【初心者】スレッド立てる前に質問をPart22【歓迎】

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70日本@名無史さん
鎌倉幕府の成立を1185年とする説が最近有力だと聞きました。
守護・地頭を設置して、頼朝の勢力が実質的に全国を手中に収めたことが理由だそうです。
でも幕府の成立要件は征夷大将軍位ではなく実質的支配であるという理屈でいくと、江戸幕府の成立も関ヶ原に勝った1600年にしてもいいように思えるし、全国統一した1590年に豊臣幕府が成立したことにもならないのでしょうか?
71日本@名無史さん:2008/03/17(月) 17:54:11
>>69
条坊制は都市を作る際に方形に区画整理したもの。
もともとは中国の都で用いられたものが朝鮮や日本でも取り入れられ、
日本の場合、平城京や平安京、太宰府などが有名な例。
条里制は都市以外、都市郊外や農村などの区画整理に利用したもの。
これもまた方形に区切って班田の際の検地に利用したりした。
72日本@名無史さん:2008/03/17(月) 18:09:32
>>70
徳川家康の場合、関ヶ原で勝利した後も、依然として立場は五大老として秀頼のかわりに
政務を執行するという、いわば代行者のような状態だった。それに、西国は関ヶ原の後しばらくは
譜代や親藩がまったく配置されてなかったりする(全部が外様で、しかも豊臣系大名が多い)。
また、秀吉の場合は、諸大名を官位体系に組み込むことで支配する方式をとっているので、
幕府とは別物。
73日本@名無史さん:2008/03/17(月) 21:32:29
>>68
ありがとう。
銀英伝に出てきた「男爵家の当主だけど称号としては男爵夫人」という独身女性な感じ?
それとも「形だけとはいえ娘を后にしたろくでなし」の后って事?

>>72
そうするとこんどは、大阪夏の陣で豊臣家を滅ぼした年にならない?
74日本@名無史さん:2008/03/17(月) 22:54:08
>>72-73
豊臣政権に関しては幕府という体裁をとっていないので完全に別物だが、
江戸幕府に関しては事実上の成立は関ヶ原の戦いで東軍が勝利した
慶長5年(1600)と考えても問題はない。
形式的には豊臣政権の大老として政務を行う形であったとしても、秀吉の
晩年に五大老として指定された人物のうち、関ヶ原の戦い後も存命していて
なおかつ政治的に没落していない人物は徳川家康ただ一人という状態であり、
関ヶ原の戦後処理としての大名の国替えなども徳川家康一人の意思によって
決定されている。

要は関ヶ原の戦いの結果、豊臣政権の五大老五奉行制は事実上崩壊してしまい、
また徳川氏に抗しうる勢力も最早存在しない状態、つまり徳川家康だけが唯一の
武家の盟主というような状況が現出していた。
また朝廷においても、関ヶ原の戦いの数ヶ月後には九条兼孝が関白になって
五摂家による関白が復活しており、豊臣氏が世襲の武家関白として政権を
握り続けるという豊臣政権の前提が崩されている。

なお征夷大将軍就任よりも政権の事実上の成立を重要視する立場からいえば、
鎌倉幕府や江戸幕府のみならず室町幕府についても、後醍醐天皇の建武政権が
崩壊し、足利尊氏が京都を制圧した建武3年(1336)を以て成立と見なす
見方が有力である。
75日本@名無史さん:2008/03/17(月) 23:44:27
>>74
形式(将軍就任)派と実質派の対立があって、前は形式派が優勢だったけど、この頃は実質派が優勢ってこと?

だとしたら、近々教科書の室町幕府や江戸幕府の成立年代も書き換えられることになるのかな。もう鎌倉幕府の成立年代は両論併記になってるもんね。
76日本@名無史さん:2008/03/18(火) 00:15:31
>>74
九条兼孝の関白就任を以ってして、秀頼の関白任官の芽が絶たれたとするのは今谷明氏の
見解ですね。ただ、これについてはこの後もたびたび「秀頼が関白になるのでは?」という風聞が
たびたび出ており、少なくとも当時の人々は公武関係なくそうは思ってなかったらしく、異論も出ている。
関ヶ原以後も、豊臣公儀は依然として存続しているわけで、この点で頼朝や尊氏とは異なるし、
この段階では家康の権力には永続性は無いわけだ。で、家康には自前の政権を永続させるための
正当性が求められるわけで、これこそが将軍職を中心にした、豊臣公儀とは別物の支配系統になる。
これらを考慮すると、やはり江戸幕府(徳川=公儀である体制の成立)は家康の将軍就任を待つべきだと
思うんだけど。

すくなくとも、不勉強ながら自分の知ってる範囲内では江戸幕府成立についての年代論争は存じない。



江戸幕府が開かれた直後の状況を以って「二重公儀体制」とする説が最近出ているんだけど、



尊氏に関しては、京都を制圧した後に建武式目が制定されているので、このときをもって幕府の成立
で異論は無いと思う。
77日本@名無史さん:2008/03/18(火) 00:32:15
てゆうか研究者レベルでは、元々征夷大将軍就任に重きをおくような見方は
あまりなかったと思うぞ。
ただ幕府のトップ=将軍というイメージが一般にはあるし、細かいことを
グダグダやるより全体の流れを理解することに重きをおく小学校や中学校の
歴史教育では便宜上、征夷大将軍就任をもって幕府成立として教えているだけ。

高校の場合は、義務教育でもないし、日本史は必修科目でもないわけだから
(小中で習ったこと以上により深く日本史を勉強したい人しか履修しない
前提なので)、ある程度細かい経緯や学説にも触れているということ。

なお高校の教科書では、室町幕府・江戸幕府についても、
征夷大将軍就任=幕府成立のような単純な記述にはなっていないはず。
まあ鎌倉幕府の成立経緯ほど、深く突っ込まずにサラッと流してはいるが。

鎌倉幕府に関しては、事実上の成立に重きをおいたとしても、段階的に
政権としての体裁が整えられていくような傾向があるために、どの時点に
画期を求めるかということについて、いくつもの説を併記するような形に
なっている(寿永二年十月宣旨の段階、守護・地頭設置の段階、
奥州藤原氏滅亡の段階、頼朝の右近衛大将就任の段階など)。
要は、いつの段階で政権として確立し、また朝廷がその支配権を容認したか、
という点に関して、室町幕府や江戸幕府に比べて年代の確定(研究者の見解の
統一)が難しいということ。
78日本@名無史さん:2008/03/18(火) 00:46:54
>>77
こっちだって将軍任官=幕府の成立とは思ってはいないけど、家康の場合は政権を手中に
収めるまでの経緯が他二人と異質なのさ。
79日本@名無史さん:2008/03/18(火) 00:51:08
形式が整った所じゃだめなの?
幕府成立
80武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/18(火) 00:58:21
>>77
正論だ。
81日本@名無史さん:2008/03/18(火) 01:06:29
>>76
九条兼孝の関白就任を以て秀頼が将来関白になる可能性がなくなったなどとは
一言もいっていない。
ただ少なくとも、生前の秀吉を初め豊臣政権のメンバーが関ヶ原以前の段階では
秀吉死後も関白職は豊臣氏に連なる者だけで継承されていくことを想定していた
ことは(秀次死後に関白職が久しく空席になっていることからも)確かであり、
九条兼孝の関白就任は、関白が豊臣氏の世襲という前提を崩したことは
いえるはず。

また関ヶ原後も豊臣氏が存続しているから家康は征夷大将軍に就任しないと
自前の新政権の永続性を担保できないというのなら、同様に足利尊氏だって
南朝が存続している以上は最終的に征夷大将軍に就任するまで自前の新政権の
永続性は担保できなかったともいえるはず。
ただ政権の実質的な体裁はそれ以前に成立している。
慶長五年以降の徳川政権にとっての豊臣氏と、建武三年以降の足利政権に
とっての南朝は、前政権の残骸だが一定の正統性を有した状態で存続している
という点では同様であり、いつかは潰さなければならないが取り扱いは
厳重注意といったところだろう。

要は、室町幕府の成立を建武三年と見なすのならば、江戸幕府の成立も必然的に
慶長五年となり、また江戸幕府の成立の最大の画期性を征夷大将軍就任に
求めるのならば、室町幕府もまたしかり。
82日本@名無史さん:2008/03/18(火) 01:16:20
しかし近世史の人って、どうして「公儀」みたいな定義の難しい言葉を前提ナシに多用するんだろうか?中世史ではまず見かけない。
83日本@名無史さん:2008/03/18(火) 01:23:54
84日本@名無史さん:2008/03/18(火) 01:31:36
尊氏の場合は、後醍醐天皇とは完全に決別した状態だっただろう。
事実、尊氏は光厳院の院宣を奉じていたわけだし、旧来の後醍醐政権とは
別の基盤に立っている。「元弘没収地返付令」なんて建武の新政の否定に
つながっているだろう。

一方で家康の場合は、関ヶ原の戦いに勝って、実権を握っているとはいえ、
形としては依然豊臣政権の代行者であり、主・秀頼と大老筆頭・家康という関係で、
豊臣体制の存在が、自身が権力を振るう基盤になっているわけだから、尊氏のケースとは
根本的に違うと思うんだけど。
85日本@名無史さん:2008/03/18(火) 01:53:31
てゆうか永続性の担保を言い出すなら、関ヶ原の結果として自分のみの
圧倒的優位状態を作り出している家康よりも、各地に南朝系の抵抗勢力が
残っている尊氏のほうが危なっかしいと思うけど。
尊氏に関してだけ、後醍醐との決別=足利政権の永続性の担保、なんて
いえるのか?
86日本@名無史さん:2008/03/18(火) 02:02:25
やっぱり形が整った所=征夷大将軍
でいいじゃん。
何が駄目なんだ?
87日本@名無史さん:2008/03/18(火) 02:19:05
永続性という言葉の意味だが、尊氏の場合は、たとえば南朝勢力の反撃など、
自身の政権の持つ性格とは別の部分の危うさだよね。ようするに、敵対勢力に
よって滅ぼされるあるいは追われる形で政権を失う危険性だ。

一方で家康の場合は、天下を差配する権力は掌握しているんだけど、その権力自体が
豊臣政権からの預かり物のような状態なわけで、秀頼が成長して自身が政治をつかさどる
までのものという性格が強い。事実、関ヶ原以後も伊達政宗が今井宗薫にあてた書状などからも
読み取れるように、将来的には秀頼が政権の主宰になるという見方がされていた。

>>85が指摘した「永続性」の意味が尊氏と家康では異なっているといっていいと思う。
88日本@名無史さん:2008/03/18(火) 04:30:14
>>84
足利側は1336年の段階では後醍醐側と完全に決別してはいない。
というか決別しようとしていない。
尊氏はこの段階では建武政権崩壊前に後醍醐の朝廷から受けた従二位の位階のままに留まっているし、またこの時期の足利方は何度も後醍醐方に対して和解と帰京を呼びかけている。
つまり決別したくないという意思表示を繰り返ししていた。
しかし1338年になって征夷大将軍就任と同日付で正二位に昇進したことによって、尊氏は建武政権による官位体系からの完全な離脱および後醍醐方との最終的な決別を表明したことになった。
89日本@名無史さん:2008/03/18(火) 11:30:36
>>88
建武式目の段階では確かに、後醍醐天皇から受けた従二位を持っているし、
両統迭立を以って後醍醐天皇方と和睦を試みて、後醍醐天皇は帰洛しているんだけど、
花山院に幽閉され、あらたに光明天皇が擁されており、この段階では事実上、後醍醐政権は
崩壊している。そして、後醍醐天皇が幽閉先から吉野へ走るんだよね。
完全に決別という文言には語弊があったけど、この流れの上では、尊氏が
引き続き後醍醐天皇から受けた従二位を持ち続けていてもなんら問題は無い。
90日本@名無史さん:2008/03/18(火) 18:50:03
結局、頼朝も尊氏も家康も征夷大将軍就任を以て幕府成立でいいんだよ。
征夷大将軍になるまでは彼らが天下人たる正統性はいずれもない。
91日本@名無史さん:2008/03/18(火) 20:38:24
鎌倉幕府は幕府という存在自体を作り上げたわけだからどこにからがそうかと言う議論は有りうる。
室町・江戸は中身は違っているにしても形式としては幕府という既存の制度を利用したわけで、
形式である以上征夷大将軍就任をもって幕府成立とすると言う考えでも問題ないのでは?
足利尊氏政権・徳川家康政権の成立自体は当然それより前ということになるが。
92日本@名無史さん:2008/03/18(火) 21:01:49
極論だと徳川政権は桶狭間直後に成立したと言う言い方も出来るな。
織田とはあくまで同盟、豊臣との関係もある程度独立性を維持した上で下部システムになっただけ、
と言う言い方も出来る。
政権の内部構造自体は基本的に変化してないのだからそう言う見方も可能。
93日本@名無史さん:2008/03/18(火) 22:14:18
>>91
でも尊氏は頼朝と同じで征夷大将軍就任以前からで、
家康だけ征夷大将軍就任からって言って譲らない人もいるよ。

なんかむしろ鎌倉幕府の制度をそのまま流用した尊氏よりも、
最終的には形式上幕府という形にしたけど独自に一から作ったオリジナル要素の強い
家康のほうが、頼朝に似ている気がするけどねぇ。
94日本@名無史さん:2008/03/18(火) 22:41:42
鎌倉幕府の権限が西国にまで及んだのは承久の乱以後な訳で、
「実質的に成立した時」ならここにならないの?
95武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/19(水) 00:18:34
>>90
そういう認識は後代作られた認識。
頼朝の時の征夷大将軍を過大視しすぎだ。
あれを過大視するのに反対な研究が最近多いんだよ。
最新研究動向に目配りされたし。
96日本@名無史さん:2008/03/19(水) 01:09:31
じゃあ以仁王にのって挙兵した時でいいよ。
97日本@名無史さん:2008/03/20(木) 11:02:59
>>94
そうすると室町幕府は南北朝合一時になってしまうな。

ただ承久の乱以前から鎌倉幕府は西国にも守護を設置しているし、西国が
幕府から見て全くの治外法権だったわけでもない。
また西国といっても、相対的に幕府の勢力浸透が弱い地域は近畿〜中国・四国に
かけての地域(承久の乱で後鳥羽方につく守護が出たのも大半はこの地域)で
あり、鎌倉幕府が自由に処理できる平家没官領の多かった九州はまた別だな。
98日本@名無史さん:2008/03/20(木) 11:43:23
実質的な成立と名実ともに成立を混同しているレスが多いな
9969:2008/03/20(木) 12:51:31
>>71
よく分かりました!ありがとう!
100日本@名無史さん:2008/03/20(木) 16:27:33
>>94
つ戦前の国定教科書
101日本@名無史さん:2008/03/20(木) 20:41:44
つ戦後の検定教科書
102日本@名無史さん:2008/03/20(木) 21:41:49
南朝が正当なのに、なんで北朝系の人が、いま天皇やってるんですか?
103日本@名無史さん:2008/03/20(木) 22:37:37
平安、鎌倉、室町、戦国にかけて、朝廷や幕府からのお布令に
違反したものを取り締まる役職は、どこに管轄していて、なんと呼ばれていたのでしょうか?

よろしくお願いします
104日本@名無史さん:2008/03/20(木) 22:46:18
>>97
そうそう、鎌倉も室町も江戸も初代将軍在任時じゃなくなってしまう。
俺はそれより「将軍に任命された時」の方が良いともうけど、「将軍に任命された時じゃなく、日本の政治の実権を握った時にするべきだ」というのなら
承久の乱、南北統一、大阪夏の陣になるじゃないかと言っているんだよ。

>>100-101
素人にわかりやすく説明よろしく。

>>102
南北朝時代の正当は南朝だけど、皇位継承権を持つのは間違いない人物に正当な天皇から位を譲られてそくいた一休さんのパパの正当性に疑いはないでしょ。

しかし、一休さん煽動して室町幕府に反乱起こそうという場面があったが、一休さんに将軍様と戦する理由ないよね?南朝側の人ならともかく。
105日本@名無史さん:2008/03/21(金) 00:21:51
106日本@名無史さん:2008/03/21(金) 01:09:33
107武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/21(金) 01:12:24
>>94>>104ほかの人たちへ
みんな、そもそも幕府の定義乃至捉え方からして変わってるね。
権限というか権力が西日本に及んだら幕府成立とか、何か意味不明だよ。
君たちの議論と幕府成立になんの関係があんの?西日本に力が及ぼうが及ぶまいが、どうでもいいんじゃん。
ついでに言えば承久の乱では、まだ幕府は朝廷を完全掌握にまでは到っていない。
幕府が、治天の君、いや天皇の実質任命権までを持つ力を得たのは宮騒動のあとだ。
力が及ぶことを重視するなら朝廷を射程に入れなきゃ。
なんたって「王権」なんだから。
108日本@名無史さん:2008/03/21(金) 01:12:42
>>103
その違反が、所務沙汰・雑務沙汰・検断沙汰のいずれに関するものかによって
かわってくると思う。
109日本@名無史さん:2008/03/21(金) 01:17:17
この手の議論で「王権」という言葉を好んで使う奴にはろくな奴がいない。
110日本@名無史さん:2008/03/21(金) 01:21:33
>>108
ヒントありがとうございます。
所務沙汰・雑務沙汰・検断沙汰でググッて見ます。
111武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/21(金) 01:25:44
>>109
だとすると中世政治史の碩学は全員ろくでなしだなW
まあ君は独自路線歩むといいよ。
まともな奴は相手にしないし出来ないけどねW
112日本@名無史さん:2008/03/21(金) 02:50:33
>>109
ド素人が話題についていこうと、一所懸命に覚えたての言葉を並べてみただけなんじゃないの?
何故このバカコテは「教えてください」と素直に言えないのかなw
113日本@名無史さん:2008/03/21(金) 03:23:24
権力が西日本に浸透云々とか言い出したら、室町幕府など、西征府の崩壊を
待たねばならなくなる。
114日本@名無史さん:2008/03/21(金) 04:18:22
ご遺体は腐敗していなかった 日本を愛した宣教師 チマッティ神父様
http://www.v-cimatti.com/pub/beatification/reppuku_chosa.htm
http://www.v-cimatti.com/pub/cimatti/intro/intro.htm

キリスト
「最も大きな罪を犯した人であっても、わたしの憐れみを願うならば、
わたしは、彼に罰を与えることが出来ない。その代わりに、
わたしの限りない、はかり知れないいつくしみによって彼を義とする」
http://www.nowaksvd.opoka.net.pl/jiai/jiai02.htm

キリストと会話できる女性 ヴァッスーラ・ライデン
http://www.tlig.org/jp.html

キリストの人生を見せられた女性 マリア・ワルトルタ
http://swedenborgian.hp.infoseek.co.jp/valt.htm

病を持ちながらも信仰心が篤かった女性 マルタ・ロバン
http://homepage3.nifty.com/mercy/treasure/marthe01.html

アレッサンドリーナ・ダ・コスタ
http://www.salesio.jp/web/sdb_saints/biography/alessandrina.htm
http://salveregina.dyndns.org/avemaria/data/book2.html

カトリック書店一覧
http://www.cbcj.catholic.jp/publish/shoten.htm
カトリック教会マップ
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/diocese/index.htm
115日本@名無史さん:2008/03/21(金) 04:23:45
>>112
とりあえず上横手信者らしいけどね。
116日本@名無史さん:2008/03/21(金) 06:07:55
異母兄妹婚はよくあることですが同母の兄妹婚は古事記にも否定されてますよね
弟の後見が目的で姉が正妃となった話があるって聞いたんですが有り得るんでしょうか

もう1つ
近親相姦はいつ頃廃れたんでしょうか。平安初期には異母兄妹婚はごろごろしてるのに
中期にはあまり見られなくなっていると思います。叔父叔母との婚姻はかなり後の時代まで見えますが
117日本@名無史さん:2008/03/21(金) 13:02:04
イザナギとイザナミは兄妹神ともいわれており
日本の古代においては同母兄弟姉妹婚があったともされています

弟の後見が目的で姉が正妃となったというのは
堀河天皇の姉媞子内親王のことでしょうか?
媞子内親王は堀河天皇のときに中宮と称しましたが
准母として立后したもので妃になったことはありません。

どこまでを近親相姦というかにもよりますが
異母兄弟姉妹間での結婚は天皇家の場合
淳和天皇と高志内親王の結婚を最後に廃れます
118日本@名無史さん:2008/03/21(金) 22:02:10
皇后・国母・女院スレでつい最近似たような話題を見かけたが、。
119武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/21(金) 22:26:05
>>115
信者じゃないよ。
あのへんの議論は上横手雅敬だけじゃない。
村井もそうだし中世政治史じゃ、けっこーポピュラー。
しかしそんな常識も知らないおまえ(ら)ってなんなのかな…W
笑わせる
ググってるだけのバカだからそんな愚劣なことを抜かす。
だいたいおまえの議論は佐藤進一先生をいい加減にしたモンじゃねえか(といってもわかんないよねWググってるだけの能なしがW)
バカはもう一度、高校の日本史からやりなおせ
120武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/21(金) 22:37:17
どうでもいいが上横手先生でも佐藤先生でも両者の著作を読んでる人間なんて、
日本史板は皆無だろうな。
読んでたら、佐藤先生の受け売り(ネットで拾ったのかな。言いだしっぺは佐藤先生の知見を知らないで得々とレスしてるくずたち)
を自分の創見のようには書かないよなW
私なら「佐藤先生の説だと云々」とレスするんだが、
そうすると無知な奴が「佐藤信者」とかクダラナイ茶々入れてくんだろーな。
やっぱり2ちゃんはバカしかいない。
ヒマなバカ院生くらいのレベルもクリアできてない。
なんたってググることが史学だと思ってるんだからなW
まあこれから時々来てはバカなレスを叩くよ。
ストレス発散になるし
君らのバカも多少は緩和されるだろうしさW
121日本@名無史さん:2008/03/21(金) 23:59:01
>>107
結局ブヨーはいつが鎌倉幕府の成立した年だと言ってるわけ?
122日本@名無史さん:2008/03/22(土) 01:25:16
理由も素人にわかりやすくお願いしますね。
123日本@名無史さん:2008/03/22(土) 01:41:57
>121
>122

ここは“ググってるだけのバカ”をからかうスレでは無いはずだが(苦笑
続きは隔離スレでやってほすい↓
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1205285411/l50
124日本@名無史さん:2008/03/22(土) 01:46:20
だね
125日本@名無史さん:2008/03/22(土) 02:00:18
まあ、ここはあくまでも「初心者歓迎」とあるとおりのスレだしね。

もっとも、西国云々と言い出したら、鎌倉幕府や室町幕府の成立年代は遅くにずれ込むし、
笠谷和比古の「二重公儀体制」を肯定する立場から言うと、江戸時代の成立年代すらもっと
遅く見積もらねばならん
126日本@名無史さん:2008/03/22(土) 02:06:17
>125

初心者レベルの話では無いし
マトモに回答をはじめると新書が一冊書ける分量になるから
分かっている人間は関わりあいになるのを避けているのでは?

どうしてもその話題をしたいのならスレを立てるべし
もっともスレがたったところで私は茶々を入れるだけだが(苦笑
127日本@名無史さん:2008/03/22(土) 09:30:57
ブヨー涙目(笑)
128日本@名無史さん:2008/03/22(土) 10:52:19
薬子の変の際の藤原内麻呂についてですか、
当時の政権の首班であり、息子の真夏と冬嗣が当事者であるのに、
内麻呂自身の動向がわったくわからないのは何故でしょうか?
129日本@名無史さん:2008/03/22(土) 19:29:58
初心者的には真夏がクスコの変に関わっていることすら知れれていない。
130日本@名無史さん:2008/03/22(土) 19:35:28
@両方に関わっているからこそあえて大人しくしていた。
A実は両方を操っていたがなんの痕跡も残さない凄腕の政治家だった。
B優柔不断で本当になにもやってなかった。
131日本@名無史さん:2008/03/22(土) 22:52:35
>>130
@にしてやれよ
132日本@名無史さん:2008/03/23(日) 01:31:48
大和朝廷の時代に来た
渡来人って日本人扱いでいいですよね?
133日本@名無史さん:2008/03/23(日) 08:05:33
号と通称の違いはどこでしょうか?教えて下さい
134日本@名無史さん:2008/03/23(日) 13:40:14
号は号するもの
通称は称するもの
135日本@名無史さん:2008/03/23(日) 16:28:09
封建制の時代って、
年貢として収める米が今でいう税金みたいなものだったんですよね?

そうなると、武士は野菜や肉等はお金で買ってたんでしょうか?
そして、武士は米を売ることによって貨幣を手に入れてたんでしょうか?
136日本@名無史さん:2008/03/23(日) 17:35:08
江戸時代はそうですね。まああまり肉は買わないと思いますが。
あと野菜は屋敷内で作ってたりとか。
諸藩はともかく幕府の場合は相場を決めて最初から一部を現金支給もありました。
ただその相場が流通価格と乖離していていたりとか。
137日本@名無史さん:2008/03/23(日) 18:25:23
>>136
ありがとうございます。

江戸時代までの経済システムって、
米中心といっても、なんだかややこしそうですね。

ちょっと興味が湧いて来たので、いろいろ調べてみようと思います。
138日本@名無史さん:2008/03/23(日) 19:39:04
>>134
答えになってないw
139日本@名無しさん:2008/03/23(日) 20:06:23
>>133
「号」というのは、別名そのものをいう。つまりは名詞。多くは、いわゆる雅号のことをさす。
動詞にすると「号す」になるが、これは自分で言っている名になる。

「称」というのは元々もちあげる、たたえるという意味(例:称賛)。つまりは動詞。
だから名詞の「称」とは、他人が言っている名のことだった(本来ならば)。

ちなみに「号を称して」あるいは「称された号」を「称号」という。

通称は「人々の間で通っている称号」。
だから、あくまで他人が言っている名という意味あいになる。
言い出しっぺが本人か他人かということには触れていないのがポイント。



140日本@名無史さん:2008/03/23(日) 21:16:08
「桃尻語訳 枕草子」って本を読んでいて、当時の十二単を着た女性は
腹ばいに寝そべっていたって書いてあったんですが、それは私的な時間に
くつろいでいる時だけでなく、公式な場でもそうだったんですか?
141日本@名無史さん:2008/03/23(日) 22:12:18
上宮聖徳法王帝説という聖徳対に関する書物は(聖徳太子のことについての話だろうけど)「日本書紀より資料価値が高い」という主張をたまたま本屋で立ち読みした本に書いたあったのですが、どういう理屈なんでしょうか?

一応ググっては見たけど、「12世紀頃の人の名前が書いてあって江戸時代末期に法隆寺で見つかった」というだけですよね。
内容も古事記や日本書紀以前の資料を元にしているといっても素の元になった資料というのはあるのでしょうか?
無いなら単に「古事記や日本書紀と矛盾している」だけではないのでしょうか?
そして「古い資料だから古事記や日本書紀より信用できる」という意味も分かりません。

142日本@名無史さん:2008/03/23(日) 22:12:46
>>137
面白い話と言えば、
当時給与される米が給与の性質上2タイプあって、
どちらもあまり質は良くないんだけど特に片方が酷い。
それで普通はややましな方を食べて悪い方を売却。
けちというか節約家は反対だったとか。
換金相場を世情に疎い生粋の武士は気が付かなかったけれど、
将軍の愛妾の弟が旗本だったかに登用されて、
そこは少し前まで町人だからあの相場は変だって思って、
弟→愛妾→将軍のラインで将軍の知るところとなり、
勘定奉行だったかが叱責されたとか。
食い物とか給与の話は何時の世も切ないですね。
143日本@名無史さん:2008/03/23(日) 22:14:20
>「日本書紀より資料価値が高い」という主張

誰?
144日本@名無史さん:2008/03/23(日) 22:22:00
>>143
検索した。
http://item.rakuten.co.jp/book/5361194/
この本。
小和田哲男氏
大学教授だそうです。
145日本@名無史さん:2008/03/23(日) 22:28:33
>144

その人が一般向けに書いた本は
全力でスルーしてください
お願いしますo(_ _)o
146日本@名無史さん:2008/03/23(日) 22:43:48
でもこないだNHKの番組でゲストで出てた人ですよね?
あの番組もスルーするべき?
147日本@名無史さん:2008/03/23(日) 23:13:12
あの回の内容はスルーしたほうがよさげ
148日本@名無史さん:2008/03/23(日) 23:31:33
>146

以下は個人的な見解ですが…

その番組に数回以上呼ばれた人で、聞く価値があるコメントをするのは永井路子さんだけではないでしょうか
笠谷さんは二回ぐらいだったかな?永井某氏は別枠で数回出演しましたが語り方がTV受けしないせいなのか
ほとんど声がかからないようです
緊張して声のでない人は一回で消えますね。スタッフも細切れの発言を編集でつなぐのは面倒なのでしょうw

小和田氏のように視聴者受けする発言(一般の人が既に知っている事・そうであって欲しいと願う事)と
ある程度の滑舌が、あの番組に出演し続けられる要件のようです

ちなみに、その番組のこの板での評価は↓をお読みください。近年はすっかり過疎っていますが
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1154185666/l50
149日本@名無史さん:2008/03/23(日) 23:34:11
訂正
>永井某氏は別枠で数回出演しましたが語り方がTV受けしないせいなのかほとんど声がかからないようです
永井某氏は別枠で数回出演しましたが語り方がTV受けしないせいなのか、その後は声がかからないようです
150日本@名無史さん:2008/03/24(月) 15:10:00
藤原道隆は一条天皇の関白になった後に摂政になっていますが、
天皇成人後の補佐の関白から、幼少時の補佐の摂政になる事は可能なのでしょうか?
それと、藤原道長が兼家の五男であれば、道隆、道綱、道兼以外にもう一人兄がいたということになりますが、
名前すら上がらないのも不思議です。
151日本@名無史さん:2008/03/24(月) 15:32:27
>>150
一条天皇の場合、990年、元服して道隆の娘定子と結婚したのを機に、
外祖父の藤原兼家が一条天皇は成人したと判断、摂政を辞して関白となり、
そのまま関白を息子の道隆に譲った。
しかし、元服して結婚したとは言っても当の一条天皇は11歳(満でいうと9歳)
まだまだ幼く政治の代行者を必要としたため、道隆は関白を辞め摂政になったもの。
一条天皇が14歳になった時点で、道隆は改めて一条天皇の関白になっている。
天皇が何歳になったら摂政を辞めて関白とするという明確な規則はなく、
摂政と称するか関白と称するかは柔軟だったようだ。

なお、藤原兼家の息子たちは以下の通り。
長男;藤原道隆
次男;藤原道綱
三男;藤原道兼
四男;藤原道義
五男;藤原道長
このうち道隆、道兼、道長の母が摂津守藤原中正女時姫、
道綱の母が陸奥守藤原倫寧女(蜻蛉日記作者)。
四男道義の母は、藤原忠幹女。
道義は病弱でほとんど出仕をしなかったようで(精神異常?)、
官位も上がらず、ほかの四兄弟よりも先に没したようです。
なお、系図上では元服前に夭折した六男があったとのことです。
152日本@名無史さん:2008/03/24(月) 17:03:50
あれっ孫の道頼が六男扱い、甥の道信が七男扱いだと思ってたけど、もう一人居たのか
153日本@名無史さん:2008/03/24(月) 22:32:43
兼家の息子に僧正兼俊なる人物がいるけど道義=僧正兼俊かな。
154日本@名無史さん:2008/03/25(火) 00:27:27
先生質問です。
日本で最初に生きてる内に天皇辞めたのって誰でしょうか?

