501 :
日本@名無史さん:
NHKでものすごい電波番組やってんなあ
502 :
日本@名無史さん:2009/04/26(日) 22:52:51
飛鳥寺は高句麗洋式でなく
百済王興寺洋式という新発見。
503 :
日本@名無史さん:2009/04/26(日) 22:57:32
百済王興寺、勾玉も出土か。
しゃり器より、
西暦577年創建。
504 :
日本@名無史さん:2009/04/26(日) 23:05:30
>>501 見たけどどこが電波なの大阪大学教授?
もう一人の韓国人?
韓国人は「今までカヤは日本支配だと思ったので
韓国では研究がなされ人なかった」とか言ってた
506 :
日本@名無史さん:2009/04/26(日) 23:37:50
>>504 日本書紀もまともに読んだこと無いくせにネットで仕入れたデマを本気で信じている馬鹿が
電波電波と騒いでいるだけだから相手にするな。
いやあの番組は電波だろう
願望史観だからな
508 :
日本@名無史さん:2009/04/26(日) 23:51:58
デムパ満載だったなあ。結局今の日本は韓国人が作ったのかw
509 :
日本@名無史さん:2009/04/26(日) 23:53:01
510 :
日本@名無史さん:2009/04/26(日) 23:53:10
NHKの番組は極悪電波番組です。日本人は朝鮮半島の派遣社員と言ってた。
511 :
日本@名無史さん:2009/04/26(日) 23:54:04
三韓征伐とか完全無視でワロタw
512 :
日本@名無史さん:2009/04/26(日) 23:56:29
第二回 5月21日放送
「任那日本府は本当にあったのか」
もまいら録画汁。
513 :
日本@名無史さん:2009/04/26(日) 23:59:23
三韓征伐なんてもはや誰も支持してない全否定された話を盛り込んだら、それこそ電波だろうに。
>>509 日本人は伽耶の傭兵、あるいは奴隷として使われた
政治的軍事的影響力は全くなかったんだそうな
しかし朝鮮南部には日本より後世に前方後円墳が出土しているし
朝鮮や中国、日本の史料からして軍事的影響力が
朝鮮南部になかったと考えるのは常識的に考えて不可能
その他仏教、文字、文化的なものは
中国でなく全て朝鮮起源なんだそうだ
515 :
日本@名無史さん:2009/04/27(月) 00:03:04
高麗棒子にとって楽浪郡の存在は不都合な真実らしい。
NHKの番組では完全に抹殺されていた。
516 :
日本@名無史さん:2009/04/27(月) 00:04:00
笛木嬢の可愛さでつい見てしまった。維新の国家神道思観では〜出雲王朝認めない戦前からの後遺症というか、紀元前に今の大陸奥地からの朝鮮属と別の渡来オロチ部族の鉄文化王朝が今だに語れない〜
517 :
日本@名無史さん:2009/04/27(月) 00:05:12
>>514 それ、日本側の学説と朝鮮側の学説の両論を出して「食い違ってますね」って解説してたシーンの
朝鮮側の発言だろ。
そこだけ切り取って、さもその説を史実として番組を構成してたみたいな言い方するなよ。
それと仏教も律令制度も百済ローカライズされた亜流が始めに導入されたのは事実。
直接中国と交流するようになって、百済流がローカライズされたものであることに気づいて
奈良後期から平安にかけてそれらは排除されている。
518 :
日本@名無史さん:2009/04/27(月) 00:07:11
今回の放送では、朝鮮の人々は高い技術や文化をもった文化人で
日本人は愚かで野蛮な土人であり、古来から奴隷として扱われていた。
また、未開の土人である日本人は、朝鮮半島の文化をパクリまくって
国を作り上げたという事実が明らかになったというところで終了したわけだ。
今後の放映で、調子コイた野蛮人が、悪行三昧暴れまくった事実が
どんどん明らかになって行くだろう。
次回放送が楽しみだ。
朝鮮人は三国志史記読めよ
>>腆支太子は倭国において訃報を聞き、哭泣しながら帰国する事を請うた。倭王は、兵士百名を伴わせて、護送した
哭泣しながら哭泣しながら哭泣しながら哭泣しながらw
520 :
日本@名無史さん:2009/04/27(月) 00:10:26
>>518 政治的な制度設計とか軍隊運用とか、そういうのも「高い先進技術」な訳で、だからこそ加羅はヤマト王権の
連邦体制に入ったのだけど、そういうものは無視して、鉄の生産や仏教知識だけをさも技術であるという
理解で読み取ってそういう評価を下しているお前が馬鹿なだけなんじゃねーの?
朝鮮南部は独立した文明圏とかいってたな
確かにそこ以外前方後円墳なんて出てこないしな
522 :
日本@名無史さん:2009/04/27(月) 00:16:02
今回の放送は本当に酷かった。
日本書紀と広開土王碑は証拠を示さずに、全部誇張・捏造と断定。三国史記や隋書、宋書にも全く触れず。
広開土王碑の「倭人」の記述では、「伽耶が一方的に主導権を握って先進文明を求めに来た倭人を傭兵として使用していた。」と断定し、
日本の主導的な影響力を何の根拠もなしに完全排除。
中国の資料や中国の実態や半島南部の古墳や勾玉には一切触れず、日本側が受けた文化的影響全てが韓国からやってきたと扇動するナレーション。
523 :
日本@名無史さん:2009/04/27(月) 00:19:33
嫌韓厨は感情で歴史を
語るんじゃねえよ。
冷静で公正な歴史評価できないやつこそ
日本人の恥だ。
朝鮮から文明が伝わろうが
当時日本が後進地帯だろうが
そんなの恥じゃねえよ。
事実を受け入れられない
偏狭な心こそ恥だ。
一部の韓国人と同じ。
大阪大学の福永伸哉は、倭が鉄を得るために加耶を軍事支援した
といってたが、立命館の山尾幸久もギブアンドテイクの関係があった
といい、鉄に対しては玉、塩、生口を提供していたといってた。
スタジオの韓国人学者はそれを受けて、倭から提供された労働力が
高句麗に対する軍事力に転用されたと主張していた。
しかし、七支刀にみえる倭と百済の同盟とかそのへんをなぜか
すっとばしてるなあ。山尾の専門分野だろうに。
全て百済系経由ってのも滅茶苦茶
日本はたくさんの留学生や留学層を直接中国に送ってるし
だいたい百済って日本の弟分みたいな国だったし
大陸文化を摂取するには便利な国だが
中国にも直接アプローチしてるしな
>>523 お前が感情的になってるんだろ
冷静に三国史記でも読もうか
>>524 しかしあの内容からだと日本が圧倒的に受身な立場にしか聞こえないぞ
はっきりいって伽耶諸国に関しては大和政権がリーダー的な立場にあったのは
ほとんど確実だろ
それが立命館の学者のギブアンドテイクで対等まで落として
朝鮮人学者がそれに乗じて日本人は傭兵および奴隷ですだもんな
そりゃ腹立つよな
蒙古は漢民族を支配したよね
倭は半島民族の一部を支配した?
>>521 > 朝鮮南部は独立した文明圏とかいってたな
> 確かにそこ以外前方後円墳なんて出てこないしな
それ、「伽耶」が「百済や新羅とは独立」した文明圏だと言う表現だったろう。
それと前方後円墳が多いのは伽耶では無くて、もう少し西の百済領域のことですよ。
>>527 「交易品」として送られたら「奴隷」と言われても文句は言えないw
軍団単位で派遣されたのなら「傭兵」と言うのはどうかと思うが、
あの韓国の人は、「同盟軍」的なものではなかっただろうと言っていた。
つまり、日本側に指揮権が無かっただろうと言う主張だね。
*武寧王陵(宗山里古墳群)
ttp://inoues.net/korea/buneiou.html 玄室内には木棺が置かれ、その材質となった木材は細胞の分析結果から、日本の近畿地方南部に
しか見られない「コウヤマキ」であることが確認され、武寧王時代の百済と日本の関係、また、武寧王
自身の出自などを巡って論争が巻き起こった。
墓から、金環の耳飾り、金箔を施した枕・足乗せ、冠飾などの金細工製品、銅鏡、陶磁器など約3000
点近い遺物が出土したが、驚くべきことに百済製の土器は1点も出土していない。すべてが中国の
南朝からの舶来品であって、この王朝がいかに中国南朝に傾斜していたかを物語っている。
「日本書紀」の雄略天皇5年の条に、「百済の武寧王は、筑紫の各羅(かから)島で生まれたので
島君(せまきし)と言う。」という記事があり、武烈紀にも同様の記事があり、「武寧王の諱(いみな)は
斯麻王と言う。」とある。「三国史記」にも武寧王の名は斯摩となっている。島で生まれたから、斯麻王
という名前が付けられたという。各羅島は、現在の松浦半島の突端にある呼子島の真北にある
加唐島(かからじま)のこととされている。これは一体何であろうか?
武寧王の陵墓が発見されたことで、これらの記事の正しさが立証されたが、では斯麻王すなわち
武寧王は日本人なのか? どうして佐賀県で産まれたのか?
【「昌寧松硯洞7号墳のクスノキ木棺は日本産」】(前半)
慶尚南道昌寧郡の松硯洞古墳群の中で 6世紀初め頃に築造された第7号墳の「秣桶型(丸太型)木棺」
を作るのに利用されたクスノキは朝鮮半島自生樹木である可能性はほとんどなく、日本列島から入って
来た可能性が大きいことが分かった。
同時期に築造された公州の武寧王陵から出土した王と王妃の木棺も、日本列島だけに自生する金松と
判明したことがあり、5〜6世紀の朝鮮半島と日本列島の間の緊密な交流が、改めて考古学的遺物で裏
付けられた。
松硯洞古墳群発掘調査機関である国立昌原文化財研究所の依頼で、7号墳出土の秣桶型木棺の分析
などに力を注いでいる木材組織学専攻の慶北大の朴サンジン教授(65)は、「漢字で予樟木と表記される
クスノキは亜熱帯樹木で、現在朝鮮半島では済州島以外に南海岸の極一部の地域でだけ自生している」
と15日語った。代わりにクスノキが現在集中自生する場所としては、朝鮮半島周辺では中国中国南部と日本
列島が代表的なものとして挙げられている。
朴教授は、「松硯洞古墳群が築造された三国時代当時に気候がどうだったかによって、クスノキが朝鮮
半島にも自生していた可能性がないではない」としながらも、「当時の植生は現在とあまり変化がないと
いうのが一般的見解であり、したがって松硯洞の木棺の材料であるクスノキが朝鮮半島の生産品である
可能性はゼロに近い」と語った。<中略>
534 :
533:2009/04/27(月) 03:39:04
したがって、この松硯洞の木棺の材木は、当時の歴史的情況から見て中国南部地域と日本列島の2ヵ所
のいずれかである可能性はほとんど確かと思われ、中でも武寧王陵の木棺や昌寧一帯に位置した伽耶
諸国と倭国の緊密な関係を考慮すると、日本列島から持ちこんだ可能性がより大きいと考えられている。
そうした推定は、この7号墳のすぐ隣にある6号墳に対する昨年の調査の結果、石を積んで作った玄室の
壁面全体が朱で塗られていたという点からも、有力に裏付けされている。
道教神学で永遠不滅の仙薬として特に愛用された朱砂(硫化水銀)で玄室壁面を染めるこうした手法は、
古墳時代の日本列島の古墳の埋葬風習として典型的に確認されている。
一方、今年も松硯洞古墳群に対する調査を続けている国立昌原文化財研究所は、長さ3.4m×幅1.2m×
高さ 40cmほどと測定されたこの丸太木棺を、来週中に玄室から搬出して昌原の研究所に移し、保存処理
に入る予定だ。
池ビョンモク所長は、「保存処理施設を既に昨年中に用意しておいた」と語った。
▽ソース:聯合ニュース(韓国語)(2005/06/15 09:28)
http://www.yonhapnews.co.kr/news/20050615/030000000020050615092849K8.html ※文中の「硯」は、本当は石へんではなく山へん。
韓国南部の慶尚南道固城(コソン)郡の松鶴洞1号墳で、
内部を赤色顔料で朱塗りした横穴式石室(六世紀前半)が、
同国の東亜大付属博物館の調査で二日までに確認された。
日本(倭)独特とされた朱塗りの石室が、韓国で確認された
のは初めて。日本の須恵器も出土していることから、日本の
古墳祭祀(さいし)文化の影響とみられる。大陸や朝鮮半島
から文化を一方的に導入しただけではなく、日本も文化を伝
えていたことを示す重要な成果として注目される。
石室は墳丘北側で、長さ約九・八メートル、幅〇・八五〜二
メートル、高さ一・四五〜一・五八メートル。天井や床、壁が
ベンガラ(酸化鉄)とみられる顔料で真っ赤に塗られていた。
朱色は、古代中国で血につながる生命力の象徴や不老長寿願望
を反映したものと考えられていた。朝鮮半島ではこれまで発見さ
れていなかった。
松鶴洞1号墳は一九八三年、韓国の研究者が「前方後円墳」と
紹介し、日本独自とされていた前方後円墳のルーツではないかと
論争になった。
一帯には、日本と交流のあった伽耶(かや)諸国(四世紀初め〜
六世紀半ば)があったとされ、「日本書紀」などでは「任那(みまな)
」と呼ばれる。
沈奉謹・東亜大付属博物館長は「日本に近く、葬送儀礼に倭人がか
かわったとも考えられる」と話している。(10月2日15:34)
ttp://www.yomiuri.co.jp/00/20001002i306.htm
『木棺中央部に大量の貴重な水銀朱』1月12日発表
竪穴式石室に敷き詰められていた朱(赤色の顔料)のうち、被葬者が安置された木棺中央部だけに貴重な
「水銀朱」を大量に使い(厚さ4、5cm)、石室内のほかの部分の顔料はベンガラ(酸化鉄)を用い、
使い分けをしていたことが分かった。
このような使い分けは、弥生中期末の北部九州地方が国内最大の出土例としてある。吉備地方(岡山県
南部)の弥生末期の墳丘墓でも水銀朱を木棺内に厚く敷き詰めた例があることから、初期大和政権が
西日本各地の葬礼様式を取り入れていたことを裏付ける発見といえそう。
朱は死者の再生祈願の呪術(じゅじゅつ)としてまかれるとされる。
ベンガラは鉄分を含む土を焼けば簡単に作れるが、水銀朱は原料の「辰砂」の産地が限られ、製法も
複雑なことから貴重で、これほど大量に使われた例はまれという。
魏志倭人伝は、水銀朱について「その山は丹(辰砂)あり」と倭国の特産物とし、卑弥呼が正始四年
(243年)に魏に献上したと記載。邪馬台国時代に大量に使われていた可能性が高い。
畿内にも「大和水銀鉱床群」があり、邪馬台国が大和にあったとすると入手は容易で、魏志倭人伝の
記述と一致するとの指摘もある。
天理市「黒塚古墳」、現地取材 平成10年1月10日
ttp://www2.begin.or.jp/sakura/kurotuka3.htm
540 :
日本@名無史さん:2009/04/27(月) 05:28:05
>>524 >立命館の山尾幸久もギブアンドテイクの関係があった
>といい、鉄に対しては玉、塩、生口を提供していたといってた
番組見てないのであれだが、
弥生時代から伽耶に倭人の鉄採掘場がある。
倭人たちは「伽耶の王」に、
玉、塩、生口を提供し鉄を採掘させてもらってたと言うのだろうか?
ところが当時の伽耶に王都も王墓もあったもんじゃない。
もっと後の時代にもまともなのがあったもんじゃない。
その学者は何を言ってるんだろうか。
>>540 「日本側が半島に懇願して、先進文物や仏教の受容や鉄器の輸入を行い、
見返りとして倭が人間を労働力として提供し、伽耶や百済が主導的に朝鮮半島での戦争で倭人を傭兵に転用して使役していた。」
番組全体を通してこういう認識。
日本の半島での軍事的プレゼンスを完全否定し、「日本書紀と広開土王碑は全部嘘と認めなさい」と主張。
もちろん根拠は示されず、韓国人学者と親韓派学者の推測で断定調に語ってた。
542 :
日本@名無史さん:2009/04/27(月) 07:30:04
NHKは、公平で客観的と思っていたが、ぜんぜん違うな。
日本のマスコミに信用できるところがなくなった。
好太王の碑文、三国史記、あるいは中国の文献を見ても、古代の日本の優位は
明らかだと思うのだが。
たとえば、隋書には、
新羅、百濟、皆以倭爲大國、多珍物、並敬仰之、恒通使往來
宋書には、
武立、自稱使持節、都督、倭、百濟、新羅、任那、加羅、秦韓、
慕韓七國諸軍事、安東大將軍、倭國王
なんて書かれているし。
543 :
日本@名無史さん:2009/04/27(月) 07:49:25
ま、NHKには永遠に受信料払わないぞと確信した。w
こんな内容垂れ流されて、
おまけに金まで取られたらたまったもんじゃねぇ。
544 :
日本@名無史さん:2009/04/27(月) 07:52:07
キンカン伽羅国はどう解釈する?
韓国のプサン大学の教授は鉄の出土品から日本をキンカン伽羅が押さえていたと主張。
日本の教授は鉄と何かを交換するような関係で対等だったと主張。
あの番組は別に親韓の学者だけじゃないだろ。
545 :
日本@名無史さん:2009/04/27(月) 08:41:39
日本に多くの石油製品があるがアラブに支配されてない。
>>544 日本に伽耶の鉄の出土品があるから伽耶が日本を押さえていたなんて全くアホな話で、
むしろ日本に好き勝手に鉄を採られてたのは伽耶が日本に押さえられてた証拠。
単純に国力や位置取り比較してみれば、
日本の軍事的(兵力的)優位が判りそうなもんだがな。
自国に多数の他国の兵士を引き入れて、
「俺様の方が優位だ」ってそんなアホな。
春秋戦国でも三国志でも、
援軍がそのまま居座って侵略軍になることが多いから、
自国に他国の軍隊を入れることにはみんなナーバスになってたけど、
朝鮮半島ではそんな恐れはなかったのかね?
百済や場合によっては新羅ですら日本を兄貴分として認めてたのに
それよりはるかに弱小な伽耶と対等なわけがない
親分子分関係だよな
しかし自分の都合悪い史料はことごとく無視
朝鮮側の碑文や三国史記からでも大和政権が朝鮮南部で
恒常的な軍事活動してたのは明らかだろう
考古学でも裏付けられるし
だいたい傭兵はあの当時存在しない
あの当時は氏族単位で軍を動かしてるだろ
自分の都合のいい様に無理して歴史作ってるところが多すぎる
549 :
日本@名無史さん:2009/04/27(月) 10:28:34
2ちゃんのクズが何吠えても全く無駄w
専門家>>>(越えられない壁)>>>>おまえらw
朝鮮人は三国史記でも読もうか
共同歴史研究の賜物
>>549 専門家で任那日本府を否定するやつは少ないはず。
あったといえば韓国側が煩いので極力言わないようにしてるだけ。
553 :
日本@名無史さん:2009/04/27(月) 11:32:15
韓国の学者もあの地域の研究を避けてたと言ってたから、韓国側も日本府があったと言う認識だったんだろ。
伽耶は隼人族です。
色黒く目がギョロっとしてる。
顔つきが一般の朝鮮人と違うから、
朝鮮人達自身もも昔からインド人か呉の流民だと思ってたんです。
有名な話ですよ。
555 :
日本@名無史さん:2009/04/27(月) 11:48:01
任那は日本への奴隷の集積と搬出積み出し基地だった。
紀元前4世紀くらいから始まった江南からの大量の難民は朝鮮半島の南東部や九州に流れ着いた。ちょうど
その頃は温暖期で、彼らの水耕田での生産性の高い米の生産は余剰を産み、蓄積が朝鮮半島と九州に小国を
作り出したが、当然、より高温多湿で雨が多い日本の生産性が高かっただろう。
さらに、水田耕作に適した土地の多い日本では、多くの強力な国を生み出し、国々間の競争を生み出した。
水耕田の高い生産性は人口の増加を生み出したが、人口の自然増では新たな耕地の開拓が追いつかず、
武力での労働力の確保が始まった。
当初は近隣の村々を襲っていたのだろうが、それはお互いの戦いを呼び、折角の労働力の消耗にも繋がって
しまう。そこで戦いを呼ばずに一方的略奪で労働力を確保する方法が考え出された。それは当然、外国からの
労働力つまり異国からの奴隷の確保だっただろう。
それらはローマ帝国やアメリカの歴史を見ても明らかだろ。ローマ帝国は奴隷の上に成り立っていたが、
外征の主目的は奴隷の確保だった。
ローマ帝国での奴隷の扱いは過酷だったが、多分日本の場合はそれほどではなかっただろう。ローマ帝国の
周辺には奴隷にする民族はふんだんにあったから奴隷を過酷に扱って消耗しても問題はなかったが、日本の
場合は海を渡る手間が必要だった。
ローマ帝国末期には新たな奴隷の確保が難しくなったため、奴隷はお互いの結婚を許され奴隷の再生産が
目論まれ農奴的なものになっていったが、日本の場合は奴隷は最初から農奴的な立場でその再生産も
当然奨励されただろう。
朝鮮半島での奴隷の確保は、当初は日本の国々がバラバラに行っていたが、そのうちにそれが組織立った
ものになっていくのは自然の成り行きだろ。だから初期の日本の朝鮮半島での橋頭堡は奴隷の確保の
ためだっただろう。そして、日本での人口の自然増が生産とバランスするようになって、任那は奴隷の
確保のための基地から鉄の確保のための出先機関へと変身していった。
朝鮮の有名な民謡でも彼らのことを唄ったものがあると聞いたことがある。
詳しい人いませんかね?
