皇国史観に基づいた正しい古代史

このエントリーをはてなブックマークに追加
1日本@名無史さん
神武以来、大和周辺の地は、全て天皇家が支配していた。
また、神武以来、今の天皇まで、万世一系で続いてきた。
世界の奇跡であり、守っていくべきだ。
戦後の反皇国は嘘だらけ。三韓征伐も実在する。神功皇后も実在する。
神武天皇も実在する。日本武尊も実在する。欠史八代も実在する。
みなさん、これが、皇国史観に基づいた、正しい古代史であります。
2日本@名無史さん:2006/11/10(金) 22:35:45
韓国では、国定歴史教科書に檀君神話を史実として載せて教えています。

檀君が阿斯達に都を定めて国をおこし、国の名前を朝鮮としました。
そして1500年ものあいだ国を治めました。年齢1908歳の時、国を箕子に譲り
ました。そて檀君は、隠れて山の神になりました。
3日本@名無史さん:2006/11/10(金) 22:40:10
>>2
日本も、史実とは言わなくても、「神話」と題名付けて神代の話を教えるべき。
神武天皇の祖先をたどると天照大神にたどり着くことさえ知らない現代人orz
4日本@名無史さん:2006/11/11(土) 14:33:07
日本神話はR指定
18禁
5日本@名無史さん:2006/11/11(土) 16:13:04
ストリッパーあまのうずめが日本を救いますた
女性の裸体こそにほんのほこりでつ
6日本@名無史さん:2006/11/11(土) 16:25:01
おまんこすっぽん
7日本@名無史さん:2006/11/11(土) 17:59:36
>>4
理由をどうぞ
8日本@名無史さん:2006/11/11(土) 18:03:44
ポルノ小説だから
9サガミハラハラ:2006/11/11(土) 18:30:07
1番さん大賛成です。正しい皇国史観をひろめましょう。
10サガミハラハラ:2006/11/11(土) 19:13:27
皇国史観にもとずく、研究活動を行っている学者をあげてみましょう。
・安本美典 記紀の内容は実在するとして精力的に活動をつづけている。
      彼の薫陶を受けた人物に後藤幸彦がいる。安本氏は記紀を歴史書として見直すことにより、
      日本歴史界において多大なる貢献をしたといえる。
11日本@名無史さん:2006/11/11(土) 19:14:09
同性の女の裸に興味を持ったアマテラスは、プラトニックレズの起源です。
12日本@名無史さん:2006/11/11(土) 19:43:22
いや、男神だった頃の名残かも・・・
13日本@名無史さん:2006/11/11(土) 19:50:51
同性愛は日本の美しき伝統です。
14日本@名無史さん:2006/11/11(土) 21:42:07
>>1
追加を…
王朝交代説は事実無根。継体天皇から上も、もちろん血がつながっている。
15日本@名無史さん:2006/11/11(土) 21:57:14
中国で「三皇五帝は実在した!」とかいってる学者は当地の学会で電波扱いされているんだろうか
16日本@名無史さん:2006/11/11(土) 22:33:00
なりなりてなりあまるちんぽとなりなりてなりたりぬまむこで日本の国はデキマスタ

めでたしめでたし
17日本@名無史さん:2006/11/12(日) 17:19:51
モンブラン
18サガミハラハラ:2006/11/12(日) 19:12:45
皇国史観の研究者
・古田武彦 九州王朝説であるが、記紀に依存した内容である。
      多元説であるが、大和王権と天皇家を否定しているわけではない。
      ただ年を経るにつれ記紀の舞台は九州であるとする傾向がみられるようだ。
      彼の門下生の中には、神武東征も北部九州内とする研究者もいる。
19サガミハラハラ:2006/11/12(日) 19:14:47
他の方々もつづけて上げてください。匿名OKですよ。
20日本@名無史さん:2006/11/12(日) 19:20:33
日本人でありながら記紀の神話も分らないというのは悲しいもんだ
歴史という形態をとらずに別の形で良いから教えれば良いのに
21日本@名無史さん:2006/11/12(日) 20:19:39
別に大和朝廷のプロパガンダなんか知らなくてもいいだろ
22日本@名無史さん:2006/11/12(日) 20:49:35
>>15
殷王朝は遺跡が見つかるまでは
神武以上の単なる伝説でした
23日本@名無史さん:2006/11/12(日) 20:56:49
>>1
戦前の皇国史観は国が勝手に決めた内容を押し付けたもので
事実上自由な研究が抑制されたので紀記の研究、解釈も江戸時代よりも後退した。
戦後はその反動で紀記そのものの存在から
内容のあらゆる面をインチキと断罪された。

しかし、その後の考古学的成果から
次第に必ずしも嘘八百を並べたてた文書でないことは
あきらかになっている。
24日本@名無史さん:2006/11/14(火) 22:57:50
>>20
そうだな。
教科書に最初に出てくるのが、奴国の「漢委奴国王」で、最初に出てくる
天皇が「仁徳天皇」だからな。
…泣きたい
25日本@名無史さん:2006/11/14(火) 23:20:33
>>24
当たり前だろ。
実在が証明されていない人物を教えるってどこかの将軍様の国の歴史教科書みたいだな
26日本@名無史さん:2006/11/14(火) 23:29:32
>>1  神武以前から続いていた可能性もある。
奴国が拡大して倭国になり邪馬台国になり、東征後の神武が
東征後の初代を名乗っているだけかも知れない。
27日本@名無史さん:2006/11/14(火) 23:54:21
>>25

だから歴史じゃなくて別の形でやれば良いだろう
28日本@名無史さん:2006/11/15(水) 00:27:53
>>24>>26
奴国ではなく、委奴国だね。人偏を補って、倭奴国とする方が分かり良い。
29日本@名無史さん:2006/11/15(水) 00:40:28
日本を二度と戦争をさせない国にするために、天皇を中心とした内向きの
まとまりを作るべきだ。
天皇への崇拝が薄れれば、米国、中国、韓国、北朝鮮みたいに外国を
敵視して国民をまとめようとするやつが必ず現れる。
そうなったら戦争は不可避だ。

皇国史観の復活は恒久平和への唯一の道だww
30日本@名無史さん:2006/11/15(水) 01:17:30
日本武尊
31日本@名無史さん:2006/11/15(水) 01:18:15
自分は、古代史については、発掘されたものから分かる事以外は全て「推測ですが〜」の
範疇だと思っています。だから、>>1 が「正しい古代史」と何の躊躇もなく言う気持ちが
理解出来ません。(実際は「正しい古代史」ではなくて、「こうであって欲しいな古代史」でしょ?)
32日本@名無史さん:2006/11/15(水) 02:38:21
記紀の内容は再評価されてきてるの知らないのか?
33日本@名無史さん:2006/11/15(水) 02:55:15
朝鮮や中国の様に歴史を捏造するスレはここですか?
34日本@名無史さん:2006/11/15(水) 03:16:21
頭ごなしに、正史を一から十まで権力者の都合でどうにても出来ると思い込んでる連中がいるけど、そうゆう単純な奴ほど細かい史料批判なんかは無頓着。
ってか、細かい史料批判をやってる人ほど、簡単に切って捨てるような事は言わないもんだよ。

まぁ、無知な奴ほど単純な答えしか受け付けないからね。
35日本@名無史さん:2006/11/15(水) 03:32:39
皇国史観って何なのか?
古事記を全て正しいとするのか?
日本書紀本文を全て正しいとするのか?
記や紀本文や紀一書を含めて、正誤相半ばすると見るのか?
36日本@名無史さん:2006/11/15(水) 03:35:21
細かい史料批判に基づけば
実在最古の「天皇」は誰ですか?
37日本@名無史さん:2006/11/15(水) 03:42:11
王統譜的に信頼できるのは欽明以降。
雄略期節も、継体期も、危うさがのこる
38日本@名無史さん:2006/11/16(木) 08:40:18
>>36
サイタマサイタマサイタマの稲荷山鉄剣だったけか?
に刻まれている「ワカタケル」が雄略であろうという説はおおかた受け入れられている。
ただし、雄略と今の皇室との系譜的な繋がりについては明確な根拠や史料はない。
記紀の系譜が信頼できるのは欽明以降というのが多勢だったと思う。
39日本@名無史さん:2006/11/16(木) 12:23:44
雄略天皇と欽明天皇の間に継体天皇が存在するのだが、継体天皇は応神天皇の五世孫にあたり越前を本拠地にしていた人で、武烈天皇には皇子がないため傍系ながら後を継いだことになっている。

この継体天皇の治世の前後で政治的混乱があり、いろいろと議論がなされている。
戦後の王朝交替説や継体天皇崩御後の安閑・宣化と欽明のニ朝並立説などである。
40日本@名無史さん:2006/11/16(木) 15:12:54
>>36
現在の通説では祟神説で一致している。
記紀より古い系譜が出てきた事すら知らない
団塊の古い学識しかもたない>>37-38は間違い
41日本@名無史さん:2006/11/16(木) 15:14:05
>>39も今や否定されてる
42日本@名無史さん:2006/11/16(木) 21:23:47
田中卓(皇學館大學元学長)のスレかと思った。
43日本@名無史さん:2006/11/17(金) 01:50:21
「天皇」なら、推古か天武だろ?
それ以前は「大王」だった。
44日本@名無史さん:2006/11/17(金) 22:02:03
俺の携帯は「神武」も「応神」も一発変換が出来ません。
不届きな携帯です。

そこで辞書登録しました。

が、いきなり「スイ靖」の「スイ」が漢字録にすらありません。

こんな非国民な携帯許せるか!
とヘシ折ってやりましたわい。
45日本@名無史さん:2006/11/17(金) 22:48:23
>>43
天皇号は推古朝か天武朝あたりからなのはわかるが、追贈してるから間違いじゃないと思うけど。

曹操は魏王までで帝位についてないが、魏の武帝で通用するし、普通故人の死後は諡号で呼ぶのが慣わしだし。
別に不適切な使い方じゃないと思うけどね。
46日本@名無史さん:2006/11/17(金) 23:11:19
>>44
漏れの携帯は神武はできる。ただ、「やまとたけるのみこと」とうっても、出ません、
ワープロだと出たけど。(あまてらすおおみかみ→天照大神は流石に両方出たけど)
でも、このパソコンも、天皇全てが一発変換できないんだから不届きだよな。
47日本@名無史さん:2006/11/17(金) 23:12:44
檀君の方がエラい
48日本@名無史さん:2006/11/18(土) 00:00:45
天照大神を「あまてらすおおみかみ」と読むのは無理があるよね。
「あまてるおおかみ」が本当だと思うよ。
49日本@名無史さん:2006/11/18(土) 01:02:32
>>48
逆。
「あまてらすおおみかみ」に漢字を当てたのが「天照大神」
50サガミハラハラ:2006/11/18(土) 07:31:47
アマテラスオオミカミとアマテルオオカミとは別神のようです。
福岡市に下照神社があります。
下照姫の下に対するのが天、すなわちアマテル神です。
対馬にアマテル神社があります。
確か、出雲系の神だったのでは。
51日本@名無史さん:2006/11/18(土) 21:04:00
>>49
そうれはどうでしょうか?
「あまてらす」を「天照」と書くのはまあまあ分からないでもないです
(これも多少変ではありますが)が、
「おおみかみ」を「大神」と書くのは変ですね。
書くなら「大御神」でしょう。「大神」は「おおかみ」ですね。

>>50
本当に別神でしょうか?
対馬のアマテル神社の祭神こそ、天照大神ではないでしょうか。
天照大神の出身地(あるいは出身地の付近)が対馬であるような気がします。
52日本@名無史さん:2006/11/18(土) 21:28:00
天は、アムール地方と言う説もあるぞ。
53日本@名無史さん:2006/11/18(土) 22:23:45
>>51
私もそう思いますね。アマテルのほうが古形。
54日本@名無史さん:2006/11/19(日) 01:53:02
日本語の音と漢字を比べてるんだから大体わかるだろうよ・・・。

妄想しすぎじゃね?w
55日本@名無史さん:2006/11/19(日) 02:04:10
広告視姦
56日本@名無史さん:2006/11/19(日) 11:13:22
鴻鵠仕官
57日本@名無史さん:2006/11/19(日) 13:41:15
朝鮮出身
58日本@名無史さん:2006/11/19(日) 15:21:03
>>56
貧しさに負けたのかw
59日本@名無史さん:2006/11/19(日) 15:51:13
貧しさに負けて朝鮮から逃げてきた食い詰め豪族
60サガミハラハラ:2006/11/19(日) 18:44:20
東アジアの古代文化の講演会にいってきた。
小林敏男先生の紀年論であった。大学の先生で記紀に沿った研究をしているとはいまどきすごいなあとおもった。
それとも、時代が変わりつつあり、記紀の研究のタブーがとかれはじめたのであろうか。
61日本@名無史さん:2006/11/19(日) 20:45:07
>記紀の研究のタブーがとかれはじめたのであろうか。

お前は>1か。
そんなものはない。タブー視してるのはウヨとサヨだけ。
研究者は文献史学としてちゃんと扱ってきている。ただし、お前のように天地開闢とか
変なものは取り除くよ、当然。神武が実在したとしても、当然そのご先祖は同じ類人猿
なんだからね。
62サガミハラハラ:2006/11/19(日) 22:25:35
そうですか。小林先生のような方は珍しいと聞きましたが。
ただし、在野のかたではいっぱいいるようです。
63日本@名無史さん:2006/11/19(日) 22:32:05
>>61
なんと不遜な。貴様非国民だな?
64日本@名無史さん:2006/11/19(日) 22:55:27
わかったからキチガイは死ねよ
65日本@名無史さん:2006/11/20(月) 01:13:46
紀年論に正面から取り組む学者なんて、いまだに少数派だと思うがな。

とはいえ小林敏男氏のこないだの本とかは在野の人とかと比べれば
相当抑制がきいていて、妙な仮説に飛びつくことを極力戒めているふうに感じた
66日本@名無史さん:2006/11/20(月) 13:34:51
つーかこのスレの主旨は皇国史観に基づいてネタ話をするスレだろ?
史学として真面目に論議するのはスレ違いじゃないか。
67日本@名無史さん:2006/11/20(月) 15:29:06
いえ、「正しい古代史」をですから、真面目な論議でOKです。
68日本@名無史さん:2006/11/20(月) 15:42:25
天皇=チョンだという皇国史観もあるよな
69日本@名無史さん:2006/11/20(月) 15:47:01
何言ってんだよ。あんたら。
天皇なんて神の子孫に決まってんだろうがよ。
ありゃあバリバリの神だぜ。
も2650年以上前からだから、釈迦もイエスもそのあと。
いや、皇室の分家なんだよ。こいつら。
ってことで世路史供。
70日本@名無史さん:2006/11/20(月) 22:09:06
>>66-67
「皇国史観に基づくという前提の下、正しい古代史を議論する」
が妥当かと…
71日本@名無史さん:2006/11/20(月) 22:36:23
>>69
わかったから狂人はさっさと死ねよ
72日本@名無史さん:2006/11/20(月) 23:35:28
>>69
2666年な。
73日本@名無史さん:2006/11/21(火) 00:23:53
「あまてらすおおみかみ」というのは、本居宣長が古事記伝に書いて流行らせた
読み方ですね。彼は何でもかんでも皇室に関係することは大袈裟に敬語読みする
クセがあったようです。
74日本@名無史さん:2006/11/21(火) 00:31:03
三島由紀夫が全共闘との討論で言った言葉

全共闘「あなたの言ってることは間違ってるだけでなく理論にもなってないじゃないか」

三島「俺たちは正しいかどうかじゃなくてトランプゲームやってるんだよ。
   お互いこれこそはって手を持ってね。でも、君たちが持ってなくて
   俺のほうだけにあるものがある!」

全共闘「何だ!そんなものあるなら言ってみろ!」

三島「ジョーカーだよ。天皇って言うジョーカーだよ」
75日本@名無史さん:2006/11/21(火) 16:01:40
広告史観だろ。

公国死姦だろ。

興国史観だろ。
76日本@名無史さん:2006/11/21(火) 19:21:00
肛酷嘴管
と書くと、結城彩雨のSM小説みたいだなwww
77日本@名無史さん:2006/11/22(水) 08:31:49
抗告弛緩

いい加減な裁判所というイメージだな。
78日本@名無史さん:2006/11/22(水) 10:46:06
もしも重用していれば…

項国士舘
79日本@名無史さん:2006/11/23(木) 21:42:47
皇国史観です
80日本@名無史さん:2006/11/23(木) 22:26:07
菊の紋章ってケツの穴か?

肛国弛緩
81日本@名無史さん:2006/11/23(木) 23:57:58
攻酷視姦

これもエロい
82日本@名無史さん:2006/11/24(金) 00:33:32
菊の紋章は日本人にとってはママの乳輪
83日本@名無史さん:2006/11/24(金) 15:34:31
>>81
そう来たか。それなら

肛酷使姦
84日本@名無史さん:2006/11/24(金) 21:29:38
菊は日本固有種ではなく、外来種なんだよね。
キクは菊の音読みだしね。
85日本@名無史さん:2006/11/25(土) 11:28:07
皋哭弛緩

金タマもなく緩マン
86日本@名無史さん:2006/11/28(火) 22:05:52
お前ら、皇国史観だ、それ以外の奴はないぞ
87日本@名無史さん:2006/11/29(水) 13:55:32
古事記、日本書紀の書籍でおすすめありますか?
原文、訳文、解説の三本立てが望ましいです。
なるべく皇国史観に基づいて。
88日本@名無史さん:2006/11/29(水) 16:05:39
>>87
皇国史観に基づくならば、ネットなどで質問してはいけません。
官営の図書館へ行き、索引カードで調べなさい。
89日本@名無史さん:2006/11/29(水) 16:44:20
きもいすれだな
90日本@名無史さん:2006/11/29(水) 19:35:22
>>87
馬鹿めが。
その2各書自体捏造による皇国史観の本だろうが。
書記の方が酷いがな。「ふることぶみ」の方は、反幕思想や明治以後に利
用されたが、そもそもは書記=皇国史観も否定しうる部分があるから禁書
とされて密かに生き残っただけなんだよ。

津々浦々で焚書が行われなければ皇国史観なんて妄想も生き残れなかった
のに。
9187:2006/11/29(水) 21:01:15
>>90
いや、別に両書の解説を頼んだわけじゃないが…
これらの全文が掲載された本を探しているのだが。
書店で普通に売られてるレベルで。
92サガミハラハラ:2006/12/04(月) 18:49:35
神奈川歴研に原稿を送った。題は「幻の王国倭面土国」
内容は倭面土国王帥升はニニギノ命の子の火須勢理命であるという驚くべき話である。
もしこれが真実であるならば、記紀神話は史実であることになります。
93日本@名無史さん:2006/12/04(月) 19:04:21
お呼びじゃないよ。
94サガミハラハラ:2006/12/04(月) 19:15:39
皇国史観を史実で裏づけすることは重要なことだと思いますけど。
95日本@名無史さん:2006/12/04(月) 19:36:12
「日本史の勉強何使った?」
「過去問、赤本だな」
「俺、山川」
お前は?
「司馬遼太郎…」

そいつは三重県の神道の大学へしか行けなかった
96日本@名無史さん:2006/12/04(月) 21:51:22
>>92
送られた原稿はゴミ箱逝き
97日本@名無史さん:2006/12/05(火) 03:30:44
記紀神話が史実のなんらかの反映、というのと
記紀神話が史実! ってのは違うと思う。
98日本@名無史さん:2006/12/05(火) 18:52:53
そういえば、あれだ。最近、皇室を侮辱する集会が…
99日本@名無史さん:2006/12/05(火) 18:56:47
皇室を侮辱する集会なら昼時のオフィスでもある。
皇室が話題になることは稀ではあるが話題になったときは侮辱する話以外ない。
100日本@名無史さん:2006/12/05(火) 19:39:03
紀宮の結婚なんて失笑ものだったよ
101日本@名無史さん:2006/12/05(火) 20:50:45
批判したら捕まるような社会よりはずっと健全だよな。
102ゴジンム:2006/12/05(火) 22:12:20
金甌無欠揺ルギナキ  神州不滅
103サガミハラハラ:2006/12/06(水) 12:02:27
>>96頼まれた原稿ですから大丈夫です。神奈川歴史研の会報にのります。
104日本@名無史さん:2006/12/06(水) 13:49:19
>>101某週刊誌にのった件は批判ではない。悪質な侮辱である。
皇室だから黙っているようであるが、普通人であれば侮辱罪で訴えられるような問題だ。
現に子供の写真をかってに転載して侮辱的コメントをくわえた先生が告訴されている。
これを「言論の自由」だとか「つかまるような社会よりは健全だ」などというのは、かえって不健全な社会を助長させるだけである。
あの芸人がかような言動をおこなっていたことは、依頼した側も承知のようであったようだ。これは間接的に行為を容認したと同じく同罪ともいえる。
105日本@名無史さん:2006/12/06(水) 14:10:51
古代史の初心者ですが、素朴な疑問があります。

日本書紀などが、ヤマト成立の過程を熟知していながら
藤原氏に都合のいいように改竄しているという本を最近読みました。

でも、当時の知識人全てが親藤原でもないでしょうし
あまりに虚偽の内容がそのまま現在まで伝わるものでしょうか?
告発文献などが遺されていつもおかしくないと思います。

