謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!14

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1神奈川県民
其國本亦以男子為王,住七八十年,倭國亂,相攻伐歴年,乃共立一女子為王,名曰卑彌呼。
事鬼道,能惑衆,年已長大,無夫婿,有男弟佐治國。
自為王以來,少有見者。以婢千人自侍,唯有男子一人給飲食,傳辭出入。
居處宮室樓觀,城柵嚴設,常有人持兵守衛。


魏志倭人伝に謎の女王なる「卑弥呼」が記される。
この「卑弥呼」は誰だったのか。
現在でも「天皇家」や「国家誕生」に関する議論がされてるのはご存知だろう。
この謎の人物卑弥呼、天皇家と関わり合いはあったのか。
また、不可解な行程記事を追ってみようと思う。
2日本@名無史さん:2008/02/10(日) 02:31:37
2ゲット!
3日本@名無史さん:2008/02/10(日) 02:35:37
―完―
4改め〜壹與ちゃん十三才:2008/02/10(日) 02:39:38
おっと〜偶然にも新しいスレを作成したところみたいだね。
ではさっそくいろいろ書き込んじゃいます。

宇佐神宮
大分県宇佐市南宇佐にあるこの旧官弊神社。
ここの亀山を卑弥呼の墓とする人も多いかと思う。
この神社は八幡大神の応神天皇を祀ってるといわれてるが
奇妙な点がある。
5日本@名無史さん:2008/02/10(日) 02:48:08
折角立てた14が荒れない為に、15・16を立てたいんですが、良いですか?
6改め〜壹與ちゃん十三才:2008/02/10(日) 02:54:54
現在、宇佐神宮の本殿に祀られてるのは
第一殿に「誉田別尊(第十五代応神天皇)」
第二殿に「比淘蜷_(宗像三女神)」
第三殿に「大帯姫神(神功皇后)」。

この順でみると明らかに八幡大神こと第十五代応神天皇が主役扱い。
しかし実際に宇佐神宮へ訪れると奇妙なことに気がつくと思う。
みんながご存知のように第二殿の比淘蜷_(宗像三女神)が主役として祀られてるのである。

八幡大神の総本山で有名な宇佐神宮。
てっきり〜八幡大神を拝みに行ったわたしですが異様な感じでしたね。
古代史の謎は尽きないことがここにもありいろいろと奥深いですよね。
7改め〜壹與ちゃん十三才:2008/02/10(日) 02:58:34
>>2>>3>>5
今、ソースをだして忙しいんだからわけのわからないレスはやめてくださいね。
8日本@名無史さん:2008/02/10(日) 03:02:06
8なら>>1は心臓麻痺で氏
9日本@名無史さん:2008/02/10(日) 03:04:01
>>1

前スレ
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!12
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1201179094/l50
10改め〜壹與ちゃん十三才:2008/02/10(日) 03:20:14
みなさんがご存知のとおり魏志倭人伝にある「至」、「到」。
この「至」、「到」についてみなさんの認識はどのようなんですかね。
狗邪韓國・・・「到」  對馬國・・・「至」
一大國・・・「至」  末盧國・・・「至」
伊都國・・・「到」  奴國・・・「至」
不彌國・・・「至」  投馬國・・・「至」
邪馬壹國・・・「至」   自郡至女王國萬二千餘里 などです。

わたしの考えは〜プさんが言ってたあれですかね・・・。
11日本@名無史さん:2008/02/10(日) 03:25:28
>>10  こんな時間にそんな質問をww

私は、同じだと思いますよ。
魏志は各種の書写本が出ていてそれぞれで表記にずれが
ありますが、そのレベルのことではないかと思います。
12改め〜壹與ちゃん十三才:2008/02/10(日) 03:29:22
倭=三十國または列島
女王國=邪馬壹國
邪馬壹國=女王之所都

わたしは上記の考えなのですが、違うという意見がありましたら
この場にて反論お願いします。

そしてわたし〜改めはそろそろ眠くなったのでこの辺でご勘弁して下さい。
zzzz・・・・。

13愛知県民:2008/02/10(日) 08:55:54
>>10
「到」は狗邪韓国と伊都国に使われています。
基本的に「至」は経過点、「到」は到着点を表すようです。
実際、金海付近から対馬に渡るのは当時の船では海流に邪魔されて難しいらしく、
もっと西に戻って出発しないといけません。
伊都国はどうでしょうね? 奴国、不弥国へは陸行の続きでしょうが
投馬国・邪馬台国への水行では末盧国に戻っているので「到」なのでは?
14虹歩命:2008/02/10(日) 09:16:50
基本的には愛知県民さんと同じです。
くや韓国は倭国の玄関口のようなもので、まず、倭国の玄関についたというところでしょ。
伊都国は世世王ありで一大率がおり、郡使が特別に立ち寄るところです。倭国内でやはり一つの到達点といえるのです。
それでは最終的な倭国の都にはなぜ到の字をつかわなかったのかという疑問点がのこります。
15日本@名無史さん:2008/02/10(日) 10:06:21
>>13
狗邪韓国は目的地なのか?経過点じゃないのか?
到着地なら
郡→→→→→→→狗邪韓国
郡→→→→→→→伊都国
は別ルートじゃないと狗邪韓国は経過点になりますね?
16日本@名無史さん:2008/02/10(日) 10:14:48
邪馬台国=大和国。首都は纏向遺跡のあたり。
もう、すでに決着はついているけど、
邪馬台国論争が沈静化すると、発掘資金を捻出できなくなるから
そういうことは言えないわけで。

邪馬台國=やまと国=大和國
卑弥呼=媛命=倭迹迹日百襲媛命(7代・孝霊天皇の皇女)
台与=豊=豊鍬入姫命(10代・崇神天皇の皇女)

狗奴國=この国=許乃國(京都の宇治)
卑弥弓呼=彦命=武埴安彦命(8代・孝元天皇の庶子)
拘右智卑狗=こうちひこ=河内彦(武埴安彦命の生母が河内彦の娘)
17日本@名無史さん:2008/02/10(日) 10:20:36
>>16
>発掘資金を捻出出来ない。

発掘資金がどのような経緯で配分されるのか、詳細を提示願いたい。
18日本@名無史さん:2008/02/10(日) 10:49:42
国や自治体から出される金じゃなくて
学者が講演等で小銭稼げ無くなるって事では?

なんだかんだで邪馬台国が一番大衆受けするネタだしw
19愛知県民:2008/02/10(日) 11:23:59
>>14
そのまま戻らずに「次有斯馬国・・・」に続いていますから。

>>15
途中から別ルートでしょう。
元寇の基地にもなった巨済島か。
20日本@名無史さん:2008/02/10(日) 11:30:41
>>19
>途中から別ルート
別に貴方の意見を聞いてるわけではありません。
そのように書かれていたのか尋ねてています。貴方が書いた倭人伝なら貴方の意見で構いませんが
21日本@名無史さん:2008/02/10(日) 11:42:33
発掘調査って、何か物を生む事業じゃなしなw
経済的に見て無意味な行為。だから、なかなか発掘したくても、金が出ない。
そこで、考古学者の先生は、適度にマスコミに発言して
邪馬台国ブームを煽ろうとする。そういうことでしょう?
邪馬台国ブームが起これば、観光も増えるかもしれないし
行政なども動かせるようになる。

まあ、纏向遺跡に関しては、かなり邪馬台国に関係ありだから
国や桜井市が積極的に動きだしたんでしょう。
で、邪馬台国だと確定すれば、桜井市にも観光関連で金が入ってくる。

今まで、吉野ヶ里のある佐賀県のほうは国土交通省なんかとくんで
観光ビジネスに結びつけようとしてきた。
吉野ヶ里が発見された次の年には、吉野ヶ里は邪馬台国というキャンペーンのもと
邪馬台国関連の復元遺跡を作り出したw
吉野ヶ里が発見されたその翌年にだよw

つまり、こういうものには、どうしても観光ビジネスが関与するし
それは、ある意味、仕方が無いことなのかもしれない。
22日本@名無史さん:2008/02/10(日) 11:46:16
宇佐神宮については以前から色々と謎に思っていたのですが
その由緒書きに「宇佐の地方神であった八幡神が八世紀には朝廷と結びつき、
国家神にまでになった」とあるように時勢の勢力に結びつき力を得たのでしょう。
1、もともとは八幡神、大帯姫神、比盗_という地方神を祭る神社だった。
2、八幡神が養老期に隼人の乱の守護神とされ勝利したので、軍神として重宝されるようになった。
3、東大寺建立の際の功績で一品の位を与えられると八幡神=応神、母=大帯姫神=神宮皇后と同一視された

いまいちわからないのは普通は正一位とかの神階を与えるのに一品の位を与えている
最初に八幡神=応神というのがあって皇族の一品を与えたというほうが自然。
宇佐の地元神である比盗_が宗像三神と結びついたのはなぜなのか?
23日本@名無史さん:2008/02/10(日) 11:51:54
>>21
いや纏向遺跡に関しては邪馬台国論争とは別に重要性を認めているんじゃね?

仮に100%邪馬台国じゃないとしても後のヤマト王権に何らかの形では繋がるんだろうから。

てか奈良は観光資源はいっぱいあるんじゃね?w
24愛知県民:2008/02/10(日) 12:33:46
>>20
そうですね・・・「到」の字からそう読み取れないとすれば、書かれておりませんね。
ではお尋ねしますが、狗邪韓国と伊都国で「到」が使われている理由は?
25日本@名無史さん:2008/02/10(日) 12:40:26
>>24
プ説でいいんじゃね。
26日本@名無史さん:2008/02/10(日) 12:43:44
>>23
>てか奈良は観光資源はいっぱいあるんじゃね?w

なんだ、結局観光の話なのか。
俺たちにも分け前をよこせと、そう言いたいわけか
27日本@名無史さん:2008/02/10(日) 12:51:39
>>22
宇佐八幡の亀山には、神武天皇の母(玉依姫)と祖母(豊玉姫:トヨ)が
埋葬されているからでしょ?
私も宇佐八幡には逝きましたが、神功皇后廟と応神天皇廟はどうみても付けたし。
28改め〜壹與ちゃん十三才:2008/02/10(日) 13:02:32
大分北部宇佐の亀山が卑弥呼の墓と考える人ここにいるんですかね?
よく本でもみかけるがその根拠となっているものが知りたい。
29日本@名無史さん:2008/02/10(日) 13:13:12
>>28
高木のおっちゃんじゃね?
30虹歩命:2008/02/10(日) 13:44:36
>>21ある意味、あの時の迅速な行動が吉野ヶ里遺跡の保護につながったといえる。
31愛知県民:2008/02/10(日) 13:53:22
>>20
「乍南乍東」を文字通りに取ると、狗邪韓国には着かないですけどね。
まっすぐ対馬に渡ってしまう。
32唐松山:2008/02/10(日) 14:39:11
宇佐の亀山が卑弥呼の墓と考えるなら
ほつま を読み替えると かなり近くになる。

ホ38167 そのハジメ カシハヲノイシ ながさムタ はゝミタあつさ
ヒトタヰキ スメラギいのり とびあがる かれスミヨロシ
ナヲリカミ モロハノヤシロ さらにたて これまつらしむ

柏、王の地 長峡縣 刀自三度篤さ 一度息 天皇祈 とびあがる。
彼、住吉直入神 両刃の社 新に建て 是、祀らしむ。
33河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/10(日) 14:46:08
>>31県民さん


だから最初から狗邪韓国なんて目印に過ぎず、對馬にストレートだって言ってます。
34愛知県民:2008/02/10(日) 14:52:15
>>28
>>32
卑弥呼=比売大神説ですか・・・
モモソヒメもそうですが、卑弥呼でなくても重要人物には違いないと思う。
邪馬台国は寧ろ末盧国の南にあったと思われ、田油津媛の数代前の女王ではないか。
山門郡は合併で消えましたが、権現塚とか調査してほしいものです。

>>33
おや、そうでしたか! 失礼しました。
今後もよろしくお願いします。
35改め〜卑弥呼:2008/02/10(日) 14:57:15
中国の古文献において三世紀前半の邪馬台国そして女王卑弥呼を魏志倭人伝が
邪馬台国王とは表記せず「倭王」と書きさらに魏の明帝が卑弥呼を「親魏倭王」
としていた。
よく「邪馬台国の女王卑弥呼」という言葉が聞こえるが間違ってはないんだが、
倭の女王卑弥呼というべきである。

風俗記事に「王→大人→下戸→生口または奴婢」という階級社会がのってるのは
ご存知なところでしょう。
でもいったい「王」、「大人」、「下戸」まではいいとして「生口」と「奴婢」の
違いはいったいなんなんだろうと思う人も多いかと思う。
誰か分かる人いますか?
36改め〜卑弥呼:2008/02/10(日) 15:17:40
>>11
>魏志は各種の書写本が出ていてそれぞれで表記にずれが
>ありますが、そのレベルのことではないかと思います。

誤字ということですか?結構そうお考えの人多いみたいです。
私はそのような考えはしませんが。

>>13-14
>基本的に「至」は経過点、「到」は到着点を表すようです。
いつか漢字字典で調べたら同じ意味なことが書かれてた記憶があります。
しかしこの場合は著者の鎮守がなにらかの区分けとして使用したことでしょう。
「至」と「到」についてはプさんがいいこと言ってたと思うので彼にコメントだしてもらいましょうか。

>>16さんは前スレ(本スレではない方)で畿内説をお考えで、卑弥呼=ヤマトトヒモモソ姫を
語った方ですか?

宇佐の姫についてはわたし改めは「ほんま伝」をお勧めします。
以前、「ほつま伝」の本を読んだのですが内容をここで今、書き込みむほど
記憶力がよくない為、今ここでは避けますが(笑)
37改め〜卑弥呼:2008/02/10(日) 15:27:28
おっと河童さん!

「至」と「到」
この違いについてどのようにお考えですか。

>>34
>卑弥呼=比売大神説ですか・・・

その根本的な柱となっているものは何ですか?
具体的にこういう理由で〜こうだから!といった具合に
私たちに分かりやすく説明してもらえると有難いのですが。
38改め〜卑弥呼:2008/02/10(日) 15:29:40
>>32
貴方は卑弥呼の墓がどことお考えなんですかね。
亀山〜はどう思います?
コメントお願いできますか。唐松山さん
39河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/10(日) 15:44:04
「至」→限定された範囲

「到」→限定された範囲の境に進行方向が触れる


地理的に簡単に説明すれば、文章表現上
着点表現出来ない部分に対し、文章上記号の様に“到”にて、文章上に着点を設ける
これで、文章上に“到”という着点が出来、数値に対する裏付けが出来上がる。
40河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/10(日) 15:56:31
半島の西側から水行して来た船は、そのまま半島の南海上に流れる対馬海流に乗り、流れに船を委ね対馬に渡るが
最も簡単な方法
半島側に寄港し、半島から対岸対馬への渡海の困難さは、野生号の実験にて実証済み
41改め〜卑弥呼:2008/02/10(日) 16:01:21
『倭迹々日百襲姫の大市墓』箸墓
奈良に有る三輪山は大神神社の御体山で万葉集などにもその姿がみえる。
この山の西側に倭迹々日百襲姫の大市墓(箸墓)があるわけだが、この
箸墓は日本書紀(祟神天皇条)に箸墓古墳について不思議な伝承が記述がされています。
有名な箸墓伝承だが「卑弥呼=倭迹迹日百襲姫」と考えてる人は多いので
ここにコピペですが書き込んでおきましょう。

<箸墓伝承>
倭迹迹日百襲姫命、大物主神の妻と為る。
然れども其の神常に昼は見えずして、夜のみ来(みた)す。
倭迹迹姫命は、夫に語りて曰く、「君常に昼は見えずして、夜のみ来す。
分明に其の尊顔を視ること得ず。
願わくば暫留まりたまへ。
明旦に、仰ぎて美麗しき威儀(みすがた)を勤(み)たてまつらむと欲ふ」といふ。
大神対(こた)へて曰(のたま)はく、「言理(ことわり)灼然(いやちこ)なり、
吾明旦に汝が櫛笥(くしげ)に入りて居らむ。
願はくば吾が形にな驚きましそ」とのたまふ。
ここで、倭迹迹姫命は心の内で密かに怪しんだが、
明くる朝を待って櫛笥(くしげ)を見れば、まことに美麗な小蛇(こおろち)がいた。
その長さ太さは衣紐(きぬひも)ぐらいであった。
それに驚いて叫んだ。
大神は恥じて、人の形とになって、其の妻に謂りて曰はく「汝、忍びずして吾に羞(はじみ)せつ。
吾還りて汝に羞せむ」とのたまふ。
よって大空をかけて、御諸山に登ってしまった。
ここで倭迹迹姫命仰ぎ見て、悔いて座り込んでしまった。
「則ち箸に陰(ほと)を憧(つ)きて薨(かむさ)りましぬ。
乃ち大市に葬りまつる。
故、時人、其の墓を号けて、箸墓と謂ふ。
42改め〜卑弥呼:2008/02/10(日) 16:36:19
>>39
>「至」→限定された範囲
>「到」→限定された範囲の境に進行方向が触れる

河童さん〜有難うです。
しかし、以前聞いたのとは違うような気がするんですが・・。
以前、着点が港なのかそうではないのか言ってたような(わたしの勘違いならごめん)。
ちっと分かりやすくする為に突っ込んじゃていいですかね?

限定された範囲とは
「単なる範囲」
限定された範囲の境に進行方向が触れるとは
「単なる範囲から進行方向も含まれるいいかた」
という解釈でよいんですかね?

>>40
>半島から対岸対馬への渡海の困難さは、野生号の実験にて実証済

河童さんさすが!いろいろ知ってますね。
その「野生号の実験」〜具体的に書かれたHPとか本はご存知ですか?
もし知っていれば教えてくれませんか。
43河童 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/10(日) 17:01:44
>>42改めさん

野生号についてはググッてみて下さい。


>着点が港

それは「到」ではなく「至」るの説明です。
通常、範囲と言う面に対し着点は矛盾した表\現
しかし、水域→陸域の場合当然その境は水辺の港という点を示すことが可能\
ワザワザ「到」にて文章上に着点を設ける必要がなく
その地域を表\す「至」で十\分な、わけです。

限定された範囲とは
例えば
「至對馬國」なら
對馬と言う限定した範囲内と、いう事です

『至』の和語訓は(いた)であって(いたる)ではありません

和語で(いたる)ではなく(いた)と言われれば、私の言う「範囲」や「面」のイメージが掴めるかも?

「イ」→限定された範囲
「タ」→面

だから「板」も
和語訓で(いた)と言います。
44改め〜卑弥呼:2008/02/10(日) 17:36:26
>>43
「至對馬國」は海→海 「至末盧國」は海→陸

以上の説明で伊都国までは分かりましが、以下の国は陸地です。
これらはどのようなお考えなのでしょうか。
奴國・・・「至」  不彌國・・・「至」
投馬國・・・「至」 邪馬壹國・・・「至」 
45改め〜卑弥呼:2008/02/10(日) 17:52:24
大宰府から八女(久留米でもいいや)までの縦の線
八女から大分までの横の線。 縦と横をあわせると「L」字になります。

これが私の邪馬壹国なんですが、他の九州説の方もそのようなお考えなんですかね。
46改め〜卑弥呼:2008/02/10(日) 18:03:16
狗邪韓國・・・「韓国」  對馬國・・・「対馬」
一大國・・・「壱岐」  末盧國・・・「松浦半島」
伊都國・・・「前原市周辺」  奴國・・・「博多湾岸」
不彌國・・・「宇美町周辺」  投馬國・・・「宮崎湾岸」
邪馬壹國・・・「>45参照」   
今更、隠しても仕方ないのでここへ示しますが、
九州説の私は〜これでほぼ確定的と読んでいます。

河童さんも同じ考えでいるんですかね?
47改め〜卑弥呼:2008/02/10(日) 18:08:54
わたしもサガミハラハラさん同様「反論まってまーす」とでもいいますか(笑)

あの人は「ボタンを掛け間違ってしまった」だけなのです。
こう読むべきなのです。ご反論があればどうぞ。
48河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/10(日) 18:31:51
>>44
陸地であろうとなんであろうと
「至」→範囲

仮に陸地内

至〇〇國 なら(〇〇の範囲)
そこに距離が付加されれば〇〇國の中心的な場所(普通・庁)迄の距離です。

これは
各漢籍にて用例を参照ください。
49日本@名無史さん:2008/02/10(日) 18:42:35
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符! 


【正 解】4丁目の森永タネさん。
50河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/10(日) 19:24:05
>>47改めさん

あの>>45のL字って何か意味あるの?
51日本@名無史さん:2008/02/10(日) 19:28:30
卑弥呼の墓は山口県にあるそうだ。

ソースはムー
52河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/10(日) 19:31:14
『南北市糴』

北から『明太子、博多ラーメン』
南から『辛子蓮根、西瓜』
でも仕入れるか?
53虹歩命:2008/02/10(日) 19:44:12
ようするに、卑弥呼のおわしました邪馬台国の都はどこなのですか?
ボタンをかけちがったといわれているサガミハラハラですらピンポイントで
場所を比定しています。また墓も150m以上と巨大なはずです。
それくらい大きければわりと簡単に目視できるでしょう。どこの丘とピンポイントで姉がいします。

虹歩命  ニジホイノチとおよみください。
虹歩ー現役のストリッパーです。
54河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/10(日) 20:14:34
>>53

>150m以上

???
55唐松山:2008/02/10(日) 20:14:52
卑弥呼を倭迹迹日百襲姫命とするには、
年齢と書記に書かれた内容(大物主の妻)が合わない。
崇神10年 倭迹迹日百襲姫命が生きていたら 50才以上
新婚の年齢ではない。巫女は生涯独身。

56河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/10(日) 20:29:05
それにしても
度量衡も目茶苦茶だなぁ。
57日本@名無史さん:2008/02/10(日) 20:30:35
>>53
そうですか。私は山咲みみさんのファンです。
58古代:2008/02/10(日) 21:04:33
宇佐神宮ですが、宇佐神宮は秦氏と関係が深いと思ってきましたが、
どうやら同じ渡来系の辛嶋氏が奉じていたようです。

辛嶋氏とはどのような一族かといいますと
系図ではスサノオ命の子である五十猛(いそたける)を祖とした
「巫術」(シャーマン)を行う一族で、
「祝」(はふり)や禰宜(ねぎ)の役目をしていたようです。
辛嶋家の「承和縁起」によると「伽耶国(任那)」の
亀茲峯(かやこくきじのみね)に似た、宇佐郡稲積山に辛国神を祀ったのがはじまり。
こののち大和から来た「大神比義」(おおがのひぎ)と共に宇佐八幡宮を創祭したと伝えられています

有名な奈良時代の「道鏡事件」で八幡神の「神託」を出したのは女禰宜(にょねぎ)「辛嶋与曽売(女・米)」(よそめ)でした。
和気清麻呂の活躍で混乱は避けられましたが、この事件で、「偽りの託宣を発した」と言う理由で辛嶋氏は宇佐八幡宮の神社経営から追放されます。

一方大神氏はというと大和で三輪山を祀っている三輪氏と同系の大神氏(おおみわし)と関係が深いと言われます。
東大寺大仏建立の際に大神杜女(おおみわもりめ)が八幡神のお告げをもって位を授けられ、社格も上がった
だかその数年後今度は大神宮司が呪詛を行ったとして、杜女とともに大神家は力を失う。
そのあと(といっても摂関制のころ)宇佐国造家が大神氏にかわって大宮司を努めることとなった。
59日本@名無史さん:2008/02/10(日) 21:05:14
>>51

よんだ.今月号2008年3月号No.328の特集
「ジョー・マクモニーグルが邪馬台国と卑弥呼を透視」だね.
邪馬台国は奈良県を中心とする機内

1.71〜73歳まで生きた
2.身長157cm体重55.3kg
3.瞳の色はスティールグレー
4.皮膚の色はアイボリー(ってどんな色?)
5.シャーマン(時空を超えて遠隔透視ができた)
6.山口県豊田湖畔在住
7.近畿にいた10の部族yamatoに請われてリーダーになった
8.夏の居城は今の奈良県桜井市 鳥見山山頂,冬の居城は山口だった
9.起源187生まれ〜250没
10.冬に肺炎でなくなったため,現在の山口県に埋葬された→現在の山口県王居址,安徳天皇西氏陵墓参考地
11.卑弥呼が稲作技術を持ってきたため,卑弥呼統治開始時3880人の人口は卑弥呼没時20倍になったという
12.卑弥呼の部族は当時九州,本州南部朝鮮半島南部を領有する海の民
13.中国で部族成立BC.805〜昆明〜ハノイ〜ベトナムのハイフォン〜マカオ〜台湾の台北〜沖縄〜福岡〜長門(山口)AD.125に到達

なお,壱与の墓は奈良県桜井市 巣山古墳
60日本@名無史さん:2008/02/10(日) 21:13:18
>>59

事前に中と半端に知識を仕入れたみたいだなwww
61日本@名無史さん:2008/02/10(日) 21:23:15
>>59
ハゲシクワロタ!
62太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/02/10(日) 21:28:51
あの超能力者の書いた地図等をムー誌の記者連がもともと畿内だろう
と先入観をもって信じていて、畿内の地図群を詳しく調べてここだと
決めこんで、それでマクモニーグルさんが、その記者の地図の話と
考えを鵜呑みにして、畿内のような気持ちになったんではないのか?

言えることは、卑弥呼は長寿だったならば旅出をしたことは可能性
としてはある。景行も神行も九州行幸啓をやってるわけだから、
反対に卑弥呼が奈良へ来てないとは必ずしも言えない。

そういうことから、一時的なら、鳥見山に来た可能性というものは
ありうる。がしかし、恒久的にそこにいたものではない。つまり
記者らの先入観からの誘導で、マクモニーグルさんがそういう思いに
考えが連れていかれたことは充分ありうるから注意が必要であろう?

彼ら超能力者のいうことは結構当たるから馬鹿にはできない。この
前の武富士の放火殺人だったか、犯人の容貌はものの見事にソックリ
だったことは記憶に新しい。それでも100%ではないようだから、
今回の記事は参考。女王国は九州は動かないな。
63日本@名無史さん:2008/02/10(日) 21:40:17
どうやら太国はジョー・マクモニーグルがお気に入りのようだがw

Wikiでプロフィール見ると怪しさ胡散臭さ爆発だなw

>>59は細木が良くやる事前調査、所謂「ホット・リーディング」って奴が
上手くいかなかったんだろうw
64唐松山:2008/02/10(日) 22:12:56
卑弥呼が旅行することはない 何故なら
神に仕える卑弥呼がその場を離れたら 日々の祭りが途絶えるから。
65太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/02/10(日) 22:40:13
>>64
いや、ありますよ。彼女が女王でないとき体は自由が利くはず。
6659:2008/02/10(日) 22:43:59
>>62 太国氏

確かに、記者が先入観をもって実施している。

でも、そういう先入観については記者も考慮していて、
先入観が伝わらないように質問を書いて封筒に入れて
封筒から透視をするってやり方をしている。
で、透視結果の候補地にマクモニーグルさんに来日してもらった時に、
一緒に行って透視の内容か再度確認してもらう、って手順。

マクモニーグルさんの透視はそういう先入観があると確かに的中率が下がるんだと。

ついでにいうと、私も今回の記事は参考と思ってます。
でも、結構いい線いってると思うけどな、邪馬台国は機内だと思う。

現代でも沖縄にはノロっていわれるシャーマンがいるし、
対馬海流にのれば、たぶん、福岡、長門にはたどり着けると思うし、
言語の面からも邪馬台=ヤマトゥ=大和ってのは単純なだけに説得力あるし、

古代になればなるほど、人の住めるところって今より限定される。
昔栄えてたところは継続的に栄えると思うしね。
日本史の例じゃなくて申し訳ないけど、トロイの遺跡なんかも下に掘れば掘るほど、
昔の都市の遺構がでてきてるしね。そういうもんじゃないかな。

でも実際に「誰」ってところまでは私の手には負えません。後 よろしく>有識者
67太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/02/10(日) 22:58:02
>>66
いやいや畿内ではないね。古神道的には彼女は1の地域の長であり、
1の地域は九州と決まっている。2の地域は畿内だ。3は東京。4は
青森、5は函館、札幌付近・・・・・。
彼女は2の時代に生まれたが、1の未消化を引き受けた九州の女王。

一国の女王はあっちこっちと地域を二股かけるわけがない。ただ
一個的短期の旅はありうるが、それも可能性はうすい。ただし若年
での旅行はうんとやれよう。

あの超能力者のそこのところを言ってるんではないよ。まずあの記者
は最初から畿内説信者だろ。よくはまだ読んでないが、九州の地図を
念のため克明に調べたとは書いてなかったと思う。だからおそらく
片手落ちの調査だと思う。ある程度先入観の思いこみの可能性が
あろう。誘導は封筒のことではなく、お互い話し合ったりしていて、
信じてるから消極的ながら衝動的に畿内説への誘導があった可能性は
捨てきれない。
68太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/02/10(日) 23:08:24
>>66
当時「邪馬」の字を国名につける流行というか、そういう字の国名
がある程度存在したということだ。だから邪馬臺国をそのままヤマト
つまり畿内と考えることは相当程度言えるし、ありうるが、女王国
たる邪馬壹国ではない。両者は別国であり、倭人伝にも邪馬国が
あることを考えれば邪馬臺国と邪馬 国は別物だとわかる。オースト
ラリアがオーストリアでない如く、邪馬台国→ヤマト国→大和国と
考えやすいことだが、それは女王国のほうではない。
69日本@名無史さん:2008/02/10(日) 23:32:22
>>67 

ああ、確かに九州の地図を調べたことは書いてない。
「…大阪、奈良あたりだろうと推定できたが…見事に奈良盆地と一致したのだ。」
了解です。
70太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/02/10(日) 23:48:37
>>69
だからムー誌があの企画をやるとき、凝り固まりの畿内論者と
九州論者双方を同道して(←できたら双方二人以上の四人以上)行
えば公平性が高いのに、おそらくそれはやってないだろうということ
だ。企画を発表した奴が、ここのスレ等をだいぶ読んでた記者とは
思うが、当初から畿内だと信じてる者の編集長とか会議への提案だっ
たのだろう? だから畿内説になっちゃうのは自然の成り行きだ。

ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ・・・・・・・・・・・・
71日本@名無史さん:2008/02/11(月) 00:54:41
太国が寝ると九州ですがも寝るのねwww
いやあオカルトですなあ
72日本@名無史さん:2008/02/11(月) 01:35:20
実質太国だけで持ってますからね九州説は。
それ以外はみんな腰巾着にすぎない
73サガミハラハラ:2008/02/11(月) 07:42:41
>>72私が太国の腰巾着だとでも?
74太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/02/11(月) 10:09:24
>>73
回答する気もないあなたとはもうこれで議論はおしまいとします。今後はもう
意見交換等もないでしょう。やむをえずあなたとはオサラバとなります。
75唐松山:2008/02/11(月) 10:16:37
卑弥呼の墓は 長狭県に程近い 住吉神社が 目標なんだが まだ特定できていない。
邪馬台国は 卑弥呼の(頼りとする景行の)都  

卑弥呼=モモソ姫は こじつけの点でしか合わない。
歴史なら 線で合してください。
76日本@名無史さん:2008/02/11(月) 10:17:58
プラムに続き太国にも見捨てられたな
77太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/02/11(月) 10:20:35
>>75
景行の都とおっしゃってますが、唐松山さんは九州説から畿内説になったんで
すかな? 景行は九州行幸を果たしてますが、九州に都は建てていないでしょう
から・・・?
78日本@名無史さん:2008/02/11(月) 10:34:41
>>1 神奈川県民さん
13と14並立しているようですが。?

あっちと、こっち、どう違うんですか。?

79魏志:2008/02/11(月) 10:43:30
魏志倭人伝には、邪馬台国を東にテクテクあるいていくと海に出る。海を渡ると
そこも倭で、小人が住んでいる、とある。
畿内説では東に海、が出ないと思う。
北九州説なら、山陰地方の人の身長は30センチくらい低いから、おおげさに
小人、と呼んだのではないだろうか?
ムーの記事は馬鹿馬鹿しいけど面白かった。
80日本@名無史さん:2008/02/11(月) 10:49:26
侏儒國ってのは、東ではなくて、女王を離れること南に四千里余と
なっているんだけどね。
81唐松山:2008/02/11(月) 11:23:59
卑弥呼は 九州
都は 大和

一つにすると 読み切れない。
82日本@名無史さん:2008/02/11(月) 11:33:08
>>78
しーっ! また神奈川県民が改め〜ドツボに変身しちゃうから。
83太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/02/11(月) 11:40:48
唐松山さんは迷っているね。w
卑弥呼が朝廷の女で景行の都が彼女の都だというなら、先帝垂仁が殉死を廃止
してるので、倭人伝の奴婢殉死はありえないと思う。
84日本@名無史さん:2008/02/11(月) 12:04:34
邪馬台国がどこだったかはまず置いて。
魏志倭人伝嫁。
前半部分全部、あと風土は九州のことしか書いてない。

特に中・南部の九州の部分・熊本と鹿児島は中国と相当な交流が
あったのにその国々に触れてないとするのはあまりに非論理的。

古来から一番交流があった中・南部の九州の国々や長の詳細は
絶対抜かさないはずだな。
85唐松山:2008/02/11(月) 12:17:25
卑弥呼は 九州王の傀儡、
卑弥呼の宮に奴卑1000人 
伊勢神宮でも 300人 1000人は 大勢以上の意味はない。

九州王が乱により 全体を掌握出来なくなったから 卑弥呼を立てた。
卑弥呼が死亡したら 九州王の復活まもなく死亡
大和より 五百野皇女を軍隊付きで送り込む。
日本武尊は、この軍隊を使って熊蘇征伐。
景行の刈り取った所は、天皇家の屯倉となる。
86日本@名無史さん:2008/02/11(月) 12:34:35
まず日本書紀の系統を鵜呑みにしちゃだめ。口伝集しかなく
しかも数百年以上のまえのことを正確に書けるか?しかも過去に皇族以外の
支配者がいたなんか書くわけない。

自分は卑弥呼=神功皇后「像」だと思うね。
つまり日本書紀の神功皇后は捏造であるとおもう。昔からいわれてることだろ。

つまり卑弥呼や、日本の歴史に関わる3世紀ごろの女王を一緒くたに
してしまって日本書紀につけくわえた。
なんせ、1世紀に死んだキリストの聖書から引用(盗用)するぐらいの書物のうえ
7世紀にしてまだ中国の皇帝にあきれられるほど非科学的な神話をつくって
民に信じ込ませるような次元でかかれたものだからね。

神功皇后は九州にいた女王=卑弥呼。住吉三神と宗像三神もこれまた似てるね。

三韓征伐したのは・・・卑弥呼じゃないと思うが台与かもしれんね。
宇佐神宮と宗像三神が非常に結びつきがつよくここら辺が滅茶苦茶怪しい。
87太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/02/11(月) 12:44:19
>>85
卑弥呼の女王国が九州、畿内のいずれかの説明の明確さがないよ?
一見読むと九州説のようですが、まだなにかぼけた説明みたい?
>>86
日本書紀は原書群があって口伝ではないでしょうが? 古事記は阿礼
からの口伝でしょうがね。卑弥呼を神功皇后だとおっしゃるなら、
日本書紀の編者らの考えを継承したようなもので、鵜呑みにしちゃ
ダメだという貴殿の論は鵜呑みにしていて自語相違的ですよ。
88日本@名無史さん:2008/02/11(月) 12:47:35
大体、宇佐神宮は謎が多すぎる。
なんで隼人を倒した神功と応神、女の宗像神を3人一緒に祭ってるんだろうな。

しかも、すぐそばに朝鮮から来たアカルヒメ伝説発祥の姫島があるしな。
白狐の祭りで有名なんだが、神功も「死んで百狐になった」などといわれているし繋がる。

神功皇后が熊襲を倒して、隼人の霊を祭る百体神社だろ。
卑弥呼は(南の男王=熊襲か?)戦争している最中に死んで周りに埋めた
のが百人だろ。当然奴隷だから戦争でつかまえてきた隼人の百人かもしれんし。
89日本@名無史さん:2008/02/11(月) 12:51:16
>>87
口伝とは書いてないが。口伝「集」だよ。
「集」になるまで口伝していたんだよ。何百年かしらんが。
日本書紀は口伝集と各地の伝承(これも口伝)をまとめたもの、とはっきりある。

都合よく編纂されたものであるのは一目瞭然、常識で、それを前提にせず
鵜呑みにするのはあまりにレベルが低いよ。
90唐松山:2008/02/11(月) 12:55:16
神功皇后元年 西暦273年日食
ここに合わせれば 西暦265年魏国滅ぶ
まだ3韓の地は固まっていません 任那(倭人の住む土地)を治め
百済と通好を結ぶ。
可能なんですよ 後は、新羅本記参照 西暦280年代に入り新羅へ軍を送る。
西暦280年頃から 古墳時代。 鉄もそこそこ普及 箸墓もつくれる。
91日本@名無史さん:2008/02/11(月) 12:56:07
大体、もう馬鹿ばかしすぎて誰も言わなくなったが
聖徳太子の生まれが聖書のパクリなのは小学生だってわかる。

それだけは怪しいけど、あとは本物だろう。系統を捏造するなんて
そんなことはあり得ないよ、なんて思い込んでいるなら
もう、それだけを信じていなさい。 邪馬台国も卑弥呼も書記にはないよwww
92太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/02/11(月) 13:05:17
>>89
一目瞭然ではないね。なんならなんで雄略、武烈の悪事を赤裸々
に書いたり、浮気、殺害等を書いてるのかねぇ? 都合良くするなら
そういう箇所を削って記載するだろう? ところが、こういう朝廷に
都合悪い文が記紀のいたるところにあるんだがねぇ〜。君の主張は
矛盾してるでないの?

それに稲荷山鉄剣、江田船山鉄刀、隅田八幡鏡の銘文にもほぼ記載は
合ってるわけで、梁書にも記紀の天皇の名もあるし、著しくおかしい
箇所は神武以降にはそんなにはない。神武以前は年月日もないから
伝説の域を出ないと言われれば通るがねぇ。

ところでどうして原書群が口伝ばかりだと判明したのか? 根拠は?
93日本@名無史さん:2008/02/11(月) 13:08:32
>>90
>神功皇后元年 西暦273年日食

これって実は卑弥呼が死んで台与になった年では?
そういえば男王がたったが。応神か?
とりあえず三韓征伐したのが台与になりえる。

神功は畿内ではなく九州に居た人間に間違いないだろ。住吉三神と
宗像三神が非常〜wに怪しい。アカルヒメ神社も大阪の難波に移設されてるが
まるで朝鮮から直接やってきたようなフリしてるよね。狐の祭りもないくせに。

神功は「住吉大社の神託」を受けて三韓征伐にでた。しかしその後は
住吉の神託など誰も聞いちゃいねえ。神託専門の勅旨つくって宇佐神宮
に神託聞きにいかせてるし。
94日本@名無史さん:2008/02/11(月) 13:17:39
>>92
だんだん脳みそのレベルが出てきたね。
口伝集じゃない書物がそれ以前にあるか?www さ、根拠あげて名をだしなさい。

日本書紀は本物にしたいらしく必死だけど倭人伝と聖書にあわせるから
名文や梁書にあわせるのも当然だろ。つまり当時のブレーンである編纂者たちが
必死に全部辻褄あわせたんだよ。国家の威信をかけて。

口伝集にあったから辻褄あわせなわけで、赤裸々なことや浮気や殺人を
消せるわけないだろ。消したらあとで出てきて大変だ、だから倭人伝まで
参照して加えてるんだよ。それをいうなら聖書だって凄いもんだよ。その辺は
書記が全部本物で系統も間違いない、と信じたいきみの頭では道理を考えるのは無理だろう。

95日本@名無史さん:2008/02/11(月) 13:18:42
名文→銘文
96唐松山:2008/02/11(月) 13:22:56
宇佐神宮は、隼人の神では有りません
海人の神です しかも謂れは古い 天照大神の孫?3姫が元。
イチキ嶋姫、オキツ嶋姫、エツノ嶋姫の3人 現在入れ替わっているのは何故か
までは解りません。この3女神を祀る八幡神社については1月くらい前に書き込みましたので省略

3韓征伐に船は付き物 この船を重用した 神功、応神を崇めるのが不思議か?
97日本@名無史さん:2008/02/11(月) 13:30:16
聖書、旧約聖書、日本書紀、そして世界各地の将軍様神話に
共通していえること。
それは一貫して血統の正統な継承であるんだよ。とりあえず神の遣いは他には居ない、あるいは
居ても滅ぼされたことになってる。
「今の王様は古来に国を創造した神の(あるいは神の遣い)
誰々から誰々にうつった古来から国を支配していた系統の全うな血筋を
持ってるんです。神話時代から現在まで途切れてないし、王様は突然そこらへんを
支配した豪族の子孫に過ぎないなんてことはありません」ってことをいうんだよ。

日本書紀はそれをつくるために日本中の口伝や地方の伝承をまとめ
あげ、系統書ももちろん加えて繋ぎあげ、中国の倭に関する書物まで参照にして書き上げたんだよ。
これは国家レベルのプロジェクトだったんだよ。そんなのもうわかりきった
ことだろ。
98日本@名無史さん:2008/02/11(月) 13:31:33
>>96
>宇佐神宮は、隼人の神では有りません

当然でしょ。宇佐神宮じゃなく、宇佐の百体神社のことを言ってるんだよ。
99日本@名無史さん:2008/02/11(月) 13:39:51
>>96
比売大神は宇佐の豪族である宇佐家に代々伝わる地主神。
宗像三神だとあるが誰かとまでは書かれてない。謎の多い大神なんだよ。
神に正式に「大」つけるのに意味があるのは知ってるか?

応神の崇めるのは船を重用したからではwwより、八幡神として。

三韓征伐に宇佐から船出したか?www宗像三神をもっと崇めるてる
場所があるだろ。 大体、応神を生んだのは宇美だろ。



100日本@名無史さん:2008/02/11(月) 13:47:15
神功皇后の三韓征伐の拠点は長崎の壱岐ですし。
101唐松山:2008/02/11(月) 13:49:41
日本書紀は口伝では有りません。
理由 暦になってる 口伝では 荷が重すぎる。
系統書も口伝では 重すぎる。
暦に対する質問等は、日本書紀総合考察スレに書き込んでいますので 
意見、質問お答えします。

台与を西暦273年に持ってくると 神功元年の日食が合わない。
102日本@名無史さん:2008/02/11(月) 14:00:38
急に思い出した 「記紀」の
神功皇后の部分が怪しい、倭人伝と重なると思い始めたのきっかけの一つ。

記紀に、筑紫の宇美町を名づけたのが神功皇后だとあるだろ。
誉田別命を産んだ場所だからだよ。
しかし宇美町は倭人伝の不弥の有力候補地でもある。
その理由が「音感が似てる」からだろ。
倭人伝でもともとフミとかウミって。倭人伝のときにはすでに同じ音であったというわけだ。

もし宇美町が不弥国だったとしたら。そりゃおかしいだろ。
神功が朝鮮を制覇した「帰国後」につけた地名だぞ。
なんで倭人伝には畿内政権が三韓の征伐にいった話がでないんだ?熊襲征伐は?
中国皇帝の遣いの話もゼロか?それはおかしい。
 
103日本@名無史さん:2008/02/11(月) 14:06:25
>>101
大丈夫か?まだ「国家プロジェクト」の荷の重さと背景が理解できてないね。
それ以前の口伝「集」以外の書物あげてみろよ。持参の系統書以外に。

104日本@名無史さん:2008/02/11(月) 14:13:15
倭人伝が書かれたのが三韓征伐の後だったと想定できるか?



105唐松山:2008/02/11(月) 14:26:03
大量の船を集めるため
瀬戸内海からも徴収。船出した場所だけが特別ではない。
106日本@名無史さん:2008/02/11(月) 14:30:30
おまえ、古代に船集めて半島まで北上するのどれだけのことか
わかってんのか? エンジンも缶詰もないんだぞwwww

船出した場所だけって軽々しく言う脳味噌wwwww

107日本@名無史さん:2008/02/11(月) 14:35:51
神功は熊襲退治して三韓征伐にも行ったあげく妊娠の時期もおかしい
うえに天皇不在。建内宿禰の以上な寿命の長さ考えても
おかしなことだらけ。

架空の捏造とはいわんよ。なんか繋げてるね。しかも時代は絶対違う。
無理やり遡らせてる部分がおおあり。
108日本@名無史さん:2008/02/11(月) 14:40:50
>>105
三韓征伐や神功皇后の軌跡の残る地はちゃんと彼方此方に
存在する。空想で適当な場所出さないように。宇佐から
朝鮮に出征した話は全く残ってないね。隼人征伐に関するのは中津に
またがり記紀に出てくるが。鷹社も残ってるしな。

帰りに寄ったのも宇佐ではなく宇美だしね。
109日本@名無史さん:2008/02/11(月) 15:06:54
三韓征伐といっても攻めたのは新羅だけだったりする。
百済からは七支刀を貰ったりして懐柔されて、百済にそそのかされて
新羅を攻めたというのが実態だろう。
110唐松山:2008/02/11(月) 15:12:16
神功はまず 豊浦に入る
クマソは松浦方面の海人 そこを押さえるのに 船も必要。
瀬戸内海で とりあえず船を集める 先に神功に付いた方が出世する。
となれば クマソより 上の位に付いても良い。クマソに号令を発する立場
宇佐がこの時不参加だった とでも?
111唐松山:2008/02/11(月) 15:14:28
一つ忘れていた
宇佐は 景行の治めた土地
天皇家の屯倉になっていたと思う。
112日本@名無史さん:2008/02/11(月) 15:24:16
皇子の聖徳太子が史書を編纂したといわれているのが7世紀。しかし
もちろん現存せず日本書紀は8世紀のもので日本最古。

どんなものを持って、3世紀の記述が正確だと言えるんだよ。

しかも宋の時代には倭国の王として外交してる倭の五王が居るのに、
600年では外交のやりかたもしらない第一回遣隋使を送り、恥をかいている。
随書にある倭国はそれ以前の倭国と全く別物。

国とはいわんよ。支配者層が全く違う。
邪馬台国時代から中国にしょっちゅう献上しては朝鮮半島を含む王になることも
皇帝に認めろと正式な手続きを踏む外交知識のわかった倭国と、全くわけの
わかってないヤマト政権の7世紀ごろの倭国の両方がみてとれる。

しかも第一回遣隋使をだした同じ600年、新羅征伐の軍もだしてるね。なんで新羅に新たに
服従を誓わせないといけなかったんだろうねwww 

新羅は倭国の政権がかわったから独立しようとしたんだよ。ソ連崩壊したときみたいなね。
113日本@名無史さん:2008/02/11(月) 15:33:15
>>110 >>111
>神功はまず 豊浦に入る

この一行以外、全部君の妄想にすぎないが。

しかもお粗末な妄想で根拠なし。船を「集める」wwwww 集めるって?
造るんだよ、造船っていうんだ。軍船になるんだし長崎は有名だよね、造船で。
それにしても全部妄想だよね。

三韓征伐になんで、何のいきなり宇佐を付け加えようとしているの?
神功を祭っているから?宇佐は神軍をつくって熊襲を退治したんだよ。
あと応神=八幡の母親だしな。
それを知らなかったんだろ、君は。馬鹿なやつ。
114日本@名無史さん:2008/02/11(月) 15:33:17
百済人の口車に乗って
新羅で人足狩りばかりやっていたから
115日本@名無史さん:2008/02/11(月) 15:40:48
600年の第一回遣隋使。 
それ以前にあったわけではなく全く外交が初めての礼儀知らずな遣隋使だった。
聖徳太子はいきなり皇帝に失礼な手紙を送ったことが有名。しかし当然、日本は
献上と交流を始める。

それ以前の、王を認めてもらった倭の王達は?それ以前の宋書にのこる
倭人どもとは当然別系統だな。

新羅の新たな征伐も辻褄があう。7世紀ごろまでに空白の日本の歴史。
記紀は鵜呑みにするにはあまりにもおかしい。
116日本@名無史さん:2008/02/11(月) 15:48:17
454 :列島縦断名無しさん :2008/01/28(月) 11:24:53 ID:iCLs9meJO
じゃあ、もう一つ、歴史ネタ、行きますね
すんごくマイナーだけど
連投タン的が、纏向だけでなく、吉野も視野にいれるべきと言った根拠となる吉野の神社を下に書く。ガイドブックに載らない神社だ
いくぞ
浄見原神社
この浄見原神社には国栖奏という行事があって、旧暦正月十四日に行われるのだ
この意味がわかるかな?
( ̄―+ ̄)ニヤリ

455 :列島縦断名無しさん :2008/01/28(月) 11:49:22 ID:iCLs9meJO
あと、稗田阿礼を考える上で、避けられない神社が奈良にあるんだな
売太神社
奈良の売太神社には、阿礼祭りというお祭りがあるんだな
なぜ売太神社なのか、なぜ阿礼の名を冠した祭りがあるのか?
この意味、わかるかな?
(屮゜Д゜)屮

456 :列島縦断名無しさん :2008/01/28(月) 11:56:23 ID:iCLs9meJO
連投タン的には、八月の阿礼祭りの舞いと巫女舞いを比較したいと思っている
奈良のおんまつりにつぐ規模のちゃんちゃん祭りと源九郎稲荷白狐が同じ四月なのも、気になるところ

457 :列島縦断名無しさん :2008/01/28(月) 12:00:48 ID:iCLs9meJO
売太神社の祭神は、稗田阿礼なんだよね
歴史的に謎の人物がまつられている
さらに山『壱』国 『売』太神社
どちらも、かむりは『士』
『壱』にはヒが入り、『売』には八が入る
気になりませんか?

