謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!30

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1神奈川県民
その国、本亦男子を以て王となす。
とどまること七、八十年、倭国乱れ、相攻伐すること年を歴ふ。
乃ち共に一女子を立てて王となす。名づけて卑弥呼といふ。
鬼道に事つかへ、能よく衆を惑わす。
年すでに長大なるも、夫婿なく、男弟あり、佐けて国を治む。
王となりしより以来、見るある者少なく、卑千人を以て自ら侍せしむ。
ただ男子一人あり、飲食を給し、辞を伝へ居処に出入りす。
宮室・楼観・城柵、厳かに設け、常に人あり、兵を持して守衛す。

卑弥呼の正体、魏志倭人伝の解析、天皇家との関りあいなどを議論しよう。
2神奈川県民:2009/05/24(日) 22:41:06
前スレ
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!29
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1241340624/

スレ29が終了次第、ここへ書き込んで下さい。
3河童虫 ◆E2pz5a.Eic :2009/05/24(日) 22:58:32
>>1

倭人伝を解したくば、
「倭人在帯方東南大海之中依山島爲國邑…」

を、頭の中に叩き込め!
4日本@名無史さん:2009/05/24(日) 23:26:48

イヨタンは? イヨタンは? イヨタンは?




イヨタン・・・・・・・・・・・・・・・
5日本@名無史さん:2009/05/27(水) 14:16:38
>「倭人在帯方東南大海之中依山島爲國邑…」

倭人は帯方の東南大海の中にあり、山島に依りて國邑をなす。

深い意味があるとでも?
6日本@名無史さん:2009/05/27(水) 15:01:48
帯方郡の東南…
日本全部が入りますな
7河童虫:2009/05/27(水) 15:20:30
今日も儲かったでー と

>>5

別に深い意味なんてないよ。

ただ、倭人の住んでいる所は「島」だ
と、言ってるよね?
8河童虫:2009/05/27(水) 15:43:15
>>6
すると、倭人は
日本中に住んでいたことになりますね?
9日本@名無史さん:2009/05/27(水) 15:48:31
>>8
ならない
10日本@名無史さん:2009/05/27(水) 15:50:38
今晩、河童虫が金縛りになりますように。河童虫が誤発注して破産しますように。
11河童虫:2009/05/27(水) 15:56:14
>>9
どうして?


>>10
午前中、9850円で全て売ったよ
手持ちは、トヨタ一万株と、アイフル5000株だけ
(これは代用証券にするからなかなか手放さない)
12日本@名無史さん:2009/05/27(水) 16:06:37
>>11
>どうして?

自分で考えてごらん。
13河童虫:2009/05/27(水) 16:12:09
>>12
やだよ
私のネタじゃないから
14日本@名無史さん:2009/05/27(水) 16:13:39
>>13
じゃあ、もう進歩しないわ。じゃあね。
15河童虫:2009/05/27(水) 16:16:36
バイバイ
16日本@名無史さん:2009/05/27(水) 16:32:04
清水守民先生(五芒星による古代史完全解明を達成!)による北九州説には圧倒的な説得力がある。
http://blogs.dion.ne.jp/pentacross/archives/3018831.html
17日本@名無史さん:2009/05/27(水) 16:35:29
自分が断言した事に対する根拠を聞かれて「自分で考えろ」って…
こういうバカは日本史板に向かないね
18日本@名無史さん:2009/05/27(水) 20:38:56
そのくらい自説に信念を持っていないと、このスレで生きてはいけない。
叩かれても叩かれても、自説を曲げない強い信念と、愚鈍さも必要です。
19改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/27(水) 20:44:59
>>897 前スレ
>昔の船は風に弱いのでそれを考慮した上陸地となります。
>唐津湾は大島を境にして東唐津と西唐津にわかれます。

大島を境に東唐津と西唐津に分かれるんですか。
それは知りませんでした。

>西唐津は背後に丘が屏風のように並び、かつ東北に大島が控え格好の風よけとなっています。
>現在でも唐津港といったら西唐津をさします。
>また郡使が上陸したときに湯茶の接待が必要ですので、ある程度の水源が必要です。
>東西唐津とも水にはめぐまれていますが島ではどうでしょう。
>以上から考えてわたしは郡使の上陸地点は西唐津八幡町浜島城下の海岸であるとかんがえます。

西唐津八幡町ですか〜唐津港らへんですね。
自分は「神集島付近の湊小の前の浜」か、「幸多里の浜海水浴場」辺りだろうと考ます。
まあ、唐津湾の可能性もあるわけですが。

>但し末蘆の都は東の鏡山のほうであったと思います。というのはこの国は官名がかいてないでしょう。
>それはこの国の都に行かなかった(都は行路上にないということ)ということをあらわすためです。

末蘆の都に関してはそうですよね。
東松浦の唐津上付近かもしれません。
20改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/27(水) 21:03:56
・魏使の上陸ポイント(末盧國)
・末盧國の「濱山海居」、「草木茂盛行不見前人」ポイントはどこなのか?

>>901 前スレ 九州王朝さんへ
>松浦川の河口部の地形が現在と同じと考えては間違いです。
>虹の松原と鏡山と松浦川に囲まれたところは内海(汽水湖)だったのです。
>中世の十三湊や兵庫県・京都府・福井県嶺南の日本海側の海岸と比較して下さい。

それを証明できる資料はありますか(卑弥呼の時代)?
中世の資料を比較ていうか、王朝さんは上陸ポイントをどこと考えてるのでしょうか?

>末盧國に官が居ないは、一大率が常駐し、『臨津搜露』『傳送文書賜遺之物詣女王』『不得差錯』を
>業務としていたからです。

「末盧國に官が居ない問題」と「一大率」とを一緒に考えてるのでしょうね。
一大率が置かれたのは伊都國ですし、伊都國の官名がないのなら、まだしも、
ここでは、末盧國の官名がないわけでまた一大率とは別のことだと思いますよ。

>『濱山海居』として、虹の松原の南の内海と鏡山は適地です。
>鏡山は壱岐から唐津への航路で到着地の目標物ともなっています。

ほう、そこらへんが上陸地とお考えですか?

>『草木茂盛行不見前人』は、
>末盧國(鏡山)から東南500里の伊都國(惣座遺跡)への道程において、
>観音峠越えの唐津側の状況をうまく表現しています。
>道程の他の部分は比較的傾斜が緩く視界も開けています。

いやいや そっちの道は険しいと思いますよ。
なんせ、山が100つぐらいあるんですからね〜もうびっくりです。
21改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/27(水) 21:38:28
<魏志倭人伝>
兵用矛楯木弓 木弓短下長上 竹箭或鐵鏃或骨鏃

兵には矛、楯、木弓を用うる。
木弓は下を短く上を長くし、竹箭はあるいは鉄鏃、あるいは骨鏃とする。

卑弥呼の時代には、一般的に「剣を武器とした」時代ではなく、
矛・木弓を武器とした時代。
剣が無かったわけではないが、まだ武器としては活用しておらず、
武器以外のことで使ってたのであろうとする。
22日本@名無史さん:2009/05/27(水) 22:24:10
>使ってたのであろうとする。
日本語になってないじゃん、
23日本@名無史さん:2009/05/27(水) 22:35:53
>>17
ちょっと考えれば分かることだからだろ。
24改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/27(水) 22:43:48
「計其道里 當在會稽東冶之東」
前スレでも話題になったが、
この「會稽、東冶之東」は、日本のどこに当たるのか?

↓このHPの位置は間違いで
http://koala.ddo.jp/wajin054/index.html

邪馬台国は熊本なので、魏志倭人伝に記されている「會稽、東冶之東」はここだろう。
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=26.099967&lon=119.283291&p=%E7%A6%8F%E5%B7%9E&ei=UTF-8&type=scroll&mode=map&sc=15

なぜそこかって?
福州に関して、詳しく調べてないが、
陳寿さんがソコだって言うとるw

>>22
誤字すんません
消したり書いたりしてるので、「とする」は消すべきだった。
25日本@名無史さん:2009/05/27(水) 22:47:40
改めさん。
九州遺跡巡り、してきたんですか?
26改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/27(水) 22:54:32
>九州遺跡巡り、してきたんですか?

九州遺跡巡りつーか、魏使が通ったであろうと思われる
場所を巡ってきましたよ。

松浦半島→浜崎→前原→福岡平野→宇美、築紫野辺りまで。
遺跡に関しては、伊都国の女王と思われる平原古墳へいったぐらい。
あとは、博物館とか、志賀島の金印公園ですね。
27日本@名無史さん:2009/05/27(水) 23:02:03
改めさんは伊都国=前原、奴国=博多でいいんですね?
28日本@名無史さん:2009/05/27(水) 23:12:59
九州行ったのならわかるだろ
10日とか20日とかの日数がかかる場所じゃ絶対に無い
29改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/27(水) 23:19:38
>>27
>改めさんは伊都国=前原、奴国=博多でいいんですね?

そうです。

>>28
>九州行ったのならわかるだろ
>10日とか20日とかの日数がかかる場所じゃ絶対に無い

ん?酔っ払ってるのかな?
十日、二十日かかるなんて、
倭人伝のどこにも書いてませんが?
30日本@名無史さん:2009/05/27(水) 23:34:29
書いてるよ
31改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/27(水) 23:49:35
「豊国」
昔、福岡県東部(一部分)〜大分県全域(昔は北部のみ)を「豊国」
といった。7世紀に「豊前国」、「豊後国」に分かれたんだけど、
この「豊国」は梁書に出てくる「臺與が治めた国」と考えてる人もおるのかな?

いやいや、「豊国」の「豊」とはトヨではなくブが正解だって聞こえそうだが、
「豊」を辞書で調べると「とよ」ではなく「ブ」のみ、書いている辞書もあるらしく、
本州に住んでる人は、疎くて、「豊国」をブコク、ブクニと言ってしまう人もいるのではないか?

福岡一部と大分全域に住んでる人にきいてごらん。
「ブ」とか言ってたら笑われる(笑)
100人が100人とも「豊国」と書いて「トヨノクニ」というだろうww
32日本@名無史さん:2009/05/27(水) 23:56:47

トヨタン・・・・・・・・・・
33改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/28(木) 00:25:37
「ライバル」
東京都と大阪府がライバルで、広島県のライバルは岡山県?
九州でいえば、福岡県のライバルは熊本県か。

二萬餘戸の奴國、五萬餘戸の投馬國を今の福岡県と考え、
七萬餘戸の邪馬壹國は熊本県と良いライバル関係だったのではなかろうか?

福岡県:七萬餘戸
熊本県:七萬餘戸

卑弥呼は熊本にいた”尊い巫女様”だった。

狗奴國はどこだって?
狗奴國は今の鹿児島県に当たる。

「女王國以北特置一大率檢察諸國諸國畏憚之、常治伊都國」
昔も今と変わらず、鹿児島県より福岡県のが「脅威」だったのであろう。
一大率を女王国(邪馬壹國)より「以南」におかず、女王国より「以北」の福岡県の方に置いたということ。
34改め ◆qexCkQtLcY :2009/05/28(木) 00:40:59
あと、板付遺跡から福岡空港までは歩いて行ける距離だということが分かった。

福岡空港の敷地を掘ったら何か出てくると思う。

35改め ◆SJjXzVL996 :2009/05/28(木) 00:43:18
>>34は偽物です。

36日本@名無史さん:2009/05/28(木) 00:49:38
>>34
福岡空港は昔「板付空港」と呼んでましたよ。
37改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/28(木) 01:48:35
【畿内説とか話にならん】
今日は機嫌が良いので、いかに「畿内説の連中がアホ」だ、ということを教えてやろうw

「女王國東渡海千餘里復有國皆倭種」
倭種とはもちろん「四国」のことで、伊勢、東海ではナイ。

「有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千餘里」
侏儒國と在其南の人種(人長三四尺)は、種子島、屋久島に当たる。
熊本(女王の都)から真南に四千餘里に在るだろう?

「又有裸國K齒國復在其東南船行一年可至」
有裸國、K齒國というのは、中通島、福江島のこと。
其「東南」に在るのは、甑島列島のこと。

↑を分かりやすく説明してやろう。
「二月(二十日、十日、一月)=1300km」なので、「復在1年」といえば、
「往復、五島列島〜甑島列島まで4800km以内で収まる」ということ。
地図に「列島と列島」を鉛筆を用いて丸を囲ってみると分かりやすいかもしれない。
方向も「東南」と一致するだろう?ハワイとか南アメリカとか、誰が言い出したのやらw

「周旋可五千餘里」
鹿児島の一部分(狗奴國)を除いた九州全体(女王の管理する)が五千餘里の円ということ。

倭人伝には、「九州全体」と「その周辺の島」のことを記されてるだろ?

ここをみても畿内説の言ってることはデタラメで、ただ単に
「九州説でもあまり知らない子と論争して粋がってる」ことに気づくだろう アッハハ
38改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/28(木) 02:00:17
「會稽、東冶之東」というのは、

↓このHPの位置は間違いで
http://koala.ddo.jp/wajin054/index.html

「會稽、東冶之東」はここだろう。
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=26.099967&lon=119.283291&p=%E7%A6%8F%E5%B7%9E&ei=UTF-8&type=scroll&mode=map&sc=15

東の位置といえば、沖縄〜与那国島 までぐらいかな。
39改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/28(木) 02:08:39
>>37を「以下に訂正」
「二月(二十日、十日、一月)=1300km」なので、「復在1年」といえば、
「往復、五島列島〜甑島列島まで7800km以内で収まる」ということ。

1300かける6は、7800 だよね...。

今日は、遅いのでもう寝ます。
質問等ありましたら、レスお願いしますね。
40改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/28(木) 02:20:15
間違えた〜!
>>37>>39を「もう1度訂正」

「二月(二十日、十日、一月)=1300里」なので、「復在1年」といえば、
「往復、五島列島〜甑島列島まで7800里以内で収まる」ということ。

1里=49.5〜55m(もしくは49.5〜60m)なので、7800里=約390km

「往復、五島列島〜甑島列島まで390km以内で収まる」ということ。
41日本@名無史さん:2009/05/28(木) 02:25:51
>>33 改め ◆PWTcGEfp1s

一戸を何人とし

二萬餘戸の奴國、五萬餘戸の投馬國、七萬餘戸の邪馬台国 各国を

人口何人とするのかね?

距離をきちんと換算しているのに人口はできないなんて話は無いよな?
42日本@名無史さん:2009/05/28(木) 08:06:14
>>17
バカっていう奴がバカなんだぞーw

アメリカ人は日本の東大海の中にあって、大陸によって国をなす。・・・正しい

日本の東には北アメリカ大陸が入りますな・・・正しい
(アラスカがはみだすと仰る向きもあるかと思うけど、
北海道東北が帯方郡の東南と言えるなら、アラスカくらいは許される)

すると、アメリカ人は北アメリカ大陸中に住んでいたことになりますね・・・間違い
カナダもあるからね。

根拠を示せとかいうレベルの問題じゃなくて、ちょっと考えればわかる。
思考停止は良くない。
43日本@名無史さん:2009/05/28(木) 11:40:47
北九州の博多湾〜日田にかけての邪馬台国を中心に、同心円状に余旁国が取り巻き、邪馬台国の国境を形成していたとする。
 (その円の直径に相当する)邪馬台国・女王所都(博多)⇔姐奴国(大分)を結び、その直径(二千里)の
 @北半径国(斯馬・己百・支有・伊邪・都・弥奴・好古都・不呼)を「水行十日」とし、
 A南半径国(對蘇・蘇奴・呼邑・華奴蘇奴・鬼・為吾・鬼奴・邪馬・躬臣・巴利・支惟・鳥奴・奴)を「陸行一月」とし、
 B姐奴国から女王の同盟国である投馬国(宮崎)→「水行十日」とする。

倭国イメージ図

  ┌@北半径国(水行十日)┐
邪馬台国(博多)―――――姐奴国(大分)    
  └A南半径国(陸行一月)┘.|
狗奴国(熊本)           |B(水行十日)
           投馬国(宮崎)┘

投馬国まで「水行二十日」=@北半径国(水行十日)+B(水行十日)
投馬国から「水行十日陸行一月」=B(水行十日)+A南半径国(陸行一月)

で解決。
44河童虫:2009/05/28(木) 11:47:08
>>42
思考停止しているよ

>>6のレスをよく眺めて、それ以降のやり取りを理解してくれ
飽くまでも基本は>>6
45日本@名無史さん:2009/05/28(木) 12:07:35
魏―邪馬台国(投馬国)
   VS
呉―狗奴国
46改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/28(木) 12:10:30
昼休みかな?

>>41
>一戸を何人とし 人口何人とするのかね?
>距離をきちんと換算しているのに人口はできないなんて話は無いよな?

たとえば、不彌國は「有千餘家」と倭人伝には記される。
絶対的な数値として千人以上というのは理解してくれるかな?
そして、倭人伝には一家何人なのか「明記」しちょる(←大分弁)。

「有屋室父母兄弟臥息異處」
屋や側室有り、父母・兄弟の臥息(寝て休む)処を異なる。

父母は二人、兄弟は三人、四人、五人と考えられなくもないが、
書いてあるとおりに、父、母、兄、弟、と自分を入れて「一家五人」とする。

以上のことから、不彌國には、千人〜五千人いたことになる。
「戸」に関しては、民家をいい、「家」、「戸」の人数まではあまり変わりないだろう。
47改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/28(木) 12:16:49
<人口>
狗邪韓國・・・不明
對馬國「有千餘戸」・・・千人〜五千人強
一大國「有三千許(許)家」・・・三千人〜一万五千人
末盧國「有四千餘戸」・・・四千人〜二万人強
伊都國「有千餘戸」・・・千人〜五千人強
奴國「有二萬餘戸」・・・二万人〜十万人強
不彌國「有千餘家」・・・千人〜五千人強
投馬國「可五萬餘戸」・・・五万人〜二十五万強(可)
邪馬壹國「可七萬餘戸」・・・七万人〜三十五万人強(可)

(許)というのは許可制なので、人数は把握している。
(可)というのは、可能の略、七万人は可能ということ。
弥生時代は集落ということを思い出してほしい。
人々は集団で住み、山の中に一人で暮らしてる人などいないのである。

計十五万〜八十四万強プラス
二十一国と狗奴國を「一国あたり千人とした場合」で考えると二万二千人。

「九州全体で十七万二千人〜八十六万二千人強」ではなかろうか?
(あくまでも二十二国を千人とした場合ですが....)
48日本@名無史さん:2009/05/28(木) 12:22:21
>>46
回りくどい言い方しているが一戸=5人で良いんだな?

二萬餘戸の奴國=10万人
五萬餘戸の投馬國=25万人
七萬餘戸の邪馬台国=35万人

これだけで既に70万人の人口を九州にみなければならない。

こんな数字を担保するデータなんぞ無いというのは
お前も一度や二度じゃすまないくらい見て来ているだろう?

言っておくがそれらは邪馬台国論争の畿内説から出てきた物じゃないぞ?w

人口の測定がこの有様で距離は絶対間違いありませんと言うその神経が分からない
それこそガキの屁理屈レベルwww
49河童虫:2009/05/28(木) 12:28:29
>>47

人口なんて考えても埒があかないよ
答は妥協だから

それよりも、倭種と倭人について考える可きかと。
韓も三種だったけど、韓人は登場していない。
種概念でも考えたほうが、役に立つんじゃないかな
50改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/28(木) 12:29:38
九州説の人は、「邪馬壹國」を探し、

畿内説の人は、「大和朝廷」を一生懸命探している(笑)

大和朝廷が盟主となったのは七世紀のことで、
卑弥呼の活躍した二世紀〜三世紀まで400〜500年離れてるわけで、
邪馬台国を探したいのなら、畿内説のレスを読んでても仕方ない(笑)
51改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/28(木) 12:41:23
>>48
>二萬餘戸の奴國=10万人
>五萬餘戸の投馬國=25万人
>七萬餘戸の邪馬台国=35万人

誰がそんなこと言ったんですか?それ、おたくでしょ。
私は倭人伝に記されてるとおり、

奴國「有二萬餘戸」・・・二万人〜十万人強

投馬國「可五萬餘戸」・・・五万人〜二十五万強(可)

邪馬壹國「可七萬餘戸」・・・七万人〜三十五万人強(可) といったまで。
52改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/28(木) 12:59:17
>>49
>倭種と倭人について考える可きかと

「倭種」というのは、「属す」、「属さず」の対象外で、
「縄文人」ではなかろうか?倭人=弥生文化の人?

そんなことより、河童さん〜
もっと読んでいる人が「勉強」になるようなこと(レス)を
お願いしたいです。
53河童虫:2009/05/28(木) 13:02:54
>>52
十分楽しめるネタだよ
根幹だからね

ま、楽しめるか楽しめないかは主観の問題だから
致し方ない部分はあると思うが
54日本@名無史さん:2009/05/28(木) 13:05:50
>>50
>畿内説の人は、「大和朝廷」を一生懸命探している(笑)

まあドツボがいかに自分が批判しているつもりの畿内説を
全くく理解していないか良く分かるレスだなw

むしろ大和朝廷を探していると言うのなら
大和朝廷九州起源説の東遷論者だろうwww


55改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/28(木) 13:15:40
>>54
おたく畿内説の人?

わたしは、ここまでのレスで「邪馬壹國は九州に有り」ということを
説明し、証明しているのに対し、畿内説さんは、ダンマリを決め込むつもり?(いつもの事だが...)

「畿内説を全くく理解していないか良く分かる」というぐらいだから、
ちゃんと説明ぐらいはできるんだろうね?w
毎回、毎回、逃げてばかりではなく、ここへ書き込んで証明してはどうかな?ww
56日本@名無史さん:2009/05/28(木) 13:32:53
>>55

自分が何故
「畿内説を全く理解していない」
って言われたか分からないんだろうがw

畿内説と言えば真っ先に出てくるような先生の本を読んでみろ
全てではないが3世紀の奈良盆地の勢力を「大和朝廷」なんて書かず
「ヤマト王権」と書いてあることが多いからw

「三朝交替説」と言うのがかつてあったって事を知ってるか?

方向性が180度違うわアホw

57日本@名無史さん:2009/05/28(木) 13:36:54
狗邪韓国

 対馬
  一大(壱岐)
                        
  末盧→伊都→【不弥】→斯馬・己百支・伊邪・都・彌奴・好古都・不呼
          /          【邪馬台国】              \
         奴  支惟・巴利・躬臣  爲吾・鬼             姐奴(大分)
          鳥奴     邪馬・鬼奴 華奴蘇奴・呼邑・蘇奴・対蘇/
58九州王朝大好き:2009/05/28(木) 13:46:17
>>38
>「會稽、東冶之東」というのは、
>↓このHPの位置は間違いで
>http://koala.ddo.jp/wajin054/index.html

 ↑このHPの位置は正しい。

『計其道里 當在會稽 東冶之東』は、前の分身(風俗)記事と後の風俗記事に挟まれて書かれている。
これは、『計其道里 當在會稽 東冶之東』が風俗記事の一部であることを示しており、
倭の位置を示す目的のものではない。
『計其道里 當在會稽 東冶之東』は、直前の述べている文身の補足説明である。
何が「當」なのか?
『越之為號 其來尚矣 少康封庶子以主禹祠 君於越地耳 故此志云其君禹後 豈謂百越之人皆禹苗裔 [王贊]説非也 文身斷髮 以避蛟龍之害』
『常在水中 故斷其髮 文其身 以象龍子 故不見傷害也』 「漢書地理志 自呉至黄支」
の内容の知識を読者は思い浮かぶ。
「當」は、この上記知識を踏まえて発した、読者に共感を与える為の言葉なのである。
前漢における會稽は現在の杭州付近のみである。
ゆえに會稽東冶は現在の杭州付近以外には存在し得ない。

前漢代には、洛陽から12000里南に、文身の風俗を持つ人々が住んでいた。
今、帯方郡の12000里南に、文身の風俗を持つ倭人が住んでいる。
その倭人の地は會稽東冶の東になる。
「計其道里 當在會稽 東冶之東」には、「当に、倭は前漢代の會稽並みで、文明に遅れているところだ。」の意味が言外にある。
59改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/28(木) 13:48:00
>>56
「ヤマト王権」というのは、大和朝廷の前身をさす言葉で、
奈良盆地の勢力のこと。

>「三朝交替説」

ほらほら(笑)でたよーでたよーwww
ヤマトの王者交代論なんて二世紀〜三世紀の邪馬台国に関係がないだろうw
「大和朝廷」の王権はどこにあったのか?一生懸命探してるわけでw

九州説の人は、「邪馬壹國」を探し、

畿内説の人は、「大和朝廷」を一生懸命探している(笑)

魏志倭人伝に記される「邪馬壹國」をちゃんと探してみてはいかがか?www
60河童虫:2009/05/28(木) 14:01:27
九州だ、やれ畿内だなんてナンセンスだよ

陳壽はその書の中で「邪馬壹」と言う概念を創りだし、范曄は「邪馬臺」と言う概念を創り、書を纏めた。
61改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/28(木) 14:13:37
>>58
>『計其道里 當在會稽 東冶之東』は、前の分身(風俗)記事と後の風俗記事に挟まれて書かれている。
>これは、『計其道里 當在會稽 東冶之東』が風俗記事の一部であることを示しており、
>倭の位置を示す目的のものではない。

うん 同意。

>『計其道里 當在會稽 東冶之東』は、直前の述べている文身の補足説明である。
>何が「當」なのか?
>『越之為號 其來尚矣 少康封庶子以主禹祠 君於越地耳 故此志云其君禹後 豈謂百越之人皆禹苗裔 [王贊]説非也 文身斷髮 以避蛟龍之害』
>『常在水中 故斷其髮 文其身 以象龍子 故不見傷害也』 「漢書地理志 自呉至黄支」
>の内容の知識を読者は思い浮かぶ。
>「當」は、この上記知識を踏まえて発した、読者に共感を与える為の言葉なのである。
>前漢における會稽は現在の杭州付近のみである。
>ゆえに會稽東冶は現在の杭州付近以外には存在し得ない。

「當」というのは、「ぶつかる」ということです。
夏后少康之子の時代の入れ墨の話であり、その頃からの「云われ」をいうてるんです。
「計其道里....東冶之東」というのは、今回新しい情報ではないということが分かる。

>前漢代には、洛陽から12000里南に、文身の風俗を持つ人々が住んでいた。
>今、帯方郡の12000里南に、文身の風俗を持つ倭人が住んでいる。
>その倭人の地は會稽東冶の東になる。
>「計其道里 當在會稽 東冶之東」には、「当に、倭は前漢代の會稽並みで、文明に遅れているところだ。」の意味が言外にある。

「所有無與儋耳朱崖同」(魏志倭人伝)
その産物、風俗の有無は、 タンジ、朱崖と同じ。

「倭は前漢代の會稽並み」ではなく、それも倭人伝に記されちょるでしょ?
勝手な妄想はいけません!
倭の産物、風俗は、海南島のタンジ郡、朱崖郡と同じデス。
62河童虫:2009/05/28(木) 14:15:04
だから陳壽は倭人伝の中で、投馬国の南も「邪馬壹」の概念は広がると
63改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/28(木) 14:19:33
>>58 九州王朝さん
> >http://koala.ddo.jp/wajin054/index.html
>↑このHPの位置は正しい。

そんなところに、沖縄〜与那国島なんてありませんよw
ちゃんと、地図を見て下さいww アッハハ
64改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/28(木) 14:34:35
>陳壽はその書の中で「邪馬壹」と言う概念を創りだし、范曄は「邪馬臺」と言う概念を創り、書を纏めた。

概念?いえいえ違いますよ。

「邪馬壹國」ではなく、「邪馬臺國」(ようは、邪馬台国、タマタイコク)が
正解かもしれません(よくよく調べてみると)。

「臺」というのは、この一字で「大陸の都」を指し、
意図的に陳寿さんが変えたのか、或いは、国名が、本当に「邪馬壹國」だったのか...。

わたしは、ソコの場所を邪馬台国(ヤマタイコク)とします。

>だから陳壽は倭人伝の中で、投馬国の南も「邪馬壹」の概念は広がると

概念???根拠はなんでしょう。
65日本@名無史さん:2009/05/28(木) 14:38:32
おっと〜わたしは時間がきたようなのでいったん落ちますね。

では.........また夜..。
66日本@名無史さん:2009/05/28(木) 15:11:38
>>47
「国」というのは今で言う「市区町村」と考えてええやろか?
でもって邪馬台国、投馬国、狗奴国の3国は今で言う「県」やね。
67日本@名無史さん:2009/05/28(木) 15:14:02
>>28
>九州行ったのならわかるだろ
>10日とか20日とかの日数がかかる場所じゃ絶対に無い

 10日、20日、1月(30日)は整いすぎの数字。倭船団の慎重且つ超スローペースで、始めの二、三日
は記録をとったかも知れないが、あとは船酔い、うんざりで体感日数なのでは。郡より末廬国は中国
船。中国船は正確度は別にしてコンパス等の航海機器が整っていたが、倭船は船頭の勘や経験頼
りだった。
 とは言え、卑弥呼時代より100年後とか言う兵庫県出石で発掘された線刻画には立派な船団が描
かれている。当時は出石あたりまで大型船が遡上していたようである。
 いくら古代とは言え水行一月、陸行一月は異常な長旅であったと思う。
 要するに、難升米や船頭はご下賜品をなくしたり壊したりして卑弥呼の金切り声や男弟のドスのき
いた声で怒鳴られるのが嫌だったのだろう。

68九州王朝大好き:2009/05/28(木) 15:26:49
>>61
>「所有無與儋耳朱崖同」(魏志倭人伝)
>その産物、風俗の有無は、 タンジ、朱崖と同じ。
>倭の産物、風俗は、海南島のタンジ郡、朱崖郡と同じデス。

産物風俗全般においては倭は南方系で、其の通りです。否定していません。
(同じ照葉樹林文化圏だから当然。倭は黒潮に囲まれてベースは温暖南方系文化圏なのは当然。)
しかし風俗でも、文身に関しては前漢時代の會稽東冶と同じだと書いてあるのです。
(文身の習慣のあった會稽東冶は現杭州の海岸沿いの地方だと思われます。)
69河童虫:2009/05/28(木) 15:44:31
>>65

概念に根拠をもとめるの?しかも自分の反論は「かもしれない」と言う、実に曖昧な抽象的な意見。

ま、いいだろう。

因みに
「邪馬壹」の文字を倭人伝以外で見かけた事はありますか?
特に魏書の前後である後漢書や晋書で?
つまり、魏書限定バージョンなんだよ
他の国が、魏時と言う時間に合わせるかのように存在し消えるなんて
実際には考えずらい事。
そう考えれば、ある地域を魏時(魏書)に限定し、「邪馬壹」と言う概念を創り出したと
考えた方が自然だよ

・倭という概念の外延に、邪馬壹が有るんだよ。
女王国は邪馬壹に内包され、上位外延は邪馬壹と言うように。
女王国も、女王がいなくなれば女王国でなくなる、ある意味概念だし。
70河童虫:2009/05/28(木) 15:59:00
>>66

国は、かなり後世になってからの文字だから
現在の感覚で、國を把握することは、極めて困難。

國は口の中に或と書くように、
囲いに入るモノが決められていない。囲いに何が入るかは、〇〇國のように
囲いの中に〇〇が入るわけだ

例えば
伊都國だったら、囲いの中に伊都が入る。
だから伊都國
71日本@名無史さん:2009/05/28(木) 16:16:24
>>58
>前漢における會稽は現在の杭州付近のみである。

前漢・後漢時代、会稽郡は今の上海から厦門(台湾の対岸)まで広がってる。
三国呉になると、会稽郡は小さくなって杭州付近になる。

>ゆえに會稽東冶は現在の杭州付近以外には存在し得ない。

東冶は杭州付近には存在しておらず、倭人伝の記述を杭州付近だと言うのなら、
これは東冶ではなく東治という表記が正しい事になる。
だから、君の説を主張するなら、東冶と書くべきではないよ。

それで、グーグルマップに確かにその付近に東治という地名があるけど、あまりに小さい。
それに、三国時代にその場所が東治と呼ばれていたという確証がない。
東治という言い方が、二十五史にも十三經にも他に見当たらないしね。
というわけで、会稽東治が杭州だという説には、積極的に賛成できないなあ。
7266:2009/05/28(木) 16:31:13
>>70
なるほど。よく分かった。サンクス!
國の「口」は城柵で囲うことで、「或」は英語の代名詞「it」みたいなもんやね。
     ____
邪馬台國=|邪馬台| 
      ̄ ̄ ̄ ̄
73日本@名無史さん:2009/05/28(木) 17:47:50
>>72
それは彼の独自説で、一般的な通説ではないよ。
それを認識したうえで信じる信じないは自由。
説文解字に言われている古来からの通説を紹介しとく。

周の時代では或と國の関係は、同じものの古い字と新しい字の関係である。
或は戈と口と一から出来ている。
一は土地で、口は土地の境界。
土地の境界を戈を以て守るのが或で、本来は國の意味だった。
それが、武器を以て守るのは疑う心があるからということで、
「あるいは攻められるんじゃないか」ということから「あるいは」の意味に転用され、
「惑う」の意味に転用されるようになり、結果、「クニ」の意味のために
新たにもう一つ口を加えて國という文字を作った。

以上が通説。ちなみに、國は後世の文字というわけではなく、
「大を邦と曰い、小を國と曰う」とか「國、天子のキする所を謂う」というふうに
区別して使われていたと言われてる。
ところが、漢の高祖の名前が劉邦だから、
畏れ多いということで邦という字の使用を避けるようになったので、
一般に國という文字が汎用されるようになった。
74日本@名無史さん:2009/05/28(木) 17:53:27
>>72
補足
説文解字は後漢時代に編纂された古い書物ではあるけれど、
全部を妄信していいわけではないです。
後漢の人は現代人の知りえない知識を持っていただろうから、
とても貴重な資料ではあるけれど、
当時は甲骨文字が発見されていなかったので、
現代では訂正されるべき個所もあると聞きます。
75河童虫:2009/05/28(木) 18:23:37
>>73

>一は土地、口は土地の境界


昔の人は無駄な事が好みのようで

“一”が土地で、“口”が境界の意なら話しはまだしも
“口”が土地の境界の意なら、“一”はいらないよね?

で、その説文解字の説明が正ければ、
或と言う文字は、
戈=武器
一=土地
口=土地の境界
という認識の後に誕生した事になるよね?
76日本@名無史さん:2009/05/28(木) 19:00:56
>>75
>“一”が土地で、“口”が境界の意なら話しはまだしも
>“口”が土地の境界の意なら、“一”はいらないよね?

それは僕の訳し方w
土地が問題になっているときの境界なら、土地の境界じゃん。

>という認識の後に誕生した事になるよね?

そうなるね。
77唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/28(木) 19:24:11
>>69
>他の国が、魏時と言う時間に合わせるかのように存在し消えるなんて
実際には考えずらい事。

現実に起こったことです。
景行と日本武尊による、大倭国統一は有った。
78河童虫:2009/05/28(木) 19:33:58
>>77

で、魏のどんな力がそこに加わり
現れ消えたのです?
79九州王朝大好き:2009/05/28(木) 21:53:54
>>71
>前漢・後漢時代、会稽郡は今の上海から厦門(台湾の対岸)まで広がってる。
>三国呉になると、会稽郡は小さくなって杭州付近になる。

其の通りです。

修正
× 前漢における會稽は現在の杭州付近のみである。
○ 前漢における會稽であって、三国時代(呉)の會稽は現在の杭州付近のみである。

「文身」は、本来は春秋の越の時代からの風俗ですから、會稽東冶は三国時代の呉地にあるのです。
會稽東冶は魏志に書かれているので同時代資料に基づく地名でなければならない。
なお、東治はこの件に無関係です。


『師古曰 越之為號 其來尚矣 少康封庶子以主禹祠 君於越地耳
 故此志云其君禹後 豈謂百越之人皆禹苗裔?[王贊]説非也 文身斷髮 以避蛟龍之害
 應劭曰 常在水中 故斷其髮 文其身 以象龍子 故不見傷害也 
 後二十世 至句踐稱王 與呉王闔廬戰 敗之雋李』 漢書地理志自呉至黄支


>>to all キッチリ書けていないのでどんどん突っ込んでくれ。
80日本@名無史さん:2009/05/28(木) 21:57:07
刺青は韓伝でも書かれてる。
81改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/28(木) 22:03:03
>>66
>「国」というのは今で言う「市区町村」と考えてええやろか?
>でもって邪馬台国、投馬国、狗奴国の3国は今で言う「県」やね。

そのとおり、「國」は今で言う「県」ですね。

>>68
>しかし風俗でも、文身に関しては前漢時代の會稽東冶と同じだと書いてあるのです。
>(文身の習慣のあった會稽東冶は現杭州の海岸沿いの地方だと思われます。)

夏后少康の子が會稽という場所に降りて、自らの身を守るため(ミズチの害から)、
髪を短くし入れ墨したという伝承があり、倭の人々は、その入れ墨を真似て顔や体に彫ったわけですが、
その場所はどこなのか?を考えるわけですね。

現在の中国でも、今の日本の高千穂の候補地(鹿児島と宮崎)が二つあるように
この會稽の場所も何通か候補地があったりするのでしょうか?
もし、そうであれば私が言ってるほうが正解デス。
82唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/28(木) 22:10:37
倭国大乱の数字は、
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1229002826/l50

景行は、魏より 治世、戦、武器、等数々の導入
この武力は、神功時代の半島まで優位を保つ。
神功渡海は272年頃だから出来た。
360年頃では遅すぎ支持できない。この辺で神功渡海を考えているローガンさんは、
書紀の記事を信用しないことでやっと渡海の事実を認めようとしているが、
シミュレーション出来なくて困っている。
83改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/28(木) 22:26:42
>>66
>でもって邪馬台国、投馬国、狗奴国の3国は今で言う「県」やね。

これはいいとして

>「国」というのは今で言う「市区町村」と考えてええやろか?

