【大名】江戸三百諸侯について語ろう3【藩主】

このエントリーをはてなブックマークに追加
1日本@名無史さん
前スレ
【大名】江戸三百諸侯について語ろう2【藩主】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1220359847/l50

過去スレ
【大名】江戸三百諸侯について語ろう【藩主】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1210810352/l50

関連スレ
江戸時代の武家の極位極官
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1203212697/l50
江戸時代の旗本、御家人について
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1219934233/l50

2日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:59:56
江戸三百諸侯とは1万石以上の大名
3日本@名無史さん:2008/12/05(金) 01:34:27
>>1
أسامة بن لادن
4日本@名無史さん:2008/12/05(金) 01:45:25
関ヶ原以降、一番浮き沈みが激しいのは越前?
会津加藤も結構候補かな。
加藤は沈みっ放し、とも言えるけど。
5日本@名無史さん:2008/12/05(金) 02:02:49
3百諸侯と云えど幕末期は271藩
3万石台・・・32藩
2万石台・・・40藩
1万石台・・・93藩
小大名が圧倒的に多い
3万〜1万石台・・・165藩

6日本@名無史さん:2008/12/05(金) 07:44:49
>>4
加藤は若年寄を輩出してる
7日本@名無史さん:2008/12/05(金) 09:36:42
譜代大名は石高は少ないが幕府の要職につける。幕府も甘く改易食らってもお家再興も可能性あり
外様大名は石高は多いが幕政からは蚊帳の外で睨まれて改易の危機がある
とよく教科書に書かれてますが
圧倒的に多い1万から2万程度の外様大名って
両方の悪いところとりだよな・・・
8日本@名無史さん:2008/12/05(金) 09:45:21
>>4
加藤氏(藩祖・嘉明)
伊予松山藩(20万石)→陸奥会津藩(40万石)→石見吉永藩(1万石)→近江水口藩(2万石)→
→下野壬生藩(2万5千石)→近江水口藩(2万5千石)→廃藩置県

引越し貧乏大名だね
9日本@名無史さん:2008/12/05(金) 10:28:53
単に改易寸前で助かったってだけじゃん。
10日本@名無史さん:2008/12/05(金) 11:20:33
>>7
幕府も安定期に入ると、そんなに改易は無くなっていく。
人吉藩相良家なんかでは、家老が藩主を殺害するという事件が起こってるが、幕府は事実を
把握しながらも黙認してるし。
11日本@名無史さん:2008/12/05(金) 11:35:24
つーか、一分金殿以降の方が年数的には圧倒的に多いんだから江戸時代の加藤家は小大名だったと言っても過言じゃなかろう。
跡形もなくなった加藤清正家や諸侯の列から滑り落ちた福島家、維新のどさくさでやっと大名になった平野家に比べたらずいぶんマシだ。
そうしてみれば、七本槍の勝ち組は願い譜代になって老中を出した脇坂家か。

引越し貧乏というには回数が足りないな。松平大和守家なんぞ直矩一代だけで6回、トータルでは13回転封してる。
平均すると22年に1回くらい。最初の五代に限って言えば14年に1回移ってることになる。
これだけ移ってればたとえ百万石だったとしても楽勝で貧乏になれるw
12日本@名無史さん:2008/12/05(金) 12:07:05
譜代大名なんか早い話が営業所の所長みたいなものだから
その点外様は本社移転だから大変だと思うよ
13日本@名無史さん:2008/12/05(金) 12:09:57
庄内の酒井は出来なかったけどな
14日本@名無史さん:2008/12/05(金) 12:41:11
>>10
人吉藩の相良家は戦国から島津とは犬猿の仲だったから
幕府も島津対策として存続させた方が得策と考えたんじゃない
15日本@名無史さん:2008/12/05(金) 13:08:26
>>13
酒井家の転封には百姓に至るまで反対したらしいが
16日本@名無史さん:2008/12/05(金) 13:14:42
>>14
島津と犬猿の仲なのは伊東。
相良は犬猿の仲とまでとはいかないが、仲がいいとも言えない。あたらずさわらずのびみょーな関係。

万が一の島津対策としておいといたほうがいいと幕府が考えただろう点には同意。
もっとも寛永になると、加藤清正家に代わって外様でありながら幕府の憶えめでたかった細川家が熊本に入り
もっと後の吉宗以降になると当の島津家と幕府との縁戚関係が強まって
相良家を人吉に噛ませ犬的においておくという存在意義はかなり薄くなっていったとは思われますが。
17日本@名無史さん:2008/12/05(金) 14:11:38
姫路藩(姫路城)の城主交代
池田→本多→奥平→越前→榊原→越前→本多→榊原→越前→酒井→廃藩

現在の姫路人は誰に親しみを持っているんだか問いたいね
18日本@名無史さん:2008/12/05(金) 14:15:05
秀吉かかんべえだろ
19日本@名無史さん:2008/12/05(金) 14:17:35
白河藩も交代が激しい。
最後は天領だし。
ちなみに白河人が一番慕ってる大名は松平定信。
20日本@名無史さん:2008/12/05(金) 14:40:20
>>19
白河藩の藩主交代
丹羽→榊原→本多→松平(奥平)→松平(越前)→松平(久松)→阿部→天領

知恵伊豆は藩主と云うより老中として全国的に有名だよね
21日本@名無史さん:2008/12/05(金) 14:56:17
>>20
ち、知恵伊豆???
>>19は越中守のこといってると思うんだが?
22日本@名無史さん:2008/12/05(金) 15:07:29
姫路城には誇りを持っているが
姫路の殿様について聞くと固まる人が多いと思われ

万が一
 千姫
なんて答えが返ってきても生暖かくヌルーしてあげてくださいw
実際千姫饅頭とか、千姫がどんな殿様よりプッシュされてるんですよ、これが・・・
23日本@名無史さん:2008/12/05(金) 15:11:04
>>21
ゴメン!松平信綱と間違っていた
24日本@名無史さん:2008/12/05(金) 15:43:28
>>16
人吉2万石や飫肥5万石でどうやって
島津公称77万石を防げばよいのですか?
一撃で粉砕されて終了っぽいし
どうせ熊本や福岡小倉あたりまでは抜かれちゃうだろうから
その間のはいてもいなくても別にいいような
25日本@名無史さん:2008/12/05(金) 15:48:32
>>22
姫路城主は我らが長壁姫様ですぜ?
池田輝政が「毎日出てこられると城のものがびびるから
年に一回城主が会談するからその時に要望をういってくれんか
天守に住むのは別にいいので」と話しつけたので
池戸から城主が代わっても姫路城主は毎年一回真の城主の姫様と一人で会談してたんだぜ?
今は世界遺産に住んでるんだ
妹の亀姫様の住居の猪苗代城は今は市営体育館になってしまったので
妹さんは真の体育館管理人としてジャージ姿で(ry
26日本@名無史さん:2008/12/05(金) 15:49:08
ぎゃー池戸ってだれだーorz
27日本@名無史さん:2008/12/05(金) 15:49:36
外様で幕府に忠誠心が強い大名は
藤堂 細川 黒田 池田 蜂須賀辺りかね
28日本@名無史さん:2008/12/05(金) 16:10:43
>>24
捨て石として有効。
平時には、偵察拠点として有効。
29日本@名無史さん:2008/12/05(金) 16:20:32
>妹の亀姫様の住居の猪苗代城は今は市営体育館になってしまったので
>妹さんは真の体育館管理人としてジャージ姿で(ry

マネージャーなのでセーラー服ですよ?
30日本@名無史さん:2008/12/05(金) 19:15:13
藩主が発狂した為に改易・減封された藩
丹波八上 前田家(5万石→没収)
陸奥三春 松下家(3万石→没収) 
播磨赤穂 池田家(2万5千石→没収)
三河刈谷 久松家(2万石→没収)
上野安中 水野家(2万石→2千俵)  
上総久留里土屋家(2万石→3千石)  
常陸玉取 堀家(1万2千石→3千石) 
越前福井 松平家(47万5千石→25万石) 
下総古河 藤井家(8万石→2万石)
伊勢長島 久松家(1万石→6千石) 
遠江掛川 井伊家(3万5千石→2万石)
下野鹿沼 内田家(1万3千石→1万石) 
信濃松本 水野家(7万石→7千石) 

家臣にとっては大迷惑だな
31日本@名無史さん:2008/12/05(金) 19:50:34
喜連川藩は5千石で大名入りしてるけどどうしてだろうか?
32日本@名無史さん:2008/12/05(金) 19:54:31
徳川家の家来じゃないから旗本にするわけにもいかないし、公家にすると
官位が低すぎて武家全体としての名誉に関わるからじゃね?
33日本@名無史さん:2008/12/05(金) 20:22:46
喜連川の10万石格というのは,朱印状か何かで認められているんでしょうか?
34日本@名無史さん:2008/12/05(金) 20:50:09
>>30
都合が悪くなてうちうちで処分した「ご乱心」もけっこういるんじゃね?
たとえば根はいい人なんだけど「こうしたほうが藩も民も豊かになる!」とかで
上級家臣たちの既得権をないがしろにするような改革をしだすとか
下手な改革や開墾されるより子供作るだけの馬鹿殿のほうがやりやすいだろうし
35日本@名無史さん:2008/12/05(金) 21:04:29
>>33
対馬府中藩もそうだね 
自質1万余石だが10万石格となっている
もっともこちらは朝鮮との貿易収益を見こんでいるらしいが
36日本@名無史さん:2008/12/05(金) 21:08:55
一ノ関の田村家は三万石だけど江戸上屋敷の門は十万石格なのはなぜなんだろう?
37日本@名無史さん:2008/12/05(金) 21:33:10
松下は加藤明成の縁戚だったから
38日本@名無史さん:2008/12/05(金) 21:34:33
5万石に減封された岡崎藩本多家も10万石の格式を有していたらしい。
39日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:02:01
>>35
幕府終盤に
近畿地方に10万石の土地を用意するから
対馬を直轄領にしたいからよこせって言われてるのに断ってるんだよな
貿易よりこっちのほうが実収入多そうだし
国主格ではなくなるぐらいのマイナスしかないだろうに
なんで断ったんですかね
40日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:04:11
>>39
なんら担保されてないから常識的な選択だね
41日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:29:01
>>39
普通に考えれば,近畿の10万石よりも対馬の方が実入りが多かったんだろう。
ま,それか,父祖の地に拘ったか。




42日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:33:56
>>39
対馬宗家も幕府も共に10万石以上の価値があると見込んだと思う

宗家側は対馬本島で朝鮮との貿易による利益、飛地の田代領(肥前)では朝鮮人参を
原料に薬を作り越中富山の薬行商人と比肩するほど莫大な利益を得ていたし
そのほかロウソクを特産物として売り払っていた

43日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:42:13
対馬宗、蝦夷松前並かそれ以上の離島に忽然といるのに
参勤交代の特例がなくて他のと同じような期間でやらなきゃならなかった
福江の五島さん可哀そう
44日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:01:23
>>43
福江島の五島家はたかだか1万2千石で大変だったろう
肥前佐賀藩の3支藩は金がなく安政元年から五年間参勤交代を
止めたらしいよ。その代り幕府からは藩として認められなくなったけど

45日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:08:19
でも割としっかりした城(跡)だったよ、五島。
陣屋レベルだけどさ。
46日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:23:54
うらやましいな
写真しか知らないけど海に突き出した海城だって?
47日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:30:39
臼杵も突き出てるよ
48日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:34:14
豊後臼杵藩 稲葉家五万石だね
49日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:36:43
五島(福江)長崎間約100q
対馬九州間約132q
津軽海峡約20q

50日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:37:28
>>39-42
「幕府終盤」のころというのがミソで
周辺にはイギリス、ロシアなど欧米列強の艦隊がうようよ
でも、この頃には肝心の朝鮮貿易のうまみというのが全然なくなって
(というか、金はかかるのに実入りは少ない宗氏との交流に朝鮮側が見切りをつけたのが実態らしい)
宗氏は列強に対応する軍備なんてとても整えられないのが実状
んで、さすがの幕府もこの宗氏のていたらくを懸念し、
防衛上の理由のため、破格の好条件を提示して遷っていただこうとした

宗氏が断ったのは鎌倉以来の父祖の地に執着したプライドもあったと思うが
『日本の名族』(新人物往来社)宗氏の項によると、
領民に奴隷制を敷いており
それをやめられなかったのが本当の理由らしい・・・
51日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:48:54
>>50
このレスは勉強になるよ

宗氏は元々肥前の豪族で少弐の家臣だったが、当時の対馬は比留間氏がいて少弐の命を
聞かず宗氏を討伐に行かせたと聞いている。それで其のまま対馬に居座ったらしい
52日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:52:36
対馬守護代平朝臣宗氏
平忠盛伝説ですな
53日本@名無史さん:2008/12/06(土) 00:00:47
>>51
改めて勉強になる!w
となると、宗氏も惟宗姓も仮冒の可能性あり?
54日本@名無史さん:2008/12/06(土) 00:02:39
>>49
五島氏の参勤交代だけど勿論船旅になると思うが、長崎に上陸した後陸路だろうか?
それとも大坂辺りまで船旅ですか?
55日本@名無史さん:2008/12/06(土) 00:08:18
>>50
同時期の松前の国がえと比べても条件破格だもんねぇ

似たようなもんの松前藩の扱い

ロシア南下の対策で知床から浦川までを没収→7か月後に浦川から函館までも没収
→代替として武蔵国内で5千石と毎年の幕府からの資金援助
→1807年に残った西蝦夷全部没収→陸奥梁川9千石に転封、藩主はロシアとの密貿易の疑いで蟄居を命じられる
→1821年に蝦夷全土返還。ただし北方警護を押し付けられる
→1855年木古内以東乙部以北を再度没収、渡島半島南西部のみ安堵
→代替として陸奥梁川出羽東根計3万石を与えられ出羽尾花沢1万石を領地ではないが幕府から預かる。
手当金として毎年一万八千両が支給されることになる
→藩主崇広が老中に就任したので乙部熊石が松前藩領にも出されるがすでに蝦夷の中心は松前から箱館に移ってしまっていた
榎本武揚らにぼこられて敗走藩主徳広は心労で敗走先の薬王院で血を吐いて死亡

なんか可哀そうなぐらい翻弄され杉
56日本@名無史さん:2008/12/06(土) 00:09:05
>>53
不勉強なもので
57日本@名無史さん:2008/12/06(土) 00:28:27
前々スレからの継続議題
967 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2008/09/01(月) 00:50:11
「一番地味な大名」選ぼうぜ。
58日本@名無史さん:2008/12/06(土) 01:30:23
>>57
チャンピオン「市橋」って誰?
二位以外混沌。
以降チャンピオン強過ぎて挑戦者なし。
終了。
59日本@名無史さん:2008/12/06(土) 02:24:41
>>55
松前藩。・゚・(ノД`)・゚・。
60日本@名無史さん:2008/12/06(土) 05:58:48
散々アイヌを搾取し、国法を破って密貿易を繰り返した藩に
同情の余地などあるのか。
61日本@名無史さん:2008/12/06(土) 06:01:40
松前藩はアイヌにあんなに酷いことしたから
さして同情しないが。
62日本@名無史さん:2008/12/06(土) 08:42:25
アイヌはナコルルのおかげで20代後半の格ゲやアニオタはじめ
歴史オタから三鷹オタまでさまざまなオタに非常に人気があることを考慮すれば
松前藩に味方する人間はこの星には存在しないだろう
63日本@名無史さん:2008/12/06(土) 08:43:42
松前ざまぁ
64日本@名無史さん:2008/12/06(土) 09:34:40
派手な大名の選考に入ろうや。
基準は「最も市橋の対極にいる大名」な
65日本@名無史さん:2008/12/06(土) 17:04:11
>>64
候補者リスト
・島津
 島津重豪がほとんど一人で作り上げた500万両の借金
 その孫斉興と曾孫斉彬の壮絶な御家騒動
 幕末の大爆発は言うに及ばず
 ・・・但し、それまでが77万石の割には全然目立ってないのが欠点

・伊達
 初代藩主・政宗は名実共に伊達大名で見た目も逸話も派手さには事欠かない
 歌舞伎や大河ドラマのネタにもなったお家騒動
 ・・・しかしここはその後夭折藩主が多かったためか話題にもならない
 奥羽越列藩同盟でも実質的な主人公は会津藩

・徳川(尾張藩)
 派手が民族性とも言える名古屋の殿様 住居も名古屋城で派手 将軍家相続にも関わる派手
 藩主の一人は派手なために隠居させられる
 ・・・でもここも途中から(ry

・徳川(水戸藩)
 初代藩主は3代将軍と連んだヤンキー 2大藩主は時代劇のネタかつ元ヤン
 幕末は怪物斉昭を輩出
 ここの欠点は中間でもう一つパッとしてないこと
66日本@名無史さん:2008/12/06(土) 18:53:37
阿比留氏・・・
67日本@名無史さん:2008/12/06(土) 19:40:44
>>64-65
・上杉
初代景勝…直江とのコンビで狸に喧嘩を売る
三代綱勝…米沢騒動、死因は毒殺?吉良の乗っ取りか
四代綱憲…赤穂浪士と対決

八代重定…能に凝って金遣いまくりの放蕩親父
九代治憲…アメ公も知ってる九州のカルロスゴーン
十二代斉憲…今度はイタチと組んで勝ち馬に抵抗
十三代茂憲…沖縄の名物知事

現在の当主…宇宙とロケットの博士
68日本@名無史さん:2008/12/06(土) 19:52:59
・毛利
影の初代…秀元
ご存知「空弁当」
表の初代である秀就と対立
29万石の朱印高を幕閣に直談判
36万石の高直しに成功
しかし家臣や領民から恨まれた
69日本@名無史さん:2008/12/06(土) 20:07:04
「殿様、我が毛利も
派手な大名に立候補しますか?」

「そうせい!」
70日本@名無史さん:2008/12/06(土) 20:10:51
上杉は派手な大名というか
大河ドラマや時代劇に
よく出てくる大名だな
71日本@名無史さん:2008/12/06(土) 20:25:46
・真田(大坂の陣)
、井伊(桜田門外)、
津軽(相馬大作)、
鍋島(化け猫)、
前田(鼻毛、加賀騒動)
などか?
72日本@名無史さん:2008/12/06(土) 20:41:26
越前とか会津とか御三家とか。特に紀州は大暴れだから優勝候補の筆頭。
73日本@名無史さん:2008/12/06(土) 20:42:26
御家騒動なら伊達が一番イメージ強いな
74日本@名無史さん:2008/12/06(土) 21:55:00
出羽鶴岡藩は。
藤沢周平作品に良く出てくる海坂藩のモデル。
75日本@名無史さん:2008/12/06(土) 22:08:38
>>67 上杉斉憲を騙したイタチって誰のこと?
76日本@名無史さん:2008/12/06(土) 22:10:26
静岡藩
77日本@名無史さん:2008/12/06(土) 22:17:26
>>75
伊達
78日本@名無史さん:2008/12/06(土) 22:33:22
>>65

尾張藩は幕末も派手ですよ。
安政の大獄で隠居謹慎。
井伊直弼が亡くなると徳川家茂の後見。
弟を排除して、長男を家督に据え、自分は実権を握る。
青松葉事件。
朝廷の権力を利用して自分の政敵を葬ってしまった。
79日本@名無史さん:2008/12/06(土) 22:47:41
             . .::'"´::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::`::..、
           /::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.:、::.::\
            ,:'::.::.::/::.::.::.::.::.::.::.:/::.::.::.::.::.::.::.::.::rj;:、::.::.ヽ
         /::.::.::.;'::.::.::.::.::.::.::.::.i::i::!::.::l::.::.::i::.::!:{'へヽ::.::`、
         ,'::.::.::.::i;:.::.::.::.::.::.::.::.:l.:|:l::.::i|::.::.:i|::.:|i:|   ';i::.::.::.',
          i::.::.::.::.|i::.::.::.::.::.::.::.::.|:l:!|i:: | !::j::l !::l |l   i::.::.::i:i
           |::.::.::.::.!::.:i.::.::.:l.::.::.::.:!:|j|」::i-j/}:トjノ i' '⌒l.::i::|:li|
           !::.::.|::.:!::.::!::.::.::l::.::.::i.| いヘt ' ノ' /    / 、|.i:!:l:|l|
           l::.::.:l::.|::!::l.::.::.::|::.::.::l:|    __ `    ,.={リ川リ
          |::.::.:|::l::i.::|.::.::.::!::.::.::i:l  ゞ'" ̄`      'Vル′
         l::.::.::!::い:::、:{::.:';:.::.|!::}           ) イ′
        |::.::.|::.`:\ぃ:い:リj/         '_, /
            !::.::.::l::.::.::.!::::`i:ヤく        ー‐ .ニ´  ′
            l::.::.::.:',::.::.:';::::;レ'}  \        .イ
            |::.::.:.!::ヽ::.::∨ ヾ     ` ー-,---ュ'_:リ
            !::.:|.:i;. ¬::.::.:', 丶      {ヽ \ ヽ
        |:/   i::.::.:i   ヽ       ハ   ヽ ',
         |/     l::.i::.l   `、` ー--‐' ,!|  i  i
        /       .|:i::.l   ヽ ー-- ‐' !   |{:|
        ,′     :. |::.l::.|    \   / _  |',|
80日本@名無史さん:2008/12/07(日) 02:47:12
伊達はとっさの機転で肥後細川を改易の危機から救った藩主がいる
81日本@名無史さん:2008/12/07(日) 08:38:29
岩国の吉川氏は通字が広から経に変わっているのはなぜですか?
また幕府から参勤交代を命じられていたようですが、官位は与えられていたのですか?
82日本@名無史さん:2008/12/07(日) 09:58:43
>>80
誰やねん
83日本@名無史さん:2008/12/07(日) 10:25:13
>>82

伊達宗村
84日本@名無史さん:2008/12/07(日) 13:19:47
>>82
8月15日江戸城にてトイレに行こうとした5代藩主細川宗孝が人違いで大広間のそばで斬られる
(犯人が目標としていた板倉さんと細川の家紋が似てた)
宗孝即死
宗孝に後継者はおらず殿中で斬ったり斬られたりは喧嘩両成敗で双方改易が定法
しかも大身外様熊本藩では弁解ができない
そこにたまたまいたのが仙台藩主伊達宗村
宗孝のそばに駆け寄ると
事態にパニック状態の細川家臣に向かって
「まだ息があるようだ。早く屋敷へ運んで手当を」と命じた
細川家の者はそれを受けすでに死亡している宗孝をまだ瀕死状態のふりをさせ運び
藩邸に戻ると弟重賢を末期養子として届け
翌日「手当てのかいもなく死にました」と幕府に報告
幕府側も翌日には「人違いですた、てへ♪」という状態を把握しており
細川家は無事に存続したということじゃ・・・めでたしめでたし
85日本@名無史さん:2008/12/07(日) 13:32:24
>>81
江戸期の吉川家の官位官職はよく知らないが、通字については元々「経」
毛利が入り(吉川元春)、かつ広家が継いで数代「広」が使われただけじゃまいか?
86日本@名無史さん:2008/12/07(日) 14:32:17
>>16
>>24

版籍奉還によって静岡藩知事を辞して東京に戻ってきた徳川16代様が
天照院篤姫と念願の再会を果たしたのが赤坂の旧人吉藩藩邸においてです。
薩長土の兵隊が徳川への敵意をまだギラギラと見せ付けていた頃の出来事ですから、
人吉藩が何からの政治的干渉地帯の役割を果たしていたのは確かでしょう。
肥後が薩摩に対する抑え的な役割だったというのも多少とも事実だったと思います。

しかし幕末に薩摩藩家老小松帯刀が城下大火災後の人吉藩財政窮乏に対して
温かい救いの手を差し伸べていますし、 >>16さんのように
つかず離れず敵でもなく味方でもないといったところでしょうか。
皮肉なことに西郷軍本営が置かれた人吉は政府軍によって徹底的に焼かれてしまいます。

伊東家は一度家が滅び、豊臣秀吉によって再興が認められ関が原では東軍につくという
鎌倉から連綿と続き関が原では西軍についた島津家や相良家とはまた一味異なる立場の家でした。
また室町幕府や朝廷が日向の国主として遇していた一時期もあります。
禁裏に宮女を差し出し続けた尊王の家としても知られています。
伊東家は先祖が平安時代木工介だったことから、
いわば宮大工の棟梁のような尊王意識を持ち続けていたらしく、
伊東家家紋にそれが反映されています。
石高はともかく政治的な影響力のほうが強かったのでしょう。
87日本@名無史さん:2008/12/08(月) 17:09:18
日向の伊東は伊豆の伊東の子孫なの?
草燃えるでは滝田栄がやっていた
88日本@名無史さん:2008/12/08(月) 17:30:56
>>87
一族。日向伊東氏の祖・祐時の父・工藤祐経は伊東祐親の甥。
ちなみに草燃えるで滝田栄が演じていた伊東十郎(祐親の子)はオリキャラ。
89日本@名無史さん:2008/12/08(月) 18:53:43
曾我兄弟の仇討ち
90日本@名無史さん:2008/12/08(月) 19:10:02
工藤祐経と言えば彼にちなんだ「すけつね焼き」という
今川焼きみたいなのを神谷町駅近くのしょぼい店で売ってた
もうなくなっちゃったけど
 
桜田通りの一本東側の細い道
あれが実は昔の東海道で江戸時代には繁華な道だったんだよね
91日本@名無史さん:2008/12/08(月) 20:41:42
薩摩が贋金で相良領を席巻したので今でも人吉者は薩南者に対してはあまり良くは思ってない

でも一番ひどい時の幕府金よりは金の含有量が多かったとは最近聞いたけれど
やっぱり薩摩者は来ないでほしいな
92日本@名無史さん:2008/12/08(月) 20:50:19
>>91がこれから肥薩線を爆破しに行くと言うことですねよく分かります_
93日本@名無史さん:2008/12/09(火) 01:22:41
ヒトヨシなめんなー
94日本@名無史さん:2008/12/09(火) 01:43:58
飫肥藩が憎い
95日本@名無史さん:2008/12/09(火) 19:51:20
>>84
ええ話や・・・
96日本@名無史さん:2008/12/10(水) 03:18:25
>>84
伊達なかなかやるな・・・
97日本@名無史さん:2008/12/10(水) 03:21:36
それがピークなんだけどね、伊達のw
98日本@名無史さん:2008/12/10(水) 10:36:41
板倉が細川宗孝を刺殺し、伊達重村が機転を聞かせて生きていることにした
同じ事は桜田門でもありました
99日本@名無史さん:2008/12/10(水) 12:38:47
>>84
そのくせ、自分は病気療養中に起きた飢饉の大被害の実態を聞かされてショック死するヘタレ大名w>宗村
100日本@名無史さん:2008/12/10(水) 18:11:21
重村なのか宗村なのかはっきりしてくれ。
101日本@名無史さん:2008/12/10(水) 22:03:19
>>100 宗村だよ
102日本@名無史さん:2008/12/10(水) 22:08:18
あれだ、咄嗟の機転は効くけど自分への衝撃には弱いタイプなんだよ
もしくは藩租と違って人が良くて助けるしまた民衆の被害でショックがでかかったとかw
103日本@名無史さん:2008/12/10(水) 22:13:00
イイ殿様だぁ( ´;∀;`)
104日本@名無史さん:2008/12/10(水) 23:16:08
外様大名はそのくらいの殿様でいいんだよ
105日本@名無史さん:2008/12/11(木) 02:21:48
赤穂浅野は外様?
なんで幕府の仕事してんの?
106日本@名無史さん:2008/12/11(木) 02:36:00
むしろ外様だから押し付けられている。
普請事業もそうだし、基本的に事業費・経費は各家中の負担だから、手っ取り早く
経済力を奪うのに打ってつけ。
107日本@名無史さん:2008/12/11(木) 15:52:28
>>103
じゃあ、ペリー来航に仰天して病が篤くなって死んだ徳川家慶もいい将軍なんだな?w
108日本@名無史さん:2008/12/11(木) 18:00:07
じゃあ、嫁に浮気がばれたことに仰天して落馬して死んだ源頼朝もいい将軍なんだな?w
109日本@名無史さん:2008/12/11(木) 20:51:25
徳川家慶、めちゃくちゃいい奴じゃん。
でも厚姫、一生処女だったのかな?
110日本@名無史さん:2008/12/11(木) 20:55:34
しかし、大藩って、意外と少ないんですね。
30万石あったら十傑入り?
↓江戸時代の各藩石高
http://homepage1.nifty.com/kitabatake/rekishi3.html
111日本@名無史さん:2008/12/11(木) 21:23:13
>>108
頼朝は妻の政子が「畠山さんってイケメンよね」って言ったのを聞いて
夜に「ふぇふぇふぇ畠山どぇす」っていいながら政子に夜這いかけたら
「いやーこないでー私の身体は夫のものよー」って真っ暗闇ですっかり勘違いした
手近にあった武器もって暴れ出した政子に
ぶっ殺されてしまったので武家の棟梁としてはちょっと恥ずかしいよねってんで落馬ってことにしたという説もあるよ

落馬と聞いた家康が「それも武家の棟梁として恥ずかしいよね」て・・・
112日本@名無史さん:2008/12/11(木) 21:24:35
>>110
俺の理想は六万石ぐらいの城持ち
できれば飛び地じゃなうほうがいっそうよい
113日本@名無史さん:2008/12/11(木) 21:31:23
>>112 新庄藩戸澤家や佐伯藩稲葉家をお薦めします
114日本@名無史さん:2008/12/11(木) 21:36:13
相馬とかどうよ?
115日本@名無史さん:2008/12/11(木) 21:40:16
付き合いとか幕府に命じられる普請とか面倒そうだから、大藩の万石超え陪臣がいいな
116日本@名無史さん:2008/12/11(木) 22:01:38
そんなら3000石ぐらいのが旗本でいいんじゃね?
天下のご直参ですよ
117日本@名無史さん:2008/12/11(木) 22:15:03
でも旗本だって今のサラリーマンみたいな感じでイジメも仕事の悩みもあったろう。
その点大名は国元に帰ればやりたいほうだいだし、江戸に居る時だってたいした仕事はない
118日本@名無史さん:2008/12/11(木) 22:49:38
遊びや学問に対する趣向で別れるな
119日本@名無史さん:2008/12/11(木) 23:23:58
陪臣なぞ所詮は麻萌黄
120日本@名無史さん:2008/12/11(木) 23:30:59
>>117
大名だってやりたい放題やってたら,押込めにされるよ。

121日本@名無史さん:2008/12/12(金) 00:56:16
大した借金も無く平和なまま維新迎えた藩ってあるの?
122日本@名無史さん:2008/12/12(金) 01:28:03
>>105
赤穂浅野は純粋な外様とは言えない上に、
綱吉は外様大好き。
123日本@名無史さん:2008/12/12(金) 01:34:14
>>121
新発田
124日本@名無史さん:2008/12/12(金) 01:38:37
陪臣だと、自分の家臣や領民が
本藩の軽輩に馬鹿にされて困るんだよ。
125日本@名無史さん:2008/12/12(金) 09:23:38
酒井雅楽頭家って、老中をいっぱい出してるようで3人しか出てないんだな。
126日本@名無史さん:2008/12/12(金) 09:28:31
先日、エセ歴史家と話をしていたら、「武士は名誉を重んじるから、相手が商人だろうと領民だろうと、
一方的に借金を踏み倒すことはありえなかった」とか断言したんで心底呆れたよ。

藩札の一方的通知による無効宣言とか、相手の証文を武力をちらつかせて奪って破棄するなんて
いくらでもやってるのにな。
127日本@名無史さん:2008/12/12(金) 13:36:47
歴史に興味を持つと
逸話や定説からの先人に尊敬(脳内美化)→現実を知って人間嫌いに→しばらくするとそういう部分もかわいく思えてくる
となるからその人はまだ第一段階なんだろう
128日本@名無史さん:2008/12/12(金) 17:31:28
>>125
中期以降、大老は井伊に独占されるし老中では家格に対して役不足。
それでじゃないの?
129日本@名無史さん:2008/12/12(金) 17:38:40
18:魅せられた名無しさん :2008/09/03(水) 18:05:44
日本資金援助
・8億ドル+α(経済協力金)1965年
・40億ドル(特別経済協力金)1983年
・100億ドル(通貨危機救済金)1997年
・200億ドル(ウォン高救済基金)2006年

韓国は日本のIMF援助の84億ドルとその前の140億ドル、さらに以降の120億ドルとODAの有利子負債の利子
全てを払っていません。約740億ドル、10兆円ほどが貸し出されたままです。

今回の支援で新たに3兆円ほど追加ですねw
累積額見てくださいwww
13兆以上ですよみなさんwwwwwwwwwwwwwwww
いやあwww日本政府は気前がいいじゃないですか〜www
日本国民が汗水垂らして稼いだ税金ですけどね〜www

