがむばっても漢江の出口あたりにしか設定不能だわな
950日本@名無史さん:2012/07/21(土) 06:26:57.24
>>941
どんだけ情弱なんだよw
騒いでんのは京大系の考古学者だけ
あとのは恥ずかしいので黙ってる
学会で九州説言ったら出世もしにくくなるし
951日本@名無史さん:2012/07/21(土) 07:43:22.43
>>902
投馬国王・弥弥(ミミ)こそ男狭穂塚古墳に眠るニニ(ギ)ノ尊だったのかも知れん。

昨日の夕方マクドナルドの新作バーガーを食べに行った時の、隣に座った女子高生2人組の会話。
A(雑誌を指差しながら)「ねえ、このミニスカート超可愛くない?」
B(スマホをいじりながら)「えっ?!ミミスカートって何?」
A「ミミじゃねぇよw ミニ!ミニスカート!」
B「ああなんだ、ミニか!ミミって聞こえた。超受けるんだけど!w」

このようにミ(mi)と二(ni)は連続すると日本人同士でも聞き間違えやすく、邪馬台国の役人と通訳の伝聞で書いてるだろうから、
魏の書記官にも倭人の発音ミと二の区別が付かず、語尾のギも聞き落として最終的に「弥弥」ミミと書いてしまったのではにゃあか?
コノハナサクヤヒメは宮崎の現地妻で、台与とは政略結婚。
ナポレンオンで言うとコノハナサクヤヒメはジョセフィーヌ(糟糠の妻)で、台与はマリー・ルイーズ(オーストリア皇帝フランツ2世の娘)。

ちなみに、男「狭」穂塚古墳の「狭」はニニギの曾孫・神武天皇の幼名「狭野皇子」との関連も伺わせるね。 以上、電波終わりw
952日本@名無史さん:2012/07/21(土) 07:52:07.95
ホントに単なる電波。弥弥を投馬国王と思い込んでるようじゃなあ。
だめだ、こりゃ。
953951:2012/07/21(土) 07:57:34.71
ミ(mi)と二(ni)で間違いやすい例は他にもこんなのがあるよ!

アメリカ海軍の空母「ニミッツ」USS Nimitz,米海軍船籍登録コード番号 CVN-68
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%84_(%E7%A9%BA%E6%AF%8D)
ミニッツメイド(日本コカコーラが販売する朝食用ジュース)
http://www.mmaid.jp/ja_JP/pages/juices-punches-drinks.html
954日本@名無史さん:2012/07/21(土) 07:59:07.06
てへ
955日本@名無史さん:2012/07/21(土) 08:09:16.88
>>952
そう言えば、昨日は7月20日で一学期の終業式だ。
毎年、夏休みになるとテンション上げた電波厨房・工房が増える・・・orz
956日本@名無史さん:2012/07/21(土) 08:10:06.50
>>950
情弱はお前だろ。考古学的に矛盾点だらけなのが九州説という認識。
それに質問してくる連中があまりに無知、キ印が多い。
だから邪馬台国関連の発言を口にしないんだよ。
957日本@名無史さん:2012/07/21(土) 09:10:36.74
考古学的に矛盾? 考古学者の発想の起点は一番大きな古墳があるところに権力の中心が
あったにちがいないって思い込みだけだぜ。
958正統派九州説:2012/07/21(土) 09:57:12.57
>>956
カラ投稿の連投だな。じゃこっちにも貼ろう。

@ホケノ山古墳(3世紀前半築造)
画紋帯同向式神獣鏡1枚、画紋帯神獣鏡の銅鏡片、内行花文鏡片、
銅鏃 約60本、鉄鏃 約60本、素環頭大刀 1口、鉄製刀剣類 10口、鉄製農工具

A椿井大塚山古墳(3世紀末築造)
三角縁神獣鏡32枚、内行花文鏡2枚、方格規矩鏡1枚、画文帯神獣鏡1枚など計36枚以上。
・鉄刀7本以上、鉄剣十数本以上、鉄矛7本以上、鉄鏃約200本、銅鏃17本、鉄製甲冑1領。
・鉄鎌3本、鉄斧10個、鉄刀17本、鉄製やりかんな7本以上、鉄錐8本以上、鉄のみ3本以上。
・鉄銛十数本、鉄ヤス数本、鉄製釣針1本。

武器・武具・農耕具・大工道具・漁具と、あらゆる鉄製品が副葬されているが、これは本当に3世紀築造の墓か?
画紋帯神獣鏡は中国由来の本物で貴重だったらしく1枚ずつしか副葬されていない。
比して後者は三角縁神獣鏡32枚。国産品が相当に出回るようになった時代の築造だろう。

●画紋帯神獣鏡は鬼道が盛んだった呉地域の鏡らしく、中国でも呉地域で多く出土している。
●画紋帯神獣鏡が呉地域から九州を経由してもたらされた事実は揺るがない。
「人・もの・文化・知識・技術は西から東へ」。いうまでもない常識。出土遺物もそう証言している。
これらが「いつ・どこを・どう通ってやってきたのか」、考古学的に矛盾のない説明をしてる学者がいるか?

