>>768 妹の子だから仲が良かった、との決め付けは危険だと思うぞ。
そうでない例もたくさんあるし。あくまで可能性の問題ね。
>>765 奈良麻呂の変時に永手は奈良麻呂を尋問してるけど、
(仲麻呂の意を受けているにしても)その尋問具合からして
永手と奈良麻呂は仲が良かったとは言い難いしね。
そもそも仲良しだったら尋問に当てないだろうし。
771 :
日本@名無史さん:2009/12/11(金) 21:42:06
奈良麻呂の「東大寺なんか建立して人民を苦しめるな」って訴えに
永手が「東大寺を建てたのはお前の親父だろうが」と正論を述べてるな。
奈良麻呂の軽率さからして永手とは馬が合わなそうだ。
なんか奈良麻呂は鳩山首相的お坊ちゃんな雰囲気が、
永手もお坊ちゃまなんだけど、あんまりそう言うイメージがない。
石破政調会長みたいな謹厳なイメージがある。
豊成が麻生前首相で、仲麻呂が小沢幹事長みたいな。
って板違い的雑言かな。すいません。
? レベル低すぎ いまの政治屋サンて
774 :
日本@名無史さん:2009/12/12(土) 12:37:40
奈良麻呂のブーメランっぷりは酷い。
永手の意見にまったく反論できていないし、仲麻呂がいなくても
どのみち失脚は避けられなかったに違いない。
加藤じょうじ様すてきな藤原氏(^.^)がんばて
776 :
日本@名無史さん:2009/12/18(金) 00:03:08
永手は仲麻呂とは付かず離れずで、式家と婚姻関係を結んだり
保身に長けた強かな奴。
俵とうた・・って どうも藤原系じゃないような
778 :
日本@名無史さん:2009/12/27(日) 16:24:48
藤原純友って本当に藤原氏なのか?
そうじゃないって説もあるな。
地元豪族が養子になったとかって説もあったような。
越智氏かなにかだったけ?
780 :
日本@名無史さん:2009/12/27(日) 18:30:35
11c初頭の刀伊の入冦では、
太宰権帥藤原隆家ばかりが有名だが、
壱岐守藤原理忠の奮戦ぶりは涙もの。
僅か百余名で三千の敵に対して敢然と立ち向かってる。
そして玉砕・・・(涙)
hahahah
藤原理忠って有名な割に系不詳なんだよな。
まあこの時代になると珍しくもないことだけど。
783 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/12/28(月) 00:49:15
>>778 れっきとした藤原氏だよ。
今じゃほとんど定説となった。
史料的にも確認されてるし
>>777 伊勢守藤成の系統というからまだ可能性ありますね。
それより、利仁が(『芋粥』とかじゃない)正規の記録や史料の類いにその名が出て来ないと野口実氏の本で読んでちょっとショックでした。
785 :
784:2009/12/28(月) 01:16:48
>利仁が(『芋粥』とかじゃない)正規の記録や史料の類いにその名が出て来ない
↑は尊卑分脈など後世の史料でなく、同時代史料ではその名が確認できない、
という意味です。
786 :
日本@名無史さん:2009/12/28(月) 23:45:29
というより、同時代資料そのものが無いんじゃなかったっけ
787 :
日本@名無史さん:2009/12/31(木) 14:12:44
このスレの生命長いな。
藤原スレというだけはあるな。
とキセル系図で藤原氏末裔の俺が言ってみる。
藤原氏は、天皇を利用して権力をほしいままにしたけれど、所詮、貴種ではないし、
源氏の子孫を名乗った松平家には各式で及ばない。
得河という清和と宮中を無礼武法で放逐された陽成系を 語るかという説まである 素姓不明のまつひらが 位階官位を授けるのではなく
大化の改新を成し遂げた中臣鎌足の子孫が 天皇の代理として 臣下に 授けるのが 日本の伝統 それを破った薩摩長州閥は、原爆敗戦によって 成敗された。
藤原は貴種だろ
791 :
日本@名無史さん:2010/01/13(水) 03:56:21
>>787 一代30年として
30年前の先祖は2人
60年前の先祖は4人
90年前の先祖は8人と
計算していくと1000年遡れば
先祖の数は1億人を超える。
鎌足の精子が一粒も入っていない
日本人を探す方が困難
ぁげ。
793 :
日本@名無史さん:2010/02/14(日) 22:26:48
ふじわら
795 :
日本@名無史さん:2010/03/22(月) 22:15:13
796 :
日本@名無史さん:2010/04/11(日) 22:10:45
長寿スレおめ
797 :
日本@名無史さん:2010/04/11(日) 22:51:14
蘇我馬子の曾孫を正室に迎えながら、蘇我氏の悪口をさんざん書き残した
藤原不比等はなんなの?
蘇我氏への劣等感?後妻のコネでえらくなれたから機嫌取り?
