【歴史】 九州説VS畿内説 邪馬台国はどこに? 学識者ら検証 ★2

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1しいたけφ ★
邪馬台国はどこにあったのか、女王・卑弥呼の人物像は――。古代史最大の謎と
される邪馬台国について、考古学者が九州説、畿内説それぞれの立場から検証する
シンポジウム「九州VS畿内」(読売新聞西部本社など後援)が2日、福岡市中央区の
都久志会館で開かれた。

 県や学識者らでつくる「福岡歴史ロマン発信事業実行委」が、福岡の歴史をPRする
一環で初めて企画。定員600人に対し1100人超の応募があり、会場は熱気に
包まれた。

 九州説を主張する高島忠平・佐賀女子短大学長(日本考古学)は、前原市の
平原遺跡で、ひつぎの周辺から見つかった多数の破鏡に着目。「破鏡は、
多くの国々を支配した巫女(みこ)王の卓越した霊力を封じるために埋葬されたと
考えられる。出土品から巫女王の成立過程が読み取れるのは九州だけ」と主張した。

 一方、水野正好・奈良大名誉教授(考古学)は、中国の歴史書「隋書」で「大和が
邪馬台国」と記された記述を根拠に畿内説を展開。「九州には王都にふさわしい
遺構がなく、魏志倭人伝で記された渡航日数ともつじつまが合わない。畿内は、
『不弥(宇美)国から南にある』という方角以外はぴたりと合う」などと訴えた。

 日本考古学協会会長の西谷正・九州大名誉教授(東アジア考古学)を交えた
討論会では、卑弥呼の人物像や邪馬台国の統治範囲、九州から大和への
東遷説などを巡り、白熱した議論が交わされた。

 大野城市の男性会社員(47)は「破鏡のことを考えると、やはり九州ではないか」、
福岡市東区の無職女性(46)は「畿内説の方が整合性がある所が多かった」と
話していた。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukuoka/news/20080302-OYT8T00569.htm
米前http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1204511908/
2名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:27:41 ID:+RyJ2Tsc0
意表を突いて北海道
3名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:27:54 ID:KY6uYheo0
近畿だ
4名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:29:28 ID:G8cKtLTYO
死ねぇ!
5名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:31:00 ID:laNvnB2t0
ビルドベースの バンババン
守りは堅い バンババン
いまに見ていろジャマダイ王国 全滅だ
6名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:31:21 ID:Us/u6SJh0
練馬じゃなかったのか
7名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:31:30 ID:KtneLmgm0
正直 どこでもいい。
8名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:33:44 ID:eEOC9Yb30
韓国ニダ!
9名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:33:46 ID:saL180vKO
八幡平
10名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:34:22 ID:BIxjFXVb0
邪馬台国は韓国が起源です。
本当にカムサハムニダ。
11名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:35:56 ID:oeUJnTBC0
卑弥呼がいたのは近畿
火魅子がいたのが九洲
12名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:37:20 ID:BaFU8ird0
東大と京大とでの見解が違ってるんだっけ?
13名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:37:25 ID:HUrYz5AZ0
<丶`∀´> 呼んだ?
14名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:37:54 ID:mmC3WpjN0
こういうスレは必ず畿内派のアホが
グダグダ言い出すが
http://yamatai.cside.com/index.htm
畿内派と九州派
まっぷたつだっつーの
15名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:39:18 ID:Ukqoeb/D0
邪馬台国を「やまたい」と読んだのが間違い。
あれは「やまと」と読むのが正しい。
新井白石もそういっている。
16名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:39:28 ID:D736R4MQ0

まだ、やってるのか。
畿内説で決着がついているんじゃないの

17名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:39:53 ID:/SJThbnc0
邪馬台国はきみのまぶたの裏にいつまでもあるんだよ。
18名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:40:34 ID:/8L2ziNY0
九州から畿内に遷都しました。

本当にありがとうございました。
19名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:40:41 ID:tVEwcY8y0
>>10
韓国は邪魔台国です。
20 ◆65537KeAAA :2008/03/03(月) 20:41:04 ID:1fanZ/7q0
>>19
邪魔大国の間違い
21名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:41:18 ID:6EMLuN67O
近畿だと思う。
でも九州には吉野ヶ里遺跡あるからなあ。
ここはやはり東海ってことで。
22名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:42:04 ID:AYiPA6bT0
どっちにもいたで手を打てよ
移動した可能性も無くもないだろ

その場合どっちが先かで揉めんな!
23名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:42:26 ID:p/K3TRLDO
四国だよ四国
24名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:43:34 ID:iCw4i6em0
実は北陸説が濃厚なんだな これが..
25名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:44:15 ID:aUQxAPFE0
タイムマシンを造った方が、早いみたいだな。
26名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:44:15 ID:oeUJnTBC0
>>21
>>23
カッペ乙
27名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:44:46 ID:TNJ3cZGr0
>>16
もうヤメタイんだけど、だれもそんな畿内。
28名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:44:59 ID:mmC3WpjN0
双方の主張は
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku257.htm
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/2setu.htm
簡単に決着がつく問題じゃない
29m9('v`)ノ ◆6AkAkDHteU :2008/03/03(月) 20:45:59 ID:AfsENEiW0
畿内じゃないのか?
九州から畿内まで遷都する理由がないし。
30名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:46:04 ID:P2FZM1ROO
八幡平
やまたいって読める
31名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:46:46 ID:5a/ayYZn0
邪馬台国⇒やまとのくに
卑弥呼⇒ひめみこ

初期の大和朝廷と考えるのが自然でしょう
32名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:47:52 ID:hovlhYoW0
正解を言うと、当時九州と近畿は合体してて、
そのご戦国時代位にすさまじい地殻変動で
九州が分裂した。
33名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:48:04 ID:aUQxAPFE0
邪馬台国と大和は別の国です。
34名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:48:39 ID:7CE/FM6E0
先週吉野ヶ里に行ってきました。まさしく魏志倭人伝の世界です。
高柵塀に二重堀で防御された中心の建物に、なんと卑弥呼がお祈りしていましたよ。
ヒミカちゃん人形を買って帰りました。
35名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:48:46 ID:qjD/9u4X0
邪魔大王国なら知ってるけど
36名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:49:40 ID:af7fPObH0
邪馬台国が天皇朝廷(大和)の前身だったとするなら、

東征があった→邪馬台国は九州
東征がなかった→邪馬台国は近畿
ということになる。

・日本書紀でも天皇家は九州出身
 (逆に近畿出身ならわざわざ九州出身なんて書かないはず)
・九州と飛鳥地方の地名の一致
・当時の先進文化の入り口は九州だった
ここらへんから東征はあったっぽい。

だから邪馬台国は九州で、それが東征して近畿で発展した
と考えるのが自然。
37名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:49:54 ID:UvXO85HwO
邪馬台国なら俺の横で寝ているよ
38名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:50:01 ID:nzufRNSC0
姿を映したことのある鏡は、移った人の魂が(一部)移って宿るとされていた
ので、本人が死ぬと、鏡は割って、鏡が魔物にならないようにしたのであろう。
貴人の姿を映した鏡は、本人が亡くなったら中からまぼろしが出てこないように
割ってから、本人同様に埋めてしまうのである。
つまり呪術である。
正月に、鏡餅を神棚に供えて、正月が明けるときに鏡割りといって、もちを
金槌で叩いて割り、竹ざおに挟んで、焚き火で焼くという風習(今では
ほとんど廃れてしまったが)には、この鏡に対する呪術の様式が残っていたと
考えられる。
39名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:50:52 ID:/f/G4t0YO
本当は群馬
40名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:50:53 ID:p734Wpny0
地震で海に沈んだんだよ
41婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/03(月) 20:51:16 ID:oLERX7aN0
長野で「九州型銅戈」と「大阪湾型銅戈」が同時に出土スレを見て、
邪馬台国は長野であったのかと得心した今日このごろ。
42名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:51:32 ID:+iX14IRn0
こないだ、江田船山古墳に行ってきた。
あそこが邪馬台国だな、とオモタ。
43名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:52:43 ID:GhcR070v0
九州に決まってるだろ。
機内から朝鮮経営なんて出来ないって。馬のいない時代。
44名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:53:50 ID:njXuoMX70
東夷伝は'やま壱こく'。 
勝手に’やまたい’に変えるな、という人がいるが
45名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:54:04 ID:poGhMD53O
シェリーマンがトロイの遺蹟を見つけたように
誰か邪馬台国を見つけてくれないものか。
まぁ見つけるも何も邪馬台国=大和朝廷と言うなら
天皇陛下を戴く今現在の日本が邪馬台国の末裔と
言い張る事もできるから
邪馬台国?今俺たちが住んでるここ、日本全てがそうだよ。
と言うのも味わいがあっていい。
46名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:54:51 ID:6EMLuN67O
それよかムー大陸探そうよ!
47名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:54:58 ID:jW1+06v+0
九州は蝦夷とかの住処で、大和朝廷に征伐されたんじゃなかったの?
48名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:55:37 ID:t0W7eU3kO
>>37
基本的に間違ってる
49名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:55:52 ID:K2JD/WsHO

邪馬台湾

50名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:56:54 ID:IWVAv+bG0
じゃまだい?
51名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:57:09 ID:fUTFYjkK0
古田武彦は、南米チチカカ湖だといっている

これが正解だろ
52名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:57:12 ID:64BvkUCdO
大和朝廷が九州から攻め上った時、畿内に邪馬台国の後継王国が
あればもっと派手な戦になったハズではと思うのだが
53名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:57:13 ID:5a/ayYZn0
邪馬台国さいたま説
54名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:57:25 ID:IAJnIlaX0
もう、関東で(・∀・)イイ!
55m9('v`)ノ ◆6AkAkDHteU :2008/03/03(月) 20:57:43 ID:AfsENEiW0
大和朝廷の九州平定って、相当後期だろ。
56しいたけφ ★:2008/03/03(月) 20:59:31 ID:???0
山田異国
57名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 20:59:34 ID:pBXmDca/0
ジェリーマンがトロイの木馬を仕込みました
>>45
58名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:00:40 ID:jW1+06v+0
古墳とかいっぱい出るほうだろ
たぶん畿内
59名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:00:55 ID:S8j1yve00
間をとって四国でいいよ
60名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:01:22 ID:njXuoMX70
>>51
古田説は検証が厳しい。一方トンデル部分がすてき
61名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:01:22 ID:MMJsnaPn0
www2.tba.t-com.ne.jp/sachiyo/Sachiyo&Esper.jpg
弥生時代の肥前筑後地方は眼窩が深く
彫りの深い人種が住んでいたと考えられるのであるが
佐賀東部吉野ヶ里と一部の地域のみ眼窩が高く渡来系の特徴が強い。
だがこれらの地域も縄文時代から九州にある
甕棺埋葬だったり沖縄の貝殻、装飾土器があったりして
他の遺跡と共通点もみられる。

そして、古墳時代混血が進むと
肥国、筑後国は眼窩が深い彫りの深い縄文人的特徴を強く残す。
(日本でももっとも縄文形質が強い地域となる)
この理由として
混血かあるいか渡来系がどっかに飛散したか
殲滅させられたかいずれかが考えられる。
62名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:02:12 ID:B+9D/1Ky0
朝鮮半島にきまってんだろ
あの場所は全ての起源なんだから・・・
それを日本のものにしようなんて狂ってるニ・・・ゲホッ
な・・・なんでもないニダ
63名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:03:41 ID:MMJsnaPn0
日本で一番眼窩が深いのは
肥前、佐賀・長崎という古墳時代のデータがある。
東北関東は近畿並に眼窩が浅く
所謂、ノッペリしてる。
www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/154.html
64名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:04:12 ID:TNJ3cZGr0
>>56
★つけてくだらねーこと言うとかどんだけー
65斉藤ユキオ:2008/03/03(月) 21:04:23 ID:kUSgjIcZ0
宮崎県西都が邪馬台国である。西都原古墳に卑弥呼の墓がある。
魏志倭人伝を素直に読めばそうなる。
卑弥呼は3世紀頃の人で、スサノオの尊との間に3人の子女がいる。
畿内説はナンセンス。
66名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:07:06 ID:SzU//MNEO
長崎県佐世保市邪馬台国町って、おれんちの住所じゃん!
67名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:07:33 ID:K2JD/WsHO

神功皇后の古墳から何がでてくるかな?
九州から近畿に攻めて応神王朝をつくったんだろ!
68名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:08:52 ID:ZOwrpStr0
そんなものなかった派はいないの?
69名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:08:59 ID:sx6g95FE0
はじめ九州にあってそこから遷都したんでしょ
70名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:11:50 ID:jW1+06v+0
九州から畿内って遠い
何の理由があって遷都したんだろ?
71名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:12:46 ID:WDcfrD1Q0
>>15
邪馬壱国だ
72名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:13:32 ID:GhcR070v0
>>70
狗奴国に攻められたのでは?
73名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:13:59 ID:K2JD/WsHO

神功皇后は、ヤマトタケルの息子の仲哀を北九州で殺してるからね!
凄い女傑

74名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:14:30 ID:P2FZM1ROO
邪馬台国と伊都国が合併したんだよ。
んで、ヤマトという名になった。
75名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:15:17 ID:MMJsnaPn0
大まかな流れ

高天原(タカマガハラ)から天孫ニニギが高千穂に降臨
鹿児島の地元の娘(海人)との間に生まれ子の二代目が
神武天皇。
その後畿内に東征する。欠史8代時代畿内の地方政権として
出雲政権に使える。その後出雲政権の弱体化で畿内統一。
崇神の時代に北陸、吉備、関東、東北に四道将軍を送り込む
大彦命(おおびこのみこと)、武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)、
吉備津彦命(きびつひこのみこと)、丹波道主命(たんばみちぬしのみこと)の4人
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E9%81%93%E5%B0%86%E8%BB%8D
四世紀に古墳が東北にまで広がるがまさにこれが四道将軍の進軍と
ぴたり重なる。
崇神天皇こそが最初の日本の全国的統治者である。
だがこのスーパーパワーは一代で築かれたものではなく
畿内の統一という経済的、政治的安定があってこそ
なしえたものである!
76名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:16:45 ID:SzU//MNEO
>>71
つぶれた証券会社みたいな名前だな
77名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:16:48 ID:Orb/Jj3Y0
邪馬台国は当然朝鮮半島にあったんです

78名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:16:50 ID:K2JD/WsHO

遷都の理由は、大陸からの侵略を敬遠したんだろ?
九州じゃ、近すぎてヤバい!と
79名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:17:55 ID:P86XoRX00
神武東征こそ
九州の邪馬台国が、
畿内の大和朝廷になった歴史
が神話になったモノなのだよ!
80名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:18:00 ID:W3n0x6kh0
北四国説もあるよ
(愛媛県宇摩地方)
かなり信憑性のある理由を唱えている学者さんのブログがあった
81名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:18:35 ID:a3ujnzda0
九州でも畿内でもどこでも、もうみんな邪馬台国でいいじゃん。
その方が歴史学者も地方自治体も土産物屋も商売ができるのだから。
82名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:20:36 ID:MMJsnaPn0
神武、崇神、応神(近江の息長の子孫)
83名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:20:59 ID:Iecb5/a7O
ぶっちゃけ、おなじような規模のクニが全国にいくつもあって、
たまたま記録にあるのが邪馬台国ってだけだから別に邪馬台国
だけピックアップしても意味ない気がする。
84スモールな東海:2008/03/03(月) 21:21:42 ID:WMS5fDIO0
邪馬台国はみんなの心の中にあるって
ペリーさんが言ってたけど。
85 ◆65537KeAAA :2008/03/03(月) 21:21:47 ID:1fanZ/7q0
邪馬台国が九州〜近畿を治めていたって事でいいんじゃね?
86名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:21:52 ID:UGQF1sS70
どこが邪馬台国でもいいけど、3世紀に全国規模の政権の拠点になったのは
纒向だよなぁ
87名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:21:57 ID:jW1+06v+0
九州から畿内まで遠い道のりを、逃げてこなければならない理由があったんだな
狗奴国ってよっぽど怖かったんだね
88名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:21:58 ID:7K/WEnB60
魏志倭人伝に記されている邪馬台国なんて、本当に存在したのかどうか、まずはそれが問題。
全くの架空のものではないのかもしれないが、
たとえば、当時日本列島に存在していた、幾つかの国の情報の断片をつなぎ合わせて作り出されたものなのかもしれないし。
仮に、「卑弥呼」と書かれた遺物が出土したとしたら、かえってウソだとおもわんか?
89名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:22:12 ID:p/K3TRLDO
日本全部が邪馬台国でいいやん
邪馬台国は連合大国だったんだよ
で、卑弥呼は毎年毎年国を御幸していたんだ
90名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:22:42 ID:oeUJnTBC0
>>83
邪馬台国にはあっておなじような規模のクニに無いものがあるんだよ
それはロマンだ
91名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:23:42 ID:RYvI+7U30
正直どうでもいい論争。
聖徳太子がいないことにされるほうが大問題。
92名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:23:44 ID:P86XoRX00
「親魏倭王」の金印が見つかったほうが勝つわ…
93名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:24:45 ID:MMJsnaPn0
>>83
近い、邪馬台国は中国人の認識不足から生まれた国。

九州にあった九州の首都奴国、伊都国が
畿内の大和に併呑される過程の
中で中国人が勘違いをした畿内勢力が邪馬台国。
邪馬台国九州支部は宇佐にあったのですが
中国人は認識できなかった。
実は本部は畿内にあった。
94名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:26:01 ID:GhcR070v0
中国の使節が倭国に来たのは確実。
卑弥呼にも会ってる。
95名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:26:48 ID:dfIrS2PMO
決着なんか着かない方が面白いね。
96名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:27:05 ID:TTZLgZN20
学説的な事は分かんないけど、とりあえず九州さんに10万点
97名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:27:18 ID:/ZdDlTBF0
>水野正好・奈良大名誉教授(考古学)は、中国の歴史書「隋書」で

ソースが中国である以上信じたくはない
98名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:27:48 ID:jW1+06v+0
伊勢神宮とヒミコは関係あるの?
99名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:32:06 ID:/X8JkPgC0
はっきりしているのは
卑弥呼の邪馬台国も
大和朝廷も
銅鐸文化の担い手ではない。

記録に銅鐸らしきものが一切でてこない。
100名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:34:21 ID:TNJ3cZGr0
>>70
水の利

農業や地域交流に便利だった
101名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:35:40 ID:/X8JkPgC0
遷都でなく分家したという

by古田
102名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:35:51 ID:LuSvnQb5O
間とってソウルあたりでも
103名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:36:22 ID:MMJsnaPn0
1世紀、魏は九州の首都伊都国に金印を送る。
この時伊都国がどの程度の範囲を治めていたか定かではないが
甕棺地域が福岡市内から西南、山口大分以北は石棺ということを
みると伊都国は九州西南地区(もしかすると沖縄も)のみを
治めていた可能性が大きい。
そしてこの伊都国傘下に入っていた奴国などの出土品から
沖縄の装飾品や土器が多数出土されることから
この政権は沖縄と深い関係にあったと考えられる。
いずれにしても当時は九州沖縄と本州四国は分断状態の別国家であった
と考えるのが自然だ。
104名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:37:57 ID:qjD/9u4X0
1世紀に魏が金印送れるわけないじゃん
105名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:38:04 ID:WReHVSbG0
邪馬台国に生まれてよかったなあという気持ちが、日本中どこに住んでおる人にでも
起きてくるようになったならば、日本列島全体を邪馬台国にして意識するようになったら、
邪馬台国を愛する心は、すなわち国を愛する心にもつながっていくのではないか
106名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:38:52 ID:7CE/FM6E0
吉野ヶ里の背振山地と、筑後川を挟んで反対側の耳納山地との間が、倭の中心地帯であることは、間違いない。
そして博多湾からの侵入に備える防御線が、大野城(大宰府)および水城である。ただそれでも不安だから、近畿に逃げたのだろう。
チャンやチョンのむごさは、今も昔も変わらない。
107名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:38:55 ID:3xJKSkWlO
どうせどっかの自治体が場所も分かってないのにウチが邪馬台国ですとか言い放ってんでしょ?
土産に卑弥呼饅頭とか売ってさ
108名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:39:26 ID:TNJ3cZGr0
>>97
唯一のソースだし。記録文化を持たなかったんだから仕方ない。

>>99
あったけど記録者が見なかっただけかもしれない。
銅鐸は楽器みたいに鳴らして使うんじゃなくて地面に埋めて豊穣を願う祭器であったと言われている。
109名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:39:46 ID:mm6+nEBb0
弥生時代(邪馬台国時代)では中国との交流、遺物は九州が圧倒的に多い。
倭人伝には、「兵には矛、盾、木弓を用う」「倭錦上献す」「宮室、楼観、城柵」
「棺有りて槨無し」の記述がある。以下のように、これらの記述は北九州の
遺跡・遺物と整合する。

卑弥呼の時代・3世紀の遺物として発掘される、鉄製武器、鉄鏃(てつぞく)、
矛、絹などは、九州での出土数が、畿内よりも圧倒的に多い。大和では、
弥生時代の鉄器はほとんど出土しない。

弥生時代の絹が発見されるのは北部九州だけである。

佐賀県吉野ヶ里遺跡には、魏志倭人伝に描かれている宮室、楼観(物見やぐら)
および城柵跡の3つがそろって発見されている。畿内にはこれら三点セットがそろ
った遺跡は発見されておらず、倭人伝は九州の国の様子を描いたものだろう。

「棺ありて槨なし」の埋葬形式は、北部九州に多い箱式石棺の形式に一致する。
奈良盆地での埋葬形式は、ホケノ山古墳のように「木槨」が出土しており、倭人伝
の「槨なし」の記述とは異なる形式である。

http://yamatai.cside.com/tousennsetu/kyusyu.htm
110婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/03(月) 21:41:02 ID:oLERX7aN0
>>98
伊勢は新しいんじゃないのん?
もちろん古くからクニがあったけど、あんな神聖な地になっちゃったのは
大和政権が作った神話体系での話だよね。

>>100
水利で言えば筑後−佐賀平野じゃないかと。
瀬戸内−畿内は降水が少ない。紀伊半島は降るけど。

>>107
まず「ヤマ☆タイ」とかいうアニメを作るのだ。
111名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:41:18 ID:P86XoRX00
>>99
銅鐸は出雲なんじゃねーの?
112名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:41:29 ID:aE1sFycw0
これってこれから何千年か経った時に
日本はJapanのどこにあったんだって言ってるようなもんか?
113名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:42:13 ID:0T16Z+o8O
ヤマタイ国
ヤマトの国

やまたい
やまと

ヤマト
ヤマタイ

同じぢゃね(´Д`)


九州(福岡ら辺)で「〜たい」って方言あるけど

昔々に、その九州に魏の人間が来て「なんて名の国ですか?」って質問して
「大和たい!」
「そうたい!やまとたい!」って原住民が答えたとする
それが魏史倭人伝
114名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:42:52 ID:TNJ3cZGr0
>>110
川がたくさんあったし、当時は大阪駅周辺は河内湾といって水の底だった。
水が少なかったなら後に難波(なにわ)や奈良なんていう都が出来るわけがない。
115名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:43:49 ID:MxtSQgRC0
>>111
出雲は西と銅剣、銅鉾文化と畿内より東の銅鐸文化が混在した場所
116名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:43:56 ID:af7fPObH0
>>113
意外と歴史的事実だったりするかもね
117名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:44:01 ID:/X8JkPgC0
>>99
銅鐸は出雲なんじゃねーの?

茨木の穂積に沙本毘古と沙本毘売の銅鐸国家首都を比定する説も
http://www3.kitanet.ne.jp/~nihirata/20070802.html
118名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:44:09 ID:MMJsnaPn0
>>111
出雲→近畿
119名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:45:10 ID:8hGYbfoC0
もういいよ。
そもそも、九州説は本居宣長がコジツケで考えたもんだろ。
ヤマタイ国じゃなくて、ヤマト国と読むべきだ。
120名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:45:14 ID:WReHVSbG0
>>114
アスカとかナラって古代朝鮮語だって知ってた?
121名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:45:20 ID:TNJ3cZGr0
>>111
銅鐸はわりあい(東北を除く)どこにでもある。
国立博物館にある日本最大の銅鐸(1.3m)は滋賀から出土してる。
もちろん荒神谷のも有名だけどね。
122名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:48:00 ID:YQYoeQNc0
>>115
古い情報じゃない?
吉野ヶ里でも銅鐸は出てるよ。
123名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:48:25 ID:MMJsnaPn0
銅鐸も銅矛もどちらも大陸半島から入ったもの。
これをどうみるかっていうと
ようは権力者がどれを取捨選択したのかって話で
権力者の違いが明らかになってくる。
124名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:48:39 ID:eZ3xo59d0
>>120
古代朝鮮語を知ってるのはたぶん君だけだ
125名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:50:02 ID:TNJ3cZGr0
>>122
そう見つかった時、研究者がこういったのは有名

ゲェッ銅鐸!ジャーンジャーン
126名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:50:33 ID:cpqBe/1F0
これ読売新聞西武本社が主催しているから、九州説がまだがんばっているように見えるけど
実は学会じゃ92%がたヤマトできまりってふんいきなんだよな。w
なぜなら邪馬台国の時代すでに古墳が築かれており、235〜244年の年号鏡11枚が畿内を中心に出土しているから
127名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:50:50 ID:aE1sFycw0
まず「邪馬台国」を現代の日本語読みにしてもしょうがない
支那の三国時代の読みに直さないとわかんねーよな
魏の国の人に聞こえた発音に、悪字を当てただけだろうしさ
128名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:50:54 ID:GmjNusH20
みんな邪馬台国って言ってるけど、ずっと遡ると"邪馬壱"と書かれている件について
129名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:51:43 ID:MMJsnaPn0
●ラ、と付けるのは九州沖縄と朝鮮に多いね。
中国四国地方より北は滅多にない。

だからと言って九州沖縄が朝鮮の血をより多く引き継いでると
いうわけじゃない。たんなる趣向性のもんだい
130名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:52:50 ID:ksTpMNgh0
文献的には九州というか筑紫で決まり
131名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:52:55 ID:WReHVSbG0
>>124
魏志倭人伝に出てくる倭の国名はそのままだと
何の意味だか分からないが朝鮮語読みにすると
とたんに意味のある言葉になるんだなこれが
132婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/03(月) 21:53:17 ID:oLERX7aN0
>>113
原住民の博多弁説は魅力的だよね。うんうん。

>>114
弥生時代は河内湖だよね。その周辺の潟地帯はたしかに
古くから水田が作られていた。だけどそれなら有明湾岸地帯も
似たようなもんだと思うんだが。
133名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:57:41 ID:mm6+nEBb0
古代は灌漑設備が十分でなかったから、
海岸近くの平野部より山麓で稲作が行われたそうだ。
134名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:59:40 ID:/X8JkPgC0
古代はコメは主食でなく雑穀が主食で、
コメは交易船との交易品として作られたもので、
コメ喰ってたのは交易船の船員だそうだ。
135名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 21:59:46 ID:7CE/FM6E0
鉄器や戦争の痕跡が全く出ない近畿は有り得ない。箸墓古墳は馬具が出ているからずーっと後代の代物。
第一巨大すぎて卑弥呼の時代には無駄。
136名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:00:10 ID:LW++wRp10
第一に天孫降臨は宮崎県で行われました。神武天皇も宮崎県出身です。
実在しない人物、もしくは実在していた権力者が神格化したものが九州に住んでるいた証拠。

第二に邪馬台国なんて国はありません。魏志倭人伝に書かれているのは邪馬壱国です。
畿内説の学者は邪馬台→大和としたいだけ。捏造乙。

よって九州説で終了。
137名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:00:54 ID:LVF4HVpo0
どこだっていいよ。

どうせ中国様から見れば、辺境の劣等民族のクソ王国。
138名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:01:22 ID:/X8JkPgC0
邪馬弐国もあったのか
139名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:01:49 ID:J2DPd7DA0
つか魏志倭人伝の史料価値はあるのかね
140名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:03:10 ID:MMJsnaPn0
吉野ヶ里は肥前でも渡来系の形質が強かった遺跡。
肥前全体の弥生人は縄文形質が全国でも極めて強い。
オレはこの吉野ヶ里の弥生人は本州の出雲あたりの
傀儡政権だったと考えてる。
吉野ヶ里の隣に田道ヶ里という地名があるのですが
これは田道命(丹波道主命の末裔)で畿内の但馬守だったはず。
おそらく、但馬守が九州に拠点作ったのが吉野ヶ里だろう。
だから他より渡来形質が強く、本州の遺物もでてくる。
www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/154.html
141名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:03:15 ID:Gyi8BAxO0
>>111
>銅鐸は出雲なんじゃねーの?
吉備系じゃなかったか?
142名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:03:37 ID:Gk9rJlukO
俺の脳内では熊野という事にしとこう。
143名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:07:00 ID:WReHVSbG0
ぶっちゃけ、大和朝廷は朝鮮系王朝、出雲や北陸も朝鮮系王朝
ところが意外に九州には朝鮮系王朝があった痕跡はあまりない

だから邪馬台国が日本土着の王朝なら九州にあったし、
朝鮮系なら本州にあったと考えられる
144婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/03(月) 22:07:05 ID:oLERX7aN0
>>133
素人考えでは、山麓の方が灌漑設備を含めた土木工事が
必要な気がするけど、どうなんじゃろ。たとえば湛水するための畦は、
傾斜地の方がたくさん必要だよな。その点、海岸平野の潟は
要するに湖沼だから、最初っから水田なんだよね。
もちろんこういう田んぼは中干しができないから生産性は低いけど。
145名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:07:40 ID:TNJ3cZGr0
>>136
「壹」と「臺」は違うし、その辺は中国の書籍でもいくつか漢字が違う。
中国が蛮族に大の字を使わせなかったという考えもある。

九州説の場合決定的におかしいのが魏志倭人伝にある巨大だったという
ヒミコの墳墓跡がないこと。これは畿内にしかない。

というか、ぶっちゃけ九州説なんてのは存在しないんだよね。
畿内か、それ以外説。ま、中華風の鏡が発見されてるから畿内で決まりだけど。
146名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:08:34 ID:a3ujnzda0
伝聞を古代中国人がまとめたものでしか伝わっていないから、
正確な情報が現代に伝わらない、だから解明できないのが邪馬台国。

古代エジプトなどの文明が結果的にある程度まで解明されたのは、
文字で史実が残されていたから。
文化や文明を文字で記録して残すということが、いかに大事かよく分かる。
147名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:11:37 ID:/X8JkPgC0
>魏志倭人伝にある巨大だったというヒミコの墳墓跡

http://cgi.din.or.jp/~washi/yamataikoku/paper/paper21.html
「冢はいわゆる高塚古墳ではない」
「自然の丘陵を利用して頂上部分に手を加えたのではないか」
148名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:11:43 ID:J87caOF50
>>144
平地の方が必要。理由は排水が必要になる。
149名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:12:34 ID:mmC3WpjN0
まあともかく
纏向遺跡よりさらにでかい日本最大の古墳群西都原の調査が進めば
あるていどのことはわかるはず
西都には「つま=投馬国」と考えられる地名や神社が残っているので
ここが投馬国であった可能性はかなりある
で日本最古級の前方後円墳も2005年に見つかった
150名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:13:48 ID:v/ZT3Cw+0
邪馬台国は近畿の水瓶琵琶湖の底に沈んでおる!
151名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:14:25 ID:6qeAYiL30
埼玉だろ
荒川と利根川に挟まれたあたりがチグリス・ユーフラテス川のところみたいに文明が栄えていた
152名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:14:25 ID:MMJsnaPn0
筑紫って国がでてきたのは隋の頃、
しかし8世紀の日本書紀は
筑紫という国が最初から存在してたと記述してる。
オレは筑紫というのは大和側からみた
九州の名称であって九州倭人からみた名称ではなかったと
考えている。筑紫の由来の「鞍ツクシ」の話を聞くと
畿内人が九州統一で苦労した事から名付けたんじゃないかと思ってる。
153婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/03(月) 22:14:44 ID:oLERX7aN0
>>146
蘇我蝦夷が悪い。
クーデター起こされたのは同情するが、道連れに歴史書を焼いちゃいかん。
154名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:15:47 ID:a5tqloPG0
近畿地方から東海地方にかけて、
銅鐸を祭る一族が支配していた。

それに対して、九州では銅矛を祭る
一族が勢力を持っていた。

時代が経つにつれて銅鐸の出土地は
東へ移っていき、銅矛の出土が
それを追う様に東へ広がっていった。

そしてついに、銅鐸の勢力は滅亡した。

天皇家が興した大和朝廷の時代、
銅鐸が発掘されたが
それが何なのか、大和朝廷の人々は
全くわからなかった。

要するに、近畿地方の勢力は
侵略してきた九州の勢力に
完全に滅ぼされて、断絶したって事。

のちの大和朝廷一族は
九州からやってきた勢力であって、
天皇の先祖は天孫降臨で九州に降り立ち
近畿地方の豪族を滅ぼして朝廷を開いたという
言い伝えをそのまま考古学が証明しているわけ。
155名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:16:01 ID:Gyi8BAxO0
>>131
「万葉集は朝鮮語で読める」
とか思ってるクチか?