それから、日中とあるが金出すのは日本だけだよwww
中国は日本に金出させて名前だけ世界にアピール出来てガッツポーズwww


日本政府って最高ですよねwwwwwwwwwwwwwwww
130日本@名無史さん:2008/12/12(金) 17:46:25
>>127
確かにね。実例を提示して反駁してたら、まるで子供のようにテンションが
上がってくるんだから。更に困ったことに、その人を含む歴史愛好会の面々に
何人か会ったが、どういうわけか皆同じ調子。もう少し見聞を広めて欲しいもの
だなあ。
131日本@名無史さん:2008/12/12(金) 18:56:00
会社の歴史マニアで有名だった先輩に、水戸藩は参勤交代がなくて原則江戸常府だったと言ったら
「そんなことがあるわけない、もう少し勉強しないと恥かくよ」と怒られた。
「すみません、不勉強でした」と謝っておきました。
132日本@名無史さん:2008/12/12(金) 19:00:59
会社の先輩は、いつ顔を真赤にしたんだろうね?w
まだ真赤にしてないんだろかwwww
133日本@名無史さん:2008/12/12(金) 21:02:58
>>121
上杉も治広のとき借金ゼロ
斉憲からは黒字財政で明治に至る
134日本@名無史さん:2008/12/12(金) 21:07:07
×斉憲
○斉定
135日本@名無史さん:2008/12/12(金) 21:10:32
>>110
大藩つぶしまくったからね

ただその表は微妙に官位や石高が間違ってる
136日本@名無史さん:2008/12/12(金) 21:38:14
いや江戸に入ってから潰された大藩って
山形藩最上57万(お家騒動)、熊本藩加藤(清)55万(藩主があほ)
岡山藩小早川53万(無嗣)、広島藩福島49万(法渡違反)
会津藩加藤(嘉)40万(藩主が馬鹿)、柳河藩田中32万(無嗣)
高田藩堀30万(お家騒動)、松江藩堀尾24万(無嗣)
伊賀上野藩筒井20万(酒の飲みすぎ)、津山藩森18万(藩主乱心)
米子藩中村17万(無嗣)、高松藩生駒17万(お家騒動)
松山藩蒲生12万(無嗣)、唐津藩寺沢12万(島原の乱)
宇和島藩富田12万(連座)、安房里見12万(とばっちり)
それとと豊臣65万ぐらいじゃないか?
(あと幕府が幕末乗りきってたら毛利減封確定的
だけどそれでも5万石程度で飛ばされて改易じゃなかっただろう)
豊臣以前と比べると確かにスケール下がってるけどさ

江戸初期以外で大藩は潰されてない
上杉が半減されたが
むしろ中期以降は幕府政治に参加して失敗したりした
譜代大名潰されまくり
137日本@名無史さん:2008/12/12(金) 21:43:50
ぼくをわすれないでください。つぶれてはいませんが大幅ダウーンです。

えちぜん
138日本@名無史さん:2008/12/12(金) 21:53:46
>>136
筒井の理由それマジでw
139日本@名無史さん:2008/12/12(金) 21:56:52
>>136
それだけでのべ525万石浮く
日本の石高って2000万石位だったと思うし
内旗本含めて800万が徳川とすれば
1200万中500万石も浮かせて分割すれば
もう潰す必要もないのかも
140日本@名無史さん:2008/12/12(金) 22:48:22
>>137
福井松平
75→67→50→25→32万石
141日本@名無史さん:2008/12/12(金) 22:51:47
ただし分家がでかくなってる
松江18、明石10、前橋17
142日本@名無史さん:2008/12/12(金) 23:22:46
本家は津山じゃなかったっけ?
143日本@名無史さん:2008/12/12(金) 23:25:14
秀康系の本家
高田26→津山10
144日本@名無史さん:2008/12/12(金) 23:30:55
1度津山5万石まで堕ちた
145日本@名無史さん:2008/12/13(土) 00:11:52
正直森は本当に発狂したのか?
幕府批判して潰されただけでは?
146日本@名無史さん:2008/12/13(土) 01:01:50
>>142
それは「津山厨」と言ってだな、
一時期この板やWikipediaを荒らし回った基地外。
>>143
その後、嫡子がいるのに家斉から子供を引き取る荒技でry
147日本@名無史さん:2008/12/13(土) 01:02:06
>>121
伊勢菰野藩1万2千石土方家(織田信雄の家老土方の子孫)
ここは江戸開幕から明治維新まで
一度たりとも一揆がおきなかったほぼ唯一の藩
148日本@名無史さん:2008/12/13(土) 01:15:12
高田は完全没収の改易。
大分たってから名目上の養子に対して、
新知で津山10万立藩。
つーか大藩よりも、
10以下の藩の改易まとめたら、
すげー単位になるんじゃないかと。
そりゃ由比正雪も暴れるわ。
149日本@名無史さん:2008/12/13(土) 01:33:30
彦根の井伊は別として
歴代老中輩出クラスでも、そんなに石高は高くないんだね。
150日本@名無史さん:2008/12/13(土) 02:04:23
司馬さんの「伊達の黒船」を読んで以来、宇和島藩に興味を持ったんだけど・・・
四国の端っこにあって、めちゃめちゃ僻地w
あんな所に文明(?)が花開いてたなんて、ちょっと不思議だ。
151日本@名無史さん:2008/12/13(土) 02:06:16
松根図書ですな
152日本@名無史さん:2008/12/13(土) 02:25:14
というか僻地で他にすることないから学問したんじゃね?
真珠とれたっけか?
153日本@名無史さん:2008/12/13(土) 03:04:36
>>149
井伊家は大老職
154日本@名無史さん:2008/12/13(土) 04:45:00
港があればそれなりに賑わう。隠岐も佐渡も西廻り航路によって新しい文化が
絶えず流入していたくらいだからな。
155日本@名無史さん:2008/12/13(土) 12:39:08
■ おすすめ2ちゃんねる 開発中。。。 by FOX ★
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
すわき★★岡山ラーメン7★★後楽 パート45 [ラーメン]
【岡山県】倉敷市総合スレ4【人気実力NO1】 [地理お国自慢]
非正規×図書館って良い仕事?×時給 5 [一般書籍]


岡山在住の司書さんがこのスレにいる!!
156日本@名無史さん:2008/12/13(土) 20:34:48
>>114
旧族系は大身のご一門が多くて直轄領が少ないのでお勧めしません。

>>126
そいつって大學教授こと本郷か?w
157日本@名無史さん:2008/12/13(土) 20:38:17
>>149
老中は元々は将軍家の使用人だから、石高が上がりすぎると家格が上がってかえって老中に
なりにくくなる。
158日本@名無史さん:2008/12/13(土) 20:45:40
>>126
長州などのように、信じられないほど長い年賦で実質踏み倒し
みたいな例だってあるのにな。
159日本@名無史さん:2008/12/13(土) 20:58:30
薩摩も同じことをやってたな
160日本@名無史さん:2008/12/13(土) 21:01:07
>>155
その図書館スレはなぜかここのところ昼に食ったラーメンを報告スレになってるぞ
161日本@名無史さん:2008/12/13(土) 21:08:48
不祥事続きでも改易も減封もない大名と改易、減封された大名の違いは何?
幕府への忠誠心?
162日本@名無史さん:2008/12/13(土) 21:14:12
忠誠心なんて関係ないだろ。
運とか幕府重役との縁とか家格が高くて手が出せないとか。
163日本@名無史さん:2008/12/14(日) 01:38:35
例えば越前福井家だよな。
まさに制外の家w
164real nigga gets money:2008/12/14(日) 01:44:32
fuckyou japs.do ur mother,wift,daughter
165日本@名無史さん:2008/12/15(月) 03:01:30
日本語できないんですね、かわいそう。
166日本@名無史さん:2008/12/16(火) 02:22:00
戸田が多過ぎてわけわからーん。
本多と松平も。
167日本@名無史さん:2008/12/16(火) 02:56:08
>>163
越前は幕府にいじられまくりでしょ?
168日本@名無史さん:2008/12/16(火) 08:50:34
>>166
戸田家は大きく分けて二つの系統がり、戸田宗光の子の憲光の系統が松本藩・宇都宮藩主家
となり、憲光の弟の氏輝の系統が大垣藩主家となる。
169日本@名無史さん:2008/12/16(火) 14:53:56
家康うっぱらった家なのに・・・
170日本@名無史さん:2008/12/16(火) 18:04:27
>>167
越前福井本家の代々を見てると、潰されないのが不思議でしょうがない。
しかし潰されない。あそこは・・・しょうがないよな長男だしという感じ。
それこそが「制外」
171日本@名無史さん:2008/12/16(火) 18:48:47
また秀康流として全体を見ると何故か焼け太りしてるよね。
172日本@名無史さん:2008/12/18(木) 02:20:49
合計して百万石、ってやつな。
173日本@名無史さん:2008/12/18(木) 05:32:54
秀康の血統、大名家で残っている?
越前と津山は押しつけ養子でしょ?
174日本@名無史さん:2008/12/18(木) 08:57:18
>>173
キ○ガイ殿様で有名な宗衍や茶人大名で知られる治郷でおなじみの松江藩はたしか秀康の
血統が続いてたはず。
だんだんの舞台。
あと明石藩は、将軍家斉の子が養子にはいったけど、そいつに子が出来ずに結局養父の実子
が藩主になり血統が続いたはず。
175日本@名無史さん:2008/12/18(木) 09:14:16
不昧公のお膝元・松江は茶道も盛んで、ウマーな和菓子の宝庫
176日本@名無史さん:2008/12/18(木) 10:10:47
ホームページ見てきたけど、松江は堀尾吉晴の町なんだな。
177日本@名無史さん:2008/12/18(木) 11:13:54
信康の子孫はどうなったけ?娘いたそうだな
178日本@名無史さん:2008/12/18(木) 16:34:06
>>177
信康の娘は小笠原秀政に嫁いだ。
179日本@名無史さん:2008/12/18(木) 20:59:03
豊臣秀長の娘はその後どうなっちょ?
180日本@名無史さん:2008/12/18(木) 22:16:42
>>179 大和大納言様に子供はいません。
秀頼の娘なら尼になりました。
181日本@名無史さん:2008/12/18(木) 22:37:26
加藤嘉明らの息子とちょっといろいろやるよね>秀頼の娘さん
182日本@名無史さん:2008/12/18(木) 23:49:10
東慶寺の天秀尼が何をしたと?
183日本@名無史さん:2008/12/18(木) 23:52:07
よくわからんけど某漫画の元となる史実があったの?
184日本@名無史さん:2008/12/19(金) 00:10:49
家康から欲しいものがあるかと聞かれたときに、縁切りの寺法を保証するという
お墨付きを貰ったという話がありますね。
185日本@名無史さん:2008/12/19(金) 00:27:31
>>180
秀長に娘はいたようだが。
毛利秀元に嫁いでいるはず。

もう1人、おきくという娘がいたはず(秀次の娘とは別)
186日本@名無史さん:2008/12/19(金) 02:01:58
>>176
掘尾も松平も越前から来ているので、
町並みがものすごく似ている。
松江城はいま、NHK朝の連ドラのOPで異常にかっよく登場中。
187日本@名無史さん:2008/12/19(金) 21:00:53
>>185 確かに毛利秀元と豊臣秀保の正室の二人いるけど子は無かったようだ
188日本@名無史さん:2008/12/19(金) 23:18:32
島津、前田、伊達くらいだな。
公の名が相応しいのは。
189日本@名無史さん:2008/12/19(金) 23:34:38
秀頼の娘対嘉明の馬鹿息子
結果的に加藤家は一時破滅
190日本@名無史さん:2008/12/19(金) 23:37:45
津軽美髭公や毛利そうせい公を忘れるな。
191日本@名無史さん:2008/12/20(土) 04:48:28
Q:そうせい公とハイセイコー、言われたとおりに突っ走るのはどっち?

A:後者。そうせい公は落馬寸前で振り回される騎手。
192日本@名無史さん:2008/12/21(日) 00:36:49
豊臣の血にこだわるなら秀勝の娘、完子の嫁ぎ先、九条家あるいは浅野家
に流れているはず。
193日本@名無史さん:2008/12/21(日) 03:37:28
あのな、江戸時代の朝廷の北面の武士に
「豊臣」
がいるんだけど、ありゃなんなんだろうな?
誰かわかる人いないかな?
194日本@名無史さん:2008/12/21(日) 08:44:18
>>192 秀勝の娘完子が九条家に嫁に行って、娘を生んでその子が浅野家に嫁に行って綱あきらを生んだわけだから、広島藩浅野家は秀吉の親父の女系子孫ということになるね
195日本@名無史さん:2008/12/21(日) 10:04:21
女系の血なんか言い出したら、キリがないからな。
豊臣の場合、女系でもレアだから九条家が目立つけど。
196日本@名無史さん:2008/12/21(日) 18:30:16
井伊家っていいポジションだな。
領国は琵琶湖彦根、石高は預かり含めて35万石
家格は溜間で老中雑務せんでいいし、ほぼ同格の酒井雅楽家と異なり何代も大老職独占
譜代筆頭の権威があるも、大身外様のように大きすぎて公儀に睨まれる事もない
美味しすぎるな
197日本@名無史さん:2008/12/21(日) 22:04:01
>>193
日出藩木下家か足守藩木下家の関係者か、おねの養子の子孫じゃね?
本姓は江戸時代でも「豊臣」だったから。幕府公認で。

198日本@名無史さん:2008/12/22(月) 00:08:08
>>196
まことに偉大なのは主家への貢献でも戦働きでもなく
イケメンの肛門のしまりだってことだな
いくら譜代で命かけて戦功上げても
新参の井伊のイケメンのけつの穴には勝てないわけだ

徳川有名どころ
井伊・・・彦根35万石。譜代筆頭
本多(忠勝)・・・三河岡崎5万石
本多(鬼作)・・・改易→旗本
本多(正信)・・・改易
榊原・・・越後高田15万石(実高はもっと低い)
酒井(左衛門尉)・・・出羽庄内15万石
酒井(雅楽頭)・・・播磨姫路15万石
酒井(雅楽頭。別家)・・・若狭小浜11万石(国持ち格を例外的に非適用)
石川・・・裏切ったので改易
大久保・・・改易→相模小田原11万石
阿部・・・備後福山11万石
平岩・・・あぼん
植村・・・大和高取2万石
青山・・・丹波篠山6万石
鳥居・・・下野壬生3万石(個人的にはもうちょっとくれてやってもいいキガス)
安藤・・・陪臣

万千代の尻の大勝利ですよ
199日本@名無史さん:2008/12/22(月) 00:31:26
>>198
水野とかもまとめたのむ。
200日本@名無史さん:2008/12/22(月) 01:20:06
万千代ってオマンチョ?
201日本@名無史さん:2008/12/22(月) 02:49:12
>>197
つか、それくらいしか可能性はないんだけど、
どこにも確証がないんだよ。
木下の分家だとしたら、でもわざわざ北面の武士(滝口だったかも)になるか?
あとは女系から豊臣名乗るケースだけど、
わざわざ「豊臣」になるかなぁ?と。
202日本@名無史さん:2008/12/22(月) 05:09:35
鳥居は始めは出羽山形26万石だったが無嗣断絶した。
203日本@名無史さん:2008/12/22(月) 05:48:32
>>199
水野(勝成)・・・福山10万石→改易→結城1万8千石
水野(勝成の弟)・・・刈谷(故地)→信州松本7万石→改易→大浜→駿河沼津5万石→徳川来たので上総菊間5万石(城がなかったので陣屋大名に)
水野(別系)・・・あっちこっち回った挙句忠邦がこけて城がムダに広い山形5万石
永井・・・輝政親父を討ちとる→いろいろあって子孫は丹後宮津7万石→内藤さんに斬り殺されて改易→大和新庄1万石
内藤・・・あわせて6家譜代大名。16神将の直系は5700石で大名にはなれなかった
渡辺・・・槍の人の家。本家は尾張の家老。分流が和泉伯太1万3千石
久世・・・下総関宿4万3千石
井上・・・子孫が農家のご婦人レイプして棚倉6万石へ懲罰転封→三河浜松6万石
秋元・・・上野舘林6万石
米津・・・出羽長瀞1万1千石
高木・・・河内丹南1万石
大須賀・・・絶家
戸田・・・宇都宮7万7千石
高力・・・島原4万石→改易→旗本3千石
天野・・・駿河興国寺1万石→改易→旗本1000石
三宅・・・三河田原1万2千石
板倉・・・備中松山5万石
土屋・・・武田旧臣。宗家は改易。常陸土浦9万5千石
堀田・・・佐倉11万石→近江宮川1万石(大老でます)
堀田(正俊)・・・佐倉11万石(大老を出すよ)
土井・・・下総古河16万石→改易→下総古河8万石(絶家譜代の特例復興時の石高では一番多い)
牧野・・・越後長岡7万4千石
奥平・・・豊前中津10万石
本庄・・・八百屋さん→美濃高富1万石
本庄・・・八百屋さん→丹後宮津7万石
増山・・・百姓→三河西尾1万石→伊勢長島2万石
田沼・・・遠州相良5万7千石→1万石
間部・・・猿楽師→上野高崎5万石→越前鯖江5万石
柳沢・・・浪人→小姓→大和郡山15万石

戦国から江戸初期まで頑張ったのに幕末までの間に可哀そうな結果になった方々も結構いるかと・・・
204日本@名無史さん:2008/12/22(月) 09:35:13
土井って意外と少なかったんだな
205日本@名無史さん:2008/12/22(月) 15:08:40
大須賀は榊原の家臣達が馬鹿な真似しなけりゃ存続した可能性が高い。
206日本@名無史さん:2008/12/22(月) 17:29:24
小笠原が抜けていないか?
207日本@名無史さん:2008/12/22(月) 19:07:04
京極が外様で小笠原が譜代というのも納得いかんな。
どっちも没落した守護大名で、徳川家の近い親戚になったのに。
208日本@名無史さん:2008/12/22(月) 19:22:09
>>205
大須賀ってどうして代わりの養子が入らなかったんだ?
榊原の存続のために同じ譜代の大須賀が断絶するのはおかしいだろう?
209日本@名無史さん:2008/12/22(月) 19:51:03
>>191
210日本@名無史さん:2008/12/22(月) 20:29:08
>>201
滝口に豊臣姓木下氏がいるって話ですね
次男三男で養子の口もなければ地下官人に押し込むのもアリでは?
211日本@名無史さん:2008/12/22(月) 21:12:04
それ日出候の従兄弟からの家だよ
212日本@名無史さん:2008/12/22(月) 21:17:41
>>207
家康にとって息子(信康)の血筋か
息子(秀忠)の嫁の姉(お初)の婚家かの違いかな?
213日本@名無史さん:2008/12/22(月) 21:25:20
>>206
つか小笠原や朽木、諏訪、柳生、遠山あと旧武田系なんかが
譜代扱いなのはいまだにどうしても納得いかん
一度潰れて心筋取り立てだと譜代になるとか(朽木)
ようするに大雑把に見て関ヶ原以前にわたりつけて臣従してりゃ譜代とかだけど
駿河以降関ヶ原までの連中はどうしても納得いかん
三河時代からいた譜代の連中も「あれが譜代?なんで?新参外様だろどう考えても」とかたぶん思ってたおもう
214日本@名無史さん:2008/12/22(月) 22:01:53
真田や脇坂は譜代なのに伊達や島津はなぜ外様だったの?
本来なら譜代どころか御三家になってもおかしくない家じゃね?
215日本@名無史さん:2008/12/22(月) 22:02:03
小藩の外様が1番悲惨だよな
216日本@名無史さん:2008/12/22(月) 22:08:38
ほとんどがそうなんだけどな
>>214
マジレスしたけどあえてしない
217日本@名無史さん:2008/12/22(月) 22:13:14
>>213
彦左衛門なんかは「三河以来!三河以来!」と力説している。
俺たちはお前ら新参とは違うんだ!だから幕府はもっと重用してくれ!と。
218日本@名無史さん:2008/12/22(月) 22:21:58
創業間もない頃に雇った高卒と、会社が伸びた頃に名門会社を乗っ取って転籍させて
一流大卒のどっちを優遇する買って話?
219日本@名無史さん:2008/12/22(月) 22:22:06
三河からの譜代は冷遇ぎみだからな
天野も高力も
220日本@名無史さん:2008/12/22(月) 22:23:55
諏訪も小笠原も武田系も三河以来なんだが
221日本@名無史さん:2008/12/22(月) 22:25:54
彦左が憤りを覚えたのは武勲も功名も自分より劣る旗本が重用されてたこと
222日本@名無史さん:2008/12/22(月) 22:30:58
朽木綱方‐綱條っていう藩主がいるけど水戸の真似したの?
それとも偶然?
223日本@名無史さん:2008/12/22(月) 23:24:45
松平氏が岡崎の城主だった頃、諏訪や小笠原は信濃の大名で武田と抗争してたのでは?
武田旧臣が家康に臣従するのは信長が死んだあとだし。
224日本@名無史さん:2008/12/22(月) 23:28:20
>>223
諏訪や小笠原も武田系も三河以来だよ
225日本@名無史さん:2008/12/22(月) 23:29:30
関東移封以前なら三河以来とされる
226日本@名無史さん:2008/12/22(月) 23:35:25
>>221
だから相手にされなかったんだよな彦左・・・
227日本@名無史さん:2008/12/22(月) 23:35:33
安城譜代あたりまでが鬱憤を籠めて騒ぎ立ててるだけ
228日本@名無史さん:2008/12/22(月) 23:45:07
ようは大久保みたいな嫡男でもない単なる武辺者は新しい時代では重用されなかったのさ
しかも三河物語もかなり怪しいし
229日本@名無史さん:2008/12/23(火) 00:08:10
たいした働きもしてないのに二千石ももらっといてな
230日本@名無史さん:2008/12/23(火) 00:28:06
彦左衞門は諸候じゃないからもうやめろ
231日本@名無史さん:2008/12/23(火) 00:59:03
彦左衛門は兄で沼津藩主だった忠佐の死後に、その跡を継ぐように言われて固辞したわけだが。
232日本@名無史さん:2008/12/23(火) 01:13:33
彦左衛門が憎悪していた本多佐渡は息子の代で改易されているな。
233日本@名無史さん:2008/12/23(火) 01:46:13
>>220
彦左が言う三河以来は、家康人質時代を留守番して耐えたことが第一条件。
次に、一揆に参加せず、つまりお家に一度も弓引いていないこと。
234日本@名無史さん:2008/12/23(火) 01:47:38
それ以降は「浜松以来」「関東以来」と分類する。
235日本@名無史さん:2008/12/23(火) 04:02:07
ただ悲しいことに、その分類方法を採用したのは、
彦左オンリーなんだよなwww
幕府人事的には全く関係なし。
それどころか掘田なんて、豊臣関係者だし。
236日本@名無史さん:2008/12/23(火) 04:08:19
>>228
三河物語自体が
「三河以来の古参を大事にしろ!」
「中でも宇津、大久保の一族を大事にしろ!」
「それはつまり、オレ。」
という宣伝啓蒙本だからね。
237日本@名無史さん:2008/12/23(火) 08:39:16
立花や,赤穂浅野は何で外様だったのだろう。
外様の系譜とはいえ,万石以下から将軍によって万石以上に取り立てられたのに。
立花等が外様なら,稲葉や堀田も外様だろう。

238日本@名無史さん:2008/12/23(火) 09:07:34
朝廷は譜代?外様?
239日本@名無史さん:2008/12/23(火) 09:27:15
朝廷が将軍家の家来のわけがないじゃん。官位もらって国政を朝廷に代わって
行っているだけだし。
240日本@名無史さん:2008/12/23(火) 10:28:00
天保14年
滝口 従六位下 木下(豊臣)秀有 17歳 右兵衛少尉 ですね。

家禄は30俵2人扶持ぐらいですか?

初代は、大名の子弟なんですか?
241日本@名無史さん:2008/12/23(火) 11:39:27
京都の武士に豊臣がどうとかしつけぇよ
スレタイ一億回よんでしかるべき場所池よ
242日本@名無史さん:2008/12/23(火) 12:12:24
ちゃんとスレタイ通りの内容じゃん。ヴァカ?
243日本@名無史さん:2008/12/23(火) 12:19:58
豊臣氏は豊臣公儀の時は五摂家の最上位かそれ以上の家格だったが、江戸時代
は大名家としての豊臣氏は別にしても、朝廷内ではここまでおちぶれてんのか。
244日本@名無史さん:2008/12/23(火) 12:25:28
しょせん、豊臣朝臣木下氏、だからね。
藤原や源平でも、もっとgdgdなのいるだろ、普通に。
大名木下の分家かなぁ?
でも、小なりとも大名の一族が、滝口武士なんぞになるか?
245日本@名無史さん:2008/12/23(火) 12:34:14
地下やなんかそういう武士には古代豪族がいたり豊臣で面白いけどな
246日本@名無史さん:2008/12/23(火) 12:43:39
本家が大名家と言っても分家でかつ次男三男とかだったらどうにもならないし、
京都にツテやコネがあって仕官できるんなら滝口だって十分だろ。
アテにならない商売したり、将来どうなるか分からん浪人生活は選ばんでしょ。

しかし地下の侍連中に関する研究ってかなり少ないよね。
地下全体でも少ないか。
公家侍に関しても不明な点が多い。俺の不勉強かもしれんが。
247日本@名無史さん:2008/12/23(火) 12:43:46
豊臣姓で残ってるは,木下氏だけ?
豊臣姓羽柴氏は絶滅したか
248日本@名無史さん:2008/12/23(火) 13:20:35
だから日出木下家の庶流
249日本@名無史さん:2008/12/23(火) 13:23:41
足守藩の一門だろ
250日本@名無史さん:2008/12/23(火) 14:12:11
木下家と島津家って交流があったんだね。
ttp://www3.coara.or.jp/~chidokan/08-karei-maturi.html
251日本@名無史さん:2008/12/23(火) 14:29:00
>>236
>「それはつまり、オレ。」
吹いたww
ちょっと面白い
252日本@名無史さん:2008/12/23(火) 19:39:00
>>247
おねの養子が大坂羽柴家の継承として羽柴を名乗っていたが、おねの死後、名乗りを家康によって
禁止されたらしい。で、木下に戻り、3000石の旗本に。
253日本@名無史さん:2008/12/23(火) 19:47:23
>>240
木下(豊臣)秀有だって・・・
歴史にIFは禁物だが、豊臣宗家である大坂の羽柴家が
天下人のままなら、親藩として大領を食んでいたかも
しれんのにな。

254日本@名無史さん:2008/12/23(火) 20:33:05
日出や足守も豊臣朝臣?
255日本@名無史さん:2008/12/23(火) 21:13:13
木下家は大名も旗本も全部「豊臣朝臣」のまま、明治を迎えた。
「寛政重修諸家譜」でも豊臣姓に分類されてる。
256日本@名無史さん:2008/12/23(火) 23:33:24
徳川は秀吉みたいに源姓はばらまかなかったの?
松平もらった連中も元の姓のまま?
257日本文尊 ◆m0yPyqc5MQ :2008/12/23(火) 23:35:15
なんでそんなことが知りたいの?
258日本@名無史さん:2008/12/23(火) 23:39:59
>>214
真田や脇坂は『願譜代』だろ。
259日本@名無史さん:2008/12/24(水) 02:22:48
>>252
「おねの養子」について詳しくplz
260日本@名無史さん:2008/12/24(水) 06:24:20
>>258
ならば伊達は願御三家になれば良かった
261日本@名無史さん:2008/12/24(水) 06:46:18
真田はもともと譜代だろ。
262日本@名無史さん:2008/12/24(水) 08:26:10
何のために譜代に大禄を与えなかったと思っているのか
263日本@名無史さん:2008/12/24(水) 11:00:51
>>262
譜代はもともと徳川の家人。陪臣。
外様はもともと徳川の同僚。同格。
身分が低い奴は給料も低い。当たり前のことだが。
264日本@名無史さん:2008/12/24(水) 11:13:20
給料低い外様は負け組派遣か負け組ワープアか
自己責任だな
265日本@名無史さん:2008/12/24(水) 12:07:00
>>263
戦国大名の事例を念頭に入れて書けよ
266日本@名無史さん:2008/12/24(水) 12:26:10
幕政=徳川家の家政
譜代=徳川家の家来
外様=お客さん

徳川家は吝嗇だから家来への給料を出し渋った。
267日本@名無史さん:2008/12/24(水) 13:04:21
>外様=お客さん

いや、外様は関が原以降に臣従した大名だし
268日本@名無史さん:2008/12/24(水) 13:19:03
譜代・・・味方
外様・・・敵
御三家御三卿等・・・なまじ血がつながってる分とって変わろうとする(周りも担ぐ)から外様以上の敵
じゃないのか
269日本@名無史さん:2008/12/24(水) 13:33:31
形式上の関係と幕政上の色分けは区別して語る必要があるな。
270日本@名無史さん:2008/12/24(水) 13:53:05
帝鑑間席(古来御譜代)…お客さん
雁間詰(御取立之御譜代)…使用人
271日本@名無史さん:2008/12/24(水) 14:45:00
溜間詰…将軍の名代
272日本@名無史さん:2008/12/24(水) 14:51:57
大廊下詰めの連中って何で控え室もらえなかったの?
まるで悪いことして立たされてる小学生みたいじゃん。
273日本@名無史さん:2008/12/24(水) 14:53:03
大老化のそばの部屋だよ
廊下に正座させられてたわけではない
274日本@名無史さん:2008/12/24(水) 18:00:05
越前松平は、常に大廊下下之間に詰めてたわけじゃないのね?
275日本@名無史さん:2008/12/24(水) 19:55:55
>>272
ワラタw
276日本@名無史さん:2008/12/25(木) 00:01:24
>>264
無能経営者乙
277日本@名無史さん:2008/12/25(木) 00:12:06
>>274
最初は大広間
将軍家から養子が入って大廊下になった
278日本@名無史さん:2008/12/25(木) 01:23:54
>>259
羽柴の家を再興させたいとおねが願って木下家から養子を取り、羽柴利次と
名乗らせていた。幕府もおねが生きている間はそれを黙認していたようだ。
おねは彼女の領地である1万5000石も利次につがせるつもりだったようだ
が、おねの死後に継ぐ事が許された領地は3000石のみとされ、羽柴の名乗り
も禁止される。しかし、本姓の豊臣は引き続き黙認されている。
大坂城の羽柴家が大坂の陣で滅亡した後は、おねの養子であるこの家が豊臣
の長者の家とされる。



279日本@名無史さん:2008/12/25(木) 01:28:43
>>278
秀吉清正記念館が所蔵している、
秀吉の鎧姿の肖像の賛を書いている「豊臣秀三」という人物が、
この木下利次の孫にあたるとのこと。
鎧も現存している。
280日本@名無史さん:2008/12/25(木) 01:41:49
>本姓の豊臣は引き続き黙認されている。
ねねの実家の木下一門は「寛政重修諸家譜」でも豊臣姓に分類されてるから、
豊臣の本姓は「黙認」ではなく「公認」だろう。

281日本@名無史さん:2008/12/25(木) 03:01:41
で、その家がなぜに滝口に?
武家なのに、なぜ朝廷に混入したんだろ?
それもどえらい下っ端。
豊臣の恥。
282日本@名無史さん:2008/12/25(木) 06:03:12
>>256
松平を貰うと源氏もセットでついてくる模様
283日本@名無史さん:2008/12/25(木) 06:37:53
松平なんて貰ってる人多いし個性ないしイラネって断ったら怒られるの?
284日本@名無史さん:2008/12/25(木) 06:43:06
御三家御三卿はなんで松平もらえなかったの?
小身譜代ですら松平もらってるのはいっぱいいるのに。
285日本@名無史さん:2008/12/25(木) 08:07:16
>>284
アホか!
286日本@名無史さん:2008/12/25(木) 08:08:08
当主と世子以外は松平
287日本@名無史さん:2008/12/25(木) 08:31:53
ネタにマジレスry
288日本@名無史さん:2008/12/25(木) 09:05:26
大名諸侯を譜系にもつ、松平姓の浪人っているのかな?
289日本@名無史さん:2008/12/25(木) 09:16:15
取り立てられるまでの長沢松平氏とか。
290日本@名無史さん:2008/12/25(木) 09:19:09
>>288
刈谷の松平入道

古事記で放浪した
291日本@名無史さん:2008/12/25(木) 14:20:19
松平太郎佐衛門家が気になる今日この頃
292細川越中守:2008/12/25(木) 21:10:46
徳川ならともかく松平なんて要りません。
293日本@名無史さん:2008/12/25(木) 23:08:52
>282
羽柴、豊臣と違って、松平と源はセットでなかったと思うけど。
前田なんかも「菅原」を称していたと思うし。

