『 砂鬼四荼羅教(すなおによんだらきょう)ノススメ wwwwww 』
「素直に読んだら…」これはこの板の九州説の常套句なんだが
ふと思ったのは、一度「素直に読んで」得た結論は後から得た知識に基づき変更できないのではと…
新しい知識を得た後での読み方が正しいとすればやはりある種の知識を得ないと読めない。
単に「素直に読んだら」だけじゃあ駄目だと言う事になる。
将来的にも変更される余地がある。
逆に”引き算”で今まで自分の目を曇らせていた要素を捨て去って「素直に読んだら」としても
じゃあ現在の自分にもう読み方を誤らせる要因がないとどうやって断言する?て話でwww
じゃあ頭に語を付け足して限定的に「現在の自分が素直に読んだら」とすれば
それは他者の「素直読み」を認めざるを得ず結局意味の無いものになる。
「科学は反証可能な仮説体系」と言うのを史学や考古学に当てはめて良いのかどうか分からないが
普通なら絶えず自分が間違っている可能性も認めつつ
現在の持ちえている材料でベストの結論を出すのが謙虚な態度だろうwww
「素直に読んだら」…謙虚にも聞こえる台詞だがその実排他的でに傲慢
何せ自説以外は素直じゃない歪んだ見方をしているんだからw
まあ学問とかじゃなくて宗教のドグマってやつだと解すればそれもうなずけるお話wwwww