1 :
日本@名無史さん:
2 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/19(金) 22:29:23
3 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/19(金) 22:30:54
4 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/19(金) 22:32:03
■◇■ 本スレのお約束 ■◇■
1.自作自演と言われても泣かない。
2.自作自演がバレても泣かない。
3.高校生の参加はほどほどにして、学校の勉強をがんばる。
4.大学生の参加はほどほどにして、学校の勉強と就職活動をがんばる。
5.他スレの人集めにはいちいち反応しない。
6.AAは厳選して面白いものを貼る。
7.煽り・叩きはできるだけ工夫する。
8.伸びそうなネタはみんな大事に扱う。
9.質問には誠心誠意答える。。
10.面白くない煽り・叩きは完全放置で。
○●○ お馴染みの話題 ○●○
1)本能寺の変の黒幕は?
2)昔の○○は今の貨幣価値に換算するとどれくらい?
3)姓と名字と家名の違いは?
>>過去スレへ
>>1、乙です
小〜中学生のころ、いわゆる同和教育があって、身分制度は江戸幕府が
民衆支配のために政治的に作ったと教わった。
だけど、今の研究ではいわゆる賎民身分というのは鎌倉後期くらいに
できたと言われてるみたい。
江戸幕府が政治的に作ったという説はもう大分前に否定されてるようだ。
この辺の事、誰か詳しい方ご教授願います。
6 :
日本@名無史さん:2010/02/20(土) 00:03:43
7 :
日本@名無史さん:2010/02/20(土) 01:22:47
ご注意
歴史学博士は自称です
自称博士の知識は漫画日本の歴史並であり
皆さんの質問にはウィキペディアやYahoo知恵袋等で調べています
8 :
日本@名無史さん:2010/02/20(土) 02:04:55
質問
今日の織田信成の演技で思い出したんだけど、
戦国時代って戦場で足袋?紐切らしたら死罪ってなかったっけ?
あと、腹すかしても死罪とかなんかの本で見た記憶があんだけど
知ってる人いる?
11 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/20(土) 12:37:58
>>5 両方だよ。
中世から続いている側面。
近世に新たに作られた側面。
例えば、非人という呼称は、中世にも近世にもあるけど、
中世の非人=近世の非人ではないし、
中世の非人の子孫が近世の非人になったわけでもない。
ただし、系譜としてはつながる側面がある、というだけ。
よっしゃこい
12 :
日本@名無史さん:2010/02/20(土) 13:10:06
足利義政が寵愛した庭師の善阿弥は非人
賎民身分そのものは古代から奴婢としてある
13 :
日本@名無史さん:2010/02/20(土) 15:49:14
権力者が、いきなり被差別階級を作って、他の庶民に今日から差別しろと言っても無理である。
以前からいたのを、幕府が階級として公式に認め固定化した・・・・ちゅうような話じゃなかったっけ?
14 :
日本@名無史さん:2010/02/20(土) 15:50:57
>>8 俺は、聞いたことがない。
ただ、戦場で草鞋の紐が切れたら、討死を意味するような気がする。
15 :
日本@名無史さん:2010/02/20(土) 16:42:56
16 :
日本@名無史さん:2010/02/21(日) 13:31:10
吉田松陰は、具体的に何を勉強していたのでしょうか?
数学など、理系に関してはほとんど勉強しなかったのでしょうか?
倒幕の思想を推し進めるためには、勉強というのは必須だったのでしょうか?
17 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/21(日) 20:56:15
>>16 当時の武士などは、
漢籍の素養+朱子学が基本で共通。
ここまでは誰でも勉強する。医者でも和算家でも同じ。
ここからが各論になって分かれる。
彼は兵学に進み、さらに洋学。
理系も学んでいたはず。
よっしゃこい
18 :
日本@名無史さん:2010/02/22(月) 01:04:07
ただ松陰は君主排斥を正当化できる朱子学にやや否定的だった
国学(尊王論)の勉強をよくしていた
長崎や平戸で蘭学の勉強もしている
よっしゃこい
19 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/02/22(月) 01:36:38
>>17 漢籍はまあそうなんだけど、朱子学を基本となる学問の土台である、と言い切っていいのは、
「寛政の異学の禁」以降でしょ。
もちろん朱子学は「異学の禁」がなされる以前から相当な勢力はあったけどね。
簡単に一言で言い切るのは素人だよ。
留保くらいつけたらどうなの?
>>18 吉田松陰の尊王論は朱子学の名分論の末流なんじゃない?
思想史の基本くらいおさえてくださいな
20 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/23(火) 20:06:25
>>19 新スレでも宿題はリセットになりませんよ
よっしゃこい
21 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/23(火) 20:09:53
>>19 武士の話だから朱子学でいいのよ
朱子学の大衆化の話とは別
よっしゃこい
22 :
日本@名無史さん:2010/02/23(火) 23:00:23
質問です。
近年、本郷和人氏などによって権門体制論について疑問があるとの
学説が出てきていますが、中世史の世界ではどの程度有力なのでしょうか?
23 :
日本@名無史さん:2010/02/24(水) 00:40:45
応永三十一年の記録で室町幕府の要人、畠山の子息「少弼」とあるのは誰のことですか?
よそのスレで問うたのですが、回答してもらえなかったので歴史学博士にお願いいたします。
24 :
日本@名無史さん:2010/02/24(水) 01:02:39
神話や二典を基調とする国学と朱子学は別の学問でしょ
思想史の基本くらいおさえてくださいな
現在の首相(内閣総理大臣)はかつての太政大臣と将軍ならどちらにより近い役職ですか?
26 :
日本@名無史さん:2010/02/24(水) 01:38:25
両方兼ねてるともいえるが
内閣制度は宮中と区別するために作られたと考えれば
内閣=幕府で将軍に近いともいえる
よっしゃこい
27 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/24(水) 02:47:39
28 :
日本@名無史さん:2010/02/24(水) 05:00:16
『看聞御記』だったやうな。
29 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/24(水) 06:43:33
畠山持国じゃないの?
よく知らないけど
よっしゃこい
30 :
日本@名無史さん:2010/02/24(水) 07:02:32
31 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/24(水) 07:38:43
>>22 権門体制論vs東国国家論の論争は昔から超有名で、
本郷は後者の立場に立つ有力な中堅どころなんじゃないの。
よっしゃこい
32 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/24(水) 07:41:55
論争は、どちらも有力で決着してないよ
よっしゃこい
33 :
日本@名無史さん:2010/02/24(水) 08:07:43
>>31>>32 ありがとうございました。
私は本郷氏の本を読んで少数説のような印象をもったのですが
そうではないということですね。参考になりました。
34 :
日本@名無史さん:2010/02/24(水) 08:11:26
すいません。続けざまに質問して申し訳ないのですが、
アナール学は日本では網野史観として有名だと思うのですが、
網野先生以前にアナール学を採り入れた学者はいるのでしょうか?
また、網野先生以降で有力な学者はいるのでしょうか?
よろしくお願いいたします。
35 :
日本@名無史さん:2010/02/24(水) 09:16:56
なんで日本史板なのに朝鮮のすれ乱立してるの?
36 :
日本@名無史さん:2010/02/24(水) 13:55:35
博士は博士課程に入って何年で博士号取れましたか?
博士課程在籍中にバイトしてましたか?収入はいくらぐらいですか?
博士号を取り損ねた人たちはどうしてるんですか?
37 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/24(水) 20:33:41
>>34 網野とアナールは直接関係はないし、
ジャーナリズムでの成功と学問の話は別だよ。
網野ファンの言説に惑わされちゃ駄目だよ。
>>35 2chだからだよ
>>29 その息子が持国じゃないの?と言っているのよ
応永31年って持国のオヤジはまだ生きていて、家督継ぐ前の段階
よく知らないけど
よっしゃこい
38 :
日本@名無史さん:2010/02/24(水) 20:38:33
39 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/24(水) 20:42:16
>>38 5年ぐらい
いろいろ 覚えてない
人それぞれ
よっしゃこい
40 :
日本@名無史さん:2010/02/24(水) 20:45:00
これから博士課程行くかどうか迷ってるんだよ
博士取り損ねたまま博士課程を終えた人はどうなるんだ?
41 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/24(水) 21:03:35
>>40 ドクター進学直後から学芸員や文書館の公募に応募して、
常勤じゃない非常勤や嘱託でも勤めて職歴と人脈を広めて、
・・・みたいな感じじゃないのかな。中高の教員というのももちろんあり。
博士論文を書いた後に就職を捜すじゃ遅いと思うよ。
就職優先で、就職待ちの間に、単位を取って、
学位論文提出の資格を取って論文提出、そして学位を取る、という感じ。
博士課程の単位取得と就職が重なる感じで退学して、
退学後に二年ぐらいは課程博士の資格が継続したりするから
就職後に論文をまとめて提出して課程博士を取るとか。
こんな感じかな?
よっしゃこい
42 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/24(水) 21:06:38
公立高校の採用試験とかだと
博士号持ちが受験したりしているみたいだよ
そういう人が受かったりしているみたい(学位は必須ではない)
でも団塊世代の退職でしばらくは採用枠が甘いから
中高も狙い目とは言われているけど、地方によるのかな
よっしゃこい
43 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/24(水) 21:18:42
国文・哲学・日本史は博士が余っているから、
博士号を取ったからと言って
就職できるとは限らないのよ
だから進学直後から就職活動を意識しないと仕方ないのよ
学位の有無よりも人柄と運と人脈
もちろん学位があった方が有利だけど
その分年齢制限で駄目で応募できないこともあるから
公募情報に敏感になって応募する必要がある。
という感じ
よっしゃこい
44 :
日本@名無史さん:2010/02/25(木) 16:30:25
中世山城の復元模型が歴史館などで展示されていますが、わかりやすくするためか山の樹木がきりはらわれて見やすくなっています。
実際はどうだったのでしょうか?山が裸の状態では城の様子が敵から丸見えで兵士の人数や配置も敵に見つけられてしまいそうです。
しかし説明する歴史学者は樹木が切り払われたものが正しいといいます。
軍事の専門家に聞いてみたいのですが身近にはいません。教えてください。
45 :
日本@名無史さん:2010/02/25(木) 19:56:38
博士の愛用している古語辞典を教えてもらえますか?
46 :
日本@名無史さん:2010/02/25(木) 20:21:30
三角縁神獣鏡が国産品だってことを認められない人達って、何者なんでしょうか。
認めちゃうと食い扶持を失っちゃうとか?
47 :
武陽隠士 ◆0HFG3sN8Jo :2010/02/25(木) 23:14:42
>>21 きゃはきゃはきゃは、あ〜あやっぱ馬鹿まるだしだ。
院生どころか学部生であったことも怪しいんじゃん、そんなタワゴトぬかす
ようじゃさw
寛政の異学の禁で朱子学が正統になっちまって、朱子学じゃない私塾、
藩校なんか消えて(つぶされたり、門人が来なくってきたりとか)
いったのは有名な話だよ。そこいらの江戸思想史の基本書レベルじゃんw
だいたい「朱子学の大衆化」ってなんなのw
いつ朱子学が大衆化したわけ?めちゃめちゃくちゃ粗雑なことば
つかいを留保なしで議論してる段階で、通俗歴史読み物と
ネットで完結したお馬鹿さんにきまってるw
こんなくそったれなことぬかす奴がなんでまとも歴史学プロパーの
人間なわけ?
あほくさ。
>>20 宿題ってなんなの?
構わないぜ。蒸し返せよ。反駁してやるからさ。
あと質問に質問を返すのは逃げだと思うよ(笑)。
前スレで旗本全般に対する
変な過剰(御家人とはぜんぜんちがうんだ、みたいな)
な評価を君してたけど、
それを私が突っ込んだやったら、前言撤回して私のレス内容盗んで言い返してき
たじゃない?
お笑いだよ。ばっかみたい。
48 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/02/25(木) 23:46:47
>>47は私。トリップの入力ミス。
ところで……
>>40の質問は似非博士の自作自演だね。
マスターまでいった人間がこんなとこで質問するなんて
ありえないよ。事情なんていやでも知ることになるしね。
まあ、現実逃避した人間も稀にいて、実情からあえて目をそらす
奴もいないではないけど、それにしたってこんなとこで質問するのは
ありえない。
また仮に、似非博士の自演じゃなくて、本当に第三者の質問だったと
しても、その質問者は院生(修士)などでは絶対にありえないし、
その質問者の質問に対して、奇異なく答えている時点で、
似非博士は院なんてもんとは縁もゆかりもないよ。
学問的な訓練も受けたことないようだから、
人文系でちゃんとした勉強もしたことないんだろう。
ときどき独学者特有の粗雑な議論や言葉のつかいかたしてるし
院にいたら絶対知っていることも知らないでいるものね。
周囲にも学術書があるような環境じゃないみたいだし、
学問的な場での友人や先輩、恩師なんかもいないのが明瞭な
くらい常識な議論が踏まえられていない。
ぶっちゃけ、
こいつ書き込みのヒマジンぶりからしても
毎日が日曜日のプー太郎だろうなw
49 :
日本@名無史さん:2010/02/25(木) 23:50:22
武陽隠士らがあらゆる質問に即答するスレでも立てて移住汁
50 :
日本@名無史さん:2010/02/25(木) 23:55:24
平安から鎌倉時代頃に茨城県の鹿島市や神栖市があるあたりはどうなっていたのでしょうか?
そのあたりで力のあった人たちや、何か事件などご存知ないでしょうか?
調べても江戸時代あたりまでしか遡れずに困っています。
どうかよろしくお願いします。
51 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/02/25(木) 23:59:33
>>49 似非博士本人かなw まあいいや誰でもw
原稿用紙で数十枚かけなくちゃいけなかったり、
それなりに念入りに調べなくちゃ
回答不可能な(というより学問的良心があるならば即答しちゃいけない)
質問に何のためらいもなく、廉恥心なく即答しちゃういいかげんさ。
こういうカタリもんに対して正当な反駁なり揶揄を加えていくのは、
学究の徒のはしくれとしたら、きわめて良心的な態度だと思うけど、
ね。
52 :
日本@名無史さん:2010/02/26(金) 00:29:29
>>50 鎌倉期は名前通り鹿島氏が御家人となって支配
>>51 あなたは素晴らしい偉大なる学者なんですね
こんな所にいないで論文書いて史学雑誌に選ばれるよう頑張ってくださいw
よっしゃこい
よさこい
54 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/02/26(金) 01:17:19
>>31>>32>>33 なんなんじゃ、こりゃw似非博士wよくわからずにネットだかのデータ貼っ付けて
テキトーぬかすな!w
権門体制論と東国国家論とを昔のままの形そのままの議論を繰り返す人はもういない。だいぶ精緻になってきている。
すごく大雑把に言わしてもらえば、今は権門体制論を発展させた議論が
比較的優勢だよ。
昨今の職能論の武士論や軍事貴族なんかの側面で武士を論じるのは、権門体制論の流れを汲んだ良質な研究だしね。
あと似非博士は、本郷和人が政治史の人じゃないのも知らないらしいねw
本郷は制度史(制度史とか政治史とかの区分も似非博士じゃわかんないよねw)
を緻密に研究してきた人で、いわゆる東国国家論の先達(佐藤進一、黒田俊雄etc.のような政治史的なまとまりのある
研究ものしてないし。
まあくだけた一般向けの書物で、これまたくだけたかたちの
問題提起は行っているけどさ(ああいうかたち・文体でも学術書なんだ、と本郷は考えているのを著作からは
見て取れるけど、あれじゃ歴史書としては弱すぎだ)。
あと、本郷和人は東国国家論の流れを受け継いではいるけれど、
過去の東国国家論の論の運びや歴史認識(「支配」、「国家」などの再考)に対しても鋭い批判を投げかけて
いるんだ。
>>52 おお!またまた似非博士本人かな?
しかしなんだこの物言いは?きゃはははは、この程度の認識示したくらいで、偉大な学者だってw皮肉にしたって空回りしちゃってるよー。
あと史学雑誌って言い方も変だ。
フツー歴史学専門じゃないからね紀要のたぐいは。次のページに源氏物語が載るなんてザラだよ。
研究機関だって考古学と同居だったりするしさ。
ていうか院生(博士)はやっぱりカタリなんだな。バレバレだねw
55 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/26(金) 01:17:57
>>44 隠れるところがあったら攻める方が便利じゃない?
>>45 古語辞典は使ってない
>>50 常陸平氏=大掾氏の本家筋が鹿島氏とその分家たちの勢力下。
秀吉の小田原平定後まで勢力を保っていたけど、
佐竹氏のだまし討ちにあってまとめて滅亡。
それが佐竹氏による常陸国の統一。
よっしゃこい
56 :
日本@名無史さん:2010/02/26(金) 01:26:06
史学雑誌の回顧と展望を知らない武陽www
57 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/26(金) 01:29:31
>>50 鉾田町史は見た?
見てないなら見ると良いと思う。
よっしゃこい
58 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/26(金) 01:32:45
>>56 いやいや『史学雑誌』自体を知らないんだよw
どっかの大学の紀要だと思ったんだよw
59 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/02/26(金) 01:34:18
>>55>>44 樹齢でわかるんだよ。たとえば後北条氏の八王子城なんかは
近世の樹木がほとんど。八王子市の郷土資料館のお姉さんかお兄さんに訊いてごらん。君(ら)がキモくなけりゃ
教えくれっからw
あと「樹木があったほうが中が見えない見える」の議論ってなんなんだw?
冬場に火掛けられたらどうするんだよw
あとさ土塁って知っている?郭の中なんて見えないよ。
土塁の上にはちょっとした塀もあったりするし(なくても土塁はなかなか使える)。
堀の切り方なんかも城によっては凄まじい入り組みかたしてたりするしね。
まあ君らのは中世城郭実際に行ったことない人間のタワゴトだよ。
出来のいい中世城郭を実地に見学してきたら、
「樹木があれば城中が見えない」なんて(笑)、つまんない疑問抱きやしない。
まあ樹木がある城の区画とかの留保つけなけりゃいけない
若干の例外もあることはあるけど、それはほとんどまた別のお話。
とういうことで博物館の展示はほぼ正しい。中世城郭を遠目で外観しただけの
引きこもりさんはさっさと実地に見学してくださいなw
60 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/26(金) 01:37:25
>>59 史学雑誌【しがくざっし】
1889年12月,「史学会雑誌」の名で創刊。同年11月
創立の史学会(初代会長_重野安繹やすつぐ)の編集
で,92年12月より「史学雑誌」と改称し現在に至る。
アカデミズム史学を代表する月刊学術雑誌として,
実証的論文を中心に掲載。1950年から毎年,5月号
に前年度歴史学界の〈回顧と展望〉を特集するなど,
日本近代史学の発達に大きな役割を果している。
わかった? 武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s
61 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/26(金) 01:46:08
東京の大きな本屋だったら雑誌のコーナーに置いてあるよ
機会があったら見てみるといいよ、史学雑誌
62 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/02/26(金) 01:48:44
>>58 きゃきはははははは
笑った笑った笑ったw
フツー史学雑誌ってカギ括弧使わなきゃ一般名詞だろw
たとえば国文学、思想も雑誌名だがカギ括弧なしで提示されて分かるかよw
ていうか笑ったのそれじゃないぜ。
あれはお前にとっては憧れなんだろw?
あれは君のような、東大閥の高級一般向け雑誌だよ。
上横手先生や元木泰雄氏のテリトリーじゃない。
「日本歴史」なんかと同じでお前でも入会して購入すりゃいいよw
読むとなれば膨大な数の紀要の類が外せないのに、そんなことも知らないんだな。
「日本歴史」「史学雑誌」ですむの2ちゃんの通弊だよw
63 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/02/26(金) 01:52:43
>>61 >>62の訂正
君のような、東大閥→君のような東大に憧れている、東大閥
のによる高級一般向け雑誌だよw
あと追加として、史学専門横断雑誌かな。まあ
どちらにしても日本史プロパーの取り立てて目指す雑誌というわけではないよ。
「日本歴史」もそうだけどさ。
64 :
日本@名無史さん:2010/02/26(金) 01:54:41
『中央公論』といちいち『』やる人はいません
涙目乙
65 :
日本@名無史さん:2010/02/26(金) 01:56:35
武陽はどこの学閥?
東大と対抗できる学閥となると限られるけど?
66 :
日本@名無史さん:2010/02/26(金) 02:00:33
武陽が悔しくて焼き味噌を漏らしたころかな
おやすみ
67 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/02/26(金) 02:01:02
>>64 そっかな?私が勝ったと思うよw
ていうか中央公論は一般名詞じゃないじゃん。
涙目でもなんでもいいけど、似非博士が院に行ったのは完全にうそだしね。
『日本歴史』『史学雑誌』も高級一般向け雑誌だもん。
あれを丹念に追いかけてる時点で素人だよ。
あれらの雑誌を主宰している何とか学会とやらに入会すればw
君にはお似合いだよw
68 :
日本@名無史さん:2010/02/26(金) 02:04:26
学術論文誌の頂点じゃん
何言ってんの?
「院に行ったことがステータスと知能の証明になる」
なんて思ってるやつはそれこそモグリ
うおお!
レス下さった方本当にありがとうございました。
助かりました。
また行き詰まったらよろしくお願いします。
ありがとうございました。
72 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/02/26(金) 02:21:20
>>65 そんこと、こんなとこで言えるかよバカ野郎!
>>66 負けたのは似非博士だろwことごとくうんちく論破されたじゃんw
院生あがりも嘘なのばれたしw
ていうか「史学雑誌」という高級一般向け歴史雑誌なんかに重き置いてる
認識に呆れかえるだけだよ。あの学会はインチキだよ。体のいい親睦会さ。
君は博士を僭称する奴らしく一般向けの学術雑誌なんてのを唐突に出してきやがる。
だいたい中世史の先端的な論文なんてまるで載ってないし載ったこともほとんどないし。
あれを日ごろチェックしているみたいな君のコンプレックス野郎ぶりに
ただただ呆れかえるばかりだ。
そのへんの専門の事情も知らないトウシロウの勘違いぶりにイライラするぜ。
話はとぶが、「詩学」ってつまんない雑誌があるんだが、あれもそんな感じだ。
「現代詩手帖」のほうじゃないと話はすすまないのに。
なんにせよ、相手の高級と考えている物のバカバカしさにウンザリだ。
…なあんてねw
まあこれからも似非博士が院なんていったことないことや、
さまざまないいか加減な歴史の知見をたたいて行こうと思います!
似非博士、「朱子学の大衆化」w、「インチキ権門体制論と東国国家論」
もついての宿題よろしくwまた戦おうな。こっちもストレス発散できたよw
めちゃくちゃ楽しかった。いろんな嫌なこと吹っ飛んだよ!
明日は休みだぜ。キャッホー!!
ま、ヒッキー似非博士は毎日お休みだよねwきゃはははは、バーカ
73 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/26(金) 02:28:13
まあ、史学雑誌を知らなくて恥ずかしかったけど、
ひとつ知らないことを覚えられてよかったじゃん
括弧をつけてもつけなくても、史学雑誌は史学雑誌なんだよw
ここでもうひとつ覚えよう
VIP板でいきなり史学雑誌とかネイチャーとかPerceptual and Motor skillsとか言い出しても
誰にもジャーナルの名前だと理解してもらえなくても仕方ないけど
スレタイに「歴史学博士」とある場所じゃねえ・・・
75 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/26(金) 02:33:43
>>71 質問者は、日本史に即した具体的な話を聞きたかったんだと思うよ
76 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/26(金) 02:38:04
>>52氏のレスは、
52 :日本@名無史さん :2010/02/26(金) 00:29:29
>>50 鎌倉期は名前通り鹿島氏が御家人となって支配
>>51 あなたは素晴らしい偉大なる学者なんですね
こんな所にいないで論文書いて史学雑誌に選ばれるよう頑張ってくださいw
よっしゃこい
という嫌味あるいは皮肉の流れで史学雑誌が出てくるから、
どっかの大学の紀要の訳はないんだよね。
前後関係から言っても、あの『史学雑誌』以外はありえないんだよ。
前後関係なくても、あの『史学雑誌』以外はありえないんだけど
じゃあ俺の知ってる具体的な話をいくつか
・院の同期が、いまトラック運転手をやっている
・博士号を所持しているが、高卒と偽って就職した
・博士号を所持しているから、ピンクサロンで働いている
78 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/02/26(金) 02:44:55
>>68 はあ〜?
なんだなんのこの認識。
頂点だなんて誰も思っちゃいないよ。やっぱり似非博士(本人なんだろうな。自演多そうだw)
の似非ぶりが、また暴露されっちゃったねw
どこぞの偏差値の高い大学の日本史の院生かイキのいい非常勤の奴らに
訊いてみろや。誰も頂点だなんて言いやしねーよw
「学術論文誌の頂点」なんて思い込んでるような、この程度の認識を持つ時点で、
2ちゃんに院生なんてほとんどいないってことだよ。
有り得るとしたら山野野衾くらいかな?(実際は学部卒で、違うかも知れないけど…
それでもアカデミックな訓練は絶対受けているよ彼は)。
しかしなかなか就寝できねーな(笑)ちょっとつらいかも…。
似非博士のヒッキーらしい東大への憧れた態度って
蓮實重彦なんかの東大系(のなかの教養学部閥ね)『ルプレザンタシオン』とか
みたいな雑誌に憧れるお勉強のできない駄目なスノッブと同じ穴のムジナだよ。
学問的に頂点でもなんでもないもん、あれも。
まああれはかなり知の横断的な変則的雑誌かな。
ただ「史学雑誌」もそういう認識の延長線上で見たほうがいいよ。
載っている論文は『ルプレザンタシオン』よりかずっとまともなものだけどね。
でも頂点はないよw
どうでもいいけど私の書いたものプリントアウトして
まともなアカデミックな研究者に見せてみな。
君らには読めていないまともな知見見識でいっぱいなのがわかるからさ。
ごめん、僕博士課程に進まないくらいの分別はあったんで
修士号しか持ってません
80 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/02/26(金) 02:50:21
>>76 史学雑誌を頂点だなんて思い込んでいる君に呆れるよw
ぜんぜん頂点でもなんでもない「雑誌」を一般名詞みたいに出されて
分かるかっつーのw
この雑誌に日ごろこだわっている時点でトウシロウ確実だよw
で、宿題はどうなったのw
「朱子学の大衆化」wとかw
まっとうな会社に内定決まってたのに
それを蹴って博士に行っちゃったあいつ、元気で暮らしてるかなあ……
82 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/02/26(金) 02:56:40
>>73 わたしは知っていたよ。
ケアレスミスさ。固有名詞を一般名詞と取り違えていただけだもん。
ていうか君のような憧れをあの雑誌にもっていない。
引き合いに出すのが考えもつかないほど、重要視していない研究雑誌だもん。
君のように認識そのものが「朱子学の大衆化」とかw
変なのと一緒にしないでほしいな。
君の憧れは片時も失念しないほど、あれは憧れの雑誌なんだろうけどw
あと、みなさ〜ん、レス順を追ってください〜。
私が論駁したレスに似非博士様はまったくなしのつぶてで〜すw
83 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/02/26(金) 03:02:16
>>77>>79>>81 全部うそでしょ?
だって分別もへったくれなにも、
修士課程になんて進学してる時点で、分別なんかない奴だよw
>>83 ソースは俺の日記、俺の書簡、
並びに同時代の公的記録であるが、一次史料として不足があるか?
85 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/26(金) 03:15:37
史学雑誌から話題をそらすのに必死すぎるw
86 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/02/26(金) 03:17:04
>>84 不足ありありだよw
ソースなんて下品な言葉使ってるとこみても
与太でしょ。
他愛無いからどうでもいいけどね。
それにつけても
2ちゃんの人は通俗本やネットの与太を信じすぎだよ。
それとググリすぎ。私は日本史のことではググらない。
ある種のデータベースは使うけどさ。
ただ2ちゃんの人が何にあこがれているか
改めてわかった気がする。別に揶揄してるわけじゃなくてね。
こないだ暇つぶしに作ったジョークがあるんで、せっかくだから貼っとく
ググらない<wikiしか見ない<ネットソースしか利用しない<
素人向けの本しか読まない<アマゾンの本しか読まない<
刊行書籍しか読まない<近代の論文しか読まない<
翻刻史料しか参照しない<写本間の異同を調査していない
<<<(科学の限界の壁)<<<タイムテレビ使ってる
,.-─ ─-、─-、
, イ)ィ -─ ──- 、ミヽ
ノ /,.-‐'"´ `ヾj ii / Λ
,イ// ^ヽj(二フ'"´ ̄`ヾ、ノイ{
ノ/,/ミ三ニヲ´ ゙、ノi!
{V /ミ三二,イ , -─ Yソ
レ'/三二彡イ .:ィこラ ;:こラ j{
V;;;::. ;ヲヾ!V ー '′ i ー ' ソ
Vニミ( 入 、 r j ,′
ヾミ、`ゝ ` ー--‐'ゞニ<‐-イ
ヽ ヽ -''ニニ‐ /
| `、 ⌒ ,/
| > ---- r‐'´
ヽ_ |
ヽ _ _ 」
ググレカス [ gugurecus ]
(西暦一世紀前半〜没年不明)
ソースが下品な言葉か
天下のネイチャーをいつもオネーチャンって呼んでたあのおっさん教授は元気にしてるかなあ
90 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/02/26(金) 03:32:26
>>85 別にそらしていないんだが。
ワンノブゼムに過ぎない研究雑誌を失念してたくらいのケアレスミスで
鬼の首とったように言われても…。
よっぽど似非博士(今までこうやって自演ばかりしてたらしいねw)は、あの雑誌に
憧れているようだw
ていうかさー、君自身が断言していた「朱子学の大衆化」wとか、
寛政の異学の禁とかも知らない初学者なことwから
いいかげん話そらすのやめたらどお?
私、これからも君の初学者ぶりとインチキ博士のインチキwを
叩くからさw
まあせいぜい憧れの「史学雑誌」(「学術誌の頂点」wだって。トウシロウばればれw)
を失念していた程度のケアレスミスだけあげつらえばいいさ。
私は私で、君のおバカぶりをストレス解消がてらに
突っついて小バカにしてくから。
楽しみしててね。
あと君の過去レスちょっとみてくと、ずいぶんヒマなんだねw
いいかげん働いたらどう?もう何年そんなくだらない毎日過ごしてるわけ?
博士に憧れてるのわかるけど、ちゃんと仕事しなよ。
プーじゃ女の子にもキモく思われちゃうよw
ていうか何かキモくなってきたw
プーの引きこもり野郎クズってのは、やっぱキモいねw
本当に博士なんだったら暇に決まってんじゃん。
忙しい博士号所持者なんて一握りだよ(理系除く)
92 :
日本@名無史さん:2010/02/26(金) 03:36:36
東大系の『史学雑誌』じゃないならどこが学術誌の頂点なの?
『人民の歴史学』とか?
93 :
日本@名無史さん:2010/02/26(金) 03:40:52
武陽と仙台藩百姓と白馬青牛で日本史コントでもやってくれ
面白くなりそうだ
94 :
日本@名無史さん:2010/02/26(金) 14:14:18
やけにスレが伸びてると思ったらこういう流れか・・・
2ちゃんらしい無駄な煽りの応酬。
不要印紙が来ると必ずこうなるよ
乙
ぶよぶよ陰部 乙
97 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/26(金) 20:17:30
無知を恥じることはないよ
知らないことを知ることができてよかったじゃないか
史学雑誌という学会誌を知ってよかったでしょ?
よっしゃこい
98 :
日本@名無史さん:2010/02/26(金) 20:59:03
武陽隠士くん
キミもまだまだお子ちゃまだね!
心にゆとりがない可愛そうな男の子だ!
ここは2ちゃんの世界だから歴史学博士が本物だろが偽者だろうがどうだっていいじゃないか!
気に食わなければそいつの発信元がどこだか今は簡単に調べられる。
皆さんがそれぞれどこの誰だか公表しましょうか?
99 :
日本@名無史さん:2010/02/26(金) 21:27:52
Just because you messed up is no reason to be so down in the dumps. Tomorrow is a new day.
100 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/02/26(金) 23:22:47
>>97 おやおや(笑)逆ギレですかw
高校生でも知っている寛政の異学の禁も知らないで、
学会誌を語りますかね〜w
例のあなたの珍説「朱子学の大衆化」(笑)の宿題はされましたか?
ところであの雑誌は、
あくまで史学横断親睦雑誌なのですよ(まともな論文はそれなりに掲載してはいますが)
いわゆる日本史の研究者たちのいうところの学会のそれとは違いますよ。
博士を僭称(笑)されていながら、学会のなんたるかもご存知ないんですねw
あ、そっか!僭称だもんねw知るわきゃないかw
ああそうそう、レスがだいぶ息切れされてきたようですよw
ただのヒッキーであること指摘されたくらいで、動じられては困りますw
院なぞ入ったこともない(大学もあやしい)のもバラされて頭にきたのはわかりますが(笑)
きゃはははは
101 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/27(土) 02:09:30
>>100 60 名前: 歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs 投稿日: 2010/02/26(金) 01:37:25
>>59 史学雑誌【しがくざっし】
1889年12月,「史学会雑誌」の名で創刊。同年11月
創立の史学会(初代会長_重野安繹やすつぐ)の編集
で,92年12月より「史学雑誌」と改称し現在に至る。
アカデミズム史学を代表する月刊学術雑誌として,
実証的論文を中心に掲載。1950年から毎年,5月号
に前年度歴史学界の〈回顧と展望〉を特集するなど,
日本近代史学の発達に大きな役割を果している。
わかった? 武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s
102 :
日本@名無史さん:2010/02/27(土) 03:05:13
このスレは武陽と博士が日本史板の天下布武をめぐって決戦する天王山スレ
103 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/02/27(土) 03:24:52
>>101 似非博士は名無し自演好きだなw
ていうか、あちゃ〜ここまでバカとはw
最初から史学会といえばいいんだよw
分かるもなにも、史学会の「史学雑誌」をカギ括弧なしに史学雑誌と
一般名詞みたいに提示されれりゃあ、歴史関連の雑誌一般の意味と受け取るよ。
何もここだけが、「歴史親睦学会」としてどうしても重要というわけじゃないし。
「歴史親睦学会」は他にもいくつか有力なのがあるのすら知らないらしいなw
だいたいなんで史学会だけを崇めなくちゃいけないんだ?
バッカじゃかろうか?
明治時代じゃあるまいし、
歴史学界自体を別に代表しちゃいないんだよ。
これだけ学会も増えて専門が細分化した時代に、こういう大雑把な「親睦学会」を
な〜に崇拝してんだかw
史学雑誌で、使える目ぼしい中世史の論文なんかたぶん最近はほとんど
ないんじゃないか?
君はネット上の切り貼りばっかしてっから、ひとつの親睦学会(実質、東大系の牙城だよ)
にしか目がいかねーんだよ。
あとよたまには細分化された本当の意味での使える学会の話してくれろや。
だいたい史学会の会員で「史学雑誌」をつんどくのままにして
ホコリかぶらせている話なんぞザラだぜ。
たとえば私が敬愛している上横手雅敬先生も元木泰雄氏(お二人については私は何度か
言及したけど)も、親睦歴史学会としては史学会に重きを置いていない。
彼らは別の親睦歴史学会に軸足を置いている。
意味わかるか?