どこで読んだか忘れたけど、どこかの大名が「松平と源はセットなのか?」
と問い合わせたのに対して、幕府の方では「セットでない」と回答したという
話があったような…。
294日本@名無しさん:2008/12/25(木) 23:51:35
羽柴の本姓は何かと問われたら豊臣としか言いようがない名字だし
そうしたほうが豊臣姓の普及にも繋がるわけだから。

でも松平は更に絞られ一門譜代の称号みたいなものにされてしまったのだし、
所詮は幕府・武家内限定。源姓も名乗らせるのは、朝廷の制度に
タッチすることでもあるのだから、敢えて非源姓を源姓にさせる理由なんてない。
295日本@名無史さん:2008/12/26(金) 01:44:50
羽柴は松平とはちょっと違う。
一瞬だけど、
「大名」=「羽柴」になってたからな。
ま、
豊臣政権っていう瞬間的な祭の中での狂乱混乱、
制度的に未整備だっただけ、とも思うけど。
296日本@名無史さん:2008/12/26(金) 02:28:20
>>272
御三家、前田等は石高官位とも非常に高く特に御三家は有事の際に将軍継承権があるなど、
控え室もらっている大名と比べて明らかに優遇されていました。
優遇されているので諸大名から嫉妬を買う事も多かったそうです。
そこで幕府は控え室を与えず、大廊下に座らせ諸大名の晒し者にしました。
また、国持ちなど大藩の大名は個室を与えられず、大広間という大部屋に控えさせられました。
幕府の身分統制の一つですね。
一般大名、旗本が大廊下を通って謁見の間へ行くときには嫌でも目に入る御三家に一礼したと云います。
一礼された御三家当主は返礼はしなくても良いという不文律もありましたが懇意の大名には一言「御苦労」
と声をかけたそうです。
297日本@名無史さん:2008/12/26(金) 03:38:56
面白いと思って書いてんの?それ。
298日本@名無史さん:2008/12/26(金) 05:57:36
ぶりばりに自信満々です
299日本@名無史さん:2008/12/26(金) 12:59:55
大廊下下之間に常に詰めてたのは前田家だけ?
300日本@名無史さん:2008/12/26(金) 13:46:21
>>299

他には越前松平家
一時期は斉昭の子供を養子にした大名&娘と結婚した大名も下之間
301日本@名無史さん:2008/12/26(金) 14:01:46
詰め間ではなにやってるの?
世間話して弁当食って帰るの?
役職についてない大名じゃ
毎日登城しても将軍には会えないだろうし
あった所で何をするのか疑問だし
あと登城するのに相当数のおともの家来がいると思うのだが彼らはどこに収容されて何をしているのか・・・
上の細川さんが切られた話では伊達さんが細川さんの家来に指示出してるようだし
詰め間のそばにぎゅうぎゅうに大量にいるんですか?
よその家の家来と家来同士でケンカおきいたり戦のかな?
あト江戸城にも茶坊主とかいるしお茶ぐらい出るのだろうか?
謎は深まるばかりです・・・
302日本@名無史さん:2008/12/26(金) 14:03:14
>>299>>300
基本的に二人きりですか・・・
(たぶん)広い部屋にいつも同じ顔が二人きり・・・
303日本@名無史さん:2008/12/26(金) 14:19:56
>>302

茶坊主がほぼ必ずいます
小姓も数名、江戸家老や参勤交代で江戸にいる家老なんかも同席することがある
縁戚の大名家(の家来)が挨拶に来たりもします
304日本@名無史さん:2008/12/26(金) 15:18:14
ググったら蜂須賀や鳥取池田も大廊下下の間になってる
305日本@名無史さん:2008/12/26(金) 15:30:48
>>304

でも、家斉の血筋が絶えると格下げだよ
306日本@名無史さん:2008/12/27(土) 00:07:15
位階と官職だと序列的には位階の方が優先っていうけど、
従四位上参議より正四位下少将の方が格上ってのも
なーんかしっくりこないんだよなぁ。
307日本@名無史さん:2008/12/27(土) 00:35:51
公家の場合は
四位参議>従三位非参議じゃないのか?
もっとも参議で四位なんてのは中世以降殆ど無いだろうが
308日本@名無史さん:2008/12/27(土) 00:39:12
左衛門大夫
五位なのにわざわざ左衛門尉になる意味あるの?
309日本@名無史さん:2008/12/27(土) 01:01:44
>>306は武家官位の話ね。
蜂須賀斉裕とか毛利尊親とか。
310日本@名無史さん:2008/12/27(土) 01:02:22
間違えた、毛利敬親。
311日本@名無史さん:2008/12/27(土) 01:11:00
蜂須賀は従四位上じゃなくて正四位上だったみたい。訂正です。
毛利は従四位上参議みたいだけど、これは幕府が与えたわけじゃないのかな…

従三位中将と正四位下宰相、正四位下少将と従四位上中将は普通にあり得るし
なーんか変な感じがするんだよね・・・
312日本@名無史さん:2008/12/27(土) 01:12:47
>>308

衛門府は武家っぽくて人気だよ
313日本@名無史さん:2008/12/27(土) 01:17:54
結局詰め間ではなにやってるのよ
「今日も暑いですな〜」「この分では山は火事でしょう」とか話してるの?
314日本@名無史さん:2008/12/27(土) 01:20:52
>>313

規則上は大名同士は会話できない
茶坊主と話すか、茶坊主に話す振りをして大名同士で話す

吉宗の末期くらいからは時候の挨拶は黙認されていたらしい
お茶を飲みにはいけるから、部屋を出て話すとか
315日本@名無史さん:2008/12/27(土) 02:49:00
>>311
蜂須賀のそれ、将軍養子以降じゃなくて?
家代々の名乗り(職)はそのままだけど、
血筋、中身はグレードアップしたぞ!ってことじゃない?
でも小六、
南朝子孫とか遺臣とか自称してたんだけどなw
316日本@名無史さん:2008/12/27(土) 03:38:44
>308
「官職用解」だと、五位になっても衛門尉から転任せず留任を許されたという
ことで、名誉なこととされていたとなっていたように思う。
「余人をもって代え難い」という解釈なんじゃないかな?
317日本@名無史さん:2008/12/27(土) 03:44:49
>>315
そうそう、宰相になったのは家斉のせがれ一代限りの話。
蜂須賀といえば明治天皇のタバコの逸話もあるね。
318日本@名無史さん:2008/12/27(土) 04:36:34
蜂須賀、
徳島藩って、なぜかあんまり人気?ないよね。
上杉伊達毛利島津鍋島はともかく、
池田とか小笠原とかでもオタが食いつくのに。

20余万石もあるんだぞー!?
319日本@名無史さん:2008/12/27(土) 06:39:16
稲田騒動で見事なDQNぶりをさらしたから。
320日本@名無史さん:2008/12/27(土) 06:43:33
>>314
誰だったか大名が弁当に塩鮭焼きをおかずにもってきたら
「ちょっとくれ」「一口一口」って他の大名がわらわら集まってきて
ほとんど喰われたって話があったんだが
ならあれはありえなかったのか・・・
321日本@名無史さん:2008/12/27(土) 07:19:48
>>318
確かに目と鼻の先に大阪があり、瀬戸内海運の要所中の要所の淡路島まで
抑えていて、しかもあの石高なんだからもっとメジャーになってもいいはずだけど、
平島公方への仕打ちとか、生駒ほどじゃないけど三好への弾圧があったしなぁ。
322日本@名無史さん:2008/12/27(土) 08:11:29
>>316
そういう公家社会独特の理屈って理解できんのだけど、
素直に上位の左衛門佐になったほうが名誉なんじゃないかなあ。
蔵人頭とかだったらまあわかるんだけど、左衛門尉って所詮警備員の三等官だし。
323日本@名無史さん:2008/12/27(土) 08:24:26
>>320

それは初期で制度が固まっていない頃
324日本@名無史さん:2008/12/27(土) 08:35:19
>左衛門尉って所詮警備員の三等官
それを言うなら、右近衛大将なんざ、うんこのえのたいしょう(ウンコの絵の対象)だから
ウンコそのものじゃねえかよ!
325日本@名無史さん:2008/12/27(土) 08:36:59
衛門尉って本来現場に出るの?
326日本@名無史さん:2008/12/27(土) 09:15:03
サエモンノジョウって響きがかっこいいじゃん
ウキョウダユウよりサキョウダユウのほうがなんかカコイイとか
モクノスケはモクモクおならを連想してかっこ悪いとかそういうことで
327日本@名無史さん:2008/12/27(土) 09:41:17
つくづく冬休みだな、と思う。
328日本@名無史さん:2008/12/27(土) 10:00:35
>>218
小六の血統が途絶えてるのも大きいな。蜂須賀は養子が多いから影薄いかもね。
藩主の専横で御家騒動っぽい事態も発生してるし、稲田騒動や平島公方への仕打ち
とかあまり聞こえのよくない話題が多いかもね。

>>320
空弁当の毛利秀元のことだな。
でも鮭って大名がこぞって寄って来るほど珍しかったんだろうか。
秀元の伯父の吉川元春も如水がすすめた鮭が原因で亡くなってるが…
そういや秀元の家って五万石ながら準国主の家格だったみたいね。
329日本@名無史さん:2008/12/27(土) 10:01:21
>>318だった。訂正です。
330日本@名無史さん:2008/12/27(土) 10:49:55
稲田騒動って、御家騒動の中ではかなり地味なほうじゃね?
平島公方だって、あんなもんとっとと追放されて然るべきでしょ。
すでに江戸に公方がいるのに尊崇しなければいけない理由はない。
蜂須賀の対応はかなり甘かったと思われ。
むしろ幕府ににらまれてもおかしくないくらいでは?
331日本@名無史さん:2008/12/27(土) 10:56:27
>稲田騒動って、御家騒動の中ではかなり地味なほうじゃね?
無抵抗の相手に暴虐の限りとはDQNそのもの。

>平島公方だって、あんなもんとっとと追放されて然るべきでしょ。
>すでに江戸に公方がいるのに尊崇しなければいけない理由はない。
喜連川藩があるのに何を言ってるのか。何のために徳川は名家マニアといわれるまでに
名家を優遇したと思っているのか。
332日本@名無史さん:2008/12/27(土) 11:18:27
>>331
平島公方はかつての権力者の末裔だから、下手に優遇すると謀反の疑いを掛けられて改易に
なりかねないから冷遇したんじゃね?
蜂須賀家は豊臣恩顧だしなおさらに。
333日本@名無史さん:2008/12/27(土) 12:50:24
だったら、さっさと幕府に突き出せばよかったのに。
334日本@名無史さん:2008/12/27(土) 13:36:42
豊臣の末裔とかならともかく、
平島公方担いで謀反とかアリエナスww
335日本@名無史さん:2008/12/27(土) 13:36:56
>>331
>喜連川藩があるのに何を言ってるのか。何のために徳川は名家マニアといわれるまでに
>名家を優遇したと思っているのか。

はあ?だったらなんで家康自身が召し抱えなかったんだい?
家康が名家マニアなどと誰が言ったのか知らんが、家康に召し抱えられた名家など
たかが知れてるだろうが。
お膝元の関東の名家でも没落したままの家が多いというのに。
つうか、家康は何のために「名家を優遇した」んだい??
336日本@名無史さん:2008/12/27(土) 13:47:43
家康が優遇したのは源氏限定。
かつての源氏名族を臣下とすることによって徳川家の権威
向上を図ることが
目的。
337日本@名無史さん:2008/12/27(土) 14:40:59
鮭は美味いもの
水戸の肛門さまだって
鮭の分厚い皮喰いたいもりもり喰いたいっていってる
338日本@名無史さん:2008/12/27(土) 15:02:16
加賀の殿様も 「皮の厚さが一尺ある鮭を持ってきた人間には、百万石をくれてやってもいい」と
言ったとか。
339日本@名無史さん:2008/12/27(土) 15:36:47
>331
稲田騒動の場合、明治になってからだからね。
340日本@名無史さん:2008/12/27(土) 16:46:19
>>338
くどくて気持ち悪くなりそうだけど・・・
341日本@名無史さん:2008/12/27(土) 18:05:14
鮭の皮は確かに美味だが、あれは薄ければ薄いほどいいもんだと思うがw


久留米の有馬って元禄14年に準国主から国主に昇格してるみたいだけど、
何かきっかけがあったのかな?

秀元の長府藩には分家の清末藩1万石ってのがあるけど、長府藩自体が萩本家
からの内証分知の家なのに、さらに長府藩からの内証分知を1藩立ててるのって
珍しいね。長府藩が準国持大名だったから特別待遇だったのかな。他にもこういう
例ってある?
342日本@名無史さん:2008/12/27(土) 18:13:35
立花10万石いるのに国主になってるの?
343日本@名無史さん:2008/12/27(土) 18:16:00
>>336
>家康が優遇したのは源氏限定。

平島公方は源氏の名流なんだが・・・
344日本@名無史さん:2008/12/27(土) 18:33:23
国替えさせられた大名と、しなくて済んだ大名はどっちが多いんでしょう?
345日本@名無史さん:2008/12/27(土) 18:35:09
要するに平島なんてどうでもよいカスってことです

こんな輩に我慢して無駄飯を食わせ続けた蜂須賀は偉すぎる。
346日本@名無史さん:2008/12/27(土) 19:02:16
>>342
一国一円領有じゃないけど家格としては国主になってるね。奥州伊達や佐竹と
同じ扱いだと思う。
有馬は元禄14年に参勤交代の際の上使が奏者番から老中にランクアップしてる。

準国主の中では、官位とかは宇和島伊達が一番高いし、偏諱を貰ってたのは
長府毛利だけだけど、有馬だけ国主になれたのはやっぱり20万石を越える
表高が大きかったのかな?

準国主の五家(伊達・毛利・立花・丹羽・有馬)って幕府成立当初は没落して
たり小大名や庶子だったのに、こうしてみるとどの家もすごい運が良いねw
347日本@名無史さん:2008/12/27(土) 19:31:10
長府もそうだったかな?
あった頃は寺沢とか蒲生もそうだったってのは聞いたことがあるけど
348日本@名無史さん:2008/12/27(土) 19:32:06
有馬の妻調べろ
349日本@名無史さん:2008/12/27(土) 20:01:00
長府初代の官位は本家の初代よりずっと上だしね。
350日本@名無史さん:2008/12/27(土) 21:03:44
>>347
長府も藩主が本家を継いで一旦切れるまでは准国持だったみたい。

>>348
手元に史料がないけど、縁組で家格上昇だとしたら
確かにそれが一番ありそうなかも。サンクス!

>>349
しかも秀元は家光のお友達で、本家の秀就よりよほど幕府有力者にコネが
あったみたいだからね。御家騒動みたいになってるけど。
家光も、秀元は官位も武功も自分の友達にするにふさわしいと言ったとか
言わないとか・・・
351日本@名無史さん:2008/12/27(土) 21:13:35
秀元は怪力の持ち主で、関ヶ原のあとも黒田長政を生け捕ったりとか、勇名を馳せたね。
決して空弁当だけが武功の男じゃない。
小早川隆景にも才能を評価されてたらしいし、口達者な謀略家だったんだろう。
352日本@名無史さん:2008/12/27(土) 22:11:20
>>351
秀元は、関ヶ原では活躍する機会に恵まれなかった感が強いけど、
家光の治世の後半にもなると、数少ない戦国生き残り組のひとりの
ような扱いになっていったからな。
宗茂や政宗などもにたような感じかな。
353日本@名無史さん:2008/12/28(日) 00:58:41
いやあのな、蜂須賀だけどな。
確かに稲田騒動とかあったし、マニアしか知らないだろうけれど平島公方の件はあるよ。
つか平島の件はただの災難だろあんなもんwww

で、だったら猛烈なアンチがいてもいいはずだけど、
それすらもいない。アンチもマニアもいねぇ。
毛利マンセー!島津万歳!伊達大好き!とかのHPはあっても、
「徳島藩のHP」ってないんじゃね?
なにやってんの徳島県人。弾幕ry


あまりにも影薄いと思うんだよ、江戸時代の阿波徳島藩、蜂須賀。
「市橋並」の称号を与えちゃうぞ。
354日本@名無史さん:2008/12/28(日) 01:41:09
北の霊年乙 
355日本@名無史さん:2008/12/28(日) 02:31:04
>>353
平島公方家の悲惨っぷりは本当にシャレにならんからねw
士族にすらなりそこねるとかもうね。


そういえば、市橋藩主家って、明治以降の消息すらわからんらしなw
356日本@名無史さん:2008/12/28(日) 02:34:11
マイナー大名といえば、矢島藩生駒氏はマイナーかと思いきや、
あまりにもマニアックすぎるのでかえってメジャーだったいるするのかな。

>>353
徳島といえば三好にも冷淡だしなぁ。阿波踊りと池田高校があればそれでよし
なんだろうか、あそこは。
357日本@名無史さん:2008/12/28(日) 02:44:12
>>355
阿波で100石扶持だったころより、京都に移って紀州藩から毎年200両援助して
もらえるようになって、はるかに裕福になったしなぁ。

しっかし、爵位を却下されたのはともかく、士族にすらなれなかったのは悲惨すぎ。
なんでそんな仕打ちを…
358日本@名無史さん:2008/12/28(日) 02:44:52
>>355
平島は自業自得っつーか、
徳島藩にしてみれば災難でしかないし。
つか市橋www どこまでも期待を裏切らないな。
葵会館でわからないのかな?
みんなで電話帳探すか?
>>356
三好も、日本史ヲタの嗜好品でしかないしね。
普通は長慶の名前すら知らないよ。
俺達が三好の栄枯盛衰をよく知らないように。
三好の子孫、旗本とかなれてないの?
みんな大坂城で壊滅?
359日本@名無史さん:2008/12/28(日) 03:06:55
>>358
キチガイ煽り、涙目になってるな。
360日本@名無史さん:2008/12/28(日) 04:05:14
>>318
蜂須賀は、京都阿弥陀ヶ峯の豊国廟に明治期の当主(茂韶だったか)が燈籠を寄進してたのに感心した。
361日本@名無史さん:2008/12/28(日) 06:20:53
御三家付家老や毛利の吉川家って、大名家から正妻を迎えてるけど
加賀八家や細川の松井、伊達の片倉とかってそういったことなかったのかな?

蜂須賀の稲田家も公家の姫を娶ったりしてるようだけど…
広島浅野の家老も家光の姫を側室にしてるよね。
362日本@名無史さん:2008/12/28(日) 07:40:16
つーか、蜂須賀あおってる奴は一体何なの?
平島の件なんかただのいいがかりだし、稲田騒動だって
腐るほどある御家騒動やら一揆やらの騒擾事件の一つに過ぎないし。歴史的意義もないし。
そんなに蜂須賀が語りたいならばスレ立てれば?
363日本@名無史さん:2008/12/28(日) 07:47:53
岡山藩筆頭家老の伊木家3万3千石の当主は、京の世襲代官小堀家、
公家の中納言藤原宗時、管権三佐實覧、中根源次郎忠豪、荒尾成元
とかから娶ってる。これは旗本や堂上公家くらいの格だろうか。
先代の娘ってのがいるけど、これは婿養子だろうなあ。
364日本@名無史さん:2008/12/28(日) 07:57:20
>>362
明治維新の際に、蜂須賀は稲田が従軍したおかげで面目が保てたのに、
その勲功を元に稲田家の陪臣を士族に取り立ててもらおうと活動したら
蜂須賀の直臣たちが暴発。

どう見ても、ただの御家騒動じゃないじゃん。
365日本@名無史さん:2008/12/28(日) 08:20:34
御家騒動のレベルにも達しないな。
366日本@名無史さん:2008/12/28(日) 08:31:53
目下に見ていた陪臣が自分らと同じ身分にしてくれと言ったわけだからな
明治初期の農民一揆には被差別民の平民への昇格に抗議したものも多いが
稲田騒動も同じような意識のなせる業
367日本@名無史さん:2008/12/28(日) 08:43:15
>>358
三好長慶の子孫は仙台藩に仕えて中堅藩士になったよ。
幕末に蝦夷地警備の責任者になったりしてる。
368日本@名無史さん:2008/12/28(日) 08:54:01
三好は旗本になった家も多い。
369日本@名無史さん:2008/12/28(日) 08:56:26
>目下に見ていた陪臣が自分らと同じ身分にしてくれと言ったわけだからな

稲田家は元々将軍への御目見えもゆるされ、洲本城代となるのも将軍家の
意向があったらしいから、付家老の独立運動に近いものがある。
370日本@名無史さん:2008/12/28(日) 08:57:02
高鍋藩にも三好姓の家臣がいるな。
371日本@名無史さん:2008/12/28(日) 10:43:04
>>363
やっぱり陪臣でも、万石クラスは大名や公家クラスから嫁を迎えてるんだね。
誇り高い公家も、食っていくには背に腹はかえられなかったのかな。
372日本@名無史さん:2008/12/28(日) 11:53:38
戦国時代じゃあるまいし、格式がうるさく、武家と公家の接近を幕府が統制している時代だから、
食うに困ってというケースは想定しにくいんじゃないかなあ。
373日本@名無史さん:2008/12/28(日) 12:10:19
>>371
でも伊木とか稲田は万石を食んでいるとはいえ、所詮は陪臣だから家格的に
公家とは全然釣り合わなくない?
幕府の統制上(公家と陪臣の婚姻の可否)はともかく、陪臣の所へ嫁がせる
のって、公家のプライド的にどんなもんだったんだろう…
374日本@名無史さん:2008/12/28(日) 12:11:29
武家も公家も格はピンキリだし。
375日本@名無史さん:2008/12/28(日) 12:18:03
>>374
下級武士が庄屋・豪農に嫁がせるようなものかな?
376日本@名無史さん:2008/12/28(日) 12:48:15
>>373
武士の時代だから朝廷や公家の権威は後世より低いのだろう
3万石の小大名より、大藩の筆頭家老で3万石の方が権力上だろう

僻地の県知事より東京都の部長の方が扱える金額は多いし
377日本@名無史さん:2008/12/28(日) 13:38:11
>>362
俺は単に「三百諸侯中の蜂須賀という地味さ。ファンやヲタの皆無なこと。」が気になるだけ。
平島はただの災難でしかないし、稲田騒動は明治なんでどうでもいい。

「煽ってる」って思っちゃうのはどうして?
なんか蜂須賀には触れちゃいけない秘密でもあるのか?
378日本@名無史さん:2008/12/28(日) 13:42:18
>>367
>>368
おー、thx。
てっきり三好は全員大坂方だと思ってた。

>>370
それも機内や阿波の三好なのかね。

そういえば真田幸村の子供でも、三好を名乗ってたらしいの、いたね。
(三好)秀次の娘の子供だから、ってことらしいけど。
379日本@名無史さん:2008/12/28(日) 13:47:37
>>377
蜂須賀に会ったら大事な葉巻を盗まれた>(ToT;
380日本@名無史さん:2008/12/28(日) 13:49:15
>>377
江戸時代の大名のほとんどは地味
なのに何で蜂須賀の地味さは気になるんだ?
381日本@名無史さん:2008/12/28(日) 14:48:53
蜂須賀が地味なら我が山家藩は・・空気?
382日本@名無史さん:2008/12/28(日) 15:28:15
山家藩? 陣屋町はほとんど廃墟。
隣の綾部や南の亀岡は新興宗教に占拠。福知山は石垣総組み替え。
丹波は兵庫県側がまともだな。あと園部。
383日本@名無史さん:2008/12/28(日) 15:43:30
25万石だっけか?その領地高で蜂須賀の存在感の無さは笑える。
384日本@名無史さん:2008/12/28(日) 16:01:47
石高もそうだが、阿波と淡路の二ヶ国持ちなんだよね
385日本@名無史さん:2008/12/28(日) 17:50:09
越前北庄19万石青木家
386日本@名無史さん:2008/12/28(日) 18:38:59
蜂須賀も、小利口な藩主(養子だっけ)が直々に藩制改革に乗り出して、
ひっちゃかめっちゃか大混乱になって最後は隠居させられてるけどね。

何かの本で読んだけど、家臣による藩主押込めって公儀も容認してたっぽいね。
387日本@名無史さん:2008/12/28(日) 19:20:38
代々の仕置家老5家全部罷免して
独裁体制完成させたとこまでは
よかったんだがね
388日本@名無史さん:2008/12/28(日) 19:32:07
徳島城博物館には、もっと蜂須賀家や徳島藩に関係する書籍を充実させて欲しい。
高松の方が充実してる。
(そもそも研究してる人が少ないの?)
389日本@名無史さん:2008/12/28(日) 19:51:59
仙台藩伊達氏は通字が宗から村に変わっているが、何で?
390日本@名無史さん:2008/12/28(日) 21:03:25
どうでもいいが伊達吉村って、両方苗字みたいな名前だな
391日本@名無史さん:2008/12/28(日) 21:05:57
仙台藩には、吉村という家臣はいなかったのだろうか?
もしいたら、絶対改名させられてるな
392日本@名無史さん:2008/12/28(日) 21:27:58
吉村貫一
393日本@名無史さん:2008/12/28(日) 21:43:10
吉村作治って伊達吉村の子孫?
394日本@名無史さん:2008/12/28(日) 21:43:59
つくづく冬休みすなぁ
395日本@名無史さん:2008/12/28(日) 22:14:33
>>388
綱宗の次の藩主も、「綱」を偏諱されたため、綱村となった。
このあと吉宗が将軍になったということがあるんだと思う。
宗村の「宗」は吉宗からの偏諱だしね。
その後、斉宗というのがいたが早世し、その後二代続けて「斉」を
貰っている。
396日本@名無史さん:2008/12/28(日) 22:56:58
>>395 なるほど、吉宗に遠慮したのか。でも吉宗以降は宗に戻しても差し支えなかったんじゃ?
朽木家みたいに通字の綱を遠慮せずに使い続けた藩もあるのに
397日本@名無史さん:2008/12/28(日) 23:10:05
譜代の小大名が老中になると、権力以外の格の部はどれぐらいの位置だったんだろ?
溜間の譜代家門よりは下っぽいけど、官位とかみると大広間国持ぐらいなのかな…
398日本@名無史さん:2008/12/28(日) 23:10:54
>格の部
格の部分、のミスでした。
399日本@名無史さん:2008/12/29(月) 00:26:05
>>388
少ないんだと思う。
素人ファンですら少ないのに、プロはもっと少ないだろうね。
先祖は割と有名人、割と大藩、国主どころか珍しい二国持ち。
しかし人気ない。
家臣に小田原北条の末裔いるんだよね。
400日本@名無史さん:2008/12/29(月) 00:37:21
>>399
千葉直重の子孫だよね。
徳島大学だか、文書館だかのサイトで徳島藩士の由緒書が見られた筈。
401日本@名無史さん:2008/12/29(月) 01:28:51
三国持ち
前田(ただし富山藩が分家。能登に幕府領あり)
二国持ち
島津(分家、藩内支藩あり)、毛利(藩内支藩あり)、蜂須賀(稲田は支藩?)
一国持ち
尾張徳川家、紀州徳川家、鍋島、黒田、山内。(それぞれ家老領や支藩あり)
で、
並べてみても格段に地味な小六一家。
402日本@名無史さん:2008/12/29(月) 01:31:07
>>397
「老中の詰所」に詰めるんじゃないか?
403日本@名無史さん:2008/12/29(月) 01:43:07
そういや対馬宗・若狭酒井・壱岐松浦・志摩稲垣も一国一円領有なんだよね。
宗以外は城主扱いだけど、たとえ小国でも一国丸ごとってのは気分がいいね。
404日本@名無史さん:2008/12/29(月) 01:49:11
>>402
席はそうだろうけど、曖昧な話になるけど格はどれぐらいなのかなと思って。
さすがに相手が溜間の井伊会津や中将少将とかだったら老中といえど結構気を
遣うんじゃないかな、と。元々は十万石を越えるような古来譜代には役不足な
わけだし…。なんか感覚的な質問・レスでごめん。
405日本@名無史さん:2008/12/29(月) 05:06:33
>>78
青松葉事件か〜。
俺の先祖(の兄弟?)がやられたらしい。問答無用だったそうで。
ちなみにうちはマイナーなほうの御付家老。
406日本@名無史さん:2008/12/29(月) 07:04:01
>>401
鍋島は肥前の一部しか領有してないし。対馬藩飛地とか、唐津藩、平戸藩、島原藩、
大村藩、五島藩とかがある。まだしも肥後細川家の方が一国支配に近い。

あと、津藩藤堂家は国主である上に伊賀国を一国支配しているので、忘れないで
やってください。
407日本@名無史さん:2008/12/29(月) 07:07:55
岡山池田家は一国支配、鳥取池田家は二国支配で国主。
408日本@名無史さん:2008/12/29(月) 07:11:05
>>404
側用人は格が低いけど、たとえ御三家でも気を遣っただろう。格と実権はけっこう乖離してんじゃね?
409日本@名無史さん:2008/12/29(月) 07:12:38
藤堂は何で大老になれなかったの?
410日本@名無史さん:2008/12/29(月) 07:17:25
>>404

今でたとえれば、本社の粋の良い人事課長と地方支社の取締役支店長
のようなものか。

少し強引な例ですが・・
411日本@名無史さん:2008/12/29(月) 07:25:31
安芸の浅野も出雲の松平も分家含めて一国支配か。
ところで、津和野の亀井家って外様中小藩なのに大広間詰め? なんで?
412日本@名無史さん:2008/12/29(月) 07:33:23
琉球国主の家系だから。
413日本@名無史さん:2008/12/29(月) 13:22:53
亀井琉球守茲矩バロスwwwww
414日本@名無史さん:2008/12/29(月) 14:09:46
>>353
徳島県人です
好きな大名家関係のことで蜂須賀を調べようとしたことあるけど
県立図書館にあまりにも関連本が少なくてビックリしました
大きな書店の地元特設コーナーにもさっぱり見当たりません
せいぜい蜂須賀正勝の講談風味の本があるくらいです
自分は家政や至鎮について調べたかったのに…
今となってはすっかり田舎の貧乏県ですが
江戸時代は相当の家格だったはずなのに不思議ですね
415日本@名無史さん:2008/12/29(月) 14:57:55
普通は旧家臣の会などで研究や出版活動を行うはずだが、蜂須賀の
元家臣はDQNぞろいなのか?