155日本@名無史さん:2008/03/25(火) 00:50:53
継体天皇の安閑天皇への譲位が最初の譲位とされているが、継体天皇は同日に崩御しているため、
皇極天皇の孝徳天皇への譲位が最初と見なされる事が多い。
156日本@名無史さん:2008/03/25(火) 01:14:41
生前の鎌足に送られた
「藤原」って姓の由来・意味は何ですか?
157日本@名無史さん:2008/03/25(火) 02:57:07
鎌足が住んでたとこの地名。
158日本@名無史さん:2008/03/25(火) 08:44:09
農民が名字を使うようになったのはいつごろからでしょうか?
159日本@名無史さん:2008/03/25(火) 11:14:09
>>139
ありがとうございました!よく分かりました!
160日本@名無史さん:2008/03/25(火) 17:19:54
今話題の隠岐の村上家は江戸時代の身分は何でしょうか?侍ですか庄屋ですか?
161日本@名無史さん:2008/03/25(火) 19:59:32
>>158
1870年に、平民苗字許可令により、苗字を持つことが許され、
さらに1875年に苗字必称義務令が制定され、苗字を持つことが義務化した。
162日本@名無史さん:2008/03/25(火) 22:21:58
>>161
ありがとうございます。

そんな最近のことなんですね。
163日本@名無史さん:2008/03/26(水) 01:44:01
なぜ藤原冬嗣が
初代蔵人頭に選ばれたのですか?
164日本@名無史さん:2008/03/26(水) 08:10:19
名字という表現が適切かわからんが、正倉院の戸籍計帳に載ってる農民には名字がある。
古代にはあった名字が中世に自粛かなんかで表立って名乗らなくなって近代に入って復活させられた。
165日本@名無史さん:2008/03/26(水) 13:00:27
>>164
以前、江戸時代の庄屋の書いた出納帳みたいなものを見たことがあるんだが、
藤原氏を称していた。もちろん名字は別にあって。
166164:2008/03/26(水) 17:48:39
>>165
ごめん、オイラに対してのコメントみたいだけど、オイラにどういうことが言いたいのかよくわからないんで、もう少し詳しく説明して
167日本@名無史さん:2008/03/26(水) 19:31:45
律令制度の戸籍に載っているのは名字ではなく氏です。
あれは豪族も庶民も持っています。
徳川家康の場合、徳川は名字で、氏は源、姓を付けると源朝臣になります。
近世において庶民は名字を名乗ることは禁止されましたが、
氏は生得のものであり、また姓は天皇から与えられたもの、
取り上げることは理論上出来なかったんでしょう。
168日本@名無史さん:2008/03/26(水) 19:35:51
百姓でも、公称はできなかったものの一応名字を持っているケースも多い。
んで、おれが見た家の庄屋の場合、一応藤原氏の子孫ということになっているので、
私的な(その一家内での)出納帳には、記載者の名前として藤原氏を名乗ってあった
169日本@名無史さん:2008/03/26(水) 19:48:38
中世において名字を名乗ることは誰かの家臣となることを意味したらしい。
従って荘園領主は荘民が名字を名乗ることを好まず抑制しようとした。
幕府が庶民の名字公称を禁止したのはその意味で士庶の区別をはっきりさせるためではないだろうか?
170日本@名無史さん:2008/03/26(水) 20:51:01
古代の政治史について何かいい本はありませんか?
推古天皇の時代や、天武天皇辺りの政治史について勉強したいと思いまして。

よろしくお願いします。
171日本@名無史さん:2008/03/27(木) 13:10:30
>>163
天皇への伝奏や取次、天皇に提出される書類の整理や保管は、
もともと女官である内侍司の職掌で、内侍司の長官を尚侍といった。
ところが、藤原薬子が尚侍として平城天皇と深い仲になった関係から、
女官が常に天皇に近侍して機密文書に深くかかわりすぎると、
天皇と深い仲になった場合天皇を誑かして政治を混乱させるとして、
天皇に提出する機密文書の整理・保管や、天皇の身の回りの世話の一部は
男性の蔵人に任せることになった。蔵人の長官が蔵人頭。

藤原冬嗣は、嵯峨天皇が皇太子に立った時から春宮亮として近侍、
嵯峨天皇の意のままにふるまったために嵯峨天皇は気心の知れた相手として信頼し、
冬嗣を初代蔵人頭として常に手元に置き、用事を言いつけた。
これが藤原北家台頭の原因ともなった。
172日本@名無史さん:2008/03/27(木) 14:58:35
初期北家は天皇側近のイメージ、内臣房前、聖武の寵臣八束(後真楯)、そして冬嗣。
その意味で鎌足の伝統を忠実に引いていると言え無くもない。
173日本@名無史さん:2008/03/28(金) 00:36:58
現在の標準的な日本語を使ってコミュニケーション可能なのはどれくらい前までの日本でしょうか?
1000年、2000年前の日本でも現在の日本語は通用しますか?
174日本@名無史さん:2008/03/28(金) 00:57:52
現在の標準的な日本語って武蔵+三河なワケだが…

2000年前は論外
1000年前でも化外の言語。通じる可能性は…
175日本@名無史さん:2008/03/28(金) 01:00:29
チョベリバとかナウなヤングとか
176日本@名無史さん:2008/03/28(金) 02:56:48
チョベリバはわかるけど、ナウなってなんですか?
177日本@名無史さん:2008/03/28(金) 03:21:14
今人   イマジン
178日本@名無史さん:2008/03/28(金) 06:51:10
ばかうけ
179日本@名無史さん:2008/03/28(金) 08:45:21
>174
現在の日本語は公家の言葉がかなり入っているよ。
明治期の教科書選定の際、共通語として採用されたのは
東京山の手の上流家庭の言葉。
ここで使われていたのは公家や大名末裔の人たちの言葉で、
公家は勿論、大名家でも代々公家から正室を娶っていたことで
かなり言葉が公家化していたらしい。
武蔵や三河の方言とはかなり違う。
武蔵の方言のままなら、いわゆる「べらんめい」調。
「あたぼう」とか「てやんでい」が標準語になってしまう。
180日本@名無史さん:2008/03/28(金) 12:01:59
X公家の言葉がかなり入っているよ
○公家の言葉がある程度入っているのはあたりまえ。

下町で使われてるのが昔ながらの「江戸弁」。
山の手は徳川家康が江戸に遷された時についてきた三河・遠州の武士・商人が住んだ所。
だからベースは三河弁。教養人っつうか後から来た人たちの言葉だね。

近代日本と「国語」  国立国会図書館
http://www.ndl.go.jp/jp/gallery/permanent/jousetsu150.html
現在では、「標準語」や「共通語」というと東京の言葉というイメージがありますが、中世から江戸中期頃までは、文化の中心は京都という認識から京言葉が標準の言葉であると捉えられていました。
日本イエズス会の宣教師が著した『日本文典(通称日本大文典)』(慶長9〜13年(1604〜1608))には、都(京都)の言葉遣いが最も優れており、言葉も発音法もそれに倣うのがよいとあります。
しかし18世紀も半ばを過ぎると変化が始まります。
中心都市として大きな発展を遂げた江戸には、参勤交代をはじめ全国から人の往来があり、江戸言葉が次第に全国で通用する言葉として使用されるようになっていきました。
181日本@名無史さん:2008/03/28(金) 12:27:05
vs武士なら語尾に「ござる」つければコミュニケーション可能な気がする。
「はじめましてでござる」

vs公家なら低BPM+裏声+語尾に「おじゃる」をつければコミュニケーション可能な気がする。
「ハ〜ジ〜メ〜マ〜シ〜テ〜デ〜オ〜ジ〜ャ〜ル〜」

vs江戸っ子なら鼻すすりジェスチャー+「てやんでぇ!」つけてから本題に入ればコミュニケーション可能な気がする。
「ススッ!てやんでぇ!はじめまして」

TVの影響なんだろうなぁ。
182日本@名無史さん:2008/03/28(金) 14:26:59
なんで幕府は、幕末の騒乱で物騒になってる京都に
近代訓練を施した幕軍をおかないで、新撰組みたいな不正規兵を雇ったの?
183日本@名無史さん:2008/03/28(金) 15:26:16
近代訓練を施した幕軍も新撰組と似たような愚連隊だったからな。
たまたま京都に派遣したのが新撰組になったちゅうこと。
184日本@名無史さん:2008/03/29(土) 00:40:20
タイタニック沈没って日本でのもそれ何のニュースにはなったんですか?
185日本@名無史さん:2008/03/29(土) 09:37:39
日本語でおk
186日本@名無史さん:2008/03/29(土) 10:17:59
「日本でもそれなりの」

でよい?
187日本@名無史さん:2008/03/29(土) 12:47:22
日本のデモ「それなに?」のニュース
188日本@名無史さん:2008/03/29(土) 20:17:12
代表的な姓として源平藤橘という言葉がありますが、橘氏は他の三氏に比べて大した活躍をしていないのに、
四姓に入っているのは何故ですか?
189日本@名無史さん:2008/03/29(土) 21:06:59
確か氏爵(氏からの推薦で従五位下になれる)の対象になるからだったかと。
190日本@名無史さん:2008/03/29(土) 22:09:13
女を奪って、子に殺された天皇だかが大昔にいた記憶があるのですが、わかるかたおられませんか?
お願いします
191日本@名無史さん:2008/03/29(土) 22:21:46
>>190
安康天皇だよ。女を奪ったはいいが、その連れ子の眉輪王に殺されたはず。
雄略天皇の前の代だったかな?
192日本@名無史さん:2008/03/29(土) 22:54:25
>>186
はい、そういうことです。

世界最大の豪華客船がいきなり沈没ってのは話題になったのでしょうか?
193日本@名無史さん:2008/03/29(土) 22:57:36
大名は、鷹狩りや乗馬は許されていたのに舟遊びは禁止されていたのいうのは
本当でしょうか?またその理由はなぜなのでしょうか?
194日本@名無史さん:2008/03/29(土) 23:50:23
国造はカバネですか?
195日本@名無史さん:2008/03/30(日) 00:06:46
国造の姓は一般的に直ですが、臣・君・連・国造などもあるそうです。
従って国造は姓でもありますが、ほとんどの場合は姓ではないです。
196日本@名無史さん:2008/03/30(日) 12:04:53
質問します。
対馬の宗氏は半島人の直系の子孫と考えていいですか?
197日本@名無史さん:2008/03/30(日) 13:59:12
>>196
なぜ?
198日本@名無史さん:2008/03/30(日) 14:46:30
宗家は平氏を自称しているが惟宗氏の惟が脱落したものらしい。
惟宗の出自自体の問題はあるが(半島系の秦氏の系統だが宗家が本物かどうか?)、
宗家は普通に地方官人が武家化したもので、
宗家自身には特段の朝鮮系意識はないと思う。
199196:2008/03/30(日) 15:03:16
>>198
回答ありがとうございます。
対馬は半島の目と鼻の先だし
宗氏は漢字一文字の姓なので
てっきり半島人かと思ってました。
200日本@名無史さん:2008/03/30(日) 15:49:51
秦→惟宗→宗

いったん日本本土を経由して相当期間たってからの対馬上陸なので、
直系とは言えないな。
201日本@名無史さん:2008/03/30(日) 15:54:40
>>199
あまりにも短絡的な思考回路だね。
ちょっと調べればある程度は分かることなのに。
202日本@名無史さん:2008/03/30(日) 16:10:58
陶晴賢が朝鮮系と聞いたことがあるが、それはどうよ?
203日本@名無史さん:2008/03/30(日) 17:20:56
陶(すえ)っていかにも帰化人くさい名前だな。
204日本@名無史さん:2008/03/30(日) 17:27:36
大内とほとんど同じなので、
大内が朝鮮系を名乗っている以上、陶も朝鮮系ということになる。
205日本@名無史さん:2008/03/30(日) 17:55:58
大内なんて朝鮮系といっても、完全に日本人だしな。
陶はもっと新しい時代の渡来人かと思った。
206日本@名無史さん:2008/03/31(月) 01:08:06
大内氏の支族だよ陶氏は。
朝鮮系といっても、百済王族の末裔を名乗っているし、それ自体本当かも怪しいので、
大内氏=朝鮮民族という考え方はちと短絡的に過ぎる
207日本@名無史さん:2008/03/31(月) 02:24:32
古代〜近世の人間の平均寿命って何を基に算出してるんでしょうか。

教えてください。
208日本@名無史さん:2008/03/31(月) 02:29:43
日記。

あと、近代以前は乳幼児の死亡率が高いから、現代と同じ感覚で平均寿命という言葉を捉えると事実を見誤るよ。
209日本@名無史さん:2008/03/31(月) 02:58:23
ありがとうございます。

日記というのは、日記の「だれそれが何歳で死んだ」というのを平均して出すんでしょうか。
210日本@名無しさん:2008/03/31(月) 03:35:57
>>207
平均寿命(0歳平均余命)というのは、生命表というものを作成してはじき出される数字です。
地理学的なもの、考古学的なもの、人口学的なものといった様々な方法からのアプローチでデータが得られれば
古代のものであろうとも推計することができます。具体的には「あの地域での戸数がどれだけと書かれていたか」
「遺骨から大体何歳くらいで死んでいたか」「遺跡規模や食料事情から一定期間内の人口はどれだけだったか」
「現在から過去に向かってデータはどう逆算できるか」などなどです。
この中において、沢田吾一が拓いた数理歴史学は大きな貢献をしています。

明治時代には戸籍が整備されましたが、江戸時代には人別帳がありましたし、それ以前でも租税や戸数、過去帳
などの記録を探れば大まかなことはわかるのです。
211ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2008/03/31(月) 03:50:40
江戸時代なら宗門改帳から調べられるけど平均40ちょいくらいみたい。
人間50年になったのは戦後になってから
212日本@名無史さん:2008/03/31(月) 12:44:40
うろ覚えでスマンが縄文時代の平均寿命は20歳ぐらいだけど、
成人した場合の平均寿命は50歳弱って読んだ覚えがある。
213日本@名無史さん:2008/03/31(月) 16:40:59
ニュー速報+で

144 名前:名無しさん@八周年[sage] 投稿日:2008/03/31(月) 16:38:37 ID:scg+9NtE0
なんで批判されてるのかわからない。
障害児の育児に疲れ果てて無理心中するケースが毎年発生している事から考えて、
赤ちゃんポストはこういう事の為の暗黙の対処法として使われるのが
これから社会体制で噴出してくるであろう諸問題(少子高齢化、高齢出産)
を解決するのに一番有効なやり方だと思う。
江戸時代は幕府が引き取って、幕府が障害児を処刑していた。
不幸で残念な事だけどこれは必要な事。


こんなレスみたけど、幕府が障害児を処刑していたって本当?
214日本@名無史さん:2008/03/31(月) 19:23:52
嘘。
耳が聞こえなくとも農作業はできる、
目が見えなければ検行になる。
昔のほうが障害者が自立する道は開かれていた。

ところで、障害児の育児に疲れて無理心中って、
どれくらいの割合で発生してるの?
健常児の育児に疲れて虐待死させてる割合のほうが
多いような気もw
215日本@名無史さん:2008/03/31(月) 20:46:27
座頭の官金は保護が手厚く行きすぎて偉いことになり、
見せしめ的に当道幹部が処罰されたことがある。
付け届けが不足だったのか、さすがにやりすぎたのかはわからないけど。
216日本@名無史さん:2008/03/31(月) 20:56:23
江戸時代の死刑って代々の山田浅右衛門が一人で処刑していたんですか?
それとも浅右衛門が出てくるのは何か特別な時だけですか?
217日本@名無史さん:2008/03/31(月) 21:31:51
本来は同心が斬刑を執行すべきものですが、
代理として私的に頼むようになりそれが慣習化したようです。
従って山田浅右衛門は死刑執行官として公的役職には就いておらず、
首切り役人という表現には問題があります。
山田浅右衛門は「公儀御刀剣試御用」と言う肩書きを持っており、
死体を用いて刀剣の試し切りの方が本業でした。
元々は山野家が行っていましたが家業に嫌気が差した三代名が仏門に入り、
弟子であった初代山田浅右衛門が公儀御刀剣試御用となったそうです。
故障があるときは内弟子が代行したようです。
なお大阪町奉行所の方は一時期首打ち足軽(首切りだったかも)とか言う存在を、
奉行所として雇っていました。
実質同心待遇だったようですが、不届きとして新任奉行に首にされました。
218日本@名無史さん:2008/03/31(月) 23:59:13
日本で家の中に入るとき、靴を脱ぐようになったのはいつ頃ですか?
また、なぜ靴を脱ぐようになったのでしょう?
219武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/04/01(火) 00:02:10
>>217
あなたに訊いてもお門違いでしょうが、山野ノブスマと言う方はその「山野」のに基づいてハンドルネーム付けたんでしょうか?
どうでもいいですが、難民板の『壇ノ浦…』についてのスレで、
山野氏に向けてレスしたのですが、まったく応答なしで往生しております。
腹痛で寝込まれてでもいらっしゃるのでしょうか?
ところで大嫌いな映画に『仁義なき戦い』というのがあって、
ある親密な関係にある人間に「すばらしい映画だから観ろ!」と言われちょっと前に観ました。
映画の中でいざ殴り込みかなんかのとき、「腹痛てぇ」とか言って戦いの場から離脱する男性がいましたが、
いざという大事なときに腹痛とは、よっぽど不運な人だなぁ、という感想を持ちました。
まあ映画自体汗臭くてウンザリしましたけど。
山野氏もやはり不運な方なのでしょうか?
ところであなたに訊きたいのは、分かりきった市販の書物にも載っているような浅右衛門の知見じゃなくて、お墓のことです。
私は実見しましたが、豊島区新宿区ほかあちこちに代のちがう浅右衛門の墓が散らばっています。
これはなぜですか?
ご教示お願いします。
220武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/04/01(火) 00:05:15
>>214
確かに制度的にも盲目の場合生業は多いが…
君は子返し、座敷牢って分かる?
連投ごめん
221日本@名無史さん:2008/04/01(火) 00:28:29
>>220
そういう側面もあったという話だろうね。
222日本@名無史さん:2008/04/01(火) 00:44:26
これの七枚の扇の中に描かれている図って何か分かりますか?
七草かと思ったんだけど、一つは松島かなと思ったんですが?
http://www.seospy.net/src/up7857.jpg
223日本@名無史さん:2008/04/01(火) 00:52:06
>219
>山野ノブスマと言う方はその「山野」のに基づいてハンドルネーム付けたんでしょうか?
違う

>山野氏に向けてレスしたのですが、まったく応答なしで往生しております
よくあることだ気にするな

>ところで大嫌いな映画に(ry
つ[か・が・み]

>私は実見しましたが、豊島区新宿区ほかあちこちに代のちがう浅右衛門の墓が散らばっています。
>これはなぜですか?
質問の意図が不明確
224武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/04/01(火) 01:43:32
>>223
なぜ代のちがう墓があちこちの寺にあるかってことを訊いてる。
頻繁に菩提寺が変わったのか?
ま、どうせ君には答えられまい。
ていうか寺で訊いた方が早いこと敢えて訊いたのは、
そこいらの本(稲垣史生とかでもね。稲垣を貶めてる訳じゃないんで念のため)にも載ってること得々と書き込むなよ、って皮肉さ。
まあ山野氏は腹が痛いんで決まりだなW
ご自愛下さいってとこだ。
君からもよろしく言っといてくれWWW
また来るぜW
おやすみ('-^*)/
225日本@名無史さん:2008/04/01(火) 01:57:55
何故尾張徳川家からは
将軍が出なかったのか?
226日本@名無史さん:2008/04/01(火) 02:28:55
何でもいいが、wは小文字にしてくれないか
227日本@名無史さん:2008/04/01(火) 20:46:29
鎌倉時代の北条氏は最盛期に滅んだと何かの本に書いてあったのを覚えているのですが、
最盛期に滅ぶというのはありえるのでしょうか?
普通は衰退して滅ぶのでは?
228日本@名無史さん:2008/04/01(火) 20:53:59
気になったことがあるので質問に来ました。

http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org7867.jpg
この画像の真ん中にある壷のようなものは、
なんで半分だけ外に出ているのでしょうか?

予想などでもいいので、よろしくお願いします。
229日本@名無史さん:2008/04/01(火) 21:01:50
三種の神器って全て紛失済みで、今あるのは代わりの物だと聞いたんですけど、本当ですか?
源平合戦やいろんな戦火で全て紛失したと。
230日本@名無史さん:2008/04/01(火) 21:13:11
百済は天皇の属国
231日本@名無史さん:2008/04/01(火) 21:18:39
>>227
ありうる。
相手が危機感を感じ、潰しに掛かり、彼らのほうが強ければ、これから伸びるはずの集団も潰れる。
組織が天寿を全うする、というのは実際は稀なことだ。

ローマ帝国は天寿を全うしたかもしれない。
しかし、カルタゴは天寿を全うしたか?

北条氏の場合、守護などとして一門が領域に君臨していた国の総数は、末期が一番多い。
元寇の時九州に下向した鎌倉御家人が多かったのは、関東では北条氏の圧迫で生存の危機にあったからだ。
足利氏も後醍醐天皇の挙兵に応じるまでは、北条氏の下で逼塞していた。

北条氏は一門としては繁栄の絶頂にあり、それゆえに他の全ての人々にとって許せない存在と化していたのだ。
232日本@名無史さん:2008/04/01(火) 21:28:24
>>227
最盛期に滅んだというよりは、むしろ目に見える衰退期がないという
ことなのだと思う。

のちの室町幕府や江戸幕府には明確に衰退期といえる時期がある。
室町幕府の場合は最後の70〜80年くらい時間をかけて徐々に衰退していって
最終的に滅ぶというイメージだし、江戸幕府に関しても室町幕府ほどでないに
せよ約15年の幕末動乱期を経て滅亡している。

それに対して、鎌倉幕府は最末期まで政権としての幕府の権力は割としっかり
していたものが、いきなり情勢が180度ひっくり返って潰れたという感じが
あるからね。
もちろん表面的には絶対的な権力に見えても内部がガタガタだったという
こともいえなくはないが、徐々に幕府の権力が弱くなって最後にトドメを
刺されるって感じの滅び方じゃないから、目に見える衰退期というのが
見出しにくい。
233日本@名無史さん:2008/04/01(火) 21:28:45
徳川家重の女性説って何の根拠があって囁かれているのですか?
家重が女性であれば、何の問題もなく宗武が嫡男になるはずですし、
家重が女性であれば、徳川家治、清水重好の父親である人物の名前が挙がらないのも不自然です。
234日本@名無史さん:2008/04/01(火) 21:47:52
>233
徳川家墳墓調査で発掘された家重の骨が女性っぽかったというのをなにかで読んだことがありますが
単なる与太話だと思っていたのでどこで読んだか覚えていません。
235日本@名無史さん:2008/04/01(火) 23:44:19
与太話にしても、骨格だけで女性説をこじつけられるものだろうか。
上杉謙信女性説と違って家重は独身でもないし、宗武を差し置いてまで、
家重を将軍にしなければいけない理由もない。
236日本@名無史さん:2008/04/02(水) 00:02:27
徳川将軍って
戦国時代をまともに体験している家康や
かろうじてその最末期を体験している秀忠あたりと比べると、
家光以降の将軍の骨格はみんな華奢だっていうし。
237日本@名無史さん:2008/04/02(水) 11:35:56
>>236
家康の具足(熊毛のやつ)はかなり重いらしいし、家康はかなり年食うまで水練とかもやってたらしいので、
デブでもかなりのガチムチ体型だったというね。
238日本@名無史さん:2008/04/02(水) 12:06:58
>>225
鍛冶屋さんが、水で冷ますときの音が
<ビシュー>っていうより<キシュー>って感じだったからかな
239日本@名無史さん:2008/04/02(水) 15:46:33
>>225
尾張継友は藩主に就任してわずか三年で大した実績がない。
水戸綱條は老齢で、実子もいないので、紀州吉宗が選ばれた。
そして吉宗は自分の血筋で将軍職を独占したいが為に、御三卿を作って、御三家を将軍候補から排除した。
240日本@名無史さん:2008/04/02(水) 17:57:33
まあ当時から落語のネタになったくらいだから尾張はなさけない取り巻き
しかいなかったのだろう
241日本@名無史さん:2008/04/02(水) 22:06:49
尾張はものなりがよくてジタバタする必要もなかったんじゃない?
引き換え、紀州はねえ。
242日本@名無史さん:2008/04/02(水) 23:33:36
>>236
徳川将軍の骨格は、秀忠までは戦国武将のそれとほとんど変わらないが、
家光以降は目に見えて違うようだ。

秀忠は一般に他の兄弟と比べるとあまり武闘派的なイメージはないが、それでも
戦国大名の子息としての教育・訓練は、ひととおり受けていたのだろう。
243日本@名無史さん:2008/04/03(木) 00:21:03
美濃・尾張を支配すると「身の終わり」になるんだっけか?
244日本@名無史さん:2008/04/03(木) 01:11:56
田沼家って
急に登場したと思ったら
吉宗と一緒に紀州から来たんだな
245日本@名無史さん:2008/04/03(木) 11:42:25
おススメの大学受験用の教材を教えてください。お願いします
246日本@名無史さん:2008/04/03(木) 12:21:49
>>245
君ねえ・・・
大学ってたくさんあるの知ってる?それぞれ到達度が違うのも。
しかも君自身の学力も何も分からんし、それでオススメって・・・

受験勉強する前に、人に何か尋ねる時には何が必要か学んだ方がいいよ。
あと受験ネタはそういうスレに行くといい。
247日本@名無史さん:2008/04/03(木) 13:37:48
吉宗の父や兄が死んだ時期や吉通、家宣、家継が死んだ時期には、
何らかの疫病が流行っていたのですか?
吉宗の陰謀かと思いましたが、そう都合良く何人も毒殺できるとは思えません。
248日本@名無史さん:2008/04/03(木) 13:38:34
>>245
視力を鍛えろ。
249日本@名無史さん:2008/04/03(木) 13:56:24
>>245
漫画「日本の歴史」全巻を何度も読め


250日本@名無史さん:2008/04/03(木) 20:49:27
>>245
とりあえず>>1を見て下さい。

>日本史総合スレpart7(大学受験板)←受験勉強の日本史についての質問はこちらで。
>http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/kouri/1202388925/
251日本@名無史さん:2008/04/04(金) 00:19:43
江戸時代の農民は苗字があっても、公的に使えなかったと言いますが、
例えば、○○衛門が代々続く家の場合に、おじいさんと父親と子供すべてが
同じ通称名で呼び合うとややこしいと思うのですが、当時どのように呼んでいたのですか?
252日本@名無史さん:2008/04/04(金) 00:44:50
>>251
ご隠居、旦那、若様。
253日本@名無史さん:2008/04/04(金) 00:50:15
水戸黄門か?
254日本@名無しさん:2008/04/04(金) 01:01:56
>>252
まぁ正しいと言えるよ。
あとは「古○○」という言い方もある。
たとえば武田信繁(古典厩)-信豊(典厩)というパターン。
これは唐名の接頭語といえるけれどね。
255日本@名無史さん:2008/04/04(金) 01:10:37
江戸時代の名主や庄屋は(諱・いみな)をもっていた例はありますか?
「諱」の使用者範囲はどの階層まであったのでしょうか?


256日本@名無史さん:2008/04/04(金) 03:07:34
>>255
俺が古文書読んでたときに見た庄屋の家の文書には「○○家栄」(○○は姓)とあったけどね。
庄屋などの場合、先祖が武士で帰農したというケース(自称ふくむ)が多いので名乗っていたと思う
257日本@名無史さん:2008/04/04(金) 07:30:01
エタ非人はどんな名前使ってたの?
てか、どんな生活してたの?
258日本@名無史さん:2008/04/05(土) 15:39:48
しょうもないネタふるな
史ね
259日本@名無史さん:2008/04/06(日) 15:33:45
江戸時代に書かれた古文書の中にある数行程度の文章(かなの崩し字)を
解読してもらえるようなスレはないでしょうか?
260日本@名無史さん:2008/04/06(日) 16:05:49
>>259
ここに写真をアップすれば
誰かが解読してくれるんじゃないかな?

その時暇だったら俺も読むけど
261日本@名無史さん:2008/04/06(日) 23:20:41
質問いたします。

いま、手許に有る古い「日本史辞典」(角川書店 昭和41年発行)の付録である
年表を読んでいたら、1418年の欄に
「この頃、武蔵の一揆勢、鎌倉幕府方として活躍」
との文言が載っています。

おそらく、鎌倉公方の誤植だとはおもうんですが
なにせ中世の歴史に疎いもので、「ひょっとして、このころまで東国で北条家
周辺の旧鎌倉幕府勢力が余喘を保っていたのかも・・・」という疑問が
湧いてきました。

もし、この1418年頃(応永年間)の武蔵での一揆について御存じであれば
どんな一揆だったのか、ご教示願えませんでしょうか?
262259:2008/04/07(月) 03:05:41
>>260
日本史学とは関係のない内容の文章で恐縮なのですが、下リンク画像中の見出し「野槌 漢名千歳蝮」から
次の見出しの「木曾古道」うんぬんの手前までが読みたい部分です。
・国立国会図書館近代デジタルライブラリー蔵書の信濃奇勝録14ページ
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40008765&VOL_NUM=00001&KOMA=14&ITYPE=0
・画像直リン
http://kindai.ndl.go.jp/scrpt/jgmWeb.dll?ImageOut?p=65/40008765/00001/0014.dir/04-0/1028-825/a-2056-1648.jpg
263日本@名無史さん:2008/04/07(月) 03:58:11
>>261
時期的に上杉禅秀の乱の残党掃討作戦か何かだろ。
264日本@名無史さん:2008/04/07(月) 14:46:55
幕末の旗本婦人・井関隆子の日記を披見して居りましたところ、天保12年の記事に
「京都よりお下りになる姫宮(伏見宮貞敬親王の息女・苞姫)」なる人物が
出て参りました。
この伏見宮貞敬親王の息女・苞姫とは、誰の正室に成った女人なのでしょうか?
確か伏見宮貞敬親王の姫は二人、それぞれ御三卿に入輿していたかと記憶して
居りますれど、そのいづれかなのでありましょうか?
是非にもお教え下さりませ。
よしなに。
265日本@名無史さん:2008/04/07(月) 16:00:53
天保12年(1841年)に江戸へ下った伏見宮貞敬親王の王女は、
同年12月2日に一橋家当主徳川徳川慶壽と婚礼を挙げた
東明宮直子女王のことであると思われます。
ほかに伏見宮貞敬親王の娘で御三卿に嫁いだ姫宮としては、
清水家徳川斉明へ嫁いだ直子内親王の姉教宮英子女王があります。
266265:2008/04/07(月) 16:02:48
直子内親王→直子女王です。
267日本@名無史さん:2008/04/07(月) 22:03:43
臣籍降下した者が皇位継承権を失うというルールはいつ定着したのですか?
実際に皇位を継承したのは源定省→宇多天皇の一例のみですが、
称徳天皇が崩御した時も、文室浄三と文室大市が後継候補に上がっています。
268261:2008/04/07(月) 22:42:07
>263
ありがとうございます。

やはり、「鎌倉幕府」は誤植ですよね?
269日本@名無史さん:2008/04/07(月) 23:09:58
>>261
余計なお世話かもしれないけど、この時期の一揆というのは反乱のことではなくて『集団』程度の意味。
この頃、上野、武蔵の小中武士団が団結して『白旗一揆』という軍団を形成していた。
これはその武州白旗一揆が鎌倉府(鎌倉公方)側として参戦したということでしょう。
270武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/04/07(月) 23:59:28
>>261>>268
…管見の範囲で唯一異説を掲げるのが、角川『日本史辞典』(1965年初版、1974年第二版)
の「従来、南北朝時代の書とされたが、近世初期成立説が有力」との記述である。
しかし、そのような「説」はどこにあるのか。
(…略…)管見に入った研究論文の中にも、また『群書解題』『日本古典文学大辞典』『国史大辞典』その他、
リファレンスに富む文学・史学双方の書目解題・辞典類にも、そのような「説」の存在を知ることができない。
何かの誤りとしか考えられないのである。


※和泉書院刊『保暦間記』佐伯真一氏の解題より。
どうでもいいがこの本に八千四百円はキツかった…。必要性はあったんだが…
まあ角川の日本史辞典いろいろ問題多いようだね。
271日本@名無史さん:2008/04/08(火) 00:52:19
>261

信州などでは、鎌倉幕府方を名乗る勢力が十四世紀後半に存在しましたが
十五世紀に鎌倉幕府方を名乗る勢力は存在しなかったかと…

ある程度の分量があるにもかかわらず、無謬の辞書や史料がもし存在するならば
それは稀有な例外として捉えるべきでしょう。あまり御気になさらなくてもよろしいのでは?
『大言海』や『広辞苑』が誤りをいくら指摘しても中中改めないことは、何度か新聞の記事でも見かけていますし(苦笑

個人的には数年前この板で『日本城郭体系』や『織田信長家臣人名辞典』の記述を鵜呑みにして恥をかいたことが
私にもありますorz
272日本@名無史さん:2008/04/08(火) 02:24:46
>>262
ちょっと今日は忙しかったので、明日以降に
それまでに誰かが答えてくれるかもしれないけど
273日本@名無史さん:2008/04/08(火) 04:55:45
>>265
まことに有り難う忝なう御座りまする。
因みに、教宮英子女王が清水家徳川斉明へ嫁いだのは何年のことだったので
御座いませうか?
274日本@名無史さん:2008/04/08(火) 05:02:24
>>265
まことに有り難う忝なう御座りまする。
因みに、教宮英子女王が清水家徳川斉明へ嫁いだのは何年のことだったので
御座ゐませうか?
275日本@名無史さん:2008/04/08(火) 10:23:15
百科事典の類は盗作予防としていつくかどうでも良いような項目で
フェイクが混ぜてあるって聞いたけど本当だろうか?
架空の島とか人物とか。
まあそれと誤りを訂正しないのは別の話だろうけど。
276日本@名無史さん:2008/04/08(火) 15:35:04
つまらない質問ですが、室町時代の地侍って、名主層の子孫がなった、という
ケースが多いそうですが、具体的には何をして食べてたんですか?
農家兼業もしてたのでしょうが、一般の農家より、村内の地位が高いとすれば、
農業作業に支障は無いでしょうか。

よろしくお願いします。
277日本@名無史さん:2008/04/08(火) 18:37:08
>>273
教宮英子女王が江戸へ下り清水邸へ入ったのは文政4年(1821年)9月。
徳川斉明と英子女王はこの4年前、斉明8歳、英子女王9歳のときに婚約していた。
徳川斉明と英子女王の婚礼が行われたのは文政6年2月13日。
278269:2008/04/08(火) 20:14:18
>>261
埼玉県史通史編などを見てみましたが、1417年ころから武州南一揆が鎌倉公方側で参加していたようです。
武州南一揆とは平姓秩父氏を中心とする氏族の連合『平一揆』が多摩川周辺の武士団の連合という地縁的な連合に変化したものです。
鎌倉幕府は鎌倉府(鎌倉公方)の誤植で間違いないと思います。
ただし武蔵の一揆勢がみな鎌倉府側だったわけではなく、武州北白旗一揆などは禅秀側だったようです。
279日本@名無史さん:2008/04/08(火) 22:21:49

数千人対20人!在日韓国人のデモに抗議!【前編】1/3
http://jp.youtube.com/watch?v=X2ldNpbuH5I&feature=related
数千人対20人!在日韓国人のデモに抗議!【中編】2/3
http://jp.youtube.com/watch?v=ADrX-wsQmUs&feature=related
数千人対20人!在日韓国人のデモに抗議!【後編】3/3
http://jp.youtube.com/watch?v=5AsEU5gEEGo&feature=related

長編ながら最後まで見てしまった。
感動した俺は日本人であり、もしかすると立派な右翼なのかもしれないww
ちょっと古いけど、見ていない人はぜひ見てよ。
普段思ってる事をこの20人は在日朝鮮人にしっかりと言い放ってくれたぜ。

『ゴミはゴミ箱へ!、朝鮮人は朝鮮半島へ!』
280日本@名無史さん:2008/04/08(火) 22:40:45
たぶん京都の寺(城?)か何かで
主が死んだ後に家来達が全員切腹して
血だらけになった床を天井にした建物があると思うんですが
どなたか心あたりないですか
記憶が曖昧ですいません
281日本@名無史さん:2008/04/08(火) 23:08:06
関ヶ原直前
伏見城に篭った鳥居ら徳川軍は西軍の猛攻を受け落城、全員討ち死にした。
そのときの血染めの床板を天井板にして本堂に使った寺が、ある。
282日本@名無史さん:2008/04/08(火) 23:15:45
>>281
そ れ だ !
親切にありがとうございます
これで気持ちよく眠れます
283日本@名無史さん:2008/04/09(水) 00:04:32
>>280
養源院です。京都の三十三間堂のすぐ近くにあります。
ちなみに、拝観の際に、お寺の方が解説してくださいますよ。
機会があればご覧になってはいかがでしょうか?
284日本@名無史さん:2008/04/09(水) 00:15:30
養源院だけじゃなく源光庵、正伝寺、宝泉院、興聖寺にも伏見城から
持ってきた床を使った血天井あるよ。解説の有無は知らんが。
285日本@名無史さん:2008/04/09(水) 21:29:22
>>282
お前質問する前にちゃんとぐぐったんだろうな?
ここは学問板なんだから、そのへんの駄板みたいなノリで質問されても迷惑なんだよ。
286日本@名無史さん:2008/04/09(水) 23:27:50
山中鹿之助(幸盛)は尼子家再興のため働き、武士の鏡と言われますが、
主君のために忠誠を尽くして働くという武士道は、江戸時代以降のことであり、
戦国時代の武士道は、藤堂高虎のように自分の出世や一族郎党の発展のために、
主君をたびたび変えたり、生き残るために主君を裏切るのは普通だったと言います。
山中鹿之助は何故、江戸時代以降の武士道のような考えを持つようになったのでしょうか?