史学会のこと四六時中想ってる(笑)君みたいなニート君のように
頭んなかにスキマなんてねーんだよ。
いちいち史学会に執着してらっれかよw
さっさとまとまな院生の友達くらい作って話きくこった。
私の言わんとする意味がたぶんニート君にも分かるからさ。
分かったかい?似非博士の引きこもり野郎くん。
バーカw
104 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/27(土) 03:27:53
>>100 朱子学派【しゅしがくは】
_朱子学を大成した朱子の学説を信奉する学派。鎌倉時代に
日本に伝えられた朱子学からは,戦国時代には,薩摩の
_薩南学,土佐の_南学,京都の_京学がおこった。このうち,
南学からは山崎闇斎の_崎門学派が成立し,近世を通じて
大きな影響力をもった。藤原惺窩の流れを汲む京学からは,
林羅山や松永尺五をはじめ,新井白石や室鳩巣などを輩出し,
朱子学の普及に重要な役割をはたした。江戸中期は,大坂の
_懐徳堂を中心にしたグループ以外不振であったが,_寛政異学
の禁で朱子学が幕府の〈正学〉となり,朱子学の大衆化
がみられた。
の「朱子学の大衆化」のこと
よっしゃこい
105 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/27(土) 03:34:45
>>103 ジャッジ付き投稿論文の全国誌としては、
評価が高いから「親睦学会」じゃないんだよ
日本史の分野では、
史学雑誌と歴史学研究がトップ2
次いで、日本史研究、社経史、などなどが続くんだよ
強弁はもう止めた方がいいよw
106 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/27(土) 03:36:01
>>105 近代史はちょっと順番が入れ代わったりするよ
前近代はこんな感じ
107 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/27(土) 03:53:23
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59sは、西日本在住のようだね。
京都大学系の先生がいる大学出身か在学か、よくわからんが。
中世史ゼミ所属。
京大そのものではないとは思うよ。あまりにも・・・ねえ・・・
京大は東大と対抗関係にあるから、
史学雑誌を実態よりも低く評価したりするのはよくあること。
それをどこかで耳で仕入れて鵜呑みにしているんだと思うよ。
***別な話
権門体制論と東国国家論もそうなんだけど、
学閥的な背景とかって本来はいらないんだよね
と一部に対して愚考する次第。
これも下手すると、京大系と東大系の話みたいになっちゃうからね。
三面記事的な話だと。
108 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/27(土) 03:55:24
>>105 ここで
日本史研究を低めにして釣ろうとしたけど、
悪趣味だから辞めた
よっしゃこい
109 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/02/27(土) 04:01:15
>>104 ありゃりゃバカまるだしwもしかしたらネット上のデータで論拠なの?
出典くらい明確にしなさいよ。別に大衆化なんてしてないよw
武士の間に朱子学が正統として君臨しただけさ。
君は「大衆化」という文言に惑わされてるね。やっぱりバカなんだなw
寛政の異学の禁も知らないくせにw
>当時の武士などは、
>漢籍の素養+朱子学が基本で共通。
>武士の話だから朱子学でいいのよ
>朱子学の大衆化の話とは別
↑
何これwばっかみたい
>>105 親睦学会だよ。
だから投稿論文なんじゃん。
専門をこえた在野にも開かれたタテマエの学会だから親睦学会。
べつにこの認識間違っちゃいない。
だいたい論文はなんて別に在野に開かれてなくちゃいけないわけじゃないんだよ。
専門を横断する意味で親睦学会だよ。設立趣旨もみなよ。
だから所属会員が多いんだよ。
東大閥の仕切ってる親睦歴史学会。評議員のメンツみてみなよ。
ググってるだけじゃキレイ事しかみえないのさ。
君は院生であったことなど一度もなかったことの証左が、またひとつ出てきたねw
ついでにいえば史学研究会もやはり親睦学会。
学会誌と称する機関誌に掲載された論文は、学問的価値そのもとは
ほとんど関係ないよ。
使えないのばっかだもん。
細分化された学会とか、研究機関ないし教育機関なんかとは自ずと違うわけさ。
使えるのはこっちのほうに多いよ。
110 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/02/27(土) 04:07:14
>>108 本郷和人の話も粗雑だったよねw
制度史のことも意味わかんないみたいだしさw
吉田松陰のことも基本書の見解すらふまえていない。
周囲に学術書のない環境にいるのが明瞭だ。
田舎の引きこもりさんなのかな?
ググるのと自演で今まで凌いできたんだねw
きゃはははは
111 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/02/27(土) 04:27:38
>>107 くだらねー。
やっぱバカなのか?ググった知識じゃその程度だな。
どっちも親睦学会と私はいっているんだ。
学閥その他のしょーもない理由で軸足を向けられた学会だから
親睦学会。
いいかげんネットのキリバリ寄せっていうんだバカ。
キレイゴト、タテマエしか書けないのはテメエーの
知識がネットで完結してっからだ。わかったか?引きこもり野郎。
>>107 あちゃ〜正真正銘のバカw
だんだん東大京大も関係なくなってきているのさ。
野口実氏ほかの中世史研究家も権門体制論の流れを汲んでいる(本人はそういう断定きっといやがるだろうが)が、
別に京大じゃない)。
網野なんかがぬかしているくだらない昔のゴシップ話を真に受けて
現在の議論をまるで知らないみたいだなw
昨今、権門体制論の流れが優勢なんて話は、中世史家なら誰でも
知っている話だぜwお前ほんとう、ググっても出ない話は知らないなw
ここまでくると哀れ極まりないねw
ほうらまたまた偽博士がバレバレになったぜw
てっいうか、いいかげん働けよなクズ。毎日毎日何年もよっぽど
ヒマなんだな。
112 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/27(土) 04:45:17
>>111 じゃーなぜ史学雑誌を知らなかったのか?
謎が深まるばかりだね
113 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/02/27(土) 04:57:15
史学雑誌を知らなかった者が
「親睦学会」と断定し、批判する滑稽さ。
知らなかったのに。
これをどのように考えればよいのか?
謎は深まるばかりだ。
その者が考える史学雑誌とは、
>>54にあるように
史学雑誌という言い方自体がおかしいらしく、
紀要の類であり、歴史学専門ではなく、
源氏物語研究や考古学研究と同居している雑誌らしい。
幕末に高杉や龍馬が拳銃を持っていたという話はよく聞きますが、
有名人や帯刀許可な金持ちで命惜しい人はみんな拳銃を持つべきだったと思うのですがどうでしょうか。
史学ではなく軍事学の分野かもしれませんね。ごめんなさい。
拳銃入手の問題というより、攘夷派にとっては恥を知れの世界。また、剣に生きる者に
とっては言語道断の話。
ブヨーは勇み足のあまり必ず馬脚を現すんだがここでもそうみたいだなw
117 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/02/27(土) 11:25:33
>>113 またバカやってるわけ?知っていたと何回言えば分かるんだ?
親睦学会と断定するもなにもそうなんだからそうだといっているだけだぜw
批判でもなんでもねーよ。
ていうか、批判と思うくらい日ごろから崇拝してんだなw片時も忘れねーってわけかw
お前のほうが変だよw親睦学会だと悪いのかよ。
親睦学会だら員数も抱え込もうとするわけじゃん。
幽霊もざらだよ。そういうのが親睦学会。分かる?
あとさ、完全に一般名詞と思い込んでいたって何回言えば、いいんだ?
お前が紀要なんかよんだことないし読まないに決まってるだろw
一般名詞として完全に受け取っていたただけにすぎすぎない。
毎日毎日史学会のこと想っているおまえみたいな引きこもり野郎
のヒマジンじゃねーんだよ。キモちわりい。
ちゃんと史学会と書けバカ。史学会に脳みそ割いている暇なんかねーや。
だいたい史学会そのものに私は興味ないんだよ。
>>68←これお前なんだろ?崇拝しきってるなw
>>116 勇み足ねえw
私のように君もタイムラグなしで、こういう具合にいろんなゴミとやり合うと分かるよ。
ていうか「信長の灰」のときと同じなんだよな。
君は過去にレスしまくっていたときの私を知っている
人なのかな?
ヒートアップするとすっぽんすっぽん抜けてしまうもんなんだ。
ちょっとしたケアレスミスをする。
118 :
日本@名無史さん:2010/02/27(土) 11:37:04
ぶよーって院卒なことだけが自慢のかわいそうなひきこもりなの?
学閥にこだわるのは自分の存在価値がそこでしか見出だせないからなの?
119 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/02/27(土) 11:42:12
>>105 はは、これもすごいやw崇拝しきっているw
ジャッジも投稿もどうでもいいよw
早く院生のお友達でも作るこったな。少なくともそこまで崇拝はしなくなるからねw
>>104は結局なんなの?
寛政の異学の禁なんて高校生でも知っているよw
大学すらいってないのがバレたねw
ググってばっかいないで高校の日本史くらいちゃんとお勉強したら?
朱子学の大衆化wとかさ。ばっかみたいw
ググってばっかいっから『史学雑誌』を最高峰だなんていっているんだよなw
偏差値じゃねーんだから、そんな単純な話あるわけねーよw
つーかいいかげん仕事しろやクズ。
もう何年も何年も引きこもって博士だか自称してバッカじゃねーの?
ただのゴミじゃんw
>>50>>52 このやりとりは自演だね。
鹿島市調べている奴が鹿島神宮実見しないわけない。
中世史と密接だもんあそこ。
>>115 西郷隆盛は、江戸で江戸市民に対して殺人、火付け、強盗、強姦を繰り返したり
幕府も清河八郎の暗殺に6人掛りで不意打ちにするなど、両者共目的の為なら手段を選ばない
イメージが有ったのでその答えは意外でした。てっきり技術や物理的な問題かと思っていました。ありがとうございます。
武陽隠士様は如何お考えでしょうか?
主人たる歴史学博士様もよろしければお教え下さい。
121 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/02/27(土) 12:25:33
>>118 違う違う。
私は別に院にも学閥にもこだわっているわけじゃない。
東大のバイアスかかった巨大親睦学会(もちろん門戸は開かれているし
学閥なり政治的なバイアスのかかっていない団体などほとんどない。それだから)を
学問的にもスゴイと崇拝していたり(親睦学会が批判になるんだもんなw宗教かよw)、
博士号にやたらにこだわっている奴だから(自称博士の引きこもり野郎)
そういう若干嫌味なアプローチの仕方で叩いているだけさ。
たとえば山野野衾に対してならそういうやり方はとらない。
他の連中とやりあうときにもそれぞれ違った側面から突いていくでしょうね。
要するにくだらないデタラメをネットに書き込みてしまくっている、自称研究者に
腹が立ったというだけの話。
まあもうひとつには、このところいろいろと対人ストレスがたまってきたってのがあるけどねw
イライラを開放したかった(なにせ猫を五十匹かぶってるんでwだから肩も凝るw)。
こういうクズ(自称博士)は、その対象としてはうってつけなわけじゃない?
でも、ほんとうのところ基本的に私もヒマじゃない。
仕事だけじゃなくて遊びにも旅行にもいかなくちゃいけないしさ。
だから今回こういうかたちで短期集中的にレスをしているわけさ。
自称博士のニート君のように毎日毎日パソコンに貼り付いていられる
(ぜんぜんうらやましくないんだけどw)悠長なご身分じゃねーんで。
自称博士君とは長期にわたってやり合うことになりそうだね。
奴も下りないだろうし。自演も辞さない奴だから多少面倒くさいし、
キモいニート野郎だから本当は関わりたくないんだが(これ自称博士ニートの名無し自演レスだろ→
>>98)、
仕方ない、当分ヒマなときはレスの応酬せざるを得ないな。
ただ私はふだん2ちゃん毎日やらないからね。
毎日パソコンの前に貼り付いている人間の妄執みたいのを考えると笑えるw
こっちは時々来て集中的にやるだけだから多少楽かな。でもタイムラグなしで
レスをこれだけ応酬すると「信長の灰」のときのようなケアレスミスをやっちまうw
おお怖わw
いずれにせよ、むこうが下りない限り私は付き合うつもりですよ(笑)
>短期集中的にレスをしているわけさ。
自分で短期って言っちゃってるようでは勝てないな
>>114 高杉の持ってた拳銃は香港に行ってきたときの土産。
龍馬が持ってたのは、高杉が2挺買ってきたうちの片方をプレゼントされた。
江戸や京の街角で普通に売っていたわけではないのだよ。
>>118 博士号なんぞに学歴コンプレックスを刺激されてるところから見て
こいつは学士だと思う
さすがに高卒はないかな
125 :
日本@名無史さん:2010/02/27(土) 14:27:57
学部中退の可能性に50ペリカ
律令時代の稲粟の出挙は、公出挙は年1割で私出挙は年10割の利息上限が有ったそうですが、これはどのような根拠で決められたのでしょうか。
例えば、中国とかに似たようなルールがあり、そこから1割・10割という数字を引っ張ってきたのでしょうか。
127 :
日本@名無史さん:2010/02/27(土) 16:07:44
>短期集中的にレスをしている
ブヨーの一番の泣き所は大学に行ったことがないから学部生なら誰でも知っている常識程度の事柄でさえ答えられず
正しいのか間違っているのか判断できないから逃げるしかないってとこだね
単純な煽りなら曜日に拘らず即レスできるが大学生の常識を問われると熱りが冷めるまで沈黙せざるをえず
専門的な突っ込みにはググる時間が必要になる
まあ信長公記すらまともに読めないんだから無理もないw
130 :
日本@名無史さん:2010/02/27(土) 18:30:15
しかも自分をネラーだと思ってない所が痛い
ネラーどころかネラーの標本見本になってるというのにww
131 :
日本@名無史さん:2010/02/27(土) 20:57:43
質問です
日本の南北朝時代が八百長に見えてなりません
どうして足利軍は吉野や摂津住吉の御所を襲撃しなかったんでしょうか?
132 :
日本@名無史さん:2010/02/27(土) 22:49:27
江戸時代の高級役人って何ですか?
徳川家綱とアカイタダヤスと縁の深い34歳で死んだ高級役人と言えば誰だと思いますか?
134 :
日本@名無史さん:2010/02/28(日) 00:12:47
なんで足利将軍家は
足利義詮以降「義」の字がつくの?おじさん直義からもらった?
てか足利直義とか新田義貞の義って義良親王から?
源氏の通字の一つでしょう、「義」という字は
義家や義平、義経
特に八幡太郎義家の「義」「家」は棟梁格
徳川家の「家」も義家からでしょう
よさこい
136 :
日本@名無史さん:2010/02/28(日) 01:13:36
狩野英孝みたいな古い神社の家系って身分的にはどんな感じなんですか?
137 :
日本@名無史さん:2010/02/28(日) 05:29:03
ああ足利も徳川も義家の通字と考えると源義家すごすぎっすね
NHK太平記で高氏も新田義貞も出陣のとき
「八幡大菩薩様、御加護を!」とか言うけど
源氏にとっては本当に伝説のヒーローなんでつね
東北をイジメに来た人だろ。>源義家
139 :
日本@名無史さん:2010/02/28(日) 08:02:55
ぶようは杉良太郎(杉様スレで告白)と森永卓郎(日本史板で告白)のファン
森永卓郎(笑)
質問
飛鳥時代にペルシャ人とかゾロアスター教とかが日本に来てたという説(伊藤義教とか)は
ただのトンデモ説ですか、それともまだ研究中扱いですか?
難しい質問が続くと武陽がいなくなるな。
博士もいなくなるけど。
優秀な研究者は多忙ということか。
学者商売には週末もクソもないということか。
142 :
日本@名無史さん:2010/02/28(日) 12:38:37
>>140 キリスト教ネストリウス派が中国に来ていたのは確か(景教)
法隆寺の四騎獅子狩文錦から派生した説だろう
よっしゃこい
143 :
日本@名無史さん:2010/02/28(日) 18:13:05
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■
@まず日本人のふりをしながら朝鮮煙幕を炊き付け、それを自ら叩いて
自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)
Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)
Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。
Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。
>>140 伊藤義教以降中世ペルシャ語を少しでもわかってる日本史関係の学者がいないから
後継者も無く研究は中断。
多分日本史からはこの先も研究は進まない。
まあ後継っぽい人は何人かいるが、宗教家の岡田明憲とか、建築家の渡辺豊和とか、
タレント学者の栗本慎一郎とかを日本古代史研究の権威とは言わないだろうし。
145 :
日本@名無史さん:2010/03/01(月) 08:46:55
>>141 歴史学は、
古代(平安期まで)、中世(院政期・鎌倉期から戦国まで)、近世(江戸時代)、近代、現代史と
専門が分かれていますので、そのすべてに通暁できるはずもないし、
そのすべてに専門的な回答ができるはずもない。
146 :
日本@名無史さん:2010/03/01(月) 11:06:59
147 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/03/01(月) 12:06:01
>>120 現代893でも刃物と拳銃を使い分けるから
当時の拳銃の性能を考えればなおさらでは?
張本の同級生の元極道画家の山本集が何か書いてた
よっしゃこい
148 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/03/01(月) 12:11:14
>>131 そのようなヤオガチ論争では割り切れません
よっしゃこい
149 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/03/01(月) 12:18:19
>>132 学問的にも、そして当時の人々も、「高級役人」のような曖昧な言い方はしません。
何を指しているのかはよく分かりません。実際に使っている人に聞いて下さい。
>>137 その家は知らないけど、江戸時代は「神職」だと思うよ。
>>146 その人が温厚かどうか不明。それに打擲されたからと書いてあるじゃん。言われたからじゃなくて。
よっしゃこい
150 :
日本@名無史さん:2010/03/01(月) 12:20:09
高級役人という言葉は使わないが
有司という言葉を使った
よっしゃこい
151 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/03/01(月) 12:35:35
>>150 有司は、役人・官僚・官吏の中国風の言い方だよ。
高級の含意はないよ。
質問者は家綱とか言っているから、17世紀のことを聞いているし、
有司も使わないと思うよ。学問的にも、当時の人も(当時の儒者を除いて)。
152 :
日本@名無史さん:2010/03/02(火) 21:13:15
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html 稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
154 :
日本@名無史さん:2010/03/03(水) 00:51:48
舞踊
155 :
日本@名無史さん:2010/03/03(水) 01:24:29
有司は実務官僚を指す
幕末期には小栗や勝、永井などを有司と括られた
明治は藩閥政治家が有司と括られた
よっしゃこい
156 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/03/03(水) 07:57:32
>>153 中国にも似た制度はあるけど、そこから引っぱってきたわけではない。
結果的に同じ水準だとしても。(その水準知らない)
よっしゃこい
よさこい
159 :
日本@名無史さん:2010/03/04(木) 21:02:05
160 :
日本@名無史さん:2010/03/05(金) 18:12:35
ブヨー逃亡
161 :
日本@名無史さん:2010/03/05(金) 21:30:11
162 :
日本@名無史さん:2010/03/05(金) 22:54:58
博士VSブヨー。ブヨーの負けwww
よっしゃこい〜!
164 :
日本@名無史さん:2010/03/05(金) 23:38:21
「国学四大人」の元ネタが大国隆正だと知ってふと思ったんだけど、
じゃあ「崎門三傑」の元ネタは誰なんだ?先哲叢談とか?なんでこの三人なんだ?
博士思想史弱そうだし、やっぱりわかんないかなー
思想史はググッても大したもんがでんのよ。
よっしゃこい
167 :
日本@名無史さん:2010/03/06(土) 08:14:24
博士に質問です。卑弥呼というとAV女優の方を思い出してしまう私はスケベですか?それとも健全ですか?宜しくお願い致します。
169 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/03/06(土) 10:54:17
>>163 当事者同士で解決してもらいましょう
>>165 知らない。元ネタの使い方が違うんじゃない?
>>167 「トレイシー沙貴」と覚え直せばおk
よっしゃこい
170 :
日本@名無史さん:2010/03/06(土) 11:46:37
おっと書き忘れた。
結局ブヨーは逃げたのよw
よっしゃこい
171 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/03/06(土) 11:51:27
逃げてないでしょ
新スレになってログが隠れれば、素知らぬ顔でまた出てくるよ
史学雑誌知らないのはさすがに後悔しただろ
172 :
日本@名無史さん:2010/03/06(土) 14:03:59
>>171 オマエがブヨーのレスからパクっているじゃんw
反論でもないしw
173 :
日本@名無史さん:2010/03/06(土) 14:13:27
アンカー付けて指摘の復唱返しは初めて見たよw
174 :
日本@名無史さん:2010/03/06(土) 14:15:18
175 :
日本@名無史さん:2010/03/06(土) 14:17:52
ババァに勝てないヒロシです
177 :
日本@名無史さん:2010/03/06(土) 15:24:27
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■
@まず日本人のふりをしながら朝鮮煙幕を炊き付け、それを自ら叩いて
自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)
Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)
Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。
Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。
178 :
日本@名無史さん:2010/03/06(土) 16:57:57
博士に質問
郡司や荘官や田堵や地方に土着した貴族が武士になったという理解でよろしいか?
179 :
日本@名無史さん:2010/03/06(土) 18:39:17
180 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/03/06(土) 23:49:04
>>172 いやー史学雑誌を知らなかったのはさすがに後悔していると思うよ
>>178 違う
>>179 ・「長慶」の部分が明らかな「異筆」「後筆」。
・こういう短冊に諱を書くわけがない。
よっしゃこい
181 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/03/07(日) 00:09:22
>>180 バッカじゃーねの。高校レベルの日本史の知識もねーくせにw
(寛政の異学の禁も知らねーw笑かす)
一日中パソコンの前の貼りついているただのヒッキーじゃん。
でもさ、なんで史学雑誌ってカギカッコつけないの?
一般名詞化してるほど崇拝してるわけ?
最高峰だんて院生誰も思っちゃいないよw院入った事ないんだねw
バレバレじゃんw
だいたい学界動向をこの雑誌で知る必要なんてないし。
専門の動向なんて史学会の機関誌に教示される必要なんてねーんだよ。
ちゃんと学校いけよヒッキーw
182 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/03/07(日) 00:16:19
>>181 回顧と展望の話じゃなくて投稿雑誌としてのランクの話だよ
その前に、史学雑誌という名前を知らないとどうしようもないけどね
ブヨう陰屍はおまえが倒した
184 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/03/07(日) 00:27:17
>>182 だから知っているといっているだろうがw
その一般名詞化はなんなんだよ。
オマエ、明治時代かなにかと取り違えているw
投稿雑誌としてのランクなんて知るかよw
バッカみてーw
そんなもんどうでもいいんだよ、ヒッキー野郎w
185 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 00:28:53
知ってたら一般名詞化とか苦しい言い訳しないよねw
キチガイのおばはんうぜー
はよ死ね
186 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 00:33:14
空気の読め無さは
まさにアグネスぶよう
187 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/03/07(日) 00:34:10
ちゃんねらーは知らないみたいだから、
書かせてもらうが、史学界(一般名詞ねw)には、ほんとう
の意味での統一学会なんてないんだよ(これも知らないんだから自称博士はw)。
投稿がどうとかウルセーがそんなのどうでもいい。
そんなもんの最高峰なんてねーよ。
当事者と東大に憧れているヒッキーのタワゴトだ。
史学会(固有名詞ねw)に異常なこだわりがあるようだけれど
なんなの?
はっきりいって史学会も史学雑誌も私には日ごろとんと興味のない
学会で学会誌だよ。
史学雑誌と一般名詞化する自称博士のヒッキーにはよほど
許せないことらしい。
院にいってないのは完全にバレたねヒッキー偽博士w
188 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/03/07(日) 00:36:53
>>185 苦しいもなにも史学会を最高だなんてオマエみてーな
ヒッキーみたいに思ってないんだがw
ぶっちゃけ知ろうが知りまいがどうでもいいよ。
はっきりいってほとんど必要ないし。
189 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/03/07(日) 00:41:35
54 :武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/02/26(金) 01:17:19
>>52 おお!またまた似非博士本人かな?
しかしなんだこの物言いは?きゃはははは、この程度の認識示したくらいで、偉大な学者だってw皮肉にしたって空回りしちゃってるよー。
あと史学雑誌って言い方も変だ。
フツー歴史学専門じゃないからね紀要のたぐいは。次のページに源氏物語が載るなんてザラだよ。
研究機関だって考古学と同居だったりするしさ。
ていうか院生(博士)はやっぱりカタリなんだな。バレバレだねw
↑
このレスで知っていたと強弁するとはびっくらした
190 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 00:42:08
史料編纂所に勤務しております。
楽しく拝読しております。
191 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/03/07(日) 00:46:00
>>40>>41 これなんなの?
マスターいっている奴がこんな質問こんなとこでするわきゃないし、
この質問に得々と答えている自称博士ヒッキーにも驚くよW
断言するが、こいつ院なんか入ったこともないし、友人知人に院生も
ただのひとりもいないねw
もしかしたら大学もいっていないかもしれない。
この応答はありえない。
>>50 古語辞典使うよw
授業出たことないねw
辞典は図書館のをけっこうつかう。これのいってることも自称偽博士には分からないんだいろうなw
192 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/03/07(日) 00:52:16
>>189 だから一般名詞といっているだろうが!カギカッコつけろ!史学会といえや!
私は史学の一般誌と思い込んでただけだ。
それから付け加えておくが、別に知っていようが知ってまいが、
本質的には同じことだぜ。
別にもともとオマエのように崇めていたりしてねーし。
眼中にないんだよ。
だいたいよー私のお世話になった恩師の一人は史学会なんて
はいってねーしw
そんなもん失念してようが、なんだろうがとやかくいわれる筋合いじゃねーよw
そもそもオマエのそのしつこさでわかったのは院生であった
ことが一度もなかった、ってことだなw
193 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/03/07(日) 00:54:00
武陽何とかさんが知っていると主張している史学雑誌は
歴史専門じゃないんだろ?
>>54 >>189 源氏物語研究なんかと同居しているような雑誌なんでしょ?
私やみんなが問題にしているのは歴史専門の史学雑誌ですので
お間違えのないように
歴史って膨大な嘘資料だろ
195 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/03/07(日) 00:56:42
>>190 うそつけw
まあもしあそこの人間なら、すごい学力だけどね。
ものすごく緻密な頭脳だよ、あそこの人間は。
ただね、史学会に限らず幽霊ってのは多いのさ。
「史学雑誌」、明治ならともかく現代じゃマジ神通力ないよ。
196 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 00:57:01
何とそんなに必死に戦っているんだか・・・
博士だけでなく他人にも食ってかかったりしてさ
きもちわる
197 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 01:00:05
198 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/03/07(日) 01:01:07
見事な2ch脳だよ
中毒になっているなら自重したほうがいいよ
199 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 01:04:55
>武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s
いい加減ウザくなってきたから言うが
スレ趣旨から逸脱した話を延々と続けるのはやめろ(しかも自分の発言のボロを
必死に糊塗するのに終始とは・・・情けない)
お前がやってることはただの荒らし行為であり、そのためにお前は板の鼻つまみ者に
なってしまってると言う事をいい加減理解しろ。
200 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 01:08:56
武陽 ●vs○ 國學院
武陽 ●vs○ あ
201 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 01:13:59
言い負かされるのが嫌だといつまでも屁理屈こね続けるって
タチの悪い子供そのものじゃん。>ぶよー
誰もマトモに話聞いてくれなくなるよ。(もうなってる?)
202 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/03/07(日) 01:26:34
>>193 はあ?
私は史学の一般誌を引き合いに出してきたから、
紀要のたぐいを知らないらしいオマエに、知識がネットで完結してしまったクズのオマエに
紀要一般の内容をレクチャーしただけだ。
大家がどうとうかいってたろ?(大家ってなんだよwバッカみてえw)
オマエの大家なんて司馬遼太郎(物故者だが…こんな感じの大家ね)だか
だか網野善彦(これも物故者だが…。また、ちゃんとした学者でもあるが、
パンピーの言上げしたがる史学者の一種の典型例なので。
ていうかオマエやたらめったら網野に言及するよなw)とかなんだろう
思ったわけさ。
そいでもって、どうせバカだから歴史読本だか歴史街道なんだかかんだかをいってんだろうと
思ったわけだw
だいたい史学と誌名がついて(紀要でもそうだ。例「駿台史学」。明治のね。まあ若干例外ありだが…)
文学プロパーが出てくるわけないーだろが!!
よっく聞け、私のあのレスは、
オマエが紀要なぞ目にしたことないという先入主で書かれている。
つまり大家が書いているとぬかす(こんなセリフが出てくる時点でバカ丸出しだよw)
史学の一般誌をウダウダ取りざたするくだらなさに
普通、院生なら射程に入れているだろう紀要を引き合いに出したのさ。
分かったかゴミ野郎。つーか、さっさと働けクズ
>>198>>196 オマエや自称博士のヒッキーと一緒にするな。
私は時々ストレス発散のために書き込みしてるだけだ。
オマエらのように毎日毎日パソコンにはりついているわけじゃねー。
さっさとはたらけゴミ野郎!
203 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/03/07(日) 01:28:57
>>201 聞かなくていいんだよ。
こんなとこでまったりしたかないしw
ていうかいいかげんお友達を外で作ったらどう?
私はストレス発散に来てるだけだもん。
本人も前に言ってたけど真性の精神障害者らしいからな。
餌など与えつつ半放置するしかないよ。毒入りで。
205 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/03/07(日) 01:33:12
>>204 そっかなw
オマエのほうだと思うよw
だってオマエは毎日毎日四六時中、パソコンにはりついて
2ちゃんだかなんだかやってんだろw
私はいちどきにたくさん書き込みするだけで、
別にオマエみたく、はりついてないもんw
早くヒッキーから立ち直ることを祈ってますw
きゃははははwバーカ
>>203 聞かなくていいじゃねーよキチガイが。
ここはお前の内面の毒素を吐き出すためにあるスレじゃない。
誰もお前のストレス発散なんか見たくねーんだよ。
いい加減スレ違い迷惑行為はやめろ。
207 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 01:36:18
208 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/03/07(日) 01:36:25
>>206 こっちのセリフだぜw
スレ違いは、オマエからだろーがw
いや。俺たちは幸福だと思うよ?
こいつのリアル関係者の不幸を想像してそれと比較すれば。
210 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 01:37:43
>>208 国会図書館で本借りたことある?
当たり前の質問ですまんが
211 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 01:39:10
そりゃ歴史通ならな
212 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/03/07(日) 01:39:14
>>207 何度もある。
正直いって嫌いな図書館だね。
213 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 01:40:34
博士の大勝利おめでとうございます
214 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 01:43:55
プッ
何借りたの?と聞かれるのが怖いから逃亡かwww
博士は国会丼と新国会丼ではどちらが好きですか?
216 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 01:47:01
荒らしはスルーで。
217 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 01:54:10
昔の消息文が全く判読できません!
どうして昔の人はあんな文字が判読できたのですか?
私も訓練すればスラスラと読み書きできるようになりますか?
218 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/03/07(日) 02:01:26
>>210 ねーよ、アホ。くだらん茶々入れるな。
ただ国会のある種の本を「借りる」(厳密には借りるわけじゃないんだが)
方法はあることはあるんだけどね。
>>211 歴史通は、活字化されていない史料を漁るものです。
国会にもあるにはありますが、私にはほとんど関係ないです(必要なし)。
別にこの地球上に国会図書館がなくても
かまいません。ていうかないほうがいいです。
入館に資格制限を取り入れていただければ
存在を肯定しますが。
ところで、
史料とかはともかく、活字化された史料ないし学術書ならば、
母校の図書館のほうがずっと使いでがあります。
かなりの貴重図書を貸し出しできて、かつ自宅に持って帰ることもできますからね。
なにより蔵書数が多い。
つまらないこと言います。
私がずっと以前にまとめようと思っていたある学者(前近代の)の
著作、書簡、書画の類は、とある地方博物館に
ほとんど大部分活字化されずに収蔵されています(私は紹介状あったんで親切だった。ないと意地悪な感じらしいね)。
活字化されていないものを全部を読むのは本当億劫です。
おまけに癖がありすぎて、何度も往生させられました。
そもそも歴史通ならば、活字化されていないものに
言及して頂けませんか?
それが本当の「歴史通」ですよ。
そこの学芸員じゃなくて本当によかった
220 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/03/07(日) 02:07:08
>>218の追伸
その前近代の学者の著作・書簡のたぐいは、
マイクロフィルム化もされていません。
それなりに知れてはいるのに、ほとんど研究されていないので、
実は穴場なのです。
たぶんその前近代の学者について詳しいのは、世の中では私とあと
もう一人の年配の研究者(もうその研究からは降りた)だけでしょう。
221 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 02:19:03
誰もそんな話聞いてないよ。
よっぽど自分語りが好きなんだねw
女の子にしょーもない自慢してるオッサンみたいで気持ち悪っ。
自分しかやってない研究なんてものに
何か少しでも珍しい要素があるだろうか。
俺の学部時代の卒論だってそうだったよ。
日本語の先行論文がないから英語のを取り寄せたりさ。
223 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/03/07(日) 02:25:27
メンマの美味しい食べ方ってないですかね?
歴史学博士の方、お答え願います!
●
█◥◣
▂▉ █▀▉●
早稲田卒の学歴コンプ研究者崩れ
旦那に股開いてようやく生活できる
半ばニートのカルト崇拝メンヘラ人格破綻者
武陽陰唇
>>492が徘徊し始めたと聞いて
補導しにやって参りました
バカ女の情けない過去レス持っている人、集合して
どんどん貼り付けてやってください
129 名前:武陽陰士 ◆ATDF4vFZys [] 投稿日:2007/11/04(日) 01:40:01
ところで鎌倉でエッチしたきゃ普通のホテルに泊まるしかないんだよね。
でもなんか感じでないんだよねー。
声なんか出したらエラいことになっちゃうし
その点、ラブホだったらね、どんなに声をあげてても大丈夫(*^_^*)
んでもって私は今、横浜にお泊まり(^_^)v
ああ……道理で東大ディスるわけだ
武陽 in 鎌倉
●
█◥◣
▂▉ █▀▉●
230 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 09:48:04
ああベッドぐしゃぐしゃ。
髪の毛ぐしゃぐしゃ。
くちゃくちゃイチャイチャ
眠いよー
(武陽♀42)
231 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 14:12:46
武陽の代表的論文は「北条高時はいつ童貞を捨てたのか」みたいなのだろw
先行論文はないし国会図書館も困るだろうねえ
武揚は、早稲田の史学、近世専門だよ。
夫は、法律関係。
夫婦はキリスト教福音派。
鎌倉に、いいベッドはないとご立腹。
以上
233 :
日本@名無史さん:2010/03/07(日) 16:48:02
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html 稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
234 :
1925生まれ:2010/03/07(日) 21:51:47
くされまんこはちじれっけと岡義武と丸山真男がいっていました
235 :
日本@名無史さん:2010/03/08(月) 20:26:42
奈良時代の間じゅう、ずっと生きていた人はいますか
236 :
日本@名無史さん:2010/03/08(月) 21:01:10
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm 小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
239 :
日本@名無史さん:2010/03/09(火) 22:47:26
孝明天皇毒殺説や明治天皇すり替え説ってどれくらいの信憑性があるのですか?
明治の元勲田中光顕や岸信介元首相がそれを認めるような発言をしたらしいし、
単なる与太話よりも信憑性はあるのですか?
240 :
日本@名無史さん:2010/03/09(火) 22:57:32
明治天皇すり替えは単なる与太話
孝明天皇毒殺は一つの説として考えられる
よっしゃこい
>>235 奈良時代を長岡京遷都(784年)までとするなら、
ぱっと思い浮かぶのは光仁朝の大臣・大中臣清麻呂(702-788)
探せばもっといるかも。
242 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/03/10(水) 13:15:18
243 :
日本@名無史さん:2010/03/10(水) 21:00:22
素人な質問で申し訳ないが
江戸時代にも国は残ってたんですか?
残ってたとしたら農民は、藩か国どちらに税を納めてたんですか?
244 :
日本@名無史さん:2010/03/10(水) 22:00:49
国はあったが基本的な行政単位ではない
だから藩がある場合は領民が納付する先は藩である(幕府が臨時に課す国役以外で)
よっしゃこい
松尾芭蕉の著作の当時の読者はどういう階層のどういう人間だったのでしょうか?
246 :
日本@名無史さん:2010/03/10(水) 23:33:39
石鹸が日本に登場したのは戦国時代に南蛮から、ってことになってますけど、
原始的な石鹸は動物を焼いた後の脂と灰の反応物という単純なものだったのに
日本ではそれが洗うのに使えるって気づかなかったんですかね?
もっといい洗剤のようなものがあったんでしょうか。
247 :
日本@名無史さん:2010/03/10(水) 23:47:42
日本は清浄な国ですべて水に流してしまえば問題なかった
よさこい
248 :
日本@名無史さん:2010/03/11(木) 00:25:19
>>245 文学に素養がある層
俳句好きの豪農商や比較的裕福な武士、寺社
249 :
日本@名無史さん:2010/03/11(木) 01:08:12
日本のような自国に長い歴史のある国や、中国のように同じ土地に長い歴史が
ある国はいいんですが、そういうのが無いか完全な別民族だったりで微妙な国は
自国史としてどのような教育を受けるのでしょうか?
よく韓国は5千年に及ぶ偉大な妄想自国史を学んでいると馬鹿にされますが、
他も似たようなことやってたりするんでしょうか?
