武家の官位について語れ

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1日本@名無史さん
関白太政大臣 豊臣秀吉が最強だな
2日本@名無史さん:2007/09/29(土) 12:22:26
太政大臣

平清盛・足利義満・豊臣秀吉・徳川家康・徳川秀忠・徳川家斉
3日本@名無史さん:2007/09/29(土) 12:26:01
極官 左大臣

足利義教・足利義政・豊臣秀次・徳川家光・徳川家慶
4日本@名無史さん:2007/09/29(土) 12:30:27
極官 右大臣

源実朝・織田信長・豊臣秀頼・徳川家綱・徳川綱吉・
徳川吉宗・徳川家重・徳川家治・徳川家茂
5日本@名無史さん:2007/09/29(土) 12:31:29
足利義栄・・従五位の下・左馬の頭・征夷大将軍

並の守護大名より官位が低い
6日本@名無史さん:2007/09/29(土) 12:34:11
極官 内大臣

足利義持・足利義尚・織田信雄・徳川家宣・徳川家継
徳川家定・徳川慶喜
7日本@名無史さん:2007/09/29(土) 12:39:24
>>5

義栄は入京できなかったからね。
足利将軍は夭折さえしなければ大納言には
昇進している。
8日本@名無史さん:2007/09/29(土) 22:52:01
江戸時代の武家官位ってなんで従五位上から正五位上までが欠けてるんですか?
9日本@名無史さん:2007/10/01(月) 14:03:00
>>8
仕様です
10日本@名無史さん:2007/10/04(木) 09:39:31
>>平重盛、宗盛も内大臣になっていないかな?
11日本@名無史さん:2007/10/04(木) 17:31:19
靭負佐ってどんな官位なんでしょうか?
調べてもわかりません。
12大阪名無しさん:2007/10/04(木) 17:54:32
>>1
確かに位人臣を極めていますな
13日本@名無史さん:2007/10/04(木) 18:33:41
>>11

左右衛門府か検非違使だね
官制大観
ttp://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/
で衛門府と検非違使のところを読んでくれ
14日本@名無史さん:2007/10/04(木) 22:14:31
靭負は本来は衛門府の別名というか雅称。
なので、靭負佐は>>13氏が言われるように衛門佐ということになる。
ただしどうやらただの衛門佐ではなく検非違使の佐の意味で使われているらしい。
なお検非違使の佐は最初期のまだ制度が固まらない時を除くと、
ほぼ例外なく衛門佐ではなく衛門権佐、逆に衛門権佐もほとんどが検非違使。
従って靭負佐=検非違使佐=衛門権佐と考えて良い。
そんなわけで衛門佐と衛門権佐は家柄が違う。
なお兵衛佐と兵衛権佐はそこまでの差はない。
15日本@名無史さん:2007/10/05(金) 12:47:59
>>13
>>14
ありがとうございました。
16日本@名無史さん:2007/10/06(土) 19:09:59
極官 内大臣 (訂正)

平重盛・平宗盛・足利義持・足利義尚・織田信雄
徳川家宣・徳川家継・徳川家定・徳川慶喜
17日本@名無史さん:2007/10/06(土) 19:36:38
大納言

平頼盛・源頼朝・足利尊氏・足利義詮・足利満詮
足利義嗣・足利義視・足利義稙・足利義晴・足利義昭
羽柴秀長・前田利家・徳川忠長・徳川義直・徳川頼宣
徳川光友・徳川光貞・徳川宗直・徳川宗睦・徳川治宝
徳川治済・徳川斉匡・徳川斉朝・徳川斉順・徳川斉温
徳川斉荘・徳川斉彊・徳川慶勝・徳川慶頼・徳川茂徳

間違っていたら訂正宜しく。
尚、徳川慶頼は後に中納言への降格処分を受けている。
18日本@名無史さん:2007/10/06(土) 19:49:20
極官 大納言 (訂正)

平頼盛・源頼朝・足利尊氏・足利義詮・足利満詮
足利義嗣・足利義視・足利義稙・足利義晴・足利義昭
羽柴秀長・前田利家・徳川忠長・徳川義直・徳川頼宣
徳川光友・徳川光貞・徳川宗直・徳川宗睦・徳川家基
徳川治宝・徳川治済・徳川斉匡・徳川斉朝・徳川斉順
徳川斉温・徳川斉荘・徳川斉彊・徳川慶勝・徳川慶頼
徳川茂徳

将軍世子家基を追加。
19日本@名無史さん:2007/10/06(土) 20:50:47
藤原頼経も権大納言ですけど、摂家出身だから除外ですか?
20武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/06(土) 22:20:50
東照大権現は正一位贈位。勅使の奉幣も受ける神だ。
21日本@名無史さん:2007/10/06(土) 22:29:34
若年寄は若い年寄り
22九条頼経:2007/10/06(土) 23:16:34
まろは公家でおじゃる
23日本@名無史さん:2007/10/07(日) 01:43:13
豊臣の時代はかなりの武将が公卿になっているな。

五大老は全員中納言以上だし
24日本@名無史さん:2007/10/07(日) 04:31:42
他は伊達政宗、島津義久、細川忠興、京極高次あたり?
25日本@名無史さん:2007/10/07(日) 11:57:03
>>20
足利義満は贈太上天皇、つまり上皇になっている
26日本@名無史さん:2007/10/07(日) 19:47:38
>>24
伊達政宗は、権中納言。島津義久・細川忠興・京極高次は参議。
なお、島津家久は権中納言。
>>25
室町幕府は贈太上天皇を固辞した。
27武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/07(日) 19:53:50
>>25
太上天皇に義満はなっていない。
朝廷が贈位しようとしたら息子の義持(張本人は家臣の義将ね)が
辞退したんだよ。
だから太上天皇じゃない(位牌にはその尊号があるが)。
この逸話に関しては、朝廷の、幕府が辞退することを見越した幕府に対する嫌がらせ説(河内祥輔氏の説)、
旧来の説を発展させた(この尊号問題に関してだけね)今谷説(これが妥当と私は思う)などがある。
28武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/07(日) 20:01:34
>>25
義満の死後、朝廷が太上天皇の尊号を贈位しようとしたら、
義持が辞退した、という逸話は、小学生向けの日本史本にも載っている(私は小学生のときから知ってたね)。
「義満がその死後、太上天皇になった」なんて嘘話、どこで知ったのかな君?
君は幼稚園レベルだな。
もう一度、子供向けの日本史本を読んだほうがいい。
どうでもいいが、つまらないレスを得々と私に向けて書き込みしないでくれ。
今月はけっこー忙しいんだ。ヨー・チエン殿w
29日本@名無史さん:2007/10/07(日) 20:36:44
織田家

右大臣・・・信長
内大臣・・・信雄
中納言・・・秀信
参議・・・・信包・秀雄
30日本@名無史さん:2007/10/07(日) 20:44:50
島津家

中納言・・・家久
参議・・・・義弘・斉興

義久って参議になったっけ?
義弘じゃね。
31日本@名無史さん:2007/10/07(日) 21:51:26
>>24

まだ出てないのは
蒲生氏郷・小早川秀秋・丹羽長重・福島正則あたりか
32武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/08(月) 01:21:17
尼将軍は従二位だ。確か。
33日本@名無史さん:2007/10/08(月) 20:46:37
大内義隆は不思議な存在。
足利一族でも室町幕府管領でもないのに
従二位兵部卿。
34日本@名無史さん:2007/10/08(月) 20:57:46
突然話は変わるんだけど、清和源氏の祖経基王(源経基?)って、
武蔵介から将門を密告して従五位下に叙されている。
つまり初叙は六位(王なので七位以下ではないだろう)と言うことになる。
父親が通説の清和皇子貞純親王にしても、陽成皇子元平親王にしても、
経基王は二世王と言うことになり、律令の規定だと初叙従四位下のはず。
親王自身が賜姓されていれば、皇孫でも五位や六位もあるようだけど。
この人って本当に二世王なのだろうか?待遇が悪すぎるような。
もしかして清和源氏も陽成源氏も嘘っぱちでというか仮帽で、
本当はもう皇統から相当離れた端の端の皇族じゃないのだろうか?
でなければ実は貞純親王の子でなくて孫ではないのだろうか、
伝えられる経基王の年齢だとそれもありそう。
35日本@名無史さん:2007/10/08(月) 21:13:53
貞純親王の六番目の孫の王だから六孫王とか?
通説は清和天皇六男貞純親王の子で清和の天皇の孫だから六孫王だっけ。
36日本@名無史さん:2007/10/08(月) 21:17:49
>>34
そうだね。
悪党で有名な中井王は高市皇子の孫で正六位豊後介なので
親王の子ではなく孫の位だな。
37日本@名無史さん:2007/10/08(月) 21:46:42
本当は三世王(親王の孫)でも従五位下初叙のはずなんだけど、
こういう規定って権力の中枢からはずれるとなかなか守られなかったのかな。
平将門も父が五位だから規定だと無位じゃなくて八位にはなれたはず。
正式に子と認められず田舎にくすぶったままならともかく一応忠平に仕えてるし、
官職の方はともかく規定の位階くらいは貰えそうな物だけど。
もうこの時点で蔭位制度は崩壊ないし崩壊しかかっていたのだろうか?
38日本@名無史さん:2007/10/08(月) 22:22:34
平安時代の初期には
桓武天皇がひいきの家臣の子に蔭位制に反した叙位を行ったような

>>33
朝廷や公卿に寄付しまくったり恩義を売りまくったからね
一番の恩義は生活に困った公卿を山口に招いて養ったことだろうが
その結果、陶隆房の変に巻き込まれて断絶した公家も多かったとか
39日本@名無史さん:2007/10/08(月) 22:36:56
桓武の寵臣藤原緒嗣(功臣百川の子)は規定の二一歳より前に位階を貰った。
それ以前でも規定より高い位階を貰った例はある。
但し規定より若年とか高い位階とか有利な場合は別勅によるものであり、
最初から例外規定として別勅による場合は除くとなっているのわけで、
実体としてはえこひいきだとは思うが合法的。
反対に規定より不利な場合は不満があったとは思うけど・・・・・・
ただ王の場合は規定の二一歳になっても位階を貰えないことが多かったらしい。
蔭位については野村忠夫氏はじめいろいろ研究があるけど、
蔭位の崩壊過程はやはりよく分からないのかな?
40日本@名無史さん:2007/10/09(火) 20:32:44
極官の方は別として、なんで家光でいきなり初任官がとてつもなく高くなったんだろう?
41日本@名無史さん:2007/10/09(火) 22:46:47
>40

 家康は当然として、秀忠にしても初任官の時は一大名の子の立場にいたわけで、
将軍家の世子と同じであるほうが変だと思いますが。
42日本@名無史さん:2007/10/09(火) 23:03:17
足利以前の将軍の初任との比較で言ってるんですが。
いきなり大納言なんて前代未聞じゃないですか。
43日本@名無史さん:2007/10/10(水) 00:24:17
>>42
そうだね。例えば、徳川家継はいきなり従二位権大納言から叙任しているからね。
44日本@名無史さん:2007/10/10(水) 09:22:15
甲府の徳川綱重と館林の徳川綱吉兄弟は
正三位参議左近衛権中将左馬頭
正三位参議右近衛権中将右馬頭
というように、左右で同じ官途を分けた。
こんな事例は珍しい。
しかも正三位で参議というのも武家では他に浮かばない。
45日本@名無史さん:2007/10/10(水) 10:31:04
>42
失礼、そういう趣旨ですか。

関係ありそうな話だと、秀頼を意識して、それ以上にしたとかいう事はないかな?
46日本@名無史さん:2007/10/10(水) 22:44:22
>>44 確かに正三位で参議という武家は珍しい。
他に長府藩始祖の毛利秀元ぐらいであろう。
47日本@名無史さん:2007/10/10(水) 23:15:27
江戸時代はまさに官位崩壊。
将軍家の庶子如きが大納言・中納言。
譜代家臣の輩が正四位、旗本でさえ諸大夫。
48日本@名無史さん:2007/10/10(水) 23:37:51
鎌倉時代の北条得宗家執権貞時は従四位上。
武家の官位は足利義満以降変になったんじゃね?
そもそも軍事貴族は諸大夫。
「さむらい」は六位の身分。
49日本@名無史さん:2007/10/11(木) 00:17:49
>>48
武力を背景にして官位の底上げを図るのは当然の成り行き。
そもそも等といっているのは、勢力が弱体化した公家の考えそうな話。
50日本@名無史さん:2007/10/11(木) 00:31:11
官位はそもそも朝廷(太政官)の専権事項。
我国は中世初期まではカースト制と言っていい。
51日本@名無史さん:2007/10/11(木) 01:22:54
侍は貴族の奴隷だもんね元々は
侍ごとき体力馬鹿が貴族の領域に土足で踏み込むなど間違っている
52日本@名無史さん:2007/10/11(木) 02:53:17
>>1
スレ主よ
千年に及ぶ武家の歴史を一元的に官位を語るのは荒唐無稽だwww
53日本@名無史さん:2007/10/11(木) 03:02:04
>>49
お前勉強せーよ。
北条貞時は承久の乱のずっと後だろが!
54日本@名無史さん:2007/10/11(木) 04:40:35
官位なんて飾りです
エロい人にはそれがわからんのです
55日本@名無史さん:2007/10/11(木) 06:53:00
>>53
読解力なさそうな感じ。
56日本@名無史さん:2007/10/11(木) 08:08:11
うがった見方、昇進するたびに一々披露したり礼金払うのが面倒くさかったんじゃないの。
足利家の将軍ですでに従四位下参議から従三位大納言に一挙昇進って例がある。
しかし実質的支配者であった将軍家はまだしも、一世源氏でも二世王でもないたかが国持
大名が四位直叙って、僭越の極みだな。
57日本@名無史さん:2007/10/11(木) 08:34:09
松平ごときが
58日本@名無史さん:2007/10/11(木) 09:10:04
>>56
しかし、それが実態。
それで当時は通っていたからね。
後世、あれこれ言ったとしても意味は無い。
59日本@名無史さん:2007/10/11(木) 09:13:58
貴族の領域を踏み荒らした元祖は清盛だろう
60日本@名無史さん:2007/10/11(木) 09:50:12
>>58
禁中並公家諸法度の第七条を嫁www
61日本@名無史さん:2007/10/11(木) 10:13:09
武家伝奏ルートの官位(将軍家が貰ってやる官位)はムチャクチャ。
町人の娘が生存中に従一位とは・・・
桂昌院のことだよ。
62日本@名無史さん:2007/10/11(木) 10:58:05
>>61
やればできることの証明だ。
63日本@名無史さん:2007/10/11(木) 22:44:55
今でも平安時代の階級社会が残っていれば
64日本@名無史さん:2007/10/12(金) 10:10:25
政治家には陰位の制はあるみたいだぞ
65日本@名無史さん:2007/10/12(金) 14:15:23
日本も完全なカースト制にすればいいんじゃね?
66日本@名無史さん:2007/10/12(金) 16:51:08
日本人はケチだから
乞食カーストになったら生活苦しくなりそうだな
67日本@名無史さん:2007/10/13(土) 12:55:02
日本のカースト
1,公務員
2,正社員
3,嘱託・契約・派遣
4,アルバイト・パート
5,ニート
68日本@名無史さん:2007/10/13(土) 13:13:16
本人はほぼ取り返しつかないけど次の世代に希望がないわけじゃないから
まだカーストにはなってない。
ただし政治家とか芸能人とかの職業はかなりなりかかってるから、
あと2世代もすればカースト化する可能性は大きい。
ニートは1や2の子でもなるし、ニート自体はほとんど子孫を残さないから
カースト足り得ない。
69日本@名無史さん:2007/10/13(土) 15:08:46
 日本再生は裁判所の改革から始めるべきです。 

少年A18歳と少年C16歳は、東京都足立区綾瀬の路上で夕方自転車に乗って帰宅中の
女子高校生を誘拐して少年Cの自宅に40日間監禁した。仲間らを集めて暴行させ金を
受け取り、陰毛を剃り音楽に合わせて服を脱ぎながら踊らせたり、性器に異物を挿入した。
彼女が逃げ出そうとすると体にオイルを塗って火をつけ、熱がり苦しむのを見て笑い転げた。
発見された遺体には性器と肛門にオトロナミンCの瓶が突き刺さり、両者がつながるほど
破壊されていた。
少年らの服役期間には裁判期間が算入され、しかも刑期満了前に仮保釈されたため、
主犯以外は全て6年程度で仮出所した。主犯も平成19年2月で仮保釈された。 
監禁を知っていた両親に監督責任は問われず無罪であった。
女子高生コンクリート詰め殺人事件:
70日本@名無史さん:2007/10/13(土) 17:35:49
大名クラスは幕府なり武家伝奏なりを通して正式な官位をもらってたにしても、
旗本・御家人とか、大石内蔵助みたいな大名家の家臣の官位も正式に与えられたものなのかな?
勝手に名乗ってるってことないですか?
柳沢吉保が出羽守を名乗った時、出羽守を名乗る旗本が11人いて、
みんな柳沢に遠慮して官名を変えたとどっかで読んだきがする。
武家の官職の重複は正式に認められてたのかな?それとも勝手に名乗ってるだけ?
71日本@名無史さん:2007/10/13(土) 17:56:48
>>70

大名の家臣は家老クラスは届け出
大名・旗本で同じ官位が重複ってのは珍しくもない
武家の官位は権官扱いってことらしい
72日本@名無史さん:2007/10/13(土) 18:02:29
>>71
禁中並公家諸法度の第七条に武家の官位は別って書いてあるね。
73日本@名無史さん:2007/10/13(土) 18:08:26
>>72

そそ、でもこのスレは江戸時代限定じゃないから
平清盛の頃から官途名の重複はあったし
74日本@名無史さん:2007/10/13(土) 18:15:17
江戸時代限定で言えば、
同じ役職同士で同じ官職は称しないというのが不文律。
例えば、町奉行に大岡能登守忠相がなったとき、
先任の町奉行に坪内能登守定鑑がいたため、
大岡は越前守にかわった。
また、上司と同じ官職にはならないというのも内規律。
75日本@名無史さん:2007/10/13(土) 18:19:35
>>73
除目が太政官と院で別ラインだったのかな?
詳しい人、教えてくれ。
76日本@名無史さん:2007/10/13(土) 18:58:26
付け加えると同じ名字で同じ官職と言うこともないです。
松平姓だと大変だったと思う。
77日本@名無史さん:2007/10/13(土) 20:47:42
戦国時代など武家の官位が自称だらけの場合
主君より格上の官位を名乗ってしまうこともあるのでは?
侍大将クラスが○×守とか名乗っている
78日本@名無史さん:2007/10/13(土) 21:51:39
自称って言っても、主君持ちの場合は本当の意味の自称じゃなくて、
主君が勝手に与えることが多いから、普通はその辺考慮すると思う。
まあ主君が小国守をなのって、家臣が大国守とかはあったかも。
79日本@名無史さん:2007/10/13(土) 22:26:13
就任したての将軍よりも
管領のほうが官位が上、って時期は
何度かあったような

ってこれは自称ではないな
80日本@名無史さん:2007/10/13(土) 23:11:33
将軍家御一家よりも家臣格の管領の方が官位が高いというのも不思議だ
別格の斯波家は別として
81日本@名無史さん:2007/10/13(土) 23:19:10
武家の怪しい官位の元祖は 
院の蔵人とかじゃね?
82日本@名無史さん:2007/10/14(日) 00:21:11
若くして亡くなった足利義勝と管領を務めた畠山持国。
前者は従四位下左近衛権中将。後者は、従三位左衛門督。
将軍と管領家との官位逆転現象の例。

尤も、近衛少将や中将は将軍家の専売特許とも言えそうだ。
官位相当が同じ中将と衛門督でも序列上は、中将の方が上位ということになる。
因みに、戦国時代、信濃国の戦国大名たる村上義清は従二位左近衛権少将だったが
これは例外ということか。

また、大内義隆にせよ大内義興にせよ、従三位以上の位階は有していたが
さすがに近衛少将や中将にはなれなかった。
だから、大内義隆は、大宰大弐や兵部卿になるしかなかった。
83日本@名無史さん:2007/10/14(日) 02:40:55
村上義清が従二位というのは本当なの?
母が管領斯波氏の出、妻が守護小笠原の出
田舎地侍にしては血筋は良いが
84日本@名無史さん:2007/10/14(日) 02:52:21
>>82
大内氏の太宰大弐は九州戦略上
少弐氏牽制の為ではないのか?
>なるしかなかった。  のではなく  あえてなった。 が正解。
85日本@名無史さん:2007/10/14(日) 09:35:09
>>84
そのようなことは自明の理。
むしろ、よくもまあ、大内義隆が兵部卿に任官できたことか。
また、義隆は、当時、他の戦国大名が任官できなかった侍従には任官している。
86日本@名無史さん:2007/10/14(日) 13:12:14
村上義清レベルなんか5位行くか行かないかだろう。
最悪無位無冠
87日本@名無史さん:2007/10/14(日) 14:49:54
村上義清
永正13年(1516)、元服して従五位下佐渡守
その後、左衛門少尉、右京権亮、左馬頭、周防守などを歴任し
正四位下左近衛権少将兵部大輔まで昇進したことはつかんでいる。
88日本@名無史さん:2007/10/14(日) 20:13:23
守護でもなく、敗北者の田舎豪族にしては高位高官だな
氏康より上、義元と同格なのか?
89日本@名無史さん:2007/10/14(日) 20:55:08
足利氏にとっては左馬頭は非常に重みのある官職、
将軍候補者かそれに準ずる人物か鎌倉公方(官等管領)だけに許された。
90日本@名無しさん:2007/10/14(日) 21:41:06
まあ管領の外孫だし
91日本@名無史さん:2007/10/14(日) 23:34:30
織豊政権以前で在京しない武家の最高位は
源実朝の正二位右大臣だな。
92日本@名無史さん:2007/10/15(月) 00:09:58
要するに献金という名の売価によって決まっているのでしょ?
伊東も守護でもないのに従三位になっているし、三位相当の法印には
宇喜田忠家や前田玄以もなっている
93日本@名無史さん:2007/10/15(月) 06:23:28
左馬頭は足利直義ももらっていたな
94日本@名無史さん:2007/10/15(月) 06:29:19
というか直義がもらってたからこそ
足利氏にとって重要な官職になったとか
95日本@名無史さん:2007/10/15(月) 06:47:30
足利尊氏以前の足利氏でも左馬頭に任ぜられていた人はいた。
例えば、足利義氏。
一方、執権北條氏の内、貞時や高時は左馬権頭になっており、
左馬頭にはなっていない。
今川義元は、従四位下治部大輔。桶狭間の戦いの時、三河守にかわっている。
96日本@名無史さん:2007/10/15(月) 12:24:17
大祝の諏訪氏は神階正一位
97日本@名無史さん:2007/10/15(月) 16:40:35
毛利元就は生前は従四位上、死後に贈従三位

明治になってなんと正一位になっている
98日本@名無史さん:2007/10/15(月) 17:09:47
まあ明治政府はバカばっかりですから
99日本@名無史さん:2007/10/15(月) 21:28:57
姉小路と北畠は公家のうち?
100日本@名無史さん:2007/10/15(月) 21:30:31
武家って言うのは平貞盛・藤原秀郷くらいから、徳川慶喜あたりまで?
101日本@名無史さん:2007/10/15(月) 22:44:46
確か義満の弟も左馬頭だったはず。極官は権大納言だったかな。
102日本@名無史さん:2007/10/16(火) 12:18:30
羽柴筑前守秀吉
103日本@名無史さん:2007/10/16(火) 18:02:38
足利氏の左馬頭、実は元から嫡男だった人は必ずしもなってない。
逆に兄弟継承とか、従兄弟とか、どっちかって言うと継承権が危うげな場合は
ほぼ漏れなくなっている。
将軍後継者・候補者としての権威付けが必要に時に使われた官かもしれない。
104日本@名無史さん:2007/10/21(日) 11:01:15
官位の序列は
大将>>>>>兵衛、衛門、馬督>中将>少将>兵衛、衛門佐
と思っていたけど江戸時代の大名で左衛門督から少将へ昇進があるが
江戸時代あ衛門督より少将が上という認識だったのだろうか?
105日本@名無史さん:2007/10/21(日) 16:44:38
>>104
左衛門督から少将への昇進というよりは兼任。
江戸時代の基本的な官位昇進の次第は例外はあるものの
従五位下国守或いは寮頭或いは職亮或いは符佐など→
従四位下国守或いは八省大輔或いは寮頭など→
侍従兼任→少将兼任→
従四位上少将兼国守或いは八省大輔或いは寮頭など→
従四位上中将兼国守或いは八省大輔或いは寮頭など→
正四位下中将兼国守或いは八省大輔或いは寮頭など。
106日本@名無史さん:2007/10/21(日) 19:44:35
公家的概念の序列では、
左大将>右大将>左衛門督>右衛門督>左兵衛督>右兵衛督>中将>少将>
衛門佐・兵衛佐・兵衛権佐>衛門権佐、の順になるようです。
馬頭は少将程度に相当するようです。
但し摂家の中納言兼中将等は中納言や参議が兼ねたりする督より格上かもしれません。
下級の方は、衛門大尉>衛門少尉>兵衛大尉・兵衛少尉>馬允、となります。
楽人補任の12世紀前半頃の例では、
五位近衛将監>近衛将監>兵衛尉>近衛将曹>衛門志>兵衛志>兵庫属>隼人令史>
内舎人>近衛府生>衛門府生>兵衛府生、の序列があるようです。
北条一門の初任の序列は、左近衛将監>右近衛将監>衛門尉(おそらく少尉)です。
足利将軍の場合はどちらも初任官である中将と左馬頭がほぼ同格のように思われます。

江戸時代は、参議以上>中将>少将>侍従>四品(四位)>諸大夫(従五位下)の序列でその他の官職は衛門督も含めて官職名自体には全く意味がないもので、
単なる名乗りと考えてください。
但し名乗りの中にも序列は有り、四品用の官職名と諸大夫用の官職名があります。
四品は、職大夫・省大輔
諸大夫は、職亮・省少輔・司正・衛門尉等
国守や寮頭・衛門佐・兵衛佐は両者兼用だったと思います。
衛門督や兵衛督は四品以上の中でも特別に家だけに許される官職名です。
侍従や少将は兼務というよりそちらが本質だと考えるべきだと思います
107日本@名無史さん:2007/10/21(日) 20:43:53
羽柴筑前守・惟任日向守・柴田修理太夫・滝川左近将監