素人的には、日本書紀は(神話などは別として)
ほぼ当時の歴史認識を記録していたのだと思います。
でなければ反対派が黙っていないでしょうし。

ただ、文字による記録の乏しい時代のため
虚構などで補完する必要があり、それが随所に矛盾を残したのだと。

万世一系などちゃんちゃらおかしいと考えますが
天皇家の歴史としては(結果論として)信用してよいと思います。
106日本@名無史さん:2006/12/06(水) 14:24:17
>>99-101
お前らよかったな、現代日本で。
戦前なら特高に捕まって拷問死だったな。
107日本@名無史さん:2006/12/06(水) 14:24:25
>>105
むしろ逆で日本書紀の一番言いたいところは万世一系の部分じゃね?
これさえ読む人に伝わったら、というか、存在意義が立てられたら
矛盾なんてどうでもいいんだと思う。
108日本@名無史さん:2006/12/06(水) 14:26:56
だからそういう意味では日本書記はマトモに歴史的事件として読むのは
馬鹿げている。
万世一系、天皇は天子。それが意義なんだよ。
大東亜戦争のとき、誰が、「日本書記なんて矛盾だらけでウソじゃね?」とか
「人間の先祖が神なんて話ねえべ」なんて言えた?
109日本@名無史さん:2006/12/06(水) 17:33:43
なんか日本を北朝鮮や大日本帝国のような思想統制国家と勘違いしてる馬鹿がいるな。
天皇や皇族に権威を持たせないようにしよう。
奴らは国民に従う身分。
大日本帝国では天皇が君主で人々は臣民だった。
北朝鮮は将軍様が君主で人々は臣民。
でも日本国では君主は国民で天皇は国民に従う身分。
国民が天皇に命令し過半数以上の国民の意思で天皇をクビにすることもできる。
天皇は国民によって衣食住を与えられるブンザイでしかなく人権も与えてやってない。
110日本@名無史さん:2006/12/06(水) 18:56:53
事実無視の妄言ですね。
111日本@名無史さん:2006/12/06(水) 23:46:25
「臣民」という言葉は良くなかったな。「臣」とは官僚であって、
明らかに「民」より身分が高い。
112日本@名無史さん:2006/12/07(木) 07:32:31
臣は華族で民は平民じゃないの?
113日本@名無史さん:2006/12/07(木) 07:44:15
臣とは君主の周りの召使集団を意味しているのだけど、
巨大集団(1万人以上程度)の君主の召使だと、一般
民衆を指揮したりする存在になるからね・・。

114日本@名無史さん:2006/12/07(木) 08:32:19
>>109
大日本帝国については正しい。
憲法にも「臣民」って書いてあったし。
115日本@名無史さん:2006/12/07(木) 14:48:21


116日本@名無史さん:2006/12/07(木) 14:48:55

117日本@名無史さん:2006/12/07(木) 14:49:49




118日本@名無史さん:2006/12/07(木) 14:50:41




119日本@名無史さん:2006/12/07(木) 23:48:46
sageの空データを何度も送信している理由が分からない・・・

で、本題だけど「皇国史観に基づいた正しい古代史」というスレタイ自体が論理破綻だと思うが。

史観A・史観B・史観Cがあったとして、A〜Bのどの史観が正しいかの比較検証をすっ飛ばして、
いきなり史観Aを正しいとの前提で話を進めるってありえないでしょ?
120日本@名無史さん:2006/12/08(金) 01:49:30
おいおい。
最近日本書紀は再評価されているのを知らないヤシが多すぎるなここw
121日本@名無史さん:2006/12/08(金) 01:51:39
>>109
明治憲法の表面上は天皇君主だけどなぁ・・・。
なんつーか解釈が甘すぎるって感じか?

あと日本国憲法の解釈が無茶苦茶w
とりあえずおまえは書き込むのをやめろw
122日本@名無史さん:2006/12/08(金) 07:46:04
これかな・・。「日本書紀は皇国史観だから出鱈目だ!!!」
とか言っている人には打撃だったな・・。

【歴史】日本書紀に、信頼に差がある2種の筆者 天文現象で分析
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1165408895/

123日本@名無史さん:2006/12/08(金) 12:15:30
124日本@名無史さん:2006/12/08(金) 12:16:32
125日本@名無史さん:2006/12/08(金) 12:17:16
126日本@名無史さん:2006/12/08(金) 12:18:27
127日本@名無史さん:2006/12/08(金) 12:19:55
128日本@名無史さん:2006/12/08(金) 12:21:42
129サガミハラハラ:2006/12/08(金) 18:45:10
昭和天皇は戦犯ではありません。あなた109のかたですか?
事実誤認もはなはだしいですよ。
もう少し、調べて書き込みをお願いいたします。
130日本@名無史さん:2006/12/08(金) 18:49:26
>>1
皇国史観に悪用されたのは、
古事記(古事記自体が皇国史観ではない)のほうだろう。
古事記のほうは、内容が薄いから、想像が膨らませやすいのと
本居宣長が「卑弥呼は誰か?」で、主観の入った想像を膨らませすぎた。
そこから来る問題だと思う。
131太国:2006/12/08(金) 18:55:19
昭和天皇は戦犯ではない。戦争責任は刑事犯の考察からありっこない。
あれば終戦直後、真っ先に巣鴨不利寸で御陀佛。
132日本@名無史さん:2006/12/08(金) 19:04:44
皇国史観に染まった奴の妄想の神国と現実の日本国は違う
オウム信者の語る世界と現実の世界が違うように
皇国史観の世界は現実世界には無い
133日本@名無史さん:2006/12/08(金) 19:11:26
戦前は、皇国史観。
戦後は、マルクス史観。

両極端から両極端にぶれる。

もう、そういうのは嫌だよね。
134サガミハラハラ:2006/12/08(金) 19:19:08
そうです。その為には、あらゆるイデオロギーからはなれて、冷厳に記紀を分析して
いかなければならない。それはけっして羹に懲りて膾をふくような姿勢であってはならない。
135日本@名無史さん:2006/12/08(金) 19:53:01
あと、古代史の研究に多いのが、アマチュアの歴史家の発言だわな。
自分は権威主義ではないが、アマチュアの歴史愛好家は
根本的な考古学の知識や漢文の知識すら
持ち合わせていない場合が多く
そこから適当な暴論を吐く場合が多い。
たしかに、権威のある学者の意見が全てではないが
しかし、基本的な知識も無しにそういう説を持ち上げるべきではない。
よく、韓国人の考古学と関係ない人たちが勝手に歴史を創作するが
安本氏にもそういう匂いを感じる。
136日本@名無史さん:2006/12/08(金) 20:05:43
安本なんて学会から全く相手にされてない
137日本@名無史さん:2006/12/08(金) 20:45:17
>>135
そこまで偉そうなことを言うなら
あなたも実名を名乗って書き込めば?笑
プロのお方がこんなとこで有名な先生の陰口ですか?
客観的に自分のレスをみてごらん、
恥ずかしいし、ちゃんちゃらおかしい
138日本@名無史さん:2006/12/08(金) 21:14:31
現代のエスプリ別冊  天皇制の原像 昭和六十一年十一月十日発行
天皇をめぐるQandA
解答する人 坂本太郎
明治三十四年(一九〇一)静岡県に生まれる
大正十五年(一九二六)東京帝国大学文学部国史学科卒業
 東京大学教授・史料編纂所長を歴任
現在 東京大学名誉教授 文学博士
著書 上代駅制の研究、大化改新の研究、日本の修史と史学

Q4 神武から崇峻に至る日本書紀の伝承は正しいか
A   神武天皇から崇峻天皇に至る日本書紀の記事が真実を伝えているかどうか
   との質問らしいが、書紀の記事の重要な部分は六世紀頃筆録せられた
   帝紀・旧辞に拠っている。帝紀・旧辞は古伝として古くからわれわれの
   祖先が語り伝えたものだから古伝として尊重すべきである。
   これを後世の造作だと断ずる根拠はない。書紀の材料としては
   この外に各豪族に伝えた伝承や、百済記・百済新撰・百済本記などの
   百済に伝えられた記録が用いられた。継体・欽明の紀などは百済本記によって
   文をなした部分が多い。崇峻紀の百済から渡来した法興寺造営の為の工人などの
   記事は元興寺縁起を材料にしている。書紀の記事はこのように各種の材料によって
   書かれているから記事の出所をケースバイケースに考究して、
   実録か伝承かを見究めた上で虚実を判断すべきである。
   一括して立言することはできない。
139日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:14:56
江南説にしろ華北説にしろ、弥生人が本当に中国から来たのなら、

何で印文陶や灰釉陶を含めた中国灰陶の技術が全く伝わっていないのかね?

何で中国青銅器に見られる篆書などの原始漢字の金文が一字も
伝わっていないのかね?

何で中国青銅器に見られる饕餮文、龍文、鳳凰文、雷文などの
文様の一つさえ伝わっていないのかね?

何で中国土器や中国青銅器を代表する鼎や鬲などの三足器形さえ
伝わっていないのかね?

その他、酒器も玉器も楽器も龍信仰も亀卜も何も伝わっていない。

渡海すると記憶喪失になって故郷の文化は全て忘れてしまうのかね?

何で弥生文化は朝鮮無文土器が影響した弥生土器と細型青銅武器と
支石墓なのかね?

これらは当時の満州を中心とした北方アジアから朝鮮半島にかけての
文化ですよ。

■弥生人中国説を瞬殺&再起不能するスレ■
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/geo/1163847728/l50
140日本@名無史さん:2006/12/09(土) 11:26:28
チョン史
さらに遡ってチンパンジー史

みなアフリカ人
141日本@名無史さん:2006/12/09(土) 19:32:35
邪馬台国、ドンと来い 9より転載
940:日本@名無史さん 2006・12・09・(土)

今まで、日本の古代史研究が停滞していた最大の理由は
日本書紀の研究を軽視していたことにだな。
古事記の先だったから古事記のほうが重要だとか、
古事記のほうが量が少なくて分かりやすいから皇国史観に打って付けだった。

日本書紀は古事記と違って内容が膨大で
しかも、中国一世(ネイテイブ中国人)と
日本人による共同作業だったことが分かっている。

普通、西洋でも旧約聖書の解説をする研究ってあるんだよ。
何年もかけて大規模な研究を今も続けている。

日本では日本書紀の研究が停滞していた最大の理由は
戦前は皇国史観で、天皇家のとってご法度なことなので記紀の研究ができない。
戦後はマルクス史観で、記紀は軍国主義で嘘っぱちという
という両極端の理由で研究されなかった。
でも日本書紀というのは、よんでいくと凄い秘密が隠されていたり
また、最近の考古学の進歩で、その解読の手助けになっている。
142日本@名無史さん:2006/12/13(水) 20:18:50
天皇陛下万歳age
143日本@名無史さん:2006/12/14(木) 17:27:55
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/intro/1160565520/507

507 名前:姉弟125 ◆MEKf3EMK7M [sage] 投稿日:2006/12/14(木) 05:29:49 ID:???
あと、漏れ思うんですけど、
「日本人は覚醒しつつある!」なんて絶叫してハシャげるのは、
多分、自分自身に自信が無くて、誇れることがたった一つ「日本人であること」しかないんだろうと思います。

もちろん、日本人にたまたま生まれてきたことは、本人の努力の成果でもなんでもないし、
それしか誇ることがない人って、日本に限らず、どの国の民族主義者でもそうですけど、
哀れな人達だと思います。きっと幼い頃からずっと、周囲から、親から、教師から、異性から、
低い評価ばかりされて、お前はダメだと言われて、虐げられて生きてきたんでしょう。
考えようによってはすごい可愛そう(´・ω・`)

似たような話としては、新興宗教に新たに入る人も、実際聞いてみると、入る直前時期に、
今までの人生観が崩れるような嫌な大事があったり、深刻な悩みがあったり、寂しかったりする人が多いみたいです。
そういう中で、新たな道しるべとしての価値観を提示され、同時に無条件に受け入れてくれる人の輪が加わったら、
コロっと入信してしまう、これはある意味、仕方の無いことだと思います。

我々分別のつく人間は、彼らを同情していたわってあげましょうよ。
彼らは自分が一体何をしているのか、分かっていないんです。
144サガミハラハラ:2006/12/14(木) 18:04:42
前半はいってることが支離滅裂ですね。
後半は、人はおおかれすくなかれ大概はそんなもんですよ。ただそれが宗教にいく機会があったかどうかということだけでしょう。
それがいかなかったから分別があるなどとは妄言もはなはだしい。
さようなら、二度とくるな。
145日本@名無史さん:2006/12/14(木) 20:42:04
そういう機会で踏みとどまれるかどうかが問題なんだけどね。
146日本@名無史さん:2006/12/14(木) 21:53:10
サガミハラハラは性格が異常な畿内論者の人が
名前を使い分けてるのがバレバレ
語尾が〜じゃん、多用する人っぽいな
147日本@名無史さん:2006/12/15(金) 13:26:07
>>144
古事記は年代に関しては、日本書紀と違って正直だと思う。
ただ、どちらが律令体制に導こうと真剣なのは
日本書紀のほうだと思う。
まあ、どちらも一長一短だと思う。
148日本@名無史さん:2006/12/16(土) 15:24:03
>>147
律令体制には、やっぱり歴史の改ざんが必要なのか?
149日本@名無史さん:2006/12/29(金) 17:09:31
ほしゅ
150サガミハラハラ:2006/12/29(金) 18:36:33
神武から垂仁までの年代がわかりました。
神武東征 123〜131
神武天皇 131〜150   19年
スイゼイ天皇150〜158   8年
安寧天皇 158〜168   10年 
イ徳天皇 168〜177    9年
考昭天皇 177〜198   21年 
考安天皇 198〜243   16年
孝元天皇 243〜257   14年
開化天皇 257〜272   15年
崇神天皇 272〜288   16年
垂仁天皇 288〜314   25年
今後更に年齢等を考慮し確定作業を試みます。 
151サガミハラハラ:2006/12/30(土) 07:46:48
上記下記間違いがありました。孝霊天皇がぬけていました。
考安天皇 198〜224  16年
孝霊天皇 224〜243  19年
孝元天皇 243〜257  14年
となります。たびたびの訂正恐縮いたしております。
152日本@名無史さん:2006/12/30(土) 13:23:34
でっち上げの架空の人物に架空の年代を捏造しても益無し
153太国:2006/12/30(土) 13:42:52
>>152
架空とは君の脳内の発露によるでっち上げだろう。
そうじゃないと言うなら、なぜそう言えるのか論拠を書けよ。
154日本@名無史さん:2006/12/30(土) 16:55:40
>>150
まさか、安本氏の平均在位説を取り入れてしまったのでは?
155日本@名無史さん:2006/12/30(土) 17:04:22
>>151
そうなった理論を簡単に教えてください。
確かに平均でみたら、そんなに不自然じゃない。
しかし、記紀に書いてあることを一々確かめてみたら、不自然のような。

だから、あなたの理論を聞きたい。
156日本@名無史さん:2006/12/30(土) 17:15:28
452 :日本@名無史さん :2006/12/30(土) 16:49:33
>>434
中国語だけど、黄初年号の同向式が中国で出土したと書いてるぞ。

ttp://72.14.253.104/search?q=cache:sMJXYE36R2EJ:www.xiangyata.net/data/articles/e01/185.html+%E5%90%8C%E5%90%91%E5%BC%8F%E3%80%80%E9%84%82%E5%9F%8E&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=5
157サガミハラハラ:2006/12/31(日) 08:54:39
>>155
垂仁天皇の没年を古事記干支2倍年暦U類314年におきます。
崇神天皇の没年を古事記干支2倍年暦U類288年におきます。
垂仁天皇の在位期間は314−288−1=25となります。
日本書紀では垂仁の在位期間は99年となっており、ざっと4倍の開きがあります。
そこで紀の在位期間は4倍に引き延ばされているのではないかと考えました。4倍年暦ではない。
各天皇の紀の在位期間を4で割り、それを当年称元法で計算し、各天皇の年代を割り出しました。
158日本@名無史さん:2006/12/31(日) 09:41:37
虚構の数字をいじくりまわしたところで、史実には関係ない。
159日本@名無史さん:2006/12/31(日) 09:42:38
恣意的な数字遊びよりも、実のある歴史研究がありそうなものだが。
160日本@名無史さん:2006/12/31(日) 09:47:27
神武天皇は崇神天皇のことですが、何か?
 

161日本@名無史さん:2006/12/31(日) 14:05:58
>>160
それは一種の妄想に過ぎない。
歴史的記録に残っているから良いって訳では無いが
神武天皇が崇神天皇だってのは所詮、妄想。
162日本@名無史さん:2006/12/31(日) 21:28:34
根拠が平安時代の「延喜式」しかないいな。
平安時代になって、神武と崇神が混同された可能性がある。
163日本@名無史さん:2006/12/31(日) 23:56:40
日本書紀の「始馭天下之天皇」は「ハジメテアメノシタシロシメシスメラミコト」
と読むべきであって、「ハツクニシラススメラミコト」と読むべきではないと思う。

164日本@名無史さん:2007/01/02(火) 01:42:13
神武は ハツ(始)にクニをシラス(馭天下)
崇神は ハツクニ(肇国)をシラス(御)
165日本@名無史さん:2007/01/02(火) 17:23:40
そんな不毛な議論しても詮無い。
さっさと陵墓とか発掘すりゃいいんだよ。
宮内庁氏ね
166日本@名無史さん:2007/01/08(月) 17:57:41
2倍年暦とか欠史八代とかを提唱している人って、
結局記紀は間違いだと認めているんですよね?
間違いなのに、その他が信用出来るなんて・・・
ちょっとおかしくね!
167日本@名無史さん:2007/01/08(月) 17:59:08
墳墓発掘で天皇=朝鮮人だとはっきりしたら嫌韓厨の反応はどうなるんだろ?
168日本@名無史さん:2007/01/08(月) 19:55:56
2倍年暦とか欠史八代とかを提唱している人って、
結局記紀は間違いだと認めているんですよね?
間違いなのに、その他が信用出来るなんて・・・
ちょっとおかしくね!
169日本@名無史さん:2007/01/08(月) 23:15:17
>>168
全然おかしくないよ。
記紀の記述の全てが事実だったと考えている人がいる訳でもあるまい。
170日本@名無史さん:2007/01/08(月) 23:18:28
>>164
天下を「クニ」と読む根拠は?
171サガミハラハラ:2007/01/17(水) 19:14:15
>>151孝安天皇198〜 224 16年は孝安天皇198〜 224 26年の誤記でした。
謹んで訂正いたします
172日本@名無史さん:2007/01/18(木) 10:48:44
>>171

サガミハラハラさんに聞きたいんだが、皇国史観ないし書紀尊重史観で
信頼のできる本ってありませんか。
俺は出版社からでているシリーズ物読んでうんざいりした。
どれも書紀はでたらめ妄想の所産だから、という感じで。
173サガミハラハラ:2007/01/18(木) 15:34:08
すいませんが、ちょっとおもいあたりません。
現在私が研究に使っているのは、ほとんどが日本書紀古事記です。
啓蒙を受けた書としては、古田武彦氏の初期の著書や安本美典氏の著書です。安本氏は記紀の復権をめざしている代表的な人物です。
古田氏は当初は記紀を正当に評価しようとしておりましたが、現代は完全に他方向へといってしまっています。
174日本@名無史さん:2007/01/18(木) 18:23:22
>>173

レスありがとうございます。安本美典氏の本を買って読んでみようと
思います。結構沢山、本をだされている方のようですね。

私も記紀が大好きで、それをゴミみたいに語る大手出版社の
日本史シリーズ本にほとほと嫌気がさしました。ちょうどいま日本書紀を
読んでいるのですが、これはほんとに読んでて楽しいですね。
日本人に生まれてよかったと思うぐらいです。
175日本@名無史さん:2007/01/18(木) 19:22:53
安本だってブププッ!!
学会からは完全に無視されてるトンでもセンセ
176サガミハラハラ:2007/01/18(木) 19:35:28
そうですね。学会は記紀完全無視ですからね。いまだ戦後の左思想に取り込まれ、自由な発想が行いえないのです。そしてその中で安住の場を確保し満足しているのです。
しかし、記紀は復活します。先生はその先鞭をつけた先駆者の一人です。
177日本@名無史さん:2007/01/18(木) 19:55:54
>>172
『古事記の暗号』藤村由加著/新潮社
『古事記言霊解』 出口 王仁三郎
『わかりやすい日本の神話』出雲井晶/中央公論社
『盗まれた神話―記・紀の秘密』古田武彦
『記・紀の説話は阿波に実在した』高木隆弘
『古事記が語る原風景』岡野 弘彦, 渡部 昇一
『古事記の真実―神代編の梵語解』二宮陸雄, 大石 芳野
『古事記の真実―空の巻』二宮陸雄, 大石 芳野
『古事記の暗号―神話が語る科学の夜明け』藤村由加
『大和言葉訳日本書紀(神代)』青木信策
『邪馬台国と高天(たかま)の原伝承―「邪馬台国=高天の原」史実は国内で神話化した』安本美典
『古事記謹解総論―皇国の本義』梅田伊和麿
『古事記と宇宙工学―UFO=天の羅摩船に乗って来た神々』山田久延彦
『日本書紀と日本語のユダヤ起源 』ヨセフ アイデルバーグ
『[超図説] 日本固有文明の謎はユダヤで解ける』ノーマン・マクレオド
『古代出雲イスラエル王国の謎―神社に隠された日本人のルーツ』小石豊
178日本@名無史さん:2007/01/18(木) 22:14:04
433年 百済、新羅と同盟。

        ↑↑
これも、本当に百済と新羅が同盟したのかどうか、怪しい。
百済が同盟したのは志羅紀(加羅=弁韓。倭人国)ではないか。
弁韓が馬韓(百済)を助けたのなら、まだ理解できるんだが・・・。
179日本@名無史さん:2007/01/18(木) 22:26:09
志羅紀が百済を助けるのはスジが通っている。

百済が志羅紀を助けるのもスジが通っている。

同じ倭人国であり、ヤマト帝国の構成国なのだからね。

■任那日本府の謎
 任那日本府があった場所は安羅だと言われているが、
5世紀以降は熊津(公州市)に移動したのではないか。

475年に、百済の文周王が熊津(現・忠清南道=公州市)に首都を移したという記録がある。
熊津に任那日本府があったから、そこに都を移したのではないか?