それとも近代だけ勉強するのでしょうか?
252 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/03/11(木) 20:02:20
>>243 百姓の負担は、大きく分けて、年貢と小物成の二つ。
年貢は個別の領主。小物成は個別の領主と幕府。
この場合の幕府とは、個別の領主を超えた国家的な統治権を持つ存在としての幕府。
幕府は、「国郡制の枠組み」という古い制度に依拠して小物成を賦課した。
国役は小物成の一種。
人身支配は、国郡制の枠組みに依拠することが多い。
夫役(労働力徴発)とか裁判権や警察権なども。
裁判・警察は中世の検断権の子孫なんだけど。
よっしゃこい
253 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/03/11(木) 20:20:57
>>246 ぬかは昔から洗剤だよ
>>251 いろいろだよ。
独立戦争や革命など、国によっては教えることたくさんあるだろ。
ナチスに占領されて解放されたと思ったら、ソ連に占領されて、社会主義化されて、
どうのこうのとか。
いまある自分、いまある自分の国を考える上で必要な歴史はそれぞれの国で多様だろ。
それぞれが模索すればよい。(ただし、学問的に)
よっしゃこい
254 :
日本@名無史さん:2010/03/12(金) 00:09:35
日本史ではないのですが、この疑問をお願いします。
よくアメリカは歴史が浅いって言われますが、コロンブスがアメリカ大陸を発見する
ずっと以前からインディアンや先住民族が独自の文化や習慣を持って生活していたんですよね?
だったら、そういうインディアンや先住民族の歴史もアメリカの歴史になるのじゃないですか?
中国だって、殷から始まって何回も王朝(国号)を変えながら、またいろんな異民族の侵入などを経て
今日の中華人民共和国になっているわけですよね?
中国の歴史といったら今の中華人民共和国の歴史ではなくて、国号の全然違う殷の歴史からを
指しますよね?
この違いは何なのでしょうか?
255 :
日本@名無史さん:2010/03/12(金) 01:19:49
インディアン嘘つかない
256 :
ぴーす ◆mQup6l1Ha. :2010/03/12(金) 03:46:10
大統領の誕生日とか
>>253 > それぞれが模索すればよい。(ただし、学問的に)
何を以て学問的というかについて、歴史学者の間で合意はあるのかね?
258 :
日本@名無史さん:2010/03/12(金) 06:23:34
アメリカは歴史教科書でもネイティブ・アメリカンのことを教えてるよ。
ただ、割合さらっと流すだけだから批判もあるみたいだね。
それから今ではインディアンという呼び方はしてない。元々の意味が
インドと間違えて先住民をインド人(インディアン)と呼んだことが
理由だから、正確な呼称としてネイティブ・アメリカンとしている。
259 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/03/13(土) 00:53:06
>>254 西欧中心史観批判は共通認識になってきていると思うよ。
白人の移民以降しか描かないとかはさすがにもうないと思う。
先住民の問題は無視しえない。
>>257 何を以て学問的と言うか、じゃなくて
論証の手続きの問題だよ
よっしゃこい
260 :
日本@名無史さん:2010/03/13(土) 01:49:26
>>258 インディアン呼称は今も現役バリバリだよ
261 :
日本@名無史さん:2010/03/13(土) 03:01:50
江戸時代の農民の食べ物は雑穀中心で、
米は年貢用に納めるため、
米は食べられなかったというのは本当でしょうか?
一方、人口構成の8割近くは農民だったと聞きました。
残り2割の人口でそれだけの米を消費できるのかなと疑問に思いました。
貴になって夜も眠れません。
263 :
日本@名無史さん:2010/03/13(土) 20:04:03
>>261 あのねえ、農民ってたって豪農・本百姓から水呑百姓までいろいろいるんでさ
極貧の方は米は食えねえよ
でも米を食えるのが人口の二割という解釈は誤り
現代でも自分が作ったからって自分が生産したものを消費できることとは別問題
銀行の一般行員は億のカネを数えたって自分がもらえるわけじゃなし
気にせず夜はぐっすり寝なさい
よさこい
米が食べられないなら和菓子を食べればいいじゃないの
By マリー・アントワネット
265 :
日本@名無史さん:2010/03/14(日) 01:37:32
ヒロシさんは短文いいかげん決めつけレスで何故、名無しのシンパが多いの?w
266 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/03/14(日) 23:50:53
>>261 年貢の残りは換金用です。
米は最大の商品です。
販路に乗らない米は食べます。砕米・粉米・粃(しいな、未熟で小さい米)など。
売ることができる米はできるだけ売ります。
販売用の完全な粒の米はあまり食べないという意味です。
販売用の米=年貢の品質チェックに合格する米、です。
都市の下層民なども販路に乗った粒の米を購入して食べます。
生産者よりも粒の米を食べたりします。
よっしゃこい
267 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/03/14(日) 23:56:53
米を食べることができた、できなかったで
豊かさの線引きをしようとするのは無理。ナンセンス。江戸時代は。
米ばっかり食べていたわけじゃないからね、実態としては。
よっしゃこい
GHQに公職追放された方々はその期間何して暮らしてたんでしょうか?
>>261 百姓っていうのはその名の通り「いろいろな仕事をしていた人」であって
農業人口は半分ぐらいだったとか網野善彦が言ってた気がする。
270 :
日本@名無史さん:2010/03/15(月) 22:33:39
271 :
261:2010/03/16(火) 02:36:55
今、過去の大河ドラマ『元禄太平記』というものを見ています。
江戸時代に関しては高校日本史レベルの知識しかないため、
時折入るナレーションの意味が不明なことが間々あります。
(総集編でかなり駆け足なこともあり・・・)
右衛門佐局が徳川綱吉の子を身ごもった際、
「将軍の世継ぎ争いは権力争いでもあるだけに、
右衛門佐の懐妊は側用人としての柳沢保明の立場を極めて微妙なものにした」
というナレーションが入るのですが、これはどういった意味であるか
解説いただけますか?
島原の乱収拾に名目上の総大将として派遣されて戦死した板倉重昌ですが、
「右近」という名前を持っていたかどうか、判りませんか?
宇右衛門、主水、内膳正までは記述にありましたが
死刑囚が肺炎で死亡
福岡拘置所は4日、強盗殺人罪などで死刑判決を受け、同拘置所に収容していた朴日光死刑囚(62)が同日朝、肺炎のため死亡したと発表した。
これで確定死刑囚は99人となった。
確定判決によると、朴死刑囚は、かつて内縁関係にあった居酒屋経営の女性=当時(41)=が結婚したことを逆恨みし、平成7年1月、
女性が経営する名古屋市内の居酒屋で女性の首を刃物で刺して殺害。さらに福岡市に逃亡中、乗車したタクシー運転手=同(59)=を包丁で刺殺し、
現金数千円などを奪った。
朴死刑囚は公判で無罪を主張していたが、最高裁は18年11月、死刑を言い渡した1、2審判決を支持、上告を棄却し死刑が確定した。
ttp://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090105/trl0901050039000-n1.htm
275 :
日本@名無史さん:2010/03/16(火) 22:33:19
276 :
日本@名無史さん:2010/03/17(水) 22:10:48
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■
@まず日本人のふりをしながら朝鮮煙幕を炊き付け、それを自ら叩いて
自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)
Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)
Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。
Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。
277 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/03/17(水) 22:16:02
室町あたりから、詩歌の世界で和歌が停滞したらしく見えるのはなぜでしょうか?
279 :
日本@名無史さん:2010/03/18(木) 22:49:46
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html 稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
280 :
日本@名無史さん:2010/03/19(金) 14:49:51
>>272 想像ですが、当時徳川綱吉の後継は、
娘婿紀伊綱教(吉宗の兄)と甲府綱豊(兄の子で後の6代家宣)が争っていたはず。
側近で実力者の柳沢としては、紀伊に肩入れしたいたのに実子誕生となれば、
その構想というか目論見がくるってくるからじゃないでしょうか!?
281 :
日本@名無史さん:2010/03/19(金) 16:37:38
御内人について質問
北条得宗家の家臣だと思い込んでいたが
得宗被官という表現もある
被官は家臣とは同義ではない(例 大内氏と毛利氏の関係)ので混乱しているが
得宗被官と得宗家家臣の関係は?
282 :
日本@名無史さん:2010/03/19(金) 22:35:25
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm 小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
283 :
日本@名無史さん:2010/03/20(土) 00:39:14
博士、日本で木綿が本格的に生産されるようになったのはいつですか?
本によって室町時代後期とか安土桃山時代とか江戸時代前期とか
食い違ったことが書かれていてどれが本当かわかりません!
どれも合ってる
「本格的な生産」の線引きの違いにすぎない
また、地方によっても普及の度合いが違う
285 :
日本@名無史さん:2010/03/20(土) 14:50:42
286 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/03/20(土) 18:01:46
287 :
日本@名無史さん:2010/03/21(日) 03:06:33
中世政治史を知らないと回答するばかせ
288 :
日本@名無史さん:2010/03/21(日) 04:19:00
>>287 歴史学博士と名乗る時点で馬鹿だからなw
289 :
日本@名無史さん:2010/03/21(日) 15:53:38
290 :
日本@名無史さん:2010/03/21(日) 16:15:10
>>289 都合が悪くなるとコピペでごまかすバカセ
291 :
日本@名無史さん:2010/03/22(月) 18:12:34
結
ィ´⌒`ー-、 局
/:::::::::彡彡ルヘ `
/:::::::::/'´゙ `i:::ヘ 女
ノ〃/‐-、 -─、、::::i は
《三ジ ⌒` -=- |::::i キ
}::::`| ∽ /:::/ レ
《::。ヘ ト=ェェ=ィ r|゙i::》 イ
≫ノ人 ` ̄ノ/| | |《 が
r彡《、 `ー'〈^、ノ |≫─、 勝
~ヘ三彡\ | / ヽ ち
\ \\_∧ | | ゚
292 :
日本@名無史さん:2010/03/22(月) 22:29:07
後世、大河ドラマや歴史小説の主人公になりそうな政治家(この20年間くらいの間の政治家)は
誰が思い浮かびますか?
293 :
日本@名無史さん:2010/03/22(月) 22:36:44
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■
@まず日本人のふりをしながら朝鮮煙幕を炊き付け、それを自ら叩いて
自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)
Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)
Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。
Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。
応天門の変の真犯人って誰なんでしょうか
296 :
日本@名無史さん:2010/03/23(火) 15:19:47
御所の火災そのものは当時多かった
応天門も誰かの失火か役人に不満を持つ民の放火だろう
火を放って誰かを失脚させるとか聞いたことがない
よさこい
297 :
日本@名無史さん:2010/03/23(火) 22:42:31
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html 稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
298 :
日本@名無史さん:2010/03/23(火) 22:44:57
ブヨー逃亡
在日チョンが税金を払っていないというのは本当でしょうか?
300 :
日本@名無史さん:2010/03/25(木) 21:46:42
301 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/03/26(金) 23:16:39
302 :
日本@名無史さん:2010/03/27(土) 17:38:41
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■
@まず日本人のふりをしながら朝鮮煙幕を炊き付け、それを自ら叩いて
自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)
Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)
Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。
Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。
303 :
日本@名無史さん:2010/03/28(日) 13:41:50
>303
角栄と吉田茂は「最近20年で」という条件から外れてるから不的確解答だし、
残り3人も、ドキュメント風小説の主人公にはなっても大河ドラマは無理と思う。
大河ドラマや歴史小説の主人公、なら、角栄や吉田茂なら不可能じゃないが、
面識のある人や遺族、近縁者が全員寿命を迎えるより遠い将来じゃないと無理だろうな。
最低でも、あと半世紀ぐらい。
305 :
日本@名無史さん:2010/03/28(日) 16:46:06
「名代・子代」というものについて教えてください。
古墳時代に、大和政権が地方に対する支配を強め、地方豪族の支配下の
農民を大王家に属する「名代・子代」の部とした、という記述が日本史の
教科書にあったのですが、彼らは具体的にはどのような仕事を行った
のでしょうか。何か地方に住んでいてもできる仕事を与えられたのか、
それとも大王家で人手が必要な時に徴発されて都へ集められ、仕事を
与えられてまた地方に帰されたのでしょうか。
(地方にある直轄地である屯倉を田部が耕作した、などの内容は
分かりやすかったのですが、この名代・子代の役割が具体的に
どのようなものであったのかイメージできず困っております)
ksiyoes
307 :
日本@名無史さん:2010/03/28(日) 20:45:35
下地中分の中分線を現地確認したいのですがどこがよいでしょうか?
308 :
日本@名無史さん:2010/03/28(日) 21:43:03
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html 稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
309 :
パンかお米か世界的にどうでしょう:2010/03/29(月) 11:39:07
310 :
日本@名無史さん:2010/03/29(月) 23:10:15
日本建国の中心人物である天皇陛下は古代から神道のトップでした
しかし途中から仏教を(も)庇護するようになり、以降完全に仏教>神道の
イメージです
日本中に神社とお寺がありますが、やはり神社よりもお寺のほうが
庶民の生活に根付いているように感じます
なぜここまで仏教のほうが神道よりも近いイメージになったのでしょうか?
全体としては宗教離れしているが、
仏教の方が冠婚葬祭を握っているから接点が多く残っている。
312 :
日本@名無史さん:2010/03/30(火) 10:07:30
江戸幕府が武家階級には儒教(朱子学)、その他の階級には仏教を
統治に利用したため、明治になって国民国家となった際に仏教はそのまま残った。
檀家制度は廃仏毀釈運動くらいじゃ揺るがないほど強固な存在だったから。
戦後になって国家神道はいくないとなった為、相対的に地位がより高まった。
313 :
日本@名無史さん:2010/03/30(火) 22:51:07
昔は幼名があって、ある程度成長すると(元服とか)名前を改名していましたが、
この風潮がなくなったのはいつ頃からですか?
>>313 これは人口の数%の武士だけですよね。
たぶん乳幼児死亡率がものすごく高かったので、最初適当につけておいて
無事育ったらちゃんとした名前をつけようということなのかな。
従って、武士階級が無くなった明治維新からだと推測します。
315 :
日本@名無史さん:2010/03/31(水) 23:04:17
中国が隋や唐、元、明、清、中華民国などと国号を変える中、
日本という国号が変わらずに来れたというのは天皇家が滅びなかったから、
という学説はかなり信憑性が高いと考えていいですか?
316 :
日本@名無史さん:2010/04/02(金) 00:57:05
博士は「テメオコ」リスナーですか?
317 :
日本@名無史さん:2010/04/02(金) 14:12:09
日本人はモンゴロイドですか?
博士はモンゴロイドですか?
319 :
日本@名無史さん:2010/04/02(金) 19:46:17
だんだん質問内容のレベルが低くなってきたね!
320 :
日本@名無史さん:2010/04/02(金) 21:30:41
日本人はヒトですか?
321 :
日本@名無史さん:2010/04/02(金) 21:32:37
博士はヒトですか?
322 :
日本@名無史さん:2010/04/06(火) 05:38:00
以前、戦国漫画(多分、花の慶次)で
両手に蟹スプーンみたいな物を付けて戦っている武士がいましたが
そんな武器は実在しますか?
324 :
日本@名無史さん:2010/04/07(水) 01:03:11
博士の人生
1975年 生まれる
1993年 偏差値40大学文学部入学
1997年 偏差値40大学文学部卒業(卒論は「北条高時の好きな体位は何か」
就職活動全滅のため偏差値40大学文学研究科に入学
1999年 文学修士号取得(修論は「北条高時はいつ童貞を捨てたか)
そのまま同大学院文学研究科の博士課程に入る
2000年 学術雑誌に「北条高時は巨根か否か」を出すもボツ
2001年 学術雑誌に「北条得宗家に伝わる体位分析論」を出すもボツ
2002年 『とばずがたり』の書評を学術雑誌に出すもボツ(この頃から2chデビュー)
2003年 このころ、歴史学博士と自称して日本史板にスレ立て?
学術雑誌に「権門ごとにみるオナニーの違い」を出すもボツ
コンビニで売られてるエロ歴史漫画本に掲載される
2005年 指導教授のお情けで「中世鎌倉の恋愛文化」(元々のタイトルは「中世鎌倉の肛門分析論」だったが指導教授が強制改正)が紀要に掲載
博士課程単位取得満期退学
2007年 「足利尊氏・北条高時・長崎高資の愛の三角関係」を博士論文として出すもボツ
2008年 2ch大学でひろゆき総長から文学博士号を授与された夢を見る
この頃から刺身にタンポポを載せるアルバイト開始
2010年 今に至る(独身童貞35歳 アルバイト)
325 :
日本@名無史さん:2010/04/08(木) 15:03:13
326 :
日本@名無史さん:2010/04/08(木) 15:58:57
327 :
か:2010/04/09(金) 08:05:51
博士に質問があります。奥州平泉藤原三代のミイラですが日本では特異な風習、文化だと思いますが南方の外国文化が東北に入って来ていたと見るべきですか?それとも東北土着には元々あった文化でしょうか?宜しくお願い致します。
博士ではありませんが
昔の仏教では、そういうミイラ化=即身仏、普通にやっていたようです。
京都でも東北でも。
ひょっとすると明治以降もあるのかも。
329 :
か:2010/04/09(金) 19:46:39
>>328 なるほどありがとうございます。密教系の影響なのかな。
山口組の起源は神戸港の港湾労働者の労働組合って説と港湾労働者の手配師って説がありますが、
どちらが正しいのでしょうか?
そうなんだ、後者しか聞いたことないな。
332 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/04/11(日) 00:06:53
333 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/04/11(日) 00:22:32
日本でいう即身成仏は極めて日本的なもので密教とは何の関係もない。
最後の即身成仏は明治14(1881)年。
よっしゃこい
伊達政宗もミイラ葬だったようです。
335 :
かな:2010/04/11(日) 01:59:13
>>333 >>334 なるほど有り難う御座いました。
しかし仏教でも空海などは輪廻を唱えてるけど、一向宗は死ねば極楽浄土。一見矛盾する様に思いますがミイラはどちらの仏教に関わり深いのでしょうか?浅はかですみませんが宜しくお願いします。
336 :
日本@名無史さん:2010/04/11(日) 02:20:10
狩野派の女流絵師で、巫女だった人と言えば誰でしょうか?
337 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/04/11(日) 02:47:23
>>335 真言宗・天台宗・禅宗でいう即身成仏は最高の悟りを開くという観念的なもの。
+
日本古来からある「現人神」という観念=人に神が憑依すれば生きたまま神になる、みたいな感じ。
+
修験道でいう即身成仏は、厳しい修行で仏を人に憑依させて生きたまま仏になる、みたいな感じ。
↓
その仏力を死後にも継続させる=即身仏(ミイラ)、みたいな感じ。
空海だけじゃなくて、本来の仏教は輪廻転生だよ
よっしゃこい
質問
なぜ、ヤマト王権は強かったんですか?
出雲や吉備や丹後ではなく、なぜ大和が日本を統一できたの?
339 :
日本@名無史さん:2010/04/11(日) 07:13:28
age
340 :
日本@名無史さん:2010/04/11(日) 09:44:09
>>337 >空海だけじゃなくて、本来の仏教は輪廻転生だよ
ここは違うと思いますが。
原始仏教では既成のインドの宗教観(輪廻転生)を否定して悟りを開くことを
最高の教えとしていたはずです。大乗仏教の場合、それでは民衆を救えないとして
本来は排除した輪廻転生を受けいれてしまったという理解が正しいと思います。
仏教の母国で仏教が流行らなかったのは、ヒンズー教なら現世で奴隷でも来世は天国だからであり、仏教は来世は何になるか解らないから拒否されたと聴いた時あるけどどうなんだろう。
342 :
日本@名無史さん:2010/04/11(日) 11:51:47
仏陀は来世という概念を否定してしまったのですよ。
仏教には四苦という人間が恐れる存在を前提にしていますが、
来世がないから苦しまなくていいんです。
343 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/04/11(日) 13:08:26
>>340>>342 別に空海のオリジナルじゃないという意味だよ
果てしなく繰り返される輪廻転生を苦の世界と捉えて、
それを超越することを「解脱」、
解脱の境地を「涅槃」という云々。
輪廻転生を前提としているでしょ
>>341 他宗教の弾圧に完敗したから。インドで栄えたこともあり。
よっしゃこい
344 :
日本@名無史さん:2010/04/11(日) 13:40:32
345 :
日本@名無史さん:2010/04/11(日) 13:45:05
どなたか、
>>338 にも答えてやってください。お願いします。
346 :
日本@名無史さん:2010/04/11(日) 14:49:44
↑ググレカス
347 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/04/11(日) 23:29:50
348 :
日本@名無史さん:2010/04/12(月) 00:04:55
↑
笑た
349 :
日本@名無史さん:2010/04/12(月) 02:37:12
「話せばわかる」
「板垣死すとも自由は死なず」
「朕は国家なり」
など、昔の偉人の言葉が残っていますが、
最近の政治家やスターの言葉で
後世に残るようなものはありますか?
例えば、
「聖域なき構造改革を断行する」
「日本列島は日本国民だけのものじゃない」
「チョー気持ちいい」
などなど
351 :
日本@名無史さん:2010/04/13(火) 00:07:34
「自衛隊は合憲である」
352 :
日本@名無史さん:2010/04/13(火) 00:53:52
もののけ姫の舞台は日本の歴史のいつ頃ですか。また、その時代の文化の考証がおかしい点等も合わせて教えてください。
353 :
日本@名無史さん:2010/04/13(火) 01:14:52
法制史と分国法について、お勧めの本を教えて下さい
354 :
日本@名無史さん:2010/04/13(火) 01:52:11
吉村寅太郎の最後は、 降伏したが切腹を許されず射殺されたとか、
もはやこれまでと切り込んで射殺されたとか、
辞世の句は、その場所で怒鳴った文句だとか
いろいろ言われているんですが、何が真実か教えて下さい。
あと血染めの襦袢は、 射殺された時に着ていたものなんですか?
長文すみません
355 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/04/13(火) 03:06:23
歴史学者が習得しておくべき外国語は何でしょうか?
日本の昔の大学人は英独仏を読めなければならなかったようですが、今はどうですか?
357 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/04/13(火) 21:39:23
>>356 英語
あとは専攻分野による
よっしゃこい
358 :
るん:2010/04/13(火) 22:09:19
質問してもいいですか?
あの、遣隋使の小野妹子に従って行った高向玄理の冠位って「大錦上」と教えられたのですが、
聖徳太子が制定した冠位十二階には「大錦上」とは書いていないんです。
冠位十二階でいうと、「大錦上」はどれくらいの位置にありますか?
教えて下さい、お願いします。
359 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/04/13(火) 22:25:01
>>358 まずググろう
冠位二十六階の七番目だよ
よっしゃこい
360 :
日本@名無史さん:2010/04/13(火) 22:48:38
361 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/04/13(火) 22:52:52
>>360 漫画の該当巻数とページ書かないと確認のしようがない。
漫画は図書館に置いてないし、ほとんどの本屋ではビニールに入っていて立ち読みできない。
よっしゃこい
362 :
日本@名無史さん:2010/04/14(水) 01:44:22
>>357 歴史学界で需要のある言語を、専攻分野ごとに列挙していただけますか?
17条の憲法や武家諸法度、禁中並に公家諸法度などは憲法扱いされないのですか?
なぜ?
『慶安のお触書』は現代の民法みたいなもんですか?
歴史の教科書は毎年変るんだよね?
俺みたいにとっくに卒業した者は間違った歴史まま今のガキに馬鹿にされてしまうのか?
自動車免許更新講習みたいに「歴史が変りました。今度はこれを憶えましょう。」は無理なのか・・。
368 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/04/15(木) 01:10:22
>>362 知らない
>>363 対外関係史ならその関係先の言語、など
>>364 質問の意味がわからない
>>365 慶安のお触書および幕政改革は実在しないよ
>>366 大きな本屋なら教科書自体も売ってるよ。800円弱。変な読み物買うよりお勧め。
>>367の本もたくさん置いてある。教科書を一般向けにごにょごにょしたやつ。
>>368 日本の最初の憲法は「大日本帝国憲法」という事になっているので、
17条憲法や武家諸法度は憲法扱いされてないのかなってこと
>>365 >>慶安のお触書および幕政改革は実在しないよ
説明して
>>364 > などは憲法扱いされないのですか?
> なぜ?
法学系の板できいた方がいいんじゃないかな。
"Constitution" なんかの訳語として、「憲法」が選ばれただけのことで、
中身が今「憲法」と呼ばれてるもの
(国の統治のあり方を決め、下位の法を拘束する、みたいなとこ?)
とは違うからでしょう。あ、近代憲法なんて言い方もありますね。
371 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/04/15(木) 02:38:13
>>369 けん‐ぽう【憲法】
1)おきて。基本となるきまり。国法。
2)(constitution) 国家存立の基本的条件を定めた根本法。
国の統治権、根本的な機関、作用の大原則を定めた基礎法で、
通常他の法律・命令を以て変更することを許さない国の最高法規
とされる。
2の方だとすると、17条も武家諸法度も該当しないよ。最高法規じゃないもの。
前近代は法治国家ですらないし。
続く
372 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/04/15(木) 02:44:36
>>369 慶安御触書【けいあんのおふれがき】
1649(慶安2)2月に江戸幕府が公布したといわれる農村法令。
原題は「諸国郷村江被仰出おおせいださる」。32か条。〈公儀〉
法度の遵守,年貢皆済,農民生活の規制が定められている。この
法令は,これまで幕府の小農民維持策の中心的法令とされてき
たが,49年のものか,また幕府の手で出されたものかについて,
近年疑義が出されている。
で、1649年でもないし、幕府が出したわけでもない、となっているのよ。
詳しくはググってよ。
触書を前提に展開されていた慶安の幕政改革なるものも全部否定されてしまったのよ。
佐々木潤之介が主張していたんだけど。
よっしゃこい
373 :
日本@名無史さん:2010/04/15(木) 22:23:49
日本列島に日本が建国されて以降、千数百年間変わらず国号が日本のままであるというのは
やはり建国者(の中心人物)である天皇家が代々続いてきたからなんですか?
もしも平清盛や源頼朝、織田信長たちが時の天皇を滅ぼして日本の新しいトップに
君臨していたら、そこで一旦日本が終わり、新しい国として出発したということでしょうか?
日本が千数百年間日本のままである間、中国やヨーロッパ諸国は何度となく国号を変更しているので、
すごく気になります。
誰かこの辺のことを詳しく説明してください
中も欧も国境自体が大幅に動いていたり、併合、分裂もしょっちゅうで、
そのたびに新しい別の国が出来たという感じ。
日本は平安時代以降、国境は変わっていない。
375 :
日本@名無史さん:2010/04/15(木) 23:31:48
明治〜終戦までを大日本帝国と呼ぶ言い方もあるけど、対外的な国名というか、
正式な国名は一貫して日本でOK?
376 :
日本@名無史さん:2010/04/15(木) 23:32:27
藤原氏はなぜ藤原という姓を名乗らなくなったの?
いっぱい居てややこしいから
378 :
日本@名無史さん:2010/04/16(金) 06:56:01
名乗らなくなったの?
改名したのか?
379 :
日本@名無史さん:2010/04/16(金) 07:19:11
藤原氏については色々ぐぐったのですが、姓についてはほとんどないんですよね(´ω`)
地方に土着したならわかるんですが・・・鎌倉幕府成立以降はほとんど藤原氏という姓は表に出ませんね。
380 :
日本@名無史さん:2010/04/16(金) 11:41:32
>改名したのか?
改名した。現在の名字で伊藤や加藤など後ろに「籐」の付く名字は
藤原氏の子孫であるケースの可能性がある。(後藤や近藤なども)
変わったのは鎌倉時代の五摂家くらいから。
381 :
日本@名無史さん:2010/04/16(金) 17:15:26
藤原は「氏(うじ)」です。
九条や近衛は「苗字(みょうじ)」で、通称や屋号のような物です。
藤原を改名して九条や近衛と名乗ったわけではありません。
九条を名乗った後も、九条家の「氏」は藤原のままであり、それは加藤や佐藤でも同じです。
日常では苗字を使う方が便利なので、氏を使うことが減りました。
公式の場や文書などでは江戸時代まで使われてます。
韓国の姓は、数が少ないらしいですが、
氏に近いのでしょうか。
金、李、盧、胡、毛、
って中国と同じなんかな
384 :
日本@名無史さん:2010/04/17(土) 16:44:25
歴史検定試験の1級日本史はかなり難しいですか?
山川の教科書は用意しました。
まんが日本の歴史レベルなので楽勝。
386 :
日本@名無史さん:2010/04/18(日) 11:53:14
>>375 >明治〜終戦までを大日本帝国と呼ぶ言い方もあるけど、対外的な国名というか、
>正式な国名は一貫して日本でOK?
博士じゃないけど、明治以降1935年までは対外公文書は明確な基準が無くて
日本帝國や大日本國、大日本帝國などバラバラ。帝国憲法も「the Empire of Japan」。
1935年の帝国議会の審議を経て外務省でも外交文書上の国号を「大日本帝國」に
統一。英文では「Great Japanese Empire」。
388 :
日本@名無史さん:2010/04/18(日) 16:32:38
憲法上の「大日本帝国」が対外的な国名として長く確定してなかったって、
ずいぶんアバウトというかいい加減というか。
389 :
日本@名無史さん:2010/04/18(日) 17:39:50
第一、「帝国」って英語でなんて言うの?イギリスを大英帝国なんて今は言わないし。大韓帝国と現韓国も英訳は変わらないのでは?解りませんので強者の博士様々、宜しく御願いします。
685 名前:U-名無しさん@実況はサッカーch[sage] 投稿日:2010/04/19(月) 20:27:06 ID:mH5vcFuI0 [7/7]
726 名前:本屋 ◆JuldhLqJR6 [sage] 投稿日:10/04/19(月) 20:17 ID:S1Oj96Ys [2/2]
サカダイ
・特集「戦国武将×J1監督(歴史家 加来耕三が解説)」
J1全18人の指揮官を戦国武将にタイプ分類
小林伸二…伊達政宗 オリヴェイラ…武田信玄 チャン・ウェリョン…長宗我部元親
フィンケ…毛利元就 黒崎久志…朝倉義景 城福浩…大友宗麟 木村和司…上杉謙信
高畑勉…柴田勝家 反町康治…明智光秀 長谷川健太…小早川隆景 柳下正明…浅井長政
ピクシー…織田信長 加藤久…上杉謙信 西野明…蒲生氏郷 クルピ…柴田勝家
三浦俊也…最上義光 ペトロヴィッチ…竹中半兵衛
各武将の解説くれませんか
391 :
日本@名無史さん:2010/04/20(火) 22:30:45
博士は「テメオコ」リスナーとの事ですが、好きなコーナーは何ですか?
392 :
日本@名無史さん:2010/04/20(火) 22:50:17
、....,,_
、-‐'" __ ヽー- 、}ヽ
,/´/ / , _,. _/ ノ レi
_,// / /{ i ー' ノ
/ // / / .i l l! ー<
/ / //!/ ヽ ヾ l 〉ヾ,
!/! イ ‐::::::;;;;;;;八;;;;;;;::‐ヾ、 }
|」l ! 。ー-- ;; :; --−。 l /
f r| !| ゚ o ´ ノ ::、 ` o | l/
.l ヾハ o /( ,=、_,=、)ヽ, l/l! 俺の家系図は正しいんか!?
\ _j /_,, -―-ー-、_ l l /
l l | トエエエエエエイ l ./´
`ト、 l Vェェェェェェェソ //┐
l \`ー‐---‐‐' / 」、 _ ,,.
「ヾ、_ヽ、___ノ_/ r―-- `ゝ
l イ /  ̄ ̄ ヽ
!_ _,.. i | / ヽ
/ !.| ,/
織田信成が織田信長の子孫って本当?【2代目】
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1271421161
393 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/04/21(水) 21:17:45
394 :
日本@名無史さん:2010/04/21(水) 21:20:21
長谷川健太うんこっこ
よっしゃこい
よほど学校嫌いだった奴でも、おぼえているであろう、645年、大化の改新。
あれの、班田収受だの口分田だの、どの程度のものだったのか気になってました。
国中の農地と戸籍をきっちり管理するには、
かなりの事務員さん的パワーが必要だったはず。
地域地域の有力者みたいなのに丸投げだったとしても、
バカにならない事務作業量に思えます。
「オレ、このたんぼより、あっちのたんぼがいい」とか言うやつも出てきそうです、
有無を言わさぬ権力行使みたいなのも必要だったでしょう。
通説はどんなかんじですか?
396 :
日本@名無史さん:2010/04/22(木) 10:50:12
山川の教科書を精読すれば、日本史は完璧ですか?
397 :
日本@名無史さん:2010/04/22(木) 11:38:57
遣唐使の航路について質問させてください。
当初は北路が取られていたが、676年に朝鮮半島を統一した新羅と
日本との関係が悪化したため、以降は南島路・南路がとられた
という記述が教科書などに載っています。しかし同時に新羅との
間には新羅使・遣新羅使が送られていて国交があったということ
も書かれています。新羅と国交があったにも関わらず、新羅との
関係が悪化して遣唐使が北路を取ることができなかったという
のがよく理解できないのですが、このことについてご存知の方が
いらっしゃいましたらご教授願えませんでしょうか。
大坂夏の陣で城下の人々が被災したり奴隷狩りにあったりと大変な目に遭っている記述を見かけますが、
突然の出来事ならともかくとして、事前に予測出来たのに避難とかは何故しなかったのでしょうか?
399 :
日本@名無史さん:2010/04/22(木) 23:58:22
博士は「テメオコ」リスナーで好きなコーナーが無いとの事ですが、
RGの「歌舞伎あるある」、「ガンズあるある」にはどういう感想をおもちですか?
>397
日本の遣唐使には、唐と親密になることで新羅を牽制する意図があり、そんな使節団を新羅がおいそれと通すわけがありません。
仮に日新の関係が良好であっても、新羅は日本の遣唐使を快く思わないでしょうし、関係が不良ならばなおさらです。
当時の新羅、唐の関係は、朝貢こそしてるものの、後年の李朝と明・清ほどに親密ではなく、唐と新羅が対立する可能性も十分ありました。
そして、大陸や半島で新羅が対立した国は、ほぼ確実に日本と同盟を結んでいます。
高句麗、百済が消滅した状況で、もし唐と日本が手を組めば、それは新羅の孤立化を意味します。
新羅にしてみれば、日本の遣唐使はなんとしてでも阻止したい代物でしかありませんでした。
日本もそれをわかって派遣してますので、朝鮮半島沿いに遣唐使は出せないのです。
>398
夏の陣は、前哨戦はともかく、本戦は5月6日から7日の二日間で決着がついており、かなりの急展開です。
戦争が近いことくらいは察知できても、その後の展開まで予見できるものではありません。
それが出来たのは、戦争の当事者くらいなものでしょう。
401 :
397:2010/04/23(金) 09:23:22
>>400 教えて頂いてありがとうございます。
私が調べた資料の中にも確かに、当時の大陸では唐の脅威に
さらされている新羅・渤海が警戒感を持ちながら外交関係を
慎重に築いていたという記述がありましたので、教えて頂いた
内容がよく理解でき、これまでの疑問が解決しました。
感謝いたします。どうもありがとうございました。
>>398 どうもありがとうございます。良く考えれば当時はテレビも新聞もネットもないから情報収集が大変ですよね:(;゙゚'ω゚'):
403 :
日本@名無史さん:2010/04/24(土) 21:49:54
質問です。
戦国時代にポルトガルからやってきた宣教師たちは
何の目的で布教活動してたのですか?
そしてどうして当時の日本人が
キリスト教に改宗したのですか?
仏教や神道は人気が無かったのですか?
>>403 今の新興宗教の勧誘と同じ
貧しい人たちを、同情や新しい物と情報で釣った。
同じころメキシコでは、改宗しない何十万人ものマヤ人を虐殺していた。
一般的に皇族(親王)は将軍より上の立場ですよね?
鎌倉中期以降、親王が将軍として鎌倉に派遣されたらしいけど、
わざわざ格下の存在になったの?
それとも、親王+将軍>親王ってこと?