>>137
>どうせ中国様から見れば、辺境の劣等民族のクソ王国。
国がまともに存続もしない「中国様」だけどな。
156名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:16:23 ID:Xqv9BtnUO
箸墓古墳
巻向遺跡
出雲という地名がある

以上から奈良県桜井市だと思う


宮内庁が箸墓古墳の調査の許可してくれればなぁ
157婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/03(月) 22:17:46 ID:oLERX7aN0
>>148
だから排水が必要なのは、中干しのためじゃないかと。
戦前の新潟島のようないわゆる「湿田」ではそんなもんやってなかったし。
158名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:18:15 ID:TNJ3cZGr0
>>147
職業:会社員
に言われてもなー。権威ゼロの素人の妄想じゃん。
159名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:18:32 ID:rUdbmA1A0
日本の古代史なんて、渡来人=朝鮮人の征服王朝の話だろ?
何がそんなに楽しいんだか。
160名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:19:06 ID:qtPZNNwp0
>>156
卑彌呼の時代に前方後円墳は無かった。
161名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:19:06 ID:Q30VSs800
>>103
> 1世紀、魏は九州の首都伊都国に金印を送る。
これの根拠は?
金印が出た場所も違うし、奴国(あるいは委奴国)と伊都国では音も全く異なる。
>>126
違う。金印でも出ない限り邪馬台国の場所なんか分かりっこないし、
分かったところで重要な意味はないだろうというのが大勢。
邪馬台国論争を本気でやってる学者そのものが傍流。
あと畿内の年代観については、その基礎にある日本の年輪年代が
はっきり言って第二のゴッドハンド問題になりかねない怪しい代物で、
俺は古墳時代の始まりの時期も不明なものとして扱うべきだと思ってる。
162名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:19:26 ID:MMJsnaPn0
>>154
それ大笑時代人くらいの妄想だろ。

仮面ライダーとか水戸黄門とか
短絡的ストーリーしか想定できない
世代だよw
163名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:20:09 ID:/X8JkPgC0
銅鐸は殷・周から衛氏朝鮮の領域内で独自の展開して渡来したみたいだ。
まあ衛氏朝鮮は現在の朝鮮族ではないと思うが。
http://www.kyuhaku.jp/museum/museum_info04-11.html

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1066237353/401
>401 :出土地不明:2006/05/05(金) 17:31:21 ID:xoDn3Hwq
>渡来人がやって来た頃に日本に青銅器が伝わるが、
>弥生前期のBC7C頃に伝わったものと弥生後期に伝わったもの
>では全く違う。
>
>銅鐸も鏡も後期に伝わっていて、衛氏朝鮮や楽浪郡を通じた
>中国青銅器の影響が見られるが、前期に伝わったものは
>中国青銅器の影響がさっぱり見られない。
>
>つまり青銅器はBC7C頃にやって来た渡来人が中国からやって来た
>のではないという最も重要な証拠なのである。

その渡来人て紅山文化の系統かな?
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/15-1kouzan.htm
164名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:23:33 ID:TNJ3cZGr0
>>154
侵略されて滅ぼされたはずの近畿の古墳様式が九州方向にジワジワ広がってる件

>>155
まあ、当時の中国様は確かにすごかったのは認めないと。
その後、異民族の侵入と共産党支配でメチャクチャになってるだけだ。
エジプトもメソポタミヤもインダスも全部現在では大したことないじゃん。
165名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:24:23 ID:MMJsnaPn0
伊都国、奴国から邪馬台国、大和朝廷へ変わるまさに転換期が
この魏志倭人伝じゃないか。
だから邪馬台国は九州にもあったし畿内にもあったかもしれないんだよ。
166名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:24:43 ID:/X8JkPgC0
>>158
話自体は森浩一せんせの引用だろ?
167婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/03(月) 22:27:34 ID:oLERX7aN0
>>161
年輪年代法を攻撃しているのは、これまた職人芸に支えられた
土器編年業界の人たち、みたいな印象があるなぁ。
一次データの公開はさておき、年輪年代法という手法そのものは
有効なはずだよね。

まあ、俺は博多近郊の山地説だから関係ないけどw
168名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:29:00 ID:XD5tfomg0
諸説紛々だな、まぁ読んでて面白い
169名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:29:16 ID:5ImnukmM0
邪馬台国なんて無かった、もしくは当時の小さい国々の一つと考えた方がすっきりする。
170名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:30:20 ID:WReHVSbG0
志賀島出土の奴国の金印は江戸時代から捏造説が唱えられている。

>>155
斯馬国、百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、 好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、
蘇奴国、 呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、爲吾国、鬼奴国、 邪馬国、躬臣国、巴利国、
支惟国、烏奴国

やまとことばで意味が分かる国名あるか?
171名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:32:39 ID:a5tqloPG0
>>164
神を祭る神器と、死者を葬る様式は別物だろ。

滅ぼされたほうを鎮魂する文化があるだろう。
出雲大社とか、滅亡した勢力に対して
べらぼうに巨大な鎮魂施設を建設したような連中だ。
敗者の墓場様式が使われてもおかしくないだろう。

・・・ま、九州でも少数ながら銅鐸が作られた形跡はあるんだけどね。
単純には言えないところ。

それにしても、やはり狗奴国は強かったんだろうね。
たぶん、邪馬台国以下30国が連合したのもそれが理由だと。

172名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:32:52 ID:mmC3WpjN0
まあともかく
弥生時代って紀元前1000年にさかのぼるので
九州も畿内も出雲も
もうその時には弥生文化になってとっくに1000年をへてるわけ

だからこの頃の豪族に朝鮮半島をこじつけるのだけはやめてほしい
邪馬台国時代以降は
日本列島→朝鮮半島への勢力の跡はたくさんあるが
逆はひとつもない
173名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:33:30 ID:/X8JkPgC0
アジア最古の青銅器文化は、現在のベトナムだそうだ。
http://vietnamtrip.net/arekore/history/index.html

BC7C頃にやって来た渡来人が中国からやって来たのではない
とすると、こっちからか??
174名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:33:35 ID:ApPzKWvf0
歴史的対立を解決する唯一の策は、「どちらでもなかった」である。
あるいは、「邪馬台国そのものが支那国のでっちあげ」。
これで全て完了する。
175名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:34:48 ID:RNjpay7b0
そもそも邪馬台国も卑弥呼も中国が日本を侮辱した
言葉だよ。なんでこんな蔑称を日本人が教科書でも
使わなきゃいけないんだ?
邪馬台国は大和国、卑弥呼は姫巫女とちゃんと日本
語の名称に直すべきだ。
邪馬台国とか言っている間は日本は中国の隷属国。
176名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:34:50 ID:6XqhqVhn0
>>37
俺の横にはまほろちゃんが寝てるぞ。
177婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/03(月) 22:36:26 ID:oLERX7aN0
>>170
江蘇省で見つかった金印が那国のやつと書体が似ているので
同じ工房で作られたもの、みたいなニュースを見た気がする。
178名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:36:52 ID:/X8JkPgC0
げげ、
弥生前期のBC7C頃にやって来た渡来人でなく
弥生後期に来た銅鐸人がドンソン文化人て説もある??

http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-entry-21.html
179名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:39:22 ID:ANpGX8DT0
諸星大二郎の"暗黒神話"読んでから
ずっと宇佐だと思ってる
180名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:39:57 ID:X+sDnYqC0
九州と畿内に別々の勢力があって
最大の勢力は畿内だったが、魏に使者を送ったのは九州だった
畿内は中国に認められたヤマトという国号を力で奪った
これが真相だろ

魏に使者を送る必要条件は、日本列島最大の勢力ではなく
対馬海峡と東シナ海の制海権を有していること
関門海峡を封鎖できる勢力が九州にあればこの条件は満たす
181名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:41:19 ID:MMJsnaPn0
基本
出雲=近畿だよ。
近畿と出雲を別けて考える必要は全くない。

文化で別けると概ね3つ。

九州、出雲(山口ー青森)、八幡(大分を中心に全国に分散)

クナ国の首都は菊池の隈府で
福岡の雑餉隈や七隈、日田の月隈や
佐賀の大隈を統括してた
隈の首都。
実はこれ九州政権の本家本元。
182名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:42:17 ID:mpH3D4yV0
ヤマタイ国は奈良にあった。
卑弥呼は1年のうち冬は山口にいて夏は奈良にいた。
墓も山口にある。

と、ムーで結論が出ている。
183名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:43:34 ID:WReHVSbG0
魏志倭人伝は帯方郡を出発し朝鮮を経て倭国に至るわけだが
倭人が特殊な言語を用いるとか、通訳に関しての記述がまるで無い
倭国では朝鮮語が話されていたと推測できる理由である
184名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:43:51 ID:jW1+06v+0
高天原っていうのは現在のどの辺なの?
185名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:43:53 ID:pgPJQ00b0
神奈川に決まってんだろ。大和市があるんだぜ?
186名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:44:50 ID:/X8JkPgC0
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1059892097/66
66 :日本@名無史さん:03/09/12 11:32:
魏志倭人伝に、 倭人は旧語を話し 自分たちは呉から来た と 言っている ...
187名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:45:33 ID:a5tqloPG0
>>170
斯馬国  糸島
百支国  ?
伊邪国  養父
都支国  武雄
彌奴国  三根
好古都国 博多
不呼国  ?
姐奴国  ?
對蘇国  鳥栖
蘇奴国  彼杵
呼邑国  ?
華奴蘇奴国 神埼(吉野ヶ里)
鬼国    基肄
爲吾国  ?
鬼奴国  ?
邪馬国  八女
躬臣国  菊池
巴利国  ?
支惟国  基肄
烏奴国   ?
188婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/03(月) 22:46:36 ID:oLERX7aN0
>>180
瀬戸内が安全とかいうのは、近世以降の発想な気がする。
中世まではあちこちの島ごとに海賊がいて、中央の王権もへったくれもない
世界だったわけで。
てなわけで、畿内王権の玄関口は敦賀-丹後にちがいないなと。
そこから半島に渡るのか山陰経由で玄界灘にいたるのかは知らんが、
たぶんこっちがメインルートな気がする。

いや、俺は博多近郊の山地説だから関係ないけどw
189名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:48:26 ID:WReHVSbG0
>>186
さすがに徐福伝説まで行くのは不味いだろw
だいたい倭人伝は呉音とは思えない表記ばかりだ
190名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:48:47 ID:MMJsnaPn0
>>184
日向に降臨したのは高天原出身のニニギだから
日向に高天原はない。
実際、ここでニニギが嫁にしたのは地元の海人つまり隼人。
高天原にいる高御産巣日神の子孫。
191名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:49:53 ID:/X8JkPgC0
>倭人伝は呉音とは思えない表記ばかりだ

地名は先住民の言語にもよるからね
192名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:50:57 ID:J87caOF50
>>157
でも板付みたいな初期水田でも、灌漑施設持ってるよ?
193名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:53:10 ID:X+sDnYqC0
>>188
畿内の勢力が瀬戸内を支配下においてなく
山陰ルートで魏に使者をおくったなら
魏志倭人伝と完全に合わなくなる
194名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:53:23 ID:TNJ3cZGr0
>>183
「使者と通訳が言うことには倭国は三十国」って最初に書いてますけど。
195名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:56:31 ID:WReHVSbG0
>>194
その通訳は朝鮮語から中国語への通訳だろ
そのまま倭国に行ってるんだから倭国では
朝鮮語が通じると考えるのが当然の解釈
196名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 22:57:18 ID:35uUTXcA0

「魏志倭人伝」で記載されている地名は、古来中国語で読むのが正しい。

邪馬台国 = ヤマト と発音される。

この方式で行くと・・・・

後は井沢元彦の「逆説の日本史」嫁
197婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/03(月) 22:59:29 ID:oLERX7aN0
>>192
なるほど。
ちょいと調べてみたが、板付は弥生初期で井堰や水路なんかを作ってたのか…。
だとすると、天水田とか湖沼(葦原)を用いた天然の田んぼじゃなくて、
完成された技術として(土木技術込みで)輸入されたってことなんかな。
198名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:00:00 ID:mmC3WpjN0
高天原と黄泉の国の中間にある
葦原中国(あしはらのなかつくに)は大分県の中津という説もあり
ここは高千穂や天の岩戸とも近い
199名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:03:31 ID:MMJsnaPn0
邪馬台国はほぼ畿内大和と同一だよ。
だが使者が認識してた邪馬台国は畿内大和ではなく
畿内大和の九州支部に過ぎない。おそらく大分宇佐神宮だろう。
この時以前の九州の首都
伊都国、奴国は畿内大和に既に支配されており
その警備隊が常駐したのが壱岐にある大倭(倭人伝にも記載)
後の大和(ヤマト)である。
ふつう、大和をヤマトとよむか?
大和のヤマトは当然当て字である。
大倭という警備隊組織の拠点をそのまま大和とし
畿内ヤマトの当て字とした。
200名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:03:57 ID:rUdbmA1A0
邪馬台国以前の日本は朝鮮のコピーに過ぎない。
それ以降の日本は中国のコピー。

道真が鎖国するまでの日本の古代史は、中韓の模倣の歴史。
そんな時代を研究して何が楽しいの?
201名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:04:14 ID:QuDf04p+0
邪馬台国なんてなかった。
「後漢書」には「邪馬臺國」と書いてある。
今残っている魏志倭人伝は宋代の版本。
誤字、脱字が多い。
壱岐を「一大」と誤刻している。
オリジナルの魏志倭人伝が書かれた時代には
「支」を「丈」のように書いたが、宋本は誤って「一大」とした。
魏志の種本である魏略には「一支」と書いてある。
もっとオリジナルに近い物を発掘しないといけない。
202名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:05:36 ID:/X8JkPgC0
>魏志倭人伝は帯方郡を出発し朝鮮を経て倭国に至るわけだが
>倭人が特殊な言語を用いるとか、通訳に関しての記述がまるで無い
>倭国では朝鮮語が話されていたと推測できる

帯方郡の近くまで倭国の言語で事足りていたとも推測できそうな主張だが?
203名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:06:38 ID:rXI4FkQd0
九州弁の「〜たい」ってのがヤマタイの名残なんじゃなかったか?
204名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:06:48 ID:VXBe5wrB0
日本といえば東京なんだから東京だろ常識的に考えて
大阪とかありえない
205名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:08:10 ID:/X8JkPgC0
>「支」を「丈」のように書いたが、宋本は誤って「一大」とした。
>魏志の種本である魏略には「一支」と書いてある。

そうすると「一大率」も「一支率」かもしれないのかww
206名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:09:04 ID:WReHVSbG0
>>202
古代朝鮮語と倭国の言語はほぼ同じだと
考えられるから誤りとも言えない

もっと時代が下っても百済や任那と大和朝廷は
同じ言語文化に属していたと考えられる
207名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:13:19 ID:TNJ3cZGr0
>>195
陳寿が倭国に行ったわけじゃないだろ?
そうだったと聞き書きしてるんじゃないか。
208名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:13:45 ID:/X8JkPgC0
>古代朝鮮語と倭国の言語はほぼ同じだと考えられる

ソースきぼんぬ
209名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:15:35 ID:qWBnMuuz0
[魏志倭人伝]

倭に至るには、海岸に循いて水行し、狗邪韓国に至る。

始めて一海を渡ること千余里にして対馬国に至る。

又、一海を渡ること千余里・・一支国(いきこく)に至る。

又、一海を渡ること千余里にして、末ラ国(まつらこく)に至る。

東南に陸行すること5百里にして伊都国(いとこく)に至る。

東南、奴国(なこく)に至るには百里、東行、不弥国(ふみこく)に至るには百里
南、投馬国(とまこく)に至るには水行20日。

南、邪馬台国、女王の都するところに至る。

水行10日、陸行1月である。



※佐賀県北部に松浦郡というのが今でもある。そのとなりぐらいに福岡県糸島郡である。
※福岡県の志賀島で奴国の金印が見つかっている。
210名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:18:34 ID:TNJ3cZGr0
日本語は孤立語のはず。朝鮮と日本はなんだかんだで歴史が長いから
共通する部分も多いけど、邪馬台国の時代がどうだったかはわからなすぎる。

個人的にはタミル語起源説を信じてるんだけどな。
211名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:18:55 ID:pTIyEKnP0
大体古代朝鮮語ってなんだよ、あえて言うなら古代の倭やら韓の言葉じゃねーのか。
212名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:19:25 ID:K2JD/WsHO

「何という国じゃ?」

「ヤマト・たいよ!」
213名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:19:34 ID:mmC3WpjN0
インドネシアにも日本語と似た言葉はたくさんある

ナシ = メシ(飯)
アンダナマ = アンダ(あなた) ナマ(名前)で、あなたのお名前は?の意味
トッカルチンチン = 婚約。チンチンは指輪でですが、トッカルは取り替えるの意味
マサッ = まさか
チャンプルー = ごちゃ混ぜ。沖縄のゴーヤチャンプルーのチャンプルーと同じ意味
214名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:21:14 ID:0z2CP0nAO
>206
言語学的にありえないと思われ。

新羅が倭人の国であったとした仮定すれば、
朝鮮半島で倭(日本)語の通訳が普通にいたかもしれないが。
215名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:21:31 ID:a3ujnzda0
>>209
>又、一海を渡ること千余里にして、末ラ国(まつらこく)に至る。

明確なのはここらあたりまでだろう。
ここから先が曖昧で怪しい。新たな資料が出てこない限り解明は無理。
216名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:21:59 ID:LhZpZUcm0
>>212
それなら他の国もタイってつかなくちゃおかしくね?
217名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:23:32 ID:MMJsnaPn0
>>206
東夷伝の韓人の章は白衣きてて今の日本の神官に近い風習だけど
倭人伝の方は素っ裸で朱を体に塗ってるとかかなり習俗が違うから
言語が同じとは思えないよ。

沖縄語と一番近いのは長崎弁。
チャンプルー=長崎チャンポン
218名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:24:40 ID:mmC3WpjN0
パキスタンより東、インドネシアでもマレーシアでも、開けた土地、台地、原っぱなどは
「〜バル」とよばれる地名がついている
宮崎や熊本には同様の発音がある
「たばるざか」や「ひがしこくばる」の「ばる」な
219名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:24:42 ID:WReHVSbG0
>>208
自分で調べてくれ。名詞なんかは全然違ったと思うよ。でも大和朝廷と百済の王族があまり苦労なく
意思疎通できていたのは間違いない。イタリア語とスペイン語みたいな関係だったんじゃないか?
現代の朝鮮語は新羅語が元になっているので古代朝鮮語とは全く別の言語だと考えられる。
220婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/03(月) 23:25:04 ID:oLERX7aN0
>>216
そこはそれ、不幸な勘違い連続の旅だったかも知れん。

魏の使者「ここはどこですか何という国ですかあなたは誰ですか!」
地元の人「ちょっと待つらよ」
魏の使者「なるほど、マツラ国と…」
221名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:25:07 ID:qWBnMuuz0
>>215
そうなんだよね・・・・そこからさきがなんともわかりにくい・・
222名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:25:45 ID:a5tqloPG0
対馬 対馬
一支 壱岐
末盧  松浦
伊都 伊都
奴   那珂
不弥
投馬  妻
邪馬台 山門


>>214
新羅の初代王は
海の向こうから流れてきた、という伝説があった
気がする。

あと、新羅の初代王から三代くらいまでに仕えた
新羅創業の重臣は日本列島から来た倭人だったと思う。

日本語は普通に通用したはず。
223名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:26:00 ID:aE1sFycw0
オレは原ポリネシア語説
224名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:26:03 ID:zk0v4NZLO
天孫降臨の地って高千穂峡?それとも霧島の高千穂?
高千穂峡と霧島の高千穂じゃ、離れすぎてるよね。
詳しい人教えて!
225名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:26:30 ID:PKRzko9M0
まだ、こんな論争やっていたのか。
北九州で決まっていたんじゃないの。北九州だよ、ホント。
226名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:27:38 ID:bOfO7EVo0
水行10日、陸行1月とあるから、北九州では無いだろうなあ。
227名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:28:25 ID:IC8bkuwv0
時代の値上げはゆるせん
228名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:28:42 ID:mmC3WpjN0
>>224
地名や伝説の残り具合を考えると
高千穂峡のほうがよりリアル
229名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:30:11 ID:MMJsnaPn0
奴国は博多区那の津、
那珂郡で福岡市から筑紫野市一帯のひろーい地域。

江戸時代まで
福岡市中央区警固から筑紫野市までが
那珂郡(なかこおり)でした。
その前は那そのものであったつまり
奴であった可能性大です。
二文字の勅令の後那珂になったんでしょう。
奴国は九州最大の国でその名残が
江戸時代まであったという事です。
230名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:31:01 ID:TNJ3cZGr0
>>224
高天原であって高千穂と関係あるかもしれない。ないかもしれない。
記紀自体が天皇正当性を高めるための文書だから必ずしも言葉どおりには受け取れない。
(キリスト聖書の記述を一字一句信じるようなもの)

「高天原」っていう独自の宇宙論を作ったところが、東南アジア〜朝鮮と、
日本における神話体系の決定的な差異だと考える人もいる。
231名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:31:45 ID:a3ujnzda0
とりあえず暖かくなったら、弁当を持って高千穂の峰に登ってくるよ。
彼女と二人でね。
232名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:31:59 ID:QuDf04p+0
相ヒ攻伐スルコト歴年ノヤバタキ國、是レ也。
ヤバタキ=危なっかしい、頼り無い。
233名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:32:00 ID:27tUEsZF0
畿内側と北九州側には、共に論拠となる遺跡や遺物が発見されている。
それだけに両方とも論拠があるので、なかなか決着はつかないよ。
畿内説は、もともと日本書紀から始まり、卑弥呼は神功皇后のことだと主張しているが。
日本書紀が編纂された時代からも、すでに何百年も経ているので、アテにはならん。
北九州説は江戸時代の学者の主張が始まりだが、これも確定は出来ない

ただ、近年、国産との説が有力だった、三角縁神獣鏡が、成分分析の結果、中国で作られたものである可能性が高まっている
そのため畿内を中心に三角縁神獣鏡が発見される事実から考えても、魏志倭人伝にかかれている中国から送られた鏡は、三角縁神獣鏡であり
畿内が邪馬台国ではないかと私は考えているよ
234婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/03(月) 23:33:22 ID:oLERX7aN0
>>226
那国の中州で水(水商売)に10日通いつめたら借金がかさんだので、
蕎麦屋で出前のバイトをみつけて、陸(おかもち)運んで一ヶ月。
ようやく旅費も貯まって邪馬台国に行きました。

という意味。
235名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:34:08 ID:/X8JkPgC0
三角縁神獣鏡は魏鏡でなく呉の系統の鏡
236名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:34:33 ID:MMJsnaPn0
>>222
丹波国出身のダッカイ
厳密九州倭人とは違う。
新羅からアメノヒボコが播磨国に移住する。
237名無し:2008/03/03(月) 23:35:46 ID:YEQqCwwX0
奈良には山ほど古墳があるんだけど九州にはあるの?
238婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/03(月) 23:39:58 ID:oLERX7aN0
>>230
>「高天原」っていう独自の宇宙論を作ったところが、東南アジア〜朝鮮と、
>日本における神話体系の決定的な差異だと考える人もいる。

それは神話の「段階」を無視した論じゃないかと。
記紀神話は、口承で伝えられてきた「歌謡」としての神話を
編纂して整理して再創作された国家レベルの神話だし。
239名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:40:05 ID:/X8JkPgC0
古墳もいっぱいあるし
甕棺墓とかしぬほどある
240名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:40:20 ID:54sYCrAiO
九州人だが断言します。

絶対に九州は な い w

まぁ規模が小さかったら別だけど…
241名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:40:21 ID:aE1sFycw0
>>222
対馬(対馬)→一支(壱岐)→末盧(松浦)→伊都(伊都)→奴(那珂)→不弥
土地の並びで行くなら不弥は宇美かな?
242名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:40:39 ID:4Rd2PAq40
文系の学者の検証とか推論とかってあてになるんだろうか。
243名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:40:39 ID:a5tqloPG0
>>219
朝鮮語と日本語の分岐は
数万年以上前に遡るので
弥生時代ではすでに完全な別言語。
基本単語レベルで完全に相違してる。会話は不可能。

むしろ現代朝鮮語と現代日本語のほうが似てる。
中国語起源の漢語が両方に共通して流入してるから。

現代日本語でカンシャは、現代朝鮮語でカムサ、
語源は中国語の感謝で、漢語だ。古代はこんな共通点は無かった。

古代日本人と古代朝鮮人とが会ったら、
国際語である中国語で会話するのが一番早かったはず。
王族であれば当然中国語は必須科目で使えただろうから
苦もなく会話できて当然。

>>233
三角縁神獣鏡って、どうみても怪しいんだよね。
数が多すぎるし、扱いが模造品レベルだし。
そんなに大切にされてないコピー商品って感じ。
244名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:41:03 ID:a3ujnzda0
>>237
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E4.B9.9D.E5.B7.9E.E5.9C.B0.E6.96.B9

俺は九州在住だが奈良にも住んだことがある。
とにかく数が違う。九州の方が奈良と比較しても遥かに多い。
245名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:41:31 ID:hbLnEx7B0
九州説の一番の弱みは、九州には魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の墓に相当するような大型の古墳が存在しない事だ。
それが発見されたら、北九州説は力を力をもつ可能性もあるな。
畿内説では、大規模集落は発見されてはいるが、魏志倭人伝に書かれているような、物見やぐらや堀を巡らせた集落は、いまのところ発見されていない。
この辺が畿内説の弱みだな。
246名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:41:32 ID:MMJsnaPn0
>>234
婆さん面白い!w
247名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:43:34 ID:/X8JkPgC0
>>245
>魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の墓に相当するような大型の古墳

>>147
http://cgi.din.or.jp/~washi/yamataikoku/paper/paper21.html
「冢はいわゆる高塚古墳ではない」
「自然の丘陵を利用して頂上部分に手を加えたのではないか」
248名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:45:59 ID:pNuUsMSX0
実は、卑弥呼は二人いたというのは既出ですか
249名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:46:19 ID:3Mruv+Fm0
もう、どこぞの野蛮人の国の首都みたいに、中間点って事で瀬戸内海でいいんじゃね?
250名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:47:28 ID:V7tpdLO60
万世一系の卑弥呼
251名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:49:34 ID:aE1sFycw0
中間点の首都とは、OGとキムチの事?
252名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:50:21 ID:A5KY489M0
邪馬台国の定義ってなんなの?
エロイ人教えて!
253名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:50:24 ID:j8FcNs6i0
日本人の心の中にある
254婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/03(月) 23:50:52 ID:oLERX7aN0
>>245
俺が住んでる田舎じゃ、遺跡といえば国道バイパスか新幹線の
建設地で出てくるのがほとんどだぞ。その分布図を見て
「おお、古代からの交通の要所に新幹線ができるのか!」
とか感動しちゃう奴がいるから困るw

遺跡の分布なんつーのは、現在の開発に依存している
その程度のもんじゃないかと。

>>246
いや申し訳ないw
255名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:51:07 ID:s9BLJ+eb0
畿内だとすると、上陸した九州北部から実に離れているような気がするんだけどな。
256名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:51:45 ID:a3ujnzda0
>>245
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E4.B9.9D.E5.B7.9E.E5.9C.B0.E6.96.B9

西都原古墳群は別格。
男狭穂塚古墳(おさほづか、167メートル)、女狭穂塚古墳(めさほづか、177メートル)

257名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:52:58 ID:1blQSOoGO
卑弥呼は田油津媛
258名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:53:52 ID:5a/ayYZn0
卑弥呼は俺の嫁
259名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:54:55 ID:qjKfAEBnO
今はじめて告白するけど、20年近く前の話。
そのとき小学校1年だったと思う、友達5人と小高い丘陵地に秘密基地を作ることになり、子供ながら、丘に横穴をひたすら掘ってた。
1週間くらい掘り続け、何度か崩れたりしながら、2mくらい掘ったとき、大きな空洞がでてきた。
10畳以上はあったと思う、天井も結構高かった。その大きなスペースの奥に2mくらいの長さの四角い石の塊があったのを覚えている。
近くには青い石みたいなのが無数あった。
そのときはラムネのビンのかけらか何かって思ってたけど、成長するにつれて、ニュースでよく見る勾玉であることに気付いた。
その時も何かとんでもないものを見つけって気持ちはあったが、そこで誰にも遊ぶことの方が大事なことで、皆、誰にもいわなかった。
3日くらいして、大雨がふり、俺たちが掘った横穴は潰れてしまった。
内緒にした変な罪悪感から、そのことは絶対誰にも言わないって約束を友達とした。
数年前、その丘陵地が整地されパチンコ屋が出来た。
俺たちは絶対工事の時にあの代物がでてくると口々にいっていたが、何事もない様子で工事は順調にすすみ丘陵地は平地になり、今に至る。
いったいあれは何だったんだろうと今も考えてしまう。
何か色々と道具や土器みたいのがあったような記憶もあるが、暗かったし良く確認していないが、盗掘されていない遺跡だったことには間違いないと思う。
ちなみに福岡の田舎のほうの話。
260名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:54:56 ID:TNJ3cZGr0
>>238
まあ、その通り。だからこそ、>>230の前半部につながるわけ。

ただ、他の国もそんな国家レベルで編纂された神話で、ミャンマースリランカはインド文明に、
朝鮮ベトナムはシナに権威を求めるけど、日本だけは高天原=宇宙、太陽に権威を求めるのが
違うってことが指摘されている(by wikipedia)
261名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:55:17 ID:Rah+RJbi0
このスレには「邪馬台国はどこですか?」を読んだ奴が沢山いる
とスレを読まずに予想
262名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:55:27 ID:N2HmfKwj0
九州説って論拠が乏しくてあんまり相手にされてないんじゃなかった?
263名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:55:37 ID:/X8JkPgC0
卑弥呼の宗教的権威は女系で継承
王位は男系で継承
連合政権
264名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:55:52 ID:QuDf04p+0
>>237
古墳は兵庫県に一万八千三百五十一カ所あって日本一。
雨が少なく農業用の溜池の数も日本一多い。
ゴルフ場の数も日本一。orz

其国本と亦た男子を以て王と為す。
住むこと七八十年、倭国乱れ相ひ攻伐すること歴年。乃ち共に一女子を立て
王と為す。名を卑弥呼と曰ふ。

香具山と 耳梨山と あひし時
 立ちて見に来し 印南国原(万葉集巻1−14)
印南国原は加古川と明石川に挟まれた播州東部。
邪馬臺国は兵庫県。
ヤバタイは危なっかしい、頼りないを意味する播州弁。
265名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:56:22 ID:+0E2o4KY0
九州だろ
畿内で発見されてる銅鏡は三角縁神獣鏡で魏じゃなくて
呉で作られていた鏡だし


と某エロゲで出てきたし
266名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:56:36 ID:LD2jVeaf0
お、ネトウヨどもが妄想を垂れ流すスレが立ってるな。
267名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:57:38 ID:l3rskqKJ0
まあずばり邪馬台国がどっちにあったのかはわからんけど
基本的には日本書紀にあるように東征が行われたっていうのはいいんじゃね?

それが邪馬台国の時代の後か先かはわからないけど
九州で王朝が生まれて機内に移ったということでいいんじゃないかな?