>>542 優位にあったのは確かだろうけど
広開土王碑は百済新羅を打ち破ったそんな強い倭を倒した高句麗マンセーって内容なわけだから
誇張はあるだろう
それに再三の百済軍事支配権要求に関らず最後までもらえなかったのと
将軍号が百済や新羅よりつねに下だったのはどう説明するの?
ごめん
新羅は将軍号なかったか
誇張って何を基準にしての誇張なのか?
それさえも提示せずに相手の返答を期待する姿勢に疑問を感じる。
誇張どころかなんもなかったことにしてるから怖いわ
倭が伽耶の傭兵って
伽耶っていつのまにそんな軍事大国になってたんだ
こういうのは議論でも何でもなくて、日本では俗に「言い掛かり」とか「ケチをつける」と言います。
562 :
日本@名無史さん:2009/04/27(月) 13:44:06
異論を唱えるときの証明をせずして、妄想を垂れ流す、学者が二人。
こいつらの頭の中に何がつまってて、こういう具合に説明できるんだろう。
563 :
日本@名無史さん:2009/04/27(月) 13:45:02
VTRだけの出演の研究者も、文句言わないのかね。この構成。歴史観。
こんなのが歴史学かって感じだ
前々からひどいとは聞いてたが
NHKでもそのままなのには驚いた
韓国サイド抜きで番組作って欲しいね
565 :
日本@名無史さん:2009/04/27(月) 13:51:25
三国史記の新羅本記を見ると、
倭兵が攻めてきた。嫁を要求されたので差し出した。人質を差し出した。
というような記録ばかりが残っている。
一度だけ、わが国も倭を攻めてみましょうか、というのが出てくるが、
結局、止めときましょうということになっている。
広開土王碑文 (414年(碑文によれば甲寅年九月廿九日乙酉、9月29日 (旧暦))建立)
391年(辛卯(耒卯)年)「百残新羅舊是属民由来朝貢而倭以辛卯年来渡■破百残■■新羅以為臣民」
そもそも新羅・百残(百済の蔑称か?)は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。
しかし、倭が辛卯年(391年)に■を渡り百残・■■・新羅を破り、臣民となしてしまった。
399年、百済は先年の誓いを破って倭と和通した。そこで王は百済を討つため平譲にでむいた。
ちょうどそのとき新羅からの使いが「多くの倭人が新羅に侵入し、王を倭の臣下としたので
高句麗王の救援をお願いしたい」と願い出たので、大王は救援することにした。
400年、5万の大軍を派遣して新羅を救援した。新羅王都にいっぱいいた倭軍が退却したので、
これを追って任那・加羅に迫った。ところが安羅軍などが逆をついて、新羅の王都を占領した。
404年、倭が帯方地方(現在の黄海道地方)に侵入してきたので、これを討って大敗させた。
訳;井上秀雄『古代朝鮮』<講談社学術文庫>2004 ISBN 4-06-159678-0
最近、偏向捏造報道で何かと話題の
NHKが制作し、教育で放送された
ETV特集『シリーズ 日本と朝鮮半島2000年 第1回』
以下内容)
・1970年代の日本の民間教科書と
韓国の国定教科書を比較して
任那日本府完全否定。
・1970年代の教科書と2009年現在の
日本の歴史教科書を比較して
「ほら、今はもう任那日本府なんて書いてないでしょ?」
・広開土王碑の碑文を一部抜粋して
ここに書かれている「倭」とは倭からやってきた傭兵の事で
倭国の事では無いニダと断定。
・勿論、広開土王碑の倭が百済、新羅を臣下に加えた
の記述はカット。
・倭はカヤの鉄を欲していた。
その対価として傭兵などの労働力を送った。
・半島から日本に渡ったのは技術者で、
日本から半島に渡ったのは奴隷。
・前方後円墳?何それおいしいの?
・前方後円墳に眠るのは奴隷。
・日本の事は「倭」と呼び、
半島の百済や新羅や高句麗の事は「韓国」と呼ぶ。
・日本書紀の記述は正しくないから十分な検証が必要by立命館教授。
・神功皇后の名前カット。
・宋書の「倭人が頗る多い」の記述はカット。
・と言うかそもそも中国の存在無視。
・四神は韓国起源。
・中国の資料や中国の実態や
半島南部の前方後円墳や勾玉には一切触れず、
日本側が受けた文化的影響全てが韓国からやってきた。
・勾玉、翡翠も朝鮮から頂いたというのがこの番組。
・日本には文字が無かったので、
音読み訓読みをつくってくれた百済人には
本当〜に感謝しなければなりませんねぇby立命館教授
・百済は独立した文明圏なんです!
・朝鮮人の教授曰く
百済は単なる通過点ではないんです!
百済には百済の仏教があったんです!
百済の仏教を日本は選択したんです!
だから日本の仏教は中国のものとは違うんです!
・武寧王他、百済、新羅から日本へ連れてきた人質は無視。
・新羅の王位についた倭人無視。
・日本はもっと韓国側から歴史を見て、
韓国側の意見を取り入れて学ぶべきby立命館教授。
・司会進行役は従軍慰安婦に土下座した女優。
・そしてやっぱりDが朝鮮人。
出だしは、さすがに今となっては稲作が朝鮮半島から伝わったとは
主張しにくかったらしく、”大陸と半島から”と、微妙な言い回しだったねぇ。
で、新羅・百濟皆倭を大国と為して通使往来すとか六国諸軍事とかは
華麗にスルーして、生口とか傭兵とか、まぁ、この辺は予想通りだけど、
広開土王碑捏造説を持ち出すのはさすがにムリだったと。
最後に韓国の史観で日本書紀を解釈シルでまとめて、エンディングが
天王寺ワッソなのには思わず苦笑。w
第2回 任那日本府の謎
〜略
「広開土王碑文」が発見され、「倭」の半島侵入の記述が見つかった。そ
こで、4世紀後半からおよそ200年の間、日本が朝鮮半島へ軍事的に進
出し、大陸の先進文物を「任那日本府」から吸収したと、長らく考えられ
てきた。
しかし、1970年代以降、日韓の様々な研究や発掘調査によって、「任那
日本府」の実態や 朝鮮半島南部と倭をめぐる関係性が見直されている。
〜略
=====
広開土王碑と任那の否定か?
次も期待できそうニダ
ヒストリーチャンネルの「任那日本府」は、国をあげて抗議して潰したのにな>韓国
欧米人に韓国の異常さを一発でわからせるコピペ拾った
コレを英訳すればいい
【国定教科書採用国】
北朝鮮
ミャンマー
キューバ
イラン
リビア
タリバン政権下のアフガニスタン
フセイン政権下のイラク
トルクメニスタン
「韓国」
以上です・・・
国家主導で洗脳教育している国の一覧です
なお、韓国の教科書選定委員は全員が匿名になっており、
以前、名前が公表されたとたん、全員辞職して逃亡した過去があります。
5000年の歴史とか、百済は日本は支配したなどとファンタジーを捏造する
歴史教科書は世界を見渡しても、韓国だけです
ttp://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&nid=3823326
でもまあここで任那日本府がどうとかいってる連中は70年代の研究レベルで云々いってるわけだ
国会図書館で最新の論文読んでこいよw
>>557 好太王碑文では、誇張というか、倭は高句麗を引き立たせる道化役って感じだな。
ただ、本当は百済あたりが倭や任那加羅を従えて高句麗と戦ったのならば
素直にそう書けばよかったように思う。でも、実際は倭が高句麗の主たる敵
にみえるほど顕著な戦いぶりをしたから、そのように記述されたんじゃないかな。
倭の百済に対する軍事権が認められなかったのは、百済が南朝にとっての
れっきとした冊封国だからだろう。そして、倭の将軍号が百済に比べて
下位なのは、南朝にとっての地政学的価値が百済より低かったことに
よるのだと思う。南朝の目的は北朝に対する牽制だからね。
574 :
日本@名無史さん:2009/04/27(月) 17:16:36
そんなもん安土桃山時代に足利氏と織田信長がどちらが日本を動かしてたか?
と同じぐらい馬鹿げた話でしょ
好太王碑の件でも、取るに足らない(傭兵だしたり、鉄の貿易相手国)相手を引き合いにだして広告になるのか?って話
強いからデカデカと石に刻んでるわけで、アホだから結果的に日本の広告みたいなモンになってるがw
それよりさ、加羅地方は異民族なんでしょ?
百済も高句麗も新羅も異民族だったんでしょ?
自分たちの直接の祖先じゃないって自ら言ってるでしょ、すくなくとも韓国内の資料館などでは
ていうか傭兵ってどこから出て来たんだ
証拠はあんのか
>>573 じゃお前がその最新の論文を具体的に挙げろよ
それも一人じゃなく複数の人の論文な
学者でもいろんな説があるからな
そしてできれば内容も要約しろ
577 :
日本@名無史さん:2009/04/27(月) 17:51:50
傭兵なんて概念はどう考えても韓国側の方便
高句麗は倭と戦ったのだよ
当時の情勢では半島南部で大規模な軍を動かせるのは実質倭であったのだろう
>>576 い☆や☆だ☆ね(・∀・)
つか、鈴木靖民とか山尾幸久とか田中史生とか川本芳昭とか
そのへんの概説書読んで思ったことだ。
そんなに大したこと言ってるつもりはないが。
その山尾幸久って人は日本府は軍事機関として認めてるんだろ
お前都合のいいところだけ抜き出してるんじゃね
だいたい三国史記であんだけ軍事活動してるんだから
軍事機関なきゃおかしいんだよな
日本と朝鮮の距離はドーバー海峡の5倍
海流も激しいときてる気軽にいける距離じゃない
常駐の軍隊がいたと考えるのが自然だな
キャスター石沢典夫 立命館大学名誉教授山尾幸久 ホンイク大学教授キムテシク ナレーター?
石 この所のドラマや映画での韓流ブームで、日本と朝鮮半島の交流がずいぶんと進んだという風に言われています。
ナ 弥生時代中期には北部九州の人口の実に八割以上が渡来系で占められたと推定されます。
金 当時の日本人が積極的に先進文物を受け入れようとしてヌクトへ住み着いていたのです。
金 一世紀から三世紀にかけて日本列島に階級が生まれ、それを基盤にして小さな国、小国がたくさん生まれました。
そうした国々は勢力を拡大するために大陸や朝鮮半島に先進的な文物を求めました。しかし、小さな国ではより多くの
優れた文物を手に入れることは困難でした。そこで、他の国よりも優位に立つ為に小国の連合体が整えられていきます。
その過程で三世紀ごろ、日本列島に大和政権が形成されたと思われます。
ナ 古墳からは農具や工具など様々な鉄製品が見つかっています。豊富な鉄は武具にもなりました。金官加耶は鉄製の鎧や
兜で身を固めながら北の高句麗と対抗しました。こうした発掘調査によって加耶地域が金官加耶国を中心に独立した文化圏を
築いたことがわかってきたのです。
ナ シンギョンチョルさんは高句麗に圧迫された金官加耶が、倭に支援を求めたと考えています。加耶軍とともに戦った
倭人の存在が広開土王碑文に記されたのではないかとみています。
シン 古くから親密な加耶からの要請なので倭が来たのは間違いないと思います。しかし、当時の倭には加耶のような重装備
の軍隊は無かったので、同盟のような対等な関係での支援だったとは思えません。倭人は、加耶の鎧と兜で武装したので
現代の感覚でいう救援軍とは言えません。加耶軍の中に倭の傭兵が多く加わったので広開土王碑文に「倭」として現れたの
でしょう。
ナ 福永さんは倭が鉄を得るために金官加耶へ軍事支援をおこない高句麗と戦ったと考えています。
ナ 五世紀以降大阪南部の古墳では鉄製の武具が大量に埋葬されていきます。倭の王権が鉄を中心とする武力で地方の豪族
を服属させていった事を示していると考えられています。
ナ 金官加耶から得た鉄によって倭の王権は大王を中心に権力を拡大していきました。
金 中国の文献などを調べてみると古代の日本からかなりの労働力がこの地域(加耶)に入ってきたと考えられます。当時、
日本人が朝鮮半島南部に住んでいた痕跡が各地で発見されています。彼らは支配層ではなく労働力を提供していたのです。
加耶は鉄を輸出する対価としてこうした労働力を受け入れていたと推測われています。その後、4世紀から5世紀になると
加耶を含む朝鮮半島南部は戦乱に巻き込まれます。こうした危機の時代になると、加耶は労働力として導入した日本人を
軍事力に利用しようと考えたのでしょう。
>>579 ん?
>>573では任那日本府のことなんていってないぞ。
眠たかったから文章は多少変だが。
山尾幸久は「任那日本府」という名称は後世的なものだが、
それが指す実体はあったろうという立場だな。
で、軍事的というよりは政治的な活動が主といってる。
たしかに、『日本書紀』をみるかぎり、日本府はほとんど
軍事活動してないし、倭が軍隊を送り込むときは、
日本府とは別のチャンネルで行っているようにみえる。
じゃ別のチャンネルが軍事拠点だったんだな
そしてそれは倭を主体とするものだったと
585 :
日本@名無史さん:2009/04/27(月) 18:54:17
別に体して驚くほどの内容じゃないな
ただの解釈だろ?
いつもの朝鮮人って感じ
それにNHKもこのぐらいのデタラメはするよ
っていうかテレビってのは注目に値することなら何でも放送する
そういうこと
任那をめぐって百済と新羅が軍事衝突する段になって
やっとこさ百済に援兵を出してる。倭が主体的に半島情勢
に関わったというより、その場その場の状況に対応していた
という感じ。『日本書紀』に拠るかぎりは。
587 :
日本@名無史さん:2009/04/27(月) 18:59:14
ETVは好太王碑の改ざん説取り上げてたし
その改ざんが否定されたことも取り上げてた
そんなに神経質にならないほうがいい
>>585 まああの枠はガス抜き枠だからな。朝鮮ネタ以外だと、マイクホンダが出ていた。
問題は10回シリーズという点。少々くどい。
本来、東晋あたりまで視野に入ってきてもおかしくない
対高句麗戦争の話が加耶と倭国だけの問題に矮小化
されていたのが残念だなあ…
山尾があまり突っ込んだ話をしなかったのは
番組が戦前の歴史観を修正するところから入ったから
話を専門的に展開できなかったということなのかな…
ああいう番組で議論を期待する方が間違いなのか。
つまり列島からやってきた倭人はほとんど独立した状態で活動して
軍事的活動を盛んにおこなっていて
南朝鮮で優勢であったという感じだな
それは南朝鮮での最近の考古学や三国史記で裏付けられると
マムルークみたいな感じだったかもね
広開土王碑文の時の改竄問題でどんだけ韓国人学者がトンでもない説で
日本を非難してたか、リアリタイムで見てたたから
あのNHK番組には反吐が出るわ
新聞でも大々的に扱ってたしな
これだけ偏向してたら、もっと凄まじいNHK批判が飛び出すぞ
日本以外の国から
>>574 同意、広開土王碑って、写真で人間が横にいるモノがあったけど、尋常じゃないでかさだぞ。
あれに書かれた敵が、大したこと無い敵のはずがない。
大体、朝鮮人は書いてある内容ばかり気にしているけど、
あの石どこから持ってきて、どうやって縦にしたのか、がものすごく気になるんだが。
すぐ近くで採れる石なのかね?
>>590 っつーか、半島南端は元々ごくフツーに北部九州と一体になった
倭人の居住圏でしょ。
そういう説もあるが冒険しすぎだと思うんだよね
魏志倭人伝での倭国が半島南部あたりからスタートしてるしな
とはいえじゃあなんでその倭人はいなくなったのよって話になるな
カヤ滅亡、百済滅亡時にいっせいに九州に引き揚げたとでもいうのだろうか
>>595 ノルマン人(少なくともその文化や言語を伝える人々)が
シチリアやノルマンディ・ブルターニュに居ないのと同じだろ。
周囲と同化しちゃったんじゃない?
>>595 半島南部から倭人が減ったのって、経済的な旨味が減ったからじゃないかな。
農業生産的に見て、日本の方が大きいし、鉄が国内でも量産され始めるし。
任那が維持できなくなったのも、利益の減少が倭人の人口減を招いて
維持できなくなったんじゃないのかね?
598 :
日本@名無史さん:2009/04/27(月) 22:00:42
伽耶の鉄鎧兵だってw。あほらしい。
大体、鉄鎧歩兵なんてものは存在しない。そんなもの着て長距離なんか歩けない。鉄鎧で遠征するとすれば
それは馬に乗った上級軍人だけだろ。その時代に騎兵軍団でもあれば別だがね。
勿論日本人も古代から鉄鎧くらい知ってたが、なんで武士が鉄鎧着てなかったと思う?。それは重くて
使い物にならなかったから。だから、軽くしたのが日本の鎧。それでさえ、馬に乗った武士しか着れない。
一般の雑兵など戦国時代でも鎧なんか当然着ない。
これはなにも日本だけのことじゃない。もしそんな重装備の歩兵軍団が長距離遠征に役立つならどの国も
そう言う軍団をつくってるよ。
ついでに、鉄製の武器を持てば圧倒的に強いなんて考えてるなら、それも間違い。当時の鉄剣なんかは炭素
含有量が多くて直ぐに折れただろうね。槍だって、例えば三人の竹槍に囲まれれば負けるんじゃない?。
2人相手だって勝てるか怪しい。更に倒されればその武器は敵の手に渡る。
当然、大きいのは兵力差だろ。つまり国力は人口に比例する。人口はそれを養える食料生産力に比例する。
さて伽耶にそんなに国力があったのかな?。傭兵だとかお笑いだね。
日本がそんな鉄の素材の供給先を黙って放っておくわけ無いだろ。しかも、百済も新羅も隙あらばと狙って
るのに。常に軍隊を常駐させるのは当たり前だろ。例え伽耶が独立国だって向こうから頼んできただろうね。
傭兵なんてお笑いだよ。ついでに騎馬民族説なんてのは大笑いだね。
599 :
日本@名無史さん:2009/04/27(月) 22:06:34
>>595 これだな。
從郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國
(帯方)郡から倭に至るには、海岸に沿って水行し、韓国を経て、南し、東
しながら、その北岸である狗邪韓国に至る。
となる。そのあと、対馬、壱岐を経て九州に至るわけである。
邪馬台国論争でもいろいろ議論のあるところだが、倭の北岸である狗邪韓国と
取れなくもない。つまり、卑弥呼の時代、3世紀前半には、すでに朝鮮半島の
南部は、倭(倭王・卑弥呼)の支配下にあったとも考えられる。
弥生時代の急激な人口膨張の勢いをかって
朝鮮南部に北九州人が進出したんだろうな
>>598 鉄の鎧は威厳を示す威信財で実戦には役に立たないものだっただろうね。
面白いのは、伽耶には木製短甲がなかったのに、
4世紀になって突然、鉄製短甲が出現するのだ。
こういう現象は、外来の何者かによって鉄製短甲が伽耶にもたらされたと考えるのが自然だろうね。
それが何者かといえば当然、倭人だろうね。
>>597 それもあるかもな
なんにしろ遠いし
費用対効果が悪いよね
603 :
日本@名無史さん:2009/04/27(月) 22:17:27
>>601 なるほど、倭人ならそういう物も考え出すだろうね。勿論権力の象徴として使う。
銅鐸、銅鉾、銅鏡と同じく、実用性が無くても権力の象徴という意味でね。
魏志倭人伝の前にある韓伝には
「韓は帯方郡の南にあり、東西は海で限られ、南は倭と境を接す」
「弁辰のうちのトクロ国は倭と境界を接している」
朝鮮半島に倭の勢力があったことは明らかといえよう
>>599 すると、狗邪韓国とは、任那日本府みたいな言い方でしょうかね。
この狗邪は、蔑称でもじられてるので倭国のつけた名前か?
狗邪=伽耶?
よううるに、伽耶の韓国領国か??
この韓国とは、おそらく中国系の両国で、百済の前身か。
そして保護国だろう。
>>604 やはり韓は朝鮮半島のことらしいな・・・。
韓伝〜魏志倭人伝のあいだに、倭が半島南部を落としたのか。
607 :
日本@名無史さん:2009/04/27(月) 22:38:55
>>605 そういえば、狗邪と伽耶は名前が似ている。
実際、同じなのかもしれない。
となると、任那との関係がどうなるのやら。
宋書などでは、加羅というのが出てくるのだが、これは伽耶なのかな。
今回のNHKでの放送は完全に対日プロパガンダ番組だといえます。
ETVはいつから反日連中に乗っ取られたんだろうか?