406 :
はかせ:2010/04/25(日) 18:22:41
407 :
日本@名無史さん:2010/04/25(日) 21:28:18
>>405 建前と本音の使い分けという見方も出来る。
建前上は鎌倉の幕府よりも京の朝廷のほうが上位だが、日本を実効支配していたのは鎌倉幕府。
鎌倉幕府(実質的には北条氏)の要請で名前だけの将軍として召致した。
別の見方も可能。
京の朝廷と、鎌倉幕府の二つの統治機構が並立していたという見方。
この場合も名目上は京の朝廷の方が上位だが、実質は鎌倉の方が上。
408 :
日本@名無史さん:2010/04/26(月) 09:33:56
日本史全体を知るには山川の教科書1冊で充分ですか?
409 :
日本@名無史さん:2010/04/26(月) 17:38:17
>>408 どの程度まで知りたいかによる。
とことん知りたければ、どんなにたくさん資料を集めたとしても、これで充分ということはない。
test
411 :
日本@名無史さん:2010/04/27(火) 16:30:43
幕末に列強と貿易を開始
生糸、茶を輸出し安い綿を輸入し国内の物資の供給が逼迫し物価が上がったと説明されていますが
何故、生糸、茶だけでなく米を初めとしてあらゆる物価が上がって大混乱、打ち壊しが多発したのですか?
生糸の値段だけが上がるのが道理ではないですか?
>>405 態々格下にさせられたというべきでしょうか。
でもこれは、王族が大臣や政府内の役職を持っているに過ぎないこと。
世界的に見てもごく普通のことです。
六代宗尊親王は大したポジションの方ではなかったし、
当時専横していた九条家を潰すため、朝廷・幕府のパイプの中央たる将軍に据え置くには
一番いい人選でした。
七代惟康親王は初め親王ですらなく、将軍になった後に源姓を下賜され陞階していった方。
逆に、解任させるために親王宣下させられ(品を上げられ)る有様。
幕末の志士とか遊郭行きまくりですが、稼ぎが多かったのですか?
それとも料金が安かったんでしょうか
414 :
日本@名無史さん:2010/04/28(水) 20:25:47
出久根達郎の「織田信長はネコだった」説(もちろん男色関係で)は
どういう根拠に基づいてるのでしょうか?
415 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/04/28(水) 22:33:23
>>411 例えば江戸は、大坂に集めた物資を江戸に送って需要を満たしていた。
領主的な政策で。
開港によって、新たな需要が全国各地に生まれて、
大坂に集める、江戸に送る、の両面で綻びが生じたから。
全国の城下町では、このような江戸と同じような領主的な政策で需要を維持していたから、
同じような綻びが生じた。
みたいな説明じゃなかったかな
よっしゃこい
416 :
日本@名無史さん:2010/04/28(水) 23:37:12
>>396 >>408 日本史全体を概括的に勉強したい方は、山川の教科書がいいと思います。
ただ、こういう教科書は広く浅くですから、専門的記載は少ないです。
例えば中世(近世なら近世)を、もう少し専門的に勉強してみたい人には、
ちょっと不満足です。
自分の興味のある時代(例えば戦国時代)を、
専門的に扱った書籍で勉強するとよいでしょう。
>>414 あの人、基本的に古本屋のオヤジでしょう。
基本的に学者じゃないので、明治大正あたりの
通俗本からネタ拾ってきたのではないですか。
出典が明記されているのなら、論拠とした
本を上げないとなんともいえません。
いずれにせよ、信長公記などではそういう記述は
ありません。
地理的に細かい話ですが
火焔土器は中部地方とかあたりでよく出土していますけど
大阪の高槻市の淀川沿いの河原で火焔土器が落ちてました
上部と腕の部分が欠けていたのですが7割程度原型のままです
本物なんですがこれは凄い発見ですか?
あたりに縄文時代の遺跡はないので上流から流れてきたのかも知れないですが
この近辺で火焔土器は見つかってますか?
その土器は日本史の先生が嬉しそうに個人で保管して見せびらかしていました
私も欲しかったので河原を探索して土器片をいくつか見つけました。
感想とかを教えてください
なんで大阪に普通に火焔土器が落ちているのでしょう?
421 :
日本@名無史さん:2010/04/29(木) 18:02:57
庄屋・豪農・村長 の違いについて教えて下さい。
また、先日知人が「農村における庄屋と漁村における網元は同じようなものだ」
と言っていたのですが、そうなのですか?
422 :
日本@名無史さん:2010/04/29(木) 18:16:59
庄屋や村長は役職。
(庄屋は明治以前の村のトップで、村長は近代以降の村のトップ)
豪農というのは、経済力や社会的ステイタスによる農民としてのランク。
庄屋は豪農・地主であることが多いから、漁村での網元に相当するが、
畿内の経済的先進地帯だと小農経営が多かったので、普通の自作農レベルの者が、
入れ札とかで庄屋になってたケースもある。
423 :
日本@名無史さん:2010/04/29(木) 19:22:12
南紀派という派閥は存在しないって
本当ですか?
424 :
日本@名無史さん:2010/04/29(木) 23:03:57
つかぬことをお伺いいたしますが、もし、日本が日米安保条約を破棄した場合、
アメリカが沖縄返還協定を破棄し、沖縄を事実状占領するということはできるでしょうか?
425 :
日本@名無史さん:2010/04/29(木) 23:40:50
426 :
421:2010/04/30(金) 00:50:33
428 :
日本@名無史さん:2010/04/30(金) 07:49:27
それはない。
安保条約はタテマエ上は対等な主権国家同士の五分の取り決めだから、
どっちか一方がもうやめるって言ったら、すぐ解消できる。
沖縄返還協定はそれとは別の条約だから、直接関係ない。
429 :
日本@名無史さん:2010/04/30(金) 10:25:44
確かに安保が解消されたからといって、沖縄返還協定も自動的に解消されるわけではないが、
アメリカがコン畜生とおもって、または、アメリカの防衛上どうしても必要ということで沖縄を再びアメリカの占領下におくということはかんがえられないでしょうか。
431 :
日本@名無史さん:2010/04/30(金) 10:52:39
ありがとうございます。そちらで聞いてみます。
432 :
日本@名無史さん:2010/04/30(金) 12:36:51
仁徳天皇は戦争には強かったのですか?
>>432 戦争に強かったかどうか以前に、仁徳天皇ってのは、実在したかどうかもはっきりしてない。
434 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/04/30(金) 22:48:20
435 :
日本@名無史さん:2010/05/01(土) 00:39:28
>>434 井上勲教授の論文読んだことないの?
南紀派という派閥は存在しないんだよ
その教授の脳内ではそうなんだろう。人に強要するなよw門下生かいw?
素朴な疑問
「音読み」は音読みだが、
「訓読み」は訓読みではない。
どうしてこうなった?
438 :
日本@名無史さん:2010/05/01(土) 16:13:42
大名というと、=藩主というイメージがありますが
藩主でない大名というのはいたのでしょうか?
そもそも、江戸時代に「大名」は何人、「藩」は幾つあったのですか?
439 :
日本@名無史さん:2010/05/01(土) 16:52:33
同じ地域・またはとても近い地域で、名字と家紋が同じ人たちのグループ(?)がある場合、祖先を遡れば親戚関係になったりするんでしょうか?
全国的にはマイナーであまり真似をしそうにないような名字という仮定で、お願いします。
440 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/01(土) 18:43:26
>>438 藩【はん】
近世の大名領の呼称で,明治初期に政府の地域行政区分の
一つとなった。藩とは本来,まがき・まもり等を意味し,中国周代
天子が諸国に諸侯を配したものが藩屏・藩翰とよばれ,この
政治制度を_封建制といった。近世の儒者には幕藩制を中国
の封建制にみたて,大名を諸侯,その領地・組織を藩とよぶもの
があり,新井白石は「_藩翰譜」を編纂している。藩を用いた熟語
(藩士・_藩制等)もみられたが公称とはならなかった。1868
(明治1)維新政府は旧幕府領を府・県,元将軍家を含む大名領
を藩と公称した。数は変動するが1865(慶応1)で266藩。
よっしゃこい
441 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/01(土) 18:49:25
>>437 意味が分からない。
>>439 ならない。
庶民の家の成立は17世紀後半〜18世紀前半だが、
同一地域に同一名字の家が多数あるという状態で出発する。
近隣の村で庄屋の名字が同じなんだけど、昔のことはよく分からない的な感じ。
遡ってもひとつの家にまとまるわけではない。
よっしゃこい
小沢一郎も後世では「平清盛」クラスのビックネームとして残るんでしょうか?
ずばり、小沢一郎と小泉純一郎はどっちがビックネームとして残りますか?
443 :
日本@名無史さん:2010/05/01(土) 23:15:48
近代の政治家で平清盛級のビッグネームとして残るのは、
明治で西郷隆盛、伊藤博文、昭和で吉田茂くらいだろう。
小沢も小泉も所詮は平時の政治家だし、
小泉改革や民主党への政権交代も、いま現在の人間には大事件でも、
数百年単位で見たら特筆するような事件ではない。
小泉は中曽根、小沢は田中角栄の二番煎じにすぎない。
444 :
日本@名無史さん:2010/05/01(土) 23:17:28
博士は「テメオコ」リスナーで好きなコーナーが無いとの事ですが、
RGの「歌舞伎あるある」、「ガンズあるある」にはどういう感想をおもちですか?
>>443 小泉が政権に就いた頃はバブル後の不況期だったし、
失業率も酷かったし、大企業の不良債権も酷かった
賛否はあるものの、小泉はそれを改革によって改善し、
実感なき好景気と言われるまでにした
さらに首相として北朝鮮に初めて行き、拉致問題を前進
させたのは特筆もの
やった功績としては小泉>小沢は間違いないでしょう
ただこの先、小沢が中心となって外国人参政権などを
推し進め、日本と言う国柄を変質させるなら、
賛否の問題でなく小沢も大きく名を残すでしょうね
小泉改革は享保の改革はともかく、寛政の改革や天保の改革よりは
大きく日本史に残るんじゃねーの?
結果的に日本の労働条件や雇用制度を大きく変えたわけだし、
賛否両論あるがやった事は大きなことだからね
447 :
日本@名無史さん:2010/05/02(日) 00:08:36
現代人は、どうしてもいま現在の事件や人物を過大に評価してしまうが、
いまの日本は幕末維新期や昭和戦前〜太平洋戦争当時に比べたら、
ずっと安定した平時であって、江戸時代のまっただ中のようなもの。
小沢なんて平清盛に比べたらチンケな存在で、師匠の角栄、竹下、金丸の
劣化バージョンでしかない。
小沢も小泉も平清盛クラスの超有名人として歴史に残るとは考えられない。
小泉は思想や政策の面から80年代の中曽根とひとからげにされるだろうし、
小沢なんて、明治以降いくらでもいた単なる腐敗した政治ボスの一人として、
後世の一般人には記憶にもとどめられないだろう。
>>447に同意
小沢の如きを平清盛に例えたら噴飯ものwww
江戸時代なら、杉本茂十郎とか鈴木藤吉郎クラス
みんな知らないでしょ?
歴史上の評価にしたらそんなもんw
後世、今上陛下は歴代天皇と比べてどれくらいの感じで残りますか?
比較的最近だと、
昭和帝>明治帝>今上帝>大正帝>孝明帝て感じですか?
天保の改革は天保大飢饉とそれによる打ち壊しなどの社会村乱、大塩平八郎の乱などの内乱、
モリソン号事件などの対外紛争といった諸事情の上で行われた改革。
到底、小泉改革というレベルの時勢では比較にならない。現代で言えば、70年代の
安保闘争や学生運動、90年代のバブル崩壊、平成不況などを合わせたくらいの社会不安が
あったのが天保の改革が行われた時代。
今の天皇は昭和天皇の後始末をした人物として後の世に語られる人だと思う。
この人は天皇になってからより皇太子時代の皇室の大衆化に寄与してるね。
ヤマタイ国の件ですが北九州説、畿内説、正直客観的に見てどちらが優勢ですか?
素人的には北九州説は失笑されているように思うのですがどういう感じですか?
あと坂本龍馬は世間が持ち上げすぎている気がするので評価を教えてください
要するに薩長同盟の意義ということになると思うのですが
歴代天皇なら
昭和天皇、明治天皇、推古天皇、天智天皇、桓武天皇、後醍醐天皇あたりは別格っぽい
昭和天皇は戦争時の天皇だったし、
現人神→象徴、軍服→背広、などと変遷を遂げたし、
在位64年という歴代最長だったこともあるしで、
やはり別格だろう
いや、史学的に言えば天皇号を初めて使用した天武が別格だろう。
薩長同盟って今なら自民党と共産党をくっつけるくらいの難題なのかな
自民や共産の議員がそれぞれの党利党略の話をしとったら、
「党の話なんかどーでもいいんじゃ、日本をどうするかじゃ!」って一喝
そういうことだろ?
大王から天皇に変えたんだって?
神武天皇、仁徳天皇も強いぞ
神武、仁徳は伝説。歴史じゃないぜ。
昭和天皇は歴史に名を残すだろうな。
最低最悪の天皇として。
坂本竜馬がいなかったら、明治維新ひいてはその後の歴史が大きく変わっていた可能性は否定できない。
彼の功績は薩長同盟だけじゃないからね。
維新政権のコンセプトを描いたのも竜馬と言っていい。
>>449 恐れながら
100年後の教科書だと、1行以上の記事が載るのは明治帝と昭和帝だけだろうな
仁徳天皇の軍隊は強いと思う。河内では無敵。
463 :
日本@名無史さん:2010/05/02(日) 18:44:30
ここって質問の言葉検索してどこかのHPの
適当に文章変えて書けば成り立つのでは?
それでもわからないのは無視するだけ
464 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/03(月) 00:50:32
>>442 残らない。どちらも残らない。
>>444 プロレスファンとしては、RGがどうしても好きになれない。
>>449 即位したときから象徴なんだから残らんよ
>>463 歴史学上の疑問がぐぐって解決すると思ってるの?
よっしゃこい
465 :
日本@名無史さん:2010/05/03(月) 02:31:24
崇神天皇以降の天皇で、ほぼ間違いなく実在したと考えられるのは
どのあたりからなのでしょうか?
静岡大教授・小和田哲男の説では、応神あたりから実在すると考えられるが
その応神と、次の仁徳が同一人物の可能性もある、となっていますが…
それに、所謂仁徳天皇陵ですが、ここに仁徳本人は眠ってはいないと
良く聞きます。だとしたらいったい誰の墓なのでしょうか?
>>465 それを確かめるためには、発掘調査が必要なんだがな。
宮内庁が許可せんのよ。
宮内庁が学問を妨げてる現実。
467 :
日本@名無史さん:2010/05/03(月) 08:54:25
_,,,,,,,,
, - ' ゙ `` ‐ 、_,,,,,
,r' /=ミ
/ 彡ll',''´
. / 彡lll
!-- .、 ,、、、、,,, 彡lノ
l,,,,,__ / ___ 'r''゙ヽ
. |`゙'' ./ `'゙'''" .〉,l |
|. ,' // 近代に先祖が4代も不明なら、信成よ、おまえはワシの末裔じゃないだろう
. ',. ,' , r'
. ゙, ゙'ー ‐` l |
゙、''゙ ,,、二''‐ ノ l、
''''''''7'ヽ ''' / /`〉`゙T''''''''''
l ` 、,,,,、- ' " / /.| | 織田信成が織田信長の子孫って本当?【2代目】
. | | .l i / ./ | |
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1271421161/ | | | l / ./ .| |
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| | | ', / / l .l
468 :
日本@名無史さん:2010/05/03(月) 09:31:26
>>464 ウィキペディアとか見りゃざっと載ってるじゃん
ネット上に無いマニアックな質問は相手にしない
>>464 好き嫌い、賛否は別として小泉純一郎はそれなりの大物として残るんじゃない?
小泉で残らないようだと、昭和後期〜平成時代で残るような政治家皆無?
>>469 歴代総理の一人なんだから「小泉純一郎」の5文字くらい残るんじゃね?
それとも貴方は孝太郎さんか進次郎さん?w
だから小泉クラスじゃ残らないって。
戦後政治家で残るとすれば吉田茂と田中角栄くらい。
明治維新〜明治の舵取りにおいて、岩倉具視や伊藤博文が果たした功績は
かなり多いと思われますが、なぜこの二人を含めて維新の五傑とはならずに、
維新の三傑となったのでしょうか?
岩倉と伊藤は何か決定的に劣る部分があったのでしょうか?
>>471 安保の岸、消費税の竹下あたりは
安保、消費税とセットで残りそう
小泉も構造改革とセットで残りそう
474 :
470:2010/05/03(月) 11:06:41
>>471 歴代総理大臣の表に(名前だけ)載るという意味だよwww
事績で載るわけじゃないよ
安保闘争の文脈で岸が採りあげられる可能性はあるかもね。
安保を締結した首相は吉田だけど。竹下、小泉は残らない。
元寇のとき、武士は「やーやー我こそは」の一騎打ち戦法しか知らなかったから
元軍にフルボッコにされたとかいう話、何で今まで誰も疑問に思わなかったの?
そんな馬鹿なことあるわけないじゃん。
日本の歴史学博士って、まともな人材いないんじゃないの?
>>472 もともと2軍選手。
一軍選手が次々暗殺されたり早死にしたから人材不足になって、活躍の場が得られたってだけ。
>>471 同感。
加藤高明なんて言ったって、今じゃ知ってる者なんか稀なのと同じ。
>>476 じゃあ、どんな状況だったの?
482 :
日本@名無史さん:2010/05/04(火) 01:00:41
全国レベルで名字と家紋が、かなり確率で一致する場合がありますが
それは百姓が名字と家紋をパクリまくった結果でしょうか?
まず、かなり確立で一致してるデータ、とやらを提示しなよ。
>>480 べつに名を名乗れなんて言ってねぇし。
>>481 で?その絵で何が証明できると思ってるのかなあ?
>>484 本当に歴史学博士なの?
それにしては史料について無知過ぎないか?
元寇の状況や武士の戦術について、蒙古襲来絵詞ほど強力な証明は無いよ。
何しろその場で実際に戦った武士自身が残した唯一の史料なんだから。
486 :
日本@名無史さん:2010/05/04(火) 11:16:33
>>483 専門家が調べた結果によると渡辺さんの7〜9割が三ツ星に一文字を使ってること
何割が使っているのか知りませんが佐藤さんが源氏車を使っていることとか…。
少なくとも近所の墓地では渡辺家は三ツ星、佐藤家が源氏車を使っているところは多いですよ。
>>485 俺は博士なんかじゃねぇよ。ただの野次馬。
でさあ、その絵のどういうところから、どういうことが分かるって言いたいわけ?
488 :
日本@名無史さん:2010/05/04(火) 18:39:25
ここの自称博士とやらはインチキ臭いねって話なのでは?
>>486 それは文化の普及というもの
「あ、渡辺だと一文字三星なのか〜、そうしよっと」
>>487 実際には
>>481は蒙古襲来絵詞の一部分だけだし、絵だけじゃなく詞書という詳細な文章解説も付いてるんだけどね。
蒙古襲来絵詞からは、元寇の際に武士は集団戦法で戦っていたこと、元軍は武士に圧倒され逃げ回っていたことが、
わかるんだよ。
>>490 だからさ、それを具体的に教えてよ。
どういう文章があって、その文章からどういうことが分かるのかってことをさあ。
>>491 具体的も何も、例えば
>>481の場面を見れば、そこには集団で陣形組んで突撃する武士団がいて、
敗走する元兵がいるんだから、元寇がそういう状況だったって一目瞭然だろ。
さらに文章でも、
【葦毛なる馬に紫逆沢瀉の鎧に紅の母衣懸けたる武者、其の勢百余騎計りと見へて、凶徒の陣をてやぶり、
賊徒追ひ落として、首二、太刀と薙刀の先に貫きて、左右に持たせてま□□□と由々しく見へしに、
「誰にて渡らせ給候ぞ。涼しくこそ見え候へ」と申に、「肥後国菊池次郎武房と申す者に候。斯く仰せられ候は誰ぞ」
と問ふ。】
【武房に、凶徒赤坂の陣を駆け落とされて、二手になりて大勢は麁原に向きて退く。小勢は別府の塚原へ退く。】
とあるから、元軍は赤坂で菊池武房率いる100余騎の集団戦法に蹴散らされて敗走したんだと分かるし、
【肥後国の御家人白石六郎通泰後陣より大勢にて駆けしに、蒙古の軍引き退きて麁原に上がる。】
という記述もあるから、元軍は麁原付近の戦闘でも白石通泰の集団戦法に歯が立たなかったと分かるわけ。
国民一丸となって「御国のためにがんばるぞー!」みたいな
機運になったのは大体いつごろなんでしょう?
昭和に元号が変わるころには、みんなそんな感じだったのでしょうか。
それとも、やっぱり日中戦争が起きるあたりから?
494 :
480:2010/05/05(水) 15:30:42
>>492 連休中のヒマ人にマジレスはやめようぜ。
>>492 ああ、君が言うところの「集団戦法」ってのは、そんなことかね。
だったら「集団戦法」じゃない戦なんかないわけだ。
宮本武蔵ならいざしらず。
まあ、アレだな。
そもそもこの資料がどういう目的で作成されたものなのか考えれば、敵を勇ましく蹴散らしてる内容になってるのは当然の事。
>>495 で、この資料がどういう目的で作成されたと思ってるわけ?
更にいえば、現実に元軍は僅か1日の戦闘で敗退してるわけで、絵巻の内容を疑う理由なんて皆無なんだが。
>>496 >で、この資料がどういう目的で作成されたと思ってるわけ?
横だけど、多分武将が自己アピールのために書かせたんじゃないの?
前にそんなことを何かで読んだ記憶がある。アピールして恩賞を貰うのが目的。
鎌倉時代の武将なら普通のことだよね。
498 :
480:2010/05/05(水) 18:45:45
499 :
日本@名無史さん:2010/05/05(水) 21:18:03
上の方の質問で小泉が歴史上の大物として名前が残るかとか、
現天皇が昭和天皇と比べてどうかとか、そういう質問があったけど、
ぶっちゃけ、後世に記憶されるような人物ではないでしょ。
後世に記憶され、誰でも知ってるような権力者といえば、天皇を除けば、
藤原道長、平清盛、源頼朝、足利義満に織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。
近代以降なら、西郷、大久保、伊藤に吉田茂くらいでしょ。
戦後の政治家は近い時代の人物だから、比較的記憶に残っている人物が多いけど、
百年後、二百年後の人間から見れば、吉田茂以外は正直、微妙な人物ばかり。
昭和史を研究してる学者や昭和史マニア以外には忘れられてる可能性が高い。
同様に近代の天皇も明治天皇と昭和天皇くらいでしょ、歴史に特筆されるような天皇は。
いまの天皇は、江戸時代の大半の天皇同様、歴代天皇一覧に名前が残るだけで、
せいぜい美智子さんと結婚したことが戦後の世相とか社会史で言及されるくらいだろうな。
今上陛下も中国発世界第三次大戦でも起これば歴史に残る。先のことはわからんぜよ。
>>496 ああ、俺が答える前に
>>497 が答えてくれてるな。
つまりは、あの戦に参加した御家人が、恩賞を得るための自己アピールってわけさ。
鵜呑みにするのはアホだけさね。
そもそも
>現実に元軍は僅か1日の戦闘で敗退してるわけで
ってのも間違った認識だわな。
文永の役の時の元軍の目的は武力誇示だけで、作戦目的を達成したから当初の計画通り撤退しただけ。
予定の行動であって、敗退したわけじゃあない。
502 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/05(水) 23:53:57
歴史に残るとか残らないとかマジでどうでもいいこと
よっしゃこい
室町時代って比較的地味でパッとしない時代だけど、冷静に考えてみると、
日本の最高権威である朝廷が2派に分かれて争ったり(南北朝の争い)、
幕府と朝廷が争ったり、3代将軍の義満が名実共に天皇を超えて日本国王と
みなされたりとか、結構日本史上でもすごい時代なんだよね
なんで地味な印象があるのだろう?
地味と受け取るかどうかは個人的な印象の範囲でしょう。
史学的には日本史研究で一番ホットなのが中世史じゃないかな。
南北朝の争いなんてよくよく考えたら、日本史の中でも最重要な項目の一つだと
思われるが、実際にはそこまで重く扱われてないよね
権門体制の基本構造が変わったわけではないから、南北朝自体は最重要な出来事だとは思わないな。
それなりに日本史上のエポックな出来事だとは思うけど。
日本史的に大きな変化と言えるのは
・大化の改新と律令制の成立
・鎌倉幕府による幕府と朝廷の二重構造(いわゆる権門体制)
・江戸幕府による権力の一元化と鎖国政策
・明治維新による近代国家建設
・終戦による民主国家の成立
このくらいじゃない?
後は味付け程度だと思う。
507 :
日本@名無史さん:2010/05/06(木) 12:56:55
暗殺事件に関して、本能寺の変や桜田門外の変、5.15事件、2.26事件に比べて
大久保利通暗殺、伊藤博文暗殺があまり有名ではない不思議
前者に対して決して劣るものではないと思うんだけどね
(信長だけはは戦国のヒーローだから別格かな)
大久保利通暗殺は近い時期に西南戦争という大きな出来事があったことと、
西郷に比べて人気がなかったのが原因かな。伊藤博文暗殺はこの事件があっても
日本史上を左右するほどの出来事に発展しなかったことじゃないかな。
509 :
日本@名無史さん:2010/05/06(木) 13:27:14
西南戦争と時期が近いというのであれば、逆に近い間隔で維新3傑の二人が散ったわけだから
関連付けられたりしてもっと有名になる可能性もあったと思うんだよね
大久保、伊藤ともに明治の大政治家なわけだし、「暗殺」というのはショッキングでもあり、
何かと話題になったりして有名になる要素が大きいと思うんだよね
伊藤のほうは国内じゃなかったというのはあるかも
>>507 スペアが居たかどうかの違いじゃね?
信長、井伊直弼が殺されたことによって、それまでの政治路線が大きく変わった。
2.26事件と5.15事件を境に、軍国主義にいっそうの拍車が掛かった。
それに比べると、大久保利通、伊藤博文が死んでもその政治路線は大きく変わることはなかった。
511 :
日本@名無史さん:2010/05/06(木) 16:17:08
足利義満の花の御所は天皇のいた京都御所よりも広大だったそうだが、
現在は建物の一部も残っていないのですか?
それと、花の御所があったという室町ってどの辺ですか?
>>499 その人選に+して、聖徳太子、菅原道真、北条政子、東条英機あたりは必須じゃね?
権力者や政治家とは違うけどさ、
歴史マニアじゃなくて高卒レベルでも鴨長明や吉田兼好とか知ってるじゃん?
田中角栄や小泉は鴨長明や吉田兼好にも満たないってことなのか
聖徳太子は微妙だな。近年は色んな説があるから。
蘇我馬子とセットならありかな。
全盛期の蘇我馬子、藤原道長、平清盛、足利義満、豊臣秀吉、西郷隆盛で権力闘争したら
誰がまず脱落するの?
515 :
日本@名無史さん:2010/05/06(木) 18:28:24
>>512 鴨長明や吉田兼好が高卒レベルでも知らない者のないビッグネームなのは、
紫式部や清少納言同様、高校の古典の授業で必ず習うから。
角栄や小泉は最近の総理大臣の中ではインパクトの強いキャラだったから、
いまは知らない者のないビッグネームだが(十代以下の角栄の認知度はややあやしいが)、
半世紀後や百年後の未来では、長明や兼好の足下にもおよばないだろう。
長明の「方丈記」や兼好の「徒然草」は古典としての地位が確立しているから、
百年後に忘れられたり、教材から外されることは、まずないだろうが、
角栄や小泉は所詮は平時の政治家にすぎない。
頼朝や戦国三英傑、維新の三傑のように、青史に不朽の名を残すのは無理。
516 :
日本@名無史さん:2010/05/06(木) 18:39:20
>>514 多分、藤原道長。
道長は宮廷政治家にすぎず、宮廷内の権力闘争しかやってない。
生きるか死ぬかのサバイバルはやってないので、馬子や清盛には勝てない。
しかし、馬子や清盛や義満は生まれたときから家来も地盤もあるボンボン。
地べたから這い上がって天下人になった秀吉には勝てない。
西郷は自らが天下人になったわけではなく、所詮は一藩士であり一軍人。
島津斉彬のような主君あってこその存在。
人に仕え使われる立場であって、自分が主人になるタイプではない。
秀吉、最強だな。
>>515 今の教科書がどうなってるかは知らないけど、シリーズものの漫画日本の歴史では、
最新刊(昭和末期〜平成)で岸とか角栄とか中曽根とか出てきた。
ほぼ間違いなく続刊では竹下とか細川とか小泉とか出てくるんじゃないかな
もっとも教科書はそこまで量を増やせないから、相当絞り込まれるだろうけどね
>>516 確かに秀吉が一番いろんな面での才能がありそうだし、バイタリティー強そう
秀吉も信長がいたからこその存在なのだが。
521 :
日本@名無史さん:2010/05/06(木) 21:31:41
江戸時代の人物でも、歴代の幕閣で名前を記憶されてるような人物といえば、
知恵伊豆、柳沢吉保、田沼意次、松平定信、水野忠邦に井伊直弼くらい。
教科書レベルなら、他に保科正之、阿部正弘、堀田正睦、安藤信正などもいるが、
時代劇好きならともかく、一般人にどれだけ浸透してるかというと・・・
江戸の人物なら、芭蕉・西鶴・近松や一茶・良寛、一九や馬琴のような文学者や、
歌麿・写楽に北斎・広重のような絵師など、文化人の方が圧倒的に有名。
明治以降も、政治家で名前が残るのは西郷・大久保、伊藤博文に吉田茂くらいで、
むしろ漱石や野口英世や福沢諭吉みたいな文化人の方が残るのではないだろうか。
んじゃ、出雲阿国(吉本芸人ではない)のように歴史に残る近代の芸能人というのは誰?
>>501 今時こんなアホなことを書きこんでくる奴がいるとは・・・
御家人が恩賞を得るための自己アピールってのは完全なデマだぞ。
絵巻が作成されたのは、その御家人が恩賞獲得したずっと後。
そもそも、蒙古襲来絵詞には恩賞を得るための交渉の様子まで描かれているわけで、
ちゃんと内容見ればそんなこと有り得ないって一目瞭然なのに・・・
蒙古襲来絵詞は海外の研究者もその信憑性を認める一級史料なんだよ。
当然、文永の役の時の元軍の目的は武力誇示ってのも嘘。
武士から逃げ回った挙句、わずか1日の戦闘で逃げ帰って何の武力誇示なのさ?
モンゴル軍は弱いってアピールしただけじゃん。
>>523 あのなあ、大宰府まで侵攻されてるんだぞ。
武士から逃げ回ってって、まるで逆。
逃げたのは日本の武士の方。
翌日恐る恐る様子を見に行ったら、敵は引き上げた後だったってだけ。
>>524 侵攻されてないよ。
元軍は大宰府どころか海岸沿いにある博多の町にすら到達することができなかった。
関係史料全部確認したけど、博多が損害受けた形跡が全く無し。
翌日恐る恐る様子を見に行ったら、敵は引き上げた後だったってのも嘘。
日本軍はその日の内に兵船300艘繰り出して、敗北した元艦隊を追走してる。
昭和〜平成期の政治家はほとんど教科書等に載らないという意見が専らだったけど、
文化人やスポーツ選手もほとんど載らないのかな
黒澤明(映画監督)、美空ひばり(歌手)、高倉健・石原裕次郎(俳優)、
大江健三郎・村上春樹(作家)、宮崎駿(アニメ)、手塚修・鳥山明(漫画家)
王・長島・イチロー(野球)、力道山・馬場・猪木(プロレス)
田村(柔道)、ノーベル賞取った科学者たち
>>523 >御家人が恩賞を得るための自己アピールってのは完全なデマだぞ。
蒙古襲来絵詞の説明として、NHKの高校通信講座日本史の先生がそう解説してたよ。
素人の君より専門家が学習指導要領を踏まえて作った番組(一応、この番組の履修は
大検の対象になってるし、高校卒業の資格になる公式なもの)の方が信用できる。
まあ、有力な説だから先生はあくまでも「考えられている」という言い方だったが。
>絵巻が作成されたのは、その御家人が恩賞獲得したずっと後。
蒙古襲来絵詞は江戸時代に加筆されたという説もあり、また、筆致の違いから複数の
画家の手によるとする説が有力。全巻が同時期に描かれたのではないと考えられる。
御家人の竹崎季長が甲佐大明神へ奉納したのが恩賞獲得の後だとしても、全巻が
その段階から描き始められたという実証的な裏付けはない。
>>526 俺36の団塊jrだが、歴史の教科書の最後のページで王さんはのってた
王さんのほかに有名人が1〜2人のってた気もする
>>527 竹崎季長が恩賞獲得交渉のため鎌倉に向かった時、貧乏で馬や馬具を売って旅費を作ったくらい。
複数の画家を雇って大金かかる絵巻の作成なんて、そんな状態で不可能なんだよ。
本当にNHKの高校通信講座日本史の先生が恩賞を得るための自己アピールって解説してたのなら、
あきらかそいつの言ってることは嘘じゃん。
こういう嘘が堂々とまかり通るのが、戦後の元寇研究の恐ろしいところ。
NHK教育は元元アッチ系の学者・作家しか使わないから
>>529 >あきらかそいつの言ってることは嘘じゃん。
どうぞご自由に。私はあなたより専門家を信じるだけ。
>こういう嘘が堂々とまかり通るのが、戦後の元寇研究の恐ろしいところ。
戦前の研究の方が優れていたとでも?
蒙古襲来絵詞の研究については、「『竹崎季長絵詞』の成立 石井進」、
「竹崎季長おぼえがき 工藤敬一」、熊本県教育委員会による「竹崎城」等
戦後の研究成果によって複数存在説や複数作者説などについて、それまでより
大幅に実証されていますが。一体、何を根拠にして「戦後の元寇研究の恐ろしいところ」
などと言っているのか意味不明。
第一、蒙古襲来絵詞についての研究はまだまだ未解明な部分が多く、何が嘘で
何が嘘ではないかかんて言える段階じゃない。
だから、先生だって「〜と考えられている」という現在の通説で説明してるんだけど。
あの番組は駄目だろw
先生の仕事とは、歴史のテストにおいて正しい答えを教えることであって、史実を教えることじゃないからいいんじゃない?
素人が自分の説に不都合だからといって、専門家の意見を叩く愚かさよ。
>>533 >恩賞を得るための自己アピールに何でこんなものが描かれてるのさ?
人のレスをちゃんと読んでます?
>蒙古襲来絵詞は江戸時代に加筆されたという説もあり、また、筆致の違いから複数の
>画家の手によるとする説が有力。全巻が同時期に描かれたのではないと考えられる。
>御家人の竹崎季長が甲佐大明神へ奉納したのが恩賞獲得の後だとしても、全巻が
>その段階から描き始められたという実証的な裏付けはない。
>>527 近年の研究では蒙古襲来絵詞が太宰府現地で書かれたものではないという説が有力。
それこそ、君が批判している戦後の元寇研究の成果ですよ(笑)
で、戦地で描かれてないと「恩賞を得るための自己アピール」にはならないという
短絡はどこから出てくるのやら。恩賞請願は戦地じゃできませんよ。
>>533 >つまり、NHKの高校通信講座日本史の先生は堂々とテレビで嘘を教えてるわけだ。
>これって恐ろしいことじゃないの?
君が嘘と思っているというだけじゃ、嘘にはなりませんから(笑)
蒙古襲来絵詞は複数説もあり、未だ全容が解明されていないということは既に指摘済み。
また、「竹崎季長の鎌倉での恩賞獲得交渉と、さらに恩賞が認められて喜ぶ様子」が描かれたという
場面は前巻3の部分ですね。この部分は当然恩賞獲得の後でしょう。でも、蒙古襲来絵詞って
これだけじゃないの知ってるでしょう?
>>537 >で、戦地で描かれてないと「恩賞を得るための自己アピール」にはならないという
>短絡はどこから出てくるのやら。恩賞請願は戦地じゃできませんよ。
これ一体どこから出て来た話?
