官位について語るスレ3

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1日本@名無史さん
最近急激に消費してるので、少し早いかもしれないけど

※前スレ:
官位について語るスレ ※ホントは2だけど付け忘れ
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1316995515/ 

※前々スレ:
官位について語るスレ
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1285730195/ 

※前々スレの前身&関連スレ:
武家の官位について語れ
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1191035900/  

とにかく官位について語るスレ
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1211206280/  

太政大臣、摂政・関白、征夷大将軍 6
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1284376827/

※関連スレ:
武家政権時代の公家、朝廷について語るスレ
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1327570986/l50 

右大臣と左大臣はどちらが上なのか
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1328117595/l50

ってこの程度で良いのでしょうか?
2日本@名無史さん:2012/04/03(火) 09:09:35.51
さまざまな知識レベルの人が来ますが、理解が悪いからといってバカにせず
仲良くスレを使いましょう。定期的に現代官職の比定厨(太政大臣は現代の総理大臣だとか)が現れますが、付き合って下さい。
3日本@名無史さん:2012/04/03(火) 10:20:24.71
4日本@名無史さん:2012/04/03(火) 11:37:28.11
官職要解ってためになるなあ
5日本@名無史さん:2012/04/03(火) 15:00:40.25
竹島に韓国軍を置かせるように言ったのも朝鮮人だらけの民主党だからな
未だに勝手に侵犯しているなんて考えの人は居ないよな
もちろんJAL、エルピーダは民主党による国策倒産
ここら辺は新聞読んでちゃ判らない


「オウムは統一教会をラジカルにしたもの」
「オウムが行く前に統一教会が、ロシアに進出していました。ところが、そういう連中が、どうも何時の間にかオウム信者とすりかわってしまった。」
 【殺された石井こうきの発言から】

そうか、統一教会、オウム、朝鮮総連、民団→朝鮮人だらけの民主党
すべて繋がっている
6日本@名無史さん:2012/04/04(水) 18:05:07.79
三職スレは前身スレじゃないし、
比定厨に付き合ってとか随分手前勝手なことを言えたもんだ。
7日本@名無史さん:2012/04/04(水) 19:56:55.56
蔵人頭はいまでいう官房長官だな。
8日本@名無史さん:2012/04/07(土) 13:34:41.70
飛鳥時代から平安時代初期に築かれた北海道の江別古墳群や茂漁古墳群(柏木東遺跡)などからも
六位以下の位階を示す帯金具などが出土している

阿倍比羅夫の遠征をはじめ、当時は蝦夷征討や粛慎討伐が盛んであったことから
道外から渡った官吏や有力者の可能性があるそうな
9日本@名無史さん:2012/04/08(日) 03:23:25.72
いくら何でもただの罵倒文句に障害者の定義がどうとか苦し紛れすぎるだろ

罵詈雑言も確かに必要以上に見苦しいが
間違いを認めないで馬鹿にされた腹いせに罵詈雑言を返し続ける奴だって十分すぎるくらい見苦しいぞ
10日本@名無史さん:2012/04/08(日) 09:06:19.83
その話は前スレで終了した
11日本@名無史さん:2012/04/08(日) 16:20:23.53
新ネタ振れなきゃ、蒸し返す人も出て来る
12日本@名無史さん:2012/04/08(日) 22:18:31.81
前スレ最後は馬鹿ばかりだった
13日本@名無史さん:2012/04/09(月) 03:55:48.06
その話は既にすんだ。
前スレの終わり間際に基地外長文連投して勝利宣言していたので満足できなかったの?
罵詈雑言と自己正当化のために長文連投とか普通恥ずかしくてできない。
間違いを認めないでどうたらとかは、長文連投君のお前一人しか拘っていない。
つーか間違いを認めないでバカにされた腹いせに罵詈雑言を続ける奴ってまさにお前じゃん

間違いがどうたら正さないととか言ってるが
スルーが出来ない奴は、荒らしと同義だってのが2ch全板の常識()笑
14日本@名無史さん:2012/04/09(月) 04:06:28.09
じゃあスルーしましょうね^^

あと前スレの終わりに長文連投してた方はNG入れたいんでトリ付けてね^^
トリ付けたくないなら二度と書きこまないでね^^
15日本@名無史さん:2012/04/09(月) 08:52:23.61
>>13
その話は既に済んだとか言いながら長文で必死に罵詈雑言を並べてるけどさ
散位とか非参議とかの話に限っては正しいのは罵詈雑言厨の方で間違ってるのはおまえだぞ
だからこそ俺は途中で「また罵倒されるだけだからもうやめとけ」と忠告したんだけどな

こいつの罵詈雑言の余りの見苦しさゆえに誰も片棒を担ぎたくないから積極的に味方しないだけで
おまえ以外の奴はみんなおまえの方が「知識が足りない」「理解が悪い」「間違ってる」という共通の了解の上でそいつを叩いているんだよ
その証拠におまえ一人を除いて誰もそいつが間違ってると言って叩いてるわけじゃない
嘘だと思ったら前スレに戻って自分以外の人のレスを(ついでにこのスレの>>2の1行目も)注意して見てきなよ

今だに自分が正しいと勘違いして勝ち馬に乗ってるなんて滑稽だよ
ていうかおまえこそが荒らしの元凶のくせにどの面下げてスレに居座ってでかい口叩いてるんだよ
しかも罵詈雑言厨とどっこいどっこいの汚い文句を書き込んじゃってさ

人間性が罵詈雑言厨と同レベルでしかも知識は劣るなんていいとこなしじゃねえか

おまえも罵詈雑言厨も二度と来るな
16日本@名無史さん:2012/04/09(月) 12:21:07.60
どっちが長文で必死なんだかw
17日本@名無史さん:2012/04/09(月) 12:26:09.40
もしかしてこの長文キチガイは、自分批判している奴=参議だかの話をしてた奴だと思ってるのか?
そんな勘違いや思い込みが見苦しく言い訳レスつけるから
いろんな奴から非難され続けてるんだろうが・・・・
もう指摘されてるが間違いが認めれなくて見苦しいレス続けてるのってまさに自分自身じゃん
18日本@名無史さん:2012/04/09(月) 12:31:11.68
> 散位とか非参議とかの話に限っては正しいのは罵詈雑言厨の方で間違ってるのはおまえだぞ

やめてくれってたのんでる人たちからすれば、こんな話はどうでもいいんだよな。
長文基地外連投厨も第三者から見れば同じ嵐。
気味以外で君を批判してる人は、君に我慢できないなら書き込むなって話をしてるだけなんだよ。

あと何で出だしは他人を装って書き込んでるの?
途中から熱くなって長文基地外連投厨=自分だって
書いちゃってるけど馬鹿なの?何なの?死ぬの?
19日本@名無史さん:2012/04/09(月) 12:55:50.93
前スレのマジレスきっかけに正義漢が輪をかけて発狂。
見事に糞スレになったなww
スルー出来ないきちがい一人が寄生するだけでスレは死ぬな
20日本@名無史さん:2012/04/09(月) 13:05:58.32
長いから>>15を3行で要約すると

自分のガイキチは正しいガイキチ
そのガイキチを指摘する奴は全員悪いガイキチ
自分以外は全員ガイキチ自分は正しい

産業で済むじゃん。なにageてまで必死に長文打ってるんだか
21日本@名無史さん:2012/04/09(月) 14:32:06.07
自演合戦かよ

糞スレ
22日本@名無史さん:2012/04/09(月) 14:59:57.31

戦国時代以降、完全に形骸化してしまっても、官位が形式的に生き残ってるのは、
日本人がこういうの好きだからだろうな。

明治時代はともかくとして、敗戦後も生き残ったのは、日本人の支配ツールとして
便利だった(天皇制と合わせて)、と言うのが大きいだろう。
23日本@名無史さん:2012/04/09(月) 22:37:36.65
栄爵なんかどこにでもあるだろ
24日本@名無史さん:2012/04/10(火) 02:00:39.50 BE:185967874-2BP(0)

いちいち長文の相手する奴の方が迷惑なんだけど
25日本@名無史さん:2012/04/10(火) 12:33:20.32
学問板で長文があるのは、当たり前だと思うが、
内容云々は別にして
26日本@名無史さん:2012/04/10(火) 16:03:42.47
長文罵倒君は知識はあるけどパラノイア的性格で人間関係を構築できなくて人生そのものを失敗する典型的症例ジャマイカ?
27日本@名無史さん:2012/04/10(火) 18:48:29.17
やはり見下げ果てた奴だな

罵詈雑言厨を叩いている人(新スレの>>1とか)はその品性劣悪なキチガイっぷりゆえに叩いてるのであって
非参議やらの説明の内容を叩いているわけじゃないし誰もおまえの珍説を擁護してるわけじゃない

相手が叩かれてるから自分が正しいとでも勘違いしちゃったんだろうがそれとこれとはまったく別の話
まして自分が間違ってるのにそれもわからないで相手の方が間違ってると決めつけるのは見苦しいからやめろと言ってる
ここは学問板であって学を曲げてまでおまえの間違った認識を擁護する奴なんていない

>>18
> やめてくれってたのんでる人たちからすれば、こんな話はどうでもいいんだよな

ここは官位スレであって官位についての議論の方がおまえらの低俗な言い争いよりも重要
本末転倒にも議論なんかどうでもいいとか言ってる奴こそスレから出てけよ

> 途中から熱くなって長文基地外連投厨=自分だって
> 書いちゃってるけど馬鹿なの?何なの?死ぬの?

一体どこに長文基地外連投厨=自分なんて書いてあるんだよ
「自分以外のレスを良く見てこい」という部分のことなら「おまえ以外のレスを良く見てこい」という意味だよ
自演と決めてかかってるからそんな馬鹿馬鹿しい誤読なんてするんだ
それといかにもキチガイ板から来ましたっていう煽りでキチガイであることをアピールするのはよせよみっともない
28日本@名無史さん:2012/04/11(水) 01:23:06.39
お前がそうやってムキになって反応すればするほど
> 一体どこに長文基地外連投厨=自分なんて書いてあるんだよ
=だって事は第三者から見れば明らかなんだよ・・・
あなた自身は自演がバレてないと思ってるだろうけど、
こんな明らかなキチガイですアピールはよした方がいいですよ
29日本@名無史さん:2012/04/11(水) 01:26:05.04
本当に見下げ果てたやつでかわいそうだから
マジレスしちゃうとお前さん(長文基地外連投厨)が目の敵にしてる参議がどうのの相手もう既にこのスレにいないだろ・・・
30日本@名無史さん:2012/04/11(水) 01:28:02.96
見えない敵と戦いだすのは基地外の典型だな
31日本@名無史さん:2012/04/11(水) 01:31:21.69
自演同士仲良くしろよ
32日本@名無史さん:2012/04/11(水) 01:33:03.17
伸びてると思ったらまだこの基地外このスレに居座ってるのかよwwww
こいつが目の敵にしている間違いを認められずに荒らし続けるカス野郎が
まさに自分自身だということにいつ気づいてくれるんだろうwwwww

参議がどうのが免罪符らしいが、住人からすればどちらも迷惑。
というか小さなプライド保つためにいまだに荒らし続けている長文の基地外君。君が一番迷惑なんだよー?
33日本@名無史さん:2012/04/11(水) 01:35:18.18
こんな時間にすごい自演連投だな
34日本@名無史さん:2012/04/11(水) 01:37:18.68
次スレ延びてると思ったらまだこの話題引っ張ってるのかよ・・・・
・・・優良スレがすっかり糞スレじゃねーか。
長文で荒らしてる基地外はNG入れたいからトリつけろ。ホント迷惑。
35日本@名無史さん:2012/04/11(水) 08:32:25.03
中身に入って、素朴な疑問です。

例えば、正二位・左大臣○○が、病気かなんかで左大臣を辞職した場合、
位階の正二位だけが残って、前左大臣です。
公卿の定義でいうと正二位・前官となって、依然として「公卿」ですが、
その位階の正二位も返上できるのでしょうか?

そしたら無位・無官となって、ただの人ということでしょうか?

36日本@名無史さん:2012/04/11(水) 17:34:42.88
朝廷への反逆とみなされるので、位階だけの返上はできないんじゃないかな!
位階だけもらって、名誉職公卿ということでいいじゃん。
37日本@名無史さん:2012/04/11(水) 18:04:31.55
散位ということなんだろう。
出家の場合は位の扱いはどうなるのか知らないけれど。
38日本@名無史さん:2012/04/11(水) 18:39:39.84
僧位のある者が還俗したらどうなるんだろうね。
39日本@名無史さん:2012/04/11(水) 19:12:19.82
懲罰的に官位を剥奪されることはあっても返上するというのはあまり聞かないが、理論的にはありうるだろう。
例があったら誰か教えてくれ。
ただ鷁退と言って官位を降格してもらうという例はある。

それと名誉職公卿というと現実に官職に就いてることになってしまうと思うが。
前官礼遇公卿というならともかく。

僧官僧位にあるものが還俗するとリセットされるはず。
足利義教や義視は大僧正とか准后からリセットして元服の後五位からスタートしてる。

対して出家したものは公卿補任等から名前が消えたはずだが(うろ覚え)、
世間的にはまず間違いなく普通の前大納言とか前太政大臣と変わらない。
40日本@名無史さん:2012/04/11(水) 19:23:49.61
西園寺公望が、明治3年、正三位権中納言のときに官位返上(翌年フランス留学)
明治11年に正三位に復している。
41日本@名無史さん:2012/04/12(木) 02:39:32.26
明治2年7月8日に百官受領が廃官となっているので
その後に権中納言などの旧官を返上するということはありえない

正三位返上はしたのだろうが
同日付で正四位以下の上下の別が廃止になるという千年来の大きな改変があったので
それ以前と以後を同列に論ずることには否定的にならざるをえない

少なくとも前近代一般を論ずるのに激動の過渡期の例を持ち出せるものではないと思う
42日本@名無史さん:2012/04/12(木) 19:45:01.45
>>36
素朴な質問はいいけど素朴な臆測での答えは慎んでくれ
43日本@名無史さん:2012/04/12(木) 21:46:59.39
遣唐使で入唐して、唐の官位を授かった場合、
日本の官位は返上扱い?
それとも、双方兼帯?
(こういう状況で「兼帯」という語を使うか分からないが)
44日本@名無史さん:2012/04/13(金) 00:03:03.51
異なる権力体系に属するものなので全くの別建て

兼帯というのは同じ権力体系に属するもの同士の話
45日本@名無史さん:2012/04/13(金) 08:46:11.28
>>42
そう言うかたくなな態度が過疎を招くんですよ。
議論大いに結構じゃないですか。
最初はみんな初心者なんだし。
って言うか所詮2ちゃんねる、玉石混淆のカオスで当然。
46日本@名無史さん:2012/04/13(金) 08:50:32.23
外国の使臣に与える位階は名誉位階でしょう。
与える側は、現地での官位とか建前上は気にしてないし。
もらう側も実のあるものだとは思ってない。
外国の勲章をもらうようなものではないかな?
47日本@名無史さん:2012/04/13(金) 21:41:46.33
阿部仲麿も名誉位階なのかよ
48日本@名無史さん:2012/04/13(金) 21:57:45.16
源道義が明の皇帝から、国王に封じられたとき、明の位階は貰っていたんだろうか?
49日本@名無史さん:2012/04/13(金) 22:06:17.63
和歌を詠む才しか無かった仲麻呂が唐の朝廷に
出仕したわけではない。ただの名誉職だ。
50日本@名無史さん:2012/04/14(土) 02:56:24.11
>>49
なんでそういう嘘を吐くかね
唐の皇帝に才を認められて諸高官を歴任し従二品にまで昇った人間が名誉職なわけないだろ

「和歌を読むしか才がなかった」って…
単に君が仲麻呂について百人一首でしか知らないだけでしょ
51日本@名無史さん:2012/04/14(土) 08:23:18.63
>>48
日本国王は(あと朝鮮国王も)明の爵位では「王」(国王、親王)に相当し、「王」は「一品」に相当するはずだが、
確かに品階については言及されることがないな。

ちなみに琉球国中山王は明では「王」の下の「郡王」だったが、明から清に変わったときのどさくさで朝服などを「王」の格式に勝手に変えたらしい。
52日本@名無史さん:2012/04/14(土) 08:45:32.06
日本国王とされた足利義満の一族は、清和天皇から枝分かれしてるよね
義満が皇位を簒奪していたら、どんな日本史になっただろう?

いま男系男子の皇族が不足しているわけだが、
皇室から枝分かれした子孫にも皇位継承させることになったんだろうか?
53日本@名無史さん:2012/04/14(土) 09:10:07.67
朝から、官位とまったく関係ねえしw
54日本@名無史さん:2012/04/15(日) 16:53:44.23
戦国時代の顕如が「中務卿法印」と称されていたらしいですが、これは官位としての中務卿とは関係あるんでしょうか?たしか親王専用の官職だった気がするのですが。
「信長の野望」で顕如が堂々とデフォで中務卿に任官していたので気になってしまいました。
55日本@名無史さん:2012/04/15(日) 18:55:23.91
僧位についている人は朝廷の官職に普通には就任できないから相当官として〜法印

とかそういう感じじゃなかったっけ、道鏡の例しか知らんけど。
56日本@名無史さん:2012/04/15(日) 20:30:08.02
細川幽斉が、大蔵卿法印になってる。
57日本@名無史さん:2012/04/15(日) 22:17:03.29
そういう場合は実際に任官しているわけじゃなくて飽くまでも通称
あといくらなんでも信長の野望なんて持ち出してくるのはやめろ
不謹慎すぎる

それと道鏡はなんたら卿法印になんてなってない
太政大臣禅師とか法参議などとはまったく違う
58日本@名無史さん:2012/04/16(月) 00:18:34.99
通称ってのは自称と言っていい?
それとも時代背景を鑑みて自称してるけど黙認、事実上承認って解釈かしら?

顕如よりも宮部慶潤の方が中務卿法印という「肩書き」のイメージがあるんだけど
これの初出は何かね?それと本願寺家との関係もあるのかしら?
59日本@名無史さん:2012/04/16(月) 00:19:31.01
ごめん宮部継潤ね。
60日本@名無史さん:2012/04/17(火) 14:26:54.97
さすがにゲームについての質問をここでするのは良識を疑われても仕方ない
ゲーム板でやれ
61日本@名無史さん:2012/04/17(火) 21:57:08.15
ゲームはただのキッカケだろ?
史実はどうだったのかというのが話題の中心だし別にかまわんと思うが。
というかゲーム関係の板じゃろくな答えが返ってこんだろう。
62日本@名無史さん:2012/04/17(火) 23:08:02.41
>>59
ゲーム云々じゃなくて宮部が少なくともそう「他称」されてることは事実なわけで、
その辺の由来というか経緯は俺も知りたいがなにぶんよく分からないのが実情だ。

顕如に関しては初めて聞いたがそれこそゲーム内限定の話か?
それともそういった史実があるのか?
興味ある。
6362:2012/04/17(火) 23:08:39.29
アンカー間違えた>>60でした。失礼。
64日本@名無史さん:2012/04/18(水) 03:35:58.47
>>60>>54へのレスね
というか関白の官位相当は正一位で管領の官位相当は…
とか言ってるゲーム制作者たちの言うことなんか真に受けてここに持ち込まないでほしい


それで本願寺門主は大僧正に昇るクラスの僧であり(そして実際に顕如も大僧正になってる)
中務卿法印などというのはむしろ本願寺坊官クラスの通称
65日本@名無史さん:2012/04/18(水) 04:03:46.94
下間氏が法橋の通称で出てくるが、
これも戦国武士の官途名乗りみたいなものか?
66日本@名無史さん:2012/04/18(水) 08:22:50.98
中務卿法印のような称は少なくとも源平の時代からある
勿論僧侶の身で俗官の中務卿などに任ぜられたわけでなくただの通称
というのも僧侶とても法諱を呼び捨てにされるものではなく僧位僧官で呼ばれるべきなのだが
法印だの律師だのは腐るほどいるために呼び分けが困難
そこで父兄の官途やその他の由緒によって「大納言僧都」「宰相法印」などの称が生じた
これは女房名の「大納言典侍」「右衛門内侍」などと同じ感覚なのではないかと思われる

一例を挙げると足利宮内少輔泰氏の七男公深は「宮内卿律師」と称している(ちなみにその長系子孫である幸手一色氏は「宮内大輔」の官途を世襲している)

結論的に言うと「法印」「律師」などは叙任されたものだが「宮内卿」「刑部卿」の部分は通称のようなものと考えてよいと思う

ただ本願寺門主が「中務卿法印」などと名乗るのは格の上で甚だ疑問
67日本@名無史さん:2012/04/18(水) 09:53:20.18
細川幽斎の宮内卿法印は、叙任されているのか、自称なのか、いずれなのでしょうか。
68日本@名無史さん:2012/04/18(水) 17:17:42.71
豊氏長者というのは藤氏長者を兼ねていたの?
69日本@名無史さん:2012/04/18(水) 22:10:05.33
>>68
近衛信伊が秀吉に藤氏長者を求めて拒否されているね。
70日本@名無史さん:2012/04/19(木) 14:52:31.37
>>64
偉そうなこと言ってるけど質問の答えになってないね。
71日本@名無史さん:2012/04/19(木) 15:00:08.76
>>69
信尹 な
72日本@名無史さん:2012/04/20(金) 08:45:05.08
>>70
>>66

ところで君は人のことをとやかく言えるほど有益なレスをしてるのかな?
73日本@名無史さん:2012/04/20(金) 09:14:43.84
>>68
秀吉は「藤原秀吉」の名で関白になった。
しかし、近衛以外の摂家から藤氏長者を否定されたために、
藤原姓とは別の豊臣姓を受けた。
藤原姓と豊臣姓は別なので兼ねてないよ。
74日本@名無史さん:2012/04/20(金) 10:44:29.30
大夫と頭って、事務職と現場職みたいなものですか?
75日本@名無史さん:2012/04/20(金) 11:42:08.15
>>74
はぁ?
76日本@名無史さん:2012/04/20(金) 20:19:58.18
>>74
役所のカテゴリーによって、長官である「カミ」の漢字表記が違うだけ。
卿、頭、率、守、大夫など、いろいろある。

別に事務と現場とかいうような分担ではない。
77日本@名無史さん:2012/04/20(金) 22:00:37.83
> しかし、近衛以外の摂家から藤氏長者を否定されたために、

え?
78日本@名無史さん:2012/04/20(金) 22:15:49.96
そんな命知らずの公卿が居たのか?
79日本@名無史さん:2012/04/20(金) 22:25:45.94
二条昭実は早々に関白を退いているし、他家も「藤原秀吉」の関白・藤氏長者に
異議は全くとなえていないね。
80日本@名無史さん:2012/04/21(土) 08:35:28.86
秀吉は関白宣下と同時に藤氏長者を宣下されたが、豊臣朝臣に改姓後に改めて豊臣氏長者宣下されていない
秀次は関白宣下と同時に豊臣氏長者を宣下されているが、従来藤氏長者の職務とされていたことを行っている
そしてその間に藤氏長者に補せられている者がいない

これらのことから藤氏長者はなし崩し的に豊臣氏長者に吸収合併されたと言える

というようなことが最近の研究で言われている
81日本@名無史さん:2012/04/21(土) 10:20:40.10
賜姓された本人・初代は、当然に氏長者になるという考えかな。
82日本@名無史さん:2012/04/21(土) 10:37:02.80
賜姓された時点では秀吉本人しか豊臣姓がいないから、
長者もなにもないのかもしれない
83日本@名無史さん:2012/04/21(土) 11:29:19.50
秀吉は源平藤橘に匹敵する第5の姓として豊臣姓創設を宣言しているから
藤原姓の踏襲(藤原氏氏長者を豊臣氏が兼ねる)というのは違うんじゃないかな
摂関が従来藤原氏が踏襲してきたというのはそうだが
源平藤橘から完全独立した第5の姓と言っているのだから
84日本@名無史さん:2012/04/21(土) 12:47:28.41
>>82
でも年内には数人に豊臣姓が与えられている
85日本@名無史さん:2012/04/21(土) 14:40:38.62
秀吉が関白になって、氏長者の職務も
関白に付随するものと考えられて秀吉がやったのかも

摂関家から摂関が出なくなった時点で
藤氏長者は清華家でもいいんじゃないか?ってことで
保留状態になってたとか
86日本@名無史さん:2012/04/21(土) 14:50:20.04
なんでそこで清華が出てくるんだよ
87日本@名無史さん:2012/04/21(土) 15:56:36.02
>>86
当時藤原氏で唯一大臣だった今出川とか?
>>85じゃないから知らんが。
88日本@名無史さん:2012/04/21(土) 17:20:19.76
>>80>>85
秀吉がやってた藤氏氏長者としての職務って何だ?
関白としての職務はやってたけど
豊氏になってから藤氏としての職務なんてやってないよね
89日本@名無史さん:2012/04/21(土) 17:40:34.93
>>87
ごめん
そういうことが言いたかった
90日本@名無史さん:2012/04/21(土) 20:50:06.63
91日本@名無史さん:2012/04/21(土) 22:18:03.14
Wikipedia「豊臣氏」の項に秀吉が豊臣氏長者として藤氏長者の職務を行っている例が紹介されている

それにしても「源平藤橘から完全に独立した第5の姓」みたいな馬鹿馬鹿しい言い方はやめてほしい
氏姓は4つ乃至5つしかないとでも思ってるのかね
92日本@名無史さん:2012/04/21(土) 22:52:48.97
源平藤橘と言っても
橘は堂上家も出してないしな
武家でもパッとしないし
93日本@名無史さん:2012/04/21(土) 23:11:41.73
そもそも、平安中期に藤氏長者が橘氏是定を兼ねるようになったのだから、豊臣氏長者が兼ねても無問題だろう。
94日本@名無史さん:2012/04/21(土) 23:19:44.17
源氏長者も、一時期藤原氏の公卿(源氏外孫の奨学院別当)が任じられていたとの説もあるから、必ずしも現にその氏の者がちょうじゃにならねばならないということはないのかもしれない。
藤秀吉として氏長者に任ぜられ、辞していないからということで、豊臣賜姓後もその地位に居座ったんだろうか。まあ、近衛家の猶子の地位はあるわけだし、逆らうやつも居なかったろう。
95日本@名無史さん:2012/04/21(土) 23:26:10.86
>>87
近衛信尹が氏長者を求めた時には、信尹が左大臣だったはず。
96日本@名無史さん:2012/04/21(土) 23:28:54.06
>>92
橘よりも明らかに菅原のほうが頑張ってるんだよなぁ…
実質4番目の姓って菅原だと思うわ
まあ明治で大江氏の毛利やその家臣が公爵侯爵何人も出して逆転するけど
97日本@名無史さん:2012/04/21(土) 23:36:59.82
藤原は外戚
源平橘は皇胤

墓守の一族と同列に語ってはあかん
98日本@名無史さん:2012/04/21(土) 23:55:13.23
そういえば皇親以外で皇后出したのが源平藤橘だけだからその四姓が特別だとかどこかで見た気がするけどどうなんだろ
中宮も皇后とカウントするなら、確かに四姓以外の皇后って古代の皇后と今の美智子皇后以外知らないけど
99日本@名無史さん:2012/04/22(日) 00:04:57.51
>>96
結果としてそうなったというだけで菅原氏以下他氏族は結局元が学者系や技能系だから
100日本@名無史さん:2012/04/22(日) 01:46:39.60
>>99
だから結果論としてもともと四姓と呼ばれていた源平藤橘だけが皇后を出したのか、
それとも皇后を出したから源平藤橘だけが特別になったのか

建礼門院が中宮になる前から源平藤橘という表現は存在したのかな?
だとしたら前者が正しいけど、それ以降に源平藤橘という表現が生まれたなら後者が正しいのではないか
101日本@名無史さん:2012/04/22(日) 09:38:20.03
出自言い出せば、藤原だって大本はただの占い師だし、
土師氏の進出も、最初は外戚だったから。
時期の問題と、結果的に差が付いただけで本質に違いはない。
皇胤を言うなら清原・高階だって。
そもそも、源氏をひとくくりにするのはおかしい。
平氏は事実上桓武平氏(それも同じ親王からの流れ)しか残ってないから
まだ良いにしても。
丁度、言い出された時か、その少し前くらいに羽振りが良かっただけでは。
邪推すると、没落しかかった頃に橘氏の誰かが言い出したんじゃないのか?
三大なんとかに、誰もが認める二つに、地元を混ぜ込ませるみたいな感じで。
102日本@名無史さん:2012/04/22(日) 09:44:38.30
まあ細かいことに言及したら確かにそうだな
103日本@名無史さん:2012/04/22(日) 10:12:57.37
>>101
橘氏が没落した後に平氏が台頭してないか?
いや、まあ橘氏の没落を何時とするかにもよるし
平氏も当初は大納言中納言まで昇進する例は多かったけど清盛の出てくる直前はぱっとしないし。
104日本@名無史さん:2012/04/22(日) 14:34:37.75
そもそも「四姓」というのは漢訳仏典においてインドのカーストを意味する語で
「四姓」という表現ありきでそれに準えて源平藤橘が当てはめられたのだと考えられているが
橘は間に合わせの感がなきにしもあらず

少なくともそういう言い方が出てきた当時橘氏は栄えていたのかも知れないが
前近代日本史を通観して橘氏が源平藤各氏に伍する地位を獲得したとは言えず
そういう慣用表現を基本にして歴史を考察するのはナンセンスだろう

