日本史二千年最大の謎、本能寺の変の真実!

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1本能寺の変、四百二十五年目の真相。
本能寺の変は一九九七年二月に全て解明された。

その答えは、「朝廷説」、明智光秀の軍事同盟者は
織田北陸方面軍司令官柴田勝家だった。
解明した書物は「聖戦、マハーカーラの女」!

野望、柴田勝家。
その嘘偽りなき、戦国史最大の迷宮の全貌。
2日本@名無史さん:2007/11/06(火) 10:30:29
豚走しやがった。
3日本@名無史さん:2007/11/06(火) 10:31:03
4日本@名無史さん:2007/11/06(火) 10:32:04
5日本@名無史さん:2007/11/06(火) 10:33:03
6日本@名無史さん:2007/11/06(火) 10:34:17
このスレの内容を要約すれば

大庭博「本能寺の変の黒幕は朝廷なんだよ。ボクのこの新発見が真実なんだよ
特別に300万円くれたら教えてやるぜ」
「へー。じゃあ、その根拠はなに?まず、証拠みせてよ」
博「え…、いや…、証拠はあるけど…、それは秘密。お前たちには見せられないね。
世界でただ一人、ボクだけが真実をしってるのさ。」
「なんだ、証拠もない妄想か、馬鹿馬鹿しい。」
博「うるさい!うるさい!ボクだけの秘密だけど、ホントにあるんだよ!
そんなこともわからないお前等が馬鹿なんだよ。ばーか」
「はいはい、勝手に一人で妄想してろ」
博「おまえら…なんで、ボクの大発見を認めないんだ……(涙)、
そうだ!おまえらみんなボクを陥れようとする、悪の秘密結社なんだ!
ボクの悪口言うやつは、みんなけいむしょ行きだ!」
7本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/06(火) 10:37:58
本能寺の変のその枝葉、「松平信康切腹事件の真相」について。
>>850●君が常識無いのは、史料偏重しているせい。
●「後継者」秀忠、おぎ丸[のちの結城秀康]がいただろ。それに総合的に考えて、
信長のいうことを聞いた方が家のためと家康周囲の重臣らもいえば殺すよ。
●君はまるで一回の使者しか立ててないみたいに書いている。それならその前の使者、
その口上、書状、内容、信長の反応、言葉、信長の返事、全て書かないとね。
しかし書けないんだろ?
>>851●私の前に述べた規範話の方が尊敬されるだろ。それに天下をとったあと、そんなに都合が
悪ければ病死、事故死、発狂死手の切腹など、いくらも書き換えられるはずだろう?
天下の徳川の歴史にけちをつけれる人間はいないのでは?
●名無しの権兵衛の権力者なんて、世間は信用しない。
しかも家康の行動も命令できるなんて?
●結局、証明できない仮説で終わるじゃないか?
●ちゃんとスレッドを建てろよ「松平信康、疑惑の切腹事件の真相とか」
そうすれば専門の学者が見て、書き込んでくれるさ。

8本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/06(火) 10:51:11
つまらん盗作か、コピーか、偽造で儲けている犯罪者の口車、圧力に乗せられないようにね。
彼らの言うことを聞いていると、最後にはペテン、詐欺、偽物に引っかかって泣くのが関の山。
本能寺の変においては、私のみが本物の「真実の口」である。

本能寺の変、天正十年六月二日、京都本能寺における当時の天下人織田信長襲殺事件、
明智光秀一万三千の軍によるクーデターとされる事件、
それなくしては、豊臣秀吉、徳川幕府、明治維新さえ存在しなかったのではないかとされる歴史の大転換点、
それについて、様々に言われていた容疑者、動機、その他の疑惑の謎は、全て解明された。
その答えは「朝廷説」、明智光秀の軍事同盟者は柴田勝家だった。

そして、戦国史最大の暗号「本能寺・コード」、、、
真相「京都秘密文書」は実在する!!

後の柴田勝家と羽柴秀吉の決戦は、偶然ではなかったのである!

9日本@名無史さん:2007/11/06(火) 10:52:03
このスレの内容を要約すれば

大庭博「本能寺の変の黒幕は朝廷なんだよ。ボクのこの新発見が真実なんだよ
特別に300万円くれたら教えてやるぜ」
「へー。じゃあ、その根拠はなに?まず、証拠みせてよ」
博「え…、いや…、証拠はあるけど…、それは秘密。お前たちには見せられないね。
世界でただ一人、ボクだけが真実をしってるのさ。」
「なんだ、証拠もない妄想か、馬鹿馬鹿しい。」
博「うるさい!うるさい!ボクだけの秘密だけど、ホントにあるんだよ!
そんなこともわからないお前等が馬鹿なんだよ。ばーか」
「はいはい、勝手に一人で妄想してろ」
博「おまえら…なんで、ボクの大発見を認めないんだ……(涙)、
そうだ!おまえらみんなボクを陥れようとする、悪の秘密結社なんだ!
ボクの悪口言うやつは、みんなけいむしょ行きだ!」
10日本@名無史さん:2007/11/06(火) 13:53:44
◎何逃げてるんだ?散々あっちのスレで矛盾した書き込みをしてしまったから引用出来ないようにか?
◎『秀康、秀忠がいたことで信康が死んでも後継者には事欠かない』?
秀康は家康に遠ざけられていたろ。築山に遠慮していたとしても、築山の死後も結局養子に出されている。
前にも書いたがこの時秀忠は生まれたばかりで、当時の幼児の死亡率を考えれば直ちに秀忠を次の後継者にとは決められない。
君の説には常識が無い。
◎『信長の言うことを聞いた方が家のためと重臣が言えば殺す』?
だから君の言ってることは矛盾してるんだって。
「これほどの殿はまた出来難し」とまで言われた優秀な後継者を殺せという命令に従うことが『家のため』か?
第一君自身があっちのスレで『家臣達の反発があった』て書いてるだろ。反発したり従えと言ったり、どっちなんだよ?
11日本@名無史さん:2007/11/06(火) 14:22:00
>>7
◎『口上、書状、内容全て書け』?
書いたところで君の特殊な解釈で片付けられちゃうからな。
しかし『真実』というのに何故都合の悪い記述がされた史料は読まないんだ?読んでないから『内容を書け』なんて言ってるんだろ。

◎「松平記」「前田本安土日記」「当代記」には信長の命令だったという説とは違う記述がなされてるよ。
◎「家忠日記」
天正六年九月
家康から岡崎家臣団に各々の在所への引き揚げ命令が発せられ、信康との連絡を一切禁じられる。
天正七年六月
家康が「信康御×××の中なをし」の為に岡崎を訪れる。
天正七年八月
信康が岡崎を追放される。

◎更に天正七年八月に家康が信長近習であった堀秀政に宛てた書状には
「今度左衛門尉(酒井忠次)をもって申し上げ候処」
という記述があり、これは信長に十二ヶ条を突きつけられる以前に家康の方から何事かを信長に伝えようとしているのがわかる。
◎さらに信康の切腹と前後し何人かの徳川家臣が処罰を受けた又は脱走した形跡もある。
◎これらの内容から家康が信長に信康処刑の命令を受けた、というより以前に何か徳川内部で不穏な動きがあったことが容易に伺い知れる。
12日本@名無史さん:2007/11/06(火) 14:32:47
>>7
◎『規範話の方が尊敬されるだろ』?
だからさ、君が『正直者』と言った大久保彦佐衛門が「三河物語」の中で「これほどの殿はまた出来難し」と評してるわな?
信康が『悪逆非道』なら彦佐衛門が『正直』じゃなくなるんだよ?矛盾してるだろ?
◎『名無しの権兵衛』?
何故あそこまでヒントを出してわからないのか、その方が不思議だよ。
証明できなくていいよ。私の単なる『仮説』なんだから。
第一現在世に出ている史料では証明できないよ。だからいろんな説があるんだろ。
◎それは「本能寺」もそうだ。
君は『本能寺コード』やら『京都秘密文書』という奇っ怪な根拠を振りかざしているがな。
13日本@名無史さん:2007/11/06(火) 15:50:49
このスレの内容を要約すれば

大庭博「本能寺の変の黒幕は朝廷なんだよ。ボクのこの新発見が真実なんだよ
特別に300万円くれたら教えてやるぜ」
「へー。じゃあ、その根拠はなに?まず、証拠みせてよ」
博「え…、いや…、証拠はあるけど…、それは秘密。お前たちには見せられないね。
世界でただ一人、ボクだけが真実をしってるのさ。」
「なんだ、証拠もない妄想か、馬鹿馬鹿しい。」
博「うるさい!うるさい!ボクだけの秘密だけど、ホントにあるんだよ!
そんなこともわからないお前等が馬鹿なんだよ。ばーか」
「はいはい、勝手に一人で妄想してろ」
博「おまえら…なんで、ボクの大発見を認めないんだ……(涙)、
そうだ!おまえらみんなボクを陥れようとする、悪の秘密結社なんだ!
ボクの悪口言うやつは、みんなけいむしょ行きだ!」
14日本@名無史さん:2007/11/06(火) 17:56:46
ちゃんと前スレ使い切ってから新スレたてましょうね。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1183944289/l50

都合の悪い指摘受けると、放置して、新スレ立てて逃走?
糞スレの乱立は迷惑なのでやめろよ。
15日本@名無史さん:2007/11/06(火) 18:14:50
銀山光秋『聖戦マハーカーラの女 本能寺の変の真因』
発行/日本図書刊行会、発売/近代文芸社 1997年2月20日 第一刷

銀山光秋(本名 大庭 博(おおば・ひろし))
昭和33年6月4日生
自称歴史研究家、自称フリーライター
2chでのHNは○

自費出版後のあまりの反響の無さに、2chでの販売促進活動中。
ただし著名な研究者との直接討論を避け2chへの呼び込みを図るも、当然の如く反応は無く、
一方的に勝利を宣言し続ける香具師。
過去に精○科への通院履歴あり。
http://c-others1.2ch.net/test/-/history/1183944289/n
16日本@名無史さん:2007/11/06(火) 18:50:58
>>1>>7>>8 卑怯者!!!
17日本@名無史さん:2007/11/06(火) 18:56:18
タイトル:日本史二千年最大の謎、本能寺の変の真相!(前スレ)

【糞スレランク:S】
直接的な誹謗中傷:55/865 (6.36%)
間接的な誹謗中傷:53/865 (6.13%)
卑猥な表現:35/865 (4.05%)
差別的表現:58/865 (6.71%)
無駄な改行:25/865 (2.89%)
巨大なAAなど:10/865 (1.16%)
同一文章の反復:4/865 (0.46%)
by 糞スレチェッカー Ver1.12 http://kabu.tm.land.to/kuso/kuso.cgi?ver=112

Sランクキタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━!!!!
18本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/07(水) 10:09:16
>>10●君がいろいろ書いて、前スレに書きこめなくしたんだろ?
●何矛盾したこと書いてるんだね?
「家康が派閥抗争からみで独断で信康を殺した」
が君の説だろ。しかし君は後継者に不安があったと書いてるな。後継者に不安があったら、
どんな我儘息子でも殺せないだろ。
私の言うとおり「後継者に不安が無いから、信長のいうとおり殺した」んだよ。
●あんたがおかしいんだよ。信康と信長とどっちをとった方が得か、家康は決めた。
おそらく家臣にも相談し参考にした。信康への褒め言葉が残っているのは、泣く泣く家康が殺したから同情されてだよ。
19日本@名無史さん:2007/11/07(水) 10:11:36
前スレで散々に問題点をつかれ、何も答えれず逃げ出した博くん。
新スレ立てれば、前の問題は全てリセットされると思ってるのかなw

一応、前スレでの課題をおさえておこう。

「京都秘密文書」は何ページ?
なぜ内容どころか、ページ数さえ答えられない?

『津島牛頭天王と信長』の著者、出版元は?
参考文献を明示できないなら、博くんの著作は盗作です。
存在しない参考文献を根拠とすりなら、詐欺行為です。

あと、読んでもない高柳氏の著作に対し
事実無根の誹謗中傷を行なったことに謝罪しましょう。
20日本@名無史さん:2007/11/07(水) 10:14:26
このスレの内容を要約すれば

大庭博「本能寺の変の黒幕は朝廷なんだよ。ボクのこの新発見が真実なんだよ
特別に300万円くれたら教えてやるぜ」
「へー。じゃあ、その根拠はなに?まず、証拠みせてよ」
博「え…、いや…、証拠はあるけど…、それは秘密。お前たちには見せられないね。
世界でただ一人、ボクだけが真実をしってるのさ。」
「なんだ、証拠もない妄想か、馬鹿馬鹿しい。」
博「うるさい!うるさい!ボクだけの秘密だけど、ホントにあるんだよ!
そんなこともわからないお前等が馬鹿なんだよ。ばーか」
「はいはい、勝手に一人で妄想してろ」
博「おまえら…なんで、ボクの大発見を認めないんだ……(涙)、
そうだ!おまえらみんなボクを陥れようとする、悪の秘密結社なんだ!
ボクの悪口言うやつは、みんなけいむしょ行きだ!」
21本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/07(水) 10:20:45
>>11●誰がこんな事書けといった。知りたいのは信長と家康の間、何回連絡、書状、口上があったかだろ?
君は一回の使者で信長が「すきにやれ」といったと書いたな。ところがそれがおかしいというと、前にもあったようだと書いた。
なら、その前の安土の信長への使者、その口上文書、そしてそのときの信長の反応、言葉だよ。
それが書けないんだろ?
●一年も前の「家臣への連絡を取るなの命令」? 君は「お家争いで騒動」だよね。息子を殺すほど緊迫してるのに、
その腹切り、処分は一年後かね。
あまりにも間延びで、全く別問題としか思えない。
●「信長への酒井忠次への口上」その内容は全くはっきりしていない。
徳姫とのトラブルのこととも考えられる。
●家臣処分の形跡、その名前も挙げられないし、公式な記録は無いんだろ?
●信康が中心となった謀叛、あるいはその側の重臣が中心になった謀叛なら、
必ずともに殺されるか、その名前が残っているはず。
築山殿まで殺される大事になったんだからな。
22本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/07(水) 10:28:35
>>12●何を言っている、そんな信康を褒めてる言葉が残せたのは
私の説「信長の命令で、家康が泣く泣く殺したから」、同情されてだよ。
でなければ天下を取った後、どうとでも書き直されたはず。徳川内部の問題にけちをつけれる人間は居ないし。
家康に傷を付けたくなければ、ただの長男の病死、事故死、原因不明の切腹でも良い筈。
●名無しの権兵衛で、家康も頭を下げる権力者?世間は納得しないさ。
●嘘を言っても始まらないね。実在するし。もう皆、気づいてるよ。
高名な学者が、研究かが何もここに書き込まないのがもその証拠。
23日本@名無史さん:2007/11/07(水) 10:32:22
●嘘を言っても始まらないね。実在するし。もう皆、気づいてるよ。
高名な学者が、研究かが何もここに書き込まないのがもその証拠。
   ↑
「皆」とは誰を指すのだろう?レスで言えば、○以外の書き込みは「皆」、○の嘘に気付いてるが
そして高名な学者・研究家が書き込んでいないとなぜ言い切るのかも不思議
24本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/07(水) 10:38:54
「金は貰うが、ろくな知識も無いために、しょうもない悪口を繰り返すプロパガンダ工作員」
>>6>>9>>13●全く、ろくな基礎知識も無く、議論一つ出来ない人間の書くことを見てくれ。
>>15●しようもない出鱈目だな。
残念ながら大庭博君は精神科病院などに、通院、入院したことなどは一度もありません。
そういえばヒッチコックの映画にあったな。
財産とるのに、相続人の女を精神病にでっち上げて、財産横取りするのが。
>>20●「何度もくりかえしていれば、どんな出鱈目でも本当になる」ヒトラー。
ナチスドイツのヒトラーの崇拝者なのがはっきりしたね。
>>19●つまり君には全く基礎知識が無いということだ。博士といえど答えられぬ謎というのはあるのにね。
それに答えられるのが「真実の口」、本物「京都秘密文書」なんだが、、。
25本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/07(水) 10:54:11
>>23
歴史をよく知り、名のある学者なら、書き込めるわけがあるまい。
歴史の真実とは唯一無二、
二番目の真実というものは世に無いのだから。

「聖戦、マハーカーラの女」博君著。

国家の真実は揺るぎもしない、、、。
26日本@名無史さん:2007/11/07(水) 10:56:07
って事は、歴史をよく知らない名もない三流の○は必死に書き込めるわけだね
27日本@名無史さん:2007/11/07(水) 13:16:20
>>18
◎君は歴史云々を語る前に読解力を身につけた方がいいな。
◎『後継者に不安があるのに家康の意志で信康を殺すのは矛盾している』?
確かに秀康は遠ざけられ、秀忠は幼少だ。
だが家康が「信康の側近達が信康を擁して謀叛を起こし家康追放を画策している」という讒言をうけ疑心暗鬼に陥ったならもはや後継者の不安どころではないだろ。自身が息子に追い出されるとなれば跡継ぎの懸念など考えずに処分するでしょ?
◎『おそらく家臣にも相談して決めた』?
君は妄想で話をするのか?
28日本@名無史さん:2007/11/07(水) 13:37:01
>>21
◎『何回連絡、書状、口上』?
…君はあっちのスレで自分がしたレスを覚えないのか、よく読み返してこいよ。
私が挙げた天正七年八月の「今度左衛門尉…」よりも前に忠次が安土を訪れたことを君自身が書いてるだろ。
しかし何で君はここ2chで自分が読んでない史料の内容を得ようとするの?
『信康処刑は信長の命令に間違いない』と言う以上は、それとは逆の内容の史料も精査するのが常識だろ?
横着してんじゃねーよ。だからここ以外で誰にも相手にされないんだよ。まぁあっちのスレで『前田本安土日記?どうせ前田家の風説を集めた史料だろ。』なんて名言残しちゃうくらいだからな。相手にされなくて当然か。
という訳で内容については「自分で読め」とだけ言わせてもらう。史料名は挙げてるんだ、簡単だろ?君のためだよ。
29日本@名無史さん:2007/11/07(水) 13:49:01
>>21
◎『連絡を禁ずる命令が出されてから処刑は一年後。長すぎる』?
家康は慎重な男みたいなことを書いたのも君自身じゃなかったかなぁ??ことは自分の息子にも及んでいる。慎重な男だからよくよく考えたんでしょうな。
◎『お家争いで騒動』?
何それ?日本語で書いてくれていいよ。
私が挙げたのは『家臣達の派閥争い』で信康の謀叛はその過程で造り上げられた嘘だったのでは…と言ったんだが。本当に読んでないんだね。
◎『信長への酒井忠次への口上』?
何だ?へのへのって。絵描き唄か?どっちへの口上のことだ?
『五徳とのトラブル』って五徳と誰のトラブルだ?
30日本@名無史さん:2007/11/07(水) 13:50:26
このスレの内容を要約すれば

大庭博「本能寺の変の黒幕は朝廷なんだよ。ボクのこの新発見が真実なんだよ
特別に300万円くれたら教えてやるぜ」
「へー。じゃあ、その根拠はなに?まず、証拠みせてよ」
博「え…、いや…、証拠はあるけど…、それは秘密。お前たちには見せられないね。
世界でただ一人、ボクだけが真実をしってるのさ。」
「なんだ、証拠もない妄想か、馬鹿馬鹿しい。」
博「うるさい!うるさい!ボクだけの秘密だけど、ホントにあるんだよ!
そんなこともわからないお前等が馬鹿なんだよ。ばーか」
「はいはい、勝手に一人で妄想してろ」
博「おまえら…なんで、ボクの大発見を認めないんだ……(涙)、
そうだ!おまえらみんなボクを陥れようとする、悪の秘密結社なんだ!
ボクの悪口言うやつは、みんなけいむしょ行きだ!」
31日本@名無史さん:2007/11/07(水) 13:54:20
>>21
◎『家臣処分の公式記録は無いんだろ』?
「自分で史料を読め」としか言えないな。この程度のことなら君の得意の『大wiki辞典』にも出てるんじゃね?
32日本@名無史さん:2007/11/07(水) 14:06:10
>>22
◎『信長の命令で泣く泣く信康を切腹させた。だから同情して褒め言葉を書いた』?
意味が分かりません。『無理矢理殺させられた息子は優秀でしたなぁ、あんな息子はなかなか出来ませんよ』が褒め言葉になるの?嫌味にもとれますが。

◎『名無しの権兵衛で、家康も頭を下げる権力者?世間は納得しないさ』?
納得してないのは君のみでしょうが(笑)
そもそも『権力者』とはちょっと違うよ。
わからないならわからないままでいいって。どうせ関係ないんだから。しつこいね。
33日本@名無史さん:2007/11/07(水) 19:05:19
つまらん盗作か、コピーか、偽造で儲けている犯罪者の口車、圧力に乗せられないようにね。
彼らの言うことを聞いていると、最後にはペテン、詐欺、偽物に引っかかって泣くのが関の山。
本能寺の変においては、私のみが本物の「真実の口」である。

本能寺の変、天正十年六月二日、京都本能寺における当時の天下人織田信長襲殺事件、
明智光秀一万三千の軍によるクーデターとされる事件、
それなくしては、豊臣秀吉、徳川幕府、明治維新さえ存在しなかったのではないかとされる歴史の大転換点、
それについて、様々に言われていた容疑者、動機、その他の疑惑の謎は、全て解明された。
その答えは「朝廷説」、明智光秀の軍事同盟者は柴田勝家だった。

そして、戦国史最大の暗号「本能寺・コード」、、、
真相「京都秘密文書」は実在する!!

後の柴田勝家と羽柴秀吉の決戦は、偶然ではなかったのである!


34日本@名無史さん:2007/11/07(水) 19:17:04
>>33
「京都秘密文書」って最近書かれたものですか?
「京都」という地名が出来たのは明治維新後で、
当時は都のことを「京」といいますよね?
「秘密」という用例も最近のものですね。
「自由」とか「秘密」とか明治維新後に新しくできた言葉ですよ。
35日本@名無史さん:2007/11/07(水) 20:14:44
京都の人間は光秀に感謝して神社まで建てて祀ってたと誇らしげに語ってたなw
○が言う神社とは御霊神社で場所は丹波福知山なんだけどねw

○曰く、丹波福知山まで京都らしいw
36日本@名無史さん:2007/11/07(水) 20:18:18
前スレで大庭博先生が解明した、驚愕の歴史の真実

>「前田安土日記」前田家の記録だろ。風説を書きとめているだけ。
『安土日記』の著者に対する新説を発表。

>天下のご意見番大久保彦左衛門が、
>徳川実紀や三河物語など、その他の正式な記録を読んでいないとでも言うのか。
大久保忠教の没年と、徳川実紀の成立年代に注目。彦左は不老不死か?
三河物語が正式な記録という新説も見逃せません。
そもそも、三河物語の作者は彦左ではないのか!?
驚くべき新説が凝縮された一文です。
37日本@名無史さん:2007/11/07(水) 20:28:51
●「ほら、大久保彦左衛門の言葉をくれてやろう」
自分はこれを読んだがも信頼できるのは三分の一、似たものが三分の一、三分の一は事実無根。
太田牛一は贔屓のものを良く書いているとひどく低く評価。

大久保忠教が太田牛一の信長公記をこう評価したというのも追加なw
これ甫庵信長記への評価なんだけどさw
38日本@名無史さん:2007/11/07(水) 20:30:21
前スレで大庭博先生が解明した、驚愕の歴史の真実

>馬鹿いえ。小瀬甫庵がどうして誰も知らない登場人物を贔屓して書ける?
>周囲の武将を金など貰って贔屓してよく書けるのは、彼らを知ってる太田牛一だけ
一般的に史料価値を疑問視されがちな、甫庵の信長記を
「特定の人物への贔屓などない」と史料価値を一転させる一言。
一方牛一は、金貰って贔屓して書いてるそうです。

>信長の最初の戒名は「天徳院」、さて朝廷に「天徳」なる元号がある。
>なぜ、三年で終わったか、その理由を述べてもらおうか?
天徳は三年で終わったという新説。
是非理由を教えていただきたいものである。
39日本@名無史さん:2007/11/07(水) 23:36:30
>>33 「京都秘密文書」去年の9月頃、○博が突如言い出したスローガンのひとつ
以前は、「細川家への明智光秀自筆の手紙」云々を騙ってましたね

「本能寺・コード」これもスローガンのひとつ
今年1月29日にTBSで放映された「バチカンに眠る織田信長の夢」の
「信長の死にまつわるキーワード=信長コード」からのパクリ

「明智光秀の軍事同盟者は柴田勝家」っていうのも、今年になって
突然言い出したスローガン


よって、10年前に自費出版した『聖戦マハーカーラの女 本能寺の変の真相』
という三文小説の中では一切触れられていません。その本の中では、傍証の
全く無い御託を並べて、語呂合わせの暗号解読に終始しているシロモノ。
40日本@名無史さん:2007/11/08(木) 01:49:25
>>38 「天徳」うんぬんについて

○のブログで以下のように記している
『織田信長の最初の戒名、記録や絵の裏にある「天徳院」を思い出すだろう。
天徳年間は災いが相次ぎ、三年で終わった。理由は「天徳は火雷天神の号に
して忌むべし」であること』

▽天徳期は天徳元年(西暦957年10月27日)天暦から改元から天徳五年(西暦
961年2月16日)応和に改元の間を指すが、3年では終わっていない。
ちなみに天徳期の災害で確認できるのは、天徳四年(西暦960年9月23日)に
内裏が火災で全焼したとの記述が『扶桑略記』に見られる程度である。

▽改元理由も天徳五年が60年に1回の辛酉(かのととり、しんゆう)にあたる
ことによるのであり、『災いが相次』いだことでも、『「火雷天神の号にして
忌むべし」であること』などで改元されたわけではない。

ましてや死んだあとで付けられる戒名を信長自身が生前から決めていたと
いう証拠もないので、元号「天徳」と『信長の最初の戒名は「天徳院」』
との間には全く関係性は見出せない。
41日本@名無史さん:2007/11/08(木) 09:47:37
そもそも、日本史の基礎が分かってない博くんは
辛酉の年の意味とか知らないだろうな。

今日慌ててwikiを調べて知ったかするに一票。
42日本@名無史さん:2007/11/08(木) 10:07:16
「京都秘密文書」は何ページ?

『津島牛頭天王と信長』の著者、出版元は?

なんでこんな簡単な質問にも答えられないの?
この程度も答えられないようじゃあ、議論以前の問題。
今日もこたえられないのかな?
43本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/08(木) 10:14:24
>>●「後継者に不安があったら、家康は派閥争いくらいで信康を殺せないだろ?」の答えになってないな。
それなら「後継者に不安があったが、信長の命令だからやむなく殺した」の私の説の方がはるかに成り立つ。
●君の説は派閥争いが原因だろ。派閥争いは家康一人でやるのか?周囲に人はいないのか?
>>28●「家康から安土の信長への信康問題の使者は何回? その口上、文書は?」
文書は無いんだろ? 無いならはっきり書けよ。
ただの仮説で証明は無理とかね。

44日本@名無史さん:2007/11/08(木) 10:16:42
このスレの内容を要約すれば

大庭博「本能寺の変の黒幕は朝廷なんだよ。ボクのこの新発見が真実なんだよ
特別に300万円くれたら教えてやるぜ」
「へー。じゃあ、その根拠はなに?まず、証拠みせてよ」
博「え…、いや…、証拠はあるけど…、それは秘密。お前たちには見せられないね。
世界でただ一人、ボクだけが真実をしってるのさ。」
「なんだ、証拠もない妄想か、馬鹿馬鹿しい。」
博「うるさい!うるさい!ボクだけの秘密だけど、ホントにあるんだよ!
そんなこともわからないお前等が馬鹿なんだよ。ばーか」
「はいはい、勝手に一人で妄想してろ」
博「おまえら…なんで、ボクの大発見を認めないんだ……(涙)、
そうだ!おまえらみんなボクを陥れようとする、悪の秘密結社なんだ!
ボクの悪口言うやつは、みんなけいむしょ行きだ!」
45本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/08(木) 10:29:58
>>29●家康の命に係わるお家騒動、派閥問題で、
その処分が一年後というのは明らかに間があきすぎる。
>>31●「家臣処罰の記録無し」
君の説の基本は松平記、安土記の「信康の謀叛の雑説」とか言ってなかったか?
いずれにせよ、派閥抗争で、家康の長男、妻が殺される大事になったのに、中心となった重臣、
中心人物の処刑、切腹が続いて無いのはおかしい。家康の身内まで殺した以上、
この際、膿は出しつくすとやるのが普通だからね。
>>32●「使者」だから、家康から安土の信長まで、信康問題で何回使者が行き来したか?
残っているそのときの書状、口上、信長の様子、言葉だよ。
●家臣の処分、記録、命令書なし。当然だな。信長の要求だもの。
●もし本当に家康が信康を謀叛、派閥抗争で殺したのなら、神君への侮辱、その判断への疑惑になるから、
信康への褒め言葉など大久保彦左衛門は一行も残さないね。泣く泣く殺した神君への同情だから残せたのである。
●「名前も無い権力者」
どう考えても疑惑の「御●●●」との「仲直し」は
「五徳姫との仲直り」としか思えないね。信長の娘を侮辱するような言葉が一言でも出たら
家康は追放するしかなくなるだろう。

46日本@名無史さん:2007/11/08(木) 10:33:05
このスレの内容を要約すれば

大庭博「本能寺の変の黒幕は朝廷なんだよ。ボクのこの新発見が真実なんだよ
特別に300万円くれたら教えてやるぜ」
「へー。じゃあ、その根拠はなに?まず、証拠みせてよ」
博「え…、いや…、証拠はあるけど…、それは秘密。お前たちには見せられないね。
世界でただ一人、ボクだけが真実をしってるのさ。」
「なんだ、証拠もない妄想か、馬鹿馬鹿しい。」
博「うるさい!うるさい!ボクだけの秘密だけど、ホントにあるんだよ!
そんなこともわからないお前等が馬鹿なんだよ。ばーか」
「はいはい、勝手に一人で妄想してろ」
博「おまえら…なんで、ボクの大発見を認めないんだ……(涙)、
そうだ!おまえらみんなボクを陥れようとする、悪の秘密結社なんだ!
ボクの悪口言うやつは、みんなけいむしょ行きだ!」
47本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/08(木) 10:46:44
>>40●本当に愚かだな。しかも「扶桑略記に載ってる別話」は無視。
しっかりココログのブログを読まないんだろ。
●「天徳年間、内裏の全焼は朝廷を震撼させました」
ちなみに天徳→火神、火雷天神の号というのは常識です。
菅原道真公の号は「太政威徳天」なのです。従ってこのことは朝廷を震撼させ、
内裏火災という前代未聞の災難と、菅原道真公の関係がささやからました。このとき焼け跡の柱から、
有名な「句」が見つかっています。「つくるともまた、、、」という句で、
扶桑略記にも話があります。
朝廷はつぎの「応和」の元号を菅原文時につくらせました、
そして様々な法事をしたのです。
●信長の自らを神とした総見寺本尊、十一面観音は菅原道真公の本地物。
そして「天主」をつくり、中に住み、自らを神と豪語した信長。
その男は牛頭天王を氏神としていた。
「天王」そして彼が許したキリストの神は「天帝」でした。
●そして「天徳院」は、すぐに「泰巌安公」と変えられました。
48日本@名無史さん:2007/11/08(木) 10:52:46
このスレの内容を要約すれば

大庭博「本能寺の変の黒幕は朝廷なんだよ。ボクのこの新発見が真実なんだよ
特別に300万円くれたら教えてやるぜ」
「へー。じゃあ、その根拠はなに?まず、証拠みせてよ」
博「え…、いや…、証拠はあるけど…、それは秘密。お前たちには見せられないね。
世界でただ一人、ボクだけが真実をしってるのさ。」
「なんだ、証拠もない妄想か、馬鹿馬鹿しい。」
博「うるさい!うるさい!ボクだけの秘密だけど、ホントにあるんだよ!
そんなこともわからないお前等が馬鹿なんだよ。ばーか」
「はいはい、勝手に一人で妄想してろ」
博「おまえら…なんで、ボクの大発見を認めないんだ……(涙)、
そうだ!おまえらみんなボクを陥れようとする、悪の秘密結社なんだ!
ボクの悪口言うやつは、みんなけいむしょ行きだ!」
49惟神塾へようこそ:2007/11/08(木) 10:57:19
 重力の謎から本能寺の変の謎まで解明した私にとって解けない謎は唯一つ、神の一
厘の仕組みである。
 日本は世界文明の発祥地で世界一優秀な民族国家
 日本で発見されたペトログラフの中に独自の神代文字、甲骨文字、アルファベット
以前のオガム文字等が含まれており、彦島のペトログラフの人物文様はインカ文明の
人類滅亡を暗示する石版の人物文様と酷似している。しかし、何者かによって傷つけ
られた。この文様が捏造された物なら無視すれば良い。真実の隠蔽を図るメーソン支
配の考古学会の仕業である。上高森の旧石器遺跡も捏造にされた。
 日本の上古には文字が無かったとするには無理がある。なぜ、漢字に音訓読みがあ
るのか。日本語なら訓読みだけで良い。日本は中国や朝鮮に支配されていたから、漢
字使用と音読みを強制されたのである。その反発から神代文字から平仮名が作られた。
日本の国体を破壊して魔道に落す為に、神道に蓋をして悪魔の仏教を普及させた。日
本は世界文明の発祥地であり、日本の天皇が世界を統治して天の浮船で巡回していた。
天皇が各国の言葉と文字を制定して教えた。日月神示の石がものを言うとはこの事を
指す。釈迦、キリスト、モーゼ、孔子等が日本へ留学していた。竹内文書が言ってい
る。中国の文化が日本に伝わったと言うのは嘘で、中国が日本の文化を盗んだのであ
る。胡散臭いの胡は中国を指す。メーソンや中国等が日本を攻撃するのは日本の復活
を恐れているからだ。日本人が大和魂を発揮させたら悪は眩しくて目が開けられない。
 日本人が良くならなければ世界の人民は良くならない。今の様に腐ったままでは肥
料にもならない。
 霊界は現界の隣に存在し、霊界で起きた事が鏡に写る様に現界に現れる。空中から
物質が現れる現象は霊界から霊体が物質に変化するのである。反物質は霊体である。
幽霊は霊界にあるべき物が現界に留まっているのである。
50本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/08(木) 11:03:15
>>39「本能寺・コード」
ダビンチコードに勝るとも劣らぬ、実在の暗号・「本能寺・コード」でこちらが先。
ちなみに「ノブナガ・コード」は何も番組で出なかったぞ。
「柴田勝家」
「聖戦・マハーカーラの女」がキーだよ。
で、ココログのブログには、その柴田の同盟の理由が載せてある。

●全く天徳に「扶桑略記」を出しながら、それに載る「有名な逸話」は載せてない。
プロパガンダをしてもすぐにぼろが出るぞ。

 ひとつの歴史の真実の解明は、もうひとつの巨大な迷宮も解明する。
そして、実はその方が重要であることが多い。
「聖戦、マハーカーラの女」博君著。

国家の真実は揺るぎもしない、、、





51日本@名無史さん:2007/11/08(木) 11:15:33
ダビンチコードはフィクションだから、○自ら三文小説認めたんだw
52日本@名無史さん:2007/11/08(木) 12:10:41
>>47
これまた、ひどい知ったかに出鱈目だなw

>ちなみに天徳→火神、火雷天神の号というのは常識です。
>菅原道真公の号は「太政威徳天」なのです。

「太政威徳天」の最後をひっくり返して「天徳」ってこと?
いつものお得意の言葉遊びを、勝手に常識といわれてもねえ。
君の脳内の常識と、世間の常識を混同しないように。

百歩譲って「天徳=太政威徳天」を連想するとしよう。
しかし「太政威徳天」と呼ばれるようになったのは、天徳年間よりずっと後のこと。
まともな人なら「太政」の字からも分かるはず。
「天徳は火雷天神の号に して忌むべし」
なんて、天徳年間に言う人など、まずいるわけがない。

「つくるともまたもやけなむ〜」の句は『大鏡』に見える有名な話。
「円融院の御時」の話と言われている。
さあ、「円融院の御時」がいつのことか、博くんにわかるかな?
ちなみに「焼け跡の柱」ではなく、内裏の天井の裏板ね。
随分俺の読んだ『大鏡』の話と違うが?『扶桑略記』にはそうした話が載ってたのか?
だったら『扶桑略記』のどこにあったのか教えてくれ。

とまあ、博くんの話は、あいもかわらず歴史の知識がないことがバレバレ。
で「天徳が三年で改元された」理由はなんなんだっけ?
53日本@名無史さん:2007/11/08(木) 12:15:01
>>43
◎『答えになってない』?
??
家康が「信康によって追放されるかもしれない」という猜疑心にかられたら後継者のことなんか考えられないでしょ?
「後継者に不安があったが自分の身を守る為やむなく信康を処分した」でもおかしくない。
◎『派閥争いは家康一人でやるのか』?
あのさ、もう一度あっちのスレ読み返してきてよ本当に。
私が派閥争いをしてたのではないかと書いたのは家臣達で、家康ではありません。
◎『使者の回数、口上、文書は?』?
本当にわからない人だな君は。
君が前のスレで酒井忠次が安土を訪れたと書いたのはお忘れですか?
これは仮説ではなく史料に残されていることだ。書状、口上、知りたければ史料読んで下さいね。
きっとここで私が全文を書いたところで君は納得しないだろう。自分の目で確認しなよ。
54日本@名無史さん:2007/11/08(木) 12:29:31
>>45
◎『一年後は長すぎる』?
ことは重大であるだけに時間をかけた、でおかしくないと思うけど。
◎『家臣処罰の記録無し』?
前のスレ読み返してこい。
◎『謀叛、派閥争いで信康を殺したなら大久保彦左衛門は褒め言葉を書かない』?
妄想で話をしないで下さい。
55日本@名無史さん:2007/11/08(木) 12:46:28
>>45
◎『御●●●は五徳に間違いない』?
確かに一般的には尾張『御新造』、五徳ではないかと言われている。
だがこの『中なをし』の時、家康は軍勢を率いて岡崎に入ったとも言われている。
若い息子夫婦の喧嘩の仲裁に軍勢?二人の中はそこまで険悪だったのか?
ならば信康の切腹が申し渡されたときに五徳が助命嘆願をしたという事実もおかしくなる。
ということは『御●●●』は五徳ではなく別の誰かでは?という推理もできる。
56日本@名無史さん:2007/11/08(木) 12:54:32
>>45
◎よく考えてみろ。家忠が日記に『御』をつけて書く人物は他にも数人いるぞ?
そして前に出したヒントに当てはまる人物…となればかなり絞られるはず。
◎それでは質問だ。
「どうして自分と逆の説を書いた史料は読みもしないのに『自分の説は真実、間違いない』と言い切ってしまうんだ?」
57日本@名無史さん:2007/11/08(木) 13:35:12
>>50 『ココログのブログには、その柴田の同盟の理由が載せてある。』って
今年の5月から7月までに書き込んだ与太話じゃないか

10年前に自費出版した三文小説には「柴田勝家」はないよね
58日本@名無史さん:2007/11/08(木) 14:17:39
○は◎に対して状況証拠しかないとか言ってたが確たる証拠がないから現代でも真相は謎とされてるわけで。
しかも○は◎が出したその状況証拠に対して自分の想像でしか反論出来てない。
幕府の正史に信康処刑が信長の命令だったという記述があるってだけでは証拠にもならんし、それ以外の証拠はあるのか?
○は◎と違い『信長の命令で間違いない』と決めつけてるんだからきっと何か証拠を持っているんだろうよ。
59日本@名無史さん:2007/11/08(木) 16:18:15
『京都秘密文書』には全てが記されています。

でもそれは門外不出なので公開できませんし、その所蔵先もお教えすることは出来ません。

by○大庭博●


60日本@名無史さん:2007/11/08(木) 20:00:14
>57
>10年前に自費出版した三文小説には「柴田勝家」はないよね

ない。全然ない。
61日本@名無史さん:2007/11/08(木) 21:14:58
確かに初版には無いが、第二版にはあるんだよ。
ただし、前回出版時の費用が回収できず借金が返済できていないから出せないだけ。



62日本@名無史さん:2007/11/09(金) 09:51:56
今日も

『津島牛頭天王と信長』の著者、出版元は?
「京都秘密文書」は何ページ?

という質問には答えないの?
なぜこんな簡単で、議論の基礎の問題を答えないの?
それでほんとに議論挑む気あるの?
63日本@名無史さん:2007/11/09(金) 10:20:38
光秀に纏わる伝承って、実は「小栗判官伝説」に擬えらたものなんだよね。

権力闘争の煽りで生まれた城を追われたというのもそうだし、
光秀の妻の名前の「照子」が「照手姫」からとったものであることは、
円徳寺の伝承からも明らか。
その終焉の地名が奇しくも「<小栗>栖」であったことが一因かもしれない。

『明智軍記』に記されている辞世の句も、<小栗>つながりで「越後騒動」の
小栗美作のそれを盗作した考えられる。
64本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/09(金) 10:23:42
>>53●馬鹿言うな。当時の権力者は後継者に不安があったら長男を殺すか。
すぐに跡目争いが起こるからな。しかも疑心暗鬼? 家康がそんな甘い人間でないのは、
明らか。一方的で、何も下調べしないような人間でないのは常識。
●君が一回の使者で信長が信康殺しを快諾したように書いたのである。
するとそれが前にも使者がいたという。
●結局、何も信長への使者の口上、文書、手紙は出せない。
ただの状況証拠のみ。では仮説は成り立たない。
65日本@名無史さん:2007/11/09(金) 10:27:02
>>62
>なぜこんな簡単で、議論の基礎の問題を答えないの?
 それでほんとに議論挑む気あるの?

全ては借金を返済し『マハー』の第二版を出版した上でじゃないと
始まらないんだよ。
だから誰か300万出してあげてよ。
66本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/09(金) 10:35:53
>>54●原因は派閥争いで、ついに家康は信康を殺したと書いたのは君。
ところが、家康の妻、長男を殺しているのに、対立する派閥の重臣、家臣は殺されてない。
考えてみろ、そこまで犠牲を出したのに、原因を処罰しない、切腹させないということがあるか?
●あるいは家臣で信康を庇って切腹したものもいない。次の跡目の信康の命を助ければ、家の繁栄は確実なのにな。
●それにまかり間違えれば自分らも粛清されるおそれがあるのに、一年も対立する派閥が何もしない、謀叛の軍をあげない?
派閥争い,つまり権力争いがそんなにのんびりしてるか?常識無いぞ。
●家康の独断で信康を殺したのなら、大久保は絶対に神君への侮辱になる信康への褒め言葉とか残さない。常識。
残せたのは信長の命令で泣く泣く殺したから。君こそ都合の悪い文献を無視するな。
>>55●仲直りに軍隊? 自分、徳川家の威光を徳姫に見せ、夫をよく頼らせようとしたかもしれんだろ。
後に徳川家は将軍位就任時だったか、威光見せつけのために、
無用の大軍を京都に連れて行ったりしている。
67本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/09(金) 10:46:18
>>52「天徳」について。
ひどい知ったかぶりをするな!

ちゃんと当時、火災ー火神ー「火雷天神」というのは認識されていたよ。
ちなみに菅原道真公の生まれ変わりと豪語した平将門の旗は「火雷天神」。
●「太政」 ははっ、知ったかぶりをしたな。当時「太政官」というのがちゃんとあって、
右大将に天文など進言したのが記録にある。
「天徳」火神、菅原道真公と関係あるとおもわれていたから、菅原道真公の孫菅原文時が起用され、
「応和」の号が選ばれたんだよ。
円融院のときも火災があつたが、火災のショック、規模が朝廷に一番大きかったのは天徳で、
「扶桑略記」の記載が適当であろうとされている。

信長の時にはとっくに菅原道真公「太政威徳天」だったのだがね。
しかも牛を大事にされ、愛されたことから天満宮は「牛天神」とも呼ばれた。
68日本@名無史さん:2007/11/09(金) 10:51:39
前世の記憶が蘇った男が語る本能寺の変の真実

【夢】>>415の話をまったり待つスレ【前世】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/occult/1186729847/
69本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/09(金) 11:01:27

「天徳は、火神、火雷天神の号にして忌むべし」
そう思われていなければ、どうして元号を変える等の大事をすぐするだろうか?

「聖戦、マハーカーラの女、本能寺の変の真因」博君著。

歴史の真実は唯一無二で、二番目というものがない。
70日本@名無史さん:2007/11/09(金) 11:17:12
>>67
相変わらず、文章理解能力と、歴史知識が皆無だなw

>ちゃんと当時、火災ー火神ー「火雷天神」というのは認識されていたよ。
>信長の時にはとっくに菅原道真公「太政威徳天」だったのだがね。
お前の主張は、天徳年間に道真が「太政威徳天」と呼ばれているという前提だろ。
だから、天徳年間に「太政威徳天」とはまだ呼ばれていなかった。
と、その誤りを指摘した。「火雷天神」について言及した覚えはない。
何論点そらしてるんだ?

>●「太政」 ははっ、知ったかぶりをしたな。当時「太政官」というのがちゃんとあって、
いや、太政官の存在なんて、中学生でも知ってる常識だけど、何そんな自慢気に語ってるのwww
俺の指摘の意味が全く理解できてないみたいだね。
道真死後の件をしっかり勉強してればわかるはずなんだけどなあ。

相変わらず論点ずらして、相手の指摘と関係無いことを偉そうに語り、さも論破したような顔をする。
全く呆れた卑怯者だな。

で、『扶桑略記』のどこに「つくるともまたもやけなむ〜」の話が載ってたの?
71日本@名無史さん:2007/11/09(金) 11:29:30
>>69
>「天徳は、火神、火雷天神の号にして忌むべし」
>そう思われていなければ、どうして元号を変える等の大事をすぐするだろうか?

日本史上の改元の例と、
天徳がいつまでつづいたか(君は3年までだと言い張ってるがwww)
>>40の指摘する「辛酉」の意味
以上をよく勉強してから出直しておいで。
>>70で指摘した件もちゃんと勉強しなおしてくるんだよ。

基本的な知識が欠如しているから、的外れな妄想ばかり語り、
テレビや小説で聞きかじった知識なので、具体的な史料の説明・引用が出来ず
時系列、常識完全無視の、言葉遊びに暗号ごっこで、歴史学をやってる気分になってる。
そんな愚昧な三流作家、大庭博。
72日本@名無史さん:2007/11/09(金) 11:34:26
そうそう
>円融院のときも火災があつたが、火災のショック、規模が朝廷に一番大きかったのは天徳で、
>「扶桑略記」の記載が適当であろうとされている。

というのは、誰によって「適当である」とみなされてるの?
その研究者と著作もちゃんと提示してね。
73日本@名無史さん:2007/11/09(金) 13:48:41
>>64
◎『当時の権力者が後継者の不安があったら長男を殺すか』?
「後継者の不安」と「自分がその後継者に追放されるかもしれない恐怖」、未来の不安より自分の身を守ろうとするのが当然でしょ?
自分が追放されるかもしれないのに後継者の不安なんか問題じゃないだろうがw
◎『信長が一回の使者で納得』?
もう一度言うぞ?私は一回きりとは書いてないし、君自身が家康が堀秀政に忠次を行かせるという手紙をやった以前に忠次が安土に行ったことを書いてるよ?そして私はそれを否定してないけど。
それからもし一回の使者で信長が信康処刑を承諾したら何がいけないの?
娘婿とはいえ結局は徳川の嫡男。その徳川の当主家康が生害を相談してきたら、信長は「好きなようにしなさい」と言ってもおかしくはないはずだが。
74日本@名無史さん:2007/11/09(金) 13:48:49
>>67 『菅原道真公と関係あるとおもわれていたから、菅原道真公の孫菅原文時が起用され』

どうも平安時代以降の改元の手順の基礎を知らないようですね
@天皇の勅命で新元号の選定作業開始
A勅命を受けた大臣は文章博士らの元号案を勧申
B文章博士らが中国の古典に基づいて二文字からなる佳字を選定し、典拠を付して録上
C大臣以下参議等はその案文について審議
D候補を絞り込んで上奏
E裁可を得て詔書を以って交付

昌泰四年(西暦901年)辛酉革命の為、延喜に改元
延喜三年(西暦903年)菅原道真死去
延喜ニ三年(西暦913年)延長に改元 道真右大臣に復し贈正二位
延長八年(西暦930年)清涼殿落雷事件、菅公の怨霊の仕業と噂
天暦元年(西暦947年)北野天満宮を創建
天暦十年(西暦956年)菅原文時、文章博士
天徳五年(西暦961年)応和への改元
75日本@名無史さん:2007/11/09(金) 14:23:29
>>66
◎『派閥争いで信康が死んだのに、他の家臣は処罰されない』?
参ったなぁ…どう話せばいいんだ。
私の仮説は、派閥争いしてたのは家臣達。そして酒井忠次の讒言から信康へ対する疑惑が浮かび上がった、ということだ。
いいかい?派閥争いはあくまでも信康の『逆心の雑説』の裏にあったってことだよ。
◎『庇って切腹した家臣がいない』?
そりゃそうだろう。家康から岡崎家臣団に対して引き揚げ命令が出される。この後に信康に下手に接触したり、信康を庇ったりして信康の担ぎ手とされれば処罰を受けるからな。
そういや信康は自分が信頼する家臣以外に対しては非常に冷たかった、なんて話も聞く。他の家臣は信康を庇う気なんて無かったかもなぁ。
76日本@名無史さん:2007/11/09(金) 14:35:19
>>66
◎『家康の独断で信康を殺したなら大久保は家康を侮辱する言葉、信康を褒める言葉は書かない、常識』?
君が勝手に妄想で作り上げた大久保の人格を根拠にしてるので別に答えなくていいですね?
◎『軍勢を率いての岡崎入り=徳川の威光を五徳に示すデモンストレーション』?
徳川に嫁に来てて何故今さら徳川の威光なんてものを示す必要があるんだw
むしろ家康が岡崎へ軍勢を率いて行かなければならないほど家康と信康は緊張関係にあったともとれるよ。
77日本@名無史さん:2007/11/09(金) 15:24:19
○は「本能寺の変」を騙ってるつもりなんでしょうが、
信長のことも家康のことも、勝家のこともな〜んも知らないようで・・・
秀吉や光秀のこととなると、全く触れてこないのは何故?

アマゾンの商品説明にある内容書き(「BOOK」データベースより)
『謎の女に手渡されたある作家の創作メモ。そこには、本能寺の変の真相を
解き明かす、新しい衝撃的な解釈が隠されていた…。明智光秀は果たして
本当に裏切り者だったのか、それとも忠臣だったのか…?そして秀吉、
信長の金印に秘められた謎とは…?新説・本能寺の変―今、定説は覆される。
新証拠により、四百年に渡る英雄信長・光秀・本能寺の変の謎を解き明かす
最大の衝撃作。』

『秀吉、信長の金印に秘められた謎とは』
これに関しては、一度も触れてこないね
ひょっとして、ひつこく騙ってる「牛」のこと?
78日本@名無史さん:2007/11/09(金) 16:04:17
◎はっきり言ってしまえば○よ、ここで言い争ったところで『信康切腹は信長の命令か否か』の結論は出ない。決定的な証拠がないからだ。
◎徳川正史には『築山、信康の武田内通を疑った信長の命令』とある。
しかし『信長の命令ではなく家康からの上申』だったという史料も複数あり、『信長の命令』にしては不自然な点がいくつも指摘されている。
・信長は同盟関係だった徳川に対し何故遺恨が残る命令を出したのか?
・同盟関係だった信長に後継者を殺せという命令を受け、何故家康は助命嘆願をしないのか?
・信長がこのような命令を出せば当然徳川の離反ということを考えた筈だが、それに対する備えをした形跡がないのは何故か?
・当時衰退していた武田に内通するメリットがあったのか?
・正史によればことの発端が五徳なのに何故その五徳が助命嘆願をしたのか?
…等々。
79日本@名無史さん:2007/11/09(金) 16:20:44
◎そしてそれらの疑問を払拭できるだけの証拠もなく、○独自の特異な解釈による『妄想』での反論のみ。
◎かといって前に挙げた疑問も状況証拠でしかなく、『家康からの上申』を裏付けるものでもない。
◎一番の問題は『前田本安土日記』の存在すら知らなかった○が、何故『信長の命令に間違いない』と言い切れてしまうか、なのだ。
80日本@名無史さん:2007/11/09(金) 16:47:18
>>77
大庭博先生によると、アマゾンで売ってるのは偽物らしいwww
だから、真実を知りたければ、自分に直接300万円振り込んで買えと仰ります。
81日本@名無史さん:2007/11/09(金) 23:05:32
>77
>『秀吉、信長の金印に秘められた謎とは』
>これに関しては、一度も触れてこないね
>ひょっとして、ひつこく騙ってる「牛」のこと?

「見てください。決して『天下布武』との文字に印鑑は見えない。
『天』は『元』の字に見え、『下』の字は三線を並べたように見える。
一番上の線は両端が上がって角の形、二線目は下顎の形、三線目は鼻の形に似る。
つまり『牛の顔の絵』です。
さらに『布』は二本の三股の鉾を置いたように書かれ、
一番目の鉾の刃先の一刃に根元のついた二本目の鉾が下に向かって伸びている。
これは『三神一体の神から分かれた三面一体の神』を意味しているのでは?
つまりシヴァの分霊マハーカーラの意味です。
最後の『武』の字はどう見ても人の顔に二本の角が生えた絵、つまり『鬼神』。
印鑑は本当はこう読むのが正解なのではと。
『元の牛。三神一体の神から分かれた三面一体の神にして鬼神』。
これはマハーカーラ、或いは聖天・茶吉天・弁財天の三顔の摩多羅神、
つまりはその原点牛崇拝と暴風雨神ルドラの重なった三神一体のシヴァ神をも
意味するのではないですか。
『元』も三神一体を意味できるように、上下に三線が合わさっていますね」(p284)

「ええ。豊臣という字と比べるとかなり変わった形をしているのが分かるでしょう。
これは『豊』の上の『曲』の部分が角ある顔、その下の『線』が片手を上げている形、
『豆』の部分が人の胴体、つまり『牛頭人身』を示し、
『臣』の字は頭に二本の角のある横顔、鬼を表しているんですよ」(p408)

…博くんの解釈には夢が溢れている。
82日本@名無史さん:2007/11/10(土) 01:42:54
>>77「秀吉、信長の金印」???