287日本@名無史さん:2008/04/09(水) 23:37:29
ではない。
山中鹿助(「鹿之助」は後世の改変)は、尼子をかつて裏切ったこともある。
数度の尼子復興挙兵も、織田勢力を頼んだ領地入手の望みだったと考えるべき。

本能寺の変の時、羽柴秀吉はいち早く毛利と和睦をして明智を討ったが、
この時点で中国地方の反毛利独立勢力は、秀吉に見捨てられた。
その為、見捨てられた山中鹿助の最後が、殊更に悲劇的に見えるようになってしまった。
これは山中鹿助自身も意図していなかったことであった。
288日本@名無史さん:2008/04/09(水) 23:48:28
>>285
ここも駄板じゃん
会津厨と薩長厨、南部厨と津軽厨が罵倒しまくっている板なんて駄板の標本になれるw
289日本@名無史さん:2008/04/10(木) 11:10:33
50町歩で500石というのは田圃としては良田になるの?
290日本@名無史さん:2008/04/10(木) 12:14:17
平安後期〜鎌倉初期に始まる武家の系図を見ていて気になったことが
あったので質問させてください。
伊達氏は鎌倉初期から始まっていて島津氏あたりと歴史の長さは
同じくらいですが(伊達宗家の現当主は34代目、島津宗家の現当主は32代目)、
伊達氏は島津氏や足利氏などに比べて庶家の系譜が著しく不明確なのは
何故にでしょうか?
南部氏や松浦氏のようにどの系統が嫡流か疑義があるという訳でもないのに。

このケースに限らず、有名な武家の場合においても、その庶家については
文献をちょっと調べただけでは系譜が分からないような家が多いですが、
これは「子孫はいるが系譜がごちゃごちゃになってしまっていて
今はもうよく分からない」というケースが多いということなのでしょうか?
庶家の子孫がことごとく絶えたということは考えにくいですし
(鎌倉執権の北条氏みたいに一門が玉砕というケースは例外)。
291日本@名無しさん:2008/04/10(木) 13:02:39
>>290
ここ(↓)の作者さんが詳しいです
http://www008.upp.so-net.ne.jp/tomeas/

292日本@名無史さん:2008/04/10(木) 22:23:11
幕末・明治維新のテレビドラマや映画で、錦の御旗とともにながれる音楽(新政府軍の鼓笛隊が弾く音楽、行進曲?)はなんという音楽ですか?
293日本@名無史さん:2008/04/11(金) 00:28:59
「宮さん宮さん」又は「トンヤレ節」
294日本@名無史さん:2008/04/11(金) 08:22:28
>>277
まことに有り難うございました。
295日本@名無史さん:2008/04/11(金) 14:27:59
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1201002621/1-100
最古のおにぎり?が上杉景虎自刃の城跡から発見
296292:2008/04/12(土) 01:32:12
ありがとうございました。
297日本@名無史さん:2008/04/12(土) 01:42:28
894年に遣唐使の派遣を見合わせて、その後、唐王朝が滅びてしまい遣唐使制度はなくなりましたが、
遣隋使の後で、隋が滅んで唐が誕生しても、また遣唐使を派遣したように、中国に再び統一王朝、宋が誕生しとき、遣宋使を派遣しなかったのはどうしてでしょうか?
298日本@名無史さん:2008/04/12(土) 01:57:52
姫路城の天守閣に居たという刑部姫の伝説に関して伺います。
児小姓の森田図書(十四歳)が、一人で天守の七階目へ上って行き、
刑部姫に会ったという例の話ですが、この時の姫路城主が「松平義俊」と
記されて居ります。
ところが、徳川時代に「松平義俊」なる姫路城主の名前は見当たりません。
この「松平義俊」という人物は一体だれのことを指しているのでしょうか?
また、何か憚るところがあって実在人物の変名として記されたのでしょうか?
日本史には全くの門外漢ですので、勘違いしているのかも知れませんが、
なにとぞ宜しく御教示下さいますよう御願い申し上げます。
299日本@名無史さん:2008/04/12(土) 13:54:05
平成20年2月9日(土)日本国民から在日側への本格的なカウン ターが始まりました。
史上初!民団前の大規模抗議活動(その1)
http://www.youtube.com/watch?v=UZ7e8Jt8CfI
史上初!民団前の大規模抗議活動(その2)
http://www.youtube.com/watch?v=0dRODB1cEtw&feature=related
300ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2008/04/12(土) 14:44:01
宋が日本にとって脅威ではなかったからでしょ。
301日本@名無史さん:2008/04/12(土) 20:54:30
>>297
国風文化という言葉に象徴されるように、外国におもねる必要がなくなったから
足利義満が遣明する時、知識人層からの反対が多かった
302日本@名無史さん:2008/04/16(水) 13:18:08
福知山の稲葉紀通が領民たちを首だけ出して生き埋めにして全員
惨殺したという史話の典拠は、何という文献なのでしょうか?

303日本@名無史さん:2008/04/18(金) 01:27:29
歴史に関係した職業というと、教員や学芸員、研究職のほかにどんなものがあるんでしょうか?
304日本@名無史さん:2008/04/18(金) 02:40:22
持統天皇って
天智天皇の娘なのに
天武天皇の后って一体どうなってるんですか?
305日本@名無史さん:2008/04/18(金) 03:23:01
中世頃までの日本では叔父と姪なんて大して珍しくもない。
聖徳太子の父ちゃんと母ちゃんなんて兄弟だぞ(他にも類似例多数)。
306日本@名無史さん:2008/04/18(金) 04:43:37
后が姪っ子という例はその後にも淳和天皇や後朱雀天皇がある。
村上天皇なんかは二人の兄の娘を女御にした。
逆に藤原光明子・藤原威子・西園寺公子etcは甥っ子の后になってる。
307日本@名無史さん:2008/04/18(金) 14:30:28
この時期、天皇家の尊貴な血を守るために、同族婚が奨励されていたと考えられる。
古代エジプト王家でも同様の思想が見られ、有名な女王クレオパトラは
親の命令で実の弟と結婚している。

日本においても、
敏達天皇ー推古天皇(兄妹婚)
用明天皇ー穴穂部間人皇女(兄妹婚)
桓武天皇ー朝原内親王(兄妹婚)
平城天皇ー大宅内親王・甘南備内親王(兄妹婚)
嵯峨天皇ー高津内親王(兄妹婚)
淳和天皇ー高志内親王(兄妹婚)

など、近い近親婚の例がよく見られた。
また、貴族の間でも一族の結束を深めるための同族婚が多く、
藤原不比等が異母妹の五百重娘(もと天武天皇妃)を娶ったのをはじめ、
藤原氏内部での近親婚の例も用例が多い。
308日本@名無史さん:2008/04/18(金) 21:45:32
受験生ですが
日本史暗記するのに一番効率の良い方法って?
書いて覚える
それとも何回も読むの?
スレ違いm(__)m
309日本@名無史さん:2008/04/18(金) 22:14:55
ひたすら2ちゃんにカキコする
310日本@名無史さん:2008/04/18(金) 23:12:34
徳川家光が家康と春日局の息子という俗説の信憑性は皆無と言って良いのでしょうか。
家康と春日局の息子なら家康の死後に廃嫡されるべきだし、
秀忠と春日局の息子というのも、保科正之がお江与の生前は、
面会すらしようとしなかったことから無理があります。
311日本@名無史さん:2008/04/18(金) 23:38:52
明治を題材に短い劇をするんですが
何かアドバイスください。
希望としては、明治で終わったものを探しています。

なぜかと言うと明治は文明開化と言う言葉に代表されるように
日本の夜明け的な時代なのですが絶対に終わったものがあると思うからです。
でも侍とかベターな路線はいやです。

アドバイスお願いします!
312日本@名無史さん:2008/04/18(金) 23:39:39
>>310
「二世こんけん」を根拠にしたがる人もいるようですが、はっきりいってまったくないです。
正直、八切止夫レベル以下だといっていいでしょうね。
313日本@名無史さん:2008/04/18(金) 23:55:29
武士が商売することを
なんと言ううんでしたっけ?
314武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/04/19(土) 00:52:02
>>303
編集者。
315日本@名無史さん:2008/04/19(土) 01:07:00
>>303
コーエーに入社しておもしろいSLGを作ってくれ。
316日本@名無史さん:2008/04/19(土) 01:50:48
平成20年2月9日(土)日本国民から在日側への本格的なカウン ターが始まりました。
史上初!民団前の大規模抗議活動(その1)
http://www.youtube.com/watch?v=UZ7e8Jt8CfI
史上初!民団前の大規模抗議活動(その2)
http://www.youtube.com/watch?v=0dRODB1cEtw&feature=related
【ダイジェスト版】数千人対20人!在日韓国人のデモに抗議!
http://jp.youtube.com/watch?v=-7eKjWbF_M8&feature=related
外国人参政権を認めない!在日のメッカ・鶴橋駅前街宣!【前編】1/2
http://jp.youtube.com/watch?v=WhtPaiQGMxs&feature=related
外国人参政権を認めない!在日のメッカ・鶴橋駅前街宣!【後編】2/2
http://jp.youtube.com/watch?v=R0xbQvP7OMQ
朝鮮人慰安婦の謝罪・賠償要求デモを議員会館前で一蹴!【前編】1/2
http://www.youtube.com/watch?v=DvWVbj0-UcI&feature=related
朝鮮人慰安婦の謝罪・賠償要求デモを議員会館前で一蹴!【後編】2/2
http://www.youtube.com/watch?v=E5Av0PAIZCc&feature=related

317日本@名無史さん:2008/04/19(土) 02:43:44
昨日の攻撃は
韓国からだったようだな
318日本@名無史さん:2008/04/19(土) 21:19:29
天誅組やその他の反幕事件について語れるスレはありませんかね?
319日本@名無史さん:2008/04/20(日) 11:29:54
古事記や日本書紀の神話部分について、定説としては古代史上の位置付けはどうなっていますか?
弥生時代頃の事実を反映して物語にしたのか、大王を権威づけるための完全な創作なのか、
元が異なる各地の伝承を織り交ぜたスパロボみたいな作品なのか。

あと、これらの書はどう使われたのでしょう。当時は写本も大変ですし、文字を読めた人も限られるかと思います。

常陸国風土記にはヤマトタケルが大王として登場したり、どうもよくわかりません。
320日本@名無史さん:2008/04/21(月) 09:38:17
神話部分は文学の分野で研究されることはあっても
史学の分野で研究されることはない。
昔天孫降臨を読んで天皇の出身地は九州の日向だといった
研究者がいたぐらい。
そういえばスサノヲの有名な八岐大蛇の話、
地元の伝説を集めた「出雲風土記」には一切触れられず、
中央で作られた物語らしい。
321日本@名無史さん:2008/04/21(月) 11:34:24
そんなことはない。
322日本@名無史さん:2008/04/22(火) 01:08:06
興味があるので教えて下さい。

豊臣家は、滅びたと聞きました。
血筋も絶えたのでしょうか?

また、豊臣姓の人は、いるのでしょうか?
(いるなら豊臣秀吉と血縁関係(養子もある?)でしょうか)
323日本@名無史さん:2008/04/22(火) 01:52:12
血筋は秀吉の甥の豊臣秀勝と豊臣秀次の女系で残ってる。
秀吉の女系も一説に残っている。
男系は絶えてる。(生存説や落胤説もあるけど)

秀勝は娘の豊臣完子が公家の九条家に嫁いで、
その血は今の皇室にも入ってる(らしい)。
秀次は娘2人が秀次事件の粛清を免れたといわれ、
ひとりは公家の梅小路家に嫁いだ。
もうひとりは真田幸村の側室になって一男一女がいる
(ただ、秀次の娘ではないという異説もある)。
秀吉の女系は、秀吉の側室の徳子(徳殿)が娘を産んでいたというもの。
徳子の実家川副氏の史料で、その娘は丹羽家の家臣に嫁いだとあるらしい。
324日本@名無史さん:2008/04/22(火) 02:34:19

■「チベットを救う」日本人の気持ち■

http://www3.uploader.jp/user/bl_radio/images/bl_radio_uljp00017.jpg

まだ子供の顔を残したチベットのお坊さんたちは、外国の取材陣を前にして
「チベットに自由はない」と叫んだ。
自分の命をかけて叫んだ。
もし、長野でおこなわれる聖火リレーが、中国の赤い旗で埋めつくされたとしたら、
普段ネットを見ていない日本人の人たちは、
このお坊さんたちの叫びを知ることもできないだろうし、
知っていたとしても、忘れてしまうだろう。

それでいいのだろうか?
われわれ日本人ひとりひとりが、チベットの人たちの辛さと無念を胸に刻むことで、
こんな酷いものごとを変えることはできないだろうか?
もちろん、中国政府に訴えても何かが変わるとは期待できないと思う。
しかし、日本人の多くが“変えよう”と決意すれば、
いつかは変えることができるかも知れないではないだろうか?
われわれは、信念を貫きとおす力を持っている。

4月26日、長野に行こう。
チベット国旗を振ってもいい。
身ひとつのまま「チベットに自由を」と叫ぶだけでもいい。
われわれ以上にチベットのことを考えてくれた善光寺に
お参りするだけでもいい。
日本人は、まともな人間だということを、日本人自身に対して証明しようではないか。

■4月26日(土曜日)、長野集結をお願いします■

325日本@名無史さん:2008/04/22(火) 06:05:43
基本的な質問で失礼します

邪馬台国の場所が熱心に調査される最大の理由とはなんですか?
326日本@名無史さん:2008/04/22(火) 06:33:37
>>325
「魏志倭人伝」という資料があるから、推理感覚でとっつきやすいから
本出せば売れるから
327日本@名無史さん:2008/04/22(火) 07:27:45
>>323
ありがとうございました。
>>その娘は丹羽家の家臣に嫁いだとあるらしい。

ひどい扱い??

実子がいたのですね。
328日本@名無史さん:2008/04/22(火) 07:42:40
信長、秀吉、家康がいたので、天下を取ることができたと聞きました。

三人がそれぞれ別の人生を送っていたら、天下取りはは、無理だったのでしょうか?
(彼らは、ずば抜けた天才と言ってもいい人だったのでしょうか?それともどこにでもいる凄い人でしょうか?)
329日本@名無しさん:2008/04/22(火) 12:31:07
>>328
プロ野球選手になれなければ三冠王になることはできない。
これと同じように、彼らは大名にならなければ天下を取れない。
「無理だったのか?」という以前の話さ。ありえないことだよ。

天才というのは、並み居る達人熟練者の中でもずば抜けた人のこと…と、一応定義しておこうか。
でも実際、百人かき集めればこういう人が一人か二人は居る。どんなジャンル、どんなレベルであってもだ。
人は彼を天才と呼ぶ。でも彼は皆言う。

「私は誰にも負けまいと思って、皆と同じように思い、考え、鍛え、そして成った。
それのどこが特別だというんだい?見等もつかないよ。
確かに生きるか死ぬかの大勝負には何度か勝てた。運が良かったのは認める。
けれど、私は自分を特別だなんて思ったことはない」

天才なんてこんなもの。
だから「天才だったのか?」と論じることなど、何の意味もないんだよ。
330日本@名無史さん:2008/04/22(火) 12:47:52
>>327
ひどい扱いというか、別の人物の子孫を調べていた人が、
川副氏が今まで外に出してなかった文書類を見せてもらって
その存在を偶然知ったという感じらしいので。
信憑性はわかりません。
331日本@名無史さん:2008/04/23(水) 02:23:54
五畿七道の
五畿はどうやって選ばれたのですか?
格上のようだけど
332日本@名無史さん:2008/04/23(水) 08:14:15
五畿=都の近く。特に厳重な警護を必要とする。
七道=都から遠い。地方。

333日本@名無史さん:2008/04/23(水) 12:01:36
岡っ引について質問です。
岡っ引は同心に個人的に雇われている。
程度の知識しかないのですが、
@同心が雇いさえすれば岡っ引には誰でもなれるのか
(渡世人、前科者、女性等)
A同心は複数人岡っ引を雇う事は可能なのか
B同心が死んだ場合は岡っ引はそのままお払い箱となるだけなのか

の三点を教えて下さい。
お願いします。
334日本@名無史さん:2008/04/23(水) 13:38:40
あくまで非公式で存在を黙認されているだけだから当然正式の資格はない。
前科者はかまわないと言うかほとんどが前科者らしい。
地方の場合は渡世人が多いが、江戸ではばくち打ちは好まれなかったそうだ。
女性についてはそう言う発想自体がなかったと思う。
複数雇用も別に禁止はされていなかったはず。同心の考え次第では。
個人対個人の関係だから雇い主が死んだら当然関係は切れるが、
役に立つ人物なら別の同心が放っておかないだろう。
335333:2008/04/23(水) 15:31:15
>>334
詳しくありがとうございます。
336日本@名無史さん:2008/04/23(水) 17:06:20
よく時代劇で蟄居謹慎を食らって
それを恥じて腹を切ったりするシーンがありますが
勝手に切腹してしまうのは作法的にいいんでしょうか?
337日本@名無史さん:2008/04/23(水) 17:13:35
仕官の身として勝手に自らの命を絶つのは不忠なのではないか?
338日本@名無史さん:2008/04/23(水) 17:15:15
公式には病死とかにしておかないととがめを受けるのではないか?
病死と偽って表沙汰になればそれも処分対象だろうが。
339日本@名無史さん:2008/04/24(木) 10:11:56
秀吉の天下統一はヨーロッパによる日本の植民地化を防いだと聞いたのですが、本当ですか?
340日本@名無史さん:2008/04/24(木) 11:44:35
長崎は元々ポルトガルの租借地だったが、日本全土がヨーロッパの植民地になる可能性は低いだろうな。
341日本@名無史さん:2008/04/24(木) 18:35:09
>>330
ひどいというのは、家臣のそのまた家臣の家に嫁いだという話で
他の血縁者と比べてです。
その時にはもしかして、秀吉の権威が地に落ちていたのでしょうか・・・
そのように考えると感慨深いものを感じます。

ありがとうございました。
342日本@名無史さん:2008/04/24(木) 23:32:25
wikiにて疑問が…
忠臣蔵・大石内蔵助の息子、主税の項に「衆道(男色)の契り」
ってあったんだけど、主税ってホモなんですか?
343日本@名無史さん:2008/04/25(金) 16:14:20
質問します

天皇って普通、その天皇が亡くなったら新しい天皇が誕生するんだよね
つーことは鎌倉時代の天皇が引退して上皇になるってのは、ヘンじゃね??
このときにだけできた特例みたいなもんなの??

誰か偏差値の高いエロい人教えてください
344日本@名無史さん:2008/04/25(金) 16:38:27
天皇の退位は今は法律で禁止されている、昔は禁止されていなかった。
それだけ。
345日本@名無しさん:2008/04/25(金) 16:43:53
>>343
うんにゃ。
一番偉いヤシだから、いつ辞めるかはソイツが決めること。
だから「亡くなるまで天皇やれ」って規定は元々なかった。
今の典範では「亡くなるまで天皇」だがね。

成りたくて成ったヤシばかりではないし、辞めさせたいヤシも
いたりするもんだしね。

346日本@名無史さん:2008/04/25(金) 16:51:53
>>344 >>345
偏差値の高いエロい人、dクルコ
347日本@名無史さん:2008/04/25(金) 18:14:34
>>343
摂関政治→院政

って日本史のかなり基本だぞ。
348日本@名無史さん:2008/04/25(金) 18:38:12
>>343
確かに、古代の天皇は天皇が死んだら群臣が
次の天皇を推挙して即位していた。
だけど、乙巳の変(蘇我入鹿が殺されたクーデターね)の後、
皇極天皇が自ら生前退位して以来、
天皇は自らの意思で生前退位できるようになった。
男性天皇ではじめて生前譲位したのは聖武天皇。
上皇(正確には太上天皇という)はこのころから存在する。
349日本@名無史さん:2008/04/25(金) 21:31:54
>>348
当時,皇極天皇はよく生前退位できたよな.今も昔も慣例を覆すのは
容易ではなかろうに・・・
350日本@名無史さん:2008/04/25(金) 22:20:51
>349
> 当時,皇極天皇はよく生前退位できたよな.今も昔も慣例を覆すのは
> 容易ではなかろうに・・・

目の前で、蘇我入鹿が暗殺されたんだし・・・・・。
かなり異例の事態だと思うよ。
351日本@名無史さん:2008/04/25(金) 22:29:42
河豚との愛人関係の噂が本当にあったならむしろ引きずり下ろされた可能性もあるし。
352日本@名無史さん:2008/04/26(土) 16:06:39
隠し財宝を探しています。
連休中に探したいのですがどこかないですか?
353日本@名無史さん:2008/04/26(土) 16:35:39
>>352
日本政府の各省庁,大阪市など地方自治体
354日本@名無史さん:2008/04/26(土) 19:55:40
質問させてください。

昔は清などの皇帝に従属した地域を「国」と言っていたと思うのですが、
(奴国、邪馬台国、と「国」がつくのに大和国とは聞かないのでそう思ってます。)

なぜ、今の日本は日本「国」なのでしょうか?
西洋の国の考え方を当てはめるときに、別の言葉にするべきだったんじゃないかと思うのですが。

できましたら、今の中国もなぜ中華人民共和国と「国」が付くのかも教えて下さい。

もし、聞くべき板が違いましたら、誘導して貰えるとうれしいです。
355日本@名無史さん:2008/04/26(土) 22:10:52
age進行だったのにsageてしまいました。
申し訳ありません。
356日本@名無史さん:2008/04/26(土) 23:34:03
>>354
>昔は清などの皇帝に従属した地域を「国」と言っていたと思うのですが、

言っていません。終了。
357日本@名無史さん:2008/04/27(日) 00:42:12
山背大兄皇子は実は聖徳太子の息子じゃなかったんだよ、な、なんだってー
と言う話を聞いたことがあるのですが、なんかのネタ?聖徳太子はいないから息子もいないとか、
それとも山背と聖徳太子って実はまともな資料とかには出てこないの?

入鹿が蘇我の血の濃い山背を殺すなんておかしいよなとは思ったことあるけど。
358名無し募集中。。。:2008/04/27(日) 08:25:36
徳川慶喜公伝ってホントに渋沢栄一が書いたものなんですか(?_?)
359日本@名無史さん:2008/04/27(日) 09:25:58
>>354
現代における国家の概念と比較するのが間違い
360日本@名無史さん:2008/04/27(日) 10:44:48
>>358
渋沢の企画・プロデュースで本職の歴史学者が執筆・編集したもの。
だから、渋沢が著者というのは厳密にはウソ。
361日本@名無史さん:2008/04/27(日) 12:37:51
沖縄戦で沖縄空手の有段者達が、アメリカ兵を白兵戦でなぎ倒したりしたんでしょうか?
362日本@名無史さん:2008/04/27(日) 18:57:36
>>356
多分、封建された諸王の王国のことを言いたいんだろうけど、自分でその意味合いが理解できていないんだろう。
363日本@名無史さん:2008/04/27(日) 21:21:51
>>361
そもそも接近戦に持ち込む前に自動小銃で蜂の巣か火炎放射器でバーべQ
364日本@名無史さん:2008/04/27(日) 23:04:57
38 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2008/04/27(日) 11:45:44 ID:7/gC/bbw0
>>29
ただ一般の女にエロをやっちまうととんでもない罰が待ってるんだぜ

村上藩に
銭湯で、女の頭にチンポ乗っけた男が
全裸のまま奉行所へ召し捕えられて、全裸のまま判決を下され、全裸のまま流罪になっちゃった
なんて事例があるしな


速報+の某スレでこんな話がでていたが、本当ですかエロい人教えて
365日本@名無史さん:2008/04/28(月) 09:34:33
>>350
古代の天皇は自ら甲冑を身につけ戦争に行っていたくらいだから、
現代人の感覚で思うほど異常な事態でもない。
しかも、皇極天皇は重祚して斉明天皇となってから、
自ら朝軍を率いて白村江の戦いに出兵しているしね。
(このとき斉明天皇は67歳と当時としてはかなりの高齢で、筑紫国で没したが)。
皇極天皇の場合、乙巳の変を裏で操っていた弟孝徳の存在や、
入鹿が女帝と特別な関係にあったために連座したとする説まであるようだが。
366日本@名無史さん:2008/04/28(月) 10:12:54
解体新書ってなんであんなに翻訳に手間かかったの?
オランダ通詞に金出せば一発ジャン
367日本@名無史さん:2008/04/28(月) 10:22:34
>>366
手間かかったっていっても、翻訳開始から出版まで2〜3年だろ?
通訳に翻訳させてもそれくらいかかるだろう。
しかも、当時の日本にない用語だらけなので、
「神経」「軟骨」「動脈」「処女膜」
など新しい用語を杉田玄白らが作った。
オランダ通訳がそんな医学用語を思いついたかも疑問だし。
368日本@名無しさん:2008/04/28(月) 13:10:42
>>366
杉田は通詞にオランダ語を教えてくれって乞うたが「難しいですよ〜」って言われ断念している。
通詞できる人はそうはいないし、しかも口語専門。第一本業があるんで多忙。
そんなのにワケワカラン医学用語を突きつけたって、困るだけだろ。

杉田らはまずあの本から勉強したい。でも教えを乞える人は日本にいない。
んだったらもー「自分たちの医学脳を搾り出して何とか理解するしかねーべ」となるだろう?

あと、アレを翻訳しようとした動機は図表を理解・普及させようというもんだったので、
全文訳する必要はなかった。元が解剖書だしね、それで十分。訳も図表の注釈書きだけ。
でもそういう文章相手なら用語の克服(訳)ができんとどーにもならんわけで。
369日本@名無史さん:2008/04/28(月) 15:47:55
鴨長明って食べ物なんかはどうしてたの?
まさか自給自足じゃないよね?
370日本@名無史さん:2008/04/29(火) 06:43:01
現代人が昔にタイムスリップしたとして、言葉とか通じるのでしょうか?
方言とかあるので同じ地域の昔にタイムスリップしたとして、何時代くらいまでなら言葉が通じるのでしょうか?
現代人のほうはテレビでかじった程度の昔言葉くらいの知識しか無かったとして
5余裕で通じる
4なんとか通じる
3半分くらい通じる
2ほとんど分からない
1チンプンカンプンもう外国語
だと、各時代はどれくらいでしょうか?
371日本@名無史さん:2008/04/29(火) 08:40:35
戯作(滑稽本)や落語の台詞とか、口語体で書かれた勝小吉の自伝とか、
明治時代に口述筆記された旧幕臣の回想とかは現代人でも理解できる。

当時の流行語とか、いまでは廃れた言葉もあるが、江戸後期なら4だろう。
372日本@名無史さん:2008/04/29(火) 09:22:19
邪馬台国とかの時代だと、もう全然ダメでしょうか?
接続詞とか述語とかも全然違っちゃったりしてそうですか?
373日本@名無史さん:2008/04/29(火) 09:40:39
江戸時代末期だと向こうの言ってることは何とか分かってもこっちの意思を伝えるのに苦労しそう。
現在当たり前に使ってる漢字二字の熟語は明治維新後の翻訳語なわけで、今更これらの言葉抜きで
会話するのは相当な苦労を強いられると思われる。
374日本@名無史さん:2008/04/29(火) 09:51:30
なるほど
ありがとうございます
そういえばあんまり昔のは書状とかも残ってないから予想しようが無いですよね

でも名前が○○彦みたいなのもあるし、基礎的なとこは似てそうと考えてもよろしいでしょうか?
375日本@名無史さん:2008/04/29(火) 10:10:19
書状は候文のような文語体で話し言葉と全然ちがうので、あまり参考にならない。
江戸初期でも「おあん物語」のような、話し言葉で書かれた文章は意外と理解できる。

幕末人の言葉なら、「夢酔独言」「氷川清話」「福翁自伝」「旧事諮問録」などが
現役の武士だった人々の話し言葉を伝えている。
376日本@名無史さん:2008/04/29(火) 10:26:22
現代の言葉の変化は異常だが、外国との交流があれば当然新しい物も学問も入ってくるから、穏やかであれ常に言葉も変化してるであろうかと
ましてや2000年も昔とあれば1であろう
377日本@名無史さん:2008/04/29(火) 17:02:28
質問です。
蝦夷(えみし)ですが、
受験日本史では平安以降蝦夷に関する記述はなくなりますが、
この人たちはその後どうなっちゃたんですか?
大和朝廷に滅ばされるのか、
それとも奥州藤原氏のような東北の有力豪族になっていんたんでしょうか?
378日本@名無史さん:2008/04/30(水) 01:19:45
地蔵が多く出土する地域は歴史的に何かあった地域でしょうか?
379日本@名無史さん:2008/04/30(水) 01:53:15
>>377簡単に言うと蝦夷という区別をする必要がなくなった
380日本@名無史さん:2008/04/30(水) 15:37:29
古代史や当時の風俗について、客観的に現在明らかになっていることや諸説を載せている良い本はないでしょうか。
自説についても事実とは区別し、根拠や弱点を忌憚なく書いてあるものが良いです。
なるべく最新の発掘、研究成果が載っているものが望ましいですが、客観、平等を重視します。
難度は、論文ほど難しくなければ、専門書でも文庫の啓蒙書でも良いです。
381日本@名無史さん:2008/04/30(水) 17:33:57
>>380
もう、古代史や当時の風俗について考察した論文をだれか書いてくれって
言った方が早いんじゃね。典拠も明確にしてねとか付帯条件つけて。
382日本@名無史さん:2008/04/30(水) 20:20:45
>>381
そうなのですか。残念なことです。
一般人には様々な情報を集めたり、学会の状況をしるのは難しいだけに。
博物館のイベントを見学したり、毎年発行される遺跡発掘成果の案内書なんかは買えますけどね。
383日本@名無史さん:2008/04/30(水) 23:23:14
さあ、いいかげんに年号の暗記法を教えるんだ
384日本@名無史さん:2008/04/30(水) 23:28:40
題名忘れたけど、衛星映画劇場で新撰組特集があって
昔の新撰組の映画見てたら、服が赤色なんだけど
なんで、水色じゃないの?
2.・3本、新撰組の服が赤色だったよ・・・なんで?
385日本@名無史さん:2008/05/01(木) 00:20:32
>384
浅葱色のあれは後の世のエンタメの演出で広まって固まっちゃったイメージで
実際はほとんど着られてなかったって説があるよ。
386武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/01(木) 00:24:52
忠臣蔵の討ち入り時の扮装も
芝居と実相はかなり違うな。
387日本@名無史さん:2008/05/01(木) 01:33:08
芝居はどんなのなんですか?
実際は火消し装束ということでおk?
388日本@名無史さん:2008/05/01(木) 01:33:39
関東が
渡来人に開拓されたというのは本当でしょうか?
389日本@名無史さん:2008/05/01(木) 03:57:46
いいえ。
390日本@名無史さん:2008/05/02(金) 02:26:51
>>388 全部じゃないけど一部はそうだね
   だから朝鮮系の地名も探せば結構あるよ
391日本@名無史さん:2008/05/02(金) 09:57:10
渡来人の定義ってのがキーだね。

天皇家だって渡来といえば渡来。その末裔と言われる源平はどう考えるの。
3代続けば、もう地生え扱い?
392日本@名無史さん:2008/05/02(金) 10:18:55
>>388
厳密に言えば人類はアフリカ発祥だから,日本には渡来人しかいない.

旧人の化石が発見されているが,彼らは直系の先祖ではなくチンパンジー
とゴリラの関係と同じでDNA上,別種で既に絶滅している.新人がアフリカで
進化した段階で初めて世界各地に広がった.

したがって,アフリカ以外の各地(アジア,ヨーロッパ,アメリカなど)も同様に
渡来人しかいない.
393日本@名無史さん:2008/05/02(金) 12:02:52
>>388
日本海側の狭い地域であればありえたかもしれないが、関東を渡来人が開拓するなどありえない。

新聞の見出しに韓国人が発見・発明と書かれている記事をたまに見かけるけど、
本文を読むと韓国人が主要な役割を果たしたのではなく、スタッフの中にコリア系がいるというのと同じ。

地名にしても朝鮮人由来の地名はあるが、現代の朝鮮語と語感が似ているからといって、
数百年前から伝わっている地名が、当時の朝鮮語から名づけられたかどうかは確認のしようがない。

>>391
千年前にどの民族の血が雑じったかを論じたがるのはレイシストだけ、まともな人間はそんなことを気にしない。
394日本@名無史さん:2008/05/02(金) 15:22:44
ニュースステーションだったかな。秀吉の大陸進攻で連れてこられた陶工の子孫に「母国へ帰りたいですか?」と聞いたとか言う話を聞いたことある。
実際の映像は見てない。

その陶工の返事は「俺は日本人だ」
だったそうだ。
395日本@名無史さん:2008/05/03(土) 12:42:49
男谷精一郎と勝小吉は、なんでウマが合ったの?

片や文武に秀でた完璧超人で人格者。
片やヤクザまがいの放蕩者(一応インテリだが)。
ソリが合わない方が自然かと。
396日本@名無史さん:2008/05/03(土) 15:15:11
自然じゃないです、
397日本@名無史さん:2008/05/03(土) 18:47:34
大室寅之祐が明治天皇になりかわったというのは本当ですか?
398日本@名無史さん:2008/05/03(土) 21:24:02

【優秀】日本人は世界でもっとも優秀だな【無敵】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1201388376/l50
【世界史的に見て日本より凄い国は皆無だな】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1201277675/
世界史から見た日本の絶頂期
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1197543826/
日本は世界史的にみて特殊な国ではない
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1196598607/
日本史を世界の他の地域の歴史と比較する
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1193663529/
日本史はなぜ過小評価されるのか
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1190468324/
日本史>>>>>>>>>>世界史
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1181506827/
世界史の中の日本の歴史総合スレ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1115052237/
399日本@名無史さん:2008/05/03(土) 23:37:04
藤原田麻呂の死から藤原冬嗣の左大臣就任まで左大臣が40年間も置かれなかったのは何故ですか?
400日本@名無史さん:2008/05/03(土) 23:52:10
なぜでしょうね
401日本@名無史さん:2008/05/04(日) 00:16:16
古文の先生が、昔の京都の都大路は幅4メートル程度でエライ人が通る際は行列の
先駆けを出して叫んで回らないとダメなくらい狭かったといってましたが当時の主要街道など
も同様に道は今と比べて狭かったのでしょうか?
402日本@名無史さん:2008/05/04(日) 00:50:32
おしらせ

2ch サーバーダウン(鯖落ち)情報 part195
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/operate/1209117581/491

■ 収容サーバの移動に伴うサーバの書き込み機能の停止について

収容サーバの変更(banana3206 → banana3108)に伴う作業のため、
下記時間、該当サーバに収容されている板への書き込みができなくなります。
ご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。

日時: 2008年5月4日(日) 10:00-18:00 (予定)

※私が起きる時間や作業の進捗状況により、作業時間は前後する場合があります。

該当サーバ: science6 / academy6 / society6

該当板(一般的な板名はきっとどなたかがレスしてくれると期待w):

・science6
bake, denki, disaster, doboku, earth, future, informatics, infosys, kampo, kikai,
life, material, math, nougaku, rikei, robot, sci, sim, sky, wild
・academy6
archeology, art, china, economics, english, gallery, gengo, geo, gogaku, history, history2,
jurisp, kobun, min, pedagogy, philo, psycho, ruins, sociology, taiwan, whis
・society6
21oversea, agri, atom, bio, court, diplomacy, giin, gline, hikari, hoken, hosp, jsdf,
kokusai, korea, koukoku, koumei, koumu, mass, mayor, police, regulate, river, ruins,
shugi, soc, traf, trafficpolicy, volunteer, wall, welfare
403日本@名無史さん:2008/05/04(日) 01:03:00
>>401
狭かったです
404日本@名無史さん:2008/05/04(日) 11:02:21
>>401
現在でも京都市内中心部は一本入ると
車2台すれ違うのがやっとの道路幅の道は多い。
随分拡張した道も多いけれども、
文化財の関係で拡張していない通りも多いし。
405日本@名無史さん:2008/05/06(火) 01:55:39
卑弥呼が金印を賜った魏の皇帝が誰だったか名前をご存知の方おられますか?
406日本@名無史さん:2008/05/06(火) 02:01:38
もし秀吉により
家康が東北転封だったら
どうなってたか?
407日本@名無史さん:2008/05/06(火) 02:08:30
質問です。

平安中期以降の皇族の名は「〜仁」「〜子」で、明らかに人名とわかるものです。
しかしそれ以前、飛鳥時代から奈良、平安前期までの皇族の名は、何故人名らしからぬ名ばかりなのですか?