それでも、県史や、旧所領に当たる地域の市町村史をあたれば、それなりに
記述があるだろうけどな。
416414:2008/12/29(月) 15:43:06
>>415
(地元の殿さんにこんなこと言っちゃ悪いけど…)あくまでついでで調べたかったので
読みやすそうな一般向け書籍を探したので…
もうちょっと専門的な本ならあるとは思います
ちょっと前に徳島大学付属図書館が家臣団の家譜史料をデータベース作って
公開とかしてるんで、地元だから擁護するとwなんもないと言うわけでは…
(これ→ttp://www.lib.tokushima-u.ac.jp/dbhachi/hachi.html
ただまあ、地元だから軽く面白く読めるような本が簡単に手に入るだろうと期待してたので
拍子抜けはしましたね
417日本@名無史さん:2008/12/29(月) 15:58:28
>>414
県によって事情が違うので断言はできませんが、
大事な資料(非売品)等は一般公開せずに奥にしまってある場合があります。
調べたい内容を伝えて一度聞かれたら如何でしょうか。
418日本@名無史さん:2008/12/29(月) 17:00:28
>>409
外様だろう
419日本@名無史さん:2008/12/29(月) 17:10:43
蜂須賀より鳥取池田の方が明らかに影薄いと思うな・・・
420日本@名無史さん:2008/12/29(月) 17:24:38
池田で話題になるのっていったら荒木股衛門の仇討ちくらい?
つーか、荒木も他藩の人間だし。
421日本@名無史さん:2008/12/29(月) 17:48:11
「いかに影薄いか」という話題でさえ、名が上がってこなかった影の薄さw
しかも32万石。
422日本@名無史さん:2008/12/29(月) 18:00:57
江戸時代の大大名なんて役につくわけでもないし、
余程の名君輩出したり御家騒動おこしたりしなけりゃ影が薄いもんだよ。
伊達とか島津とかの知名度高い大名家でも、影の薄い当主が大半じゃん?
423日本@名無史さん:2008/12/29(月) 19:17:43
しかし池田は、<全当主が>影薄いからな
424日本@名無史さん:2008/12/29(月) 19:29:49
岡山藩で有名なのは新太郎少将くらいか。
425日本@名無史さん:2008/12/29(月) 20:04:53
池田は輝政と光政が有名だろ。
426日本@名無史さん:2008/12/29(月) 20:24:51
外様はほとんど国替えがないからいいよなw
松平直矩とか転勤族さながらに引越しさせられてるが嫌がらせもいいとこだw
427日本@名無史さん:2008/12/29(月) 21:15:21
岡山なら有名なバカ殿が居るじゃないか
428日本@名無史さん:2008/12/29(月) 21:17:00
>>425
そいつら鳥取池田ではないでしょ
まあある意味二人とも鳥取池田といえんこともないが
429日本@名無史さん:2008/12/29(月) 21:54:36
池田が影薄いんじゃない。
鳥取だから影が薄く感じるんだ。
430日本@名無史さん:2008/12/29(月) 22:09:55
そんなもんを関ヶ原の論功行賞で貰った中村って・・・
431日本@名無史さん:2008/12/30(火) 02:23:13
中村の場合、大幅増加だから嬉しいんじゃね?
都会の1DKと田舎の一戸建てお屋敷の比較だ。
432日本@名無史さん:2008/12/30(火) 09:37:20
昔影の薄い都道府県は?ってスレで、1位(神)鳥取 2位(準・神)徳島 ってなってたけど
影の薄い大名もそれと同じなんだな
1位池田 2位蜂須賀
433日本@名無史さん:2008/12/30(火) 09:45:44
有馬や松山松平の方が影が薄いと思う
434日本@名無史さん:2008/12/30(火) 12:00:05
>>433
それはそうだが,子孫が有名。
435日本@名無史さん:2008/12/30(火) 12:09:14
よくわからんけど、戦国以前の先祖や明治以降の子孫も含めるのか?
じゃあ池田も蜂須賀もかなり有名じゃん。
436日本@名無史さん:2008/12/30(火) 12:37:38
松平氏の中で一番影が薄い大名を決めようぜ
おれは豊後府内藩に一票!
437日本@名無史さん:2008/12/30(火) 13:59:59
信濃上田藩の藤井松平家に一票。
老中を輩出しているにも関わらず、地元は真田一色。
438日本@名無史さん:2008/12/30(火) 14:42:22
>>437
warota.
439日本@名無史さん:2008/12/30(火) 14:49:53
松平姓を貰った外様大名も加えていいの?
440日本@名無史さん:2008/12/30(火) 14:52:39
御三家御三卿の当主の中で松平姓与えられた人いる?
441日本@名無史さん:2008/12/30(火) 15:04:13
>>440
水戸藩の徳川頼房は当初は松平姓だった。
442日本@名無史さん:2008/12/30(火) 16:41:15
>>437 上田藩藤井松平家の分家筋にあたる出羽上山藩松平家も空気
443日本@名無史さん:2008/12/30(火) 18:02:47
>>391
吉村姓は関西に多いが
ランキングだと100番台くらいか

伊達吉宗や宗吉は
やっぱ名乗れんの
444日本@名無史さん:2008/12/30(火) 18:05:05
>>442
でも城は立派
斎藤道三の主君も居たんだな
445日本@名無史さん:2008/12/30(火) 18:14:55
>>326
語呂や響き関係なく
格は左京>右京じゃね
446日本@名無史さん:2008/12/30(火) 18:28:03
>>444
上山藩の土岐は土岐明智氏で土岐氏の中でも分家筋じゃね?
447日本@名無史さん:2008/12/30(火) 18:58:37
>>446 その通り。美濃の守護家の分家。
明智光秀の祖父の弟の血筋が江戸時代の大名である土岐氏。
448日本@名無史さん:2008/12/30(火) 19:02:01
>>446
絵描きの殿様やないのん
知らなかった
勉強になったよm(..)m
449日本@名無史さん:2008/12/30(火) 19:03:26
>>447
よう知っとるな
トンクス
450日本@名無史さん:2008/12/30(火) 19:09:12
土岐本家は高家になって生き残ってたと思う。
451日本@名無史さん:2008/12/30(火) 19:27:25
>>450 鷹の絵で有名な守護土岐頼芸の次男と四男の家系が高家だね。
次男の家系は途中で改易されたけど。
452日本@名無史さん:2008/12/30(火) 20:08:54
>>431
三万石ばかししか加増されてないらしいぞ

それも駿河→伯耆という、体の良い左遷人事みたいな転封
453日本@名無史さん:2008/12/30(火) 20:20:20
陰が薄いとは言え池田は前スレでそこそこ話題になってたような記憶があるなぁ。
454日本@名無史さん:2008/12/30(火) 20:23:53
一万石の大名だと、召し抱えている士は何人くらいなの?
455日本@名無史さん:2008/12/30(火) 20:25:42
連続ですまん。池田はもちろん言うに及ばず、マイナー大名最強王者の市橋でさえ!このスレのほとんどの住人より名家と言って差し支えなかろう…。
456日本@名無史さん:2008/12/30(火) 20:28:53
あ、連続かと思ったら違ってた。453=455=俺。
457日本@名無史さん:2008/12/30(火) 20:36:42
>>455
あたりまえじゃないかw
458日本@名無史さん:2008/12/30(火) 21:28:16
小倉藩小笠原家もなにげに地味だと思う。
459日本@名無史さん:2008/12/31(水) 00:23:17
>>458
秀政、忠真父子の軍功といい、そこそこ目立っているとは思うが。
先代の当主も礼法の家の当主として著名だしな。
460日本@名無史さん:2008/12/31(水) 00:49:49
幕末もある意味で目立ってるかw
461日本@名無史さん:2008/12/31(水) 02:45:28
高家は諸候に含む?
462日本@名無史さん:2008/12/31(水) 02:51:23
含みません
463日本@名無史さん:2008/12/31(水) 03:16:23
官位で言えば「諸候」、かな。
464日本@名無史さん:2008/12/31(水) 03:20:59
>>454
割と歴史があるけど、減らされ減らされしてしがみついて1万石と、
江戸中期以降とかに旗本が昇ってきたのでは、
抱えてる家臣の数も違うかと。
実質は本家の領地のまま、な新田藩とか。
465日本@名無史さん:2008/12/31(水) 06:46:25
1万石やそういう小大名ってのはひょっとして了知はこの村だけだすとかもありえるわけなの?
そういう場合城下町とかは作れないから陣屋や城は
農村の中にぽつんとあったのですか?
田んぼの中に
466日本@名無史さん:2008/12/31(水) 07:53:05
>>465
新田藩は本家の城中に政庁があったりする所が多いようですね。
467日本@名無史さん:2008/12/31(水) 08:00:20
1万石の狭山北条とかもそうかな?
田んぼの中?
468日本@名無史さん:2008/12/31(水) 08:16:24
469日本@名無史さん:2008/12/31(水) 09:29:54
>>465
所領が村1つだけってのはさすがにないと思う。
一つの村の規模って500〜1000石ぐらいじゃない?


そういえば備中の辺で、陣屋から隣の藩の陣屋が
すぐそこに見えるとこってなかったっけ。
470日本@名無史さん:2008/12/31(水) 09:56:54
まんが日本昔話とかのお城は
村の中にいきなりあるじゃん。堀もない天守だけが。
家から出てでんつくでんつくでんつくでけでん♪ってBGMがかかるとすぐ到着する距離に。
でも城や陣屋の大元が開墾武士団の居館兼拠点なら
城下町を従えてるより村落の中の田畑のそばにある
そっちがある意味正しいのかもしれない

>>469
流石に一ケ村ってのはないだろうけど
数個から十個程度だけってのはありうると思う
1ヶ村1000石でも10ヶ村で大名だし
領内に町らしき町がないってのもあるいはあったかも

どうでもいいけど飛び地だけのモザイク型の領地だと統率が大変そうだよね
471日本@名無史さん:2008/12/31(水) 10:29:30
陣屋でも城同然のようなものもあったらしいね。
472日本@名無史さん:2008/12/31(水) 10:44:44
旗本から数度にわたって加増され大名になった家なんて結構とびとびじゃね?
吉宗に抜擢された加納有馬とか。伊勢に何千石、上総に何千石ってかんじで。
領内にまともな町なんかなかったんだろうな。
473日本@名無史さん:2008/12/31(水) 11:27:18
鎌倉の昔から領地分散が基本ですよ
474日本@名無史さん:2008/12/31(水) 11:36:33
関東関西の旗本領の村は合給がほとんど
475日本@名無史さん:2008/12/31(水) 11:55:24
城付地一円支配なんて外様だけだろ
476日本@名無史さん:2008/12/31(水) 12:38:57
10石とかの知行とりは
○○村の百姓○○の分だけだったりするのか?
その一家が全滅したらとんでもないことに・・・
ある意味その侍一家の専属百姓一家
477日本@名無史さん:2008/12/31(水) 12:59:15

最小の知行取りって何石くらいなんだろうね?
478日本@名無史さん:2008/12/31(水) 13:00:01
上総飯野藩なんて領地のほとんどは上方にあったらしい。
479日本@名無史さん:2008/12/31(水) 13:00:34
>>476
そんな例は無いよ
480日本@名無史さん:2008/12/31(水) 13:07:03
1万石クラスの大名って、陣屋大名だったり江戸定府だったりで、
しかも数ヶ国に分散知行も当たり前の状態だから、年貢という地代を徴収してる
不在地主みたいなもんだな。
481日本@名無史さん:2008/12/31(水) 13:13:47
城付地以外は飛び地が当たり前だもんな
482日本@名無史さん:2008/12/31(水) 13:33:15
>>480
そういう状態で、そのまんま近代的所有権に移行したのがヨーロッパの貴族だな。
483日本@名無史さん:2008/12/31(水) 20:49:09
池■田大■作の本名はソン・テチャク。小泉純一郎、小沢一朗は朝鮮人。
911では小型の水爆が使用されている。
http://ri■ch■ardkosh■im■izu.at.webry.info/
創価の保険金殺人事件。
オウム事件は、統一・創価.北朝鮮の共同犯行である。CIAが監修している。
http://www15.ocn.ne.jp/~oy■ako■don/kok_web■site/ir■iguc■hi.htm
与党も野党もメディアも全部朝鮮人だった。
http://jb■bs.li■vedo■or.jp/b■bs/read.cgi/news/20■92/115794■1306/

2ちゃんねるは統一■教会が個人情報を集めるための道具。運営には統一■教会がいる。
駅前で「手相を見せてください」と勧誘してるのが統一教■会。(カルト宗教)  
カルト宗教の下にいる人と上にいる奴を分けて考えないといけない。下にいる利用される人は上がどんなことをしてるか知らない。

ユダヤ権力の子分→2ちゃん運営=統一協会上層部=層化上層部=自民党清和会=野党の朝鮮人ハーフの政治家=
与党の朝鮮人ハーフの政治家=金 正日(キム・ジョンイル )=読売サンケイ=小沢十朗
ユダヤ人=ロックフェラー=ブッシュ=クリントン=ヒラリー=アドルフ・ヒトラー=オサマ・ビンラディン

毎日新聞スレを荒らしてる奴らも統■一教会の可能性が高い。
荒らしは洗脳するために「ネトウヨ」などのレッテル付けレスを何千回もする。
現実には「ネトウヨ」などは存在しない。
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1230363385/
484 【大吉】 【198円】 :2009/01/01(木) 00:14:41
今年こそは市橋家の天下
485 【中吉】 【1553円】 :2009/01/01(木) 01:03:07
>>482
なるほど。
486日本@名無史さん:2009/01/01(木) 02:48:46
旗本レベルの陣屋の場合、それは役所の出張所のようなものなんです。
なんせ江戸定府なので。現地行ったことねーよ、な感じ。
現地代官である豪農の家を兼ねている場合もあるくらい。
収穫時期に代官が行って年貢集めたり事務したり、
訴訟事を裁く場所があればいい、程度の施設。
大名の飛び地の陣屋もそんな感じ。
城主格じゃない大名の本拠地や、交代寄合の場合は、城並みの立派な場合もある。
「三大陣屋」とかで検索を。
前方後円墳が丸々入っているのとか、笑うぞw
あと、
分家な新田藩や小禄の御家人、旗本なんかは、幕府や本家からの現物(米)支給制の場合あり。
田安や一橋なんかもそうだよね。
農家一軒が俺の領地、とかはさすがにないかとw
487日本@名無史さん:2009/01/01(木) 02:51:27
>>470
そんなあなたに、越前勝山城をオススメ。
石垣にドラゴンがすごいぞーwww
488日本@名無史さん:2009/01/01(木) 03:25:18
>>486
話が変わる上に無知ですまんが、御三家は大藩になってるけど御三卿って領地あったの?無かったとしたら幕府からどの位支給されてたんだろ…?
489日本@名無史さん:2009/01/01(木) 07:35:50
>>488

御三卿は10万石
領地は無し
幕府から10万石相当の現金が支給された
490日本@名無史さん:2009/01/01(木) 07:37:26
>>484
新見藩関氏って市橋より有名だろうか。
491日本@名無史さん:2009/01/01(木) 08:32:23
どっかのスレで激論になってたけど、御三卿も領地持ってたんじゃなかったか?
あちこちに分散してたらしいけど。
492日本@名無史さん:2009/01/01(木) 09:12:44
>>491

名目上の領地はあったけど、実際には幕府が取り仕切っていた
私は領地を支配していないので持っていないと判断しました
493日本@名無史さん:2009/01/01(木) 09:15:34
>御三卿も領地
成立当初は蔵米支給で、すぐに知行制に移行した。ただ、3家では支配のコミットの仕方も
随分異なる。一橋家はかなり細かく代官所を設けて地方支配の体制を整えていたが、田安は
そこまでいかず、清水家に至っては当主自体が空席であることも多いせいか、幕府代官に
支配を委託していた所領も多かったようだ。
494日本@名無史さん:2009/01/01(木) 09:20:22
領地の有無については両方の意見のレスがあるが、御三卿は三家とも10万石?領地が無いなら政務は何してたんだろ。幕府内に役職があったの?たいした役職も無いなら何もせずに単にぼぉ〜っとして10万石分もの金もらってたんだろうか…。
495日本@名無史さん:2009/01/01(木) 09:22:45
494
496日本@名無史さん:2009/01/01(木) 09:24:23
494だが、携帯でレスしてたら領地についてタイミングずれた質問になってしもた。すまん。
497日本@名無史さん:2009/01/01(木) 09:34:57
幕末、一橋家は実際に領地の支配をしている。
知行地の村々で農兵の徴募もやっている。

そういう実績があったからか、田安家ともども維新後立藩を許されたが、
版籍奉還後、知藩事には任命されず、そのまま廃藩になった。
498日本@名無史さん:2009/01/01(木) 09:36:09
>>493

領属をどうみるかの違いですかね?
499日本@名無史さん:2009/01/01(木) 09:42:01
>>497

そのような実績があった(私はそう捉えませんが)一橋家と、そうでないと言われる田安家が同様に立藩してるのは何故?
幕末には預かり地での募兵は他でもあった

領地の支配をした領属の身分が低すぎるのと、人員が固定されていない
よって、名目上の領地はあっても実効支配はしていないと判断しています
500日本@名無史さん:2009/01/01(木) 11:52:48
たとえば上方の一橋家田安家を例に取れば、いずれも幕府旗本から専属の代官が
派遣されて、所領支配をしている。一橋は大坂川口役所詰め、田安は大坂近傍の
長柄村の陣屋に代官が詰め、畿内近国の数か所に散らばった所領を管轄した。
一橋は播磨の所領内には代官所を置いて在地代官を採用していた時期があるが、
幕末期にはどうも大庄屋に格下げされている様子。一方、備中の一橋領は
江原村に陣屋を置いて常駐していた。一橋家は他の地域も同じ様子らしい。

関東諸藩の上方飛地領は、所領の中心に代官所を置く場合と、大坂の蔵屋敷に
代官を置いて支配する場合とがある。少なくとも一橋・田安はこの2つのケースに
準じているな。

ただし、御三卿の家臣が幕府から派遣された旗本という点を見れば、諸藩の新田藩に
よく見られる状況ではある。岡山新田藩の生坂藩は朱印状を下されずに将軍の直臣に
なっているが、ちゃんと朱印状を下されている鴨方藩でさえ岡山藩から家臣が派遣されて
いる。更には、小笠原家の播磨安志藩は明らかに独立した藩ながら、小倉藩から
藩士を派遣されている。

藩というものの枠は、実際にはかなり曖昧ってことだな。
501日本@名無史さん:2009/01/01(木) 11:54:21
>>499
上から物を言いたい場合は、それに見合う知識をつけてからにしなさい。
502日本@名無史さん:2009/01/01(木) 12:32:04
一円支配で自前の家臣ももてた御三家や忠長、家光の諸子と
とびとびで出向社員ばかりの御三卿ではずいぶん違うが・・・。

何でこんなに差が出たの?御三卿の連中は不満を持たなかったの?
503日本@名無史さん:2009/01/01(木) 12:46:09
御三卿は藩ではなく、将軍ご一門として将軍候補をキープするためのシステム。
藩にすれば格式を整えるために御三家なみの大領が必要になるから、暴れん坊
将軍が知恵を絞ってこのシステムを導入した。
軍事行動は想定されていないから、官位にしろ経済状態にしろ、御三卿当主と
しては満足いくものだったんじゃないか。
504日本@名無史さん:2009/01/01(木) 13:10:32
>>503
満足が行くなんてとんでもない。
かつこれは、設置した側(将軍家・幕府)、された側(御三卿当事者)の両方共に一致していたと思われ。

実際、御三卿がその後どのようになったかを考えればわかる。

当初田安、一橋の二家だが、これらの家はそれ自体を継承しよう(させよう)というよりは、なるべく大名家などで養子先があれば積極的に養子に出る(出す)という風潮が見られる。
田安の賢丸は白河藩主松平に養子に出されている(後の松平定信)し、一橋は宗尹の「嫡男」重昌は越前松平家に養子、更にそれが亡くなると次男重富も越前松平家に続けて養子に行っている。

つまり、御三卿とは「体のいい将軍家部屋住み」であって将軍家としてはゴク潰し。まあ将軍後継者が絶えたらスペアとして考えられるがそれが積極的な動機ではないということだ。
もし本当に「将軍のスペア」なら、できるだけストックしようとすることだろう。しかし現実には出来るだけ養子先を見つけたら出す、という結果。
しかも嫡男に匹敵する者から順番に出している。御三卿がまず大事なら、順序は逆になるのではないだろうか?
この事は御三卿が実際に将軍家や幕府、また当事者からどう思われていたかを示す例だと考えられる。

だから後に息子を将軍にするために暗躍する「妖怪」一橋治済は三男でありながら一橋家二代目を継承することになる。
これなどは養子先の「ネタ切れ」だからだろう。
また御三卿には「空家(くうけ)」といって、当主がいない状態ですら容認された。大名ならお家断絶、取り潰しのはず。

御三卿は、将軍家のスペアとして重要視されたなどということはなく、いわば将軍家の厄介者で、できれば「いないに越したことのない」存在だったんだ。
505日本@名無史さん:2009/01/01(木) 13:21:00
定信悲惨だね。
爺さんがケチな吉宗じゃなければ将軍連枝の甲府藩主徳川某とかになっててもおかしくなかったのに。
つーか有力な将軍候補やな。
506日本@名無史さん:2009/01/01(木) 13:30:21
>>504
あの〜、厄介者なのに何故『空家』を認めてまで存続させたの?
それと清水が議論から放置されてるけど、御三卿はそれぞれの家によって扱いが異なってたの?
507日本@名無史さん:2009/01/01(木) 13:35:39
厄介者を押し込む枠を維持しただけのこと。
犯罪者が入ってなくても刑務所を維持する必要があるのと同じこと。
「空家を認めてまで」って、それで幕府になんか不都合は生じるの?
508日本@名無史さん:2009/01/01(木) 13:40:51
三卿の知行についてはよく分かったけど
当主や次代当主など、実際的な職務として普段は何をしてるんだ?
509日本@名無史さん:2009/01/01(木) 13:50:55
>>507
吉宗自身、経済的に倹約をすすめてたんでないの?厄介者に合計30万石も経費使い続けるのは無駄使いだと思うけど。
510日本@名無史さん:2009/01/01(木) 13:56:18
滅茶苦茶倹約してんじゃん。
将軍の息子なのだから、普通だったら10万石じゃ足りないくらいなわけだが。
511日本@名無史さん:2009/01/01(木) 14:20:21
発想が逆なんだよな。幕府の財政が困窮していたから、新規に高い格式の大名取立てが
困難であったという前提条件をもとに考えなくてはならないのに。

本来なら、養子に送り込める家を見つけて数万石程度の親藩・譜代藩の藩主に納まるか、
捨扶持を与えられて養子先ポストに空席を待っているうちに死ぬかという条件。それを
御三卿として高い格式が与えられるのだから、優遇に決まってるじゃん。
512日本@名無史さん:2009/01/01(木) 14:31:15
甲府宰相や館林宰相を制度化して合理化したもんでしょ。
そこまで考えてたかは知らんけど、幕府から家臣を貸し出す形にしたことで
柳沢や間部のような者を根絶する効果もあった。
吉宗って側用人政治嫌ってたし。
513日本@名無史さん:2009/01/01(木) 14:39:27
藩を持たなかったために暇をもてあまして、御三卿当主自身が
政争に暗躍しまくってたけどなw
514日本@名無史さん:2009/01/01(木) 14:47:26
>>511
将軍実子で数万石の養子は家斉時代でも、いないだろう。
三郷でも中堅譜代に逝ったのはそんなにいない。
落胤で保科が逝ったが。
515日本@名無史さん:2009/01/01(木) 15:10:20
>>511
>本来なら、養子に送り込める家を見つけて数万石程度の親藩・譜代藩の藩主に納まるか、
>捨扶持を与えられて養子先ポストに空席を待っているうちに死ぬかという条件。

本来は、将軍の息子はそれなりの領地を与えられて独立するのが当たり前だった(御三家や館林、甲府家等)。
訳ありの息子でない限り、小藩の藩主になどなることはなかった。
そういう発想を初めて転換したのが吉宗。余った息子を事実上の部屋住みのままキープした。
あなたの言う「条件」というのは御三卿成立以後に出来たもの。
御三卿という制度が既に確立されている家斉時代ならいざ知らず、最初の御三卿となった田安宗武・一橋宗タダが
前代の将軍子息達と比較して不遇だと思ってもそれは当然のこと。はたして優遇されてるなどと思うだろうか。
516日本@名無史さん:2009/01/01(木) 16:05:05
甲府藩や館林藩も一円知行じゃなくて、数ヵ国にまたがる分散知行だしね。
517日本@名無史さん:2009/01/01(木) 16:27:21
>>514
>将軍実子で数万石の養子は家斉時代でも、いないだろう。

浜田藩とか明石藩は数万石だし。
518日本@名無史さん:2009/01/01(木) 16:35:10
>>515
吉宗が将軍になったこと自体が幸運中の幸運だってことを忘れちゃいけない。
その上で猛烈な財政改革をやってる最中なわけだ。それで数十万石欲しいなんて
主張する子供がいたら、「今の不況下でバブル期の感覚で予算を要求するバカ」
くらい浮いてんじゃね?
519日本@名無史さん:2009/01/01(木) 16:36:40
それ以上に浮くな
520日本@名無史さん:2009/01/01(木) 18:00:34
過去に将軍の子弟が分封された駿府や甲府が
あいてるわけだから、期待しない方がおかしいと思われ。
521日本@名無史さん:2009/01/01(木) 18:19:42
そんな希望を出して将軍に大暴れでもされたらどうするつもりだ。
吉宗を甘く見ちゃいけない。どれだけ悪人を手打ちにしてきたと
思ってるんだ。
522日本@名無史さん:2009/01/01(木) 18:47:33
吉宗から本格的に官僚が活躍する時代です
523日本@名無史さん:2009/01/01(木) 18:50:17
>>520
さすがに駿府はないと思う。
せいぜい甲斐一国を兄弟2人でわけるくらいジャマイカ。
つーか、ひとりだったら甲斐一国丸々もらえてたりして。
524日本@名無史さん:2009/01/01(木) 21:24:10
吉宗の長男の家重ですら、既に吉宗が紀州藩主となって財政改革を盛んに
行っていた時期以降に生まれているからな。
自分の息子が親の方針に逆らって過大な望みを持つような教育を御側衆に
させるわけがない。わざわざ御三卿の制度を考案したくらいだから、息子達の
行く末に関心がなかったわけがないからな。
525日本@名無史さん:2009/01/01(木) 21:34:03
将軍の息子がたかが10万石程度を「過大な望み」などと思うわけがないと思うが。
526日本@名無史さん:2009/01/01(木) 21:46:27
天領って新田開発してなかったの?
ガンガン新田開発して息子に与えまくればいいんじゃね?
印旛藩100万石とか。
527日本@名無史さん:2009/01/01(木) 22:06:10
新田開発は、備中あたりが凄いよな。あの辺では内陸諸藩も海沿いに飛地を持っていることが多いが、
干拓によって実高がどんどん膨れ上がってる。水谷氏備中松山藩は実高が表高の倍だし。

しかし、水谷氏無嗣改易後の検地で無茶な測り方をしたものだから、後に入った備中松山藩板倉氏とかは
表高5万石に対して実高2万石というどう見ても罰ゲームな状況を強いられている。老中まで出してる家なのに、
なぜあんな状況を強いられていたものやら。
528日本@名無史さん:2009/01/01(木) 22:17:00
>将軍の息子がたかが10万石程度を「過大な望み」などと思うわけがないと思うが。

実際、手ごろな望みだったのだろう。
529日本@名無史さん:2009/01/01(木) 22:36:49
そもそも宗武は将軍候補だった。
530日本@名無史さん:2009/01/01(木) 23:04:55
>>504を書いた者だが、結構勢いのある良スレだな

>>506
ええと、>>507さんが回答してくれているので主旨はその通りなんだが、付け加えるとすれば「余剰人員」は何も将軍家家族である徳川家の人間だけではなかった、ということだ。
つまり、御三卿は幕府からの「用人」ということで家臣みたいな業務に従事していた者がいたが、これは現代でいう「出向」だ。
この取り扱いがあるので、当主が欠けたからといって御三卿を潰してしまうと出向組を元に戻さなければならなくなる。
それが出来ないので「空家」として存在した(最近の史学では「明屋敷」というのか?)。

十万石のコストがかかるのは確かだが、逆にいえば、ここに送ってしまえば幕府から家禄以外の役料を支給しなくてよい。
また加増する必要に迫られる可能性がなくなるなど、財政上のメリットもあることはある。
いってみれば「甲府勤番」ほど酷くはないが、限りなくリストラに近い扱いであるのは確かで、「十万石」という固定「損金償却」で済むという感じだろうな。

御三卿が厄介者であるのは確かで、かつその厄介者は当主だけではなかったということだ。
531日本@名無史さん:2009/01/01(木) 23:24:10
出向社員の手当が10万石の収入から支払われるのはわかるんだけど、
秋屋敷となってる間は当主家族の浪費がないからかなり余剰金が発生するよね?
そういうのって幕府のフトコロにはいるの?
それともそれぞれの家に積み立てられるの?
532日本@名無史さん:2009/01/02(金) 01:19:34
最初に「御三卿は領地があるの?」とか、「厄介者に合計30万石も経費使うの?」とか無知な質問した者だが。
う〜ん、なるほど、納得。
ついでに新たに質問。御三家も基本的に厄介者扱いで、適当な養子先が見つからず立藩させて放り出してしまえって事だったのか?
それと尾張、紀伊と比べて何故水戸だけ中納言なんだ?石高も他の2家より少ないし。

533日本@名無史さん:2009/01/02(金) 02:07:09
>>532
水戸は末子というだけでは無く、紀伊の同母弟、つまり紀伊の分家扱い。

>適当な養子先が見つからず立藩させて放り出してしまえって事だったのか?

初期の子供は確かに長沢、結城、武田を継いだが晩年に出来た子供は徳川姓名乗らせて特別扱い。
確かによく解りませんなあ。
534日本@名無史さん:2009/01/02(金) 02:50:15
>>532-533
>>530を書いた者だ。

まず言えるのは、我々は歴史を結果から見るが、実際は様々な過程を経て次第に形を成していくもの。
言われなくても漠然とはみんな分かっていることだと思うが、これは徳川御三家の成立についても同様だ。

江戸幕府成立当初、実は家康がその処遇に頭を痛めた者が実は「徳川家」の嫡流以外である子息の扱いだった。
かつての平氏のようにみんな仲良くできればよいのだが、それでは奢る徳川家は久しからずだ。
源氏は昔からその反省に立っているが、逆に一族が反目してしまうという状況になる。
鎌倉の時の頼朝が義経・範頼に対してやったような粛清では、最小限の乱れで済むが、嫡流が絶えたらもう後がない。
足利尊氏のように優柔不断では、結局内輪もめが延々と続き、幕府と将軍家の権威が確立しない。

実際徳川家の中でも秀康・秀忠よりすぐ下のところでは問題児が多く出て、家康を困らせている。
江戸幕府初期の統治の基本は「忠誠または屈服させる」こと。徳川譜代はまったく問題なく、また外様に対してもこれは成功した。
しかし一番の問題が「身内」だったんだ。
これは手を焼いただけでなく、結果としてもうまくいかなかった。

ただし、家康の九男義直から下は、年齢的には家康と孫くらい離れている子息で、その辺りは組み易かったのだろう。
それで分家の大名にした。ただそれだけでは忠輝などのように将来的に手を焼く存在にもなりかねない。
だから「御三家」として、将軍家に準ずる扱いとし、かつ将軍後継者のプールと位置付けた。
規模としても大大名に匹敵する尾張と紀伊。水戸は既に挙げられたとおり紀伊の分家だろう。そもそも紀伊頼宣も当初は水戸に封ぜられており、その後釜ということだっただろう。

これらは過去の失敗と試行錯誤から次第に整えられてきた結果だと思われる。
だから家康の末子の方が特別扱いになってしまった。
そもそも家康の子息の中で将軍家以外のトップは「越前松平家」だ。ただこれも「御家門の筆頭」という礼遇を受けたらしいが。
535:2009/01/02(金) 03:56:21
ちなみに。スレチ的だが貴族(公家)の例を比較で出しておこう。

藤原氏だ。
平安期は藤原氏内で壮絶な権力闘争があったが、やがて五摂家(近衛・鷹司・一条・二条・九条)が摂関の座を完全にたらい回しで継承するようになった。
こういった発想は、武家特に将軍家では考えられない。
しかしそれ以外にも庶流が出てくる。
それぞれ分家として次第に家格が落ちて行くのだが、身内の間で伝統的に役割を受け持つようになった。
例えば卜部(吉田)家では、藤原氏全体の祭祀をつかさどるようになる。
それなりの社会的または身内での役割が確固としていれば、人間はそれなりに意義を感じて問題を起こさないという好例だ。
藤原氏は歴史的にも「年季」が入っている一族ので、この辺りはよく考えられている。

ちなみに祭祀を担当した卜部(吉田)氏は大門閥藤原氏の冠婚葬祭を行う際、他の貴族や武家に対する広報のような存在になったので世間に対し顔が広くなった。
いろいろな世間話も卜部・吉田家には入ってくるようになった。
また卜部家は藤原氏からの対外的な文書作成や発給なども担当した為事務や文章について秀でるようになったようだ。
かつ、冠婚葬祭は不定期なので、それ以外の時期は「ヒマ」である。

徒然草を著した卜部兼好(吉田兼好)は、そうした経緯から出てきたのだろう。
536日本@名無史さん:2009/01/02(金) 03:57:42
>>535
「1」って入ったが、それは他スレの話。間違い。
537日本@名無史さん:2009/01/02(金) 05:03:02
なるほど。判りやすく解説して頂き感謝。
御三家、御三卿の成立は平氏や鎌倉、室町などの流れも加味され『徳川』だけで考えるのではなく『武家政権』の経験の蓄積によって出来上がった、『為政者の知恵』って訳ですな。
この観点(為政者が身内をどう扱い、その影響や結果はどうだったのか)で歴史を見ていくのも面白いねぇ。
538日本@名無史さん:2009/01/02(金) 08:43:46
>>535
単に、大きな実権を持つポストなら同族内でも争いは激しくなり、ポストが単なる権威になれば
均等配分する心理的余裕も出てくるってだけじゃん。公家も武家も関係ない。
539日本@名無史さん:2009/01/02(金) 11:29:02
>>530
どうも思い込みが激しいようで、「御三卿は厄介者」という結論が先にあって、理由を
こじつけてるだけじゃん。

無役の旗本が多い中で、無役より更に待遇の酷い厄介者島流しの甲府勤番支配の
ような役ではない。御三卿付きの、たとえば代官であれば人気の高い幕府代官と同様の
業務内容。家老であれば次期将軍候補の側近だ。

御三卿付きは甲府に島流しにされるような厄介者や無役の無能者に勤まる業務じゃ
ない。現代の企業とは違うんだから、無能者は無役にすりゃいいだけの話だしな。
だいたい、次期将軍候補に無能者をつけるだろうという発想自体がナンセンス。少しは
頭を使いなさい。
540日本@名無史さん:2009/01/02(金) 11:34:41
補足
付く御三卿当主に次期将軍としての見込みあがるかないかで、栄職か
左遷先かが決まる。これは幕府の役職の西の丸付きでも同じこと。
一般論として、御三卿付きは幕府の役職の一つであって、「御三卿付き
イコール厄介払い」という実態はないといえる。
541日本@名無史さん:2009/01/02(金) 11:48:15
松平定信が田沼意次を恨んでいたのも、「次期将軍候補の御三卿から、白河藩主(ごとき)の
当主にさせられたから」だよな。