NHKは他にもいつからか怪しく偏向的になった番組や番組帯があったりする・・・。
今月初め終了したそのとき歴史が動いたとか、ETV前の統合で9時からの時間帯とか・・・・。
そのとき歴史がなんて、民主党の宣伝番組かよと思うぐらいだよ。
NHK,ほんとよくやるわとおもうわ。
609 :
日本@名無史さん:2009/04/27(月) 22:54:23
>>600 私はやはり奴隷の集積・積み込み基地だったと思う。
紀元前2〜1世紀の環壕は、水耕田の生産力で小国ができて、土地の開墾競争が起こった。そのための
労働力を近辺の国から調達していたのだが、お互いの戦争になった時機のものだと思う。
しかし、労働力を得るために戦争して労働力を消耗する愚かさに気が付き、韓国の南部から奴隷を連れてくる
ようになった。そうすれば、お互いに戦争せずに労働力を得られる。
当初はバラバラに奴隷を確保しに行ってたが、当然効率化され、韓国に奴隷集配・積み込みの基地が作られる
のは自然の成り行き。
自国にまだ開墾地のあるうちに他国に植民地は作らないだろ。自国の力を強めるのが先だからね。そして、
奴隷人口を含め、人口の増加と開墾地のバランスが取れ、奴隷を確保する必要がなくなれば自然消滅する。
倭の五王の南朝への朝貢ルートって、判ってるのかな?
大陸への直接ルートが開拓されていたなら、このころから
半島経由ルートの重要性が低下し始めるんじゃないかね。
魏志の時代は、倭人も大陸からの使者も半島経由を使っているけど。
>>607 それから、任那は、「ミマナ」と読みますが、なんか出てきた当時のの古書での
振りガナには「アニナ」とかいてあった・・・。
もしかして、当時の「二」は「ミ」の音に近くて、アニナがいつしかニアナになって、
いいずらいからアがマに変化して、あるいは昔の「ア」は今の「マ」に近くて・・・
当時の音でただしくは「マミナ」と呼んだりするのが近いんじゃないとか、色々考えてしてしまうs・・・
>>610 少なくとも、奈良時代になると半島と交流がさらに盛んになります。
シルクロードの影響で・・・。
南朝へは沖縄台湾ルートとか・・・
613 :
日本@名無史さん:2009/04/27(月) 23:16:35
>>610 大陸への直接ルートは、風を潮に勝たさなければいけない。
つまり、潮は常に大陸から日本へ向かっているから、風が逆風の時に、帆で船を潮に
逆らわせなければいけない。当時、それほどの帆があったかどうかは疑問だと思う。
ただ、対馬海流に引きずられた小海流が朝鮮半島から左回りに黄海を回ってる。
それに乗れば、大分遠回りだが、朝鮮半島沿いに船で行けるかもしれない。
>>612-613 帰りはともかく、行きは海流、風ともに条件が厳しいですね。
直行よりは、沖縄経由もしくは半島経由の方が現実的か。
しかしいつも不思議なのは、南朝に百済も含めた称号を申請しているんだけど、
本当に百済が倭より国力が上なら、倭に対して抗議すると思うんだが
何か言ってきた記録って有るのかな。
615 :
日本@名無史さん:2009/04/28(火) 01:55:32
テソンドン古墳は、倭人のものだろ。
616 :
日本@名無史さん:2009/04/28(火) 02:14:02
「日本」という国号ができる前の、朝鮮半島に日本府という名称があるずもないんだから、
そこを伽耶とだけ呼んで、倭人が占拠してたんでしょ。鉄ほしいから。
617 :
日本@名無史さん:2009/04/28(火) 02:36:05
1973年教科書
「朝廷は朝鮮南部の任那を足場にして、4世紀の末に朝鮮へ兵を送り、百済や新羅を従え、高句麗と戦った」
「562年、新羅、任那日本府をほろぼす」
2008年教科書
「大和政権は百済や、小国が分立していた加羅(任那)地方の国々と結んで、高句麗や新羅と戦いました。
>>614 それ俺も気になった。
称号を申請できる関係なら、普通に倭の子分的存在だろうし。
>>616 8世紀に”日本府”という字を当てただけで、『釈日本紀』では”倭宰(ヤマトノミコトモチ)”とされておる。
>>620 すると、大和の尊(天皇)の領土的なかんじか・・・?
622 :
日本@名無史さん:2009/04/28(火) 03:32:18
>>621 上のほうの議論にもあるけど、「ヤマトノミコトモチ」は
ヤマトの大王のミコト(命令)を持つ者、つまりは
倭王の使者ないし使臣という意味だ。
日本人「『日本書紀』に391年に神功皇后が百済と新羅を征服したと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
日本人「『三国史記 新羅本記』にも慶州を倭兵に包囲されたと言う記録がある。新羅は何回も王子を人質に差し出している。百済の武寧王は人質の子として日本で生まれた。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「満州にある碑文にも倭国が海を渡って百済と新羅を臣下にしたと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の宋書にも倭国が朝鮮半島南部を支配した記録がある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の『魏志倭人伝』には既に3世紀から倭国では鉄の鏃を使ったと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の『随書』にも倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。百済と新羅は倭国を大国として敬ったと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
日本人「日本や中国の歴史書や発掘品は全て捏造なのか?」
韓国人「そうだ!韓国に都合の悪い歴史書は全て捏造だ。」
中国人「中国の歴史書まで捏造か?」
韓国人「捏造だ!」
日本人「『三国史記』に“670年の十二月に、倭国が国号を日本と改名した。日の出る所に近いから、これをもって日本国としたとの事である”とあるが?」
韓国人「捏造だ!」
中国人「中国政府も外交部のホームページ(www.fmprc.gov.cn)で5世紀はじめ、大和国が隆盛した時期に、日本の支配が朝鮮半島の南部にまで拡大したと公式に認めている。」
韓国人「中国人の捏造だ!!」
英国人「イギリスのオックスフォード大学の出版社(www.oup.com/ca)の教科書が、5世紀の日本の勢力は朝鮮半島南部まで支配したと書いている。それを世界50か国の学校に発行している。」
韓国人「オックスフォード大学の捏造だ!!」
韓国人以外の一同「ではそれらの捏造を裏付ける証拠は?」
韓国人「・・・・・・韓国に対する愛はないのか!!ー!!」
韓国人は「文化が高い国(朝鮮)」=「大国(支配者」と思ってるみたいだが、「武力が強い国(倭)」=「大国(支配者)」だということがわからないのか?モンゴル帝国みてもあんな頭の悪そうなやつらが世界を支配してたぞ。南朝鮮を倭が植民地にしてたのは間違いなし。
>>623 大宰府(おおみこともちのつかさ)旧筑紫大宰
吉備大宰
国司(くにのみこともち)
古代の「宰」の用法から言っても、「みこともち」の用法から言っても、
宰=ミコト(命令)を持つ者はただの使臣ではない。
命を奉じて何かをやる役職ってことか?
>>441 さわりの方だけだけど、書き起こしてくれた有志がいるので参考までにコピペ。
581 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/04/27(月) 18:32:38
キャスター石沢典夫 立命館大学名誉教授山尾幸久 ホンイク大学教授キムテシク ナレーター?
石 この所のドラマや映画での韓流ブームで、日本と朝鮮半島の交流がずいぶんと進んだという風に言われています。
ナ 弥生時代中期には北部九州の人口の実に八割以上が渡来系で占められたと推定されます。
金 当時の日本人が積極的に先進文物を受け入れようとしてヌクトへ住み着いていたのです。
金 一世紀から三世紀にかけて日本列島に階級が生まれ、それを基盤にして小さな国、小国がたくさん生まれました。
そうした国々は勢力を拡大するために大陸や朝鮮半島に先進的な文物を求めました。しかし、小さな国ではより多くの
優れた文物を手に入れることは困難でした。そこで、他の国よりも優位に立つ為に小国の連合体が整えられていきます。
その過程で三世紀ごろ、日本列島に大和政権が形成されたと思われます。
ナ 古墳からは農具や工具など様々な鉄製品が見つかっています。豊富な鉄は武具にもなりました。金官加耶は鉄製の鎧や
兜で身を固めながら北の高句麗と対抗しました。こうした発掘調査によって加耶地域が金官加耶国を中心に独立した文化圏を
築いたことがわかってきたのです。
ナ シンギョンチョルさんは高句麗に圧迫された金官加耶が、倭に支援を求めたと考えています。加耶軍とともに戦った
倭人の存在が広開土王碑文に記されたのではないかとみています。
シン 古くから親密な加耶からの要請なので倭が来たのは間違いないと思います。しかし、当時の倭には加耶のような重装備
の軍隊は無かったので、同盟のような対等な関係での支援だったとは思えません。倭人は、加耶の鎧と兜で武装したので
現代の感覚でいう救援軍とは言えません。加耶軍の中に倭の傭兵が多く加わったので広開土王碑文に「倭」として現れたの
でしょう。
>>626 でもそれなら任那大宰になるはずだろ
倭宰って表現だからそれと一緒にはできんよ
630 :
628:2009/04/28(火) 11:27:49
誤爆った・・・orz スマソ
>>629 「大」がついてるかどうかなんてたいして関係ないと思うが・・・。
国司だって「くにのみこともち」なんだろ?
ところでこういう特殊な?読み方ってどこでしらべるの?
教授の書いた本を授業で使うからといって買わされた
>>631 地名の話をしてるんだが
筑紫に赴くから筑紫大宰、吉備に赴くから吉備大宰
任那に赴いてるのに倭宰
岩波あたりで日本書紀や続日本紀があって読みがわざとらしいくらい全部和語でふってあるし
角川の辞典でも○○とも読むって感じで古い読みをのせてたりするよ
で、やたら高いんだよね。でも役に立ってるやん。(笑)
倭という地名がもともと朝鮮半島南端を指す言葉だったりしてな
>>618 宋書の夷蛮伝を読む限り、百済がこれに抗議した記述はないし、
百済側が、倭を含む称号を要求したとも記されていない。
ただ、倭国側も百済に朝貢を止めさせるほど強い影響を与えられていないから、
百済は独立国では有ったけど、倭国から軍事的支援を再三受けていたという状態かね?
637 :
日本@名無史さん:2009/04/28(火) 14:19:38
倭宰って鎌倉時代の造語だろ?
638 :
日本@名無史さん:2009/04/28(火) 14:37:46
倭王・武が宋に送った上表文には、
「東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、北のかた
海を渡って、平らげること九十五国」と書かれている。
年代的には、4世紀後半から5世紀初め頃か。
この頃、倭国の支配が朝鮮半島まで及んでいたのは、いろんな文献で
一致する。
なんで百済の朝貢を止める必要があるんだ
「任那之倭宰」
>>639 「使持節都督・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭国王」
の称号を認めさせるには、百済が倭の傘下であることを南朝に認めさせるのが一番。
南朝からすれば、倭王の随員として百済王が朝貢に来るなら、この称号も認められるけど、
依然として単独で朝貢に来てるんだから、百済との冊封体制は継続していると判断されるでしょ。
というか、朝貢国が他国の属国になるのは宋としても到底認められないだろう。
倭国としても百済が宋の朝貢国になってしまっている以上、ごり押しは出来まい。
では百済に朝貢やめさせたらどうなるかというと、それはすなわち皇帝の徳が
東夷の倭王に劣るということになるわけで。皇帝ぶち切れる罠。
そこら辺いい加減なだけだったんじゃね
それに朝貢は儲かるから弟分の百済に朝貢やめろとか
言いにくいとか
儲かるとかじゃなくて、あらゆる知的な文物は
南朝から百済を通して来てたから。
645 :
日本@名無史さん:2009/04/28(火) 19:13:13
隋書の、「新羅、百濟、皆以倭爲大國、多珍物、並敬仰之」の
「多珍物」というのは、新羅や百済にとって珍しいものが多い、
つまり、日本独自のものが多かったというわけで、けっこう先進的なものを
発明していたという風に考えられる。
646 :
日本@名無史さん:2009/04/28(火) 19:46:01
>>642は藩属国と朝貢国を混同してる。
朝貢はどこの国の誰がしてもいいことで
どこかの属国であるかないかは関係ない。
倭の珍物ってなんだろな。
山尾は玉、塩、生口を加耶に提供したとか言ってたが。
「魏志」にみえる青玉、真珠、丹ってとこだろうか。
これだと先進的というよりは天然の産物だな。
648 :
日本@名無史さん:2009/04/28(火) 19:59:35
>>647 「多珍物」のあとは、「並敬仰之」。並びに之を敬い仰ぐ。
すごい国だと尊敬している、というような感じだろう。
唐になると席次で新羅の下になるんだよな
やっぱ白村江で負けたのが大きいな
650 :
日本@名無史さん:2009/04/28(火) 21:56:36
>>649 いや、負けた事よりも唐と戦ったことが全てだろ
同盟を組んだ国と、自分に刃向かってきた国では前者のほうが席次が良いのは当然
吐蕃はしょっちゅう争ってるけど一位だぞ
意味合いが違うだろうけど
唐は統一新羅とも争ってるけどな
唐にとって日本は新羅や吐蕃に比べると遠いし
重要性落ちるからじゃない
654 :
日本@名無史さん:2009/04/28(火) 23:34:15
朝鮮南部には小さな国家群があり
それらをカヤと称した
任那はそのカヤのうちの一つで
そこにあった日本大使館を日本府と呼んだ
日本府はニンナや他のカヤ諸国との外交窓口だった
これでオーケー?
655 :
日本@名無史さん:2009/04/29(水) 02:20:20
モンゴル系で海を渡る力を持ったものが日本列島に渡り日本人になった
そして渡れないものは半島にとどまり朝鮮人になった
サケの川登りと同じ理屈
656 :
日本@名無史さん:2009/04/29(水) 02:45:13
氷河期にマンモスを追って、シベリアに移動した人々がいた。
やがて、マンモスは絶滅。人々は南下を始めた。
樺太経由で日本列島に移動した人が日本人の祖先の一部となり、
大陸伝いに朝鮮半島に移動した人が朝鮮人となった。
という説もあるな。1万2千年ほど前の話ということだが。
657 :
日本@名無史さん:2009/04/29(水) 03:08:45
いずれにせよ サケの場合でいうと 川の上流まで上ったサケは強いが
滝の下でとどまってるサケは弱い ということ
>>654 >任那はそのカヤのうちの一つで
好太王碑文や『宋書』でいう「任那」はそれ。
金官加耶って国(現在の金海市)で6世紀前半に新羅に併合される。
ところが、『日本書紀』に出てくる「任那」は加耶諸国全体をさす
場合がほとんど。『書紀』では、「内官家」(ウチツミヤケ)と呼ばれ、
「帝国日本に服従する諸蕃というかむしろ属領」という認識。
むろん、これは歴史的事実ではなく、無批判に受け取れるものではない。
>そこにあった日本大使館を日本府と呼んだ
任那日本府が『日本書紀』に現れるのは、金官国が新羅に滅ぼされた
後のことで、加耶諸国の一つ、安羅国(今の咸安郡)におかれたこと
から、「安羅日本府」とも書かれ、倭王から派遣された使臣からなる
上級官人と、現地の倭系安羅人からなる下級官人で構成される。
任那復興すなわち新羅に滅ぼされた加耶諸国を再建することを目的に
設置されたはずなのだが、倭王はこれをほとんどコントロールできず、
権力は現地出身の下級官人に握られ、親新羅的行動に終始した。
>日本府はニンナや他のカヤ諸国との外交窓口だった
日本府は加耶諸国の官人とともに、任那復興をとなえる百済王のもと
に呼び集められる。しかし、新羅同様に加耶諸国に対して野望を
抱いていた百済が大義をうたっても、それを見透かしている加耶諸国や
親新羅派の日本府が付いていくはずもなく、百済の目論見は失敗に終わる。
659 :
日本@名無史さん:2009/04/29(水) 07:48:39
661 :
日本@名無史さん:2009/04/29(水) 12:39:21
662 :
日本@名無史さん:2009/04/29(水) 13:39:51
いずれにせよ 今の韓国は 日本人の残りかすってことだろ
663 :
日本@名無史さん:2009/04/29(水) 14:28:32
学問板にはお呼びじゃないのに蛆のように湧いてくる嫌韓厨うざってぇ。
664 :
日本@名無史さん:2009/04/29(水) 14:52:55
この間の番組が話題に出ているけど
これってもっと違う形で番組を作れなかったものかね?
例えば、日本における通説と韓国の通説を紹介して
それぞれの共通点、違う点をだして
無理に一つの見解にしなくて良かったのにね
665 :
日本@名無史さん:2009/04/29(水) 18:08:00
NHKは前も歴史番組で古代に日本の朝鮮半島出兵はなかったと強調していたから
よほどこの事実は朝鮮人にとって嫌らしいな
666 :
日本@名無史さん:2009/04/29(水) 18:13:49
>>665 自分たちの三国史記にすら書いてある事実を否定するんだから、あの国の学者は何を根拠に学説を立ててるんだって話だよな
まったく、妄想で歴史を塗り固める事に関して朝鮮人に勝てる民族はないな
667 :
日本@名無史さん:2009/04/29(水) 18:31:39
>>662 残りカスと高句麗やその周辺の部族や民をバケツに入れて一色に混ざり合うまで
熟成させた奴ら。
668 :
日本@名無史さん:2009/04/29(水) 18:38:31
>>665 「日本軍」による古代の半島侵略は無かったと言ってるんだから
NHKは右翼だねw
669 :
日本@名無史さん:2009/04/29(水) 18:39:57
今朝鮮半島に住んでる人達を朝鮮人と呼ぶ事にする。
朝鮮人は百済人(被支配層と支配層も)、新羅人、高句麗人を自分達と同視してるが
現朝鮮人はそれらと高句麗北方&周辺の部族等とのブレンドだろーが。
日本人は縄文系の南からの人たちや北方の人達、百済新羅高句麗、バイカル湖周辺や
長江周辺等のブレンド。
倭が傭兵だったとか見苦しいあがきで痛々しい。
671 :
日本@名無史さん:2009/04/30(木) 20:57:09
倭っていうのは江南あたりの海民っていわれてるよね。南方海民には他に東南アジア系もありますが。
この倭が大陸沿岸を開拓しつつ(港を開きつつ)容易に攻めてこられない列島に徐々に軸を移した。もともと文化水準も高かった。
で、この倭を橋渡しにしていろんな人たちが渡ってきた。百済や新羅や加羅もちろんですが、楽浪郡の漢人とか…
一方、日本列島にはすでに先住の人々がいた。
これでいい?
時代も書いとけば良いかも
673 :
日本@名無史さん:2009/04/30(木) 21:48:58
>>660 >>658は「ただの自説」ではなく、ほとんど欽明紀の内容だ。
ただ、任那日本府が置かれたのが「任那の復興」が目的だったかというと、
それは欽明紀には書かれていない。
674 :
日本@名無史さん:2009/04/30(木) 22:03:20
それでは任那日本府はなんのために置かれたか。
ここから先が
>>658ではない私の自説だが、任那日本府は全羅南道の倭領
を百済に譲渡した後の、倭人行政官たちの収容所だと思う。
収容所と言っても、安羅にしかるべき領地を提供させて、行政官たちを
領主の形で住まわせたものだ。
行政官たちは、元の地位にあってはまさに任那倭宰、すなわち「ミマナノ
ヤマトノミコトモチ」であった。それが失職して安羅で徒食していても、
便宜的にもとの職名で呼ばれていたのだ。
このような実態だから、欽明紀に表れるように、地位としては他の
任那諸国とたいして変わらないし、百済への反感から親新羅にもなるのだ。
675 :
日本@名無史さん:2009/04/30(木) 22:42:32
任那なんてちっぽけな存在はどうでもいい
朝鮮半島南部の新羅や百済が日本の勢力下にあったことははっきりとしているわけだから
676 :
日本@名無史さん:2009/04/30(木) 22:56:11
田母神乙
ネトウヨ乙
677 :
日本@名無史さん:2009/04/30(木) 23:16:42
嫌韓厨=日本人を装う台湾人朝鮮煙幕部隊
ひょっとして、もうこれ常識だった?w
678 :
日本@名無史さん:2009/05/01(金) 00:12:55
>>641 使持節都督
とはどんな役職なのでしょうか?