更に言えば例えば尊卑分脉では「公達」の系統と「諸大夫」の系統とが分けられていて
「公達」は藤原氏と源氏のそれぞれ一部のみであり
橘氏どころか平氏さえも藤源両氏に伍しているとは言えない(武士社会で多少押しが強いという程度の効用はあるだろうが)

それと氏爵を行えるのは藤氏長者・源氏長者・王氏是定(長者)・橘氏是定(長者)のみという事情もあるが(ちなみに平氏は源氏長者の挙を得る)
周知の通り橘氏が公卿別当の地位から遠ざかって是定(藤原氏)が氏爵を行う主体となっているため
橘氏自体の地位がどうというわけではないだろう

そもそも社会体制が「家」主体にシフトしているから中世以降について「氏」を中心に考えることはそれほど実りある論ではない
例えば藤原氏ならば誰でも関白や藤氏長者になれるわけじゃなくて家筋が最重要な問題

それだからこそ新姓を創始し「氏」の論理を復興した秀吉の施策が尚更興味深いものになる
豊臣政権では(加藤清正など豊臣改姓以前に任官してその後昇叙転任の沙汰に与らなかった者を除いて)秀吉に臣従する大名・武士のほとんどが豊臣某として任官叙位しており
これは秀吉・秀次らが豊臣氏長者として氏爵を行ったものとされている
ちなみに豊臣姓下賜を特別な栄典のように勘違いしてる向きが多いけど実際には普通に豊臣姓にて任官することの方が常態だと思われる
実際に特別な格式とされるのは羽柴苗字の方ね

更にちなみに家康・家光らも当初源氏長者として氏爵を行った形跡があり
管見の限りでは岡部氏や山内氏などが源某として叙位任官している位記官記口宣案等を見たことがある
105日本@名無史さん:2012/04/22(日) 14:35:58.87
>>101
政祭一致の時代の占い師だぜ。
相当の権力を、早くから持っていたとしか考えられん。

排仏論争の黒幕ぐらいを担えそうな実力はあったと思う。
106日本@名無史さん:2012/04/22(日) 14:55:52.34
官位について語るのはやめたのか?
107日本@名無史さん:2012/04/22(日) 17:55:50.85
>>104
>ちなみに豊臣姓下賜を特別な栄典のように勘違いしてる向きが多いけど実際には普通に豊臣姓にて任官することの方が常態だと思われる
>実際に特別な格式とされるのは羽柴苗字の方ね

うーむ。そうなのか。
108日本@名無史さん:2012/04/22(日) 18:05:29.56
>>106
まあ隣接領域だから
109日本@名無史さん:2012/04/22(日) 18:41:09.89
秀吉は、最終的には、大名を全部豊臣姓に組み込み、豊氏長者として支配しようとでもしてたのかね?
110日本@名無史さん:2012/04/22(日) 19:08:49.59
陪臣にも与えてるところに大きな意味がある
111日本@名無史さん:2012/04/22(日) 22:18:51.48
徳川幕府の松平の名乗りも、豊臣政権の羽柴を参考にしたのかもしれない
112日本@名無史さん:2012/04/22(日) 22:56:19.77
>>107
真田幸村(信繁)とか直江兼続とかが豊臣姓もらってすごい!みたいな論調があるけど
むしろその程度の連中でさえ貰っていると見るべき

>>109>>111
そういう論もあるね

ちなみに羽柴苗字は一門以外は2、3の例外を除いて公家成(侍従以上任官)とセットで貰うという特徴がある
113日本@名無史さん:2012/04/22(日) 23:15:04.63
>>91
ウィキは根拠にならないよ・・・
しかもウィキには秀吉が藤氏長者の権限を奪ったと書いてあるだけで
具体的にどんな権限を奪ったのか書いてない
114日本@名無史さん:2012/04/22(日) 23:17:27.06
>>85
ウィキの論調だとすぐ後ろにかかり、「摂政・関白の地位を奪った」ってことだけだよね。
秀吉が豊臣氏だが藤氏氏長者も兼ねたとはどこにも書いてない。
115日本@名無史さん:2012/04/23(月) 03:08:41.11
ウィキ見てみたら単に脚注でいちいち細かく示していないというだけで、参考文献は書いてあるじゃないか。
ウィキソースしか提示できない段階を脱したばかりの人は逆に「ウィキは根拠にならない」とか言いたがるものだけど、
出典を明示しさえすればウィキだって2chのおしゃべりの参考くらいにはできるよ。

> 具体的にどんな権限を奪ったのか書いてない

これは春日社預がどうのとかがそうじゃないのか?
氏長者の権限なんて氏寺の管理権とかそんなもんで、別に大したものじゃないよ。
116日本@名無史さん:2012/04/23(月) 07:40:30.70
>>115
秀吉が春日社領を奪ったという事実はない
社領の保護という意味ならば秀吉は春日社に限らず全国各地の寺社に安堵状を出してるし
足利将軍家や徳川将軍家もたびたび春日社に安堵状を出して保護している
足利義満に至っては正室が日野氏(本姓藤原)だったこともあり
春日社若宮社に参拝、舞楽奉納までしている。
117日本@名無史さん:2012/04/23(月) 11:53:08.77
預を領と見間違えるなよ…

ていうか肝心のウィキ記事も読んでないんかい
118日本@名無史さん:2012/04/23(月) 12:26:48.25
ワロタ
119日本@名無史さん:2012/04/23(月) 13:10:36.74
武力によって関白になれたのに、
豊臣の氏の長者になったところで、長続きしないよ。
成りあがりOKなら、第二第三の秀吉が出てくる。
120日本@名無史さん:2012/04/23(月) 14:33:50.36
>>117
ウィキには豊臣が藤原氏氏長者を代行したとは書いてないからね
121日本@名無史さん:2012/04/23(月) 14:36:42.88
>>117
えっ、豊臣秀吉って春日「預」してたの?
関連史料プリーズ
122日本@名無史さん:2012/04/23(月) 14:39:39.69
よく「ウィキでは〜書いてある」とか「ウィキによると〜」というのを見るが
まあ腐っても学問系の板だし、そういう表現はやめた方がいいんじゃないかな?

もちろんウィキを参考にすることはあるけど、ウィキの場合誰だって編集できるわけだから
特にマイナーな領域はあまりチェックが入らないこともあって間違いのままや、個人的見解のまま放置というのもあるから。

だからせめて編集の項目を参照して「ウィキの○○氏(ユーザー名)の見解によれば〜」
くらい突っ込んでもいいと思う。というのも歴史関係は同じ人間が手を加えてることが多いから
そのユーザーがどの方面に詳しくて、どのような文献を参照しているかも分かってくるし、
そういう背景が分かれば、妄言か、一応科学的な見解か、という判断がつきやすいからさ。

せっかくのウィキペディアというツールだから、学術的な立場から使い勝手のいいように
お互い情報を共有する方が生産的だし、こういうスレももっと楽しめると思う。
123日本@名無史さん:2012/04/23(月) 19:59:55.26
>>121
誰がそんなこと言ってるんだよアホか
真偽はともかくウィキの記事の話をしてるんだから
くだらない読み間違い・勘違いをする前にまずは当該記事を読んで文脈を理解してから書き込めよ
124日本@名無史さん:2012/04/25(水) 23:53:10.47

メディアは全部抑えてある。教団名を出したり逆らえばどうなるかわかってるだろうな?
<           _-=≡:: ;;   ヾ\            >
<         /          ヾ:::\           >
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   / ー\ ナンミョウホウレンゲッキョウナンミョウホウレンゲッキョウナンミョウホウレンゲッキョウ
 /ノ  (@)\ ナンミョウホウレンゲッキョウナンミョウホウレンゲッキョウナンミョウホウレンゲッキ
.| (@)   ⌒)\ ナンミョウホウレンゲッキョウナンミョウホウレンゲッキョウナンミョウホウレンゲッ
.|   (__ノ ̄|  |   ///;ト,  ナンミョウホウレンゲッキョウナンミョウホウレンゲッキョウナンミョ
 \   |_/  / ////゙l゙l;  ナンミョウホウレンゲッキョウナンミョウホウレンゲッキョウナンミョ
   \     _ノ   l   .i .! |  ナンミョウホウレンゲッキョウナンミョウホウレンゲッキョウナンミョ
   /´ 公明  `\ │   | .|  ナンミョウホウレンゲッキョウナンミョウホウレンゲッキョウナンミョ
125日本@名無史さん:2012/05/02(水) 05:10:45.01































126日本@名無史さん:2012/05/04(金) 09:52:55.66
家康が天下を取った後に、官位が格下げになった人物(大名)はどれくらいいるのですか?
127日本@名無史さん:2012/05/04(金) 10:01:05.12
どの時点で天下を取ったと定義するの?
128日本@名無史さん:2012/05/04(金) 10:21:50.94
>>127
関ヶ原後でお願いします。
関ヶ原で西軍ならともかく、東軍に味方しながらも格下げになった人物もいると思うんですが。
129日本@名無史さん:2012/05/04(金) 10:39:51.97
そもそも何故格下げになった人物がいると思うんだろう
130日本@名無史さん:2012/05/04(金) 12:08:05.89
八丈島に中納言がいてもいいじゃないかw
131日本@名無史さん:2012/05/04(金) 12:21:34.17
八丈中納言
132日本@名無史さん:2012/05/04(金) 12:25:17.55
勝手な思い込みが前提の質問ってのは萎えるな。
133日本@名無史さん:2012/05/04(金) 12:32:13.38
本人はともかく、桃山時代に大中納言やってた家の嫡子は家を継いでも4位という例はあるけど(桃山時代の武家官位が異常)
格下げ自体はないんじゃね?
134日本@名無史さん:2012/05/04(金) 12:38:51.44
輝元、景勝は中納言のままだったの?
135日本@名無史さん:2012/05/04(金) 13:03:58.12
関が原の前に辞任しているんじゃない?大事なのは、その職にあるということではなく
なったことがあることだから。
136日本@名無史さん:2012/05/04(金) 15:42:56.45
>>128
関ヶ原は、形式上は
「豊臣政権の中での主導権争い、派閥争い」という形を取った。

西軍の人間は謀反人扱いで処分されたが、東軍の人間には、そういう口実は無理。
その後の、事後処理で失態を演じたとかで降格された人間もいるけど。

そういうのは小早川秀秋ぐらいのような気はする。

降格とかはなくて、単に領地削減とかだったんじゃないの?
137日本@名無史さん:2012/05/04(金) 18:29:32.49
そもそも当時武家の現任公卿(中納言以上)は
江戸内大臣家康、権中納言秀頼、岐阜中納言秀信くらいしかいなかった(参議以下は公卿補任が混乱しているので無視)
その他はすべて前権中納言
それが戦後官位を剥奪されたり降格されたということはない

当然のことだが辞官と剥奪とは違う

秀家や景勝や輝元も前権中納言従三位という地位に変更はない

逆にどこから降格したなんて話が出てくるんだか意味不明
138日本@名無史さん:2012/05/04(金) 19:20:32.48
小早川秀秋って降格されたっけ?
139日本@名無史さん:2012/05/04(金) 22:45:25.98
>>136 の件、
東軍所属で失態を演じた人間、という程度の意味。
降格の有無は知らん。

降格された人間の例としか読めないレスだった点、スマンかった。
140日本@名無史さん:2012/05/04(金) 23:48:39.78
豊臣期では、やたらと参議や侍従がいたけど、それも継続してたのかな
141日本@名無史さん:2012/05/05(土) 00:35:56.52
事後処理で失態なんてしていたっけ?
142日本@名無史さん:2012/05/05(土) 13:15:38.32
失態といったら、むしろヒデタダとその配下だろうな
143日本@名無史さん:2012/05/05(土) 22:10:44.50
>>大事なのは、その職にあるということではなく
>>なったことがあることだから。

ということで質問だが、
正二位権大納言(まで到達した人)の本座宣下は見た記憶があるのだが
従一位権大納言(まで到達した人)の本座宣下は見たことがない。

従一位権大納言の本座宣下もあるというのなら、それでかまわないのだが、
もし、従一位権大納言が前官になったときに本座宣下がないというのであれば、

(1)そういう人は本座宣下ではなく、准大臣宣下となる
(2)従一位(前)権大納言は少ないので、本座宣下を出す意味がない。
(3)その他

144日本@名無史さん:2012/05/05(土) 23:12:32.88
詳しいわけではないが、宮中席次は、准大臣、従1位、本座宣下(を受けた前権大納言)、権大納言、前権大納言となる。
従って、既に従1位に叙されているのであれば、本座宣下を受けることは無意味、宮中席次を上げるためには准大臣になる必要がある。
145日本@名無史さん:2012/05/06(日) 00:25:25.38
全盛期の織田信長でも右大臣だから、その上には左大臣だとか摂政関白とか
いたわけですよね
信長はそういう自分より格上の存在に対してどういう対応をとっていたのでしょうか?
146日本@名無史さん:2012/05/06(日) 01:09:44.78
>>145
近衛前久の世子は、加冠役の信長から偏諱を賜り、信基(後に、信輔、信尹)を名乗っている。
近衛家より上位ということだろうね。
147日本@名無史さん:2012/05/06(日) 01:30:43.78
>>146
つまり、全盛期の信長はもはや天皇に次ぐ文字通り日本でもNO2の存在だったということですか?
148日本@名無史さん:2012/05/06(日) 01:54:03.38
三職推任が起きているということは、そういうことでしょう。
149日本@名無史さん:2012/05/07(月) 23:27:54.68
>>145
信長の例を待たずとも、足利将軍は四位・三位でも摂関を家来扱いしているよ。
摂家も偏諱拝領だの年始拝礼だのといった形で伺候しているし。
150日本@名無史さん:2012/05/08(火) 09:55:14.95
勲章についてる位階は本人に与えられた位階ですか?
151日本@名無史さん:2012/05/09(水) 06:27:52.89
>>150
位階という言葉の意味を自分でちゃんと調べてから質問してね
152日本@名無史さん:2012/05/09(水) 20:48:53.10
御三卿の刑部卿とか民部卿って名乗り?本当に叙任されてる?
名乗りにしては官位が高すぎるし叙任されているなら中納言、参議の下、中将の上って事でいいのか?
153日本@名無史さん:2012/05/09(水) 21:02:49.42
本当に叙任されており、かつ名乗りでもある。
一般大名の「○○守」と同じ。
したがって大納言>中納言>参議>中将>少将>侍従>四品>諸大夫という序列の中に位置づけられるものではない。
つまり「刑部卿」等々に関しては序列について拘ったり気にする意味はない。

ちなみに御三卿は初官従三位中将→参議→極官中納言と昇進する。
稀に大納言→従一位→准大臣と進む。
154日本@名無史さん:2012/05/09(水) 21:11:44.17
さらにちなみに御三卿は10歳前後で叙任に与り、数年後に参議に転ずる。
御三卿でも他の諸大名でも参議に転ずれば「○○守」のような名乗り官職は去るので、「○○卿」は少年御三卿の束の間の呼び名というにすぎない。
155日本@名無史さん:2012/05/09(水) 21:54:30.96
>>154
参議以上の官の名乗りは何となるのでしょう。
例えば、将軍家世嗣だと「大納言」それとも「西ノ丸」でしょうか。


156日本@名無史さん:2012/05/09(水) 22:11:17.09
>>155
大納言様だな。
157日本@名無史さん:2012/05/09(水) 23:29:51.44
>>155
大納言→「大納言」
中納言→「中納言」
参議→「宰相」

あるいは単に「尾張殿」「紀伊殿」「水戸殿」「加賀殿」

世子は「大納言様」→「右大将様」
158日本@名無史さん:2012/05/10(木) 08:36:46.77
清水は民部だったり宮内だったりするな
一橋治済は将軍実父だから異例の昇進
159日本@名無史さん:2012/05/10(木) 15:55:27.02
中納言だろ
160日本@名無史さん:2012/05/10(木) 16:14:42.34
一橋治済は従一位、准大臣だな
隠居後だけど
161日本@名無史さん:2012/05/10(木) 19:03:07.53
仮に豊臣秀頼が将軍家に臣従したとしたら、以後豊臣家の極はどういうものになったんだろか
将軍より上には出来ないと思うのだが・・・
162日本@名無史さん:2012/05/10(木) 22:13:11.22
>>161
まさか摂関家として遇したりはしないよな?
163日本@名無史さん:2012/05/10(木) 22:28:43.65
幕府をひらくのに何故将軍の地位が必要なの?
164日本@名無史さん:2012/05/10(木) 22:33:20.46
将軍に臣従して大名として生き残るなら(大和郡山あたりに転封)、極官准大臣か内大臣あたりかな。
公家にして、武装放棄させて1、2万石に落とし、京都住まいにして摂関家処遇もありかな。
165日本@名無史さん:2012/05/11(金) 06:52:45.83
>>164
内大臣は将軍の指定席だから、
その下じゃないの?
参議あたりかな?
大納言中納言も微妙に高すぎる。
166日本@名無史さん:2012/05/11(金) 07:51:18.98
初期の織田と同じ扱いだろ
167日本@名無史さん:2012/05/11(金) 15:09:01.71
>>161

豊臣氏長者にはなったと思う。
168日本@名無史さん:2012/05/12(土) 08:44:23.00
>>165
豊臣があったら、徳川は右大臣を指定席にしていたんじゃないか?
169日本@名無史さん:2012/05/12(土) 23:21:20.25
豊臣家の処遇については

1 前支配者として、それなりの処遇→御三家と同じか、将軍家と御三家との間
2 外様大名の最上位→前田家より上で徳川家の下

というのが基本線になると思う。とすれば

1の場合、
ア 御三家と将軍家との間→准大臣
イ 御三家よりやや上→従一位大納言
ウ 御三家並み→正二位大納言(水戸家並なら中納言)

2の場合
・ 正三位(従二位)参議

といったところか。 
170日本@名無史さん:2012/05/13(日) 04:14:25.74
石高の多い喜連川みたいな扱いになっていたんじゃないかねえ
171日本@名無史さん:2012/05/13(日) 07:31:53.00
禄を奪って摂関家の待遇にでもしてやれば、将軍家にとって安全、豊臣家にとってもプライドは満たされる
武力を取り上げて武家でなくしちゃえばいいな
172日本@名無史さん:2012/05/13(日) 13:14:32.32
馬鹿馬鹿しい
173日本@名無史さん:2012/05/13(日) 16:48:59.86
確かにものすごくバカバカしい
174日本@名無史さん:2012/05/13(日) 21:40:34.39
>>169
武士としての立場は1や2に近いだろうけど、
むしろ貴族っぽい立ち位置で、高家のように石高が低い状態に置かれたんじゃないかなあ。

位階は高いけど石高は低くて、幕府内の役職とかは就任できない。という感じじゃないかな?
官位は準摂関的な位置づけでもおかしくないと思う。
過去に二人も(=秀吉・秀次)関白になってる実績もあるし。

と思ったら171と同意見になった。
175日本@名無史さん:2012/05/14(月) 00:59:44.41
源ケビイシ義経
176日本@名無史さん:2012/05/14(月) 02:45:24.98
If話は嫌いじゃないけど、このスレでやると
なんか稚劣感がただような。
177日本@名無史さん:2012/05/14(月) 19:13:07.72
力>官位は否めない。
武家統治時代の、公家のやたら高い官位に意味はあったの?
178日本@名無史さん:2012/05/14(月) 20:35:34.02
>>177
公家社会内部での席次
179日本@名無史さん:2012/05/14(月) 23:34:13.61
加賀前田家の極位極官の従三位参議なのですが。
従三位と言う極位は堂上では末席ですが、参議は末席の堂上が就く官職ではないですよね。
何かアンバランスのような気がします。

参議に限らず、少、中将等の武家官位は官位相当と何で離れたのでしょうか?
180日本@名無史さん:2012/05/15(火) 01:52:52.06
>>177-178
江戸時代になって、武家の官位と公家の官位を分離したからなあ。
室町時代には、武家も公家も同一の官職体型の中で序列化されてた。
といっても、将軍は(非公式なんだろうけど)実質的に上皇同然の格があったっぽいけど。
位階で上回っているはずの摂関を家臣(といっても、家来じゃなく家礼)同然に扱ったほどに。

>>179
もともとの律令制での官位相当としては、
参議以上が堂上になるんじゃないの。
参議より下は本来なら昇殿できない。

平安時代中期からは事情が変わってるけども。

参議という官職そのものが令外官なので厳密な官位相当が適用されるわけではないけど、
おおむね三位ぐらいに相当するんじゃなかったかと。

本来なら三位以上でないと昇殿が許されないけども参議になれば四位であっても昇殿できる、
という扱いを受けるような官職。(といっても、四位のものが参議になることは少ないはず)
181日本@名無史さん:2012/05/15(火) 03:34:42.98
殿上人の定義と公卿の定義を混同してる阿呆がいるな
182日本@名無史さん:2012/05/15(火) 07:04:12.14
>>180
江戸時代になって武家の官位と公家の官位を分離したということはない
江戸時代の将軍も将軍就任と同時に内大臣に就任、太政大臣になった者も
室町時代の将軍も江戸時代の将軍も摂関より格上だった
武家は朝廷の官位についても公家のように毎日朝参するわけではない
これは織田信長や豊臣秀吉の政権でも見られたことだ
183日本@名無史さん:2012/05/15(火) 08:24:43.70
>>177

> 武家統治時代の、公家のやたら高い官位に意味はあったの?


幕末になったら意味が出てきた。

岩倉具視は下級貴族だったが、
都に出てきた土佐侍が
「官位はわが殿様より上じゃ」
と言って平伏した。
184日本@名無史さん:2012/05/15(火) 08:54:55.38
尾張藩主でも従二位権大納言まで昇ったのは半分くらいか?
185日本@名無史さん:2012/05/15(火) 10:22:51.44
質問いいですか
平安中期ごろの、三位の中将の場合は公卿とは言わないのでしょうか?
186日本@名無史さん:2012/05/15(火) 14:34:16.68
>>185
その辺は前スレの最後でさんざん話題になってたからログ見てくれば
煽り合いでウヤムヤになったけど
187日本@名無史さん:2012/05/15(火) 15:15:04.15
>>186
ありがとうございます。やはり難しいところなんですね。
188日本@名無史さん:2012/05/15(火) 20:45:32.76
難しいとかじゃなくて正解の奴がすごいキチガイ叩き厨だったからわけわかんなくなっただけだよw
叩かれた方も大概だったがw
189日本@名無史さん:2012/05/15(火) 23:41:42.01
>>184
よっぽど老齢まで生きていないと極官まで到達出来ないしィ
190日本@名無史さん:2012/05/16(水) 02:04:50.15
結論出た時点で無視すりゃいいのに相手し続けるから・・・
あれだけ長くやられると第三者はどっちが正しいか逆にわからなくなる。
しかもかなり早い段階で単なる言葉遊びと罵り合いになってたし。
ログ読んでも混乱するだけの人多いだろうねw
ああなったらもうある意味荒らしの思う壺だよ。
191日本@名無史さん:2012/05/16(水) 08:25:23.49
江戸時代、武家の官位は幕府が決める
幕府とは具体的にだれか?
将軍の官位を決めるのは、実質的にだれなのか?
192日本@名無史さん:2012/05/16(水) 12:07:32.91
ああいう病的なマジレッサーはわからず屋とか知ったかぶりを異様なほど憎悪してるから火がついたらとことんまで叩く

ほどほどにあしらっときゃいいんだがそうすると
「具体的に説明できないのかよw」とか言って逆に煽ってくる質問者なんかがいるから困ったものだったりするがw
193日本@名無史さん:2012/05/16(水) 12:13:29.77
>>191
そんなの前例に基づきだろ
江戸時代の将軍は征夷大将軍就任と同時に内大臣となる
ここまでは前例に基づき確定
それ以上出世するかは将軍がそれを望むかどうかと朝廷との交渉次第
官位に空きがなければ(公家が就任しているなど)なれないし
194日本@名無史さん:2012/05/16(水) 14:08:22.17
ポカ〜ン
195日本@名無史さん:2012/05/16(水) 18:51:06.57
>>193
武家官位は朝廷の員外だから他に左右大臣がいても昇進できるんじゃない?
太政大臣はわからんけど公家左右大臣と将軍の左右大臣が並立していた事はあっただろ?
196日本@名無史さん:2012/05/16(水) 18:54:20.08
例えば
徳川家茂 右大臣任官が1864-1866
同時期の公家右大臣であった徳大寺公純が1864-1867
197日本@名無史さん:2012/05/16(水) 20:10:19.41
規定はないだろうけど目安はあったと思われる
それが固まり始めたのは諸大名の官位昇進の規定ができた江戸中期(吉宗〜家重期)だろう
恐らく内大臣(将軍宣下)から十五年〜三十年で右大臣
左大臣以上への昇進は特別というところだと思う
ただ家斉の太政大臣昇進は将軍在職40年の年功によるものということはどこかで見たことがある

詳しく考えてみたいところだけど家重以降のサンプルがたった7人で
右大臣にすら昇進していない人が2人もいるからな…
198日本@名無史さん:2012/05/16(水) 20:31:05.48
在職者がいようといまいと、基本的に幕府の希望通りにしたと思うが。
199日本@名無史さん:2012/05/16(水) 20:53:25.87
>>182=>>193は武家諸法度も知らないアホ
200日本@名無史さん:2012/05/16(水) 21:39:54.61
好意的に介錯すれば

機械的に決まるもの(将軍就任に伴う内大臣)ではなく、
幕府の裁量の余地のある場合(宗家の少将就任条件である「老年」など)

武家官位は具体的に決めるのは、
将軍直々なのか、老中(大老)といった幕閣なのか
という質問がしたかったと思う。
201日本@名無史さん:2012/05/16(水) 21:51:39.71
>>200

介錯されたくない。
202日本@名無史さん:2012/05/16(水) 23:25:57.96
前田家から出た綱紀の中納言昇進申請に反対したの老中じゃなかったっけ?
将軍の吉宗も納得してたのに


203日本@名無史さん:2012/05/17(木) 16:43:38.35
>>196

これはレアケースだし、幕末の動乱期ということともリンクしている。
204日本@名無史さん:2012/05/18(金) 01:13:02.02
>>203は武家諸法度も知らないアホ
205日本@名無史さん:2012/05/18(金) 01:20:57.37
いくらなんでも、>>203は釣りだよな?

例えば、
徳川吉宗1741年-1751年右大臣

この間に京都では、一条道香・醍醐冬煕・久我惟通・近衛内前・花山院常雅・二条宗基 の6人が右大臣になっているのだが。
206日本@名無史さん:2012/05/18(金) 02:48:16.87
>>203
> これはレアケースだし、幕末の動乱期ということともリンクしている。

腹いてーw
なんでただの臆測でこんな史実に反したデタラメを平気で断言できるのかねw
ていうか無知のくせになんでこのスレでレスしようと思っちゃったの?w
207日本@名無史さん:2012/05/18(金) 08:47:30.76
もし公家と武家の官位が同じ枠であっても、
公家に右大臣がいてそいつが邪魔なら、
さっさとどけるだろう。
>>203は大漁だ
208日本@名無史さん:2012/05/18(金) 09:02:24.63
>>205

>花山院常雅


この人はジョジョ第三部に登場したな。

スタンドで幕府を倒そうとしたが志なかばで倒れた。
209日本@名無史さん:2012/05/18(金) 21:54:59.28
武家官位と違って直接競合のある公家官位の例でいうと、
摂家の中納言昇進の時には、定員の空きがなければ現任
の中納言の誰かを辞任させたというね。
210日本@名無史さん:2012/05/18(金) 23:02:39.07
幕末、徳川家茂が上洛したとき、宮中席次が内大臣で3公の下に置かれて随分ぞんざいな
扱い受けたらしいね。
流石に幕府もやばいと思ったのか将軍職長期就任していない状態でも右大臣に昇進させたが。
211日本@名無史さん:2012/05/18(金) 23:46:30.69
高官は任じられたことが重要ですぐに辞任するものと言われていたのが、いつから即辞官が「舐り大臣」といわれ、現任が重要になったのでしょうか?