秀吉の蚯蚓印は鋳銅製だろうし、信長の「天下布武印」も本物ってないから
○は、なんで金印って判ったんだろうね
83日本@名無史さん:2007/11/10(土) 05:55:15
全ては『マハー』第二版に書いてあります。



84日本@名無史さん:2007/11/10(土) 16:21:28
○「本能寺の変、425年目の真実」 :2007/02/06(火) 10:39:12
○そろそろ人大杉、人多すぎ状態をなんとかしてくれ。
自由に書き込めないぞ。
○信長は剣術とか、兵法を誰に習ったのか?
85日本@名無史さん:2007/11/10(土) 16:23:25
86日本@名無史さん:2007/11/10(土) 18:08:39
博くんは馬でも鹿でも牛に見えるんだなw
87日本@名無史さん:2007/11/10(土) 22:43:31
そもそも大久保彦左衛門が書いた「三河物語」は、
信康切腹は信長の命令のためとしているんだから、
そこで信康を褒め、その死を悼んでも神君家康を侮辱すること
にはならないだろ。
家康は被害者とされてるんだから。
この事件は家康が信康の処分を決め、信長はそれに承諾を
与えただけだと考えるが、その事実を徳川家の正史では
加害者だった家康を被害者に、信長を加害者にすりかえて
いるのだと思う。
何しろ神君が加害者、つまり妻子殺しなどとは口が裂けても
言えないからな。
88日本@名無史さん:2007/11/10(土) 22:53:26
信長の命令ということにすれば徳川家に屈辱的だと○は
言うが、江戸時代の民衆はそうではなく「そういう理不尽な
命令を出した横暴な信長を憎んだ」ようだ。
信長は秀吉とは対照的に、江戸時代には武士にも庶民にも人気が
なかった。
信康を信長が殺させた件は新井白石も信長を非難するネタの一つに
している。
89日本@名無史さん:2007/11/10(土) 23:12:08
徳川家の正史では家康と信康の間には何の問題もなかった
ところへ、信長が半ばいちゃもんのような難癖をつけて
信康を殺させたことになっている。
ところが一次史料の「松平家忠日記」では、この父子の
間が決して安穏ではなかったことが窺われる。
死後神となった家康に、親子間の争い、お家騒動があった
ことが後世に伝えられるのは望ましいことではあるまい。
一次史料の「家忠日記」と、
家康美化が目的の徳川正史。
どちらに信が置けるかは言うまでもなかろう。
90日本@名無史さん:2007/11/11(日) 02:01:32
>>66 『派閥争いで信康が死んだのに、他の家臣は処罰されない』

▽信康の自刃後に蟄居又は出奔した家臣(西三河衆)
平■■吉、長沢■忠、■多■富、■■直勝、伊■忠■など
(資料の読めない○だけに解らないように伏字にしてみました)
91日本@名無史さん:2007/11/11(日) 07:29:04
信長の命令ということにしたら屈辱?
そんなことより権現様が息子に謀反を起こされ
結果妻子を殺したとありのままに認めることの方が
幕府の御用学者には出来なかったろう。
だから信長の命令ということに捏造した。
屈辱などという発想は彼らにはなかったはず。
同盟とは言え家康は当時、信長の軍事指揮権に従って
姉川ほかに軍勢を出していた。
92本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/11(日) 07:29:05
>>90
>伊■忠■
伊能忠敬だろ。
そのようなこと伏字にしても、唯一無二の真実の資料をもつ私の前には、何の意味も無い。
93本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/11(日) 08:03:19
>■■直勝
山口直勝だろ。
そのようなこと伏字にしても、唯一無二の真実の資料をもつ私の前には、何の意味も無い。
>>90
>伊■忠■

伊藤忠商事だろ?
1文字足りないのはひっかけだな
95本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/11(日) 08:55:43
>>90
> 平■■吉
平安橘吉だろ。
そのようなこと伏字にしても、唯一無二の真実の資料をもつ私の前には、何の意味も無い。
96:2007/11/11(日) 09:09:37
日本史ネタの自費モノは
中身が最悪な勘違い系
地域の市立図書館で
知らずに借りて怒った
こと思い出した
97惟神塾へようこそ:2007/11/11(日) 10:28:49
 30万人の死者を出したスマトラ沖地震は神の最後通牒
 日月神示は言う。これだけに、世界に荒事をさして見せて、神示通りに出て
来ても、まだ、目醒めんのか。まだまだ改心中々じゃなあ。悔い改めよ。恥じ
畏れよ。
 一日に十万人、人死に出したら神の世が愈々近づいたのざから、よく世界の
事を見て皆に知らして呉れよ。北(ロシア)から来るぞ。神は気も無い時から知
らして置くから、よくこの神示心にしめて呉れよ。一日一握りの米に泣く時あ
るぞ。幾ら買い溜めしても神の許さん物一つも身にはつかんぞ。
 悪の総大将(メーソン)は奥に隠れて御座るぞ。一の大将(米)と二の大将(露)
とが大喧嘩すると見せかけて、世界をワヤにする仕組み、もう九分通り出来て
いるのじゃ。今ではテロ撲滅国とテロ支持国。悪も改心すれば助けてやるぞ。
神の国を千切りにして膾にする悪の仕組みは判りておる。悪神も元神の仕組み
を九分九厘まで知っていて、天地ひっくり返る、神力と学力との大戦となるの
ぞ。この世は神が掃除してさらつの世にするぞ。
 親と子であるから臣民は可愛いから旅の苦をさしてあるのに、苦に負けてよ
くもここまで落ちぶれてしもうたな。鼠でも三日先の事を知るのに、臣民は一
寸先さえ判らぬ程に曇りなされたな。
 今の科学は科学の事は判るがそれより上の事は判らん。今の科学はあるもの
があると言う事だけしか判らんのじゃ。
 神の意志はこの世の動き見れば判る様にしてあるぞ。
 殺人事件や戦争は殺生の警告。狂牛病、口啼疫、鳥インフルエンザは肉食の
警告。鯉ヘルペスは魚食の警告。エイズは享楽的姦淫の警告。エボラ出血熱等
の奇病は遺伝子操作の警告。広島等の原爆被害は核開発の警告。
 科学文明による便利で贅沢な生活は世を潰す本である。地震等の天変地異は
これら人間の悪業に対する、神の怒りの極まりによって起きるのである。
 人間は苦しみによって成長し、苦しみが深いほど神の愛情が深いのである。
今、幸福な極楽トンボには地獄の苦しみが待っているのである。
98日本@名無史さん:2007/11/11(日) 11:42:23
 大庭博は日本の歴史をもう一度勉強し直せ
 後述の理由から、朝廷黒幕説など有り得ないのである。
 百歩譲って、信長の支配が気に入らないから、光秀に討たせたのなら、なぜ、
光秀に綸旨を出すなどの協力をしなかったのか。光秀が綸旨を手にすれば天下
を取っていたのである。信長を殺しても第2の信長が出て来る可能性は高い。
綸旨を出しても天皇は重責を問われない。重くても島流しになるくらいである。
戦乱がまた繰り返される事は天皇にとって不利益である。武家が戦費調達のた
めに疲弊して、天皇に対しての貢物が無くなってしまう。それこそ、死活問題
になるのである。
 天皇が主体若しくは黒幕で政権を獲得しようとしたのは、後醍醐天皇の建武
の新政である。それも結局、足利尊氏によって政権を奪われてしまった。すな
わち、武力で支配できない天皇では政権を維持できない。だから、天皇は武家
の支配に甘んじてきたのである。後白河法皇のように源頼朝と源義経に勢力を
お互いに争わせて、片方を強力にさせないように操縦したのである。義経を討
たしたのはこの法皇である。明治維新は偽の明治天皇(大室寅之祐)を立てて
倒幕に利用したのであり、天皇が実権を握ったのでない。黒幕岩倉具視が牛耳
っていたのである。
99日本@名無史さん:2007/11/11(日) 22:04:21
親が子を殺すはずがないと○は単純に考えてるようだが、
武田信玄の長男・義信の謀反、自害事件を知らないようだな。
この時代には親子の対立など珍しくないし、本人たちにその気が
なくても回りがそうしてしまうこともあった。
この事件も岡崎衆が信康を担いでクーデターを起こそうとしたものを
家康が察知して先手を打ったのだろう。そのためには核となる
信康を始末するしかなかった。
100日本@名無史さん:2007/11/11(日) 22:13:11
担ぎ手も担ぐものが無ければ担ぎようがないからな
101本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/12(月) 03:34:08
博くんの主張は、史料や実例をあげるのではなく
「〜のはず」という、勝手な自分の思い込みばかりだからなあ。
その思い込みの「〜のはず」が、
自分の中だけで勝手に常識にすりかえられてるから、
全くまともな議論ができないw

詭弁というほど上等なものではなく、
ただの頭の弱い子の妄想だな。
102日本@名無史さん:2007/11/12(月) 03:36:52
すまん、名前欄に昨日のネタが残ったままだった。
&糞スレあげちゃってごめんね。
103日本@名無史さん:2007/11/12(月) 04:24:08
家康黒幕説が正しい
わざわざあの時期に信長を接触したこと自体が変だし
伊賀越えも事前準備がされてたから比較的スムーズにいった
穴山は証拠隠滅で殺したのだろう
帰国後すかさず同盟国の甲斐信濃へ侵攻、川尻秀隆を殺している
それに明智家臣の斎藤利三の娘は3代将軍の家光の乳母の春日の局
明智光秀は南光坊天海として徳川家に仕えたとも言われている
104日本@名無史さん:2007/11/12(月) 04:36:48
まだやってんのか飽きないな。
105日本@名無史さん:2007/11/12(月) 05:27:01
妄想癖のある老人相手のボランティアなのさ。



106本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/12(月) 10:19:52
>>70>>71>>72●「天徳」について。●
笑止、また知ったかぶりをしたな。でっち上げの中傷がばれたね。
「太政威徳天」というのは、道賢という僧侶が、
冥途めぐりをしたという「冥途記」にすでに出てくる。菅原道真公の別名だ。
その道賢は延喜年間に実在した人物。天徳はそれより五十年ほどあとの元号。
句は扶桑略記をよく読め。学者はこのときの内裏火災で火防ぎのあらゆる祈祷など、方法が行われた。
これほどの常識も知らないとは。

>>73文章博士は菅原文時だけではないだろう。
「応和」はわざわざ菅原文時のものを特別に上にあげたのだ。
「天徳」のようなたたりがないように。
107本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/12(月) 10:28:54
>>77>>81>>82「織田信長の天下布武、豊臣、金印について」
諸君、何を寝ぼけているのかね。
こちらは専門書をそろえている。
●信長の天下布武の双龍印は金印だったが、朱肉ののりが悪いので馬蹄形、
元に戻した。
●秀吉には「豊臣」という大きな金印が存在する。
それに「聖戦 マハーカーラの女」の都合のいい抜粋はやめてもらおうか。
著作権侵害にもなるし、他の傍証もあわせて読まないと読者は誤解する。
それに、理解するには、きちんと一冊読まないと誤解を生むしね。
諸氏は、しっかり専門書の印鑑を見るんだね。

二千年でただ一冊、「聖戦、マハーカーラの女」
虚偽だけの世の中で、この一冊だけには嘘がない、、、
本物を知ったものに、嘘をつく必要は何もない。
なぜなら矛盾が出ないからだ。
108本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/12(月) 10:45:42
>>85->>99「証明できないというのなら最初から書くな。いくら言われても私の説は次の通りだからね」
●松平信康、後の天下人徳川家康の長男である。家柄も良い。
母築山殿は今川義元の妹の娘、父も今川の名家である。
しかも、信長最愛の娘徳姫を正妻に貰っている。この徳姫は信長最愛の側室生駒御前の娘であり、
同腹には織田家後継ぎ信忠、次男信雄がいる。
●言わば、天下人信長の保護、援助、後ろ盾が約束されたも同じである。
家康にしても凄い人質を得、織田の援軍が約束されてるようなものだ。
●信康には武勇があり、彼を次の国主と慕う家臣、親衛隊も多く居ただろう。
●徳姫に子供でも生まれれば間違いなく、家康後は、次の国主、その地位も安泰である。
ところがこれが生母とともに切腹させられた。
これが派閥争い、謀叛のためという説を唱える人がいるのだ。
●もし不行跡なら、彼を庇って切腹する家臣、派閥争いでも彼を庇って死ぬ家臣が出たろう。
ところがそれもない。家康の長男、正妻が殺されたのに、騒動の元となった重臣、信康側近の家臣
が殺されないわけがあろうか? いや、なぜ次の国主を庇って死んだ家臣がいないのか?
●また、対立する家康の周辺でも信長の後ろ盾のある信康に刃向かうものがいるか?
●理由は徳姫との不和、[おそらく築山殿もからんでいる]としか思えない。
それが信長を激怒させ、危険視させたのである。信長には武田と長年争っている徳川がいまさら裏切れまいとの計算もあったろう。
●それ故、家臣にカバーして死んだものが無いのである。
109日本@名無史さん:2007/11/12(月) 10:55:04
>信長の天下布武の双龍印は金印だったが、朱肉ののりが悪いので馬蹄形、
元に戻した。

誰の小説かな。
110本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/12(月) 10:59:44
>>87>>88>>89>>91>>99
●まさに笑止だな。天下とった徳川家、しかも内紛話だろ。
どうとでも都合が悪ければ書き換えられるのに、なぜ正史を家康の屈辱話にする必要があるのか?
「まえにも述べたが、ひどく武勇があったが、悪逆非道だったので、神君は人民、家臣のため断固処分された。
と模範、規範話にして残すことも可能だったはずだ。その方が泣いて愛臣を斬った孔明の話のごとく尊敬される。
どうしても残したくなければ信康の病死、事故死、発狂死、どうとでもできる。
誰が天下の徳川の歴史に文句をつけれる?
その信長からの命令という話が残っているのは、それが知れ渡った真実で隠しようが無かった。
もうひとつは子孫への教訓話として、このようなときにはこう行動されたと貴重だったから。
貴族などの記録は子孫へ教訓として残されるのだ。
111本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/12(月) 11:06:01
二千年でただ一冊、「聖戦、マハーカーラの女」
妄想だらけの小説で、この一冊には真実がない、、、
妄想を語ったったものを、相手にする必要は何もない。
なぜなら時間が無駄だからだ。
112本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/12(月) 11:23:50
「天徳院」

中世史、戦国史最大の歴史発見は一九九七年二月に行われた。
それは、戦国史最大の迷宮とされた本能寺の変、
天正十年[西暦一五八二年]六月二日、京都本能寺における織田信長襲殺事件の謎、
家臣明智光秀軍勢のクーデターとされる謎である。

「聖戦、マハーカーラの女」博君著。

上の書物は、戦国史最大の暗号「本能寺・コード」
「京都秘密文書」へのキー、序曲に過ぎない。

だが、それは最大のキーのひとつである。

天正十年、六月二日、、、
第六の月、二日の変、、、朝日の昇るとき、、、、



113本能寺の変、四百二十五年目の真相。の母:2007/11/12(月) 11:36:57
馬鹿の繰り返しですいません。
息子は精神を病んでいます。

どうぞ大目に見てやってください。
114惟神塾へようこそ:2007/11/12(月) 12:05:05
 日本の古代文明は現在の科学より遥かに進んでいた
 楢崎皐月氏が紹介したカタカムナ文字は片仮名の意味を図象したもので、宇
宙、言霊の成り立ちが示されている。ミトロカエシは原子変換の方法で、鉛か
ら金に変換できた。いわゆる錬金術である。気の作用で原子変換する方法で、
現代科学のように力づくで原子を壊して分裂させるものでないから、有害な放
射性物質は出ない。人間の体内でも原子変換が行われている。体内で薬を作る
事も出来る。気を操作する事で身体が反重力装置になる。
 タシロカキは土壌を活性化する方法で土を練る事によって稲の生育が良くな
る。人間の言霊と神の相互作用によって、言葉通りの現象が実現できる。ピラ
ミッドは粘土を一段づつ成型しながら石に変化させて作った。だから、今の科
学技術で以ってしても作る事は難しい。オーパーツはこの様な技術で作られた。
 日本人から分かれて、地球の空洞の地底に住むアルザス人が日本文明を悪用
して、UFO、遺伝子操作、超LSI集積回路、プラズマ兵器等を開発した。
メーソンはこの事を隠蔽し、これを独占したいために、偽科学と宇宙人のプロ
パガンダを行っているのである。
115日本@名無史さん:2007/11/12(月) 12:14:02
さあ、今日もボランティアで、馬鹿の相手をするか

>>106
>「太政威徳天」というのは、道賢という僧侶が、
>冥途めぐりをしたという「冥途記」にすでに出てくる。
「道賢上人冥土記」はいつの文献かな?その成立は?
文献を使う上での大前提って知ってるかな?
ちゃんと当時の記録から実例を拾いましょうね。

>その道賢は延喜年間に実在した人物。天徳はそれより五十年ほどあとの元号。
「道賢上人冥土記」の舞台は天慶四年だけど。
そんな事も知らずに「冥土記」のこと語ってるの?

>句は扶桑略記をよく読め。
だから『扶桑略記』のどこに書いてあるか教えてよ。
出典を明確にするのは学問の基本だけど。
孫引きで書いてるからわかんないのかな?

>文章博士は菅原文時だけではないだろう。
文章博士の定員は一人ですが?
これほどの常識も知らないとは。
116日本@名無史さん:2007/11/12(月) 12:44:38
>>108
◎『なぜ重臣に処罰された者がいないのか』?
わからない人だな。信康切腹に前後して処罰された、逃亡したと思われる家臣が数人いるんですよ。ご丁寧に伏せ字で挙げてくれた人がいたろ。
◎『なぜ次の国主を庇って死んだ家臣がいないのか』?
そうすれば次代で重用されるとでも言いたいの?
次の国主はあくまで次の国主だから今の国主に地位を奪われては次の国主にはなれないよ。わかる?
もしくは『悪逆非道』であった為、家臣達も見殺しにしたのかもねw
117日本@名無史さん:2007/11/12(月) 12:51:28
◎『理由は徳姫との不和』?
他家の婿を切腹させよという命令を出すほどの信康五徳の夫婦喧嘩とは?
それが原因なら五徳の助命嘆願の事実をどう説明する?
君はこれが『事実』だと言うんだから、何かしら証拠があって言っているんだろうな?
前に挙げたような『家臣の不満を逸らす為だろ』みたいな君の創造による回答は勘弁してくれよ。
118日本@名無史さん:2007/11/12(月) 13:21:44
>>110
◎『信長の命令だった』としたときに不自然な点がいくつもあり、「信長の命令ではない」という史料もある。
だから徳川正史に残された『信長の命令』だったという記述が幕府の手による改竄ではないかと言われているんだよ。
君は不自然な点については想像での回答しか示してないし、「信長の命令ではない」と書かれた史料は読んでない。
一方の史料しか読まずに真実と決めつける、そして自らをいっぱしの研究者だと自称するとは片腹痛いな。
119本能寺の変、四百二十五年目の真相。の母:2007/11/12(月) 13:54:30
妄言の繰り返しですいません。
息子は精神を病んでいます。

どうぞ大目に見てやってください。
120日本@名無史さん:2007/11/12(月) 14:25:32
>>107
『「織田信長の天下布武、豊臣、金印について」
諸君、何を寝ぼけているのかね。こちらは専門書をそろえている。』
 
揃えているという専門書やらの名前教えてくれるかな?


『信長の天下布武の双龍印は金印だったが、朱肉ののりが悪いので馬蹄形、
元に戻した。』

印章の違いがあるのは知ってるよ。で、現存しない「天下布武印」が金印って
どうやって知ったの?


『秀吉には「豊臣」という大きな金印が存在する。』

今はどこにあるのかな?
121日本@名無史さん:2007/11/12(月) 14:32:49
光秀は朝鮮人だった!
122日本@名無史さん:2007/11/12(月) 18:50:07
秀吉謀反 異説本能寺の変 土岐信吉著
というのを読んだ。
秀吉黒幕説の小説なのだが、一番得した奴が犯人という法則からすると有りなのかなとも思う。
123日本@名無史さん:2007/11/12(月) 19:15:12
土岐信吉…
銀山光秋に並ぶくらい怪しげな名前…
124日本@名無史さん:2007/11/12(月) 19:22:42
>>106 
「学者はこのときの内裏火災で火防ぎのあらゆる祈祷など、方法が行われた。」

 学者って、誰? いつ?天徳何年何月? 火防ぎのあらゆる祈祷って何?

「文章博士は菅原文時だけではないだろう。」
 文章博士は、式部省配下大学寮の紀伝・詩文を担当して教授する令外の官職
 定員は1名

そもそも何をネタ元にして、何でもかんでもそう断言できるの?

125日本@名無史さん:2007/11/12(月) 19:48:05
西洋かぶれした信長をよく思わない攘夷主義の商人や民衆は幕末のように多くいた
そこで朝鮮かぶれの家康が黒幕になって光秀と韓流主義の民衆にクーデターをやらせた
恐れ多くも寺に火を放つなど朝鮮人の得意技だからな
これで日本における親朝鮮政権ができるはずだったが
秀吉が何とか韓流の家康を丸め込んで国粋政権を立てた
だが家康はまた朝鮮に頼んで秀吉の力を弱めてもらい天下を取ってしまう
親欧米か親朝鮮(中国)か、日本という国は400年も前からこの問題で揺れているのだなあ
126日本@名無史さん:2007/11/13(火) 07:18:52
信長の命令ということでは屈辱だと○はまだ言うが、
ではなぜそれが徳川家の正史に残ってるのか?
それこそ改めればいいだけの話だろうに。
自分でも病死、事故死、何とでもできると言ってただろ。
それが正史にあるということは屈辱だとも何とも思ってなかった
ということだろうが。
それより彼らには神君の傷を隠すことの方が大事だったのだよ。
127日本@名無史さん:2007/11/13(火) 09:48:09
>>126
どうせ「事実として知れ渡っていたから」とか言うんだよ彼は。
今川家の人質時代や、河尻秀隆の件、知れ渡っていたであろうことも捏造してるんだけどね。
128本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/13(火) 10:20:15
>>115●笑止、またひどい知ったかぶりをしたな。
「冥途記」はその前に原型があったものを、新しい解釈もいれて書かれたというのは常識。
道賢も実在している。
そして道賢の「冥途記」の舞台は「天慶」は「天徳」の前にある元号。
これは常識。解るかね? 
その天慶の舞台に「太政威徳天、道真公」という名前が出ている。
●「天徳」はその後の元号。まさに常識が無い。
●扶桑略記をよく読めよ。読んでないんだろ?
●「文章博士」おいおい前職が何人もいるだろ。
一人の意見だけではなく彼らの前職、周囲の意見も聞くはずだろ。
それに菅原道真公のたたりがささやかれるようになってから地位についてるのだ。
129本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/13(火) 10:24:09
>>113>>119●ひどい偽者、出鱈目だな。確認しました。
皆さん、私の母に成りすまし、
平気でこんなことを書くやからです。
これは、、、他人に成りすますのは立派な犯罪だ。
警察へ通報しょうかな?
130日本@名無史さん:2007/11/13(火) 10:34:29
>>128 『一人の意見だけではなく彼らの前職、周囲の意見も聞くはずだろ。』

>>74 「改元の手順の基礎」のレス読め
『彼らの前職、周囲』って誰?

『それに菅原道真公のたたりがささやかれるようになってから
地位についてるのだ。』

何に基づいてそう言い切る?文時のこと知らないな
笑止、またひどい知ったかぶりをしたな。
131本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/13(火) 10:37:52
>>116●笑止、何馬鹿なこと書いてるんだね?「もし君の言うとおり派閥争い、権力闘争ならだよ」。
家康が自分の息子、正妻を殺してるのに、派閥を扇動した重臣、中心人物が処罰くらいですむかね。
徹底した粛清が行われるはずだよ。信長の支持も得たのならね。怖いものはもう無い。
そういうところが常識が無い。
●今の国主の家康が、なぜ後継ぎに不安があるのに次の国主候補を殺す?
しかも愛する長男である。少し我儘でも手なづけ、味方にした方がはるかに良い。
しかも信康は母を愛してる。母を人質にする手もある。
>>117●信康家臣の恨みをそらすために、助命嘆願でも書かせる。
よくあることと言ったろ。
>>118だからその史料が織田家が繁栄して、皆がその機嫌を伺っていたころ、
その威勢に脅えて、史実をはっきり書けなかったこともあると言ってるだろ。
時が過ぎ、織田家が力を無くして、真実がやっと書けるようになった、、、
で、後から出た史料の方がずっと正しいということもある。
今も第二次大戦記録などで良くあることだ。
132日本@名無史さん:2007/11/13(火) 10:46:22
>>128
>「冥途記」はその前に原型があったものを、新しい解釈もいれて書かれたというのは常識。
相変わらず頭があまりよろしくないようでw
その原型というのは何?新しい解釈とは?書かれたのはいつ?
曖昧な説明ばかりで具体例が全くないのだが。
常識というが、そういう説明をしてる研究論文を教えてくれ。
そして、その原型とやらに「太政威徳天、道真公」と書いてある証拠は?

>●扶桑略記をよく読めよ。読んでないんだろ?
はいはい、毎度の逃げ台詞www
それでは
私は『扶桑略記』を未読ですので
どの部分に書かれているか教えていただけませんでしょうか?
これでちゃんと説明できるよね?
133本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/13(火) 10:48:44
>>120●常識。金印鑑についてはそこらの専門書を読めよ。別に嘘はない。
豊臣金印も有名だしね。
>>124●よく知られた史実だろ。「冥途記」をよくしってるくせに、その天徳の内裏大火災の後の
ことを知らぬとは言わせないぞ。
>>126●馬鹿いえ、家康の天下とりの道筋は周囲にもよく研究されたに違いない。
貴重だからな。だからできるだけ正確に子孫のために残す教訓にするはずだ。
だから正確に残されたんだよ。こんなとき、こんなふうに行動されましたとね。
それに天下を取った大勝ち馬の道筋。
仮に息子の謀叛でも恥にはならんさ。またそのように歴史を書くさ。
134日本@名無史さん:2007/11/13(火) 10:49:57
>>131
◎『派閥争いが原因なら重臣を処罰しただけで済ませるか』?
何?未だに俺の『仮説』に対する反論を述べてるの?『仮説』だから何とでも言えますけど?
私の『仮説』でいえば謀叛の計画は初めっから存在しなかったもので忠次が西三河衆を追い落とすための口実。
ところが家康は築山、信康が首謀者と勘違い。担ぎ手が担ぐ前に御輿を壊したって寸法さ。
◎『何故跡継ぎに不安があるのに殺す』?
だからさ、自分が跡継ぎに殺されるかもしれない、追放されるかもしれないという疑心暗鬼に陥ったら跡継ぎもクソもありませんでしょうよww?
135日本@名無史さん:2007/11/13(火) 10:53:06
最近の博くんは「常識」という語を使うのがお気に入りみたいだね。

得意気に使ってるが、何事も自分の中の「常識」で片付け
根拠となる史料も、当時の具体例も挙げれない。
研究者として「私は無能です」と宣伝してるようなものだがwww

しかし、博くんから「常識がない」と言われると、非常に笑えるな。
136本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/13(火) 11:02:41
>>132●笑止だな。何言ってるんだね? 議論を挑んで読んでないなどとは?
「扶桑略記」くらい読めば。ほとんど常識だよ。
●議論ネタ●「冥途記」の道賢が冥途で太政威徳天と会った。
それは天慶年間の話である。ところで天徳はその話の後の元号。
で災難が内裏にあり「天徳」は火神、火雷天神、つまり「太政威徳天」
の号であるからだと怖がられ、「応和」に改元になった。
このことが別に無理なく証明されたということだ。
>>130●何言ってる。菅原文時ひとりで元号は決めるのか?
上の賛成意見が出ないとならないはずだぞ。
137日本@名無史さん:2007/11/13(火) 11:03:00
>>107
>「織田信長の天下布武、豊臣、金印について」
>諸君、何を寝ぼけているのかね。
>こちらは専門書をそろえている。

>>120
>揃えているという専門書やらの名前教えてくれるかな?

>>133
>常識。金印鑑についてはそこらの専門書を読めよ。別に嘘はない。

○に対話能力が全く無いことが明瞭な一例www
まあ、具体的に書名が出せないから、
かみ合わないレスで必死に誤魔化してるんだろうけど
138日本@名無史さん:2007/11/13(火) 11:03:09
>>131
◎『信康家臣の不満を逸らすため』?
言ってることわかってる?
信康の弾劾状を送ったのが五徳なんだよ?正史によれば忠次がそれを知っている、つまり徳川家臣は五徳が信長に訴え出たことは承知している訳だ。
その状況で五徳が助命嘆願したと言ったところで誰が納得する?誰の不満が晴れる?
◎『威勢を恐れて史実が書けなかった、後から出た史料が正しいこともある』?
だからといって君が都合のいい史料だけを読んで真実と決め込んでいい理由にはならないでしょ?ガキか君は?
とりあえず「信長の命令だったとした時の疑問点」に君の『妄想』抜きで答えてくれよ。
「状況証拠」の方が『妄想』よりはいくらかマシだぜ?
139日本@名無史さん:2007/11/13(火) 11:07:23
このスレの内容を要約すれば

大庭博「本能寺の変の黒幕は朝廷なんだよ。ボクのこの新発見が真実なんだよ
特別に300万円くれたら教えてやるぜ」
「へー。じゃあ、その根拠はなに?まず、証拠みせてよ」
博「え…、いや…、証拠はあるけど…、それは秘密。お前たちには見せられないね。
世界でただ一人、ボクだけが真実をしってるのさ。」
「なんだ、証拠もない妄想か、馬鹿馬鹿しい。」
博「うるさい!うるさい!ボクだけの秘密だけど、ホントにあるんだよ!
そんなこともわからないお前等が馬鹿なんだよ。ばーか」
「はいはい、勝手に一人で妄想してろ」
博「おまえら…なんで、ボクの大発見を認めないんだ……(涙)、
そうだ!おまえらみんなボクを陥れようとする、悪の秘密結社なんだ!
ボクの悪口言うやつは、みんなけいむしょ行きだ!」

まさに、このとおりのやりとりを展開してくれる、
みんなの期待を裏切らない大庭博先生。
140本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/13(火) 11:12:32
>>134●まさに笑止、あんた歴史家に笑われるぞ。
家康がそんな、人の讒言に乗るような甘い人間でないのは
歴史事実が証明している。下調べ、正確な情報収集の妙味は設楽が原、
とくに関が原とか、大阪の陣を見ろよ。
●何で疑心暗鬼になるの?
軍勢つれて信康に会って、しかも話をし、力を無くさせているんだろ?
そしたら、常に側において監視させてれば良いだろ。そしてお前は大事な息子、後継ぎだからと、
家臣らに説得させ続ければいいだろう。
>>135●家康などの真実にそれほど特別な真偽不明の史料はいらんよ。
よく知られた確実な史料だけで充分ということもあるしね。
141日本@名無史さん:2007/11/13(火) 11:15:26
>>107 
>秀吉には「豊臣」という大きな金印が存在する。

>>120 
>今はどこにあるのかな?

>>133 
>豊臣金印も有名だしね。

○に対話能力が全く無いことが明瞭な二例目www
142本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/13(火) 11:21:28
>>137●印鑑知識なんて、ごく初歩だろ。
君に常識とされる知識が無いだけ。
>>138●多くの家臣は何が原因か、今みたいに詳しく知らされるか?
風評だろう。だから徳姫の助命嘆願が出されていると聞いて、
家臣らの多くは、別に徳姫様のことだけが死の原因ではないのだ、
別にも大きなことがあるのだ、
例えば武田との密通か?などとと思うに違いない。
そこが織田の狙いだよ。
●後から出た史料が、当時恐れてかけなかったこと、
新証人のことばも書かれていて正確。良くあること。
>>139●まさに笑止。
子供の脳みその書く間抜けなプロパガンダ工作の文章を見てくれ。
143日本@名無史さん:2007/11/13(火) 11:30:43
>>140
◎『家康は讒言に乗る人間ではない』?
だから妄想で話をするなと言っている。
そもそも関ヶ原、大坂の役共に家康がそれなりの経験を積んでからの話だろ?
それに『讒言に乗る人間ではない』という家康像が後になって造られた可能性も否めない訳だからな。
◎『信康を監視下に置いて説得し続ければいいだろ』?
謀叛の嫌疑がかかったが息子だから命は助けるとなっては家臣に示しがつかないと思ったんだろ?
誰であろうと逆心を抱けばこうなる、と示すことは大事なことだからね。
『仮説』だから何とでも書けるよ。
◎それより俺の質問に答えてくれよ。『信康の切腹が信長の命令だったとしたときの疑問点』に君の『妄想』抜きで答えてくれよ。
『真実』だと言い張るんだ、きっと証拠はあるんだろう?
144日本@名無史さん:2007/11/13(火) 11:31:31
>>141
>●印鑑知識なんて、ごく初歩だろ。君に常識とされる知識が無いだけ。

○は「豊臣」印は現存しない、っていうことも知らないんだね
なぜかは教えないよ
145日本@名無史さん:2007/11/13(火) 11:41:42
大庭博流論破術の奥義を特別に君達に教えよう。

まさに笑止。
君に常識とされる知識が無いだけ。

これで、大抵の質問は論破できます。
このように答えれば、根拠や具体例をあげる必要は一切ありません。
これで、どんなに自分が無知無学でも議論に勝利できる必勝のテクニックです。
146日本@名無史さん:2007/11/13(火) 11:43:15
>>142
◎『多くの家臣は詳しく知らない』?
信長が嫡男を処刑しろという命令で家臣達から反発があったと書いたのは君だぞ??多くの家臣が知らなくて誰が反発したんだ?
いいか?主君の嫡男が他家からの命令で殺されれば、家臣が『よくわからない』で納得するはずがないだろ?常識で考えろよ。
そもそもことの顛末が忠次から漏れることだってあっただろう。そうなったら形ばかりの五徳の助命嘆願は意味を成さなくなるんだぞ?
147日本@名無史さん:2007/11/13(火) 15:31:29
通りすがり、新たに覗いた方々へ

二千年でただ一冊、「聖戦、マハーカーラの女」
虚偽だらけのこの一冊には嘘ばかり、、、
本物、本物と連呼するが、嘘・出鱈目をスレ住人に悉く論破される。
なぜなら矛盾と妄想の域を出ないからだ。

現在も「笑止」千万、「ひどい知ったかぶり」のオンパレード炸裂中!
148通りすがり:2007/11/13(火) 15:46:35
信長が美濃を取る以前に朝廷から京に上るようにと朝廷から勅諭が来たのは皆さんご存知かと思う。
足利義秋がまだ坊主だった時の話である。
ではなぜ、朝廷は尾張を統一したばかりの信長のような弱小大名に朝廷が勅諭を出したのかという謎が残る。


この信長に勅諭を出させた勢力が本能寺に絡んでいると見るのが自然な推理だと思うのだが
どうでしょう。
149日本@名無史さん:2007/11/13(火) 17:38:24
取り合えず○は徳川家の正史にあることは全て正しいと
思ってるわけだ。
まさに笑止だな。
徳川家、幕府の支配を正当化するために書かれたものが
全て真実とはおめでたい。
家康の事績とされるものにウソや誇張が多いことは
多くの研究者が指摘してる。
○はそういった最近の論文、本などを全然読んでないことが
丸分かり。
信康の件は、以前通説の通りに描かれたドラマを見た時、
「残酷な信長、可哀相な家康、信康」と思った。
それが江戸時代以来普通の受け止め方だろう。
「家康の屈辱」などと感じるのは○だけ。
150日本@名無史さん:2007/11/13(火) 17:44:03
>>148 
>弱小大名に朝廷が勅諭を出したのかという謎
1. 勅諭× 綸旨○ 
2.永禄二年の上洛は足利義輝への謁見が目的
  永禄元年(1558)11月27日 将軍足利義輝、三好長慶と和睦して上洛
  永禄2年(1559) 2月 2日 織田信長、足利義輝に謁見
           4月27日 長尾景虎、正親町天皇や足利義輝に謁見
3.上洛綸旨は美濃平定後、発給
  永禄10年(1567)     信長、美濃平定
    同年     11月頃  立入宗継勅使として岐阜下向
               信長に対し綸旨と権大納言万里小路惟房の添え状下賜
  永禄11年(1568) 9月26日 信長、足利義昭を奉じ上洛 

○結論○ 
「信長が美濃を取る以前に朝廷から京に上るようにと朝廷から勅諭が来た」=事実でない

従って、「信長に勅諭を出させた勢力が本能寺に絡んでいると見るの」は不適当
151日本@名無史さん:2007/11/13(火) 19:24:36
後継者がどうと○は言うが、信康が死んだその年に、
後に2代将軍となる秀忠が誕生している。
その母は家康が最も愛したと言われるお愛の方。
家康としても、不仲の築山殿所生の信康より、
最愛の女性が産んだ子を跡継ぎにしたいと考えても
不思議はない。
従って信康を消したら後継者がいなくなる云々は
的外れ。
152日本@名無史さん:2007/11/13(火) 19:54:02
○に何を言ってもムダなのでその他の人向けに書くが、
天正7年8月に家康は信長側近の堀秀政に宛てて書状を書いている。
そこには「今度左衛門尉(酒井忠次)をもって申し上げ候・・・」で
始まり、信康不覚悟により岡崎を追い出したとある。
これは酒井が信長から五徳の12ヶ条の書状を見せられそれを肯定してしまった
というのとは明らかに反し、家康の方から信康について信長に相談したことを
示している。
通説では酒井が申し上げではなく、信長と酒井のやり取りなど家康の予期せぬ
ことのはず。
これによって信長が「家康存分次第」と言ったという「当代記」の記述が
裏付けられる。
153日本@名無史さん:2007/11/13(火) 20:55:22
分かっていないのは○大庭博だけだよ。ムキになりなさんなって。




154日本@名無史さん:2007/11/14(水) 01:30:55
>>133
>●よく知られた史実だろ。「冥途記」をよくしってるくせに、その天徳の内裏大火災の後の
ことを知らぬとは言わせないぞ。

扶桑略記に引用されている「道賢上人冥途記」の内容と天徳の内裏火災は全く関係ないから、
○の言う『よく知られた史実』っていうのは知らんよ
「古今著聞集」に書かれている事なら知ってるけどね

○は、よく知ってるようなので説明してくれ
155日本@名無史さん:2007/11/14(水) 02:12:54
カエサル暗殺の黒幕は共和派元老院だから
信長暗殺の黒幕は朝廷じゃない?
156日本@名無史さん:2007/11/14(水) 02:16:37
クソ本「聖戦、マハーカーラの女」を持ってしまってる方々へ

巻末にもし、参考文献など載っていたら列挙していただけませんか?
(三文小説なので、ないとは思うけど・・・)
157日本@名無史さん:2007/11/14(水) 07:05:28
>156

参考文献
『ノブナガは誰か?』細川広次 新人物往来社
『二人の天魔王』明石散人 講談社
『鬼の日本史』沢史生 彩流社
『第六天魔王と信長』藤巻一保 悠飛社
『仮面をぬいだ家康』小林久三 光文社
『織田信長と安土城』秋田裕勝 創元社
『完全検証 信長襲殺』新人物往来社
『日本探偵小説全集6』小栗虫太郎集 創元推理文庫
『明智光秀』徳永真一郎 PHP研究所
『本能寺の変の黒幕は足利義昭か』染谷光廣 新人物往来社 別冊歴史読本、一九八九年十一月号所収 (光秀組織説)
『戦国武将』小和田哲雄 中央公論社 (源平交替説)
『広辞苑』岩波書店
『信長と天皇』今谷明 講談社
『新選漢和辞典』小学館
『信長の安土維新』(武田鏡村)日本文芸社
『大辞林』三省堂
『古語辞典』旺文社
野望!! 本能寺の変。 新人物往来社

※参考文献の誤字は原文ママ
158日本@名無史さん:2007/11/14(水) 07:51:27
やっぱり孫引きw
159本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/14(水) 10:18:47
>>143●すでに天正七年だぞ。同じことばかり何回も書かないで欲しいね。三方が原で信玄に敗れて家康が慎重居士になったのは有名。
その後も石橋を叩いて渡るような行動になった。
●信康は最後は二俣城に監禁されたも同じじゃないか? じっくりと家康周囲の重臣らにお前は大事な長男と
説得させる時間も余裕もあった。もう軍から切り離されていたからね。しかし切腹させられた。
●馬鹿馬鹿しい。長男、正妻まで家康は殺したのだ。派閥争いなら、このさい膿は出せと徹底した粛清が
信康派、信康を担ごうとした家臣らに行われたはず。信長の承諾、援護まで得ているのだからね。
しかし、それはない。切腹とか処刑された信康派というのがね。そういうことだよ。
160本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/14(水) 10:32:27
>>146●意味不明なことを書くな。
徳姫からの訴状で信長が激怒して信康を殺せと命令した。
で信康側近らが反発したかもしれない。その恨みの方向を徳姫からそらすため形ばかり助命嘆願をさせたのだよ。
それに真実が知れても、家康が信長との関係を支持した以上、何も多くの家臣にはいえないね。
織田は隆盛してるし。
>>141●笑止だな。豊臣金印が存在したと知らない人間がいたとは。
>>151●馬鹿馬鹿しい、家康が後継者に不安がある、なのに派閥争いで殺したと書いたのは君。
「私は後継者に不安があるなら、どんな我儘息子でも家康は信康を殺せないな。
家康に何かあると、すぐ跡目争いが始まるから」と書いたのだ。
ごまかすな。
161本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/14(水) 10:42:12
「天徳」
笑止、ちゃんとある学者が関連付けているのさ。
>>154●道賢上人がすでに天慶四年に、冥途記の中で、これはあの世を旅したという記録なのだが、
「太政威徳天」となられている菅原道真公[火雷天神とも]に会われている。
で、天徳年間に内裏大火災があり、災いに朝廷が驚いた。そして「つくるとも」有名な句が焼け跡から出た。
それ故、これもたたりか? 「天徳は火神、火雷天神の号にして忌むべし」とされ
「応和」と改元された。
その応和を出したのは菅原道真公の孫菅原文時である。

●で、本能寺の変で死んだ織田信長の最初の戒名は「天徳院」である。
これが常識なのは知ってるね。
162本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/14(水) 10:50:35

>>156>>157●世界で最大のダイヤモンドの原石は、そんな巨大なダイヤがあるはずがないと
捨てられて、くず山の中で労働者に発見されたのである。


この書物の前と後では、全てが違う!!
そして、国家の真実は、揺るぎもしない。
「聖戦、マハーカーラの女」博君著。

戦国史最大の暗号、本能寺・コードは実在する。
しかも「朝廷説」で、、、
163本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/14(水) 10:58:46
●そして、国家の至宝「京都秘密文書」、、、
柴田勝家と羽柴秀吉の決戦は、決められた運命だったのか?

>>161●「承平天慶の乱」、、、新皇と豪語した平将門、
彼の旗印はあまりにも有名だった、、、、

そして、、、そのあとに「天徳」の元号はくる。
164日本@名無史さん:2007/11/14(水) 12:12:30
>>160
>豊臣金印が存在したと知らない人間がいたとは。 

「豊臣」印は『「現存しない」=今はない』って言ってるだけなんだけどなあ
ある明確な理由でね=印影が確認できない
また「天下布武」印も現存しないので、印章の材質はわからない
=金印とは確定できない

>>81の暗号解読の中身の内容もさることながら、そもそも
『秀吉、信長の金印に秘められた謎とは』という命題自体が
成立しないんだよ

次レスするなら、ちゃんと文書読んで理解してからにしてね
165日本@名無史さん:2007/11/14(水) 12:52:51
>>161
『ちゃんとある学者が関連付けているのさ。』『「つくるとも」有名な句が焼け跡から出た』

▽「つくるとも」の全文
つくるともまたも焼けなむすがはらやむねのいたまのあはぬかぎりは(大鏡)
▽この句は、円融天皇の在位時、七年のうちに三度も内裏が焼けた折の内裏造営
工事の時、大工が鉋をかけた紫宸殿の裏板に一夜のうちに虫が喰って文字の形をなし、
菅原道真の霊が「北野の社を修造せよ」と要求した歌といわれている。(大鏡)
▽『円融天皇の在位時』
安和二年(969)−永観二年(984)の期間
▽『七年のうちに三度も内裏が焼けた』
天延四年(976)5月11日、天元三年(980)11月22日、天元五年(982)11月17日の
内裏火災を指す。
▽『「北野の社を修造せよ」』
永延元年(987年)初めて勅祭が行われ、一条天皇より「北野天満宮天神」
の称が贈られている
▽天徳期は957年から960年までの期間を指す。
▽天徳から応和への改元は「辛酉革命」に当たるため。

ここでもまた時系列を無視しているということです。
従って、『「天徳は火神、火雷天神の号にして忌むべし」とされ「応和」と改元された』
という○の主張は嘘ということですよ。

>>147 『嘘・出鱈目をスレ住人に悉く論破される。なぜなら矛盾と妄想の域を出ないからだ。』
166日本@名無史さん:2007/11/14(水) 13:11:13
>>159
◎『三方が原以降慎重居士になって石橋も叩いて渡るようになった』?
慎重になった結果が『信長に命令されたからあっさり嫡男を処刑した』ですか?大した慎重居士ですねw
慎重ならもっと調べるべきですね。そしてよくもまぁそういう事態になるまで放置しましたね。どこが慎重なんですかね?
また性懲りもなく『信長に言い逃れできない証拠を突き付けられた』と言うのなら具体的に挙げなさい。
◎『重臣に説得させればよい』?
史実は…
天正六年九月
岡崎家臣団に在所へ引き揚げ命令、信康との連絡を一切禁ずる。
天正七年六月
家康が軍勢を率いて岡崎に入り「信康御×××との中なをし」。
天正六年八月
信康追放。
…である。ちなみに家康が岡崎で信康と「御×××」の和解に訪れた際、かなり激しい口論になったとも史料にある。居城から追放するくらいだから修復不可能なくらい関係は悪化していたのだろう。
重臣の説得など最早不可能だったんだろ。家康が後年語ったように、
『讒言によって親子の仲平ならざりし』
となり、
『気儘に育て(中略)、後には親子の争ひの様になり候て、毎度申し入れても聞き入れず』
かえって親を恨むようになった、訳だ。
167日本@名無史さん:2007/11/14(水) 13:29:31
>>159
『派閥争いなら担ごうとした家臣達も徹底的に処罰すべき』?
もう一度言いますよ?
私の『仮説』では家康自身は派閥争いと関係なくただ単に信康の謀叛を疑ったとした。だから家臣に処罰が無かった。
しかし一連の流れに心当たりのある西三河衆の一部が蟄居もしくは脱走をした。というものだ。
◎『信長の承諾を得ているから徹底的にやるべき』?
信長から言われたのは「いかようにも存分次第」つまり家康の思う通りにやりなさいというもの。
家康が「家臣に責任はない」と判断したなら別に信長も文句は言わないでしょう。
ちなみにこの件に関して『信長の援護』なんてなかったように思えるけど『信長の援護』て何?
168日本@名無史さん:2007/11/14(水) 13:40:05
>>160
◎『意味不明なことを書くな』?
こっちのセリフだw
◎『反発を逸らすために讒訴した五徳に助命嘆願をやらせた』?
おい、言ってることわかってるのか?
五徳が信康の弾劾状を送り付けそれを信康側近は知っていた、五徳に当然反発する、『それを逸らすための助命嘆願』??
誰がどう考えても「何を今更」的に受け止めるだろうよ?
ちなみに>>151氏は私では無いぞ。頭おかしくなったのか?
169日本@名無史さん:2007/11/14(水) 13:41:21
>>159->>163
「信康自刃事件」といい、「天徳」や「金印」といい、ちょっと専門的に
なった瞬間に、○の知識のなさがバレバレじゃん

また「マハー」の参考文献見て、ガッカリ
日本史板では通用しないね オカルト板でも行けば?
170日本@名無史さん:2007/11/14(水) 13:44:24
◎おい○よ、いい加減にしろ。
早く「信康切腹が信長の命令だったとしたときの不可解な点」を君の『妄想』抜きで答えろ。
『真実』だと抜かしたんだ。君の『妄想』以外の有力な根拠があるんだろ?それを出せよ。
171日本@名無史さん:2007/11/14(水) 14:59:24
>>161
>笑止、ちゃんとある学者が関連付けているのさ。

ある学者って誰だよ?
相変わらず、ちゃんと明確に書けないんだな。
まさか「ある学者=大庭博」じゃあないよな?
だとしたら、まさに笑止。
172日本@名無史さん:2007/11/14(水) 16:04:43
>>157
やっぱり桑田忠親や高柳光寿の著作は読んでなかったんだなw

前スレだかで、信長・本能寺関係の論文・研究書はほとんど網羅してる
とか言いながら、参考文献はやはりこの程度かwww
どうりで具体的に文献を挙げれなかったわけだ。

もう少し専門書を読んで、「常識」を身につけてから出直してね。
日本史板で議論する気なら。
173日本@名無史さん:2007/11/14(水) 18:39:39
議論中済まん、俺は信長だが今地獄から書いてる。鬼が休憩中なんで。で俺が殺された原因は解った?いや、俺もさ、あんまり話題にされるんで、のんびり死んでもいらんない訳よ、あ!鬼が戻って来たんで切るわ、じゃね、今度教えてくれ。
174日本@名無史さん:2007/11/14(水) 19:14:37
「本能寺の変朝廷黒幕説を唱える研究者はいなくなった」
(桐野作人著「だれが信長を殺したのか」PHP新書より)
そして信康切腹も家康の意思という説が有力になりつつある。
○はそういった学界の現状も知らず、古臭い説を唱えてる
化石のようなものだな。
175日本@名無史さん:2007/11/15(木) 00:56:26
>162
>この書物の前と後では、全てが違う!!

確かに朝廷黒幕説が有力な説の一つから、その他雑説の一つに落ちぶれたなwww

>そして、国家の真実は、揺るぎもしない。

視界に入ってないから触れようがない。だから揺るぎようが無いwww

>163
>そして、国家の至宝「京都秘密文書」、、、

>私もその明らかに紙質や言葉使いの違う、
>無愛想な書き方の薄っぺらな書物、
>巻物でもない、、、を本物と断言する勇気もない。
>ちょっと書かれてあることに裏を取ろうとしたのだが、
>信頼性はそこに見出せなかった。
>特に信長の経歴、性格、明智家の家族などにおいてはかなり違っていた。

はずのものが、いつの間にか至宝にまで成り上がるとはwww
176日本@名無史さん:2007/11/15(木) 08:51:59
で、結局その国家の至宝は何ページなんだ
177日本@名無史さん:2007/11/15(木) 09:50:00
『津島牛頭天王と信長』は、なんで>>157の参考文献リストに載ってないの?
で、著者と出版社は?
178日本@名無史さん:2007/11/15(木) 10:02:23
そういや京都秘密文書も文献リストに載って無いじゃん
179日本@名無史さん:2007/11/15(木) 10:04:41
178とレスした後で思いついたが、京都秘密文書も、津島牛頭天王と信長もあの文献リストにすでに入ってるとしたら?
180惟神塾へようこそ:2007/11/15(木) 10:04:50
 今、現れている霊がかりは悪神によるものである
 日月神示は言う。世界中が霊がかりとなると申してあるのは今の事であるぞ。
かかりている世界自身判らなくなっているぞ。サニワせねばならん。サニワの
方法書き知らすぞ。世界を、日本を、自分をサニワせねばならん。目に見えぬ
所からの通信は高度のもの程肉体的には感応が弱くなり、暗示的となるもので
あるぞ。ドタンバタン、大声でどなり散らすのは下の下。神もフトマニに従わ
ねばならん。順を乱す訳には参らん。高度の霊が直ちに肉体人に感応する事は
なく、それぞれの段階を経て感応するのである事を忘れてはならんぞ。下級霊
は現実界と紙一重の所に住んでいるのであるから、その感応は極めて強く、如
何にも尤もらしく人民の目に映るものであるぞ。高度のものはその人民の身魂
の如何によって、それと同一波長の神霊に伝達され、その神霊の感応によって
表現されるのであるぞ。特別の使命を持つ天使は、最下級の霊界まで降りて来
て、人民に特別な通信をなし、指示する事もあるぞ。
 正神には奇跡はない。奇跡ないことが大きな奇跡であるぞ。奇跡とは自然の
摂理を破るもので、滅びる本である。高級霊は態度が立派であるぞ。
 偽救世主△△△△は八岐大蛇が憑依しており、サイババは金毛九尻の悪狐、
江原啓之は□□山の狸、細木数子は○○稲荷の狐が憑依している。
 正神の神がかりは日月神示を降ろした岡本天明が最後で、肉食する様な人間
にかかるのは狸や狐である。霊視力は邪霊の力である。これら邪霊の予言、病
気治し、魔法を頼ると最後は地獄へ落ちるしか方法がない。病気や片輪になる
のはその人に罪があるからで、それによって罪を償わされているのである。
181本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/15(木) 10:17:06
>>165○「天徳は火神、火雷天神、つまり菅原道真公[太政威徳天の号である]正解。
笑止! ははっ、また知ったかぶりしたな。
まず「扶桑略記」にも、その句「つくるとも」の記事はある。
また内裏火災のショックが一番大きかったのは、天徳四年[九六○]の内裏大火災。
そのとき大変な加持祈祷が行われ始めた。
円融院のときの火災はそれほどの規模ではない。
そして辛酉は六十年に一回巡ってくる干支だが、もし辛酉革命を原因とするなら
最初から「天徳五[九六一]年」はない。延喜[九○一]が辛酉革命だからな。
それに辛酉革命による改元は例外もある。三革でややこしくなることがあるからな。
そして「天徳」の内裏大火災の時、「菅原道真公・太政威徳天」の噂ばかりだったのは周知の事実。
182本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/15(木) 10:28:16
「信康の謀叛などなし」
>>166○まさに笑止。
馬鹿馬鹿しい。慎重性格だからこそ同盟に大事を取って、
信長の命令どうりに信康を殺したんだろ?
ほら桑田忠親博士の著作をもとに疑問を呈しよう。ちゃんと手元にある本だ。
どうしてこういうことになっているのかな?
○そもそも信康の家康への謀叛というなら「これほどの殿は出来がたし」「万民皆泣く」
○信長の許可、後押しも貰っているのに、信康を担いだ派閥への粛清が無い。
○おとなしく軍から離れ、二俣城に監禁されるわけがない。
○「父に刃向かうなど考えたことがない」という信康の最後の言葉が残るわけが無い。
○服部半蔵が介錯しょうとしたが、悲しくて出来ず、代わりのものが介錯したという話が残るはずが無い。
服部半蔵は後に家康の側で信頼され活躍したよね。
183本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/15(木) 10:37:19
>>167>>168○「まさに常識が無いな。いいかね、家康は信長の同盟者だぞ」
つまり、その軍に亀裂があれば、連合軍[設楽が原であった]になったとき困ることになる。
安心して内紛の危機があればその軍は裏切る可能性があるから使えないからな。
だから信長の後押し、「徹底的にやれ」は当然。しかも家康は、実の子、正妻間で殺している。
もし派閥抗争、権力抗争なら、信康をそこまで追いやった原因、人間も徹底的に処罰される。
信長の承諾も得ているのだからね。一軍に内紛の危機はあってはならない、
そんな普通の常識もわからないのか? 
○しかも、「徳姫の助命嘆願」「後から出た史料が正確ということもある」は何度も述べたぞ。
184日本@名無史さん:2007/11/15(木) 10:42:51
>>182
◎言ってることが全くわかりません。
◎『慎重だから信長の命令通りにした』?
なんでそうなりますか?信長の命令説では酒井忠次が安土で信長に弾劾状を突き付けられそこで初めて徳川方は信康に疑いがかけられていると知る。
何の詮議もせず、大事な嫡男の命乞いもせず、あっさり切腹させるのが慎重?
◎『信康の謀叛』?
まだ私の『仮説』に食らいつきますか?
じゃあ安土で忠次が弾劾状を突き付けられる前の天正七年六月の件を具体的に説明してみて下さい。
◎『半蔵が泣いた』?
知ってる?半蔵は信康とほとんど面識無かったらしいよ?
ちなみに忠次が弾劾状を肯定したってのもおかしい。忠次が岡崎にいる信康の動向なんかわかってなかったはずだからな。
185日本@名無史さん:2007/11/15(木) 10:47:11
>>183
◎『あとから出た史料が正確なこともある』?
だからといって君が都合のいい史料しか読まずに『こちらが真実』だと断言していい根拠にはならないと前に書いたが?
◎早く、『信長の命令だったときの疑問点』を『妄想』抜きで根拠を挙げて答えろよ?
186本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/15(木) 10:51:20
>>169>>180まで○どうやら此処は当時の世の噂なんてものは全く無視して、
記録だけを読む人間が来ているようだな。
当時の「朱雀天皇の生活」のことなど全く無視か?