959日本@名無史さん:2012/07/21(土) 10:04:16.14
>>358
全くその通り。
とても3世紀築造とは思えないな。
出土状況があまりにも不自然すぎ。
年代が先に立って強引に合わせるからそんなことになるんだろう。
これだから畿内説は…
960日本@名無史さん:2012/07/21(土) 10:04:57.94
>>957
古墳の大きさで判断する訳ないですよw
九州説の箸墓コンプレックスは尋常じゃないな。
961正統派九州説:2012/07/21(土) 10:05:35.70
銅鐸の出土数すら少なかった大和で、
おびただしい鉄器を内生するに至る助走期間も形跡もなく、
鏡の輸入実態も経路も不明のまま、突然「鏡と鉄器の大量副葬」だ。
考古学的歴史動向とはチグハグなことを叫んできたのは畿内説の考古学だ。

962日本@名無史さん:2012/07/21(土) 10:07:46.94
箸墓コンプ?w
生暖かい目で冷笑しているよwww
963日本@名無史さん:2012/07/21(土) 10:10:00.80
丹後半島等での出土状況をみると、奈良盆地の遺跡、
古墳は三世紀で問題無いですよ〜
964正統派九州説:2012/07/21(土) 10:10:21.49
>>960
>九州説の箸墓コンプレックスは尋常じゃないな。
畿内説を使命として推進する一部の輩のウソを毛嫌いしてるのだ。
お前は、その末端で必死の思いで片棒をかついでいる。

罪悪感も自己嫌悪もないところが常軌を逸しているが。
965日本@名無史さん:2012/07/21(土) 10:14:10.92
半島や大陸から畿内へのルートは丹後、瀬戸内、
そして大平洋側も有る訳です。
九州説の連中は少し頭が古くて困りものです。
966日本@名無史さん:2012/07/21(土) 10:20:15.11
畿内説の人は非論理的で妄想ばかりで病気のようだ
967日本@名無史さん:2012/07/21(土) 10:21:00.74
>>960
>古墳の大きさで判断する訳ないですよw

春邇はテレビで箸墓よりも大きな帰化はない。
だからこれが卑弥呼の墓だと言っていた。
他の根拠は何も無かった。

>九州説の箸墓コンプレックスは尋常じゃないな。

箸墓箸墓と照っているのは畿内説。
箸墓を邪馬台国の根拠と捏造しなければ箸墓なんぞは眼中にない。
968日本@名無史さん:2012/07/21(土) 10:24:11.90
>>967
日本語で頼む。
969日本@名無史さん:2012/07/21(土) 10:28:12.35
九州説では、箸墓以前に円形の墓が瀬戸内東部に
多いのはスルーですかね?
あとモモソが淡路島の海人族出だと言う事も。
970正統派九州説:2012/07/21(土) 10:34:49.47
時代的に国家経営的に、青銅器・鉄・鉄加工技術・鉄製品などは国家規模の統制品だ。

椿井大塚山古墳の被葬者は、金属製品に関する統制をになった有力者の墓だろう。
(こういう実務を大王クラスがやることはない)。
農民でも漁民でもなかったはずの被葬者に、
農工具から漁具にいたる鉄製品を副葬している点がそのことを証明する。

大王クラスでもない有力者の墓が、
箸墓古墳(4世紀の築造だと確信するが)をのぞけば、3世紀築造とされる古墳では最大級になる。
大王クラスでもない金属と金属製品の統制と管理に携わったと思われる有力者の墓が、
その規模からも、3世紀後半から末につくにられた墓だとは考えられない。

畿内説のいう考古所見というものは、かくのごとく不合理と不条理に満ちているのだ。
971正統派九州説:2012/07/21(土) 10:41:08.62
椿井大塚山古墳の被葬者は、
東遷前後の時期に合わせて九州からやってきて
鉄に関する統制と管理を任された有力者の墓だ。
少なくとも4世紀前半以降の人物だな。
972日本@名無史さん:2012/07/21(土) 10:53:16.83
だいたい畿内説からすれば、大王は歴代大和にいたはずなのに、巨大古墳は
全国あちこちに存在する。それだけでも墓の大きさと権力の所在は別だって
ことが明らかだな。
973日本@名無史さん:2012/07/21(土) 10:57:51.39
「卑弥呼は朝鮮にいた」は「卑弥呼は大和朝鮮にいた」のパロディみたいなもんだから