イメージ的に節度使のちょっと弱い奴だな
節を与えられてそれに伴う権限も分与された奴、みたいな
>>673 >ほとんど欽明紀の内容だ。
バレたかw
さすが分かる人には分かるんだね。
>>674 >行政官たちは、元の地位にあってはまさに任那倭宰、すなわち「ミマナノ
>ヤマトノミコトモチ」であった。
『日本書紀』で用いられる広義の「任那」は、加耶諸国のことであって、
その範囲はおおよそ慶尚南道ほぼ全域および慶尚北道の一部。
したがって、御説で倭人行政官たちがいたといわれる全羅南道は
「任那」には含まれない。全羅南道は馬韓諸国の故地のはずだ。
よって、元の地位が任那倭宰だったというのには疑問符が付く。
それに、御説に従えば、その倭人行政官は「日本府」の上級官人になった
と思われるが、任地が全羅南道から慶尚南道方面に変わったとはいえ、
それなりに現地の事情に通じているはずの彼らがなぜ易々と下僚の倭系
加耶人に主導権を握られてしまったのかという疑問もある。
すなわち、「日本府」の上官は倭王の派遣した、おそらく交代制の使臣で、
現地の情勢に暗く、倭系加耶人の下僚に頼るしかなかったのではないかと。
>>678 「使持節」の「節」は元をたどれば割符の意で、将軍が皇帝から軍事に
関する専殺権を与えられていることの証。節刀や節鉞もこの類。
軍事専断権である節を持つ資格が、持節であり、権限の大きいものから、
使持節、持節、仮節とある。
都督諸軍事は、一定地域について皇帝の軍事大権を委任される官。
東晋や劉宋の時代には、州刺史や州将が都督某州諸軍事となって、
複数の州を管轄する場合があり、軍管区的支配を行ったという。
以上、山尾幸久氏の受け売り。
683 :
日本@名無史さん:2009/05/01(金) 10:18:03
もう一度日本が朝鮮を支配して調べればいろいろわかるかもね。
684 :
日本@名無史さん:2009/05/01(金) 10:24:39
奴らは日本側に有利となるような遺跡は埋めてしまうんだから
闇ですよ
685 :
日本@名無史さん:2009/05/01(金) 12:37:39
韓人 「我々に文化財がないのは日帝が全て燃やしてしまったからだ」
おまえら 「韓国に倭人の遺跡がないのは韓人が全て埋めてしまったからだ」
おまえら=韓人
686 :
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2009/05/01(金) 13:18:36
∧_∧ ホルホル
<丶`∀´> ウリたち在日は韓国ネチズンやチョッパリ嫌韓厨よりも優秀な存在ニダ
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_
\/ /
 ̄ ̄ ̄
687 :
日本@名無史さん:2009/05/01(金) 13:50:47
>>681 >バレたかw
>さすが分かる人には分かるんだね。
いや、欽明紀を解説してくれるのは大いに有り難い。
任那日本府が出て来るのはほとんど欽明紀に限られるのに、その欽明紀に
書かれた任那日本府の情けない姿が議論のベースになることがあまりにも
少ないから。
>倭人行政官たちがいたといわれる全羅南道は 「任那」には含まれない。
そんなことはない。継体紀6年12月の条に、百済が「表たてまつりて
任那国の上多利、下多利、娑陀、牟褸(ネなし)、四つの県を請う」とある。
同じ条のすこし後に「表に依りて任那の四県を賜う」とある。
もちろん、四県とは全羅南道にある倭の直轄領のことだ。
>「日本府」の上官は倭王の派遣した、おそらく交代制の使臣で、
元全羅南道の行政官だったのであれば任地では土着かつ世襲だったと思う。
なぜなら彼らは前方後円墳を築いたのだから。
安羅で現地人に実権を握られたのは、「居候」の立場だったからではないか。
688 :
日本@名無史さん:2009/05/01(金) 17:23:30
任那も新羅も百済も当時のヤマトから見ればちっこいちっこい
話にならんw
689 :
日本@名無史さん:2009/05/01(金) 18:04:17
>>683 35年間も支配しながら、大盛洞も前方後円墳も見つけなかったのに?
>>689 古墳を調べる前に、原始的な朝鮮の社会インフラを整え、耕地を増やし、鉱工業を興し、
文盲の民に教育を施し、といった仕事がそれこそ山積みだったからね。
691 :
日本@名無史さん:2009/05/01(金) 18:59:56
韓国人って朝鮮総督府時代に分かった自分たちに都合の良くなかった事とか全部「日帝の捏造だ」とか言い張ってるよな
>>690 ああ今のチベットで中国がしてることと同じだよね
693 :
日本@名無史さん:2009/05/01(金) 19:56:32
>>692 ん? チベットが中国に併合を要請したとは聞いてないし、
ダライ・ラマを始めとする指導者層が、李王家や朝鮮貴族のように
特権階級として中国共産党に迎え入れられたとも聞いてないが。w
695 :
日本@名無史さん:2009/05/01(金) 22:51:42
>>693 チベットまで鉄道を敷いたのはインフラ整備じゃないのか?
696 :
日本@名無史さん:2009/05/01(金) 23:20:09
北京オリンピックにチベット人選手などいたか?
>>689 原始時代の国を開発したんだからその労力は計り知れない。
何千年もタームワープしたんだぜ。
>>695 >チベットまで鉄道を敷いたのはインフラ整備じゃないのか?
漢人を運び漢化しやすくするため。
チベット人にとっては迷惑な話。
朝鮮のように自ら「日本化を願った」のと訳が違う。
好太王碑の改竄説は完全に否定されたのに未だに歴史の本じゃ「王碑の内容は疑問視されている」とか
「倭が朝鮮半島を支配した事実は無い」とか書いて訂正する気配はなし。どんだけ朝鮮に媚びてるんだか
701 :
日本@名無史さん:2009/05/02(土) 17:05:50
>>699 ほう、チベット人が願ったものでなければ鉄道もインフラじゃないのか。
>>701 インフラだよ。
しかし迷惑だと言ってる。
言っておくが俺は>693ではない。
704 :
日本@名無史さん:2009/05/02(土) 20:58:07
中共による「チベット開放」が1950年。経済支援が1980年代から。チベット鉄道全線開通が2006年。
日本は当時国家予算の20%を投入し続けてインフラ整備。人口は倍に。統治のためにそれこそ考古学の調査どころではなかったでしょ。
もちろん状況が違うから、単純な比較は厳しいし、ましてや「チベットで中国がしてることと同じ」と簡単に言えることではないですね。
705 :
日本@名無史さん:2009/05/02(土) 21:17:53
とうとうチョンがプライドのために
古代の日本の歴史まで手を付けはじめたという事ですか?
放送大学もNHKも普通に朝鮮から文化をもらったとなってるんですが。
706 :
日本@名無史さん:2009/05/02(土) 22:13:37
統治は政治家の仕事、考古学は学者の仕事で、交差することはないのだが。
707 :
日本@名無史さん:2009/05/03(日) 05:52:24
>>703 朝鮮の鉄道だって、当時の朝鮮人は「迷惑だ」と言ったかもしらんよ。
中国の義和団の乱も、民衆による、外国人が敷設した鉄道の破壊で始まった。
>「迷惑だ」と言ったかもしらんよ。
かもしらんよではダメだ。
朝鮮人が日本化を希望し、
第三者から日本人に見られることを希望したのは事実。
実際、名前も日本風に変え、
中国大陸では日本人に化け、
中国人を積年のあだ討ちとばかりにいじめた。
その最低の朝鮮と、
希望もしないのに漢化を進められてるチベットを同じにするな。
709 :
日本@名無史さん:2009/05/03(日) 08:08:58
そのチベット人も、何十年かすれば名前を中国風に変え、外国では
中国人とみられることを希望するようになるさ。
大国による支配というものの、どうしようもない事実だ。
>>709 アホか。
おまえは世界各地に亡命してるチベット人に対しても、
それと同じ事が言えるのか?
死んだって中国人と同じに見られたくないと思ってるはずだ。
711 :
日本@名無史さん:2009/05/03(日) 09:13:13
朝鮮には関わらない方がいい
キチガイウヨが暴れて居マース
恐いでちゅねー
>>709 中共のチベット併合から既に数十年たってますが
714 :
日本@名無史さん:2009/05/03(日) 13:33:10
>>713 インフラができてからの数十年だ。
インフラのおかげですでに中国人がなだれ込み始めている。
715 :
日本@名無史さん:2009/05/03(日) 13:42:27
>>710 朝鮮人にだって亡命者はいたさ。金日成もその一人だ。
>>715 日露戦争後の名誉に憧れ、ほとんどが日本人になろうとした朝鮮人と、
ほとんどが死んでも漢人などになりたくないチベット人を一緒にするなドアホ。
717 :
日本@名無史さん:2009/05/03(日) 16:50:36
↑
>ほとんどが日本人になろうとした朝鮮人と
>ほとんどが日本人になろうとした朝鮮人と
>ほとんどが日本人になろうとした朝鮮人と
>ほとんどが日本人になろうとした朝鮮人と
>ほとんどが日本人になろうとした朝鮮人と
>ほとんどが日本人になろうとした朝鮮人と
キチガイウヨ降臨w
718 :
日本@名無史さん:2009/05/03(日) 17:04:10
719 :
日本@名無史さん:2009/05/03(日) 17:35:22
>>717 韓国名のまま出世した人もいたということは、
日本名を名乗ったほとんどの朝鮮人は、
自分達で望んで日本名をつけたという事だからね。
君の祖先の恥ずかしい歴史を直視しなさいw
朝鮮人は源義経はチンギスハーンと同レベルな事を真顔で言っちゃうからタチが悪い
>>720 内心、忸怩たる所はあったろうけどね。
しかし、特亜のやつらがアメリカに行くと、
ボブとかエリザベスとかセカンドネーム付けるのが普通らしいし。
自分の名前にプライドとか無いのかもしれん。
>>722 >自分の名前にプライドとか無いのかもしれん。
そりゃそうさ、今の名前だって中国人の名前をパクったんだし。
中国人より中国らしいしなw
>>714 中国人がチベットになだれ込み始めて、その結果ますますチベット人の反中感情は高まってるようですけどね
言うこと支離滅裂ですな
正直、話を一度まとめて欲しいんだけど
南朝鮮における「大和王権の支配の痕跡」ってどうなの?
最近の教科書には「任那日本府はなかった」という記述があるけど...
奇説のまえに、日本学界の主流というのを聞かせてよ
727 :
日本@名無史さん:2009/05/04(月) 17:39:59
>>726 ほんとにそうなってんの?どこの教科書?中学高校?
>>727 いやそもそもあった、なんてかいてる教科書なんてどこにあんの?
スルーされてるのが現状と言う気がするんだけど実際のとこはどうなん?
730 :
日本@名無史さん:2009/05/04(月) 20:06:37
加羅地方が日本の影響下にあったのみならず
日本人が直接統治していたとなれば
朝鮮の金さんが悲鳴を挙げる
といってもペクチョンが殆ど勝手に子孫だと偽ってるだけなんだけどな
731 :
日本@名無史さん:2009/05/04(月) 20:08:08
日本人は別にあ〜対馬の海を渡っていろいろやってたんだなってぐらいの認識なんだが
「金」さんからすれば絶対に譲れない問題
数々の記述を無視し半島の反発を招かないように書いてある歴史教科書は
もはや歴史読本、歴史群像以下の価値しかない
733 :
日本@名無史さん:2009/05/05(火) 08:26:46
その他国の感情とやらが嘘と見栄を基にしてるんだから尚更始末が悪い
嘘と見栄に歴史がねじ曲げられてるってわけだ
734 :
日本@名無史さん:2009/05/05(火) 11:21:57
任那なんてなかったんだよ。
任那日本府なんてなかったんだよ。
捏造日朝関係史はハン板でやれ。
朝鮮人は来るな!
736 :
日本@名無史さん:2009/05/05(火) 13:12:03
あのころの朝鮮半島は小国分立で戦乱状態。
かたや日本は安定かつ強大な政権があって超巨大古墳を造りまくり。
これを素直に見れば日本が朝鮮半島に勢力を拡大できても
その逆はありえないと用意に納得できるはずなのに
馬鹿チョンはそう考えられない。
半島から日本を追い出すことが出来たのは新羅の半島における勢力が
圧倒的になってから
正史三国志に記述された三韓及び倭の戸数
馬韓(合計50余国)……10万戸 弁韓+辰韓(合計24カ国)……4〜5万戸
倭(合計8国)……15万戸以上
倭の場合、邪馬台国は30ヶ国あまりの国を支配下に置いていたが、戸数が記されているのは大陸から邪馬台国の
道程にあった国だけである。他の20ヶ国以上は記されていない。全てを合計すると、邪馬台国だけで戸数は蜀を
上回っているだろう。倭はそれだけの人口を抱えていたのである。これだけでも、半島が日本に勢力を伸ばす
事など夢物語であろう。因みに当時の三国の戸数も記しておく。魏…64万戸 呉…52万3000戸 蜀…28万戸
他の20カ国以上、てのの戸数が載ってる文献って何?
739 :
日本@名無史さん:2009/05/05(火) 18:10:55
>>101 まあお前がチョンならそれは困るんだろうけど
立ち退いてもらえるならそれでいいじゃん
土地は貰っておこう、人はいらないから
全部北朝鮮に移住してもらって、
ついでに在日と明治以降の帰化人も引き取ってもらおう
>>738 737の数字は、魏志倭人伝だよ。三国志魏書東夷伝倭人条が正式かな。
あっ、60万の間違い
それから、
>>734は学界の定説
古事記になくて後出しの日本書紀にある事が全てだ
半島史料になくて後出しの日本書紀に書いてあることが、
ウリナラが日本に文化を伝えてやったニダ説の全てだ。
>>742 200万人というのは、40万戸〜60万戸くらい?
蜀の人口が28万戸で100万人弱、動員兵力10万強だっけ。
倭の統治機構は蜀漢ほど整備されてなかったろうが。
>>743 そもそも古事記の後半は内容スカスカなわけだが。
>>745 >>742は肝心な数字を書き間違えてすぐ下で60万に訂正してるうっかり者
だしな。w
>>742のリンク先の59万というのは小山修三説に拠っているんだろうけど、
現在は小山氏当人が弥生末にはすでに100万を超えただろうと訂正しているので、
倭国は少なくとも蜀(94万)以上の国力はあったことになるよね。
>>747 なるほどインドはイギリスよりも国力があるわけだ
>>748 産業革命以前は、人口イコール国力だと思って良い。
主要産業である農業生産に必要な労働力に、人間が欠かせなかったから。
イギリスがインドのGDPを抜くのは20世紀初頭だっけな。とにかくインドの利益はあまりに
大きかったから統治に固執したんだよなイギリス
小山や埴原なんて50年前の説だろ?
蜀漢は塩や鉄を専売にしてたからさすがに倭より国力が低かったなんてことはねーよ
>>705 5月から放映してる放送大学の「日本の古代」(2005年製作)を見たけど、
極端に朝鮮を持ち上げたりはしてなかったけど?
広開土王碑の解釈も、日本の軍事支配の時期はあったという方向だったし。
七支刀やら鉄剣やらも、百済が日本への軍事支援要請の贈り物というように紹介していたし。
ただし、「日本美術史」の先生の方は、従来的な、
朝鮮から文化が、というような事ばっかり言ってたね。
ただ、古墳壁画の源流の具体例は全部中国の物だったけど。
754 :
日本@名無史さん:2009/05/08(金) 03:03:42
倭国という凶暴な蛮族を、秦韓人の技術や律令、百済の仏教文化によって刺青も無くなり
民度が上がったのは確かかな。ただ未だに韓国は所詮新羅なんだなって思う今日この頃だ。
百済から来ようと新羅から来ようと、日本人・百済人・新羅人の全てが中華の文明を求めていたのは事実。
名前まで中国風に変更する半島においては顕著だろ。
日本人の欲しかったのは中国の「先進」文化文明。
半島からの希釈されて味の無くなった文化文明では飽き足ら無かったのは事実。
実際、遣隋使・遣唐使によって日本の中華文化文明は形作られた。
仏教だって、鑑真・空海・最澄がリセットしてるし。
半島から伝わった仏教なんて、上書きされて影も形も無いんじゃねーの。
残っててもドマイナーだよ。
>>754 アホ言え。日本は元から高いんじゃ。未だに新羅程度ってことは鮮人は元から低いってわけだ
757 :
日本@名無史さん:2009/05/08(金) 08:39:08
日本古代書は中国文化の陰陽と漢字表記だが、古神道や風土逸話などからもみれて、九州日向属と大和に出雲属 肝心の出雲は出雲属でなく渡来鉄属と箸文化持つ大山昨系で、後に大陸奥地から朝鮮半島流入王家と別者みたい。古代から亡命朝鮮からの秦はいて粗密入れる。
自分とこの名前、地名を漢字で表記して
伝統的な動物名などからから好字二字名にかえたり
日本が中国風になってないとでも思ってるのか?
759 :
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2009/05/08(金) 10:25:20
日本が中国風になってないとでも思ってるニカ!!
∧_∧
∩#`Д´>/ ̄ ̄/ バン
( ミつ_// LG / バン
{二二} 三三}
 ̄ ̄ ̄ ̄"
朝鮮は”中国風”じゃなくて、まんま中国名だよね。w
760 :
日本@名無史さん:2009/05/08(金) 15:41:25
761 :
日本@名無史さん:2009/05/08(金) 15:53:59
762 :
日本@名無史さん:2009/05/08(金) 17:18:16
■天皇家の起源は韓国 朝鮮が本家で日本は分家
海音寺 「魏志倭人伝」の記述を真正直に読めば、倭の境は朝鮮半島にありますね。
つまり、三国志の頃の中国人は南朝鮮から日本列島にかけての地域全体を倭・日本と考えていたのですね。
ですからおそらく南朝鮮の人間と日本人とは同種族でしょう。
司馬 同じだと思いますね。 「古事記」だったか「日本書紀」だったかにも、スサノオ尊は朝鮮南部とさかんに
ゆききして、晩年はソシモリというところに隠棲したということになっておりますね。
その子のなんとかの命も、日韓を往復し、朝鮮の植物をうんと持って来て日本に植えた、ということになっていますね。
海音寺 辞林の著者の金沢庄三郎博士・あの人は言語学上から日韓同祖説を唱えていますね。
同祖説の最初の人ですね。
今日の日本の学者の中にもそういう人がいないではない。
騎馬民族説の江上博士なぞは、向うの方から、征服民族ですが、渡って来ているといってるんですね。
古代の一時期、朝鮮南端は日本の天皇家及び天皇家をとりまいている貴族らの根拠地であったという風に、江上博士は言ってますね。
最近の朝鮮の学者たちにもその説の人が多く、こっちが本家で、日本が分家だという説なんですね。
http://www1.megaegg.ne.jp/~myfriend/higeki.htm つまり朝鮮半島南部の百済人や新羅人が日本列島に移住して大和朝廷を作ったということで決まりだね
実は天皇家も百済王家の分家だったということで子孫は韓国人だったわけだ
763 :
日本@名無史さん:2009/05/08(金) 18:15:49
ま、任那なんてなかったんだけどね。
764 :
日本@名無史さん:2009/05/08(金) 18:45:47
海音寺潮五郎、司馬遼太郎、松本清張、黒岩 重吾などの小説家が歴史を語っても何も意味がないのだが。
765 :
日本@名無史さん:2009/05/08(金) 18:48:18
自分たちの先祖が作った歴史書にも同時代の中国の書籍にも
「日本の属国」
って書いてるのに、どうしてこうねじ曲がった考えするのかね。
766 :
日本@名無史さん:2009/05/08(金) 18:58:29
>>761 山尾はそんなことは言っていなかったが。
もしかして、貴方は日本語が母国語ではないのかな
768 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 01:19:10
>>767 傭兵の話は韓国人学者の方だと?