個人的には、邪馬台国の時代に
機内の王朝が果たして九州にまで
そんなに強い支配を及ぼせたか???
っていう疑問があるので九州説をとる

奴国とか一支国とかすげー狭い範囲なんよ…今の1つの市よりも小さい
そんな小さな国が30ぐらい集まって機内までの長大な範囲でまとまって
られる気がしないんだよね
268名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:58:04 ID:HQ08eDxr0
卑邪シナ国 市ね
269名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:58:05 ID:02qRZqTF0
両方でいいじゃん
270名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:59:10 ID:/X8JkPgC0
邪馬壱国は弐国だったw
271名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:59:24 ID:AYKa1BCo0
じゃ、邪馬台国…。
272名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:59:32 ID:pNuUsMSX0
>>269
東京本社と大阪本社みたいなものだったかも知れないね。

273名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:59:33 ID:6FPAyBz10
>>269
それが一番正しいかも…
邪馬台国連合みたいなものだったろうし…
274名無しさん@八周年:2008/03/03(月) 23:59:40 ID:a5tqloPG0
>>259
これだから朝鮮人は・・・・
275婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/04(火) 00:01:36 ID:nLYmHOVt0
>>260
なるほど。
スリランカ以外は地続きだから明確なナショナリズムが
自覚されにくかった、みたいな感じはするけど、そういう論を
言ってる人のソースを読まなきゃわからんな。

「うちの神話はよそとは違うんじゃ」と思いたい気持ちは
どこでもいっしょだと思うけど。
276名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:02:08 ID:X7gSzvi60
>>262
九州説は決定的なものがない。

「畿内って言われてるけどいろいろ怪しい・・・・だから、九州だ!」

っていう否定から入る論理になってる。畿内を否定して初めて候補として出てくる説。
九州だけで成立する根拠が乏しい。

277名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:03:09 ID:7ZVfZV30O
九州には卑弥呼みたいな霊媒型の霊能師が今も多いけど
畿内はどうよ?
278名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:03:46 ID:hSuCD6520
邪馬台国という国家の存在そのものを疑う説はないのか?
どこにあったかよりもこっちの方が興味ある。
279婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/04(火) 00:05:27 ID:nLYmHOVt0
>>277
畿内はその後の中世の比重が大きすぎて、上古の歴史をたどるのが
難しいような感じがあるよな。
280名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:05:42 ID:2la2YMoZ0
水行二十日だっけ?
勝手な妄想だが瀬戸内海をどんぶらどんぶら進んでるイメージ
281名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:05:43 ID:VCCvSc+z0
九州説は今じゃもうさすがに無理があるだろ
282名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:05:56 ID:WZgbwqsy0
>>278
邪馬台国だけはガチ。
283名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:06:05 ID:a3ujnzda0
邪馬台国とは、イギリスみたいな連合王国と考えた方がすんなりできる。
284婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/04(火) 00:07:40 ID:nLYmHOVt0
>>280
それならぜったい吉備国に寄ってるはず。
んで、「団子が名物だが、あんまりうまくない」くらいの
記述は残ってるはずだ。
285名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:07:44 ID:3SD/B6te0
熊襲最強ってことで
286名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:08:02 ID:X7gSzvi60
>>277
おみき婆さんとかw
287名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:08:10 ID:WJ+OeM95O
邪馬台国はフィリピンだった!
288名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:09:13 ID:RnhG85JC0
「ヤマタイカ」では、九州から畿内へ遷都した ってことになってたよね

「ヤマタイカ」の中で、地名相似性をみたとき、なるほどーと思った。
289名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:09:41 ID:/cABYxdh0
どちらでもないよ、邪馬台国はムー大陸に・・わぁ、何をする¢$#∴∞°′★○●@*
290名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:10:07 ID:E+GZ7Osk0
>>280
それで四国説がある
http://www.amazon.co.jp/dp/4884812891

たまたま、偶然、本屋で見つけたのだが、
その時は、「また、変な珍説が出たな」ぐらいにしか思っていなくて、
でも「四国にあった」というので興味が出た。
だってオイラは、離乳食の時代からうどんを食べている「生粋の讃岐っ子」ですから。

読んでみて「珍説」でもなく「新説」でもなく、間違いなく『真説』だと思った。
しかも、要所要所の地名を具体的にあげており、より信憑性がある。
そして、邪馬台国や女王卑弥呼の重要な所がほとんど徳島県に集中していた。
291名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:10:57 ID:UgmZLXWE0
邪馬台国は韓国にあったニダ<`Д´>
292名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:11:24 ID:Ym0UYiLW0
>>290

それこそ邪馬台国が畿内にあった証拠だよ。
293名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:11:33 ID:ggC89Tv10
>>278
お前、鋭いな!
実は「邪馬台国」という名の国は存在しなかったんだ。

博多弁では語尾が「〜たい」「〜ばい」となるのは周知の通り。

昔、隋の使者が日本に来たおり、
卑弥呼の居城への途上の山道で、案内の者に「ここはどこですか?」と聞いた。
案内の者は、「ここは山たい!」と答えた。
隋の使者は国に戻ると、「かの国の名は【ヤマタイ】です」と報告した。
こうして隋書に邪馬台国の名が残されたのだ。

というわけで、もはや疑いようも無く邪馬台国は九州!
294名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:11:47 ID:eoaeiu6R0
>>290
たま出版キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
295名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:12:02 ID:2la2YMoZ0
>>282
鞆の浦=投馬説ってあったような
296名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:12:35 ID:6LB0+ONj0

親魏倭国王の金印が出た所が、邪馬台国
297名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:12:47 ID:B3Y2GnESO
やまたいこく=やまとで良いんじゃね?
298名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:14:11 ID:WZgbwqsy0
>>293
カンガルーの語源みたいな説だな。

しかし、カンガルーがそのままになってるという事はおまえの説を証明する一つの証拠となるのかもしれない。
人間というのは、時に信じられないくらいものぐさだからな。
299名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:14:32 ID:DgCVa1T4O



とりあえず最終的に天下統一し、今に至らしたのは山口県と山口県民という現実


300名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:15:22 ID:X7gSzvi60
卑弥呼以前は百の国が争って「倭国大乱」、その後30国だからなあ。
そんな多数の部族集団が生存できる場所は畿内にしかない。
301名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:16:04 ID:yvJCXVgH0
>>298
カンガルーどころか「倭」の語源ですら、そう言う説あるからな。
302名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:16:40 ID:pzaYp/5S0
>>299
キンキ(錦旗)の力だろw
303名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:16:42 ID:E+GZ7Osk0
今のトレンドは四国説と東三河説だね
304名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:17:38 ID:W1eEHiUL0
>>296
あの金印なら鋳潰して換金しちゃったけど?
305名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:17:41 ID:X7gSzvi60
>>298
「あの動物はなんだ」「カンガルー(わからん)」

っていうのは有名なガセビア。カンガルーは現地部族の言葉で「跳ぶもの」って意味だと言われる。
306名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:18:04 ID:qBsTkA1A0
ヤマト政権は単に邪馬臺国の権威にすがっただけ。
307名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:19:38 ID:xaRJ+D0F0
もう出雲でいいだろ。
308名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:19:53 ID:WZgbwqsy0
>>305
なにー!!
しかし、こういう話しがあるとすると邪馬台国の存在もどうかという事になるな。

ま、所詮当時の日本など未開人扱いだからな。どうでもいいや。
309名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:19:54 ID:6LB0+ONj0
>>304
笑えない冗談だから困る。

なら、他の使いに渡された銀印は?
310名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:20:08 ID:iAwf83Bp0
だから九州だって言ってるじゃん。
天孫降臨も九州だし。

邪馬台国=大和朝廷とか、考える力の無いアホが決めた妄想じゃん。
そもそも、邪馬台国なんて存在しないし。
魏志倭人伝にもその後の歴史書にも邪馬臺國って書いてるっつーの。
名前を無理に大和に似せたインチキだろ。
311名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:22:08 ID:dDYzuv25O
耶馬溪に行けばわかる
312名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:22:18 ID:c9LHGhbKO
邪馬台→ジャマタイ→ジャワタイ→ジャワ島
313名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:22:26 ID:pzaYp/5S0
>そもそも、邪馬台国なんて存在しないし。
>魏志倭人伝にもその後の歴史書にも邪馬臺國って書いてるっつーの。

「邪馬台国は無かった」の古田も
「魏志倭人伝では邪馬臺國」と言ってるだけで
その後の文献に「邪馬台国」とあるのは否定しない。
314名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:23:21 ID:X7gSzvi60
>>304
金印をやる→おまえシナの家来な、俺の名前使っていいけど朝貢しろよ。
って意味だから、白村江以降にマジで潰しちゃったかもしれない。

今上天皇がシナ視察に行ったときも共産党が金印を渡そうとしたとかしないとか。
315名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:23:28 ID:BtH4a43d0
>中国の歴史書「隋書」で「大和が邪馬台国」と記された記述

これって初耳だけどマジ?

316名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:23:43 ID:WZgbwqsy0
おいおい、おまえらネトウヨだろ。

邪馬台国は宇宙から超技術をもった人種が日本列島にやってきた証拠だ!
とか言わないのか?世界の文明の元は日本なんだろ?
317婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/04(火) 00:23:59 ID:nLYmHOVt0
>>301
そっちはちゃんとした説だよなw
一人称のワはありだ(二人称はナ、三人称はカ?)
318名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:24:43 ID:9nRyjnxr0
魏志倭人伝の魏とは曹操の魏なのか
319名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:25:22 ID:AlLtF6Kd0
>>318
そうそう
320名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:25:54 ID:pzaYp/5S0
魏志が編纂されたのはずっとあと
321名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:26:21 ID:oC0yzQbn0
>>311
耶馬溪の近くにある、大分県の日田こそ本当の日向で

そこから山国川をくだった中津こそ
天孫降臨したナカツクニではないか
322名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:26:36 ID:n7y6gilj0
>>318
魏志倭人伝は三国志の一部だぞ
323名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:27:19 ID:X7gSzvi60
>>315
隋書倭国伝
「都は邪靡堆、魏志の説に則れば、邪馬臺というなり」
324名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:28:20 ID:Wv2Ya9gu0
卑弥呼の名称は、日神子あるいは日巫女で、太陽の神に仕える巫女姫への敬称と考えた場合
太陽を崇めていた氏族の女王が卑弥呼だったと考えるべきだ
魏志倭人伝が書かれた時代、三世紀前半の畿内で太陽信仰を行っていた氏族は、伊勢とか限られた地域でしか太陽信仰は行われていなかった。
その頃、主として信仰されていたのは、出雲を最大拠点とする大地と農耕の神である大国主命だ。
伊勢など限られた範囲で定着していた太陽信仰が邪馬台国のような大規模な国家形成が出来たとは考えられない

それとは別に姫巫女との敬称がなまったものとの説もあり、こっちの方がしっくりくるな
325名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:29:22 ID:IU/NyUT90
九州説
 九州にあった邪馬台国が畿内に移って大和になった

畿内説
 畿内にあった邪馬台国が、九州から東征してきた神武天皇に征服された



326名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:30:47 ID:WZgbwqsy0
でも卑弥呼って、実際に存在したかよくわからないのな。
会える人が極端に限られてるうえに昔の人だから。
327名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:31:27 ID:ggC89Tv10
九州に一票。
中国と国交することを考えたら、中国の船が九州を飛び越えて
いきなり関西まで船を進めるとは思えない。
328名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:31:57 ID:CIv2ehZt0
>>324
>三世紀前半の畿内で太陽信仰を行っていた氏族は、
>伊勢とか限られた地域

どうしてわかったの?
三世紀前半の日本がどうなってたか
他に資料があるの?
329名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:33:18 ID:wr3Bo/dz0
>>318
邪馬台国の使節に会った皇帝は曹操の息子の曹杯だよ。
330名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:34:12 ID:Wv2Ya9gu0
卑弥呼の名称は、日神子あるいは日巫女で、太陽の神に仕える巫女姫への敬称と考えた場合
太陽を崇めていた氏族の女王が卑弥呼だったと考えるべきだ
魏志倭人伝が書かれた時代、三世紀前半の畿内で太陽信仰を行っていた氏族は、伊勢とか限られた地域でしか太陽信仰は行われていなかった。
その頃、主として信仰されていたのは、出雲を最大拠点とする大地と農耕の神である大国主命だ。
伊勢など限られた範囲で定着していた太陽信仰が邪馬台国のような大規模な国家形成が出来たとは考えられない

それとは別に姫巫女との敬称がなまったものとの説もあり、こっちの方がしっくりくるな
331名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:34:43 ID:X7gSzvi60
>>324
姫=日の女(め)
だからそれは同じこと。ちなみに彦=日の子な。

>>325
九州説がさかんなのは卑弥呼=神功皇后として古代からの大和王朝の一貫性を
もとめる考えがあるからなんだよな。イデオロギーが歴史に影響を及ぼす例だよ。
332名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:34:49 ID:pzaYp/5S0
「魏略」がまずあって
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku230.htm
それも参考に「三国志魏志」なんだそうだが
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku258.htm
「魏略」は散逸してるし、「魏志」に引用するとき内容の書き換えがあるとかないとか...
333名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:35:10 ID:AlLtF6Kd0
壱与だか台与は本来どういう漢字なの?
334名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:36:59 ID:WZgbwqsy0
>>332
書き換えというより、複数の地域の話しが混じってる可能性が高いとか。
地理以外にもありえない事が書かれてるらしい。
335名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:37:06 ID:dDYzuv25O
>>321
日田には古い伝説もあるし色んな物が出土されてるしな。

しかし一度耶馬溪に行けばワカル。
336名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:37:22 ID:X7gSzvi60
>>324
農耕民族で太陽信仰しないとこなんかねーよ。昔は生きるも死ぬもお天道様次第だ。

まあ、天気がよすぎると今度は人口過剰で大戦争になるんだけどな。
337名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:38:13 ID:Z/If/jjS0
>>331
つまり九州説=万世一系の天皇制支持
畿内説=日本の皇統は断絶している
ってこと?
338婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/04(火) 00:38:16 ID:nLYmHOVt0
>>324
日向にいたころは海から上る朝日に親しんでいたが、
ずんどこ出かけて行って奈良盆地に住み着いたら東は山ばっかりで
朝日が拝めん。 そんじゃってことで山の向こうの伊勢の民と
仲良くなって、あっちが拝んでる太陽神とこっちの太陽神とをごっちゃにして
アマテラスさまにしちゃいました。えっへん。

みたいな感じな気がする。気がするだけだがw
339名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:38:52 ID:pzaYp/5S0
http://homepage3.nifty.com/~bbf/58culture.html
台与、臺與、臺与、壱与、壹与、壹與 ...
340名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:40:26 ID:X7gSzvi60
>>337
断絶てアンタ。元々最初から九州の王族だったってことでしょ。
邪馬台国なんて倭国30国のうちの一つだったわけだし、あとシナに金印もらって
喜んでるのがいかがなものかと。
341名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:41:00 ID:HwEE5nlz0
奈良県南部にあった、でFA
342名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:41:48 ID:Ym0UYiLW0
>>337

畿内説であっても神武帝がよそ者とは言ってないよ。

もともと神武帝は邪馬台国と何らかのつながりのある人物で、だからこそ東征の最後にアシナガヒコと「しるし」を見せ合う。

それにまったく縁のない人物の軍に大和の奥地の部族が支援するはずが無い。

みんなあの時代の日本を過小評価するから矛盾が出て来るんだよ。

バカサヨ教育の影響は怖いよね。
343名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:42:34 ID:rChL/evV0
http://yamatonokuni.seesaa.net/
ここの邪馬台国総論というサイトは
当時の人口が少なかっただろうという推測のみで宇佐説、西都説を否定しているわけだが
平城京のあった奈良市と宮崎市の現在の人口はほぼ同じ
市街地を奈良市より宮崎市のほうが大きい
平地面積はくらべものにならないくらい圧倒的に宮崎平野のほうが大きいのに
なんの根拠があって当時の人口なんていうトンデモ説を書いてるんだろ?
344名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:42:49 ID:D8SUf9Ke0
どっちだろうと、当時の東日本は
毛人の国と呼ばれて、日本ですらない

どうでもいい
345婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/04(火) 00:45:12 ID:nLYmHOVt0
>>343
仕方ないのだ。>>254でも書いたけど、遺跡の数は
工事の件数によって規定されるのだ。
346名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:47:11 ID:pzaYp/5S0
>>日本ですらない

倭国ではないが、
もともとの出雲の大国主命の傘下ではあった可能性が高いからな...

出雲大社と鹿島神宮は北緯が同一の緯度線上にあるw
347名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:49:08 ID:Ym0UYiLW0
>>340
それが過小評価なんだよ。
日本列島を支配してたもしくは盟主的存在だったのが邪馬台国だよ。
だから魏の皇帝が直々に使者と謁見するわけで。
それに魏から下賜された当時世界で最高技術のシロモノを次の使節の時にはソックリそのままコピーして持ってきて魏の皇帝を驚かせるほどの文明をもっていたわけで。
そもそも九州も畿内も邪馬台国にとってみればそんなに距離はなかったんじゃないかな?
348名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:49:16 ID:rChL/evV0
>>331
皇国史観否定で
宮崎に残る神話を完全に否定し黒歴史にした戦後の考古学会も
イデオロギーまみれなわけだが
349名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:50:01 ID:ggC89Tv10
>>340
> シナに金印もらって喜んでるのがいかがなものかと。

逆に言えば中国をバックに持つ事で周辺諸国を平定できるって事自体、
九州説の正しさ、畿内説のありえなさを証明してるな。

グーグルアースで中国中心に見てみろ。
朝鮮半島経由にしろ、台湾沖縄経由にしろ、一直線に海を渡ってくるにしろ、
中国の力が及ぶのは九州だよ。

畿内での勢力争いで「おれっちのバックには中国がついてんだぜ!」とか言ったって
現代で言えば「俺に手を出したらブラジルの友達が黙ってないぜ!」っつーよーなもんで、
ハッタリにもなりゃしない。
どう考えたって現実的じゃない。
350名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:50:13 ID:NHSLvyBE0
そこでゴッドハンドの登場↓
351名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:50:19 ID:X7gSzvi60
>>344
原日本人じゃないの?
http://www.ne.jp/asahi/inlet/jomonjin/sannai12.jpg
よく分からないけど、少なくともこんなの作っちゃうんだからすごいよ。
352名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:51:30 ID:L7rhNF2nO
伝聞で書いてるうちに、中身がテキトーになったとか
353名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:54:43 ID:w7+6x5iN0
354名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:55:12 ID:Ym0UYiLW0
>>349
その考え方は矛盾するでしょ。
そんな中国の力をバックにしたって九州より中国から離れた位置の畿内がビビるとは思えない。
「ハァ?金印?ナニそれwww」って言われるのがオチ。
逆に古くから中国の権威に親しんできた九州諸国に対して畿内から金印の力を見せ付ける方が自然。
遠交近攻ってやつだよ。
355名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:56:11 ID:xN9VWp3i0
邪馬台国は九州だろうな

同時代に機内に後の大和王朝を作る豪族が居た可能性はあるけどね
356名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:56:37 ID:ggC89Tv10
>>354
ちょっと待て。
なんで畿内をビビらせなきゃならんの?
357名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:58:21 ID:X7gSzvi60
>>349
いや、シナ以前に平定できてるわけだけど。あと、当時でもそんなに畿内〜中国地方〜九州
は遠くないですから。銅鐸なんかはひろーく分布してるし、畿内の宝玉、貴石なんかも
遠くは沖縄、壱岐、九州南部などから採取されてることもわかってる。
358名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:59:16 ID:xN9VWp3i0
>>356
そういうことだな。魏に比較的近い九州であるからこそ威光が有効
なんだろうからね
359名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 00:59:30 ID:ejPMh3XT0
奴国でも金印貰えたんだから行った者勝ちだったんだろうな
360名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:00:01 ID:HwEE5nlz0
古事記や日本書紀は神話伝説系の創作として軽んじられているが、
これをきちんとした史料として読み解くと、神武東征や邪馬台国の
興亡が筋道立てて理解でき、邪馬台国の畿内説も裏付けられるらしい
361名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:01:31 ID:VBWPHyRV0
>>329
曹ヒではなく、曹叡の時代
362名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:02:19 ID:X7gSzvi60
>>354
おお、理にかなってるな。

>>359
ウィキペディアに書いてあったんだけど、当時は魏のほうが呉と緊張状態にあって
味方が欲しかったようだ。「おら、俺たち巍はこんな異国にも友達がいるんだぜ?」
って感じで。
363名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:02:42 ID:6LB0+ONj0
>>359
倭人伝で言うところの

奴国じゃなく

倭奴国であるという説もある
364名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:02:53 ID:sP/c8IBW0
途中から放射状に読むっていう矛盾があるので
畿内説支持なんだが。どうなのよ。
365名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:03:28 ID:Ym0UYiLW0
>>358

日本人は春秋戦国時代の呉の末裔だから最初は三国時代の呉とつながりがあった。
だけど何らかの理由で孫権が日本列島に軍を派遣してる。
その揉め事が原因かはわからないがその後に倭国は魏に使者を送ってる。
魏が銀印ではなく金印を与えて喜んだのはその為だよ。
敵国を海上の後ろから脅かす倭国が味方になったんだからそりゃ嬉しかっただろうよ。
366名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:03:33 ID:pzaYp/5S0
「倭の奴の国」と読むのではなく、
西の「匈奴」に対応する、東の「倭奴」の国王、と読むべきと聞いた。
367名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:05:36 ID:xN9VWp3i0
>>360
記紀の記述のどれが邪馬台国・卑弥呼に関する記述なんだ?

368名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:05:40 ID:5//YV51z0
九州だろうな
369名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:06:25 ID:KSDa6ifa0
>>365
それは当時、日本には中国と関わり合いがある国が二国あったってこと?
一方(畿内)が呉と結んだから、他方(九州)が魏と結んだってことか
370名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:06:38 ID:pzaYp/5S0
西の「匈奴」に対応する、東の「倭奴」ならばこそ金印で、
「倭の奴の国」なら銅印どまりとか。
371名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:08:14 ID:GVMXnaZ30
お酒の遺伝子からいくと、中国と関わりが深かったのが近畿・中部で
韓国と関わりが深かったのが九州だな。
372名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:08:28 ID:Ym0UYiLW0
>>369
そういう可能性も捨てきれないけど、私は倭国(邪馬台国)はそんな分裂はせずにひとつの勢力だったと思うよ。
単純になんらかの理由で呉ともめたから魏についたんじゃないかな?
373名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:08:37 ID:xN9VWp3i0
>>365
>日本人は春秋戦国時代の呉の末裔だから
これはどういう根拠があるの?
374名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:09:14 ID:DfQBmSKqO
魏志倭人伝を前提にするからおかしくなる。
だって、チャイナクオリティだぜ?

まあ、他に記録がないんだろうけど。
375名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:10:16 ID:bZs/nD7B0
>>18が結論なんじゃないのかなあ。
376名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:10:56 ID:Ym0UYiLW0
>>373
歴史的状況証拠から遺伝子レベルまでいろいろあるけど書いていい?
377名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:11:14 ID:NhlVbbxJ0
魏志倭人伝半分、記紀半分って感じで読み解くのがいいと思うけどね。
一番信憑性があるのは遺跡。
とは言っても文系論理で遺跡みても
何の解決にもならない。
378名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:12:43 ID:xN9VWp3i0
>>376
できればポイントを箇条書きでお願いしますw

379名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:18:37 ID:PU2vKNB90
天孫降臨の九州に決まってる。
380名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:19:03 ID:pzaYp/5S0
任那の日本府はどこに?
381名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:19:45 ID:ZFPTH+hH0
井沢派のオイラにとっちゃ、論争なんてどうでもいい
382名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:20:09 ID:Ym0UYiLW0
>>378
では簡単にだけど
・呉の建国者である周王室の太伯と虞仲は全身に刺青を施したが倭人も男子は刺青が風習だった。
・沖縄・本州で多いYPA+型という日本人の遺伝子は韓国では皆無なので半島経由ではない。
・呉が滅亡した年代に日本列島で激しい戦乱の後が各地で発見されており鉄器など新しい技術が流入している。
383名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:22:35 ID:GaR57HLaO
炭素年代測定法が進化した今では、
畿内説でほぼ決まりなんだが…。
384名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:25:11 ID:xN9VWp3i0
>>382
サンクス

YPA+型って日本以外で見られるのはチベットぐらいじゃなかった?
縄文人型と弥生人型を分ける指標になるものかと

385名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:26:05 ID:Wg9spj3s0
もともと日本各地に乱立していた小国家が連合と分裂を
繰り返していて、その連合した一時期が魏志倭人伝に
邪馬台国として記録されてるだけじゃないの
386名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:26:28 ID:E+GZ7Osk0
>>382
半島経由ではないというだけで遺伝的根拠があると考えるのは何故?
387九州人:2008/03/04(火) 01:27:27 ID:NhlVbbxJ0
九州説だとすれば大和朝廷はどうやって成立したかが
説明しにくい。
九州説のやつらは東征して畿内を占領して
銅鐸文化を消滅させさらには皆殺しにしたという
のがおおかたの見方だろ?
そんな無理のある仮説が成り立つわけがない。
こんな子供だましの説に反論する気にさえならん。
もし反論あって
他にどういう仮説があるのか説明して欲しい。
388名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:28:40 ID:yvJCXVgH0
>>387
皆殺しにしたという説を唱えてる人って誰?
389名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:29:08 ID:ekg3sVLy0
学識者ら(笑)
390名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:29:30 ID:Ym0UYiLW0
>>384
お詳しいじゃないですかw
そんな人に偉そうに講釈してしまってお恥ずかしい限りです。
あと蛇足ですがこんなのもありました。

日本に伝播 青銅器、商・西周と共通点 特殊な鉛含有
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071202-00000904-san-soci

弥生時代の青銅を鉛同位体比法で分析した結果、殷・周の青銅器と同じ極めて特殊な鉛の種類が検出されたとの事です。
要はその古代支那で製造された青銅器を溶かして再利用したのが弥生期の青銅器だと言うことです。
中国でもこの特殊な鉛は他の時代では検出されないとか。
周→呉→日本と青銅の宝器が受け継がれたのでしょうかね。
391名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:34:43 ID:pzaYp/5S0
>弥生時代の青銅を鉛同位体比法で分析した結果、
>殷・周の青銅器と同じ極めて特殊な鉛の種類が検出されたとの事です。

>>168
銅鐸は殷・周から衛氏朝鮮の領域内で独自の展開を経由して渡来したみたいだ。
http://www.kyuhaku.jp/museum/museum_info04-11.html
392名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:36:06 ID:bJujp5CC0
>>20
大国じゃねぇだろ
393九州人:2008/03/04(火) 01:36:42 ID:NhlVbbxJ0
俺としては邪馬台国は畿内大和が中心地で
それは少なくとも西は
山口県、大分県までは支配域に既に入れていたとみるけどね。
すると4、5世紀の古墳群も大和朝廷の成立も極々自然に説明可能だ。
行程も西の端宇佐から中心部大和まで選択肢が広がる。
394名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:38:22 ID:xN9VWp3i0
>>390
いや、日本人のルーツ関連の本は数冊あるんで。徳島大学のグループの調査で
YAP多型の話があっただけだよ。

度々サンクス。
395名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:41:01 ID:I1tDfUYv0
ぶっちゃけ何処でもいいよ
興味ない
396名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:41:06 ID:ZFPTH+hH0
自分は九州説だけど、邪馬台=大和ってのは同意
あまり評価されてないのかもしれないけど、安本美典の説は説得力がある
397名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:50:57 ID:NhlVbbxJ0
それに関西人と九州人顔、言葉の雰囲気も全く違う。
地名もこじつけみたいに一部似てるのあると言われてるけど
(あんなの幾らでも捏造は可能だし)
福岡の那珂川が茨城の那珂川に
遷都したとか言い張ればいいわけだしw
ベースで地名が似てないのは細かい大字みれば
直ぐわかる。
398名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:54:32 ID:WZgbwqsy0
>>390
宝器溶かすなよ。
399名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:54:41 ID:X7gSzvi60
どうやら2ちゃんねるの総意は畿内説で結論でたみたいだな。正しい選択だよ。
400名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 01:57:14 ID:KSDa6ifa0
2ちゃんねるの総意w
401名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 02:00:20 ID:eb7vLOGwO
まあ九州だな
402名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 02:02:06 ID:MW5aWOVu0
韓半島に決まっているニダ
403九州人:2008/03/04(火) 02:04:51 ID:NhlVbbxJ0
トヨの時代もう4世紀に入ってくるわけよ。
定型化した古墳群は4世紀には東北の北の方まで広がってくるわけ。
九州説だとして
あんな混乱でモタモタしてて同時期に
九州人が東北まで古墳広げられるか?
考えればわかるだろ。

トヨは豊国にいたかもしれんが畿内東征はあったにしても
とっくの昔に終わってて卑弥呼の時代には
畿内大和政権の下地はほぼ完成してたとみるのが自然!
っていうかそれしかない。
404名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 02:07:09 ID:bZWNPhhq0
九州王朝が近畿を凹ってできたのがヤマト朝廷
邪馬台国は多分北九州

ハカタ→博多 トス→鳥栖 ヤマト→山門 古代中国語と地名が一致する 

近畿には一つもない
405名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 02:12:31 ID:X7gSzvi60
地名の一致はアテにならん。そんなのこじつけでどうとでもなる。
日本語はただでさえ同音異義語が多いんだし。文献自体もオリジナルはないし
プロパガンダを加味せねばならん。コンパスもちゃんとした地図もない時代に
南へ何里、東へ何里とか信用できるか。

唯一信じられるのは物証と炭素年代測定。これが一番まとまってるのは畿内だけ。
406名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 02:13:59 ID:sn+won0p0
隋書だか魏志倭人伝だかしらんが、本が間違ってることだってあるだろ
学者さんはそう考えないのか?
407名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 02:15:05 ID:tRzuG1uQO
福岡の筑紫にある古墳の数は2000箇所を越えるからな 装飾古墳ばかりだし

前方後円墳もあちこちに沢山ある
408名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 02:15:47 ID:6LB0+ONj0
>>405
物証と言うなら、腐る程あるどうでもいい鏡じゃなく、金印出して見ろよw
409名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 02:18:20 ID:1y2TP9K90
この前吉野ヶ里行ったら卑弥呼(役の女の子)が寒そうにしてた
邪馬台国は薩摩辺りのもっと暖かいとこだろ
410名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 02:19:50 ID:2la2YMoZ0
文献に誤りがないものとみなすって
ゲームのルールみたいなものなのかね?
411名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 02:22:47 ID:KSDa6ifa0
畿内にも国があった
この国は呉と交流があった
魏と交流があった邪馬台国はこの国に滅ぼされた
一方、大陸では畿内の後ろ盾の呉が滅びた
魏(晋)の報復を恐れた畿内は、
邪馬台国を継承するような歴史を捏造した
412名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 02:22:48 ID:ZFPTH+hH0
>>409
どげんかせんといかん!
413名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 02:23:22 ID:NhlVbbxJ0
福岡に邪馬台国はない、
神功の説明ができない。
神功の熊襲征伐は福岡佐賀が舞台。
それ否定したら
記紀全否定から入らなければならないし
解釈者の都合の良いものだけになって
何基準にしてるのか意味不明になっちゃう。

極めつけはこれ。
4世紀には
東北関東古墳時代人は眼窩が突出して
ノッペリ顔が進行しまくってること。
この説明もつかない。
www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/154.html
414名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 02:26:07 ID:NhlVbbxJ0
>>410
絶対的なものは遺跡、遺骨と科学調査。
次ぎ、文献だけど文献は反証無い場合
正しいものとして推定すべし。
415名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 02:26:17 ID:X7gSzvi60
>>407
それは大和政権か、あるいは熊襲か、筑紫君磐井のん。

邪馬台国時代の前方公演墳はどうみても畿内が中心。
416名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 02:31:59 ID:2la2YMoZ0
> 反証無い場合正しいものとして推定すべし。
これも結局歴史学ではそういう約束でってことで
信頼できる記述なのかは本当はわからない
417名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 02:36:51 ID:X7gSzvi60
歴史は科学じゃないからその辺はしかたがない

これも読んでるんだけど、ほんの4百年前のこともよくわからないんだから
ヤマタイとか言われてももっとわかんなくても仕方がない。

【歴史】本能寺の変:信長はなぜこれほど不用心だったのか…考えにくい怨恨説★2 [08/03/03]
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1204559054/
418名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 02:37:10 ID:AW/GiT2p0
>>413
記紀を素直に読めば・・・・