「有間」「川島」「大津」「道祖」「山部」「塩焼」「阿部」「不破」「伊予」など、
ほとんど地名と区別がつかないではありませんか。
408日本@名無史さん:2008/05/06(火) 10:06:14
質問させてください。

 一昨日(5/4)放送の篤姫で堀田備中守正睦が登場しましたが、
 だいたい「備中守」って何ですか?
 備中の国司にしては、むちゃくちゃ大勢の人が「備中守」を名乗って
 いるのですが...
 官位だったとしたら、いつ頃できてどの程度えらいのでしょう?
 よろしくお願いします。
409日本@名無史さん:2008/05/06(火) 10:59:15
通称として使ってるだけだよ
410日本@名無史さん:2008/05/06(火) 17:47:40
>>405

明帝(曹叡)だったような。司馬仲達が遼東の公孫淵を討伐したとき淵の側が倭国に通じないように倭国に連絡してたようで、その返信の倭国使者が
そのまま洛陽まで来てしまったようだ。

>>406

伊達政宗や最上義光を従えて関東に移封した時より、厄介な存在になってたんじゃないか?あのヘンは金が産出されたり、それを生かして昔から外国との交易
が盛んだったので商業基盤を作って巨大化たんじゃないかと思う
411日本@名無史さん:2008/05/06(火) 18:16:37
>>409
ありがとうございます。
通称ですか...もう少し詳しく説明願えますでしょうか。
412日本@名無史さん:2008/05/06(火) 18:25:33
>>407
以前のスレで既出のような気もするが・・・
飛鳥時代〜奈良時代の皇族の子女の名前は、養育した氏族の姓をとってつけていた。
姓は地名から取られることが多かったので、地名のような名前がついているんだね。
413405:2008/05/06(火) 18:36:25
>>410ありがとうございます!
414日本@名無史さん:2008/05/06(火) 18:37:20
江戸時代の武士の名前は、「姓」+「通称」+「諱名(いみな)」でできてる。

『堀田備中守正睦』なら、
「姓」=「堀田」
「通称」=「備中守」
「諱名」=「正睦」

ただし、「諱名」は日常生活で用いたり、用いられることは無かったと思われ、通常は「諱名」で呼んだり呼ばれてたはず。
「諱名」は「忌み名」から来ているという説も。

以下間違ってたらごめん。
例えば「備中守」だったら同時期に2人以上の「備中守」は居なかったと思う。
江戸時代には通称と領地は関係なく、実際に「備中」に住んでない「備中守」も居れば、「筑前」の領主ではない「筑前守」
も居た。基本的に公家からでは無く、将軍家から与えられた通称。

「守」は官位では「従五位」にあたり、「備中守」は「上国」の「守」であり、大国の「守」も「従五位」だったような。
それよりも下の「正六位」、「従六位」にも「守」が居たと思う。
415日本@名無史さん:2008/05/06(火) 19:09:59
>>410
現在残る魏志倭人伝によれば、卑弥呼の使者が帯方群へ赴き魏の皇帝への遣使を願い出たのは
景初2年(238年)6月で、洛陽に到着したのは同年12月、このときの皇帝は明帝(曹叡)になる。
但し、魏が朝鮮半島の帯方群を配下におさめたのは景初2年8月のことであり、
また、魏志から転載したとみられる「梁書」や「日本書紀」では卑弥呼の遣使を
景初3年(239年)と記されていることから今日では景初3年説が有力で、
こちらだと皇帝は少年帝の斉王(曹芳)となる。
なお、魏の使いが邪馬台国を訪れた正始元年(240年)、
並びに卑弥呼が魏に2度目の遣使をした正始4年のときの皇帝も斉王。
416日本@名無史さん:2008/05/06(火) 20:02:34
>406
徳川の関東転封は、北条攻めの恩賞として石高の加増と同時になされたものです。
徳川に与えられた関東250万石と同等の石高を当時の東北で与えようとしたら、
関東での面積を上回る領土を与えねばなりません。
当然地生えの大小名を多数転封させる必要が生じます。
410の書かれた伊達や最上などもどこかに移さねば、東北で250万石はまず捻出出来ません。
ここまで乱暴な転封となると、徳川がどうこうより、恭順したばかりの奥羽諸大名の動向が最大の問題となるでしょう。
関東への転封は、攻め滅ぼした北条氏の遺領だから、在地勢力に対する遠慮はいりませんでした。
417日本@名無史さん:2008/05/07(水) 00:13:50
お聞きします。

岩倉使節団の条約改正の交渉が失敗したのは何故ですか?
@日本がアメリカに対等にみられていなかったため
A副島・寺島が準備不足と判断し、大久保・伊藤に交渉を辞退させたから
B片務的最恵国条款があったため、一国ごとの交渉では日本に不利だと使節団が判断して交渉を中断したから

上記のなかに正解はありますか?
418日本@名無史さん:2008/05/07(水) 00:39:26
使節団内部で大喧嘩したのが隠された歴史だ
419日本@名無史さん:2008/05/07(水) 13:26:43
備中守は備中国の長官であり、本来は一人だけのもの。
しかし江戸時代は武家官位は定員外ということになっており、
公家と武家にそれぞれ備中守がいてもなんら問題がない。
また松平備中守とか言うのが官位持ちの大名・旗本の実際上の名前なので、
同じ松平姓で二人いてはまずいが酒井とか榊原に備中守がいても問題ない。
官職の数が官位持ちの大名・旗本に対して足りていないので、
同官職が複数いることは珍しくもない。
420日本@名無史さん:2008/05/07(水) 15:59:48
勝海舟がなんとかの守をやるから、好きな国を選べと言われ、
安房がアホウと読めるんで、安房を選んだとか聞いたナ。
421日本@名無史さん:2008/05/07(水) 21:07:42
日本の歴史でナショナリズム意識が高まったのはいつの時代ですか?
422日本@名無史さん:2008/05/07(水) 21:08:51
ageます
423日本@名無史さん:2008/05/07(水) 22:43:12
>>421
松下幸之助が懐中電灯作った時からかな。
その歴史ももう終わりますが。

424武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/07(水) 22:46:51
>>421
日清日露戦争時ないし後。
425408:2008/05/07(水) 22:52:16
>>409
>>414
>>419

ありがとうございました。
そもそも備中守という呼称が何か、
何故備中守が大勢いるのかだいたい納得できました。
426日本@名無史さん:2008/05/07(水) 23:07:31
423は明るいナショナリズム
424は暗いナショナリズム

って分類でOK?
427日本@名無史さん:2008/05/07(水) 23:15:42
OK
428日本@名無史さん:2008/05/07(水) 23:54:12
>426
>424はスルー推奨。相手をすると無駄に荒れるから止めてくれ。

>421
日露戦争のときの逸話ですが、出征する中国地方の兵士に「何故戦争に行くのか」と問うと
「三百年前の殿様の恥を雪ぐためだ」と答えた例もあります

徳冨蘆花が東京近郊の農村で村人に明治帝が崩御されたことを伝えると
村人は「その人に子供はいるのか?亭主に先立たれておかみさんはさぞかしたいへんであろう」と
東郷大将を知っていた村人が天皇を知らないことに驚いたと『蚯蚓の戯言』で述べています


明治政府は維新後、巡幸を繰り返すことなどによって国民に国家意識を浸透させようと
様様な手立てを行いますが日本国民の多数が真の「ナショナリズム意識」を持つと言えるのは
詔勅の内容から鑑みても昭和初期のようです。と、専門外の漏れが戯れに言ってみる(苦笑

詳しいシト、補足ヨロ
429日本@名無しさん:2008/05/08(木) 02:13:25
>>369
「方丈記」では野の草や山の木の実で命を繋いでいると書かれていますが、
実際問題としてそうした生活で一定の社会活動が出来るだけの体力を保つ事が出来たのか疑問に思います。
一説では、草庵は日野薬師(日野法界寺)境内に建てられていることから
衣食などを法界寺の世話になっている可能性が指摘されており、個人的にもその方が納得がいくように思います。
歌人として評価され、出家後もそれを通じた交際はあったようですから、援助がないとも思えませんし。
そうだとすると、比較的物質的にも心配の要らない気楽な生活を営んでいたのかもしれません。
ともあれ、年齢的な点からは定義には当てはまりませんが、鴨長明の場合は後半生はニートに近い状態といってよいと思います。

引きこもりニート列伝その3 鴨長明・兼好法師
ttp://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet03.html
430日本@名無史さん:2008/05/08(木) 02:34:49
鎌倉幕府の成立のはっきりした年は?
いろんな説があるのはわかってますが、背景に詳しい方お願いします

寿永2年宣旨では省かれていた北陸の支配権については義仲の死後、
追加で宣旨は出されたのか?
つまり朝廷は頼朝に対し正式に北陸の支配を認めたのか?

時代背景や因果関係に詳しくお願いします
431日本@名無史さん:2008/05/08(木) 11:08:07
日本ではナショナリズム意識が高まったことはありません
432日本@名無史さん:2008/05/08(木) 12:22:15
臨場感溢れる殺陣描写、特に斬りあいを描く作家といえばだれでしょうか?
その人の作品で特にこれが凄い。というのがあったら、それも教えてください。
小説である以上、客観的な評価は難しいでしょうから、俺的にはこれだね。というレベルで構いませんので。
433日本@名無史さん:2008/05/08(木) 12:33:15
>>430
>寿永2年宣旨では省かれていた北陸の支配権については義仲の死後、
>追加で宣旨は出されたのか?

寿永2年宣旨の2年後、平氏が滅び、頼朝は文治の勅許により
守護・地頭の設置を認められているから、事実上、
全国軍事権をこのとき手にしたとみるべきでしょう。
朝廷と鎌倉政権による二重支配になったということだが。
434日本@名無史さん:2008/05/08(木) 21:19:55
>>431
独自研究乙
435クニ:2008/05/09(金) 08:44:58
質問です。
信長が比叡山を焼き討ちしました。
今叡山のお坊さんは
信長をさぞかし恨んでいるんでしょう。
毎日お経をあげて。
もちろん仏教界も恨んでいるのでしょう。
どうでしょう。
436日本@名無史さん:2008/05/09(金) 09:05:59
>435
板違い。他で訊け。
437日本@名無史さん:2008/05/09(金) 13:59:24
板違いとまでは言えないだろ。
438日本@名無史さん:2008/05/09(金) 17:06:38
吉宗が将軍になる過程で、 将軍家や御三家関係者が
次々と死んでいったのはただの偶然ですか?
439日本@名無史さん:2008/05/09(金) 17:19:25
偶然だろうね
吉宗並びに吉宗側近の陰謀説もあるが
そうなると今度は逆恨みで吉宗自身が命を狙われかねず
落ち着いて暴れん坊やってられんし
440日本@名無史さん:2008/05/10(土) 06:34:18
現代だって同時多発テロは困難だし……
441日本@名無史さん:2008/05/11(日) 18:36:24
戦国時代にはヨーロッパ諸国から南蛮人がいっぱい来てたんでしょ?
ということは、通訳がどうしても必要だよね?オランダ語以外に、英語・スペイン語・
ポルトガル語等を話す人はいなかったの?あるいは通訳の教育機関とか。
442日本@名無史さん:2008/05/11(日) 20:14:49
戦国時代に特に需要があったのはポルトガル語だぞ。

>オランダ語以外に
この前提からして、他の時代と勘違いしている風なのだが
443日本@名無史さん:2008/05/12(月) 09:10:46
ポルトガル人との混血児の戦国武将って居たの?
444日本@名無史さん:2008/05/12(月) 09:32:01
おそらくいない
戦国時代に大海を渡ってはるばる日本へやってきたヨーロッパ人は
ほとんど海外布教を目的とした宣教師
聖職者は妻帯を禁じられていたしね
445日本@名無史さん:2008/05/12(月) 18:55:14
ムー・ブックスの「心御柱の謎」の内容は、にわかには信じがたい内容ではあるが。

「聖書と日本の不思議な関係」の図表&裏天皇・伊勢神宮関連
http://www.geocities.jp/bluewhitered34/seishotonihon060829excelshousaisintou.htm

「聖書と日本の不思議な関係」「失われた10支族」
http://www.geocities.jp/bluewhitered34/seishotonihon060829excelshousai.htm

トップ・ページ。http://www.geocities.jp/bluewhitered34/index.html
「陰謀説の吟味についての図表」
http://www.geocities.jp/bluewhitered34/sekainouraexcel0915kuwasiisaishuu1web.html)
446日本@名無史さん:2008/05/13(火) 22:38:13
ペリーが来る以前からアメリカやイギリス、ロシアのフネが来てるけどソイツらとの通訳はどうやってたんだろう日本側は?
万次郎以前に少しだけど英語が分かる日本人通詞でもいたのか?
447武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/13(火) 23:02:37
>>446
いないよ。
イプセンの作品はノルウェー語、キルケゴールの著作はデンマーク語で書かれてるんだが、専門の研究者がいる現代はともかく明治大正は重訳。明治のドストエフスキーも重訳。重訳すればいいだけね。分かる意味?
448武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/13(火) 23:05:09
重訳できない時もある。できても誤訳の危険性もある。
449日本@名無史さん:2008/05/13(火) 23:17:12
応仁の乱が、関が原の戦いのように短期決戦にならずに、
主要武将が死ぬこともなく、だらだらと11年も続いてしまった理由は何ですか?
450日本@名無史さん:2008/05/14(水) 01:35:28
>446
幕府や諸藩に英語を学んでいる者がおりますし
中国や東南アジアで貿易に携わる者たちを通訳として雇うこともあります

経験やセンスのある人間であれば日本語や英語をネイティブのように使いこなさずとも
ボディランゲージでなんとかなるものです
451日本@名無史さん:2008/05/14(水) 05:41:27
大和国家の最盛期が5世紀といわれるのはなぜですか?
452武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/14(水) 23:00:04
>>450
ペリー来航以前に英語出来る奴なんてほとんど皆無といったほうがいいでしょ(極々少数の例外除く)。オランダ語なら日本人の達人がけーこーいるけどさ。
あなた時代間違えてるよ。
453武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/14(水) 23:13:24
「身振り手振りでなんとかなる」のは個人的な付き合いでならいいけど
外交となったらそうはいかない。
身振り手振りじゃ少し抽象的な事柄に入ると疎通は不能になっちゃう。
重訳も誤訳から来る不利益などいろんな問題が出てくる。
今、江戸東京博物館で、ペリーとハリスについての特別展が開催中なんで、観に行くといい。
私は既に観たが何かいつもの特別展よりか空いてた。
展示にもあったが、ペリーの艦艇に初めて接触した日本人(琉球は除く)は浦賀奉行の与力で、彼の習得言語はオランダ語フランス語。
もちろん英語なんかできない。
まあどうでもいいけど勉強して下さいよ。
ちなみにその与力は函館で戦死した。
454日本@名無史さん:2008/05/15(木) 01:14:12
>446

鎖国下、日本人が学ぶ外国語といえばオランダ語と中国語であった。しかし文化5年(1808)の「フェートン号事件」を境に状況が変化する。
オランダを併合したフランスと敵対するイギリスの軍艦フェートンが、オランダ船捕獲のため長崎を襲ったのである。その衝撃は、
長崎奉行が防備の不始末により引責切腹したほどであった。この事件を契機に、幕府は和蘭通詞(通詞とは通訳のこと)たちに英・仏・ロシア語の学習を命じる。
http://www.library.tohoku.ac.jp/main/exhibit/gen/mini-explain.html

筆談から生じた誤解
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/hakodateshishi/tsuusetsu_02/shishi_04-00/shishi_04-00-01-02-10.htm
↑の書にはペリー来航時に英語を解する幕府通詞の名が十数人列挙されていたと思うけど興味があるなら探してね
455日本@名無史さん:2008/05/15(木) 15:44:07
溝口監督の雨月物語という映画を観ました。
戦国時代に翻弄される農民夫婦が主人公の物語です。

その中で、戦に巻き込まれた農村が侍(つか足軽?)たちによってガンガンに略奪に遭い、
女にいたっては輪姦されるという、何だか物凄い描写がありました。
そりゃいくらなんでもねーだろーよ、と思ったのですが、
そんなことあったりしたのでしょうか?
どさくさに紛れてそういうことやる輩は居てもおかしくないとは思いますが。
基本的にそんなことが許されていたんですか?
456日本@名無史さん:2008/05/15(木) 21:03:21

なぜ朝鮮人は嘘ばかりつくのか?【1】
http://jp.youtube.com/watch?v=84N-5RC_yhA&feature=related

なぜ朝鮮人は嘘ばかりつくのか?【2】
http://jp.youtube.com/watch?v=qgTSdP_fUmc&feature=related

なぜ朝鮮人は嘘ばかりつくのか?【3】
http://jp.youtube.com/watch?v=7SDbvLsZTSU&feature=related
457日本@名無史さん:2008/05/15(木) 21:51:45
>>455
基本的にはアウト。

殿様からみれば相手国の農民は、これから自分たちの領民になる存在であり、
相手国の畑は、これから自分たちの畑になる畑。
それを好き勝手に陵辱させてたら、勝てば勝つほど国力が消耗することになる。

さらに言うと、戦国時代は武士⊃農民だから、そういう国という評判が立つことで農民でもある兵士が
より必死になって戦うことも懸念されるから、ますますアウトになる。

もちろん、すべてにおいてそうとは言わないし、略奪や人身売買も普通にあったらしいが、
基本的にどうなのかと言われればアウト。
458日本@名無史さん:2008/05/15(木) 22:00:44
女性天皇の是非について定期的に論じられますが、推古天皇とか孝謙天皇って女性ですよね。
歴史上は女性天皇もいるのに、なぜ今ではアウトといいますか、風習の破壊みたいな論が出ているのでしょうか・?
459日本@名無しさん:2008/05/15(木) 22:16:16
>>458
「風習の破壊」という論点で一番問題になるのは、女性では神道儀礼をこなせないことでしょう。
スペアがいた昔ならともかく、現在、事実上スペアはいませんし。
460コヴァ@:2008/05/15(木) 22:22:05
>458
皇族以外と自由に結婚できる現代においては、
女性の天皇だと、平民と結婚して、全然関係ない血筋の人が天皇家を
のっとちゃう易姓革命が起きる危険性があるからですよ。
推古天皇は敏達天皇の皇后だった人で、孝謙天皇は生涯独身を貫いた
人だからOKなんです。
461日本@名無史さん:2008/05/15(木) 23:50:02
>>457
レスありがとうございます。
違和感がすっきり解けました。
462日本@名無史さん:2008/05/16(金) 01:21:10
>>458
女性天皇は、既婚者なら皇后(元明帝の場合即位前に亡くなった皇太子)、未婚者なら一生独身って慣習があります。
現在の皇室に当てはめて考えると愛子様と悠仁様が結婚。悠仁様が亡くなった後に即位か
独身のまま即位し一生独身って事です。それじゃかわいそうですよね。
で、上記の慣習ができた理由は天皇家がのっとられないようにってことだろうかと。

463日本@名無史さん:2008/05/16(金) 23:49:01
>>454
あれ、英語とオランダ語が出来る通訳がアメリカ側にいて、オランダ語と日本語ができる通訳が日本側にいて
ペリー→アメリカ側通訳→日本側通訳→幕府役人というルートじゃなかったっけ?
464日本@名無史さん:2008/05/17(土) 02:34:46
マタイ7:7−9
キボンヌしなさい。そうすれば与えられるであろう。
検索しなさい。そうすれば見つかるであろう。
クリックしなさい。そうすれば開かれるであろう。
喪男でもキボンヌする香具師は受け、 検索している香具師は見いだし、
クリックしている香具師には開かれるのだ。
住人のうちの誰が、自分の息子が熊田曜子をキボンヌしているのに細木数子を与えるだろうか。
465日本@名無史さん:2008/05/17(土) 13:46:01
>>463漢文はもうないの?
466日本@名無史さん:2008/05/18(日) 06:52:41
>>455

むしろ農民のほうに反撃される可能性が高い。当時の農民は農閑期は合戦に「出稼ぎ」に出てた場合も多いので自前で、あるいは合戦場から相手から分捕った、遺棄された
武器を取得して武装してる場合が多くそういう連中が近隣の村と連携して進入者を撃退することもしばしば(これが組織化して発展した代表例が一向一揆)。信濃で諏訪大社の祭りを
狙って攻撃しきた小笠原氏の軍勢を地元の連中だけで撃退したという例もある。
467日本@名無史さん:2008/05/18(日) 21:00:24
ゴロ合わせのスレって、ありますか?

誰かパリ万国博覧会のゴロ考えて下さい
468武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/18(日) 22:58:25
>>455
兵農分離がすんでないんだからね。
だから、黒沢明の『七人の侍』の農民像も考証間違ってるんだよね。
469日本@名無史さん:2008/05/18(日) 22:59:55
>>467
つい最近あったけど御ふざけの語呂合わせしか書き込みなくて
盛り上がらないままに落ちた。
470日本@名無史さん:2008/05/18(日) 23:00:44
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1201699602/
>>467

と思ったらまだ生き残ってた。
471日本@名無史さん:2008/05/18(日) 23:24:02
日本の場合は戦後に

農民=搾取される存在

という固定観念が出来たから、実は戦国期の農民はちょっとした武装集団だったというのは想像できないのかも。

472日本@名無しさん:2008/05/19(月) 00:07:15
>>465
通訳はともかくとして、国書のやりとりってどうやってたんだろうね。
473日本@名無史さん:2008/05/19(月) 01:20:01
>>469-470
ありがとう!
助かりました
474日本@名無史さん:2008/05/19(月) 01:52:03
>455
映画やドラマに正確な考証を求めるのは如何なものかと…
NHKの時代劇で時代考証を行なっている方が自身の書に書いていることと
放送されたドラマが全く違うということはありがちなことです

お尋ねの件ですが、事前に敵対勢力の侵攻が予測されるとき土地の有力者たちは
幾許かの貢納でそれらの無法行為を回避することもできます

また、それとは逆にあらん限りの蛮行を意図的に行なうこともあります
例としては秀吉の中国攻めがありますね
新たな統治者に逆らうと酷い目にあうと認知させることによって
先先の戦闘を優位に進められると考える者もいますし
秀吉のように兵糧攻めを効率的に行なうためにそういう行為を奨励する者もいます
475日本@名無史さん:2008/05/19(月) 12:50:48
古代史の人物って、中臣鎌足(なかとみ「の」かまたり)とか
平清盛(たいら「の」きよもり)とか、苗字と名前の間に「の」が付きますけど
源平合戦らへんから「の」の付かない人が増えてきてるような感じです。

この「の」って何か意味あるんでしょうか?
また、なんで途中から「の」がなくなっちゃったんでしょうか?
476日本@名無史さん:2008/05/19(月) 18:46:23
藤原とか源、平とかは姓(かばね)だから間に「の」を入れる。
織田信長は平信長(たいらののぶなが)でもあり、
徳川家康は源家康(みなもとのいえやす)でもある。
477日本@名無史さん:2008/05/19(月) 20:51:59
黒田直邦て老中がいますが、この人の家系でこの人だけが
老中になってます。(井伊や酒井等複数出してるわけでもない)
なぜ老中になれたのでしょうか?能力があったから?教えてください。
478日本@名無しさん:2008/05/19(月) 23:45:29
>>477
直邦は五代綱吉がいた館林の家老の家に養子に来た人で、綱吉の夭折した息子徳松の側近になっています。
要するに綱吉の側近中の側近だったわけですが、大名に列せられても、吉宗の時代には奏者番・寺社奉行、
最終的には老中という順当な出世をしています。
ここまで来るには能力もなければならなかったのですが、学問好きで欲のない性格だったことが、
この時代において積極的に行われた大抜擢の動きに乗れた要因だったのではないでしょうか。
479日本@名無史さん:2008/05/20(火) 20:39:36
>>478
なるほど、ありがとうございます。
480日本@名無史さん:2008/05/20(火) 21:25:16
質問です。
徳川将軍家の本家筋にあたる松平郷松平家は水堀を備えた城(といっても小さな陣屋でしょうが)を
持ちながらも、石高がわずか420石に過ぎなかったようですが、武士の身分としては万石を食む大藩
の家老クラスよりは偉いのでしょうか?家老の中には陪臣ながらも官位を授かる者もいたようですが。

もし、松平郷松平家の当主と、例えば…土佐藩家老の深尾家(佐川城主(土居)、1万石)
が対面したとして、どちらが上座に坐るのでしょうか?
481日本@名無史さん:2008/05/20(火) 23:40:04
以前、「家老は、藩の一大事を殿に知らせるために急いでいる姿を
見られると『家老が慌てていた』という情報が漏れてしまうので、
平常時も早足の特殊な歩き方をしていた。その歩き方を○○と言う」
という話をどこかで聞いた覚えがあるのですが、これは実際に
あったことなのでしょうか?歩き方の名前もついていたのでしょうか?
よろしくご教授ください。
482日本@名無しさん:2008/05/21(水) 00:25:53
>>480
松平郷松平家は交代寄合の四衆の一つ(松平衆)として扱われ、参勤交代を行い
柳間詰だったそうです。これは従五位下の外様大名(大きな大名の分家レベル)
相当だそうですから、土佐佐川の深尾氏とは同格になっちゃうんじゃないでしょうか。
それぞれの具体的な官位までは知らないのですが…


483日本@名無史さん:2008/05/21(水) 19:55:04
朝鮮の反日ムードは、新羅が生き残ったこととなんか関係あるんでしょうか?
いや、新羅が一番日本と仲悪かったイメージがあって…
484日本@名無史さん:2008/05/21(水) 20:14:54
↑トンデモw
485日本@名無史さん:2008/05/21(水) 20:15:54
ありがとうございました、すっきりしました
486日本@名無史さん:2008/05/22(木) 02:23:43
〜へ罷上り←これは、なんて読むのでしょうか?
487日本@名無史さん:2008/05/22(木) 09:35:42
>>477

時代が進むにつれて

*トップに問題(将軍がバカか、政治に関心をしめさない)
*部下に問題(将軍は有能あるいは政務するけど、補佐する老中の質に問題が・・・)

という問題が出ており、従来の井伊や酒井家、土井みたいな「名門」だけで人的質も限界に
来る。採用幅が譜代と限定してるとはいえ広がるのは必然かと
488日本@名無史さん:2008/05/22(木) 13:40:54
藤原道長の政治的な業績は何でしょうか?
たいがい、摂政への野望しか書いてなくて、国政にどう貢献したか触れてないです。
489日本@名無史さん:2008/05/22(木) 19:10:12
質問です

江戸時代に公家どうしの争い(後継者争いとか、勢力争い)はあったのですか?
出来れば幕末の動乱期以外の時期でお願いします。
もしあれば事件の名前を教えて下さい。
もしなければ、そのような事件が起きなかった理由を教えて下さい。
490日本@名無史さん:2008/05/22(木) 21:09:10
江戸時代は平和だった。
なぜなら、法律の規制の強化があったから。
盗みで死刑。江戸時代は、密告が流行っていたために、
悪いことしたら、密告されるという不安から犯罪者がでなかったんです。
私も江戸時代に生まれたかったですね。
ちなみに、江戸時代は三行半が流行りました
491日本@名無しさん:2008/05/22(木) 22:07:44
>>489
つ 【宝暦事件】
492日本@名無史さん:2008/05/22(木) 23:18:46
レポートの回答に疑問があったので載せます
****
「万葉集」におさめられている歌の中に九州に兵として送られる東国農民の父母養子との別れを惜しむ歌があるがこれをなんというか。
答え:古事記
****
これって古事記なんですか防人の歌だと思うんですけど・・・。
493日本@名無史さん:2008/05/22(木) 23:21:00
さだまさし
494日本@名無史さん:2008/05/22(木) 23:37:39
海は死にますか 山は死にますか
私の大切な 試験の成績も 死んで〜しまいますか〜♪
495日本@名無史さん:2008/05/25(日) 00:03:44
仙台藩は江戸時代には松平陸奥守家中、薩摩藩は松平薩摩守家中と呼ばれていたそうです
が、長州藩はなんて呼ばれていたんですか?
歴代藩主は代々長門守に任じられてたわけじゃないようだし。
496日本@名無史さん:2008/05/25(日) 14:27:46
>>495
松平大膳大夫でぐぐってみたら。代々、大膳大夫でもないが、著名。
497日本@名無史さん:2008/05/25(日) 18:08:43
吏治ってなに?
498日本@名無史さん:2008/05/26(月) 01:17:52
俺が高校生・受験生の頃は「百万塔陀羅尼経」って習ったのに
今日の教科書や参考書では「百万塔陀羅尼」で終わってるのが多くて
DSの日本史ゲーでも「百万塔陀羅尼経」は不正解になります

百万塔陀羅尼と百万塔陀羅尼経って違うんでしょうか?
それか「陀羅尼経」という表記自体がなんかおかしいんでしょうか?
499日本@名無史さん:2008/05/27(火) 19:56:33
質問させてください。
大河ドラマを見ながらふと疑問に思ったことを調べるレベルなのですが、
居間に置いておくような日本史の辞典を買おうと思います。
アマゾンで見ると山川の日本史広辞典と岩波の日本史辞典がいいかと思うのですが、
どちらがお勧めでしょう? あまりレベルの高いことは分かりません。分かりやすいものがいいのですが。
500日本@名無史さん:2008/05/27(火) 20:54:54
受験用の山川日本史B用語集で十分。
501日本@名無史さん:2008/05/29(木) 00:09:15
>>499
その二択なら岩波
502日本@名無史さん:2008/05/29(木) 08:33:49
埼玉県川口市に東領家という地名がありますが、これはやっぱり領家があった名残なんですか?
503日本@名無史さん:2008/05/29(木) 15:27:53
旧皇族と元皇族の違いを教えて下さい。
504日本@名無史さん:2008/06/02(月) 09:19:46
大日本帝国が日本という国名に変わった理由を教えて下さい。

よろしくお願い致します。
505日本@名無史さん:2008/06/02(月) 16:21:08
津軽氏や南部氏について普通に話せるスレって無いんでしょうか?
506日本@名無史さん:2008/06/03(火) 13:25:07
質問すみません。鎌倉時代にできた「一所懸命」という言葉なんですが、
「一所」とは、恩賞として与えられる土地のことでしょうか?
それとも、武士として守っている土地のことでしょうか?
元寇の話という説が調べたら出たのですが、だとすると後者ですか。
507日本@名無史さん:2008/06/04(水) 04:23:15
>>504変わってませんが何か?
根拠は日本国憲法告諭
508日本@名無史さん:2008/06/04(水) 08:26:50
>>507

ありがとうございます。
しかし 日本国憲法告諭 を検索しても何も出てきません。
509日本@名無史さん:2008/06/04(水) 17:44:24
いまいちよくわかんないんですが、
平安時代に牛車なんてもんがあったぐらいなのに
なんで江戸時代は馬車を使わないで移動してたんでしょうか?
510日本@名無史さん:2008/06/04(水) 18:47:43
>>504
帝国をwikiってみたら、「帝国とは」の1つとして、
・皇帝と呼ばれる(または皇帝に相当する)君主が支配する国家のこと。
とありました。君主は当時の場合は天皇でしょう。今も天皇は残っていて
共和制ですが、支配はしていないから帝国ではないのかと。
調べてみたら、GHQに国名を大日本帝国のまま提出したら、変えなさいと言
われたようです。ということはGHQの民主化革命(?)や敗戦が原因かと。
間違っていることもあるかもしてません。長い文すみません。
511武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/04(水) 21:18:39
>>510
日本は共和制ではありません。
共和制の意味が分かってないようですね
512日本@名無史さん:2008/06/04(水) 22:30:31
壬申の乱の頃、なぜ皇位継承は「兄→弟」が多かったのでしょうか?
「父→息子」というパターンが特殊なのはどうしてでしょうか?
513日本@名無史さん:2008/06/05(木) 00:43:17
単純に「成人して、有る程度の実力を見せている」のが皇位継承の前提条件だったから。
514日本@名無史さん:2008/06/05(木) 02:23:54
>>509
法律で禁止していたから。
禁止していた理由は個人的推測だけど
川に橋をかけなかったのと似たようなものかと。
515日本@名無史さん:2008/06/05(木) 08:57:18
>>514
そうだったんですか。ありがとうございました

なんかイメージ的に馬車って明治ぐらいからの印象があったんですが
禁止されてたって事はあることはあったんですよね?
こんな時期には馬車使ってた、みたいな記録はあるんでしょうか?
516日本@名無史さん:2008/06/05(木) 10:25:50
秀吉が晩年に小便をもらしたことが書かれている
一次史料を教えてくださいm(__)m
前田利家の家臣の日記でしたっけ??
517日本@名無史さん:2008/06/05(木) 12:46:35
次の話の出典って何ですか?