日本史二千年でただ一冊、、、
「聖戦、マハーカーラの女」博君著。

国家の真実、、、
この本の前と後では、全てが違う、、、、



187日本@名無史さん:2007/11/15(木) 11:00:31
>>186
◎『世の噂を無視する人間』?
世間の流れに逆行してるのはどっちかな?
188本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/15(木) 11:04:27
>>184>>185○信康の謀叛などはなし○しかし常識的におかしいではないか?
君の仮説では派閥抗争、権力抗争だろ。当然一人では出来ないよな。
信康を担いだ輩、それで家康、その周囲の派を打倒しよう、成り代わろうとした動きがあった。
無視できない。だから、信康、母築山殿が殺されるほどの大事になったんだよな。
家康がそれ程の犠牲を払い、信長の好きにやれの言葉も貰った。
なら徹底的に、粛清、処罰をやって二度と起こらないようにするのが常識。
そういうのが無いんだからね。
また、命まで係わるかもしれないのに、信康はあっさり軍を離れて二俣城に監禁されたんだろ。
おかしいじゃないか? そんな対立の強い動きがあったのなら、なかなか軍を離れないし、信康の派閥、軍も
離さないはずだぞ。何らかの軍を背景にした交渉が家康、その周囲派閥とあるはずなのにそれもない。
189日本@名無史さん:2007/11/15(木) 11:07:21
>どうやら此処は当時の世の噂なんてものは全く無視して、
>記録だけを読む人間が来ているようだな。

当時の記録は全く無視して、世の噂ばかりで語ってる三流小説家なら
此処に一人住みついてるがなwww

で、今日も>>175-178はスルーかい
190日本@名無史さん:2007/11/15(木) 11:08:35
>>188
◎あのさ、私の『仮説』では謀叛というもの自体がもともとでっち上げで、家康がさも本当のことのように信じ込んでしまった(いや、信康を廃嫡する口実にしたのかも?)ってことだって何回も言ってます。
◎早いとこ>>185に答えろ。
191日本@名無史さん:2007/11/15(木) 11:13:11
>>188
京都秘密文書が何ページなのか、答えられないならその理由、また参考文献リストに京都秘密文書が載っていない、乗せていない理由、答えられないならなぜその理由を簡潔に教えて
192本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/15(木) 11:14:00
>>187○国家の真実は、国家の至宝。

中国人の司書は、王に殺されても歴史を正確に記載した。
しかも何人も。
それ故、中国の歴史は信頼され、尊ばれるのである。

193日本@名無史さん:2007/11/15(木) 11:18:54
>>192
◎んなことはどうでもい。早く答えろ。
194本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/15(木) 11:21:58
>>190○「だから言ってるだろ? 君は歴史家から呆れられるって」
あのさあ、かりにも信長の娘を貰った息子を殺すのに、何も多くの家臣に調べさせてないなんてありうるか?
しかもその文書、証拠品も無いんだろ? 常識無いぞ。
○信康廃嫡? おいおい秀忠など生まれたばかりで後継ぎに不安ありとしつこく書いたのは君。
だから矛盾してるぞと指摘しただろ。後継ぎに不安は、家康に何かあるとすぐ跡目相続が起こるからな。
>>191○「京都秘密文書」世に実在するものを見つけられないのは、君の不覚。
195日本@名無史さん:2007/11/15(木) 11:23:18
「ぼくの考えた家康さんならこうするはず」なんて妄想はもういいから、
いいかげん、出典を明記した史料を根拠に挙げて、自説を主張する。
という学問としての「常識」を学びましょうね。

俺らが学問的な見地から批判してるのに、
博くんは中学生の妄想レベルで語ってるから、永遠に議論がかみ合わないw
学問としての最低限の「常識」を共有できてない人とは、
そもそも、議論そのものを行なうことが不可能。
○と◎さんの全く進展の無いやりとりが好例。
196日本@名無史さん:2007/11/15(木) 11:28:24
>>194
○「だから言ってるだろ? 君は歴史家から呆れられるって」

歴史家から呆れられるどころか相手にもしてもらえない
三文小説家に言われても全く説得力が無い件
197日本@名無史さん:2007/11/15(木) 11:30:00
>>194
◎『あのさあ、かりにも信長の娘を貰った息子を殺すのに、何も多くの家臣に調べさせてないなんてありうるか?
しかもその文書、証拠品も無いんだろ? 常識無いぞ。』
何についてのレス?
198日本@名無史さん:2007/11/15(木) 11:37:28
>>181
>まず「扶桑略記」にも、その句「つくるとも」の記事はある
だから、『扶桑略記』のどこに書いてあるかちゃんと説明しましょうね。
そして、『大鏡』の記述が誤りだと証明しましょうね。
「だって書いてあるんだもん、ぼく見たんだもん」
って、ガキじゃねえんだからよ。

>そして辛酉は六十年に一回巡ってくる干支だが、もし辛酉革命を原因とするなら
>最初から「天徳五[九六一]年」はない。延喜[九○一]が辛酉革命だからな。
意味不明。辛酉革命まだよく理解できてないみたいだな。
もうちょっと勉強してから知ったかぶりしようね。
199日本@名無史さん:2007/11/15(木) 11:39:04
きっと博くんは、昔大河でやってた「徳川家康」が忘れられないんだな
「信康…すまぬ」
そこでもらい泣きをする博くん
200日本@名無史さん:2007/11/15(木) 11:40:45
◎おい○よ。結局、私が「こんなシナリオかな?」と立てた『仮説』への反論に終始し、答えてもらいたい事実については一切触れなかったな。
◎君は以前からこの2chで議論する相手を探していたが、平日の1〜2時間しか書き込めない、しかも噛み合わないレスの応酬…これでは無理だろ。
◎やはり君は然るべき所に出て直接顔をつき合わせて議論しなさい。君にはそれが一番いい薬だ。
201日本@名無史さん:2007/11/15(木) 12:39:26
「当時の世の噂」の「当時」っていつよ?
202日本@名無史さん:2007/11/15(木) 13:54:04
>>181 ○の主張する「天徳」の解釈は嘘ばかり

▽『「扶桑略記」にも、その句「つくるとも」の記事はある。』
 「大鏡 左大臣時平伝」にはその記事が載っている(「大鏡」佐藤謙三校注 角川文庫 64頁参照のこと)
 「扶桑略記」に同じ記事があるというのは確認できない。
▽『そのとき大変な加持祈祷が行われ始めた。』
 「扶桑略記」にそのような記載は確認できない。
▽『「天徳」の内裏大火災の時、「菅原道真公・太政威徳天」の噂ばかりだったのは周知の事実』
 「噂ばかり」の典拠は不明。
▽ 『天徳は火神、火雷天神の号にして忌むべし」』
 「天徳」から「応和」への改元事由は辛酉革命によるものであることは「常識」
▽「太政威徳天」は「天に満ち満ちて自在に威徳をお示しになる神」という意味なので、
 『「太政」+「威徳」+「天」』とは分解できても、『「太政威」+「徳天」』又は
 『「太政」+「威」+「徳天」』とは決して分解できない。
 よって、最後の「徳天」をひっくり返し「天徳」とは読めない。
▽信長戒名「天徳院」は死後つけられたものであり、本人の意思とは関係ない

残念ながら、以上の点で、○のブログの中の「本能寺の変、安土、天主閣とは何だつたのか?」で
得意げに騙っている『安土天主の下には内裏の清涼殿に似た建物』と菅原道真との関連や「天徳」と
「天徳院」の関連は何ら脈略もない出鱈目であることが証明された。

これで、○の主張の重要な根拠をひとつ失ってしまいましたね。

以上、「天徳」編終わり
203日本@名無史さん:2007/11/15(木) 18:13:22
>>194
いや、こっちはみつけようとすら思ってないから
で、何ページで、参考文献リストに載ってない理由とそれに答えられない理由は?
204日本@名無史さん:2007/11/15(木) 23:27:15
>186
>どうやら此処は当時の世の噂なんてものは全く無視して、
>記録だけを読む人間が来ているようだな。

当時の世の噂も記録のうちだろうにwww

さすが天徳が三年しかなかった世界に住む輩は言うことが一味違うwww

「京都秘密文書」?

>私もその明らかに紙質や言葉使いの違う、
>無愛想な書き方の薄っぺらな書物、
>巻物でもない、、、を本物と断言する勇気もない。
>ちょっと書かれてあることに裏を取ろうとしたのだが、
>信頼性はそこに見出せなかった。
>特に信長の経歴、性格、明智家の家族などにおいてはかなり違っていた。

を読む限り「武功夜話」と何が違うのやらwww
205日本@名無史さん:2007/11/15(木) 23:31:27
>202

「また彼に信長が与えた姓は『惟任』。コレトウは特別な読みです。
普通はオモニンと皆、読むでしょう。並べ換えて見れば。オニモン。
つまり鬼門の日(天皇)に向かう守りこそが彼の勤める役目だった。
名も光秀(こうしゅう)と牛が入っています」(p317)

のように、言葉を都合よくひっくり返すのは博くんの手段の一つなので、
「ああ、またか」と思って呆れるのが吉。
206日本@名無史さん:2007/11/15(木) 23:48:36
あれだ、ノストラダムスの大予言と同じで読み方を都合よく変換すればどうとでも捉えられると言う典型>○解釈
207日本@名無史さん:2007/11/16(金) 00:07:50
>また彼に信長が与えた姓は『惟任』。コレトウは特別な読みです。
>普通はオモニンと皆、読むでしょう。並べ換えて見れば。オニモン。

激しく噴いたwww
「普通はオモニンと皆、読むでしょう。」
どこの「常識」だよwww

一生暗号ごっこでもやって遊んでろ。
208日本@名無史さん:2007/11/16(金) 00:19:41
>>205

○的暗号解読術 其の1
@自分の解釈の関連づけを調べたいと思う漢字を探す 
A漢字それぞれを分解して『広辞苑』岩波書店・『新選漢和辞典』小学館・『大辞林』三省堂・『古語辞典』旺文社で読み方を調べる
B音読みした言葉を仮名にして書き上げ、一字ずつ分解する
C解釈に都合の良い仮名を探し出し、それぞれの仮名の前後を適当に組合わせる
※前から後に読むだけでなく、後から前に読んでもOK
209日本@名無史さん:2007/11/16(金) 00:41:47
それなんてMMR?
210日本@名無史さん:2007/11/16(金) 00:42:48
>>207 きっと『惟任』では苦労したでしょうね

@明智光秀のことを「牛(うし)」や「鬼(おに)」に関連付けたい 明智・光秀・惟任・・・
A 『惟』を漢和辞典で調べると、読み「イ」・「これ」しかなく、「う」「お」「し」「に」などのキーワードが出てこない
  『任』を漢和辞典で調べると、読み「ニン」の中にキーワード「に」を発見した
A' 『惟』を国語辞典で調べるとキーワード「お」を含む訓読み「惟る(おもいみ・る)」を見つけた
A''「惟る(おもいみ・る)」を音読みのように表記するため、「おも+いみる」と分解する
B ○的音読み「惟(おも)」+「任(にん)」=「お・も・に・ん」完成
C 「鬼(おに)」と読み替えるために、「お・も・に・ん」を「お・に・も・ん」と変換
211日本@名無史さん:2007/11/16(金) 00:44:07
○大庭博の目的は、借金してまで自費出版したものの結局、学術的にも小説としても
見向きもされなかった自著を売りたいだけ。
だから何を言われようが自身の誤りは認めない。

そんなのを相手にムキになっているキミたちは、余程の酔狂人なのかそれとも○博と
同類の香具師なのかね、ウププ・・・
212日本@名無史さん:2007/11/16(金) 00:48:51
「言葉遊び」に過ぎないアナグラムの類を学問の世界に持ち込んで
唯一の真実を見つけたとか自慢してる大庭博は
まさに笑止。常識がない。
オカルト界では常套手段だけどね。

マイケル・ドロズニンの『聖書の暗号』とかに感銘を受けちゃったクチかな?
そういえば『聖書の暗号』の邦訳出版が1997年だしなあ。
213日本@名無史さん:2007/11/16(金) 01:02:24
なるほど、大庭博はオカルト研究者だったんだね。



214日本@名無史さん:2007/11/16(金) 04:01:23
まあ、はっきり言ってオカルト研究者とみなして間違いないだろう。

安易に謀略・陰謀論に飛びつく
幼稚な暗号ごっこ
出自不明の文献を用い、それを秘匿し公開しない
「日本史二千年最大の謎」「国家の真実」など、無闇に誇大な文句を使いたがる
自説が真実という前提で、何の証明もなく議論が進む
正規の学問的な場所では議論に応じない
自説に都合の悪い批判は無視し、勝利宣言
自説の証明責任は果たさず、責任の所在を転嫁する
自説への批判を人格攻撃にすりかえる。
自説が認められないのは、なんらかの陰謀
法外な金額を要求する

みごとにオカルト界の人達と、やってることが変りありません。
大庭博の問題点をついて遊んどけば、
少しは詐欺師、インチキ霊能者、カルト宗教あたりに対する耐性が身につくかもよw
215本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/16(金) 10:15:04
>>202○「天徳は太政威徳天[菅原道真公]の号である○○○大正解○

○君の不勉強。こちらはちゃんとしたある学者の比較論もある。
○この当時天慶承平の乱の平将門が菅原道真公の生まれ変わりなどとされ、「火雷天神」
の旗印などして、菅原道真公の噂とたたりで持ちきりだったのは常識。
道真公が怨霊になられたというのは平安の常識だった。その著作本あり。
○辛酉革命は口実で、じっさい応和への改元日は内裏の火災のにちなんでいる日。
○「天徳は火神、火雷天神の号[菅原道真公・太政威徳天の号]にして忌むべし」
は正解。太政威徳天に「天徳」とあること。もうひとつはこれが帝釈天[昔の天帝]
に授けられているとされたことから。「冥途記」、
それ故道真公の破壊力を帝釈天に例える見方もあった。
で「天徳の意味」は天道、天子の徳。
そのことから天の道[道真公の略]ともされ、
その力を帝釈天[昔の天帝]と見た人もいた。
ゆえに天徳→「太政威徳天の号」とされたのである。

216本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/16(金) 10:23:55
>>202○戒名「天徳院」とされることは信長、織田家の意志であった○

○まず安土城に「天主」−「空中階段」−下の「清涼殿に似た建物」が作られたこと。
○信長を神体とした総見寺に十一面観音[菅原道真公の本地仏ともされる]が本尊とされたこと。
○そして次男信雄の印は「威加海内」。この「威」は天主などから考えても、太政威徳天の威。
○そしてすぐ「天徳院」は「総見院泰巌安公」に変更された。

217本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/16(金) 10:35:51
>>207>>208>>2010「惟任のせいについて」
○惟任[これとう]は九州の名家の姓であるが、
明智光秀には全く関係が無い。

○明智光秀は京都鬼門封じの比叡山延暦寺を焼き払ったあと、近くに坂本城を貰った。
織田家中で最初に大名となった。鬼門方位の守護は僧侶、陰陽師に任されるのが昔は普通である。
○信長の重要な氏神牛頭天王は鬼門の主であり、何かちなんだ人間、姓を与えられても不思議ではない。
○明智光秀の四十前は全く不明。だが鬼門封じを焼き払った信長に重要視された。
結論「なぜ、突然全く無関係な姓を貰ったか? 惟任、おもにん。おにもん、鬼門」
信長の大事な氏神の方位にちなんでも不思議ではない。
事実、後に京都鬼門[丑寅]方位、おそらく寅に信長は安土城を作った。
一説に、敵を攻めるには鬼門から攻めよという方法があつた。
そして京都市民が鬼門方位を今も恐れるのは周知の事実。
218日本@名無史さん:2007/11/16(金) 10:42:54
◎はい。それでは『信康切腹が信長の命令だった時の疑問点』について説明してください。『妄想』抜きで。
219日本@名無史さん:2007/11/16(金) 10:47:04
>>215 「天徳」のお話は終了

>>216>>217 意味のない文章のコピペは無駄

じゃあの
220本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/16(金) 10:54:59
>>195>>214○○本物という奴がよく解ったか?○○
その本物は「聖戦、マハーカーラの女」○

いくら工作員、スパイが偽物と喚いても、しょせん世の人は、
真実意外は馬鹿馬鹿しくて見向きもしなくなる。
そして、真実はすでに出た。
その答えは、朝廷説、
そして明智光秀の軍事同盟者は織田北陸方面軍司令官柴田勝家。
本能寺の変は、本物の「聖戦」だったのだ。
そう認識するものにのみ、日本史の真実は知れる。

戦国史最大の暗号「本能寺・コード」「京都秘密文書」
これは私が偽造、捏造したものではない。
四百年前の人々が、後世に歴史の真実を残そうとしたものだ。
当時の絶対権力者らの眼を逃れて、、、

そこを、勘違いしてもらっては困るね。






221日本@名無史さん:2007/11/16(金) 11:07:05
◎『信康切腹は信長の命令だった』が事実であると断言する、その根拠を挙げてください。
◎何故、自分に都合よろしい史料しか読まないで断言できるのですか?
◎『後から出来た史料が正しいこともある』は理由になりませんよ。徳川正史が全て正しいという根拠を挙げてくれれば別ですが。
222本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/16(金) 11:07:49
>>218馬鹿馬鹿しい。何回同じことを言わせる?
信康の謀叛、酒井忠次の陰謀は成り立たない。

○信康、その派閥、周囲が謀叛を企んでいたら、軍から離れてすぐに捕まるか?
粛清された家臣が必ず出るはず。
○また酒井忠次の陰謀だったとか言い逃れか? 
家康がかりにも信長の娘をもらった長男を殺すのに、
多くの家臣に下調べさせないことがあるか?
調査させて報告させた文書、手紙などがない。少なくとも何か証拠になる文書くらいはあるはずだろ。
あれだけの大事になったんだからな。
○それに君の説では、、、ね家康が後から「讒言」といった、、、そうだな。信康のことが讒言とわかったのなら、
酒井忠次が処分されないわけがあるか? しかし何も処分されてない。
223日本@名無史さん:2007/11/16(金) 11:22:09
>>222
◎もう時間だろ?逃げ切るために今更レスしてんのか?
◎それより>>218,221について答えろよ?
224日本@名無史さん:2007/11/16(金) 11:35:24
今回も>>214のオカルト研究者の特徴そのままのレスで時間切れ
225日本@名無史さん:2007/11/16(金) 11:48:38
>>222
◎『粛清された家臣がいたはず』?
私の仮説通りならね。
でも信康切腹と前後して処罰をうけた、脱走した者がいたのも事実。>>90の人が挙げてくれてる。
◎『何故家臣に調べさせない』?
そこに疑問を抱くくせに信長に命令されて特に調べることなくあっさりそれに従ったことについては何も感じなかった訳?
確か『言い逃れできない証拠を突きつけられていたから』とか言ってたな?その証拠とは何ですか?文書によって残されてるんですか?
◎『讒言なら何故酒井忠次を処分しない』?
讒言に乗せられて信康を処分してしてしまったと正史に残したくないからだろ?
信康を処分してしまい、実は派閥争いが絡んでいたからといって主だった家臣を処分すれば周囲に徳川内部の確執が露見してしまう、つまり他家の調略に利用されるのを恐れるためともとれるんじゃね?
処分したいが処分できない。この流れなら以前君が述べた『お前も我が子がかわいいか』という家康の忠次に対する嫌みも納得できるものになる。
226日本@名無史さん:2007/11/16(金) 12:16:30
んじゃ惟住は「おもじゅう」か?www
227日本@名無史さん:2007/11/16(金) 12:34:04
△たしか丹羽が惟住、梁田が別喜を貰ってるはずだが、この二人の意味は?
228本能寺の変、四百二十五年目の真相。の叔母:2007/11/16(金) 12:42:49
妄言の繰り返しですいません。 甥は精神を病んでいます。

平日の午前10時から昼頃までしかお答えできないのは、
春日市にある公共施設の無料パソコンの利用時間に限りがあるからです。

どうぞ大目に見てやってください。
229日本@名無史さん:2007/11/16(金) 12:53:10
>>222
◎というか君はずっと勘違いしっぱなしだな。
◎私の仮説は、忠次が西三河衆を排除する為にその旗頭である石川数正を陥れるつもりで『数正らが信康を担いで謀叛を起こそうとしている』と家康に密告する。
数正らが憎くて堪らない「御×××」の口添えもあり家康は忠次の話を信じ込み、家康は信康に数正らを処分するよう申し伝えるが信康は断固として拒否し数正を庇い続ける。
そのうちに家康は「すでに信康は数正と謀叛を起こすことで承知しているのでは有るまいか」と疑惑の目を数正から信康に向け始める。信康には思いもよらぬことであり当然それも否定する。
武田信虎のように息子によって追い落とされるのでは…という猜疑心にかられた家康は信康を最後まで疑い続け、遂に信康は自身と数正らの潔白を証明するため切腹して果てた。
230日本@名無史さん:2007/11/16(金) 13:15:21
>>229の続き
◎後々になり、ことの真相が忠次らの讒言から始まり家康自身の行き過ぎた猜疑心がもたらしたものだとわかる。
自身の思い込みによるものであった為に家臣らを罰することも出来ず、結局数正はこの件が尾を引いて徳川から逃げるように出奔した。そして息子の所領について意見を述べた忠次に対し「お前も我が子がかわいいか」と嫌みを言ったという家康の気持ちも理解できなくはない。
◎君は『信康の謀叛、忠次の陰謀は成り立たない』と言うが、私の仮説には信康の謀叛は初めからないものだし忠次の陰謀の対象も信康ではなく数正だよ。
家康の行き過ぎた猜疑心が信康の逆心を作り上げてしまったと言うことだ。
◎無論、これは状況証拠を私の『憶測』『妄想』で繋ぎ合わせた『仮説』でしかないからね。
231日本@名無史さん:2007/11/16(金) 13:36:52
◎でも○よ、>>229-230に対するレスは要らんよ。私の単なる仮説、フィクションなんだから突っ込みどころはいっぱいあるはずだからな。
◎だが君は『信康切腹は信長の命令で間違いない』と言い切ってしまった。君にはその根拠と言うものを提示してもらわなければならない。
◎信康切腹について徳川の正史には『信長の命令』と書かれている。しかし、一級史料と呼ばれるものの中には『徳川からの上申があった』という記述がある。
◎そして研究が進むうち『信長の命令』にしては不自然な点が数多く浮かび上がり、更に徳川正史にも当時の幕府の御用学者達による改竄が成されている可能性が指摘され始めてきた。
◎双方の説に決定的な根拠はなく真相は現在でも謎とされている。しかしここに○は『信長の命令で間違いない』と言い切ってしまった。
◎言い切れるだけの決定的な根拠があればそれは歴史的発見である。さぁ、○よ。逃げてないで早くその根拠を出しなさい。
232日本@名無史さん:2007/11/16(金) 13:53:10
「惟住」の性は誰が与えたんだろうw
○解釈で言えば朝廷が与えたとしなければならないのだが
233日本@名無史さん:2007/11/16(金) 14:11:57
>>215
「ちゃんとしたある学者の比較論もある」
「その著作本あり」「に例える見方もあった」「と見た人もいた」
まさに笑止だな。
ちゃんと根拠を明らかにして論述するという常識を覚えようね。
234本能寺の変、四百二十五年目の真相。の叔母:2007/11/16(金) 14:26:44
○惟住[これずみ]や別喜[べっき]は九州の名家の姓であるが、
丹羽長秀や梁田広正には全く関係が無い。

丹羽の場合、名に長秀(ちょうしゅう)と牛がはいっているし、
梁田も出羽守広正と呼ばれていたのは周知の事実。
織田家臣が牛や鬼に関係しているのは常識。

と、甥が申しております。
235日本@名無史さん:2007/11/16(金) 15:53:58
長州力にも「ちょうしゅうりき」と牛が入ってるが、
これは、彼も牛頭天王を信仰していたことを示し、
彼の活躍の影にはなんらかの謀略が見られる。
236日本@名無史さん:2007/11/16(金) 16:04:11
羽柴は「うしば」とも読め、牛が入ってるから
秀吉が黒幕。
足利義昭は「ぎしょう」とも読め、牛の字が隠されている
義昭が黒幕。

こんなの、なんとでも言えるわなwww
どんな陰謀論でも自由自在に作り出せる。
さすが三流ミステリー作家。
237日本@名無史さん:2007/11/16(金) 17:06:25
信長の存在そのものが太田牛一の捏造。
238日本@名無史さん:2007/11/16(金) 21:39:30
牛一もウシか

なんですかこのMMRスレ
239日本@名無史さん:2007/11/16(金) 22:09:17
今川よ うし 元
240日本@名無史さん:2007/11/16(金) 22:16:32
たった一冊の自費出版でも小説家。



241日本@名無史さん:2007/11/17(土) 00:02:53
>>216 『基本的な知識不足が露呈しています』

▽「戒名「天徳院」とされることは信長、織田家の意志であった」
あれあれ、いつの間にやら信長本人から織田家の意志へと話しがすり替わっていますね。

▽「総見院」が大徳寺にあるって知ってるよね?ところで「天徳院」は?
もう少し色々勉強してから発表しないとね。

▽「そして次男信雄の印は「威加海内」。この「威」は天主などから考えても、太政威徳天の威。」
「天主などから考え」るべきものじゃないので、全く意味不明。
何を典拠としているかも知らないで書き込むと、また恥をかくだけ。

▽「そしてすぐ「天徳院」は「総見院泰巌安公」に変更された。」
『天徳院殿一品前右相府泰岩浄安大禅定門』という法名がある長興寺の信長画像がいつ寺に寄進
されたもので、秀吉主催の大徳寺での信長葬儀の日付がいつだったかも知っておいた方がいいね。
「天徳院⇒総見院」っていうときには、別の出典を挙げて主張しないとお間抜けになるよ。

▽「天徳院」の法名が『肖像画の裏』にあるのは、どこの寺のもの?
長興寺のは「上」に書かれてます。孫引きばかりしないで、ちゃんと現地行って全体画像
見ようね。
242日本@名無史さん:2007/11/17(土) 00:59:41
大庭博のペンネーム銀山光秋、この名前は「こうしゅう」と読める
なんと、ここにも「牛」の暗号が隠されているではないか!
これは一体何を意味するのか?
実は大庭博は、牛頭天王を信奉する秘密結社の一員なのである。
彼の目的は、本能寺の変の背後に牛王天王信仰による大掛かりな陰謀をでっちあげ、
日本の歴史の背後では、牛王天王信仰が常に糸をひいていたというプロパガンダを行ない
同時に、その売上は組織の資金へと流れる、というものである。
これも全ては、彼等が牛王天王が支配する世を築かんがための謀略である。
この銀山光秋による謀略は氷山の一角。
巧妙に「牛」の文字を隠した者達が各界で暗躍し、牛王天王の世を築く謀略を行っているのである。

以上の恐るべき真実が、今回の私の調査で明らかにされた。
ただ、当然のこと極秘ルートからの情報であり、それを明かすことはできない。
しかし、これこそが唯一の真実なのである。

なお、情報提供者に「好きな超人は誰?」と聞いたところ
「当然、1000万パワーのバッファローマンさ」という予想道理の答えが帰ってきた。
そういえば、キン肉マンの大好物は牛丼。
もしや、キン肉マンも彼らの謀略では?
少年漫画の世界にまで彼らの魔の手が延びているのか?
そう思うと背筋に寒気が走った。
243日本@名無史さん:2007/11/17(土) 01:40:00
○の本名大庭博の苗字「大庭」、これは「おおにわ」と読める
なんと、ここには「鬼」の暗号が隠されているではないか!
これは一体何を意味するのか?
実は大庭は、大威徳城の門を守る鬼の系譜をもつ一族でもあった。
彼の目的は、以下>>242に同じwww
244日本@名無史さん:2007/11/17(土) 04:47:39
>そういえば、キン肉マンの大好物は牛丼。
 もしや、キン肉マンも彼らの謀略では?

もしやメガ牛丼を食べると洗脳されるのか・・・・・・





245日本@名無史さん:2007/11/17(土) 12:07:02
斉藤義龍
斉とうよし龍
斉とウよシ龍

近江の六角義治
おう江の六角よし治
おウ江の六角よシ治

みんなウシ仲間だ
246日本@名無史さん:2007/11/18(日) 01:50:18
戦国牛軍団ww
247日本@名無史さん:2007/11/18(日) 03:13:14
上杉謙信
ウえすぎけんしン

上田重安(宗箇)
ウえだシげやす

宇喜田能家
ウきたよシいえ

牛軍団に入団希望の方が続々と集まっております。

「読み方を変えてもいいなら、俺も資格があるぞ」
と、さらに多数の方々からも問い合わせが続いております。

まずは、そのもの「牛」の字が入った
牛尾幸清さんを優先して軍団入りしてもらおうと思います。
248日本@名無史さん:2007/11/19(月) 09:02:54
このウシ談義を彼はどう思うだろう
249本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/19(月) 10:23:14

>>241○「太政威徳天の号は天徳である」大正解。○
道真公にその地位を与えたとされる帝釈天、
その別名は「天帝釈」どの辞書にもある!!
その見方から太政威徳天が「天徳」の号でも不思議なし。
しかも帝釈天[インドの語ではもともと天主の意]からその力を帝釈天と見る向きもあった。

○信長の意志、「天主」→「空中階段」→「下の清涼殿に似た建物」で充分。
○おいおい「天徳院」と書いてある史料はあの有名な絵以外にもあるよ。
有名な史料が、知らないのは君だけ。
○この男は歴史書に天徳から応和への改元が「内裏火災、ならびに辛酉革命のつつしみによって」とあるのを
百も知ってるくせに書かない輩です。その内裏火災が道真公に係わっているとされたのは有名。

250本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/19(月) 10:34:54
>>229>>230>>231○信康の切腹が家康の猜疑心によるものであるという説への根本疑問○
一 当時は家臣は主君のためにあるもので、家臣を守るために主君が切腹など聞いたことがない。
二 家康が周囲に多くいる家臣に信康のことを調べさせた形跡、文書がない。
三 しのびのもの、つまり情報収集係りで有名な服部半蔵が、信康切腹に行き、介錯を涙でできず、
代わりのものがした。つまり信康周囲を忍者が調べていたことになる。

○何より、桑田忠親博士が「信長の命令で」とはっきり書いている。
「これほどの殿は出来がたし」「万民、皆泣く」の言葉も残っている。
信康が最期に「父に刃向かうなど考えたこともない」といったとの言葉も残っている。

251本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/19(月) 10:53:16
「今度は、警察へ行くぞ!!」
>>228○全ての祖母に確認しました。他人に成り代わり、書き込みをするのは立派な犯罪です。
一度刑務所に行きますか。悪質な犯罪と見せしめにされるかもね。
>>242○明智光秀、光秀はこうしゅうではないか。光秋もこうしゅうは、そこから。
なんで光秋君が、秘密結社なんだよ。
国家鎮護の守護神、元寇、平将門の乱を平定したという「太元帥明王」を
[一説には明治、昭和天皇陛下の大元帥の称号の元ともなったという]
破壊した君らが秘密結社だろう。
しかもその秘法たるや国家のために、僧侶らが何人も命を懸けて遠い中国から
持ち帰ったというのに。僧侶らに悪いと思わないのか?
>>243○なんで大庭君が秘密結社なんだね。そんな訳ないだろう。
あんたこそ、ドラマで「大場和男」[アダナ、大馬鹿]とやって
「国家安康」で、
「大和」を二つに割って、電波打ちでどうこうしたんじゃないだろうな??

252本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/19(月) 11:06:01
警察へ行って下さい。
早く行って下さい。
253本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/19(月) 11:07:42
○菅原道真公は、高徳な人で、学問の神様。
政変の犠牲者で、別に何の罪もありませんから。
そこのところ、誤解なきように。

254本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/19(月) 11:19:14

○日本史、二千年でただ一冊、

「聖戦、マハーカーラの女」博君著。

「裏切り者ユダよ、六月十三日、天王山で会わん」
その手紙の言葉に、明智光秀の手は怒りで震えた、、、

しかし、織田家を裏切った本物のユダは誰であったのか?

国家の真実、、、、、

あ、レス253は私が書いたからね。
ついに偽物が出るとは、大罪だな。警察へそろそろ行こうかな。
255日本@名無史さん:2007/11/19(月) 11:35:47
早く警察行けば?wwww
256本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/19(月) 11:43:34
「252の付け加え」
二○あの慎重で知られる家康が息子、正妻を殺すのに周囲に多くいる家臣に調べさせたという形跡、文書が残っていない。
謀叛の疑いをかけて独断、猜疑心で殺したという説をとるなら、そんなことがあるか?
必ず何か、決定的なものが残っているはずだろう?

三○別の見方をしてみよう。仮説である。
忍者服部半蔵が信康切腹立会いに行っている。
家康の信頼を受け、後に有名になった忍者だ。猜疑心から忍者に調べさせた可能性もある。
その忍者は涙で信康の首が斬れず、別のものが介錯した。
忍者が調べて、何もなし、無実だから、涙で首が切れなかったのではないのか?

つまりこの状況に当てはまるのは
「家康の猜疑心、独断からの切腹申しつけではなく、信長の命令である」
257日本@名無史さん:2007/11/19(月) 11:46:54
それは仮説でなくて夢想です
258日本@名無史さん:2007/11/19(月) 11:53:59
>>249
つまり、女王も王女も同じ意味って事かww
259日本@名無史さん:2007/11/19(月) 11:55:19
 秀吉、家康が信長殺しの犯人である証拠
 秀吉は妹と母を、家康は秀康と石川数正を人質交換している。これは小牧の
役後の事にされているが、信長暗殺の同盟時に行われたのである。天下人秀吉
が家康に臣下の礼をとらせる為に人質を出す筈がない。家康は小牧の役で勝利
したのに人質を出す筈がない。秀吉が小牧の役で家康の5倍の兵力で負ける訳
がない。小牧の役は八百長の戦争で、両者の同盟関係を否定し、信長殺しの秘
密を知る池田恒興らを殺害する為の芝居であった。
 光秀が本当に天下取りを企てたとしたのなら、必ず信長の首を撃ち、天下を
取っている。秀吉が幾ら大軍で進軍してこようが大山崎の狭隘部で待ち伏せし
て、鉄砲隊、槍ぶすまで壊滅させる。光秀は諸葛孔明ばりの軍師であり、美濃
兵は最強の兵団である。宝蔵院流の槍の使い手・可児才蔵等の一騎当千の剣豪
が幾らでもいたのである。美濃はそれだけ剣術が盛んな国柄でもあった。 
 中国バブル崩壊、世界大恐慌の処方箋は第3次世界大戦
 なぜ、政治汚職が無くならないのか。それは税金を食物にしようとする企業
と税金を使い切らねばならない役所の利益が結び付くからである。政治家はそ
の仲介をして甘い汁を吸う。役所は税金を使わなければ翌年に税金を徴収する
名目を失う。だから、無駄な公共事業が一人歩きして歯止めがきかない。国が
この様にして作った莫大な3千兆円の借金は返済不能である。国はすでに死に
体である。今の経済は借金の穴埋めで成り立っており、借金を打ち切ると殆ど
の企業が倒産する。今の経済は国民の生き血を吸って生き延びている。憲法で
言う国民主権などまやかしで、政府自らが法を破っているから税金を納める義
務はない。
 警察は国の悪法を守る番犬で、いつ国民を牙にかけるか知れない。警察は天
下の大泥棒を見逃し、こそ泥を捕まえている。役所は税金泥棒の本領を発揮し
て悪事を働く。今の貨幣経済を作ったメーソンの悪の仕組みは行き詰まる。年
金制度は初めからねずみ講で、資金を政府が悪用していて潰れない訳がない。
NHKは政府のプロパガンダを流して国民を騙している。何もかも破滅寸前で
ある。起死回生の奇手は戦争である。政府は戦争を待ち望んでいる。
260本能寺の変、四百二十五年目の真相。の祖父:2007/11/19(月) 11:56:06
孫が妄想を振りまいてすいません。

孫に成り代わってお詫び申し上げます。
261日本@名無史さん:2007/11/19(月) 12:38:27
>>251 「祖母」に確認してもワカランわな・・・ 「叔母」なんだからwww
漢字読めないなら、辞書ひかないと 
262日本@名無史さん:2007/11/19(月) 12:42:36
>全ての祖母に確認しました。

祖母が何人いるのか、気になるなw
263日本@名無史さん:2007/11/19(月) 13:23:57
◎だから『仮説』に反論しても無駄だからいいってば。
◎『家臣は主君の為にあるもの』?
確かにその通りだ。家臣は主君を守ることが第一。しかし『信長の命令説』でも酒井忠次は信長の弾劾状を家康に相談もなくその場で肯定、つまり主君を守りませんでしたね?
信康の細かい動向なんか忠次は知らないはずなのに。
◎『慎重な家康が信康の身辺を調べた記録が残ってない』?
それは『信長の命令説』でも同じこと。信長に命令されたから家康は特に調べもせず信康処刑しました、なんてのはおかし過ぎる話ですな。
◎『服部正成は忍者』?
ヘソが茶を沸かしてケツで飲んでしまいますね。
◎『服部正成が泣いた』?
このエピソードについて近年では作り話ではという説が出ている。正成は信康とほとんど面識がないはずで泣くほどの思い入れがあったのか、というものだ。
264日本@名無史さん:2007/11/19(月) 13:26:53
◎『別の見方をしてみよう。仮説である。』?
何で今更君が仮説を立てますか?『信長の命令』で間違いないと言い切ってるじゃないですか。
言い切るだけの根拠を出せば『仮説』なんていらないでしょ?ソレを出しなさいってば。
265日本@名無史さん:2007/11/19(月) 13:36:35
◎『「父に歯向かうなど考えたこともない」と言ったという』?
何の史料にありますか?
家康自身は「親子の争ひの様になり候て、毎度申し候ても聞き入れず」云々とお江与に語ったそうです。
変ですねぇ『徳川正史』てのは。
266日本@名無史さん:2007/11/19(月) 14:01:10
◎『桑田忠親博士が「信長の命令で」としている』?
桑田忠親氏のことを聞いているのではない。
君が何故都合よろしい史料しか読まずに『信長の命令』と断言出来るのかを聞いてるんですが?
267本能寺の変、四百二十五年目の真相。の祖父:2007/11/19(月) 14:14:08
◎さん、孫の妄想にお付き合いいただきありがとうございます。

孫に成り代わって御礼申し上げます。
268日本@名無史さん:2007/11/19(月) 14:18:15
◎「信康切腹」が『信長の命令』だったときの疑問点
・対等ではないとはいえ同盟関係にあった徳川に何故このような遺恨の残る命令を出したのか?
・当然徳川の離反というケースも考えられたはずだがそれに対して信長が備えをした形跡が無いのは何故か?
・当時の武田家の情勢を考えれば武田家へ内通するメリットがないはずなのに信康は何故武田家に内通したのか?
・通説では五徳が弾劾状を信長に送り付けたことが発端とされているがその五徳が何故助命嘆願をしたのか?
・岡崎の信康の動向を知るはずがない酒井忠次が弾劾状を肯定したのは何故か?
◎更に『前田本安土日記』など、「信康の切腹」が『家康からの上申』だったとする史料も残されている。
269日本@名無史さん:2007/11/19(月) 14:40:43
信康切腹が信長の命令ではなかった史料を引用しよう。
「当代記」だ。
「八月五日、岡崎三郎信康主家康公一男牢人せしめ給ふ。これ
信長の婿たるといへども、父家康公の命を常に違背し、信長公
をも軽んじたてまつられ、被官以下に情なく行われ、非道の間
かくのごとし。この旨を去月、酒井左衛門尉(忠次)をもって
信長に内証を得らる所、左様に父・臣下に見限られぬる上は、
是非に及ばず。家康存分次第の上返答あり」
ここで大切なのは信長が「信康を殺せ」などと言わず、
「家康の思う通りにせよ」と答えていることである。
それと○よ、桑田氏を引き合いに出してるが氏は本能寺の変
怨恨説だったはず。こちらには従わず「朝廷説」などを
唱えてるのは何故か答えなさい。
典型的二重基準ではないか。
270日本@名無史さん:2007/11/19(月) 14:50:12
◎しかし「信康切腹」と前後し徳川家では不穏な動きがあったという記録もある。
◎『松平家忠日記』
天正六年九月
家康から岡崎家臣団へ各々の在所への引き揚げ命令が発せられ、信康との連絡を禁じられる。
天正七年六月
家康が「信康御×××の中なをし」の為に軍勢を率いて岡崎を訪れる。この時家康と信康の間で激しい口論があったという。
天正七年八月
信康追放される。
◎そして家康から信長近習堀秀政に対して書状が送られ、酒井忠次が安土を訪れる。
『家康と信康の間で何らかの問題が発生し、信長が家康から信康生害の相談を忠次を通じて受けた』とすれば、『前田本安土日記』の内容の裏付けにもなる。
◎そして信康切腹後何故か数人の家臣が蟄居、脱走している(>>90参照)。
◎信康との連絡を禁止する、息子の居城に軍勢を率いて入る…この時すでに家康信康の間がかなりの緊張状態にあったことがうかがえる。
◎これらのことから『信長の命令』ではなく『家康の意志』で信康は切腹したのではとも考えられている。
271日本@名無史さん:2007/11/19(月) 15:13:58
神君顕彰が目的の徳川正史を史料として使おうとするのが
間違っている。
江戸時代、家康に対する批判はいっさい許されなかった。
そんな中、権現様が妻子殺しなどと認めることなどできまい。
○にはこの視点が欠落している。
「安土日記」「当代記」「家忠日記」などから考えれば、
信康の死は家康の意思だったと考えるべきである。
272日本@名無史さん:2007/11/19(月) 15:43:35
(271続き)
だが何故家康が妻子を死に追いやったのか。
これは史料がないから推測するしかない。
恐らく幕府が都合の悪い文書等を抹殺したからであろう。
○はその「推測」にケチを付けているのに過ぎない。
○がやるべきことは、
・徳川正史が常に正しいことを証明すること。
・「家康の意思」説の根拠となっている史料がアテにならないと
立証すること。
・「信長の命令」説で生じる疑問にきちんと答えること。
すでに書いたが家康が何故妻子を始末したのかは「仮説」に過ぎない
のでこれにいくら噛み付いても意味はないぞ。
273日本@名無史さん:2007/11/19(月) 15:47:27
>>236 

『羽柴(うし)秀吉だったのね・・・・・・』(マハー P.409)
274日本@名無史さん:2007/11/19(月) 16:46:10
「聖戦、マハーカーラの女」目次

プロローグ 第一章 黒蘭の女 第二章 本能寺動機説 第三章 安土城疑問説
第四章 光秀謎過去説 第五章 光秀人脈説 第六章 光秀天海説
第七章 神々の帝 第八章 春日局天海説 第九章 愛宕百韻連歌暗号説
第十章 牛頭天王説 第十一章 聖戦暗号説 第十二章 日光東照宮秘密説 エピローグ

やたら各章に「説」と羅列するが、取り立てて「説」というものなし
>>254などで、さも何か重要なことが書かれているように宣伝しても、
一切書かれていないタダの三文小説です。
275日本@名無史さん:2007/11/19(月) 17:32:48
>>268
>対等ではないとはいえ同盟関係にあった徳川に何故このような遺恨の残る命令を出したのか?
>当然徳川の離反というケースも考えられたはずだがそれに対して信長が備えをした形跡が無いのは何故か?
家康から信康排除の許可を信長に申し出たとすれば筋が通る。
もし信長から信康排除を申し伝えたとしたら、
家康が許諾すれば徳川は織田の同盟者から臣下へと成り下がることになるし、
家康が拒否すれば、信長は家康を排除して後釜に忠次を据えれば済む話。
どっちに転んでも織田に損は無い。

>岡崎の信康の動向を知るはずがない酒井忠次が弾劾状を肯定したのは何故か?
忠次は信康とはソリが合わず嫌っていたのは有名な話。
276日本@名無史さん:2007/11/19(月) 17:35:13
>>266
>>166を読まなかったのか?
何が「慎重な家康」だよ。
そういう思い込みで語るなっての。
277日本@名無史さん:2007/11/19(月) 17:38:33
>>266ではなく>>256だった。
278日本@名無史さん:2007/11/19(月) 17:53:30
信康切腹に家康一人は反対しても、背後に信長の存在があれば徳川家中は家康を見捨て、信長に後見された忠次に付くのは明白。
ま、俺は家康が危険な存在となってきた信康を、信長の権威を利用して抹殺したのだと踏んでいるが・・・
この年、後の秀忠も生まれてることだし、徳川の跡継ぎはいたからね。
279日本@名無史さん:2007/11/19(月) 18:06:16
確かに。
今後も織田の忠犬で有り続けようとしていた家康にとって、
今川の血を引く築山殿と信康はかなりウザい存在だったに違いない。
しかも信康は家康の若い時の子だから齢も近く、自身の地位を脅かす危険な存在になりかけていたのは間違いない。
本能寺の変のドサクサに紛れて穴山梅雪を謀殺した(らしい)家康なら、やりかねないな。
280日本@名無史さん:2007/11/19(月) 19:18:33
>>278
いわば信長・家康共謀説というわけか。
だが信長は武田信玄と対立した時、信玄がその長男を殺した
こと(と父を追放したこと)を非難している。
そんな信長が同盟関係にある家の嫡男、しかも婿を殺そうとは
思うとは信じられない。
だから信長はあくまでも家康の申し出に、義父として許可を
与えただけだと思う。
281日本@名無史さん:2007/11/19(月) 19:42:35
>>268
妹を嫁がせた浅井氏にも、それと血縁関係のない朝倉氏を
攻めようとして裏切られている。
そんな経験のある信長が、信康を殺せという命令を出したのが
事実なら、家康の離反というケースを考えなかったはずはないわな。
282日本@名無史さん:2007/11/19(月) 19:57:09
嫁VS姑、父VS息子、家臣VS主、家臣VS家臣
あー、男としても神君としても書き残したくないわなw
283本能寺の変、四百二十五年目の真相。の祖父:2007/11/19(月) 23:17:25
孫の妄想が暇な人を招いて堂々巡りのくだらない議論が続きすいません。

孫に成り代わってお詫び申し上げます。
284本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/20(火) 10:19:26
>>268●●●「信康殺しは信長の命令でやむなくである」●●●
○何故信康を殺させたか○すでに軍事的にかなり強大になっていた織田にとって、
家康、徳川家がどの程度の忠誠をもって協力してくれるかは重大な問題であった。
武田内通の疑いを掛けられた信康問題はその絶好の試金石になった。
○長年、武田と血戦していた徳川が今更織田を裏切るわけがないと舐められた。
また大軍を集める陣ブレがでればすぐに解るようになっていた。それが無かったので
織田も軍を集めなかった。
○武田内通は築山殿の医師が武田と絡むという問題であり、真相ははっきりしていないはずだが?
しかし、そういう疑いありは信長に好都合だった。
○徳姫の助命状は信康側近家臣らの恨みをそらすためと、多くの家臣に武田内通は本当なのかと?
思わせるための可能性がある。俗に言う恨みをそらすための工作である。
○酒井忠次は親戚などから信康のことを聞いていた可能性はある。法事、その他の行事などで、
噂、とくに主家のことなどは頻繁に出るだろうから。信長の突きつけたことに間違いないので、
肯定するしかなかったのではないか?
○史料は後から出たものが正確なのは第二次大戦のことなどでよくある。
織田家隆盛のときに、信長を恐れて、批判するようなことはよく書けないのではないか?
285本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/20(火) 10:33:31
>>269●●●史料「当代記」の記録には全く動機が無い。●●●
○家康の命令に背くとか、信長を軽んずるとか、家臣に情けないと思われる、非道
など行動結果ばかりであり、
重要な「なぜそうなったのか?、なぜそんな行動をとったのか」
の動機付けがない。これは奇妙である。
「有名人の息子Aが麻薬をした。なぜそうなったのか?」週刊誌でもよく調べ書くことだ。
ところが当代記の著述には、なぜそうなったかの動機付けが無い。
これは明らかに重要なことを隠す一方的著述、結果著述であり、資料的価値は疑問である。
○また信長の「お前が好きに処分しろ」という言葉は、
結果、結論はもう決まっているものの、
上の人間が最期の責任逃れに使う決まり言葉のひとつではある。

>>263●何を寝ぼけている。
服部半蔵の服部家といえば、伊賀の有名なしのびの元締めの家のひとつではないか。
戦、とくに関が原の情報収集の凄さはよく知られているぞ。
286本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/20(火) 10:44:01
>>274
○○○日本史、二千年でただ一冊、、、
「聖戦、マハーカーラの女 本能寺の変の真因」博君著。

虚偽、詐欺師だらけの世の中で、この一冊のみには嘘がない。

そして、戦国史最大の暗号「本能寺・コード」
「京都秘密文書」は紛れもなく世に実在する。


「羽柴[うし]秀吉だったのね」
羽柴筑前守秀吉、確か筑前守を貰ったときに、羽柴としたのである。
丹羽長秀、柴田勝家からとつたという。
が、あの有名な牛天神様が何処にあるかも知らないらしいね。
君は筑前国も知らんのではないか?
287本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/20(火) 10:52:54
>>260>>267>>283●●●祖父に確認しました。
インターネット上で他人に成り代わり、出鱈目を書くのは立派な犯罪です。●●●
警察沙汰、刑事告発。こういう悪質な犯罪者は見せしめにしなくては、
多くの心優しい小学生、中学生、高校生が、ネットいじめで自殺に追いやられるとの強い主張。
結果「大罪」「失職」「多額の損害賠償金の発生」
会社の上司からの叱責と、君の未来が見えるようだな。
●そろそろ警察へいこうかと思うのですが、、、
288日本@名無史さん:2007/11/20(火) 10:57:09
>>285
もしかして服部半蔵ってのは一人しかいないと思ってる?ww
289日本@名無史さん:2007/11/20(火) 12:28:22
>>284
◎それらに根拠はありますか?
全て○の想像でしかないように思うのだが?
間違いないというんだからそれらを裏付ける史料なり何なり根拠を挙げてください?
290日本@名無史さん:2007/11/20(火) 12:38:14
>>285
◎『何故信康がそういう行動をとったか動機がないのは奇妙だ』?
せっかく>>269氏が史料を引用してくれればこの意味不明な回答だ。
◎信康が家康や信長が諭しても言うことを聞かないくらい我儘だったってことは奥平信昌の逸話などいろいろ残されてるよ。
291日本@名無史さん:2007/11/20(火) 12:40:13
>>285
◎書き忘れたが、もしかして『情けない』って勘違いしてないか?
292日本@名無史さん:2007/11/20(火) 13:01:01
>>284
◎『織田家隆盛の時期に信長を批判する内容は書けない』?
ならば徳川家隆盛期に纏められた徳川正史と言われるものや三河物語は将軍家に都合の悪いことは書き残せなかった可能性もあるんだよね?
まさか大久保彦左衛門に限ってそんなことはないと想像で造り上げた人格を元に否定しますか?
293日本@名無史さん:2007/11/20(火) 13:05:37
>>285 「バカ丸出し 学習能力なし」

関ヶ原の戦い 慶長5年9月15日(1600年10月21日)
服部鬼半蔵 天文11年(1542) - 慶長元年(1596)

時系列無視の妄想炸裂!
294日本@名無史さん:2007/11/20(火) 13:34:45
>戦、とくに関が原の情報収集の凄さはよく知られているぞ。
これ、具体的に凄さがわかるソース教えて
史料からはサパーリ見受けられないのだけれど
295日本@名無史さん:2007/11/20(火) 14:50:31
当代記に対する○の>>285の反論を見て「この人は並の思考回路ではない」と思いました。
この人は歴史研究云々を語る資格はありませんね。
服部正成が忍者ってのも笑わせてもらいました。
296本能寺の変、四百二十五年目の真相。の叔母:2007/11/20(火) 17:58:56
>>294
妄言の繰り返しですいません。

●服部半蔵の服部家といえば、伊賀から東京に出てきて三葉家に居候する有名な忍びのことを、知らないのは君だけ。
藤子・F・不二雄が描く服部一族の凄さは常識。

●日本史、二千年でただ一冊、、、
「聖戦、マハーカーラの女 本能寺の変の真因」博君著。
虚偽、詐欺師だらけの世の中で、この一冊のみには嘘がない。
そして、服部一族の活躍の暗号「ハットリ・コード」
「ニンニン秘密文書」は紛れもなく世に実在する。

と甥が申しております。
297日本@名無史さん:2007/11/20(火) 19:11:01
それより○よ、桑田忠親氏の言うことだから正しいという
一方で氏の本能寺の変怨恨説は採用しない理由をまだ
聞いてないぞ?
一つ教えておくが氏の没年は1987年、今から20年前だ。
君の説は20年前のレベルだということが露呈しているぞ(w
298日本@名無史さん:2007/11/20(火) 19:53:24
>>217 ○の主張する「明智光秀」も嘘ばかり
 
■『明智光秀は京都鬼門封じの比叡山延暦寺を焼き払ったあと、近くに坂本城を貰った。
○は坂本城が誰によって築かれたのか知らないようで。
■『織田家中で最初に大名となった。』」
大名?孫引きじゃない出典を教えてね。
■『鬼門方位の守護は僧侶、陰陽師に任されるのが昔は普通である。』
意味不明。光秀が僧侶?陰陽師?
■『明智光秀の四十前は全く不明。』
いつのこと? 永禄十二年(1569)が初見。本能寺の変は天正十年(1582)。
そもそも年齢不詳なんですが。
■『惟任、おもにん。おにもん、鬼門』
出鱈目であることの証明は既出。
■『信長の大事な氏神の方位にちなんでも不思議ではない。』
ただの妄想
■『事実、後に京都鬼門[丑寅]方位、おそらく寅に信長は安土城を作った。』
「おそらく寅に」????
■『一説に、敵を攻めるには鬼門から攻めよという方法があつた。』
どの説?また妄想?
■『そして京都市民が鬼門方位を今も恐れるのは周知の事実。』
根拠は?
299日本@名無史さん:2007/11/20(火) 20:01:53
>>284
もしかして信長在世中の「信長の命令で信康が死んだ」という
史料がないことを言ってるのか?
その言い分はおかしいな。
通説(徳川家の正史)では信康は武田氏に通じた謀反の罪で
死を命じられたことになってる。
これのどこが信長の恥、都合の悪いことなのか。
謀反が事実なら別に都合が悪くもなんともない。
それこそ「信長公記」などに記載があってしかるべきだ。
300日本@名無史さん:2007/11/20(火) 20:38:03
連投だが、信長在世中の確かな史料に「信長が信康生害を命令した」
とあるなら、そう認めることにやぶさかではないよ。
だがそう記しているのは全て徳川家が天下を取ってからの史料(?)。
当然家康美化、顕彰のために事実が曲げられた可能性が考えられる。
そこへ信康切腹は家康の意思だとする、あるいは家康と信康の間が険悪で
あったとするそれよりも古い史料が存在するから通説が疑われているのだよ。
「当代記」は研究者の間でも信憑性が高い史料と評価されていることも
教えておいてやる。○のような解釈をしたら笑い者になるだけ。
301日本@名無史さん:2007/11/20(火) 20:46:50
○が『信長の命令に間違いない』と言い切らないと困る理由

それは「マハー第六章 光秀天海説」の重要な根拠となっているからです。

「・・・・・・なぜ、信長の同盟者の家康が、光秀かも知れない男を重用するのかしら?」
「家康は嫡子、松平信康と妻築山殿に、信長から武田勝頼との謀反の疑いを掛けられて切腹を命じ
た恨みがある。また信長の天下の後は、所詮は外様だから消される運命にあった。さらに散々働い
たのに、与えられたのは駿河一国だけだった。で、光秀の謀反を非難する理由がない。むしろ天下
取りへの伏竜鳳雛を得たと重用したというんです。・・・・・・」(P207)

つまり、「信康自刃事件」が徳川家臣団の内紛だと認めてしまうと「マハー」の記述の矛盾を突かれる
ことを恐れているからです。
302日本@名無史さん:2007/11/20(火) 22:23:18
何だ、つまり○の言うことは学問ではなく信仰だったわけか。
ならこちらがいくら筋道立てて説明しても無駄なわけだ。
○相手の議論はまったく無駄。
もう1人でやらせておこう。
303日本@名無史さん:2007/11/20(火) 22:32:32
つまり○は自分の説に都合の悪い史料は一切読まない、
そしてその都合の悪い史料の内容を挙げての反論に対してはその史料自体を
「信憑性が低い」
「風説を集めたもの」
と否定してしまう訳か。
以前◎が○に史料の内容を書いてみろと迫っていたが、書いたらやはり同じように史料丸ごと否定してたんだろうな。
304日本@名無史さん:2007/11/20(火) 22:33:58
>>303は逆だった。○が◎に、だった。
305日本@名無史さん:2007/11/21(水) 01:00:29
>286
>虚偽、詐欺師だらけの世の中で、この一冊のみには嘘がない。

『聖戦 マハーカーラの女』に「この物語はフィクションです」とあるが、
それが嘘ではないのだから、博くんはフィクションを持ち出して、
学問板で偉そうに語っている訳だ。なんというふざけた態度www
306日本@名無史さん:2007/11/21(水) 10:20:48
学問板にwwwこそ必要ない
307本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/21(水) 10:24:55
>>298全て本物「昔の人々にとって神は何より神聖であり、
そしてタタリを何より嫌った」そして様々な縁起かつぎもあった。
●明智光秀が近江坂本城、丹波亀山城を拠点にしていたのは有名な史実。
●少なくとも古参の柴田、羽柴より先に城と近江に領地を与えられてるな。
しかも京という重要地に。後世そういうのを城持ち大名という。
●陰陽師安倍清明の家がどこにあったかも知らないようですね。
比叡山延暦寺が何のために建てられたかも。
●明智光秀の四十前が不明なのは何人もの学者が書いている。
明智軍記の諸国武者修行はあてにならんとね。高柳光寿博士も。
●惟任、おもにん、おにもん、鬼門。
昔の人にとって氏神は重要な要素であった。そしてその意を伝える
文字、言葉もまた神であった。
●牛頭天王は鬼門の主。常識。したがって、重要なる神の方位を守るものは、
それにちなんでいなくてはならない。
●安土城は京都、おそらく内裏から見て丑寅方位、鬼門。
しっかり地図を見てね。
●城を攻めるには鬼門などから、昔の常識。鬼門に向くのも縁起悪いと嫌った。
●京都市民が鬼門を恐れる。
常識。しっかり調べろ。

308本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/21(水) 10:34:56
>>288->>306●他は論ずるにも足らんだろ。
服部家が忍者なのは有名だし、服部正成→二代目服部正就、
どちらも服部半蔵と呼ばれたし。
●「当代記」の記録が一方的なのは確かだし、我儘だった、それだけで母まで殺されるかね?
家康や信長を軽んじた、家臣に呆れられた、非道をした、何故そうなったか、
なぜ、損得抜きで父や権力者にたてついたか、その動機付けが全く無い。
現在を見ろ、「有名俳優の息子Aが麻薬をした、我儘だった」
何故そうなったのか?徹底的にその動機付け、教育方法など、週刊誌でも調べるだろ?