続きはこちらを
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1201072080/38-
117日本@名無史さん:2008/02/11(月) 15:53:37
神功皇后については、彼女の権力の座にどれだけあったのかは別として
その存在は信頼できるけどね。

なぜなら、日本書紀の編纂者は、神功皇后=卑弥呼としていることと、
古事記でも神功皇后が登場するから。

まず、古事記は国内向けに作られた歴史書で、明確な年代について書かれていない。
そのために、無理に卑弥呼の記述を気にする必要が無かったと思われる。
しかしながら、それでも、神功皇后の存在について書かれている。

また、日本書紀については、年代から考えて
卑弥呼、台与の二人の女王=神功皇后としていることが
逆に神功皇后の実在性を示す結果になっている。
もし、架空の女王を捏造するなら、卑弥呼と台与の二人ぶんをつくるでしょう?
しかし、それを作らなかったということは、
一応、そういう人物がいて、当時は春秋暦で半年で一年と計算していたために
卑弥呼に合致する人物がいなかったから
比較的に卑弥呼に近い年代だった神功皇后を無理に合わすしかなかったんでしょう?
118日本@名無史さん:2008/02/11(月) 16:04:07
結局、古事記とか日本書紀というのは
童話の世界のオオカミ少年の話と一緒で
ある部分で嘘をついたために
全ての記述が信頼されなくなってしまった。

だから、戦後、戦前の反動で全否定されてしまったんだけど
ここに来て、記紀の言うとおりに発掘調査をしたら
記紀に書いてあったことは、結構、あたっているな
ということになってきたわけで。

だから、考古学者や歴史学者も、こういった文献を見直す結果になってきたわけで。
119日本@名無史さん:2008/02/11(月) 16:07:36
仲哀2年夏六月,辛巳朔庚寅,天皇泊于豐浦津.
豐浦に入っています
豐浦は 日本武尊が熊襲狩りの帰りに治めた土地
九州の天皇支配地に集合命令を出す。
その中に宇佐が有るのは 当然。
宇佐に立ち寄る 必要なし。

記紀で最もおかしいのは、仁徳
太子の死亡年齢から見ると
反正、允恭は 后死亡後の生まれ。


120太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/02/11(月) 16:35:40
>>94
お前津田病の末期だな。ww まぁ精神科で診てもらったほうがいい。言い出し
たのはお前のほうだ。こっちに鞍替えするこたぁないよ。ようするにお前の
口伝とかいうのは、お前の豆脳の恣意的回転発露なわけさ。 ww PuPu!

身内の殺人と言うのは不名誉なんだよ。お前んとこは家族で殺人をした奴が
いたら隠さないで開きなおるのか?www 実地についたこと言え。
121太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/02/11(月) 16:46:36
>>103
日本書紀は口伝ではない。元々無コテのお前が口伝だと言い出したんだろう?
それだけでもお前の研究の未熟さの馬脚が出てるということだ。ww

失礼は承知で言うが(お前の論だと自慢になるらしいな?w)お前の家族で殺人
が起きれば夜逃げだぞ。悲劇になるんだぜ。ウソだというなら、お前の身内に
聞いてみろ。たまたま朝廷は国家権力を握ってるからありのままに書いていると
いうことだ。記紀が殺人を多数記述してるということは、朝廷に非常に都合が
悪いことをありのままに書いたということになる。

実際それがいい証拠だな。お前の主張は社会経験不測な大デタラメ。
122太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/02/11(月) 16:51:03
>>107
紀年は倍暦であるから、おかしくはない。お前の紀に対する表見的面食いの
研究不足がもたらした書きこみ。ww 妊娠は倍暦変更のため、見かけ上
期間が長く見えるだけで、実際は一般人と同程度。
123横槍:2008/02/11(月) 17:24:50
>>122
まあ、倭人伝の記述や、書紀の天皇の寿命、神功皇后の妊娠期間を考えると
倍暦は有り得ると思えるな
124日本@名無史さん:2008/02/11(月) 18:04:30
フトクニの唯我独尊ぶりは失笑に値するw
125太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/02/11(月) 18:05:57
>>86
エジプトのピラミッド等にある絵文字(ヒエログリフ)など数百年どころで
ないぞ。数千年前のが多分にある。だから文字で残してあれば数千年も持つ
ということだ。古代マヤ文明のほうも、紀元前3113年からマヤ文字の碑等で古代
マヤの歴史も正確に判明出来ている。だから紀が口伝でないんだから、お前の言
う数百年前位のことは正確に分るということになる。だいたいあのころは数百年
どころではないぜ。もっともっと前さ。こういう主張はお前の津田病の重症状が
露骨に表れているわけであり、お前はス〜グ精神病院での診療を受けてお前の
豆脳を調べてもらった呆がよさそうだ。ww

>>89
紀には多量に「一書に曰く・・・・・」と書かれているわけで、「一口に曰く
・・・・・」とは書かれていないから、これは紀の原書群から紀が成立したこと
を物語っているもので、お前の主張するように【原口群】ではない。ww

つまり文字で書かれた原書群から紀が成ったのであり、このことは古代エジプト
と古代マヤでの文字による当時の歴史の確保がされていることを意味するから、
お前の主張は大デタラメなのである。www
126唐松山:2008/02/11(月) 18:30:58
書記は 朔で 書かれた書物 と見ると 
倍暦は 朔や季節を無視するので 暦に直せない。

この辺を クリアーして貰いたい。
今現在この辺を クリアーしているのは、増し です。

127日本@名無史さん:2008/02/11(月) 18:53:40
>>120

>お前んとこは家族で殺人をした奴が
> いたら隠さないで開きなおるのか?

こりゃ、「お前んとこは先祖が中国に朝貢してたりしたら
隠さないで開き直るのか?」つー論理のパクリだな。
まあ、太国だから何でもありだがw
128改め:2008/02/11(月) 20:21:29
至」と「到」の違いについて

>「至」→限定された範囲
>「到」→限定された範囲の境に進行方向が触れる  

河童さんの説明よく分かりずらいので代わりに説明します。

「至」・・・物(地、地面、国などの物質)を主語とした言い方
「到」・・・単位(mm、cm、m、km)を主語とした言い方
たとえると
「至」の場合は「○國から○國まで○餘里」、「到」の場合は「○餘里行った所が○國とする」。
「到」が分かりづらいので分かりやすく例題をだそう。
「5歩(1歩=25cmとしよう)目隠しで歩いた地点がA国とする。125cm」
もちろんこの場合は「到」を適用する。
129太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/02/11(月) 20:22:01
>>127
な〜んだ、論の持ち駒のないお前か〜?ww
地についたことを言ってくれよ。なにも全部記紀が正解とは言って
はいない。これはこの前も言ったろうが?

それに神功が卑弥呼にあてたのは日本の倍暦が分らないからやむ
をえず小康状態という干支の倍数で合致させようとしただけで、この
ことを知れば紀から真の年代はわかろうというものだ。120年ズレた
からでたらめだと決めこんで捨てることはないんだよ。元へ戻して
編年すればいいことさ。この前の騒いだ亀田のおかしなボクシングも
撮ってるビデオを戻して調べれば真の勝利者、真の採点はやることは
できる。

それにお前は持ち駒が無いんだろう? いつも資料等を持ってきて
能書き言った数は、猫より少ないようだがねぇ〜? ハハ!www
お前は能良猫頭か〜??ww Pu!
130太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/02/11(月) 20:35:36
>>126
別に倍暦でなくても【増し】を入れればどんな暦論でも成ってしまい
ます。
131改め:2008/02/11(月) 20:36:24
到其北岸狗邪韓國 七千餘里 これの前に「水行」がある。

「七千餘里水行にて行った所が狗邪韓國A点。(ここは「到」なので同じ狗邪韓國付近の海上)」

千餘里至對馬國
「至」が使用されてるので「狗邪韓國付近の海上→對馬國まで千餘里」となる。

A点から對馬國の地に着いたことになる。 こんな感じですよね?河童さん

みなさん理解出来ました?? 
わたしも「至」と「到」の違いではこの「河童説」を支持してます。
教えてもらった河童さんに拍手!
132河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/11(月) 20:50:59
>>131改めさん

それでいいんですが、相当理論武装と強い意思がないと
直ぐ揺らぎますよ
133日本@名無史さん:2008/02/11(月) 21:10:05
>>128
ちょっと違うかな?
「到」の方は簡単明快。
到着、到来、到達、到底・・・皆ある状態に達したこと示しています。
単純に和訳すれば「いたる」・・・遷移する対象が或る点に付くこと。
倭人伝の例だと移動者が伊都へ着く、と言うこと。
単位が「主語」になるとか言われると返って理解しがたいですね。

「至」は、貴方の例文にもありますが「〜まで」と訳すと理解しやすい。
東行至不彌國百里は東に行くと不彌國まで百里と訳せます。
こちらは目的地が対象ですので、出発前でも使えます。

私の説明の方が分かり難かったかな?
134河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/11(月) 21:15:00
>>128
これは×だよ
135改め:2008/02/11(月) 21:15:13
>>22さんの
>宇佐の地元神である比盗_が宗像三神と結びついたのはなぜなのか?

誰か答えられる人いますか?

>>50
>あの>>45のL字って何か意味あるの?

意味ないです(笑)分かりやすく「L]と言ったまで。
それと向こうに新しいすれ作りましたよ。
よかったら探してみてくださいな(笑)
136改め:2008/02/11(月) 21:19:50
>>53
>ようするに、卑弥呼のおわしました邪馬台国の都はどこなのですか?

はじめまして虹歩命(ニジホイノチ)さん
わたしの>45のレスをどうぞ! 私が考える都の場所です。
しかし卑弥呼の居場所については西(大宰府周辺)なのかあるいは東(大分北部)なのか
今調べてるところなのでいつかハッキリ分かり次第ここでコメントします。

>ボタンをかけちがったといわれているサガミハラハラですらピンポイントで
>場所を比定しています。また墓も150m以上と巨大なはずです。
>それくらい大きければわりと簡単に目視できるでしょう。どこの丘とピンポイントで姉がいします。

魏志倭人伝に卑弥呼の「墓」の特徴が記されてます。
しかし、「其の墓の有る場所が単位を使って書かれていればピンポイントで
お答え出来るのですが、書かれてないのでお答えする事が出来ない」
としか私からは言えません。

サガミハラハラ氏は「小城市にある公園が卑弥呼の墓です」とハッキリ言い切ってますが、
卑弥呼への「親魏倭王,假金印紫綬」などの魏からの贈り物が発見されたでもないのに
何故そうもハッキリといえるのか私には理解できません。

「卑弥呼の墓の可能性が少しある」という言い方だとわたしもそこに興味がいくんですけどね。

それと私は「卑弥呼の墓はまだ見つかってない」という立場でいます。
もしくはまだ探してる状態と思ってもらってけっこうです
137改め:2008/02/11(月) 21:22:53
細かい突っ込みはなしですよ(笑)

ところでどこが「×」と言ってるんでしょうか?
まあそれは河童さんから教えてもらった立場なので
河童さんが分かりやすく説明したほうがよいかも。

でも理解はできてるでしょ??
138河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/11(月) 21:45:52
>>137改めさん

至」と「到」の違いについて

>「至」→限定された範囲
>「到」→限定された範囲の境に進行方向が触れる  

とにかく
これを頭の中に叩き込み理解することです。
全てはこれが元となって発生する解釈ですから

『到』と言う文字は『至』があるから発生した文字(これはわかりますよね?)
つまり、「至」だけではカバーしきれないところを「到」という文字が補っているということです
そして「致」、この文字も「至」があるからこそ存在し、「至」ではカバーできない部分を補うのです
これが文字の仕組みです。

和語で説明すると
「至」「到」「致」 これら全て和語訓は(いた)これらの文字は全て(いた)という共通するものをもっていて異なるのは

「至」は文章に組み込まれると(いた)−ラ行と、ラ行全てに活用し
「到」は文章に組み込まれると(いた)−ル と、ルだけの活用となり
「致」は文章に組み込まれると(いた)−サ行と、サ行全てに活用します

「至」「到」「致」の和語的違いは
ラ行全て、ル限定、サ行全て

これが決定的な違いになります。  
139改め:2008/02/11(月) 21:48:46
河童さん
「到」は「至」に比べ到着地点ハッキリしています。
「至」は大雑把だが「到」は到着地点がハッキリしていて(港など)
「そこから進む進行方向も含めた言い方で説明をしてほしかった!」と
言う事なんですかね?
140改め:2008/02/11(月) 21:52:29
>>139のレスは失敗です。
「到」と「至」逆でよんでください。

「至」は「到」に比べ到着地点ハッキリしています。
「到」は大雑把だが「至」は到着地点がハッキリしていて(港など)
「そこから進む進行方向も含めた言い方で説明をしてほしかった!」と
言う事なんですかね?
141改め:2008/02/11(月) 21:58:01
河童さん

>「至」→限定された範囲
>「到」→限定された範囲の境に進行方向が触れる

この言い方だとこのすれを見てる人がわかりませんよ。
「範囲」という言葉は使わないほうがよいでしょう。

千餘里至對馬國

「範囲」とは「千餘里」これです。

河童さん〜「範囲」という字を使わないで説明してくださいよ。

>>138のレスをみてもさっぱりだと思います。
わたしのレスの>>128>>131のほうが分かりやすいかと思うんですか。  
142河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/11(月) 22:13:42
>>141改めさん

>千餘里至對馬國

「範囲」とは「千餘里」これです

違います。
範囲はこの場合「對馬國」です。  對馬國という地域(範囲)があるから千餘里という数値が発生します。
だから、この場合の範囲は「對馬國」です。

「至」の文字の範囲とは、和語で説明すれば(ラ、リ、ル、レ、ロ)ラ行全て 
この場合ラ行範囲は「對馬」という地域範囲と考えてはどおでしょう?

(至ラ行)とは(至對馬國全体)と考えてみては?
143河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/11(月) 22:22:29
そうそう
今までどおして「至」のもじの送り仮名がラ行なのか?これを合理的に説明した人は居ましたか?
学者でもかまいません。
どなたかご存知の人はレス下さい。
そしてなぜ「致」の文字はサ行の送り仮名なのか?
144改め:2008/02/11(月) 22:33:07
わたし「改め説」と「河童説」〜違うようです。
レス読んでる他の方はどちらを支持するのか分かりませんが、

ちと用事があり時間ないのでわたしの「到」、「至」を末盧國からの陸地を使って
説明します。

東南陸行五百里,到伊都國

この場合は「五百里東南陸行すると伊都國」とします。
ようは伊都國内の中心ではなくどこか分からない所(距離(単位)が主だから)。

「地形」又は「次の伊都國への道」の都合で「到」を使用したのか。

東南至奴國百里

「至」を使ってるので東南へ「伊都國→奴國までの距離が百里」
となります。(奴國の中心地と言っていい?)

みなさん意見は?〜つか時間の都合のためまたこの話は次回にしましょう。
河童さん〜みなさんお疲れ様です!


145河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/11(月) 22:34:39
>>139改めさん

>河童さん
「到」は「至」に比べ到着地点ハッキリしています。
「至」は大雑把だが「到」は到着地点がハッキリしていて(港など)

ハッキリしていて当然です。
先ほども説明したように「到」の文字の送り仮名は和語にも(到る)と「ル」限定でしょ
「至」の文字は「到」に比べ大雑把な(ラ行)全てが送り仮名の対象になりますから
しかし
「至」の中には(至る)と、「到る」と同じ送り仮名が含まれるので、特定の点である(港)を解釈できるのです。
だから「至對馬國」の和訳は(對馬國に至り)ではなく(對馬國に至る)とするでしょう。
146河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/11(月) 22:40:11
>>144

>わたし「改め説」と「河童説」〜違うようです。
レス読んでる他の方はどちらを支持するのか分かりませんが、


支持?
関係ないでしょう。 簡単に理解できるほど簡単な事ではありません。
忘れ去られた1000年の時を簡単に埋められる訳がありませんから
人は必要が無くなれば、簡単に忘れます。
147河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/11(月) 23:02:30
古代、漢字に送り仮名を付けた人達は多くの漢籍文からの学習で
「至」の文字には(ラ行全)の送り仮名が付くことを知り、「到」の文字には送り仮名が(ル)一つしか付かないことを知り
そういう送り仮名とした

これが漢語を和訳するときの初歩的な違い
だから和訳する時に、これに相当しない和訳(或いは解釈)はペケなんです。

148古代:2008/02/11(月) 23:13:49
宇佐氏と宗像三神は日本書紀によれば
市杵嶋(いちきしま)姫命 湍津姫(たぎつひめ)命、

田霧姫(たぎりひめ)命の三女神が宇佐嶋に降り、
神武天皇の時に宇佐川で三神を迎え、宇佐津彦を
宇佐 国造(くにのみやっこ) に定めたとある。

宇佐神( 比売神(ひめがみ) )は八幡神の大神比義&辛嶋氏の八幡宮の第二殿に祭られる。
すると宇佐氏は辛島氏と組んで大神家を相対するようになる。

58で見たように大神氏は東大寺事件の折に天皇を呪詛したとしてかつての力を失う。
それによって宇佐の大宮司は大神家と宇佐家が並ぶようになる。
道鏡事件によって辛嶋が衰退し宇佐家は第一宮司として力を持つ。
以後摂関政治以降は宇佐家が宮司として定着していく。
149日本@名無史さん:2008/02/12(火) 12:59:16
>>147

>「到」には送り仮名が「る」しかつかない

久々にとてつもないデムパを受信したが、
こんな痛いこと言っちゃって、
この後どうやって取り繕うつもりなんだw
150河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/12(火) 14:23:18
>>149

別に問題ないでしょう。

「到ら、到り、到れ、到ろ」
これらがございましたら
何故そうなるかの理由も添え、ご一報下さい。


なんら反論すら書けない低レベルは勘弁下さい。
151虹歩命:2008/02/12(火) 14:31:03
改めさんご返答ありがとうございます。都の位置ご検討中とのこと、朗報を期待しています。
墓のある場所ですが、北部九州の墳墓の所在分布からみると、居住地の近くや内にあったようですので、
都が特定できれば墓もその直近ということでみつかることでしょう。というより、墓がみつかれば宮殿の所在地等も
わかるとおもいます。
152日本@名無史さん:2008/02/12(火) 18:45:12
太国って反論できなくなると、基地外レスでごまかすんだな。
こいつは九州王朝説だっけ?
そんなもんあるわけないし、可哀想なやつw
153改め:2008/02/12(火) 20:02:15
「至」、「到」について
この至、到の違いに関わって来た人は「河童虫」さん、133さんだけ?

おふた方は私の言わんとする事が掴めてないようですのでもう1度いいます。
この「至」、「到」とは同意語というのはお二方もご存知かと思う。
「至(いたる)」=「到(いたる)」 100%同じ意味(辞書で調べてね!字数が違うはナシ)

この100%同じ意味を持つ「至」=「到」。
しかし、三國志 著者の鎮守の筆法によるものか勝手に使い分けたということ。
ようはこの「筆法」の話をしてるわけですよ。

至・・・本物の「至る」として使用した著者。

到・・・偽の「到る」として使用した著者。

至は「〜まで」、到は「到ってないが勝手に到ったことにした到」

初めからこう書けばよかったです。
これで良いと思うんですが、ご意見があればどうぞ!
154改め:2008/02/12(火) 20:20:47
河童さんのレス(>149-150)
>「至」の文字は「到」に比べ大雑把な(ラ行)全てが送り仮名の対象になりますから
>「到ら、到り、到れ、到ろ」

河童さん〜ぜんぜん違います!

133さんのレスも全然違います。
>「到」の方は簡単明快。
>到着、到来、到達、到底・・・皆ある状態に達したこと示しています。
>単純に和訳すれば「いたる」・・・遷移する対象が或る点に付くこと。
>倭人伝の例だと移動者が伊都へ着く、と言うこと。
>単位が「主語」になるとか言われると返って理解しがたいですね。

いいですか!「至」と「到」は100%同じ意味です(字数は違う)。

私の>128のレスは「鎮守オリジナルの筆法」を分りやすく説明したかった為、
あんな形になったまで。(参考:>>128>>131
少し単語の使い方がおかしくなったので反省し>137で
「>細かい突っ込みはなしですよ(笑)」とことわってるかと思います。
155改め:2008/02/12(火) 20:27:04
わたしが魏志倭人伝に書かれてる「至」、「到」について、
簡単にまとめちゃったんですがご理解いただけたでしょうか。
ご反論もあるかと思いますが、納得していただけた方もいるかと思います。
以上!
156河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/12(火) 20:38:35
>>153改めさん

>いいですか!「至」と「到」は100%同じ意味です(字数は違う)。

まだまだ若いね


>しかし、三國志 著者の鎮守の筆法によるものか勝手に使い分けたということ。
ようはこの「筆法」の話をしてるわけですよ


そういえば
三年ほど前どっかの馬鹿野郎が同じ事を言っていましたよ。(いつか来た道)(笑)ニコッ
改めさんも三年後が楽しみです。
157河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/12(火) 20:45:20
筆法

「文を錯うるを以って義を見わす」
「一字を以って褒貶を為す」


とても懐かしい響きです。
その感覚忘れないでね   必ず役に立つから
158河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/12(火) 20:57:43
>>155改めさん

三年前 その馬鹿のレスの一部をコピペしてみました

>ややっこしいのは当然
普通に訳して解るような歴史書は二流三流の史書
真実をストレートに訳せ無いようにすることの出来る人物が
一流の歴史家
わざと誤字や脱字をしたり、文をわざと歪曲させたりしながら「綺麗事の建前を書き連ね」
その反面 読み方を変えれば、真実が浮かびあがる仕組みになっている
これが
《文を錯るを以って義を見し、一字を以って褒貶を為す。》


今改めてこうして見ると恥ずかしいですね
159日本@名無史さん:2008/02/12(火) 21:10:48
>>152
っていうか、太国に真面目にとりあってる
おまいが可哀想。www
160日本@名無史さん:2008/02/12(火) 22:19:22
>>150

> 別に問題ないでしょう。

自信満々ですな。
何か奥の手を用意しているのね。
審判は自分自身だから何でもOKってオチじゃないよなw

ところで「想不到」って言う文章を位どう訳す?
先ずは、これを私とキミで訳し合うってことにしたいがどうだろうか?
出来たら先手はそちらから(何せ審判はキミなんだか)お願いしたい。
161河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/12(火) 22:47:28
>>160

『想不到』(おもいもよらない) 中国語はからっきしだから読みはペケ

>先ずは、これを私とキミで訳し合うってことにしたいがどうだろうか?
出来たら先手はそちらから(何せ審判はキミなんだか)お願いしたい


なにが先手か知らないけれど
止めとくよ
最終的には学んでいる次元が違うから、話が合わないし
ここで言語理論や理解されない字意を披露しても何のメリットもないからね

さっそくの誘いだけど、プラムじゃないので遠慮しとくよ
162日本@名無史さん:2008/02/12(火) 23:09:58
>>161

何だ、不戦敗かい?

>『想不到』(おもいもよらない) 中国語はからっきしだから読みはペケ

まあ、せっかく自訳を披露してくれたので、私の訳も貼っておこうか。

「想不到」 「想い到らず」 「想いが届かないこと」

到らず、到り、到る、到れ・・・
こういった活用形を使用せずに漢文を文語訳してくれるのかと期待してたのに
逃げられちまうのは残念だな。

今度のキミの発見は「思い至らず」ということかな。 「思いが至らないこと」
163河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/12(火) 23:18:34
>>162

(思い到るにあらず)


こういうのは好みじゃないかな?
164日本@名無史さん:2008/02/12(火) 23:39:24
>>163

 そんなのじゃ、自分だって好みじゃないだろう。
165河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/13(水) 00:39:15
>>164

個人的な和訳を何万と出されても意味ないこと

「到」に ルの送り仮名以外のラ行が存在する なんて証明にもなりゃしない
「ル」の本質が見えないうちは議論すら成り立たないのが現状。
>>165
>個人的な和訳を何万と出されても意味ないこと
>「到」に ルの送り仮名以外のラ行が存在する なんて証明にもなりゃしない
>「ル」の本質が見えないうちは議論すら成り立たないのが現状。

でもキミは>>147でこう言っている。

> 古代、漢字に送り仮名を付けた人達は多くの漢籍文からの学習で
> 「至」の文字には(ラ行全)の送り仮名が付くことを知り、
> 「到」の文字には送り仮名が(ル)一つしか付かないことを知りそういう送り仮名とした

では、古代の人たちが「到」にどのようなおくり仮名をしたか?
次の例文は古事記の神武東征譚の一節

「神倭伊波禮毘古命従其地廻幸到熊野村之時」

これをキミ流に「熊野村に到る時」と連体形で訳すことはできる。
しかし、日本語では「到る」の行為者が天皇であるため敬語表現が求められる。
それは、こんな感じの訳になるか、

「神倭伊波禮毘古の命、その地より廻幸でまして、熊野の村に到りましし時」

ここでは「到る」は体言「時」ではなく、尊敬の助動詞「ます」に係ることになるので、
連用形「到り」とならざるを得ない。
「到」の意味自体は何も変わらないのだが、コトバの繋がりの為送り仮名の音素は
変わってしまうというわけだ。

よって、『「到」の文字には送り仮名が(ル)一つしか付かない』が間違いであることは事実だ。
これに対してキミにも言い分があるかとは思うが、当初の説明がコトバ足らずだったか、
はたまた、本質的な欠陥があったということである。

私の話をもっと聞きたかったら、万葉集の例を出してあげてもいいよ。
167日本@名無史さん:2008/02/13(水) 09:16:46
漢字の成り立ちは
”至”は直、”到”は弧
目的地に着くという意味では同じ
倭人伝で使い分けがされているのなら
そういった意味。

送り仮名は和語、でも倭人伝は漢語
よって送り仮名を検討しても
ここではあまり意味がないと思う。
168日本@名無史さん:2008/02/13(水) 12:43:12
というか原文と写本が寸分たがわず伝えられているわけでもないのに
聖書の暗号ごっこをする神経がわからん。
一大国とかの明らかな誤写は脳内で無視ですか?
169日本@名無史さん:2008/02/14(木) 02:40:39
>>163
(あらず)と読むなら(不)じゃなくて(非)
(不)は動詞の否定。(非)は名詞の否定。
170日本@名無史さん:2008/02/14(木) 03:42:08
特別史跡三内丸山(さんないまるやま)遺跡は日本最大級の縄文集落跡です。
発掘調査によって当時の自然環境や生活、ムラの様子などの解明が進められています。
遺跡は通年で公開され、自由に見学することができます。

三内丸山遺跡は、今から約5500年前〜4000年前の縄文時代の集落跡で、
長期間にわたって定住生活が営まれていました。 平成4年からの発掘調査で、
竪穴住居跡、大型竪穴住居跡、大人の墓、子どもの墓、盛土、掘立柱建物跡、
大型掘立柱建物跡、貯蔵穴、粘土採掘坑、捨て場、道路跡などが見つかり、
集落全体の様子や当時の自然環境などが具体的にわかりました。
また、膨大な量の縄文土器、石器、土偶、土・石の装身具、木器(掘り棒、
袋状編み物、編布、漆器など)、骨角器、他の地域から運ばれたヒスイや黒曜石なども出土しています。
ヒョウタン、ゴボウ、マメなどの栽培植物が出土し、DNA分析によりクリの栽培が明らかになるなど、
数多くの発見が縄文文化のイメージを大きく変えました。
171改め:2008/02/14(木) 19:31:03
今日は早めに仕事終わらせてきたので少しレスしましょうかね。
それはいいとして〜河童さん〜人気だね!いろんな人から突っ込まれてる(笑)
お友達多くていいでつねwww

んで河童さんのレスで面白いもの見つけた!
>>142のこれなんですか?
>範囲はこの場合「對馬國」です。  説明お願いします(笑)

そしてせっかく盛り上がった課題をとめてどうする!
あ!わたしのレス>155ね〜(笑)
わたしの「最終意見です」でことにしておいて、私は違う課題へと行きますが
後はお好きなように話し合ってください。
172日本@名無史さん:2008/02/14(木) 19:57:30
神功皇后説

熊襲の女酋説

筑紫君の祖、甕依姫(みかよりひめ)説

倭姫命(やまとひめのみこと)説

ヤマトトトヒモモソヒメノミコト説

卑弥呼=下照姫説

アマテラス=卑弥呼説

日女命(ひめみこと)説

卑弥呼=卑弥呼説

んでどれが有力なんでしょう?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%91%E5%BC%A5%E5%91%BC
173日本@名無史さん:2008/02/14(木) 20:21:48
卑弥呼の墓は安心院にあるたい
まちがいなか
174改め:2008/02/14(木) 20:31:53
>>58 古代さん
宇佐神宮に関係する「宇佐氏」、「大神氏」、「辛嶋氏」のことが詳しく書いてるんですが、
あなた自身は宇佐神宮をどのように見てるんですか。

>>72の「腰巾着」
さすが、九州説のみなさん!誰もひっかかりません。
そんな「どっちが知ってるかゴッコ」しても意味がないんです。
スルーです。スルー!

>>78
向こうは勝手に出された!言ってましたよ。
詳しくは「プラムさんの魏志倭人伝を読む」みてくださいね!

太国さんへはどうコメントだしていいんでしょうかね(笑)
この方は「記紀」がベースとしてる人だし。
175古代:2008/02/14(木) 20:47:44
自分は最初宇佐神宮は天皇家に深く関わりがあるものと見ていましたが
むしろ宇佐神宮が天皇家にすりよっていって、天皇家がこれを利用した、と見ています。
大神氏が派遣されたのも祭祀権を大和系氏族が握るためで、元々は天皇家とは無関係だった事を伺わせます。
176日本@名無史さん:2008/02/14(木) 20:52:16
http://souen.way-nifty.com/place/2005/04/post_8013.html

卑弥呼は安心院町大字妻垣字鑰山に住んどったい
まちがいなか
177日本@名無史さん:2008/02/14(木) 21:01:04
>>175
>むしろ宇佐神宮が天皇家にすりよっていって、天皇家がこれを利用した

なわけないでしょう?
それなら何故、和気清麻呂は宇佐八幡に御神託を貰いに逝ったのでしょうか?
天皇家がこれを利用したのならば、なぜ御神託は天皇の意志に反するものだったのでしょうか?
また、記紀に登場する豊玉姫(神武天皇のおばあちゃん)はどうみても豊の国の人でしょ?
その妹、玉依姫(神武天皇のお母さん)と考えると関係があると考える方が自然では?

それより、古代さんって、宇佐神宮逝った事ないでしょ?
178日本@名無史さん:2008/02/14(木) 21:04:03
国東半島にも行ってみるとよか
古い立派な社寺がいっぱいある
179改め:2008/02/14(木) 21:11:30
安心院ですか〜今年の大晦日、宇佐神宮へ行く途中通ったが、
田舎ですよね!
それと雪が凄かったです!

安心院で宗像三女神を祀っている神社があると聞いたことありますが・・・。
卑弥呼と関わりあるんですかね・・・。
180日本@名無史さん:2008/02/14(木) 21:13:26
県民さん! 立ち直ってくれたんですね! よかったあ〜。
181日本@名無史さん:2008/02/14(木) 21:16:20
卑弥呼は田油津媛
182日本@名無史さん:2008/02/14(木) 21:22:01
宗像三神が宇佐神宮の姫大神であるという説がありますが、
3人の神様をまとめて一つ、なんて無礼な事をするでしょうか?
祀るならば、それぞれ一神ずつ廟を建てて祀るんじゃないでしょうか?
神功皇后、応神天皇のように。
183日本@名無史さん:2008/02/14(木) 21:24:00
177
宇佐神宮は言ったことないですね。
というか今までの流れを見ました?
宇佐神宮が天皇家とくっついたのは道鏡事件よりもっと前です。
元は神託の家柄の辛嶋氏があって大神家が神託を利用して天皇家に接近。
ところが天皇家に近づきすぎたため失墜。天皇家というより為政者が利用した、かな。
確か宇佐神宮の社格も石清水八幡宮ができてから上がった気がしましたが。
177さんは宇佐神宮の歴史に詳しいんですか?詳しいなら逆に教えてほしいです。
やはり色々と謎が多いので



184日本@名無史さん:2008/02/14(木) 21:31:03
>>179

松本清張の短編小説、『陸行水行』を読まれよ。

http://www.google.com/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rls=RNWE,RNWE:2006-08,RNWE:ja&q=%e9%99%b8%e8%a1%8c%e6%b0%b4%e8%a1%8c++%e6%9d%be%e6%9c%ac%e6%b8%85%e5%bc%b5

サガミ某氏と同じ発想をする邪馬台国偏執狂の哀れな末路・・・・・・
185日本@名無史さん:2008/02/14(木) 21:33:00
181
田油津媛=とよつひめ=台与姫でトヨ
で、この前の代が卑弥呼であるという説があった気がしましたが
186日本@名無史さん:2008/02/14(木) 21:34:43
>>183
>宇佐神宮が天皇家とくっついたのは道鏡事件よりもっと前です
それならばなおさら天皇家が御神託を思い通りに出すことが出来なかった事が不思議です。

宇佐神宮はまず、そこへ逝ってみる事です。
駅館川を遡っていき、真っすぐに延びる勅使道を進み、神宮へ入って下さい。
そして三神を祀る廟へ至って下さい。広大な社域、『皇族下乗』の高札、などなど
きっとほかの神社とは違う何かを感じる事と思います。

歴史うんぬんもよいのですが、まず宇佐神宮にたたずんでみて下さい。
187日本@名無史さん:2008/02/14(木) 21:36:37

トヨタン・・・・・・・
188古代:2008/02/14(木) 21:46:49
186
道鏡事件は藤原氏の思惑が絡んでいて、実際に道鏡を天皇にするという
最初の神託があったかどうかは疑問視されています。
189サガミハラハラ:2008/02/14(木) 21:53:12
>>184
かの主人公とサガミ某氏との共通点は机上の空論ではなく、実際に想定行路を実地調査したことであるが。
主人公の場合は途中で死亡したのであるが。
この古代史板で自分の構想を実地でためしてみた方はどのくらいおられますかな?
190日本@名無史さん:2008/02/14(木) 22:09:37
>>186
ですから、そのように「疑問視されている」ような事は
どうでも良いのです。御神託云々ではなく、まずは
現場に逝ってみないと解らない感覚があると言う事です。
191190:2008/02/14(木) 22:47:30
>>186ではなくて、>>188です。 スマン。
192日本@名無史さん:2008/02/14(木) 23:39:36
一度坂を転がり出した物体は自ら加速し、自分で掘った墓穴という穴に。
193日本@名無史さん:2008/02/14(木) 23:52:24
>>185
手吾平津媛?=田油津媛
吾平津媛は手研耳命の母だよね?吾平津媛の姉が卑弥呼かも
194古代:2008/02/14(木) 23:57:04
宇佐神宮は道鏡事件以来、天皇の代替わりなど重要時には和気清麻呂の子孫が
朝廷から派遣され、中断はあったものの今に至っている。
だから他の神社とは違うのは驚くことでもないが・・
まあ感覚でものを言われたら黙るしかない。
195ローガン:2008/02/14(木) 23:59:26
>>189
え!サガミ先生、大和迄、歩かれたのですか?
水行はやはり室津までですか?後は奈良県まで陸行1月?
196日本@名無史さん:2008/02/15(金) 00:25:07
>367 :改め:2008/02/14(木) 20:11:47
>んで謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!は
>なぜ二つでてるんだ!
>みなさん〜自分たちで勝手に好きなようにしたいみたいなんだけど
>スレ主さんがいる所ではそこの考えというものがあるんで出さないようにしてあげてくださいね。

他所のスレだがここから出たゴミなので返しとおくわw

神奈川県民だか改めだか知らんが、スレがスレ主の私物とか思っているのか?アホが

そんな事言ったら2ちゃんねるの全ての板一人一スレで埋まるわw

馬鹿が何か勘違いしているようだが「スレ主」(この言葉自体2ちゃんではあまり使われないと思うが)
などと言う物に何の権限も無い。

私物化宜しく(実質)重複スレを立てよそのスレまで乗りこんで来るとは
脳味噌腐っているんか?



 
197日本@名無史さん:2008/02/15(金) 00:36:14
>367 :改め:2008/02/14(木) 20:11:47
>んで謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!は
>なぜ二つでてるんだ!

そりゃおめー神奈川県民が自分以外が立てたスレ認められないとゴネちゃって
このスレ立てたからじゃん。w

神奈川県民は自分でブログでも立ち上げたらいいんじゃね?w
198日本@名無史さん:2008/02/15(金) 00:41:37
みんなさん、スレ主の神奈川県民さんの言う事を聞かない奴なんか
無視しましょうねwwwwwww
199みんな分かっていると思うけどw:2008/02/15(金) 01:00:37
>>198>>1神奈川県民=改め=その他大勢の脳内人格w
         ___
    .      |(・∀・)|
     .      | ̄ ̄ ̄   ジサクジエン共和国
         △
        △l |
   __△|_.田 |△_____
      |__|__門_|__|_____|____
200日本@名無史さん:2008/02/15(金) 02:53:29
※2ちゃんねる日本史板ローカルルール
・スレ内の議論はスレ主が主導いたします。
・スレ主に無断で新スレは立てないでください。
・スレ主の指示には従ってください。退去を命じる場合があります。
・議論は自由ですがスレ主への敬意を忘れぬようお願いいたします。
 退去を命じる場合があります。
201訂正しておきますね:2008/02/15(金) 03:39:31
>>200

(誤)※2ちゃんねる日本史板ローカルルール

(正)※2ちゃんねる神奈川県民脳内ローカルルール

202日本@名無史さん:2008/02/15(金) 10:33:27
神奈川県民がいらないことするから.........
203河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/15(金) 11:42:23
一言言わせてもらうよ

別に一人二人が我が儘言っても良いんじゃないの?
ここは一般社会の浮世から逸れた傍流という一面もあるんだし
だから2ちゃんなんだろう。
そんな傍流を一般社会の常識で縛り付けるなんて野暮だよ
もっと大きな風呂敷広げて受け入れてあげなよ


『我が儘なスレ主が居るスレ』
なかなか面白い企画じゃん。
204おやじが知りたがっていた答え?:2008/02/15(金) 11:45:03
ムー 3月号学習研究社に、「答え」らしきもの載っている。
205日本@名無史さん:2008/02/15(金) 12:26:46
別にこのスレの中で我儘をいっているのはかまわないが
わざわざ他のサイトを荒らしてくるから報復されるんだろう
206河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/15(金) 13:25:35
>>205
そりゃそうかも知れないけど、報復も時には度が過ぎる事もしばしば
叩き、煽り、罵声に馴れていない者にしたらお先真っ暗状態に陥り我を失うと思うよ
ま、
こう言う事は大概、時間が解決してくれるもんだよ


余りにも目に余るなら
削除依頼すればいいだけ
207改め:2008/02/15(金) 18:08:31
>>196-201
レスみてびっくり!
怖いね〜〜〜変な人は・・・あれが悪どい元畿内説のやつらの本性?!
それより勝手に終止符13立てといて〜よく言ってるよね!
被害者はこっちなのに〜加害者が開き直って荒らしてるだけ!

終止符13スレを勝手にだしたのは邪馬台国ドンと来い!の住民です。
それに対してやり返しただけまで。  まあドン来い!やなく名前変えて1からやり直すべき!
208改め:2008/02/15(金) 18:29:43
大分県内にある宇佐神宮。
この宇佐神宮は全国4万の八幡宮の総本山であり、伊勢神宮に次ぐ我が国第二の総廟である。
その広大さは地元の人やこの神宮に訪れたことのある人はご存知なところだろう。
それにしても何故、こんな田舎に、これほどの規模のものがあるのか。
また、全国八幡宮の総本山となった理由は何か。
209日本@名無史さん:2008/02/15(金) 18:30:13
>>205-206

>わざわざ他のサイトを荒らしてくるから

えっ!
それって何?
どこでのこと?
おせーろよ。
210日本@名無史さん:2008/02/15(金) 18:42:40
>>207

>元畿内説のやつ

あー、何か具体的だねー。
実はアナタも加害者の目星がついてるんだあ。

だったら、ここで曝しちゃいなよ。

211改め:2008/02/15(金) 18:53:14
この宇佐神宮〜は高速道路から少し離れたところにあり、地元の人はまず
ここへ初詣で訪れるのではないかと思われる。
地元の人以外でも関東の明治神宮や、名古屋の熱田神宮などへは出かけた
ことのある人も多いかと思うが、規模的にはそれと同等か、それ以上な規模をほこる。
この宇佐神宮の本殿建築様式は八幡造(はちまんづくり)とよばれて、
この八幡造(はちまんづくり)といわれる本殿を夜に訪れるとライトで照らされていて
実に見事な赤い光で覆われてるように見えるのである。(少しまぶしかった!)
212改め:2008/02/15(金) 18:55:40
>>209-210
もうその話はよしてくださいね。
ここは「謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!スレ」です。
本題と関係のない話はよそでしてください!迷惑です。
213改め:2008/02/15(金) 19:13:31
唐松山さん

唐松山さん〜何故、卑弥呼と景行天皇を結び付けたのですかね。
そして大和朝廷との関わり合いをどうしてるのか。

以前ここでも「邪馬台国=景行天皇の都とする所」と書き込みしてたはずだが、
なんでそうなったのかを詳しく聞きたいですね。
214日本@名無史さん:2008/02/15(金) 19:44:06
>>212
おいドツボ、おまえが元凶だろうが。
スレの健全化を謀りたいなら、半年ROMってろよ。
215改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/15(金) 20:17:24
さてさて〜レスの続きをはじめましょうかね!

河童さんどっかいってしまったんだが、>>171

>範囲はこの場合「對馬國」です。  説明お願いします(笑)

これ読んだかな?

てか最近、先週からここ(スレ)少ないんだよね!〜集まれ!
216改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/15(金) 20:21:12
スレ主が居ないと言われてる邪馬台国ドンと来い!
わたし10からずっと見てきたんだが、

>>214の「おいドツボ」 ←この人が代表者と見ています! 以上
217改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/15(金) 20:50:44
>>189 サガミハラハラさん
>この古代史板で自分の構想を実地でためしてみた方はどのくらいおられますかな?

あなたは実施されたみたいですね。

わたしは自分が都と考える場所へは行って来ましたよ。
しかし、「末盧國」と考える場所からははじめてませんけど!
まあ、そうゆう本格的に実施された行動は高く買ってますよ。
前の方のレスで貴方を否定してますが(笑)
218日本@名無史さん:2008/02/15(金) 20:58:38
改め〜独り言www
219改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/15(金) 21:05:54
わたしは「ちゃっと」とは考えず「掲示板」と思ってるので
独り言でも「良し」と考えてます。

んでいつもここへ来れるとは限らなく来れない分、大量にレスをしてる。
んな感じかな。
220日本@名無史さん:2008/02/15(金) 21:46:16
チャットでも掲示板でも、ひとりごとはダメ
221河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/15(金) 21:52:44
>>215

『至』『到』『致』の図解説明(初試み)


A→→→→→B→→→→C

★Aに視点があるとき
・B〜C間内が『至』の範囲
・最初にB〜C間内に触れる点Bが『到』

・そしてA〜C全てが『致』のカバー領域です。

・『至』のなかの(至る)は、B〜C間内に特定の点を設ける場合に使われる。

ま、
初めての試みだから伝わらないかもね


皆さんも挑戦してみてちょ
222日本@名無史さん:2008/02/16(土) 00:20:47
>>207 :改め:2008/02/15(金) 18:08:31
>レスみてびっくり!
>怖いね〜〜〜変な人は・・・あれが悪どい元畿内説のやつらの本性?!
>それより勝手に終止符13立てといて〜よく言ってるよね!
>被害者はこっちなのに〜加害者が開き直って荒らしてるだけ!

すごい理屈だなw

「それより勝手に終止符13立てといて」とは一体どう言う意味なのか?
自分以外のものが立てるのを許さないと言うのなら私物化そのものだ。

>終止符13スレを勝手にだしたのは邪馬台国ドンと来い!の住民です。
>それに対してやり返しただけまで。 

アホがお前にIPか何か見えるのか?

そもそもの元凶はこの馬鹿が
「自分以外の者が立てた継続スレは認めない」
とほざいた事が始まり。
 
223日本@名無史さん:2008/02/16(土) 00:31:28
>435 :改め:2008/02/15(金) 19:30:30
>な〜に また荒れてんのぉー?

>ドン来いさん〜とは仲良くやりたいんでよろしくお願いしますよ。

>わたしがホームとしている「謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!」
>一つでは人数多すぎるので「邪馬台国ドンと来い!」さんも必要と考えてます。

>なので「終止符13立ち上げ」みたいな嫌がらせはよしてください!
>ただそれだけなのです。

どうやらこの馬鹿コテ改めは他のスレと事を構えたいらしいなw

224日本@名無史さん:2008/02/16(土) 00:36:27
>改め

何でお前以外の者が継続スレ立てたら嫌がらせになるんだ?

そんなに自分が仕切らないと気が済まないのならブログでも立ち上げろカス。










225日本@名無史さん:2008/02/16(土) 00:56:43
>>203 河童虫 ◆EY2wfgakAQ
>だから2ちゃんなんだろう。
2ちゃんはこんな勘違い馬鹿を叩くのが常。

この改めと言う馬鹿はどう見ても2ちゃん初心者。
わざわざ荒れる方に荒れる方にと持っていっている。

もしかしたらそうやってスレや板を荒らそうとしている愉快犯かもしれないが

…まあ単純にアホなだけだろうwwww
226日本@名無史さん:2008/02/16(土) 09:35:58
このスレも終わったな...
227唐松山:2008/02/16(土) 11:08:26
213 改め さんへ
日本書記総合考察スレ へ編年を書き込みました。 
ほつま伝に 3人セットで 出てくるから です。
それから 卑弥呼=崇神に合わせると
崇神10年 四道将軍のため 畿内に 人足が居ません(箸塚制作不可)
崇神11年 異族多帰 2世紀末巻向に急に地方の土器
崇神11年 畿内安寧 乱れ無し
崇神18年 初めて 船を造る (是までは 地方の王)

そのまえに 崇神6年秋=国譲り です。
宮=生きた神(現人神)の住まいです。 死んだら社に祀る(孝昭の大物主など)
228日本@名無史さん:2008/02/16(土) 11:22:12
>改め
他の板とは言わないからこの板の邪馬台国関連以外のスレを読んで見ろ
スレヌシとか自称して駄々捏ねている馬鹿はお前だけだから
229日本@名無史さん:2008/02/16(土) 11:24:32
>>221

> A→→→→→B→→→→C
> ★Aに視点があるとき
> ・B〜C間内が『至』の範囲

違うね。それは「乃至」と言う表現で示されること。
「B乃至C」 BのCに至るまで、ということだね。
「至」の示す対象は。あくまでも点(端点)であり、範囲ではない。

> ・最初にB〜C間内に触れる点Bが『到』

マラソンレースのゴール地点を例にして説明しよう。
厳密に表現すると「ゴールライン」が引かれた場所がゴール地点であるが、
レース中盤などでは、ゴールラインの引かれた競技場そのものを呼ぶ場合もある。
これは大まかな視点で競技場自体を点として認識しているからできること。
終盤になって競技場が近ずけば視点も細かくなり、ゴールラインがゴールと認識される。
マラソンゲートに達しただけではゴールにはならないのだから。

> ・そしてA〜C全てが『致』のカバー領域です。

わけワカランが、「致」とは特定の結果を目指した行為を示すものだよ。

> ・『至』のなかの(至る)は、B〜C間内に特定の点を設ける場合に使われる。

大きな点でも、それに内包される小さな点でも「至る」ことはできる。
「至」に続いて記される目標点が大きな視点によるもか、小さな視点かの違いがあるだけ。
「至BC」と書いてあれば、大きな視点で大まかな点「BC」に至ったのであり、
「至B」と書いてあれば、小さな点「B」に至ったと書かれているだけのこと。
大きな点「BC」に至ると書かれていれば勝手に小さな点「B」に至ったと読んではいけない。
マラソンゲートを1位で通過することとゴールテープを一番に切ることが違うように
伊都に到ることと伊都の「国境線」に到ることも文章で書けば違うことになのだから。
230河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/16(土) 11:45:38
>>229さん

貴重な意見ありがとうございました。
またこれからも貴重な意見お願いいたします。


で、一つ質問します

>「至」の示す対象は。あくまでも点(端点)であり、範囲ではない。

「至」の和語訓は(いた)
「板」の和語訓も(いた)
この和語(いた)の違いは何かな?
231日本@名無史さん:2008/02/16(土) 12:10:25
『到』 が途中なら目的地に”到着”出来ない
”至 伊勢”と書いてあれば 伊勢を素通り熊野詣、かも
まさか”その手は桑名の焼き蛤”で蛤を食べて、Uターン?。
232河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/16(土) 12:14:41
>>231

>『到』 が途中なら目的地に”到着”出来ない
”至 伊勢”と書いてあれば 伊勢を素通り熊野詣、かも
まさか”その手は桑名の焼き蛤”で蛤を食べて、Uターン?。


自分でちゃんと「到着」って書いてるでしょう。
233愛知県民:2008/02/16(土) 12:37:47
投馬国=末盧国説はどうでしょうか。
投馬は登望(トモ、呼子付近)か、記紀の玉(タマ)島里。
水行二十日は帯方郡からの航海日数。
五万余戸ばかりは北部諸国の合計戸数。
弥弥、弥弥那利は前に書かれていない末盧国の官名。
松浦郡の五島列島に「美弥良久」(ミミラク)あり。
南へ水行十日で筑後国山門郡に到達、日本書紀で神功皇后は逆コースで八日。
陸行一月は伊都国滞在、不弥国東行を含む。
要は、伊都国周辺までの詳細な記録と、邪馬台国までの大雑把な記録が
くっつけられているのではないかと。

神功紀では、山門県に「至」、そこで田油津媛を殺す。
松浦県に「到」→玉島里で・・・
河童さんの意見、正しいと思います。
234日本@名無史さん:2008/02/16(土) 12:47:56
>>230
>「至」の和語訓は(いた)
>「板」の和語訓も(いた)
>この和語(いた)の違いは何かな?