ん?これはどうなんでしょうねw 皆さん〜私の代わりにレスしてやって下さいww

>>69
>しかも自分の反論は「かもしれない」と言う、実に曖昧な抽象的な意見。

自信が無い箇所は、
「かもしれない」、「だろう」と発言します。
84河童虫:2009/05/28(木) 22:39:29
>>83

自分の意見に自信が持てないなら、相手に根拠を要求しても
その根拠を分析出来るだけの能力がなく、根拠を求めても無意味だろ?
85改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/28(木) 23:31:02
>>69
>因みに「邪馬壹」の文字を倭人伝以外で見かけた事はありますか?
>特に魏書の前後である後漢書や晋書で?
>つまり、魏書限定バージョンなんだよ
>他の国が、魏時と言う時間に合わせるかのように存在し消えるなんて
>実際には考えずらい事。
>そう考えれば、ある地域を魏時(魏書)に限定し、「邪馬壹」と言う概念を創り出したと
>考えた方が自然だよ

ようは、
「壹」も「臺」も「臺」もすべて著者のオリジナルということ。
あなたの場合〜師匠さんのレスを探したほうが早いデスwww
師匠の考えをそのまま言われてもな〜ww

>・倭という概念の外延に、邪馬壹が有るんだよ。
>女王国は邪馬壹に内包され、上位外延は邪馬壹と言うように。
>女王国も、女王がいなくなれば女王国でなくなる、ある意味概念だし。

女王国というのは、邪馬壹國の一時的な呼び方ですよw
86河童虫:2009/05/28(木) 23:43:31
>>85

なら、今後一切レスしないね
迷惑そうだから
87日本@名無史さん:2009/05/28(木) 23:53:23
>>69
上位外延って、ググッたけど出てこないよ。
上位概念とか上位概念の外延とかはあるけど。
上位外延ってどういう意味ですか。
88河童虫:2009/05/29(金) 00:04:21
>>87

ゴメン

上位概念で、いいんだよ
外延と概念が頭の中で交通渋滞

普段余り使わないから、
89改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/29(金) 00:20:32
あらら、機嫌を損なわしてしまったのなら申し訳ない m(__)m

しかし、「師匠さんがこのように言ってて、わたし自身はこう感じたんだけど
どう思う?」てきなレスなら、わたしも助かるんですが、
言われたとおり、そのまま、ダイレクトにわたしのほうへ持ってくるので...w

「著者のオリジナル」
う〜〜ん なるほどなるほど、......。

しかし、對馬國や一大國をみても、現在の対馬や壱岐の名残があるわけで、
「邪馬壹國」、「邪馬臺國」、「邪靡堆」にしても「音」が全て違うし、
著者のオリジナル(国名ではなく勝手に付けた)としていいのだろうか?
90日本@名無史さん:2009/05/29(金) 00:26:38
>>88
なるほど。
外延も概念に含まれるっていうのは、論理学らしいけど、普通の感覚ではないね。
ここは、それに従って論ずると、邪馬壹國は倭という概念の外延であると同時に、國という概念の外延でもある。
そして、漢も魏も國という概念の外延であって、同じく概念と言う事になる。
アメリカや日本も同様。
ところで、邪馬壹國という名称は、倭人の言葉の音写だろう。
それを陳寿が概念として作り出したとするなら、
亜米利加や阿蘭陀という概念を日本人が作り出したということになる。
矛盾するんじゃないかな。
とはいえ、こんなこと議論しても、歴史学的には無意味だわな。
91改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/29(金) 00:40:50
>>69>>77
>他の国が、魏時と言う時間に合わせるかのように存在し消えるなんて
>実際には考えずらい事。

「国名」や「県名」、「地名」は時代とともに変わるわけで、
わたしも今ここで説明できるスキルはありませんが、
本を読んだ経験で言わせてもらうと「似たような名(地名)で多少なり変化している」
のが現状で、この場合、「国名の変更」の可能性が高いのではなかろうか?
邪馬壹國、邪馬臺國、邪靡堆....。

「著者によってオリジナル名をつけた」のではなく、
「国名の変更」もしくは、
「臺」は大陸の都という考えから陳寿が意図的に変えた のが可能性として高く感じる。
ほかの人はどう思ってるんでしょうね?!
92河童虫:2009/05/29(金) 00:41:29
>>90

>邪馬壹國は倭人の言葉の音写


いいえ
「い」と言う音だけが倭人の言葉
後は全て形容されたもの

ヤマタイ或はヤマイなんて言う地名や言葉なんて、痕跡もありませんから
93日本@名無史さん:2009/05/29(金) 00:47:02
>>92
>ヤマタイ或はヤマイなんて言う地名や言葉なんて、痕跡もありませんから

近いといえば大分県「耶馬溪」?
94河童虫:2009/05/29(金) 00:57:40
>>93
すくなくとも中国では「ヤマ」と言う言葉は
変えずに長い間使用していたにもかかわらず
国内では、記紀すらも取り上げていない。
95日本@名無史さん:2009/05/29(金) 10:12:53

■奈良・箸墓古墳築造、卑弥呼の死亡時期と合致 歴博測定

 古墳時代の始まりとされる箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)が築造されたのは240〜260年という研究を国立歴史民俗博物館(歴博、千葉県佐倉市)がまとめた。
放射性炭素年代測定によるもので、250年ごろとされる卑弥呼の死亡時期と重なる。畿内説と九州説とが対立している邪馬台国の所在地論争にも一石を投じることになりそうだ。

 「魏志倭人伝」など中国の史書によると、卑弥呼は2世紀末〜3世紀初め、それまで戦乱を繰り返していた倭国(わこく)(現在の日本)の国々が共通の女王として擁立。
邪馬台国に都を構え、239年には中国・魏王朝に使者を送って皇帝から「銅鏡百枚」など多くの品々を贈られたとされる。

 全長280メートルの前方後円墳である箸墓は、最大でも110メートルだったそれ以前の墳丘墓とは規模が大きく違う。強大な政治権力が誕生したことを物語り、時代の画期を示すものと考えられている。
魏志倭人伝にある卑弥呼の墓と、箸墓の後円部の大きさが近いことなどから、古くから箸墓を卑弥呼の墓とする考えがあった。

 考古学では、少し前までは4世紀の築造と考えるのが主流だった。宮内庁指定の陵墓で本体の調査はできない。
周囲で出土した土器や他の古墳で見つかった鏡などを手がかりに研究が進み、3世紀後半と見る研究者が増え、卑弥呼との関連が注目されるようになっていた。

 歴博は全国の5千点を超す土器の付着物や年輪の年代を測定。その結果、箸墓の堀や堤からも出土し、箸墓が築造された時期の土器と考えられている「布留(ふる)0式」が使われた期間を240〜260年に絞り込んだ。

 31日にハワイで始まる放射性炭素国際会議と、同日に早稲田大である日本考古学協会の研究発表会で報告される。

 歴博研究グループ代表の西本豊弘教授(考古学)は
 「慎重に進めた5年間の研究の総まとめで結果には自信を持っている。どのようにしてこの年代を求めたのか、だれでも検証できるように測定データも含めてきちんと公表するようにしたい」
と話している。(渡辺延志)

朝日新聞2009年5月29日
http://www.asahi.com/culture/update/0528/TKY200905280355.html
96太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/29(金) 10:13:35
倍暦計算から卑弥呼と百襲媛がほぼ同時代の人物だと分かる。いまニュースを
見たら、千葉民族博グループが箸墓を240〜260年代と特定した。
ということは確かに両人が同じころの時代の女性だったということになり、計算
が間違っていなかったことを物語るのだ。

しかし同時代だからといって、卑弥呼が百襲媛なのかと考えるのは間違いで
ある。二人は別人である。仮に卑弥呼たる百襲媛が金印をもらって、オオキミに
金印が行かないのはどう転んでもおかしいわけで、競技でいえば、優勝者で
ない3位4位の者が金メダルをもらって優勝者が金メダルをもらってないという
不合理同然だと考えてよい。ということは卑弥呼は畿内の女ではないことと
観るべきであり、このことは遠回しに卑弥呼が九州の女王だったということを
意味していることになる。
97日本@名無史さん:2009/05/29(金) 10:29:14
>>95
>■奈良・箸墓古墳築造、卑弥呼の死亡時期と合致 歴博測定


ただいまニュース速報+板(↓)で熱論中!!!

【歴史】卑弥呼の死亡時期と合致「奈良の箸墓古墳」 邪馬台国畿内説と九州説に一石を投じる結果に…国立歴史民俗博物館
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1243547663/
98太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/29(金) 10:32:40
>>96
孝靈天皇の皇女の墓が同グループの研究結果から240年〜260年代
だったということは、孝靈皇女がそれ以前に生存していたことを
物語っているわけで、唐松山の野郎のいう景行元年=239年だと
なれば、百襲媛と卑弥呼はほぼ同時代の女性だから〜百襲媛と同時代
の卑弥呼は、奴は孝靈、孝元、開化、崇神、垂仁、景行と天皇6代間
に渡って生存していたことを遠回しに主張していることとなり、
唐松山の野郎の考えがおかしいことに大半の者が気がつくであろう。w
99日本@名無史さん:2009/05/29(金) 10:55:39
とにかく、卑弥呼が天皇家の血筋であることが証明されたようなもんだから一安心。
>>96の言うように何故巫女が王女とされたかが残る最大の謎だわな。
100太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/29(金) 11:01:15
>>99
絶対とは言わんが、卑弥呼は天皇の血筋ではないだろう。
倍暦の計算は合っていた。とにかく両人はほぼ同時代の女性だ。
こてはもう間違いないな。だが双方は別人である。
このことはそれがし、以前に書きこんでいたとおりだ。
101日本@名無史さん:2009/05/29(金) 11:06:24
人前に出ない王が政治を出来るわけがない
なのに王。
謎です。
102九州王朝大好き:2009/05/29(金) 11:11:50
>>81
>現在の中国でも、今の日本の高千穂の候補地(鹿児島と宮崎)が二つあるように
>この會稽の場所も何通か候補地があったりするのでしょうか?
>もし、そうであれば私が言ってるほうが正解デス。

會稽東冶は現在の杭州付近以外に候補地はありません。
他の候補地を考えることはナンセンスです。

>>79に「漢書地理志自呉至黄支」を引用したように、文身の風俗は既に越にはあった。
春秋の越地は三国の呉地に重なり、又越地は現在の杭州付近である。

會稽東冶は、魏志倭人伝の同時代資料であることから、三国の呉地に存在することになる。
會稽東冶は、呉地の更に一部である春秋の越地にあることになる。
その越地は現在の杭州付近であるので、
會稽東冶は現在の杭州付近であるとの結論になる。



邪馬壹國と邪馬臺國について

魏志倭人伝が編纂された時代では、倭は「ヰ(委)・イ)」と発音されていた。
それ以降に編纂された史書の時代では、倭は「タヰ(大倭)・タイ」と呼ばれていた。
それ以降に編纂された史書では「イ」音を「タイ」音に合わせる文字に変えただけ。

"タイ"音  :  邪馬臺國  俀國  邪靡堆  大倭
103日本@名無史さん:2009/05/29(金) 11:17:25
倍暦が正しかったのではなく、反論する奴を屁理屈をこね回し、金切り声で追い払っただけです。
皆は嫌気がさし、今は誰も意見すら述べないだけ。
104太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/29(金) 11:18:51
天皇がいるときに同一場所に女王がいるなどとは、通常は考え
にくい。たとえば西遊記によると平頂山には金角銀角二大王が
いたことになってるし、獅駝嶺には3匹の大王がいたことになって
いる。これは小説だが、同一国の同時期に二人大王がいちゃいけ
ないということはなかろうし、類例として現今のロシアも双頭政治
だから完全否定にはならないが、記紀に239年ころ双頭なら卑弥呼
という女王の記事を記紀が故意に落とす事もなかろう。その事由
として、神功紀に伝からの借り物文で卑弥呼らしき記事を載せて
いるわけだから、紀の編者らが故意に卑弥呼を隠匿したものではない。

ということは天皇がいて天皇が金印をもらってない限り、卑弥呼は
畿内にいるわけもなく、当然畿内とは別国の女王だったということに
なる。ということは、卑弥呼は九州の女王であったわけで、しかも
百襲媛とはほぼ同時代の女性であって、さらにはどの編年が正解かも
おおむね判別が可能となって来たことになるのだ。千葉民族博の研究
結果は信頼度が高いだろう。とにかく両女性はほぼ同時代に位置する。
105太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/29(金) 11:25:35
>>103
記の崇神没年干支はそれがしの倍暦の同没年とほぼ一致した。つまり
菅政友と橋本増吉の主張の258年説は、年代に関する限りほぼ正解
であり、倍暦と記と千葉民族博研究グループの結果から崇神没年
が258年戊寅ということは非常に合理性があり、倍暦の結果は正確で
あったこととなる。グループの箸墓240〜260年は正確であり、
信用性は濃厚である。
106サガミハラハラ:2009/05/29(金) 11:38:05
復元日本書紀紀年法ではヒモモソ媛の死亡記事の崇神10年は273年にあたります。
考古とはまだ13年の差がありますね。
107太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/29(金) 11:40:05
240年と260年の中間たる250年で考えるべきだろう。
サガミハラハラさんの編年が少しおかしいという結果なのだ。
108日本@名無史さん:2009/05/29(金) 12:01:58
編年、ヘンね…
109doontakuka:2009/05/29(金) 12:51:44
箸墓の座標はLatitude: 34.539261 Longitude: 135.841228であるから、この座標は『女王国北の境界の北緯39度』と北緯26度を引きずっての『北緯30度の文化』との中心に位置している。
故に、女王の墓であることには疑いを持たない。が、此れを卑弥呼の墓とするなら、再葬の可能性が高いであろう。何故なら卑弥呼は畿内ではなく、伊都國=出雲か奴國=松江の何れかが居住地であったからです。

『女王之所都』とは北緯39度を意味している。

長安(ちょうあん)は中国現在の陝西省の省都西安市に相当するが、
長安(ちょうあん)に隣接する北緯: 34.363 東経 : 108.64にピラミッドがる。

このピラッピドを理解すれば、{『女王之所都』とは北緯39度を意味している。}が理解出来るでしょう。
110doontakuka:2009/05/29(金) 13:15:31
『會稽と東治』の位置関係は約tan39度、『會稽と東冶』の位置関係は約tan45度にある。
これの角度は北緯に置換され、北緯39度は女王国の北の境界で、北緯45度は男王国の北の境界を意味している。『會稽東治[冶]の東』というとき、同緯度を列島にスライドさせているだけ。
魏の時代の列島の『北緯30度〜北緯39度の女王国は卑弥呼』であり、
『北緯39度〜北緯45度の男王国は狗古智卑狗の狗奴國』である。
111日本@名無史さん:2009/05/29(金) 13:56:45
奈良・箸墓古墳築造、卑弥呼の死亡時期と合致 歴博測定(1/2ページ)
http://www.asahi.com/culture/update/0528/TKY200905280355.html

【歴史】卑弥呼の死亡時期と合致「奈良の箸墓古墳」 邪馬台国畿内説と九州説に一石を投じる結果に…国立歴史民俗博物館★2
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1243572685/
112日本@名無史さん:2009/05/29(金) 14:04:19
>>109-110
興味あり!GoogleMapか画像うpして下さい。
113doontakuka:2009/05/29(金) 14:34:31
取りあえず・・・・・


http://www5.ocn.ne.jp/~botan/map_g.html
の、地名入力で、『上官皇后稜』と打ち込み、地図検索をする。
それを、航空写真に切り替えて、写真を拡大してください。
青いマークの左右に見事なミラミッドを発見するでしょう。

中国の先史はエジプトにあり。
漢、魏の文化の南限は北緯30度。
北緯26度を引きずっての文化です。エジプトもクフ王のピラミッドは北緯30度で、北緯26度は王家の谷です。
114doontakuka:2009/05/29(金) 14:40:53
失礼!

『上官皇后稜』を 『上官皇后陵』に訂正します。
115日本@名無史さん:2009/05/29(金) 14:56:36
女王卑弥呼(姫命)は倭迹迹日百襲姫命と確定した。

が、まだ問題は残されている。

男王卑弥弓呼(彦命)は誰か?
武埴安彦命

狗古智卑狗(狗右智卑狗)は誰か?
河内彦(武埴安彦命は河内の豪族の娘を娶る)
菊池彦

狗奴国はどこか?
許乃国(現・京都の宇治あたり)
出雲国
毛野国
熊襲
桑名(濃尾平野)
116太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/29(金) 15:09:13
確定なんかしないよ。だったら金印は天皇がもらってる。
117日本@名無史さん:2009/05/29(金) 15:13:42
>>102
全然論証になってないぞ。

>會稽東冶は、魏志倭人伝の同時代資料であることから、三国の呉地に存在することになる。

この文、意味不明。

>會稽東冶は、呉地の更に一部である春秋の越地にあることになる。

根拠を示さずに断言しても意味がない。
118日本@名無史さん:2009/05/29(金) 16:36:59
産経新聞 別報(関西版)
2009年5月29日

■邪馬台国 ナゾ解き続く 化学分析、畿内説に"軍配" 箸墓古墳

 「昼は人が造り、夜は神が造った」と日本書紀に記された箸墓古墳(奈良県桜井市)。邪馬台国の女王・卑弥呼の墓との説もあり、大和か九州かで揺れる邪馬台国の所在地論争もからんで、被葬者は古代史最大の謎ともされる。

その築造年代を「放射性炭素年代測定」は西暦240〜260年とはじき出した。これは、中国の歴史書に記された卑弥呼の没年とほぼ合致。科学分析は邪馬台国畿内説に“軍配”をあげた形になった。
しかし、測定法の精度を疑問視する見方もあり“謎解き”はまだ続きそうだ。

 「卑弥呼が魏に朝貢(239年)。2代目女王・壱与(いよ)朝貢(266年ごろ)」。中国の歴史書「魏志倭人伝」は、3世紀の日本について年代順に細かく記述している。

 年代測定を行った国立歴史民俗博物館の研究チームは、箸墓古墳や他の遺跡出土の土器など数千点の放射性炭素年代を調査。
箸墓古墳の周(しゅうごう)から見つかった「布留0(ふるゼロ)式」とよばれる土器は、西暦200〜300年代の測定結果が出されたが、
これより少し新しいとされる形式の土器「布留1式」では270年ごろと割り出したことなどから、「布留0式」を240〜260年に絞り込むことができたという。

 研究チームの小林謙一・中央大学准教授は「かなり精度の高いデータが得られた」と強調する。

 一方で、考古学者を中心に慎重な見方が多いのも事実だ。
かつて箸墓古墳を発掘した奈良県立橿原考古学研究所の寺沢薫・総務企画部長は
 「研究途上の炭素年代測定によって、10年単位まで絞り込むことができるのか疑問がある。これで箸墓古墳の築造時期が決まったとはとても思えない」
と指摘する。

 箸墓古墳を270年ごろの築造とみる兵庫県立考古博物館の石野博信・館長も
 「科学的な炭素年代を頼りにしたいが、まだまだデータが不足している」
と慎重な立場だ。被葬者像については
 「箸墓のような巨大古墳は、戦乱をおさめ、卑弥呼の後に女王になったとされる臺与(とよ)(=壱与)こそふさわしい」
と話した。
http://www.sankei-kansai.com/2009/05/29/20090529-010451.php
119日本@名無史さん:2009/05/29(金) 16:52:25

トヨタン・・・・・・・・・・
120日本@名無史さん:2009/05/29(金) 16:54:10
もう九州説は無理だな。
九州にあったら邪馬台国はどこに消えたの?
卑弥呼の伝説も何故残ってないの?
121日本@名無史さん:2009/05/29(金) 17:16:20
九州涙目w
122日本@名無史さん:2009/05/29(金) 17:17:52
>>120
悲しいかな ここが九州カルトの残党最後の砦ってとこだなw

123愛知県民:2009/05/29(金) 18:50:28
卑弥呼とモモソヒメは時代は近いが場所が違う。
最近もDNA鑑定による冤罪事件が発覚しており、科学判定の過信は禁物。
124日本@名無史さん:2009/05/29(金) 19:00:26
ていうか、卑弥呼の時代、畿内には宮殿などないわけだが
125日本@名無史さん:2009/05/29(金) 20:50:39
>>123
見たのかと
126日本@名無史さん:2009/05/29(金) 21:03:45
九州オワタ。
これ以上ひっかき回さないで欲しい。
早く次の段階の謎を究明して欲しい。
127日本@名無史さん:2009/05/29(金) 21:10:47
サヌカイトと木器だけの畿内土人には、邪馬台国など建国できない。
128日本@名無史さん:2009/05/29(金) 21:37:41
卑弥呼と同じ時代に、畿内のも邪馬台国と似た集落があったのですね。
それは大発見です。本物の卑弥呼の墓を探す際の参考になります。
129日本@名無史さん:2009/05/29(金) 21:51:50
九州(笑) あんな痩せた土地で(笑)
130日本@名無史さん:2009/05/29(金) 21:54:14
報道ステーションで今回の箸墓のやつやるぞ。

九州説涙目w
131日本@名無史さん:2009/05/29(金) 22:22:49
筑波市の火祭りは町興し(笑)
さすがに報道ステーションひどす(笑)
132日本@名無史さん:2009/05/29(金) 22:24:09
>>130テレビ朝日は、NHKよりずっと中立。九州よりの報道でしたね。
133日本@名無史さん:2009/05/29(金) 22:29:50
>>132
民放だからね
一応、九州にも映るテレビ局ですし
134愛知県民:2009/05/29(金) 22:30:40
古舘さんありがとう。九州説も頑張ります。
135日本@名無史さん:2009/05/29(金) 22:32:04
九州説の頭目ってあんなヘボそうな奴なの?
136日本@名無史さん:2009/05/29(金) 22:32:31
古舘「九州、ガンバレ(笑)」
137日本@名無史さん:2009/05/29(金) 22:35:43
「邪馬台国はなかった」は、朝日新聞社による出版。朝日は古田にかかわったことを後悔
してたが、まあ左系としては、あんな報道になるんだろう。
138改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/29(金) 22:38:10
>會稽東冶は現在の杭州付近以外に候補地はありません。
>他の候補地を考えることはナンセンスです。
>>79に「漢書地理志自呉至黄支」を引用したように、文身の風俗は既に越にはあった。
>春秋の越地は三国の呉地に重なり、又越地は現在の杭州付近である。
>會稽東冶は、魏志倭人伝の同時代資料であることから、三国の呉地に存在することになる。
>會稽東冶は、呉地の更に一部である春秋の越地にあることになる。
>その越地は現在の杭州付近であるので、
>會稽東冶は現在の杭州付近であるとの結論になる。

なるほど、なるほど、
會稽東冶は、杭州付近だったのですね。
現在、どこが會稽東冶とされてるのかは知りませんでした。
ただ、魏志倭人伝に書かれてる「會稽東冶」と現在のそれとは違うということであって、
陳寿さんが言ってる「會稽東冶」とはわたしが指したほうなのデス。
139日本@名無史さん:2009/05/29(金) 22:40:16
畿内は奈良まで行って取材したのに
九州説は電話取材と過去の祭の映像で済ましてたなw
140日本@名無史さん:2009/05/29(金) 22:42:10
箸墓古墳掘らせろよ>宮内庁
141日本@名無史さん:2009/05/29(金) 22:51:56
方向さえ合えば確定ですね。方向さえ合えば。惜しいな。実に。
142日本@名無史さん:2009/05/29(金) 22:58:19
方向重視なら、九州も違うよなw
143日本@名無史さん:2009/05/29(金) 23:02:11
そこで海上王国ですよw
144日本@名無史さん:2009/05/29(金) 23:02:42
>>142アンチ畿内ですから
145日本@名無史さん:2009/05/29(金) 23:05:18
この速さなら言える

here we go
146日本@名無史さん:2009/05/29(金) 23:08:35
147日本@名無史さん:2009/05/29(金) 23:09:11
安本は今頃発狂してそうだな(w
次号かその次の季刊邪馬台国で箸墓説を罵倒しまくることだろう
148改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/29(金) 23:56:38
今日は、箸墓で盛り上がってるね。
研究者の一人に過ぎない男が240〜260年の構築と言っただけなのにw
箸墓の構築を350年ぐらいと考える人は多いわけで、
わたしもその一人。
卑弥呼と時代がぜんぜん違うわけで・・・。
149日本@名無史さん:2009/05/30(土) 00:22:17
>>148
>箸墓の構築を350年ぐらいと考える人は多いわけで、
>わたしもその一人。

350年ぐらいとする理由は?
なんとなくですか?
もし理由とか根拠とかあったら、ぜひ披露してほしい
150日本@名無史さん:2009/05/30(土) 00:24:21
>>148
君がその説を支持するということは
その説は破綻したと見ていいなw
151愛知県民:2009/05/30(土) 00:31:57
私は、ハシ墓はハツシラス崇神の墓ではないかと思う。
258年没なら今回の結果とも合う。
152日本@名無史さん:2009/05/30(土) 00:35:40
ついに3スレ目が(・∀・)タッタヨー!!

【歴史】卑弥呼の死亡時期と合致「奈良の箸墓古墳」 邪馬台国畿内説と九州説に一石を投じる結果に…国立歴史民俗博物館★3
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1243609608/

ニュー速+板ダヨー
深夜の大熱論中ダヨー
153改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/30(土) 01:04:36
>>149
>350年ぐらいとする理由は?
>>150
>君がその説を支持するということは
>その説は破綻したと見ていいなw

祟神天皇の没年、258年より318年、378年のがふさわしい、
とする考えから来ている。

祟神も倭迹迹日百襲姫命と会ったろうし、
箸墓の築造を四世紀前半〜四世紀半ば とみてはどうだろうか。
明治政府の調査でもそれぐらいだっただろう?

そして、仮に箸墓の築造が240-260年だったとしても卑弥呼とは別人であり、
九州説をとるわたしにとって、なんら支障がない。

卑弥呼=倭迹迹日百襲姫命 と考える人は、まずは、
倭迹迹日百襲姫命が九州で活躍したことを証明するほうが先ではなかろうか?
154日本@名無史さん:2009/05/30(土) 01:07:35
安本は帰化人だよ
155改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/30(土) 01:12:29
わたしは、倭迹迹日百襲姫命が何年に没したかどうでもいいですw

卑弥呼を追ってるわけで、天皇家と関りあるのか?無いのか?
そっちのが大切ですね。

卑弥呼=倭迹迹日百襲姫命 ではないが、
卑弥呼=天照大神 でもないが、

アマテラスの岩戸隠れの伝承のみ、これ卑弥呼、壹與の伝承が混ざってない?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%88%B8%E9%9A%A0%E3%82%8C
156日本@名無史さん:2009/05/30(土) 01:15:36
卑弥呼天皇
157日本@名無史さん:2009/05/30(土) 02:04:37
A、箸墓(布留0期に築造かつ埋葬)の周濠(布留1期)で馬具が出土している。

B、この馬具以外の馬具の出土例はすべて400年以降である。

<AとBの確定した事実より布留1期はいつと判断すべきであろうか?>

 X → 「従前より100年以上最古の馬具が出土した。」

 Y → 「布留1は古く見ても4世紀後半であろう。」

Xが畿内説年代遡上派のバカどもであり、今回のニュースもその一派である。
158日本@名無史さん:2009/05/30(土) 02:06:21
畿内説年代遡上派って、

 考古学界最大の陰謀集団だね!
159日本@名無史さん:2009/05/30(土) 02:11:25
年代を遡上するからって、「日本は古くから栄えていた。」っていう説じゃないよ。

あくまで「共立」のレンゴウですよ。

各地に王がいたのです。

畿内の王なんて、偶然選ばれたに過ぎないんだよ!

それが年代遡上派(笑)
160日本@名無史さん:2009/05/30(土) 02:15:38
しかし九州人はどうしようもないな
161日本@名無史さん:2009/05/30(土) 02:23:23
三角縁神獣鏡は卑弥呼が魏からもらったのです。

日本でしか出土しないというのは、日本向けの特鋳だったからです。

だから日本だけで何百面出土しようが、大半は中国で作られたものなのです。

日本だけで何万面出土しようが、絶対に中国産なのです。


これこそ「畿内説、万歳!」で玉砕なのです。

162日本@名無史さん:2009/05/30(土) 02:26:19
邪馬台国がどうの卑弥呼がどうのは正直どうでいいが
箸墓4世紀半築造とかいうトンデモ論にとどめさしたんなら
気分がいいニュースだ
163日本@名無史さん:2009/05/30(土) 02:53:39
>>162
畿内説は単純やのぅ

畿内説の年代遡上に飽き飽きする

まともな畿内説もおることはおる。
しかし、こいつらは・・・・・・・・。
164日本@名無史さん:2009/05/30(土) 02:57:46
周濠から馬具が出たら、周濠が埋まる前に馬具が在った

それだけの話だ
165日本@名無史さん:2009/05/30(土) 03:36:26
魏志倭人伝には巨大古墳群など、全く出てこない。
畿内に邪馬台国がないのは当然だな。
166日本@名無史さん:2009/05/30(土) 04:14:04
>>148 改め ◆PWTcGEfp1s
>箸墓の構築を350年ぐらいと考える人は多いわけで、
>わたしもその一人。

根拠は?

考古学にも造詣の深い改め君のご高説を是非聞かせてもらいたいな。



167日本@名無史さん:2009/05/30(土) 04:44:32
なんでも卑弥呼ゆかりにしようとして、
無理やり年代を古くする、畿内説年代遡上派の遠吠えか〜
168日本@名無史さん:2009/05/30(土) 05:37:19
九州説ざまぁ(笑)
所詮は嘘出鱈目からはじまった町興し。

悔しければ、卑弥呼が九州に居たっていう
確固たる証拠を示せ(笑)

方角?当て嵌めれば海の真ん中じゃ(笑)
169日本@名無史さん:2009/05/30(土) 05:39:00
伊都国の近くの志賀島の金印って、なんなんだろうな。
畿内説でもいいけどさ。別に。
170日本@名無史さん:2009/05/30(土) 05:40:45
で、九州説は何処を発掘するんだっけ?
171日本@名無史さん:2009/05/30(土) 06:03:24
>>170

夢とロマンと金儲けです・・・

172日本@名無史さん:2009/05/30(土) 06:10:46
>>170
大宰府。
173日本@名無史さん:2009/05/30(土) 06:24:17
志賀島は、邪馬台国の使節団が魏からの帰り道、
海賊に襲撃され、金印を持って逃げた帥升米が
果てたところではないのか?
174日本@名無史さん:2009/05/30(土) 06:31:36
>>166
横レスだけど、当然、布留0の年代観だろうね。
寺澤編年では、西暦290年くらいからかな。
これが一番早いと思っていたが、今回の歴博はもっと早くなっている。
でも、田辺氏や関川氏は4世紀中頃、さらにもっと遅いと考えている人もいる。

しかし、年代が合うというだけで、「これで箸墓古墳が卑弥呼の墓である
ことは間違いなくなった。」なんて事を言う春成秀爾ってしろうと?
175日本@名無史さん:2009/05/30(土) 06:32:56
>>169
あんな物、東南アジアにも発掘されてる。
何もあれだけじゃない。
大体、墓の中じゃなくて何で島なんだよ。
志賀島なんて倭寇の本拠地じゃねーかw
176日本@名無史さん:2009/05/30(土) 06:44:16
四国
177日本@名無史さん:2009/05/30(土) 06:56:16
>>174

問題はその実年代が何処から来たか?であって

結局永らく学会でも支配的で、昔の教科書にも
「古墳時代は4世紀から」
と書いてあった根拠は小林説によるもの

ただそれはそもそも椿井大塚の三角を舶載=卑弥呼の鏡として組み立てられた理屈であるのは知っているだろう?

だから本来九州説が
「昔は通説だった年代観・・・」
として持ってくること自体が噴飯ものw

改めドツボあたりだとこの辺も知らずに言ってるんじゃないのかな?

そう言えば以前にも
「箸墓は過去に発掘調査がなされている」
と自信満々でほざいていたがwwwwwwwww



178日本@名無史さん:2009/05/30(土) 07:36:47
箸墓は宮内庁の管轄で発掘出来ないことすら知らなさそう。

箸墓どころか、巻向全体が
近年やっと調査出来るようになったばかりだというのに
179日本@名無史さん:2009/05/30(土) 07:39:46
>>174
素人以下だが、学者の端くれとして通用している・・・考古学者の世界ってそんな
ものなんだろう。考古学者の本を読んでみると、どれもこれも滅茶苦茶だ。
180日本@名無史さん:2009/05/30(土) 07:47:32
安物先生じゃなかった、安本先生のコメントまだぁ〜??
181日本@名無史さん:2009/05/30(土) 09:02:12
金印偽物説は江戸時代からあるが、あれはどうなんだろう。
金印は二つあったという話もあるし。
182日本@名無史さん:2009/05/30(土) 09:08:31
>>181
金印偽物説は完全に否定され金印が本物であることは確定している。
だだし金印の発見過程は疑問があり、
志賀島ではなく博多湾岸の別の場所で出土したのではないかとの説もある。
183日本@名無史さん:2009/05/30(土) 09:13:46
>>182
「確定」とか言うなよ。だから、人文科学はエセ科学と言われるんだよ。
現時点で有力な偽物説はすべて反駁されている。
184日本@名無史さん:2009/05/30(土) 10:02:57
>>183
何か偽物である可能性が少しでも残っているのですか?
185日本@名無史さん:2009/05/30(土) 11:40:32
実は盗んだものではないのか?
盗品は世に出せないので畑で拾ったことにした。
186日本@名無史さん:2009/05/30(土) 11:54:23
箸でオナニーしてたら箸で子宮に突き刺して出血多量で死んだ間抜けな姫にあんな立派な墓を作るか?

箸墓=卑弥呼の墓

で決まり!
187日本@名無史さん:2009/05/30(土) 13:15:44
九州の遺跡・遺物を放射性炭素年代測定したら、
同年代とされた畿内のものより数百年古かった、という
測定結果は無視するのが、畿内説年代遡上派クオリティー。
188日本@名無史さん:2009/05/30(土) 13:26:11
>>187
100年も前なら卑弥呼の時代ではないですね(笑)
189日本@名無史さん:2009/05/30(土) 13:28:04
>>187
よっ!
サイキバ君乙w

良いのか?
邪馬台国論争で九州の遺跡遺物を今以上に古くしちゃってwwwwww
190日本@名無史さん:2009/05/30(土) 13:28:28
>>187
>九州の遺跡・遺物を放射性炭素年代測定したら、
>同年代とされた畿内のものより数百年古かった、という

それは九州のどこの何と言う遺跡ですか?遺物名は何ですか?
報文は何に掲載されていますか?
191日本@名無史さん:2009/05/30(土) 13:52:30
サイキバって何?
192日本@名無史さん:2009/05/30(土) 13:53:00
古けりゃ勝ち!みたいなのを見ると
九州説の低度が再確認できていいですね(笑)
193日本@名無史さん:2009/05/30(土) 14:05:28
九州にも洪水で埋もれた土の中から好太王碑
のようなものが発見されれば一発逆転はありえますね。
194日本@名無史さん:2009/05/30(土) 14:05:58
(・∀・)またまたタッタヨー!!
ナ、ナント4スレ目ダヨー!!