●我儘だった、それだけで家康が母子もろとも殺すというのか?
しかも後継者秀忠は幼いというのに? 
309日本@名無史さん:2007/11/21(水) 10:41:47
>>308
◎史料を週刊誌と同列に並べる君もどうかと思うよ?
◎なら徳川正史には信康が武田に内通した動機は書いてあるの?
◎何で都合悪い史料は読まずに全否定してしまうの?
310日本@名無史さん:2007/11/21(水) 10:43:09
◎あと>>297にも答えてあげなよ?
311日本@名無史さん:2007/11/21(水) 10:45:59
>>284は全て君の憶測でしかないように見えるけど、それらの記述がなされた史料名は?
312本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/21(水) 10:51:10
>>305○○○しかし、偽物にはどうしょうもない矛盾が出る。○○○
本物には、矛盾が出ない。

一冊の本「聖戦、マハーカーラの女」、、、
国家の真実、、、、

天正十年六月二日、京都本能寺の変、、、
第六の月、二日の変、

自らを第六天の魔王と豪語した男、、、

そして二日の変、
「天に二日無し、土に二王無し」中国「礼記」、、、

全ては、選ばれた、、、、!!
313日本@名無史さん:2007/11/21(水) 10:54:35
>>312
◎それより>>297へレスしてあげなって、逃げてないでさ?
◎何で都合悪い史料は読まずに全否定してしまうの?
何で都合悪い史料は読まずに自分の説が『間違いない』て言い切れてしまうの?
逃げるにはまだ早いよな?
314日本@名無史さん:2007/11/21(水) 10:59:54
僕は近衛前久〜♪♪
私はイエスズ会の代表〜♪♪
俺は羽柴秀吉〜♪♪
おいらは細川藤孝〜♪♪


信長が糞だから、ボンボンの光秀をダシ(捨駒)にして本能寺で
殺っちゃいました〜♪♪「信長公記」の不都合な部分も削除〜♪♪
315日本@名無史さん:2007/11/21(水) 11:07:39
延暦寺が京の丑寅方向にあるのはいいとして
安土が丑寅ってのは、かなり無理があるなww
で「おそらく丑寅」「おそらく寅」?w
316日本@名無史さん:2007/11/21(水) 11:26:50
◎やれやれ、結局今日も逃げられたか…
まぁ顔を突き合わせての論戦ができないくらいだからな。
317日本@名無史さん:2007/11/21(水) 14:13:21
○さん、真実なんて本物の超能力者じゃない限り誰にもわかりませんよ・・


○さん、公の場には何故出てこないのですか?いい歳してみっともないですよ。
○さん、此処は便所の落書きと同等の2ちゃんねるですよ。
318日本@名無史さん:2007/11/21(水) 14:31:10
>>307  「時系列の矛盾ばかり しっかり調べろ」

■元亀二年(1571)9月比叡山焼討ち後、没収した近江の延暦寺領・日吉神社領を以下の6将に知行宛行及び旧六角氏家臣の所領安堵がなされた
坂田郡(横山城)木下秀吉 犬上郡(佐和山城)丹羽長秀 蒲生郡・神埼郡・愛知郡の一部(安土城)中川重政 蒲生郡(長光寺城)柴田勝家 
野洲郡・栗太郡(永原城)佐久間信盛 志賀郡(宇佐山城)明智光秀

■高島郡(新庄城)の磯野員昌は浅井氏の佐和山城主であったが、元亀二年(1571)2月織田氏に降伏開城し、高島郡新庄へ移送されたのち、
高島郡の領有支配を任された。
元亀二年(1571)7月5日付朽木元綱宛信長朱印状(朽木文書)で礒野員昌から直接朽木の新知行地の宛行があることを述べており、
明智光秀の志賀郡の領有支配の開始時期よりも早く支配権を与えられていたことが裏付けられる。 

■坂本城の築城は元亀三年(1572)閏正月の「兼見卿記」が初見。同12月でも「城中天主作事」中であった。天正元年(1573)6月に兼見が
「天主の下に立つ小座敷」で光秀と対面している
319日本@名無史さん:2007/11/21(水) 14:59:19
○はどんどんボロを出しますね
320日本@名無史さん:2007/11/21(水) 18:44:53
>>308 「○はどうも漢字だけでなく、数字も弱いね」

>「服部家が忍者なのは有名だし、服部正成→二代目服部正就、どちらも服部半蔵と呼ばれたし」

お前の大好きな『大ウィキ辞書』に書いてあることぐらい読んでからレスしな
「服部半蔵は、戦国時代から江戸時代初期にかけて松平氏〜徳川氏の麾下で活躍した武士で、
代々「半蔵」を通称の名乗りとした服部半蔵家の歴代当主たちである。(中略)
忍者のイメージがあるが、本当に忍者だったのは初代だけであり(ただし詳細は不明)、
2代目以降は忍者でない。」

>「服部正成→二代目服部正就」
2代目は服部半蔵正成で、3代目が服部半蔵正就ね 
正成=「信康自刃事件」のときの半蔵
正就=「関ヶ原の戦い」のときの半蔵 
321惟神塾へようこそ:2007/11/22(木) 00:49:45
 人間は地球にとって一番の害虫である
 蚊の言葉 わしは人間の言霊から生まれ、人間の真似をしているのにどうし
て殺されなくっちゃならないのか。人間同志生き血をすすり合い、牛は乳を搾
り取られ、鶏は卵を搾取されて精力をうばわれている。
 牛の言葉 僕の一族は人間の食べ物になって、2歳で死刑となる。それまで
は狭い監獄に入れられて何の楽しみをない。虫や動物達は人間の自然破壊によ
って生きる糧を奪われて死ぬよりほかない。
 宅間守の言葉 俺は学歴社会から弾き出され、競争社会から虐待されて生き
る希望を失った。金持ちやエリートは我々の生き血を吸って益々太るばかりで
ある。奴らの子供が蚊になる前に殺さなければならない。
 子供が殺害される事件は動物達の苦しみの一部を人間が体験させられている
のである。
 人間は他の動物の食糧まで奪って過食し、動物達を犠牲にして、贅沢三昧の
生活を享受している。それによって、地球の環境破壊が進行し、ごみの山とど
ぶ川に汚染されている。このままでは生きている地球が壊死して行く。度重な
る地震等の天変地異は地球の浄化作用でもある。神の建替え時には最大限の浄
化作用が発揮される。害虫は魂と共に絶滅する。
 今日までの御教は悪を殺せば善ばかり、輝く御代が来ると言う。これが悪魔
の御教ぞ。この御教に人民はすっかり騙され、悪殺す事が正しき事なりと信ぜ
し事の愚かさよ。三千年の昔から幾千万の人々が悪を殺して人類の、平和を求
め願いしも、それは儚き水の泡、悪殺しても殺しても、焼いても煮てもしゃぶ
っても、悪は益々増えるのみ。悪殺すと言うその事が悪そのものと知らざるや。
神の心は弥栄ぞ。本来悪も善もなし、只み光の栄ゆのみ。
322日本@名無史さん:2007/11/22(木) 02:31:00
>>249
>○おいおい「天徳院」と書いてある史料はあの有名な絵以外にもあるよ。
有名な史料が、知らないのは君だけ。

自身のブログに『有名な長興寺の肖像画も裏には「天徳院」とある。』と言いきってるくせにぬけぬけと
嘘をつくもんだね

万事がこれか
323日本@名無史さん:2007/11/22(木) 04:46:45
博くんは生活がかかっているので、
どんなに出鱈目や嘘を指摘しようと、絶対に認めません。
詭弁を駆使し、他人を騙してでも、自著を売らなければいけないのです。
モラルとかプライドとか常識とか学問への真摯な姿勢とか、
そんなくだらないことよりも、彼には金の方が大事なんです。
必死なんです。

ここは、そんな詐欺師大庭博の宣伝スレであり、
その詐欺を徹底的に叩くのが主旨となっております。
学問的な議論など、大庭博自身がはなからやる気はないのでご了承ください。
324日本@名無史さん:2007/11/22(木) 05:56:22
前スレ突然落ちたが再び立ってたんだなw

で、マハーカーラの女〜って題名からも角川ノベルズの軽いノリみたいなの感じるんだけどw

読む価値あるの?
325日本@名無史さん:2007/11/22(木) 06:23:36
学問的には全く無価値。時間と金の無駄。
暇人さんならば、トンデモ本として読めば、ネタになるかも?
直接買ってあげれば博くん大喜び。
ただし振り込み詐欺の可能性大。
326本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/22(木) 10:18:40
>>318○○○光秀と坂本城の事実はかくのこどし○○○
●「原本信長記」元亀二年九月の叡山焼き討ちの後、
信長は滋賀郡を光秀に与え、光秀は坂本に在地したとある。
●「年代記抄節」十二月光秀は坂本に城をかまえ、山門領を知行した。
●「兼見卿記」元亀三年閏正月六日、光秀の坂本築城の見舞いに行き、
酒肴を贈る。このとき「坂本而普請」の文字あり。
○「しかも、光秀は主に丹波攻略を任され、亀山城を大拠点としているのに、
坂本城を天正十年までも任されていたのである。これは奇妙である」
327本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/22(木) 10:30:46
○○○「寅薬師」薬師如来は寅・虎の日が縁日である○○○

>>320○何言ってる。徳川家康に仕えたのは服部半蔵正成が最初だろ。
なら彼が初代と言ってもいい。二代目服部正就も情報収集網を管理、率いていたはずだぞ。
そういうのは身分が武士でも忍者頭目と同じだろ。間違いではない。
>>315○ちゃんと占い師、陰陽師、神官などがよく使う方位の図でも見たら?
全体を十二支で分割。一支それぞれ三十度。丑寅は北東の六十度だよ。
安土は間違いなく北東。

>>322○まさか君は信長「天徳院」と書いてある他の有名な史料が
解らないというのではないだろうね?
328日本@名無史さん:2007/11/22(木) 10:35:54
>>326
何が奇妙なの?
君の根拠の無い感想ではなく、理論的に説明しなさい。
329本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/22(木) 10:53:02
本能寺の「真実の口」は間違いなくひとつだけある。

>>323○馬鹿馬鹿しい。金が大好きなら株取引、先物取引、他の投資でもしてるよ。
分厚い史料、参考書なんか最初から読むわけが無い。
君がそうだろ? だからろくな議論も出来ないのだ。
>>325○この手の詐欺師連中がよく言う
「人生、学歴、出世だけじゃないよ。夢がある」なんて、
言葉にうまく騙された被害者が僕。世の善男善女は騙されるなよ。

>>325○いやあ、世のひとは君が詐欺師か、スパイ、工作員
出なければ、ただのあきめくらと間違いなく知るだけだろうがね。

○一冊の書物
「聖戦、マハーカーラの女・本能寺の変の真因」博君著。
この本が出た前と後では全てが違う。

金とヒマのある好事家は一度調べてみることだ。
330日本@名無史さん:2007/11/22(木) 11:01:20
>>327
>なら彼が初代と言っていい。

ギャグかな?
331日本@名無史さん:2007/11/22(木) 11:39:24
まあ、博くんの言うことは、全般的にギャグのようなものだ。
332日本@名無史さん:2007/11/22(木) 12:51:23
>>327 「全くもって文章・漢字の読み方が分らんようで」

「坂本に在地」坂本に居住しているとしか読めませんが・・・
「坂本に城をかまえ」「年代記抄節」の原文見ないとねぇ・・・
「坂本而普請」『而』を読み飛ばしてはいけませんねぇ「坂本そして普請」
「普請」は築城の際の土木工事のこと

「部分の抜き出しばかりじゃなく、時代全体を見ないとね」
>○「しかも、光秀は主に丹波攻略を任され、亀山城を大拠点としているのに、
坂本城を天正十年までも任されていたのである。これは奇妙である」
「秀吉は主に播磨・但馬攻略を任され、姫路城を大拠点としているのに、
長浜城を天正十年までも任されていたのである。」
滝川一益の長島城・細川藤孝の勝龍寺城もしかり。
別に奇妙でも何でもない。 
333日本@名無史さん:2007/11/22(木) 13:14:06
>>327 『おそらく寅に』『安土は間違いなく北東』
お前ひとりが方角をどう読めばいいのか混乱してるだけで、
んなこと、どうでもいいんだよ。

それよりも秀吉の長浜城の位置が京から見て北東に向けて
坂本城の延長線上にあることをあえて無視するのは何故?

これを「木を見て森を見ず」の典型という。
334日本@名無史さん:2007/11/22(木) 13:28:32
>>324>>325 
出版後10年経っても、この程度の知識と文章作成能力
学習能力が全く見られないことから推測すれば・・・

読む価値全くなし
どうしても読みたいスキモノはアマゾンでまだ805円で売ってます
335日本@名無史さん:2007/11/22(木) 13:37:40
>>327
◎『服部正成が最初に家康に仕えたから初代と言える』?
言えません。無茶苦茶な理屈です。間違えたなら間違えたと言えば済む話、それが出来なくて屁理屈で自分を守ろうとするからみんなに叩かれるんだよ。
◎信康が我儘で家康や信長を蔑ろにしていた、その旨の記述は寛政重修諸家譜にも見られるよ。
◎○が『後から出た史料だから正しい』という徳川正史には信長から信康切腹の命令が出され、
更にそれを補強する為に侍女を斬り手で口を裂く、僧侶を馬で引き摺って殺す、踊りの下手な踊り手を弓で射る等の残虐行為も行っていたと書かれている。
◎その一方、これまた○が『正直者』と評する大久保彦左衛門は三河物語の中で信康を「これほどの殿はまた出来難し」と讃え、その死についても「上下万民、声を引て、悲しまざるはなし」と書いている。
◎どちらの記述も○から見れば正しいはずだが、残虐行為を働いていれば『正直者』彦左衛門の「これほどの…」の記述が嘘になる。逆に彦左衛門の評価が真実なら『後から出た正しい史料』であるはずの徳川正史の残虐行為の記述が捏造である可能性が出てきてしまうのだ。
◎徳川正史には他の史料と矛盾した記述が多々ある。○は何を根拠に『正しい史料』だと言うのか?
336日本@名無史さん:2007/11/22(木) 14:17:22
○の正しい史料とは

○にとって都合のいい記述がある史料を指します
ちなみに散々コキおろした信長公記でさえ都合よい解釈できると思えばすぐに論拠に使います

でも○の解釈は無理ありすぎか読めてない場合が殆どなんですがw
337日本@名無史さん:2007/11/22(木) 14:55:35
>>329
>「人生、学歴、出世だけじゃないよ。夢がある」なんて、
言葉にうまく騙された被害者が僕。

何ポロッとカミングアウトしてるんだよ 今度は同情引こうとしている?

「本出版した⇒売れなかった⇒10年経ってもまだ80冊ある」=「うまく騙された」って?

実際は
「小栗虫太郎集(1987)を文庫で読んだ⇒桐野作人『信長謀殺の謎』(1992)を読んだ
⇒『完全検証信長襲殺』を読んだ⇒『本能寺の変』を自分流に推理した⇒ハガキで編集部に応募した
⇒返事がなかった⇒原稿を書いた⇒近代文芸社に原稿を持ち込んだ⇒自費出版なら出せると教えてもらった
⇒代金を払った⇒売れなかった」
で、現在に至るだけでしょう?
338日本@名無史さん:2007/11/22(木) 15:05:30
>>335 ○と◎さんとでは文章力・論理性・言葉使いなど、全てが大違いだなぁ
339日本@名無史さん:2007/11/22(木) 16:19:03
◎ついでに○の『仮説』についても疑問点がある。
◎服部半蔵の話になったのは○が>>256辺りで
『半蔵が涙を流し信康の介錯が出来なかったのは、忍者の情報網を駆使して信康の無実を知っていたから』
と書いたからだ。
◎ところがかつて私が
「何故酒井忠次は信長が出した五徳の弾劾状の内容を否定しなかったのか?そして何故家康も要求をすんなり受け入れたのか?」
と聞いたところ、○は
『言い逃れ出来ない証拠を突き付けられたから』
と言った。
◎『言い逃れ出来ない証拠』、私は文脈から「信康が弾劾状にある罪を犯していたという証拠」のことだと判断したが、
ここに至って○は『信康は無実だった』という『仮説』を作り出したのだ。
◎前から言う通り『仮説』の内容についての反論はするつもりはない。
しかし何故全く逆の『仮説』を作り出してまで○は自分の言い分を押し通そうとするのか?
340日本@名無史さん:2007/11/22(木) 18:41:29
延暦7年(788年)最澄が延暦寺創建

延暦13年(794年) 平安遷都
341日本@名無史さん:2007/11/23(金) 02:02:39
光秀は備中戦線に出向いて秀吉の組下に入るのが嫌で嫌で仕方が無かったんじゃねーの。
秀吉も天正五年の対上杉北陸戦線にて、柴田勝家と仲たがいして無断帰国しているほどだからな。
織田家の重臣達は皆プライドが高く、お互いに手柄と出世を競い合っている政敵だから、
そんなヤツの為に助勢して手柄を立てさせる手伝いをするなんて屈辱だったに違いない。
加えて、長宗我部討伐に関する不満もくすぶっていただろうしな。

といっても、信長が京にて殆ど丸腰で滞在していることを知らなければ、軍勢を東に向けたりはしない。
もし信長がまだ安土城にいたならば、光秀とて渋々西下せざるを得ない。
信長が自身の在京をわざわざ光秀に知らせたとも思えない。
全く意味がないからだ。

現代でも、社員は勤務中、一々社長が今どこで何をしてるかなんて気になんてしていない。
会社の重役がどこかに出張している時、もしくはこれから出張しようとしている時、
社長の当座の動向など一々気に留めたりしない。

つまり、これから備中へ出向こうとする光秀に、
信長がわざわざ自分の当座のスケジュールを教えること自体何の意味もないってことだ。

ということは、誰かが光秀に信長の居場所とその防備の手薄さを教えたってことになる。
そいつこそ、信長暗殺の黒幕。



342日本@名無史さん:2007/11/23(金) 02:45:47
>後から出た史料が正しい
すると、太田牛一の「信長公記」より「甫庵信長記」の方が
正しいわけだな。
そんなこと言ったら笑い者になるだけだぞ○よ。
343日本@名無史さん:2007/11/23(金) 02:53:15
>>341
>長宗我部討伐に関する不満がくすぶっていた
と自分で認めながら、
>社長がどこで何をしてるなんて気にしていない
って何だそれ。
光秀が信長に不満があった、それで隙あらば謀反を
起こそうと考えていたなら信長の動向を自分で
調べることはおかしくもなんともないが?
鈴木眞哉・藤本正行著「信長は謀略で殺されたのか」
(洋泉社)でも読んで出直してこい。
344日本@名無史さん:2007/11/23(金) 03:09:33
ところで、鈴木眞哉・藤本正行著「信長は謀略で殺されたのか」(洋泉社)では、謀反の真相は何だと説いているんだ?

345日本@名無史さん:2007/11/23(金) 05:23:13
>>342
知ったかして調子こいてた三国志オタが
「それ演義だろ」と一蹴されたとき
「正史の内容が必ず正しいとは限らない。
演義の中に埋もれた真実が眠ってる可能性もあるんだよ」
と必死で言い訳してる様子によく似てるなあw

まあ、後から出た史料が正しい可能性もゼロではないが、
○の理論は何が根本的にダメか説明しようと思ったが、
○以外はみんな分かってることだろうし、
頭の悪い○に懇切丁寧に教えてやるのも面倒だしやめた。
○が受講料200万振り込んでくれたら教えてやろうw
346本能寺の変、四百二十五年目の真相。の祖父:2007/11/23(金) 07:15:17
孫の博は、今だ自費出版での借金が膨らんで金策に追われています。
私も借家住まいの年金暮らしなので援助はできません。
皆さん、一冊でも多く『マハー』をご購入いただき孫を助けてください。
347日本@名無史さん:2007/11/23(金) 10:45:58
>>344
この本は当時流行していた黒幕説を否定するのが主旨で、
謀反の真相には踏みこんでいない。
それについては桐野作人著「だれが信長を殺したのか」
(PHP新書)を読むといい。
348日本@名無史さん:2007/11/23(金) 10:53:07
>>345
そもそも「徳川正史」と言われるものが史料と呼べるのかどうか。
幕府の支配を正当化し、開設者の権現様を美化・顕彰する目的が明白。
そのためには事実を書く必要なんてないだろう。むしろ事実を曲げて
いて当然。
徳川正史が「正しい歴史」というのは古代史で言えば古事記・日本書紀が
全て正しいと言ってるのと同じだろう。
349日本@名無史さん:2007/11/23(金) 15:09:54
史料と呼べるかどうかと言われれば、常識的には史料とみなされる。
そもそも、史書にその手の意図が含まれるのはよくあること。
それで史料と呼べないというのは暴論。
良質な史料と、問題の多い史料という差はあるが。
そうした問題を他史料と比較しながら検証していくのが史料批判。

あと、そもそも「正史=正しい歴史」ではないよ。
勘違いしてる人多いけど。
350日本@名無史さん:2007/11/23(金) 21:24:45
>>333
きっと秀吉も僧侶で陰陽師なんじゃない?w
351惟神塾へようこそ:2007/11/24(土) 09:54:11
 宇宙の全ては神が創られたものである
 仇敵悪人と言えども、皆神様の霊が宿っている。人は神である。否人ばかり
ではない。一切の動物も植物も皆我々の為には必要な力であり、頼みの杖であ
り、神の断片である。人はどうしても一人で世に立つ事は出来ぬものだ。四恩
と言う事を忘れては人の道が立たぬ。人は持ちつ持たれつ相互いに助け合うて
行きべきである。人と名が付けばたとえ、その心は鬼でも蛇でも構わぬ。大切
にしなければならぬ。それに人は少しの感情や利害の打算上から、互いに憎み
嫉み争うとは何たる矛盾であろう、不真面目であろう。人間は神様である。人
間をおいて力になってくれる神様が何処にあるであろうか。
 神界には神様が第1の力であり、頼りであるが、現界では人間こそ、我らを
助くる誠の生きたる尊い神様であると、こう心の底から考えてくると、人間が
尊く有難くなって、粗末に取り扱う事は天地の神明に対し奉り、畏れ多い事と
悟ったのである。
 江戸時代、百姓は犬猫の扱いを受けていたのを、明治維新によって地位向上
がなされた。坂本竜馬らにどれだけ感謝しても追い付かない。竜馬も庶民の協
力があってこそ大業を成し遂げたのである。土佐藩主・山内容堂と言う敵役が
いたお陰で、同志は殺されたがそれが教訓となって、幕府との血みどろの戦を
避ける事で、メーソンの侵略を防ぐ事が出来た。大政奉還とはその意味でも絶
妙手であった。
 人間は体験しなければ判らない。動物の痛み苦しみを。幾ら人間の方が霊格
が上だと言っても動物の命は大切である。虫けらにも五分の魂が宿る。
 生まれ赤子の清らかな身魂を以ってしても霊は見えない。人間には霊界は見
えず、霊人には現界は見えない仕組みになっている。だから、別の世界を見る
為には仲介者が必要となる。腹の底に神が鎮まって始めて神通力が発揮出来る
のである。
 私は日月神示、霊界物語等を参考にして考察し、どうしても判らない時は神
からのインスピレーションに頼って解決しようと心掛けている。
352日本@名無史さん:2007/11/24(土) 13:29:06
つーか、まだやってたのかw
353日本@名無史さん:2007/11/24(土) 14:59:50
○は宣伝に必死ですから
354日本@名無史さん:2007/11/24(土) 17:18:22
在庫が完売するまで終わりません。
355日本@名無史さん:2007/11/24(土) 17:25:54
400年くらい埋めておけば、珍本の資料になるかも
356日本@名無史さん:2007/11/24(土) 17:45:37
足利義昭が張本人だってNHKスペシャルで見たよ。
実際に信長を倒せって言ってたのもぶっちゃけ義昭だけ。

幕府再興なら大義名分たつから。理論的にもつじつまが合う。
357日本@名無史さん:2007/11/24(土) 22:18:38
だが実際には再興などしなかったわけだが?
光秀も変後に仲間を募るに当たって幕府だの義昭だのとは
まったく言っていない。
これはどうして?
358日本@名無史さん:2007/11/24(土) 22:45:18
>>356
本能寺の変に黒幕などいなかったことは
>>343の本を読めばよく分かる。
読んで損はなし。お勧め。
359日本@名無史さん:2007/11/25(日) 00:26:11
>>356 
NHKスペシャル× NHK「その時歴史が動いた」○

「その時歴史が動いた」第174回「信長暗殺を命じた男〜新説・本能寺の変 
浮上した黒幕〜」は2004年4月21日放送。ゲストは藤田達生。

この「義昭黒幕説」は>>358指摘の鈴木眞哉・藤本正行著「信長は謀略で
殺されたのか」(洋泉社)だけでなく、谷口克広著「検証本能寺の変」
(吉川弘文館)でも明確に否定されていますね。

黒幕説の共通点は「結論ありき」で自分の都合に合わせた筋書きを作ること
にあります。
例えば、>>249の『信長の意志、「天主」→「空中階段」→「下の清涼殿に
似た建物」で充分』などと騙る人を指します。
安土城本丸に天皇の御幸用の建物跡らしい遺跡が見つかったのを受けて、
朝廷黒幕説に結び付けたい人たちの中には『信長が天主から天皇を見下ろ
そうとした=天皇を超えた存在になりたかったはず』と何ら具体的な論証を
することもなく結論付けてしまいます。「義昭黒幕説」「秀吉黒幕説」
「家康黒幕説」「イエズス会黒幕説」「朝廷黒幕説」等など、どれも
「無理やりかな」っていう論拠が見えます。

○のように基本的な歴史の知識不足を棚に上げて、出鱈目や嘘を垂れ
流している人が騙っている内容は、さておき・・・

「明智単独犯行説(私は変の企画・実行犯が斉藤利三と考えるので
「光秀単独犯説」とは言い切れませんが)」で十分じゃないでしょうか。
360日本@名無史さん:2007/11/25(日) 01:14:14
本能寺の変をまじめに考えたい人は>>359の2冊に加え>>347
「だれが信長を殺したのか」を読めば十分。
ちなみにこの本でも義昭黒幕説の否定はしている。
鈴木・藤本の両氏は変の原因には触れていない(検討に値するとは
言っているが)が、桐野・谷口の両氏は共に、四国政策が光秀謀反の
原因であるとしている。違うのは桐野氏が斉藤利三がむしろ主犯とする
のに対し、谷口氏は「当代記」の記事により光秀の年齢を67歳とし、
それが大きく関係したとしているところか。
361日本@名無史さん:2007/11/25(日) 04:07:06
せっかくだから、その3冊についてちょっとまとめてみる。

鈴木眞哉・藤本正行『信長は謀略で殺されたのか 本能寺の変・謀略説を嗤う』
(洋泉社新書、2006)
タイトル通り、謀略説叩きに主眼を置いた著作。
まず本能寺の変の一連の概要を押さえた上で、個々の謀略説批判が行なわれる。
その中でも、特に力を入れて批判しているのが、いずれも近年話題になった
藤田達生『謎とき本能寺の変』(講談社現代新書、2003)
立花京子『信長と十字架』(集英社新書、2004)
の2冊。まずこの2冊を読み、内容を頭に入れてから読むと理解しやすい。
両著の問題点を自分で考えた上で、これを読み、自分の感想と比較してみるのも一興。
362361:2007/11/25(日) 04:18:01
谷口克広『検証本能寺の変』(吉川弘文館、歴史文化ライブラリー、2007)

こちらは、単なる謀略説叩きでなく、本能寺研究のまとめという趣き。
まず、本能寺の変に関連する史料を、その史料的価値についての説明とともに紹介し
それらの史料に基づき、本能寺の変の流れを分析していく。
つづいて、本能寺の変の研究史をまとめ、それら諸説に対する検証を行う。
そして、最後に氏自身の見解が述べられる。
他の2冊と比べると、やや専門的な内容であり、読み物としての面白みには欠けるかもしれない。
しかし、本能寺研究動向のまとめや、主要な文献の紹介などは、研究入門としては有用である。
363361:2007/11/25(日) 04:24:48
桐野作人『だれが信長を殺したのか 本能寺の変・新たな視点』(PHP新書2007)

上記2冊と異なり、著者自身の論を述べることに主眼が置かれた著作。
個人的には、本能寺の研究自体の考察よりも、
織田政権の対四国政策に関する考察の部分のほうがより興味深い。
なお、桐野氏はかつて朝廷黒幕説を主張していたが、
後にそれを誤りであったと認め、撤回している。
364361:2007/11/25(日) 04:37:10
ついでに、これら上記三冊で様々な批判を受けた藤田達生氏の新著も紹介
『秀吉神話をくつがえす』(講談社現代新書、2007)

全体の約3分の1を費やし、本能寺の変にふれている。
上記の著作に代表される藤田説への批判に対する反論の色が強いので、
あわせて読むとよいかもしれない。
一連の黒幕説批判を読み、納得するのはよいが、
それを無批判に盲信するのは思考の停止であり、大庭博となんら変りがない。
こうした反論にも目を通した上で、どちらがより妥当で説得力のある説か
自分自身で考えることが重要である。

くだらん内容で長々と連投してごめんね。
365日本@名無史さん:2007/11/25(日) 07:34:04
>>361-364
乙です!分かりやすくまとまってますね
366本能寺の変、四百二十五年目の真相。の祖父:2007/11/25(日) 09:58:12
>>354
孫の博は、今だ自費出版での借金が膨らんで金策に追われています。
私も借家住まいの年金暮らしなので援助はできません。
皆さん、一冊でも多く『マハー』をご購入いただき孫を助けてください。
367日本@名無史さん:2007/11/25(日) 16:19:51
黒幕説が何故成立しないか。
それは「信長が6月1〜2日に無防備な状態で
本能寺にいること」など前もって予測しようがないから
だと思う。
例えば藤田などは、光秀が謀反を決意したのが5月17日
頃とするが、6月初めに信長がそんな状況になることを
どうして予測できたのか。超能力者とでもいうのか。
義昭黒幕説の最大の弱点は再三指摘されてるが、
「毛利氏が何故変を知らず、秀吉の中国大返しを黙認した
のか」ということだ。義昭が黒幕なら居候していた毛利氏が
何も知らないはずがない。
6月初めにチャンスが来ることを予測できないとすれば、
前もって謀議し、謀反の約束をしていたことになるが、
ならば情報漏れをどうやって防いだのか、これも
説明はない。
368日本@名無史さん:2007/11/25(日) 16:51:11
信忠が急に堺に行くのを止めてるから、身内にも予定は伝えてなかったのかな?
そうすっと島田宗室に京に来るように言ったのはいつなんだろう?
369日本@名無史さん:2007/11/25(日) 18:53:35
>>364
藤田氏は光秀が変前に色々な人(変後に光秀に与党した者など)
に連絡を取っていたとしているが、情報を伝えた相手が信長に
通報する可能性に、鈴木・藤本両氏に指摘されるまでまったく
気付かなかったようだ。
特に雑賀衆。石山合戦終結までは確かに信長とは敵対関係にあった
が、その後は一転して信長に接近した鈴木孫一のような領袖もいる。
また彼らは変の翌日始まる予定の四国攻めに船を百も提供することに
なってた。そんな連中に信長暗殺計画など知らせるはずがない。
密告する者が出ることは必至だからだ。
研究者としてはあまりに無思慮というか考えが足りないと思う。
370日本@名無史さん:2007/11/25(日) 20:21:25
>>368 
信忠は5月26日には「信長の近々上洛する」との情報を得ていたようです。

『家康者 明日大坂堺被罷下候 中国表近々可被出御馬由候条 我々堺見物之儀
先致遠慮候』(「天正五月二十七日付 森乱宛 織田信忠書状」)
371日本@名無史さん:2007/11/25(日) 23:56:34
>>343
>光秀が信長に不満があった、それで隙あらば謀反を
 起こそうと考えていたなら信長の動向を自分で
 調べることはおかしくもなんともないが?

どうやって?
言うは易し行うは難しだ。
それが可能なら、光秀以前に信長に謀反した連中が既にやっているさ。
浅井長政や荒木村重は無理としても、向背定かでない松永久秀ならその程度の事は考え付く。
信長個人の直近のスケジュールが分からないからこそ、
彼らは本拠の城にいる時に叛意を表したのだ。
織田家が方面軍司令官制度を採用している頃には、
信長の身近には側近吏僚衆が形成されていて、
重臣クラスでも信長に拝謁するのは以前のように簡単ではなくなっている。
信長の個人的動向を探ろうとすれば、当然側近衆に問い尋ねなければならない。
当然側近衆からその理由を詰問されるだろうし、勿論それは信長の耳にも入る。
つまり、猜疑心の強い信長に疑惑をもたれるって事だ。
それがいかに恐ろしい事かは、荒木村重の事例や、
北陸戦線から無断帰国した羽柴秀吉の酒宴三昧の保身術からも明白。
現代でも、大会社の社長のスケジュールを社員が把握するのは難しい事でも理解できるだろう。
社員が社長の動向を探っている事が会社上層部に分かれば、その社員がどうなるかは容易に推察できる。
つまり、信長が少数だけ引き連れて数日在京する事を知りうる誰かから教えてもらわなければ、
光秀は信長の動向を掴むことはできなかったわけだ。

鈴木眞哉・藤本正行著「信長は謀略で殺されたのか」
(洋泉社)でも読んで出直してこい。
372日本@名無史さん:2007/11/26(月) 01:28:56
亀山の人間が備中出発前に京に行っていた可能性は?
373本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/26(月) 10:14:10
>>359>>372○○○「聖戦、マハーカーラの女」が全て○○○
いかなる博士、学者の研究書も次の点を答えられなかった。

一 実直なる性格の光秀が、なぜ突然裏切ったのか?
二 光秀の家臣、兵士は何故、本能寺の変、その後も逃亡、四散せず従ったのか?
三 なぜあの時点で、信長、信忠が京都にいたのか?
四 京都の盗賊よけの木戸などがあるのに、なぜ大軍がスムーズに本能寺に到達したのか?
しかも市街に宿泊していた信忠の馬廻りに気づかれず。
五 重要なのは、その後主君の敵討と押し寄せる織田遺臣団、子供の大軍をどうするつもりだったのか?
未来の全く無い謀叛ではないか?

○二千年でただ一冊、、、「聖戦、マハーカーラの女」のみが答えた。
その答えは朝廷説。信長、信忠を京都に呼び寄せられるのは朝廷のみ。その行事。
六月一日、多くの貴族が来訪、信長を本能寺に釘付け。
京都木戸は貴族の命令で開放。
そして、光秀の動機は日本文化の護持や仏教の保護で、
軍事同盟者は、織田北陸方面軍司令官柴田勝家、、。

柴田勝家は、過去の謀叛の罪や手取り川の敗北、滝川一益の大出世で追い詰められ、
佐久間信盛、林通勝のように折檻状一枚で追放されるのではと信長を恐れていた。
374本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/26(月) 10:25:21
>>335>>337「服部半蔵の涙の話は仮説、推理の一環として述べられていると、書いているぞ」
つまらんことばかり書くな。
「松平信康、家康の長男、武勇あり、家柄良し、信長の愛娘を正室にもらい、後ろ盾の確約も得た。
次の国主と崇拝する家臣、側近も多く居ただろう。前途洋々である。
何か不行跡があっても家臣が庇うだろうし、謀叛などの疑いを掛けられても
諫死する家臣も居たかもしれない。
何しろ、次の天下は信康なのだ。
しかし、それが母築山殿と共に殺された。
しかも家臣のカバーが全く無かった。何故、家臣は庇ってないのか?
或いは庇えなかったのか?
その理由は、信長の命令だったから。おそらく徳姫との不和に信長が信康ー築山ラインを危険視したのだろう。
と何回いえばわかる? 徳川正史、大久保彦左衛門の著書、どつらが真実に近いかは今更調べようがない、
しかし、この家臣のカバー、諫死などが無かった、できなかったという史実は、かなり大きな要素を占めよう。
375本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/26(月) 10:36:06
○悪いな、レス374は>>339の返事だった。

>>346>>366○レス346、レス366は全くの出鱈目じゃないか。
大庭博氏には借金は全くないし、祖父も貸家住まいではないし、メールなど書いてないぞ。
偽名、本人になり済まし、人を陥れる出鱈目を書いた。
これは間違いなく犯罪、刑務所、あまりの悪辣さに見せしめになるな。
そろそろ警察に電話しようと思うのだが、、、
376本能寺の変、四百二十五年目の真相。の祖父:2007/11/26(月) 10:48:28
すいません。また今日も孫の妄想にお付き合い下さい。
そして少しでも借金を減らせるよう、孫の本を買ってください。
377本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/26(月) 10:56:14
「天徳院」

○日本史、二千年でただ一冊、、、

「聖戦、マハーカーラの女」博君著。

この本の出る前と後では全てが違う、、、、
それが歴史の本物、真実の証拠品の持つ凄さだ、、、、
嘘だと思うなら、偽造ではない本物を見つけ、手にとって読むが良い。

四百年前の本物の暗号の持つ凄さがよく解る。

「安土城天主」−「空中階段」−「下の清涼殿に似た建物」



378日本@名無史さん:2007/11/26(月) 10:58:07
>四 京都の盗賊よけの木戸などがあるのに、なぜ大軍がスムーズに本能寺に到達したのか?

本能寺が下京の総構えの外にあったのに対し、村井貞勝の居た所司代屋敷はその内に在った
ことで当初は難を逃れたんだろうね。
379日本@名無史さん:2007/11/26(月) 11:00:19
>「空中階段」−「下の清涼殿に似た建物」

「妄想」−「清涼殿に似せて復元した建物」 だね。
380日本@名無史さん:2007/11/26(月) 11:20:02
>>374
>何しろ、次の天下は信康なのだ。
>何しろ、次の天下は信康なのだ。
>何しろ、次の天下は信康なのだ。
>何しろ、次の天下は信康なのだ。
>何しろ、次の天下は信康なのだ。
>何しろ、次の天下は信康なのだ。
>何しろ、次の天下は信康なのだ。
381日本@名無史さん:2007/11/26(月) 13:27:32
>>347
◎つまらん事を書いてるのは君ですよ。
◎『服部半蔵の涙は仮説と述べられている、と書いてるぞ』?
そんな事は聞いてない。かつて『信長に逃れようがない証拠を突き付けられた』と言いながら今度は『服部半蔵は信康の無実を知っていた』と全く逆の説を作ったのは何故かと聞いているんだよ。
◎『次の天下は信康。だから家臣が庇うはず』?
切腹に至る前に、家康が信康の岡崎城に軍勢を率いて入城したという事実から考えれば、二人の間は相当険悪だったことがわかる。
そして和解のはずが激しい口論によって物別れに終わっている。
この時家康の意志による「信康処断」が明確になっていたとすれば『次の天下は信康』ではない、無駄に庇えば害が我が身に及ぶだけと家臣が判断したなら庇わないだろう。
というか君は以前『秀忠がいたから跡継ぎの心配は無かった』と言ってただろ?『次の天下は信康』発言は矛盾しているとは思わんか?
382日本@名無史さん:2007/11/26(月) 13:28:43
◎ごめんなさい>>381>>374へのレスです。
383日本@名無史さん:2007/11/26(月) 13:58:16
>>374
◎『徳姫と信康の不和に信長が信康-築山ラインを危険視した、と何回いえばわかる』?
言いたいことはわかるが「他の史料を読まないで都合のいい一方のみを『真実』と決めつけてしまうのは何故?」という質問には一体いつ答えてくれる?
『真実』であるという以上は君の『妄想』ではない根拠が存在するからであろうが、それはいつになったら提示してくれる?
『信長の命令』であったと考えたとき不自然な部分が多々ある、それらの説明(もちろん君の妄想抜きで、きちんと根拠を挙げて)はいつしてくれる?
これらが説明できないなら何回いわれようと私は理解しません。
◎『徳川正史と三河物語どちらが真実に近いかは今更調べようがない』?
何急に弱気になってんの?『後から出た史料が正しかった例はいくつもある』と言ったのは君だぞ。
互いに矛盾した記述が残されている時点でまず信憑性を疑うべきなんじゃないの?
これらの『どちらが真実か今更調べようがない』史料を丸呑みして『事実である』と豪語してるのは君なんだよ?
◎それから庇ったかどうかは知らんが、信康の切腹と前後して脱走、蟄居した家臣がいる。これらをどう説明する?
384日本@名無史さん:2007/11/26(月) 16:06:55
あのね〜◎さんよー。○大庭博は、ただ売れ残りの自著を早く売って借金を返済したい
だけなんだよ。
だから、いかに間違いを指摘されようが認めるつもりはないし、納得いかないから説明
しろって言ったって、本を読めば分かるの一点張りなんだよ。

そんなの相手にムキなってるなんて余程の暇人なんだね。
385日本@名無史さん:2007/11/26(月) 16:38:49
>>383
まあ、僕は374じゃないけれど、定説としては信長の命令説なので
それに対しては、一定の敬意を払うべきだとは思う。

三河物語にしても、信長の命令説だし、信康を誉めているのも、
趣味は乗馬と鷹狩、戦の話ばかりしかしない、オタクだから立派だと言っているので
残虐行為ともそれほどは矛盾しないし。

以下、個々の点については触れないけど、
信長命令説で極端な矛盾は無いように思うけど。
386日本@名無史さん:2007/11/26(月) 16:47:00
ハイハイ頑張ってネ。
387日本@名無史さん:2007/11/26(月) 17:18:46
極端な矛盾てか、信長の動機がイマイチな気がす
388日本@名無史さん:2007/11/26(月) 17:36:37
>>373 「何ら不思議でもなんでもない。○の知識不足」
『いかなる博士、学者』
故人の桑田忠親(1902-1987)や高柳光寿(1892-1969)を指してます?
まさか武田鏡村、細川広次、明石散人じゃないですよね?

『実直なる性格の光秀』
桑田の光秀評ぽい表現ですが、フロイスの光秀評は無視ですか?

『なぜ突然裏切ったのか』
「信長父子の悪逆は天下の妨げ 討ち果たし候 其の表の儀御馳走候て 
大垣の城相済ますべく候」(6月2日付 西尾光教宛光秀書状「武家事紀」)
公言できる理由として「天下の妨げ」だったとしていますが。

『光秀の家臣、兵士は何故、本能寺の変、その後も逃亡、四散せず従ったのか?』
『京都の盗賊よけの木戸』
「本城惣右衛門覚書」を読めば、疑問に答えてくれてると思います。

『大軍がスムーズに本能寺に到達したのか』
変当時の明智の軍制形態(兵13,000人の根拠、指揮者・所属兵士の出身母体や役割など)や
行軍道程(「3手に分けた」とされる軍団の歩行ルート・時間帯)などを精査してみれば?

『押し寄せる織田遺臣団、子供の大軍をどうするつもりだったのか』
明智軍団を含む信長直轄の地域(近江・山城・大和・摂津・和泉・丹波・丹後・
越前・若狭・西美濃)を制圧することで300万石を超える地域を押えることになり、
仮に1万石当り400人の動員体制が整えば、12万人前後の軍団となります。
実際に明智軍は10日ほどで山城・近江・西美濃を押さえて、ほぼ半分近くを制圧
しています。結果的には大和(筒井)・丹後(細川)・摂津(池田・高山・中川)
は味方することはありませんでしたけど。
389日本@名無史さん:2007/11/26(月) 18:25:07
>>384
「売れ残りの自著を早く売って」
手持ちの80冊を古本屋に売っても2万円にもならないけどね
390日本@名無史さん:2007/11/26(月) 19:13:40
>>383 
○のいう「柴田勝家同盟説」は銀山光秋「聖戦、マハーカーラの女」(1997 近代文芸社)では
一切触れられていません  念のため
391日本@名無史さん:2007/11/26(月) 22:10:45
>>385
定説てどこの話だ?極端な矛盾つうか「信康切腹は家康からの上申であり、信長は好きなようにしろと答えただけ」という史料が実際にあるんだよ。
392日本@名無史さん:2007/11/26(月) 22:17:40
毎日毎日よくやるねw
393日本@名無史さん:2007/11/26(月) 23:44:35
>>391
当代記かもしれないけど、それ以外のその当時の資料は基本的には信長命令説を採っている。
である以上、相当の異説ではないのかな。
394日本@名無史さん:2007/11/26(月) 23:58:51
>>393
>それ以外のその当時の資料は基本的には信長命令説を採っている。
例えば?
395日本@名無史さん:2007/11/27(火) 02:07:00
>>393>>385かい?
◎は別に「信長の命令ではない」と断言はしてないんじゃね(敬意を払っているかは知らんが)?
だが○は「信長の命令で間違いない」と断言している。それに対して◎が「根拠あるの?」ときいてるだけの話。
まぁ○は答える訳ないんだがな。
396361:2007/11/27(火) 03:16:59
>>389
大庭博先生の計算では、
1冊200万円で売れるので、合計1億6千万の売上となるはずです。
そのために、毎日ここで必死に宣伝しているのです。
金持ちを騙して売りつけるのが目的なので
貧乏な研究者がなんと反論しようが、全く眼中にはありません。
397日本@名無史さん:2007/11/27(火) 04:52:19
>>393のように史料名を書かないヤツって基本的に雑魚だよな。○も書かない、いや書けないのだがw
398日本@名無史さん:2007/11/27(火) 04:53:27
つか三河物語は信長の指示とか命令とか一切書いてないけどねw
399日本@名無史さん:2007/11/27(火) 04:55:47
あ、>>398と書くとアホみたいに食いついてきそうだが、原文読んだらいいぞw
400日本@名無史さん:2007/11/27(火) 08:08:36
>>396 
アマゾンで802円で手に入れたが、与太話満載のトンデモ本
古本屋も持込みお断りかもw
401本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/27(火) 10:14:18
>>381●●「家康は家臣の讒言に騙され、猜疑心から独断で信康を殺した」という君の説に、仮説をとっても
矛盾するからだよ。それなら服部半蔵は喜んで信康を殺していなくてはならない。主命だから。
ところが涙で首を斬れなかった。にもかかわらず、あとから重用、信頼されているんだからな。
●家康の猜疑心から信康との間が険悪になった。そこをとりなしたり、諫死するのが信康の家臣
のとるべき道だろう。次の国主に信康がなったら、家はピンチを救ってくれたと繁栄する。
しかし、そういうカバーがない。
●「秀忠は生まれたばかりで徳川家は後継ぎに不安があった」
しかし「家康は猜疑心から、後継ぎの信康を喜んで独断で殺した」
と矛盾したことを書いたのは君。
>>383●君が「信康は家康が独断で殺した」と
通説の「信長の命令で、家康は信康を殺した」異説を唱えているんだろう?
だったら万民を納得させる「真実を証明する文書、手紙」を出さなくてはならないのは君。
私は信康問題の専門家ではないのでね。
●家康が謀叛の疑いかけ、長男信康と正妻を殺しているのに、信康を担いで大騒ぎにした謀叛分子、
重臣らが、それくらいの処罰ですむなど、君は非常識。
402本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/27(火) 10:27:59
>>388●●●「天下の妨げ」●●●
「天下」は、アメガシタとか、アメノシタと書くこともあるが、
昔は「朝廷・国家」を意味したのだよ。古典などではね。

●本当に常識が無いな。
一万三千、五千くらいで、三百万石の領地をあっさり征服できる?
そして、その征服地があっさりと兵や兵糧を出すとでも思ってるのか?
それに一万石は二百五十から三百人くらいしか動員できんぞ。
しかも主殺しと悪名を立てて、勝つかどうかもまだわからない明智軍に?
●暫くは様子見だろうし、敵討の織田遺臣団が大軍ならそちらに味方したがるだろう。
光秀が、そんなこと考えてなかったのは、配下の与力大名に人質を強要していないし、
京都から主軍を大きく移動させてないのを見ても明らか。
403日本@名無史さん:2007/11/27(火) 10:35:23
>>401
そっくり君の言葉をお返ししよう

君が「本能寺の変の黒幕は朝廷である」と
通説の「光秀は単独で謀叛を起こした」に異説を唱えているんだろう?
だったら万民を納得させる「真実を証明する文書、手紙」を出さなくてはならないのは君。
私は本能寺問題の専門家ではないのでね。

さっさと「真実を証明する文書、手紙」やらをここでだしてみろよ。
2ちゃんで研究者と「議論」をしたいんだろ?
404本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/27(火) 10:38:55
>>388●●●「明智の兵はいくらも逃亡できたし、織田軍に味方もできた。がしていない」
●フロイスの明智光秀の評価は一方的にして、伝聞であるのは明らか。
●明智の将兵は、いくらでも本能寺の変の後、主殺しと知り、逃亡、四散して逃げるチャンスはあった。
にもかかわらず、大半が天王山まで光秀に付いていっている。
●当時の京都は火付け盗賊などを警戒し、木戸などがあり、警戒厳重だった。
とても短時間の大軍通過は無理。
そもそも、明智がスムーズに到達したのは、案内役が来たから。
でなければ、なんで京都、西国への別れ道、老いの坂あたりで
真夜中に大軍が休息しているのかわからない。
405本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/27(火) 10:47:53
>>340●とんでもない無知が書いてます●

延暦七年[788]最澄が、比叡山に一乗止観院なる草庵を作る。
「延暦寺」なる寺号が許されたのは「弘仁14年」824年。

●この寺が鬼門封じに関係していてのは、後に天海が
江戸城鬼門封じとして東叡山寛永寺を創建している。
406本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/27(火) 10:56:26

●日本史二千年でただ一冊、、、

「聖戦、マハーカーラの女」博君著。

国家の真実、本物は揺るぎもしない。
虚偽と詐欺師だらけの世の中で、この一冊のみには嘘がない。

>>400>>403●この世で最も本能寺の変の真実に近い書物、その証拠品を捨てて何を得るつもりなのか?
味方は君のでっちあげとこじつけの書物を喜んでも、
君の敵はこんなでっちあげと、
大嘘で金儲けしていると喜んで叩きまくるだろう。

なぜなら、真実を知るものから観ると様々な矛盾が生じるから、、、
407本能寺の変、四百二十五年目の真相。の祖父:2007/11/27(火) 11:08:23
今日も孫の博の妄想にお付き合いいただきありがとうございます。

>>400
是非とも直接、孫からお買い上げ下さい。一冊300万円(税別)でございます。
408日本@名無史さん:2007/11/27(火) 13:07:01
>>405
最澄が比叡山を修行の場に選んだ事は無視か

まあ鬼門をまるきり気にしてなかったとは言わないが

http://imepita.jp/20071127/466200
で、内裏の北東に誰が住んでたって?
晴明神社の事を言ってるんだろうけど、どこにあったって?
409惟神塾へ最終章:2007/11/27(火) 13:47:55
 正神からの頼み事
 一番尊い所(日本)一番落としてあるのじゃ。この事判りて来て天晴れ世界唸
るのじゃ。落した上に落してもう落す所無い様にして上下引っ繰り返るのじゃ。
この道難しい道でないぞ。欲離れて、命離れてなる様にしておりて下されたら
それでよいのじゃ。またまた俘虜になる者沢山あるなれど(太平洋戦争)、元に
帰って又盛り返して来るなれど、またまた繰り返すぞ。次に又捕へられる者出
て来るのざぞ(ハルマゲドン)。次は酷いのざぞ。神の国は誰が見ても、どう考
えても、二度と立ち上れん。人民皆外国につく様になってこの方の申した事、
神示に書かした事、皆嘘ざと申す所まで世が落ちてしもうてから始めて神力現
れるのざぞ。
 世界中総掛りで攻めて来るのざから、一度はあるにあられん事になるのぞ。
大将ざからとて油断出来ん。富士の山が動くまでにはどんな事も耐えねばなら
んぞ。上辛いぞ。どんな事あっても死に急ぐでないぞ。
 実地の大峠の愈々となったらもう堪忍してくれとどんな臣民も申すぞ。人民
には実地に目に物見せねば得心せぬし、実地に見せてからでは助かる臣民少な
いし神も閉口ぞ。酷い所程身魂に借銭あるのじゃぞ。身魂の悪き事している国
程厳しき戒め致すのであるぞ。毒にも薬にもならん人民草木に替えてしまうぞ。
 この行は身魂を磨いておらぬと越せぬ、この世始まって二度とない行である。
この行が出来ねば灰にするより外ないぞ。
 向うの国幾ら物ありても、人ありても、生神が表に出て働くのざから、神無
き国は何れは往生ざぞ。この神の申す事よく肚に入れて、もうかなわんと申す
所堪えて、またかなわんと申す所堪えて、愈々どうにもならんと言う所堪えて
頑張りて下されよ。神には何もかもよく判りて帳面に書き留めてあるから、ど
こまでも死んでも頑張りて下されよ。その処まで見届けねば、この方の役目果
たせんのざ。可哀そうなれど神の臣民殿、こらえこらえて誠どこまでも貫きて
下されよ。誠の生神がその時こそ表に出て、日本に手柄さして、神の臣民に手
柄たてさして、神から厚く御礼申して良き世に致すのであるぞ。万劫末代まで
名の残る様にして、この世の神とするぞよ。神々は楽隠居するなり。
410惟神塾へ最終章:2007/11/27(火) 13:52:25
 正神からの頼み事
 一番尊い所(日本)一番落としてあるのじゃ。この事判りて来て天晴れ世界唸
るのじゃ。落した上に落してもう落す所無い様にして上下引っ繰り返るのじゃ。
この道難しい道でないぞ。欲離れて、命離れてなる様にしておりて下されたら
それでよいのじゃ。またまた俘虜になる者沢山あるなれど(太平洋戦争)、元に
帰って又盛り返して来るなれど、またまた繰り返すぞ。次に又捕へられる者出
て来るのざぞ(ハルマゲドン)。次は酷いのざぞ。神の国は誰が見ても、どう考
えても、二度と立ち上れん。人民皆外国につく様になってこの方の申した事、
神示に書かした事、皆嘘ざと申す所まで世が落ちてしもうてから始めて神力現
れるのざぞ。
 世界中総掛りで攻めて来るのざから、一度はあるにあられん事になるのぞ。
大将ざからとて油断出来ん。富士の山が動くまでにはどんな事も耐えねばなら
んぞ。上辛いぞ。どんな事あっても死に急ぐでないぞ。
 実地の大峠の愈々となったらもう堪忍してくれとどんな臣民も申すぞ。人民
には実地に目に物見せねば得心せぬし、実地に見せてからでは助かる臣民少な
いし神も閉口ぞ。酷い所程身魂に借銭あるのじゃぞ。身魂の悪き事している国
程厳しき戒め致すのであるぞ。毒にも薬にもならん人民草木に替えてしまうぞ。
 この行は身魂を磨いておらぬと越せぬ、この世始まって二度とない行である。
この行が出来ねば灰にするより外ないぞ。
 向うの国幾ら物ありても、人ありても、生神が表に出て働くのざから、神無
き国は何れは往生ざぞ。この神の申す事よく肚に入れて、もうかなわんと申す
所堪えて、またかなわんと申す所堪えて、愈々どうにもならんと言う所堪えて
頑張りて下されよ。神には何もかもよく判りて帳面に書き留めてあるから、ど
こまでも死んでも頑張りて下されよ。その処まで見届けねば、この方の役目果
たせんのざ。可哀そうなれど神の臣民殿、こらえこらえて誠どこまでも貫きて
下されよ。誠の生神がその時こそ表に出て、日本に手柄さして、神の臣民に手
柄たてさして、神から厚く御礼申して良き世に致すのであるぞ。万劫末代まで
名の残る様にして、この世の神とするぞよ。神々は楽隠居するなり。
411日本@名無史さん:2007/11/27(火) 13:57:54
>>401
◎何なんだろう、この人は。
◎『◎の仮説なら半蔵は喜んで信康を殺さなくてはならない』?
半蔵が涙を流したと本気で信じてるの?別に私はそれが嘘とまでは言わないが、何か出来すぎた話だと思わない?
◎『信康のピンチを救えば信康が跡を継げば家は繁栄するが、そうした家臣がいない』?
次代のことを君は言うが「今があっての未来」だと思わないかね?
『家忠日記』によれば天正七年八月十日に家康が岡崎を訪れ三河の国衆が岡崎城へ呼び出される。そして三河の国衆に信康に従わないという起請文を書かせた。次の当主の前に今の当主に従わず家を失うハメになったら未来もクソもないと思わないか?
◎『跡継ぎに不安があるのに家康が信康を殺すという矛盾を言ってるのは◎』?
…あのさ、確かに信康の方が立派に成長していたし幼少の秀忠より跡継ぎに相応しいだろう。
その跡継ぎ信康に追放されるかもしれないとなった時家康が、『でも信康は立派な跡継ぎだから俺が信康に追放されても徳川は安泰だ〜』なんてことになると思うの?
自身が追放されるかもしれないとなれば跡継ぎどうのこうのなんて考えてる場合ではないだろう?
412惟神塾へ最終章:2007/11/27(火) 13:59:14
 天地のことわり
 天地の理書き記すぞ。現界は物の液体、物の固体、物の気体、物の気から出
来ているぞ。霊界は霊の液体、霊の固体、霊の気体、霊の気から出来ているぞ。
 死ぬか生きるかは人民ばかりでないぞ。神々様も森羅万象のことごとくが同
様であるぞ。暫くの生みの苦しみ、八の世界から十の世界になるのであるから、
今までの八方的な考え方、八方的な想念や肉体では生きていかれんのであるぞ。
十方的想念と肉体でなくてはならんぞ。
 太陽は10の星を従えるぞ。原子も同様であるぞ。物質が変わるのであるぞ。
人民の学問や智では判らん事であるから早う改心第一ぞ。二二と申すのは天照
大神殿の十種の神宝に魂を入れる事であるぞ。これが富士の仕組み、七から八
から鳴り鳴りて十となる仕組み、なりなりてあまる鳴門の仕組み。
 何もかも前つ前つに知らしてあるのに、人民は先が見えんから言葉の含みが
判らんから取り違いばかり、国土の上は国土の神が治らすのじゃ。世界の山も
川も海も草木も動物虫けらも皆この方が道具に数で創ったのじゃ。愈々が来た
ぞ。国常立が国尋立となるぞ。
 地は黄であるぞ。真中であるぞ。天は青であるぞ。黄と青と和合して緑、赤
と和して橙となり、青と赤と和して紫となる。天上、天下、地下となりて、六
色となり六変となり六合となるのじゃ。更に七となり八となり白黒を加えて十
となる仕組み。
 横の十の動きがクラゲナスタダヨエルであり、縦の十の動きがウマシアシカ
ビヒコジであるぞ。十と十と交わり和して百となり九十九と動くのぞ。過去も
未来も霊界にはない。今があるのみ、これを中今と申すぞよ。竜宮の乙姫殿、
日の出の神殿、岩の神殿、荒の神殿、風の神殿、雨の神殿、暗劔殿、地震の神
殿、金神殿の九柱なり、総大将は国常立大神なり、救世神は素盞鳴大神なり。
このこと判りてくだされよ。教はなくなるぞ。元の道が光り輝くぞ。これを惟
神の道と申すぞ。
413日本@名無史さん:2007/11/27(火) 14:08:35
>>401
◎『万民を納得させる証拠を出せ』?
そもそも信長の関与が疑わしいということは昔から指摘されていることで信康切腹について信長の命令があったか否かは未だ真相は明らかではありません。
私は「そういう説があるけど?」と書いまでだが、君は『信長の命令で間違いない』と言い切った。言い切ったからには根拠を挙げてと言っても挙げてくれませんね?
専門家でもないのに何で『間違いない』なんて言うんですか?
◎『信康謀叛で担ごうとした家臣の処分がその程度なのは非常識』?
私の『仮説』なんで何とでもどうぞ。しかし『信長の命令』であった場合、何故これらの家臣達>>90が処分され逃げ出したのか説明できますか?
414日本@名無史さん:2007/11/27(火) 14:09:08
>●家康が謀叛の疑いかけ、長男信康と正妻を殺しているのに、信康を担いで大騒ぎにした謀叛分子、
>重臣らが、それくらいの処罰ですむなど、君は非常識。

さて有名な武田義信の謀反疑惑で、処罰されたのは誰でしたでしょうか?
放逐なんかはかなり重い罪なんですがw
415日本@名無史さん:2007/11/27(火) 16:03:56
>>401
>>411に付け足す。
◎…と言えば君は『ならば信康を時間をかけて説得するはず』と言うんだろう。
家忠日記にあるように家康と信康の関係が険悪であり、更に謀叛の嫌疑がかかったとなれば説得などという温情をかけるとは考えにくいと思うが?
416日本@名無史さん:2007/11/27(火) 16:26:42
>>406
「聖戦、マハーカーラの女」バカ博著

出鱈目、でっち上げ、こじつけ、孫引き、基本的な知識不足、嘘満載の本の宣伝に
必死なのはわかるが、>>390で指摘されている通り、書いてないものを書いていると
言ったりするのかなあ
417日本@名無史さん:2007/11/27(火) 17:24:03
>>402
「一万石は二百五十から三百人くらいしか動員できんぞ」の根拠は?
孫引きの際には出典を明記してね


418日本@名無史さん:2007/11/27(火) 17:25:07
だから『マハー』第二版には書いてあるんだよ。

ただ、それを出版するにはまず借金を返済しなきゃならないから、本人も必死なんだよ。
それと、変質的とも言える執拗な書き込みは、何処からか出版の話しが来ないかと淡い
期待をしているのかも知れないね。
419日本@名無史さん:2007/11/27(火) 17:41:07
>>417
「光秀は近江・丹波三十四万石、大体一万石で動員できる兵力は余裕をもって二百五十人、切り詰
めて三百人前後。配下の組下を集めて、やっと一万三千前後。」(『マハー』第一版p198)

420日本@名無史さん:2007/11/27(火) 19:36:45
本能寺ガル夫がどうしたって?
421日本@名無史さん:2007/11/27(火) 19:38:51
『近江・丹波三十四万石』は、近江志賀郡5万石+丹波29万石ってこと?
○説 13000人の計算根拠
340,000×300÷10,000=10,200人+配下の組下α≒13,000人

ここでも「通説」を鵜呑みしているだけで頭悪そうだなあ
422本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/28(水) 10:25:15
>>411○「じゃあ聞くが、なぜ半蔵が信康を斬れなかったなどという話が残る」
下っ端の半蔵の態度ごとき、別にあってもなくてもどうでも良い話だろ? なぜそんな話がわざわざ残されてる?