このあたりの官職は対等なの?
108日本@名無史さん:2007/10/21(日) 20:48:40
中・少将、侍従はもともと羽林家の昇進ルートに特有(摂家以下大臣家以上も通るが)
なので特別な意味があるのでしょう。
豊臣政権では侍従になると公家成りと称して、諸大夫(治部少輔石田三成等)とは
明確な身分差があったようです。
徳川政権もこれを踏襲したのでしょう。
109日本@名無史さん:2007/10/21(日) 21:00:30
もともとの序列では、修理大夫(従四位下)>筑前守(上国:従五位下)>
日向守(中国:正六位下)>左近将監(従六位上)ですが、
しかし少なくとも鎌倉以後は、筑前守と日向守の差はほとんど意識されていなかった
と思われます。
その後は、少なくとも応仁の乱頃までは、修理大夫>筑前守・日向守>左近将監
だったと思われます。
信長政権でもその官職の序列意識が有ったかどうか不明です。
110日本@名無史さん:2007/10/21(日) 23:05:30
柴田勝家は修理亮じゃなかったけ?
修理亮は従五位下だから官等上は筑前守と対等。
ちなみに鎌倉時代だと執権・連署でも左京権大夫・修理権大夫で、
左京大夫や修理大夫にはなれなかった。
戦国時代になるとすっかり価値が落ちてしまったけど。
また鎌倉時代には、国守←従五位下←近衛将監又は式部丞又は衛門尉(検非違使)という
昇進ルートがあった。
111日本@名無史さん:2007/10/22(月) 03:48:30
左京大夫などは凄まじい勢いで価値が暴落したからなあ。
そこいら中の大名が名乗ってる。
112日本@名無史さん:2007/10/22(月) 11:47:53
武家は序列は無視して格好のよさそうな官を要求した訳?
113日本@名無史さん:2007/10/22(月) 14:54:30
足利将軍は代々、左馬頭と左近衛中将にセットで就任しているけど
頭中将と呼ばれることはあったんだろうか
114日本@名無史さん:2007/10/22(月) 17:10:17
斉藤義龍とかも一色左京太夫と名乗っていなかった?
115日本@名無史さん:2007/10/22(月) 19:01:22
室町幕府が一応表向きはしっかりしている間(幕府が官職授与を仕切っている間)は、
武家にもちゃんと官職序列の意識はあった。
乱世で幕府にそんな力がなくなり、朝廷を養うことも出来なくなると、
朝廷側も生きるために官職を乱発することになり、序列も滅茶苦茶になってしまった。
貰う側も左京大夫が国守や寮頭より格上だという意識があったからこそ、
それらの官職をほしがった物だと思う。
それでも序列を維持しようとする動きもあったが、結局背に腹はかえられなかった。
信長政権では、一応希望が考慮されたのか、信長が勝手に選んだのか不明。
筑前守とか日向守とか九州制圧を考慮していたという説もある。
>>113
頭中将というのはあくまでも蔵人頭である中将を差す特別な言葉なので、
紛らわしいから馬頭含めて寮頭兼中将でもそう呼ばなかった。
116日本@名無史さん:2007/10/27(土) 20:50:12
鎌倉武士の国守は名目だけの場合が多いと思うけど、
北条氏有力者とかで国務って言うのがあるけど、
その場合の守護との関係はどうなるんだろうか?
もしかして守護を牽制したいときに任命?
117日本@名無史さん:2007/10/28(日) 12:04:04
北条執権は最高権力者としては官位が低いな
義時が従四位下陸奥守とか泰時が正四位下左京権大夫
118日本@名無史さん:2007/10/28(日) 14:50:03
禁中並公家諸法度に武家の官位は別扱いのように書いてあるそうですが、
逆に言うと、江戸時代でも国司に任ぜられた公家がいたのですか?
119日本@名無史さん:2007/10/28(日) 15:25:21
左近衛中将ってかっこいいな
なんか名門の子息がなる感じ
120日本@名無史さん:2007/10/28(日) 18:57:09
北条氏は元々が侍(それもおそらく下級の)から成り上がったんだから、
諸大夫クラスなのはしょうがないと思う。
形式的にはあくまで将軍家の筆頭執事に過ぎないわけだし。
官職秩序から脱しようと後期の当主は比較的若年で出家したのかもしれない。
121日本@名無史さん:2007/10/28(日) 18:59:27
江戸時代は地下官人、画家とかが国守となってますね。
122日本@名無史さん:2007/10/28(日) 21:08:15
肥後の守というナイフがあるがあれは官位なの?
123日本@名無史さん:2007/10/28(日) 21:23:45
確か鍛冶師がその官職を貰ったんじゃないのかな。
124日本@名無史さん:2007/10/28(日) 23:24:56
じゃあ無賃乗車した人も官位持ちだな
125日本@名無史さん:2007/10/29(月) 11:24:11
>>124
ここの住人は理解できるかも
一般の大学生はわからないだろうな
126日本@名無史さん:2007/10/29(月) 15:33:14
意味わかんねぇorz

127日本@名無史さん:2007/10/29(月) 16:50:32
薩摩の守 平忠度
128日本@名無史さん:2007/10/29(月) 20:18:56
>>126
薩摩守平忠度と、無賃乗車(=ただ乗り)とをかけた言葉
129日本@名無史さん:2007/10/29(月) 20:43:08
忠度と書いて「ただのり」と読みます
130日本@名無史さん:2007/10/31(水) 17:31:53
忠臣蔵で有名な吉良家は高家であるから
朝廷との交渉役やで何かと京都で公家と会談するから
大名でもないのに従四位上少将という破格の官位をもらってたみたい

それで将軍との接見のとき
席次がすごく上で加賀前田家を激怒させたと何かの本で読んだ
131日本@名無史さん:2007/10/31(水) 19:04:05
加賀前田は家門以外の大名としては別格で、正四位下参議、老年で従三位、
嫡子でも正四位下少将が原則だったらしい。
いくら高家でも加賀前田の場合はさすがにないんじゃないの?
132日本@名無史さん:2007/10/31(水) 21:35:11
大名ですらなかった島津久光ごときが左大臣でいいのか?
133日本@名無史さん:2007/11/01(木) 01:33:44
>>131
いや、加賀前田家が怒ったのは自分より高いことからじゃなくて
たかだが一旗本が席次で百万石前田家のすぐ後ろにいるから
134日本@名無史さん:2007/11/01(木) 02:26:36
諸大名の席次は将軍と謁見するときと勅使を迎えるときでは違うのかな
将軍・・・石高や国持ちかどうか、それに親藩譜代外様
勅使・・・官位が優先になるとか
135日本@名無史さん:2007/11/01(木) 14:45:59
諸大名って勅使を迎えることあるの?
大名と朝廷の直接交渉は幕府が許さないんじゃないの?
136日本@名無史さん:2007/11/01(木) 17:48:35
江戸城に将軍以下が勅使を迎えるときの席次だろう
137日本@名無史さん:2007/11/01(木) 21:40:54
武家の官位ではないですけど、ここなら答えられる人が居そうなのでちょっと聞いて良いですか?
鎌倉時代あたりの伊勢神宮の神官の職員録を見ると、
宮司は概ね従五位下、初任時だと正六位上も有り、まれに在任中に従五位上に昇進。
一方禰宜はほとんどが四位それも正四位上が多い、時々若手(名門?)の初任時で五位。
って感じなんですけど、一応建前上は宮司が上司で禰宜は部下ですよね?
特に外宮なんかは独立性が強いんでしょうけど、でも建前上は部下ですよね?
なんでこんなことになっているんでしょう?
138日本@名無史さん:2007/11/06(火) 15:40:35
一時間「麾が麾」されなかったら◆官位を宣旨◆2
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1193475271/
139日本@名無史さん:2007/11/07(水) 12:51:03
立ち読みした本に従三位参議中納言とあったんですが(誰のことだったか憶えてない)
参議兼中納言なのか参議から中納言になったって意味なのかわからないのですが
参議と中納言は兼任なんてあるのでしょうか?
140日本@名無史さん:2007/11/09(金) 15:54:11
一時間「麾が麾」されなかったら◆官位を宣旨◆2
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1193475271/
141日本@名無史さん:2007/11/09(金) 17:52:56
参議のそもそもの発生は、文字通り正式の議政官である大臣・大納言以外に議政に参加
出来る資格で、本来は官職では有りません。後になし崩し的に官職化していきますが。
その後に大納言に準ずる存在として中納言が復活(内容的には新設?)しました。
この時点では参議はまだ官職化していないはずです。
つまり参議とは本来的に大臣・納言以外で議政に参加しうる資格なわけで、
中納言が参議たる意味はありません。
また後に参議が準官職化すると、完全に中納言>参議となりますが、
創生期では中納言>参議とは必ずしも言えないようです。
142日本@名無史さん:2007/11/09(金) 17:59:55
>>141
ありがとうございます。
143日本@名無史さん:2007/11/09(金) 18:30:33
俺の官位は
従四位上左馬頭兼左近衛中将
です
144日本@名無史さん:2007/11/10(土) 10:44:26
真面目にうかがいますが、
春はあけぼのの清少納言の
「少納言」ってなんですか?
スレ違いなのはわかってますが教えてください。
145日本@名無史さん:2007/11/10(土) 11:49:00
親が清原少納言じゃないのか?
146日本@名無史さん:2007/11/10(土) 12:11:21
あずきの少ないやつだよ
147日本@名無史さん:2007/11/10(土) 13:00:41
>>146
座布団全部取った上に
飯研にてなぶり殺しを命ずる
148日本@名無史さん:2007/12/03(月) 12:33:20
もう話題なくなちゃったかな。
149日本@名無史さん:2007/12/03(月) 13:23:36
殿中大広間詰にてござる。
150日本@名無史さん:2007/12/03(月) 14:04:19
>>145
平安時代の女房名は父親の官職によってつけられることが多いが、
(式部丞藤原為時の娘藤式部(のち源氏物語が有名になり紫式部)など)
清少納言の親父清原元輔は少納言に任じられていない。
清少納言の「清」は清原から来ていると見て間違いないので、
少納言は親族の官位といわれている(誰だか未確定)。
151日本@名無史さん:2007/12/03(月) 14:22:47
>>143
足利将軍キター
152日本@名無史さん:2007/12/04(火) 10:40:48
前田家ってそんなに偉いか?
前田利家は偉人だとしても他は・・・。
家柄自体、ただの土豪でしょ。
高家のほうがよっぽども偉いだろ。
153日本@名無史さん:2007/12/04(火) 13:39:21
>>152
大諸侯ですから
154日本@名無史さん:2007/12/04(火) 14:45:31
前田家って、将軍家と姻戚関係がつよく、
外様だけど親藩扱いされていたんじゃなかった?
155日本@名無史さん:2007/12/04(火) 18:47:09
加賀前田家三代 利常        徳川秀忠の次女・珠姫を正室とする
加賀前田家四代 光高(母珠姫)  水戸徳川家・徳川頼房の娘(徳川家光養女)を正室とする
加賀前田家五代 綱紀(母頼房娘) 保科正之の娘を正室とする

以下省略

男漁りと多病が原因でなかなか子供に恵まれなかった家光が
一時期一番血縁関係の深い光高を養子として後継者にすることを考えていたこともあるようで

加賀藩は、外様筆頭で幕府ににらまれつつも、親藩扱いという微妙な関係だった。
156日本@名無史さん:2007/12/05(水) 21:13:11
家康の五男の武田信吉ってなんで官位がないの?
関ヶ原後まで生きていたし、六歳で死んだ七男・八男と違い年も21。
どうして?
157日本@名無史さん:2007/12/05(水) 21:21:18
>>156

病弱だったからと思われる
158日本@名無史さん:2007/12/05(水) 21:38:43
成る程、しかしそれでも加増はされたんだから変な話ですね。
159日本@名無史さん:2007/12/08(土) 21:08:12
鎌倉時代ってどのレベルまで官位貰ってたの?
守護クラスは通常貰っていたんだろうけど、郡地頭は?郷地頭は?
村地頭クラスは縁なし?
160日本@名無史さん:2007/12/09(日) 06:53:25
なし
161日本@名無史さん:2007/12/10(月) 03:04:31
別に地頭だからとか守護だからとかでもらうんじゃない
鎌倉殿や得宗家に近いか否かでもらうわけで

ほとんどの御家人は無位無官で終わる
やや上層の御家人の多くも六位の左衛門尉などの侍官途どまりで晩年に受領もらえればいい方
北條一門や足利氏・安達氏などの有力御家人がやっとデフォルトで五位の受領
四位以上に昇叙する御家人となると一握り
162日本@名無史さん:2007/12/13(木) 10:18:05
同時代の僧侶が北条貞時のことを相州太守副将軍と表現してるけど、
太守の方は官途の相模守でよいとして、副将軍の方は執権?得宗?どちら?
163日本@名無史さん:2007/12/13(木) 23:18:14
おそらく得宗
当たり前のことながら通称にすぎないけど
164日本@名無史さん:2007/12/13(木) 23:21:52
うむ!



征夷大将軍=統帥権保有軍司令官=正三位

165日本@名無史さん:2007/12/15(土) 10:57:49
内管領平頼綱の次男飯沼助宗が安房守になったってことは、
鎌倉武士の官職認識だと諸大夫になったってことだと思うけど、
主君である得宗自体諸大夫のはずで、その辺の整合性ってどうなんだろう?
単なる頼綱親子の思い上がり?
166日本@名無史さん:2007/12/15(土) 22:43:26
なんか北条って足利や徳川みたいに官位に執着してないね。
時代が古いのにより進歩的な感じ。
徳川家康はやっぱり保守的だな。所詮は田舎者根性が抜けなかったのか?
秀吉のコンプレックスに近いものを感じたりする。
167日本@名無史さん:2007/12/16(日) 00:20:24
>>164
マジレスしちゃうけど征夷大将軍には官位相当はないよ
源実朝は従五位下で征夷大将軍になってる

>>165
侍身分で受領になる奴も皆無ではない
「諸大夫は諸大夫を使えない」は原則だからやはり諸大夫じゃなくて侍なのでは?

>>166
単純に鎌倉殿の御家人だから諸大夫以上に昇れなかっただけだと思うけど
168日本@名無史さん:2007/12/16(日) 01:20:39
征夷大将軍なんて今の感覚ならせいぜい大佐クラス
169日本@名無史さん:2007/12/16(日) 10:07:26
ところで御内人って元々侍だったのかな。
侍が羽振りの良くなった北条嫡流に転職したのか、北条の郎党が主家の出世に伴い侍に昇進したのか?
170日本@名無史さん:2007/12/16(日) 10:21:53
>>166
一族に名乗らせたりしてるじゃん
そもそも古い時代の北条っての持ち出して名乗ってるじゃん
古河公方使って旧体制の権威利用してるじゃん
171日本@名無史さん:2007/12/16(日) 10:25:28
征夷大将軍に官位相当はないんだけど、官職としての将軍は大夫の職だった経緯から、
副将軍以上は五位以上って言う慣例があったようだ。
大将軍は四位以上が通例って言うか、まあ四位クラスの就任を想定されていたようだ。
そのうち位階自体のインフレ化で実際の就任者の位階も上昇するけど、
将軍=五位以上って言う概念は室町時代までは生き続けていたみたい。
徳川将軍の位階(得に初叙)がやけに高いのは三河の山猿のコンプレックスなのか?
秀吉が変な前例をつくってしまったからなのか?
172日本@名無史さん:2007/12/16(日) 18:49:53
>>170
なんか意味がわからないと思ったら、そうか後北条氏のことを言ってるのか。
173日本@名無史さん:2007/12/16(日) 20:07:15
>>168
おまえは俺かw
174日本@名無史さん:2007/12/16(日) 20:49:13
>>172
足利徳川羽柴と全部同じ時代の人間で北条だけ執権というのは無理があるぞ
175日本@名無史さん:2007/12/16(日) 21:03:52
いやまあ確かに足利義昭、羽柴秀吉、徳川家康、北条氏政・氏直等は同時代人だね。
176日本@名無史さん:2007/12/16(日) 21:05:06
足利徳川羽柴と全部天下人なのに後北条だけ一大名という方が無理がある
177〜太政大臣〜近衛家:2007/12/16(日) 21:13:53
>>1には「 正四位下 参議 」の官位を与える。
>>2には「 従四位下 右衛門督 」の官位を与える。
>>3には「 従四位下 右兵衛督 」の官位を与える。
178日本@名無史さん:2007/12/17(月) 07:23:18
>>174
誰も同時代人なんて言ってないじゃんw
低能丸出し
179日本@名無史さん:2007/12/17(月) 08:18:12
>>168
リビアの大佐クラス?
180日本@名無史さん:2007/12/17(月) 08:38:39
>>178
そういう誤解を招く書き方だって言ってるんだろう?
バカじゃないのか?
181日本@名無史さん:2007/12/18(火) 00:02:45
>>180
勘違いしてるのはおまえだけだからw
182日本@名無史さん:2007/12/18(火) 00:35:40
>>181
レスしてるのは一人だけと思ってるお花畑な人ですか?
183日本@名無史さん:2007/12/18(火) 07:36:08
>>182
IDなしの匿名掲示板で別人であることを主張しようとするおまえの低能ぶりには恐れ入った
184日本@名無史さん:2007/12/19(水) 09:35:59
つまりひとりだけだと思ってたんだなw
被害妄想ここにきわまれりw
185日本@名無史さん:2007/12/19(水) 19:03:37
北条氏の官途って、左近将監と修理亮・掃部助が多いけどどうして?
式部丞が多いのは五位昇進のステップだろうって言うのはわかるけど?
別に雅楽助や大膳亮や内蔵助とかでもよいと思うんだけど。
北条一門は同名も多いから官途は散らした方が紛らわしくないと思うんだけど。
186日本@名無史さん:2007/12/19(水) 19:11:12
人間は
気に入らない意見は少数の変わり者から
気に入る意見は大多数の人から
発せられていると思いたいものです
187日本@名無史さん:2007/12/20(木) 13:03:48
>>186
城壁厨そのものだな。
188日本@名無史さん:2007/12/20(木) 19:20:44
大内が三位以上に上って細川が四位どまりってのは何なんだろうね。
189日本@名無史さん:2007/12/20(木) 23:44:04
>>188

190日本@名無史さん:2007/12/21(金) 00:42:23
鎌倉殿の御家人に、陸奥守、出羽守、能登守、越前守、近江守、伊勢守、安芸守などなどがおるけど。
ちょっと不思議。
・御家人の官途は将軍が推薦しなけりゃならぬ、
・国守を推薦するのは知行国主、
・鎌倉将軍が知行国主やってる国を関東御分国といふ
ってことだから、これらの国も関東御分国だったってことなのかしら?
普通はそうは教えられないけど。
191日本@名無史さん:2007/12/21(金) 00:45:17
>>188
田舎のほうが官位の権威が高かったので、カネだして高い官途を望む。
機内周辺では、官位の権威が低いので、あまり拘らない。
って誰かが書いてた。
192日本@名無史さん:2007/12/21(金) 09:43:30
>・国守を推薦するのは知行国主
日本全国全部に知行国主が居たというわけでもないので、それ以外の国の国守も推薦できた思う。
193日本@名無史さん:2007/12/21(金) 09:48:33
鎌倉時代あたりだと国務を取る国司と名目だけの国司とかあったらしい。
それで特に国務をとると明言される場合もあるようだ。
名義だけの国司の場合は、正直どこでも良かったのでは?
あと親鎌倉の貴族が知行国主である場合に、
幕府の仲立ちで御家人を国司に任命することもあったのでは?
194日本@名無史さん:2007/12/22(土) 01:05:40
>>192
知行国主とは、その国の国守推薦権を独占的に世襲する家。ということか。
そうであれば国守を単発で推薦しても知行国主とはいえなさそうね。
>>193
国衙領が無視し得ない存在であった鎌倉期において、国守が名目だけという国はないのでわ。
それてとも、国衙を在庁官人どもが牛耳っていて、国守やその目代は出る幕無しということかしら。
195日本@名無史さん:2007/12/22(土) 19:55:46
光瀬龍と言う人が書いた平家物語4巻に随身について説明してあるところが有ったんだけど。
「府生は近衛府の将校である。番長は下士官とでも言おうか、近衛は近衛の兵士である」
ここまでは良いんだけど、この後で吹いた。って言うか頭が痛くなった。
「府生は正六位近衛将監か従六位近衛大尉と言う位階である。
現代で言えば将監が中佐か少佐、大尉はそのまま大尉と言ったところか。
番長で正八位の大志、最下級の兵で従八位少志。
まず大志で伍長か兵長、少志で一等兵と思えばよい」
所詮は小説だから間違っていてもまあしょうがないんだけど、
ただどこからこんな珍説を拾ってきたんだろうって気になった。
196日本@名無史さん:2007/12/22(土) 20:35:03
官位相当から見て、単純に近衛府と衛門府、兵衛府をごっちゃにしただけでは?
197日本@名無史さん:2007/12/22(土) 21:43:06
豊田有恒「荒野のフロンティア」・「雪原のフロンティア」
田村麻呂とアテルイの時代の東北を舞台にした西部劇もどき。
作者自身がどちらかのあとがきで古代日本を舞台にした西部劇を書きたかった、
近衛の少将・大佐・大尉・軍曹等の階級がそのまま使える点が魅力、
と言うようなことを書いていた。
作中にも近衛大尉・近衛少志等の肩書きを持つ登場人物が出てくる。
近衛府・兵衛府・鎮守府あたりがごちゃ混ぜだが、上のよりはまだましか。
198日本@名無史さん:2007/12/22(土) 22:04:31
>>195
厳密に言えば府生それ自体は将校じゃないよな
相当位階がないから兵だろうか
もちろん他の官職を帯している場合を除けばの話
後世の地下官人とかは尉官〜佐官程度の官位をもっているから

それにしてもその作者は何故わざわざ恥を晒すような真似を…
199日本@名無史さん:2007/12/23(日) 15:34:09
後北条氏の当主の官職なんだけど、左京大夫なのに従五位っていうのはどういうことだろう
この「大夫」って、本当に京職の長官の意味なのか、それとも本来六位以下相当の判官である
左京大進や少進なんだけど、五位だからという意味の「大夫」なのか。

詳しい人の解説をお願いします。
200日本@名無史さん:2007/12/23(日) 17:41:38
>>199

氏政&氏直は正式に従四位下左京大夫兼相模守に叙任だったと思う。
回答としては本当に京職の長官の意味が妥当かな
201日本@名無史さん:2007/12/23(日) 18:08:09
管領細川高国は五位で右京大夫だったようだ。
嫡流当主になることにより、その証として右京大夫になったが、
それ以前が無位無官だからいきなり四位にはなれなかったのだろうか?
相当位が五位の官に六位でなるのはほとんどあり得ないが、
相当位が四位の官に五位でなるのは異例ではあるがあり得なくはない。
五位中将とか。
202日本@名無史さん:2007/12/23(日) 21:29:17
しかし内管領っていうのも凄いよな。
いくら官位なんか飾りですって言っても、左衛門尉が事実上の宰相だもんな。
近代史で言うと辻正信が事実上の総理って感じか。とにかく凄い。
203日本@名無史さん:2007/12/23(日) 22:41:29
官職に左右があるけど(左大臣・右大臣とか)なんで左が右より上なの?
誰か教えて〜
204日本@名無史さん:2007/12/23(日) 22:43:33
簡単に言うと日本がまねをした頃の中国で左が上だったからです。
205日本@名無史さん:2007/12/23(日) 22:45:59
>>203

wikiれ
206日本@名無史さん:2007/12/23(日) 22:48:54
漢の初め頃は右が上(右丞相>左丞相)だが、どこかで逆転したらしい。
三国時代(確か呉だったかな)の左右大将軍は左が上だったと思う。
日本が官制の参考にした頃(随あたり)になると完全に左>右。
なぜかモンゴルは右>左で、その名残で明も極初期は右>左。
207日本@名無史さん:2007/12/23(日) 22:58:44
右文=文を尊ぶって言葉も右上位の時代じゃないと出てこないね。
208日本@名無史さん:2007/12/23(日) 23:54:59
>>207

もっと一般的な左遷って言葉もあるよん
209日本@名無史さん:2007/12/24(月) 01:35:16
>>203
自慰に際して右手を使うことが多く、右は不浄とされたため

引用:民明書房「穢れの歴史」
210日本@名無史さん:2007/12/24(月) 02:45:42
でもさ天皇皇后が並ぶとき
天皇が必ず右だよな

右が上座って感じ
211日本@名無史さん:2007/12/24(月) 09:47:02
匈奴は左の方が上位だな、左賢王が単于に次ぐナンバー2。
212日本@名無史さん:2007/12/24(月) 10:04:25
宮内庁のサイト見たけど
天皇陛下が左だよ
213日本@名無史さん:2007/12/26(水) 11:57:31
足利将軍って、義満以外は歴代の徳川将軍よりだいぶ官位が低いね。
214日本@名無史さん:2007/12/26(水) 12:14:08
中国は王朝によって右が上だったり左が上だったりするんだよ
日本の雛人形などでは、古くは男雛が左、女雛が右になっていた。
ところが、ヨーロッパの王室では国王が右、王妃が左だったらしい。
そこで、大正天皇の即位の礼では、大正天皇が右、貞明皇后が左に立った。
以来、天皇家の即位の礼ではこの形を踏襲。
雛人形も男雛が右になっている。
215日本@名無史さん:2007/12/26(水) 14:40:46
>>213
江戸時代の官位は武家と公家が別枠だから
単純に比較できないね。
216日本@名無史さん:2007/12/26(水) 15:44:33
俺は子供生んだら「主水」とか「山城守」とか官位の名前付けるんだルンルン(AA略)
217日本@名無史さん:2007/12/26(水) 19:03:28
>>216
太政官布告で禁止されてるよ
218日本@名無史さん:2007/12/26(水) 20:55:51
あれはまだ生きているのか?
219日本@名無史さん:2007/12/26(水) 22:55:41
>217
右京とか主税、主計とか大輔/大介とか、引っかかりそうな名前はいろいろあるけどね。
220日本@名無史さん:2007/12/26(水) 23:20:22
マメで大納言ってなかったか
ヤツはいいのか
221日本@名無史さん:2007/12/27(木) 02:21:31
武田 元信って従三位まで上がってる。
何でだろ。
222日本@名無史さん:2007/12/27(木) 08:19:35
>>221

wiki見れ
223日本@名無史さん:2007/12/27(木) 19:16:55
赤松政則ってなんで三位になれたの?
これが仮に細川なったというのなら実力者だから当然だってことになるし、
大内の場合は金と兵力で半ば強引に分捕ったってわかるけど。
赤松ごときがどうして?
224日本@名無史さん:2007/12/27(木) 19:25:41
出雲の豪族で一時備後守護になったりもした朝山氏、
系図によると初代は藤原不比等の孫真楯の曾孫従五位上大伴河内守政持、
836年に検非違使看督長として下向し土着したという滅茶苦茶な経歴。
この時期の検非違使関係者で五位なら佐くらいしかあり得ないよな。
どうせ偽系図を作るならもう少し本物らしく作ればいいのに。
225日本@名無史さん:2007/12/27(木) 20:55:03
確かに、五位なら少なくとも尉だよな。火長(衛門府から選抜された検非違使の兵隊)から
選抜される看督長とは控えめというかなんというか。なんで位階もないような官名をわざわざ
書いているんだろう?
226日本@名無史さん:2007/12/28(金) 00:08:01
なにか長門には初代が番長らしい有力武士もいたそうで、
従五位上とか真楯の曾孫はふかしでも看督長は事実かもしれない。
真楯の曾孫ってことは良房の又従兄弟か、師輔と藤原純友との関係くらいか。
それだとせめて掾程度の気がするからやっぱりはったりかなあ。
真楯の従兄弟の仲麻呂の曾孫ならその程度に没落しているかもしれないけど。
227日本@名無史さん:2007/12/28(金) 09:24:23
むしろ看督長のみが事実だと見た。
228日本@名無史さん:2007/12/29(土) 00:07:02
室町幕府の奉公衆関連の用語で衛府侍ってのがあったんだけど、
これって奉公衆のうちの衛門尉・兵衛尉等の任官者のことかな?
無官の連中と区別されていたんだろうか?
229日本@名無史さん:2007/12/29(土) 02:41:39
奉公衆関連用語かどうかは知らないけど官職で区別されるのは当然では?