212日本@名無史さん:2012/05/19(土) 01:36:37.98
はぁ?
213日本@名無史さん:2012/05/19(土) 11:51:40.40
214日本@名無史さん:2012/05/20(日) 00:27:30.65
>>211
高官は任じられたことが重要で云々というのが意味不明。
豊臣政権期の武家だったらわからなくもない。
また摂家がさっさと大臣を辞めてしまうという場合もあるが、それは既に摂家というだけで大臣に匹敵する権威があるし、摂家にとって任大臣はお決まりの昇進過程の中の一通過点にすぎないから。

少なくとも以上のような事例を過度に一般化するのは馬鹿げている。
現任>前官というのは基本的にずっと変わらない。
参議→前参議→権中納言→前権中納言→権大納言→前権大納言→内大臣と昇進するより
参議→権中納言→権大納言→内大臣と昇進する(直任される)方が優位なのは幕末まで変わらない(現に叙爵内規において重視されている)。

大臣家が「舐り大臣」などと言われるのは単に摂家・清華など後が支えてるからさっさとやめさせられるからというだけ。
大臣になれる家格としては最下層なのだから当然だろう。
215日本@名無史さん:2012/05/20(日) 20:08:18.65
江戸時代で言うと中納言大納言までは摂関の指示で
近衛大将以上は順繰りで
216日本@名無史さん:2012/05/20(日) 22:56:15.04
官位の序列は 内大臣>大将≧大納言で良いのか?
217日本@名無史さん:2012/05/21(月) 01:33:20.02
摂家の空きを盗むように何日か大臣になる舐り大臣は清華も一緒だろw
内大臣昇進率は大臣家よりは格段に良いけど扱いはあまり変わらない気がする。
公家は摂家とその他。
218日本@名無史さん:2012/05/21(月) 02:18:52.57
大臣なる資格をもっているのは摂家のみ他は大臣になる資格はない
219日本@名無史さん:2012/05/21(月) 04:38:48.53
江戸時代でも、清華は、在任期間は短くても、右大臣任官が結構あった。そこが大臣家と違う。
そして、公家諸法度では、三公は、太政大臣、左右大臣とされ、内大臣は、名前は大臣でも格下。
220日本@名無史さん:2012/05/21(月) 08:34:31.87
そこそこ長生きしないと大臣になれない>清華
221日本@名無史さん:2012/05/21(月) 17:32:30.23
清華の場合、摂家より格付けがはっきりしていて三條みたいな上級と広幡、醍醐みたいな下級とで大臣昇進率が全く違う
222日本@名無史さん:2012/05/21(月) 20:20:45.64
摂関家以外の公家は、皆摂関家の家来(家礼)だから、本人の能力と摂関家の意向によって
どの程度出世するかが決まる。

半家でも大臣になったり清華家でもなれなかったりする。
223日本@名無史さん:2012/05/21(月) 20:57:25.81
>>222
>摂関家以外の公家は、皆摂関家の家来(家礼)
実際は堂上の9割だった筈

http://sito.ehoh.net/kugemonryu.html
によれば、久我・三条・徳大寺・広幡・中院・三条西・河鰭・押小路・武者小路・東園・六条・久世・愛宕・東久世・北小路の15家
が何処の家礼にも属していなかった。
224日本@名無史さん:2012/05/22(火) 21:10:25.00
二条家けだっけ?やけに家礼が少ないの
なんでだろ
225日本@名無史さん:2012/05/22(火) 23:46:40.16
>>221
>>大臣昇進率が全く違う

ネットのデータで漁った程度だが、
公卿昇任者中、内大臣以上への昇任率が一番高いのは、
広幡家(8人中5人)だったりする。
ただし、右大臣以上への昇任者はなし。

その後に三条、大炊御門と続いて(同昇任率50%以上)、
久我、徳大寺、今出川、西園寺がほぼ同列(同昇任率50%弱)
花山院、醍醐がその下(同昇任率40%前後)

となる。
ネット上のデータで正確性にかけると思うし、
家の中での争い等々で、いわゆる当主の就任率とは異なるが
一応の傾向程度には参考になると思う。

>>半家でも大臣になったり

半家という家格が成立してからは、半家からの大臣昇任はなかったかと思う。
大中臣清麻呂や菅原道真まで含めるのなら、
「後に半家と呼ばれるようになった家」からの大臣昇任者はいるが。

外戚などの「個人の運」で大臣昇任できる公家と
「家格」で大臣昇任できる公家(大臣家)では
扱いが異なっても、仕方がないのではとも思える。



226日本@名無史さん:2012/05/23(水) 01:24:03.99
半家に属し、極官が参議の家で10代連続で天皇の外戚になったら家の家格はどうなるのだろうか?
227日本@名無史さん:2012/05/23(水) 02:20:21.84
>>224
二条家自体、成立そのものがかなり特殊だし(嫡流の可能性すらなかった)
228日本@名無史さん:2012/05/23(水) 06:39:16.04
>>218>>222
釣れますか?
229日本@名無史さん:2012/05/23(水) 13:17:01.83
大臣(おおおみ)と大臣は同じ意味ですか?
だとすればいつ頃から‘だいじん’と呼称されたのですか?
230日本@名無史さん:2012/05/23(水) 13:33:41.85
大連(おおむらじ)
231日本@名無史さん:2012/05/23(水) 13:40:33.16
大臣(ダイジン)の和名は「おほまへつきみ」
「おほおみ」ではない
232日本@名無史さん:2012/05/25(金) 02:59:58.30
>>226
摂家に格上げ
233日本@名無史さん:2012/05/25(金) 23:12:28.94
10代もただ人にして仕えたる家が、いまさら摂関を望むか。
234日本@名無史さん:2012/05/26(土) 10:36:34.00
摂関家以外の公家が摂関になりえる前例ができたら
また公家同士の権力争いも激しいものになったんだろうな
235日本@名無史さん:2012/05/26(土) 12:14:58.62
豊臣が武家でよかったってことか。
236日本@名無史さん:2012/05/26(土) 13:06:36.11
伊予の西園寺家か伊勢の北畠家が天下を統一したら、どんな官位官職についたか興味があるな。
土佐一条家だと元が摂関家だからあまり面白くないが。
237日本@名無史さん:2012/05/26(土) 14:38:46.68
>>236

その場合は、幕府は開かずに太政大臣になったような気がする。
238日本@名無史さん:2012/05/26(土) 14:55:28.84
鎮守府大将軍 北畠顕家
239日本@名無史さん:2012/05/26(土) 19:25:32.61
>>237

そしたら、摂関家は、天下人の太政大臣の家礼のようになるんだろうか。
240日本@名無史さん:2012/05/26(土) 23:47:32.45
また頭の悪い流れになってるな
週末だからな
241日本@名無史さん:2012/05/27(日) 01:27:39.93
史実の面白さを見出せない奴がなんで歴史スレなんかにいるんだろうな。
242日本@名無史さん:2012/05/27(日) 08:53:53.07






      内閣総理大臣(韓:ネカクチョンリデーシン)





243日本@名無史さん:2012/05/27(日) 08:55:44.18
太政大臣は、韓国風に発音するとテジョンデーシン
244日本@名無史さん:2012/05/28(月) 20:10:10.78
18世紀半ばに作られた規定だと、大臣家ってくくりは表面に出てこないね。
清華な明確に上に位置づけられているけど、
大臣家は旧家中格別の家のとかなんかそう言う分類の中に包摂。
中山家とか日野家あたりと同列にされてる。
羽林最上層や名家最上層と昇進の上では区分無し。
ただし、半家は最上層でもこの区分に入らないから、やはり格下なんだろう。
個々には半家上層以下の羽林・名家も少なくないようだが。
245日本@名無史さん:2012/05/28(月) 21:40:22.18
足利将軍や織田信長が大臣と近衛大将を兼ねるのは、武門の棟梁は清華家並の家格になったということですか

246日本@名無史さん:2012/05/28(月) 21:54:56.81
足利は実質摂関と同格だったというのが室町期の公武関係研究の通説の筈
247日本@名無史さん:2012/05/28(月) 23:36:46.99
と言うことは、大臣と近衛大将以外の

  摂政、関白=征夷大将軍

ということか
248日本@名無史さん:2012/05/29(火) 00:02:33.36
正確には摂関家と足利家が同格(もしくは足利の方が上)ということだった筈
だから、義満以前までは摂関家に許された作法の中には足利将軍家の専売特許状態になって、摂関家も自重するようになったものがあったとか。
249日本@名無史さん:2012/05/29(火) 00:23:31.83
将軍こそが天下人だもんな
名ばかりの摂関なんて何ほどのもん
250日本@名無史さん:2012/05/29(火) 03:33:05.98
>>249
にわかくせーなこいつ
251日本@名無史さん:2012/05/29(火) 04:21:18.13
副将軍の地位って、人気なかったの?
252日本@名無史さん:2012/05/29(火) 08:41:29.25
摂家の当主が足利将軍から偏諱を賜っているのだから、
足利>摂家
と考えられなくもない。
253日本@名無史さん:2012/05/29(火) 09:04:12.22
辞退してるとは言え義満の諡号は鹿苑院太上天皇だからなw
その前に歴代将軍が准后宣下を受けてるのも興味深い
間違いなく摂家と同格、それ以上の待遇だよ
254日本@名無史さん:2012/05/29(火) 09:29:12.37
勘違いしてる奴が多すぎるけど「将軍」そのものが偉いんじゃなくて偉い奴が将軍になってるだけ
征夷大将軍は単なる遠征司令官であってその職自体には「武門の棟梁に相応しい職」という象徴的な意味以上のものはない
そもそも足利家督は「将軍」という職でなく「室町殿」という地位にあることが重要
義満以降の将軍職はむしろ室町殿の継承人の職と言った方が妥当(継承人がいない場合などは将軍職を帯びていることはあるが)
例えば義量は将軍にはなっているが室町殿にはなっていない
事実義量没後には後継ぎが問題になっていないのに「その後」義持が死ぬときは問題になっている(義量没から義教就任までの比較的長い間将軍職は空席)
「室町殿」の地位は「義満→義持→義教→義勝→義政→(義視)→義尹→義澄→義稙(義尹)→義晴→義輝」と相続されている

同様に鎌倉期なら「鎌倉殿」の地位が重要
頼朝が鎌倉の主だった期間のうち将軍だった時期が短かったことやその後も将軍不在の期間が多かったことを思えば
「将軍」をトップと頂く「幕府」という教科書的な通念に疑問を抱かずにいることの方がおかしい
このことは院政期以降の皇家の家督が必ずしも天皇ではなくむしろ治天下という地位であったことを思い起こせばさほど奇異には映らないはず

また足利は事実上の日本国王というその地位や摂家以下の拝賀を受けたという事実とは別に、官位昇進の格式の上では清華とされていた(ちなみに公家としての家名は「足利」でなく「室町」とするのが妥当)
実際にも義輝末裔と称する家や平島公方家は明治に至って「足利は清華である」という理由で華族取立願を出している
権力と格式とが単純にリンクするなら歴史学なんかいらない
多様な価値基準が重層的に絡み合っているからこそ歴史は面白い
格式だけで論ずるのは馬鹿馬鹿しいが、事実上の権力だけにしか目に行かないのも単細胞すぎる
中二病丸出しで「名ばかりの摂関」云々などとシニカルに嘯く前にもっと歴史を学んだ方がいい
255日本@名無史さん:2012/05/29(火) 09:42:31.30
武家の棟梁で偉い奴が、
暗殺されたり、追放されたり、傀儡になったりしたわけか
なんだろうね
256日本@名無史さん:2012/05/29(火) 18:31:17.22
まあ、その辺は公武合体政権だから。
豊臣とかもそんな感じがするな。
257日本@名無史さん:2012/05/29(火) 19:10:42.82
豊臣は秀吉も秀頼も大将に任官してないな
摂家なら大将にも任官するだろうに

藤原摂関家とはやはり違うのかな



258日本@名無史さん:2012/05/29(火) 20:52:18.59
秀吉は大将任官話があったけど、まだ無位無官なのにいきなり大将は恐れ多いと自分で五位の少将になった。
259日本@名無史さん:2012/05/29(火) 21:21:23.86
>>258
従五位下左近衛少将になった時よりはるか以前に筑前守になっているのだが。
ていうか少将に任官したのは、清州会議の後賤ヶ岳の戦いの前という微妙な時期だから、
大将なんて考えてもいなかったんじゃないの?
260日本@名無史さん:2012/05/29(火) 21:38:16.01
筑前守は自称だった記憶があるんだが
261日本@名無史さん:2012/05/29(火) 23:59:20.49
262日本@名無史さん:2012/05/30(水) 00:52:37.70
権少将も後付ではなかったか?
263日本@名無史さん:2012/05/30(水) 09:00:22.58
>>259
釣れますか?
264日本@名無史さん:2012/05/30(水) 19:08:20.87
秀吉については大将に任ぜられる間もなく急激に昇任していったからじゃないの?
権大納言になってから関白になるまで一年かかってないし。
265日本@名無史さん:2012/05/30(水) 21:06:45.27
>>261
その項目自体が、内容的に怪しい。

戦国時代だって、ある程度の力がある大名なら幕府や朝廷に金を払って正式に任官してもらってるし、近隣の大名の任官を阻止しようとした例も複数知られてるほどだ。
信長が複数の重臣の任官を朝廷に申し入れた記録もある。
266日本@名無史さん:2012/05/30(水) 22:29:48.01
位階付きの筑前守はみたことないな
267日本@名無史さん:2012/05/30(水) 22:46:37.70
秀吉の史実での最初の叙任は天正12年10月2日で『兼見卿記』には「今日筑前守昇進叙爵少将」(同日条)、『言経卿記』には「筑州(四位×→)叙爵少将ニ被任云々」(4日条、なおカッコ内は誤報と判明して消去訂正した部分)
268日本@名無史さん:2012/05/31(木) 00:40:01.73
>>265
ソースは司馬遼太郎ですねわかります
269日本@名無史さん:2012/05/31(木) 03:17:00.79
司馬遼太郎の作品って、少なくとも戦国時代まわりのは読んだことないぞ。
そんなものをソースにしたりしない。お前とは違うんだ。
270日本@名無史さん:2012/05/31(木) 03:25:25.65































271日本@名無史さん:2012/05/31(木) 04:39:11.68
>>269
釣 れ ま す か
272日本@名無史さん:2012/05/31(木) 06:37:50.09
>>269
プッ
273日本@名無史さん:2012/05/31(木) 09:51:34.68
公卿補任では秀吉の初叙任は信長没後の従五位下少将となっている。
ただこれは後に急激なスピードで昇進することになって、手続上の必要から年月日を遡って任官していたことにしただけという説もある。
とすると実際の任官はもっと後ということになるか。

いずれにせよ「羽柴筑前守」は「馬場美濃守」や「甘糟近江守」と同じく官途書出による私称にすぎない。
274日本@名無史さん:2012/05/31(木) 20:20:42.97
>>269
馬鹿にされてることに気づけよ。
275日本@名無史さん:2012/05/31(木) 20:38:49.65
>>274
バカにされてると気付いたから切れたんじゃないか?
276日本@名無史さん:2012/05/31(木) 22:05:08.99
「中世武家官位の研究」を見ると、室町期にはすでに衛門佐などの一部の官に
ついては、公家の現任者の有無は武家官位には無関係という関白二条持基の
見解があったとなっているね。口宣案のみ出す形式であれば構わない、と。
で、中には任官は許可されて口宣案も作成されていながら、叙位は許可され
なかったという例もあるらしいね。
277日本@名無史さん:2012/06/01(金) 20:10:50.04
室町期なんでほとんど権官なんだろうけど、現任の定数ってどうやって決めてたんだろ
慣例かな


278日本@名無史さん:2012/06/02(土) 13:24:24.95
その言い方だと権官だったら現任じゃないと言ってるように見えるんだが
というか武家官位などはすべて権官とでも思ってる?
279日本@名無史さん:2012/06/02(土) 16:51:41.97
いや〜な性格
280日本@名無史さん:2012/06/02(土) 22:56:01.97
あの本良いね
三管領四職の四職の由来が四職大夫だったの初めて知ったよ
山名が守護大名筆頭だったとか
281日本@名無史さん:2012/06/03(日) 07:10:16.87
>>280
こんなことを真に受ける前に『中世武家儀礼の研究』『中世武家の作法』を読んでこい。
282日本@名無史さん:2012/06/03(日) 11:00:05.18
武家官位は興味なくてどっちも読んでないから、
どちらが正しいのか知らないけど、
最近の歴史研究本は、我田引水とか、ものは言い様レベルの、
与太話が多いな。
新たな視点でとか言い出して、無理矢理にでも新設をひねりだし、
とにかくなにか書かないと、飯が食えないからしょうがないんだろうけど。
研究者ってのも大変だなあ。
283日本@名無史さん:2012/06/03(日) 13:21:21.63
>282
さほど最近に限った話じゃないと思うな。

今じゃ定説化寸前の説でも、出た当時はそんな感じだった。
過去十年二十年ぐらいの新説とかは。

もちろん、新説ってのは大半が潰れて消えていくものだろうがな。
284日本@名無史さん:2012/06/03(日) 15:10:44.76
室町の家格は難しいな
斯波と吉良ってどっちが上なの?
285日本@名無史さん:2012/06/03(日) 17:18:30.77
吉良氏で三位に昇った人はいたっけ?
286日本@名無史さん:2012/06/03(日) 17:57:58.76
吉幾三
287日本@名無史さん:2012/06/03(日) 18:16:03.79
> 三管領四職の四職の由来が四職大夫だった
こういう記述、あったっけ?
第三章 四職大夫のところで、「今谷氏は…、左京大夫は足利一門でもごく限られた、
いわゆる四職家にしか許されない官で、大内氏がこの官を帯びるようになったことが…」
というような記述はあるけど、これではないですよね?
288日本@名無史さん:2012/06/04(月) 06:34:34.79
三管領四職七頭などという言い方は初出が江戸時代だったはずで
同時代的にそういう呼称というかカテゴリーがあったわけじゃない

室町時代の上級武家の家格は大体以下の如く(特徴的なのは官位とほとんど関係ないという点)

三職(いわゆる三管領)
御相伴衆(一色畠山匠作細川讃州山名惣領>赤松惣領佐々木京極大内)
国持衆(佐々木六角土岐>その他)
外様衆(「准国持」含む)
御供衆(「御供衆中国持」「政所」「番頭」等含む)

※上記の序列とはまったく別に「御一家」というカテゴリーもある
※外様衆と御供衆は明確な上下関係にはない
※これ以下はうろ覚え(「御部屋衆」「申次衆」「走衆」「節朔衆」「番衆」などは役職と家格がごっちゃになってるので区別しづらい)
289日本@名無史さん:2012/06/04(月) 19:15:36.38
たしか四職は5家あったし七頭は8家だったっけ?
家の数すら合ってないよね
290日本@名無史さん:2012/06/04(月) 21:11:28.36
御一家と三職とを比べるとして、
渋川・石橋は斯波より家格が劣るから
「三職>御一家」と考えれば、
「斯波>吉良」と言えるのでは?
291日本@名無史さん:2012/06/04(月) 23:06:54.76
>>288
>御相伴衆(一色畠山匠作細川讃州山名惣領>赤松惣領佐々木京極大内)
この不等号の差は何なの?
292日本@名無史さん:2012/06/05(火) 00:29:27.17
親疎の差からくる序列じゃないの?

左は足利支流(山名は元は新田系だけど、足利支流と同列に扱われたはず)、
右は足利支流じゃない外様

たぶんだけど。
293日本@名無史さん:2012/06/05(火) 14:13:18.50
>>290
吉良は御一家でも別格なので他の二者と単純に類比できない
御一家と三職・御相伴衆等との序列は明示されていないので斯波と吉良の上下は決定できない
親疎で言えば斯波の方が血統が近いが、管領になってしまった斯波と、義教没後に室町殿代理を務めたという説もある吉良と考えれば…
ただ斯波>石橋・渋川なのは間違いないだろう

>>291
不等号の前後は御相伴衆内でも扱いに差がある
一門と外様という差別なんだろうけど

国持衆では佐々木六角と土岐(西池田)が格別
294日本@名無史さん:2012/06/05(火) 17:09:34.33
江戸後期の島津斉興ってなんの功あって従三位参議まで叙位任官できたの?
295日本@名無史さん:2012/06/05(火) 17:40:54.58
>>294

そういわれればそうだな。
296日本@名無史さん:2012/06/05(火) 18:52:46.52
>>294
将軍正室の実家だからでしょ。
家慶の将軍任官直後の参議任官だから新将軍の母の実家へのご祝儀。
297日本@名無史さん:2012/06/05(火) 20:10:51.52
松平薩摩守家は琉球の使節を引率してきたときに臨時の昇進があるという点も指摘しておく
298日本@名無史さん:2012/06/05(火) 20:17:55.99
>>296
そういうことね。ありがとう。
299日本@名無史さん:2012/06/05(火) 20:39:07.23
前田家は、御三家に準ずるといいながら官位は掛け離れてるけど、やっぱり官位より家格を重要視してたんですか?
300日本@名無史さん:2012/06/06(水) 03:56:44.63
はぁ?
301日本@名無史さん:2012/06/06(水) 05:50:10.94
>>299
あほ?
家康が徳川幕府開く時、弱体化を狙って
四国に前田を加賀から国替えする移す案も
側近達によって検討されたが取るに足らずとされたレベル
302日本@名無史さん:2012/06/06(水) 07:05:15.09
何が言いたいんだ???
303日本@名無史さん:2012/06/06(水) 08:42:30.61
参議になれる前田と、基本的に中将止まりの島津・伊達等との差は、
かなり大きいような気もするな。
304日本@名無史さん:2012/06/06(水) 12:03:21.28
成り上がりの前田より伊達、島津の方がずっと上のはずだが
305日本@名無史さん:2012/06/06(水) 12:06:48.00
うちは幕末まで従五位下だったみたいなんですが関西の田舎の武家でそんなことあるんですか?
306日本@名無史さん:2012/06/06(水) 12:14:54.79
>>305

神社仏閣領地の関係者とか?
307日本@名無史さん:2012/06/06(水) 12:22:31.43
>>306
あー。神社の守備をする家ですがそれでですかね?寺も持ってるみたいですが。昔から土着してた武家です。
308日本@名無史さん:2012/06/06(水) 13:06:42.14
>>307

そういう家は、幕府の側も(多少は)丁寧な対応をしていたはず。
309日本@名無史さん:2012/06/06(水) 13:21:09.42
>>308
ありがとう。神社絡みだからですね。
310日本@名無史さん:2012/06/06(水) 18:11:15.04
武家というのは武家に仕えてる者を言うんだが
公家や寺社に仕えてる者や浪人は武家とは言わない
神社の守備をする家というのがどういう立場なのか明確にしないと武士かどうかさえ怪しい
曖昧な言葉遣いはやめてほしい
311日本@名無史さん:2012/06/06(水) 18:39:42.74
>>310

寺侍というのもあった。
312日本@名無史さん:2012/06/06(水) 18:41:41.91
江戸時代には公家侍・寺侍・神社領の侍もあり、苗字帯刀していたので
「事実上の武家」「武家に準ずるもの」だと思うね。
313日本@名無史さん:2012/06/06(水) 18:42:13.38
てら‐ざむらい 〔‐ざむらひ〕 【寺侍】

江戸時代、門跡寺院など格式の高い寺に仕えた武士。
314日本@名無史さん:2012/06/06(水) 18:43:44.47
侍ってニンベンに寺って書くんだよな
315日本@名無史さん:2012/06/06(水) 19:52:19.12
平安時代には侍は上級公家に仕えた従者をさしてたんだよね?
「侍所」っていう家政機関もあったと思う。
316日本@名無史さん:2012/06/07(木) 00:03:34.77
このスレにいて侍と言うとイコール武士という発想しかできない馬鹿がいるとはな
317日本@名無史さん:2012/06/07(木) 05:25:26.95
関西地方と近畿地方が微妙に異なるようなもんだな。
318日本@名無史さん:2012/06/07(木) 11:20:36.67
狭い意味での侍は、諸太夫の下の身分。
六位相当
319日本@名無史さん:2012/06/07(木) 13:30:17.86
発生的にはそうだけど、江戸時代にそんなこと言っても始まらない。
寺侍とかはグレーゾーンかな。
320日本@名無史さん:2012/06/07(木) 13:34:51.55
鳥取藩の場合だと大山寺の寺侍は維新後解体されてしまった。
家老相当の上級寺侍は平民扱いで完全に没落。
下級寺侍だった大庄屋は、単なる大庄屋として存続。
まあ、寺自体が没落したからなあ。
一般的にはどういうふうになったんだろう?
官位とはずれる話だけどね。
321日本@名無史さん:2012/06/07(木) 14:24:30.28
神社の守備をしているだけで幕府の家来みたいなのですがおかしいですか?
322日本@名無史さん:2012/06/07(木) 20:42:11.82
青侍は公家侍と同義ですか?
323日本@名無史さん:2012/06/07(木) 23:05:21.14
武士でない侍もいるし、侍でない武士もいる。
公家侍や寺侍は前者だし、大名は後者。
侍という身分呼称は近世になって敷衍?されて、徒士のようなものどもも指すようになるが、それらは中世では侍ではありえなかった。
ともかく武士=侍というのは馬鹿げた(しかし通俗的な歴史理解においてはありがちな)固定観念。
324日本@名無史さん:2012/06/07(木) 23:27:34.50
徳川将軍は侍ですか?
325日本@名無史さん:2012/06/07(木) 23:41:30.09
326日本@名無史さん:2012/06/08(金) 02:05:24.68
将軍は侍じゃなく武士(軍人)だ
327日本@名無史さん:2012/06/08(金) 10:36:43.83
>>323
公家侍の中でもも狭義の侍は、地下官人の扱いだから下級公家だが、
一般の公家侍(平堂上の「三石さん」など)は、士分だから武士。
328日本@名無史さん:2012/06/08(金) 11:07:38.48
>>326
なんでよ…?
329日本@名無史さん:2012/06/08(金) 13:46:05.50
三石さんを侍とか言ってる時点で馬鹿丸出し
少しは頭の中を整理してからレスしろ
330日本@名無史さん:2012/06/08(金) 13:48:14.00
誰でもいい理解してる人説明してくれ
331日本@名無史さん:2012/06/08(金) 17:29:12.90
このスレの人は誰も理解してません
332日本@名無史さん:2012/06/08(金) 19:27:00.70
侍っちゅうもんは、浪人でどっかの商屋の用心棒でも侍なわけよ。
武士と一緒にするな失礼な
333日本@名無史さん:2012/06/08(金) 20:27:46.20
士分だから武士ってのが意味不明だな。
勿論士分の中に武士もいるだろうが。

そもそも武士ってのは武家権力の行使に関わる連中を指す語で(足軽同心などは武「士」とは言い難いが)、
「諸大夫」「侍」「士分」などの身分呼称とは一線を画する。
しかも漢語風の気取った言い回しにすぎず、法令用語としても採用されていない。
一般的に「武士」と呼ばれていたかすらも疑問。

>>332
こういうのは論外ね。
334日本@名無史さん:2012/06/08(金) 22:14:27.07
当時、農工商の人は士の事をなんて呼んでたの?
335日本@名無史さん:2012/06/09(土) 05:47:14.80
二本差し
336日本@名無史さん:2012/06/09(土) 19:30:08.92
Samuraiという語は幕末に来航した外国人から広まったものだろうから
「さむらい」というのが一般的な呼称じゃないだろうか
もちろん百姓町人は「おさむらい」とか「おさむらいさま」と言っていただろうけど

同様に「切腹」よりも「腹切り」の方が一般的な言い方だったと思われる
337日本@名無史さん:2012/06/09(土) 22:14:48.60
(特に近世から近代にかけての)歴史研究者は漢語表現に変換してしまうくせがあるから、
実際に何と呼ばれていたかが一般にはわからなくなっている部分があるな。

幕府とか藩とかもそうだし。
338日本@名無史さん:2012/06/10(日) 01:43:52.86
なるほど奥が深い議論だね
それで、官位はどうなったの?
339日本@名無史さん:2012/06/10(日) 13:58:32.90
しらん
340日本@名無史さん:2012/06/10(日) 15:33:39.13
自分でネタ振れよ役立たず。
341日本@名無史さん:2012/06/11(月) 00:39:23.65
誤爆?






