【歴史】卑弥呼の死亡時期と合致「奈良の箸墓古墳」 邪馬台国畿内説と九州説に一石を投じる結果に…国立歴史民俗博物館★4
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1243658002/

ニュー速+板ダヨー
195アラタメ:2009/05/30(土) 14:08:07
>>181
>金印偽物説は江戸時代からあるが、あれはどうなんだろう。

それって〜単なる、金印偽物説を唱えた先生の「凡ミス」w
196サイキバ先生に歴史あり その1:2009/05/30(土) 14:11:24
>>191
なぜ邪馬台国を大和と認めないの?2
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1212934340/l50

576 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 11:03:08
考古学じゃ巻向は市場だって明らかなのに、畿内説は必死だな。
畿内説では祭器場がないので 巻向では 古 墳 が祭器場になるんだと。
なんせ考古学板逃げてきた奴らだから仕方ねーw 

579 名前: 569 投稿日: 2008/08/03(日) 11:25:33
>>576
それと・・・
 「 祭 器 場 」 って何なんだ?
祭祀場ならニュアンスとして分かるが・・・
初めて聞いたが、念の為ググっても一件もヒットしなかったが?
それも考古学用語なのかな?
後学の為教えてもらえないかな?w

590 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 12:26:47
それと「祭器場」って造語を広めてるのも同じ人ですね。
きっと「祭祀」を「さいき」って読んじゃったのねw
197サイキバ先生に歴史あり その2:2009/05/30(土) 14:14:09
593 名前: 579 投稿日: 2008/08/03(日) 12:28:52
>>590
>きっと「祭祀」を「さいき」って読んじゃったのねw
な、なるほど!
それは気がつかなかったwwwwwwwwwwwwww

595 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 12:37:48
祭器場クンは泣きながらお昼寝しちゃったみたいだなw

598 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 12:56:47
まっ、「祭祀」を「さいき」って読むような香具師に
考古学がどうの語られても説得力ゼロiなわけで(笑)
198日本@名無史さん:2009/05/30(土) 14:15:20
>>196乙!
ワロタスww
199日本@名無史さん:2009/05/30(土) 14:20:31
いやいや3世紀当時の九州には「オイドン」という牙のあるサイがいたんだよ。九州のC14
は古く出ると、上レスに書いてたんで、九州の3世紀は旧石器時代に相当するだろ。「サイ
キバ」というのは、オイドンの牙から作った祭具で、原住民は皆それを首からさげて、炭坑節
を踊ってたんだ。
200日本@名無史さん:2009/05/30(土) 14:23:26
今読んでも笑えるw
201日本@名無史さん:2009/05/30(土) 14:28:52
皆で「月が〜出た出た〜」と、踊っているところに一人の始祖王が登場した。それが、古武彦
尊(フルタケヒノミコト)で、ここから九州王朝が、その扉を開き始める。
202日本@名無史さん:2009/05/30(土) 14:36:42
なんでも地元の人々に「サイキバさま」と恐れられている祟り神は
九州は阿蘇山の麓の某所にある装飾古墳の中に金印をお供えして奉ってあるという。。
203日本@名無史さん:2009/05/30(土) 14:40:45
続き 
ちなみに「倭王武」と宋書倭国伝にあるのは、古武彦尊から7代目の子孫。「倭王讃」は
安美天尊(ヤスビッテンのミコト)の11代孫、この2王の間には、東日流王国の処遇を巡って
の明らかな対立があったと考えられてる。これが、いわゆる2王朝交代説と呼ばれるもの
だ。
204日本@名無史さん:2009/05/30(土) 14:46:25
ヤスビッテンのミコト→ヤスビッテンノミコト ちなみに202は荒らし。
205日本@名無史さん:2009/05/30(土) 14:59:50
続き
俺の説に瑕疵があるとすれば、3世紀当時に「炭坑節」があったかどうかくらいだろうが、
ないことを証明するのは不可能だろう?あったと考えてもいいじゃないか。それに甕棺の
実年代は1800年頃、この時代で、九州がやっと弥生中期の文化程度であったことは学
会の定説である。

以上、日向説等の論調をマネしてみました。
206日本@名無史さん:2009/05/30(土) 15:04:24
畿内説は魏志倭人伝の解読を放棄し
箸墓古墳を卑弥呼の墓に捏造しようと必死
南無阿弥陀仏
207日本@名無史さん:2009/05/30(土) 15:23:49
箸墓は倭トットの墓と、日本書紀に記録されている。今更卑弥呼の墓と言われても・・・・?
墓の中でトットが泣いている。


典型的な売名行為。
気持ちはわからんでもないが

ヤッチマッタナ
208愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/05/30(土) 15:30:40
炭坑節の山、香春(かわら)岳は原八幡信仰の山であり、
香春神社には辛国息長大姫大目命など三柱が祭られている。
炭坑節も案外、重要な歴史を秘めているのです。
209愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/05/30(土) 15:54:19
>>207
そう言えば昨日のニュースで、NHKも報ステもヤマトトトヒモモソヒメの名を出していなかった。
(私の記憶では)
早口言葉の練習にちょうど良いと思いましたが? 噛みそうでやめた?
210縦目仮面:2009/05/30(土) 15:55:10
どうもお久しぶりです。「青春の門」は読みましたよ。香春岳には宇佐神宮の御神体鏡の
原料になったとされる銅鉱があったそうですね。「オイドン」説はいまいちですかね。ww
211愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/05/30(土) 16:03:06
縦目さん久しぶりですね。
辛国息長大姫大目命は浜崎あゆみのような目だったのか?と思ったら
大目には一つ目の意味もあるらしく、鍛冶職人は片目を失明する例が多い反映ではないか?
という説もあるようです。
何やら現代のコンピュータ技術者にも通じるかも?
212日本@名無史さん:2009/05/30(土) 16:08:43
邪馬台国は畿内で決まり  終了
213日本@名無史さん:2009/05/30(土) 16:09:58
モモちゃんはマントヒヒに似てる
214縦目仮面:2009/05/30(土) 16:14:26
香春=神武帝の「カシハラ」説や、辛国=韓国また「息長」の部分から、神功皇后との関係を
想定する人もいるようですね。古代史はあちこち red herring が転がっているというか・・・。
215日本@名無史さん:2009/05/30(土) 16:18:09
まあ畿内説は、どうこじつけても、無理だわ。
216日本@名無史さん:2009/05/30(土) 16:21:33
鉄器も宮殿もない、畿内の土人は、中国との交流などありませんでした。
217日本@名無史さん:2009/05/30(土) 16:26:20
>>216
 ↑
この芸風がサイキバ君w
218日本@名無史さん:2009/05/30(土) 16:29:18
>>216
ベニバナ花粉は?
ホケノ山の鉄器類は?
画文帯神獣鏡は?
219愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/05/30(土) 16:30:36
>>214
香春神社社伝によると崇神天皇の時代とあるので、箸墓の時代とも重なり
私は卑彌呼の候補と考えています。
220日本@名無史さん:2009/05/30(土) 16:33:10
噛みそうとかそんな問題じゃない

テレビじゃ記紀を出したら駄目なんだよ
記紀が少しでも正しい事になったら

記紀が全てデタラメだと言う前提で、言いたい放題に無い事無い事歴史のストーリーを
勝手にでっち上げてきた側が困るでしょ
221愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/05/30(土) 16:35:45
>>220
でも、報ステでは「崇神天皇のおば」と言っていたと思う。
名前を出してあげてもいいのに。
222日本@名無史さん:2009/05/30(土) 16:37:07
崇神天皇を引き合いに出したのだって、VTRじゃなくて
ゲストの人が喋っただけでしょ

報道管制状態だよ
223日本@名無史さん:2009/05/30(土) 16:37:56
ヤマロロロギモモソヒメロミコロ
ヤナロトトヒノモノロギメノイコロ
ヤマトトトヒヒヒヒヒヒヒヒノメコト

3回早口で言ったよ、上手いだろ?
224日本@名無史さん:2009/05/30(土) 16:41:12
NHKは今日明日に任那日本府は根も葉もない嘘でした番組を放送するようだしな
225日本@名無史さん:2009/05/30(土) 16:42:03
>>221
義理の姉になるんだけどね
226日本@名無史さん:2009/05/30(土) 16:43:41
折角の研究成果が、たった一言の余計な発言で台なしになる。

ヤッチマッタナ
227縦目仮面:2009/05/30(土) 16:44:01
>第一座辛国息長大姫大目命は神代に唐土の経営に渡らせ給比、崇神天皇の御代に
 帰座せられ・・・

怪しい記述ですねw。第三座の豊比売命は豊玉姫で系図は合うようですが、にしても延喜式
神名帳での社格が低いのが気になりますね。これは俺にはよくわかりません。
228日本@名無史さん:2009/05/30(土) 16:50:33
社格と言えば最高ランクの高天彦神社 葛城の本拠
229愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/05/30(土) 17:02:18
>>227
確かに信頼度十分の記述とは言い難いことは認めます。
宇佐神宮の比売大神や、ヒメゴソ社のアカルヒメとの関係など、気になることはあるのですが
学問的なことが言えなければ、何も言わないほうが価値があるでしょう。
お騒がせしました。
230日本@名無史さん:2009/05/30(土) 17:35:17
231日本@名無史さん:2009/05/30(土) 18:17:02
大阪府立近つ飛鳥博物館 春季特別展 講演会

■「卑弥呼の死と前方後円墳の誕生」 5月31日(日)

時 間: 午後2時〜3時30分
会 場: 地階ホール
定 員: 200名

5月31日(日) 白石太一郎(大阪府立近つ飛鳥博物館長) 「卑弥呼の死と前方後円墳の誕生」

※講演会には今季特別展の半券または年間パスポートが必要です。
※12時より1階ロビーで入場整理券を配布します。

平成21年度春季特別展
 開館15周年記念「卑弥呼死す、大いに冢をつくる−前方後円墳の成立−」
http://chikatsu.mediajoy.com/2009_spring/index.html

大阪府立近つ飛鳥博物館 (大阪府南河内郡河南町大字東山299番地)
利用案内とアクセス
http://chikatsu.mediajoy.com/access_j.html
232日本@名無史さん:2009/05/30(土) 18:40:04
大阪府立弥生文化博物館 春季特別展関連考古学セミナー

■第3回 「弥生建築の実証的復元−青谷上寺地遺跡の衝撃−」 5月31日(日)

   鳥取環境大学教授 浅川滋男 氏

時 間:午後2時〜4時 ※午後0時30分から整理券配布・午後1時30分から受付
場 所:当館1階ホール
定 員:170名(当日先着順)
聴講料:無料(要入館料)
http://www.kanku-city.or.jp/yayoi/lecturer/index.html


平成21年度春季特別展 弥生建築 −卑弥呼のすまい−
http://www.kanku-city.or.jp/yayoi/tokubetsu/h21_haru.html

常設展示「目で見る弥生文化」「池上曽根ワールド」
http://www.kanku-city.or.jp/yayoi/jousetsu/index.html


大阪府立弥生文化博物館 (大阪府和泉市池上町4丁目8-27)
アクセス
http://www.kanku-city.or.jp/yayoi/access/index.html
233日本@名無史さん:2009/05/30(土) 18:46:11
古館が九州説も頑張れって言ってたけど、歴史は頑張るものではないから…。
歴史は一つしかないんだし、頑張っても過去を変える事はできない。捏造することは
できるけど。捏造頑張れってこと?
234日本@名無史さん:2009/05/30(土) 18:55:33
九州説=左翼=朝日=古館頑張れ=捏造しようよ

235日本@名無史さん:2009/05/30(土) 19:04:29
神功皇后52年 =372年 七支刀より

崇神記10年=250年 箸墓、魏志倭人伝より

日本書紀の年代がだんだん確定してきましたね。
236日本@名無史さん:2009/05/30(土) 19:14:57
畿内説=軍国主義=天皇絶対史観=アイヌ民族差別=右翼=統一教会=勝共連合
237日本@名無史さん:2009/05/30(土) 19:17:03
実際そういうアホみたいな動機でどっちかについてるヤツいるからなー
238日本@名無史さん:2009/05/30(土) 19:48:45
卑弥呼が死んだとされる時期に皆既日食があった
239日本@名無史さん:2009/05/30(土) 20:12:15
>>238
>卑弥呼が死んだとされる時期に皆既日食があった

どういう意図のレスか分からないが、俺思うに、
日食や月食ごときで古代人がパニック状態になるなんてことはなかっただろう

古代人が恐れたのは何より、洪水、台風、地震、日照り、冷害、伝染病で
今も昔もあまり変わらず一緒だろう。

ただ近代科学というものがないから、大きな被害があったときはただただ人々は恐れおののき
悲しみと怒りと不安で人心はボロボロになりパニック状態、集団ヒステリーも発生した

そんなときに頼れるのはきっと宗教者しかいなかった
宗教者は人心をなだめ、人々のすさんだ心を癒す

卑弥呼もモモソヒメもそんな宗教者だったと思う。
240日本@名無史さん:2009/05/30(土) 20:26:33
241日本@名無史さん:2009/05/30(土) 20:27:48
だんだん畿内説者の病状が酷くなってくるな。
242サガミハラハラ:2009/05/30(土) 20:32:35
日蝕って珍しくありませんよ。
部分日食までふくめるとわたしは十数回は体験していると思う。
243日本@名無史さん:2009/05/30(土) 20:42:30
>>242
サガミハラハラさん歳幾つ
244日本@名無史さん:2009/05/30(土) 20:58:31
畿内説者と言われる人達は、通説、定説の上に胡座をかいた状態の人が多いので、
考古学以外の専門的な知識に弱いよね
245日本@名無史さん:2009/05/30(土) 21:01:45
畿内説の人はほとんど方向音痴ですね。
南も東も見分けが付かない。
246日本@名無史さん:2009/05/30(土) 21:25:55
魏志倭人伝に描かれた風土が、畿内ではありえない。
畿内は初めから候補地足り得ない。
247日本@名無史さん:2009/05/30(土) 21:38:57
>>246
でも、距離感が九州説だと違うよね。
そして何より、畿内にあれ程の政治集団がいるのに無視できないよね。
248日本@名無史さん:2009/05/30(土) 21:40:09
伊都国や奴国は、対朝鮮半島向けの軍事を担っていて、邪馬台国ははるか遠い聖地の機内にあった。
と妄想してみる。
249日本@名無史さん:2009/05/30(土) 21:43:11
×機内
○畿内
250日本@名無史さん:2009/05/30(土) 21:44:48
水行が瀬戸内海の航路なら畿内だな。
海行ではなくて水行
251日本@名無史さん:2009/05/30(土) 21:45:35
九州諦めろよw
252日本@名無史さん:2009/05/30(土) 21:46:11
>>1
卑弥呼の正体?

人面に刺青を入れた蛮族の女酋長でおk (プゲラ
253日本@名無史さん:2009/05/30(土) 21:49:21

(・∀・)タッタヨー

【歴史】 卑弥呼の死亡時期と合致、「奈良の箸墓古墳」。邪馬台国畿内説と九州説に一石を投じる結果に…国立歴史民俗博物館★5
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1243687084/

ニュー速+板ダヨー

ナ,ナ,ナント5スレ目ダヨー!!
254日本@名無史さん:2009/05/30(土) 22:53:49
>>247
距離は九州説だとピタリと一致しますし
畿内に何がいても関係ない。
255日本@名無史さん:2009/05/30(土) 23:22:47
>>247

>距離感が九州説だと違うよね

それは読み方が間違ってるね

>畿内にあれ程の政治集団がいるのに無視できないよね

九州〜半島にかけての国家権力のほうが巨大だと思いますが?
256日本@名無史さん:2009/05/31(日) 00:13:54
>>255
半島南端って付録のイメージしかないんだが
人によってこうも違う取り方するんだねw

さぁて、水行20日と水行10日と陸行一月を説明してくださいね
257日本@名無史さん:2009/05/31(日) 00:13:54
>>234
右翼は左翼以上に九州好きが多い。
戦前は高天原探しがブームになり、九州各地が比定地にされてた。
258改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/31(日) 00:45:46
九州、畿内とわず、

サファイアの勾玉が発見された例てなん件あるの?ALL
誰か知ってる人おる??
259改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/31(日) 02:05:56
「所有無與儋耳朱崖同」

タンジ郡が海南島の西北側でシュガイ郡が海南島の東南側?

海南島
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E5%8D%97%E5%B3%B6

倭と同じ・・・風俗らしい。
でも、こんなところにある島が日本列島と同じていうのもおかしくない?
260日本@名無史さん:2009/05/31(日) 02:27:40
>>259
「所有無與儋耳朱崖同」

これ、岩波をはじめ、倭人伝の訳本は、どう訳してるんだろう。
「有する所、儋耳朱崖と同じき無し」
じゃないのか?
なら、儋耳朱崖と同じものは無いということになるんだが。
だれか訳本もってる人、教えてくれ。
261日本@名無史さん:2009/05/31(日) 03:52:48
もういい加減に、九州説は負けを認めろよw
262日本@名無史さん:2009/05/31(日) 04:38:42

卑弥呼は、やはり倭姫命(ヤマトヒメノミコト)としか考えられない!
263唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/31(日) 11:15:07
高尾張邑有土蜘蛛。其爲人也身短而手足長。與侏儒相類。

古代大和には、侏儒相類が住んでいた。
264改め:2009/05/31(日) 11:18:10
>>260
>「所有無與儋耳朱崖同」
>これ、岩波をはじめ、倭人伝の訳本は、どう訳してるんだろう。
>「有する所、儋耳朱崖と同じき無し」じゃないのか?
>なら、儋耳朱崖と同じものは無いということになるんだが。
>だれか訳本もってる人、教えてくれ。

「有無」とあるのに、「無」だけ後ろに持っていったのは何故?

有無する所、儋耳朱崖と同じ

岩波にかいらず、これ以外、訳せません。
265改め:2009/05/31(日) 11:29:42
>>263
>高尾張邑有土蜘蛛。其爲人也身短而手足長。與侏儒相類

それは、どこからの情報でしょうか?記紀?
266日本@名無史さん:2009/05/31(日) 11:52:43
>>264
例えば「關中有無聊之民」はどう読む?
有無をつなげたら読めないよ。
「関中に無聊の民有り」
「臣聞齊有無知之禍,而桓公以興」は「臣聞く、斉に無知の禍有り、而して桓公以て興る」
有無という並びだからといって、いつでも「うむ」ではない。
それに、所有無という句には、すごく違和感を感じる。
有無は名詞で、動詞とか形容詞として働くのは僕は見たことない。
「所」の下に名詞が来るのも見たことない。
ただ、僕が知らないだけかもしれないし、
そもそも動詞とか名詞という概念で漢文を判断していいかという疑念があるので、
所有無は絶対間違いとは言い切れないでいる。
それでも
「有る所、擔耳・朱崖と同じきは無し」
の方が、自然な読み方だと思う。
267唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/31(日) 12:05:43
>「所有無與儋耳朱崖同」
有無する所は、儋耳朱崖に同じ。
”有無”を言わず信じる事。←有無を文字段階で分けたら意味が通じない。

巻三神武天皇即位前紀己未年(前六六二)二月辛亥《廿》◆己未年春二月壬辰朔辛亥。命諸將練士卒。是時層富縣波■丘岬有新城戸畔者。〈丘岬。此云 ■介佐棄。〉
又和珥坂下有居勢祝者。〈坂下。此云瑳伽梅苔。〉臍見長柄丘岬有猪祝者。此三處土蜘蛛並恃其勇力不肯來庭。天皇乃分遺偏師皆誅之。
又高尾張邑有土蜘蛛。其爲人也身短而手足長。與侏儒相類。皇軍結葛網而掩襲殺之。因改號其邑曰葛城。夫磐余之地舊名片居。〈片居。此云伽■韋。〉亦曰片立。
〈片立。此云伽■■知。〉逮我皇師之破虜也。大軍集而滿於其地。因改號爲磐余。或曰。天皇徃甞嚴瓮粮出軍而征。是時。磯城八十梟帥於彼處屯聚居之。
〈屯聚居。此云怡波瀰萎。〉果與天皇大戰。遂爲皇師所滅。故名之曰磐余邑。又皇師立詰之處。是謂猛田。作城處號曰城田。又賊衆戰死而僵屍枕臂處呼爲頬枕田。
天皇以前年秋九月。潜取天香山之埴土。以造八十平瓮。躬自齋戒祭諸神。遂得安定區宇。故號取土之處曰埴安。
268改め:2009/05/31(日) 12:05:49
>>266
>例えば「關中有無聊之民」はどう読む?
>有無をつなげたら読めないよ。

あのぅ・・・・、
「關中有無聊之民」ではなく、「所有無與儋耳朱崖同」 なんですがw

漢字は、二組づつが望ましいというのをご存知ではないのでしょうか?
もしそうだとすれば、勉強不足としかいえませんね....。

上の「關中有無聊之民」に関しても「有無」と読むのが普通。

>「有る所、擔耳・朱崖と同じきは無し」
>の方が、自然な読み方だと思う。

中学生か、高校生のお兄さん、お姉さんに聞いたらどうですか?
親にでも聞いたほうが早いよ。
269愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/05/31(日) 12:07:08
>>265
横レスですが、日本書紀卷第三 神日本磐余彦天皇 神武天皇

>>266
倭の風俗記事と漢書地理志・粤地のタン耳・朱崖とはよく似た内容だし、
共通してあるものが何も無いというのは不自然。
270改め:2009/05/31(日) 12:09:13
>>263>>267
情報ありがとうございます。

天皇家にとって、「侏儒」は土蜘蛛であり、
敵ですか。
271日本@名無史さん:2009/05/31(日) 12:20:44
>>268
>「關中有無聊之民」ではなく、「所有無與儋耳朱崖同」 なんですがw

有無の並びがいつも「うむ」ではない実例を示したのですが、解りませんでしたか。

>漢字は、二組づつが望ましいというのをご存知ではないのでしょうか?

二組って二文字ってことですか?なら、所有無って三字ですよ。
それに、詩ではないのだから、常に二文字で区切れるわけじゃなし。
272日本@名無史さん:2009/05/31(日) 12:24:11
ウム……
273日本@名無史さん:2009/05/31(日) 12:43:14
だれも岩波文庫の倭人伝訳持ってないの?
当該部分を教えてくれると有難いんだけどなあ。
274唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/31(日) 12:44:35
書紀に於ける「蜘蛛」とは、隷属していない弥生人
もうひとつ
遣隋使が朝貢で彼方の皇帝と面会したとき、今の台湾人の事を聞かれ
即答しています。
275日本@名無史さん:2009/05/31(日) 12:47:27
>>267
>有無を文字段階で分けたら意味が通じない。

すみません。意味が良く解りません。
唐松山さんは岩波文庫倭人伝持ってらっしゃらないですか?
276改め:2009/05/31(日) 12:48:45
>>269
>倭の風俗記事と漢書地理志・粤地のタン耳・朱崖とはよく似た内容だし、
>共通してあるものが何も無いというのは不自然。

何か共通したところはみつけましたか?

>有無の並びがいつも「うむ」ではない実例を示したのですが、解りませんでしたか。
>二組って二文字ってことですか?なら、所有無って三字ですよ。
>それに、詩ではないのだから、常に二文字で区切れるわけじゃなし。

「關中有無聊之民」ではなく、、「所有無與儋耳朱崖同」 デス。
「關中有無聊之民」なんてわたしはどうでも良いんですよ。

「有る所、擔耳・朱崖と同じきは無し」だもんねw
277唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/31(日) 12:49:58
ホ24089 イトウケステメ アカガクニ クロソノツミと うむミコを コロビツクニの キミとなす 

香春は神代の昔から アカガクニと呼ばれ存在していた。
ホ28276 ミツヒメまつる ソトガハマ イトウヤスカタ カミのミケ はむウトウあり
ホ31215 ウフスナと まつるスミヨシ モノヌシと ナカトミあわせ
ナヲリカミ ウサにイトウの ミメカミや 

ナヲリカミは「治り神」であり「直入神」たりえない。

ここに出てくる「ウサ」は筑紫と思われる。

県民さん 3女神の名前に違和感を覚えませんか?
278改め:2009/05/31(日) 12:53:30
うはー
「岩波文庫倭人伝」言い出してとうとう、怒り出したよw

怖いので、わたしはランチにでも出かけましょうかねw
日本@名無史さん の相手は、唐松山さんに任せますww では...。
279愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/05/31(日) 13:02:51
280日本@名無史さん:2009/05/31(日) 13:07:37
>>261
馬鹿はこなくていい。
281愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/05/31(日) 13:11:28
岩波文庫でも、「有無する所、タン耳・朱崖に同じ」ですよ。

>>276
>>倭の風俗記事と漢書地理志・粤地のタン耳・朱崖とはよく似た内容だし、
>>共通してあるものが何も無いというのは不自然。

>何か共通したところはみつけましたか?

共通というか、ほとんど同じです。
漢書地理志・粤地より
民は皆布を服(き)るに單被の如く、中央を穿ち貫頭と爲す。 
男子は耕農し、禾稻・紵麻を種え、女子は桑蠶織績す。馬と虎亡く、民に五畜有り。
山に麈・(けい)多し。 兵は則ち矛、盾、刀、木弓弩、竹矢、或は骨を鏃と爲す。 
282日本@名無史さん:2009/05/31(日) 13:18:10
>>281
ありがとうございます。
なるほど、ほとんどのホームページが「有無する所」になってるのは、
岩波文庫にならったんでしょうね。
283日本@名無史さん:2009/05/31(日) 13:27:38
>>262
酔っぱらってカキコするのはヤメロ! 迷惑だ。
284愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/05/31(日) 13:29:26
>>277
>県民さん 3女神の名前に違和感を覚えませんか?

違和感?宗像三女神のこと?比売大神と同一視されていますが、宇佐神宮ホームページでは・・・

現在の本殿は向かって左から一之御殿、二之御殿、三之御殿とならび、二之御殿の前に申殿があり、八幡造りの本殿があるが、
823年弘仁14年に三之御殿ができて、この形式になったので、それ以前は、
一之御殿と二之御殿が並んでいたとなると、二之御殿の祭神を、八幡さまの妻神と考えられたり、八幡さまとの中をとりもつ女神などと考えられた。
すなわち玉依比売(たまよりひめ)とか大宮能売神(おおみやめのかみ)とかいう学者もあったが、
社伝では、天照大御神(あまてらすおおみかみ)と素戔嗚尊(すさのうのみこと)のウケヒによってあらわれ、
素戔嗚尊の劔を物実(ものざね)とした、三柱の比売大神で、筑紫の宇佐島に天降った神とされている。
宇佐の国造らが、奥宮の御許山を中心として祭つたものと伝えられている。そして八幡さまのあらわれる以前の古い神様、地主神であるとされている。
この国造も高皇産霊尊(たかみむぬびのかみ)から出た天御降命の末裔というので、宇佐島に天降った三神と大きな複線をなしている。
(つづく)
285愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/05/31(日) 13:32:31
神武天皇の東征の折、宇佐にとどまり、国造の妹の宇佐津媛(うさつひめ)と藤原氏の祖である天種子命(あめのたねゆ)との結婚という縁が宇佐神宮が朝廷とを結ぶ要因をなしている。
このほか、三女神は道主貴(みちなかのぬん)となって宗像大社や厳島神社などに祭られ、海洋神として神威をあらわされた事も考えなければならない。
八幡様が宇佐にあらわれるに至つた、いきさつは、三殿ともに脇侍の神のあることである。
もちろん、仏教の関係で、こうした脇侍という形式が、おのずから、できたとも思われるが、神威の上からは、重大なことである。
一之御殿が春日神社(かすがじんじゃ)、二之御殿が北辰神社(ほくしんじんじゃ)、三之御殿が住吉神社(すみよしじんじゃ)、ということである。
この二之御殿の比売大神に北辰の脇寺を祭るということは、仏教的に言えば八正道(はっしょうどう)というような宗教意識の広がりをもつものではないかと思われる。
とにかく神代よりまします比売大神は、かくと断定され得ないのである。
比売大神の昔より祭祀のあつた宇佐の地に、外交政策になやみ、任那(みまな)が亡ぼされて10年目、欽明天皇の崩御の年に、八幡大神があらわれたことは、現代人にも、何かを指示される点がある。

神宮自身も自信が無いようです。
286愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/05/31(日) 13:40:39
>>279 続き
宇宙のヒミコも、天文学者を悩ませているらしい。先ほどのHPより。

ヒミコの正体が何なのか、研究者たちも頭を悩ませています。多数の世界最大級の望遠鏡を使って、さまざまな波長で観測しても、ヒミコの正体は未だに分からないからです。
ヒミコはこれまでに発見された天体の中で最も遠い天体の1つのため、見かけ上とても暗く、この天体の物理状態を理解する手がかりが得られていません。
もしかしたら、ヒミコは超大質量ブラックホールにより電離されたガス雲かもしれませんし、若い銀河が激しく衝突して爆発的星形成を起こしている天体かもしれません。
または、太陽質量の400億倍にも相当する1つの巨大な銀河という可能性もあります。

ヒミコの正体を明らかにするためには、ヒミコと同じ時代の銀河の観測例を増やし、それらに共通する特徴を明らかにしなければなりません。
また、ヒミコについてのより詳しい観測も必要でしょう。
とくに、ヒミコがどのくらい星間物質を含んでいるかを調べることは、ヒミコがどのような天体に進化するのかを解明するためにひじょうに重要です。
星間物質についての観測は現在の電波観測装置では難しく、建設中のアタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計(ALMA)の観測開始が期待されます。

287日本@名無史さん:2009/05/31(日) 15:26:18
>>264
現代中国及び古代史書での用法から鑑みて、
そのような区切り方は非常に不自然
恐らくは、前後の文脈上、そのような解釈が常識とされるようになったんでしょうが
288日本@名無史さん:2009/05/31(日) 16:20:58
>>287
多分、そうなんでしょうね。
愛知県民さんの指摘で漢書地理志を確認したけど、
この内容だと、確かに「同じである」の方向に読むしかない。
でも、「有無する所」ってのが、どうも気持ち悪いなあ。
289日本@名無史さん:2009/05/31(日) 16:34:39
ウム……
290改め:2009/05/31(日) 16:50:56
>>281
>岩波文庫でも、「有無する所、タン耳・朱崖に同じ」
ですよ。

岩波文庫 46Pですね。

「有無する所、儋耳・朱崖と同じ」

>>何か共通したところはみつけましたか?

>共通というか、ほとんど同じです。
>漢書地理志・粤地より
>民は皆布を服(き)るに單被の如く、中央を穿ち貫頭と爲す。 
>男子は耕農し、禾稻・紵麻を種え、女子は桑蠶織績す。馬と虎亡く、民に五畜有り。
>山に麈・(けい)多し。 兵は則ち矛、盾、刀、木弓弩、竹矢、或は骨を鏃と爲す。 

ほうほう、よく調べてますね。
漢書地理志でというのは知りませんでした。
上のレスをみるかぎりでは、ほとんど同じですね。
291改め:2009/05/31(日) 17:09:50
「東南至奴國百里」

「東行至不彌國百里」

この「百里」ていうの、誰も疑問に思わないのかな?

292日本@名無史さん:2009/05/31(日) 17:11:41
ゴクリ・・・
293改め:2009/05/31(日) 17:17:37
「奴國百里」、「不彌國百里」

この二つの国について、誰か語れる人はいるかな?

たぶん、新人さんには無理だろう...。

愛知県民さんか、河童さんにお願いしようw
294改め ◆PWTcGEfp1s :2009/05/31(日) 17:49:38
>ヒミコの正体を明らかにするためには、ヒミコと同じ時代の銀河の観測例を増やし、
>それらに共通する特徴を明らかにしなければなりません。

歴史のヒミコのほうは、周りの人間の名まででてきてるんですけどね。
伊支馬・・・彌馬升・・・彌馬獲支・・・奴佳鞮・・・
難升米、牛利 などもいる。
295日本@名無史さん:2009/05/31(日) 18:35:18
>>293
新人さんには無理ねえ・・・

改め、河童、愛知県民、とかはベテランと言うカテゴリーなのかな?
296愛知県民:2009/05/31(日) 18:41:08
漢書地理志は燕地に楽浪海中倭人有り、呉地に会稽海外東魚是人有りの記事もあり重要です。
297日本@名無史さん:2009/05/31(日) 18:46:31
>>295
>改め、河童、愛知県民、とかはベテランと言うカテゴリーなのかな?

文字をよく読め

逆に新人なのか?聞きたくなるw
298日本@名無史さん:2009/05/31(日) 18:51:28
>>297

そもそも、その「新人」って何だ?w

ドツボが言うところの「古代史歴」ってやつかな?

改めドツボ主催の「漢字検定」ならぬ「古代史検定」のような物でもあるのか?



299日本@名無史さん:2009/05/31(日) 18:59:43
>>298
そんな題目で議論してたら笑われるぞw

そんなことより、彼らの代わりに答えたら?
300愛知県民:2009/05/31(日) 19:25:47
百里が問題ですか?
東南と東行は違うので奴国と不弥国はともに伊都国から、投馬国と邪馬台国はともに不弥国からでしょう。
301日本@名無史さん:2009/05/31(日) 19:27:35
>>299
議論?

そんなものをこのスレでは議論って言うのか?

302日本@名無史さん:2009/05/31(日) 19:38:16
古代史って、単に漢文の珍解釈合戦のようだが?
303河童虫:2009/05/31(日) 20:24:37
「百里」

伊都から奴
奴から不彌

かの区間距離でない事は絶対に間違いない。
304日本@名無史さん:2009/05/31(日) 20:27:21
>>302
珍解釈と判断、審判出来るほど
古代漢文に明るいのか?
305河童虫:2009/05/31(日) 20:30:44
>>300
違う

投馬を南と表現した基は奴です。
306唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/31(日) 21:27:38
>>305
違う

投馬を南と表現した基は郡です。
307日本@名無史さん:2009/05/31(日) 22:11:26
陳寿でしょ?
308日本@名無史さん:2009/05/31(日) 23:10:17
>305,306
それぞれ根拠出したら?
309唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/31(日) 23:36:41
郡から水行20日で投馬国まで来れる。
投馬国の官は「耳」
耳を官に持つ国は豊である

投馬とは
1,巴のことである。
2,アイヌ語で2つの港を意味する。
3,現在の地名に名残はあるか。

1,北九州市の形を地図で確認してくれ。
2,洞海湾には2つの港がある。
3,早鞆の瀬戸

3拍子そろう土地は他に無い。
310日本@名無史さん:2009/05/31(日) 23:37:07
test
311日本@名無史さん:2009/05/31(日) 23:47:16
投馬は広島。
とうま…葛城市当麻と関連ありそう
312日本@名無史さん:2009/05/31(日) 23:48:20
投馬は広島。
とうま…葛城市当麻と関連ありそう
読みはたいま…対馬?なわけないな(笑)
313日本@名無史さん:2009/05/31(日) 23:51:08
投馬は 丹波だろJK
314唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/31(日) 23:58:42
2,洞海湾には2つの港がある。 を訂正しようか
2,外海に洞海湾、もう一つ瀬戸内側にも港が有った。

投馬国から南へ行くと 女王国
女王国より東へ行くと皆倭種の大和がある。
315日本@名無史さん:2009/06/01(月) 00:16:23

■箸墓古墳:歴博が「卑弥呼の墓」説 築造時期などから


  ──考古学協会理事、報道機関に冷静な対応を求める異例の要請──

  ──データの信頼度など会場から質問続出──


 国立歴史民俗博物館(歴博、千葉県佐倉市)の研究グループは31日、古墳時代の始まりを示す箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)は240〜260年に築造されたと、東京・早稲田大であった日本考古学協会の研究発表会で報告した。
247年ごろとされる邪馬台国の女王・卑弥呼の死亡時期と重なるため、邪馬台国所在地論争の点で注目される。しかし、この測定結果によって箸墓を卑弥呼の墓とするには問題が残り、数値が独り歩きすることへの懸念がある。

 発表後、司会者の同協会理事が「(発表内容が)協会の共通認識になっているわけではありません」と、報道機関に冷静な対応を求める異例の要請を行った。

 歴博グループは、放射線炭素年代法によって全国で出土する土器に付着した炭化物を中心に年代を測定。
箸墓でも、築造時の土器とされる「布留(ふる)0式」など16点を測り、この前後につくられた他の墳墓や遺跡の出土品の測定結果も総合して240〜260年を導いた。

 発表者の春成秀爾(ひでじ)・歴博名誉教授は
 「この時代、他に有力者はおらず、卑弥呼の墓が確定的になった」
と述べた。

 しかし、土器付着炭化物は同じ地点から出た他の資料に比べ、古い年代が出る傾向がある。

 中国の史書「魏志倭人伝」では、卑弥呼の墓は円形とあって前方後円墳の箸墓とは異なるなど、文献上からも問題があり、会場からはデータの信頼度などに関し、質問が続出した。【伊藤和史】

毎日新聞 2009年5月31日
http://mainichi.jp/select/today/news/20090601k0000m040042000c.html?link_id=RSH02
316日本@名無史さん:2009/06/01(月) 00:36:09

(・∀・)タッタヨー

【奈良】箸墓古墳築造、卑弥呼の死亡時期と合致 畿内説と九州説とが対立している邪馬台国の所在地論争にも一石 国立歴史民俗博物館★6
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1243783661/

ニュー速+板ダヨー

ナ,ナ,ナ,ナ,ナ,ナント 6スレ目ダヨー!! (@∀@;)
317日本@名無史さん:2009/06/01(月) 01:49:45
箸墓の年代判定だけにすがって生きる、畿内説のはかなさが笑えます。
318日本@名無史さん:2009/06/01(月) 02:07:58
纒向遺跡の古墳群、卑弥呼側近を埋葬か 「畿内説」の根拠に
5月31日22時26分配信 産経新聞

 早稲田大学で同日開かれた日本考古学協会総会で報告された。

 纒向石塚古墳については出土した炭化物の残存炭素量を測定した結果、西暦200年
ごろの築造と推定。土器の形式変化から年代を割り出す考古学的手法では2世紀末〜
3世紀前半で、約50年間の幅があったが、今回の分析結果によって年代がさらに絞り
込まれることになった。

 また、約200メートル西にある矢塚古墳(同、全長96メートル)は220〜260年ごろ、
矢塚古墳の南約300メートルに築かれた東田大塚古墳(同、全長120メートル)は
220〜240年ごろの築造の可能性が高いという。

 研究グループは、卑弥呼の墓ともいわれる箸墓古墳(同、全長280メートル)について、
卑弥呼の没年(248年ごろ)と合致する240〜260年築造との見解を出しており、
纒向遺跡内の最古級の前方後円墳は(1)纒向石塚古墳(2)矢塚古墳、東田大塚古墳
(3)箸墓古墳−の順に築造された可能性が高いとしている。

 炭素年代測定法は数十年単位の誤差が出やすいとの批判もあるが、研究グループの
春成秀爾・国立歴史民俗博物館名誉教授(考古学)は「多くの資料を分析することで
年代を絞り込むことができた」と精度の高さを強調。纒向石塚古墳などの被葬者に
ついては「卑弥呼はまだ生きていた時代なので、彼女を支えた有力者の墓ではないか」と
している。

 邪馬台国について中国の史書「魏志倭人伝」などによると、2世紀後半に卑弥呼が
擁立され、239年に中国に朝貢するなど3世紀前半を中心に隆盛したとされている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090531-00000575-san-soci
319日本@名無史さん:2009/06/01(月) 04:22:35
九州説はさすがにもう無いよ。
320日本@名無史さん:2009/06/01(月) 05:50:51
箸墓古墳、卑弥呼の生前に築造開始か 歴博が研究発表2009年5月31日20時36分