 熊津の語源は『古末』だろうか? 古末と書いて「コマ」と読むのだが。


433年 百済、新羅と同盟。
     ↑↑
これも、本当に百済と新羅が同盟したのかどうか、怪しい。
百済が同盟したのは志羅紀(加羅=弁韓。倭人国)ではないか。
弁韓が馬韓(百済)を助けたのなら、まだ理解できるんだが・・・。


180日本@名無史さん:2007/01/19(金) 20:53:13
>>177
香ばしい本ばっかりだな
181日本@名無史さん:2007/01/21(日) 17:17:36

      .  :-=,一;1ー,ー,,;1―,―,,=;、
        =               ミ        やったッ!さすが我が祖国・関東!
        ミ             ゙ミ     天皇無視して、関西に突撃ダァァァァ!!
        ミ     ▲       ゙ミ   時代が変わった今は平然と裏切り、迷わず天皇を島流しにする!
        ミ    ▲ ▲      ゙ミ        そこにしびれるッ!憧れるゥ! 日本の誇り!!
        ミ             ゙ミ
        ミ;=========:゙ミ′:-=,一;1ー,ー,,;1―,―,,
        /´ 〉'">、、,,.ィ二¨' {.  ヽ ミ            ゙ミ
         `r、| ゙._(9,)Y´_(9_l′ )  ( ミ     ▲      ゙ミ
         {(,| `'''7、,. 、 ⌒  |/ニY ミ    ▲ ▲     ゙ミ
           ヾ|   ^'^ ′-、 ,ノr')リ  ミ;========:゙ミ
           l  「匸匸匚| '"|ィ'( (,ノ,r'゙へ. ̄ ̄,二ニ、゙}了
    , ヘー‐- 、 l  | /^''⌒|  | | ,ゝ )、,>(_9,`!i!}i!ィ_9,) |人
  -‐ノ .ヘー‐-ィ ヽ  !‐}__,..ノ  || /-‐ヽ|   -イ,__,.>‐  ハ }
 ''"//ヽー、  ノヽ∧ `ー一'´ / |′ 丿!  , -===- 、  }くー- ..._
  //^\  ヾ-、 :| ハ   ̄ / ノ |.  { {ハ.  V'二'二ソ  ノ| |    `ヽ
,ノ  ヽ,_ ヽノヽ,,)ノl 'ーー<.  /  |.  ヽヽヽ._ `二¨´ /ノ ノ
/   <^_,.イ `r‐'  ヽ  \ `丶、  |、   \\'ー--‐''"//
\__,,/| ,,!    l、  \  \| \   \ヽ   / ノ
182日本@名無史さん:2007/01/22(月) 01:32:13
天皇も時代が変わったらそれまで祀ってた神を島流しにしてるけどね
183サガミハラハラ:2007/02/24(土) 08:43:26
記紀の年代の怪奇
神武天皇の誕生年はAD101年であると考えた。123年に東征したとすると23歳である。
2倍年暦なので46才となる。紀では45才に東征を開始とある。あいますね。
途中岡田、広島、岡山などで16年(普通暦で8年)すごした。123年足す8年で131年となりこれが神武即位年となる。61才である。
神武在位は150年引く131年で19年である。>>150参照
初期天皇在位年は4倍(2倍年暦×2)であるから76年となる。
61才で即位し76年の在位であるから神武の享年は137才となり、古事記の天皇の年齢と一致する。
おかしいのはこれが日本書紀の享年127才ではないということである。
在位は紀の記録である。それなのに古事記の年齢と一致をみるのはどういうことであろうか?
184太国:2007/02/24(土) 21:10:00
神武は即位前は通常暦だと思考します。それよりずっと、もっと古い
時代に行き着けばまた倍暦をやっていただろうと想いますが?
185サガミハラハラ:2007/02/24(土) 21:36:05
神武在位が76年(2倍暦)、東征移動が16年(通常暦)、東征開始時45才で、合わせて137年(才)ということですか?
とすると、神武生誕年は何年とみていましたっけ?

私は即位年以前は全て2倍年暦とみています。
186太国:2007/02/24(土) 21:58:39
>>185
紀は数え年ですか? そうならB.C.51年です。
即位前は通常暦、即位後は3倍暦です。
即位前に倍暦とおっしゃっていますが、即位前3年はほぼ各月記述
が見られ、無いのは1月くらいですし、あとは全月に渡り記述が
ありますし、即位前は下旬の数字もわりかしありますから、通常暦
だと思います。
187サガミハラハラ:2007/02/24(土) 22:06:23
私の年代の算出は外国の史料等をももとにしていますが、太国さんの神武生誕年は何か他の史料等の裏付けはございますか。
188太国:2007/02/24(土) 22:16:20
>>187
神武あたりになると、そんなうまい資料など無いとは言いませんが、いまの所
ありませんから裏づけが完全とは言えません。w
プラムさんあたり中国の資料でありますかねぇ?
サガミハラハラさんのほうはいかがですか?
名前からして「磐余」→五○余 つまり 50年+α と読めます。B.C.51年
からつけた御名なら、神武天皇とその取り巻きは西暦を知っていたことになり
ますが? どうですかねぇ?
189太国:2007/02/24(土) 22:19:06
外国の資料まで研究が進んでいれば、出版も考えますわ。
190サガミハラハラ:2007/02/24(土) 22:22:02
あなたの言う年代では、神武と取り巻きは絶対に西暦を知っていることはありませんよ。
191太国:2007/02/24(土) 22:28:37
しかし三毛入野命は常世国へ行ったでしょうし、稲氷命は海外へ
行ったわけでしょう? 常世国と言えば非時果実があるじゃぁありま
せんか。非時なんて倍暦とか暦時の示唆ではないですかな?
これはデンパ的で言いにくいですが、某人の話ですと、この二人は
古代エジプトのミケーヌ王イナイ王だということを主張してると
聞いたことがあります。ww
192太国:2007/02/24(土) 22:35:47
いいですか、サガミハラハラさん、
現にエジプトあたりから菊の御紋が出土してるんですよ。
東京上野の博物館で5年くらい経ちますか? 出品してましたよ。
実際拙者も行って見てますがね。エジプトといえばキリスト関係と縁が
深い土地柄ですよね。

そうそう、雄略天皇のスレが無くなってますが? どうしたんですかね?
193太国:2007/02/24(土) 22:49:48
まぁデムパ的となれば、「エジプト」も『干支』(エト)と
『不時』(フジ)との結合語になります。〜すみません。
194日本@名無史さん:2007/02/25(日) 17:33:17
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
195サガミハラハラ:2007/03/14(水) 21:40:38
>>193
貴様の駄洒落は聞き飽きた。いつまでも相手にしてもらえると思うなバカ
196サガミハラハラ:2007/03/29(木) 21:09:09
神武天皇と崇神天皇の尊号がどちらも「ハツクニシラススメラミコト」というので両者は同一人物であるとの説があるが、
高句麗の広開土王の別名好太王は尊号であり、他にも好太王の名を持つ王が数人いる。
尊号等が同じだからといって同一人物とはかぎらない。
197太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/03/29(木) 21:55:58
神武天皇≠崇神天皇
198日本@名無史さん:2007/03/30(金) 09:47:06
尊号が同じ人が居るのはおかしくは無いだろうけど、初代を名乗る人間が二人居るのはおかしい。
199太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/03/30(金) 10:11:09
初雪が元旦だとは限らない。
200サガミハラハラ:2007/03/31(土) 21:01:27
季刊邪馬台国94号(2007年3月)に「九州を制覇した大王 河村哲夫著」の書評がのっていました。
書評者 安本美典
とすれば、『古事記』『日本書紀』『風土記』などの記述の一つ一つを綿密に検討し、考古学的な事実や各地に残る伝承と照らし合わせ
それによって日本の古代史像がどのていど明確に再現できるか、ということに挑戦してみるのは、意味のある作業である。ほとんどだ
れも試みようとしていない。この困難な作業を河村氏は行ない、そうとうな成果をあげておられる。
河村氏は『九州を制覇した大王』のなかでのべる。
「戦前の皇国史観への反動ゆえか、『古事記』『日本書紀』を無視し、外国文献の『魏志倭人伝』のみを信奉して、邪馬台国の所在地の
みに血眼になり、強引にその所在地を決定しようとする傾向も増大している。旧石器捏造事件にみられるように、遺跡・遺物に偏ったア
プローチは、ともすれば功名主義に陥りやすい。
歴史というものは、考古学的な遺物に加え、神話や伝承のなかに隠されている。古い地名もまた伝承や歴史の結晶であり、ある意味では
考古学的な遺物である。
『古事記』『日本書紀』についても、もちろん第一級の古代文献である。これらのものに対して、その語るところのものに真摯に耳を傾
けねばならない。おそらく、これらの総合的な考察のなかから、歴史の真実の姿が浮かびあがってくるであろう。」
(本書「日向の神話」より)
201日本@名無史さん:2007/04/11(水) 23:48:29
とくに記紀にかかれてることと大雑把に齟齬をきたすようなものでさえなければ
電波説でもトンデモ説でもなんでもいいよ。(普通のまともな説ならなおよいがw)

しかし倍年暦の話は、それ用のスレでやってくださいね〜
202カナカナボウシ:2007/04/12(木) 08:37:27
そうはいわれても、国史の論議において2倍年暦は重要な問題なわけでして。
203日本@名無史さん:2007/04/12(木) 09:41:21
だからそのためのスレが他にちゃんとあるでしょ。
ここでやるのはスレちがい。
204日本@名無史さん:2007/04/12(木) 10:02:56
■-朝鮮人の日本侵略史-■
【第一次侵略=356年】
 ワイ人=朝鮮人の金奈勿が、日本皇族=稲飯命の子孫である志羅紀王族を虐殺し王権を簒奪
【第二次侵略=562年】 朝鮮人国家=新羅が、日本領=任那を武力攻撃。任那が滅亡した。
【第三次侵略=660年】 新羅が、唐軍と共に日本領=百済を侵略。百済が滅亡した。
【第四次侵略=811年・12月】新羅の賊船が対馬近海に出没し日本人を襲撃。
【第五次侵略=813年(弘仁4年)・2月】新羅人百人余、肥前小近島に来て島民を殺傷する。
【第六次侵略=869年(貞観11年)・5月】新羅の海賊、博多で掠奪する。
【第七次侵略=893年(寛平5年)・5月】 新羅の賊、肥前・肥後を襲う。
【第八次侵略=894年(寛平6年)・4月】 新羅の賊来る。大宰府に討たせる。
【第九次侵略=997年(長徳3年)】 高麗の賊が大挙して侵寇。多数の日本人を虐殺。
【第十次侵略=1014年(長和三年)】 高麗の賊が攻め寄せ、大宰府が討伐する。
【第十一次侵略=1019年(寛仁三年)】50余隻の船団が来襲し、壱岐、対馬、筑前糸島、
志摩・早良諸郡を荒らして物資を奪い、家屋を焼き払い、老人子供は殺して丈夫な者だけを拉致。
朝鮮半島勢力の侵略。刀伊の侵略。
【第十二次侵略=1097年(承徳元年)】
 異賊船100隻が松浦・筑前に攻め寄せる。大宰府官兵・九州軍士大いに守り、賊船を撃破し
賊徒数万を海没させた。元寇に至る外国からの侵略事件の中でも最大規模のもの。
【第十三次侵略=1274年10月(文永11年)】
 忻都、金方慶らに率いられた、高麗人・モンゴル人数万人が朝鮮の月浦(現在の馬山)を出発。
10月5日に対馬を、10月14日には壱岐を襲撃し、平戸鷹島の松浦党の本拠を全滅させた。
【第十四次侵略=1281年(弘安4年)】
 高麗軍を主力とした東路軍四万と、旧南宋軍を主力とした江南軍十万、計14万の軍が日本を侵略。
【第十五次侵略=1419年(応永26年】
 朝鮮が、日本領=対馬を、倭寇征伐の名目で侵略する。朝鮮では己亥東征という。
205カナカナボウシ:2007/04/14(土) 10:43:42
三国史記新羅本紀奈忽王9年4月(364年)の倭の大軍進入について。
仲哀天皇崩年は古事記分註天皇崩年干支2倍年暦によれば壬戌で、355年春年のことである。
新羅遠征は355年秋年であり、神功皇后元年は356年秋年である。
神功皇后5年3月に新羅との抗争が記されているが、この5年が人質の逃亡した事件の始まりの
ことをいっているのか、新羅を討伐して帰還した年のことをいっているのか定かではないが、事
件の始まりの年だとすると、事が終わったのは、普通年翌年の秋と見てよいであろう。
神功皇后5年は2倍年暦であるから、全てが終わったのは神功8年のこととなる。
紀では神功元年は356年であるから同8年は363年のこととなる。
ところで三国史記は1年のズレ(遅れ)があるので奈忽王の事件は363年のこととなる。
よって三国史記の記事の事件は神功紀5年の記事のことである。
(尚、紀の元は2倍年暦で記載されており、この件は神功12年のところにのっていたので
あるが、紀編纂の際に外国の件は外国の年にあわせるという編集方針から、
5年に移動して記載されたものである。)
206カナカナボウシ:2007/04/14(土) 10:47:44
外国の年に合わせるは、外国の年のままに訂正いたします。
207日本@名無史さん:2007/04/15(日) 16:49:49
>>205-296
二倍暦ネタは二倍暦スレでやってください
スレちがいです
208カナカナボウシ:2007/04/15(日) 18:06:29
皇国史観の話題に2倍年暦がでてくるんですよ。
さけてとおれないのです。
209日本@名無史さん:2007/04/15(日) 19:45:03
>>198
神武天皇が九州からヤマトを侵略&建国。だが神武天皇が作った国は弱小国だった。
崇神天皇から全国的な政権に発展。
210日本@名無史さん:2007/04/18(水) 04:34:40
>>208
皇国史観と2倍暦になんの関係があるのか
具体的かつ論理的に説明してください。
211カナカナボウシ:2007/04/22(日) 19:47:41
このスレの目的は正しい皇国史観です。
従来の皇国史観は年代の裏打ち(年齢や在位年が過大である等)がないため、
正しい歴史とはあつかわれない傾向があった。よって、正しい皇国史観を編成するためには正しい年代の割り出しが重要である。
その説明や割り出しのために2倍年暦が必要なのです。
212日本@名無史さん:2007/04/25(水) 01:18:01
05/03【都内】「皇室と日本を考える」

◎五月のテーマ「『昭和の日』制定と昭和天皇」

今年はみどりの日がついに「昭和の日」と改まった最初の年。これを記念
して5月は特別企画として、昭和天皇の帝徳を偲び、多摩御陵参拝と、
昭和天皇記念館の見学を催します。見学後は昭和記念公園を散策しながら
青空の下で昭和天皇の御事績を語り合い昭和史を振り返ってみましょう。

日時&場所■平成19年05月03日(木)
第一部[多摩御陵参拝]:午前11時、JR高尾駅北口改札でたところ集合。
目印にミニ日の丸(手旗)もってる人がいます。
第二部[昭和天皇記念館見学]:午後2時、記念館前ロビーで集合。JR立川駅徒歩13分。
http://www.f-showa.or.jp/2_jigyo/accessmap.html

★イベントの詳細な案内はこちらでご確認ください→ http://nihon.lar.jp/

・オプションイベント(自由選択参加)
05/04午後1時半、池袋にて。詳細は、後日、下記の掲示板で告知します。
http://8809.teacup.com/imperial/bbs(当会の掲示板です)

主催■「皇室と日本を考える」実行委員会http://nihon.lar.jp/
(※お問合せ&連絡先&参加登録:[email protected]
共催■女系天皇に断固反対する会
http://mixi.jp/view_community.pl?id=334458

(2chスレ:議論用)
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1166609691/l50
(2chスレ:事務用)
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1167304783/l50
213日本@名無史さん:2007/05/01(火) 16:55:33
五月の「皇室と日本を考える」会 http://nihon.lar.jp/

05/03(木)本イベント
「『昭和の日』制定と昭和天皇」(多摩御陵参拝と昭和天皇記念館見学)
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1166609691/280

05/04(金)オプション企画
「古事記を読む会」
http://8809.teacup.com/imperial/bbs
214日本@名無史さん:2007/05/16(水) 15:16:46
このスレの目的は正しい皇国史観です。
従来の反天皇史観は、年齢や在位年が過大である等の理由で
天皇の存在を否定し、皇紀2600年を否定してきた。
よって、正しい皇国史観を編成するためには
年齢や在位年がこのままで問題ないことを説明する必要がある。

2倍暦説は、天皇の存在を肯定しなければそもそも在位年数の計算にならないため、
天皇の存在を否定する学界の主流に比べて一見「より右翼的」にみえるが、
実は反天皇史観である年代切り詰め説に執着しているだけであり
皇国史観でも右翼的でもなんでもない。
215太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/05/16(水) 19:16:28
倍暦の計上で

神武天皇 即位  西暦元年      同 崩御  西暦26年
216「皇室と日本を考える」実行委員会:2007/05/16(水) 23:33:04
06/02【東京】旧皇族・朝香宮邸訪問@大正シック

旧朝香宮邸(現東京都庭園美術館)を訪ね、伏見宮皇統の存在を体感し、その
現状や未来に思いを馳せつつ、同会場で開催中の「大正シック」展の見学を通じ
て、大正文化の現代性や我々の生活文化の未来などを語り合いたいと思います。

日時■平成19年6月2日(土)午後1時集合
場所■JR山手線目黒駅、中央改札口みどりの窓口前に集合、徒歩で
東京都庭園美術館へ(連絡手段を確保できてる方は、中途合流可)

○見学先の詳細「東京都庭園美術館」http://www.teien-art-museum.ne.jp/
・会場入場費/一般1000円、学生800円

○事前の参加表明がなくても参加歓迎ですが、初参加で面識のない方は
人数把握のため、事前に参加表明した方が便利です(下記のmixiの関連
コミュや2chのスレで表明でも、または問い合わせ先へメールでも可です)

主催■「皇室と日本を考える」実行委員会http://nihon.lar.jp/
(※お問合せ&連絡先&参加表明:[email protected]
共催■女系天皇に断固反対する会
http://mixi.jp/view_community.pl?id=334458
(2chスレ:議論用)
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1166609691/l50
(2chスレ:事務用)
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1167304783/l50
ーーーーーーーーーーー
【オプション企画】(自由参加。オマケの追加イベントです)
★5月26日(土)、場所・内容などは、後日、下記の掲示板で告知します。
http://8809.teacup.com/imperial/bbs(当会の掲示板です)
217日本@名無史さん:2007/06/10(日) 17:26:28
皇室の弥栄を祈念申上げ奉りまをす
218日本@名無史さん:2007/06/10(日) 18:39:16
日ユ同祖論も あったよね(´-ω-`)
219日本@名無史さん:2007/06/11(月) 02:36:40
んなもん皇国史観じゃねーし。
220日本@名無史さん:2007/06/11(月) 12:37:05

 × 訪問

 〇 拝観
221日本@名無史さん:2007/06/11(月) 14:32:28
神武天皇、高千穂峡で初代天皇に即位
神武東征開始
大和地方支配、大和朝廷成立

大和国、朝鮮半島南部制圧、任那日本府成立
大和国、百済を征服して服属させる
大和国、新羅を征服して服属させる
大和国、高句麗軍を撃破する
神功皇后、三韓征伐

朝鮮半島中部、楽浪郡で大和軍と高句麗軍が激突し、大和軍が敗北
222日本@名無史さん:2007/06/11(月) 18:15:31
もうすぐ夏ですね。

私の地元では天然ものの鮎が名産です。
塩焼きにして生姜を添えれば絶品です。

今年も、神功皇后陛下に感謝して戴きます。
223日本@名無史さん:2007/06/19(火) 10:13:00
すいません、何故鮎の話なのか分りません
224日本@名無史さん:2007/06/19(火) 11:09:45
台湾人を叩く奴は全部チョン
悪い事は全部チョンのせい
李登輝を日本の総理大臣にしよう
日本人は台湾人が大好き
日本人は台湾が好き!朝鮮嫌い!
日本に来る台湾人歓迎!朝鮮人出て行け!
台湾人はマジでかわいい
ヴィック・チョウは日本女性に大人気
日本人種は在日チョン用語



金美鈴は絶世の美女


225日本@名無史さん:2007/06/19(火) 11:16:30
コピペ張りまくるなよ。
チョン助が。
日本語、大丈夫か?
226日本@名無史さん:2007/06/19(火) 19:04:05
半島人も同胞
227日本@名無史さん:2007/06/19(火) 20:22:59
んなこたーない。
あっ! ( ̄□ ̄;)>>チョンかよ
228日本@名無史さん:2007/06/20(水) 10:02:11
朝鮮人は民族主義だからそんなことは言わないよ。
寧ろ日本の主張。
229日本@名無史さん:2007/06/21(木) 09:10:47
>>222です。
やはり我が地元の鮎は旨い。
この時期は特に若鮎であり、ビールがとても進みます。
これも全て神功皇后陛下のご偉徳の賜物です。
230日本@名無史さん:2007/06/21(木) 11:06:38
地元とはどちらでせうか?
博多方面?
いっそ任那でせうか?
231本郷 義昭:2007/06/27(水) 09:58:40

 × 古代

 〇 上代+上世

 大化の改新で遮断され、全く別の時代を成してゐるから、同一時代に比定するのは無理
232田中卓:2007/06/27(水) 10:32:12
>>231
私に挑戦する気かね。
233日本@名無史さん:2007/06/27(水) 14:40:25
誰だおまい?
234田中卓:2007/06/27(水) 16:30:51
>>233
平泉先生の高弟の私を知らんかね。
235日本@名無史さん:2007/06/27(水) 18:52:52
ここは、勝手にご本人なりきりスレ?