342日本@名無史さん:2012/06/24(日) 21:21:49.38
官位をいくら払って買ったという資料はありますか?
343日本@名無史さん:2012/06/25(月) 13:28:01.60
成功の相場が何貫文とか
江戸時代の官位昇進の公式手数料やら礼金いくらを誰に払ったかやらの記録とかはあるはず
344日本@名無史さん:2012/06/25(月) 14:16:29.66
徳川幕府時、将軍宣下のさいに宣旨を将軍を受け取ると、将軍が
砂金を盛って勅使に渡すけど、その砂金は朝廷に献上する物?
それとも勅使がいただくのかな?
345日本@名無史さん:2012/06/25(月) 19:52:12.55
基本的には朝廷だけど、使者は上前を取る権利が有った筈
346日本@名無史さん:2012/06/25(月) 20:15:53.09
>>344

征夷大将軍・・・・砂金二袋
氏長者・・・・・・砂金一袋
源氏長者・・・・・同上
両院別当・・・・・同上
正二位内大臣・・・同上
牛車兵仗・・・・・同上


らしい。
347日本@名無史さん:2012/06/26(火) 23:43:25.77
総額、砂金七袋
348日本@名無史さん:2012/06/27(水) 00:42:18.25
砂金を貰って、両替屋か何かで小判に変えてたの?
349日本@名無史さん:2012/06/27(水) 00:54:52.97
砂金と称していても、実際は大判だか小判の包という話じゃなかったかな。
350日本@名無史さん:2012/06/27(水) 02:17:11.12
じゃあ一袋は五百両ぐらいかな?
351日本@名無史さん:2012/06/27(水) 10:52:58.06
将軍宣下は、朝廷側でも一大イベントで貴重な収入源だったらしい。家康が2年で引退して秀忠が将軍になったときはかなり潤ったとか。
352日本@名無史さん:2012/06/27(水) 20:30:47.28
戦後の官位は乱発されててひとつも重みがない。小学校校長が従5位では高すぎる。
従7位下くらいでいいんじゃないのか。
353日本@名無史さん:2012/06/27(水) 20:52:52.25
明治以降、4位以下の官位の上下の別は廃止されました。
354日本@名無史さん:2012/06/28(木) 03:11:09.81
帝國憲法下の地方官吏の官等と初敍位階勳等

人口四十萬以上ノ市ノ市長(高等官二等・陸海軍少將相當):初敍正五位勳四等
人口十萬以上ノ市ノ市長(高等官三等・陸海軍大佐相當):初敍從五位勳六等
人口十萬未滿ノ市ノ市長,京都市、大阪市、横濱市、神戸市及名古屋市ノ助役(高等官四等・陸海軍中佐相當):初敍正六位勳六等
人口一萬以上ノ町村ノ町村長、人口十萬以上ノ市ノ助役(高等官六等・陸海軍大尉相當):初敍正七位勳六等
人口一萬未滿ノ町村ノ町村長(高等官七等・陸海軍中尉相當):初敍從七位勳六等
人口十萬未滿ノ市ノ助役(高等官八等・陸海軍少尉相當):初敍正八位勳六等
人口一萬以上ノ町村ノ助役(判任官一等・陸海軍准士官相當):初敍正七位勳八等
人口一萬未滿ノ町村ノ助役(判任官二等・陸軍曹長・海軍上等下士官相當):初敍從七位勳八等

確か小學校校長は判任官相當であった筈
町村立小學校があるのだから少なくとも町村長よりは下位には違いないし
判任官に從五位は過分
355日本@名無史さん:2012/06/30(土) 18:58:26.75
将軍宣下だけではなく、将軍が右大臣や太政大臣とかへ官位昇進した際も大盤振る舞いのイベントだったのでしょうか?
356日本@名無史さん:2012/07/01(日) 04:27:05.74
大盤振る舞いとまではいかないが、それなりの謝礼は朝廷に流れたはず。
357日本@名無史さん:2012/07/02(月) 00:46:00.12
なんで無能な官人のくせにどんどん出世するんだよ・・・

実は家が摂家でした

ぐぬぬ・・・
358日本@名無史さん:2012/07/02(月) 08:34:21.34
無能つーか、ガキだったりする
359日本@名無史さん:2012/07/02(月) 19:59:12.42
ネタのつもりなんだろうけどあらゆる意味でつまらんな
360日本@名無史さん:2012/07/02(月) 23:42:03.27
摂家だから出世するんじゃなくて有能だから出世する。
公家社会は武家社会より厳しい。
361日本@名無史さん:2012/07/03(火) 07:51:18.15
江戸時代の関白は若年でもおkだった中世と違ってそれなりの経験を積んで
年齢も重ねないとなれないね。
362日本@名無史さん:2012/07/03(火) 21:45:36.25
出世したのは、実は御落胤だったから
というのは、平清盛だけ?
363日本@名無史さん:2012/07/03(火) 22:30:13.32
豊臣秀吉も御落胤話があるよ

ああいうのは異例の出世をした人に対して周囲が「辻褄が合わない」と大嫉妬
実は天皇が下賤な女に種付けして・・・という風に後から落胤説が後付されるんだろ
364日本@名無史さん:2012/07/03(火) 22:31:34.97
藤原不比等
365日本@名無史さん:2012/07/03(火) 22:57:23.03
藤原不比等は平安時代摂関全盛期の「大鏡」辺りから
天智天皇の落胤だと書かれるようになったな
366日本@名無史さん:2012/07/03(火) 23:59:20.76
>>360
この出世における有能とはどういうことですか?
摂家だから血統や家格はそもそもあるわけですし・・・

367日本@名無史さん:2012/07/04(水) 06:08:30.38
馬鹿っぽい流れ
368日本@名無史さん:2012/07/04(水) 06:21:35.21
そして














                             クソスレシュウリョウ















369日本@名無史さん:2012/07/04(水) 08:36:09.83

突出したバカ
370↑ 突出したバカ ↑:2012/07/04(水) 10:28:43.63















                                 クソスレシ ュウリョウ















371日本@名無史さん:2012/07/04(水) 11:07:53.55
>>361
江戸時代の摂関は、幕府に朝廷統制役として位置づけられているから、
最低限の実務能力は要求されたからでしょ。
だからわりと長生き(還暦程度)しても摂関になれなかった人も。
中世は飾り物で良い時期もあったし。
372日本@名無史さん:2012/07/04(水) 11:12:36.09
>>371
その割に幕府に反抗的な摂関もいたけどね・・・
摂関は5年程度で五摂家回し持ちのはずが
いつまでも摂関にとどまるのがいたり
373日本@名無史さん:2012/07/04(水) 18:41:48.72
>>371>>372は矛盾してない?
>>371は能力がなければ摂関に就けない
>>372は5年程度で持ち回り

374日本@名無史さん:2012/07/04(水) 19:32:20.88
>>373
江戸幕府は建前上「公家方御定書」で「能力のない者は摂関に任じるな」と言っていたが
実際には能力がないという理由で摂関に就けなかった人なんていないでしょ
摂関は創設期の鎌倉時代こそ九条家が独占したりという時期もあったが
室町時代以降は五摂家持ち回りが基本で江戸時代にも踏襲されていた
375日本@名無史さん:2012/07/04(水) 23:48:53.79
己のイメージだけで言い合っても仕方ないんだから
摂家5軒のうちの摂関の輩出頻度やら在職期間の長さでも調べてみれば?
そのくらい簡単にわかるだろ
376日本@名無史さん:2012/07/05(木) 07:13:58.22
「公家方御定書」

リアル馬鹿なのか?
377日本@名無史さん:2012/07/05(木) 08:33:38.68
>374
二条治孝がいる

鷹司政煕が辞職を願った後、順番としては治孝だったが光格天皇が拒んでる。
後桜町院が「外戚だから」と就任させたがっていたが「非器」なのでと拒否し続けている。
378日本@名無史さん:2012/07/05(木) 22:42:04.60
>>376
越前守が出てきそうな文書名
379日本@名無史さん:2012/07/06(金) 17:57:56.78
公家方御定書ww
380日本@名無史さん:2012/07/06(金) 19:17:03.26
>>353
あとは大初位と小初位廃止。
381日本@名無史さん:2012/07/07(土) 09:22:03.23
明治初期は初位が有ったときも有るし、正従九位が有ったときもある。
あくまで過渡期の試行錯誤だけど。
382日本@名無史さん:2012/07/07(土) 10:34:50.19
もらってありがたみがあるのは、六位以上だろ。
京都の町衆で公家に出入りしている家は六位が多い。
それより下は、仮にもらってていても自慢にならないらしく、わざわざ宣伝しない。
383日本@名無史さん:2012/07/07(土) 14:59:35.17
町家が貰うのは正七位下なんでですが
384日本@名無史さん:2012/07/07(土) 15:31:59.80
>>382
爺さんが戦争行ったので6位もらってるけど
これなんか価値あるん?
戦争行った褒美?
385日本@名無史さん:2012/07/07(土) 15:36:00.05
これ本当なの?
本当なら恥ずかしい事だね。

http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/joke/1331190435/1-100
386日本@名無史さん:2012/07/07(土) 15:52:32.77































387日本@名無史さん:2012/07/07(土) 17:20:37.68
>384

戦前のお墓には、正7位 歩兵なんちゃらと誇らしげに掘ってる立派な墓石なんかが
残ってるから、村の中では6位なんて言うのは、相当の名誉だったと思うよ。
388日本@名無史さん:2012/07/08(日) 00:12:49.87
地下家伝みると、史生も七位の叙位復活前は六位初叙だな。
その後も従六位下への昇進はままあるし、確か希に従六位上もあったと思う。
もっとも町民出身かどうかまではわからないけど。

確か古参少尉で正八位とかって見たことがあるけど、
それでいくと正七位だと大尉くらい?
389日本@名無史さん:2012/07/08(日) 02:24:51.16
じいちゃんの家には、じいちゃんのじいちゃんが貰ったという金し勲章とかいうものがあって、勲章がどうの正八位がどうの子供の頃によく聞かされた
390日本@名無史さん:2012/07/08(日) 03:04:16.83
位階は戦争に行ったから貰えるというものではない
叙位は官吏の身分に応じて為されるもの
勲等も官吏一般としての功績に酬いるものであって武官に限定されるものではない
戦争で手柄を立てると貰えるのは功級(金鵄勲章)

官吏は官等に応じて初叙と進階の年限と極位とが定まっている(特旨による叙位進階はこの限りではない)

武官に限って初叙位階を挙げると

陸海軍大將 從四位
陸海軍中將 正五位
陸海軍少將 正五位
陸海軍大佐 從五位
陸海軍中佐 正六位
陸海軍少佐 從六位
陸海軍大尉 正七位
陸海軍中尉 從七位
陸海軍少尉 正八位
陸海軍准士官 從七位
陸軍曹長海軍上等下士官 從七位
陸軍軍曹海軍一等下士官 正八位
陸軍伍長海軍二等下士官 從八位

士官は任官後一ヶ月ほどで相当位階を貰える
古参でないと貰えないということはない
准士官下士官はいくらか年数を重ねる必要があったか?(うろ覚え)
391日本@名無史さん:2012/07/08(日) 10:56:34.36
宮中席次だと、
高等官七等、従七位、功六級、高等官八等、高等官九等、正八位、
功七級、勲七等、従八位、勲八等の順(一部省略)
普通の少尉より、位階持ちの曹長の方が宮中席次は上ってことになる?
確か兵卒でも功六級がもらえたはず、これもただの少尉より上。
このクラスには宮中席次なんて大して意味がないだろうけど。
392日本@名無史さん:2012/07/08(日) 11:03:10.73
勲六等は高等官六等の上、従六位の下。
勲七等とすごい落差がある。
と言うか、勲七等が不自然に低いような?
バランス的には高等官七等と八等の間くらいが良いように思えるが、
実際は高等官九等より下に勲七等と勲八等がかたまっている。
つまりはその程度の評価だったってことで、
勲七等以下はおまけみたいなものだったのだろうか?
実質値で言うと、勲七等が九等くらいで勲八等が十等くらいで、
七等・八等が空位ってところなのか?
393日本@名無史さん:2012/07/08(日) 14:07:26.51
叙勲内則を調べ直したら当初「高等官」(陸海軍士官を含む)は「新任陞等後満一箇月ヲ経過スルトキ」「其ノ初敍位ノ位記ヲ賜フ」規定だったのが
昭和初年の叙勲内則中改正後に「新任陞等スルトキ」と改められているので即叙位に与ることになったようだ

「判任武官」(陸海軍准士官下士官)は尚も「在職滿十五年以上ニシテ勤勞アル者」とあるのでかなりの懸隔がある
394日本@名無史さん:2012/07/08(日) 16:49:18.14
>>391

戦前の宮中席次。侍従長が意外と低いのではなかったか?
395日本@名無史さん:2012/07/08(日) 18:06:42.58
近松門左衛門も若い頃、公家奉公やってて、
6位の青侍になった事を誇った歌かなんかを残してる。

やはり、町衆に取って、6位はステータスだろ。
お大名の一つ下であり、普通の侍は官位なんて持ってなかったんだから。

396日本@名無史さん:2012/07/08(日) 18:50:47.51
>>395

>普通の侍は官位なんて持ってなかったんだから。


それでも序列的には

官位持っていない侍 > 官位持っている町衆 なんだっけ?


このあたりはどうだったんだろ。

 
397日本@名無史さん:2012/07/08(日) 20:17:16.75
門左衛門の親戚には仕官している侍(医者)もいたし、彼の父親も元々はどっかの藩の侍。

藩に仕官する事を自慢する歌は聞いた事がないから、やはり6位の方が名聞は高かったんじゃないか?
少なくとも京都市内では。
398日本@名無史さん:2012/07/08(日) 20:33:04.82
このスレにいながら「侍」という言葉を曖昧かつテキトーに使わないでくれないかな。
399日本@名無史さん:2012/07/08(日) 20:43:14.18
>>394
侍従長について何も言っていない>>391に対して何故そういうレスが出てくるのか意味がわからないんだが。
流れに関係なくなんとなく知ってることを言ってみたかっただけなのかな?

そもそも侍従長は「親任又は勅任」とされており、実質的には親任官のポストなんだけど、何を基準に「意外と低い」と言ってるんだか。
400日本@名無史さん:2012/07/08(日) 22:30:13.02
>>399

確か、鈴木貫太郎が侍従長になるときに、大将から格下げになるのが嫌で
辞退したと思われたくないという逸話があるが、その影響か。

(鈴木は、大将だから、侍従長になっても親任官となるのが妥当だと
 思われるが、詳細は知らないので、誰か補足頼む。

 ちなみに、日露戦争直前の児玉源太郎内務大臣の参謀次長就任という
 「格下げ人事」でも、台湾総督の地位はそのままなので、台湾総督
 としての「親任官」は維持されるので、待遇は「格下げ」とはならない)
401日本@名無史さん:2012/07/08(日) 22:54:14.58
金鵄勲章、兵卒の最高は功五級ってなってるけど、
実際に兵卒で功五級なんていたの?
七級は叙勲がなければ制度の意味がないから間違いなく有るんだろうし、
六級もたまには有ったんだろうけど、五級なんて実際に有ったの?
あと下士官の四級とか、尉官の三級なんかも。
402日本@名無史さん:2012/07/08(日) 23:34:29.37
>>400
鈴木貫太郎は、実際には、侍従長就任と同時に枢密顧問官兼任(宮中席次が現役大将と同格)となっている。
403日本@名無史さん:2012/07/09(月) 01:47:49.39
台湾総督のような一般親任官と内務大臣のような国務大臣とでは席次に明確な差があるという明文化された事実は無視?
404日本@名無史さん:2012/07/09(月) 02:15:06.06
將官:功三級〜功一級
佐官:功四級〜功二級
尉官:功五級〜功三級
准士官:功六級〜功四級
下士官:功六級〜功五級
兵:功七級〜功六級

兵が功五級というのはまずありえない
405日本@名無史さん:2012/07/10(火) 00:09:03.31
>>403

確かにそれはそうだが、

大臣(親任官)→次官(勅任官)

という世上流布されているような
格下げ人事ではないのも一つの事実
406日本@名無史さん:2012/07/10(火) 00:17:30.92
>>405
会社でもそうだけど、席次が下がれば普通に降格人事と言われるわな
役職に伴う待遇や格が同じだとしても

407日本@名無史さん:2012/07/10(火) 00:37:13.32
清盛や秀吉のように左右大臣経ないで内大臣から太政大臣なるのは格下なの?
408日本@名無史さん:2012/07/10(火) 22:07:38.69
日本語でおk
409日本@名無史さん:2012/07/10(火) 23:01:02.13
清盛は内大臣就任後、太政大臣に直任。
実権のない名職に祭り上げられた。
太政大臣にしたのは職掌のある左右大臣にさせないためという側面もあったね。

秀吉は関白内大臣から太政大臣なので干されてはいない。
実際、隠居後も関白左大臣の秀次の上に立っている。
410日本@名無史さん:2012/07/10(火) 23:48:07.99
>>405
参謀次長は「次官」ではないし
官制(勅令)に依る官ではなく軍令に依る職であるから「勅任官」とは言わない

ところで親任官ならすべて同格だとでも思ってるのかね?
内務大臣が台湾総督にさせられたのなら明確に降格
君の主張は内務大臣がその隷下である神祇院総裁や東京都長官(いずれも親任官)になっても格下げにならないと言ってるのと同じ
国務大臣と一般親任官では宮中席次においてだけでなく叙位叙勲においても明らかに扱いに差がある
411日本@名無史さん:2012/07/11(水) 01:35:12.18
摂家から関白を経て太政大臣なるのは上がり。
摂関家格以外から内大臣→太政大臣は引退への花道って感じじゃね?
412日本@名無史さん:2012/07/11(水) 02:12:42.90
中世以降「華族」「清華」「英雄」などと呼ばれる家々のうちで

@内大臣→右大臣→左大臣→太政大臣と進む閑院家・花山院家の家々が上等

A内大臣→太政大臣と進む村上源氏(絶家含む)の家々が中等

B内大臣止まりの家々(後の大臣家)が下等

という感じだった。

久我家などは太政大臣輩出数は多く、右大臣輩出もたまにあるが、左大臣輩出が皆無であり、
これは事実上の首相たる「一上」の地位に就けなかったということを意味する。
413日本@名無史さん:2012/07/11(水) 07:05:34.50
秀吉が最後まで辞任せず権威の源泉にしたのが太政大臣位
414日本@名無史さん:2012/07/11(水) 09:28:18.46
太政大臣だけだと虚位、秀吉は、一座、豊氏長者で関白秀次より形式的にも上位に立っていたと思う。
415日本@名無史さん:2012/07/11(水) 09:48:51.99
秀吉の場合、実際は武力と財力だからなあ
関白も買ったわけだ
官位は箔付けにずぎない
416日本@名無史さん:2012/07/11(水) 10:20:03.07
大御所時代の家康も似たようなものだな。
従1位源氏長者くらいしか持ってなかったが、全国の諸大名が従った。
417日本@名無史さん:2012/07/11(水) 12:12:26.40
>>414
豊氏長者も秀次に譲ってない?
418 【東電 82.3 %】 :2012/07/11(水) 12:34:45.80
>>412
村上源氏・正親町源氏嫡流で左大臣に任ぜられた例は一例も無しってことか・・・
新家の広幡家はまだしも、旧家の久我家が左大臣任官例無しは以外だ
419日本@名無史さん:2012/07/11(水) 14:06:52.48
村上源氏全体でなら俊房が左大臣。
ただし後の久我家に連なるのはその弟右大臣顕房。
本来は俊房の方が嫡流だと思われる。
420日本@名無史さん:2012/07/11(水) 16:45:49.69
>>419
源顕房は堀河天皇の外祖父だった。
天皇との血縁関係で兄弟の力関係がひっくり返るのは
藤原摂関家でもよくある話。
421日本@名無史さん:2012/07/11(水) 19:01:09.03
侍従って正式な官職なの?
参議以上の退任者に任官させている場合が多いが
422日本@名無史さん:2012/07/11(水) 19:34:03.19
>>421
従五位下相当官(大宝律令)
423日本@名無史さん:2012/07/11(水) 22:37:09.63
なにやら児玉問題でもめているようだが、勝手にまとめると

1 内務大臣時代は内務大臣の席次(内務大臣>台湾総督)
2 参謀次長時代は台湾総督の席次(台湾総督>参謀次長)
3 内務大臣と台湾総督は双方とも親任官なので、
  その意味では同格だが、親任官相互間にも上下関係はある
4 席次から見れば
  内務大臣→参謀次長の格下げではなく
  内務大臣→台湾総督の格下げ
5 つまり、参謀次長就任に伴う大臣→次長の格下げは言葉足らずであり
  参謀次長就任に伴う大臣→台湾総督という格下げ人事が正確となる
424日本@名無史さん:2012/07/12(木) 00:16:59.37
親任官の話だけど、軍部大臣は大将と中将ですよね
宮中席次だと国務大臣は第5で、大将でも第10だから大臣を離任したら宮中席次が下がります
元陸・海相の大・中将はみな降格扱いになるのでしょうか?
425日本@名無史さん:2012/07/12(木) 02:08:39.10
第八 國務大臣宮内大臣又ハ内大臣タル前官ノ禮遇ヲ賜ハリタル者

というのがあるので席次は下がるけど格下げとまでは言えないという解釈もできるかも知れないけど
宮中席次も数度に亘って改正されているのでその履歴を具さに検討しないとその当時どうだったのかは確定しがたい
426日本@名無史さん:2012/07/12(木) 02:37:39.27
>>420
この場合は単に本来の嫡流たる俊房の系統が断絶したから久我が嫡流のようになったというだけの話
427日本@名無史さん:2012/07/12(木) 06:29:13.09
「管位」ならいらない
428日本@名無史さん:2012/07/12(木) 08:17:21.78
↑こういう意味不明な上にくだらないことしか書けない馬鹿が一番いらない
429日本@名無史さん:2012/07/12(木) 09:04:20.75
>>426
源俊房の嫡男師頼は大納言どまり
源顕房の嫡男雅実は、堀河天皇の叔父として太政大臣にまで昇進
どう考えても天皇の外戚であることをもって顕房系が嫡流になったんだが
俊房系が断絶したので顕房系が嫡流になったわけじゃない
430日本@名無史さん:2012/07/12(木) 09:18:02.29
>>426
源俊房系は断絶してないよ
直系のひ孫に右中将源具親
顕房系とはすでに官位に雲泥の差がついてたが
431日本@名無史さん:2012/07/12(木) 20:42:22.22
家康は死ぬまで源氏長者だったんだっけ?
432日本@名無史さん:2012/07/12(木) 22:45:05.45
>>429

閑院流は相手が摂関家(御堂流?)だったので外戚だけでは勝てなかったが、
村上源氏では、摂関家相手ではなかったので、外戚が決定打となった

というところ?
433日本@名無史さん:2012/07/12(木) 23:33:33.85
源義昭落飾後、久我家は源氏長者を取り戻せなかったのか。
434日本@名無史さん:2012/07/13(金) 02:11:50.50
そもそも義昭は源氏長者ではないし足利将軍で源氏長者になったのは五人くらいしかいない
大雑把に言うと源氏長者は源氏の(官位上の)筆頭公卿が就く職であって
官位に関わりなく(強引に)将軍が兼補するようになったのは家光以降
435日本@名無史さん:2012/07/13(金) 05:07:06.07
吉良上野介、柳沢吉保ともに少将だったけど
どっちが官位上なの?

江戸時代の紀州、尾張、駿河の大納言と
公家の大納言では偉さの上下ってあったのですか?
436日本@名無史さん:2012/07/13(金) 06:28:30.60
平氏長者と橘氏長者はいつ頃まで存続していたのだろう?
437日本@名無史さん:2012/07/13(金) 08:30:42.98
>>432
村上源氏の左大臣源俊房と右大臣源顕房との間にはもともと
関白太政大臣藤原道長と閑院流ほどの差はついていなかったため
天皇の外戚を持って弟の家系が主流になることは可能だった。
道長流が後一条・後朱雀・後冷泉の外戚であることをもって
兄の道隆流・道兼流を追い落としたみたいなもんだ。

閑院流は白河・鳥羽・崇徳・後白河の外戚として太政大臣に登れる家柄にまでは上昇した。
鳥羽天皇の伯父藤原公実は、白河法皇に対して、天皇の叔父であることを持って摂関の地位を要求しており、
これが認められていれば道長流から藤氏氏長者の地位も奪えていた可能性が高い。
しかし、道長流は平安時代末期にもまだ娘を天皇の皇后(中宮)にたてる力があり
(鳥羽の后高陽院、崇徳天皇中宮聖子、二条天皇中宮育子は道長流。
近衛天皇中宮呈子・多子は道長流養女)白河法皇もこの力を無視することはできなかったため
閑院流の藤氏氏長者簒奪とはならなかった。
438日本@名無史さん:2012/07/13(金) 10:00:33.68
平氏長者なんてないんだが
馬鹿か
439源ケビイシ義経:2012/07/13(金) 11:35:56.66
源ケビイシ義経
440日本@名無史さん:2012/07/13(金) 12:09:55.96
>>435
江戸時代の紀州、尾張、駿河の大納言と
公家の大納言では偉さの上下ってあったのですか?

尾張家、紀伊家などの武家は、権大納言。
公家は、正規の大納言と理解していたが。
441日本@名無史さん:2012/07/13(金) 12:17:19.93
442日本@名無史さん:2012/07/13(金) 13:35:57.95
世紀の大納言ってのは、いつ頃からだったか、ほとんど居ないのです。
江戸時代あたりは大納言・中納言は基本的に権官だけのはず。
だから江戸末期あたりだと、あれは権官ではない、
「権をとる」意味だなんて解釈まで現れたようです。
江戸期の武家の官位は定員外ってのと混同してないですか?
443 【東電 81.5 %】 :2012/07/13(金) 14:14:11.42
>>442
室町時代中期までには正官の中納言と大納言の任官例が無くなり権官だけになった。
444日本@名無史さん:2012/07/13(金) 14:28:56.71
ここはスルー禁止のスレですか?
445日本@名無史さん:2012/07/13(金) 14:47:29.30
>>440-443
んなわけない正規の大納言は明治まで存続してた
446日本@名無史さん:2012/07/13(金) 15:20:12.35
>>436
氏長者は王氏・藤原氏・源氏・橘氏の四氏のみ
このうち橘氏は平安時代中期、参議橘恒平を最後に堂上から転落してしばらく氏長者不在に
その後、藤氏氏長者である関白藤原道隆が母方の祖母が橘氏であることをもって橘氏氏長者を兼任
道隆の弟藤原道長も藤氏氏長者と橘氏氏長者を兼ねるなど他氏によって氏長者が兼ねられた
447日本@名無史さん:2012/07/13(金) 15:25:36.46
>>445
頭悪すぎ
448日本@名無史さん:2012/07/13(金) 15:32:33.95
>>447
正規の大納言は明治まで存続してたのは事実
正規の中大納言は摂家清華家それ以外は権中大納言
449日本@名無史さん:2012/07/13(金) 17:55:35.76
権大納言というのは、正道権道の対比で(権)という字がついているという理解でよろしいか
450日本@名無史さん:2012/07/13(金) 18:25:20.92
>>446

王氏長者の変遷も知りたい。
451日本@名無史さん:2012/07/13(金) 19:15:13.06
>>435
吉良上野介義央は従四位上少将
松平美濃守吉保は従四位下少将

官位としては吉良上野介が上
しかし殿中儀礼では大名少将>高家少将>大名侍従>高家侍従の座次になる

変な質問疑問の余地がないように必要以上に詳しく書くと
大名正四位上中将>大名正四位下中将>大名従四位上中将>大名従四位下中将>高家正四位下中将(一例しかないが)
大名正四位下少将>大名従四位上少将>大名従四位下少将
>高家正四位下少将>高家従四位上少将>高家従四位下少将
>大名従四位上侍従>大名従四位下侍従
>高家従四位上侍従>高家従四位下侍従>高家従五位上侍従>高家従五位下侍従
>大名四品
なので松平美濃守が上

公家大納言と武家大納言の上下についてだが
禁中においては座次に従うだけ(つまり同じ大納言なら位階の高い方が上であり同位階でもあるなら叙任順)であるし
質問者が公家だからとか武家だからとかいう区別に敢えて意味を持たせようという意図がわからない
(そもそも両者が同座する機会自体がほとんどないが)

それに関してまた変なバカが出没しているようだが
少なくとも中世後期以降は公家も武家も正官たる大納言には任ぜられずすべて権大納言に任ぜられる
公家なら正官で武家なら権官などというデタラメをどこから仕入れてきたのか興味深い
おまけに今度は「摂家清華だけは正官」などと主張が簡単に変わるのだから論外の極み

敢えて言うなら武家官位は「公家当官外官」とでも呼ぶべきもので公家の官位とは違い公方権力から発するもの
同じ定員外ということでこれを権官と勘違いするのは初心者にはありがちなことだけど
いつまでもそんなレベルの誤解に執着していたらただのバカ
452日本@名無史さん:2012/07/13(金) 20:20:13.04
>>451

> (そもそも両者が同座する機会自体がほとんどないが)


例外的に同座する機会もあることはあったのだろうか?
453藤木敬士:2012/07/13(金) 20:39:43.21
紀州大納言光貞と九条大納言が銅座していた
454日本@名無史さん:2012/07/13(金) 22:08:45.01
六条中納言と水戸中納言とか
455日本@名無史さん:2012/07/13(金) 23:01:35.41
大納言と中納言をまとめて言うとき「大中納言」と言うことはあるが「中大納言」とは言わない。
こういう何気ないところで知識レベルがわかる。
456日本@名無史さん:2012/07/13(金) 23:02:47.45
だいたいどの本を見ても、六位以下の位階は形骸化したとか、
正六位上以外の下級位階は事実上消滅したとか、
判で押したように同じようなことが書いてある。
実例を丹念に検討したようなのでも同じこと。
残存資料の関係で制約は有るんだろうけど、
一般向けの概説書はともかく、本当にそんなことで良いのか?
問題意識の欠如ってやつじゃないの?
457日本@名無史さん:2012/07/14(土) 00:12:24.71
>>438
源氏と平氏を合わせた全体で氏長者が一人
ただし、平氏の中でいちばん地位が高い人が源氏長者より高位という状態はないので、
源氏長者が源氏の人々同様に平氏の人々をも率いる感じ(といっても、特にまとまりがある集団ってわけじゃないが)

だったんだっけ?
458日本@名無史さん:2012/07/14(土) 01:03:01.23
>>457
それだと平相国が源氏長者にならなかった理由が説明できん。
源氏・平氏を含めた複数の皇別氏族の大学別曹である奨学院の別当を源氏長者が兼ねていたから、
源氏長者がそれら皇別氏族の長者をも兼ねているという考えが一部にあったと記憶しているが。

>>450
確か伯王家が世襲してたんだっけ?自分も無知なので誰か詳しい人教えて下さい
459日本@名無史さん:2012/07/14(土) 02:22:20.58
源氏長者の管轄範囲は源平など橘氏以外の比較的新しい皇別氏族だが
就任資格は「奨学院別当たる人」で奨学院別当の就任資格は「源氏第一の公卿」なので(源氏の外孫たる藤原氏が務めた例外を除いて)源氏だけが就任できる

王氏長者については
平安後期までは第一親王(官品の最も高い親王)が是定
中世は伯王が氏長者
室町中期からは伏見宮など再び第一親王が是定
460日本@名無史さん:2012/07/14(土) 02:40:06.43
>>459
親王が是定ってことは、この場合の王氏は諸王の集合を指して、親王は含まないということなんだよね?
王氏って皇別まで含む広義から諸王のみを含む狭義までいろいろあるからややこしい。
王氏長者の一覧みたいのってどっかにあるのかな
461日本@名無史さん:2012/07/14(土) 04:13:53.06
王氏長者の王氏は皇親たる四世以内も皇親の外たる五世以下も含めて王号を有する者ということでしょう

源氏長者の一覧は講談社現代新書の『源氏と日本国王』巻末にあるが
王氏長者の一覧みたいなのは見たことない
王氏爵の一覧はネットで見たことある気がする
462460:2012/07/14(土) 04:48:00.39
よく考えたら(よく考えないでも?)氏長者の最大の役目は氏爵だから
明らかに氏爵の対象外である親王を王氏に含まないのは当たり前か

王氏爵の一覧は「日本の親王・諸王」というサイトにまとまってるね
463日本@名無史さん:2012/07/15(日) 02:17:35.49
何で兵士長者は無かったの?
464日本@名無史さん:2012/07/15(日) 06:13:48.12
で、家康は死ぬまで源氏長者だったのかどうか。
465日本@名無史さん:2012/07/15(日) 06:53:24.97
『源氏と日本国王』巻末の表を信じれば YES
次は秀忠をとばして家光
466日本@名無史さん:2012/07/15(日) 08:33:48.91
信じればっていうか実際秀忠は源氏長者宣下されてない(まして他の人が源氏長者になったわけでもない)
後にいろんな文書が火事かなんかで失われたときに再発行してもらったときに
秀忠の補源氏長者の宣旨を作ってもらってるけど

ていうか家康が死ぬまで源氏長者だったからって何か問題があるのか?
源氏の筆頭公卿なのだからむしろ当然としか思えないが
467日本@名無史さん:2012/07/15(日) 09:29:30.47
>>466

> ていうか家康が死ぬまで源氏長者だったからって何か問題があるのか?