・三河一向一揆の時、「寺を元の通りにする」と言う条件で講話し、
 「元の通りとは、寺を建てる前の原っぱにすること」と言って攻めたという話
・家康が三方原で負けて逃げるときに大きい方を漏らしたという話

以上2つです。
518日本@名無史さん:2008/06/05(木) 19:45:31
>>511
あわわわ・・ありがとうございます。
今も天皇は残っていて共和制ですが
        ↓
今も天皇は残っていて (立憲)君主制 ですが

こうですか?訂正ごめんなさい。
519日本@名無史さん:2008/06/05(木) 20:39:32
再来年のNHK大河ドラマが「龍馬伝」ということで、
前々から気になっていたことについて質問します。

wikiなどでは、坂本龍馬の剣術の師匠である千葉定吉の生年は「1812年?」と
クエスチョンが付いた表記になっています。息子の重太郎は1824年生まれらしいです。
親子の年齢としてはちょっとおかしくないでしょうか。
ちなみに定吉の兄の周作は1793年か1794年生まれ、娘のさな子は1838年生まれ、
重太郎の友人だったとされる坂本龍馬は1836年生まれです。
定吉が兄と20歳近く年齢差があるのも、ないことはないにせよ微妙だし、
重太郎と龍馬が12歳の差があるというのもなんだかイメージと違う気がします。
520日本@名無史さん:2008/06/05(木) 22:48:07
上杉鷹山の「生せは生る 成さねは生らぬ 何事も 生らぬは人の 生さぬ生けり」は
何と読むのでしょうか?
生という漢字は読み方が多くて悩んでいます。
521日本@名無しさん:2008/06/05(木) 23:23:13
>>520
「なせばなる なさねばならぬ なにごとも ならぬはひとの なさぬなりけり」

元ネタは武田信玄の
「為せば成る 為さねば成らぬ 成る業を 成らぬと捨つる 人のはかなさ」
からだそうです。
522日本@名無史さん:2008/06/05(木) 23:35:27
江戸時代って、家督を継げない次男や三男で、
養子にもいけない人は、一生独身だったのですか?
523武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/05(木) 23:45:38
>>522
オジ
イカズ
けっこういました
「江戸は独身者が多かったのでは」
と漠然と考えてるパンピーさんは多いですが、
農村に独身者がけっこうな数がいたことは皆さんご存じありませんね。
詳しくは近所の郷土博物館に行って学芸員の
お姉さんお兄さんに訊いてみて下さいね。
こんなところで訊いても詮方なしですからw
524日本@名無史さん:2008/06/06(金) 00:36:29
戦前の内閣って、なんで軍籍を置いた人間でも首相になれるの?
東条英機とかって国会議員ですらないんでしょ?
525日本@名無史さん:2008/06/06(金) 01:27:34
戦前は「天皇に任命される」事だけが唯一の条件。
議会に内閣不信任の権利はないし、内閣に国会解散の権利もない。
まして陸海軍大臣は「現役の中将もしくは大将に限る」なんて言うふざけた規定まで有り、
そのため軍部が気に入らない総理に対して大臣を出さずに組閣させないという事さえしている。
「天皇陛下に行政を司るよう命じられた自分に協力せぬとは貴様、陛下の決定に異論があるのか?」とか言って大逆罪でぶっ殺せばいいのに。
526日本@名無史さん:2008/06/06(金) 02:34:00
>>522 引き板にもあったような・・・
 
 明治の「大阪会議」の歴史的意義について教えて下さい
527日本@名無史さん:2008/06/06(金) 02:51:04
>>526
そこから誘導されてきたのです。
528日本@名無史さん:2008/06/06(金) 02:51:41
>>523
どうもありがとうございました。
529日本@名無史さん:2008/06/06(金) 06:08:54

相変わらず、 古代の歴史の説明だけで、近代史が書かれていない。

まただ・・・・。

また、この同じ手口である。

日帝時代に、日本人から学んだり、引き継いだ文化や技術を無視して、

古代の起源だけを強調することによって、

韓国起源を主張し、韓国固有の文化だと詐称する・・・・。

テコンドー、焼酎、米、醤油・・・全て、同じ起源捏造である。

私は、この調査を通じ、韓国の異常な日本コンプレックスの根の深さに、今更ながら、
暗澹たる気分に陥った。

韓国人が使用する、『醤油』の真実
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfood&nid=33631 
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=100879&servcode=300§code=320


530日本@名無史さん:2008/06/06(金) 08:25:21
>>522
『次男坊たちの江戸時代―公家社会の〈厄介者〉』
(歴史文化ライブラリー 246)
松田 敬之 (著) ¥ 1,890 (税込)
吉川弘文館


531日本@名無史さん:2008/06/07(土) 00:19:23
>>511
じゃあお前が説明すれば?糞コテ
532武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/07(土) 22:13:13
>>531
辞典事典のたぐい見りゃ簡潔に説明されてる。
おまえバカじゃねえかw
533日本@名無史さん:2008/06/07(土) 22:29:05
>>532
今夜は、武陽さんと議論するか

よろしく!
534日本@名無史さん:2008/06/07(土) 22:30:51
>>531
>じゃあお前が説明すれば?糞コテ

アホ名無し
535武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/07(土) 22:35:06
>>533
イヤです(`へ´)
536日本@名無史さん:2008/06/08(日) 11:24:25
国博士の「国」って一体どこを指すんですか?
537日本@名無史さん:2008/06/08(日) 13:52:26
何で日本史って複雑で難しいのですか?
538日本@名無史さん:2008/06/08(日) 14:17:39
戦国時代の文献に
刀を送ったり貰ったりした
という事が多く書かれていますが
刀を送るという行為には
どのような意味があったのでしょうか?
539日本@名無史さん:2008/06/08(日) 15:41:20
進物
540日本@名無史さん:2008/06/08(日) 17:55:20
>>537
日本史に限らず、現代社会は複雑なんですよ
世の中そんなに甘くないとはよく言った物で
541日本@名無史さん:2008/06/08(日) 18:12:39
>>537
高校までの日本史の授業では「何故そうなったか」という背景をあまり説明しないからね
政治史は比較的詳しくやるけど、文化史とかは名前と業績丸暗記だもんなあ
542日本@名無史さん:2008/06/08(日) 19:21:46
>>536
律令以前の国博士は実体はよくわからないが国政顧問のようなものらしく、
この場合の国は日本国そのもの。
律令制下の国博士は地方行政機関である国の教官。
つまり陸奥国とか伊豆国とかの国。
まあ全部の国に博士がいたわけでもないそうだけど。
543日本@名無史さん:2008/06/08(日) 19:26:25
>>539
いやそれはわかるけど、
なぜ刀かって事が聞きたいんですが・・・。
544日本@名無史さん:2008/06/09(月) 00:56:08
シンボル
545日本@名無史さん:2008/06/09(月) 02:21:09
篤姫見てるけど
なんで水戸はあんなに威張れるの?
所詮は御三家のひとつでしょ?
546日本@名無史さん:2008/06/09(月) 02:22:18
徳川斉昭で検索しろや
547日本@名無史さん:2008/06/09(月) 20:03:19
織田信長の鉄甲船ってどういう戦法で戦ったんでしょうか。
機動力の低い数隻の船で大船団を食い止めるのは至難の業だと思うのですが。
548日本@名無史さん:2008/06/09(月) 22:05:30
>547
 鉄甲船が使われたのは第二次木津川河口戦のことだが、このときの織田側の作戦目的は
「本願寺への補給船団の阻止」であって、「敵船団の撃滅」ではない。
 そして鉄甲船は、河口近くという狭い水域に集中し、とにかく大砲と鉄砲を多数装備して、
なおかつ毛利水軍の指揮船を撃沈することで混乱させ、退却させている。
 また6隻の鉄甲船に加え、多数の小舟を展開することで動きを封じているので、いくら
大船団といえども容易には近付けなかったのですよ。
549日本@名無史さん:2008/06/10(火) 00:33:43
教育実習の授業で
藤原北家の台頭をする事になりました。
冬嗣良房基経などを学ぶ価値は何がありますかね?
とくにおもいうかばないのですが。
550日本@名無史さん:2008/06/10(火) 01:01:58
お前は藤原北家について学ぶことによって、それを学ぶことにどんな意味があるのかを考える機会を得た。
この世に学ぶ価値のないものなどない。

学んでも実践してはいけないことは星の数ほど有るが。
551日本@名無史さん:2008/06/10(火) 01:42:23
>549
−藤原氏族総合スレその1−
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1140182170/l50
552日本@名無史さん:2008/06/10(火) 07:32:05
江戸時代の絵をみると外宮・内宮が徒歩10分位の感じで書いてあるね。
当時の人は健脚だったからそんな感じだったのかな。

鎖国政策が残念だ。当時オリンピックを誘致していれば、
江戸オリンピックで徳川ジャパンが金メダル独占だったのに。
伊勢神宮の御利益は神風のごとく凄まじかっただろうに。
553日本@名無史さん:2008/06/10(火) 08:34:15
ものすごい釣りを見た
554日本@名無史さん:2008/06/10(火) 19:32:42
足利義稙が刺客を自分ひとりで撃退したってマジ?
555日本@名無史さん:2008/06/10(火) 20:08:03
飛鳥浄御原令ってなぜ出たんですか?
556日本@名無史さん:2008/06/11(水) 21:05:06
「江戸の町をよく八百八町というが本当は2700町ほどあった」
となんかで見たのですがこの場合の町は面積の単位の町なのですか?
それとも丁のほうなのですか?
557日本@名無史さん:2008/06/11(水) 22:12:20
戦国時代の娯楽はどのようなものがあったのでしょうか?
558日本@名無史さん:2008/06/11(水) 22:17:31
平安時代?
祟りとかを恐れて軍を解散させて非武装日本になったってマジっすか?
559日本@名無史さん:2008/06/12(木) 09:32:28
東海道って
豊橋〜渥美半島〜伊良湖岬〜鳥羽〜伊勢ルートのほうが、距離も短いし、
伊勢にはダイレクトでいけるし、で便利だと思うんですけど、
なんで尾張経由になったんでしょうか?
どうせ桑名で船乗るわけでしょ?解せません。
560日本@名無史さん:2008/06/12(木) 14:55:58
「川を渡る」のと「海を行く」のは意味が違うからな。
海上を前提とする、「道」なんてのは基本的に作らないよ。
561日本@名無史さん:2008/06/12(木) 15:41:53
熱田〜桑名間は完全に海上でしょう。
古代の東海道は三浦半島〜房総半島を海で渡るのがメインルートでしたし。


江戸から伊勢参りするとき伊良湖〜鳥羽ルートはどの程度使われていたのでしょうか?
562日本@名無史さん:2008/06/12(木) 17:16:12
逆だよ。当時の日本の中心地は関西なのです。
西から東へ向かうルートが桑名に出るのだから、そこから鳥羽−伊良湖岬経由では遠回りになるでしょ。
京都、奈良からいきなり伊勢・鳥羽に進むのは山が深すぎて困難だし。
あと伊勢湾の奥は早い時代から発展してたので、そちら経由のが道中も便利だし安全。
東京湾の奥が発展するのは、かなり後の時代なので、古代だと優先して廻る必要が無かったのでしょう。



以下は素人考えなんだけど、伊良湖岬から鳥羽の方を見たら、あそこ潮流が凄いんだよね。
素人目には船で乗り出したいとは思えなかった。
んでも三浦半島から房総半島への潮流がどうなのかは知らないんだけどさ。
563日本@名無史さん:2008/06/12(木) 17:28:05
てか、答える時代を間違えてたな。
562は放置しといてくれ。
564日本@名無史さん:2008/06/12(木) 19:22:10
由井正雪ってどんな人ですか?
うちの町にある寺(重要文化財)その人に焼かれたそうなんですが。
565日本@名無史さん:2008/06/12(木) 19:25:09
由比家の正雪さん。
566日本@名無史さん:2008/06/12(木) 21:25:14
名前が分かっているならまずググってみることだ。

黄門様と一緒に、明朝復興のため、清と戦った人。
567日本@名無史さん:2008/06/12(木) 23:05:35
福田和彦の『江戸の性愛学』 p116に
「契情国は北国にあり、錦繍をまといて、そのかたち他国になし。
青楼という。唐土にて荊棘林と呼び、また紅毛ではウウルという。」

と、遊郭のことをいろいろ表現してる個所があるんですが、
紅毛、すなわち西洋では「ウウル」とあるこのウウルとは、何語において
そう呼ぶなのかわかりますか?福田はオランダ語かもしれないと書いてありましたが。
568日本@名無史さん:2008/06/13(金) 00:06:35
ヨーロッパって、昔から孤児院がありますが、
日本にもそれに相当するものはあったんでしょうか?
569日本@名無史さん:2008/06/13(金) 05:45:48
>>568

光明皇后が建てた悲田院が孤児院に当たるんじゃないですか?
詳しくはこちらで

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%B2%E7%94%B0%E9%99%A2
570日本@名無史さん:2008/06/13(金) 17:12:29
Y   Y
(・∀・) <こらえてつかぁさい

頭のYはなんですか?
571日本@名無史さん:2008/06/13(金) 20:09:53
戦前の東京帝国大学って、金持ちなら馬鹿でも入れたんですか?
太宰治とか高校卒業の時点でどう見ても不良なんですが…
572日本@名無史さん:2008/06/13(金) 20:41:18
文学部は無試験だった。だけど当時は高等学校がとんでもない難関だったわけですからね。
573日本@名無史さん:2008/06/13(金) 21:47:53
江戸時代、バテレン本と言ったら何を指す本なのですか?
ポルトガルの宗教家が書いた聖書、それともポルトガル語で書かれた書物を全部さしてバテレン本?
574日本@名無史さん:2008/06/13(金) 22:06:59
>>569
どうもありがとう。
575日本@名無史さん:2008/06/13(金) 22:32:27
>>570
触角
576日本@名無史さん:2008/06/13(金) 22:45:20
そもそも貧乏人の圧倒的大多数は受験できるような環境にないから。
受験生のほとんどが最初から限られたエリートサークルの一員。
合格者の中には受験できなかった優秀者よりバカなやつが含まれるのは必然じゃないの?
あと不良がバカとは限らないし。
577日本@名無史さん:2008/06/14(土) 02:15:25
中世の裁判では、当事者が自己の主張の根拠になる法令を自分で引用
しなければならないとのこと(当事者主義)ですが、その法令はどのような
形でかき集めるのでしょうか?
578日本@名無史さん:2008/06/14(土) 13:35:08
京都人が「〜がこの前の戦争で焼けまして」と話してて
「太平洋戦争」のことかと思ったら「応仁の乱」だったという逸話を聞いたことがありますがネタですよね?
京都といったってローマとかに比べたら歴史浅いし、そんなタイムスパンの長い会話しませんよね?
579日本@名無史さん:2008/06/14(土) 14:10:29
京都人ジョークなんだよ。
580日本@名無史さん:2008/06/14(土) 16:37:11
さすがに法律の専門家とかは職務上法令を記録していたりするので、
そう言う人に頼んで写させて貰うとか。
有力な家は自分のところである程度は記録もしてると思う。
おそらくどこも網羅は出来ていないらしいけど。
581日本@名無史さん:2008/06/14(土) 22:44:31
1800年から1900年までの江戸の様子が分かるサイトはありますか?
通貨とか生活様式とか知りたいです。
582日本@名無史さん:2008/06/15(日) 00:49:06
ゼロは?
583日本@名無史さん:2008/06/15(日) 01:26:01
戦前までの高等文官試験って
どんな内容が出題されてたのですか?
584日本@名無史さん:2008/06/15(日) 11:06:57
部曲←なぜ「かきべ」と読むんでしょうか?
585日本@名無史さん:2008/06/15(日) 14:42:01
現代では残っていない天皇記・国記を,何とか復元できないものですかね?
日本書紀や古事記と同じような内容だったんだろうか?
586日本@名無史さん:2008/06/15(日) 17:54:28
いや「かきべ」に部曲って言う漢字を当てただけだから、
読めなくて当然。
587日本@名無史さん:2008/06/15(日) 18:27:21
んではなにゆえ「部曲」という漢字なんでしょう?
588日本@名無史さん:2008/06/15(日) 19:37:45
部曲の原義は部と曲(どちらも部隊の単位、大隊とか中隊みたいなもの)だが、
転じて平民よりやや下位の世襲的兵士を指す用語になった。
さらにそれから更に転じて有力者に従属する半自由民(が正確かどうか?)を
指すようになった。
この最後の部曲が当時の国内の「かきべ」と似ていると判断したのだろう。
589日本@名無史さん:2008/06/15(日) 19:42:43
あほか。中国の語を当てはめただけ。
舎人(トネリ)と一緒。
590日本@名無史さん:2008/06/15(日) 19:55:04
>>578
流石にそれは嘘です。
しかし第二次大戦でないのは本当です。
禁門の変です。
591日本@名無史さん:2008/06/15(日) 20:33:42
578の元ネタは近衛文麿のインタビュー。
だからマジ。
592日本@名無史さん:2008/06/16(月) 18:50:08
>>590
禁門の変は戦いよりも戦いによって生じた火災が京都市内に大きな被害をもたらした為に戦争ではなく大火として記憶されている。
だから、元治の京都大火あるいはどんどん焼けと呼ばれていて戦争とは呼ばれない。
593日本@名無史さん:2008/06/17(火) 21:17:27
こちらに書くべきか迷ったんですが、ほかに書けそうなとこなかったんで質問させていただきます。

河鍋暁斎が描いた暁斎漫画の『富士越しのナマズ』にでてくる、三味線を持った猫の服装なんですが、
これって一体なんて格好なんでしょう?
変な弁当箱っぽいやつとかの解説もしてくれると非常にありがたいです。
お願いいたします。
594日本@名無史さん:2008/06/17(火) 22:36:26
「中国の政治エリートや知識人は、日本の経済的成功や国際社会での貢献成功に対して、
きわめて不満・不愉快に感じており、中国としては日本を全ての面で、失敗・不成功、マイナスに
追い込むべく画策をし、国際社会で失墜している中国の政治・経済・軍事科学などの分野を、
日本の犠牲と負担で回復しようと決心している。」
               ↑
アメリカ国防長官の諮問機関である「二十一世紀国家安全保障委員会」が提出したレポートの
日中関係について述べた部分。

当事者である日本が中国の悪意について気がつかないとは滑稽である。

心理戦・思想戦について
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/army/1210860709/l50
櫻井よし子 - 中国は日本をコントロールしようとしている
「日本は押せば引き叩けばうずくまる国」と見下す中国の戦略的外交
http://jp.youtube.com/watch?v=kPrZTYdzh1I
595日本@名無史さん:2008/06/18(水) 10:00:06
豊臣秀吉の側室に年若い人がいた、という事を聞いて思った質問ですが、
当主か将軍に嫁ぐ(正妻or側室)のに上限或いは下限はあったのでしょうか?
それが無いのだとすれば一番年をとって嫁いだ人、一番年若く嫁いだ人って誰なのでしょうか?
596日本@名無史さん:2008/06/18(水) 22:24:37
家康に嫁がされた秀吉の妹なんてたいがいな歳だったんじゃない?
597日本@名無史さん:2008/06/19(木) 04:53:04
安藤昌益の言いたいことって
「学問も宗教も思想も哲学も商工業も音楽もいらん
世の中に偉い人なんていない
誰も彼もが農業もやればいい」
といったところですか?
幕府にしょっぴかれたりしなかったんですか?
598ぴーす ◆mQup6l1Ha. :2008/06/19(木) 06:57:52
最も老いた正室は家康の旭34で若いのは綱吉の鷹司信子13才。あと八十宮吉子が2才で家継と婚約だけしてるよ。
599日本@名無史さん:2008/06/19(木) 15:09:51
質問です。
院試の日本史って、どのように勉強すればよいのでしょうか?
2,3年分の過去問はあるんですが。
600日本@名無史さん:2008/06/19(木) 21:26:04
和同開珎の偽造は例外なく死刑だったのでしょうか?
601日本@名無史さん:2008/06/19(木) 22:03:55
>>599
京大の文学部は学部の窓口で過去問買えるよ。
602日本@名無史さん:2008/06/20(金) 02:55:24
質問させていただきます
盟神探湯についてなんですが
正邪を判定するも何も、実際は双方大火傷すると思うんですが、文献上無事だった人は何かトリックでも使っていたのでしょうか・・・
603日本@名無史さん:2008/06/20(金) 11:03:17
徳川家定はプレッシャーからアホのふりをしてたのか?本当の池沼だったのか?
どちらが真実ですか?
604日本@名無史さん:2008/06/20(金) 11:46:22
豊臣秀頼は秀吉の子じゃないという説の信憑性は?
605日本@名無史さん:2008/06/20(金) 14:36:15
あれは誰だって疑うだろ

正室側室のほかの誰の間にも子供ができなかったのに
淀にだけできたんだぜ
606日本@名無史さん:2008/06/25(水) 13:09:26
質問です。
先日、高校の日本史の教科書をみる機会があり、
何気なくぺらぺらめくっていたら
大和時代が、「ヤマト」時代と表記されておりました。
他の時代は漢字でしっかり表記されており、大和だけヤマトでした。
私のつたない過去の記憶(15年ほど前)では、漢字だった記憶があります。

1:常用漢字等の制限でカタカナに
2:面白い発見があり、他に大和とつかうので、ヤマトに
3:その他
4:おめーの記憶違いじゃ、ぼけ。昔からカタカナだ

どれなんでしょうか??

607日本@名無しさん:2008/06/25(水) 13:56:21
>>606
・「大和」と書き表すようになったのは奈良時代からなんで、それよりずっと前の話に「大和」の字を使うのはどーよ?
・古墳時代と重なるころだし、地方政権もワンサカあったんだから、単純に「大和(朝廷の)時代」と言うのはどーよ?

などのツッコミが入ったから。
「大和時代」から変わっていったのは80年代からだそうだ。
608日本@名無史さん:2008/06/25(水) 14:05:16
>>606
教科書会社によって表記は異なるけど
少なくとも山川出版は「ヤマト政権」なるものが誕生したといわれる3世紀は
「大和」という漢字表記を用いていなかったという理由からカタカナの「ヤマト」としているはず。
「大和」は奈良時代以降の表記のようだ。
609日本@名無史さん:2008/06/25(水) 14:06:36
ちなみに清水書院は今でも「大和」を用いていたと思う。
610日本@名無史さん:2008/06/25(水) 14:11:44
>>606>>607>>608
すばやい返答ありがとうございました。
納得いきました。
611日本@名無史さん:2008/06/25(水) 15:38:55
英語版ウィキペディアに豊臣秀吉が中国に対して三跪九叩頭の礼をとって臣下になったと書いてありますが本当なんですか?
http://en.wikipedia.org/wiki/Kowtow
612日本@名無史さん:2008/06/25(水) 16:43:44
史学と考古学の違いって

 史学 ⇒書面証拠以外認めない
 考古学⇒発掘物を科学的に検証

でおk?
613612:2008/06/25(水) 16:46:10
史学
  書面>>>越えられない壁>>>その他証拠
考古学
  発掘物の多様な学問的見解に基づく検証

でおk?
614日本@名無史さん:2008/06/25(水) 18:46:24
「ヤマト」って発音していたって言う確信はあるのかな?
ってふと疑問に思った。
別にけちを付けるつもりじゃなくて単純に思っただけです。
615日本@名無史さん:2008/06/25(水) 18:57:44
>>614
中国の史書に書いてあるんじゃなかったかな
616日本@名無史さん:2008/06/25(水) 21:18:57
>>614
万葉仮名でヤマトと書いてある。
617612:2008/06/25(水) 21:39:06
>>614
>>615
>>616
スルーしてるってことは間違いなの?
それとも認めたくないの?
618612:2008/06/25(水) 21:56:42
つまり他の学問や科学で書面の古さだけが重要な証拠になるものはないから
史学は非学問的で非科学的ってことだよね?
結論として史学は科学的で無いということで問題ないよな?
619日本@名無史さん:2008/06/25(水) 22:12:35
>書面の古さだけが重要な証拠に
歴史学でもなりませんが何か?
620日本@名無史さん:2008/06/25(水) 22:14:23
>612

>>614
>>615
>>616 は、>612に、対するレスじゃない。
621日本@名無しさん:2008/06/25(水) 22:18:39
>>612
そもそも史学は学問であっても科学ではないのだが、なぜそんなことを問題にする?
622日本@名無史さん:2008/06/25(水) 22:18:58
>613
> 史学
>   書面>>>越えられない壁>>>その他証拠

江戸時代だって、発掘されてますよ。
それによって、文献による歴史が訂正されてますよ。

> 考古学
>   発掘物の多様な学問的見解に基づく検証

まあ、文献はないですからね。

てけ、「書面」って?w
623日本@名無史さん:2008/06/25(水) 22:21:41
>621
> そもそも史学は学問であっても科学ではないのだが、
>なぜそんなことを問題にする?

をいをい、歴史科学だろ。
624612:2008/06/25(水) 22:22:10
>てけ、「書面」って?w
^^^^^
 ↑
 w

>江戸時代だって、発掘されてますよ。
>それによって、文献による歴史が訂正されてますよ。

歴史学は発掘し無いだろ?
史学と考古学の差異は
書面重視とそれ以外重視
でおkだよな?
625日本@名無史さん:2008/06/25(水) 22:25:40
>624
> 歴史学は発掘し無いだろ?

だから、発掘してるって。
江戸の町も、発掘されてるよ。

> 史学と考古学の差異は
> 書面重視とそれ以外重視

だから、考古学には「書面」がないだけ。
だから、発掘しかない。

しかし、史学には、「書面」があるから、
それを使う。それだけを使うわけではない。

> でおkだよな?
違いますね。
626612:2008/06/25(水) 22:25:51
俺が知りたいのは
歴史学的見解=非科学的でも問題がないと史学の連中が自覚しているか否かなのだが?
627日本@名無史さん:2008/06/25(水) 22:29:59
>626
> 歴史学的見解=非科学的でも問題がないと史学の連中が自覚しているか
>否かなのだが?

現時点で、得られる証拠から、類推できる、もっともらしい見解が、
「歴史学的見解」でしょう。

じゅうぶん、科学的だと思います。
628日本@名無史さん:2008/06/25(水) 22:30:06
大学院で史学を研究しようとする連中って,呼んで字のごとく研究して修士なり
博士なりを取得するんだよな.史学では何を持って学術界における新規性を見出しているんだ?

オレは理工系で学位をとったんだが,このあたりがよく分からん??
629612:2008/06/25(水) 22:31:06
>>625
wikiによれば
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B2%E6%96%99
過去の史料を評価・検証・分析する過程を通して史的事実、及びそれらの関連を追求する学問
とある。
仮に君が言うように発掘をしているのであれば
それは歴史学ではないということを理解している?
630日本@名無史さん:2008/06/25(水) 22:34:11
>628
新しい証拠を探して、新しい説を立てる。
理系と同じじゃん。

「証拠」が、文献だったり、新物質だったりするのが、違うだけだろ。
631612:2008/06/25(水) 22:34:23
つまり君が歴史と思っている
発掘の遺物は考古学のカテゴリーで
歴史的真実は歴史学では導き出せないという意味なのだが
理解できる?
632612:2008/06/25(水) 22:35:49
>>630
全然違いますよ
史学は「紙」に記載された「文字」だけ
その他の学問はあらゆるものすべて
633612:2008/06/25(水) 22:38:04
歴史学的見地からの真実は
書面に記載されたものが最高の正義で
それ以外は劣後するのが常識

歴史学は他の学問での見解に反論できない三流学問です。
634612:2008/06/25(水) 22:39:37
<例題事例>
 古代東北で稲作はあったか?
 史学回答
  ⇒蝦夷は狩猟民族なので稲作は無い
  【根拠】
   『日本書紀』斉明天皇5年7月3日条の、唐皇帝と遣唐使との間に交わさ
   れた蝦夷に関する問答のなかには、「蝦夷は五穀を持たずに肉を食し、
   深山の樹元を住みかとしている」

 考古学回答
  ⇒東北で稲作はあった
  【根拠】
   垂柳遺跡で水田の遺構が発見されている
A史学と考古学の差異
 A 史学は文献以外を証拠にした時点で史学ではなく他の学問となるので他の学問の専門知識を無視
 B 考古学は発掘物をさまざまな科学的知識をもって分析
635日本@名無史さん:2008/06/25(水) 22:41:23
>629
> 仮に君が言うように発掘をしているのであれば
> それは歴史学ではないということを理解している?

ほほお、じゃあ、発掘をしてその情報を使うのは「歴史学」ではないのですね。
それが、「歴史学」の定義であれば、確かに、「科学」ではありませんね。

発掘の事実を無視する学者さんがいるなら、確かに非科学的です。
その意味であるなら、612さんに賛成します。
636日本@名無史さん:2008/06/25(水) 22:44:40
>>631-633
シャドウボクシング乙

>>629
wikipediaに書いてあることは概ね合ってますね。

で、もしや誤解しておられるかもしれませんが。
「過去の史料」は文字として書かれた物だけではありません。
(ついでに言うと、同音異義語なので紛らわしいですが”資料”とは違います)
文字資料ももちろん含みますが、出土品・伝世品・絵画…等々、様々ですよ。

>仮に君が言うように発掘をしているのであれば
>それは歴史学ではないということを理解している?
歴史学でも発掘しますよ。有名な例としてはこんなのでしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%89%E6%88%B8%E5%8D%83%E8%BB%92%E7%94%BA
637612:2008/06/25(水) 22:44:55
>>635
つまり発掘による科学的見地による見解(他の学問による見解)が
歴史学より優先されるということは理解できているの?
638612:2008/06/25(水) 22:47:49
結論として発掘が文字より優先することが理解できているならば
紙や粘土に書かれた文字の研究は無意味
ということになってしまう。
歴史の真実を明らかにしたいなら
他の学問からのアプローチの方がいいんじゃないの?
639日本@名無史さん:2008/06/25(水) 22:49:06
>>630
なるほど・・・,未知の文献を探し出すのは相当苦労するだろうし,その文献が
本当に該当する時代に記述されたものかどうかの検証も必要になるね.

そういう意味では,学界で認められるには結構時間がかかりそうだな.
ある意味ヘビーな研究だなw
640日本@名無史さん:2008/06/25(水) 22:50:38
>637
> つまり発掘による科学的見地による見解(他の学問による見解)が
> 歴史学より優先されるということは理解できているの?

どっちが優先されるかは、ケースバイケースでしょう。

なんか、科学(自然科学ですか?)の使い方を間違ってますよ。
641日本@名無史さん:2008/06/25(水) 22:51:36
>>638
平泉に、奥州藤原氏のミイラがあります。
文献証拠無しで、彼らが何年に死んだか、正確に解き明かすことが可能ですか?
(○○世紀頃、というのは可能でしょうが、ピンポイントでこの年、という解明です。)
642612:2008/06/25(水) 22:54:53
>>640
ケースバイケース?
書面の古さだけで何が分かるので?
>>641
>平泉に、奥州藤原氏のミイラがあります。
>文献証拠無しで、彼らが何年に死んだか、正確に解き明かすことが可能ですか?
>(○○世紀頃、というのは可能でしょうが、ピンポイントでこの年、という解明です。)
真実は書面に記載されているものが絶対的に正しいという前提がなければ
文献証拠からの結論も正しいとは言えないでしょ?
643820:2008/06/25(水) 22:59:11
>642
> >>640
> ケースバイケース?
> 書面の古さだけで何が分かるので?

じゃあ、織田信長はいなかったんだね。
骨は残ってないし、文書しか残ってないし。

再現性もないしねw。
644日本@名無史さん:2008/06/25(水) 23:03:16
かまってちゃんはぬるー推奨
645日本@名無史さん:2008/06/25(水) 23:03:41
1 名前:日本@名無史さん 投稿日:2008/03/09(日) 04:46:15
分からないことがあるときは、スレッドを立てて聞く前にこのスレで質問してください。
専門的な質問については、各分野の専門スレで聞くほうが、より詳しい説明を得られるかも知れません。

<お願い>

・過度な論争は自粛してください。
646612:2008/06/25(水) 23:04:14
>>643
規制がかかって亀だが
書面だけでその他の物的証拠がゼロなら居ないかもな

ところが
信長の遺品や足跡がある。
書面がないので親鸞が居なかったと結論付けた史学のほうがアホだとおもうが?
647日本@名無史さん:2008/06/25(水) 23:06:35
>>646
その物体が「信長の遺品」であることは文書以外でどうやって分かるの?
648820:2008/06/25(水) 23:09:32
>646
> 信長の遺品や足跡がある。
それを証明するのは、「書面」だろって。

> 書面がないので親鸞が居なかったと結論付けた史学のほうがアホだとおもうが?
おいおい、どんな史学なんだよ!
親鸞がいないとは。
649612:2008/06/25(水) 23:10:59
>>647
口伝でも文書でもおk

文書だけで他の専門性の裏付けのないものが真実とは片腹痛いって意味だけどわかる?

650612:2008/06/25(水) 23:13:58
>>648
だから書面だけは証拠にならないって>>634を読んで欲しい
歴史学は自分たちの書面上の結論だけで他の学問による裏付けをしない
いや出来ないのですよw
三流学問だからね
651820:2008/06/25(水) 23:15:47
>649
> 口伝でも文書でもおk

だからね、それが史学だよ。
発掘もしてるしね。
安土城も発掘されてるよ。

> 文書だけで他の専門性の裏付けのないものが真実とは
>片腹痛いって意味だけどわかる?

確かに、>>612は片腹痛いなw。
652612:2008/06/25(水) 23:18:37
>>651
だから書面だけは証拠にならないって>>634を読んで欲しい
歴史学は自分たちの書面上の結論だけで他の学問による裏付けをしない
いや出来ないことがなぜ分からない?
653612:2008/06/25(水) 23:22:56
>>651
もっと平たく言ってやろうか?
歴史学的見解は当然全部発掘して検証してるんだよな?
文書だけで結論出してないよな?
ごくまれに安土城の発掘しただけで全部してるといいたげなレスだからあえて聞いてみるんだがw

こういう意味だ
654日本@名無史さん:2008/06/25(水) 23:27:48
>>652
その「史学回答」は具体的にどこで結論づけられた回答なんですかね。
少なくとも、現在の歴史学で言うなら
・斉明天皇の項だから、日本書紀編纂当時の朝廷にそれなりに
 資料は残っていた物と思われる。おそらく、遣唐使と唐の皇帝が
 これに類する会話をしたというのは本当と思われる
・東北地方の蝦夷について、この遣唐使が直接知っていたとは考えづらい。
 おそらく伝聞情報であり、少なくともこれを言葉通り取るわけにはいかない。
・この遣唐使はは蝦夷について「野蛮人」というニュアンスで言っているものと思われるが
 おそらく「朝廷の認識」を反映してるのだろう

この程度の結論は出せますけど。上記のやりとりだけで
「古代東北に稲作は無かった」と結論づけるのは、
100年前ならともかく現在では歴史学的にも無謀です

親鸞の件もそうですが、少なくとも「親鸞は居なかった」と結論づけている
学会は私は寡聞にして知りません。
655820:2008/06/25(水) 23:32:33
>653
> もっと平たく言ってやろうか?
ありがとうございます。

> 歴史学的見解は当然全部発掘して検証してるんだよな?
してませんよ。できないし。
だから、あなたが、突っ込んでるんでしょ。

> 文書だけで結論出してないよな?
> ごくまれに安土城の発掘しただけで全部してるといいたげなレスだから
>あえて聞いてみるんだがw

安土城の発掘結果は、文書と補完されて、面白い話になってるね。


> こういう意味だ

実を言うと、私は、理系の人間です。
「科学の方法」とか言われると、ちょっと言いたくなります。

結局、>>612さんは、何を言いたいんですか?
656612:2008/06/25(水) 23:36:34
>>654
>>634は書面だけで結論を出した場合こうなるとう事例。
第一級史料である日本書紀の記述ですよw
書面だけで結論出してる史学が如何に非論理的かという内容ですよw

つまり史学が他の学問の進出がないのを奇貨として
史料至上主義なのを揶揄してるんですが?

親鸞は戦前想像上の人物という意見が強かったんですがw
親鸞の同時期に記載された書物や親鸞実筆の書面が何もなかったからw
657612:2008/06/25(水) 23:39:53
>>655
>結局、>>612さんは、何を言いたいんですか
史学がクソだということを言いたい
史学を馬鹿にしたい
史学なぞ補助金の無駄
史学なぞパチ屋の倅が行く痰坪
史学は従軍慰安婦の強制連行を積極的に否定しないのでむかつく
史学は南京大虐殺を積極的に否定しないのでむかつく

よって日本史板で啓蒙活動
658820:2008/06/25(水) 23:43:03
>656
> 第一級史料である日本書紀の記述ですよw
> 書面だけで結論出してる史学が如何に非論理的かという内容ですよw

ええと、一行目と二行目が矛盾してませんか?

まあ、日本書紀の記述が怪しいのは、賛成しますがねw。
659612:2008/06/25(水) 23:44:47
史学科は
学問だから真実を究明するるために歴史学はある!
とほざくw
ふざけるな、日本の歴史学は日本マンセーのためにあるのだ!
なにバランサー気取って朝鮮や支那の片棒担ぎやがって

おまえらの学問のプライドなど不要
日本の歴史アゲ特亜の歴史サゲができないスタンスが超ムカつく

死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
660820:2008/06/25(水) 23:47:02
>657
その主張は、まあ・・・
分からんでもないけど、
やり方が間違ってるよ。
史学とかね。

かえって、反感買うよ。
661612:2008/06/25(水) 23:49:19
>>658
こう書けば分かるか?