田中 卓(たなか たかし、大正12年(1923年)12月12日-)は日本の歴史学者。
皇學館大学名誉教授。皇學館大学元学長。皇學館大学元学事顧問。有限会社青々企画代表。
専門は日本古代史。文学博士(旧制)。大阪市出身。

↓ソースはこちら
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%8D%93


236日本@名無史さん:2007/06/29(金) 18:34:06
なにもわからんぞ
学理を記せ
237本郷 義昭:2007/07/02(月) 20:39:53
 大化の改新以前は氏姓制度による地方分権的連邦国家、以後は律令制度による中央集権的統一国家。
 全然違ふ二つの時代を、単一の時代と見るのは無理である。
238日本@名無史さん:2007/07/02(月) 20:46:43
我々史学の徒は田中卓先生を田中テーブルと呼び倣わしております
田中ブタこと田中啄先生と同じ田中タクで紛らわしいですから
239日本@名無史さん:2007/07/02(月) 23:23:38
神代………天照大神、高天原天孫光臨
古代………神武天皇即位、神武東征、熊襲征伐、神功皇后三韓征伐、任那日本府
240日本@名無史さん:2007/07/03(火) 04:22:34
田中ブタは田中琢先生だね
241日本@名無史さん:2007/07/04(水) 08:59:53
そんなことはどうでも宜しい。
早く古代概念の学理を記してよ。
242田中卓:2007/07/04(水) 11:45:04
>>241
私の著述を購入しなさい。
>>239
に書いてあることを詳しく理解せよ。学問に精進せよ。
243日本@名無史さん:2007/07/09(月) 02:30:54
 日本文明という視点に立った歴史を多くの日本人は
望んでいると思う。もはや司馬遼太郎はなくなってしまったが。
244日本@名無史さん:2007/07/09(月) 04:49:20
パワーバランス的にむりだろ、そんな歴史。
胡散臭い連中はとっくに動いてる。
245日本@名無史さん:2007/07/13(金) 13:18:49
司馬遼太郎は日向を軽く見てたよね
ほとんど無視
246武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/07/14(土) 01:16:45
韓国人の友達が何人かいるが、韓国「五千年」の歴史と「文明」について彼らの語りは熱い。
目を輝やかせながら語る彼ら。
しかし彼らの「素晴らしい」歴史と文明に私が少しでも意見を差し挟むと御機嫌ななめ、中には烈火の如く怒りだすのもいる。
はっきりいえば愛国心に燃えたお国自慢など、外国人にすれば疲れるだけなのだ。
この掲示板もそんな感じだ。
生粋の日本人である私でも疲れる。
ところで日本語が読め且つ親日派である欧米人が知り合いにいたら
この掲示板を読ませるといい。
「誇大(古代)史にウンザリしました」という感想をもらすこと請け合いだ。
247日本@名無史さん:2007/07/14(土) 10:47:03
金美鈴は絶世の美女 というのはなるほど誇大
248ふと聞こえてきた君の歌 実はサガミハラハラ:2007/07/14(土) 20:11:05
>>245 司馬遼太郎氏の洞察力はすばらしいものですね。
249日本@名無史さん:2007/07/14(土) 21:06:03
>>246
そりゃ朝鮮の民族性だわ。おれも同じような経験あり。
欧米人の史観がまともみたいな言い方だが、あっちの歴史もひどい。
アメリカだってテキサス、カリフォルニア、アリゾナ、ハワイを乱暴な方法で獲得している。
アラモ砦なんか見方を変えれば侵略の口実にしただけ。それからインディアンを結果的に
500万人殺したし、フィリピンではマッカーサーの父親が住民を20万人虐殺。
今のフィリピン人はそんなことも忘れて英語なんか喋っちゃってかわいそうなもんだ。
また、ヨーロッパ人がアフリカ、南米で何をやったか。言い出したらキリがない。
ついでながら共産主義国家では虐殺された人数がケタ外れで、旧ソ連時代の87年間に
6200万人が殺害され、内4000万が強制収容所で死んだ。レーニンは400万人
スターリンは1260万人を殺した。これはロシア人が認めている数。毛沢東は自分で
80万人処刑したと言っているが、間接も含めて少なくとも2000万人以上殺したといわれる。
これらに比べれば日本の歴史は愛国心など関係なく公平に見て素晴らしいと言える。
だいたい日本人が日本の歴史を評価しないで誰が評価するんだ?
250日本@名無史さん:2007/07/14(土) 21:17:25
>>247
今の金美鈴見たら若い頃はさぞ美人だったろうと思うんだが。
曽野綾子の若い頃の写真見たらかなりの美人だが今は老けちゃった。

>>248
司馬は小説家なので小説にならないと手をつけない。
空海を書いて最澄を書かなかったが、その理由は、
空海はエピソードも豊富で多才だったが、最澄はあまりにまじめな人で
小説にすると面白みがないからだそうだ。
251日本@名無史さん:2007/07/14(土) 21:50:03
この間、日テレの「波乱万丈」に金婆がゲストで出てたが、
確かに若いときの写真は当時の平均より上の容姿だった。
本人の言によると、不良少女で遊び人だったとか。
252武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/07/14(土) 22:43:53
>>249
いや、欧米人を一例だ。本当は韓国人中国人フィリピン人の方が良かった。
ただ2ちゃんねるは病的なまでに韓国人中国人(フィリピン人に対しては別の問題あり)を嫌悪する連中がいるからさ。
余計な茶々が入りそうでさ。
253サガミハラハラ:2007/08/13(月) 17:07:19
神功皇后は、応神天皇を宇美にて出産したが、何故宇美の地を選んだのかについて次のようなことがわかりました。
応神天皇の北九州から大和入りについてのコースは、皇祖神武天皇のコースに似ており、これは、応神天皇が神武の再来であるかのように装い、
応神天皇は正当な皇位継承者であることを印象づけるための演出であった。
そうしてみるならば、この宇美での出産もなんらかの意味があったとみてよいであろう。
ここに鞍手郡誌なるものが存在し、その蚊田の里(粕屋郡宇美町)の項に、
「荒木の女志津姫皇子蚊田皇子を生み奉った」とあるのを発見した。この蚊田皇子とは神武天皇の皇子であるという。
神武天皇は出征の途中北部九州をさまよっておりその時に現地の女性との間にできた子であろう。
おそらく皇后はこの伝承を聞いて、神武にあやかって蚊田の里で応神天皇を出産したものとおもわれる。
さらに、鎮懐石についても考えるならば、神武の母か妃がやはりこの石で安産祈願を行っており、皇后は
それを聞いてあやかるために祈願をしたのではないかと考えるものである。
神武の親族がこの地で祈願したとするならば、神武の生まれ育ち生活していたのはこの近く(福岡市西区から糸島郡)と考えるものである。
254太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/13(月) 17:59:35
サガミハラハラさん
皇祖っていうのは天照大御神のことでしょう? 皇宗が神武天皇のはずですが?
違いましたっけ?

ところで、あそこは高幡不動の処ですな? 確か10年位前参拝に行ったことが
あります。いいところですね。
255サガミハラハラ:2007/08/13(月) 18:32:45
皇祖が天照大神なのか神武天皇なのかは戦前に論争があったようですね。
とりあえず先祖と言い換えておきます。
256日本@名無史さん:2007/08/13(月) 20:20:13
天照大神は天祖です
257サガミハラハラ:2007/08/13(月) 21:41:23
そういえば、皇祖を天皇家の先祖とするならば、何故イザナギノ神ではないのだろうか?
258太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/08/13(月) 21:49:39
天祖はじめて基をひらき日神ながく統をたれたまふ か〜〜。
259日本@名無史さん:2007/08/13(月) 22:45:07
おまいら俺様が正しい日本を教えてやる!

【教えて】皇室の存在意義【下さい】part45
http://tmp6.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1186656585/l50


来い!
260サガミハラハラ:2007/09/09(日) 11:36:40
宇美の名は応神天皇がうまれたので以来宇美と呼ばれるようになったという。
神武の子の蚊田皇子が生まれた地であるという。
となると、宇美の元々は宇佐ではなかったろうか。宇佐の蚊田郷で皇子がうまれたのがもとではなかろうか。
記紀によれば神武は宇佐に留まったことがあるという。とすれば、その滞在中に現地の女との間にできたのが蚊田皇子とすれば地名敵にも納得がいく。
つまり、宇佐の地名が後に宇美と変化したとみれるであろう。よって、神武東征の宇佐とは現宇美である。
261日本@名無史さん:2007/09/10(月) 07:27:24

「う」しか合ってない。ダジャレにもならない。
262サガミハラハラ:2007/09/10(月) 14:25:00
「う」があっていれば50%あっていることだが?
というより、文意がまるでわかっていないのでは?
263日本@名無史さん:2007/10/16(火) 07:32:29
では
264【驚愕】古代天皇家・近親相姦の真相:2007/10/21(日) 02:42:32
原始時代はいざ知らず、近親相姦は文明時代の段階になると許されない行為であるという認識は諸文明で共通のもの
となった。それは東洋でも同じことであり、中国や中国文明の影響を強く受けた朝鮮半島では「同姓不婚」という考えがあり、
姓と本籍地を同じくする男女は代を遡れば共通の先祖を持っているため結婚できないとするほど近親相姦を忌み嫌って
いた。
しかし、同じく中国文明の恩恵に与っていたはずの古代日本では、どうやら事情が違っていたようなのだ。古代日本史を
記録した日本最古の史書、古事記の天皇家の婚姻に関する記述がそれを明らかにしてくれる。古事記に記載されている
天皇一族の婚姻45例のうち、半数の22例もが現在民法で禁止されている三親等以内の近親結婚なのだ。さらに驚嘆
すべきことに、そのうち11例は兄弟姉妹間の結婚である。仁徳天皇や用明天皇、そして備達天皇とあの推古天皇の夫婦
は、異母きょうだい間での結婚をしている。また安康天皇と木梨之軽王はそれぞれ、なんと己の同父同母の姉妹と結婚
しているのである(ただし後に書かれた日本書紀では、中国の影響か流石に同父同母はまずいと感じたのか、安康天皇
は別の女性と結婚し、木梨之軽王はこの近親姦を責められて流刑に遭ったという歴史改竄が行われている)。
こうしたごく近親での結婚は、平安時代以降に藤原氏の人間と通婚するようになって廃れたが、天皇家と藤原氏が互いに
娘を出し合う通婚形式を繰り返せば、おのずと互いの血統が同一の物となり、近親相姦と変わらない状態となることは
明白であろう。
このように、日本では近親相姦に対する嫌悪意識は低かったのである。その影響はなんと現在の日本人のなかにも
見受けられる。たとえば調査によると、東京でのいとこ婚の夫婦は全体の4%であり、英の0.4%、仏の1%に比べて
高い数字である。また小説・漫画やポルノ等でも近親相姦(特に兄妹相姦)を扱った作品がしばしば見られる。いとこ
同士の性愛表現がある日本の漫画が、米国(過半の州がいとこ婚を禁じている)で発禁処分を受けた例もある。
日本は他国に比べ、街で知的障害者を見かけることが多い。もしこれが近親相姦に寛容な社会構造が影響している
のだとしたら(近親相姦と障害に関しての確定的データはないが)忌々しき問題である。
265日本@名無史さん:2007/10/21(日) 08:34:05

街でみかける知的障害者であるが、たしかにわたしが子供のころとくらべると格段に多いが、これはむかしは障害者はであるくことを控えた
(周囲の偏見や蔑視とうによる)最近は教育情宣活動により出歩くことに怖じることがなくなったこと。
また、フリーセックスにより、母体の撹乱(うまい表現がみつからない)により正常な受精(これもうまい表現がみつからない)ができないこと。
晩婚による出産の影響ではないだろうか。
266日本@名無史さん:2007/10/21(日) 13:50:27
皇国史観に基づいたのが正しい古代史なのか?
>257
イザナギイザナミは日本列島を作った。天照は最初とかかれているが、その子供は実は玉が変化したのを養子にしただけ、とある。
二代目で実は血の繋がりが絶えている。まあ、血統はそんなに重視しないがな。皇位というポストの存続が大事だそうだ。
267日本@名無史さん:2007/10/21(日) 19:39:15
台湾人を叩く奴は全部チョン
悪い事は全部チョンのせい
李登輝を日本の総理大臣にしよう
日本人は台湾人が大好き
日本人は台湾が好き!朝鮮嫌い!
日本に来る台湾人歓迎!朝鮮人出て行け!
台湾人はマジでかわいい
ヴィック・チョウは日本女性に大人気
日本人種は在日チョン用語



金美齢は絶世の美女


268日本@名無史さん:2007/10/21(日) 20:18:43
>>264
>いとこ同士の性愛表現がある日本の漫画が、米国(過半の州がいとこ婚を禁じている)で発禁処分を受けた例もある。

kwsk
269日本@名無史さん:2007/11/02(金) 17:23:40
ウヨの総合商社のようなスレだね。

age
270日本@名無史さん:2007/11/03(土) 10:32:49
>>1は相当なバカ
271サガミハラハラ:2007/11/03(土) 20:55:06
けれども正しい歴史ですよ。今はトンデモとみている人がいるとしても近い将来
認められるでしょう。
272日本@名無史さん:2007/11/04(日) 01:19:26
ろくな論拠も挙げずに確定的なことを言うな。
無知とは恐ろしい。
273日本@名無史さん:2007/11/04(日) 12:56:51
そうかい
274日本@名無史さん:2007/11/04(日) 19:17:01
>>5
は?
275これぞ皇国史観:2007/11/05(月) 18:19:08
美しき国日本www

・日本列島誕生物語(笑)
兄と妹の神の間の「近 親 相 姦」を経て女陰からひじり出された日本列島ww
ちなみに日本出産の前に近親相姦のためか奇形児wwを産んでいる。日本が地震国
なのも近親相姦による欠陥のためかwww
この後も神々を産むが、火の神を産む際にマンコを火傷して焼死あぼーんプギャー

・神武天皇夫人の出生の秘密(笑)
神武天皇の妻は、彼女の母が大便のため下半身をあらわにした瞬間、便器の中に
矢に化けて隠れていた父が「今だ!」とばかりにマンコに突撃wwwスカトロレイプの末
生まれた娘の名はホトタタライススキヒメ←「ホト」とはマンコの意www

・雄略&武烈の皇室殺戮絵巻(笑)
兄や弟を焼き殺して天皇の座に登りついた雄略天皇。疑わしきはぶち殺すスターリニストww
恒例妊婦腹裂きや女のマンコを馬の巨マラで破壊させた鬼畜・武烈天皇ww溺れさせた
人間を突き殺したり、木に登らせた人間を弓矢のマトにする典型的快楽殺人者
その他程度の差はあれ親族殺し・民衆虐待は歴代天皇の高貴なたしなみwwww

・女帝(笑)孝謙天皇とエロ坊主の情事(笑)
女帝孝謙天皇は皇居の寝床で、エロ坊主道鏡の巨根に翻弄され、あやうく帝位を
簒奪されかけていた!!皇統の最大の危機は外患でも、武士勢力でもなく、男根www
神の子孫もまぐわひの誘惑には勝てなかったプギャー。この醜聞は以後の知識人には
常識だったが、明治政府が黒歴史として封印www

・皇室の中の癒し系たち(笑)
四条天皇→自分で仕掛けたいたずらにはまって転倒→頭強打死バカスwww
冷泉天皇→手紙にティムポの絵描いて送ったり、御所の火事見てヘラヘラ笑ってたキティ
大正天皇→ご存知知障天皇ww最近では先天知障ではなく梅毒で脳がやられた説もwww

日本の歴史と文化を愛する右翼達は何故こんな魅力溢れる日本の歴史を
子供達や外国に伝えない?
276日本@名無史さん:2007/11/05(月) 20:36:40
>>275
何て言うか、君は本当にバカだね。
国語の教科書に落書きして笑う小学生だよ。
ネットにしか生きる場所がないんだね。かわいそうに。
277日本@名無史さん:2007/11/06(火) 00:45:41
>>276
反駁できないからって人格非難に走る
お前の方が哀れ
278日本@名無史さん:2007/11/06(火) 00:45:48
うるさいよ、君
279日本@名無史さん:2007/11/06(火) 01:06:00
>>277
>>275のコメントに反駁が必要とは思わんがねw
あんな内容書いて人格を非難されるのは当然だろう。
280日本@名無史さん:2007/11/06(火) 01:16:26
>>277
ふざけたコメントをけなされたからってむきになるな。
反駁を求めるならまともなコメントを書きたまえ。
281日本@名無史さん:2007/11/06(火) 01:19:28
>>277
議論できないだろ、あの言い分は。
お前が書いたのか?哀れはお前だよ。
282日本@名無史さん:2007/11/06(火) 01:20:54
>>277が人気者でうらやましい件について。
283日本@名無史さん:2007/11/06(火) 02:01:45
>>279-280
ふざけたも何も、
記紀に書かれたのに基づいた内容なんだが・・・

この内容を人格的に非難しうるというのは、
結局のところそのまま記紀の内容が常軌を
逸していると言っているのと同じことになるわなw

>>281
そりゃ(記紀上の)事実なんだから論議しようが無いわなw
284日本@名無史さん:2007/11/06(火) 03:24:25
>>283
紀記の内容が事実っていうバカげたことをいいたいわけ?
285サガミハラハラ:2007/11/06(火) 08:27:45
>>284記紀の内容をすべて十把一絡げにして、事実か否かを論ずるべきではないでしょう。
内容のどこが事実でどこが虚構であるかを分別して論じる必要があります。
今までみてくると、日本の古代史研究はどちらかにかたよりすぎて、一箇所でもおかしいと全否定をしたり、
逆に一箇所でもあっていると全肯定をしたりと極端にかたよりすぎる傾向があるようだ。
286日本@名無史さん:2007/11/06(火) 11:45:38
>>285
たしかに。しかし、事実をもとにした虚構の部分、虚構を事実のように書いた部分とか重なりあい、さらに編者が一つの事項について説話を何本も載せている点、同時代史料や比較文献が少なすぎる点で信頼はおけないだろう。
語るには多分に慎重さを要する。
国内で新しい史料が見つかればいいのにな。
287日本@名無史さん:2007/11/06(火) 12:02:53
>>285
>>286
つまり、真実か嘘か、わからないから混迷してるんだよな?
それを自信たっぷりに主張するネトウヨと韓国厨w
288日本@名無史さん:2007/11/06(火) 19:19:16
真実か嘘かわからないから単純に「ぜんぶ捏造」っていってりゃすむ左翼学説は
簡単でいいねw
289日本@名無史さん:2007/11/06(火) 21:08:39
>>288
>>287は捏造とは言ってないんじゃね?
根拠にあげるべき史料としては、比較史料がないゆえに確実性と説得力に欠けると言いたいのだろう。
290日本@名無史さん:2007/11/07(水) 16:38:14
そして誰もいなくなった
291日本@名無史さん:2007/11/07(水) 20:10:57
唯一絶対の無謬史観という意味なら皇国史観は間違いだが、
記紀に書かれたことの大筋の流れはほぼ正しい。
応神天皇の出生の謎や継体天皇の擁立やら、
もしまったく天皇家に都合がいい歴史書が書かれたなら、
醜聞、スキャンダルの類は削られるかねつ造されるに違いない、というのは中学生でもわかるだろう。
そんなのはどこの国の歴史でも起こっている。
で、そういった類のことを得々したり顔で語る、
週刊誌的なゲスも生まれてくるのも歴史の一部。
それが事実だったとしても、
下々の者にとっては今も昔も皇室スキャンダルほどおいしい話題はないわな。
292サガミハラハラ:2007/11/08(木) 12:48:01
記紀の比較資料として、中国の宋書を初めとする諸資料及び朝鮮の三国史記、好太王碑文を使い、
それらをつき合わせて記紀の内容の真偽を論じています。
是非一度ご一読を。
買う気がしないという方は、図書館にリクエストして購入させ読むのもよいでしょう。
ちと手続きが面倒ですが。
「神功皇后は実在したーその根拠と証明ー 後藤幸彦著 明窓出版刊 2100円 2007年10月刊」
293日本@名無史さん:2007/11/08(木) 12:57:05
>>292
ありがとう。早速買ってきたよ。
まだ、熟読はしていないが…。
ただ、どうも学会では海外史料に信頼をおいてない傾向があるな。まだまだ突き詰めて考えなければならないところがたくさんありそうだ。
294日本@名無史さん:2007/11/08(木) 15:04:16
>>285
なんか解る
例えば「書物から解釈して読み取ろう」って気がまるで感じられないもんね