そんなこと一言も書いて無いけど・・・
蒙古襲来絵詞が恩賞を得るための自己アピールなら、そこに恩賞獲得交渉の場面が描かれてるわけないって、
もの凄い分かりやすい理屈だとおもうんだけど・・・
>>539 >これ一体どこから出て来た話?
では、
>>533 >恩賞を得るための自己アピールに何でこんなものが描かれてるのさ?
というのはどういう意味?
>>539 >そこに恩賞獲得交渉の場面が描かれてるわけない
と思ったら、やはり人のレスを読んでない(笑)
君は蒙古襲来絵詞の恩賞獲得交渉の場面と戦の場面とが同時期、同じ目的で描かれたという論証を
してないでしょ。前者は恩賞獲得の後、後者は恩賞獲得の前に描かれていたと考えれば、
ちゃんと筋は通りますよ。(何のためにわざわざ複数説や絵巻の加筆説を説明したと思ってんの?)
>>538 でね、
>>529にも書いたように製作者の竹崎季長って恩賞獲得以前は貧乏だったから、
莫大な費用のかかる絵巻作成なんて不可能なの。
恩賞獲得して裕福になったから絵巻を作成できたんであってさ。
今後、蒙古襲来絵詞がどう解明されようと、「恩賞を得るための自己アピール」だけは絶対に無い。
これって、それ程馬鹿げた話だから。
そもそも絵巻を作成することが、何で恩賞を得るための自己アピールになるの?
絵巻を作成しても、恩賞獲得の交渉のためには何の利点もないよ。
>>541 前者は恩賞獲得の後、後者は恩賞獲得の前に描かれていたと考えれば、
当然何故恩賞獲得交渉の場面に絵巻自体が描かれていないのかって疑問が出てくるよな。
つまり、恩賞獲得交渉の時点では絵巻が作成されていなかったからだろ。
北九州各地の海岸には、鎌倉幕府が築かせた石造りの防御施設の跡が今でも残っている。
文永の役で一方的にやられたことから、それを教訓として、1276年からつくられたもの。
文永の役で日本の武士が元軍を一日で追い落としたなどと馬鹿なことを主張してる者がいるが、それならばこの石塁をどう説明するのか?
簡単に撃退できたのなら、こんな大工事など思いつくはずがないのである。
>>544 文永の役以前の鎌倉幕府は元軍を水城や岩門城で迎撃することを想定してたんだよ。
でも実際に戦ってみたら元軍が思ったよりも雑魚で水城に到達することすらできなかったから、
海岸に石塁作れば十分だって考えたんだろ。
高さ10メートル以上の水城から、2〜3メートル程度の石塁に防衛ラインを押し上げてるんだから、
あきらかに鎌倉幕府は元軍の戦闘力を下方修正してる。
文永の役の後、鎌倉幕府が元軍を雑魚だと認識したことは、「異国征伐」といって日本側から元に
攻め込むことを企画したり、使者を斬首するなど対応が強気になってることからも明白。
1日で蹴散らせる雑魚相手に、わざわざ防御施設なんか造らねぇよ。
しかも城みてぇな拠点防衛じゃなくて、延々と続く石塁だぜ。
よほどの危機感があった証拠だがや。
高さ2〜3メートルありゃあ、馬の侵入は阻止できるからのお。
>>546 危機感なんてないよ。
その証拠に弘安の役で武士たちは石塁に拠って戦ってない。
元軍が志賀島に上陸すれば、志賀島を攻撃し、壱岐に逃げればそれを追撃し、鷹島まで追いまわしてる。
どこで戦っても元軍には勝てると思っていた証拠。
ちなみに志賀島の戦闘で元軍は日本軍の突撃喰らって蹴散らされ、指揮官の洪茶丘は馬を棄てて敗走。
騎馬戦術で元軍は鎌倉武士の敵ではなかった。
天皇や公家は普段ずっとあの正装(衣冠束帯だっけ?)をしていたのですか?
ほぼずっと?
政務中だけ?
大事な儀式やイベント時だけ?
>>547 危機感が無くて、あんな大工事するもんか。
550 :
日本@名無史さん:2010/05/07(金) 23:57:43
平安時代の普段着は直衣、狩りのときのウェアが狩衣。
江戸時代になると、貧乏公家は参内に必要な装束も持ってない者が多かった。
(参内の必要があるときは装束屋から貸衣装を借りてた)
幕末から明治初期の古写真を見ると、普通の武士と変わらない羽織袴のようだ。
(仁和寺宮、岩倉具視、武者小路実篤の親父など)
>>549 日本は元と臨戦状態に入ったんだからあの程度の土木工事は普通。
あえてその道を選んだのは、文永の役で実際に戦って絶対に勝てる確信が持てたからだろ。
歴史検定1級受験します。
お薦めの参考書はないですか?
>>551 たった1日で簡単に蹴散らせたのなら、なんで“石造りの”堡塁なんか作る?
しかも延々と海岸線に沿ってだぞ。
よほどの危機感が無けりゃあ、そんなたぁしねぇよ。
554 :
日本@名無史さん:2010/05/08(土) 17:02:53
ある町のキャラクターをデザインしています。
そこは特に名産とか目立つ産業が無くて、江戸時代に、日光街道の宿場町と
して知られるということくらいしかなかったので、木枯らし紋次郎の衣装を動物
に着せようかと考えています。
これは、ネットで拾ったものなのですが、例えばこういう感じとか、
http://blog-imgs-30.fc2.com/w/o/m/wombatblog/ira20090818.jpg でもこういう衣装って、無宿人の旅衣装なのでしょうか?
町のキャラクターにヤクザ者の衣装は、さすがにダメだと思うのですが…
江戸時代の旅人の衣装ってどうすればいいのでしょうか?
できれば知名度のある木枯らし紋次郎の衣装にしていのですが、
ダメなのでしょうか?
555 :
日本@名無史さん:2010/05/08(土) 17:46:57
,-======-、
|n_j_ij__j__ji_j|
(´・ω・)
,ノ゙゙゙゙゙ハヽ、
`〜ェ-ェー'
木枯し紋次郎
上州新田郡三日月村の貧しい農家に生まれたという。
十歳の時に故郷(くに)を捨て、その後一家は離散したと伝えられ、
天涯孤独な紋次郎が、何故、無宿渡世の世界に入ったかは定かでない。
556 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/08(土) 19:39:47
>>554 紋次郎の衣装というか、股旅(またたび)というひとつのジャンルですよ。
股旅で画像検索するとたくさんでてくる。
笠と羽織っているやつは一般の旅行者でも着るから、博徒や無宿人には限らないよ。
茨城県出身の文学者長塚節(県会議員の息子)が明治時代に旅行したときの写真が残っているんだけど、
まさに紋次郎みたいな格好で旅行していたよ。もちろん長脇差しは差していないけど。
よっしゃこい
557 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/08(土) 19:42:12
また‐たび【股旅】
1)博徒ばくと・遊び人が旅をして歩くこと。
2)芸者が旅かせぎをして歩くこと。
またたび‐もの【股旅物】
演劇・映画・歌謡・小説などで、博徒などの股旅を主題としたもの。
558 :
日本@名無史さん:2010/05/08(土) 20:54:41
>>556 ありがとうございます。
刀は携帯させない感じで描けばいいんでしょうか?
普通の旅人にしたいのですが。
短い刀でもダメなの?
歌川広重の描いた浮世絵「東海道五十三次」には旅人も出てくる。
参考になるじゃろ。
560 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/08(土) 21:51:28
>>558 史実としては短いのは持つんだけど、どうかな?
金を払う人とか地元の人がどう思うかだよね
紋次郎のキャラ設定は上州(群馬県)出身だから、
その日光街道の宿場町の地元の人たちがどう思うかというのもあるよ
言い方の問題だけど
膝栗毛の弥次喜多の挿絵も参考になるかもね
無宿とか博徒じゃなくても股旅物のイメージは出せるよ
561 :
日本@名無史さん:2010/05/08(土) 22:15:07
>>560 ありがとうございます。
史実で持つんだったら、持ってるように描いてみようと思います。
562 :
上州新田郡三日月村:2010/05/09(日) 00:13:25
所詮時代劇の中の話じゃねえか… ってのは無しにして。
木枯らし紋次郎は、常にかなりの速足で、毎日数十キロを歩き
時には命懸けの斬り合いをしたり、遭難しかかったりもしている。
にも拘わらず、彼が食事する場面を見ると、ごく普通盛りのお茶漬け
(雑炊?お粥?)が主流で、たまに蕎麦・ほうとうが見られるぐらい。
こんな栄養バランスの悪い、しかもこのような少食で、よく体力が持ったものだ
という素朴な疑問を禁じ得ないのですが…
563 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/09(日) 00:25:33
>>561 江戸時代は大小2本差すんだけど
大を刀、小を脇差と言うのよ
旅のときは普通の庶民も護身用に脇差を持つのよ
水戸黄門で助さんが殺陣で使っているのが脇差
角さんは脇差じゃなくて当て身系の技を使う。
当時は普通だったんじゃない?
以前、江戸将軍の平均的な食事を紹介していた番組があったけど
ほとんど精進料理みたいなメニューでえらく地味だったよ。
渡世人の日常食ならあんなものでしょう。
565 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/09(日) 00:33:22
>>562 無理矢理解釈すれば、
雑穀の雑炊で、雑穀は精白しておらず、
野菜クズも相当量も入っている、はず。
味付けは味噌。
タンパク源は、味付けの味噌と雑穀に含まれる豆類、
保存食として、煎り大豆、焼き味噌も食べていたはず。
と予想。
でも、塩分の取りすぎで、血圧は高かったと思うけど、
長距離移動で大量の汗を出していたので、多少は緩和されていたのかもしれない。
>>553 だから、危機感なんてあったらそもそも元との戦争を選ばない。
戦争に選んだ以上、石塁程度の土木工事は当たり前。
文永の役は当時の記録でも、「モンゴル軍は博多に到着するなり即退散した」とか、
「騒ぎになったのは使者が来たときだけで、すぐに静かになった」とか書かれてる。
元軍が1日で簡単に蹴散らされたのは事実だしね。
>>566 >元軍が1日で簡単に蹴散らされたのは事実だしね。
これは違うでしょう。八幡愚童訓では朝になったら高麗軍の船も兵もいなくなったことを
驚いた様子で書かれているから、文永の役は蹴散らされたというより取りあえず脅しに来た
という説の通りだと思うよ。実際にその後、元は弘安の役までに何度も使者を送って来てる。
>>567 元軍の4万、900艘って兵力は中世の世界では最低でも九州程度は征服しないといけない大兵力。
第4回十字軍は元軍よりもずっと少ない兵力で、日本より人口の多かったピザンツ帝国征服してるしね。
それだけの大兵力を投入しながら1日で逃げ帰って「取りあえず脅しに来た」なんて言い訳は通用しない。
歴代皇記ではその日の内に日本軍は兵船300艘繰り出して追撃開始してる。
文永の役の元軍は蹴散らされたとしか表現しようがない。
>>568 3万じゃなかった? しかもその中には非戦闘員も含まれているよ。
モンゴル軍にしては少ないのは対南宋戦争があって主力をそちらに取られていたから。
高麗軍が中心戦力になっていたのもそのせい。
>>569 高麗史で文永の役の兵力は元軍2万5000に高麗軍8000で、それプラス非戦闘員が6700。
モンゴル軍にしても文永の役の兵力は少なくない。
1257年にベトナムに侵攻したモンゴル軍は、わずか3000人の兵力で陳朝を属国化してるしね。
あと、モンゴル軍で3万の兵力だと1229年に中東へ派遣されたタマ軍がちょうどその規模。
このタマ軍ってのは、モンゴル高原からアフガン、イラン、シリアと間ある国々を次々に征服しながら、
最終的にアナトリア半島にまで到達してる。
対南宋戦争の真只中に貴重な大兵力を割いて実行した文永の役が「取りあえず脅しに来た」なんて
あり得ないんだよ。
>>570 >対南宋戦争の真只中に貴重な大兵力を割いて実行した文永の役が「取りあえず脅しに来た」なんて
>あり得ないんだよ。
現在では結構有力になりつつある説ですが。
>>571 つまり、現在の元寇にかんする説明は全部インチキってことじゃん。
現にNHKの高校通信講座日本史の先生が公然とテレビで嘘を教えてるんだぜ。
>>570 >貴重な大兵力を割いて実行した文永の役
ですからモンゴル軍の主力は対南宋戦争に向けられ、文永の役の兵力は対南宋戦争終結以降の
弘安の役の14万に対して3万の遠征軍しか送っていませんね。
また、モンゴル軍は敵地への威力偵察を数回行ってから本格的侵攻を行うという傾向が
あったことからも「取りあえず脅しに来た」のではないかと言われているわけです。
>>572 >現在の元寇にかんする説明は全部インチキってことじゃん。
誰の説明のことでしょう?
あなたの説明「元軍が1日で簡単に蹴散らされたのは事実」なんて言ってる
まともな中世史研究者がいますか?
>>573 弘安の役は南宋を征服した後だから旧南宋軍10万を加えて14万になったんであって、
文永の役の兵力はその時点で元の保有していた全海軍力。
持ってる戦力を全部投入する威力偵察作戦なんてあるわけないだろ。
実際、これだけ長い準備期間をかけて尚且つ大兵力を投入した威力偵察なんて一つも無いんだよ。
>>574 軍事専門化は昔から文永の役を普通に日本軍の実力勝ちだと分析してるよ。
「圧倒的優勢だった元軍が橋頭保も築かず夜になったら船に帰った」とか「文永の役は威力偵察作戦」
とか中世史研究者の言ってることは、軍事的見地から見て有り得ないってね。
日本の中世史研究者は揃いも揃って軍事オンチばかりだから、軍事的に有り得ないトンデモ説が
まかり通ってるだけ。
>>575 >文永の役の兵力はその時点で元の保有していた全海軍力。
船を造ったのは高麗です。また兵力も数こそモンゴル兵は多かったものの
(といっても1万5000人程度です)、主力は高麗軍でした。
因みに「脅しに来た(威力偵察)」のではないかという説は現在では有力です。
「八幡愚童訓」と「東国通鑑」との記述の違いから、近年では暴風があって
モンゴル軍が撤退したという説は疑問視されてます。
いずれにせよ「元軍が1日で簡単に蹴散らされた」としている日本中世史の研究者を
私は知りません。いるのなら教えて欲しいものです。
>>576 >軍事専門化は昔から文永の役を普通に日本軍の実力勝ちだと分析してるよ。
その「軍事専門家」とは誰のことですか? その人は中世史の研究文献をどの程度
読んでいるのですか? また、史学は文献や史料などによって事実を解き明かす
作業ですから「軍事オンチ」かどうかは関係ありませんし、そうだという断定も
出来ませんね。
>>578 最近だと陸上自衛隊元陸将補の松村劭とかね。
軍事問題を研究するのに「軍事オンチ」かどうかは最重要ファクターだろ。
現に文永の役が威力偵察だったことを裏付ける文献や史料なんて皆無じゃん。
文献や史料に書いて無いことを「軍事オンチ」が勝手に解釈したら、間違った答しか出てくるわけないよな。
>>579 >最近だと陸上自衛隊元陸将補の松村劭とかね。
その方が「元軍が1日で簡単に蹴散らされた」と書いているのですか?
また、文永の役をモンゴル軍による敵地への威力偵察説を否定しているのですか?
否定しているとすれば殿よな根拠によるものなのですか?
>>580 松村劭は著書の『海から見た日本の防衛』で文永の役の元・高麗軍について、
「間違いなく殲滅されたと判定できる」と書いてるな。
それから、そもそも威力偵察説自体に全く根拠がないことを忘れるなよ。
それどころか、威力偵察説は文献や史料に明確に反してる。
高麗史によれば、元軍の撤退の際に金方慶という武将が、帰りの船を焼き背水の陣で
作戦続行を主張したとされてるが、威力偵察作戦ならそんな主張するわけねーだろ。
ちょっと調べてみましたが、松村劭という方は戦略・戦術研究・情報分析などが専門分野で、
軍事史を専門的に研究していた方では無いようですね。主要な著作物を見ても元寇に関する
ものが見つかりませんでした。一方で、文永の役をモンゴル軍による敵地への威力偵察説と
している学者は杉山正明氏(モンゴル史と中央ユーラシア史が専門。モンゴル帝国に関する
著作物が多数あり)、奥富敬之氏(日本中世史と日本医学史が専門。鎌倉時代に関する著作
が多数あり)など複数の学者によって指摘されています。根拠として軍議によってあっさり
撤退を決めたこと、本格的侵攻にしては装備が軽微であったこと、時期的にも主力の兵力を
対南宋戦争に投入しているため本格的軍事行動を取りにくかったこと、前にも書きましたが、
モンゴル帝国の軍事行動は威力偵察を数度行った後に本格的な侵攻を行う傾向があったこと、
などが挙げられています。
>>581 ちゃんと質問に答えてください。
松村劭氏は
・元軍が1日で簡単に蹴散らされたと書いているのですか?
・文永の役をモンゴル軍による敵地への威力偵察説を否定しているのですか?
否定しているとすればどの様な根拠によるものなのですか?
この三点についての明確な回答を求めます。
>>581 >金方慶という武将が
彼は総司令官ではなく総司令官の征東都元帥である忻都の指揮権下にいた人物です。
軍議で彼が戦闘継続を訴えたのは事実の様ですが、それはモンゴル軍が威力偵察を
行ったことを否定できる根拠にはなりませんよ。
>>581 >「間違いなく殲滅されたと判定できる」と書いてるな。
もし、松村劭氏が本当に著作でそう書いておられるのでしたら、ちょっと信頼できないですね。
文永の役では日本軍の奮闘により「逃げ帰った」というならば分かりますが、
いくら何でも「殲滅」はないでしょう。モンゴル・高麗の連合軍が撤退してから
1万2350人の死傷者を出したのは確かなようですが、それは帰路で難破したためです。
それというのもモンゴルから短時間で造船を求められた高麗が、時間の制約や資金難から
手抜きをしていたのではないかという説もあり、そうだとすれば日本軍にやられたというより、
自滅に近いでしょうね。
>>582 杉山正明が威力偵察説を唱えたのは、1996年に出版された「モンゴル帝国の興亡」だけど、
実はその後の著書では書いていない。
それどころか、2006年の「モンゴルが世界史を覆す」では
「ところが戦後になると、今度は一転、異常な戦時中のリアクションとして、蒙古襲来に限らず、
およそ戦争一般、もしくは軍事史にかかわるような研究・論述は、なかばタブー視された。
蒙古襲来についても、きちんとした研究・分析は真剣になされないまま、頭の勝った思い込みと
決めつけが先行して、じつはいまに及んでいる。」
とした上で、海洋学・軍事史・気象学の英知を結集し、
「ほとんどすべての局面・事柄にわたって、巨細となく蒙古襲来の研究は、再検討と新研究が
必要である。つまりは、これからなのである。」
とか書いてる。
つまり、それまでの説に軍事史の知識が欠けていたこと、「やっちまった」ことを自覚してるんだよ。
>>583 文永の役の元軍を殲滅されたとしてるんだから、1日で簡単に蹴散らされたと書いてるようなものだろ。
それに、本格的上陸作戦に分類して、威力偵察とはしていない。
根拠は直接は書いてないけど、文永の役の作戦規模が大き過ぎるからだろ。
>>587 >実はその後の著書では書いていない。
だから何でしょう? 威力偵察説が学術的に否定されたという根拠にはなりませんよ。
>きちんとした研究・分析は真剣になされないまま
これは事実でしょうね。「蒙古襲来絵詞」の研究もまだまだ未解決の部分が多いと言われていますから。
また、「八幡愚童訓」と「東国通鑑」との記述内容の違いなどについても研究され尽くしているとは
言えない状況です。であるのなら、威力偵察説も未解明な数多くの問題と同様、決定的な史料はないとは
いえますが、逆に否定する根拠もないわけです。(説の可能性としては
>>582に記した通りです)
あなたは何一つ根拠を出さずに、また、根拠とするには希薄な理由だけを頼りに否定していますが、
否定できる決定的な理由はないわけです。つまり、未確定要素が多い問題に対して、理由無く否定してる
だけとしか受け取れません。(私は断定はしてませんよ。有力な説であると言ってるだけです)
>それまでの説に軍事史の知識が欠けていたこと
それはあなたの感想でしょう(笑)どう読んでも「再検討と新研究が必要」という以上の意味は
読み取れません。
>文永の役の元軍を殲滅されたとしてるんだから
それがおかしいことは
>>586で理由を明記した上で指摘済みです。その上で問いますよ?
松村劭氏は
・元軍が1日で簡単に蹴散らされたと書いているのですか?
→1日で簡単に蹴散らされたと書いてるようなものだろ
「文永の役の元軍を殲滅された」←どもにも「簡単に蹴散らした」とはありません
また、
>>586で指摘した通り「元軍を殲滅された」というのは正しくありません。
・文永の役をモンゴル軍による敵地への威力偵察説を否定しているのですか?
否定しているとすればどの様な根拠によるものなのですか?は
>>587 >根拠は直接は書いてないけど、文永の役の作戦規模が大き過ぎるからだろ。
あなたの感想は必要ないのですよ。私が求めているのは松村劭氏の正確な引用です。
これを読む限り、松村劭氏は根拠は書いてないわけですね。本格的上陸作戦に分類したのいうのが
正しいとして「威力偵察」の否定にはなりませんよ。「威力偵察」であっても本格的上陸作戦には
違いありませんから。
私には、松村劭氏がモンゴル帝国の常道である「威力偵察」を行ってから正規軍を投入して
本格的侵攻(本格的上陸ではなく)をするやり方を、分かっていなかったのではないかと疑っています。
杉山正明氏や奥富敬之氏に比べて松村劭氏が専門性(モンゴル帝国や日本中世史)が低いのは
明らかですから。また、松村劭氏が軍事史の専門家でもなさそうですし。(
>>582)
>>589 松村劭氏の正確な引用をすれば、「海から見た日本の防衛」で元軍の敗因を、
「モンゴル軍特有の「狩猟戦略」の手順を踏んでいない。日本へ渡洋侵攻するのであれば、
対馬・朝鮮海峡の制海権を確実に握ることが第一段階である。そのためには朝鮮半島南岸、
対馬、壱岐などに前進基地・泊地を設定し、そこから威力偵察を執拗に繰り返して日本軍の
防衛態勢を翻弄することが必要であった。それには2〜3年を費やす必要があろう。しかし、
彼らは一挙に上陸侵攻しようとしたのである。」
松村劭氏は、モンゴル帝国の常道である「威力偵察」を行ってから正規軍を投入して本格的侵攻
をするやり方を分かってた上で、元寇ではそれと違うやり方をしたから負けたと言ってるんだよ。
それから、文永の役については、それ以前に軍事評論家の田岡俊次が日本の実力勝ちという論文を発表し、
松村劭も「海から見た日本の防衛」で、それを軍事的妥当性があるとしてるの。
そして、その田岡俊次が作戦規模が大き過ぎることを根拠に威力偵察を否定してるわけ。
あと、威力偵察説を否定する決定的な根拠はあるだろ。
偵察部隊が、帰りの船を焼いたり、背水の陣で戦うことを議論するわけないからな。
592 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/09(日) 21:28:56
ネトウヨは相変わらずしつこいなw
武陽以外でこのスレが盛り上がることは珍しいし、まぁいいんじゃねぇの。
全部自作自演だがなwww
まあ、この手の連中には共通点があるね。
義経=ジンギスカン説
日本・ユダヤ同祖論
歴史の素人の軍人が言い出したこと“だけ”を鵜呑みにしてる。
>>590 >松村劭氏は、モンゴル帝国の常道である「威力偵察」を行ってから正規軍を投入して本格的侵攻
>をするやり方を分かってた上で、元寇ではそれと違うやり方をしたから負けたと言ってるんだよ。
全然違うじゃないですか。あなたが引用した松村劭氏の文章では前進基地を先ず築いてから本格的に
攻め込むことを『モンゴル軍特有の「狩猟戦略」の手順』と書いていますね。そして、全身基地から
威力偵察を繰り返して防衛態勢を翻弄する必要があったと。この文章から分かるのは、松村劭氏が
文永の役それ自体を「威力偵察」とは考えておらず、本格的な侵攻であることを前提としています。
ここまで分かったこと。
松村劭氏の立場(文永の役「威力偵察説」)
文永の役それ自体を「威力偵察」であるか否かは検討されていない。(この検討は史学では重要)
モンゴル軍が何故、特有の手順を踏んでいないかの考察がない。(この考察は重要なはず)
その検討・考察をせず、本格的侵攻であることを前提に論を進めている。(検討がなく自説のみで考慮)
史学者が言ってること。(文永の役「威力偵察説」)
文永の役はモンゴル帝国の常道「威力偵察」に当たるのではないか。「威力偵察」とは本格的な侵攻を
行う前に敵地に威力偵察として攻め入り、相手の反応を見たり戦術や戦力を確かめたりすること。
後の弘安の役という二度目の侵攻を考えると、モンゴル軍の方法論を踏襲していることがわかる。
以上のことから分かったこと。
松村劭氏は史学上の検討・考察をせず軍事行動上の戦略・戦術のみについて語っている。これは、
彼が史学研究家ではなく軍事戦略・戦術という分野の専門家であり、史学上必要な検討・考察を
行わないまま論を進めているから。故に、松村劭氏の文章では文永の役それ自体を「威力偵察」だと
する史学研究家の説の反証にはならない。先ずは前段階が端折られているから。
いくら文献があっても、それを読んだ人が理解していなければ役に立たないというのが
あなたに当てはまるケースですね。
596 :
日本@名無史さん:2010/05/10(月) 09:29:28
戦国時代の大名の正式な肩書は何でしょうか(´・ω・`)
官位はない人もいるし、国主や城主だと無城がいます(´・ω・`)
上杉謙信は越後の何?領主とか国主とか大名とか関東管領は何か違う(´・ω・`)
三国志もそうなんだよね(´・ω・`)
事実上国王だけど肩書が特にない(´・ω・`)
○○太守・○○将軍になっちゃう(´・ω・`)
太守や牧や刺史でなく将軍でもない人はどうなるんだろう(´・ω・`)
>>590 すいません。ちょっと書き間違いがあったので修正しておきます。
松村劭氏の立場(文永の役「本格的侵攻説」)
文永の役それ自体を「威力偵察」であるか否かは検討されていない。(この検討は史学では重要)
モンゴル軍が何故、特有の手順を踏んでいないかの考察がない。(この考察は重要なはず)
その検討・考察をせず、本格的侵攻であることを前提に論を進めている。(検討がなく自説のみで考慮)
史学者が言ってること。(文永の役「威力偵察説」)
文永の役はモンゴル帝国の常道「威力偵察」に当たるのではないか。「威力偵察」とは本格的な侵攻を
行う前に敵地に威力偵察として攻め入り、相手の反応を見たり戦術や戦力を確かめたりすること。
後の弘安の役という二度目の侵攻を考えると、モンゴル軍の方法論を踏襲していることがわかる。
追記
前レスでご理解いただけてるとは思いますが、松村劭氏の説の決定的なミスは、文永の役が「威力偵察」
だったかどうかの検討・考察がなく、本格的侵攻として論を進めていることに尽きるでしょう。また、
松村劭氏は何故モンゴル軍が特有の手順を踏んでいないかについて言及がありません。通常行うはずの
手順を日本への侵攻に対しては行わなかった合理的理由を説明出来なければ、文永の役「威力偵察説」は
否定できないということです。
一方で、既に指摘した通りですのでここでは詳しくは書きませんが、文永の役それ自体が「威力偵察」で
あれば全ての説明がつきます。
>>595>>597 松村劭氏は軍事専門家で、威力偵察は軍事用語だよ。
文永の役の作戦形態が威力偵察じゃなければ、松村劭氏がそれを前提に論を進めるのは当然じゃん。
それに、モンゴル軍が何故、特有の手順を踏んでいないかの考察の有無は、書店で買うなり、
図書館に行くなりして、全文読んでから判断するのが筋だろ。
文永の役が「威力偵察」であるか否かの検討が重要とか言いながら、そんなもの真面目に検討した
中世史研究者の書籍や論文なんて存在しないじゃん。
「威力偵察」を行ってから正規軍を投入して本格的侵攻するのを盲目的にモンゴル軍の常道としてるけど、
例えば1219年にホラズム・シャー朝に侵攻した時は威力偵察なんてやってないよ。
モンゴル軍は1292年に海船500艘・兵2万という文永の役の約半分の規模でジャワ島へ遠征してるけど、
この作戦を威力偵察と呼ばないのは何故?
南宋へはオゴデイ・ハーンの時代、モンケ・ハーンの時代、クビライ・ハーンの時代の3回侵攻してるけど、
前2回は威力偵察作戦なの?
モンゴル軍の作戦を一体どういう根拠によって威力偵察と本格的侵攻に分類してるのさ?
モンゴル軍の行った威力偵察作戦で、文永の役と類似するケースが存在するなら、具体例を挙げてくれよ。
結局、軍事オンチの中世史研究者のやってることは、検討・考察なんて呼べるレベルに達していないの。
それから、文永の役が「威力偵察」であれば、金方慶が帰りの船を焼いてまで作成続行を主張したことが
説明できないだろ。
文永の役で元軍は負けたんだと考えれば全ての説明がつくよ。
599 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/10(月) 22:33:04
ウォーゲームの話はそろそろゲーム板でやってはもらえないかな?
600 :
日本@名無史さん:2010/05/11(火) 01:00:10
博士が泣いている
6Cに中国への遣使が行われなかったのは何故なんでしょうか。
>596
正式と言うのが何を意味してるのかよくわからんけど、とりあえず守護代とかでいいのかな。
守護代からのし上がった戦国大名は多いし、質問の謙信も関東管領前は越後守護代です。
三国志云々はさらに質問の意味がわからん。○○太守・○○将軍は肩書きじゃないのか?
太守や牧や刺史でなく将軍でもない人は、それらの官職を朝廷からもらって肩書きにすればいいだけでしょ。
朝廷とかめんどくせ〜ってなら、自分の朝廷を作って、皇帝なり国王なり好きに名乗ればいい。
だから宇宙大将軍だって無問題さ。
603 :
日本@名無史さん:2010/05/11(火) 07:02:08
北原白秋作詞「この道」の中で、母親と馬車に乗って出かけた様子が歌われていますが
明治維新以後の日本(特に上流家庭)において、馬車が一般的な乗り物だったのは
いつ頃までだったのでしょうか? どのあたりから自動車に取って代わられたのでしょうか?
仁徳天皇の軍隊と雄略天皇の軍隊、どちらが強いですか?
>>598 >松村劭氏は軍事専門家で、威力偵察は軍事用語だよ。
しかし史学研究科ではないし、軍事史が専門でもありませんね。そこは逃げますか?
モンゴル軍が常道としていた侵攻の際に行う威力省察の方法と異なることに関しての
言及がないのは確かでしょう? そこをあなたは反論できていない。余計な内容のレスは不要です。
そろそろスレ主からもクレームが来ていますから。いいですか? 繰り返しになりますが、
以下の松村劭氏の主張に対する私の指摘をクリア出来なければ、文永の役が「威力偵察」ではなかった
とは言えないんですよ。
松村劭氏の立場(文永の役「本格的侵攻説」)
文永の役それ自体を「威力偵察」であるか否かは検討されていない。(この検討は史学では重要)
モンゴル軍が何故、特有の手順を踏んでいないかの考察がない。(この考察は重要なはず)
その検討・考察をせず、本格的侵攻であることを前提に論を進めている。(検討がなく自説のみで考慮)
史学者が言ってること。(文永の役「威力偵察説」)
文永の役はモンゴル帝国の常道「威力偵察」に当たるのではないか。「威力偵察」とは本格的な侵攻を
行う前に敵地に威力偵察として攻め入り、相手の反応を見たり戦術や戦力を確かめたりすること。
後の弘安の役という二度目の侵攻を考えると、モンゴル軍の方法論を踏襲していることがわかる。
続き
>>598 >文永の役の作戦形態が威力偵察じゃなければ、松村劭氏がそれを前提に論を進めるのは当然じゃん。
この裏付けがありませんので不可ですね。
>それに、モンゴル軍が何故、特有の手順を踏んでいないかの考察の有無は、書店で買うなり、
>図書館に行くなりして、全文読んでから判断するのが筋だろ。
つまりあなたはご自分では反論できないと、こちらは判断しますがよろしいですか?
>中世史研究者の書籍や論文なんて存在しないじゃん。
既に二人の専門家の説を紹介しているのに無かったことにしたいのですか?
>例えば1219年にホラズム・シャー朝に侵攻した時は威力偵察なんてやってないよ。
>モンゴル軍は1292年に海船500艘・兵2万という文永の役の約半分の規模でジャワ島へ遠征してるけど、
>この作戦を威力偵察と呼ばないのは何故?
ジャワ島遠征はジャワ王朝の内乱など複雑な要素があり、元寇と同等に扱うことはできません。
>南宋へはオゴデイ・ハーンの時代、モンケ・ハーンの時代、クビライ・ハーンの時代の3回侵攻してるけど、
>前2回は威力偵察作戦なの?
南宋は陸続きであることに加えて対立する以前には共闘して金を滅ぼすなど、地政学的にも敵方の情勢や
戦術もモンゴル軍は良く分かっていましたから、全く知らない相手に行う威力省察の必要性はありません。
続き
>>598 >それから、文永の役が「威力偵察」であれば、金方慶が帰りの船を焼いてまで作成続行を主張したことが
>説明できないだろ。
以下の私のレス、
>>585を読み直してください。
>彼は総司令官ではなく総司令官の征東都元帥である忻都の指揮権下にいた人物です。
>軍議で彼が戦闘継続を訴えたのは事実の様ですが、それはモンゴル軍が威力偵察を
>行ったことを否定できる根拠にはなりませんよ。
金方慶は高麗軍の司令官であり、元の正規軍の忻都が総司令官を務めていました。
忻都が同様の行動を取ったのなら、あなたの説も多少は説得力を持ちますが、
その配下にあり、また外国人です。元の正規軍と意思統一がどの程度あったのかにも
よりますから、金方慶の言動は決定的な根拠にはなりません。(あなたの憶測です)
史料や文献などの適切な裏付けが無い以上、威力省察ではなかったとは言えません。
続き
二度の元寇を見ていると、フビライが本気で日本を支配下に置こうと考えていたのかは
非常に疑問です。最初(文永の役)では親書を無視されて腹を立てたというレベルで、
遠征軍の人数も少なく多くの高麗軍に頼っていました。造船も高麗に任せており、
あっさり撤退したのも本気度が伝わってきません。取りあえず威力偵察程度の攻撃をして
様子を見てみようというのが一番しっくりきます。
二回目も(弘安の役)軍勢の規模こそ大きいものの、切っ掛けは日本に送った使者が殺された腹いせに
行ったという以上の意味があるのだろかと思います。元にとってどうしても必要な地位とは見なされては
いなかった、近くにあるから配下におけるだろうという程度の認識ではなかったかと思います。
弘安の役でも攻め滅ぼしたばかりの南宋の兵士を使っているのが、本気度が伝わらない最大の要因です。
戦争がやっと終わったばかりなのに勝った相手に命令されて日本くんだりまで送り込まれても
モチベーションがあがるわけがありません。モンゴルはどうしても必要だと思えば、しつこいくらいに
何度も侵攻しますから、二度で止めてしまったというのは、その程度にしか考えられてなかったというのが
正しいのではないでしょうか。琉球への攻撃も淡泊でしたし、元々が騎馬戦による陸戦が主体でしたから、
海洋を渡ってまで版図を拡大しようという意志はあまり強くはなかったのだと思います。
609 :
日本@名無史さん:2010/05/12(水) 17:30:19
3度目の遠征をしなかったのは内乱のせいでしょう
カイドゥの乱でお膝元のモンゴル高原まで反乱に加担したんだから
日本遠征どころじゃない
実際フビライが生きている間に反乱は鎮圧できなかった
征日本行省を設立して14万も大軍を動かした以上、西国か最低限でも九州は支配下に置くつもりだったと思うよ
インドネシアや樺太にも侵攻してるけど撃退できたのは地元勢力の抵抗のおかげだよ
よっしゃこい
>>605-608 松村劭氏は軍事史の専門家だよ。
著書にも軍事史の本が並んでるだろ。
第一、『海から見た日本の防衛』自体、副題が「対馬海峡の戦史に学ぶ」で軍事史の本そのものじゃん。
で、何故モンゴル軍特有の「狩猟戦略」の手順を踏んでいないかの考察は、言及がないんじゃなくて、
俺が引用してないだけなの。
『海から見た日本の防衛』は蒙古襲来について一章割いてて全文ここにUPするわけにいかないから、
買うなり、図書館行くなりしろと言ってるんだよ。
それから、杉山正明氏や奥富敬之氏の著書を持ってるから、その2人が威力偵察説なんて真面目に
考察してないって知ってるんだよ。
前にも書いたけど、杉山正明氏なんてもう威力偵察説引っ込めてるじゃん。
2005年の『疾駆する草原の征服者』では「真実はどうやら、両軍とも自分たちの「敗北」と考えたらしい。」
と元軍が文永の役を敗北と認識してたことを認めてるし。
>>609 >3度目の遠征をしなかったのは内乱のせいでしょう
なるほど。ありがとうございます。
>>610 >著書にも軍事史の本が並んでるだろ。
私が知る限り、『海から見た日本の防衛―対馬海峡の戦史に学ぶ』『ナポレオン戦争全史』くらいしか
見あたりませんが。他の著作物を見る限り戦略・戦術研究のついでに概説的に書いているという印象です。
で、そんな無駄なことはどうでもいいのです。私にレスするのであれば、こちらの疑問に答えてください。
あなたの感想(真面目に考察してない等)には関心がありませんので。
もう一度書きますね。
松村劭氏の立場(文永の役「本格的侵攻説」)
文永の役それ自体を「威力偵察」であるか否かは検討されていない。(この検討は史学では重要)
モンゴル軍が何故、特有の手順を踏んでいないかの考察がない。(この考察は重要なはず)
その検討・考察をせず、本格的侵攻であることを前提に論を進めている。(検討がなく自説のみで考慮)
続き
>>605-608 それから、モンゴル軍の行った威力偵察作戦で、文永の役と類似するケースの具体例を挙げられないのは何故?