> (彼らの尺度によれば)第一級史料である日本書紀(の内容が正しければ絶対無二の真実)の記述ですよw
> 書面だけで結論出してる史学が如何に非論理的かという内容ですよw
662612:2008/06/25(水) 23:54:30
つまり史学の正義などない
プライドなぞ認めない
くやしければお前らの言う絶対的正義で
チンクやチョンを皆殺しにしてみろ!
できなければお前らの正義など振りかざすな
朝鮮と支那は全部悪い
という世論を作って
 ⇒在日皆殺し法
 ⇒特亜スパイ無裁判による死刑法
 ⇒憲法9条改正 
 ⇒創価、統一教会皆殺し法
を作る為に史学科など不要
プライドずたずたにしてやるよw
663820:2008/06/25(水) 23:59:24
まあ、コテトリ付いてないから、あれかもしれないがw
612には、レスしない。

と言うことで、おやすみ

あ、612さんも、おやすみ。
それなりに、おもしろかったよw
664日本@名無史さん:2008/06/26(木) 00:00:15
ところで、612と名前欄に書いてる中に偽物が紛れていたりはしませんか?
全部本物なら別にそれで構いませんが。

>日本書紀
第一級史料だから書いてあること全部正しいなんてやり方はしませんよ。
少なくとも現在は。
戦前は…タテマエとしては、全て正しいことになってましたが。

日本書紀が一級史料であることは否定しません。
ただ、それは奈良時代初期の朝廷の公式見解が分かるという意味で
一級なのであって、書いてあることが全部事実であるとかそういう見方はしませんよ。

>>656
親鸞については専門ではないので何とも言えませんが

・親鸞を流罪にした旨の鎌倉幕府の記録
・親鸞が名がされた先の国の守護の報告書など
・当時の朝廷関係者などの日記
・親鸞を批判した旧仏教や日蓮宗の記録

この辺のどれかは残ってるでしょうね。
戦前には見つかってなかった何て可能性はもちろんあります。

というか、「戦前はこうだったから今も変わってないだろう」てき偏見は止めていただきたい。
665612:2008/06/26(木) 00:00:41
完勝w
以下史学科クソなwww
666612:2008/06/26(木) 00:02:43
は?クソ学問の分際でなにほざいてくれちゃってんの?
それ発掘した?科学的検証した?古文書は日本に都合よく解釈しろ
出来ないなら補助金返せや
667日本@名無史さん:2008/06/26(木) 00:05:44
質問。
律令制における調として認められていた特産品の一覧って
web上にありませんか?
668日本@名無史さん:2008/06/26(木) 02:24:46
>>664
親鸞が実在しないという説が主流だった話は俺も聞いたことがある
歴史学というのは日本古来の伝統は否定する癖があって
本願寺の坊様の意見も聞かず実在しないとされてたんだよ
親鸞宛ての手紙があると聞いた歴史学者が
へそを曲げた坊様に頭を下げてやっとの思いで
1920年頃西本願寺から妻の恵信尼自筆の手紙を公開してもらうにいたったらしい

しかもその後親鸞は実在したが
日本版宗教改革を無血でなしとげた偉大な宗教者なわけがないと
今でいう山本勘助扱いだった。

戦後西洋で16世紀に起きた宗教改革を
日本で成し遂げたようなスパースターが
平安時代に法然、親鸞、日蓮、道元などキラ星の如く存在したこと
が江戸期に創作されたものだと疑ってたくらいだ

全部史料至上主義といいながら
他の学問からのアプローチはもちろん発掘すらしなかった三流学問が
反省すべきことだとおもうが・・。

しかし反省はおろか今でも偉大な鎌倉仏教は史学で無視されている。
史学科が日本が偉大だとする研究をなぜかしないから
669日本@名無史さん:2008/06/26(木) 02:49:11
>665
> 完勝w

完敗だな。
670日本@名無史さん:2008/06/26(木) 04:45:43
>>669
少なくとも歴史学というのは史料批評以外には何もない
遺跡を発掘するというレスもあるが
それだと史学の論文はすべて発掘が無いと書けないことになる。
現実は発掘必須どころか、書面以外の証拠に触れてないのは事実だろ?
ある意味お前のように史学の完敗を認めてしまうしかないのかもな
671日本@名無史さん:2008/06/26(木) 11:14:43
>>670
>史料批評以外には何もない
は言い過ぎですが、史料批判は大切ですよ。

上の方にもありますが。
歴史学では、文書も、絵画も、伝世品も、発掘による出土品も、
平等に”史料”として扱います。
672日本@名無史さん:2008/06/26(木) 13:55:35
>>671

なのに史学の論文はほとんどが
発掘しないで成立してる
おかしいくね?

発掘無しで論文書いたら不完全なのわかってやってるなら詐欺だw

673日本@名無史さん:2008/06/26(木) 14:24:01
科学的方法
大まかにいえば、その推論過程において「適切な証拠から、適切な推論過程によって演繹されたものとみなせること」が要求される。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E5%AD%A6%E7%9A%84%E6%96%B9%E6%B3%95

つまり612さんの主張は
 @史料批評で仮説を論じても発掘という検証か残されているので
  史学の論文のほとんどはデータ不足。これは学問のスタンスとして
  いかがなものか?
 A史学科的正義など発掘等他の学問からのアプローチを否定しなけれ
  ば成立しない。そのような文献中心の史料批評なぞ学問といえるのか?

争点まとめてみた。
おもしろいので被告(史学)は反論してみてくれ
おれも興味あるw
674日本@名無史さん:2008/06/26(木) 14:32:27
>>673
つまり自説を発掘等の裏付けを積極的に行わない現在の
史学的史料批評は
「適切な証拠から、適切な推論過程によって演繹されたものとみなせること」
といえない。よって科学的方法ではない
ってことですね。
初心者の俺に誰か答えて
675日本@名無史さん:2008/06/26(木) 14:44:37
魏志倭人伝スレなどでよく見られる
文献分析などで思うのだが
なぜあそこまで中国の正史と他の証拠の争いで
中国の正史絶対になるのかが分からない
中国人が本当の事書いてる前提が存在することが
科学的方法からはみ出ているとしか思えない。
あんな事してるから
間接事実積み重ねた井沢元彦の方が一般に指示されるんだよ

発掘伴わない史料批評だけの史学など井沢の仮説と俺の中では並列。

怨霊法則や他の時代に書かれた文献にこそ信実があり
その証拠は間接的にこのようなものがあるってやる
井沢の非難する史料批評ってやつでつね

676日本@名無史さん:2008/06/26(木) 15:36:51
ようするに史学科の見解は
意図的に発掘や成分分析や他の学問の専門性による裏付け
が不足してる。

親鸞の件なら史料批評より坊様の言うことの方が信頼できる
奥州藤原氏が日本民族とアイヌでは日本民族に近いことは生物学者の方が信頼できる
書面の証拠能力の有無の客観性は弁護士の見解の方が信頼できる

単純なこと
史学科に専門性など何もない
廃止でおk
677日本@名無史さん:2008/06/26(木) 15:49:46
史学科の見解wwwww
678日本@名無史さん:2008/06/26(木) 16:47:36
・なぜそこまで文書は証拠にならず、発掘などは証拠になるとお考えなのですか?
・文書は>>673で言う「適切な証拠」には該当しないのでしょうか?
 該当しないというならその理由はなんですか?

>>673
平安時代を例に取りましょう。
藤原道長が書いた「御堂関白記」という日記があります。
藤原実資が書いた「小右記」という日記があります。
この2人は同時代に朝廷の高官だった人ですが、
特に両者が互いの日記を見せ合って書いたわけではありません。
従って
・ある件に関して、両者にほぼ同様のことが書いてある場合
・ある件に関して、両者の主張が食い違っている場合
・ある件に関して、一方にしか書いていない場合
などがありえます。
ここでは2つの史料のみでやってますが、摂関政治期の史料はこの2つだけではありません。
(日記が多いのは確かですが)
この事件は書いてある記録の全てでおおまかに一致しているから本当。
この事件は書いてある記録で食い違いがある…
などと検証していくのが歴史学の方法ですね。
ある意味、聞き込み調査をメインに犯罪捜査をするのに似ているでしょうか。

で、これは「適切な証拠から、適切な推論過程によって演繹されたものとみなせること」
ではないと言うのでしょうか。もしそうならば、その理由は何でしょうか。
679日本@名無史さん:2008/06/26(木) 16:50:08
>>675
井沢…に関しては色々言いたいことがあるのですがそれはさておいて。

(ちなみに私は邪馬台国は専門ではないです)
中国の正史は、日本に限らず周辺諸民族についての記事を載せています。
朝鮮半島、沿海州、ベトナム、北方etc...
それらの記事で、実際に行った人の勘違いなどによる誤りはあるにせよ、
ある程度正確に事実を伝えています(例えば地理的なことなど)
なので、日本についても(方角とか距離の疑わしさはともかく)
自然・習慣などの記事も、女王が居たという話もある程度は信用して良いのだろうと
判断がなされている物と思われます。


ところで、邪馬台国における「他の証拠」って何でしょうか。
マキムクの出土品だったら、結局の所「大きな国」があったことの証拠にはなっても、
その「大きな国」=邪馬台国とは言い切れませんよね。
邪馬台国を完全にイコールで結びたかったら卑弥呼の墓でも見つからないと難しいですが、
有力候補の箸墓は(政治的理由で)発掘できませんからね…

ちょっと質問なんですが。
木造のものだったら、いつ頃作られたかはC14や年輪年代法で分かります。
金属器の場合、どこで産する金属で作られたかは微量成分の分析で分かります。
(余談ですが、ヤマト時代以前の銅製品は、銅鏡・銅鐸などなどほぼ全て中国産の銅です)
が、「その金属器がいつ作られたか」は自然科学の方法で分かるのでしょうか?
680612:2008/06/26(木) 20:09:15
>>678
>・なぜそこまで文書は証拠にならず、発掘などは証拠になるとお考えなのですか?
>・文書は>>673で言う「適切な証拠」には該当しないのでしょうか?
 ⇒ 自分の都合の良い文章を書くことが可能だから

> 該当しないというならその理由はなんですか?
 ⇒文書に記載された事項についての事実認定において
   @不利益を得た人間の反論がない、できない
   A@が出来たとして客観的にルールにのっとった判断を下せる(裁判所のような)
   公平な判定機関がない。史学は物証なしで私刑が行われているようなものです
681612:2008/06/26(木) 20:12:55
>平安時代を例に取りましょう。
  〜(略)〜
>ある意味、聞き込み調査をメインに犯罪捜査をするのに似ているでしょうか。

 ⇒食い違い等だけではなく
   @どのような意図で
   Aなぜ記載されたか
   B記録者の社会的におかれていた立場
   C記録者の思想的、宗教的的背景
  このようなことを明らかにした上で反対意見に対して客観的な証明をしていないため
  即時に真実とはいえない

 ⇒そもそも古典や漢文しか読めない三流学問である史学の分際で時の権力者の気持ちなど
  どのように分かるのか?

>で、これは「適切な証拠から、適切な推論過程によって演繹されたものとみなせること」
>ではないと言うのでしょうか。もしそうならば、その理由は何でしょうか。
 ⇒@書面は嘘がつける。(公証人立会いの下で書いた日記ではないだろ?)
  A当事者が認めていない。
  B@Aが無理でも当事者の自白を否定するほどの物証(発掘や成分分析)
   くらい出さないと客観的といえない
  
  よって真実だとはいえないだろ?
  
  被害者若しくは被疑者の自白だけじゃだめだ。
  刑事事件でも死体の検視、事件現場の捜査くらいはしろってことだね
  しかも史学とかいう三流学問内での見解だし
  さらに見解(判決)が公正な手続きによっておこなわれていない私刑だし

  国による裁判と日本赤軍の粛清の差異とおなじってこと
682612:2008/06/26(木) 20:21:51
>>679
>ある程度正確に事実を伝えています(例えば地理的なことなど)
>なので、日本についても(方角とか距離の疑わしさはともかく)
 ↑
 一行目と2行目を読み直してみよう

 ⇒ 記載にしたがって歩くと海の上に邪馬台国があるって内容の記載が事実ってw
   当時の支那人だって北極星くらい分かるわけだがらあそこまで方角間違えてる時点で
   信用できない
  
 井沢元彦を倭に行かせてもそんな間違いしないとおもうが?

 すくなくてもw
  井沢元彦VS井沢以下のDQN支那人
 の証言なら井沢元彦の主張の方が仮説として信頼できる
 
683日本@名無史さん:2008/06/26(木) 21:09:33

井沢≧支那人

 客観的かつ合理的だなw
684612:2008/06/26(木) 21:31:09
魏志倭人伝の場合
 @わざと倭の位置等を間違えたのか
 A北も分からないDQNの伝聞だったのか
 Bまったくの創作
いずれの可能性もある
@でもAでもBでも真実として取り扱うのは危険
むしろ文献以外の証拠を前提に組み立てた方が真実から近い

そんな書面を一番たしかな「第一級史料」あつかいして
仮説組み立てるなんぞあふぉもいいところ
三国志の成立から何百年たってても真実伝えている書物を作ることは可能
仮に西暦200年頃に書かれた本でも嘘800の書物を作ることは可能
正史では書くことができなく、私文書記録することもあるだろう
それを

 正史>成立年代>記載者の役職
 ↑「史料批評で絶対(笑)」

史学は文献から仮説立てなきゃいけないところが非科学的なわけで
ある程度時代を経てたくさんの文献が出てきても
正史以外は無条件に信用できないってスタンスがちゃんちゃらおかしい臍で茶が沸く

いやちがうんだ!と

文献の価値で真実など何も分からない
あくまで文献記載は「仮説」なのだと
朝日新聞が第一級史料なのか?と小一時間(ry
685日本@名無史さん:2008/06/27(金) 23:21:00
>>678に対して答えた612のトンチンカンなレスで内容がとまってるのが残念だが面白い展開を見せたな

ところで史学科って独立する意味ないだろ
ほかのいわゆる文系的な諸学問の一分野としてその分野から歴史を切り取った方が楽しいよな
686トム・ボーヤ:2008/06/28(土) 00:53:14
大学受験で日本史が必要なんですが、とりあえず、原始時代を終わらせました。


先土器、縄文、弥生の各時期における

@考古学、地質学的名称
A生活様式の変化とその理由
B代表的な遺跡の名称
これらを押さえていれば大丈夫でしょうか?
私としては特にAを自分の言葉で、短く且つ分かりやすく説明できる事が大切かなと思っています。
687トム・ボーヤ:2008/06/28(土) 01:01:02
受験板へ行け!と思われるかもしれませんが、
たぶんこの板にいる人たちからしてみれば
受験で問われることはもはや歯の磨きかた同様に知っていて当然な事ばかりだと思い
こちらにて質問しました。


一つ疑問なのが、
埋葬方法が屈葬→伸展葬へと変化した理由が

アニミズムから権利者崇拝(自己顕示欲?)へと変化したため

と参考書には書いてあるんですが、
それならばなぜ土葬はそのまま採用していたのでしょうか?
688日本@名無史さん:2008/06/28(土) 02:36:25
江戸時代の大坂って
そんなにすごかったのですか?
689日本@名無史さん:2008/06/28(土) 03:37:57
はい。でも江戸時代の前のほうがすごかったかな
690日本@名無しさん:2008/06/28(土) 09:53:35
>>687
>それならばなぜ土葬はそのまま採用していたのでしょうか?

別に…土葬は世界普遍の葬り方だし。
ひょっとすると「何で火葬にチェンジしなかったのか」って問いたいのかな?
そりゃあ仏教が入ってきてなかったからさ…
691トム・ボーヤ:2008/06/28(土) 10:14:09
アドバイスありがとうございます。

ただ土葬の理由が世界共通だからだとすると、
当時の屈葬はアニミズムとあまり関係がなく思えてきます。

ひょっとして、「土に葬る」ことより「手足を折り曲げて葬る」ことが重要だったのでしょうか?
692日本@名無しさん:2008/06/28(土) 14:16:33
葬ってのは、要するに屍体の取り扱い方、処分法なんだな。
何の根拠で、どうオソれ、あるいは敬って、どのような手段で処分するのか。それだけ。
全ては生きている側の解釈と都合によって、決まってゆくもの。

Wikiにある「葬は蔵すなり」を引用するまでもなく、処理法としては土葬が一番一般的な方法だからね。
火葬などは古代においては特殊な方法といっていいし、現実的に考えても埋めるのが一番手っ取り早い。
初めに屈葬あり、而して土葬などと考えるべきではないと思うよ。
まぁ何万年か前は屈葬が当たり前だったわけだけれどさ。

屈葬にはいろいろな体位があって、それぞれいろんな解釈があるが、宗教思想的な面からだと
「屍体が復活したら困るから」か、(胎児に擬して)「転生の流れを促進するか」っていうところに
集約される。この根本にあるのは一種の懼れ(おそれ)だろうね。

それが伸身葬になっていったのは、屍体に対する「懼れ」が「畏れ(おそれ)」に変わっていったからじゃないかな。
屈めたり石を抱かせたりするのはどうみても屍体に窮屈を強いている訳だしさ。ましてや腰を切るなど。
屍体はきれいに整え、一番楽そうな体位のまま眠らせるのが「礼儀というものだろう」…と、こんな考え方に
なって今に至っているんだろうなんて考えてる。

さて精霊(アニミズム)がこれらの葬にどれだけ関わっているのかというと…
まぁ私には「復活」の媒体としてでしか想起できないな。


693日本@名無史さん:2008/06/30(月) 21:04:21
江戸時代の大奥の年寄と従五位下程度の平大名の正室では
どちらが格上と考えていいでしょうか?
694日本@名無史さん:2008/07/01(火) 03:40:39
日本史の基本的な流れを知るような初心者本ってありませんでしょうか?
世界史のスレにはお勧め本がテンプレにあったのですが、
日本史のスレにはないようなので、質問させて頂きました。
出来れば何冊もかさばらずに1冊ぐらいでまとまったものが良いです。
よろしくお願いします。
695日本@名無史さん:2008/07/01(火) 12:59:24
>>694
『教養の日本史』(東京大学出版会)
696日本@名無史さん:2008/07/01(火) 15:54:02
612への反論たのむ
おれは楽しみにしてるのだが
なぜ動きがない?
697日本@名無史さん:2008/07/01(火) 15:58:12
ここは質問スレで、議論スレじゃないから。
698日本@名無史さん:2008/07/01(火) 18:23:14
論破されたってことだな
史学ってそんなもんさw
699日本@名無史さん:2008/07/02(水) 17:25:19
偉い人のために毒味をする係の人って、毒味中に死んだら、
ああ死んじゃったで終わりだったんでしょうか。
それとも親族になにかいいことあったり、二階級特進みたいな褒美的なものがあったのですか?
700日本@名無史さん:2008/07/02(水) 18:17:02
すみません、質問をさせてください。
幕末のお侍さんたちの写真などを見ていて気になったのですが、
人によって月代を剃っているひとと、剃らずにまげを結っているだけの人が
いたりします。
あの月代を剃ってまげを結うという髪型は、たとえば公務に就いている
武士には義務として定められたりしていたわけではないのでしょうか?
たとえば勝海舟さんや近藤勇さんなど、それなりの立場にあるひとでも
月代を剃ってないので気になってしまいました。
また、剃っている人でも剃りの広さが人によって違うような気もします。
あの当時、武士の髪型には明確な規則などはあったのでしょうか?
ご教授のほど、どうかよろしくお願いいたします。
701日本@名無しさん:2008/07/02(水) 23:23:39
>>699
殉職扱いですから、そうでしょうね。
元々この毒見役(口役)は近習や御側衆がやるもんなんで、
主君から直接に相応の手当てがあったことでしょう。

>>700
幕府の令はあったようですが、具体的には忘れました。
でも「公務の際はネクタイ着用のこと」的なものに過ぎないので、
役持ちでも登城しないならイチイチ剃らなくてもいい。
貴方がサラリーマンでも365日ネクタイを着けているわけではないでしょう?

また貴方は髭を生やしているかどうか存知ありませんが、
髭だって何日間か剃らなかったらすぐ茫々になってしまいます。
が、毎日几帳面に剃るかというとそれはその人次第でしょう。
所詮は身なりの問題。

またテッペン禿の人とかもいるわけですから、画一的にアレコレ言うほどの
ことはないので・・・

702日本@名無史さん:2008/07/03(木) 23:25:22
以前、この質問スレッドで、鎌倉幕府は1192年成立ではなく、1185年のほうが有力との説がある。
だとすると、室町幕府や江戸幕府の成立時期も変わるのかという質問があり、
室町幕府は、尊氏が征夷大将軍になった1338年ではなく、建武式目を作った1336年だとか、
江戸幕府は、家康が征夷大将軍になった1603年ではなく、関が原の戦いに勝ち、実質的に権力を握った、1600年だとか、
幕府の成立時期にいろいろな考え方があり、興味深く読んだのですが、

ここでふと疑問に思ったのですが、
明治政府や戦後の政府の成立時期もいろいろな説があるのでしょうか?
私は、明治政府の成立は、大政奉還の時、
戦後の政府だと、現在の憲法が施行された日だと思うのですが、
これ以外の考えもありますか?
703日本@名無しさん:2008/07/04(金) 01:39:07
>>702
明治維新なら
・1868年01月03日 王政復古の大号令(将軍辞職の勅許&幕府の廃止令)
・1868年05月03日 江戸城無血開城(幕府の実質的滅亡)
・1868年10月23日 明治改元

などなどいろいろ見て取れますが、
「明治政府の成立は」と問われると、明治政府の原型が明確な意志を以て
諸侯を動かし始めた王政復古の大号令からではないかと思うのですが…

704日本@名無史さん:2008/07/04(金) 15:25:44
明治政府の成立
だったら当たり前だが明治元年。1868年だわな。
明治維新というと1867年あたりから視野にいれんとな。
705日本@名無史さん:2008/07/05(土) 13:39:18
>>703
明治元年って実質的に2ヶ月前後しかなかったんだな
706日本@名無しさん:2008/07/05(土) 16:21:16
おいおい。
明治元年は (慶長四年)九月八日(西暦1868年10月23日) から
十二月二十九日(西暦1869年2月10日)までだぞ。112日間だ。
707日本@名無史さん:2008/07/05(土) 17:11:48
>>706
ああ旧暦だったか!でも短さを感じるな
708日本@名無史さん:2008/07/06(日) 15:28:13
紫綬褒章を貰うと位階もついてくるんですか?
709日本@名無史さん:2008/07/08(火) 02:28:58
種子島時尭の鉄砲をポルトガル人から買ったときに
「其の価の高くして及び難きを言はずして」ってあるけどこの時の金は何で取引したんでしょうか?
710日本@名無史さん:2008/07/08(火) 09:27:51
灰吹銀
711日本@名無史さん:2008/07/09(水) 14:23:22
【英国社】予備校講師教科別評価スレ【数物化】
http://school7.2ch.net/test/read.cgi/juku/1215462332/
712名無し:2008/07/10(木) 11:18:36
テス
713日本@名無史さん:2008/07/10(木) 18:33:16
后候補の家格の順って皇族→五摂家→清華家→大臣家?

説明に公卿華族の内としか書いてなくて、久邇宮家出身の昭和天皇后がよくわからん…公卿華族より皇族が更に優先だったのか?
皇族が1番上ならわざわざ明治天皇后と大正天皇后が五摂家出身なのがよくわからん、皇族内に女なんていくらでもいたんじゃないのか?
714日本@名無史さん:2008/07/10(木) 18:41:05
皇后となるべき人物なんだから、それはそれは厳しい審査が内々で行われています。

家格以上に人物が重要です。
香淳皇后なんて、先祖に色盲の人がいると言うだけで反対論が出たくらいだ。

どうしてその時不敬罪で山県を殺さなかったのかと、大正天皇を小一時間問い詰めたいが。
715日本@名無史さん:2008/07/10(木) 19:36:14
さすがに天皇が自ら不敬かどうかを断罪するのは・・・
宮中某重大事件には薩摩と長州の派閥争いってのも原因のひとつでしょ

てか孝明天皇も仁孝天皇も皇后は摂関家なのだが。
傍系から即位した光格天皇は例外として、
江戸期において女御として入内するのは基本的に摂関家ではないかと。
716日本@名無しさん:2008/07/10(木) 19:39:52
>>714
大正天皇って…当事者の裕仁親王は摂政になってますよ。他の皇族たちもこぞって婚約破棄に反対。
政敵からも責められた山縣はこの事件から権勢を失いすぐ死んでます。別に殺さなくてもよかったのでして。
717日本@名無史さん:2008/07/10(木) 22:04:14
じゃあ、じゃあ、理由は何でも良いから明治天皇より前に山県が死んでいればw
718日本@名無史さん:2008/07/11(金) 15:08:16
本に后は公卿華族の内からってかいてたからさ 皇族はどの順位にあったのかよくわからんということなんだが
719日本@名無史さん:2008/07/11(金) 21:13:20
選考時の実体を見る限りでは宮家と公爵家に優劣があるようには見えないけど。
まあ公爵でも新華族は論外みたいだけど。
720日本@名無史さん:2008/07/11(金) 21:46:11
<朝鮮半島の「植民地支配」を否定し、在日朝鮮人の不当な強請り
(補助金増額)を蹴飛ばした下関市の嶋倉剛教育長に絶大な声援を送ろう>

朝鮮半島の植民地支配を否定した正論に対し何と!渡海文科省大臣は朝鮮人の歴史偽造を 容認し、
「我が国の植民地支配によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して 多大な損害と苦痛を
与えたという認識を政府は表明しており、私の認識も同じ」との妄言 を吐いた。

朝鮮人の走狗になり果てた渡海に国民教育を司る長たる資格はない。即刻辞任すべきであ る。
正論を語る下関市の嶋倉剛教育長を国民世論が後押しし、朝鮮半島統治の正しい歴史 認識を
文科省前で訴えよう。

渡海文科省大臣の歴史偽造を許すな!
http://jp.youtube.com/watch?v=e0tbM-Lr4vI
http://jp.youtube.com/watch?v=VooClQDRnbo
http://jp.youtube.com/watch?v=Ne18P85A8AM
嶋倉剛教育長のような正しい歴史を知った人がもっと増えて欲しいです。
バカ三国に対して日本が謝ることなど何一つない!
歴史捏造し日本から金を搾り取る巨大な寄生虫は消毒だ!
721日本@名無史さん:2008/07/12(土) 01:11:07
大学院で古代史やろうと思い、辞典を購入しようと思っています。
やっぱり岩波の日本史事典ですかね?
おすすめがあったら、教えてください。
722日本@名無史さん:2008/07/12(土) 10:53:32
男性がチョンマゲをしていたのは何時ごろまでですか?
明治末はまだ生き残っていたようですが。
723日本@名無史さん:2008/07/12(土) 12:30:19
なんで中島とか花沢さんは海関係じゃないんだ??
724日本@名無史さん:2008/07/12(土) 12:50:35
高校の先生が広開土王碑に日本軍がイタズラしたとか
言ってるんですけど実際はどうなんですか?
725日本@名無史さん:2008/07/12(土) 13:44:53
そりゃそうだろ
日本が戦仕掛けに行ってボロボロになって帰っていった記念の石碑なんだからそういう作為があって
当然だろ

あでも作為はなかったんだよ

391はなかったなんってね
726日本@名無史さん:2008/07/12(土) 14:03:04
>>725
どちらですか?
727日本@名無史さん:2008/07/12(土) 14:23:49
アメリカ人のバーベキューにかける情熱は?
728日本@名無史さん:2008/07/12(土) 14:28:30
>>726
中国の所有する明治維新以前に取られた拓本にも、日本側と同じ文章が書かれている。
つまり書かれている文章は改竄されていない。
729日本@名無史さん:2008/07/12(土) 15:17:34
江戸時代の武士が帯刀していたのは真剣なんですか。
730日本@名無史さん:2008/07/12(土) 16:31:42
独房のなかで封をした一升瓶を水でいっぱいにしたっていう詐欺師?の名前わかる人いますか?
731日本@名無史さん:2008/07/12(土) 16:33:00
>>719
ども!
732日本@名無史さん:2008/07/12(土) 16:56:38
>>724
その先生にその根拠を聞いた方がいいよ。
まあ多分日教組の教員だろうから、結論ありきの駄目教師だろうけどね。

てかその授業に基づけば、古代に倭が朝鮮半島に進出してなかったことになるけど
そんなんでどうやって話を繋げてるんだ?
百済王朝との関係とか、白村江の戦いとか、伽耶とか、大伴金村とか。
733日本@名無史さん:2008/07/12(土) 18:16:11
>>732
授業では朝鮮半島に進出していることになってるんですけど
騎馬民族征服王朝説を強調したり、広開土王碑は日本軍に改竄されたとか
説明するんです。
734日本@名無史さん:2008/07/12(土) 18:49:41
騎馬民族征服説は、古代日本に騎馬民族の習慣(家畜の去勢等)がない点、
騎馬を育成していた物証が考古学的に得られない点などから、
現在の日本の学界では否定されつつある。

困った先生だね。
735日本@名無史さん:2008/07/12(土) 20:46:11
改竄の可能性を指摘されているって教科書に書いてあったような記憶がある。
736日本@名無史さん:2008/07/12(土) 20:50:54
>>733
本当に困った先生だな。
今でもそんなのがいるのか。

対策としては無視するのが一番なのだろうけど
あなた自身がここで質問されてるように、問題意識を持つことは
とてもいいことなので、その先生を論破できる知識を身につけてぜひ実践して欲しい。
広開土王碑や騎馬民族征服説はちょっと調べれば簡単に否定できると思うよ。

しかしこんな個人思想垂れ流しの日本史教員の授業なら
この先もとんでもない説がでてきそうだな。
もし公立の教員ならば法に触れる行為ではあるので
あまりにもひどければ他の日本史の先生に話してみるのもいいかもしれない。
737日本@名無史さん:2008/07/12(土) 20:59:34
>>735
以前はそうだったかもしれませんね。
ただもともと否定的な意見が多かったことに加えて
中国でまったく同じ拓本が発見されたこと、
さらに中国の学者によってそれが本物であることが発表されたことで
改竄説は完全に否定されました。

ここ数年の話ですので、話題の教員は新しい学説を勉強していないのかもしれませんね。
下手したら某神の手によって発掘された遺跡を今でも教えているかもしれません。
日本史を専門にする人間は、過去をただ学ぶだけでなく常に新しい学説の発表や
新たな遺跡や史料の発見といった事案にも敏感でなければいけないのですが。
いろんな意味で困った人ですね。

新聞レベルでも週に1件くらいは、古代遺跡の発掘や発見などの
ニュースが出ているくらいですから。
738日本@名無史さん:2008/07/12(土) 21:38:07
「大和朝廷」ではなく「ヤマト政権」と表記するのは反日思想だと抜かしてる人が多いんですが
この主張って正しいんでしょうか
739日本@名無史さん:2008/07/12(土) 21:58:57
「ヤマト朝廷」への表記変更の流れは、
「ヤマト」という音に対して「大和」という表記を正式に用いたのが
奈良朝以降という史実にもとづくもの。

ヤマト政権黎明期において当時表記されていなかった漢字を用いるのが
ふさわしくないという見地からによるもので反日云々は関係ないかと。
おそらくは歪んだ愛国思想によるものですな。
そもそも漢字は外来の文字だし。
740日本@名無史さん:2008/07/12(土) 22:17:26
「朝廷」と「政権」の違いに引っかかりを感じたのでは?
741日本@名無史さん:2008/07/12(土) 22:21:43
そういうことなのかな?
そういうことでも、朝廷という語を用いるのは都が確立して
天皇による政治の中枢が明確になってからが適当という判断でしょ。
742日本@名無史さん:2008/07/12(土) 23:13:40
質問です。

昔から疑問だったのですが、戦国期の苗字と名前の間にある名前、
政宗だと藤次郎、竹中重治だと半兵衛、とかのいわゆる通称?ってのは、
一体なんなのでしょうか?

元服と同時に烏帽子親や実親から与えられるもの?もしくは自称するもの?
んでもって、勉強不足で申し訳ありませんが、漫画や映画、ドラマ等では、
通称で呼ばれる人もいれば(島左近や黒田官兵衛)など、前述の政宗がい
ますが、これらの違いって一体なんなのでしょうか??
743日本@名無史さん:2008/07/13(日) 00:37:49
>>742 簡単にいうと通称=ミドルネームですよ。
     れっきとした武士なら正式の名乗りは
     大石(苗字)内蔵助(通称)藤原(本姓・氏)良雄(名・諱)
     となります。通称は大名クラスなら受領名や官途名に
     なります。戦国時代は自称が多いですけど。
     
744日本@名無史さん:2008/07/13(日) 04:35:28
あぁ、なるほど。判ったような気がします。

戦国しか知らないので、無知っぷり全開ですが、
例えば幸村パパだと、大名クラスなので通称が無く安房守になってる
ってことなのでしょうか。とするとこの人の場合は、
真田安房守源(でしたよね?)昌幸になるわけでしょうか。

繰り返してるみたいで申し訳無いのですが、政宗は元服時に藤次郎を
名乗りますよね?これって通称にあたると思うのですが、彼は家督相続時に
これを捨てて、なんらかの官職名を名乗ったのでしょうか?
745日本@名無史さん:2008/07/13(日) 09:46:14
>>744 伊達政宗の例でいうと元服時は「伊達藤次郎政宗」
    家督相続時に「伊達美作守政宗」となり、さらに「伊達左京大夫」
    「伊達陸奥守政宗」「伊達侍従政宗」・・・と変わっていきます。
    捨てる・・・という表現はちょっとキツいかなと思いますが
    まあそういうことです。でも肉親関係者は当初の通称である
    「藤次郎」と呼んでいたかもしれません。

    
746日本@名無史さん:2008/07/13(日) 09:59:30
>>742 ちなみに苗字+通称(官位)+諱は明治3年まで続きます。
    それまでは通常「伊達政宗」などど苗字+諱で呼んだり
    書いたりすることはほとんどありません(皆無ではない)
747744:2008/07/13(日) 12:17:40
スッキリ致しました。
皆様、ありがとうございました。
748ぴーす ◆TfYI6zaOr. :2008/07/13(日) 12:22:27
勝海舟みたいに安房守だったことにちなんで安芳と改名
した人もいます。
749日本@名無史さん:2008/07/14(月) 13:47:19
「あ」という糞コテはどこに行ったんですか。自分の隔離スレが1000レス行った後、
見当たりませんが。
750日本@名無史さん:2008/07/14(月) 17:27:53
逃げたなw
751日本@名無史さん:2008/07/14(月) 17:52:04
あいつはトンデモ論で板を盛り上げ、つつかれたらすぐトン走!そして脳内勝利宣言。 クルセイダーコテの時代からの常套だからなw
752日本@名無史さん:2008/07/14(月) 18:52:55
「あ」は逃げたんですか。

土豪上がりの庄屋の自分の家なら、一族が力を合わせれば小大名など滅ぼせるとか
馬鹿なことを言ってたんで、庄屋階級でも活躍できた幕末ならさぞや彼の一族も
華々しい活躍をしたのだろうと意地悪く聞いてやろうと思ったんですけどね。

残念ですな。
753日本@名無史さん:2008/07/14(月) 19:11:37
庄屋なんて幕末ですら活躍できてないだろ
754日本@名無史さん:2008/07/14(月) 19:52:44
日本にいる日本人が最初に出会った黒人は、信長に使えたヤスケですか?
755日本@名無史さん:2008/07/14(月) 20:01:46
>>753
たしか赤報隊の相楽は、庄屋の息子だったような?
土方歳三は薬屋の息子だし
756日本@名無史さん:2008/07/14(月) 20:21:13
近藤勇も渋沢栄一も農民層。
757日本@名無史さん:2008/07/14(月) 23:34:49
>753
中岡慎太郎は、庄屋の息子だな。
758日本@名無史さん:2008/07/15(火) 01:17:35
そもそも土豪上がりの庄屋の多くが江戸中期以後の農村経済の変動に耐え切れずに没落していった家系が多い。
幕末の庄屋の相当数がその隙に這い上がった成り上がり
759日本@名無史さん:2008/07/15(火) 01:37:43
>758
> 幕末の庄屋の相当数がその隙に這い上がった成り上がり

成り上がって、活躍したんだろ?