例えば明治維新以降は「紀記以外は偽書。偽書は捨てなさい」
敗戦後は「紀記の内容は謝り。平城京以前の事は良く解りません」


こんな歴史ねーよw 紀記を始めこんだけ沢山の書物がある国だってのにさ
295サガミハラハラ:2007/11/28(水) 11:16:19
高天原についての私論を申し上げます。
高天原は佐賀県背振山中です。この山塊は、中央部に広い高原を持ち、中央部に北山湖(現在は人造湖であるが、かっては自然の堰止湖があった)があります。
イザナギノ命がカグツチの神を切ったときしたった血が岩になったといわれ、そこは湯津石村とかかれているが、
背振山中の巨石が散在するところ(現巨石パーク)であるとおもわれる。近くに温泉もある。
カグツチの神を切った時に生まれた神の中に、建御雷之男神がいます。
この神が再び登場するのは出雲国譲りの時で「天の安の河の河上の天石屋にます、名は伊都之尾羽張神、これ遣わすべし。
またこの神にあらずは、その神の子、建御雷之男神、これ遣わすべし。また、その天尾羽張神は逆に天の安の水を塞きあげて道を塞ぎ手いる故に、他神は行かじ、−−」とあります。
ここで解かることは、天安河の上流には湖があること、その袂には天石屋があるということである。
背振山中の嘉瀬川をせきとめるように北山湖があり、その袂の三瀬村役場の裏手には岩屋とよばれていたところがある。
こうしてみると、この神話の内容は現在の背振山中の地形地名にぴったりである(嘉瀬川が佐賀平野にでたところは惣座といい、皆座って会議をしたという天安河原のことである。)
国譲りから700年経過した記編纂の時代においても、高天原の様子は事細かにてたえられていて、現在にもその地名は受け継がれていたのである。
296サガミハラハラ:2007/12/28(金) 10:10:12
黄泉国考
これは、ヨモツクニとかヨミノクニとかよんでいるが、その由来について考察してみた。
黄泉にはヨモツとかヨミとかいう発音はない。とすると、黄泉の国という感じ表記と読みは切り離してみるのがよい。
黄泉の字義を考えてみよう。
黄色い泉とかくことから、これは硫化水素をふくんだ温泉とみてよいであろう。
古代黄泉の国があったとされるところは、出雲東部から伯耆西部である。
ここには大山という大火山がある。火山といえば温泉がつきものであるが、この大山の麓に、黄色い硫黄の付着物(湯の花)におおわれた
おおきな温泉の池があったのであろう。そこから黄泉国という名がついたのである。
297唐松山:2007/12/28(金) 11:56:03
国譲りは,崇神6年秋。
酸性の泉じゃ 人間生きられないから?

サガミさんへ 質問
神功39年太歳 以降 対外記事が 干支に合わせて書かれています。
そうすると 書紀編纂者は,最低でも 神功39年以降の暦は、「倍暦では無い」とかんが得ています。
この問題を どのようにお考えですか?

298唐松山:2007/12/28(金) 12:42:18
サガミさんへ 愚問であった 返答不要

サガミさんは,神功元年=応神元年 ですもんね。
皇国史観どころか 書紀まで改ざん読み であることを見落としていた。
299サガミハラハラ:2007/12/29(土) 17:05:31
ヨモツ国のツは「ーーの、」の意味であるから、これはヨモの国である。
モは、イズモのモと同じである。(出雲のイヰは、壱岐、伊都、伊邪、石見、因幡のイヰと同じ。よってズモの国となる)
ヨモのヨは滋賀県のヨゴ湖のヨと同じである可能性はある。
イズモは比較的新しい国とみてよい。
それ以前は鳥取西部から島根東部(ヨモツヒラ坂より東)がヨモツ国で、その西隣がコシの国でさらにその西隣がキの国であった。
300サガミハラハラ:2007/12/29(土) 20:41:50
さて、黄泉国のあった伯耆には大山という大きな火山があります。現在では死火山といわれているが、5万年と1万年まえには、
山容が変化するほどの大噴火をおこしています。温泉はこのような変動があると、盛んになったり逆に枯渇したりということがあります。
黄泉国の名のもととなった温泉は火山の火砕流により埋没し枯渇したものと思われます。
先の2回の爆発のほかに、縄文時代においてかなりの噴火がみられたものとおもわれます。
大山の別名として、火峰(wikkで確認してください)というのがあるところをみると、やはり縄文時代において、かなりの噴火があったものとおもわれます。
301日本@名無史さん:2007/12/29(土) 21:23:48
台湾人を叩く奴は全部チョン
悪い事は全部チョンのせい
李登輝を日本の総理大臣にしよう
日本人は台湾人が大好き
日本人は台湾が好き!朝鮮嫌い!
日本に来る台湾人歓迎!朝鮮人出て行け!
台湾人はマジでかわいい
ヴィック・チョウは日本女性に大人気
日本人種は在日チョン用語



金美齢は絶世の美女


302サガミハラハラ:2007/12/30(日) 00:03:54
大山の別名は出雲風土記によると、「火神岳(ほのかみだけ)」だそうです。
爆発の光景をみたのでなければこのような山名はつかないでしょう。
つまり縄文人は大山が炎をあげて爆発して、火砕流が山麓を埋めつくし、多くの人ももふくめた生命が
うばわれた死の世界となったのを見たのである。
それ以来ヨモツ国とは死の世界の国ということになったのである。
303日本@名無史さん:2007/12/30(日) 00:06:06
よく高天原はどこなのか?という論争があるが、
日本の古代史研究で重要な「延喜式」では、
高天原は奈良県御所市の高天台付近とされているのを知っているだろうか?

つまり、延喜式が編纂された西暦10世紀の時点では、
京都朝廷の公式見解では、高天原は大和国の一地域とされていたのである。

このへんには、それゆかりの神社や地名が多く存在している。
こういう地域は、日本の他の地域にもあるが、
それらは後世にそのような伝承が出来上がった可能性がある。
九州を高天原とする伝承などは、神武東征が何なのか?という伝承によって、
後世の人たちが独自解釈した可能性が強い。

が、奈良県御所市付近は、少なくとも西暦10世紀の時点では、
京都朝廷からそのような見解を持たれていたというのは大きな事実だ。

で、奈良県御所市にある高天原伝承ゆかりの地名や神社はというと

高天彦神社
http://www.norichan.jp/jinja/kenkou/takamagahiko.htm
天安川神社
http://www.norichan.jp/jinja/kenkou/amenoyasukawa.htm
天香山神社
http://www.norichan.jp/jinja/renai/amenokaguyama.htm

また、天安川神社の祭神は天尾羽張神で、この神様は古事記の
天安河の話に登場する。この尾羽張は、尾張氏・尾張国の名称の元に
なったと思われ、皇室と兄弟の家系である尾張氏の以前に拠点であったと思われる。

古事記・日本神話の伝承地〜高天原史跡ガイド
http://takama.sakura.ne.jp/index.html
304サガミハラハラ:2007/12/30(日) 09:42:55
それでは、黄泉国という感じ表記はだれが始めたか?という問題が生じてくる。
この表記が倭人ではないことは一目瞭然だからである。
305サガミハラハラ:2007/12/30(日) 11:31:22
ここでおさえておかなければならないことは、記紀が編纂される際に、出雲が黄泉国と漢字表記されていた資料があったというこということである。

306サガミハラハラ:2007/12/30(日) 14:15:46
倭人伝に黒歯国、裸国、シュジュ国というのが記されているが、このように国名を
その地の形容や風俗産物党からあらわした書として山海経というのがある。
となるとこの黄泉国というのもその時代につけられたものとおもわれる。
307サガミハラハラ:2007/12/31(月) 11:54:52
倭に中国人が来たのは古くは戦国時代の呉越の戦いの時代があるが、それ以前にすでに
中国江南と倭のあいだは通行可能であったようである。
半島南部から海峡部において、呉音の地名がのこっていることなから、相当の通交があったとみられる。
となると、このあたりを行動する江南人において、ヨモツ国は硫黄泉の湧き出る(箱根大涌谷や別府のように)
黄泉国として有名であったのだろう。
308日本@名無史さん:2007/12/31(月) 16:55:10
台湾人を叩く奴は全部チョン
悪い事は全部チョンのせい
李登輝を日本の総理大臣にしよう
日本人は台湾人が大好き
日本人は台湾が好き!朝鮮嫌い!
日本に来る台湾人歓迎!朝鮮人出て行け!
台湾人はマジでかわいい
ヴィック・チョウは日本女性に大人気
日本人種は在日チョン用語



金美齢は絶世の美女


309虹歩命:2008/03/14(金) 22:14:30
黄泉国って漢字は、中国の古典から借用したもので本来は日本や出雲と関係ないですよ。
黄泉が温泉だということはありません。
310日本@名無史さん:2008/03/15(土) 14:38:41
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
311日本@名無史さん:2008/03/16(日) 22:06:39
皇国史観に基づいてる投稿がない件。
312日本@名無史さん:2008/04/16(水) 18:27:27
太平洋戦争開戦前
チベット「日本が経済封鎖されて可哀想。羊毛送るよ気にすんな同じ仏教国じゃないか見過ごせないよ (´ー`)」
↓戦時中

チベット「日本とも国交のある我々は、最後まで中立を貫く。協力はしない。」

チベットは日本と国交があった だ け で「敗戦国扱い」→中国のチベット介入(※つまり日本の責任)

ダライラマ法王側近のパンチェンラマ(当時6歳)を中国が保護の名目で連行。その後行方不明(拉致?)

チベット虐殺


ダライラマ法王の半生を描いた映画「クンドゥン」のラストシーン。決死のヒマラヤ越えを経て、ようやくインド国境にたどりつく場面。

護衛の人たちが無事を見届け、再び戦うためにチベットへ戻っていく。
彼らの悲壮な死のビジョン(予知)を見るダライラマ法王が、ただただ彼らのために合掌するシーンは心に迫ります。

日本語字幕はありませんが、音楽・映像も素晴らしいので、ぜひこの9分間のラストシーンだけでも見てください。
http://jp.youtube.com/watch?v=MjH25m5vffg
313日本@名無史さん:2008/04/16(水) 20:50:42
スレ違い
314日本@名無史さん:2008/04/21(月) 22:38:05
あげ
315サガミハラハラ:2008/05/02(金) 12:42:06
>>295しかしこの件については、実は私にとって都合の悪い点があった。
それはこの建御雷神のところに「逆に天の安の河の水を塞き上げて、道を塞きて居る故に
他神は得る行かじ。」とあるからである。
つまり私は天石屋は高天原の中心であったとみていたが、ここでは人が行き難い所となっているというのである。
どうもこれは天照大神の治世でも時代が若干違うと考えられる。
私は天照大神とスサノヲノ命との天石屋事件以来実権は天照大神から高木神に移ったと考えたのであるが、以来政治の中心は
麓の佐賀平野に移ったのではと考えられる。衆議する場の天の安の河原は嘉瀬川が佐賀平野にでたところであり、付近には惣座遺跡がある。
川をせき止めてであるが、確かに脊振山地の中央部には北山湖が存在したが弥生のこの時代には湖はなくなっていたものであろうとみられます。
となると、天尾羽張神が川をせき止めたとの話の由来は、その後の地殻変動(地震)でもって地滑りが起こり川をせき止め新たな湖ができたことをさしているのではないだろうか。
他にも地滑りが多くあり道を塞ぎ、神は高天の原の中心地である天石屋にいくのが難しくなったのではないだろうか。
その地震の時期西暦30年代であったのではないだろうか。
316サガミハラハラ:2008/05/02(金) 16:08:44
もし、脊振山地を中心とする巨大地震が起こり、高天原が相当の被害をうけたとすれば、西暦40年代の天孫降臨について新たな
解釈が生じてくる。それは天照大神の葦原中国(私は福岡市近辺那珂川流域とみている)の割譲要求は、荒れ果てた高天原からの移住地をもとめたからであろうともみれるからである。
317唐松山:2008/05/02(金) 16:52:01
建御雷神の祠はあびら山
神代の長さは、約1100年 建御雷神は、ニニギ尊から 何代か続く。

サガミハラハラさん 年代が、違いますよ。
古伝妄信を覗いて下さい。
318サガミハラハラ:2008/05/02(金) 19:29:43
>>317何代か続くとは襲名ということでしょうか?古代の神の名で襲名している例はありますか?
319サガミハラハラ:2008/05/03(土) 08:58:46
さて、地震で川がせき止められ湖ができたとすれば、恐ろしいのは大雨による湖の決壊である。鉄砲水のことである。
湖ができてから何年かして集中豪雨が脊振山を襲い、湖が決壊し、流れ出た水が嘉瀬川(天の安川)を下り佐賀平野に雪崩こんだとしよう。
嘉瀬川の佐賀平野の出口には邪馬台国(委奴国)の都(惣座遺跡)があり、あたりに相当の被害がでたものとかんがえられる。
なによりも怒涛のごとき噴流に恐怖をおぼえたであろう。
その結果、邪馬台国の人々はもっと東の吉野ヶ里に遷都することにしたのである。吉野ヶ里の休息な発展は西暦50年ごろからはじまるというから、
洪水は50年代、地震はそれ以前とみられる。
320日本@名無史さん:2008/05/03(土) 09:44:31
>>319
「豊後風土記」の日田郡の項で日田盆地がかつて湖であったことや地震で五馬(いつま)の
山が崩落し温泉が湧いたこと、土蜘蛛の女酋が神功皇后に恭順したことなどが記されている。
321日本@名無史さん:2008/05/03(土) 10:32:45
>>312

チベッテロリストの収入源はヤクの密売。

322日本@名無史さん:2008/05/03(土) 14:10:42
ぼんくら大蔵省みたいに
文部科学省は一度、解体したほうがいい

ぼんくら大蔵省みたいに
文部科学省は一度、解体したほうがいい

ぼんくら大蔵省みたいに
文部科学省は一度、解体したほうがいい

323武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/03(土) 15:12:23
>>322
でも
科学技術庁は解体されちゃったな。
324サガミハラハラ:2008/05/03(土) 20:05:35
>>320こまったですね。安本先生有利ですか。あそこは安本先生が高天原だと主張していますね。
325 サガミハラハラ:2008/05/19(月) 23:25:57
神武天皇の即位年について
これを、二つの別々の方法で算出してみよう。
A方式
私は高天原(もしくはそのモデルとなったところ)は佐賀県脊振山地であったとみている。
葦原の中国は福岡市を中心に玄界灘沿いの地であったと思う。
ニニギノ命はその地に降臨し、神武天皇は室見川流域の山門(のちに山門の庄、筑肥線下山門駅がある。)の地に生まれた。
おおきくなってから後の奈良県に移住し、その地に故郷であるヤマトの名をつけた。
さて問題はその年代である。
AD57年の金印授受は委奴国の倭国統一の結果であるとみた。倭国統一とは出雲の国譲りとして記紀にのべられている。
国譲りののち、高天原からニニギノ命だけではなく多くの天神が新しい諸国へ支配者として派遣された。あし原中国へはニニギノ命、
出雲には天のホヒノ命、畿内にはニギハヤヒノ命、名は残っていないが投馬国(宮崎県)へも。
また朝鮮半島の南部も倭であり、その地も高天原に属したので新羅にも派遣したが、現地の人とトラブルを起こし
、こんなところにいれるかといって帰ってきた。(記紀ではスサノヲとなっているが別人と入れ替えられた)。
そして、加羅の地にはキンスロ王をはじめとして5人の神が派遣された。
年代はここからわかる。
三国史記にはこれはAD42年のことであるとしるされている。これは57年と近いことから、これで正しいとみた。
つまり42年にはニニギノ命は1歳である。20歳(かれは性的に弱く、子供ができるのが遅れ、コノハナサクヤ姫との間にしか子供はできなかった)
のときに三つ子がうまれた。二番目の子が嫡男としてあとを継いだ。(倭面土国王帥升か?)
山幸彦が16再でウガヤフキアワズをもうけ、ウガヤは16歳でイツセノ命をもうけたとみる。95年のことである。4男の神武は101年のうまれとみる。
神武が45歳(2倍年暦なので実年22.5歳)の123年に東征へと出発。
岡田に1年タケリノ宮に7年タカシマノ宮に8年合計16年実年8年で、橿原での即位は131年となる。
これがA方式による神武即位年の算出である。
326 サガミハラハラ:2008/05/20(火) 13:22:41
次は日本書紀の天皇の在位年代からの算出です。
日本書紀の崇神垂仁天皇の年代は、2倍年暦・古事記分註天皇崩年干支と住吉大社
神代記の検討から、垂仁天皇崩年314年秋年という結果がでている。
崇神については、古事記干支および住吉大社神代記ともに戊寅であり288年とみられる。
そうすると垂仁の在位は314−288=26となり2倍年暦に直すと52年となるはずであるが、
日本書紀の垂仁の在位は99年となっている。
垂仁在位26年(2倍年暦52年)が正しいとすると、紀の在位99年はざっと4倍ということになる。
そこで垂仁以前の天皇の在位年はそれまでの2倍年暦ではなく4倍なのではないかと(4倍年暦ではない。2倍年暦を2倍した)考え計算してみた。
ただし、垂仁崩年を基にするとズレがあるので崇神崩年の288年をもとに考え計算してみた。
崇神68年の4分の1は17年で271〜288年まで。開化60年は256〜271年。孝元57年は242〜256年。孝霊76年は223〜241年。孝安102年は197〜222年。
孝昭83年は176〜197年。イ徳34年は168〜176年。安寧38年は158〜168年。
スイゼイ33年は150〜158年。神武76年は131〜150年となる。
上記の計算から神武即位年は131年ということになる。
これはA方式による算出の131年と同じである。
A方式B方式では、その方法が全くことなるにもかかわらず、同じ結論に達したのであるから
、この神武即位年131年という数字はかなり信ぴょう性があるといえるのではないだろうか。

垂仁の在位年については、垂仁崩年からさかのぼると、神武即位年はBC660ねんより何年かはみ出してしまうのであるが、
編者は神武即位年を辛酉年にするために垂仁天皇の在位年を2年(4倍年で8年)削って帳尻をあわせたのである。
327サガミハラハラ:2008/05/25(日) 10:07:49
上宮聖徳法王帝説における欽明在位41年説について
*この件について長らく考察をつづけてまいりましたが、次のような結論に達しました。
・法王帝説には
「志帰島天皇(欽明天皇)天の下治しめることシジュウ一年(シジュウは冊の字に似た字 )(辛卯の年の四月)に崩りましき
陵は檜前坂合岡」とある。
・帝説の成立ははっきりしないが、藤原京出土木簡から、7世紀以前には存在したらしい。
日本書紀成立以前である。
・帝説は全文がなく逸文をあつめたものだとの説があります。
・書紀においては、継体の没年が辛亥年の531年となっている。これは、百済本記に「辛亥年に日本の天皇太子皇子がみな死んだ」あることから
採用した年代であり、国内資料では534年であったようである。
・書紀で統一された系譜が成立するまではいくつかの系譜があったようであり、安閑宣化の即位をみとめない系譜があったようである。
・欽明の没年については、571年辛卯年で確定している。
・そこから41年前というと、531年辛亥年が即位年となる。これは書紀の継体没年と同じとなる。
・しかし、531年継体没年は、書紀の編纂時に百済本記から採用したものであって、それまでは531年没説はなかったはずである。
・もし、帝説が書紀成立発行後にかかれたのであれば、それは、書紀からの引用であるとなるのであるが、帝説の成立は書紀成立以前であることは確実であろうから、
531年欽明即位は書紀の影響ではないことがわかる。
・事実、帝説には安閑宣化の記述がないことから、安閑宣化非即位説の系譜であることがわかる。
・書紀では欽明の在位は32年となっている。

帝説では41年の40を冊のような字を使って記述している。また30は川の真ん中に横棒の字をつかっている。
在位41年説は他の天皇の在位等から考えて実在性はない。
よって、ヨンジュウ(冊のような字)はサンジュウ(川に横棒)の誤記もしくは誤写である、との結論に達しました。
328日本@名無史さん:2008/07/24(木) 13:40:27
>>291
イギリス人みたいに、貴族はみんな牛泥棒wって笑い合えるくらいのユーモアのセンスが日本人にもほしいなw
枝葉末節にこだわる国民性で伸してきたことは事実だがなw
万世一系&単一民族史観にしても、多元史観にしても、「相手に止めを刺すぜ!」的に殺気立ってる気がする。
もっと肩の力を抜いてお互いの見方をそれなりに評価しあえる雰囲気がほしい。
329サガミハラハラ:2008/10/10(金) 21:18:43
ここにきて、倭人は縄文人なのか弥生人なのかかんがえてみたい。
330サガミハラハラ:2008/10/11(土) 13:41:47
昨日教育テレビのサイエンスゼロをみた。「ZEROスペシャル 人を探る最前線」である。
人類の移動について、言語の上からも検討していたが、ポリネシア人は7千年前に台湾を出発しフィリピントンガと移動し、彼らの三をあらわす言葉が、
トルににた発音であった。これをもって台湾フィリピントンガは同じ民族(語族)である証拠となる。
ところで、日本ではミッツであるから、この語族にははおらない。
しかし、英語ではスリーであるが、これはthreeであるから、古はトゥリーであったと思われる。フランス語ではトゥワでありドイツ語ではドライである。
今までの言語学ではポリネシアとヨーロッパとは同族であるようであるが、ここに一つのトリックがある。
というのは人類みな兄弟であり、人類の祖先の一部はアフリカに発祥し、アラビア半島に渡り、そこから分岐してきたという。
つまり、確かにポリネシア人とヨーロッパ人はアフリカでは一緒であり、その当時は三のことをトゥで始まる言語をもちいており、現在でもそのトゥではじまる単語を使用しているわけである。
その時期は六〇〇〇〇年ぐらい前であり、ヨーロッパ人と南方モンゴロイドの分岐の年代でもある。
次に、食べるということをあらわす言葉をもやっていたが、これもポリネシア系ではクムに類似したと言葉であらわされていた。これは日本語の噛むに通じる。
よく噛んで食べなさいというわけである。となると、食べるという日本語はポリネシア由来ではない。
331taka:2008/10/23(木) 10:37:02
>>325
え? 邪馬台国って畿内に有ったの? で、その大王家が今の天皇家?