●しかも信康が家康を追放しょうとしたという証拠、手紙、陣ぶれ書は何も無い。
●家康の猜疑心が信康を殺したというが、猜疑心の強い人間なら謀叛の根は
自分が有利なときに徹底して摘むはず。
●信康後見人「石川数正」何の咎めなし。その子は関が原で東軍について所領安堵。
「平岩親吉」のちに十二万三千石の大名。
●信康家臣岡崎三奉行「本田重次」「高力清長」「天野康景」
いずれも処分されず後に大出世。
家康を殺すほど、担いだ神輿が殺されるほどの謀反を企んだ、
謀叛を疑われた重臣が処分どころか大出世。
○後継ぎに不安があるのに、優秀な後継ぎ信康を猜疑心から喜んで殺すという家康。
馬鹿らしい。軍を捨てて信康はおとなしく恭順したのだ。どこぞの城で軟禁し、後継ぎはお前だけと時間をかけ、
重臣、家康本人が説得し、心を掴むのが本筋だろう?
423日本@名無史さん:2007/11/28(水) 10:26:25
◎とりあえず手始めに信康切腹に前後して数人の家臣>>90が蟄居、出奔した事実について説明してもらおうか?
424本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/28(水) 10:36:16
>>413○「ちゃんとその専門家の桑田忠親博士が
信長の命令で信康は殺されたと書いてるだろ」

○私は信康問題の専門家ではないので、彼の通説に従ってるだけだよ。
君は桑田博士の論に文句を付けれる程偉いのか?。決定的な証拠を出さねばならないのは、
文書なり手紙なりだが、異説を唱えた君の役目。
○長男信康は家康の命を狙うほどの謀叛を企んだと、家康に疑われた訳だよね。
しかし、家康を追放するほどの謀叛は一人では出来ないな。
信康と正妻を殺すほど家康が恐れた謀叛。疑い深い主君に徹底した粛清がされると思わないか。
しかし、信康の後見人、側の家臣は後に大出世。
信康の首を斬れなかった半蔵ものちに重んじられる。
主君の命を殺す、追放を企んだ主のもっとも側に居た有力者どもがね?
425日本@名無史さん:2007/11/28(水) 10:46:05
>>422
◎『何故半蔵の逸話が残る』?
徳川方が泣く泣く信長の暴挙に屈しなければならなかったという美談にはなるな。
◎『家康が信康を追放しようとした証拠が無い』?
実際に追放、いくつかの城を転々とさせられてますが。
◎『石川数正→何の咎めなし』?
彼が突如として一族を引き連れて家康の元を去った原因はどう考えます?
◎『本多重次→大出世』?
彼の晩年は成功したと言える?
◎『跡継ぎに不安』?
その不安と「跡継ぎに追放されるかもしれない不安」どっちが恐ろしい?
◎『信康が恭順』?
最終に家康と口論となりその後に追放ですが『おとなしく』とはいってない気が…。
三河の国衆の岡崎詰めは信康の指示だったと言われている。それを家康が口を差し挟み「在所へ帰れ」という命令を出した。
これは松平家忠が深溝に引き揚げたという彼の日記にも記述がある。
家康が三河国衆に対して信康の意と反する命令を出すこと自体、この時すでに二人の間が険悪だったのでは?という推測にも繋がる。
426本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/28(水) 10:51:53
>>407>>416○○○本能寺の変、天正十年六月二日○○○

当時の天下人織田信長が、京都本能寺で襲殺された事件。
それなくしては豊臣秀吉、徳川幕府、ひいては明治維新すら存在しなかったのではないかといわれる、
日本史の大転換点、、、
しかし、なぜ、織田信長が殺されたのか、明知光秀はなぜ突然裏切ったのか?
その動機に対しては、じつに四百数十年に渡り、様々にいわれてきた。
戦国史最大の迷宮、、、
しかし、その真実は、「朝廷説」「明智光秀の軍事同盟者は柴田勝家」だったのだ。
それを解明したのは、四百年前に絶対権力者の眼を逃れて残された証拠品だった。
それを解明した最初の書物
「聖戦、マハーカーラの女」

そして、本物の世紀の暗号「本能寺・コード」、、
「京都秘密文書」、、

日本の戦国史最大の本物。
日本人は自国の歴史を大転換させた事件の本物の証拠品に、
それほど安い値段しか付けないのか、と笑われよう。
427日本@名無史さん:2007/11/28(水) 10:57:42
>>424
◎『桑田博士が言っている、その説に従っているだけ』?
何故「前田本安土日記」など信長の命令ではなかったという記述がなされた史料を読まずして『信長の命令で間違いない』と決めつけてしまう?
私ごときが指摘する前からいろんな学者が『信長の命令説』について異論を出してるよ?
◎『証拠を出せ』?
現在真相はわかっていない。証拠があればとっくに解決してるよ。だが君は間違いないと断言した。君がその根拠を出すべきだろ?
◎『家康の命を狙うほどの…』?
私の『仮説』、『フィクション』です。
石川数正、伊奈忠次は何故出奔しなければならなかったのだろうね?
428日本@名無史さん:2007/11/28(水) 11:01:27
◎こりゃいかん、>>425の『家康が信康を追放云々』は逆になってたな。すまんな○よ。
429日本@名無史さん:2007/11/28(水) 11:04:21
◎どうした?>>90について説明がないな?
伏せ字でわからないってオチ?
一人だけうっかり明かしてしまったが。
430本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/28(水) 11:06:45
>>425○馬鹿馬鹿しい。
「軍を離れ、無力化した信康を、わざわざ恐怖心から殺す」のか?
家康がそんな臆病者、よく調査しない男でないのは後の歴史から明らか。
○後継ぎに不安のある家康。
信康を殺すより、一時軍を離れさせ、出家でもさせて恭順の様子を見る手もある。
で、疑い晴れれば、また側において後継ぎ教育するとか。
なんでそういう余裕を見せられなかった?
大事な跡取り、わが子なのに。


○そんなに家康との関係が悪化していれば、信康を担いでいる側近どもが側、城から軍を
簡単に手放すものか。粛清される可能性があるからな。
状況が緊迫してないから軍をおとなしく帰したんだろ。
○石川数正、本田重次のちに大領を得ているぞ。
しかも信康側近の後見人平岩親吉は?十二万石も領地を貰っている。
謀叛を企むのに信康は有力な後見人に相談しなかったのか?
431日本@名無史さん:2007/11/28(水) 11:16:32
>>430
◎まだ私ごときの『仮説』にぐだぐだ言ってるの?
◎『家康が慎重』?
だから妄想憶測を根拠にするなっつの。慎重なら何故信長の命令を受けた時点で調べない?半蔵の『忍者の情報網』で無実が明らかならそれを信長に提示すれば万事済む話だろ?
◎『石川数正、本多重次、伊奈忠次』
石川数正、伊奈忠次はどうして出奔したんだろうね?説明してくれる?
432日本@名無史さん:2007/11/28(水) 11:19:02
◎というか『桑田博士の説を採っているだけ』ってことは君自身は徳川正史なども読んでないの?
それで『信長の命令で間違いない』と言ってるの?
433日本@名無史さん:2007/11/28(水) 11:41:19
その桑田博士が、本能寺の変は怨恨説の立場をとっておられることは、
何度も指摘されてるのに今日もスルーですか?
434日本@名無史さん:2007/11/28(水) 11:58:57
>信康を殺すより、一時軍を離れさせ、出家でもさせて恭順の様子を見る手もある。
>で、疑い晴れれば、また側において後継ぎ教育するとか。
>なんでそういう余裕を見せられなかった?
>大事な跡取り、わが子なのに。
へ?こんな事例は多々あるんだけどw
武田義信は大事な跡取りなのに、どーして自害したも?w

>○そんなに家康との関係が悪化していれば、信康を担いでいる側近どもが側、城から軍を
>簡単に手放すものか。粛清される可能性があるからな。
>状況が緊迫してないから軍をおとなしく帰したんだろ。
粛清されたじゃんw
当主と跡継ぎでは権力も支持数も違うからだろw

>○石川数正、本田重次のちに大領を得ているぞ。
>しかも信康側近の後見人平岩親吉は?十二万石も領地を貰っている。
>謀叛を企むのに信康は有力な後見人に相談しなかったのか?
石川数正と本多重次が大領を詳しく説明してみてくれw
後見人平岩親吉は?十二万石も領地を貰っている。←これも詳しくな

史料を使って説明してくれw
435日本@名無史さん:2007/11/28(水) 12:16:54
統合失調症の症状

現実と想像を区別する現実検討能力に障害をきたし、その区別がつかなくなったり曖昧になったりする状態となる。
その結果、幻覚や妄想等の症状が出て、普通の人との意思疎通が困難となったり、誰もが現実であると認識している
事柄を現実として受け入れることが出来なくなったりする。
436日本@名無史さん:2007/11/28(水) 12:34:45
統合失調症の症状(つづき)

「妄想」
現実的でない間違った考えを正しいと信じ込み、その確信が強い為に間違いを訂正する事が
出来ない症状
「幻覚」
実際には存在しない声が聴こえたり、その声に命令されたりする幻聴や現実にはないものが
見える幻視などが代表的。
「思考奪取」
自分の考えている内容が他人から抜き取られたり、覗き見られていると思い込んでしまう症状
「思考の吹入」
自分の考えている内容が、他人から無理矢理吹き込まれたものだと思い込んでしまう症状
「妄想気分・妄想知覚」
明らかに現実的な恐怖がないのに、何か恐ろしいことが起こるに違いないと確信して不安な
気分になる症状
外界の事物に対して自分だけにしか分からない意味を与えて知覚したり、雨の日には不幸が
起こるなど、本来、関係のないものを結びつけて迷信的に信じたりする症状
「連合弛緩」
今まで学習してきた観念の連合(言葉とモノの結びつき・意味の関係性)がバラバラになり、
話していてもあるテーマから、突然、何の脈絡もなく別のテーマに飛躍したりする。
この症状が進行すると、話している内容が支離滅裂となり、通常のコミュニケーションが
困難となる。
437日本@名無史さん:2007/11/28(水) 13:41:10
>>405 「また大ウィキ辞書からの引用」
『「延暦7年(788年)に最澄が一乗止観院という草庵を建てたのが始まりである。
開創時の年号をとった延暦寺という寺号が許されるのは、最澄没後の弘仁14年
(824年)のことであった。』

弘仁14年=西暦823年
438日本@名無史さん:2007/11/28(水) 21:22:12
>>433でも言われてるが桑田氏の言うことなら正しいとしながら
氏の本能寺の変怨恨説を採らないのはなぜかいい加減に答えろよ。
もう一度言っておくが氏は20年前に亡くなってる。
君の説は20年前のレベルだということだ。
その間の学問の進歩というものを考えろ。
439日本@名無史さん:2007/11/29(木) 05:59:48
◎仕事が今終わったので寝る前に何となく書き込ませてもらう。時間も時間なんでsageておこう。
◎何故このスレで信康の件のやり取りがされているのか。○の『本能寺朝廷黒幕説』には『光秀=天海説』も含まれている。
◎ある時私が「何故家康はお尋ね者となった光秀を匿い重用したのか?」と質問したところ、○は『信長は徳川家の取り潰しを画策しており、結果的にそれを未然に防いでくれた光秀の恩義に報いる為だった』と言った。
私はその取り潰し計画の根拠を問うと『信長が信康の切腹を命じた、これが根拠だ』と回答してきたのだ。
そこで私は「信長の命令ではないという史料もあり、信長の命令では不自然な点、当時の徳川家内部の不穏な動きも指摘され信長の命令だったとする説は疑問視されつつあるが…」と書いた。
そこから議論が続いている。
440日本@名無史さん:2007/11/29(木) 07:50:15
◎そしていろいろ言い合っているうちに○は『信長が信康切腹を命じたのは織田家に対する忠誠心を試すため』と言い出した。当初語っていた『徳川家取り潰し』がすり替わってしまったのだ。
◎まぁ結果的に信康が消されれば徳川家は弱体化するので筋は通っているように思っていた。
◎そして更に「家の存続を一大事とした当時、嫡男の処刑を命令したとなれば忠誠心を試すどころか徳川の離反を招く恐れもあったのでは?」と質問した。
すると○は『家康と側室との間に秀忠も産まれていたので信長は家康が後継者について悩むことなく信康を切腹させるであろうと調べあげていた』と言った。
◎何かおかしい。秀忠がいて後継者の不安がないのなら徳川家弱体化には繋がらないし、処刑されてもいい嫡男を殺させたところで忠誠心を示すことにはならないのではなかろうか?
441日本@名無史さん:2007/11/29(木) 07:51:59
ところで、信康切腹に関しては、発端が徳姫の不満→信長の叱責
→家康の夫婦仲仲裁(失敗)→不穏化

という流れで、資料の整合性がかなり取れると思うのだけどね。
徳姫が何らかの不満を実家に訴えたらしい事は”松平記””創業記””実記”等に
見られる。
信長が何らかの叱責をしたらしい事も上記資料に見られる。
夫婦仲が険悪であり、家康が岡崎まで仲裁に来た事は、一級資料である
”松平家忠日記”に記載されている。(岡崎追放の少し前)

三河物語もそれ以前成立の松平記程具体的ではないが、上記流れを踏襲している。
442日本@名無史さん:2007/11/29(木) 08:02:52
1970年代あたりから、上記説を疑問視するものとして取り上げられる
”当代記”(酒井忠次が信長に、信康謀反の疑いと伝え、信長が家康の
好きにせい、といったとの記述)は時期的にも家康の夫婦仲仲裁失敗後
のことであり、おおきな矛盾はないと思う。
(原因としてではなく、結果としての、ある種の”謀反”
を大きく取り上げすぎていると思う。)
443日本@名無史さん:2007/11/29(木) 08:11:56
疑問説に使われる、他の記述
徳姫が信長に助命嘆願をしようとしたとの記述も、家康の説得により、
信康が譲歩する形での、仲裁の成立を望んでいたとすれば当然。
日記という一級資料に仲裁の事実は記載されている。
岡崎追放(二俣幽閉)の少し前まで、家康が夫婦仲の仲裁を
しようとしていたという事の意味を考えるべき。
444日本@名無史さん:2007/11/29(木) 08:22:52
逆に、織田家の関与を否定する説を取ると
@松平記、創業記、実記やそれ以外でこの事件の原因等に触れた資料が
全くの出鱈目を書いていることになる
(編集者や著者の、少々の誇張、若干の事実誤認、等ではすまない類)

Aその後の家康の信康を悼む発言(酒井に対する皮肉も含め)も奇妙な
発言になる
445日本@名無史さん:2007/11/29(木) 08:26:30
このスレ、大庭博を無視した進行になると、
たまに勉強になる話があるからあなどれないw
博くんの書き込めない土日、連休とか、
まれに「ここ良スレ?」て思うような時あるしなw

結局、史料や根拠をもとに筋道立てて議論するということができない
妄想ばかりを語り、知ったかばかりで、他人の指摘・批判は一切聞く耳持たない
約一名の頭の悪い子のせいで、いつも糞スレに戻るんだけどね。
446日本@名無史さん:2007/11/29(木) 08:35:52
あと、疑問説論者が>>444のような捏造が行われた原因に関し
後世の家康美化と言うものがあるが、

謀反を起こした疑いのある自分の息子を殺すとイメージが悪化し、
織田家の意向に震え上がって、自分の奥さんと子供を殺したとすると
美化になるというのは、現代的な感覚過ぎる気がする。
447日本@名無史さん:2007/11/29(木) 09:36:30
家康は儒教好きだからなぁ。親子関係が悪かったってのは汚点かもよ?
448日本@名無史さん:2007/11/29(木) 10:03:19
家康つーか、江戸時代になると儒教的価値観が幅きかすようになるよな。

>>446
内輪揉めがあったと言うこと自体、徳川家の恥というのも考えられるよ。
三河武士は家康を中心に鉄の如き団結だったという神話を作るためにも。

俺的には、どちらの説に分があるか決めかねるという状態だが、
内紛があり、かつ信長も関与したという、
折衷案的なものは考えられんのかな?
原因を一つに絞る必要は無いんじゃないかと思ったりもする。
449本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/29(木) 10:15:21
>>539●●●「光秀天海説の仮説に文句を付けている。文章をよく読め」●●●
○○○何を勘違いしているんだ。「光秀天海説」は明智光秀が後に徳川幕府の黒幕南光坊天海になったという説で、
面白いので、何人も昔から支持者が居る。
「家康が長男信康を信長に切腹されられ、恨みに思っていたので謀反人光秀を採用した」
「光秀が家康に取り入るとき、安土では実は家康暗殺計画があって、命を助けるために変を起こした。と嘘を言えば
重役として採用されたかも」
というのは、光秀天海説支持者らの唱えた論である。
私も面白い説と取り上げ、
「明智光秀の背後に朝廷勢力、貴族があれば再び僧侶として復活は可能」と書いた。
ところが◎は何を勘違いしたのか「信康は家康が独断で殺した。根拠もあるので、光秀天海説など成り立たないかのごとき
異論を唱えたのである」。私は信康問題の専門家では無いので、信長の命令という俗説で、光秀天海説の仮説展開には、
充分ではないかというのに、◎は古い資料を持ち出し、
「本能寺の変議論スレッドに延々と書き続けている。
「松平信康は家康が謀叛の疑いをかけ、独断で殺した。そして、信長の命令などなかった」と。


450日本@名無史さん:2007/11/29(木) 10:26:39
>光秀天海説支持者

誰?
451日本@名無史さん:2007/11/29(木) 10:29:00
それより>>438は今日もスルーか?
都合の悪いことから逃げてばかりいるなよ。
452本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/29(木) 10:31:53
>>439>>440そこで私は◎の熱意に対し、なかなかの専門家のようだが、幾つかの基本的疑惑、状況に矛盾はないかと問うたのである。
●謀叛を疑われた信康がすぐに軍から離れて無力化しているのに殺されている。
●織田信長の愛娘徳姫を嫁に貰い、その後ろ盾、援助は確実である。
また徳姫は織田との同盟に対し最高の人質である。家康から信康を殺すのは利害に合わない。
●信康は最期は二俣城に軟禁され、矯正、再教育の余裕、時間は多くあった。しかし、すぐ殺された。
●信康を担ぎ、謀叛を企んだという側近家臣、後見人が後にさしたる処分もなく、出世している。
中には大名になったものも居る。
●家康の後継ぎ秀忠は生まれたばかりで、後継ぎに不安があった。
にもかかわらず、家康は信康を喜んで独断で殺したと◎は書く。
戦国時代に、後継ぎに不安があればいくら我儘でも信康を殺すだろうか?
●信康の側近家臣に不行跡の後をかぶって切腹したり、家康の疑いに諫死したものがない。
次の国主信康は確実なのにである。
●さらに信康の最期が具体的に残っている。服部半蔵が首を斬れなかった。
「信康は父に刃向かうなど考えたことがないの言葉。
●具体的な信康が謀叛を企んだとする文書、手紙が皆無。
家康が「信康に謀叛を企んだので処分する」という命令書など無い。
私は◎に対し、これらの疑問を述べたが、◎は正史ではない昔の史料を持ち出すのみであり、
根拠とする。

453本能寺の変、四百二十五年目の真相。の祖父:2007/11/29(木) 10:36:38
本日も孫の博のお守を宜しくお願いいたします。

そして、出来れば孫の愚著をお買い上げお願い申し上げます。
454日本@名無史さん:2007/11/29(木) 10:40:58
>◎は古い資料を持ち出し、

>◎は正史ではない昔の史料を持ち出すのみであり、根拠とする。

大庭博先生には正史が全て。古い史料には何の史料価値もないようでwww



文献学の基礎からやって出直してこい。
455日本@名無史さん:2007/11/29(木) 10:48:41
>>449
「家康が独断で?」
誰がそんなこと言った?
「当代記」には家康が信長の意向を聞いた上でとあると
書いてあると言っている。
勝手に人の説を改ざんするな。
456本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/29(木) 10:55:34
>>439>>440●●●●「いくら一級資料でも織田家、信長が隆盛のころ、恐れられていたときの史料と、
その力を無くして、徳川家が権力を持って、好きにかけるようになった時代の史料とでは違うだろうと思われるのにである。

●●●すると◎は「家康は、酒井忠次の讒言を信じて、信康に謀叛の疑いをかけ、恐れて殺した」
といい始めた。
しかし、後から讒言とわかったなら酒井を処分すると思われるのだがそれもない。
信康謀叛を恐れ、正妻築山も殺したのなら、禍根の根を絶つべく、信康を神輿にし、担いだと思われる
有力家臣も粛清、切腹するはずだがそれもない。
「家康は猜疑心が強く、自分の命に係わる謀叛が内部に起こったと考えている君主の筈」
なのにである。
それどころが、信康の後見人らは後に大名に、三奉行も出世している。
信康を担ぎ、謀叛を企んだとされる、あるいは疑われた家臣らが?

この奇妙な後の状況に対してはやはり「信長の命令により、やむなく家康は信康を殺した」
とするのが妥当であると思われる。だから謀叛を企んだ側近、後見人が粛清されてないのである。
信長は愛娘を与えたのに夫婦仲がうまく行かず、さらに信康母築山殿が今川義元の妹の娘であると
いうことに不安を抱き、危険視したと思われる。武田と長年血戦してきた徳川が、
今更謀叛も出来まいという計算もあったと思われる。
桑田忠親博士の説によればすでに織田は徳川を相手にしても、
どうということはない勢力であったとする。
信康切腹問題は、やはり信長の家康への忠誠を試す試金石であったとする説の方が
が妥当、無理なしと思われる。



457日本@名無史さん:2007/11/29(木) 11:00:56
で、その桑田博士が本能寺の変怨恨説を採っているのに
君は何故従わないのかな?
そろそろ答えてくれないか。
458本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/29(木) 11:08:03
>>451>>457●●●桑田忠親博士の怨恨論に対しての疑惑だろ●●●

●「時は今、あめが下知る五月かな」光秀という、本能寺の変前の句。
怨恨説への反論者は、
これを天下を土岐氏出身の光秀がしろしめる、統治する
天下をとるという意思表示であると反論する。
思いつき、ただの怨恨なら、変前にこんな句を詠むかと。
459日本@名無史さん:2007/11/29(木) 11:09:30
○は信康の死が家康自らの意思であると認めると
自分の著書と矛盾が出るので必死になって否定してるだけ。
その否定もやたら長文で説得力があるように見せているが
まったくそうではなく独り善がりの論理ばかり。
まあ呆れるとしか言いようがない。
都合の悪い質問には答えないのもフェアじゃない。
460日本@名無史さん:2007/11/29(木) 11:12:41
>>458
そういうことを聞いてるんじゃない。
本能寺の変についての桑田氏の見解が間違ってるとしながら
信康の死については氏を金科玉条のように扱うのはなぜかと
聞いてるのだ。
矛盾してるだろ。
461本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/29(木) 11:20:02
>>460●あんたは馬鹿か? 
桑田氏の論は本能寺の変に対しては確実に間違っている。
私はいろいろやってきたから、これは断言できる。

●しかし信康問題は全て桑田氏は大正解かもしれない。
これは私は信康問題の専門家ではないし、
決定的な証拠品を誰も提出していないので、
間違いとはいえないのだ。
462日本@名無史さん:2007/11/29(木) 11:23:32
>私は信康問題の専門家ではないし
それにもかかわらず「信長の命令で間違いない」と
言い切ってるね。
どうして?
463日本@名無史さん:2007/11/29(木) 11:24:16
>>461
あんたは馬鹿か? 
大庭博の論は本能寺の変に対しては確実に間違っている。
私はいろいろやってきたから、これは断言できる。
464本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/29(木) 11:33:19
>>453○○○警告一○○○

○本物の中の本物のダイヤを、本物と見抜くこと
も出来なかった鑑定士、人間の店など、誰も行かなくなるだろう、、、

「聖戦、マハーカーラの女」博君著。

国家の真実、、、、

そして、四百年前、絶対権力者らの目を逃れて残された
「本能寺・コード」
「京都秘密文書」

真実は、生きている、、

>>453○○○他人を装って出鱈目を書きこんだな。
確かに警告したぞ。
465日本@名無史さん:2007/11/29(木) 11:40:38
>>453ではないが自ら出鱈目ばかり書いてる博クンに
そんなこと言われてもねえ。
痛くも痒くもない。
466日本@名無史さん:2007/11/29(木) 11:44:13
>>456
◎『◎は酒井忠次の陰謀だと語り始めた』?
前のスレで私が初めてその『仮説』を書いた時にその最後に「これは私の想像であり仮説であります」と事実ではない旨を書いておいた筈。
○は延々とその架空の話にケチをつけ続け『信長の命令で間違いない』と断言しておきながらその根拠を示そうとしない。
◎更には私が「信長の命令ではなかった」旨の記述があるものとして紹介した前田本安土日記については『前田家の風説を集めた物だろ』という驚愕の発言をし、史料丸ごとを否定するという暴挙に出たのだ。
467日本@名無史さん:2007/11/29(木) 11:51:57
>●謀叛を疑われた信康がすぐに軍から離れて無力化しているのに殺されている。
存在自体が危険なんですがw

>●織田信長の愛娘徳姫を嫁に貰い、その後ろ盾、援助は確実である。
>また徳姫は織田との同盟に対し最高の人質である。家康から信康を殺すのは利害に合わない。
織田とは同盟でなく従属なんですがw

>●信康は最期は二俣城に軟禁され、矯正、再教育の余裕、時間は多くあった。しかし、すぐ殺された。
そんなのを行った例を挙げてw この当時こういう一族争いで、成功した例皆無なんですがw

>●信康を担ぎ、謀叛を企んだという側近家臣、後見人が後にさしたる処分もなく、出世している。
>中には大名になったものも居る。
そんなの当たり前ですがw 許されて帰順してるのだからw

>●家康の後継ぎ秀忠は生まれたばかりで、後継ぎに不安があった。
>にもかかわらず、家康は信康を喜んで独断で殺したと◎は書く。
>戦国時代に、後継ぎに不安があればいくら我儘でも信康を殺すだろうか?
秀康もいますがw 秀忠が後継者と選ばれた時期も知らない無知ですなw

>●さらに信康の最期が具体的に残っている。服部半蔵が首を斬れなかった。
>「信康は父に刃向かうなど考えたことがないの言葉。
これのネタ元書けば?

>●具体的な信康が謀叛を企んだとする文書、手紙が皆無。
>家康が「信康に謀叛を企んだので処分する」という命令書など無い。
信長が指示した文書、手紙もないねw

>私は◎に対し、これらの疑問を述べたが、◎は正史ではない昔の史料を持ち出すのみであり、 根拠とする。
徳川の正史には信長の指示とはないけどw
正史のどこにあるの?原文抜粋してくれよw
468日本@名無史さん:2007/11/29(木) 11:52:06
>>466
ここでも○の無知ぶりが表れてるな。
「安土日記」とは「信長公記」の一種であり、
書いたのは太田牛一。
前田家は所蔵元に過ぎない。よって前田家の風説を
集めたなどということがあろうはずがない。
469日本@名無史さん:2007/11/29(木) 12:05:11
◎もう一度○に伺います。
◎信康切腹について徳川正史は『信長の命令であった』としている。ところが前田本安土日記や>>269の当代記には『信長は家康側から信康生害の相談を受け好きなようになさいと言った』と書かれている。
◎現在その二つの説を裏付ける根拠は出ていないが、『信長の命令』であった時の不自然な点がいくつか指摘され、
更には松平家忠日記などの史料から当時の徳川家、家康と信康の間に不穏な動きがあったことがわかってきた。
◎これらのことから信長の命令ではなかったのでは?という説の方が支持されるようになった。
◎しかし○は頑なに『信長の命令があったに違いない』と言う。
470日本@名無史さん:2007/11/29(木) 12:09:42
●「前田安土日記」前田家の記録だろ。風説を書きとめているだけ。
                    ↓
いきなり池田安土日記とか、まさにひっかけじゃないか。

何に引っ掛けられたのか今だに謎w

○そこまで信康の死を家康の近くでよく知っていた、天下のご意見番大久保彦左衛門が、
徳川実紀や三河物語など、その他の正式な記録を読んでいないとでも言うのか。
                     ↓
○大久保彦左衛門が出鱈目ばかり書いているというのかね?
その前身となった記録も体験もあるはずだがね。
                     ↓
○正式な徳川の記録、徳川実紀とか前にも書いたぞ。
                     ↓
○徳川実紀、三河物語の元となった記録、そういうものがあるはずだがな、
それについて述べたのに、そういうものが無いかのような口調だね。
徳川に公式な記録はないといってますね?

その肝心な徳川正史について一切触れられておらずw

●「ほら、大久保彦左衛門の言葉をくれてやろう」
自分はこれを読んだがも信頼できるのは三分の一、似たものが三分の一、三分の一は事実無根。
太田牛一は贔屓のものを良く書いているとひどく低く評価。
                     ↓
○残念ながら太田牛一の「信長記」は前半など年代の間違いが多く、出来事も裏づけのとれないのがあり、
贔屓の書き方もあると藤本正行氏や、その他の研究家が要っているのは事実。
大久保彦左衛門の言葉にピッタリなのさ。

摩り替えw
471日本@名無史さん:2007/11/29(木) 12:18:24
>>469続き
◎岡崎三奉行は出世した云々と言いますが、それ以外の>>90に書かれた家臣達の蟄居、出奔は何だったんでしょうか?
◎家忠日記からは家康と信康の不仲が読み取れるのですがこれをどう説明されますか?
◎家康が信長側近の堀秀政に書き送った書状の中にある「今度忠次をやって詳しく説明させる」とは何を説明させるつもりだったのでしょうか?
◎得意の『妄想』は根拠にしないで下さい。それから『間違いない』と断言した以上は『専門家ではないから』と言う逃げ口上も認めません。
472日本@名無史さん:2007/11/29(木) 12:25:08
またまた○の無知ぶりが露呈w
大久保彦左衛門が「偽り多し」と言っているのは
小瀬甫庵の「信長記」であり太田牛一の「信長公記」ではない。
○のボロがどんどん出てくるな。
しかも>>470に引用された○の文章によると、「三河物語」を
書いたのは大久保彦左衛門自身であることも知らない様子。
もう一度指摘しておく。
「正式な記録」=「正しい歴史」とは限らない。
473日本@名無史さん:2007/11/29(木) 12:46:22
多分、一連の書き込みを見るに
博くんは「正史」という言葉の意味をわかってないんだろうな。
474日本@名無史さん:2007/11/29(木) 12:51:39
>>470
『三河物語』が「正式な記録」というのも新説ですな。

大庭博先生によりますと「正直者」で「天下のご意見番」
大久保彦左衛門の書く内容は全て真実だそうです。
475日本@名無史さん:2007/11/29(木) 13:37:22
○は「信康は謀反など企んでいない」と必死に主張しているが、
通説の信長命令説でも「信康母子が武田氏に内通した謀反の疑い」で
死を命じられたということになっていなかったか?
これを否定するということは○は信康の死の原因は何だというのだろう?
「三河物語」では信康の不行状ほかで信長が信康の死を命じたとするが、
どんな不行状があったのかは書かないチグハグぶり。
何しろ「是程の殿は又出がたし」だものな。
このおかしさを見ても徳川正史が語る「信長の命令説」がどんなに
怪しいかが分かる。
476日本@名無史さん:2007/11/29(木) 13:57:45
数ある信長公記の中でも最も古態をとどめている尊経閣文庫所蔵の
「安土日記」の記載。
「さるほどに、三州岡崎三郎殿(信康)、逆心の雑説申し候(後略)」
「当代記」はわきに置くとしても、一級史料「信長公記」の記載により、
信康が謀反を企てたことは間違いない。
○が必死になって否定しても無駄というもの。
問題はこの「逆心」が誰に対してのものかということだが、信長に対して
なら通説の「信長命令説」も成り立つが、家康に対してなら信康の処置は
家康自らの意思ということになる。
「家忠日記」に家康と信康の間が険悪だったと読める記事があるので、
後者を採るべきであろう。
477日本@名無史さん:2007/11/29(木) 14:18:20
あらゆる黒幕説を徹底的に否定した「信長は謀略で殺されたのか」
の共著者・藤本正行氏。
同書では当然朝廷黒幕説も否定されている。
朝廷説の○にとっては「そんな研究者は信用できない!」となるん
じゃないのかね?
ところが桑田氏と同じように引いている。
○は研究者の言うことの内、都合の良いところだけつまみ食いする
とんでもない奴だな。
478日本@名無史さん:2007/11/29(木) 16:03:56
>>451-452
◎私が聞きたいのはもはや物事の内容のことではないよ。
「何故コロコロと主張が変わってしまうのか?」
と言うことです。
479日本@名無史さん:2007/11/29(木) 21:14:23
レス番指定ももう面倒(○の文読みたくない)なので
省略するが、愛宕百韻が怨恨説否定の証拠になるなんて
意見は初めて見た。
それが通るなら怨恨説なんかとっくに消滅してるだろ。
○の感性が世間と違ってるいい例だな。
480日本@名無史さん:2007/11/29(木) 21:25:23
都合の悪い・知らないことはとにかくスルーする博クン。
武田信玄の長男・義信の自害事件を知ってるかと問われても
無視。
この時代、親子の争いなど珍しくなかったことはこれでも
分かる。
博クンはそれを認めたくないばかりに知らないフリをしてるのか、
あるいは本当に知らないのか。
知らないとしたらただの不勉強。
偉そうに講釈など垂れるな。
481日本@名無史さん:2007/11/30(金) 00:04:33
最近の博くんしか知らない方向けへ、過去スレをまとめてみた。
ttp://www.csync.net/service/file/view.cgi?id=1196348159

博くんが『聖戦 マハーカーラの女』の存在を初めて匂わせたのが2005年10月19日。
スレ住人のひとりが『聖戦 マハーカーラの女』ではなかろうかと言及したのが2006年5月19日。
(もちろん現物を読んだのではなく、ネットでの検索結果によるもの)

…二年以上もよく続くよなぁ。
それにしても『聖戦 マハーカーラの女』の知名度の無さといったらもう。
482日本@名無史さん:2007/11/30(金) 01:11:07
>>481 
すごいねー!過去スレ一覧
「本能寺の真相を語る その2」の
>518 [2005/09/15(木) 10:11:44]にバカ博の登場の初見が垣間見える。
>540 [2005/09/19(月) 10:20:33]から○を使い始めている
>581 [2005/09/29(木) 10:24:31]で既に『聖戦 マハーカーラの女』の存在を匂わせていますよ
『とっくに十年前に、そんなこと書いた本が出てませんでしたか?』って。
>664 [2005/10/13(木) 10:10:31]で桑田「怨恨説」の擁護をしています
>748 [2005/10/19(水) 10:40:49]で具体的に「マハー」への誘導が始まっています
『一九九七年前半にとつくに「本能寺の変の新発見」
「やりました、証拠品らしきもの見つけたよ」とか豪語して書いてる人がいたよ。
もっとも、こっちは推理小説仕立てだったが。』
483日本@名無史さん:2007/11/30(金) 07:06:37
推理小説仕立て…推理w
484日本@名無史さん:2007/11/30(金) 09:29:00
余りにもおバカな返答とスルーばかりで面白くなくなってきたから
そろそろこのスレでも○の書き込みお断りかな

485本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/30(金) 10:21:12
>>467>>469○○まさに笑止、いくら書いても「信康の謀叛を疑い、家康は猜疑心、独断で殺した」
は、つじつまの合わない部分が多いのだよ。
●信康はすぐに軍を離れ、恭順したが、殺されている。
君より十倍は偉い桑田博士の著書に、「信康は父に刃向かうなど考えたことがない」
と書いてるよ。博士が出鱈目書くとでも。
●謀叛を企んだとされる家臣、重臣が後に出世している。
●最期は二俣城に監禁された信康を矯正、再教育する時間と余裕はあったのに、殺されている。
●後継ぎに不安がある家康、しかし、独断で信康を喜んで殺した。
家康は、秀康を自分の子ではないと嫌っていたらしい。
●何よりも家康が「信康が自分に謀叛した」と書いた文書、命令書も無い。
君は「徳川は織田に従属していた」と書いてるな。だったら徳川は織田の命令に逆らえないし、
信康嫁の徳姫はより重要な人質だ。自分から失うような命令、行動を家康がするかな?
486日本@名無史さん:2007/11/30(金) 10:30:00
徳姫は事件の後、岡崎を出てますが?
487本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/30(金) 10:36:30
>>469>>471>>475○少し間違えた。◎が、まず後継ぎ秀忠は生まれたばかりで後継ぎに不安がある。
としながら、独断で家康は信康を喜んで殺した、と書いたんだよな。
○「武田内通の疑いあり」、だから信長が信康ー築山殿ラインを危険だから殺せ、
と家康に命令したんだろ。
○家康、徳川家が一度でも謀叛を企んだ家臣を放っておくほど甘いか?
後にどれほどの大名、家臣が改易されたよ。

>>475>>476○馬鹿馬鹿しい、それらのどうとでも取れる文書を証拠にしても
納得はされないぞ。「謀叛の雑説」、どうとでもとれる言葉じゃないか。
何で「信康の家康公への謀叛について」とかはっきり書かれてない?
ただの疑い、あるいは内容をよく知らなかったからではないのか?


488日本@名無史さん:2007/11/30(金) 10:42:44
>>485
>博士が出鱈目書くとでも。
間違いはあるけど?何せ史学研究が本格化し始めた時の人だったのだから
それなら○より十倍は偉桑田氏が怨恨説唱えてるのは、桑田氏が出鱈目書いてるとでも?wwww

>●謀叛を企んだとされる家臣、重臣が後に出世している。
誰が「謀叛を企んだとされる家臣、重臣」なのか詳細に答えろよw
出奔したり放逐されたりしたら「謀反を企んだ家臣」なのか?

>●最期は二俣城に監禁された信康を矯正、再教育する時間と余裕はあったのに、殺されている。
再教育する余裕あったという証拠は?家康自身がそう述懐してるの?
余裕あったとする根拠なければ○の妄想w

>家康は、秀康を自分の子ではないと嫌っていたらしい。
へぇー、はいソースだしてね、原文でw

>●何よりも家康が「信康が自分に謀叛した」と書いた文書、命令書も無い。
>君は「徳川は織田に従属していた」と書いてるな。だったら徳川は織田の命令に逆らえないし、
信長が殺せと命令した文書も命令書もありませんが何か?wwwww
命令を出したと言う証拠だしてねーw

で、武田義信の事知ってる?
489日本@名無史さん:2007/11/30(金) 10:45:19
>逆心の雑説
これ、○はどう読んで「どうとでも取れる言葉」になるの?
思いっきりはっきり書いてるのだけど?

噂じゃないんだぞw
490本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/30(金) 10:50:44
>>479○○○まさに笑止!○○○
本能寺の変、光秀怨恨説に対して、野望説論者が必ず持ち出す
「時は今、あめが下知る五月かな」光秀の句の解釈を知らないとは、
基礎もないと言われるぞ。
>>477○○○藤本正行の「信長は謀略で殺されたのか?」に対し、私は一貫して「朝廷説の部分」
に間違いありと言ってるぞ。真相は朝廷説だからね。
>>478○○「私は一貫して、桑田忠親博士の「信康は信長の命令により、家康が殺した」説を支持してるぞ。
コロコロ態度を変えてるのは君らだろ。

○○仮説○○
家康は服部半蔵という忍びの者を採用していた、諜報係りである。
大事な後継ぎ信康の謀叛の疑い、讒言が出たとき、よく調べさせなかったのだろうか?
そして、その服部半蔵は信康を殺しに行きながら、
何故か涙で首を斬れなかったという話が残るのだ。
主命に背いたのに、彼は後に家康に重んじられ、出世しているのだ。
491本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/11/30(金) 11:01:16
>>488○すると信康はたった一人で謀叛するのか?

家康が命の危険がある謀叛する、謀叛ありと恐れ、信康は殺されたんだよな。
当然、それなりの担いだ勢力、兵力ありと見られたはずだがね。
信康だけで、そんな大規模な、家康が恐れるぼどの謀叛ができるのか?
そしてその主将が殺されたのに、配下の将がただで済むとでも?
当然厳罰が「疑い深い、命が助かったと思う家康」からなされる筈だが?

○武田信玄の長子義信と徳川家康の長子信康ではケース、立場が違うだろ。
信玄には勝頼という後継ぎがいたし、信玄の今川侵略に義信が反対したとか、
家康、信康事件と同列には論じられん筈だ。
492日本@名無史さん:2007/11/30(金) 11:01:55
>>490
一回『仮説の立て方』でググった方がいいぞ。
小学生でも解るように書いてあるから
493日本@名無史さん:2007/11/30(金) 11:12:11
>>491
>○すると信康はたった一人で謀叛するのか?
そんな御託はいいから、誰が「謀叛を企んだとされる家臣、重臣」なのか詳細に答えろよw

>当然、それなりの担いだ勢力、兵力ありと見られたはずだがね。
「はず」とは?根拠がないぞw
どれだけの規模でどのような勢力が担いだのか答えろよw

>そしてその主将が殺されたのに、配下の将がただで済むとでも?
主将ってwwww
どちらも徳川家の家臣なんですがwwwww

>信玄には勝頼という後継ぎがいたし、信玄の今川侵略に義信が反対したとか、
>家康、信康事件と同列には論じられん筈だ。
勝頼は諏訪家を継いでいますがw
まだ徳川秀康のが後継という意味では武田勝頼より後継者足りえてるのだけれどw

つか信康も家康との対立という親子間の問題になってんですけどw

それで偉い桑田氏の本能寺の変の怨恨説は出鱈目なの?
お前が自分で書いたんだぞw答えろよwwwww
494日本@名無史さん:2007/11/30(金) 12:59:40
◎私も今後はsageて書くようにします。
>>487
◎『◎は秀忠では跡継ぎに不安があると書いた』?
書いたが何か?君が『秀忠がいたから信康が死んでも家康は痛くなかった』って言ってたのに対してね。
でも信康を『喜んで殺した』とは書いてないな。勝手な『妄想』で事実を作らないで下さい。
◎当時信康に比べれば秀忠は跡継ぎとしては心許ない。しかし信康に「逆心の雑説」があって自分が追放されるかもしれないとなったら自分の身を守る為に信康を処分したとしても何も不思議はないだろ。
495日本@名無史さん:2007/11/30(金) 13:22:33
>>485
◎『謀叛を企てたとする重臣が後に出世している』?
誰のこと?最近よく出す岡崎三奉行のこと?
私は一言も彼らが謀叛に関わったなんて言ってないけど。
◎『再教育する時間と余裕はあった』?
誰かも言ってるが君の『妄想』だよね。
そもそも再教育するならもっと前からしてるさ。
信康と奥平信昌の件は知ってるよな?これについて家康はおろか信長までが信康を注意したが、頑として言うことを聞かなかった。
信康はそういう性格。家康自身もお江与に信康は我儘だったと語っている。
再教育して変わる人間、変わらない人間がいるだろう。
496日本@名無史さん:2007/11/30(金) 15:55:54
>>487
> ○家康、徳川家が一度でも謀叛を企んだ家臣を放っておくほど甘いか?
> 後にどれほどの大名、家臣が改易されたよ。

三河一向一揆など、家康と敵対しておきながら再び帰参した例はいくつもありますが?
改易されまくったのは関ヶ原以降でしょ?それ以前に誰がどういう理由で改易されたか挙げてみて?
497日本@名無史さん:2007/11/30(金) 19:13:12
もう一度聞く。
通説の信長命令説でも「信康母子が武田氏に内通して謀反を
企んだ」ので信長が信康の死を命じたとしている。
ところが博クンは謀反などなかったと言う。
ではなぜ、信長は信康に死を命じたの?
その理由、嫌疑は?
博クンは「家康の意思」説を否定したいばっかりに
自分が主張する「信長命令説」をも否定してしまってる
んじゃないのかい?
498日本@名無史さん:2007/11/30(金) 19:23:40
○は自分こそ本能寺問題の専門家と自負してるらしいが、
まさに笑止。
そんなこと認めてる者は世界に1人もいない。
いるのなら連れてきなさい。
本能寺の変について考えたい人は桐野作人、谷口克広などの
著書を読んでいる。大庭某など話題にも上らない。
499日本@名無史さん:2007/11/30(金) 20:46:55
逆心の雑説が理解できず、また自分で史料に当たったり
引用もしない博クンのためにもう一度「安土日記」を
引用しよう。
「さるほどに、三州岡崎三郎殿(信康)、逆心の雑説申し候。
家康ならびに年寄衆、上様(信長)へ対しもつたいなく申し、
御心持ちしかるべからずの旨、異見候て、八月四日に三郎殿を
国端へ追い出し申し候」
信康が岡崎城から国端へ追い出されたとある。
さて、逆心が謀反でなければどうしてこんなことになったのかな?
納得いく説明を求める。
500日本@名無史さん:2007/11/30(金) 20:59:29
>>498にある桐野作人氏は近著「だれが信長を殺したのか」に
おいてこう述べている。
「立花京子氏が事実上撤退してから、同説(朝廷説)を
唱える研究者はいなくなった。(中略)同説が成立しない
ことを明らかにしておきたい」
以後、何故朝廷黒幕説が成立しないのかが述べられている。
博クンもこの本を読んで少しは勉強しなさい。
それで反論なりがあるならここですればいい。
そもそも博クンは鈴木・藤本両氏の本にも
「間違っている」と言うだけで何ら具体的な反論を
していない。
われわれに分かるように論理的に反論してみなさい。
501日本@名無史さん:2007/11/30(金) 21:10:00
その鈴木・藤本両氏の「信長は謀略で殺されたのか」には
こうある。
「朝廷黒幕説では、彼らと光秀が結託した理由にも満足な
説明がない」
さて博クン、君にその「満足な説明」をしてもらおう
じゃないか。
502日本@名無史さん:2007/11/30(金) 21:24:50
>>495の再教育して変わる人間、変わらない人間がいる
ってまさに○クンのことじゃないか。
人がああ言えばこう言う。
その言ってることが過去の自分の発言と矛盾していても
全然気にしない。
これがおかしいと指摘されたことでも平気で繰り返す
(慎重な家康とか)。
再教育の余地はまったくないな。
503日本@名無史さん:2007/11/30(金) 22:05:20
統合失調症の症状
「妄想」
現実的でない間違った考えを正しいと信じ込み、その確信が強い為に間違いを訂正する事が
出来ない症状
504本能寺の変、四百二十五年目の真相。の祖父:2007/11/30(金) 22:12:35
>さて博クン、君にその「満足な説明」をしてもらおうじゃないか。

是非、孫の本を買って読んでやってください。
505日本@名無史さん:2007/12/01(土) 00:08:34
しかし光秀=天海説、無茶な暗号を採る本は苦しすぎ…最後まで読んだ人の苦労が偲ばれる
506日本@名無史さん:2007/12/01(土) 01:03:57
○の書込み動機

@宣伝説…売残り本(80冊)の処理を図りたい
A病気説…統合失調症なので、書込みを執拗に繰り返す
B振込め詐欺説…2chウォッチャー向けに騙して金銭の振込みをさせようとしている
C自己顕示欲説…一度だけ自費出版したことを自慢したい
D総合説…@からCまでの全て

@BCの目的は全て尽く裏目に出てはいますが...
但し、Aの場合だけは病気なので、本人に他意はありません。
507日本@名無史さん:2007/12/01(土) 13:53:02
>>506
このスレは本能寺の変の真相より
○の書きこみ動機を論議した方がよさそうだな。
508日本@名無史さん:2007/12/01(土) 15:21:32
@宣伝説に1票! 
平日の午前中に定期的な書き込みをして最後に宣伝文句のコピぺをし続けているから。
509日本@名無史さん:2007/12/01(土) 20:44:17
しかし、桑田氏に関することで博クンは自分の矛盾に
まだ気付かないのだろうか?
氏の言うことが出鱈目だと言うのか?と人に詰めよっておいて、
自らは氏の本能寺の変怨恨説は間違いだと言う。
氏の言うことが出鱈目だと言ってるのは博クン自身ではないか。
もう一度言う。
桑田氏の言うことなら正しいと言うんなら、御託を並べてないで
朝廷説など捨てて氏の怨恨説に賛同しなさい。
510日本@名無史さん:2007/12/01(土) 20:55:24
>>487
あの信長も弟信勝(通称信行)の謀反の際、
林秀貞、柴田勝家など担いだ重臣を赦免してますが?
信勝自身は再度謀反を企んで殺されてるが。
信康事件でも核となる信康自身は処分しても、
担いだ家臣は赦免してもまったくおかしくない。
博クンは分かってないようだが信康は自刃に追いこまれても
担いだ家臣は赦免することは十分ありうる。
なぜなら信康さえ処分してしまえば担ぐべき者がいなくなる
からだ。そうすればクーデターなど起こしようがあるまい。

511日本@名無史さん:2007/12/01(土) 22:30:38
このところの流れを見ても、反対派がきちんと史料名を
挙げたり引用しているのに対し、○は感情的かつ反論にも
ならない反論を繰り返すばかり。
○よ、自分の説を裏付けたかったら史料名を挙げたり
引用してみたらどう?
それすらできない○には史学研究の資格なし。
第一、「信長記」と「信長公記」の区別もできない
ヘタレだもんな。
せいぜい妄想でもしてな。
512日本@名無史さん:2007/12/01(土) 22:40:46
以前にも指摘したことがあるが、「信長は謀略で殺されたのか」の
著者は鈴木眞哉・藤本正行両氏。
ところが○が挙げるのは藤本氏だけ。
この本を読めば分かるがこの本は章ごとに分担執筆したのでは
なく、2人の共同執筆となっている。
なのに鈴木氏を無視するのは氏に失礼ではないか。
こういう失礼なことを平気でする○の人間性を疑う。
513日本@名無史さん:2007/12/01(土) 22:42:18
>>510
◎多分それはそれで○は『林は後に追放された』とか言うんでしょう。
本多重次も大政所を粗略に扱ったという理由で追われているが。
514日本@名無史さん:2007/12/01(土) 23:10:27
博くんは家臣を赦免しない、後で信長が信勝の事言い出すと柴田が思った方が都合がいいんでしょうな。柴田が光秀の同盟とか言った手前
515日本@名無史さん:2007/12/02(日) 03:57:47
>>501
>その鈴木・藤本両氏の「信長は謀略で殺されたのか」には
 こうある。
 「朝廷黒幕説では、彼らと光秀が結託した理由にも満足な
 説明がない」

では、どのような説なら光秀の唐突な謀反に説得力を付けられるのか、説明して戴こうか。
それができずして、他人の説を否定する資格はあるまい。
516日本@名無史さん:2007/12/02(日) 04:41:53
>>515
>>500>>501が何にレスしたかを理解せずに書き込みするから
>では、どのような説なら光秀の唐突な謀反に説得力を付けられるのか、説明して戴こうか。
それができずして、他人の説を否定する資格はあるまい。

などと頓珍漢なコメントになる
517日本@名無史さん:2007/12/02(日) 05:20:49
>>516
結局本筋とは関係の無い無意味な散文で誤魔化すしか無いわけかい
文句があんなら、光秀謀反の理由を明確にしろや
中身の無い言葉の羅列などゴミ同然
518日本@名無史さん:2007/12/02(日) 06:02:20
>>517
その失礼な物言いは煽り? それとも何かの釣り?
519日本@名無史さん:2007/12/02(日) 06:37:34
>>518
詭弁の根拠:根拠を示さず脈絡の無い話をダラダラ続ける
520日本@名無史さん:2007/12/02(日) 06:58:24
>>500>>501
単に他人の表面的な動向を説明してるだけ。こんなのどーでもいい事。話の核心を故意に避け、自らの論拠の無さをはぐらかす姑息な手法には呆れ果てる。
521日本@名無史さん:2007/12/02(日) 07:10:35
>>519
脈略がなくダラダラしてたら『詭弁』とは言えないなww
522日本@名無史さん:2007/12/02(日) 07:42:50
>>521
脈略がなくダラダラしている『詭弁』以外の何者でもない
延々とこの手法を続けるしかない与太野郎
523日本@名無史さん:2007/12/02(日) 07:50:16
いいからWiKiで『詭弁』を読んでこい。話はそれからだ
524日本@名無史さん:2007/12/02(日) 08:11:49
結局、○博に付き合う奴も奴だよ。

一人の狂人を相手にしている時点で自分達も○だということを自覚すべし。
525日本@名無史さん:2007/12/02(日) 08:12:12
>>523
単なる引き伸ばし工作なのはミエミエ
見苦しいヤツだ
526日本@名無史さん:2007/12/02(日) 08:21:43
>>524>>525
それで何が言いたいの?
527日本@名無史さん:2007/12/02(日) 08:23:06
なんだ。詭弁の証明してくれるのを期待してたのに。
528日本@名無史さん:2007/12/02(日) 08:49:29
>>526
別スレ「本能寺の変は、あきらかに信長が悪い!」
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1150293134/201-300

ここでも同じような口調で、人の意見に突っかかって煽っている奴がいるね
同一人物かな?
529日本@名無史さん:2007/12/02(日) 08:50:05
>>527
話を全く違う方向に誘導して、論旨を曖昧にすることにより煙に巻こうとしている詭弁術師
相変わらず全く進歩していない阿呆
530日本@名無史さん:2007/12/02(日) 08:53:32
>>528
>ここでも同じような口調で、人の意見に突っかかって煽っている奴がいるね

突っかかられたのがお前ってか?
別スレで泣き言など言わずに有効な反論でもしたらどうだ
531日本@名無史さん:2007/12/02(日) 09:06:26
>>523
この文体、例の歴史歪曲に執心していたあのバカか。バカは死ななきゃ直らんな。
532日本@名無史さん:2007/12/02(日) 09:09:04
スレ主よ擁護する訳じゃないけどさ、
信長公記の異本や当代記の短い記述を持って
松平記、三河物語(このスレで否定したカキコもあったが、信長説だよ!)
創業記、実紀の事件を主題にした長い記述を全くの捏造だと言うのはいかがなものか。

また、大久保彦左や松平記等の編者が、何故、家康にとって不名誉な捏造をするのか、
しかもそれが偶然にも同じようなアウトラインになるのか、理由もよく分からん。
533日本@名無史さん:2007/12/02(日) 09:23:45
家康は、特に本能寺以降、基本的には戦において最強であるという所から
権力を掌握していった人物。
本人も野戦で勝てるものはいないと豪語している。

いわば、軍神という立場なんで、他家に脅されて、長男と正妻を殺した
なんて不名誉すぎるだろ。
この当時は、息子であれば、正当な理由があれば、殺しても非難されないだろ。
信玄にしても、息子を死に追いやった事は、結構スルーだが、
父親を追放した事は敵対勢力から、激しく非難されているわけだし。

534日本@名無史さん:2007/12/02(日) 09:30:56
>他家に脅されて、長男と正妻を殺したなんて不名誉すぎるだろ

信長に全責任をなすり付けて、自分は一方的な被害者だとする方が家康にとって都合がいいだろ。


>この当時は、息子であれば、正当な理由があれば、殺しても非難されないだろ

信康は信長の娘を娶っていたから、家康としても信長に無断で信康を処断するわけにもいかんだろ。

535日本@名無史さん:2007/12/02(日) 09:38:07
結局、特に戦後かなりの時間がたって、価値観が全く変わって
親が、自らの意志で子を殺すなんて、あってはならない、
人の所業ではない、という感じが無条件にするようになり、

そのような感覚、価値観を背景にして、”家康を美化するため、
家康の意志で殺したのではなくて、他家から脅迫された事にしたのだ”
という議論が出てきたような気がする。

当時の感覚では、他家から脅迫されて、自分の意志に反して息子、正妻を処分する事のほうが
謀反を企んだ正妻、息子を自分の意志で処分する事より遥かに不名誉な事だと思う。
536日本@名無史さん:2007/12/02(日) 09:44:20
>>534
>信長に全責任をなすり付けて、
>自分は一方的な被害者だとする方が家康にとって都合がいいだろ。

というのは現代的な感覚だと思うんだけどね。
被害者は絶対マイナスだと思う。

松平記なんかは慶長年間には間違いなく成立しているわけで、
他家の意向に従って、自分達を守ってくれない主君というのは
戦国時代では相当にマイナスの評価を受けると思うよ。
537日本@名無史さん:2007/12/02(日) 09:48:17
結局「好きにしろ」と曖昧でどうにも取れる返事をした信長が悪い
538日本@名無史さん:2007/12/02(日) 15:20:55
>>532
松平記、創業記考異の成立年代と信憑性確認してこい
実記なんぞ問題外だしな、つか松平記や創業記考異出しながら実記だすのはどういう了見だ?