「いたる」の語幹の「いた」と「板」が同じと言うのは、
証明されていない説。
それを根拠にするなら、まず自分で証明しなければならない。
235日本@名無史さん:2008/02/16(土) 12:54:41
>>233
>五万余戸ばかりは北部諸国の合計戸数。

勝手に合計しないでください。w
236日本@名無史さん:2008/02/16(土) 13:02:16
>>230

> で、一つ質問します
> >「至」の示す対象は。あくまでも点(端点)であり、範囲ではない。
> 「至」の和語訓は(いた)

「和語訓」?
貴方の使う用語の意味が解かりませんが、学校文法で言うところの「語幹」、
つまり用言が活用するときに変化しない部分のことですかね?
学校文法の語幹というのは、言語学的にはあまり意味の無い概念なので、
それを取り出して、他のコトバと比較することも意味の無いことです。

音素で言えば和語「至る」の語幹は、/itar/
これに活用と呼ぶ変化語尾/-a/,/-i/,/-u/,/-e/,/-o/等が付けば、
訓は「いたら」「いたり」「いたる」「いたれ」・・・となります。

> 「板」の和語訓も(いた)

和語「板(いた/ita/)」の語源を承知していないので何なのですが、

> この和語(いた)の違いは何かな?

音素自体が違いますので「比較」すべきものでもないと思います。
ちなみに、「至る」の方は「居て在り」が古形かなどと妄想しています。

漢語「至」を「点」、「端点」と書いたのは、貴方の「範囲」例が線(一次元)で表示されて
いたので使っています。
大概の場合は「点」と理解して構わないのですが、範囲の対象が二次元であれば「線」、
三次元であれば「面」で理解すべき場合も生じます。

「板」ネタが登場したので、そこら辺がちょっと気になりましたw
237河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/16(土) 13:06:54
>>234
直ぐには理解できないよ
238河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/16(土) 13:19:11
>>236さん

ありがとうございます。


たぶん
音韻学では音声的にそう表現されるでしょうね
私が申してるのは音声学ではなく、音意の方です
これからの国語教育に取り入れる可きと考える、時間の経過に埋もれてしまった和語の核心です。
239どくだみ:2008/02/16(土) 13:24:21
三国志・魏書・鍾會傳

 姜維自沓中還,至陰平,合集士衆,欲赴關城.
 姜維が沓中から還って,陰平に「至」,士衆を合わせ集め,關城に赴こうとした.

鍾會の長い科白を挟んで直後に、

 ケ艾追姜維到陰平,簡選精鋭,欲從漢コ陽入江由・左タン道詣緜竹,趣成都,與諸葛緒共行.
 ケ艾は姜維を追って陰平に「到」,精鋭を簡選し,漢コ陽から江由・左タン道に入り、云々。

姜維とケ艾、場所は同じ陰平県、行為も同じ募兵。
「至った」姜維は、陰平県の中で募兵して、
「到った」ケ艾は、陰平県の県境から「お〜い、軍隊に参加しろよ〜」と大声で呼びかけたのか。


「至」「到」は自動詞だけれど、「致」は他動詞。
もとは、「至」が自動詞で「到」が他動詞という違いがあったらしいが、区別されなくなった。
240愛知県民:2008/02/16(土) 13:36:18
>>235
>勝手に合計しないでください。

確かに、合計はまずいですね・・・
松浦郡は広いし、伊都国の千余戸が魏略では「戸万余」という例もありますし。
ただ、投馬国と邪馬台国だけ戸数が「有」でなく「可」、
距離が里数でなく日数なんですよね。
日数から里数は分かるとしても、表記方法を変えた理由が不明です。
241河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/16(土) 13:37:47
たぶん
倭人伝の誤解は

『至伊勢』と『至伊勢』の違いじゃないかな?

漢人が書いた『至伊勢』は当然、和人が書いた『至伊勢』とは違う
和人が書いた『至伊勢』の根元には(いせにいたる)があり、漢人には(いせにいたる)の根元はない
しかし、出来上がった文字列は『至伊勢』で、形は一緒
242日本@名無史さん:2008/02/16(土) 13:50:28
>>238

> 音韻学では音声的にそう表現されるでしょうね
> 私が申してるのは音声学ではなく、音意の方です
> これからの国語教育に取り入れる可きと考える、時間の経過に埋もれてしまった和語の核心です。

「音」に「意」求めるのであれば「音声学」を極めてくださいな。
貴方の考えの基本は「学校文法」式の範疇の中にあります。
学校文法と言うのは、読み書きのできない子供向けに日本語を教える道具です。
言語を表現する視覚的手段の一つである文字に着目すると「至る」の語幹を「いた」であるなどと誤認
してしまうことがありますが、これは五十音図や現代の学校文法などが日本語に与えた弊害(私の主
観ですが)によるものです。
「至る」と言う和語はその文字をあてがわれる以前から日本で使われていたことばです。
文字がなければ、当時の人々は「至る」と言うことばを音素に従い/itar/+活用語尾として認識していた
はずです。
「時間の経過に埋もれてしまった和語の核心」があるのなら、それは音素と意味の繋がりであって、学
校教育等の弊害で、視覚化された文字列にあーだこーだと意味をあてがうことではないでしょう。
解かりますかね?・・・・・・まあ、解からないでしょうねw
243どくだみ:2008/02/16(土) 14:15:41
私見だが、「至」は静的、「到」は動的なイメージがある。
例えば、至=reach 到=be reaching のようなニュアンスの差があるのではないか。
その検証のために、「進至」と「進到」の用例を比べてみる。
「進至」の用例は、二十五史の中に300以上あるが、「進到」の用例は7しかない。
これは、「至」に「進」が付加されることで動きが出て、「進至」=「到」 となるので、
用例の数に、これだけの差があるのではないかと考えられる。
ところで、「進到」の用例7つのうち、4つが三国志、1つが三国志の裴注である。
三国志中には、「進至」の例も本文に4つある。(裴注には5つ)
数少ない「進到」の例が、三国志に集中し、かつ「進至」と数が変わらないということは、
三国志は「至」と「到」の使い分けについては、
他の史書より無関心だったということを示唆している。
もちろん、他にも、原初の自動詞・他動詞としての違いによる、
至と到のニュアンスの違いもあると思われる。
一つのニュアンスの違いで、漢籍全ての「至」と「到」の違いが説明できるとは考え難い。
244愛知県民:2008/02/16(土) 14:25:25
卑弥呼は日本で伝えられている誰に当たるのか?
天照大神、百襲媛、比売大神なら神話・歴史の重要な神・人物。
八女津媛でもまだ神秘性があるけど、田油津媛(たぶらかしひめ?)の先代となると
ロマンに欠ける感は否めない。
だが九州に女王が多くいたとしても、卑弥呼から百数十年後にヤマトという女王国があったことは
有力な手掛かりではないかと思う。

「到」と「至」で盛り上がっていますが、里数と日数の問題、「戸」と「家」の問題など
分からないことが多いですね。
今後もよろしくお願いします。
245河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/16(土) 15:47:23
>>243どくだみさん

一つ聞きたいのですが

漢人が漢文にて文字化し、それを和人が和訳し和文化する
その時の
漢人の意思(文字化前)と和文にギャップ無しと考えますか?
246日本@名無史さん:2008/02/16(土) 19:12:35
う〜ん、宇佐神宮を邪馬台国の場所としたいわけ? >>208 >>211

自分もあそこは特別だと思うけど邪馬台国にしては寒すぎ、
北すぎる。古代は中津あたりのほうが栄えていたそうだし。
豊葦原の中津国は中津だと思うんだが。

しかし祖母山が口伝書にでてくるし、吉備の秦氏とも非常に関わりが深い。
大分南部や宮崎のほうまで関連がありそうだから捨て置けないね。とりあえず皇祖神に
大きく関わる場所と謎がいっぱいある場所ではある。

が、宇佐・中津周辺を邪馬台国に比定すると大失敗すると思う。
247日本@名無史さん:2008/02/16(土) 20:17:57
>>208 改め
>勢神宮に次ぐ我が国第二の総廟である
一体何を基準にして?

天皇家に於ける三大宗廟と言えば三重の伊勢神宮・京都の石清水八幡宮・京都の賀茂神社だな。

そもそも祭神が応神と言う事で邪馬台国とは関連が薄いw

応神と集合する前の原始ハチマン信仰については朝鮮渡来の鍛冶の神だとか諸説あるみたいが
(まあこの辺は神道・神社オタクの方が詳しいだろうがw)

何れにせよ邪馬台国のやの字も出てこないのが現実www
248古代:2008/02/16(土) 20:53:59
宇佐神宮は道鏡事件のあと天皇の皇位継承を承認する役として(?)
尊重されるようになった

京都に石清水八幡宮が出来ると、それまで第一位の社格を誇っていた賀茂神社を抜く
その後、伏見稲荷が出来ると同様に上がっていく。賀茂勢力の牽制がねらいか?
249日本@名無史さん:2008/02/16(土) 21:03:24
ぶっちゃけ宇佐八幡が脚光を浴びるようになったのは東大寺造営に絡んでからの話w

何処をどうやったら邪馬台国に絡んで来るのかワケワカランw

250日本@名無史さん:2008/02/16(土) 21:32:01
小説の影響でも受けてるんじゃね
251古代:2008/02/16(土) 21:36:02
原始八幡神を祀った辛島氏。
「巫術」を行う一族辛島氏はスサノオ命の子であり木の神である
五十猛(いそたける)を祖とした。
八幡神が初めて登場するのは欽明天皇の時代、御許山に現れる。時代も新しい。

大帯姫神、比刀i姫)神も天皇家とは縁がない。
八幡神=応神、大帯姫神=神功皇后となって尊重されたのだろうか?

宇佐神宮のカギは宇佐氏にあるような気がする。
宇佐国造家は神武天皇の時代にさかのぼる。
したがって宇佐氏の奉じる比盗_に秘密があるのかもしれない
252古代:2008/02/16(土) 21:47:07
高木彬光の小説「邪馬台国の秘密」、宇佐神宮の亀山が前方後円墳であり、
これが卑弥呼の墓であり、上宮の三之神殿の手前の白砂の中に
卑弥呼の棺が眠っているとしている。

また秦氏を中心とした渡来集団が多いこと
「豊の国」とは、「台与の国」であるとして豊の国一帯を邪馬台国とする人もいる。
253日本@名無史さん:2008/02/16(土) 21:49:18
himiko 邪馬台国 age
254日本@名無史さん:2008/02/16(土) 21:58:03
>>252
…うーん、、、

>高木彬光の小説
ま、小説は小説だなw

>秦氏を中心とした渡来集団が多いこと
渡来時期は4・5世紀じゃね?

>豊の国」とは、「台与の国」であるとして
単純に「トヨ」繋がりならトヨのつく人物(聖徳太子もそうだなw)が皆トヨの子孫?w
255日本@名無史さん:2008/02/16(土) 22:07:02
「台与の国」なら、卑弥呼の国じゃないじゃん。
「ヒミコの国」は「肥の国」でしょ?
256古代:2008/02/16(土) 22:10:13
自分は特に宇佐支持者じゃないけど
250で小説の影響云々とでたので高木彬光の小説かな?てことで紹介。

秦氏はともかくとして、北九州の3世紀頃の遺跡からは朝鮮式土器が多数見つかっているので
この頃から頻繁に渡来していたと見られている。まあ朝貢の窓口だから不思議でもないかな
257どくだみ:2008/02/16(土) 23:05:25
>>245
ケース・バイ・ケースでしょう。
258改め〜卑弥呼:2008/02/16(土) 23:28:39
何を言ってるんだ!!

誰がいつ、「邪馬台国=宇佐神宮」など言ったんだ?!

わたしは「邪馬台国は邪馬台国、天皇家とは関わりなかった」という立場にいる!

>>146さん
>う〜ん、宇佐神宮を邪馬台国の場所としたいわけ? >>208 >>211

ぜんぜん違います!

>>250
>小説の影響でも受けてるんじゃね

だから違うっていってるしょ。大体、そんな小説なんか読んだことない。高木さんだっけ?!
259改め〜卑弥呼:2008/02/16(土) 23:41:03
>>247
>>勢神宮に次ぐ我が国第二の総廟である
>一体何を基準にして?

247さん〜おたくは宇佐神宮の公式ホームページとか見たことないのかい?
初心者さんかな?
これからはちゃんとご自分で調べて質問したほうが良いことでしょう。

宇佐神宮の公式ホームページの「御由諸」には以下のことが書かれてる。
「この三殿一徳の御神威は、奈良東大寺大仏建立の協力や、
勅使和気清麿公に国体を正してゆく神教を賜ったことで特に有名です。
皇室も伊勢の神宮につぐ第二の宗廟として御崇敬になり、
勅祭社17社に列し、一般の人々にも鎮守の神として広く親しまれてきました。

http://www.usajinguu.com/Frame.html

この「御由諸」を基準にして話をしてるんスよ。
260日本@名無史さん:2008/02/16(土) 23:56:41
>>259 改め〜卑弥呼
なんだ自称かw
普通はランキングなんて本人じゃなくて第3者がやるもんだがなw

まあ初心者と言うのなら『九州説大好き、贔屓の引き倒し』に関してはズブの初心者だ。
悪かったな。

このスレの「スレ主」だったか、牢名主だったか知らんがwww

ぶっちゃけ「第二の宗廟」と聞いて違和感を憶えたのは
そもそも神宮と言う称号は伊勢・鹿島・香取の三つだけ。
勅使が来る神社でもその書状の色が他と違うのが伊勢と賀茂だったとかその他諸々…

ただシェア(?)と言う話なら稲荷神社と一二を争うがなwww
261改め〜卑弥呼:2008/02/16(土) 23:58:57
>>227 唐松山さん
>卑弥呼=崇神に合わせると

日本書記総合考察スレ を見に行ってきました。
>254
>これまでの 纏め

てところですよね。
あなたの「記紀の年代表」についての考えはわかりました。
でもその考えだとただ年代があってるから「卑弥呼=景行天皇、もしくは
卑弥呼に仕えた景行天皇」としてるにすぎません。

それ以外にもなにか根拠みたいなものがあるんですかね?唐松山さん
262改め〜卑弥呼:2008/02/17(日) 00:10:42
260さん〜初心者?など言ってご無礼致しました。

>普通はランキングなんて本人じゃなくて第3者がやるもんだがなw

NO1,NO2とか何を基準にするかです。
今年の参拝数などを基準にすれば伊勢神宮はもちろん、明治神宮、川崎大師など
でしょうね。

「第二の宗廟」
この場合、皇室が「伊勢の次」として扱ったと普通に解釈したほうがよさそうです。

>ぶっちゃけ「第二の宗廟」と聞いて違和感を憶えたのは

わたしもです(笑)いまいち世間には浸透されてませんよね。
第二だったの〜?みたいな(笑)
263日本@名無史さん:2008/02/17(日) 00:19:22
石清水八幡宮にも
伊勢の神宮に次ぐ、第二の宗廟として上下の尊崇が篤く、
特に皇室においては崇敬が深く、
永祚元年(989)にはじまった行幸は、
明治天皇まで240余度にも及ぶ。
と書かれている。
まあ要するに石清水八幡宮が宇佐から勧請されたものだから
総本山の宇佐も「第二の宗廟」だろうってことだな。
細かく言うと”称された”という事で
天皇家が「第二の宗廟」とみたのかは不明
ま、ここで宇佐ってすごいでしょって言ってるのと同じ。
264あう:2008/02/17(日) 00:26:45
八幡なら何処でもOKなのー
265改め〜卑弥呼:2008/02/17(日) 00:31:28
少し宇佐神宮に関して本題(タイトル)と脱線気味になってますが(笑)
この宇佐神宮がある宇佐の地を邪馬台国と考える人が少なからずいるからです。

そして本殿の中心に祀られてる「比売大神」。
卑弥呼=比売大神と考える人もいることでしょう。(わたしは違う立場ですが・・・)

宇佐神宮が建てられた以前はどうなのか。比売大神=宗像三女神は本当か?
「比売大神」や「八幡大神」を祀る前は地方のどの神を祀っていたのか。
ハッキリしないことは多い!

わたしはこの「比売大神」は邪馬台国と関係のない天皇家の祖と見ております。
しかしこれに〜反対する立場の方が現れその方と議論を交えてみたいですね。
なるべく論破されずに頑張りますが、論破されたらされてもよしと考える。
「真実を知る」 これが最優先です!
266改め〜卑弥呼:2008/02/17(日) 00:41:30
>>221 河童さん
全然、あなたの言う「範囲」が伝わってきません!

わたしはあなたに
>範囲はこの場合「對馬國」

この説明を求めたんですよ!
なぜ範囲が「對馬國」なのか。
私には全然〜理解できないのです!
ちゃんと分りやすくご説明してください。
267改め〜卑弥呼:2008/02/17(日) 00:45:59
>>233の愛知県民さんのレスに注目!

わたしは「投馬国=末盧国」など思ってませんが、

>弥弥、弥弥那利は前に書かれていない末盧国の官名。

愛知県民さんはいいところに着目してますよね!

みなさん〜魏志倭人伝の原文をお読みください。
確かに妙ですよね!何故、「末盧国の官名」がないのか
説明できる方いらっしゃいますか?ALL
268神奈川県民:2008/02/17(日) 00:47:04
     _____
   /::::::::::::::::::::::::::\〜プーン
  /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\〜プーン
  |:::::::::::::;;;;;;|_|_|_|_|〜プーン
  |;;;;;;;;;;ノ∪  \,) ,,/ ヽ〜
  |::( 6∪ ー─◎─◎ )〜        / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  |ノ  (∵∴ ( o o)∴)〜      < 俺がスレ主だ。
  | ∪< ∵∵   3 ∵> ムッキー!    \_____________________
  \        ⌒ ノ_____
    \_____/ |  | ̄ ̄\ \
___/      \   |  |    | ̄ ̄|
|:::::::/  \___ | \|  |    |__|
|:::::::| \____|つ⊂|__|__/ /
|:::::/        | ̄ ̄ ̄ ̄|  〔 ̄ ̄〕
269改め〜卑弥呼:2008/02/17(日) 01:07:42
>>239>>243 どくだみさん
>「進至」の用例は、二十五史の中に300以上あるが、「進到」の用例は7しかない。
とか
>私見だが、「至」は静的、「到」は動的なイメージがある。

詳しく「至」、「到」を語ってます。関心致しました。

しかし、二十五史内の「至」、「到」の違いは参考程度に受け止めとくべきと考えてます。
わたしが言いたいのは、鎮守の魏志倭人伝内に書かれた「至」、「到」の違いについて問うてるのです!

そのどくだみさんの考えに基づいて魏志倭人伝を読んだとき、どのようになるのでしょうか?
『「至」は静的』というから実際、当時魏の使用人は「至」と記された場所へは
行ってないと解釈してるのですか?コメントお願いします!
270改め〜卑弥呼:2008/02/17(日) 01:09:07
>>268
変なレスはおやめくださいね!
ほかの人も真似しないように!
271改め〜卑弥呼:2008/02/17(日) 01:14:42
>>249
>ぶっちゃけ宇佐八幡が脚光を浴びるようになったのは東大寺造営に絡んでからの話w

それ以前の宇佐八幡についてもし知ってるのなら語ってほしいですね。

古代さんも宇佐について詳しそうなので上記のこともし知ってれば書き込んでくれませんか。

>>255
>「ヒミコの国」は「肥の国」でしょ?

もっと詳しくどうして 「肥の国」なのか書き込んでほしいです。

272古代:2008/02/17(日) 01:17:08
宗像三神が宇佐に降り立った時、神武天皇が迎えて宇佐氏に祀るように命じた(日本書紀)
よって宇佐氏の祀っていた比売大神=宗像三女神となった・・
宗像三女神はもともとは宗像氏が祀っていたのではないようなのでちょっと謎です

「比売大神」が天皇家の祖ですか?八幡=応神だからじゃなくて?
欽明天皇の世に初めて八幡神が現れるますが、その年欽明天皇は亡くなっています。
欽明天皇は地元では九州出身という話があるので欽明天皇=八幡神かな?そんなら応神でいいか

まあいずれにしても天皇家の根幹にそこまで関わっているなら伊勢の斎宮や賀茂の斎院のように皇女を送るでしょう。
宇佐が無理なら石清水に。
273古代:2008/02/17(日) 01:28:54
271
八幡神がはじめて登場するのは先に書いたとおり欽明の世(571年)です。
次は養老四年( 720)隼人の乱を鎮めるために勝利祈願を八幡神にします。
このとき勝利したので八幡神は朝廷の守護神、勝利の神となります。
さらにこの時の勅使が宇佐奉幣使のはじまりと言われています
藤原広嗣の乱でも勝利の神として扱われ
平勝宝元年( 749)の東大寺大仏造営を援助した功績で、八幡神は一品の位を授かった。
この時神託を持ってきた大神杜女らも位を授かったが、なぜか突然天皇呪詛をしたと失脚。
274改め〜卑弥呼:2008/02/17(日) 01:30:51
神功皇后説

熊襲の女酋説

筑紫君の祖、甕依姫(みかよりひめ)説

倭姫命(やまとひめのみこと)説

ヤマトトトヒモモソヒメノミコト説

卑弥呼=下照姫説

アマテラス=卑弥呼説

日女命(ひめみこと)説

卑弥呼=卑弥呼説

んでどれが有力なんでしょう?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%91%E5%BC%A5%E5%91%BC


275日本@名無史さん:2008/02/17(日) 01:36:07
>>274
どれとも言えない。
文字記録の無い時代に2〜300年間記憶を保持し続ける事は困難。
かつて巫女王がいた、という断片的な記憶が
端々に神話となって現れたものだろう。
276改め〜卑弥呼:2008/02/17(日) 01:55:09
「卑弥呼は誰か?」

卑弥呼を「巫女」と考えてる人は多い。
まあ、自然な流れということか。
また、巫女ではないという方もいるんですかね!
結局〜誰が「卑弥呼」とし誰を「壹與」にあてはめるのか。
一人一人聞いてみたいものです〜てか誰が人気なんでしょうかね。
ZZZZZZZZZZZ...。
277改め〜卑弥呼:2008/02/17(日) 01:58:13
あ!>>224 
>里数と日数の問題、「戸」と「家」の問題

こんどそれもやりましょうか。まずは「末盧国の官名がない問題」ですかね?愛知県民さん
278どくだみ:2008/02/17(日) 02:22:05
>>269
私は、陳寿が明確な意識を持って、至と到を使い分けていたとは考えません。
至と到のニュアンスの違いは、今のところ、まだ、全くの印象の段階ですが
「静と動」「漠然とピンポイント」の違いがあるのではないかと推測しています。
他にも、まだ考えられるかもしれません。
その内、静と動に関しては、他の史書より、使い分けに無関心と書いた通りです。

さて、陳寿は意識的に使い分けていないと思っているので、その違いを分析することに
どれ程の意味があるかは疑問ですが、無意識に使い分けている可能性はあります。
だから、あえて、そういう目で、倭人伝を見てみます。
あえてなので、上二つのレスより、恣意的なのは言わない約束でw

從郡至倭,循海岸水行,歴韓國,乍南乍東,到其北岸狗邪韓國,七千餘里
半島沿いに航海し乍南乍東と、大変動きのある描写で「到」が使われています。
狗邪韓国から末盧國までは、半島と九州の間の海域の国同士の位置関係を説明しています。
これは、静的な描写です。
次に、上陸して初めて陸行すると、旅の様相がはっきりと変化します。動的だと言えます。
ここで「到伊都國」と「到」が使われます。
以降、倭の本土内での国同士の位置関係の説明になります。位置関係は静的です。
倭国内の水行でも、「至」が使われているではないかという反論がでるだろうな思います。
私もそう思います。もし、本当に静と動で使い分けられていたとすれば、
水行が、川であろうと瀬戸内海の岸沿いルートであろうと、
海峡横断→陸行の変化ほど、旅の様相に大きな変化ではないということかもしれません。
つづく
279どくだみ:2008/02/17(日) 02:23:26
>「至」と記された場所へは行ってないと解釈してるのですか?

実際に行ったかどうかではなく、筆者の脳内イメージが
静的か動的かということがニュアンスに反映されるのだと思います。
つまり、陳寿が脳内で、船や乗り物の移動をイメージしていれば「到」、
地図を見るように国同士の位置関係をイメージしていれば「至」という感じです。

もう一つの可能性は、実際に伊都國まで行った人物による
「到伊都國」と記述された見聞録的な資料と、
実際に女王國まで行ったかどうかに関わりなく、
「至○○國」と記述した地理情報を説明した資料があり、
両者を、単に切り貼りして出来た文章かもしれません。

おわり
280唐松山:2008/02/17(日) 12:26:06
天皇が 本格的な 軍を組織 支配したのは、
垂仁 25年頃より
ホ37003 フソナホハツキ ナカオミト イクサウツワを ミテグラに うらどえばよし
ユミヤタチ もろのヤシロに おさめしむ カンべさだめて よりよりに ウツワにまつる
ハジメなり
二十七年秋八月,癸酉朔己卯,令祠官卜兵器為神幣,吉之
三十年春正月,己未朔甲子,天皇詔五十瓊敷命、大足彥尊曰:「汝等各言情願之物也!」
 兄王諮:「欲得弓矢!」弟王諮:「欲得皇位!」

これ以前の 軍は、臨時に徴集した軍隊、
倭国の乱に 対応出来ない。
281河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/17(日) 12:36:41
>>280唐松山さん

ホツマで“さざれ石”について何か記載ありませんか?
282唐松山:2008/02/17(日) 13:35:46
残念ながら さざれ石 ほつまに記載なし。
283日本@名無史さん:2008/02/17(日) 13:40:28
>ホ37003 フソナホハツキ ナカオミト イクサウツワを ミテグラに うらどえばよし

全現代語翻訳でおk
284河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/17(日) 13:49:36
>>282唐松山さん

お手数かけ申し訳ありませんでした。
ありませんか
私は、卑弥呼(彌)の残像がさざれ石と考えているもので

又何かの折り、お世話になります。
285唐松山:2008/02/17(日) 14:22:25
卑弥呼=石 なら
景行12年の 次于柏峡大野。其野有石。長六尺、廣三尺、厚一 尺五寸。天皇祈之

私は この石を 卑弥呼と見ています。
以前 掲載ずみ。
286日本@名無史さん:2008/02/17(日) 21:51:27
>>270
         _,. -‐:'´: : : : : |  , :'´::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.丶
     ,.イ ,.-:'´: : : : : : : : : : : ! /::.::.::.;.ィ::; ヘ::.::.::.::.::.::.::.::.::.:\
      /: ∨: : : : : : : : : : : : : : :l'/l:/::./ ,':/  i::.:ト、::.l、::.:!::.::.::.::.',
  ,. -:' : : : : : : : : : : : : : : : : : : : -┴-'.._l/    l:| i::| i::l::.::.::.::.::i
 ー‐ァ: : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : :`ーァ  l|  l|  l:|::.::.::.::.::|
   /: : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : :/  ー‐‐---、!ヘ::.::.::.::|
  ,': : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : :/    ┬--、  }::.:/::.!
  ! : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : ;.イj     {辷リ ′/::/!::/ここは貴方の日記帳じゃないわ。
 ノ: : : : : : : : : : : : : : : : : : :.:.:.:.:.. : :、/     ;         /〃ノ:/
´. .:.:.:.:.:.:.:.: : : .:.: : : .:.:.:.. : : :.:.:.:.:.:.:__:.:.ヽ   r―-,    /-:'´::;′ チラシの裏にでも書いてなさい。
`ー---;.:.:.:..:.:.:.:.:..:.:.:.:.:.:.:.:...:.:.:.:.:.:.:.V ̄`ヽ、 `ー‐'   ィ;、:::∧:{
    /:.:.:.:._:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.|'´ヽ  rく` ト、. -‐'´ | `:く `   ね!
   厶-‐'´ |:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:ト、:.:.:.|  _,.-‐! \  __,,. -‐''´ }‐:、
       _l;.ィ´ヽ:./ヽ:|'´ ,>‐'´: : く    ∨       > \
   _,r{`7  ̄{ ̄} ̄¨`‐く__ヽ_;,: -‐; :\       _,.-:'´: : : : : :>、
 ,.イ | 〉´ ̄ ̄ ̄:  ̄`ー‘v'´>‐_く : : : \___,,. -‐:'´: : :ト-、_;,.-'´  ヽ
r'l ! ,し′: : : : : : : : :}_ノ/ __,,.ヽ: : : : : : : : : : : : : : V       l
,Jー'´: : : : : : : : : : :`辷'_,,、 '; : : ∧: : : : : :_; -'´         |
  l´: : : : : : : : : : : : }´   l  l`ー':.:.:`ー:.'"´:〈         v'
287日本@名無史さん:2008/02/17(日) 21:53:25

イ、イヨタン・・・・・・・・・
288改め〜卑弥呼:2008/02/17(日) 23:06:10
          /::::)(:::)(:::::::::::)(::::::^::::::::::\
      (::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ::::::::::\
     /::::::::::/ノ::::::::ノ::::::::ヽ:人::::::::::ヽ:::::::::::::::)
     (::::::::::/  ):::ノ::::ノ ) ソ ヾ::::::::::::丶::::ヽ
    (:::::::::/ 彡  ノ   ノ  :: 彡:/)) ::::::::::)
   (::::::::::/彡彡彡彡彡   ミミミミミミミ :::::::::::)
   ( :::::::// ̄ ̄ ̄ ̄ヽ===/ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ |:::::::::)
     | =ロ   -=・=-  ‖ ‖ -=・=-   ロ===
     |:/ ‖    / /ノ  ヽ \     ‖ ヽ|ヽ       _________
     |/  ヽ`======/ .⌒ ` ========ノ.   ..| |     /
    .( 。 ・:・‘。c .(●  ●) ;”・u。*@・:、‘)ノ  /
   ( 。;・0”*・o; / :::::l l::: ::: \ :。・;%:・。o ) <俺がスレ主だ
    (; 8@ ・。:// ̄ ̄ ̄ ̄\:\.”・:。;・’0.)   \
   .\。・:%,: )::::|.  ̄ ̄ ̄ ̄  | ::::(: o`*:c /..    \_________
    \ ::: o :::::::::\____/  ::::::::::   /
      (ヽ  ヽ:::: _- ::::: ⌒:: :::::::: -_    ノ
       \丶\_::_:::::_:::: :::::_/::::  /
        | \ \ ::::::::::: :::::::::: ::: ::__/ |
    ̄ ̄\ 丶  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄    / ̄ ̄
289日本@名無史さん:2008/02/17(日) 23:58:30
…改めを許せない奴が荒らしてるぽいが
改めも悪い奴じゃない。2ちゃんをちょっと誤解してるだけだと
わかってやれや
290日本@名無史さん:2008/02/18(月) 00:02:09
しかし、スレを回していける器じゃないのも事実。
ある程度の見識、品格、胆力などが顕かに不足。
291日本@名無史さん:2008/02/18(月) 00:29:58
>>177
>また、記紀に登場する豊玉姫(神武天皇のおばあちゃん)はどうみても豊の国の人でしょ?

公式に豊の国のおひとです...。
大分南部にある祖母山ですが、この山の「祖母」とは豊玉姫のことで
山頂で神武のおばあさんを奉っているのです。だから「祖母」。



292日本@名無史さん:2008/02/18(月) 00:34:04
>>247 から >>249

あまりにも無知すぎ。
それじゃ日本の古代史の表裏がわかりようがない。
そのうえでは邪馬台国やら皇祖神やらまで遡って語ろうとしても
限界がみえますわな。
293日本@名無史さん:2008/02/18(月) 00:39:49
>>284
>私は、卑弥呼(彌)の残像がさざれ石と考えているもので

さざれ石といえば日向市の伊勢ヶ浜にある大御神社。さざれ石が海岸線から
山にかけて一面にひろがっている。観光にお勧め。

いくなら苦労を覚悟で日豊本線を南下しろ。九州一険しい山間部を
抜けるのに特急で2時間かかる。右も左も地平線まで山脈しか見えない
すごい景色が丸々2時間。
294日本@名無史さん:2008/02/18(月) 00:44:02
>>292
で?
お前が知っている「古代史の表裏」って何なんだ?w

具体的に何処がどう間違っているのか書けよ、威勢良く吼える前にさあwww
295日本@名無史さん:2008/02/18(月) 01:35:17
取り敢えず奈良ではない可能性が高いな。
卑弥呼は中国人が勝手に命名しただけで、日本では何と呼ばれていたか分からん。
ゴンザエモンかもしれんな。
296日本@名無史さん:2008/02/18(月) 01:50:33
>>289-290
・・・と言うか2ちゃんで「ボクがスレ主だから…」なんてでしゃばるのは
もう自殺行為以外の何物でもないんだがw

改めもこの板だから良かったようなものの(ry
297日本@名無史さん:2008/02/18(月) 12:23:47
何が辛いって、改め〜ドツボ自身が
自分がいない時の方が良スレなのに気付いてない事だ。
298日本@名無史さん:2008/02/18(月) 20:29:52
狗邪韓国から南へ一海千余里で対馬国
対馬国から又南へ渡一海千余里で壱岐国
壱岐国から又渡一海千余里で末盧国
と渡一海が3箇所記載され、ほぼ特定されると言っていい。

で、その後に『女王國東渡海千餘里復有國皆倭種』の記事がある。
これはまさしく、宮崎日向から四国伊予の国を示したものだろう。
隼人が狗奴国
299唐松山:2008/02/19(火) 18:57:09
対馬から松浦にかけての 官名は ひなもり じゃ無いかな?
もし ひなもり で無ければ 景行は 壱岐か対馬まで遠征
十八年春三月、天皇將向京、以巡狩筑紫國。始到夷守。是時、於石瀬河邊、
とりあえず 石瀬河のある 土地は ひなもり。
300唐松山:2008/02/19(火) 19:13:54
景行が 壱岐か対馬まで遠征していた、としたら
仲哀が その話を聞いていないはずはない。…
301改め〜卑弥呼ちゃん:2008/02/19(火) 21:59:29
しっかし〜土曜日からスレ回ってないじゃん!変な落書きされてるし。。。
今日なんて2レスやん(笑)少なっ!

わたしは仕事忙しくて今日も来ないつもりでいたんだが、あまりにもレス少ないので来ました。
わたしの本音は脇役でいいと思ってるので〜誰か定期的にUPして
「謎の女王〜終止符!」の中心で話をせれる人いないかな?
12ではプラムさんとかよかったね。
いつかはですが氏がいいとこまでいったのに向こう(ドン来い)へいったか・・。

我こそはと思う人〜誰か挑戦してみてね!なるべくコテハン有な人でw
302改め〜卑弥呼ちゃん:2008/02/19(火) 22:11:37
>>278-279 どくだみさん
>「静と動」「漠然とピンポイント」

「漠然とピンポイント」に関してはわたしは上のほうで語ったとおりこれに当てはまるかと思います。

どくだみさんの言う「静と動」

狗邪韓國への「到」で水行。
伊都國への「到」で陸行。
なるほど!確かに動的。
そうゆう考えも出来ますよね!
他にも、まだ考えられるかもしれません。
303改め〜卑弥呼ちゃん:2008/02/19(火) 22:14:52
>>272-273
古代さん〜宇佐に関する情報ありがとうございます。

ここに集まってくる人で本気で宇佐が邪馬台国と考えてる人はあまりいないようですね。
そうゆう人がいればもっと話がつづくかと思ったんですが。
304改め〜卑弥呼ちゃん:2008/02/19(火) 22:22:33
>>290>>296-297
好きで繋ぎ役してるんでないって(笑)
誰もいないんで私が中心となってやってるだけなのに(笑)

昔は「九州出身」、今はこのわたし「改め」がそのような役目をしてるかと思うが、
スレに関しては「神奈川県民」が立てれさえすればあとは誰かに任せたいのが本音ですね。

>>301で言ったように、この「謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符」を回していけるような
適任者いますかね?もちコテハン有で(笑)

305改め〜卑弥呼ちゃん:2008/02/19(火) 22:24:31
レス多すぎるのも困るがあまりにも少ない!
まあ誰か挑戦してみなよ。
306改め〜卑弥呼ちゃん:2008/02/19(火) 22:34:25
唐松山さんとえば「ほつまつたゑ」

しかしこのわたし「ほつま」を信じるうちの一人なのである。

先日、名古屋駅周辺の巨大な本屋さんへ行き本格的にほつまの辞書を購入して来たばかり。(高かった!)
さっそく書き込んじゃおうかな!

四代懿徳元年
ホツミヒ、ウネビヤマのミホドにタマテミのオモムロを送る。(31-71)
ナガツネミソカ、ハハをミウヘキサキとする。(31-77)

記紀には載ってないような事がホツマには書かれてるのである。
307改め〜卑弥呼ちゃん:2008/02/19(火) 22:39:28
河童さん
とうとう卑弥呼が「石」ですか(笑)
わたしはそのようなことは考えてないので・・・。

まあ、魏志倭人伝ばかりみるんやなくいろんな角度から探していくのもよいかと思います。
308河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/19(火) 22:53:15
>>307改めさん

>河童さん
とうとう卑弥呼が「石」ですか(笑)

「 わがきみはちよにやちよにさざれいしの・・・・・・・」

はい
しごく真面目な話として書きました。 そんなに変ですか?

309改め〜卑弥呼ちゃん:2008/02/19(火) 22:56:05
おお〜河童さん来た来た!
河童さんがこないとここは始まらないかと思います(笑)

というか「さざれ石」なる珍しい石があるというのは聞いたことpあるんだが、
あまり詳しくは知らないんですよ。
それが邪馬台国と関係してそうなんですかね?
310ローガン:2008/02/19(火) 23:11:40
愛知県民さん、古代さん、改めさん、(順不同)質問させてください。
記の系譜を含めた記述を見ると、(崇神に派遣されたとされる地域が)大彦、丹波道主、吉備津彦の元々の本貫地域ではないかと思うのですが?
もしそう考える事が可能なら、大和建国の代表者?卑弥呼(壹与)の共立者?
311河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/19(火) 23:12:14
>>309改めさん

結構、神社にはありますよ

>それが邪馬台国と関係してそうなんですかね?


それは
私が記紀を話すようになってからと、言うことで。
312改め〜卑弥呼ちゃん:2008/02/19(火) 23:16:35
石上神宮の七支刀銘文
奈良県天理市布留に鎮座する石上神宮は桜井市三輪の大神神社と同じように本殿のない社であって
古社のなかの古社である。
その石上神宮の宝物の一つである「七支刀」
この七支刀の表に三十四字、裏に二十七字銘文がある。
ここに列島に「王」なる人物が書かれてあるといいその人物が誰なのかいまだに不明。
天皇家とは別の人物との情報もはいってる。
313太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/02/19(火) 23:23:24
>>312
安康天皇と思う。
314改め〜卑弥呼ちゃん:2008/02/19(火) 23:28:08
河童さん
記紀を解読してるそうですが、間違えてもいいんですよ〜そうゆう場所でしょ?!
ぜひ話してください。

ローガンさん
>記の系譜を含めた記述を見ると、(崇神に派遣されたとされる地域が)大彦、丹波道主、吉備津彦の元々の本貫地域ではないかと思うのですが?
>もしそう考える事が可能なら、大和建国の代表者?卑弥呼(壹与)の共立者?

記紀の崇神天皇条に書かれた「四道将軍派遣」についてみたいですが、
なんか質問の内容がわかりにくいかと思います。
大彦、丹波道主、吉備津彦の本拠地とそれを指示したのは大和朝廷の者か?という質問なんでしょうか?
315河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/19(火) 23:43:33
>>314改めさん

記紀の内容について語ることをまだ封印していますから
m(._.)m


ま、語るほど内容も持ち合わせていません。
316改め〜卑弥呼ちゃん:2008/02/19(火) 23:46:17
わたしは金・土・日専門なので平日はみなさんで回してくださいよ。
仕事に集中し次の日に備えたいんであまり平日は来たくないんですよね。

それとローガンさん
記紀の事を尋ねるなら太国さんがよいと思います。
わたし?!わたしもいろんな本読んで知識を高めたが記憶力が・・・(笑)
317ローガン:2008/02/20(水) 00:19:53
>>314
いえ、後付けで「崇神の命により、派遣され、平定(?)した」と記紀に記したが、元々の地盤であり、
それぞれが大和建国の中心勢力だった…
後代の権力者たる天皇家があたかもその当時から大王であったように記紀に書いたのでは? なんて妄想しているのですが。

崇神は神まつりが上手くないようで、土着の人では無いように思います。
唐松山さん、太国さん河童虫さん(順不同)ご教示いただければ幸いです。

上手く書けなくてすみません。
318日本@名無史さん:2008/02/20(水) 01:53:43
>>崇神は神まつりが上手くない
という着目はおもしろいですね。
「神まつりに苦慮した天皇(大王、王)」伝承を集成してみると
なにか見えてくるものがあるかもしらん。
319日本@名無史さん:2008/02/20(水) 02:23:33
>>304
>好きで繋ぎ役してるんでないって(笑)
誰もいないんで私が中心となってやってるだけなのに(笑)

自称スレ主氏の書き込みと、
当人の他スレへの戦闘的な書き込みがどうも一致しない。わかりにくい。
320日本@名無史さん:2008/02/20(水) 06:53:18
結局、魏志倭人伝では、倭国が魏や漢に朝貢し、皇帝にまで拝謁を請い
女王国の南の狗奴國との状況を説明し黄幢が与えられるが、結局卑弥呼は
死んでしまう。

もし、8世紀初旬の日本と中国の関係を正史として記紀に書き残す場合、
自分のご先祖さんが中国から卑しい名前を附けられて、朝貢して拝謁まで
していた事実を正直に書き残すのだろうか。
いや、しないと思う。かなりの改ざんがあったのだから。かの聖徳太子でさえ
『日出処の天子』と見栄を張っていたぐらいだしね。
321日本@名無史さん:2008/02/20(水) 09:09:30
>>320
卑弥呼の話は神功皇后の輝かしい功績として
「日本書紀」に載っているよ。
神功皇后自体、実在性そのものは乏しいが。
322日本@名無史さん:2008/02/20(水) 12:30:41
【不買運動】アウトドアファッションの「パタゴニア」が「捕鯨は残酷的かつ暴力的であり、不必要なものです」と宣言!!!【テロ支援】
アウトドアファッションメーカーの「パタゴニア」が
先日、日本の捕鯨船に対して攻撃を仕掛けた狂信的反捕鯨テロ集団シーシェパードを支援していることが明らかになりました。
「パタゴニア」はこの事実を指摘されて
今後もシーシェパードを支援していくと明言、
捕鯨は残酷的かつ暴力的であり、不必要なものであるとして、
反捕鯨の立場を明確にしました。
日本の捕鯨は長い歴史と伝統の中で
海の恵みに感謝しながら鯨のすべてを利用して
採り尽くさないように環境にも配慮しながら
行われてきたものです。
白人のように鯨の油を取る為だけに
鯨を殺戮した捕鯨とは違います。
パタゴニアはそのような日本の伝統を無視して
「捕鯨は悪」決め付けて白人の一方的な価値観を
日本に押し付けようとしています。
パタゴニアはアウトドア用品などを売って
人間が自然に入り込んで環境を破壊することに加担しておきながら
反捕鯨と言うことで何か環境に良いことをした気分になっている
自己満足の偽善者たちです。

日本文化の破壊を目論む反日テロ支援企業に対する
不買運動と抗議メールの送信にご協力下さい!!!
323日本@名無史さん:2008/02/20(水) 12:40:19
310
大彦、丹波道主、吉備津彦が大和から派遣されたのではなく元々の豪族だったのでは?
ということですね。
その可能性はあると思います。
崇神天皇の御世は大和国内の情勢も不安定な状態であったのに、それが落ち着いてからとはいえ
すぐさま次々と地方に将軍を送れたのか疑問ですし、おっしゃったように崇神自体が外来政権だった
という意見も根強いです。ただ同じ外来政権が別れて地方支配に乗り出したと考えることも出来ますが。
自分の意見としては四道将軍の派遣の話はもうちょっと時代が下った話ではないでしょうか?と思います
吉備国などはしばらくは大和と対等な関係であったような気がします、だから共立というのも考えられますが。
大彦、丹波道主は娘から皇后が出ているのに、吉備からは妃どまりというのも気になる所。
324日本@名無史さん:2008/02/20(水) 15:26:35
銅鐸などは 大国主時代のもので、
鏡はアマテラスだか、神武だかの部族が国譲りを敢行してから
畿内でも鏡を使いだしたということで、
どっちの説もOK?
325ローガン:2008/02/20(水) 16:36:17
>>323さん、ご教示どうもありがとう。

奈良県唐古鍵では布留期に環濠の再掘削をしているようですね。(welcomeさくらい)
布留期に環濠が整備されなおすという事は、纏向との緊張を想像出来ないでしょうか?
とすれば、纏向は自生ではない…
搬入土器を見ると、(古い資料ですが)多い順に
東海49% 北陸17% 河内10% 吉備7%…(桜井市教育委員会1980)

東国、山陰、吉備等の民が参加して作られたのが纏向。
ここで新しい首長霊祭祀方法が生まれ、後に大和政権へと繋がる…
その黎明期に活躍したのが、大彦、丹波道主、吉備津彦ではないか?って想像しています。
新しい首長霊祭祀方法と共に、新しい宗教(鬼道)を作り巫女王を共立した。
ただ、後に天皇家にとってかわられた為、
万世一系譜の考えにより、巫女王の存在は無視され、纏向建国の豪族たちは臣下として記紀に書かれた。なんて妄想しています。
326古代:2008/02/20(水) 18:36:59
325
纏向の搬入土器は全体の15%強くらいですね。
だから東海式土器が多いといっても全体の7〜8%くらいです。
東国、山陰、吉備等の民が参加したといってもどのような形かはなかなか推測しにくいと思います。
奴隷としてつれてこられた人たちかも知れないですし。
ただ纏向は自生ではない気はします。
弥生時代、三輪地域には芝遺跡・三輪遺跡・金屋遺跡など、色んな集落遺跡が存在していました。
逆に、北の纏向遺跡や南の初瀬地域には、僅かに弥生後期になって遺物散布地が見られるといった状況であり、
弥生当時は、三輪地域に集落が多く集まっていたという傾向が見られました。
それが、弥生時代から古墳時代に移りかわる庄内式の時期になると、事態は急変します。
三輪地域の集落遺跡群はこの時期になって突然終焉を迎え、それより上の地層から集落の痕跡は途絶えます。
一方、北の纏向地域では「纏向遺跡」としてまとめられる集落・墳墓群から構成される大型遺跡が突如出現します
三輪山の民を征服し纏向に政権を立てた人がいて、三輪山を神聖視したのかもしれません。
327唐松山:2008/02/20(水) 18:48:50
今日は 長いぞ
倭迹迹日百襲姫命を 考える 資料

西暦142年より 孝霊天皇
妃倭国香媛 生倭迹迹日百襲姫命
144年 ホ32019 ミトシハル ヲヲミナクチと ヤマトクニカが  ミツコうむ
ナはみなヤマト モモソヒメ
148年 ソヤホハル ハツモチキサキ うむミコは ヤマトネコヒコ クニクルの イムナモトギネ

西暦161年より 孝元天皇
立欝色謎命為皇后。后生二男一女。第一曰大彦命。第二曰稚日本根子彦大日日天皇。
第三曰倭迹迹姫命
妃伊香色謎命生彦太忍信命。
次妃河内青玉繋女埴安媛生命武埴安彦。兄大彦命
165年 ヰホセミナ ウチウツシコメ うむミコは ヤマトアエクニ  ヲヲヒコぞ
167年 ナホキサラフカ ウツシコメ ウチミヤとなる ウツシコオ なるケクニトミ
シハスハツ ヒノデにキサキ うむミコは イミナフトヒヒ ワカヤマト ネコヒコノミコ
169年 ソヨフツキ ハニヤスメうむ ハニヤスの イムナタケハル

西暦180年より 稚日本根子彦大日日天皇 開化天皇
184年 ナトシハツソフ イキシコメ たてゝウチミヤ
185年 ソホサのソフカ ウチミヤの うむミコミマキ イリヒコの イムナヰソニヱ
フソヤトシ ムツキのヰカに ヨツギたつ ヰソニエノミコ コトシソコ
328唐松山:2008/02/20(水) 18:49:35
倭迹迹日百襲姫命を 考える 資料 続き

西暦188 年より 崇神天皇
この時点で ヤマト モモソヒメ 45才
崇神 4才
大彦命  24才
武埴安彦 20才
武埴安彦誕生時  ヤマト モモソヒメ 25才

198年 ソヒウヅキ ソムカ… アキタタネコに をれがれの オとくマツリを 
 ハシヅカに なせばかかやく ノリのイチ  
崇神11年卯月… 秋タタネコにタタネコに 悪疫枯れの 緒解く祭りを 箸塚に
204年 フソコトシ ハツヒオウトに キサキまた うむミコイクメ イリヒコの イムナヰソサチ
崇神29年1月1日己亥 垂仁誕生

西暦は 置いといて これ以上圧縮出来ない 年数です。
329唐松山:2008/02/20(水) 18:50:15
倭迹迹日百襲姫命を 考える 考察

@モモソヒメは 大物主と結婚 箸でホトを突いて死ぬ。
崇神元年では 遅すぎる。
A武埴安彦が戦を仕掛ける。
崇神10年で30才 分別の付く年齢

武埴安彦が戦を仕掛ける。としたら 崇神即位 近辺。
「4才の崇神を即位 させる位なら…」 武埴安彦まだ 20才
ここで 崇神の自出を診る

記紀では その辺の処が書かれていないが ほつま伝には、
ナトシハツソフ イキシコメ たてゝウチミヤ これのさき キミめすときに
オミケヌシ いさめもふさく キミきくや
ホ32214  またこたえ アにツキひとつ ハハはツキ シモメはホシよ これをめす
ココロきたなし キミいかん わがミオヤカミ はなれんや ケガレはまづと いゝをはり 
かえれどキミは これきかず ミケヌシオヤコ つぐみをる
 欝色謎命を天の位に例えると 星 
天皇が娶る相応の身分ではないと 諭されるが 開化は この説教を聞かない
ミケヌシオヤコ つぐみをる 宮司親子は欝色謎命の父親が誰であるか 語らない
母親は、巫女 巫女の私生児が崇神の母親 欝色謎命
しかも 父孝元の妾?
一応 欝色男の姪 と言うことで 内裏に上がる 后(ウチミヤ)であり皇后(キサキ)より
位は一つ下。
330唐松山:2008/02/20(水) 18:51:18
倭迹迹日百襲姫命を 考える 考察 続き

これで 「武埴安彦が戦を仕掛ける。」名分が立つ。
「崇神は 天皇の位を継ぐ 資格がない。」と
では モモソヒメ
武埴安彦誕生時 モモソヒメ25才 やや遅い そうすると 埴安媛を孝元が娶った時
娶った埴安媛を見たモモソヒメ この結婚をモモソヒメは”凶”とみたのではないか?
多分 埴安媛の気の強さとか …

一応 モモソヒメと武埴安彦をセットで考えました。
崇神に書かれた モモソヒメの話は、 11年秋、箸塚で行われた 祭りの 前振り。

是なら モモソの婆さんに 恥をかかせないですむ。
331ローガン:2008/02/21(木) 00:16:13
>>326
さっき帰ってきました。古代さん!ご教示ありがとう。
仰る通りなのでしょうね。勉強になりました。
ただ三輪地域での古墳築造は遅いようですね。
三輪山を聖地と考え、山裾に墓を作らなかった人々がいた。
時代が下り、古墳が築造される…

どうお考えになりますか?
耕作地や宅地が増え、墓地が減ったからという考えも在るようですが…

「一帯が聖地」という考え方をしなくなり、山の神を祀る拠り所として大神神社の発生を考えているのですが
(スレタイとは関係なく申し訳ない)
332古代:2008/02/21(木) 01:01:09
331
<三輪山を聖地と考え、山裾に墓を作らなかった人々がいた。
<時代が下り、古墳が築造される…
その通りだと思います。
最初三輪山一帯を聖地とみなしていたけれども、のちには範囲が狭まって山自体が聖地(禁足地)となって
いったと思います。
あるいは征服した地の穢れが消えるまで待ってたのかもしれません。
山の考えも最初は山自体が神の領域で禁足地だったので神社は山麓に立てていましたが
のちには山頂にも神社を建てるようになり、このあたりにも山岳信仰の
考えの変化があったのかもしれません。

333ローガン:2008/02/21(木) 15:59:07
>>332
縄文から続く三輪の民にとっては自然崇拝の対象としての「山」であった。
纏向誕生頃に、「神の住む山」としての信仰に替わり、山はもとより山裾も聖地とされ、居住者は居なくなる。
その後、「山に住む神」への信仰へと変化し、社殿が建ち山裾は墓地にも解放される…
三輪神の信仰の変化をさして、王統の交替を考えてみたくなります。
書紀でも、神代紀と崇神紀と雄略紀では大物主の扱いが違っていますね。
334古代:2008/02/21(木) 21:27:36
雄略天皇の時代は葛城氏との両頭政治と言われている時代ですね。
そのせいか葛城氏の神と言われる一言主が出てきて一緒に狩りをしますね。
 一方では三輪の神を捕らえてこいなどと言ってちょっと不敬な感じがしますね。
4世紀ころは三輪の祭祀は鏡と剣と勾玉の3セットで行われていましたが、
5世紀には頃になると石でつくった円板、剣、勾玉と簡素化されますので
三輪山信仰は薄れたのかもしれません。
継体以降は子持勾玉祭祀へ変わっていきます。越(あるいは近江)のやり方でしょうか。

雄略紀には注として山の神は大物主であり、ウダの墨坂神
(天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、伊邪那岐神、伊邪那美神、大物主神の六柱の神)
であると紹介しています。他の神々が原始神ばかりなのでイマイチ??なんですが
335唐松山:2008/02/21(木) 21:32:42
ホツミヒ、ウネビヤマのミホドにタマテミのオモムロを送る。(31-71)  8月1日 畝傍山の…
ナガツネミソカ、ハハをミウヘキサキとする。(31-77)
ホ31303  ミオヤヲクリの ホツミヒと シワスのムカと モハにいり ナガツキソミカ ハハをあげ
ナガツネミソカ ナガツキミソカなら 9月30日 
長月 ネミエ又はネミト 10日?
少し違う。

ハハをミウヘキサキとする。 皇太后とする。
ハハをあげ   この読み方が 私の場合少し違う
母を天皇の居るところ(天)に送る。 私の間違いであってほしい。
 

 



336日本@名無史さん:2008/02/21(木) 22:52:02
ヒミコというのは固有名詞だったのだろうか。
ヒメミコすなわち女の皇子という言葉をヒミコと聞いたのでは
ないだろうか。
337日本@名無史さん:2008/02/22(金) 00:55:38
ワチキ ヒミコだよ
338日本@名無史さん:2008/02/22(金) 00:58:47
>>336
その可能性はあると思うよ。
それで決まりとは言えないけどさ。
339日本@名無史さん:2008/02/22(金) 01:05:33
確か三輪山中には磐座群があってそこから勾玉他の遺物が出てたんだよね?