何を言いたいの?w
760日本@名無史さん:2008/07/15(火) 02:29:12
草莽
地方名望家
あたりでググれば幸せになれるかも
761日本@名無史さん:2008/07/15(火) 03:21:46
土豪上がりの庄屋はやはり当時はかなり裕福ですよ商人など現金収入を直接受けるような特殊な一部を除けば。だから江戸期通しいろんな意味で最も虐げられることが少ない身分のような気がする。
だからその生活に甘んじ、あまり野望抱く家少なかったんじゃないかな?中以下支配層の部類の中で一番活躍した人が少ない部類が庄屋の気がするんだが・・・
762日本@名無史さん:2008/07/15(火) 05:09:20
単に人口比の問題では。
単純に有力農民は庄屋の数倍から十数倍はいるわけだし。

ま、土豪上がりの庄屋が、村人相手に威張り散らすだけの内弁慶らしいと
いうことは分かった。
763日本@名無史さん:2008/07/15(火) 19:09:40
平安時代に藤原信長という人がいて、「俺は太政大臣なのに関白より下とされた」という理由でぶち切れるというはなしがWIKIに載っていましたが、
これは、「太政大臣は律令に定められている正式な制度のトップなのに律令に載ってもいない関白より下とされるのは納得いかない」ということですか?

あと関白が太政大臣より上というのはこれ以降ずっとそうなのか、この時だけの例外なのかどちらでしょうか?
764ぴーす ◆TfYI6zaOr. :2008/07/15(火) 22:50:02
>752
家柄とか先祖自慢する人うざい Part4
のレス番793にいましたよ。
765日本@名無しさん:2008/07/15(火) 23:44:48
>>763
いや、「関白より下とされたのに納得いかなかった」んじゃなくて、従兄弟でライバルの師実が
左大臣にさせられてしまったことに激怒したの。太政大臣より形式的には下だけど実質は同じ。
でも問題なのは関白というオプションつきであること。

一上(いちのかみ)という言葉を調べてくれたらわかると思うけど、太政官のトップである左大臣が
関白(つまり天皇の後見人)を兼務したら、太政官−天皇のパイプを完全に掌握できることになるんで、
こうなったらただの太政大臣など実権なしの名誉職。

信長は「先を走ってたはずなのに、奴に足元を掬われたああああ!」と激怒した訳だわ。

でもこのとき在位していた白河天皇は、しばらくして後に譲位して院政を開いたんで、
相対的に関白に実権はなくなってしまったんだけれど。
766日本@名無史さん:2008/07/16(水) 00:09:33
>>765
ありがとうございます
ググってみたけど、よく分からんかったw
WIKIの
一上 藤原信長 藤原師実の項目が正しいとすると、

一上は太政大臣も摂関と共に資格無しで、出も数年前に左大臣を辞任しているその上関白でもある師実に一上宣旨が出たせいで、信長ぶち切れて叡山焼き討ち引き籠もりと。
と言うことになってしまう・・・

767日本@名無史さん:2008/07/16(水) 02:09:30
誰か教えて欲しい
明治に入ってから省庁を作るよね
その時に今でいう官僚達はどこから連れてきたんだ?
768日本@名無史さん:2008/07/16(水) 02:55:29
>>767
各藩の藩士を官僚として募集したんじゃないかな。
でも薩摩と長州の出身者ばかり集まってしまって藩閥政治となってしまった。
だから官僚養成のために東大が設立された。
その後、高等文官試験が始まり現在の国家公務員試験と司法試験に至る。
769日本@名無史さん:2008/07/16(水) 07:31:49
江戸時代の犯罪者は不正な手段で得たお金を(現代より娯楽が少ないとはいえ)
なんで決まってギャンブルと女を買うことに使ってしまうんですか?
770日本@名無史さん:2008/07/16(水) 08:56:01
それは江戸時代に限ったことじゃないだろ。

771日本@名無史さん:2008/07/16(水) 10:22:31
成金に代表されるように、バカは金の使い方を知らないからですよ。
772日本@名無史さん:2008/07/16(水) 11:50:06
>>767

実は同様の職に付いていた幕臣を再雇用した例も多い。
773日本@名無史さん:2008/07/16(水) 12:01:44
>>771
でもアタイはほすい。
774日本@名無史さん:2008/07/16(水) 13:23:46
監視社会だからいきなり金持ちになるとまずいからじゃないの?
後腐れのない金の使い方って言えば酒と女とギャンブルってのは古今東西共通。
775日本@名無史さん:2008/07/17(木) 16:32:53
昔の夏の夜ってちゃんと眠れてたの?
776日本@名無史さん:2008/07/17(木) 17:21:53
眠れる眠れないとかの差もあって、寿命の長かったり短かったり
したんじゃね。
名僧高僧などは、広い場所で小僧が蚊遣り、蚊帳を準備しただろう
から、概して長生き。
モマエらも夜遊びは体にいくない。
777日本@名無史さん:2008/07/17(木) 20:22:22
新参者の質問なんですが

歴史系板のあらゆるところに出没する「三足土器」と「プラントオパール」のコピペって

過去に何かあったんですか?

778日本@名無史さん:2008/07/17(木) 22:03:36
高校の日本史の教科書を何冊か見てると、江戸時代の産業で

マニュファクチュア(工場制手工業)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
みたいな記述がありますが、なぜカタカナ語の方が太字になるんでしょう?
江戸時代にいきなりバーンとカタカナ語が登場してちょっと違和感が…

「工場制手工業」は太字な教科書と太字でない教科書がありましたが
なぜこっちはカッコ書きなんでしょう…
779日本@名無史さん:2008/07/17(木) 22:24:48
>>776
実際夏場の死亡率はかなり高かったそうだね。
780日本@名無史さん:2008/07/18(金) 01:12:45
世界史との関連を考慮して、マニュファクチュアで覚えておくのが推奨ってだけかと。
試験ではどっちで答えても大丈夫だろうけど、マニュファクチュアと書くほうが無難かな。
不安なら先生に確認を。
781日本@名無史さん:2008/07/18(金) 10:00:38
>>780
ありがとうございます
にわか日本史好きの大学生です
782日本@名無史さん:2008/07/18(金) 20:46:41
江戸時代のことについて調べています。
江戸時代から現代に継続されている面、逆に途絶えてしまった面について知りたいと思っています。
最初は歌舞伎などの芸術から探ろうと思いましたが、どうやら江戸から始まったというわけでもなく・・・
どんなものがあげられるでしょうか?よろしくお願いします。
783日本@名無史さん:2008/07/18(金) 23:01:27
>782
> 最初は歌舞伎などの芸術から探ろうと思いましたが、どうやら江戸から始まったと>いうわけでもなく・・・

でも、歌舞伎の「形式」が定まったのは、江戸時代だよ。
そこらへんから、調べても良いんじゃないかな。
784日本@名無しさん:2008/07/18(金) 23:23:59
>>782
>江戸時代から現代に継続されている面、逆に途絶えてしまった面について知りたいと思っています。

これは難しい…というよりも、ここで訊く意味をあまり感じさせない切り口だと思うが。

まず対象をどうするんだ。
芸術から探ろうってのはいいとしても、その物品なのか技なのか慣習なのか感性なのか、あるいは
その体系である形式なのか。更にはこれらを総攬して文化レベルで論述したいのかどうかだな。
そのデザインを決めておかないと。

対象が絞られたら後は調べるだけだ。
「江戸時代の○○」をテーマにしている本を片っ端から調べて、「現在の○○」から差分をとればいいだけ。
それから自分で決めたデザインに基づいて論を展開すればいい。ここで訊くものなんかない。
785日本@名無史さん:2008/07/18(金) 23:42:47
>>783
なるほど。それなら調べていけるかもです。
>>784
そうですか…。ちょっと自分でもテーマが不鮮明でした。すみません。

この板で質問するのが初めてで、かなり曖昧な質問になってしまいましたが、
親切にありがとうございました。もうちょっと具体的にテーマを決めてまた頑張ります。
786日本@名無史さん:2008/07/18(金) 23:58:17
まあ、江戸時代について、個人的な感想です。

江戸時代は、「始まった」時代じゃなくて、
「固まった」時代だな。

江戸幕府の「方針」だね。
787日本@名無史さん:2008/07/19(土) 03:08:42
石けんって
いつ頃から使われたの?
それ以前はどうしてたの?
788日本@名無史さん:2008/07/19(土) 08:56:14
石鹸が国民に知られるようになったのは明治以降で、
舶来文物の一つとして市民に受容されました。
石鹸の泡がもったいなくて、泡を落とさずに着物を着る娘の話が残っています。

国産化は花王石鹸とミツワ石鹸の由来記を読むと良いでしょう。
789日本@名無史さん:2008/07/19(土) 09:02:34
埼玉や千葉あたりで農業やってた百姓たちが、たまに江戸まで遊びに行くというようなこともあったんですか?
790日本@名無史さん:2008/07/19(土) 15:44:36
違ったらお恥ずかしいんですが、城下町って今の県庁所在地みたいなものなんですか?
それで藩が県庁みたいなものですか?
791日本@名無史さん:2008/07/19(土) 16:02:27
円墳のグーグルアースの座標教えてください。
792日本@名無史さん:2008/07/19(土) 17:19:25
それを探すのがあたアースの醍醐味ジャン
793日本@名無史さん:2008/07/19(土) 18:05:04
>>787
昔はカマドの灰なんかを洗濯に使っていたとか。
なんでも界面活性剤と同様の効能があるとかないとか。
794日本@名無史さん:2008/07/19(土) 19:08:24
>>790
どっちかって言うと市の中の市街地くらいじゃないかな。
下手をすると町の中心部程度。
よほどの大藩なら県レベルだけど
795791:2008/07/19(土) 19:49:03
orz
796日本@名無史さん:2008/07/20(日) 13:03:10
甲信諸士起請文を見たいのですが収録されてる本を教えてくださいませ。
797日本@名無史さん:2008/07/20(日) 19:38:50
大宝律令は、文武天皇(天武・持統の孫)が、
刑部親王(天武の皇子)
藤原不比等に編集させたとありますが、
何故、孫がの文武が天皇なんですか?
刑部親王はむかつかなかったんでしょうか?
教えてください。
798日本@名無史さん:2008/07/20(日) 20:20:32
>>797
天武天皇の没後、権力を握ったのはその皇后であった持統天皇でした。
天武天皇と持統天皇の間には子供が1人しかなく、
その唯一の子供が草壁皇子でした。
草壁皇子は皇太子でしたが、即位する前に死んでしまいました。
持統天皇はそれでもあきらめず、草壁皇子が残した唯一の男の孫である
珂瑠皇子を帝位につけようとしました。これが文武天皇です。
もっとも、持統天皇が珂瑠皇子を皇太子に指名したとき珂瑠皇子はまだ幼く、
成人した天武天皇の皇子は何人もいたために議論が紛糾したことが史料に見えます。

刑部親王の母親は豪族の宍戸臣大麻呂の娘です。
母親の身分が低かったので即位できなかったんですね。
799日本@名無史さん:2008/07/20(日) 21:59:11
↑本当にありがとうございます。
800日本@名無史さん:2008/07/23(水) 03:16:20
不変流、三浦蔵人について
彼についての文献などを探しています
ご存じの方はよろしくお願いします
801日本@名無史さん:2008/07/24(木) 00:25:19
西郷隆盛は自害後に首を介錯させてますし、会津の娘子軍も重傷を負うと介錯させています。
敵に首を取られるのは恥との考えはこの当時の武士階級の人は普通に持ってたんですか?
802日本@名無しさん:2008/07/24(木) 01:12:05
>>801
敵に首を取られることそれ自体が恥なのではなく、殺される(前後の)ことで
損なわれる自身や味方の名誉や、蒙るであろう恥辱を慮ってのことですよ。
西郷南洲は一応総大将ですし、中野竹子は陵辱の可能性がある。
そうでなくても、官軍に「会津の士どもは女子供を矢面に立たせたる臆病者」
などと嘲笑されるネタになる訳にはいかないと考えてしまうでしょう。
803日本@名無史さん:2008/07/24(木) 02:01:15
江戸時代の老中は
どうやって選ばれてたのですか?
804日本@名無史さん:2008/07/24(木) 03:27:14
805日本@名無史さん:2008/07/24(木) 12:03:58
レポート課題である自分の興味のある歴史について論述しなければいけないのですが
論述とはいったいどういったことを書けばいいのでしょうか?
歴史の内容とその事柄についての自分の意見を述べればいいのでしょうか?
806日本@名無史さん:2008/07/24(木) 12:14:31
「問題の意味が分かりません」と書けばいいよ。
807日本@名無史さん:2008/07/24(木) 12:34:17
あなたのような人が通う学校ならそれで通るんでしょうね
808日本@名無史さん:2008/07/24(木) 16:25:57
地頭請制ってそれまでの荘園公領制とどう違ってくるんですか?
もともとの荘園制でも年貢を納めてたので変わりがないように思えるんですが・・・・・・
809日本@名無史さん:2008/07/24(木) 18:27:36
芸人という言葉には俳優や歌手やダンサーなども含まれてたそうですが
現在では芸人=お笑いになってるのはなぜでしょうか?
810日本@名無史さん:2008/07/24(木) 20:42:47
昔の芸人=現在の芸能人だと考えれば分かりやすい
現在のお笑いの人たちは芸能人だと名乗るのはおこがましいと考えて
広意で芸人と自称しているだけ
811日本@名無史さん:2008/07/24(木) 21:09:59
大河ドラマではよく大奥の人と老中とか大老があったりしますが、実際の所大奥の人が将軍以外の男と会うためにはなんか手続きとかあったんですか?
812日本@名無史さん:2008/07/24(木) 21:14:47
>>808
もともとの荘園制では荘園領主が現地の支配に介入する余地が大きかったが、
地頭請だと現地の支配が丸々地頭に任される。
813日本@名無史さん:2008/07/24(木) 21:24:12
>>811
大奥が男子禁制だったのは事実だが、実際にはかなり緩やかだった。
9歳以下の子供ならば男子が大奥に入れたのは問題ないとして、
将軍以外の成長男性も結構大奥に入っていた。
何より、大奥には老中と大奥の女中トップの御年寄が対談するための
御広間が設けられていた。
大奥に老中が口出ししたり、大奥が幕府首脳陣に申し入れを行ったり
ということはここで行われ、両者は直に会って話し合いをしていた。
ほかにも大奥内での力仕事をするための下働きの男がいたし、
大奥に住むすべての女性たちの食事はやはり下働きの男性が作っていた。
医師が大奥に入れたのは割と有名だけど。
814日本@名無史さん:2008/07/24(木) 21:42:01
参勤交代について質問させてください。
幕末の1862年に参勤交代が無くなったという資料を見ましたが、
その間、諸藩の江戸屋敷にいた藩主の奥方様や子供たちはどうなっていたのでしょうか?
明治維新まで、江戸に留め置かれた形になってしまったんでしょうか?
815日本@名無史さん:2008/07/24(木) 22:13:04
江戸生まれの江戸育ちも含め、大部分は領地に帰った。
そのため明治初年の江戸で、武家屋敷はもぬけの殻であった。
そこを明治新政府の建物が埋めてゆくこととなる。
816日本@名無史さん:2008/07/24(木) 22:49:26
>>815
814ではないが,一時的に江戸の人口が下がり空き家だらけとなって,
武士の姿があまり見かけなくなった状態があったんだな
817日本@名無史さん:2008/07/24(木) 23:38:07
>816
江戸は、超不景気になったらしいねw。
まあ、金を落とす武士が消えたから、しょうがないな。
818日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:40:35
江戸は100万都市のはずなのに明治最初の東京の人口が60万ちょいと書かれた本を見て
あれっと思っていたが正しいんだな。人口の半数もいた武士が国へ引き上げたわけで。
819日本@名無史さん:2008/07/25(金) 21:24:39
蔵元・掛屋は大名が蔵屋敷に送った年貢米の管理や売却などを行い、
札差は旗本・御家人が俸禄としてもらう蔵米の売却を行ったとありますが、
↑意味がチンプンカンプンでわかりません。
どなたか中学生にでもわかるように教えてください。
820日本@名無史さん:2008/07/25(金) 21:47:44
つうか中学校の教科書にもこうやって書いてあるような気がするが。
821ぴーす ◆TfYI6zaOr. :2008/07/25(金) 22:09:34
大名は大坂などの蔵屋敷に自国でとれた米を輸送し、蔵元や掛屋と
呼ばれる職業の町人にその管理や売却を任せた。

武士は札差と呼ばれる職業の町人に給料として支給された米を
現金に交換する作業を任せた。


822日本@名無しさん:2008/07/26(土) 01:47:03
蔵元:大名・大身旗本の蔵屋敷物品の管理および蔵米の公示・落札を行う責任者。
    蔵屋敷は大阪が有名だが、他の地域にもあった。
    藩役人(武士)、米問屋・両替商(商人)がやる二通りのケースがあったが、普通は商人。

掛屋:大名・大身旗本の蔵屋敷物品の出納を行う実務者。
    落札者からの手付銀・残代銀を受け取る会計担当なので両替商が行うことが多かった。
    責任者である蔵元と兼務していることもあった。

札差:幕府から旗本・御家人に支給される蔵米の売却や、蔵米を担保に融資をした商人。
    武士がやることはない。
    かつて国技館のあった浅草の「蔵前」には幕府の米蔵があり、この札差たちの店が並んでいた。
823日本@名無史さん:2008/07/26(土) 01:51:05
>>818 なるほど
   江戸が武士の街と言われてた訳だ
   40万人も帰ったんだな
824日本@名無史さん:2008/07/26(土) 02:52:49
>>819です。

>>820>>821>>822さん

どうもありがとうございました。
私は恥ずかしながら中卒です(荒れてたしほとんどいかなかったですが(泣))
四捨五入すると三十路なんですが、わけあって猛勉強中です。
ですが、勉強の難しさに閉口しています。
あまりにも勉強やらなさすぎて、書いてあることが理解できないんですよね(泣)
特に日本史とかになると顕著になります。
825日本@名無しさん:2008/07/26(土) 03:18:15
>>824
そういうことでしたら、当時の米売却プロトコルが書いてあるところを。

徳川時代の領主米流通ルート
http://risk.sfc.keio.ac.jp/dojima/root.htm
826日本@名無史さん:2008/07/26(土) 21:09:05
まずは米納年貢制、扶持米取りと知行取りから説明した方が良い予感
827日本@名無史さん:2008/07/26(土) 21:20:19
戦国時代とかの馬は一日最大何kmぐらい走れたの?
人は40kmとか歩けたらしいけど
828日本@名無史さん:2008/07/27(日) 18:52:47
江戸時代の旅は宿場一つごとに一泊してたとすれば、
江戸から京都までは約50泊(一月半)かかったと考えてOK?
829日本@名無史さん:2008/07/27(日) 21:18:04
>>828
そこまではしない。
順調にいけば12,3日で行ける。
途中でトラブルがあったときなんかの備えで多めに作ってあるだけで。

逆に、大井川で川止め食らったりしたら島田の宿で何泊もすることになるな。
830日本@名無史さん:2008/07/27(日) 22:30:51
江戸時代の武士が帯刀していた刀は真剣ですか?
831日本@名無史さん:2008/07/28(月) 03:51:29
ちょっくら質問です。江戸期の酒造についてなんですが
持ち高35石の酒造家が日本酒2000石製造は可能?

五公五民とすると17,5石ですが・・・
832日本@名無史さん:2008/07/28(月) 12:20:34
質問させて下さい。
醍醐天皇は「延喜・天暦の治」とも呼ばれる天皇政治をしましたが、
古今和歌集や延喜格を編纂したなど律令政治の復興にも努めていましたよね?
醍醐天皇は、何政治をしたかったんですか?
天皇親政もし、律令政治もし…って、矛盾してませんか?
833日本@名無史さん:2008/07/28(月) 12:52:47
834日本@名無史さん:2008/07/28(月) 16:30:54
>>831
米を買い集めれば出来ないこともない
在払米が相当流通していたからね
835日本@名無史さん:2008/07/29(火) 04:46:22
武陽陰士が沸くとスレがつまらなくなって困るのですが
836日本@名無史さん:2008/07/29(火) 08:12:04
今まで弓使ってたのに火縄銃導入してあっという間に広まったのはなんで?
837日本@名無史さん:2008/07/29(火) 20:47:20
>>832
律令政治というのがそもそも天皇自身による政治を
規定しているものなのだが
838日本@名無しさん:2008/07/29(火) 23:44:20
「律令制=王と貴族による寡占体制」と誤解しているのでは。
839日本@名無史さん:2008/07/31(木) 05:07:04
天草四郎が死ぬ前に「パライゾ」って呟いたって本当?
840日本@名無史さん:2008/08/01(金) 18:31:58
実際のカタナバトルについてこんな証言がありますが
ttp://homepage3.nifty.com/motokiyama/nagai4/nagai4-42.html
時代劇の殺陣がウソというのは分かりますが幕末の志士たちはどんな戦い方をしてたんですか?
841日本@名無史さん:2008/08/02(土) 01:03:29
基本は突きです。
あと鍔迫り合いから、力任せに相手の首筋を斬ったりとか。
相手の足払ったり、金玉蹴り上げたりとか。
ほんとの殺し合いになればなりふり構ってられませんな。
842日本@名無史さん:2008/08/02(土) 02:45:56
大学受験なんですが

オススメの参考書ありますか?
843日本@名無史さん:2008/08/02(土) 02:54:48
そういうことは受験関係の板で聞いたほうが的確なレスを貰えると思います
844日本@名無史さん:2008/08/02(土) 03:59:48
ありがとうございます!
845日本@名無史さん:2008/08/02(土) 10:11:55
質問です!
土地の所有者の移り変わりについて知りたいです。
例)
台東区にある種痘所跡は、今は民間の会社が建ってます。
奉行所跡地には、有楽町マリオン。
水野伊勢守という人の家の跡地には聖路加国際病院。

どれも、現在の所有者が買い取ったのでしょうか?
聖路加国際病院が、水野伊勢守さんから土地を買い取ったとか。
846日本@名無史さん:2008/08/02(土) 12:30:37
大名屋敷や旗本屋敷の多くは明治初年に新政府に収公された上で、
官庁その他に転用されたり民間に払い下げられたりしている。

元の住人から直接、現所有者が買ったケースはほとんどないのでは?
847武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/08/02(土) 20:14:58
武田信玄スレで法名に姓がつくのが当たり前というおバカさんに質問です
ていうか
仏教の基本書くらいチェックしろバーカw

とりあえず以下の引用を読め知ったかバカ
“…古代社会で勅によったり
罪科に処されるなど還俗したときには俗名に戻った云々…”
『岩波仏教辞典』より

今度、信玄スレが新たに立ったら法名の考察をテメーにレクチャーしてやる
そんときは基本的研究書にちゃんと依拠して教えてやるよ
仏教もしらねえ知ったか野郎w
バーカw
848845:2008/08/03(日) 01:18:57
>>846
なるほど、そうだったのですか。
849日本@名無史さん:2008/08/03(日) 01:19:56
なにこの痛い奴は
850日本@名無史さん:2008/08/03(日) 02:44:14
そう思うんだったらスルーしてくれ
851日本@名無史さん:2008/08/03(日) 04:42:52
九条廃帝って最後は京都に戻っていたんですか?
852日本@名無史さん:2008/08/03(日) 04:44:57
http://inoues.net/club/suminokura.jpg
角倉了以ってやはり半島系の人ですか?
853日本@名無史さん:2008/08/03(日) 08:25:00
そのような史料はない。
博多の大商人、黒田氏の福岡建設以前の博多の建設者、としか判らない。
史料のない人間に朝鮮人と勝手に認定することは恥だ、と未だわからないのかい?
854日本@名無史さん:2008/08/03(日) 10:18:46
史料のない人間に日本人と勝手に認定することは恥だ、と未だわからないのかい?

といわれるのが落ち
855日本@名無史さん:2008/08/03(日) 10:32:06
嘘を並べてなんでも朝鮮関連と言い張る精神には、
会津人と同じものを感じる。
856日本@名無史さん:2008/08/03(日) 10:59:55
ウソを並べても相手がそれに対して的確な反証を挙げられなければ、
泥仕合に持ち込めるので勝ちに等しい。
857日本@名無史さん:2008/08/03(日) 13:49:48
昔の、たとえば古代名○○ノイワレヒコとかそういうのや
そこまでいかずとも古代豪族時代から奈良時代前半ぐらいまでの難読名のほうが
独自色があってかっこよかったのになんで漢字2文字ぐらいのにしちゃったんですか?
だれぞに創氏改名されたの?

今つけたらやっぱりDQN名だとおもわれるんだろうか
858日本@名無史さん:2008/08/03(日) 17:41:09
ペリーはアメリカに帰化してたんですか?
859日本@名無史さん:2008/08/03(日) 17:46:52
ペリーは元々アメリカ人でしたよ。
帰国後は暫く提督をやって、その後は息子の嫁の実家で召使いみたいなことをしていたそうです。
元提督がそんなことをやって恥じゃないの? と悪い評判が立ったそうです。
860日本@名無史さん:2008/08/04(月) 08:28:53
>>859
レスありがとうございます
ずっとイギリス人だと思ってました
861日本@名無史さん:2008/08/04(月) 14:00:38
時代劇によくある人相書きって、江戸時代には実在しなかったって本当ですか?
よく考えてみれば写実絵をかく風習ないしなぁ
862日本@名無しさん:2008/08/04(月) 15:16:46
>>857
嵯峨天皇の時代から。
和名に拘るならタカマロとかタカヒコなどに改名すればよろしかろ。
863日本@名無史さん:2008/08/04(月) 19:25:24
>>861
あそこまで写実的ではなかったけど
人相書きはありましたよ
864日本@名無史さん:2008/08/04(月) 20:32:51
>>863
現存ありますか?
865日本@名無史さん:2008/08/05(火) 01:41:33
>>864
農村の庄屋文書とか
藩政史料とか
866日本@名無史さん:2008/08/05(火) 01:46:22
ttp://www.edo-tokyo-museum.or.jp/about/shisetsu/library/reference/ans15.html
一般的には絵はないとされていますね@人相書き
867日本@名無史さん:2008/08/05(火) 10:42:06
もともと人相書きは、占いの人相鑑定の指南書に出ているアンチョコを指す。
江戸時代の占いの教科書みたいなのを見ると絵付きで出ているよ。
868日本@名無史さん:2008/08/06(水) 23:06:59
藤堂高潔かその子孫って叙爵されていないんですか?
869日本@名無史さん:2008/08/08(金) 08:58:18
江戸時代の上級武士、中級武士、下級武士、上層町人農民等の平均建坪って分かりますか?
細かく規定されていたと聞きますが
870ぴーす ◆mQup6l1Ha. :2008/08/08(金) 14:40:32
拝領屋敷地は石300で500坪、1000で700坪、2000で1000坪、10000で2500坪みたいな具合で、長屋は3坪〜20坪ちょいくらいかな。ほか越後屋の建坪が倉含めて550坪ほど
871日本@名無史さん:2008/08/09(土) 07:12:00
民主党・公明党が主導する「 在 日 韓 国 人 参 政 権 付 与 」はこんなに危険!!
T B S 「 こ こ が 変 だ よ 日 本 人 」 に も 出 演 し て い た 在 日 韓 国 人 キ ム ・ ム ギ ら ( 韓 国 民 潭 の 広 報 ) が
本 国 韓 国 人 に 、 日 本 人 に 対 す る 「 世 論 操 作 」 の 実 践 方 法 と 活 動 成 果 を 
レ ク チ ャ ー し て い る 衝 撃 動 画 。 世 界 に 向 け て も 対 日 情 宣 活 動! !
http://vision.ameba.jp/watch.do;jsessionid=92FD7135CBF5F0A85CDD74C0437D1ED0?movie=239857
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=626115

内容

分類1、全く歴史に無知な大多数の日本国民
分類2、歴史を「歪曲」する一部の日本右翼勢力(政治家・ゴー宣や嫌韓流などの漫画・ネット)
分類3、歴史を「正しく」理解する一部の良心的日本市民勢力(朝日新聞・極左団体)

経緯1、大多数の日本人は歴史に対して全く無知。
経緯2、日本人が韓国人の感情的な対応を見て韓国人が怒っていることを認識する。
経緯3、日本人が韓国人の感情的な対応に触れ、原因を知りたいがために本や漫画やネットなどを読み「歪曲された右翼言説」に触れる。
経緯4、韓国に都合の悪い対韓認識が芽生える。

工作方法1、韓国人が感情的に対応して、日本人を経緯3に移行させてはならない。まずは日本の「歪曲」言論を徹底調査する。
工作方法2、経緯1の段階で「インプリンティング(刷り込み)」することが望ましいが、経緯3に移行する寸前の日本人にも対応できるよう「正しい」教材などを作る。
工作方法3、工作方法2で作った「正しい」言論教材を日本中に流布し教育する。
工作方法4、1〜3を繰り返し継続して行うことにより日本人に「正しい歴史」の「インプリンティング(刷り込み)」を徹底的に行う。

工作実践1、特に欧米・韓国・中国・のメディアへの徹底した記者会見や資料送付などを通じて、「日本右翼の悪辣さ」と「韓国の正当性」を宣伝する。
工作実践2、日本の教育委員会や議員に徹底した陳情活動を行う。
工作成果1、扶桑社の「新しい歴史教科書」の採択率が0、39%だったこと。
工作成果2、慰安婦に対する世界からの日本非難。
872日本@名無史さん:2008/08/09(土) 07:40:58
過去の日本の侵略を声高に批判する人ほど、現在の中国の侵略に沈黙する。
過去の日本の虐殺を声高に批判する人ほど、現在の中国の虐殺に沈黙する。
過去の日本の人権問題を声高に批判する人ほど、現在の中国の人権問題に沈黙する。
過去の日本の言論弾圧を声高に批判する人ほど、現在の中国の言論弾圧に沈黙する。
日本の高価な地雷を批判する人ほど、中国の安価な地雷に沈黙する。
アメリカの核を批判する人ほど、中国の核に沈黙する。
中国の方が圧倒的長期間に渡って、圧倒的多数の犠牲者を生み出している。

日本は 「遅れてきた帝国主義」       などと言われるが、
中国は 「時代錯誤も甚だしい帝国主義」 を邁進している。

日本の 「過去の侵略・帝国主義」 を声高に非難するなら、
中国の 「現在の侵略・帝国主義」 はそれ以上に声高に非難されなければ理屈に合わない。
873日本@名無史さん:2008/08/09(土) 07:43:02
軍の使う号令?ってどういう言い方がある?
呼び名って言うのかな
874日本@名無史さん:2008/08/09(土) 10:51:11
長崎は被爆地なのに大浦天主堂とかグラバー邸とか中国寺とかいっぱい残ってるのは不思議だ。
875日本@名無史さん:2008/08/10(日) 01:44:01
堺屋太一『豊臣秀長』で、秀長が農民自分に菜種油を買って、飲んだような描写があるんだけど、当時菜種油って照明の燃料として使ってたものじゃないんでしょうか。
876日本@名無史さん:2008/08/10(日) 17:30:26
灯明が主ではあるが、食料利用もあった。
「利休揚げ」:ゴマをまぶして揚げること
あと、徳川家康の死因は? 鯛のてんぷらだったような話があるような
877日本@名無史さん:2008/08/10(日) 22:02:50
1同和問題についてですが、ユダヤ陰謀論で有名な宇野まさみという方が
 元々古代日本では同和の人たちは英雄というか尊敬されてて差別の対象になったのは
 中国から仏教が入ってきた為でそれまでは差別はなかったむしろ尊敬されてたといってました。
 これは正しいのでしょうか?