 奈良県桜井市の箸墓(はしはか)古墳の築造年代が西暦240〜260年ごろとする
国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の研究成果が31日、東京・早稲田大で開かれた
日本考古学協会の研究発表会で報告された。春成秀爾(はるなり・ひでじ)・同館名誉
教授は「箸墓古墳は卑弥呼が生前に築造した墓の可能性が強まった」との見解を示した。

 同館は箸墓古墳やその周辺で出土した土器の付着物の放射性炭素年代を測定し、
築造時期を絞り込んだ。春成名誉教授は中国の史書「魏志倭人伝」の記述から、
卑弥呼が247年に死去したと推定。「全長280メートルの古墳を築造するには10年前後
かかったとみられ、今回分かった年代から、卑弥呼が生前に自分の墓の築造を始め、
死亡時に大部分は完成していたとも考えられる。卑弥呼自身が箸墓古墳を築造していた
可能性が高い」と報告した。

 会場となった教室は400人の聴衆で満員に。「付着物の年代が土器より古い可能性も
あるのでは」という質問も出たが、春成名誉教授は「同時に出土した植物の種も測定
したが、ほぼ同様の年代が出ている」と応じていた。
http://www.asahi.com/culture/update/0531/OSK200905310039.html
321日本@名無史さん:2009/06/01(月) 06:56:40
箸墓はモモソの墓だ。

勝手に歴史を創るな!
また神の手を使うのか?
322日本@名無史さん:2009/06/01(月) 12:23:06
日本の「考古学者」どもは、自説のためならどんな強引な解釈やこじつけもできるアホ集団だからね。
「オッカムの剃刀」なんて完全無視。
素人が、縄文時代の石器を火砕流堆積層に埋め込んだ捏造遺跡にコロッと騙されて
「日本に旧石器時代があった」
「旧石器時代の人類は(縄文時代の石器をつくれるほど)高度な知能を持っていた」
なんて認定して大はしゃぎ。
石器を作る際に出るはずのクズ石が出土しないことや
秩父の「遺跡」(もちろん捏造遺跡)から東北産の石を使った石器しか見つからない、
という不審な証拠があっても捏造と気づかない。
日本の考古学部が文系に属しているせいかもしれない。理系の「頭」でないんだよ。
捏造発覚前から地質学者や人類学者は呆れていた。

はっきり言って隣国の連中を笑えないよ。
323河童虫:2009/06/01(月) 12:23:22
なんか長閑だな〜ぁ

ダヴィが連騰しているのに。
324九州王朝大好き:2009/06/01(月) 12:58:06
今日は終わった。
4314,4321は前場で利確。
4751は後場開けに利確。こっちの方が大きかった。
325九州王朝大好き:2009/06/01(月) 13:39:57
>>322
純粋培養文系のお粗末思考。
場所の比定をするにも、地勢地質にほとんど考慮がない。
とんでも比定が多いね。
どこかの大学の地質畑の研究者が考古学の決定手法にぼやいていたな。
326日本@名無史さん:2009/06/01(月) 14:12:51
まぁ、卑弥呼の遺跡も墓も特定できない九州説のお粗末さにはあきれるばかりだな。
327日本@名無史さん:2009/06/01(月) 14:31:09
>>326
明らかに違うものを卑弥呼の遺跡や墓に偽装する畿内説よりまし
328日本@名無史さん:2009/06/01(月) 14:42:20
畿内説は偽装しているわけではない。
あくまで考古学的に考えて「比定」しているにすぎない。九州説もありかも、と思っている。
それに対して九州説は遺跡や墓が特定できないにもかかわらず、魏志倭人伝の解読に成功した!と称して、頭ごなしに畿内説を「否定」して掛かるのみ。
九州説の狂信振りにはもちろん卑弥呼観光で町おこしをしたいという思惑が透けて見える。
329日本@名無史さん:2009/06/01(月) 15:06:04
畿内説のおマヌケ論理

1:畿内ヤマト以外に日本の中心があるはずがない
2:魏志倭人伝の「邪馬壱国」は、ヤマトと読ませるために「邪馬台国」と改竄しよう
3:魏志倭人伝の邪馬台国はヤマトと読めるから、九州説は誤りで畿内説が正しい
4:ヤマト=邪馬台だから、箸墓は卑弥呼の墓でなければならない
5:箸墓が3世紀中ごろという証拠を造作してしまえばいい
6:炭素年代測定法で計算された数字のうち、最も信頼度の低い「古い年代」だけを発表

        ↑ いまここ
330日本@名無史さん:2009/06/01(月) 15:13:47
アホで間抜けな九州説

九州君「魏志倭人伝を素直に読めば簡単に判りますた!古田先生もそうおっしゃってまつ!」
畿内説「で、どこにあったの?」
九州君「九州でつ!」
畿内説「どの遺跡?」
九州君「もう破壊されて何にも残ってないでつ!」
畿内説「…」
九州君「とにかく畿内でないことだけは確かでつ!!」

www
331日本@名無史さん:2009/06/01(月) 15:15:08
九州説は町興しの材料にしたいだけでしょ。
だからあんなに必死なんだよw
332日本@名無史さん:2009/06/01(月) 15:36:51
箸墓はモモソの墓。

なんか文句あるか?
333日本@名無史さん:2009/06/01(月) 15:40:56
>>329
>2:魏志倭人伝の「邪馬壱国」は、ヤマトと読ませるために「邪馬台国」と改竄しよう

邪馬壹国とかまだ言ってたのか。
古田の洗脳がまだ利いてるな。
334日本@名無史さん:2009/06/01(月) 15:56:15
埋葬方法、大きさ、形
全て倭人伝のそれと箸墓は異なる。
謎です。
335日本@名無史さん:2009/06/01(月) 16:05:18
箸墓の姫=百襲姫、(ひめのみこと)=卑弥呼。
卑弥呼=出雲ゆかりの丹波の姫という事で
説明つくじゃん。
336日本@名無史さん:2009/06/01(月) 16:59:07
>>335
つくわけないじゃん。
337日本@名無史さん:2009/06/01(月) 17:00:40
>>334
埋葬方法なんて書いてないし、箸墓はまだ手付かずだよ
338日本@名無史さん:2009/06/01(月) 17:05:20
>>328
>九州説は遺跡や墓が特定できないにもかかわらず、魏志倭人伝の解読に成功した!と称して
遺跡や墓が特定できてないのは、畿内説も同じだよ。いくら箸墓=卑弥呼の墓なんて言ったと
ころでそんなものは特定したことにはならない。合理性のない思い込みに過ぎないんだよ。
339日本@名無史さん:2009/06/01(月) 17:26:22
卑弥呼の墓など破壊されていてなくなっていても、
吉野ヶ里遺跡とおなじ文化圏であることはまちがいない。

→ 畿内説の破綻
340日本@名無史さん:2009/06/01(月) 17:39:33
九州説にも合理性のある論なんてないよ。
あるのは畿内説以上の思い込みだけだし。
341日本@名無史さん:2009/06/01(月) 17:49:17
畿内説の根拠は、語呂合わせダケですが何か?

 ヤマト = 邪馬台
342日本@名無史さん:2009/06/01(月) 17:55:45
>>341
そう思いたい気持ち、わかりますよ…
343河童虫:2009/06/01(月) 18:33:52
>>341

今時そんな事真顔で言ってる畿内説者はいないと思うよ。
344日本@名無史さん:2009/06/01(月) 18:36:30
大体、九州なんて辺境の地に邪馬台国が存在したと考えるのが
九州人の厚かましいとこだな
345日本@名無史さん:2009/06/01(月) 18:58:37
3世紀の辺境の地は奈良です。
346日本@名無史さん:2009/06/01(月) 19:56:18
卑弥呼の国は養蚕・絹生産が一大特長。
弥生の絹のほとんどは福岡県から出る。

 → 畿内説の破綻 北部九州説のみが残る
347日本@名無史さん:2009/06/01(月) 20:04:01
丹は?
348日本@名無史さん:2009/06/01(月) 20:17:39
>>346

畿内説に立つなら女王卑弥呼はヤマト邪馬台国にいて、これは(狗奴国を除くが)諸国が連合しての共立王であった。

連合諸国の中にはもちろん奴国や伊都国といった九州の国も含まれる。そうでないと使者の行き来にも支障をきたす。

すなわち魏からの印綬にあるように倭王卑弥呼なのであり、卑弥呼の国とは九州を含むのである。

3世紀の絹の出土地が福岡県に偏していても畿内説には何も問題はない。福岡も卑弥呼の国の一部なのである。
349日本@名無史さん:2009/06/01(月) 20:37:36
>>348
普通はそう解釈するよな。当然倭の一部なんだから。
350日本@名無史さん:2009/06/01(月) 20:50:21
邪馬台国九州説の人達の主張はNHK教育テレビの「任那日本府の謎」に出演していた
朝鮮人のキムとか言うアホ・馬鹿教授にそっくりですね。
351九州王朝大好き:2009/06/01(月) 21:01:14

魏志倭人伝と隋書俀國伝を素直に読んだら、こうなった。


魏志倭人傳 [隋書俀國傳] 地図
〜〜一大國┃◎┃↓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵∵∵┃〜〜〜[十餘國]:伊都國〜投馬國・近隣餘旁國の後継国
〜 [一支國]┗━┛↓〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵∵∵∵┃〜〜〜[秦王國]:唐津市浜玉
〜〜〜〜〜〜〜〜↓〜〜〜┏━┓〜〜┏┛∵∵∵∵∵∵┗┓〜〜
〜〜〜〜〜┏┯┓↓〜〜┏┛∵┗━━┛∵∵倭28ヶ国∵∵┗┓〜倭in倭地:今譯所通28國(狗邪韓國・對馬國・狗奴國 除く)
〜〜〜〜〜┃│┃↓〜┏┛(餘旁國) ◇博多∵∵∵∵∵∵∵∵┗━
〜〜〜〜〜┃│┗↓━[秦王國] ∵∵∵大宰府∵∵∵∵∵∵∵∵∵郡⇔不彌國(女王國):12000餘里
〜〜┏━━┛│∵◎→◇→→┐∵∵∵∵◇倭京∵∵∵∵∵∵∵∵郡⇔邪馬壹國:水行10日と陸行1月(倭地韓地陸行)
〜〜┗┓∵∵│末盧國∵∵∵↓[十餘國] ∵∵∵∵(餘旁國) ∵∵∵郡⇔投馬國:水行20日(天草灘・五島・済州島経由)
〜〜〜┃倭∵│[竹斯國] ∵∵↓∵不彌國∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵●印:女王國メンバー国 範囲(浮羽-白石-大牟田-筑紫野)
〜〜〜┃∵非└┐∵∵伊都國◎→→●┐∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵末盧國:唐津鏡中原遺跡
〜〜〜┗┓∵28└┐∵∵∵∵└┐┏┓├●邪馬壹國[邪靡堆] ∵∵伊都國:惣座遺跡(肥前國庁跡)
〜〜┏┓┗━┓ ヶ└┐∵∵奴國●┃┃│∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵奴  國:佐賀城
〜┏┛┗┓〜┃∵國└┐┏━━━┛●┘投馬國∵∵∵∵∵∵∵∵不彌國:吉野ヶ里遺跡
〜┃∵∵┃〜┗┓∵地└┨〜〜〜〜┃∵∵┌─────────投馬國:大川市中心部
〜┃∵∵┃〜〜┃∵∵域┃有明海〜┃┌─┘∵∵∵∵∵∵∵∵∵邪馬壹國:久留米市南部
〜┗┓∵┗┓〜┃┏━━┛〜〜〜〜┠┘∵∵◎狗奴國∵∵∵∵∵狗奴國:保田東原遺跡
352日本@名無史さん:2009/06/01(月) 21:05:34
>>351

砂鬼四荼羅教  キタ━(゚∀゚)━!!

353日本@名無史さん:2009/06/01(月) 21:14:30
>804 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/06/01(月) 21:06:31
>邪馬壹國の場所が知りたきゃ、魏志倭人伝以外の、南史、北史、宋史、随史、唐史、三國史伝、三國史伝、新羅紀、、


それらの中で魏志より前の史料によって書かれた物ってどれ?
(元ネタが魏志、魏略なら意味が無いだろう?)
354日本@名無史さん:2009/06/01(月) 21:19:02
>>351
>投馬國:大川市中心部

遺跡、あるんか?
355歴素人:2009/06/01(月) 22:20:23
「皇霊のせいしつをまもるため・・・発掘はならん!」By宮内庁

ってとこまで調べました。

356歴素人:2009/06/01(月) 22:32:12
そりゃあ、お墓だからだいじにしないとね。

参考地とかで500ヶ所も管理されてて

でも

今上天皇がまだ125代だから古墳のほとんどは比定してない。



文章あってるかな?

357ローガン:2009/06/01(月) 23:04:55
>>352

> 砂鬼四荼羅教  キタ━(゚∀゚)━!!

これは笑った。はじめ、なんか判らんかったけど。 素直に読んだら言う人居ますよね。
ああ、可笑し
358日本@名無史さん:2009/06/01(月) 23:13:51
>>357
『♪邪馬台国 ドンと来い♪ 44』の604以降を参照
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1243236991/604
359日本@名無史さん:2009/06/01(月) 23:33:53
>>350
「任那日本府の謎」に出演していた学者は朝鮮人も日本人も
妄想と自己の願望を述べているだの低レベルな話ばかり
こいつら本当に学者や大学の教授?
360日本@名無史さん:2009/06/01(月) 23:46:12
>>357
素直に読むというのは、先入観がないこと。
探し出してやろう、という気持ちがあること。
邪馬台国の所在地について白紙の状態であること。

と、いうことだろうな。
361日本@名無史さん:2009/06/01(月) 23:48:58
素直に読む

なんていう奴に限って、デンパ垂れ流しなんだよな
362日本@名無史さん:2009/06/01(月) 23:55:54
デンパすら垂れ流せない奴よりはまだまし。
363日本@名無史さん:2009/06/01(月) 23:58:33
>>362
電波垂れ流すくらいなら、なんも知らないほうがまし。
364河童虫:2009/06/02(火) 00:15:18
>>363


世の中何も知らなければ、「まし」と考える事も出来ない。

綺麗な花だけしか受け入れたくない気持ちもわからんでもないが
365日本@名無史さん:2009/06/02(火) 00:16:51
>>348

諸国連合の証拠がないので、妄想です。
だいいち諸国連合していたとすれば、九州説でも同じ条件ですね。
366日本@名無史さん:2009/06/02(火) 00:57:07
>>365
諸国連合の証拠は、前期の前方後円墳なのさ。

円丘
突部
周濠
葺き石
竪穴式石槨
割竹形木棺
銅鏡
鉄剣・鉄刀
銅鏃(弓矢)
各種玉(ヒスイ製、ガラス製要注意)
鉄製工具類
水銀朱
円筒埴輪
埴輪壺
…etc.

いいかい。ここに掲げた畿内の大王墓に見られる前期古墳の諸要素は、どこに起源がある?
一地域だけのもの? 違うだろ。
弥生時代のあるクニの弥生墓をそのまま発展させたとしても、決してヤマトの前期古墳は出来上がらないだろ。

畿内の弥生墓独自の発展なんかとてもムリ。かと言って九州勢力の単独侵攻でもムリ。

前期古墳はええとこ取りのパッチワーク。
多くのクニ同士、互いの協力があったんだよ。


367九州王朝大好き:2009/06/02(火) 01:15:24
砂鬼四荼羅
これは無図化志意んだよな。
無知には出来ない業。先入観や思い込みがないからね。


>>358
遺跡はこれからも見つからないだろう。
後世の人々が崩してしまったから。
城郭があったと見做せる理由は、縄文以来の大川の地勢。
368日本@名無史さん:2009/06/02(火) 11:33:05
素直に読むことを心がけている説と素直に読むことを最初から拒否する説との
間には、天と地ほどのちがいがあるな。畿内説や北九州説は、素直に読んだら
説明がつかないので、最初から素直に読むことを拒否する立場の説だ。
369河童虫:2009/06/02(火) 11:53:39
>>368
肝心な事を忘れてる。
その「素直」と判断するのは誰?
多数決かい?

ま、それもその時代に合った選びかただから仕方ないけど
370美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/06/02(火) 12:29:56
>>353
どれも原本なんて残ってねーっての
だいたい「魏略」ってなんだよ?
「魏書」とか「魏志」なんて名前の書物なんて無いんだぞ?

つかそういうカチカチの頭だから、邪馬壹國の場所すら解んないんだよ
371日本@名無史さん:2009/06/02(火) 13:10:38
>>370
>つかそういうカチカチの頭だから、邪馬壹國の場所すら解んないんだよ

邪馬壹國の場所はどこ?
372日本@名無史さん:2009/06/02(火) 13:35:51
徳島説ってのはやぱり電波の域を出ないの?
373ローガン:2009/06/02(火) 13:45:06
三國志を砂鬼読んで、なんで「短里」を発明?
374九州王朝大好き:2009/06/02(火) 13:45:44
>>369
>その「素直」と判断するのは誰?

多方面に渉る詳細な豊富な知識を持ちながらも、
先入観に左右されず思い込み無しに思考し表現できる人。

簡単に言えば、「バカになれる人」。
375日本@名無史さん:2009/06/02(火) 13:48:29
>>369
倭人伝を読むそれぞれの人さ。行程記事を読めば、対馬や一大がどこかは問題ない
だろう。そしたら、倭人伝が千里というのはどのくらいかが分かる。南や東南はそ
のとおり考えればよい。日数は1日にどのくらい進むのかがはっきりしないが、最
大、最少を考えていけば結論はでるだろう。風俗記事だってどんなことが書かれて
いるか、誰だって解釈できるだろう。それだけのことだよ。
376日本@名無史さん:2009/06/02(火) 13:48:59
邪馬台国はヤマトの国
卑弥呼は百襲姫(日女王、ひめのみこと)天照大神の孫だ。
30国は紀伊半島を巡る国々と解釈しよう。
377日本@名無史さん:2009/06/02(火) 14:00:21
>>366
それは諸国連合の証拠じゃなくて、各地から戦乱を避けて
いろいろな弱小勢力が逃げてきた証。
378日本@名無史さん:2009/06/02(火) 14:07:17
東京やNYも弱小勢力が集まったと言いたい訳かw
379ローガン:2009/06/02(火) 14:14:47
砂鬼四荼羅…
女王都がはるか南の海上にある、としない限り当時の「度」と適合しない事に気付く。
よってこの文は砂鬼四荼羅、不正確な情報を元にした所謂「舞文」であると考え猿を得ない
380日本@名無史さん:2009/06/02(火) 14:21:05
3世紀の畿内は、鉄器も王宮もないような弱小勢力だね。
381日本@名無史さん:2009/06/02(火) 14:35:40
>>379
当時の度をあなたは知ってるのかな? どれだけの証拠があるんだい?
382河童虫:2009/06/02(火) 14:42:06
>>375

千里がどのくらいかは、地図を見てもわからない。
地図は飽くまでも最終的な検証
材料であって
学問は結果よりもそのプロセスを重視

仮に壱岐と対馬の距離を、地図にて計測しても
80q以上の開きがでる。
383ローガン:2009/06/02(火) 14:50:09
>>381

下らない質問はレス数の無駄。
異論があるなら、魏晋朝代で一里が約430mでない「度」を使用している事を明記している史料を出せば済む事でしょ?
384河童虫:2009/06/02(火) 15:01:59
当時の度に、「里」はない。だから文献にはない。
385改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/02(火) 15:11:50
河童さん、愛知県民さん

これを読め!
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4054038255/ref=s9

「千里眼」を持つという、マクモニーグルの透視によると
卑弥呼の墓は「山口県」、邪馬台国は「奈良県」と断定。

当たっているかどうか、怪しむべきですが、面白いのは確か。
昨日、一日中かけて読みましたわ(笑)
386日本@名無史さん:2009/06/02(火) 15:13:47
>>385
やっぱり畿内説はオカルトに過ぎない(笑)
387改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/02(火) 15:14:59
誰か、今度の金・土・日 山口県に一緒行く人いる?w

おれ、すでに洗脳されてるかなww
388改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/02(火) 15:16:50
>>386
改め ◆PWTcGEfp1s  ← 根っからの九州説デス。

ちなみにその著者も九州説。
389日本@名無史さん:2009/06/02(火) 15:25:50
>>388
山口は九州ではないぞ
390河童虫:2009/06/02(火) 15:33:51
魏晋朝里=430mと言うのは50点。
この数値は
六尺車輪の記里鼓車を転がす事によって初めて得られる数値であって
特に直線とは限らない道程は、記里鼓車を転がさないと導き出す事が出来ない。しかし、
直線なものを計測する場合のみ、記里鼓車から導き出した値を利用し
一里=1800尺のモノサシにて応用するに至った。


これが所謂1800里。



尚、河童の言う事ですので与太話です。
391河童虫:2009/06/02(火) 15:35:53
1800里じゃなく1800尺

m(__)m
392改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/02(火) 15:37:20
>>389
>山口は九州ではないぞ

そりゃそうだ!
九州説のわたしは、邪馬壹國を熊本、邪馬「台」国は沖縄じゃない?とする立場。
その著者は南九州の宮崎説だったかな...。

山口県に卑弥呼の墓が在ると言ってるのは、透視者のマクモニーグルなわけで。
393日本@名無史さん:2009/06/02(火) 15:38:39
漢書地理誌だとアレキサンドリアまでが12000里で大日氏国が11600里。

無茶苦茶だよな、つまり12000里は単に遠い国という事だと思うよw
394日本@名無史さん:2009/06/02(火) 15:39:49
>>392
なんで山口?東に登る途中で死んだの?
395改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/02(火) 15:42:58
>>394
>なんで山口?東に登る途中で死んだの?

読めばわかるけど...。
卑弥呼の親が住んでいた山口県に行ってる最中、病気で亡くなったらしいよ。
396日本@名無史さん:2009/06/02(火) 15:45:16
>>395
親が山口ですか・・・なぜに?
397日本@名無史さん:2009/06/02(火) 15:46:05
オカルトすぎる‥
398改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/02(火) 15:51:49
たしか、天照一族(天皇家初期の血縁に関係してる?)で
南方からの侵略がどうの・・・。

河童さんの師匠と似たようなこといってるんだよね。
399河童虫:2009/06/02(火) 15:54:43
>>393

12000里が遠いの意味なら、11600里は近いの意味か?
しかも
その400里の差に、どんな意味がある?
400日本@名無史さん:2009/06/02(火) 15:57:24
>>385
鬼道で衆を惑わそうっていうんですね。
401日本@名無史さん:2009/06/02(火) 15:58:55
>>399
大日氏国の方がアレキサンドリアより、ちょと近いという意味だろう。
402日本@名無史さん:2009/06/02(火) 15:59:08
>>399
ちなみにペルシャまでが11600里だな。
もう感覚的なことであまり意味が無いんじゃないの?
10000を越えると計算方が異なるとかねw

403doontakuka:2009/06/02(火) 16:01:08
『漢委奴国王と卑奴母離』
『委奴』とは、『蛇と鳥の太陽信仰』のexpression形。
Tutan Khamenのマスクの額にある『コブラと隼』に同義。
『卑奴母離』とは、『北の鳥と南の鳥』のexpression形。
對海【馬】國 一大國 奴國 不彌國は、鳥の太陽信仰である。
404改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/02(火) 16:02:01
>>399

一山=2〜2.5kmぐらいだべ(謎)?

河童さんの家の近くの山を図ってみなよ。

>>400
>鬼道で衆を惑わそうっていうんですね。

おれもすべて信じてるわけではないが(疑ってみる必要あり)、
面白いと思うてこと。
405改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/02(火) 16:10:44
倭人伝に書かれてる「里数」は国境だよ(謎)。

なにが、言いたいかというと、
500里余の「着点」は、町の中心地ではなく「国境に到着した点」。
はやくいえば、平地に出たところということ。

そして、「至」は直線。
「到」は、↓→ つーこと。

伊都国は福岡県松原市になるべ?w
406日本@名無史さん:2009/06/02(火) 16:14:36
福岡県松原市?????
407改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/02(火) 16:18:46
「百里」の謎

「五百里」プラス「百里」は、六百里だべ?
末盧國から六百里で福岡平野にでるじゃんw

逆に福岡平野から一山(2kmぐらい?)戻れば 、松原市じゃん。
これでスッキリwww
408改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/02(火) 16:21:49
>>404-405を訂正します m(__)m

<訂正>
訂正前
福岡県松原市

訂正後
福岡県前原市
409改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/02(火) 16:24:52
>逆に福岡平野から一山(2kmぐらい?)戻れば 、松原市じゃん。


逆に福岡平野から百里(2〜3山)戻れば 、前原市じゃん。
こうすれば、分かり易い!
410日本@名無史さん:2009/06/02(火) 16:30:01
唐津→前原は地図でみると北東
伊都国=前原は大賛成だが
ここが倭人伝の方角「東南」とかなり違う
改めさんはどう考える?
411唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/06/02(火) 16:41:38
>>366
>前期古墳はええとこ取りのパッチワーク。
>多くのクニ同士、互いの協力があったんだよ。

崇神6年 大国主の国譲り
そして4道将軍の派遣
ここでモモソ媛の箸塚を築造
モモソ媛は大物主の妻であり、天皇家の出身
モモソ媛の死亡はモモソ妙齢の時、大物主と行き違いがあり、堕胎に失敗そして死亡
モモソ媛の葬儀は、大物主との行き違いから、執り行われていなかった
崇神5,6年の凶作は、この祟りであるとした 崇神、大物主を中心とし 共同で箸墓造営を行う。
この時 選択した墳形が「前方後円墳」の始まり。1年ほどで築造完了。
築造に10年以上見なければ成らない、現箸墓はモモソ媛の墳墓では無い。
412改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/02(火) 16:56:19
狗邪韓國=釜山周辺

對馬國=長崎県対馬上対馬町

一大國=長崎県壱岐島勝本町

末盧國=佐賀県唐津市呼子町

伊都國=福岡県前原市大字加布里

奴國=福岡県早良区四箇

不彌國=福岡県春日井市白水

投馬國=福岡県久留米市城島町周辺

邪馬壹國=熊本県熊本市北迫町周辺
413日本@名無史さん:2009/06/02(火) 17:07:42
呼子→前原でも「東南」にはならんと思うが
414改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/02(火) 17:11:47
>>412のレスはあくまでも「町の中心地」ではありません。
”国境” ということですので、そこらへん勘違いしないでください。

台国?

沖縄か与那国らへんでしょ?
”アノ女王ヒミコ”が冬の期間だけ居たら呉の人々もビックリするわなw
陳寿さんも邪馬壹國ではなく、あえて女王国と呼ぶしかない(影響されてる?)。
415河童虫:2009/06/02(火) 17:14:22
「東南」は、末廬の港の南も東も「陸」
末廬は港から陸を行く事五百里迄

「東南陸行五百里」は、末廬國の事。
416日本@名無史さん:2009/06/02(火) 17:21:47
>「東南陸行五百里」は、末廬國の事。

それは新説だな
検討してみよう
417日本@名無史さん:2009/06/02(火) 17:21:52
>>383
魏志も後漢書も約430mでない「度」を使用している事を明記している史料だね。
418日本@名無史さん:2009/06/02(火) 17:25:01
>>417
「度」って何?
419改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/02(火) 17:26:45
>>410>>413
「東南」東南ではないって?

じゃあ、末盧國の国境を

>末盧國=佐賀県唐津市呼子町

ではなく、「佐賀県唐津市鎮西町」に変えてくださいw

これで文句なく「東南」だろ?ww ハッハハハ

狗邪韓國=釜山周辺

對馬國=長崎県対馬上対馬町

一大國=長崎県壱岐島勝本町

末盧國=佐賀県唐津市鎮西町

伊都國=福岡県前原市大字加布里

奴國=福岡県早良区四箇

不彌國=福岡県春日井市白水

投馬國=福岡県久留米市城島町周辺

邪馬壹國=熊本県熊本市北迫町周辺
420日本@名無史さん:2009/06/02(火) 17:39:03
こんな不毛な永久ループ議論、よく飽きないなw
421改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/02(火) 17:40:28
末盧國まで千餘里で
もし仮に、「末盧國=佐賀県唐津市鎮西町」だったら短すぎて、
一大國から「千餘里ではなく三百里」だろって?w

狗邪韓國〜對馬國までが1000里で
對馬國〜一大國までが1700里で、
一大國〜末盧國までが300里。

狗邪韓國から末盧國までピッタリ3000里余じゃん? スッキリしたかな?
422改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/02(火) 17:47:04
「又南渡一海千餘里....至一大國」

對馬國〜一大國は真南に1700kmだけど、

「狗邪韓國〜對馬國」、「一大國〜末盧國」は「南」ではないんだよ?

「東南」?または、東南〜南の間ぐらい?

「又南渡一海」を「始度一海、又渡一海」と一緒に考えてたら永遠に分からないだろう。

 スッキリできたかな?
423改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/02(火) 17:51:41
>始度一海

これを「初回」の一回とか訳す「バカ」がいるのでタマゲルわ〜w

はじめて海を計ること一海 とする。

里=49.5〜55.0m だろう。

まあ、どこを計ったかによるが・・・。
424日本@名無史さん:2009/06/02(火) 17:52:58
熊本市北迫町周辺に卑弥呼の墓らしいものがあるのか?
425改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/02(火) 18:07:27
>>411 唐松山 ◆V0F34EbmQA  さん

唐松山さんが、一ヶ月ぐらい前〜
共学の徒て人が「ヒミコの墓探しにがんばってます」とか言ってた記憶があるんですが、
ソレって、>>385-395 の墓でしょうか?
426改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/02(火) 18:12:50
「東南」

末盧國=佐賀県唐津市鎮西町
 
伊都國=福岡県前原市大字加布里

まで「東南」だべ? あとは、皆さんで議論して下さい。m(__)m
427日本@名無史さん:2009/06/02(火) 18:24:29
宇佐、甘木に行く価値はあるでしょうが、山口はねーよW
428唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/06/02(火) 18:26:06
曲学の徒氏は探査機に映し出された影を掘り当てた。
しかしそれは劣化した花崗岩でありスコップの先で削れる代物であった。

私のように「卑弥呼の墓は瓜生島」と唱えていれば、一番安あがりでよい。
429唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/06/02(火) 18:38:11
山口 豊裏は、日本武尊が収めた土地
周防サバは大和まで20日の場所

430ローガン:2009/06/02(火) 19:38:32
>>417


> 魏志も後漢書も約430mでない「度」を使用している事を明記している史料だね。

ほう、その史料のどこに 「使用している事を明記している」?
431日本@名無史さん:2009/06/02(火) 20:16:03
明記してないですね。ですから陳寿は気づかずそのまま書いてしまったのです。
432河童虫:2009/06/02(火) 20:34:24
ちゃんと漢籍に
「人行六尺牛行四歩」と
433日本@名無史さん:2009/06/02(火) 21:13:00
民主・円より子「参政権反対派は歴史の勉強不足」
http://www.youtube.com/watch?v=y_1OeAOUkwU

>「ぬかたのおおきみ(額田王)は韓国の方なんですね」



そうなの?
434河童虫:2009/06/02(火) 21:15:27
王朝さん

先日一度手放した4314ダヴィ、今日かなり下げたので
平均単価11450で300枚拾った!
明日からまた楽しみだ!
435日本@名無史さん:2009/06/02(火) 21:30:03
>>434
梅毒、関係ない話するなら
もう来ないでくれるかな?

お前、ウザ過ぎる
436河童虫:2009/06/02(火) 21:37:13
>>435

いいよ。長期悪禁だし
じゃあね! バイバイ


(^O^)/
437日本@名無史さん:2009/06/02(火) 21:38:33
得意気にゼニ勘定の話をする。
日本人の道徳観では、このては下品としてきた。
こんな糞が日本の歴史に口を挟むわけだ。
俺は朝鮮人と左翼だけが九州説を吹聴するものだと思ってたが、どうやらそれらだけではないらしい。
438日本@名無史さん:2009/06/02(火) 21:44:22
全くゲスい男だ。
マネーゲームだけでこの世で生きていけると
思い込んでいる。

いなくなって清々する
439日本@名無史さん:2009/06/02(火) 21:54:14
どうせ直ぐに戻ってくるよw

2ちゃんで ウワァァンヽ(`Д´)ノモウコネエヨ!! と去っていった奴は必ず戻ってくるの法則w
440日本@名無史さん:2009/06/02(火) 22:02:54
>>436
商売するから金貸せよ
441日本@名無史さん:2009/06/02(火) 22:13:25
>>439
彼が出て行ったのも何度目だか
442河童虫(プラム):2009/06/02(火) 22:15:58
>>440
金は簡単には貸せないけど
金を殖やす方法なら教えるよ。


>>439
心配無用
もう2ちゃんは、市況1と自分で立てたスレ以外は書き込まない。
携帯からの長文は疲れるし、悪禁解除されそうにないから

だから
このレスをもって、此処とドンコイは引退だ!


お疲れ様でした。
443日本@名無史さん:2009/06/02(火) 22:18:14
>>442
金がないから借りて増やすんだよ、この商材ならマジでいけると思うんだけどな
444日本@名無史さん:2009/06/02(火) 22:27:27
>>430
魏志も後漢書も帯方郡から女王国までは万二千里であるとし、一方、女王国は
会稽東冶の東としているね。
山東半島から会稽までは八百キロ余り、1里=435で考えれば、せいぜい2
000里だ。このことは、中国人である陳寿や范曄は自国内の距離であるから
熟知していたはず。ところが、山東半島の東にある帯方郡から女王国まで万二
千里(このほとんどは南へ向かっている)、そこから始まる女王国が会稽東冶
の東。彼らがこれを見て、1里=435の計算でないことを気づかぬはずはない。
それなのに彼らは、とがめることなくその記事を引用した。ということは彼らは、
1里=435とはちがった里を知っていたということだよ。
445日本@名無史さん:2009/06/03(水) 00:40:03
カッパは消えてなによりだ。改めドツボも早く消えろ。おまいらの倭人伝珍解釈レスにはうん
ざりしてる住人が大勢いんだよ!!!!
446ローガン:2009/06/03(水) 00:50:02
>>431
> 明記してないですね。ですから陳寿は気づかずそのまま書いてしまったのです。

ええと、「陳寿は気付かず」…魏志と後漢書を挙げてましたが「陳寿」と言う事なら魏志ですね。
夏候淵伝のギョウにいる曹操に指示を仰ぎに行く話、天水から河北省ハンタンまで1000km程、一里は400m位。
司馬懿の有名な「四千里討伐」も洛陽瀋陽間で一里が400m強でしょう。
気付くも気付かないも編者は普通に「里」を使ってますよ。そら細かい数字を言うと多少違いが有るかもしれないが砂鬼四荼羅、目くじら立てることもないでしょう。

447日本@名無史さん:2009/06/03(水) 00:54:11
えっ、九州説はまだ邪馬壹国とか言ってたの?
古田武彦を心酔してた上岡龍太郎がよくテレビで言ってたな。
日本にあったのは邪馬台国ではなく邪馬壹国なんです、日本の歴史教科書は嘘ばっかり書いてるとw
448日本@名無史さん:2009/06/03(水) 01:09:58
インチキ糞カッパ!黙って金貸さんかい!
449ローガン:2009/06/03(水) 01:23:38
>>447

> 古田武彦を心酔してた上岡龍太郎がよくテレビで言ってたな。

ずいぶん昔、上岡龍太郎の独演会に行きましたよ。近鉄小劇場って所で。
確か二日間あってテーマが1日目が魏志倭人伝、2日目が倭の五王でした。
450美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/06/03(水) 01:27:14
さっきのスレの>>988さん
>>988
つかそれは解釈が間違ってるんだと思うよ
例えば天岩戸の話なんて意味解んないでしょ?
つか天照は死後、皆神山に安置され御神体として祀られてたよ

その山を開山したとかそういう意味だと思うよ
まあただ実際に岩戸は開けて、戸隠山まで持って言ってるよ
信仰上、これがどんな意味を持つのかは俺は良く解んないや

ちなみに「岩戸」ってのは長野岐阜愛知周辺の山岳にた沢山そういう巨石遺跡があるよ


基本的に
・山の中腹に岩戸
・岩戸の前に祭壇の雨乞岩
・神鳴り岩
・御神体
・入り口の両側に置かれる鳥居の原型と言われてるデカイ奴
・女性器を表すと言われてる真ん中が割れてるやつ
・山頂に小さな社
他にも色々あるけど基本的には信仰の対象にされてる山は、こういう配置がされてるよ
つかコレが神社の原型だよ
今は神社を立てて勝手に偉い神様を有れもコレもって合祀したりなんてしてるけど
これが本来の形だよ。山そのものが御神体だよ

「巨石遺跡、神鳴り岩」とかで潜ってみ?