そもそも三輪の祭祀って何時頃からなんだろう?
340古代:2008/02/22(金) 01:20:36
雄略天皇に関しまして
ワカタケル王(雄略天皇)に比定される倭王武が中国へ送った上表文には
ヤマト王権が各地を征服していった様が記述されているが、
考古史料からは倭国内部に独自性を持った首長層が多数存在していたことが示唆されている。
このことから、当時の実態はヤマト王権が他の首長より優越はしているが強い支配関係にはなく、
ヤマトと他地域の連合政権的な性格だったと考えられている。
日本書紀の記述から、5世紀後半には吉備や播磨、伊勢などの首長がヤマト王権へ対抗するなどの
動きがあったと推測されており、そうした中で登場したワカタケル王は強化した軍事力をもとに
各地の首長への支配力を強めていった。(wikiより)

雄略までは連合政権だったと見る意見も多いようですね。
自分は力のある一族がオオキミになってある程度は血族相続だったが、
力のないものが相続するとあらたな一族がオオキミになるというシステムだった気がします。

さて、吉備ですが、
吉備の造山古墳は全国第4位の大きさの古墳です。
一般的には応神天皇の妃の兄である御友別の墓とされているが、皇后でもない
妃の兄というだけにしては巨大である。吉備氏は応神朝ではヤマトに対抗する
ほどの力をもっていた。
しかし、雄略天皇の時代に吉備下道臣前津屋の乱(463年)と吉備上道臣田狭の乱(463年)
によって吉備の力は衰えていく。
葛城円大臣の娘は雄略妃であるが、雄略は葛城円大臣を焼き殺している
(ちなみに葛城氏と吉備氏は婚姻関係で繋がりがあった)
これによって葛城氏との両頭政治は終わった(といわれている)
341古代:2008/02/22(金) 01:34:46
三輪山
(4c後〜5c前)・・・山ノ神祭祀遺跡(前半)を中心に、三輪地域の祭祀場化。祭器は鏡・剣・勾玉
(5c後〜6c初)・・・山ノ神祭祀遺跡(後半)。奥垣内祭祀遺跡。祭器は石の丸板・石剣・石製勾玉(5c末)。三輪地域におけ子持勾玉祭祀の始まり。
(6c前〜7c初)・・・勾玉祭祀期。(中津磐座)を志向した祭祀の可能性・三輪地域北部で後期古墳が築造されていく。
342日本@名無史さん:2008/02/22(金) 03:48:30
卑弥呼は田油津媛
343日本@名無史さん:2008/02/22(金) 05:13:59
>>342
関裕二さん乙ですw
344日本@名無史さん:2008/02/22(金) 06:55:32
田油津媛てなんかかわいい名前だなあ
345日本@名無史さん:2008/02/22(金) 12:49:58
妄想力が豊かな人だからな〜関氏はw
346改め:2008/02/22(金) 17:44:25
>>340
古代さん〜貴方が古代史に詳しいのは分かりました。

>雄略天皇に関しまして
>ワカタケル王(雄略天皇)に比定される倭王武

雄略天皇=倭王武
とする理由を説明してくれませんか。
347改め:2008/02/22(金) 17:54:31
>>308
いえいえ そのまま読んだらちょと笑えてしまっただけですよ(笑)
卑弥呼=石てことでww

>「 わがきみはちよにやちよにさざれいしの・・・・・・・」

古田?
勉強熱心ですね〜w

それと昨日、久しぶりに向こうの掲示板を少し覗かせて貰いましたよ。
河童さん〜独自の先生に邪馬台国について習い、ここの掲示板で実戦しようとしてるんですかね。
んで今度はどんなネタで笑わせてくれるのでしょうか?(笑)
348改め:2008/02/22(金) 18:07:04
>>313 <石上神宮の七支刀銘文について>

>安康天皇と思う。

とのことですが、何か自信でもあるんですかね。
どのような経過を辿り「安康天皇」に行き着いたのですか?太国さん

この「七支刀銘文」、気にはなってたがまだ取上げたことなく
今回これでいきましょうか。
349河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/22(金) 18:22:21
>>347

>河童さん〜独自の先生に邪馬台国について習い、ここの掲示板で実戦しようとしてるんですかね。
んで今度はどんなネタで笑わせてくれるのでしょうか?(笑)

多分そんなに出ないよ


>古田?

やめてくれよ  気分悪くなるから
350改め:2008/02/22(金) 18:29:08
おやおや 河童虫さんの登場〜!

わたしも古田さんの言うこと全て正解とは思いません。

しかし取り上げるところは十分あるかと思います。
351古代:2008/02/22(金) 18:37:58
346
改めさん今日は早いんですねW
340は吉備や播磨、伊勢などは長くヤマト王権と対等な立場にあったのではないか?
引いては連合国だったのでは?ということで紹介しました。
特にに吉備は2世紀頃から栄えていて、自分としては注目しているので吉備について
取り上げました。

前方後円墳の広がりは対等な関係ではなく、ヤマト王権の支配が及んで文化が伝播して
いったためという意見もあります。

>雄略天皇=倭王武
>とする理由を説明してくれませんか
すみません。異説があるのに当然のように書いてしまって
武をタケルと読み
稲荷山鉄剣の銘文の「獲加多支鹵」を「ワカタケル」と読み、
日本書紀に「幼武(ワカタケル)」、古事記に「若建(ワカタケル)」)
と記す雄略天皇に当てる。が一般的ですかね。
352改め:2008/02/22(金) 18:38:09
河童さん河童さん〜>>320-321のレス見て!特に321

>卑弥呼の話は神功皇后の輝かしい功績として
>「日本書紀」に載っているよ。

卑弥呼= 神功皇后説 又は 卑弥呼と天皇家との関わりは〜どのように考えてるんですかね?河童さん
353河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/22(金) 18:44:06
>卑弥呼= 神功皇后説 又は 卑弥呼と天皇家との関わりは〜どのように考えてるんですかね?河童さん

卑弥呼と言ったって
倭人伝に登場してくる卑弥呼の事じゃないから気にしないで
ま、卑弥呼と言っちゃうと混乱きたすから『彌』としときますか
それに、そこは書紀の内容だし
あんまり触れたくない場所だからこれ以上はかんべんして
354改め:2008/02/22(金) 18:46:35
>>351
金曜日は定時日ですからね〜!早いですよ〜(笑)
日々、平日残業でここへこれないウップンを金曜日に晴らさずにいられますか〜www

さて 雄略天皇=倭王武  ですが、これがスンナリ認めていいものが疑問に思えてくる。

通説では、「讃」→履中天皇、「珍」→反正天皇、「済」→允恭天皇、「興」→安康天皇、「武」→雄略天皇
又は「讃」は応神天皇で「珍」を仁徳天皇とするのが一般的。

しかし、天皇の和風諡号の一部を無理やりつなぎ合わせたよう感じられるにいられません。
なにかスッキリ出来ないのは私だけでしょうか。
355古代:2008/02/22(金) 19:03:30
あとは武の上表文にある
西は九州より、東は関東におよぶ広大な領域を平定した
という記述と雄略天皇の各地の豪族を攻める記述が似ているということですかね。
まああまり意味のあることとは思いませんけどね。
356改め:2008/02/22(金) 19:08:30
古代さん
>吉備や播磨、伊勢などは長くヤマト王権と対等な立場にあったのではないか?
>引いては連合国だったのでは?

危うくスルーしそうなところでした。(笑)
わたし改めはそのような考えはしません。

大和朝廷の中心は常に天皇家であり、天之御中主神、そして初代天つ神 国常立尊、から受け継ぐ
流れのものが実権を握っていたと思われます。
ようは連合体とかではなく一歩抜きん出た天皇家といいますか。

>前方後円墳の広がりは対等な関係ではなく、ヤマト王権の支配が及んで文化が伝播して
>いったためという意見もあります。

前方後円墳はそうですよね。

「武」はですよね?
他の四王はどうでしょうか。
357改め:2008/02/22(金) 19:11:25
356を訂正

訂正後
国常立尊、からの流れを受け継ぐもの
358改め:2008/02/22(金) 19:18:28
>>353
やはり卑弥呼=「日巫女」とお考えですか?

そうなんですよね。

卑弥呼は天皇家とは関わってないという立場の私ですが、そこが痛いんです。

まあ、天皇家の人物の可能性も有りうる。
とだけ言っておきましょうか。

わたしも魏志倭人伝と記紀は繋ぎたくないんですが、
ハッキリ神功皇后説を否定できる材料が乏しいのも事実なんです。

あんまり触れたくない場所とのことなのでこれくらいにしときましょうか(笑)
どうもです〜河童さん
359古代:2008/02/22(金) 19:32:58
まあヤマト王権の流れはさておきまして
>前方後円墳の広がりは対等な関係ではなく、ヤマト王権の支配が及んで文化が伝播して
>いったためという意見もあります。
言葉足らずでしたね。
これは崇神の世に四道将軍が派遣されて、ヤマト王権の支配が地方に及んだ
ということに対し巨大な前方後円墳の存在などから、実際は雄略期までは
各地はヤマトとはほぼ対等ではなかったかという意見があるのに対し
前方後円墳がヤマトの支配の象徴であるという反論がある、ということです。
360改め:2008/02/22(金) 19:40:33
>359は間違ったことは言ってない文と思いますが、

「各地はヤマトとはほぼ対等ではなかったかという意見」

どの意見でしょうか?

「邪馬台国は邪馬台国」と考える私とか太国氏、サガミハラハラ氏へのメッセージなのでしょうか?
361古代:2008/02/22(金) 19:54:18
えーと
340で
ヤマト王権が他の首長より優越はしているが強い支配関係にはなく、
ヤマトと他地域の連合政権的な性格だったと考えられている。というwikiから
自分が一歩進んでほぼ対等ではなかったか?という意見を述べたんですが・・

362改め:2008/02/22(金) 19:59:41
wikiのそれは協力しあってという意味でそのように書いたのではないでしょうか。

わたしも大和朝廷は「強い支配」ではなく「協力」と思ってますが。
363改め:2008/02/22(金) 20:02:23
↓こっちの意味ではなかったのですね。。。

『「邪馬台国は邪馬台国」と考える私とか太国氏、サガミハラハラ氏へのメッセージなのでしょうか?』

わたしが代表して答えてもよかったのですが。
364改め:2008/02/22(金) 20:05:41
ん〜天皇家がリーダー的でほぼ団子状態だったんじゃないですかね。
イメージ的にはそんな感じで受け取ってますが。
365古代:2008/02/22(金) 20:10:42
そうですね。そんなイメージだと思います。
366改め:2008/02/22(金) 20:12:15
一緒じゃーーーーん! 古代さん(笑)

論争しないと〜ようは論を争う!www
367改め:2008/02/22(金) 20:21:55
「強い支配」

<魏志倭人伝より>
下戸與大人相逢道路,逡巡入草

奴婢百餘人 

などから見て、卑弥呼の時代の女王国は「強い支配」の国と想像できよう。
368河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/22(金) 20:27:45
典型的な△社会でもあり、初期的な官僚主体
369改め:2008/02/22(金) 20:33:49
古代さん
どうせなら畿内説VS九州説みたいに分かれての話のが盛り上がりませんか?
それのほうが面白いしこの板を見てるほうも楽しめるかと思います。

河童さん
おおっと〜その「△」はわたしの「L」に対抗しての記号ですかwww
それはさておき、今〜古代さんと朝廷の話をしてたんですが、河童さん独自の考えとかあるんですかね。

370改め:2008/02/22(金) 20:36:02
古代さん
貴方の邪馬台国をぜひ聞かせてください。

あなたは邪馬台国をどうとらえどのような考えを持ってるのかここへ
出してみませんか。
371河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/22(金) 20:50:06
朝廷が何を意味しているかにもよりますが
対象となる時代を絞ったほうがいいんじゃないでしょうか?
372改め:2008/02/22(金) 21:00:08
邪馬台国の『行程記事』について

みなさんがご存知のように魏志倭人伝に記されてる「水行十日、陸行一月」にて
意見が分かれてるかと思います。

これについて書き込みます。
私も含め、現在の人が学校で学問を得ているので文章を書くとき、又は読むことに関して
基本は得ていると思う。
文を読むときは「上」から「下」へ、「左」から「右」へは当たり前。

エクセル・ワードなどにしても社会人に成り立ての新社会人さん辺りで
学ぶはず。
373太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/02/22(金) 21:03:21
>>348
七支刀の銘文に「倭王」とありますが、紀の記述どおりに神功世に
もらったものだというと、神功の世は皇太后の政治であり倭王
(天皇)はいません。これが何と云っても疑念です。ということは
神功世の七支刀ではないということになります。

銘文の泰□四年とは「泰始四年」(468年)のことで「泰和四年」
ではないと考えます。銘文の側のX線調査で□の部分はノギヘンで
あることが判明したので「泰和四年」に決まりだとかの話ですが、
465年にまず「景和元年」と年号を改め、同年に再度「泰始元年」に
変えられたことからこの二つの年号の『泰』と『和』を一字ずつ
採って銘文は二年号を合一し「泰和四年」としたとするのが真であって「泰始四年」=468年の意味となります。銘文を書いた者がクイズを
未来のうちらにからかいでか? なぞを解けとの文なわけです。
369年の泰和四年の神功世相当の時代のものではないとします。

次に石上神宮から出た刀ですからそれと縁ある天皇(大王)のもらっ
た刀である可能性が強く、安康は石上穴穂宮にいたのですから、これ
は安康の七支刀と考えるのが相当です。

倍暦で 安康元年=468年 の計算となりますからピッタリであり、
拙者の倍暦計算が合っている証左にもなりえます。
374古代:2008/02/22(金) 21:11:38
妄想ですが
1世紀頃には北九州に強大な国があった
2世紀になると渡来した人たちが吉備に強大な国を作った(スサノオ王国)
やがて、吉備の一部が出雲に侵入し王国を立てた(大国主王国)
2から3世紀
九州から新天地を求めて渡ってきた一群がいた
しかし、吉備や出雲には強大な国があったので、紀の国を拠点とした。
やがて紀の国から当時人口の少なかった畿内に攻め入り、畿内を制圧した
ここに北九州から紀伊、畿内までを勢力図とした邪馬台国が成立する。
その後、宇佐を除いて九州勢は独立。邪馬台国は畿内を中心とした王国に変わる。
375改め:2008/02/22(金) 21:21:42
帯方郡乍から乍南乍東七千餘里いくと⇒狗邪韓國。
始度一海千餘里いくと⇒對馬國。
又南渡一海千餘里いくと⇒一大國。
又渡一海千餘里いくと⇒末盧國。
東南へ五百里いくと⇒伊都國。
東へ百里いくと⇒奴國。
百里いくと不彌國。 
南へ水行二十日いくと投馬國。
南へ水行十日,陸行一月いくと邪馬壹國。

これが当たり前の解釈と思う。
そういった普通の感覚で「魏志倭人伝」を読めば「何かがおかしいこと」に気づかされる。
376改め:2008/02/22(金) 21:34:25
>>371
>時代を絞ったほうがいいんじゃないでしょうか?

私もそう思います。
でも古代さんは「崇神の世」のことをいってるので。(参考:359)

>>373
太国さん〜どうも長々とありがとうです。
よく〜いろいろと知ってますよね!
その知識には脱帽です。

>>374
誰かの本ですかね?そんな話聞いたことあるような。
377日本@名無史さん:2008/02/22(金) 21:38:39
>>375
>「何かがおかしいこと」に気づかされる。

方角がおかしいわな。

時にここ。

>東南へ五百里いくと⇒伊都國。

こりゃ東北の間違いだわな、明らかに
378日本@名無史さん:2008/02/22(金) 21:40:03
時にここ → 特にここ   訂正スマソ
379古代:2008/02/22(金) 21:40:34
たぶん前にも似たような事を書いたからですね。
紀の国を拠点とした、を新たに加えました
380改め:2008/02/22(金) 21:44:42
邪馬台国の『行程記事』について (つづき)

<魏志倭人伝より>
自郡至女王國萬二千餘里

女王国=邪馬壹國と考えて
上記、「萬二千餘里と各>>375の里数を差っ引いておかしくなる」という
問題がこの邪馬台国の『行程記事』問題である。

この当たり前の解釈でいけば「不彌國」から『川』又は『海』を通って「南」へ
いけば九州内の川、又は海右回り、左回りどこからいっても水行だけで九州の果てまで
いってしまい、そこから「陸」?となるのである。

以上、邪馬台国行程問題を簡単に書いたけどみなさんはどのようにとるかです。
381改め:2008/02/22(金) 21:51:23
>>372および>>375>>380は、「邪馬台国の行程問題」について
みなさんが話しやすいように出した『話題』なので、
深いわたしへの突っ込みはナシで!(笑)

あとはみなさんでお好きなように話あってください!
382改め:2008/02/22(金) 22:09:02
古代さん
貴方が古代史に詳しいという事は分かったので(参考:>>340>>346)、
その「妄想」とやらに容赦なくガンガン突っ込みたいと思います(笑)

>1世紀頃には北九州に強大な国があった

何を見て「強大」とか言ってるのですか?

>2世紀になると渡来した人たちが吉備に強大な国を作った(スサノオ王国)

又、「吉備に強大な国」というのはどこをみて言ってるんですかね?
吉備とスサノオの関わる証拠は何ですか?

>吉備の一部が出雲に侵入し王国を立てた(大国主王国)

どこで大国主の吉備から出雲への記事がのってるんですか?

>紀の国から当時人口の少なかった畿内に攻め入り、畿内を制圧した

>北九州から紀伊、畿内までを勢力図とした邪馬台国が成立する。
>宇佐を除いて九州勢は独立。邪馬台国は畿内を中心とした王国に変わる。

その根拠は?

んでどうして宇佐だけ省いたのでしょうか?






383日本@名無史さん:2008/02/22(金) 22:16:35
またドツボが書き込み始めたか…
また荒れるな…鬱だ。消える週明けまでROM
384改め:2008/02/22(金) 22:25:13
>>383
ま〜〜〜た〜わけの分からないこと言ってないで〜ぇ!
貴方も良いネタ持ってるんでしょ。議論しんしゃいよ〜(笑)

まあ、今は古代さんの楽しそうな「妄想」とやらをブッタ切ろうと
思ってるので観戦でもしていきんしゃい(笑)


385ローガン:2008/02/22(金) 23:11:19
>>377
方角の記述自体にさほど問題はないと思います。
計其道里當在會稽東治(冶)東ですから。
書き手は台湾の東にあったと認識して書いているのでしょう。
ただそこら辺に「陸行1月」出来る土地がない以上、魏志倭人伝の倭への道筋は現実あり得ないものであり、
これをたよりに女王の都を探すのは、あまり意味がないのではないかなあって思います。
386改め:2008/02/22(金) 23:12:03
「七支刀」についてはこれからいろいろと調べたいと思います。
では「七支刀」を宝とする石上神宮についてでも書き込みましょうかね。

石上神宮(いそのがみじんぐう)
非常に歴史の古い神社で、『古事記』・『日本書紀』にも記される。
伊勢神宮の古名で「いそのかみ」に何かしらの関係があるといわれている。

この石上神宮も「神宮」の名が付くので「明治神宮」や「熱田神宮」みたいに規模が馬鹿デカイ
と思いがちだが、実際おとづれると「明治神宮」などより遥かに小さく見える。
かと言って小さくはないが・・・。

まずお決まりの本殿までの長い参拝路を通り、中庭に辿り着くと「鶏(にわとり)」が放し飼い?
されている。
よく写真などパンフレットなどで観かける人も多いかと思う。

ここの神宮へ行き当たりばったり来たわたしは、あまり情報を持ち合わせてなく
この神宮の関係者に「ここの神様ってスサノオでしたっけ?」と尋ねると
「スサノオではない」と返答がくる。
パンフレットには「布都御魂大神」と書かれていた。
387改め:2008/02/22(金) 23:21:21
また〜日記とか感想文とか言われんのかな(笑)

もう23時過ぎたことだし、わたし改めは〜この辺で「犬の散歩」でもいってきます!
そして、また明日ということで・・・・zzzzzzzzzz
388日本@名無史さん:2008/02/22(金) 23:24:47

>>385ローガンさん

>方角の記述自体にさほど問題はないと思います。

なんてレス書いちゃうと、「だろ、方角は正しいのだな」と念を押されますよ。
それでいいの?

そのあとのレス読むと、ローガンさんは実はこう言おうとしたのでは?
「方角の記述自体にさほど意味はないと思います。」
違う?
389ローガン:2008/02/22(金) 23:31:10
>>388
あ、ありがとう。仰る通りです。方角と共に里数、日数も同じだと思います。
390卑弥呼・・・鬼道の名手:2008/02/22(金) 23:33:26
◎倭人「漢人の見解による邪馬台国の文化」

・土地は温暖で、冬夏も生野菜を食べている
・男子はみな顔や体に入墨を施している。人々は朱や丹を体に塗っている。
・兵器は矛、盾、木弓を用いる。
・特別なことをする時は骨を焼き、割れ目を見て吉凶を占う。
・男子は冠をつけず、髪を結って髷をつくっている。女子はざんばら髪。
・着物は幅広い布を結び合わせているだけである。
・人が死ぬと10日あまり哭泣して、もがり(喪)につき肉を食さない。他の人々は飲酒して歌舞する。埋葬が終わると水に入って体を清める。
・倭の者が船で海を渡る際、持衰が選ばれる。持衰は人と接さず、虱を取らず、服は汚れ放題、肉は食べずに船の帰りを待つ。船が無事に帰ってくれば褒美が与えられる。船に災難があれば殺される。
・女は慎み深く嫉妬しない。
・盗みはなく、訴訟も少ない。
・長命で、百歳や九十、八十歳の者もいる。
・宗族には尊卑の序列があり、上のもののいいつけはよく守られる。
・法を犯した場合、軽い者は妻子を没収し、重い者は一族を根絶やしにする。
391日本@名無史さん:2008/02/22(金) 23:38:00
邪馬台国があったのは琉球諸島です
本州で無ければ困る連中が九州だの奈良だのと言っているのです
魏志倭人伝の記述を素直に解釈すれば風俗習慣でも琉球諸島あたりでしょ




392古代:2008/02/23(土) 00:28:17
・1世紀に九州に強大な国があったのは漢委奴國王印から
・2世紀に吉備に強大な国があったのは土器が多数見つかっていて人口の多い地域だったこと
・スサノオを祀っている本拠地が吉備であるのでスサノオの名前にしました。
・大国主の末裔である富家の伝承で、大国主は朝鮮から渡ってきたスサノオに滅ぼされた
と伝わっていることと、吉備と出雲の境の古墳で戦いの後らしき後があり、その後
吉備の特徴の古墳が出雲で作られるので吉備が出雲へ侵入という形にしました。
・紀の国は大和の前に神武がこの国の女首長を殺し、ヤタの鏡の前の天照の化身・日像鏡を祀っていることと、
紀国造家が神武から続く古さを持っていることからヤマトの前の拠点としました。
・北九州が独立したのはその後の記紀の記述と合わせる為です。書かなくてもよかった・・
宇佐を省いたのはやはり宇佐国造が神武以来続く古さをもっているからです。
393古代:2008/02/23(土) 00:52:35
石上神宮
「布都御魂大神」フツノミタマは平定の刀ですね、
経津主神(フツヌシ神)の御魂であるとされます。
(甕布都神(みかふつのかみ))を神格化したものであるともいう)
経津主神が物部氏の神といわれているし、石上神宮は物部氏と関係が深いとされます。
394日本@名無史さん:2008/02/23(土) 12:35:29
石上と大物神社は物部の
管理地で七シ刀を守ってるのは常識だが
395愛知県民:2008/02/23(土) 13:25:55
末盧国の官名については唐松山さんのレスだけですね。
あまり重要な問題ではないのかな。

七支刀については太国さんの宋・泰始四年(468)説もありますが、
贈った百済の記録に基づいて書紀は書いているので、東晋の泰和四年(369)でよいと思います。
晋書では266年、台与による(と思われる)遣使後も、東夷諸国の朝貢が続いているので
邪馬台国連合もしばらく続いたと推測できます。
しかし291年の政変後、朝貢記事はバッタリと途絶え、東アジアは動乱期に入ります。
楽浪・帯方郡が滅び、百済・新羅が現れ、倭国は百済の同盟国として再び現れる。
4世紀前半がまさに謎の時代です。
396太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/02/23(土) 13:38:29
>>395
369年には畿内に倭王はいないから神功が摂政をやってるわけで、その位
のことは贈与者側も知ってるはずだ。だから銘文に「倭王」と書いた訳。
365年の元年で、年号は二つあり、銘文は

 泰始
 景和

の二つの年号のナナメの文字をとって 泰和四年 と書いたもの。
397太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/02/23(土) 13:51:13
>>395
倍暦で年代が来るっている紀だから、編者らによるズレの間違いもある
わけ。

X線検査で「泰□四年」の □ はオンナヘンでなくノギヘンだったから
『和』に決まりだというのは通常はそのとおりだが、銘文は刻んだ者の
未来人へのクイズのメッセージであり、うちらはその者にからかわれて
いるわけ。w 銘文の「泰和」は、泰始と景和からの各一字ずつを採った
ことによる意味での記載。

石上宮にいた安康の号と名は

 安康
 穴穂

も、ナナメの感じに『女』と『禾』があるのは、これの示唆。
398愛知県民:2008/02/23(土) 14:24:11
>>396
私が「468年説」を知ったのは、宮崎市定氏の「謎の七支刀」です。
この本によると、七支刀を最初に研究した石上神宮大宮司・菅政友は「泰始四年」と読み、
西晋の泰始四年(268年)という説を唱えた。
ただし彼の研究は手荒で、銘文に傷をつけてしまい、「始」が「和」に近くなってしまった。
その点では彼は非難されるべきだが、傷つく前の銘文を見た者は他にいないから「泰始四年」が正しく、
書紀の紀年延長を考えれば、宋の泰始四年(468年)とすべきという。
これは雄略天皇の時代で、江田船山古墳や稲荷山古墳の鉄剣・鉄刀と同時代になる。
素人目には、こちらも説得力ありそうですね。迷う・・・
399愛知県民:2008/02/23(土) 17:44:29
最近知ったのですが、新羅の歴史は三国史記と中国の史書で全く違います。
隋書東夷列伝では、真平王の祖先はもと百済人とされているし、
梁に521年に朝貢した法興王は「募秦」という名で、金姓ではなかった。
「募」は慕韓=馬韓→百済を思わせる姓です。
次の真興王は金姓ですが、これには金官国の滅亡が絡んでいるのか。
倭国→日本の歴史でも考えるべきことはあるかもしれません。
400太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/02/23(土) 18:13:03
 泰和=太和≒大和

七支刀銘文のオンナヘンとノギヘンのスリ換えというのは、「女」と「禾」の
合字で『委』を示唆してるわけ。金印の「漢委奴国王」の漢字の中にも『委』
の漢字があるね。
401ローガン:2008/02/23(土) 18:33:11
詳しい方にお聞きしたいのですが、5文字目に見えたって言われている「十」については確認されているのでしょうか?
402愛知県民:2008/02/23(土) 19:13:31
>>401
おや、ローガンさん、お久しぶりです。
銘文を見直そうとウィキペディアで「七支刀」を調べたら、面白い記事がありました。

この時同時に奉られた七子鏡は、アメリカのボストン美術館に所蔵されている銅鏡ではないかとする説がある。
この鏡は、丸い突起が同心円上に七つあり、七子鏡の名称に相応しいという。
これらの遺物は、1875年大雨で崩れた大仙陵古墳(仁徳天皇陵)から発掘されたものとされるが、年代的に疑問もある。
尚、吉野裕子は、自著「陰陽五行と日本の天皇」人文書院 1998年の中で、仁徳天皇と石上神宮との関係を推測し、
難解な以下の古事記中巻歌謡48を、皇子時代の仁徳天皇が七支刀を佩用していた様を吉野の国主達が歌ったものと推測している。
品陀(ほむた)の日(ひ)の御子(みこ) 大雀(おおさざき) 大雀(おおさざき)
佩(は)かせる大刀(たち) 本(もと)つるぎ 末(すえ)ふゆ
ふゆ木(き)のすからが下樹(したき)のさやさや
403太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/02/23(土) 20:42:25
七支刀には七つの枝の刃の穂先がある。丁度刃を上向きに立たせると
植物の木のような感じ。
安康の御名、穴穂とは 亜七穂(アナホ)のことではないのか。
亜は幹でない二次的枝側の意味ととれるよう。
404ローガン:2008/02/23(土) 21:01:15
>>402
愛知県民さん、こんばんは。
古事記歌謡、確認しました。岩波の注では難解であるとしています。
本つるぎ=まん中の剣
下樹のさやさや=枝
という事でしょうか…
確かに七支刀は両刃であり、目釘穴がないので刀ではなく、剣ですね。
なるほど〜って感じの説ですね。

未だ仕事中なので又後程…
405改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/23(土) 21:22:35
古代さんへは何てコメントすればいいんでしょうかね・・・w

詳しい人とみなして容赦なく言いまくっていいのか・・・。
そのままにしてやってたほうがいいのか・・・w
迷う(笑)
406改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/23(土) 21:30:33
>>395
>末盧国の官名については唐松山さんのレスだけですね。
>あまり重要な問題ではないのかな。

記紀についてなら太国さんがお薦め!
ほつまは唐松山さん。

上記の「末盧国の官名がナイ」ことは魏志倭人伝なんで

魏志倭人伝といえば河童さんですかね?
河童さんにもコメント出してもらいましょうか(笑)

河童さん〜ほかの二名(太国氏・唐松山氏)とも素晴らしいコメントがでてきますよ。
ここは見せ所です〜宜しくお願いしますね!河童さん(笑)
407改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/23(土) 21:50:01
七支刀について盛り上がってますが、
七支刀の銘文「倭王旨」
この倭王が誰なのか興味が沸きます。

太国氏がいう倭王旨=安康天皇
安康天皇が中国風の名称「旨」である証明出来るんですかね?

ちなみに安康天皇とは後世の贈り名であって当時は穴穂皇子(あなほのみこ)。
さっき「旨(むね)」なる字を調べたんだが、
・主とすること。中心とすること。
・物事の意味・内容。物事の主旨。おもむき。《旨》な意味があるようです。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%82%80%E3%81%AD&dtype=0&stype=1&dname=0ss
408日本@名無史さん:2008/02/23(土) 21:50:14
論破された末の荒らし方は改め〜ドツボちゃんに聞くといい。
409改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/23(土) 22:08:09
女王國東渡海千餘里,復有國,皆倭種。

<日本語で言えば>
女王国の東、海を渡ること千余里、復国有り、皆倭種。

上記に書かれた倭種とは「四国」。
この文から女王国は九州で間違いない。

畿内説さん〜逃げてないでこの部分をシッカリ説明シテクダサイね!
410河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/23(土) 22:17:01
>>406

>魏志倭人伝といえば河童さんですかね?
河童さんにもコメント出してもらいましょうか(笑)


その前にこっちが聞きたいよ
末盧国に官名を記載しなければならない理由は?
411改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/23(土) 22:24:15
いやいや〜他の国には官名があるのに対し、

何故、末盧國だけが官名がないのか?
重要とは思ってないのか?

という愛知県民さんの質問でしょ。
「末盧国に官名を記載しなければならない理由」も何もない!
412唐松山:2008/02/23(土) 22:29:53
垂仁39年 一千口大刀者藏于忍阪邑,然後從忍阪移之藏于石上神宮
千口の太刀を作って 石上神宮に納める。
ほつま伝に依ると 稜が大きくなったのは。
垂仁87年
ホ37153 タヲヤメの ホコラたかくて またいわく たかければこそ
わがつくる カミのホコラも カケハシの まゝとうたえば

景行18年 ミユキがり いたるヒナモリ イワセガワ
続き
乃,弟夷守還來而諮之曰:「諸縣君泉媛,依獻大御食,而其族會之.」
諸縣が 日向で無く 肥前なら 
現在の? 肥前町辺りに 諸浦 がある。
413改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/23(土) 22:32:19
狗邪韓國
對馬國  其大官曰卑狗,副曰卑奴母離。
一大國  官亦曰卑狗,副曰卑奴母離。
末盧國
伊都國  官曰爾支,副曰泄謨觚、柄渠觚。
奴國   官曰兕馬觚,副曰卑奴母離。
不彌國  官曰多模,副曰卑奴母離。
投馬國  官曰彌彌,副曰彌彌那利。
邪馬壹國 官有伊支馬,次曰彌馬升,次曰彌馬獲支,次曰奴佳鞮,可七萬餘戸。

狗奴國,  其官有狗古智卑狗。

斯馬國,已百支國,伊邪國,都支國,彌奴國,好古都國,不呼國,姐奴國,
對蘇國,蘇奴國,呼邑國,華奴蘇奴國,鬼國,為吾國,鬼奴國,邪馬國,
躬臣國,巴利國,支惟國,烏奴國,奴國。

狗奴國,  其官有狗古智卑狗。
414改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/23(土) 23:04:40
<末盧國だけが官名なし>に関して
唐松山さんは「官名は ひなもり(参考:299)」とのことです。

河童さんも迷ってるのか?スンナリ説明が出てこないので、
今、考えたばかりのコメントですが、私が代わりをします。

愛知県民さん
わたしのレス>>372,>>375,>>380などを見てください!

魏志倭人伝の著者 鎮守を絶賛しておられる分けの分からない人もいるが、
(また河童さんの先生を批判するがw)、私たち、学問をある程度学んだ者からすれば
「何かがおかしい!」という風に気がつくのが当たり前である。

「魏志倭人伝の著者 鎮守さん〜貴方、文献として指摘せざるをえないですよ!」
としか言いようが無いんですよ。
何かがおかしいというのは認めざるをえないとだけ申し上げます。
415日本@名無史さん:2008/02/23(土) 23:09:57
>>409
だよね。私も以下の事項を「ドンと来い」で書き込んでも
畿内派からスルーだしぃ〜


倭人伝の記載で畿内説に不利な事項
(鉄器や銅鏡、絹・倭錦の出土はこの際除く)

■女王國東渡海千餘里復有國皆倭種
東千余里に比定する国はない。女王国を三重県まで含めたとしても
尾張は渡海せず北だろう

■南有狗奴國男子為王其官有狗古智卑狗不屬女王
紀州の和歌山・海南あたりを狗奴国とすれば説明できるが巻向を脅かす
ほどの国力はなかったろう。
416太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/02/23(土) 23:19:33
>>407
「旨」が王名はどうかは不明なんでしょう? この字は「七」と
『日』の合字で数字は同刀の関連付けのようです。しかし「七」と
いうより、カタカナの『ヒ』でもあり数字的には 1 であります。
ですから1日の黙示なわけです。

銘文には「十□月十六日」とあり、これは十二月のことではないか
と考えています。だから銘文は12/16の日付ということです。
ところで安康天皇は安康元年(=468年)の前年(467年)の12/14に
即位していますから、泰和(泰始+景和の一字ずつでの略年号)四年
(=安康元年=468年:即位の翌年)12/14日の銘文ということは、
安康世は倍暦不使用で通常暦の時代だから、1年は365日あったわけ
で、即位から銘文の日数を計算しますと

 365+(16−14+1)=368日

です。これに先述の1日を加えると369日となりますが、日数を年数
に対応させると369年の太和四年と一致します。
417改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/23(土) 23:33:47
>>415
畿内説派は論破されるのが、目に見えてるし、それを避け続けてるだけ(笑)

わたし九州説派なんスけど畿内側に立っても、今の畿内説を支持してるここらへんの住民より
やれる自信ありますけどね(笑)
418日本@名無史さん:2008/02/23(土) 23:44:35
熊襲、隼人、土蜘蛛、蝦夷、アイヌは倭人。
日本列島を乗っ取った渡来王朝の大和朝廷が、倭人を南北の両端に追いやったわけだ。
419日本@名無史さん:2008/02/23(土) 23:45:55
>>417
じゃあ改め〜卑弥呼ちぁんさん
畿内説を支持してるここらへんの住民よりやれる自信あるのなら、
>>415を畿内説派にたって解説してくれませんか。
420改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/23(土) 23:49:08
「乗っ取った」という言葉は使わないほうがよい。

大体そんなんじゃあ大和朝廷が荒れるに決まっている。
確かに〜東北などの住民が大和朝廷を避けてたのは知っている。
しかし、上記の言葉で表現するのは正しくないと思う。
421河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/23(土) 23:50:09
>>414

>私たち、学問をある程度学んだ者からすれば
「何かがおかしい!」という風に気がつくのが当たり前である。


ゴメン
当方、歴史の知識は小学生レベルなもので ここの部分が変と感じないんだよ
422愛知県民:2008/02/24(日) 00:00:01
>>414
>何かがおかしい

というより、ほとんどおかしいのでは?
「邪馬台国の七万余戸は驚異的な大都市である。280年当時の晋の河南郡は、首都の洛陽を含めて十二県から成るが、
その全体で十一万四千四百戸しかなかった。洛陽だけでは十万戸を割っていたことは確実である。
それよりさらに半世紀前の魏の洛陽は、もっと戸数が少なく、邪馬台国と同じ七万戸程度だったろう」
「こうした過大な里数や戸数は、239年に倭の女王卑弥呼に「親魏倭王」の称号を贈ったときの、
いわば建て前である。これは司馬懿の面子を立てるためにおこなわれたことであった」
(岡田英弘氏「倭国」による)
423日本@名無史さん:2008/02/24(日) 00:03:15
倭人=邪馬台国の日本列島原住民(熊襲、隼人、土蜘蛛、蝦夷、アイヌ)は、4世紀ごろ日本列島に渡来した一団(現日本人の先祖)に滅ぼされた。
日本を征服した一団は大和朝廷を立て、現日本人の先祖による日本の歴史が始まった。
424改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/24(日) 00:03:32
>>421
だから、私やなく〜愛知県民さんへその事をコメントしてくださいよ!河童さん

>>419
>>415を畿内説派にたって解説してくれませんか。

そんな事してわたしに何の得があるんでつか?
それとも、納得出来る説明が出来れば、何か良い事でもあるというんですかね?

>>422
愛知県民さん久しぶりです!
いえいえ素晴らしいところもあるんです。
425愛知県民:2008/02/24(日) 00:10:29
>>407
「旨」は王名ではないでしょう?
倭王は百済王の臣下ではないですから、名前を書くことはしないと思いますよ。
宮崎氏は「旨」を「はじめて」と読み、倭王のために初めて造った、と解釈されていますが、
ここは河童さんにお教えいただければと思います。
426改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/24(日) 00:11:28
>>423
大和朝廷に従わない者は征服されたのは事実ですが、それだと従ったものまで
滅ぼされたとみえてしまう。

それと半島から列島へ住民が流れてきたのは知ってますが、天皇家の祖が元々は半島人なのか
まだ判明されてない部分が数多く有ります。
わたしはもし天皇家の祖が半島人だとしたら四世紀などではなくもっと遠い昔だったであろうと考えてます。
427改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/24(日) 00:22:53
いや〜愛知県民んさん最近よく勉強されてますよね!分かります!

>「旨」は王名ではないでしょう?

「倭王旨」 古田氏の本も読んでくださいよ。
私も内容をここで話せるほど記憶が良くなくって・・・w

まあ今探したばかりですがここのHPでもその事を言ってるかと思います。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou/koga25.html
428河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/24(日) 00:23:34
末廬國に官名がなければ単純に、次に書かれている伊都国に引き継ぐでいいんじゃないの。
429改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/24(日) 00:38:22
>末廬國に官名がなければ単純に、次に書かれている伊都国に引き継ぐでいいんじゃないの。

末廬國はスルーてことですね!
なるほど・・・・て説明になってませんよ。

河童さん〜もう1度聞きます!
何故、末廬國だけ官名が載ってないんですかね?これも筆法ですか?河童さん
430河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/24(日) 00:48:22
>>429

>何故、末廬國だけ官名が載ってないんですかね?これも筆法ですか?河童さん

記載無いものを疑問に思うのは個人的な判断のもとに発生するので
それを説明がないと言われても困ります
別に記載無いことを不思議と感じないんですから、それ以上突っ込まれても返答のしようがありません
431改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/24(日) 00:53:20
>>422
戸数誇張(こちょう)説ですか?

對馬國   千餘戸
一大國   三千許家
末盧國   四千餘戸
伊都國   千餘戸
奴國    二萬餘戸
不彌國   千餘家
投馬國   五萬餘戸
邪馬壹國  七萬餘戸

わたしは『邪馬壹國=七萬人以上』と解釈してますが。
432河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/24(日) 00:53:31
それでも納得がいかないのなら、これではどうですか?

(末盧國 ・伊都國) 官曰爾支,副曰泄謨觚、柄渠觚。
433日本@名無史さん:2008/02/24(日) 00:59:32
>>426
大和朝廷を立てたのは中国大陸から朝鮮半島に流入した秦人という説が有力でしょう。
彼らは馬韓の人々とは言葉も風俗風習も異なっていたそうで、そのルーツを辿ると長くなるのでやめますが。

渡来人が朝鮮半島経由で日本列島にやって来たのは確かでも、
彼らは現在朝鮮半島にいる朝鮮人の先祖ではなく、
朝鮮半島を経由したからといって朝鮮人にするのはおかしい。

434改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/24(日) 01:01:52
貴方は鎮守先生の魏志倭人伝は一字、一瞬でも見逃すな!とおっしゃった。
ということは何かしらの意味が含まれてると解釈するべきではないですか?

それをな〜〜〜ぜ>>430みたいなことをコメントで誤魔化すんですか?
ちゃんと愛知県民さんが納得出来る説明をするべきでその義務があるかと思います。
愛知県民さんが納得出来る回答をだしたらどうですか。〜河童さん
435ローガン:2008/02/24(日) 01:10:25
>>409
さっき帰ってきました!
ここの住人ではありませんが畿内説支持です。

四国で別に良いのではないですか?
皆倭種ですから。
436改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/24(日) 01:12:07
河童さん
一見なるほどなるほど〜その解釈が出来るかと思いますが、それだとこれはどう説明するんですか?

對馬國  官曰卑狗,副曰卑奴母離。
一大國  官亦曰卑狗,副曰卑奴母離。

同じ官名、副官名なんですが。
437河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/24(日) 01:15:38
>>434

ごまかしてなんかいないよ〜

第一あそこで疑問を持つ事自体、私から言わせて貰えば“変”?

普通に考えてみなよ
“官”が書かれていないと言う事は、行政的に独立機能を果たしていないということ
つまり、行政的なものは全て伊都に委ねられていると言うことだよ

末廬は名前だけの実質伊都國圏と言うことだよ。


他に何か理由付けられますか?
438河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/24(日) 01:19:30
>>436

別に同じような名前が書いてあっても不思議じゃないよ
何処が変なの?
439改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/24(日) 01:31:15
河童さんのレスから
『末盧國』、『國』と有りますが。

なんで「行政的に独立機能を果たしていない」という解釈になるんですか?
どこにそのようなことが書かれてるんですかね?

>末廬は名前だけの実質伊都國圏と言うことだよ。

てまた貴方と貴方の先生だけに見えるのですか?

>>438
同じような名前が書いてあるから変などとは言ってない。

これが普通の書かれ方でしょ。
末盧國  官曰爾支,副曰泄謨觚、柄渠觚。
伊都國  官曰爾支,副曰泄謨觚、柄渠觚。
河童さんの言うそれならこの書き方が普通ではないんですか?
みなさんもそう思いません?
440改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/24(日) 01:33:27
>>435
ローガンさん〜遅くまでお疲れさま!

それと私のレス>>439の
「河童さんのレスから」←これは消して読んでください。
441河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/24(日) 01:40:09
>>439

行政を執行するのは、今も昔も日本も中国も『官』じゃないのですか?


ま、否定するのは構わないけど、否定する暇あったら自分なりの末廬を考えてみなよ
その方が自分の為にもなるよ
442改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/24(日) 01:51:09
>>441
今、私と貴方で考えてるところかと思いますが。
わたしの考えはもうすでにここで述べてます。(参考>>414
貴方の結論がまだなのでそれについてコメントしてるだけですよ。

それにわたしが何も考えて無かったわけではありません。
>>233で愛知県民さんが上げてからこの「末廬の官が書かれてない問題」を
私なりに考え>>414の結論に至ったわけです。
443改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/24(日) 02:04:20
古代さんへ
わたしは>>330で「邪馬台国について」を尋ねたかと思うんですが〜、
>>374(大国主王国) とか>>392の回答とか見てもサッパリなんです。
コメントの使用が無いというか・・・たぶん他の人も感じてるはずです。

「それって邪馬台国ではなく古代史ではないの?」てなるわけですよ。

だから貴方のレスを放置してたんですがあなた自身もそう思いませんか?
444改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/24(日) 02:10:33
>>441
>行政を執行するのは、今も昔も日本も中国も『官』じゃないのですか?

『官』と思いますよ〜。

そろそろ遅い時間なので寝ますね〜では!zzzzzzz
445日本@名無史さん:2008/02/24(日) 02:11:00
さあて、改め のウザイ仕切りが炸裂www
446日本@名無史さん:2008/02/24(日) 02:38:50
プも迷惑そうだしWW
447愛知県民:2008/02/24(日) 02:54:38
伊都国には副官が二人いるので、一人が末盧担当か?と思いましたが、
泄謨觚、柄渠觚は二人なのか?「泄謨觚柄渠觚」一人か?
もし二人なら「官・副」ではなく、邪馬台国のように
「官有爾支,次曰泄謨觚,次曰柄渠觚」と書くのではないか?
また疑問。明日・・・
448亡国◎半:2008/02/24(日) 03:59:39
マルハン王国の闇http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/game/1733/1086581896/3-8

韓会長は月に一度は韓国へ里帰りしていた。 しかし理由はそれだけではなかった。
伊藤忠商事本社イケダ部長と駐韓ソウル支店長と共に 新韓銀行本店、新韓生命保険本社へ通った。 なぜ韓国マネーとつながりがあるか?