神功=卑弥呼はまず周辺の熊襲と戦い、これじゃラチがあかないと
朝鮮を味方につけ、大和をフルボッコして畿内に遷都した、

という解釈しかできないだろ。
419名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 02:40:55 ID:NhlVbbxJ0
福岡筑後地方、熊本、佐賀南部には
玉垂命という謎の神や神籠石という謎の遺跡、
2000年以上続くという久留米の火祭りもあり
真実は解明されていない。
筑後国風土記逸文には大和との戦争の傷跡が
記載されている。
420名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 02:41:19 ID:br+8lUHx0
畿内は、どうみても違うような気がするな
説明に無理がありすぎる
421名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 02:42:56 ID:38K0XcwZ0
じゃんけんで決めろよ
422名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 02:45:29 ID:tRzuG1uQO
筑後や筑前の歴史は何度も沢山の戦争で かなりの文献が消えているからな

一番大量に消えたのは大友が攻めて寺を沢山焼き討ちにしている

奴は キリシタンだったからな
423名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 02:53:26 ID:Y+JuX0XoO
最初は九州にあって、途中で近畿に移ったと考えるのが、一番素直かと。
424名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 02:59:41 ID:X7gSzvi60
移る理由がないじゃん。
425名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:02:56 ID:ZFPTH+hH0
ほら、遊牧民が流入して押し出されたとか
426名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:04:33 ID:KSDa6ifa0
卑弥呼が治めてた地は日食により太陽の加護を失ったので、
別の地に遷都した・・・とか
427名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:07:10 ID:BdDFrUga0
今谷明だかの本で、学界では既に畿内説が通説。
九州説を唱えてるのは一部の学者と朝日新聞だけ。
というのを読んだ気がする。
428名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:07:13 ID:X7gSzvi60
>>425
騎馬民族説乙
>>426
日蝕は数時間で普通に元に戻るけど。加護を失ったのならイケニエを捧げるのが
当然で、捨てたりはなかなかしないかと。

それより古墳時代から前方後円墳が畿内を中心にどんどん広がっていく(朝鮮まで)
のが見逃せない
429名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:10:09 ID:NhlVbbxJ0
卑弥呼、豊はあったとしても畿内大和政権の
宇佐の地方を任された大名みたいなものだろう。
430名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:11:34 ID:3/DJOYBVO
そもそも邪馬台の呼び名すら怪しいしな
ヤマタイだかヤマトだか
仮にヤマトとしても大和政権が邪馬台国を継承してる保証も無いし
431名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:12:47 ID:+ofV77xE0
>>428
騎馬民族説じゃないって
単なる玉突き移動説
フン→ゲルマン→ローマみたいな
432名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:13:19 ID:O+IJGNzO0
邪馬台国があったと思われる時期に、日蝕が2度起きていて
それは九州地方に限定されていたことが天文計算で明らかに
されている。(既に戦前に、これで九州説が唱えられているのだ。)
433名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:14:33 ID:K3QG4De50
もうこれは政治になってるな。
434名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:16:24 ID:Ym0UYiLW0
朝鮮半島から勢力が渡来したとかはありえないんだよね。
倭国はすでに朝鮮半島より軍事的に強く文明的にも概ね優ってたから。
魏に朝貢するときも簡単に半島を通過してたし、あの隋でさえ何度遠征しても滅ぼせなかった高句麗と対等に戦えてた。
魏の金印も朝鮮半島に与えられたという記述は無いしね。
435名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:16:38 ID:tRzuG1uQO
>>426>>429
加護は奈良県出身だから 畿内説か
436名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:17:22 ID:eNoesHMw0
畿内説で決まりなんでしょ?検証も何もないじゃん。
437名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:17:38 ID:KqwEDVaI0
>>36が一番自然。

もし最初、近畿にあって東征があったら
今頃、邪馬台国は近畿か関東かでもめてる気がする。

最初、九州にいて、出雲、近畿と、
順番に東征していったのが一番わかりやすい。

ついでに案外と>>113も正解な感じがするよ。
438名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:19:20 ID:BdDFrUga0
 この(邪馬台国)論争も、発掘成果がまだ少ない頃は、一時九州説が優勢であったこともあった。し
かし高度経済成長が続き、各地の発掘データが揃った十数年前頃には、「状況証拠からは、畿内説
が圧倒的に有利」ろいう考古学者の一致した見解が伝えられるようになった。今日、両説が併立して
いるように伝えられるのも、実はマスコミがそういう紙面づくりをしているからで、仔細に新聞面を検
討してみれば、九州説の論者は、負け惜しみか、苦しい弁明に終始していることが容易に確かめら
れる。
 今回の黒塚報道に関していえば、読売新聞は畿内説の立場を鮮明にし、その方向の論者による
ディスカッションを掲載することにより、畿内説がダメ押しまでに裏付けられたとなす紙面作りを行っ
ていた。これに対して朝日新聞は、“九州説、動揺せず”などど、ことさらに黒塚発見が九州説の打撃
にならぬことを強調し、あまつさえ意図的に畿内説の揚げ足取りをコジ付け的に引くなど、読売紙の
論調に水をさそうとする意図が見られた。

『象徴天皇の発見』 今谷明 文藝春秋 P24から引用
439名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:20:09 ID:kK9lYmXc0
昔は、出雲とか宇佐とかの影響力が強かったりするので
連合政権的な要素があるのではないかと言われてる。九州と畿内そして
その中間の中国地方が古代の舞台である。関ヶ原以東の関東が開発されるのは
初代征夷大将軍が任命される辺り。ちなみに無駄とか無謀とか人民の苦労を考えない
とんでもない天皇だって記紀では散々な書かれようをされてる。
大和政権の世界は西日本がメインであってそれより東はあまり興味がなかったのだな。

国家が宗教を管理する国分寺とか大仏作ったりした辺りまだは連合政権。古墳とか
勝手に作ってるし。仏教の護持するようになって国が一つにまとまった。
仏教を独占したのが大和朝廷、天皇家だから。神事は本居宣長時代になるまで仏事の従
であって本来天皇家は仏教に帰依しその護持者になることで存続してた。僧に位あげたり
する存在としてry

邪馬台国なども仏教以前のシャーマニズムの記述など連合諸国の争乱の記述などが
興味深い。言いかえれば神事では国はまとまらなかったのだ。
つまり中央集権になった時期の違いでしかない。
440名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:23:43 ID:KqwEDVaI0
長文はうざいので、自分で理解して自分の言葉に直して書くように。
441名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:26:34 ID:+ofV77xE0
三国志の時期にかんしては漢字の読みが解明されてないので「邪馬台国」を
どう読むのか確定できないのはしょうがないよね
でも、後漢や晋の読みと比較すれば「やまと」が有力なのは明らか
442名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:27:35 ID:Ym0UYiLW0
>>437
こういうのは?
・邪馬台国は近畿にあり、何らかの勢力(狗奴国か)による攻撃により九州に遷都せざるをえなかった。
 その後、狗奴国には勝利したが、列島は動揺し畿内は別勢力が立ち、出雲・吉備などは半独立になった。
 邪馬台国はじっくり力を蓄え神武帝の時に故地である大和奪還の東征に向かった・・・。
・邪馬台国は畿内にあり、何らかの権力闘争で神武帝の尊属は九州に逃れたか流された。
 鉄器技術の高い九州で力を蓄えた神武帝は東征に踏み切り畿内に返り咲いた。
443名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:29:39 ID:tRzuG1uQO
>>442
それならば やはり蝦夷が最大の敵だろ
444名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:29:54 ID:NhlVbbxJ0
www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/154.html
玉突き無理、佐賀、福岡南部より南は
日本でもっとも眼窩が低く彫りが深い。
玉突きしたら騎馬民族が入ってくるから
この地域の眼窩は高くなってないといけない。
445名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:30:12 ID:KqwEDVaI0
>>442
地理的に言って、それらはないと思う。
おそらく西から今の日本人は入ってきたんだろうし。

ただ、>>36をもう一度読むと、九州でのほうを邪馬台国としてるけど、
それは畿内に遷ってからかもしれんし、どちらにせよ畿内中心であったとは思う。

九州から始まって、出雲平定、畿内平定、→
こんだけ流れがわかってりゃ、一般人としては充分かなあ。
446名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:30:37 ID:+ofV77xE0
邪馬台国=大和でもいいけど、その場合は大和政権と北九州との関係はどんな感じ?
447名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:32:22 ID:KqwEDVaI0
だから九州にいたとしても、ごく初期のころのことなんじゃないの?
で、東に移動していくうちに畿内の気候や地理の条件が良かったから居着いた。
それ以上に積極的に東征しなかった理由にもなるし、征夷大将軍とも矛盾しない。

>>446
既に通ってきた道、程度じゃないのかな。
448名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:33:10 ID:+ofV77xE0
>>444
かれらはどうかしちゃったんだよ
449名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:34:41 ID:kK9lYmXc0
魏志倭人伝の記述は卜をする巫女が卑弥呼とある。
その死後に麻の如く乱れたとも。

大和朝廷の中央集権化は国家として仏教を信仰したことから始まってる。

宇佐も出雲も神なので
多くの神がある=中央集権ではないということなのだ。ただ宇佐や熊野は氏子など
一族にこだわらず信仰を広めたので複数の国で信仰されてると神による政では、
無視できないことになる。

神託で天皇を替えよといった逸話ができるのもその背景がある。※宇佐神託事件

その点で
神よりも具体性のある金物としての仏像、仏教の伝来はその根底を変えた。神の具象化
である。カタチを与え寺院として国家が整備することで信仰という枠組みで国家が統一される
ことになる。神は仏の眷属となり習合していく。そして大和政権がその中心となる根拠となる。
僧を公的に認めるのは朝廷であり、国ごとに国分寺を置き、現世だけでなく来世まで支配する。
450名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:35:04 ID:NhlVbbxJ0
>>446
豊前豊後地区は完全に畿内寄り。
薩摩大隅は隼人として豊前に従属。
筑前も基本的に大和に従属。
佐賀、筑後、熊本は反抗的。
451名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:35:20 ID:7JG60nhS0
台風が嫌だから畿内に遷都しました
452名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:37:17 ID:DAjE7WRUO
いい企画だと思うが…
ゴミ売が絡んでる時点で興味半減
453名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:38:02 ID:JxBRKDu+0
と言うより、
そもそも海南島もよく知らなかったような中国人の
それも揚子江の河船の戦いで敗北した、いわば「大陸勢力」の北方勢である魏が、
遠い海の向こうの、漢字も読めないような蛮族の島の部族と酋長について書いた文献を、
あり難がって金科玉条にする態度こそが、そもそも可笑しいと思うんだがねえ。
中国から見れば、一番近い九州島の北岸か西岸が正面に来る。近畿は遠い奥地になる。
すでに日本列島の中にいる勢力が見る常識的地理観念と、明らかに違う。
そしてそこにやっとこさ着いて、地元で認識できたえらそうな部族が言う自称を
「邪馬台国」と漢字におこし、酋長について記述しただけだろ?

まず近場に上陸して一番目に付いたところの、ただの酋長とその地方政治を
なんだかよく分からないまま、とりあえず「倭国とその王」と書いただけかもしれないのに。
大友宗麟を「日本の王」とポルトガル人宣教師が書くような感覚のズレは、
必ず生じるはずなんだがね。
454名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:39:41 ID:FTQ2mAAYO
青森で見たよ
スナック邪馬台国
455名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:39:48 ID:xluZZcrw0
こんなことまだ言ってんのか・・あほ
456名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:40:26 ID:tRzuG1uQO
795年に筑紫は筑前と筑後に別れたんだから 筑紫が正しい
457名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:41:05 ID:7JG60nhS0
筑紫の磐井さん
458名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:41:18 ID:KSDa6ifa0
畿内に大きな勢力があったのは間違いないだろうけど、
それが邪馬台国かというと疑問
459名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:41:53 ID:+ofV77xE0
筑紫と肥前・肥後の位置関係っておかしいよねw
460名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:42:00 ID:tShrWjXJO
子供の頃から思ってたんだけど、大昔の事を研究して
なんか現在・未来に役立つのか?
ほんと後ろ向きで非生産的な学問だと思う。

ロマンなんかなんの役にも立たないだろう。
461名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:42:03 ID:Ym0UYiLW0
>>450
そういえば西南戦争の時も西郷軍は劣勢になってから形勢逆転を狙って豊前豊後を狙ったよね。
あのあたりは戦略的に畿内とつながってるのかな?
462名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:43:10 ID:BT8Gg3Q80
ヤマタイ国については、以下の説が最も合理的と思うが、学識者と称する
連中は無視なんだろうな。
「邪馬台国の謎と逆転日本列島」飛鳥昭雄/三神たける【著】
ttp://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4054013090.html
463名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:43:29 ID:tRzuG1uQO
磐井は今で言う筑後にあたる

でも当時は筑後や筑前なんか無かった

だから筑紫

西海道で制定されたんだから
464名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:43:31 ID:HS5Guu6V0
d
465名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:44:05 ID:kK9lYmXc0
>>453
魏は公孫氏の反乱などで東方の辺境政策で問題を抱えていた。魏の次は晋なのだが
晋の帝である司馬氏は前述の反乱鎮圧で武権を魏から奪った一族なのだ。

つまり倭国など友好的な周辺国は重要な情報なのである。
466名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:45:28 ID:0FCeyeKJ0
>>353
こないだ友達に勧められて読んだよ!面白かった!
歴史とか全然ワカランから鵜呑みにしちゃいそうになる
でもこの本の中ではブッダの話が一番好きw
467名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:45:50 ID:NhlVbbxJ0
>>461
元々豊前豊後は人があまり住んで無い地域で
しかも地元の隼人征服して渡来氏族が多く住み着いたという
経緯があるからね。
九州ではちょっとした外国扱いになってる。
468名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:48:51 ID:tRzuG1uQO
八女には 徐福の文字が古墳から見つかっているからな
469名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 03:56:06 ID:pA3YPrHK0
邪馬台国って神の時代?
470名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 04:54:39 ID:qymbz74G0
朝鮮が本家
邪馬台国はその傍流
471名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 05:29:30 ID:FAfOySJ+0
>>460 権威付けと暇つぶしにはもってこいです、関連商品だって作れるかもしれませんよ
結局はただの妄想ですけどね、100%確定することなんてありえないわけですから。
472名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 05:43:56 ID:wnhlx7rf0
道路標識でも発掘されりゃ、簡単なんだがな。

      邪馬台5km
       ↑
奴・怡土2km← →狗奴1km

みたいなの。
473名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 05:48:05 ID:920UJJo30
雲南に日本文化の原型が色濃く残っていることを考えても、日本人が九州から渡来したのはまず間違いない。
そして>>453が言うように、意外と魏と距離が近かったことからとりあえず金印でも授けとくかみたいな感じだったと。
大陸にやってこられても困るし、みたいな感じで。
その後、畿内へ移動して行ったのかも知れんけど、金印を授けられた時点では九州に存在してたと思われ。
474名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 05:48:41 ID:ensi0Ua90
邪馬台国はエジプトだよ
月刊ムーに載ってたから間違いない。
475名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 06:25:50 ID:GdZn9KHvO
>>472
いやKmは無いだろw



あの頃はアルファベットじゃなくて
漢字だから帰路とか紀呂じゃないのか?
476名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 07:04:40 ID:zWv2BHyP0
>>460
人類文化のほとんどは虚飾でできてるんだよ。
経済が回るなら、いろんなことをするやつがいる。
考古学否定するのと、芸術否定するのも、ファッション否定するのも同じようなもん。
477名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 07:12:16 ID:qBsTkA1A0
>>430
大和政権は「邪馬臺ブランド」を詐称、僭称していると思。
478名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 07:18:07 ID:qBsTkA1A0
>>475
>漢字だから帰路とか紀呂
「帰」はkwi、路の古代の発音はkloだから
「帰路」と書くとquikloとなる。
これは上代漢字の発音の常識。
479名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 07:24:08 ID:79qqdudkO
>>474
ムーにそう書いてるなら間違いないな。
480名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 07:51:13 ID:qSzdx+iRO
あえて東三河とか八幡平とか徳島あたりを候補地にあげてみるw
481名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 08:55:27 ID:/Rzk2Bky0
「邪馬台国畿内説」を撃破する!

考古学者が、考古学を無視している

「魏志倭人伝」に、倭人は、「鉄の鏃(やじり)」を使うと書いてある。
鉄の鏃は弥生時代の福岡県から171個出土し、奈良県からは、2個しか出土していない。

この事実を見れば、邪馬台国を奈良県にもっていくのを、だれだって躊躇しそうなも
のである。

鉄の鏃だけでなく、鉄刀、鉄剣、鉄矛、鉄戈、絹、鏡などでも、状況はみな同じなの
である。奈良県での金属器の出土は、まことに寥々たるものである。福岡県では、金
属器の出土地点をプロットするだけで、奈良県のすべての弥生遺跡の出土点数を、ゆ
うに上まわる。

それでも、「邪馬台国畿内説」の大宣伝があいかわらず行われている。

事実を無視して、空想的な議論をこととする風潮の病根は深い。

   −−−

畿内の多くの古墳から出土する三角縁神獣鏡を、畿内説派は邪馬台国の女王卑弥呼
が魏からもらった鏡としているが、著者は中国の学者の意見も紹介しながら、この鏡が
中国から全く出土していないこと、魏志倭人伝には百枚を贈ったとあるのに、すでに
国内で五百枚以上出土していること、魏志倭人伝の記述と畿内の古墳の相違などを
挙げて、邪馬台国と三角縁神獣鏡とは何の関係もないと強調する。

http://yamatai.cside.com/yasumoto/tyosyo85.htm
482名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 09:00:43 ID:tRzuG1uQO
まあ 福岡だろ
483名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 09:25:48 ID:rChL/evV0
畿内の3世紀の古墳は前方後円墳
この地域が天皇家の政権とつながりがあるのはまちがいない
しかし卑弥呼の墓は円墳だ
484名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 09:36:20 ID:qBsTkA1A0
>>481
兵庫県にある古墳は一万八千三百五十一カ所で日本一
遺跡は二万八千八十二カ所で二位
出土遺物は二十五万五千七百八十一箱で六位、
銅鐸六十一点で日本一、
三角縁神獣鏡四十七面で第三位となっている。
兵庫研は邪馬臺國発祥の地。
邪馬臺国の語源となった「ヤバタイ」は播州弁で
「危なっかしい」という意味。「やばな」というのは
浄瑠璃にも使われているし、東海道中膝栗毛にも用例がある。
邪馬臺国は兵庫県にあったことは間違い無い。
485名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 09:40:27 ID:PYgDo6+A0
個人的には大分の「耶馬渓谷」が邪馬台国に近い呼び名だと思う。
486(´-`).。oO ◆abcDBRIxrA :2008/03/04(火) 09:57:42 ID:6XrZW5vr0
>>453
魏志の東夷伝、倭人の項は、
日本からの使者が魏に来たことが重要だから書かれた。

皇帝の名声が世界の東の端に到達したという、輝かしい出来事。
だから倭の使者は、大歓迎されてる。
以後の王朝でも、東夷のリーダーとして、日本からの使者は歓迎されてる。
ちなみに倭の使者は皇帝に奏上してるから、外交文書の読み書きはできる。

余談ながら、倭の使者が魏に向かったのは、魏が半島の北部・を制圧した直後。
公孫一族を滅ぼしたお祝いを、述べにいったのだと思う。
487名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 09:59:54 ID:tGi0wiQ/0
>>484
ヤバいのことかあああああ!!!!
488名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 10:06:33 ID:G0CgjWy5O
邪馬台国、それはいつでも皆の心の中に(ry
489名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 10:12:37 ID:qBsTkA1A0
>>485
「渓谷」の「渓ケイ」はマレー語、インドネシア語で
川を表すsungaiと関係がある言葉。
アモイ語で「鶏」をkaiと発音するので「渓」もkaiと発音したと
言えないことは無い。
490名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 10:14:28 ID:E+GZ7Osk0
だから四国だって
491名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 11:53:38 ID:eoaeiu6R0
三国志は邪馬台国が鉄の鏃を使うとは書いてないんだよな
492名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 12:01:13 ID:ZeX3xjfR0
【朝日放送】クイズ!紳助くん

>表だってね、島田紳介 テリー伊藤 みのもんた 筋なんて最悪じゃんw
>マジで放送駄目ヤクザの犬どもがフルってる御時世堕モノねぇ♪

反日反靖国 吉本興業 島田紳助 朝鮮ヤクザとの交際を公言  by 溝口敦。
読売新聞大阪本社社会部の記者が「人が死んでんねんで!」「あんたら、もうエエわ(社長)呼んで!」
ビニ本マニアの反日歌手 谷村新司さん、支那共産党の上海音楽学院で教える

1 :変態仮面φ ★ :2005/06/03(金) 19:01:49
5月26日発売、別冊宝島Real064「実録!平成日本タブー大全」http://tkj.jp/tkj/real/479664668x/
「マネージャー暴行事件からすぐに復帰!吉本興業・島田紳助の危うい暴力団交友」より。筆者は溝口敦。









493名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 12:12:11 ID:m6j1rO1t0
>>460
つ天文学
494名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 12:21:59 ID:Wv2Ya9gu0
魏志倭人伝には日本のことを簡単に書かれているだけで、それだけに邪馬台国についてもわからない事が多い
当時の中国にとっては、日本など東夷の蛮地の一つに過ぎず。それほど興味のある国ではなかったのだろうから、仕方がないけどね
495名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 12:28:02 ID:E+9Gi/p30

宮崎の西都原だって!!!!!!!!!!!!!
496名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 12:34:42 ID:elZOR8a+O
邪馬台国はあとでスタッフがおいしくいただきました
497名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 13:51:09 ID:nhxO//5S0
先祖が中国に朝貢してたとあってはまずいから後からいろいろと
歴史を書き換えてるなんて話はあったな
ぶっちゃけ、発掘による物証が無い限りただの妄想大会になってしまう
498名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 13:59:30 ID:we4dNma60
もともと九州にあった邪馬台国が、時代が下って王都ごと近畿に引っ越し、
使用する漢字も良い意味の「大和」に変更。

こんなとこだろ。
499名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 15:21:35 ID:ZeX3xjfR0
【朝日放送】クイズ!紳助くん

>表だってね、島田紳介 テリー伊藤 みのもんた 筋なんて最悪じゃんw
>マジで放送駄目ヤクザの犬どもがフルってる御時世堕モノねぇ♪

反日反靖国 吉本興業 島田紳助 朝鮮ヤクザとの交際を公言  by 溝口敦。
読売新聞大阪本社社会部の記者が「人が死んでんねんで!」「あんたら、もうエエわ(社長)呼んで!」
ビニ本マニアの反日歌手 谷村新司さん、支那共産党の上海音楽学院で教える

1 :変態仮面φ ★ :2005/06/03(金) 19:01:49
5月26日発売、別冊宝島Real064「実録!平成日本タブー大全」http://tkj.jp/tkj/real/479664668x/
「マネージャー暴行事件からすぐに復帰!吉本興業・島田紳助の危うい暴力団交友」より。筆者は溝口敦。


500名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 16:08:20 ID:HL6SS+Pq0
C14炭素年代法で九州の出土物を測定すると
3世紀はもちろん紀元前の測定値が山のようにでてくる。

畿内は4世紀がせいぜいなので、C14法を放棄していまだに土器編年を使用している。
年輪法でもいくつかあるサンプルのうち、都合がいいものだけを取り出して、あとは見なかったことにしている

端墓も何度年代が繰り上がったのかわからない。そのたびに無理な理屈を加えては
年代を修正し続けている。

逆に福岡や佐賀の出土物を測定すると、通説の6世紀のはずの遺跡から
紀元前の数値が出てきてパニックになる。福岡のコウロ館跡、大宰府政庁跡、
吉野ヶ里、他多数、邪馬台国時代以前から以後までまんべんなく出土する。

箸墓やホケノ山古墳では、思いっきり屁理屈をひねって、最も古いものでほんのわずかの
出土物がやっと3世紀に達する程度。
501名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 16:36:47 ID:NhlVbbxJ0

九州は最先端地域だったから出雲(近畿、東北)で6世紀主流に
なるようなものが紀元前には原型のようなものが九州に入ってるとか
作られてるというのは普通だと思うけどね。

本州四国の出雲国家は膨大な土地を要するが中国との
パイプがなく最先端の技術が入ってこない。

本州四国の出雲の大陸とのパイプは高句麗あたりには
あったようですが。四隅突出墓、銅鐸等から
502名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 16:46:37 ID:nhxO//5S0
出雲は新羅と深い関係があったとか
どっちにしろ、瀬戸内海沿岸の九州北部−近畿の勢力とは
別物だったみたいだな
503名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 16:47:40 ID:YasyoyD60
魏志にマジレスとか恥ずかしい。
遺跡や出土品から探っていく方が地味だが確実。
504名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 17:02:54 ID:NhlVbbxJ0
新羅の王族は北陸丹波国の脱会。金氏は東北に移住してる。
新羅のアメノヒボコは出雲に渡来してる。
スサノオは新羅からの出戻り、イソタケルは新羅生まれ。
スサノオ、イソタケルを多く祀るのは出雲系。
新羅のミサキを紀伊半島にくっつけた伝説。
新羅の言葉アクセントは東京弁と同じ高低アクセント。
そういうのがあって4世紀の古墳時代の東北関東人は
大変な渡来形質になってるんだと思う。
505名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 17:46:02 ID:xEmIsUI80
邪馬台国が畿内にあったとしたら,九州も支配下において
治めていたことになるが,馬もなく,草が背丈ほども茂った
ような道しかなかった頃,どうやって治めたんだろう?
更に,九州の方が大陸,朝鮮半島に近く進んでいたと思うが。
506名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 17:52:38 ID:AcSDGl800
もう面倒臭いから、
「邪馬台国は九州でできたけど、畿内へ引っ越して繁栄した。」
で良いじゃないか。
507名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 18:02:56 ID:nhxO//5S0
そういえば、吉野ヶ里が邪馬台国って話は無いの?
508名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 18:05:30 ID:HL6SS+Pq0
吉野ヶ里は邪馬台国より古いといわれている。
その説を信じると、邪馬台国時代には下降線をたどっている。
だから、関係する国かもしれないが邪馬台国では無いそうである
509名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 18:05:45 ID:6LB0+ONj0
>>507
あるよ。

しかし、卑弥呼の墓に相当する巨大古墳は近くに無いはず。(直径160m)
510名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 18:06:19 ID:e+9/rI0A0
邪馬台国は俺の隣で寝てるよw
511名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 18:10:02 ID:/ZfVCfgy0
しかし魏志は、対馬とか壱岐とかの記述がわりと正確なので
じゃまいち国の記述もそこそこ正確なのだろうとは思う。
512名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 18:14:21 ID:NhlVbbxJ0
肥前東部の吉野ヶ里遺跡は肥前では非常に特異的に
渡来形質が強い。
記憶では背振の山超えた地域(怡土か?)と
戦争してたらしい。
ここが重要な位置を占めてるのは確かだけど
www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/154.html
513名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 18:17:18 ID:6LB0+ONj0
>>511
記紀にも、魏志倭人伝をやむを得ず引用しているから、邪馬台国を滅ぼしたのが
大和朝廷であり、邪馬台国から大和朝廷へと発展したと言う見方は違うだろうね。
514名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 18:18:48 ID:TwUlvOtnO
>>505
つ船

弥生時代は九州北部から始まっているが
縄文時代は関東の方が遺跡の量や質などから先進的であったと思われる。
日時計を使った暦や栗や陸稲による農耕も縄文時代には既にある。
何でも中国に近いから先進的とは限らないんだよ。
515名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 18:19:26 ID:L/GxdsD40
本人がちょっと前にAVに出てなかったか?
まだ生きてるだろ。聞いてみればいいじゃん。
516名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 18:21:07 ID:NhlVbbxJ0
対馬とか壱岐、松浦、怡土、奴国がよく地名として
残ったと思うが、他の地域が殆ど消えて。
新しい名称としては筑紫、唐津、夜須、基山あたりか。
神功とか景行あたりに由来。
517名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 18:29:06 ID:5QUphh6Y0
魏志にある、国の存在位置がある程度精確だとしてだけど・・・

邪馬台国の位置は九州の中になってしまうよね
船で行くことの出来ない場所あので、上陸してからは歩くしかなかったのだろう

もし、近畿だとしたら瀬戸内海を船で行けば良いだけのこと
この疑問を打破してもらわないことには、近畿説にはどうしてもうなずけない
518名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 18:30:31 ID:Cw37oxLv0
>>510
あなたは、おねしょして日本地図でも描いたのですか?
519名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 18:34:49 ID:HL6SS+Pq0
妄想なので、スルーよろしく

福岡、佐賀、熊本等の有明海沿岸+福岡西北部の部族がある程度まとまってきた段階で
その連合に反する勢力が、宮崎、大分あたりに、目の届かない国を作っていた。
有明福岡連合にもし知るところとなったとしても、九州山地の険しさは半端ではなく、
また、制圧するほどの大部隊を送ることも難しいため、事実上無視状態

特に宮崎の部族は古墳を重要視する部族だが、その一部が分かれ、瀬戸内海を通って畿内へ移動
そこで新天地を得て、大好きな古墳を作りまくった。

宇佐や日向はその部族の大切な聖地だが、有明福岡はそれほどでもない、というよりは敵である。
ある程度力を蓄えたところで、有明福岡部族を撃破する。
しかし、人口は結構あるし、各地の豪族を全滅させるわけには行かないので、もともと有明福岡部族の
政権があった、大宰府政庁跡あたりににらみを利かせる部隊とか役所を置いた。これが時間をかけて
大宰府政庁になる。


520名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 18:34:54 ID:6LB0+ONj0
>>517
大陸から丹後半島経由で、畿内との交流があったはずとは思うが、 魏志の示す
邪馬台国へのルートなら、九州説が正解だと思う。
521名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 18:35:01 ID:TwUlvOtnO
>>517
九州でも陸行一月は通り抜けちゃう希ガス。
その前の水行二十日はどうするんですか?
522名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 18:36:04 ID:+zmNK3eX0
邪馬台国があったのは鹿児島だよ!
だって卑弥呼神社があるもんw
25年ほど前にできたんだよwww
523名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 18:36:08 ID:95gOgcgN0
近畿説に一票!
524名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 18:36:20 ID:NhlVbbxJ0
伝説だと、
記紀では畿内と九州福岡は一貫して戦争状態だし
その後の南北朝、キリシタン弾圧、明治維新、西南戦争と
福岡佐賀熊本って本当に近畿や本州四国と仲が悪いと思う。
言葉も全然違うし。
福岡の中の都市が近畿に移動することは考えにくい。
俺は一時的に福岡、近畿出雲という
二つの国家体系があったと思う。
525名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 18:40:24 ID:6LB0+ONj0
>>521
それ、帯方郡から投馬国までの直行ルート。
526名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 18:41:00 ID:ZMcBNGi+O
僕らの生まれてくるずっとずっと前の縄文時代、河内平野一帯は海だった
527名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 18:41:44 ID:ajWI174g0
もう面倒くさいから韓国でいいよ
528名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 18:44:11 ID:ieiPlLu9O
実は広島
529名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 18:44:14 ID:v03fs3J+0
まえNHKでやっていた邪馬台国番組で
九州説に九州人の9割近くが投票して居てわろた。
幾内説は関西では半々ぐらいだったのに,九州人必死杉
530名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 18:46:16 ID:seNF1ypD0
九州の一部がすでに「大和国」の一部だったのでは?
早い段階で前方後円墳といった文化も共有してるし。
531名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 18:48:07 ID:NhlVbbxJ0
>>530
おれはそういう風に考えてるよ。
532名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 18:56:29 ID:TwUlvOtnO
>>525
ちょっと苦しくないか?それ。

そもそも三世紀の人間の地理がそれほど正確だとは考えにくい。
中国には明代でさえ日本列島を朝鮮半島から南に伸びる列島として書かれた地図があるくらいだぞ。
地名についても全国に似たような地名というのは複数あり、地名から断定する事も難しいと思う。
正確な読みもよくわからないしな。