両者全体としてそういう話だったよ。
769 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 01:58:49
770 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 02:07:59
771 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 02:39:41
>>769 立命の建物の裏階段は「民青新聞」「赤旗」「祖国と青年」「京都新報」が山積みだった記憶がある。
今は知らんよ。
773 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 06:51:05
■ETV特集「第1回 古代 人々は海峡を越えた」 日本と朝鮮半島2000年
この番組で立命館大学名誉教授 山尾幸久教授が認めたこと
1 稲作は最新文化や技術を持った朝鮮半島から日本に伝えられた
2 任那日本府とは鉄製の技術を持っていた加羅が高句麗と戦うために倭が欲しがっていた鉄と
引き換えに倭国人を労働力として雇いついには戦争に戦闘要員として利用したりした
朝鮮半島南部にたくさん移り住んでいた倭人の集落群のこと
3 仏教は中国から百済を経由して日本に伝わったが、百済は単なる仏教の中継地点ではなく
日本はあくまで百済仏教を輸入した、中国仏教ではない百済人が選んだ百済の仏教を
日本は受け入れた、それによって飛鳥文化が誕生し言語(音読み・訓読み)が生まれた
4 7世紀末、百済と高句麗が滅亡し多くの百済人や高句麗人達が日本に移民した
大半が貴族や高い知識を持った高官達で大和政権は彼らを高い役職につけて先進文化を
吸収し日本の古代国家の形成に大きな改革をもたらし日本を成熟した国家にした
[感想]
まるで韓国人のお陰で日本が成立したと言わんばかりの番組だったね
稲作も仏教も半島南部に住んでいた倭人達も、そして古代日本国が形成されたのは滅亡した
百済・高句麗から渡来してきた貴族や高官達のおかげみたいな言い回し
しかも山尾教授が認めてたw
韓国の学者は一貫して先進文化は韓国から日本に伝わったと主張を最後まで変えなかったのに
日本の学者のへたれぶりに呆れるよwでも事実だから仕方ないかw
>>771 たとえその教授の言う事が事実でも、先進文明があるからそれを手に入れるためには命をかける。
そういう気概が大事なんだけどな。
朝鮮人がよく言う、高いところから低いところに流れる様に文化が云々。
そんな受動的な態度で文化や文明は手に入らないよ。
19世紀の日本と中韓の対応の差に如実に現れている。
真剣にヨーロッパを学んだ日本と日本の成功を見てから動いた中国。
何もできなかった朝鮮。
日本人が先進文明を欲しがったら朝鮮半島にある文明なんてすぐに涸れ井戸状態。
底が浅いのは目に見えている。
半島を倭が占領していた史料は相変わらず無視かw
日本由来の武具がたくさん出土することを誤魔化すために
日本人傭兵云々という詭弁をひねり出したわけだ
776 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 08:34:08
高天原は朝鮮半島で、天孫降臨神話は半島から渡来した勢力による征服の神話化。
応神大王は金官加羅からやってきた傭兵隊長。
777 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 08:53:40
778 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 09:07:25
>>773 1 稲作は最新文化や技術を持った朝鮮半島南部の倭人集団から日本の倭人集団に伝えられた
2 任那日本府とは鉄製の技術を持っていた加羅(倭人国家)が高句麗と戦うために列島倭人が欲しがっていた鉄と
引き換えに倭国人を労働力として雇いついには戦争に戦闘要員として利用したりした
朝鮮半島南部にたくさん移り住んでいた倭人の集落群のこと
3 仏教は中国から百済を経由して日本に伝わったが、百済は単なる仏教の中継地点ではなく
日本はあくまで百済仏教を輸入した、中国仏教ではない百済人が選んだ百済の仏教を
日本は受け入れた、それによって飛鳥文化が誕生し言語(音読み・訓読み)が生まれた
後に半島経由では仏教の真髄が得られないので遣隋使、遣唐使を留学させて直接、インド仏教をサンスクリット原典で学んだ。
4 7世紀末、百済と高句麗が滅亡し多くの百済人や高句麗人達が日本に移民した
大半が貴族や高い知識を持った高官達で大和政権は彼らを高い役職につけてシナ、インド、西域の先進文化を
吸収し日本の古代国家の形成に大きな改革をもたらし日本を成熟した国家にした
>>775 ホントに連中は、狂気の沙汰だな。
百済は、傭兵隊長のところに太子を人質に出すのか。
780 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 13:23:19
>>773 「労働力」という言葉も使ったが、それより「生口(=奴隷)」という言葉も出したことが重要。
「卑弥呼が魏帝に生口を献上した」というのと同じで、明らかに、朝鮮半島に対して日本を
貶める目的での発言だよ。
今日の13時30分から、BS2で、
例のETV特集日本と朝鮮半島2000年(1)「古代 人々は海峡を越えた」の放送があるよ。
見られなかった人は、今すぐテレビつけて。
782 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 13:43:26
NHKってなんであんな韓国びいきの(ねつ造)番組つくるんだ
奴隷や生口、もしくは倭軍の戦闘の上官に前方後円墳なんて作るだろうか
相当位の高い人が加羅に駐在してなければあんな古墳作らないだろ普通
でもそこはスルー
駐在したからって駐在先に古墳つくらんわな。
古墳つくったと言うことは現地で個人的な動員力があった=現地を支配していた ということ。
784 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 14:41:16
新羅が奴隷や傭兵の母国に人質まで差し出すかよ?
半島の歴史書にまで書いてあるんだからさ。
内外の史料が一致しているのに認めないなら、歴史学なんて成り立たないだろう。
鉄と交換できるような倭の産物と言ったら「翡翠」「貝輪」と「生口」くらいしか無いだろう。
生口と言えば、女は性奴隷兼家事労働、男だったら戦闘要員つーのはもっともな用途。
これは事実として認めなくては。
同じことは、世界中、何時の時代でも行われていること。
ただ、あまりに大量に倭人が輸出されたので、その存在が大きくなりすぎてしまったのだ。
軍団単位で輸出されて、それが現地の勢力を凌いでしまい、半独立状態になり、
半島南端部に倭人集団が形成されたのだと思うよ。
鉄と交換で傭兵輸出するんだったら、その傭兵で国ごと乗っ取っちゃえばいいじゃん
倭に傭兵頼まなきゃならんほど軍事力が劣ってるんだから、乗っ取りも簡単でしょ
エジプトにもマムルーク朝ってあるんだが
>>784 > 新羅が奴隷や傭兵の母国に人質まで差し出すかよ?
> 半島の歴史書にまで書いてあるんだからさ。
> 内外の史料が一致しているのに認めないなら、歴史学なんて成り立たないだろう。
人質を差し出すような国相手だからと言って、奴隷を輸出したはいけないのか?
現代のアメリカやロシアだって、日本に売春婦を「輸出」してくるじゃないか。
>>786 > 鉄と交換で傭兵輸出するんだったら、その傭兵で国ごと乗っ取っちゃえばいいじゃん
> 倭に傭兵頼まなきゃならんほど軍事力が劣ってるんだから、乗っ取りも簡単でしょ
出来ればやりたいところだったろうが、そうは行かなかったみたいだね。
もっと強いところ(唐)が出張ってきてしまったので。
789 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 15:06:26
>>785 交換してもらうどころか、もともと半島南部は古代から倭人の勢力範囲だったろ。
騎馬民族かなんかが来たみたいだけど、倭国に傭兵にしてもらって住まわせて
もらったのは、むしろあっちの方だろ。
>>788 広開土王碑が建てられたのは414年
唐の建国は618年
脳に蛆でも湧いてるの?
791 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 15:24:23
>>789 韓と倭の接点
韓伝の最後に辰韓・弁辰の二十四国の中に弁辰涜廬(とくろ)国という国があり倭
と界を接している、と記されています。「東西海をもって限りとなし、南は倭と接す」か
ら始まって最後の段で、「弁辰涜廬国、倭と界を接す」となっているので、三韓(馬
韓、辰韓、弁韓=弁辰)とは別のものとして倭があり、その倭と接しているのは弁辰
涜廬国である、という理解になると思います。
一方、倭人伝では行程上最初に出てくる倭地が狗邪韓国です。ということを素直
に読めば弁辰涜廬国と狗邪韓国が界を接しているということになると思います。この
両国がどの辺りであったかということですが、涜廬は韓国読みではトンノとなるよう
で、釜山の少し北方にある東莱(トンネー)が発音も近く、有力候補と考えられます。
一方、釜山からは縄文土器が沢山見つかっており、縄文時代から日本列島の人々
と交流があったことを示しております。また、その中心部には「カヤドン」と呼ばれて
いる場所があります。以上はわずかな痕跡ですが、狗邪韓国は洛東江の左岸(東
側)の釜山付近が最有力と考えられます。
http://home.b06.itscom.net/kodaishi/page012.html また、半島南部の海岸地帯の中央部付近には浦上八国と言われた倭人の国々
があったと考えられます。位置的には弁辰の西南になると思われます。卑弥呼が魏
に使者を遣わした時代の少し前になりますが、三国史記の新羅本紀によれば、奈解
王14年(209)に浦上八国が伽耶を攻めるので伽耶が新羅(辰韓)に助けを求め、新
羅が兵を派遣して浦上八国の軍勢を破ったという記録があります。このことから考え
て半島南部の倭人の国々はかなりの勢力を持っていたと考えられます。
http://home.b06.itscom.net/kodaishi/page011.html 第232回 魏志倭人伝を読む その3
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku232.htm
792 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 15:25:51
>>791 魏志倭人伝の距離に関する記述からして、「其の北岸狗邪韓国」を倭国領としなければ
計算が合わない。これが後の広開土王碑文に出てくる任那加羅や任那日本府と
直結しているのだろう。
793 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 15:27:33
犬猫寄生虫ジャマイカw
論理的に物事を筋道たてて考えられるようなら
韓国人なんてやってられないわさ。
>>790 >
>>788 > 広開土王碑が建てられたのは414年
> 唐の建国は618年
> 脳に蛆でも湧いてるの?
200年かかって、結局挫折したんだよ。
795 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 15:31:43
>>789 >
>>785 > 交換してもらうどころか、もともと半島南部は古代から倭人の勢力範囲だったろ。
> 騎馬民族かなんかが来たみたいだけど、倭国に傭兵にしてもらって住まわせて
> もらったのは、むしろあっちの方だろ。
鉄が出るの弁辰域だが・・・・そこを倭人が支配していたとも思えないが。
魏志韓伝に書かれている弁辰は倭に風俗は近いと書かれているが別物だよ。
半島南端部に倭人国が在ったとか言う説もあるにはあるが、
九州側の倭人は鉄を得る為には奴隷貿易が必要なことに違いは無い。
>>794 なぜ200年かかって挫折したの?
軍事力を他国に頼ってる状態でなぜ200年乗っ取られずに済んだの?
1次史料に基づき理由を述べてね、脳軟化症患者くん
798 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 15:46:03
「広開土王碑」には倭を誇張して書かれているとか言ってたな
韓国の学者は戦闘要員として送り込まれた倭人達があまりにたくさん増えて
高句麗と戦ったので倭人と戦ったと勘違いしたんでしょうとか言ってたw
つまり「広開土王碑」に記載されてるような高句麗と激戦を繰り広げていたのは
金管加羅の軍隊でありその中に派遣されてきた倭人を高句麗軍は倭と戦っていたと
勘違いし広開土王碑に書き込んだと・・w
んなわけないだろwww
>>785 韓国の古墳にクスノキの棺 鉄の見返り、日本から運ぶ?
朝鮮半島からもたらされた鉄の見返りに、日本から何が運ばれたのか。古代史最大級の
謎に、新たな仮説が登場した。木材だ。韓国南部の古墳で昨年、朝鮮半島では自生しない
クスノキの棺が発見されたからだ。中国を含む東アジアに特定の樹木を貴ぶ文化があった
という新しい歴史像も浮上している。
木棺が見つかったのは、慶尚南道昌寧郡の松●洞古墳群(全23基)の7号墳(5世紀末〜
6世紀初頭)。当時一帯は加耶(かや)と呼ばれ、小さな国がいくつもあり、7号墳は、そうし
た国の支配者のものとみられる。
国立昌原文化財研究所の池炳穆(チ・ビョンモク)所長が1月に早稲田大で開かれた研究会
に参加し、調査の概要を日本で初めて報告した。
木棺は長さ3.3メートル、幅0.8メートル、高さ40センチほどで重さは258キロ。科学的分
析の結果、昨年秋クスノキと判明した。
照葉樹のクスノキは朝鮮半島には自生しない。済州島にはあるが、大きく育たない。古墳の
構造や土器の様式から、昌寧一帯は新羅の強い影響下にあったとみられるが、済州島は
新羅と敵対する百済の領地だった。台湾や中国南部にはあるが、これも遠隔地。こうした点
から、「近い日本から運ばれた可能性が高い」と池所長は考える。
魏志倭人伝にも倭国の産物としてクスノキが記されている。虫がつきにくく長持ちするのが
特徴で、特産品として知られていた可能性が高い。
分析結果を受け、早稲田大の李成市教授(朝鮮史)は、過去に韓国の古墳で発見された木
材類を改めて調査。すると、百済や新羅の多くの古墳でクスノキやコウヤマキの木片があっ
た。コウヤマキは日本にしかない木だ。
ソース:朝日新聞2006年2月20日付け記事
800 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 16:19:26
>>796 >魏志韓伝に書かれている弁辰は倭に風俗は近いと・・・・
弁辰住民も鯨面文身習俗と書いてあるというの?
>>797 現地の将軍たちがヘタレだったからだろう。
ヘタレぶりは日本書紀に書いてあるとおりだ。
所詮、出稼ぎ軍団だ。
目先の小さな利益に拘って大利を逸したのだ。
実際、チャンスがあったかどうかは知らんが。
それとね。
キミの煽りは実にツマラナイ。
オレの脳みその心配なんかしてるヒマがあったら、
自分の将来のことでも考えた方が善いと思うよ。
>>800 >
>>796 > >魏志韓伝に書かれている弁辰は倭に風俗は近いと・・・・
> 弁辰住民も鯨面文身習俗と書いてあるというの?
>今辰韓人皆褊頭。男女近倭、亦文身(魏志韓伝)
804 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 16:52:11
>>799 台与の朝貢品に「丹木」と言うのもあります。
どういうものなのかわかりませんが、これも輸出できた木材でしょうね。
>>801 そんなヘタレな出稼ぎ軍団なら傭兵にする意味ないじゃん
加羅諸国の鉄って、そんなへタレ傭兵と交換できるほど安っぽいものだったの?
なんで、悉くつじつまの合わない事ほざけるの?
やっぱり脳に障害があるとしか思えないんだな〜
それからキミの心配なんかしてないよ
バカにして笑ってるだけ
気づかなかった?
807 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 19:07:33
新羅に調を求めていたから、税として納めさせてたんじゃないの?
むしろ、任那がヤマトの勢力圏なら、百済や新羅が鉄を求めてヤマトに人を差し出していたかも。
学者や技術者や奴隷を
808 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 19:11:38
好太王碑で倭族の半島における進出が史実になってしまったってのもあるけど
もともと加羅地方の人は一般の朝鮮とは異なっているっていうのは
昔から朝鮮人自身が認めるところだったんだよ
彼らはそのルーツをインド人とか呉の難民だとか想定していたんだが
あまりに倭の影響を受けた遺物がその地方で出土
どうも倭が大勢来ていて加羅地方の人たちのルーツは倭人らしいってことになってきた
それで、彼らが捻りだした解釈が奴隷説
ちなみに加羅地方の人は色が浅黒く目が大きいとされている
もう、だれだかわかるよね?
隼人族ですよ
809 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 19:20:39
加羅地方が小国分立状態だったのは有名
っていうことは奴隷における人口流入があるのならそういう小国分立状態であるはずが無いのと
また、単なる中継だったというなら何処と加羅は貿易をしていたのか?っていう話なる
そういう貿易が成立するのであれば半島を統一してもいいような財力は持てるわけで、歴史的にそういう雰囲気は加羅には微塵もない
だいたい朝鮮の国力が日本より上だった時期あるの?
>>808 瓦がどうのこうので、逆論理展開を既に始めてるw
この問題は、倭と朝鮮の2者関係で解釈してはいけません。
中国も含めた3者関係で解釈しないといけない。
まず、倭国であろうが、百済であろうが、
この時代の北東アジア情勢においては、中国王朝の権威が絶大で、
中国の臣下に認められることによって、その立場が保障されるわけです。
そのことを理解しないといけない。
だから、倭国が宋(中国)に対して半島南部の軍事的支配権を求める前に、
まず、倭国王が中国の臣下であることを受け入れることを前提に成立している。
じゃないと、中国から、中国の版図である朝鮮半島を侵略した、
侵略者というふうに認定される。
これは、百済も同じで、百済王の国際的地位も、
中国皇帝の臣下という地位によって成立している。
日本や朝鮮半島の国の中で、
当時、もっとも中国王朝の忠実な臣下は、百済なわけです。
百済という国家は、西暦4世紀に楽浪郡が崩壊した直後に、
馬韓の中から成立し、馬韓をほぼ統一した国であり、
この国は楽浪郡で働いていた中国人が多く亡命して国家でした。
だから、中国と関係が深く、また、中国皇帝の直接の臣下でした。
しかし、西暦5世紀、5人の倭国王が、
何度も中国皇帝に安東将軍の官位をもとめている。
倭国王は、百済に対する軍事的支配権も求めていすが、
これは、中国皇帝は絶対に認められないわけです。
これを認めてしまうと、百済王は、
中国皇帝の直接的な臣下(直臣)ではなく、
間接的な臣下(陪臣)ということになる。
国際違反ですし、中国の信用問題になる。
だから、最初の4人の倭国王については、中国皇帝は、
その要求を却下しました。
そうしたら、5人目の倭国王である武(雄略天皇)が、
半島南部への軍事的支配権を認めないのなら、
自分は中国との臣下の関係を止めるかもしれないと脅迫してきた。
それが倭王武の上奏文にある「治天下大王」という発言なわけです。
倭国の世界は、中国の世界とは別だと宣言した。
だから、中国王朝は、倭国王に対して、百済という国名は出さずに、
馬韓という、あのあたりの旧名を出すことで、お茶を濁しました。
つまり、中国王朝は、倭国に対して、
朝鮮半島南部の軍事的支配権を認めたが、
倭国が百済王朝を直接的に支配することは認めないという、
かなり矛盾した苦肉の策をとった。
中国王朝の建前と倭国王の要求の中間を取ったわけです。
ちょうど、この頃、半島南部に前方後円墳が出現します。
倭国王としては、半島南部を軍事的に統制することを、
中国皇帝から信任を得たので、堂々としだしたのでしょう。
そのあと、任那倭府の組織ですが、長官、副官あたりは、
倭国からの豪族がついていましたが、それ以下は現地の伽耶人がついていた。
あくまでも、倭国の目的は、伽耶の鉄資源を独占することであり、
伽耶の軍事的に統制するのが目的だった。
伽耶の内政は伽耶人がやるわけです。現在の在韓米軍みたいなものです。
しかし、この組織も、西暦6世紀前半になると、
伽耶の隣国の百済系の人物を採用しだすようになる。
それから、時期がたたずに、倭国は伽耶を百済に割譲したと、
日本書紀には記載されている。
815 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 21:27:56
>>807 >任那がヤマトの勢力圏なら、百済や新羅が鉄を求めてヤマトに人を差し出していたかも。
王子を人質に差し出してるじゃんw
>>814 そういう問題じゃないんですよ
今問題になっているのは日本の行政機関云々じゃない
加羅にいた倭人が問題になってる
>>814 >ちょうど、この頃、半島南部に前方後円墳が出現します。
>倭国王としては、半島南部を軍事的に統制することを、
>中国皇帝から信任を得たので、堂々としだしたのでしょう。
確かにそうなのだが、前方後円墳が出現したのは、いわゆる伽耶地域では少なく無く、
大半は馬韓南部(今の全羅道)地域なんだよね。
そして、その地域の土器様式と北部の百済様式は四世紀後半ごろまで差異が認められ、
つまり、そのころまで、百済による馬韓の統合は達成されておらず、小さな在地勢力が割拠
するような状態だったように見える。
前方後円墳の分布からは、実際に倭人の出稼ぎ集団が根拠地としていたのはこの領域で、
本国とは政治的に別個の存在だったのではないか?
5世紀になると百済の南下により、その根拠地は奪われ、倭へ戻ったり、
逆に百済北部、新羅・伽耶へ移動したりし、一時的には高句麗とも接触する半ゲリラ活動を
続けながらも衰退消滅、一部は倭寇化して生き残ったかもしれない。
また、いわゆる任那の日本府と言うのは、この馬韓南部の倭人集団とは別の存在で、
こちらは、本国の正規の出先機関ではあるが、初めは金官加羅に、金官衰退後は新羅に依存して
いた存在だと思う。
818 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 22:12:36
しかし、山尾は著書では生口だの傭兵だのは全然語ってないんだけどな。
番組の雰囲気に流されたのだろうか…
820 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 22:50:44
そういう人間だから犬HKが出演以来したんだろう
821 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 22:56:33
>>817 前方後円墳は百済よりだけど加羅は加羅だろ
>>821 土器相からみると旧弁辰(伽耶・加羅)とは別の領域。
馬韓の南部が正しい表現です。
もしかして、加羅の領域は馬韓南部まで含むとお考えですか?
>>821 日本書紀ではあのあたりまで任那と言っちゃってるが、
馬韓というべき。加羅ではない。
824 :
日本@名無史さん:2009/05/09(土) 23:07:24
6世紀あたりでも?