こんな感じの序列があったというのは聞いたことがある

衛門・兵衛督>京・修理大夫>八省輔、衛門・兵衛佐、諸寮頭>受領>諸寮助>衛門・兵衛尉

言わずもがなだけど
左馬頭は足利氏のみ
左兵衛督は足利一門・斯波武衛家・吉良氏のみ
右京大夫は細川京兆家のみ
230日本@名無史さん:2007/12/29(土) 08:28:26
常陸大掾家の疑問
常陸は親王任国だから介が他国の守に相当し、在庁官人のトップが大掾だった説明されている。
なるほどそうなんだろうけど、ではどうして上総の方は上総介なんだろう?
どちらも桓武平氏だしなにが違うんだろうね。
上総介の方が謀反人の子孫だから、介になれなかったとかなら理屈もわかるんだけど。
単なる偶然なのかな?
231日本@名無史さん:2007/12/29(土) 09:16:17
カダフィ大佐って大佐なのに国のトップだよね。
232日本@名無史さん:2007/12/29(土) 09:39:08
>229

直接は関係ないけど、江戸時代の官名名乗りでは諸寮の官名の価値が軒並み下がって居るなあ。
頭は受領と同格になってる(従五位下なら名乗れる)し助に至っては誰でも名乗れる。
一方で、衛門・兵衛尉は受領と同格(従五位下にならないと名乗れない)まで格式が向上してる。
幕府の所在地とか朝廷との関係なんかの違いが微妙に影響してるのだろうか?
233日本@名無史さん:2007/12/29(土) 13:47:59
>>231
知ってて書いてるでしょ
234日本@名無史さん:2007/12/29(土) 14:51:04
阿修羅男爵って一番下の爵位だよね。
235日本@名無史さん:2007/12/29(土) 15:06:09
ケロロ軍曹はケロン星宇宙進攻軍特殊先行工作部隊隊長なんだけど、
隊員のクルルは曹長で実は一階級上なんだよね。
知ってた?
236日本@名無史さん:2007/12/29(土) 15:26:38
キバ男爵
ツバサ大僧正
ヨロイ元帥
237日本@名無史さん:2007/12/29(土) 15:45:41
ゾル大佐
238日本@名無史さん:2007/12/29(土) 15:54:34
ジェネラルシャドウ
鋼鉄参謀
ドクターケイト
岩石男爵
狼長官
荒ワシ師団長
ドクロ少佐
隊長ブランク
ヘビ女
マシーン大元帥
磁石団長
ヨロイ騎士
岩石大首領
239日本@名無史さん:2007/12/29(土) 21:11:27
やっぱり小父さんが多いのか?
240日本@名無史さん:2007/12/29(土) 21:52:03
>>239
図星だW
241日本@名無史さん:2007/12/29(土) 22:29:46
阿修羅男爵、ブロッケン伯爵、ピグマン子爵、ゴーゴン大公、ヤヌス侯爵とならべていて思ったんだけど、
ピグマン子爵ってまだ大丈夫?マジンガーZの再放送って可能?
242日本@名無史さん:2007/12/29(土) 22:37:27
?よくわかりません
243平成生まれ:2007/12/29(土) 22:51:42
>>241
おじさんて呼んでもイイですか?
244日本@名無史さん:2007/12/29(土) 23:36:54
信長の官位って入京後の弾正忠(これすら怪しい?)より前は全部私称?
そうするとその2年前に家康は従五位下三河守に任官していることがやや不思議。
信長は当初官位に全く興味がなかったのか?
245日本@名無史さん:2007/12/29(土) 23:40:16
徳川の場合は今川が三河守だったから
三河の実質支配をしましたしますみたいな影響力を意識しての任官では
246日本@名無史さん:2007/12/30(日) 03:39:01
信長は最初上総守を自称後、上総介へ。
247日本@名無史さん:2007/12/30(日) 10:00:09
>244

任官時に吉良家とはどんな関係だったかな?
三河は足利の根拠地だったし、今川家臣時代に
得たものとかもあって、家康の方が信長より京への
コネは意外と多かったかも知れない。
248日本@名無史さん:2007/12/31(月) 00:48:38
>>247
じつは意外に新田の残党も多い
室町初期は新田氏(大島家)が守護になっているくらい
249日本@名無史さん:2008/01/04(金) 20:21:31
細川は歴代せいぜい従四位下どまりみたいだけどなぜ?
大内の従二位はともかく、斯波や畠山は従三位や正四位下がいるし、
赤松でさえ従三位が居るのに。
250日本@名無史さん:2008/01/04(金) 21:21:53
家格の問題じゃないの?

斯波>吉良>畠山>>>>細川

赤松は死去直前の御祝儀のようなものでは?
251日本@名無史さん:2008/01/04(金) 22:04:14
やっぱり家格なのかな?
赤松はもちろん斯波も畠山もほとんど細川の家臣同然になってたのにな。
252日本@名無史さん:2008/01/04(金) 22:22:24
日本国王は何人?
253日本@名無史さん:2008/01/04(金) 23:29:25
え・・・日本人じゃないの?
254uaa:2008/01/05(土) 18:46:48
共産党の奴は「天皇は朝鮮人」と主張する。
今の共産党って年寄りばかりで、チョン嫌いが多いんだよねwww
255日本@名無史さん:2008/01/05(土) 18:53:32
海外じゃ官位の世襲化は逆臣の初めと忌まれていたのに本邦ときたら…
256日本@名無史さん:2008/01/05(土) 19:23:01
>>253
呉の子孫。
だから血は中国
257日本@名無史さん:2008/01/05(土) 20:37:49
昔は日本も大陸にくっついてたんだから
オマエラ全員、中国人でもあるし朝鮮でもある
258日本@名無史さん:2008/01/05(土) 21:47:34
アイヌは無視か?
259日本@名無史さん:2008/01/06(日) 08:34:19
>>255
西欧の伯爵とか公爵は、官職→世襲化→爵位って言う経緯をとってますけどね。
260日本@名無史さん:2008/01/06(日) 09:35:01
>259

中国のことじゃないだろうか?

確かにあの国では科挙により官職の世襲化は避けていたけど、
そのせいで頭でっかち&頭の固い官僚ばかりになって変化に対応できなくなったけど。
しかも、科挙に受かるまでに懸けた投資を回収しようと親戚一同で官僚にたかりまくるのが
当たり前の社会になっちゃったし。
ま、これ以上は世界史板の話題かな?
261日本@名無史さん:2008/01/07(月) 16:25:21
武家の世襲官称を見ると家格の高低がわかる

●衛府督クラス
関東足利家:左兵衛佐、左馬頭、右兵衛督、左兵衛督
斯波武衛家:尾張守、左兵衛佐、左衛門佐、治部大輔、左兵衛督
斯波大崎家:陸奥守、左衛門佐、左京権大夫、左京大夫、左衛門督
西條吉良家:上総介、左兵衛佐、治部大輔、左兵衛督
東條吉良家:上総介、左兵衛佐、左京大夫、左兵衛督
畠山尾張家:上総介、尾張守、播磨守、右衛門佐、左衛門佐、弾正少弼、宮内大輔、右衛門督、左衛門督
山名惣領家:右衛門佐、弾正少弼、右衛門督

●京・修理大夫クラス
斯波最上家:左馬助、出羽守、左京大夫、修理大夫
駿河今川家:左馬助、上総介、民部大輔、治部大輔、修理大夫
遠江今川家:陸奥守、伊豫守、左京大夫
畠山匠作家:左馬助、左衛門佐、修理大夫
丹後一色家:兵部少輔、右馬権頭、左京大夫、修理大夫
丹波仁木家:兵部大輔、左京大夫
細川京兆家:右馬助、武蔵守、右京大夫
扇谷上杉家:弾正少弼、修理大夫
赤松家:左衛門尉、上総介、兵部少輔、左京大夫
佐々木六角家:検非違使、右兵衛尉、左兵衛尉、左衛門尉、近江守、備中守、大膳大夫、左京大夫
土岐池田家:美濃守、左京大夫
大内家:周防権介、周防介、周防権守、左京大夫

●大膳大夫・八省大輔クラス
二本松畠山家:右京亮、上総介、上野介、治部少輔、宮内大輔、右馬頭
石橋塩松家:左近衛将監、尾張守、左衛門佐、宮内少輔、治部大輔、式部大輔
渋川家:左近衛将監、右兵衛佐、左衛門佐、中務大輔
山内上杉家:蔵人、右京亮、安房守、兵部少輔、民部大輔
佐々木京極家:検非違使、左衛門尉、近江守、佐渡守、治部少輔、中務少輔、大膳大夫
土岐世保家:蔵人、検非違使、左衛門尉、出羽守、大膳大夫
262日本@名無史さん:2008/01/07(月) 16:37:55
本来の概念だと、
左衛門督>右衛門督>左兵衛督>右兵衛督で、
公卿補任とかを見ても実際にそのように昇進している例が多いが、
室町期の武家的概念では左兵衛督>左衛門督のように思えるな
263日本@名無史さん:2008/01/07(月) 20:13:18
源頼朝が右兵衛権佐だったということで武家にとって兵衛府の方が名誉の官になった
264日本@名無史さん:2008/01/07(月) 22:50:11
上総介が多いのね
265日本@名無史さん:2008/01/08(火) 21:37:15
親王任国は権守は置かないの?
266日本@名無史さん:2008/01/08(火) 21:38:19
足利一門が上総介に任官したのは足利第三代惣領義兼が最初。
これは鎌倉右大将家御門葉として御家人で初めて受領に任官したという栄誉とされている(義経の伊予守任官より早い)。
またその孫の足利太郎長氏(第四代惣領左馬頭義氏の庶長子)も上総介に任官しており、
その子孫の家系は鎌倉時代には足利上総家と呼ばれた。
この家系が室町期に吉良・今川を名乗って以後両氏の世襲官称になる。

ちなみに第五代惣領宮内少輔泰氏は尾張守にも任官しており、
その嫡男(のち廃嫡)足利太郎家氏がそれを継いだことからこの家系は足利尾張家と呼ばれ、
その子孫である斯波一門や石橋氏が尾張守を世襲している。

足利惣領家・足利尾張家・足利上総家が足利一門の3トップ。
これに源姓畠山氏を加えた四家だけが鎌倉殿御家人であったために、これらの家は室町期に至っても家格が高かった。
血筋の上から見ると次点が渋川氏かな?
室町殿御一家衆が吉良・石橋・渋川の三家だというのもこれで納得できる。
267日本@名無史さん:2008/01/08(火) 21:38:50
北条介・富樫介・大内介・千葉介・三浦介等々
なんで上総介だけ国名なの?
268日本@名無史さん:2008/01/08(火) 21:47:31
八介→遠江井伊介、伊豆狩野介、相模三浦介、上総介、下総千葉介、出羽秋田城介、加賀富樫介、周防大内介

唯一この中で国の全体を支配していたからじゃないの?
他は一郡だけとか一地域のみとか
あと唯一の親王任国で受領だから他の在庁とは違うのだよというところか

ただ上総介も歴代では相馬介とか海上介とか「本拠地の地名+介」と名乗ってる人もいる
269日本@名無史さん:2008/01/09(水) 10:09:12
介介
270日本@名無史さん:2008/01/10(木) 21:17:49
鎌倉時代(一二世紀末から一三世紀末まで)の成功の相場で言うと、
衛門尉>兵衛尉>馬允≧弾正忠>八省丞(式部は除く)>諸司判官≧内舎人と言う感じらしい。
近衛将監は衛門尉より格は上としか思えないがなぜか相場が安い。
北条一門がしばしば任官するためだろうか?
時期により異なるが内舎人以下だったりする。高いときでも兵衛尉と馬允の中間。
権守も相場が安い一三世紀前半までは最低ランク、後半だと衛門尉≧権守。
これは権守直任はないとかそう言うことなのだろうか?
なお式部丞は一三世紀前半までは成功可能でその時期は、衛門尉より高い。
271日本@名無史さん:2008/01/10(木) 22:41:44
式部丞は任官されたら必ず叙爵されるという栄職だから衛府尉より高くて当たり前では?
侍身分だったら民部丞に任官されたら大体叙爵される
272日本@名無史さん:2008/01/11(金) 20:13:12
足利将軍家は義満以降は義昭に至るまで
准三宮が宣下されているね
すごいよね
273日本@名無史さん:2008/01/11(金) 21:28:11
徳川家継って正一位太政大臣の史上最年少記録?贈位だけど。
274日本@名無史さん:2008/01/11(金) 22:08:40
准三后は関白太政大臣を超越した地位になれるから
なんかお得だよね
275日本@名無史さん:2008/01/12(土) 02:40:29
>>272
足利将軍家は武家の中でも別格って感じがするな
276日本@名無史さん:2008/01/12(土) 07:54:32
無位無冠から正一位(死後)になった新田義貞最強
277日本@名無史さん:2008/01/12(土) 08:28:46
>>275
京に住んでいたから公家化したんだろうね
室町幕府は鎌倉幕府や江戸幕府と比べても
武士らしさが欠けているしな
278日本@名無史さん:2008/01/12(土) 08:31:58
武士らしさw
279日本@名無史さん:2008/01/12(土) 09:24:29
水野出羽は駄目だと言われ豊前とする。
280日本@名無史さん:2008/01/12(土) 09:25:45
そしてすべては水野安房
281日本@名無史さん:2008/01/12(土) 11:25:11
生前正一位 准三后 関白 太政大臣 征夷大将軍
282日本@名無史さん:2008/01/12(土) 11:28:55
いいこと思いついた官途名が左馬頭かみなら必ず様付けになる。
加藤茶方式。
283日本@名無史さん:2008/01/12(土) 21:42:14
六位クラスの武家官位って鎌倉時代は制度的に整ってきちんと機能していた。
江戸時代は全部私称で正式の任官者はいない。
ってことだと思うんだけど、中間の時代はどうなんだろう。
戦国時代末期の武家の六位級官位は全部私称で正規の任官者はいないでOK?
応仁の乱ぐらいあたりまでは正規の任官者が存在?
284日本@名無史さん:2008/01/12(土) 23:00:22
>>280
だれがうまいことを言えと。
285日本@名無史さん:2008/01/12(土) 23:13:50
>>280は飯研逝き決定だな
286日本@名無史さん:2008/01/12(土) 23:19:40
室町公方家は家格上は清華家と見做されていたらしい
武家清華の濫觴?
287コピペ:2008/01/13(日) 00:03:43
足利家は摂関家よりも完全に格上だよ。むしろ摂関家を従者として従えていると言っていい。
摂関家の所領の進退権は室町殿の手中にあったし、
摂関家の当主たちは、代々、室町殿から偏諱を賜っている。

朝廷の位階において足利家は摂関家と大差ない。
偏諱はもともとは単に烏帽子親が烏帽子子に与えて連帯感などを表す性格の
ものだから、必ずしも主従関係には直結しない。
もっとも武家社会における偏諱は、義満の政策によって主従関係の表象という
性格が強くなるのも事実だが、公家への偏諱には主従関係という性格はない。
さらに言えば、将軍から公家への偏諱が一般化するのは義満よりもう少しあとの
時代。
義満の時代にも二条満基などに例はあるがまだまだ数は少ない。

義満の地位は摂関家と同等というよりは法皇・上皇と同等であることは、今谷明が立証済み。
百瀬今朝雄の、義満が摂関家当主を家礼として従えていたという指摘もある。
また、日野康子の女院号宣下は摂関家にも例のないもの。
摂関の妻が女院に宣下された例は1件もない。
288日本@名無史さん:2008/01/13(日) 02:04:10
>>272
足利氏で准三后宣下がなされたのは義満・義政・義視・義昭の四人だけだぞ
289日本@名無史さん:2008/01/13(日) 02:41:44
義満以降全員が宣下されているっていうことじゃなくて
義満から義昭に至る将軍に宣下されている事実を言いたかったんじゃないの
290日本@名無史さん:2008/01/13(日) 10:56:17
僧侶として准三宮になるのと、俗人としてなるのは同列には語れないような気もするな。
291日本@名無史さん:2008/01/13(日) 10:58:18
履歴だけで言うと、征夷大将軍→太政大臣で、太政大臣→征夷大将軍の例はないはず。
するとやはり形式上の格だけで言うと太政大臣>征夷大将軍だな。
292日本@名無史さん:2008/01/13(日) 23:13:27
そんなあなた方に戦国時代板より
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156769019/l50
293日本@名無史さん:2008/01/14(月) 02:33:05
>>287
コピペにマジレスするのもなんだが
足利将軍家が清華家並と扱われていたというのは俺も聞いたことがある。
そして実質的な権力関係ではなく形式的な家格という面から言えば摂関(摂関家)>三公(清華家)なのは動かない。
294日本@名無史さん:2008/01/14(月) 17:45:56
准摂関家ってところじゃね
295日本@名無史さん:2008/01/14(月) 23:53:01
清華家よりは完全に格上だよ
室町幕府の将軍、御台所に使える女房は清華家からもでてる
もちろん摂関家は正室をだすことはあっても女房はださない
ってことは清華家は明らかに室家の家来格だった
296日本@名無史さん:2008/01/15(火) 09:35:30
日野家も格式が高かったの?
297日本@名無史さん:2008/01/15(火) 09:45:55
あまり高くはない。
道長の時代くらいに諸大夫だけどほぼ確実に公卿になれる家になり、
その後の家格確定期に名家の一角を構成するようになった。
と言うかその他の実務官人の家が日野家並みの家格を得て
名家という家格が成立したって感じかな。
だから名家の中では名門といえようが、
名家自体の家格が余り高くないので。
298日本@名無史さん:2008/01/15(火) 13:25:23
話が逸れて申し訳ないが教えてほしい。
国名の多くは備前、備後や越前、越後みたいに前、後に別れた名前なのに、
なぜ上総、下総や上野、下野だけ上、下に別れているの?
親王任国と関係があるのかな?
299日本@名無史さん:2008/01/15(火) 13:35:54
理由は知らないけど親王任国とは関係ないよ。
親王任国制度は出来たのは国名が定まってからかなり後。
だからそれ以前は一般貴族の上総守とか上野守とも普通にいる。
300日本@名無史さん:2008/01/15(火) 19:39:53
老中等役職で昇進した侍従は別として、
家格として侍従以上になる家は羽林家同格と見て良いのだろうか?
そのたの四品・諸大夫止まりの大名家は半家クラス?
301日本@名無史さん:2008/01/15(火) 20:38:50
俺も気になるのでこっちに>>298を貼ってきた

【古代から】旧国名・旧郡名を語る【近代まで】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1152551031/
302日本@名無史さん:2008/01/16(水) 19:47:26
>>300
何か根本的に思い違いをしているような…。

羽林家は近衛少将・中将を経て公卿(参議以上あるいは三位以上)に列する家格。
侍従止まりということは公卿の家格ではなく殿上人の家格。

半家も同様に公卿に列しうる家格。
諸大夫・四品止まりということは諸大夫の家格ということでしょう。

ただ武家官位は羽林家の昇進ルートをモデルにして、
武家のうちで侍従止まりの家・少将止まりの家・中将止まりの家という家格差を生じせしめたものだから、
大名家はみな潜在的には羽林家に准ずると言えるかも知れない。

羽林家昇進ルート:諸大夫→四品→侍従→近衛少将→近衛中将→参議→中納言→大納言→…
武家官位      :諸大夫<四品<侍従<近衛少将<近衛中将<参議<中納言<大納言<…

ちなみに武家官位制の元ネタである武家関白制だと、
いわゆる大老クラスの家が清華家に准ずるとされ、
その他有力大名が「公家成」(侍従以上に任官)できる家格、
普通の大名が「諸大夫成」しかできない家格という分け方をしていた。


>>293-295
確かに権力で言えば室町殿>摂関以下公卿なのは間違いないが、
昇進できる官位の目安で言えば、室町将軍家は大臣と大将を兼ねられるが摂関にはなれないから、清華家とされるのが妥当と言える。
管見の限りでは義輝の子孫とされる熊本藩士西山家が明治維新後に平嶋家(平島公方の子孫)とともに華族取立請願書を明治政府に提出しており、
華族に列しうる理由として「足利将軍家は清華家である」ということを挙げていたはず。
その請願は却下されたが。
303日本@名無史さん:2008/01/16(水) 20:00:12
>>302
>義輝の子孫とされる熊本藩士西山家が明治維新後に平嶋家(平島公方の子孫)とともに
>華族取立請願書を明治政府に提出しており


そんなことしてたんだw
304日本@名無史さん:2008/01/17(木) 00:22:15
縁起の悪い官名は避けるみたいでしたが、上野介は有名人が何人も名乗っています
が何か理由があったのでしょうか?
305日本@名無史さん:2008/01/17(木) 00:30:56
准三后が宣下されると
武家でも殿下と呼ばれるのだろうか・・・
306日本@名無史さん:2008/01/17(木) 12:19:23
太閤殿下
307日本@名無史さん:2008/01/18(金) 20:44:17
武士の場合○○守とあれば当然五位以上と考えて良いのかな?
平安後期でも壱岐守とかは六位でもなれたらしいけど。
308日本@名無史さん:2008/01/18(金) 21:31:23
新田義貞の従四位上直叙って言うのは、従四位下でないことになにか意味があるのかな?
だれか他の人との釣り合い?
309日本@名無史さん:2008/01/18(金) 22:52:26
>>305
摂関が殿下と呼ばれるのは知ってるが、寡聞ながら准三后の敬称が殿下というのは初めて聞いた。
太閤で准三后宣下された人が殿下と呼ばれただけじゃないの?

将軍も殿下と呼ばれたらしいけど一介の軍人である征夷大将軍に殿下の敬称を付与できるか疑問だな。
310日本@名無史さん:2008/01/18(金) 23:17:07
>>305
は断言しているんじゃなくてむしろ質問しているんじゃないのか
311日本@名無史さん:2008/01/18(金) 23:27:13
日本国王殿下
日本国大君殿下
312日本@名無史さん:2008/01/19(土) 09:46:50
>307

武士の○○守が従五位下以上と言い切れるのは江戸時代だけ。
それ以外はそれぞれの時代状況による。戦国時代なんかは、
無位無冠で勝手に○○守を名乗ってたやつなんてざらにいるし。
313日本@名無史さん:2008/01/19(土) 10:11:34
>>312
守名乗を許された布衣以上旗本の立場について一言お願いします
314日本@名無史さん:2008/01/19(土) 10:32:48
話は変わるけど源義経と楠木正成は生涯従五位下どまり?
315日本@名無史さん:2008/01/19(土) 13:15:27
俺の知ってる限りの両者の官歴

義経:左衛門少尉、検非違使、伊豫守、従四位下

正成:左兵衛尉、左衛門少尉、検非違使、河内守、和泉守、攝津守、従五位上、贈近衛中将、贈正三位、贈正一位
316日本@名無史さん:2008/01/19(土) 20:12:54
>313

旗本でも守名乗りを許されるのは諸大夫任官者だけだったと思ったけど、
例外ってあったっけ?
317日本@名無史さん:2008/01/19(土) 20:26:04
武士の六位任官の消滅って任官収入が朝廷の独自財源となることを嫌った幕府の意向?
318日本@名無史さん:2008/01/19(土) 20:30:15
正成の方は叙爵から戦死まで若干間があるからまあ従五位上くらいになっても不思議はないか。
義経の方は時期的に伊予守任官の前後あたりかな。
319日本@名無史さん:2008/01/19(土) 23:29:40
>>316
まったく例外じゃないし
320日本@名無史さん:2008/01/19(土) 23:33:18
書き込みの途中で送信してしまった。

むしろそんな「例」などはない。
逆にそれだったら布衣旗本は何と名乗るのかと聞きたいところだ。
321日本@名無史さん:2008/01/20(日) 00:05:51
>320
????

「池田数馬政相」とか「水野主膳忠国」とか手持ちの『寛政重脩諸家譜』をざっと見た感じで、
こんな名乗りかたしてますが?

『続・徳川実記』の天明6年における布衣を許される記事でも「松平多門忠命」「堀田主膳一定」
「米津小大夫田将」「牧野縫殿忠義」なんて名前が挙がってます。彼らの改名記事はありませんので
その後もそう名乗ったのでしょう。

ちなみに従五位下叙任記事では「戸沢城之進正親は上総介、黒田修理長舒は甲斐守」と
言った具合に改名記事がセットになってます。

322日本@名無史さん:2008/01/20(日) 00:51:25
関係ないけど布衣の他に衣服に紅裏(もみうら)の着用を許されるということもあったとか。
詳しくはわからないけど長寿の祝いだか長期勤続の表彰だかの意味があったらしい。
紅裏というのは色名?
赤いちゃんちゃんこみたいなもんか。
323日本@名無史さん:2008/01/20(日) 02:28:34
>>322
「紅絹の裏地」のこと。
実物はこちら→http://item.rakuten.co.jp/kimonoichiba/327572
現在では余り使わないようだ。
上記の商品説明では織りの着物の裏地(だから普段着の裏地)に使っていたとあるが
これは昭和初期ぐらいの話ではないかな。
江戸時代においては高貴の身分の人の裏地にしか使えなかったかと思う。
324日本@名無史さん:2008/01/20(日) 13:03:20
>316

素直に例外があれば教えてほしかったんだけど、書き方が悪かったかな?