問題があるとは言っていない。単に知りたかっただけだ


ついでに家康が奨学院別当職・淳和院別当職を辞任した時期も知りたい。
468日本@名無史さん:2012/07/15(日) 14:56:59.48
無論死ぬまで
469日本@名無史さん:2012/07/15(日) 15:18:43.79
るろうに剣心の斎籐一がいるな。
470日本@名無史さん:2012/07/15(日) 16:41:27.52
学館院別当職
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E9%A4%A8%E9%99%A2
は形式上いつ頃まで残存していたのか?
471日本@名無史さん:2012/07/15(日) 23:13:09.08
樂所補任で英爵ってのが出てくる。
一般的には五位の別称と有り、
つまりは五位に叙された意味かと思うと、
同一人の経歴でまた英爵と出てくる。
三回以上、中には五回も英爵という人物さえ居る。
この場合の英爵ってなんだろう?
あと、一階ってもよく見るけど、
こっちは文字通り位階が一階上がった意味?
472日本@名無史さん:2012/07/17(火) 12:45:16.60
栄爵じゃないのか
473日本@名無史さん:2012/07/18(水) 22:51:42.99
六位蔵人諸家、内昇殿できるけど、堂上じゃない。
若江家、殿上人って呼ばれるのに内昇殿できない。
両局、三位まであがれるけど地下。
摂家諸大夫、やっぱり三位まであがれるけど地下。
中途半端な家がたくさん。
474日本@名無史さん:2012/07/20(金) 21:31:50.43
664 :日本@名無史さん:2012/07/14(土) 11:14:39.31
律令制度における「官衙」と「官司」って同じ物ですか?

これ答えられる人
475日本@名無史さん:2012/07/20(金) 21:59:13.80
官衙は役所関係の施設のこと
官司は役所のこと

現代風に言えば官司は官庁そのもののことで官衙はその庁舎や関連施設
476日本@名無史さん:2012/07/22(日) 13:15:54.30
>>469
ペロペロ(^ω^)
477日本@名無史さん:2012/07/24(火) 20:38:31.59
Wikipedia って管理者とその腹心に支配されているよな。
気に入られているヤツらは何しても賞賛の対象なのに、
敵対しているヤツらは行動に関係なくブロックだろ。
ネット史上最低の有害サイトだよ。
児童ポルノサイトなんか問題にならんよ。
478日本@名無史さん:2012/07/24(火) 22:08:33.70
俺は明らかに間違ってる部分は修正するけど何も言われたこと無いぞ
479日本@名無史さん:2012/07/24(火) 22:11:17.06
誤爆かマルチでしょう
480日本@名無史さん:2012/07/25(水) 05:16:27.81
>>477
> Wikipedia って管理者とその腹心に支配されているよな。


コピペにレスしてすまんが
鎌倉幕府の末期みたいなもんだな。
481日本@名無史さん:2012/07/25(水) 08:18:02.85
俺は日本史専攻じゃないんだけど
Wikipediaは自分の専門分野に関してはまったく当てにできないから日本史関連記事もそんなもんだろうと思ってる
調べ物するなら取っつきにくくても信頼できる史料や事典類を探す
Wikipediaを必要とするのは専門分野を持たない人たちだけだろう
482日本@名無史さん:2012/07/25(水) 10:31:56.76
Wikipediaって百科事典なんだからそういうものでしょ
専門家が百科事典を必要とするかよ
483日本@名無史さん:2012/07/25(水) 16:28:13.30
証拠を出せがモットーのWikipedia
どんなものを出しても認めないWikipedia
ガセネタを採用するWikipedia
484日本@名無史さん:2012/07/25(水) 19:06:29.85
Wikipediaは極端に言えば無知のシッタカ君でも低能の勘違い君でも妄想過多の基地害君でも執筆できるし
管理者がそういう人でないという保証もないのだから
普通の百科事典とすら比較にならないよ
485日本@名無史さん:2012/07/25(水) 20:27:44.55
まともにルール守る奴が追放されるのがWikipediaのルール
486日本@名無史さん:2012/07/25(水) 20:30:20.66
いい加減官位の話しようや
487日本@名無史さん:2012/07/25(水) 20:34:24.07
>>473
確かに曖昧と言われればそうと言える
藤波家と若江家がなんで地下に転落したのか?
藤波家が復帰できて若江家は若江家が復帰できなかったのか曖昧だ、、、
488日本@名無史さん:2012/07/26(木) 12:38:09.45
そういえば、大正時代以降は正一位は没後追贈すらされてないのはどうして?
489日本@名無史さん:2012/07/28(土) 09:54:45.31
大宰少弐って、遥任ですか現地赴任ですか?
平安末期ごろでお願いいたします。
490日本@名無史さん:2012/07/28(土) 18:38:07.45
>>488
最後の追贈が信長、その1つ前が秀吉、歴史上の人物(国家、皇室に貢献)も、もうネタ切れじゃないかな。
幕末、明治に活躍した人物も、正1位は、三條実美が生前、岩倉具視、三條実万、徳川斉昭、島津斉彬、毛利敬親が追贈で、木戸、大久保、伊藤、山県の元勲クラスももらっていない。
西園寺公望は、清華出身、東山天王男系子孫、首相、元老として3代の天皇を補佐してるから、貰ってもよかった気がするが、本人が明治31年に正2位に叙されて以降、昭和15年に亡くなるまで正2位にとどまっていて、死後従1位追贈にとどまっている。
生前に大勲位(それも生前に頸飾)を貰ってるから、従1位より上位なのだが、この点が謎。おそらく本人の意思だと思われる。
生前従1位だったら、正1位追贈があったかも。
491日本@名無史さん:2012/07/28(土) 19:01:45.03
>>490

岩倉具視は明治30年ぐらいまで生存していれば正一位になったような気がする。
492日本@名無史さん:2012/07/28(土) 19:42:19.63
清盛は大弐で遥任。
少弐はわからん。
493日本@名無史さん:2012/07/28(土) 22:13:57.18
位階を英数字で表記する馬鹿
494日本@名無史さん:2012/07/28(土) 23:05:21.25
>>493
それはお前のことだろう。
うふふ・・・。
495日本@名無史さん:2012/07/29(日) 03:34:43.30
ん?悔しかったの?w
496日本@名無史さん:2012/07/29(日) 04:35:58.27































497日本@名無史さん:2012/07/29(日) 15:51:24.31
>>489 >>492
原田種直が在庁官人から権少弐になっているから、
少弐正員は京都からの遥任じゃないかな。
498日本@名無史さん:2012/07/29(日) 22:33:29.37
少弐は受領と同階層
さもなくば武藤資頼のような身分の奴が任ぜられることがあるわけがない
499日本@名無史さん:2012/07/31(火) 00:07:52.14
英数字の意味をわかってない馬鹿
500日本@名無史さん:2012/07/31(火) 00:13:59.91































501日本@名無史さん:2012/07/31(火) 09:02:52.88
やっぱり悔しかったんだw
502日本@名無史さん:2012/07/31(火) 09:08:31.12
そもそも英数字ってのがな
算用数字というんだよw
503日本@名無史さん:2012/07/31(火) 10:55:40.23
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504吉田兼見:2012/08/06(月) 03:13:44.13

          __
  __    /  ../)        今日はたっぷり稼いだので
/  ../)   三三)/)        晩御飯はいつもより豪華にしました。
三三)/)          ∧,,∧   煮干がこんなに美味しいなんて…
三三)/        シクシク (;ω;`)  いつになったら。戦終わるの?
               ( つφノ
  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/⌒/⌒/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
.  /             ⌒ ⌒                \
 /                                \
/                                    \
二二二二二二二二二二二二ニ二二二二二二二二二二二二l
| |l                              l | |
|_,,ソ                               !,|_,ン
505日本@名無史さん:2012/08/07(火) 08:41:27.59
内大臣は だいだいじん? ないだいじん?
内裏、参内、入内と、「内」は「だい」と読むことが多いんで、
ふと疑問に思ったです。
506日本@名無史さん:2012/08/07(火) 15:00:41.66
>>505

内大臣(ないだいじん)

…というか、こんなとこで聞くより、辞書なりオンライン辞書で調べた方が早いと思うが
507日本@名無史さん:2012/08/07(火) 20:04:33.07
内覧ってどのくらい偉いの?
508日本@名無史さん:2012/08/07(火) 21:36:16.74
時と場合によるとしか。
摂関たるべき人がまだ大臣じゃない場合とか、
摂関は別にいて、なにか事情があって交代させられないけど、
でも権限を与えたいときとか。
確か関白の座がふさがって居るんだけど、死にかけだから内覧って言う、
ほとんど形式だけのそんなケースも有ったような。
本質的に職ですらないからなんとも。
509日本@名無史さん:2012/08/07(火) 21:37:21.59
先日なくなった山田五十鈴さんが従三位に叙されたね
510日本@名無史さん:2012/08/07(火) 21:42:17.60
従三位関白に叙されました
511日本@名無史さん:2012/08/07(火) 21:44:41.25
従三位に叙せられても官職はないから、散位ってことになるのか?
512日本@名無史さん:2012/08/07(火) 21:50:12.36
>>510
それは凄いね〜って、オイオイ・・ (;´д`)ノ
513日本@名無史さん:2012/08/07(火) 22:55:07.66
内覧は、上奏文や裁決文を閲覧する権限を有する役目。
通常、摂政や関白は公卿会議(評定)に出席することはないから
同会議でどのような話が交わされ、何が決定されたのかは
知る由も無い。
そういったことから、関白に内覧を兼帯させることによって
同会議の決定内容を知ることが可能となる。
しかしながら、必ずしも摂政や関白が内覧を兼帯するとは
限らないし、太政大臣とか左大臣が内覧を兼帯することもある。
内覧の地位は本官の地位で判断することになる。


514日本@名無史さん:2012/08/07(火) 23:35:37.23
とりあえず、一上で内覧だった藤原道長のような例があるから、なんとも言えないね。
しかし、「摂関政治の絶頂期」と言われていながら、摂関でもないし、外戚としてもさ
ほどの関係でもないという道長執政期の話を見ていると、俗に言われている
「外戚が摂関として云々」とか「母系の親権が〜」といった話との関係が素人としては
よくわからないね。成人した天皇の母方の叔父で、しかも国母はすでに崩じていると
いう状況でふるえる「外戚としての権力」というのが、良くわからない。
本当の『摂関期の特徴』ってのはいったいなんなんだろう?
515日本@名無史さん:2012/08/08(水) 00:18:01.05
>>509
すげーな。将軍家御台所並みかよ。
516日本@名無史さん:2012/08/08(水) 08:20:11.15
死後贈られてもねえ
それが家格なり影響を与える時代でもないし
517日本@名無史さん:2012/08/08(水) 18:58:22.14
>>514

首相になったことはないが、常に政局の中心にいる小沢みたいなもんかも。
518日本@名無史さん:2012/08/08(水) 18:59:38.61
>>509
> 先日なくなった山田五十鈴さんが従三位に叙されたね

子孫にとっては名誉以外の現世利益はなにかある?ないと思うが。
519日本@名無史さん:2012/08/08(水) 19:52:59.68
>>514
道長の姉東三条院詮子が没してから長女の彰子が敦成親王を産むまでの6年間は道長にとって正念場だったと思うよ
一条天皇に今一つ強い態度に出れず一条の要求を飲み敦康親王や修子内親王の優遇にも努めている
しかし、「望月の歌」の時には天皇は外孫、その正后は娘、国母も娘とまさに得意絶頂だったのは事実。
520日本@名無史さん:2012/08/08(水) 22:00:16.47
今の京都御所の御殿も、殿上人のような位がある人しか入れないの?
521日本@名無史さん:2012/08/08(水) 22:02:01.61
>>516

歌舞伎とかの伝統芸能の家系や、世襲政治家の家系であれば、
累代にわたって叙位されることもあるかもしれない
522日本@名無史さん:2012/08/09(木) 18:18:11.13
古刹名刹の元(?)門跡寺院さんは、現在でも出入りの職人さんに受領名の許しを与えているのでしょうか?

523日本@名無史さん:2012/08/10(金) 01:27:02.20
524日本@名無史さん:2012/08/11(土) 04:10:18.13
頭の悪い奴がまた糞スレ立てたらしい

おまいらに官位を与えてやるスレ
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1338689114/
525日本@名無史さん:2012/08/11(土) 04:45:40.20































526日本@名無史さん:2012/08/12(日) 01:44:15.04
極官が正四位上中将の井伊家と従四位上中将の越前松平や島津、伊達等の雄藩ではどちらが家格が上なの?
これ、明確な答え見つからなくて困ってるのでよろしくです。
527日本@名無史さん:2012/08/12(日) 02:16:35.08
井伊です
528日本@名無史さん:2012/08/12(日) 15:26:07.45
中將以上に昇進する大名等(御定による官位昇進規定)

◆尾張大納言紀伊大納言(大廊下席):部屋住從三位中將→參議→家督中納言→從二位大納言
◆田安中納言一橋中納言清水中納言(無席):從三位中將→數年後參議→中納言
◆水戸中納言(大廊下席):部屋住正四位下少將→家督從三位中將→一乃至三年後參議→中納言
◆加賀宰相(大廊下席):部屋住正四位下少將(中將上座)→家督中將→五十歳參議→六十歳從三位
◆井伊掃部頭(溜詰):部屋住從四位下侍從→家督後少將→三十年中將→御使御役務正四位上
◆松平肥後守(溜詰):部屋住從四位下侍從→家督後少將→三十年中將→御使御役務正四位下
◆松平薩摩守松平陸奧守(大廣間席):部屋住從四位下侍從→家督少將→三十年又者五十歳從四位上中將
◆松平讚岐守(溜詰):部屋住從四位下侍從→家督後少將→御使從四位上中將

上に行くほど官位昇進の速度や機會が多く初敍極官が高いので家格が高い。
ちなみに「御使」は將軍または世子の使者として朝廷に派遣されること。
「御役務」は將軍または世子の元服において御役(加冠役等)を務めること。

おまけ
◆喜連川左兵衞督(無席):中將格
529日本@名無史さん:2012/08/13(月) 08:41:38.59
>>528
部屋住は家督を継ぐ可能性ないのに、官位をもらえるのか?
井伊直弼が埋木舎にいたころから官位があったのか?
530日本@名無史さん:2012/08/13(月) 09:24:06.14
>>528
の「部屋住」という書き方は誤解を招きやすい。
世継ぎ(世子)と表現したほうが至当であろう。
井伊直弼は、世継ぎとなって従四位下侍従玄蕃頭に叙任。
彦根井伊家の世継ぎの慣例上の官職である玄蕃頭に任官したということだ。
531日本@名無史さん:2012/08/13(月) 14:22:00.22
そもそも「寛保三癸亥年御定」の原文に「部屋住」という表現で書かれているので「誤解を招きやすい」も糞もない
ここで言う部屋住というのは当然に官位敍任に浴する「部屋住の嫡子」のことであり
「御定」を読んでこれを官位敍任に与らない「厄介」と混同・勘違いする方がおかしい
532日本@名無史さん:2012/08/13(月) 18:31:00.99
ここで言う部屋住というのは当然に官位敍任に浴する「部屋住の嫡子」のことであり
とは、どういったことから出てくる解釈なのか。不可解だ。
そもそも「部屋住」は「部屋住の嫡子」という表現は不相応。
嫡子が必ずしも家督を継承するわけではないから、
「部屋住みの世子」と解するべきであろう。
533日本@名無史さん:2012/08/13(月) 18:49:36.47
武家官位と公家官位は全く別物って考えたほうが良いよね
534日本@名無史さん:2012/08/13(月) 19:57:54.44
越前家はタイミングが悪かったなw
535日本@名無史さん:2012/08/13(月) 22:31:49.06
>>532
橋本政宣の著書くらい嫁
536日本@名無史さん:2012/08/13(月) 23:28:51.54
ていうか寛保三年の官位御定の規定って言ってるしな。


夏休みなのかな。
537日本@名無史さん:2012/08/14(火) 14:19:59.67
国債を売っているんだから、官位も売ればどうかと思うんだが。

従五位下が売られていたら買いたい。
538日本@名無史さん:2012/08/14(火) 21:02:46.37
>>522が気になるところ
539日本@名無史さん:2012/08/15(水) 01:49:07.79
>>537-538
夏厨は>>524のスレにでも行ってろ
540日本@名無史さん:2012/08/15(水) 09:12:01.27
財政危機なんだから売れるものは売っても良いと思うけど。
爵位とか太政官制度下の官とかも売ればいい。
対日本国籍保持者限定で。
法の下の平等?
そんなもんで飯が食えるか。
541日本@名無史さん:2012/08/15(水) 11:55:32.71
現在でも位階は金で買えるな、多額の金を国に献上すれば。
死後贈位だけど。
542日本@名無史さん:2012/08/15(水) 12:22:53.12
>>541
 そうなんですか?
 関連のページでもあったら教えてください。
543542:2012/08/15(水) 12:32:04.12
 賞勲局のページをみても、紺綬褒章と同飾版(金・銀)ぐらいしか金で買えそうにないですが…。
 ま、大手企業の筆頭株主になって、その権限で役員になったり、更にその後、関連の財団の理事長にで
もなって社会貢献しまくれば、かなり良い勲章もらえそうな気もしますけど。
544日本@名無史さん:2012/08/15(水) 15:19:03.35
低能厨房うぜえ
545日本@名無史さん:2012/08/15(水) 17:32:41.91
昔はヨーロッパの成金が、ポーランドなどの爵位を購入したことが良くあったと聞いている。
546日本@名無史さん:2012/08/15(水) 17:34:48.12
>>540
> 財政危機なんだから売れるものは売っても良いと思うけど。


だよな。信長の父も朝廷に献金して官位もらったんだし。
547日本@名無史さん:2012/08/15(水) 18:54:29.22
>>532
幕府の法制用語では大名のあとつぎは「嫡子」と呼ばれ(旗本は「惣領」)、「世子」とは言わない
例えば大名が子をあとつぎとして幕府に認知してもらうときには御老中に「嫡子届」を提出する(同様に一般旗本は若年寄に「惣領届」)

「部屋住み」ってのは武家では家督を持つ当主以外の(分家していない)男子すべてのことだから「嫡子」も「厄介」も含まれるけど
寛保の御定では家督を継いでから任官するか、未だ家督を継がない部屋住みのうちに任官するかの区別を規定することに主眼を置いているので
官位叙任と無縁な「嫡子」以外の子は端から想定していない

「世子」は漢文風の気取った言い回しとして内々に(日記とか覚書とかで)使われることはあるけど
公式の法制用語としてはまったく一般的ではない

それに「世子」が使われるときは公方の世継ぎを指す場合の方が圧倒的に多い気がする

いずれにせよ言葉の意味内容なんて文脈や用法によっていくらでも変わりうるんだから
「自分はこの言葉をこう解するからその呼び方はおかしい」なんて言い張っても無益だよ
548日本@名無史さん:2012/08/15(水) 23:30:30.77
>>546
うん。
律令にさえ売官の規程があるんだし(ただし、下級職限定だっけ?)
構わんと思うんだが。
549日本@名無史さん:2012/08/16(木) 02:47:22.78
くだらない話題はよそでやれ
550日本@名無史さん:2012/08/16(木) 08:41:53.83
官位に関係、むしろ官位そのもの話で、
くだらないとかは、あんたの個人的感想ないし趣味に過ぎない。
あんたの趣味を押しつけたいのなら、あんたこそよそに行けば。
551日本@名無史さん:2012/08/16(木) 08:46:27.06
日本史板なのに場違いな現代の話をして、批判されると逆ギレする。
ここはバカが開き直るスレですか。
552日本@名無史さん:2012/08/16(木) 08:56:50.45
どうやら一部の人にとっては、
現代は日本史の対象に含まれないらしいですね。
現代は面倒だから日本史の対象外にしておき教えないと言う、
戦後教育の弊害が如実に出ていますね。
大変悲しいんでことです。
553日本@名無史さん:2012/08/16(木) 09:29:32.80
日本近代史板も知らずに、恥の上塗り
自分がかなり高度な話をしていると勘違いしているお花畑
554日本@名無史さん:2012/08/16(木) 10:42:05.14
それこそ夏休みの中学生なんだろ
555日本@名無史さん:2012/08/16(木) 11:48:20.24
官位が欲しいよ〜
売れるもんなら売ってくれ〜


これのどこがくだらない話題じゃないと言えるのかと。
556日本@名無史さん:2012/08/16(木) 13:11:18.36
>>555
馬鹿じゃなければ、そこから展開できるとは思うけどね
557日本@名無史さん:2012/08/16(木) 13:46:32.01
クソみたい展開してひんしゅく買ってるのに、
なぜか勝ち誇るゆとり様のお通りです
558日本@名無史さん:2012/08/16(木) 17:27:31.09
>>556
だから馬鹿は>>524に行ってろよ
559日本@名無史さん:2012/08/16(木) 17:32:03.88
>>555

勝海舟の先祖が御家人資格を購入しなければ
明治維新が大きく違ったコースをたどったわけだが。
560日本@名無史さん:2012/08/16(木) 18:38:35.28
男谷検校がその子のために御家人株を買ってあげて更にその子孫が三河以来の旗本勝家に養子入りしたという歴史的事実(しかもスレ違いの)及びその歴史的帰結と
官位が欲しいというゆとりの単なる願望とを同列に考えてるのか
脳味噌腐ってるのかな
561日本@名無史さん:2012/08/17(金) 08:19:05.30
松平姓の友人がいるけど、その祖父が昭和の戦後しばらくまで官名で呼ばれてたらしい
562日本@名無史さん:2012/08/17(金) 08:50:51.38
御家人資格wは官位だそうですww
夏、まっ盛りですねw
563日本@名無史さん:2012/08/17(金) 18:20:28.91
>>561

四民平等とは言っても、松平とか旧大名家はまあ別格みたいなもんでしょ。
564日本@名無史さん:2012/08/18(土) 01:15:34.10
そういう問題じゃないだろ
565日本@名無史さん:2012/08/18(土) 09:47:30.68
>>530
ってことは井伊家にとっては、位階としては同じでも
掃部頭(当主の名乗り)の方が玄蕃頭(世継ぎの名乗り)より
価値が重いってことなのかな?
566日本@名無史さん:2012/08/18(土) 15:43:15.77
価値の軽重の問題ではない。
彦根井伊家にとっては先例上、
世継ぎは玄蕃頭、当主は掃部頭の任官によって
内外にそれぞれの地位を示すことになる。
567日本@名無史さん:2012/08/18(土) 16:12:22.46
江戸時代、何で将軍になったらとっとと太政大臣にならなかったの?
568日本@名無史さん:2012/08/18(土) 21:04:21.02
寛保三年御定も知らない馬鹿がまた知った風な口を聞いてるのか
569日本@名無史さん:2012/08/18(土) 23:32:09.35
>>568
であるか?
570日本@名無史さん:2012/08/19(日) 04:24:53.65
そういえば、太政大臣と関白の力関係ってのはどうなっていたんだっけ?
571日本@名無史さん:2012/08/19(日) 10:47:58.98
豊臣秀吉と豊臣秀次の関係は一例だろう。
572日本@名無史さん:2012/08/19(日) 11:07:55.36
>>571

あれはレアケースでしょ。

でも関白と太政大臣が激しく対立した例はあまり聞いたことがない。
573日本@名無史さん:2012/08/19(日) 12:17:17.41
忠通と頼長
574日本@名無史さん:2012/08/19(日) 15:08:00.23
頼長は左大臣までしかいってない
575日本@名無史さん:2012/08/19(日) 15:09:43.26
西園寺公経ー九条道家
576日本@名無史さん:2012/08/19(日) 15:10:38.58
正確に言うと、死後太政大臣を贈られただけで、
生前は左大臣

あとは内覧とか藤氏長者とかか
どっちにしろ関白 vs 太政大臣にはならない
577日本@名無史さん:2012/08/19(日) 17:35:35.27
激しく対立じゃないけど太政大臣秀吉vs関白左大臣秀次
578日本@名無史さん:2012/08/19(日) 20:06:45.41
摂政・関白と太政大臣が同席した場合の席次はどうなっていたの?
579日本@名無史さん:2012/08/19(日) 20:08:20.71
>>578
一座宣旨を受けていれば摂関、受けていなければ太政大臣が上では?
580日本@名無史さん:2012/08/19(日) 20:13:19.31
>>574
だから悪左府、悪左府頼長って呼ばれてるんだよな。

左府って左大臣のことだもんな。
581日本@名無史さん:2012/08/19(日) 20:46:25.04
>>579

席次が 「太政大臣 > 関白」 というケースはなかったのではないだろうか?

ごく初期はわからんが。
582日本@名無史さん:2012/08/19(日) 21:01:56.79
>>581
「ごく初期」にあたるのかもしれないけど、鎌倉中期ごろまでは関白は
太政大臣の下という宣旨が下るのが例だった、と日本歴史大事典に
あるね。
葉黄記に、関白頼通が自分の座次を太政大臣公季の下と定めたとい
う例や、頼通の例に従って関白が太政大臣の下に座した例などがあ
るらしい。
それはともかくとして、秀吉と秀次も、太政大臣>関白の例だろうね。
まあ、これはこの時期では例外中の例外だろうけど。
583日本@名無史さん:2012/08/19(日) 23:57:13.00
公卿補任を丹念に見ればわかるはず。
584日本@名無史さん:2012/08/20(月) 00:03:30.06
公卿補任を丹念にみればわかるはず。
585日本@名無史さん:2012/08/20(月) 04:52:04.63
>>580
わかりきったことをいちいち書き込むなよ低能
586日本@名無史さん:2012/08/20(月) 08:22:26.77
>>585
おまえ、余裕ねえなw
587日本@名無史さん:2012/08/20(月) 12:03:18.62
>>585 は朝廷の工作員だろう。
588日本@名無史さん:2012/08/20(月) 18:20:38.75
摂政と関白はどちらか片方しかいなかったけど制度上並立は禁止されていませんよね。
589日本@名無史さん:2012/08/20(月) 18:52:53.07
>>588

禁止されてはいなかったが、並立しないという「不文律」は確率していたと思われる。
590日本@名無史さん:2012/08/20(月) 18:53:28.94
確立、の誤り。
591日本@名無史さん:2012/08/21(火) 20:48:57.43
禁止するしない以前に天皇が天皇としての職務を行う判断力を持たない時に置かれたのが摂政なのだから、
摂政を置く必要性がある判断能力がない天皇が関白に諮問したり関白からの上奏に回答することはできない以上、関白を置く意味がない。
592日本@名無史さん:2012/08/21(火) 21:19:39.61
長らく置かれなかった皇族摂政がもし江戸時代以前に復活していたら
関白併置は有り得たのかね

皇族摂政自体が生前譲位と相容れないものだとは思うが
593日本@名無史さん:2012/08/21(火) 22:51:22.18
武家統治時代に、摂政、関白って何してたの?
594日本@名無史さん:2012/08/22(水) 12:44:24.47
>>591
俺も最初はそう考えたんだけど、関り白す相手が天皇でなくて摂政ではいかんの?
実態は関白ってのが摂政の延長にあったから並立されなかったんだけどさ。
595日本@名無史さん:2012/08/23(木) 09:11:14.90
禁止されてない以上、先例をつくる人物が現れなかったのがいちばんではないかな。
596日本@名無史さん:2012/08/23(木) 13:36:20.93
必要ないから先例もなかったんだろうが
597日本@名無史さん:2012/08/23(木) 19:13:39.78
>>593
朝廷の取りまとめ
武家時代でも叙位とか改元とかで、それなりに仕事はあったはず。
598日本@名無史さん:2012/08/23(木) 20:42:22.29
叙位・除目・節会・官奏が「四箇の大事」と言って摂家乃至摂関の重要な役目
599日本@名無史さん:2012/08/23(木) 23:40:09.55
そもそも併置しようって言う発想自体がなかったんだろうけど、
仮にそんなことを思いつく人間が居ても、
摂政と関白併置すると、摂政が不要になった時の処遇が面倒だから、
ってこともあったんじゃないかと思う。
600日本@名無史さん:2012/08/24(金) 08:27:37.29
権左大臣がいなかったのはなぜか?
とか、際限なく疑問は膨らむレベルの話じゃないか
601日本@名無史さん:2012/08/24(金) 12:56:26.70
>>600

准摂政左大臣なら存在した。
602日本@名無史さん:2012/08/24(金) 22:51:50.59
采女なんかいらんわ!他の官名にしてくれ!と思ってた武士がいたと思う
603日本@名無史さん:2012/08/25(土) 00:15:11.18
そういえば、准殺生や内乱も、摂関と併置された例はあるの?
604日本@名無史さん:2012/08/25(土) 02:30:34.28
ググレカス
605日本@名無史さん:2012/08/25(土) 21:50:30.92
>>602
戸田家は代々采女正だっけ?
606日本@名無史さん:2012/08/26(日) 00:14:23.01
井伊家の家格って何故あんなに高いんだ?
御三家、前田の次じゃん!
607日本@名無史さん:2012/08/26(日) 02:07:51.24
戸田なんて家は腐るほどあるんだが
608日本@名無史さん:2012/08/26(日) 05:52:36.96
>>606

井伊家は南北朝時代から、家の格は高かったのではないか?