教えてほしいのですが、もっと後の『朝鮮王朝実録』では九州の事を倭、本州の事を深所
倭と記述していますよね? で、『烏丸鮮卑東夷伝』の記述では 卑弥呼 の墓は棺があって
槨が無く、径百歩、つまり円墳に葬られていると書かれていますよね? 畿内に該当する墓
はどこだと思いますか?

邪馬台国の政治は、女王 が天の意思を伝えて弟が政治を行いますよね? で、その弟の王
の拠点は恐らく伊都国でしょうが、伊都国は今の福岡だとすると九州になるのではないで
しょうか?

『日本書紀』の記述と『中国史』には様々な矛盾がありますが、その最たるものが『隋
書』の列伝四十六で、斐清 も倭の逗留地で阿蘇山があって皆これを祀ってると書いていま
すよね? 王とも直接会っているが、どの記述をみても畿内を思わせるような物は無いと思
いますが。
332日本@名無史さん:2008/10/31(金) 15:48:31
>>331
>径百歩、つまり円墳に葬られていると書かれていますよね?
書かれていませんね。径というのは円に限った言葉ではありません。

>弟の王の拠点は恐らく伊都国でしょうが、
弟の拠点が伊都国などという記載はまったくありません。
弟は卑弥呼を助けていたのですから、当然、邪馬台国にいたと考えるべきです。

333日本@名無史さん:2008/10/31(金) 16:01:39
馬韓
334日本@名無史さん:2008/10/31(金) 23:16:10
>『隋書』の列伝四十六で、斐清 も倭の逗留地で阿蘇山があって皆これを祀って
>ると書いていますよね?
これも書いてないですね。
335日本@名無史さん:2008/11/01(土) 15:18:10
                                  //
                                  / 〈
                            / 〈  ∨
                            /    ヽ  ∨
                            /        \
               ,  -───-く         /]_}
              .  '′    ──- }        /
            /      ─- ミ   { {    /\
           /  /            \  \⌒'く___r─====≡ミ
        /  / /     ヽ     ヽ   `ーく    ]     r─y′
.        /  ' /        .     ',     ∨         /
      ,′ /  '         ',     ',   ', ∨    /
.     ,:l  !  |  {          'ト、     ,    . ∨ [⌒´ ',
     i |  i  |  . '       | i    ,   ', ヽ]    '
      | |   ', l :l ',      :! | l\  }   |   |  ',  i
      | |   ', | /| :!ヽ     ├十|ー\ノ   |  |  ', |
      | |    : l _」....|_ \    ,' 彡ィ il{「}l   |  |  ::|  !
     | |   ', ハ, }r十ミ、 ヽ. /    弋ツ/  /   ,′ ::l  l
      八∨   ', ヽ ≧シ       ̄ ,′/  /:/  :/  i
      }:∨ .  ',  ヽ           l/  //:/ / . /
      ノ ,ハ :.  ', ',',\    、_.ノ   / 彡イ // =彡く
     /イ ∧::.  l }}l ̄ ̄\__   . イ /   | |        \
       厶イ }}:}:. ノ ノ八 r 、 ∨ ̄] _リ-‐  ¨¨| 「\      ヽ
      f .ィ彡'  彡'⌒ [ 〉 〉〉  '//       |ノ   ∨       |
     <≦ニ二´  ̄ ̄ ̄]'イイ  // ,/ー─┬‐ __}     j
      |  ̄ ̄))     ̄]  ',  { l{ 〈   r‐< ̄   ]   /
      |   'イ      ノ   ',. \∨  ノ   
336サガミハラハラ:2008/12/04(木) 14:23:24
佐治芳彦著日本国成立の謎日本文芸社p53より抜粋
 だが、この名称を、中国の道教からきたものではないかと考える人もいる。福永光司氏がそうだ。
氏は、『古事記』本文の「天地初めて発けし時、高天原に成れる神の名は」から「此の三柱の上(注「造化三神」)は、並独神と成りまして、
身を隠したまいき」にいたる神話的記述は、六〜七世紀の中国(南北朝期)の道教神学書のそれを踏まえて書かれていると
断定してまちがいないだろうと述べている。
337太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/04(木) 14:35:25
逆に〜日本のを大陸が踏まえたんではないと言えるか?
漢字は漢、大陸だが〜。
338サガミハラハラ:2008/12/04(木) 14:52:00
そして、高天原の「高天」は、四世紀、東晋時代成立とされる『玉佩金(王當)経』に元始天王と太帝君の二神が「高天」の上で向い
あって斎戒していたとあるし、また「原」は、北魏のレキ道元の『水経注』に、漢代の祭天の聖地の名に「皇天の原」というのが出てくるが、その「皇天の原」との合成であるというわけだ。
つまり「高天原」は「高天」と「皇天の原」との合成であるというわけだ。
ということは、のちに神道といわれるようになった日本列島の固有信仰には、もともと「高天原」という語や、概念がなかったということである(福永『道教と日本思想』『道教と古代天皇制』徳間書店参照)。
(中略)
つまり、私のいいたいのは、道教の用語の「高天」や「皇天原」も、『古事記』神話が皇室神話に変質させられたときに使用されただけなのかもしれないということである。


私も「高天原」という名称はあたらしいものであり、記紀編纂のあたりにつくられたのではとみている。
高天原のある脊振山地は魏志倭人伝では巳百支国である。
339太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/04(木) 14:55:14
高天原を向こう、大陸が真似たか? 漢字は日本側が真似たとかなっ
てるな。
340太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/04(木) 14:57:37
古史古伝にあるウガヤ朝があった場合は、高天原を大陸が真似たと
いうことが考えられる。
341日本@名無史さん:2008/12/24(水) 10:08:23
電波の巣窟みたいなスレだなw
342サガミハラハラ:2009/01/07(水) 16:32:41
高城修三著 神武東征 p184
神話学者の大林太良が言うように、神話は「重要な原古の出来事を表現する、≪言葉≫であり、儀礼は、それを繰り返し行なうことによって、原古の出来事の生命を新たにして伝えていく≪行為≫である」とすれば、「即位儀礼という行為」の
前提として「神話あるいは奉仕由来譚という言葉」がなければならず、その前には「重要な原古の出来事」がなくてはならないのである。戦後の歴史学は、これとは反対に天皇の即位儀礼(大嘗祭)から神武即位伝承が創作されたとするが、それなら天皇の即位儀礼は
どうやって創作されたのであろうか。たとえ、そんなことが可能であったとしても、自らのアイデンティティーに関わる「重要な原古の出来事」を無視して作為された儀礼にたいして、「重要な原古の出来事の生命を新たに伝えていく≪行為≫」など期待できるはずがないのである。
古代人が、そんな自己欺瞞に甘んじたとはおもわれない。
我が国の古代国家形成過程において、神武東征は卑弥呼を女王とした統一国家「倭国」の出現と共に、「重要な原古の出来事」である。そのような大事件が後世に伝承されないはずがないのである。
343日本@名無史さん:2009/01/08(木) 04:50:30
>>342
なるほどとても面白い。
自分はサガミハラ氏とはたぶん根本的に意見が違う。
考え方の根底の違いが明らかで興味深い。
自分は『「重要な原古の出来事」が後世に伝承されないはずがないのである。』とは全く思わない。
理由をおおまかにいえば、
ひとつは記紀成立時点における王統譜の混乱。
もうひとつは藤原京造営時点での古代墳墓の破壊。(さらに律令下の神武〜八代の陵墓同定がどうやらきわめていい加減であったと思われる点)
さらに加えれば箸墓以降、墳墓の維持管理の形跡が全国的にもほとんど皆無であるという点。

ざっと挙げたが、いずれも「重要な原古の出来事」はなかなかうまくは後世に伝わらなかったように
思われてならない。

私は、いま視認できる巨大古墳のみが、「事実としての王統譜」の痕跡だと思うし、
8世紀の文献(つまりおもに記紀ですが)に、あまり依拠できないと思う。(金石文のみ、圧倒的な真実を語る)




344日本@名無史さん:2009/01/08(木) 17:54:48
  (⌒ヽ ――  ─   ─ ───────── ( ゚ ∀ ゚ )< さいたまさいたま!
  (    ,⌒)                 _,,..-―''.  \_/ ゙―-..,,  (⌒ヽ    (
 (    ⌒ヽ         _,,...-‐‐''"" ̄     /  /  |  \    (   ⌒)   ゝ
  ゝ      ⌒ヽ,, __,,,....--―-..、        /   /   |    \  ,,.(     )、,,(
 (          /  ,,,,,,,,,;;》》》〉〉ゞ      /    /    |     (          ゝ
_,,...-‐‐--..,,,_   / ミ''           /     /          />  />
>〉〉》》》》> .,, `ヽ、,r'~ ̄ ̄`ヽ、 ̄+; ̄ ̄ __ ̄ ̄ /  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄,,_p/> ̄ ̄
    _____,,,...(,;;)/⌒ヽ、"",,, ヽ、 。..: _'. ! ..::::. / ...::::::.. ..::::::::........ 。゚。,,,_p/> .....:::::::::::::::::::::
,,r''~ ̄,,,,,,;;;;《《(,;;);;)彡 ヽ  彡,,ゝ /  | .::::: *....::::... ........+:::::_,,..,,,,_..::::::::. ......::::::.....:.:
《《《<""  ,r';i;i/ ..::.  彡 ) +:::  |  /...........::::::::..:::::.. 。...:::::::::.  ∩ ∧__∧ ∩.... ...::::::::::.. ::...
。.... ::::: ,r'ww/ :::::::::: 彡ノ::. / ̄ ̄|  。..::::...... 。. ..::*.∩c∞σ ∩\( ゚∀゚ )/<さいたまさいたまさいたま!
〜;,,。,r';i;i;i;i;i/ :::::::... ::  /     | サイタマ〜〜〜!>ミ* ^ω^ *ミ:::::::::::::。::::::.........::::::::
    /www,'.。.... 。.... . . |     /。.....゚ .........。・...。.... 。 。。..::::...... 。...::::::::... ......::::::::::::::::..
  /;i;i;i;i;i;,'. ~^^゚〜〜~゚^ |__/〜〜・。,,,,:〜"~~。〜・" ゚''〜。,,, 。....゚....... 。.....:::::::::..........:::::
 /w;w;w,'       *            ,,c∞σ,,, 。o ○  ~^^゚〜・,,。,, 。....゚......。..。....
/w;w;w,       *             ミ,,,-ω-:,,,ミ zzz          〜・,,。,, 。....゚.....
345サガミハラハラ:2009/01/09(金) 20:43:55
今年の初詣は、鷲宮神社にいってまいりました。4日に行ったのにすごい人出でした。
346日本@名無史さん:2009/01/09(金) 20:49:09
某アニメ目当て・・・じゃないよな?
347日本@名無史さん:2009/01/09(金) 21:43:22
邪馬台国九州説はステータスだ!希少価値だ!

348日本@名無史さん:2009/01/10(土) 04:45:21
あいまい3センチちんこ
349サガミハラハラ:2009/02/12(木) 22:10:55
わたしは天孫(神)降臨の年は、韓国の金首露王の降臨伝説のAD42年ごろであるとみます。
ところで、日向風土記にニニギノ命が降臨したときに、日食の現象があったと記載されています。
ここのニニギノ命は別人のことであり、伝承されているうちに誤解されたのである。しかし誰かが降臨したことは確かです。
その時日食があったとすれば、AD42年ごろ宮崎県で日食があったことになります。
そこで日食月食宝典をみたところ、AD41年に九州南方海上で日食があったことがわかりました。
皆既日食ではありませんが、相当かけたようです。
奇しくも今年の7月22日に九州南方海上において日食があります。
その時の宮崎では41年と同じ状況になるものとおもわれます。
さてどのくらい暗くなるでしょうか。
350日本@名無史さん:2009/02/14(土) 00:17:25
曾というのは、天から降ってきた天子の住むところだそうだ。
351日本@名無史さん:2009/02/15(日) 00:04:10
352日本@名無史さん:2009/02/19(木) 23:48:26
>>349
まーた根拠ないことをだらだら書いてるし、まったく…
353日本@名無史さん:2009/03/14(土) 23:31:17
だってサガミハラですから
354日本@名無史さん:2009/03/15(日) 00:03:49
第二次世界大戦の真実
http://www.youtube.com/watch?v=iKbuy7bPYlo
355日本@名無史さん:2009/03/24(火) 04:28:02
皇国史観否定、
1万数千年前、オセアニア、インディアンと同系民族が、東北からアムールまで、俗にいうアムール文明をきづいた。
やがてそれらはスキタイ人になり、それは東北と情報をいききした。

また、東北は独自の縄文文明をきずき、やがて、神武が現れ支配された。

アムール東北文明を源流とするアンチ皇国っぽい史観持ってんだけど、


インディオ・オセアニア→アムール東北→縄文+スキタイ→弥生時代(スキタイの残党、中央アジア系騎馬民族の移民→神武襲来
っていう、アムール、東北、騎馬民族史観
356サガミハラハラ:2009/03/28(土) 12:08:10
別冊歴史読本 日本古代史 晋倭伝説の最前線p12より  水野祐

爾来日本考古学は浜田説を継承し、史学との混同をさけてきた。戦前日本では考古学がそれ程発展せず、その成果も
一般日本史家を刺激せず、その成果も充分活用されなかった。
終戦と共に皇国史観の風靡していた日本史は凋落し、記紀神話は抹殺され蛇カツ視された。それに反し史実を教える実証の
学問として、考古学へ関心が集中し、発掘ブームを起し、考古学万能の傾向を招じたと共に、考古学の全盛をむかえ、大発掘が
継起し、新発見が続出し、戦前からの通念を打破した。そのこと自体は誠に幸であった。(続く)
357日本@名無史さん:2009/03/28(土) 12:41:53
やるとしたら、正常位と騎乗位の性交からかぁ。
社会科の教師になるべきだったのかもしれん。
358日本@名無史さん:2009/03/28(土) 14:10:59
サガミハラハラさん、あなたはもとの教師だったのに
邪馬台国九州説に没頭されて
でも、残念ながら、あなたの説は間違っている可能性が高い。
すごくお気の毒に思います。
359日本@名無史さん:2009/03/28(土) 14:13:44
>>356 :サガミハラハラ:2009/03/28(土) 12:08:10
>別冊歴史読本 日本古代史 晋倭伝説の最前線p12より  水野祐

それって、いつの本ですか?
360日本@名無史さん:2009/03/28(土) 14:26:13
 皇国史観を否定したのが戦後の考古学なのでは。もっとも考古学の重鎮の
人たちは最初に否定した人たちのためか,かえって保守的で独善的に思える
けど。
361サガミハラハラ:2009/03/28(土) 19:52:53
私自身は戦前から古代史の中に考古学の成果を充分導入する必要を主張していた。それ故戦後、
神話・伝説は史実を伝えないとの理由で抹殺し、日本史の叙述からそれらを一掃して、そこを考古学や人類学の成果に塗り変えるだけで科学的古代史であるという態度に
対し、あまりにも安易に走る浅薄な思考であると共に、考古学一辺倒で事足れりとするのは愚論であって、単純な考古学と古代史との挿げ替えは双方に悪影響を与える以外の
何者でもないとし、斯様な安易なご都合主義的結合を木竹繋合式と称して拒否してきた。では、神話と考古学はどう結びつくのか。

1996年発行です。
362サガミハラハラ:2009/03/28(土) 19:55:23
>>361>>356の続きです。
363サガミハラハラ:2009/04/03(金) 18:47:19
古代幻視 梅原猛 文春文庫 p18
縄文土偶の謎より抜粋

四 土偶は全てばらばらに壊されている。
容易に土偶の謎は解けなかった。ところがある日偶然に思いがけないところで一人の老婆の語った話によって、
この積年の謎を解く手がかりをみつけたのである。
浦川はるさんというアイヌのお婆さんがいる。通商タレ婆ちゃんと言い、九十二歳になるが、−−−。
アイヌの信じるあの世は、この世とあまり変わりなく、ただこの世と全てがあべこべであるという違いがあるだけである。
幼児の死以上に重要なのは、胎児の死の場合である。そこでアイヌ社会では、妊婦を葬る場合、いったん墓場
へ妊婦を葬って、その後、呪術をもっている老夫人が墓へ入って妊婦のはらをマッ二つに切り、−−−。
その後私は、福島県で明治二十二年におこった死体損傷事件に関する山口弥一郎氏の論文を読んだ。
それによれば、福島県でも妊婦をそのまま葬ることは祟りのあることとされ、それで妊婦の腹を切りーーー。
また、すべての土偶がばらばらに壊されているという第四の条件も、こういう仮説によってよく説明されるであろう。
アイヌの社会では強く、日本の社会ではかすかに残っているが、この世とあの世はあべこべの世界であり、
この世で完全なものはあの世では不完全、この世で不完全なものはあの世では完全なものという観念があ
るので、死者に供えるものは壊されることが多い。

*私はこの文を読んで平原の破鏡を思い出した。
364サガミハラハラ:2009/04/03(金) 23:02:30
北部九州において鏡が割られた状態で発掘されるという。
これを人為的なものとみて話をする。(実は一部に疑問をもっている)
アイヌと福島ということで縄文世界では死者への供え物は破壊して埋葬するとしよう。
となると、福岡湾沿岸部の住人は縄文系の人であるということになる。
あの一帯は、高天原からの移住者であるから、彼らは縄文系の人々ということになる。
ただしこの論は、佐賀平野や筑後川一帯、遠賀川流域にも破壊した供え物の風習があるとすればなりたたないものである。
いかがでしょうか。
365日本@名無史さん:2009/04/04(土) 15:46:42
>>363-364

まあ縄文の土偶も破壊されて地中に放棄されている物もあるらしいから
件のアイヌの風俗もそれと関係するのかもしれない。

大地(女性・母胎)→種蒔き(受胎・妊娠)→発芽(出産)

とダブらせているのなら、妊婦は大地に帰すためには
胎児を分離させる必要があったのかもな。

底流に食物起源の「ハイヌウェレ型神話」の思想のような物があるやもしれぬwwww

だがそれらはあくまで豊穣をもたらす大地に関する物であり
九州の墳墓の葬送儀礼とは違う気がするが…


366日本@名無史さん:2009/04/04(土) 19:18:37
てすと
367日本@名無史さん:2009/04/18(土) 13:31:20
明治天皇の命令で、伊勢神宮の伊雑宮は出雲系も神を祭るも、鳥羽に強制移動させ
今伊勢神宮の別宮に 1古代、江戸時代の度会神主は伊勢津彦とも1書によると三輪山の神武に屈しない
出雲王家が松阪の雲出川越えて志摩磯部に稲作しa少名彦祭る 2神武家来度会の祖が交渉により出雲王家退去させ
船で三河から諏訪王朝築くb祭神イザハトミ 3度会は度会の姫をあたかもb神の嫁の様に位置ずけ3柱を祭る 4荒木田
二神主が志摩磯部派遣で内宮拝礼所化 5荒木田の土着受け、ヤマトタケルの諏訪攻撃参戦の海軍物部がー王家は北関東落ちる、
その祭る的矢湾沖に鎮座のアマテラス神が、度会統治で内陸に移されていて3桂と合祭される 6荒木田の内宮化で維新に。
368日本@名無史さん:2009/04/19(日) 17:49:41
万世一系なのに主神のアマテラスが女なのは
どういう理屈なんだ?
369日本@名無史さん:2009/04/19(日) 17:57:29
>>368歴代天皇即位の、おこもりの秘儀に答えはありそうだよ。
370日本@名無史さん:2009/04/19(日) 18:40:25
アマテラスは天皇家の祖先神で
万世一系は神武天皇からなんで
別に矛盾はない。
371日本@名無史さん:2009/04/19(日) 19:49:30
神武に求めるのは、古代史からも正解に近い。
372日本@名無史さん:2009/04/20(月) 23:44:38
日本古来の和舟で早朝、6人の皇族が海に漕ぎ出した話。
乗船者は天皇、皇后、天皇の息子の一家(嫁、娘、まだ赤ん坊の息子)
息子一家にはもうひとり娘がいるが乗船しなかった。