当代記や家忠日記のが全然信憑性も取れるぞ

>三河物語(このスレで否定したカキコもあったが、信長説だよ!)
だから原文抜粋して、信長説なのを説明してくれよ
539日本@名無史さん:2007/12/02(日) 15:29:41
追加
>松平記なんかは慶長年間には間違いなく成立している
寛永期以降なんですが??????
もしかして明治時代の人ですか?明治には慶長時代編纂と思われていたから
540日本@名無史さん:2007/12/02(日) 21:18:15
つうか>>532の言う信長公記の異本や当代記の短い記述を持って松平記や三河物語などの記述を捏造だと言ってるのって誰のことだ?
大概の人はそれプラス家忠日記などに書かれている当時の徳川家の不穏な動きも挙げて家康上申の可能性を説明していると思うんだが。
541日本@名無史さん:2007/12/02(日) 22:03:14
スレ違いも甚だしいな。新しいスレを立ててそっちでやれよ。
ここは○博が独り妄想を語る場だ。
542日本@名無史さん:2007/12/02(日) 22:40:24
いいんでねの?元々カテ違いだし。〇の絶妙のボケが、いい論争を産んでる
543日本@名無史さん:2007/12/02(日) 23:15:06
だからこそトンチンカンな○博抜きでの議論を見たいんだけど。
544日本@名無史さん:2007/12/02(日) 23:20:37
>>536
家康が死後「神」とされたことを忘れてないか?
江戸時代、家康への批判はいっさい許されなかった。
そんな中、権現様が妻子殺しだと認めたらどうなる?
子を殺した親として、格好の批判のネタだぞ。
だから幕府の御用学者は家康の責任だと認めることなど
口が裂けても言えなかった。
545日本@名無史さん:2007/12/02(日) 23:39:08
付け加えると、あの神君が息子に謀反を起こされたというのも
誇れた話ではあるまい。
その程度の父親かということになる。
父子の争いが後世に伝えられるのは望ましいことではなかろう。
だから現に信長命令説では信康は家康への謀反など企んで
いなかったことになってる。
あと「徳川正史」の信憑性だ。神君を顕彰・美化し、
幕府の支配を正当化する、それが目的のものに
ありのままの真実が書かれてると思う?
その目的のためなら事実を曲げることも厭わないだろう。
546日本@名無史さん:2007/12/02(日) 23:54:40
信康事件以外にも、家康の事績や経歴とされるものには
幕府の御用学者が作ったと思われるウソが多い。
一例を挙げると、「三河物語」には家康主従が今川の
人質時代、大変な苦労をしたと書かれている。
だが実際は家康は人質というより、今川の一門に準じる
扱いをされ、厚遇されていたというのが最近の見方。
義元の姪を娶らせたのも、今川の一門扱いをしたもので、
こんな人質があるものではない。
それがなぜこういう書かれ方をしたかと言うと、後に
家康が今川を裏切ってその領土を奪ったから。
家康の正当化の一つ。こういう例もあるから、
信康事件も家康正当化のためにある筋書きが作られた
のではと推測できる。
547日本@名無史さん:2007/12/03(月) 00:08:48
>>540
史料上だけでなく、「信長の命令」説での疑問点がこのスレでも
いくつも挙げられてるからその説が疑われてるんだよな。
自分としては、次の2つを追加したい。
・信長はかつて、妹婿の浅井長政に裏切られている。嫡男を殺せなどと
家康に命令したなら、家康も同じように裏切ることを当然予想したはず。
だが当時信長は本願寺をはじめ、四方に敵を抱えていた。そんな時に
家康を敵に追いやるような愚かな真似をしたろうか?
・信長は武田信玄と対立した時、信玄がその子を殺したとして非難
している。そんな信長が家康に子を殺せなどと言うだろうか?
548日本@名無史さん:2007/12/03(月) 01:11:33
>>543->>547
真剣にお話ししたい方は別スレへどうぞ
「☆ 家康は信長をどう思っていたのか ☆ 」
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1126456699/
「家康の息子達 Part3」
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1128312186/
549日本@名無史さん:2007/12/03(月) 04:02:50
○博に餌をやるなってことだね。
550日本@名無史さん:2007/12/03(月) 05:51:13
>>538
まず、徳姫が信康に対する12か条の弾劾を酒井に託し、酒井が信長に会い、
その話し合い中で、信長が信康の処罰の断をくだした。という内容のことが
三河物語にかかれているのは、さすがに常識だと思う。

現在、手元に三河物語が見当たらない(岩波文庫版のは持っていたはずなのだが)
し、正直、基本的なことなので探す気にもなれない。

もし、ある種の嫌がらせや、手間をかけさせようとして書いているのではなく、
三河物語にそのような記述があるのか真に疑問に思っているのなら、
三河物語、信康切腹とかでググッて見てください。

常識的なことなので、いくらでも当方の記述の証拠を見出せるはずだよ。
551日本@名無史さん:2007/12/03(月) 06:15:30
あと史料の取り扱いに関してなのだけど、
松平記の成立年代に関し、寛永は定説に対する有力な新説だよね。
最近の本では、松平記に関し、慶長ごろ成立とか、17世紀前半成立とか、
ややぼかした書き方をする。(寛永と言い切るのはいかがなものか)

ただ1579年までの記述しかないので、記述内容はかなり早い段階で
書き残されていたものと考えられている。
552日本@名無史さん:2007/12/03(月) 06:56:10
で、当方の知る限りでは、信長説を否定する場合
信長公記の異本と当代記の記述によるのがほとんどと思う。

家忠日記には、直接親子の不仲を伝える記述は無いと思う。
信康切腹事件の起こる一年以上前に、岡崎在住の家臣を
呼び寄せる、国人の岡崎への出仕を控えさせるよう命じた記述があり
これをもって不仲の証拠とし、その不仲が信康切腹の原因としているのだが、

事件の起こる相当に前であること、この当時家康が活発な軍事活動を
行っていることを考えると、なんともいえない部分もある。

上記日記には信康追放の直前(2ヶ月ほど前か)に険悪な夫婦仲仲裁のため
家康が直接岡崎に出向いている記述もある

常識的に考えて、事件の起こる1年以上前に家康が戦力の集中を
図ろうとしたことを、親子関係がうまくいっていない証拠と
捕らえるのにもある種の論理の飛躍があると思し、
事件のわずか2ヶ月前に夫婦仲の破綻という信長説を補強する記述がある
のを無視するのもいかがなものか。
553日本@名無史さん:2007/12/03(月) 07:08:36
要するに、信長に媚びる親父への反発と夫婦間の問題で、信康は詰腹を切らされたんだろう。
554日本@名無史さん:2007/12/03(月) 07:15:44
あと、日本の歴史上、他人から脅迫されて、近親者を殺した経歴が
あるもので神認定されたのは家康位じゃないのか。

自分の意志で近親者を殺したのに神認定されてるのはいくらでもいるけど。

その辺は現代との感覚の違いだろう。
555日本@名無史さん:2007/12/03(月) 07:51:54
夫婦仲の事は事件とあんまり関係ない気がするが…
556本能寺の変、四百二十五年目の真相。の祖父:2007/12/03(月) 10:03:34
また今日も孫の博が夢で見たことを騙りますが、無視していただいて、皆さんで
意義ある議論をお続けください。

ただし、借金返済の為、孫の本は買ってください。




557本能寺の変、四百二十五年目の真相。の祖父:2007/12/03(月) 10:13:15
それと博、ジイちゃんが皆さんに本を買っていただけるようお願いしておいたから、
お前も皆さんのお言葉に耳を傾け、誠実にお答えしなさい。

嘘ばっかり言っていると、閻魔さまに舌を抜かれるよ。


齢九十九の祖父より。
558本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/03(月) 10:17:16
●●●●●●国家国民の諸氏よ、三河物語をみてくれ●●●
>>547>>550>>551>>552詭弁ぶりにはあきれる
「三河物語」
大久保彦左衛門が子孫のために書いたもので「門外不出」。
彦左衛門の見たもの、聞いたものをそのまま書いたもので、事件などへの不満、意見が、そのまま。
また自家などをエコヒイキしていないと、断言している。
門外不出だが、徳川幕府に不満など持つ武士、人々たちの間で写本として広まった。
さて、「徳川家康を神君とするために、息子、妻殺しの過去があってはまずい。
されゆえ正史は、全て信長の命令と偽造したと詭弁師は書く」
だが「三河物語」は信康への褒め言葉が残っている。信長の命令である。
で、内容は正史と一致する。
ところが神君にするために書くなら、おかしいのだ。

なぜなら三河物語は徳川家康の祖先が新田義貞の子孫ではなく、
旅回りの僧侶とはっきり彦左衛門の知る事実を書いているからだ。
「家康神君にするのが、正史、三河物語の偽造動機ではないだろうか?」
559本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/03(月) 10:32:43
>>550●●●●●●
いくら出鱈目を書いても三河物語が門外不出で、子孫の教訓のために書かれ、
大久保彦左衛門の不平不満がそのまま書かれているのをどうする?
●●●●●
「松平信康殺害事件への疑惑、家康が謀叛かとの猜疑心などから、
独断で殺したとするとおかしい点」

●正妻徳姫は信長の愛娘で、絶好の人質であるのに。
●信康はおとなしく軍から離れ、二俣城で監禁され、無力化した。
説得の時間、余裕はあった。
●信康謀叛の手紙、文書、じんぶれ書なし。
●築山殿殺害のあと、時間が、奇妙に半月ほど空いている。
謀叛蜂起があるかと、緊迫しているのに何故間延びしているのか。
●家康への謀叛を企んだほどの信康の家臣が、ひとりも切腹、取り潰しされてない。
のちに大名にまで出世した後見人が居る。
●秀忠は生まれたばかりで、後継ぎに不安があった。
にもかかわらず、家康は独断で喜んで信康を殺したと◎氏は書く。
●「信康は謀叛を企んだことがない」
「服部半蔵が涙で首を斬れなかった」
「万民皆泣く」「これほどの殿はいでがたし」と褒め言葉が残る。
なぜ、こんな逸話が残るのか?

「三河物語を無くしましました」
当然だよ。神君の祖先が新田義貞ではなく、
旅の僧侶とはっきり書いている資料だからな。
「全ては神君にするため正史は書いた」とする仮説が根本から崩壊する。
560日本@名無史さん:2007/12/03(月) 10:38:31
○よ、今日も日本語オカシイぞ

561本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/03(月) 10:44:12
●●●自分の説に都合のいい史料は紹介するが、都合の悪い史料、部分はカットする。
で、ただ議論に勝てばいいとする●●●

●●●「三河物語」●●●
いくら喚いても、大久保彦左衛門の「門外不出」「子孫の教訓のため」
本人のお上への不平不満がそのまま残る史料。
家康の側にいた生き証人の言葉。
そして、肝心なことは本人の意思ではなく、写本がいつの間にか出回ったことだろう。
その内容には「徳川家康を神君にする」には凄く都合の悪いことある。
結果、かなり一級資料として信用できる。これを無視する。

問「徳川家康を神君にするなら、新田義貞公の子孫と書くのが常識ではないのか?」


562日本@名無史さん:2007/12/03(月) 10:48:19
今更ウィキみたいな解説かい
563本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/03(月) 10:49:18
>>556>>557
「また別人に成りすまし、中傷誹謗をした」
警告2だな。
確かにしたぞ。博君に借金は全く無いからな。
このしつこさは、普通ではないな。

564本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/03(月) 11:09:16

○日本史二千年で、ただ一冊、、、
「聖戦、マハーカーラの女」博君著。

本能寺の変の真伝は、すでに一九九七年二月に出た。
その答えは「朝廷説」、
そして、明智光秀の軍事同盟者は
織田北陸方面軍司令官柴田勝家だった!!!


「あの巨大な安土城が一戦もせずに陥落、
蔵の財宝の全ても無傷で手に入る」
これが、ただの幸運といえるであろうか?


565日本@名無史さん:2007/12/03(月) 11:36:55
◎結局都合悪い質問は完全にスルーですね。
◎三河物語の信康についての記述
『これ程の殿は又出来難し』
更にその死について
『上下万民、声を引て悲しまざるはなし…』
彦左衛門はこのように優れた殿は二度とは現れないかもしれない、その死について涙を流さない者は無かったと信康を絶賛しているが、
ならば正史に書かれた信康の残虐行為の数々、あれは何なのでしょう?
残虐行為が実際に行われていれば彦左衛門が上のような賛辞を書くとは考えにくく、
残虐行為が嘘なら何故正史にはそのような記述がなされるのでしょうか?
566日本@名無史さん:2007/12/03(月) 11:53:20

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          上智大学   10   さすがは早慶上と並び評されるエリート校 
567日本@名無史さん:2007/12/03(月) 11:55:05
wikiの三河物語の頁より以下引用

三河物語(みかわものがたり)は大久保忠教(大久保彦左衛門)によって書かれ、
徳川氏と大久保氏の歴史と功績を交えて武士の生き方を子孫に残した家訓書である。
元和8年(1622)成立。三巻からなり、上巻と中巻では徳川の世になるまでの数々の戦の記録が、
下巻では太平の世となってからの忠教の経験談や考え方などが記されている。

本来「門外不出」とされ、公開するつもりもなく子孫だけに記されたため、逆に忠教の不満や意見など、思いがそのまま残されている。
忠教の思いとは裏腹に、幸か不幸か写本として出回り、人気になったと伝えられている。
もっとも、下巻の巻末には読み手に対して、「この本を皆が読まれた時、(私が)我が家のことのみを考えて、
依怙贔屓えこひいきを目的として書いたものだとは思わないで欲しい」といった趣旨の言葉が記されており、
門外不出と言いながらも読み手を意識しているという忠教の人間くささが現れている文章であるとも言える。

内容的には徳川びいきの記述が目立つものの、歴史的な事実が数多く記されており、史書としても高い価値をもっている。
また、珍しい仮名混じりの独特の表記・文体で記されており、この時代の口語体を現代に伝える貴重な資料でもある。
徳川家康の出自(新田義貞の子孫ではなく旅回りの勧進坊主の子孫であること)についても遠慮なく事実を記している。


>>558-559が、今朝慌てて調べたwikiの丸写しだということが明白。
出典を明確にせず、さも自分の知識のように語るのは明らかなパクリ。
よくこれで、他人の小説にパクリとかいちゃもんつけれるもんだw
一事が万事このとおり。大庭博は悪質な詐欺師にすぎません。
568日本@名無史さん:2007/12/03(月) 11:57:39
>>559
◎『徳姫は絶好の人質』?
それで?
◎『信康は大人しく二俣城に監禁され無力化、説得する機会はあった』?
説得って何?
やはり奥平信昌と信康の関係は知らないのかな?「再教育」の機会なら随分前からあったよ。
それとも「一度謀叛を企てた人間に翻意を促す」ってこと?
ちなみに信康はすぐ二俣城には行ってない。
◎『信康の謀叛の文書、じんぶれなし』?
無いね。あればとっくにこの真相は解明されてます。
何故家康は三河国衆に信康に従わないという起請文を書かせたのでしょう?
忠次を安土に行かせて話すという内容の堀秀政への書状…一体何を話させるつもりだったんでしょう?
569日本@名無史さん:2007/12/03(月) 12:03:41
>>558
>また自家などをエコヒイキしていないと、断言している。

本人の断言なんか、大庭博が自説を真実と勝手に断言するぐらい、
全くあてにならないものだがw
それを鵜呑みにして議論をすすめるなんて
君、そうとう頭弱いね。

>>561
●●●自分の説に都合のいい史料は紹介するが、都合の悪い史料、部分はカットする。
で、ただ議論に勝てばいいとする●●●

いや、そんな君自身の議論の方針を、今さら誇らしげに発表されてもねえ……
わざわざ言わなくても、もうみんな分かってるから。
570日本@名無史さん:2007/12/03(月) 12:15:47
>>559
◎『築山殺害後奇妙に半月空いている』?
何故でしょうかね?前に書いたように信康はすぐ二俣城に監禁された訳ではありません。
その間に信康に近づく者を見つけようとしたのかもしれないし、または「信康は救いたい」という家康の思いがあったのかもしれませんね。私の仮説ですよ。
◎『謀叛を企んだ信康の家臣が処分されない、大名にまで出世した』?
誰のこと?私は誰が信康に加担したと具体的に名前を出してはいないんですが…自分で事実を作り始めましたか?
ならば>>90の者たちの蟄居、出奔についていい加減答えてくれませんか?
571日本@名無史さん:2007/12/03(月) 12:29:42
>>559
◎『秀忠は幼少で跡継ぎとしては不安、なのに信康を殺したと◎は言う』?
それはあなたが
『信長は家康の忠誠心を試すため信康処刑を命じた。
信長が家康の身辺を調べあげ、秀忠がいる今なら家康は信康処刑を簡単に受け入れるだろうと踏んだから』
と言ったからです。
逆に伺いますが簡単に受け入れられる条件で忠誠の証を立てる意味があるんですか?
◎『服部半蔵が泣いた』『万民皆泣く』『これ程の殿はいでがたし』?
前に書いた通りです。正史にある残虐行為があったなら彦左衛門が賛辞を書く筈はない。でも正史には残虐だったと書いてある。どちらが正しいのでしょう?
572日本@名無史さん:2007/12/03(月) 12:36:31
>>535
不名誉なことだと考えていたのなら正史には
残さないんじゃないの?
家康の人質時代の処遇など、将軍家に都合の良い書き換えも
行われているんだし。
不名誉だというのなら「信長の命令」などとせず
信康は病死とでもしておけばよい。
それがそう記されてるってことは不名誉などとは思ってなかった
ということ。
それより信康を自らの意思で殺したとするより信長のいちゃもんの
ような強制で殺させられたとする方が家康、幕府にとって大事。
本来加害者の家康を被害者に、信長を加害者にできるのだから。
もう一つ重要なことは「信長の命令」説を採ってるものは
信長の在世中には一つもなく、すべて徳川の天下になってからの
書物だということだ。
これから言えることは・・・述べるまでもあるまい。
573日本@名無史さん:2007/12/03(月) 12:46:19
>>552
家忠日記の記載のうち故意に(?)無視してることがありますね。
家康は信康を岡崎城から追い出した後、起請文まで取って家臣たち
に信康と通信することを禁じている。そして自分の直属の兵で
岡崎城を固めている。
信康処断が信長の命令なら、ここまでする必要はないと思うんですがね。
家臣たちに信康と通信することを禁じるということは、彼らに不穏な
動きがあったからなのでは?
574日本@名無史さん:2007/12/03(月) 12:49:41
秀康や忠輝、築山…
家康は一度嫌ったらトコトンタイプだしな。修復は無理
575惟神塾へ最終章:2007/12/03(月) 12:53:34
 坂本竜馬は正神の使命を果たした
 坂本竜馬は薩長同盟と大政奉還の大業の使命を果し、メーソンと結託した土
佐藩によって暗殺された。竜馬の影武者役の勝海舟が鉄砲で撃った後、土佐藩
士らが斬殺した。日露戦争の最中、昭憲皇后の夢枕に白装束の竜馬が現れて、
日本海海戦で日本が勝利する事を告げたと言われる。竜馬は亡くなって、この
世の神となって正神の御用を務めたのである。 
 学の鼻高の鼻を折らねば神承知出来ん
 鶏の卵の黄身のとろとろの液体から、まさか鶏の体が出来るとは思うまい。
 遺伝子は身体の設計図であり、細胞分裂によって同じ細胞を作る為のもので
あるが、その器官を組み立てているのは神の働きである。なぜ細胞分裂した同
じ細胞が心臓となり、骨となるのか。その決定因子は遺伝子ではない。この事
は二つに細胞分裂した物を二つに切断しても2羽の鶏になる事から証明出来る。
 自然薯は固い赤土の中で大きくなる。芋は周りの赤土を押し退けて成長する
のではない。周りの赤土を体内に取り込んで変化させて芋の体にしているので
ある。だから水や土から虫が湧くのは何の不思議でもない。言霊が遺伝子とな
り、物に魂が宿ればそうなる。
 死骸を残さない物は烏だけではない。鼠も雀もその他野生動物も残さない。
でなかったら至る所骨の山となる。中国の仙人の遺骸をお棺に入れて置くと、
服だけ残してもぬけの殻になった事が文献に書かれている。
 人の身体は一つの細胞から細胞分裂して60兆個もの細胞から出来ている。
細胞は細胞分裂しながら老化して行く。しかし、女性の卵子細胞は生まれたて
のように若い。卵子細胞は細胞分裂して出来た物ではなく、新しく生まれた物
である。がん細胞も同様である。誰かが、がんは遺伝子の異常で細胞分裂を繰
り返すと反論していたが、遺伝子は設計図であり、成長した体には用済みで、
只新陳代謝時の細胞分裂に使われるのみである。老化した細胞にはそんな活力
はない。子供の成長が早いのは細胞に活力があるからで、老人のがんの進行が
遅いのは栄養補給が滞るからである。
576日本@名無史さん:2007/12/03(月) 12:59:43
これは既出だが天正7年8月8日に、家康は信長近習の堀秀政に
次のような書状を書いている。
「今度左衛門尉(酒井忠次)をもって申し上げ候処、
(中略)よって三郎不覚悟に付いて、去る4日岡崎を追い出し
申し候」
これは通説の、酒井が信長から五徳の書状を見せられ、それを
肯定してしまったというのとは明らかに反し、信康について
家康から信長に相談したことを示している(通説では家康から
酒井をもって何かを伝えたなどとはなっていない)。
これは「当代記」の記載とも合致し、同書の(その部分の)
信憑性を裏付けるものと言ってよい。
577日本@名無史さん:2007/12/03(月) 14:28:45
>>552
>>573ではないが、
三河国衆に岡崎詰めの役を課したのは信康。
そしてその役を解いて在所へ引きあげるよう命令を出したのが家康。
何か不穏な動きがあったと見ても不思議じゃないでしょ?
578日本@名無史さん:2007/12/03(月) 16:25:47
>>552
信康・五徳の夫婦仲に亀裂が入ったのは事実らしいけど、
それだけで信長が信康の死まで命じるかねえ?
信長が生涯で何万人も殺したからと言って飛躍しすぎでは。
信長は身内には甘い人間だと思う。弟の信勝は確かに殺してるが
その子の信澄は厚遇してるし。
信康が娘の夫に相応しくないというなら離縁という手もあるはず。
579日本@名無史さん:2007/12/03(月) 16:51:50
三河物語が一級史料とは初耳だ
580日本@名無史さん:2007/12/03(月) 18:27:50
独立前には今川氏に厚遇され、
そして武田氏に潰されずに済んだのは信長と手を
組んでいたおかげ。
その義元と信長を悪役にするとは徳川幕府の
歴史改ざんは許せないな。
581日本@名無史さん:2007/12/03(月) 19:19:08
博クン以外に通説の信長命令論者が現れたから
いくら言っても答えない博クンに代わって
「信長の命令とした時の不自然な点」について
答えてもらおう。
まず、・嫡男の殺害命令などを出せば家康の離反も
予想されるが、信長がそれへの備えをした形跡は
まったくない。これはなぜか?
に答えてもらおう。
ちなみに過去レスで既出だが疑問点は他にもいくつもある。
582日本@名無史さん:2007/12/03(月) 19:54:44
>>559
説得してもまったくムダな人間がいることは
博クン、君が自ら証明してしまっているじゃないか。
君のことだよ博クン。
583日本@名無史さん:2007/12/03(月) 20:54:23
>>552ほかは信康の死は謀反などではなく夫婦仲の悪化
(と信康の不行状?)と考えてるようだけど、
それだと母の築山殿まで殺された理由が分からないな。
よく言われるように武田氏に内通したとは限らずに、
母子共謀の謀反を企てたから築山殿も殺されたと
考えられるのでは?
584日本@名無史さん:2007/12/04(火) 00:20:36
三河物語は築山を悪く書いてないよね?内通の噂があれば書きそうだけどな。大久保が知らなかっただけかもしれないけど…
◎氏の言う御×××が「騒動の元凶は築山」と言い家康がそれを採ったのも有りそうな…
585日本@名無史さん:2007/12/04(火) 01:32:16
>564
>「あの巨大な安土城が一戦もせずに陥落、
>蔵の財宝の全ても無傷で手に入る」
>これが、ただの幸運といえるであろうか?

で? ちゃんと中身を書け。
586本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/04(火) 10:17:14
>>565>>567>>568->>584
●●●馬鹿馬鹿しい。もう「松平信康切腹事件」の「正解」は出ている●●●●
「三河物語」。大久保彦左衛門が「門外不出」とし「大事な子孫の教訓のために書き」
さらにはその意志とは関係なく出回ったということで、勝負はついてるだろ。
出回ったのは、面白いし、他の名家等の言い伝えと一致したからに違いない。
それ故、本物であると他の武士らの信頼を得たからだろう。
信康が惜しまれながらも殺されたというのが大体の真実なのだ。
エコヒイキしていないという言葉は、多くの子孫に対して書かれたものともとれるからな。
●「正史」の著述などは、家康が息子、正妻を信長の命令で殺した、という屈辱を
多少信康の行状が悪かったということで、やむをえないことでもあった、
と弁護したということだ。
多くの人が読むことを意識して書かれるからな。
587日本@名無史さん:2007/12/04(火) 10:27:49
>>585
「蔵の財宝」って...また○の妄想・出鱈目な物語り

588本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/04(火) 10:39:35
●●●●●●家康独断、猜疑心説は崩壊した●●●
人を詐欺師扱いする犯罪者、間違いなく名誉毀損に値する連中が、
ここには色々、書き込んでいるが、
「家康は、自分の息子信康、築山殿を謀叛をするのではないかとの
猜疑心から、独断で殺した」「信長は家康の言い分に同意したのみ」と書き、
さらには「信康が自分に取って代わるのではないかとの猜疑心から殺した」と主張している。
で、「正史」などの「信長の命令で信康をやむなく殺した」は、
家康を後世に神格化するために書き直されたものとする。
だが、だいたい正史と同じ内容であり、信康を褒め、惜しんでいる
「三河物語」は「門外不出の子孫のみを対象に書かれた記録である」
徳川家康の祖が新田義貞ではなく、旅回りの僧とも書いている。
神格化するのが目的なら、こんな事を書くわけがない。

したがって、「家康を神格化するために、信長の命令と記録を偽造した。
本当は家康の猜疑心、独断で殺した」なる説は根本から崩壊するわけである。
589日本@名無史さん:2007/12/04(火) 10:46:45
博先生を信用させる方法
小説、テレビのイメージと違う事を書く

文書に『極秘』『門外不出』『トップシークレット』どれかを添える

簡単でいいな〜
590本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/04(火) 10:47:55
●国家試験によく合格する大学●
だから?
そもそも国家試験などは全教科での平均的な学力が優先される訳だから、
そういうエリートというのは、一科目での徹底した専門家には不向き。
ここに私は早稲田教授、慶応の教授だが意見ありと匿名で書き込んでもいいのにな。

それとも此処で信康切腹事件で
意味不明のことをいろいろと書きこんで、まるで犯罪行為、アラシをしているのは
早稲田卒、慶応卒の人間なのか? で脅しているのか?
591日本@名無史さん:2007/12/04(火) 10:48:34
だって、1冊だけ自費出版したことのある三文小説家なんだものwww

592日本@名無史さん:2007/12/04(火) 11:01:48
どうでもよいコピペにだけ反応するところをみると
相当学歴コンプレックスがあるみたいだね
593本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/04(火) 11:02:06


○○○○本物の中の本物は揺るぎもしない。
日本史二千年で、ただ一冊、、、

「聖戦、マハーカーラの女」博君著。

天正十年[西暦一五八二]六月二日、皇統譜最大の聖戦は行われた。
そして、それは戦国史最大の暗号「本能寺・コード」を産んだ。

絶対権力者も予想もつかぬ手段、品物で、、、
歴史の真相は残される。

本物の国家の真実、、、、巨大なる至宝、、、

ここには早稲田、慶応、中央、東大などを出ていながら、
本物の中の本物も解らない人間が書き込んでいるらしい。
あるいは犯罪か、パクリによる金儲けを企んでいるのかも?
いったい何のために分厚い書物を読み、学問を励んできたのやら?
594日本@名無史さん:2007/12/04(火) 11:05:58
>>586
◎『正解は出ている』?
また言い切ってしまったな。
正解はまだ出ていない。どちらにも根拠となるものが未だ出ていないからだ。
君は『正解だ』と言い切った。従ってその根拠を公にする義務がある。
それが出せなければどうなるか…わかっているんだろうな?
595本能寺の変、四百二十五年目の真相。の祖父:2007/12/04(火) 11:10:09
すいません、また今日も孫の博がご迷惑をお掛けいたしております。

本を買ってやってください。
最近、再び孫の情緒が不安定になりつつあり、私への暴○が・・・・・・・
596日本@名無史さん:2007/12/04(火) 11:15:59
ところで、「京都秘密文書」はどこ消えた??

597本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/04(火) 11:25:30


「国家の真実は唯一無二、、、、世に二番目の真実というものはない」

だが第二の証明はある。
「京都秘密文書」、、、

「梅紋の前田利家」、、、、
なぜ彼はさしたる武功も無いのに、
豊臣秀吉の信頼を得、後に百万石の大名になったのか?
598本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/04(火) 11:28:33
>>595
あんた本当に警察に連絡するぞ、
いってることは出鱈目ばかりだからな。
実際、借金、祖父への暴力行為などはない。

ここに住所、本名、電話番号を書け!!!!
599日本@名無史さん:2007/12/04(火) 11:31:37
◎結局○は毎日同じことをただひたすら書き続け、>>90にある者たちの蟄居、出奔の理由は?という質問すらも答えることは出来なかった。
◎『マハーカーラの女』なる本に書いた内容を真実のものとしたいが為に、
専門家ではなく特によく内容はわからない分際で『信康切腹は信長の命令だ』と言い切る。
◎しかし確固たる根拠が無いため時間が経って自分の主張を突っ込まれると以前とは全く違う主張をし出してしまう。
◎そして史料も一切読んでないので、その一文を挙げての都合悪い反論については答えることが出来ず無視をする。
◎挙げ句、自分のそういう姿勢は棚に挙げて他人を犯罪者呼ばわりする。盗人猛々しいとはこのことだ。
○よ、君が出るべき所へ出て自分の説を主張しない理由がよく分かったよ。
君は『お山の大将』そのもの。『井の中の蛙、大海を知ろうとせず』だな。
◎おそらく2chで書き続けるのは偉い学者の目に触れないからなのだろう。
だかそろそろ度を越えつつある。万が一それらの人々の目に触れれば『京都秘密文書』を公開せざるを得なくなるんだぞ。
その時こそ本当の破滅だな。
600日本@名無史さん:2007/12/04(火) 11:50:59
上げてしまった…申し訳ない。
>>588
◎『家康の猜疑心説は崩壊した』?
私の『仮説』のことを言っているんだろ?初めからフィクションだと断りを入れておいた架空のストーリーだ。
崩壊しようもないんだが…何をそんなにムキになって噛みついてくる?自分より素敵なストーリーに仕立て上げられたものだから悔しいのか?
601日本@名無史さん:2007/12/04(火) 12:10:11
>>598
「本能寺の変、四百二十五年目の真相。の祖父」って警察にどう説明するやら
バカ丸出し


福岡県▽□市出鱈目町字妄想1−8−3
○庭 博 49歳
602日本@名無史さん:2007/12/04(火) 12:58:06
>>597
「梅紋の筒井順慶」、、、、
なぜ彼はさしたる武功も無いのに、
織田信長の信頼を得、後に大和の大名になったのか?

何とでもいえるね

○はいつも孫引きだから、前田氏が菅原姓とも平姓とも称していたことも
きっと知らないんだろうなあ
603日本@名無史さん:2007/12/04(火) 15:35:22
>>599
議論に勝ったわけでもないのに勝手に勝利宣言。
博クンらしいじゃないか。
もうこんなキ○ガイの相手は止めよう。
604日本@名無史さん:2007/12/04(火) 16:02:37
営利を目的とした嘘なら摘発の対象になるんじゃないか?
605日本@名無史さん:2007/12/05(水) 06:55:16
オカルトの大槻教授と韮沢氏みたいだよな。大槻教授は楽しんでるみたいだけどw

韮沢「〇〇学会の発表」「〇〇の極秘文書」
大槻「その学会は誰が作ったの?」「出回ってるのに極秘?」「何で〇〇学会はネイチャーに発表しない?」

…みたいな論争を10年以上やってるww

606日本@名無史さん:2007/12/05(水) 07:11:02
韮澤さんのたま出版ではノンフィクション分野での原稿は求めていますが、
与太話満載の三文小説はいらないようですwww
607本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/05(水) 10:22:48
>>599>>600●●●勘違いするなよ、君の「松平信康を家康が信長の命令ではなく、別の理由で殺した説」、は
学界の常識に対抗する面白い説だよ。
決定的な根拠、証拠品があれば徹底してやればいい。
しかし、ここは「本能寺の変・その動機、黒幕はいたのか」スレッドだからな。
それに、信康問題の専門家でない私にどうこう言われても困るだけだ。
きちんと「松平信康、惨殺事件の真相」とスレッドたてて議論しろ
といってるだけだ。


●●●「京都秘密文書」●●●
なんで私が今さら世間様に嘘を言わねばならないんだ?
世に間違いなく実在する。
しかも内容は「朝廷説」「聖戦」で。

●●●きちんと本物を本物と認識できない人間の学識なんて、、、●●●、
そのうちそんな人間の居る店には誰も行かなくなるだろう、、、
巨大ダイヤの偽物を本物、本物を偽物と断定されては、
かなわないからな。
608本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/05(水) 10:39:47

>>602>>603●筒井順慶は「梅紋」ではなく「剣梅鉢」か何かのはずですが?
なんにせよ、本能寺の変の後、すぐ病死してるな。

●新皇と豪語した平将門は、「火雷天神」の旗を使い、
自らを菅原道真公の生まれ変わりとした、
などの伝承があった、、、。
伝承ですが。「著書はあり」、、


○勿論、菅原道真公は、やさしく、高徳な方で、学問の神。
政変の犠牲者で、何の罪も無いから、誤解しないように。



609日本@名無史さん:2007/12/05(水) 10:41:23
>>607
◎『別のスレを立てればいい』?
君は>>7で『本能寺の変の枝葉』としているが?
わざわざ君の方から絡んでるじゃないか?
つまり君はどんなことであろうと『自分が正しい』で終わらないと気が済まないんだろ?
610日本@名無史さん:2007/12/05(水) 10:44:20
>>607
◎『学会の常識』?
なかなか非常識だね。『信康切腹=信長の命令』は今や定説ではない。
君はそうでないと都合が悪いから常識だとしてしまっているだけ。
611日本@名無史さん:2007/12/05(水) 10:46:19
>>607,608
で、やっぱり都合が悪い質問はスルーしますか?
>>90の者たちは何故蟄居、出奔したと思う?
612日本@名無史さん:2007/12/05(水) 11:08:25
>>610
最近の本などまったく読まない博クンだから無理もないよ。
普通なら谷口克広、桐野作人などの本を読んでるものだが
(ちなみに両氏とも家康主導説を取ってる)。
だから20年も前に亡くなった桑田忠親氏などを持ち出して
自説の補強にするなどという考えられないことをするのさ。
613日本@名無史さん:2007/12/05(水) 11:33:13
>>608
>勿論、菅原道真公は、やさしく、高徳な方で、学問の神。

出典はどこの小説かね?
614日本@名無史さん:2007/12/05(水) 11:42:04
◎また逃げられたかな…
>>612
◎だがその桑田氏は本能寺の変は『怨恨説』だそうで…何なんでしょうかね○は…。
615日本@名無史さん:2007/12/05(水) 16:21:21
>>614
大庭博先生は>>561で自らのことを

●●●自分の説に都合のいい史料は紹介するが、都合の悪い史料、部分はカットする。
で、ただ議論に勝てばいいとする●●●

と誇らしげに語っておられるよw

要は、自分の読んだ数少ない本の中から、
都合のいい話だけをつぎはぎして組み立てただけ。
目に付いた枝葉だけを拾ってるにすぎないから、
全体は全く把握できておらず、まともな知識がある人から見れば
ちぐはぐで、矛盾だらけ。
本人だけはそれに気づかず、歴史の真実を見つけたなどと自己陶酔してるから
他人から見れば滑稽でしかない。

まあ、中学、高校生あたりの歴史オタが陥りがちな、
それほど珍しくない症状だが、
これが四十代のいい年したおっさんというのが、なんとも情けない話だが。
しかも、自分の意見が認められないのが、何らかの国家レベルの陰謀
などという妄想が付随してるから、もう手のつけようがない。
616本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/06(木) 10:28:55
>>615●●●馬鹿馬鹿しい。
この世で最も真実に近い書物を捨てて何を得るつもりなのか?
出鱈目を書いても、いずれ論理の綻び、矛盾が出て、突き崩され、
恥を掻くだけ。

君は「妙なスバイ工作員じゃないだろうな?」
●国家鎮護の守護神とされる太元帥明王を破壊するような本を、わざわざ出す。
●「大場和男・オオバカズオ」[アダナ大馬鹿]というようなキャラをわざわざ出す。
「大和」を二つに割る。
●NHKの大河「新撰組」で、鳥羽伏見の戦いのとき、朝廷の錦旗を新撰組に踏んづけさせる。

○よほど、日本の国家守護神、天照大御神、太元帥明王に箔がつくのが嫌と見える。
しかし、「真実は周囲が隠そうと沈黙しても、一人で来る」オイディプス王、の言葉道理だな。
明かされた歴史の真実は、日本が「神の国」であり、
昔の人々が神をいかに恐れ、敬っていたかを示している。

617日本@名無史さん:2007/12/06(木) 11:31:10
あ〜なるほど。博君がどうしても朝廷黒幕にこだわる理由。
何が何でも朝廷が聖戦を起こした、としたいんだな
博君が朝廷を崇め奉ってるのは解った



でも逆効果w
618日本@名無史さん:2007/12/06(木) 14:22:56
>>616
◎どうした?昨日今日とレスが少ないな?
619日本@名無史さん:2007/12/06(木) 16:03:22
で、結局信康切腹について一切触れなくなったってことは○はもう手詰まり、という訳で○のいう「天海=光秀説」の根拠がひとつ崩されたのでした。
620日本@名無史さん:2007/12/06(木) 18:10:45
学会といいながら桑田を出すのもなんだかと思うけど
(現在では童門のような立ち位置の人だから)
谷口克広、桐野作人のような、教育機関や研究機関に属していない
在野の歴史作家、研究家を出すのは。。。

両人とも学会とは無縁の人間だろ。
621日本@名無史さん:2007/12/06(木) 18:44:30
>>620
お前さんは、大学教授にあらざれば研究者にあらず、とか思ってる
大学研究者至上主義者か?
肩書きへのこだわりは大庭博に近いものがあるなw

桑田が一般書を沢山書いてることで、童門レベルと同列に扱うのも失礼すぎ。

ではお前が本能寺の変に関する学会の動向を語ってくれ。
622日本@名無史さん:2007/12/06(木) 23:37:06
出鱈目を書いても、論理の綻び、矛盾を突き崩されても、
『聖戦 マハーカーラの女』はフィクションなので、
あまり恥を掻かないシステムとなっています。
623日本@名無史さん:2007/12/06(木) 23:43:19
>616
>●「大場和男・オオバカズオ」[アダナ大馬鹿]というようなキャラをわざわざ出す。
>「大和」を二つに割る。
>●NHKの大河「新撰組」で、鳥羽伏見の戦いのとき、朝廷の錦旗を新撰組に踏んづけさせる。

テレビ局へ文句を言え。以上。
624日本@名無史さん:2007/12/07(金) 09:06:47
近江、丹波という京都周辺の美味しい土地を万を越える石高で抑えてれば
信長を討っても独力で立てると考えたっておかしくないんじゃ?
黒幕なんかいなかった、光秀が1人で考えたって方のが真相のような気がしてならん

信長の人望が意外に高く以降の戦で明智軍兵士の士気ガタガタになって敗死したから
明智には別の勝算があったって事で黒幕説を皆採りたがるけども
625本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/07(金) 10:20:25
>>617
○しかし、明かされた歴史の真実は「聖戦」を意味している。
拝金主義や、合理主義のみが歴史を動かすものではないのだ。

○朝廷を崇め奉るとか言われると、まるで私が軍国主義者みたいじゃないか。
あくまで民主主義を基盤とした意見だからな。

○いずれにせよ、国家守護神たる天照大御神、
元寇を撃退したという太元帥明王の箔は、日本国民全員の箔。

626日本@名無史さん:2007/12/07(金) 10:28:19
そもそも本能寺の変に限らず、日本の歴史の出来事で「聖戦」という
ものがあったとはいえない。あるなら○はその証明もすべき。

また、本能寺の変における○の解釈は尽く論破されているので全く
成立しないということを認識すべき。
627本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/07(金) 10:47:18
>>624●本能寺の変が単独犯では無理とする要点は、
幾つかとっくに述べられているな。

●まず大阪の四国渡海軍二万五千を無視して、すぐに安土城攻撃に向かっていること。
もし安土城攻撃に手間取ったら、大阪から京都まですぐに織田の大軍が来て、
背後を突かれる危険があった。
しかし、大阪ではパニックが起こって、軍は四散し、無力化した。
安土城は無血開城した。

●明智軍の兵の士気が沮喪したなら、
天王山決戦までついていくはずが無い。
逃亡、四散の機会はいくらもあった。


628日本@名無史さん:2007/12/07(金) 11:05:05
>>625
>拝金主義や、合理主義のみが歴史を動かすものではないのだ。
博君が資本主義経済の世界から脱落し、合理主義からのリストラをくらい
そうしたものを怨んでることはよくわかった。

>朝廷を崇め奉るとか言われると、まるで私が軍国主義者みたいじゃないか。
天皇への尊崇=軍国主義
さすが無学な博くんの短絡的発想w
お前が一番天皇を馬鹿にしてる気がする。

>元寇を撃退したという太元帥明王の箔は、日本国民全員の箔。
実際に元軍と戦った日本の武士や、元軍の実態とかは完全無視で
全て太元帥明王のおかげですか。素晴らしい歴史観ですね。
道理で本能寺の変も、ろくに勉強せずに、
「聖戦」なんて言葉で片付けようとするわけだ。
629日本@名無史さん:2007/12/07(金) 11:09:06
どうやら博くんは、歴史についての考察や議論がしたいわけじゃなく
自分の思想を世に広めたいというのが主眼のようだね。
以前博くんとオカルト論者の見事な共通点を指摘したが、
どうやらそれは間違いなかったようだ。
630惟神塾へ最終章:2007/12/07(金) 13:38:20
 龍馬暗殺の犯人は見廻組が有力視されているが、幾つかの矛盾点がある。
  1 現場に残された遺留の刀の鞘が新撰組の原田の物と疑われた。犯人が証拠
 となる物を残す筈がない。遺留品(刀と下駄)から新撰組の仕業に見せよう
 とした意図が見える。
  2 倒幕の首魁である龍馬殺害は見廻組にとって手柄になる事なのに、なぜす
 ぐに名乗らなかったのか。
  3 殺害した者達は鳥羽伏見戦で死亡している。今井信郎は真犯人の身代わり
 として自供した可能性が高い。
  4 龍馬は殺害される10日前に酢屋から近江屋に移っている。このことを知る
 者は土佐藩以外は考えられない。
  以上のことから見廻組が犯人である訳がない。
  犯行現場にあったとされる一折の屏風と掛け軸の血痕は飛び散ったものにし
 ては流動性がない。峰吉の話から屏風は二折であり、血痕のない、瓜二つの
 掛け軸(淡海槐堂作)が発見された。このことから殺害方法を斬殺に見せる
 ため偽装したと思われる。龍馬は北辰一刀流の剣豪で斬殺することは難しい。
 殺気を感知して逃亡してしまうのである。龍馬はピストルで致命傷を受けた
 後斬殺されたのである。
  龍馬を銃撃したのは勝海舟
  写真の龍馬(龍馬殺害後海舟が龍馬に化けた)が右手を懐に入れているのは
 ピストルを握っているからであり、龍馬をピストルを懐手にして殺害した事
 の誇示である。剣を究めた者はピストルなど持たない。右の腰に呼び笛を下
 げているには、失敗した時の応援要請の為である。
  岩倉具視は新政府にとって邪魔となる龍馬を暗殺しなければならなかった。
 巷に広まった竜馬の写真は偽物(お尋ね者が家紋入りの着物を着ない)で本物は
維新の英雄の集合写真に写っている。この写真は明治天皇に化けた大室寅之祐が
写っている為に闇に葬られた。海援隊の題が付いた写真は菅野覚兵衛以外は土佐
藩士である。同じ演台の横で後藤象二郎が写っている。これらの写真は竜馬暗殺
後に写した物である。勝海舟とされる人物の着物の家紋が白く塗りつぶされてい
る(別人)。福井で見つかった竜馬の写真に竜馬愛用の刀・吉行(柄が黒)が写って
いない。柄が白で羽織の留め紐が白で集合写真のと類似している。
631日本@名無史さん:2007/12/07(金) 14:06:51
>>630
その写真をupして下さい。
632日本@名無史さん:2007/12/08(土) 01:07:25
見回り組と新撰組の共通点は幕府の犬。ただ幕府より殺したがってた藩があった
紀州藩だよ。海難訴訟で龍馬に負けそうで殺すとかまじでいってた。龍馬暗殺後に
土佐藩と新撰組で殺し合いしてるが、その理由は首謀者とされた紀州藩の要人を
新撰組が金もらって護衛してたってくだらねぇ顛末さ。 
陰謀とか新撰組全体でこんな事ができっこないのは、後の鳥羽伏見の失敗を見ても明らか。
因みに、調練はしてるんだが。 運用能力がないのは明白だろ。
ちっとは頭使え。 原田は金もらって邪魔な人間を殺しただけ。見廻組は証拠をのこしてないが
鞘とかけっこううかつにものこしてる。

>鳥羽伏見戦で死亡している。
真犯人の真偽をどう確かめる?
「情報屋はアンテナを張り巡らせて、なんでもお見通し。」なんてのは、小説家
 のフィクション。
 実際の「情報屋」は、「この情報とあの情報のどちらが真実なのか、私では判断
 できない。裏を取ってる間に時間切れ。判断は上司や顧客任せ。」てのが実態。
お前さ、情報を受けて判断を下すのは、用心深い龍馬だっていう論点を忘れてんじゃねーぞ。
土佐藩だって知らないのを知らんのか。
どこの誰だか判らん「情報屋」に関する一般論の寝言ほざくな。

結論。お前の大衆小説レベル以下の知識は「日本史」版レベルにはほど遠い。
頭悪すぎ。幼稚園から出直せ。
633日本@名無史さん:2007/12/08(土) 01:07:57
       /.:.:.:.:.:.:;.:.:.;.:.:.:i.:,へ:.:.、:.、:.:.:.:゙,
     /.:.:.:.:.;.:.:.!:.:.|:.:l.:|.:{ l:ト;⊥_!:.i:.:.:i
.    l.:.:!.:.:.:l.:.:|!:,ィチ厂i| |l | 」_「ハ:.:.l        おじちゃんたち寝なくていいの?
     !.:|.:/.:.{:l.:lヘ |!- ミヽ  1::d〉ヽ:.ト
     l.:!/:.:.;;}:l:.:lYち::::!   ,`´,, レ⌒ヽ  , - 、
    >'ヌヽf ハ:.lヽ `゙´  _.. -    i   ! /   i
    Yl::|Yヽ、キi:l  '''  l  |   イ:! |l/ /  ノ
     ノ|::| !N:.:.:.:.:>-_ ._ゝ-_ イl|::」 | |! レ/
    `l:::´j:.|z<リ〈rー―tコ' ̄ 〉‐y´    `ヽ
     'yVノ_゙ゞッ.ヽ, /Fiヽ、人l  ’    ・ }
       }  `ヽキ Y゙イ |~i,_..ィ゙ ヽ、 x _ _.ノ
       〉   ゝメーイ卅 }  , '7` ー 'ェ ヽ
       l   _\ `゙ッ゙´  /./    |三〉
ノ⌒ー-ァyヽj  ´   ̄ ヽ、_ , ュ/ .    !  l
‐  ー F  =\         ツ} 彡    !  j、

634日本@名無史さん:2007/12/08(土) 01:16:46
土日を休めるのは勝ち組の特権
635日本@名無史さん:2007/12/08(土) 05:38:16
本能寺の変の真相や松平信康の件は未だ決定的な証拠もなく様々な議論が繰り返されている。
にもかかわらず○は『真相は解明された、間違いない』と豪語する。であるならばその根拠、証拠を世に披露すべき。
そうしなければそれらの真相の解明に尽力されている研究者の方々に大変失礼だ。
しかも信康の件については『専門ではない』と言いながらろくに史料も読まず『信長の命令で間違いない』と言い切ってしまう。専門に研究している学者に謝罪すべきだな。
636日本@名無史さん:2007/12/08(土) 07:56:14
某国立大史学科に在籍していた俺が真面目に答えるが
@本能寺の変は明智の単独犯、野望か怨恨かはどちらでもok
A築山、信康殺害は、織田の叱責より始まるゴタゴタ

で殆ど解決済み。
専門に研究している学者なんていないと言ってもいいはず。
中世土地制度史なんて腐るほどいるけどね。
まあ、民間や商業ベースの研究者、作家ではhotな話題かもしれんが。

何故かと言うと、史料の部分部分から大胆な推論を重ねられる人でないと
@Aとも(特にAは)定説に反論する史料がない状態になるんだよ。

また、薄い裏付け(史料)で、そういう大胆な推論(飛躍)を展開する人を
アカデミズムは相手にしないし。(所謂、情念の論文という扱い)

(個人的には万葉集は韓国語で読めるとかは、まあ面白かったとは思うけど、
NHKが上記主張に沿った特番(NHKスペシャル)を流していた当時から、
学問的には全く相手にされてなかった。)
637日本@名無史さん:2007/12/08(土) 08:07:08
>>636
>万葉集は韓国語で読める
最初から電波扱いではなかったのか・・・・orz
現代韓国語で読めると言われても、即座にツッコミが入るのかと思っていた。
638日本@名無史さん:2007/12/08(土) 11:22:12
人麻呂の暗号か
639日本@名無史さん:2007/12/08(土) 12:47:35
 ':,      ',   _____,,.. -‐ ''"´ ̄ ̄`"'' ー 、.,          /
  ':,    ',   >' ´             `ヽ.       /  し バ
   ':,     /                    ヽ.     ,'   な カ
    ':,   ,:' /   /   ,'´        ヽ.     ':,/Ti  i.   い に
. \    ,' /   /  ,'  !      ;   ',  ヽ__ /::::| | |   で 
   \  / ,'   ,'!  /!  !   ;  /!   i  「:::|'´::::::::| | .!.   く
     ∠__,!   / !メ、」_,,./|   /! / !   ハ! |__」<:::::」」 |.   れ
`"''  、..,,_  !  / ,ァ7´, `iヽ| / |ヽ、」ニイ、 |  ! |^ヽ、」」  |.   る
       i,/レイ i┘ i. レ'   'ア´!_」 ハヽ|   |   | ∠   ! ?
─--     /   !  ゝ- '       !    ! !   |   |  `ヽ.
      /   7/l/l/   、     `'ー‐ '_ノ!   |  i  |    ` ' ー---
,. -──-'、  ,人    `i`ァー-- 、  /l/l/l |    !. |  |
       ヽ.ソ  `: 、.   レ'    ',   u ,/|    |  !  |
 そ  知  i  /ーナ= 、 '、    ノ  ,.イ,カ    !  |  |
 の   っ  .|ヘ./|/レへ`>-r  =ニi´、.,_ |  i  ハ  ! ,'
 く   て   !     _,.イ´ヽ.7   /  /:::| /レ'  レ'レ'
 ら  る   |   /7:::::!  ○O'´  /::::::レ'ヽ.     
640日本@名無史さん:2007/12/08(土) 20:22:12
光の戦士ポアトリン柴田ウィンハウス
641本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/10(月) 10:22:58
>>636●●●相変わらず千年遅れたことを言っているな●●●
本能寺の変、光秀単独犯、怨恨説、野望説は
大体、次の三つを要諦としている。

●変後の明智光秀にこれといった味方が出なかった。
●何よりも、細川藤孝[幽斎]に対して宛てた援軍要請の手紙に、思いつきとある。
●あっさりと秀吉に天王山で大敗したのは、変後の明確な戦略などが全くなかったから。
だが、ちょっと待ってもらいたい。羽柴秀吉の急速な中国からの帰還という誤算を除けば、
殆ど変後の処置は完璧に近かったのではないだろうか?

例えば、信長を殺しても既にあとを継いだ信忠がいた。
彼は武田攻めの総大将など務め、大器とも言われていた。が、信長と同時に葬られたのである。
また、京都に信忠の馬廻り二千人、安土に信長の馬廻り五千と守備兵、大坂に四国渡海軍二万五千人が存在したが、
これらは、変と同時に攻撃、パニックで無力化し、すぐに安土城は無血開城した。

事件前に、光秀はパニックで大軍が四散すると予想できたであろうか?


642本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/10(月) 10:39:57
>>636疑惑は他にもある。
●知識人とされる明智光秀は信長に感謝していたのに、なぜ、突如無謀とされる変を起こしたのか?
また部下、兵はなぜそれを止めず、天王山まで付いて行ったのか?
●なぜ、京都なのか? 当時は町境に盗賊よけの木戸などがあり、現在のようにすどうしではなかった。
また信長、信忠のような要人が市中に泊まる時は、いつもより厳重に警備がなされるのではないのか?
そして、市内には信忠の馬廻り二千人も宿泊していたのに、全く大軍の通行が気づかれていない。
●信長、信忠はなぜあの時点で京都にいたのか? 
中国出陣前の忙しいとき、しかも信長は自慢の茶の名器を数十種も持って行った。
さらに六月一日、内裏を空にするほどの高位の貴族が本能寺を訪れている理由は?