江戸時代の官名名乗りなんて例外だらけだから、諸大夫任官なしで○○守を
名乗った旗本がいなかったと言い切る自信は私にはない。
武蔵守の名乗りの禁止すら自主規制で、実際松平(池田)武蔵守利隆が元和2年
までいた。(子供の光政が生涯新太郎で通しているのが、陰で圧力がかかったことを
想像させてほほえましい)

そんなわけで、もし諸大夫任官なしで○○守を名乗った例をご存じなら、
是非ご教授お願いします。
325日本@名無史さん:2008/01/21(月) 21:29:37
義経任官問題って確かに言われているように義経の政治的センスの欠如はあるんだけど、
あの時点以前に置いては頼朝の方も誉められた対応ではないと思う。
ことが起こった後の対応としてはあれで正解だろうが、
そもそも最初から問題が起こらないようにしておくべき。
義経任官が朝廷の離間策だとした場合、付け入られる隙を作ったのは頼朝自身。
義経の実績や公家との接触が多い京都での活動から言って任官していない方が不自然。
無断任官を防ぎたいのならとっとと衛門尉あたりにでも推挙しておくべきだった。
任官の権利を独占したいのなら、運用を適正に行う義務も生じる。
数十人に及ぶ無断任官は頼朝がそれを怠ったことから生じたとしか思えない。
どうもこの時点では統制には微妙な配慮が必要という認識が欠けていたように思える。
その後はこの件での反省を生かしてか任官政策に破綻がなかったらしいのはさすがだが。

もっとも最初から義経を排除するつもりであって、
任官推挙せず放置→無断任官→それを口実に排除、ついでに義経を見せしめに統制強化
と言う流れを考えていたのなら話は別。
326日本@名無史さん:2008/01/22(火) 01:07:18
>>324
幕初には例外もあるのかもしれないが、
(てかそもそも三河時代の松平家でも受領名授けていたのだろうか?)
例外はないはず。なにしろ旗本は、諸藩家老級には許されてた国名名乗り
(○○信濃とかね)すら禁じられてた。堅田藩世子の堀田摂津でさえ御目見得前に
改名の伺いをたてた例もある。
ただ四等官の入らないような内記・外記・監物なんかは通称としても官名としても
あったし、内蔵助・縫殿助なんかは助が入ってても許されてた。
327日本@名無史さん:2008/01/22(火) 20:12:45
>326

>(てかそもそも三河時代の松平家でも受領名授けていたのだろうか?)

飯山本多家の初代康重の父親が越前守広孝だから、少なくとも名乗っていた家臣はいる。
328日本@名無史さん:2008/01/22(火) 20:38:11
幕臣でも伊與助とかの実例はあるそうだ。
紛らわしいけど本当の官名と違うからOKってことかな?
ちなみに吉田家が全国の社家に勝手に与えた偽官名は山城頭とか。
329日本@名無史さん:2008/01/22(火) 23:12:25
関東八屋形の世襲官称を抽出してみた。
尚、ここで「世襲」というのは三代以上に亘って任じられているまたは称している、という意味です。
各種系図等を適当に参考にしたので典拠は示せない(笑)。

佐竹氏:左衛門尉、左馬助、常陸介、右馬権頭、右馬頭、左馬頭、大膳大夫、右京大夫、侍従、左近衛権少将、左近衛権中将
千葉氏:下総権介、下総介、千葉介
宇都宮氏:左衛門尉、下野守、右馬頭、左馬頭、侍従、左近衛権少将
小田氏:左衛門尉、常陸介、讃岐守、左近衛権中将
小山氏:下野大掾、検非違使、左衛門尉、左馬助、下野守
長沼(皆川)氏:左衛門尉、山城守、淡路守、弾正少弼
結城氏:検非違使、左衛門尉、上野介、中務大輔、左衛門督
那須氏:肥前守、大膳大夫、修理大夫
330日本@名無史さん:2008/01/25(金) 09:02:35
忌避官名ではないにしても、囚獄正・陰陽頭・神祇大少副も武家官名にはないようだ。
囚獄正は舎人正・主蔵正同様明瞭には廃止されていないかもしれないが官自体が消滅?
あと典薬頭・大学頭は通常の武士の例はないのかな?
呼び名としては兵部とか伊豆とか略称されることを考えると、
松平兵部大輔とかが老中にいたら松平姓の兵部少輔は避けられた?
想像だけど酒井左衛門佐も多分居ないんだろうな。
331日本@名無史さん:2008/01/26(土) 00:20:07
伊豆守が老中になると「知恵伊豆」と渾名される法則
馬鹿なのに伊豆守の奴はさぞプレッシャーだっただろうな
332日本@名無史さん:2008/01/26(土) 00:32:35
大河内の子孫当主さんはみんな伊豆守?
それにしてもググろうと思って変換したら「血エイズ」ってのは怖いな
333日本@名無史さん:2008/01/26(土) 01:05:02
>330
 水戸支流に松平大学頭家(陸奥守山)がありますね。後、左衛門尉家歴代の中には、
左衛門佐を称した人もいるようです。
334日本@名無史さん:2008/01/26(土) 07:36:30
忠次は従四位下左衛門督だったね
335日本@名無史さん:2008/01/26(土) 21:18:17
大石内蔵助とか名乗っていたのは6位相当の官位に相当するという考え
だったのだろうか?
336日本@名無史さん:2008/01/26(土) 21:53:20
それはないと思うけど。
ただ同じ藩士でも身分によって名乗りに制限はあった。
あと藩内の家老・番頭・徒などの階層差を官位に例えている家もあった。
337日本@名無史さん:2008/01/26(土) 23:30:40
>>336
最後の行興味深いんだがソースきぼん
338日本@名無史さん:2008/01/27(日) 02:10:40
>>336>>337
それ聞いた記憶あるけど、雄山閣の『藩史大事典』だっけ?
六位の各はこの役職、七位の各は〜みたいな感じで官位相当表のようになってた記憶あり。
339日本@名無史さん:2008/01/27(日) 09:56:48
自分のメモによると「近世大名家家臣団の社会構造」磯田道志著:東京大学出版会に、
宇都宮藩戸田家が家臣を一〇種七階に分類し、格の違いを位階になぞらえたとある。
ソースまではメモしてないけどこの本に書いてあると思うけど。

家老ー番頭・用人・取次ー給人ー中小姓ー供徒・使徒ー小役人ー足軽

家老と番頭の差は位階の差、番頭と用人の差は同じ位階の中の正従・上下の差に相当。

明治二年七月には実際に藩の役職に位階を付しているようだ、
大藩大参事(筆頭家老?)だと正五位、位階の上ではとてつもない出世?
大藩権少参事(平家老ないし中老クラス?)だと従六位。
中藩は従五位から正七位、小藩は正六位から従七位まで。
それ以前の明治元年一〇月に藩の職制の統一基準、執政・参政以下が出されているので、
この時点で藩内限りで位階になぞらえているところもあるかも?
340日本@名無史さん:2008/01/27(日) 12:11:30
藩主は大藩従三位、中藩正四位、小藩従四位。
江戸時代の正四位上から従五位下に比べれば昇格?
御三家や前田は格下げかもしれないけど。
341日本@名無史さん:2008/01/27(日) 12:38:37
実例:鳥取藩
正五位:大参事(3名)、従五位:権大参事(3名)
正六位:少参事(7名:局長級)、従六位:権少参事(4名)
正七位:大隊長、従七位:大属(局次席級)・左右副隊長・大監察
正八位:権大属・軍監・中隊司令官・中監察・寮長(学校長?)
従八位:少属・軍曹・小隊司令官・副寮長
正九位:権少属・史生・庁掌・軍吏・大教正(教官?)等
従九位:局掌・少監察・中教正・少教正
大初位:使部・監吏

なぜか九位と初位が併存、少初位の存在不明
下位の職は藩の独自制度か?
342日本@名無史さん:2008/01/27(日) 22:53:22
>自分のメモ

自分のメモってその時の自分に都合のよい記述しかないから不便なんだよなw
343日本@名無史さん:2008/01/28(月) 19:52:27
武士の公卿はかなりの人数が居るけど、
八省卿は刑部卿(四位)の平忠盛と兵部卿大内義隆の他は徳川氏だけ?
344日本@名無史さん:2008/01/29(火) 17:45:07
石塔義房が刑部卿になってなかったっけ?南朝による任官かも知れないけど
あと脇屋義治あたりが八省卿になってたような
345日本@名無史さん:2008/01/31(木) 01:40:31
●武家太政大臣6名
平清盛
源義満
豊臣秀吉
源家康
源秀忠
源家齊

●武家左大臣7名
源義満
源義教
源義政
豊臣秀次
源家光
源家齊
源家慶

●武家右大臣12名
源實朝
平信長
源家康
豊臣秀頼
源秀忠
源家綱
源綱吉
源吉宗
源家重
源家治
源家齊
源家茂
346日本@名無史さん:2008/01/31(木) 01:41:28
●武家内大臣29名
平清盛
平重盛
平重盛
平宗盛
源實朝
源義満
源義持
源義教
源義政
源義煕
平信長
平信雄
豊臣秀吉
豊臣秀次
源家康
豊臣秀頼
源秀忠
源家光
源家綱
源綱吉
源家宣
源家継
源吉宗
源家重
源家治
源家齊
源家慶
源(家祥)家定
源家茂
源慶喜
347日本@名無史さん:2008/01/31(木) 01:44:43
●武家関白2名
豊臣秀吉
豊臣秀次

●武家准大臣1名
源治済
348日本@名無史さん:2008/02/03(日) 11:46:16
>343

有馬兵部卿法印則頼とか桑山治部卿法印重晴とか何とか卿法印というのはいるけど、
何となくこういうのは数に入れてはいけないような気がする。
349日本@名無史さん:2008/02/03(日) 19:17:13
公卿とは三位以上の者をいう
350日本@名無史さん:2008/02/03(日) 21:11:12
三位以上あるいは参議以上だよ

参議従四位下でも公卿
351日本@名無史さん:2008/02/05(火) 19:55:44
>330
>忌避官名ではないにしても、囚獄正・陰陽頭・神祇大少副も武家官名にはないようだ。

思い立ってググってみたら、
ttp://1st.geocities.jp/minohazz/shiseki-shousai/watanabe/watanabe.html

武田家家臣、渡辺囚獄佑って人がいたらしい。
物好きといっては申し訳ないが、探してみればいるもんだなあ。

なお、陰陽頭や神祇副についてはググる気も起きず。


352日本@名無史さん:2008/02/05(火) 22:51:51
囚獄は官名自体が嫌われて公家の官制からは消滅したらしい。
公家の官制がいかに形式的かって言う証拠みたいなものかな?
その囚獄をわざわざ名乗りに選んだってことは、
よほどのひねくれ者か反骨精神の持ち主なのか?
囚獄佑は実在の官名だけど、実体的には東百官みたいなものかな?
353日本@名無史さん:2008/02/05(火) 23:01:20
陰陽頭や神祇副はいわば技官で一応世襲任官する官職だから
武家への任官はなかったのではないかと

したがって官途名として使われることもないと

その渡辺囚獄佑さんはやはり「ひとやのぜう」と読むのかな?
354日本@名無史さん:2008/02/05(火) 23:04:16
典薬頭の場合はそのまま幕府官制に取り込まれちゃってるから変だな。
医師としての能力はほとんどないらしいけどね。
355日本@名無史さん:2008/02/06(水) 14:38:49
「何某囚獄が女」って寛政譜でみた記憶が。
356日本@名無史さん:2008/02/06(水) 23:05:44
このスレ流し読みしたけど、みんな単純過ぎるよ。
身分序列が乱れ始めた南北朝時代以後と鎌倉平安とでは武家の官位の
重みが違うのよ。
ところで武家の官位で凄いのは、私見では実朝だ。理由はなぜだか分かるかな?
清盛は太政大臣だろとか突っ込みは馬鹿だから止めてね(私の言ってる意味分かる奴いるかな?)。ま、ネットの切り貼りしか出来ない馬鹿しかいないスレで
何を書いても無駄かなW

357日本@名無史さん:2008/02/06(水) 23:32:20
このスレ流し読みしたけど、みんな単純過ぎるよ。
身分序列が乱れ始めた南北朝時代以後と鎌倉平安とでは武家の官位の
重みが違うのよ。
ところで武家の官位で凄いのは、私見では義満だ。理由はなぜだか分かるかな?
清盛は太政大臣だろとか突っ込みは馬鹿だから止めてね(私の言ってる意味分かる奴いるかな?)。ま、ネットの切り貼りしか出来ない馬鹿しかいないスレで
何を書いても無駄かなW

358日本@名無史さん:2008/02/07(木) 00:21:52
武陽だーーー!
359日本@名無史さん:2008/02/07(木) 01:11:55
ブヨー!
ブヨー!
我らがブヨー!!
360日本@名無史さん:2008/02/07(木) 18:19:35
これ見てググったくせーな
35 日本@名無史さん 2008/02/04(月) 00:09:43
渡辺因獄佑
361日本@名無史さん:2008/02/07(木) 19:10:15
で、>>356の馬鹿は何が言いたいの?
南北朝期以前以後の武家官位の叙任例に変化があったのは『職源抄』以来当然の認識だし、それをも含めて語るのがこういうスレの趣旨だろ。
勿体をつけるほどの権威でもないくせに何が「理由はなぜだか分かるかな?」だ。
理由を述べる義務を負うのは話を振った>>356だけだ。
主張には理由を付し、論証が伴われねばならないという学問の最低限のルールも守れないということは、高等教育をまともに受けていないと告白しているも同然だ。
362日本@名無史さん:2008/02/07(木) 20:58:21
>>361
相手しちゃダメ
363日本@名無史さん:2008/02/08(金) 08:47:23
吉川弘文館「永原慶二著作選挙集第七巻 日本中世の社会と国家 中世史の争点」
P36
前略〜「侍」としての身分そのものは、大番役のために都に上り、
ここで武力奉仕者にふさわしい七位程度の位階と、
兵衛府・衛門府の尉などといった官職を与えられたときに認定されたようである。
つまり、「侍」とは単なる武力の持主としての「兵」にとどまるだけでなく、
中央政府に出仕して、それにふさわしい位階を得て初めて確定された武人身分なのである。

P71
前略〜「侍」は前に述べたように、実体的には地方豪族であり、いわゆる開発領主であるが、
平安後期にはすでに成立を見ていた身分層であって、
その指標は国衙によって「兵の家」として認知されるとともに、中央政府の警固役などを奉仕し、
その代償として武力的官職と七位〜八位程度の位を与えられたものと見てよい。
鎌倉幕府成立以降においてもこの身分指標はそのまま継承された。

などと言うのを見つけましたが、
「七位程度」とか「七位〜八位程度」が時期的にあり得たのか疑問なんですが、
どういう根拠なんでしょうね?
364日本@名無しさん:2008/02/08(金) 12:34:47
>>363
「侍」というのは、とにもかくにも形式だけでも、官職と位階を賜った武士を指す

と言いたいんでないかい?
365日本@名無史さん:2008/02/08(金) 23:14:26
侍は武士だけじゃないのに…
366武陽隠士:2008/02/09(土) 00:03:37
>>361>>362
バーカ。
スレ1から見てみろ。私の「南北朝期以後云々」の指摘みたいなこと、まったく考慮しないで、超時代的に武家の名前と官位を並列してたじゃなねえか。
てめえらが学問の諸前提(時代差ね)もわきまえねえバカだから指摘してやったんだよ。
くだらねえタワゴト言ってっとてめえのチンケなプライドぶっ潰すぞ。
367日本@名無史さん:2008/02/09(土) 04:16:55
>>366
プ
368日本@名無史さん:2008/02/09(土) 15:00:13
>くだらねえタワゴト言ってっとてめえのチンケなプライドぶっ潰すぞ。
>くだらねえタワゴト言ってっとてめえのチンケなプライドぶっ潰すぞ。
>くだらねえタワゴト言ってっとてめえのチンケなプライドぶっ潰すぞ。

必死すぎだろw
369日本@名無史さん:2008/02/09(土) 19:06:12
>チンケなプライド

自己紹介の激しい奴だな
370武陽隠士:2008/02/10(日) 16:00:55
↑必死だよ。だから本気でくだらないレスは潰す気さ。
ただ笑いのめすのは、逆に余裕のなさを感じるなW
今までみんなそうだったからね。
371日本@名無史さん:2008/02/10(日) 16:22:20
52 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2007/10/11(木) 02:53:17
>>1
スレ主よ
千年に及ぶ武家の歴史を一元的に官位を語るのは荒唐無稽だwww

このスレが立てられてから比較的早い時期にもう皆そのことは認識してる。
戦国期の「左京大夫」がいい例じゃないか。
372日本@名無史さん:2008/02/10(日) 17:16:44
俺はサムライ なぜなら地方公務員
373武陽隠士:2008/02/10(日) 17:49:31
>>371
了解。
374日本@名無史さん:2008/02/10(日) 18:38:19
>371

確かに。このスレへのレスなんか、単に楽しいからやってるだけだもんな。
このスレに限ったことではないが。プライドかけてやってるならば名無しなんかではやらぬ。

というわけで話題を変えるのだが、御子神典膳とか武家の名乗りに典膳が
使われるけど、なぜ後宮の役職から典膳だけが?誰か由来知ってる?
まあ、単なる東百官かもしれないけど。
375日本@名無史さん:2008/02/10(日) 20:46:54
武陽とやらに言うけど、議論の方向性に疑義を覚えたならば自分が問題を提出して意見を募ればいい。
スレタイに「武家の官位について語れ」とある以上、>>356の論点が無視乃至排除されているわけではなく、単に議論がそこにまで至っていないだけだろ。
>>356は責任ある提議というよりむしろ単にスレ全体を馬鹿にするようなレスなのだから、そこで反発されるのは当然だ。
勿論荒らしが目的ならばこれ以上何も言うことはない。
ただまともに議論をしたいならば少しは大人な対応を心がけてもらいたい。
376日本@名無史さん:2008/02/10(日) 21:10:53
官位の価値が時代によって全然違うのは確か。
慶応年間になると衛士が国掾(正七位下あるいは無位?)だったりするし、
しかも当主だけじゃなく子息も。
平安時代には従五位がやっとの楽人も室町時代以後は四位がごろごろ。
377武陽隠士:2008/02/10(日) 21:14:39
>>375
あっちゃこちゃ書き込みしすぎて自分でも
どこの板及びスレに書き込みしてたのか失念してることが多い。
このスレはアゲられているから
、比較的目にすることが多く、そうでもないがね。
ただ気になったことをほうぼうのスレ板で片っ端から書き込みしてるんで
的を外すこともある。このスレなんかに対してはまさしくそうだ。
くだんのレスは名無しだが私のもの。しかし何故コテなしなのか分からない。
ま、私が指摘した事柄は、すでに50代で、既出済みだから私に対する
批判も甘受しよう。私の勇み足だった。
378:2008/02/10(日) 21:19:09
なんで偉そうなんだよ?
自分の勇み足で批判を受けて甘受だあ?
迷惑かけてすみませんだろ。
日本語の勉強しろ。
379日本@名無史さん:2008/02/10(日) 22:43:31
チンケなプライドがぶっ潰されましたね
380日本@名無史さん:2008/02/11(月) 00:50:57
確かに勘違いで煽られたら迷惑だなw
381武陽隠士:2008/02/13(水) 23:13:42
>>378>>379
テメェ、素人のバカだと甘くしてやったら
つけあがりやがって。
何様だ。こんな間違いだらけのスレでテメェらバカか?
これから時々来てはテメェらのくだらねえ無知ぶりをツツイテ笑い物にしてやるよW
だいたい時代差どころか売官のことだって
このスレじゃほとんど話題にならない。知らないのか?
中世での話。あれでかなり官職の価値が下がった。
中世史の重要なトピックだ
私は謙虚な初学者なは優しいのだが
もい許さない
徹底的に無知をあげつらってやる
将門スレのときもそうだが
私を怒らせるな
ネットの切り貼りですんじゃうテメェらバカのヒマジンおたく野郎が
私に意見するなど一万年早えんだ。
382日本@名無史さん:2008/02/13(水) 23:21:34
>>381
中世といっても、結構な期間がありますが
383武陽隠士:2008/02/13(水) 23:36:56
>>382
将門スレでやった書き込みの仕方をしてます。
自分がよく知っている事柄を
小出しに出して相手が茶々を入れて「勝った」といい気になったときブツけるやり方です。
参考文献その他は最後の最後、頃合いを見計らって提示します。
それでも根拠となる良質な史料は最後まで提示しません。
バカならともかくマトモな頭があったら独力で探せるだろう…が一つ。
今ひとつは「2ちゃんなんかじゃモッタナイ(Byルー大柴)」でしょうかW
私も一昨年の10月くらいから2ちゃんねるに書き込みしてますが、真面目に書き込みしても茶々とか悪口が多いのが
ほとほとやになり
いろいろ考えて今のようにストレスを発散させて書き込みするスタイルを開発しましたW
しかし自信のある事柄は小出しにするといいですね。
すぐ優位に立って相手をたたき潰せますし。
どうせみなさんはネットのデータしか参照してないんでしょうから
これからちょくちょく来ては知識の不備など
突っ込ませて頂きますよW
384日本@名無史さん:2008/02/14(木) 00:29:41
なるほど、チンケなプライドがぶっ潰されるとこうなるのね。。。
なんか、とてもかわいそうな人だな
385日本@名無史さん:2008/02/14(木) 07:46:19
>>381
自分で間違えておいて逆ギレとかw
よく恥ずかしげもなく生きていられるよね
実生活では誰にも相手にされないタイプだな
386日本@名無史さん:2008/02/14(木) 08:44:54
>>383
つまり、まともな議論をするだけの精神的な成長が無いと?
それではあなたが嫌うニチャンネラーと大差ないのでは?
387日本@名無史さん:2008/02/14(木) 09:43:23
>>クソコテ
大漁だな
ともだちがいないから相手をしてもらって嬉しいんだろw
読点の勉強してから来い。
388日本@名無史さん:2008/02/14(木) 10:41:58
>>383
小学生並みの文章ですな
389日本@名無史さん:2008/02/14(木) 12:16:18
変なのがいるな。>>383
390日本@名無史さん:2008/02/14(木) 20:38:04
頼むから武家の官位について語ってくれ。
391日本@名無史さん:2008/02/14(木) 21:11:15
なんか1238年と1247年で官位の相場が20分の1程度に大暴落している。
公定価格と実勢価格との差だって話もあるみたいだけど、
それにしても落差在りすぎ。
でこれが1287年になるとほぼ倍程度に回復。
ところがそれから10年ほどすると数倍に高騰、これも実体を反映してないのか?
392日本@名無史さん:2008/02/14(木) 22:51:39
大大名・上級大名は結構細かく官位が区分されているのに、
平大名・旗本上級職ははのきなみ従五位下。
実際には結構段階があるのになんで正五位下とか従五位上とか使わなかったんだろうか?
分けるのが面倒くさかっただけ?
393日本@名無史さん:2008/02/15(金) 03:12:54
南北朝時代はむちゃくちゃ
394日本@名無史さん:2008/02/15(金) 08:35:59
常陸大掾以外で 掾を名乗っている武士っているのかな?
常陸だかどこかの国衙は掾が8人くらいいたけど目はいない。
次位の中座ってのが目なのか?
あと書生は本来は史生の補佐だと思ってたんだけど、
どうも同国のこの時期では書生>史生らしい、書生以上が幹部。
どこかで逆転したのか、それとも史生>書生の認識が間違い?
395ぶっちゃけ:2008/02/15(金) 22:31:13
なるほど
396武陽隠士:2008/02/16(土) 00:26:02
>>386
正論です。
なんか最近どうかしてました。
ときどき来てはまともな少しは益になること書かせていただきますがよろしくm(u_u)m
397日本@名無史さん:2008/02/16(土) 02:26:44
今更殊勝なこと言っても手遅れだろ
おまえはもう来なくていいよ
398日本@名無史さん:2008/02/16(土) 03:31:23
>>396
まあ、ちょろっと見せてもらったが、お前のやってる事は人として最低だわな。
文章は稚拙、知識は付け焼き刃程度、それを恥ずかしげも無くひけらかし、指摘されれば荒らし出す。

死ねよ。
399日本@名無史さん:2008/02/16(土) 11:27:47
>392

従五位下にしかなれない層というと、5万石以下の譜代大名とか旗本とかになるんじゃないだろうか。
このあたりは、いわば将軍の側近ともいえる人々だから彼らが無用な官位争いで消耗してほしくないという
深謀遠慮もあったのではないかと愚考する。

逆に、官職の区分が細かくなっている上級大名(ほとんど家門か外様)には、
せっせと官位争いして消耗してもらおうと思っていたのだろう。
400日本@名無史さん:2008/02/16(土) 18:32:04
>>398
知識は最高だと思うよ
ただ性格が悪いのは認めるしおまえもそれは同様だろうがW
前からいってネット上の切り貼りじゃしょーがねえ
おまえバカじゃん?
ちゃんと文献漁った知見書けよ
それとおまえみたいに2ちゃんだけが人生のネット依存のひきこもりじゃないんだよ
おまえに嫌われても平気だよーo(^▽^)o
ちなみにおまえデブ親父だろW
私は子供っぽいっていわれても、痛くないぜ。
むしろウレピー。
しかし成功についてまったく誰も触れてないのはなぜだ?
みんな中世史の基本前提ないなW
ま、これからも来るよ
バイオリズムのせいで機嫌悪いときもあるが
まあ許せ。
しかし日本史の知識じゃ私には勝てないよマジで。
専門的には院生レベル以上じゃないと私の敵ではない。
ただ書き込みしてると自分の専門外の訓練になるな
401日本@名無史さん:2008/02/16(土) 18:55:33
>>400
知識って何だよお前。私の敵じゃない、って馬鹿か?
中学生の坊やなんだろ。
402日本@名無史さん:2008/02/16(土) 19:23:34
松平のどこだかの家が2軒隔年で従五位下大名の首座につくって話だけは見たことがあるな。
403日本@名無史さん:2008/02/16(土) 20:18:41
>402

尼崎の桜井松平家と西尾の大給松平家だな。

桜井家は松平八代広忠時代に宗家乗っ取りを謀ったことがある家だし、
大給家は松平五代長親の兄の子孫というそれぞれ曰く付きの家柄。

404日本@名無史さん:2008/02/16(土) 21:09:06
本当に残念な奴だな。
書き込みを見る限りでは日本語が致命的におかしいし、発狂具合からして良識あるまともな人間とは思えない。
そもそも2chで他人を叩くことだけが生き甲斐のネット依存症はおまえだろ。
頭の悪さと自己反省能力の欠如とをネットで開陳する暇があったらハローワークにでも行けよ。
405日本@名無史さん:2008/02/16(土) 21:50:49
もう相手にするなよ
406武陽隠士:2008/02/16(土) 23:31:26
>>404
日本語が変なのは認める。てきとーに打ち込みしてるからね
推敲どころか打ち間違いも別にかまわないって気ね
文章もぶつ切りだよね私の。
ただ文語体で書き込みしたりするのは私くらいだし、実際きっちり落ち着いて書き込みすれば君の数段上だよ
時々腰入れて書いたレスはかなりの名文じゃない?手間味噌だけどさ。
だてにコテハンやってないんだよ。
ちなみに私は仕事忙しいよ。だからいつもお風呂入って一段落ついたとこで書いてる。
ハローワークは君じゃない?
だいたい私、書かないときは一月以上書かない。
実際12月1月は書き込み一切してない。
君らみたいに毎月毎日四六時中書き込みしたり2ちゃんチェックしてるなんて暇なことしないよ。
ま、しつこい怒りを見るとネット否2ちゃんがすべてらしいW
それとネットの切り貼りで人生を費やすヒマジンストーカーの君に言っても詮無いことだけど、
私は他人をたたくのが目的じゃない。
標的はネットで人文科学の知見を学ぶ奴らさ(君らとかね)
まあ意味は分からないんだろうなW
だから山野ノブスマ氏は絶対攻撃しないの。
彼はネットの切り貼りしないからか(少なくともレスには痕跡なし)
私の書き込みを、まともな人文科学の研究者に見せてみなよ
納得するんじゃないかな
ことわっておくが、まともな研究者って教授だけじゃないよ。
郷土博物館の学芸員でも非常勤講師でもオーバードクターでもいいのさ
彼らは研究者だからね。
私が「まとな研究者に私の書き込みせろ云々」っていうと、すぐ教授のことだと思うのは変な権威主義だよ。
407日本@名無史さん:2008/02/17(日) 03:06:35
こいつ気色悪い
鳥肌立った
408日本@名無史さん:2008/02/17(日) 09:34:52
>402