5世紀末まで慕韓(馬韓)の称があるからね。
馬韓の故地といったほうがいいのかな。
826 :
日本@名無史さん:2009/05/10(日) 00:37:08
>>818 >任那に渡来した小規模の騎馬軍団が傭兵として
>倭国に重宝されたということだろう
そうだろうね。
で、それとは別に鉄テイと呼ばれる、
鉄の延べ板のようなものが彼らの地下式墳墓から見つかるのは、
彼らがそれまでにない新しい製鉄技術を持ってたという側面もあるようだね。
そういう意味では、どうも秦氏の影がちらつくのだ。
827 :
日本@名無史さん:2009/05/10(日) 00:44:04
>>809 > 加羅地方が小国分立状態だったのは有名
> っていうことは奴隷における人口流入があるのならそういう小国分立状態であるはずが無いのと
> また、単なる中継だったというなら何処と加羅は貿易をしていたのか?っていう話なる
> そういう貿易が成立するのであれば半島を統一してもいいような財力は持てるわけで、歴史的にそういう雰囲気は加羅には微塵もない
なんでさー。
現代のペルシャ湾岸だって石油で金と人は集まってはいるが、「小国分立」状態だし、
集まった金は世界中に再投資されている。
人や金が流入すれば「統一」するなんて理屈はない。
金海大成洞古墳群の王墓級の出土物を鑑みれば、鉄交易の成果の一端が覗えます。
最終的に金官が半島の覇者になれなかったのは、地勢的条件だと思う。
楽浪や高句麗との接触により、軍事力の整備に力をいれていた新羅、百済と較べて、
やや緊張感の欠ける政治情勢だった半島南端部は楽浪滅亡後の動乱期に対する対応が遅れたのでしょう。
また、鉄産地も魏志によれば弁辰についてのみ記載されているかのように見えますが、
砂鉄鉱は、弁辰以外でも採掘開始年代は定かではありませんが、楽浪郡域や太白山脈でも産出しており、
4世紀以降の金官が権益を独占していたわけでも無いと思います。
また馬韓南部(前方後円墳地帯)にも砂鉄産地が認められており、ここは倭人の出稼ぎ先としては最適です。
鮮人って屁理屈のプロだよな。正直を美徳とする日本人には受け入れられない民族
831 :
日本@名無史さん:2009/05/10(日) 13:28:58
正直とは違うな
日本式謙虚みたいな、そんなもの
833 :
日本@名無史さん:2009/05/10(日) 13:37:41
834 :
日本@名無史さん:2009/05/10(日) 13:58:42
せっかくなら山尾氏に質問状でも送ってみたら?
生口だの傭兵だとか当時の倭は半島の属国だったことを認めるのかって
まあ、お前らそんな気概も無いだろうなw
>>834 > 生口だの傭兵だとか当時の倭は半島の属国
生口(人身貿易)や傭兵(出稼ぎ)を出すと属国なのか?
その論理がわからん。
人の替わりなんて、いくらでも居たから相手の求めるものを提供したんだろう。
いわば単なる経済活動だ。
それと、人の代わりに翡翠だったら、貴方的には属国扱いにならないのかな?
836 :
日本@名無史さん:2009/05/10(日) 14:48:04
>>835 日本に何か求めれるほど伽耶は強くないって。
王墓さえないではないか。
あそこはずっと日本の管轄地。
>>836 首露王陵が誰の墓だかはわからないが、
金海には王墓クラスの墓は幾つもあるよ。
日本国内で鉄の採鉱が始まるまでは鉄資材は貴重な輸出品だ。
鉄以降でも伽耶系陶器や馬具は売り物にはなるでしょう。
相手を必要以上に過少評価するのもアレだと思いますよ。
まあ、そのアレ以外に興味も無いのかもしれませんがw
>>836 フツーに対等の交易活動って結論じゃ、つまらなさ過ぎて受け入れられないのか?
>>827 馬鹿乙
からくにだけは江戸時代からそういう名で呼ばれるようになったんだよ
その山から半島が見えたって俳句で読まれたことでな
840 :
日本@名無史さん:2009/05/10(日) 18:26:06
■世界は任那日本府を容認
ただ世界的には「任那日本府」は認められてるんだよな
アメリカ、イギリス、メキシコ、カナダなんかの東アジア史では
4世紀、日本の大和政権が朝鮮半島南部まで支配下に置いたって記述されてる
で、韓国が激怒して訂正するよう求めるとか必死になってるw
オーストラリアでは韓国語は日本語のパクリだみたいなこと書かれてるし
韓国はポルトガルの植民地だったって書かれてる国もあるw
それどころか日韓併合は日本の好意で正しかったみたいに書いてくれてる
国もあるぐらいだから韓国は可哀そうとしかいいようがないw
ま、韓国がいくら騒いでも世界は日本の主張を受け入れてるということ
841 :
日本@名無史さん:2009/05/10(日) 18:29:11
世界は認めてても、倭奴が大韓国の奴隷国家だったのは事実。
奴隷も輸出してるし、史実にも大韓国の奴隷だったことが書いてある。
そもそも奈良百済が小日本になったわけだし。
真実が世界に広まるのも時間の問題だよ。
842 :
日本@名無史さん:2009/05/10(日) 18:42:49
>>837 >首露王陵が誰の墓だかはわからないが、
>金海には王墓クラスの墓は幾つもあるよ
それらはは5世紀以降。
4世紀なら地下式墳墓のなかから王墓を探すしかない。
その5世紀の高塚墳墓も日本のどこにでもある円墳並み。
力の程が分かるよね。
>>838 >フツーに対等の交易活動って結論じゃ、つまらなさ過ぎて受け入れられないのか?
国力を考えれば対等じゃねぇし。
843 :
日本@名無史さん:2009/05/10(日) 20:18:33
で、結局は弁韓の人たちって何人?
扶余ではないんだよね?
日本語に似た言葉を話したって本当?
どうか教えてください
844 :
日本@名無史さん:2009/05/10(日) 20:58:10
弁韓って言うくらいだから韓国人にきまってんだろ。
845 :
日本@名無史さん:2009/05/10(日) 21:16:06
846 :
日本@名無史さん:2009/05/10(日) 21:42:51
そう、これが日本と朝鮮の力関係。
397年 夏五月 王は倭国と友好関係を結び、太子の腆支を人質として倭に送った。
402年 五月 使者を倭国につかわして、大きな珠を求めた。
403年 春二月 倭国の使者が来たので、王は彼を迎えて慰労し、特に厚く遇した。
405年 腆支太子は倭国において訃報を聞き、哭泣しながら帰国する事を請うた。倭王は、兵士百名を伴わせて、護送した。
418年 夏 使者を倭国につかわし、白綿を十反を送った。
428年 倭国からの使者が来たが、随行者が五十名であった。
608年 隋が文林郎裴清を倭国へ使者として送ったが、わが国の南路を経由した。
653年 秋八月、王は倭国と修交した。
662年 七月 扶余豊は、高句麗と倭国に使者を派遣して援兵を乞う。唐新羅連合軍は救援の倭軍の軍船400艘を白江に焼く。
百済軍と倭軍は唐に降伏し、扶餘豊は行方不明となる。
まあ、ウィキの記述を100パーセント信用して「真実」と言い張るのはどうかと思うが。
847 :
日本@名無史さん:2009/05/10(日) 23:09:21
生口を献じて鉄をもらっていた、高句麗軍と戦ったのは倭の傭兵に過ぎなかったとか
いうのなら、白村江の戦の頃には、伽耶の非倭人支配者はどこに消えたんだよ?
それこそ騎馬民族説という、学会で否定されている学説にでも依拠しないと
説明がつかないだろ。
魏志東夷伝 邑婁 >>朝鮮人の先祖発見<<
穴居生活、豚の飼育、住民は不潔で家の真ん中に便所を作りそれを囲むように暮らしている。
・・・、これは明治時代の日本人の朝鮮観察とほとんど同じだ。
射撃が上手・・・これも同じだ。
漢の時代から夫余の家来となっていた。夫余が重い税を課したので黄初年間(220年〜226年)には反乱を起こした。
掟や習わしにはもっともルールが欠けている民族である。
・・・これは朝鮮人の先祖に間違いない。
>>204 『晋書』粛真・邑婁伝には下記も載ってるよ!
坐るときは両脚を投げ出して座り、足を脇に挟んで(猿が坐って物を食べる姿勢)
風俗は皆、髪を編み、布で丈の短い上着(チョゴリの事か?)を作る。
>>847 > 生口を献じて鉄をもらっていた
朝貢貿易?
普通の交易だろう
> 白村江の戦の頃には、伽耶の非倭人支配者はどこに消えたんだよ?
金官王家は白村江以前、6世紀前半に新羅へ帰順。
高霊王家も6世紀後半には新羅へ帰順しているよ。
それ以外は、例えば秦氏などと一緒に日本に帰化したのもいたんじゃないか?
> それこそ騎馬民族説という、
ハァ?何故今更そんな話が・・・
> 学会で否定されている学説にでも依拠しないと説明がつかないだろ。
何でさー
他国へ帰順、亡命しましたと考えちゃいかんのか?
ここは、嫌韓厨が近親憎悪に悶えまくるスレなのか?
奴隷部隊に最新の武装をさせて、その数が圧倒的に多いんですね。
その状況を維持するってすごいな。感心感心。
普通なら鉄の独占を狙って、日本から遠征軍が少数でやってきても内応されてジエンド。
ゲルマンに乗っ取られたローマ帝国を思い出した。
852 :
日本@名無史さん:2009/05/11(月) 10:30:31
>>844 扶余=古代韓国の支配階級
濊族族=土着朝鮮人(現在の朝鮮人のルーツ)
沃沮=土着朝鮮人(濊族族の別名?)
韓人(加羅人)=日本人
>>852 古代韓民族成りすまし邑婁人+濊人(現在韓国人)!!!!!!
854 :
日本@名無史さん:2009/05/11(月) 12:40:21
856 :
日本@名無史さん:2009/05/11(月) 22:57:31
★韓国は永遠の属国情けない? しかし韓国人は・・・
【韓国ブログ】韓国人男性の自画像―海外で韓国男子として自負できる理由
ブロガーのsofco12もその一人で、韓国にいた時は不満だらけだったが、実際に海外にいると自然に韓国への
愛着が湧いてくるという。彼は、そのような自身の海外での経験から、韓国の男子でよかったと思える理由として次の3つを上げている。
その一、軍人の経験をもつ韓国人男性は強いと評判。「韓国国内では仕方なく兵役に服務する人も多いが、海外では
誇りであると受け止められているようだ。国のために2年間貢献するということに新鮮さを覚えるかも知れない」と分析する。
その二、韓国人男性は親切であるというイメージ。「韓流の影響が大きいかも知れないが、愛想が悪くロマンの足りない日本人男性と、
小心者で不衛生なイメージの中国人男性に比べ、韓国人男性はわりとロマンチックで親切であるとのイメージがある。
好意的で魅力があると言われるのは喜ばしいことである」と感想を語る。
その三、韓国人女性は魅力的と評判。「日本人女性のように、内向的でもなく、中国人女性に比べたら気も強いと言えない。
それに韓国人女性はお洒落で、自分磨きに手間を惜しまない。それが人気の秘密である」と主張。
その上、「韓国の女性が人気ということは、当然韓国男子としてもうれしい」と綴った。
最後に彼は「韓国に生まれたことに感謝する。国内にいれば実感できないが、海外に出たら韓国人男性ということだけでも誇りに思える」と締めくくっている。
(編集担当:金志秀)
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0511&f=national_0511_001.shtml >韓国に生まれたことに感謝する
>韓国に生まれたことに感謝する
>韓国に生まれたことに感謝する
アメリカ・オーストラリアでは韓国女性は大人気「のようですね
売春宿で
858 :
日本@名無史さん:2009/05/11(月) 23:20:11
859 :
日本@名無史さん:2009/05/12(火) 03:18:23
860 :
日本@名無史さん:2009/05/12(火) 04:06:04
>>858 抜粋した
■ 大朝鮮帝国史
・我が民族が住む全世界を朝鮮(チュシン)という。
・我々の先祖は既に紀元前3898年に倍達国を建て、農耕民族である中華族を制圧し、大帝国を建設していた。
・高句麗建国の功臣 陜父が日本地域に逃げ、最初の国、多婆羅国を日本地域に建てた。
・伽耶の日本進出以後、倭列島に対する関心が高まるにつれて、百済,高句麗,新羅が争ってその地域に進出したのだが、
伽耶系統であるカラ,アラ、新羅系統であるムラ,百済系統であるコム(熊),タムロ(担魯)などに関連がある
地名は、皆この時期に開拓された所だ。
・ 沸流百済の日本地域の統治過程で、百済皇統の継承のために全ての担魯を制圧して建てたのが、まさに天皇国家の始まりである。
この時の討伐将軍であるキョン・ジンジュは百済の大将軍であったし、天皇ソン・ソンジョも百済から派遣された百済皇族だった。
・ 神武天皇は、現地妻を取っていたソン・ソンジョ皇子の代わりに百済から送られた新しい天皇で、倭列島の東部征伐の任務を忠実に遂行した。
・ 新羅王子 天日槍の倭列島攻略以後、本州地方をめぐる百済,新羅の間の争いが激化したのだが、高句麗もコンボルを根拠地に勢力争いに
飛び込み、倭列島は戦火に包まれ、これを解決するために百済は景行王を派遣した。
・三国遺事の延烏郎・細烏女の説話は、新羅に滅ぼされた馬韓遺民の倭列島移住を示し、この細烏女がまさに卑弥呼であり、その娘が神功皇后である。
海上帝国を成していた沸流百済は、高句麗の広開土大王の侵攻によって本国の熊津(コムナル)を奪われて日本地域へ避難したのだが、この人が応神天皇である。
応神は奈良百済を建て、そこを中心に本国の古莫那羅(コムナル)百済を支配した。
・古莫那羅百済の混乱に乗じて、新羅は倭列島における勢力挽回を試みた。
この時、新羅の主導でなされた日本の改革がいわゆる大化の改新である。
・朝鮮(チュシン)の伝統を継承していた高句麗は、この時に我が民族関連の記録を民族保護次元で全て焼却したのだが、このためにその後の国史が歪曲された。
http://koreawatcher.at.infoseek.co.jp/docs/jushin.htm
【韓国】伽耶時代の古墳から木棺を搬出。木材は日本産の可能性大(SBSニュース)05/06/22
【1500年前の木棺発掘…古墳時代、朝鮮半島を支配していた日本の皇族の墓の可能性も。】
■アンカー
古代韓日交流史を明らかにしてくれる木棺が千五百年ぶりに日の目を見ました。
現場の権ヨンイン記者です。
■記者
去年木棺が発見された慶尚南道昌寧の松硯洞第7号古墳です。
木棺を取り出すのに先立ち、発掘団が作業が無事に終わるように祈って礼をしています。
いよいよ木棺が千五百年ぶりに日の目を見る瞬間です。300キログラムの木棺が用心深く移されます。
搬出作業には特殊製作した無振動車まで動員されました。
木棺はこれから約5年間、分析と保存処理作業を経った後、一般に公開される予定です。
現場で作業をしていた研究員の1人が、「古墳時代も植民地支配してたなら、日本は謝罪と賠償をすべきだ。」
と、声を荒げて答えてたのが印象的だった。(以下略)
▽ソース:SBSニュース(韓国語)(2005/06/22 09:57)
http://news.sbs.co.kr/culture/culture_NewsDetail.jhtml?news_id=N0311768776
864 :
日本@名無史さん:2009/05/12(火) 07:47:01
>>1 いまの半島人につながる民族は当時はドコに住みなんて国を建国してたんですか?
865 :
九州王朝大好き:2009/05/12(火) 09:56:27
866 :
日本@名無史さん:2009/05/13(水) 02:13:39
晋書 『粛慎、挹婁伝』
井戸も釜戸もない、甗(むしき)を作り、四、五升は食べる。坐るときは両脚を投げ出して座り、
{{足を脇に挟んで(猿が坐って物を食べる姿勢)肉を食べる。}} 凍った肉はその上に坐って暖める。
土には塩も鉄もない(前漢代の塩鉄なら専売制度を意味するが)。木を焼いて灰を作り、その灰汁
を注いで、これを食す(意味不明)。
風俗は皆、髪を編み、{{布で丈の短い上着(チョゴリの事か?)を作る}}、径は尺余、これで前後
を覆う。嫁を娶るときは、男が毛羽を女性の頭に挿し、女性を連れて帰る。その後に婚礼をする。
妻は貞淑だが(未婚)女性は淫乱、若尊老卑。死者はその日に野原で葬儀を行ない、木組みの小さな
槨(ひつぎ)を作り、豚を殺して、その上に積み、死者の糧(かて)となす。
867 :
日本@名無史さん:2009/05/13(水) 10:07:08
韓国って古来から周辺諸国の属国で中国の名前、中国の年号、中国の文化
美女の献上、モンゴルの支配下にはモンゴルの髪型や風習、言語(後のハングル)
日本の植民地には領土、中国から貰った名前、王室(李氏朝鮮)国まで奪われ
大日本帝国の一部にされた
なのに「韓国人は誇らしい!!」ってどういうこと?
ね、ね、何で誇らしいの?w
誰か教えてw
868 :
九州王朝大好き:2009/05/13(水) 12:13:02
>>866 >木を焼いて灰を作り、その灰汁を注いで、これを食す(意味不明)。
@ミネラル摂取。
「土無鹽鐵」とあるように、食塩やミネラルを含んだ水や土が無いので、
ミネラルの栄養補給が困難だったと思われる。
これは、粛慎が森林地帯に居住していたことを示している。
粛慎時代後の挹婁は海岸部まで進出しているので海水からミネラル補給が可能。
A食用植物の種類が少ないので、食物(ドングリ等のアクの多いもの)のアク取りにも使ったか?
任那日本府の話題で、中国(宋)の話が
いっさい出てこないから、どうしようもないわなwww
実は、この任那日本府の問題は、
対中国関係が影響しているんだよ。
日本と韓国の二国間関係ではないんだわな。
広開土王碑文でも分かるとおり、日本が半島へ軍事侵攻したことに対して
高句麗が、「半島南部は我々の属国だから
それを倭国が犯すのは不当行為だ!」って批判しているわけで。
では、倭国がその後、何をしたのかというと
中国に朝貢して、倭国が半島南部の軍事を管理する権利をくれと言っている。
この時代、中国の権威が絶大なんだよ。
で、中国は、最初のほうは倭国の要求を無視しつづけているのだが
雄略天皇の要求に根負けして、一応、認めている。
ただ、その場合、中国は百済とは直接的に主従関係を結んでいたから
倭国が半島南部を軍事的に制御する権利は認めても
百済王朝自体を管轄する権利は認めなかったわけで。
つまり、任那論争は、日韓関係ではなく
日中韓満の4者の関係で見ないといけない。
西暦313年、中国の楽浪郡が崩壊、朝鮮半島が中国の管理下から離れる。
西暦369年ころ、倭国が半島へ軍事介入しだし、倭国と高句麗が激しく戦う。
倭国の軍事介入の目的は、楽浪郡消滅後の
半島南部を高句麗との間の緩衝地帯にすること、
そして、伽耶諸国の鉄利権を奪うこと。
倭国は、高句麗から百済を分離し、百済を軍事的に援助。
高句麗が激怒し、倭国と高句麗を中心とした乱世の幕開け。
ちょうど、このころ、倭国は百済にいた楽浪郡の中国移民をまねき、
彼らの漢文で外交文書を作成、対中国外交を活発化させる。
なぜなら、中国との外交には、当時の最新式の漢文が必要だから。
(卑弥呼(モモソ媛命)時代の漢文は旧式になっていて、中国交渉に不備になっていた)
そして、西暦400年代に、倭国が中国外交を活発化させ、
西暦438年に初めて、倭国は中国に朝貢して、朝鮮半島南部の軍事指揮権を要求する。
しかし、中国は倭国の要求をなかなか認めなかった。
何故なら、当時、中国は百済を直接の臣下としていたので、
倭国に百済の軍事監督権まで認めると、中華秩序の破綻を意味したから。
それに対して、倭王武(雄略天皇)が、中国に対して勝手に半島南部の軍事指揮権を宣言。
結局、中国は倭国の要求を認め、それを追認する。
ただし、中国は、
倭国が、伽耶や新羅を軍事的に監督することを認めたが
倭国が、中国と直接的な主従関係があった百済を軍事的に監督することは認めず、
百済の支配領域の旧名である馬韓への軍事指揮権容認という形で
お茶を濁したのであった。
半島南部に前方後円墳が出没するのは、西暦5世紀後半〜西暦6世紀前半だ。
広開土王碑文によると
西暦4世紀中頃から、倭国は、半島へ軍事介入していたと見られるが
その時代には、まだ前方後円墳は、半島には見られない。
しかし、西暦5世紀後半になると、
中国皇帝が、倭国が朝鮮半島南部諸国への軍事指揮権を認めるようになる。
それと時期を同じにして、半島南部に前方後円墳が出没する。
そして、日本書紀によると、倭国が伽耶から撤退したのは、西暦6世紀前半。
この6世紀前半に、半島南部から前方後円墳が消えるのである。
よって、この任那論争においても、日韓2者関係ではなく、
中国を交えた3者関係でみないと、事の本質は見えてこない。
世界史板と日本史板の両方に投下しないといけないから忙しいな
てかなんで別々の板で同じ話題やってるのかね
874 :
日本@名無史さん:2009/05/14(木) 15:51:07
■「韓国は日本人がつくった」 黄文雄著 より
先述したように、19世紀から20世紀初頭にかけての韓国は農村から都市ソウルまで、あらゆる地域においてきわめて不衛生な生活環境であった。
今のハングル世代は常に韓国の山紫水明を誇りにし、韓国人はどこへ行っても生水が飲める世界でも珍しく水のきれいな国だと自慢している。
しかし、日帝時代以前の韓国を見た外国人は、赤裸々に当時の実情を記録している。例えば、ダレ神父の「朝鮮事情」には、韓国の「水はまずく」、
水が原因でかかる早老病をはじめ様々な、「水土病」について書いている。そんな朝鮮に、慈恵医院の管制が発布されたのは1909年のことであった。
本格的に近代医学医療制度が導入されたのは、朝鮮総督府時代からである。総督府が設立した大韓医院は、やがて京城帝大(現在のソウル大学)
付属病院となり、朝鮮半島の近代医学、医療発展の中心的存在となった。
各開港都市と国境都市は1910年から厳しい防疫、検疫を実旋しており、疫病の浸入防止に取り組んでいた。
コレラ、天然痘、ペストなどの大流行は1918年〜20年が最後となり、その後は乳児の死亡率が撃滅した。その後、地方の医療制度は清州、
金州など順次各地で確立され、医師の養成と疫病の防止に全力が注がれた。さらに、150万円の下賜金から済生会がつくられ、
李朝以来存続していた階級制度の廃止とともに、各道から市町村に至るまで医療設備が整備されていった。
賎民も国民として、近代医療の恩恵を受けられるようになったのである。30年代に入ると、近代医療制度の確立と普及によって、
中国大陸から来襲してくる疫病を完全に食い止められるようになっていた。
飢饉による餓死と、疫病に よる大量の死亡者を出していた中国大陸とは、天国と地獄ほどの隔世の感を抱くほどであった。
ことにインド、中国から朝鮮にわたって猛威を振っていたハンセン病には徹底して対処し、6000人以上収容できる小鹿島更正園は世界的に有名になった。
「日帝36年」はほかならぬ近代医学による衛生、環境の改善と疫病の撲滅によって 朝鮮半島の生命保全、韓民族の繁栄に大きく貢献したのである。
875 :
日本@名無史さん:2009/05/14(木) 22:04:10
当時の朝鮮は財政が破綻し破産状態、その上
森林伐採権・関税徴収権・漁業権・鉱山採掘権・鉄道敷設権など
あらゆる利権を諸外国に売り渡していて
自力での近代化の道は完全に閉ざされていました。
====================================
朝鮮時代、全権公使としてアメリカを訪問した李成玉がアメリカ国内の各民族に
接してみると、朝鮮人は、アメリカ人に軽蔑されているインディアンよりも劣っ
ていたことに衝撃を受け次のように述べている。
「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面を保つこ
とは出来ない。亡国は必至である。亡国を救う道は併合しかない。。そして併合
相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本はち
がう。日本人は日本流の道徳を振り回してうるさく小言を言うのは気に入らない
が、これは朝鮮人を同類視しているからである。そして、日本人は朝鮮人を導き
世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。それ以外にわが朝鮮民
族が豚の境涯から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。
日韓併合が問題になるのは、変な話だ。我輩の併合観は、欧米人の朝鮮民族観を
基に考察したのだ。
李成玉 「李完用の心事と日韓和合」より
876 :
日本@名無史さん:2009/05/14(木) 23:09:37
世界史の方は嫌韓もチョンの電波も薄い
877 :
日本@名無史さん:2009/05/17(日) 01:54:29
878 :
日本@名無史さん:2009/05/17(日) 01:55:18
魏志東夷伝 邑婁 >>古代韓民族成りすまし邑婁人(現在韓国人)発見<<
穴居生活、豚の飼育、住民は不潔で家の真ん中に便所を作りそれを囲むように暮らしている。
・・・、これは明治時代の日本人の朝鮮観察とほとんど同じだ。
射撃が上手・・・これも同じだ。
漢の時代から夫余の家来となっていた。夫余が重い税を課したので黄初年間(220年〜226年)には反乱を起こした。
掟や習わしにはもっともルールが欠けている民族である。
・・・これは朝鮮人の先祖に間違いない。
>>204 『晋書』粛真・邑婁伝には下記も載ってるよ!