●なぜ、光秀は天王山で秀吉と戦ったのか?
優勢な敵を前にして平地決戦は敗れると後がない状態になる。
なぜ、亀山や坂本での篭城戦、京都での市街戦を行っていないのか?
いかに大軍といえど、市街戦は火責めなどされると容易には勝てないのだ。

●信忠の馬廻り二千人全滅、安土城の五千人四散、無血開城、
大坂四国渡海軍二万五千無力化[一説には一万五千]美濃、甲斐内乱状態、
滝川一益無力化。付け加えれば織田同盟者徳川家康も旅中ですぐに動けない、
偶然というには、あまりに光秀に都合のいい展開ではないか?
643本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/10(月) 11:07:06
>>636●●●いや、そもそも光秀は変後どうするつもりだったというのか?●●●

変前に敵に内乱、パニックが起こるなど全く予想は出来まい?
起こるかどうか解らぬものを当てにして、一生、一族を懸ける謀叛を起こすというのか?
秀吉は織田軍は十五万人を動員できると相手を脅したという。[大雑把によく言われる当時の征服地の石高五百五十万石、
一万石二百五十人とすると大体それくらいになると思われる。別説には八百万石とするものもあるが]
少なくとも光秀は、自軍の数倍となる遺臣団の大軍が敵討と京都に押し寄せることくらい
予想はついただろう。これをどうするつもりだったというのか?
多くの学者、研究家、小説家で、この疑問にまともに答えられたものはいない。

この大きな疑惑に対し、黒幕として朝廷説、或いは貴族説を取る人もいた。
だが、それならば、なぜ綸旨が、勅命が「光秀の味方をせよ」
と出されていないのか? はっきりした支援の動きが出ていないのか?
この反論に答えることができなかったのである。

しかし、一九九七年二月に出た一冊の書物「聖戦、マハーカーラの女」が、
はっきりと四百年前の本能寺の変を解明したのである。
その答えは朝廷説であり、明智光秀の軍事同盟者は織田北陸方面軍司令官柴田勝家であったと。
これにより、明智光秀は安土城を陥落させた後、京都方面を固め、ただ待てばよかったのである。
そして、朝廷もまた形勢がはっきりするまで慌てて綸旨など出す必要はなかったのだ。

さらに光秀が京都市街戦、篭城策をとらなかった理由も明確になったと思う。
光秀は京都を放棄できなかったのである。



644本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/10(月) 11:18:17
>>636●●●そもそも光秀は信長の敵討と京都に押し寄せる織田遺臣団の
十数万の大軍をどうするつもりだったのか?
この疑問に答えられた学者、研究家、小説家は一人も居ない。

ただ一九九七年二月に出た一冊の書物「聖戦、マハーカーラの女」
が答えたのみである。
「朝廷説」、
そして明智光秀の軍事同盟者は織田北陸方面軍司令官柴田勝家であったと。
これにより明智光秀は安土を陥落させた後、京都を固め待てばよかった。
朝廷もまた、綸旨、勅命などを慌てて出す必要もなかったのである。

謀略の主な眼は、おそらく大坂、美濃、甲斐、尾張といった方面に向いていた。
そして、中国で毛利軍三万と対峙している羽柴軍が殆ど無傷で短期間に帰ってくるなど、
当時の軍事常識では全く考えられなかったのである。
645本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/10(月) 11:34:06

○○日本史二千年でただ一冊、、、

「聖戦、マハーカーラの女」博君著。

国家の真実、、、、

四百年前、絶対権力者の目を逃れて残された証拠こそは、
まさに国家の至宝。

「本能寺・コード」
「京都秘密文書」

それは、まさに、国宝の中に、、、、、、


●●●妙なところから中古など買うなよ、変な噂を聞いたからな。
妙な組織、犯罪者らの資金源になったらどうする。
偽造、密売、盗作、パクリ、後から警察沙汰にならないようにね。


646日本@名無史さん:2007/12/10(月) 11:36:41
足利義昭が首謀者ならまったく問題はなくなる。
つまり足利幕府を再興させれば大義名分がたつのだ。もともと反信長勢力はそれが目的だった。
四方は皆、反織田勢力であり織田家は通常は瓦解する。光秀の計画は完璧だ。
自身もそう確信していたからこそ悠長に寺院などに寄進していたりする。それは戦後復興の
要件であり割拠の準備ではない。

義昭は健在で光秀や細川との関係も深い。将軍と合流すれば名分的には旧織田家臣団になすすべはない。
室町幕府は過去に何度もそうやって地方にいる将軍を奉じて政権交代が起こっている。
647日本@名無史さん:2007/12/10(月) 11:39:23
すなわち
最大の動機をもつ者は存在し

公然と打倒信長を画策して
全国規模で実際に行動していたのも
足利義昭だけである。
648日本@名無史さん:2007/12/10(月) 11:49:07

だが神の子で後の大明神であるあの男がそれを打ち砕く。

平民出という叩き上げながら一国一城の主、そして大軍団長となっていた

”羽柴秀吉”

のちの豊臣秀吉である。彼にとっては足利幕府など主君が滅ぼした過去の遺物でしかない。

神の使徒である黒田如水は、神の世になる最大の機会だと主張しその叡智をもって
不義の謀反人を討つことを進言する。

中川清秀、高山右近という使徒をすでにひきこんでおり近畿までの栄光の道はスデニ開かれている。
649惟神塾へ最終章:2007/12/10(月) 12:23:21
>>632 お前の反論は反論になっていない。只次の一点だけである。
お前さ、情報を受けて判断を下すのは、用心深い龍馬だっていう論点を忘れて
んじゃねーぞ。
 土佐藩だって知らないのを知らんのか。
どこの誰だか判らん「情報屋」に関する一般論の寝言ほざくな。
 竜馬と後藤象二郎は大政奉還の件で打ち合わせいている。慶喜を説得したの
は土佐の象二郎である。だから、土佐藩は竜馬の居所を知っていた。ちゃんと
根拠があって言っているのだ。根拠なしで自分の妄想でものを言っているお前
と大庭博とは違うのだ。
650日本@名無史さん:2007/12/10(月) 12:47:32
>>645 
で、「京都秘密文書」とやらは何ページ?
651惟神塾へ最終章:2007/12/10(月) 13:02:16
 安土古城図は安土廃城約百年後に描かれた物で何の目的で描かれたか判らな
い。大手道の脇に羽柴秀吉、家康公、武藤助左衛門、江藤加賀右衛門、武井肥
後入道夕庵の屋敷がある。しかし、この大手道は繖山から流れる川の流域にあ
り、沼と湿田に阻まれて道として機能していない。普通大手門は玄関であるか
ら城下町に続く筈だがこの大手道は続いていない。道幅も広く直線的で、防御
面から見ると不可解である。この大手道は偽りの道で本当の大手道は百々橋に
続く道である。城攻めは大手門から攻撃するから、本能寺の変の犯人を教えて
いるのである。
 武藤助左衛門、江藤加賀右衛門、武井肥後入道夕庵は暗号になっていてそれ
ぞれ、武門の誉れ高い五郎左衛門尉である丹羽長秀、加賀の太守前田利家、信
長の死後仏門に入り肥後へ移った細川藤孝と読める。
 本能時寺で焼失した九十九茄子の茶器が無事だった事から茶会を否定でき、
2条通にない2条城(信長公記町田文書では2条古き御構)の存在から犯行現
場を2条城に推定し、秀吉が犯行現場を隠すために条里の区画を変更した事を
見抜いた。
 信長の遺骸が行方不明になる事の否定を証明し、光秀の無罪、秀吉、家康の
共謀説を日光の三猿の彫刻、ずいずいずっころばし、安土古城図(物的証拠)
の暗号から本能寺の変の真相を解明した。
 秀吉は妹と母を、家康は秀康と石川数正を人質交換している。これは小牧の
役後の事にされているが、信長暗殺の同盟時に行われたのである。天下人秀吉
が家康に臣下の礼をとらせる為に人質を出す筈がない。家康は小牧の役で勝利
したのに人質を出す筈がない。秀吉が小牧の役で家康の5倍の兵力で負ける訳
がない。小牧の役は八百長の戦争で、両者の同盟関係を否定し、信長殺しの秘
密を知る池田恒興らを殺害する為の芝居であった。
 光秀が本当に天下取りを企てたとしたのなら、必ず信長の首を打ち、天下を
取っている。秀吉が幾ら大軍で進軍してこようが大山崎の狭隘部で待ち伏せし
て、鉄砲隊、槍ぶすまで壊滅させる。光秀は諸葛孔明ばりの軍師であり、美濃
兵は最強の兵団である。宝蔵院流の槍の使い手・可児才蔵等の一騎当千の剣豪
が幾らでもいたのである。美濃はそれだけ剣術が盛んな国柄でもあった。
652日本@名無史さん:2007/12/10(月) 13:09:45
京都秘密文書≒マハにある「小栗虫太郎創作メモ」なら2枚だけ
その中身は、、、

『明智光秀の謎の過去、本能寺の変の真因、光秀天海説を貫く一線を、名探偵法水麟太郎が解
き明かす』
☆前編 題名
 『過去が未来へと繋がった男 明智光秀』
  (副題 歴史には家康をもたばかった陰の覇者がいた) その関係資料目録
☆中編
 小説『天下布武 信長』
(戦国最大の謎、本能寺の変、その襲撃の本当の理由、及び、根拠となる品物の発見について)
☆後編 論文題名 作品名
 『元・牛・三神一体から分かれた三神一体・鬼』

☆『光秀の謎の過去』→『本能寺の変』→『光秀天海説』を結び付ける歴史の一線。
☆『天正年号の謎』『安土城の謎』
☆『うしのいち』と『つち』
 (多くの歴史の謎の解明点、信長の出自の謎、
  なぜ、信長は殺されたのか?
  なぜ、信長の死体は本能寺に無かったのか?) (マハp45〜46)
653日本@名無史さん:2007/12/10(月) 13:18:34
(つづき)
 (創作メモ No・3)
◆光秀は何故、四十歳まで何の資料もないか。
◆足利義昭は何故、光秀程度の身分の者を一国への使者にしたのか。
◆光秀の部下・組織は何故、美濃衆がいないのか。
◆何故、光秀は出身地の美濃ではなく、朝倉に仕官できたのか。
◆何故、光秀は公家・将軍と係わりがあったか。
◆光秀は何故、一国の君主のような知識・政治能力・和歌連歌の教養を持っていたのか。
◆光秀は何故、鉄砲の戦略的利用法の知識を持っていたのか。普通の浪人では知れない京都の
将軍や朝廷の儀式作法に詳しかったのか。
◆絶対的に謀反の後、周囲に挟み撃ちされ、不利になることが分かっていて、何故、一年前と
うって変わり、光秀は急いで豹変したのか。
◆光秀は何故、戦略上不利といわれる天王山で戦ったのか。 (マハp48)
654日本@名無史さん:2007/12/10(月) 13:39:48
(つづき)
 (創作メモ No・4)
◇『光秀の過去』→『本能寺の変の真因』→『光秀天海説』に繋がる一線。
◆『第六天における習合』→(牛頭天王・天満自在天・第六天魔王)の謎。
◇アヘンと茶道具→子供達の名前、生駒の吉野→
◇『元・牛・三神一体から分かれた三神一体・鬼』→『旗印の謎へ』
◇『ときは今、天が下しる五月哉』には全く別の意味があった→『天狗』と『狐』の関係へ。『連
歌の神』へ。
◇『歴史の暗号』
 『逆順無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元』→『太元帥明王へ』→
◇『ウしノ一と土』→『武塔天神』→薬師平へ 岩駒。
◇『天正年号の奇妙な謎』
◇『蛇石と茶吉尼天』→『盆山の形態の謎へ』
◇『金箔ドクロと真言密教』→絶対神シバへの祈祷
◇『秦の始皇帝』の謎→『マタラ神』→『牛と時待ちの神』
◇『素戔嗚尊』→『名の謎と織田姓との関係へ』 (マハp49〜50)
655日本@名無史さん:2007/12/10(月) 13:46:00
まぁ何だかんだ言ったところで○は史料をひとつも読んでないことは◎とのやりとりで露見しているので誰も相手にはしないわな。
つうかカテ違いだし。
656日本@名無史さん:2007/12/10(月) 13:47:42
金箔髑髏…ドラマの見過ぎだよ博くん…
657日本@名無史さん:2007/12/10(月) 13:51:50
(つづき)
 (創作メモ No・7)
◎『信長は秦の始皇帝』なり。
◎神の血脈、スサノオと牛頭天王は融合した。『金(剣)と牛』
◎マタラはマタタラ、まだら。黄金の平泉中尊寺にもあった。
◎八雲立つ出雲。雲は蜘蛛。土蜘蛛。土雲。
◎『人間五十年』『死のうは一定』の歌は死王への賛歌。
◎下天は五層、楽変化天、歓喜天に通じると思う→『生駒山の聖天』
◎『松・竹・梅』と『花魁と故事』
◎織田は『はたた』と読める。
◎信長は晩年『宝』と書いた小印鑑を愛用した。
◎光秀は坂本城に『唐崎の一つ松』なる名松を蘇らせ、植えた。(マハp158〜159)

注)創作メモNo・1、2、5、6は、本の中に記載なし。
658日本@名無史さん:2007/12/10(月) 13:55:36
>>651
惟神塾=2条君だったんだねww
もう来なくていいよ
659日本@名無史さん:2007/12/10(月) 16:17:16
>>649
その反論は反論になっていないだろー。
用心深い龍馬だっていう話がすでにおかしいだろ。用心深いやつが幕吏に包囲されたりするか?
土佐藩脱藩ってこと自体しってねーだろ。
「情報屋」に関する一般論っておまえの妄想と一致しないだけ。寝言は寝て言え。
 竜馬と後藤象二郎は大政奉還の件で打ち合わせいているってなんの話だ?
慶喜を説得したの は土佐の象二郎であって龍馬は関与してね〜だろ。小説の鵜呑みか?
だから、土佐藩は竜馬の居所を知っていたって論拠もおかしい。根拠なし。
維新後に田中とかが勝手にすり替えて話した伝記と一緒にすんなよな。
後藤象二郎がほとんどしたことで海援隊とか陸援隊はその手先なんだよ。つまり下っ端が
自分の手柄話にするために龍馬を美化しただけなんだよ。

薩長同盟とか小松帯刀が風ひいて締結が遅れたことを龍馬が斡旋してまとめたことにしたり
後藤がやったことを海援隊が考えたってしたりな。

660日本@名無史さん:2007/12/10(月) 16:28:11
「○は相変わらず数字に弱い奴だなあ」
>>641
『大坂に四国渡海軍二万五千人が存在したが』根拠は?
>>643
『秀吉は織田軍は十五万人を動員できると相手を脅したという。』出典は?
『当時の征服地の石高五百五十万石』根拠は?
『一万石二百五十人とすると大体それくらいになると思われる。』大体ってw
『別説には八百万石とするものもあるが』誰の説?

孫引きばかりじゃなく、自分でしっかり計算しなよ
661日本@名無史さん:2007/12/10(月) 16:40:01
    . @
 @ ' .  ;   
。`\∧,,_∧   ∧,,,,∧    ,_, 人 ,_, 人 ,_, 人 ,_, 人,_, 人_, ,_, 人
 . ・(゚m(。(と三(・∀・#)   )                    ( 
  ' (,,つ  つ =    と,,>  )  つーか、オマエが言うな!  ( 
    (  .,_.,つ Y  人   )                    ( 
     レ'    (_) `J   ⌒Y⌒Y⌒Y⌒YY⌒⌒Y⌒YYY⌒
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 ━┓ 
   ┃ ━╋━     
 ━┛ ━╋━ ┃┃┃
        ┃   ━┛

662日本@名無史さん:2007/12/10(月) 22:00:39
>>641
> 例えば、信長を殺しても既にあとを継いだ信忠がいた。
> 彼は武田攻めの総大将など務め、大器とも言われていた。が、信長と同時に葬られたのである。

…ってw
前に信長が信康殺害命令の動機に、信忠が信康に劣ってたからとか言ってたよな?どっちなんだよ?
大器だけど信康に劣るとかワケワカラン事言うなよ?ww
663本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/11(火) 10:16:29
>>646>>647●●●本能寺の変、足利義昭黒幕説なりたたず●●●

研究家藤本正行氏の本能寺の変「足利義昭黒幕説」への反論。
●義昭の謀略工作対象は信長の敵、敵対する可能性のある者ばかり。
光秀のような出世しているものはない。
●細川家などに援軍を要請しているが、義昭が背後にいるなら名前を出して命令したはず。
細川家は元足利幕府所属だから。
●もし光秀がそうなら、一応、変後に足利幕府再興のためであると
世間に公言したはず。
そうすれば元足利幕府の味方が出たかもしれないのである。
●足利義昭は当然京都で変事が起こることを事前に知らされるから、
情報網を持ち、いち早く成功を知れるようにするはず。が、そのようにした形跡がない。
●義昭は、近々毛利首脳に何か起こることを警告し、攻勢の用意をさせたはず。が、それもない。
●義昭が係わっていたら、少なくとも変後、毛利は大攻勢に出、京都方面に檄を飛ばし、
足利幕府最高に決起せよと喚いたはず。が、変後、攻勢に全くでなかった。
664日本@名無史さん:2007/12/11(火) 10:36:05
>>663 「○は資料の引用のマナーも知らないのか」

「信長は謀略で殺されたのか 本能寺の変・謀略説を嗤う」
鈴木眞哉・藤本正行著(2006年洋泉社)からの孫引きなんだから
ちゃんと出典を明記するように。

加えて、引用した内容が自分の主張する「朝廷説」にも当てはまると
いうことが理解できてないみたいだから、迂闊に論評資料を使って
反論しない方が身の為なんだけどなあ。
665本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/11(火) 10:37:57
>>652>>653>>654>>657
●おい、あんた、ちゃんと作者の許しを得て書いてないだろ?
あまりに多量の無断引用は著作権違反の犯罪だぞ!
謝れ、そして、さもないと犯罪者になるぞ。

●勿論、幾つかの史料、資料をもって書いているので、
この創作メモに裏打ちはある。
例えば織田の別読みは[はたた]であるが、霹靂神[はたたかみ]というのが存在する。
そして、延長八年清涼殿に菅原道真公が落雷したとされるが、延長[のぶなが]、信長[のぶなが]と読め、
さらに北野天神の道真公の名が[道信]となっているのは偶然なのだろうか?

このメモ、文章の中には、現在においては多少「差別的用語」に見られるものもある。
が、しかし、国家国民の諸氏よ、
いかなる国の歴史においても過去に多少の差別、偏見はあった。
戦争の歴史などある以上は仕方のないことだ。
例えば昔の文化の進んだ中国、朝鮮において、わが国は辺境の倭[醜い]国であった。
だが、それを無視し、隠して何になるというのか?
我々、或いは君たちのやることは、それらのことを正しく認識し、
次の世代においてそのようなあからさまな偏見、
差別が行われないように心がけ、対処することである。
そのためにも幾つかの用語研究は無駄ではあるまい。
666日本@名無史さん:2007/12/11(火) 10:45:49
>>665 
えらい慌てようだなw
どうも「小栗虫太郎創作メモ」=○のいう「京都秘密文書」のようだから、
>>650の質問の答えは、「2ページ」
667日本@名無史さん:2007/12/11(火) 10:52:39
「津島牛頭天王と信長」も「京都秘密文書(実は小栗虫太郎創作メモ)」も
マハーの中だけの空想の産物だから、説明のしようがないということです。
668本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/11(火) 10:58:02

かくて歴史の真実は追究され、研究され、吟味され、
人間の本質、真実はそこに表れる。
次の世代に、よりよき教訓を、警告を残すために、、、

日本史二千年で、ただ一冊、、、、
「聖戦、マハーカーラの女」博君著。

国家の真実、、、

戦国という地獄だからこそ、より強き鬼として生きようとした男と、
戦国という地獄だからこそ、より人間らしく生きようとした男と、、、
二人の道は、所詮、交わることはなかったのかもしれない、、、

本物は、もうひとつの歴史をあからさまにまで見せてくれる、、、


669日本@名無史さん:2007/12/11(火) 10:59:27
あら?今日も○のレスが少ないな
670日本@名無史さん:2007/12/11(火) 11:15:22
犯罪者は博くんだろw
>>616
>●国家鎮護の守護神とされる太元帥明王を破壊するような本を、わざわざ出す。

これ例の宇月原氏の本の事だよな?
太元帥明王大好き博くんはフィクションが理解出来ず、私怨でネット使ってのいいがかり、中傷。

犯罪ですよw
671日本@名無史さん:2007/12/11(火) 12:28:32
「信康」があるレスには一切触れないwww
○に対するレスに「◎」が入ってる時は書き込みが少ないwww
672日本@名無史さん:2007/12/11(火) 19:05:58
>>665
「織田の別読みは[はたた]であるが」

どうやったらそうなるの?
673日本@名無史さん:2007/12/11(火) 20:43:51
>665
>●おい、あんた、ちゃんと作者の許しを得て書いてないだろ?
>あまりに多量の無断引用は著作権違反の犯罪だぞ!
>謝れ、そして、さもないと犯罪者になるぞ。

 著作権法 第三十二条
 公表された著作物は、引用して利用することができる。
 この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、
 かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で
 行なわれるものでなければならない。

「無断」引用というが、では博くんは『聖戦 マハーカーラの女』を書いたとき、
全員から許可をもらって引用したのか?
674日本@名無史さん:2007/12/11(火) 21:18:59
ついでに「引用」のルールは、
□引用する文章は原文そのままであること
□出典を明示していること

○みたいに、出典も曖昧にしたり、書いていないことを捏造したり
することは論外

「マハ」やブログの記述の中で、モロ文書をパクッている箇所が
多数みられることこそ、著作権侵害といわれるべき行為と知れ!
675日本@名無史さん:2007/12/12(水) 01:52:31
マラマーラ
676日本@名無史さん:2007/12/12(水) 03:34:02
つまり、

散々宣伝してきた大庭博が根拠とする「京都秘密文書」なるものが、
実は史料でも何でもなく「小栗虫太郎創作メモ」なるものであり
それ自体も大庭博の小説上の創作物という真実を暴露され、
これまでの大庭博の宣伝が虚偽のものだということが明確になり、
博くん大慌て。

ということでしょうか?
どっちが詐欺師で犯罪者か明白だな。
677本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/12(水) 10:18:46
>>670●●●まさにスパイ、プロパガンダ工作員だな。●●●
「聖戦、マハーカーラの女」の中で活躍、勝利したという
国家鎮護の守護神太元帥明王をわざわざ破壊する。しかも、武田信玄が信仰している最中だが、
フイクションといえ全く無関係。信玄はその顔を写した像を作らせるほど、
不動明王信仰しているしな。
>>673>>674●●●あのね、ちゃんと「聖戦、マハーカーラの女」は巻末に、引用した文献などは紹介している。
敬意を表してね。
それに文献とはいえ、欠陥のあるものもあるからな。例えば、
●「織田信長は無神論者、人は死ねば土、灰になる」といったフロイスの文献を無視していたり、、、
●「本能寺の変の黒幕はヨーロッパのだれそれ」といいながら、明智光秀自筆の細川家の手紙を無視していたり、、、
●「織田信長は第六天魔王[仏教破壊の神]を信仰していた」といいながら
安土城に多数の仏像、釈迦如来の絵、聖人が飾ってあることを一言も書いてないとか、、、
他にも、足利義昭黒幕説のところなどで述べたが、
まったくその自説に対しての反論に答えてなかったり、、、、

●黒幕説を強調しているくせに、全く裏打ちする手紙、文書、命令書がなかったり、、、
そういうのを引用、紹介しているんですが、、、どう?、、、
ということになるぞ。
●さらに、辞書の言葉のごとく、誰もが調べて同じ言葉は著作権発生がないとか、、、
●「聖戦」後の既存の小説に書いてあっても、、、欠陥があって、なぜ朝廷説をとるのか根拠がなく、
妙に強引な論理だとか、、、
あんたの場合はどうなるかな、、、?
678日本@名無史さん:2007/12/12(水) 10:28:04
●黒幕説を強調しているくせに、全く裏打ちする手紙、文書、命令書がなかったり、、、
そういうのを引用、紹介しているんですが、、、どう?、、、
           ↑
これは○の自己レスでつか?
679日本@名無史さん:2007/12/12(水) 10:33:07
相変わらずの意味不明な言い訳羅列のオンパレード
「引用」の基本ルールも知らずに、著作権侵害うんぬんを騙る姿は全く笑止

一から出直しな
680本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/12(水) 10:35:34
>>677●●●しかしながら「聖戦、マハーカーラの女」は
それら既存の文献、
フロイスの「織田信長は無神論者」、
細川家の光秀自筆の手紙「思いつきで信長を殺した」、、
安土城に飾ってあった幾つもの仏像、釈迦の絵、
薬師如来との関係[なぜ、薬師如来の霊地に釈迦があるのか?]
なる文献をことごとく打ち砕き、合理的解釈を加えたのである。

しかも、それだけでは駄目なのだ。
信長が無神論者でなかったらどうだというのか?

信長がキリスト教、あるいは牛頭天王を信仰していた、
くらいのことでは本能寺の変の解明にはならない。
京都の朝廷勢力と交戦したという「はっきりした証拠」がなければ話にはなるまい?
「聖戦、マハーカーラの女」のみにそれがあるのだ。
信長と朝廷の交戦、対決の証拠である。
そして歴史の真実が唯一無二、歴史の真実に二番目というものが存在しない以上、
それはこの世で唯一の証拠である。

かくて「本能寺の変の真伝」は、
世に一九九七年に現れたのである。

そのキーは、、、はっきりと書こう、、、
「天徳院」であった。





681日本@名無史さん:2007/12/12(水) 10:38:39
また「天徳」の話し?

すでに論破された「天徳」の件の蒸し返しは意味ないよ
682日本@名無史さん:2007/12/12(水) 10:42:08
論破された事に気がついてないらしい
683本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/12(水) 10:51:23

>>676○○○国家の真実は唯一無二、世に二番目の真実というものはない、、、
日本史、二千年でただ一冊、、、
「聖戦、マハーカーラの女」博君著。

戦国史は、本能寺の変の真実に揺らいだ。
そして、本物の中の本物、
歴史の大転換点の真実を明確に表した
「本能寺・コード」は実在する。
「京都秘密文書」もまた、、、、、

四百年前の人間が絶対権力者の目を逃れ、作った世紀の暗号、
そうでなくては何の価値を持つだろうか?

「ダ・ビンチ・コード」はただのフィクションだが、こちらは紛れもない、
国家の本物、真実である。
684日本@名無史さん:2007/12/12(水) 10:59:15
「京都秘密文書」=「小栗虫太郎創作メモ」なんだから、偽物だよ
685日本@名無史さん:2007/12/12(水) 12:17:04
>「ダ・ビンチ・コード」はただのフィクションだが、こちらは紛れもない、
国家の本物、真実である。

「◎この物語はフィクションです。」 (マハp429)
686日本@名無史さん:2007/12/12(水) 18:35:05
>>677
> 国家鎮護の守護神太元帥明王をわざわざ破壊する。しかも、武田信玄が信仰している最中だが、

ファンタジーじゃ神が死ぬなんて珍しい話じゃないんだけどな。世間にも認められてるしw
世間に通る事を自分の思想、信仰を主張するために非難する博くん。

●●●まさにテロリストの言い分だな●●●

687日本@名無史さん:2007/12/12(水) 22:48:43
>683
>戦国史は、本能寺の変の真実に揺らいだ。

えっ、いつ?
688日本@名無史さん:2007/12/13(木) 07:21:43
彼の脳内でです
689新刊:2007/12/13(木) 10:00:42
津本陽・著『「本能寺の変」はなぜ起こったか-信長暗殺の真実』
角川oneテーマ21 定価740円(税込)
690日本@名無史さん:2007/12/13(木) 10:13:09

>>685●●●しかし、これが現在の日本史の「偽」なき真実である●●●

本能寺の変は一九九七年二月に解明されている。
その答えは「朝廷説」、明智光秀の光秀の軍事同盟者は
織田北陸方面軍司令官柴田勝家であった。

そして、戦国史最大の暗号、「本能寺・コード」、、
「京都秘密文書」は実在する、、、

キリスト教、宣教師は、東洋においても
文明に多大の影響を与えていた!!


>>686●●●何で私がテロリストなんだよ? 
あんたがテロリストじゃないだろうな?


>>689●津本陽著?はて?
内容はどういうものかな?
691日本@名無史さん:2007/12/13(木) 10:38:16
○の意味のない宣伝コピペに食傷気味
692日本@名無史さん:2007/12/13(木) 10:42:23
>>690
「京都秘密文書」=「小栗虫太郎創作メモ」で確定済み

実在するとほざくなら、内容開示して自己証明必要
693惟神塾へ最終章:2007/12/13(木) 12:40:32
 周山城に秀吉の暗殺部隊が潜んでいた
 京都の山奥の周山に大規模な総石垣作りの山城の遺跡が発見された。虎口(門
の入口に堤を築いて敵の侵入を防ぐ施設)があった。老人雑話では光秀が夜周山
に城普請して謀反を企つと言って秀吉がからかったとあるが、光秀には坂本城
と亀山城があり、この様な贅沢な山城は必要ない。光秀は亀山城を出発して老
いの坂を越えて本能寺に攻め込んだとされているが、周山城は愛宕山を挟んで
亀山城の東に位置し、周山城から出発すればあたかも亀山城から出て来た様に
見えるのである。老いの坂を越えて二つの道のりは合流している。実際は亀山
城を出発した事になっているから、老人雑話の周山城の話は嘘である。と言う
事は秀吉は自らの行為を光秀になすり付けたのである。その証拠に彼の築いた
大阪城には多くの虎口施設がある。
 高松城にいたのは秀吉の影武者と宇喜多秀家軍で秀吉本隊は周山城にいたの
である。明智軍は6月2日の中国出陣(筒井家記に順慶が同じ日に上洛した事が
記されている。)に向けて出発し、2条城の周りに待機していたが、細川藤孝の
偽の朱印状(信長は中国出陣をとり止めて安土に帰った)に騙されて、事情を聞
く為に安土城へ向かった。明智軍にすり替わった秀吉の暗殺部隊、丹羽長秀ら
によって攻め落とされ、信長は自害した。堀秀政が裏切って大手門を開いたか
らこの様な陰謀が成功したのである。安土城にいた信忠は、徳川家康が指揮し
た前田利家、織田信雄らによって攻め落とされ自害した。京極高次が裏切って
大手門を開いた。利家は賎ヶ岳の戦いで戦線離脱したのではなく、上杉戦の時
に離脱して安土城攻略戦に加わった。本能寺の変後、2条城と安土城は証拠隠
滅の為に放火された。
 信長が中国出陣の前に上洛したのは、キリスタン追放の天皇の綸旨を貰う為
で、信長はイエズス会は日本侵略の先鋒だと見抜いて、後顧に憂いがない様に
片付けて置きたかったのである。
694惟神塾へ最終章:2007/12/13(木) 12:45:21
 明治維新は何万人もの草莽の士の尊い犠牲の上に達成された。
 幕府はアメリカの威嚇砲撃外交によって不利益な通商条約を結ばされられ、
国益をむしり取られて、最後は侵略されたであろう。幕府の弱腰を見かねて、
草莽の士達が祖国の侵略を防ごうとして立ち上がったのである。
 日露戦争の時はロシアの侵略を防ぐ為に、何十万人の戦士が肉弾となって斃
れた。
 太平洋戦争はアメリカ等のメーソン機軸国の侵略を防ぐ為に、数百万人が土
と化した。兵士が玉砕や特攻で花火の様に散ったのは、護国の鬼と化してアメ
リカを恐れさせて、祖国の婦女子を助けようとしたのである。我々の今の幸福
な生活は先人達の真心の賜物である。
 今度は我々がいたいけな生き物達の為に、真心でもって誠を尽くす舞台に立
つ番が来たのである。何も心配しなくてもよい。先人達や神様が後ろ楯となっ
て我々を護っていて下さるのである。
 長らく御愛読頂き、誠に有難く存じ奉り候。辞世の句をもって締め括らせて
頂き候。
      身も魂も捧げ奉りし嬉しさに
                   神とつながる日本魂
695惟神塾へ最終章:2007/12/13(木) 13:36:34
>>659
 薩長同盟と大政奉還を土佐藩・後藤象二郎が考えて行ったとはお笑いものだ。
土佐藩主山内容堂は竜馬らの土佐勤皇党を弾圧した張本人でないか。そんな奴
らが大政奉還など考えてやれる筈がない。土佐藩は竜馬を通じて舟に乗り遅れ
ない様に竜馬に胡麻をすったのだ。そうしないと竜馬達を弾圧した事からどん
な仕返しがあるか判らない。その予防線を張ったのである。
 こんな事も判らないとは呆れた奴だ。
696日本@名無史さん:2007/12/13(木) 14:09:37
>>689
帯に「明智光秀には黒幕がいた!?ついに論争に終止符をうつ!」と書かれていたので
楽しみにしながら読んだが、なんと「光秀ノイローゼ説」

論拠も、ある精神医学の専門家の診断によるらしい。
全く読む価値なし。

しかしながら、冒頭で信長無神論については、マハ出版前の「下天は夢か」
(1986−1989日経新聞連載)で著者は既に述べていると言っていることは判明。
697日本@名無史さん:2007/12/14(金) 04:46:29
>>696
それ、この前本屋で見つけたけど、津本陽という時点で期待できなかったから
ちょっと眺めただけでスルーしたなw

医学の専門家が、光秀の精神的疾患を指摘したこと自体
相当前の話だしね。
所詮既存の仮説の焼き直しか。
698本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/14(金) 10:25:09
>>696>>697●●●本能寺の変、光秀ノイローゼ説というのは昔からある。
光秀が京で信長を殺す好機を偶然に捉えた、
変後、光秀軍がうろうろした妙な動きしかしていない、味方した人間が出なかった、
何も大義名分を公表していない、などが根拠だな。代表的なのは司馬遼太郎だと思う。
○○○しかし、大きな疑惑もある○○○
●まず、日頃からおかしな言動をする上官なら部下が付いていかない。
誤った命令を出すような指揮官ならば部隊は全滅する。そのため、部下は日頃から指揮官を観察しているはずだ。
●京都で信長を殺す必要がない。自分の城に信長を誘殺する、移動途中を鉄砲で狙撃させるとか、
ノイローゼ、それから来る疾患でただ殺したいだけになった、
というのなら、いくらも簡単な方法は考えられるのではないか?
●変後、あまりに光秀に都合のいい動きになっている。
安土城無血陥落、大坂四国渡海軍四散、美濃で安藤氏の乱、甲斐の武田残党の乱など、、
●たとえばノイローゼによる信長殺しとしても、まず大坂の四国渡海軍が急ぎ上京してくることは予想できた。
なぜ、まずその方への備えをしていないのか?
●ノイローゼ説では、なぜ、あの時点で京都に信長と信忠、その馬廻りが宿泊していたのか?
その合理的な説明がつかなくなる。
●ノイローゼ説、とつぜんの思いつきならば、ともかく戦費や兵糧調達のために
京都で兵は略奪をしているのではないか? しかし、それがない。

699本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/14(金) 10:46:45
>>697●●●なによりも重要なのはノイローゼ説ならば、
光秀が京都を守る、天王山で戦うという必要が全くないことだろう●●●
相手が大軍の場合、平地での決戦というのは負ければ後がなく、また被害が甚大となる。
丹波亀山城、近江坂本城での篭城、京都で市街戦などいくらも手は考えられたのではないか?
いくら大軍でも市街戦に持ち込まれ、火攻めなどされると迂闊には動けない。

ノイローゼ説というのは、自分のために主君を殺す[精神的、金銭、その他の利益のために]、
という最もエゴイスティックな心理状態と見て良い。
京都での兵糧、金品の略奪、高位の人間の人質など、
自己利益、勝つための手段を何でも考えるのではないか?
しかし、そういうのは全くなかった。
光秀は京都に対しては礼儀正しく、内裏や五山の寺へは多量の銀の寄進すら行っている。
ただの「ノイローゼによる思いつき殺人」にしては妙な点が多い。
単純に言えば、「ただ勝つため」なら長年にわたり領民の面倒を見てきた丹波で戦うのが一番いいのではないか?
そこは山岳などの要害も多いし、もし敗れても山陰伝いに毛利領まで逃げられるのではないか?
毛利家も足利義昭を追放し、足利幕府を潰した信長を殺した男、
その軍を無下にはできまい?
しかし、そういう手段は全くとっていないのだ、、、、

700日本@名無史さん:2007/12/14(金) 10:57:23
で、京と秘密文書は何ページなんだ?
701本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/14(金) 11:14:33

もし、一国を揺るがすほどの秘密を知ったものが芸術家なら、
自分の作品の中に暗号としてそれを残すのではないか?
しかも、絶対権力者に多額の金を払わせて作らせた一流の絵や彫刻の中に、、、、
その発想は、どこから来たのだろうか?

昔からあった皮肉な方法なのか、、、
それとも、ただの小説家の思いつきなのか、、、、、
何にせよ、ただの芸術家が一国の歴史の機密に係わる、、、
ということがあるかどうか?には疑問が残る。

だが、しかし、絶対権力者となった男が
一流の芸術家にこんな絵を描いてくれ、彫刻を作ってくれと頼み、
それが歴史の真相を表す暗号だった、、、
というのはありそうにも思えないか、、、、

日本史二千年でただ一冊、、、
「聖戦、マハーカーラの女」博君著。

明智光秀は本当に死んだのか?
もし、明智光秀の背後に朝廷、貴族がいれば、
再び高位の僧侶として復活は可能ではないのか、、、?
しかも、普通の僧侶ではなく、、、、
702日本@名無史さん:2007/12/14(金) 11:58:39
>>698>>699
想像でダラダラと御託並べるんじゃなく、津本陽の本を読んでから
コメントしな 

金に汚い○でも、740円の本なんだから手に入れられるだろw
703日本@名無史さん:2007/12/14(金) 12:52:43
>>702
そのためにはマラかハーラーの真実とかいう小説が売れないといけませんのでご協力ください
704日本@名無史さん:2007/12/14(金) 13:54:50
>>698
「光秀ノイローゼ説・・・中略・・・代表的なのは司馬遼太郎だと思う。」

お前、司馬遼太郎の「国盗り物語」読んでないだろ

何故、お前はそうも簡単に嘘をつくのか
705本能寺の変、四百二十五年目の真相。のママ:2007/12/14(金) 22:01:45
ひークンをイジメないで。
706本能寺の変:2007/12/15(土) 09:43:54
707日本@名無史さん:2007/12/16(日) 01:01:13
光秀の謀反がノイローゼなら、武田攻めの行軍中や、その他信長の身近にいる時に刃傷沙汰を起してるっつーの。
708日本@名無史さん:2007/12/16(日) 14:44:54
一から歴史の勉強し直せ。バーカ。バーカ。 バーカ。 バーカ。

709日本@名無史さん:2007/12/16(日) 16:19:21
一からノイローゼの勉強し直せ。バーカ。バーカ。 バーカ。 バーカ。
710日本@名無史さん:2007/12/16(日) 16:47:40
バーカ。バーカ。 バーカ。 バーカ。
711日本@名無史さん:2007/12/16(日) 17:01:43
おまいら小学生かよwww
712日本@名無史さん:2007/12/16(日) 18:19:56
暇な小学生(一人の)だろ。
713日本@名無史さん:2007/12/16(日) 18:41:03
小学生から見ても>>698は変なんだろw
○の考え方だと、ノイローゼなると大阪からの兵の上京に備え、京で略奪をするものらしい
714日本@名無史さん:2007/12/16(日) 18:41:15
日曜だからな^^
715日本@名無史さん:2007/12/16(日) 18:44:29
はやく答えてみな。バーカ。

716日本@名無史さん:2007/12/16(日) 18:47:41
ノイローゼ?
717日本@名無史さん:2007/12/16(日) 18:58:54
バーカ。バーカ。 バーカ。 バーカ。 これで最後にしとこう。バーカ。
718日本@名無史さん:2007/12/16(日) 19:03:30
早くトイレ行って寝なさい。

それと、歯磨きも忘れずにね。
719日本@名無史さん:2007/12/16(日) 20:44:22

こだごといわっちゃって、わがんねべした
最近かすかだってんな!
おもせがらいってみっせ!!
いいがら、やばっせ!!!!
太陽堂のむぎせんべい まだ食ってんの?むすいない。 

いいがら、やべ。あ”〜わがんね。
720日本@名無史さん:2007/12/17(月) 00:12:57
よくわからん
721本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/17(月) 11:04:58
●悪いな、今日は野暮用でパスさせてもらうよ。

>>713●大軍を動かすのにどれほどの軍資金、兵糧が要るか知らないのか?
全部、大名が出すんだぞ。
ノイローゼ説による思い付きの謀叛なら、先は全く見えない。
兵糧、軍資金は一円でも欲しいところではないのか?


722日本@名無史さん:2007/12/17(月) 12:24:26
他のところに行く予定であつめたやつだろ
723日本@名無史さん:2007/12/17(月) 22:39:50
::::.:.:.:し':.:.:.:.:.:.:.:l:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.::.:.:.:..// |: . . .!
::.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:|.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.,イ.:.:.://  .|::.:.:.:.|
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724本能寺の変、四百二十五年目の真実。:2007/12/18(火) 11:21:15

●●●悪いな、今日も野暮用でパス●●
最も、反論のネタも無くなった様だな。

なぜ、明智光秀は丹波で防戦しなかったのか?
敗れても、山陰伝いに毛利領に逃げられるのではないか?
答えられないんだろう?
725日本@名無史さん:2007/12/18(火) 14:24:47
本拠地は坂本城だろ。
天王山で迎え撃ったのは分断されたら終わりだから。
726日本@名無史さん:2007/12/18(火) 19:22:09
なぜ本能寺は移転したの?
跡地発掘しても何もでないの?
阿弥陀寺って今どうなってるの?
727日本@名無史さん:2007/12/18(火) 21:07:14
ねーねー、こういう
「本能寺の変」は○○の陰謀です
みたいな本読んでみたいんだけど、実際誰の本がオススメ?
728日本@名無史さん:2007/12/18(火) 22:43:01
>>727
「信長は謀略で殺されたのか―本能寺の変・謀略説を嗤う」鈴木眞哉・藤本正行(共著)
「だれが信長を殺したのか 」桐野 作人 (著)

つまるところ読むだけムダ。
729日本@名無史さん:2007/12/18(火) 23:14:48
>>724
>なぜ、明智光秀は丹波で防戦しなかったのか?

簡単。秀吉に京に入られたら終わりだから。
逆賊追討の綸旨を出されて一巻の終わり。
730日本@名無史さん:2007/12/19(水) 05:56:12
>>725>>729で、さらりと常識的な説明で片付けられてしまったが、
博くんが「おまえらにはわかんねえだろう」と
意気揚揚とどんな珍説をたてているのかが気になるw

ついでに言っとくと、山陰の但馬・因幡は秀吉の勢力圏なんだがな。
731日本@名無史さん:2007/12/19(水) 06:04:20
>>727
大庭博の本でも読んでやれよ
と言うべきですかw

あえてマジレスしてみると、最近の陰謀論系で有名なのは
藤田達生『謎とき本能寺の変』(講談社現代新書)
立花京子『信長と十字架』(集英社新書)
最近の陰謀論否定の本でも、
この2冊が大きく取り上げられ検討されることが多いので、
読んでおくとわかりやすいかも。
732日本@名無史さん:2007/12/19(水) 09:25:05
「検証 本能寺の変」谷口克弘 はいろいろな研究者のいろいろな説を挙げてイロイロと否定して、安いからいいんじゃないか
そこから各節の代表的な著書を見て、読んでいくと
在野の説も否定してるが、残念ながら大庭君?の「マラ女の性戦」はのってなかった
733本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/19(水) 10:30:45
>>725●坂本城は放棄すればいいだろう? 
何も軍を二つに分ける必要はない。

>>729●光秀が本当に悪辣なら、皇族を人質に取る、無理やり「光秀に味方しろ」との
綸旨をださせるくらいのことはするんじゃないか?
平家が安徳天皇を連れて逃げてるだろ?
しかし、内裏に対しては礼儀正しく振舞っている。

>>730●但馬、因幡は秀吉が征服してまだ時間が経っていない。
もともと毛利寄り。工作次第で内乱の種はいくらもあった。
734本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/19(水) 10:46:30

○本物を本物と鑑定できない鑑定士のいる店など、
そのうち誰も行かなくなるだろう、、、、、

日本史二千年でただ一冊、、、、
「聖戦、マハーカーラの女」博君著。
本能寺の真因、、、、、

ハリーポッターの作者が書いた自筆の童話本はオークションで
四億五千万円したという。
ただの童話が、、、、、

ならば、国家の真実、、、
日本という国の歴史を大転換させた本能寺の変、、、
その真相、証拠品を最初に書いた書物の価値は?、、、、





735本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/19(水) 11:00:01
>>728>>731
藤本正行著「信長は謀略で殺されたのか? 本能寺の変、謀略説ヲ嗤う」
で、この二冊は明確に否定されているな。証拠品も。
この本を読んでから、「本能寺の変に黒幕なんかいるもんか」と喚く。

それから「聖戦、マハーカーラの女」の本物を読むんだな。
脳みそが崩壊し、こんな証明方法があるのか、と
君の学者人生最大の衝撃となるだろう。
736日本@名無史さん:2007/12/19(水) 11:16:36
○よ、司馬遼太郎の「国盗り物語」もちゃんと読むんだな。
お前の脳みそが崩壊し、それなりに50年最大の衝撃になるだろう。
737日本@名無史さん:2007/12/19(水) 11:31:58
>>734
「真相、証拠品を最初に書いた」って??
「京都秘密文書」のこと?

○の空想の産物「小栗虫太郎創作メモ」>>652->657 の内容なら、お話にならんな

738本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/19(水) 11:39:17
○「光秀神官、陰陽師説」なる珍説があるらしい、、、



739日本@名無史さん:2007/12/19(水) 12:01:50
◎相変わらず詭弁を弄して勝手に勝ち誇っているようだな。
◎まともに史料も読めない○が書いたマハー何とかに莫大な高値がつく訳がない。
◎最も○は『○≠大庭博』だと言い張っているから高値がついたところで関係ないはずだが。
ここで宣伝しまくったことをアピールしていくらかの手数料を頂戴するつもりか。
というか本当にオークションに出せばそれが一番手っ取り早いが…怖くて出せないか。
740日本@名無史さん:2007/12/19(水) 13:39:56
世界的大ヒットの童話と
文学的にも、史学的にも無価値な、
全く売れない三流ミステリー小説を並べて評価するなど、
失礼だと思わんか?

まあ、厚顔無恥な◎が今さらそんなこと思うわけないよな。
げにおそろしきは、◎のあくなき金への欲望。
741日本@名無史さん:2007/12/19(水) 14:39:49

◎さん≠○博だよん
742日本@名無史さん:2007/12/19(水) 19:48:54
信長がなぜ光秀に油断したのか?
結局、信長は天下人たる資質がなかった?
自分が倒した今川義元よりもあっけない最後だったのでは?
743740:2007/12/19(水) 20:19:36
>>741
ごめん◎と○間違えてた。
744日本@名無史さん:2007/12/20(木) 01:02:09
「皇族を人質にしなかったから悪辣じゃない。光秀は善人」

この極端な発想がどうにもこうにも…
745日本@名無史さん:2007/12/20(木) 07:26:21
>>732
「マラ女の性戦」

なるほどスポーツ新聞に載ってるエロ小説よりも下卑たタイトルが
隠されていたんだww
746日本@名無史さん:2007/12/20(木) 07:44:05
つまり、博くんの頭の中では
帝に不遜な悪の大魔王信長を、正義の味方明智光秀がやっつけた
というストーリーになってんだろうな。
だから「聖戦」とかほざいてるんだろう。

帝に従う者が無条件で正義であり、善人、立派な人物
帝に不遜な者、敵する者は悪であり、やることなすことみな悪辣

そういうルールが博くんの中にはあるんだろうね。
まあ、個人の思想としては別にかまわんが、
歴史学の世界でそれを今さらふりかざさんでもらいたいな。
747本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/20(木) 10:25:36
>>737>>739>>740
○○○また大きな勘違いをしている輩がいるな○○○
「聖戦、マハーカーラの女」が提示している証拠は、著者が捏造したものではない。
四百年前の人々が絶対権力者らの目を逃れ、残したものだと断言している。
それゆえに、立派としか思えないのだ。
なぜなら、命を懸けても本物、真実を世に残しておこうとした心、決意が見えるからだ。

>>746○いや、できるだけ民主主義的に、公正な眼で歴史分析をしていると思うよ。
しかし、四百年前の人々の考えに民主主義があったか?とは思うな。
「帝」が、この時代の人々にどのような考え、立場で存在していたかは正確には解らない。
しかし、この世の中心的存在とする見方は確かにあった。
そして、また、信長がその権威を超えようとすれば、それは聖戦に勝つことによってのみ、
それがなされると考えたであろうし、、、、、
朝廷もまた、信長が自らを安土で神と豪語した以上、それとの聖戦に勝たねば、その権威は、、、、、
と思ったのではないか?
かくて、その真実を秘めた暗号は本能寺の変を「聖戦」と認識するものの前にのみ、
現れることになったのである。
これが、今の「国家の真実」なのだ。
748日本@名無史さん:2007/12/20(木) 10:30:16
>>747
◎ふむう、わかった。それほどに素晴らしい作品なら早速オークションに出そう。世間に知らしめようではないか?
749日本@名無史さん:2007/12/20(木) 10:40:07
>>747
◎というか何故○は大庭博氏の本の宣伝にそんなに必死になっているんだ?
以前君に言われた言葉を返そう。
『お前は誰だ!?』
750本能寺の変、四百二十五年目の真相。:2007/12/20(木) 10:50:29

>>748○○○競売大手ザザビーズは、一二一五年の英憲法の基礎となった
マグナカルタの七一〇年前の手書きの写本が
十二月十八日、競売の結果、二十四億円で落札と発表した。
マグナ・カルタの手書きの写本は世界で十七部しか残っていない。

写本だぞ、、、ただの羊皮紙への手書きの写本が、、、
歴史的な価値とはかくのごとし、、、、

○本物の中の本物を安いオークションに出す必要はないはずだ。
それとも君は日本歴史を長年齧りながらも、
本物の中の本物を鑑定する眼もないないのか?





751日本@名無史さん:2007/12/20(木) 10:56:17
>>750
◎前にも言ったろう。私は農業高校卒のしがない派遣社員だって(関係ないが近々派遣先で正社員になることが内定したが)。
◎本能寺の変の真相が書かれた唯一無二の作品、真実なら高値はつくさ。さぁ世に知らしめようではないか?
◎ところで『京都秘密文書』を所有しているのは○?大庭博氏?どっち?
752日本@名無史さん:2007/12/20(木) 11:00:18
◎書き忘れた。>>751で改めて私の身分を明かしたのは
「私のような人間に歴史の真贋を見極める目はないから高名な研究者に見てもらおう」
ってことね。
753日本@名無史さん:2007/12/20(木) 11:01:17
>>751
関係ないがオメ

>>750
学界の先生方はマラ女を認めてないがそれについてはどう思う
754日本@名無史さん:2007/12/20(木) 11:30:38
>>750
単なる「マラ女」の宣伝工作員か。
10年前に出版した本や「京都秘密文書」の内容に触れきれない理由もこれではっきりしたな。
755日本@名無史さん:2007/12/20(木) 13:19:41
最大の謎じゃないと思うんだが。誰もつっこまないの?
756日本@名無史さん:2007/12/20(木) 13:43:38
それを言ったら二千年てのも突っ込まなきゃならなくなる。
要するに○はアレなんだね。
757日本@名無史さん:2007/12/20(木) 23:27:11
すいませんが、彼を引き取ってください
http://game13.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1197095353/510-511
758日本@名無史さん:2007/12/21(金) 00:07:32
信長が自らを神と豪語したくらいじゃ大した害じゃないだろうに。朝廷にとっちゃ面白くないだろうけど
博くんが信長の宗教感ばかりをやたら強調するのも「聖戦」にするためか
759日本@名無史さん:2007/12/21(金) 00:24:42
>750
『聖戦 マハーカーラの女』は、
710年前の本ではないし、手書きの写本でもないし、
世界で17部しか残ってない本でもない。

なので、まず博くんがやるべきことは、
手持ちの『聖戦 マハーカーラの女』刊行本を全て焚書し、
元原稿を貸し金庫に預けて、700年後を待つことだ。
760日本@名無史さん:2007/12/21(金) 02:17:36
>>747
「信長が自らを安土で神と豪語した」実態についても、
色々疑問点があるんだけど、テレビや小説ばかりの博くんには
そこまで深くはわからないかな?
試しに、どうした点が問題視されてるか具体的にあげてみな。

信長と朝廷の関係についても、色々研究がなされているけど、
ちゃんと読んでるかな?
どんな代表的な論文や研究書を読んだかあげてごらん。

あと「民主主義的な歴史分析」って何?
聞きなれない言葉だから、ちゃんとわかるように説明よろしく。
761本能寺の変、四百二十五年目の真相:2007/12/21(金) 10:32:37

>>758○勿論、信長が神を信じていたがどうかはそれほど問題ではない。
朝廷との交戦の証拠、記録がなければならない。
それを発見しているからこそ、真実といえるのである。

>>752○勿論、一流の研究者、権威であればあるほど「聖戦、マハーカーラの女」の真実には何もいえまい。
無視することは研究者としての良心に係わるし、
全く違うことを書くのはいろいろと矛盾を叩かれるだろうから。

>>760○ほう、すると盆山、天主、総見寺は安土になんのためにあったのか?
信長と大和朝廷との関係が良好だったなどと、本気で言うつもりか?

762日本@名無史さん:2007/12/21(金) 10:43:04
良好じゃないから殺したと?
763日本@名無史さん:2007/12/21(金) 10:55:43
>>761
「マラ女」の宣伝工作員のくせに、なぜそう偉そうな口を叩くんだ?

764日本@名無史さん:2007/12/21(金) 10:59:52
>>738
「○「光秀神官、陰陽師説」なる珍説」って何だ?
ネタのバラマキはやめろ!
765日本@名無史さん:2007/12/21(金) 16:59:09
>>761
753に答えてよう
766日本@名無史さん:2007/12/21(金) 18:57:46
とある立ち食い「うどん」店で

団塊のオヤジが「天ぷらソバ」

店員「申し訳ないです。ウチはうどんしかありません」

団塊「はぁ???お前んとこソバ屋なのにソバ置いてないのかよ」

店員「・・・ウチ、うどん屋なので」

団塊「うどん屋だと???・・・じゃうどんでいいよ。うどんで」

店員「天ぷらは色々ありますが何天で?」

団塊「はぁ???天ぷらっつったら天ぷらだろうが!!」
767日本@名無史さん:2007/12/21(金) 18:59:45
多分「石に躓いた」ではなく「石に躓かされた」と
考えるタイプの人間。
768日本@名無史さん:2007/12/21(金) 20:00:22
盆山って盆栽みたいな観賞用の石だよね?
良い物なら、みんな見に行くだろうし。ホントに拝んでたんかね?
怪しいよフロイスさん
769日本@名無史さん:2007/12/22(土) 05:46:07
>>767
いやいや
「何者かが俺に罠をかけるためにこの石を置いた」
と考えるタイプの人間だろ。

自分の不注意とは絶対に考えない、
己の非は絶対に認めないタイプということでは一緒かw
770日本@名無史さん:2007/12/24(月) 21:10:19
マラ女販促人は?
771日本@名無史さん:2007/12/25(火) 11:47:59
連休明けても来ないな。
ついに逃げたか。
772日本@名無史さん:2007/12/25(火) 13:34:49
冬休みなんじゃね?
773日本@名無史さん:2007/12/26(水) 00:26:26
信長は本当に本能寺から脱出したのか?
仮に寺から出てその後、生き延びたとしてもいったい何をしてたのか?
(もしかして僧侶になったとも考えられる)

抜け穴はあったんだろうか?

「信長の棺」「敵は本能寺にあり」の信憑性は低い。
774日本@名無史さん:2007/12/26(水) 00:39:30
当たり前だ
775日本@名無史さん:2007/12/26(水) 11:23:38
秀吉の祐筆が書いたとされる『中古日本治乱記』には、齋藤利三が焼け跡で信長の着ていた
衣服の燃え残りを発見したたとあり、当初、阿弥陀寺でもそれを寺宝としていたが、火事で
それが失われて後に、例の寺伝が創作されたらしいよ。

776日本@名無史さん:2007/12/26(水) 13:09:40
であるか
777本能寺の変、四百二十五年目の真実:2007/12/27(木) 10:38:56
>>773>>775●●●大ミステリー「信長の死体は何処へ行ったのか?」●●●
○最新の研究家や小説家の意見を読んでいないな?