多店舗で展開する場合は方法に問題がある。 各店舗ごとに用意すればいいかもしれないが、それだけ 秘密の漏洩になる。
そこで考え出されたのは、ネットワークによる集中管理である。ネットワークであればその制御装置本体の
設置場所をホール内である必要もなくなる。

「マルハンの店頭公開利益を見込み、第三国経由で 資金調達をする。」 その役目を買って出たのが先のメンバーである。
新韓銀行と新韓生命保険が伊藤忠との三角取引で マルハンへ迂回するというもの。中国も関わっているらしいが
詳細は不明なままである。 金額は具体的に知らされていた。1回目が800億円、 2回目が5〜600億円というものであった。

◎ハンの今後の目標は売り上げ5兆円、500店舗、上場すること。

新スレ→○○○マルハンパチンコタワー渋谷パート10○○○
★★★★★このスレの解説★★★★★を読んでみるとよく判る。
http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/120←くっけて→1304777/559
449唐松山:2008/02/24(日) 08:35:28
下記に 方向に関する見方が 載っていた。
まず 四角い地図を 想定

 @――――――――――――A
 |    北       |
 |            |
 |西          東|
 |            |
 |     南      |
 B――――――――――――C
それによると
@<−>A又はB<−>C を南北
@<−>B又はA<−>C を東西
と読むようだ。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou/koga11.html
 『隋書』百済伝末尾に身再*牟羅国について次の記事が見える。
 其南海行三月、有身再*牟羅国、南北千餘里、東西数百里、土多 鹿、附庸於百済。

450愛知県民:2008/02/24(日) 09:57:56
古事記に仁徳天皇が七支刀をさしていたらしい歌があること、
七子鏡?が仁徳天皇陵から出土したことは重要かもしれません。
七支刀を贈られた倭王は神功でも応神でも安康でも雄略でもなく、仁徳天皇ではないか。

このスレには支持者が多いようですが、私は九州王朝説には賛同しません。
隋書では「自竹斯國以東、皆附庸於[イ妥]」とあり、対馬と壱岐は独立しているようですが、
九州島は独立していません。
倭王が男子と書かれている問題は残りますが・・・
451愛知県民:2008/02/24(日) 10:27:31
又經十餘國、達於海岸
隋書の記事を見て思ったのですが、末盧国は伊都国に入るための上陸地点を表しているのではないか?
隋書でも上記の地点(難波?)が「海岸」と書かれていて、「〜国」と書いてないのと似ていると思います。
それなら官名がないのも納得です。
452河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/24(日) 10:37:01
>>451

>末盧国は伊都国に入るための上陸地点を表しているのではないか?

隋書の内容は別として倭人伝にも
『東南陸行五百里到伊都國』となっているし、これは上陸地点確定記載
453古代:2008/02/24(日) 10:46:06
443
自分としてはむしろ古代史が知りたいのですよ。
九州、大和や出雲、吉備など古代の関係を明らかにしてもらいたいものです。
そこまでではないとしても、邪馬台国と大和朝廷の関係性を明らかにして欲しい
と思います
454太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/02/24(日) 11:04:44
>>450
七支鏡が仁徳陵から出た物とのことは確かですか?
仁徳世の物だと主張するなら銘文の倭王は仁徳ということになりますが、泰始、
泰和の年号は仁徳世のどこの年に位置付けられるんですか? 歌のは別の刀剣
ではありませんか?

>>453
女王国は九州ですよ。大和朝廷は畿内ですよ。両者はおのおのテリトリーが別
の遠隔のものです。それを一緒くたにする間違いを犯す方が畿内説者です。
455河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/24(日) 11:15:43
>>453

日本の古代を覗くには
第三者の目からみた『倭人伝や倭伝』から概略を掴むのがベスト
余計な国内事情が絡まないからね

概略掴んだ後に、国内書籍にて肉付けすればいいんだよ
456愛知県民:2008/02/24(日) 11:25:31
>>452
そうか! 少し前のスレで言われていましたね。
いつもありがとうございます。

>>454
確かとは言えないので、断定はしていません。
太国さんにお尋ねしたいのですが、応神天皇陵について、日本書紀は何故記載してないのでしょう?
もっとも雄略天皇の段で「誉田陵」が出てきますが、これが応神天皇陵でしょうか。
すると応神天皇を呼び捨てにして陵の名前にしたのでしょうか?
457太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/02/24(日) 11:27:19
神武が畿内で即位し朝廷ができたということに従属して女王国が畿内という論が
出来上がっているわけで、もし仮に神武即位が関東で行われ関東に朝廷が出来て
いたら、彼ら畿内論者は関東論者になっているわけですよ。たまたま関東でなく
畿内に朝廷が出来たから、それに迎合して女王国を畿内に付加してるものです。

関東に朝廷があれば女王国は関東だと彼らは主張するわけだし、東北に朝廷が
あったならそこの女王国があったと決めこむのが朝廷場所従属からの朝廷あたり
に、女王国をくっつけるのが彼らの考えなわけです。彼らはくっつけないと気が
すまない想いから女王国を決めるものでして、極端にいえば神武が東征せず九州
で朝廷を開いたことになってれば、彼らは九州論者になるわけで、滑稽です。
458太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/02/24(日) 11:36:42
>>456
應神紀の冒頭でしたか譽田天皇とありますから、無理に呼び捨てにしたという
より、若干あだ名的美名のためそう呼称したものでしょう?
たしか應神葬儀関係の記載は紀になかったと思いますが、理由は分からん
ですねぇ? 今後の研究しかないです。論説で説明している方はいないわけでは
ないでしょうが・・・?
459河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/24(日) 11:43:03
>>456

最初の上陸地(末廬國)も実質伊都國と考えれば
従来から言われている方角どうとかの疑問も一掃出来る。

現在の市町村合併なんかがイメージ的に描けるんじゃないかな
行政は一本化されても旧来の地名は残るからね
『伊都市末廬』
『伊都市伊都』

上陸地は『伊都市末廬』郡使常駐は『伊都市伊都』

だから“官”は市役所のある『伊都市伊都』に
460ヒッキー:2008/02/24(日) 11:47:06
伊都国への記述が東南となってるのが気になりませんか?
本来なら東北ですよね。つまり伊都国へ東南に向かうふうに地図を見れば
南へ邪馬台国に向かうのは実際は東になるのです
461河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/24(日) 12:09:22
>>460

東南方向に伊都があるなら
『東南至伊都國陸行五百里』或は『伊都國在末廬國東南陸行五百里』
462河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/24(日) 12:15:00
>>460

東南とあるのは
港から東南という陸路が確保され、その確保されし北西の位置に、上陸地となる末廬の港があると言う確定記事だよ

末廬の港の地形環境が『東南陸行五百里』の記載。
463愛知県民:2008/02/24(日) 12:20:51
>>458
>論説で説明している方はいないわけではないでしょうが・・・?

岡田英弘氏は「倭国」で、応神天皇は越前王朝(継体天皇以後)の祖先神であり、
気比大神の人格化であるから、墓がなくても不思議はないと説いています。
宇佐神宮では、八幡大神は欽明天皇の時代に初めて示顕されたとあり、新しい神のようです。
そうすると誉田陵は誰のお墓かが問題になりますけど。
私も津田病に感染したかな?
464河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/24(日) 12:27:38
『又渡一海千餘里至末廬國』
最初の九州島上陸地が
そもそも伊都國行政圏内末廬國(伊都市末廬)なんだから、改めて伊都の位置を記載することは
必要ないでしょう。

上陸港が伊都の一部なんだから
465ヒッキー:2008/02/24(日) 12:41:28
魏志を読めば普通に宇佐あたりで落ち着くのですが。

女王国と邪馬台国は実は別物という見方はありえませんかね?

こう考えないとつじつまがあってこない
466古代:2008/02/24(日) 12:44:59
魏志倭人伝は「女王国より以北は、其の戸数・道里、得て略載すべきも、
其の余の旁国は遠絶にして、得て詳(つまびら)かにすべからず」
として以下に斯馬国から奴国まで二十一国を列記している。
一方、太平御覧の魏志に「その属する小国二十一有りて皆之を統ぶ」
とあります
邪馬台国が直接支配したのは21ヶ国で、その21ヵ国については遠いので詳しくはわからない
ということになります。伊都国については詳しいので伊都国からはかなり遠方ということになりますね
畿内だと問題ないように思います。九州説だと最南端ということでしょうか
伊都国などは間接的な支配で邪馬台国からは離れていたということでもある
467愛知県民:2008/02/24(日) 13:34:18
>>466
古代さん、お久しぶりです。
「其餘旁國遠絶」は一見、不思議な文章です。
「旁」と「遠」は反対の意味ですから。
これは河童さんが「遠」は時間的な意味で、遠い過去から(朝貢が)絶えて詳しく分からない
という意味だと言われていたと思います。
どちらの解釈でも、冒頭の「今使譯所通三十國」とは矛盾するように思いますが?
468河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/24(日) 13:42:50
>>467

時間的に納得いかないのなら
『遠い親戚』
はかが?
469古代:2008/02/24(日) 13:58:43
467
「今使譯所通三十國」とは矛盾するとはどういう意味でしょう?
21ヶ国は遠い過去から(朝貢が)絶えて詳しく分からないとすると
30国が使譯しているという内容と矛盾するということでしょうか?

旁国の傍は邪馬台国からはすぐ近くという意味で、しかしその
邪馬台国の近くの国々は遠すぎてわからない。
つまり邪馬台国自体も遠いということではないでしょうか?
470愛知県民:2008/02/24(日) 14:07:20
>>469
邪馬台国は戸数・道里が分かったのですから遠くはないでしょう。
そのすぐ近くの国が遠すぎて分からないというのは変です。

參問倭地、絶在海中洲島之上、或絶或連、周旋可五千餘里
距離的には近いが、海を隔てて簡単には行けないという意味では?
471古代:2008/02/24(日) 14:09:55
454
ありがとうございます。邪馬台国と大和が遠絶で、
両者はおのおのテリトリーが別とすると、
3世紀の北九州に畿内式土器が多数入り込んでいるのはなぜでしょうか?
2世紀までは九州式しかないのですが。
邪馬台国は南九州にあって、北九州に拠点を置くようになった
大和朝廷に滅ぼされたとみますか?
472古代:2008/02/24(日) 14:14:17
邪馬台国の戸数・道里は聞いた話ですよね?誇張かもといわれてますし。
さすがに、主国の情報は知っていたがその周りの国々までは知らなかった
ということではないでしょうか
473唐松山:2008/02/24(日) 14:16:57
仁徳4年 天皇は 人民の家に烟りの立たないのを見て 人民の疲弊を知る。
それから 3年間 調を停止 
もし 応神稜が「応神41年の応神死亡以後に作られた。」と見ると 
仁徳4年までの 6年間程で作れるか? 以前書き込まれた 仁徳陵2000人で15年、
これから見ても 不可能ではないか、
応神陵は 応神41年迄に完成 応神を稜に収めるのは、次期天皇の仕事、この時
ウジノワキイラッコは即位を拒否。
こんな 流れですかネ?
474愛知県民:2008/02/24(日) 14:28:11
>>473
なるほど・・・即位のゴタゴタがあったから?
だけど仲哀天皇でも、神功の新羅遠征で葬儀を延期し、後で葬った記事もあるのに、
応神天皇はなぜ書き落としたのでしょうね。

古代さんとも論争したいけど、ちょっと時間がないんで、いつかやりましょう。
475ヒッキー:2008/02/24(日) 14:45:18
戸数は99%誇張ですよ。
7万戸とか普通にありえません。
邪馬台国だけで30万人前後が住んでたなど当時ありうるわけがありません。
476日本@名無史さん:2008/02/24(日) 14:49:24
>>475
伊都国の「千余戸」も誇張か?
477ヒッキー:2008/02/24(日) 15:16:07
たしか他の書物では伊都国は一万戸になってますよね。

魏志は結構いい加減なとこあります
478日本@名無史さん:2008/02/24(日) 15:38:37
>>477
魏志がいい加減なら魏志を材料に推論するべきではないだろう。
ではこれはなんだ。

>>465
>魏志を読めば普通に宇佐あたりで落ち着くのですが。

まったく身勝手というものだ。
479日本@名無史さん:2008/02/24(日) 16:14:04
>>478
やめてくれ。
倭人伝の信憑性を突いたら、
九州説論者が、全く関係ない畿内説論者まで必死&涙目で攻撃しよる。

激しく迷惑だ。
480唐松山:2008/02/24(日) 16:15:40
ヒッキー さん 私も 卑弥呼と邪馬台国は、別と考えています。

景行九州遠征時 大和から豊まで 20日で移動しています。
481日本@名無史さん:2008/02/24(日) 16:50:40
>>479
と、畿内説論者が必死&涙目で訴えています。
482日本@名無史さん:2008/02/24(日) 17:03:38
ほら来た
もうやめろって。
九州説の信憑性なんか、畿内説論者には関係ないだろ?
迷惑なんだよ。絡んでくるな、気持ち悪い。
483ローガン:2008/02/24(日) 17:16:32
進むのハヤ!もう七支刀の話なんかとっくに終わってるし。
ツイテイケナイ
484ヒッキー:2008/02/24(日) 17:50:26
僕はそんなに詳しくはないんですが、水行という表現と海渡るは別のような気がしますね。

水行というのは陸地に沿って船で移動するニュアンスのような気がします。

個人的には瀬戸内海を進んでる気がするんですが。
485河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/24(日) 17:55:28
ローガンさん『七枝刀』について概略確認


この百済からの贈物が、天皇家の宝にならなかった事の背景には、
百済王が鎮東将軍に抜擢された事に対し、神功皇后は決して快く思っていなかったと、読むのは如何でしょう。
確か三国史記の記録だと、369年に百済でつられ372年に神功に忠誠の意味で贈られたモノ
486日本@名無史さん:2008/02/24(日) 17:58:08
>>482
お前のほうがよっぽど気持ち悪いぞ。w
お前こそ絡んでくるな。っていうかもう来るな。
487日本@名無史さん:2008/02/24(日) 18:01:03
>>482
こういう古代史と関係の無いカキコしかできない
馬鹿にはこないで欲しい。
488日本@名無史さん:2008/02/24(日) 18:11:15
隊長!
>>479 >>482にゴキブリを発見しました!
489ご参考まで:2008/02/24(日) 18:17:15
七支刀に注目着眼する事は肝要ですねえ。
この刀が空白の四世紀、そして又、魏志倭人伝の邪馬台国と倭国とを
解く鍵になるものと、私は確信している次第です。
七支刀銘文と好太王碑文との対照考察の書き込みを、どなたかして下さい。
期待しております。
だって、成立年代からして、三国史記とか記紀とかよりも、当時によほど近いからですよ。
何百年後のそれぞれの國の事情で歪曲された史料よりは、マシでしょう。
無論勿論、史料には、それそれの事情は有ります。
が、近いということは、事の正確不正確故意作為不作為はともかくとして、
リアルを時代的に感じることが出来ると思う所以です。
490日本@名無史さん:2008/02/24(日) 18:42:46
神功皇后説

熊襲の女酋説

筑紫君の祖、甕依姫(みかよりひめ)説

倭姫命(やまとひめのみこと)説

ヤマトトトヒモモソヒメノミコト説

卑弥呼=下照姫説

アマテラス=卑弥呼説

日女命(ひめみこと)説

卑弥呼=卑弥呼説

んでどれが有力なんでしょう?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%91%E5%BC%A5%E5%91%BC
491日本@名無史さん:2008/02/24(日) 18:52:48
卑弥呼ってのは別称だな。

向こうの記述に合わせないで日本の名前をちゃんと付けてほしい。

音だけ借りた、で十分でしょ

日皇女とかさ。
492日本@名無史さん:2008/02/24(日) 18:53:09
考古学的に見れば巻向で決まりなわけですからここから逆算すれば真実がみえてきます
493改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/24(日) 18:58:08
末廬國に官名がない問題とか他の人はどうみてるんですかね?

>>483
「七支刀の話」もって知っている人がいればどんどんレスしてほしいですよね。

それと>>445>>481>>486>>488
変なレスはやめてね!
494改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/24(日) 19:08:46
>>460-461
>伊都国への記述が東南となってるのが気になりませんか?
>本来なら東北ですよね。

わたしのレス(参考:>>128>>131>>144>>153)はどうでしょうか?
伊都国へは上記のような考えなんですが。

495改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/24(日) 19:20:37
ヒッキーさんへ
>>465
>女王国と邪馬台国は実は別物という見方はありえませんかね?

いいこというよね!
しかし、わたしは邪馬壹國=女王国と考えてますが。

>>475
>戸数は99%誇張ですよ。
>7万戸とか普通にありえません。
邪馬台国だけで30万人前後が住んでたなど当時ありうるわけがありません

じゃあ、どのくらいなら在りうると考えてるんですかね。
496ヒッキー:2008/02/24(日) 19:37:28
そーですねー、当時の日本の人口は約120万人程度だったと本に書いてあったので
邪馬台国一国で四分の一の30万人は多過ぎだと思うのです。
誇張があるので正確な人口はわかりませんが、数万人程度だったと考えます。


女王国と邪馬台国が別物というのは一つの可能性ですが、まあちょっと無理があるかなと
僕も思う次第ですけどね。邪馬台国はほぼ巻向で決まりだと考えますが。
497ローガン:2008/02/24(日) 21:08:44
>>485
河童虫さん。
三国史記のどこにありましたっけ?


年号が東晋太和なのかひょっとしたら、百済独自のものを想像すべきなのかわかりませんが、
百済作刀は私も今のところ支持しています。
ただ百済はその頃絶頂時だったように思うのです。
倭への献上ではなく下賜のように思います。
498改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/24(日) 21:09:44
>>496
今の首都である東京で日本全体の十分の一ぐらいと言われてる。

そこから考え、もし、その120万人が本当とすると12万人ぐらいが妥当。
てことは7万人以上なら納得するんでつか?



499ゴミはゴミ箱に:2008/02/24(日) 21:09:51
改め〜ドツボ 他スレ殴り込みの図。
つうか正気か?こいつwww

>234 :改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/24(日) 20:59:35
>おたくら〜「謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!」を
>のっとろうとしてもだめだよん(笑)

>よくこうゆう奴らを相手するよな〜思う。

>235 :改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/24(日) 21:00:47
>まなぜ二つすれが立ってるか分かってない人はここへはレスしないように!
>てか迷惑なんだよね!
500500:2008/02/24(日) 21:18:41
実は邪馬台国は静岡県にあったんだよ。
501唐松山:2008/02/24(日) 21:24:12
七支刀は 鍛造でなく鋳造 と思われる。
百済に 鉄を溶かして 鋳る 技術は 有ったのか?
鋳物より 鋳鋼は 溶融温度が高い
中国では 石炭でこの温度を確保
日本では 鋳物以上の物は作られない

百済では この温度をどの様に確保したか?

502改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/24(日) 21:32:52
寝る前に『話題』でもここへ書き込みましょうかね。

謎の文献『魏志倭人伝』に記された行程記事。
この記述が、伊都國の前後で書法が異なっている。

始度一海,千餘里至對馬國
南渡一海千餘里,・・・・,至一大國
又渡一海,千餘里至末盧國
東南陸行五百里,到伊都國

伊都國までは方位・距離・国の順で記され。
伊都國より先は、方位・国・距離の順で記されている。

東南至奴國百里
東行至不彌國百里
南至投馬國,水行二十日
至邪馬壹國,女王之所都,水行十日,陸行一月   どう捉えるべきでしょうか?
503ヒッキー:2008/02/24(日) 21:36:20
平城京で10万人らしいですから、それ以上ということはないと考えます。

魏志の記述は矛盾だらけですが考古学的に見れば巻向以外ありえないでしょうね。
504ローガン:2008/02/24(日) 21:44:48
>>501
唐松山さん。確かにおそらく鋳造でしょうね。
百済製でない可能性は当然あります。
ただ、銘文象篏の稚拙さ。(U字溝)をさして、中国製でないと指摘されているようですね。
昔は日本製や韓国製より中国製品が優れもの…
505改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/24(日) 21:52:16
もう一つ書き込んでおきます。

「女王國=筑紫女王國、邪馬壹國=大和朝廷とする説」
問題になっている「南投馬國,水行二十日 」、「邪馬壹國,水行十日,陸行一月」
この情報と「自郡至女王國萬二千餘里」とを別々の情報で記録されてたと考える。

実はここで言ってしまうが、わたしが>>417で「畿内説派に立っても少しはやれる自信がある」
発言したのはこの事なんですよね。!

ようは情報が重なって魏志倭人伝は書かれていたということ。
詳しく知りたければ著者 上野氏の「女王卑弥呼の都する所」でも読んでください。
この本〜お薦めの一冊です。
506改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/24(日) 22:12:59
>>503
>魏志の記述は矛盾だらけですが考古学的に見れば巻向以外ありえないでしょうね。

「巻向以外ありえない」
そのとおり!。大和朝廷の場所は〜ね(笑)

>>504
ローガンさんとかですがさんは遺跡から出土品について詳しいみたいです。
暇なときでよいんでよかったら見てる人が勉強になるようなの書き込んでくれませんか。

ではまたの日を。。。ZZZZZZZ
507河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/24(日) 22:25:36
>>497ローガンさん

>>485
河童虫さん。
三国史記のどこにありましたっけ?


原文の何処にあったかまでは既に記憶外です(スマソ)
関連しそうなサイト掲載でカンベン下さい。

http://toron.pepper.jp/jp/kodai/nicchou/7sitou.html


>倭への献上ではなく下賜のように思います

それじゃあ
倭は百済の格下?  それは無いんじゃないの

508日本@名無史さん:2008/02/24(日) 22:28:34

△のぼう製鏡であっても「景初3年」「正始元年」の紀年鏡がでている以上、△鏡の考古

学的な見地は重要であろう。たとえ、4世紀初頭以降の墳墓からであっても畿内を中心

に九州から関東まで広く出土している意義は大きい。この点ではやはり畿内説>九州説

となるだろう。魏書において一番伝えたい諸国の王の都する処があいまいに表現せざる

を得ないぐらい邪馬台国は遠隔の地であった。鮮卑や匈奴など広大な隣国を相手にして

いた魏において、「…其餘旁國遠絶不可得詳…」と共立20ケ国についても絶遠と意識さ

せる地にあった。決して北中部九州ではない。かろうじて南九州(日向)としか理解でき

ない。
509日本@名無史さん:2008/02/24(日) 22:43:22
この時代、すでに毛野国、日高見の国は、備前や吉備以上の
巨大な勢力だったわけだし、九州の小豪族の小競り合いについて
論じあっていても日本の古代史の究明にはなりません。
510河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/24(日) 23:02:22
>>505

>情報が重なっていた


その重なった情報は何処からの情報で、他にどのような情報があったのかな?
そして、
他に重なってしまった所はないのかな?

取り敢えずは
その情報原となった史料を提示してくれ
511日本@名無史さん:2008/02/24(日) 23:02:46
>>509
この時代とは何世紀のいつ頃のこと?
512日本@名無史さん:2008/02/24(日) 23:10:37
プラムの毒
513日本@名無史さん:2008/02/24(日) 23:11:29
梅毒菌
514日本@名無史さん:2008/02/24(日) 23:14:22
なぜ真面目なスレにプラムが!?
衝撃の新事実
515日本@名無史さん:2008/02/24(日) 23:20:06
まあ、いいじゃないか。
516日本@名無史さん:2008/02/24(日) 23:20:20
>>514
ねえっ、プラムって誰?
517ローガン:2008/02/24(日) 23:37:30
>>507
どうでしょうね。下賜か献上か銘文からはどちらでも読めそうですね。
ただ、(太国さん説はさておいたとして)369年といえば、燕滅亡、平壌攻撃、東晋入貢と続く百済絶頂期ですね。
倭へ服属の品を送るような状態では無いように思います。
それに、もし献上であれば「侯王」とは書かない。

百済作刀と考えていますが、東晋作の可能性もあるでしょう。
518日本@名無史さん:2008/02/25(月) 00:14:31
宇佐神宮の亀山が卑弥呼の墓だとしたら、卑弥呼の顔は辛島美登里似だと思う。
519日本@名無史さん:2008/02/25(月) 01:35:51
>>499
>まなぜ二つすれが立ってるか分かってない人はここへはレスしないように!
>てか迷惑なんだよね!

神奈川県民 こと 改め が
「自分が立てたスレじゃないと継続スレと認めない」
とゴネてこのスレ立てたからだろうがw

バカを言うのもほどほどにしろよオオバカwww


520日本@名無史さん:2008/02/25(月) 02:00:18
九州で一番暖かいのは宮崎の東部です。これは海流のせい。
鹿児島より宮崎のほうが暖かい。

日本では沖縄の次に暖かい場所です。ここが邪馬台国やら神武の故郷やら
天照大神だとかいろいろ古代に関連するものが多い。
これは当然。

一番住みやすく食物の豊かな場所に古代人は集まるからな。権力の中枢も
そこにあるだろう。
521日本@名無史さん:2008/02/25(月) 03:39:10
豊玉姫=トヨ 

522日本@名無史さん:2008/02/25(月) 08:37:05

トヨタン・・・・・・・・
523日本@名無史さん:2008/02/25(月) 09:32:28
昨日だったか、河童虫さんが言っていたマツロ国は伊都国の一部に、新鮮さを感じたんだけれど、今まで同じような説を唱えた人はいたのか、教えて。
524新羅:2008/02/25(月) 11:29:27
485>
あのう、中国において、周囲の蛮族のランク付けは厳格に行われていた
はずです。
百済と倭の格付けがどうだったかは知りませんですけど、
たとえば、遣唐使のころは日本はチベット族より下だった、と記録されています。
525aratame himiko:2008/02/25(月) 20:35:49
どくだみさんって向こうへ行かれたか〜!ドンコイにレスあるし。。。

謎の文献 魏志倭人伝で「末盧國の官名が無い問題」でのわたしの理不足ともとれる
発言(参考:>>414)見られたかな?!んで愛想つかれたとか。。。。

まあ、問題を投げ出すような発言はやめにし、愛想つかれないよう、この改めが
ちと難問かもしれない『末盧國の官名が無い問題』に挑戦するしかなさそうだね。
526aratame himiko:2008/02/25(月) 20:44:51
『末盧國の官名が無い問題』

ちと遠回りになるが、「今使譯所通三十國」

この『三十國』から行かねばなるまい!
この三十國は帶方からみて使訳通ずる所

三十國=倭

そして、倭王卑弥呼を共立した二十九国プラス属さない狗奴國。

527河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/25(月) 20:56:48
>>526

『…今使譯所通三十國…』と、女王共立を一緒に語っちゃ駄目だよ
時限が違うんだから
528aratame himiko:2008/02/25(月) 21:03:02
大夫(代表者)である二十九国の官、

難升米為、伊聲耆、掖邪狗等八人

そして、

掖邪狗等二十人送政等還

ようは、卑弥呼、壹與の女王時代に合計二十九國の彼ら官等が「魏」、「晋」まで訪れたということ。
ここまではいいとして、

帶方太守劉夏遣使送汝大夫難升米、次使都巿牛利

倭王復遣使大夫伊聲耆、掖邪狗等

「難升米、次使都巿牛利」、「伊聲耆、掖邪狗」というところに注目してもらいたい!

「次」・・・これは邪馬壹國のところでも使われてること。

官有伊支馬,次曰彌馬升,次曰彌馬獲支,次曰奴佳鞮

そろそろ私が言いたいことが分かってきた人もいるかと思うが。
529aratame himiko:2008/02/25(月) 21:12:34
ハッキリ言っちゃうと、

對馬國  其大官曰卑狗,副曰卑奴母離。
一大國  官亦曰卑狗,副曰卑奴母離。
末盧國  官難升米,次都巿牛利。
伊都國  官曰爾支,副曰泄謨觚、柄渠觚。
奴國   官曰兕馬觚,副曰卑奴母離。
不彌國  官曰多模,副曰卑奴母離。
投馬國  官曰彌彌,副曰彌彌那利。
邪馬壹國 官有伊支馬,次曰彌馬升,次曰彌馬獲支,次曰奴佳鞮,可七萬餘戸。

末盧國  「官難升米,副都巿牛利」ということ。

何故かというと、官難升米,副都巿牛利がこの「次有斯馬國・・・以下」
略されてる国の官だと不自然な文になる。

重要視されてる国
對馬國、一大國、末盧國、伊都國、奴國、不彌國、投馬國、邪馬壹國の八カ国に入ってくるということ。

ちと説明不足な面もあるが〜みなさんの判定はいかに?!
530aratame himiko:2008/02/25(月) 21:14:58
>>527 河童さん こんばんわ!
>『…今使譯所通三十國…』と、女王共立を一緒に語っちゃ駄目だよ

いいえ!この三十國は>>526の述べたとおり

倭王卑弥呼を共立した二十九国プラス属さない狗奴國。

これです!
531aratame himiko:2008/02/25(月) 21:19:52
>>414で著者 鎮守を批判しちゃったがこの私の解釈で言うと絶賛する以外他ない。
私が愚か者だったということか。
532河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/25(月) 21:20:57
>官難升米

大夫難升米ですけど


>官等が「魏」「晋」へ訪れたと

「晋」は未来
これは魏書ですよ
533河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/25(月) 21:29:41
>>530

それが例え同じモノでもダメです。
女王共立は
「…使驛通於漢者三十許國…」
534aratame himiko:2008/02/25(月) 21:33:30
河童さん〜「次」ですよ!これ!

倭人伝での「朝獻の文」

大夫難升米、次使都巿牛利

大夫伊聲耆、掖邪狗等八人

大夫・・・・・・掖邪狗等二十人

次使都巿牛利は「次」がついてるので副官。ようは難升米より格が一つ下ということ。

他の「伊聲耆、掖邪狗等八人」、「掖邪狗等二十人」は『次』が無いので難升米と同格である「官」。

今以難升米為率善中郎將,牛利為率善校尉

でもわかると思う。 
この目立った「難升米、牛利」が略された国の官なわけがない!
535aratame himiko:2008/02/25(月) 21:37:17
いや今は『末盧國の官名が無い問題』 がメインの話。
そっちの三十國が気になるんですか?河童さん

倭=三十國

それ以外は倭種と鎮守は呼んでるよね。

そして追加すると、
倭国=二十九國とします。
536aratame himiko:2008/02/25(月) 21:42:05
「…使驛通於漢者三十許國…」

この「許」。ようは許す。

卑弥呼と狗古智卑狗は不仲ですが、

魏から「狗古智卑狗は許された存在」ということがわかる。
537aratame himiko:2008/02/25(月) 21:49:47
『末盧國の官名が無い問題』

對馬國  其大官曰卑狗,副曰卑奴母離。
一大國  官亦曰卑狗,副曰卑奴母離。
末盧國  官難升米,次都巿牛利。
伊都國  官曰爾支,副曰泄謨觚、柄渠觚。
奴國   官曰兕馬觚,副曰卑奴母離。
不彌國  官曰多模,副曰卑奴母離。
投馬國  官曰彌彌,副曰彌彌那利。
邪馬壹國 官有伊支馬,次曰彌馬升,次曰彌馬獲支,次曰奴佳鞮。

これで終止符が打てることでしょう!みなさんの判定はいかに?!
私〜改めは仕事帰りのネカフェからでして〜(仕事しながらこれずっと考えてたw)
そろそろ帰宅の時間です〜!
538aratame himiko:2008/02/25(月) 21:50:37
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  |ノ  (∵∴ ( o o)∴)〜      <「何こそこそしとん 大人しくしてろyo!」 っと。
  | ∪< ∵∵   3 ∵> ムッキー!    \   「謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!13」 にカキコ!
  \        ⌒ ノ_____   \ _____________________
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539河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/25(月) 21:52:30
>>534

>次使都巿牛利は「次」がついてるので副官。ようは難升米より格が一つ下ということ。

ここの「次」は(次使)ということで、時間的な意味合い


>官曰彌彌,副曰彌彌那利。
官有伊支馬,次曰彌馬升,次曰彌馬獲支,次曰奴佳鞮

ここも一概に格として扱うのはどうか? 第一格付けの説明なんて何処にもないよ
唯一格付けと捉えることが加納なのは「副」と言う文字だけ

難升米が官で、牛利が副なら 大夫難升米(或いは官難升米)副官牛利でいいだろう。

それに「伊聲耆、掖邪狗等八人」「難升米」が官である立証は?

540河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/25(月) 21:54:31
>>536

>卑弥呼と狗古智卑狗は不仲ですが、

??????何処にそんな事かいてありますか?
541aratame himiko:2008/02/25(月) 22:02:53
>>539
>それに「伊聲耆、掖邪狗等八人」「難升米」が官である立証は?

難升米・・・中郎將

掖邪狗等(八人)・・・・中郎將

中郎將掖邪狗等二十人      同格です。

牛利為率善校尉・・・・一人だけ格下です。

>>540
>??????何処にそんな事かいてありますか?

倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和

ではみなさん〜シーユーアゲイン♪ 河童さん〜またです〜♪
542日本@名無史さん:2008/02/25(月) 22:32:09
>>536
うん?
後漢書だと<許>があって、三国志の該当箇所では<許>だけないから、
動詞ではなくて助字で○○ばかりって意味じゃないの?
543ローガン:2008/02/25(月) 23:05:40
>>530
改めさん。横から失礼ですが、
29国がおしなべて卑弥呼を共立したとお考えですか?
私はそうは思えないのですが…
よろしければ、又いろいろ教えてください。
544ゴミはゴミ箱に:2008/02/25(月) 23:36:15

>247 :aratame himiko:2008/02/25(月) 20:10:45
>何こそこそしとん 大人しくしてろyo!

















545河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/26(火) 00:30:53
卑弥呼共立

共の対象は「王達」と「後漢王朝」だろう。
共立に帝國が絡むから記事として意味があるわけだし
546どくだみ:2008/02/26(火) 01:10:43
>>525
べつに、愛想つかしたのではありませんよ。
強いて言えば、河童さんとの棲み分けですか。
同じような議論の繰り返しになりますから。
倭人伝については、私も記述は正確ではないと考えています。
陳寿は、蜀で生まれ育ったので、
東夷の事情に暗かったとしても不思議ではありません。

ついでですが、「…使驛通於漢者三十許國…」の「許」は
「ゆるす」ではなく概数を表すのだと思います。
倭人伝の一大國のところに「有三千許家」とありのと同じでしょう。
数詞と名詞の間に「許されし」のような言葉が挟まる事は、
ちょっと考えにくいです。私が知らないだけかもしれませんが。
547河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/26(火) 08:09:33
>>546どくだみさん、おはようございます。

『有三千許家』の“許”について
この文字にabout的な意味はありません。
和語の(ばかり)(ゆるす)にしてもしかりです。
『許』は“物事を限定”する文に用いられ、どちらかと言うと厳格性を意味します。
『三千許家』
・三千という数値を限定(超えない)家

(ゆる‐サ行)
物事には(許す部分と許されない部分)が有り、それらが合わさり“許”の全範囲(許す)はその一部と言う事。

“車の駐車を許可する”

本来車の駐車に制限はありませんが、そこに何等かの事情により制限が加わることが(許、不許)可
つまり、一方的な視点からの制限が『許/ゆる‐サ行』 なのです。
決してaboutではありません。

“範囲の限定”
これが『許』の真意です。
548河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/02/26(火) 08:40:02
今度は(ばかり)の解説を
(ばかり)
結構イメージ的には曖昧な表現な印象をもたれ、分かりにくい和語の一種かと。しかし
それはイメージだけで、やはり(ゆるす)と同じように、範囲を限定する“制限”な和語なのです。


(ばかり)は分かりづらくても(はかり)ならご存じかと
そう“量り、計り、測り”ならイメージがつくでしょう。
これら(はかり)のまえにに〇〇が付くと(ばかり)になります。

「バネばかり、電子ばかり、天秤ばかり」と
つまり
(はかり)では ハカルものの目的も限定されないし、ハカリ自体の構造ま限定されません。
しかし、このハカリに特定の語句を加え〇〇ハカリとすれば、ハカリの範囲が“バネ、電子、天秤”のようにハカリの範囲が限定され
語句も(ハカリ→ばかり)に変化します。
ハカリでは(はか)‐ラ行と、ラ行全てに活用するけど、(ハがバ)と濁点を付加し変化するねは(ばか)‐リ と、“リ”限定です。

『許』(ゆるす、ばかり)
これらはAboutではなく、物事を限定する文章に用いられる文字です。
549神奈川県民:2008/02/27(水) 01:50:01
河童さん、愛知県民さん、他

申し訳ないがこの終止符スレ少し休ませるかも!
新しい名前で今度は愛知県民さんが立てる?それとも河童さん?
どこかで集まれるようにしましょう。

向こうの勝手にやっとる13のやつら頭きたので潰してきます!
550神奈川県民:2008/02/27(水) 01:59:13
では、関係のない一般利用者の方々どうも人騒がせしました。

あいつら13は放置しといてくださいな。
551日本@名無史さん:2008/02/27(水) 02:05:08
コテ半ウザー

ブログでもやればいいじゃん
552日本@名無史さん:2008/02/27(水) 02:05:39
>>549 :神奈川県民:2008/02/27(水) 01:50:01
>向こうの勝手にやっとる13のやつら頭きたので潰してきます!

で、手動によるコピペと、、マジで笑えるwwwwwwwwwwwww


553日本@名無史さん:2008/02/27(水) 02:08:34
さあてスレ主(w)による荒らし解禁宣言も出たことだしw
取りあえず馬鹿県民のレスをコピペでもしておこうwww

274 名前:神奈川県民 :2008/02/27(水) 01:43:34
なめとんのか?

誰が勝手にスレ継承していうたんや?


554日本@名無史さん:2008/02/27(水) 02:10:00
275 名前:神奈川県民 :2008/02/27(水) 01:56:18
勝手に「謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!」
名前使ってせんといてくださいよ
555日本@名無史さん:2008/02/27(水) 02:10:03
プラム = 河童虫

 である点について
556改め〜卑弥呼ちぁん:2008/02/27(水) 02:14:15
     _____
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  |ノ  (∵∴ ( o o)∴)〜      <「何こそこそしとん 大人しくしてろyo!」 っと。
  | ∪< ∵∵   3 ∵> ムッキー!    \   「謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!13」 にカキコ!
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557aratame himiko:2008/02/27(水) 02:31:30
(゚∀。)ワヒャヒャヒャヒャヒャヒャ     

         (゚∀。)ワヒャヒャヒャヒャヒャヒャ

  (゚∀。)ワヒャヒャヒャヒャヒャヒャ      (゚∀。)ワヒャヒャヒャヒャヒャヒャ

           
        (゚∀。)ワヒャヒャヒャヒャヒャヒャ








558日本@名無史さん:2008/02/27(水) 04:00:06
>神奈川県民さま
少し落ち着いて。
>向こうの勝手にやっとる13のやつら頭きたので潰してきます!
とかは、やはり駄目だと思います。
というよりなんか神奈川県民さんの怒りはなんか
ずれてるようにしか思えません。
どうしても腹にすえかねるのなら、上で何度かアドバイスあるみたいに
2ちゃん離れてしまうほうがいいと思います。
559日本@名無史さん:2008/02/27(水) 08:36:46
自分でたてたスレを自分のものだと考え、お山の大将の気分を味わいたいというかたもおられるようですが、だとしたらこの2ちゃんねるには
そぐなわないとおもいます。
別に自分でHPをたちあげて邪馬台国大研究の井上修一のように君臨するのがよろしいかと思います。
560日本@名無史さん:2008/02/27(水) 09:28:03

てか、本来だったら、改めドツボがわがままで立てた
こっちのスレがNGなんだよねw

561日本@名無史さん:2008/02/27(水) 09:49:10
>>556-557

と、と、殿ォ〜〜〜〜〜ッ!

・・・・つ、ついにお気が触れられたか・・・・・・・
・・・・・・・お嘆かわしや・・・・・・・、うぅぅ・・・(←泣)
562日本@名無史さん:2008/02/27(水) 12:13:26
改めって、ただの荒らしだから2ちゃんねるに規制依頼だそうよ。
563日本@名無史さん:2008/02/27(水) 20:55:54
>>562
規制依頼って何だよ
564日本@名無史さん:2008/02/27(水) 21:14:04
アクセス規制だろ
565日本@名無史さん:2008/02/27(水) 21:17:41
ふん!おかげでスッキリしたわっ!

ドツボ言ってる奴!嫌がらせばかりしてんじゃないよ。
566日本@名無史さん:2008/02/27(水) 21:21:50
>>558
どうもすみません
あまりにも嫌がらせがひどいので・・・。反省します。

>怒りはなんか
>ずれてるようにしか思えません。

いや全然ズレてません。
的をえてるのです。〜周りには迷惑かかって申し訳ないです。
何とか嫌がらせをやめてほしいだけなんですが・・。
567日本@名無史さん:2008/02/27(水) 21:23:47
2ちゃんに個別アクセス規制何てあったか?
568日本@名無史さん:2008/02/27(水) 21:26:49
>>559
>お山の大将の気分

全然!確かにそうゆう態度はいい気分でしょうが、
そのような態度を取ったら集まって来ないかと思います。〜では
569日本@名無史さん:2008/02/27(水) 21:27:42
>>567
ないよ。

ここの管理体制いいかげんなんだから。
570日本@名無史さん:2008/02/27(水) 21:31:37
削除や整理依頼だって忘れた頃に機能するから
571日本@名無史さん:2008/02/27(水) 21:33:39
>>570
ok 以後、気をつけます〜!

それとここは学問板だったよね!
そろそろ本題(タイトル)へといきませんか?
572日本@名無史さん:2008/02/27(水) 21:42:40
>>571
おい、いくらなんでも調子良すぎるだろ
573日本@名無史さん:2008/02/27(水) 21:44:29
>>572
おまえ ドツボいうてるやつ?
君が来ると荒れるので、君とは住みわけたいんだよね!
分かってくれるかい?
574日本@名無史さん:2008/02/27(水) 22:02:07
ハンドルネーム付だと好き嫌い言えないところがあるんよ。
こっちがワガママ思われるじゃん!
でも君とその周りは変わった人が多いので避けたいと思ってる。ごめんね。

常連の「日本@名無史さん 」は中にはいい人もいるが、印象よくない人も多いんだよね。
なるべくそうゆうのは避けたいと思ってる。
最近よくこっち来てるがそうゆう理由でごめんなさい。
575日本@名無史さん:2008/02/27(水) 22:15:46
ハッキリいっちゃうが当たり前の常識と相手を思いやる気持ちのない人は、
避けたいんです。当たり前の人だけでいいんですが、実際、変な人も多いんですよね・・・。

分かってください。  以上!  zzz・・・。
576日本@名無史さん:2008/02/27(水) 22:18:34
卑弥呼は神宮皇后で、仲哀天皇は武内宿禰なんだろう?
そしてその子供が応仁天皇。
577日本@名無史さん:2008/02/27(水) 23:31:44
違う。
578日本@名無史さん:2008/02/27(水) 23:37:43
>>573-575
ドツボは自分で何言ってんだ?
自分の事を長々と書いて…自虐過ぎるだろw
579日本@名無史さん:2008/02/27(水) 23:48:23
改めは反省なしか…

>ok 以後 気をつけます〜他スレまで荒らしといて軽い上に、嘘ばっかwww
580橿原一派:2008/02/27(水) 23:50:49
次スレ立てました
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!15
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1204123731/
581日本@名無史さん:2008/02/27(水) 23:55:22
運営側の公式見解としてはスレがおおむね500レスを越えたら次スレが認められます。
もちろん2ちゃんのスレ立ては誰でも可能です。
582日本@名無史さん:2008/02/27(水) 23:55:23
15が出来たなら、俺は16立てようっと。
583日本@名無史さん:2008/02/27(水) 23:58:39
本来ならこの刷れは重複で、削除対象なんだよな。
584日本@名無史さん:2008/02/28(木) 00:03:27
>河童虫(プラム)、ローガン、どくだみ その他のコテハン賛

神奈川県民改めドツボが祟り神にならないよう
テメーらがしっかり構ってあげて下さいね(はあと wwwwwwwwwww
585日本@名無史さん:2008/02/28(木) 00:07:54
参加者全員がスレ立てして、全員スレ主になれば無問題。
586日本@名無史さん:2008/02/28(木) 00:08:41
>>584
だが断わる
アラシコテは徹底スルーで
587日本@名無史さん:2008/02/28(木) 00:11:29
神奈川県民て神奈川県への憎悪感を増幅させるためのチョソ工作員だろ。常考
588日本@名無史さん:2008/02/28(木) 00:20:21
>>580-581
人気スレなのは分かるが、いくらなんでも次スレを立てるには、早すぎる。
消化の早いニュース板や実況板じゃないんだぞ。
レス番900台になって新スレ立てても十分間に合う。

それに「13」を含めたら、いま同タイトルのスレが3本同時に存在しているわけで
まことにもって紛らわしい。
第一、卑弥呼ばっかりにこんな同一スレ林立をやったら、他の日本史ファンは怒るだろう。
戦国とか江戸とかの、もっと細かにスレ立ち上げて各論やりたい連中は大勢いる

まあ削除依頼は出さないでおくが、、
とにかくまず「13」と「14」を完全に使い切ろうじゃないか。
「15」へ書き込むのはそれからの話だ

>>582
こら、悪ノリはいかん
589日本@名無史さん:2008/02/28(木) 01:02:33
もう『謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!』スレは終わりにした方がいいんじゃね?

恐らく神奈川県民が名無しになって
「きいぃぃぃぃっー!アタシの終止符スレを勝手に名乗ってんじゃないわよ!」
ってヒステリー起こして荒らされると思うからwww
590日本@名無史さん:2008/02/28(木) 09:32:59
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
591日本@名無史さん:2008/02/28(木) 12:45:52
中津と耶馬溪にまたがる山国川ってあるだろう?
記紀にもでてくる川。
上流にいっても深くて大きく、流れは静かだが何か迫力を感じさせる川なんだよ。

あの辺は山国町ということから、多分、あの辺は古代も「山国」(やまくに)だったと思われる。
倭人伝にも「耶馬国」と記述があるからそこに間違いないと思うよ。
そのあとに大分中部の玖珠「くす」と思われる場所も音読みが近いところが
国としてあるから(躬臣國)単位は大体みえてくるよ。

その「耶馬国」のあとは「躬臣國」もいれて、女王国までたった5つ。

「邪馬台国」は大きな「耶馬」って意味だろ?やはり大分南部から宮崎の日向に
かけて九重山脈や高千穂なんかにまたがる大山脈国だと思うんだが。
592日本@名無史さん:2008/02/28(木) 12:49:52
熊襲の勢力は宮崎南部の都城あたりまでだよな。
神功皇后が攻めの起点にしたのもそこだし、だいたい神功の時代まで
統一なんかほど遠い。

だから都城から少し北にいったところが邪馬台国の最南端かな。
593日本@名無史さん:2008/02/28(木) 12:55:07
大山脈地帯でありながら海の幸も豊富で天然真珠も有名。
東海を越えれば四国があるし、畿内にもいける。
倭人がいるけど倭国ではないのが四国か? 
594日本@名無史さん:2008/02/28(木) 13:56:47
前からずっと思ってたけど
マキムクって卑弥呼の時代よりは少し後じゃね? 
なんで畿内説はマキムクだけなん? 邪馬台国の後だったら破壊じゃん。

せいぜいトヨの時代じゃん。小さい国々が統合し始めた時代の
畿内の遺跡じゃん。
595日本@名無史さん:2008/02/28(木) 14:40:28

トヨタン・・・・・・・・・・
596どくだみ:2008/02/28(木) 18:32:49
>>548
また、流れをぶった切る遅いレスで恐縮ですが、河童さんへ。

北史 西域傳
(口+厭)(口+達)(エフタル)國の条
西域康居、于?、沙勒、安息及諸小國三十【許】,皆役屬之,號為大國.

通典 巻第一百九十三 邊防九 西戎五
(口+厭)(口+達)(エフタル)國の条
西域康居、于?、沙勒、安息及諸小國三十【餘】所,皆役屬之,號為大國.