松平家より高かったような気がする。
609日本@名無史さん:2012/08/26(日) 08:37:40.78
囚獄の官途名もなんかいやだな。
610日本@名無史さん:2012/08/26(日) 09:04:21.86
字面で言えば、諸陵とか掃部とか雅楽とか大膳とか。
あまり武士っぽくない。
墓守、掃除係、音楽家、飯炊きの親玉。
儒家でもないに大学とかも変。
残っていたら官奴とかも。
611日本@名無史さん:2012/08/26(日) 09:53:39.00
井伊、酒井、毛利に喧嘩売るのか。
612日本@名無史さん:2012/08/26(日) 10:52:52.62
江戸初期の大名はそんなの気にするほど繊細だったとも思えない。
中期以降だと、先祖代々の由緒有る官名って誇りとは別の次元で、
もっと武張った武士らしい官名が良いなと、
個人的に思う人は居たかもね。
613日本@名無史さん:2012/08/26(日) 14:28:35.59
>>608は低能
614日本@名無史さん:2012/08/26(日) 14:35:56.28
>>612

> もっと武張った武士らしい官名が良いなと、


秋田城介はかっこいいなあ。
615日本@名無史さん:2012/08/26(日) 15:02:56.04
>>613は低能
616日本@名無史さん:2012/08/26(日) 15:26:35.97
井伊の家格が高かったって何を基準に言ってるんだ?
有力国人という程度じゃ高いと言えるほどじゃないし
松平程度と比べてどうこう言っても始まらないし
ましてそれゆえに江戸時代も家格が高くなったとでも言いたいのならアホ丸出し
617日本@名無史さん:2012/08/26(日) 15:47:30.29
>>616
日本一の名門の藤原北家に属し、平安時代中期から続く井伊氏は他の徳川や田舎大名と比べたら家格は断然高い。
618日本@名無史さん:2012/08/26(日) 16:31:23.04
井伊家が藤原氏の出かどうかは定かではないはず。自称にとどまる。
系図が確かなのは、細川、相馬ぐらいか?
島津は鎌倉以前が?だしな。
619日本@名無史さん:2012/08/26(日) 16:35:25.45
>>618

佐竹とか伊東はどうなんだろ?
620日本@名無史さん:2012/08/26(日) 16:35:51.08
吉井松平が一番の名門諸侯だな。
621日本@名無史さん:2012/08/26(日) 16:38:21.31
>>616

家格が高いというより、南朝の複数の親王の住み家を提供していたから
ネームバリューはあったと思う。
622日本@名無史さん:2012/08/26(日) 16:40:57.80
頼朝直系を自称する島津こそ、徳川の主君筋だよなw
大納言でも足りないくらい。
足利傍系の喜連川ですらかなり厚遇した。
623日本@名無史さん:2012/08/26(日) 16:44:24.29
島津は自称のご落胤説はともかくとして、一応当時の史料に惟宗忠久と
あるんであれば、それなりに系統は確かと言っていいんじゃないのかな?
後は毛利とか。
624日本@名無史さん:2012/08/26(日) 16:45:45.33
>>620
津軽は近衛家の分家
625日本@名無史さん:2012/08/26(日) 16:53:11.25
養子が何度も入って、すでに尊氏の血筋じゃなくなった喜連川子爵家にくらべ
尊氏以来の血を連綿と絶やすことなく現代にいたった平島公方足利家は
明治維新後、士族にすらなれず平民に落とされたリアル没落感がハンパないww

維新後、養子のなり手すらなく断絶した今川家に比べると今も家系が続いているだけマシだけど…
626日本@名無史さん:2012/08/26(日) 17:02:22.03
>>624

> 津軽は近衛家の分家


遺伝子的には非常にうたがわしいが、近衛家サイドがそう認めてしまっているからな。
その見返りに津軽家から近衛家に毎年、米穀が贈呈されているが。
627日本@名無史さん:2012/08/26(日) 18:39:00.81
彦根井伊家の祖、井伊直政は天正16年の段階で、
従五位下侍従に叙任されている。
このことは徳川家臣団の中で、官位において突出している。
そして江戸幕府開幕以降、大政参与になった息子直勝は
正四位上左近衛権中将に叙任しているため、
後胤当主(藩主)叙任の先例になった。
628日本@名無史さん:2012/08/26(日) 18:48:48.49
>>612
現代でも子どもに「主税」「主計」なんて名前つけてる親がいるね。
子どもが歴オタに成長しないかぎり、「読めねぇ名前付けやがって」と恨まれるんだろうなw
629日本@名無史さん:2012/08/26(日) 19:38:32.01
>>628
何も知らない子供にしたら「こんなDQNネーム付けやがって」って
勘違いするかも
630日本@名無史さん:2012/08/26(日) 21:53:06.14
主水(もんど)
631日本@名無史さん:2012/08/26(日) 22:29:31.83
井伊って侍従→少将。中将と官途では初任が少将の島津等に負けるのだけど極位が以上に高い。
ご家門よりも上の譜代って珍しいよね。
632日本@名無史さん:2012/08/26(日) 22:44:06.17
教養の無い奴輩が読めないだけ。
別段、歴オタの問題ではない。
教養の有無を測る物差しと考えればよい。
633日本@名無史さん:2012/08/26(日) 23:10:21.80
官名を名前に使うってのもどうかと思うけどな
634日本@名無史さん:2012/08/26(日) 23:17:44.82
>>633
日本の伝統だろ?下級武士だと、通称だけで諱を持たない人もいたくらい
なんだし。
635日本@名無史さん:2012/08/27(月) 00:27:06.68
>>633
庄屋層とかだと、「大夫名乗り」とか、官名由来っぽい名前を使ってただろ。
正式な官名じゃなく、その変形みたいな名乗り。

〜衛門 とか、〜兵衛 みたいな名前も同様。

それを受容できるなら、主水だって主税だって、普通に名前に使えるはずだ。
子供からアナクロニズムって笑われるか、変な名前付けやがってと怨まれるかする危険が小さくないだけで。
636日本@名無史さん:2012/08/27(月) 01:20:43.91
637日本@名無史さん:2012/08/27(月) 02:58:34.16
現代では伊織をよく女の子の名として使っているからなぁ
東百官だけど
638日本@名無史さん:2012/08/27(月) 03:37:17.58
隼人は百官由来とも言えるが、現代でも根強く人気の名前だな。
639日本@名無史さん:2012/08/27(月) 04:51:40.12
入鹿とか蝦夷とかはドキュンネームとして復活してほしいよな。
640日本@名無史さん:2012/08/27(月) 05:39:06.24
ドキュンネーム李明博だろ
641日本@名無史さん:2012/08/27(月) 06:29:42.61
伊織が女の子用の名前になったのは音のひびきが女の子っぽいから
だとおもうけど、江戸時代以前に伊織を名乗っていた男は気にしなかったんだろうか

江戸時代くらいになると現代人と同じような感性もってそうだけど
642日本@名無史さん:2012/08/27(月) 06:48:58.78
郷ひろみに謝れ!
643日本@名無史さん:2012/08/27(月) 09:42:18.06
東百官ってのがあったのか、勉強になるな。こうした知識は学校では習わないからな。
伊織はいまでも少数だが、男の子の名前で見かけたことがある。
644日本@名無史さん:2012/08/27(月) 09:59:50.43
音の響き云々自体が最近の感覚だろう。
江戸時代どころか戦前でも、伊織とか香織というのは普通の男名だ。
最近は漫画で伊織を女の名前に付けたりしているようだが。
官名からは外れるけど、○美というのも、いつのまにか女名っぽく
なつた例だな。
645日本@名無史さん:2012/08/27(月) 10:01:57.64
小野妹子はどうするんだよ
646日本@名無史さん:2012/08/27(月) 10:31:39.89
官名とは関係なさそうだけど、「あぐり」は本来男性名?女性名?
浅野内匠頭の妻とかいたから、元は女性名?
最近は外来語由来の方もあるみたいでますます混沌。
647日本@名無史さん:2012/08/28(火) 17:59:16.57
>>645
そんな時代だと、荀子とか墨子とか韓非子あたりと大差ないな
といっても、古代中国の人間であって日本人じゃないわけだが。

ええと、諸子百家の名前で,現代日本なら女の子っぽくなる名前って実在するだろうか。
648日本@名無史さん:2012/08/28(火) 18:32:12.87
何が言いたいかしらんが、荀子とかの「子」は先生の意味であって名前ではないぞ。
荀子の本名は荀況

あと小野妹子と諸子百家の時代は1000年くらい離れているんだが
649日本@名無史さん:2012/08/28(火) 19:14:19.03
じゅんこ、ぼくこ、かんぴこ
なかなか可愛いw
650日本@名無史さん:2012/08/28(火) 21:39:50.41
小野妹子時代の漢字表記なんて所詮当て字と大差ないレベル
現代の「子」の概念を持ち込むなよ……
651日本@名無史さん:2012/08/28(火) 21:48:33.53
>646

あぐりは女性名じゃないのかな。
平安時代の阿波の正税帳に「餘女」あぐりめとある。

男子を望んでいたが女子が生まれた場合「次は男子であるように」という願いを込めて女の子につけていた。
とどっかで読んだ。なので本来は男子が生まれたときに、「あぐり」の名前も改名すると。

>647

文徳天皇の皇女に晏子内親王 清和天皇の皇女に孟子内親王がいるが、やっぱり晏子・孟子からとったんだろうか
652日本@名無史さん:2012/08/29(水) 00:11:18.76
>>651
うわぉ、いかにも,な名前ですな

あとは、諸子じゃないけど、襄子とか霊子とか、春秋時代以前の諸侯の諡には、なにかありませんかね。
653日本@名無史さん:2012/08/29(水) 02:33:36.10
うぜえ
654日本@名無史さん:2012/08/29(水) 09:01:20.77
>>644
音のひびきでいえば、雅楽を女の子の名前に使っているのも見ますね。
655日本@名無史さん:2012/08/29(水) 22:20:57.78
>>654

読みは「うた」?
656日本@名無史さん:2012/08/30(木) 20:02:12.37
さかい・うた、って女の子が実在しそうでコワいなw
657日本@名無史さん:2012/08/30(木) 20:20:42.72
本木雅弘の子が内田雅楽。大河にも出てた。
658日本@名無史さん:2012/08/30(木) 21:26:55.90
内田雅楽頭勝正
659日本@名無史さん:2012/08/31(金) 04:53:21.26
現代でも普通に名前に使われる官名って隼人ぐらいか。
660日本@名無史さん:2012/08/31(金) 06:19:38.11
>>659

いや、ドキュンネームが流行しているからそのうち「大納言」とかいう名前が流行するかも。
661日本@名無史さん:2012/08/31(金) 12:41:24.85
馬寮御監は近衛大将が兼務することになっているけど
近衛大将になって数日遅れ馬寮御監を兼ねることがあるみたいだけど
同日にしない理由でもあるの?
662日本@名無史さん:2012/08/31(金) 17:22:57.75
>>659-60
衛門とか兵衛とか使わなくなったしなあ。

でも、スケは普通に使われてないか?

大輔(だいすけ)とか
663日本@名無史さん:2012/08/31(金) 17:40:23.78
>>662
輔はあるね。受領名なら大和ぐらいか。
名字に官途とか受領はたまにあるけどね。掃部さん、宮内さん、
刑部さん、織部さん・・・。
664日本@名無史さん:2012/08/31(金) 21:10:38.63
武蔵は?
665日本@名無史さん:2012/08/31(金) 22:20:24.62
低レベルなスレですね
666日本@名無史さん:2012/08/31(金) 23:57:08.84
全く其の通り・・・。
667日本@名無史さん:2012/09/01(土) 14:06:36.78
バカは他人の迷惑を考えないからね
668日本@名無史さん:2012/09/01(土) 16:07:25.11
2ちゃんごときで何をいきがってるんだか・・・。
669日本@名無史さん:2012/09/01(土) 19:27:01.97
人間が低レベルだからな
670日本@名無史さん:2012/09/02(日) 00:08:30.87
掃部とか刑部とか、もともと古代の部民だろ。
671日本@名無史さん:2012/09/02(日) 02:07:09.67
部民を束ね率いる役所ってことだよ

それともお前さんは、たとえば物部守屋は豪族じゃなく部民だとでも言うつもりか?
672日本@名無史さん:2012/09/02(日) 02:41:19.72
そうじゃなくて、もとがウジナだったものが、そのまま名字になっただけで、
官途が名字になったとは言い切れないんじゃないか、っていいたかったんだ。
673日本@名無史さん:2012/09/02(日) 08:30:19.12
日本書紀や續日本紀を読めばわかるはずだけど
掃部やら刑部やらのウヂナであっても部民であるとは限らないどころか
朝臣やら宿禰やらのカバネを賜る程の有力氏族である例も少なくない
674日本@名無史さん:2012/09/02(日) 09:15:46.63
うん、それくらいは知ってるよ。ただ掃部連や膳部臣なんかの中央豪族は、
ウジナがそのまま現代の名字になったとはいえないと思って
無姓の部民が、そのまま名字にしたものが残ったのかと考えたんだが。
675日本@名無史さん:2012/09/02(日) 17:46:54.01
取り繕おうと必死な馬鹿
676日本@名無史さん:2012/09/02(日) 21:07:25.48































677日本@名無史さん:2012/09/03(月) 06:17:03.28
膳部さんという苗字の人がいるらしいが。
678日本@名無史さん:2012/09/03(月) 16:45:07.92
「一条天皇の飼猫には、昇殿のために従五位の階位が与えられていたそうです。」
この話題がツイッターでなぜか盛り上がっている。
679日本@名無史さん:2012/09/03(月) 21:55:04.42
「命婦のおとど」でしょうかね。もっと高位をいただいたのが「従四位広南白象」ですね。
680日本@名無史さん:2012/09/03(月) 22:02:48.81
秀吉と信長が、大正時代になってからわざわざ正一位を追贈されたのは何故?
681日本@名無史さん:2012/09/03(月) 22:44:06.02
天下を取りながら幕府を開かなかった忠臣ってことで追贈。
徳川に対する当て付けという面もある>>680
682日本@名無史さん:2012/09/03(月) 22:58:24.22
追贈でも
正一位関白(摂政)太政大臣
というまさに位人臣を極めたのは他にいないのでは。
683日本@名無史さん:2012/09/03(月) 23:02:51.53
ググってみ、贈正一位の摂関ゴロゴロ居るから。
684日本@名無史さん:2012/09/03(月) 23:20:32.12
贈征夷大将軍は、徳川綱重だけだと思うのだが…。
(贈正一位太政大臣征夷大将軍)
685日本@名無史さん:2012/09/03(月) 23:54:26.44
大正時代になって今さら徳川への当てつけってのも不思議だな。
686日本@名無史さん:2012/09/04(火) 00:48:38.98
歴史上著名な人物に官位を追贈しようとした結果なんじゃないの?
信長・秀吉に官位を追贈しようとしたら正一位しかありえないだろう
687日本@名無史さん:2012/09/04(火) 01:23:02.52
徳川へのあてつけっていっても、徳川の歴代将軍は慶喜のぞいて
正一位おくられてるからな
あんまり意味ない気がする
688日本@名無史さん:2012/09/04(火) 01:55:12.03
俺の先祖のオッサンも、明治維新に貢献したとかで贈従四位貰ったみたい
689日本@名無史さん:2012/09/04(火) 05:12:19.79
幕末に死んだ志士に追贈されたケースはけっこうあるみたいだな。
690日本@名無史さん:2012/09/04(火) 07:05:28.57
そんな周知のことを
691日本@名無史さん:2012/09/06(木) 10:53:52.44
水戸黄門再放送でさ、悪マロが出てきて「従三位」っていばるんだよな。
だから黄門様が印籠出してもこいつには意外ときかないかもと思ってたら
副将軍といえどもマロは帝に仕える身でおじゃる、と反撃してきよった。
黄門様がダチの大納言様に頼んでひれふさせるんだけどね。
ちなみに名前は悪マロが坊門、大納言が梅小路になってた。
黄門様の梅とかけてたんだろな、小技に感心。
692日本@名無史さん:2012/09/06(木) 13:14:45.74
坊門は、大臣でも摂家でも親王でもだれか連れてくれば面白いのに
693日本@名無史さん:2012/09/06(木) 13:46:51.19
だまりゃ!

麿は恐れ多くも帝より三位の位を賜わり、中納言を勤めた身じゃ!
即ち帝の臣であって徳川の家来ではおじゃらん!
その麿の屋敷内で狼藉をはたらくとは言語道断!
この事直ちに帝に言上し、きっと公儀に掛けおうてくれるゆえ

心しておじゃれ!
694日本@名無史さん:2012/09/06(木) 13:59:50.55
>>693
であるか?
695日本@名無史さん:2012/09/06(木) 16:32:17.01
>>691
> 水戸黄門再放送でさ、悪マロが出てきて「従三位」っていばるんだよな。


実際問題として、官位が上であっても、徳川の御三家当主だった人物には逆らえない。
696日本@名無史さん:2012/09/06(木) 16:48:22.71
江戸時代は官位じゃなくて家格で上下関係がきまる
しかも光圀の官位は武家官位で公家の官位とはまた別だし
光圀の正妻は近衛家から迎えていることからしても水戸徳川家の
家格は実際には麿とは比べ物にならない

本当に麿程度の公家が光圀と対決したら麿の惨敗だよ
697日本@名無史さん:2012/09/06(木) 18:07:07.12
大納言級の武家伝奏でも五位程度の御附武家の部屋に呼びつけられ・・・だからね。
698日本@名無史さん:2012/09/06(木) 18:25:38.33
>>697

実態は「呼びつけられ」なんだが、建前では「お招き」「来ていただく」なんだよな。
699日本@名無史さん:2012/09/06(木) 18:54:49.97
そんな今さら語るまでもない歴史トリビアなんかは雑談板でやれよ無知低能ども
700日本@名無史さん:2012/09/06(木) 20:13:11.80
激しく同意






























701日本@名無史さん:2012/09/06(木) 21:56:54.59
シロウトで悪いが、家格で決まるとしたら
水戸徳川と清華家クラスの古い家とじゃ
どっちが威張れそう?
もちろん武家と公家では基盤が違うのはわかるが
ドラマとかでもしそういうトラブル描いたのがあったら
どんなもんかと思って。
普通に徳川の時代だったら徳川がはるかに
強力ってことなのかな。
702日本@名無史さん:2012/09/06(木) 22:02:38.52
明治政府の贈位では助さんが従4位、格さんが正4位、この差別はどこから来たの?
助さんの方が現在の人気は高い気がするけど
703日本@名無史さん:2012/09/06(木) 22:34:56.87
>>702
現代の感覚でみるからわからないんだ。
贈位のあった当時の感覚でみなさい。
704日本@名無史さん:2012/09/06(木) 23:48:16.11
江戸時代の堂上で三位ってたいしたこと無いんじゃないの。
若いうちならともかく、中年で三位だったらほとんど最低ランクの家では。
地下からようやく昇格したような家とか、
江戸時代弐になってから別れた平堂上の分家とか。
平堂上の中でも下位のような。
705日本@名無史さん:2012/09/06(木) 23:55:39.81
長生きした分貢献が大きいという判断?
706日本@名無史さん:2012/09/07(金) 00:13:05.28
水戸家は、摂関家、世襲親王家と通婚してるし、尾張、紀州も同様。
清華<御三家=親王家<摂関家?というイメージかな。
707日本@名無史さん:2012/09/07(金) 02:38:44.89
>>699-700
ageたりなんかするからお客さんが寄ってくるんだと思うが
708日本@名無史さん:2012/09/07(金) 08:05:26.41
>>706
ありがと。
徳川から見た場合と公家さんの方の
思惑とはちゃんと合致してたんだろか。
先の黄門様の例えでも、京の公家からみたら
徳川だって成り上がりの田舎もんだから家格が下でも
やっぱり「帝に仕える身でおじゃる」とイザって時は強気に出るというか実際に
そういう風に思ってたんじゃないだろかとか。

徳川と言ってもいろいろあるし御三家レベルの4〜5男坊が
清華家となんか合った時はどうなるんかなと。
ま、ケースバイケースだろうけどね。

もうすぐ大河でも乗合事件で摂政とドン平家の長男がやりあうんだが
この時は摂関家がかなりまいってた時期で公家さんがひいちゃってる。
室町からこっちそういうトラブルってのは京ではよくあったのかな?
709日本@名無史さん:2012/09/07(金) 08:12:15.70
>>708

家格どうこう以前に、政権と武力を持っている側のほうが強いのは常識。
710日本@名無史さん:2012/09/07(金) 08:37:41.48
江戸と国許以外にはほとんどいない大名と
京付近しか行かない公家が出会うことはめったにない。
参勤交代の経路も洛中は通らない。
711日本@名無史さん:2012/09/07(金) 08:38:30.37
ただのイメージでレスしてる奴にお礼を言っちゃう馬鹿
712日本@名無史さん:2012/09/07(金) 10:03:25.31
武家羽林格という書物には松平陸奥守家から公武諸家へ書状を出すときの宛所や脇付など例文が載っているらしいけど
何となくのイメージで事足れりとせずにこういう実際の書札礼を参考にする方がいいと思うが
713日本@名無史さん:2012/09/07(金) 10:18:24.44
江戸も中期以降は参勤交代の途中に京に立ち寄ったとか
言うからね。
そういう時にミーハー観光大名と公家ってのはなんかありそう
だなってぐらい。
今だって田舎もんは平気で立ち入り禁止のとこ入ったり
マナー悪いから。
それとここの人はレベル高いからイメージでも
参考になるってことね。
714日本@名無史さん:2012/09/07(金) 14:17:25.33
>>713

> 今だって田舎もんは平気で立ち入り禁止のとこ入ったり
> マナー悪いから。


大名は人生の半分を江戸で暮らすのだが?
715日本@名無史さん:2012/09/07(金) 17:56:01.33
おつきの人たちは参勤交代のときに
いろいろかわったりすんじゃないの?
716日本@名無史さん:2012/09/07(金) 18:12:43.82
717日本@名無史さん:2012/09/07(金) 19:33:18.96
俺の曾祖父さんは明治時代に従六位勲四等の陸軍軍人でした。
718日本@名無史さん:2012/09/07(金) 22:48:50.61
なんか先祖の官位を語るスレでも建てた方が良いんじゃないのか?
719日本@名無史さん:2012/09/08(土) 08:54:08.31
水戸徳川家の極位極官が定まったのは初代頼房のときではなく、
二代光圀のときなんだな。
頼房は正三位になってるのに、光圀は将軍綱吉と仲が悪かったから従三位どまり。
権中納言になったのも隠居した後。
光圀は家格を下げてしまった。
720日本@名無史さん:2012/09/08(土) 09:30:30.62
えっ?(笑)
721日本@名無史さん:2012/09/08(土) 09:58:42.76
光國は、後年贈正一位、水戸家が公爵に陞爵したのが光國と斉昭の功績。家格を上げてる。
722日本@名無史さん:2012/09/08(土) 10:10:08.49
あたまの悪いレスだな
723日本@名無史さん:2012/09/08(土) 10:24:52.88
最近このスレもマジレスする気すら失せるレベルの低い馬鹿ばかりでうんざり
724日本@名無史さん:2012/09/08(土) 18:18:14.58
おまえら初心者に冷たいな。
これを読んで勉強しなさいとか教えてあげればいいのに。
725日本@名無史さん:2012/09/08(土) 19:02:53.64
できるわけないだろ。一番頭悪いのが>>722,>>723といった連中なんだから
726日本@名無史さん:2012/09/08(土) 23:31:54.61
光圀が権中納言になったのが63歳というのは尋常ではない遅さ。頼房23歳、綱條49歳、治保44歳、斉脩28歳・・・・・
727日本@名無史さん:2012/09/08(土) 23:34:49.23
>>726
尋常でないというなら、その理由を調べなさい。
728日本@名無史さん:2012/09/09(日) 06:21:57.78
尾張 > 紀伊 > 水戸

というならわかるんだが、



尾張 > 紀伊 >>>>> 水戸

という印象がある。

729日本@名無史さん:2012/09/09(日) 06:50:00.30
>>725
高校生かな?
夏休みは終わったんだからまず学校の勉強をしっかりやりなさい
そしていつかこのスレで議論できるレベルになったらまたおいで

それとも高卒かな?
そうであれば──ここは君の知的レベルが許容されうるようなところじゃない
速やかに雑談板や初心者スレにでも行って自分に相応しい居場所を見つけるべきだ
730日本@名無史さん:2012/09/09(日) 07:34:01.80
>>729
いちいち煽り返すから低能っていわれるんだよ
そんなに悔しかったのか?坊や
731日本@名無史さん:2012/09/09(日) 07:57:49.22
簡易スレ
732日本@名無史さん:2012/09/09(日) 08:21:29.98
馬鹿にされて悔しくて脊髄反射的に煽り返しちゃってるのは明らかに>>725の方だろ。
733日本@名無史さん:2012/09/09(日) 08:32:54.92
最近はレベルの低いレスでスレを汚して顰蹙を買ってる馬鹿の方が開き直っちゃうことが多いな。
ゆとりある環境で大事に育てられたんだろう。
734日本@名無史さん:2012/09/09(日) 10:12:02.47
光圀については、隠居寸前に権中納言にすることもできたし、その方が形がきれいだし、変な前例を作ることにもならないのに、幕府はなんでわざわざ隠居後昇進にしたのだろう。

735日本@名無史さん:2012/09/09(日) 11:08:04.87
逆に、結城秀康、島津、伊達のように、初代藩主が権中納言でも、
子孫はそこまでなれない家が何件もある。
幕府的には、水戸もそうしようかと思っていたのを、うるさい爺
さんがいるので、黙らせるために権中納言まで昇らせたってことは
あるのかな。
736日本@名無史さん:2012/09/09(日) 12:56:19.85
なるほど。
権中納言が水戸家当主の極官であることを認めた訳ではない、光圀限りの例外だぞ、という意思表示なのか・・・。
ちなみに、後嗣の綱條は、水戸家の当主となってから2か月後に中将になったが、少将在任20年!尾張の綱誠と紀州の綱教はともに11歳で中将だから差は大きい。
737日本@名無史さん:2012/09/09(日) 14:03:56.87
幕府が水戸家を必要以上に冷遇している感じがするのだが。
738日本@名無史さん:2012/09/09(日) 14:19:09.51
水戸徳川家スレでも立てれば?
高松松平から松戸徳川までなんでもありでさ
739日本@名無史さん:2012/09/09(日) 14:48:12.59
江戸時代は官位じゃなくて家格優先なんだって
御三家は御三家で官位はほとんど関係ない。城中での席次も
江戸中期以降は官位じゃなくて当主になった時期が早い順になるし
740日本@名無史さん:2012/09/09(日) 16:34:43.32
2ちゃんのレベル厨www
741日本@名無史さん:2012/09/09(日) 16:41:53.82































742日本@名無史さん:2012/09/09(日) 18:51:57.16
>>739
無知のくせに何故こういう明白な誤りを自信満々で書き込もうと思うのかね。
前スレ辺りに武家の殿中席次について詳しく解説したレスがあるからログくらい読んで来い。
743日本@名無史さん:2012/09/09(日) 19:12:20.34
最近、自分は何の知識も持たず、具体的な事は何も言えないのに
相手を罵倒するだけの書き込みする奴がふえたな…

もう夏休みは終わったのに
744日本@名無史さん:2012/09/09(日) 19:40:27.01
調べたら>>739ってあってるじゃん
http://homepage1.nifty.com/SEISYO/gosannke.htm#tokuken
恥ずかしいやつだな>>742
745日本@名無史さん:2012/09/09(日) 23:27:17.56































746日本@名無史さん:2012/09/10(月) 00:00:06.43
>>741
>>745

容量超過でスレが書き込めなくなるぞ。
747日本@名無史さん:2012/09/10(月) 00:31:59.26
確かに、どの官位まで昇任できるかが重要であって、
現在、どの官位にあるのかというのは重要ではないのだろう。
748日本@名無史さん:2012/09/10(月) 02:50:12.32
ネットで検索しただけで「調べた」と言えると思ってるのかこの低能は
恥ずかしすぎる

過去ログ読めと言われたらせめて読んでからレスしろよ
749日本@名無史さん:2012/09/10(月) 03:19:52.06
>>748
2chの書き込みなんぞを提示しているお前が言う事じゃあないだろw
750日本@名無史さん:2012/09/10(月) 03:19:52.14
>>746

これは武家に対する公家の嫌がらせだろう。
751日本@名無史さん:2012/09/10(月) 08:42:26.34
>>742の言ってるのは前スレ391かな

どっちが本当なの?
752日本@名無史さん:2012/09/10(月) 09:36:51.42
その前スレ391とか見ても御三家については何も書いてないじゃん
753日本@名無史さん:2012/09/10(月) 09:52:56.47
まずは貼れよ

391 : 日本@名無史さん: 2011/12/14(水) 00:42:55.34 近世武家の席次は第一に官位順.
官位順というのは、「大納言>中納言>參議>中將>少將>侍從>四品>諸大夫」という武家官位に於ける序列のこと
(この下に「假六位」として「布衣」という格がある).