白山や御岳山は有名だけど、日本アルプスの山岳地帯周辺には、こうした山や遺跡が沢山あるよ
ちょっとした山でも岩戸や神鳴り岩などの巨石遺跡が
451美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/06/03(水) 01:41:11
>>444
倭と魏の関係解る?
倭→委された人
魏→委した人
「委」の関係を表してる字であって「魏」ってのは「魏」って言う名前の国や王朝じゃ無いよ
例えば君が誰かに「北海道に行ってジュース買ってきて」って委した場合は
買いに行く奴が倭人
君が魏だよ
で北海道の人からしたら「この倭人の魏は何処のどいつだあ」ってなる
魏志倭人伝→魏の志を倭された人の話って意味だよ
遣唐師、遣髄師も相手から見たら倭人だよ
送った日本の朝廷が魏だよ
倭は日本を差してる字じゃないよ

ちなみに漢籍書の南史と北史も読んで見て下さい
倭人が治めてた倭国のあった場所や、倭人を送った魏の場所が詳しく書かれてるよ
ちなみに邪馬壹國は「倭」にあった国だよ
倭人の卑弥呼が魏に貢ぎ物をするのは当たり前だよ
魏は中国の朝廷の事とか言ってる奴がバカなんすよ
452日本@名無史さん:2009/06/03(水) 01:43:53
>上岡龍太郎

まあ信用せんほうがええな。
東京の件とかゴルフの件とかwwwwwwww
453日本@名無史さん:2009/06/03(水) 01:49:22
一大率はプレ太宰府だろ。
女王国が九州にあったのなら、そんな近くにわざわざ出先の監視機関を置く必要がない。
454美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/06/03(水) 02:00:04
あとどれだったけな?
倭国と日本の事が詳しく書いてある漢籍書もあるよ
つかまず「日本は当時は倭と呼ばれてた」これは間違い
記紀の中にも倭と日本は出てくるよ
倭健命 日本健命 大和健命
これ全部が「ヤマトタケル」じゃないよ
大和の健(軍)は大和の軍だし、倭の健は倭国の健だし
えっとちなみに日本ってのは倭人達が魏(この時は飛鳥の蘇我氏)を倒す為に作った府だよ
んで倭国(朝鮮半島南部)→任那(日本府)→筑紫城(九州)
で、東征していったんだよ

あとさ、倭人の東征って、相手が天皇に任命されて国を治めてた、せいい大将軍の蘇我氏な訳だから、蘇我氏を倒して遷都してせいい大将軍になったって事だと思うよ
蘇我氏も平氏も藤原氏も信長も家康も別に天皇じゃないよ
天照にしたって大国主に「我が国を治める事を承認しろ」って任命させて国を治めてるよ
大国主が天皇かどうかは知らないけど、この時代から日本はそういう制度だよ
今でも首相は天皇が任命してるんだよ
455日本@名無史さん:2009/06/03(水) 02:03:19
>>453
そのとうりだよね。
そんなに近いなら出張所の意味ない。
456美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/06/03(水) 02:18:58
>>453
女王国が何処にあったとかよりも
そもそも倭人達が統治してた場所は任那や斉州島含めた朝鮮半島南部だよ
ようは百済と新羅だよ
で、倭人の在所である魏(朝廷)は大海中の山居(ヤマト?)だよ
つかなんでわざわざ卑弥呼の魏への朝貢の事が書かれてるのかって言うと、卑弥呼は朝廷じゃなく倭人達が作った日本府や九州の筑紫城の方ばかりに貢してたから、飛鳥朝廷から
「アイツ全然朝貢にこねーじゃん」ってずっと怒られてたからだよ
ちなみに九州ってのは百済、新羅、筑紫の倭人の領土が九つの州であった事から、この時代の朝鮮半島南部と筑紫島を九州とも呼ばれてたよ
日本ってのは筑紫城のあった九州を差す言葉だよ
東征した後はイワレビコ朝廷(つか幕府?)を差してるんだろうし
けどその後すぐに平氏に負けてるよ
んで平氏は藤原に負けた

例えば「日本」って国号は江戸時代は使ってなかったと思うよ
九州の薩長政府が幕府と朝廷を倒した際に、イワレビコが九州から東政した時の名前にあやかって、国号を「大日本帝国」としたんじゃないかな?
普通はさ「天下」とか「中つ国」って呼ぶもん
天下統一とか天下不武だよ
457美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/06/03(水) 02:34:33
日本は太陽が登る帚木(扶桑)があった国だよ
古きん和歌集とか古い書物の中にも出てくる木
アジアやインドや仏教やヨーロッパも「太陽は東洋から登る」ってされてて日本には実際に大陸や仏教でも伝えられてる太陽が登る帚木があったんだよ
すげーデカイ木
今でも切り株だけは残ってるよ
400年ぐらい前に将軍が城を建てる為にきっちゃったらしいよ
秀吉か信長かどっちかだった気がする

「東」って字は「日+木」
漢(朝鮮半島)から見て日本は東にあったから日が登る木のある方角が東だよ

458美濃もん太 ◆oenRuLu6PM :2009/06/03(水) 02:54:29
「当時の日本は大陸からは倭と呼ばれてた。だから邪馬壹國ってのは日本にあった国だ」
って前提で考えてる人には邪馬壹國のあった場所なんて解んないよ
つか、誰が「倭=日本」なんて言い出したんだろ?
倭=日本の事
なんて何処にも書いて無いのにね
つか漢籍書にもちゃんと「倭国=朝鮮半島南部」って書いてあるのにね
それが「倭=日本」って事となるのが俺には不思議
これを言い出した奴ってのは
「朝鮮半島は朝鮮人の土地だ。百済も新羅も朝鮮人が建国した国だ。対馬も竹島も歴史上は朝鮮の領土だ」
見たいな認識を日本人に植え付けたい目的でそういう事としてる気がする

もし「かつて朝鮮半島は日本が納めてて、百済も新羅も日本人が納めてた国だよ」って言えば
「日本人は反省してないのか!」って言ってくるようなタイプの人が言い出しただけな気がする
歴史より思想を優先するバカが作ったのが戦後教育でしかないと思うわ
459美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/06/03(水) 03:39:37
「倭とは日本の事」と言い出した奴もバカだけど
・九州説を主張する学者
・機内説を主張する学者
・徳島説を主張する学者

これらを主張する学者達に、なんで漢籍書の中で朝鮮半島南部と書かれてる倭の場所が、倭は日本の事となるのか、その理由を聞いて見たいわ

460日本@名無史さん:2009/06/03(水) 07:02:09
倭と呼ばれる種族は、日本列島だけではなく、
中国大陸東部や朝鮮半島に広く居住していた
という説が有力。
邪馬台国は半島南端、伽耶のことだったので
はないでしょうか?
461日本@名無史さん:2009/06/03(水) 07:26:34
半島全体ではなく、多分南端に倭人いたろう。
江南あたりから日本へ渡来するとき、
現地に居残った人たち。
462日本@名無史さん:2009/06/03(水) 07:30:45
>>453 >>455
確かに、邪馬台国が北九州にあったのならば、一大率を置くなどということは不自然だ。
しかし、女王国は主に南九州の国々、そのために北九州に一大率が置かれていたんだよ。
463日本@名無史さん:2009/06/03(水) 07:33:34
倭人は日本列島にいた人々。朝鮮半島南部にいたなどということはどこにも書いて
ないのに、まちがった読み方をしているだけだ。
464日本@名無史さん:2009/06/03(水) 07:37:47
>>460
>邪馬台国は半島南端、伽耶のことだったので
>はないでしょうか?

突飛な考えだなあ。
倭人伝では中国側から見て→対馬→壱岐→と海を渡って、その向こうに邪馬台国。
日本列島内にあったのは間違いないと思うよ。
465日本@名無史さん:2009/06/03(水) 08:23:31
議論してもキリがないな。

タイムマシーンの開発を進めたほうが早いんじゃね?
466日本@名無史さん:2009/06/03(水) 09:32:26
>>462
それなら、筑紫平野にあったと主張してる古田・安本説は電波でOK?
467日本@名無史さん:2009/06/03(水) 10:07:06
>>466
古田氏は筑紫平野ではなく、福岡平野説だよ。

邪馬台国の所在地云々よりも、古田氏においては九州王朝説なる主張、
安本氏においては卑弥呼アマテラス説が、相当に電波的な匂いを感じる。
468日本@名無史さん:2009/06/03(水) 10:21:32
北九州説の線は消えたな。九州で可能性があるとすれば宮崎くらいだな。
469日本@名無史さん:2009/06/03(水) 10:27:14
現在ある文献資料を読む限り、九州説なら南九州、
畿内説なら巻向しかないでしょ。
470日本@名無史さん:2009/06/03(水) 10:27:51
>>467
すまん、すまん。
あの人は博多説だったな。
その場合でもなおさらありえないが。
471日本@名無史さん:2009/06/03(水) 11:13:26
畿内説ならば考古学者が何人か書いているが、南九州説の学者は誰なんだ?
472九州王朝大好き:2009/06/03(水) 11:35:07
>>463
>倭人は日本列島にいた人々。朝鮮半島南部にいたなどということはどこにも書いて
>ないのに、まちがった読み方をしているだけだ。

倭人が朝鮮半島南部にいたということは、魏志韓伝に書かれているよ。

『韓在帶方之南 東西以海爲限 南與倭接 方可四千里』韓伝冒頭部分。
韓の北は帯方郡、韓の東西は海、韓の南は倭と接している、韓の大きさは4000里四方。

『其(弁辰)瀆廬國與倭接界』韓伝弁辰条
弁辰瀆廬國は倭と界で接している。
接界とは、辰韓人と倭人は近い関係で(辰韓人皆褊頭 男女近倭 亦文身)、
辰韓人界と倭人界を作って混住しているの意味だ。

473日本@名無史さん:2009/06/03(水) 11:45:43
>>472
>韓の南は倭と接している
「接」の文字は、必ずしも接触している趣旨ではない。接近している場合にも
用いられる。韓の南には海を隔てただけで倭があるという意味なんだよ。
榎の「邪馬台国」でも読んでみな。そのことが書いてあるから。
474日本@名無史さん:2009/06/03(水) 11:57:52
「從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國」

「(帯方)郡より倭に至るには、海岸に従い、韓国を経て、しばらく南へ
 しばらく東へ水行し、その(倭の)北岸狗邪韓国へと到る」
475日本@名無史さん:2009/06/03(水) 12:16:10
>>472
>辰韓人と倭人は近い関係で(辰韓人皆褊頭 男女近倭 亦文身)、
>辰韓人界と倭人界を作って混住しているの意味だ。
「近」は似ているという意味。倭人に似て文身をしているというだけ。
混在などという意味はない。
476美濃もん太 ◆oenRuLu6PM :2009/06/03(水) 12:17:34
>>463
北史や南史に詳しく書いてあるよ
楽浪郡の南部が倭国

つか俺らはバカな学者じゃないんだから漢籍書ぐらい読もうよ


倭=日本
なんてそれこそ何処にも書いて無いんだから
477美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/06/03(水) 13:02:54
>>473
榎って言うバカがどう解釈しようが関係ないじゃん
君がどう思うかだよ

「九州は本州と接してる」
なんて言わないでしょ?
478美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/06/03(水) 13:06:49
百済や新羅の建国神話とかも見てきてみ?
大海の島から来た神が治めた国が百済や新羅だよ

479日本@名無史さん:2009/06/03(水) 13:08:25
倭人の共同体が半島南部にあれば、それは倭と呼ぶしかないだろう。
なんで半島南部に倭という共同体(呼称は国でも何でも定義による)があったらおかしいの?
美濃もん太のほうがおかしいと思うんだけど?
480美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/06/03(水) 13:14:58
>>479
とりあえず漢籍書ぐらい読んで来なよ
ネットでくぐれば読めるんだから
とりあえず自分で調べて見てよ

魏志倭人伝だけが漢籍書じゃないんだから
481美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/06/03(水) 13:22:35
「○○って学者がこういってる」
「○○って人の本を読めば解る」
こんなのは「僕は自分で考えもせず、他人の解釈を鵜呑みにしてるだけです」って言ってるようなものだよ
つか実際にそういう人が多いから九州説や畿内説なんて話になるんだよ
まずはちゃんと自分で漢籍書を読んで自分で考えてみる事だよ

482日本@名無史さん:2009/06/03(水) 13:34:05
下ミノは 考えた末に超絶デンパになり、
郡所しかねー中京地方に都があったとか言い出す始末だがな(笑)
483日本@名無史さん:2009/06/03(水) 14:21:41
>>481
漢籍を読む前に民族学の本でも読んでみなよ。
君の話が荒唐無稽だってことがわかるから。
484日本@名無史さん:2009/06/03(水) 15:33:08
河童がまともに見えてきたのは俺だけか?頭のネジが
外れそうだW
485日本@名無史さん:2009/06/03(水) 16:03:57
卑弥呼のイメキャラ誰がいい?
よく見かける↓コレでいいのか??
http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/4b/bd/asataku41/folder/1678110/img_1678110_30110674_6?1200642264

荒川静香なんかイイ線だと思うんだが…
486日本@名無史さん:2009/06/03(水) 17:08:45
黒木瞳か吉瀬美智子か蒼井優か紗綾。
487日本@名無史さん:2009/06/03(水) 17:23:12
>>477
九州と本州は接していると私は言うよ。「接」はつづくという意味もある。
踵を接するだって、本当に踵を接触させているわけではない。すぐ後ろに
続いていくというだけだ。近くに続いていれば接するなんだよ。
488日本@名無史さん:2009/06/03(水) 17:27:48
>>487
海を隔てて千余里を接とは乱暴な
489九州王朝大好き:2009/06/03(水) 17:39:38
>>475 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 12:16:10

>>辰韓人と倭人は近い関係で(辰韓人皆褊頭 男女近倭 亦文身)、
>>辰韓人界と倭人界を作って混住しているの意味だ。
>「近」は似ているという意味。倭人に似て文身をしているというだけ。
>混在などという意味はない。

ここでは、「近」は似ているの意味で使われていない。
『言語法俗相似』魏志韓伝弁辰条
『其人形似夫餘』魏志挹婁伝
単純に似ているときは、「近」を使わないで、「似」を使っている。

『辰韓人皆褊頭 男女近倭 亦文身』は、
辰韓人と倭人とは近しい関係であると述べているのだ。
近しい関係とは混住していることも含まれる。
「接界」と言う言葉が使われていることから、
辰韓人と倭人がそれぞれ辰韓界や倭界を作り、
モザイク状に混住していたのだと思われます。


>>473
他人の説の受け売りは書かないほうがまし。
490唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/06/03(水) 21:13:35
もん太くん ひさしぶり 下記の様な話は、お門違いだから。

シナノより ヨシナアガタの ヌシきたり アマテルカミの タメシあり エナこふときに
ミコトのり ハニシナヌシは ヱナガタケ ハヱシナをよび サラシナと ツマシナヌシら
このミヱナ そのオにをさめ まもるべし 
491日本@名無史さん:2009/06/03(水) 21:50:23
荒河戸畔の女、荒川静香がトゥーランドットで金メダルを勝ち取ったように、
古モンゴロイドの打ち立てた帝国こそ邪馬台国だったことは明らか。

492日本@名無史さん:2009/06/03(水) 23:18:11
>>486
さあやはモロに縄文系だろ
493日本@名無史さん:2009/06/03(水) 23:53:01
>>489
常識に外れたことを書いているから、教えてやっているんだ。ありがたいと思え。
494日本@名無史さん:2009/06/04(木) 02:36:18
九州説に実態はない。
方角が距離がと言いながら各自でバラバラ。
共通してるのは九州であってほしいという願望だけ。
495田5作:2009/06/04(木) 02:45:33
なんかさぁ?

学者って自分がかわいいだけだよね?

だから宮内庁も気を使って発掘させないんだよね?
496日本@名無史さん:2009/06/04(木) 03:00:38
>>494
九州説の主流は大同小異だから心配するな
497日本@名無史さん:2009/06/04(木) 06:30:00
倭の五王はなんで「倭王」と認められたんだろう。

倭女王にとってかわった、
またその後継者と、中国が認めた根拠はなに?
498日本@名無史さん:2009/06/04(木) 06:52:47
卑弥呼とは、祟神を操った荒河戸畔の女。
したがって、邪馬台国は和歌山県伊都郡。
丹生都比売神社付近と見た。
499日本@名無史さん:2009/06/04(木) 08:48:51
>>496
九州説における『大同小異』

 大同…とにかく九州だったら何処でもいい
 小異…それ以外のこと
500日本@名無史さん:2009/06/04(木) 10:18:48
九州説における『大同小異』

・日本に数十箇所もある、ヤマト地名の語呂合わせだけで決めたりしない
・畿内の特長、三角縁神獣鏡が証拠だといっていたのに破綻し、
 次は箸墓卑弥呼墓説にすがって意地を張るといったオコチャマ遊びをしない
501日本@名無史さん:2009/06/04(木) 10:18:53
>>489
辰韓人と倭人はどうやって区別するんだ?
502日本@名無史さん:2009/06/04(木) 10:27:16
>>500
サイキバ君乙

 語呂合わせ…いや元々邪馬台=山門と語呂合わせを持ってきたのは九州説なのだがw

 三角縁神獣鏡が証拠…畿内説にとって倣製でも舶載でも構わない。
           下賜品で無いというのは九州説が即死を免れただけ。

サイキバ君、まだまだお勉強が足りません。小学生レベル以下ですね。
もっともっと基礎の基礎からやりなおしましょう。



503日本@名無史さん:2009/06/04(木) 10:45:10
新井白石の邪馬台=大和の方が先ですけど。
504日本@名無史さん:2009/06/04(木) 10:56:42
>>503
新井より前、既に漠然と 大和=邪馬台 と言う認識があった。
それは大和朝廷の前進であろうと言う事で語呂合わせから発生した物ではない。
ある意味場所は最初から決め込んでいた。

対して九州説は皇国史観で九州にそれらしき地名を探して語呂合わせで山門を引っ張り出してきた。

少なくともこの板の九州説の連中に畿内説が語呂合わせとか言われる筋合いは微塵もないな。
505日本@名無史さん:2009/06/04(木) 12:25:23
いや、新井の前だとしてもその認識の構成要因の中に語呂合わせがあったはずですよ。
506日本@名無史さん:2009/06/04(木) 13:11:55
奈良の地名特に大字や字は日本書紀前の
ものが殆どです
507日本@名無史さん:2009/06/04(木) 13:20:40
語呂合わせの馬鹿さにさっさと気づいた九州説。
いまだに語呂合わせが学問のベースの畿内説。
508日本@名無史さん:2009/06/04(木) 13:23:57
三角縁神獣鏡こそ卑弥呼がもらった魏鏡だから、邪馬台国は畿内
→やばい、100枚以上出てきちゃった
→三角縁神獣鏡の話はなかったことにしよう
→箸墓をゴッドハンドで卑弥呼の墓にしてしまえ
→炭素による測定で3世紀半ばの墓に偽装

    ↑ いまここ
509日本@名無史さん:2009/06/04(木) 13:29:28
>>497
> 倭の五王はなんで「倭王」と認められたんだろう。

皇帝に朝貢したからだろう
皇帝としては倭なんて辺境のことはどうだってよくて
そんな遠くにまで自分の威光が及んでいるということが重要だった
一方倭の王としては半島の支配権を対外的に正当化するのに皇帝のお墨付きが欲しかった
510日本@名無史さん:2009/06/04(木) 14:24:23
語呂合わせをとったらいよいよ何も残らないのが九州説。
ついに単なる玄関口を邪馬台国と言い出す始末。
アホですなw
511日本@名無史さん:2009/06/04(木) 14:35:28
語呂合わせは畿内説の根幹ですが何か?
512日本@名無史さん:2009/06/04(木) 15:07:21
>>508
畿内派のやり口は悪徳商法も真っ青だな
513日本@名無史さん:2009/06/04(木) 15:10:15
語呂合わせを比定したら、九州は古田・安本からなくなってしまう。
514日本@名無史さん:2009/06/04(木) 15:11:37
学問とは程遠く、国会のヤジりあいに比べてさえ無内容な展開だなあ。
ちょっとは反省しる
515日本@名無史さん:2009/06/04(木) 15:12:53
近畿説が語呂合わせ、誰かそんな主張してたっけ?
そうなると松浦の位置自体白紙だなw
516日本@名無史さん:2009/06/04(木) 15:38:18
居るとウザイが居ないとつまらん、糞コテ共よ
今の流れを変えろや。
517日本@名無史さん:2009/06/04(木) 17:17:06
>509
実際、中世には、九州のごく一部しか支配できていないのに倭王と認定された実例が転がってるからなあ。
518ぴーす ◆TfYI6zaOr. :2009/06/04(木) 18:05:46
なんかイギリスの近くの洋上に金払えば爵位もらえる国が
あるみたいだけどそんなレベルか。

そーいや大内氏も朝鮮の領有主張したんだっけか。


519日本@名無史さん:2009/06/04(木) 20:33:15
松下見林が考案したゴロ合わせ
「ヤマト国=邪馬台国」にすがって生きてるのが畿内説。

こんな江戸時代のトンデモ説を脱したのが、九州説。
520日本@名無史さん:2009/06/04(木) 21:41:30
その前に関門海峡は、接してないよww

九州行ったことないの〜?www
521日本@名無史さん:2009/06/04(木) 22:17:32
>>520
余計なことを言う前に、国語の勉強をしたらどうかな?
522日本@名無史さん:2009/06/04(木) 22:24:29
関門海峡に橋ができたのは最近のことだと思ったら間違い。
九州と本土は古代から石橋で結ばれていたのだ。
523日本@名無史さん:2009/06/04(木) 22:31:53
壇の浦の戦いは石橋の上で戦われたんだなw
524日本@名無史さん:2009/06/04(木) 22:57:27
壇ノ浦のころには、とっくに破壊されていた。関門石橋。。
525日本@名無史さん:2009/06/05(金) 00:45:20
がんばれがんばれ
526日本@名無史さん:2009/06/05(金) 01:13:15
>518
建国当初の明国が、倭寇の取り締まりを依頼する相手としては、
活動海域に近接していて取り締まりやすい、または主従関係を形成して活動自粛させやすい領主として、
九州の辺境政権に過ぎない懐良を倭王認定し外交を持とうとした

と想像されている。
明国から懐良の元に使節団が送り込まれ、一旦は拒絶した懐良が態度を軟化させて交渉に応じたものの、
再度の使節が往来する前に懐良の政権が瓦解したって感じだったっけ。

懐良の側から倭王になりたがったわけではないことは間違いないようだ。
だから、「金払えば爵位もらえる国」とは状況が違うのは確か。
あくまでも、明の側の都合としか考えられない。
527日本@名無史さん:2009/06/05(金) 01:24:01
大内氏って百済王族を祖とする一族って自称してなかったっけ
だったら朝鮮領有権を主張しても何の不思議もないが
528日本@名無史さん:2009/06/05(金) 01:25:02
九州説論者は炭素年代測定を捏造云々言って批判している。
しかしもし仮に九州に有力視される古墳があったとして、
同じく炭素年代測定で240〜260の年代が出たら批判どころか
もろ手をを上げて拍手喝采だろう。
要するに畿内説にしても九州説にしても、その発掘成果なり
測定結果なりの評価は自説に都合がよいかどうかのみが基準
になっている。
専門家であろうがなかろうが、真に冷静中立な見地に立つのは
極めて困難。邪馬台国に興味を持ち始めて程なく自分の比定地
を決め、専らそれに都合のいい様な解釈を重ねていく。
このパターンにはまらない事は、贔屓球団もアンチ球団も無い
熱烈な野球ファン・野球通であるのと同じくらい難しい。
529日本@名無史さん:2009/06/05(金) 05:18:00
>>528
それって文系だけだと思う。
文系って頭悪いから、観測や実験結果から理論を構築する事が出来ない
精神障害者。気分に理屈をつけるのが文系。

そもそも、観測や実験すら出来ないのが文系。
530日本@名無史さん:2009/06/05(金) 05:26:51
文系とか理系とか言ってるのは日本だけw
先進国では、自然科学も、社会科学も、人文科学も、すべて科学(学問)です。
日本以外でも、日本の猿真似をしてる韓国や中国に行けばあるかもしれないw
531日本@名無史さん:2009/06/05(金) 06:41:28
韓国なんかどうでもいいが、中国はアメリカ抱き込んでやってねぇか?
大丈夫か神の手日本。

流石にハシゴ外され頭ど突かれることは無いよね先生方。
532日本@名無史さん:2009/06/05(金) 14:22:07
533日本@名無史さん:2009/06/05(金) 14:53:32
九州説は畿内説を叩くだけで、じゃあ九州のどこにあったの?という具体的な答えを用意していない。
それが今日に至る畿内説の助長を促していたわけで、九州説支持者が対案なき批判と言われる所以。
534日本@名無史さん:2009/06/05(金) 15:03:35
径百歩の塚だろ?
もう破壊されちゃってるだろうな。纏向みたいに田舎じゃないからな。
535日本@名無史さん:2009/06/05(金) 15:05:16
結局、王宮も宮殿もない畿内。畿内説だと卑弥呼は路上生活者か。
536日本@名無史さん:2009/06/05(金) 15:08:22
北九州の戦国時代の古城を掘り返して回れば・・・・・
537日本@名無史さん:2009/06/05(金) 15:20:25
>>533
まあ外部からの批判が無ければ学問としての進歩も無いというか
少なくとも健全な姿では無いよねw

ただ、畿内説を批判したからと言って九州説が成り立つと言うわけではない。

相当に極端な事を言えばそもそも「九州説」と言える物が本当にあるのかと?w

文献の解釈で仮説と言うかある程度の”当たり”をつけたに留まっている物と
そこから先実際に考古学的資料との突合せの段階に入っている物とを
同列に語ろうなんてことがそもそも無理www
538日本@名無史さん:2009/06/05(金) 15:23:47
他の豪族と変わらない館をミヤと称して転々としたと考えられる
王宮や宮殿なんて7世紀になってようやくだよ
539日本@名無史さん:2009/06/05(金) 15:24:46
そもそも「卑弥呼の宮殿」なんて言ってもどんな物かも分からない。


恐らく多くの人間が高床式の住居を想像しているだろうが
「いやそれは竪穴式だ」なんて説もあり
結局倭人伝からのイメージだけの話w

それともここの九州説の連中はどんな物なのか具体的に言えるのか?
その根拠は?
540日本@名無史さん:2009/06/05(金) 15:24:49
>>533
まぁ平たく言うと 九州論者=自説を高値で売りつける詐欺師 だよw
まちがっても自腹切って買っちゃぁいけない。図書館利用しろよ。
541日本@名無史さん:2009/06/05(金) 15:46:53
松下見林の畿内説から一歩も出ていないのが、今日の畿内説。
ヤマト国=邪馬台国という思い込みに、無理な理屈をこねるだけの捏造史観。

「三角縁神獣鏡=卑弥呼の魏鏡」を畿内説の最後の砦にしていたのが、
たくさん出土しすぎて、あっけなく根拠崩壊。

つぎにすがりついたのが、箸墓=卑弥呼墓論。
炭素使って欲しい数字(3世紀中)だけ拾ってきたが、
もうこういった手口、みんなにはバレバレです。
542日本@名無史さん:2009/06/05(金) 15:51:10
>>540
もちろんです。
どんなに金が余っていても、古代史関係の本など絶対に買いませんよw
5年も経てばゴミですもの。図書館の有り難味を感じる毎日です。
543日本@名無史さん:2009/06/05(金) 17:26:01
そいや。
一昔(じゃなく数十年か)前ごろ、太宰府で条里制遺構が見つかって、
「太宰府にも古くから条坊を持った都城があった、都市だった」って説が出たんだよな。
果ては、「太宰府の条坊遺構は畿内のもの(藤原京など)より古い、九州王朝の王都跡だ」とまで。
だが、ふたを開けてみれば、太宰府の条理遺構は十三世紀ごろとかの中世のシロモノであって古代のものではなかった。
古代の条坊跡をさがした考古学者たちの努力は報われることなどなかった。

九州王朝のむなしさを示す好エピソードだな。
544日本@名無史さん:2009/06/05(金) 17:36:55
>>532
弥生ちゃんもこんな仕事やりたくなかった筈( ;∀;)
545日本@名無史さん:2009/06/05(金) 19:23:37
>>537
>文献の解釈で仮説と言うかある程度の”当たり”をつけたに留まっている物と
>そこから先実際に考古学的資料との突合せの段階に入っている物とを
>同列に語ろうなんてことがそもそも無理www
畿内説は文献解釈の段階はおわったとか? どんな結論になったのかな。
九州説はすっきりと解釈できる説が出ているが、それに対抗できる畿内説の文献
解釈を聞かせてほしいものだ。
546日本@名無史さん:2009/06/05(金) 19:32:26
すっきり放射説か。
547日本@名無史さん:2009/06/05(金) 19:40:02
九州王朝が疲弊して、衰退後に作ったのが大宰府。
その衰退時に作った大宰府の大きさですら、こんなに大きい。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou50/zyori.jpg
548日本@名無史さん:2009/06/05(金) 19:47:26
大宰府
・学習院大学年代測定室の放射性炭素年代測定によれば、竹内焼土層は1600年前。
・太宰府政庁第二期遺構出土の土器よりも、やや新しいとされていた
 朝倉町大迫遺跡出土土器の14C 測定値が五九〇年±七五年。
・『日本書紀』推古17年(609年)筑紫大宰
・『続日本紀』神護景雲3年(769年)「天下之一都会也」

藤原京 694年
549日本@名無史さん:2009/06/05(金) 19:57:52
放射説の何処がすっきり説明出来てるんだよw
550日本@名無史さん:2009/06/05(金) 21:38:10
放射説の根拠をだせw
551日本@名無史さん:2009/06/05(金) 21:55:38
>>550
砂鬼四荼羅こうなったwwww
552日本@名無史さん:2009/06/05(金) 22:09:29
>>550
榎、山尾、安田らの本を読んでみな。すっきりと書いてあるよ。
553日本@名無史さん:2009/06/05(金) 22:56:43
本なんて読むまでもない。伊都国は佐賀付近。そこは有明海の沿岸だ。
伊都国へ行けば、南へ水行できる港があるんだから、そこから水行すれば
良い。伊都国さへ間違わなければ、放射式であることは自然に理解できた
はずだ。
554日本@名無史さん:2009/06/05(金) 23:12:22
>>548
大宰府の「竹内焼土層」ってのを時々古田信者が持ち出してくるが
これ、実は、古田信者がいかに科学的な思考ができていないかを示すいい事例なんだよね〜

ま、その程度の思考能力だからこそ古田教なんかにハマっちゃうんだろうけど
555日本@名無史さん:2009/06/05(金) 23:32:07
>>553
日本の地理を知らん昔の中国人が読者なんだが。
彼らはどうやって放射式だと理解したんだ?
556日本@名無史さん:2009/06/05(金) 23:36:28
元資料が放射式だったのに陳寿が連続式と読み間違えたら仕方ない
557日本@名無史さん:2009/06/05(金) 23:44:55
>>555
当然の疑問だよな。

そういえば昔読んだ「歴史読本」か「歴史と人物」かなんかの対談で、
実際に中国の人に倭人伝を読んでもらったら、全て連続式で解釈したと
いう話題が載ってた覚えがある。

それから投馬国への「水行20日」、邪馬台国への「水行10日陸行1月」も
古田説のような帯方郡からの日数とは、全然読めなかったそうだ。

「水行10日陸行1月」はもちろん水行プラス陸行の意味だと。
558日本@名無史さん:2009/06/05(金) 23:46:31
>>556
まあ放射説が成り立つとしたらそのパターンだろうなwwww

で、その元資料と言うのは卑弥呼の下にまで行った魏使ではなく
九州北部(伊都国あたり)に常駐していた郡使によるものと・・・

もし「砂鬼四荼羅、放射説」なんて事を言った日には

梁代の中国人や放射説を議論してこなかった日本の学者(九州説も畿内説も関係ない)は
全員漢籍も読めないエセ学者だというお話になるからなwwwwwwwww
559日本@名無史さん:2009/06/05(金) 23:55:57
放射説や
「水行ならば、陸行ならば」説や
「帯方郡〜邪馬台国水行十日陸行一月」説は
とてもじゃないが「素直な読み方」とは思えない。

反対に、そうとうヒネクレた読み方だと感じるよ。
560日本@名無史さん:2009/06/06(土) 00:01:06
中国人にも馬鹿にされる邪馬台国九州説の人は日本人の恥ですね。
邪馬台国九州説の人は薄汚い朝鮮人なのでしょう。
561日本@名無史さん:2009/06/06(土) 00:20:36
中国の学者は九州説ですが何か?
562日本@名無史さん:2009/06/06(土) 00:25:26
>>559

烈しく同意!!!

ヒネクレ読み方はヒネクレ者による説明無しでは絶対そう読めない

563日本@名無史さん:2009/06/06(土) 00:38:38
>562
本論とは無関係なレスでスマンが、
たとえば論語を読んで通説通りに理解するためには、あらかじめ、その通りの説明を受ける必要がある。
文章を読んでそのままの意味では、まったく異なった意味に解釈されてしまう。

もっとも、その原因は、「解釈」と称して読み替えを行うという営為の積み重ねが原因なんだがな。
同じことを紀行文に対して行えば、行き先も元の文章とは全然違うところにねじ曲がるのは必然。

日数に「または」といれたり、放射読みにしたり、といった「ねじれた解釈」のことな。
564日本@名無史さん:2009/06/06(土) 00:50:31
【速報】

2009/6/5 晋率善羌中郎将 銀印発見!!

マジ?
http://www.pref.osaka.jp/bunkazaihogo/image/ginin.pdf#search='
565日本@名無史さん:2009/06/06(土) 01:33:46
関西は銀印国だったのか・・・
566日本@名無史さん:2009/06/06(土) 01:44:19
>>559
「水行ならば、陸行ならば」説や「帯方郡〜邪馬台国水行十日陸行一月」説は
確かに「素直な読み方」ではない。
しかし、放射式はちがう。中国史書では昔から放射式の記載もあった。
そのことを念頭において読めば、放射式であることは読み取れる。
567九州王朝大好き:2009/06/06(土) 01:59:22
>>564

この銀印は、戦前に青海省に探検に行った人が持ち帰ったか、
戦前のシナの市中から略奪してきたものかが、
寄贈されたからではないか?

だから博物館は銀印の来歴を示せないのだろう。
568日本@名無史さん:2009/06/06(土) 02:40:59
>>564
「羌」ってなに?「倭」ではないの?
569日本@名無史さん:2009/06/06(土) 04:01:15
羌族(きょうぞく・チャンぞく)は、中国西北部のチベット系民族。タングート、蔵人、番子などとも呼ばれる。
570日本@名無史さん:2009/06/06(土) 07:10:37
>>563
他の国や都市との位置関係を示すために、その部分だけを独立させて
放射説で説明するならあり得るが、行程を説明するのに普通の人は、
あんな書き方はしない。
統合失調的文章だ。
571日本@名無史さん:2009/06/06(土) 07:19:20
かつて、北朝鮮系の学者が好太王碑に書かれた文章い対して、無茶な解釈で、
海を渡ってきた倭を新羅と百済が属国にした、と読んだが、放射はそれと似てる。
572日本@名無史さん:2009/06/06(土) 07:50:12
漢文に慣れていないからだろう。
一つには、放射式で読むべき指示である郡使往来常所駐を伊都国に関する記事と
誤読したことにある。これは、伊都国までの4か国は郡使が通過する国であり、
以後の国はそうではないという趣旨だ。
もう一つは、東南至奴国百里と方角、目的地、距離の順で記載されているのが放
射式に使われる語順だという知識がなかったこと。
573日本@名無史さん:2009/06/06(土) 08:37:46
>>569羌族(きょうぞく・チャンぞく)は、もともとは、揚子江流域平野部に住んでいたが、
秦に追われて一部の集団は山岳地帯に逃げ込んだけれど、日本に渡ってきたものも
多いと考えられる。
羌族は、もともと、チグリス川流域に住んでいたシュメール人だという説もあり、遊牧民
ともいわれていますが、太公望で知られるように、船を操る河の民も含まれていたのです。
私は、荒河戸畔の娘とは、羌族の女酋長=卑弥呼だったと考えます。

↓羌族の女

http://tokyoriver.up.seesaa.net/image/C5B7C0E7CBE5CBE5.jpg
574改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/06(土) 11:27:31
九州でも、畿内でも、どっちでもいいよ。

どっちにしろ、この改め説か、>>385でいった説が当たりだろう。

まあ、「古代中国人が日本を相当に南方に位置する国」ていう
地図は大量にあったりするのかな? 畿内説さん〜知ってる?
575改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/06(土) 11:45:01
>>565
>関西は銀印国だったのか・・・

畿内説に変えたくなっちゃうよねw

銀印「晋率善羌中郎将」出土のニュース速報で流されてるし、

今日は、この話題で持ちきりだろう。

いやはや、出ちゃったよ?九州説の諸君どうする?
576日本@名無史さん:2009/06/06(土) 11:45:45
>>574

しかし、自説と何処かの超能力者が透視したと言う説を同列に並べるとは

ドツボは結構チャレンジャーだなw
577改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/06(土) 11:53:42
>ドツボは結構チャレンジャーだなw

私の説が一番しっくりくるのでは?
てか、他の説って、みんなはハチャメチャじゃない?

サガミハラハラさんの佐賀県桜ヶ丘説は、論破されちゃった説だし、
太国の使者観光説は話にならん。
河童氏の師匠の説も崩壊してる。

結局、マシなのはわたしダケということ。
578日本@名無史さん:2009/06/06(土) 12:06:15
>>385の本を読んだことある人って、
ここ2ちゃんでいる?

まあ、聞くだけ無駄かww
579日本@名無史さん:2009/06/06(土) 12:12:36
犬国大先生が読んでたんじゃなかったっけ?
580改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/06(土) 12:28:58
>犬国大先生が読んでたんじゃなかったっけ?