御三卿が厄介者? バカジャネーノ?
542日本@名無史さん:2009/01/02(金) 12:25:23
御三卿は厄介者どころか、次期将軍候補という重要すぎる座のため、当主同士や
幕府重職の面々の政治的思惑に強烈に圧迫されて、次々に譜代藩養子などに
ドロップアウトさせられていたわけだ。

なお、次期将軍という座に座るために臣下の支持を得やすいのは、家祖(徳川なら
家康)が重要とみなした家の正統よりも、現将軍の近親者の方が当然上。これは
徳川も7代までは御三家の出る幕がなかったことからも裏付けられる。
543日本@名無史さん:2009/01/02(金) 12:51:26
松平清武の立場って・・・
544日本@名無史さん:2009/01/02(金) 13:27:44
家系が血筋よりも優先されるのが日本の家の継ぎ方だからね。
545日本@名無史さん:2009/01/02(金) 13:48:10
>>539-542
???
思い込み激しすぎじゃね?
将軍候補の御三卿付きなら将来の栄転もあるかもしれんが、
そこは明き屋敷の御三卿付きの話なんだけど・・・??
文脈理解せず脊髄反射でレスしたのがバレバレw
546日本@名無史さん:2009/01/02(金) 14:11:14
>>530ではそんな主張になってないじゃん。「空家という状態が存在しうる、
ゆえに御三卿は厄介者」という主張になってるだろ。

恥の上塗りはそれくらいにしておきたまえ。
547日本@名無史さん:2009/01/02(金) 14:12:49
こいつは>>530どころか、当初から「御三卿は厄介者」と主張してるな。
548日本@名無史さん:2009/01/02(金) 14:19:04
>>546-547
>>530>>506へのレス。
>>506を100回読み返せ。

まあ御三卿は厄介者で間違いはないが。
549日本@名無史さん:2009/01/02(金) 14:22:07
諸候の話しをよろしく
550日本@名無史さん:2009/01/02(金) 14:23:44
>>504
>御三卿は、将軍家のスペアとして重要視されたなどということはなく、いわば将軍家の厄介者で、できれば「いないに越したことのない」存在だったんだ。
と書いている以上、>>546で指摘した通りじゃん。なに開き直っているのかね。

結局、これだけ書いても理解できないばかりか、見苦しく逃げ回ることしかできないわけか。
まるで例のクソコテの本郷義昭みたいな奴だな。
551日本@名無史さん:2009/01/02(金) 14:34:35
>>549
御三卿では諸侯からずれるから、諸藩の新田藩の話でもするか?
552日本@名無史さん:2009/01/02(金) 15:09:58
済まんな。支持してくれた人とそうでない人で争わせてしまった感じだ。

ちょっといろいろ書き過ぎたのかも知れないが、「御三卿」は将軍後継者のスペアという位置づけを否定している訳ではない。
ものごとには二面性或いは多面性があるので、厄介者でもあり、一方では貴重な存在でもあるとも言える。
ただ、論点としては、御三卿が将軍スペアであるのはもう一般的にも誰でも分かる一面なので、敢えて別の一面を強調したまでだ。

ただ、血統からは貴重だが、それに「見合う」ような重要視があったかというと、現実の待遇はそうでなかったということだ。
これはそのまま当時の幕府の特に経済的な面での苦悩する面を示しているといえるだろう。

吉宗も、幕府創業時のような余裕があれば、田安や一橋にも大大名の待遇を与えたかも知れない。
だが現実は甘くない。それで部屋住み十万石という待遇だ。
経済的な規模では前例もある。家綱は弟である綱重、綱吉に対しては甲府と館林で十万石ずつ与えている。
ただ、この時はまがりなりにも「大名・諸侯」だった。

御三卿はそれがない分、官位官職で埋め合わせた。
従三位という「公卿」待遇は、征夷大将軍以外の武家ではまず考えられない。
また民部卿や兵部卿・刑部卿などという官職は従来は宮様クラスがなるもの。
この辺りで、武家官位の秩序が逸脱を始めたということも言えるだろう。

大名でも従四位だと最高レベル。幕末に島津久光が藩主である子を隠居させてまで藩主を望み、かつ従四位を望んだ時は
幕府から顰蹙を買った。薩摩出身の天璋院さえ反対している。

朝幕関係の上からも、大名諸侯に許される官位官職はある自制があったものが、この頃から節操がなくなっていったのは確か。
これにより、新井白石が閑院宮家を設立するなどして修復した朝幕関係が再び悪化したのは事実。
しかも幕府創業時の頃の統制・圧迫などという余裕はなく、むしろやむを得ない経済的事情の悪化がもたらしたということが、
余裕のない幕府の姿をあらわしたものといえるだろう。
553日本@名無史さん:2009/01/02(金) 15:20:08
やれやれ。
じゃあ次は、>>530

>御三卿が厄介者であるのは確かで、かつその厄介者は当主だけではなかったということだ。

の後ろ半分、御三卿付きが厄介者であったという主張に関して言い訳してみたまえ。
554日本@名無史さん:2009/01/02(金) 15:43:32
>>553
どうしようもないおバカ甘えん坊だねw
555日本@名無史さん:2009/01/02(金) 15:45:05
>>553
新年早々粘着質ですな。
あまり拘泥するのもどうかと。
556日本@名無史さん:2009/01/02(金) 15:55:37
いろんな角度での見方解釈があるんだから。
議論はいいけど喧嘩はやめようぜ。
まあ、俺からするとどっちも興味深い話で勉強になったわ。
557日本@名無史さん:2009/01/02(金) 16:26:49
こっちにしてみれば、当初から御三卿当主よりもその支配体制を
中心に語ってるんだけどな。
肝心のネタでお茶を濁されたらリンダ困っちゃう。
558日本@名無史さん:2009/01/02(金) 16:43:13
まあまあ。
ここIDないから議論が白熱するとややこしいね。
普段は適当に疎なんで問題はないけど。
559日本@名無史さん:2009/01/02(金) 17:10:54
御三卿付という話だが。

これは御三家も本質は一致するのだが、実を言うと実際に将軍職を得るのは並大抵のことではない。
まず「運」が必要。将軍家に嫡流が確固として存在していたら、もう望みはない。
そして、そうでない局面を迎えた場合も候補者は複数いる。
そして、最も困難なのは、将軍擁立運動などという「行為」は基本的に表立っては出来ないということだ。

だからこれはすべて「陰謀・謀略」という手段にならざるを得ない。
例えば、譜代大名が「老中」になりたいとする。この場合も謀略を用いるという方法もあるが、譜代大名の場合ある程度経験と職歴を経れば老中に上り詰めるという一種の「ルート」はいくつか存在していた。
京都所司代・大坂城代から老中だったり、西の丸老中から幕閣としての本丸老中など。
しかし「征夷大将軍」は全くの別格で、そのような決まったルートはない。

その陰謀の遂行には御三家御三卿の当主だけでなく、腹心や賛同者の協力が必須になる。
御三家の場合も当初はそうだった。紀伊頼宣が陰謀をめぐさせたかどうかは諸説あるが、少なくとも順当に将軍後継者にはなれない。
しかし、江戸時代も十分な年月が経過した後は、家臣や腹心が体制として確立された。
吉宗が八代将軍になるにあたってもこの辺り(加納久通ら)が活躍している。また老中や大奥の協力も得ている。
560日本@名無史さん:2009/01/02(金) 17:11:37
(続き)
しかし御三卿の場合、用人は基本的に「幕臣」であり、出向組だ。
お世辞にも能力を見込まれてその家に赴任した者とはいえず、むしろその逆だろう。
少なくとも、幕末を除き御三卿の用人になることを将来の将軍後継候補の許に行くことで出世できるという思惑で積極的に赴任し、かつ成功して将軍側近に就任したような人物はいない。
(幕末の一橋家平岡円四郎は幕臣だが、通常の幕府人事ではなく水戸斉昭の要請によるもの。かつ円四郎は当初断わっている。
その後の原市之進などは幕臣ではなく、慶喜の要請により水戸家臣から敢えて赴任した者で、御三卿の用人赴任への経緯としては例外的措置と考えて良い。
渋沢栄一郎(後の渋沢栄一)に至っては、もう江戸幕府の人事とはまったくの無関係でもう超法規的措置に近い)

一橋治済の豊千代丸(家斉)擁立時は、一橋家の側近として活躍していたのは実は田沼一族だ。
これは将来の栄達というより、既存の権力者田沼意次が送り込んだものとみてよく、将来の栄転ではなく権力の維持かつ既存権力の御三卿統制を考えたものと解釈すべきもの。
いろいろ分析しても、御三卿付となった「幕臣」出向の用人が将来の栄達を期すことを目指したものであるという姿は浮かび上がってこない。
561日本@名無史さん:2009/01/02(金) 17:13:41
松平綱国
松平忠直の孫
越後高田藩世子
後に廃嫡され坊主に
子孫は長見家と称し代々津山藩家老
562日本@名無史さん:2009/01/02(金) 17:32:24
>>560
結局、御三卿付きを厄介者とする根拠は「出向組だから」かよ。
じゃあ、西の丸老中、それも前将軍でなく時期将軍が入っている場合でも
同じく出向組だから厄介者ってか。出向者が窓際ってのは今の感覚で
語っているだけだろ。
まさか、京都所司代・大阪城代・長崎奉行などでさえ出向者だから厄介者とか
主張するわけでもないだろうけど。

更に、「栄華を極められるようなポストとは必ずしもいえない」から、厄介者
扱いか。

論理の肝心の部分が弱いうえに、極論を元に主張するから妥当性を欠いて
いるんだよ。旗本は無役の人間が山ほどいうという前提を踏まえて書いてくれ。
563日本@名無史さん:2009/01/02(金) 17:39:53
スレ違いもいいかげんにしとけよ
564日本@名無史さん:2009/01/02(金) 17:40:40
【徳川】御三家・御三卿・親藩スレ【四代目】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1230123157/
565日本@名無史さん:2009/01/02(金) 17:41:44
>>562
それ、俺でもおかしいって解るわw
西の丸老中は「大名」じゃんかw 幕臣の栄達とか出向とは全然関係ないやん。
論理がどうとかより、あんたのは何の具体例もなくああいえばこういうの屁理屈
を書いているようにしか見えんわ。
566日本@名無史さん:2009/01/02(金) 17:42:41
>>565
【徳川】御三家・御三卿・親藩スレ【四代目】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1230123157/

ここでやってください
567日本@名無史さん:2009/01/02(金) 17:50:33
わかりました。
>>559さんもそうしましょ?
御三卿が満足とかそんな話から発展したんでしょ?
でもスレタイとかけ離れている論議でもないと思うけどなあ
大名と御三卿の位置づけは江戸時代の幕藩体制の矛盾と将軍家と諸侯のことを考えるのに不可欠だろうし。
これがすれ違いだったらこのスレはまたーりとバラバラにお殿様列伝が続いて終わりとちゃう???
568日本@名無史さん:2009/01/02(金) 17:52:46
やれやれ。

自治厨の仕切りはスレをつまらなくするなあ
569日本@名無史さん:2009/01/02(金) 17:53:08
スレ違いなら、最後に一回だけ書いて辞めとく。

>>565
>西の丸老中は「大名」じゃんかw
譜代大名も旗本も将軍の家来だし、西の丸老中よりも老中の方が実権は当然上だから、
更なる栄達の道はある。つーか、この部分は主張の枝葉の部分なんだけどなあ。

こっちは、「御三卿付きは有能な幕臣のポストの一つであって、『出向だから厄介者扱い』
という実体はない」と主張してるのに、「栄達を極められるポストではないから厄介者」という
次元の違う反論をされてるし。
570日本@名無史さん:2009/01/02(金) 17:54:30
続けていいの? いけないの?
はっきりしてくれなきゃリンダ困っちゃう。
571日本@名無史さん:2009/01/02(金) 17:58:35
>>569
それはあんたが提起したからやん。

>無役の旗本が多い中で、無役より更に待遇の酷い厄介者島流しの甲府勤番支配の
>ような役ではない。御三卿付きの、たとえば代官であれば人気の高い幕府代官と同様の
>業務内容。家老であれば次期将軍候補の側近だ。

もう出て行こうねw
572日本@名無史さん:2009/01/02(金) 18:05:26
馬鹿が粘着してるな。

話の流れ
>>505まで
御三卿は厄介者か否か
>>506
明き屋敷なのはなぜ
(略)
>>530
明き屋敷なのは余剰人員の出向という意味合いもある()
>>539>>540
(明き屋敷の場合のレスである>>530に対し)
通常の御三卿付き(明き屋敷ではない)の話をはじめ、ケチを付ける(全くの筋違い)。
>>541>>542
御三卿家からやっかい払いされた具体例。なぜか話がアベコベw
>>545
>>539おいおい、お前論理が滅茶苦茶だろ。
>>546
もう意味不明。誰もそんなこと言ってないし。
>>547
正解。
>>550
読解能力0の奴がなぜか開き直り。
>>552
掃き溜めの鶴
>>553
既出のネタなのに今さら何いってんの?
573日本@名無史さん:2009/01/02(金) 18:06:12
あ〜あ
スレが枯れる予感
574日本@名無史さん:2009/01/02(金) 18:12:32
>>571
提起したのは>>530

>いってみれば「甲府勤番」ほど酷くはないが、限りなくリストラに近い扱いであるのは確かで

だな。茶々入れは事実をわきまえてからにしてくれ。
575日本@名無史さん:2009/01/02(金) 18:13:12
論点は3つ

・御三卿は厄介者か
・御三卿付きは厄介者か
・空屋敷御三卿付きは厄介者か

この話題もう終わった?w
576日本@名無史さん:2009/01/02(金) 18:16:09
>こっちは、「御三卿付きは有能な幕臣のポストの一つであって、

こんな事実はあるの?具体的に。
577日本@名無史さん:2009/01/02(金) 18:16:48
>>572
明き屋敷での代官業務は通常の幕府代官と同じ。当主がいないだけで
領知がある以上、上役も同様の命令体系で動く。それだけのことじゃん。

どこが「限りなくリストラに近い」んだ。所領がある以上、業務は山ほどあるんだぞ。
578日本@名無史さん:2009/01/02(金) 18:20:31
>>576
一橋慶喜の家臣、中根長十郎、平岡円四郎、原市之進とか。
時代が時代だから非業の死を遂げたけど、有能な人間は当然栄達を受ける。
579日本@名無史さん:2009/01/02(金) 18:22:46
>>574
>>565はあんたが西の丸老中が幕臣だとか言う頓珍漢な主張を例に、
あんたの屁理屈をとがめている。
>>530の内容など無関係。

筋の通らん下らない言い訳などすんな。
580日本@名無史さん:2009/01/02(金) 18:27:42
>>578
雑魚ばっかだね。結局御三卿付きって大したことないんだ。
コネがあっても無能な人間は栄達できないのか・・・。
581日本@名無史さん:2009/01/02(金) 18:30:43
将軍になった慶喜の側近ですらその程度と言うことは、
将軍の目のなさそうな御三卿付きなんてかなりひどそうだね。
ひょっとして御三卿付きって本当に厄介払いだったのでは?
582日本@名無史さん:2009/01/02(金) 18:34:43
すごい伸びだ
583日本@名無史さん:2009/01/02(金) 18:36:02
>>561 正しくは「永見」じゃなかったか?
綱国の伯父は確か八丈島に流されて飢え死にしたな
家康の男系子孫(曾孫)で一番悲惨。
宇喜多秀家とは島で交流もったかな?
584日本@名無史さん:2009/01/02(金) 18:38:13
>>581
さすがにそういうことはないだろう。
が、明屋敷の御三卿付きには有能な人物など付ける必要は全くない。
ごく普通の事務官僚で十分。
むしろ幕府の仕事ではなく、一段落ちる御三卿の家政だから、
わざわざ有能な人材を割り当てることはないのではないだろうか。
585日本@名無史さん:2009/01/02(金) 18:40:40
>>584
君はまず、幕府代官は人気がありかつ業務も難度が高いから、有能な人間が
付く業務だということを頭に入れて置くべきだな。
586日本@名無史さん:2009/01/02(金) 18:47:05
試験があるわけじゃなし、家柄やコネが幅をきかせてたわけだが?
587日本@名無史さん:2009/01/02(金) 18:54:14
>>583 宇喜多秀家は1655年没。
永見長良が流罪になったのは1681年。
長良が八丈島で死んだのはその20年後。綱吉は同じく家康の曾孫である長良を赦免してやってもよかったのになぁ
588日本@名無史さん:2009/01/02(金) 18:54:39
世襲代官の多くが粛清されたのちも小堀・角倉・多羅尾など残っていたけどね。
だからといって、決して無能が務まる役じゃない。

なお、代官が人気なのは、役得が多いから。ゆえに競争が激しくなり、優秀な
人間が集まる。配属される代官所によって、あるいは代官の力量によって、
管轄する村々の数や石高は大きく異なるから、競争は辞めるまで続く。

御三卿領だけ例外と思う奴はいるか?
589日本@名無史さん:2009/01/02(金) 18:55:40
スレタイをまともに読めない奴が多すぎる
590日本@名無史さん:2009/01/02(金) 18:56:12
続きはこっちでやってね。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1230123157/
591日本@名無史さん:2009/01/02(金) 19:01:03
>>588
代官になる奴なんて小身の貧乏人だが・・・
ひょっとして代官って偉いと思ってるの?
592日本@名無史さん:2009/01/02(金) 19:18:43
>>591
>>588はたぶん時代劇の見すぎなんだよw
時代劇のお代官様って一見身分高そうだし賄賂でガッポガッポ儲かってるじゃんw
593日本@名無史さん:2009/01/02(金) 19:27:23
>>591
旗本がなる職じゃん。
594日本@名無史さん:2009/01/02(金) 19:28:07
>>584
そうとも言えない。
元清水付き支配・跡部良弼なんて要職を歴任して旗本官僚の最高峰に至った人物だし。
595日本@名無史さん:2009/01/02(金) 19:36:26
代官の話を持ち出したのは、空屋敷御三卿付きは限りなくリストラに近いとか
言ってる奴がいたから、当主がいなかろうと領知がある以上は業務は多忙で、
かつ代官職は人気があることを示すため言及した。

バカが粘着している代官の格自体は何の関わりもない。格がバカ基準では
低かろうと、家格相応の人間が就き、その業務は多忙だ。
596日本@名無史さん:2009/01/02(金) 19:51:37
>>595
お前は自爆してばっかだねw自爆してそれの言い訳をしてばっかw
代官って何か知らなかったんだろう?

>君はまず、幕府代官は人気がありかつ業務も難度が高いから、有能な人間が
>付く業務だということを頭に入れて置くべきだな。

www
597日本@名無史さん:2009/01/02(金) 19:55:35
御三卿付きの代官?になったら西の丸老中になれるかな?
598日本@名無史さん:2009/01/02(金) 19:55:52
>>596
家格の高さと能力の高さの区別のつかないほどの馬鹿か?

代官は相応の家格の人間が争って就きたがる職だ。これ以上、同じ言葉を
繰り返させるな。
599日本@名無史さん:2009/01/02(金) 19:57:33
冬厨は正月ボケまで加わるから始末におえないな
600日本@名無史さん:2009/01/02(金) 20:01:14
春厨の方が異常だがな
601日本@名無史さん:2009/01/02(金) 20:03:45
>>598
期間従業員を募集したら乞食達がいっぱい応募してきました。
採用された乞食は下層階級だけど有能です。
602日本@名無史さん:2009/01/02(金) 20:17:00
御三卿付きの代官なんていたの?
603日本@名無史さん:2009/01/02(金) 20:31:09
>>598
たかが代官ごときにそんな高い能力が要求されるとはびっくりだw
そんなに有能なら足高しまくって遠国奉行にでもしたほうがいいんじゃね?w
604日本@名無史さん:2009/01/02(金) 20:47:59
いや、行政系の職だから○○番とかの軍事警備系の職よりは忙しかっただろう。
軍事系の職なんて嘱託みたいな勤務形態だからw
605日本@名無史さん:2009/01/02(金) 20:54:57
代官は数万石程度支配するけど、重要な職とは言い難いよ。
606日本@名無史さん:2009/01/02(金) 21:01:30
有能な旗本の就く職といったらなんといっても勘定吟味役だろう。
607日本@名無史さん:2009/01/02(金) 21:59:06
>>605 >>606


≪御目身以上布衣≫
  ◇御勘定吟味役 … 職禄500俵高 御役料300俵 老中支配
  ◇郡代 … 職禄400俵高 勘定奉行支配 

≪御目身以上≫
  ◇御代官 … 職禄150俵高 勘定奉行支配 


文官系(非名家)のエリートコース → 勘定吟味役
お勤め次第では、遠国奉行などを経て勘定奉行の道もあった

武官系(名門家)のエリートコース → 目付
お勤め次第では、番頭、江戸町奉行、勘定奉行、大目付などの要職の道が開けた

 
608日本@名無史さん:2009/01/02(金) 22:00:57
代官なんて中間管理職。重要なことは独断では決められない。

いい加減スレ違いだから大名家の代官の話でもしたら?
これなら悪代官も有り得るかな?
609日本@名無史さん:2009/01/02(金) 22:14:35
>>607
ジジイの代官って威張ってても実は窓際族?
っていうか、水戸黄門に代官を成敗する権限はあったの?
610日本@名無史さん:2009/01/02(金) 22:20:04
黄門様は、代官の上役つーか雲の上の人とサシで話ができるから、
代官として逆らえるわけがない。
まろ様は例外だったが、菊亭の権威をかさに着て説教してたしなw
611日本@名無史さん:2009/01/02(金) 23:03:40
上級役つき旗本になれて、正式に「○○守」と名乗れたら、
三百諸”侯”とギリギリ呼んでいいのではないかと、かように思う次第。
甘い?
612日本@名無史さん:2009/01/02(金) 23:14:42
>>607
公家だと六位蔵人で30石、極臈料100石だから
武家の収入って意外なくらい多いんだな
613日本@名無史さん:2009/01/02(金) 23:34:38
公家には軍役がないから
614日本@名無史さん:2009/01/02(金) 23:43:06
ちょいとだけスレチですまんが
>>612
かつ六位蔵人だと、通常の扱いでは公家でなく地下官人層だろ。
615614:2009/01/02(金) 23:45:47
うわー凄く勘違いしてるぽorz
蔵人つう官職は無視して官位を基に家格的な点を判断してくれ。
616日本@名無史さん:2009/01/03(土) 01:20:53
>>594
>元清水付き支配・跡部良弼なんて要職を歴任して旗本官僚の最高峰に至った人物だし。

その跡部良弼の経歴は過去のものだろw
それが清水家付になったからといって清水家付が要職という何の根拠にもならない。
むしろとうが立っていて閑職に追いやられたと考える方が自然と思われw
617日本@名無史さん:2009/01/03(土) 01:42:08
さっさと御三家スレに逝けよ 粘着気質の精神異常野郎が!!!
618日本@名無史さん:2009/01/03(土) 02:16:44
御三卿以外の話題も大名諸侯ではない件
619日本@名無史さん:2009/01/03(土) 02:24:02
御三家スレは、その系図厨が腐らせたんだよ、、、
620日本@名無史さん:2009/01/03(土) 08:45:28
>>616
最終的に若年寄まで上がるまでの過程で就任してるじゃん。
621日本@名無史さん:2009/01/03(土) 09:24:46
若年寄って外様でもなってるのが結構いるんだな。
622日本@名無史さん:2009/01/03(土) 09:54:33
>代官は数万石程度支配するけど、重要な職とは言い難いよ。

気になるからコメントしておくけど、優秀でも家格が低ければ相応の役職に就けないのが
江戸時代。そうならないのは改革の最中や幕末などの例外事例。旗本下層の家格で
つける役職としては、十分に重要な職といえる。

それから、大名あたりを基準に旗本下層を下層階級とか書いてるバカがいるけど、
旗本だから周囲からは殿様と呼ばれている。御家人や陪臣とは格が違う。もちろん、
このスレでバカそのものの粘着をしているパラノイアまがいの冬厨とは格が違う。
623日本@名無史さん:2009/01/03(土) 10:07:19

なんかバカが頭に血を上らせてるけど、下層旗本にとって重要な役であっても
幕府にとって重要な役ではない。
派遣にとって派遣の仕事は重要であるが、世間から見るとただの使い捨ての仕事であるのと同じ。
お前さん発想が下層視点すぎてミジメ。
624日本@名無史さん:2009/01/03(土) 11:12:14
結局こいつ、代官の実権がその格に対していびつなくらい大きいことを
理解できてないんだよな。

冬厨は所詮冬厨。
625日本@名無史さん:2009/01/03(土) 11:28:03
幕府の郡代及び代官は大体40人程度の人数。これが勘定奉行に直属で
幕府領のうち知行取り旗本領を除く数百万石の年貢徴収業務を行った。
上役の勘定奉行は在府で、より広範囲の業務を行う以上、よほどの問題が
生じない限りは現場に口を出せる状況にはなりえないことくらい、冬厨にも
理解してもらいたいものだ。できないから冬厨なんだけどな。

代官業務が重要でない? バカジャネーノ?
626日本@名無史さん:2009/01/03(土) 11:32:39
勝負あったところで、スレ違いなんだからそろそろお開きにして下さい。
627日本@名無史さん:2009/01/03(土) 11:39:01
在府の代官もいる
628日本@名無史さん:2009/01/03(土) 11:45:24
勘定奉行支配でない郡代もいたな
629日本@名無史さん:2009/01/03(土) 11:54:15
>>625
まず郡代と代官を一緒にしてる点でバカ。
数十人いる郡代代官の管理石高を一纏めにしてる点でアホ。
上役がいちいち介入する必要もない程度の仕事しかしないこともわからない点でトンマ。
つーか、代官自身も江戸に留まり、部下を現地に派遣するだけのケースも少なからずあるわけだが。
ああ、知らなかったかw

代官つーのはね、150俵とりの下級職でね、部下も数人程度。
遠隔地じゃなけりゃ現地赴任する必要がない程度の簡単なお役目なんだわ。
なったところで自慢にならんし、有能な人間が好んでつくような仕事じゃない。
630日本@名無史さん:2009/01/03(土) 11:59:07
代官は世襲が多いし
631日本@名無史さん:2009/01/03(土) 12:09:03
御三卿付きの代官って本当にいるの?
632日本@名無史さん:2009/01/03(土) 12:12:24
役料は一律150俵ではないけどね
県令譜を見ると代官見習から代官になるのが多かったみたいだが
御勘定や御勘定評定所留役、勘定組頭、小普請、小十人、大御番から代官になってるのもいる
代官を経て御勘定吟味役に登るものもいたようだ
633日本@名無史さん:2009/01/03(土) 12:23:43
いずれにせよ代官は中下級の地方官だからスレ違い
634日本@名無史さん:2009/01/03(土) 12:30:56
>>631
万年富五郎頼英
元小十人、改七郎左衛門
明和元申四月廿一日、田安附用人 百五拾俵
がいるけど御代官と兼帯ではない
635日本@名無史さん:2009/01/03(土) 12:41:26
>>631
死ね
636日本@名無史さん:2009/01/03(土) 12:46:40
>>635
自殺教唆
逮捕
637日本@名無史さん:2009/01/03(土) 12:54:32
代官の倅たちが田安近習になってるよ
638日本@名無史さん:2009/01/03(土) 13:32:14
なんで代官なんぞの話してるのかよーわからんが、
どうせなら代官のような下級官吏より勘定奉行や町奉行の話をした方が有意義だと思う。

スレ違いだが。
639日本@名無史さん:2009/01/03(土) 14:25:15
有意義でもない
どっちみちスレ違い
640日本@名無史さん:2009/01/03(土) 14:46:19
  ┌━┐    ┌━┐
  ┃┌╋──╋┐┃
  └╋┘    └╋┘
    ┃ ・   ・  ┃        ┌━━┐
●━╋┐    ┌╂━━━━╂┐  ┃
└━┷┴━━╂┘        └╋━┘ 馬鹿にはできないコピペです
          ┌╋┐        ┌╋┐
          ┃└╋╋━━╋╋┘┃   コピペしてみやがれ
        ┃  ┃┃    ┃┃  ┃
        └━┘┘   └└━┘
641日本@名無史さん:2009/01/03(土) 15:15:01
跡部良弼の経歴

大坂東町奉行
大目付、分限帳改兼帯
勘定奉行公事方
道中奉行兼帯、日光東照宮参詣御用取扱兼帯
江戸南町奉行
小姓組番頭
留守居
留守居格大目付、分限帳改及び海防掛兼帯
宗門改兼帯
留守居格江戸北町奉行

留守居格清水卿支配 ←ココ

留守居、皇女和宮江戸下向並びに縁組御用取扱兼帯
側衆を兼帯
側御用取次側衆
無役にて菊間縁側詰
留守居上席
側衆格留守居
若年寄
無役にて菊間縁側詰
642日本@名無史さん:2009/01/03(土) 15:32:44
側衆とか側御用取次というのは将軍側近の要職であり、
留守居は旗本が就任できる最高ランクの役職。

留守居で側衆兼帯とか側御用取次とか側衆格留守居というのは、
大名役の若年寄への昇進を除けば旗本としては最高の出世。
643日本@名無史さん:2009/01/03(土) 15:40:11
  ┌━┐    ┌━┐
  ┃┌╋──╋┐┃
  └╋┘    └╋┘
    ┃ ・   ・  ┃        ┌━━┐
●━╋┐    ┌╂━━━━╂┐  ┃
└━┷┴━━╂┘        └╋━┘ 馬鹿にはできないコピペです
          ┌╋┐        ┌╋┐
          ┃└╋╋━━╋╋┘┃   コピペしてみやがれ
        ┃  ┃┃    ┃┃  ┃
        └━┘┘   └└━┘

できましたが、何か?
644日本@名無史さん:2009/01/03(土) 15:42:52
>>642
>留守居で側衆兼帯とか側御用取次とか側衆格留守居というのは、
>大名役の若年寄への昇進を除けば旗本としては最高の出世。

あんたはいつもそうやって叫ぶことしかしてないから説得力がないんやろw
読んでいる人が、「なるほど、最高の出世だな」と思えるような「具体的な
内容」を出せや。
それで終わりにしろよ、見苦しいw
645日本@名無史さん:2009/01/03(土) 15:45:57
>>642
少しは>>504を見習えよ
646日本@名無史さん:2009/01/03(土) 16:03:49
>>629
>数十人いる郡代代官の管理石高を一纏めにしてる点でアホ
お前は妄想を見てるのか? 誰がそんな主張をした??
いつもいつも相手の主張していないことを突っ込んで、冬厨どころかデンパじゃねえか。
647日本@名無史さん:2009/01/03(土) 16:05:10
>>644
単にお前の知識が貧弱なだけじゃん。
648日本@名無史さん:2009/01/03(土) 16:06:56
幕臣スレでやれよ
クズがアホが!!
649日本@名無史さん:2009/01/03(土) 16:09:24
>>629
>代官つーのはね、150俵とりの下級職でね、部下も数人程度。
>遠隔地じゃなけりゃ現地赴任する必要がない程度の簡単なお役目なんだわ。
>なったところで自慢にならんし、有能な人間が好んでつくような仕事じゃない。

あんたはいつもそうやって叫ぶことしかしてないから説得力がないんやろw
650日本@名無史さん:2009/01/03(土) 16:11:31
郡代・代官の赴任地の多くは遠隔地だから現地赴任が基本。在府の方が例外。
651日本@名無史さん:2009/01/03(土) 16:14:56
日本語解らないの御三家か幕臣でやれって文盲が!!
652日本@名無史さん:2009/01/03(土) 16:16:00
>>651
デンパの君がひっこめば、自然にスレは正常化するよ?
653日本@名無史さん:2009/01/03(土) 16:17:30
大名、譲歩して超上級旗本の範疇思いっきり逸脱しているじゃん
アホかとゴミかと
654日本@名無史さん:2009/01/03(土) 16:25:23
学問や歴史騙る前に人間として終わっているよね。
二人とも
655日本@名無史さん:2009/01/03(土) 16:41:59
もうただの荒らしとしか思えん
656日本@名無史さん:2009/01/03(土) 17:26:14
じゃあグダグダは終了ってことで。
657日本@名無史さん:2009/01/03(土) 17:27:38
最も地味な大名は西大路藩市橋家とかなってたけど、新見藩関家ってのはどうよ。
658日本@名無史さん:2009/01/03(土) 17:47:07
もっとも派手な大名ってどこだよ
一時期輝いたとかじゃなくて総合で
659日本@名無史さん:2009/01/03(土) 18:05:50
紀州藩じゃね? 将軍2回出してるし。
660日本@名無史さん:2009/01/03(土) 18:06:42
>>646
>幕府領のうち知行取り旗本領を除く数百万石の年貢徴収業務を行った。