三十許=三十餘所
餘というのは、超えていると思いますよ。

北史:唐の李延寿が、659年に編纂。
通典:唐の杜佑が、代宗の大暦元年(766年)から徳宗の貞元17年(801年)の間に編纂。
エフタルは6世紀中葉に亡んでいるそうで、北史編纂時には既に存在しません。
ですから、北史編纂時に三十国以内だった属国が、通典編纂時に三十国以上に数が増えたから
【許】を【餘】に書き換えたわけではありません。
北史と通典のエフタルに関する記述は、完全に同一ではないので、
属国の数は違う資料に拠ったと、強弁する事はできますが、
両者の記述の類似性から、可能性は薄いと思います。
つづく
597どくだみ:2008/02/28(木) 18:35:04
貴方の>>547のレスは、【許】が許可の意味で使われることの説明をしているだけです。
「許にabout的な意味はありません」ということの証明には、何も言及していません。
許可の意味の用法をいくら説明しても、概数を表す用法が無いことの証明にはなりませんよ。

>>548の「ばかり」も同じです。「限定」の意味の用法を一所懸命説明していますが、
「おおよそ」の用法が無いということの証明には、何も言及していません。
広辞苑の「ばかり」の項目を要約すると、
「おおよそ」を表す場合、体言および活用語の終止形につく。
「限定」を表す場合、体言および活用語の連体形につく。
ということです。
貴方がいくら否定したところで、「ばかり」が「おおよそ」を表す用法は、
広辞苑に載るくらいに普通に使用されてきました。
貴方のレスは、目の前に存在するものを、
そんなものあるはずがないと必死に否定しているのです。
「限定」を表す用法から、「おおよそ」を表す用法が派生したと
主張するのなら話はわかります。
しかし、現に存在する「おおよそ」の用法に対して、無いと言い張るのは・・・。
おわり
598古代史大好き:2008/02/28(木) 19:37:33
>>596どくだみさん

>三十許=三十餘所
餘というのは、超えていると思いますよ。


流石にいいとこついています
私も去年さんざん考え込んでしまった場所なんです。でも、すでに解決済みだから投稿したのであります

どんどん指摘ください
599古代史大好き:2008/02/28(木) 19:45:27
>>596どくだみさん

こんどハンドルネームを変更しました

河童虫⇒ 古代史大好き にしました


評判悪ければ元に戻しますが
600古代史大好き:2008/02/28(木) 20:19:10
>>597どくだみさん

>貴方がいくら否定したところで、「ばかり」が「おおよそ」を表す用法は、
広辞苑に載るくらいに普通に使用されてきました。


そりゃあ「広辞苑」いや国語教育の間違いですよ
根本的な言語理論を理解していないから発生した誤りです。

「許」に概数の意味なんて存在しませんよ

それに どくだみさん。
私の書き込みを否定する前に、「許」と言う文字にどうして和語の(ばかり)や(ゆるす)という和語があてられたかの説明をしてみて下さいよ
何ゆえ(はかり)ではなく(ばかり)なのか? (ゆるす)が何ゆえ(ゆる)−サ行とサ行で活用するのかなどの説明の後
改めて否定くださいな
そうそう (ばかり)も(ばか)−リ と ラ行全てではなく送り仮名は(リ)だけですよね
どうしてラ行のリが送り仮名になったのかの説明も必要ですね

よろしくお願いします。   
601どくだみ:2008/02/28(木) 21:34:59
>>600
>そりゃあ「広辞苑」いや国語教育の間違いですよ
>根本的な言語理論を理解していないから発生した誤りです。

おかしな話ですね。
言語理論というものは、現実に起こっている言語現象を説明するための理論でしょう。
自分の提唱する言語理論に合わないからといって、
日本人全員に、「ばかり」を「おおよそ」の意味で使うなと説得してまわるのですか?本末転倒な話です。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E5%B9%B4%E3%81%B0%E3%81%8B%E3%82%8A&lr=
(参考までに、「年ばかり」での検索結果)
現実に起こっている言語現象に適合しないなら、理論の方が間違っているのです。
理論が先か、現実が先か、冷静に考えてみてください。
貴方の誤りは、言葉の用法の変化に目を瞑っていることです。
言葉は、一つの意味を表現するために生まれます。
しかし、時間が経過するにしたがって、用法は変化します。
意味に、ヴァリエーションが生じます。
発生時の意味にこだわって、後世に派生したヴァリエーションを見ないと、
あるものを無いと言い張るような、トンチンカンな議論をしてしまうのです。

>「許」に概数の意味なんて存在しませんよ

昔から、「許」は概数であるという共通認識の下に漢文は翻訳されてきました。
ここ数年のことではありません。これも、紛れもない事実です。
これが誤りであったと主張するのなら、それを証明するのは、貴方の責任でしょう。
その証明に説得力があれば、皆、「なるほど、その通り」と納得して、読み方を改めるでしょう。
そうでなければ、今までどおりの読み方をするだけです。
つづく
602どくだみ:2008/02/28(木) 21:45:54
>「許」と言う文字にどうして和語の(ばかり)や(ゆるす)という和語があてられたか

許可の和語は「ゆるす」、概数の和語は「ばかり」。
貴方の理論がどうであろうと、そのように使われているのは事実。
そして、「許」の文字に、許可と概数の意味があると認識されていたのも事実。
だから、「許」を翻訳するときに、同様の意味を持つ「ゆるす」「ばかり」という言葉を使ったのです。
サ行で活用する云々は、日本語文法の話であって、漢文とは関係有りません。
仮に、日本語動詞の活用語尾の説明が出来なければ、
漢文読解に関して意見が言えないというのなら、
漢文を読み書きしていた古代から明清までの中国人は、
みな日本語動詞の活用に通暁していなければならないことになります。

日本語動詞の活用語尾が、漢文読解の重要な要素であるという説はありません。
貴方が、そう主張するのなら、それも貴方が証明する責任を負います。
証明に説得力があれば、皆従うでしょう。私も従います。
貴方が証明しなければ、だれも漢文読解に日本語動詞の活用など考慮しません。


「古代史大好き」は、ハンドルネームとしては、長すぎやしませんか。
とはいえ、河童虫も、センス的にちょっとなあと思います。
やはり、プラムが一番通りも良いし、書きやすい読みやすいで、良いんじゃないですかね。
おわり
603日本@名無史さん:2008/02/28(木) 22:26:16
プラムはいいネーミングだったよ、個性的で、ミステリアスな響きさえあった

何々大好や、何々好き子、なんて、2ちゃんに限らず掲示板の世界ではありふれてるだろ

差し支えないんだったらプラムに戻せよ、ま無理強いはしないが
604古代史大好き:2008/02/28(木) 22:33:09
>>601

>日本人全員に、「ばかり」を「おおよそ」の意味で使うなと説得してまわるのですか?本末転倒な話です

「わずかばかり」
ここで(おおよそ)の意味は(わずか)の方ですよ
本末転倒というより、今まで誰も語ることが無かっただけですよ

>サ行で活用する云々は、日本語文法の話であって、漢文とは関係有りません。
仮に、日本語動詞の活用語尾の説明が出来なければ、
漢文読解に関して意見が言えないというのなら、
漢文を読み書きしていた古代から明清までの中国人は、
みな日本語動詞の活用に通暁していなければならないことになります。

それは逆。漢文を正しく和訳するには和語を理解していないとダメだといっているのです。
動詞活用するのは和語であり、漢語ではありません。漢語を和訳するのにどうしても和語による動詞活用が必要となるだけ
「許」の本来の字意を和語的に表現するなら(ばかり)ではなく「ばか」、(ゆるす)ではなく「ゆる」です。
しかし、和語的には(ばかり)(ゆるす)としなければ和語の文にならないだけです。

至は(いたる)ではなく「いた」なんです。

>日本語動詞の活用語尾が、漢文読解の重要な要素であるという説はありません。
貴方が、そう主張するのなら、それも貴方が証明する責任を負います。

本来和語の言意さえ理解していれば、動詞活用などは必要ありませんよ
だから先ほども言ってるでしょう。「許」は(ばか)(ゆる)だって
605古代史大好き:2008/02/28(木) 22:41:12
>>603

>プラムはいいネーミングだったよ、個性的で、ミステリアスな響きさえあった

何々大好や、何々好き子、なんて、2ちゃんに限らず掲示板の世界ではありふれてるだろ

差し支えないんだったらプラムに戻せよ、ま無理強いはしないが



ありがとう
プラムは自分でも気に入っているけど・・・・・・自分なりに複雑なものがあるんだよ
しばらく名無しになろうとも考えたんだけど、自分の意見を主張するのに名無しは失礼かなと言う考えもあるし

「プラム」は一度自分なりに封印しちゃったので、プラムで再登場するかはしばらく考えてからにします。

606改め〜卑弥呼:2008/02/28(木) 23:03:00
謎の女王〜終止符!スレのこの異様な人気は、とうとう邪馬台国ドンと来い!を
抜き去り、今じゃあ天下を取ったということかな?
はじめ人気ないところから始まりよくここまで人気を高めていったというもの。
笑いが出て堪らない(笑)

情けない奴らが人気スレを争うように取り合ってるが自力でかかって来んかい!
ほんま男かよ?情けない・・・。
607日本@名無史さん:2008/02/28(木) 23:14:36
>>606

へ?   (゚д゚;?) ポカン
608改め〜卑弥呼:2008/02/28(木) 23:29:47
>>606に追加
ここに書き込んでくれてる河童さんや愛知県民さんとか達の人の実力ということ。
大いに感謝しています。
私一人ではスレの人気は高まりません!
私は人気でそうなスレ名を考えただけ(笑)
609どくだみ:2008/02/28(木) 23:40:19
>>604
「わずか」に「おおよそ」の意味はありません。「わずか」の意味は、「少量」。
「わずかばかり」の「ばかり」こそ、貴方の言う限定。
「わずかばかり」は、「ちょっとだけ」という意味です。

貼り付けたリンク先は、見ましたか?
「それより600年ばかり古いだけだよ」
「鬱がひどくて1年ばかり休んでいました」
「40年ばかり前の 本カヤ 5寸碁盤」

いいですか、例えば、
「もともと「ばかり」には「限定」の意味しかなかった。
 その後、「おおよそ」の意味が派生した。」
このように主張するのなら理解可能です。
それなのに、今も「おおよそ」の意味は無い、限定の意味だけだ、と言い張るのは、
現実を見ていない空論としか言いようがないです。

今も昔も、現に「おおよそ」の意味で使用されているのに、
「そんな用法は存在しない」なんて、今まで誰も語る事はなかったのは当たり前です。
なぜ、目の前にある用法を、平気で無いなんて言えるのか。
現実に目の前にある「おおよそ」の意味での用法が、貴方には理解できないのでしょうか。
つづく
610改め〜卑弥呼:2008/02/28(木) 23:40:31
>>489 ご参考さんからです!
>七支刀に注目着眼する事は肝要ですねえ。
>この刀が空白の四世紀、そして又、魏志倭人伝の邪馬台国と倭国とを
>解く鍵になるものと、私は確信している次第です。
>七支刀銘文と好太王碑文との対照考察の書き込みを、どなたかして下さい。

七支刀銘文については徹底的にやりたいですよね!
この「七支刀銘文」、わたしもここで初めて取り上げるので上の方に書き込んでるぐらいの
知識しか書き込めてないんですよね。
いろんな人が多くの知識を書きこんでくれてますが、
他にも違う考えの人や知っていることがあればお願いできませんか。
611どくだみ:2008/02/28(木) 23:41:15
>それは逆。漢文を正しく和訳するには和語を理解していないとダメだといっているのです。

別に、漢文を直読直解すれば良いことでしょう。
漢文を読んで理解できるから、和語に翻訳できるのでしょう。
和語に翻訳して、意味を理解するのではないでしょう。
漢文を理解する時点で、日本語動詞の活用は関係ないでしょう。
Please forgive me.
という文を理解するのに、「(ゆるす)が何ゆえ(ゆる)−サ行とサ行で活用するのか」
が必要ですか?

>「許」の本来の字意を和語的に表現するなら(ばかり)ではなく「ばか」、(ゆるす)ではなく「ゆる」です。
証明されていません。
おわり
612日本@名無史さん:2008/02/28(木) 23:45:11
以前プラムの和訳見たときは日本語になっていなかったが
最近は正しく和訳できるようになったのかな
613改め〜卑弥呼:2008/02/28(木) 23:53:04
どくだみさん
>河童さんとの棲み分け

了解です。
というか河童さんのやり取りを楽しんで見させてもらってるので
棲み分けとかせずにガンガンやり合ってほしいですね(笑)

>>612
プラムさんのレスは参考になりますよね。
614改め〜卑弥呼:2008/02/28(木) 23:57:16
>>543 ローガンさん
>29国がおしなべて卑弥呼を共立したとお考えですか?
>私はそうは思えないのですが…

そうは思えないとは?
615改め〜卑弥呼:2008/02/29(金) 00:07:26
「伊都国への記述が東南」
よくここを実は東北ではなかろうか。
ということが言われてるが東南で正解なのです。

正しくは出発点と到達点に関係してくるのです。
出発点をどこにし、到着点をどこにするのか。
魏志倭人伝に書かれた一つ一つの問題を解くことによってその謎が解けていく
と考える。
616改め〜卑弥呼:2008/02/29(金) 00:14:11
ローガンさんへの書き込みが短すぎましたね。わたしもなんて答えようか迷ってしまって・・・。

>29国がおしなべて卑弥呼を共立したとお考えですか?

という質問には「ハイ」としか答えれないんですよね。
というかローガンさんはそこをどうとらえ、どのように考えてるのかまずは
それを示してほしいですね。
ここは合ってると思うがここはおかしいのではないか?とか
共立したのは三十一國と思ってるとか、詳しく書き込んでほしいということです。
617日本@名無史さん:2008/02/29(金) 00:16:38
>>615
意味不明

>正しくは出発点と到達点に関係してくるのです。
>出発点をどこにし、到着点をどこにするのか。

出発点をどこにし、到着点をどこにするのか、さっさと書けよ!
618古代史大好き:2008/02/29(金) 00:19:43
>証明されていません


ん〜っ
証明した所で無駄骨になりそうだし。困った困った。(ばか)は本来(マ゙カ)でありな〜んて言ったところで 無駄だろうし
「マ」に濁点を付加することにより、「マカ」の言意が反転し、……
絶対理解出来ないし
困った困った。


ヤッパリめんどくさいから止めた。


後は好きなように解釈して下さい。
理解出来ない人に理解してもらおうなんて、所詮虫のいい話しだし
理解してくれる人だけで十分です。押し売りはしません
619日本@名無史さん:2008/02/29(金) 00:21:22
>>606 改め〜卑弥呼
>笑いが出て堪らない(笑)

奇遇だな、俺もお前のレス読んで笑いが止まらんわwww

きょうび2ちゃんでもこんな天然モン中々お目にかかれないと思うし
暫くはその芸風で突っ走ってくれ。

…頼む、応援しているからwww

620古代史大好き:2008/02/29(金) 00:23:01
>>613

ガンガンなんて無理
根本的に考え方が違います。
621改め〜卑弥呼:2008/02/29(金) 00:24:11
>>617
>出発点をどこにし、到着点をどこにするのか、さっさと書けよ!

その作業は私がするんでなく貴方たちが魏志倭人伝の文から探し出し読み解いていく
とよいでしょう。どこかに隠されてるはずです。
わたしは見つけましたが、今ここで書き込むのは避けたいのです。
まずは自分自身で探していく姿勢が大切と思います。
622日本@名無史さん:2008/02/29(金) 00:30:02
>>621
>わたしは見つけましたが、今ここで書き込むのは避けたいのです。

勿体ぶらずにさっさと書け!
書けないところをみると、 見つけてなんかいないんだろう? wwwwww
623改め〜卑弥呼:2008/02/29(金) 00:32:26
古代史大好きさん〜こんばんわ!
また変えたんですか。よく変身しますよね(笑)

まあコテハンは何でもいいが、「プラム」でよかったのでは?
わたしもプさん呼んでたし(笑)

それとどくだみさんとのやり取りはどちらもいろいろ詳しいことを
知ってるので参考になる。
特にわたしは〜漢字駄目ですからね。毎回、辞書みないと(笑)
624古代史大好き:2008/02/29(金) 00:36:33
以前から言ってる通り、末廬の港から「東南」方向にだけは伊都国が存在しないことは

「東南陸行五百里到伊都国」

の文だけで明白
625改め〜卑弥呼:2008/02/29(金) 00:40:03
>>622
今日はもう勘弁してくださいよ(笑)

それに〜もうこんな時間!
わたし改め〜明日も来るんで、今日はこれくらいで! zzz・・・・。
626改め〜卑弥呼:2008/02/29(金) 00:41:34
>末廬の港から「東南」方向にだけは伊都国が存在しない

そのとおりと思います。では!
627ローガン:2008/02/29(金) 01:06:51
>>614
そうたいした事ではないのです。
一大率の行動範囲内のある「諸国」が、検察行動を嫌がっているように読めるのです。
独裁政権でない以上、一大率の存在理由が「共立賛同国」の利益保全に関するものであると考えれるなら、
共立者では「畏憚」はないのではないかなあって考えています。
よって一大率の行動範囲内にある複数国は共立に参加していない。
北部九州の「諸国」は共立者側ではない。ひょっとしたら、一大率が生まれた理由がその辺にあるのかなあ?なんて考えます。
628日本@名無史さん:2008/02/29(金) 01:27:57
>>627
>一大率の行動範囲内のある「諸国」が、検察行動を嫌がっているように読めるのです。
>北部九州の「諸国」は共立者側ではない。
>ひょっとしたら、一大率が生まれた理由がその辺にあるのかなあ?なんて考えます。

このローガンさんの意見は炯眼というか、鋭いね。
別スレで河内湖について、なんかグダグダ言ってるローガンさんと同一人物とは思えな
いほど、鋭い。
ローガンさん、がんがれ!
629どくだみ:2008/02/29(金) 01:42:03
>>618
>理解してくれる人だけで十分です。押し売りはしません

ならば、「ばか」や「ゆる」は、証明しなくて結構です。
人に説明できないようなら、初めから書き込まなければ良いのにとは思いますが。
まあ、せっかくのレスなので、以下の質問くらいは、お答えください。

>>611の再掲
別に、漢文を直読直解すれば良いことでしょう。
漢文を読んで理解できるから、和語に翻訳できるのでしょう。
和語に翻訳して、意味を理解するのではないでしょう。
漢文を理解する時点で、日本語動詞の活用は関係ないでしょう。
Please forgive me.
という文を理解するのに、「(ゆるす)が何ゆえ(ゆる)−サ行とサ行で活用するのか」
が必要ですか?

>>613
改めさん
>>618を読んでいただければ、棲み分けの理由もお解かりくださるでしょう。
630改め〜卑弥呼:2008/02/29(金) 06:08:15
 .-、  _
  ヽ、メ、〉      r〜〜ー-、__      ________________
  ∠イ\)      ムヘ._     ノ      |
   ⊥_      ┣=レヘ、_ 了     | え−−い、ドンコイはいいっ!
-‐''「 _  ̄`' ┐  ム  _..-┴へ   <
  | |r、  ̄ ̄`l Uヽ レ⌒',    ヽ.   | 終止符!スレを映せっ! 終止符!スレの戦い振りをっ!!
  (三  |`iー、  | ト、_ソ   }     ヽ   |
  | |`'ー、_ `'ー-‐'    .イ      `、   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  | |   `ー、    ∠.-ヽ      ',
__l___l____ l`lー‐'´____l.       |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||  .|      |
               ||  |__.. -‐イ
               ||   |    ノ/
631日本@名無史さん:2008/02/29(金) 06:17:50
改め〜ドツボがいない方が良いスレなのになぜ理解できないのだろうか?
いいかげん、管理業したいのならmixiとかブログとかHP作ってそこでオナればいいのに。

2ちゃんスレを私物化しようなんて無理w誰もドツボのスレだとは思ってないがwwww
632古代史大好き:2008/02/29(金) 08:58:00
>>629どくだみさん

>漢文を直読直解

とどのつまりはそうなります。

しかし、日本人相手に日本語抜きで会話が成立しますか?
私は、原文の直読直解に近い形を日本語で説明しているにすぎません。
それにはどうしても本来の日本語の姿(最低限漢字に和訓を必死にあててきた当時の)を再現しなければならないのです。
直読直解説明でよければ、原文を貼付けていけばいいだけですから、手間がかからずいいんですが
633古代史大好き:2008/02/29(金) 10:22:09
どくだみさんが申すように、一切の和語を介在させない直読直解がベストな事には間違いない。
しかし、私達日本人には先ず不可能でしょう
だからどうしても和語を介在させなければならないのです。
でも、その和語すらも曖昧になっているのが現実
漢語を和語に変換しなければ、日本人は漢語についての会話すら成立しません。
その唯一
漢語と和語を結び付けるものが和語訓なのです。
634古代史大好き:2008/02/29(金) 10:38:21
漢語と和語のかけはしである和語訓

漢語「許」と和語のかけはしは和訓の(ゆる‐サ行)或は(ばか‐リ)
この和語を手掛かりに漢語「許」を探らなければならないのも事実です。

しかし
和語である(ゆる‐サ行)(ばか‐リ)がかなり曖昧に解釈されているようです。本来あるべき姿に戻さねばならないと考え、先日来から主張しています。

(バカリ)の和語に「おおまか」等の意味はふくまれません。「おおまか」の意味が含まれるとすれば
それは(バカリ)ではなく(ハカリ)です。
635日本@名無史さん:2008/02/29(金) 13:16:20
>>633
>どくだみさんが申すように
現代の日本語では申すは謙譲語です。こういうのを誤用といいます。


どくだみさんがおっしゃるように
に訂正しましょうね。
あなたは言語学、国語の基礎知識が欠けているのでは?
636古代史大好き:2008/02/29(金) 15:56:40
>>635
そうですね。
訂正しましょうね。

で、
それは分かりましたから本題にはいりましょう。
その「申す」と言う語句、正確には(もう/お‐サ行)なにゆえ送り仮名がサ行なのでしょうか。もう‐ラ行では何故いけないのですか?

サ行にはどんな意味があり「申」の送り仮名として役割を持っているのか?
ラ行は何故使えないのか


そういう学問をしているのです。
謙譲語などという後世便宜上発生した上辺だけの物語じゃないんですよ
私の粗を探したついでに、その疑問に答えて見て下さいな。
637日本@名無史さん:2008/02/29(金) 17:34:07
古代史大好きさんは日本語をもっと勉強してから訳に取り組んだ方が良いですね。
「申す」は何故サ行か?申るではいけないかって?申るなどという日本語がない。
そもそも申すという言葉は「申」が下から上に伸びている状態を表す言葉
それから上に向かって言うという意味になった。
状態を表す時にはサ行、ラ行ではない
そこで勝手に言葉を作ったらそれはもう新言語ということでしょう。
638古代史大好き:2008/02/29(金) 17:45:23
>>637さん

>「申す」は何故サ行か?申るではいけないかって?申るなどという日本語がない。

ぜんぜん答えになっていません。
なぜ、日本語にならないのかの理由を書いてください。そこが本題なんです。


>そもそも申すという言葉は「申」が下から上に伸びている状態を表す言葉

下から上に伸びるとどうして「申す」になるかの説明がありません
上から下に伸びていないとする根拠は?


>状態を表す時にはサ行、ラ行ではない

なぜ、状態を表す言葉がサ行、ラ行ではないのですか?


>そこで勝手に言葉を作ったらそれはもう新言語ということでしょう

理由も知らずに勝手にそうだとしているのは、今の私達の方ではないのですか?


>古代史大好きさんは日本語をもっと勉強してから訳に取り組んだ方が良いですね。

その言葉はそっくり現代の私達に送り返します。



639日本@名無史さん:2008/02/29(金) 18:00:19
638
日本語の決まりについてどうしてって?聞かれても答えられますか?
伸びるという言葉が何故上から下なんですか?意味がわかりません。
というか言葉の成り立ちそのものをわかってないのでは?
草木が地面から地下に伸びます?
じゃあたとえば「のんびり」という状態を動詞にする時「のんびる」っていいます?
というかそれが正しいと思うのならばそのような言葉を広めたらどうですか?
というかサ行の動詞は本来存在しないと言いたいんですか?意味がわからない。

640古代史大好き:2008/02/29(金) 18:11:40
言語の基本は「あ、い、う、え、お」の母音
この母音の言意は「言葉の方向性」、この五つの方向性が基礎となり言葉の意味を作り出しています。
母音がなぜ「母」と言われているのか?
それは母から産まれた「子」が存在するからです。(子がいるから母と言う道理)

例えば子音Sの母は母音e
この母音eに時間を付加すると子音Sになります。(どうしてかって? 興味があったら自分で調べてください)

つまり
言葉の意味の基本は、 母音である(方向性)と(時間)の組み合わせなんです。
サ行にはサ行の意味があり、ラ行にはラ行の意味があるのです。
サ行はつまり(子音S)、eと言う言意に時間を加えるという意味がある
因みに
母音eの方向性は(→→)横方向 と言う言意で、文字にて表現すると「重」
「重/かさーなる」  
だから 「絵」「柄」「会」・・・・・・など文字に(え)という和語があてられているのです。
その(母音エ)に時間を加えると子音Sになり
子音Sの基本的言意は、「時間的に重なる」という意味になります
 
641日本@名無史さん:2008/02/29(金) 18:18:45
「揺る」という言葉があります。
意味は「揺れる」です。
「揺れる」というのは風などによって自然に揺れている状態です。
しかし人が介在した場合それは「揺らす」です。
〜す、というサ行は人の意思が積極的に介在した場合に用いられます。

申ると言った場合、思ってもいないのに口が勝手にしゃべっていることになります。
現実にはそんな事はありえないので、申るという日本語は存在しないのです。


642古代史大好き:2008/02/29(金) 18:20:22
>>639

>草木が地面から地下に伸びます?

草木の種子は最初根が下方向に伸びてから、上方向に芽を出しますよ


>日本語の決まりについてどうしてって?聞かれても答えられますか?
伸びるという言葉が何故上から下なんですか?意味がわかりません。
というか言葉の成り立ちそのものをわかってないのでは?
草木が地面から地下に伸びます?
じゃあたとえば「のんびり」という状態を動詞にする時「のんびる」っていいます?
というかそれが正しいと思うのならばそのような言葉を広めたらどうですか?
というかサ行の動詞は本来存在しないと言いたいんですか?意味がわからない。


その分からないものを、分かるようにする作業をしているのです。
だから私の言ってることも、今は理解できないのです。


言葉の根本です。


643日本@名無史さん:2008/02/29(金) 18:26:11

>草木の種子は最初根が下方向に伸びてから、上方向に芽を出しますよ
それは伸びる(成長する)ではありません。発芽です。芽吹くです。
草木が伸びるって種が育つって意味なんですか?だから日本語が変だって言われるんですよ。

644古代史大好き:2008/02/29(金) 18:27:11
>>641

>「揺れる」というのは風などによって自然に揺れている状態です。
しかし人が介在した場合それは「揺らす」です。

だから
その「揺れる」「揺らす」と言われている言葉が「ゆらす」「ゆれる」と言われているのか?
「揺らす」の「揺」がなぜ(ユ)という音で表現されたかという根本的な事を言っているのです。
645日本@名無史さん:2008/02/29(金) 18:31:54
644
そうですかそういうことは専門家に聞いた方がいいですね。
国立国語研究所にでも聞いてみてください。

646古代史大好き:2008/02/29(金) 18:34:34
>>643

>それは伸びる(成長する)ではありません。発芽です。芽吹くです。
草木が伸びるって種が育つって意味なんですか?だから日本語が変だって言われるんですよ。


既に上方向だけの答えしか設定出来ない
草木の成長と言う限定的な設問を用意し、その設問に対し答えを誘導していますね
草木の成長と言う根本には根と言うものが存在しますので、私の回答は有効と言うことになります。

誘導的な設問はいけませんよ
647古代史大好き:2008/02/29(金) 18:37:51
>>645

>そうですかそういうことは専門家に聞いた方がいいですね。
国立国語研究所にでも聞いてみてください。


一般の人でも出来ることですよ
648日本@名無史さん:2008/02/29(金) 18:43:19
それならそちらは問題のすり替えですね。
最初はなぜ「揺らす」がサ行でラ行の「揺る」ではいけないのか?という内容でしたね。
ここでは動詞の活用がサ行か、ラ行かという話だったはずです

ところが644ではなぜか「揺」がなぜ「ユ」なのかという音の問題ににすり替わっています。
文法のことを言っていたのにいきなり発音という根本を研究しているのだという。
わけがわからないので後はご勝手に。
649日本@名無史さん:2008/02/29(金) 18:44:07
タイトル:謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!番外編

名前:空白              E-mail:空白

魏志倭人伝に謎の女王なる「卑弥呼」が記される。
この「卑弥呼」は誰だったのか。
現在でも「天皇家」や「国家誕生」に関する議論がされてるのはご存知だろう。
この謎の人物卑弥呼、天皇家と関わり合いはあったのか。
また、不可解な行程記事を追ってみようと思う。

※ここは「日本@名無史さん」専用終止符スレです。
スレ立ては誰でも可能ですが、ちゃんと999まで使い終わってから
スレ立てしましょう!又、管理は「神奈川県民」がします。
メイン&サブタイトルもお忘れなく! 神奈川県民
650神奈川県民:2008/02/29(金) 18:45:39
↑これならOK

古代史大好きさんすみませんがお願い出来ますか?
今、スレ立て出来なくって!
651神奈川県民:2008/02/29(金) 18:47:25
またブルーを忘れてしまいました(笑)

昔っから終止符スレ専門に住み着いてる「日本@名無史さん 」又は
これから住みたいと思ってる用です。
652古代史大好き:2008/02/29(金) 18:54:36
>>650県民さん

たぶん私もスレ立て出来ないかも?

PCからも滅多にスレ立てられないし、携帯からは殆ど不可能な状態です。

たぶん
両方のホストに規制が掛かっているのでしょう?
653神奈川県民:2008/02/29(金) 18:58:45
了解〜こんなことお願いして申し訳ないです。

わたしも問題解決に向けて、以前からこれを作成しようとスレ立て頑張ってたんですが、
ネカフェでも無理でして・・・。違うネカフェでもいってこようかな。
654古代史大好き:2008/02/29(金) 18:59:25
>>648

すり替えではありません。「サ」であろが「ユ」であろうが、導き出す方法は同じ。
対象文字が違うだけです。

>発音

音韻学ではありません。
655日本@名無史さん:2008/02/29(金) 19:08:30
654
発音の問題ではないということですね。
<「揺」がなぜ(ユ)という音で表現されたかという根本的な事を言っているのです。
というのはつまりユウ、とかヨウではなく何故ユなのかということですね。
それなら「音」という表現は使うべきではありませんね。
656神奈川県民:2008/02/29(金) 19:12:26
「アナウンス」

>>649で書いた新しいスレを3月2日(日)までにわたしが立ち上げます!
問題解決へと向かいましょう! 隣町のネカフェまで行かなくてはならず、
3月2日(日)までお待ちください!これ以上は引けませんのでご理解お願いします。
657日本@名無史さん:2008/02/29(金) 19:15:36
2ちゃんねるスレッドで管理しますとかwww
アホだwwwww
2ちゃんねるのシステムを知ってから書き込めwww
ドツボは天然記念物だwww
658日本@名無史さん:2008/02/29(金) 19:18:04
>>656
バイトでもして、パソコン買ってからおいで
659古代史大好き:2008/02/29(金) 19:21:42
>>655

音韻学からすれば微妙な問題ですからね
660aratame himiko:2008/02/29(金) 19:37:42
謎の文献『魏志倭人伝』に記された行程記事。
この記述が、伊都國の前後で書法が異なっている。

始度一海,千餘里至對馬國
南渡一海千餘里,・・・・,至一大國
又渡一海,千餘里至末盧國
東南陸行五百里,到伊都國

伊都國までは方位・距離・国の順で記され。
伊都國より先は、方位・国・距離の順で記されている。

東南至奴國百里
東行至不彌國百里
南至投馬國,水行二十日
至邪馬壹國,女王之所都,水行十日,陸行一月   どう捉えるべきでしょうか?
661日本@名無史さん:2008/02/29(金) 19:40:24
このままでは3/15に表現の自由が奪われる!
   2ちゃんに"韓国嫌い"って書き込んだだけでアウト!

       日本を乗っ取られたくない奴は目を通してくれ!

人権擁護法案をVIPPERで潰せ!!!!!!!!!!!!!五の章
http://yutori.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1204120141/

【手紙】人権擁護法案反対リアルメル凸運動 3【葉書】
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1114300664/

人権擁護法案、外国人参政権、反対合同連携OFF
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1202004248/
662aratame himiko:2008/02/29(金) 19:41:28
七支刀について盛り上がってますが、
七支刀の銘文「倭王旨」
この倭王が誰なのか興味が沸きます。

太国氏がいう倭王旨=安康天皇
安康天皇が中国風の名称「旨」である証明出来るんですかね?

ちなみに安康天皇とは後世の贈り名であって当時は穴穂皇子(あなほのみこ)。
さっき「旨(むね)」なる字を調べたんだが、
・主とすること。中心とすること。
・物事の意味・内容。物事の主旨。おもむき。《旨》な意味があるようです。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%82%80%E3%81%AD&dtype=0&stype=1&dname=0ss
663aratame himiko:2008/02/29(金) 19:43:38
>>661>>657>>658
タイトルと関係の無いレスはやめてくださいね!
664日本@名無史さん:2008/02/29(金) 19:46:29

FBI超能力捜査官ジョー・マクモニーグルさんが透視したようです。
学研ムー3月号

卑弥呼の出身部族は九州と本州南部地域で、朝鮮半島の南部をも領有していた海洋部族だったらしい。
これらの海洋部族が半島から稲作をもたらしたそうだ。

そして、卑弥呼の先祖を8・9世代遡ると沖縄にたどりつく。
更に遡ると中国南部・東南アジアあたりだと。

沖縄から九州に上陸したみたいだね。


九州説支持のみなさん、学者のみなさん
おめでとうございます。(^^)
九州説の学者のみなさん人生かけてよかったですね。
665日本@名無史さん:2008/02/29(金) 19:49:14
オマエモナー
ってかちゃんと読めカス!
スレッドはただのお題。スレッド立てたからって
管理人になるわけじゃないと何度言えばわかるんだい?
666aratame himiko:2008/02/29(金) 19:54:47
>>664
学研ムーで卑弥呼について書かれてるぽい。
ムーて本読んだことナインだが、その情報だけですか?
もし良ければ、別の情報も書き込んでくれませんか。
667aratame himiko:2008/02/29(金) 20:03:34
>>665
あのなー!
〜管理人管理人スレ主スレ主っていいかげんにしろって!
あたま冷やせよ!〜たく。 管理人なんて居ないんだよ(ひろゆき以外)。
謎の終止符では荒らしたくないだけでしょ。
それに関係ないレスはするんじゃないって!
668日本@名無史さん:2008/02/29(金) 20:06:27
>>667
タイトルと関係の無いレスはやめてくださいね!

※ここは「日本@名無史さん」専用終止符スレです。
スレ立ては誰でも可能ですが、ちゃんと999まで使い終わってから
スレ立てしましょう!又、管理は「ひろゆき」がします。
メイン&サブタイトルもお忘れなく!
669aratame himiko:2008/02/29(金) 20:11:29
よっぽどこのスレがほしいらしいね〜シツコイし!
何で人が作ったのを欲しがるのか分からない!

向こうへいってくださいね!
670aratame himiko:2008/02/29(金) 20:13:24
今〜スッゴイ顔でにらんでるんだろうねwww

こうゆう人とは取り合いたくないんで〜これから買い物でも行きましょうかね!
では!!
671日本@名無史さん:2008/02/29(金) 20:52:49
>>669
何言ってんのコイツwww
誰が欲しいんだよwwwこんな糞スレいらねーよwwwww

>又、管理は「神奈川県民」がします。
メイン&サブタイトルもお忘れなく! 神奈川県民

お前のこのレスについてどう解釈すればいい?
672日本@名無史さん:2008/02/29(金) 20:57:48
ドツボの勘違いワロタ
673日本@名無史さん:2008/02/29(金) 23:52:03
>>632

>日本語の姿(最低限漢字に和訓を必死にあててきた当時の)を再現

とか言ってても

貴方は現代口語を基に「理論」を構築してますよ。

つーか、古語は全く理解されていないように見受けられます。

いにしえの日本の「再現」までには時間がかかりそうですね。

余談ですが、「わずか」と「ばかり」の考察について面白い例文があります。
出典は芥川の「羅生門」、追いはぎが老婆の衣を奪い去る有名な場面です。

「梯子のロまでは、わずかに五歩を数えるばかりである。」

「わずか」も「ばかり」も「おおよそ」の意であるなら・・・

「梯子のロまでは「おおよそ」五歩を数える「おおよそ」である。」w
674古代史大好き:2008/03/01(土) 00:13:30
>>673

>「梯子のロまでは、わずかに五歩を数えるばかりである。」

「わずか」も「ばかり」も「おおよそ」の意であるなら・・・

「梯子のロまでは「おおよそ」五歩を数える「おおよそ」である。」w


別にいいんじゃないんですか?
「おおよそ」は(わずか)にあたりますから

で、何を言いたいのでしょうか?
675日本@名無史さん:2008/03/01(土) 00:14:10
>>656  神奈川県民=改めドツボ

こいつアホだw
とことんアホだwww

ぶっちゃけ邪馬台国スレなんか「終止符」も「ドンこい」も大して変わらない。
このスレで卑弥呼の比定の話がどれぐらいある?


自分の気に入らないキカコされるのが嫌ならスレなんか立てなければ良い。
つか2ちゃんなんか止めてブログでも立ち上げろって話w


676どくだみ:2008/03/01(土) 00:24:02
>>674
個人的なことに立ち入った質問で申し訳ないんですけれど、
古代史大好きさんは、中学生のとき学校の成績はどうでした?
真面目な方でしたか。それとも、割と勉強嫌いで、遊んでいた方ですか。
それから、中学生から20才くらいまでの間に、どんな本をどのくらい読んできましたか?
677古代史大好き:2008/03/01(土) 00:27:37
>>673

古語に大分自信ありそうだから、残り300レス程使って古語について簡単に説明してくれないか?


では
お願いします。
678日本@名無史さん:2008/03/01(土) 00:31:05
>>652 古代史大好き=プラム=河童虫

スレ立てできたら立てる気なのか?
>>649の神奈川ドツボの 俺サマの都合100%スレ をw

こいつもドツボと同じレベルのアホだwwwww


まあ「類友」ってやつですかwwwwwwwwwwwww
679古代史大好き:2008/03/01(土) 00:36:29
>>678

もう
正直な話し、関連スレはいらないだろう。

俺も自分で立てたスレあるし、新に立てるわけにはいかないだろう。
680日本@名無史さん:2008/03/01(土) 00:51:00
人類の歴史は、わずか(おおよそ)200万年であるが、
地球の歴史は、わずか(おおよそ)45億年であるw
681古代史大好き:2008/03/01(土) 00:57:53
>>676どくだみさん

勉強ですか?


殆ど部活と遊びに費やしましたね
特に歴史なんて
今でも小学生レベルじゃないかな?


>本

殆どゼロに近いかな?
地図と時刻表だけは毎日眺めていましたけど



はっきり言って
アホでした(^O^)/
682日本@名無史さん:2008/03/01(土) 01:03:11
>>681
>はっきり言って
>アホでした(^O^)/

過去形にしているところが間違い。
683古代史大好き:2008/03/01(土) 01:07:58
>>682

アホヤナ〜っ

どくだみさんは期間限定での質問だよ
今を含めているわけじゃないの
684日本@名無史さん:2008/03/01(土) 01:19:04
683
あんまり言いたくないが674のコメントを見る限り
673の言いたいことをまるで理解していない。
だから基本的な読解力がないのでは?と思ってしまう。
だからどれだけ本を読みましたか?と聞かれたのだろう。
それも理解してなさそうだ・・
685古代史大好き:2008/03/01(土) 01:26:16
>>684

今もアホやからな〜っ
勘弁してなっ


で、ところで貴方はいつの間に割り込んでお節介やいてるの?
何か言いたくて言いたくて、我慢出来なかったのかな?
686aratame_himiko:2008/03/01(土) 01:38:44
ここは邪馬台国系の学問的なこと話題にし話したり、議論する場所。

スレの話するなら「【初心者】スレッド立てる前に質問をPart21【歓迎】」
でも一緒いきません?
687日本@名無史さん:2008/03/01(土) 01:46:39
146 :aratame_himiko:2008/03/01(土) 01:13:09
>>139
>プ様が降臨すれば、

そうそう、貴方はよく分かってる。実は終止符14がよく上がってるのは
この改めの実力やなくプ様の実力なのである。
あと愛知県民さんとか唐松山さん、古代さんとか。

↑今、あまりよそのスレにちょっかいかけないほうがいいと思うが。>神奈川県民さん。
それでなくてもあなた関連(あなたが原因のすべてとはいわない)で荒れてるので。
数日前の「潰してきます」について反省を表明されたばかりではありませんか?
688aratame_himiko:2008/03/01(土) 01:49:34
>>687
ここは邪馬台国系の学問的なこと話題にし話したり、議論する場所。

スレの話するなら「【初心者】スレッド立てる前に質問をPart21【歓迎】」
でも一緒いきません?
689日本@名無史さん:2008/03/01(土) 01:58:49
>>688
【初心者】スレッド立てる前に質問をPart21【歓迎】は
そんな議論をするスレじゃないと思うが…
690日本@名無史さん:2008/03/01(土) 01:58:55
>>686 改めドツボ

今更何を言っているんだお前わ?w
何を言っても手遅れだなwww

それにそう言う事なら「初心者質問スレ」じゃなく「自治スレ」だな
もっともこの板の自治スレは機能していない見たいだが…

もっともスレの私物化を公言している改めドツボが
どの面提げて自治スレに書きこめるのかだがwwwwww

691aratame_himiko:2008/03/01(土) 02:09:06
どこか適当なところあるかな?ここのサイトやなくレスが消える
ちゃっとでもよくね?イヨタンさん〜アドだしてくれる?
692日本@名無史さん:2008/03/01(土) 02:20:16
>>691
それこそ「管理人」の仕事では?

まあこのスレのいざこざはこのスレで解決するのが普通だと思う
693aratame_himiko:2008/03/01(土) 02:37:00
私としては以前みたいに元に戻ればいいだけの話なんだが。。。。

>>649はSTOPかけたほうがよさそうだね・・・また混雑するし。
私の責任は14にだけあるわけだし、スレ13,15は出した人に
ちゃんと999まで片付けて貰うしかないですよね。
694日本@名無史さん:2008/03/01(土) 02:41:10
ぶっちゃけ神奈川県民氏が、スレ立ての権利とか言い出してからおかしくなったわけで、
現状でも県民氏が書き込まない時間帯はふつうに議論が機能してるふうだし。

きびしい言い方するようだけど県民氏は少しのあいだだけココ離れたほうがいいのでは?
695日本@名無史さん:2008/03/01(土) 02:50:52
まあ、あまり2ちゃんに馴れてなかったからだろう。
昔は2ちゃんに書き込む前に半年ROMれといわれていたもんだがのう
696aratame_himiko:2008/03/01(土) 03:12:04
<魏志倭人伝>
今使譯所通三十國

<後漢書>
使驛通於漢者三十許國

魏志倭人伝と後漢書では若干、違う書き方をしてるんだよね。
697aratame_himiko:2008/03/01(土) 03:20:40
半年ROMれなんてとてもとても・・・。

もともと土日しか来なかったんだが、最近は平日もかなり来てる。
今週は毎日だし、貴方の言うとおり少し減らしたほうが良いかな。zzz
698aratame_himiko:2008/03/01(土) 03:24:01
>>694-695
平日、毎日来ちゃうと貴方みたいに汚れちゃうんだよね(笑)
土日専門に戻すか・・・。仕事に集中できるし!
699日本@名無史さん:2008/03/01(土) 03:27:50
>>697-698
改めドツボ、分裂気味ですwwwwwwww
700日本@名無史さん:2008/03/01(土) 03:41:57
土日もお仕事に集中されることをおすすめいたします。
                  スレ住民一同
701日本@名無史さん:2008/03/01(土) 03:48:52
いや絶対こいつ計算してるってw

素でこんなやついねーよwwwwww
702どくだみ:2008/03/01(土) 08:28:41
>>634古代史大好きさん
>漢語「許」と和語のかけはしは和訓の(ゆる‐サ行)或は(ばか‐リ)
>この和語を手掛かりに漢語「許」を探らなければならないのも事実です。

貴方が、「ばかり」や「ゆるす」の語尾にこだわってやっている事は、
「許」と言う字に訓をあてた日本人が、
その時どういう意味で翻訳したかを確定する作業なのです。
それは、漢文そのものの読解ではありません。
漢文そのものの読解と、翻訳の歴史を調べる事を混同してはいけません。

「三千許家」こう書かれたとき、具体的に三千以内の家を想像するか、
或いは、三千前後の家を想像するかは、「許」の和訓とは無関係です。
具体的な物の数ですから。
私が、直読直解すればいいと言ったのは、そういう意味です。
日本語を使わないという意味ではありません。
日本語で論じるとしても、それぞれ、三千以内・三千内外などと表現できます。
日本語が嫌なら、「許」の意味を、「permit」「forgive」「about」「limit」「only」
などを使って論じればよいことです。
実際、アメリカ人は、そうやって研究しています。
日本語の語尾に頭をひねる必要は、何処にもありません。

それから、更級日記に「いづこばかりと明け暮れ思ひやる」という文があります。
「おおよそどの辺りを旅しているのかと、いつも思いを馳せる」という意味です。
この「ばかり」が、限定では、意味がとおりません。
更科日記は平安時代中期の作品です。
漢文訓読法が確立された平安期に、「ばかり」が「おおよそ」の意味で使用されている以上、
「ばかり」の原初の意味は「限定」だけだったと、いくら主張しても、
漢文訓読の「ばかり」が「限定」の意味で用いられたことにはなりません。

昨夜の質問については、また後ほど。
703日本@名無史さん:2008/03/01(土) 09:14:14
>>702

プ氏の「わずか」=「おおよそ」説の根源は、次のような発想なのだと思います。

 ・「わずか」と言うコトバは数量を示すものであるにに、具体的な数値は示めしていないではないか。

 ・つまり
  「わずか」は「実数」を示さない、だから「わずか」は「概数」である。
  また、「おおよそ」も「実数」を示さない、だから「おおよそ」は「概数」である。
  ゆえに「わずか」と「おおよそ」は等価である。

 のような「論理」かなと思います。

プ氏に「わずか」と言う和語を理解していただくには

    >「わずか」と言うコトバは数量を示すものである

まずは、この最初の定義が間違いであることを認識してもらわないといけないのでしょうね。

でも、これは「かなり」困難なことですが・・・
現代語では、「波平さんの髪の毛は、残りわずかに一本」とか言えてしまうんですけど、
こんな用法があっても自身の出した結論は変えないはずですw
704古代史大好き:2008/03/01(土) 09:34:21
>>703

>残りわずか一本


「残り」と言う語句を使っているので、既にこの文章には設定条件が設けられています。
つまり
“髪の毛は普通沢山ある”が、波平さんの髪の毛は「わずか/概数」だと言う事です。
そして、その「わずか」を具体的に表した数値が「一本」


単なる誘導的なモノですね
705古代史大好き:2008/03/01(土) 10:02:41
『許』(ゆる‐サ行)(ばか‐り)


この中に「おおよそ」と言う語句が入り込む余地はありません。

「三千許」は
三千と限定したモノが(許)する のです。


多分?「ばかり」の本来の意味を理解せず、ただ「ばかり」からうけるイメージだけで“おおまか”という語句が使われ、今まで常識として今日に至ったのでしょう。
大変悲しい事です。
706日本@名無史さん:2008/03/01(土) 10:21:08
「ばかり」にこだわっているようですが少し離れましょう
日本語ですからね。
「三千許」
「許」という字には「あまた」「多数」という意味があります。
つまり意味合いとしては「三千」が「多い」ということを表す為とも考えられるのです。
三千もの多くの数字に対して「ぴったり三千」という「限定」を加えるのはなかなか困難な事です。
707日本@名無史さん:2008/03/01(土) 10:21:55
「ばかり」にこだわっているようですが少し離れましょう
日本語ですからね。
「三千許」
「許」という字には「あまた」「多数」という意味があります。
つまり意味合いとしては「三千」が「多い」ということを表す為とも考えられるのです。
三千もの多くの数字に対して「ぴったり三千」という「限定」を加えるのはなかなか困難な事です。
708古代史大好き:2008/03/01(土) 10:28:26
>>707

三千ピッタシと言うところに、当時の歴史をうかがう事が出来るのですが


止しましょうか
709どくだみ:2008/03/01(土) 10:45:10
>>704
古代史大好きさん
>“髪の毛は普通沢山ある”が、波平さんの髪の毛は「わずか/概数」だと言う事です。
>そして、その「わずか」を具体的に表した数値が「一本」

わずか=一本 が成立するということは、「わずか」は概数ではないということです。
ご自分で、仰ってしまっています。概数は、具体的に示せないから概数なのです。

「わずか」は、期待する数量に対して、それよりも少ないことを表す言葉です。
それが、具体的な数であろうと概数であろうと関係有りません。
だから、「わずか一本」とも言えるし、「わずか数本」とも言えるのです。
概数も実数も修飾することが出来ます。
つまり、「わずか」は、概数でも具体的な実数でもありません。
その数・量にたいする、「期待よりも少ない」という、話者の心情的な評価です。
それに対して、「おおよそ」は、数字が具体的に決まっていないという
客観的な情報を伝える言葉です。
以上のことから、「わずか」が「おおよそ」の意味になる事はありません。
710古代史大好き:2008/03/01(土) 12:22:36
>>709

>と、なる事はありません。


と、どくだみさんは考えるのであれば
それでいいのではないでしょうか
私が反論し続ける限り、これは永遠に続きます。
既に中止要請も出ているようなので、これ以上の反論は致しません。
根本的な考え方の違いですから、永久に平行線

異質な私が降りた方が、スレも安定するでしょう。
711日本@名無史さん:2008/03/01(土) 12:55:40
普通に わずかってちょっとしかないって意味じゃないの?
712どくだみ:2008/03/01(土) 14:05:29
>>710
古代史大好きさん
別に貴方が降りることはありませんよ。
もともと、棲み分けるために、私はドン来いの方に書き込むことにしていたのが、
ちょっと、ついでに許について書き込んだまでですから。
私はドン来いの方へ行きます。

ところで、昨夜は立ち入った質問をして、失礼しました。
今現在、貴方がどのくらい本を読まれるかは解りませんので、
以下は、もしかすると全くの蛇足かもしれませんが、一応書いておきます。
私は、高校生の頃、教師に「大学時代に固い本を最低1メートルは読め」と言われました。
積み上げた高さが1メートルということです。
(固い本といっても、ハードカバーのことではなく、固い内容の本ということです)
私は、読んだ本の量をメートルで表すというのにかなり感動して、実行しました。
今でも、有り難いアドバイスだったなと痛感しています。
杜甫は、「男子 須らく読むべし五車の書」(車五台分の本を読め)と人にアドバイスしたそうです。
もし、今も学生時代とあまり変わらない読書量でしたら、
とりあえず、なんでも良いので、100冊読むことをお勧めします。
面白い小説とかだと、全然苦にならずに1年くらいで達成できます。(仕事にもよるでしょうが)
歴史に興味があるなら、司馬遼太郎の「坂の上の雲」や「竜馬がゆく」「燃えよ剣」などがお勧めです。
時代ものなら、池波正太郎の「剣客商売」シリーズや「鬼平犯科帳」シリーズ、
吉川英治の「三国志」「宮本武蔵」など。山岡荘八も、とても面白いです。
そのほか、推理小説でもSFでもなんでもいいと思います。
ただ、論文や学術書は、文章が下手なのも多いので、あまりお勧めできません。
713日本@名無史さん:2008/03/01(土) 15:07:34
>古代史大好き

てか最近見ないけど「古代」ってコテハンいるんだし紛らわしくねえか?w
略称で「古代」としたらどっちの事か分からなくなるwww
714愛知県民:2008/03/01(土) 15:21:09
>>537
>末盧國  官難升米,次都巿牛利。

これは改めさん、暴走では?
難升米と末盧国がどうして結びつくのでしょう?
難升米は官名でなく個人名ですし、彼の官名は「大夫」
牛利の官名は「都市」で、市場を監督する「大倭」のことでしょう。

>>662
私はこの倭王は、石上神宮と関係の深い仁徳天皇と考えています。
仁徳天皇死後、住吉仲皇子の乱で去来穂別皇子(後の履中天皇)は石上神宮に避難した。
履中天皇はこれに感謝して父の七支刀を納め、七子鏡は陵に副葬したのであろう。
改めさんは九州王朝説のようですが、なぜ刀が畿内にあるのか説明が必要となります。
715河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/01(土) 15:24:12
>>713どくだみさん


司馬遼太郎なら七割方、吉川英治は六割方読みました。
いやなにね
てっきり純文学を指していると思ったので
「龍馬がゆく」や「新書太閤記」などは五六回繰り返し読みました。
ただ、新平家物語は途中で投げ出しましたけど


殆ど二十代の出来事ですが
716日本@名無史さん:2008/03/01(土) 15:29:33
「邪馬台国」って悪い意味なんだってよ
「魏志倭人伝」の「魏」も
「倭」も悪い意味
「奴の国」の「奴」も!
「卑弥呼」も最初は文字が無かったんだけど中国人が勝手に悪い意味になるように作った

日本人が文字を知らない事を良い事に悪い意味ばかり付けていたのだ!
717日本@名無史さん:2008/03/01(土) 15:43:07
若いうちから古代史の本ばかり読んでいると考えかたが偏狂になるよ。
有史以前にも同じ日本人が住んでいたわけだし、新しく来た渡来人と
どうかかわって融和していったかを知る必要があります。
歴史は途絶えることなく流れていること、世界は繋がっていることをより
多面的に知るには、生身の人間とより多く付き合っていくことが大事。
それには、友達と共通の話題を持たないといけませんね。
718日本@名無史さん:2008/03/01(土) 15:57:56
卑弥呼は邪馬台国が九州に派遣した女将軍だよ
719河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/01(土) 16:10:57
昨年は丸一年がかりで、「漢辞海」(約1700頁・三省堂)を完読しました。
お陰で厚みが五割増しとなり、既にケースには入らない状態です。
今年は古語辞典に挑戦しようと考えていますが
お勧めの辞書がありまたら情報提供宜しくお願いいたします。


出来れば2000頁以内の物を
720日本@名無史さん:2008/03/01(土) 16:25:26
>>716
そんなの常識。知ってる
それ前提での古代学だから、早くついてこい。
721太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/03/01(土) 17:11:28
>>714
外国の博物館にあるという七子鏡ではないかというそれは、確かにそうだと
言えるんですか? まだ検討中ですか?
刀の銘文の年数はどのように解釈されますか?
722愛知県民:2008/03/01(土) 18:41:30
>>721
ボストンの仁徳陵出土品
鏡は細線式獣帯鏡で、青龍、白虎、玄武、朱雀などの霊獣を文様とする立派なもので、後漢製の舶載鏡と推定される。
しかし、百済の武寧王陵から同種の鏡が発掘され、中国の南朝での製品という可能性が強まってきた。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BB%99%E9%99%B5%E5%8F%A4%E5%A2%B3
考古学に詳しい方、教えていただけますか?
刀の銘文の年数は369年でよいと思います。
723愛知県民:2008/03/01(土) 19:31:25
日本書紀で応神天皇の埋葬記事が無いのは、やはり奇妙。
大山守皇子・菟道稚郎子の埋葬記事まであるのに。
また「枯野」という船の話など、応神・仁徳両天皇の話は記紀で入り乱れている。

応神天皇は実在せず、古事記の応神394年没が神功皇后没の誤りとしたら?
神功皇后の没年は日本書紀から120年繰り下げた年にきわめて近くなる。
仁徳天皇は362年(仲哀没年)ころ生まれ、32歳で即位し65歳で没した。
あくまで仮説ですが、ありそうな気もします。
724唐松山:2008/03/01(土) 19:48:26
書記で 応神没から雄略没まで 171年 末の19年を引くと 152年
古事記 応神没から雄略没まで 156年

書記では 仁徳に大きな?
古事記では 雄略が 長すぎ?