類似するケースが存在しないのに、何を根拠に「文永の役はモンゴル帝国の常道」なんて主張してるの?
それこそ、威力偵察やモンゴル帝国について真面目に考察してない証拠じゃん。
モンゴル軍について真面目に考察してないし、知識も皆無だってのは、
>>608に書いたこと読めば明白。
そこに書いてあること全部、クビライの本気度を考察する根拠になっていないもん。
モンゴル軍は欧州に攻め込んだ時も、中東に攻め込んだ時も、中国に攻め込んだ時も、攻め滅ぼしたばかりの
異民族との混成軍。
モンゴル軍ってのは、もともとそういう軍隊なんだよ。
モンケ・ハーンが本気で南宋を征服しようとした時、その主力軍の民族編成は蒙古、漢人、高麗人、女直人
で文永の役とほぼ一緒。
その後継者のクビライ・ハーンが南宋征服に成功したのも、寝返った南宋の兵士を大量投入したから。
何代にもわたる侵攻でようやく達成した悲願の南宋征服で手に入れた大艦隊をそっくり全部弘安の役に
投入したんだから、あきらかにクビライの日本征服の意志は滅茶苦茶強固だったってこと。
あと、クビライ自身は死ぬまでしつこく日本に三度目の侵攻をしようとしていたぞ。
でも、文永の役と弘安の役が目も当てられない惨敗だったから、朝臣から大反対されて実行できなかった。
また日本に遠征なんかしたら元朝は終わりだ、とても日本に勝ち目はない、ってね。
>>611 文永の役それ自体を「威力偵察」であるか否なんて論外なんだよ。
検討するまでもなく、文永の役は威力偵察じゃないの。
そもそも、文永の役を威力偵察とする根拠がないだろ。
・文永の役の作戦形態が「威力偵察」という軍事用語に該当しない。
・文永の役を「威力偵察」とする史料・文献も存在しない。
・モンゴル軍の戦歴に類似する「威力偵察」のケースも存在しない。
こんなもの何をどう検討するのさ?
「文永の役は威力偵察じゃない」の一言で終わりだろ。
>>611 >文永の役それ自体を「威力偵察」であるか否かは検討されていない。
⇒文永の役「威力偵察」説には根拠が無いため検討に値しない。
史学的にも、まず「威力偵察」説が検討に値する根拠を提示するべきだろ。
>モンゴル軍が何故、特有の手順を踏んでいないかの考察がない。
⇒考察はある。
全文読みもせず、何を根拠に考察が無いと断定してるのさ?
>その検討・考察をせず、本格的侵攻であることを前提に論を進めている。
⇒本格的侵攻あることを否定する理由が無い以上、それを前提に論を進めるのは当然。
>>614 くどくどとは申しません。(スレ主が怒りそうなので)
あなたのレスでは威力偵察の否定にはなっていません。もちろん私も威力偵察だったとする
確証はありません。しかし、史学の姿勢としてはどちらの可能性も薄弱な理由から否定するのは
間違いです。(同様の論旨のレスは前にもしました)
私の元寇に関するレスは以上で終了とします。
スレ汚しをして申し訳ありませんでした。
616 :
日本@名無史さん:2010/05/13(木) 01:18:02
足利義満の花の御所は天皇のいた京都御所よりも広大だったそうだが、
現在は建物の一部も残っていないのですか?
それと、花の御所があったという室町ってどの辺ですか?
建物はない 石がいくつか見つかってる
場所はWikipediaにだって載ってるから自分でしらべれ
山川の教科書1冊で歴史の通説は理解できますか?
619 :
日本@名無史さん:2010/05/13(木) 11:12:42
何を以て通説というのはわからんが
日本史の大枠はわかると思うよ
漫画日本の歴史でも大枠はわかるとも思うが
よっしゃこい
お家騒動なんかでよく目にする、〜“崩れ”という言葉ですが
何か意味はあるんでしょうか。
621 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/13(木) 21:18:38
>>603 一般的な乗物だったのかな?
それとも馬車鉄道のことかな?
それなら一般的だったけど
>>604 不明
>>615 元寇の話自体を云々しているわけではない。
田岡何某とかを引用するような超歴史的な話はゲーム板でということ。
研究蓄積が分厚い経済学の分野なら近代と前近代の垣根を無視するとか考えられないんだけど、
薄い分野や成熟していない分野だと素人がいろいろ出てきて
無頓着なことを言うんだと思う。近代主義的な範疇をそのまま援用するという意味で。
松村氏好きの発言をしている人は、歴史学の歴史分野の発想じゃないから話がかみ合わないんだよ。
狭義の軍事史か社会学の歴史分野向きなんだと思うよ。
日本史板は歴史学の歴史分野か歴史好き一般の人が多いから。
同じ時代の歴史、事件、事象を語ってもかみ合うとは限らんよ。学問体系が違うから。
>>620 例えば?
よっしゃこい
>>621 お家騒動の中で、二階崩れの変や宇陀崩れとか名前が付いてるものがありますが
崩れとはどんな意味があるのか?って質問です。
何かで、主が死んだり隠居させられたりした事例にのみ付くとか
読んだ気がするのですが、確証が持てないので質問した次第です。
6Cに中国への遣使が行われなくなったのは何故なんでしょうか?
>>616 代々京都人です。詳しい回答が無いようなので一言…。
宏大は宏大ですが、現在の京都御苑と比べても、その三十数分の一の広さです。
天皇の居所であった御所の内塀内と比較しても五分の一以下です。
天皇御所よりも広い…は、何かの間違いかと。
邸宅跡の一部は、現地に、お寺として現在も残っています。
「○○殿」なぞと言う名称が付いている点、往時の勢威が偲ばれます。
現地の一角には碑も建てられています。ぜひ一度訪れてみて下さい。
なお、ネット上の情報は、何かの孫引きか、位置関係すら不正確なのがあります。
ぜひ、現地の御見学を。また、市歴史資料館なども御参考に。
「花の御所跡」は、JR京都駅から地下鉄(烏丸線)「今出川」すぐです。(目の前)
大和朝廷はなぜ、河内地方に移ったのですか?
>>621 元寇のどこがゲームの話なの?
どこに超歴史的な要素がある?
元寇は日本史上屈指の重大事件なのに、それに対する知識皆無の人間が「歴史学博士の俺様」なんて
名乗ってて恥ずかしくないの?
627 :
603:2010/05/14(金) 01:12:20
>>621 いいえ、馬車鉄道ではなくて、個人が所有するプライベートな馬車
という意味で……
それとも日本には、そういうものは殆ど無かったのですか?
博士はしょっちゅう微妙にズレた返答をするね。
わざとなのか真性なのか・・・
どう見ても質問者が聞いてるのはそんな事じゃねーだろ!的な
藩閥政府の時代の政治家ってみんな訛ってたんですか?
>>621 >松村氏好きの発言をしている人は、歴史学の歴史分野の発想じゃないから話がかみ合わないんだよ。
まあ、確かにそうですね。歴史板の歴史スレで歴史分野じゃないスタンスで歴史を語るというのは
どうかと思いますが(笑)レスをしていても噛み合わないと感じていたのそういうことでしょうね。
「超歴史的な話はゲーム板で」というのは何となく分かります。
鳥羽伏見の戦いで、幕府軍が大阪城に籠っていたら勝算あったのでしょうか?
大阪港には、幕府海軍が滞在してましたし。
632 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/14(金) 20:39:09
>>622 わかりません。
>>623 確証がありません。
>>625 移った? 例えば?
>>626 「元寇の話自体を云々しているわけではない。」と書いてあるのが読めないのか。
ウォーゲーム板には同好の士がたくさんいるかもよ、というアドバイスだよ。
ゲーム専用機やPCゲームのゲームじゃなくてボードゲームのやつだよ
サイコロ使って戦うやつ。戦史マニアが勢揃いだし、いろいろ議論も深まるよ、という話。
その一方で、歴史学畑ではかみ合わないよ、ということ。
これは煽りじゃなくて解説。
>>627 皇室が公式行事などで使う公用車の話をどこかで聞いた記憶があるな
はじめて購入したときの話。思い出し中。
それが皇室にとっては自動車に切り替わったときになるはずだよね?
上流階級とはいっても、どの辺まで普及していたのかは知らないけど、相当上だけじゃないかな
>>628 例えば?
博士はテクニコなんだよ。
634 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/14(金) 20:52:06
>>632 元寇の話自体がわからないから、全然関係ないウォーゲームを出して誤魔化してるんでしょ。
あなたに歴史学云々を口にする何の資格があるのさ?
ウォーゲーム板がお似合いなのは、そっちの方でしょ。
モンゴル史の専門家の杉山正明だって元寇については「きちんとした研究・分析は真剣になされないまま、
頭の勝った思い込みと決めつけが先行して、じつはいまに及んでいる。」って認めてるじゃん。
きちんとした研究・分析もなされてない元寇についての出まかせを、何の疑問も持たずに信じ込んでいたのは、
そもそも歴史学についての適性が欠けてるってことじゃないの?
超歴史的なのは、どっちの方よ?
636 :
日本@名無史さん:2010/05/14(金) 22:29:03
>635
横レスだけど、軍事と歴史、立脚点の違いに気づかずに意見競っても平行線だよってっことでしょ。
双方の意見をすり合わせて有意義な結論を導くならともかく、実際はスレ違いの不毛な言い争いにしかなってなかったじゃん。
噛み付いてばかりいないで、少し冷静になりなよ。
それと、田岡の名前は出さないほうがよかった。
>631
まずないでしょう。篭城しても内部分裂で崩壊するのが関の山かと。
一致団結して篭城できるほどの強さがあれば、そもそも鳥羽伏見で負けないはずです。
幕府海軍ですが、近隣諸大名が軒並み薩長に寝返ってしまえば、すぐに活動不能になります。
いくら幕府海軍が強力だったとしても、当時の技術では江戸、大阪間の兵站線を維持はできません。
まさかとは思いますが、幕軍が京都に出兵せず、いきなり大阪に篭城したらとか考えてませんよね?
>>637 双方の意見をすり合わせるも何も、相手がモンゴル帝国についての知識ゼロなんだから無理だろ。
レス読み返してみろよ。
モンゴル帝国史について具体的な事例挙げてるのは俺だけじゃん。
「モンゴル帝国の常道」なんて書くのなら、モンゴル帝国について最低限調べないと話にならないだろ。
こんなの歴史学の最初の一歩、イロハのイじゃん。
歴史学博士の俺様も同じ。
何も調べたことも無いくせに、知ってるつもりになってるだけ。
このスレで歴史学について語る資格があるのは俺だけだよ。
639 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/15(土) 01:07:58
>>638 いいよ。
歴史学について語ってよ。どうぞ。
640 :
日本@名無史さん:2010/05/15(土) 01:13:44
戦国時代の兵って履物はやはり草履だったんですか?
靴、ブーツは履かなかったんですか?
草履だとしたらどんなメリットがあったのでしょう?
戦闘にはブーツの方が向いてるのでは。
よろしくお願いします。
641 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/15(土) 01:23:02
>>640 いまちょうど軍事史と歴史学の両方を専門とするお方がいるから答えてくれるはずだよ
聞いているのがその本人でなければ
642 :
640:2010/05/15(土) 01:37:11
日本史も軍事史もくわしくないのでなにとぞ。
643 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/15(土) 01:39:50
>>640 足半だろ。踏ん張りが利いて、濡れていても滑りにくいから。昭和まで漁民や農民が愛用してたやつ。
644 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/15(土) 01:44:43
踵の部分と足先の部分が短い草履、足の指と踵がはみでている感じになる。
645 :
640:2010/05/15(土) 01:46:28
>>643 ありがとうございます。調べてみたら踵部分のない草履でした。
意外でした。こんなので戦闘してたんですね。
>>639 じゃあ、お前らの持ってる元寇の知識が、歴史学的にどれだけインチキかって話な。
戦後出版された元寇についての書籍は全て『八幡愚童訓』って文献を根本史料としてるんだけど、
一冊たりともこれがどんな文献か、きちんと説明してるものはない。
『蒙古襲来絵詞』その他の史料には細々と注釈付けてるにね。
まあ、『八幡愚童訓』みたいな宗教書を根本史料とするなんて、まともな史料批判がなされてたら
有り得ないから説明できないのも当然なんだけど、この時点で歴史学として成立してないじゃん。
で、この『八幡愚童訓』によれば文永の役で博多の町は跡形もなく焼失したことになってるんだけど、
実はその他の史料にそんな記述は一切無い。
同時代の日記・手紙・自伝、鎌倉時代の史書、後世の地域史料、中国・朝鮮の文献など
関係資料全部調べても、『八幡愚童訓』以外に博多の町が焼失したとしてる史料は無いんだぜ。
当時博多の町には、櫛田神社の近くに謝国明が住んでて、承天寺には鉄牛円心がいて、
崇福寺には南浦紹明がいたのに。
さらに言えば、『八幡愚童訓』の記述には、改変された疑いすらある。
『八幡愚童訓』には「博多から避難した人々が帰宅したら、家々が跡形もなかった」とあるんだけど、
『八幡ノ蒙古記』という異本だと「博多に避難した人々」で意味が全く反対なんだよね。
これ、どうよ?
誰かが『八幡愚童訓』の史料としての信憑性を問題にするべきじゃん。
全く何の説明もないまま『八幡愚童訓』を根本史料とし続けてる戦後の元寇研究の現状って、
歴史学的に異常だと思わない?
647 :
日本@名無史さん:2010/05/15(土) 09:49:36
じゃあ 例 の 『史学雑誌』に論文を出せばよろしい
648 :
629:2010/05/15(土) 09:59:30
どうでもいいんだが元寇の史料として「八幡愚童訓」だけを頼りにして
「勘仲記」や「元史」、「高麗史」を読み込まないなんてあり得ないと思うんだが。
650 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/15(土) 13:19:36
>>646 異常だと思う本人が研究して学術雑誌に投稿すればよいのよ
それが学会の共有財産となって理解が深まって学問は進歩するのよ
がんばって雑誌に投稿して下さいよ
みんな研究史を読んで、疑問を覚えて、自分なりに調べて、まとめて発表しているのよ
651 :
日本@名無史さん:2010/05/15(土) 15:21:17
がんばってね
653 :
日本@名無史さん:2010/05/15(土) 22:04:28
>>604 それは間違いなく雄略天皇軍が勝つでしょう。
仁徳は土木事業など国家建設にその生涯の大半を費やしたようだが
雄略は上表文で明らかなように、戦争また戦争の人生だったと思えるから。
仁徳と応神が同一人物だったのではという説は
どの程度信頼性があるんでしょうか?
655 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/15(土) 22:51:52
>>654 低いとも高いとも言えない。
ただし、十分にありえるよ。
よっしゃこい
仁徳天皇陵が雄略の墓という説もあるね。
あれだけ、強い雄略天皇でしたから。
しかし、仁徳の軍のほうが勝ちそう。神様が味方につく。
657 :
日本@名無史さん:2010/05/16(日) 12:59:39
658 :
日本@名無史さん:2010/05/16(日) 18:25:06
秀吉ってマジでロリコンだったん?
年食ってても側室にしてなかったっけ?
10代が結婚、出産適齢期の時代に、ロリコンの概念など存在しない。
そのころの平均寿命は、たぶん40才以下
出産適齢期というのはやや疑問。現在より体格の優れない中で、10代前半というのは
骨盤の発達とかどうだろうねえ。妊娠・出産は今よりはるかに危険だったろうし、平均寿命
40歳以下というのは、乳幼児死亡率が高いためだろう。
ロリコン云々じゃなくて、当時の側室の多くは政略として輿入れしてるんでしょう。
濃姫だって10代前半に信長の正室になってる。10代前半で子供作ったわけではない。
子供同士で結婚させて両家の結びつきを強めたなんてケースもあったね。
663 :
日本@名無史さん:2010/05/17(月) 18:18:44
娘同然に育てといて成長したら妻にする光源氏
とばすがたりもそうなるか
前田利家の妻のまつの方は13歳で子ども産んでる件
664 :
日本@名無史さん:2010/05/17(月) 18:48:07
>>661 >40歳以下というのは、乳幼児死亡率が高いためだろう。
現代であればそうだろうが、当時それはカウント外
間引きとかもあっただろうが、それもカウント外
666 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/17(月) 21:24:50
数年に1回天然痘が流行ってざくっと死ぬからね
大人になるのは生き残った人だけ
667 :
日本@名無史さん:2010/05/17(月) 22:13:09
668 :
日本@名無史さん:2010/05/17(月) 22:15:10
669 :
日本@名無史さん:2010/05/17(月) 22:16:20
670 :
日本@名無史さん:2010/05/17(月) 22:17:55
668にはパスワードが設定していました
パスは1111です
671 :
日本@名無史さん:2010/05/17(月) 22:20:00
古河公方は享徳の乱が終わった後も鎌倉に戻らなかったのはなぜですか?
672 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/18(火) 00:04:27
>>669 曼荼羅だよ。右側の中央が仏陀。それしか分からん。
何とか曼荼羅とかいう種類までは分からない。
よっしゃこい
673 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/18(火) 00:05:25
釈迦如来だね
>>674 朝夕木刀振ってればそれなりにマッスルになるよ。
676 :
日本@名無史さん:2010/05/18(火) 02:21:21
歴史を本格的に学びたいときは、大学の通信教育がお薦めですか?
社会人です。
678 :
日本@名無史さん:2010/05/18(火) 12:00:19
>>671 享徳の乱は、1482年に都鄙合体で和睦し、終結しています。
鎌倉に「戻れなかった」のだと思います。
古河公方を支持する者は、利根川以東の武将が多かったので、古河公方の支配領域もその周辺に限られました。
一方、もう一人の幕府派遣の鎌倉公方(通称、堀越公方)も鎌倉入りを虎視眈々と狙っていて、
すんなり鎌倉入りはできなかったのです。
確か、専用スレ「享徳の乱を語る」があったはずです。そこを参照ください。
>>674 イエメンは上流階級で食べるのに困っていない
マッスルもたぶん一般よりかなり金持ち職業(やくざ?)
長時間労働して、日焼けで皮膚ぼろぼろになっているように見えない
680 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/18(火) 20:22:06
>>674 マッスルの方は、外国人観光客の土産用に撮られたシリーズ物じゃなかったかな
やらせだから庶民を偶然撮影したやつじゃないよ
上は曲芸師か何かで下は肉体労働者じゃなかったかな
手元に本がないから正確には分からん 有名なシリーズ物
681 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/18(火) 20:51:21
>>677 いきなり大金を取られないところで試してみるという考え方もあるよ
放送大学とかね
そこを考えているのかもしれないけど(そこを薦めている訳じゃないけど)
よっしゃこい
>677
社会人で歴史を本格的に学びたいというのは、古文書を読みたいのか論文の客観的評価ができるようになりたいのか
流行(廃れ気味?)の〜テストで一級をとりたいのか、何をしたいのかでアプローチが異なるんじゃないの?
大学の通信教育で何を学べるのかなんてさっぱり分からないけど、対面の方が的確なアドバイスをもらえるんじゃないのかな
市民講座・オープンユニバーシティとか欧風を気取った歴史サロンとか
今はwebで主催者の政治的な思想も事前に探れるし、変な色に染まっていないところに顔を出してみてはどうだろうか
通信教育や放送講座で学ぶべき方向性が見出されるのかもしれないけど、そこまで主体的に取り組めるのなら独学でもやれるんじゃ…
684 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/18(火) 23:36:17
通信教育は当たり外れが大きいと思うけど、
それは対面式の大学でも同じだし、
市民講座でも同じだと思うわけよ
そんなら受講してみればと。
しかし、いきなり何十万も払うのは怖いだろうから、
1コマから受講できるらしいし、信頼性もあるH送大学で試してみては?
と思った次第。非常勤も含めて日本史の講師陣は豪華だからな、昔から。
大枠の大ざっぱな1学科になったから、やりたいことがきまっている学生には選びにくいかもねH大。
まあでもコマ単位に選べばいいんじゃないかな。
他にもいいのがあればどうぞ。
685 :
日本@名無史さん:2010/05/18(火) 23:58:10
足利義満は北朝と南朝から交互に天皇を擁立するということで
南北朝を統一したけれど、以降ずっと北朝から天皇を擁立して
約束を反故したようだけど、こんな最重要な約束を反故にして
いろいろと揉めなかったのか?
いくら当時の義満が権力者とはいえ、絶対に大揉めすると思われるのだが?
トラブルは起きてるよ。禁闕の変とか嘉吉の乱とか。
687 :
日本@名無史さん:2010/05/19(水) 00:11:06
テスト
慶○大学の通信でも、卒業すると学士(史学)卒となるね。
689 :
日本@名無史さん:2010/05/19(水) 16:24:20
さすが通信大学卒の博士
いつもは3行程度で大雑把な回答なのに実にお詳しい
690 :
日本@名無史さん:2010/05/19(水) 20:37:48
またまたアグネスぶよう登場
691 :
日本@名無史さん:2010/05/19(水) 21:14:16
坂本龍馬の収入源についてお尋ねします。
龍馬の収入らしきものは海軍操練所の支度金があったでしょうが
それ以前はどうやってやりくりしていたのでしょう?
脱藩浪人には給金でませんよね。
ヒモ?仕送り?
692 :
日本@名無史さん:2010/05/19(水) 21:46:35
>>685 詳しくありませんが、
幕府=北朝と南朝は、南北朝合一直前のころに、既に勝敗が決しているし、
幕府の後ろ盾のある北朝と南朝の実力の差は相当なものでした。
ただ、「後南朝」として、ささやかながら抵抗はしているはずです。
693 :
日本@名無史さん:2010/05/19(水) 22:21:49
足利義満って日本史上でも相当な実力者であったけど、実績に比べて知名度が
低いように思われる。もちろん、歴史に興味ある人ならほぼ全員知ってるだろうが、
歴史に興味ない人からすればあまり知られていないんじゃないか?と。
・3代将軍にして、室町幕府の全盛期を築く
・南北朝を統一する
・京都御所より広大な花の御所を造ってそこに住む
・有名な金閣寺を造る
・宋から「日本国王」と呼ばれる
この実績ってマジで凄すぎないか?
694 :
日本@名無史さん:2010/05/19(水) 23:11:18
695 :
日本@名無史さん:2010/05/19(水) 23:19:29
>>693 一休さんってガキにこてんぱんに言い負かされるイメージしかない
「天皇になろうとした将軍」ですから。
697 :
日本@名無史さん:2010/05/20(木) 00:13:45
>>693 宋じゃなくて明だよ
ただ室町幕府の長期的安定に権威高揚よりも
実質的な権力向上をもっと講じてほしかった
例えば日本国王や天皇と同じ畳を使う権威向上よりも
直轄領(御料所)をもっと増やして奉公衆を5万ぐらいにしたり
鎌倉公方を廃止してほしかった
応永の乱後の大内家の後継ぎ争いでは幕府が推した候補者が討ち死にして
追認せざるをえなくなり、鎌倉公方にも奥州の統治を委任することとなった
>>697 まあ、そういうなよ。あいつだってあいつなりに頑張ったんだよ・・・
>>693 知名度は、大きい戦さの回数に比例する。
家康や謙信、尊氏、義経以下なのは仕方ない。
700 :
日本@名無史さん:2010/05/20(木) 12:05:13
小沢一郎幹事長、ソウルの国民大学で講演「日本人は寄生虫、害虫」
民主党の小沢一郎幹事長は12日、ソウルの国民大学で講演後、約250人の学生と
日本人について語り合った。学生から、多くの日本人が学校にも通わず、仕事にも
就かないニートについて聞かれ、小沢氏は「日本のニートの現状はみんな親が悪い。
日本人の親は学校にも行かないで、仕事もしないぶらぶら遊んでいる子供を食べさせ
ている」と持論を披露した。
小沢氏は「学校にも行かない無職の子どもを責める前に、日本人の親達は子供を
甘やかしている。親に民族教育を確りしないといけない」と主張した。「日本人の
若者は漠然と他人に寄生し寄生虫として生きているとんでもない害虫だ」とした。
「もともとむ日本人の親達もどうかしている。日本人は動物にも劣る民族といっても
過言ではない」とした。「日本人はもともと民度が劣るから、君達韓国人のような
優秀な民族の血を日本人に入れない限り、他人やアジアに寄生して生きる害虫日本人
が増えるだけだ」とした。日本の古代歴史についても「韓半島南部の権力者が日本の
国家を樹立したもの」と述べた。・・・・( ソウル発外電 2009/12/13)
【トンデモ史観】小沢一郎・韓国講演
ttp://www.youtube.com/watch?v=uX7xFMvCly8&feature=youtube_gdata 【売国】小沢一郎幹事長言行録
ttp://www.youtube.com/watch?v=NXjgD4jb_Jg&feature=channel
701 :
日本@名無史さん:2010/05/20(木) 13:27:58
平安だか鎌倉だかの時代にポリネシア系と思われる南方の腰蓑付けた民族が漂流してきたって話を
どっかで聞いたことあるんだが詳細知ってる人いない?
なんか刀かなにかを欲してそれを拒絶したら強盗紛いの事をしだしたので
斬り殺したって話だったと思うんだが…
702 :
日本@名無史さん:2010/05/20(木) 17:09:57
前に日本史のネタ本を読んでいたら、江戸時代は初期と末期とで
殆ど日本人口に変化が無かったと書いてありました。
一寸意外な気もするのですが、まあ当時は乳幼児の早世など多かったようだし
そう思えば納得… と思いきや、江戸において武家から町人に至るまで
家を継ぐ嫡男は別として、次男以下は一生独身で過ごす者も珍しくなかった
などとありました。
また、町人の場合は結婚したとしても、2人なり3人なりの子供を儲けると
その後は妻との性交渉は殆ど無くなり(避妊のためか?)、代わりに吉原等で
プロの女性相手に遊ぶ、というのが主流だったとか。
実際にそうだったのでしょうか? 俗説っぽい気がしないでもないのですが…
というか、江戸時代の人口の9割以上は農民だったから、武家や町民に変遷があっても
大きくは全体に影響を与えないでしょう。
704 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/20(木) 20:41:55
>>691 パトロンじゃないの
>>701 わかりません
>>702 ちと違います。
初期から前期は人口が増えて、中後期は停滞傾向。
戦国から近世前期は大開発の時代で耕地が増大し、人口も増大。
独身云々も子供の数もプロの女性云々も間違い。
よっしゃこい
705 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/20(木) 20:51:45
例えば、
子供を3人作っているところに天然痘が大流行
子供が全員死亡
その後、また3人ぐらい子作り
そこにまた5年ぶりの天然痘大流行・・・
また全員死亡あるいは1人だけ生き残る・・・
こんなことがざらにあるから避妊とかしている場合じゃないのよ
あとこんな感じだから、生き残って成人した大人の養子先もあるのよ
健康とか性格(働きぶり)とかも問われるけど
まあ間引きとかもするけどね
706 :
691:2010/05/20(木) 22:05:32
>>704 歴史学博士でもその程度の回答ですか。かいかぶっていました。感謝はいたします。ありがとう。
灰かぶり姫
708 :
日本@名無史さん:2010/05/20(木) 22:56:00
世界から見て日本はどのように位置づけられるものですか
709 :
日本@名無史さん:2010/05/20(木) 23:44:59
秘宝館
熱海城
711 :
日本@名無史さん:2010/05/21(金) 01:17:04
博士じゃないけど解答がついてなさそうな質問に適当に
>312
明治に戸籍法が制定されてから徐々に、じゃないかな。
産まれてすぐ戸籍登録の上、名前を変更できないから。
ちなみに、武士や公家は「仮名(けみょう)」「実名(じつみょう)」の2つの名前を併用していたが、
これも戸籍法によって一つに制限されて今に至る。
>313
元は貴族から武士に広まったんだろ。
>315,373
つかそもそも、国号を変えるというのは王朝交代の際に行う儀礼だから。
王朝交代しているわけでもないのに国号を変える、なんてのは中国でも滅多にない。
>335
俗に極楽浄土といいますが、浄土というのは本来、「この世」で修行するよりも悟りを開きやすい場所、修行の場という意味だったはずです。
浄土に行くことが目的ではなく、浄土で修行して解脱する事が目的だったはずです。
>356
戦国期に宣教師経由でヨーロッパに渡った資料の調査をできる人が活躍してくれるといいな。
誰かポルトガル語に堪能な学者(の卵)はいないのか?
>376,379
藤原氏が複数の家系に分裂して役割分担やら主導権争いやらするようになったことで、
家と家を区別する新しい姓を与えた(姓じゃなく苗字?)ので、藤原と名乗ることはなくなった、んじゃないの。
藤原家の有力者が藤原某という名前で出てくるのは承久の乱の直後ぐらいまでだったと思う。
公文書の署名はずっと藤原のままだったようだけど。
712 :
日本@名無史さん:2010/05/21(金) 01:39:14
>413
金の出所として想定しうるのは、
大商人を脅して献金させることぐらいだな。
薩長の関係者も含め(というか、こっちが筆頭だな)多くの武士が商人を脅して金品をせしめていたんだから。
献金をケチって殺されて晒し首にされる商人も少なくなかったから、ちょっと脅かせば進んで献金したんじゃないの。
もちろん、現在の法律では恐喝か強盗に相当します。
むかしはおおらかだったんだね。
>428-429
「どうしても必要」なのは事実だったが、軍事占領は無理だね。大義名分がないので、アメリカの国際的地位に悪影響が出る。
対日貿易関連の匙加減をゴニョゴニョすると脅す以外の手段は難しいと思う。
が、当時の日本の国力でゴニョゴニョされたら国家崩壊するから、拒否する方法がない。
>437
「音読み」という語句自体は音読みじゃない、重箱読みだ。
>438
藩というのは江戸時代の大名領国のことを明治になってから呼んだもので江戸時代の言葉じゃない。
いや、俗称としては江戸時代にも使ってたのか、博士さん、ども。
>461
今後、ひょっとして万が一、何かあれば、今上帝の名前が載る可能性は否定できないけどな、
そういう大事件が起きりゃ、オレらの生活がムチャクチャになるほどの規模の。
起きないことを願ってはいるが、有り得ない話ではない。
713 :
名無しさんの野望:2010/05/21(金) 02:22:40
>493
日清戦争途中からそういう気運が強くなった模様
昭和の話としては、日中戦争前半と対米開戦から1〜2ヶ月ごろの時期ぐらいか。
戦況が膠着してからは厭戦期分の方が強くなった模様。
>497
そりゃ自己アピールのためなのは自明だけど、(恩賞のため、以外にもアピールはあるだろ、というレベルで。)
アピールすべき自分以外の、特に利害関係があるわけでもない第三者の軍功を記述してる部分まで疑う必然はないだろ
竹崎だっけ、の軍功は自分のだからともかく、菊池とか白石とかの軍功を記録する必然性が判らん。
>506
武家政権の存在形態が激変する原因そのものが南北朝の争いにあった。
「守護」が「守護大名」と呼ばれるような権力を持つようになった原因そのものだし、
武士の力がほとんど及ばない荘園が各地にあった時代が終わったし、
政治史はともかくとして、社会構造の変化は極めて大きかったハズなんだが...
>596
たいていの大名には官位はある。が、基本的には室町幕府の守護の職権を継承する感じ。
幕府の職制で「守護」となるのが大半。まあ、制圧が終わってない係争中の国の守護になる場合も多いけど。
出自としては守護でない人が多いけど、大名として勢力を固めてから守護になってる場合が多い。
関東管領とかは守護たちを束ねる役割で、「大名たちを束ねる存在」ともいえる。
越後国は関東管領の管轄範囲に入ってたかな? 微妙。甲斐とか伊豆は入ってるけど。
近年では、後北条氏も関東管領の立場にあって、謙信との間で関東管領としての正当性を争っていたのではないかなどとも言われてる?
刺史は正式には軍事権を持たない役職だけど、刺史という肩書きにこだわる者も幾人かいたのは確実。
>624
当時の天皇御所よりは広かったかも。とはいえ、しょせん「里内裏」みたいなものだから、狭くても仕方ないし。
>614
いちおう学者は、威力偵察(的なもの)と本格侵攻の両方の立場について色々検討した結果として、
威力偵察みたいな感じだったんじゃないかと考えてるわけだよ。
対するに村松氏は、そういった検討をしたのか?
まさか何も検討せずに「威力偵察ではなかった」という前提から入って論証したのか?
と、あなたに質問してるんでしょ。たぶん。
村松氏はその点について、どう考えてるの。検討したの、してないの。
もう一度本を読み直して、精読してから答えないと、話にならないよ。
村松氏の論証レベルが低いのではなくて、あなたの理解力が低いの。
ひょっとしたら村松氏は、あなたが読み落とした部分でキチンと論証しているかも知れないでしょ。
まあ、ひょっとしたら村松氏は史料の検討に関する何か重要な部分を欠落してるかも知れんけども。
本質は「村松氏を紹介しようとしている人物」の方に問題があるだけのように思える。
>671
鎌倉周辺には的の勢力の方が強くて、味方の多くは鎌倉から離れてたから、じゃないの?
それと、古河という土地は関東の東半分を制圧する中心地として適していた、
いわば要所らしい。
>685
義満自身は約束を守ろうと頑張った様子だね。
でも北朝側の反対が強くて実現できなかった。
まあ、それで諦めたこと自体が「約束を反故にした」と言えるけども。
>702
ネタです。
江戸時代の初期、百年足らずの期間までは人口が激しく増えています。
たしか、新田開発のしすぎで河川氾濫やら干ばつが増えて開発抑制に転じたりもしてるし...
伝染病は人口密度の高い都市部では深刻ですが、農村部では大流行することなんか滅多にありません。
都市部では伝染病の流行頻度が高かったようです。おかげで、人が死ぬ死ぬ。
農村部より十年以上も平均寿命が短かったんじゃないかな?
>709
秘宝館、いいね。でもにほんじんのセクース率は先進国で最も少ないんでしょ。
716 :
日本@名無史さん:2010/05/21(金) 07:55:41
世界的に見て、昭和天皇と明治天皇はかなり有名らしい
明治天皇が世界的に有名なのは、当時の日本が日清日露の戦争で
勝利したからですか?
717 :
日本@名無史さん:2010/05/21(金) 12:46:26
>716
明治維新そのものも有名だから、それもあるかも?