一日目は空模様を見て舟を出すのは取りやめた。
二日目も舟を出すのは取りやめた。
三日目、空模様は前日、前々日と変わりなかったがついに舟を出した。
沖では天皇がまず自分で漕いだ後、天皇の息子にも漕ぐように勧めた。
息子は一旦は断ったが父が何度も勧めるので自分も漕いだ。
沖から浜辺に着いて下船する時、天皇が最初に降り、天皇の孫息子が母に抱かれて最後に降りた。

以上の実話を古事記等、(天孫降臨みたいな)日本の神話に当てはめる事は出来ますか?
詳しい人の意見を聞いてみたいです。
373日本@名無史さん:2009/05/16(土) 18:33:19
出来ます
374日本@名無史さん:2009/05/17(日) 01:10:06
私は日本の神話に詳しい人ですが、>>372は実話ではなく、日本の神話に当てはめる事は出来ません。
全くだめですね。
375日本@名無史さん:2009/05/17(日) 05:48:30
>>372は実話ですよ
天皇皇后両陛下と秋篠宮ご一家が葉山で過ごされた時の話で
地元の人が写した写真も存在します

>>374>>372は実話ではないと断言する根拠は何ですか?
376日本@名無史さん:2009/05/17(日) 07:35:14
なんだ、現代の話か。断言する根拠はなんですかって、こんな引っかけの悪ふざけにつきあっていられるか。
377サガミハラハラ:2009/05/20(水) 14:56:59
上古の難題 辻直樹 p274より
 このような記述を信じるわけにはいかないとか、文献学を認めないのが純粋な考古学といわれるのももっとものことである。
しかしそれならその立場の考古学者は歴史や古代社会を語ってはいけないと私は考える。今の考古学の現状で考古学者が歴史を語ると
必ず世を毒することになろう。大古墳の近くにその時代の王宮跡と認められるものを発掘した時に、はじめて地域政権説の成立の余地ができたことになる。
百舌鳥野や石津原は決して文献的に王宮の地ではなかった。これは今もって考古学によって覆されてはいない事実である。
主権交代の連判状でも発掘されない限り、首長連合などと暴走族まがいの名をつけるべきものではなかろう。記紀を認めないということは記紀の誤りを証明したことにはならない。
その道理をわきまえないと考古学の暴走がとめどのないものになってしまう。考古学が勝手な歴史を創作し始める前に、今はまだそこに古墳があるにすぎないことを忘れてはなるまい。
大王の歴史は地方の考古学の成果からだけでは類推できぬものがある。

p277
 同様のやり方で、古事記や日本書紀に書かれたことの針の先ほどの矛盾を咎めて、それで全体を疑うという論法を使うと簡単にいくらでも記紀の否定ができる。しかしその否定した結果が
正しいかどうかは別次元であり、それに責任を持たない論法が屁理屈なのである。つまり否定した後に何もかかれていないのではないか、あるいは書かれていても落書きみたいなものではないか、
そこをしっかりと見届ける必要がある。その辺りをレトリックのうまさと著者や出版社の権威でごまかしている例が古代史には多いのである。
378唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/23(土) 18:16:35
皇国史観に基づいた正しい古代史を認めるには、古代より太陰暦での記録
が有ったことを認めるべき。
太陰暦は1章(19年7閏)の積み重ねで出来ている。依って日本書紀から
空白年を1章*n回差し引けば、正しい西暦に重ねることが出来る。

天皇   西暦  治世   増し
神武天皇 41年 19年間  57年 土器分類X紀の始まり
空白(タギシミミ)    3年
綏靖天皇 63年 14年間  19年
安寧天皇 77年 11年間  
懿徳天皇 90年  5年間  57年 安寧、懿徳は同じ暦
孝昭天皇 93年 26年間   57年  懿徳の弟 懿徳元年生まれ
孝安天皇 119年 26年間  76年
孝霊天皇 145年 19年間  57年
孝元天皇 164年 19年間  38年
開化天皇 183年  5年間  
崇神天皇 188年 25年間  95年 崇神11年 巻向の土器
垂仁天皇 215年 23年間  76年
景行天皇 239年 22年間  38年
成務天皇 265年 4年間  57年
仲哀天皇 269年 4年間   4年
神功皇后 274年 38年間  32年 273年日食、301年=神功43年=新羅300年の翌年
 326年七支刀が献上される(百済本記の近肖古王では無い)
応神天皇 324年 41年間  0年
仁徳天皇 312年 87年間  0年 364年仁徳53年=新羅

この数字で皇国史観は、容認される。
379太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/23(土) 19:08:08
この編年は解説が全然ない。当人の脳内のあてずっぽうを真と決め
つけたいい加減なものである。
380太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/23(土) 19:46:58
孝昭天皇は懿徳の子であり、弟ではない。これを見てもデタラメで
あることが垣間見える。編年が合わないから弟にネジ曲げただけの
こと。羽生さん郷田さんに勝てないからといって、王を飛車のように
ストッ飛びでは、これは名人にも勝てるに決まっている。ロ−ガンも
こういう将棋的飛びはねの小細工が得意だな・・・。w

それに日食は数日も継続はしないから、神功の日食もボロが丸見え
である。神功が合ってないから、それ以前の編年は大ウソだという
のが当選確実なのだ。おまけになぜマシがあって、どういう合理的
具体的状況が存在してマシのΔXiの量が各々定まるのかという、この
重要な解説が全くできない。その具体性が全然無いのだ。
彼の思いつきの妄想以外考えられない。
381唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/23(土) 22:03:02
晝暗如夜。已經多日。時人曰。常夜行之也。則日暉炳。日夜有別。
昼暗きこと夜の如し。既に日を多く経る。時の人曰く常の夜を行くようだ。
即ち陽光がきらめく。日夜の分断が有った。

これをどの様に読んだら「何日も続いた」と読めるのか?
そしてその出来事とは如何なるものか?
太国さん 説明して頂きたい。
382唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/23(土) 22:06:50
太国さんの史観とは
七支刀は百済王が倭王に下賜した。でしょ?
383太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/23(土) 22:17:08
原文のほうはこの前論じ会ったろうが。二度も詮無い。なぜぶり
返すのか? 出来事だって去年だったか過去に話ししたろうが。
記憶力が悪いのか? 歳が行ってるなら分からんわけでもないが。
原文を出したほうはまだそんなに日が経過してないだろう。

黄砂が来る日本だ。これの長期ですごいのが低気圧とか? 大きい
のが来てばら撒けば、それがえんえんを続けば空が暗くなるよ。
そんなことは滅多にはないだろうがね。
浅間山等の大噴火で日数が長ければこれでも空は真っ暗が継続する。
だからどでかい何らかの特殊な気候等起こったんだろう?

日食は数日は続かん。原文はこの前書きこんだんだばかりだから、
それを見るか紀をよく読め。
日数は空白日があったから数日間といっても実際はもっと縮むことは
あろうが、それでも2日以上のはずだ。1日だったら空白日は関係
なく、その日だけだから数日とは2日は最低かかっている。しかし
そうならば、2日にまたがるはずだから、当然日食が仮に10分と
仮定したならば、夜の11時55分から10分後の翌午前0時05分とかいう
ことになるしかない。しかし日食は深夜起こらないから空白日があっ
ても2日という解釈もありえっこない。分かったか?
384太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/23(土) 22:25:12
おまけに常夜とは夜が長く継続することだろう。それも半日分の夜
ならば常夜と言う必要はなく、単に夜と言えばいいことだ。
だから常夜というからにはもっともっと暗黒darknessがそれよりも
えらく長期にわたっていたということを意味するということに
なるわけだが、そうだとすると数日間は暗黒の時間が必要だっ
た、そのくらい長かったということを意味している。だから日食で
あるわけがない。誇張があっても桁が並外れてるからこれでもない。
385サガミハラハラ:2009/05/23(土) 22:39:11
本当の神功摂政元年(356年)には日食はありませんでした。
紀の201年の日食は三国史記新羅本記の日食記事をのせたのです。
(紀の編者が皇后の即位年を、倭人伝の記述から200年代の初めにもっていこうとしていて、
新羅本記に201年の日食記事をみつけたことから、<また民間伝承に皇后が和歌山に来たとき日蝕があった>
これさいわいと、即位を日食のあった201年としたのです。)
386唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/25(月) 20:37:17
>常夜とは夜が長く継続することだろう。
常夜とは普通の夜、 常に夜でなく常の夜
普段の夜を行く様と表現された。
>だから日食であるわけがない。誇張があっても桁が並外れてるからこれでもない。
「これでもない」の「これ」とは何ですか?

「これ」とは「数日間は暗黒の時間」ですか?
当然こんな事は考えられない。この考えられない思考で「日食」を否定し、その上で
この記事も否定する。
この方法は「太国倍暦」の正しさの証明に良く使う手ですね。
「太国倍暦」の正しさの証明に仮定の話を出す、いつの間にか正しい決定の話になっている。

201年の日食は20%程度、だれも気が付かない可能性あり。
4世紀は日食多発の時期、それでは記事に齟齬が生じる(60%程度の日食が数回)。

では 崇神6年 百姓流離と崇神11年異族多帰 を説明できますか?

387太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/25(月) 20:48:26
何を能書き垂れてんだろうねぇ。そんなことよりオマエの証明の
ほうが聞きたいよ。過度な要求ばっかりで、マシの解説なんて
いままで一度たりとも具体的にしたことがない。いつも途中の
抽象的、いかにも利行そうな計算をしているよに見せかけて、その実
そこまでで終結でゴマ化す。〜日食は数日は続かない。当たり前だ。
常夜がオマエの言うとおりなら、単に夜と編者連はそう書けば
いいことではないか。w
388太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/25(月) 20:58:49
普通の夜なら時間は半日だから、かようなオマエの主張ならdarkness
が半日も続いたことになる。ww
考えてもみろ、日食が半日も続くか〜〜?ppp ppp ppp
389唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/26(火) 19:36:26
>数日間は暗黒の時間が必要だっ
た、そのくらい長かったということを意味している。だから日食で
あるわけがない。誇張があっても桁が並外れてるからこれでもない。

>数日間は暗黒の時間が必要だった、 だから日食であるわけがない。
「数日間は暗黒の時間が必要だった、」で日食を否定する
「桁が並外れてるからこれでもない。」で「数日間は暗黒の時間が必要だった、」を否定する

この時点で「日食」は復活します、
日食を否定するためには、「数日間は暗黒の時間が必要だった、」を維持証明する必要がある。

私は「日食」が半日続く と言う主張はしていない。
あなたが偏見の目で私の主張をねじ曲げている、その太国がねじ曲げた主張を私の主張だと言い張る。
390太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/26(火) 19:42:02
よく考えてみろ。墓に2人つるんでいるのを墓を開いて発見して、それを別々の
の場所に話して埋めるのに2時間くらいで出来るわけがない。
曲学の徒さんの穴掘りだって2時間くらいじゃ出来ないと彼が言うだろう。ppp
オマエの妄想だよ。
391太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/26(火) 19:47:54
ALUCARDじゃあるまいしw 夜の夜中に墓を掘って実見するなどと
言い出すならば、こうこれは恐怖映画の見過ぎだ〜。ppp ww
392太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/26(火) 19:53:46
日食がドラキュラのように復活するのか〜?wwwww
もう映画の見すぎだよ。2回も立て続けに日食が起きるのか?ww
翌年274までないだろう?ppp
393唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/26(火) 21:08:17
>墓に2人つるんでいるのを墓を開いて発見して、それを別々の
の場所に話して埋めるのに2時間くらいで出来るわけがない。

因以令推問。巷里有一人曰。
巷の里の人の話として説明しているだけだ。

>2回も立て続けに日食が起きるのか?ww
日食の否定に「数日間は暗黒の時間が必要だった、」等というとんでも無い思考で日食を
ひていする、否定した直後に「数日間は暗黒の時間が必要だった、」を取り消す
この記事を取り消したことにより「日食」の否定が無効になる、依って「日食」は有効である。
有効にするには、「数日間は暗黒の時間が必要だった、」を維持しその出来事を説明する必要が有る。

巷里有一人曰。「曰く」は実行を伴わない。
394太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/26(火) 21:14:06
日食が半日は続かんね。日没近くから日食が始まったって、おや?
今日は少し夜になるのが早いなあと思うくらいだよ。pp
数日日食が続くかどうか、国立天文台へ聞いてごらん?
どんないい訳してもゴマ化しは利かない。それに紀の記事では
墓をちゃんと掘って埋めたとある。それに逆らうオマエは、もう
がけっぷち。ww
それに翌年もあったんじゃぁ、判然としまいが?ww
395太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/26(火) 21:21:43
その説明が墓を掘って埋めたと言ってるわけよ。遺体を出して別の
場所に埋めたんじゃぁ、2時間位じゃぁ早すぎる。だから日食で
あるわけがないのだ。
396太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/26(火) 21:31:15
撥が当たったようで暗黒だから、どうやらチチクリアイのまま埋めたのでその
祟りではないかと思って掘り起こし、別々にしてまた埋めたわけだ。この証言は
虚妄だとさらなる神の怒りを買うだろうと考えるべき古代人と観てよく、だから
ウソは言うはずがない。彼らは恐れてるんだから、ありのままの話なんだぜ。
397唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/26(火) 22:21:58
274年神功元年 皇861辛巳
301年 辛酉 神功47年 皇907丁卯 この年新羅、百済が朝貢←新羅300年条 この時点で19年加増されている。
312年壬申 神功39年 皇899己未 太歳←加増されていない 皇918戊寅←19年加増されていれば
312年仁徳元年 (313年癸酉)仁徳は西暦の干支を使用
326年(神宮52年、1年の狂い在り)
泰■四年■月十六日丙午正陽造百錬■七支刀■
東晉明帝太寧4年5月16日丙午、
この数年前に百済の東方や馬韓の邑国を収め、百済東方を肖古王に賜る、
そのお礼として七支刀は、百済肖古王より倭王に献上される。
369年では受け入れられない説です。

神功時代は実質50年
324年甲申 応神元年 皇930庚寅
364年仁徳53年 新羅を攻める=新羅本記参照
398太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/26(火) 23:16:45
19年加増したのはオマエの頭だよ。単にそれだけのこと。そうで
ないなら、なぜなのか〜で?
合理的具体的に自信を持っての増しの解説ができうるはずだろう。
もう記の崇神没年258年説がそれがしの記と離れての後代から積み上げ
での紀倍暦計算と一致したことになるから、逆らっていくらやっても
もう無駄だ。お目覚めで258年説を支持したほうが、後日の身の
ためなんだよ。
399唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/27(水) 19:46:42
>記の崇神没年258年説がそれがしの記と離れての後代から積み上げ
での紀倍暦計算と一致したことになる

258年説を支持したほうが、後日の身のためなんだよ。

太国3倍暦が、保身に入った。
と言うことは、3倍暦の証拠でも見つけたのかな?
258年は259年である とか訳の分からない事を言っていた様な気もするが?

さて是からは、太国3倍暦で読む「日本史」の書き込みに期待するか。
400日本@名無史さん:2009/05/27(水) 19:51:57
清水守民先生のブログを見よ(五芒星による古代史の完全解明を達成!)
http://blogs.dion.ne.jp/pentacross/
401太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/27(水) 19:55:13
3倍暦で1ヶ月が十日しかない月があったのさ。山海経にはこれを
十個のお日さまと示唆している。無論3倍暦でもやり方の違う時代
もあったのだ。

否定するなら、自己の編年を抽象的でw誤魔、化さず説明せよ。
402太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/27(水) 20:02:35
後日のオマエの身のためなんだよ。オマエをいれなきゃ分からん
のか〜?pp
403太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/27(水) 22:58:47
>>399
273年が274年であると,いつの間にか
オマエもやってるではないか pp→>>397
404唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/28(木) 19:35:07
>>403 273年が274年であると,いつの間にか
オマエもやってるではないか pp→>>397

ほ〜 >>397 に「274年」の文字が見えませんが、
他人の書き込みも斜め読みの得意な「太国」さん
どんなことを書いてあるか?解説よろしく。

そんな物より
太国倍暦で読む 皇国史を掲載してください。
ただし 太国暦で日本史を読める場合で良いですよ。

太国暦で日本史は読めない。←私の自論。
405日本@名無史さん:2009/05/28(木) 19:42:56
太国はもうだめぼ…
406太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/28(木) 19:43:06
>>404
>>397
これは何だい?
 ↓
274年神功元年 皇861辛巳
407太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/28(木) 19:49:08
フ〜ン? ジャァあれだ、273日食の翌年が神功初年だというんだね?
なると273の日食は神功−1年ということだ〜? これでいいのか?
とぼけるなよ。
408太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/28(木) 20:24:17
自己の編年の説明も出来ない唐松山という野郎は、相手に対する編年
説明の要求ばかり口ずさんでいる男だな。奴は出来ないんだよ。pp

ところで紀の崇神崩御 皇紀631年は辛卯だが、これは倍暦計算では
259年で、記の没年干支戊寅258年と1年違いでほぼ一致し許容範囲内
にあり不審はない。それがしの論と一応合っている。

崇神の各没年干支(以下のとおり)は

 古事記       戊寅
 住吉大社神代記 戊寅
 墓標        戊寅(池田仁三氏に依る)

となり、三者とも同一干支の戊寅年であるのだ。
叱るに唐松山という男の崇神没年の主張は238年戊午か237年丁巳
である。全く滅茶苦茶に離反しているねぇ〜。ww
こんなんでいいのかね? pp ww
409太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/05/28(木) 22:44:07
ハハ〜ァン?
唐松山の野郎は崇神没年を215年としてたのか。
上述のは垂仁の没年だった。そいつは失礼。今夜はビールだ。w

崇神没=215年 じゃぁ干支は乙未だしその1年前だとしても甲午
だし、やっぱり戊寅とは無関係のようだな。孤立してるな。
410サガミハラハラ:2009/05/30(土) 09:59:31
箸墓が240〜260年築造とでて、卑弥呼の時代とかさなることとなった。
日出ずる国の女王ヤマトトトヒモモソ媛、日没する国の女王卑弥呼にもうす。恙なしや。
というわけですね。
411日本@名無史さん:2009/05/30(土) 12:34:05
くだらねw
自称仮説とか俺はこう思うとかのノリで歴史を変えるなw
誇大妄想症とか、なにがしかの疾患あるんじゃね?w
架空戦記的妄想はチラシの裏にでも書いてろやw
412日本@名無史さん:2009/05/30(土) 12:51:27
2ch=チラシの裏
413唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/05/31(日) 12:15:38
太国さ〜ん もっと「古代史」の続きを書き込んでくださ〜い。
414日本@名無史さん:2009/05/31(日) 17:18:55
>>412
もうその等式は古い
415日本@名無史さん:2009/05/31(日) 23:03:23
新旧は関係なく、チラ裏に書けと言われたから、ここがそうだよ、と言いたいだけじゃね?
416唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/06/01(月) 00:05:33
NHKを見た
七支刀=369年
これでは、書紀を読み替えないと歴史にならないとうつたえていた。
七支刀=326年
これなら、書紀を読み替える必要なし。
417サガミハラハラ:2009/06/01(月) 00:29:02
369年製作 372年倭王に渡る、で正解です。
418日本@名無史さん:2009/06/02(火) 12:09:07
〜皇国史観一覧〜
〈副題:神から天へ〉
@神武朝(非実在)
A崇神朝(奈良土着)
B応神仁徳朝(東征)
C顕宗仁賢朝(播磨)
D継体(臨時:越王)
E欽明朝(蘇我傀儡)
F天智天武朝(天皇)
419日本@名無史さん:2009/06/02(火) 12:13:13

継体は越王だから、欽明は女系で繋がっていた事になる!