侍從以上の場合,同官職は位階順,同官職同位階の場合は敍任順,
また四品の場合も敍位順であり,
城の有無,領知高の多寡,家督相續の先後は關係がない.

諸大夫の席次は城の有無によって決まる(城主(城主格)>無城)
城主(城主格)及び無城それぞれの間では領知高順.
但し城主格は萬石以下切捨(例:城主五萬石>城主格五萬三千石).
同高では家督相續順(公儀に家督を認知された時期).
從五位下に敍せられた時期の早さは關係がない.

嫡子同席の場合,四品以上は家督相續の有無(當主か部屋住嫡子かの別)に關係なく,官位順に席次が決まる.
從って,或る家の部屋住嫡子の方が他の家の當主よりも上座となるということもありうる.

元服前などの理由で敍任前の無位無官であっても,家ごとに諸大夫格,四品格,侍從格,少將格と席次が決まっている.


例外として,加賀家の嫡子は少將であっても中將の上座.
喜連川家は無位無官ながら中將格.

高家は位階に關わらず,同官職の大名の下座(例:大名從四位下少將>高家從四位上少將>大名從四位下侍從>高家從四位上侍從).

表高家は無位無官ながら諸大夫格.
寄合(交代寄合を含む)は布衣以上の格.

これらの官位等の序列と,「大廊下席」「溜詰」「大廣間席」「帝鑑間席」「柳間席」「雁間詰」「菊間櫞頬詰」という伺候席の序列は密接に關係している.
754日本@名無史さん:2012/09/10(月) 09:55:24.16
つーか>>742は自分から吹っかけておきながらソースは自分で見てこいって
馬鹿か?
755日本@名無史さん:2012/09/10(月) 11:24:35.27
相手が本当にバカだと思うなら、そんな奴は何を言われても聞き分けるはずがないんだから構わなければいい。
バカを(しかも2chで)説得しようとするのが間違い。
それとも単に相手をバカにしたいだけなら無益な上に迷惑だからやめろ。

スレの流れがバカバカしいと思うなら、ちゃんとしたレスを重ねてバカっぽいレスを駆逐すればいい。
本当のバカは相手にされないものなんだから相手にしちゃってるのが間違い。
バカがバカを相手しちゃってるのはどうしようもないが、そんな奴ばかりになったときはスレを見限ればいいだけのこと。
たかが2chなんだし。
756日本@名無史さん:2012/09/10(月) 11:44:22.31
>>739
>江戸時代は官位じゃなくて家格優先なんだって

ちょっと知って欲しい事がります。
三つ葉葵は、本来の家紋を所有する者を偽るのに使っていたと思われます。
うちの家紋は、「丸に笹竜胆」(清和源氏の分家)ですが、どーも松平家が所有していたらしい
ので、裏を取る事をお奨めします。

OKWaveで村上源氏と語ってしまいましたが、正しくは清和源氏です。御免なさい。
757日本@名無史さん:2012/09/10(月) 14:14:28.37
>>753

> 喜連川家は無位無官ながら中將格.

> 表高家は無位無官ながら諸大夫格.



朝廷は無位無官時代の島津久光を「三郎」と呼んでいたのだが、
喜連川家の当主のことはどう呼んでいたのだろうか?
758日本@名無史さん:2012/09/10(月) 17:50:20.99
759日本@名無史さん:2012/09/10(月) 17:54:28.62
760日本@名無史さん:2012/09/11(火) 13:02:13.81
形見分けで、ボロ箱の中にボロ布に包まれた三ツ葉葵入りの羽織袴を渡されて、どういう事か聞いたけど、皆興味がないのか知らない様子だった。
761日本@名無史さん:2012/09/11(火) 15:21:24.44
キチガイまでやって来たのか
762日本@名無史さん:2012/09/11(火) 15:28:40.35
本当に>>761みたいなのがな
763日本@名無史さん:2012/09/11(火) 16:55:26.65
スレ違いの上に日本語の文章もまともに書けない知的障害者
764日本@名無史さん:2012/09/11(火) 17:24:42.48
スレ違いを指摘されると見せるキレ芸が痛々しいw
765日本@名無史さん:2012/09/11(火) 18:44:26.01
ここはバカがバカに説教する所か
766日本@名無史さん:2012/09/11(火) 19:45:55.40
スレどころか板違いかもしれないが、
「気違い」って言う美しい日本語を残そう。
言葉狩りを許すな。
「気違い」を「気違い」と言って何が悪い。
言い換えなんかにはなんら意味がない。
767日本@名無史さん:2012/09/11(火) 20:02:37.25
ここは気違いが気違いを笑う所か
768日本@名無史さん:2012/09/11(火) 22:03:19.54































769日本@名無史さん:2012/09/12(水) 17:38:26.96
丸に笹竜胆の家紋は、日本国内に多数存在している話だそうでw
特に特定が困難らしい。
770日本@名無史さん:2012/09/12(水) 18:07:03.07
スレ違いを指摘されてもスレ違いの意味がわからない知的障害者
771 【東電 86.2 %】 :2012/09/12(水) 18:46:09.33































772日本@名無史さん:2012/09/12(水) 20:10:46.59
ここは知障が知障をけなす所か
773 【東電 79.4 %】 :2012/09/12(水) 22:03:04.23































774日本@名無史さん:2012/09/13(木) 01:35:03.51
馬鹿にされて然るべきレベルの馬鹿を、
スレにのさばらせておくのがいいことだと思ってる馬鹿が多いのかな。
775日本@名無史さん:2012/09/13(木) 08:25:46.55
スレ違いでも知的好奇心を刺激されるレスならいいけど、
ただのバカレスは、いらない。
776日本@名無史さん:2012/09/13(木) 08:41:11.52
バカがバカにされると都合の悪い奴はバカにされた本人だけ
777日本@名無史さん:2012/09/13(木) 10:25:18.29
さわやかに777げt
778日本@名無史さん:2012/09/13(木) 16:20:30.61
バカを〜バカにする〜バカなやつ〜
779日本@名無史さん:2012/09/13(木) 19:02:49.37
>>753を書き込んだのは自分だが、
これは小川恭一編『江戸幕藩大名家事典』下巻をはじめ同氏の他の著書などからスレ向けにまとめたもの。
氏の著作は近世武家研究の基礎文献とされており、それを押さえずに論じるのは己の知識の浅さをさらけ出すことに他ならない。
ましてそこらのウェブページと比較するべくもないことは明らか。
780日本@名無史さん:2012/09/13(木) 20:37:40.15
いや、そもそも>>753って御三家については全然触れてないじゃん
それとも御三家に関しても官位順だといいたいの?
781日本@名無史さん:2012/09/14(金) 03:19:57.30
侍従以上ってのは違うのか?
782日本@名無史さん:2012/09/17(月) 20:10:51.72
ちゃんと御三家と書いていないからわからないらしい
783日本@名無史さん:2012/09/17(月) 20:28:38.35
ていうか、>>779の本をみたけど、御三家の席次に関しては
思いっきり推論で記述していたぞ
784日本@名無史さん:2012/09/17(月) 22:13:26.20
推論で何か問題があるのか。
史料が無ければ、副次史料に基づいて推論も有り得る。
785日本@名無史さん:2012/09/17(月) 22:42:40.37
だから、御三家の記述に関しては>>779であげられている本は
なんの証拠にもならないといいたいんだろう?
786日本@名無史さん:2012/09/17(月) 23:52:30.55
>>785
副次史料に基づいての推論であれば、有力な説に違いはないと思うのだが
否定する場合、同様に副次史料に基づいた推論により別の主張を展開する必要がある
「それは違うんじゃね?」っていう時に、根拠となる史料を出さなきゃ話にならんでしょう
787日本@名無史さん:2012/09/18(火) 01:40:04.60
学問の真理性というのは結局「反証されていないこと」に存するわけだからね。
反証可能性が確保されており、かつ反証が為されていないならば、取り敢えず真理と見なされうる。
そもそも推論を認めないならば歴史学などは存立しえずに崩壊するしかない。
788日本@名無史さん:2012/09/18(火) 03:10:17.24
ようするに反論したいなら1次資料とか出してこいって事?
789日本@名無史さん:2012/09/18(火) 04:17:15.88
御三家の場合

尾張 > 紀伊 >>>>> 水戸

という感じがするのだが、なぜ水戸が突出して低いのかよくわからん。
790日本@名無史さん:2012/09/18(火) 06:44:12.70
紀伊家の同母弟の家だから
791日本@名無史さん:2012/09/18(火) 07:21:53.12
官位は、尾張=紀伊だろう。石高は、尾張>紀伊だが。
792日本@名無史さん:2012/09/18(火) 07:58:46.01
尾張・紀伊…侯爵
水戸…侯爵→公爵

家格は逆転したといってもいいのではないだろうか
793日本@名無史さん:2012/09/18(火) 08:42:52.49
まあ、今は、徳川本家も水戸系だな。
水戸→高須→会津→(会津分家)→徳川宗家
794日本@名無史さん:2012/09/18(火) 08:44:24.67
徳川御三家の変遷

徳川宗家・徳川尾張家・徳川紀伊家

↓宗家の地位の隔絶化と駿河家の創出

徳川尾張家・徳川紀伊家・徳川駿河家

↓駿河家の没落と松平水戸家への徳川苗字賜与

徳川尾張家・徳川紀伊家・徳川水戸家


水戸家は当初紀伊家の分家扱いで松平苗字を称していたが、
後におまけのように御三家に加えられた。
795日本@名無史さん:2012/09/18(火) 11:19:45.22
>>791
> 官位は、尾張=紀伊だろう。


そうなのだが、尾張家は「御三家筆頭」扱いされていなかったかな?
796日本@名無史さん:2012/09/18(火) 12:37:45.80
初代が生まれた順番が家格になってるだけじゃん
797日本@名無史さん:2012/09/18(火) 12:47:29.58
>>794
駿河家が断絶した後も、綱吉が将軍になると甲府綱豊が35万石に加増され、
もちろん徳川姓で、宰相だから、当時28万石の水戸家の立場は確定的でない。
水戸家は加増もされてないのに、内出しにより表高を35万石にした。
綱豊が将軍家宣となり甲府家が断絶して、ようやく水戸家は安泰となった。
798日本@名無史さん:2012/09/18(火) 13:17:04.30
>もちろん徳川姓で

ほんとに?
799日本@名無史さん:2012/09/18(火) 13:21:29.52
>>798

甲府徳川家。ただ、形式上はともかく、実際には松平を名乗っていたのではないかと言っている人もいるらしい。
800日本@名無史さん:2012/09/18(火) 13:41:08.33
綱豊を将軍に推していたのは水戸だし、
綱豊(将軍になる前) > 光圀という事はないだろう
801日本@名無史さん:2012/09/18(火) 15:31:38.72
>>797
そういえば綱豊って新見姓から徳川姓に変更できたけど
弟の清武は家継死去の時点で40代まで越智姓だったのと
この時点では松平姓だからって将軍後継から外されてるんだよね。
清武自身高齢だったこともあるけど、それなら息子の清方がこの時点ではまだ生きてて
清方の方は11歳の時点で父が松平姓貰ってるし年齢も若いから
当然のように清方に声がかからなかったのは少し疑問

>>800
え、なんで?
802801:2012/09/18(火) 15:34:38.17
ちょtt文章が変になってるな…

弟の清武は家継死去の時点で40代まで越智姓だったのと
この時点では松平姓だからって将軍後継から外されてるんだよね。

弟の清武は家継が死んだ時の将軍後継を誰にするかと言う時に、
40代まで越智姓だったのとこの時点でも徳川姓ではなく松平姓だからって理由で
将軍後継から外されてるんだよね。
803日本@名無史さん:2012/09/18(火) 15:51:30.73
>>802

第7代将軍徳川家継が危篤状態に陥った時、天英院は第8代将軍の候補として清武を推したという。
清武が家継の叔父であり、血統的に最も近かったのが理由である。
しかし清武は将軍にはふさわしくないとされる理由が主に2つあった。

家臣の越智喜清に育てられてその家督を継いでおり、また松平の苗字を許されて藩主になったのが
宝永4年(1707年)44歳の時であり、経歴上問題があった。
すでに54歳と高齢であった。
また、清武自身にも将軍職に対する野心は特になかったといわれる。
これらの理由から天英院は清武を将軍にすることを諦め、紀州藩主徳川吉宗を推し、
吉宗が第8代将軍に就任した。
(ウィキ)



804日本@名無史さん:2012/09/18(火) 16:00:32.22
>>797
家格として甲府家>水戸家はありえない。
805日本@名無史さん:2012/09/18(火) 21:56:26.57
>>794
「御三家」自体が尾紀水になってから後、綱吉時代に
成立したくくりで、
> 徳川宗家・徳川尾張家・徳川紀伊家
が御三家という扱いをされたことはない。将軍の座から
縁遠くなった尾張家が負け惜しみとしてそういうことを
言い出したようではあるけど。
そもそも、特別扱いの家が「三家」になったこと自体が
結果論だから、最初から「三家」ありきであるかのような
説は基本的に眉唾だね。
806日本@名無史さん:2012/09/18(火) 22:12:18.10
もう官位について語ろうよ
807日本@名無史さん:2012/09/18(火) 23:04:51.47
江戸時代の国持大名は、侍従就任から30年程度たてば少将への昇進資格を得るが
いわゆる準国主大名も、長生きであれば、国持と同様に、少将への昇進資格を得るの?
(wikiでは、宇和島伊達家の当主で少将昇任者がいるので、ふと思った疑問)
808日本@名無史さん:2012/09/19(水) 02:21:33.76
徳川家康の将軍宣下宣旨や豊臣秀吉の関白宣下宣旨の実物が映像等で
見たことがあるけど、歴代摂関や将軍などの宣旨はどれぐらい残って
いるんだろ?
809日本@名無史さん:2012/09/20(木) 00:04:57.28
豊臣秀吉の関白補任の詔書も現存しているようだが
見たことが無い。
810日本@名無史さん:2012/09/20(木) 00:56:33.99
残っているとすれば、近衛家の陽明文庫あたりかな。
811日本@名無史さん:2012/09/20(木) 02:59:43.27
徳川将軍家は家康のしか残ってないのかな?
どっかで家光のも現存すると聞いたことがあるが、
歴代将軍のは、江戸城火災で焼失したのかな?
>>809
秀吉の関白宣旨は、NHKの「その時歴史は」で出たことがある。
北政所の実家の子孫が持っていた。(ナレーションでこれだけは
淀から正妻の意地として死守したことを言っていた)
812日本@名無史さん:2012/09/20(木) 07:43:06.46
http://ameblo.jp/8omote/image-11243083093-11957874833.html

吉良満義 正三位左兵衛督 昇殿

こいうのあるの?
813日本@名無史さん:2012/09/20(木) 11:38:14.36
>>811
秀吉の関白補任の宣旨は、木下家文書で確認出来る。
しかし、別に、関白補任の詔書も発行されており、
それも現存しているようだが、所在が不明。
関白補任ともなれば、口宣案、宣旨、そして詔書の
3通が少なくとも発行される。
814日本@名無史さん:2012/09/22(土) 15:48:08.92
水戸徳川家の極位は従三位?正三位?どっち?
815日本@名無史さん:2012/09/22(土) 20:48:45.78
ちょっと調べればわかることを質問するな
816日本@名無史さん:2012/09/22(土) 22:24:30.65
>>815
どっち?
根拠も示してね
817日本@名無史さん:2012/09/23(日) 08:17:04.29
調べろ
答える必要などない
818日本@名無史さん:2012/09/23(日) 11:54:39.24
>>817
知らないなら黙ってろ!
819日本@名無史さん:2012/09/23(日) 12:22:08.36
みんな>>814にかまうなよ
自分で調べろ
820日本@名無史さん:2012/09/23(日) 14:27:04.58
>>819
だから知らないなら黙ってろって!
821日本@名無史さん:2012/09/23(日) 14:44:29.67
ものすごい低能がいるな。
822日本@名無史さん:2012/09/23(日) 14:47:21.25
質問しておいて逆ギレして威張っちゃうのは、
やっぱりゆとりさんかな?
823日本@名無史さん:2012/09/23(日) 15:10:45.81
答える必要どころか質問する必要すらない基本的な事柄を質問しながら
「知らないなら黙ってろ」だからな

何でも自分で調べずにネットで聞きましょうって教わったのかな
それともネットで聞くことを自分で調べることだと勘違いしてるのかな
知能が低すぎる
824日本@名無史さん:2012/09/23(日) 17:39:18.10
>>814
相反する説か事実があるなら、それらを具体的に示して質問すれば?

825日本@名無史さん:2012/09/23(日) 18:06:59.12
>>815に対して>>816だからな。
低能というよりキチガイだろ。

自分の疑問質問には答えが「与えられる」のが当然だと思ってるんだろうな。
826日本@名無史さん:2012/09/23(日) 18:35:12.27
> 根拠も示してね

なんで質問者の方が偉そうなんだよ
初心者スレ池
827日本@名無史さん:2012/09/23(日) 18:36:06.00
>>823
日本語理解できないのかな
知らないなら黙ってろって
知能が低すぎる
828日本@名無史さん:2012/09/23(日) 19:06:27.42
>>825
どっちもどっちだと思うけど。
つまならない質問は無視すればいいだけのこと。
829日本@名無史さん:2012/09/23(日) 20:03:19.01
そもそも家の極位って言う概念自体が実在するのか?
考証家や史家の頭の中にしか無いんじゃないのか?
相場程度はあるのかもしれないが、
たまたまと例外と他者との関係とかその他諸々のせめぎ合いで決まった、
結果としての個人の極位の集合体でしかあり得ないのでは?
830日本@名無史さん:2012/09/23(日) 20:46:53.69
>>829

仮定の話だが、戊辰戦争である大名が大活躍して薩長に逆転勝ちしていれば
その大名の「極官」は上方修正されていたと思われる。
831日本@名無史さん:2012/09/23(日) 21:39:38.59
>>830
逆に官軍の薩長藩主は戊辰戦争後、事実上の家格上昇を果たしているからね。
832日本@名無史さん:2012/09/23(日) 23:54:09.51
>>829
確かに家の極位極官ってよくわからない。
先例をもとにある時期に明文化されたものなのか、
それともただの慣例なのか。
833日本@名無史さん:2012/09/24(月) 00:36:12.12
>>831
摂関家、将軍家と同格に成り上がった(公爵)。
家格上昇の域を越えてる。
834日本@名無史さん:2012/09/24(月) 01:18:58.26
>>814
ウィキによると正三位
橋本政宣著近世の武家官位や武家官位略記御昇進次第によると従三位
835日本@名無史さん:2012/09/24(月) 02:11:22.13
836日本@名無史さん:2012/09/24(月) 02:27:24.96
自演ひどすぎだろ
837日本@名無史さん:2012/09/24(月) 02:53:09.46
ばれちゃった
838日本@名無史さん:2012/09/24(月) 09:47:03.50
>>829
> そもそも家の極位って言う概念自体が実在するのか?


細川家や京極家の家格は、室町時代のほうが江戸時代より高かったのではないか?
839日本@名無史さん:2012/09/24(月) 09:57:49.10
>>833
島津三郎の左大臣こそ、異例中の異例。後に息子と並び公爵。
日本の歴史や伝統をバカにしてるのかと思う
840日本@名無史さん:2012/09/24(月) 11:35:03.10
水戸家初代藩主徳川頼房は正三位
この先例から幕末の藩主徳川慶篤に対して
従三位から正三位への昇叙の沙汰があったが
当人より辞退があり、結局、正三位への昇叙は無かった。
初代頼房の場合、従三位権中納言昇叙転任の際、同時に
伊達政宗、島津家久、前田利常にも同様に従三位権中納言の
昇叙転任があり、水戸家が外様と同列とは心外と幕府に掛け合い
正三位への昇叙となった。
841日本@名無史さん:2012/09/24(月) 13:22:57.54
個人の極位極官と家の極位極官は別物だと思われ
842日本@名無史さん:2012/09/24(月) 17:17:33.02
なけなしの知識をひけらかしたいがために馬鹿を甘やかすなよ
843日本@名無史さん:2012/09/24(月) 17:24:50.26
ひけらかす知識もない馬鹿はすっこんでろよ
844日本@名無史さん:2012/09/24(月) 18:32:18.47
水戸家の極官ごときについて質問しちゃう池沼もアレだが
それに得意げに答えちゃう馬鹿も相当の間抜けだな
845日本@名無史さん:2012/09/24(月) 18:57:43.64
水戸家の極官なんて誰も質問してないけど
もしかてして
池沼なの?
馬鹿なの?
間抜けなの?
846日本@名無史さん:2012/09/24(月) 19:11:02.90
こういうやつは構うと調子にのるから構うな。
847日本@名無史さん:2012/09/24(月) 19:29:25.47
醜いスレだ
848日本@名無史さん:2012/09/24(月) 19:49:12.61
ここは幕府に反感を持っている水戸家の工作員が多いのだろうな。
849日本@名無史さん:2012/09/24(月) 19:55:06.31
自分が言われて嫌だった言葉をそのまま鸚鵡返しするのが低能の特徴。
850日本@名無史さん:2012/09/24(月) 19:55:17.71
>>844
なけなしの知識をひけらかして得意げに答えちゃった答えってどれ?
851日本@名無史さん:2012/09/24(月) 20:42:09.94
個人の極位は結果であり事実であるので、記録が残ってさえいれば争う余地がない。
家の極位ってものは、時期により変動し、例外があったりするから、
はっきりしない場合がある。
とにかく家歴代の内の最高位という定義で使うのなら問題は少ないが、
例外を除きと言うことになると、何が例外か議論の余地がある。
しかも時期により変動する場合があるので、時期を特定しない議論は不毛。

例外:非常な長命・当主期間が長期。将軍家から養子が来た。大変な功績等。

例外のはずが、たまたま何世代か続くと慣例に成ってしまうこともあるし、
そうなると本来同格ないし格上と認識している家が猛運動して認められることもある。
逆に懲罰的意味合いで下げられることもある。
単に某家の極位は何位かと言う質問はあまり意味がないと思うが。
正三位と従三位の差はそう言うことじゃないの?

852日本@名無史さん:2012/09/24(月) 21:07:52.97
>>851

> 例外:非常な長命・当主期間が長期。

これがしばしばあるよなあ。
853日本@名無史さん:2012/09/24(月) 21:28:14.59
>>851
でも823には質問する必要すらない基本的な事柄だって書いてあるけど。
854日本@名無史さん:2012/09/24(月) 22:19:05.59
平家って家格的にどのあたりだったんだ?
清盛は内大臣→太政大臣
重盛宗盛はいい歳して内大臣止まり

同時期に左右大臣を経て太政大臣も輩出した清華家や摂関家庶流よりも明らかに昇進ルート劣ってる
と思えるから准清華的な扱いとも言えるが近衛大将になっているから後の大臣家よりは上とも言える。

855日本@名無史さん:2012/09/24(月) 22:22:04.92
綱條が正三位に昇叙してますね
49歳なので長命ではないし、藩主在任15年だから長期でもないし
何か功績があったのかな?

856日本@名無史さん:2012/09/24(月) 23:12:11.69
極位極官は「家歴代の内の最高位」というより、「その家が到達できる先例上妥当かつ標準的な官位(但し例外は除く)」という意味で使われることの方が多いと思うが。
前者の意味だったら日野家の極位極官は従一位左大臣、加賀家の極位極官は従二位権大納言になってしまう。
857日本@名無史さん:2012/09/24(月) 23:17:44.53
>>855
加増もされてるしね
858日本@名無史さん:2012/09/24(月) 23:44:12.62
>>854

平氏政権は短期で終わったから家格的には未知数な部分もあるが官途から推察すると大臣家以上、清華未満だな。
平氏政権がもう少し長く続いたら足利家から征夷大将軍抜き位の家格はゲットしたと思われる。

>>357
新規に土地を貰ったんではなくて検地による高直しじゃなかった?
859日本@名無史さん:2012/09/25(火) 00:10:26.90
徳川綱條は、家綱、綱吉、家宣の三代将軍にわたって
忠良に仕えてきたという論功行賞的意味合いから
正三位になった。
860日本@名無史さん:2012/09/25(火) 00:19:02.05
>>859
正三位になったのは綱吉の代だけど
861日本@名無史さん:2012/09/25(火) 02:41:06.94
平家が活躍した時代は「イエ」や家格の成立期であるから、後世の感覚で「清華」とか「大臣家」とか言ったって仕方ない。
就中「大臣家」などは近世以降に出てきた括りで、それまではいっしょくたにされていた。
862日本@名無史さん:2012/09/25(火) 07:56:05.11
水戸厨が異臭を放っていて迷惑なスレですね
863日本@名無史さん:2012/09/25(火) 08:03:23.32
>>862

水戸家は御三家最下位だからな。

東京都にたとえると足立区のような存在。

864日本@名無史さん:2012/09/25(火) 08:12:26.05
大半は自演だから相手にすんな
いい加減学習しろ
865日本@名無史さん:2012/09/25(火) 09:28:43.77
どこかよそのスレでは水戸家の工作員だの水戸厨だのという意味不明な煽りが通用してるのか
スレごと滅びればいいのに
866日本@名無史さん:2012/09/25(火) 09:41:14.85
>>865

> スレごと滅びればいいのに


            ↑

長宗我部か大谷の工作員だと思うね
867日本@名無史さん:2012/09/25(火) 10:32:09.57
御三家と御三卿の関係は良好だったの?
868日本@名無史さん:2012/09/25(火) 10:32:52.64
工作員とか言ってる時点でガイキチ確定だな
869日本@名無史さん:2012/09/25(火) 10:34:45.70
>>867
スレタイも読めないの?
バカなの?
870日本@名無史さん:2012/09/25(火) 11:57:40.59
水戸徳川家の極位は不明というとこで終了!
871日本@名無史さん:2012/09/25(火) 11:58:36.41
>>869
広い読解力はないの?
バカチョン死ねよ
872日本@名無史さん:2012/09/25(火) 12:19:03.28

今、野田但馬守とか右大臣細田とか名刺に刷って名乗ると、官名詐称になるの?
873日本@名無史さん:2012/09/25(火) 12:58:01.62
現存の官名とまぎらわしければ、不存在の官名を名乗っても詐称になるでしょうが、その名称自体から現存しないことが客観的に明らかなものは詐称にはならないのでは。
874日本@名無史さん:2012/09/25(火) 18:11:57.14
広い読解力(笑)
875日本@名無史さん:2012/09/25(火) 20:17:53.02
>>859
水戸綱條が正三位になったのが1705年
綱吉が娘婿の紀伊綱教を後継者にするのに、水戸綱條を懐柔しようとしたのかな
光圀がせいで水戸家とは疎遠になっていたから、今度は支持固めのために・・・


876日本@名無史さん:2012/09/25(火) 20:21:53.41
バカは部活でやれよ
877日本@名無史さん:2012/09/25(火) 20:33:31.47

人臣で最も高い官位に就いた人は、無意味な虚官を除くと大久保利通になるらしい。

878日本@名無史さん:2012/09/25(火) 20:42:08.32
足利義満じゃないんだ。
879日本@名無史さん:2012/09/25(火) 21:00:46.94
>>877
生前は、参議内務卿だったが、そんなに高位か?
880日本@名無史さん:2012/09/25(火) 21:45:37.85
律令制って知ってる?
881日本@名無史さん:2012/09/25(火) 22:41:03.26
初期の明治政府は近代行政を担える人材が皆無。
大久保より形式的に上の官位の人間は、事実上の虚官で、ひな祭りの大臣みたいなもの。
実質的に日本を支配していたのは大久保利通ただ一人。

ひな祭りの左大臣が虚官である事に誰も意義あるまい。幼稚園に通う女の子でさえ知っている。
882日本@名無史さん:2012/09/25(火) 22:58:25.87
>>881

明治政府限定なら、大久保内務卿は、実質的には宰相的ポジションだったが、まだ岩倉右大臣が存命であり、彼は、三條とは違ってお飾りではなかった。

あと、>>877は、時代を限定していないように読めるから、足利義満まで引き合いに出てくる。
883日本@名無史さん:2012/09/26(水) 01:42:43.16
・馬鹿は「王様は裸だ」的な稚拙な告発を好む。