しかしひとりあたりの支配は数万石でしかないというこの現実。
もちろん大名のように軍役用の士卒を養ってるわけでもないから部下はほんの数人・・・。
661日本@名無史さん:2009/01/03(土) 18:23:02
石高の割りに話題に事欠かない上杉家も派手だよ。
662日本@名無史さん:2009/01/03(土) 18:25:07
数万石といえば小大名に匹敵するからな。その徴税・訴訟業務の実質的権限を
たった1,2人程度の代官が負っているわけだ。これほど重要な業務を下層旗本が
担うわけだ。

にもかかわらず、基本の理解できない冬厨は、「下層旗本が就くがゆえに、その業務も
きっと取るに足らないものだったに違いない」とか寝言をほざく。

手間がかかって仕方がない。
663日本@名無史さん:2009/01/03(土) 18:27:09
>>661
いくらなんでも将軍2回輩出にはかなわないんじゃね?
暴れん坊ってことで一般にも広く知られているしな。
664日本@名無史さん:2009/01/03(土) 18:39:47
三十三間堂の矢通しのような藩対抗のイベントって他に何かあったんだろうか。
矢通しは紀州と尾張の引き分けで決着だっけ。

幕初幕末はともかく、太平の世で武勇を誇るといったら赤穂のあれとか御家
騒動とかになっちまうしな。
665日本@名無史さん:2009/01/03(土) 18:48:09
>>663
まあ紀州あたりは存在自体が派手だからなw
御三家や加賀、薩摩あたりは別格じゃない?
個人的にはもっと地味でもいいはずなのに、何故か名前が知れ渡ってる藩を探したい。
666日本@名無史さん:2009/01/03(土) 19:08:26
一般人の認識では

水戸 > 紀州 > 尾張

という気がする。暴れん坊も放浪ジジイにはかなうまい。
667日本@名無史さん:2009/01/03(土) 19:10:16
石高に比して断然有名なのは赤穂だろうなあ
668日本@名無史さん:2009/01/03(土) 19:10:45
>>649
ないんやろw ないんやろw

急に取ってつけたなり済まし関西弁は見苦しいわ
669日本@名無史さん:2009/01/03(土) 19:16:44
>>668
それ、>>644の文章を拝借して皮肉に仕立て上げただけだからw
670日本@名無史さん:2009/01/03(土) 19:27:45
┃┃¨ 〜〜 ╋┓ !!
671日本@名無史さん:2009/01/03(土) 19:28:21
>>663
試験で「徳川吉宗は()将軍と呼ばれている」に
暴れん坊って書いて半分点貰った奴がいるよ
正解は当然違うわけで
672日本@名無史さん:2009/01/03(土) 19:30:26
>>671
「鷹」だっけ?
673日本@名無史さん:2009/01/03(土) 19:33:00
安土桃山や江戸初期の藩祖が生きてる頃はともかく
以降急激にカゲが薄くなる藩が多いよな
石高がでかいとかも関係なくて。
あと戦国武将やってた頃の人で有名じゃなかった人の子孫のほうが
江戸時代は活躍してるきがする(外様は警戒されてるから当然だが普代も)
幕末の薩長はまぁ置いておくとしても
それにしたって幕末時も著名な武将を藩租にもつ藩はおおむね大したことできなかった
藤堂が悪い意味でちょっと目立ったぐらい
674日本@名無史さん:2009/01/03(土) 19:33:42
>>672
米じゃね?なんとなく
675日本@名無史さん:2009/01/03(土) 19:43:38
確か「ブス好み将軍」だった気がする。
676日本@名無史さん:2009/01/03(土) 19:45:26
>幕末時も著名な武将を藩租にもつ藩はおおむね大したことできなかった

伊達はドンゴリだからな
677日本@名無史さん:2009/01/03(土) 19:47:26
藤堂については何となく藩祖のイメージぴったりの行動のような気がする。
高虎ってそれなりの人物だったんだろうけど、何かイメージがよろしくないなw
678日本@名無史さん:2009/01/03(土) 20:14:06
>>662
ほんとバカだなあ。
大名の仕事は軍役が基本。軍役のために領地与えられてんの。
数万石なんて軍役なけりゃ小身の旗本でも統治できる程度なわけだが。
それが重要重要ってw
そんな重要なお役目を小身者にさせるかってw
679日本@名無史さん:2009/01/03(土) 20:21:08
5万石の大名と5万石支配の代官、どっちが偉いの?
680日本@名無史さん:2009/01/03(土) 20:29:05
年貢取立てができなければ幕府も藩も立ち行かないことが理解できない冬厨。
家格の高低と職務の重要さの高低が区別できない冬厨。

どこまで恥の上塗りを繰り返すつもりなんだろう。
681日本@名無史さん:2009/01/03(土) 20:31:58
>>679
5万石の大名・・・従五位下 石高5万石
代官・・・無位無官 石高数百石

どっちが偉いかは自分で判断しろ
682日本@名無史さん:2009/01/03(土) 20:32:02
丹南藩主高木家最強伝説
683日本@名無史さん:2009/01/03(土) 20:39:14
>>680
>年貢取立てができなければ幕府も藩も立ち行かないことが理解できない冬厨。

ならば直接年貢徴収する子役人が一番要職なのか?

>家格の高低と職務の重要さの高低が区別できない冬厨。

重要な御役は家格も高い家臣がやるものだが。
そして重要な御役ほど役料も高い。
なんで足高の制などというものができたかわかってるのか?

>どこまで恥の上塗りを繰り返すつもりなんだろう。

自己紹介乙
684日本@名無史さん:2009/01/03(土) 20:46:47
まだ足掻くつもりなのか。

どこまで恥の上塗りを繰り返すつもりなんだろう。
685日本@名無史さん:2009/01/03(土) 20:48:58
武士の建前での重要さと、実質的な重要さの区別がつかない冬厨。

どこまで恥の上塗りを繰り返すつもりなんだろう。
686日本@名無史さん:2009/01/03(土) 20:50:15
>>683
話噛み合ってないなあ。
>>680がいいたいのは「代官が年貢集めないと財政がまわんないよー」
「代官は身分低いけど代官のお蔭で幕府はまわってるんだよー」
ってことでしょ。

代官の換えなんかいくらでもいるんだけどw


687日本@名無史さん:2009/01/03(土) 20:52:01
自動車は溶接しないと機能しない。
だから溶接工は要職である。

給料も社会的地位も低いが。
688日本@名無史さん:2009/01/03(土) 20:53:12
>代官の換えなんかいくらでもいるんだけどw

人気が高く競争が激しいことは指摘済み。
で、替えがいくらでもいることと職務の重要さとは、
一体何の関係があるといいたいのかねえ。

やれやれ。
689日本@名無史さん:2009/01/03(土) 20:55:58
>>687
www
それ馬鹿杉w
690日本@名無史さん:2009/01/03(土) 20:58:28
そういえばむかしは司法試験と行政書士の合格率が同じくらいじゃなかったっけ?
もちろん母集団のレベルが全然違うけど。
691日本@名無史さん:2009/01/03(土) 20:58:40
代官は収税業務だから、営業部門の現場統括責任者位のポジションか?
692日本@名無史さん:2009/01/03(土) 21:00:26
>>688
結論でました。

百 姓 が 一 番 重 要 で す

代官より百姓の方が要職らしい。
693日本@名無史さん:2009/01/03(土) 21:00:38
このスレもうだめだな。
694日本@名無史さん:2009/01/03(土) 21:00:57
旗本は基本的に正社員の総合職から管理職くらいの位置じゃねーの?
695日本@名無史さん:2009/01/03(土) 21:02:47
>>692
馬鹿理論を真面目に考えると確かにそういう結論になるのかも試練・・・。
696日本@名無史さん:2009/01/03(土) 21:05:54
百姓(米生産)>代官(※徴収)>勘定奉行(お勘定)>老中(ばらまく人)>将軍(むっちゃばらまく人)

こんな感じ?w
697日本@名無史さん:2009/01/03(土) 21:05:55
重要業務と最重要業務の区別がつかない冬厨。
徴税対象者と業務担当者の区別がつかない冬厨。
698日本@名無史さん:2009/01/03(土) 21:10:19
>>686
>代官の換えなんかいくらでもいるんだけどw

今の時代、大臣の替えなんかいくらでもいるんだけどw

こんな皮肉を書いても自分がバカ主張としていると理解できないのが冬厨クオリティ。
699日本@名無史さん:2009/01/03(土) 21:11:32
代官はそんな要職なのに何で給料低いの?
何で地位も低いの?
700日本@名無史さん:2009/01/03(土) 21:12:52
>>698
ひどい国に住んでるんだな。
701日本@名無史さん:2009/01/03(土) 21:17:55
>>698
総理大臣・・・替えがいくらでもいる
溶接工・・・替えがいくらでもいる

総理大臣=溶接工

ニッポンオワタorz
702日本@名無史さん:2009/01/03(土) 21:19:01
>>699
武士の建前として、役方よりも番方の方が上とされる。
代官は実権が大きく、経済的にも裕福になるからこそ、格を低くして番方の妬みをそらして
内紛が起きにくくするとともに、役方自身が人を糾合して反乱を起こすことを抑えている。

大大名が老中になれないのと同じ理由。大老は例外中の例外だ。
703日本@名無史さん:2009/01/03(土) 21:24:10
>>698
てめーも充分厨だよ。
704日本@名無史さん:2009/01/03(土) 21:27:06
>>703
かわいいなあ。
705日本@名無史さん:2009/01/03(土) 21:27:34
>>702
代官は役方の中でも下級なわけだが。
706日本@名無史さん:2009/01/03(土) 21:32:58
>>693
まあ冬休みが終われば落ち着くよ。
707日本@名無史さん:2009/01/03(土) 21:38:32
なんか三谷幸喜の「ラヂヲの時間」を思い出したw

御三卿が体制の中で好感をもたれていたのか
厄介者だったかがここまでウジ虫の粘着を生むとは。

厄介者説の人は立つ鳥後を濁さずじゃないのかね
もう書いていないようだし。
708日本@名無史さん:2009/01/03(土) 21:40:36
>>702
代官は賄賂取ること前提に給料を設定されてるの?
代官は給料あげると反乱おこすの?
709日本@名無史さん:2009/01/03(土) 21:42:36
>>707
普通に厄介者だろ。
なぜ独立させてもらえなかったと思ってるんだ?
なぜ次から次へと養子に出されたとおもってんだ?
710日本@名無史さん:2009/01/03(土) 21:47:43
>>708
とりあえず、そのアンカー先の文章を正確に把握することからはじめような。

>>709
お前に理解させられる優れた教育者はここにはいないと思うぞ。
711日本@名無史さん:2009/01/03(土) 21:49:00
そういえばこんな馬鹿もいたねー。

>541 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2009/01/02(金) 11:48:15
>松平定信が田沼意次を恨んでいたのも、「次期将軍候補の御三卿から、白河藩主(ごとき)の
>当主にさせられたから」だよな。

>御三卿が厄介者? バカジャネーノ?

厄介者だから追い出された。
厄介になる方はそりゃ出されたくない罠。
10万石と高い格式を失いたくないもん。
が、養ってる方にとっては厄介者wそんなこともわからないのかw

ニート(>>541)「いやだいやだ!出て行きたくないよ!ボクは厄介者じゃない!」
親「(>>541)や、お願いだからひとりだちしておくれ。家はもう裕福ではないんだから」
712日本@名無史さん:2009/01/03(土) 21:52:45
完全に反抗期の子供状態だな。
先生もう疲れたから、それくらいは自分で考えて頂戴。
713日本@名無史さん:2009/01/03(土) 21:54:49
>>708
むしろ兵を握ってる番方に高い給料与えたら反乱おこすんじゃね?w
兵力に経済力が結びつくわけだからw
714日本@名無史さん:2009/01/03(土) 21:56:30
>>712
一番馬鹿な思い込み君がなぜか先生を気取っている点。
715日本@名無史さん:2009/01/03(土) 22:02:12
播磨小野藩10代藩主一柳末彦が生涯独身を通した理由を教えてください。
正室・側室を置かないなんて藩主としてあるまじき行動だと思うのですが
716日本@名無史さん:2009/01/03(土) 22:09:32
そういえば正室に吉原の太夫を迎えた殿様がいたっけ。
名前は忘れたが。
717日本@名無史さん:2009/01/03(土) 22:10:10
>>709
一橋なんかすごいな。
長男から順番に養子に出されてる。
718日本@名無史さん:2009/01/03(土) 22:12:12
>>713
武力はより大きな武力によって抑えられる。政治力は実権を握られたら終わりだからな。
北条執権が将軍から実権を奪い、酒井忠清が同じことをしようとしたように。

幕政初期には、各地に豊臣方にシンパシーを持つ在地勢力が蠢動していた。代官は
そういった勢力に担がれかねないから、幕府としては警戒する必要があったわけだ。
豊臣寄り勢力が大人しくなっても、天皇がいる限りは対抗勢力が現れやすい点は
変わらないしな。
上方幕府領は京都代官や大坂代官、多羅尾代官などが所轄したが、それぞれの
代官所が担当する村々は、上方の大名旗本領並みに錯綜している。明らかに
上方に大勢力ができるのを警戒した配慮だ。
719日本@名無史さん:2009/01/03(土) 22:18:15
>>713
番方にはせっせと普請などを命じて反乱起こせなくしてるじゃん。
役方は兵力を司らないからこそまだしも金銭的に裕福でも危険性は
相対的に低い。
720日本@名無史さん:2009/01/03(土) 22:20:59
役方は本当に裕福だったの?
給料低いのに?
721日本@名無史さん:2009/01/03(土) 22:23:12
代官にしろ町与力にしろ、民に便宜を図る見返りが受けられる立場だからな。
その気になれば蓄財は可能。
722日本@名無史さん:2009/01/03(土) 22:26:02
小職は下民から
権門は大官から賄賂を取る。

役人の子はにぎにぎをよく覚え
723日本@名無史さん:2009/01/03(土) 23:11:21
町人からも税金を取ればいいのに、年貢しか徴収しない幕府って馬鹿?
というか、町人って無税なのか。丸儲けだな。
724日本@名無史さん:2009/01/03(土) 23:26:49

>>664

抱力士(相撲取り)もありそうな

それと家臣に名門家を抱えることかな
725日本@名無史さん:2009/01/04(日) 00:32:59
どんな職業も重要職に貴賎なしというのは
負け組が哀れな自分を慰めるように言う最後の言葉負け犬の遠吠え
そういうこと言いだしたら人間のおしまいだね
ダメな仕事はダメ
トイレ掃除とか
726日本@名無史さん:2009/01/04(日) 01:40:48
>>723
大きな住居に税がかかったり、
長屋所有には税金がかかったり、
大店や両替商や、
株が必要な職には税があったんじゃない?
つまり、金持ちからは徴収する、と。
それでも米本位制から脱却できなかったのは、
徳川が結局良くも悪くも、「三河の田舎者集団」だったから。
727日本@名無史さん:2009/01/04(日) 01:42:53
>>725
トイレ掃除は、
禅の最高峰「永平寺の基本」ですよ。
728日本@名無史さん:2009/01/04(日) 01:51:49
>>715
激動の時代に幼少期に相続して、
20くらいでさらに若い養子に譲っている。
それ以前に縁談をまとめる様子もなく、
それ以降もなし。ただ生存して、死んでいる。
推測にしかならないけど、
「二十歳だけど、とても藩主は務まらない人物。ってかこれが藩主だとマズイ」
と、周囲に判断された、まぁつまり、
心身どこかしらに問題があったのではないか、と。
729日本@名無史さん:2009/01/04(日) 02:33:30
>716
高尾太夫は歴代何人もいる。
で、お大名で高尾太夫をゲットしたのは、
浅野と榊原の二名がいる。
730日本@名無史さん:2009/01/04(日) 07:50:31
>>727
永平寺の「一番下っ端」が「修行で」やる仕事な
本当に貴賎がないなら高僧がやれよ
これがすべてを表してるだろう
731日本@名無史さん:2009/01/04(日) 08:05:17
高僧って小僧に面倒見てもらってたんだろ?
夜伽とかも命じてたんだろ?
いい身分だね。
732日本@名無史さん:2009/01/04(日) 08:07:54
中国で老僧が炊事をしているのを見て、若い者に任せたらどうかと言ったら、
これこそが禅の修行だと返されたってエピソードがあるよな。あれって道元だっけ。
733日本@名無史さん:2009/01/04(日) 08:29:16
室町時代は将軍大名の子弟は結構出家してた。
江戸時代はあまり出家は多くない。

この違いは?
734日本@名無史さん:2009/01/04(日) 08:49:18
>>732
そいつは本物だな
735日本@名無しさん:2009/01/04(日) 09:25:24
>>733
戦国までは、親子間でさえバンバン殺し合っていた時代。
例え普通に隠居しても、取り巻き同士が許さない。
隠居は家主を辞めたってだけのことで、まだ家には居るってことだからね。
あくまで争いを避けたければ「家を出る」しかない。
罪業を贖いたい、文化的なものを身につけたいって個人的な理由もあったろうけど、
家のほうから積極的にアジールに放り出されてきたというのが正しいんじゃないかな。
今でもそうだが、聖職者を殺すのは大変に嫌がられることだし、殺すよりはいい。
家のほうでも宗教界に影響を持たせられる人脈を築ける訳だし。

それでも戦国時代になると俗世の方が許さなかったこともある。
領国の情勢が危うかったら、剃髪しても(院政的に)指揮を執らざるを得ないし
宗教界は独立的な全国ネットワークがあったから、それと縁を持つのは、昔よりも更に
重要性が増してたりしたんだ。

さて、江戸時代になるとこういったお家騒動は領国全体の破滅に繋がる。
跡取りも(幕府の認可をとるという形での)公認制。
寺社は幕府の監督下に置かれ、個々の大名家の侵食的介入は無理になった。
切り離されたんだな。あぶれた師弟らは分家や他家の養子にさせられることになってしまい、
宗教界に入るのはごく個人的な理由を持つこういう人(↓)だけになってしまった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%9C%A8%E9%87%8D%E5%85%BC
736日本@名無史さん:2009/01/04(日) 10:38:44
髪の毛なんてハゲでもなけりゃいずれ生えてくるし
無くても対して生活に影響でないし
僧になって肉食うなとかセックルすんなとかも所詮倫理規定だし
そもそも出家だって戻ったら何か罰せられるわけでもないし
僧体でできないことはないので
その程度助命されるなら誰だって頭ぐらい何百回でも剃るだろ
たとえ俺がその立場になったらいくらでも剃るぞ
脚だってケツだって舐める
生きてりゃいずれ雪辱の機会もあるだろうし一時の感情で動くこともないだろう
737日本@名無史さん:2009/01/04(日) 10:45:41
戦う理由(相手を滅ぼす理由)なんて、どうにでも作れるもんだよ。
それを論じていても不毛なだけだが。
738日本@名無史さん:2009/01/04(日) 10:47:40
>>737
不毛なのはお前の頭なわけだが。
739日本@名無史さん:2009/01/04(日) 13:08:28
よく判ったなw
740日本@名無史さん:2009/01/04(日) 13:37:06
手間がかからないからそのまま出家せよ
741日本@名無史さん:2009/01/04(日) 16:37:12
ちょんまげだったら別にハゲても剃ってもあんま目立たないからいいよね
742日本@名無史さん:2009/01/04(日) 17:57:32
見事にスレが枯れてるな。何だよ禅宗の修行の話題って。
どうせスレチ状態ならいいかな。

御三卿付きが厄介者かどうかという話題があったけど、今見ていた資料に
それ関係の情報があった。元治元年の一橋家家老職関係の異動。

一色山城守:幕府勘定奉行 → 一橋家家老 → 幕府大目付
渡辺甲斐守:幕府書院番頭次席 → 一橋家家老
戸田能登守:一橋家家老 → 幕府留守居
平岡円四郎:側用人 → 一橋家家老
大井丹後守:幕府小普請支配 → 一橋家家老
松浦加賀守:勤仕並寄合 → 一橋家家老

どう見ても出世コースの頂点付近です。どうもありがとうございました。


743日本@名無史さん:2009/01/04(日) 18:15:15
>>742

慶喜が将軍後見になったタイミングでしょ>文久〜元治
同時期の田安家とからなら参考になったんだけど
ちなみにご先祖の名前が出ててちょっと嬉しい
744日本@名無史さん:2009/01/04(日) 18:41:33
糞味噌に御三卿けなしてた奴もいるからな。一橋慶喜付きですらしょぼいとかなんとか。
既に清水家付きの跡部の例も出てたし、これで十分じゃね?
745日本@名無史さん:2009/01/04(日) 18:51:32
三卿家老は格はあったからな。
ほとんど名誉職である留守居が格が高いのと同じ。
746日本@名無史さん:2009/01/04(日) 19:01:28
勘定奉行の後職が御三卿家老という人間が確認できるサイト。
幕末近くなると、勘定奉行の退任後に引退という人間が減って、最前線ポストへの
異動が多くなっている点に注意。

http://homepage1.nifty.com/kitabatake/rekishi40.html

747日本@名無史さん:2009/01/04(日) 19:01:36
>>730
ニートの屁理屈乙
748日本@名無史さん:2009/01/04(日) 19:09:35

突っこまれて悔しいのうw
749日本@名無史さん:2009/01/04(日) 19:11:02
>>745
それを言うなら老中筆頭も実質的にお飾りポスト。しかし、誰もが認める顕職ではある。
750日本@名無史さん:2009/01/04(日) 19:16:48
>>742
何が言いたいのかサッパリわからんけど、奉行〜クラスの役職は
短いスパンで転任を繰り返すことがよくある。
ただし適任だった場合を除く
751日本@名無史さん:2009/01/04(日) 19:20:06
>>750
「御三卿付きが厄介者かどうか」を判断できるデータ。そう書いてるだろ?
752日本@名無史さん:2009/01/04(日) 19:22:40
だから、跡部なんちゃらが留守居の格式で清水付支配を勤めた後、
家茂将軍の側衆やら側用取次やらやってる時点で、出世コースの頂点だろう。
側衆やら側用取次が実質的な要職なのは誰も文句ないよな。

普通はここまでいったら旗本としては上がりなんだけど、跡部の場合、
幕末のドサクサで最後は若年寄なんだよな。
753日本@名無史さん:2009/01/04(日) 19:24:22
>>743
出世コース中に田安家家老を歴任した水野忠徳あたりが、時期的にも
比較対象になりそうだ。田安家家老ののちに外国奉行などに転じている。
754日本@名無史さん:2009/01/04(日) 19:30:17
>>641
つまり出世の途中で御三卿家老のような閑職も務めてると言うことか。
と言うよりも留守居やったり大目付やったり町奉行やったり落ち着かん奴だな。
755日本@名無史さん:2009/01/04(日) 19:33:08
>>754の状況
<∩丶`∀´> アーアー聞こえない聞こえないニダ
756日本@名無史さん:2009/01/04(日) 19:37:03
跡部良弼
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B7%A1%E9%83%A8%E8%89%AF%E5%BC%BC

ふつーに役職のたらい回しだな。
757日本@名無史さん:2009/01/04(日) 19:39:35
>>751
え?それで何を説明してるって?
役職の変遷が書いてあるだけだが・・・。
758日本@名無史さん:2009/01/04(日) 19:45:41
>>756
跡部良弼
1839年大目付
1842年勘定奉行
1844年南町奉行
1845年小姓組番頭
1851年留守居
1855年留守居格大目付
1856年留守居格北町奉行
1858年留守居格清水卿支配
1860年留守居

出世の途中じゃなくってたらい回しの途中じゃん。
759日本@名無史さん:2009/01/04(日) 19:49:38
>>748
ニート乙
760日本@名無史さん:2009/01/04(日) 20:01:50
>>757
じゃあ、君には理解する能力がないってことでいいじゃん。
761日本@名無史さん:2009/01/04(日) 20:07:46
>>758
留守居の格式で清水付支配を勤めた後、
家茂将軍の側衆やら側用取次やらやってるんだが。
762日本@名無史さん:2009/01/04(日) 20:15:43
>>761
跡部良弼
1839年大目付
1842年勘定奉行
1844年南町奉行
1845年小姓組番頭
1851年留守居
1855年留守居格大目付 ←1839に就任済
1856年留守居格北町奉行 ←1844に南町奉行就任済
1858年留守居格清水卿支配
1860年留守居 ←1851年に就任済
1862年側衆 

どう見てもたらい回し中ですが。
763日本@名無史さん:2009/01/04(日) 20:25:20
清水卿支配って何やる役?清水家領の代官?
764日本@名無史さん:2009/01/04(日) 20:30:03
>>762
嘘は良くない。
「留守居を務めた後」家茂将軍の側衆やら側用取次やらやってるな。
765日本@名無史さん:2009/01/04(日) 20:45:31
たらい回しなんて言葉を使っている時点で、幕政の人事を全く理解してないよな。
766日本@名無史さん:2009/01/04(日) 20:49:39
>>763
清水家は1840年代後半から20年間、当主不在の空き屋敷だったが、
邸宅と領地と家臣はそのまま維持されていた。
当主不在の状況で、それらを管理していたのが清水卿(付)支配。要するに家老。

>>762
町奉行や大目付になった時点で、旗本役のうち、役方のトップをきわめたのだから、
以後も実質的な職掌のある役職につくためにはそれ以上の格式が必要。

留守居格大目付とか留守居格町奉行というのは、旗本最高位の留守居の格式のまま、
大目付や町奉行を務めるということ。
767日本@名無史さん:2009/01/04(日) 20:52:57
>>766
で、たらい回し中に清水もちょっとやってみました。
768日本@名無史さん:2009/01/04(日) 20:55:31
このスレ、ギャラリーには興味深い内容だが、やりとりの相手が冬厨だから
堂々巡りを繰り返すんだよな。

こいつ、いつになったら自分の醜態に恥を覚えるのだろう。
769日本@名無史さん:2009/01/04(日) 21:00:29
結局議論に負けたくないだけの屁理屈君だからな。
証拠w出してきてもあっさり自爆するw
真面目に議論してた人も馬鹿馬鹿しくなったのか居なくなっちゃったし。
770日本@名無史さん:2009/01/04(日) 21:04:50
>>766
じゃあ跡部良弼が家老やってた時代、清水家って当主いなかったの?
ということは空き屋敷とわずか10万石の管理業務しかやらないのか!

どう見ても閑職です。どうもありがとうございました。
771日本@名無史さん:2009/01/04(日) 21:14:37
御三卿にも番方はいるからね。その実態はあまり明らかになってないらしいけど。
当主がいないなら、むしろ10万石の所領の番方・役方の実質的最高責任者だから、
大名後見役くらいに相当する重職じゃん。
772日本@名無史さん:2009/01/04(日) 21:20:48
御三卿に軍役はあったの?
10万石なら2500人くらい?
そんな兵力が江戸城中にいたら危険だね。
773日本@名無史さん:2009/01/04(日) 21:24:39
>>770
しかも将軍ではなく「将軍の家族」の空き家管理だからなあ。
774日本@名無史さん:2009/01/04(日) 21:32:23
>>772
バカじゃねーの
775日本@名無史さん:2009/01/04(日) 21:35:46
軍役の定数を平時からそろえている藩はほとんどなかっただろうなあ。
だからこそ、一橋も農兵の導入などへの切り替えができ易かったのかもね。
776日本@名無史さん:2009/01/04(日) 21:37:28
とりあえず厄介の語源を調べてみた
うーむ・・・
777日本@名無史さん:2009/01/04(日) 21:42:58
「御三卿付きも御三卿と同じく厄介者」という主張が発端だから、
語源の意味では解釈できないだろうね。

冬厨は狂喜乱舞して馬鹿の一つ覚えのように繰り返すかもしれないけど。
778日本@名無史さん:2009/01/04(日) 21:50:15
まだやってんのかよ
どうでもいいからいいかげん両方とも死ねよもう
779日本@名無史さん:2009/01/04(日) 21:51:58
>>777
あんたそのネタにずいぶんご執心だけど、実は誰もそんなこと言ってなかったりする。
780日本@名無史さん:2009/01/04(日) 21:58:24
>>779
そいつは思い込みの激しい奴だから何言っても無駄。
781日本@名無史さん:2009/01/04(日) 22:14:39
分部って嗣子なかったのになぜか改易も減封もされてないよな
幕府の覚えがめでたかったのかな
782日本@名無史さん:2009/01/04(日) 22:17:00
【改易一覧(無嗣廃絶)】
小早川(岡山57万石)、武田信吉(水戸15万石)、堀(蔵王堂4万石)、松平忠吉(清州52万石)
稲葉(豊後内1万4千石)、中村(米子17万石)、金森(上有知2万3千石)、平岩(犬山12万石)
松平(吉田3万石)、大久保(沼津2万石)、奥平(加納5万石)、藤田(西方1万5千石)
大久保(大垣新田1万石)、伊奈(小室1万石)、田中(柳川32万5千石)、由良(牛久1万石)
成田(烏山1万石)、西尾(揖斐2万5千石)、本多(白井1万石)、内藤(勝山3万石)
根津(豊岡1万石)、本多(播磨内10万石。千姫の夫)、蒲生(会津60万石)、桑山(御所2万6千石)
酒井(左沢1万2千石)、織田(野村1万石)、池田(赤穂3万5千石)、三浦(下総内1万石)
堀尾(松江24万石)蒲生(松山24万石)、菅沼(加納10万石)、本多(高取2万5千石)
佐久間(飯山3万石。盛政の弟の曾孫)成瀬(栗原1万5千石)、真田(沼田3万石)、本多(榎本2万8千石)
池田(松山6万5千石)、堀(村上10万石)、松平(姫路新田3万石)皆川(常陸府中1万3千石)
真田(信濃内1万7千石)、松平(小諸4万5千石)、菅沼(亀山3万8千石)、古田(浜田5万5千石)
織田(柏原3万6千石)、本多(大和内4万石)、杉原(豊岡1万石)、日根野(豊後府内2万石)
山崎(丸亀4万5千石)、北条(掛川3万石。地黄八幡の家系の養子に来た保科の子)、松平(皆川1万石)
池田(福本1万石)、酒井(大山1万石)、松平(母里1万石)、池田(山崎3万石)、徳川徳松(舘林25万石)
遠藤(郡上八幡2万4千石)、小出(陶器1万石)、小出(出石4万5千石)、森(津山16万7千石)
本庄(高森2万石)、小笠原(中津4万石)、浅野(三次5万石)、黒田(直方5万石)
浅野(三次5万石。2度目)、本多(郡山5万石)、松平(梁川3万石)、酒井(姫路新田1万石)
783日本@名無史さん:2009/01/04(日) 22:17:59
【改易一覧(それ以外の理由)】
天野(興国寺1万石、怒って出奔)、津田(御牧1万3千石。女のこと)、稲葉(清水1万2千石。女のこと)
筒井(伊賀上野20万石。酒の飲みすぎ)、前田(八上5万石。発狂。玄以の子)、桑山(谷川1万石。秀忠に嫌われる)
小笠原(笠間3万石。不正がばれた)、木下(足守2万5千石。弟と争う)
松平(浜松5万石。囲碁でおきた喧嘩を仲裁しようとして殺される)、松平(三河内1万石。家臣が松平さんを殺す)
皆川(飯山7万5千石。忠輝を御しきれず)、堀(越後45万石。家中争議)、有馬(日之江4万石。岡本大八事件)
山口(牛久1万石。息子が無断で結婚)、里見(板鼻1万石。職務怠慢)、富田(宇和島12万石。宇喜多左門をかくまう)
石川(松本6万石。大久保長安事件)、高橋(延岡5万石。富田に連座)、大久保(小田原6万5千石。本多とかにしてやられる)
佐野(佐野3万9千石。富田に連座)、里見(安房12万石。大久保に連座)、石川(信濃内1万5千石。松本藩に連座)
豊臣(大坂65万石。敗戦)、古田(松坂1万石。豊臣加担)、福島(松山3万石。豊臣に米をやった責任を押し付けられ)
織田(林1万石。信包の遺領をよこせと言って怒られた)、松平忠輝(高田60万石。不行跡。1984年にやっと赦免)
坂崎(津和野4万石。首取られる)、村上(村上9万石。家中揉める)、関(黒坂5万石。家中で揉める)
福島(広島49万8千石→川中島。武家諸法度違反)、最上(山形57万石→大森。家中で揉める)、本多宇都宮15万石。釣り天井)
松平忠直(福井67万石。暴れる)、田中(近江内2万石。子孫が発狂)、青山(岩槻4万5千石。家光に嫌われる)
徳永(高須5万3千石。大坂城の石垣作りをさぼる)、別所(北由良2万石。仮病で出仕せず鷹狩りをしていたのがばれた)
脇坂(美濃内1万石。喧嘩して斬られた)、加藤(熊本52万石。息子が馬鹿なことする)、徳川忠長(駿府55万石。切腹)
朝倉(掛川2万6千石。忠長に連座。朝倉景鏡の甥)、鳥居(谷村3万5千石。忠長に連座)
酒井(生実2万5千石。病気名義で休んでるのにセックスして家光に怒られた)、竹中(府内2万石。密貿易)
784日本@名無史さん:2009/01/04(日) 22:18:44
【改易一覧(その他の理由2)】
寺沢(唐津12万石。天草没収のショックで自害)、松倉(島原4万石。島原の乱。切腹ではなく斬首)
松下(三春3万石。乱心。加藤の連座。之綱の孫)、池田(赤穂3万石。黒田長政の娘の正室をぶった斬る)
稲葉(福知山4万5千石。発狂して鉄砲自殺)
松平(刈谷2万石。困窮する旗本を助けたいので所領返上したと言ったのでこいつ頭おかしいとされる)
堀田(佐倉11万石。書状を提出して勝手に国元へ変える)、一柳(西条2万5千石。幕命の工事をさぼる)
京極(宮津7万8千石。年貢もっとよこせと自領の村を村人ごと潰す)、水野(安中2万石。発狂)
高力(島原4万石。よりによって島原で苛政を敷く)、伊達(一関3万石。伊達騒動)
内藤(鳥羽3万3千石。永井さんをぶった斬る。21年後に似たようなことする浅野さんのおじ)
加々爪(掛塚1万3千石。旗本との境界争い)、松平光長(高田26万石。家中で揉める)
真田(沼田3万石。苛政に怒った領民が工事をさぼる)、酒井(田中4万石。忠清に連座)
桑山(新庄1万石。勅使に無礼なことをする)、土屋(窪田1万8千石。藩主弟が当主の座を求め藩主の側室を射殺)
有馬(松崎1万石。土屋に連座)、稲葉(青山1万石。堀田正俊殺害。本人もそばにいた大久保さんにぐちゃぐちゃに斬られる)
松平(佐貫1万5千石。綱紀粛正)、松平(47万5千石。発狂して家臣を斬る)、溝口(沢海1万石。酒乱)
那須(烏山2万石。家中で揉める)、佐久間(長沼1万石。仮病で出仕をさぼったのがばれた)
喜多見(世田谷区喜多見2万石。親戚の刃傷に連座)、山内(中村3万石。病気で若年寄辞めたいといったら綱吉が切れる)
785日本@名無史さん:2009/01/04(日) 22:19:23
【改易一覧(その他の理由3)】
本多(岩瀬1万石。侍女たちを殺す)、本多(丸岡4万3千石。家中が揉める。鬼サクザの子孫)
伊丹(徳美1万石。精神崩壊して便所で自害)、伊達(水沢3万石。旗本の岡さんと殴り愛)
浅野(赤穂5万石。吉良さんに斬りかかる)、松平(長島1万石。重臣3人を切腹させその子らも処刑)
前田(大聖寺新田1万石。織田さんを刺殺す。前日に家臣に確実に殺す方法をさりげなく質問)
毛利(徳山4万5千石。万役山事件)、水野(松本7万石。毛利さんを松の廊下で攻撃)
金森(郡上八幡3万8千石。失政)、本多(相良1万石。金森に連座)。小堀(小室1万石。田沼失脚の巻き添え)
松平(宍戸1万石。天狗党鎮圧に失敗。切腹)、林(請西1万石。新政府に立て付く)
786日本@名無史さん:2009/01/05(月) 01:33:01
理由部分に間違いが多いなこれ。
あと朝倉は越前朝倉との関係は、自称ってだけ。
787日本@名無史さん:2009/01/05(月) 06:02:56
>>779-780