似た様な永さでは ある。
2重 ではないか?
725日本@名無史さん:2008/03/01(土) 19:58:03
古代邪馬台国は富士山で復活する!
726愛知県民:2008/03/01(土) 23:01:38
他スレ(天皇陵の指定を見直そう!)より
186 :日本@名無史さん:03/05/17 00:29
◆伝・仁徳陵出土の品
 アメリカ・ボストン美術館には仁徳陵から出土したと伝える環頭太刀の柄頭,
獣帯鏡,三環鈴,馬鐸の四種の品がある。同美術館の所蔵となったのは1908年
(明治41年)のことである。
 これらの遺物が世に出て,海を渡るまでのいきさつについては,「百舌鳥耳
原洪寶録」(『考古学』9−1)にくわしく記されている。
 それによると,明治25年の秋に,この品を百舌鳥村の老人が携えてきたので,
たぐい稀な豪華さから,これこそ百舌鳥の仁徳陵にふさわしいものと思ったと
いう。
 「仁徳陵出土」というのはここからはじまったのである。したがって,この
報告どおりだとすると,仁徳陵古墳の副葬品であった根拠はないのである。
 しかし,金象嵌の環内に単鳳を飾り,柄を銀線で巻いた環頭大刀と,繊細な
文様と銘文を鋳出した獣帯鏡はきわめて優品であり,これと同様の環頭太刀と
鏡が,百済の武寧王陵(523没)から発見されていることからみても大王墓の
副葬品としてふさわしいものであり,おそらく,百舌鳥野の,5世紀後半につ
くられたいずれかの古墳から出土したものであることは間違いないであろう。

堺市博物館『大王墓の時代−百舌鳥古墳群・よみがえる五世紀−』(1996年)より
※1 引用にあたって漢数字を算用数字にあらためた
※2 2ヶ所の「環頭太刀」は原文のママ
727愛知県民:2008/03/01(土) 23:04:57
もう一つ。
217 :日本@名無史さん:03/06/03 20:31
1872年、仁徳陵古墳が水害でくずれて内部が露出しましたが、そこか
ら出土されたとされる銅鏡や環頭太刀などがアメリカのボストン美術館に所蔵
されました。

  この鏡は、同心円上に丸い突起が七つあることから七子(ななつこの)鏡
とよばれますが、これが民族派の懸念(?)どおり、百済武寧王陵の宜子孫獣
帯鏡とそっくりなことが韓国でのコンピューター画像解析により最近判明しま
した。

  銅鏡の大きさはもちろんのこと、白虎や青龍など四神の紋様があることや、
全体の姿かたちなど瓜二つです。同志社大の森浩一教授によれば、それらはい
わば兄弟鏡で、日本か百済で作られたのだろうとのことでした。

  この史実に関係ありそうな記述としては日本書紀があります。神功皇后の
記事にはこう書かれました。
 「52年、秋9月10日、久テイらが、千熊長彦に従ってやってきた。そし
て七枝刀(ななさやのたち)一口(ひとふり)、七子鏡一面、それにさまざま
の重宝を献上した」

  この記事は、もちろんそのまま信用するわけにはいきませんが、ある程度
は何らかの史実を反映しているようです。たとえば、百済から贈られた七支刀
も実際に存在し、国宝として石上神宮に保管されています。不思議な形をした
この刀は、もちろん百済製です。
728太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/03/01(土) 23:41:57
石上(イソノカミ)とは五十の上ということではありませんか?
七支刀と七子鏡での数字で 7×7=49=50−1

仁徳崩御は倍暦計算で419年ですが、泰始四年=468年で

 419+50−1=468年=安康元年(←倍暦計上)

こういう関係からでしょう? 
729日本@名無史さん:2008/03/02(日) 00:00:55
仁徳稜の内部が露出したというのは、言い訳で本当は
盗掘だったということを書いていた人もいたね。
その人は、在地の有力者を挙げていたが・・・
730日本@名無史さん:2008/03/02(日) 00:03:49
>>728
バーカ
731日本@名無史さん:2008/03/02(日) 00:47:20
「スレ主」氏でてこないと、流れがスムーズだという現状
732aratame_himiko:2008/03/02(日) 00:56:10
>>714 愛知県民さん
>これは改めさん、暴走では?
>難升米と末盧国がどうして結びつくのでしょう?

ズバリ「筆法」です!

>難升米は官名でなく個人名ですし、彼の官名は「大夫」
>牛利の官名は「都市」で、市場を監督する「大倭」のことでしょう。

「大夫」、「都市」、「大倭」などに関してはまた別でやりましょう!
今回は愛知県民さんの疑問である『末盧國の官名が無い問題』 を解いたまで!

これが正解ですとしか言えません。

説明に関してはこちらを読んで理解して下さい。(>>525-537>>541

それでも分からない人は私のレス(参考>>541)の「♪」で
判断して貰えるといいかと思います。

愛知県民さん〜あまり大きな声で言えませんが、『「至」と「到」の違い』と
この『末盧國の官名が無い問題』は信用して大丈夫です。100%正解です。

河童さんにも聞いてみるといいかも。
733日本@名無史さん:2008/03/02(日) 00:59:29
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!
734aratame_himiko:2008/03/02(日) 01:09:25
>>730>>731
ドンと来い!さん〜イヨたんさんでいいか。
オメー余所のスレでくだらないレスしてるんじゃないよ!
いい加減にしとけよ!
自分のおうちに帰ったらどうだ?
735aratame_himiko:2008/03/02(日) 01:42:56
どくだみさん
「許」について、「ばかり」や「ゆるす」の意味で河童氏と議論してるが、
わたしの考えでは同じ意味が含まれてると思うんだがどうでしょうか?

旺文社 漢字典より
「ゆるす」・・・ききいれる、みとめる(許可)、罪過をゆるす、
       まことと信じる、あてにする
「ばかり」・・・ほど、里許(一里ほど)、どれほど

基本的に「許(キョ)」はゆるすの意味で考えてますが、ばかりの意味も含まれる
としたら駄目なんでスか?
辞書で調べると
・許可・・・同意してききいれる
・許嫁・・・双方の親が決めた互いの子供の結婚の約束
・許容・・・大目に見て許すこと
・許多・・・あまた。数が多い。 とかなんですが・・・。
あ!高卒です。しかも授業フケてた方なんですが・・・w
736日本@名無史さん:2008/03/02(日) 02:03:25
>>734 改めドツボ
まあ、ここがおまえの家と言うわけでもないだろうなw

てか期待を裏切らない反応w

餌無しの針にでも食らいつく文字通りの雑魚wwwwww

737河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 02:07:39
>>735

漢和辞典完読をすすめます。

今まで知らなかった結構色んな事が見えてきます。(高卒です。朝の(-。-)y-゚゚゚→授業→部活→パチンコ→麻雀が、一日のローテーション)

毎日が実に楽しかった(^O^)/
738aratame_himiko:2008/03/02(日) 02:18:37
<十種神宝と石上>
古代 物部氏の伝承が記されてる「先代旧事本記」には鎮魂の起源について、
天神御祖が物部氏の祖先である饒速日尊に授けた。
おきつ鏡、辺津鏡、八握剣、生玉、死返玉、足玉、道返玉、蛇比礼、
蜂比礼、品物比礼から成るという。

この十種神宝は布留御魂と呼ばれ祟神天皇時代に石上神宮へ移して
石上大神と名付けられたという。

私の持っている本には「一二三・・・・・・十」と唱えれば死人も生き返ると
書かれてるんだが、どんだけ〜凄い神宝なんやろね(笑)
739日本@名無史さん:2008/03/02(日) 02:33:21
>>737
タバコは二十歳から。
改め〜ドツボはパソコンを買ってから。
740aratame_himiko:2008/03/02(日) 02:37:54
みなさん〜!>>474 愛知県民さんレスに注目〜!

>古代さんとも論争したいけど、ちょっと時間がないんで、いつかやりましょう。

これについて古代さんの返事がありませんね。
どっかのスレに古代さんのレスがあり2ちゃんには来てるみたいです!

さて、土日専門で来ている愛知県民さんですが、それに合わせて
古代さんもここ終止符スレへあがるのでしょうか?宮本武蔵でつか?
本日、現れなかったということは明日の夕方ぐらいから〜?!来週?

愛知県民さんと古代さんが「やる」らしいので明日に注目してみましょう!
テーマは何にするのか、どんな展開になるのか。みんな大注目です!
見逃さないように!!
741aratame_himiko:2008/03/02(日) 02:50:39
>>739 ドンと来い!イヨたんさん
おめーのレスは毎回〜面白みが無いんだよね。センスが無いというか。。。
>>739>>730とか>>731>>630>>556)みてごらん分かってる?
どうせ書き込むなら、邪馬台国の学問的なことか>>408みたいに
観てる人が笑える突っ込みレスにしてくれ。
それと終止符とドンと来いは仲良くしたほうが良い!
お互い傷付けあってもお互いが「損」するだけやない?
大人なら分かると思うが、
お互いが「損」してスレの価値を下げるんやなく、お互いが「得」するほうへ
もっていきません? ってことでクダラナイレスは止めといてください。
勉強になるような邪馬台国の学問的レスか笑えるような突っ込みレス希望。
742日本@名無史さん:2008/03/02(日) 02:56:47
>>740 aratame_himiko

・・・おまえさあ、、周りから「空気読めない奴」とか「しらける奴」とか言われない?

743aratame_himiko:2008/03/02(日) 03:05:31
ああ〜あんたなりに考えてレスしてるってこと?
それならもっと〜少なくて面白いレスにしてくれよ。

それと自宅にPCにあるんだが、規制ばっかでネカフェで来てる。

あ!>>737の河童さんのレスはスルーで!ww  ではまた明日(夕方?)〜zzz
744愛知県民:2008/03/02(日) 07:18:14
>>541
改めさん、申し訳ないですが計算間違いですよ?
>難升米・・・中郎將

>掖邪狗等(八人)・・・・中郎將

>中郎將掖邪狗等二十人      同格です。

合計二十九人と言いたいのでしょうが、掖邪狗さんがダブっています。
それに遠絶二十一か国から直接朝貢があったのなら、その官名も書いてあるはず。
連合した倭国としての朝貢でしょう。

>倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和

どうして卑彌弓呼=狗古智卑狗ですか?
男子爲王、其官有狗古智卑狗
745愛知県民:2008/03/02(日) 07:40:58
>>740
古代さんは畿内説のようですが、私も畿内説に戻りたくなってきました。
隋書とあわせて読むとそう思えてくる。
746ローガン:2008/03/02(日) 08:05:55
>>745
あ、その方が良いと思います。
747古代:2008/03/02(日) 08:27:07
745
<隋書とあわせて読むとそう思えてくる。
具体的にはどの部分でしょうか?
748愛知県民:2008/03/02(日) 09:33:20
>>747
都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也

魏徴は方角の違いを認識したうえでこう書いています。

又東至秦王國。其人同於華夏、以為夷洲、疑不能明也

秦王國については慎重に判断を避けている魏徴が、邪靡堆は疑う余地もなく邪馬臺だという。

又經十餘國、達於海岸

これは魏志の「水行二十日」「水行十日陸行一月」に似ています。
北九州は詳しいのに、都までの長い行程があっさりと書かれている。
九州や山陰よりは瀬戸内海の航行がふさわしく思えます。
749河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 11:34:37
>>748

>これは魏志の「水行二十日」「水行十日陸行一月」に似ています。
北九州は詳しいのに、都までの長い行程があっさりと書かれている。
九州や山陰よりは瀬戸内海の航行がふさわしく思えます。


隋書に移動の記事なんて書いていないのに?
750愛知県民:2008/03/02(日) 11:51:35
自竹斯國以東、皆附庸於倭
ここから、都斯麻国(対馬)と一支国は倭国から独立しており、竹斯国・秦王国その他十余国は倭の属国、
倭国は畿内周辺のみを指しているようです。
しかも男王がいるので、日本書紀の記事とは矛盾がある。
書紀では小野妹子を派遣した国を「大唐」としていて、隋とは書いていない。
まさか「俀國」の誤字に腹を立てたのかな?
それとも書紀の年代誤差?

>>749
河童虫さんの意図が分からないのですが。
魏志は単に倭国の地図を述べているだけですが、隋書は文林郎裴清の移動記事でしょう?
751日本@名無史さん:2008/03/02(日) 12:04:38
>>750

釣れないように

どうせ論拠はプラム語でしか理解できない。
プラム語を拝聴したいというのなら別に構いませんけどねw
752唐松山:2008/03/02(日) 12:42:05
20日をかけて ゆく土地 畿内になります。
そこには、 男王が揺るぎなく居ります。
753河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 13:07:44
>>751

どうせ何も語れず指をくわえているだけなんだから
デシャバルナ
754河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 13:23:35
>>749

移動記事じゃないでしょ
ただの位置紹介

東に何々があたて、又その東には何々があるという
単なる
訪れた異国の概要紹介に過ぎないよ

全て視線による位置紹介
755愛知県民:2008/03/02(日) 13:44:31
>>754
いや、移動記事です。
文林郎裴清が倭国への道中で百済を通ったことは書紀にも、三国史記・百済本紀にも明記されています。
(書紀で妹子は国書を百済で奪われたと言っていますが、もらえなかった言い訳でしょう)
また筑紫を通ったことも書紀に書かれています。
この一連の各国記事は魏志の場合と異なり、文林郎裴清を派遣した記事の中にありますので。
756河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 13:56:14
>>755

文林郎裴清が日本に訪れた事実と、記事は別物
裴清の旅行記ではありません。
裴清の訪れた地が、どのような場所かを紹介する記事です。


裴清はどのような手段にて日本に訪れたか書いてありますか?
757751:2008/03/02(日) 13:57:44
>>753

> どうせ何も語れず指をくわえているだけなんだから
> デシャバルナ

オイオイ、いつも泣きべそ書いて逃げ出すだけのプラム君にしちゃ強気だね。
相手になってやろうじゃないかw

『隋書』東夷傳倭國条

明年、上遣文林郎裴清使於倭國。度百濟、行至竹島、南望[身冉]羅國、經都斯麻國、迥在大海中。
又東至一支國、又至竹斯國、又東至秦王國、其人同於華夏、以爲夷州、疑不能明也。
又經十餘國、達於海岸。自竹斯國以東、皆附庸於倭。倭王遣小徳阿輩臺、従數百人、設儀仗、鳴鼓角來迎。
後十日、又遣大禮哥多毘、従二百余騎郊勞。既至彼都、其王與清相見、大悦、
曰:「我聞海西有大隋、禮義之國、故遣朝貢。我夷人、僻在海隅、不聞禮義、是以稽留境内、不即相見。
今故清道飾館、以待大使、冀聞大國惟新之化。」
清答曰:「皇帝徳並二儀、澤流四海、以王慕化、故遣行人來此宣諭。」既而引清就館。
其後清遣人謂其王曰:「朝命既達、請即戒塗。」
於是設宴享以遣清、復令使者隨清來貢方物。

まず、魏志では地理誌と外交誌は全く別の文章として記述されており、
地理誌での位置説明で特定個人の移動と結びつくところはない。

で、随書倭國伝の記述であるが、こちらは、魏志倭人伝と異なり、裴世清の行動と連鎖している。
清が又十餘國を經て達した海岸に於いて、倭王遣使の阿輩臺他數百人は儀仗、鼓角で迎えている。

つまり、百済を渡ったのも、竹島に至ったのも、都斯麻國を經て大海を迥り一支國、竹斯國、秦王國に
至ったのも清の行動であったということである。

最初は、このくらいで小手調べとしましょう。
逃げるならお早めにねw
758河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 14:04:38
>>757

基本的な事を学んでから出直して来なさいよ
話しにならない。
759愛知県民:2008/03/02(日) 14:07:11
>>756
なるほど・・・河童虫さんの意図は分かった(と思います)。
では「自竹斯國以東、皆附庸於倭」はどう考えますか?
この記事を裴清の旅行とは独立した記事とすると
竹斯國以東は、倭の属国ばかりとなり、倭国が何処か分からなくなります。
対馬か壱岐が倭国だと言われるなら別ですが。
760751:2008/03/02(日) 14:13:49
>>758
> >>757
> 基本的な事を学んでから出直して来なさいよ
> 話しにならない。

「何も語れず指をくわえて」逃走するわけねw
キミは「基本的なこと」すれ語らずに「結論」だけ連呼しているだけなんだけどね。


>>756の「裴清はどのような手段にて日本に訪れたか書いてありますか?」

「移動手段」は行動示す場合の必須条件じゃないだろう。
筆者、読者ともに興味が無ければ記述されていなくても構わないだろう。
随書で重要なことは移動者が特定されていることだ。
761河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 14:20:45
>>759
>では「自竹斯國以東、皆附庸於倭」はどう考えますか?

つまり
経緯度的に竹斯国の都の東も同じ範囲と言うことをいってます。

>竹斯國以東は、倭の属国ばかりとなり、倭国が何処か分からなくなります。

属国というよりも、同じ支配地域と考えるべきではないでしょうか
それに「倭国」は主に外交上に使用され、「倭」は地理的な用語ととらえるべきでしょう
外交の基本は「国対国」ですから

>対馬か壱岐が倭国だと言われるなら別ですが

当然対馬や壱岐は倭国であり、倭地の一部です。
762河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 14:22:53
>>760

>「移動手段」は行動示す場合の必須条件じゃないだろう。
筆者、読者ともに興味が無ければ記述されていなくても構わないだろう。
随書で重要なことは移動者が特定されていることだ。


申し訳ないけど
個人的な主観に付き合う気はありません。
763751:2008/03/02(日) 14:24:54
>>762

素直に「ゴメンなさい」って言えないのかなw
764河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 14:33:31
呆れてものも言えん
765愛知県民:2008/03/02(日) 14:35:55
>>761
ふよう【付庸・附庸】
宗主国に従属して、その命令に従う小国。属国。

ヤフー辞書ではこう書かれていますが、当時の用法は違うのですか?
私も勉強します。

>当然対馬や壱岐は倭国であり、倭地の一部です。

隋書をふつうに解釈すれば、倭国から独立しているでしょう?
事実は違っていたかもしれませんけど。
766751:2008/03/02(日) 14:36:17
>>764
> 呆れてものも言えん

それはこっちのセリフだよ。
用語用法は正しく使おうねw
767河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 14:55:47
>>765

宗主国に従属でも間違いではないですよ
ただ、この場面では
「宗主国に従属」と考えるより、同範囲と考えた方がアッサリするんじゃないかと
768日本@名無史さん:2008/03/02(日) 15:23:23
>>766
臆病な自尊心と尊大な羞恥心から人なんだから
それがどういう意味か汲んであげなよ
769河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 15:43:22
やれ
ムッツリ名無しが湧いてきたようだな
770日本@名無史さん:2008/03/02(日) 15:47:22
>>768

しかし、ここ数日の痛さ加減は深刻だよ。
以前なら論破された後は、数日〜数週間は大人しくしてたと思うが、
今は「これくらいのことじゃ、絶対に消えません」って感じだね。
羞恥心も太国並に擦切れてきたんだろうな。
771河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 15:51:55
>論破


アホカっ!
タコどもが〜っ

自分のモノサシで測るな
772日本@名無史さん:2008/03/02(日) 15:55:46
>>765

>隋書をふつうに解釈すれば、倭国から独立しているでしょう?

無駄なこと聞いちゃだめだよ。
プは「漢文読めません」宣言をしてるんだから「普通の解釈」なんて無意味。
もっとも、自己流解釈の論拠も「皆には理解できない」から開陳できないわけだが。
さらには、その奥儀は自分自身も体得していないとも言っている。
自身で理解しておらず、他人に説明できない「理論」を論拠に他説を否定できると思ってる野郎だから、
プからレス付けられたりしたら、アナタは相当に舐められてると思いなさいなw


773日本@名無史さん:2008/03/02(日) 15:57:10
>自分のモノサシで測るな

間違ったってアンタのモノサシで測るやつはいないだろうw
774河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 15:58:41
>倭国から独立


終ってる
775愛知県民:2008/03/02(日) 16:07:19
>倭国から独立

河童虫 ◆EY2wfgakAQさん、何が「終ってる」んですか!
776日本@名無史さん:2008/03/02(日) 16:27:11
>>773
自分の物差しでしか測っていないのは誰なのかみんなわかってるよ。
777日本@名無史さん:2008/03/02(日) 16:32:58
>>776

自分の「物指し」なんて持ってないんじゃないの?
いろいろと言い張ることはあっても、相矛盾するようなことも平気で書くし、
素人判断の「目見等」がいいところだろうw
778日本@名無史さん:2008/03/02(日) 16:36:30
>>777
言われて見ればそうですな。
目見当をめをつぶってやるような御仁ですな hahaha
779日本@名無史さん:2008/03/02(日) 16:44:30
プ氏は土日だけでも出演自粛できないのかな?
平日は閑人しか寄ってこないから、多少のデムパ飛ばしてもOKですよ。
780日本@名無史さん:2008/03/02(日) 16:56:25
神功皇后説

熊襲の女酋説

筑紫君の祖、甕依姫(みかよりひめ)説

倭姫命(やまとひめのみこと)説

ヤマトトトヒモモソヒメノミコト説

卑弥呼=下照姫説

アマテラス=卑弥呼説

日女命(ひめみこと)説

卑弥呼=卑弥呼説

みなさんの好みの女性は?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%91%E5%BC%A5%E5%91%BC
781河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 16:59:19
>>775

先ほども述べたように「倭国」とは外交上の帝国側の表現
その外交上の正式な「倭国」から独立と言うことは、その独立している国は倭国と同等の地位を得ているということです
「その国からわかれた」と言う表現と「倭国から独立」と言う表現は
宋書にて正式に「倭国伝」となりし以降、全く意味も異なります。

782日本@名無史さん:2008/03/02(日) 17:02:47
>>781

そんなことは尋ねていません。
尋ねているのは「終わってる」のが何かと言うことです。
783日本@名無史さん:2008/03/02(日) 17:04:30
以下トヨタン禁止
784aratame_himiko:2008/03/02(日) 17:08:22
なんだ!古代さんは一発でノックダウンか〜?w

まあ、余所へは行かず戻ってくる事だね!
誰が立てたかしらん13のコテハン有りのほうへ行かず、この14へ居座る事。
785唐松山:2008/03/02(日) 17:10:29
当然対馬や壱岐は倭国であり、倭地の一部です。 に とりあえず反対意見

対馬や壱岐、末羅は 海洋民族の国家で 漁業と市てき を生業とする。
容姿は 倭人と同等 文身を 特徴とする。
言葉は 筑紫と違う 肥前風土記に熊蘇は、筑紫と違う言葉をしゃべる。と書かれています。

当時 天皇家の生業が 種貸し であった とするならば、この3国は、対象外。
786河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 17:10:42
>>779

>プ氏は土日だけでも出演自粛できないのかな?
平日は閑人しか寄ってこないから、多少のデムパ飛ばしてもOKですよ。


常にご新規な名無しさんなんだから、つべこべ言わずに我慢すること
それがいやなら
スルーするか、私の倍以上の投稿にて私の書き込みの希薄化をすればいいだけ
常連コテハンの頼みなら無視するわけにはいきませんが、何処の誰とも分からない方の意見を聞き入れるわけにはいきません。

それが常連コテと名無しさんの違いなんです。
787日本@名無史さん:2008/03/02(日) 17:10:46

トヨタン・・・・・・・・・・・・・・・


トヨタン・・・・・・・・・・・・・・・

トヨタン・・・・・・・・・・・・・・・

トヨタン・・・・・・・・・・・・・・・
トヨタン・・・・・・・・・・・・・・・
トヨタン・・・・・・・・・・・・・・・
788河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 17:18:38
>>782

>そんなことは尋ねていません。
尋ねているのは「終わってる」のが何かと言うことです。


だから先ほど書いたろう
そういう注意もはらわず、安易に「倭国から独立」なんて書き込む自体が
『終わっているんです』

それに
貴方は県民さんじゃないよね、そのへん弁えてくれないかな

789日本@名無史さん:2008/03/02(日) 17:20:49
愛知県民終了ってことで尾毛?
790日本@名無史さん:2008/03/02(日) 17:22:41
>>788

>安易に「倭国から独立」なんて書き込む自体が『終わっているんです』

つまり、終わってるのはそのレスを書いた本人と言うことですね。
791aratame_himiko:2008/03/02(日) 17:24:18
>>744 愛知県民さん
>合計二十九人と言いたいのでしょうが、掖邪狗さんがダブっています。
>それに遠絶二十一か国から直接朝貢があったのなら、その官名も書いてあるはず。
>連合した倭国としての朝貢でしょう。

大夫難升米、次使都巿牛利

大夫伊聲耆、掖邪狗等八人

大夫・・・・・・掖邪狗等二十人

愛知県民さんよく見てください!誰も「掖邪狗等八人」など言ってません!
というか私が答えを言おうと思ったら貴方がもう既に言ってるじゃないですか(笑)

「掖邪狗さんがダブっています。」 

「官」29人、一人一人違うとか誰が言ったのでしょうか?
私はそのようなことを言った覚え無いのですが・・・。

>どうして卑彌弓呼=狗古智卑狗ですか?
>男子爲王、其官有狗古智卑狗

誰が卑彌弓呼=狗古智卑狗などいったんですか?

まあ、ここは河童さんからの答えてるところで言葉が足りなかったのかもしれませんね。

其官有狗古智卑狗,不屬女王。
倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和

狗古智卑狗さんときは離れてて、卑彌弓呼素時は仲悪かったと説明すれば理解してくれるんですかね。
792日本@名無史さん:2008/03/02(日) 17:27:51
思うんだけどさ、
せっかくスレが乱立してるんだから、「土日ユーザスレ」と「平日・常駐ユーザスレ」に分けたらどうだ?
余り流れが速いと土日ユーザは付いて行けないときが多いんだよね。
何か付いてるレスに返事書いても、200レスくらい跳んじゃうときがある。
なんかやり難いんだよね。
793日本@名無史さん:2008/03/02(日) 17:31:07
>>786

> 私の倍以上の投稿にて私の書き込みの希薄化をすればいいだけ

「倍」くらいじゃだめなんですね。
アナタ、人気者だから、一書きすれば5個はレスが付く。
794aratame_himiko:2008/03/02(日) 17:45:41
>>745
>古代さんは畿内説のようですが、私も畿内説に戻りたくなってきました。
>隋書とあわせて読むとそう思えてくる。

>>748
>これは魏志の「水行二十日」「水行十日陸行一月」に似ています。
>北九州は詳しいのに、都までの長い行程があっさりと書かれている。
>九州や山陰よりは瀬戸内海の航行がふさわしく思えます。

古代さんはどこ行ったんでしょうかね・・・。

愛知県民さん〜貴方どこを見て畿内説やら九州説とか言ってるんですか?
私から言わせれば意味不明!
私たちは『謎の文献 魏志倭人伝』に記された「卑弥呼」と「邪馬壹国」を
追ってるんです!
『隋書』の畿内説やら九州説ってわけが分からない!
795河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 17:47:53
>>794

>『隋書』の畿内説やら九州説ってわけが分からない!


御意
796aratame_himiko:2008/03/02(日) 18:08:33
ほーがんさんへ
>746 :ローガン:2008/03/02(日) 08:05:55
>あ、その方が良いと思います。

ホーガンさん〜ナイスタイミング!w 愛称合うのか?ww
797aratame_himiko:2008/03/02(日) 18:12:42
ちょっと言い過ぎたかな・・・。(反省)

ちと改めは出掛けるので今日のところはこれくらいで・・・。
あとは河童さんに任せますので〜また後日!
798どくだみ:2008/03/02(日) 18:14:33
>>735
aratameさんへ

>基本的に「許(キョ)」はゆるすの意味で考えてますが、ばかりの意味も含まれる
>としたら駄目なんでスか?

私も、同じくそう考えています。
それで、三十許國と書いたとき、三十を中心に上下に幅があると、私は考えています。
河童さんは、三十を上限にして、それを超えないと主張されています。
そこで、私は北史の「三十許」を、通典が「三十餘所」と表現していることを例に出しました。>>596
それに対して、河童さんは、何か持論があるということでしたが、
その内容までは書かれていません。
河童さんは、以前、この三十許國を「三十の許されし國」と読んでおられましたが、
今回の上限三十という読み方に説を変えたのか、
或いは両者に何か関連を考えておられるのかは解りません。
そういった状況で、議論は終わりました。

別に、高卒でも授業フケてても、自分で読書しモノを考えていれば、良いのではないでしょうか。
ただ、中高生の時代は、抽象的な思考能力が発達する時期なので、
この時期に本を読んでいないと、あとから取り戻すのは、かなり大変です。
それに、独学だと、変な考えにはまっても、間違いに気付かないことが多いです。
大卒というのは、受験の数学などで、抽象的な思考力や論理的な思考力を鍛えるし、
卒論で、曲がりなりにも論旨一貫した長文を書くという訓練をさせられます。
ですから、まあ、最低限の品質保証みたいなものでしょうか。
大卒でなくても、自分でそれを補っていれば、問題ないと思います。
799唐松山:2008/03/02(日) 18:30:12
崇神=卑弥呼に 品質保証が無い。
800aratame_himiko:2008/03/02(日) 18:30:42
>>798
>河童さんは、三十を上限にして、それを超えないと主張されています。

>上限三十

私が辞書で調べた感じでは河童さんの言うような事は載って無かったはずですが・・・。
どこから持ってきた情報でしょうね。
今度、河童さんに詳しく聞いてみないといけません。

どくだみさんは大卒って感じしますよね。
801aratame_himiko:2008/03/02(日) 18:36:43
愛知県民さんへ
>>541の「♪」で判断してもらえると良いかと思います。

ではまた来週です〜!
802どくだみ:2008/03/02(日) 18:53:36
>>800
>どこから持ってきた情報でしょうね。

>>547の書き込みを見る限り、独自説のようですよ。

>どくだみさんは大卒って感じしますよね。

兄弟みな大卒ですが、父は高卒、母は高校中退ですので、
学歴に対して特にこだわりはありません。
昔は、高卒だと就職に不利でしたが、最近はそれも一概に言えないみたいですね。
大阪で、公務員就職の為に大卒が高卒と偽った問題がありましたし。
803日本@名無史さん:2008/03/02(日) 18:53:42
んで800を超えたけど次スレどうすんの?

一応「15」ってのは既にあるけど
どうせ 改めドツボ は自分が立てなきゃ気が済まないんだろ?




804河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 18:59:23
>>830

>上限三十

いや
ジャスト三十


>情報源

(ばかり)(ゆるす)、「許」の字意

これは余談なんですが
この「三十」という数詞が、邪馬台国の女王体制そのものであり、陳壽はそれを十分理解し「三十」と言う文字をあてたと考えます。実際に三十あったかなかったかなんて関係ありません。
要は「三十」と言う文字の意味が大事であって「三十」だからこそ意味があるのです。

だからそれを理解した范曄も「三十許国」と記載したと考えます。
あの「三十」は数詞ではなく文字とする事が、歴史を知る上では大事なのです。
805河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 19:01:54
訂正

アンカー>>800を 830 としてしまいました
806河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 19:10:45
「三十許」


これは(三十と言う文字でなければいけない)
そういう范曄の叫びです。
807日本@名無史さん:2008/03/02(日) 19:12:53
じゃあ>>547はなんなのよ
808河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 19:24:34
>>807

え?
「許」の解釈は変わりませんよ

(三千と限定した家)
ジャスト三千。
809日本@名無史さん:2008/03/02(日) 19:38:44

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
810河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 19:44:21
古代列島は二つの勢力で二分されていた。
一つは(ひふみ勢力)そしてもう一つが(イチニイサン勢力)、倭人伝が言うところの倭と大倭
その二つの勢力はやがて一つとなり
朝の(ひふみ)、民の(イチニイサン) これが所謂「大和朝」です。
811日本@名無史さん:2008/03/02(日) 20:04:01
>>808
一大国は、三千家ジャストが住まうように、分家も絶家も引越しもなかったんだね。
誰かがそう決めて管理してたのかね。珍説だね。
812河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 20:23:26
>>811

だから歴史なんですよ

早く行程記事なんて卒業して、歴史を語りましょう
813まろ:2008/03/02(日) 21:01:01
>>808

>ジャスト三千。

>>547 名前:河童虫 ◆EY2wfgakAQ [] 投稿日:2008/02/26(火) 08:09:33
『有三千許家』の“許”について
この文字にabout的な意味はありません。
和語の(ばかり)(ゆるす)にしてもしかりです。
『許』は“物事を限定”する文に用いられ、どちらかと言うと厳格性を意味します。
『三千許家』
・三千という数値を限定(超えない)家

>>547では限定(超えない)と断じてられますがどちらが本旨でしょうか?
814河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 21:13:27
>>813

限定


バネばかり
815河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 21:25:06
「端」も「橋」も「箸」も共通する“意”があるので(はし)と言う同じ和語があてられた。

その共通するものが
和語表現で“はし”
816日本@名無史さん:2008/03/02(日) 22:01:08
>>812
歴史って言っても、ムーに載ってるような歴史じゃん。
ここ、学問板なんだよね。
817日本@名無史さん:2008/03/02(日) 22:08:25
・三千という数値を限定(超えない)家
で、限定といってるんだから

3000を超えないと範囲を限定しているとおっしゃっているんでしょ。
818河童虫 ◆TOfHBAKZgM :2008/03/02(日) 22:12:36
>>816

じゃあ
君の言う学問板的な歴史を語ってくれ
雑誌ムーの愛読者のようだから
学問板的な歴史と君の言う所のムー的な歴史の違いも述べてくれ
819どくだみ:2008/03/02(日) 22:17:47
>>817
>・三千という数値を限定(超えない)家

こう書くと、普通の日本人は、「三千以下は有り」と思うのですが、
どうも河童さん的には、ジャスト三千の意味らしいですね。
河童さんの独特な日本語には、時として首をひねらされます。
文の途中で「数値を限定」のような、変な体言止めを使う癖もあって、
余計わかりにくくなりますね。
820河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 22:19:59
>>817

因みに
0〜3000の範囲などとは捉えないでくれ
3000は3000だよ


数詞という範囲の3000と言う限定された範囲
821日本@名無史さん:2008/03/02(日) 22:22:46

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
822日本@名無史さん:2008/03/02(日) 22:26:02
>>821
俺もそれで行こう

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
823日本@名無史さん:2008/03/02(日) 22:36:16
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
824日本@名無史さん:2008/03/02(日) 22:42:02
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 ZZZzzzzzzzzzzzzzz............................
825まろ:2008/03/02(日) 22:45:34
>>820

> 数詞という範囲の3000と言う限定された範囲

「数詞」が「範囲」で「3000」が「限定された範囲」ですか?

こうなると「範囲」と言う言葉の定義が知りたいな。

範囲を辞書で引くと「特定の領域・限度」と言う説明が多いはず。

つまり、限定されていない「領域・限度」と限定された「領域・限度」と言う概念の違いが知りたい。

単純に  「数詞」⊃「3000」と言いたいだけなら
      「3000」は「元」としか考えられない(私には)ので
      「限定された範囲」と言う表現は意味をなさない。

826日本@名無史さん:2008/03/02(日) 22:52:33
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
827日本@名無史さん:2008/03/02(日) 23:12:20
ZZZzzzzzzzzzzzzzz............................
828河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 23:14:03
>>825

普通意味をなさなそうに見える表現でも、歴史には大事な表現となることも
あるんだよ

三千ジャストと書くことにより別の面を覗かせる事があります。
(一種の技法でしょう)

>範囲を辞書で引くと「特定の領域・限度」と言う説明が多いはず。

それはそれでいいんじゃないの
自分はこうとしか考えられないというレスをもらっても、答えようがないよ
もう少し、歴史の舞台を想定したモノの考え方をしてみようよ
当時の壱岐はどうゆう環境にあり、そういう環境の下「三千許家」という記載が存在するという事もふまえて
829河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 23:16:05
826 名前:日本@名無史さん :2008/03/02(日) 22:52:33
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


827 名前:日本@名無史さん :2008/03/02(日) 23:12:20
ZZZzzzzzzzzzzzzzz............................


いやなら
他所に行けよ 
830河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 23:22:51
申し訳ないけど
「三十許国」「三千許家」の解釈については、今のところ絶対におりる気はないよ

当時の邪馬台国の国家体制を覗ける部分だから
831河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 23:28:33
「範囲」

世の中には二つの区分しかない

・限定されたもの
・限定されないもの
832日本@名無史さん:2008/03/02(日) 23:28:48
いくら河童虫と名乗ったところで、所詮

       プ ラ ム
833河童虫:2008/03/02(日) 23:40:10
訂正


限定されたもの……×

限定されるもの……〇
834河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/02(日) 23:45:24
>>832

ほら!
後160レスだ
しっかり埋めろよ
835まろ:2008/03/03(月) 00:10:07
>>828

> 普通意味をなさなそうに見える表現でも、歴史には大事な表現となることも
> あるんだよ
> 三千ジャストと書くことにより別の面を覗かせる事があります。
> (一種の技法でしょう)
> >範囲を辞書で引くと「特定の領域・限度」と言う説明が多いはず。
> それはそれでいいんじゃないの
> 自分はこうとしか考えられないというレスをもらっても、答えようがないよ

非難しているわけではありません。
「限定された範囲」と言う表現の意味を尋ねているのです。

>三千ジャストと書くことにより別の面を覗かせる事があります。

私には、その表現から「別の面」が見えてこなかったのです。

> もう少し、歴史の舞台を想定したモノの考え方をしてみようよ
> 当時の壱岐はどうゆう環境にあり、そういう環境の下「三千許家」という記載が存在するという事もふまえて

ものの見方は人それぞれですからね。
そういう突き放した言い方では、説明するのが面倒だから「頭の中を覗いてくれ」と取られてしまいますよ。
結局、説明がなされないので、貴方の考えが理解できないまま次の質問をすることになりました。

「三千許家」が「3000ジャストの家」と言う意味ならば、
漢籍に数多ある「○○許里」「○○許歳」なども
ジャスト○○里、ジャスト○○歳と読まなければならないでしょう。

それで、よいのですか?

836河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/03(月) 00:26:00
>>835

文章に組み込まれた文字(漢字)の意味なんて文章の環境によってコロコロ変わるから、ケースバイケースじゃないかな
しかし、文字本来がもっている字意は変わらないけどね

倭伝の「三十許国」倭人伝の「三千許国」の「許」はジャスト
後の「許」の意味は、その該当する文章の環境で判断してください。

ただ“限定された範囲”という根本的な字意や、和語の言意はどんな文章に使われても変わらないけど



以上
837日本@名無史さん:2008/03/03(月) 00:35:00
>>836
もはや、信教の自由のレベルだな。
838まろ:2008/03/03(月) 00:47:22
>>836
> >>835
> 文章に組み込まれた文字(漢字)の意味なんて文章の環境によってコロコロ変わるから、ケースバイケースじゃないかな
> しかし、文字本来がもっている字意は変わらないけどね
> 倭伝の「三十許国」倭人伝の「三千許国」の「許」はジャスト
> 後の「許」の意味は、その該当する文章の環境で判断してください。
> ただ“限定された範囲”という根本的な字意や、和語の言意はどんな文章に使われても変わらないけど
> 以上

だから何度も尋ねていますが「“限定された範囲”という根本的な字意」の意味を説明してくださいな。

倭人伝の「三千許家」は「ジャスト3000家」で
漢書や後漢書に出てくる「ニ十許里」「百許里」は「アバウト20里」「アバウト百里」と読んでもかまわないということですか?
それが「限定された範囲」と言う言葉の中に隠された用法なんですか?

839日本@名無史さん:2008/03/03(月) 00:49:20
まろさん、がんがれ!
840日本@名無史さん:2008/03/03(月) 00:51:55
>>828
>学問板的な歴史と君の言う所のムー的な歴史の違いも述べてくれ

>普通意味をなさなそうに見える表現でも、歴史には大事な表現となることも
>あるんだよ

トンデモ「研究」の見分け方・古代研究編
http://www.hmt.u-toyama.ac.jp/chubun/ohno/yukiguni.htm
841まろ:2008/03/03(月) 00:55:13
>>831
> 「範囲」
> 世の中には二つの区分しかない
> ・限定されるもの
> ・限定されないもの

これも解かりませんね。
「限定される」「されない」は「範囲」の区分の種類ですか?
となると、やはり基幹である「範囲」の意味に特別な定義があるんでしょうね。
それが解明されないと、限定されたり、されなっかったりする理由も理解できないでしょう。
842日本@名無史さん:2008/03/03(月) 01:01:15
それでは
(1)物事を限定する意を表す。
そのもの一つに限定する。だけ。のみ。
(2)物事の程度を表す。
おおよその程度を表す。ほど。ぐらい。
という辞書と同じです。

例えば元々の意味が(1)であって、後世(2)の意味でも使われた。
倭人伝の頃には(1)の意味だけだったはず、というならわかりますが
文章によって意味なんてコロコロ変わる、と説明しておいて
倭伝の「三十許国」倭人伝の「三千許国」の「許」はジャスト というのでは
理屈が通らないでしょう。
843まろ:2008/03/03(月) 01:13:55
>>836

文章で答えれるの面倒ならば

 「限定される範囲」 ⊂ 「限定されない範囲」と言うイメージでよいのかどうかだけでも

 Yes or No で答えてくれると解かりやすいんだけどな・・・・
844日本@名無史さん:2008/03/03(月) 01:17:36
「トンデモ「研究」の見分け方・古代研究編」から
http://www.hmt.u-toyama.ac.jp/chubun/ohno/tondemo.htm

古代文学や古代史のトンデモ「研究家」

(1)彼らは「新発見」をした自分を天才だと信じ込み、それが誤っているとは夢にも思いません。
(2)彼らは「新発見」に賛同しない学者や、批判をする人々を、頭が悪くて「新発見」を理解できないバカだと信じています。
(3)彼らは「新発見」が受け入れられないのは、既得権益にしがみつく学者たちが不当に無視しているせいだと思い込みます。
  そしてアカデミズム罵倒に血道を上げます。
(4)彼らは従来の定説を根底から覆そうとし、定説を支持している学者たちをバカ呼ばわりします。
(5)彼らは他の誰にも理解不能な用語や概念をよく発明します。そして理解できない人をバカ呼ばわりします。


古代を扱った主な「研究ごっこ」のテーマ
○古代文献は暗号である
○漢文は和文で読める
○漢字は分解すれば由来がわかる
845日本@名無史さん:2008/03/03(月) 01:28:44
じゃあ「三十許国」ってのは30を超えないって範囲をあらわすものではないんだな。
30ぴったりということは範囲がなくなるって事なんだな。
846河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/03(月) 06:44:02
これにて「許」についての説明を終わりに致します。
昨日今日の説明だけでは理解出来ないでしょうから、後は各々の判断に委ねます。


お付き合い有難うございました。
847日本@名無史さん:2008/03/03(月) 07:08:11
>>846
>昨日今日の説明だけでは理解出来ないでしょうから、後は各々の判断に委ねます。


(5)彼らは他の誰にも理解不能な用語や概念をよく発明します。そして理解できない人をバカ呼ばわりします。
848日本@名無史さん:2008/03/03(月) 07:15:01
     *      *
  *     +  バカです
     n ∧_∧ n
 + (ヨ(* ´∀`)E)
      Y     Y    *
849日本@名無史さん:2008/03/03(月) 07:32:25
結局、何も説明できない。
いつものパターンで消えていくわけねw
850太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/03/03(月) 07:52:47
>>844
トンデモはある。うんと出てる岩面等のペトログラフは全部ウソか?
どうも全部がそうだとは想えないが? 学者がバカとけなす奴とそうでない奴が
いる。臥海にもトンデモがある。だいたい女王国畿内説は見方によっては
トンデモだ。だが学者、研究家が一生懸命考えても間違えるんだから、こう
いう言葉は使うのはかわいそうだ。あんまり使いたくない語だ。

古代文字がないという証明はできっこない。悪魔の証明とかで有利、不利は
あろうが、ここの文字が「見つからない」を、見つから を取って、ただ ない
としてしまうのが否定での大半の連中だろう?