隔年というより、参勤交代で江戸にいる方が諸大夫筆頭をつとめたという方が正確かな。
奏者番とかの登城の時に諸大夫の列から離れる役職についても例外として諸大夫筆頭に
ついたらしい。

ただし、老中の時には嫡子が代わりに諸大夫筆頭をつとめた。でも、もし嫡子が
御目見得前だった場合はどうしたんだろう? 桜井家はそもそも老中になってないからいいけど。
大給家の場合乗邑が享保7年に大坂城代(江戸を離れる)8年に老中になっているけど、
嫡子乗佑が御目見得したのは享保9年だ。桜井家の忠喬が帰国を取りやめるとかしたのだろうか?
409日本@名無史さん:2008/02/17(日) 10:39:54
>>407
反応するな。
相手をするから調子に乗る。
バカの特徴。
410日本@名無史さん:2008/02/17(日) 12:12:35
まだ張り付いてたのかあの基地外。
こんだけ荒らしててもアク禁になんねえんだな。
411日本@名無史さん:2008/02/17(日) 12:35:00
侍従任官後も諸大夫扱いされたら迷惑だろうしな。
412日本@名無史さん:2008/02/17(日) 20:40:00
>410

相手にするやつがいるから会話が成立してるように見えてしまう。
脳内あぼーんしてほっておくのがアク禁への近道。
413武陽隠士:2008/02/17(日) 21:05:40
>>412
確かにそうだ。
放っておくのがよい。
414日本@名無史さん:2008/02/24(日) 09:36:44
華族の類別で、
第七十二類 外別 大蔵朝臣 後漢霊帝後征西将軍春実裔
従四位 秋月種樹 日向 高鍋藩主
とあるけど、
大蔵春実は将軍じゃないなんて調べればすぐにわかるのに、
こういうところも自己申告なんだな。
家系の方は調べようがないから自己申告でも仕方ないとは思うけど。
415日本@名無史さん:2008/03/06(木) 22:34:34
>>337
寛政元年(1789)宇都宮藩戸田家「諸士格合之事」
「御家老より御番頭へ一格下り、但、此の一格と申ハ全く一位ニ准し候事」
「御番頭より御取次迄一格下り之儀全く一位ニ准し候事ニ無之、縦令は五位之上、
五位之下などと申意味合ニ候(後略)」
416日本@名無史さん:2008/03/22(土) 21:26:17
たまには上げとく
417日本@名無史さん:2008/03/23(日) 12:43:05
>304
上野介は忌避官位でない
治部少輔や尾張守とは違う
418日本@名無史さん:2008/03/23(日) 12:50:44
>>406
前のレスに50代って書いてあったけど、本当だとすればかなり嫌な50代だな。
仮にリアルではこういう面は出していなかったとしても、60代70代と加齢によってだんだん自制心がなくなってくると表面に出る。
寂しい老後を向かえそうだな。
419武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/23(日) 13:15:03
>>418
50代?そんな年寄りの訳ないじゃない?バッカみたい。
たぶん君よりか年下だよ。
どうでもいいがキモいよおまえ。付きまといは止めてくれないか。
420日本@名無史さん:2008/03/23(日) 14:06:01
>417

いや、悲惨な最期になってるやつが多い(吉良上野介とか)のに、
なぜ忌避官名にならなかったかと言うことが疑問なのでしょう。
言われるほど悲惨な目に遭ってる人がいたわけではないので、
というのが回答になるのではないでしょうか。
例として良く出てくる小栗上野介なんて、悲惨な目にあったのは
明治維新直後だし。
421日本@名無史さん:2008/03/23(日) 14:59:47
堀田上野介や
本多上野介
なども「悲劇の名政治家」
で別に格好悪くない
422日本@名無史さん:2008/03/23(日) 16:58:42
>>419
付きまとい? このスレを最初から見返しただけですが何か?
被害妄想も大概にしろよ。おまえの方がキモいじゃねぇか。
423日本@名無史さん:2008/03/23(日) 17:48:55
>>374の典膳は本来は内膳司の判官の典膳じゃないの?
なぜかあそこだけ内膳佑じゃなくて内膳典膳なんだよな。
長官の方の奉膳に合わせたんだろけど、こっちは高橋氏以外だと内膳正だし。
まあ挙がっている例は自称だからあまり関係ないかもしれないけどね。
424武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/23(日) 18:14:06
>>422
うるさいなー
キモいのはおまえだよ。通りすがりの振りしたりしてWバカかW
完膚なきまでに論破されたから悔しいのは分かるがなW
悔しかったら議論で勝て。
ここは学問板だ。
おまえはクズだ。
これからもおまえみたいなバカを叩くよ。
ま、楽しいからね('-^*)/
425日本@名無史さん:2008/03/23(日) 19:46:26
滝川一益が、朝廷から正式に伊予守を貰った後も、もっぱら通称の左近将監を使っているみたいだけど
他にそのような例はありますか?

そもそも信長の推挙で伊予守を貰っていると思うんだが、使わないことについて信長は文句を言わなかったのだろうか?

伊予守という官職名自体は、武家にとっては悪くないですよね?
義経とか義家が任官しているから。

426日本@名無史さん:2008/03/23(日) 20:48:31
>>424
あなたは本当に幸せな人ですね。戦ったことが無い相手、議論で戦うつもりが初めから無い相手にも勝利宣言できるんです
から。
いつまでも向かうところ敵なしのバカでいてください。
427日本@名無史さん:2008/03/23(日) 21:37:19
>>424
学問板だというならば、不必要な煽りは無用だと思いますが?
煽ることで相手を挑発し、無意味な罵倒を繰り返して、学問板では重要な議論から逃げようとしているのではないですか?
また、不必要に煽るというのは、そう認識されるということをお忘れなく
428武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/23(日) 23:33:45
>>427
逃げてはいない。
ただ常識とされてることを踏まえていない、ネット上のデータを敷き写しなど
くだらないレスは無くしたくてさ。
私のレスよく読め。
内容はディープだぜ。
ところで家慶とこんでもそうだたったが、文献を直接参照せずにレスしてくる奴が多すぎる。
だから穴だらけなのさ。
君は何故私が自信たっぷりにレスしてるか分からないのか?
私は学問に命かけてる。
もちろん君は命なんかかけちゃいないだろ?
ぶっちゃけ私は煽ってるんじゃない

命掛けの学問をオモチャにしてるクズにトラウマを覚えさせ、くだらないレスは二度とさせないように仕向けてるだけだ。
君が私に意見するのは、君が学問に命捧げたときからだ。
それまでは黙ってろ。
429日本@名無史さん:2008/03/23(日) 23:35:28
自称「ディープな内容」のレス

日本語が変なのは認める。てきとーに打ち込みしてるからね
推敲どころか打ち間違いも別にかまわないって気ね
文章もぶつ切りだよね私の。
ただ文語体で書き込みしたりするのは私くらいだし、実際きっちり落ち着いて書き込みすれば君の数段上だよ
時々腰入れて書いたレスはかなりの名文じゃない?手間味噌だけどさ。
だてにコテハンやってないんだよ。
ちなみに私は仕事忙しいよ。だからいつもお風呂入って一段落ついたとこで書いてる。
ハローワークは君じゃない?
だいたい私、書かないときは一月以上書かない。
実際12月1月は書き込み一切してない。
君らみたいに毎月毎日四六時中書き込みしたり2ちゃんチェックしてるなんて暇なことしないよ。
ま、しつこい怒りを見るとネット否2ちゃんがすべてらしいW
それとネットの切り貼りで人生を費やすヒマジンストーカーの君に言っても詮無いことだけど、
私は他人をたたくのが目的じゃない。
標的はネットで人文科学の知見を学ぶ奴らさ(君らとかね)
まあ意味は分からないんだろうなW
だから山野ノブスマ氏は絶対攻撃しないの。
彼はネットの切り貼りしないからか(少なくともレスには痕跡なし)
私の書き込みを、まともな人文科学の研究者に見せてみなよ
納得するんじゃないかな
ことわっておくが、まともな研究者って教授だけじゃないよ。
郷土博物館の学芸員でも非常勤講師でもオーバードクターでもいいのさ
彼らは研究者だからね。
私が「まとな研究者に私の書き込みせろ云々」っていうと、すぐ教授のことだと思うのは変な権威主義だよ。
430日本@名無史さん:2008/03/23(日) 23:49:24
>>427
私が逃げたと称するスレの命題を逐一挙げてくれ。
私のように短時間であっちゃこっちゃのスレに書きまくってるんでフォローしようがない。
それといつも感じるのは私が議論をふっかけるとみんな消えちゃうことだ。
将門レスでの任用の件も相手は逃げてる。
まあコテハンはしょーがないか。
しかしつまらない茶々にまじめに答えるのバカみたいだと私は思うな。
ところで君は暴走族とかみたいだね。
族の規律をご大層に重んじるとことかさ。
つまんない男なのかな。
>>429
それは一部のレスだろうがW
フェアじゃないな。
431日本@名無史さん:2008/03/23(日) 23:51:08
また別の「ディープ」なレス

419 :武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/23(日) 13:15:03
>>418
50代?そんな年寄りの訳ないじゃない?バッカみたい。
たぶん君よりか年下だよ。
どうでもいいがキモいよおまえ。付きまといは止めてくれないか。
432日本@名無史さん:2008/03/23(日) 23:52:24
377 :武陽隠士:2008/02/10(日) 21:14:39
>>375
あっちゃこちゃ書き込みしすぎて自分でも
どこの板及びスレに書き込みしてたのか失念してることが多い。
このスレはアゲられているから
、比較的目にすることが多く、そうでもないがね。
ただ気になったことをほうぼうのスレ板で片っ端から書き込みしてるんで
的を外すこともある。このスレなんかに対してはまさしくそうだ。
くだんのレスは名無しだが私のもの。しかし何故コテなしなのか分からない。
ま、私が指摘した事柄は、すでに50代で、既出済みだから私に対する
批判も甘受しよう。私の勇み足だった。


378 :↑:2008/02/10(日) 21:19:09
なんで偉そうなんだよ?
自分の勇み足で批判を受けて甘受だあ?
迷惑かけてすみませんだろ。
日本語の勉強しろ。
433日本@名無史さん:2008/03/23(日) 23:53:43
366 :武陽隠士:2008/02/09(土) 00:03:37
>>361>>362
バーカ。
スレ1から見てみろ。私の「南北朝期以後云々」の指摘みたいなこと、まったく考慮しないで、超時代的に武家の名前と官位を並列してたじゃなねえか。
てめえらが学問の諸前提(時代差ね)もわきまえねえバカだから指摘してやったんだよ。
くだらねえタワゴト言ってっとてめえのチンケなプライドぶっ潰すぞ。

371 :日本@名無史さん:2008/02/10(日) 16:22:20
52 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2007/10/11(木) 02:53:17
>>1
スレ主よ
千年に及ぶ武家の歴史を一元的に官位を語るのは荒唐無稽だwww

このスレが立てられてから比較的早い時期にもう皆そのことは認識してる。
戦国期の「左京大夫」がいい例じゃないか。
434武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/24(月) 00:12:16
>>433
しつこいな。
なんかスゴい執念だ。コワい( ̄□ ̄;)!!
435日本@名無史さん:2008/03/24(月) 00:35:13
>>428
それこそチラッとみるだけなので、貴方が十分な議論をしてるかどうか存じ上げません
どちらにしろ、むしろ議論を望むというならば、煽りは不要という事です

>>430
相手を罵倒し、煽り、挑発し、罵倒の応酬に持ち込むことで議論が成り立ちにくくなります
しかるに、それを行っている貴方の姿勢は、議論をしたくない、逃げていると認識されるといってるのです
強いて逃げたレスを挙げるならば、貴方が相手を罵倒したレス全てです
436日本@名無史さん:2008/03/24(月) 20:54:32
>423
>なぜかあそこだけ内膳佑じゃなくて内膳典膳なんだよな。

ほんとだ。司の「すけ」は全部「佑」だと思いこんでたけど例外があるんだ。
天皇の料理番ということで特別扱いだったのかな。

確か、中世まで諸国に設定された職田が残っていて、位階が低いにもかかわらず
実利官名としてちょっとやそっとじゃ任命されなかったのも内膳正じゃなかったっけ?




>390
437日本@名無史さん:2008/03/24(月) 22:51:49
惜しい司には次官(すけ)は居ないです。佑は判官(じょう)ですね。
典膳はなぜか四等官表とかで次官の所に上がっているときがあります。
438武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/25(火) 23:04:57
>>435
人違いだったら悪いけど、もしかしたら君は山野(敬称略)かな?
どうでもいいが文体が山野ぽっい。
君の理屈は間違ってるよ。
まず私の書き込みをよく読んでないって言ってること。
私の罵倒も文脈に沿ったら妥当な必然的なものも多いよ。
よく読まずにいうのはフェアじゃないだろ(ま、イロニーで言ってるんだろうことは推測出来る)?
だいたい私の罵倒如きでみんなが怒るのは、コウケイに当たった指摘を私がするからだ。
例えばこのスレだと、私は「成功」について言及した。
武家の官位を言挙げするスレで誰も「成功」について触れないのは奇異だよ。
議論なんか意味ない。
まず基本的なことを基本書で押さえなくちゃね。
将門レス、江戸を散歩ナンタラのスレ、一休のスレetc.も見てみな。
一休の年譜なんてどんな基本書にも載ってる史料なのに私が言及するまで、誰も挙げない(知らない)。
これは何かのジョークか?、と思ったね。
江戸散歩ナンタラスレは、擬古文で再現された江戸時代の宿場の会話を
口語資料として使用できると勘違い。
こういうのは何なんだろう?
将門レスじゃ、受領が何かということを全く理解出来ていない人間が得々レスしてきたり。
本当嫌になっちゃう(-.-;)
439日本@名無史さん:2008/03/26(水) 00:51:00
>>438
ご明察の通り、人違いです
文脈に沿うか否かは問題ではありません
罵倒することそのものに問題があるといっているのです
賢明な貴方なら、少なくともご自身で自負されているあなたなら、理解できると思いましたが、残念ですね
議論に罵倒が必要という見識にも疑問を抱きます
また、罵倒することで相手が怒ると想定していながら、それを(罵倒を)するならば、その目的はやはり議論から逃げるのが目的としか考えられませんが
意図せずにしているならば、相当の低い知能の持ち主でしょうが、そうではない
とすれば、そこには何らかの意図を持たせていると考えるのが妥当
では、罵倒して相手を怒らせる、少なくともそういう結果をもたらすと分かっているのに、罵倒している
その意図を説明してみてはいただけませんか?
まさか罵倒して、そして自身の自尊心を満たすなどという低俗な目的で行っているわけではないですよね
回答を期待いたします
440日本@名無史さん:2008/03/26(水) 05:07:28
って言うか、罵倒するのはいいけどされるのは嫌だって何その一式陸攻並みの打たれ弱さw
441日本@名無史さん:2008/03/26(水) 08:55:19
>>438
偏屈低能自慢は逝け
442日本@名無史さん:2008/03/26(水) 09:43:35
>>440
別にしても構いませんよ?
しかし、彼は議論がしたいのだがと述べているにもかかわらず、罵倒するという姿勢をとっているので、それを指摘しているわけです
>>441の彼のように、罵倒しかできない人間というのも少なからず存在します
議論を望むものが、罵倒して得られるものは何も無い、むしろその目的を阻害することになるのではないのかと問うているわけです
443日本@名無史さん:2008/03/26(水) 22:19:22
せっかくあぼnしてるのにいちいちアンカつけるなよ
444武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/26(水) 22:40:21
何とかの遠吠えだね。
要は馬鹿だから優しくしてくれってことだろ?
だったらもう少し謙虚になることだ。
私としては今まで通りに真摯なレスには真面目に応え、無礼なレスには徹底的に罵倒を加え潰して行く心構えだな。
マジくだらねぇ馬鹿はぶっ潰す。
ぶっちゃけ言うと議論なんかしたくねーよ。
ROMってくれりゃいい。
言っとくが、ググっただけの知見じゃ私には勝てない。

445武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/27(木) 00:41:48
>>439
「こいつはまるで分かってない!」という怒りゆえかな…。
罵倒は抑えられない。ヒステリーだな。
ていうか、やっぱりアナタ山野氏でしょ?違うっていうなら山野氏の文体模写したレスの理由教えてよーm(u_u)m
人間できてるよね。いつも冷静で。
さて寝ます。
丁寧なレスありがとうございました。
446日本@名無史さん:2008/03/27(木) 01:58:21
>>444
>悔しかったら議論で勝て。
と、>>424で仰っていますが、少なくとも、そのように罵倒をする人間と議論しようと思う人間は多くないと思いますが
実際にあなたも、
>無礼なレスには徹底的に罵倒を加え
と、不快に感じることを明らかにし、まともに相手できないと表明されている
にもかかわらず、罵倒をやめようとはしない
ご自身はその不快に耐えられずに(>>445ではヒステリーとしていますが)罵倒するにも拘らず、相手には議論で挑んで来いと仰る
端的に言って、甘えではないですか?

>>445
>無礼なレスには徹底的に罵倒を加え
と、意図的に罵倒しているとレスされていますが
さらに指摘するなら、「こいつはまるで分かっていない」ではなく、「自分の言っていることが理解されない」ではないですか?
そして、相手から理解しようと歩み寄っても、罵倒で返す
理解されたいのですか?されたくないのですか?
前者なら罵倒を慎み、後者ならそもそもレスしなければそういった不快感を味わうこともありません

たしかに2chには>>441や、>>443のように、無意味な煽りや、言葉尻を捉えて嬉々として反論したつもりになっている者もいます
しかし、そういった精神的に幼い人間に対して同じ土俵でやりあう必要はありません

敬語を使っているのでそう感じられるだけではないですか?
普段コテハンの人間が意図的にそれを外しているとするならば、文体をも変えるものではないですか?
コテハンを外しているということは、それを悟られたくないからであって、文体まで変えなければ画竜点睛を欠くということになります
邪推すれば、それすらも敢えて別人を装うためのものと考えられなくもありませんが、そもそもそういった疑念を抱かせないほうが確実です
447日本@名無史さん:2008/03/27(木) 01:58:59
>罵倒は抑えられない。ヒステリーだな。

お前が言うなww
448日本@名無史さん:2008/03/27(木) 09:20:02
>マジくだらねぇ馬鹿はぶっ潰す

自殺志願者ですか?
449日本@名無史さん:2008/03/27(木) 11:28:48
阿蘇大宮司家 阿蘇惟豊 従二位
450日本@名無史さん:2008/03/27(木) 11:29:53
阿蘇惟郷 正三位 中務大輔 肥後守 
451日本@名無史さん:2008/03/27(木) 12:10:37
神職の官位は無意味に高かったから。
452日本@名無史さん:2008/03/27(木) 13:37:06
>>451
特に江戸後期ね
吉田、白川に金を積んでインフレ化してるな
453日本@名無史さん:2008/03/27(木) 14:37:01
吉田なんか国守ならぬ国頭なんてのを勝手に出してるんだぜ。
シーなんたら公国みたいなもの。半ば詐欺同然。
454日本@名無史さん:2008/03/27(木) 15:07:35
神職は武家なのか?
455日本@名無史さん:2008/03/27(木) 15:13:17
戦国時代まではどちらでもある家も多い。
456日本@名無史さん:2008/03/27(木) 15:50:53
神職でも、阿蘇、諏訪などは例外的に武士集団化してる。
阿蘇大宮司家は意外と国司や守護に任官してる者も多い。薩摩国守護、肥後国守護、日向国守護、筑後守、日向守、・・・
457武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/27(木) 22:14:02
>>446
ザッと見てびっくりした。
やっぱりバカの巣窟なんだなここは、ってね。
君はネット自意識過剰だよ。
深読みが好きらしいが、私が考えたこともないことばっかいってるね。
別に君の思う通りでもいいよ。
減るもんじゃないし。私は君みたいなバカな癖にプライドだけは高いクズ叩いてストレス発散するだけさ。
悔しかったら私の書き込みの水準越えるこった。
ぶっちゃけさー議論なんかしたくないんだよ。
どうせバカばっかだし。議論なんてするだけ無駄。
私のレスは匿名政治パンフレット、アジビラ、落書なんだよ。
みんななんだかんだいって無視できないんだからねW
君も私の書き込みの鋭さが、罵倒を伴うことに恐れを感じてるんだろ?
ところで自分よりかバカと議論なんかしてたら、こちらは衰弱するだけだよ。
嫌だったら無視すりゃいい。
君のレス見て益々、知識の小出し作戦やめられなくなったなW
しかし文体が山野臭いのはなんなの?
君のコテハンがどうとかいう屁理屈はヒマジンのタワゴトにしか思えない。
軽い気持ちでいったんだがねW
山野で思うのは私が板にいる時は鳴りを潜めて、いなくなると山野のレスが出てくるってことだね。
山野は私を意識(絡まれたくないとか?)してるらしい。
山野のレスにはけっこう私は反論もあるんで、これからはヤンワリと反駁するつもりだ。
どうでもいいが私は今風邪気味だ。スゴく調子が悪いのに明日も休めない。
イライラしてるんで、つまんないレスは学問的反駁+罵倒をぶつけるつもりだ。
ていうか今日は本当疲れた。
ところで君に訊きたいんだけど、バカにバカっていうとなんで根に持つんだろうか。
458武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/27(木) 22:16:52
↑我ながら日本語が変だ(笑)
しかし調子悪い。
ところで誰か成功について何か言えよ。触れないのはマズいだろうが。
459日本@名無史さん:2008/03/27(木) 22:32:08
>>457
やはりやめられないのですね
少しオトナになられたほうがよろしいかと
しかし、>>447->>456を相手にしなかったのは成長できたと考えていいと思います
それから、別に私を山野と同じと思われても構いませんよ
なぜそこまでして山野に対して対抗意識を燃やすのか理解できませんが
ゴキブリが嫌いな人間は、黒い点を見るとゴキブリと認識してしまうことがあるそうです
常にその脅威に恐怖を感じているからだそうですが、さてさて私は黒い点か、ゴキブリか

バカにバカと言っても根に持たないと思いますよ
根にもてるほど記憶が持続するなら、バカではないですから
460武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/27(木) 22:43:33
>>459
山野に対抗心なんてないよ。けっこー好きだもん('-^*)/
あとさ、「オトナ」が何たらうるさいよ。
私は前にもどっかでレスしたけど、三歳だもん(精神年齢がW)
だからイジメないでくださーい。どうでもいいけど君、最近セックスしてないでしょ?
いいセックスしてないから、つまんないことが気になるんだよ。
まあセックスが無理ならオナニーでもして寝なさーい(*^o^*)
461日本@名無史さん:2008/03/27(木) 22:55:55
>>460
対抗といってもなにも敵対関係だけではありませんがね
なぜ、私が敵対関係の意味で対抗を使っていると思われたのでしょうかね

下の話をするのは、自身の性の能力に自身がないからだそうです
そして、幼児性を示して逃げるというのは、裏返しでしょうか
自分は本当は精神的に成熟した人間だ、しかし、それを正面から受け止めるだけの余裕がない
なので、幼児性を装い、それが攻撃されていると認識することで、じぶんの本当の人格は攻撃されていないとする
つまりは逃避ですね
逆に言えば、あなたは本質的には精神的に幼いと指摘されるのをおそれていると
無理する必要はないんじゃないですか?
>>459でかいたように、成長はできるんですよ、その意欲を失わなければ
462日本@名無史さん:2008/03/27(木) 23:08:18
>>461

この手合いには、冷静に理を説いても徒労に終わることが多いです。
自分を否定することは絶対に認めませんからね。
463武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/27(木) 23:12:18
>>461
性の能力って何?
生まれこのかた考えたこともないよ。だいたい性に能力なんてあんの?
モテるかモテないか、二つに一つじゃん。
しかし君はしつこいな。自意識レベルのやりとりが好きみたいだけど、私はそういう自意識あんまりないよ。
自意識に捕らわれている君は何か疲れるな。
韓国人とか台湾人のクリスチャン友達にはそういうの一切ないな。
やっぱり日本人には繊細(細かい)なのが多いのかな?ま私も日本人だが(笑)
君はいちいち言葉尻から相手の心理を読み取るのが好きみたいだけど、
まあいいや。それも面白いかもね。
ていうか怒らないで下さいね('-^*)/怖いから。
今までここで絡んで来た奴らみんなそうだった。
まあどうだっていいなそんなこと。
それより熱下げる方法なんかないかな?
明日、仕事終わったら東博の薬師寺展行く約束あるんだよね(つまり明日の7時半頃に私は東博の平成館にいる訳だ)。
464日本@名無史さん:2008/03/27(木) 23:19:06
コイツ、自分を何様だと思ってるんだ?
465日本@名無史さん:2008/03/27(木) 23:20:49
ていうかどんだけ自己顕示欲が強いんだよwwww
466武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/27(木) 23:33:56
>>464>>465
じゃあ放っといて下さい。
私は勝手にレスするだけ。いらざる説教など聞く耳持たない持ちたくない。
なんだかんだいっても私の書き込みの水準は低くはないよ。
ただ私はその書き込みを自分の為に書いてるんだな。
教えるように書いてると、知識が完璧に定着するんだよね。
あと自分の考えレベルもよく分かる。
467日本@名無史さん:2008/03/27(木) 23:34:52
明日東博行って見るか。
どんな顔してるか見てみよ。
468日本@名無史さん:2008/03/27(木) 23:47:51
百姓涙目www
469日本@名無史さん:2008/03/28(金) 09:31:24
>>466
ブログでもやれ。
お前は目ざわり。
470日本@名無史さん:2008/03/28(金) 09:44:26
>>463
男性は潜在的に性能力への不安を抱いていることが多いのです
一般に男性のほうが下の話が好きなのはそのためです
ちなみに、性能力とぼかしましたが、具体的に言えば、勃起能力、性器の大小、包皮の状態などなどです
ところで自意識とはなんですか?また、自意識に囚われるとは一体?