ちゃんと>>530の最後の行で主張してる奴がいる。指摘しても惚けまくって
誤魔化そうとしていたけどな。
788日本@名無史さん:2009/01/05(月) 06:10:21
>>783
女のことが理由で改易ってのは笑えるけど、江戸後期にも、足守藩木下氏は
参勤交代で愛妾二人を同行させたのが大目付にバレて、危うく改易になるところを
家臣の切腹と当主隠居でごまかし、所領の大半を生産力の低い奥州に移されて
なんとか改易は免れたんだよな。
789日本@名無史さん:2009/01/05(月) 06:48:20
>>781
近江大溝藩?
寛文年間なら、たしかに譜代の勲功のある家でも取り潰しのあと旗本取立てとか
やってる時期かな。
790日本@名無史さん:2009/01/05(月) 06:54:00
>>787
>>530は「本質的な意味」で書いているんだ。
あなたのは「表層的な意味」で書いている。従って延々とかみ合わないんだ。

「本質的な意味」というのは、例えば旧国鉄の例で考えてみればわかるのではないか?
国鉄にも有能な鉄道マンはいたことだろう。また国鉄のJR民営化の際、清算事業団に組み込まれた人間の中にも。
しかし社会的には、それらはやはり経済社会の中で無駄なコストを生み、生産性でも発展性においても整理されるべき存在だった。
その存在が整理されれば、より発展的な段階であると評価される。

そういう状況で「いや清算事業団にも優秀な職員はいた」とか、或いは清算事業団に国から派遣されてきた過去に良い職歴をもった人間がいたことを挙げて
「清算事業団はトップクラスの職歴」
なんて主張しても始まらない。

歴史を考える人の中には、ややもすると「表層」の現象からしか意味を考えられない人が多いけれど、現象を本質的に考えるように努力してみては如何だろうか?
御三卿は、ある意味享保の改革の一環として実施されたもの。従ってその位置づけには改革の発想が込められている。
しかし、決して「成功例」とは評価できない面もある。

結局、御三卿は一時しのぎでしかなかった。やはり将軍家、大名家の「庶流」といえども、究極は大名諸侯または将軍家の継承を目指すことになってしまったんだ。
それは二つの結果を生んだ。

ひとつは、やはり御三卿から大名家へと養子に出ること。これでは、部屋住みのままから直接行った方が無駄がないということに。
その路線を行ったのが徳川家斉だ。
もうひとつは将軍後継者をめぐる暗闘が極めて混迷する契機となったこと。

それと本質的に改めて浮かび上がったのは幕府(大名家でも同じだと思う)、更には国家機関が人員整理をすることがどれだけ難しいことであるかということだろう。
これは今日の政府や自治体においても変わらない問題だ。
791日本@名無史さん:2009/01/05(月) 07:33:08
御三卿が当初から自他共に将軍候補と目されていたことをスルーして
珍説を展開しないように。

松平定信が田沼によって養子に出されたことを後々までうらんでいたこと
一つをとっても明らか。御三卿は「厄介者」ではなく、将軍候補だからこそ
「対抗勢力にとって厄介な存在」であり、だからこそ政争に巻き込まれて
養子に出されたり、御三家から次々に養子として送り込まれていたわけだ。

御三卿の本質を理解してから、本質的な意味を語りたまえ。
792日本@名無史さん:2009/01/05(月) 07:37:20
家の存続には後継者の確保が最重要課題。複数の候補が存在することで
内紛が起こるのを避ける処置は二の次だ。

御三卿の存在によって後継者確保システムがきっちり確立されているからこそ、
君の目には二の次の問題のほうしか目に入ってないだけじゃないのかね。
793日本@名無史さん:2009/01/05(月) 08:09:20
御三卿ネタはスレ違いじゃね?
多少ならいいが本格的に展開するなら御三家御三卿スレでやってくれよ。
交代寄合スレみたいに本筋を枯らすのはよそうぜ。
794日本@名無史さん:2009/01/05(月) 08:19:38
>>791
お前さんその定信ネタ好きだね。
厄介=相続権も奪われるとでもおもってんの?
将軍の家族としてキープされてるんだから相続権ある将軍候補に決まってるじゃん。
一体だれが相続権まで剥奪されたと言った?
たとえば部屋住み飼い殺し状態の井伊直弼だって兄貴の厄介になっているだけで
相続権を奪われたわけだはない。譜代の重鎮井伊家の坊ちゃんのままなわけだが。
飼ってもらってる側からすれば将軍家族の身分で高い官位も与えられ、領地ももらえる。
井伊直弼みたいにわずかな捨て扶持ではなく、10万石な。居心地も良いだろう。
一方飼ってる側はどうなんだ?特に家重−家治期なんかどうなんだ?
自分たちの地位を脅かした連中が目と鼻の先にのさばっている。
そんな奴の面倒見てやらなければいけない。どう見ても厄介だわな。
将軍候補は御三家だっているし。

というか、こいつ世の中○か×かしかないとでもおもってんの?
世の中はお前が思ってるほど単純じゃないんだよ。
795日本@名無史さん:2009/01/05(月) 09:55:18
御三卿が単なる部屋住みの厄介ものなら、対抗勢力の陰謀で大名家に養子に出されたり、
時期将軍の座を狙って政治的に暗躍できるわけがないじゃん。

御三卿には将軍後継としての高い順位、それにふさわしい高い官位、経済的に豊かな地位と、
創設者の吉宗は想定していたかは疑問だが、幕政に大きな影響力を及ぼせる立場も加わって
いる。

御三卿を厄介者とみなす実態はどこにもない。繰り返すが、幕政に大きな影響力を及ぼせる
立場だ。この実態があるからこそ、御三家までが御三卿に人を相継いで押し込んだわけだ。
お前が厄介者とみなしている者の実態は、繰り返すが「対抗勢力にとって厄介な存在」
でしかない。この両者の区別がつかないのかねえ。

というか、こいつ世の中○か×かしかないとでもおもってんの?
世の中はお前が思ってるほど単純じゃないんだよ。
796日本@名無史さん:2009/01/05(月) 10:11:44

こいつほんと脳味噌ついてるの?
誰も「単なる厄介者」なんて言ってないのにねぇ。
他人の文章勝手読みして妄想で突っ走る。
それを指摘されても全然わからない。
壊れたレコードのように同じことを繰り返す。
ほんと低脳だわ。
797日本@名無史さん:2009/01/05(月) 10:27:17
そもそも「厄介」の意味がわかってないんじゃね?
邪魔者いるだけ無駄全くの役立たず・・・とかだと思い込んで暴れてるだけだと思われ。
798日本@名無史さん:2009/01/05(月) 10:46:43
結局、>>776-777の通りになったな。
799日本@名無史さん:2009/01/05(月) 10:51:20
実質的部屋住み飼い殺し扱いだった井伊直弼と、御三卿とを一緒にして語っている以上、
明らかに>>794>>797が言っている意味で使ってるな。

都合が悪くなるとすくにこのザマだ。
800日本@名無史さん:2009/01/05(月) 10:53:51
元から勝手読みしてたやつが何いってんだかw
どうせ途中で自分の過ちに気付いて予防線>>797張ってたんだろ。
まあ恥の上塗りだな。
801日本@名無史さん:2009/01/05(月) 10:55:49
おっと>>797じゃなく>>777だった。
馬鹿なみのケアレスミスw
802日本@名無史さん:2009/01/05(月) 10:59:03
>>795
>御三卿が単なる部屋住みの厄介ものなら、対抗勢力の陰謀で大名家に養子に出されたり、
>時期将軍の座を狙って政治的に暗躍できるわけがないじゃん。

単なる部屋住みって何?将軍家族なんだから相続権もあるし将軍に継嗣がいなければ
家督をめぐって暗躍もするだろうな。それと厄介とは全然別問題。
一橋宗尹の子は上から順に養子に出され、田安宗武の子は後継者もいないのに
養子に出されて明屋敷。

>御三卿には将軍後継としての高い順位、それにふさわしい高い官位、経済的に豊かな地位と、
>創設者の吉宗は想定していたかは疑問だが、幕政に大きな影響力を及ぼせる立場も加わって
>いる。

もとから家族なんだからそれなりの地位を与えられてて当たり前。が、御三家や忠長、
甲府館林のような石高や独立までは与えられなかった。所詮将軍家のニート。
もちろん将軍家の相続権はあるから将軍家が絶えそうになれば人も寄ってくる。
それだけのこと。

>御三卿を厄介者とみなす実態はどこにもない。繰り返すが、幕政に大きな影響力を及ぼせる
>立場だ。この実態があるからこそ、御三家までが御三卿に人を相継いで押し込んだわけだ。
>お前が厄介者とみなしている者の実態は、繰り返すが「対抗勢力にとって厄介な存在」
>でしかない。この両者の区別がつかないのかねえ。

どう見ても厄介者です。元より制度として幕政に影響力を発揮する立場にありません。
御三卿は基本的に人を養子として出す立場です。
対抗勢力関係なく養子に出されてます。

>というか、こいつ世の中○か×かしかないとでもおもってんの?
>世の中はお前が思ってるほど単純じゃないんだよ。

自己紹介乙です!
803日本@名無史さん:2009/01/05(月) 11:13:21
>>802
>単なる部屋住みって何?
逆にこっちがお前の言い訳を聞きたいけどな。
厄介者という用語に関係した線引きならば、実際的に家政(幕政や藩政)に
介入できるか否かだろう。井伊直弼は当初、その機会が与えられずに
居候状態だった。

>御三卿は基本的に人を養子として出す立場
結局、御三卿が後継者としての人材プール目的で創設されたってことを
理解できないわけかよ。養子に出すのが目的なら、御三卿なんて創設せずに
部屋住みの状態で待機させりゃ良い話。家斉の大量の子供のようにな。
御三卿の根本を理解できていない事に早く気づけ。バカにも分かるように二度
書いてやるが、「養子に出すのが目的なら、御三卿に入れずに家斉の子供たちの
ように部屋住みの状態で待機させりゃ良い話」なんだよ。

御三卿の家中のシステムが幕府の制度の縮小版なのも、将軍になった場合に
備えての訓練の意味もあるかもしれんな。部屋住みではその機会がないし。
804日本@名無史さん:2009/01/05(月) 11:18:08
一橋にいたっては、御三家から養子を「受け入れて」いるのになw
805日本@名無史さん:2009/01/05(月) 11:26:55
>>803
>厄介者という用語に関係した線引きならば、実際的に家政(幕政や藩政)に
>介入できるか否かだろう。井伊直弼は当初、その機会が与えられずに
>居候状態だった。

井伊直弼は兄貴がピンピンしてたから藩政に口出ししにくい立場だった。
御三卿も将軍がピンピンしてればとてもじゃないけど口出しできる立場にないな。
まさに居候。

>結局、御三卿が後継者としての人材プール目的で創設されたってことを
>理解できないわけかよ。

はぁ?誰がそのことを否定したよ?もっともあくまで後継者用の檻だから必要ない奴は
ガンガン養子に出されて明屋敷にされまくったけどな。

>養子に出すのが目的なら、御三卿なんて創設せずに
>部屋住みの状態で待機させりゃ良い話。家斉の大量の子供のようにな。
>御三卿の根本を理解できていない事に早く気づけ。バカにも分かるように二度
>書いてやるが、「養子に出すのが目的なら、御三卿に入れずに家斉の子供たちの
>ように部屋住みの状態で待機させりゃ良い話」なんだよ。

養子に出すのか目的って?何ですか、それは?気でも狂ったのか?またまた勝手読み。
勝手読みして他人を罵倒する。ほんと狂犬だわ。
806ぴーす ◆TfYI6zaOr. :2009/01/05(月) 11:29:17
津田信成のは酔っ払って婦女暴行っしょ。
807日本@名無史さん:2009/01/05(月) 11:53:10
養子に出すのが目的で御三卿は創設された??
そりゃまたすごい解釈だな・・・。
808日本@名無史さん:2009/01/05(月) 11:59:06
御三卿に関しては、吉宗が息子二人に屋敷と賄い料を与えて創設した当初と、
家斉以降の時代とでは存在意義がかなり変化してるんじゃないのか?

あと、家斉時代以降では、当時の将軍家の実家である一橋家とその他の家では、
当主が亡くなった場合の扱いが随分ちがうような。
一橋家は次から次に養子を送り込んで何がなんでも継続させようとしていたが、
清水なんて空き屋敷になったり、養子が入ったり出て行ったりで断続的だしね。
(慶喜が水戸から入ったのは、家斉系の直系卑属が全滅に近い状態だったので仕方ない)
809日本@名無史さん:2009/01/05(月) 12:04:35
井伊家の史料によれば、安政の大獄の頃、井伊大老サイドから
津山の隠居になってた斉民を徳川家に復帰させて清水家を相続させ、
将軍後見職にしようという働きかけがあったようだ。
810日本@名無史さん:2009/01/05(月) 12:39:13
御三卿のことはもうおなかいっぱいです松茸さん
811日本@名無史さん:2009/01/05(月) 14:50:10
知識があるだけでは人は尊敬してくれるとは限らないということか。
812日本@名無史さん:2009/01/05(月) 18:13:52
ましてや知識もなく思い込みで他人を罵倒するようでは・・・。
813日本@名無史さん:2009/01/05(月) 21:08:37
派手な大名マダー?
814日本@名無史さん:2009/01/05(月) 21:20:10
>>813
丹波峰山藩京極備前守家
815日本@名無史さん:2009/01/05(月) 21:24:18
十二代将軍家慶の治世、将軍の意向に逆らって野に下った男が、自由闊達に生きていた。その名は松平長吉郎長頼。家定と将軍を争って失脚した、津山少将斉民の忘れ形見である
816日本@名無史さん:2009/01/05(月) 21:44:03
御三卿は御三卿のスレがあるんだが・・・
817ぴーす ◆TfYI6zaOr. :2009/01/05(月) 22:00:09
豊臣秀頼
818日本@名無史さん:2009/01/05(月) 22:49:36
派手な大名
尾張大納言宗春、榊原式部大輔政岑、峰山侯京極備前守
819日本@名無史さん:2009/01/05(月) 22:52:58
何といっても島津重豪
820日本@名無史さん:2009/01/05(月) 23:01:48
>>808
いや水戸家は御三家として、家斉の養子攻勢を耐え抜いた家じゃないのかな。
御三家や外様の蜂須賀家まで家斉の養子を押し付けられ、姫の嫁入りに至っては
加賀の前田家(赤門だな)や薩摩の島津家まで。
(もっとも島津家は結構能動的に受け入れていた。逆に家斉に正室(後の広大院)
更には家定の正室(篤姫=後の天璋院)と相互交流という形だ。)

水戸家も嫡流が絶えたが、断固として家斉からの養子を拒否し、部屋住だった
斉昭を藩主に立てた。
水戸斉昭は形骸化した一橋に逆に養子として有望な七男を送り込んだ。
逆襲だろうな。
821日本@名無史さん:2009/01/06(火) 00:11:43
地味
備中岡田藩・伊東家
河内麻田藩・青木家
822日本@名無史さん:2009/01/06(火) 00:26:06
どっちもスパイ上がりだな
823日本@名無史さん:2009/01/06(火) 00:30:19
藩主の数が一番多かった藩と少なかった藩は?
824日本@名無史さん:2009/01/06(火) 00:46:59
諸藩の中で万石以上の領地を持っていた武士は諸侯になるのかな?
825日本@名無史さん:2009/01/06(火) 01:20:31
従五位下より上なら、諸候じゃね?
826日本@名無史さん:2009/01/06(火) 01:29:48
峰山京極の、どのへんが派手?
827日本@名無史さん:2009/01/06(火) 02:33:30
大名の位階受領の話しはつまらんね
828日本@名無史さん:2009/01/06(火) 02:36:30
長袖寺社権門に武家が飼い犬の如く這いつくばっていたのは保元平治までなのだ
829日本@名無史さん:2009/01/06(火) 04:14:17
>>827
おまいにとってつまらなくても当時は重要だっただろう。
830日本@名無史さん:2009/01/06(火) 06:33:10
>>808
田安は一度長期の明き屋敷になったが、勢力を拡大していた一橋から養子が入り、
更には一橋から家斉が出てためか、この両家は安定してる。養子に出るのは、
次代が確保される場合のみ。
清水は、当主がいなくなると、他の二家と違って領知は収公されていたらしい。

あと、他のレスで気になるのは、制度として定められてなければ、御三卿が幕政に
口を出しても迷惑なだけで、ゆえに厄介者という主張。
封建社会なんだから、格としては将軍の使いっパシリに過ぎない老中が、主筋の
意向を無視できるという発想自体が変だ。無視できるのは、主筋が主である将軍の
意向に相反するとき。もちろん将軍親政の場合は一族の押さえ込みが行われるけど、
日本の支配体制として、当主親政は常態ではない。政治は現代ほど制度に基づか
ないし。もちろん実権を握っているのは老中だから、将軍の承諾を得て、その格上の
主筋を養子として遠く離れた御三家に放り出すこともあるけど。
御三卿を厄介者とみなすのは、当時の価値観を無視して現代の価値観で断罪する
ことに他ならない。

>>807
>養子に出すのが目的で御三卿は創設された??
御三卿の解釈によってはむしろ、宗家と御三家に養子に出す目的で創設されたと
言えないこともない。さすがに、御三家は御三卿よりも格上だからね。宗家と
御三家以外に跡継ぎとして出た例ってあったっけ。
831日本@名無史さん:2009/01/06(火) 06:39:05
>>821
麻田藩は摂津豊嶋郡麻田村が本拠。河内に所領なし。
青木氏は、大坂の陣後の人心収攬のためにあの位置に置かれたらしい。
使者として城を出たときに捕虜になったから、大坂方勢力にも徳川の
幕下に就いたことも言い訳ができるしね。
832日本@名無史さん:2009/01/06(火) 06:46:05
旗本は官位につける立場になれば従六位スタートだっけ。
大身の陪臣の官位の扱いってどうなってたんだ? 単なる自称?
833日本@名無史さん:2009/01/06(火) 07:30:03
>>830
おまえほんと読解力ないな。

>あと、他のレスで気になるのは、制度として定められてなければ、御三卿が幕政に
>口を出しても迷惑なだけで、ゆえに厄介者という主張。

誰もそんなこと言ってねーっつーの。論理関係が滅茶苦茶。

>封建社会なんだから、格としては将軍の使いっパシリに過ぎない老中が、主筋の
>意向を無視できるという発想自体が変だ。

老中は幕府の長である将軍の命にしたがって幕政を総覧する役職であって
御三家御三卿その他将軍一族の指示に従う存在ではない。
封建社会において、将軍は封主。将軍の一族であっても所詮封臣にすぎない。
老中と同じく臣下の身。老中としては将軍一族の介入をはねつけて将軍の権威を守るのも務めのうち。
じゃあさ、3歳の将軍がいたとして、後見役でもない将軍一族の某が「江戸城天守を再建しろ!」と
騒いだら老中はそれを受け入れちゃうのか?馬鹿馬鹿しい。
将軍実父とかの特別の地位のない将軍一族の命なんか聞くわけねーだろ。少しは頭を使え。
834日本@名無史さん:2009/01/06(火) 07:53:39
御三卿の活動は、当時の価値観で認められていたことであり、制度上の
正当性は、将軍の意向によってどうとでもなる。老中よりも側用人が
実際的な権力を持っていた時期があるようにね。封建社会とはそういうものだ。
主筋の権威は、主が特に扱い・序列を定めない限り主に次ぐ。将軍が
定めた御三卿の序列は、官位やら詰間から判断すれば御三家に次ぐ。

>3歳の将軍がいたとして、後見役でもない将軍一族の某が「江戸城天守を再建しろ!」と
>騒いだら老中はそれを受け入れちゃうのか?
どう見ても相手の主張を超えた極論だ。

>将軍実父とかの特別の地位のない将軍一族の命なんか聞くわけねーだろ。
一族が命令を出すことはできないが、将軍一族の意向を家来は無碍にはできない。
相手の主張を捻じ曲げないように。
835日本@名無史さん:2009/01/06(火) 07:56:36
「御三卿は厄介者」という主張は、「武士は単なる人殺し集団」くらいの暴論であることに
早く気付いてもらいたい。
836日本@名無史さん:2009/01/06(火) 08:01:05
老中にとっては、御三卿は大奥と同じように大きな配慮を必要とする存在だったのかもね。
837日本@名無史さん:2009/01/06(火) 08:12:14
大奥は単なる将軍の嫁とそのおつきの者だから、きっと厄介者だな。
吉宗によって大量にお暇を出されているしw
838日本@名無史さん:2009/01/06(火) 08:23:52
「御三卿は『単なる』厄介者」だったらそうなるだろうなw
839日本@名無史さん:2009/01/06(火) 08:32:20
>御三卿の活動は、当時の価値観で認められていたことであり、制度上の
>正当性は、将軍の意向によってどうとでもなる。老中よりも側用人が
>実際的な権力を持っていた時期があるようにね。封建社会とはそういうものだ。

御三卿の活動って何のことだ?
つーか制度上の正当性などないことは認めるのかね?
将軍の意向云々というのならば、外様大名だって小姓だって権力もてるようになるわけだしな。

>どう見ても相手の主張を超えた極論だ。

別に極論でもないが。江戸城にはかつて天守閣が建ってたからな。
じゃあ天領の年貢を下げろとかだったらどうなんだ?朝廷の御料を増やせとかだったら?
町奉行を大名役にしろとかだったらどうよ?
尾張家の意向と水戸家の意向が食い違ったらどうするんだ?

>一族が命令を出すことはできないが、将軍一族の意向を家来は無碍にはできない。
>相手の主張を捻じ曲げないように。

意味がわからん。命令出すことは出来ないと認めるのか?
なのに意向は無碍に出来ないって?無碍にはしないけどお断りするのか?
840日本@名無史さん:2009/01/06(火) 11:34:27
御三卿のことは他所でやってください松茸さん
841日本@名無史さん:2009/01/06(火) 11:55:29
>>832
(江戸時代黎明期はもっと混沌としていただろうけれど)
御三家付家老や越前や両池田クラスだと、
将軍お目見えもあり、官位も正式叙任。普通に大名扱い。
842日本@名無史さん:2009/01/06(火) 19:38:08
>>832,841
幕初期以降で陪臣が正式叙任されるのは,御三家と加賀前田の家臣だけじゃないの?
その理由も,大名が三位以上の公卿になると,家来に五位の諸大夫が必要になるとかで。

それと幕府系列の武家?の叙任は従五位下からで六位はない。
もっとも,公家の侍はもっと従六位下くらいから叙任はあった。

843日本@名無史さん:2009/01/06(火) 19:57:58
布衣が六位相当で、布衣旗本はここでは。布衣という格式の扱いもいまいち分からないけど。

三位以上は将軍・御三家・御三卿・加賀前田家が代表的らしいね。
それとは別に、将軍親政で大名の官位がインフレ起こしてるときって何度かなかったっけ。
そういうときでも三位までは上がらないのかな。
844日本@名無史さん:2009/01/06(火) 20:03:46
津山藩主松平斉民は正三位になってるみたいだね。家斉にも困ったもんだw
845日本@名無史さん:2009/01/06(火) 20:54:14
>>844
松平斉民の3位昇進は明治以降みたいですけど。

>>843
幕初と幕末以外では,流石に3位昇進は,将軍,世子,御三家,御三卿,加賀前田くらいかな。
江戸三百諸候で大臣になったのは,将軍以外は,織田信雄,豊臣秀頼,一橋治済だけかな?

846日本@名無史さん:2009/01/06(火) 21:03:52
>松平斉民の3位昇進は明治以降
それは失礼。兄弟の多くが早世とはいえ、確かになんかいびつだとは思ったんだけど。

やはり官位の壁のようなものを明確に設定していたということかも知れないね。
しかし、前田家はいびつだなあ。格を島津なみに下げる隙はなかったんだろうか。
幕政初期の、後継幼若のためとかよく使われる手で。
847日本@名無史さん:2009/01/06(火) 21:21:11
>>845
秀頼は諸侯というより徳川幕府に並ぶ豊臣公儀の長だろ。
1615年までは西日本に力を持っていたんだし。
正二位右大臣という官位は基本的に天下人のものだぞ。

848日本@名無史さん:2009/01/06(火) 21:27:10
>>847
豊臣政権における天下人は関白(秀吉・秀次)
右大臣程度なら天下人ではない織田右府だってなっている。
849日本@名無史さん:2009/01/06(火) 21:30:08
前田家では,光高が正四位下少将で終わったが,綱紀で三位に復帰。
ただ綱紀は15歳で中将なって以降,参議昇進は五〇歳,従三位には64歳でなっている。
綱紀は多年の藩主としての精勤で昇進したような感じか。
でも前田家の極官は上昇安定へ。


850日本@名無史さん:2009/01/06(火) 21:31:38
>>848
まあまだ従一位左大臣や関白があるが、大坂羽柴滅亡まで朝廷
の公家衆や諸大名の一部は秀頼に挨拶にきている。その時点で
諸侯とは言い難いと思う。徳川幕府との並立していた時期だし。
西日本地域に相当の影響力を持っていたのはたしかだろ。
851日本@名無史さん:2009/01/06(火) 21:36:19
長年藩主を勤めると外様の小藩でも従四位下侍従とかに任官された例もあるよね。
ところで一番長く藩主を勤めたのは前田綱紀?
852日本@名無しさん:2009/01/06(火) 21:37:59
主従関係を結んでいるのなら、豊家に拝謁するのは当然のこと…
853日本@名無史さん:2009/01/06(火) 21:49:56
>>823 多いのは人吉藩相良家の16代とか…

>>851 丹波柏原藩の織田信憑は従四位下になって柳の間から大広間になったけど、侍従には任官していないはず
854日本@名無史さん:2009/01/06(火) 22:04:19
話が戻るが,加賀前田で家臣の正式叙任が慣例化したのは綱紀の代から。
綱紀が,参議公卿に昇ったのに家臣に諸大夫がいないのはおかしいとゴネたから。

855日本@名無史さん:2009/01/06(火) 22:29:08
加賀前田は一番最高で従三位上宰相まで上がれるんだっけ?
大名の家臣が諸大夫とは、だてに100万石を超えてないね。

諸大夫ならそれだけで、並みの大名格だし。
856日本@名無史さん:2009/01/06(火) 22:47:24
慣例なら公卿になると「政所」や「問注所」を設置してもいいんだけれど。
一応将軍家があるので大夫で妥協したか・・・・・・・・
857日本@名無史さん:2009/01/06(火) 23:23:34
割って入って、申し訳ないが、
犬将軍のとき、将軍に気に入られて、
老中の内示を受けたのに、
分不相応とかで辞退し、石高を大きく減らされ、
さらに、謝りに行かなかったとかで、とりつぶされたやつがいたよね。
誰だっけ?
858日本@名無史さん:2009/01/06(火) 23:28:40
>>857

山内大膳(豊明)
859日本@名無史さん:2009/01/06(火) 23:33:39
可愛さ余って憎さ百倍?
860日本@名無史さん:2009/01/06(火) 23:36:59
>>855
並の大名格もなにも,将軍直臣でないだけで石高は万石だし・・・

>>856
江戸期の公卿も,政所や問注所を設けていたのかな?
公家でも,諸大夫を置けるのは大臣家以上か,門跡寺院と中山家くらいで,それ以下の平公家には
諸大夫はいない。
結構なステータスだったと思うけど・・・・

861日本@名無史さん:2009/01/06(火) 23:37:04
まあ綱吉ほど好き勝手に大名をいじった将軍はいない。
862日本@名無史さん:2009/01/06(火) 23:39:41
>>861
そりゃ,傍系から宗家相続したんだから老中らに軽んじられないように,力を誇示したかったんだろう。
863日本@名無史さん:2009/01/07(水) 01:16:40
綱吉は歴代の中ではかなり、外様系人材を重用している。
あと、「自分が引き立てた」万石以下の人材。
上手く使用して、代替わりできれば、
譜代と外様の垣根が取り払えたかもしれない。
のちのちの足高制の走りになったかもしれない。
しかし、
悲しいことに、彼は「綱吉」でして、、、
864日本@名無史さん:2009/01/07(水) 03:07:13
綱吉ワロス
865日本@名無史さん:2009/01/07(水) 05:37:46
前田家にも付家老が送り込まれているから、その家だけ諸太夫という措置では
いけなかったんだろうか。
866日本@名無史さん:2009/01/07(水) 15:42:01
藤堂さんの名前が志摩で中の人が能登
狙ってキャスティングしたなら大したもの
867日本@名無史さん:2009/01/07(水) 22:33:10
>>863
外様も譜代に→すでての諸侯がバッカクに参入可
そのあとに来るのは江戸幕府の室町幕府化か、諸侯会議→議会制か
868日本@名無史さん:2009/01/08(木) 02:08:48
>>867
有能な人材が適材適所になる可能性が増えたかも、ってだけ。
それでも、
有能な殿様でも、外様小藩に生まれたら、
なああああああああんにもしないで人生終了だったわけで。
しかし譜代と外様の垣根がなくなれば、
市橋が日本を采配していた可能性だって!
ま、
綱吉の後は堅物くんだから期待できないけど。
869日本@名無史さん:2009/01/08(木) 05:19:55
外様は番方の役に就くことも少なくなかった。
870日本@名無史さん:2009/01/08(木) 07:44:13
実際には、幕政に参与できるのは中小譜代藩で、大老という存在も含めて
他は全て例外事例だろうと思う。
871日本@名無史さん:2009/01/08(木) 10:55:14
>>863