古代の文面でも暗号もあるが、相当の根拠は必要だな。最初から暗号との先入観
出発での論述のはトンデモの可能性はかなりあるよな。隅田八幡鏡銘文もあれは
暗号とは言いすぎのようだが、ひねってあって、書いた者の言いたいある何かを
隠した文だと思う。

「・・・八月日十大王年・・・」 を

「・・・八月十日大王年・・・」 としてないのがそれ。

これは『日本王』(日本根子天皇=清寧)の示唆と思うがね・・・。つまり

「十」+「大」=「本」 を分解したんだろう? 文面の「十大」は分解され
たものと想うよ。中国人もこういう遊び等をやるそうな。マァ、仮説だがね。w
ものによるが、分解はあると考えるんだ。
851日本@名無史さん:2008/03/03(月) 07:54:02
>>846

>これにて「許」についての説明を終わりに致します。
>昨日今日の説明だけでは理解出来ないでしょうから
>後は各々の判断に委ねます。

おい、相手に「理解できない」ような説明だけして、
あとは各々の判断にまかせますって何だ。

理解できていない相手にどう判断しろと言うんだい?
テメーで書いてる文章の意味すら理解できてないじゃないか。

>お付き合い有難うございました。

最後の挨拶もそれじゃ違うだろう。
この場合は、説明できなくてごめんなさい。
単なるきまぐれごとを垂れただけです、
もう許してください、だろうが。
852河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/03(月) 07:55:18
ま、無料の説明なんて
しょせんこんなものだよ

それに
延々説明した所で、全てを納得させる説明なんて不可能(特にここの名無し連には)(初めから粗をさがす努力しかしない)
こっちも押し売りする気もないし、興味があったら自分で考えなよ
853太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/03/03(月) 07:59:11
>>850
[臥海」=「学界」

理解不能wでは困るから造語説明した。w 千夜一夜のシンドバッドの冒険談の
「海の老人」の話での臥海への風刺。臥海の権威が老人の両足。からまれてるの
が(全員ではないが)君たち。ww
854日本@名無史さん:2008/03/03(月) 08:17:26
太国のおじいちゃんは、一応、学問の手順を踏もうと努力してるところは、好感が持てる。
倍暦は珍説だけど、トンデモとは思わん。
ときどき1だ2だ3だと、トンデモ発言してくれるところも、ご愛嬌。
855サガミハラハラ:2008/03/03(月) 08:50:46
>>844全部私に綺麗にあてはまりました。
けど、私だけはトンデモ「研究家」ではありません。唯一の例外です。
856日本@名無史さん:2008/03/03(月) 09:35:28
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
857太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/03/03(月) 10:32:58
ははぁ、古代文学か。古代文字と読み違えた。失礼。視力が落ちてるとかような
誤認をしてしまうわ。
858日本@名無史さん:2008/03/03(月) 10:41:02
>>857
文字サイズを大に設定すると見やすいよ。
インターネットエクスプローラーなら、左上の「表示」→「文字サイズ」→「最大or大」
専用ブラウザも、文字サイズの設定ができる。
859太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/03/03(月) 10:47:19
>>858
感謝。
860日本@名無史さん:2008/03/03(月) 12:30:57
>>850
太国のいう古神道の秘密の正体が垣間見えたな。

>ペトログラフ

笑わせてくれるわwwwwwwww
オカルト本が元ネタかよwwwwwwww
861日本@名無史さん:2008/03/03(月) 12:49:03
>>803
次スレは既に建ってる15を使おう。
つか、後から建てても重複スレと見なされて削除されるよ。
それが2ちゃんのルール。

ルールがわからない人(自分で建てたものでないと無効とか言う人)は放置で。
862太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/03/03(月) 14:20:46
>>860
お前の豆脳の即断だよ。ペトログラフと古神道の秘密とは関係がない。それは
場合によってはあることはあろが、あのペトロとは無関係。
863日本@名無史さん:2008/03/03(月) 15:09:46
>>861
>次スレは既に建ってる15を使おう。

んだが、まだ13がレス番300台で残ってるべ

本来はこっちを先に消費だんべ?
864日本@名無史さん:2008/03/03(月) 17:27:43
>>863
何をボケまくってんだwwwww

>ペトログラフ

これの解説を簡単にしてみろよ。
そしたらお前が何をミスって自爆したかを教えてやるからwww
865日本@名無史さん:2008/03/03(月) 18:07:41
>>864
何をボケまくってんだwwwww

>>863

このレスを簡単に読んでみろよ。
そしたらお前が何をミスって誤爆したかを教えてやるからwww
866唐松山:2008/03/03(月) 18:17:35
太国さんは フトマニ へ足を突っ込まないんですか?
改め〜さんが 足を突っ込んだようなので。
867古代:2008/03/03(月) 18:23:29
倭人伝には倭人の風習として骨の卜占が行なわれていたことを記述しています。
骨卜占で有名なのは鹿卜です。日本書紀にも太占の法が出てきます。
骨卜の痕跡は、西日本から東日本まで広く分布しています。
ところが出土例を西から辿っていくと、半島南岸から壱岐,対馬までは
多数の卜骨が出土しているにもかかわらず、
九州本島だけぽっかりと真空地帯のように欠如し、
再び中国から近畿にかけて増加していきます。
九州では骨卜以外の方法で吉凶を占っていたと想像できます。
ここで、九州に広く分布していた「巫術」(ふじゅつ・
シャーマニズム)を守る辛島氏が思い起こされます。
さて、近年弥生人のルーツは揚子江下流のあたりと言われています。
刺青など倭人の風俗は南方系といわれているのですが、南方系では骨卜はしません。
亀卜です。日本で亀卜が行われるのは5世紀あたり、古墳時代からです。
骨トは北方系といわれます
868日本@名無史さん:2008/03/03(月) 18:40:54
なんだヤバい事に気づいたのかwww
そりゃそうだろうな、古神道の権威様の元ネタを見つけられてしまったんだものな。
2倍暦3倍暦とか、どっかで聞いたことあると思ってたんだ。
それがペトログラフでやっと思い出したぜ。
その本に書いてあることを、そのまんま書き写しているだけじゃねーかw
869日本@名無史さん:2008/03/03(月) 18:46:44
そうそう>>863には、正直すまんかった。
正しくは>>862の太国 ◆yVAs7uaYlYに対してのレスだ。

ところで太国 ◆yVAs7uaYlYは、ペトログラフを漢字4文字で訳してみ?
それだけやってくれれば、あとはこちらで解説してやるから。
870太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/03/03(月) 19:36:42
>>866
天津金木とかで、今日もそういう研究はやってますよ。

>>868
お前、どこのペトログラフの書に2倍暦、3倍暦の記述があるの
か? ウソだろう?
>>869
お前、それは象形文字的であり、ここに書きこめるのは漢字カナ英字
数字と関連記号のみでできっこない。それにその文字は余の照鳥居
ではないので質問しても無駄なこと。つまり余とは主題話のついでに
出る話であるからそっちの専門家に言え。
871日本@名無史さん:2008/03/03(月) 19:49:27
>>870
全然気づいてないwwwwwww
買いかぶりすぎたwwwwwwwww

ペトログラフそのものを書けといってんじゃなえwwww
ペトログラフと呼ばれるものを日本語で漢字4文字で書けっていってんだよwwwwwwwwww
○○文字ってな
872日本@名無史さん:2008/03/03(月) 20:41:25
【歴史】 九州説VS畿内説 邪馬台国はどこに? 学識者ら検証 ★2
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1204543644/
873太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/03/03(月) 20:52:47
>>871
そんなものを書く必要もないだろう。吉田さんおの研究書は持ってるよ。お前
持ってないのか? 買いかぶりすぎだと〜〜??wwwwwwwwwwwww
まだまだ余に対する評価を低く見積もってるだろう? 本来だったらもっと高価
の値をつけるが当然だな。それにた〜だペトロは話のついでに出たもので、こっ
ちとは直接関係はないな。余は吉田氏ではな〜いんだよ。wwwwwwwww
874日本@名無史さん:2008/03/03(月) 21:02:03
>>871さん、
太国さんはわからないみたいで、答えられないみたいだよ?
875太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/03/03(月) 21:08:31
>>874
関心あるなら、今からでもガンバ〜って研究すれば〜ぁ〜ン?
876日本@名無史さん:2008/03/03(月) 21:24:26
図星wwwww太国興奮wwwww
877日本@名無史さん:2008/03/03(月) 22:32:09
>>874
俺は判ったぞ。
大国氏はペトログラフについての本は読んだことはあるのだが
ペトログリフについてはまるで知らないのだな。

つまりペトログリフをグラフと書く、一連のトンデモ本が元ネタなんだね。
878太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/03/03(月) 22:44:50
>>877
じゃ、説明やれ。こっちは視力が弱いから、〜んじゃあ誤解したか??
簡単でいい。いまは他の話をするべきだ、少しにしろ。
879日本@名無史さん:2008/03/03(月) 23:16:50
じゃあ簡単にな。
ペトログリフとは線刻文字と呼ばれ、石器時代にあったとされる古代文字だ。
しかしそのほとんどは単なる傷だったりして、いわゆるオカルトとかオーパーツの範疇だな。

それを何故かペトログラフと表記するトンデモさんがいて
そいつが大国氏のレス>>873にある吉田氏こと吉田信啓。

彼の主な著書は
ペトログラフ・ハンドブック
岩刻文字(ペトログラフ)の黙示録
超古代、日本語が地球共通語だった!
超古代日本は世界の臍だった  などなど。

確かに臍だったでは倍暦について書いていたね。
これはと学会でも取り上げられたので、よく覚えている。

だから大国氏はグラフについてのトンデモ本は読んでおり、なおかつそれを研究書と偽り
グリフに関しての専門書は一切読んでいないということが
ペトログラフという言葉を何度も使用したことから丸わかりになってしまったということだね。
880太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/03/03(月) 23:28:13
>>879
お前はお前の見地から言ってるまでよ。そんなにこういう文献は少
ないから確かに吉田氏の書しか持ってなかったと思うが(←うんと書
を保有してるので)、あとはネットで見てはいるよ。しかしお前は
視力がいいんだろうが? こちらはラとリの相違など眼中にない。それ
は目の関係で運が悪かったからで、それでこちらが無知だとせせら
笑えるのか? 決めこみが早いぞ。 いずれお前も歳をくって念愚
の汚覚め時が来るのだ。

それにお前は吉田氏がトンデモだとなぜ分かる?お前は目の件もそう
だが、まだまだ自分中心に物事を考えて即断するよくないクセが
見受けられる。そんなお前にそんな判別ができるか?wwwww

ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ・・・・・・・・・・・・
881日本@名無史さん:2008/03/03(月) 23:59:51
岩刻文字
882日本@名無史さん:2008/03/04(火) 00:05:04
超古代、日本語が地球共通語だった!
超古代日本は世界の臍だった

こんな本を徳間書店から出している人がまともなわけないけどね。
ラとリの相違ってのは、トンデモさんに騙された人がラを使い
一度でも学術的に取り上げようとした人はリを使うということだ。
883日本@名無史さん:2008/03/04(火) 00:09:44
>>879
>吉田信啓
ググって他の著書名も見たが…タイトルだけで電波ゆんゆんですなwww

884まろ:2008/03/04(火) 00:14:22
>>852
> ま、無料の説明なんて
> しょせんこんなものだよ

貴方が使う「範囲」の意味については、結局何も説明してもらっていませんよ。
最も「基本」の部分が説明されないのだから、他の部分も余人に伝わるはずは無いですね。
いつか気が向いて何かを「説明」したくなったら、その時は留意されることをお奨めしますw

いつも、貴方の説に同意できることは殆ど無いのですがw
今回の「許」については、頷ける部分があったので、いろいろと確認を試みたところです。

先ず、漢字の「許」を日本で「ゆるす」と訓ずることは誤用です。
「許」の旁の「午」は日の南中を示す言葉だそうで、もともとの意は「限度」かと思います。
そこから転じて「制限」「約定」のような意味も派生して来たのかと。

貴方の言うところ「限定された範囲」に近いのかとも思いますが、
つまりのところ「許」は「ゆるす」と言うよりは「禁ず」が本意なのです。
「免許」とは「許(規制された状態)」を免ずること。
「許婚」とは、現代では結婚することを許すなどと解釈できそうですが、
本来は、婚約により他者との婚姻を禁止することです。
「許可」とは・・・おそらく「可」とすべきことを制限するのが主旨だと思います。

これが、どういう過程を経て「限定された状態」を踏みだし、
「大まかな」な意味にを持つに至ったかは承知していませんが、
許に限度と言う意味もあれば「3000許家」は「3000を下回る家数」と解せるかなと思った次第です。
しかし、ジャスト3000発言で思い切り萎えましたがw

余談ですが諸葛亮の有名な出師の表に訓じ難い「許」が出てきます。
三顧の礼について述べた部分なのですが「遂許先帝以駆馳」と言うところ。
どうぞ、和訳にチャレンジしてみて下さいな。
885日本@名無史さん:2008/03/04(火) 00:22:20
>>882
確かにエジプトのも「ヒエログリフ」ってのは聞くけど
「ヒエログラフ」って聞いた事無いなあ…
886河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/04(火) 00:42:41
>>884

>3000ジャストで萎えた


いっぱい萎えて下さい。
歴史は3000ジャストを要求していますから
これでOKなんです。
邪馬台国の体制は三十ジャストの國と、三千ジャストの家を壱岐に
887日本@名無史さん:2008/03/04(火) 00:44:05
プ氏はおそらく「許」を「はかり」ととらえているのです。
はかりは最初は秤で計ったちょうど(ジャスト)の意味だったはずです。
ところが、古代の秤の精度というのはそれほど高くなく
砂糖30グラムを測っても秤によって多かったり少なかったりしたのです。
だから「はかり」は「ちょうど、ジャスト」という意味と
秤によって多少誤差はあるけど30グラムとそれほどは変わらない値、
「くらい、およそ」
という二つの意味を持つようになったのです。

そこで原点の(ジャスト)に戻そう(?)と唱えているのだと思いますが
同じ時代の書の中で文脈によって二つの意味を持つ事を認めてしまっては
それはもはや漢字(というか言葉)の起源を説明しているに過ぎません。
888河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/04(火) 00:51:14
>>887

和語「はかり」には“ちょうど”という意味はないよ
範囲が限定されるのは「ばかり」
889日本@名無史さん:2008/03/04(火) 03:40:56
これにて「許」についての説明を終わりに致します。
昨日今日の説明だけでは理解出来ないでしょうから
後は各々の判断に委ねます。
-----------------------------------------
こんなレス見たような記憶があるけど
疲れてるのかな・・・
890日本@名無史さん:2008/03/04(火) 06:54:58
今回のシンポジウムでも指摘されているが、『隋書』に記載されている

「倭国…邪靡堆(やまと)に都す。則ち魏志の謂うところの邪馬台なり」と

ある内容は、九州説派 東遷説派 畿内派それぞれでどのように解釈して

いるのだろうか。
891河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/04(火) 09:07:34
邪馬臺とは
魏志で言う“邪馬壹の地”
892日本@名無史さん:2008/03/04(火) 11:20:11
>>886
>歴史は3000ジャストを要求していますから

この言葉が、ぷ氏の全てを表してるな。
漢文を読んでるんじゃなくて、歴史=自分の妄想に漢文をあわせてる。
893日本@名無史さん:2008/03/04(火) 11:22:02
んだ
894日本@名無史さん:2008/03/04(火) 11:52:16
3000ジャストと訳すなら<許>は、範囲どうのこうのってより
強調ってことになるのかなあ。
895日本@名無史さん:2008/03/04(火) 12:03:14
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
896河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/04(火) 12:19:57
>>894

何度説明しても理解力がないみたいですね


此処で言う範囲は“数詞全て”その数詞の3000と限定された値


少しは言葉を噛み締めてからレスする事を望みます。でないと
折角価値あるレスも、貴方達によって薄汚くなりますから。
897河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/04(火) 12:33:54
ま、そんな事言った所で
貴方達の投稿の方が、私の投稿よりも理があり正当性がある事も確かです。
ここは“2ちゃんの掲示板”私の投稿が場違いであるのも確かです。
便所の壁の落書きには落書きに相応しい、貴方達のような投稿こそ
掲示板に相応しい理のある書き込みです。


どうか
場違いなレスの投稿をお許し下さい。
898日本@名無史さん:2008/03/04(火) 12:35:02
一体、そのノミみたいな話で何がわかるの?
899日本@名無史さん:2008/03/04(火) 12:35:32
>>896
言葉は、気を付けて使おうね。

>数詞という範囲の3000と言う限定された範囲

>3000と限定された値

3000が、限定された範囲から値に変わってるね。
3000ジャストの数値が範囲ってどういうことだろうって、だれでも疑問に思うよね。
最初から値と言っていれば、まろさんが、範囲の定義を質問することもなかったのでは?
900日本@名無史さん:2008/03/04(火) 12:38:55
897
場違いなのはむしろ日本史版なのにひたすら漢文講釈ばかりたれている事だろう。
901河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/04(火) 13:01:04
>>899

モノを噛み締めろって言ってるだろう。

「許」は“限定された範囲”
その範囲というものがなんであるかを具体的に示したのが3000と言う文字で分かる数詞
その数詞の範囲の中で、具体的に3000という値で限定してるの


今まで
たった一文字にこだわり持ったことなどないだろう?ネタを出されて
即反レス出来るほど簡単じゃないよ
最低一月くらいは考えてからレスしてくれ
902河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/04(火) 13:06:07
>>899

言い忘れていたが

>言葉は気をつけて使おうね


それをそっくり
他の名無し達に言ってあげなよ
とても正気とは思えない言葉遣いが目立つからね
【罵声、雑言、煽り】のかすかず
903河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/04(火) 13:12:45
>>898

派手な役満ばかり狙っててもしょうがないだろう。ノミみたいな手でも八連荘からは役満だよ
ただ五本場からは二飜しばりだけどね
904日本@名無史さん:2008/03/04(火) 13:44:23
マキムクってありゃ3世紀半〜4世紀だろ。
どうみても邪馬台国より一足遅い。あれはトヨの時代後かその後だろうな。
905日本@名無史さん:2008/03/04(火) 14:11:27
>>901
>たった一文字にこだわり持ったことなどないだろう?

範囲と値を同じ意味に使っちゃう程度のこだわりなの?
3000という数値の何処に「範囲」があるんだろう?
3000は3000以外の何ものでもない。
ジャストの数値には、範囲は無いよ。
「2999から3000」とか、幅があれば「範囲」と言える。
幅は、コンマ以下の微小なものでも良いが、
ジャストの数値には、幅がないから「範囲」とは言いようがない。

言葉は気をつけて使おうね。
906河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/04(火) 14:28:29
>>905

だから
範囲は数詞
907太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/03/04(火) 14:35:26
>>904
倍暦計算で

 垂仁即位=260年〜景行崩御=322年

つまり巻向は垂仁の珠城宮と景行の日代宮の関係。時代も上記のとおりピタリ。
908日本@名無史さん:2008/03/04(火) 14:59:45
要するに
ここでいう範囲というのは一から無限の数詞(いち、に、さん)とか
(ひ、ふ、み)を表していて、その無限の数詞の中から
三千(さんぜん)という具体性をもたした.これが限定された範囲。
二千から三千と書けばそれが限定された範囲
しかしここでは三千しか示されていないので三千から三千
三千は数値に直せば3000という値と同じ。
909日本@名無史さん:2008/03/04(火) 15:01:00
邪馬台国って西都のおばちゃんが中国に・・
「私が倭国の女王だす!」って、日本の代表みたいな感じの名刺を
渡したのが混乱の始まりだろ・・
まあ、オサホ・メサホを挙げとく・・あそこは発掘されてるけど
910日本@名無史さん:2008/03/04(火) 15:11:11
倭=九州
本州は中国にとって倭じゃねーんだろ。

倭人伝にもかいてあるじゃんよ。海の向こうの倭人が住む別の国。
つまり別の国=本州・四国があったんだよ。

なんで鉄器で武装してる九州通り越して中国に献上しに行く必要があるんだよ。
その途中には吉備や安芸もあるんだよ。

なんせ、聖徳太子の時代の西暦600年まで中国に遣いも出してないどころか
外交の仕方もしらなかったんだから。
君らが思ってるより現在の「大和政権」は新しいよ。自分が思うには
4世紀後半から5世紀。 

マキムクは東海・近畿ぐらいの規模だったろ。初期は。ある一定の時期まで
九州に覇権がはいってないのは確か。邪馬台国なんて初めから無理がありすぎるんだよ。
911どくだみ:2008/03/04(火) 15:36:17
>>908
二千から三千と書けば、それは限定された範囲だけど、
三千から三千という表現は、日本語にも中国語にもありません。

>三千(さんぜん)という具体性をもたした.これが限定された範囲。

おそらく、これを普通の日本語に通訳すると、

「無限の要素を含む数詞という範囲を、三千という言葉で一つの数値に限定する」

という意味ではなかろうか。
河童さんの書き方では、「三千という数値」=「範囲」になってしまう。
数値は範囲ではないから、それでは他人に通じるはずがない。
やはり、河童さんの日本語は変ですね。
だから、河童さんの考えていることが、読んでいる人に通じないのではないのかな。
もっと論理性と論述力を磨いた方がよいと思いますよ。

ちなみに、三千も数値であって、数値に直すというのは正しくない。
三千は漢数字。3000はアラビア数字。どちらも数値です。
一文字に拘りを持つと仰るわりに、ご自分の考えを説明するときは、
言葉の使い方がお座なりであることが多いですね。
912河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/04(火) 15:52:38
>>908

3000は3000

一円たりともオマケできません


「許」に具体性を示す為数詞と言うモノを設定し、その数詞の中の3000と言う値を限定した。
これを表現する為に「三千家」じゃなく「三千許家」としたのです。


「許家」だけじゃ何がなんだか分からない
だから「許家」に該当する物事を設定するわけ
これが数詞と言う広がりをもつ範囲


詰まり
「許」の文字には
“物事を限定する”と言う働きがあり、

【壱岐には三千と限定された数の家があったと言う事です。】
913日本@名無史さん:2008/03/04(火) 15:59:18

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
914河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/04(火) 16:16:57
この「三千許家」

“ばか‐り”でも意味は通じるんだけど、最も適切な語句は“ゆる‐す”

つまり
この三千というのは許可によって規制され作られた家だということ


【許】ゆるす

(説文)許、聴言也、从

(廣韻)許、許可也
915日本@名無史さん:2008/03/04(火) 16:36:18
つまりこの時代に公地公民みたいな概念があって、家は管理されていたので
3千以上の家は作ってはいけなかったと・・3千より多くても少なくても駄目?
まあ家はそれでもいいが。国はおかしいだろ
916日本@名無史さん:2008/03/04(火) 16:40:48
911
すみません。どくだみさん。908は河童虫さんではありません。
河童虫さんがいいたいことはおそらくこういうことだろうと
自分が書いたのです。いつも断片的なので。
でもちょっと違ったみたいですね。
こんどは「範囲」という現代語の意味の解釈が必要かと思います。きりがないですね
917河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/04(火) 17:02:24
ま、学がないためその辺割引を


後は学のある方に頑張って貰えば。
918どくだみ:2008/03/04(火) 17:35:14
>>916
908さん、河童さん。これは、失礼しました。名前を入れ忘れているのかと思いました。
許について、これ以上河童さんと議論はしませんが、
「無限の要素を含む数詞という範囲を、三千という言葉で一つの数値に限定する」
という私の理解は、河童さんの言いたい事と合致してるんでしょうか。
それとも、違っているんでしょうか。

>ま、学がないためその辺割引を

発言の当否と、学の有る無しは関係ないと思いますよ。
それに、学が無ければ、何を言ってもいいということにはなりません。
学が無いと開き直らずに、人に理解されるように、論理性を研鑽すべきではないですか。
919河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/04(火) 18:17:12
>>918どくだみさん

>「無限の要素を含む数詞という範囲を、三千という言葉で一つの数値に限定する」

それでOKです。
それより>>914のレスがこの「許」にこだわる理由です。


>論理性を研鑽すべきではないですか。

一日も早くそうなることを努力しましょう。


しかし、押し売りはしませんし、理解してもらおうなんて事もあまり考えてはいいません。
前向きに学ぼうとしなければ絶対に理解出来ないのが学問と考えていますので
920どくだみ:2008/03/04(火) 19:05:09
>>919
河童さん。レスありがとうございます。賛成はしませんが、主張は理解しました。
ところで、先日は立ち入った質問をして失礼しました。
正直、河童さんは、本なんてほとんど読んでないだろうと思っていました。
見くびっていて、申し訳有りませんでした。
しかし、辞書を通読するなどの努力している割りに、
他人から力量が認められないなと思いませんか?
私は、そう思います。それは、河童さんの努力が偏っているからなんです。

辞書を通読するのは、学生時代に時刻表や地図を眺めていたのと、
断片的な情報の集積を眺めるという意味で共通しています。
ある意味、学生時代と同じことをしているとも言えます。
ところが、辞書は、短文の説明を箇条書きにして並べたものです。
長文の中で、一つの論旨を論理的に展開しながら、
表現していくという種類のものではありません。
だから、辞書を何冊通読しても、論理性や論述力は鍛えられません。

河童さんは、普通の書き込みの時は、まあ正しい日本語を書かれます。
小説は、ある程度読んでおられるそうですから、その成果でしょう。
ところが、論説文的な固い文章を書こうとすると、日本語がおかしくなります。
ですから、論説文的な本の読書量が足りないのではないかと推測できます。
充分読んだと仰られるならば、読み方が良くなかったのでしょう。
先日は、河童さんを見くびっていたので、
論文より小説を読むようにお勧めしましたが、あれは間違いでした。
活字には充分慣れておられるようですので、
むしろ、講談社学術文庫に収められているような、
論述タイプの本を100冊読むことをお勧めします。
つづく
921日本@名無史さん:2008/03/04(火) 19:07:25
今度は、古語辞典を読むつもりとのことでしたが、
それよりは、論理的な書籍を読むことに重点を置いた方が良いように思います。
例えて言えば、辞書を読む事は、レゴブロックをたくさん集めることです。
そのブロックを使って、お城を作るには、ブロックを集めるのとは別の力が必要です。
古語辞典を読んで、さらにブロックを集めるより、
論理性を鍛え、立派なお城を作れるようになってください。
さらに漢文・古文の原文にも親しんでください。
むかしから、辞書を読むことを勧める人はいますし、
過去の偉人達にも、実行した人はおられます。
しかし、そういう人たちは、圧倒的な読書量と強靭な論理性を持った上で、
その余力で辞書を通読されたのです。
決して辞書を読むことがメインで業績を残されたわけではありません。
河童さんが、努力に見合う成果を得られることをお祈りします。
最後に、ネットで見つけた言葉を、紹介しておしまいにします。
他の方も、長文すみませんでした。
● 辞書だけでは実際の言葉の息づかいは分からない。

 辞書は誠に便利なものなのだが、辞書を使うのはまた、難しい。
言葉は生きていてなかなか紙面の上に寝てくれないのである。
現実の野山を知っている人に押し花は生き生きとした現実を示すのだろうが、
押し花のみ見ている人には生きた野山、風にそよぐ花は捉えがたいのである。
辞書と文法のみで言葉を扱うのは危ない話である。
(松原秀一「危ない話」辻邦生・編『外国語ABZ』新潮社、1985)

追伸:説文の引用ですが、途中で切れてますよ。
922河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/04(火) 19:32:41
>>920どくだみさん

>むしろ、講談社学術文庫に収められているような、
論述タイプの本を100冊読むことをお勧めします。


現在
日本書紀の原文と翻訳本を比べながら読んでいるだけで、いっぱいいっぱいな状況で
他の本を読む余裕がありません
読みたい本は沢山あるんですが・・・・・・・


>しかし、辞書を通読するなどの努力している割りに、
他人から力量が認められないなと思いませんか?

別にそのような意識を持ったことがありませんので、何とも答えようがありません。


>辞書を通読するなどの努力している

半年ほど我慢の連続でしたが、途中で今まで気付かないことの発見の方が楽しく
小説感覚で読めるものですよ
経験してみなければ分からないことが沢山あります。この辞書完読もその一つといえます。

923河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/04(火) 19:36:11
>>921さん

励ましのお言葉ありがとうございます。
古語辞典の完読は、日本書紀や古事記、万葉集のからみがあるので
そうのぞんでいるのです。
924まろ:2008/03/04(火) 21:03:19
>>914
> この「三千許家」
> “ばか‐り”でも意味は通じるんだけど、最も適切な語句は“ゆる‐す”

和語「ゆるす」の語源は形容詞「緩し」の動詞化です。
もともと固まっていたものが「緩む」ことを使役的に表現したものです。
つまり、規制を緩和するというような概念になります。

よって、 >許可によって規制され作られた家
の和訳には適さないように思いますが・・・・

また、「ばかり」の方は、「はか」と言う古語(はかどる、はかない等に残る)から派生した
動詞「はかる」の連用形から又々派生したことばです。

出発点の「はか」とは、現代語で言えば「際立った存在」「目当て」などに相当し、
「はかる」は、ものの大きさなどを「計ったり」、重さを「量ったり」、深さを「測ったり」、
はたまた、明るい未来や悪事を「図ったり」「謀ったり」します。

「ばかり」は、「はかる」の連用形「はかり」が口語で濁音化したもの。
現代では「大きいのばかり」「生まれたばかり」等限定の意味で使われますが、
数詞に付いた場合は、いささか古めかしい言い回しで「一時間ばかり付き合え」
「一万ばかりかかった」等、「ほぼ」「だいたい」の意で使用されています。
何故に数詞についた場合は「だいたい」の意味になるのか、私には判りませんが・

あと、魏志韓伝に「丈許」と言う言葉がでてきます。
勇壮な韓人男子が背中に通していたと言う棒のことですが、どうやら天秤棒のこと
らしいです。これも「秤(はかり)」ですね。




925日本@名無史さん:2008/03/04(火) 22:20:48
太国=でんぱということで意見が一致したようですね。
倍暦などというとんでもない説を引っ張り出しさえしなければ、
もう少し信用してもらえたのに・・・
926河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/04(火) 22:29:13
>>924まろさん

>和語「ゆるす」の語源は形容詞「緩し」の動詞化です。

じゃあ「緩し」が語源なら「緩し」という語句の後に生まれ、それまでは「ゆるす」という語句は存在していなかったと言うことですね

もともと固まっていたものが「緩む」ことを使役的に表現したものです。
つまり、規制を緩和するというような概念になります。
よって、 >許可によって規制され作られた家
の和訳には適さないように思いますが・・・・

>では、その規制が緩む前の状況を文中から抜き取りここに提示してください。
当然「ゆるむ」という意味を含んでいるなら、文中に現在緩んだ状況を説明する意味で、過去の規制状況を記載はずですから
これは当然の道理と考えます。

>よって、 >許可によって規制され作られた家
の和訳には適さないように思いますが・・・・

で、その適さないという考えは倭人伝でもそうでしたか?
文中に組み込まれた文字の意味は、当然文の内容に則しますから



927河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/04(火) 22:50:57
>>924まろさん(その2)

「ばかり」

>また、「ばかり」の方は、「はか」と言う古語(はかどる、はかない等に残る)から派生した
動詞「はかる」の連用形から又々派生したことばです。

出発点の「はか」とは、現代語で言えば「際立った存在」「目当て」などに相当し、 「はかる」は、ものの大きさなどを「計ったり」、重さを「量ったり」、深さを「測ったり」、
はたまた、明るい未来や悪事を「図ったり」「謀ったり」します。


「はか」が現代語で「際立った存在」「目当て」などに相当するなら、(はかーない)は? そして『ばか』は?

>「はかる」は、ものの大きさなどを「計ったり」、重さを「量ったり」、深さを「測ったり」、 はたまた、明るい未来や悪事を「図ったり」「謀ったり」します。

ほら
「はかる」とするものが、大きさ、重さ、深さとさまざまで、対象となる範囲が限定できないでしょう? でも、この範囲を(重さ)というものに限定すると「ばかり」になるでしょう。
『天秤ばかり』『バネばかり』

>「ばかり」は、「はかる」の連用形「はかり」が口語で濁音化したもの

何故濁音化する必要があるの? ちゃんとした理由があるはずですよ、そういう理由が一番大事なのではないですか?

>現代では「大きいのばかり」「生まれたばかり」等限定の意味で使われますが、

ねっ、限定されてるでしょう (形の範囲が)(人の成長過程/範囲)
928太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/03/04(火) 22:56:59
>>925
お前、口を慎め。そんなことを言うなら、何故仁徳以前の天皇は
その殆どが百数十歳の超長寿なのか? 耳を揃えて合理的具体的に
その説明を何とかしろ。
929日本@名無史さん:2008/03/04(火) 23:21:07
倍暦というのは、ある意味もっとも素直な考えですね。

記紀の記す、古代の天皇の実在性や行為はかなり信頼できるので、
記紀はそれが書かれた時代に存在した伝承をそのまま書いたとすると
「長寿」も伝承をそのまま書いた可能性が最も高い。

で、寿命が長かったわけじゃないとすると、数え方が違っていたとなる。
私もその可能性は十分にあると思います。
930どくだみ:2008/03/04(火) 23:32:41
>>927
議論しないと言いましたが、つい横から失礼。
「許」一字なら、前後の文字との組み合わせで意味が変わるでしょう。
しかし、数詞+許+名詞という定型句になったとき、
文脈に関わらす、一定の意味を表すようになります。
定型句とは、そういうものです。
だから、三千許家が「きっちり三千の家」なら、百許年も「きっちり百年」でなければなりません。
百許年が「おおよそ百年」なら、三千許家も「おおよそ三千の家」でなければなりません。
許に「ゆるす」の意味がないとは言っていません。
「おおよそ」の意味と両方ある言っているのです。
では、「数詞+許+名詞」の定型句の場合、
「きっちり」と「おおよそ」のどちらに読むべきでしょうか。
河童さんは、歴史が要求しているとしか言っていません。
合理的・客観的な根拠は、まだ示されていません。

三国志・袁紹傳の注に引かれた献帝春秋という書物の中に、
董卓が、霊帝を廃して献帝を立てようとしたときの袁紹のセリフがあります。
「漢家君天下四百許年」(漢家が天下に君臨して四百許年です)
袁紹がこう言ったとき、霊帝はまだ帝位にあり、次の献帝が即位するのは、
西暦189年です。一方、漢の高祖即位は紀元前206年。
つまり、前漢の始まりから、献帝の即位まで395年間です。
袁紹が「四百許年」と言った時点では、どうしたって漢の統治は395年間より少ないです。
しかも、前漢と後漢の間に新という王朝があり、16年間統治しています。
だから、395-16=379年以下の統治期間を四百許年と言ったわけです。
四百許年が「きっちり四百年」であるはずがないのです。
四百許年が「おおよそ四百年」なら、三十国は「おおよそ三十の国」であり、
三千許家は「おおよそ三千の家」なのです。
931どくだみ:2008/03/04(火) 23:35:55
×三十国は「おおよそ三十の国」であり
○三十許国は「おおよそ三十の国」であり

まちがいました。
932日本@名無史さん:2008/03/05(水) 00:07:50
<許>は、ざっと見た感じ前漢ぐらいまでは<許す>の意味でしか使っていなかったみたい。
数詞+許 って文が現れてくるのはその後だな。
あと数詞+許の<許>を動詞として使うのは文法上成り立たない。
つまり非動詞と見る必要がある。
933河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/05(水) 00:17:26
>>930どくだみさん


>三国志・袁紹傳の注に引かれた献帝春秋という書物の中に、
董卓が、霊帝を廃して献帝を立てようとしたときの袁紹のセリフがあります。
「漢家君天下四百許年」(漢家が天下に君臨して四百許年です)
袁紹がこう言ったとき、霊帝はまだ帝位にあり、次の献帝が即位するのは、
西暦189年です。一方、漢の高祖即位は紀元前206年。
つまり、前漢の始まりから、献帝の即位まで395年間です。
袁紹が「四百許年」と言った時点では、どうしたって漢の統治は395年間より少ないです。


どくだみさん
その記述は以前「許」を調べているときに見ました
しかし、どくだみさんが言われるような
『袁紹がこう言ったとき、霊帝はまだ帝位にあり、次の献帝が即位するのは、 西暦189年です。一方、漢の高祖即位は紀元前206年。
つまり、前漢の始まりから、献帝の即位まで395年間です。 袁紹が「四百許年」と言った時点では、どうしたって漢の統治は395年間より少ないです。』

こういった註釈はみかけませんでしたよ

それに袁紹がちょうど四百年と言った事も否定できませんよね?実際は395年であろうとも(漢家が天下に君臨して四百許年ちょうどです)といったところで別に問題はありませんし違和感ありますか?
ここに書かれている「四百許年」も (数詞という範囲の四百という限定された)年でしょ 実際の年数なんてこの三国志・袁紹傳の文章には関係ないことですよ
四百という数値が重要なんです。 
それに、どんなに調べても(おおよそ)なんてアバウトな意味(和語)は浮かび上がりません。
934河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/05(水) 00:31:15
訂正

四百許年ちょうど………×

四百年ちょうど………〇



m(__)m
935日本@名無史さん:2008/03/05(水) 00:37:42
もう議論しないといった二人がなぜまだ議論しているんだ?
936日本@名無史さん:2008/03/05(水) 00:48:31
933
なるほど実際は395年であろうとちょうど400年ちょうどですと言っても問題はないと。
つまり倭人伝の中でちょうどちょうど30ですと言ってたとしても
実際には30でなくてもいいわけですね。28でも32でもいいんだ。
結局歴史的事実と文献には差がありアバウトで見ないといけないといいたいんですね。
937日本@名無史さん:2008/03/05(水) 01:13:57
30です。っていうと限定されていなくて
30ちょうどです。っていうと28でも32でもよくなるの?
なんだかなあ・・・
938まろ:2008/03/05(水) 01:21:17
>>926

> じゃあ「緩し」が語源なら「緩し」という語句の後に生まれ、

もっと根源的な語源は「ユルユル」と言うオノマトペでしょうね。

> では、その規制が緩む前の状況を文中から抜き取りここに提示してください。

どの「文中」からですか?
私の説明では何の例文も提示していませんが・・・問いの意味が解かりません。

> で、その適さないという考えは倭人伝でもそうでしたか?

貴方が倭人伝の「三千許家」の和訓に用いた「ゆる-す」の解釈許可について不適と申し上げました。
一昨日も書きましたが、私は漢字「許」の和訓「ゆるす」を誤用だとしていますから。


939まろ:2008/03/05(水) 01:22:01
>>927

> (はかーない)は?

「はかない」だから「際立たない」でいいんじゃないですか。

> そして『ばか』は?

知りません。

> 「はかる」とするものが、大きさ、重さ、深さとさまざまで、対象となる範囲が限定できないでしょう?

「はかる」時には「限定」されていますが。
タイムウォッチで「体重」は量りませんよ。

>  でも、この範囲を(重さ)というものに限定すると「ばかり」になるでしょう。
> 『天秤ばかり』『バネばかり』

それは計測器具「ハカリ」のことで、動詞「はかる」とは次元の違う話ですよ。
「はかる」の名詞形「はかり」が、用具の名称になっていますが、
それが「ばかり」なるのは連濁という日本語の特徴です。語頭にあれば必ず清音です。
また、話者によっては濁らない場合もありますし、繋がりが弱い新造語(電子ハカリとか)では連濁しないこともあります。

> 何故濁音化する必要があるの? 

私にも解かりません。

>>現代では「大きいのばかり」「生まれたばかり」等限定の意味で使われますが、
> ねっ、限定されてるでしょう (形の範囲が)(人の成長過程/範囲)

語源からみても当然のことです。
だけど、数詞に付くと大まかな表現になってしまいます。
940日本@名無史さん:2008/03/05(水) 01:24:55
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
941どくだみ:2008/03/05(水) 01:31:10
>>932
>数詞+許 って文が現れてくるのはその後だな。

それは、私も史記・漢書の検索結果を眺めていて感じました。
ざっと見た感じだけど、十三經も注疏では見かけるけれど本文には無さそう。

>>935
>もう議論しないといった二人がなぜまだ議論しているんだ?

すみません。きょう、暇なんですw
別の話題で盛り上がってるわけでもないので、大目に見てください。

河童さん
>それに袁紹がちょうど四百年と言った事も否定できませんよね?

四百許年としか言っていません。それが、ちょうどかどうかを議論しているのです。
臣下であるということと、正朔を奉じることは同じです。
正朔を奉じるとは、皇帝が頒布する暦に従うということです。
皇帝の支配と暦は、切っても切れない関係にあります。
379年などの端数なら、何年だったかなと間違うこともあるかもしれませんが、
400年きっちりを間違うものでしょうかね。
しかも、紀元前206年は漢王即位の年で、皇帝即位は紀元前202年だから、
「君天下」を皇帝即位以来とすると391年間、王莽の新の時代を引けば375年間。
一番ゆるく見積もって5年、きつく見積もって25年のさばを読むことになりますよ。
現代日本ですら、皇紀二千何百年とか、こだわっている人が居るくらいなのに。
まあ、袁紹がきっちり400年だと勘違いしていたと主張されれば、完全否定はできませんから、
状況証拠と言えば、そうなるでしょうが、河童さんの方は、状況証拠すら出ていませんよ。
942日本@名無史さん:2008/03/05(水) 07:21:42
ニホンゴノベンキョウスレデスカ?
943河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/05(水) 07:44:44
>>936-937
ケースバイケース

でも、あそこは「三十」です。「三十」で意味をなす文章
決して30 ではありません。
20を“はたち”とは言わないし、“はたち”は「二十」

つまり
あそこで求められているものは、30の数ではなく「三十」と言う文字
(全てが重なる)と言う。
944河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/05(水) 07:53:21
“まろ”さん“どくだみ”さん

このスレもそろそろ終りのようですから、返事は
後ほど自分が立てたスレ(プラムすれ)に書いて見たいと考えています。
945小国:2008/03/05(水) 10:12:15
邪馬台国ファンに朗報?

今年の秋、吉永小百合の主演で

「まぼろしの邪馬台国を求めて(仮題)」

が放映されるのだそうだ。
主演は同盟の著書の作家、宮崎康平の妻。
康平は1917年、長崎生まれ。島原鉄道の役員をするかたわら、詩人として名
をなし、「島原の子守唄」は島倉千代子やペギー葉山に歌われて、大ヒット
した。
また、早稲田の後輩の永六輔は「君は自分の詩を声に出して詠めるか」と
なじられ、以降作詞を絶ったと言う。

さあ、どんな映画になっているでしょう?
946日本@名無史さん:2008/03/05(水) 16:35:45
この映画の邪馬台国は何処だ
947ローガン:2008/03/05(水) 16:41:46
>>890
「都於邪摩堆則魏志所謂邪馬臺者也」
7世紀の倭国の都は大和、すなわち魏志に書かれた邪馬臺者なり。
それ以外の読み方はないでしょう?
又、少し後に書かれた後漢書にも、
王居邪馬臺国(案今名邪摩堆【惟】音之訛也)とあります。
7世紀の中国では大和は昔、邪馬台国だったと認識していた訳ですね。
948河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/05(水) 17:38:57
>>947ローガンさん

>「都於邪摩堆則魏志所謂邪馬臺者也」
7世紀の倭国の都は大和、すなわち魏志に書かれた邪馬臺者なり。
それ以外の読み方はないでしょう?

> 又、少し後に書かれた後漢書にも、
王居邪馬臺国(案今名邪摩堆【惟】音之訛也)とあります。
7世紀の中国では大和は昔、邪馬台国だったと認識していた訳ですね

何処に大和は昔と書かれているのですか?
後漢書の注釈文はただ、音の転訛について触れているだけですよ

それにここでは「都於邪摩堆則」を治める経営者の紹介文です、魏時「邪馬台国」を治めていた者が
今「都於邪摩堆則」を治めているとワザワザ書き留めているのです
人は移動するもの、昔から変わらぬ経営が続いていたのなら、改めて記載する必要もない文章です。
記載しておかなければならない変化があるからこそと、読むべきではないですか。
949日本@名無史さん:2008/03/05(水) 17:50:44

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
950日本@名無史さん:2008/03/05(水) 20:48:16
>>946邪馬台国のシーンの撮影は吉野ヶ里でおこなうそうです。
卑弥呼役は吉永小百合(二役)だそうです。
951ローガン:2008/03/05(水) 20:56:05
>>948
河童虫さん。
李賢の注は直前の本文、王居邪馬臺国に関して今名邪摩堆は音之訛だろう。という見解を述べたものですね。
音が訛ったと言う事は対象とするものが同じであるという事ですね。

「大和は昔、邪馬台国だったと認識していた訳ですね。」とは私の意見であり、隋書や後漢書からの引用ではありません。
952河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/05(水) 21:17:18
>>951ローガンさん

そうとは言い切れませんよ、
後漢時
邪馬臺と言われ場所の拡大が現在大和迄広がった場合も
現在大和は、邪馬堆と言われているんですから
この文章に該当しますよ

で、この新規邪馬堆の都を治めているのは
魏志に言う邪馬臺者(邪馬壹の地を治めし者)
953日本@名無史さん:2008/03/05(水) 21:31:01
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
954河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/05(水) 22:02:21
ちょっと大和の環境を中国史書から拾ってみます。

『新唐書、日本伝』
・日本古倭奴國也   (当時の日本は当然大和を中心とする地ですよね)
『旧唐書、倭國伝』
・倭國者古倭奴國也  (この倭國とは当時唐と外交のあった大和を中心とする地ですよね)

じゃあ、ここに出てくる「倭奴國」とは
『後漢書、倭伝』
・倭奴國奉貢朝賀、使人自稱大夫、倭國之極南界也
と書かれており
倭奴國は倭國の極南界とされ、当然   倭國 > 倭奴國 という図式を描くことが出来ます。
で、その極南界とは?

・『極』とは(韻会)極、又八極、四極方隅之極 とされ

ここは「極(南)界」と四方のうちの南ですから、倭國は東西南北という四方のはっきりした土地柄で、界と書かれていますから
当然、人為的に境が引かれた場所ではなく、自然的地形(つまり、海に囲まれた島)による東西南北の区分けがされている所
要するに後漢書でいう倭國とは「日本列島」ということ
倭奴國とは日本列島の極南に位置する島(九州島)ということになります。

新唐書が言う(日本古倭奴國也)は、現在の大和を治めているのは、昔九州島を治めていた倭奴國
旧唐書が言う(倭國者古倭奴國也)は、現在の大和を治めている者は、昔九州島を治めていた倭奴國の流れ

955ローガン:2008/03/05(水) 22:56:49
>>954
すみません、メシ食べてて遅くなりました。河童虫さん。
旧唐書と後漢書の間にある隋書を考えてみてください。
956河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/05(水) 23:09:25
>>955ローガンさん

>旧唐書と後漢書の間にある隋書を考えてみてください。

隋書のどこですか?
「都於邪摩堆則魏志所謂邪馬臺者也」ここですか?  それとも別な箇所?
957河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/05(水) 23:17:15
でも、隋書を検討しなくても
先ほど>>956で、後漢書、旧唐書、新唐書の連携にて
大和の地は、昔九州島を支配していた「倭奴国(者)」が支配していると書いてあったでしょう。
958ローガン:2008/03/05(水) 23:19:42
>>954
旧唐書の「倭国者古倭奴国也」は隋書の「安帝時又遣使朝貢謂之〇(倭)奴国」に因るものだと思いますよ。
959ローガン:2008/03/05(水) 23:39:35
旧唐書の、倭国者についての記述は隋書からの引用が少なくないですね。
「倭国者」の記述にあたり、ある程度の情報を隋書に頼ったと推測出来ますね。
よって魏徴の錯誤がそのまま旧唐書に書かれたと思います。
しかし、当然10世紀なりの情報もある程度持っていた。故に、「倭国者」と「日本国者」を分けて書いたって思います。

まあ、倭国者=古倭奴国とすれば、日本国者(大和朝廷)が倭国の別種という見解は結構正解かもしれませんね。
960河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/05(水) 23:59:16
>>958-959ローガンさん

『漢光武時遣使入朝自稱大夫安帝時又遣使朝貢謂之倭奴國』
この部分がどうかしましたか?

>旧唐書の、倭国者についての記述は隋書からの引用が少なくないですね。
「倭国者」の記述にあたり、ある程度の情報を隋書に頼ったと推測出来ますね。
よって魏徴の錯誤がそのまま旧唐書に書かれたと思います。

で、
魏徴の錯誤って何処にありましたか?


961ローガン:2008/03/06(木) 00:16:44
>>960
後漢書によれば、建武中元2年の奉貢朝賀は倭奴国ですが、安帝永初元年の願請見は、倭国王ですね。
隋書は間違っています。
962河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/06(木) 00:28:00
>>961ローガンさん

>後漢書によれば、建武中元2年の奉貢朝賀は倭奴国ですが、安帝永初元年の願請見は、倭国王ですね。
隋書は間違っています。

じゃあ後漢書は正しいの?

で、ローガンさんは 建武の朝賀と安帝の朝貢は同じ国だと思う?それとも全く別の国だと思う?
963河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/06(木) 00:36:23
ローガンさん

これは裏情報なんだけど(まだ私は確認できていない)

ある後漢書関連記事の影印なんだけど『倭國王』の部分が『倭國主』になってるらしいよ
これが事実なら、結構ひっくりかえる。
この『倭國主』、裏情報なんだけど、結構信憑性の高い情報
964日本@名無史さん:2008/03/06(木) 00:47:27
>>963
太国と芸風が同じだぞwwwwwwww
965日本@名無史さん:2008/03/06(木) 00:53:49
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
966日本@名無史さん:2008/03/06(木) 00:56:20
ZZZzzzzzzzzzzzzzz............................
967河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/06(木) 00:56:48
>>964

そうかい?
968ローガン:2008/03/06(木) 01:22:52
>>962
論点が変わるのでそのお話はちかいうちに…
後漢書の記述が正解であったかどうかについては、「100%信頼に値する」とは、思えませんが、
後漢書の内容を隋書が一部誤って引用した。旧唐書はその隋書を引いた結果、あのような記述となった…


(隋書引用の)倭国とは、「漢光武帝時遣使朝貢自称大夫安帝時又遣使朝貢した倭奴国」だとし、
日本国は、倭国(=漢に朝貢した倭奴国)とは別種であり、異伝として「日本舊小国併倭国(=漢に朝貢した倭奴国)之地」…

つまり日本とは漢の時代に朝貢した倭奴国を併呑した国であると、旧唐書に書いていると思います。
ではお休みなさい。
969日本@名無史さん:2008/03/06(木) 02:48:41
『シンポジウム邪馬台国が見えた』(学生社)にある平野邦雄の
「邪馬台国は九州か大和か」では、中国の文献から見ると、時代を下るごとに
邪馬台国が東に移動するように読めるとする。
順に挙げていくと

1、魏略(270〜280頃)・・・倭は帯方郡の東南海中にあり、山島によりて国をなす。
     海を渡る千里、また国あり、皆倭種なり。
2、魏志倭人伝(280年代頃)・・・女王国の東海を渡る千余里、また国あり、皆倭種なり。

3、後漢書倭伝(5C)・・・女王国より東海を渡ること千余里、狗奴国に至る、皆倭種なりと
     いえども、女王に屈せず。
4、隋書倭国伝・・・その地勢は東高くして西下り、邪摩堆に都す。
     竹斯国より以東、皆倭種に附傭す。
970河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/03/06(木) 07:59:59
>>969ローガンさんおはよう

>魏徴の誤認

つまりこう言う事ですか?魏徴は昔の日本について誤認した部分があった。しかし、それを後世のローガンさんが見つけ出したと言う事ですね。
そうなると、魏徴の描いた倭国は後漢時の誤認のまま描かれた倭国となり
後漢時の誤認はそのまま、それ以降の倭国事情を少しずつ狂わせて行く事になりますね。
当然時間が経過するごとに、初めほんのささやかな誤認も広がるのが道理、何処かで遮断しないかぎりその誤認から派生した誤認はそのまま引きずりますね。
隋書における誤認の発見とは、隋書倭国伝の信憑性を著しく低下させる事の出来る大発見です。
昨日の誤認は過去の歴史に影響しませんが
根底となる歴史の誤認は、内容が継続すれば必ず後世ひろがります。
971小国
946>

書籍では九州北部になっていますが、映画がどうするかは、当然、わかりません。
この本の主眼は、邪馬台国の属国30か国の場所を洗い出すことで、邪馬台国の
位置もおのづと判明する、というものです。