遺跡などによる資料を重視すべきじゃないかな。
533名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 18:58:18 ID:nhxO//5S0
日向の諸県君一族と河内の大王は姻戚関係なんだな
九州勢力と畿内の勢力は瀬戸内海経由でけっこう繋がってたんだな
ttp://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/rekishikou/006/re_006_040703.htm
534名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 19:14:03 ID:GdZn9KHvO
>>532
遺跡からみると九州じゃね?
>>481 >>530を見てそう思った。
535名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 19:24:54 ID:PU2vKNB90
神武天皇は高千穂で生まれ日向から船出したんでしょ?
536名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 19:25:12 ID:TwUlvOtnO
>>534
>>530から考察すると魏志倭人伝の時代すでに九州は大和の勢力下ということで
魏の使者は首都である纏向までは来なかったということになるかもね。
537名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 19:28:19 ID:8RBzbjUnO
沖縄
538名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 19:47:33 ID:YK4w9In70
ヤマタイカは大和が浮上して米軍基地を艦砲射撃するあたりまでは
おもしろかったな
539名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 19:57:58 ID:laPjC7X80
>>1
宗教勢力の裏ネットワーク(=邪馬台国)を介したヴァーチャルな国家連合であり
モザイク状に加盟国が存在するため場所は特定できない
540名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 20:04:22 ID:seNF1ypD0
>>536
国の中心部は見せたくない、なんて当然のことだろうし。



541名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 20:13:23 ID:FJIAAL1a0
筑紫国、みたいな「国」を国家だと誤訳しちゃっただけ?
542名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 20:30:20 ID:Jf2K9wpj0
大陸から日本に来るには、朝鮮から対馬、壱岐とわたって、九州の福岡
近辺の沿岸にたどり着くのが普通のルート。
これは、太閤秀吉の時代でも変わらない。朝鮮出兵はこの逆を行ってる。
つまり、大陸からの情報なり、文化なり、はすべて北部九州を通過してから
内地に入っていくわけだ。
その状況の中で、福岡近辺が栄えて無かったとは考えにくい。
そして、倭人伝に記述されている国々に通じる名称も残っている。
対馬→ 対馬
一支→ 壱岐
末盧→ 松浦(佐賀県松浦郡)
奴国→ 那珂(福岡県)
伊都国→糸島(福岡県糸島郡)

倭人伝にでてくる国々がすべて、九州にあったことを推測させるのに
どうして邪馬台国だけ、近畿に遠く飛んであるんだ?
で、九州説。
543名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 20:32:44 ID:FDiyc4G80
関西人だけど九州だと思います。
544名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 20:32:46 ID:f54rp+tk0
九州から近畿まで、広域の国だったって事でイイじゃん
545名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 20:33:22 ID:RB7sw7q+0
やまたいこくって読み方は誰が決めたの?
この読み方であってるという根拠は何?
546名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 20:35:08 ID:JxBRKDu+0
>>465
つまりそういうことなんだよ。魏には魏の都合があって、
その目的のために編纂されたのが、魏志だということを忘れてはいけない。
記紀は、奈良時代の畿内朝廷の正統性を示すために編纂されたものだということは、
皇国史観批判として散々指摘されてほぼ叩かれ尽くされたことなのに、
魏志となると、とたんに客観的な歴史書だとして
古代日本の真実を書いた書物だとありがたがる感覚は、あきらかに可笑しいんだよ。

華北の魏としては、遼東・朝鮮半島情勢に対して自らが優勢であることの宣伝として、
「朝鮮半島の向こうにある遠い島」の勢力が、魏に対して友好的な国であり、
魏の文明を慕っているということをアピールすることが、魏志倭人伝の明確な目的。
日本列島の客観的な政治情勢を書いた論文でもなければ、冷静な紀行文でもない。
魏のプロパガンダに対して役立つことしか書いてない。
魏(華北)から見てよく見える範囲の東方の島で、魏にとって役立つ政治勢力が、
魏に対して友好的であるという内容が書かれているだけ。
畿内朝廷と繋いだり、西南日本全体の政治状況とそのままリンクさせること自体が誤り。
547名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 20:39:37 ID:fFNupeuV0
邪馬台国?エジプトだよ。
548名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 20:45:16 ID:Axja7tGQ0
こんなことで給料をもらえる学者がうらやましい。
549名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 20:45:47 ID:m+Z6+NJq0
宮崎の西都原は投馬国でしょ。
妻という変わった地名が残っている上に、大きな古墳群まである。

私が思うに邪馬台国はこの様な国々の連合王国であり、卑弥呼は総代表だと思うのだよね。
豪族が村をつくり、それが国になり、仲のいい国同士が同盟を結んだような感じでは。
そうすると、宇佐神宮や神武天皇の東征の話もすんなり行くと思うんだ。
東征というよりも、新たな同盟関係(別の巨大勢力と合併し王として迎え入れる)が、
生まれたということを物語っていると感じるんだな。
550名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 20:53:08 ID:Jf2K9wpj0
>>549
そう、連合王国なんだよ。で、その各王国はどこにあるのかというと
すべて九州。伊都国も、投馬国も・・・・邪馬台国だけポツンと畿内に
あって他の国と連合を組んでたってのはおかしいよ。
やはり九州のどこかに邪馬台国はあったんだと思う。
551名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 20:56:37 ID:NhlVbbxJ0
>>550
そしたら、畿内とか出雲、北陸あたりはどういう風に認識されてたの?
552名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 20:57:23 ID:rChL/evV0
西都原のオサホメサホ
http://www.bunka.go.jp/saitobaru/jp/data/dbmap4.asp
ここを調査しないとわからないよねえ
553名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 21:01:32 ID:m+Z6+NJq0
>>550
だから、連合王国ということは、突き詰めると邪馬台国は持ち回りだったのかもよ。
つまり台国とは、実は代表国のことではと思うんだ。
一番力があるカリスマ性の高い国の王様が、合議で連合王国の代表者を務めていたと思う。
隣国との小競り合いなんて、昔から優れた指導者ならやろうとは思わないだろうしね。
554名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 21:07:20 ID:JxBRKDu+0
>>550
連合王国なんてもんじゃなくて、単なる酋長率いる部族の連合体だろうよ。
華北から見て、連絡・意思疎通が何とか出来る視野の中における
遠い島の酋長たちの連合体について、魏の都合で書かれたプロパガンダのお話。


後世の畿内朝廷の祖先となる酋長やら部族と、どんな関係があるのか、
現実の日本列島の国家形成とどんな関わりがあるのか、そんなことは分からない。
そもそも邪馬台国なるものと、
畿内朝廷に統合されていく古代日本国とは、何の関係もない可能性も高い。
状況を切り取って記述する視点がまるで違うんだから、本来は気にする必要もない話。
何を好き好んで、日本史をわざわざ華北視点で眺めなければいけないのだ?
555名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 21:14:04 ID:KJfv8HM70
魏志倭人伝のようなシナのあいまいなウソ伝聞記事を金科玉条にして
考察してるから行き詰る
素直に古事記の記述を読めば
神武東遷にあるように
朝廷は日向から大和へ進軍したで全て解決
556名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 21:17:31 ID:QUIK3Ka70
畿内で作られ始めた前方後円墳が各地に広まって行くのを論じるのは
別に華北視点ではない
ただ、畿内に出来た政権が他の地方を勢力下に置くのに
中国製の鏡が役立った様子
557名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 21:17:36 ID:seNF1ypD0
邪馬台国=大和国
この言葉の偶然性には反論できねーよ。
558名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 21:22:55 ID:NhlVbbxJ0
古墳調査すればわかるんだけどね。
伝説とされてた
大彦とか幾つかの遺跡で実在が確認されてるわけだし。
559名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 21:27:05 ID:cBElFdtW0
実は東北なんだよ。飛鳥あきおが言ってたから間違いない
560名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 21:28:08 ID:rChL/evV0
>日向から大和へ進軍

これがホントかどうかはわからないけど
西都原〜宮崎平野と平城京に密接な関係があったのは事実だわな

http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/rekishikou/006/re_006_040619.htm
現在の卑弥呼の墓の第一候補箸墓古墳(奈良県桜井市)と
前方部と後円部の長さの比や、古墳中央部のくびれ具合までぴったり相似する
(完全に2分の1規格)古墳が宮崎市の生目古墳群にある
561名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 21:29:49 ID:X7gSzvi60
>>555
邪馬台国と大和政権が別という主張があるんだよ

つまり当時、「倭」国は30に分割した連邦制で、女王卑弥呼が
カリスマ的に納めていた。卑弥呼の国・邪馬台国は奈良にあった。

しかし、壱与の統治以降再び乱れ、倭国の一つである九州の豪族が
新たな支配者となった。これが大和政権である。その辺が記紀の
記述に反映されているわけだ。
562名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 21:30:45 ID:x3OcMWohO
邪馬台国は霧島(高千穂の峰)麓付近にあったんじないかな?
対立国は後の熊蘇じゃないと思う。
邪馬台国は神武天皇の親族系が建てた国とか
563名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 21:31:44 ID:TpcUw6hk0
八幡平
564名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 21:31:56 ID:No+uu6Bw0
九州にあった国がこっそり日本を代表してたんでしょ。
畿内により大きな国があったとしても。
565名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 21:33:30 ID:QUIK3Ka70
神武東征も九州勢力の支配権簒奪も考古学の方面から攻めると非常に苦しいな

今まで調べられてる遺跡を見ていくと、纒向→奈良県北部と政権の拠点が移って、
次は継体の時代になるまで大阪南西部←→大阪南東部を行ったり来たりしてる感じ
566名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 21:36:38 ID:JxBRKDu+0
>>561
だから安易に繋げるなっつーの。冷静に考えれば、
「別」なんじゃなくて、そもそも「無関係」の可能性が高いということ。
アメリカが独立した時代の、オレゴンの先住民の政治情勢を描いた書物があったって、
今のワシントンDC政府に繋がる歴史とは関係ないだろう?


ただ、記紀を編纂する時、編纂者が魏志を読んでいた可能性は極めて高い。
だから、1300年後に学者から電波まで総出で行っている
類推と言う名のコジツケと同じことが、記紀編纂の段階で行われた可能性はある。
567名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 21:37:09 ID:MW6NkDBW0
どうせ決着がつかないんだから、
元祖邪馬台国と本家邪馬台国ということでどうだ
568名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 21:38:50 ID:NhlVbbxJ0
八女津姫や松浦のツチグモの見借みると
九州に女王の風習があったことが伺えると思う。

見借だけどこれを征伐したのは
四道将軍の大彦の息子に
あたる大屋田彦という人。
569名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 21:39:09 ID:noBrDdhd0
>>567
店じゃねえんだからw
570名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 21:41:15 ID:NhlVbbxJ0
>>564
それある。
明代とかの日本地図も九州が一番北にあって
南下の方に伸びる地図。
あれも実は九州人が中国との窓口を自分だけにしたいが
為に中国人にあのへんてこりんの地理概念を植え込んだとか。
571名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 21:43:08 ID:rChL/evV0
>>565
だからさ纒向などとは違って
南九州は未発掘、未調査のものが多いわけ
単純に調査にかけられる金が違う
西都原ですら9割以上が未調査だし
572名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 21:47:46 ID:Ke5e6P0h0
>>546
魏志を編纂したのは魏ではなく晋なんですが…
573名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 21:53:16 ID:QUIK3Ka70
>>571
そうすると、西都原では箸墓の規模を上回る3世紀か2世紀の前方後円墳が
今後の調査によって見つかるわけだね
574名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 21:54:46 ID:zJsjp/7w0
マジレスすると邪馬台国は無かった
575名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:01:53 ID:rChL/evV0
>>573
そういうことは言ってない
ただオサホメサホの作られた時期は繰り上がる可能性がある
ともあれ纒向と宮崎との相関関係があるわけで
その相関関係や神武東征については
宮崎のものを調査しないとはっきりとはわからない
576名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:05:23 ID:OXPs3Bs60
井沢元彦を読むと九州説しか考えられなくなる
577婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/04(火) 22:05:30 ID:Q1lB7Trc0
だからよ、ヤマトと言えば畿内とかってのは、ようするに
平成生まれの厨房が「福岡といえばホークスじゃん」とか
言ってるのと同じなわけよ。
若い奴らは、かつて福岡にライオンズがあったことを知らん。
んで、「ライオンズが東征したなんてのは単なる伝説」とか言ってる。

ところがどこぞの飲み屋の壁に、いまだに西鉄ライオンズの
ペナントなどが貼ってあったりするのを見かけて、「おお、伝説は史実であった」
とか思うのだが、しかしそれでも「いや、この三角縁神獣旗の材質は所沢」とか
わけのわからん話に持ってく奴もいたりして、混乱すると。

失われた歴史を復元する営みというのは、かくも難しいのだ。
578名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:06:30 ID:D6PpsT7q0
日向は宮崎でなく福岡県西区の日向峠のこと
579名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:09:25 ID:QUIK3Ka70
纒向の遺跡に影響力の強い所を挙げるとしたら吉備だろうが、
宮崎の遺跡群を調べれば吉備を上回る影響力を宮崎の勢力が持ってたことが
分かると言いたいのだな。
580名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:09:31 ID:TG5q3MZh0
>>551
倭人伝に
「邪馬台国の東は海。そのむこうにも倭人の国がある」
と書いてる
581名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:11:54 ID:/Rzk2Bky0
>>578
> 日向は宮崎でなく福岡県西区の日向峠のこと

筑紫の日向には「クジフルダケ」も、ちゃんとあるしな。
本家が福岡の方なのはたしか。
582名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:12:52 ID:TG5q3MZh0
宮崎を「日向」と名付けたのは
景行天皇が九州へ行ったときと古事記に書いてある。

では本当の日向はどこか。

九州で、「日向」とつく地名の一覧
http://www.hisatuhime.com/1-himuka.html

宮崎県には、延岡と日向市の2ヶ所しかなく、
九州北部に集中している。

日向とは、日に向かった所。
これらの中心に日がある
と考えると、それらを線で結ぶと大分県の日田が浮かび上がる。

さらに日田は、宇佐・中津と隣接している。
http://www.pref.oita.jp/10103/yolozu/feature/050731/tokusan.html

宇佐神宮は神道のルーツとも言われ、卑弥呼の墓説まであるところ。
中津は天孫が降臨した豊葦原(とよあしはら)の中国(なかつくに)こそ、
この豊前(大分)の中津ではないかと言われている場所だ。


583名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:13:35 ID:FK70lZAI0
その昔、本州はまっぷたつに分かれてて、近畿を含む島が近畿を南にして存在していた
という説が本当なら、近畿説が正解
俺はこの説を信じている
584名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:14:01 ID:UWbospFE0
学会じゃ九州説はまるで相手にされていない現実
585名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:14:34 ID:/Rzk2Bky0
おそらく、筑紫 → 宮崎 → 近畿 
のが、後の大和朝廷の勢力が移動した主要ルート。
586名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:14:59 ID:rChL/evV0
>>579
ちがうって
そういうことにこだわってるわけじゃない
纒向が大和朝廷の元だったのはまちがいないだろ

その纒向と日向との相関関係と
伝説や記紀との関係
卑弥呼のことなどは宮崎のものを調査しないとはっきりわからないだろうってこと
587名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:17:00 ID:NhlVbbxJ0
>>581
そしたら隼人は福岡出身?
588名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:17:51 ID:bJ+BILUy0
邪馬台国と前方後円墳って関係あるのか?
そもそも前方後円墳の年代って怪しい。
中開けて調べたのなんて殆ど無いのに。
589名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:22:04 ID:JxBRKDu+0
>>577
でも、その例えだと、「邪馬台国」は「西鉄軍」だったのかもしれないよ。
名前は似ているが、ライオンズとの関係さえない。
遠い昔に滅びた球団だね。


>>584
つうか、「邪馬台国の位置」を本気で論争して
それが日本古代史研究のメインストリームになっていること自体オhルww
こんなものは、極論すればヘロドトスに出てくる女人国と同じレベルの記述なのに。
590名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:23:58 ID:fl//wFHT0
福岡県の甘木・朝倉地方の地名と、
大和地方の地名を比較すると、
名前だけでなく、位置関係まで図のように一致する

http://inoues.net/club/chimei.gif

奥野正雄教授は、さらに調査して
この2地方の名前の一致箇所を100カ所以上指摘する。

甘木地方の人たちが大和に移住し、
ふるさとと同じ地名をつけた可能性がある。
591名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:24:19 ID:rChL/evV0
まあとりあえず
北九州説は
卑弥呼の墓を探してこないと話にならない
592名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:26:16 ID:tnsqn77r0
竹斯国で決まりなんだけどね
593名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:28:44 ID:kkgHNb9n0
>>584
日本史板でも九州説はキチガイ扱いだったような。
ニュー速で発言力を強めてるのはどうして、なぜ?
594名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:29:01 ID:2RYytV400
都合のいいように方角や距離の記述を変えてはいけない。
そのまま読むべき。
つまり邪馬台国は日本から遥かに離れた海の上の島だ。
595名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:32:46 ID:/Rzk2Bky0
学会ってのが、派閥とかあって、非常に偏ってるからね。
596名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:33:19 ID:4wWSWnFJ0
>>590
なんでわざわざ大移住なんてしたんだろうね
近畿の勢力と激突しそうなのに
597名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:33:41 ID:GdZn9KHvO
>>593
真実は学者の多数決なんかとは無関係なのを
まともな人は知ってるからさ。
どちらの主張が筋が通っているか、合理的かを比べようとしても
畿内説の人が言い張るのは
学会では畿内説が有力
九州説なんか支持してる学者なんかほとんどいない。
ばかりだもの。
畿内説が胡散臭く思えて仕方がないよ。
598名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:36:42 ID:nhxO//5S0
>>596
近畿の勢力争いに助っ人として行ったんじゃない
応神天皇のときもそうだったっぽいし
599名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:37:36 ID:NhlVbbxJ0
>>590
それあるとしたら逆じゃね?
大和→筑紫
魏志倭人伝にその名称ないし
実際神功皇后の命名した地名が多いだろ
朝倉、夜須、御笠なんかは記憶にある、。
他、景行の命名もあるしな。
一般的名称として多い高田とかそういうのは却下。
600婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/04(火) 22:38:58 ID:Q1lB7Trc0
>>589
うみゅ、たしかに西部は西鉄じゃないし太平洋じゃないしクラウンライターでも
ないよな。万世一系なんて信じちゃいかん。だがしかしライオンズなのだ。

…って、自分でも何をどう喩えているのかわからなくなってきた orz
601名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:41:13 ID:4wWSWnFJ0
>>598
なるほど、三輪氏って福岡の大豪族だったらしいしその力借りたってのも
602名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:41:23 ID:6LB0+ONj0
>>597

年代の測定法が進化したから(年輪年代測定)近畿の遺跡が九州と同じ程度古いことが
解って来たから、近畿説が勢いを増したらしいね。

603名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:43:07 ID:NhlVbbxJ0
神功のクマソ征伐の舞台の一つが
甘木周辺だよ。
甘木で倒した地元豪族が栗隈王だったけ?
そんな名前の豪族倒して
神功が『我が心安(やす)し』から
この地が夜須と呼ばれるようになったのです。
御笠川は神功の御笠が飛んだからですね。
宇美は応神が産(うみ)み落とされた町。

宇佐神功以降、甘木は大和の占領地ですから
地名は当然変えられてて。
倭人伝当時の地名は残ってません。
604名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:44:02 ID:2RYytV400
>>597
味方の多さに甘えて反証一つ挙げる努力もせずに他説を「キチガイ」呼ばわりするのと、
キチガイめいたものであろうと努力して集めた根拠を挙げて自説を唱えるのと、
どちらが説得力を持つか…だね。
605婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/04(火) 22:47:08 ID:Q1lB7Trc0
白熱する議論に関係なく、ちゃくちゃくと傍証を積み重ねる博多説であった。

魏の使者「ヒミコ様が亡くなってからどうなったのですか?」
地元の人「娘さんが跡を継いだとよ」
魏の使者「ふむふむ、『娘のトヨが跡を継いだ』と…」
地元の人「人の話をちゃんと聞きんしゃい!」
606名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:48:54 ID:tnsqn77r0
畿内説の根拠って昔から日本の中心は近畿に決まってるって
思い込みがほとんどだからな

まあ歴史書には確かにそう書いてあるが
607名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:50:08 ID:nhxO//5S0
>>605 ワロタ
608名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:50:09 ID:JxBRKDu+0
>>597
つうか、そもそも「邪馬台国の位置」なるものが、
まともな考古学上の学問上の論争になること自体、オhルと俺などは思うよ。
極論すれば、ヘロドトスに出てくるアマゾネス国の位置について、
ウクライナとカザフスタンの学者が必死で論争するのと同じレベルなんだけど。
中国史書に出てくる、日本列島あたりの島にいたらしい、
中国を翼賛する酋長のお話に過ぎないのに。
その酋長とやらが、西南日本弥生社会の権力秩序の中で、
どんなポジションだったのかは全く不明。
一応九州まで上陸して描いたらしいことは分かるので、
弥生時代の西南日本の習俗や社会の構造、文化などは多少の参考になるが、
(その意味ではアマゾネス国よりはマシだが)
それ以上のものじゃない。
609名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:52:15 ID:bb0ipyBZ0
>>608
当時の日本のことを他に誰か書き残してくれてれば
こんなことにはならなかった。
古代についてはこれしかないから殺到するのは仕方ない
610名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:53:10 ID:nhxO//5S0
大和朝廷の有力豪族は九州発祥の一族がやたら
多かったりするよな
まぁ、東征が魏志倭人伝の前か後かはともかく、
近畿と九州は昔からかなり繋がりが強かったと想像できる
611名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:56:02 ID:y9dd+q/y0
>>582

宇佐は、渡来人が開拓した土地だよ。
どうして、卑弥呼を朝鮮人にしたいの?
612名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:56:37 ID:rChL/evV0
いや別に終わってない
「卑弥呼&邪馬台国」が古代史でもっとも人気があるわけ
人気があるものにはスポンサーもつく
金も出て研究も進む
悪いことじゃない
613名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 22:56:56 ID:6LB0+ONj0
>>608
そうかな? 例えるなら、正解を伏せられた状態(天皇陵の発掘調査を禁止されてる)
で、周辺の状況証拠だけで論争しているから、学問からかけ離れてしまったんじゃ?

エジプトのピラミッド考古学と似ている気がする。(服の上からカユイところを掻いてるみたいな)
614名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:00:14 ID:bZWNPhhq0
水野説 「狗奴国東遷説」の骨子。

「まず邪馬台国は北九州にあったと考える。しかしその女王国は南九州の狗奴国に滅ぼされ、
 狗奴国の手によって統一されたとする。」

「そしてその同時期に、近畿ではもう一つの王権が誕生していた。これを「原大和国家」と呼ぶ。
 その原大和国家の王であった仲哀天皇が熊襲じつは狗奴国を征伐するために九州に遠征したが、
 逆に敗北し自らは討ち取られてしまった。」
 
「その勝利者が応神天皇であり、その息子の仁徳天皇は九州から難波に遷都した。 
 そして、征服者として、あの巨大な天皇陵を造営した。
 ちなみに、応神は九州で亡くなったが、後を継いだ仁徳は父の墓を難波に造らせたとする。」
615婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/04(火) 23:01:26 ID:Q1lB7Trc0
>>612
村興ししたい自治体とか歴史ロマンもので売りたいメディアとかは
金出しそうな気もするけど、研究に金が出てるんかな?
たとえば「新証拠で邪馬台国を比定します」みたいなテーマで
科研費がついたりするのかしらん。
616名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:01:27 ID:GdZn9KHvO
>>610
九州がイギリスで畿内がアメリカみたいな関係だったのかなって妄想する。
発祥は九州で当初畿内は単なる植民地だったけど
次第に力関係が逆転していって…
617名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:01:35 ID:/Rzk2Bky0
>>603
地名説話は、単なるデッチアゲが多いと思うけど、
甘木・朝倉地方の地名と、近畿の類似の地名の、
どっちが本家であるかを検証する必要があるね。

斉明天皇も、筑紫の朝倉宮の居をおいていたけど、
その時付いた地名とかもあるのかな?
618白服親爺 ◆Hmoiscdtk. :2008/03/04(火) 23:03:15 ID:pnOmsRez0
在来で女系で宗教権威を継承していたのが卑弥呼の血筋。
新参の王権を男系継承していた倭族も、卑弥呼と政略結婚して、
共同統治していれば問題なかった。

後々に天皇位を争ったらしい天智天皇と天武天皇も
争うように同じ女性(額田王)を娶っている。
額田王は何らかの権威の継承者だったのだ?!

卑弥呼を嫌がった男王が大乱を招いた、って、どんだけーww
619名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:03:41 ID:JW1oadRi0
学会がどうとか言っている奴がいるけどさ
この関係なら史学会、歴史学会、九州考古学会のどれさ?
それとも、ほかの学会かな。まともな学会なら文献検索できるから
掲載学会誌と論文名を示してくれないかな。それで検索できるから
620名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:03:57 ID:/Rzk2Bky0
>>582
たしか、漢籍には、宇佐では中国語が話されていると書いてあったんじゃ?
621名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:06:09 ID:SzU7ExsJ0
征討のためにわざわざ天皇が
九州まで行ってるのもちょっと不思議。
何年も帰らないで実質遷都みたいになってるし。
東日本の征服にはそんなことしてないでしょ
622白服親爺 ◆Hmoiscdtk. :2008/03/04(火) 23:07:08 ID:pnOmsRez0
623婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/04(火) 23:07:23 ID:Q1lB7Trc0
>>619
その手の「私は学会に追放された」系の大半は「学界」の誤記な気がする。
624名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:08:33 ID:bZWNPhhq0
>>608
「邪馬台国のことが記述されているのはシナの魏志倭人伝ですが、これを最初から真実と決め付けそこから
延々と邪馬台国論争が今でも繰り広げられている。しかし、はたしてそんなにシナの文献を信じていいものか」

「そもそもシナの文献はバリアント、つまり異文が無いということです。歴史を記録できるのは皇帝だけの特権であった
そして、その公式歴史書にしてもたった一種類しかない。日本書紀の場合には、さまざまな種類の異文が存在し、
そのおかげで日本書紀の誤字脱字はもとより成立のプロセスも推定できるわけですが、シナの歴史書では
それが不可能なのです。」

「だから、魏志倭人伝の場合も、みなさん一字一句こだわって邪馬台国の位置を推定しているわけですが、
その文字はひょっとして書き間違いかもしれない。それを客観的に正す方法はないのです。」

「谷沢永一宇宙を語る」より
625名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:08:37 ID:Ac4HQd1n0
この前、古墳の調査のニュースやってたけど古墳の研究できたら少しはわかるの?
626名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:08:55 ID:L7Uznlh+0
創価学会↓
627サラたん ◆SALA/VWNDI :2008/03/04(火) 23:09:27 ID:/zFswokl0
どーでもいいけど、ヒミコはオレの嫁な。
628619:2008/03/04(火) 23:10:06 ID:JW1oadRi0
参りました...

で、できればアカデミックなものをお願いします。

古田説は思いっきり九州説でしょうが
629619:2008/03/04(火) 23:13:17 ID:JW1oadRi0
>628 は 622 に対する返信でした。すまん
630名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:15:19 ID:mz1x+ogVO
邪馬台国は茨城県にあったに決まってっぺぇ〜
631名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:17:12 ID:NhlVbbxJ0
福岡で一番古い神社の一つが
宝満山竈門神社かな?
主神
玉依姫
ttp://www.dazaifutenmangu.or.jp/kamado/index.htm

菅原天満宮の近くに宝満山はある。
これ海神隼人の娘。
632名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:18:36 ID:JYCrhKqxO
南と東を間違えるわけねーだろ
633名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:19:01 ID:ne8dnanq0
筑紫(朝倉は天空の地名が多い)


             朝倉(朝暗)山が東にある
宇美(海)  夜須 (夜)                    杷木(波樹)

             橘田(橘の広庭)      朝田       夜明け  日田(日)   天瀬(天)

             星野 (星)

   久留米(暗闇)


こんな感じかな? ↑北で位置関係
634名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:22:58 ID:NhlVbbxJ0
>>621
記紀には皇族の子孫送っても送っても直ぐ地元民に馴染んで
反乱貢ぎ物よこさないので痺れ切らして
景行や神功が向かったとあるよ。
ヤマトタケルもそう。
635名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:30:49 ID:NhlVbbxJ0
東日本人は
毛皮着て悪さばかりしてる。
何処に隠れてるか分からないので
始末におけないというようなことを
景行天皇が言ってる。
636名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:31:38 ID:bYFqoWYh0
ここは意表をついて四国で
637名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:32:01 ID:L7Uznlh+0
以下ダイナマイツ禁止
638名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:33:29 ID:nP8wxhtE0
>>632
そこから東南に陸行すること五百里で、伊都国に到着する。
これから先は、東南、奴国に至るのに百里。
さらに東に行って、不弥国に至るのに百里。
南、投馬国に至るのに水行二十日。
また南、邪馬壹国に至るのに水行十日・陸行一月。
ここが女王の都するところ
女王国より北の諸国は、その戸数と道里をほぼ記載できるが、
その他の周辺の国は、遠くへだたり詳しく知りえない。


>女王国より北の諸国は、その戸数と道里をほぼ記載できるが

つまり、それまで説明してきた末魯国、伊都国、不弥国なども
女王国より北にあったということになる。

畿内説でも、それらの国は九州にあったとしてるんだから
矛盾してしまう

畿内説は、すべての国が畿内にあったと変えた方がよくね
639名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:41:34 ID:n7y6gilj0
九州にあった邪馬台国を武力で制圧した
畿内の勢力がヤマトを名乗った

だが制圧後畿内に異変が続いてこれを
九州勢力の祭祀が途絶えた怨霊の仕業と考えて
祭祀を継ぐものをわざわざ九州から連れてきて
ヤマトの祭祀長とした

こんなところじゃないか
640名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:42:29 ID:FGCxq4JVO
だいぶ、道に迷ったと思うよ!
方角もハッキリせずに
641名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:44:59 ID:6R/olnGxO
八幡平にあった



という小説があったな。
642名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:46:26 ID:L7Uznlh+0
吉永小百合が邪馬台国の映画やるらしい
643名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:48:42 ID:yjZqiKge0
歴史ロマン派(九州)vs対中イデオロギー派(畿内)
644名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:50:08 ID:/msJZUhT0
じゃまいち国の南にクコチヒクの国がないといけないので、
南に菊池彦の領地を控えた九州の山門がふさわしいだろう

西側に河内彦の国があるから大和 ってのは無理がある。
645名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:50:24 ID:LgCqmWgiO
>>642
まじか
もちろんミスタースズキックスは出るよな?
646名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:51:27 ID:nhxO//5S0
>>638
それにしても、投馬国と邪馬壹国だけが何故か滅茶苦茶な気がするな
それ以外の場所はほぼ特定できてるんだろ?
647名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:51:32 ID:bZWNPhhq0
「岡田説によると魏志が書かれたそもそもの目的は、歴史の客観的記述ではない。魏の全権を掌握し、
晋建国の礎を築いた司馬仲達を称えるために書かれただけのものであった。この魏志を書いたのは
晋の役人である陳寿という人物ですが、彼は何も自分の好奇心や興味から魏志を書いたのではありません。
宮廷から命じられて書いている訳です。」

「さあ、この仲達の業績を最も強調するには、どうしたらいいか−その答えが、魏志倭人伝だというのです。
つまり、司馬仲達の威光は朝鮮のみならず、海を隔てた倭国にまで及んだと書けばいい。魏志倭人伝は
そのためにある文章なのです。だから、最初からあてにならない。」

「それどころか、倭国の位置を執筆者は意図時にずらして書いた可能性が大です。というのも、当時の司馬仲達に
対抗していたのは南の呉国です。そこで、倭国の位置を実際の日本列島よりも南にずらして書いた。
そうすることによって呉国のそばの倭国にまで司馬仲達の威光が及んだという話になる。
魏志倭人伝をみると邪馬台国の位置が福建省のあたりにありとしか思えないのは、そのためだというわけです。」

「谷沢永一宇宙を語る2」より
648婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/04(火) 23:52:04 ID:Q1lB7Trc0
>>636
「その山には丹あり。その木にはダン杼・豫樟・ホウ・櫪・投・僵・烏号・楓香あり。
その竹には篠・カン・桃支。薑・橘・椒・ジョウ荷あるも、以て滋味となすを知らず。
ジ猿・黒雉あり。」

丹とか豫樟とか橘とか、そこはかとなく四国っぽい気がしないでもないな。
649名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:52:22 ID:fHPtFlLn0
間を取って広島あたりで良いんじゃね
650名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:54:16 ID:NhlVbbxJ0
>>644
地元感覚だととても筑後地区と
熊本地区が喧嘩するような事は考えにくいよ。
歴史通じて熊本・筑後は一体だよ。
言葉、方言、アクセント、玉垂命っていう共通の神社もあるし。
火の信仰もある。
651名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:55:08 ID:FGCxq4JVO

位置は、台湾あたりでしょう!