●「十数人の側小姓が信長の死体をばらばらにして」、
二十人ばかりの死体の中に隠した。
大事な部分は自分たちの腹を切って、中に隠した。死体消失の大トリック。
●「信長は実は女だった。」
そこで女に戻り、着物を着て逃げるところを斬られた。
間違いなく女だったので、死体は捨てられた。
●「実は影武者だった。」
本物は数年前、長男信忠に家督相続問題で殺されていた。
信忠は父が生きていた方が何かと権力には都合がいいので影武者を置いていた。
本能寺で影武者は変装を解いて逃げたが、斬られた。
●「信長は化粧マニアだった。」
京都馬揃えの記録に眉を描くなど、化粧のことがある。
素顔は誰もよく知らなかった。本能寺で、それを落として死んだので解らなかった。
●「逃げるとき、斬った明智の軍兵士の紋の鎧を着た」。
それから焼け死んだ。
その為、明智の兵士は味方と思って調べなかった。

●「信長は実は生きていた」。抜け道から逃げ、生き延び、次男織田信雄のもとに行ったのだが、
信長が死ねば、信忠亡き後は自分の天下になると考えていた信雄に密かに殺された。
信雄は安土天主閣を焼いたと言われるが、実は信長の死体を隠すために焼いたのである。
778日本@名無史さん:2007/12/27(木) 10:44:20
そーゆうのばっかり読んでるのかw
779日本@名無史さん:2007/12/27(木) 13:39:01
ほんとレベル低いね
780日本@名無史さん:2007/12/28(金) 22:55:48
それで、信長直系の信忠の子の三法師は
誰に殺されたの?それが本能寺の黒幕では?
三法師に子はなかったの?
子孫だと主張する人いないの?
781日本@名無史さん:2007/12/31(月) 05:25:36
まだやってんのかここw
782日本@名無史さん:2008/01/03(木) 17:30:12
日本テレビで明日夕方9時に
「天下統一!三武将スペシャル 信長・秀吉・家康〜真のリーダーは誰か!?〜」
ってのやるんだけど、本能寺を発掘調査するらしい
これで本能寺の真実ってわかるの?
783日本@名無史さん:2008/01/03(木) 17:34:11
天下統一!三武将スペシャル 信長 秀吉 家康 〜真のリーダーは誰か!?〜
http://www.ntv.co.jp/program2007/55-001.html
784日本@名無史さん:2008/01/05(土) 00:34:02
やっぱり秀吉は信長の異変をわかってたみたいですね。
でもだからと言って秀吉首謀説が有力になったともいえない。
785日本@名無史さん:2008/01/05(土) 00:39:05
信長自殺説は、ただの仮説に過ぎないのか

信長がわずかな家臣で寺に入ったことや、本能寺焼失後、信長の遺体が見つからなかったこと
また信長は光秀が攻め入ってくるのを予測できなかったのだろうか?

一説では寺に抜け穴が実際にあり、そこで切腹し、本能寺が崩れ落ちると同時に抜け穴が埋まってしまったのではないか?
786日本@名無史さん:2008/01/05(土) 00:41:02
本能寺に堀があったとはなあ。
これも本能寺の変の真実を探る上で重要な史実になりうるか?
787日本@名無史さん:2008/01/05(土) 01:34:05
>>785
焼け跡から信長の刀「光忠」が見つかったらしいし、別の場所で切腹ってのは無いと思う
788日本@名無史さん:2008/01/05(土) 11:48:42
光秀の家臣は本当に焼け跡から信長の遺体を発見できなかったのだろうか?
一説では一家臣が光秀に内緒で埋めたとも言われてるが
789日本@名無史さん:2008/01/05(土) 16:54:50
文化財調査会によると、本能寺の堀は幅6メートル、深さ1メートルだと。
これって名目上は寺だけど、やっぱ城だよな
790日本@名無史さん:2008/01/06(日) 00:04:27
雍州府志 巻四 阿弥陀寺
浄土宗にして、開山、生誉清玉と号す。織田信長公生害の時、本能寺焼け終てて後、
清玉、その場に赴き、骨灰を聚む。この寺に葬る。灰中、信長公の常に著るところの衣服の余燼あり。
これをもって徴とし、別に葬埋し奉る。堂に、信長公ならびに信忠公の彫像及び戦死百二十人の連牌あり。

柳本織田家記録 阿弥陀寺
御肌ニ被召候御帷子 血付有之候


とあり、寺宝だったことが分かるが、延宝元年十一月廿五日の大火で焼けてしまったという。
そして例の寺伝が創られたとさ。

791日本@名無史さん:2008/01/06(日) 01:41:05
>>790
もっとわかりやすく解説してくれ
792日本@名無史さん:2008/01/06(日) 09:42:27
つまり、清玉が本能寺に立ち入ったのは変の最中ではなく明智勢の探索が終わった後?であり、
そこで信長の衣装の焼け残りを発見し、それを証としてその付近の骨灰を信長のものとして
墓を建てたものの、後に火事でそれが失われると代わって、清玉が直接、信長の遺体を発見した
という寺伝が捏造されたということなんだよ。
一説に、発見者は齋藤利三であったともいう。
793日本@名無史さん:2008/01/06(日) 11:36:36
信長が地下の抜け穴を通って生き延びてた事実は?
信長と悟られないよう出家して頭を丸めて、徳川方について徳川幕府の礎を築いた。
現在、信長は家康とともに日光東照宮に祭られている。
794日本@名無史さん:2008/01/06(日) 19:11:28
↑寝言です。
795日本@名無史さん:2008/01/07(月) 01:04:06
博の関係者?

横浜市神奈川区の会社事務所で同社社長の男性とみられる遺体が
見つかった事件で、神奈川県警神奈川署などは6日、事務所に住む
自称解体工の大庭欽八郎容疑者(53)を殺人容疑で逮捕した。
(毎日新聞)
796日本@名無史さん:2008/01/07(月) 03:16:13
>>793
生きてたら隠れるはずがない 生きていたと言う仮説だけは絶対にないと断言する
797日本@名無史さん:2008/01/07(月) 07:46:39
ナチスドイツのヒトラーも逃亡生き延び説とかあったよな
有名人にはつきものなのかなこういうの
798日本@名無史さん:2008/01/07(月) 10:33:45
まあ本当に生きてたら、まず光秀討ちを決行するだろう。

遺体がないのは、たぶんフロイスのいうように寺の爆破説も有力になってくる
寺の地下が武器庫になってるというのもうなづける。
799日本@名無史さん:2008/01/07(月) 11:24:26
>>795そんな訳ないだろう。博君は今北海道にいる。

その名は大場欽八郎だろ。
800日本@名無史さん:2008/01/07(月) 11:47:22
本能寺は武器のルートを持ってたみたいだから武器庫ってのも有りそうだけど、本能寺って変の前も移転後も度々火事に遭ってるよな。火薬の上に住むの恐くないのかね?
801日本@名無史さん:2008/01/07(月) 11:47:42
「羽柴秀吉は明智光秀の謀叛を知っていたのか?」

「ほう、光秀が五月二十八日、愛宕山に奉納した句に、時は今とな?」
「そして、句の最後あたりに、はなのもと、と言葉が、、、」
「、、、、、」
「一時代にひとり天皇にゆるされる名誉の称号のこと、、、、」
「馬鹿馬鹿しい、、、杞憂であろう、、、」
 秀吉は、弟羽柴秀長の心配そうな顔に苦笑した。
そもそも光秀が信長に何をするというのか? 謀叛を起こし、信長を殺しても、
その後、仇討と押し寄せる十数万の織田遺臣団の大軍に滅ぼされるだけではないか、、、
「世の中、勝ち馬に乗るものよ、、、、信長公に付いているだけで安泰じゃ」
「ですが、、、気になります」
「それほど心配なら、何か、中央との連絡網を強化しておけばよかろう、、、」
 現実主義者の秀吉にとって、勝算なき謀叛や信長の死など全く予想もできなかった。
802日本@名無史さん:2008/01/07(月) 13:57:23
>>800
tokyoはでっかい穴の上に街があるんだぜ
803日本@名無史さん:2008/01/07(月) 21:58:11
>>801
なんかものすごく間抜けなないようだが、誰かの小説か?
804日本@名無史さん:2008/01/08(火) 00:04:57
そういや前に博くんが「はなのもと」にこだわってたわな
805日本@名無史さん:2008/01/08(火) 03:09:11
何の話だよ
806日本@名無史さん:2008/01/09(水) 14:40:36
博はどうした?

やはり職場のPCを私用で使っているのがバレたか!!
807本能寺の変、四百二十六年目の真実。:2008/01/10(木) 11:24:31
>>801物凄く重大なことを書かれているのが解らんのか?

「本能寺の変がいつから始まるのか、、、」
秀吉の援軍要請が安土に来たときからか? それともそれよりはるか以前か?
あるいは光秀が京都で信長が無防備に宿泊していることを偶然知ったときか?
秀吉は信長殺害計画を知っていたか、いなかったか、、、

実は大変な歴史的問題なんだがね、、、、
これにより研究家は自説を決めねばならんのだ、、、、

しかし、、、秀吉は殆ど何も知らなかったろう、、、
不穏な動きを知ったとしても、本気にはしなかったのではないか、、、、
これが正解と思われるのだよ、、、
808本能寺の変、四百二十六年目の真実。:2008/01/10(木) 11:41:09

○本物のダイヤを本物と鑑定できない人間のやる店など
誰も行かなくなるだろう、、、
この真理がだんだん証明されつつあるな、、、
また一軒の店が潰れたらしい、、、、

しかし、それも当たり前だ、、、
本物の中のホンモノすら解らないのだから、、、、


夢など、戦国時代を生きた人間は求めたろうか、、
知りたいのは、戦国をどうやって生き抜いたかの真実の知恵だ、、、

「聖戦、マハーカーラの女」
真実の中の真実を知る、、、

809日本@名無史さん:2008/01/10(木) 12:11:11
あけおめ
810日本@名無史さん:2008/01/10(木) 13:23:30
今年もこのスレは博くんの妄想全開でおおくりいたします。
お楽しみに。
811日本@名無史さん:2008/01/11(金) 11:01:01
一月四日日本テレビ放映
「天下統一、信長、秀吉、家康、真のリーダーは誰か?」
信長、秀吉
○新古典派経済学、供給力肯定派、グローバルスタンダード、トップダウン。
家康
○ケインズ経済学、需要相当、独自文化、ボトムアップ、、、
イギリステレビBBCによれば「シーザー、クロムウエル、家康」だそうな。
○感想を言えば、信長のころはまだいくらも力による征服市場があった。
彼は未知数のまま死んだ。だから、まだ何か大きなことが出来たような見方がされる。
○秀吉のころは統一がされたが、武力、武将が完成されたまま残り、新たな征服地が必要だった。
でなければ謀叛が起こったかもしれない。不満の残る武将による朝鮮攻撃は、ある意味自然の成り行きだった。
○家康は、それらの失敗によるちょうどいい時期に台頭した。
武将たちは朝鮮攻撃失敗による無力感と敗北感を新たなる敵、石田三成ら官僚らに向けた。
すでに外国攻撃による領地確保が無駄とわかったとき、新たなる領地確保は豊臣政権内部抗争、
粛清によるしかなかったのである。
家康はそれを利用し、大失敗、損失を収拾する救世主という形で、タイミングを誤らずに出、
関が原に反対派を全て終結させ、一戦で幕を引いた。覇者である、、、
は、なかなかのつくり、、、

しかし、、、三成の首を関が原で首実検するという場面などあってはね、、、、?

812日本@名無史さん:2008/01/11(金) 21:07:07
          ____         _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _
       /_ノ  ヽ、_\      ( もう・・・私のばか・・・・!!!
.     / (● ) (● )\   (  また本心と・・・・違うこと・・言っちゃったお・・・
    ///////(__人__)///\   ◯   ほんとは・・・素直になりたいのに////
    |              | 。O   ̄  ̄  ̄  ̄  ̄  ̄  ̄  ̄  ̄  ̄  ̄  ̄  ̄  ̄
     \           /
    ノ            \
  /´               ヽ
 |    l              \
 ヽ    -一''''''"~~``'ー--、   -一'''''''ー-、.
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))
813日本@名無史さん:2008/01/12(土) 15:17:42
>>796
歴史は、これが真実だと特定されている事よりも多くの仮説・想像で成り立ってるって事が
わからんのか?
その中から発掘・発見・物的証拠や時代考証・検証をしていろいろな説がまた出てくる。
お前が断言したところでなんの意味もない。
ガリレオが地動説を唱えた時、世の中全般に「そんな事はありえない。」とされた例と同じで
いつか時代が進み新たなる発見、検証が生まれれば「本能寺で信長は死んでなんか無い」が
通説となってるやもしれん。

信長生存説だってそれを唱えてる識者、文献も存在する。
参考までに。
信長生存説参考文献   「夢幻の如く」 本宮ひろし著
814日本@名無史さん:2008/01/12(土) 18:36:45
本宮ひろしなら、どんなハッタリでも許す
815本能寺の変、四百二十六年目の真実。:2008/01/15(火) 10:38:15

>>813
○馬鹿なこというな、そんなことだから次の問題にも進めないんだろ。
あらゆる史実の検証、発見、発掘、考証は真実の追究のためになされるのである。
仮説、想像は史実追求のひとつの手段に過ぎない。
愛用の刀が発見されたというのなら、信長が本能寺で死なずに生きていた可能性はほとんどない。
刀は武士の命だからな。


816本能寺の変、四百二十六年目の真実。:2008/01/15(火) 10:49:09

少しは映画「ゾディアック」に出てくる研究家どもを見習え、、、
さすがに肉食人種だけあって、あの事件を徹底的に検証するやり方のしつこさと、スタミナはたいしたものだ。
石を刻んで建物や彫刻を作る人々だけのことはある。


お前はこの問題にも正確には答えられない。
「本能寺の変は、何時始まったのか?」
「毛利の諜報網は何処にあったのか?」


817日本@名無史さん:2008/01/16(水) 04:45:59
もう秋田県。
818日本@名無史さん:2008/01/16(水) 06:06:03
>>816
なるほど!
学問的問題を、人種・民族間の優劣に帰して明確に指摘される
大庭博先生の差別意識に満ちた見識に深い感銘を受けました。
愚かなる日本人は、この世で最も優れた人種である肉食人種=白色人種に近づくべく、一層の努力をし
他の低俗な菜食人種と一線を隠した存在にならなければならないのですね!

さすがは、自説に賛同するもののみを「真の国民」とする
選民主義思想を掲げる大庭博先生ですね!
819日本@名無史さん:2008/01/16(水) 06:45:49
もういい加減に駿河湾。
820日本@名無史さん:2008/01/16(水) 08:06:14
>>815
「刀は武士の命」
     |
(・ω・)ノ+

江戸時代の時代劇の見過ぎw
821日本@名無史さん:2008/01/16(水) 10:10:26
設問

戦国時代、特に織豊期において
「刀は武士の命」であると広く認識されていたということを
当時の「史料」の実例を3つほど挙げて証明せよ。
822本能寺の変は解明されている!:2008/01/16(水) 10:35:32

>>818何言ってるんだ? 
肉などを主食とする人種は、穀物を主食する人種と比べて、バイタリティがあるという
誰かの話を思い出しただけだよ。
それは、欧羅巴の何百年もかけて石で作られた聖堂の話だったと思うが。
それに私は大庭君じゃないぞ。代弁者といったろう。

>>821源氏の本家の後継ぎの印は「鬼切り」だったか、、、名のある刀。
織田信長の後継ぎへのあかしは曾我兄弟の太刀。
確か足利家の後継ぎへのあかしも名のある刀、、、、

823本能寺の変、四百二十六年目の真相!:2008/01/16(水) 10:44:35

織田信長の遺骸は何処にあるのか?
織田信長は本能寺から脱出に成功したのか?

この歴史的問題に答えようと私は、「本能寺・コード」
「京都秘密文書」を仔細に検討した。
その結果、織田信長の遺体の存在場所も大体の見当がついた。
その手掛かりのような物を発見したのだ。
私は「本能寺・コード」は間違いなく戦国史最大の暗号だと思う。
全ての謎には大体答えられるのだ。

●●●天下人織田信長の遺体は、ここにある。●●●
「   」の「     」Р


824日本@名無史さん:2008/01/16(水) 16:31:53
山崎の戦い後、朝廷が秀吉の意のままに動かされたのは、秀吉と信長三男・信孝によって吉田兼見を取り調べることによって得た朝廷関与という真実を、秀吉が創作した「推任退治記」によって隠蔽したという功績があった。
825日本@名無史さん:2008/01/16(水) 19:49:26
正新町天皇
誠仁新王
勧修寺晴豊
吉田兼見
細川藤孝
明智光秀
826日本@名無史さん:2008/01/16(水) 20:05:57
>>824
推任退治記→×
惟任退治記→○
827日本@名無史さん:2008/01/16(水) 21:59:34
>>824
週間アゴスティーニかなんかの今売ってる歴史の真実とかいう胡散臭い本にその通りに
書いてあったね。
あんなん信じるお前はある意味幸せ者。
せっせと、妄想歴史書を全巻そろえろよ。おまえにはムーもお勧めw
828日本@名無史さん:2008/01/16(水) 22:11:57
>823
「小島よしお」の「オッパッ」Р
829日本@名無史さん:2008/01/16(水) 22:52:41
>>827
おまえ童貞だろw
830日本@名無史さん:2008/01/16(水) 23:40:44
光秀は山崎の戦いで秀吉軍に敗れた後、坂本を目指して落ち延びる途上の小栗栖で、落ち武者狩りの土民に竹槍で刺し殺されたんだろう
もしかしてこの土民って、信長では?

831日本@名無史さん:2008/01/17(木) 00:00:59
>>827
その胡散臭い本とやらを、ちゃっかりと読んでるんだね坊やは・・・












(失笑)
832信長:2008/01/17(木) 03:42:52
>>830
お前、よくわかったな。
実はあれやったの、俺なんだよな。
光秀の野郎に仕返しできてスカッとしたぜ。

でも、公式には死んだことになってるから、内緒にしといてくれよな。
833日本@名無史さん:2008/01/17(木) 11:12:22
>>824
なんだ。この意味不明のねじれた文章は?

「山崎の合戦後、朝廷は秀吉の意のままに動かされている。
その理由は、本能寺の変について秀吉と織田信孝が吉田兼見を取り調べた際、
朝廷が関与したという絶対の証拠を掴んだからではないかと思われる。
その後、秀吉は織田信孝を追い詰めて殺し、証拠品を自分だけのものとした。
そして、朝廷の権威を利用し、さらには「惟任退治記」を創作し、本能寺の変の真実を隠蔽したのである」

と、この場合は書くべきではないか?

●もっとも秀吉が吉田兼見を取り調べたって史実、調書はないだろ?、
細川藤孝[幽斎]の提出した「光秀自筆の手紙」について何も疑問を言っていない。
834日本@名無史さん:2008/01/17(木) 22:39:43
( ̄□ ̄;)!!
835日本@名無史さん:2008/01/18(金) 08:48:06
>>823
場所わかってっるならさ、発掘調査してみようぜ
なら論理付けるまでも無く、一般にも自説の証明ができるじゃん
836日本@名無史さん:2008/01/18(金) 09:34:31
また暗号とか言うんだろうな。
自分たちの安全確保だろ
また何があったら
降りかかる火の粉は、朝廷のためには一族も犠牲にする光秀のような馬鹿(大庭説によると)を探して押しつける。それが聖戦
837日本@名無史さん:2008/01/18(金) 10:23:45
明智光秀は、朝廷のためなら、領土・家臣・一族全てを投げ打って、
悪の大魔王織田信長を退治する、正義の勇者様です。

そして、大庭説に異を唱えるものは全て、
天皇をないがしろにし、国家を転覆しようとする悪の秘密結社の一員に認定されます。
真の日本国民は、絶対正義の大庭博様に逆らうことは許されません。
838日本@名無史さん:2008/01/18(金) 11:15:02

>>837○明智光秀が朝廷と旧文明の保護のために動いたのは確実と思われる。
彼は元神官、陰陽師、僧侶の何れかと思われる。
光秀が織田朝廷を歓迎しなかったのは信長の苛烈な性格、行動に不安を抱いたから。
軍事的には柴田勝家三万の軍の同盟の内諾を得たから。

別に言論の自由の世の中だからいかなる説もそれなりの評価を受ける権利がある。
その中で光秀忠臣説があってもいっこうにかまわない。
天皇をないがしろにし、日本人の信仰の中核、信仰心を砕こうとする陰謀、秘密結社もあるかもしれない。
真の日本人は祖先、過去の歴史を大事にし、神や仏への信仰心を持ち、拝金主義のみに頼ることなく、
生きるべきである。
と思われる
839日本@名無史さん:2008/01/18(金) 11:28:50

おそらくは戦国史最大の暗号であろう
「本能寺・コード」は世に実在する。

全ては、ただひとつの誤算、羽柴秀吉の中国大返しによって覆された!
国家の真実、、、
「聖戦、マハーカーラの女」博君著。

織田信長の桶狭間での大勝利はとっくに決まっていた!!

そして、何故、安土のキリスト教会、セミナリオ跡は発掘されないのか?
それは、、、
840日本@名無史さん:2008/01/18(金) 13:21:51
それは、、、だからなんだよ?
841日本@名無史さん:2008/01/18(金) 23:48:57
きっと楽しい答えなのだろう。期待して待とう
842日本@名無史さん:2008/01/19(土) 05:04:28
>>838
義務を果たさず、権利だけを声高に主張する輩は
いつみても醜悪極まりないな。

さすが、定価2千円程度の三流ミステリーを、
必死で2百万で売りつけようとする拝金主義者さんだw
843日本@名無史さん:2008/01/19(土) 09:03:20
>>839
続きまだぁ?
844日本@名無史さん:2008/01/19(土) 19:25:28
すみませんm(_ _)m このスレは全てfictionです。
845日本@名無史さん:2008/01/20(日) 03:42:25
このスレの唯一の真実。
それは『聖戦、マハーカーラの女』なるミステリー小説が
世間から全く評価されず、全然売れず、
著者の家に在庫がたくさんねむっているということのみである。

在庫が完売するまで、大庭家の家計がたてなおされるまで
この糞スレは途絶えることなく、いつまでもつづくであろう。
846日本@名無史さん:2008/01/20(日) 11:13:19
な〜んだぁ
お金が欲しいだけかよ・・・
847日本@名無史さん:2008/01/20(日) 12:15:51
>842
2百万じゃなぞ、3百万だw
848日本@名無史さん:2008/01/20(日) 14:04:05
タチの悪い乞食だな
849日本@名無史さん:2008/01/20(日) 17:10:12
織田信長
850日本@名無史さん:2008/01/20(日) 22:36:30
光秀謀反に朝廷関与は疑う余地は無い。
当時の朝廷が置かれた情勢や、光秀敗死後の有力公家の不可解な慌てふためきぶりを勘案すれば明白だ。
851日本@名無史さん:2008/01/20(日) 22:52:55
>850
そういう曖昧な論拠は散々既出。読み飽きた。
852日本@名無史さん:2008/01/20(日) 23:23:47
じゃ本能寺の変の真相をどうぞ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
853日本@名無史さん:2008/01/20(日) 23:27:08
>>851
では貴殿のご意見を伺いたいな。
人を批判するからには、その反証を示せよ。
854日本@名無史さん:2008/01/20(日) 23:27:50
韓国人論法の特徴
http://www.geocities.com/asianneighbors/z4eKoreanDebate/

特徴その1 『居丈高』
特徴その2 『質問返し』
特徴その3 『話題逸らしの誤魔化し』
特徴その4 『根拠のない決め付け』
特徴その5 『罵倒』
特徴その6 『一人で勝手に勝利宣言』
最終段階  『逃亡』
855日本@名無史さん:2008/01/20(日) 23:55:02
vermin
856日本@名無史さん:2008/01/20(日) 23:55:47
朝廷説を否定する奴らは、他に説得力ある論拠をもってないだろ
857日本@名無史さん:2008/01/21(月) 00:24:19
朝廷黒幕に説得力があるとな?
858日本@名無史さん:2008/01/21(月) 00:31:29
>853
>当時の朝廷が置かれた情勢

の詳細と、

>光秀敗死後の有力公家の不可解な慌てふためきぶり

具体的に誰がどのように慌てふためいたかを書くのが先決だろ?
詳細なことを挙げられないのなら博くんと同レベル。
859日本@名無史さん:2008/01/21(月) 05:37:01
>>850
>当時の朝廷が置かれた情勢や、

平氏将軍、改暦云々なんて寝言。


>光秀敗死後の有力公家の不可解な慌てふためきぶりを勘案すれば明白だ。

近衛のことだろうが、彼などは信長からのえこ贔屓を嫉まれ、
光秀に屋敷を利用されたことを口実に追い落としの讒言を受けただけ。

その他は酒を飲んでいただけ。


受け売りじゃなくて自分で史料を読み奈。
860日本@名無史さん:2008/01/21(月) 10:32:12
歴史のミステリーでも朝廷説とりあげられてた。
861日本@名無史さん:2008/01/21(月) 11:53:20
結論なんて出せないくせに否定ばっかりのアンポンタンw
862日本@名無史さん:2008/01/21(月) 15:59:47
是非もなし
863日本@名無史さん:2008/01/21(月) 19:48:56
>861
博くんのことかーーーっ!!!
864日本@名無史さん:2008/01/21(月) 22:18:04
呼んだ?
865本能寺の変、四百二十六年目の真実。:2008/01/22(火) 10:14:03

だが、戦国史最大の謎、本能寺の変がすでに解明されているのは
真実だからな。
その証拠品を載せた書物は、まさに最大の価値が出るはず。
しかし、それを認めたくない妙な連中が圧力なのか、邪魔だてをしているだけだろう?
盗作、盗用での金儲けか、日本人に箔を付けたくないのか、その他に何かあるのか?だな。
しかし、「真実は周囲が隠そうと沈黙しても一人で来る」

なぜなら、その証拠品は「聖戦、マハーカーラの女」の著者が捏造したものではなく、
四百年前の人間が真実を伝えようと造った物だからだ。

知識人たちは、もうそれに気づいた。


866本能寺の変、四百二十六年目の真実。:2008/01/22(火) 10:25:02


○大ミステリー「天下人織田信長の死体は何処へ行ったのか?」

私は、おそらくは戦国史最大の暗号だろう「本能寺・コード」「京都秘密文書」
を長年検討してきたが、その中に死体の行方に関係するキーを発見した。
全ては「神の御名において、、、」行われたのだ、、、

>>860○ディアゴスティーニの「歴史ミステリー」シリーズか?
当然だな、
本能寺の変はもう朝廷説で解明されてるし、
あまりに的外れを書くと笑いものになるし、研究者たちにつつかれるからな、、、
まあ、すれすれに書いたんだろ、、、
本題はキリストの謎らしいし、、、、、


867日本@名無史さん:2008/01/22(火) 10:38:25
>>866
おや?
「戦国史最大の暗号だろう「本能寺・コード」「京都秘密文書」 を長年検討してきた」
のも
「死体の行方に関係するキーを発見した」
のも、君ではなく大庭博なんだろ?
何他人の功績をよこどりしてるんだ?

もっと自演の宣伝はうまくやろうねwww
868本能寺の変、四百二十六年目の真実。:2008/01/22(火) 10:44:36


「全ては神の御名において、、、、」
「、、、、皮肉ですな、、、」
「六月十五日、安土城天主は炎上する。この日は何の日か解るな?」
「、、、、、、下の総見寺の十一面観音像は?」
「救え、あれは燃えてはならぬ」
「、、、、、あの天主のみが消失するのですな?」
「できるな?」
「、、、、、、、、」
869日本@名無史さん:2008/01/22(火) 13:54:26
だから何なの?
誰でも理解出来るように日本語でお願いします。
870日本@名無史さん:2008/01/22(火) 15:34:24
何もかもが中途半端ですね。
結論が出ているなら堂々と公の場で発表すればいいのでは…
871日本@名無史さん:2008/01/22(火) 20:42:40
だな。
872日本@名無史さん:2008/01/22(火) 21:04:02
>865
>しかし、それを認めたくない妙な連中が圧力なのか、邪魔だてをしているだけだろう?

今でも普通に購入できて、図書館で普通に読める本のどこに圧力が?
圧力がかかっている「設定」にしておかないと3百万で売れないから言っているのだろうけど。
873日本@名無史さん:2008/01/22(火) 22:55:50
信長は本当に光秀の襲撃を予想できなかったのか。
これは信長自身の罠とも考えられる。
つまり信長が光秀が滅ぼそうと待ち構えていたとも考えられる。
一説では裏部隊がいたともいわれてる。
それで本能寺に入る時に少ない家臣しかいなかったのは、わざと襲わせる罠とも思える。

むしろ待ち構えた信長だったが、誤算があった。
裏部隊がいたといわれてるが、襲ってくる光秀の軍勢が減らない。

これは陰に服部半蔵もいたとも言う説もあった。
信長に恨みを持ってた伊賀の忍者が裏部隊を全滅させたとしたらどうだろう?
そうなると家康がかかわっていた可能性も否定できない。
874日本@名無史さん:2008/01/22(火) 22:58:52
家康は大阪夏の陣で真田幸村に討たれて、影武者をたてたという説が有力だが
もし信長が影武者だったら?
875日本@名無史さん:2008/01/22(火) 23:03:48
>>874
有力?
876日本@名無史さん:2008/01/23(水) 03:11:22
>>873
1万3千ともいわれる明智軍を待ち伏せにし、
包囲殲滅するだけの精鋭かつ大軍勢であるはずの「裏部隊」を
誰にも悟られることなく京に埋伏させた信長の天才的用兵

その「裏部隊」を、証拠も残すことなく全滅させ
全てを闇に葬った、服部半蔵率いる伊賀忍者達の恐るべき手練
歴史の裏では、このような恐るべき戦いが繰り広げられていたんですね!



で、どこの忍者小説に影響を受けたんだね?
「〜ともいわれている」「〜とも言う説もあった」とは誰が言ってるのかね?
ちゃんと、誰のどのような文献に載っているのか、出典を明確にしたまえ。

大庭博の同類が、同じ匂いをかぎつけてよってきたみたいだねw
877日本@名無史さん:2008/01/23(水) 10:12:01
>>873>>876
●信長が明智光秀を抹殺しようとしたら、安土に重臣たちと呼びつけて幽閉監禁、
その命令と言って、坂本、亀山城を占領すればいいだけ、、、、
あとは思いのまま、、、
なぜ、京都にそんな大規模な罠を仕掛ける必要があるのか?
878本能寺の変、四百二十六年目の真実。:2008/01/23(水) 10:20:25

>>869>>872●ほう、すると本物の中の本物すら本当に解らないと見える。
いったい何のために、分厚い本、史料を何十年も読んできたのか?
その歳になって、真実の中の真実、
巨大すぎるほど巨大なダイヤモンドすらわからない鑑定眼の持ち主なら、
いさぎよくその職を辞したまえ、、、

本物を本物と鑑定できない人間の居る店の商品は、
全てが、なにかあると疑惑の目で見られるだろうからな!!
879日本@名無史さん:2008/01/23(水) 11:59:08
博くんにとってのブ厚い本=Wiki
880日本@名無史さん:2008/01/23(水) 12:23:01
>>873
忍者ハットリ君と、らん丸がかわいそうじゃん。
881日本@名無史さん:2008/01/23(水) 13:13:05
>>878
つまり、全くの無資格、どの団体・協会にも属してない
自称在野の「宝石鑑定士」なるものが、
「私は世界で一番巨大なダイヤモンドを持っています。
これは私が独自に極秘のルートで手に入れました。詳細は秘密です。
欲しい方には特別に○億円でお売りします。
私が本物だと言うからには、絶対本物です。間違いありません。
ただし、買った人にしか実物はみせませんし、写真も見せません。
鑑定書もありません。
勿論、代金は先払いでお願いします」
という広告があり、口座の振り込み先だけが指定されている。
しかも、メールでの問い合わせ先などは一切なし。
返品・クレームも一切不可能。

こんな宣伝を個人のブログや2ちゃんで見つけて、
あなたは信用して買いますか?という問題です。

そんなもの誰が買うかよw
882日本@名無史さん:2008/01/23(水) 13:16:02
ああ、宝石の鑑定書自体は、無資格の素人でも書けるんだっけ?
公的な資格じゃあないから。

当然、価値は無いだろうけど。
883日本@名無史さん:2008/01/23(水) 21:31:41
無意味無価値
884日本@名無史さん:2008/01/23(水) 21:40:34
>878
圧力なんて何もかかってないのに誰にも認められないからって、
責任転嫁はよくないぞ。
885日本@名無史さん:2008/01/23(水) 21:45:55
是非も無しとは絶対言ってないよ
886日本@名無史さん:2008/01/23(水) 22:30:34
おらは本能寺の変の真相より、蘭丸や新介って信長のお気に入りだったの?
そっちが興味あるわ。
887日本@名無史さん:2008/01/23(水) 22:45:19
四国政策で失敗したミツヒデが、ノブナガの戦略の変転をみれば、将来における自身の大失敗を認識し、さらに朝廷の一部にそそされた。
ノブナガはミツヒデについてそこまで考えてなかったので不意をつかれた。
と思う。
888日本@名無史さん:2008/01/24(木) 00:52:02
>>887
まあ、君が「思う」分にはなんら問題はない。
存分に自分の中でだけで妄想をふくらませてくれ。
889日本@名無史さん:2008/01/24(木) 10:06:51
中途半端
890本能寺の変、四百二十六年目の真実。:2008/01/24(木) 10:11:18
>>881->>888
○つまらん責任逃れの手段をよくも考え付いたな。
人を詐欺師にして、言い逃れしょうというのが見え見えだ。
○商品文句
「聖戦、マハーカーラの女」
「世間で第一級史料とされたものしか使用していない。
それは有名作家、学者に認められているもののみ。
その国宝、史実を別学問分野の一級史料をプラスして分析したもの。
その別分野の史料も第一級とされ、世によく知られたもののみ」
そうでなくては、売り物にすらなるまい?

まあ、信長の最初の戒名「天徳院」を良く調べるのだな。
やはり私の説の方が正しかったから。
891本能寺の変、四百二十六年目の真実。:2008/01/24(木) 10:17:14


天正十年六月十三日、、、、
決戦、山崎天王山の戦い、、、

十三日、、、

この日もまた選ばれた、、、、
選んだのは、おそらくは羽柴秀吉、、、、
892日本@名無史さん:2008/01/24(木) 10:32:50
>>890
出版社も、作者も公開できない『津島牛頭天王と信長』や
「京都秘密文書」=「小栗虫太郎創作メモ」が
「有名作家、学者に認められている」「第一級史料」ねえwwww
893日本@名無史さん:2008/01/24(木) 10:38:42
>>890
このスレの序盤で散々無知を指摘され
史料を読んでいないことも露呈し
完全に論破された「天徳」のお話がどうかしましたか?

さすが「天徳の年号は3年まで」という新説をたてた博くん。
894日本@名無史さん:2008/01/24(木) 10:52:29
十専′くん・・・


895本能寺の変、四百二十六年目の真実。:2008/01/24(木) 11:14:45

>>892>>893ところが、お笑いになり、研究者らにつつかれまくるのは
君の論文の方なのだよ。
少しは図書館に通って、本物の史料を読み直したらどうなんだね?
それともこの程度しか、本物への言い逃れの方法は考え付かなかったのか?

もう一度、じっくりと調べなおすんだな。
全てを。








896日本@名無史さん:2008/01/24(木) 11:48:38
>>895
安土日記を知らない人間が「調べろ」言っても説得力マイナス100
897日本@名無史さん:2008/01/24(木) 12:36:03
これですなw

>「前田安土日記」前田家の記録だろ。風説を書きとめているだけ。

指摘されて、慌ててwikiのコピペ貼った人間が
「図書館に通って、本物の史料を読み直したら」と言っても説得力マイナス200
898日本@名無史さん:2008/01/24(木) 14:47:47
みっともないね
┐(´ー`)┌
899日本@名無史さん:2008/01/24(木) 15:11:44
浄土宗にして、開山、生誉清玉と号す。織田信長公生害の時、本能寺焼け終てて後、
清玉、その場に赴き、骨灰を聚む。この寺に葬る。灰中、信長公の常に著るところの
衣服の余燼あり。これをもって徴とし、別に葬埋し奉る。堂に、信長公ならびに
信忠公の彫像及び戦死百二十人の連牌あり。


『阿弥陀寺御由緒留書』より
900日本@名無史さん:2008/01/24(木) 15:44:24
○曰く、前田安土日記はひっかけらしぃからなw
901日本@名無史さん:2008/01/24(木) 16:37:24
衣類なんて残らないのでは・・
902日本@名無史さん:2008/01/24(木) 17:00:28
多分、寺が開祖清玉の手柄にしたくて
そういうことにしたんだろうよw
903日本@名無史さん:2008/01/24(木) 17:16:22
ところが、信長の子孫の家伝にも伝わっているんだよね。

有名な『信長の棺』でも採り上げられた寺伝は、火事でそれを
失ってから半世紀ほど後になって創作されたらしい。
904日本@名無史さん:2008/01/24(木) 20:59:00
◎相変わらずはしゃいでるようだな、○よ。
◎ところで以前から君は『学界で朝廷黒幕説はすでに定説』と喚いているが、最近CMでよく見るあのデアゴスティーニの本には房総半島が鬼の角の形とか牛頭天王がどうとか、書かれているのか?
◎というか既に定説なら何故君はそんなに必死になるんだ?
905日本@名無史さん:2008/01/24(木) 21:06:31
それ。なんで一流学者が認めてる定説に圧力をかけるんだろうね。
総てが矛盾してるよ博くん
906日本@名無史さん:2008/01/24(木) 21:33:33
妄想人格障害
907日本@名無史さん:2008/01/24(木) 23:47:03
今年こそは2ch以外の掲示板に博くんは書き込みをしてくれるのかな?
…博くんは今年も2chに引き籠もりだろうけど。
908日本@名無史さん:2008/01/25(金) 01:01:58
はしゃいでるわけでも、妄想人格障害でもありません。
ただ、自著の宣伝のために必死なだけです。
金のためにはどんな嘘、詭弁も必要なのです。
ただ、切実に金が欲しいだけの人なのです。

だから、学問的にいくら問題点を指摘したことで、無意味。
あちらは、はなからまともに議論する気はないから。
909日本@名無史さん:2008/01/25(金) 01:23:00
どうでもいいが、本能寺やダラスやダイアナやマリリンの死の真相は
いつ暴かれるんだ?
910本能寺の変、四百二十六年目の真実。:2008/01/25(金) 10:18:54
なぜこういう百年遅れた人間が出るんだろうな、、呆れるな。

○「本能寺の変」
朝廷説、光秀の軍事同盟者柴田勝家。

他のは色々な映画、本で見ると、、、こうらしい、、、、
○「ダラスの暗殺」軍産複合体、ニクソン大統領。
○「ダイアナ妃の死」パパラッチが追い詰めて、殺した。事故死。
別説 イギリスのMI6が、元妃の妊娠を恐れた。

○「マリリンモンロー」
ジョン・ケネディを陥れようとしたマフイア。
ロバート・ケネディに潰されたので、今度は彼を殺した。
が、その報復でボスが跡形もなく消滅。で、何もしなくなった。
911本能寺の変、四百二十六年目の真実。:2008/01/25(金) 10:22:31
>>908プロパガンダ工作員、スバイ工作員かな?。

●●ある団体ののプロパガンダの実験によると
「ケチ、金に汚い、金にがめつい奴」
という噂を流すと、人はその人間に嫌悪感、拒否感を無意識に抱き、
相手にしなくなる傾向がある。
912本能寺の変、四百二十六年目の真実。:2008/01/25(金) 10:30:00

>>899清玉上人が採取した骨が信長のものかどうかはよく解らない。
この行だけでは。

また矛盾してる、とも思われる。
一方では骨をとって納めたとある。
なのに、もう一方では常に着る衣服の燃え残りをとり、別に納めたとある。
普通は、一箇所に葬るものなのだが?

913本能寺の変、四百二十六年目の真実。:2008/01/25(金) 11:08:33

「中東の笛」

皆がそれに気づいた。そして、、、
914日本@名無史さん:2008/01/25(金) 12:41:22
>>912
日本語が分からないらしいね。

つまり、信長の衣服の燃え残りを証しとして、その付近の骨灰を信長のものと断定し
墓を建てったていうことだよ。

小学校の国語から勉強し直したほうが良いな。
915日本@名無史さん:2008/01/25(金) 15:11:44
まあかなり燃えただろうから、ほとんど骨しか残ってないだろう。
どれが信長の骨かなんて判別がつくはずがない。
916日本@名無史さん:2008/01/25(金) 15:21:45
>>910
「本能寺」・・・黒幕なんていない、単に光秀の恨みによるもの。
「ダイアナ」・・・英国政府がかかわってる説があるが、単なる事故死
「マリリン」・・・単なる病死

「ダラス」・・・これが世界最大の謎、CIA説は、まだまだ濃厚だが
オズワルドがケネディを撃ったのは自殺の説もある。
これもジョンレノン暗殺に似ている。
917日本@名無史さん:2008/01/25(金) 15:37:20
だいたい、清玉なる僧がいつ本能寺に踏み込んだんだい?
光秀は信長が死んだことを確かめ、世に宣伝するために
血眼になって本能寺の焼け跡から信長の遺骨を捜そうとしただろうし、
秀吉が上京してからは、当然、次期政権者として主君の葬式を行うためにも
それこそ血眼になって探しただろう。
一介の僧がどの時点で本能寺に足を踏み入れ、遺骨をあさっていたのかが不明。
もし、遺骨を入手するようなことがあれば、必ずや勝家や秀吉が黙っておらず、
大徳寺で香木を遺骨の代わりに燃やすようなこともなかっただろう。
信長の息子たちも当然要求しただろう。
918日本@名無史さん:2008/01/25(金) 16:20:32
妄想…妄想…
919日本@名無史さん:2008/01/25(金) 19:42:21
織田信長と清玉が兄弟関係だというのはネタ?
920日本@名無史さん:2008/01/26(土) 18:30:48
そもそも、このスレ自体がネタ
921日本@名無史さん:2008/01/26(土) 19:29:10
本能寺って5千坪くらい?
夜遅くまで話込んでるなら信忠と側近くらい本能寺に泊っても良さそうなのに。
火事とかで一遍に死んだりしたら困るから?
922日本@名無史さん:2008/01/26(土) 19:44:04
「あたしゃ神さまだよ」
とか思っちゃうくらいだから単なるバカ殿だったんだよ。
923日本@名無史さん:2008/01/27(日) 07:18:54
旧本能寺の広さは現在の二条城本丸程でであり、信長の御屋敷はさらにその1/4ほどの広さ
を堀で囲ったもののようであったようだから、その御殿もそんなに大きくかったんだよ。
924日本@名無史さん:2008/01/27(日) 11:07:33
>>923
広さはそんなもんなのか。なるほ、サンクス
925日本@名無史さん:2008/01/27(日) 15:22:30
そんな狭いところじゃ、多数の名器を披露した茶会が行なわれた可能性はないね。
926本能寺の変、四百二十六年目の真実。:2008/01/28(月) 10:27:44

>>916●なんで゛マリリン・モンローが病死になるのか?
公式には睡眠薬の飲みすぎによる事故死か、自殺だろ。
しかし、ケネディ大統領の愛人だったらしいし、会う直前の死だったらしい。

●ダラスでケネディを撃ったとされたオズワルドは、すぐに撃たれたし、
撃ち殺した犯人も獄中で妙な死に方をしたという。
これはマフィァのやり方だと騒ぎになった、らしい
927日本@名無史さん:2008/01/28(月) 10:43:59
>>926
ねえ、君はマラ女の性戦の著作者とは別人なんだよね?
928本能寺の変、四百二十六年目の真実。:2008/01/28(月) 10:46:05
>>914>>917初心者でも解る信長の死体の見つけ方。

●森蘭丸か、愛姓の死体がすぐ側にある。
●一番奥まった部屋で、切腹か、鉄砲などの自殺体で発見される。
●名刀、名茶器の側で発見される。
●死体、首をなんとか隠そうとした跡がある。
●格好付け男らしく、燃えないものに書いた遺書らしきものがある。
●死体に明智の下っ端の軍兵士を何とか買収し、変装して逃げようとした形跡がある。
黄金をいっぱい持っていた、明智の下っ端の鎧を着ていたなど、、、。

○本当に本能寺に信長の死体がなかったとすると問題で、
出あった明智のしたっはの兵士を買収し、鎧、旗など借りて逃げた可能性がある。
が、この後、二条城攻防戦があり、しつこく市中残兵士狩り、捜索が行われたので
その中で殺された可能性もあるな。その場合、本能寺から変装し、
逃げたと思われるのが嫌で、信長とは名乗らなかったろう。
929日本@名無史さん:2008/01/28(月) 10:48:27
>>926
ふーん、「らしい」ねえ。
どこの歴史ミステリー番組を見たのかな?
ちゃんと出典を書こうね。
謎ときごっこに夢中な、自称歴史研究家さん。
930本能寺の変、四百二十六年目の真実。:2008/01/28(月) 10:56:11


 九二八番はお遊びだ。
織田信長の死体のあり場所は、おそらくは戦国史最大の暗号であろう
「本能寺・コード」に、
そのキー、手掛かりのようなものがある。
これは朝廷説によってのみ、成り立つ手掛かりである。
931日本@名無史さん:2008/01/28(月) 10:59:17
>>930
「のようなもの」?
手がかりではないのね
932日本@名無史さん:2008/01/28(月) 11:02:17
>>930
何をいまさらw
お前の書き込みは最初から全部「お遊び」だったろ?
真面目な学問的考察がどこかにあったっけ?
933日本@名無史さん:2008/01/28(月) 11:04:17
>>931
「市役所のほうから来ました」人みたいだなw
934日本@名無史さん:2008/01/28(月) 11:38:25

>>933意味不明?
935日本@名無史さん:2008/01/28(月) 11:56:14
>>934
「市役所のほうから(方角から)来ました」
市役所の人間ではない
手がかりのようなもの
手がかりではない
バールのようなもの
バールではない
バールのようなもの
ttp://photos.nikkansports.com/baseball/professional/tigers/album/photo/basu-01.jpg ではない
バールのようなもの
tp://static.flickr.com/33/59615888_0f59e2987a_o.jpg ではない
似て非なるもの
混同を誘うもの
意図的な場合も
936日本@名無史さん:2008/01/28(月) 14:58:16
>>934
わざわざ説明どうも。
かなりベタな文句だと思ったけど、意外と知らない人多いのかな?
937日本@名無史さん:2008/01/28(月) 18:39:49
>>930
「お遊び」はともかく・・・・火縄銃で自殺って発想が博くんらしいというか何というか
938日本@名無史さん:2008/01/28(月) 23:45:22
(^^ゞ
939本能寺の変、四百二十六年目の真実。:2008/01/29(火) 10:38:14

>>937「織田信長は火縄銃で自殺」、

ありえるよ、日本軍がよく島の洞窟で長銃自殺したが、
頭に銃口を当て、足の指で引きがねを引くんだよ。
戦いの最中、誰かか用意しても不思議ではないし、明け方だから灯火もあった。
火薬の糧、弾を二倍くらい詰めれば頭は吹き飛ぶかも、、、
一瞬で死ねると信長は考えたかもしれん、、

940日本@名無史さん:2008/01/29(火) 11:00:11
>>939
いや、戦国日本なら切腹でしょ
なんでわざわざ銃で自殺
しかもトリガーに足の指引っ掛けて、銃口を頭に押し付けて、長身の銃身を抱えるなんて不恰好な姿勢で
941本能寺の変、四百二十六年目の真実。:2008/01/29(火) 11:09:45

>>940織田信長は死体や
首を世に晒されることを病的なまでに嫌がっていたというからね。

首を晒されることを嫌がった武将松永久秀は愛用の茶釜の中に火薬をつめ、
それを頭にかぶって自爆した。
信長もそれを知っていたし、、、
942本能寺の変、四百二十六年目の真実。:2008/01/29(火) 11:12:39


、、、「中東の笛」、、、、
943日本@名無史さん:2008/01/29(火) 12:55:22
>>939
戦国時代の火縄銃による自殺の実例を挙げよ。

>>941
信長が「死体や 首を世に晒されることを病的なまでに嫌がっていたという」
根拠を信頼できる史料から引用せよ。


ああ、すまない。
「お遊び」でやってる人に学問的な指摘は野暮だったねw
944日本@名無史さん:2008/01/29(火) 14:05:14
>>941
なんで後だしするかなあ
仮にそれが全部事実だったとしよう
だったら、わざわざ鉄砲にこだわる必要ないじゃん?
柴田みたいに自分の周りに火薬置いて、点火すればいいじゃない
首どころか全身木っ端微塵になるよ
945日本@名無史さん:2008/01/29(火) 19:25:32
で、結論は?
946日本@名無史さん:2008/01/29(火) 22:10:37
◎本当に考え方が変わってらっしゃる。
◎敵に包囲された状況で鉄炮の弾を残すような真似をする訳がない。太平洋戦争当時のそれと比べること自体おかしい。
947日本@名無史さん:2008/01/29(火) 22:22:51
>>943
◎彼は史料を挙げることは出来ません。史料と言えるものは読んでませんから。
◎前田本安土日記についても『前田家の風説を集めたもの』という名言を残してくれましたし、史料を引用する為に他の人間に史料の文をこのスレに書き込むよう要求してきます。
948本能寺の変、四百二十六年目の真実。:2008/01/30(水) 10:10:48
>>946●織田信長の考え、行動が変わっていたことは知られている。
小さいころの奇矯な服装、鉄砲、鋼鉄船、大砲・おおづつ、傭兵部隊、天主、キリスト教、、、
自殺に鉄砲を使っても不思議ではない。
>>944●柴田勝家は天守閣で自決する前に用意する時間はかなりあった。

>>947●笑止、プロパガンダ工作員の言うことです。
こういうふうに「競馬馬のことを語るのに、足の速さではなく、馬の尻尾の数ばかり数える知性の持ち主です。
こんな人間が居るから、大相撲千年以上の伝統があんなことになるのです。
皆さんは、要点を見失ってはなりません。
949本能寺の変、四百二十六年目の真実。:2008/01/30(水) 10:29:56


>>946>>947●いったい何のために何十年も分厚い書物、史料の山を読んできたのか?
その歳で唯一無二の本物の中の本物、
巨大の中の巨大ダイヤに巡り会っても解らない
知性と良識しか持ち合わせないなら、潔く職を辞せ!

950本能寺の変、四百二十六年目の真実。:2008/01/30(水) 10:59:56

私は長期、おそらくは戦国史最大の暗号であるだろう
「本能寺・コード」を検討してきたが、
その中に妙な部分を発見した。
これは織田信長の死体の行方に関係しているのではないか?
そう思ったとき、もうひとつの奇妙なことに気づいた、、、

それはこの後天下人となった豊臣秀吉とある仏像、
いや、神像との関係の事である、、、
もしかすると、織田信長の遺体はここにあるのではないか?
951日本@名無史さん:2008/01/30(水) 11:01:56
キチガイスレ主をいじるスレはここですか?
952日本@名無史さん:2008/01/30(水) 11:06:30
信長なんか執着してあれこれ考えるほどの存在でもないしな
953日本@名無史さん:2008/01/30(水) 11:36:50
>>951
いえ、キチガイスレ主の相手をわざわざしてあげてる
ボランティアを行なってるスレです。
954日本@名無史さん:2008/01/30(水) 20:13:15
>>950
で、どこなの?
いつもいつも中途半端ですね…
955日本@名無史さん:2008/01/30(水) 20:48:57
956日本@名無史さん:2008/01/30(水) 20:49:24
957日本@名無史さん:2008/01/30(水) 20:50:00
958日本@名無史さん:2008/01/30(水) 20:50:36
959日本@名無史さん:2008/01/30(水) 20:51:32
960日本@名無史さん:2008/01/30(水) 21:07:54
>>949
◎『職を辞せ!』?
前にも言いましたが、私は一般の会社に勤めるごく普通の会社員です。あなたに辞めろと言われる筋合いはない。
◎なるほど、常日頃から特異な行動をしていた信長は自分を撃つために弾を残しておいた訳ですか。
変わってますね。多勢を相手に鉄炮の弾を残すとは。
◎足で引き金を引くと言ってたが、どう引く?立てれば火薬をのせる皿から全部火薬が落ちてしまうよ?まさか銃身を水平に保ったまま足で引き金を引いたと?
961日本@名無史さん:2008/01/30(水) 21:12:47
>>949
◎『巨大ダイヤに巡り会っても解らない』?
解りませんね。ダイヤダイヤとあなたは言うがよく見せてくれないので「ただの透き通った塊」程度にしか見えません。
あなたがそのダイヤの鑑定書である『京都秘密文書』を提示してくれれば万事済む話だが?
962日本@名無史さん:2008/01/30(水) 22:56:58
いい加減に千回
963日本@名無史さん:2008/01/30(水) 22:57:24
964日本@名無史さん:2008/01/30(水) 22:57:44
965日本@名無史さん:2008/01/30(水) 22:58:22
966日本@名無史さん:2008/01/30(水) 22:59:10
終わりにしようや。
967日本@名無史さん:2008/01/30(水) 23:19:21
968日本@名無史さん:2008/01/30(水) 23:19:48
969日本@名無史さん:2008/01/31(木) 03:40:16
ま、このスレ埋まったとこで、博が新しいスレたてるだけだけどな。
あのキチガイは、自著の宣伝と脳内妄想の垂れ流しのために、いつまでも続けるよ。
少なくとも、自宅の在庫が全部売れるまでは、
毎日宣伝をつづけるだろうね。
970日本@名無史さん:2008/01/31(木) 04:51:09
ま、このスレ埋まったとこで、博が新しいスレたてるだけだけどな。
あのキチガイは、自著の宣伝と脳内妄想の垂れ流しのために、いつまでも続けるよ。
少なくとも、自宅の在庫が全部売れるまでは、
毎日宣伝をつづけるだろうね。
971日本@名無史さん:2008/01/31(木) 04:51:39
ま、このスレ埋まったとこで、博が新しいスレたてるだけだけどな。
あのキチガイは、自著の宣伝と脳内妄想の垂れ流しのために、いつまでも続けるよ。
少なくとも、自宅の在庫が全部売れるまでは、
毎日宣伝をつづけるだろうね。


972日本@名無史さん:2008/01/31(木) 04:52:09
ま、このスレ埋まったとこで、博が新しいスレたてるだけだけどな。
あのキチガイは、自著の宣伝と脳内妄想の垂れ流しのために、いつまでも続けるよ。
少なくとも、自宅の在庫が全部売れるまでは、
毎日宣伝をつづけるだろうね。




973日本@名無史さん:2008/01/31(木) 04:52:47
ま、このスレ埋まったとこで、博が新しいスレたてるだけだけどな。
あのキチガイは、自著の宣伝と脳内妄想の垂れ流しのために、いつまでも続けるよ。
少なくとも、自宅の在庫が全部売れるまでは、
毎日宣伝をつづけるだろうね。






974日本@名無史さん:2008/01/31(木) 04:55:22
ま、このスレ埋まったとこで、博が新しいスレたてるだけだけどな。
あのキチガイは、自著の宣伝と脳内妄想の垂れ流しのために、いつまでも続けるよ。
少なくとも、自宅の在庫が全部売れるまでは、
毎日宣伝をつづけるだろうね。








975日本@名無史さん:2008/01/31(木) 04:59:33
5回までだもんね、連続投稿。
変な奴が粘着してるけど、
なにしたいんだ、こいつ、キモw
976日本@名無史さん:2008/01/31(木) 05:00:29
いまPC切って立ち上げなおしてるとこだろうな
キモッw
977日本@名無史さん:2008/01/31(木) 05:01:02
そう言いながら、埋めに貢献しちゃったwあはッw
978日本@名無史さん:2008/01/31(木) 05:15:05
あんたも好きネ。




979日本@名無史さん:2008/01/31(木) 05:19:16
さぁもう直ぐだ。
980日本@名無史さん:2008/01/31(木) 05:20:01
皆で埋めよう。




981日本@名無史さん:2008/01/31(木) 05:20:49
さぁさあヽ(^o^)丿




982日本@名無史さん:2008/01/31(木) 05:22:07
恥ずかしがらないで\(~o~)/
983日本@名無史さん:2008/01/31(木) 06:03:01
さぁはやくぅ。
984日本@名無史さん:2008/01/31(木) 06:21:17
ねぇねぇ。



985日本@名無史さん:2008/01/31(木) 06:53:40
ほらほら。
986日本@名無史さん:2008/01/31(木) 06:54:20
急いで。




987日本@名無史さん:2008/01/31(木) 06:54:57
あと少しだ。




988日本@名無史さん:2008/01/31(木) 07:07:19
○=大庭博の出勤前に・・・・・





989日本@名無史さん:2008/01/31(木) 07:08:30
さぁさあヽ(^o^)丿







990日本@名無史さん:2008/01/31(木) 07:10:32
あっそれぇ〜。
991日本@名無史さん:2008/01/31(木) 07:16:13
あと少し。あと少し。





992本能寺の恋、四百二十六年目の真実。:2008/01/31(木) 09:41:32
貴様ら、つまらんプロパガンダ工作を(以下ry
本物のダイヤは(以下ry
とにかく300万振り込め。
993日本@名無史さん:2008/01/31(木) 11:12:31
 
994日本@名無史さん:2008/01/31(木) 11:12:58
 
995日本@名無史さん:2008/01/31(木) 11:14:32
995
996日本@名無史さん
大庭博は新スレに逃走しました。