坐るときは両脚を投げ出して座り、足を脇に挟んで(猿が坐って物を食べる姿勢)肉を食べる
風俗は皆、髪を編み、布で丈の短い上着(チョゴリの事か?)を作る。
晋書 『粛慎、挹婁伝』
井戸も釜戸もない、甗(むしき)を作り、四、五升は食べる。坐るときは両脚を投げ出して座り、
{{足を脇に挟んで(猿が坐って物を食べる姿勢)肉を食べる。}} 凍った肉はその上に坐って暖める。
土には塩も鉄もない(前漢代の塩鉄なら専売制度を意味するが)。木を焼いて灰を作り、その灰汁
を注いで、これを食す(意味不明)。
風俗は皆、髪を編み、{{布で丈の短い上着(チョゴリの事か?)を作る}}、径は尺余、これで前後
を覆う。嫁を娶るときは、男が毛羽を女性の頭に挿し、女性を連れて帰る。その後に婚礼をする。
妻は貞淑だが(未婚)女性は淫乱、若尊老卑。死者はその日に野原で葬儀を行ない、木組みの小さな
槨(ひつぎ)を作り、豚を殺して、その上に積み、死者の糧(かて)となす。
中国史料における任那 [編集]**『日本書紀』(720年成立)よりも古い記述を含み、信頼性が高いとされる。
『三国志』魏書東夷伝・弁辰諸国条の「弥烏邪馬」が任那の前身とする説がある。
広開土王碑文(414年建立) : 永楽10年(400年)条の「任那加羅」が史料初見とされている。
『宋書』では「弁辰」が消えて、438年条に「任那」が見え、451年条に「任那、加羅」と2国が併記される。
『梁書』は、「任那、伽羅」と表記を変えて併記する。
525年前後の状況を記載した『梁職貢図』百済条は、百済南方の諸小国を挙げているが、すでに任那の記載はない。
『翰苑』(660年成立)新羅条に「任那」が見え、その註(649年 - 683年成立)に「新羅の古老の話によれば、
加羅と任那は新羅に滅ばされたが、その故地は新羅国都の南700〜800里の地点に並在している。」と記されている。
類書の『通典』(801年成立)、『太平御覧』(983年成立)、『冊府元亀』(1013年成立)もほぼ同様に記述している。
朝鮮半島史料における任那 [編集]**朝鮮半島史料では任那は次の2つの記載しかない。
『鳳林寺真鏡大師宝月凌空塔碑文』(924年成立) : 大師の俗姓について「任那の王族に連なる新金氏」としており、
ここでの任那は金官伽耶を指すとされている。
『三国史記』(1145年成立) : 本紀には現われず列伝に1例が認められるのみである(巻46・強首伝:「臣本任那加良人」)。
「奈良」は朝鮮語で「富士」はアイヌ語か?
ttp://homepage1.nifty.com/forty-sixer/timei.htm 「奈良」が朝鮮語(=韓国語)だという説がある。現代朝鮮語で「ナラ」というと、「国」のことである。
古代の渡来人たちが自分たちの国を作るんだという意気込みで、新しい都を「ナラ」と名づけたという。
この説は、祭りの「ワッショイ」という掛け声が朝鮮語の「ワッソ(来た)」からきているという説とともに、
在日韓国・朝鮮人の間では広く普及している。なぜ普及したかというと、感激がほしいからである。
異国で不当な扱いを受けていればいるほど感激は大きい。その気持ちは分かるし、
冷や水をかけることには申し訳ない気持ちもあるが、私はどちらも信じることはできない。
「来た」という意味の「ワッソ」という表現ができたのは、やっと19世紀になってのことである。
さらに、地名語源についての信憑性を高めるには、一般の語彙以上に、
いろいろな手続きを必要とするのである。
883 :
日本@名無史さん:2009/05/18(月) 01:27:01
津田、あんたは正しい。
【韓国】 現在進行形の歴史歪曲の背後に「津田左右吉の影」〜日本の主流歴史学界を撃つ[05/15]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1242574720/ 津田の韓国古代史観は簡単だ。南満洲鉄道会社の委嘱を受けて書いた<朝鮮歴史地理>などの
著書で津田は韓半島北部には楽浪郡をはじめとする漢四郡があり、漢江以南には計78ヶの
小国らがうようよしていたと叙述した。そして韓半島南部に古代版朝鮮総督府である任那日本府
があったということだ。
ところで津田はこういう主張の理論的根拠を提示しなかった。これを事実と前提にして、次の論理を
展開する非学問的態度を取ったのだ。韓半島北部の強大な漢四郡がなぜ78の小国でうようよする
肥沃な三南地域に進出しなかったかは説明しなかった。いや説明できなかった。それでこそ
任那日本府が成立することができた。
この時代の話をする時に、日本と半島の二者関係で見てはいけない。
中国や満州を含めた四者関係で見ないといけない。
日韓の歴史学者や考古学者の先生も、それを言う人は少ない。
いっぺん、中国の学者先生も多く参加させればよい。
この時代の朝鮮半島情勢、最大の主役は中国王朝です。
あの任那日本府の件も、結局は中国王朝の権威が関係していて
西暦369年に、倭国と高句麗が朝鮮半島で交戦して以来
高句麗は、倭国の朝鮮半島への軍事行動を、高句麗の版図への侵略行動と非難し、
倭国は、自分たちの朝鮮半島への軍事行動は、
自分たちの勢力圏を守る正当な行為と主張していた。
だから、西暦5世紀になると、倭国は積極的に中国と外交を展開(朝貢)
(この時代に、倭国は、中国外交のために、
その当時の正式な漢文の知識が必要になった。)
西暦438年から、倭国王は中国皇帝に、韓諸国を軍事を管理する官位をくださいと要求している。
しかし、当初は、中国皇帝は倭国王の要求を聞くだけで、返答はしなかった。
何故なら、倭国王の要求の中には、中国と直接主従関係を結んでいた百済に対する
軍事管理権も含まれていたからだ。
そこで、西暦478年、倭王武(雄略天皇)が業を煮やして、勝手にその地位を宣言、
そして、自分の治める天下は、中国皇帝の治める天下と別だ、と宣言している。
ある意味、中華秩序への反抗。認めてくれなきゃ、俺はあなたの臣下にならないと。
だから、根負けして、中国皇帝は、倭国王に韓諸国の軍事を管理する官位を与えた。
ただし、その中で百済政権に対して直接的な軍事管理権は外した。
(しかし、百済の領国周辺を殆どが、中国の権威の下、倭国王の軍事管理権とされた)
ちょうど、この西暦5世紀後半から、この半島南部に、小型の前方後円墳が出没する。
任那日本府も、この時代の頃、中国皇帝のお墨付きを貰っての話でしょう。
>>883 韓国学者、それ答えになっていないなw
それを言うと、中国の歴史学会も敵に回すよ。
ちょうど、中国から朝鮮半島への兵站が確保を考えたら
今でも、中国は朝鮮半島北部までを抑えておけば
中国は中原を抑えておくことが出来るけど、
朝鮮半島南部までだって、兵站が間延びしてしまうといっている。
886 :
日本@名無史さん:2009/05/18(月) 18:23:52
津田の説で任那日本府がどんなもんなのか知らんけど、
任那日本府を狗邪韓国と言い変えれば史書通りの当たり前のことを行ってるだけだわな
漢が南部に進出しなかった理由など説明する必要もない
そもそも当時朝鮮南部がはたして肥沃だったのか
蛮族集落征服するより江南でも開発した方が余程有意義だろ
887 :
日本@名無史さん:2009/05/18(月) 20:26:39
狗邪韓国は狗邪国の韓国支部が良いかな?
イギリスの東インド会社が一番近い
889 :
日本@名無史さん:2009/05/18(月) 22:08:18
任那倭人地域は縄文時代から有ったのでは?
890 :
日本@名無史さん:2009/05/19(火) 00:19:28
>>884 日清戦争が古代にもあったということですね。
清に朝鮮は独立国だと認めさせたのが日清戦争だった。
891 :
日本@名無史さん:2009/05/19(火) 01:12:47
嫌韓煽り厨=日本人を装う台湾人朝鮮煙幕部隊
ひょっとして、もうこれ常識だった?w
892 :
 ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2009/05/19(火) 01:17:29
∧_,,∧
<=(´∀`)
( )
し―-J
893 :
日本@名無史さん:2009/05/19(火) 03:13:19
韓国の新聞の日本語版は台湾人が作っているんですか?
894 :
日本@名無史さん:2009/05/20(水) 04:39:56
( ´,_ゝ`)プッ
また語呂合わせかw
897 :
日本@名無史さん:2009/05/22(金) 02:31:10
http://www.chosunonline.com/news/20090520000063 【コラム】日本の近代史に目を背ける韓国(上)
釜山中央女子中のキム・ウンスン教諭(45)は「これまでは、われわれが文化を伝えたという自負心を
抱くだけだったが、文化が一方からもう一方へ伝わった上で、それが受け入れた側によって発展していったという
事実についても知ることができた」と語った。また、東莱中のパク・ドソン教諭(46)も
「遺跡を訪ねてみて、韓国から伝わった文化がいかにして現在の日本に根付いていったかを知り、興味深く感じた」と話した。
このような感想は、「韓国が日本よりも進んでいる」という内向的な自負心ではなく、「隣国・日本の歴史をもっと知ることができた」
という未来志向的な関心に基づくものだといえる。
http://www.chosunonline.com/news/20090520000064 【コラム】日本の近代史に目を背ける韓国(下)
韓国の中学・高校の世界史の教科書を見ると、日本の近代史は東南アジア諸国と共に、「中国の周辺国の歴史」として記述されているだけだ。
旅行会社のガイドは「韓国を訪れる日本人たちが、円高の恩恵にあずかり、ただソウルで金を使うだけ使い、大衆文化に関心を寄せているわけではない。
日本文化の源流を学ぶため、扶余や公州を訪れるケースも多い」と話した。
>>1 任那日本府の話は、日韓の歴史学者は非常に幼稚。
このへんの歴史の中で、もっとも重要な要素は中国なのに。
なぜなら、倭王は中国の皇帝に半島の軍事統括権を認めてもらおうと
何度も外交交渉している。
が、そういう話が全く抜け落ちている。
広開土王碑文をみても分かるが
西暦4世紀中頃から、倭国は朝鮮半島へ軍事侵攻し、
それを高句麗は、侵略行為だと痛烈に批判している。
だから、西暦5世紀から、倭国は中国の皇帝に朝貢して
朝鮮半島の諸国の軍事を担当する官位を貰おうと
外交交渉している。
で、ここで、もし、中国の皇帝に認められたら、
倭国の朝鮮半島への軍事行動は、全て中国皇帝の権威の下にあることになり、
倭国の軍事行動=中国の軍事行動となる。
これは、対高句麗との紛争において重要な要素になってくる。
421年
宋に朝献し、武帝から除綬の詔をうける。
おそらく安東将軍倭国王。(『宋書』倭国伝)
438年
宋に朝献し、
自ら「使持節都督・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭国王」と称し、
正式の任命を求める。(『宋書』倭国伝)
4月、宋文帝、珍を安東将軍倭国王とする。(『宋書』文帝紀)
珍はまた、倭隋ら13人を平西・征虜・冠軍・輔国将軍にされんことを求め、
許される。(『宋書』倭国伝)
443年
宋に朝献して、安東将軍倭国王とされる。(『宋書』倭国伝)
451年
宋朝から「使持節都督・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事」を加号される。
安東将軍はもとのまま。(『宋書』倭国伝)
7月、安東大将軍に進号する。(『宋書』文帝紀)
また、上った23人は、宋朝から軍・郡に関する称号を与えられる。(『宋書』倭国伝)
462年
3月、宋孝武帝、済の世子の興を安東将軍倭国王とする。(『宋書』孝武帝紀、倭国伝)
477年
11月、遣使して貢物を献ずる。(『宋書』順帝紀)
これより先、興没し、弟の武立つ。
武は自ら「使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事安東大将軍倭国王」
と称する。(『宋書』倭国伝) (ワカタケル大王の銘文ーー672)
478年
上表して、自ら開府儀同三司と称し、叙正を求める。
順帝、武を「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」とする。
(『宋書』順帝紀、倭国伝)
479年
南斉の高帝、王朝樹立に伴い、倭王の武を鎮東大将軍(征東将軍)に進号。(『南斉書』倭国伝)
502年
4月、梁の武帝、王朝樹立に伴い、
倭王武を征東大将軍に進号する。(『梁書』武帝紀)
>>1 任那日本府は、
日本の軍国主義とかナショナリズムとは無関係だ。
なぜなら、倭国は朝鮮半島に軍事侵攻しても
あくまでも、倭国は中国皇帝の臣下として軍事行動したに
すぎないと主張しているわけだから。
つまり、あくまでも、中国皇帝>倭国王>半島諸国 という図式。
だから、西暦4世紀中頃に軍事行動を開始したが
西暦5世紀になると、再三、朝鮮半島を軍事的に管理する権限を
中国皇帝に要求している。
だが、中国皇帝は、倭国王が朝鮮半島を軍事的に指揮する権限を認めていない。
だから、その要求を無視し続けている。
それで、西暦5世紀後半になって、やっと、中国皇帝は
倭国王が朝鮮半島を軍事的に指揮する権利を認めている。
902 :
日本@名無史さん:2009/05/23(土) 17:32:39
馬鹿の起源も朝鮮半島じゃないか?
夜郎自大の起源は倭人らしい
>>903 成長発展を遂げた今の日本には残っていないで、
旧態依然とした半島には残っていると言う事は、
やはり半島は倭人の領土だったようだ。
『前漢書』地理史・{燕地条}
樂浪海中有倭人分爲百餘國以歳時來獻見云
「楽浪の海中に倭人あり、百余国に分かれて、時おり朝貢してくる。」
『前漢書』地理史・{燕地条} 顔師古注
魏略云倭在帶方東南大海中依山島爲國度海千里復有國皆倭種
『山海経』第十二「海内北経」
蓋国 在鉅燕南倭北 倭属燕
「蓋(ケイ)国は鉅燕(きょエン)の南、倭の北に在り、倭は燕に属す。」
蓋国とは、朝鮮半島最北部に蓋馬(ケマ)高台という高原地帯があり、
そこに蓋馬市が有る、直ぐ南には倭が有り倭は燕に属する。
後漢書に光武帝が倭奴国に金印を与えた記事がある。後漢書記事では
「倭奴国奉貢朝賀、倭国極南界、光武賜以印綬」とあり、 ... (倭奴国は)
倭国の中の極南界(南の果て)である」と解読していた。
906 :
日本@名無史さん:2009/05/29(金) 04:05:21
907 :
日本@名無史さん:2009/05/29(金) 08:47:31
>>906 それ白馬青牛だね。
とうとう名無しになったかw
古墳の創成期に高句麗の痕跡なんて全然ない。
高句麗なんて全然関係ない。
908 :
日本@名無史さん:2009/05/29(金) 11:43:24
>>907 どうも有難うございます できれば向こうで論破してやってもらえませんか
どうも私には古墳時代の知識無いもんで(笑
古墳時代以外の知識もないじゃないか。
910 :
日本@名無史さん:2009/05/30(土) 00:34:32
>>908 907です。
以前アイツとそのあたりを論戦したのですが、
もう同じ言葉の繰り返しで疲れますw
土器をはじめ高句麗の文化痕跡など7世紀にしか見つからないし、
古墳時代創成期になんてまったくない。
かれは最後に神社の由緒書きをソースにするなんて恥ずかしい事をしてきました。w
911 :
サガミハラハラ:2009/05/30(土) 23:50:39
明日5月31日22:00からNHK教育TVにてETV特集
日本と朝鮮半島2000年(2)
任那日本府の謎
が放送されます。お薦めいたします。
912 :
日本@名無史さん:2009/05/31(日) 00:35:04
富山県小矢部市の「桜町遺跡」は、
1988年に一般国道8号小矢部バイパスの建設工事に伴って
発掘調査が行われた際に発見された遺跡だが、
この「桜町遺跡」は約12000年前の縄文時代の遺跡とされ、
従来弥生時代に日本へ伝えられたとされた「高床式」の建物が、
2000年前の縄文時代に建てられていたとし、
さらにその高床式の建物は、
中国浙江省の「河姆渡遺跡」の高床式の建物の木組み工法と一致したといわれて、
脚光をあびた。
913 :
906:2009/05/31(日) 07:40:07
>>910 どうもです あっちには誰かが論破してくれてるようですね
失礼しました
>>911 売国NHKのことだからチョンに都合の良い内容になりそうだな
915 :
日本@名無史さん:2009/05/31(日) 11:44:02
>>914 前回で任那のあった地域に倭人が生活していた痕跡がみられた
→倭人は奴隷としてつかわれていたみたいなこと言ってたな
考古学としては倭人の生活痕がみられれば
日本書紀の記述から倭が半島に政治的に進出していたという結論が普通だろうと素人の自分はおもったけど
916 :
日本@名無史さん:2009/05/31(日) 12:20:59
>>912 そうなんだよ。
その根拠が鉄があったから軍がつよかったに違いないっていう妄想だけなんだよな。
917 :
日本@名無史さん:2009/05/31(日) 13:53:21
ETV特集
「日本と朝鮮半島2000年(2)任那日本府の謎」
▽古代最大の謎に迫る
▽太王四神記の真実
▽鉄を求めたヤマト政権海を越えた軍事支援?