「名臣を重用して政治を任せた」という業績により名君認定
って理由もあり得るんだし。
明治維新の時の天皇なんてまだ子供だったじゃん。
719 :
日本@名無史さん:2010/05/21(金) 21:41:19
創氏改名した朝鮮人の名に
やたら植がつくのは何故ですか?
歴史検定試験1級合格は、値打ちありますか?
721 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/21(金) 23:50:54
歴史学博士様は、歴史検定1級くらいは簡単に合格できるのですね?
歴史学博士様はおそらく高等遊民で、世俗のことなど気に留めておられないのだよ。
724 :
日本@名無史さん:2010/05/22(土) 00:04:18
趣味系の検定だから、同好の士から尊敬されるかも知れんことと自己満足、ぐらいの価値だろ? 常考。
少なくとも、実用的な価値がゼロであろう事は想像に難くない。
と横レス。
725 :
日本@名無史さん:2010/05/22(土) 01:02:15
明治維新の後、日本は中央集権国家になったけれど、
当時の国家公務員、地方公務員は幕府や藩でそれなりの地位にいた
役人がそのままなったのですか?
それとも庶民が試験に通ってなったのですか?
726 :
日本@名無史さん:2010/05/22(土) 09:24:04
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727 :
日本@名無史さん:2010/05/22(土) 12:04:21
>>725 家老が即座に県の幹部というのはないと思うがどうなんだろう?
もちろん藩士が県の役人になる場合もあった
地方議会(三新法成立で全国的に制度化)ができて豪農商の発言力が高まった
よっしゃこい
>>714 じゃあ、その学者が検討した威力偵察(的なもの)の具体例を挙げてくれよ。
モンゴル軍のどの作戦とどの作戦を比較検討したのさ?
威力偵察説が色々検討した結果なんてのは嘘。
学者は何も考えないで、イデオロギー的に都合のいい説に飛びついただけ。
ちなみに松村氏は文永の役の艦隊編成を検討した結果、威力偵察などではなく、本格侵攻としている。
>>728 こんなところでクダ撒いてないで、さっさと『史学雑誌』に論文を出せ。
菅原道真と吉備真備、どちらが天才?軍事は吉備先生だけど。
焼肉屋・パチンコ屋で働く奴は朝鮮人の奴隷
732 :
日本@名無史さん:2010/05/22(土) 21:52:17
博士はどこかの研究所か史料センターにいると思いますが
給料はどれくらいですか?結婚して子どもを作れるぐらいの給料はありますか?
733 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 10:09:01
マジレス願いたいが、50年後、100年後の日本で天皇制は続いていると思いますか?
もし続いてるなら、今と同じような象徴天皇制でしょうか?
続いてるかどうかの推測の根拠も聞かせてほしいです
歴史学が扱うテーマじゃないと思うんだが。
735 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 14:57:53
>>733 象徴天皇制こそ天皇家存続のために必要
天皇が政治を主導したら国民の不満や文句が天皇へ向いてしまう
明治からそういう考えがあった
736 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 15:48:02
>>734 過去を振り返って歴史を学び、そして近い将来を見据えるということは
歴史学の重要な意義だと思う
>>736 だって未来というのは不確定要因に満ちあふれているんだよ?
歴史学というのは過去を学ぶことで現在への影響やこれからの指針に役立てるという
意味はあるけど、未来予想なんて不可能に決まってるでしょ。
738 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 16:45:19
>>737 もちろん未来を言い当てることは出来ない
でも「予測」「推測」することは出来ると思うよ
だから
>>733は〜と思う?って聞いてる
>>738 どうやって?
冷戦時代に共産圏が総崩れするなんて予想できた?
毛沢東政権時代に中国が資本主義を採り入れると予想できた?
明治時代に天皇の地位が他国の意志に委ねられた占領統治なんて事態が予想できた?
歴史は不確定な要因に満ちあふれています。
歴史を学ぶと言うことは未来予想は出来ないということでもあります。
740 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 16:57:30
孫文に権威がある限り、この地区はフリーメイソンが歴史を決める
741 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 17:51:00
>>739 堅いな〜
そんなこと言い出したら天気予報も来週の予定も何も言えなくなるぞ
誰もそんなレベルで聞いてないよ
もっと気楽な「〜と思うよ」を聞きたかっただけ
昔、大阪城の場所に在った石山本願寺は前方後円墳の上に建てられたそうですが
その古墳に葬られてる天皇は誰ですか?
743 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 02:52:28
>742
前方後円墳だっけ?
難波宮の宮城跡だと思ってた。
幕末辺りを背景にお願いします。
例えば、偉い人が2階の座敷にいて越後屋が訪ねてきたので
部下が玄関→一階廊下→階段→2階廊下→次の間を通って越後屋を座敷に案内しました。
この場合部下はどこで待つのが普通ですか?
ちなみに部下は越後屋のことを快く思っていません。
次の間だと話し声が聞こえて偉い人に怒られますかね?
745 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/24(月) 20:42:35
>>744 偉い人と越後屋が同じ部屋に入ることはない。
偉い人が上之間、越後屋が次之間で面会。襖を開けて。
また、正式には直接言葉を交わすこともない。
家来が伝言ゲームをする。だから2人きりというのもなく、家来が必ずそばに控えている。
もちろん、気さくな人なら言葉を交わすことはあるが、
越後屋は平伏したままで、顔とかを見る分けではない。
この家来とは直接話すとは言っても、正式にこの家来と面会するときには、
さらにこの家来の家来が出てきて同じことになる。
家来が上之間、越後屋が次之間、家来の家来が取次で控える。
儀礼とはこういうもの。
よっしゃこい
>>745 ということは、老中・旗本・奉行と商人が密談して、最後に
お主も悪い奴よのうと言いながら、小判を受け取る
必殺や水戸黄門に出てくるシーンは、本当はあり得ないんだ。
748 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/24(月) 23:46:54
>>746 商人と武士とかの身分違いで同じ部屋に入るのはないよ。
何十万両借りていても。
よっしゃこい
749 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 00:44:55
それは公の場での話でしょ
よっしゃこい
750 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/05/25(火) 01:35:31
以前も書き込みしたんだけど、
>>40の名無しの質問に、
>>41の自称博士が回答している…
この質問
>>40はおかしいよ。日本史のマスターの人間が、こんな質問する
わけがない。こんな質問になんの疑問もなく答えている自称博士は
大学院自体知らないとしか思えない。
この人、院卒を自称しているようだけど、絶対あり得ない。
院には行ったことがない人だと思う。
752 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 11:22:39
京都で死没した歴史上の人物をリストアップしたいんですが、どのように調べたらいいでしょうか?
753 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 11:42:29
すいません、暗殺・処刑により京都で死没した人物です。よろしくお願います。
関ヶ原の戦い、せいg
関ヶ原の戦い、西軍の指揮官が石田でなく島津義弘だったら
西軍に勝機はありましたか?
>>755 タラレバは無意味なんだが、あえて言えば勝機はあっただろうな。
っつうか、三成だって勝機が無かったわけじゃあない。
小早川の裏切りさえなければ、とか、毛利勢が積極的に動いてれば、とか、いくらでも考えられる。
757 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/25(火) 20:06:10
>>749 どうやったら偉い人が越後屋と私的に会えるのかと。
その設定自体がありえない。
よっしゃこい
758 :
魚屋与四郎:2010/05/25(火) 21:23:40
759 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/25(火) 21:47:24
>>758 戦国時代の豪商や「初期豪商」は、江戸時代の商人じゃないよ
ここでいう越後屋じゃないよ
越後屋は偉い人の茶の湯に参加できないよ
よっしゃこい
越後屋は実は美童だった。
761 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 22:53:59
新門辰五郎と一橋慶喜が仲良かったりしてるじゃん
762 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/05/25(火) 23:28:40
>>745 江戸後期なんか顕著だけど、旗本なんかだったら、商人に金借りて首廻らなかった場合、
そんなにお高く止まれないことなんてザラだよ。
なんにも知らないんだなw
>>641 きゃははははwバッカみてえ。
軍事史と歴史学が何で対立概念なんだよw
院には絶対に行ってないなオマエw学部すらも出てないだろうな。
軍事史は歴史学に含まれるよ。ただアカデミックな史学では少々研究が手薄なだけだよ。
最近は少しずつ研究増えている。
たぶん軍事史の一般書籍に在野のアマチュア研究者(オマエはアマチュアのレベルもクリアできてないね)
の書いたのが多っかったりとか、
有名な(悪名高い?)陸軍なんかの研究なんかもあるから、そう思い込んだだろうけどさー。
オマエ、院卒を自称してそりゃあないだろw
763 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/05/25(火) 23:44:56
>>761 交際しないとか仲良くしないという話じゃないよ
764 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/05/26(水) 00:04:44
今初めて読んだけど何これw
>>368>>372 佐々木潤之助の幕政改革なんてよく知ってるなあ、と思ったけど、
なんで別に通説でもなかった佐々木の所論なんかが唐突に出てくるわけ?
慶安の触書を実在乃至非実在なんかを論じる際に、佐々木潤之助の所論なんか
普通言上げしないよ。君はオーソドックスな研究史を踏まえていないね。
ネットか雑本で知ったかしたような知識なのがバレバレだよw
ああ〜そうそうw佐々木潤之助の言っていた「慶安幕政改革なるもの」wは、
実は佐々木自身撤回しているのさ(もう物故しているけどね。晩年にね)。
ていうか、はっきり言って君がいいかげんなネット経由の知識を得々と開陳するのに
には、見ていてむかむかするんだよな。
だいたい佐々木先生に失礼だろ。研究史も踏まえず(ググってすます自称博士か…笑わせやがる)
佐々木先生の所論を勝手に決め付けてムカムカする。
ちゃんとお勉強しろや。
765 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 00:49:40
博士が武陽さんの登場にたじろいで逃亡中
766 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 00:57:28
129 名前:武陽陰士 ◆ATDF4vFZys [] 投稿日:2007/11/04(日) 01:40:01
ところで鎌倉でエッチしたきゃ普通のホテルに泊まるしかないんだよね。
でもなんか感じでないんだよねー。
声なんか出したらエラいことになっちゃうし
その点、ラブホだったらね、どんなに声をあげてても大丈夫(*^_^*)
んでもって私は今、横浜にお泊まり(^_^)v
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>>762 武陽さん、元寇スレに遊びにおいでよ。
難民板ではちょっと苛め過ぎたと後悔してる。
今度は手加減するからさ。
768 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 15:34:19
今更つまらない質問ですが、江戸時代(それ以前も?)それなりの地位に有った人物は
名前に地名が入りますよね?例えば勝安房守、小栗豊後守、木村摂津守等。
それぞれの人物と地名にどのような関連性が有るのでしょうか?
おやはや(笑)武陽は相変わらず愚か(笑)そもそも人はオーソドキシーから物事を始めるものではない(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
>>768 あれは、朝廷の官名で、発行して、礼金を頂くシステムだから、実際の地名とは無関係。
今の、お葬式の戒名と同じ。
771 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 17:58:02
>762
横レスだが...
おいおい。旗本ならともかく大名とかが商人に金を借りるときは部下を行かせるだろ。
旗本は直々に出向くかも知れんが、それも身代の規模によるんじゃないの。
諸事情によって、お高く止まりたくはなくても、幕府の決まりもあるので、
うっかり本人がペコペコして、それが公になれば両方に罪科が... とかじゃないか
772 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 18:02:18
>768,770
江戸時代には武士の官名は幕府で決定して朝廷に通達するという過程を通して発行されるので、
誰がどの官名を帯びるかは全て幕府が調整した。
朝廷には、この決定権がなかったんだよ。
朝廷で独自に、誰をどの官に任命するかを決定できる範囲はかなり制限されていたわけ。
この範囲を巡る綱引きの一つが紫衣事件だった、のではなかったかな。
幕府が範囲を決めたことに対する朝廷側の抵抗という意味で。
773 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 23:01:38
もともと武家の官位は幕府の推薦が必要だった
頼朝の時からのならわしだ
家来が主君をさしおいて朝廷から官位はもらえんよ
よっしゃこい
薩摩の武士は日本最強ですか?
・忌避官名
尾張守
治部大少輔
右衛門尉
左右衛門大夫
776 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 01:59:34
>773
江戸幕府が確立するまでは、
幕府が官位推薦しても朝廷で審議されて決定されるし(たいてい通るけど)、
そもそも朝廷には官位の定員があった。
朝廷での官位の定員枠に関して、幕府から推薦された人間は人数外として
まったく朝廷での審議なく任命される制度が江戸時代の新制度。
こういうルートを通さずに諸大名と朝廷の間で独自の推薦ルートが造られた例外的な時期が戦国時代
777 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 04:10:36
すみません聞きたいことがあるのですが…
日本の神なのに神社で祀られていない神は何人いるんですか?
大学の課題なんです
>>777 そんな愚問を出す大学なんかあるのか?!
っつうか、神様を数えるのに何人なんて言わない。
神様の場合、何柱と数える。
779 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 07:16:44
>>778 単位には関係ないんですけど
どうしても気になるんです><
AVの「美少女」は美しさが少ない女と読むそうだが
「大学」も新しい読み方が必要なようだね
>>777 (神話に登場する神)-(神社の祭神)でしか割り出せそうにないなこりゃ。
見当つかないわ。
782 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 13:49:10
>>781 なるほど…ありがとうございます
それでやってみます!
一揆と洞ってどう違う?
一揆に血族的要素が加われば洞?
>>782 ナンセンス
日本の神様は八百万(やおよろず)。
800万ということじゃなくて、めちゃんこ多いという意味。
多すぎて数え切れんってこったわ。
だから愚問だと言ったのよ。
戊辰戦争で、尾張藩は御三家でありながら東征軍として幕府側と戦っていますが、
将軍家と特に結びつきが強い藩でありながら、なぜ新政府軍についたのですか?
そのあたりの経緯がいまいち分かりません。ご教授願います。
786 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 20:54:11
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm 小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
>>785 将軍後継問題では、いつも負け続けたのが尾張。
八代将軍吉宗の時代には、尾張の徳川吉春は幕府の経済政策を批判したこともあって隠居を強要されたりもした。
そんなことが大きいだろうな。
ただし、藩主の感情としては反幕府は無理ないとしても、家臣団までそれでまとまっていたかといえばそうではない。
幕末には尾張反内部での勤皇派と佐幕派の激しい闘争があった。
「青松葉事件」でググッて見るといい。
788 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 16:31:06
尾張藩主徳川慶勝は松平慶永と同じ公儀政体論者だから討幕論者ではないだろう
将軍家のために殉じようという忠誠心が一概に風化してたんだよ
789 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 20:00:05
武陽が煽らないと面白くないなw
馬鹿とネット検索インチキ野郎の対決が見たいなw
791 :
日本@名無史さん:2010/06/01(火) 23:40:15
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■
@まず日本人のふりをしながら朝鮮煙幕を炊き付け、それを自ら叩いて
自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)
Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)
Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。
Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。
792 :
日本@名無史さん:2010/06/02(水) 01:11:07
志村けんがやってる「馬鹿殿様」はどんな身分の人を想定してるのですか?
戦国大名か江戸時代の藩主くらいかと思うのですが、どうでしょうか?
793 :
日本@名無史さん:2010/06/02(水) 01:17:35
戦国大名が夢見た、「京の都に上って天下に号令をかける」とは具体的にどういうことですか?
なんとなくの感じはわかりますが、具体的なことがわかりません。
794 :
日本@名無史さん:2010/06/02(水) 07:59:10
795 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/06/02(水) 21:59:11
>>792 江戸時代中期以降、あるいは17世紀末以降の藩主と思われる。
・城下町の様子
(↑兵農分離)
・家臣との関係
・家老との関係
(↑いわゆる「藩体制の成立」以降)
・近隣との領主との対等な関係(何とか姫)が出てくるので将軍ではない。
よっしゃこい
796 :
日本@名無史さん:2010/06/02(水) 22:44:51
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html 稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
797 :
日本@名無史さん:2010/06/03(木) 08:26:01
798 :
日本@名無史さん:2010/06/03(木) 08:35:37
>>793 有志の戦国武将が、「天下取りの決意」を示した言葉ということではないでしょうか!
具体的な意味はないと思います。
強いて言えば、京都の将軍・天皇をいだいて覇権を実現しよう!ということでしょう。
信長がそうでした。
799 :
日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:36:16
>793
「京の都に上って天下に号令をかける」と夢見た大名は少数派です。
むしろ例外的存在だったとさえ言えるほど少ない。
実行したのは大内・三好・織田の三名ですが、志した大名の数も、それと大差ないほど少なかったでしょう。
ちょっと微妙に違うものも含めれば、足利持氏のように、もう少し人数は増えますね。
800 :
日本@名無史さん:2010/06/04(金) 00:43:28
801 :
日本@名無史さん:2010/06/04(金) 21:41:37
明治維新の職業選択・移転の自由に関する法令について。
おそらく太政官布告だと思うのですが,根拠となっている布告をご存知の方
いらっしゃらないでしょうか?
1871年12.18「華族 士族 卒に農工商業を営むことを許可」
1872年8.30「農民の職業選択の自由の許可」
などがありますが,「平民」の職業選択の自由に関するものも見つかりません。また,移転の自由に関するものは見つかりません。
それぞれ根拠となっている布告はないのでしょうか?
802 :
日本@名無史さん:2010/06/04(金) 21:47:08
>>798 大名が進軍して京都に入り、御所で天皇と謁見し、天皇から自分が日本を平定する
立場であると認定してもらうってことでしょうか?
そもそも当時は写真もありませんが、大名は時の天皇の顔を知っていたのでしょうか?
各大名の元に天皇の肖像画が配られるとか・・・
803 :
日本@名無史さん:2010/06/04(金) 21:48:04
江戸時代、バス&トイレ付きの家に住める武士はどのくらいの身分からでしょうか?
804 :
日本@名無史さん:2010/06/05(土) 00:19:23
現在、天皇は政治権力を持たず、象徴として政治権力者である内閣総理大臣を
任命しています。
天皇が象徴になるずっと以前の天皇(鎌倉〜江戸期)も政治権力者である
征夷大将軍を任命していました。
将軍が政治権力を行使していた時期の天皇は今の象徴天皇と実質的には
同じような立場であったと考えるべきなのでしょうか?
それともまったく違う立場なのでしょうか?
805 :
日本@名無史さん:2010/06/05(土) 03:02:44
>804
違う
>803
大多数の武士は長屋暮らし
家老とか大名とか、それこそ別格の大身だけじゃないの?
確か江戸時代って偉い人でもしょっちゅう風呂に入ってたわけじゃないんだよね。
普段は行水で汗を流したり簡単に体を洗ったりしていたはず。
807 :
日本@名無史さん:2010/06/05(土) 12:41:34
>>802 天皇個人からいうより朝廷や幕府という「公儀」から、自己の立場を公認してもらおう!
ということだと思います。
将軍は神輿的な存在でしょうね! 利用価値がなくなれば使い捨て、義昭がそうでした。
そういう存在ですから、顔ウンヌンは問題にならないでしょう。
808 :
日本@名無史さん:2010/06/05(土) 12:56:19
>>804 >天皇が象徴になるずっと以前の天皇(鎌倉〜江戸期)も政治権力者である
征夷大将軍を任命していました。
「象徴」とい用語は、戦後GHQが憲法で創設した言葉ですが、
実質はそれ以前の天皇も権力はなく「権威」だけの存在でしたので、
似たような立場でしょうね。
日本史的には、承久の乱以前の朝廷(公家政権)は実質権力も伴った存在でしたが、
乱後は幕府(武家政権)側に実質権力が移って行きますが。
809 :
日本@名無史さん:2010/06/05(土) 23:36:25
日本史上で天皇(皇室)がもっとも弱体化したのが江戸時代だと言われていますが、
江戸時代の天皇(皇室)は現在の天皇(皇室)よりも発言や行動の自由、地位や権威、
その他諸々の意味で弱かったのですか?
現在の天皇には個人的な発言とかも大きく制限されていますし、日々の日程は
宮内庁等が決めていて好き勝手なことはできないから、かなり不自由な身ですよね
まあ江戸時代の天皇は御所から出るのも幕府の許可が必要だったと言いますが・・
810 :
日本@名無史さん:2010/06/06(日) 00:08:55
スレを速攻消化したい自称バカセ(自演レス中)w
811 :
日本@名無史さん:2010/06/06(日) 00:11:48
>>809 江戸時代の天皇は歴史上一番貧しかった。
でもなんといっても今とは違い政治権力を有しており、
官位や官職、年号を決める権限は天皇が有していた。
江戸幕府の将軍すら天皇率いる朝廷の公家軍団への配慮なしに
勝手に官位や官職を上げたり進めたりすることはできなかった。
現在の天皇はこれすら持ってないよね。
江戸時代の天皇は火事にでもならない限り内裏の外へ出られなかった。
(幕末の孝明天皇のときには幕府権力が落ちたので逆に上洛した将軍に供をさせて寺社参拝に行ってるが)
ただし、退位して上皇になれば結構自由に遊びに行けたので、早めに上皇になる例もある。
正月の年賀の際には紫宸殿の南庭に一般庶民を入れて見物させていたようで(一般参賀の先駆け?)
江戸時代の天皇は意外に庶民的だった。
812 :
日本@名無史さん:2010/06/06(日) 00:14:12
かなりの恥かいたスレだから、さっさと消化したくもなるよな、バカセw
813 :
日本@名無史さん:2010/06/06(日) 02:06:23
それだけで庶民的というのはどうかね?
江戸城もベルサイユ宮殿も一般見物させてる時があったけど
814 :
日本@名無史さん:2010/06/06(日) 02:22:31
>808
国政を動かす完全な権限こそ持っていなかったとはいえ、
ごくわずかながらの政治的権限があったのも事実なので、
象徴天皇制のような権限を持たない状況とは違うと思います。
本格的に武士が政治的に朝廷を押さえつけるようになるのは南北朝より以後でしょう。
それ以前は、幕府はそんな大きな力を持ってはいませんよ。
815 :
日本@名無史さん:2010/06/06(日) 05:32:15
バカセが舞踊に論破されて以来一回しか登場してこない件w
816 :
日本@名無史さん:2010/06/06(日) 07:34:09
>>811 天皇と面会した将軍は少数派だと思うのだけど、過半数の将軍は
天皇の顔すら知らないという状況だったのだろうか?
それとも、天皇や将軍の肖像画を互いに交換したりして、
ある程度どんな人なのか知ってたんだろうか?
817 :
日本@名無史さん:2010/06/06(日) 07:40:15
このスレ消化されたら、自称バカセはのこのこまた来るぜよw
(今朝も名無しでレスしてるなw)
(ババンババンバンバン)
史学雑誌読んだか?
(ババンババンバンバン)
涙ふいたか?
(ババンババンバンバン)
鼻水すすったか?
(ババンババンバンバン)
また次スレ〜!
819 :
質問:2010/06/06(日) 13:48:11
博士さんと武陽陰士さんは例えるならどんな関係にありますか?幕府と朝廷ですか?ロシアと米国ですか?それとも義政と富子でしょうか?宜しくお願いします。
820 :
日本@名無史さん:2010/06/06(日) 14:51:29
博士と武陽の関係は小早川秀秋と片倉重長
821 :
日本@名無史さん:2010/06/06(日) 16:04:38
ヒロシの聖域はここだけじゃけん
邪魔ましちゃいけんのおw
822 :
日本@名無史さん:2010/06/06(日) 16:09:03
ブヨーが暴れると過疎る これガチ
823 :
日本@名無史さん:2010/06/06(日) 16:13:51
ブヨーは逃げた!
名無しバカセが挑発中!
824 :
日本@名無史さん:2010/06/06(日) 16:38:46
確認したいがブヨは哲学思想系不得意?
825 :
日本@名無史さん:2010/06/06(日) 17:05:59
826 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/06/06(日) 19:31:49
スレを早く消化したいのは「史学雑誌」を知らなかった人だよ
827 :
日本@名無史さん:2010/06/06(日) 19:36:14
>>826 やっぱり名無しで潜伏されてたんですねw
両者の対決楽しみにしてますw
828 :
日本@名無史さん:2010/06/06(日) 21:33:30
勝海舟が海軍操練所を罷免された理由に、禁門の変の責任とWikipediaにありますが
なぜ勝海舟が責任を問われたか分かりやすく教えてください。
829 :
日本@名無史さん:2010/06/06(日) 21:58:03
830 :
日本@名無史さん:2010/06/06(日) 22:12:21
831 :
日本@名無史さん:2010/06/07(月) 01:43:03
>>828 ずばり、Wikipediaのとおりでしょう!
832 :
日本@名無史さん:2010/06/07(月) 08:29:39
>>816 顔を知っているかは問題にないならないと思いますけど。
ましてや肖像画を交換とかは論外だと思いますけどね。
将軍もそれなりに高貴な人だから、接見することもあると思いますが、
その他の人物と接見したとしても逆に簾(スダレ)のようなもので、
顔を見えないようにしていました。
他のかた、どうでしょうか? 顔は問題じゃないと思いますすが。
予め正当を決めているなら気のすむまで演説なり何なりすればいいんじゃねぃ?
それで気がすむんだろ
そもそも質問文の一行目から誤った先入観や決め付けで長文を書いても
誰も真面目に読まないんじゃねい?
>>832 将軍ほどの地位でも天皇の顔を拝見することがなかったんですか
なんか複雑な心境です
まして江戸時代では将軍のほうが権勢を握っていたのに
835 :
日本@名無史さん:2010/06/08(火) 00:51:57
>>834さん!
>>832ですが、将軍は左大臣とか大臣にもなっていますので、
謁見しようと思えば直接謁見できたのではないでしょうか!
室町幕府の将軍は、同じ京都市内ですから、すぐ謁見できると思います。
特に3代将軍足利義満は太政大臣にもなり、朝廷権力をも掌握できる地位を得ましたので、
接見可能だと思いますけど。
福島とか加藤清正とか豊臣恩顧の武将はなんで東軍についたんですか?
家康が勝てばその後には豊臣を滅ぼすのくらい分かりきった話はないのにそれも読めなかったんですか?
馬鹿ですよね後で後悔しても遅いよって思う
そのあたりの事情を教えてください
837 :
日本@名無史さん:2010/06/08(火) 01:46:07
>836
豊臣政権の屋台骨を支える筆頭家老、とふれこんで、
和を乱す石田三成らを征討すると称して戦ったんだよ。
形式上は「豊臣政権内部の主導権争い」だったわけ。
で、関ヶ原で戦功を挙げた大名の大半は「豊臣恩顧」だったから、
勝った後の戦後処理こそ真の勝負だったんだよな。
ちょっとミスると徳川失脚に直結する難しい状態だった。
徳川が本当に天下を取ったのは、大坂攻めで豊臣氏を滅ぼしてからだよ。
まあ時代小説、読んだ方がよくわかるかもな
>>837 >勝った後の戦後処理こそ真の勝負だったんだよな。
これは無理でしょう、
東軍は徳川が兵力もだんとつで最初から主導権をとっていた
小早川の裏切りが無くて、西軍が勝っていたとしても、大大名でない三成では
もう一度内紛と合戦があり、どっちみち頭のいない豊臣家は滅びるか、名目的に存続する
だけだったでしょう
関ヶ原の実戦部隊の大将に島津義弘、薩摩から軍勢3万なら、
東軍の勝利はないですね。
小早川の裏切りがあっても。
源義経は、頼朝の部下だったのでしょうか?
部隊の要人である佐藤兄弟なんて主君は藤原秀衡ですし、
義経の部隊自体が、秀衡が派遣した援軍に思えるのですが
武田信玄や今川義元、織田信長が京へ上洛したいと思いながらなかなか実現できていない時に、
より遠くの越後の上杉謙信があっさりと京へ上って将軍と接見してるんですよね
何で謙信はあっさりと上洛できたのですか?
また、せっかく上洛したのになんで天下に号令をかけなかったんですか?
謙信の行動はよくわかりません
842 :
日本@名無史さん:2010/06/09(水) 07:05:04
>>837 豊臣内部の戦いだったのは分かってます
でも徳川が勝てば豊臣を滅亡させることに繋がるとなぜ読めなかったのかということなんです
後で後悔しても遅いよ馬鹿だなぁ
そんなこともわからなかったの?って思います
843 :
日本@名無史さん:2010/06/09(水) 14:14:43
>>841 今川義元も京都に滞在したことはあるよ
織田信長も桶狭間の前に上洛したことはある
謙信の上洛は挨拶に過ぎない だから沿道の大名も通行を許した
>>842 天下は幼い秀頼では守りきれない
自分たちの所領や家名を秀頼では守れないと考えた結果だろう
今川家も武田家も大内家も織田家も没落する時はいずれもそうなる
>>840 この時代の主従関係は個人対個人の契約にもとづくもの。
父親の部下だった者が自動的に跡継ぎの部下になるわけじゃあない。
部下も上司を選べた。
頼朝と義経の関係は、頼朝側から見れば主従関係。義経側から見れば兄弟(弟が兄を助けてる気分)。
頼朝にすれば、義経は自分の代官に過ぎないわけ。重要事項はすべて頼朝の指図を受けるべきだと思っている。
義経側からすれば、義経は源氏の総大将として合戦してるつもり。自分の裁量で臨機応変に迅速な決断をしなければ戦に勝てないと思っている。
845 :
日本@名無史さん:2010/06/09(水) 18:03:43
>838
東軍の中では軍事力は徳川が圧倒的で、
他は誰も大大名じゃないわけだが(大大名の多くは西軍、唯一前田だけ中立、というところだっけ?)
っと。伊達を忘れてたが、これも、いちおう東軍所属だが、その独自行動が徳川から叛意と見なされたんだっけ
徳川本軍や徳川の家臣のうちで、関ヶ原の本戦や、そこに至るまでの前哨戦で、
本格的に活躍した、戦果を挙げた事例が極めて少ないんだよな。
手柄を立てたのは大半が(徳川から見れば)外様大名。
この時点では、いまだ「豊臣家の家臣であって徳川家の家臣ではない」状態。
戦国時代には、恣意的な裁決・恩賞などを出せば激しい反発を受け、
謀反の連発を引き起こすのが常だから、恩賞を与える相手がみんな豊臣恩顧の大名、
徳川の家臣は恩賞が極めて少ない、という状態にならざるを得なかった。
もっとも、あのときに西軍が勝っていたとしても徳川滅亡とはならず、
単に分裂が進行しただけに終わっただろうという点は同意。
846 :
日本@名無史さん:2010/06/09(水) 18:09:10
>841
軍を率いて上洛し、京を制圧して天下に覇を唱える、
という意味での上洛ならば、周辺地域も隣国も含めた広い範囲を統治する必要があるから困難。
京を制圧しない、将軍への謁見だけを目的とした上洛は、さほど困難じゃない。
実際、謙信と同時期に、信長も同様の上洛をしている。
しかし、いわゆる「上洛」という場合、これらは含まないのが普通。
信長の上洛にしても、義輝への謁見の時ではなく、義昭を奉じて侵攻したときのことを言うのが通常。
>>841 上洛した年が違うでしょう
謙信が行ったころは、まだ将軍の威光は昔ほどでなかったにしろ健在で、
将軍が通してやれといえば手出ししにくかった。
その後、将軍は零落し、利用しようというものが近づいただけ。
>>841へのレスありがとー
しかしながら実感としてなかなか理解はしにくいですね
単なる謁見だけなら信長や義元が少数の家来だけ連れて
京へ行ってたんですね 意外でした
旅の途中で暗殺されるリスクも結構ありますね
849 :
日本@名無史さん:2010/06/09(水) 22:30:19
徳川は朝臣の豊臣家を愚弄した朝敵であり、日本国にとっても国賊。
850 :
日本@名無史さん:2010/06/09(水) 22:34:02
織田偽成
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| ヽヽ "''''''''''''" ノ |
| ヽ / |
丶 __
851 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/06/10(木) 00:31:37
>>769 なんじゃこりゃw愚かはお前だよw研究史云々の場合、オーソドックスな研究
を踏まえなきゃしょうがねーだろw
「そもそも人は」なんて一般化してバカみたい。人がどうかとうとか、
お前はアナクロヒューマニストかよw人文科学の研究で、なんで「人」なんでよw
お前は単純に学力が足りないな。
オーソドックスじゃない研究ばっか網羅した研究史なんて、あり得ねーw
ていうか、引きこもり特有のトンチンカンな反論だね、きゃははは、引きこもりさんバーカ
>>771 なんだこれw
だから旗本の場合と私は留保つけてるんだが。大名と書いていないのは意識的そうしている。ちゃんと読めバカ野郎。
それに旗本だって(石高によっては例外もあり)、初回の借金は用人とかにやらせるもんだよ普通(そういうのも知らないんだなw)。
私のご先祖様である初代武陽隠士の書かれた『世事見聞録』くらい読みたまえ。研究者の必読文献だw
あとね、借金がらみの問題に対する幕府による処罰もちろんそれなりにある。
ただいろんなケースがあっていちいちここに書いていたら長くなるんだよ。
なぜ処罰されたかはいろんなケースがあるので一言では言えない。
だいたいこんな問題は、本一冊書けてしまうほども分からないかな〜w。
そうそう、借金の金主が家臣もどきになっちゃうこことも、時にはあったりするんだ。知ってた?おバカさんw
852 :
か:2010/06/10(木) 00:46:10
質問があります。
フィギアスケートの織田信成選手は織田信長の子孫とのことですが、私にはどうしても猿顔の羽柴秀吉の子孫にしか見えません。
私の視力が悪いのでしょうか?博士さん達、武陽さんはどう見えますか?宜しくお願いします。
853 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/06/10(木) 00:58:14
>>818>>826 偽博士かw私がなんで院にも行ってないカタリ野郎のスレなんか消化しなくちゃいけねーんだw
一連の煽りは私ではない。だが私と思って喧嘩売ってくんなら買うぜ。
>>852 くだらねーこと訊いてくんな、ヒマジン野郎。さっさと仕事しろやゴミ。
854 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/06/10(木) 01:09:05
再三書き込みしてきたんだけど、
>>40の名無しの質問に、
>>41の自称博士が回答している…
この質問
>>40はおかしいよ。日本史のマスターの人間が、こんな質問する
わけがない。こんな質問になんの疑問もなく答えている自称博士は
大学院自体知らないとしか思えない。
この人、院卒を自称しているようだけど、絶対あり得ない。
院には行ったことがない人だ。これは断言できる。つまり博士どころか、大学院には一歩も
足を踏み入れていない。とんだカタリだよ。真っ赤な偽者博士。ついでに言えば
学部も言っていないと思う。院生の知り合いすらいないみたいだからね。
院ネタは、みんなネットかなんかで学んだ知識なんだろう。それだから『史学雑誌』に
こだわってるんだと思う(こんなに史学会を崇拝してる奴なんて生まれて初めてみた)。
あと軍事史と歴史学を対立させたている。どうかしてるぜw
この人は論文書いたことマジでないね。軍事史は歴史学じゃないんなんて
そういうこと思っている時点で、アkデミックな研究者じゃない。論文とか
よんだことないんだろうか?
それと史学会に異様にこだわっているのはなんで?w
史学会を親睦会とかワンノゼム学会っていったら、
青筋たてて反論してやがるのw院生だったことない証左だねw
誰も最高峰だなんて思っちゃいないよ、史学会w『史学雑誌』もねw
この人、大学すら行ってないねw日本史の院生の友人すらいないんだろうなw
855 :
日本@名無史さん:2010/06/10(木) 01:10:16
>>853 オマアクとテメオコについてどう思いますか?
856 :
日本@名無史さん:2010/06/10(木) 01:33:08
パチンコ大学も博士は出てないのか?
857 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/06/10(木) 01:44:09
>>856 出てないのでは?少なくとも友人がいないの確かだから、インチキ四年制大学
を出ていたところで、日本史専攻でないのは確実、都会の大学でないのも確実、
マンモス大学でないのも確実(レスからすると図書館つかったことないねこの偽博士。田舎大学の図書館じゃ使えない)、
あと友人が皆無というのは絶対だよ。
院生の友人いないでしょ。
たぶんこの偽博士は、地方の引きこもりだと思う(以前は平日の真昼間にもレスしてたしねw私が揶揄したら名無しになったw)。
だいたいね、日本史スレには院生すらいないと思うよ。いても私のようにストレス発散のためにレスするのがほとんど。
それだってあまりないでしょ。まあ山野あたりは院行ってたかもね。
あとさ、いろんな質問に答えるなんて本当は出来ないよ。
留保いろいろつけなくちゃいけないし、文献にもあたらなくちゃいけない。本当にやるとなったら、レポート用紙数十枚とか、本一冊とかになっちゃう。
一言で答えられるわけないよ(偽博士はアカデミックな研究者なら学問的良心に照らせばやってはいけないことを平気で行っているわけだw)
無償かつキャリアにもならない困難仕事をまともな研究者の端くれがやる理由なんてないよw
この糞コテは中学生に腹パンされて泣いた人?