どっちもでかく読むのが趣味の妄想読み地名比定のがベース
974日本@名無史さん:2012/07/21(土) 11:01:05.06
九州説では半島へは容易に行き来できても
数百メートル先の本州に渡るのは命がけだなw
975正統派九州説:2012/07/21(土) 11:06:20.50
>>974
東遷以前の本州・四国は、「九州勢力の緩やかな支配」に甘んじていたのよ。
976日本@名無史さん:2012/07/21(土) 11:20:46.52
>>975
記紀の記述じゃ逆だけどな。
そこを「捏造だ」「創作だ」と喚かないと成立しないのが
九州説の限界ですよ。
977日本@名無史さん:2012/07/21(土) 11:29:39.89
だいたいモモソひめが卑弥呼だなんてどうしたらそんなことが考えられるのか不思議でならない。
卑弥呼は「国家元首」として魏に使者を遣わし、魏から「王」として認められた女性だろう。
姫が「国家元首」のはずがない。
978日本@名無史さん:2012/07/21(土) 11:36:28.78
国宝の系図にモモソ=日神、神大市媛、
もしくは日女命(ヒミコ)と記述されてるのだから仕方ない。
979正統派九州説:2012/07/21(土) 11:39:42.17
はっきりしていることは、やや簡潔にいえば、
弥生時代は九州・古墳時代は大和。
これを繋げるのが東遷だ。
畿内説は、「ヤマトに王権があった」と連呼するが、
「それ以前」と、どうやって「ヤマトに王権が芽生えて育ったか」を、
現実的歴史動向として語れない。


>>976
>記紀の記述じゃ逆だけどな。
記紀の記述を信じるならば、東遷は決まりだ。
唐に赴いた使者が記紀に基づいて告げたことを新唐書も証言している。
九州にいた神武が「うつりて大和州に治した」と。

もういっぺん朝寝をし直したらどうだ?
980日本@名無史さん:2012/07/21(土) 11:44:45.41
>>979
>もういっぺん朝寝をし直したらどうだ?

君は永眠した方がいいんじゃないの?
無駄な知識ばかりでマトモに活用出来ないのなら。

神武は3世紀より後の人物なのかw

981日本@名無史さん:2012/07/21(土) 11:54:55.69
3世紀より後の可能性もあるかもしれない
神武-崇神-(垂仁)-応神-仁徳(5世紀前半)という説もある
982日本@名無史さん:2012/07/21(土) 12:09:53.12
神武東征以前に国生みが淡路島〜四国の順だから素直に解釈しなきゃ。
983正統派九州説:2012/07/21(土) 12:13:20.37
>>980
>神武は3世紀より後の人物なのかw
勝手に自己中か。
>記紀の記述じゃ逆だけどな。
>そこを「捏造だ」「創作だ」と喚かないと成立しないのが
というから、
「記紀の記述を」「信じるならば」といっただろ。
神武の東遷を「捏造だ」「創作だ」とわめくのはお前たちだったよな。
984正統派九州説:2012/07/21(土) 12:14:06.88
稲作・環濠集落・高塚墳丘墓・船型木棺・銅鐸・銅鏡・鉄器・・・。
すべて西からきた文化・文物だ。

墓制度と祭祀様式はどうだ。鬼道・鏡と剣の二種の神器。そして三種の神器。
みな西からきた信仰文化だ。

人種はどうだ。黥面・文身・お歯黒。
すべて西からきた文化・習俗だ。

何か一つでも大和盆地で自生したものがあるか?
これらは・いつ・どこを経由して・どうやって大和にやってきた?

日本海ルート? 所詮は裏ルートだ。
大和政権が瀬戸内海ルートをメインルートとしたことがその証拠だ。

まるで、反抗期のクソガキが、一人で大きくなったというかのように、
畿内で自生・突然誕生といっているのが畿内説だ。

はい・おひらき。
985日本@名無史さん:2012/07/21(土) 12:32:38.03
おばか? 日本海ルート? 所詮は裏ルートだ。
986日本@名無史さん:2012/07/21(土) 12:41:35.58
>>984
天皇家に都合が悪くなると沸いてくる 宮 内 庁 職 員 w
987卑弥呼は朝鮮にいた:2012/07/21(土) 12:55:37.09
まあ、はっきり言うとだな、紀の編年にはさほど大きな狂いはないわけで、
神武東遷がBC666というのは、大体合っているのである。
それ以後の東遷など記紀のどこにも書かれていないわけで、
邪馬台国東遷などというのは、要するに空想である。