652名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:56:14 ID:HnoyWZN50
山陰説ってのもある

http://219.166.24.90/tokusyu/yama/070410.html
653名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:56:17 ID:/msJZUhT0
>>650
大昔とは言わぬ。戦国時代の歴史ぐらい調べろ
654名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:56:34 ID:cL4KeGtD0
宇佐なんだろ?
655名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:57:28 ID:nhxO//5S0
>>650
吉野ヶ里あたりの人骨は渡来系っぽいのが多いらしいから
渡来系vs元からいた九州人で対立してたのかもわからんよ
656名無しさん@八周年:2008/03/04(火) 23:59:09 ID:xwkoBwC20
>>649
邪馬台国は岡山

1.近畿の古墳祭祀の祖形は岡山。

2.庄内式土器は岡山の弥生後期土器の発展形(製作法が同じ)。
遺物上では既に弥生後期から吉備
の強い影響を受け始めている。

3.大和中部・河内中部には中期末の大水害により
弥生後期の有力な遺跡は無い。
つまりその状況で近畿では中国に使者を送れるような
政権は産まれない。
657名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:00:33 ID:NhlVbbxJ0
>>653
戦国時代なんがあったけ?
658名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:02:36 ID:/msJZUhT0
まえまえから不思議なんだが、
日本最古の王権(史料上)は畿内にないとイヤだとがんばってる先生たちは、
天皇家が九州からきたという日本の根本史料をどう解釈するんだ?
659名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:03:04 ID:RFFkfLXH0
う〜ん、鋼鉄ジーグを連想してしまう俺はオッサン。
660名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:03:24 ID:vsoYARIj0
卑弥呼=火巫女

という説もあるしね。
九州は火の国、ということは宮崎・熊本・鹿児島という南九州説は
あながち間違いではない?
特に南九州の大地は、阿蘇・霧島・姶良・阿多などの火砕流で何度も埋もれ、
これは「卑弥呼が火を逃れ宇佐に逃げてきた」という伝説とも重なるしな。
661名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:04:02 ID:5lOFFL3f0
九州説、畿内説、どちらも間違っているので
100年議論しようと結論が出ない、つまり現状維持ということになる。
むしろ本当の所在地を隠すために、両説が永遠に議論することが一番望ましい、
そうすれば永遠に真相は闇の中に葬れる、ということになる。

畿内説は、魏志倭人伝に書かれた習俗が裸足・文身など南方の習俗で
東に向けて海行できないなど決定的な矛盾が生じる。
また九州説は倭国大乱の痕跡が見られないなどの矛盾がある。
また魏志倭人伝の行程をそのまま地図上で計測すると、
邪馬台国は九州の南の大海の中ということになってしまう。
両説とも、魏志倭人伝を通読すると決定的な矛盾点がある。

その点で邪馬台国吉備説は通読してみても矛盾点は生じない、
むしろ自然な感じを受ける。
南方の習俗、植物、動物、温暖な気候、出土されたト骨、
倭国大乱の避難用の臨海性高地性集落の跡、楯築遺跡、造山古墳
製塩用の土器、埴輪、特殊器台、上東遺跡、加茂遺跡
「邪馬台国は吉備国だった!」を裏付けるものばかりだ
662名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:04:54 ID:o72+T7CE0
九州邪馬台国が神武東征して大和朝廷になったとか思ってるのは安本信者だけだろw
663名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:05:03 ID:S0Ln+tmB0
邪馬台国は中国の属国だったの?
664名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:05:56 ID:ZDRLctvh0
「日本に関する情報が増えた明代の公式記録でも、日本を伝える記事は極めていい加減なのです。

例えば、「日本にはもと王があって、その臣下では関白が一番偉かった。当時関白だったのが
山城守の信長であって、ある日、猟に出たところ木の下に寝ている奴がいる。びっくりして飛び
起きたところを捕まえて問いただすと、自分は平秀吉といって、薩摩の国の下男だという…」 
といった具合です。

「魏志倭人伝どころか、明の時代になってもこの調子なのです。つまり、シナ人には日本という「野蛮国」
の歴史を正確に書こうという意志が、まったくない。16、17世紀でこれですから。まして、3世紀の日本に
ついてどれだけ正確なことを書くか。直接交渉のない東の海上にある島のことを正確に書けるわけもないし、
書く気もなかったのです。」

「ところが信じがたいことに、シナに残っている歴史書を価値のあるものだと思っている人間が日本に
大勢いるわけです。しかし、日本の歴史をシナの歴史で構築するなんてことは、絶対にできないわけです。」

665婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/05(水) 00:07:57 ID:jZGPvIZs0
>>661
魏志倭人伝の中には、団子のダの字も出てこんぞ。
666名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:08:02 ID:6kw8IzV20
>>662
俺は狗奴国が邪馬台国を滅ぼして九州統一。
それが東征したと思う。

邪馬台国は滅亡した。
だから、中国との交流が突然なくなった。
667名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:08:39 ID:/X6TKQe70
邪馬台国は存在しなかった
っていう説は無いのかな?
668名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:08:50 ID:wPiUKhR+0
銅鐸の文化は、出雲あたりだったのであろう。
今でも、神社に行くと、賽銭箱の上に太い綱が吊るしてあり、
それに鈴のようなものが付いていて、賽銭を投げる前に
綱を引いて、鈴を鳴らすが、あの鈴はお世辞にも、楽器的
であるとはいえない、音も良くないし、取り付け方からいっても
それほどシャンシャンとは鳴り響かない。出雲大社の鈴も同様だ。
それで、思うのは、あの鈴は、銅鐸の末裔、変化したものでは
ないかということ。
669名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:12:43 ID:Wg3zCOdk0
>>664
ところが問題なのは、この魏志倭人伝、
対馬や壱岐、北九州の地理や地政はわりと正確なのよね。
最初から最後までトンチンカンならば、
学者もインチキだと判断して無視するだろうけどね。
670名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:12:43 ID:k6ZY6EgaP
九州vs畿内論争なんて、どうでもよいだろ。

大事なのは、邪馬台国とヤマト朝廷の関係だ。
邪馬台国はどうもヤマト朝廷とは別の存在っぽい。
邪馬台国が滅びたのなら、どの時代に誰の手によって滅びたのかだ。
そしてヤマト朝廷の成立は大体いつごろ、どこでだ。

ヤマト朝廷の成立は、大体3世紀頃、纏向のあたりというのが有力。

邪馬台国とヤマト朝廷が関係ないとはっきりすれば、九州説で決定
でしょ。ヤマト朝廷につながると考えるから、畿内にしたい人が湧い
てくるわけで。
671婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/05(水) 00:15:22 ID:jZGPvIZs0
>>668
面白いな。
鈴や鐘の鳴らし方には、
 1)神社の鈴みたいに全体を揺らす
 2)お寺の鐘みたいに衝く
 3)風鈴みたいに中の打子を動かす
というのがあって、銅鐸は3)な気がする。

いや、だからどうだというわけじゃないけどw
672名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:16:09 ID:TZn/yUZPO
時代背景がわからん俺がトンデモ理論
邪馬台国=神武天皇の出身国であり、神武天皇は東征じゃなく島流し(理由は不明)になり東に渡り大和朝廷の基礎をつくる。
673名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:16:15 ID:Wg3zCOdk0
>>670
>ヤマト朝廷につながると考えるから、畿内にしたい人

そういう人が大切にしている古事記や日本書紀にも
天皇家は九州から来た と書いてあるのにねwwww
674名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:16:17 ID:JbjYSm1t0
           r'丁´ ̄ ̄ ̄ ̄`7¬‐,-、           /
        r'| |          |  |/  >、     /
        ! | |          |  |レ'´/|       |   待 て 、あ わ て る な
        | | |   /\   |  |l  /⊂う    |    
        | | |__∠∠ヽ_\ |  リ /  j     ヽ   こ れ は 孔 明 の 罠 だ 。
        |´ ̄   O   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄`!      〉    
        l'"´ ̄ ̄ヾ'"´ ̄ ̄`ヾ::幵ー{       /   邪 馬 台 国 と か い う 国 を
        ⊥,,,,,_、    ___,,,,,ヾ| l::::::|      |     
         lヾ´ f}`7   ヘ´fj ̄フ  | l::i'⌒i    |    で っ ち あげ て、我 が 軍 を 分 断
         l ,.ゝ‐イ    `‐=ニ、i | l´ ( }    ヽ   
         l     {         U | l 、_ノ    ∠ヘ   さ せ よ う と して る ん だ 。  
        l   / ̄  ''ヽ、   | l ヽ_       \,_________
           !  ハ´ ̄ ̄ ̄`ト、  |亅〃/\
        ,人 f ´ ̄ ̄ ̄``ヾ  j ,!// {_っ )、
      // `ト、__iiiii______,レ'‐'//  _,/ /スァ-、
    ,.イl{ { 々 !/´しllllト、 ̄`ヽ、 // /´,.-、 /彑ゝ-{スァ-、
  ,.イ彑l l > ゞ く l 〃 l|ハ.lヽ、 ハVゝヽ二ノ/ゝ-{、彑ゝ-{、彑ァ-、
,.イ彑ゝ-'l l ( (,) レシ′   !l `ソァ'´    _ノ7{、彑ゝ-{、彑ゝ-{、彑{
ュゝ-{、彑l l  ` -イヘ      !l // /⌒ヽヾ/_ゝ-{、彑ゝ-{、彑ゝ-{、
 {、彑ゝ-'l l f⌒Yハ ',    !l/ / ヽ_う ノ /-{、彑ゝ-{、彑ゝ-{、彑ゝ
彑ゝ-{、彑l l{ に!小 ヽ   /!l /   ,/ /彑ゝ-{、彑ゝ-{、彑ゝ-{、
675名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:18:59 ID:p3SydpnH0
実在したのかどうかも疑わしいのに九州だ畿内だなんて不毛な議論はどうでもいい。どうせ進展は無い。

まあ遺跡から"邪馬台"と刻まれた物でも出てくれば面白いんだけどな。
その字や音を使っていた可能性は低いし無理があるんだが。
676名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:19:36 ID:e80np6QU0
とりあえず
自分の思い入れのあるいろんな土地をPRして邪馬台国って書いてる連中は
径百余歩の卑弥呼の墓を探してこないとダメよ
どこかの古墳であることは間違いないんだから

677名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:20:58 ID:eqUfxnlvO
>>670
同じでもあり別でもある可能性は?
畿内にあった九州邪馬台国の植民地が
独立戦争ならぬクーデターを起こして
邪馬台国を乗っ取り、その名を受け継いだとか。
日食による卑弥呼の失脚と後継者争いに乗じてさ。
678名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:21:02 ID:Wg3zCOdk0
だいたい、卑弥呼っていう文字だって、
向こうの発音ではPIMEPAだそうだからな。
邪馬一国の使者が「われわれの女王はピメパ」といったのを
当て字で書いたんだろうからな。
679名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:23:10 ID:uc6bfLj3O
「巍志倭人伝」が無ければ、日本での研究では邪馬台国など存在しない。
ヤマト朝廷の事を伝え聞いて書いてるだけですよ
680名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:23:27 ID:QNXNWSz30
卑弥呼の墓

もしかしたら、畑・田圃になっているかもしれない。
あるいは、ビルや橋脚の基礎になっているかもしれない。
古墳群に隣接する畑では、古墳の埋もれていた場所が、耕しているときに
陥没することもあるらしい。
やはり記録が残っていない限り、断定は難しいのではないだろうか。
681名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:23:49 ID:lnI8SFiS0
親魏倭王の金印を、どっかの百姓が発見してくれればなー。
682名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:25:18 ID:RfsZbD4h0
>>669
>>647の中に、その答えのヒントが書いてあるよ。
つまり、上陸してからの分を引き伸ばしたらしいという話だな。
陸地を引き伸ばしたいわけだから、上陸起点付近を南にずらす必要はあまり無い。
だから起点となる最初だけは、やけに正確。あとは南下?するほど滅茶苦茶。
起点も南にずらしてしまったら、倭国は絶海の孤島になって、
「本当に魏の威光が届いたわけ?」という疑念を抱かせる記述になってしまう。
683婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/05(水) 00:26:34 ID:jZGPvIZs0
>>676
実は見栄を張っちゃった説

地元の人「ヒミコ様の墓はすげーでかいんすよ!」
魏の使者「どんぐらい?」
地元の人「そりゃもうバリバリっすよ。魏にもあんまりないんじゃないかな」
魏の使者「ということは径百余歩くらいなのか?」
地元の人「(そ、そんなにでかいのかー!?) お、おう、そんなもんっすよ」←冷汗
684名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:31:19 ID:9uBSncA10
ヤマトが九州の村程度のエリアとは考えにくい。奈良盆地全体を支配して
いた勢力がヤマトと考えるのが自然だ。
685名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:31:38 ID:M/8sII2a0
筑紫平野に流れている 筑後川が今まで2000年に渡り何度も氾濫を起こして
流域の遺跡や古墳はかなり流出している

そして山から起きる 山津波が長い間に何度も起きてる地域でもあるから
過去の物は地面の下 もしくは有明海の藻屑に消えている
686名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:33:12 ID:o72+T7CE0
邪馬台国の時代の後に神武を持って来るのは九州説の妄想だろw
687名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:33:57 ID:2bvWOLuo0
>>670
>邪馬台国はどうもヤマト朝廷とは別の存在っぽい
そうそう。無理矢理関連づけたがる人が居るのは信じられない。

688名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:34:39 ID:JGSPnDuz0
>>681
それが出たって何の証拠にもならない。
魏志倭人伝に書いてあることが実際にあったという証明にはなるが。

魏の威光を示す印だから、権力者が代々継承するはずで
卑弥呼と一緒に埋めたりはしないだろう。
狗奴国に負けて逃げる途中に隠したものかもしれない。

魏が滅んで持ってても意味がないとなったら
鋳つぶして他の金製品に変えるか
家臣にでも与えるかしたかもしれない。
持ってることが逆に売国奴のような扱いになれば
遠くへ捨てたかもしれない。

壇ノ浦の海底から三種の神器が見つかっても
そこが都だったといえないように、
出土した場所が邪馬台国だとはまったく証明できない。
689名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:35:40 ID:lnI8SFiS0
だとすると、記紀の神話が、九州ばっかりなのがなー。
690名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:36:00 ID:eqUfxnlvO
>>687
無理矢理も何も同じ名前じゃん。
むしろなんで無関係なん?
691名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:37:27 ID:QNXNWSz30
>>685
古墳群というのは、生活場所よりも一段高い丘陵地に存在することが多い。
つまり死者を祀るというのは、自然災害などに侵されにくい場所に作られているわけだね。
例えば西都原古墳群やその周囲の数多の古墳群も、一段高い場所に存在する。
だから生活場所であった遺跡が流出することはあっても、古墳は流失することは少ない。
畑や田圃がせいぜいだよ。古墳の保護なんて近世になってからだしね。
692婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/05(水) 00:37:59 ID:jZGPvIZs0
>>685
うむ。
氾濫原の泥濘湿地こそ、もっとも古い良田なのだ。
日本の沖積湿地帯にはイネ科のアシが繁茂していた。
この環境が稲の生育にはもっとも良いのだけれども、田んぼにするには
アシを取り除いて稲に置換しなきゃいかん。
氾濫による河川の河道シフトはその手間を省いてくれるのだ。
693名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:38:05 ID:jxGEDMAt0
漢文の資料に出てくる地名を
「日本語で読む事の弊害」は、確かにあるなあ、とは思う。

あれを「やまたいこく」と読んでしまっていいのか、って問題よね。
694名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:39:12 ID:M/8sII2a0
>>691
現場に行って見てこい
昔 河川だった流域に沢山古墳があるし
また両サイドの山には数千物古墳があったんだから
明治初期にはかなりあったとか、古墳を大量に江戸時代に壊した記録も沢山ある
695名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:40:11 ID:e80np6QU0
いや径百余歩=約150Mのどでかい古墳だから
畑・田圃、ビルや橋脚の基礎になってるなら記録に残るよ
だからこれ特定できない場所はみな論外なの
696名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:40:12 ID:HSJkJSh20
>>683
魏の使者は、卑弥呼の墓を直接見てはいないの?

台与が即位したときは一緒にいて、
教育までやってるよね
697名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:41:10 ID:Wg3zCOdk0
>>693
邪馬台を当時の中国語で発音すると
ヤムドゥ で、
それと同じ地名が九州から水行で南下したところの沖縄にあるんだってさwww
698名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:41:21 ID:lnI8SFiS0
「古事記・日本書紀の古伝説のなかに、ヒミコ女王の該当者を求めるとすれぱ、ヒルメノ
ミコト女王(天照大御神)の他はないのです。日本書紀によると日本最初の国王は、天皇
家の祖先にあたるヒルメノミコト女王であったと伝えられています。

ただ日本書紀はこれを神話的にとりあつかってしまったので、女王の実在を疑う学者もこ
れまではあったようですが、これがヒミコ女王と同一人であるということになれぱ、ヒルメノ
ミコト女王は実在の方となり、一切の疑問は氷解されることでしょう。」

「ヒミコとヒルメノミコトとをくらべると、語音もまったく似ているでしょう。これは女王の名の
呼び方が、日本人と中国人との間でちがっていたものであるか、それとも女王の尊称が
二通りあったものであるか、判別しかねるのですが、いずれにしても別人ではないでしょう。」

「こればかりではありません。ヒミコ女王治下の日本国も、神武天皇にはじまる日本国も、
正式の国号はともに倭国であって、奈良時代になって初めて、倭国は日本という国号に
改められています(魏志倭人伝では、女王国を倭国と記し、女王卑弥呼を倭女王と記して
います。また、大和朝廷の正式国号が、倭国であったことは、日本・中国・朝鮮の文献が
証明しています)。」

「古代日本の歴史は、女王国の段階を経て、はじめて大和朝廷に進んでいるわけです。
神武天皇はどうみてもヒミコ女王の何代目かの子孫ということになりましょう。

日本書紀にのっている神武天皇の東征の詔というのをみると、神武天皇はヒルメノミコト
女王の子孫だと明記してあるのです。」(以上、刀江書院刊『民族日本史』)
699名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:42:35 ID:G0+2iTRt0
隋書じゃ竹斯以西は倭に従属してるんだから、
畿内説なんて初めから成立し得ないんだけどね。
700名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:42:52 ID:wPiUKhR+0
中国や朝鮮からみて、豊臣氏と徳川氏の関係にあるのが、邪馬台国と大和政権
かもしれない。最初にいろいろあったのが、大陸や半島に近い側の邪馬台国で、
のちに邪馬台国が滅ぼされたかあるいは東上して大和政権になった。もちろん
権力の争奪があって、中身は変質したし、以前の権力者の業績は消されたり
改竄されている。
701名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:43:08 ID:M/8sII2a0
>>695
甘木から西に少し行った場所に 花立て山温泉と言うところがある
彼処だけは、平野の中にいきなり突出した小高い大きな丘陵地帯だから
あれが 卑弥呼の墓だと言われてる説もある

そして東の山に鍋の底みたいな山があり其処から夏至?冬至?どちらか忘れたが
日が昇るんだからその位置が 夜明けと言う地域だ その先が日田
702名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:43:24 ID:KYj5v86R0
>>694
>数千物古墳
ウソっぽいなw
場所何処?w
703名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:44:43 ID:jxGEDMAt0
>>697
へー、知らんかった。
704名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:44:43 ID:2bvWOLuo0
>>686
神武?史実の話をしてるから、関係ないよ。

>>690
同じ名前じゃないけど?
705名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:44:45 ID:nU60t4kG0
金印は怪しいよな。あんなものがどこかから発掘されるなんてありえないだろ。
まるでモルモン教の金の板みたいなものだ。
706婆 ◆HKZsYRUkck :2008/03/05(水) 00:45:36 ID:jZGPvIZs0
>>693
たとえば魏志の中で、南方のタイやミャンマーあたりの記述は
どうなってるのん?

>>696
これに関しては、「伊都国あたりで長官の爾支さんに話を聞いて、
鉛筆なめなめ出張報告書を書いた説」が有力な気がする。

いや、博多説的には邪馬台国まで行ってるわけだが、そこはそれw
707名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:46:15 ID:KYj5v86R0
>>701
花立山の古墳は既に調査されてるけど規模が小さすぎる
と言われてるよ。
708名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:46:20 ID:o72+T7CE0
九州邪馬台国の卑弥呼が天照大神で
その子孫の神武が東征して大和朝廷って安本信者だけだって言ってるだろ

つーっか安本の所のコピペじゃねぇーかダボ
709名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:46:40 ID:QNXNWSz30
>>705
だってさ、考古学そのものが怪しいんだから。
昔から出てくる著名人は、山師や墓泥棒みたいなのばかりじゃん。
710名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:47:02 ID:NEdcoG7i0
近年は科学的な年代測定法が急速に進化していて
箸墓古墳こそが、卑弥呼(あるいはその一族)の墓だとする説が有力化している。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%B8%E5%A2%93%E5%8F%A4%E5%A2%B3
711名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:47:20 ID:M/8sII2a0
>>702
明治初期にあったのが久留米から1300カ所を越えていた

水縄山麓だ そして今は柿畑の開墾に100年前からことごとく粉砕して
そして埋めたりとかした 昭和30年以降にも柿畑開墾で古墳は農家の人の手で粉々に壊しまくった
今じゃ 地元の人の家に良く古墳から出てきた鉄器や埴輪があったりする
そして朝倉方面も柿畑開墾で 同じ時期にことごとく壊しまくった
だから昔を知ってる人は 彼処は古墳だと言うよ

まぁ地元の俺が言うんだからw
712ホットカルピス(;´Д`)ハアハア ◆NPFA19Bf7o :2008/03/05(水) 00:47:31 ID:nSbsGQnXO
(;´Д`)ハアハア そんな昔の国がどこにあろうと どうでもいい話だ(笑)

こなた と かがみが結婚できるかどうかのほうが気になるよ

713名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:48:14 ID:vbJTG8JE0
卑弥呼の後継者トヨの時代に魏の国に絹織物を贈った
という記録が魏志倭人伝に残ってる。

絹織物を贈ったということは、それを生産していたから出来ることで、
当時の絹織物が出土しているのは、鳥取県の青谷上寺地遺跡と
佐賀県の吉野ヶ里遺跡の2つだけだ。
奈良県の大和地方では出土していない。

さらに魏志倭人伝には、青い大きなメノウを贈ったとも
記載されている。
日本で青いメノウが算出するのは島根県の玉造だけで九州にはない。

絹織物と青いメノウの両方を産出するのは吉備だけだ。

「陸行、水行」だなどと進歩の無い議論をやっている連中も多いようだが、
物証からアプローチしたほうが真実にたどりつくのは容易だろう
714名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:49:43 ID:QTCWd8ps0
邪馬台国は、弥生海退の頃には陸地だったが、今は海の底だ。
715名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:50:09 ID:S0Ln+tmB0
おまえら雷火読め
716名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:50:11 ID:C1+JndBi0
原田大六の名前が出ていないような気がする。
717名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:50:33 ID:A0ASeAeI0
みそぎって血を洗い流すことから始まったんでそ。
卑弥呼の時代から、大和朝廷の時代まで
相当血ながまぐさいことがあったんでは。
718名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:52:24 ID:nU60t4kG0
邪馬台国から聖徳太子の時代までの歴史的空白期間て埋められてきたの?
719名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:53:24 ID:o72+T7CE0
箸墓はセンター試験でも使われたよな
箸墓の事が書いてあるのが崇神の箇所だ

だから九州邪馬台国が神武東征して大和朝廷になったとかいう
九州説の御都合記紀引用理論は破綻してるの

>>325
> 九州説
>  九州にあった邪馬台国が畿内に移って大和になった
>
> 畿内説
>  畿内にあった邪馬台国が、九州から東征してきた神武天皇に征服された
>


こんな事言って神武が邪馬台国後だとか信じてるのは頭の悪い九州信者だけ
720名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:56:41 ID:QQyJsvZbO
九州だと思います( ̄ー ̄)
721名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:56:42 ID:TqtvXhV80
邪馬台国は、大分の耶馬溪に決まっちょるじゃろ。
わがだちゃ、なんも知らんき。ゼンカイ和尚もいっとったちゃ。
722名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:57:09 ID:5Ec2SbXH0
径百余歩は直径で間違いないのか?
直径じゃなくて周径の可能性はないのか?

倭の国の時代に仁徳天皇量級の巨大古墳が
あるとは思えないのだが
日向にはあるけどさ
723名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 00:58:26 ID:lnI8SFiS0
箸墓古墳の築造年代や、布留式土器の初現の時期を古く古く見つもる見解がさかんである。

しかし、確たる証拠をもっているわけではない。
724名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:00:31 ID:Wg3zCOdk0
だいたい、そもそも、初期の「古墳」は
自然の山に埋葬したもの だからな
725名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:01:26 ID:bbj3lHPF0
>>719
東征が邪馬台国より前だとするとどうなるの
726名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:03:52 ID:Wg3zCOdk0
>>725
卑弥呼 トヨ にふさわしい女帝が史料に存在しなくて困ることになる。
727名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:05:08 ID:e80np6QU0
とりあえずWiki魏志倭人伝では
正始8年247年頃、卑弥呼が死去すると大きな墳墓がつくられ、100人が殉葬された。
とある
だから直径150m級(陸上グラウンドぐらい)の墓でまちがいないでしょ
728名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:08:36 ID:wPiUKhR+0
邪馬渓という地名が九州にあるけど。
729名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:08:46 ID:NEdcoG7i0
>>722
箸墓古墳の後円部は、「百余歩」という表現に合致する規模。

少なくとも卑弥呼の死の後、20年以内に、
大和地方を中心とする政権が古墳を作り始めたのは明らかだろう。

>>723
以前であれば、古墳の年代測定は相対的にしか決まらなかったが、
炭素年代測定の絶対的な精度が高まっているので、「確たる証拠」がないという
批判はほとんどないように思う。
730名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:10:31 ID:22z5JnNv0
東遷のなかで気になる記述は河内を避けて伊勢方面から大和に向かってる事だよね
あれは河内に大きな勢力があった事を表してるんだろうけど、じゃあ東遷以前の
力関係として北九州、瀬戸内、河内、大和はどういう状況だったんだろうか
731名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:11:06 ID:uI7Q7xW30

安心しろよ

本当は九州でも畿内でもなく、韓国にあったってすぐ分かるからさ
732名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:12:27 ID:V+q5OSQj0
あれだ、真実は隠しとけ

 特亜には日本の首都は大阪ですといっておけばいいのですよ
733名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:15:44 ID:S3xOK3Yh0
そもそも前方後円墳の広がり方が、「畿内→西日本」ということを見れば、東征説は低いと思うが。
あと、当時の中国地方には出雲や吉備といった、それなりの勢力もあったわけで。
それらを無視して、いきなり畿内はあり得ん。
また、後背の南九州に狗奴国(熊襲?)という無視出来ない脅威があるのに遠征など、軍事戦略的に考えれば基地外沙汰だ。
牟田口くん並の、アホと言わざるを得ない。

たぶん、真相はこうだ。
邪馬台国とヤマト王権は全く別の政権・・・・邪馬台国の所在地は、北九州から韓国南部。
ヤマトは吉備や出雲を屈服させながら西進した。
熊襲の猛攻の前に青色吐息だった邪馬台国はヤマトに臣従し、その支配下に組み込まれる。
大友宗麟が秀吉に臣従したように。
で、圧倒的戦力のヤマトの攻撃により、熊襲は滅亡。

こんな感じではなかろうか?
神武の東征?
たぶん、熊襲のいち豪族が、近畿に亡命したのを指しているんじゃないかねえ。
734名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:15:46 ID:Wg3zCOdk0
だから、卑弥呼の頃の「墳墓」ってのは、自然の山に埋葬すること だから。
自然の山の一角に、石を並べたり、ちょっと盛り土して埋めるだけだから。
735名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:17:46 ID:22z5JnNv0
>>576
同士よw

でも、お互い様だけどほどほどにw
736名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:18:47 ID:e80np6QU0
>>734
いやおまえは話にならんから
魏志倭人伝訳を読んでこい
737名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:19:04 ID:M/8sII2a0
>>734
ならばそんな場所が有ったが、江戸時代に壊したところが近所にある
しかも大量の石があったんだ
738名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:20:45 ID:2cTJ06xQ0
>>728
それは耶馬渓じゃないか?
739名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:23:41 ID:zMu8B5Qk0
卑弥呼は日本人なのかい?
740名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:23:44 ID:JMGILe870
俺の子供の頃からやってるけど、俺が死んでもまだやってるんだろうな…
741名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:24:29 ID:Wg3zCOdk0
そもそも 火(ミコ)と豊って、
両方とも九州の国名ジャマイカ
742名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:26:28 ID:NEdcoG7i0
>>733
箸墓古墳からは、吉備地方の土砂から作られた器等が発掘されていて
吉備地方の色がかなり強い。

二世紀中頃から後半にかけて、
吉備の系統の勢力が、大和で力を持っていた可能性は高いだろう。
743名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:26:50 ID:ZSyILqHN0
2008年にはタイムマシンが発明されてこの論争に決着がつくってドラえもんで読んだのに。
744名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:27:49 ID:22z5JnNv0
ぶっちゃけ、三国志や記紀などの記述を排除した考古学上の力関係だと、
各世紀における版図ってどんなもんだろ
745名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:30:08 ID:gIXusAhV0
ヤマトとしか読めない
大和をヤマトと読むところにあったのじゃ
746名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:32:23 ID:M/8sII2a0
最近ではこんなのが見つかっている
3500年前の住居跡や弥生時代の住居跡なんかだそうだ

なんだかもう壊して工業団地にするらしい
ttp://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/bunkazai/kouko/802/ko_802_021601.htm
747名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:32:27 ID:KYj5v86R0
東征の話は無視できない。
それくらい真実みがある。
東征とはなにか?
・伊都国からの遷都を比喩的に示してるのか?
・神武という人の東征か?
前者なら確実にあったと言える。
後者なら何時どこから移動したのか?
俺は邪馬台国(3ー4世紀)前と考えてる。
邪馬台国時代は既に東北まで古墳が広がり邪馬台国が九州にあれば当然
成り立たないし畿内にあったとすれば既に東征後の話となるからである。
748名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:35:29 ID:fSOoWv0i0
答えは海幸彦山幸彦の話に書いてあるよ。
九州宮崎の邪馬台国で兄弟による争いが起きて、
弟は瀬戸内海を通ってどん詰まりの奈良県に逃れて、
そこで姫と結婚。捲土重来で宮崎に帰って兄を征した後、
奈良から妊娠した姫がやってきて子供を生んでそのまま
姫は奈良に帰っちゃった。その子が、母のかわりに奈良からやってきた
母の妹と結婚して産まれた4人目の子が神武天皇ということになっている。
つまり神武天皇は宮崎の邪馬台国王家と奈良の王家の血筋だが、
奈良の血が濃い。だから神武東征ではなくどちらかというと
里帰りだ。たいした抵抗もなく、奈良に遷都できたというわけだ。
というかこんなの常識でしょ?はっきりいって。
749名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:36:24 ID:e80np6QU0
>>746
それほど重要じゃない傍系の遺跡は
掘るものだけ掘り出しちゃえば
しょうがない
750名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:39:36 ID:ANVO/U4g0
メキニメキニヌダラダラー
751名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:40:10 ID:M/8sII2a0
太刀八幡宮と言う神社が朝倉にある
神功皇后の刀 乙王丸が埋められているという神社
ttp://snkcda.cool.ne.jp/tanbou/asakura/asakurahp/tati.htm
752名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:42:40 ID:S3xOK3Yh0
そもそも神武天皇の出身地は、邪馬台国があったとされる北九州じゃなく日向(宮崎県)だしな。
当時の日向は熊襲の勢力圏。
これが正しいとするなら、神武天皇は熊襲の一族だったということになる。
753名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:43:23 ID:eqUfxnlvO
>>748
アレは朝鮮と日本の話かと思ってたぜ。
754名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:44:35 ID:U2KKSNKwO
宇佐八幡が大分にあるのだから天皇家の本貫が九州なのは間違いない。
そうすると九州からの東征と考えるのが自然。
755名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:44:57 ID:M/8sII2a0
>>752
そういうことになるよな
それじゃ 熊襲を討伐に行った景行天皇はどうなるんだい?
756名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:45:35 ID:FwbXyBWgO
東征って要するに、それまで相争って来た、火の国、豊の国、吉備国、出雲国、
伊勢、大和辺りの、西日本の国々が、一部の国(熊襲、河内等)を除いて同盟を結び、
その同盟の盟主に選ばれた火の国の王族が、瀬戸内海を通って、
大和に移住した経緯を記しただけのもので、東征という用語の、
「征」の字が表すニュアンスに引っ張られ過ぎると、本質を見失う希ガス。
757名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:47:46 ID:gIXusAhV0
よくわからんが、ヤマトの字に大和を当て嵌めたの誰
758名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:49:07 ID:Wg3zCOdk0
元々は山門(やまと 九州にいくつかある地名)
だしな
759名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:50:07 ID:Nvt50zcF0
文字のある世界じゃ、この何百年前であろうと、議員にいたずらした
遊び人の名前や住所まで分かるというのに・・・
地球の長さまで既に測定されて久しいのに、不思議なもんだな。
760名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:50:46 ID:22z5JnNv0
東征は畿内政権が西日本の支配権の正当性を語る、半ばフィクションだと思う
761名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:51:14 ID:gIXusAhV0
倭人の大和じゃないのけ
762名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:53:01 ID:22z5JnNv0
>>757
倭→和→大和と変遷したんじゃないかな
それに大和言葉の「やまと」を当てはめたと
763名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:53:35 ID:YnpIGfse0
>>1
映画の宣伝??
吉永小百合主演らしいけど、主題歌はさだまさしだろうな
764名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:53:46 ID:KYj5v86R0
神武の母は隼人系の海神の娘。クマソ系ではない。
765名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:54:03 ID:eqUfxnlvO
倭という字はあまり良くない字だから和という字を当てよう。
俺たちの国も発展したからもう単なる和じゃない。
大いなる和、大和だ!
766名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:54:22 ID:e80np6QU0
海幸彦と山幸彦の説話の舞台である青島神宮のあたりは
南洋植物が生い茂り
「土地は温暖で、冬夏も生野菜を食べている」という記述に合致してて
隼人(海幸彦の子孫)には入れ墨の風習があったのだから皆面黥面文身という記述にも合致する
767名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:56:08 ID:S3xOK3Yh0
>>755
たぶん、神武天皇(と思われる人物)は権力闘争に敗れた、熊襲のいち部族。
で、這々の体で近畿に亡命した。
ちょうど、足利尊氏が中央での戦いに敗れて、九州に逃げたように。
これが神武の東征と言われるもの。
実態は単なる逃避行。