2神道についてですが、キリスト教のように○○してはならないとか、そういう道徳とか法律などに影響した教えって
 あるのでしょうか?
878日本@名無史さん:2008/08/10(日) 23:30:04
>>877
1尊敬されていたとも思えないが、差別されるようになったのは仏教の不殺の教えと神道の穢れ思想の融合だろうな。

2道徳に関しては書ききれないほどいっぱいある、外国人が呆れるくらいの日本人の潔癖さなども神道のあれは穢れている、これは穢れている穢れはとっとと雪ぐべき、と言う考えに始まるから。
法律に影響となると、そもそもきっちりした成文法の考え自体が明治維新で導入された物であり、日本独自の考えなどは遅れた物として扱われたので、思い浮かばない。
879日本@名無史さん:2008/08/11(月) 13:23:00
娘の夏休みの宿題が分からないので教えてください。
プリントに穴埋め式で秀吉が築いた大阪城の大きさを調べろとあるのですが

 築城に参加した大名の数は約   大名
 二重の堀
 外堀の周囲       km
 天守閣          重九層

他の項目は何とか調べれたのですが、この4つが分かりません。
よろしくお願いします。
880日本@名無しさん:2008/08/11(月) 14:14:48
>>877
それは、今の我々が異能者異端者に抱く「一定の敬意」と呼ばれるものと、さしたる差のないもので、
「むしろ尊敬されていた」という表現には、違和感を感じるところです。
彼らには敬意以外の多くに「忌避」という感情、そして態度がとられます。
歴史的には>878が云う「仏教の不殺の教えと神道の穢れ思想の融合」が加味されたことに因るものでしょう。

『三国志』に出てくる何進は、横山光輝あたりの本では「肉屋」「豚殺し」などという種の罵られ方をされていますが、
これはただ単なる(王侯ではない)庶出の癖にというヤッカミに、仏教の不殺の教えが加味されて、
後世、そして日本では殊更に、避穢が強調された所為ではないかと思うのです。

ちなみに、『三国志』時代は中国において仏教が普及しはじめたころで、今まで言ったような忌避感は必ずしもなかったのです。
「肉屋」と乱暴に言っていますが、畜産食肉業は資産を持っている(そもそも家畜自体が資産といえる)ものでして、
この何進とても「家業は畜産食肉企業グループのオーナー」のようなものだったと考えればいいでしょう。

「むしろ尊敬されていた」という見方が正しいとするならば、それは羽振りがよかったからだというところでしょう。

881日本@名無史さん:2008/08/11(月) 23:09:29
横山光輝が種本にした吉川が著作の中で言及していることを・・・

日本史と中国史になんの知見も感じられない素人が質問スレで回答しているのを見て
改めて夏休みを実感する今日此の頃(苦笑
882日本@名無史さん:2008/08/11(月) 23:48:18
そうだなw
883日本@名無史さん:2008/08/12(火) 00:08:19
新政府軍の記録にも会津娘子隊との交戦記録はあるんですか?
884日本@名無史さん:2008/08/13(水) 22:50:25
森鴎外の舞姫に、官僚である主人公がクビになったときに官報に乗っけられるシーンがありますが
昔の官報って、いちいちこんな役人の人事まで記載してたんですか?
885日本@名無史さん:2008/08/14(木) 02:03:53
通史を押さえたいんですが、
教科書みたいに網羅性があって通読できる本はないでしょうか?
一般の書店で購入できるものがいいです。
886日本@名無史さん:2008/08/14(木) 02:37:44
>>884
今でも載ってるぞ。
http://kanpou.npb.go.jp/
887日本@名無史さん:2008/08/15(金) 02:44:33
>>885
>>1
※まずは下記でチェックしてください。
日本史・世界史FAQ
http://www.geocities.jp/magurogyosenn2000/index.html
888日本@名無史さん:2008/08/15(金) 18:38:14
上宮聖徳法王帝説ってWIKIでは古事記や日本書紀より古い資料に基づいているとか書いてあるけど、本当の話ですか?
たんに古事記や日本書紀と矛盾している点を、功名ねらいで「こっちの方が正しい」って言い張っているやつが居るだけじゃないかと思う俺は性格が悪い?
889日本@名無史さん:2008/08/18(月) 13:08:31
鮫島事件って何ですか?
890日本@名無史さん:2008/08/19(火) 22:23:14
雄略天皇期の江田船山古墳の被葬者ムリテ,稲荷山古墳の被葬者ヲワケについて,
当時,古墳周辺で支配していた氏を知っている人はいないか?
891日本@名無史さん:2008/08/20(水) 02:32:30
勘合貿易について知りたいんだけど、
この貿易において勘合と呼ばれる割札を使用していた理由は、「日明貿易を行っていた頃には日本人を中心とする倭寇と呼ばれる海賊集団がいて、正式な遣明船と倭寇とを区別するため」ってことで合ってますか?
892日本@名無史さん:2008/08/21(木) 21:56:40
それでは過程と結果が逆だと思う。

1.明成立、明国内では華夷秩序に準じた対外関係の見直しが進行
2.明の海禁政策によって、中国に属していない日本と明との貿易は禁止
3.日明間の交易商人による私貿易の横行(明から見れば「海賊化」)
4.朝貢貿易のみの開放(勘合貿易の開始)
893日本@名無史さん:2008/08/24(日) 09:52:13
=== 朝 鮮 人 が 日 本 に し た こ と ===

1、20世紀初頭、朝鮮は実質的に国が破綻状態で外国(中国・欧米・ロシア)から侵略されそうになったので、
  当時軍事強国だった日本に併合してほしいと救いを求める。
2、日本はいやいやながらも朝鮮に同情し併合を認め、内鮮一体のスローガンのもと多大な資本を投入して
  朝鮮の国つくりに協力。韓国の皇帝は天皇陛下に次ぐ高い地位を与えられ、多くの朝鮮人が日本に来て
  学問・技術・芸術を学ぶ。
3、大東亜戦争時は日本の臣民として共に欧米と戦い、朝鮮からも多くの志願兵が集まる。
4、ところが日本が敗戦すると手のひらを返したように日本を裏切る。
  急に日本は敗戦国で朝鮮は戦勝国だと言い始め、日本の法律だけでなくGHQの命令も無視して
  略奪・レイプ・殺人やりたい放題。
5、農家を襲って食料を奪いヤミ市で大もうけ、さらに土地の不法占拠・覚醒剤の密売。
  当時朝鮮が混乱していたこともあり、日本を自分達のものにしようと役所や警察を襲って占拠。
  もちろん税金は一切払わず、税金を徴収に来た国税局の職員にケガをさせることも・・・ 。
  あまりの横暴ぶりにマッカーサーが激怒し朝鮮は戦勝国ではない第三国だと宣言する(三国人の由来)
6、一方朝鮮半島では「ヨーコの話」にも出てくるように日本人女性を襲ってレイプし放題。
  被害に遭った女性はすべて泣き寝入り。
7、さらに、朝鮮人はアメリカのWGIPに習い日本人を洗脳し内部から支配することを計画。
  不法行為で儲けた資金力にものを言わせマスコミ・教育界・法曹界への影響力を強め、「日本は極悪な
  加害者・朝鮮は善良な被害者」という図式を作り出し日本人に罪悪感をもたせるシステムを確立する。
8、在日特権・竹島侵略・従軍慰安婦詐欺これらは朝鮮人がお人好しの日本人を騙すことで得られた
  成果であると言える。
894日本@名無史さん:2008/08/24(日) 17:09:02
VIPで偉さは天皇(emperor)≧ローマ法王(Pope)>英国女王(Queen)で、
昔ローマ法王が来日した時に「私のほうから天皇陛下に出向かなければ失礼にあたる」
と言ったというレスを見かけたのですがこれは本当ですか?
895日本@名無史さん:2008/08/24(日) 19:28:55
源氏物語の概略を本2、3冊くらいまでの量で解説してくれるシリーズや本はないでしょうか?
あさきゆめみしを全巻を部屋に置いておくと結構スペースをとられるので。
896日本@名無史さん:2008/08/24(日) 20:59:55
>>894
日本史板で扱う範疇ではない。
ちなみに、日本の「ミカド」がエンペラーであるなら、ローマ教皇より多少上の存在である。
>>895
田辺聖子あたりの文庫本でも読んでたら?
重要な部分だけ古文で欲しいのなら、旺文社の学習参考書の対訳シリーズでも買えばよい。
897日本@名無史さん:2008/08/24(日) 21:32:09
屋台型でも店舗型でも良いんですが、日本で最初に飲食店が開業されたのは何時代からですか?
898894:2008/08/25(月) 14:54:09
>>896
すいませんでした…。世界史板で聞いてきます。
899895:2008/08/25(月) 16:28:38
>>896
ありがとうございます。
900日本@名無史さん:2008/08/25(月) 20:23:04
文学史の歴史を解説してる本はないでしょうか?
901日本@名無史さん:2008/08/25(月) 21:08:16
文学史の歴史は難しいかもしれないな。
文学史を解説してる本ならともかく。
902日本@名無史さん:2008/08/25(月) 23:07:13
■捏造体質

いつも楽しく拝見しています。
先ほどenjoy Korea に行ってきましたが、恐ろしいネタがありました。
ネットでは割と有名なイザベラ・バード著「朝鮮紀行」ですが、
韓国内で出版されているものは原文(英文)とはまるっきり正反対の内容。
ここまでなら韓国内のことだしいつものことと笑韓できますが、
100年経って版権が失効しているのをいい事に、
わざわざ英文で原文を書き換えてイザベラ・バード名で出版して海外で堂々と売られているそうです。
(出版元は延世大学の教授とか)
 どおりで韓国人に「朝鮮紀行」を読んでみろと言っても話が噛み合わないわけです。
おそらくビショップ夫人やホーマー・ハルバート著の原文も捏造されている可能性があります。
(日東壮遊歌なんかも捏造されているのかも)
 これが事実なら朝鮮人の捏造体質は笑い事ではありません。
お得意の「嘘もつき続ければ真実になる」のでしょうか。
徹底的に調べ上げ、もし事実なら世界中に知らしめる方法はないものでしょうか。
ソース http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=ttalk&nid=1171009&tab=five
903日本@名無史さん:2008/08/25(月) 23:19:27
>>901
>文学史を解説してる本ならともかく。

あ、それです。
表現が不十分で申し訳ないです。
904日本@名無史さん:2008/08/26(火) 02:50:20
自分は今受験生で基礎の参考書が終わったので次の参考書にいこうとしているのですが、オススメはありますか?
志望校は一応早稲田なども受けるつもりですが、正直自信がなく、とにかくMarchには入りたいと思っています。
よろしくお願いします。
905日本@名無史さん:2008/08/26(火) 15:47:19
男色の信長とか信玄ってイメージ的にSのイメージしかないのですがMって可能性は
ないのでしょうか?
「上様の毎晩のお相手は大変でござそうろう、いつもは勇猛なのに夜になると気性が
さかさまになって・・・」
何故かSのイメージあるんだよね
高坂昌信の手紙くらいしかしらないけどなんか文献とかあったりします?
906日本@名無史さん:2008/08/26(火) 17:59:08
907日本@名無史さん:2008/08/27(水) 02:43:25
江戸時代の大老て具体的に何をする役職なのですか?
老中いるのになぜ必要なのか?
ローマ共和制のディクタトールみたいなものかな?
908日本@名無史さん:2008/08/27(水) 11:49:13
>>896
>重要な部分だけ古文で欲しいのなら、旺文社の学習参考書の対訳シリーズ

これって表紙が赤いやつですか?
909日本@名無史さん:2008/08/27(水) 20:56:33
旺文社の「文法全解」シリーズのことでしょう。
古文なら赤い表紙ですね。学生には良い読物です。
910日本@名無史さん:2008/08/27(水) 21:10:07
>>907
老中は何人もいるために全会一致する場合は良いが
意見が対立するとものごとを決めづらい
そのために重要な案件を議論したり政治の革新を求めるときは
一人を大老に押し立ててリーダーシップをとってもらうんだ
なかなかうまくはいかなかったみたいだけどね
911日本@名無史さん:2008/08/28(木) 07:40:17
昨日ベストハウスの穴澤大尉の再現Vで智恵子さん役やってた女優さん誰?
912日本@名無史さん:2008/08/28(木) 23:44:27
今大学生でバイトしてないし、
暇なんで日本史勉強しようと思う。
ちなみに受験は世界史だった。
受験仕様でなく楽しく勉強できる本ないですか?
中学以来だから重箱の隅をつくような詳しい本でなく、
流れが分かりやすいのをお願いします。
913日本@名無史さん:2008/08/29(金) 00:04:08
>>912
冗談でなく、図書館とかにあるような「マンガ 日本の歴史」
大学生なら、石ノ森版などいいんじゃないか?
914日本@名無史さん:2008/08/29(金) 03:51:56
>>910
あるよ。
以上。
↓次の方どうぞ
915日本@名無史さん:2008/08/29(金) 12:20:30
↑の意味が分からない
以上。
↓次の方説明してplz
916日本@名無史さん:2008/08/29(金) 12:46:05
ナイアルヨ。
中国人若しくはゼンジー北京。
917日本@名無史さん:2008/08/29(金) 15:40:54
あっちこっちのスレでウザいレスを付けてる武陽隠士とは何者なんですか?
918日本@名無史さん:2008/08/30(土) 00:37:29
>917
質問スレを荒らすのが目的でないのであれば、
そういう質問は当人がいるスレか専用スレをたてて、そっちでやってください。

ここは日本史の質問に回答するのが本義。
919日本@名無史さん:2008/08/30(土) 09:19:53
>専用スレをたてて、そっちでやってください。

止めてくれ。最悪板でやれ。
920のんびりひまじん:2008/08/30(土) 15:22:17
>>845
法務局(登記所)という役所を尋ねるべきです。(ここは歴史初心者用のようです。)
なお、ちかごろはデータが電子化されていて古い分は出てこない可能性大。手書き時代なら田中角栄さんの金脈研究みたいなことができた。
921日本@名無史さん:2008/08/30(土) 23:17:46
>>896
板違いを延々と語るのも嫌だが、エンペラーはローマ教皇から戴冠を受ける慣わしだぞ。
ナポレオンの戴冠式の絵って見たこと無いのか?
922日本@名無史さん:2008/08/31(日) 12:39:13
今川氏真が剣術習っていたって本当ですか?
923日本@名無史さん:2008/08/31(日) 20:21:36
>>921
板違いを延々と語るのも嫌だが、ナポレオンは自分で冠を被ったのだが・・・
924日本@名無史さん:2008/09/01(月) 16:24:49
質問です。
謙信の父である長尾為景は
譲恕、蘇久、桃渓斉宗弘、紋竹庵張恕、黄博など、
複数の名前を持っていますが、どれも一度か二度使うと
すぐにまた何もなかったように為景の名前に戻しています。
まったくわけがわかりません。
以下のいずれかだと思うのですが、何か参考になる意見や例があれば教えてください。

・出家して法号を得た後、即座に還俗して俗名に戻った(一度だけならわかるのですが、こんな人他にいます?)
・どれもその場限りの密書(?)に使われた変名(暗号みたいな扱い。日本史でこういう例が他にあるんでしょうか)
・花押や筆跡、内容から為景と判断されたこれらの署名は別人のもの(古文書の現物が見られればいいのですが)
・研究者の年代比定が間違えており、本当はそんなに散発的に名前を変えていない(こうなると一から史料を再検討する必要がでます)
925日本@名無史さん:2008/09/01(月) 18:47:24
>>923
それも不正確。
ローマ教皇が冠を被せるのが遅かったので、キレて教皇から冠を取り上げて自分で被っただけ。
926日本@名無史さん:2008/09/01(月) 20:58:55
>>925
それも間違い。
ナポレオンは最初から皇帝冠を教皇に持って来させただけで、自分で被るつもりであった。
そうでなければ「人民が選んだ皇帝」になれないと思っていた。
927日本@名無史さん:2008/09/01(月) 21:46:06
>>888
上宮聖徳法王帝説
聖徳太子周辺のことに関しては日本書紀や古事記よりも詳しい
特に近親者のことについては日本書紀や古事記にない伝記を残している
聖徳太子の母穴穂部間人皇女が聖徳太子の異母兄と結婚して
間に子供を儲けたことなど上宮聖徳法王帝説にしかない記述
日本書紀や古事記の内容と違っているというのではなく
基本的に内容に関して日本書紀や古事記に矛盾することはなく
日本書紀や古事記に記載がない事項についても載せているんだ
ネットでググると原文が読めるから見てごらん
928900:2008/09/02(火) 20:52:46
文学史を解説してる本でおすすめはないでしょうか?
929日本@名無史さん:2008/09/04(木) 00:41:20
江戸時代に農村から都市へ多くの人が流れ出ていたというのを聞いたのですが、
そのように農民が町人になるのをそれぞれの檀那寺は簡単に許可するものなのでしょうか?
それとも勝手に都市に出て行っていたのですか?
930日本@名無史さん:2008/09/04(木) 20:53:36
>>928
常用国語便覧
931日本@名無史さん:2008/09/05(金) 17:16:39
>>929
丁稚奉公なんかはらしいよ。

『徳川林政史研究所研究紀要』
 この観察結果は、農民に対する法的規制がどうあれ、
 江戸時代に生きた農民の具体的な姿なのである。
 たとえば、いかに多くの農民が(少なくともこの村出身の)
 都市生活を知っていたことか----、
 男子では、11歳まで生きた者の内、約四〇%が、女子では約五〇%が
 それを知っているのである。
 しかもこれは、一年以上の長期滞在者のみでこうなのであって、
 大体は10年以上の都市生活の経験を持つものである。
 短期の、季節的滞在、或いは旅行による都市滞在ということになれば、
 この比率はさらに高く、六〇〜七〇%にも達するのではないか、
 つまり、過半の農民は都市生活を経験していたのだ、ということになる。
932日本@名無史さん:2008/09/05(金) 17:19:22
これは飛騨高山の宗門帳を調べたものらしいので
一地域が対象で、都市も江戸に限定しないのですが
実際に法的規制がどうあれ都市部にいく百姓は居たのでしょう。
933日本@名無史さん:2008/09/06(土) 01:25:30
質問です。
日本の教育の歴史について調べたいのですが、良い本は無いでしょうか?
通史でも、寺子屋や近代の教育制度に限定した本でもかまいません。
934日本@名無史さん:2008/09/06(土) 01:48:13
通史書の購入を考えている初学者です。過去スレを読んでいると、『岩波講座 日本通史』の評判があまり良くないようでした。
理由がよくわからないのですが、どうも重厚ではない(?)との評が散見しました。
同様のシリーズに当たる『岩波講座 日本歴史』(1次2次)は評判は悪くないようでした。
『通史』の方が新しく、最新の学説が反映されていると素人考えでは思うのですが、この重厚ではないというのがなぜマイナスになるのか教えていただきたいです。また他の点での違いも教えていただけると幸いです。
935日本@名無史さん:2008/09/06(土) 08:28:57
同胞一和、同胞融和の読み方を教えてください。
またこの言葉を昭和天皇が被差別部落の人たちへの差別を解消する為に使われた言葉だと
聞いたのですが事実でしょうか?詳しい方よろしくお願いします。
936日本@名無史さん:2008/09/06(土) 17:24:29
平将門の名前の由来というか、親はどういう願いを込めてその名を付けたのか明らかになっていますか?
937日本@名無史さん:2008/09/06(土) 19:21:25
>>936
将門って名前 親がつけたという裏付けあるの?
938日本@名無史さん:2008/09/06(土) 22:23:21
939日本@名無史さん:2008/09/07(日) 00:33:18
>>937
昔もいまも、親や目上の人が名前を付けるのは変わらないんじゃないかと思ったのですが、違うのですか?
誰が付けるにしても、名前には願いが込められていると思うのですが・・・
940日本@名無史さん:2008/09/07(日) 01:03:43
>>939
>>936で、親が名づけたと断定しているので、
その裏付けはあるのかと聞いたのだが、
そこはどうでもいいようだな。失敬
941日本@名無史さん:2008/09/07(日) 08:34:57
>>938
名も無い美人
942日本@名無史さん:2008/09/07(日) 08:49:14
モノクロ着色された芸妓さんかな。美人だ。
保存します太。
943日本@名無史さん:2008/09/07(日) 11:05:15
>>938
現代基準でも美人だなw
もう亡くなっているだろうが、生きていれば100歳以上になるのか・・・
女の華は儚いよな
944ぴーす ◆TfYI6zaOr. :2008/09/07(日) 19:10:17
玉村康三郎って人の写真集。
945日本@名無史さん:2008/09/07(日) 21:08:05
1920年代の吉原太夫
http://oldphotosjapan.com/ja/photos/175/shimabara-tayu-jp

美貌、知性、教養を兼ね備えた遊女にだけ与えられる最上位の称号「太夫」
現代人から見ると化粧が微妙?
946日本@名無史さん:2008/09/08(月) 01:01:57
禿をハゲと読んでいた時代が私にもありました。
947日本@名無史さん:2008/09/08(月) 01:23:07
読んでも間違いはないが
948日本@名無史さん:2008/09/08(月) 13:46:37
日本の歴史の古代から現在(戦後)くらいまでを読める
シリーズ本でお勧めのものはありませんでしょうか?

難しい話や新説などではなく「正史」と言えばいいんでしょうか?
そういう現在の標準的な歴史観を持っているものを探しています

出来れば図書館で借りれるようなものが良いのですが・・・
949日本@名無史さん:2008/09/08(月) 16:55:12
>>944 で名前が出たんで、ぐぐっていたら
h ttp://meijitaisho.net/100beauties/
まで行ったが、写っている人を追うのが面倒になった。

銀座の外堀通りだったか、有賀写真館というのがあって、彩色写真で有名と
聞いたことがある。油絵の肖像画より安かったみたい。

上の百美人を見てふと思ったが、みんな前髪が高く結ってある。
江戸時代の版画の美人画では、天辺の髷(まげ)に引っ張られてぺしゃんこになって
いるのが多いが、明治になってカモジでも入れたんかなあ。>>分かる人いますか?
950日本@名無史さん:2008/09/09(火) 17:45:37
冷凍庫がない時代に、庶民が氷(氷餅ではなくかき氷など)を使うことは出来たんでしょうか?
951日本@名無史さん:2008/09/10(水) 09:16:39
海音寺潮五郎の史伝書に「寵童上がりの戦国武将、猛者」を幾人か列挙してありましたが、
そのなかに「堀主水」の名前が出ていました。
堀主水は誰の寵愛を受けて出頭したのですか?
教えて下さい。
952日本@名無史さん:2008/09/10(水) 09:22:17
加藤明成
953日本@名無史さん:2008/09/10(水) 11:58:59
加藤明成に寵愛されたのに殉死しなかったのですか?
954日本@名無史さん:2008/09/12(金) 13:27:24
>>593

ここで聞く前に、まず加藤明成と堀主水の間にどういう事件があったか調べてみてくださいな。
955日本@名無史さん:2008/09/12(金) 14:12:49
>>952

堀主水が寵愛を“受けて”たとしたら
明成じゃなくて、父の加藤嘉明なのでは?
956日本@名無史さん:2008/09/13(土) 01:16:08
何でみんな邪馬台国や奴国が日本だったって決めつけて研究してるの?朝鮮半島南部とかの可能性はないの?
957日本@名無史さん:2008/09/13(土) 08:25:29
邪馬台国は やまと と読めるからかな
958日本@名無史さん:2008/09/13(土) 11:21:25
>>954
柳生十兵衞に男でおなくなりあそばされる事になる原因を作ったんですね。
しかし、豊臣恩顧の大名がこれくらい良い口実を作りながら、それでも一応大名ではいられたというのもなにげにすごいな。

清正や福島正則はお家取りつぶされているよな。
959日本@名無史さん:2008/09/13(土) 14:40:08
>>956
楽浪郡なり帯方郡から海を渡った所にあると中国の史書に書いてあるから。
朝鮮半島内で敢えて陸ではなく海上を移動した方が良いという箇所もないし。
960日本@名無史さん:2008/09/15(月) 23:06:38
幕末に武士に西洋式の軍事訓練をやったら当時の日本人は手を振って歩く習慣がないため
隊列を組んで行進できず難儀したと聞きましたが、そのことについて詳しく解説願います。
961日本@名無史さん:2008/09/15(月) 23:58:34
質問です。
儒教が「儒教」と「儒学」に使い分けられている理由がよくわかりません。
江戸時代ではすべて「儒学」として表現されていますし、
大陸のほうの歴史でつかわれるときは「儒教」と表されています。
この二つはなにをもって区別されているんですか?
それと宗教でもないのになぜ儒教も道教も「教え」の字が入っているのですか?
962日本@名無史さん:2008/09/16(火) 01:16:06
> 宗教でもないのに
逆ではないかと。信仰に「思想の教え・導き」があるのが宗教として定義された。
儒教・儒学の区別については、
儒教は原典の実践であり、
儒学は儒教本体をそのままではなくそれをどう解釈するかという学問。
963日本@名無史さん:2008/09/16(火) 03:06:15
>>960
知らんけど、手を振らずに歩くのが基本で、振るばあいは、右足右手を揃えて出す「なんば歩き」タイプだったとか。
筒袖ではない和服だと、そのほうが都合がいいからじゃないですかね。
あと、剣道でも、足に合わせて手を振る癖が染みついていたりしたら、どうしようもないですね。
走るときも、刀の刃が体に向かないように右肩に背負って走るとか。

何で「難儀」したかは、逆に、手を振らずに歩いたりしてみれば分かるのでは?
個人的には、腕を振ろうとするとぶつかって駄目な大きいザックを背負って歩くのに慣れたせいで、手を全く振らずに歩けますが。
逆に、しばらく練習しさえすれば、運痴の人でないなら難なくできるようになりますね。
964日本@名無史さん:2008/09/16(火) 14:09:53
>>962
便乗質問。お詳しそうなのでお分かりになれば教えて下さい。
儒教、道教、仏教という「語」の初出はいつ頃かは分かりませんか。
965日本@名無史さん:2008/09/16(火) 14:10:41
富山DQN男の家族消えろ 富山DQN男の親消えろ 富山DQN男の子供消えろ 富山DQN男の親戚消えろ
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ニヤニヤ(・∀・) ニヤニヤ(・∀・) ニヤニヤ(・∀・) ニヤニヤ(・∀・)
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
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苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね
苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね
苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね
苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね 苦しんで死ね
死ぬとき このレスの事思い出してから地獄へ行けよ
ニヤ(・∀・)ニヤ(・∀・)
966日本@名無史さん:2008/09/16(火) 16:17:07
日本の戦国時代には騎兵が居なかったらしいけど、なぜですか?
967日本@名無史さん:2008/09/16(火) 17:35:01
「古事記はモンゴル語で書かれている」東大教授が新説発表
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/kobun/1221500761/
968:2008/09/16(火) 17:41:37
必死にマルチしてるね。
本人はおもしろくて仕方ないと思ってんだろうねえ・・・
969名無し募集中。。。:2008/09/16(火) 22:19:35
緒方洪庵の適塾には
女子の塾生はいたんですかね?
970日本@名無史さん:2008/09/16(火) 22:27:43
いなかった
男尊女卑の時代
男と女が共に机を並べるなんてありえない
女子は裁縫でもならってりゃよかった
971日本@名無史さん:2008/09/17(水) 00:29:38
>>966
知らんけど「騎兵」が成立しうるほどの大型の馬がいなかった、とかいうじゃないですか。
972日本@名無史さん:2008/09/17(水) 00:30:56
便乗質問ですが時代劇で見かける男物の袴にポニーテール、帯刀した女性剣士なんていたんですか?
973日本@名無史さん:2008/09/17(水) 00:36:58
歴史小説を読んでいると、すくない兵力でも平気で挟撃したり包囲していますが、
実際に、戦術としてはどうなんでしょうか。

挟撃や包囲をして乱戦になったら、数の少ない、しかけたほうが不利になる気がするのですが。
974日本@名無史さん:2008/09/17(水) 00:37:11
>>964
日本の歴史に何も関係ない外国語の話は、思いっきり板違いじゃないですか。
975日本@名無史さん:2008/09/17(水) 01:00:03
>>973
日本史じゃないが、カンネーの戦いとか調べてみるといい。
優秀な指揮官が有力な機動戦力を率いると、兵数で劣っていてもどれだけ一方的な
戦いが出来るかの見本みたいな合戦だから。

もっとも、基本戦闘は敵より多い兵力を用意するのが基本。
織田信長なんかは(桶狭間以外は)だいたい忠実にこれを守ってる。
976日本@名無史さん:2008/09/17(水) 01:01:01
「基本」は大切なことだから二回言いましたよ。

…ちゃんと見直せばよかったorz
977日本@名無史さん:2008/09/17(水) 01:11:44
>>961
何らかの変な思い込みに則って、言葉の意味を取り違えてます。
ある程度以上に詳しい漢和辞典で、「儒・儒教・儒学」という言葉の本来の定義を正確に確認し、
各々の異同を正確に把握することが先決。

> それと宗教でもないのになぜ儒教も道教も「教え」の字が入っているのですか?
「宗教」とか「道教」という言葉自体の正確な定義の確認が必要。
後者は明らかに宗教。前者も宗教と同じ面を持ってます。
違うと思うなら根本的に間違っています。
正確に把握できれば、自分自身の疑問に簡単に答えることが可能。
978日本@名無史さん:2008/09/17(水) 01:18:57
>>973
軍事板のほうが適してますね。

>>975
割り込みだけど、そういうのは「歴史に残るような希な例外」じゃないですか。

> すくない兵力でも 平気で 挟撃したり包囲
・・・したりするのは「絵空事」で、基本的に>>973の疑問は「正しい」ということでよろしいかと。
979日本@名無史さん:2008/09/17(水) 01:52:26
>>975
>>978
ありがとうございました。
カンネーの戦いもざっと調べてみましたが、

基本、やってはいけない。
ただし、相手の兵や指揮官が実戦不足などの理由により、
囲まれたらパニックを起こすような場合は例外。

って感じですか。
980日本@名無史さん:2008/09/17(水) 06:50:19
>>979
いや、そんな杜撰な括りじゃ駄目なわけで、軍事板のほうが適してます、はい。
(・3・)むずむずむず。
 ↑
ぼるじょあではないので念のため。
981964:2008/09/17(水) 07:57:23
>>974
大陸での初出の時期を知りたいわけではありません。

講談社学術文庫、増谷文雄著正義眼蔵(三)p70「仏教」の巻の解説で、巻の名が
「仏教」であるが、この言葉は今通常使用している「仏教」とは意味が違う。
明治以前は、仏法もしくは仏道であったとある。(原文のママではない)

浅学の身なれば、そうかと初出や「宗教」という語を使い始めたのはいつか
を調べたがわからない。考えれば、先の3教は「教」が付くが、明治以降
重視された神道は「教」でなく「道」だ。
更に、3つの教といえば空海が三教指帰を著しているが、現在の解説では
「教」付きで出てくるものばかり。空海が「教」の語を使って書いている
かも分からない・・・というので先の質問に及んだわけです。

余談ながら今NHKでやっている「篤姫」の時代、大多数の攘夷志士が日本は
先史以来「鎖国」と思っていたらしい。自分も増谷氏の説明以前は3つの
教の「語」が空海の時代からあったものと思ってました。汗顔。
982日本@名無史さん:2008/09/17(水) 08:58:52
>>971
それは鈴木の虚説。日本の騎馬は蒙古馬と並んで遜色ない大きさだよ。
983981-964:2008/09/17(水) 11:01:11
間違いがありました。
×正義眼蔵
○正法眼蔵
×自分も増谷氏の説明以前は
○自分も増谷氏の説明を読む以前は
失礼しました。
984日本@名無史さん:2008/09/17(水) 23:01:17
>>956
騎乗した兵士だけで部隊が組めるほど馬が居なかった。
と言うより、下っ端は合戦に使えるような馬なんて持ってなかった。
ヨーロッパでも騎兵というのはハンガリーあたりの騎馬民族が傭兵としてやっていた例がほとんど。
北東アジアから東欧あたりの騎馬民族以外には、騎兵という兵種そのものがほとんど存在しない。
中世ヨーロッパには多少居たが騎馬突撃みたいなのは結局あまり流行らず、損害の補充が難しいと言うのもあり、結局廃れる。
ナポレオンが騎兵の栄光を復活させるが、以降は下り坂。

>>972
まあヨーロッパみたいに火あぶりになる訳じゃないとはいえ、正気の娘が男装なんて「男の振り」をしなければいけない状況以外では基本しない。
男のふりなら髪は真っ先に切られる。よって成立しない。

もちろん「あそこの娘は」と陰口をたたかれながら、やっていた女性が居ないとは限らないが。
985日本@名無史さん:2008/09/18(木) 01:16:30
>>981
あ なるほど。
対立するものがなければ区別するための用語は必要ないのだから、それらと対立する
新来のキリスト教あたりが関係していそうな気がしますが、どうなってるかな?
986日本@名無史さん:2008/09/18(木) 01:20:40
>>982
あ そうなの。

>>984
モンゴルのように、国民皆騎馬くらいの勢いでないと恒常的には成り立たない、という感じかな。
987日本@名無史さん:2008/09/18(木) 01:25:39
質問です。
1.戦前の日本の教育制度について知りたいのですが、わかりやすいサイトや本は無いでしょうか?
現代だと小学校、中学校が義務教育で、大半の人が高校に進学し、その後就職するか進学
するかに分かれる、とそれなりに単純な構造なのですが、戦前の分岐型教育は高等小学校と中学校
がどういう風に違うかとか、高校進学者は四年で卒業しているがカリキュラムはどのようになっているか
とか、わからないことが多くて困っています。

2.戦前の東京で、高級住宅街というとどのあたりだったのでしょうか?
華族の屋敷などが立ち並ぶ…というような町並みが日本にあったのかは知りませんが、そういうイメージ
の場所です。
988日本@名無史さん:2008/09/18(木) 01:28:02
てことは、アザンクールの「フランス騎士隊の突撃」というのも、
重装備の騎士が集団で突撃したというわけではなく、小姓なり旗持なりを
混ぜた騎士歩兵混成部隊の突撃みたいな感じだったのかな。
989日本@名無史さん:2008/09/18(木) 02:06:41
>>987
教育制度の変遷は、wikiにまとまって書いてなかったっけ?

高級住宅街というのは、どうなんですかね?
旧華族の豪邸は、元何藩の下屋敷とか書いてあるのが多いと思うけど、戦時の堡塁になるはずだから、
山の手に、わざとバラバラにあてがわれていたんじゃなかったかな?
それらの周辺は、一等地ということになりそうですね。
990983-964:2008/09/18(木) 08:02:24
>>985
質問スレで質問以外の書き込みは非難の対象になるかも知れませんが、お許しを。

マ、そういう疑問から三教指帰とか円仁の求法入唐行状記だったか、原文が載って
いる本を見たいと思っているけど、なかなかナイ。

神道についてはぐぐったら、日本書紀の用明天皇の条に「天皇信仏法尊神道」って
のがあり、「神道」の初出と見られている。解説を2、3見ると、仏法仏道に倣っ
て、神道としたんではないかとある。江戸後期、大阪の富永仲基が神道が今の形に
なったのは(今に言う)仏教のお陰と言い出したらしい。

蛇足ながら、道元の著を見ると、当時、臨済宗や曹洞宗などと宗派を名乗る習慣が
中国で興っているが、そんなのやめろと憤っている。曹洞宗は釈迦以来の正伝一統
の教えであって派を名乗るような部派ではないという気概。
991日本@名無史さん:2008/09/18(木) 23:49:56
そろそろ次スレ立てて下さい
992日本@名無史さん:2008/09/19(金) 01:05:44
>>990
そういう疑問は、やはり宗教関係の板とかではないですかね?
仏「教」の専門の方とか、言葉の用例を詳しくご存じではないかと?
当然、「特に心当たりがない」かどうかも分かるわけだし。
993日本@名無史さん:2008/09/19(金) 11:47:57
「江戸時代の旅や交通」それも初期のものと、「島原の乱」について調べています。
包括的に学ぶことの出来る本かサイトを教えて下さい。
994日本@名無史さん:2008/09/19(金) 15:27:21
今だとぶどう、桃、なしなど色々手に入りますが戦前はこういう果物はどういう扱いだったのでしょうか?庶民も食べてたの?
あと、果物を作ってる農家って結構身分が高いって聞いたのですがホントでしょうか?
995990-964:2008/09/19(金) 18:43:53
>>992
レスをどうも。
宗教板に行くと「あらし」が吹きますね。歴史板の方がまだ冷静かと。
疑問が解けないとメシが食えないという話でもないので、気長に構え
ます。有難うございました。
996995-964:2008/09/19(金) 19:06:51
>>994
○○村史、△△町史というような書物が見られるなら見ると分かるのでは。

わが故郷の村史を読んだ記憶だと、田圃や畑にできない山の斜面に蜜柑や
枇杷を植えて現金収入の増大を図ったとある。植える場所があるというの
は地主だから、土地を持たないレベルの小作農には不可能ではある。
(戦時中は果物どころでなく、イモ、カボチャ、マメ、粟などに転化され
 た見たい。)

市場へ出荷されても買えない人に手が出ないのは今でも同じではないか。
冷蔵庫がない時代だから日持ちせず高価というのは考えられる。

わが故郷は西国だが、東国の産物のリンゴ、クルミ、杏などは特別な日
(祭り、正月など)しか口にしなかったようだ。
997日本@名無史さん:2008/09/19(金) 19:39:01
次スレ立てますね。
998日本@名無史さん:2008/09/19(金) 19:45:23
>>1-3をコピペ修正したのみですが、立てました。
【初心者】スレッド立てる前に質問をPart23【歓迎】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1221820804/
999日本@名無史さん:2008/09/19(金) 19:47:46
>>998
1000日本@名無史さん:2008/09/20(土) 01:57:27
>>993
「江戸時代の旅や交通」というと、初期はどの程度記述していたか憶えてないけど、新書で何かあったような。
10011001
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