あの人が読むわけないでしょwww

ものごとを適当に言ってるんだからw
581サガミハラハラ:2009/06/06(土) 13:04:12
>>578私の佐賀県桜ケ丘説は論破されちゃった説だし、とおっしゃられるが、
その論破しているレスをおしえていただきたい。
582日本@名無史さん:2009/06/06(土) 13:06:43
答えはとっくにわかってて九州なんだろうけど
宮内庁は九州でも都合悪くないでしょ別に
583太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/06/06(土) 13:18:16
>>577
>話にならん

こんなのは論にはならない。

単行本は買ってないが同誌ではすでに読んだ、あの卑弥呼の姿は真物には似て
ない。マクモニーグル氏が学研記者の恣意的誘導から畿内説のベッタリがなされ、
そのため錯誤して古代人の別人の女でも透視したんだろう?
584日本@名無史さん:2009/06/06(土) 13:20:30
>>580

ものごとを一番軽く見ている改めに言われる太国も
難儀や
585改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/06(土) 13:23:41
>>581
こんばんわ

その論破しているレス?
放射線式←これ、いつも答えれないでどこか行ってるじゃないですか。
第三者から言わせれば、論破されそうになってどこかへ行ってるとしかおもえません。

>>583
こんばんわ

やはり、読んでなかったかw
586日本@名無史さん:2009/06/06(土) 13:27:21
たかだか2000年前のことが
わからねえわけねえじゃねえかよ
587日本@名無史さん:2009/06/06(土) 13:31:15
ずっと読んでみて、改めドツボの話だけは、全く理解できない
論理が存在しないからね
588日本@名無史さん:2009/06/06(土) 13:37:12
サガミにしろ河童や太国にしろ、長くコテを張ってるだけのことはあって、か
ならず得意分野を持っていたが、こと改めに至っては駄文の連投で、ただ
レスを消費消化するだけの存在でしかない。
これは住人一致の意見だと思うが?
589改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/06(土) 13:37:15
>>581
・倭人伝のどこに放射線式と書いてある?
・投馬國へは内陸説を支持してるんですよね?
 それもどこに書いてるんです?倭人伝には「循海岸水行」とある。
・對馬國から一大國へは、「南」なんです。
 それがなぜ、対馬の下島から「東南」方向なのでしょうか?
・伊都國の着点はなぜ、佐賀県になる?ソコと前原市ではどっちのがふさわしいとおもってるんでしょう?

>>587
おたく、文句言うのだけは、達者ダネwwww
590改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/06(土) 13:42:35
わたしとか、サガミ、太国、河童のコテはん勢はおたくら、
文句いうだけの人らよりマシだよ。
みんな、自分らの考えを述べて書き込んでるでしょ?

それに対して、君らは、文句・批判するだけで、
名前も名乗っておらんじゃないか。
まだまだ、わたしらに文句言うだけの実力がついてないくせに、
言葉だけは達者ですよねwww
591改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/06(土) 13:51:29
>>583
>こんなのは論にはならない。
>単行本は買ってないが同誌ではすでに読んだ、あの卑弥呼の姿は真物には似て
>ない。マクモニーグル氏が学研記者の恣意的誘導から畿内説のベッタリがなされ、
>そのため錯誤して古代人の別人の女でも透視したんだろう?

う〜ん 「古代の別人の女を透視」は、どうでしょうね。
アレに関しては、まだ半信半疑というか、「よくわからん」というのが、素直な感想。

似てない?
あれ以外にも別で、卑弥呼の顔が書かれた何かがあるのでしょうか。
592愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/06/06(土) 14:00:27
>>385
改めさん
残念ながら読む気がしません。
米国政府関係者とは、どんな意図があるのか?と思ってしまいます。
593太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/06/06(土) 14:05:04
>>591
それは真のウラゴトに依らねばならない。
594愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/06/06(土) 14:05:45
>晋率善羌中郎将
来歴不明では何とも判断しかねます。
タジマモリとかと関係あったら面白いが・・・
595改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/06(土) 14:15:58
>>592
了解です。
まだ有名ではないが、今後、売れていきそうな本だし、...
今後、議論の対象になってくる恐れが有り、お勧めしたんですが。

>>593
>それは真のウラゴトに依らねばならない。

倭そんなものあるんですか?
倭人は、大陸の「卜事」を真似したのでは?
巫女に関しても同じように考えています。
596愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/06/06(土) 14:16:39
半ば冗談ですが、沖縄の米軍基地や、山口県の岩国基地問題と関係してるのかな?
597改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/06(土) 14:23:25
FBI ← わたしもこの一流の情報を入手できるだろう、
この機構を疑ってみてはいるんですが、

もし仮に「畿内説に詳しい人」が、マクモニーグル氏に「情報を与えた」としても
あまりにも完成されてるというか、逆に関心してしまうぐらいです。

少し、調べてみる価値は有りと考えてます。
598日本@名無史さん:2009/06/06(土) 14:27:35
あふぉw

こう云うのは、CIAの役割だろ。
599改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/06(土) 14:29:25
>>587
>論理が存在しないからね

ろん‐り【論理】
1 考えや議論などを進めていく筋道。
思考や論証の組み立て。
思考の妥当性が保証される法則や形式。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E8%AB%96%E7%90%86&stype=0&dtype=2

論理が存在しない のは自分では? 
600日本@名無史さん:2009/06/06(土) 14:36:44
>あふぉw こう云うのは、CIAの役割だろ。

それは、君が FBI を知らない というのを告白しただけのレス。
わたしも、ここで、F B I がどうの、 CIA がどうとか議論するつもりはない。
コテに対して、もっとまともな、批判をしてみてはどうか?
601日本@名無史さん:2009/06/06(土) 14:43:02
>>599
自分に論理がないことを、自覚できないんでしょ。
そりゃそうだろう、自覚してりゃもう少しマシだからね。
602改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/06(土) 14:43:10
こっちの2ちゃんねるのほうが書きやすいんだけどレベルが・・・低ぅ。

もっとまともな、批判が出来る人いないのかな?
603日本@名無史さん:2009/06/06(土) 14:47:22
>晋率善羌中郎将

羌族が移り住んだのが善光寺だった。
これでまた一つ謎が解けた!
604日本@名無史さん:2009/06/06(土) 14:51:25
マクモニーグルはもちろんFBI 所属ではないが、透視を依頼されたことはあるようだ。

はっきりしているのは、彼が「スターゲート計画」に参加していたこと。これは遠隔透視能力
を、軍事目的に利用しようという計画で、1972〜95年まで継続して研究された。投入され
た経費の総計は2000万ドル以上といわれるが、当然ながらまともな成果は出ていない。
初期はCIA、その後DIA(米 国防情報局)により主導された。これは近代史の一側面といえ
るだろうが、スレ違いなのでやめる。もちろんマクモニーグルの邪馬台国透視はトンデモ
の一言。
605改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/06(土) 14:51:33
正直、「九州説が正解」、「畿内が正解」どっちでもいいと思っている。

ただ、一連の中国史に記されてる”卑弥呼”は、この列島の建国主だろうし、
卑弥呼は不明と言って九州王朝説をとっている人も、万全ではないわけで。

中国史的には、卑弥呼

日本史的には、神武天皇

両者が「建国主」と言っても過言ではあるまい。
まあ、一人で成し遂げたとは思わないが、最重要人物なのは確か....。
606日本@名無史さん:2009/06/06(土) 15:05:14
ひどいな、0点だ。

× 九州説・畿内説のどちらでもいい → 学問の放棄・破綻
× “卑弥呼”は、この列島の建国主 → 漢籍で建国主でないことが明白
× 卑弥呼は不明と言って九州王朝説をとっている人 → 九州王朝説ではない
× (建国主は)日本史的には、神武天皇 → イザナギ・イザナミ・天照大神・ニニギ命・倭国王師升もいる
607日本@名無史さん:2009/06/06(土) 15:22:54
>>602改め

>こっちの2ちゃんねるのほうが書きやすいんだけどレベルが・・・低ぅ。


おまえはつい2年前まで箸墓古墳に特殊器台が樹立されていることさえ知らなかったではないか。
否それどころかおまえは特殊器台・特殊壺・都月型円筒埴輪に関する知識を何一つ持ち合わせていなかったではないか。
平原遺跡を発掘調査した考古学者・故原田大六氏が筋金入りの畿内説論者であったにもかかわらずおまえは原田氏を九州説論者だと誤認していたではないか。
中華帝国が臣下や冊封国外臣(王)に賜う印綬や或いは朝廷が国司に授ける印の使用法についてここの住人諸君による再三再四の親切な説明・説得にもかかわらずまるで理解ができなかったのはおまえではないか。


結論: おまえが言うな!
608改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/06(土) 15:25:01
>>572
>漢文に慣れていないからだろう。
>一つには、放射式で読むべき指示である郡使往来常所駐を伊都国に関する記事と
>誤読したことにある。これは、伊都国までの4か国は郡使が通過する国であり、
>以後の国はそうではないという趣旨だ。

ん?この方は、何でそう思ったのかな。

「郡使往来常所駐」←これがどうして「放射式で読むべき指示」になるの?

>もう一つは、東南至奴国百里と方角、目的地、距離の順で記載されているのが放
>射式に使われる語順だという知識がなかったこと。

順が違ったら、どうして放射線になるのでしょうか?
貴方達が勝手に変えて遊んでるだけでは?
609日本@名無史さん:2009/06/06(土) 15:28:16
>>607
つうかFBIだぜ?

超能力者の透視能力だぜ?

もうレベル云々以前の問題だろうが?w
610日本@名無史さん:2009/06/06(土) 15:28:36
何一つ本も読まないで、適当なことをかいてるだけだよな。せめてWikiくらい見ろやドツボ。
611日本@名無史さん:2009/06/06(土) 15:30:55
ドツボはもうだめぼ…
612改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/06(土) 15:31:11
>>607

ようは、貴方は追い抜かれてしまったてことねw

そんなことで絡んでくるなよ、己自身の勉強不足を恨めww
613日本@名無史さん:2009/06/06(土) 15:32:27
九州・畿内のどちらでもいいというのは俺も賛成
むしろどっちかに決めてかかって自説に都合のいい資料だけ集めて不都合な資料は見なかったことにする傾向が一番気に食わない
614日本@名無史さん:2009/06/06(土) 15:42:26
>>613
そんな事は不可能。
615改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/06(土) 15:47:20
>>609-611

あのぅ・・誰もFBIを信用したとか言ってないんですが。

マクモニーグル ← 疑ってみる必要あり

それに、何度も言ってるが、マクモニーグルの「マ」の字も知らないのに
批判するべきではないんですよね。

>『断髪』

断髪したのは倭人ではない。
616日本@名無史さん:2009/06/06(土) 15:57:59
>>575>>612改め

>己自身の勉強不足を恨めww


もし自分が人一倍勉強し努力しているという自負があるのであれば晋率善羌中郎将銀印の話題に触れたとき真っ先に奈良県広陵町新山古墳出土の金銅・銀製帯金具にも必ず言及し後学の者への注意喚起の役を果たすべきであっただろうに。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3
http://www.geocities.jp/j_imada1999/xa_kfn01_01.htm

(引用・新山古墳)
>そして出土の帯金具の年代考定から本墳の実年代を四世紀第二四半期とし,
>従来の本墳の編年上の位置をもとに古墳の開始時期そのものを三世紀後半
>のはやい時期まで引上げる考え方もある。(森浩一)


結論: おまえが言うな!
617日本@名無史さん:2009/06/06(土) 16:09:14
世の中には、努力しても報われないことのほうが多いものです。
人一倍努力すれば、より正しい結論が導かれるなどということはありえない。
古代史を齧ったものなら、すぐわかるっだろうに・・・若いな。
618日本@名無史さん:2009/06/06(土) 16:10:16
同じトンデモでも、犬国やチョロ松は存在自体が面白いのでまだ許せる。ドツボレスは見てる
だけで不快だよな。
619日本@名無史さん:2009/06/06(土) 16:11:07
ドツボはもうだめぼ…
620改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/06(土) 16:13:35
「卑弥呼」

わたしは、これが絡んでるモノにしか興味はなく、古墳の勉強をしようとは思ってないんですよ。
もし、そこが、卑弥呼の墓の可能性が有るのでしたら調べますが、
古墳好きの貴方から指摘されても困ると言うか....。

わたしは、卑弥呼を追っているわけで、「古墳の知識」や「教科書を作る会」など
それを追っている専門の人に言うべきで、お門違いでは?

>晋率善羌中郎将銀印

これについては、調べてからコメント致します。
621改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/06(土) 16:17:36
あ、620のレスは、>>616の場所を間違えて潜り込んでしまった
哀れな人へのレスね。

>>617-619
レスに対して、ただ批判するだけなら誰でも出来るだろ?
もう少し具体的に、こことここが自分の考えと違い、
わたしはこのように考えてる、てきなレスをしてみてはいかが?
622日本@名無史さん:2009/06/06(土) 16:25:30
改めて言うまでもないが、お前はもう終わっている。
それがこのスレの住人の統一見解。反論の必要性を感じない。
623日本@名無史さん:2009/06/06(土) 16:26:47
夏后少康之子封於會稽

計其道里當在會稽東冶之東

これについて、いろいろと意見が分かれるだろう。

みなさんはどの位置と思ってるの?
624日本@名無史さん:2009/06/06(土) 16:40:37
コテハン叩きはよくないのだが、ドツボに関しては「消えてくれ」と願ってる人が多いだろうね。
そうすれば、このスレもかなりレベルが上がると思う。
625日本@名無史さん:2009/06/06(土) 16:50:59
>>620
>「卑弥呼」
>わたしは、これが絡んでるモノにしか興味はなく、古墳の勉強をしようとは思ってないんですよ。

台与には興味ないのか?
台与も卑弥呼に絡んでくるだろ

>>616は新山古墳の帯金具がもし西晋からの輸入品なら
台与となんらか関係するかもしれないと言ってるわけだ

森浩一氏のコメントを引用しているのも
箸墓の年代が上がれば新山古墳の年代も上がるということだ

ま、新山古墳が台与の墓かどうかは疑問だが・・・でも確率ゼロとは断定できない
626日本@名無史さん:2009/06/06(土) 16:56:49

トヨタン・・・・・・・・・・
627日本@名無史さん:2009/06/06(土) 17:04:04
このカマドウマは、どうやればいなくなるんだよ!!
628日本@名無史さん:2009/06/06(土) 17:09:53
>>624
そう。
このスレだって時には議論のレベルが上がってくることもある。
そういうときなぜかドツボがしゃしゃり出てくる。
俺がスレ主だぞっていうつまらんプライドで仕切ろうとするから
せっかくの議論を自分のレベルまで引き下げてしまう。
629日本@名無史さん:2009/06/06(土) 17:15:34
>>624
昔からヤマタイコク関連のスレは、固定叩きがメインテーマ
だから固定叩きに遠慮はいらない。
630日本@名無史さん:2009/06/06(土) 17:18:07
>>629
おう!
徹底的にやるぞ!
631日本@名無史さん:2009/06/06(土) 17:20:30
>>628
ドツボが立てたスレならドツボが来るのは当たり前、それが嫌なら近づかない事だ。
ドツボのスレでドツボを嫌がるなんて、我が儘にもほどがある。
632日本@名無史さん:2009/06/06(土) 17:23:20
>>630
ガンバレよ。
叩いて、叩いて、叩き潰せ。
633日本@名無史さん:2009/06/06(土) 17:23:45
「オレが立てた」も「オマエ来るな」も、どっちねーよ。
634日本@名無史さん:2009/06/06(土) 17:53:04
>>633
そんな事はない。
固定が来れば、正しかろうが、間違いだろうが、叩いて追い出す。
それが従来からのヤマタイコクルールだ
635日本@名無史さん:2009/06/06(土) 18:02:29
と言うかだな、もし本当に河童虫がこのスレから撤退したなら
このスレも先行き成り立たないだろう?w

良くも悪くも河童と自称スレ主のドツボ…この二人によってスレのカラーが決められていて
(具体的に言えば。文献オンリー、九州説…と言ったところか?)

河童の離脱は戦力の半減、今後このスレが存続しても他のスレとの差別化はできないだろう…

まあ自称スレ主のドツボ先生の手腕に期待だなw

オカルトまで間口を広げて新たな客層を発掘するもよしwww
636日本@名無史さん:2009/06/06(土) 18:03:28
>>563
論語は漢の建国より200年以上前の孔子の言行録で、語法が漢代以降と異なっているところがあり、
そういう意味で注釈が無ければ意味が取れない所がある。
だから、注釈者の見解によって解釈が異なることになる。詩経や書経も似たような状況。
でも、ずっと時代が下った三国志の文章では、そういう原因で意味が取れない所はほとんど無いと思う。
衍字衍文錯簡で意味が取りづらいところはあるかもしれないけれど。
637日本@名無史さん:2009/06/06(土) 18:16:45
http://www.youtube.com/watch?v=D5SWP1mjr-E&feature=channel
邪馬台国発見:マクモニーグル 邪馬台国の透視方法を語る

youtubeでマクモニーグルさんが実際に邪馬台国透視に関して語ってるな

638日本@名無史さん:2009/06/06(土) 19:13:25
>>637 >youtubeでマクモニーグルさんが実際に邪馬台国透視に関して語ってるな

↑投稿者は名無史だが、おそらくコテの誰かが名無史を装って、話題をマクモニーグルの
邪馬台国透視などという似非学問の方へ、なんとか持って行きたいのだろう。

その反学問領域にかぶれてしまった名無史とは誰か? まあ、2ちゃんは匿名可の掲示板だから
断定するわけにはいかないが・・・。しかし、推定する手掛かりは、ないでもない。


>385 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/02(火) 15:11:50
>これを読め!
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4054038255/ref=s9
>「千里眼」を持つという、マクモニーグルの透視によると
>卑弥呼の墓は「山口県」、邪馬台国は「奈良県」と断定。
>当たっているかどうか、怪しむべきですが、面白いのは確か。
>昨日、一日中かけて読みましたわ(笑)

>387 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/02(火) 15:14:59
>誰か、今度の金・土・日 山口県に一緒行く人いる?w
>おれ、すでに洗脳されてるかなww

>395 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/02(火) 15:42:58
>読めばわかるけど...。
>卑弥呼の親が住んでいた山口県に行ってる最中、病気で亡くなったらしいよ。

>597 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/06(土) 14:23:25
>FBI ← わたしもこの一流の情報を入手できるだろう、
>少し、調べてみる価値は有りと考えてます。

>615 :改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/06(土) 15:47:20
>それに、何度も言ってるが、マクモニーグルの「マ」の字も知らないのに
>批判するべきではないんですよね。
639日本@名無史さん:2009/06/06(土) 19:14:15
>>635
スレに色が無くなる事は確かかもしれない。



毎日はウザイが、たまに現れ漢字解釈だけでもしてほしい。
俺は河童の漢字解釈がきっかけで、漢字に興味を持った。
640日本@名無史さん:2009/06/06(土) 19:22:22
>>638
そんな事に興味を持ってるコテハンって、太国しかいないだろう?
名無しにする必要もないくらい明白だw
641太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/06/06(土) 20:04:08
とにかくマクモニーグル氏の透視によるという卑弥呼の絵姿は真物
とは似てないですね。これはおそらく学研記者の畿内説誘導から
同氏が錯誤されて得た透視のため、透視があるとすれば錯誤からの
別人を見たということになります。
642604:2009/06/06(土) 20:40:48
あの絵はなんかかなり南方系っていうか、おれのイメージ的にはインドネシア系とか。でも、
卑弥呼は文身あったんでないのかな?
643愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/06/06(土) 20:56:18
>>642
>卑弥呼は文身あったんでないのかな?

男子無大小皆黥面文身。
女子は無いでしょう。
644日本@名無史さん:2009/06/06(土) 21:16:33
>>635
>>639

ドツボがいれば河童もくるだろう
河童歓迎 帰って来い By スレ一同
645日本@名無史さん:2009/06/06(土) 21:24:25
>>644
長期アクキンって言ってたから無理じゃね?
646日本@名無史さん:2009/06/06(土) 21:50:19
梅毒なんぞいらん。
ついでにドツボもいらん
647日本@名無史さん:2009/06/06(土) 22:02:36
>>646
いらんかも知れないけど、俺は河童の漢字解釈が見たいのだが、アナタが代わりにしてくれるの
なら、河童に用はない。
648日本@名無史さん:2009/06/06(土) 22:21:56
>>647

出来ません

実力ある河童が羨ましいだけです
649日本@名無史さん:2009/06/06(土) 22:34:46
>>647
漢字のことを知りたければ、まず加藤常賢、藤堂明保、白川静の著作を読めばいい。
河童の漢字解釈というのは、失礼ながら、素人が考えだしたトンデモ言語学を
さらに素人が受け売りしたもの。
御本人はワシ説で国語学がひっくりかえるとか仰ってますが。
そんなのも見たいのですか?
650日本@名無史さん:2009/06/06(土) 22:45:41
梅毒の解釈はただの屁理屈。

ってか、何を自演してんの?梅毒(笑)
651日本@名無史さん:2009/06/06(土) 22:49:20
>>649
たとえ世間でトンデモと言われようが、俺が漢字に興味を持ったのは
加藤、藤堂、白川の本からではなく河童の漢字解釈なのだ。
652日本@名無史さん:2009/06/06(土) 22:50:45
>>649

河童批判だけか?
改めのやつにもいってやれw
653日本@名無史さん:2009/06/06(土) 22:51:27
河童漢字はもちろん珍解釈で学問とはいえないものだが、それをいいだしたら犬国もチョロ松
も、サガミも九州王朝もみんなそうだな。どうせまともなコテハンなどいないし、好きなように書け
ばいいんじゃないの。ただドツボは知力低すぎ。
654日本@名無史さん:2009/06/06(土) 22:55:50
2ちゃんなんだし、好きな事書けばいいよ。
655唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/06/06(土) 22:55:55
みんな暇そうだな 何か無いのか?

私に期待しないでくれ、あれから1mm位しか進展していないので
書き込むほど進んでいない。
656日本@名無史さん:2009/06/06(土) 23:00:49
楽しんでるだけでは?

本気で批判してるやつが馬鹿w
657日本@名無史さん:2009/06/06(土) 23:02:01
>>649
そんなの人の自由じゃね?あんたは人の自由まで奪って押し付け教育したいのか?
そうゆうの一番ウザ
658日本@名無史さん:2009/06/06(土) 23:02:46
>>651
だったらyahoo掲示板の言語虫のトピに行けばいい。
言語虫本人の漢字解釈を堪能できるよ。
659日本@名無史さん:2009/06/06(土) 23:09:12
>>658
アホーには2ちゃんの気軽さが無いから行きずらい。
660日本@名無史さん:2009/06/06(土) 23:40:55
>>659
見てるだけなら、ここと変わらんじゃん。
661日本@名無史さん:2009/06/06(土) 23:41:12
プラム=河童虫の教えを請うなら、大修館の諸橋轍次大漢和辞典を引いたほうがいい。
大修館の大漢和は、中国人ですら康煕字典より優れていると評価している。
662日本@名無史さん:2009/06/06(土) 23:42:24
コテ以外のやつ

ネタ出せ 愛知県民市ばっかじゃねーか



663コテ:2009/06/06(土) 23:45:57
おまえが出せよwww
664日本@名無史さん:2009/06/06(土) 23:45:59
>>661

コテなんかどーでもいいよ

おれはコテの話にきたんじゃねー
コテ以外の奴て邪馬台国の話し出来ないのか?文句ばっかでうぜーし
665日本@名無史さん:2009/06/06(土) 23:51:00
>>664
出来ねえからコテの話ししてんだろ。
人に頼るな
666日本@名無史さん:2009/06/07(日) 00:16:36
コテハン叩きで憂さ晴らしをする九州信者のスレはここでつか?
667日本@名無史さん:2009/06/07(日) 00:33:05
固定叩きはここのルールです。
668日本@名無史さん:2009/06/07(日) 05:16:43
>>608
>「郡使往来常所駐」←これがどうして「放射式で読むべき指示」になるの?
これが伊都国に関する話ではなく、4か国に共通する話だって説は知ってるかな?
その説に従って解釈するんだよ。4か国は駒をとどめる所、則ち宿泊する国、則ち
通過する国だ。そして、行程記事の途中に、以上4が国は郡使が通過する国だって
書いてあるということは、以後の国は逆に解釈して通過しない国ってことだね。
だから、放射式の読み方を指示した記事ということになる。

>順が違ったら、どうして放射線になるのでしょうか?
順がちがったら文章の意味がちがうんだよ。
もし、東南百里至奴国とあれば、これは東南に百里行き奴国に至るということで奴国
に進んだ感じがでている文章になる。
東南至奴国百里と方角、目的地、距離の順で記載されている場合には、そうではない。
東南奴国に至るには百里。則ち、奴国までの距離を示しただけで、行ったとまでは書
かれてない。
669日本@名無史さん:2009/06/07(日) 08:02:04
郡使は公孫氏が派遣したものだろうけど、晋はどれだけそれらの記録を保持してたんだろうね。
670日本@名無史さん:2009/06/07(日) 08:22:20
郡使というのは、帯方郡からの使者。魏の使者のことですよ。
671日本@名無史さん:2009/06/07(日) 08:28:02
卑弥呼が使者を送ったのは公孫氏が滅びた翌年。
672日本@名無史さん:2009/06/07(日) 08:49:28
魏からの公式の特使なのか、それとも帯方郡からの使者なのか、
その点をはっきりさせたほうがよい。。
つまり、地方郡監が送った使者だとすれば、卑弥呼に接見を許さ
れなかった可能性が高い。邪馬台国へも行っていないのではな
いだろうか?
だとすれば、邪馬台国までの日数も方向もあてにならないことに
なる。
673日本@名無史さん:2009/06/07(日) 09:00:13
帯方郡の使者だろ。
674日本@名無史さん:2009/06/07(日) 09:08:55
卑弥呼やトヨが魏使に土下座してるところを畿内の豪族たちに見られたらどうなる?
卑弥呼らは畿内で出迎えてないと思う。
675日本@名無史さん:2009/06/07(日) 09:18:07
正始元年の項に、直接に使者を出したのは、太守弓遵であることが明記されている
が、それは魏本国の意向を受けたものだろう。だから、それは魏の本国に報告され
ているんだ。史書を書いた者は、魏本国にあった資料をもとに書いているわけで、
帯方郡へ行って資料を探したわけではない。
676愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/06/07(日) 09:56:36
>>668
>東南奴国に至るには百里。則ち、奴国までの距離を示しただけで、行ったとまでは書
>かれてない。

次の「東行至不彌國百里」は不彌國に行っている。
ここで基点が不彌國になると思われる。
「南至投馬國水行二十日」
「南水行至投馬國二十日」ではないので基点は不彌國のまま。
・・・と考えますが?
677日本@名無史さん:2009/06/07(日) 10:07:50
「東行至不彌國百里」は、東行して不弥国に至るには百里。これも距離を表示した
だけで、行ったとは書いてないんですよ。
678日本@名無史さん:2009/06/07(日) 10:39:18
帯方郡から見ると、朝鮮半島そのものが、大海の中に在る山島と見ることができる。
679日本@名無史さん:2009/06/07(日) 10:58:10
>>675ましてや、陳寿が倭に行ったわけでもないですね。
つまり、陳寿は図書室の資料の倭にかんするものをあつめ、鋏と糊でもってつぎはぎして
倭人伝を完成させたわけです。
だから、倭人伝、話があちこちとんでたり、うまく解釈できないところなどあるでしょ。
680日本@名無史さん:2009/06/07(日) 11:03:59
それどころか、陳寿は監修なのだから、
自分の専門以外の部分は明らかに誤りでもない限り、
それぞれの編集者の記述を尊重するという態度だった
はず。従って別冊付録といった体裁の東夷伝の倭人の
項など、悪くいえばどうでもよかったのだと思います。
681日本@名無史さん:2009/06/07(日) 11:15:43
>>680激しく同意。
そんな何の証拠もない他国の文献に踊らされて
大騒ぎしている人たちが大勢いるとは・・もう笑うしかない。
682日本@名無史さん:2009/06/07(日) 11:17:08
魏志倭人伝など問題にしない方が、日本の古代史はより正確に
把握できると思います。卑弥呼信者は古代史研究のガン。
683日本@名無史さん:2009/06/07(日) 11:32:22
邪馬台国はなかった。卑弥呼もいなかった。
それでいいじゃないか。
それで何の不都合もない。
684日本@名無史さん:2009/06/07(日) 11:37:04
>>683
それならこのスレに来る必要も無いだろw
685日本@名無史さん:2009/06/07(日) 11:53:58
丸ごと受け取るには無理。
倭人伝では参考資料に過ぎない。
686日本@名無史さん:2009/06/07(日) 12:24:20
>>680
それが真っ当な結論だね。
それを無理にいじるから樹海の迷路にはまるんだよ。
687日本@名無史さん:2009/06/07(日) 12:28:24
距離だ方角だと研究するのは殆ど意味ないな。
魏志に書かれた内容の時系列も不明だし。
688愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/06/07(日) 13:02:29
>>687
>距離だ方角だと研究するのは殆ど意味ないな。

ちょっと言い過ぎ。
少なくとも邪馬臺國(邪馬壹國)は南と書かれている。
また、狗奴國は邪馬臺國の南と思っている人が多いが
女王の境界が尽きる第二奴国の南としか書いてない。
私は狗奴國は東方の畿内にあったと見ています。
689日本@名無史さん:2009/06/07(日) 13:51:54

何故、日本人による日本史の中では大事にされなかったのかね?

690改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/07(日) 14:00:57
>>668
いろんな解釈があるもんだね。

まあ、創造するのは人の勝手なのでとやかく言わないがw
691日本@名無史さん:2009/06/07(日) 14:29:44
河童が飛び付きそうな材料出てるのに、あやつどおした?
692改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/07(日) 14:43:44
>河童が飛び付きそうな材料出てるのに、あやつどおした?

ん?どのネタが飛びつきそうな材料なの?

携帯でうつのはつらいし、それに引き合う、
もっと、面白いネタじゃないと来ないかもね。
693改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/07(日) 14:44:30
訂正

引き合う→つりあう
694日本@名無史さん:2009/06/07(日) 14:48:13
河童君、お金貸して
695日本@名無史さん:2009/06/07(日) 14:55:52
河童さんて資産家なのですか?
696愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/06/07(日) 14:59:05
水行十日陸行一月について
漢文に詳しい台湾人の張明澄氏が、ここは水行すれば十日、陸行すれば一月と読むべきという意見だと、
安本氏の本で読んだ記憶があります。
張明澄氏は水行十日さらに陸行一月ならば「さらに」に当たる文字が必要と言っていたそうですが。
ご意見あります?
697日本@名無史さん:2009/06/07(日) 15:13:28
ありません。
この部分はもともと何の根拠もない記述だということで、問題は解決済みです。
698愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/06/07(日) 15:21:54
>>697
>この部分はもともと何の根拠もない記述だということで、問題は解決済みです。

?捏造すれば陳寿は死刑になりませんか?
捏造であっても、捏造の根拠があるはずですし。
実際に要した日数か、倭人からの伝聞かどちらかでしょう。
699日本@名無史さん:2009/06/07(日) 15:24:19
>>696
>漢文に詳しい台湾人の張明澄氏

我々、日本人も一流の漢字を教わっているハズ。

>張明澄氏は水行十日さらに陸行一月ならば「さらに」に当たる文字が必要

水行十日陸行一月 

これを訳すと、
水行十日「の」陸行一月 か 水行十日、陸行一月  が正しい。

水行十日「の」陸行一月 とはどういう意味なんですか?
水行十日、陸行一月 とはどういう意味ですか?

狗邪韓國
對馬國
一大國
末盧國
   伊都國
      奴國 不彌國
          ↓
         投馬國
          ↓
         邪馬壹國
700改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/07(日) 15:25:50
>>669はわたしです。

>この部分はもともと何の根拠もない記述だということで、問題は解決済みです。

小学生から笑われますよ?
701日本@名無史さん:2009/06/07(日) 15:27:51
>>698
陳寿自身は、ねつ造していません。
ねつ造したとすれば、東夷伝の筆者か帯方郡の使者。
第一、魏の都に住む役人が邪馬台国の記事が正しい
かどうか、どうやって調べるのですか?
702日本@名無史さん:2009/06/07(日) 15:28:49
>>700今時の小学生は卑弥呼なる人物は教わってません。
703日本@名無史さん:2009/06/07(日) 15:32:02
倭人伝なんてのは、魏の都に住む者から見れば、
浦島太郎か桃太郎などのおとぎ話の世界で、
邪馬台国なんてものは、竜宮城か鬼が島みたいなものの
場所を探してどうするのでしょう?
704愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2009/06/07(日) 15:35:04
>>702
>今時の小学生は卑弥呼なる人物は教わってません。

横ですが・・・本当? ゆとり教育は見直しの方向と聞くが?
去年だったか、新聞記事で小学生がよく知っている歴史上の人物で
ナンバーワンが卑弥呼だったと思いましたが。
705改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/07(日) 15:35:40
>>702
>今時の小学生は卑弥呼なる人物は教わってません。

誰もそんなことを聞いてませんよ。
「水行十日陸行一月」これの訳し方の話をしてるのデス。

>>703
それは童話でしょ。

童話と文献は違うかと・・・。
706日本@名無史さん:2009/06/07(日) 15:37:10
魏志倭人伝も古事記も童話集みたいなものです。
707改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/07(日) 15:42:17
>魏志倭人伝も古事記も童話集みたいなものです。

それを今、ここで話し合い調べてるのでしょ。
貴方の場合は、結果が先にあるわけで・・・。
708改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/07(日) 15:46:48
>>702
卑弥呼を教えないとは、どうゆうことなんでしょうねw

我々から言わせれば、「なんで教えない?」てなるかと・・・。
709改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/07(日) 15:52:06
>水行十日陸行一月 

・水行十日「の」陸行一月
・水行十日、陸行一月   

上記、ではないとするなら、その「例」をみせてほしい。

なぜ、水行十日(あるいは)陸行一月になるのか?
地球がひっくり返ってもならないよw
710日本@名無史さん:2009/06/07(日) 16:05:47
邪馬台国にも、
多賀城碑のような碑文が必ずあるはず。

            西

.    将 節 也 軍 此         多
.    軍 度 天 従 城         賀
.    藤 使 平 四 神         城
.    原 従 宝 位 亀 去 去 去 去   去
.    恵 四 字 上 元 靺 下 常 蝦   京
.    美 位 六 勲 年 鞨 野 陸 夷   一
  天 朝 上 年 四 歳 国 国 国 国   千
  平 臣 仁 歳 等 次 界 界 界 界   五
  宝 朝 部 次 大 甲 三 二 四 一   百
  字 狩 省 壬 野 子 千 百 百 百   里
  六 修 卿 寅 朝 按 里 七 十 廿
  年 造 兼 参 臣 察..   十 二 里
  十 也 按 議 東 使..   四 里
  二..   察 東 人 兼..   里
  月..   使 海 之 鎮
  一..   鎮 東 所 守
  日..   守 山 置 将
711改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/07(日) 16:08:50
>>625
>台与には興味ないのか?
>台与も卑弥呼に絡んでくるだろ

>新山古墳の帯金具がもし西晋からの輸入品なら
>台与となんらか関係するかもしれないと言ってるわけだ

その帯金具が、どうして、台与なる人物に関わってくるのでしょうか?
つーか、卑弥呼の「金印紫授」とその「帯金具」とをごっちゃ混ぜにしてるのでは?
712日本@名無史さん:2009/06/07(日) 16:15:12

トヨタン・・・・・・・・・・
713改め ◆PWTcGEfp1s :2009/06/07(日) 16:17:06
卑弥呼=崇神天皇の皇女、大倭姫(豊鍬入姫命)

壹與=神功皇后(息長帯比売命)

なら、どうしましょうかw ある?ない?ALL
714日本@名無史さん:2009/06/07(日) 17:00:54
日本書記や古事記には推古天皇まで女帝の記述がない。
大倭姫は遠く伊勢にあって政治に全くタッチしていない。
生涯未婚のみこが、既婚者の神功皇后であるはずもなし。
それなのにまだ、比定してる人がいるんだね・・・
715日本@名無史さん:2009/06/07(日) 17:15:33
倭人伝には、卑彌呼という名前が5回登場する。

@乃共立一女子爲王、名曰卑彌呼
すなわち一人の女子を共に立て王となす、名を卑弥呼という。

A制詔親魏倭王卑彌呼
親魏倭王・卑弥呼に制詔す(天子よりの文書を持って命ずる)。

B倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和
倭・女王卑弥呼と狗奴国の男王・卑弥弓呼はもとより不和。

C卑彌呼以死、大作冢徑百餘歩殉?葬者奴婢百餘人。更立男王、國中不服、
更相誅殺、當時殺千餘人
卑弥呼以って死す。大いに冢を作る。径百余歩。殉葬者奴婢百余人。
さらに男王立つ。国中不服。さらに誅殺しあう。当時、千人余を殺す。

D復立卑彌呼宗女壹與年十三爲王
また、卑弥呼の宗女・壱与年齢13才を立て王となす。

まあ、卑弥呼は名実ともに王であり、対外的にも紛れもない王である。
記紀の中からふさわしい人物を探すとしたら、天照大神しかいないな。
716日本@名無史さん:2009/06/07(日) 17:17:58
なぜ卑弥呼は日御子、邪馬台国は大和國。いい加減に支那中華歴史観から脱出しないかね。
717日本@名無史さん:2009/06/07(日) 17:22:48
日本の学者って中国信じ切ってんの?
東シナ海にネタ仕込む連中をw
718日本@名無史さん:2009/06/07(日) 19:05:42
中国正史は人物名すらテキトー
小野妹子が蘇因高だぜ
719日本@名無史さん:2009/06/07(日) 19:36:11
一般人から見れば

中国の古文献を信じて、騙されて、金つかって

おれら馬鹿に映ってるwww
720日本@名無史さん:2009/06/07(日) 19:47:24
畿内説さん

どうして、水行二十日 水行十日 陸行一月で奈良に着く?