> しかし、
> 悲しいことに、彼は「綱吉」でして、、、

ここkwsk
872日本@名無史さん:2009/01/08(木) 10:57:15
>>870
> 実際には、幕政に参与できるのは中小譜代藩で、大老という存在も含めて
> 他は全て例外事例だろうと思う。

譜代の大大名というと?
彦根はそうだろうけど参画してるし
あ、彦根って老中にはならないのか

873日本@名無史さん:2009/01/08(木) 11:32:02
幕政ってのは、いわば穢れ仕事だから格式の高い譜代大名にはやらせない。
874日本@名無史さん:2009/01/08(木) 11:38:48
老中も賄賂積まなきゃなれなくなって、どんどん石高が高いほうに
シフトしていた時期もあるけどね。

基本的には、高い石高の譜代大名は重要な軍役をあてがわれているから、
なりにくいのは確か。役方はあくまで建前は低くみられるのも確か。
しかし、大目付より老中の方が格上ってのはどういうわけだろう。
875日本@名無史さん:2009/01/08(木) 12:13:10
>>874
>しかし、大目付より老中の方が格上ってのはどういうわけだろう。
別に普通じゃない?大目付っていっても所詮は監察官兼大名指導掛だし。

小姓でも諸太夫になれるのに目付が布衣ってのは変だと思うけど。
876日本@名無史さん:2009/01/08(木) 13:05:44
小姓って将軍の夜伽する役目だろ?
そんなやつらに五位はもったいない。
877日本@名無史さん:2009/01/08(木) 13:34:15
譜代の大大名がそもそも、”彦根しかいない”

>>872
彦根も老中になってますよ。
「最終的に大老までいける」家柄、というだけ。
878日本@名無史さん:2009/01/08(木) 13:49:56
>>877
唄の神の酒井は?
879日本@名無史さん:2009/01/08(木) 14:23:57
>>877
国主や国主格なら大大名でいいと思うけど。
880日本@名無史さん:2009/01/08(木) 14:38:00
譜代大名は、井伊と別格として大体15万石前後が上限。
そのクラスの譜代大名は、姫路や白河といった要地を領して防衛に当たるのが任務。
881日本@名無史さん:2009/01/08(木) 15:30:08
>>877
井伊の誰が老中になってるの?
井伊といえば大老家で老中なんかやらなくてもいい家だけど。
882日本@名無史さん:2009/01/08(木) 15:35:56
井伊家は分家から若年寄が出てるね。
883日本@名無史さん:2009/01/08(木) 18:47:52
山形の鳥居も途絶えたけど20万石を越える譜代の大大名だったけどね。
884日本@名無史さん:2009/01/08(木) 20:55:06
>>881 井伊掃部頭家は、
幕閣入りする時は、老中にはならずにいきなり大老職に就任します。

井伊掃部頭家は、平時においては、老中の上席にあたる溜間詰の世襲詰の家格であり、

老中に就任する事=家格が下がるという意味であり、
井伊掃部頭家が幕閣入りする時は、大老職にしか就任出来ない格式のある家になっていたのです。
885日本@名無史さん:2009/01/08(木) 21:03:33
そもそも幕府も彦根には有事の際の先鋒としての力しか期待していない
886日本@名無史さん:2009/01/08(木) 21:10:26
>>882 井伊直勝系井伊家の十代目である井伊直朗が、1781年〜1812年まで30年以上に渡って
西の丸若年寄に在職していました。

この功績で?、領主から城主格に
家格が引き上げられたそうです。
…っていうか、領主の家格に成り下がっていたのを、
城主格になった事で、少しは家格を取り戻したっていうところかな…。
887日本@名無史さん:2009/01/08(木) 21:18:21
前田家の実高は加賀藩だけでなら、130万石くらいで、一族合わせてなら
150万石くらいあって米以外の収入を入れると、加賀藩だけでも200万石
くらいあったでしょ。

しかし、金沢城って100万石を超える大藩の本城にしては規模が小さく見える。
藩祖は豊臣公儀の大老で従二位権大納言まで努めているというのに、江戸幕府
での極官は従三位上宰相でしょ。(例外に従二位権中納言がいるけど)
もうすこし格を高くしてもよかったと思う。
888日本@名無史さん:2009/01/08(木) 21:20:44
井伊掃部頭家の大老職就任者(井伊直興・井伊直幸・井伊直亮・井伊直弼)は、
全員が井伊家の極位極官である、正四位下近衛中将に昇進していますな。

まあ、これ以外の井伊家当主でも、
井伊家の極位極官に昇進している者もいますが、
井伊掃部頭家は、余程、 徳川将軍家(或いは徳川幕府)に厚遇されていたようですな。
889日本@名無史さん:2009/01/08(木) 21:22:12
陸奥泉藩。
数ある本多忠勝系の諸藩のなかで、唯一忠勝の血を引いている。
2万石ながらも城主格で帝鑑間席だった。
890日本@名無史さん:2009/01/08(木) 21:26:42
>>887 加賀前田家の極位極官を、
旧来の家格である従三位権中納言にすると、

御三家の官位(従三位権中納言→従二位権大納言)に並ぶ事になるから
まずいと徳川幕府が考えたのではないかと…。
891日本@名無史さん:2009/01/08(木) 22:05:36
徳川は豊臣を反面教師にして官位乱発してないんだから、それを考えると
前田の三位宰相はむしろかなり優遇されてると思う。陪臣の家老が4人も
従五位下に叙されるとか御三家と同等の待遇だし分家2家も大広間席だし。
892日本@名無史さん:2009/01/08(木) 22:22:42
>887
豊臣時代は全体に官位乱発傾向だったのを抑えただけでしょう。
官位が抑え気味なのは前田に限った話ではないですからね。
893日本@名無史さん:2009/01/08(木) 22:52:43
表高と実高の差が大きい藩ってどこがある?

毛利や伊達は実高100万石っていうし、山内も50万石くらいあった
みたいだけど、逆に水戸は35万石もなかったっていうよね。
894日本@名無史さん:2009/01/08(木) 22:54:35
宗喜連川
895日本@名無史さん:2009/01/08(木) 23:09:32
領内の新田開発は勝手次第の沙汰
896日本@名無史さん:2009/01/08(木) 23:18:36
津軽南部も新田開発で実高すごかったんだっけ。
上杉15万石も倍以上だったっけ。
10万石格の宗は実際は2万石ぐらいだっけ。

外様は国替えないからいいが、同じ石高でも36万石の毛利が実高100万石
の長門周防一円から額面割れの常陸水戸に転封とかなったら涙目だろうなw
山内もチョウソカベが過少申告してたおかげで国持になれたし悲喜交々だねw
897日本@名無史さん:2009/01/08(木) 23:31:33
東北の日本海側や中四国の大名は
実高>表高が多い
(津軽、上杉、溝口、毛利、山内など)

逆に九州は
実高>表高の大名が多い
(島津、宗、鍋島など)
898日本@名無史さん:2009/01/08(木) 23:33:08
×実高>表高
○表高>実高
899日本@名無史さん:2009/01/08(木) 23:41:59
水戸は武田信吉15万石
時代とあまり変わってない
のに朱印高を24万石
さらに35万石と
下駄はかせてもらった

実収が伴っていない
石高アップ

島津も豊臣時代の50万石台を領土そのままで
60万石から77万石へ
琉球との窓口のため
格上げした
900日本@名無史さん:2009/01/08(木) 23:55:40
>>896
津軽25万石、上杉35万石くらい
佐竹も似たり寄ったり

過少申告は出羽諸藩の伝統みたいなもん

秋田氏も20万石近いのに5万石と過少申告
901日本@名無史さん:2009/01/09(金) 00:01:08

沼田の真田は
実収の四倍も過大申告で
取り潰し
902日本@名無史さん:2009/01/09(金) 00:07:05
筑前黒田や小倉小笠原や中津奥平は実高の方が表高より高いよ
903日本@名無史さん:2009/01/09(金) 00:50:52
ここでいう実高とは米のみの収入?
播州赤穂はころころ領主がかわっているが、どの領主の時代も
塩田の収入が10万石程度あったようだが。
904日本@名無史さん:2009/01/09(金) 01:43:44
年貢地の高ですよね
905日本@名無史さん:2009/01/09(金) 01:56:19
>>881
>>884
たとえば井伊直興。
老中を経てから、大老ですよ。
老中でもいきなり筆頭だったり、最終的に大老になる予定の見習い期間、手続き的経由だったりしますし、
「譜代筆頭それは井伊」、「徳川家臣の筆頭は井伊」、「井伊は大老」と、
自他共に認めていたでしょうが、
「井伊が幕閣入るときは、必ず大老」
とは限らないのです。
906日本@名無史さん:2009/01/09(金) 02:17:55
>>887
金沢城は元々、「一向一揆の持ちたる国」の一揆勢力の重要拠点。
現在、旧状があんまり残ってないから想像し難いけれど、
元々はもっとでかくて立派。
川や丘陵地形を利用し、寺社を周辺に配置して、
裏山を詰め城に使った、
割と実戦的な堅城だと思う。
石山本願寺を利用して総構、の豊臣大坂城を想像してください。
伝説の鉛瓦とかもあるし。天守閣不要論もあるし。
加えて、
大聖寺、小松、金沢、高岡、富山、とラインができてて、
能登という後詰めもある。
その状態で、百万石を攻める軍と守る軍とが、
越中や加賀の城や平野で何度も激突して、
その末に攻め手が金沢まで到達した時点で、もう籠城してもあんまり意味ないかもね。
つまり、よそよりはるかに広大な「面」を守備する加賀藩には、
立派な城の意味が、あんまりないかも。
あと、一向一揆の国だったからこそ、
その拠点に城を構える心理効果もあったのでは?
それと、金沢って大名行列、通らないんだよね。
誰にも「自慢」「見栄張り」する必要がない、、、
907日本@名無史さん:2009/01/09(金) 02:20:28
湖の上で米が取れる!実高いちまんごく!と主張した大沢、、、
908日本@名無史さん:2009/01/09(金) 02:49:43
>>905
最初からそうだったのじゃなく、江戸時代が過ぎていく間に
井伊イコール大老になる慣例になった、ってことか。
909日本@名無史さん:2009/01/09(金) 02:55:27
そうだよ\(^-^)/
910日本@名無史さん:2009/01/09(金) 03:11:08
格式至上主義が浸透したからだよ。
クラッシャー綱吉がぶっ壊してくれれば、、、
911日本@名無史さん:2009/01/09(金) 06:59:23
>>888
井伊家の極位極官は『正四位下近衛中将』ではなく『正四位上左近衛権中将』
です。
912日本@名無史さん:2009/01/09(金) 07:25:49
井伊は定溜だから老中より上だよ。
913日本@名無史さん:2009/01/09(金) 09:11:28
井伊の極位極官って、大老就任者は正四位上中将ってのは分かるけど、
大老にならなかった当主の場合も正四位上中将が極位極官なのかな?
(大老職就任に伴わない、純粋な井伊家としての極位極官という意味で)

ざっとネットで見た限りでは、大老になってない&在任期間もそこそこ
長い直定・直中は同じ中将でも従四位で正四位上ではなかった(伊達島津
と同程度?)ようだけど…
914日本@名無史さん:2009/01/09(金) 09:46:00
>>905
井伊直興は老中になったとするとこもあるし
ならずに大老になったとするとこもあるね。
おそらく溜間詰めとして正式に老中に就任しないまま政治に参与し、
その後大老に就任したんじゃまいか。
915日本@名無史さん:2009/01/09(金) 10:36:43
井伊を大老にするかどうかは誰が決めるの?
将軍が決定できるほど実力者なら大老は不要
将軍が幼少なら老中が自分たちの上司を決めるの?
916日本@名無史さん:2009/01/09(金) 10:45:15
下が上を推挙するのはごく普通のことだから、老中じゃね
917日本@名無史さん:2009/01/09(金) 13:57:04
溜間詰大名の間で井伊さん出番だとなったら決まりだろ
おそらくそれ以前から格という点で老中に就任してなくても
幕政には口を出してたと思うよ
918日本@名無史さん:2009/01/09(金) 14:01:40
>溜間詰大名の間で井伊さん出番だとなったら決まりだろ
そんな風に決められたら、掃部頭殿も井伊迷惑だ。
919日本@名無史さん:2009/01/09(金) 15:30:46
>>903
実高=統治している領地から
一年間に実際に採れる
米の生産高

塩や金銀が採れたら
それは別勘定

特産品(昆布や紅花や工芸品など)を売ったり

先物相場や両替や
(極端な例では)密貿易や人さらいで儲けたら
それも別勘定
920日本@名無史さん:2009/01/09(金) 15:38:22
米の生産量というよりは、米を栽培した場合に収穫が想定される米の量だな。

実際には、畑はおろか水田扱いの土地にまで木綿や菜種を植えさせて
収入アップに繋げようとしたくらいだし。
921日本@名無史さん:2009/01/09(金) 15:49:43
仮に赤穂藩森家3万石が
実高5万石としたら
他に塩10万石が採れる
ということ

ただ米1石が金一分だとしても
塩1石ははるかに安い
銀何匁とか銭何貫文になるので

単純に5+10=15万石
にはできない
922日本@名無史さん:2009/01/09(金) 16:04:17
>>914
老中にはなってるよ。
溜間詰、兼、老中、でも何の問題もない。
923872:2009/01/09(金) 16:40:20

>>872ですが昨日から随分勉強になりました。
マジレスです。
924日本@名無史さん:2009/01/09(金) 18:46:52
>>922
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%BC%8A%E7%9B%B4%E8%88%88
老中になってる
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%81%E4%B8%AD
老中になってない
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%80%81
ここでは溜間詰から直接大老になってる
うちの某資料でも井伊直興は老中になっていないことになっている。

大老とか老中って江戸時代前期は結構アバウトな職だったりする。大老格・老中格なんてのもあるし。
たとえば直興の先代である直澄も大老になっていないという説がある。
そのまた先代の直孝も大老になったか否かはっきりしない。
925日本@名無史さん:2009/01/09(金) 21:19:10
>>924
いい機会だから、wiki修正しとけば?
江戸時代も最初の頃は、職務制度もいい加減なものだよ。
直孝の頃は大老なんて制度、あるようなないようなものだから、
正式な辞令があるわけでなし、
「なった」とも「なってない」とも言える。
大老なんて制度が明確化するのは、
江戸時代初期の元老も死に絶えて、
保科正之とかの時代も過ぎたあとでしょう?
逆に言えば、
「井伊は幕閣に参加する時は大老。家格家格。」
と明確に決まったのも、江戸時代もかなり進んでから。
それ以前なら、手続き上だとしても、
「老中を経て大老になった」としても、なんら問題はないよ。
926日本@名無史さん:2009/01/09(金) 21:40:10
大名の格式によって使用できる傘とか槍とか輿とかって違いあるよね。
ド素人でスマンがそういった格式について知りたいんだけど、わかりやすい
本とかサイトってない?
927日本@名無史さん:2009/01/09(金) 22:16:42
>>925
独りよがりに「何の問題もない」「なんら問題はない」
あきれるね。
問題は「史実はどうか」。
928日本@名無史さん:2009/01/10(土) 02:06:59
隔離スレに帰ってください松茸さん。
929日本@名無史さん:2009/01/10(土) 02:36:40
どうやら御三卿以来、
すぐキレるガキが住み着いちゃったな。
はい、お前が正しいから。お前の書き込みオールオッケー。
それでいいかな?よかったね。
930日本@名無史さん:2009/01/10(土) 03:20:15
弘前の津軽出羽守の場合、新田開発により28万石、更には32万石に実高をあげ、南部信濃守よりも生産高は高かった。
しかし!
931日本@名無史さん:2009/01/10(土) 04:14:43
東北は、天保以降はまともな収穫が得られずに慢性的な飢餓状態じゃなかったっけ。
932日本@名無史さん:2009/01/10(土) 06:04:45
村が無くなるくらいの飢饉だろ
ガクブルだな
933日本@名無史さん:2009/01/10(土) 08:33:22
>>929
なんか言ってることが変だと思ってたんだが、おまえはやっぱり御三卿の時の片割れか。
冬厨はこんなとこで油売ってないでさっさと宿題かたづけてください。
まだ終わってないんだろ?
934日本@名無史さん:2009/01/10(土) 18:50:32
すぐキレるガキ、再降臨。
935日本@名無史さん:2009/01/10(土) 19:54:38
江戸城内では、加賀前田も1万石の新田藩主も外様大名という点では
対等だったんだろうか。新田藩主は百万石の加賀宰相相手でも様付け
じゃなくて「加賀(守)殿」って呼んでたのかなー
936日本@名無史さん:2009/01/10(土) 20:00:24
外様か譜代かが重要ではなくて、位階が同じか違うかだろ
全然対等じゃないな
937日本@名無史さん:2009/01/10(土) 20:06:12
位階や官職で大名間でも上下関係決まったのかな?
五位諸太夫と従四位下侍従と話すときとか。
938日本@名無史さん:2009/01/10(土) 21:27:49
>>935
旗本が御三家を呼ぶときも,殿付で呼ぶらしいから,「加賀(守)殿」って呼んでたんじゃないですか。
あるいは,城地か領地をとって,「加賀候」と呼んでいたかも。

「○○殿」は目上の人にも付けるし。
昔,日本史の教科書に,「殿」という文字は書きによって,目上,同輩,目下と違いがあったと載っていた。

939日本@名無史さん:2009/01/10(土) 21:40:00
前田綱紀「おい丹後、参勤の宿代は払わぬぞ、よいな?」

前田利理「宰相様、ひらに、ひらに…」
940日本@名無史さん:2009/01/10(土) 21:47:53
>>938
御三家の場合は、他の大名家なら呼び捨てされる場合でも殿付けだから
むしろ特別待遇のような気もするけどね。

ただ、職務上とかじゃなくて、本人の面前でも幕閣や旗本が様付けじゃなくて
殿付けで呼んだのかは気になる点かも。
941日本@名無史さん:2009/01/10(土) 22:49:28

城内で佩刀持参が認められた者は、将軍家(世子含む)を除いては御三家と大老でOK?

恐らく同朋が持参するんだろうけど・・

また、大老は諸大名に命令を発するときも、「○○守殿、××なされ〜」ではなく
「その方、××なされ〜」であったというから、大老の権威は相当なもの。

さすがに、御三家には「その方」呼ばわりは出来なかっただろうと推測されますが。
942日本@名無史さん:2009/01/10(土) 22:58:57
>>941
大老のほうが御三家よりも上だよ。
井伊直弼は水戸徳川家に謹慎の命令も出した事があるし。
呼び方も「その方」になる。
943日本@名無史さん:2009/01/10(土) 23:02:33
>>938
「さま」だと
 永様(えいさま:旁の下部が永の字)
 美様(びさま:普通の様)
 次様(つぎさま;旁の下部が次の字)と
三種類あったそうです。
944日本@名無史さん:2009/01/10(土) 23:11:44
>>896
土佐の場合、太閤検地の算出法だとそうなるので、別に脱税みたいな過少申告じゃない。
しかし、土佐は昔(中世以降)から「二期作」をやっていた。
それで収穫は多くなる。
945日本@名無史さん:2009/01/10(土) 23:27:22
>>941
御三家も,将軍家御一門で格別の由緒があって身分が高くとも,結局は将軍家の家来だから。
将軍家の一の家来である大老と比べると,御三家でも格下になるよね。

もちろん,大老でない井伊家や酒井家の単なる当主なら,御三家の方が格上なんだろうけど。
946日本@名無史さん:2009/01/10(土) 23:31:53
御三家と大老との関係は,分家の有力者と本家の大番頭との関係と同じようなものか?
本家の大番頭の意向は,本家の意向と同じという。
947日本@名無史さん:2009/01/10(土) 23:32:40
わが弘前の津軽出羽守は大広間、従四位下侍従に昇格し、田安卿とも親類だ!
しかも表高7万石ながら!新田開発をすすめ!28万石、32万石として国司に匹敵する大藩!

盛岡の南部利昭宮司は死去されたが。わが津軽氏から宮司を出す用意はある
948日本@名無史さん:2009/01/10(土) 23:37:29
>938
少なくとも江戸時代の「殿」は同輩以下が対象でないでしょうか。
公文書の類は上から「下す」からだし、三家等の「殿」付けも「三家といえども
家臣である」(=他の家臣の「目上」ではない)という将軍の意向で決まったもの
ですから。
949日本@名無史さん:2009/01/10(土) 23:39:20
>>941-942
江戸城内は幕府の空間ですからね。
Yahoo知恵袋のベストアンサーなどにそう(>>942)書いてあるのを見つけたけれど。

江戸城中では幕閣の発言はデフォルトで「上意」なので大老は御三家より上の振る舞いが出来ます。
また、吉宗以降の老中も。これはYahoo知恵袋の内容(≒>>942)で良いですね。
城外でも「上意」である場合とそうでない場合は違いますね。

「上意」なら大老で老中でもない人間(例えば若年寄や大目付)でも相手に対しては「その方」になります。

ちなみに「〜殿」は武士同士なら上下共に一般的に使われます。
官位官職が無関係または省略・意識しない場合等は「貴殿」という言い方も。
ただし君臣の関係にある場合は特殊な場合以外はあまり使われないようです。
950日本@名無史さん:2009/01/10(土) 23:53:51
>>947
未だにそんなこと言ってると,今度は相馬大作ではなく,「G13型トラクター売りたし」とか「賛美歌13番をリクエスト」とかされるぞ。

951日本@名無史さん:2009/01/11(日) 00:01:46
そもそも,主君のことを「殿様」とか「殿(との)」と呼ぶのは,「○△殿」と呼んでいたことからきたのでしょうか?
952日本@名無史さん:2009/01/11(日) 01:32:40
頭ノ殿
953日本@名無史さん:2009/01/11(日) 07:40:36

>>942

究極の比較はやはり家格ですね。

彦根井伊家も御三家、加賀前田家を除くいずれの大名よりも家としての極官が高い家柄

ですがそれでも「正4位上中将」です。これに対して

尾張・紀伊徳川家の家としての極官は「従二位大納言」ですから家の家格としては

中将→参議→中納言→大納言なので比較になりません。

大老とはいえ一介の譜代大名である井伊直弼が、単独で徳川一門の水戸斉昭に対して処分

などはできません。

実質的な判断は直弼が行ったかもしれませんが、将軍家定による台命(将軍の命令)により

処分がくだされました。
あるが
954日本@名無史さん:2009/01/11(日) 11:09:43
あるが?w
955日本@名無史さん:2009/01/11(日) 11:16:21
自分の感覚で話してすまんが、
やっぱり将軍家の連枝のなかでも特別視された御三家と、所詮は一家臣にすぎない大老とでは
御三家の方が格上扱いされるのが普通の感覚な気がする。官位の話も含めて。

御三家にも「その方」って呼んだ、っていうのは根拠のある話?
それと、もし公式文書でそう呼んだとしても、それは将軍の代理としての公式の立場だけの話であって
日常のつきあいでは、ほぼ確実に御三家の方が格上だったはずだと思う。
956日本@名無史さん:2009/01/11(日) 11:19:29
って>>949さんとほぼ同じ見解かな。すまんかった
それと、もし公式文書でそう呼んだとしても、それは将軍の代理としての公式の立場だけの話であって
日常のつきあいでは、ほぼ確実に御三家の方が格上だったはずだと思う。
957日本@名無史さん:2009/01/11(日) 17:38:01
公儀高級役職者が公式の場では,「その方」と呼びかけるのは,時代劇ではあったね。
上使として大名屋敷を訪れて,「これより役儀により言葉を改める。」とか言って,下座にいた公儀役人が上座に席を替えていた。

まあ,時代劇だからどこまで史実通りか分からないけど・・・・・
958日本@名無史さん:2009/01/11(日) 17:58:27
大老が側用取次と話をする場合でも、将軍のご機嫌伺いの口上の時だけは
平伏するというし、高家が伊勢と日光の代参の報告をするときは、将軍も手を
ついて聞く事になっていたとか。
特定の場合に、本来の格式とは別の扱いになることもあるようですね。
959日本@名無史さん:2009/01/11(日) 20:03:24
http://jp.youtube.com/watch?v=E-Y-IVsmbGc
6:25以降、そのほう、の使用例が。
960日本@名無史さん:2009/01/11(日) 20:11:51
>>896
長宗我部は禄高の過少申告・・・ではなくて、軍役高が低かった。
九州戦役で軍監の偏頗な処置から嫡男を戦死させた詫びに
秀吉から軍役を大幅免除された。
一国加増を長宗我部が辞退したのに対して、代わりに軍役を免除したという
961日本@名無史さん:2009/01/11(日) 20:34:06
>>959
それはちょっと状況が違わないか??

最後までみちゃったじゃないか・・・ww
962日本@名無史さん:2009/01/11(日) 20:37:29
大老が「将軍の一の家来」でなく「将軍の名代」と解釈すれば、将軍御一門よりも
格上としておかしくないだろう。老中は家来で大老は名代。
963日本@名無史さん:2009/01/11(日) 20:45:56
>>961
家族間の対話で「その方」って使うのかな?
江戸家老が同席する公の席で使うのだから、公では大老は将軍の
代理なんだから「その方」って使うと想像できると思った。
964日本@名無史さん:2009/01/11(日) 21:31:10
>962
「将軍の名代」として振舞うときはそうでしょうが、大老が即「将軍の名代」というわけ
でもないでしょう。
965日本@名無史さん:2009/01/11(日) 23:10:38
問題は江戸城中では常に「将軍の名代」である大老が御三家よりも上だったのか、
あるいは、城中でも通常は御三家の方が上だったが、ある特殊な瞬間にのみ大老が上になったのか、だな。
きっと後者だろうね。
966日本@名無史さん:2009/01/11(日) 23:12:56
>>965
あたりまえのことをわかりにくくかくな
967日本@名無史さん:2009/01/11(日) 23:54:29
上使なら、御三家と言え、相手が木っ端役人相手でも将軍にタイするのと同じ様に平伏する。
968日本@名無史さん:2009/01/12(月) 08:00:56

>>965

江戸城中では大老は常に「将軍の名代」とのコメンとですが、ソース希望
969日本@名無史さん:2009/01/12(月) 09:40:50
実例を並べない限り、事実は判断のしようがないな。

>>968
アンカー先をもう一度読め
970日本@名無史さん:2009/01/12(月) 09:42:24
上使は,公儀の命を伝える使者だから,その言葉は台命と同じ。
将軍の命を拝命するのだから,上使に平伏するのは当たり前か。

まあそれでも,国持以上の大名への上使に木っ端役人がなることはないだろうが。
971日本@名無史さん:2009/01/12(月) 09:46:17
大身でもない旗本を木っ端役人とみなすかどうかの問題になるな。
972日本@名無史さん:2009/01/12(月) 11:06:27
>>965のどこがわかりにくいんだよ?w 
って書こうと思ったんだが、>>968みたいな人がいる以上、きっとやっぱりわかりにくいんだなww
973日本@名無史さん:2009/01/12(月) 23:05:54
御三家や大老の話はもうお腹いっぱい。
974日本@名無史さん:2009/01/12(月) 23:07:53
ま、ありえないだろうが、幕府の中間が加賀前田家に使いとして
きて、上意を伝える時、「そのほう」っていうんかね?
975日本@名無史さん:2009/01/13(火) 00:26:34
中間は教養がないだろうからなあ。
976日本@名無史さん:2009/01/13(火) 02:22:53
教養のある百姓が江戸に出て中間小者を振り出しに幕臣になる例は多い
977日本@名無史さん:2009/01/13(火) 02:23:54
それから大名家への使者は旗本だよ
978日本@名無史さん:2009/01/13(火) 02:24:58
多くは目付筋の旗本
979日本@名無史さん:2009/01/13(火) 20:54:50
神社参拝の代参の報告の時は、神の言葉を伝える事になるので、将軍でも
下座に座して手を付いて聞く必要があり、報告者は「そのほう」と呼んだ
と聞いた事がある。
980日本@名無史さん:2009/01/13(火) 22:15:09
そうか!そしたら公方様とこっくりさんやれば、直接命令形で
話すことも可能だ!
981日本@名無史さん:2009/01/13(火) 22:23:09
>979
神社でも、高家が日光と伊勢に代参したときのことらしいですね。
口上は決まっていたはずで、「その方」とは言わないと思うけど、
報告の時のある一部を聞くときは将軍も手をついたとか。

今手元に資料がないけど、「幕末の武家」の大沢氏の談だった
と思います。
982日本@名無史さん:2009/01/13(火) 22:25:32
  ┌━┐    ┌━┐
  ┃┌╋──╋┐┃
  └╋┘    └╋┘
    ┃ ・   ・  ┃        ┌━━┐
●━╋┐    ┌╂━━━━╂┐  ┃
└━┷┴━━╂┘        └╋━┘ 馬鹿にしかできないコピペです
          ┌╋┐        ┌╋┐
          ┃└╋╋━━╋╋┘┃  
        ┃  ┃┃    ┃┃  ┃
        └━┘┘   └└━┘
983日本@名無史さん:2009/01/14(水) 00:05:27
>>976
真下専之丞なんかはまさにそうだね
984日本@名無史さん:2009/01/14(水) 19:16:25
改易になった場合、藩士の再就職率ってどれくらいだったんだろう?
半分ぐらいは他家に再就職できず、浪人になったのかなー
万石取りの家老が長屋で浪人とかはさすがにないと思うけど…
985日本@名無史さん:2009/01/14(水) 21:58:11
上杉家は身の程知らずの100%
986日本@名無史さん:2009/01/14(水) 22:28:07
「その方」論議が盛り上がっているようだけれど、これはもう「力関係」。

徳川家光が「余は生れながらの将軍」と言ったのは有名な話だけれど
これは将軍就任直後の年頭の大名総登城の場で言った言葉。

その際、「この場のお歴々の中には神君(家康)、台徳院殿(秀忠)から御辺、とか○○殿と呼ばれた者もいるだろうが
余は生れながらの将軍である。よって余は皆をその方、と呼び捨てる。左様心得よ」と言ったらしい。

場にはまだ伊達政宗等もいたらしい。しかし将軍は将軍、大名は大名だ、ということでしょうね。是非は別としても。
987日本@名無史さん:2009/01/14(水) 22:34:48
>>986
それ、柴田錬三郎かなんかの小説ネタだろw
家光が将軍になった時なら、まだ秀忠は生きてるぞw
988日本@名無史さん:2009/01/15(木) 00:19:42
>>985
バカだな。上杉は改易されてないよ。
989日本@名無史さん:2009/01/15(木) 00:36:47
>>984に関連するけど

赤穂浅野の大石は,結局,討ち入りしたけど。
山科に隠棲したままだったら,大石本人や子孫の身分はどうなったんだろう。
藩士じゃなく,人別帳にも載らなかったら,いわゆる無宿人ですよね。
武士のまま,それとも百姓?

990日本@名無史さん:2009/01/15(木) 01:09:51
本人は「元武士が隠遁している」になる。
職を変えたら「元某家中で、いまは士分を辞めて云々」に。
子孫は武家に士分として仕えれば武士、
そうじゃなければ、
「元は武士の家。いまは云々」ってだけ。
でも、元の国に土着するんじゃなければ、
流動性のある大都市じゃないと、新規には住みにくいだろうね。
出家するのも、「庶民に頭下げずに、でも生きていく」
ジョブチェンジの道だったかもね。
991日本@名無史さん:2009/01/15(木) 02:34:59
4が立つまで書き込み自粛で。
992日本@名無史さん:2009/01/15(木) 08:22:36
>>991

【大名】江戸三百諸侯について語ろう4【藩主】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1231975300/
993日本@名無史さん:2009/01/15(木) 22:31:37
>>992
994日本@名無史さん:2009/01/15(木) 23:00:07
再就職がつらいのは今も昔も変わらんか
終身雇用じゃない分今のほうがつらいかな?
995日本@名無史さん:2009/01/15(木) 23:08:03
>990
レスありがとうございます。
この山科が誰の領地になるのか分かりませんが,このように他人の領地に勝手に移り住むことは何の制約も無かったのでしょうか。

仮に勝手に移り住み(家造作は買い受けたとしても),開墾しても租税の対象だと思うのですが。
996日本@名無史さん:2009/01/15(木) 23:50:30
>>995
京都とか山科とか高野山とかには、
なんとなくそういう不文律というか、空気があったんじゃないの?
隠棲ならまぁしょうがない、的な。

997日本@名無史さん:2009/01/16(金) 03:42:37
市橋応援age
子孫どこいった。電話帳で探そうぜ。
998日本@名無史さん:2009/01/16(金) 04:23:01
旧華族の名簿で捜せよ
999日本@名無史さん:2009/01/16(金) 04:51:52
999
1000日本@名無史さん:2009/01/16(金) 04:52:24
1000ゲッツ!!11!
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。