頭のおかしな人しかいないOrz
さようなら
860 :
日本@名無史さん:2010/06/10(木) 02:39:41
>>857 博士VS武陽は川中島だからなあ。まあネットだから多めに見ようぜ!謙信の武陽と信玄の博士が皆は見たいんだしさ!
仏を偽る博士にキレる毘沙門天武陽がソックリだし! 博士を起こすのも武陽氏しか出来ないよ
まだ第二回川中島くらいだから!
861 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/06/10(木) 02:44:05
>>858 腹バン?なにそれw方言なの?
しかし偽博士さん、そうとう怒ってるんだろうなwていうか偽博士でしょ君w
>>859 くだらないスレなんか止めるなんて勝手にすれば〜wきゃははは
あ〜あ夜更かししちまったぜ。そろそろ寝るか。
君は煽りにあったとはいえ、私に日本史板で喧嘩は売るべきではなかったと思うよw
あとさ、一言で歴史の質問になんか答えるのは学問への冒涜だよ。
めちゃくちゃ。少しは反省しなさいねw
862 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/06/10(木) 12:38:15
もしかして「史学雑誌」を知らない人、また来てるの?
863 :
日本@名無史さん:2010/06/10(木) 13:16:05
864 :
日本@名無史さん:2010/06/10(木) 17:49:46
誰かくずし字をうpして博士と武陽に読ませてやろうぜ
865 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/06/10(木) 19:51:00
866 :
日本@名無史さん:2010/06/10(木) 20:28:52
>>803 >>805 与力の住居は風呂付
御徒の住居は風呂無しが多い(敷地約200坪、母屋建坪約25坪)
旗本池田家(3000石)の長屋は風呂付(家族持ちの家臣全員)だが、敷地は狭い
869 :
日本@名無史さん:2010/06/10(木) 22:55:54
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm 小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
>>866 俺、大学も史学部でもなかったけどこういうの読めるようになりたい
どうしたら読めるようになるか教えて
辞典みたいなのがあるの?
素人が始める第一ステップを教えて
871 :
日本@名無史さん:2010/06/11(金) 01:23:51
あらら。
両方居なくなったのね。
872 :
日本@名無史さん:2010/06/11(金) 02:02:47
873 :
日本@名無史さん:2010/06/11(金) 02:43:50
毎回、楽しく拝見しております。
資料編纂所勤務です。
874 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/06/11(金) 19:15:39
>>866 2行ぐらいずつ交互に読めばいいのかな?
「史学雑誌」を知らない人と
一翰拝呈当年も最(=ウ冠に取)早
半ヲ過候而時下秋冷相催
候所
どうぞ
875 :
日本@名無史さん:2010/06/11(金) 20:54:46
876 :
日本@名無史さん:2010/06/11(金) 21:14:14
やっぱ博士も凄いな。
877 :
日本@名無史さん:2010/06/11(金) 22:31:35
ぶようつまんね▽
ぶよぶよ陰部
879 :
日本@名無史さん:2010/06/11(金) 22:42:53
___ハ__
チャ 、____丿
チャ ゙゙( ゚━゚) オレサマ
チャ /゙゙゙c○c○)) ハカーセ
チャ __ハ__
チャ 、____丿
チャ (゚━゚ )´´ ハカーセ
((( ○。○。゙゙゙\ オレサマ
武陽って、この書き込みした途端本郷某云々について語り始めたんだよね。
で、決してこの書き込みに対してはまともに答えられていたない。
せいぜい答えられても「気持ちはわかるんだけど・・・」という
ナイーブ
な感想だったのが笑ったよwwww
332 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2009/05/13(水) 18:41:34
東大の本郷某が新潮新書で後醍醐=異形の王はオカルトにすぎないトンデモだと揶揄しているんだけど、
それを否定する議論がまるで論理的だない。感情的なんだよね。
ああいう感情的な書き方からして、実証主義が出来ていないんだよな。
もっと科学的に否定してくれる人はいませんか?
もちろん、肯定でもかまいません。
専門の方、お願いします。
明治時代の都市部でなく農村(貧困層)の
くらしむき(住居や食文化 教育 )を調べたいのだけれど
どのようだったか分かりやすい資料をご存じであれば
教えてください
武陽の行った院は病院とか少年院の方だからな。
883 :
日本@名無史さん:2010/06/12(土) 16:10:37
884 :
日本@名無史さん:2010/06/12(土) 17:58:03
何故会津は観光史学で他の地域を誹謗中傷するんですか?コリアン気質なんですか?
886 :
日本@名無史さん:2010/06/13(日) 00:31:27
分離型耳垂の出現率(兵庫医大・欠田名誉教授)
アイヌ 96.2%
青森県 63.3%
山形県 70.5%
新潟県 72.8%
京都府 36.6%
山口県 36.9%
山陰地方 37.4%
四国地方 41.7%
奄美諸島 77.2%
朝鮮半島 32.6%
結果的にこんな変な日本にしたのは高齢者なんだけどね。
武士の掟を制定した「御成敗式目」と「武家諸法度」
制定時期や内容はそれぞれ違うけど、本質的な部分では同じ様なもんですよね?
889 :
日本@名無史さん:2010/06/13(日) 13:43:57
>885
× 他の地域を
○ 薩長を
じゃないの?
>>887 > 結果的にこんな変な日本にしたのは高齢者なんだけどね。
こんな高齢者にしたのは、高齢者の前の世代なんだけどね。
30年後は、今の中年に向かって
結果的にこんな変な日本にしたのは高齢者なんだけどね。
と言われるようになる。
世の中持ち回りですな、笑福亭仁鶴
源頼朝って英雄視されやすいけど、武勲を立てた弟の義経を討ったり、
奥州藤原氏も騙し討ったり、やってることがかなりえぐいね
892 :
日本@名無史さん:2010/06/14(月) 01:24:40
日本史も世界史もえぐいことをしないと天下は取れない
頼朝の偉いところは、新しい政権の形を創ったこと。
義仲の息子を自分の娘の婿に貰っていながら、
義仲を破滅させたついでに婿までわざわざ殺した件が痛々しい
なによりも、武功抜群だった弟の範頼を討つ遣り口が
言い掛かりもいいとこ
大恩人であるはずの上総介広常を粛清とかね…
坂東武者たちが担ぐ御輿に乗っているという権力基盤の弱さを自覚してたんでしょう。
だからなりふり構わず、汚い手を使ってまで、自分の権力強化にまい進した。
そうせざるを得なかったともいえるでしょうな。
頼朝の魅力のひとつに、質素倹約を旨として、贅沢をしなかったことも挙げられる。
897 :
あ:2010/06/14(月) 19:08:35
土地を持ってないからな
殺した後になって勘違いだったと言われてもねえ…
嘉吉の乱って現職の将軍(義教)が殺されたって言うのにあんまり有名じゃないよね
事の重大性からしたらもっと有名になってもおかしくないのに、なんで?
信長が15代将軍義昭を京都から追い出して室町幕府が滅んだけど、将軍が京都から
出たら幕府が滅ぶことになるの?
もしも朝廷が信長を諌めたりしたら、幕府は続いたの?
室町幕府滅亡〜江戸幕府開始の間は日本は朝廷の一元支配という解釈でいいの?
歴史博士、私の疑問に答えて
901 :
日本@名無史さん:2010/06/14(月) 23:06:40
追放された義昭が毛利家を頼って備後国鞆に入った
そこから鞆幕府という言葉もある
ただ信長が将軍追放によって天下統一へ大きく踏み出したことから
織田政権が始まったと定義すれば室町時代は終わったということもできる
朝廷の一元支配は不適切な言葉だろう
朝廷は権威があっても
土地人民を支配する力も地域もない
902 :
日本@名無史さん:2010/06/15(火) 11:58:01
>>900 >>901さんの回答のとおりです。 重複しますが。
嘉吉の乱は、一般受けはしないですね!
私見は、もっと室町幕府弱体化の原因として評価されてもいいと思います。
901さんも回答していますが、
義昭追放(1573)から将軍辞任(1588)までけっこう間があります。
義昭追放で幕府のわずかながら残っていた京都の実効支配権もなくなったことなどで、
歴史学者は、室町幕府滅亡と評価しているのだと思います。
>室町幕府滅亡〜江戸幕府開始の間朝廷は・・
朝廷は権威はあっても実力のない存在ですから、この時期は信長政権(本能寺の変で中途で終わりましたが)、
秀吉政権と評価していいと思います。
武家や大名の服装は、かみしもとはかまの絵がほとんどですが、
暑い夏でも同じだったのですか、
夏服とか、夏の簡略形(今でいえば半袖ノーネクタイ)みたいなものがあったのでしょうか?
>>901 >>902 ありがとうございました
ところで、朝廷は権威はあっても権力がないとよく言われますが、
非常に難しい存在ですよね
国の実質的な統治は幕府がやるので、朝廷にいる公家や役人たちは何を
していたのでしょうか?
結構な数の役人が朝廷にはいたはずですし、室町幕府も京都にあった訳だから、
今で言うところの二重行政みたいなものなんでしょうか?
905 :
日本@名無史さん:2010/06/15(火) 23:00:16
質問
鎌倉、室町、江戸幕府などで幕府の力が強かった頃でも、武士や町民、農民たちには
身分(格)的には天皇>将軍、朝廷>幕府であるという認識はあったんですか?
それとも将軍や幕府が上という認識だったのでしょうか?
906 :
日本@名無史さん:2010/06/16(水) 00:58:53
ちょっと考えればわかると思うが
鎌倉室町江戸時代に「あなたは将軍家と帝のどっちがえらいと思いますか?」という信頼できるアンケートがあるわけがない
907 :
日本@名無史さん:2010/06/16(水) 01:04:53
そんなこと言い出したらきりがないだろ
そもそも今生きてる人がいないような昔の話をする板なんだから
たとえ古文書や何かに記録が残っていたとしても、100%信用できる
とは言い切れないだろ?
記録違いもあれば、捏造もあるだろうし、解釈の違いもあるだろうしさ
908 :
日本@名無史さん:2010/06/16(水) 01:12:25
>>904さん!
>>902です。私のわかる範囲で。
鎌倉時代は、朝廷・幕府の二重支配です。ただ、承久の乱後は幕府の力が強くなり、
南北朝末期室町初期の頃(足利義満の頃)朝廷の王朝としての権力(王権)は幕府に接収された、
との説明が多いです(今谷明『室町の王権』)。
その後の朝廷は実質権力はなくなり、形骸化しました。
それでも、実務官人はなくなったものの上級貴族の官職(例えば、摂政・関白など)は、そのまま残りました。
その他の公家さんが何をやっていたかは、調べないとはっきりしませんが、
江戸時代は、有職故実とか文芸をやっていたのではないでしょうか!
>>905 江戸幕府の例で。
少なくとも下級武士以上のレベルでは、前者の認識があったと思います。
将軍の地位は、形式的には朝廷の補任を必要としていました。
幕末には、幕府・将軍の権力行使は、朝廷・天皇から委任されたもの(政権委任論)として、
尊皇攘夷派に、倒幕理論として利用されたことからもそう考えます。
909 :
日本@名無史さん:2010/06/16(水) 01:21:23
キリがないというけど
その時代の民衆の認識なんてわからねえよ
今でも民衆史の難問だ
910 :
日本@名無史さん:2010/06/16(水) 02:34:46
平安時代の太政官の組織図、江戸幕府の組織図が判り易く書いてあるサイトはありませんか?
>>905 維新の際に出された長崎の触書や奥州の人民告諭などからの推察として、
京都など御所から近いところは知られていた様ですが、遠くの地域では
町民や農民は公方様(将軍)の存在までは分かっていても天皇の存在までの
認識は余りなかった様に思われます。
912 :
日本@名無史さん:2010/06/16(水) 11:33:20
>>910 江戸幕府の組織図は、けっこうあります。
平安時代の太政官組織図は、ありますかね!
913 :
日本@名無史さん:2010/06/16(水) 21:20:42
16代徳川家達が男女両色を好んだという話は何という史料に記載されているのですか?
914 :
日本@名無史さん:2010/06/16(水) 21:53:59
誰ひとり返答出来ませぬのかゑ?
>>908 >>911 ありがとうございました
またいろいろ質問すると思いますが、よろしくお願いしますよ〜
916 :
日本@名無史さん:2010/06/16(水) 22:38:42
徳川実記ちゃう!
しかし、田安亀之助こと家達公そうだったのですか!
鎌倉時代に出てきた法然、親鸞、栄西、道元や室町時代に出てきた蓮如なども
当時は新興宗教の開祖に近い存在だったが、数百年の時を経て、現在でも
尊敬されたりして存在感があるし、教科書にも載っています。
現在の池田大作氏や大川隆法氏も数十年や百数十年後に教科書に載る可能性は
決して少なくはないのでしょうか?
源空は鎌倉時代におきた仏教の構造的転換の先鞭を付けた。このため(法然の名で)教科書に載った。
蓮如は一向一揆に関係の深い人物であり、政治史において重要な人物。このため教科書に載った。
大川は前者にも後者にも該当しないけど、公明党が選挙において創価学会の組織力を活かしていることを考えると、池田は後者になら該当する。
そう考えると教科書に名前が載る可能性があるのでは。評価がネガかポジかは知らんけど。
一遍上人絵伝の鎌倉の入り口小袋谷の場面で立派な直垂姿の馬上の武士に何か言われてるようですが鎌倉への立ち入りを禁ぜられたのでしょうか?
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))|
921 :
日本@名無史さん:2010/06/17(木) 23:06:44
9世紀、政府は12年に1班でいいから班田収受を行おうとしたそうですが、
そこまでこだわった理由はなんですか?
またその後約50年間口分田の班給は行われていないようですが、その間はきちんと
口分田はほったらかしで、税金はとらなかったのですか?
922 :
日本@名無史さん:2010/06/18(金) 04:41:02
>>922 武陽、いつも通り「お前らみたいにヒマじゃない。」という理由で即効逃げ散る。
読めません
925 :
日本@名無史さん:2010/06/19(土) 16:40:13
室町幕府は中盤以降弱体化して将軍に権力も権威もなくなっていったけど、
次の将軍に誰がなるかって言うことは将軍家の中で決めることができたの?
朝廷や守護が口を挟んだりってことはできたの?
守護や重臣が自分に都合のいい将軍を擁立しようとはしてたけど
927 :
日本@名無史さん:2010/06/19(土) 23:48:15
>>926 中盤以降というと明応の政変(1392)以降は、
当時畿内の政権を掌握した細川京兆家の流れを汲む者が決めていましたね。
いわゆる傀儡将軍です。
最後は、信長が義昭を奉じ上洛した。
何故会津は観光史学を掲げてコリアン化してるんですか?
929 :
日本@名無史さん:2010/06/21(月) 22:21:49
戦国大名はお互いの顔を知っていたのだろうか?
面識があればわかるけど、面識がなければ全くわからなかったのだろうか?
合戦時でも着ている鎧なんかで大将かどうかを判断したのだろうか?
だとしたら影武者使い放題な気がするし、おとり作戦なんかも使えそう
930 :
日本@名無史さん:2010/06/22(火) 00:14:04
>>929 上杉謙信は関東管領で関東の大名をよく召集するから
結構いろんな大名と顔を合わせている
謙信女性説が成り立たない理由の一つだな
よさこい
面識がないから花押で体調などの状態を読み取ったって堺太一が言ってた
病気だと花押に勢いがなく見事な花押を書くには気力と体調がよくないとできない
本当かよ
第三者が似せて書いてもバレないだろjk
932 :
日本@名無史さん:2010/06/22(火) 01:27:42
歴史博士、よろしくお願いします。
以前にも一度似た質問をしたのですが・・・
江戸時代に朝廷の役人は毎日いったい何を
していたのでしょうか?
政治・行政は幕府がやっていたし、当然京都にも
幕府の役所がいろいろ置かれていたと思う。
かといって、朝廷の役人が毎日歌を詠んで遊んでいたとも
思えないし、とても不思議です。
933 :
日本@名無史さん:2010/06/22(火) 07:28:33
本来の官職は有名無実化して、実際に仕事があったのは、
摂関と武家伝奏と天皇の近習くらいだったのでは?
934 :
日本@名無史さん:2010/06/22(火) 10:36:09
江戸時代の公家は本当に暇そうだ
歌詠む以外なら蹴鞠するか読書するぐらいなんじゃないかw
935 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/06/22(火) 20:04:08
>>932 ・家職を使って朝廷のお仕事
・家職を活用してお金儲け
「家職」はバリバリ機能しているのよ
よっしゃこい
936 :
日本@名無史さん:2010/06/22(火) 20:21:49
歴史博士に質問です!
なぜ古墳は作られなくなってしまったんでしょうか?
僕が思うに仏教が伝来したことと関係があると思うんですがどうですか?
だとすると古墳は原始の神道に関係あるってことですよね。
鍵穴の形をしてるのにも神話的ないわれがあるんでしょうか?
937 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/06/22(火) 21:23:07
938 :
日本@名無史さん:2010/06/22(火) 22:22:36
>>937 えっ、それだけ?
せめて自分なりの見解を言ってくださいよ。
939 :
日本@名無史さん:2010/06/22(火) 22:55:52
幕末期、朝廷の公家連中は実権を失っていましたが、岩倉具視だけは
なぜか力を持っていたようでした。
維新の時も維新三傑に対し互角以上の立場だったのは岩倉だけだったのでは
ないでしょうか?一応格式だけなら三条実美が上だったようだけど、
実権はなかったみたいだし。
この岩倉と三条実美の違いは何でしょうか?
単なる個人の性格の違いでしょうか?それとも岩倉には何か後ろ盾があったのでしょうか?
はい言論統制が始まります。
今年の7月から東京にあるネッ▲トカフェはすべて会▲員制になります。匿名書き込みできなくなりました。
警察が、ユ▲ダヤ(統▲一京会)や薩▲長連合のためにイ▲ンターネ▲ットカフェ規制をした。
↓【参考:洗▲脳支配 苫▲米地英人(著)】↓【参考:マ▲インドコントロール 池▲田整治 (著) 】↓
・ 第二次世界大戦時、油田のないドイツに石油を販売していたのは、英国女王支配下の石油会社。
・アメリカ軍から「日本の水道水には塩素が入ってるので飲めない」と言われた。
GHQのマッカーサーが日本人を弱らすために水道水に塩素を入れた。古い水道管から溶けだす鉛や、
農薬や有機物質と塩素が化合し、トリハロメタンやMX等が猛毒の原因にもなっている。
■いま日本の最▲高権力者は薩▲長連合(鹿児島県、山口県)の田舎侍たちです。日本はいまだに武家社会です■
・明治維新はテロだった
薩▲長土肥・・・・・ユ▲ダヤのロンドン支店が資金を貸し出す(年利18%)
幕府・・・・・ユ▲ダヤのパリ支店が資金を貸し出す(年利18%)
借金を型に最新兵器を売り、彼ら(ユ▲ダヤや貴族)の派遣した軍事教官をもって教育し、最新武装の洋式軍隊を作ればいいだけだ。
・総理大臣、大蔵大臣、外務大臣や公安、警察、自衛隊の歴代トップは鹿児島県、山口県、 高知県、
佐賀県、 長崎県出身者ばかりです。国策捜査は、薩▲長連合やアメリカのための捜査です。
↓
2▲ちゃんねるに書き込めないレス
http://m▲egalodon.jp/2010-0527-2135-09/anchorage.2ch.net/test/read.cgi/s▲iberia/1▲274526803/2▲96
↑
新しい掲示板に移動しよう
統▲一京会=2▲ちゃん運▲営=清▲和貝=薩▲長連合=ユ▲ダヤ権力
2▲ちゃんねるは統▲一京会の世●論工作所として作られてる。あとI●P集めが目的。
941 :
日本@名無史さん:2010/06/23(水) 00:38:40
徳川家康が30前後のころに松平から徳川に姓を変えたのは何故ですか?
豊臣のように朝廷から授かったわけでもないのに、なぜ松平から変えたのでしょうか?
>>941 家康の祖父清康が得川や世良田を名乗ったことがある。
清康は長生きしてれば天下を取っただろうと言われたほどの傑物。
得川や世良田は源氏の嫡流新田氏の流れをくむ名流。
つまり松平は源氏の末裔であるという意識のあらわれ。
天下に野望を持っていたとも受け取れる。
家康はこの得川から発音をとり、徳川としたと推測できる。
943 :
日本@名無史さん:2010/06/23(水) 11:37:05
博士に質問です!
戦国大名には信長や謙信に噂されるように男色や両刀使いが多いと聞きますがアヌル中田氏だったんでしょうか?
944 :
日本@名無史さん:2010/06/23(水) 13:14:50
939をマジレス願います!不思議です!
>>943 前田利家は「尻で稼いだ百万石」と陰口たたかれたそうだからアナルだったのだろう。
コンドームを使ってたとは思えないから中出しだったのだろう。
今となっては確認しようもないがな…
946 :
日本@名無史さん:2010/06/23(水) 13:53:58
>>944 王政復古で岩倉は大活躍したからだよ
また公卿列参騒動の首謀者であるように中下級貴族のリーダー格だった
それから他の公家も枢密顧問官や貴族院議員になるなど多少の権限はあった
公家出身の近衛文麿や西園寺公望の名前ぐらいは知ってるだろう
よっしゃこい
947 :
日本@名無史さん:2010/06/24(木) 00:51:31
>>946 三条実美は維新後太政大臣だったのに、なんであんなに実権なかったの?
本人の性格?
948 :
日本@名無史さん:2010/06/24(木) 07:45:07
木戸孝允が維新後、桂小五郎からフルネーム変えたのはなぜですか?
どんな意味が?
もはや『キムタクブランド』だけでは
950 :
日本@名無史さん:2010/06/24(木) 19:06:05
>>948 桂は禁門の変で幕府のお尋ね者になってしまったので、
第一次征長で幕府に恭順したあとの長州藩では本名で活動するわけにいかなかった。
それで、この時期から維新前後にかけて木戸貫治とか木戸準一郎と名乗った。
「木戸」という姓は「桂」という字を「木」と「土」に分解したもの。
951 :
日本@名無史さん:2010/06/24(木) 23:07:44
質問です。
「近内」という名字の貴族や華族(?)はいますか?
「近内家」について何か知っているかたいましたら教えてください。
もしくは、そんなもの存在しませんか?
952 :
& ◆gjlJQ/9KIPqU :2010/06/24(木) 23:52:08
中華人民共和國萬歲
953 :
日本@名無史さん:2010/06/25(金) 00:08:08
王政復古や維新の成立、維新後の改革などにおいての岩倉具視の功績を考えれば、
維新三傑(あるいは維新四天王とか)に入ってもおかしくないと思うのですが、
歴史強者から見てどうでしょうか?
大久保、西郷、木戸ら三傑と比較して劣りますか?
954 :
KLZ:2010/06/25(金) 00:09:10
955 :
日本@名無史さん:2010/06/26(土) 00:32:22
>939
岩倉の、かなり強行でご無体な活躍がなかったら、薩長の勝利はなかった。
そう考える人が多かったからじゃないのかな?
岩倉ちゃんは、外国に行ったお陰で洋服を着たりして近代化できたけど…
三条ちゃんは、一生、洋服なんか着ないし外国に行くなんてトンでもないなんて遅れた人だったので誰からも相手にされなくなりましたとさw
実際、こんなもんでしょ?
957 :
日本@名無史さん:2010/06/26(土) 23:28:24
>>955 それだけ活躍が認められているのなら、なぜ岩倉は三傑扱いじゃなかったのでしょうか?
志士ではなく、単純に公家出身だったから?
それとも他に理由があるのかな
958 :
日本@名無史さん:2010/06/27(日) 00:29:38
958
>>957 お公家さんってのは、しょせん自身は安全な場所に居る習性があるからねえ。
文字通り命がけで活躍した他の連中と比べちゃうと、見劣りするのはしかたなかんべ。
それと岩倉には天皇を殺したんじゃねぇか?って疑惑があることも関係してるかもな。
960 :
日本@名無史さん:2010/06/27(日) 09:58:49
岩倉が孝明天皇を殺したのかどうかの史実はわからないけど、
維新に向けて大活躍した上に、こんな重大な疑惑まであるのなら
もっといろんな意味でビックネームになっててもおかしくないね
961 :
日本@名無史さん:2010/06/27(日) 11:24:59
お札の顔にもなったし十分ビッグネームだべ
962 :
日本@名無史さん:2010/06/27(日) 14:23:13
お札の肖像に選ばれるかどうかの基準とか何なんだろうね
まあ日本に対して功績のあった人って大原則はあるだろうけど、
それ以上の線引き基準を知りたい
博士お願い
963 :
日本@名無史さん:2010/06/27(日) 18:28:45
武陽隠士 最近出てこないね
964 :
↑:2010/06/27(日) 20:07:34
真性キチガイを呼ぶの止めて〜!
965 :
↑:2010/06/27(日) 22:05:42
そんな言い方しなくたっていいじゃん
966 :
日本@名無史さん:2010/06/28(月) 00:54:49
ここ何十年かのお札は聖徳太子以外は全部明治以降の偉人だよね
何か理由があるのかな?
写真がある人物のみになった。
だから聖徳太子も降ろされた。
968 :
日本@名無史さん:2010/06/28(月) 01:49:14
偽札防止
聖徳太子ってのも、実在に疑問がもたれてるしな。
モデルになった人物が居たのは間違いなかろうと思うんだが、現代に伝えられている人物像と実像とはかなりかけ離れていると思われる。
『水戸黄門』と徳川光圀との違い、『暴れん坊将軍』と徳川吉宗との違いくらいはあったんじゃねぇの?
970 :
日本@名無史さん:2010/06/28(月) 17:36:15
七人の話を聞きわけたとか手の中に仏舎利があったというのは虚像だろうけど
政治的な業績は嘘とかじゃないと思うよ
>政治的な業績は嘘とかじゃないと思うよ
だからさ、誰かがそうした実績をあげたのは嘘じゃないだろうけど、それが聖徳太子だったかどうかはわからない。
5〜6人分の功績を、聖徳太子っていう虚像に託した可能性はあるのよ。
972 :
日本@名無史さん:2010/06/28(月) 23:19:27
にわかに信じられない逸話としては信長のもあるね
周りの戦国大名を油断させるためにあえてウツケ者を演じて、
国外まで「尾張の跡取りは大ウツケらしい」との風評を巻き散らかしたって
いうやつね
俺は信長好きだから信長の天才性の証拠として信じたいけど、ちょっと疑問
973 :
日本@名無史さん:2010/06/29(火) 20:52:57
幕末、長州では反幕派と恭順派に分かれましたよね。しかし、どちらも主君は藩主のはず。
藩主は実際の政治能力は無いのですか?藩主からすれば、家臣同士争い、勝った方の策を採用するものなんですか?
それとも、藩主そのものがお飾り的なものなんですか?
974 :
日本@名無史さん:2010/06/29(火) 23:12:12
幕末における薩摩藩士の大久保、西郷は薩摩の中でどういう立場なのですか?
もちろん一番偉いのは藩主の島津だと思うのですが、大久保、西郷は
藩主の信頼も厚い若きリーダーって感じだったのですか?
975 :
日本@名無史さん:2010/06/29(火) 23:24:33
長州じゃ、藩主が指導力を発揮すると政争になるからと、
家臣たちが挙げてきた案件にyesを言うことが藩主の勤めだという風潮があったんですよね。
それを風刺して「そうせい侯」と呼ばれたほどです。
とはいえ、藩主がまったく自分の意見を言わないわけではないようです。
明治初期のことらしいですが、「して、余はいつ将軍になれるんじゃ?」と発言したという伝説も伝わっています。
976 :
日本@名無史さん:2010/06/29(火) 23:55:51
明治維新後、薩摩藩の西郷、大久保、長州藩の桂なんかは新政府の重役(参議)になりましたが、
新政府の重役(参議)とかつての藩主(島津など)はどちらが格上になるのですか?
西郷、大久保は維新の功績により、かつての上司(藩主)を合法的に追い抜いたのですか?
977 :
日本@名無史さん:2010/06/30(水) 01:42:45
978 :
日本@名無史さん:2010/06/30(水) 19:27:24
江戸時代の藩主は江戸幕府の役職で言うとどれくらいの格式だったのですか?
藩主といっても、武力や石高の多さなどで差はあると思いますが、一般論で答えてください。
979 :
日本@名無史さん:2010/06/30(水) 20:33:57
久し振りにスレを見たけど、博士は最近あまり来てないのかな。
質問です。大政奉還は龍馬が後藤象二郎を通して行ったと広く言われていますが、異説もあるようです。
博士の私見をお聞かせください。
981 :
日本@名無史さん:2010/07/01(木) 17:49:04
総人口の1%未満の人しか住んでいなかった平安京の風景を、
まるで一般的事例のように紹介するのは問題ではあるな。
とはいえ、平安京で、そういう風景が常に見られたというのも事実ではあろう。
この絵に描かれている人々は、平安京内に家屋を持っていない流民(飢饉などで土地を離れて平安京に来た人)だろうから、
世間一般の風景とはまったく違う状況だと思うんだが。
982 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2010/07/01(木) 20:44:33
>>980 それは龍馬の評価が高すぎ
よっしゃこい
坂本龍馬と中岡慎太郎が後藤象二郎に対し、
徳川慶喜に大政奉還をするよう強く勧めるように要求し、
後藤はその通り実行し、
徳川慶喜は、これを容れて大政奉還が実現した、というのは事実だが、
大政奉還及び「船中八策」と呼ばれる新政府構想は、坂本龍馬の独創ではない。
大政奉還とは、天皇中心の中央集権国家を作るために
それまでの事実上の日本国政府であった徳川幕府の権能を、天皇の朝廷に全て返納するということ。
江戸の幕閣はこれに当然反対の立場であった(将軍を国家元首にした中央集権国家にすればよい)が、
徳川慶喜は、自らの京都における政権に正当な政府という形式を与えるための一歩だと認識していた。
そして薩摩をはじめとする尊王攘夷派にとっては、徳川幕府を徳川家の私的な集団に変えた上で
天皇の名において征伐するための、必要な手順の一つとして認識されていた。
(もっとも、天皇を擁しているのなら、徳川幕府に一方的に朝敵認定をかけるという手段も検討された)
要するに、江戸駐在の幕府首脳ならともかく、京都の慶喜及び薩長にとっては、
どちらが主導権をとるかに関係なく、自らの新政府樹立には幕府を葬ることが必要だった。
徳川慶喜はこの機会に行うのが良いと判断した。そういうこと。
また、「船中八策」には元案があり、これを横井小楠の「国是七条」という。
質問の答に関しては、
「坂本の要求が発端になったと思われるが、
判断したのは徳川慶喜だし、提案自体は坂本の独創というわけでもない。
ただ、歴史を動かしたというのなら、そうなのかもしれないね」です。
984 :
日本@名無史さん:2010/07/02(金) 00:43:28
985 :
日本@名無史さん:2010/07/02(金) 00:54:53
平安時代、太政官を構成する官人たちは、三公クラスから末端の下級官人まで含めて
いったいどのくらいの人数がいあtのでしょうか?
組織図を見ると、現代の大規模官庁顔負けの緻密な組織に見えますが…
986 :
985:2010/07/02(金) 01:13:17
どのくらいの人数がいあtのでしょうか …×
どのくらいの人数が居たのでしょうか …○
拙者とした事が 無念!
6世紀はじめの政治指導者で、やがて朝鮮外交の失敗で失脚した大伴氏と、日本書紀の編纂に関わった大伴氏って同一ですか?
988 :
日本@名無史さん:2010/07/02(金) 20:36:24
司馬の「龍馬が行く」のせいで龍馬の評価が高すぎるそうですね。
幕末の日本を動かしたのは勝海舟で龍馬は彼のパシリとか。
有能なパシリだったとか。
>>974 西郷隆盛は、薩摩藩士が指導者として崇拝に近いほどの感覚で仰いでいた。
西郷は島津久光を、先代の斉彬を殺した犯人として仇扱いして憚らなかったし、
島津久光も、そんな西郷を厭い一度は日向送り(とは名ばかりの道中暗殺刑)、二度の遠島に
処したのだが、西郷は生き、藩士は西郷にしか従わないという空気を撒き散らし、
結局、西郷を全藩士の指導者として遇するより仕方がなかった。
大久保は逆に、能吏として島津久光の信頼を得たことによって出世した。
990 :
日本@名無史さん:2010/07/03(土) 01:07:12
>>989 ありがとうございます
個人的には西郷にそこまでの魅力は感じませんが、当時の薩摩藩士にとっては
すごい存在だったのですね
ぜひ
>>976についても私見をお願いします
>>976 博士じゃねぇけど、俺の考えじゃあこうだ。
旧藩主には華族ということで爵位を与えた。
つまり名誉とそれにともなう経済的優遇を与えたわけ。
政治的権力に関しても、貴族院議員の身分を与えて、彼らの不満を宥めた。
それに対して、木戸や伊藤、西郷、大久保などの維新の功臣たちは、政府の重要な役職を占めて政治の実権を握った。
力関係から言えば、旧藩主たちははるか下におかれたが、名目上は高貴な身分を与えられて、威張ってはいただろう。
たとえて言えば、徳川幕府における高家のような感じかな。
実権は小さいが敬意は払われる。
992 :
日本@名無史さん:2010/07/03(土) 19:17:10
落語聞いてたりすると江戸時代の人は庶民でもよく吉原で遊んでるイメージなんですが、
なんであんなに遊ぶ金があるんですか?吉原って安かったんですか?または町民がけっこう金持ちだったんですか。
993 :
日本@名無史さん:2010/07/03(土) 22:43:34
平和な時代だと武士より商人のほうが金が集まる
994 :
日本@名無史さん:2010/07/03(土) 23:01:45
>992
安いのは湯屋だろ、吉原はそれほど安くない
というか、高級ソープの上みたいなイメージじゃないか?
町民は金を持ってたが、庶民は町民という身分じゃないし、
もちろん、吉原へ行く金なんか工面できないよ。
「町民」という身分は、町名主とか、大店の店主とか、町を管理するレベルの階級のこと。
そういう、上の身分の人は金を持ってただろうって事であって、
庶民が湯屋で湯女とちちくり合うためには頑張って金を貯める必要があったはずだ。
それでも、江戸の庶民が近郊農村の村民よりは多くの金を持ってたのはたしかだろうが。
(なんせ、物価が農村とは桁違いだから、それなりの金額を手にすることができないと飢え死にする。)
995 :
日本@名無史さん:2010/07/03(土) 23:13:50
日本史の本についてお聞きします。
私は社会人なのですが、大河ドラマや歴史ドキュメントなどを見て、
再度勉強してみたいと思っていいます。
ただ、学校の教科書のような○○○年に□□が△△したというような史実の羅列ではなく、
色々なテーマで歴史を横串的にみたような本はないでしょうか?
その時々の考え方とか、ストーリー性があれば尚更いいのですが、
本を推薦頂けると嬉しいです。宜しくお願いします。
996 :
日本@名無史さん:2010/07/03(土) 23:42:20
>>991 華族(藩主や大名、公家)と新政府幹部(維新三傑や伊藤等)は格付けでいうと
どちらが格上なんでしょうか?
身分と実権という二つの解釈があるかもしれませんが・・
997 :
日本@名無史さん:2010/07/04(日) 14:01:28
武陽隠士ってホントに歴史学博士なの?
国語国文系の人でしょ?
998 :
日本@名無史さん:2010/07/04(日) 14:24:52
50前後の武陽隠士が史学雑誌も知らないなんてそんなバカな事在り得るの?
坂本竜馬はやっぱすごいね
1000 :
日本@名無史さん:2010/07/04(日) 15:57:32
1000
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1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。