不彌國は百里なのにどうして奈良までとどくの?

九州説さんのように計算したら?
721日本@名無史さん:2009/06/07(日) 21:00:13
679〜683
畿内説の同調者かな? 自分たちの説は、倭人伝とはまったく合いません、って
いうことだな。はい、ご苦労様。もう、寝たら。
722日本@名無史さん:2009/06/07(日) 21:17:56
>>720
伊都が糸島、
役人は伊都から先に行っていない。
水行は瀬戸内海。
陸行は丹波の国から大和まで。

方向が違うのは朝鮮で発見された地図のように90°傾いているため。

統一され、国の行き来が容易になる
江戸時代に伊能忠孝が緻密な地図を書くまでは、
正確なものなどない。
723日本@名無史さん:2009/06/07(日) 21:24:50
正確な地図があるかどうかはともかく、瀬戸内海を行って丹波に上陸するのは
大変だろう。
724日本@名無史さん:2009/06/07(日) 21:29:37
>>723
内海だから穏やか。
一番最適なコースだ。
古代も中世も今現在も。
725日本@名無史さん:2009/06/07(日) 21:41:10
>>722
15世紀の地図が90度傾いているなら、四世紀には360度誤認識されていても不思議じゃない。
726日本@名無史さん:2009/06/07(日) 21:45:35
>>725
360°だと元に戻りますがな(笑)
727愛知県民:2009/06/07(日) 21:47:24
あのー、360度誤認したら正しくなるんですが・・
728日本@名無史さん:2009/06/07(日) 21:48:19
北九州まで詳しく方角と距離を記しておいて最後にアバウトに水行十日陸行一月というんだから北九州からよほど遠いのだろう。
瀬戸内海なんかせいぜい3日だし、九州は小さすぎて話しにならない。
十日航海して陸を一月行ったらいくら古代でも関東くらいまで行かなきゃ話しにならない。
邪馬台国は関東でした(・∀・)ノ
729日本@名無史さん:2009/06/07(日) 21:49:27
>方向が違うのは朝鮮で発見された地図のように90°傾いているため。

発見された地図?
それひとつの地図だけで
90℃違うて言ってるの?そりゃ畿内説もひどいもんだ。

>統一され、国の行き来が容易になる
>江戸時代に伊能忠孝が緻密な地図を書くまでは、
>正確なものなどない。

いや、中国側の地図を聞いてるんですよ
730日本@名無史さん:2009/06/07(日) 21:54:22
>>720
投馬が出雲で帯方郡から水行20日
そこから丹波の宮津へ水行10日、陸行1月
方角は帯方から南という事で、距離の12000里は
遠方の国という解釈だよ。

距離の矛盾に関しては、後漢書ではペルシャやアレキサンドリア、
大月氏国も全て12000里前後だ、簡単に説明つくだろ。

九州説と同じで、あの行程だとどうとでも解釈できる。
731日本@名無史さん:2009/06/07(日) 21:54:51
>>729
おい、90℃は酷いぞ(笑)
寒いのか暑いのか知らんが酷い(笑)

古代の中国人が他の国の地形を
正確に描けたと?冗談は顔だけにしろや
732日本@名無史さん:2009/06/07(日) 22:01:15
邪馬台国は奈良県を考えて
いくら計算しても距離があわない。

不彌國まで10700里余 ここは現在のどこに当たる?
投馬國までの里数は何キロでどこ? そして不彌國〜投馬國まで何キロ?
邪馬壹國までの里数は何キロでそこ? そして投馬國〜邪馬壹國まで何キロ?
733日本@名無史さん:2009/06/07(日) 22:01:18
>>724
で、丹波のどの辺に上陸したの?
734日本@名無史さん:2009/06/07(日) 22:03:19
>>732
>>730
大月氏やペルシャが12000里なのを説明してくれよ。
735日本@名無史さん:2009/06/07(日) 22:08:23
>>730
韓は萬二千餘里じゃないから遠方の国じゃなかったと?
736日本@名無史さん:2009/06/07(日) 22:12:24
丹波、宮津の籠神社の系図によると、箸墓のモモソ姫が
卑弥呼の可能性があるからな。
出雲・丹波経由説は充分考えられるだろ。

モモソ姫の弟は瀬戸内海で鬼退治してる伝説がある位だから
瀬戸内海が安全上使えなかった可能性はある。
737日本@名無史さん:2009/06/07(日) 22:12:41
12000という値が遠方と解釈する理由はなに?
貴殿の頭の中だけの遠方であって、当時の人の考えじゃないよね?
738日本@名無史さん:2009/06/07(日) 22:14:12
>>736
どんな可能性があるの?
739日本@名無史さん:2009/06/07(日) 22:15:33
>>728
現代の感覚で考えてちゃ駄目でしょう。
古代の旅はけっこう時間がかかっている。

たとえば、景行天皇の場合は、18年3月に日向の児湯郡を出発。
小林市、人吉市を経て八代市に到着したのが5月1日。
6月3日に玉名。この後、阿蘇に行ったりするが、八女に到着したのが
7月7日。浮羽郡が8月。
大和に戻ったのは、なんと翌年の9月20日となっている。

まあ、巡幸ということでのんびりしていたのかもしれないが、それにしても
現代からは考えられないくらい時間がかかっている。

こういう風に考えると、水行十日あるいは水行二十日、陸行一月というのは
意外に短い距離だったかもしれない。
740日本@名無史さん:2009/06/07(日) 22:18:53
それだったら、アラレちゃんも鬼退治した話しがあったような?
もしかしたらモモソ姫はアラレちゃんで、弟はガッチャンかも?
そう考えると日本のアニメも捨てたもんじゃないなと。
741日本@名無史さん:2009/06/07(日) 22:24:36
水銀=丹=金
九州〜畿内〜東国他

わかりやすかろうもん
742日本@名無史さん:2009/06/07(日) 22:29:53
アハハ

(郡) → → → → → → → → → → → →
 ↓→                       ↓ 
 ↓→                       ↓
 ↓→                       ↓
 ↓→ (狗邪韓國)                 ↓
↓            ↓
     (對馬國)                 ↓
↓                   ↓
     (一大國)            ↓
↓                   ↓
     (末盧國)            ↓
       ↓→                  ↓
(伊都國) (女王國)
           (奴國)(不彌國)
                ↓
                ↓
              (投馬國)
                ↓
                ↓
                ↓
                ↓
              (邪馬壹國)
743日本@名無史さん:2009/06/07(日) 22:31:01
>>737
後漢書地理史は現代の人が書いたのかw

例えば朝鮮金剛山なんかだと、萬二千峰金剛山といわれるよ。
意味は12000の峰があるという事だろうが、勿論そんな事はない。
744日本@名無史さん:2009/06/07(日) 22:34:22
失敗
(郡) → → → → → → → → → → → →
 ↓→                       ↓
 ↓→                       ↓
 ↓→                       ↓
 ↓→ (狗邪韓國)                 ↓
  ↓                    ↓
(對馬國)                 ↓
↓                    ↓
     (一大國)             ↓
      ↓                    ↓
     (末盧國)             ↓
       ↓→                  ↓
(伊都國) (女王國)
         (奴國)(不彌國)
                ↓
                ↓
              (投馬國)
                ↓
                ↓
                ↓
                ↓
              (邪馬壹國)
745日本@名無史さん:2009/06/07(日) 22:38:20
セコセコ数字を計算したがるのは、
日本人の美点でもあり弱点でもあるな。
746日本@名無史さん:2009/06/07(日) 23:00:47
>>743

後漢書に書かれた萬二千里と、金剛山の12000の峰の整合性をどうするん?金剛山の名は華厳経からの引用といわれているし、
その事実も定かでない。
747日本@名無史さん:2009/06/07(日) 23:22:08
>>746
何の整合性だw
嘘八百や八百ハ丁のような表現だろ。

ちなみに檀石槐の領土も東西萬二千餘里だな。
遼東〜敦煌の直線距離で2700km。
こうなると多い、広大、遠いというしかないだろ。
748日本@名無史さん:2009/06/07(日) 23:26:26
>737
横レスだが、
730とか734とか735とかで考えてみると。

古代中国で、「万里の国」って概念があってだな。
中国皇帝の治める範囲が万里。
諸侯王の封土が千里の国。
中国に隣接する国までなら万里で、隣接しない遠方なら万二千里だった、
って程度の極めて曖昧な認識だったと考えたら不都合がない感じだな。
大月支国(アフガニスタンあたりかパキスタンあたりだっけ)とペルシャ(イラン)と
アレキサンドリア(エジプト)が全部万二千里となる理由は他に考えられんだろうな。
749日本@名無史さん:2009/06/07(日) 23:32:56
だから当時の距離の認識なんて、杓子定規に解明しようとすると
絶対無理があるんだよ。そこに伝聞等も混じるから
もう判断しようがない。あくまで参考程度で考えなきゃな。
750日本@名無史さん:2009/06/07(日) 23:41:41
だったら、大切なのは方角と日数だっていうことだな。方角を変えるなよ。
751日本@名無史さん:2009/06/07(日) 23:52:21
>>747
嘘八百や八百八丁のような表現と言われても、どんな表現何だか?
それと萬二千里がどう組合わさるの?
教えて?
752日本@名無史さん:2009/06/07(日) 23:53:39
>>748
誰が誰に対して不都合がないの?
753日本@名無史さん:2009/06/07(日) 23:55:41
卑弥呼の時代は、垂仁〜景行?
これ信用できる情報?

天皇 書紀の逝去の日 碑石の逝去の日 書紀の生存年
(120年加算修正後) 碑石の生存年

印惠命/崇神I 辛卯年 12月5日120歳 戊寅年 12月7日42歳 BC30〜AD90 AD157〜198

伊久米入日子/垂仁J 庚午年 7月10日140歳 庚午年 7月1日71歳 AD50〜190 AD180〜250

大帶日子命/景行K 庚午年 11月7日106歳 戊午年 11月7日86歳 AD144〜250 AD213〜298

若帶日子命/成務L 庚午年 6月11日107歳 庚午年 6月11日45歳 AD203〜310 AD266〜310

帶中日子命/仲哀M 庚辰年 2月5日 52歳 己卯年 3月15日52歳 AD268〜320 AD268〜319

小碓命/景行子、倭建命   癸巳年 5月12日39歳   AD235〜273

品陀和氣命/応神N   甲午年 9月9日75歳   AD320〜394
754日本@名無史さん:2009/06/07(日) 23:56:51
>>751
>嘘八百や八百八丁のような表現と言われても、どんな表現何だか?

眼の前にある箱で調べろ。
755日本@名無史さん:2009/06/07(日) 23:57:00
>>750
昔の人がさぁ、南々西に東北東に…とかわかると思う?
しかも伝聞。それに正確な地図もない。
方角がわかると思うか?
756日本@名無史さん:2009/06/08(月) 00:01:25
>>739
そんな近い場所ならばなぜ最後まで同じに距離と方位を記さなかたったの?
突然記述法を変えてるのは、そこから未知の全然違う場所だからでしょ?
なぜ変えるの?

巡行の日にちの話しはあなたが言うとおり参考にならない。段取りで違ってくるんだからね。
757日本@名無史さん:2009/06/08(月) 00:07:46
>>732
>>730
>距離の12000里は
遠方の国という解釈だよ。
>距離の矛盾に関しては、後漢書ではペルシャやアレキサンドリア、
大月氏国も全て12000里前後だ、簡単に説明つくだろ。

ダソウデス。
758日本@名無史さん:2009/06/08(月) 00:08:26
>>754
目の前にある箱で調べろって言われれば調べるが、結局説明出来ないから
箱で調べさせるんだろう?いい加減なもんだね。

>>745
でもさあ、全てが萬二千里ではなくて、萬千六百里なんて数字が出てくるんだからさ、その説明だけでは
めくらましにしかならないよね?
759日本@名無史さん:2009/06/08(月) 00:13:36
魏史倭人伝の地理なんか根拠にならないってこと。
やはり考古学的論証によるしかないということ。
考古学的見地からは邪馬台国は大和なんでしょ?
760日本@名無史さん:2009/06/08(月) 00:21:09
>>755
方位がわからなければ航海は絶対に無理
いや、帰れない
761日本@名無史さん:2009/06/08(月) 00:28:14
>>758
考古学的見地から邪馬台国って、表札でも見つけるのか?
邪馬台国って、文献の世界だよ
762日本@名無史さん:2009/06/08(月) 00:29:06
>>760
陸視しながら沿岸航路です。
763日本@名無史さん:2009/06/08(月) 00:30:47
>>755
昔の人だから分かるんだよ。今の人間は、地図があるからいちいち方向を確認しなくても
なんとかなる。
764日本@名無史さん:2009/06/08(月) 00:37:10
>>761
そんなこと言ったらトロイだってトゥロイジャとか。邪馬台国=大和国で十分です。
765日本@名無史さん:2009/06/08(月) 00:39:15
>>762
渡海は?
766日本@名無史さん:2009/06/08(月) 00:40:38
>>764
説明になってない。
767日本@名無史さん:2009/06/08(月) 00:40:40
>>763
そのとうりなら九州のはるか南西の海上にあるね。
距離的には沖縄に近い。
が沖縄は九州の西南だから方角がちがう。
また、陸行一月は九州では小さすぎて無理。
768日本@名無史さん:2009/06/08(月) 00:43:11
>>766
神奈川県大和市じゃないですか?
北九州から十日の航海と陸旅を一月なら北海道かもね。
769日本@名無史さん:2009/06/08(月) 00:48:03
>>767
隋書は南北3月行と書いているよ。これはどこのこと?
770日本@名無史さん:2009/06/08(月) 00:53:01
だから論理的に倭人伝の妥当性を見いだそうなんて無理
半分は実地調査、半分は伝聞記録
じゃないと歪めて倭人伝を解釈することになる
マキムクなら埋葬方法とか陸行1ヶ月と方角が違う
南九州なら距離が全然違う
北部九州なら伊都国も北部九州だから論外

トヨの貢ぎ物からすれば畿内が有力なんだけどな
771日本@名無史さん:2009/06/08(月) 00:53:40
水行10日陸行1月って関係ない話なんですけど・・・みなさん大丈夫ですか?!
772日本@名無史さん:2009/06/08(月) 00:58:50
>>770
>南九州なら距離が全然違う
どこがどう違うのかな? あなたが大和に合わせるために設定したスピードを
もとに判断しているだけじゃないかな? 倭人伝のどこに日数を距離に換算す
る基準が書いてあるのかな?
773日本@名無史さん:2009/06/08(月) 00:59:14
>>758
しかし邪馬台国や大月氏国、ペルシャその他がほぼ
同距離で記述されてるのは事実なんだから、
距離数字の整合性を求めるなら、これらの矛盾も
解決しないとダメでしょ。
唯一整合性がとれるとしたら、12000という距離は、
隣接しない遠方の国までの距離としか言いようが無い。
774日本@名無史さん:2009/06/08(月) 01:00:54
>>770
都合悪い所は伝聞記録か?
775日本@名無史さん:2009/06/08(月) 01:04:24
>>770
このバカチンがwww
776日本@名無史さん:2009/06/08(月) 01:07:37
>>773
12000という距離ばかり言うが、倭人伝は伊都国まででも10500としているんだよ。
そこから1500でいきなり具体的な意味を否定するのはおかしくないかな?
韓地の方4000や伊都国までの里数はどう説明するのかな?
777日本@名無史さん:2009/06/08(月) 01:07:58
>>772
苦しい言いわけにしか思えん。
そんなこと言ったら、北九州だけで陸行一年だろうが二年だろうがなんでも可能になる。
778日本@名無史さん:2009/06/08(月) 01:11:29
>>772
放射説は無理がありすぎる
投馬国も遠いのにわざわざ伊都国に戻って、また邪馬台国に向かうの?
あり得ない、あり得ない
更に
放射説を取るにしても
南九州、恐らく霧島連峰か?などの内陸部なんて痕跡すらない
そんなに人住めないし、痩せた土地で喰っていけない
神武でさへも放り投げた土地だ
大隅あたりなら狗奴国とは?って話になる
779日本@名無史さん:2009/06/08(月) 01:15:29
>>776
伊都まで10500なんて記述あるかい?

足して計算したらその数字になるだけだろ。
つまり12000という数字は∞的表現でいいと思うけどね。
780日本@名無史さん:2009/06/08(月) 01:16:09
>>777
北九州だけで陸行一年だ二年だと言えば非常識となるだろう。
しかし、九州の北から南まで3か月ならば非常識とは言えない。
十分に考えられる日数だ。
781日本@名無史さん:2009/06/08(月) 01:17:15
まあ九州説の松本清張なんかも一万二千里の距離については
「蛮夷朝貢国は王都より一万里以上外にあるのが建前」
七万戸と言う人口についても
「3・5・7と言う陽数=奇数を好む中国人の修辞」
とかでバッサリやっちゃってるんだがw

何故か方角だけは丸々鵜呑みって感じなんだよねえwww

それこそ魏使が朝夕に地平線の太陽を確認し
夜は北極星を探したみたいにwwwwwww

この九州説における「伝統」みたいなのは何処から来ているんだろう?wwwwwww
782日本@名無史さん:2009/06/08(月) 01:20:36
>>777
なんでも可能になるのは、勝手に方向を変えることだろう。

第二次世界大戦後、シベリアに連行された人は、どちらの方向に進んで
いるんだろう、ということばかり気にしていたらしい。
明らかに日本には向かっていない事を知り、落胆したとか。
方向は重要だよ。
783日本@名無史さん:2009/06/08(月) 01:23:24
今の時代でもコンパス無しに旅行者が川沿い、
山越えをしながら正確に方角を
得るなんて本当に困難なんだけどね。
784日本@名無史さん:2009/06/08(月) 01:23:55
>>778
行程記事が放射式だからって、使者がいちいち伊都国へ戻ってると思ってるのか?
そんな非常識な! 全然、分かってないんだな。
実際には、奴国から不弥国に回るとか、投馬国から邪馬台国へ回るとかするんだよ。
放射式はあくまでも伊都国から直行する場合を考えた説明、そんなことは当然の話だ。
785日本@名無史さん:2009/06/08(月) 01:32:20
>>779
万二千余里と書いた者は、計算してるんだよ。道里を計るにって書いているじゃないか。
786日本@名無史さん:2009/06/08(月) 01:35:15
>>784
そんな読み方をするほうが非常識だろが
仮に貴方の説がそうだとする
だったら
伊都国起点で投馬国や邪馬台国の説明をしたのなら
その目的は何か?
伊都国で駐留する普通の郡吏レベルの人たちの為にそうしたのか?
だったら邪馬台国に至る行程で、最初に上陸する地点も明記するはず
これは旅をするものにとっては重要
787日本@名無史さん:2009/06/08(月) 01:36:05
実際に投馬や邪馬台国まで行ってるなら最低距離記述はするよな。
それにあれだけの日時でな〜んも情景描写無しは有り得ないだろ。
途中草の背丈が凄いとかは書いてるくせにw

投馬や邪馬台国に関しては、やっぱり遠い国だったんだろう。
で、やっぱりざっくり帯方群から南にあるという記述説を採る。
788日本@名無史さん:2009/06/08(月) 01:39:49
方角にしても距離にしても畿内でないのはたしかだ
789日本@名無史さん:2009/06/08(月) 01:43:11
>>785
〜投馬〜邪馬台国までの数字が無い以上は
合計するという意味ではないだろ。

最終的にという意味で∞の数字が出ていて、
実際行って測ったわけではないという解釈ではないのかな?
790日本@名無史さん:2009/06/08(月) 01:43:25
>>788
畿内説が、倭人伝の里程・日程の記述をどう解釈しているのか聞きたいものだ。
もちろん、末盧国あたりからの行程を。
791日本@名無史さん:2009/06/08(月) 01:49:12
>>786
>伊都国起点で投馬国や邪馬台国の説明をしたのならその目的は何か?
そんなことが分からないのか? 次の使者は投馬国に行く必要はないかも知れん
じゃないか。それぞれの国へ直行したらこの程度の日数と書いておく方がわかり
やすいだろ。

>邪馬台国に至る行程で、最初に上陸する地点も明記するはず
そんなことは言えないな。どうせ倭人に案内して貰わなければ、どこで上陸するか
分かるわけはないんだ。次の使者だって当然案内してもらうんだよ。
792日本@名無史さん:2009/06/08(月) 01:49:29
>>782
陳寿が実際に倭に行ったわけじゃないから。
実際に行った人と陳寿の間に、いったい何人が介在したかわからない。
伝言ゲームの不確実性を考慮しなければ。
793日本@名無史さん:2009/06/08(月) 01:52:24
>>790
>>730で出してるよ。
伊都までの解釈は九州説と大差ないので略。
俺は鍵は投馬で、ここを出雲と解釈したいので、
必然的に巻向が邪馬台国。
794日本@名無史さん:2009/06/08(月) 01:59:44
>>793
投馬国よりも、伊都国、奴国、不弥国をどう考えているかということなのだが。
795日本@名無史さん:2009/06/08(月) 02:05:00
>>791
だから、旅をする人の為に放射説で書いたんだろ?
その放射説で記述したという目的が重要な意味を持っているわけで
旅をする人の為とするなら上陸地点の国は明記する
倭人に案内してもらうのなら尚更だよ
倭人伝で書かれたことが違うのなら新しいルートになるからな
796日本@名無史さん:2009/06/08(月) 02:08:09
情報の収集をしていながら
伊都国から邪馬台国への行程記述は、蓄積を目的としていないのは明らか

伝聞ですよ、この部分は
797日本@名無史さん:2009/06/08(月) 02:18:24
>>794
やっぱり伊都は前原、奴が博多、不弥が宇美じゃないかな。
798日本@名無史さん:2009/06/08(月) 02:21:19
九州のどこなのかをみんな悩んでるわけなんだろう、さっぱり検討がつかんよ
799日本@名無史さん:2009/06/08(月) 02:21:50
>>796
「倭王に拝仮し」とあるよ。これは直接倭王に会ったという意味だ。
だいたい、木の種類を知らない倭人から伝聞で木の種類を聞いたりすることはできない。
記事を読んだら、使者が邪馬台国を直接訪ねていることぐらい、分かりそうなものだが。
800日本@名無史さん:2009/06/08(月) 02:23:25
>>798
伊都国を怡土だなんて考えるから、分からなくなるんだよ。
倭人伝どおりに進んでみることだな。
801日本@名無史さん:2009/06/08(月) 02:28:13
>>799
倭王が邪馬台国から動かなかったとは書いてない
伊都国や不弥国で会った可能性もある
狗奴国が熊襲であると仮定して、そこと紛争をしていれば畿内であっても九州にいってる可能性は尚更に高い
802日本@名無史さん:2009/06/08(月) 02:29:40
>>801
その可能性は非常に高いと思われる
803邪馬台国はこれで決まり:2009/06/08(月) 02:31:51
帯方郡
↓ 南東7000餘里
└→狗耶韓國=慶尚南道
    ↓渡海1000餘里
   對馬國=対馬800餘里
    ↓渡海1000餘里
   一大國=壱岐600里
    ↓渡海1000餘里
   末盧國=唐津市鏡中原遺跡
     └→┐東南500餘里       東100餘里
      伊都國=佐賀市大和惣座遺跡→→不彌國=吉野ヶ里遺跡〜帯方郡12000餘里
        └┐東南100餘里        0里|接境界    0里|接境界…境界線は東から西に流れる筑後川
   佐賀城=奴國  水行20日帯方郡〜投馬國=大川市郷原 邪馬壹國=久留米市南部〜帯方郡水行10日陸行1月
                            0里|接境界    0里|接境界…境界線は現在の福岡熊本県境とほぼ同じ
                            狗奴國・・狗奴國・・狗奴國=山鹿市保田東原遺跡
道程は帯方郡から不彌國迄の矢印部分。動詞がある行程。
非道程は、奴國へ、投馬國へ、邪馬壹國へと狗奴國への矢印の無い部分。動詞が無い行程。
804日本@名無史さん:2009/06/08(月) 02:32:37
>>799
そうか?伝聞でかける内容に見えるけど。

風土については伊都周辺の状況を記しただけにも読めるし。
やっぱり邪馬台国への移動描写が抜け落ちてるのは絶対変。
対馬を渡る描写なんか頻繁にあるのだから
細かな描写は要らないだろ?
というか頻繁だから描けるのかもしれないが。
805邪馬台国はこれで決まり:2009/06/08(月) 02:33:08
魏志倭人傳 [隋書俀國傳] 地図
〜〜一大國┃◎┃↓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵∵∵┃〜〜〜[十餘國]:伊都國〜投馬國・近隣餘旁國の後継国
〜 [一支國]┗━┛↓〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵∵∵∵┃〜〜〜[秦王國]:唐津市浜玉
〜〜〜〜〜〜〜〜↓〜〜〜┏━┓〜〜┏┛∵∵∵∵∵∵┗┓〜〜
〜〜〜〜〜┏┯┓↓〜〜┏┛∵┗━━┛∵∵倭28ヶ国∵∵┗┓〜倭in倭地:今譯所通28國(狗邪韓國・對馬國・狗奴國 除く)
〜〜〜〜〜┃│┃↓〜┏┛(餘旁國) ◇博多∵∵∵∵∵∵∵∵┗━
〜〜〜〜〜┃│┗↓━[秦王國] ∵∵∵大宰府∵∵∵∵∵∵∵∵∵郡⇔不彌國(女王國):12000餘里
〜〜┏━━┛│∵◎→◇→→┐∵∵∵∵◇倭京∵∵∵∵∵∵∵∵郡⇔邪馬壹國:水行10日と陸行1月(倭地韓地陸行)
〜〜┗┓∵∵│末盧國∵∵∵↓[十餘國] ∵∵∵∵(餘旁國) ∵∵∵郡⇔投馬國:水行20日(天草灘・五島・済州島経由)
〜〜〜┃倭∵│[竹斯國] ∵∵↓∵不彌國∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵●印:女王國メンバー国 範囲(浮羽-白石-大牟田-筑紫野)
〜〜〜┃∵非└┐∵∵伊都國◎→→●┐∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵末盧國:唐津鏡中原遺跡
〜〜〜┗┓∵28└┐∵∵∵∵└┐┏┓├●邪馬壹國[邪靡堆] ∵∵伊都國:惣座遺跡(肥前國庁跡)
〜〜┏┓┗━┓ ヶ└┐∵∵奴國●┃┃│∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵奴  國:佐賀城
〜┏┛┗┓〜┃∵國└┐┏━━━┛●┘投馬國∵∵∵∵∵∵∵∵不彌國:吉野ヶ里遺跡
〜┃∵∵┃〜┗┓∵地└┨〜〜〜〜┃∵∵┌─────────投馬國:大川市郷原
〜┃∵∵┃〜〜┃∵∵域┃有明海〜┃┌─┘∵∵∵∵∵∵∵∵∵邪馬壹國:久留米市南部
〜┗┓∵┗┓〜┃┏━━┛〜〜〜〜┠┘∵∵◎狗奴國∵∵∵∵∵狗奴國:保田東原遺跡
806日本@名無史さん:2009/06/08(月) 02:33:24
金印を見つけてオークションに出したら、いくら値をつけるかが邪馬台国をみつける近道だろう
807日本@名無史さん:2009/06/08(月) 02:39:49
さすがに九州だけで納めようとするのはもう無理だな。
808日本@名無史さん:2009/06/08(月) 02:48:19

◆邪馬台国も卑弥呼も、中国人の聞き違いだろ!

◆ヤマト国と日の巫女の?
只それだけなのに!

809日本@名無史さん:2009/06/08(月) 03:01:50
>>808
ふふふwww

山の大国の日の巫女

邪馬台国の卑弥呼

これで九州が本丸だと皆気付いただろうwww

「の」をとれば、山大国の日巫女

背振山である事がわかるwww
810日本@名無史さん:2009/06/08(月) 03:16:18
811日本@名無史さん:2009/06/08(月) 03:28:08
>>809

ふふふwww

日本人の誰1人として伝えなかった真実なのね!
おめでとうさん。



812日本@名無史さん:2009/06/08(月) 04:22:55
途中まで方角と距離をきちんと書いておいて、最後に邪馬台国までが無いのはおかしい。
方角と距離が書かれた最後の地点から遥か遠くの、使者の知らない場所に決まってる。
北九州から十日の航海と一月の陸旅の場所。
九州じゃ小さすぎて無理。
岩手か青森だと思うが。
ま、百歩譲って関東。神奈川県大和市じゃないですか?
813日本@名無史さん:2009/06/08(月) 07:38:55
まるで小学校での授業風景だな。
814日本@名無史さん:2009/06/08(月) 08:19:24
>>801
>狗奴国が熊襲であると仮定して、そこと紛争をしていれば畿内であっても九州に
>いってる可能性は尚更に高い
畿内説もいよいろ南九州説を認めざるをえなくなってきたということか。
使者が訪ねたのは南九州、そこが理解できればほめてやるよ。


815日本@名無史さん:2009/06/08(月) 08:33:28
ヤマトの国のヒノミコ=卑弥呼だろ、
つまり丹後宮津、日女命、箸墓のモモソ姫の事だよ。
箸墓のモモソ姫=大市、邪馬壱国と表記された場合でも説明がつく。
816日本@名無史さん:2009/06/08(月) 08:55:33
ヤマトはヤマトヨの国も知れないな。
817日本@名無史さん:2009/06/08(月) 10:11:20
>>812
南至邪馬台国・・水行10日陸行1月、きちんと書いてあるじゃないか。日数にしたのは当然
正確な里数がよく分からなかったからだろう。
それより、方角が南だけ、あれこれ複雑なことが書いてないということは重要だ。
コースが単純で書く必要がなかったからだろう。瀬戸内海コースならばこうはいかない。
818日本@名無史さん:2009/06/08(月) 12:34:46
南九州説論者に聞きたいんだが
なんで流れが逆の海流を遡る必要がある?
九州を南下するなら、陸路が普通だろ。
819日本@名無史さん:2009/06/08(月) 12:43:00
>>818
それは東側回りのときの話だろ。西側、つまり有明海を南下すれば海流に逆らわ
ないで水行できるよ。
820日本@名無史さん:2009/06/08(月) 12:56:58
>>819
黒潮が有明に入り込む海域だろ?結構荒れるぜ?
821日本@名無史さん:2009/06/08(月) 13:19:36
>>820
そんなことはないな。ただ、満ち引きとの関係で、水行できる時間帯が限定される。
日数の割には水行距離が伸びないんだ。「まぼろしの邪馬台国」でも読んでみな。
そのへんの事情が書かれている。
822日本@名無史さん:2009/06/08(月) 13:23:11
方角を墨守するなら、会稽東冶の東を無視してはいけないと思うんだが。
823日本@名無史さん:2009/06/08(月) 13:43:17
伊都で一旦リセットされてるのだから、
投馬と邪馬台国は魏(帯方)方面からの方角と解釈すればいいんだよ。
つまりそのまま南へ向かえばって事になる。
824日本@名無史さん:2009/06/08(月) 13:59:34
>>822
もちろん、無視してはいけない、きちんと考えるべきです。
ただ、使者たちにしたって、郡からどの程度南へ下ったか、それを計算して
女王国が中国のどの辺の東にくるのかを推測しているのです。難しい推測で
すから現代の地図と比べた場合に、ずれがあることは仕方がないことです。
ずれがあるからといって、倭人伝は信用できないなどと結論すべきものでは
ありません。
825日本@名無史さん:2009/06/08(月) 14:01:16
>>822
「まさにかつて会稽郡下にあった東治から、東に所在するところの女王国間の
 道程に相当するといえるだろう。」この文章が何か意味があるのかね?
この文章は中国夏王朝の第6代皇帝少康の子が会稽に封ぜられた時のことを
たとえ話で書いているだけだが。
826日本@名無史さん:2009/06/08(月) 15:36:05
九州は厳しいね。
宮崎も熊本も港から陸行一月で比定出来なくなる。
827日本@名無史さん:2009/06/08(月) 15:49:36
冬生菜が食えない畿内だけは除外して考えよう
828日本@名無史さん:2009/06/08(月) 15:51:11
北部九州は寒いですよw
829日本@名無史さん:2009/06/08(月) 15:54:07
>>820
ちょっとくらい地図を見てから書き込んだほうがいいな。
有明海や八代海(不知火海)は、内海で波はほとんどない。
潮の満ち干きは激しいが、潮の流れもない。もちろん風の影響は受けるが。

一度、風の強い日に、熊本→島原のフェリーに乗ったが、非常に快適だった。
外海と比べたら天国と地獄。

唐津から東南に陸行して、ちょっと移動して南に水行となれば、有明海が
普通じゃなかろうか。一度、有明海ではなかろうかと思えば、他の経路は
どう考えてもありえないということになってしまう。
830日本@名無史さん:2009/06/08(月) 16:01:12
伊都国は、倭人伝どおり進めば、佐賀市付近です。それで、畿内説は即死。方角が
合わないこと、陸行一月が説明できないこと、温暖でもないこと、これらはすべて
当然の話だったのですね。
佐賀市付近から南水行、10日で八代付近。ここで上陸して陸行一月、邪馬台国は
都城ですね。ちゃんと比定できましたね。
都城というところは、考えてみれば、佐賀市付近から有明海を南下していくこのコ
ースが最短日数で行けるんですね。ほかのコースは必ずこのコースよりも日数がか
かります。倭人伝が伝えるところは合理的なんですよ。
831doontakuka:2009/06/08(月) 16:05:04
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Osiris_N5109_mp3h8830.jpg
の、男王Osiris は、北緯45度。
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Isis_E17495_mp3h9205.jpg
の、女王Isis は、北緯39度。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7e/Jewel_Osiris_family_E6204_mp3h9199.jpg
の 中央は男王Osiris、向かって右がIsis。
じゃ〜〜左はだ〜れ!
Thot でしょう。鳥神ですよ。
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Louvre-egyptologie-babouin-thot.jpg
が、thot
ある時は猿、ある時は鳥、亦ある時犬の顔を持っているらしい。
まるで、桃太郎の家来ですね。

倭迹迹日百襲媛命の迹迹はthotでしょう。
倭迹迹日百襲媛命は何世まで続いたのでしょうかね。
その集大成が箸墓でしょうね。
だから、Ha-si 墓と呼ばれている。
Ha-siとは或る意味では何かを入れる器のことさ。
832日本@名無史さん:2009/06/08(月) 16:06:14
いや南部九州でも冬に青菜は食えない。
833日本@名無史さん:2009/06/08(月) 16:10:10
冬に青物を食べようとしたら沖縄くらいまで行かないと無理だろ。
ビニールハウスを使えば別だが。
834日本@名無史さん:2009/06/08(月) 16:15:29
南九州というと、青銅器がでないもんだから、皆、文化が遅れていたのでは、って
思ってますね。しかし、そんなことはありません。青銅器はない代わり、実質的な
鉄はある程度入手していました。それに、弥生時代後期、花弁状住居、櫛形文土器
などによる日向文化圏を作っていましたね。文化的にはかなり進んでいたんです。
中国南部と通交があったのでしょうね。ですから、玉璧などで明らかなとおり、中
国から王侯として遇せられていた人物もいた。
倭人伝にも書いてありますね。中国へ行くときに持衰に安全を祈らせたという話が。
それも南九州だからですよ。近畿から中国へ行くことはできない、北九州からならば
持衰など必要がない、分かるでしょ?
835日本@名無史さん:2009/06/08(月) 16:15:38
佐賀から水行10日で八代?
精神を患ってるとしか思えない。



836日本@名無史さん:2009/06/08(月) 16:21:07
北部九州というより、福岡県に隣接している佐賀〜熊本が、
格段に南国的。鹿児島はむしろ寒い。
837日本@名無史さん:2009/06/08(月) 16:26:38
鹿児島が寒いとか言ってる奴は日本人じゃないから気にするな
838日本@名無史さん:2009/06/08(月) 16:29:04
>>835
その言葉は、北九州でうろうろして出ない連中に言ってやってください。
839日本@名無史さん:2009/06/08(月) 16:35:26
>>830
伊都自体が大きな国だとしたら、
佐賀付近も前原も伊都国だったとも解釈できるのですよw
もっと頭を柔軟に使いましょう。
840日本@名無史さん:2009/06/08(月) 16:44:58
>>830
だったら投馬国はどこなの?
併せて狗奴国も教えてね。
841日本@名無史さん:2009/06/08(月) 16:46:49
>>839
もちろん、それはそうでしょう。私が言っているのは、倭人伝に書かれている伊都国
すなわち、使者が訪ねた所がどこかです。
南九州説をとるということは、北九州は奴国、伊都国、末廬国、不彌国ぐらいしかな
かったとみることになります。一つの国をだいぶ大きく考えるのですね。
つまり、倭国30国で基本的に九州全部が埋まる、空白はないものと考えます。厳密
に言えば今の北九州市付近は奴国ではない、出雲系の別の国があったのかも知れない
と考えたりしますがね。
前原が伊都国の領域に含まれるとしても、使者は前原には行っていません。前原ならば
下船して歩く必要はないのです。しかも、投馬国や邪馬台国は南。前原に行ったのでは
南とはまったく無関係な方向に進んでいることになります。そんな無駄な動きはしない
でしょう。
842日本@名無史さん:2009/06/08(月) 16:55:16
>>840
投馬国は水行20日、八代までの距離の倍になりますね。となれば、川内が考えられます。
後の薩摩国府が置かれた地。不足はないでしょう。「さつま」と「つま」何か関係がある
かも知れませんね。
狗奴国は、邪馬台国よりも南のはず。志布志湾沿岸だと思いますね。
卑弥呼と対立していたからといって、大国だと考えてはいけません。官は一人、戸数
道里も記載なし。そう大きな国とは思えません。



843日本@名無史さん:2009/06/08(月) 17:01:58
この冬は氷点下7℃くらいまで下がったことが何度かあったけど、
家庭菜園の小松菜や大根、春菊なんかずっと採れたよ。
葉っぱが凍っても、数日で新しい葉が出てきた。びっくりした。
こんなに寒くても、真冬に生菜食えるぜ。
ちなみに九州在住だけど、むかし近畿に住んでいた時より寒い。
844日本@名無史さん:2009/06/08(月) 17:06:35
>>841
だから伊都周辺を視察してまわったと考えてます。
それに投馬、邪馬台国に関しては伝聞情報だと考えてるので、
この場合方角に関しては別に起点が伊都ではなくても
良いと考えてますから。
つまり魏、帯群方郡からの視点で南という捉え方ですね。
845日本@名無史さん:2009/06/08(月) 17:06:38
>>842
隼人やクマソはどこに住めば良いんですか(笑)
846日本@名無史さん:2009/06/08(月) 17:34:53
近畿在住ですけど、むかし九州に住んでた時よりも寒い
847日本@名無史さん:2009/06/08(月) 17:53:48
>>843>>846
お互い歳をとったんだろ
848日本@名無史さん:2009/06/08(月) 18:02:51

小学生の時分は真冬でもナマ足の半ズボンで通したものじゃったが・・・・

今はもう、すでに6月に入ったというのに・・・・ゴ、ゴホゴホッ・・・・
849日本@名無史さん:2009/06/08(月) 18:05:11
だから、沖縄なら別だが、九州と近畿でそれほどの差はない。

1月〜12月 月別最低気温
那覇 14.3 14.3 16.2 18.9 21.5 24.6 26.4 26.1 25.1 22.7 19.5 16.1
宮崎 2.6 3.4 6.9 11.4 15.2 19.6 23.6 23.7 20.6 14.9 9.5 4.3
福岡 3.2 3.5 6.1 10.7 15 19.4 24 24.5 20.6 14.7 9.6 5.2
大阪 2.5 2.5 5.2 10.5 15.2 19.8 24 25.1 21.1 15 9.5 4.7
奈良 2 2 5 9 13 18 21 23 20 14 9 5
850日本@名無史さん:2009/06/08(月) 18:10:20
実際は東京と大阪の違いくらいの差でしかない。
曇天だったり、高気圧が張り出したりで変わってしまう。
851日本@名無史さん:2009/06/08(月) 18:15:11
畿内では毛皮を着込んでるときに宮崎は半裸に近いとか、
生野菜が食べられるとかは頭の中のイメージでしかないの。
852日本@名無史さん:2009/06/08(月) 18:25:23
>>842
投馬国の戸数はいくらだと書いてた?
853日本@名無史さん:2009/06/08(月) 19:00:43
倭人伝のどこに冬夏生野菜を食す、とかいてあるのか。
冬夏生菜を食す、とはかいてあるが。
菜とは日本でいえばおかずのことである。つまり、刺身とか生のおかずだということである。
854日本@名無史さん:2009/06/08(月) 20:00:05
生菜は野菜のことと大漢和に出ている。
だったら生野菜でもなく生のおかずでもなく、野菜。
つまり、煮た野菜も生菜。
855日本@名無史さん:2009/06/08(月) 21:04:13
卑弥呼は魏に朝貢してた
みたいだから
今で言う民主の小沢、鳩山みたいなもんだろ
マイノリティーだが中国に協力的で都合のいい存在
どこの国も他国へ行く時は
協力的で都合のいい人間を頼るだろ
856日本@名無史さん:2009/06/08(月) 21:20:35
>>854
漬物かも。奈良時代にはもうすでにあったみたいだし。
857日本@名無史さん:2009/06/08(月) 21:55:58
>>845
隼人とクマソを別と考えているのですか? どうやって区別するのです?