▽韓国で続々と発見された前方後円噴
▽天皇と百済との関係
>>916 >その根拠が鉄があったから軍がつよかったに違いない
そんな意見は何処にも無いだろう。
平和裏に交易で鉄資源が流通していたとすれば、
鉄の対価に「人」が使われることも多かったろうと言うこと。
文献資料で見れば三国志東夷伝に「鉄」は「貨幣」のように扱われ、
「人(「生口)」は、財産として扱われている。
「生口」はモノ扱いなのだから、売って当然の存在だろう。
別に現代の日本や韓国にとって、都合が善いも、悪いも無い話だが。
嫌韓の人には、日本人が、日本の支配者によって、半島に売られるつーことは、
鉄で武装した伽耶軍が来て奴隷狩りをしていったとかと同等に感じるみたいだね。
919 :
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2009/05/31(日) 15:05:14
∧_∧
<=(´∀`)
( ∪ ∪
と__)__)
920 :
日本@名無史さん:2009/05/31(日) 17:16:32
>>917 日本が鉄を求めた代わりに傭兵を出しとか
また韓国にものすごく都合のよい解釈で番組を作ってるんだろ
それだと何か日本にとって都合の悪いことがあるのか?
NHKなんてこんなもの
NHK 「2ちゃんなんてこんなもの(プ」
924 :
日本@名無史さん:2009/05/31(日) 18:56:53
第三者の視点としての中国人に取って見れば、倭軍ってのはヤマト王権の軍勢だし
百済の文化ってのは南朝文化らしい。
まあ事実だが。
当時の半島における民族構成は明らかにしないし、出来ない。
その上で単に半島との交流云々。
つまり、相手もわからず妄想のオンパレード。
見ないでもそういう内容だとわかる。
926 :
日本@名無史さん:2009/05/31(日) 19:07:01
>>921 日本の歴史書にも韓国の歴史書にもそのようなことは記述されていないからな
あくまでも日本軍は朝鮮半島の征服者として記述されている
それとも当時の韓国は傭兵にまで王族を人質として差し出す腰抜けばかりだったのかw
>>926 > それとも当時の韓国は傭兵にまで王族を人質として差し出す腰抜けばかりだったのかw
ハァ?
王子は、生口・鉄交易の相手方の王様のところへ人質に出されたんだろう。
別にその王様が売り払った生口軍団に差し出されたわけじゃなかろうに。
文献を見ても半島の倭人集団と日本の王権とは、政治的に一体つーわけでも無いじゃないか。
いつのまにやら”王様が売り払った生口軍団”が既定事実として扱われている件。w
929 :
日本@名無史さん:2009/05/31(日) 20:27:37
奴隷をもらうために王子を人質に差し出すって余計わけわからんなw
930 :
日本@名無史さん:2009/05/31(日) 21:19:10
『ETV特集 日本と朝鮮半島2000年(2)』「“任那日本府”の謎」
教育/デジタル教育1
5月31日(日)午後10:00〜午後11:30(90分)
▽太王四神記の真実▽鉄を求めたヤマト政権 海を越えた軍事支援?▽韓国で続々発見された前方後円墳の秘密▽天皇と百済
http://www3.nhk.or.jp/hensei/program/p/20090531/001/31-2200.html 古代、日本が朝鮮半島南部の“任那(みまな)”を支配したと考えられてきた。しかし、近年韓国での発掘調査で見直しが迫られている。
最新の研究をもとに交流の実像に迫る。
「任那日本府」の問題は、今なお日韓の間で議論を呼んでいる。『日本書紀』や、中国東北部の『広開土王碑文』の記述などによって、
4世紀から6世紀にかけて、日本が「任那日本府」を通じて朝鮮半島南部を支配したと長らく考えられてきた。しかし、近年の研究や
発掘調査によって、その関係性が見直されている。鉄をめぐる知られざる交流や、韓国で発見された日本特有の前方後円墳など、
最新の研究成果をもとに、交流の実像に迫る。
931 :
國學院大學卒:2009/05/31(日) 22:02:28
こんばんは
932 :
日本@名無史さん:2009/05/31(日) 22:03:14
まぁ、あれだ
新事実の紹介じゃなく、新解釈というか朝鮮人学者の解釈の紹介番組だろ
933 :
日本@名無史さん:2009/05/31(日) 22:09:40
広開土王碑発見は明治時代なので
それを基に神功皇后の話しを創るのは
不可能ということですね。
934 :
日本@名無史さん:2009/05/31(日) 22:12:27
巴型銅器メイドインジャパン
935 :
日本@名無史さん:2009/05/31(日) 22:14:55
「ミマナ」は古代朝鮮語
を元にしてると思っていたのだが。
936 :
日本@名無史さん:2009/05/31(日) 22:17:28
早速韓国側の思い込み感想がでました。
937 :
日本@名無史さん:2009/05/31(日) 22:25:20
だから、文化とか鉄はいいから民族を示せよ
それがベースだろが
相手もわからず交流してたじゃ意味がないんだよ
古代史版反日自虐史観だな。
NHK糾弾。
939 :
日本@名無史さん:2009/05/31(日) 23:02:25
ヨンサンガン流域が
任那四県ということですか
940 :
日本@名無史さん:2009/05/31(日) 23:14:32
えなし まつ
941 :
日本@名無史さん:2009/05/31(日) 23:18:08
この番組は本当につまらん
解釈論ばっかりだ
番組として成立してない
942 :
日本@名無史さん:2009/05/31(日) 23:21:08
行き過ぎた嫌韓のがつまらん。
943 :
日本@名無史さん:2009/05/31(日) 23:28:33
素直に言えよ
古代の半島は植民地状態だったと
日本、扶余、中国系
それらから植民地支配されてただけじゃないか
ぐちゃぐちゃ言うな
944 :
日本@名無史さん:2009/05/31(日) 23:30:52
出てくる史料は少なく恣意的
NKHが拾ってきた学説を、さも中立であるかのように、
いくつか並べて見せてるが・・・
なんかスタジオで総括しちゃってるし、ただの学説押しつけ番組だろ。
ワカタケルが中国から貰った名前をみれば、朝鮮半島を支配していたのが分かるのに!
団塊世代の反日世界観が有る間は真実には、近づけない。
酷い内容なのは予想できたから見なかったが、その通りのようだな。
947 :
日本@名無史さん:2009/05/31(日) 23:43:15
落ち着け。NHKも日本の学者も
キム教授に遠慮して、やむなくあのような形にまとめたのだから
同じ日本人なら察してやれ。
日韓友好番組なんだから。
948 :
日本@名無史さん:2009/05/31(日) 23:44:26
韓国の前方後円墳は5世紀後半から6世紀前半に集中してるらしいが、
発掘してない古墳も多いらしいじゃん?
何でこの期間に集中してるって分かるの?
949 :
日本@名無史さん:2009/05/31(日) 23:48:32
普通に考えて
武寧王の陵墓よりでかい
古墳を百済に渡った日本の一民間人が
作れるわけがない。
日本の学者もそう言いたそうにしてたが
極端にキム教授に遠慮しすぎて結局意味不明なことを
ごもごも言ってた。
まあそのような事情は
察してやりましょうや。
>>947 糞チョンの都合の良い内容に歪めることは友好でない。ただの売国だ
>>949 糞チョンに迎合することは何も良いことがない。最低だ。
正しいと思うことを正々堂々と主張するのが正しい学者のあり方だ
952 :
日本@名無史さん:2009/05/31(日) 23:51:59
企画の段階で政治目的が明確
953 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 00:01:04
韓国の姿勢はわかりきってるんだから
寛容に受け止めてやれよ。
糞チョンとか言ってるあなたは
むしろ韓国人ぽい反応だ。
日本人はもっと冷静な対応をする。
>>953 そういう態度が糞チョンを勘違いさせて付け上がらせることになる
糞チョン相手に下手に物分りの良い態度をとるのは愚策
955 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 00:03:13
>>953 × 日本人はもっと冷静な対応をする。
○ 日本人は周章狼狽し、謝罪と賠償をする。
956 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 00:07:15
いやわかるが、それではNHKでは無理だ。
民放で朝まで任那日本府みたいにやらないと
怒鳴り合いの可能性大だ。
957 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 00:07:51
>>953 >寛容に受け止めてやれよ。
今までそうしてきたから拉致もミサイルも原爆実験も行ったんだろw
世界中で寛容な態度をする国があるか?wはぁ?
寛容な態度をとるのは、同じ価値観の相手にのみです。
それが世界の常識です。
958 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 00:08:18
朝鮮学者が百済を強調していたが、夫余系の百済支配層と朝鮮人と何の関係があるんだ?
>>956 それなら糞チョン学者を呼ばずに日本人と中国人だけで番組を作ればよい
糞チョンに迎合するのは最悪の愚策
960 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 00:10:13
終止喧嘩腰でまるで自分こそ朝鮮人みたいだ。
961 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 00:12:45
ヒトラーがユダヤ人を
異常に憎悪したのはじつは自分にユダヤ人の血が流れていたからだと
言われているが。
嫌韓厨君は、何代前からの日本人?
大和朝廷による半島支配を民間交流にすり替える
これが今回の番組の意図
しかも、広開土王の件では朝鮮人の何ら根拠もない妄想電波を垂れ流した。
つぶれろ、NHK
大和朝廷って言い方も今は流行らんねえw
964 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 00:16:44
>>962 たしかに軍隊が出ているのに
民間交流はおかしいねW。
965 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 00:19:33
半島半ばまで攻めこんだのは
やはり神功皇后でしょうか?
糞チョンは正史・三国史記に好太王碑文の時代にこととして
百済や新羅が倭に王子を人質に出したと明記していることにも、目を瞑っているんだろうな。
967 :
サガミハラハラ:2009/06/01(月) 00:25:49
その子の応神天皇ですよ。
ETV特集をご覧いただきましてありがとうございます。
ご連絡が遅くなりまして誠に申し訳ありません。
番組担当者よりご質問にお答えします。
(1)日本の事は「倭」と呼び、半島の百済や新羅や高句麗の事は「韓国」と呼んだ理由はなんですか?
お答え
古代の事を取り上げている時には、日本は「倭」またはヤマト政権、ヤマト王権とよび、朝鮮半島は「百済」「新羅」「高句麗」と
言っています。
(2)広開土王碑には倭が百済、新羅を臣下に加えたの記述があるのを視聴者に隠していた理由はなんですか?日本が朝鮮
半島南部を支配していた事実を隠すと、番組の趣旨は大きく変わるはずです。
お答え
ご指摘は 碑文の永楽6年の記述「倭以辛卯年来渡(海)破百残□□ 新羅以為臣民」の部分と思います。この直前に「百残
新羅」は高句麗の「属民」だったのに、倭が渡ってきてその百済新羅を破った。だから広開土王は百済新羅を攻めるのだと
いう流れで、高句麗の朝鮮半島南方攻略の理由が記述されていきます。碑文に書いてあることを事実と見る見方もありますが、
倭が百済新羅を破るほどの脅威をもっていたので、高句麗王が百済、倭を攻めるのだと、南方攻略の大義にしているという
解釈もあります。現在では、大方 が後者の見方です。広開土王碑に記された時代、「日本が朝鮮半島南部を支配していた」
ということは、現在日韓双方の学会で実証されていないと考えます。
(3)番組の内容が韓国視点で韓国の都合の良い話ばかりで作られています。
お答え
そのような視点で作っているわけではありません。日韓の研究者の方々の最新の研究成果をもとに、学術的にも信頼度が
高いと言われる成果に依拠して作っています。
今後とも、NHKをご支援いただきますようお願いいたします。
お便りありがとうございました。
「ETV特集」担当NHK視聴者コールセンター
>>967 そうなんだよ。
相手の血筋、すなわち民族的なつながりのコンテンツ抜きで当時の交流は語れない。
そんなものが、ゴッソリ抜け落ちてるんだよ。
この半島のれきしではな。
半島の歴史というか、NHKのこの歴史番組での話。
鉄とか絹織物で倭人が血を流す根拠とするなんてあり得ない。
特集番組を作る程の資料の提示どころか、納得させるだけの解釈も提示できていない。
2ch以下
972 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 00:53:24
>>918 >平和裏に交易で鉄資源が流通していたとすれば、
>鉄の対価に「人」が使われることも多かったろうと言うこと。
鉄の対価もなにも釜山・莱城遺跡にみられるように、
弥生時代から古墳時代まで、
倭人は伽耶で鉄を採り続けてるのだが。
対価なんて払う必要ないのだが。
973 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 01:09:15
日本が韓国に奴隷を差し出したというのは日韓の学会で実証されている話なのか
974 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 01:28:01
>>961 ヒトラーユダヤ人説なんて信じてるのかw
「そうだったら面白い」っていう糞伝説がネタ元なのにw
975 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 01:38:56
本当にNHKは異常な放送局だと思った…NHKすべてではないけど、
このETV特集は半島優位の造作が明らかに意図が見え見え。
976 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 01:47:12
>>「日本が朝鮮半島南部を支配していた」
ということは、現在日韓双方の学会で実証されていないと考えます
日本の歴史書だけでなく中国の歴史書も、さらには当の朝鮮の歴史書にまで、
倭の朝鮮半島南部への進出が記述されてることから見て、否定する方が無理がある。
倭を百済や任那の傭兵やただの民間使節と見るのも、同じく日中韓の歴史書の記述からは到底考えられない話。
>>倭が百済新羅を破るほどの脅威をもっていたので、高句麗王が百済、倭を攻めるのだと、南方攻略の大義にしているという
>>解釈もあります。現在では、大方 が後者の見方です。
これでは碑文の倭が朝鮮半島に攻め込んで来たと書いてあるのも虚実だと言いたそうだな。
978 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 02:27:02
NHKは確信犯だな
近隣諸国条項なんぞ作るから
日本の歴史が汚される
980 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 02:51:57
124 :名無しのひみつ:2009/05/31(日) 13:01:06 ID:jxexEc0l
日本の「考古学者」どもは、自説のためならどんな強引な解釈やこじつけもできるアホ集団だからね。
「オッカムの剃刀」なんて完全無視。
素人が、縄文時代の石器を火砕流堆積層に埋め込んだ捏造遺跡にコロッと騙されて
「日本に旧石器時代があった」
「旧石器時代の人類は(縄文時代の石器をつくれるほど)高度な知能を持っていた」
なんて認定して大はしゃぎ。
石器を作る際に出るはずのクズ石が出土しないことや
秩父の「遺跡」(もちろん捏造遺跡)から東北産の石を使った石器しか見つからない、
という不審な証拠があっても捏造と気づかない。
日本の考古学部が文系に属しているせいかもしれない。理系の「頭」でないんだよ。
捏造発覚前から地質学者や人類学者は呆れていた。
はっきり言って隣国の連中を笑えないよ。
>>918 韓国の古墳にクスノキの棺 鉄の見返り、日本から運ぶ?
朝鮮半島からもたらされた鉄の見返りに、日本から何が運ばれたのか。古代史最大級の
謎に、新たな仮説が登場した。木材だ。韓国南部の古墳で昨年、朝鮮半島では自生しない
クスノキの棺が発見されたからだ。中国を含む東アジアに特定の樹木を貴ぶ文化があった
という新しい歴史像も浮上している。
木棺が見つかったのは、慶尚南道昌寧郡の松●洞古墳群(全23基)の7号墳(5世紀末〜
6世紀初頭)。当時一帯は加耶(かや)と呼ばれ、小さな国がいくつもあり、7号墳は、そうし
た国の支配者のものとみられる。
国立昌原文化財研究所の池炳穆(チ・ビョンモク)所長が1月に早稲田大で開かれた研究会
に参加し、調査の概要を日本で初めて報告した。
木棺は長さ3.3メートル、幅0.8メートル、高さ40センチほどで重さは258キロ。科学的分
析の結果、昨年秋クスノキと判明した。
照葉樹のクスノキは朝鮮半島には自生しない。済州島にはあるが、大きく育たない。古墳の
構造や土器の様式から、昌寧一帯は新羅の強い影響下にあったとみられるが、済州島は
新羅と敵対する百済の領地だった。台湾や中国南部にはあるが、これも遠隔地。こうした点
から、「近い日本から運ばれた可能性が高い」と池所長は考える。
魏志倭人伝にも倭国の産物としてクスノキが記されている。虫がつきにくく長持ちするのが
特徴で、特産品として知られていた可能性が高い。
分析結果を受け、早稲田大の李成市教授(朝鮮史)は、過去に韓国の古墳で発見された木
材類を改めて調査。すると、百済や新羅の多くの古墳でクスノキやコウヤマキの木片があっ
た。コウヤマキは日本にしかない木だ。
ソース:朝日新聞2006年2月20日付け記事
982 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 08:43:18
朝鮮人がよく言う「鉄の見返りは何か?」にだまされちゃだめだよ。
彼らは今だまともな見返りの答えを見出してないし、
実際、見返りはないのだから。
何故かと言えば倭の支配地に見返りなんていらないからさw
983 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 09:09:47
現在の地図に惑わされすぎなんだろうね。「大きな」大陸と「小さな」島国の
間に存する朝鮮諸国、と考えるから、倭の影響力を読み誤る。
当時の半島南部での認識は、「大きな」大陸と「大きな」島国の間に「小島の
ように点在する」韓の諸王朝、だったはずだから。
984 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 10:56:42
>>倭が百済新羅を破るほどの脅威をもっていたので、高句麗王が百済、倭を攻めるのだと、
南方攻略の大義にしているという 解釈もあります。
日本が清・ロシアを破り朝鮮半島を領有し、中国本土を侵略するほどの脅威をもっていたので
アメリカが日本を攻めるのだと太平洋戦争の大義にしているという 解釈もあります。
つまり歴史書に書いてあることはすべて嘘なのか?
985 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 11:10:16
高句麗「百済・新羅は倭の手先、つまり親日派ニダ!だから攻撃するニダ」
でも古代に隣国を攻撃するために大義名分が必要なのか?
降伏せよ→拒否する→戦争開始 だろ?
986 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 11:20:58
現代の大義名分では無いんだろう
しかし、神功皇后による三韓征伐は刺激になったんだろう
それにしても、NHKは神功のじの字の出なかったなw
アレルギー凄いな
987 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 13:35:17
一般人が埴輪付きの前方後円墳造れるかよ。
韓国の学者の辻褄の合わない妄想が痛々しかった。
古墳を作れると言うことは、古墳を作れるだけの個人的な動員力を現地に持っていたということ。
【前方後円墳】
倭の支配下にあった事の動かぬ証拠!
教科書改ざんしてたのは、日教組と韓国・朝鮮だとハッキリしてきた。
戦後の日本史学会が、如何にいい加減だったかが暴露されだしたわけね。
戦前の反動だろうが、学者研究者としては失格
991 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 15:02:39
NHKアナ「必要なものを相互にやりとりする関係性を見つめていかないと、どうも話は果てtンしないな、と」
韓国人「一方的な力だけの関係ではなかったということです」
森「・・・(苦笑い)そうですね、お互いにですね、え、必要と、え、する、、ようなものを、ま、あの、・・・・かわしたと、そういう時代だったと思いますね」
これ、すっごい、森さんの抵抗だと思うよ、あの場で、できるだけの精一杯の読者向けアピール。
三国史記では一方的に人質要求してるんだよな。
多元的交流があったのは否定しないがw
>>980 石は放射性炭素による年代測定が不可能だから、仕方ねーだろ。
本人が自白か捏造場面を目撃されない限り否定できないからな
994 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 15:52:02
歴史的に見て日本は朝鮮より国力が劣っていた時期なんてないだろ。
第二次大戦直後ですら日本の方が上
あの前方後円墳は、返して貰うべきだろ!
996 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 17:45:36
>>993 >石は放射性炭素による年代測定が不可能だから、仕方ねーだろ。
あの捏造事件のことを少しでも調べりゃそんな擁護論は全く通用しないということが判るよ。
>本人が自白か捏造場面を目撃されない限り否定できないからな
日本の考古学界に独自の「自浄作用」が働かなかっただけ。言い訳にもならない。
997 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 18:22:33
あの捏造石器作っていたのは正統な考古学者ではなく
発掘マニアだろ、川口浩の大発見みたいなもの
998 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 19:06:19
韓国の前方後円墳の埋葬者について、
韓国の学者は、百済にも属してたと言ってたが、
武寧王など百済王の墓よりはるかに大きいのをどう説明するのだろうか。
森さんは遠まわしにその事を言ってたな。
999 :
日本@名無史さん:2009/06/01(月) 19:21:22
>>998 倭人に百済王の権威を見せつけるために、わざわざ倭人の近くに巨大墳丘墓をつくったんだよ。
そんなの言うまでもないと思ったが・・・(汗
>>999 日本人ならちゃんとした読解力もてよな
倭人の墓>>>>>武寧王(百済王)の墓
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