あなたは素直なようですが、なぜそのように虚勢をはるのですか?
471日本@名無史さん:2008/03/28(金) 12:43:28
インポで短小で包茎だから
472日本@名無史さん:2008/03/28(金) 20:07:40
>456

薩摩守護は島津だろと思って調べてみたら、阿蘇惟時が南朝方で延元元年から興国三年まで守護やってるんですね。
あと、日向守護は確認できなかったんですけど、分郡守護でもやってたんでしょうか?
473日本@名無史さん:2008/03/28(金) 22:29:38
>>472
阿蘇大宮司家も南朝と北朝に分裂して、それぞれ大宮司がおかれたんだけど、南朝側の阿蘇惟武が征西宮より日向国司および日向国守護に任ぜられている。
確かにネットには載ってないようだね。あと惟武の父惟澄は筑後国司、肥後国守護、日向国吏に任命。北朝の阿蘇惟村(惟澄長男)、惟郷は幕府から肥後国守護に
任命されている。

九州の南北朝時代は、肥後では菊池氏が大きく取り上げられるが、少なくとも初期の段階では、阿蘇氏(特に阿蘇惟時)の方が重要な役割を果たしている。
帝から綸旨や親王からの令旨も九州では阿蘇惟時へ最初に送られている等、征西宮からは重要視されていた。
474日本@名無史さん:2008/03/28(金) 22:39:45
「室町幕府守護職家辞典(題名うろ覚え)」に阿蘇氏や楠木(正儀)氏も出たな。
他にも聞いたことのないような家もいくつか。
475武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/29(土) 00:19:45
>>470
なるほど。
まあそういう「能力」ね。
ところでそういうことで悩む奴なんて、若い奴でいるの?
年寄りを別にすれば、私の人生では皆無だった。
あと「自意識」だけど、説明すんのは面倒くさい。
ちょっと熱っぽいんでさ。まあ分かってて敢えて訊いてるんだろうな、とは思うけどね。
虚勢云々はよくわかんない。私は元々子供っぽい人間で、時に甘えたり時に威張ったり泣いたり怒ったり、まあ気分屋なんだ。
リアル世界でも子供っぽいとはよく言われるし(褒めてる感じだ一応)
前に、「君はいわゆる中心気質って奴だ」と人から言われたことがある。
まあ本当のところよく分かんないけど、あんまり君とかみたいに恨みつらみも持続しないな。
白馬というコテハンに対しても最初はムカついたけど、レスやりとりしたら何かイイ奴に思えたし。
ぶっちゃけ虚勢云々は君じゃないかな?
私にプライド(自意識かもW)に傷を付けられたんでしょ。
まあ私のことなんか放っといて下さい。
やりこめたいのは分かるけどさ。
生の君が凛々しく説教してきたら考えないでもないけど、
こんな匿名の差別的言辞、罵倒、あてこすり、はったり、何でもありのネット掲示板で言ったって詮無いよ。
476日本@名無史さん:2008/03/29(土) 00:36:24
ぶようの彼女は可愛い
477日本@名無史さん:2008/03/29(土) 09:51:35
>>475
潜在的にとかいてあるのを見落とされています

あとの指摘には内容がありませんね

とにかく、成長をしたらどうですか?
478日本@名無史さん:2008/03/29(土) 21:06:51
>473

吉川弘文館の「日本史必携」掲載の表には記載がなかったです。
南北朝期の特に南朝の守護となると、なかなか網羅するのも大変なんでしょう。
もう少し詳細に調べた文献(もしくは一次資料)を見ないといけないのでしょうね。
479日本@名無史さん:2008/03/29(土) 21:56:23
あらしを完全無視して阿蘇氏の話を続けてる人たちがいてワロタ。
内容が微妙にスレ違いで。
480日本@名無史さん:2008/03/29(土) 23:05:52
ところで、守護と国司はどちらが格上だったのでしょう。国司兼守護なんて珍しいですね。阿蘇氏
481日本@名無史さん:2008/03/29(土) 23:31:48
>480

格だけで言ったら、律令に規定されている国司>征夷大将軍が置いた律令に規定のない守護、だろうけど。
どちらが実際に格上に見られたかと言えば、それこそ時代や地域によりそれぞれとしか言いようがないだろう。

あと、国司兼守護なんて室町時代には美濃の土岐氏(代々美濃守)、信濃の小笠原氏(信濃守)、
周防の大内氏(周防守)、伊予の河野氏(代々伊予守)とさして珍しいものではなくなっている。
(相模の三浦介、下総の千葉介、加賀の富樫介はちょっと微妙か)
482日本@名無史さん:2008/03/30(日) 00:33:28
阿蘇惟澄の肥後国守護は実際には今川了俊に邪魔されて実効力はほとんどなかったらしい。
それと阿蘇惟時は肥後国上使という特別身分が与えられている。国司や守護と同等な権力を持つ職だったそうだが、
以後、国上使は誰も任官していない。
483日本@名無史さん:2008/03/30(日) 22:44:15
スレ違いだけど阿蘇惟長って平城天皇みたいだな。
484日本@名無史さん:2008/03/30(日) 22:48:54
あちこち飛び回ったってこと?
485日本@名無史さん:2008/03/30(日) 23:34:42
弟に地位を譲って置いて後で取り返そうとしたところとか、
結局弟の系統の方が宗家になっちゃったこととか、そう言うところが似てるなと。
486日本@名無史さん:2008/03/30(日) 23:39:30
阿蘇惟豊 従二位 阿蘇大宮司
ある古文書集で正二位大納言宇治惟豊朝臣という記述を見たことあるけど、
誤植かな。それ以外ではどの本にもそんな記録はみたことない。
487日本@名無史さん:2008/04/01(火) 22:57:02
備前池田家
二代 池田利隆 慶長12年(1607)松平姓を許され武蔵守を名乗る。
三代 池田光政 元和9年(1623)従四位下侍従に任官するも官名名乗りをせず、
           以降も新太郎の名乗りを生涯通す。

その後、夭折の嫡子が一人名乗る以外になぜか領国の国司である備前守を名乗る藩主はいない。

十一代 池田茂政 文久元年(1861)相続。
             いつから名乗ったかは不明だが最終的に武蔵守を名乗る。

備前池田家の藩主、特に光政は本当は武蔵守を名乗りたくて仕方がなかったように思うのだがどうだろうか?
488日本@名無史さん:2008/04/02(水) 09:53:19
十一代池田茂政は水戸斉昭の実子だから待遇が違うんじゃないの? 
言うまでもなく慶喜の実弟。
489日本@名無史さん:2008/04/02(水) 19:02:41
いや、その特別待遇でもらったのが中将じゃなくて武蔵守ってところが
代々の悲願を示しているようで面白いなあと。
490日本@名無史さん:2008/04/02(水) 21:53:16
国主でも自分の国名を名乗りたい家とそうでない家があるな。
先祖の由緒とかの方が意識の上で優先されることが多いみたいだけど。
491日本@名無史さん:2008/04/05(土) 11:47:23
>>425
>滝川一益が、朝廷から正式に伊予守を貰った後も、もっぱら通称の左近将監を使っているみたいだけど
そもそも伊予守になった滝川氏は一益ではないでしょう
492日本@名無史さん:2008/04/05(土) 15:01:00
>>490
細川が典型だね。肥後守は光尚だけ。
493日本@名無史さん:2008/04/05(土) 15:07:34
細川は国持ち大名であるにもかかわらず「松平」苗字の拝領も拒絶している
494日本@名無史さん:2008/04/05(土) 22:14:52
徳川よりも由緒ある家柄だからね。
495日本@名無史さん:2008/04/06(日) 19:03:26
拒絶というか正確には、大坂夏の陣後に駿府に寄った羽柴越中守こと忠興に家康が
細川に戻せと言い、江戸に行ったら幕閣から「将軍に松平をねだるように」と
言われたが、家康の仰せで細川に復することにしたから、と辞退したということ。
でも忠利は家康の命でずっと以前の慶長五年から細川を名乗っている。
羽柴や松平の”名字政策”は官位とあわせて考えると結構面白い。
496日本@名無史さん:2008/04/10(木) 21:45:32
>>491
>そもそも伊予守になった滝川氏は一益ではないでしょう
ググったら滝山彦右衛門=滝川伊予守ではないかって説を書いている人がいました。
しかし、

元亀三年(1572年)に信長の近習として槍働きを褒められた人物「信長公記」が、
天正三年(1575年)十二月の中山親綱の奉書に伊勢金剛寺領を欠所処分にし、
天正四年六月八日、山科言継の信長訪問のとき奏者を務め、同月二十四日、興福寺別当職をめぐる争いに関し、丹羽長秀とともに上洛

するほど急に出世するもんなのでしょうか?

まあ、彦右衛門=伊予守説の人のHPだと、何故そう思うのか根拠として滝川一益はずっと左近将監と文書に記しているから伊予守は一益ではない、
じゃあ他に滝川で同時期に出てくる人は? という推定みたいだから、ニワトリが先か卵が先かって話になりそうな気もしますが。
497日本@名無史さん:2008/04/11(金) 23:40:44
伊豫守惟直公
498日本@名無史さん:2008/04/12(土) 01:23:46
しかも細川って越中守だし肥後は会津に取られたから?
499日本@名無史さん:2008/04/12(土) 01:34:56
細川(長岡)忠興依頼の由緒からだろ
500日本@名無史さん:2008/04/12(土) 13:57:17
>>496
簗田広正や原田直政も急に出世していると思います。
そもそも伊予守が彦右衛門とは限らないけど、元亀三年の時点の地位は二人と同じようなものだったのではないでしょうか?
501日本@名無史さん:2008/04/19(土) 19:44:13
尾張守が忌避官名
なので織田家が名乗っちゃえば良かったのに
502日本@名無史さん:2008/04/28(月) 21:21:15
織田家にはなんか遠慮があったんじゃないの?
503日本@名無史さん:2008/04/28(月) 21:31:08
終わりの髪
不吉じゃないか、ハゲそうで
504日本@名無史さん:2008/04/28(月) 21:31:16
経基王って本当に清和とか陽成の孫、つまり二世王なのか?
将門密告で従五位下ってことはそれ以前は無位ないし六位と言うことになる。
現に武蔵介と言う官職有ったのだから無位と言うことはないだろうから六位。
蔭位の規定だと二世王は従四位下である。
この頃には制度も崩れてきていたにしても、いくらなんでも六位は低すぎる。
実は経基王は文徳天皇以前の子孫で四世王以上だったのではないか?
まあ四世王でも規定上は初叙従五位下なんだけど。
満仲以後とは本来無縁な純友討伐の武人を、満仲以後の誰かが系譜に組み込んだ可能性もあるな。
505日本@名無史さん:2008/04/28(月) 21:47:03
尾張守に任官された時子息が
「うちの親父も大したもんだな、生きているうちに終末神に成るんだからな」
506日本@名無史さん:2008/04/28(月) 22:43:09
>504

陽成天皇は大悪天皇と称される暴君といわれている。
陽成天皇と摂政藤原基経の関係は最悪だった。
陽成天皇の後は大叔父の光孝天皇が継いでいる。

といったあたりから、大人の事情を察してくれ。
507日本@名無史さん:2008/04/29(火) 16:40:30
>>506
もっとも政治的理由で廃位された天皇や皇太子は悪逆だとか暴虐だとかレッテルを貼らないと引き摺り下ろせなかった。
その編も察してくれ。



どうでもいい話だが、菅原道真が大宰府に流される時に宇多上皇が醍醐天皇と会って止めさせようとした時に護衛が「天皇の命令無く門を開けることが出来ない」と言って門を塞がれたって話があるが、
あれは陽成天皇が皇位奪還を図りに御所に攻め込んでくることを恐れた宇多天皇自身が定めた規則だったという説がある。
508日本@名無史さん:2008/04/29(火) 18:07:03
若さの髪は
囲い
509日本@名無史さん:2008/04/30(水) 08:56:18
武家の話をしろよ
510武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/03(土) 01:05:03
>>504
まずもって官位相当表(古語辞典のたぐいに記載あり)
を御覧あれ
511武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/03(土) 12:05:07
みんな一見すると詳しいけどネット上で検索したデータみたいだね。
どうでもいいけど
基本書では前提となっている事柄がここだとまったく知られていないし、踏まえられていないのは
やはりネット上だけで完結した人しかいないんだろうな。
老婆心でいうが一度くらい図書館というところに行ったほうがいい。
初めは敷居が高くて怖いかもしれないがそんなことはない。
分からないことがあったら司書資格のある館員に訊ねるといい。
きっと発見があるはるはずだ。
512日本@名無史さん:2008/05/03(土) 15:17:19
>>511

ごめん、このスレのレベルの質問をされても的確なアドバイスをする自信がない
これでも同僚の中では日本史に詳しい方なのだが
513武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/03(土) 15:37:39
>>512
「同僚のなかでも日本史に詳しい」って意味は、
「営業○課の中では詳しいよ」みたいな意味?
なんかハッタリかましてるけど、
ここって官位についての先行研究がぜんぜん出てこないしさ。
だいたいさー細分化した専門を掘り下げて研究に自負がある(官位なんてまさしくそうだ)
研究者が「日本史は同僚よりか詳しい」なんて言わないよ。
それと私も日本史を通史で詳しいつもりだけど、それはまったく自慢にならないんだよ。
むしろ「だからおまえは専門がダメなんだ!」て言われちゃう(言われたことはないけど自覚はしてる)。
専門的に武家官位を研究してる研究者からすれば、
他の専門の学者だって素人扱い。
しかし「同僚よりか日本史詳しい」は笑える。
せめて「実は武家故実をかじっててね。武家の官位はちょっと一家言あるんだ」とか
「本当は専門、近世政治史で官位のウンチクはその研究のおまけみたいなものだが」
とかいうセリフ聞きたかったなw
514日本@名無史さん:2008/05/03(土) 15:45:29
>>513

自分は歴史&時代小説好きなだけの司書でしかないので、あなたが言うような質問を利用者から求められても的確なアドバイスをする自信がないという意味です。
奉職する図書館でも資料と呼べる物は非常に限られます。
残念なことにフロイスの日本史すら欠本があるというのが現状です。
地元及び近辺の教育委員会の編纂した史料ならば、すぐに案内できますが

司書=日本史に詳しい

は、非常に迷惑です。
515武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/03(土) 15:51:18
>>514
ひとつ言っていいかな。
私は司書を殆ど信頼してない。
プライベートだと殆ど本なんか読まない人たちだと思うし(ライトな読み物は別)。
まあ司書でもいろいろだけどさ。
専門的な司書もいるし。
書誌学なんかに詳しい奴なんかありがたい。
こっちは素人だしね。
ところで私の上の方にレスした「図書館で司書に訊く云々」のレスは皮肉。
図書館もろくに行かない奴がなにを偉そうにw
ってことだよ。
516日本@名無史さん:2008/05/03(土) 16:09:13
>>515

すまんな、あなたのレベルの質問をされて的確に答える自信がないもので
正直に言って、信頼に足るだけの知識は自分はもちろん、同僚にもないのが現状です
私の場合はTVを見ないので、利用者から「昨日の大河ドラマで云々」という質問にもお手上げだが
517武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/03(土) 16:16:35
>>516
まあ、すべての学問に通暁してる人間なんていませんものね。
518日本@名無史さん:2008/05/03(土) 20:42:56
レス番飛んでると思ったら糞コテが沸いてんのかw
519武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/04(日) 23:34:39
>>518
悔しいかなw
少しくらい勉強して論破したらどう?

ああ、そっか。見えないんだっけw
バカの人:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
520武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/04(日) 23:35:34
このスレの人たちは
古語辞典すらないのか…
521日本@名無史さん:2008/05/05(月) 09:25:59
嫌われ者が偉そうだな。
522武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/06(火) 23:23:44
>>521
正論だろうがw
523日本@名無史さん:2008/05/07(水) 08:50:31
>嫌われ者が偉そうだな。← 確かにこれが正論だな。
524日本@名無史さん:2008/05/07(水) 20:18:55
惟直公
525日本@名無史さん:2008/05/08(木) 18:55:03
平維衡(1038までは生存。貞盛の子)、下野守(998以前?)→伊勢守(1006)→備前守→常陸介→四位(1031時点)
平正輔(正扶?。維衡の子(長男か?))、安房守(1030)
平正度(維衡の子、正輔の弟か?)
平正衡(正度の子)
平正盛(正衡の子)
 隠岐守(1097以前)→若狭守(1097:1102再任)→因幡守(1107以前)→但馬守(1108)→丹後守(1110)→備前守(1114)→
 備中守(1119以前)→正五位下(1119)→従四位下(1120)→讃岐守(1120)
平忠盛(正盛の子)
平忠正(?〜1156。正盛の子)、左兵衛尉(1119以前)→馬助→去官(1136以前)→五位
526日本@名無史さん:2008/05/08(木) 18:56:06
平家盛(?〜?。忠盛の次男?、清盛の弟)、従四位下、常陸介、右馬頭
平経盛(1124〜1185、62歳。忠盛の子、清盛の弟)
 従五位下(1150、27歳)→安芸守(1156)→常陸介→従五位上(1157、34歳)→伊賀守(1159)→正五位下(1160、37歳)→
 従四位下(1160、37歳)→左馬権頭・若狭守(1161)→従四位上(1161、38歳)→太皇太后宮亮(1162)→正四位下
 (1163、40歳)→内蔵頭(1168)→従三位(1170、47歳)→正三位(1177、54歳)→太皇太后宮権大夫(1178)→修理大夫(1179)
 →参議(1181、58歳)→解任(1183)→出家?(1185)→自殺(1185)、太皇太后宮大進
平教盛(1128〜1185、58歳。忠盛の四男、清盛の弟)
 左将監(1148、21歳)→蔵人→従五位下(1148、21歳)→淡路守(1151)→従五位上(1153、26歳)→正五位下(1157、30歳)
 →左馬権頭(1158)→大和守(1158)→従四位下(1159、32歳)→越中守(1159)→常陸介(1160)→従四位上(1160?、33歳)
 →正四位下(1160、33歳)→解任(1161)→能登守(1162)→内蔵頭(1164)→春宮亮(1166)→蔵人頭(1168)→参議(41歳)→
 正三位(1168、41歳:二階)→丹波権守→権中納言(1181、54歳)→従二位(1182、55歳)→中納言(1183、56歳)→解任(1183)
 →自殺(1185)
平頼盛(1132(1131・1133とも)〜1186、55歳(56・54歳とも)。忠盛の五男、清盛の弟)
 皇后宮権少進(1146、15歳)→正五位下常陸介(1156時点、25歳)→安芸守(1156)→右兵衛佐→従四位下(26歳)→
 中務権大輔(1156)→常陸介(1158)→三河守(1158)→尾張守(1159?)→太皇太后宮亮→修理大夫(1163以前)→正四位下
 (1161、30歳)→太宰大弐(1166)→従三位(35歳)→参議(1166、35歳)→正三位(1167、36歳)→右兵衛督(1168)→辞任
 (1168)→復任(1169)→権中納言(1176、45歳)→従二位(1180、49歳)→正二位(1180、49歳)→按察使(1182)→権大納言
 (1183、52歳)→解任(1183)→復任(1184)→権大納言辞任(1184)→出家(1185)
 従四位上(1158、27歳)、中納言(1182、51歳)
527日本@名無史さん:2008/05/08(木) 18:57:06
平重盛(1138〜1179、42歳。清盛の長男)
 六位蔵人(1150、13歳)→従五位下(1151、14歳)→中務少輔(1155)→従五位上(1157、20歳)→中務権大輔→正五位下
 (20歳)→左衛門佐(1157)→遠江守(1158)→伊予守(1159)→従四位下(1160、23歳)→左馬頭→従四位上(23歳)→内蔵頭
 (1160)→正四位下(1162、25歳)→右兵衛督(1162)→従三位(1163、26歳)→正三位(1164、27歳)→参議(1165、28歳)→
 左兵衛督(1166)→権中納言(29歳)→右衛門督→春宮大夫(1166)→従二位(1167、30歳)→権大納言(1167、30歳)→辞任
 (1168)→正二位(1169、32歳)→権大納言(1170:再任)→辞任→権大納言(1171:再任)→右大将(1173)→大納言
 (1175、38歳)→左大将(1177)→内大臣(1177、40歳)→出家(1179)
平基盛(1139〜1162、24歳。清盛の次男)
 院判官代・左兵衛尉(1155、17歳)→左衛門少尉→検非違使(1155、17歳)→蔵人(1156、18歳)→従五位下(1156、18歳)
 →大和守(1157)→淡路守(1158)→左衛門佐(1159)→遠江守(1160)→越前守(1160)→内蔵頭(1162)
平忠度(1144〜1184、41歳。忠盛の六男、清盛の末弟)
 淡路守→右衛門佐(1170以前、27歳)→伯耆守→従四位上(1178、35歳)→伯耆守(1179)→薩摩守(1180)→左兵衛佐→
 正四位下→正四位下薩摩守(極官?)
平宗盛(1147〜1185、39歳。清盛の三男)
 従五位下(1157、11歳)→遠江守(1159)→淡路守(1160)→右兵衛佐(1160)→従五位上(1161、15歳)→左兵衛佐(1162)→
 左馬頭(1162)→美作守(1163)→正五位下(1164、18歳)→従四位下(1165、19歳)→従四位上(1166?、20歳)→正四位下
 (1166、20歳)→右中将(1167)→参議(21歳)→従三位(1167、21歳)→越前権守→正三位皇太后宮大夫(1168、22歳)→
 権中納言・右衛門督(1170、24歳)→従二位(1173、27歳)→左衛門督(1175)→権中納言辞任(1176)→権中納言
 (1177:再任)→右大将(1177)→正二位権大納言・春宮大夫(1178、32歳)→辞任(1179)→権大納言(1182:再任)→
 内大臣(1182、35歳)→従一位(1183、36歳)→内大臣辞任(1183)→処刑(1185)
528日本@名無史さん:2008/05/08(木) 18:57:43
平知盛(1152〜1185、34歳。清盛の四男)
 六位蔵人(1159、8歳)→従五位下(1159、8歳)→武蔵守(1160)→左兵衛佐(1161)→従五位上(1164、13歳)→正五位下
 (1166、15歳)→春宮大進→中務権大輔(1166)→従四位下(1167、16歳)→従四位上(1168、17歳)→正四位下(17歳)→
 左権中将(1168)→従三位(1177、26歳)→丹波権守(1178)→正三位(1179、28歳)→春宮権大夫→右兵衛督→左兵衛督
 (1179)→参議(1181、30歳)→参議辞任(1181)→従二位権中納言(1182、31歳)→解任(1183)→自殺(1185)
平公盛→平通盛(1154〜1184、31歳。教盛の長男)
 六位蔵人(1160、7歳)→従五位下(1160、7歳)→中務大輔(1164)→従五位上常陸介(1165、12歳)→左兵衛佐(1166)→
 正五位下(1168?、15歳)→従四位下(1168、15歳)→能登守(1168)→従四位上(1172?、19歳)→正四位下(1172、19歳)
 越前守(1176)→能登守・中宮亮(1179)→越前守(1179)→従三位(1183、30歳)→除名(1183)→戦死(1184)
平重衡(1157(1156とも)〜1185、29歳。清盛の五男)
 従五位下(1162、6歳)→尾張守(1163)→従五位上(1166、10歳)→左馬頭(1166)→正五位下(1168、12歳)→従四位下
 (1168、12歳)→従四位上(1171、15歳)→中宮亮(1172)→正四位下(1172、16歳)→春宮亮(1178)→左権中将(1179)→
 蔵人頭(1180)→従三位(1181、25歳)→但馬権守
平維盛(1158(1159・1157とも)〜1184、27歳(26・28歳とも)。内大臣重盛の長男)
 従五位下(1167、10歳?)→美濃権守(1167)→右権少将(1170)→丹波権介(1171)→中宮権亮(1172)→従四位下
 (1173、16歳?)→従四位上(1176、19歳?)→春宮権亮(1178)→正四位下(1178、21歳?)→権中将・蔵人頭(1181)→
 従三位(1181、24歳?)→解任(1183)→自殺(1184)、伊予権介(1176)
平資盛(1158?〜1185、28歳?。内大臣重盛の次男)
 従五位下(1166、9歳?)→越前守(1166)→従五位上(1169、12歳?)→侍従(1174)→正五位下(1175、18歳?)→
 右権少将(1178)→従四位下(1179、22歳?)→従四位上(1180、23歳?)→正四位下(1181、24歳?)→右権中将(1181)→
 蔵人頭(1183)→従三位(1183、26歳?)→解任(1183)
529日本@名無史さん:2008/05/08(木) 18:58:27
平教経(元国盛とも。1160(1159とも)〜1185、26歳(27歳とも)。教盛の次男)
 伯耆守→民部権大輔→越前守→五位(1179時点、20歳?)→能登守(1179)→民部大輔(1180)
平業盛(1168?〜1184、17歳?。従二位中納言教盛の末子)、蔵人→従五位下→戦死(1184)
平宗実(1168?〜。内大臣重盛の子、左大臣藤原経宗の猶子)、従五位上→土佐守→出家(1185?、18歳?)
平敦盛(1169(1168とも)〜1184、16歳(17歳とも)。経盛の子)、従五位下→若狭守(1174、6歳)→戦死(1184)
平知章(1169〜1184、16歳。知宗の子)、五位(1182時点、14歳)→武蔵守(1183)→戦死(1184)
平清宗(1170〜1185、16歳。内大臣宗盛の長男)
 従五位下(1172、3歳)→侍従(1174)→備前介(1178)→四位(1179時点、10歳)→従三位(1180、11歳)→右衛門督(1183)
 →正三位右衛門督(1183時点、14歳)→解任(1183)→処刑(1185)
平師盛(1171〜1184、14歳。重盛の子)、従五位下→丹波守(1175、5歳)→若狭守(1178)→備中守(1179)→戦死(1184)
平光盛(1172〜1229、58歳。権大納言頼盛の三男)
 従五位下(1176、5歳)→従五位上(1178、7歳)→侍従(1179)→正五位下(1181、10歳)→讃岐介(1183)→解任(1183)→
 復任(1184)→右少将(1184)→従四位下(1185、14歳)→備前守(1185)→従四位上(1188、17歳)→正四位下(1191、20歳)
 →従三位(1205、34歳)→正三位(1211、40歳)→従二位(1222、51歳)→出家(1229)
平高清(六代。1173〜1198、26歳。維盛の嫡男)、捕縛(1185)→出家(1189)→誅殺(1198)
530日本@名無史さん:2008/05/08(木) 19:43:46
平知度(?(1159・1160頃)〜1183:清盛の七男)
 従五位上淡路守(1178時点)→尾張守(1178)→三河守(1179)→戦死(1183)
平清経(?(1160頃?)〜1183。内大臣重盛の四男(三男か?))
 従五位上(1166、7歳?)→正五位下左権少将(1174、15歳?)→左少将(1176)→従四位上(1178、19歳?)→左権中将(1183)
 →正四位下左権中将(極官?)→自殺(1183)
平有盛(?(1164頃?)〜1185。内大臣重盛の四男)
 従五位下(1175、12歳?)→正五位下侍従(1178、15歳?)→出雲権介(1178)→左少将(1182)
平清房(?〜?(1183までは生存)。清盛の子)、従五位下→淡路守(1179)
平忠房(?〜1185。内大臣重盛の六男)、能登守(1176)→処刑(1185)、侍従?
平経正(?(1145ー1155頃)〜1184。正三位参議経盛の子、経俊・敦盛の兄)、元服13歳
 淡路守(1167)→五位(1172時点)→兵衛佐(1172)→従四位上皇后宮大夫(1176)→丹後守(1176)→正四位下(1179)→
 但馬守(1179)→戦死(1184)
平経俊(?(1159頃?)〜1184。正三位参議経盛の子)、従五位下(1178)→伊賀守(1178)→若狭守(1179)→戦死(1184)
平業盛(?〜1184。教盛の子)、五位(1183時点)
平保業(正二位権大納言頼盛の子、光盛の弟)、河内守(1184)
平保盛(?〜?、1225頃までは生存。正二位権大納言頼盛の長男)
 従五位下(1162)→右兵衛佐・越前守(1163)→尾張守(1166)→左衛門佐(1170)→中宮亮(1178)→正四位下(1182)→従三位
 (1209)→正三位(1210)→出家(1211)
平行盛(?〜1185。清盛の孫、正四位下左馬頭基盛の子)
 正五位下左馬頭(1178時点)→播磨守(1179)→左馬頭(1183)→戦死(1184)
平頼清(?〜1266。頼盛の孫、保盛の長男)、従三位(1255)、左馬頭、兵部卿
531日本@名無史さん:2008/05/08(木) 19:44:46
源頼義(998?〜1075、88歳。頼信の子)
 院判官代→相模守(1036、39歳)→陸奥守(1050)→鎮守府将軍(1052)→正四位下(1063、66歳)→伊予守(1063)
源義家(1039〜1106、68歳。頼義の子)
 左馬允→左衛門尉→従五位下出羽守(1063、25歳)→下野守(1070以前)→陸奥守(1083)→従四位上(1093以前、55歳)→
 正四位下(1098、60歳)
源義綱(頼義の子)、左衛門尉(1063)→陸奥守(1093)→従四位上(1094)→美濃守(1095)
源為義(1096〜)、左兵衛尉(1109、14歳)
源義朝(1123〜1160、38歳。為義の長男)
 従五位下下野守(1153、31歳)→右馬助(1155)→右馬権頭(1156)→左馬頭(1156)→播磨守(1159)→殺害(1160)
源義広(志田、義憲・義教・義弘。1144?(1145?1146?)〜1184、41歳?(39歳・40歳とも))
 (為義の子(三男?)、伊賀守義経の子とも、義朝の養子とも)
 帯刀先生?、検非違使・右衛門少尉、流罪?(保元の乱後?)
源義盛→源行家(?〜1186。為義の十男)、門院蔵人(1180)→従五位下備前守(1183)→四国地頭(1185)→誅殺(1186)
532日本@名無史さん:2008/05/08(木) 19:45:16
源義平(1141〜1160、20歳。義朝の長男)、左衛門少尉(1159以前、19歳)→処刑(1160)
源朝長(1144〜1159、15歳。義朝の次男)、従五位下(1159以前、15歳)→中宮少進(1159)→自害(1159)
源頼朝(1147〜1199、53歳。義朝の三男)
源希義(?〜1182。義朝の子)、流罪(1160)→自害(1182)
源範頼(?〜1193か?。義朝の子、頼朝の弟、義経の兄)、三河守(1184)→流罪(1193)→誅殺?(1193?)
阿野全成(1153〜1203、51歳。義朝の子、頼朝の弟)、出家→法橋(1180以前?、28歳?)→流罪(1203)→誅殺(1203)
源義仲(1154〜1184、31歳。為義の孫、義賢の次男)、伊予守(1183、30歳)→征夷大将軍(1184、31歳)
源義経(1159〜1189、31歳。義朝の八男)
 左衛門少尉・検非違使(1184、26歳)→従五位下(1184、26歳)→伊予守(1185)→九国地頭(1185)→自害(1189)
源義高(義重・義基。1173〜1184、12歳。義仲の嫡子)、殺害(1184)
源頼全(?〜1203。阿野全成の三男)、出家→誅殺(1203)
阿野時元(?〜1221、全成の子(次男?))、自殺(1221)
533日本@名無史さん:2008/05/08(木) 19:45:54
源義康(1127?〜1157、31歳?、義家の孫、義国の子:足利氏の祖)
 右衛門尉(1152、26歳?)→検非違使(1152)→蔵人(1156?、30歳?)→従五位下(1156、30歳?)
足利義兼(1148〜1199、52歳、義康の子)、蔵人?→上総介(1185、38歳)→出家(1195)
足利義清(?〜1183。義康の子:仁木・細川の祖)、戦死(1183)
足利義純(畠山。1176〜1210、35歳。義兼の子:畠山・新田岩松の祖)
足利義氏(1189〜1254、66歳。義兼の子)
 検非違使→蔵人→治部少補→武蔵守(1217)→陸奥守→左馬頭(1231頃)→従四位下(正四位下とも)→出家(1241)
 三河守護(1238以前、50歳)、右馬助
足利泰氏(1216〜1270、55歳。義氏の子(次男?))、正五位下、左衛門佐、尾張守、丹後守→宮内少補→出家(1251)
足利家氏(泰氏の子(庶長子?))、中務権大輔(1253以前)→検非違使(1261以前)→尾張守(1265)
足利利氏→足利頼氏(1230?〜1262(1280・1297とも)、33歳?(23歳・40歳とも)。泰氏の三男)
 上総守護(1259以前、30歳?)→従五位下治部権大輔(1260以前、31歳?)、上総・三河守護
足利家時(1251〜1285(1289・1309・1317とも)、35歳。泰氏の孫、頼氏の子)
 式部丞(1276、26歳)→従五位下(1276、26歳)→伊予守(1282)、上総・三河守護
足利貞氏(1273〜1331、59歳。家時の子)、従五位下讃岐守→贈従三位
 三河・上総守護(1294以前、22歳)→出家(1311、1301とも)
足利高義(生没年不明(1297〜1300頃の生れか?)貞氏の子、尊氏・直義の異母兄)、左馬頭(1315以前)
534日本@名無史さん:2008/05/08(木) 19:46:26
清原武則、従五位下(1062以前)→従五位上(1063)→鎮守府将軍(1063)
清原武貞(武則の子)
清原真衡(武貞の嫡子)、鎮守府将軍?(1086)
清衡家衡(武貞の子、真衡の異母弟)
藤原清衡(1056〜1128、73歳。権守経清の子、清原家衡の異父兄)、正六位上、陸奥・出羽押領使
藤原基衡(?〜1157。清衡の子)、在国司
藤原秀衡(1122?〜1187、66歳?。基衡の子)
 奥六郡郡司(1157頃、36歳?)→陸奥・出羽押領使→従五位下鎮守府将軍(1170、49歳?)→従五位上陸奥守
 (1181、60歳?)
藤原国衡(西木戸。?〜1189。秀衡の庶長子)、戦死(1189)
藤原泰衡(1155(1165とも)〜1189、35歳(25歳とも)。季衡の次男)、陸奥・出羽押領使(1187、33歳)→殺害(1189)
泉忠衡(藤原。1167〜1189、23歳。秀衡の三男)、殺害(1189)
535日本@名無史さん:2008/05/08(木) 21:01:45
北条時政(1138〜1215、78歳。上総介直方の子孫(玄孫?)、時方の孫で時家の子?(時方又は時兼の子とも?))
 七国地頭(1186、49歳)→伊豆・駿河守護(1189以前、52歳)→従五位下遠江守(1200、63歳)→政所別当=執権
 (1204、67歳)→出家(1205)
北条時定(1145〜1193、49歳。北条介時兼の子、時政の甥:本来の北条氏惣領か?)
 {仗→左兵衛尉(1185、41歳)→検非違使?→左衛門尉(1189、45歳)