・馬鹿は論理的限定を簡単に疎かにする。
884日本@名無史さん:2012/09/30(日) 11:54:16.01
平氏政権が続いてたら
清華家と同等の家格にはなってたんじゃないの?
というか摂関家から摂関の座を奪う可能性とかもあったわけだし
後の足利将軍家のようなポジションになっていた可能性も
885日本@名無史さん:2012/09/30(日) 12:15:56.91
足利氏は前半と後半で官位にかなり差があるからな。
前半は清華超えだが、後半は公卿すらあやしい家格。
しかし、後半になっても摂関家に偏諱を与えていた所からして、官位を超えた家格を有していたと思われるね。
886日本@名無史さん:2012/09/30(日) 12:33:27.86
>>885

> しかし、後半になっても摂関家に偏諱を与えていた所からして、官位を超えた家格を有していたと思われるね。


「慣例」がすっかり定着していたからね。阪神の金本が先発出場するようなもの。
887日本@名無史さん:2012/09/30(日) 13:07:21.59
あれは官位昇進の祝いをする金が惜しかった、
あるいは無かったからじゃないの?
888日本@名無史さん:2012/09/30(日) 13:10:35.68
>>887

あー、それはありうる。
889日本@名無史さん:2012/09/30(日) 19:24:59.17
というか管領の細川さんが言ってるからな。
実力もねえのに官位ばかり上げてもしょうがねえだろって
890日本@名無史さん:2012/09/30(日) 19:32:26.70
そのときに、即位式用の金を集めていた天皇がとばっちりを食っているな。
「即位式やったって馬鹿な奴らは天皇がどうこうなんて知らないままだし、
即位式をやっていなくても俺は天皇が誰か心得ているんだから、今の
時勢で大金をかけるなんて無駄」、と言い切られているし。
891日本@名無史さん:2012/09/30(日) 19:36:16.94
足利宗家には清華の家格を有する
公家として存続してほしかったな
892日本@名無史さん:2012/10/04(木) 18:30:08.78
華族にならなかった家で最も家柄が良いのが足利家だよね。
最高位の士族の家柄と言えるね。
893日本@名無史さん:2012/10/04(木) 20:58:34.87
>>892
喜連川は華族になったけど平島は平民だが他に足利で士族になったのっている?
894日本@名無史さん:2012/10/04(木) 21:18:37.63
いないよ。どこまでを足利とするかによるけど。
895日本@名無史さん:2012/10/04(木) 21:45:26.25
足利義康の系統で足利義昭以降の子孫
足利国朝の系統
足利義維の系統
896日本@名無史さん:2012/10/04(木) 21:47:48.58
そかそか。それならとりあえず高家旗本の宮原家でもいいかね?
てか俺はこの宮原家のことをちょっと調べてたことがあるんだけど
維新以降の宮原家について知ってる、もしくは知ってる手がかりをご教示していただける人いないですかね。

897日本@名無史さん:2012/10/04(木) 23:34:55.78
もう十数年前なんだけど俺も子供のころで記憶があいまい。
足利家末裔と称するご老体が金閣寺を訪れるという企画のテレビ番組があって、
そのご老体が方丈の魚鼓を鳴らしたら、中からいかつい坊主が出てきて
「なにを撮影しとるのやっ!!」と恫喝。ご老体狼狽・・・。そして場面が変わって
普通の観光客が入れるゾーンからの撮影に切り替わった・・。
この足利家末裔と称するご老体は平島家末裔だったのだろうか?
898日本@名無史さん:2012/10/05(金) 01:41:14.55
スレ違いって言葉知ってるか?低能ども
899日本@名無史さん:2012/10/05(金) 04:07:38.91
アンカーは">>"でお願いしますw >>898
900日本@名無史さん:2012/10/05(金) 04:41:51.21































901日本@名無史さん:2012/10/05(金) 15:39:11.45
アンカーしてなくても低能呼ばわりされた当人にはそれが自分のことだとわかったらしいな
902日本@名無史さん:2012/10/05(金) 16:50:18.80































903日本@名無史さん:2012/10/06(土) 10:26:57.02
日本で一番良い名字は近衛なのでしょうか。
904日本@名無史さん:2012/10/06(土) 13:12:31.08
>>903

そう思うが。
905日本@名無史さん:2012/10/06(土) 17:11:31.65
いやいや、姉小路だろう。
906日本@名無史さん:2012/10/06(土) 20:34:04.42
>>903
伏見の方がすごくね?
907日本@名無史さん:2012/10/06(土) 22:51:12.84
伏見? どこが?
908日本@名無史さん:2012/10/06(土) 23:09:56.11
どの時代に価値判断を置くかじゃね?
江戸時代までは伏見宮家なんて摂家と比較もできん程度の存在だったけど。
明治以降は皇族と華族ってことで完全に線引きされたから。
華族なんてのは軍に入れば建前上平民と変わらんし、新聞でおもちゃにされることもあった。
909日本@名無史さん:2012/10/07(日) 01:16:03.11
>>908
江戸時代も摂家には劣るが比較もできん程度ではない。
八条宮の分家が清華家になってるくらいだから親王家が清華家よりも上位ではあったのだろう。
摂家>親王家>清華家というくらいの格付けだったのでは?

無論、明治以降は摂家と宮家では比較にならんくらい宮家の方が上
910日本@名無史さん:2012/10/07(日) 09:16:54.43
飛鳥井、洞院、万里小路もええな。
911日本@名無史さん:2012/10/07(日) 14:44:39.40
知能が低すぎてスレ違いという言葉すらも理解できない池沼どもは早く自殺しろ
912日本@名無史さん:2012/10/07(日) 16:38:30.09































913日本@名無史さん:2012/10/07(日) 21:20:21.61
スレタイに合うお題をお前が投下してくれよ。
914日本@名無史さん:2012/10/07(日) 23:02:43.82
こうなると、足利、徳川などは論外になるかな…。
915日本@名無史さん:2012/10/08(月) 08:35:22.54
官位はだれが決めていたの?
天皇が授けるのはわかるけど、決めたのはだれ?

江戸時代は除いての話
916日本@名無史さん:2012/10/08(月) 09:01:16.86
>>908
親王は大臣の下だから
大臣家と羽林家の間に入るかな。
摂家>清華>大臣家>宮家>羽林家

明治以降の宮家と華族制度は無効とされたから参考にならない。
917日本@名無史さん:2012/10/08(月) 09:22:38.38
いや、それは大臣が上って話で、家とは別の話でしょう。
大臣在任期間と、前官冷遇を受ければその後も当人限り親王より席次が上ってだけ。
しかも大臣家はなかなか大臣になれない。
堂上が給仕するのが、摂家と宮家だって言うんだから。
宮家がその給仕の対象じゃない清華以下ってことはないのでは。
ただし、その給仕の時に宮家相手は失敗しても何もできないから怖くないけど、
摂家はあとで嫌がらせされる(官位昇進の妨害等)されるから怖い。
なんて話を元堂上の人から聞いたと言う下橋翁の談話が「幕末の宮廷にあり」。
918日本@名無史さん:2012/10/08(月) 09:41:45.38
>>915
建前上五位以上は勤務評定を参考に勅裁、
六位以下は勤務評定でほぼ機械的に決定。
ただし、六位以下でも特別の思し召しがあれば勅裁もあり。
あくまで以上はあくまで法律上の話、建前なので、
人間関係によっては天皇の尊属とか権臣が実質決めることはあるし、
有力者の推挙とかは簡単には無視できないのは当然の話。
制度が崩れてきてからは、事実上関白ないしそれに準ずる者の合議でしょ。
摂政の時はこういう面では完全に天皇の代理たりうる。
母后や上皇も意見も無視できず、そのうち上皇が決定権を握る。
実資とか公任クラスになると、その推挙はまるきりは無視できないだろうし。
武家が力を持ってくれば、決定権がどこにあろうと、
多くの場合その意思を押し通せるのはこれまた当然。
まあ自分に利害関心がない部分まで口を出さないだろうけど。
近代にいたる以前、律令は公式に廃止されていないから、建前はずっとそのまま。
当たり前すぎるか。たぶんどこか間違いもあるし。
位階制度に付いてだけ通史的に見通して書いて公刊されたものってあるのかな?
919日本@名無史さん:2012/10/08(月) 10:25:36.81
>>916
こうゆうイデオロギー丸出しのレスきらい

イデオロギーのために大臣と大臣家を意図的に混同してるとことか
俺様定義で勝手に無効とか言い出すところとか学問性の欠片もない
920日本@名無史さん:2012/10/08(月) 12:23:03.65
>>919
こいつ、意味不明。不合格。
921日本@名無史さん:2012/10/08(月) 17:04:46.81
やっぱり摂家>親王家>清華家ってところが妥当なんだろうね

官位とは直接関係ないからこんなところで終わりにしましょ
922日本@名無史さん:2012/10/08(月) 17:19:33.07
律令制が機能していた時代の正七位(内位)〜小初位(内位)はどの氏族が主に叙位されていたのだろうか?
923日本@名無史さん:2012/10/08(月) 17:35:55.53
同じことを何度も書くなよ
924日本@名無史さん:2012/10/08(月) 17:49:10.26
前スレ>>394 これ見ると宮中席次がよく分かるんだが
攝政又は關白(内覽一座氏長者)
准三后(前攝政又は前關白)
三公(太政大臣>左大臣>右大臣)
准三后(門跡)
親王(一世二世)
前攝政又は前關白
攝家前三公
諸親王(三世以下)
清華前大臣
内大臣
前内大臣
准大臣
從一位
本座(前權大納言)
權大納言
前權大納言
權中納言
前權中納言
參議
前參議
非參議(正二位>從二位>正三位>從三位) 
藏人頭
四位殿上人(正四位上>正四位下>從四位上>從四位下)
五位殿上人(正五位上>正五位下>從五位上>從五位下)
六位藏人(正六位上)
地下三位諸大夫(正三位>從三位)
地下四位諸大夫(正四位上>正四位下>從四位上>從四位下)
地下五位諸大夫(正五位上>正五位下>從五位上>從五位下)
地下六位諸大夫(正六位上>正六位下>從六位上>從六位下)

士分以下
925日本@名無史さん:2012/10/08(月) 17:59:14.61
>>922
過去スレ嫁
926日本@名無史さん:2012/10/08(月) 22:35:54.58
>>清華前大臣
これは、清華前三公の意味だよな。
927日本@名無史さん:2012/10/09(火) 11:02:52.82
過去スレ嫁
928日本@名無史さん:2012/10/09(火) 11:07:30.69
律令の建前だと、王は別として、あらゆる氏族は理論上は七位〜初位足り得た。
もちろん実際は地方出身とか弱小は内位に縁がなかったり、有位者皆無だったりするが。
とにもかくにも位階を得ることができた氏族のほとんどは、これら下位の位階の氏人がいるはず。
弱小氏族でも密告とかでいきなり五位以上になって、
他に有位者ゼロってケースもあるかもしれないけど、あってもあくまで希有な例外。
藤原朝臣とか源朝臣とかの新興有力氏族は初位は居ないかもしれない。
これらの氏は外五位にならないので、蔭位で初位になることはない。
内五位以上の蔭位は八位以上。と言うか令制の蔭位は八位以上。
制度改訂後に、外五位の庶子が大初位になるだけ。
無位から勤務評定で初位になる可能性はあるけど。
そんなあたりは記録が残りにくく、実例は知らない。
まああり得なくもないけど、いなくても不思議じゃないような。
藤原や源でそんな落ちぶれた連中が出てくる頃には、
初位とかほとんど居なくなってたかもしれないし。
藤原・源とかは判官以上にしか任用しないって言う慣例もあったらしく、
あまり下位の職には就けなかったかもしれないし?
929日本@名無史さん:2012/10/09(火) 11:27:26.10
>>919

>>916はイデオロギー丸出しとかじゃなくて
ただの馬鹿丸出しにしか見えないんだが
930日本@名無史さん:2012/10/09(火) 22:28:32.42
>>929
ご苦労さん
931日本@名無史さん:2012/10/09(火) 23:18:50.31
>>929
馬鹿丸出し
932日本@名無史さん:2012/10/10(水) 00:26:26.33
>>929-931
学問板なんだから煽りじゃなくて学問の内容で争えよ
933日本@名無史さん:2012/10/10(水) 04:21:08.42
大臣家という家格と現任大臣の違いもわからない馬鹿が
馬鹿呼ばわりされて悔しくて連投してるw
恥の上塗りw
934日本@名無史さん:2012/10/10(水) 09:20:42.34
大臣家は三家しかなかったのに、家格として必要だったのかな?
というか、どうしてできたんだろ??
935日本@名無史さん:2012/10/10(水) 09:51:39.97
ああいうものは必要性があってできるものじゃないから。
結果としてできちゃっただけでしょう。
清華になりそこなった家ってことでは?
ただ、羽林上位の家(松木とか中山等)と成り立ちも似てるし、
実質的な昇進は大差ないし。
なにか個々の家に事情があってそうなったんだろうな。
個別に調べてみるしかないんじゃないかなあ。
936日本@名無史さん:2012/10/10(水) 10:11:32.39
清華には成りきれなかったけど、
羽林との差別化には成功した。
ある意味中途半端な家格?
937日本@名無史さん:2012/10/10(水) 14:58:13.85
日野家のような、名家の上層の方が大臣家よりも良いような気がする。
938日本@名無史さん:2012/10/10(水) 17:50:01.09
三條西も実條を最後に大臣出してないし、正親町三條にいたっては江戸時代に
大臣出していないどころか40超えても参議止まりや権中納言止まりとか・・・。
939日本@名無史さん:2012/10/10(水) 18:34:42.91
>>938

結果的に出していなくても「出す資格がある」でハクが違う。
940日本@名無史さん:2012/10/10(水) 19:29:05.16
18世紀半ばの官位昇進規定だと、大臣家ってくくりは出てこない。
清華の次は、いくつかの家が旧家中格別の家とかってカテゴリー、
大臣家3家は全部含まれてるけど、日野など名家や羽林の一部と同格扱い。
それでも大臣家って家格が残っていたこと自体がある意味不思議。
941日本@名無史さん:2012/10/10(水) 19:59:47.83
極官で家格が決まるんだろ。
右大臣が極官だから大臣家。
942日本@名無史さん:2012/10/10(水) 20:46:27.45
>>935
結局、羽林家上位がうちは他の羽林家よりも
大臣になった当主が多いから別格だぞって言い始めて
他も納得したって話じゃないの
左大臣を出してる名家の日野家も同格扱いの方がしっくり来るけど
実務官僚系の名家だから一段落ちるとかあるのかもね

日野家は勝光のあと当主の早世が続かなきゃ
もう少し家格上昇させてたかも
943日本@名無史さん:2012/10/10(水) 22:02:24.34
>>935
確かに松木家の初め数代は大臣家どころか清華家と言っても通じそうな感じ。
944日本@名無史さん:2012/10/11(木) 07:06:11.92
諸家知譜拙記なんかを見ると、中御門流初期の大臣輩出(太政大臣までいる)は半分が松木と同祖の別家系と見なされている気がする。
945日本@名無史さん:2012/10/12(金) 23:28:15.62
羽林家や名家で内大臣を輩出したことがある家は色々あっても
複数輩出した家はそれほどない。

ネット巡回程度だと、大臣家並に内大臣以上を輩出した家は、管見の限り
万里小路家くらいしか見当たらなく、准大臣まで範囲を広げても
広橋家くらいしか見当たらなかった。

江戸時代も中期以降になると大臣家からの大臣もないが、
かつて、累代にわたって大臣を輩出したという実績は大きかったのだろう。

平堂上なら准大臣にもなれるが、大臣家はいつのころからか、
准大臣にはなれなくなった。
946日本@名無史さん:2012/10/13(土) 10:46:24.63
大臣家は侯爵になれなかったから、
周囲は評価してなかったんだろう。
947日本@名無史さん:2012/10/13(土) 13:38:48.12
大臣家とは言っても
周囲からは羽林家上位としか見られてなかったわけね
948日本@名無史さん:2012/10/13(土) 15:12:33.11
昔の名残で一応は形だけ特別扱いされてただけってところじゃないの?
誰だって、自分の家格は維持したい、できればあげたい。
他人は引きずりおろして相対的に自己をあげたいのが人情で、
そのせめぎ合いの中で没落しつつある運命だったのかもしれない。
あのままの状態で江戸時代があと1世紀も続いていたら、
家格としては消滅していたかも?
さて、950が゙近づいて来たけど、次スレはもう少し先で良いかな。
960か970くらい?
949日本@名無史さん:2012/10/13(土) 15:33:48.05
大臣家は准大臣になれたのですか?
950日本@名無史さん:2012/10/13(土) 16:14:02.16
内大臣と准大臣はどっちが上?
951日本@名無史さん:2012/10/13(土) 17:08:20.83
952日本@名無史さん:2012/10/13(土) 20:28:23.56
叙爵内規の初起案には、大臣家が出てくるらしいから、
まるきり無視されてたってことも無いのかも?
953日本@名無史さん:2012/10/13(土) 21:25:13.87
>>951
GJ!
954日本@名無史さん:2012/10/13(土) 23:03:29.58
>>952

確か、「華族誕生」では、嵯峨家の当主だったかと思うが、
大臣家が「准清華」ではなく、「上流平堂上」に位置づけられるのが不満だった
という記述があったと思う。
955日本@名無史さん:2012/10/13(土) 23:44:39.03
>>954
まあ、嵯峨家は、侯爵に昇爵したがな。
956日本@名無史さん:2012/10/14(日) 20:58:21.49
今度、旭日単光章をもらえることになった。
官位で言うとどのくらいに相当する?
957日本@名無史さん:2012/10/14(日) 21:04:27.25
日本国天皇は○○○○に

旭日単光章を授与する

皇居において璽をおさせる

平成24年8月1日
内閣総理大臣 野田佳彦
958日本@名無史さん:2012/10/14(日) 22:56:04.36
>>954
初期案では結構細かい家格が考慮されていたらしいが、
結局家格の上下関係は一筋縄ではいかず、
考えすぎると収拾が取れなくなるってことで、
単純化されることになり、
大臣家以下は2通りにまとめられたらしい。
基準は、細かく書くと面倒だしうろ覚えなので省略するが、
大納言昇進に関連したもの。
大納言直任の例が多い家とかなんかそんなこと。
それで伯爵と子爵に2分。
子爵もかなり無茶に詰め込んであるけど。
大納言になれ、かつ旧家である家と、
参議にもなれない新家が同格っておおざっぱすぎ。
959日本@名無史さん:2012/10/14(日) 23:54:07.40
確か伯爵家の「大納言まで宣任の例が多い」というのは
1 大臣家
2 大納言に直任で昇任できる家
3 (上記1,2以外で)従一位(大納言)になったことのある家
を指すらしい。
960日本@名無史さん:2012/10/15(月) 00:02:04.71
伝統華族も、最下位を男爵にすれば、刻みが細かくなったんだろうが、公家も諸侯も最下位を子爵にしたから、伯爵になれなきゃ子爵という大雑把なことになった。
961日本@名無史さん:2012/10/15(月) 00:28:56.89
それをいったら5爵でなくてもいいのでは
962日本@名無史さん:2012/10/15(月) 12:55:38.77
五等爵以外に、公・卿・大夫・士なんて案もあったもよう。
卿以下は上中下つけて、2、3段階に細分化とか。
亜公・亜卿とかもあったような。
清は、公〜男が一〜三等に細分化されてたけど、
あまり即物的だし、細かすぎて採用しなかったんだろうな。
卿不採用は八省卿と紛らわしいからって理由もあるらしい。
旧幕臣が、中大夫〜下士に位置づけられたこともあるな。
なぜか上大夫は居なかったようだけど。
本来の周の制度では上大夫=卿だったことも影響してる?
963日本@名無史さん:2012/10/20(土) 23:55:15.86
英国では、バロネット(准男爵)は、貴族院議員の資格を持たないという意味
では貴族ではないが、世襲できるらしい(ナイトの上らしい)
964日本@名無史さん:2012/10/26(金) 01:38:37.07
豊臣政権では清華成大名以外にも
参議まで輔任されてる例があるけど
彼らは清華成ではなくて公家成だったの?
965日本@名無史さん:2012/10/28(日) 13:50:55.21
>>964
誰の事を言っているのか定かではないが、
参議補任なら、先ずは宰相成であろう。
966日本@名無史さん:2012/10/28(日) 16:04:12.81
上杉家とか参議のときに清華成したんじゃなかった?
だから参議=清華成ではなくて、清華に準ずると
秀吉に認めてもらったかどうかが清華成の基準ってことかなと。
967日本@名無史さん:2012/10/28(日) 16:52:12.87
豊臣政権の家格は、清華成、公家成、諸大夫成であって、宰相成というのは聞かんが。
968日本@名無史さん:2012/10/28(日) 17:34:26.07
秀吉―秀次―秀頼は「摂家成」か何か?
969日本@名無史さん:2012/10/28(日) 19:11:23.89
豊臣本家は摂関家だろ
秀頼の官位昇進も摂関家に準じている
970日本@名無史さん:2012/10/28(日) 22:57:24.13
下村論文に宰相成があるよ。
971日本@名無史さん:2012/10/29(月) 22:40:05.93
下村論文の時点では、まだ「清華成」の全体像は
把握されていませんでした。
また、「宰相成」などの文言は確かにあるけれども、
それは「家格」の序列ではなく、単なる「官位」昇進を意味します。
972日本@名無史さん:2012/10/29(月) 23:44:37.27
清華成=中納言任官でオッケー?
中納言未満で清華なった大名いた?
973日本@名無史さん:2012/10/30(火) 10:26:31.97
参議任官と同時に「清華成」した毛利輝元以外は
公卿任官と「清華成」時期が異なっています。
よって、公卿(三位・参議以上)任官と
「清華成」とはイコールではありません。

ちなみに、「清華成」大名の子供達は
中納言未満の「侍従」の時点で「清華衆」です。
974日本@名無史さん:2012/11/05(月) 21:46:24.09
dddd
975日本@名無史さん:2012/11/06(火) 20:03:19.97
正親町三条実愛が大臣家をたてにごり押しして、伯爵から侯爵に
昇爵したが、実際大臣家と蔵人頭を出す羽林家、名家の旧家とは
どの様な差異があったのだろうか?
家格が完全に固定された近世においては、その差異は無いどころか、
寧ろ官位官職の補任に於いては逆転現象が見られる。
ただ、家領の領地状だけは、大臣家以上と従一位が判物、それ以下は
朱印状と区別され、平堂上は従一位にならなければ判物は受けれなかった。
その意味では大臣家は10万石以上の大名と同格の扱いではあるが。
さて、大臣家と言うからには、当然極官は大臣のはずであるが、
近世においては、三大臣家からの大臣補任はたった4例しかなく、
三条西家が1人、中院家が3人で正親町三条家は比較的短命な当主が続いたためか、
0である。
                             次へ

976日本@名無史さん:2012/11/06(火) 20:26:12.50
たいした差がなかったから伯爵になったんでしょ。
977日本@名無史さん:2012/11/06(火) 20:27:11.15
ただ、三条西実条と中院通村は右大臣にまで昇任しており、
大臣家の面目を保っている。
他に羽林家から3人が、名家からも3人が内大臣になっているが、
中御門宗条は東山帝の、櫛笥隆賀は中御門帝の外祖父のためと思われる。
つまり、近世においては摂家、清華家以外の任内大臣10例のうち、
大臣家の補任はたった4例に過ぎないのである。
そして、人臣の極位である従一位も大臣家の中では、
中院家しか任じられていない。一方、羽林家と名家では計23家が
従一位に昇っており、蔵人頭を出す旧家では、滋野井家、今城家、
東園家などを除いてほぼ従一位になっている。

                     次へ
978日本@名無史さん:2012/11/06(火) 20:59:25.82
従一位が補任資格となる准大臣についても、近世以前には中院家には
補任例があるが、近世では3家共その例が無い。
慶長16年に烏丸光宣が任じられてから、文久2年の広橋光成まで、
羽林家4人、名家7人の計11人が准大臣となっている。
「幕末の宮廷」に「准大臣になると御上と同様で、准大臣と従一位は、
旦那と家来ほどの違いがございます」との記述がある様に、
現官の官職ではないにせよ、摂家や清華家以下の公家から見れば、
いかに憧れの地位であったのかが分かる。
これ以外にも、従三位となる上階の年齢、参議、中納言、大納言の
就任期間の年月等、羽林家、名家の上級家とは全く差異はない。
近世においては摂家と清華家もその差が隔絶したように、幕府の統制上、
摂家とそれ以外の公家と言う区別化の中で、大臣家の様な中二階階級は
完全い埋没してしまったのだろう。
しかし、正親町三条愛の爺さんゴネ得とは言え、よく頑張ったね。

                          以上
979日本@名無史さん:2012/11/06(火) 21:02:48.94

いまさら感がはんぱないんだけど
980日本@名無史さん:2012/11/06(火) 21:05:48.23
出典を明らかにしないと盗用になるよ。
981日本@名無史さん:2012/11/06(火) 21:09:52.95
いやごね得というか維新勲功だろ。
982日本@名無史さん:2012/11/06(火) 22:19:35.92
出典と言われますが、何か盗用に当たる様な分脈がありますか?
「准大臣になると・・云々」は「幕末の宮廷」と明記してありますよ。
系図や補任史料は盗用にはならんでしょう。今までの書き込みで出典を
明記したものがありましたか。参考資料を教えて欲しければ正直に言えば。

ざっと下記の通りです。
「諸家伝」 「公卿補任」 「宮廷公家系図集覧」 「公家事典」
「幕末の宮廷」 「幕末の公家社会・李 元雨著」 「近世の朝廷運営・久保貴子著」
「学習院大学史料館紀要第5号」 「近世公家社会の研究・橋本政宣著」

主なものだけ挙げました。買う金がなければ、是非図書館ででも見て下さいね。

983日本@名無史さん:2012/11/06(火) 22:40:03.59
>>982
既視感だらけの文章なんだけど気のせい?
984日本@名無史さん:2012/11/06(火) 23:07:17.61
>>983
概視感て分かって言ってるの、お前。
985日本@名無史さん:2012/11/06(火) 23:11:32.93
>>982
その程度の資料ならすでに持っています。
見たことのある文脈だと思ったらそれらからつまみ食いしてたのね。
986日本@名無史さん:2012/11/06(火) 23:13:40.57
>>984
概視感てなあに?
お前こそ概視感て分かって言ってるの?
987日本@名無史さん:2012/11/06(火) 23:23:14.10
根本的な勘違いがあるようだが、
> 正親町三条実愛が大臣家をたてにごり押しして、伯爵から侯爵に
> 昇爵した
大臣家をたてにごり押しなんていう無駄なことはやっていないだろ?
あくまでも、「中山家と差をつけられる理由がない」という理屈でいっ
ているはず。
988日本@名無史さん:2012/11/07(水) 07:15:39.24
中山家は、明治帝の実母の実家、外戚優遇は、差をつける立派な理由なんだがね。大名でも松浦家は優遇されたし。
989日本@名無史さん:2012/11/07(水) 11:39:03.58
>>985
残念ながら系図や補任を参考にしただけで、文章は転用してませんよ。
その程度の史料なら持っている。まあ基本的なものばかりだから当然でしょう。
だったら何か証拠はありますか?
例えば清閑寺家は「諸家伝」の何巻、何頁に載っているのかな?
答えて下さい。図書館で調べますか(笑)
990日本@名無史さん:2012/11/07(水) 12:13:11.85
>>988
外戚優遇は差をつける表向きの理由にはならないんだけどね。
991日本@名無史さん:2012/11/07(水) 12:36:47.76
>>989
系図と補任しか参考にしてないのね。
他の資料にも目を通せばもう少しまともなこと書けたのにね。
992日本@名無史さん:2012/11/07(水) 13:00:11.40
>>989
持っているのが当然といいながら証拠を示せと言う。
あなたにとっては当然ではないことを露呈してますね(笑)
993日本@名無史さん:2012/11/07(水) 13:07:23.90
>>992
アイロニーじゃろう。
まぁ>>985の返事待ちだな。
994日本@名無史さん:2012/11/07(水) 13:29:06.64
何故清閑寺家?
たまたまその巻を持っていたから?
995日本@名無史さん:2012/11/07(水) 13:34:16.25
>>993
アイロニーになってないじゃろう。
996日本@名無史さん:2012/11/07(水) 13:54:19.86
>>978
華族誕生を読むと陞爵が必ずしもゴネ得ではなかったことがわかります。
そもそも>>987にあるようにごり押しでもゴネたわけでもないのですが。
997日本@名無史さん:2012/11/07(水) 14:01:54.51
いやいや荒れてきたね。
ウッシシシ!(年がばれるか)
しかし、くだらない書き込みに皆よく食いつくね。
何、お前もだって。こりゃまた失礼!(いよいよ年がばれるか)
998日本@名無史さん:2012/11/07(水) 14:10:14.26
>>997を審議中】

    ∧,,∧  ∧,,∧ なんてたってウッシッシ
 ∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧
( ´・ω) U) ( つと ノ(ω・` ) 大橋巨泉?
| U (  ´・) (・`  ) と ノ
 u-u (l    ) (   ノu-u
     `u-u'. `u-u'
   たぶん・・・  うむ・・・・・

999日本@名無史さん:2012/11/07(水) 14:42:37.93
>>978
大臣家だからこそ准大臣にならなかった(なれなかった)のでは?
1000日本@名無史さん:2012/11/07(水) 14:43:54.83
>>978
次スレよろ!
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