>>852
5万ということが何か?


858日本@名無史さん:2009/06/08(月) 22:02:44
>>849
数字がどうかはともかく、実際に住んだら宮崎の冬は温暖だ。
859日本@名無史さん:2009/06/08(月) 22:03:52
>>849

奈良と、佐賀・熊本の比較なんだが。
860日本@名無史さん:2009/06/08(月) 22:16:51
箸墓古墳:「卑弥呼の墓」検証 波紋を呼ぶ歴博発表 懸念される数値の独り歩き
http://mainichi.jp/enta/art/news/20090608dde018040055000c.html
861日本@名無史さん:2009/06/08(月) 22:52:57
>>858
数字が物語ってる。
日本中、温暖湿潤気候です。大差なし。
862日本@名無史さん:2009/06/08(月) 23:23:27
>>854じゃあ、新福菜館といったら、サラダ専門の料理屋か?
863日本@名無史さん:2009/06/08(月) 23:49:55
>>857
奴国が2万だよね
実際の数値はともかく、奴国の倍以上の規模ではあったわけだ、川内にね
864日本@名無史さん:2009/06/09(火) 00:14:06
畿内派のこじつけはすごいな〜南の方が暖かいに決まってるだろう。畿内派はめちゃくちゃだな。
865日本@名無史さん:2009/06/09(火) 00:26:12
>>863
考え方ですよ。>>841を読んでね。投馬国は少なくとも薩摩全体と考えます。その薩摩の
都が川内というだけのことですね。奴国の2倍、3倍の広さを考えれば、戸数5万であろ
うと何も不思議はありません。
866日本@名無史さん:2009/06/09(火) 00:37:53
>>865
薩摩と言っても、もちろん狗奴国は除外してるんだよね?
全然不思議なことを言ってるように思えますよ。
867日本@名無史さん:2009/06/09(火) 00:41:53
>>863
>実際の数値はともかく、奴国の倍以上の規模ではあったわけだ

2万、5万、7万という実際の数値が信憑性に欠けるというのであれば
その2:5;7という比率に何ら信憑性は無い筈だ。
いや、比率だけは信憑性があるのだ、などという論理は、成り立つ筈がない。
戸数に関しては、信憑性を欠いているから何も分からない、よって国の大きさの
比較もできない、と言わなければならない。
868日本@名無史さん:2009/06/09(火) 00:46:51
>>866
>>842は読まれたかな? 狗奴国は志布志湾沿岸の小国。投馬国には何の関係も
ないといってよいのですよ。
869日本@名無史さん:2009/06/09(火) 01:31:49
>>868
その考え方で九州内に30国も収まるの?
870日本@名無史さん:2009/06/09(火) 01:32:57
>>868
投馬国ってのは志布志以外の薩摩ってこと?
で、真上でも都城に押さえられてるんだ
もちろん船で海上封鎖も簡単に出来るよね?
仮に戦争して何日持つの?
その狗奴国は?
871日本@名無史さん:2009/06/09(火) 09:49:12
志布志ってのは薩摩じゃないんだよ。日向か大隅だ。
狗奴国が小国ってことは、邪馬台国勢力の敵ではないということ。戦いになれば簡単に決着
がつく話なんだ。しかし、狗奴国も魏への朝貢国(だから魏のいうことはきく)。朝貢国同
士が戦うことはタブー。卑弥呼が郡へ状況報告をしたのは狗奴国を討伐することも視野にい
れた根回しと考えるべきだろうな。
872日本@名無史さん:2009/06/09(火) 10:47:04
>>869
投馬国、邪馬台国のほかは旁国、すなわち小国ですから、何も問題はないと思い
ますが。何を疑問と考えておられるのかな。
873日本@名無史さん:2009/06/09(火) 10:55:36
張政の行動をみると簡単に潰せるような小国にも思えないけど。
874doontakuka:2009/06/09(火) 11:47:18
卑弥呼の鏡の下絵は、
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/59/Egypte_louvre_041.jpg
だ。
BC525年頃のエジプトのデザインが700年遅れて列島に到達したのだろう。
875doontakuka:2009/06/09(火) 12:05:51
「青龍三年」方格規矩四神鏡(2号鏡)
も、
エジプト出土の土器の文様が内外反転している。
鏡だからねそうなるのさ。
列島も南北が反転されて記述されていることに気がつけば、投馬国は畿内であると気がつくでしょう。^^;

鏡の文化の時代軸で描写された日本列島だからね。そうなるの。
876doontakuka:2009/06/09(火) 12:09:06
忘れ物!

「青龍三年」方格規矩四神鏡(2号鏡)
http://www.tcn.zaq.ne.jp/meiyoh2/amamiyayama/photo/kagamiG.jpg
877日本@名無史さん:2009/06/09(火) 12:33:27
俺が卑弥呼って事でおk
878日本@名無史さん:2009/06/09(火) 14:11:40
>>862
小学館 中日辞典
菜 1、野菜 2、アブラナ 3、おかず、料理
879日本@名無史さん:2009/06/09(火) 14:28:23
>>861
宮崎平野から大隅にかけての太平洋沿岸部では、冬でもほとんど積雪はない
つうか冬場に一度行ってみれば、近畿と愕然とするくらい違うのが一発で分かるが
夏は比較的涼しく冬は暖かいのが宮崎や大隅
880日本@名無史さん:2009/06/09(火) 14:51:49
生菜は、加熱調理などをしない菜。
冬は九州しかありえない。
881邪馬台国はこれで決まり:2009/06/09(火) 15:48:59
>>880
>生菜は、加熱調理などをしない菜。
>冬は九州しかありえない。

冬は九州でも有明海沿岸しかありえない。

邪馬台国は有明海沿岸にあること間違いなし。
882日本@名無史さん:2009/06/09(火) 15:51:19
温暖だとか冬でも生菜を食すというのは倭の地についての記述であって邪馬台国の記述じゃない
真珠・青玉・丹を産出するというのも倭の地の記述だ
倭の地の範囲を示しても邪馬台国の場所を特定する記述ではない
883日本@名無史さん:2009/06/09(火) 15:57:08
意図的にでっち上げ南方誘導やってんだろw
884日本@名無史さん:2009/06/09(火) 15:57:50
教育テレビの高校日本史新しくなったか?
ありさ出てないし
885日本@名無史さん:2009/06/09(火) 16:10:27
>>882
頭を絞って考えたんだろうが、その屁理屈は通らないな。
使者は倭人が生菜を食するのを見て書いたんだよ。行かない所の情景
を書けるわけはない。
886日本@名無史さん:2009/06/09(火) 16:13:56
沖縄ならまだしも、九州でも冬に裸足は厳しいだろう。
倭地温暖というのも、どこまで信用していいのやら。
海南島と風俗がおなじとか、緯度的に考えて畿内はおろか九州もおかしい。
あきらかに九州よりずっと南方の国の様子を記述してる。
887日本@名無史さん:2009/06/09(火) 16:17:48
>>885
使者の知ってる倭国が邪馬台国だけなのか
伊都国も奴国もその他倭人伝の国は全部倭国だ
そういった使者が通った地を含めて見聞した傾向として倭の地の特徴として記述したのが当該箇所
邪馬台国の特徴として記述した箇所ではない
888日本@名無史さん:2009/06/09(火) 16:24:47
>>887
読み方が分かってないな。当該箇所は倭の地全体の特徴ではない。
女王国の特徴だ。
889日本@名無史さん:2009/06/09(火) 16:28:53
>>886
はぁー?北部九州の小学生は冬でも半袖半ズボンに裸足の子は沢山いますがwww
890日本@名無史さん:2009/06/09(火) 16:32:41
>>888
記憶で書かずにちゃんと原文あたれ
「倭地温暖冬夏食生菜〜」
主語は女王国でも其国でもなく倭地だ
891日本@名無史さん:2009/06/09(火) 16:34:50
俺も九州だけど一年中タンクトップで過ごしてる、大阪に友達が転勤になって冬に遊びに行く話してたら、タンクトップだけじゃこっちは寒いぞと言われた。
892ローガン:2009/06/09(火) 16:36:18
>>879

> 夏は比較的涼しく冬は暖かいのが宮崎や大隅

いいところ ですね
893邪馬台国はこれで決まり:2009/06/09(火) 16:47:28
>>882,>>885,>>887

正確を期すと、

生菜は、加熱調理などをしない菜。
冬は九州でも有明海沿岸しかありえない。

女王國は有明海沿岸にあること間違いなし。

倭ではない、女王國だ。
書かれている内容は、
魏志倭人伝ではなく、魏志女王國伝だ。
894日本@名無史さん:2009/06/09(火) 16:57:49
> 正確を期すと、
(中略)
> 魏志倭人伝ではなく、魏志女王國伝だ。

自説のために「正確を期す」と原資料まで書き換えることになるんですね
895日本@名無史さん:2009/06/09(火) 17:13:36
近畿なんか余りの暑さに嫌気がさすよ、暑すぎて家いらないから公園で過ごしてるが、秋から冬にかけてが1番快適、暑いのなんのって裸で過ごすし1年中水で頭洗ってる
896邪馬台国はこれで決まり:2009/06/09(火) 17:20:44
魏志倭人伝の内容は、基本的に女王國について書かれている。

「倭地温暖冬夏食生菜〜」
  ↓
「女王國温暖冬夏食生菜〜」
897日本@名無史さん:2009/06/09(火) 17:50:09
>>895
痩せ我慢の浮浪者かよWWWWW
898ローガン:2009/06/09(火) 17:57:13
どっちみち、北朝鮮よりぬくいでしょ?
生菜…干し柿、奈良漬け、柿の葉寿司、とか 駄目?
899日本@名無史さん:2009/06/09(火) 18:07:10
>>891
普通の神経してれば、九州だってタンクトップじゃ寒いぞ。
俺も九州だが、この冬は着ぶくれしてた。
900日本@名無史さん:2009/06/09(火) 18:18:46
俺も九州だけど12月いっぱいまではTシャツで楽勝やん。
901日本@名無史さん:2009/06/09(火) 20:08:55
九州は台風直撃

奈良は台風が来ても山で助けられて
大雨になりにくい。
902日本@名無史さん:2009/06/09(火) 20:51:38
俺も九州だけど暑過ぎて1年中ちんこ丸出し
903日本@名無史さん:2009/06/09(火) 21:08:35
>>901
馬鹿すぎ
904日本@名無史さん:2009/06/09(火) 21:25:28
邪馬台国は、大雨による洪水や土砂崩れによって、土砂の下に埋もれてし
まったため発見されないというのが真相ではないでしょうか。
巻向は、発掘調査が進んでいるにもかかわらず、邪馬台国と同時代の遺跡
跡があったというだけで、石碑などの決定的な証拠は何も見つかっていませ
ん。それはむしろ、邪馬台国でなかった証拠のような気がします。
邪馬台国があったのではないか推定される地域の地層を調査して、邪馬台
国の時代の地層まで掘り返してみないと、結局、何も見つからないと思い
ます。その点、過疎地だらけの佐賀平野は不利です。
905日本@名無史さん:2009/06/09(火) 21:43:20
>>904
矛盾(笑)
906日本@名無史さん:2009/06/09(火) 21:46:27
>>903
地元民だが、
台風が奈良を避けるのは本当。
大阪が台風の影響で大雨洪水警報でも、
奈良はドンヨリ曇ってるだけだったりする。
そのせいで、学校が休みにならなかったものだ。
907日本@名無史さん:2009/06/09(火) 21:52:11
>>901
台風が来ても山で助けられる事を、何で知った?


>>906
台風が奈良を避けるのを何で知った?
908日本@名無史さん:2009/06/09(火) 21:55:07
メタボは真冬の旭川でもTシャツ、額に汗だろ?
909日本@名無史さん:2009/06/09(火) 22:17:03
>>907
聞く前に地図を見ろよ
奈良盆地の南に何がある?紀伊の山々がないか?

山や太陽を神とした理由がわかるだろ?
910日本@名無史さん:2009/06/09(火) 22:26:38
>>909何をトンチンカンな

古代の人がどうやって台風の接近を知り、奈良の南の山が台風の進路を逸らす様子を知るのか?
また、奈良よりも九州の方が台風が近付きやすい事をどのように知るのか?

当時の人に地図を見ろと、誇らしげに言うのか?


少しは考えろ。
911日本@名無史さん:2009/06/09(火) 22:49:05
>>910
なぜ、奈良や京都に都を遷都したのか
わからないのか君は(笑)

古代の人間を馬鹿にしてるだろ
912日本@名無史さん:2009/06/09(火) 22:52:06
>>911
関係ない話しでごまかさない。
913日本@名無史さん:2009/06/09(火) 22:53:34
はぁ?関係あるだろ
914日本@名無史さん:2009/06/09(火) 22:56:09
弥生以前から長く暮らしてるんだぜ。
奈良に災害が少ないことぐらいわかるだろ。
915日本@名無史さん:2009/06/09(火) 23:01:09
素戔嗚の高天原で暴れ回った話って台風被害そのものだなw
916日本@名無史さん:2009/06/09(火) 23:01:19
>>913
では、どう関係あるのか説明してもらおう


>>914
奈良に災害が少ないとする比較は、何処と比較してそう感じるのかね?
弥生人は九州と、統計調査の協力関係だったのか?
917日本@名無史さん:2009/06/09(火) 23:05:43
奈良に台風被害がないってことは、高天原は奈良じゃないな。
紀伊半島や宮崎みたいな台風の通り道にあった可能性大。
918日本@名無史さん:2009/06/09(火) 23:10:38
奈良盆地には何があったのか?
弥生人が必要とする米作りに適した平野は狭い。
秦人が養蚕をするのに必要な桑畑を作るのに適した土地が広がっていたのだ。
それがわかれば、畿内に住み着いたのは、卑弥呼とは別の民族。渡来人だった
ことわかると思う。
919日本@名無史さん:2009/06/09(火) 23:11:31
>>916
九州の台風災害は毎年。

奈良の台風災害は10年に一回有るか無いか。

920日本@名無史さん:2009/06/09(火) 23:17:47
まず,邪馬台国への “旅” の出発点は,帯方郡だ.
これは『魏志倭人伝』の冒頭に「倭人在 帯方 東南大海之中」と書いてある.
この『帯方郡』は,ソウルの近辺にあった.

『帯方郡』から女王國まで,12,000里. この旅の途中には…,
「対馬国」や「末盧國」(松浦)があり,いかにも日本列島への “旅” と思ってしまう.
ところが,この “常識”,完全な誤りなのだ.

中国の歴史書には…,
「百済は遼西に都した.そこは帯方郡の故地であった」 という記述が多数ある.
これは『帯方郡』が,朝鮮半島のソウル近辺ではなく,『遼西』にあったということだ.

すると,どういうことになるか?
『遼西』にあった『帯方郡』から『魏志倭人伝』にしたがって『邪馬台国』を目指すと,
決して日本列島に到着することはない.せいぜいソウル近辺までしか到達しない.
つまり,『邪馬台国』は日本列島に存在した国ではないのだ.

どこに『邪馬台国』はあったのか?
江戸時代から日本人は,九州だ畿内だと論争し,発掘し,探しつづけてきた.
しかし,見つからない.当たり前である.ないものは見つからないのだ.
921日本@名無史さん:2009/06/09(火) 23:17:58
>>918
葛城のはんだごう米、知らないの?
奈良時代以前からの献上米で
今も天皇に献上してる米。
あと、奈良盆地は昔は湖だよ
湖の南は橿原、東は三輪、西は葛城。
922日本@名無史さん:2009/06/09(火) 23:25:08
>>920
何を言ってるのかな?
帯方郡の故地って言ったら、それは帯方郡ではないだろが。
923日本@名無史さん:2009/06/09(火) 23:26:20
>>919
自分の言ってる事、理解出来ていますか?

九州の毎年と、奈良の10年に一回を
当時どのように比較するのか?
それとも何か?
当時の気象庁が、毎日過去のデーターをネット配信していたの?
924日本@名無史さん:2009/06/09(火) 23:30:43
>>921
湖か。道里で、人が住んでた跡がみつからないと思った。
「湖のほとりの風光明媚な霊園、格安分譲」。これに飛びついた奴が
箸墓を造ったんだな。
925日本@名無史さん:2009/06/09(火) 23:32:10
>>923
あのさ、
古代人も、ぽっと急に湧いて出て来たんじゃないの。わかる?

弥生以前にも彼等の先祖がいるわけ。
彼等の先祖が子孫に何も伝えて来なかったと?

やはり君は古代人を馬鹿にしてる
926日本@名無史さん:2009/06/09(火) 23:35:02
>>924
規模考えろ馬鹿(笑)
927日本@名無史さん:2009/06/09(火) 23:40:19
>>921
太閤検地で44万石だったかな大和は。摂津河内和泉(現大阪府)が約70万石
山陽山陰四国は十万台が大半なんで、北九州の次は自動的に近畿。
928日本@名無史さん:2009/06/09(火) 23:41:43
>>927
>918あてのレスに訂正。まあどうでもいいレスだけどw
929日本@名無史さん:2009/06/09(火) 23:42:59
>>925
古代人を馬鹿にしようが崇拝しようが、かまわないから
先祖が子孫に何を伝えたの?

過去の九州の台風被害データーと奈良の台風被害データーでも教えたか?
930日本@名無史さん:2009/06/09(火) 23:49:09
>>929
カテエな。
爺さんが孫に この地はな…って、いわないか?

事実、戦絡み以外は九州に遷都してない。
931日本@名無史さん:2009/06/09(火) 23:52:22
そんな爺さんがいたら、銅鐸を大切にしただろうに。
932日本@名無史さん:2009/06/10(水) 00:07:19
>>930
爺さん婆さんが何を言おうが構わないから、
奈良に台風の被害が少ないと、判断出来る基本的なデーターは何?

話しを抽象的にし、ごまかしてはぐらかさない事。
933唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/06/10(水) 00:11:24
>湖の南は橿原、東は三輪
これでは、唐古鍵遺跡は、水中に造られた都市になる。
934日本@名無史さん:2009/06/10(水) 00:15:51
>>932
データも何も、台風の被害が多いか少ないかは住んでいる人が一番良く
わかるだろう。
九州に住んでいると良くわかる。強い台風のときは、木や電柱が倒れ、
瓦が飛ぶ。
935日本@名無史さん:2009/06/10(水) 00:19:41
>>930
ここは2ちゃんだからと言って、主観的な表現で適当な事言ってはいけません。少ない、多いと言った以上
客観的な裏付けを要求されるのは当然かと考えますから
客観的なものを出せない以上、あなたの発言は取り消して下さい。
936日本@名無史さん:2009/06/10(水) 00:22:12
うんうん、その通りだね
937日本@名無史さん:2009/06/10(水) 00:24:40
>>934
幼稚園児の会話をしているのではありません。
奈良に住んでる人が、どのように九州の状況を知り
比較するのですか?
938日本@名無史さん:2009/06/10(水) 00:25:39
水稲主力の生活で最大の危険は、台風より日照りだろう。
水稲は系統を遡れば遡るほど、水や風には強い。

奈良は中国地方に次いで降水量が少ないから、
当時安定した水稲栽培を行うのは難度が高い。
939日本@名無史さん:2009/06/10(水) 00:37:22
>>938
日照りに不作無し
稲に水が必要なのは、ほんの一時期だけ
穂が付けば、昼と夜の寒暖のはげしい奈良は
稲作にとって適した環境。
940日本@名無史さん:2009/06/10(水) 00:40:44
台風?湖?水稲?天気予報?

もう少し邪馬台国プリーズw

んで卑弥呼は誰だったの?
941日本@名無史さん:2009/06/10(水) 00:41:08
>>933
チョロ松くん、
鍵、唐古は三輪の南にあるんだぜ。
適当な事書くなよ(笑)

湖があったのは大和郡山あたりだ。
池が多く、地盤が緩い
942日本@名無史さん:2009/06/10(水) 00:41:16
>>934
自分の歴史観をベースに論を組み立てたいなら、ご自身のHPにて語ってください。
943日本@名無史さん:2009/06/10(水) 00:43:40
>>937
交易してたら解ると思うけど。
けど、3世紀の各地の台風の頻度を今と同じと考えていいのかわからんね。
944日本@名無史さん:2009/06/10(水) 00:48:11
>>942
歴史観も何も その場所の特徴だからね(笑)
945日本@名無史さん:2009/06/10(水) 00:52:06
>>937
交易していたら何故わかりますか?
自然災害は、定着して初めて知るものではありませんか?
ましてや台風をどのように認識するのです?
温帯低気圧でも、発達具合によっては台風並の勢力になります。
しかも、地形が台風の影響力を弱めるなんて
かなりワイドな視野で見なければ判断できなく
同時に何箇所ものデーターを必要とするものです。
946日本@名無史さん:2009/06/10(水) 00:55:07
>>945
葛城山の向こうは大荒れで
こっちは何もなかったら、
気付くだろ


データーじゃなくてデータって書くだろ(笑)
947日本@名無史さん:2009/06/10(水) 00:55:12
どうやら>>934さんは
別の掲示板に移動したみたいですね?
948日本@名無史さん:2009/06/10(水) 00:55:13
>>921-944

↓についての書き込みをして下さい

「卑弥呼の正体、魏志倭人伝の解析、天皇家との関りあいなどを議論」

以上、宜しく
949日本@名無史さん:2009/06/10(水) 00:55:56
>>939
天候不順を司るのが当時の政治=祭祀権力の最大の仕事だろ。

では祭祀の中でも一番主要な仕事は何か?
答えは、雨乞いだ。
台風なんてのは二の次三の次。
950日本@名無史さん:2009/06/10(水) 00:57:37
>>949
台風はもういいよw

↓についての書き込みをして下さい

「卑弥呼の正体、魏志倭人伝の解析、天皇家との関りあいなどを議論」

以上、宜しく
951日本@名無史さん:2009/06/10(水) 01:03:52
>>941
>鍵、唐古は三輪の南
俺の地図では北だな。
952日本@名無史さん:2009/06/10(水) 01:05:10
>>948
卑弥呼は葛城氏のモモソ。
義弟の祟神天皇は大王で
モモソは祭祀王

葛城は鴨氏の陰陽道に通じ、高天彦もある。
後の武内や蘇我が天皇並の権力を持っていたのは
かつての祭祀王の子孫であるからだ。

欠史八代の伝承が葛城圏に集中しているのも
考え深い
953日本@名無史さん:2009/06/10(水) 01:12:29
>>950
いや、今時の騒ぎは、「自然科学っぽい」権威に、学者も一般人もたいそう弱いことを示している。

>卑弥呼の正体、魏志倭人伝の解析、天皇家との関りあい

を考える上で、もっと自然科学的観点を増やすべきだろう。

鮫から生まれた鮫太郎なんて与太満載の文献をいじくり回しているだけでは、
何も進展はない。
954日本@名無史さん:2009/06/10(水) 01:17:51
>>951
巻向の南と書きたかった
955日本@名無史さん:2009/06/10(水) 01:20:45
>>945
台風にもいろいろあるからねえ。
時々、とんでもないのがやってくる。伝説に残るようなのが。
有名なところでは、永祚の風(西暦989年8月13日)で、京都にも大被害を出した。

夜、天下に大風。皇居の門・高楼・寝殿・回廊及び諸々の役所、建物、塀、
庶民の住宅、寺社仏閣まで皆倒れて一軒も立つもの無く、木は抜け山は禿ぐ。
又洪水高潮有り、畿内の海岸・河岸・人・畑・家畜・田この為皆没し、
死亡損害、天下の大災、古今にならぶる無し

という記録が残っている。こんな台風が来ると、影響も大きい。
永祚という年号は不吉ということで変更になったらしい。
歴史に影響を与えるのもこんな大風だろうな。
956神奈川県民:2009/06/10(水) 01:21:36
今週はやけにレス進むの早いね。
今日は眠いので、
次スレは明日、立てます(Subメッセージの変更もする)。

>>953

少し、話が脱線ぎみに感じました。
タイトルどおりなら良いのでは? では、失礼します...zzz
957日本@名無史さん:2009/06/10(水) 01:22:52
>>941
大和郡山の航空写真や地図を見ると、たしかに池だらけだが、
あれは大部分が金魚の養殖池。

郡山藩最後の藩主・柳沢保申が、維新後、藩士の不平を抑え
藩士・領民たちの経済的苦境を慮って自ら推進したのが、
いま大和郡山市が誇る地場産業の金魚養殖だった。

市内の養殖池は、この明治期以降に掘られたものが多い。
盆地湖などとは無関係。
958日本@名無史さん:2009/06/10(水) 01:24:12
>>955
そんな台風が九州は毎年だから
九州に遷都なんて頭から考えてなかったんだろな。
959日本@名無史さん:2009/06/10(水) 01:32:24
>>957
掘ればすぐ水が出る時点で。

奈良の湖を記したソースを見たらやはり、
郡山辺りだ
960日本@名無史さん:2009/06/10(水) 01:43:41
「九州には阿蘇山とか桜島といった活火山があるから都の遷都などあり得ない。
 また、米作にも不適で生産性が低い。つまり、九州に邪馬台国はない。」MR・BRAIN氏。
961日本@名無史さん:2009/06/10(水) 02:40:08
何故大和の巻向なのかは、この周辺が水銀、
辰砂の採掘地の入口だからだろ。
つまり当時の造幣局を抑えたようなもんだから。
962日本@名無史さん:2009/06/10(水) 02:57:06
>>961
鉱石、鉱物は運搬できる
加工してできる顔料も

塩や米と同じ
有力採掘地がみつかったらそこに人を住まわせ
役人を置いて鉱山町をつくるのが為政者のやり方
夕張、相川、生野、吹屋、別子、筑豊炭坑、みな同じ
わざわざ近くまで遷都する必要なし
963日本@名無史さん:2009/06/10(水) 03:12:38
>>962
鉱物と言っても石炭等とは意味合いが全く違う。
この時代の水銀だと薬とお宝的な意味合いでしょ。
それに巻向自体は採掘地ではないしな。
当然輸送出来る交通手段もない。となると山の入口である
この地に都が出来るのは考えられるでしょ。
964日本@名無史さん:2009/06/10(水) 07:17:02
水銀がとれるからといって自給自足はできない。大都市になるのは無理。
やはり、水田と海。古代においては、これがないとな。
965日本@名無史さん:2009/06/10(水) 07:44:29

古代アトランティスの物語と同じ!

966日本@名無史さん:2009/06/10(水) 09:42:05
>>964
巻向は宗教都市だ。それに邪馬台国の陸行1月は
やはり内陸部の意味じゃないの?
967日本@名無史さん:2009/06/10(水) 10:10:47
>>960
お前バカwww
968日本@名無史さん:2009/06/10(水) 10:24:15
水行十日陸行一月の旅程の間なんの国もなかったのか
不弥国までは千余戸レベルの国でもちゃんと記述してるのに
969日本@名無史さん:2009/06/10(水) 10:47:36
万二千里から女王国。その後はずっと女王国の中を進んでいたんだよ。
970日本@名無史さん:2009/06/10(水) 11:13:13
途中経過が何もなしw
971日本@名無史さん:2009/06/10(水) 11:15:48
瀬戸内海でも進んでいれば、書くこともあったかも知れないんだが・・・
972日本@名無史さん:2009/06/10(水) 11:20:30
>>946
葛城山の向こう側って、NHKのニュースで知るのか?
973日本@名無史さん:2009/06/10(水) 11:49:26
最近のスレときたら、まるで消防達の座談会。
今となっては、糞固定供がデカイ顔していた時代が懐かしい。
974日本@名無史さん:2009/06/10(水) 12:51:11
>>969
正解
975日本@名無史さん:2009/06/10(水) 13:20:48
>>972
葛城氏の勢力圏は大阪東部まで
976日本@名無史さん:2009/06/10(水) 13:24:18
>>971
簡単だ。使節団は伊都から先には行ってないからだ。

ただ、松浦で一旦留まり、
丹波から陸路を進むと聞いただけ
977日本@名無史さん:2009/06/10(水) 13:29:29
投馬は出雲だろ、すると必然的に邪馬台国は大和。
978日本@名無史さん:2009/06/10(水) 13:31:39
松浦は吉備の勢力圏、
丹波は出雲の勢力圏
979神奈川県民:2009/06/10(水) 13:43:01
次スレ31へは、ここスレ30を使い終わってから書き込んで下さい。

次スレ
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!31
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1244608713/
980神奈川県民:2009/06/10(水) 13:45:29
どうでもいいが、今週はレス進むの早いね。

毎週土日限定で来る人がびっくりしそう。
なるべく、詰めて書き込みして頂けると助かる。

981日本@名無史さん:2009/06/10(水) 14:35:20
台与が東遷したはなしを聞きました。

台与=神武天皇だったの?誰か知ってる人おる?
982日本@名無史さん:2009/06/10(水) 14:45:24
>>977
>投馬は出雲だろ、すると必然的に邪馬台国は大和。

二十日で出雲ならば
水行一日で何キロ進むの?
水行一日一日で何キロ進むの?

水行と陸行て同じスピードじゃない?
それか水行のが早い?
983日本@名無史さん:2009/06/10(水) 14:49:05
>>973
>最近のスレときたら、まるで消防達の座談会。
>今となっては、糞固定供がデカイ顔していた時代が懐かしい。

君は固定つけてレス出来ないくせにw
そういう俺も・・・w
984doontakuka:2009/06/10(水) 15:21:02
王メリシパク2世のクドゥルをイメージして魏志倭人伝は記述されたと思われる。
http://www.louvre.fr/llv/oeuvres/detail_notice.jsp?CONTENT%3C%3Ecnt_id=10134198673226447&CURRENT_LLV_NOTICE%3C%3Ecnt_id=10134198673226447&FOLDER%3C%3Efolder_id=9852723696500800&baseIndex=1&bmLocale=ja_JP#
第一段(下から)
對海【馬】國 其大官曰卑狗 副曰卑奴母離 ・一大國 官亦曰卑狗 副曰卑奴母離 ・末廬國。                   
の卑狗の狗は鋤と角のある龍(クドゥルの狗)であろう。
造物神であり守護神であるマルドゥクを嵌め込んである。
第二段は伊都國・奴國百里・不彌國 も、
第三段の 投馬國・・邪馬壹【臺】國・狗奴國も押して知るべし。
だから、『箸墓の周濠下層からは数点の鋤の他に、針葉樹を丁寧に加工した加工木なども見られますが、その用途は不明のようです。』
の様な悪戯をする一派がいた。天皇家ともよばれているがね。
鋤と針葉樹=juniperは 『li 』という一音で解決できる。
985doontakuka:2009/06/10(水) 15:48:40
『彫刻と碑文が刻まれたこれらのクドゥルは、彼らの家族のメンバーのためあるいは上位の高官等に対してバビロンの統治者によって定められた土地贈与証書の被写体の役目をもっている。』
というのは、実に痛快でね!
986doontakuka:2009/06/10(水) 15:53:22
『全面をおおう文書には、メリシパク王の重大な土地贈与の対称が
未来の「彼の国の指導者」である彼の息子マルドゥク・アブナ・イッディナであり、
その耕地は多数の免税を伴っていると示されている。

と、成ると古事記、日本書紀の世界ですね。^^;
987愛知県民:2009/06/10(水) 18:25:04
卑弥呼=ヒメゴソ説
ヒメゴソ社は国東と難波にある。
国東は女王の都、難波は女王の境界?
また考えておこう。
988愛知県民:2009/06/10(水) 20:24:02
ヒメゴソ説だと、卑弥弓呼素=ツヌガアラシト=崇神?
問題だなこりゃ。
989日本@名無史さん:2009/06/10(水) 21:12:32
こっちを使いきってとか言ってたな

みんな協力する?
990日本@名無史さん:2009/06/10(水) 21:17:41
あと10

女王国=邪馬台国 ていう人多いけど
別々に考えたらどうなるんだろうね。

それだと、三十一国になってしまうかな?

女王国というのは イコール邪馬台国にするか?
         イコール伊都国にしてしまうのか?
         イコール三十国にしてしまうのか?
         



991日本@名無史さん:2009/06/10(水) 21:24:52
あと、9

九州王朝説の人が
伊都国以降の国をすべて女王国の範囲に入ったことにするとか言ってたような。

すると
伊都國→奴國
   ↓
  不彌國  投馬國  邪馬壹國 

奴國、不彌國、投馬國、邪馬壹國 が女王国?

それ以外の二十数カ国はどうなる?
992日本@名無史さん:2009/06/10(水) 21:26:05
あと8

みなさん、協力して!

気づいたらレスしてくれな。
993日本@名無史さん:2009/06/10(水) 21:29:11
あと7

石碑ですよ、石碑。
途中に埋もれた石碑を掘りだせばすべてが解決する。
地上に頭だけ出している石がお勧め。
994日本@名無史さん:2009/06/10(水) 21:32:18
あとすこし

ドツボはだめぼ
995日本@名無史さん:2009/06/10(水) 21:33:18
石碑

もしこの解析結果が一般的に認められ、
広く認知されるようになれば

邪馬台国は畿内説で確定されることでしょう。
996日本@名無史さん:2009/06/10(水) 21:36:12
女王国=宇佐

邪馬台国=畿内

・・・・・やっぱり、女王国=邪馬台国ですかね?
997日本@名無史さん:2009/06/10(水) 22:02:11
石碑は後世の者が前世の功績を記念して立てるから、
卑弥呼の同時代の石碑はなかろうなあ。
仮に存在したとしても、卑弥呼とか邪馬臺國とかの中国人の音写は使わないから、
碑文の内容が誰の事を指すのか、また論争になるだろうね。
998日本@名無史さん:2009/06/10(水) 22:10:28
ゴッドハンドで石碑を埋めて、一気に優位に立つ畿内説
炭素測定の次は、これでいこう!
999唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/06/10(水) 22:12:40
ヘブライ語の石碑がいいかな。
1000日本@名無史さん:2009/06/10(水) 22:14:00
LAST 向こうにうつりましょう
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