そして時を経るにつれ、その一族が近畿で力をつけ、一帯を掌握。
強大な軍事力をもって西進を開始。
吉備や出雲を併呑しながら、北九州まで到達。
邪馬台国は戦わずして降伏。
最後の仕上げとして、先祖を追い出した熊襲を征伐。
こんなところでは?
768名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:56:37 ID:cCk1lfIN0
どこでもいいよ・・・
そんなことよりあの子に告白する勇気がほしい・・・
769名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 01:59:28 ID:KYj5v86R0
そもそも九州は西から東、北から南まで隼人やクマソの話があるから
基本大昔は隼人かクマソだったんだろ。畿内からみて。
宇佐でさえ隼人の地とされてたし、伊都国の風習も隼人そのもの。
山に住むのがクマソ、海に生きるものを隼人と呼んでたんじゃないかな?
770名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:01:27 ID:wPiUKhR+0
邪馬台国については、手塚治虫の火の鳥黎明編に、まるで見てきたように
描かれているから、参考にするとよいだろう。
771名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:02:14 ID:fjMRbw4l0
対中イデオロギー派(近畿派)
は、記紀ゆがめてまで、
中国から金印もらったのが天皇の先祖ってのが
嫌なのかwww
772名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:02:24 ID:+J3gOmcw0
九州でガチ
773名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:02:29 ID:0YUwS/I/0
>>524
矛盾しているぞ。
近畿と出雲は、言葉、アクセントが全然違う。

確かに言葉が違うから、
「九州にあった邪馬台国が東征して大和朝廷ができた」というのは考えにくい。

>>504
近畿は、北部のみ東京式アクセント。
近畿北部は、朝鮮人、新羅人が渡来し定着した土地なので
朝鮮が東京式アクセントに深く関与していると考えられる。

四国、紀伊半島といった南海道は、京阪式アクセントなので、
おそらく近畿人は、黒潮ルートで南海道から近畿に入ってきたのだろう。
新羅人が日本海沿岸から入ってくる前、縄文時代から広く近畿一帯に定着していた近畿人が、
新羅勢力に押されたのかも知れない。
いずれにせよ、九州から来たのではないと考えられる。
774名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:04:21 ID:gIXusAhV0
ヤマト国でーっす
 ↓
んじゃ邪馬台と書いとくな、と魏国、んでおまえら倭人な
 ↓
倭とかすざけんな、和にしようとヤマト人
 ↓
ついでにヤマトに大和を当て嵌めちゃおうとヤマト人

俺の脳内w
775名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:06:00 ID:Wg3zCOdk0
ところがどっこい、
「倭」と「和」は、当時は違う発音をしていたのだ。
776名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:08:06 ID:eqUfxnlvO
>>771
むしろ神話とのつながりを頑なに否定したいんじゃなかろうか。
天皇家が天照大神=卑弥呼の子孫なんかであって欲しくないと。
777名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:11:25 ID:j9wWbnHl0
http://www.sponichi.co.jp/hokkaido/images/KFullNormal20080304127_l.jpg
笑いをこらえながら多田野と握手する中田。
ガチムチ平成生まれの中田と初対面して表情がホモ丸出しになってる多田野。
その多田野の隣りで悲しそうな表情の宮西。
そんな多田野を珍獣でも見るかのような目で見ている村田。
778名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:11:49 ID:yxPG20AO0
ラピュタは空の上に決まってんだろ
779名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:15:56 ID:22z5JnNv0
>>775
「倭」がネガティブな意味だと知って「和(大和)」に変えたんだとしたら、
変えた時期の「倭」と「和(大和)」が似てるかどうかが大事じゃね?
とはいえいつから「和(大和)」を使い始めたのか分からんから堂々巡り
780名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:16:11 ID:9h6/1kST0
 最新の研究による、大和朝廷と邪馬台国はほぼ同時期に存在した
ようだが、例えば、卑弥呼を大和朝廷の外務長官か大臣あたりに
考えればつじつまがあうんじゃないかな?
 つまり、機内あたりに大和朝廷があり、対中国の交渉のために
九州出張所があってそこの所長か大臣が卑弥呼だった。
 通訳が不完全だったので「卑弥呼は大和朝廷の外務大臣です」
が「これは邪馬台国の女王(王は皇の下、つまり臣下の意)」です
と中国側が解釈したなら・・・どうかな
781名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:18:52 ID:7fo8k2y/0
>>767
逃げた連中が畿内で支配的な地位になるとは思えない。
九州のバックアップがないと難しい。
東征は熊襲そのものの侵攻。神武は遠征軍の指揮官。

景行天皇の代になると、みんな大和生まれの大和育ち。
いつまで九州の言うことを聞いてるんだと反抗して
逆に征服した。
782名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:19:14 ID:fjMRbw4l0
>>776

あ、それはあるかも。
アマテラスを頑なに、本当は男神nida!って
言ってる奴らみたいな
783名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:19:56 ID:NvMj9Pnk0
遣隋使が「倭という言葉はよくないので、日本と改めました」
と言ったという記録もある
784名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:20:25 ID:e80np6QU0
うーん青島はまさに南国だな
http://www.gurunet-miyazaki.com/kankouti/aosima/aosima.htm
こんな場所は畿内にはないな
785名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:21:18 ID:22z5JnNv0
大和朝廷がド・ゴール主義で、九州の植民地を維持でも手放さなかったんだな
786名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:21:46 ID:lu9PMfDNO
水野先生ナツカシス
787名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:22:05 ID:gIXusAhV0
つか、古墳が畿内から広がってんでしょ?
無理に説ならべて盛り上げてない?
788名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:22:17 ID:Uj2capLh0
「邪馬台」も「卑弥呼」も蔑称でしょ
中国様に礼を尽くして正式に認められ、歴史書にも記していただいた属国の
地位を侃侃諤諤取り合いしてるってのはどうなのよ
789名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:22:47 ID:WY7WpBzE0
>>780
邪馬台国は小国家連合の中心ってだけだし
卑弥呼を決める前は内部抗争していた。
卑弥呼が死んだらまた内部抗争。1000人以上が殺される。
台与をたててようやくおさまった。

別に中央政府があって、そこから指示があるとは思えない。
790名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:23:39 ID:uXOjSHul0
ムー大陸にあったのが正解。
791名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:27:31 ID:37CpDVNc0
もう「わしが・・・」のジェンキンスAA出た?
792名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:28:09 ID:A0ASeAeI0
高千穂の峰って、宮崎県と鹿児島の霧島山の
2説あるでしょ。
霧島の峰は実にいい形をしているんだが。
793名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:29:19 ID:fjMRbw4l0
>>788

過去の大昔につけられた蔑称云々気にしてるのがおかしい。
秀吉の出兵を恨んでる朝鮮人レベル。

日本でも蝦夷とかつけてるし
794名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:29:48 ID:22z5JnNv0
>>787
それは大和朝廷が大和から広がった説を証明しているだけだよ
じゃあ、同時期に他の地域に大きな勢力がなかったのか、それはどの時代にあって
どの程度の版図を持ってたのか、それを探るのも歴史学の使命
そして、個々の勢力が三国志や記紀でいうどの勢力なのか確定させる段階で揉めてると
795名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:30:14 ID:8um9lTueO
鋼鉄ジーグに聞いてみろ
796名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:32:02 ID:npFvQNmC0
鋼鉄ジーグの主人公のファッションってプレスリーみたいだな。
797名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:32:35 ID:Uj2capLh0
ヤマタイコクちゃうねんジャマダイオウコクやねん
798名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:39:05 ID:o8XxnZ4Y0
邪馬台国=大和帝国
799名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:40:03 ID:KYj5v86R0
女系を立てるのは九州北部の風習のようだ。
至ることで女系の首長がいる。
これは魏志倭人伝、記紀、風土記においても食い違いがない。

大和政権からは九州に
景行天皇とヤマトタケルと仲哀天皇、神功皇后を入ってる。
景行は忘れたが、ヤマトタケルは傷つき平定はできなかった
仲哀はクマソに敗れてる、神功だけが平定に成功してる。
やはり神功は卑弥呼かトヨに関係してるんじゃないだろうか?
800名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:41:31 ID:o8XxnZ4Y0
卑弥呼=日巫女
801名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:47:32 ID:CyV/EHRNO
マクモニーグルとかいうエスパー伊東によると卑弥呼は冬に山口、夏には奈良に住む生活だったとか
冬に死んだから墓は山口にあると主張
802名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:48:24 ID:KYj5v86R0
空白の4世紀、半島まで古墳が広がる、
そしてちょうどその時、神功は
三韓征伐を実行し、高句麗にその記録が残される。
ちょうどトヨの時代じゃねーか。
803名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:52:24 ID:e80np6QU0
卑弥呼の墓ができたすぐあとから
天皇家の象徴である前方後円墳の古墳時代が始まったわけで
何の関係もないとは思えない
804名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:52:38 ID:eqUfxnlvO
>>795-796
鋼鉄かぁ…
超合金Zとかガンダリウムとかじゃなくて
鋼鉄…
なんかさぁ…物足りないよね。
805名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:52:59 ID:Y0ySQMf70
イタリアという説を提唱してみる
806名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:54:43 ID:SALHSY4s0
神功皇后のころは、高句麗・新羅・百済で
邪馬台国のころは、帯方郡、楽浪郡、馬韓、弁韓とかでしょ
807名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:57:14 ID:eqUfxnlvO
鋼鉄ジングーだな。
808名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 02:57:48 ID:22z5JnNv0
>>803
そういやトヨって邪馬台国のリーダーだったっけ?倭国連合のリーダーだったっけ?
809名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 03:01:50 ID:22z5JnNv0
>>808
なんで>>803にリンクしてるんだろ
これナシ
810名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 03:03:56 ID:ZPQvGysA0
真ん中とって、出雲の国でいいべ
811名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 03:08:10 ID:VmYX+Q2H0
出雲は新羅を併合するほどの強国
812名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 03:11:33 ID:fxdBeTJ/0
実はどっちなのか既に確定してるけど、あまりにも長い議論の間に
色々な利権が発生している為、わざとボカしてるんじゃねーのかと思えてくるな
813名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 03:20:21 ID:uc6bfLj3O

あの金印だって、なんか嘘っぽいな!
814名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 03:22:52 ID:uc6bfLj3O
奴国は、「倭国の極南界」とあるのに、北九州だというのでしょう?
815名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 03:23:08 ID:9TI0lwvP0
親魏倭国の金印の事?
816名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 03:27:35 ID:GJCHCPHF0
出雲は縄文人由来じゃないの?
817名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 03:28:36 ID:kLoAowmlO
もう鳥取でいいよ
818名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 03:31:14 ID:9TI0lwvP0
出雲の力は、石見銀山と関連があると思うね。銀とともに銅も大量に取れた。
不思議な僻地に大量に隠された銅鐸、銅鉾...
819名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 03:47:50 ID:Nvt50zcF0
九州の邪馬台国を畿内の大和朝廷が滅ぼした、または併合した、
とすればまるく収まるだろ。
820名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 06:04:50 ID:52WnG1TZ0
箸墓古墳を調べて卑弥呼の証拠がみつかれば畿内
みつからなければ九州でFA?
821名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 07:54:24 ID:15lYD+To0
邪馬臺
  ヤマトの万葉仮名(借音)表記。
  「臺」は広東語でtoi=toy=トーイと発音する。
倭奴
  日本の先住民アイヌ。
倭→和
  日本人が漢字の智識を得たこと。
  「矮」と間違えられることがあったので改訂した。
  「倭」と「和」は「禾」が音符で漢字(中国)音が同じ。
大和
  「倭」→「和」バージョンアップの
  最終バージョンが「大和」。
  漢、魏にはヤマトが有名だったので
  「大和」をヤマトと読ませた。

  坂本九の「上を向いて歩こう」が「スキヤキ・ソング」と呼ばれた。
  邪馬臺は「フジヤマ、ゲイシャ、スキヤキ」と同じようなもの。
  現代なら「ニンジャ、スシ、マンガ」が日本のイメージ。
  韓国人その他がスシ・バーを経営するなどと同様
  必ずしも邪馬臺=大和朝廷という訳ではない。
822名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 08:01:04 ID:8kELrLD6O
元々、ヤマイチと書いて有るのを、それでは大和と読めないから、
ヤマタイの誤字だろうと考えて日本人が勝手に訂正したものだ。

大和と同一ではないと言うなら、原文に戻り、ヤマイチ国を探すべきだろが。
823名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 08:23:51 ID:15lYD+To0
宋本の魏志倭人伝は編集が杜撰。
岩波文庫版でも誤字が多く指摘されている。
魏志倭人伝は「壱岐」を「一大」と表記しているが
次の画像のように宋本が種本にしたものが
「支」を「丈」に似た形で書いてあったので
漢字の国の版木職人といえども異国の言葉の誤字を
見破ることが出来なかったためだ。
魏志倭人伝の種本《魏略》には「一支」と書いてある。
http://140.111.1.40/cutshing/cutshinga/sa00006/a0000611.jpg
http://140.111.1.40/cutshing/cutshinga/sa00006/a0000601.jpg
824名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 08:37:30 ID:NaZ0fMO30
現代日本だって何億もかけてwikipedia丸写しの「報告書」を作ってる。
それを思えば昔の中国の役人が「海渡るの危ないし面倒、適当に出張報告書作っちゃえ」
をやっても何の不思議も無いよな。
825名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 08:53:05 ID:QjHXJ1c50
クマソって言っても、大和王権の中枢で活躍するクマソ出身者や
応神天皇と姻戚関係を結んでわざわざ遠征までして協力する一族もいるし、
一概に対立勢力って訳でもない
826名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 08:55:09 ID:15lYD+To0
827名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 09:01:29 ID:PNffDPRr0
>>816
大和とは別系統の渡来人だと思うよ

縄文なのは蝦夷
828名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 09:04:51 ID:B0MdGhPCO
実はいませんでした
829名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 09:06:42 ID:lnI8SFiS0

ところが、このヒノキ材が出土したのは、墓の中からではなくて、周濠埋土中
からだった。両者を結びつける必然性は何もない。だから、ヒノキ材の推定伐
採年代を勝山古墳の築造時期とみなすことはできない。

http://www.nagaitosiya.com/a/himiko_mirror.html
830名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 09:08:55 ID:lnI8SFiS0
>>819
北部九州勢力を大和朝廷が平定したという記述はどこにもない。
831名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 09:14:32 ID:15lYD+To0
832名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 09:16:46 ID:QjHXJ1c50
>>830
むしろ大和王権以前から九州と近畿は繋がりが
深かったと考えればしっくりくる
ガチンコ勝負は磐井の乱くらいだな
833名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 09:23:00 ID:tSoa6ZXc0
             , -=ニ二二二二ニ= 、
              / xrュ、      r仇   ヽ    _/7L
.           / ? L}      └’    ',  「 L///}
            ′   r─────┐   }  ノ、   /
         |      |::::::::| ̄ ̄|::::::::|   //  ヽ/
     _   {     |::::::::|__|::::::::| __/´   / ァ=ュ
    /三厶ヽ ヽ、___j::::::::_::: -‐ ''"´     / /,厶三}
.    {三三コ }    | 丁      r‐  "´   | {三三!
    V三ニ] l       {  {      |        | {三ニ]
    }三ニ] |_     ',  ',      |       _{ {三コ′
    |三ニ] / `丶、  ヽ  ヽ     {  -‐ '"´ 弋三フ
    弋三フ」_      ̄ ̄ヽ_ヽ__           /
          `丶、    {  ー、〕     _/
            `` ー─ヘ、、、 f─一 '"´
                   ̄´
どっこいおむすび君
834名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 09:26:56 ID:84MCq9e50
魏志倭人伝には当時の倭人は全身に刺青をしていたと書かれている。
一部のシャーマンなら納得できるが全員となると、その文化がヤマト王朝
にも色濃く伝わっていないとおかしいような気がする。
835名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 09:28:34 ID:xIazy5rN0
伊都国の記述を読めば
北部九州の範囲内だと思うんだが。
836名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 09:32:05 ID:PNffDPRr0
>>834
西洋人と交流するようになって日本人が明治以降にチョンマゲ止めたみたいに
支那人と交流するようになって刺青止めたんじゃね?
837名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 09:35:38 ID:ExykdfSW0
>>836
その証拠の絵もあるでしょ。
838名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 09:37:43 ID:ilMnPVlf0
そもそも他国蔑視をしている記述書を全て信じる方がアホ
他地方が、どんだけ野蛮人かを語って楽しむのが
自称文明人の常
839名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 09:39:45 ID:ytMtKUk50
おまいら中国人が書く書なんて信用できないんだぞ。昔も今も全部でたらめ
だよ。それを根拠にしてあれこれ推理しても始まらないんだよ。邪馬台国な
んて存在自体が疑わしいのだ。
840名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 09:41:16 ID:rQ1gKPE5O
九州説は歴史家、アマチュアに多く、畿内説は考古学者に多い。
841名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 09:46:13 ID:Sh/nkMm80
>>840
>九州説は歴史家、アマチュアに多く、畿内説は考古学者に多い。

銭にならない奴らが九州説で、飯を食ってる奴らが畿内説だな。
これでコトの真相は解明されたようなもんじゃん。
842名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 09:53:05 ID:QjHXJ1c50
もう吉野ヶ里が邪馬台国になんか似てるってことでいいんじゃん
しかし仮に邪馬台国が九州だとして、近畿と九州の密接な
繋がりが一体いつからなのかが気になる
843名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 10:08:57 ID:F+eb+Xer0
>>841

勉強不足の、聞きかじりで空想してるのがアマチュア=九州説
しっかり考古学も文献も勉強してるのが学者=畿内説

844名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 10:13:24 ID:1jy+IU8MO
邪馬台国はあなたの心の中にあります
845名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 10:14:24 ID:dl5NSczWO
本当は群馬なんだよね
846名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 10:17:18 ID:F+eb+Xer0
じゃ、整理しよう。

九州説は、次の「聞きかじり」だけで九州説を唱えている。

1、魏志倭人伝だけを読むと、九州の中のクニのように読み取れる。
2、神武は、九州から畿内へ東征した。
3、邪馬台国と大和国は、言葉が似ている。
4、だから、九州の邪馬台国が機内へ東征した。

しかし、ちゃんと文献を調べてるやつは、こういう勘違いはしない。


1、魏志倭人伝だけを読むと、九州の可能性はあるが、機内の可能性もある。
2、神武が、九州から畿内へ東征したのは、紀元前の話=邪馬台国より前となってる。
3、邪馬台国と大和国は、言葉が似ているとしても、所在地の特定には無関係。
4、「九州の邪馬台国が機内へ東征した」=1〜3を都合よく解釈しただけ。

簡単に言えば、神武東征は紀元前の話で、邪馬台国より昔のこと。
邪馬台国時代には、すでに機内に大和国は存在している。
したがって、九州の邪馬台国が畿内に東遷したという話にはならない。
むしろ、景行天皇が畿内から九州を征伐している。
847名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 10:19:58 ID:HvbOWqMf0
>>825
熊襲出身なんているの?
隼人は奈良時代にも記録に出てくるし、
隼人出身もいるけど、熊襲は平定後は
まったく痕跡が消えてるんじゃないの
848名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 10:20:23 ID:54jBKpXY0
実はサイパンあたりにあったんだよ。
魏志倭人伝という一種のフィクションを忠実に読めばそうなる。
849名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 10:24:30 ID:F+eb+Xer0
九州の邪馬台国が、畿内に東遷したという説は、すでに何十年も過去のもの。
九州説を唱えてる考古学者でも、邪馬台国が畿内に東遷したというやつはいない。

ここまでで、邪馬台国の所在地の可能性は、2点にしぼられる。

1、九州の邪馬台国と畿内の大和国が同時に存在した。
2、畿内の大和国=邪馬台国が九州まで勢力下に治めていた。

1の可能性は、1世紀頃までは考えられる。
しかし、邪馬台国時代の3世紀になると、九州は衰退するという考古学的事実があるので、
(これは、九州の考古学者も認めていること)
畿内の大和国=邪馬台国が九州まで勢力下に治めていたということになる。

いまさら、これに反論するやつは、ただのバカか、勉強不足。
850名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 10:25:34 ID:K15Q0O840
俺が新説を提案しよう!




そんな国は無かった
851名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 10:26:42 ID:ueG89qGS0
埼玉にあったって説は無いのか
852名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 10:27:18 ID:yEBHBYTS0
九州なんだけど卑弥呼の墓はおれん家の森の中に有るよこれ秘密
853名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 10:29:24 ID:1jy+IU8MO
親魏倭王の印鑑が出てくるまで、古墳を掘り続けるしかないな
854名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 10:31:34 ID:5cZdu+dL0
>>849
後になっても景行や仲哀が討伐に行かなきゃ行けないんだから
九州まで勢力下におさめていたと言えるのかな。

そもそも邪馬台国は、小国が連合した中で
女王がいたってだけの国。

それも卑弥呼の前も、死んだ後も
内部で殺し合いをするような不安定な政権。
さらに狗奴国との戦争では、魏に援助を求めるほど
困っている。

そんな弱小で不安定な国が、西日本を支配していた
なんて思えるのか。
855(´-`).。oO ◆abcDBRIxrA :2008/03/05(水) 10:32:30 ID:TqdvRZ150
>>846
記紀の年代には誇張がある。
すべての天皇を人間と仮定するなら、神武東遷は4世紀頃。邪馬台国の時代の後。
安本美典は天照大御神と卑弥呼は同一人物と想定している。
856名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 10:34:10 ID:WDUtWB9D0
>>849
>いまさら、これに反論するやつは、ただのバカか、勉強不足。

お前の脳内以外でのソースプリーズ
857名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 10:36:25 ID:QjHXJ1c50
>>847
葛城襲津彦が熊襲出身って話があるし他にもいろいろあるようだぜ
858名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 10:38:39 ID:RLAcchUoO
邪馬台国は中国の属国。
だからジャップはヤマトとは違う国だと主張する。
古日本は中国の属国だったのだ。
859名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 10:39:44 ID:F+eb+Xer0
>>854

>九州まで勢力下におさめていたと言えるのかな。

>それも卑弥呼の前も、死んだ後も
>内部で殺し合いをするような不安定な政権。

矛盾はしてないよ。
卑弥呼が死んだ後、九州のクマソが畿内に反抗したから、
景行が畿内から九州を討伐にいった。

むしろ、九州に邪馬台国があったとし、九州の方が力が強かったにもかかわらず、
九州の邪馬台国が畿内の大和国に敗れたことになるが、そのほうがおかしいだろ。



860名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 10:43:25 ID:1jy+IU8MO
とにかく古墳を全部掘れば、何がしか進展があるだろーに。宮内庁のバカバカ
861名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 10:43:58 ID:QjHXJ1c50
しかし、魏志倭人伝の記述や吉野ヶ里の遺構と、
その後の勇猛な雄略天皇とかの時代の大和王権とでは
ずいぶんと文化が変わってるよな
一体この間に何があったんだろう
862名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 10:45:35 ID:E7tN1X8V0
邪馬壱国は?w
863名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 10:45:39 ID:6mgcniRA0
日本人どもに歴史などない
864名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 10:46:15 ID:F+eb+Xer0
1、九州と機内には、それぞれ別のクニがあった。
2、九州から一部の集団が畿内に入植した。

上の1,2は、事実として認めてよい。
神武東征も事実として考えてもよいだろう。

しかし、それは、1世紀くらいまでのことで、
邪馬台国時代の3世紀以降の話ではない。

邪馬台国が畿内の大和国であっても、
神武東征は事実として考えてもいいし、考古学とも日本書紀とも矛盾はしない。
なぜ、邪馬台国が畿内の大和国だと認めたくないのか?
そのほうが、不思議でしょうがない。

865名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 10:46:46 ID:ze2YFsaa0
つーか畿内から九州にかけて西日本全体が邪馬台国だったと考えるのは変なの?
なんで畿内か九州かになってるかが分からん
866名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 10:47:13 ID:BFwAOdOT0
おや…?
妙なところに日めくりが…?
867名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 10:51:48 ID:F+eb+Xer0
「なぜ、邪馬台国が畿内の大和国だと認めたくないのか? 」

邪馬台国論争とは、こうしたイデオロギー問題に尽きる。

あるいは、「邪馬台国が東遷した」というストーリーをでっちあげたいのか?
そんな話は、記紀のどこを読んでも出てこない。

「邪馬台国が東遷した」というストーリーが既成事実化して喜ぶ人は誰だ?
歴史ロマン作家だけだろ。自分の本が売れて印税がもらえるからな。
事実を歪曲してるのは誰なのか、よく考えてみてくれ。

歴史的事実は事実、フィクションはフィクションとして、分けて考えるべきだ。



868名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 10:54:24 ID:wR/fN/EK0
>>857
井上光貞氏は『日本国家の起源』の中で、
「襲津彦とは、襲の男の意味ではなかろうか。
襲とは、熊襲の襲の意味に考えられるから、文字通り解すれば、
葛城のソツ彦は、熊襲(襲)の出身者で葛城に土着したものか、
大和の葛城の出身で熊襲の征定にも武勲を輝かしたものかであろう」。

結局、説ってだけか。
それも襲津が熊襲に似てるからというだけ。
さらに熊襲出身じゃなく、熊襲を平定したからこの名になったかも
とも書いてるし。
やっぱり熊襲は歴史から消えてるんだね。
869名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 10:57:36 ID:F+eb+Xer0
邪馬台国東遷説や、邪馬台国九州説を唱えてる歴史ロマン作家は、
権威主義的な考古学者を批判しているようだが、
それとは裏腹に、本の印税で儲けてるのは、歴史ロマン作家のほうだ。

堅い考古学本より、邪馬台国九州説本のほうが、よく売れるからだ。
また、学者は頭が固いとか、本当の事実はこうだとか、読者の興味をそそらせ、
歴史を面白おかしく解釈してデタラメを信じさせて、本を売り、
自分のほうが学者より儲けてるくせに、学者を批判する態度は批判されるべきものだ。




870名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 10:59:04 ID:QjHXJ1c50
>>868
つか、熊襲と隼人はだいたい同じものって解釈が多いようだ
応神天皇に加勢した日向諸県君牛諸井は熊襲だし
871名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 11:05:03 ID:15lYD+To0
>>854
>卑弥呼の前も、死んだ後も
>内部で殺し合いをするような不安定な政権。

こういう不安定な状態を播州弁でヤバタイという。
寒い<>さぶい
淋しい<>さみしい
バ行とマ行はよく交替する。
聯合が不安定な国を「ヤマタイくに」と魏に紹介したのが
播州出身の倭國の使者。
872名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 11:37:32 ID:wR/fN/EK0
>>870
>仁徳天皇の外戚、日向諸県君牛諸井は、熊襲隼人の血をひく日向の豪族
>というのがほぼ通説となっているが、これは事実と相違するものと私は考えている。
>諸県君牛諸井は応神天皇と祖を一にする天孫族の後裔であり、
>極めて身分の高い皇族級の人物である。服属者ではない。

なんてのもあるし、熊襲が全体の名で、熊と襲に別れて襲の方を隼人と呼んだんだ
というのも聞いたけど、全部、説だよね。

熊襲が本当に絶滅したわけではあるまいから、同化したんだろうけど
記録には一切出てこない。それで歴史から消えたと言ったんだけど
もしかして、そういう記録があるのかと思って聞いてみただけ。
873名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 11:38:43 ID:15lYD+To0
景行天皇の皇后播磨稲日大郎姫命(はりまのいなびのおおいらつめ:書記)
=印南別嬢(いなみのわきいらつめ:風土記)の陵が
兵庫県加古川市の加古川(=印南(稲美)川)沿いの日岡山上にある。
明治中期に前方後円墳に作り替えたといういいつたえがあり
卑弥呼の墓の可能性もある。

同名の日岡古墳が福岡県にある。
http://www.adsccat.co.jp/hakata/journal/ukiha_2006/cts08.html
華僑のチャイナタウンでは道路に故郷の名前をつける風習がある。
各地に点在する「・・・銀座」「・・・富士」はあやかり商法だが
「大和」「山門」などもあやかり、あるいは故郷をしのんでつけた名前。
企業名に年号の明治、大正、昭和、平成を使うのが日本人の習性。

播州地方では今でも「危なっかしい」「不安定」という意味で
「ヤバタイ=邪馬臺」という言葉を使う。
卑弥呼=印南別嬢が女王となる前と後、「相い攻伐すること歴年」が
聯合国家としてヤバタイ状況である。
874名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 11:48:00 ID:b9jbZgdG0
倭人伝では邪馬台国は「邪馬壹国」と明記されている。
その理由は「壹」という字が中国では女王を意味する
「懿」の避諱語であるからだ。

避諱とは身分の低い女王が使う代字をいう。

現に清朝の女帝であった西大后は妃のとき懿貴妃と呼ばれていた。
875名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 11:55:23 ID:V7TnOg4p0
九州説の中心人物である安本が「邪馬台国」の読みを「やまと」に限りなく近いと
言ってたはずだが、畿内説の人はどういう認識なんだろ
876名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 12:02:17 ID:lnI8SFiS0
古事記や日本書紀には、九州の話が多いですね。
それは、天皇家の祖先(天孫族)が九州から来たから。
877名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 12:11:28 ID:15lYD+To0
>>876
ところが万葉集は九州で歌った歌が少ない。
これから九州へ行く不安な防人の歌、
夫が九州へ逝ってしまって取り残された妻の歌はあるが・・・
これはどういうことか・・・
878名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 12:17:44 ID:1bYrnRNr0
>>877
あづまうた
879名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 12:26:06 ID:Npi0Vh2GO
>>877
その時は既に大和に朝廷を立てて、九州を蛮族扱いしてたから。
海洋民族(狩猟民族)を海幸山幸で負けさせ、ヤマタノオロチ(一節ではマグマの流れ)を神話で殺し、
宇佐や伊勢で火山を封じたのはなぜか? 火山の噴火記録と照らし合わせればおおよそ想像がつくよな。
つけくわえれば、日本列島には世界の活火山の10%が存在し、中国大陸には活火山は「ない」。
つまり大和朝廷をたてた連中の出身は…
880名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 12:28:47 ID:eO+XxddW0
>>170
斯馬国  志摩
百支国  
伊邪国  伊予
都支国  
彌奴国  美濃
好古都国 
不呼国  
姐奴国  信濃  
對蘇国  土佐
蘇奴国  讃岐
呼邑国  
華奴蘇奴国 
鬼国    紀国
爲吾国  伊賀
鬼奴国  
邪馬国  山城
躬臣国  越
巴利国  播磨
支惟国  吉備
烏奴国  長門国
881名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 12:29:45 ID:E28DNuN10
自衛隊の薬莢拾いのレーダーとエシュロン使って金印探せよ
882名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 12:31:20 ID:pQc/A8y30
九州から畿内にまたがる国だったってことにすれば、
どっちも納得するじゃないか?
883名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 12:34:21 ID:V7TnOg4p0
ところが倭国全体じゃなく、都市だという記述があったはず
884名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 12:48:50 ID:jIygRJi10
景行討伐記、神功討伐記みると九州はクマソ、ツチグモ、隼人ばかり
更に習俗も全然違って書かれてるし苗字もない。
万葉集には大和が書いた福岡のクマソの討伐日記があるけど
凄惨な殺戮行為が赤裸々に描かれている。
885名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 12:53:30 ID:lHYJeU6f0
卑弥呼の邪馬台国は畿内を中心に存在
台与の国が北九州にあって、邪馬台国を併呑した
天照大神=卑弥呼
豊受大神=神宮皇后=台与

886名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 12:55:11 ID:RpwDsjVl0
>>834
ちゃんと埴輪には入れ墨が書かれているでしょ。
887名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 12:55:58 ID:V7TnOg4p0
邪馬台国の位置より倭国連合の版図が知りたい
888名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 12:57:19 ID:mthqlOVpO
つうか、

大和(倭)をヤマトと無理矢理読ませるのが根本的におかしい。

倭はワとしか読めないし、蔑称である倭から改名した和についても同様にワとしか読めない。

ワと書いてヤマトと読ませるのは、中国視点の倭という表記に邪馬台国の音をかぶせたもので
中国に朝貢した倭人邪馬台国の権威を踏まえた上でのネーミングで
邪馬台国時代以降の新しい地名ですよ。
当時の邪馬台国を探すなら
ヤマトと読める地名を探さないと。
889名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 13:02:51 ID:BS4V0Hj00
邪馬台国は関西で、九州にも何か違う部族がいたんだろ。
890名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 13:05:38 ID:e80np6QU0
南方系民族-漁師にはほぼ例外無く入れ墨の風習がある
魏の使者である梯儁や張政は海産物が口に合ったようなので
倭人伝に書かれている倭人の風俗が「隼人」のものだった可能性はある
891名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 13:06:16 ID:n1kBaEuP0
今月のムーでジョー・マクモニーグルが邪馬台国と卑弥呼を透視して、
九州説と畿内説に分かれて繰り広げられる邪馬台国論争に終止符を打ったんだから、
これ読でない奴に書き込む資格ないだろ。。。
http://www.gakken.co.jp/mu/mumagazine.html

俺は読でないが。
892名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 13:08:12 ID:6hAToMgL0
>>838
>そもそも他国蔑視をしている記述書を全て信じる方がアホ
中国の正史は元史を除いてかなり正確なので有名だぞ。
893名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 13:10:06 ID:7Xp0HAoa0
九州から近畿に移動。
それでいいじゃん。
894名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 13:12:44 ID:15lYD+To0
【倭】の中国音にはいくつかあるが倭種(日本人の先祖)を
意味する場合は「禾,和、渦」と同じ音woを用いる。
「完璧」という故事に出てくる「和氏」はクワと発音する。
895名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 13:16:05 ID:5cPgA5yU0
>>864
正解
896名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 13:17:58 ID:MxjOom3O0
http://www.michimori.com/topics/doboku/03.shtml
吉野ヶ里遺跡まで通じてた古代官道だけど
九州だけ全国に先駆けてたという研究はあったっけ?