投馬国も、常識的に考えれば、出雲、但馬、鞆で、邪馬台国は大和である。
九州説は極めて苦しい。しかし大和説も万全かというとそうではなく、
要するに卑弥呼の倭とは日本ではなく、馬韓かその辺のことなのである。
988正統派九州説:2012/07/21(土) 13:00:02.47
>>977
>モモソひめが卑弥呼だなんて
もともと、田舎の中学校教師が描いた妄想だ。

おひらき。
989卑弥呼は朝鮮にいた:2012/07/21(土) 13:02:13.75
ネットの朝鮮史を見ても、倭とは日本である。
満州朝鮮族は倭とは日本のことだと知っていたのである。

ところが中国はそれを知らなかった。
だから楽浪海中倭人あり、と書いたり、
その後遂に倭韓は帯方に属す、と書いたりした。
この倭人とか倭韓が具体的にどの国を指しているかを分析すると、
夫余、高句麗、濊、馬韓、辰韓、百済…などのことなのである。
その中でも馬韓が最も怪しい。
だから、卑弥呼の倭とは馬韓のことなのである。
990日本@名無史さん:2012/07/21(土) 13:02:14.57
>>987
おいおい、弥生文化の伝搬拡散伝説じゃないんだから、事実なわけがないだろ。
991日本@名無史さん:2012/07/21(土) 13:07:01.68
>>978
で、そのヒメ(日女)さんは国家元首だったのか。
外交文書に国の代表として自分の名前を書くような人だったのか。
名前が似ているからと言って同一人物とは限らない。
隣にいる真知子さんに「あなたはマツコデラックスでしょう?名前が似ているから」と言うようなもの。
そう言えばヒメさんは他にもいたな。
宇佐神宮のご祭神。
992日本@名無史さん:2012/07/21(土) 13:11:09.82
いや、私は宇佐が邪馬台国と言っているわけではない。(有力候補だとは思っている)
ヒメさんなんてたくさんいただろうという話。
993卑弥呼は朝鮮にいた:2012/07/21(土) 13:11:33.78
陳寿も、倭とはどこかを明確には認識していなかった。
南韓には加耶や金官があったが、陳寿はそれを倭と認識していたようである。
しかし、加耶や金官は倭人の国ではない。半島には倭人の国は無かったのだ。
ところが陳寿は韓は南で倭と接している、と書いた。
陳寿が倭とはどこかをまだ明確には理解していなかった証拠である。

陳寿以前となると尚更である。中国は遼東〜朝鮮半島の住民を、漠然と、倭人と思っていたのである。
994正統派九州説:2012/07/21(土) 13:29:58.59
そもそも。
発掘調査して確認したわけでもないのに、
学者が憶測で「誰それの墓だ」ということ自体が異常現象なのだ。
このことを深刻にとらえるべきだ。

もっとも、確認できないと分かっているからこそ、
「卑弥呼の墓だ「臺與の墓だ」というのだろうが。
995日本@名無史さん:2012/07/21(土) 13:33:15.55
朝鮮くんがなげやりモードなのでちょびっとかいておいてあげよお


陳寿さんがわざわざ「刺史」を持ち出しているとゆうことは

仮想上のではあっても「倭州の如きもの」が玩具に近いものであっても存在したとゆうことだわ

「諸韓國及郡使倭國 皆臨津搜露 傳送文書 賜遺之物」云々ので

「諸韓國使」が「倭國」にやってくる って書いてあるのね

これわあ

「倭州の如きもの」が馬韓とかの領域を含むものであるのは論理的帰結とゆうものだわ

すなはち

「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之」のは

読んで字の如く「諸韓國」が「天率」のことを畏憚かっておるのであるよ

鄙の行政区画を置いている對海とかが畏憚とかよんだらのおたりんてゆわれるからな

もいちどゆうと 諸韓國は仮想上の倭州 とゆうことなのですよ
996日本@名無史さん:2012/07/21(土) 14:09:52.84
>>992
つまり有力候補の中でモモソが一番近いって話。
他は妄想しないと卑弥呼像に近づけないからな。
997日本@名無史さん:2012/07/21(土) 14:10:46.09
>>902
天皇家の出自が日向の投馬国王だったかもしれないなんて、盲点だったな
今回は両スレだった
998日本@名無史さん:2012/07/21(土) 14:12:32.80
今頃気がついたのかよ。
999日本@名無史さん:2012/07/21(土) 14:14:14.26
>>998
うむ
日本版「王家の谷」西都原古墳群がなぜ宮崎平野に?ということにもっと注目すべきだったよ
1000日本@名無史さん:2012/07/21(土) 14:14:27.23
天皇家に慕われるとか卑弥呼さんもストーカーされて迷惑だろうな
10011001
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