北条義時(1163〜1224、62歳。時政の次男)、駿河・伊豆・若狭・越後・大隅・信濃等守護
 従五位下相模守(1204、42歳)→執権(1205、43歳)→従五位上(1207、45歳)→正五位下(1213、51歳)→侍所別当
 (1213、51歳)→従四位下(1216、54歳)→右京権大夫(1217)→陸奥守(1217)→出家(1224)
北条時連→北条時房(1175〜1240、66歳。時政の子、義時の弟)
 主殿権助(1205、31歳)→式部少丞(31歳)→従五位下遠江守(31歳)→駿河守(1205)→武蔵守(1207)→相模守(1213)→
 従五位上(1214、40歳)→六波羅南方探題(1221、47歳)→伊勢守護(1221、47歳)→連署(1225、51歳)→正五位下
 (1231、57歳)→従四位下(1234、60歳)→修理権大夫(1236)→従四位上(1237、63歳)→正四位下(1238、64歳)
北条頼時→北条泰時(江馬。1183〜1242、60歳。義時の長男)、武蔵・丹波・遠江守護
 修理亮(1211、29歳)→学問所番(1213、31歳)→式部少丞(1216、34歳)→従五位下(1216、34歳)→従五位上
 (1219、37歳)→駿河守→武蔵守(1219)→六波羅北方探題(1221、39歳)→執権(1224、42歳)→正五位下(1232、50歳)→
 従四位下(1236、54歳)→左京権大夫(1236)→従四位上(1238、56歳)→正四位下(1239、57歳:極位)→出家(1242)
北条政範(1189〜1204、16歳(15歳・17歳とも)。時政の子)、左馬権助(1204、16歳?)、従五位下?
536日本@名無史さん:2008/05/08(木) 21:02:27
北条朝時(名越。1194(1193とも)〜1245、52歳。義時の次男)、大隅守護
 籠居(1212)→赦免(1213)→式部少丞(1220、27歳)→式部大丞(1223、30歳)→加賀・能登・越中・越後等守護
 (1223以前、30歳)→従五位下周防権守(1224、31歳)→大隅守護(1224)→越後守(1225)→従五位上(1232、39歳)→
 遠江守(1236)→評定衆(1236、43歳)→評定衆辞退(1236)→出家(1242)
 式部少丞→式部大丞→周防権守→越後守→遠江守→従四位下(1241、48歳)
北条時盛(盛時とも。1197〜1277、81歳。時房の子)
 掃部権助(1222、26歳)→六波羅南方探題(1224、28歳)→丹波守護(1232以前、36歳)→従五位下越後守(1236、40歳)
 →従五位上(1237、41歳)→正五位下(1238、42歳)→出家(1242)
北条重時(極楽寺。1198〜1261、64歳。義時の三男)、信濃・若狭・和泉守護
 小侍所別当(1219、22歳)→修理権亮(1220、23歳)→従五位下駿河守(1223、26歳)→信濃守護(1225以前、28歳)→
 六波羅北方探題(1230、33歳)→若狭守護(1231以前)→相模守(1237)→従四位下(1243、46歳)→従四位上(1244、47歳)
 →連署(1247、50歳)→陸奥守(1249)→辞職・出家(1256)
北条資時(1199〜1251、53歳。時房の三男)、生涯無官
 出家(1220、23歳)→評定衆(1237、39歳)→三番引付頭人(1249、51歳)
北条有時(1200〜1270、71歳。義時の子:伊具流の祖)
 大炊助(1222、23歳)→近習番(1223、24歳)→従五位下民部少輔(1232、33歳)→従五位上(1237)→駿河守(1237)→
 正五位下(1242、43歳)→評定衆(1242頃、43歳)→引退(1243)→讃岐守護(1248、49歳)→出家(1270)
537日本@名無史さん:2008/05/08(木) 21:03:10
北条時氏(1203〜1230、28歳。泰時の子)
 六波羅北方探題(1224、22歳)→従五位下修理亮(1227、25歳)→若狭守護(1228、26歳)
北条政村(1205〜1273、69歳。義時の子)
 常陸大掾(1230、26歳)→式部少丞(26歳)→従五位下(1230、26歳)→右馬助(1236)→右馬権頭(1236)→従五位上
 (1237、33歳)→正五位下(1238、34歳)→評定衆(1239、35歳)→従四位下(1244、40歳)→一番引付頭人(1249、45歳)→
 連署(1256、52歳)→陸奥守(1256)→相模守(1257)→執権(1264、60歳)→従四位上(1264、60歳)→左京権大夫(1265)→
 正四位下(1266、62歳)→連署(1268:再任)→出家(1273)
北条朝盛→北条時景(1206〜1243、38歳。時盛の子:時房流)、正六位上掃部助→越後守
北条朝直(1206〜1264、59歳。時房の子(四男?):大仏流の祖)
 木工権頭(1233、28歳)→式部少丞(1233)→式部大丞(1234、29歳)→従五位下相模権守(1234、29歳)→備前守(1237)→
 従五位上(32歳)→武蔵守(1237)→評定衆(1239、34歳)→遠江守護(1240、35歳)→正五位下(1241、36歳)→遠江守(1243)
 →武蔵守(1246)→二番引付頭(1249、44歳)→一番引付頭人→出家?
北条実泰(1208〜1263、56歳。義時の子)、祗候番(1223、16歳)→小侍所別当(1230、23歳)→出家(1234)
北条時実(1212〜1227、16歳。泰時の子)、殺害(1227)
北条時章(名越。1215〜1272、58歳。朝時の子(次男?)、光時の弟)、肥後・筑後・大隅・能登守護
 大炊助(1238、24歳)→式部少丞(24歳)→従五位下式部大丞(1238、24歳)→筑後守護(1241以前、27歳)→大隅守護(1245)
 →尾張守(1245)→評定衆(1247、33歳)→三番引付頭人(1251、37歳)→肥後守護(1253以前)→二番引付頭人
 (1256、42歳)→出家(1263)→一番引付頭人(1264、50歳)→引付廃止(1266)→一番引付頭人(1269:復任)→誤殺(1272)
北条時広(1222〜1275、54歳。時村の子(時房の子、資時の子とも):時房流)
 式部少丞(1245、24歳)→従五位下(1247、26歳)→武蔵権守(1247)→越前守(1258)→引付衆(1264、43歳)→従五位上
 (1265、44歳)→評定衆(1265、44歳)→四番引付頭人(1269、48歳)
538日本@名無史さん:2008/05/08(木) 21:03:51
北条実時(1224〜1276、53歳。義時の孫、実泰の子)
 小侍所別当(1234、11歳)→掃部助・門院蔵人(1238、15歳)→越後守(1249、26歳)→引付衆(1252、29歳)→評定衆
 (1254、31歳)→引付三番頭人(1256、33歳)→越訴奉行(1264、41歳)→引付一番頭人(1273、50歳)
北条経時(1224〜1246、23歳。泰時の孫、時氏の子)、若狭守護(1229?、6歳)
 小侍所別当(1234、11歳)→左将監(1237、14歳)→従五位下(1237、14歳)→評定衆(1241、18歳)→従五位上
 (1241、18歳)→執権(1242、19歳)→正五位下(1243、20歳)→武蔵守(1243)→出家(1246)
北条時頼(1227〜1263、37歳。時氏の子、経時の弟)
 左兵衛少尉(1238、12歳)→従五位下左将監(1243、17歳)→従五位上(1244、18歳)→執権(1246、20歳)→相模守(1249)
 →正五位下(1251、25歳)→出家(1256)
北条長時(赤橋。1230(1229とも)〜1264、35歳。重時の子:極楽時流)
 従五位下左将監(1245、16歳)→六波羅北方探題(1247、18歳)→評定衆(1256、27歳)→武蔵守→執権(1256、27歳)→
 従五位上(1258、29歳)→出家(1264)
北条教時(1235〜1272、38歳。朝時の子(六男?))
 近習番(1250、16歳)→御格子番(1252、18歳)→従五位下刑部少輔(1254、20歳)→引付衆(1256、22歳)→廂御所衆
 (1257、23歳)→昼番衆(1260、26歳)→中務権大輔(1263)→評定衆(1265、31歳)→従五位上(1266、32歳)→遠江守(1270)
 →誅殺(1272)
北条公時(1235〜1295、61歳。時章の子(次男?):朝時流)、正五位下
 近習番(1250、16歳)→左近大夫将監(1256、22歳)→廂御所衆(1257、23歳)→御格子番(1257、23歳)→昼番衆
 (1260、26歳)→越後・越中・大隅守護(1263、29歳)→引付衆(1265、31歳)→評定衆(1273、39歳)→尾張守(1274)→
 四番引付頭人(1275、41歳)→三番引付頭人(1281、47歳)→二番引付頭人(1283、49歳)→出家(1284)→執奏
 (1292、58歳)→二番引付頭人(1293:再任)→寄合衆(1294以前、60歳)
539日本@名無史さん:2008/05/08(木) 21:04:32
北条時景→北条時基(1235〜?(1296、62歳までは生存)。朝時の子(七男?))
 廂番衆(1257、23歳)→昼番衆(1260、26歳)→刑部少輔(1263、29歳)→引付衆(1273、39歳)→評定衆(1278、44歳)→
 遠江守(1280)→三番引付頭人(1283、49歳)→出家(1284)→二番引付頭人(1296、62歳)
北条時忠→北条宣時(大仏。1238〜1323、86歳(84歳とも)。朝直の子(嫡子、三男か?))、佐渡守護、土佐守護
 引付衆(1265、28歳)→引付廃止(1266)→従五位下武蔵守(1267、30歳)→引付衆(1269:再任)→評定衆(1273、36歳)→
 二番引付頭人(1277、40歳)→一番引付け頭人(1283、46歳)→従五位上(1283、46歳)→正五位下(1285、48歳)→連署
 (1287、50歳)→陸奥守(1289)→従四位下(1289、52歳)→連署辞任(1301)→出家(1301)→若狭守護(1305)
北条時茂(1240(1241とも)〜1270、31歳。重時の三男、四男とも)
 小侍所別当(1254、15歳)→六波羅探題北方(1256、17歳)→従五位下左将監(1257、18歳)→若狭・摂津守護
 (1263以前、24歳)→陸奥守(1267)
北条重長→北条業時(1241〜1287、47歳。重時の五男(七男か?):普恩寺流の祖)
 廂番・格子番(1257、17歳)→従五位下弾正少弼(1259、19歳)→昼番衆(1260、20歳)→引付衆(1264、24歳)→評定衆
 (1276、36歳)→越後守(1277)→三番引付頭人(1277、37歳)→駿河守(1280)→一番引付頭人(1281、41歳)→連署
 (1283、43歳)→従五位上(1283、43歳)→陸奥守(1284)→出家(1287)
北条時村(1242〜1305、64歳。政村の子(三男?))
 廂番衆(1257、16歳)→昼番衆四番頭人(1260、19歳)→正六位上左将監(1262、21歳)→従五位下(1263、22歳)→引付衆
 (1269、28歳)→陸奥守(1271)→二番引付頭人(1273、32歳)→六波羅探題北方(1277、36歳)→和泉守護(1279、38歳)→
 武蔵守(1282)→従五位上(1283、42歳)→正五位下(1284、43歳)→一番引付頭人(1287、46歳)→寄合衆(1289、48歳)→
 従四位下(1289、48歳)→執奏(1293、52歳)→一番引付頭人(1294:再任)→美濃守護(1296)→長門探題・周防・
 長門守護(1300、59歳)→連署(1301、60歳)→左京権大夫(1304)→戦死(1305)
540武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/11(日) 23:03:16
>>523
おまえネットでの人間関係そんなに大事か?
私は生身の人間関係がちゃんとしてれば取りあえずオマエみたいな馬鹿クズに嫌われようが
どーでもいいよw
541日本@名無史さん:2008/05/12(月) 09:09:07
嫌われ者が偉そうだな。
542日本@名無史さん:2008/05/14(水) 09:02:27
>>540名前:武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s
お前うるさい。もう来るな。
543日本@名無史さん:2008/05/14(水) 20:38:21
アンカーつけんなよ
544日本@名無史さん:2008/05/24(土) 09:56:54
額賀大蔵凶出例助
545日本@名無史さん:2008/05/24(土) 13:24:17
どーでもいいよと言う割にはやたらに人に絡むよな。
よっぽど余裕がない人格なんだな。
546武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/25(日) 00:43:08
>>545
イライラしてるときと
そうじゃないときの落差さ
まあ日本史の知見で私に勝てなくて
悔しいのはわかるよw
547日本@名無史さん:2008/05/25(日) 00:52:44
ここで舞踊に勝てる奴なんていないんだから
どっかよそ行きなよ。じゃまだよ。
ここはおまえみたいな優秀な奴が来る所じゃないんだよ。
548武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/25(日) 01:25:34
>>547
舞踊ならどっか行くんじゃない?
ていうか知らないコテハンなんだけど、その舞踊とかいう奴。
549日本@名無史さん:2008/05/25(日) 01:38:42
ぷっ
ブヨー
550日本@名無史さん:2008/05/25(日) 03:44:15
学界じゃ相手にしてもらえないから
ここに来て欲求不満はき出してるんだよ。
許してやれよ。
551日本@名無史さん:2008/05/25(日) 08:40:39
武陽陰士ってのは真性の2ちゃんネラーってやつだな
552日本@名無史さん:2008/05/25(日) 10:23:06
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s
>まあ日本史の知見で私に勝てなくて

馬鹿か。引きこもりニートが。死ねよ。
553日本@名無史さん:2008/05/25(日) 12:41:50
武陽隠士もかまってる糞名無しもまとめて死ね
さっさと失せろ
554日本@名無史さん:2008/05/25(日) 23:19:46

亀で申し訳ないけど

>>229
>衛門・兵衛督>京・修理大夫>八省輔、衛門・兵衛佐、諸寮頭>受領>諸寮助>衛門・兵衛尉
って北畠親房とか二条良基の頃まではそんな感じかな。

大舘尚氏まで時代が下ると衛門佐・兵衛佐は四職大夫と同格に上がっているような。
尤も、武家衆にとっては官位よりも、三職・御一家>御相伴衆>国持衆・・・という格付の方が意味を持っていたようだけど。

ところで吉良家で確実に左兵衛督になった人っていたんだっけ。
家格が固定化した応永以降は兵衛佐どまりだったと記憶しているけれど。
555武衛家と呼ぼう:2008/05/27(火) 22:32:44
斯波の嫡流は武衛家って言うんだってね
細川の嫡流の京兆家は一般的になっているけど
武衛家は有名じゃないね、なぜ?
細川みたいに分家が同じ苗字を名乗らなかったから?
大崎や最上みたいに
556武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/27(火) 23:02:19
>>553
また来るよ
557日本@名無史さん:2008/05/27(火) 23:11:41
>>556
死ね
558武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/27(火) 23:46:10
ただこの官位スレって
意外にレスに穴がない。
いやあるんだけど突いても面白くはない穴ばかり
論争しにくいスレなんだな
559日本@名無史さん:2008/05/27(火) 23:48:05
>>558
消えろ。
560日本@名無史さん:2008/05/28(水) 00:04:44
>>555
武衛家って有名だろ
561日本@名無史さん:2008/06/21(土) 18:14:39
公家侍、暮らしは庶民以下でも諸太夫
562日本@名無史さん:2008/07/01(火) 11:30:18
>>560
教科書には載ってない。
知る人ぞ知るってかんじだぞ。
細川京兆家なみに載せるべきだな。
武衛家をメジャーな呼び方にすべきだ
563日本@名無史さん:2008/07/01(火) 15:15:38
サッカー協会の元会長・長沼健に正五位
564日本@名無史さん:2008/07/14(月) 23:42:23
戦国の武将は,よく官職の自称をしてますよね。
信長の上総介とか,原美濃守とか。

官職の自称をしていた武将は,位階の自称もしてたんでしょうか。
官職のほかに位階もないと正式な署名とか困ったりしなかったんでしょうか。
565日本@名無史さん:2008/07/15(火) 01:23:48
朝廷が作成する公文書以外に位階は使わないだろう
566日本@名無史さん:2008/07/15(火) 05:06:29
>>564 位階はない。
567日本@名無史さん:2008/09/18(木) 08:53:54
勝手に従三位とか名乗ってたらおもしろいな。
568日本@名無史さん:2008/09/29(月) 22:07:20
従七位下・杉下右京
569日本@名無史さん:2008/09/29(月) 22:59:18
良レス
570日本@名無史さん:2008/09/30(火) 21:33:57
正五位上・小松左京
571日本@名無史さん:2008/10/07(火) 12:20:10
従八位下、中村主水目
572日本@名無史さん:2008/10/07(火) 14:00:44
田舎の国人領主で本当に任官してる例もあるからややこしいんだよな。
573日本@名無史さん:2008/10/07(火) 22:34:24
正八位上、むっつり右門
574日本@名無史さん:2008/10/14(火) 23:40:11
従六位下、畷左門
正七位上、西村左内
無位無官、藤枝梅安
575日本@名無史さん:2008/10/21(火) 19:19:59
土屋主水之助
576日本@名無史さん:2008/10/21(火) 19:21:50
藤枝梅安の中の人は
関白太政大臣
577日本@名無史さん:2008/11/03(月) 07:51:45
官位の中で○○守ってやつで一番上は山城守なん?

地名の官位って赴任地の守護を意味するん? 筑前守=筑前守護って事なん?
578日本@名無史さん:2008/11/03(月) 10:20:21
国守りで格が高いのは
親王任国の上総、上野、常陸で、
官位相当は正下の四位。

その他大国は、
大和、河内、伊勢、武蔵、下総、
近江、陸奥、越前、播磨、肥後の十か国。

山城の国はそれに次ぐ上国。
ちなみに首都行政は山城国衙ではなく
左右京職がおこなう。

後段の質問は「守護」の意味がわからないので答えられけど、
平安時代から国守は遙任があたりまえだよ?