九州王朝論者は邪馬台国の時代まで遡ると考えてるのかな?

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1169539578/l50
古代九州は都! 2開
264 :日本@名無史さん:2007/03/24(土) 10:11:27
>>260
あまり知られていないと思いますが、
全国各地で発掘される、古代官道遺跡では、
平安期以降よりも、奈良や九州王朝時の官道の幅員が、
広い上に直線的に作られています。
確か12mから平安期の6mに、狭くなった筈です。
897名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 13:19:02 ID:8dhHG0bYO
邪馬台国なんて都市伝説
898名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 13:19:58 ID:4opOdF9m0
じゃあ両者の間とって四国で。
899名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 13:22:16 ID:V7TnOg4p0
四国説もあったなw
900名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 13:26:44 ID:BS4V0Hj00
畿内が邪馬台国で九州は朝鮮人がいたんだろ。
地理的に考えれば当然。
901名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 13:36:14 ID:FwbXyBWgO
文化の先進地だった戦闘力の高い北部九州勢力が、
野蛮な近畿地方の大和勢力に負けるワケがないから、
普通に考えて、北部九州勢力が、軍事力または、
吉備・出雲等との同盟を利用して、一応、西日本を統一し、
東国への睨みが効き、拠点に相応しい近畿への移動を企て、
近畿地方で多少の戦闘を経つつも、紀伊・伊勢の勢力を味方に付け、
ほぼ平和裡に大和に移動したのが「東征」だろう。
だからこそ、自分達の大和入りに協力してくれた、
葛城氏等の地元の豪族を、ある程度丁重に扱ったのだろう。
902名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 14:27:22 ID:zMu8B5Qk0
淡路島でいいじゃん
903名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 14:32:14 ID:uwKDI/0T0
邪馬台国は関東平野にあったに決まってんじゃん。
これだから関西と九州の土人どもは・・・
904名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 14:36:56 ID:jQxTueTL0
卑弥呼も邪馬台国もチャンコロが日本をバカにして付けた当て字だろ
まずそこ直せ!
905名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 14:40:03 ID:LmCtpgOH0
>>892
保守系にそういう言い方するやつ多い
最近だとつくる会でもそういうこといってたな
そしてその手の連中は九州説になんだよなw
906名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 14:53:13 ID:EqlelNfq0
現在の資料から言えば、畿内で決まり、じゃなかったの?
907名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 15:09:43 ID:wzKFUaeC0
東征の時期を考えると鉄製の武器の優位性がある時期が自然。
908名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 15:20:28 ID:QjHXJ1c50
大陸系の弥生人の特徴を持つ人骨は関西から
多く出土してるんだよな
確か吉野ヶ里も弥生系だが、一方で南九州は全く異なる
909名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 15:26:15 ID:e80np6QU0
弥生は紀元前1000年に始まり
卑弥呼の時代はもうすでに1000年以上を経ているので
弥生人とか縄文人などということは
まったく考慮する必要がない
910名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 15:27:43 ID:ENE4mFiG0
私たちの心の中にあるって事で良いだろ
911名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 15:48:22 ID:MxjOom3O0
吉野ヶ里の遺跡が魏志倭人伝の倭国の集落の記述とそっくりだったなら、
近畿でも吉野ヶ里の遺跡と同型の集落遺跡が出てこないと
くるしい?
912名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 15:50:20 ID:CkjQLODc0
「街で見かけても声かけないで!」って卑弥呼さんが言ってました
913名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 15:53:04 ID:5cPgA5yU0
7世紀末まで日本列島を代表する政権は九州にありヤマト王権は一地方政権に過ぎなかったとする説もあるが、
考古学的な根拠が皆無であり学術研究の立場からは無視されている。(→九州王朝説)
914名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 16:04:18 ID:k6ZY6EgaP
>>849
2は偽僭説って奴だな。

1でよいのでは?統一過程での混乱みたいな。
時期によって優劣は色々でしょ。

>>854
景行・仲哀って時代的にはいつごろになるの?
雰囲気的には3世紀頃な気がするんだけど。

>>858
釣り?柵封体制から離脱したのは、隋の時代(7世紀)だよ。
それは歴史的事実としてしっかり残ってるでしょ。
アジア圏で、他に離脱できた国は聞いたことがないけどさ。

>>876
そういう事を言い出すと、出雲の話も捨てがたくなるぞとw

>>892
史書の部分は正確らしいけど、地理誌の部分はどうなの?

>>900
その時代は、南朝鮮まで倭人の領域。


全体的にいえることは、「わからない事は素直にわからないと
認めること」だと思う。検証不可能な仮説なんていくらたてて
も意味ないよ。仮設立てたら責任とって、考古学的調査を自分
でやれよと。
そこが分断して、言いたい事言うだけだから、論争が意味不明
になっていくんだぞと。
915名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 16:09:52 ID:GJCHCPHF0
大和の由来はヤ・ウマト
ヘブライ語で「神の国」という意味
916名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 16:13:42 ID:yCKOtkdc0
いいじゃん、邪馬台国が九州と畿内に二つあっても。
東ローマ帝国と西ローマ帝国みたいに考えれば、お互い納得するだろ。
917名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 16:15:45 ID:k6ZY6EgaP
>>916
わからないんだから、適当に我田引水してOKだと、歴史じゃなくなる。
そういうのは、観光地だけにとどめてくれ。
918名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 16:16:17 ID:mthqlOVpO
少なくとも倭人伝に出てくる邪馬台国は九州としか考えように無い。

南方系の風俗、温暖な気候、海と密着した生活、
登場して詳しく紹介されている倭の諸国は北九州のクニばかり。
その北九州の諸国ですら、やっと支配しているという程度の危うい国家体制…

どう考えても九州への旅行記にしか読めない。
倭人伝では九州以東の記述があまりにも薄い。

邪馬台国を畿内にもっていくなら、いっそ倭人伝の記述を否定して
「後漢の頃に北九州のナ国へ金印を持っていった時の旅行記」を引き写しただけで
倭人伝の記述は実際の邪馬台国とは無関係だ、と言い切るくらいしないといけない。
あるいは、使者は北九州までしか来ていなくて、引き返したから九州の様子を倭国のの様子としてレポートした、とか。
そのくらい言い切らないと邪馬台国を畿内だと説明できない。

海洋的で南方的な邪馬台国の光景に該当する地域は
北九州が北限。南九州の可能性もある。南方の敵国クナ国ともども邪馬台国は九州島内。
どんなに頑張っても倭人伝の倭国の情景は奈良県の風景じゃない。
919名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 16:18:19 ID:GJCHCPHF0
イスラエルのユダヤ人は
正月の祝いの時に羊の血で家の門を赤く塗り
丸くしたパンを積み重ねて神に供える
日本ではおなじみの光景だ
神社の鳥居と鏡餅
どこかでユダヤ教の影響を受けてる
920名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 16:19:20 ID:MxjOom3O0
考古学的な根拠→九州王朝説

http://www.east-asia.jp/archives/50614607.html
http://classic.music.coocan.jp/book/furuta/kanren.htm
http://homepage1.nifty.com/ykousaka/books15.htm
http://nnagoya.blog64.fc2.com/blog-entry-82.html
太宰府は日本の首都だった―理化学と「証言」が明かす古代史
921名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 16:20:03 ID:yCKOtkdc0
>>917
だって、宮内庁が調査させてくれないんだもん。
西都原とか大規模な古墳群を発掘調査をさせてくれないから、結論が出ないんだよ。
宮内庁がここまで秘匿するのは、天皇家・天皇制を揺るがす秘密があるからと見ている。
922名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 16:24:43 ID:u4aXlfM8O
九州だろ

ヒントは宇佐神宮の三柱の祭神は、真ん中が応神天皇じゃないことだ
923名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 16:27:16 ID:jIygRJi10
ttp://homepage1.nifty.com/kitabatake/tennouichiran.html
応神が4世紀初頭として仲哀、神功が3世紀後半、
景行が3世紀前半、崇神が2世紀後半かな。
四道将軍大彦達の墓は4世紀くらいに出来た。
4世紀の古墳は世紀後半の崇神あたり頃からの墓だろう。
924名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 16:27:42 ID:GJCHCPHF0
>>921
今の定説では天皇は騎馬民族由来だぞ
やつら朝鮮人とか言ってるぞ
ゆるいだほうがありがたいぞw
925名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 16:28:09 ID:gDh+/KbR0
>>918

記事を伝聞したやつが、
九州しか観光してなかったからだろ。
926名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 16:29:52 ID:qV3HMMTMO
岐阜だろ
927名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 16:30:01 ID:mthqlOVpO
古田さんの九州王朝説は完全にトンデモですね。

畿内説を有利にしたい人が
「九州説はこんなにトンデモですよ」
とアピールするのに使うくらい。

邪馬台国九州説と九州王朝説は別物です。
九州王朝説は完全に、ぶっちぎりでトンデモ。ありえない。
928名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 16:31:18 ID:JY5GXQXj0
九州は他にめぼしい観光資源がなくて可哀想だから
九州説でいいやん  by 畿内人
929名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 16:32:37 ID:Zj2o6xfD0
邪馬台国は山陰にありました
930名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 16:32:55 ID:yCKOtkdc0
            _, -‐ ''' ー 、-‐‐ 、_
          /      _、      ̄\ _
        /´      /      ̄ヽ =ニ二 \
       l      /   /  /  ヽ _.、- ニ'、
        |        | i / //  / /ヘ |'´ _   ヽ \
         レ  /  |イ|イ /| /| / /ヽ:l,_イ-r''' l 、ヽ. l
      /   / _,.ィ'' ン!∧トkz|〈|/      |,/ l l  i/
   /  / ィ'‐'',1|;'     ィi'=ッミヾ=、    ./i| |/| /
  /   //  ヽ、ヽ!′   └'く、 ′   ,ィ二ツ'ノノ シ′
  /,イ //  i  <ij>           il;リ/{
  |!| /'7   |  i ト          :l ソ'|
  ! |' レヘ ,」 j l           `=zx ¨´イ  l  <ふっ……ありえないわ!
       '´ レ'V     \       ,.ィ´ ;| |/
           /      \ __ /|/イ/'|/
     ,. ―ァ′      |
    /   ̄`ヽ、        !`ヽ、_
    了`'‐ 、    \    { \、ヾ、‐- 、 _
   ノ  ̄`¨ニヽ、  \ _   ,ノ''\ \   `ヽ、
   /        ヘ   \ `    \ \    l\

931名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 16:33:48 ID:dgg5sfoH0
対中イデオロギー派(畿内派)
必死じゃのう。

お前らは動機が不純すぎなんじゃ
932名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 16:36:17 ID:MxjOom3O0
応神天皇を4世紀初頭、仲哀天皇・神功皇后を3世紀後半にする日本書紀は、
大陸側に記録のある卑弥呼を神功皇后と思わせるために
120年前倒しされているとの説が頷ける。
http://homepage2.nifty.com/hpsuiren/koukyu/kodai/tyuai.htm
嘘を記すのは畏れ多いが、卑弥呼らしき人物が見当たらないのも無理があるので、
卑弥呼と同時期に女性の皇族の大活躍を記しておくことで、
読み手に勝手に想像させる構成なのだという推定は説得力がある。

実際、応神天皇陵や仁徳天皇陵の周辺から出る埴輪など、
日本書紀どおりとするには約100年ほど形式が新しいそうだ。
933名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 16:36:34 ID:hNy4dizn0
そうなん?大和政権がいきなり奈良に発生したと考えるよりは、
ヤマタイ国から大和が建国されたと考える方が自然だけど。
934名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 16:49:11 ID:mthqlOVpO
中国に朝貢した邪馬台国の卑弥呼について
奈良県のダイワ政権(あえて大和をダイワと読む)の人々は
記憶していなかったわけだ。
困って神功皇后を卑弥呼にみせかけるという
無理をやったわけで。

そうなると邪馬台国と奈良県のダイワ政権は連続しない事になる。

あるいは、邪馬台国の卑弥呼が神話の天照大神等だと伝承による自覚があって、
祖先の神性を維持するため、あえて証拠隠滅したか。

それなら邪馬台国と奈良県のダイワ政権に連続性を持たせる事ができる。

935名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 16:49:30 ID:e80np6QU0
>>924
そういうトンデモ説を唱える連中は
20年以上古代歴史認識が止まってるわけよ
騎馬民族説はトンデモの中のトンデモ
仮説だけで何ひとつ実証が無い
936名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 16:51:23 ID:gDh+/KbR0
>>934

そんな面倒なことを考えなくても、
箸墓の被葬者=ヤマトトトヒモモソヒメ=卑弥呼で正解だよ。

937名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 16:56:40 ID:MxjOom3O0
古田が 卑弥呼=「甕依姫」説 に何か追加修整してるみたいだ。

http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/himiko/himiko1.html
938名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 16:57:38 ID:AMz4vxDT0
FBI超能力捜査官のマクなんとかって人が邪馬台国は近畿にあって、卑弥呼の墓は山口県にあるっていってたよ
939名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 16:58:12 ID:GJCHCPHF0
卑弥呼が実在するなら後代天皇の実在も可能性がある
古事記がファンタジーなら卑弥呼もファンタジー?
940名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 17:10:52 ID:8um9lTueO
>>804
邪魔大王国が青銅文明かどうかは知らんが、それに対抗し得るのは鉄の文明。
941名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 17:16:17 ID:52WnG1TZ0
畿内説だと、卑弥呼は天皇以外あり得ないよね。
誰?
942名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 17:26:35 ID:mthqlOVpO
モモソヒメが卑弥呼?それトンデモでしょう。

邪馬台国畿内説支持者は今すぐ倭人伝を窓から投げ捨てるべきだ。

海洋的で南方的な倭人伝の記述はどうみても九州。
倭人伝の邪馬台国が海ナシの奈良県だって?悪い冗談だろ。

邪馬台国畿内説を成立させるならば

1三国志の著者陳寿がズボラかまして後漢時代の九州ナ国への旅行記を邪馬台国旅行記としてコピペした

2使者である張政がズボラかまして北九州のナ国あたりでお茶を濁して邪馬台国まで行かず引き上げた

3北九州のナ国近辺のクニが勝手に日本代表としてヤマトと名乗って外交してた

4敵国である呉に「南方のクニまで服属した」とアピールするため示威行為として邪馬台国を南国にみせかけた

5朝鮮のように占領されるのを恐れて邪馬台国政府が首都の位置を北九州だと偽った


このくらい言ってのけて倭人伝を全否定するべき。

重ねて言うが、
邪馬台国畿内説支持者は今すぐ倭人伝を窓から投げ捨てるべきだ。
943名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 17:45:26 ID:gflk9pP2O
どうでもいいけど
シナって他人に不愉快な漢字をあてるよな
944名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 18:06:14 ID:15lYD+To0
邪馬臺国は臺湾だよ。
945名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 18:11:37 ID:I/Jokjz+0
>>940
考古学者・司馬遷次郎は、古代日本を支配した
邪悪な国家「邪魔大王国(じゃまたいおうこく)」と
「女王ヒミカ」の復活を察知したが、王国の放った
「ハニワ幻人」の襲撃を受ける。

優秀な科学者でもある彼は、死の間際、
コンピュータに自身の意識と記憶を移し替える。
一方、カーレースで大事故を起こしながら
無傷であった息子・宙は、既にサイボーグへと
改造されていたことを父に告げられる。

彼を頭部とする巨大ロボット「鋼鉄ジーグ」は、
日本の支配をもくろむ邪魔大王国に立ち向かう。
---///

おおらかな設定だよなぁ。 しかし知らんうちに改造されてる息子って。。。
946名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 18:12:29 ID:hYKr+aMj0
邪馬台国成立史

「さあ、魏のお役人様、わしらの国はあの山の向こうたい」
「むこう?」
「そうたい。」

役人は「くに」は国、「やま」は山であることを知っていたが、「むこう」がわからなかった。
山に関する別のことだろうかと指差すジェスチャで尋ねた。

「うむ、山の向こうたい」(同じことの確認かと思った倭人が相槌を打つ」)
「やま、むこう?」(相変わらず山を指差している)
「(ちょっと説明しにくいな…)向こうは向こう。あれは『やま』たい。」
「やまたい?」
「やまたい。」

(終わり)
947名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 18:19:30 ID:52WnG1TZ0
邪馬台国が畿内にあり、天皇と卑弥呼が関係無いとすると、まずいことがいろいろあるわけですね。
ファンタジーにしとくのが妥当ってことかもね。
948名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 18:21:09 ID:LzKhs8uK0
魏志倭人伝にある地名は全部松江から出雲だよ。(中海から宍道湖)
あれは地元民で地名をよく理解している奴しかわからんw
伊邪は揖屋(黄泉の国)なんだがこれを基準に追っていけばわかる。
奈良や福岡の人間には残念な結果なんだが・・・
949名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 18:24:15 ID:xxPP3tiuO
卑弥呼は「日御子」ってホント?
950名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 18:24:30 ID:I/Jokjz+0
>>948
安来の横にある黄泉平坂があるところ?
いやーなところだよね。(^-^)
951名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 18:26:46 ID:jIygRJi10
>>945
昭和40年代の子供番組なんてそんなものでしょう。
インドの山奥で!じゃじゃじゃん♪しゅうぎょうをしてー
952名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 18:27:52 ID:k77zBrxx0
邪馬台国なんてぶっちゃけ。どこでもいいから。
コアな考古ファンはそう思っているから。
マキムクの石塚、矢塚、東田大塚、あともうひとつ
全部徹底的に掘れ。寮母指定されてないんだろ?
そんなにでかくないし。なんで掘らないんだ?
一番の核心部分なのは自明なのに。
掘り惜しみかよ!!!!!!!!
953名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 18:30:27 ID:LzKhs8uK0
>>950
そうだね ちなみに地名あては序の口。
この謎解きから俺はもう次のステップに入っている。
954名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 18:32:46 ID:jIygRJi10
ホント、徹底的に掘って欲しい、文字書いた遺跡もでるだろし
決定的証拠がでるかもしれない。
後は物的証拠以外に打開策はない!
955名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 18:32:52 ID:rsDer7Br0
多分王朝は二つあったんだと思う。
九州と近畿にな。で、近畿が勝って統一したんだろう。
邪馬台国は九州の滅びた王朝だと俺は思う。
956名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 18:33:24 ID:MxjOom3O0
「漢の倭の奴の国王」に金印なんて有り得ない、
支那語をよく理解している奴しかわからんそうだw

中華思想の中で、
支那世界の一部の倭国の、そのまた一部でしかない奴国に、
そもそも印なんか出さないそうだ。

仮に出しても、奴国の規模なら銅印がせいぜいらしい。

東の匈奴に対し、西の倭奴の国王、の印だそうだ。
957名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 18:36:43 ID:rsDer7Br0
ヒミコのヒも多分、火のヒから来てると思う。
火の山のある九州だと俺は思うけどな。
958名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 18:41:32 ID:e39nK1iT0
八幡平
959名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 18:45:21 ID:5cPgA5yU0
>>949
姫巫女のが萌える
960名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 18:45:58 ID:jIygRJi10
マキムクの崇神から応神までの墓があって
ここが畿内の拠点。
神功もここマキムクの出身で
甘木を占領した後、故郷忍んで
周囲にマキムクの地名を付けまくった。
961名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 18:47:21 ID:M7GXXVAZO
俺が言いたい事は>>265に言われていたようだ
962名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 18:49:10 ID:loeS9Jit0
>>951
懐かしいね。
シネシネ団とか、ベタな名前だが哀愁があっていい。
レインボーマンの歌詞は「おふくろさん」で有名になった
あの川内後半氏。
963名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 18:50:15 ID:eGOBzX7C0
>>946
それだ!w
卑弥呼も「ありゃ姫ばい」って言ってたに違いないw
964名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 18:55:33 ID:zfnhMmPV0
>>942
魏志倭人伝なんて、とっくの昔に窓から投げ捨ててるよw

九州説が省みられなくなったのは、遺跡がないことが明白になったから。
一番最初に九州説を放棄したのは、畿内や東京の学者ではなく
実際に発掘調査に当たっている九州の考古学者たち。

続いて記紀も窓から投げ捨てられた。

東遷説が消えたのは、畿内のどの遺跡からも九州の影響がほとんど見られないことが判明したから。
だから東征はありえないことがはっきりした。

最後に畿内説も窓から放り出された。

三角縁神獣鏡が大量生産の副葬品に過ぎないことが判明し
前方後円墳が、近畿をとりまく各地の工法や祭祀具によって造られていることが判明したから。

だから今は九州説VS畿内説なんて時代じゃない。
どちらの説も消滅した。
首長国交易連合(初期ヤマト連合)説以外の考え方は、もはや存在しない。
965名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 18:59:11 ID:/YISRHM/O
邪馬台=ヤマタイ=ヤマト=大和
卑弥呼=ヒミコ=ヒメミコ=皇女
よって近畿

九州には中国の支援(属国認定)
を受けた別の王朝があり、滅んだ

中国語分からんから知らんけど
966名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 18:59:16 ID:jIygRJi10
中世に南北朝時代があるわけだけど、
南北朝は
南のヤマタイと北のヤマトなのか
南のクナと北のヤマタイ連合=ヤマトなのか
いずれかだと思う。

マキムクは東海系の土器が半分以上を占めるから
マキムクは東海の豊とかアマ=海部とも関係深いのです。
967名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 19:02:01 ID:X9nETWt70
いつだったかの漫画で学ぶ日本の歴史の邪馬台国編がラストちょっと感動したな
色々あった末ようやく任期を終えて倭国を去っていく長政と部下が夕日をバックに船上で
「さらば倭国よ」
968名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 19:16:23 ID:MxjOom3O0
>九州説が省みられなくなったのは、遺跡がないことが明白になったから。
>一番最初に九州説を放棄したのは、畿内や東京の学者ではなく
>実際に発掘調査に当たっている九州の考古学者たち。

吉野ヶ里の発見で「他にも」と期待されてるわけだが。

>続いて記紀も窓から投げ捨てられた。
>東遷説が消えたのは、畿内のどの遺跡からも九州の影響がほとんど見られないことが判明したから。
>だから東征はありえないことがはっきりした。

記紀からも、力を借りた吉備の軍勢が主体だったようにも読み取れ、
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/tasakawa/yamatai/contents.html
じっさい吉備の文化との関係は大きくなってるわけだが。
http://www2e.biglobe.ne.jp/~fujimoto/indexa2.htm
969名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 19:20:27 ID:P8qt7KdyO
もうさ、間とって朝鮮半島にしろよ
九州も近畿も半島も同じような人種だろ?w   @東京様
970名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 19:23:43 ID:lHYJeU6f0
東遷が神話として語られているのだから、王朝交替があったなら勝ったのは九州だろ
神話は馬鹿にできない。国譲りだってよくよく考えたら出雲吉備から派生して畿内にできた王朝を帰順させる話だ
971名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 19:24:20 ID:HZx57plqO
邪馬台は結局なんて読むの?本当は「ヤマトゥィ」の発音だって話をどっかで読んだが。
972名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 19:26:37 ID:i7G9aVz2O
結局「邪馬台国=大和国」と言うのは定説なのか?
973名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 19:29:03 ID:nV4LupgZ0
>>970
>東遷が神話として語られているのだから、王朝交替があったなら勝ったのは九州だろ
そうだとしても、1世紀までの話な。
974名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 19:29:41 ID:15lYD+To0
唐古鍵遺跡に楼観もあるが。
http://www.begin.or.jp/sakura/karako.htm
975名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 19:31:19 ID:o72+T7CE0
九州説の心の支えが吉野ヶ里だってさw
976名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 19:32:55 ID:E/rt7FlD0
>>966
邪馬台国と大和王朝は政権交代みたいに考えるとどうかなぁ。
邪馬台国が支配してた西国の中の近畿地方のある豪族が、
経済軍事で力をつけて、覇権争いに勝利して、政権を取って大きくなり、
国名もそのまま使用したとか。
977名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 19:37:36 ID:lHYJeU6f0
出雲・吉備を無視できない
出雲は北九州同様大陸文化の入り口
吉備には古くから製鉄技術が入ってきていた
九州と畿内の間にこの二国があるのが一番の謎
978名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 19:38:56 ID:EpzWy6dKO
奈良でいい。
979名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 19:46:52 ID:/YISRHM/O
>>978
投げやりなおまいに惚れた
980名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 19:52:10 ID:rSjx0mUP0
邪馬台国=大和国、には間違いない。
981名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 19:54:33 ID:lHYJeU6f0
>>980
だが「ヤマト=奈良の大和地方」とは限らない
982名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 19:57:07 ID:mthqlOVpO
たとえば、鎌倉時代の日本政府はどこだったのか?

鎌倉?
京都?

そういう二重政府状態もあるだろうしね。

室町時代には南北天皇が並存して、九州に割拠する南朝の親王が日本国王を名乗って外交してるし。
最後存続したのは北朝でもな。

江戸時代もしかり。

くどいようだが倭人伝に描写された邪馬台国は九州しかありえません。
畿内説支持者は倭人伝を窓から投げ捨ててください。
大和はダイワです。ヤともマともトとも読めません。
邪馬台国を探すならヤマトという地名を探してください。
倭人伝を否定するなら、邪馬台国探しを辞めて「倭国内最大勢力探し」とか「倭国内勢力分布研究」にすべきです。
文献が無い以上、仮に邪馬台国が鎌倉や南北朝や江戸のような二重政府状態だった場合
いくら考えてもムダです。
983名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 19:58:04 ID:rSjx0mUP0
>>981
すでに「大和国」は九州の一部を支配していた、でおk。
984名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 19:59:08 ID:/YISRHM/O
>>981
やはり、日本列島を指すんだろうかね
985名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 20:00:57 ID:34UO9O5M0
邪馬台国九州説が天孫降臨の高千穂伝説につながると
脳内ファンタジーを展開してみる
986名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 20:04:47 ID:ybSNqjnM0
当時あたりの日食を調べれば九州であることは明白。
987名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 20:07:14 ID:QjHXJ1c50
まぁどっちでもいいけど、決定的な物証が無い限りどっちが勝利宣言しても
所詮空論なんだよな
988名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 20:08:00 ID:lHYJeU6f0
>>982
三角縁神獣鏡の件は?
989名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 20:09:39 ID:JERICtt60
>>982
まあ倭人の条の記述が正確及び事実である保証は何も無いのだがな。

990名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 20:10:23 ID:7PMxTb/W0
「まぼろしの邪馬台国」
出演:吉永小百合、竹中直人
(堤幸彦監督、11月公開予定)

盲目の郷土史家・宮崎康平氏の著書「まぼろしの邪馬台国」(1967年出版)の映画化。
康平氏は島原鉄道の元役員で、さだまさしのヒット曲「関白宣言」のモデルにもなっており、
映画は妻・和子さんとの古き良き夫婦像を描く。
康平氏は邪馬台国が長崎県南部にあったと考え、和子さんが康平氏の目となって、2人で西九州を巡り歩く。
991名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 20:11:43 ID:1jy+IU8MO
古墳を掘りまくって親魏倭王の印鑑を探そうぜ
992名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 20:12:37 ID:Ch34vKlr0
このネタがこれほど過疎る時代が来たって方が感慨深い
993名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 20:13:19 ID:X9nETWt70
現在の国宝建築物の下にあるとかだろ
994名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 20:13:34 ID:B1yJourm0
1000なら安房の国が邪馬台国
995名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 20:14:54 ID:f2BjrZHo0
邪馬台国論争は、東京にすべてを奪われた
西日本の心のよりどころ
996名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 20:16:53 ID:uV3krR520
>>82
おれの苗字を勝手に書くな
997名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 20:17:02 ID:7PMxTb/W0
「まぼろしの邪馬台国」の製作費は10億円。
今後、佐賀県の吉野ケ里遺跡で吉永が卑弥呼にふんするイメージシーンなどを撮影し、3月下旬にクランクアップ、8月末の完成を目指す。


吉野ヶ里遺跡が邪馬台国に決まって良かったね。 
日本人が思い描く邪馬台国と重なるし考古学ファンも満足だろう。
998名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 20:17:27 ID:jIygRJi10
細川とかにみられるよう。
殿様豪族っていくら現地に赴任しても
故郷にあまり未練がないんだよ。
999名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 20:21:14 ID:34UO9O5M0
銀河鉄道
1000名無しさん@八周年:2008/03/05(水) 20:21:45 ID:3bP+miDa0
へー
10011001
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