798 :
日本@名無史さん:2010/04/12(月) 00:59:17
>>791 そんな計算をしても、先祖の圧倒的多数は無名の農民だって現実は変わらないのに。
藤原・中臣氏の祖神とされる武甕雷男神は、元々は大氏(和邇氏系)の祖神で、藤原氏の祖先神ではないらしい。
こうなると、もう1人の祖神である天児屋根命も、本当に藤原氏の祖先神なのかどうか怪しくなってくるな〜(大体、祖神が2人いるってどういうことよ!)。
そもそも古代の神道は民間信仰だったわけですし
中臣氏は顔からしても縄文系でしょう
顔知ってるの?
プリクラ見る?
藤原氏とは富士山の噴火で滅んだ富士王朝の子孫。
実は「富士」原氏だったのです。
ちょっと辛い目に遭うと故郷の青木ヶ原に逝きたがるのが特徴。
804 :
日本@名無史さん:2010/05/17(月) 13:25:30
あげええええええ
806 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 01:17:25
>>799 もともと中臣氏は卜部集団の中から、中央政権に取り立てられた人たちで
単一の系統ではなかったという説もあります。
807 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 08:16:49
きのう『さんまのからくりテレビ』で「歴史上の人物と同姓同名の人を探す」
という企画で、本当に藤原鎌足さんが見つかった。
親は思いつきで名付けたんだろう、とご本人が言っていたが
道長とかじゃなくて鎌足というところがマニアックと思う
(鎌足と言ったら普通中臣としてのほうが有名だろうかし)。
ちなみにその藤原鎌足さんは住所が間違っていても郵便物が届くとのこと。
中臣
変換できるがな
810 :
日本@名無史さん:2010/06/03(木) 15:21:02
>>806 >単一の系統ではなかった
物部氏(物部連)なんかも同じことよく聞くよね。
もし良かったら、
(書籍でもネットでもよいので)中臣氏が複数の氏族の連合体であるという内容が載っている出典を教えて下さい。
811 :
日本@名無史さん:2010/06/03(木) 20:32:13
大鏡には鎌足が鹿嶋神宮の出身とある。いったい中臣氏はどこが本貫なのか?
812 :
日本@名無史さん:2010/06/03(木) 21:59:11
名前に「彦」や「郎」をつける人は今もいますが、「麻呂」とか「丸」とか付ける人は少なくなりましたね。
その代わり、「丸」は船の名前をして今も受け継がれています。
不思議なものですね。
813 :
日本@名無史さん:2010/06/06(日) 22:32:42
>>797 不比等の妻は蘇我といっても雄正の系統、持統天皇の遠縁にあたる人だよね?
蘇我氏とはいっても持統天皇の外祖父蘇我山田石川麻呂は
死んだあとで無実だった、実は忠臣だったと強調されているし
雄正系の蘇我氏は正史に悪愚痴など書かれていないんだよ。
良くかかれてないのは蝦夷や入鹿だけでしょ。
後妻のコネっていうのもなあ。
もともと不比等が持統天皇に取り立てられたのは
妻が蘇我氏で同じく蘇我氏を外戚とする持統天皇の遠縁だったからと言われている。
幼くして父を失い、壬申の乱で壊滅状態にあった中臣氏一族の中であって、
持統天皇に拾いあげられ大臣にまで出世できたのは蘇我氏出身の妻のおかげ。
県犬養橘三千代と結婚したのはすでに長女の宮子を文武天皇の夫人にするくらいの
大出世を遂げた後のことでずいぶん後のことだよ。
光明皇后が三千代との間の娘であることは間違いないが、
そもそもこのときの正室(後妻)は異母妹の五百娘(もと天武天皇妃)だったという説もある。
814 :
日本@名無史さん:2010/06/13(日) 22:49:27
>>812 『とんでも戦士 ムテキング』で敵のクロダコブラザーズの三兄弟の名前が
タコキチ、タコマロ、タコサクで、子供心に吉と作は昔っぽい名前だとわかったが
マロとは何ぞや?と意味不明だったのを思い出した。
815 :
日本@名無史さん:2010/07/21(水) 00:35:38
現在の藤原氏当主は鎌足から数えて何代目に当たるのでしょうか?
816 :
日本@名無史さん:2010/08/03(火) 17:37:13
45代目
817 :
日本@名無史さん:2010/08/05(木) 21:48:12
818 :
日本@名無史さん:2010/08/06(金) 03:50:05
819 :
日本@名無史さん:
藤原氏氏長者は明治維新により廃止された。
最後の藤氏氏長者は幕末の左大臣、
九条道孝(大正天皇皇后九条節子の父)。
現在は藤原氏当主はいない。
近衞忠W(日本赤十字勤務・妻は三笠宮崇仁親王の第一皇女ィ子)氏は
は現在の近衛家当主。
この人の父方は細川家で(実兄は元内閣総理大臣細川護熙)、
母方の近衛家の養子に入った。