579日本@名無史さん:2008/11/03(月) 13:00:28
現在、生きて冠位貰っているは中曽根康弘だけかな。
580日本@名無史さん:2008/11/03(月) 14:59:57
>>579
現在、生前叙位は認められていないよ。
581日本@名無史さん:2008/11/03(月) 15:05:23
七位、八位くらいの有位者なら、80代以上の戦争経験者にけっこういる。
旧制の大学生や専門学校生が応召して予備少尉に任官したら自動的に叙位される。
582日本@名無史さん:2008/11/03(月) 15:08:40
だから司馬遼も自分のエッセイの中で、自分は「正○位陸軍少尉」だったとか書いてる。
海軍の阿川弘之はポツダム大尉で復員してるから、司馬より位階は上のはず。
官僚から短現の海軍主計少佐になった中曽根は従六位。
583日本@名無史さん:2008/11/03(月) 15:13:50
生前叙位の停止というのは、生存者に対して新規の叙位を行わないというだけで、
戦前に与えられた位階が無効になったわけではないので、戦前戦中の位階はすべて有効。

だから旧華族の当主や嫡子だった人は、いまでも現役の従五位様。
584日本@名無史さん:2008/11/03(月) 22:10:31
>>583
名刺に位階をつけられないのがつらいな
585日本@名無史さん:2008/11/04(火) 04:38:23
つけたらダメなの?
586日本@名無史さん:2008/11/04(火) 23:06:53
明治の官位と江戸時代以前の官位は全く別物だけどな。
587日本@名無史さん:2008/11/05(水) 18:39:03
>>586
明治以降は上下がなくなったからな
588日本@名無史さん:2008/11/05(水) 19:15:45
戦前にもらった位階は現在でも有効だから、終戦時に旧華族の当主や嫡子だった人は、
いまでも現役の従五位様である。
当然、名刺に位階をつけることができる(実行するかどうかは別として)。

類似の例に、戦後皇籍離脱した元宮様が、皇族時代にもらった勲位を肩書きにつけて、
「大勲位 ○○○○(皇籍離脱後の氏名)」と揮毫していた例がある。
この場合も勲章が剥奪されたわけではないから、決して違法ではない。
皇籍離脱した旧皇族本人は「ただの人」になったわけではなく、「大勲位様」なのだ。
589日本@名無史さん:2008/11/05(水) 19:27:38
>>1
関白 公家の位になるわけだが公家は世襲
590日本@名無史さん:2008/11/06(木) 10:11:36
>>588
もはや武家ではないわけだが
591日本@名無史さん:2008/11/08(土) 19:28:19
>>586-587 じいちゃんが叙勲した時に従六位をもらった訳だが、証明書みたいなやつに首相の名前が書かれてたぞ
天皇が勲章や位階を授けるのじゃないのか?
592日本@名無史さん:2008/11/09(日) 00:07:41
>>591

内閣府賞勲局だよ
593日本@名無史さん:2008/11/09(日) 17:39:03
上等兵がもらった金鵄勲章の勲記を見たことあるが、賞勲局総裁の名前だった。
要するに、賞勲局が天皇から叙勲者に伝達するということだな。

ただ、もっと高い位や勲章だと御名御璽入りの位記や勲記になる。
その場合、戦前だと宮内大臣、戦後は首相が副署するみたいだな。
594日本@名無史さん:2008/11/09(日) 18:22:34
位記,口宣でも,天皇はおろか関白や大臣の名でも発給してないだろう。

595日本@名無史さん:2008/11/09(日) 18:47:03
>>592 ほんとだ。局長の名前が書かれている
596日本@名無史さん:2008/11/09(日) 18:47:34
例1.従四位以上

氏名
従四位に敘する
御璽
平成 年 月 日
内閣総理大臣 氏名


例2.正五位以下

氏名
正五位に敘する
平成 年 月 日 (内閣之印)
内閣総理大臣 氏名 宣
597日本@名無史さん:2008/11/10(月) 19:17:15
位記・勲記に捺されるのは御璽(天皇御璽)じゃなくて国璽(大日本国璽)
では?
598日本@名無史さん:2008/11/11(火) 00:11:46
武家の官位にうついて語ろうぜ!
599日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:44:06
織田信長は、正三位の段階で内大臣に任官しているが、
今までに、三位の大臣って居たの?。
600日本@名無史さん:2008/12/17(水) 20:01:27
600
601日本@名無史さん:2008/12/30(火) 07:43:14
何故吉宗ほどの将軍が右大臣で終わったの?
602日本@名無史さん:2008/12/30(火) 10:27:18
現実に将軍が国内最高の存在なのだから、あえて虚名にこだわる必要はない。
徳川幕府が安定期に入ってからの将軍の官位は基本内大臣で晩年に右大臣。

11代が長期在位で太政大臣になったから、12代も即位前に左大臣になったけど、
これはインフレ状態だな。
603日本@名無史さん:2009/01/03(土) 14:20:24
…今の政治屋共や官僚共が貰う勲章が
インフレ状態なのと同じようなもんだな。
604日本@名無史さん:2009/01/04(日) 11:13:05
>>602
即位って
605日本@名無史さん:2009/01/04(日) 17:34:15
>>604 将軍宣下の儀式の事かな?
それとも、徳川将軍家の相続かな?
606日本@名無史さん:2009/01/25(日) 22:18:26
浅井茶々は
史上初の女将軍になれたか?
607日本@名無史さん:2009/03/08(日) 18:11:38
尼将軍・北条政子
608日本@名無史さん:2009/03/14(土) 16:54:55
闇将軍なら、結構居そうな気がする…。
609日本@名無史さん:2009/03/14(土) 22:13:14
米将軍・徳川吉宗
610日本@名無史さん:2009/03/15(日) 20:48:58
・犬将軍(公方)…徳川綱吉。

・米将軍(公方)…徳川吉宗。

・小便将軍(公方)…徳川家重。

・癇癪将軍(公方)…徳川家定。

・還俗将軍(公方)…足利義教。
611日本@名無史さん:2009/03/15(日) 21:14:50
義昭も還俗
612日本@名無史さん:2009/03/16(月) 11:34:32
・下馬将軍…酒井忠清。
613日本@名無史さん:2009/03/16(月) 13:56:20
冬将軍・・・筋状の等圧線間隔の狭い低気圧
614日本@名無史さん:2009/03/16(月) 15:12:36
・闇将軍…田中角栄。
615日本@名無史さん:2009/03/16(月) 18:17:43
>>614 闇将軍なら、ついでに金儲けのうまい竹下登も追加。
616日本@名無史さん:2009/03/16(月) 20:59:36
・誠意大将軍…羽賀健二
617日本@名無史さん:2009/03/17(火) 00:40:53
松平加賀守
松平薩摩守
松平陸奥守
細川越中守
618日本@名無史さん:2009/03/17(火) 00:44:51
・暴れん坊将軍・・・徳川吉宗
・暴れん棒将軍・・・松平 健
619日本@名無史さん:2009/03/17(火) 01:12:41
ジェファーソンは水洗便所を発明した
松平定信は越中ふんどしを発明した
 
日米好一対
620日本@名無史さん:2009/03/17(火) 20:41:35
>619

越中ふんどしは細川越中ではなかったか?
621日本@名無史さん:2009/03/17(火) 20:42:20
>>619 越中褌なら、細川忠興(越中守)が考案者だと言う説もあるが…。
622日本@名無史さん:2009/03/19(木) 14:17:06
どうして小納言はいないの?
623日本@名無史さん:2009/03/27(金) 00:21:45
剛腕将軍・小沢一郎
624日本@名無史さん:2009/03/27(金) 02:11:05
>>622
多分・・・公家(公卿)のこと


右大臣 左大臣 大納言 中納言 少納言 公卿は武家より官位上部に立つからな


天皇や宮家や公卿と 朝廷


武家の役割は戦だからな


武家=軍人


公卿=国会議員 や官僚


現代も相変わらず変わらぬシステム

藩主・家老クラスが御所に招かれるぐらいで


武家でも官位がなければ御所には入官できない。


将軍家は軍人大将ってわけ
625日本@名無史さん:2009/03/27(金) 20:41:57
>622

よくは判らんけど、少納言は侍従兼帯の役目、
侍従は江戸期の武家では老中か国持ち大名の官位、
ということでみんな遠慮したんじゃないだろうか?
626日本@名無史さん:2009/03/28(土) 23:32:28
てゆーか、近世武家官位では
太政官内部と近衛府の四等官は明らかに特別扱いで、
通常の省、職、寮、司、台、兵衛府、衛門府、地方官の官名みたいに
諸大夫が名乗りに使うものじゃなかったんでは?

外記、弁、弁史だって、諸大夫が名乗ってる例なんてある?
627日本@名無史さん:2009/03/29(日) 22:08:51
武家、公家、宗門の頂点に君臨し、天子とほぼ対等な地位まで上りつめた
足利義満と、朝廷よりいかような官位でも望みのままにと打診されても
それを蹴った信長が、真の極官を極めたといえような。
朝廷の権威を超えようとした二人は、あっけなく死んでしまうのだが。
628日本@名無史さん:2009/03/30(月) 19:34:28
>626

言われて調べてみると従五位下で外記という人、
意外と見つからないなあ。ちなみに見てるのは、
文化13年武鑑。

一応代々の名乗りとして外記を使用してる家に
津田家(3000石)が有るけど。あと、大久保外記
という人も見つけたが、元使番ということは任官
してないし。。。。

あ、一人いた。浦賀奉行内藤外記正弘。うん、
結論としては、単に人気がないだけですね。
629日本@名無史さん:2009/03/31(火) 13:57:01
>>625
江戸期の武家なら将軍が官位を授けるんだから、大名本人は遠慮もなにも
ないような
630日本@名無史さん:2009/03/31(火) 17:58:04
そもそも外記は六位・七位相当の官位だからね
631日本@名無史さん:2009/03/31(火) 23:12:57
まあ、官位相当を言い出せば衛門や兵衛の尉も同じだけど。
外記にも外記大夫があったようだし。
632日本@名無史さん:2009/04/01(水) 08:29:32
武家官位の「左衛門尉」の大少が気になって夜も眠れないお。
633日本@名無史さん:2009/04/01(水) 19:48:38
>>632
武家だったら少でしょ。
デスクワークの大ではなく、現場指揮官の少であることが、武家の誇りなんだから。
634日本@名無史さん:2009/04/01(水) 23:11:29
名乗りであれば、刃傷で有名な「松平外記」もいるね。
635日本@名無史さん:2009/04/04(土) 08:24:43
近衛天皇って何で近衛天皇なの?
636日本@名無史さん:2009/04/07(火) 20:27:17
藤原忠通の邸宅近衛殿を里内裏としたから。
637日本@名無史さん:2009/04/13(月) 00:00:01
>>633
衛門大夫もいるから,大尉もいたと思いますよ。

638日本@名無史さん:2009/04/16(木) 00:33:21
江戸時代に,大名,旗本が名乗っていた官職で一番官位相当が低いのは,下国の守で良いのでしょうか?
下国の守なら官位相当は,従6位下ですし。
639日本@名無史さん:2009/04/16(木) 01:26:26
山城左内の
大初位下若狭目がある
640日本@名無史さん:2009/04/16(木) 01:28:27
×大初位下
○大初位下相当
641日本@名無史さん:2009/04/16(木) 07:10:59
>>639
それって、浄瑠璃の人だろ
642日本@名無史さん:2009/04/16(木) 23:03:03
旗本退屈男の
主水助が正八位上
643日本@名無史さん:2009/04/17(金) 07:00:27
必殺仕掛け人
中村主水目
644日本@名無史さん:2009/04/17(金) 12:25:55
>>627 足利義満は対外的には日本国王だったから瞬間的に易姓革命が起こったといえないか?
645日本@名無史さん:2009/04/22(水) 18:38:52
>>644
天皇家出身でない女性を治天にした前例があるから、義満も治天であったと解釈すれば、易姓革命が無いのに国王を名乗っても、矛盾は存在しない
義満治天説は定説と言い難いのが、さすがにつらいが
646日本@名無史さん:2009/04/22(水) 19:02:25
>>645
義満事実上の治天の君だったとはいえ、正式な治天の君とみなせるかというと辛いし、
前例も、南朝に天皇・皇太子を拉致されたので生母を治天の君とする緊急避難的な
処置だからなぁ。
647日本@名無史さん:2009/04/22(水) 21:04:58
>644

義満が日本国王だったときに、天皇はちゃんとその位を保持していたのだから
易姓革命とは言えないのでは?
648日本@名無史さん:2009/04/23(木) 00:12:42
>>647
いや、あくまで外国から見たときの話でしょ。外国からは天皇が
どういう地位なのか不明で、国王が天皇から足利義満に変わっているわけで。
649日本@名無史さん:2009/04/23(木) 06:03:02
宇多天皇はもともと源氏で、義満も源氏だから易姓革命ぢゃない、とか
650日本@名無史さん:2009/05/06(水) 12:07:50
家康が改姓の根拠とした得川某の詳しい情報ない?
651日本@名無史さん:2009/05/24(日) 11:07:37
どんな情報?
652日本@名無史さん:2009/07/28(火) 20:11:57
スレ違いの気がするが
世良田氏の系図
http://homepage1.nifty.com/t-kubo/Japan/sub1-3.htm
653日本@名無史さん:2009/07/31(金) 05:45:37
>>648
支那国も天皇の存在を知っていたよ。
最初は義満が単なる天皇の臣下、将軍に過ぎないから貿易出来なかったし国交も結べなかった。
654日本@名無史さん:2009/10/04(日) 12:00:30
age
655日本@名無史さん:2009/10/04(日) 21:55:37
なんでこんなに寂れてるんだ
656日本@名無史さん:2009/10/04(日) 22:37:10
まあ、存在は知ってたんだが、
日本国王良懐(懐良親王)が持明(北朝天皇)と抗争してるって解釈で、
征夷将軍源義満は日本国王持明の臣下って認識だったんだよな。
657日本@名無史さん:2009/10/29(木) 13:29:15


もしも新垣結衣に将軍宣下がくだったら
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1256530580/
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658日本@名無史さん:2009/12/01(火) 00:11:32
冠偉かんい官夷かんみ
659日本@名無史さん:2009/12/04(金) 23:03:31
かんみ中味 どち欲しい
660日本@名無史さん:2009/12/06(日) 08:10:12
どちも プ!
661日本@名無史さん:2009/12/06(日) 15:52:01
>>655
662日本@名無史さん:2009/12/09(水) 00:21:13
かんみ じゅさんみ じょうざんみ
663日本@名無史さん:2009/12/17(木) 12:43:36
ごんのひょうえ
664日本@名無史さん:2009/12/18(金) 14:40:17
話し飛ぶけど新人物往来社の官職の本見ると二宮尊徳が従四位ってほんまかいなあんな薪背負った変なガキなのに実は並みの大名よりえらかった
665日本@名無史さん:2009/12/19(土) 00:15:08
贈位だろjk
666日本@名無史さん:2009/12/19(土) 11:33:51
>>664
(国家的見地からみた場合)偉人として殿堂入りした感じになれば、
死語に贈位されるなんてよくある話。
667日本@名無史さん:2009/12/21(月) 01:17:46
みんかん人→官偉
ぶけくずれ→官夷
668日本@名無史さん:2009/12/22(火) 20:12:20
>666

最近では、故中川昭一氏が正三位に叙されていますね。
大蔵卿から中納言すっ飛ばして大納言ですか。
669日本@名無史さん:2009/12/22(火) 20:17:34
>>666
そういう叙位の情報って内閣の官報かなんかで知るのですか?
670日本@名無史さん:2009/12/22(火) 20:58:27
>>668
老婆心ながら日本史を語る上で「官位相当表」のイメージは捨てたほうがいい
歴史を見誤る

>>669
官報には載るね
671日本@名無史さん:2009/12/22(火) 22:01:56
森繁も従三位を追贈されたそうだが、司馬遼も贈従三位なんだよな。
672日本@名無史さん:2009/12/22(火) 22:05:41
で、文化勲章受章を天皇の臣下扱いはご免被ると拒否した大江ケンザブローが万一の場合、
やっぱり贈位は拒否するんだろうね。

ところでミシマ大先生は贈位されたんだろうか?
監禁、脅迫、傷害事件の現行犯として逝ったから、無理か。
673日本@名無史さん:2009/12/22(火) 23:19:14
そのくせ、スウェーデン王には頭を上げる大江。
674日本@名無史さん:2009/12/22(火) 23:53:04
>670

いや、さすがに現在の贈位と官位相当をマジでごっちゃにはしませんぜ。
ちょうど良い話のネタと言うだけで。
675名無し募集中。。。:2009/12/23(水) 22:07:57
>>674
そうではなくて、
官位相当の原則は早々に崩れて、
少なくとも平安中期以降はいわば官職の「相場」が問題になるということ
つまり、この官職にはこういう家格のこれぐらいの位階の人が就くものだ、
という通念が明治維新に至るまで支配していたのであって、
そういう意味で大納言=正三位という官位相当のイメージは捨てた方がいい

正三位だったら概ね中納言か参議か非参議というところ
676日本@名無史さん:2009/12/23(水) 22:50:59
>>674
>>675
相場としては
従一位:太政大臣〜准大臣
正二位:大納言
従二位:中納言
三 位:参議又は非参議
従四位:参議
というところか
677日本@名無史さん:2009/12/23(水) 22:56:05
武家を語れよ
青公家が
678日本@名無史さん:2009/12/23(水) 23:29:08
豊臣政権の相場(慶長3年)

従一位太政大臣:秀吉
正二位内大臣:家康
従二位中納言:秀頼
正三位大納言:利家
従三位中納言:秀家、景勝、輝元、秀秋、
         秀信、秀忠、利長


679日本@名無史さん:2009/12/23(水) 23:59:29
大学のセンセが四位とか高校の校長さんが五位とか
680日本@名無史さん:2009/12/29(火) 00:10:14
曲げ下げ
681日本@名無史さん:2009/12/31(木) 04:28:08
利家は従二位権大納言
秀長も従二位権大納言
家康も権大納言のときは従二位
尾張・紀伊・駿河徳川家も従二位権大納言

権中納言・参議は概ね従三位
682日本@名無史さん:2010/01/09(土) 08:57:28
ヒミコ姫后さまや竹内すくね様の甘味は
683日本@名無史さん:2010/01/09(土) 10:59:10
「カンミ」じゃないって言ってんのにまだ理解できないのかこの低能は
684日本@名無史さん:2010/01/09(土) 11:24:45

>>ヒミコ姫后
>>竹内すくね

こういう書き方をする時点で、白痴か非日本人だろwww
685日本@名無史さん:2010/01/09(土) 16:14:50
とにかく官位スレでうざがられてたキチガイだな
686日本@名無史さん:2010/01/10(日) 00:12:10
卑弥呼(姫皇)一品 卑弥弓呼(姫旧皇)二品
687日本@名無史さん:2010/01/25(月) 12:51:29
江戸時代の武家官位の価格って、
どのくらいの相場なんかな?
688日本@名無史さん:2010/01/25(月) 22:45:52
4億円や5億円なら当時の庶民には無理(>_<) 今なら出世も
689日本@名無史さん:2010/01/27(水) 15:05:08
5位に授爵するだけでも結構な金額取られたんじゃね?
690日本@名無史さん:2010/01/27(水) 15:16:39
御家人株で1000両が相場だから大名格である従五位下貰うのって一万両以上はしたんじゃないか?
691日本@名無史さん:2010/03/11(木) 22:37:13
高いな
692日本@名無史さん:2010/03/17(水) 00:14:58
今の官職は安いの 大臣議員上級公無員に成るには資金量大事なり?
693日本@名無史さん:2010/03/24(水) 00:12:34
ほー
694日本@名無史さん:2010/03/25(木) 21:57:46
将軍以外の武家が官位を貰うときもわざわざ朝廷から使者が来たの?
695日本@名無史さん:2010/03/26(金) 02:54:45
官位を賜りたいのですがどうすればよいのでしょうか
696日本@名無史さん:2010/03/26(金) 03:03:49
>>694

各大名とも官位を賜るときには勅使が来ましたよ
697日本@名無史さん:2010/03/26(金) 17:12:33
>>696

それは初耳です。実例・資料名等をお願いします
698日本@名無史さん:2010/03/26(金) 18:14:39
釣りだよ。
699日本@名無史さん:2010/03/27(土) 11:13:41
>>698

やはり>>696はウソ八百でしたか。ありがとうございます
700日本@名無史さん:2010/03/27(土) 14:04:37
ちなみに江戸時代における一般大名家の叙位任官については
老中から江戸城内において言い渡され、老中奉書が下される。
大名は家臣を京都に派遣して、家臣は裃着用で武家伝奏の屋敷に赴いて
口宣を伝奏から直接受け取る。玄関先で「はい、コレ」って感じの簡単なものではなくて
儀礼化されたものらしい。そして将軍家・幕府高官・京都の幕府役人・禁裏・伝奏
にまで礼物を贈る。
701日本@名無史さん:2010/03/27(土) 18:02:12
口宣案って公文書じゃないんでしょ? 後で正式な勅旨がでるの?
702日本@名無史さん:2010/03/27(土) 21:09:43
位記や宣旨も口宣とセットで渡されたそうだ。
703700:2010/03/27(土) 21:22:04
>>700に追加して・・・

四品成り(四位)については家臣が上洛して伝奏から口宣・位記・宣旨を受けたようだが
一般大名の諸大夫成り(五位)は年初に高家が上洛して一括して受け取り
江戸城において下されたようである。
704日本@名無史さん:2010/03/28(日) 13:04:56
やっぱり 今みたいに天子さまが平民にじかに(間接)会って 手渡すのは身分感覚麻痺 (´〜`;)
705日本@名無史さん:2010/04/10(土) 10:05:03
あちこちに礼物を贈って、官位を受けるのも大変だな。
醤油の詰め合わせです、ってわけにはいかないだろうし。
706日本@名無史さん:2010/04/17(土) 22:56:30
鎌倉時代〜江戸時代には武士に勲位はありましたか?。
707日本@名無史さん:2010/04/17(土) 23:47:52
ありますよ
708日本@名無史さん:2010/04/17(土) 23:54:59
なるほど。そうでしたか。
あと世界大戦で徴兵された兵士は勲位を賜っていますが(私の曾祖父など)。やはり昭和の武士とみても良いでしょうか?
祖父は陸軍の下士官でした。
祖父や曾祖父は昭和の兵士ですが、武士と見ても良いしょうか?。
平民ですが武士には憧れます。マジレスですので、答えれる範囲で答えてくだされば有り難いです。
709日本@名無史さん:2010/04/18(日) 00:10:52
普段は百姓で戦の時だけ出かけるから足軽ですな
710日本@名無史さん:2010/04/18(日) 00:13:07
下士官は職業軍人
711日本@名無史さん:2010/04/18(日) 00:22:20
なるほど足軽ですか、一応は卒族(兵卒)の下級武士という事ですな。
伍長などの下士官も下級武士でしょう。
712日本@名無史さん:2010/04/18(日) 08:53:15

士官・・・旗本
下士官・・御家人
兵・・・・中間・足軽など
713日本@名無史さん:2010/04/18(日) 13:06:31
旧軍では士官・下士官は正規の官吏(武官)=軍の正規職員なので、位階がもらえる。
一般の兵は官ではなく、義務として徴兵された任期制の臨時雇いなので、位階はもらえない。
ただし、勲章は兵でももらえる。

江戸時代におきかえたら、士官=士分の侍、下士官=徒士、兵=一代限りの足軽ってとこか。
軍属の下っ端のほうが中間などの武家奉公人か。
714日本@名無史さん:2010/04/18(日) 14:03:45
>>706
勲○等のような勲位は、中世・近世には実際に授与されてなかったはず。
荻生徂徠が「政談」の中で公家とは別系統の武家の位の創設を説いた際、
その当時使われていなかった古代の勲位の利用を提案していた。
(荻生徂徠は、武家政権の朝廷からの自立のために、朝廷の位階に代わる
武家独自の位の必要性を説いた)
715日本@名無史さん:2010/04/18(日) 17:18:23
足利義満は贈太上天皇、つまり上皇になっている
716日本@名無史さん:2010/05/02(日) 01:10:29
>>713
士分と言うと徒士も含まれちゃう

士官=侍(騎乗)=幕府旗本・諸藩上士など御目見以上
准士官=幕府与力など(騎乗身分ではないが職務上馬に乗れる)
下士官=徒士(歩行)=幕府御家人・諸藩下士など御目見以下
兵=卒=幕府同心・諸藩足軽など
軍属=中間
というところか

足軽同心は職務から言って伍長勤務上等兵(=兵長)というところ

布衣旗本は六位相当なので官位相当から言えば中少佐程度
諸大夫が大佐程度というところか
717日本@名無史さん:2010/05/02(日) 12:37:44
律令が正常に機能してた頃や、明治憲法の時代は、
位階というのは正規の公務員の職級みたいなもんだから、
誰でも役職にともなった級がある。

ただ、明治憲法の頃は律令由来の位階のほか、
明治以降の官等(こっちが実質的な職級)があったり、
勲等まであったりするから、ややこしい。

明治〜戦前の位階勲等は、一定期間在勤していたら上がっていく、
いわば官吏としての勤続表彰に近い。
718日本@名無史さん:2010/05/02(日) 23:39:24
>>713 >>716
軍属は「軍人でないが軍の仕事をする者」ってだけで
佐官や尉官あつかいの軍属も少ないながらいたようだけど

あと、知ってるとは思うが
大将は親任官
少将と中将が勅任官
少尉から大佐までが奏任官 少尉で正八位らしい
准尉と下士官は判任官
719日本@名無史さん:2010/05/03(月) 00:28:52
>>716だが
兵卒レベルの軍属と書きたかったんだ
軍人の足軽(兵は軍人じゃないが)との対比で軍属の中間みたいな
720日本@名無史さん:2010/05/07(金) 13:59:24
>>716

その伝で行くと、頭が布衣の先手組は大隊、
頭が諸大夫役の五番組は連隊と言うことに
なるのか。なんか良い感じだな。
721日本@名無史さん:2010/05/07(金) 15:54:41
連隊長級(諸大夫役)=大番頭、両番頭
大隊長級(布衣役)=新番頭、小十人頭、両番組頭、旗・鑓奉行、鉄砲百人組頭、持(弓・筒)頭、先手(弓・筒)頭、使番、定火消役、徒頭、船手頭、鉄砲方
中隊長級=大番組頭、新番組頭、小十人組頭
中隊附・小隊長級=大番衆、両番衆、新番衆、小十人衆、徒組頭

こうか
722日本@名無史さん:2010/05/07(金) 18:23:25
そもそも江戸幕府の組織は、戦国大名としての三河松平家の軍団が発展したものだから、
旗本・御家人の職制は軍事組織としてみるべきなんだよな。
723日本@名無史さん:2010/05/08(土) 21:55:04
江戸時代、有力譜代大名は○○守が少ないのはなぜ?
四天王家を始め、大老を出した酒井のもう一系統も違う。
土井も違う。
724日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:18:36
単なる偶然。
人気は国守だった。
725日本@名無史さん:2010/07/18(日) 10:18:05
家康・秀頼が、次いで秀頼・秀忠が右大臣と内大臣を占めていた時期は、
公家の就けるポストが二つ減ったということなの?
726日本@名無史さん:2010/07/18(日) 10:34:11
公卿補任ぐらい確認しろよ
727日本@名無史さん:2010/07/18(日) 11:20:59
秀吉が死んだときの最高官位の持ち主は家康の内大臣
左右大臣すらいないというのはかなりの非常事態
728日本@名無史さん:2010/07/18(日) 13:38:09
>>727
こういった状況を敏感に反応したのが家康。
逸早く公家と通じて関白を九条にさせたりと
豊家より一歩先んじていた。
729日本@名無史さん:2010/07/18(日) 19:23:08
武家の官位は別と言うが大臣職は別じゃないのね
730日本@名無史さん:2010/07/18(日) 20:48:19
江戸時代になってからはそうだけどね
秀吉全盛期は清華家ですら影が薄い
731日本@名無史さん:2010/07/19(月) 22:07:13
>>728

なるほど
732日本@名無史さん:2010/07/30(金) 20:30:01
秀吉は公家も結構優遇してたけどね
733日本@名無史さん:2010/07/30(金) 20:54:10
家康は禁中並公家諸法度で封じ込めたからな。
734日本@名無史さん:2010/07/31(土) 12:38:40
735日本@名無史さん:2010/07/31(土) 19:56:09
鎮守府将軍になって胆沢の小沢一郎を討伐したい
736日本@名無史さん
>>1
豊臣秀吉って、いわゆる「戦国武将」ではあるけど、「豊臣」は家格としては「武家」というより
摂家の養子という形式で関白職に就いたものだから「公家」と呼ぶべきでは?