420日本@名無史さん:2009/09/21(月) 20:00:07
みなさん、ホツマツタヱ、しっかり読んで研究してみませんか?目から鱗だと思いますよ、マジで。
421美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 20:46:09
ホツマは興味ある

ただホツマで解釈されてる富士の麓の日玉の國ってのは、俺の中ではサナトラクラマの日玉の事な気がする

日玉の國に関してどんなことが書いてありますか?
ヒイロカネや宮殿や両面スクナとか出てきます?
火玉の國って多分、記紀のアマテラスやイザナミより以前の話でしょ?
どんな内容ですか?
422日本@名無史さん:2009/09/21(月) 21:57:26
>>421
「日玉の國」ってのは、竹内文書に出てくるものでしょ?ホツマには、出てないと思います。但し、富士山については、記紀が完全に黙殺しているに対し、ホツマには、アメノカグヤマ、ハラミヤマ、フジノヤマ として豊富な記述があります。
423美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 22:20:42
>>422
そっかあ
竹内文書だったかあ

ホツマはフジの麓すね^^
「不死山」とも書くけど富士山以外にそう呼ばれてた山は結構しってるよ
けど静岡の方の話だとしたら、記紀の時代の東日本側の歴史書かもしれないすね

記紀には東側の事がまるで書かれてないけど、同じ時代に東日本側も倭人達が開拓なりして住んでたと思うけどなあ
大陸との合流の窓口は九州じゃなく越だったんだし
なんか東側は蔑ろにされてるけど、なんも無いところに鎌倉幕府は開けないだろうしさ
424日本@名無史さん:2009/09/21(月) 22:51:32
>>423
是非、ホツマについて、調べて下さい。ネット時代、実にいいサイトがありますぞ!
http://julian.way-nifty.com/woshite/
http://www.zb.ztv.ne.jp/woshite/index.html
http://www.hotsuma.gr.jp/
425日本@名無史さん:2009/09/21(月) 22:56:35
天孫降臨についても、記紀から導き出される結論と、全く違う話が、ホツマなら読み取れます。皇室の御祖先は、明らかに東北地方から九州に下って来られた、ということです。従って、記紀は極言すると、謀略の書かも知れないとも思いますが・・・。
426美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 23:26:33
>>425
いや東北からじゃないけど記紀にもそう書いてあるんですよ
記紀は九州発祥説なんかもあり漢文を間違った解釈する人が多いだけすよ

俺は細かい違いはともかく、ホツマも記紀も書いてある内容は同じだと思いますよ
ただ解釈する側がねじ曲げて解釈しちゃってるだけですよ
あと記紀は他の複数の書から引用した物で、同じ時代の同じ話をそれぞれ違う表記で書かれてたりもするからややこしいよ

大まかな流れは同じじゃないかな?
名前の表記が違うかもだけど
國の常立命→イザナミイザナキ→アマテラススサノオ→大国主→国譲り→国造り→天孫降臨→韓国出兵→イワレビコ東征→橿原遷都


国之常立は位山の日玉国です。今の飛騨
その下流にイザナミとイザナキが降り立った中つ国
ここでアマテラスが生まれて、日本アルプスの神坂峠を越えた信濃が高天原です

日向三代ってのはここから九州を経て乾国へ国造りに向かってますよ
427美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/21(月) 23:29:15
http://www.google.co.jp/gwt/x?q=%E5%A4%A9%E7%85%A7+%E9%98%BF%E6%9C%A8&ct=res&oi=blended&sa=X&ei=Ko23StD8L4iI6wPlyuk6&cd=3&resnum=3&hl=ja&source=m&rd=1&u=http%3A%2F%2Fwww.ja-higashimino.or.jp%2Fhiroba%2Fstory%2Fn%2Fagihuro.html


記紀もホツマも歴史書ですよ
ただ読み手の解釈が間違うと全然違う話になっちゃいます
記紀の解釈は間違いだらけすよ
色々調べればちゃんと場所も解るしどんな話なのかも解ります
428日本@名無史さん:2009/09/22(火) 00:24:45
>>427
恵那については、ホツマにも、記述があります。28アヤの、天照大神の御誕生に関することです。
http://www.gejirin.com/hotuma28.html
http://www.gejirin.com/src/We/wenagatake.html
429日本@名無史さん:2009/09/22(火) 01:09:18
こちらもどうぞ(笑)。しつこくて御免ね、でも、面白いので・・・。
http://blog.goo.ne.jp/manasanda/e/ae54a84dd5ae21a2f1e7897d647df2e6
430美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/09/22(火) 03:37:35
>>429
つか和歌で書くってのが面白いね
てか記紀じゃイワレビコ以前の話は神話だなんて解釈されちゃってるしさ

ホツマも別に、天皇の歴史を書いてる訳じゃ無くない?
記紀もあれ別に、日本で何があったって事を書いてるだけで天皇の歴史を書いてる訳じゃ無いんだけどさあ
何故か全部天皇の話だとか言う解釈されちゃってるし
イワレビコって書いてあるのにわざわざ「神武天皇は、、」なんて名前を天皇に変えて解釈してたりなんだよ
その人が天皇であろうがなかろうがどうでもいいじゃんね?
別に天皇の歴史を調べてる訳じゃなく、日本の歴史を調べてるんだしさ
431美濃もん太:2009/09/23(水) 13:37:44
 関裕二さんの本を読むことが多いのですが、
彼の言ってる事には突っ込み所が多いんです。
自分にはあっていないのかな?
 みなさんのおすすめの日本の古代歴史作家さんを教えてください。
分野としては、古代の天皇、日本書紀、邪馬台国あたりがいいですね。
432顔なしだよ!ぜいいん集合:2009/09/23(水) 13:47:35
※日本書紀は不比等の小説です。
あるいは都合のいいように改ざんしたものです。

・・・といいながら俺は個人的には
神武天皇からの実在していたと信じてるけど。

433日本@名無史さん:2009/09/23(水) 18:40:54
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
434記憶喪失した男:2009/09/25(金) 23:45:20
今時、皇国史観なんて、いってるやつは天皇でも嫌がるわ。
民主史観に決まってるだろ。
435日本@名無史さん:2009/09/26(土) 01:58:26
>>434
というか、天皇は民を思い、民は天皇を慕うという国柄が我が国体であって、どちらかに傾くような話ではないと思います。ホツマには、そのことがしっかり描かれています。
436日本@名無史さん:2009/09/26(土) 03:54:19
アホくさ
天皇ってなんの為にいるんだろう
437日本@名無史さん:2009/09/26(土) 07:38:09
国民統合の象徴
438日本@名無史さん:2009/09/26(土) 07:44:29
日本には卑弥呼の時代から国民を統合する象徴がないと戦が収まらないんだな。
つか、そういう統合の手段を見つけた時点で初めて日本という国家としてなりたったともいえる。

それがないと小国家の乱立状態が続くか、
中国のように王朝ができてはまた打ち倒され、
それが面々と続くという歴史になってしまう。

つまり日本という同一の国家が千数百年も続くことにはならない。
439日本@名無史さん:2009/09/26(土) 08:06:21
しかしそれはあくまでも象徴であって決して実質的権力は持たない。

実質的権力者は別にいるが、決して象徴の存在である天皇に取って代わろうとはしない。
たとえそういうようなやつが出てきても必ず周りから邪魔されて失敗する。
なぜかは簡単。
国民の大多数がこのシステムって結構よくね?って思ってるから。

権力と権威は分化させる。
だからこそずっと日本という国でいられた。

このシステムはある意味不合理である。
一番力を持っているものが一番権威があるべきだ。
これが一見合理的な考えのようにも思える。
他の国はそういうシステムを取ってきた。
中国のようにな。
440日本@名無史さん:2009/09/26(土) 08:07:30
力が衰えた権力者はより大きな力を持った次の権力者に取って代わられる。
権威も当然そのものに移る。
実に合理的だ。
しかしそれだと国は滅びまた新たに作りかえられなければならない。

そういうシステムは国を疲弊させるからやめよう
と古代の日本人は考えたんだろうな。
合理性すなわち善とは限らないのだ。

非合理のよさ。
日本人ならわかるでしょ。
合理性とか効率とか論理性とか
そんなものよりもっと肝心なものがあるって。

しかしそう考えてもやっぱり戦乱は起こる。人間だもの(byみつを)
だがその戦乱を収める手段はやっぱり日本の場合最終的には天皇なんだな。
このシステムやっぱりよくね?
何べんも同じこと繰り返してやっと日本人はそのことを確信したんだろう。
441天之御名無主:2009/09/26(土) 12:46:03
>>438
んじゃ、卑弥呼が初代天皇ってこと?
442日本@名無史さん:2009/09/26(土) 14:24:18
そうじゃねえつの。
そういう伝統つうかそういうシステムの原型が古代からずっとあったから
天皇という形に昇華されていったって言ってるの。
443日本@名無史さん:2009/09/26(土) 14:26:01
卑弥呼にしたってああいうものが卑弥呼の時代に突如として生まれたわけじゃないだろ。
もっと小規模のものが面々と伝わって卑弥呼にいたったと考える方が妥当。
444日本@名無史さん:2009/09/26(土) 15:44:24
今の民主主義が行き詰まり崩壊しても、皇室を戴く限りそこは日本という安心感がありますね。
445日本@名無史さん:2009/09/26(土) 18:24:57
ここは古代史スレ
446日本@名無史さん:2009/09/26(土) 18:43:13
ホツマには、キミ・トミ・タミ」の社会秩序が述べられてあり、トミとタミは相互に入れ替わりつつ、キミを盛りたてていく主旨が書いてあるようです。
447日本@名無史さん:2009/09/26(土) 20:22:01
君はトニー谷
448日本@名無史さん:2009/09/26(土) 20:40:15
>>447
駄洒落などの言葉遊びも、ある意味、ホツマの精神につながっています(笑)。
449日本@名無史さん:2009/09/27(日) 14:52:35
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
450天之御名無主:2009/09/30(水) 02:58:50
 稲は日本には6000年前には伝わっていたけど?
451日本@名無史さん:2009/09/30(水) 09:10:57
小麦と稲は日本には6000年前には伝わっていたけど?

だろw
452日本@名無史さん:2009/09/30(水) 10:16:04
プラントオパールは極小なので、土の粒の間を下に神道していってしまうので、
見つかった地層と年代が一致するわけではありません。
江戸時代の花粉が土にしみ込んでいきやがて不透層に達し、そこにたまるわけです。
そのたまった層が6000年前の縄文時代の層だったということです。
453日本@名無史さん:2009/09/30(水) 11:18:38
神道ですか層ですか
454日本@名無史さん:2009/09/30(水) 12:27:08
プラントオパールは粘土の粒子よりも小さいから
粘土もじわじわ通過していくんだってな。
455日本@名無史さん:2009/10/01(木) 00:56:45
>>452神道は浸透の間違いでした。
となると、現代通過中のところを採取されたというわけですか。
456天之御名無主:2009/10/05(月) 15:03:44
平安時代でもまだ、トイレは無く、
百姓はそこらじゅうに排便してると聞きました。
道端や建物の傍らで踏ん張っている光景が普通だった・・・と。
雨の日はどうやって排便していたのでしょうね。
濡れながら排便をしていたのですか?
457日本@名無史さん:2009/10/05(月) 15:37:06
真実の姿は、

縄文時代のトイレは、川岸に張り出した所にあり、川に直接排便をしていました。
現在は、川の中に杭など残っていませんが、
遺跡では杭の先だけが川底に残っている場合があり、
その付近の川底から糞石(便の化石)が見つかる事があります。
http://toire.hailn.com/2005/09/post_4.html
458日本@名無史さん:2009/10/05(月) 15:57:35
かわ‐や〔かは‐〕【厠】  大辞泉

《川の上に設けた川屋の意とも、家の外側に設けた側屋の意ともいう》便所。
459日本@名無史さん:2009/10/05(月) 19:47:37
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
460日本@名無史さん:2009/10/05(月) 21:44:44
どの辺が皇国史観?
461天之御名無主:2009/10/13(火) 03:04:13
 456ですが
ということは
雨の日は濡れながら外で排便していたということですか?
462日本@名無史さん:2009/12/27(日) 12:46:04
正しいことは正しいが、正しくないことは正しくない
463日本@名無史さん:2010/01/17(日) 23:15:17
上にいきます。
464サガミハラハラ:2010/01/27(水) 11:27:02
イザナギノ命には三貴子という天照大神と月読命とスサノヲノ命がいた。
このうちの月読命についてはほとんど記録がない。古事記に、大気津比売神を、スサノヲノ命が殺したとある。書紀に、月読命が保食神を殺したとある。
話の内容から、この話は同じで殺した人の名がちがっていることがわかる。
書紀の一書にはスサノヲノ命はタカマガハラに田をもっていたとある。
ところが、スサノヲノ命はイザナギノ命に海原(天下をおさめるようにいわれたが、泣き暮らしていたという。
となると、タカマガハラにスサノヲの田があったり、乱暴狼藉をおこなったというのはおかしいことになる。
これは、月読命とスサノヲノ命が入れ替わってつたえられたことによるものでないだろうか。
乱暴狼藉をした月読命を、スサノヲノ命の行為として誤伝されたのである。
その理由は、日本では古来臭いものに蓋で、悪いことは伏せるという習性がある。
特に名を秘すとか、口にだして言えない、とか噂のときに「あそこの奥さん」とかいい、実名を伏せたりする。
月読の場合も語られる時は、「天照大神の弟さん」という形で本名をふせたものとおもわれる。
真相が知られているうちはよいが、世代がかわるうちに、天照大神の弟さんがスサノヲノだけのこととみるようになってきた。
その結果、天照大神の弟さんがやったことは全てスサノヲノ命の行為とされるようになったのである。
一方では、正しい伝承もあったのでありそれが書紀の一書の記録である。
となると、天照大神とスサノヲの誓約も考え直す必要がでてくる。
そもそもこの誓約事件は内容がおかしい。潔白を証明する必要があるのはスサノヲノ命だけでいいのに、なぜか天照大神までが
潔白を証明するようになっている。挨拶がすんだらさっさと黄泉国に旅だてばいいのに、それまでの泣き顔はどこえやら、
かちほこって乱暴狼藉を行っている。
スサノヲノ命が挨拶にきたのは本当であろうが、安川をはさんでの誓約はアマテラスと月読みの対決ではなかったろうか。

原因は今さぐっているところであるが、ひとつには保食神を殺害したこととも考えられる。
そのとき天照は非常に怒ったとある。(以後昼と夜にわかれてすんだという。)
しかしもっと調べるひつようがあろう。
465日本@名無史さん:2010/01/27(水) 20:23:53
>>464 サガミハラハラ

センセイ「ハイヌウェレ型神話」って知ってるかい?wwwwwwwwwwwww


466日本@名無史さん:2010/01/27(水) 21:16:51
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■


@まず日本人のふりをしながら朝鮮煙幕を炊き付け、それを自ら叩いて
自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)

Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)

Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。

Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。
467サガミハラハラ:2010/01/27(水) 22:27:14
>>465 知りませ〜ん。それがどうしたのでしょうか。
468日本@名無史さん:2010/01/28(木) 17:34:58
>>467 サガミハラハラ

知らないのか、知っていてすっとぼけているかは知らんがw
本当に知らないと言うのなら
この「保食神殺し」の食物起源の神話を取り扱うのにいくらなんでも無茶すぎるってレベルでw

要はこの話は食物起源の神話としてそれ自体で完結している。
(日本書紀にはキャスティングを変えて異伝を幾つか伝えているが…)

他のエピソードと絡めて新たなお話を作るのにはチト無理があろうと言う話しwwwwwwww
469サガミハラハラ:2010/01/29(金) 15:07:43
歴史をまなんでいて、大きな勘違いをしていたことがあります。
それは、鳥取県米子や境港が島根県だと思っていたことです。
地勢でみると、境港のある弓ヶ浜や米子は島根県(出雲)にはいっていてもおかしくはない、いやそのほうが自然だからである。
出雲はかつて三つにわかれていて、それを統一したのが大国主命である。
西から木の国、古志の国、黄泉の国である。
大国主命は西から征服を開始し、東の黄泉の国をも征服して長江山にて宣言をしたのである。
ところで、先にあげた弓の浜(夜見の浜)も米子ももともと黄泉の国の一部をなしていたようである。
事実弓の浜は夜見の浜であったのであるから。では、この地域が出雲に入らなかった、つまり、大国主命がこの地域を征服しなかった理由は
なんであろうか。
ここで出雲神話に登場するもうひとりの人物がいる。
それはスサノヲノ命である。彼は高天原系の人物で、父から海原(天の下)を治めるようにいわれたのに、
しんだ母が恋しいと毎日泣き暮らしていたという。そして、母のいる黄泉の国にたびたったのである。
そして黄泉の国についたのであるが、黄泉の国の王様になったわけではない。黄泉の国には黄泉の大神がいたからである。
しかし粗略にはあつかわれなかったようで、黄泉の国の一部をあてがわれた様である。
それが根の堅洲国である。つまり読んで字のごとく、洲つまり新しく水辺にできた地である。
それが弓ヶ浜やその根元の米子なのである。
やがて時が移り、スサノヲノ命にはおおくの子がうまれたのであるが、その中のスセリヒメが大国主命と駆け落ちをしてしまったのである。
やがてまた時は移り、大国主命が出雲統一をはかり、東の古志国や黄泉の国を征服したときに、ここ根の堅洲国についてははたと困った。
前述したようにここは大国主の義父の土地(義父がまだ生存中なのか不明であるが、つまの兄弟がおさめていたであろう)なのである。
そこで征服するのを遠慮したのである。
それが、この地域が出雲にはいっていない理由なのである。
470サガミハラハラ:2010/01/30(土) 10:48:13
さて、スサノヲが出雲に移住しても、葦原の中つ国(福岡湾周辺那珂川沿い等)はスサノヲの領分であった。
その死後スサノヲの支配地は子供たちに相続されることとなった。根の堅洲は息子達が相続し、葦原中国は娘のスセリヒメが
相続することとなった。
スセリヒメの夫は大国主命である。夫婦は一心同体、妻のものは夫のもの、というわけでもあるまいが、
葦原のなかくには大国主命が統治することとなった。
やがて年がうつり、天照大神は次のように述べた。
「葦原中国は高天原のものである。ここは私の子の天忍穂耳におさめさせる。よって返却するように」
と出雲の大国主のもとに使者をおくったのである。
これが日本の運命を左右した国譲りのきっかけである。
大国主命がスセリヒメと結ばれなければ、日本の歴史は大きくちがっていたものであろう。
471太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/30(土) 22:22:38
サガミハラハラさん
あなたの言う日向風土記のA.D.41年の日食とやらの原文を必要個所
書きこんで下さいよ。どんなんですか?
472サガミハラハラ:2010/01/30(土) 23:21:46
日向の国の風土記に曰く、臼杵の郡の内、知ホの郷。天津彦々火ニニ杵尊、天の磐座を離れ、天の八重雲を
排けて、稜威の道別き道別きて、日向の高千穂の二上の峯に天降りましき。時に、天暗冥く、夜昼別かず、人物道を失ひ、
物の色別き難たかりき。ここに、土蜘蛛、名を大クハ・小クハと曰ふもの二人ありて、奏言ししく、「皇孫の尊、尊の御手
以ちて、稲千穂を抜きて籾と為して、四方に投げ散らしたまはば、必ず開晴りなむ」とまをしき。時に、大クハ等の奏ししが如、
千穂の稲をテモみて籾と為して、投げ散らしたまひければ、即ち、天開晴り、日月照り光きき。因りて高千穂の二上の峯と曰ひき。
後の人、改めて智ホと号く。

とあります。パソコンで出ない字はカタカナでうちました。
473日本@名無史さん:2010/01/30(土) 23:40:51
しかしこのサガミハラハラという人物の思考回路はどうなっているのだ。
神話を歴史とみていて、神話の非現実性を取り除き、史実としてなりたたせている。
474太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/31(日) 11:37:58
>>472 サガミハラハラさん 感謝。
この文を拝見して思うことは、日食の可能性はあると言えるが、断定は
できないな。近くに阿蘇山もあるし、噴煙がものすごけりゃぁ、そういう
んで暗くなったとか分厚い曇天続きで真っ暗に見えていたのかが定かで
ない。しかし唐松山の神功初年の記載と違い、数日間続いたとかで
ないから、ありうる可能性に期待してこれで年代を強引に確定するのでは
なく、他の面から編年して、その結果が正確性が相当あると認識できて、
ここで日向風土記のこの文とを照合して可否を決めるべきでしょう。

これが日食と決めこんで、この先行により編年してこれが正解の年代だと
断定したりするのは唐松山の軽率手法と同類で、これでは失敗に至り易い。

また何でA.D.41年なのかの事由が客観的に不明であるので、どうしてなのか
をご説明願いたい。
475太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/31(日) 11:48:53
>>473
唐松山のほうに強力に言ってやって下さい。
476サガミハラハラ:2010/01/31(日) 21:11:46
私は、AD57年の金印授受は、委奴国が倭国を統一したことから可能であったとかんがrます。
よって、倭国統一はAD57年に近い年代であるとみました。
ところで、出雲国譲りであるが、私は史実であるとかんがえます。記紀において倭国が統一されたような話題は(神武以前)これのみだからです
国譲りにおいて、当初は葦原中国(福岡湾周辺)だけであったのが、武力行使により出雲大国主からかれの支配地を全て入手することに成功しました。
その結果、葦原中国のみならず、新支配地全部に新支配者を派遣しておさめることになりました。
葦原中国にはニニギノ命、奈良にはニギハヤヒノ命、出雲にはアマのホヒノ命、伽耶には首露王ら6人、そして宮崎にもおくられました。
この中で年代のはっきりしている人がいます。それは伽耶の首露王です。
三国遺事にAD42年のことと明記されております。となると、天孫降臨はそのあたりとみることができます。
しかし、これだけでは薄弱だったのですが、日向国風土記に降臨伝承の時に日食があったらしいことがわかり、
この日食がAD42年に近ければ、天孫降臨がそのあたりと断定することができるのではとかんがえました。
それで調べてみましたところAD41年に種子島を通過する日食があり、宮崎では97%はかけた日食があったことがわかりました。
この2か所の年代からわたしは、天孫降臨の年代がAD40年であるとみたわけです。
477太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/01/31(日) 21:59:17
いささか分かって来ましたが、史実に天孫降臨を入れるのは、この四字が
何を意味するのかを特定しなければなりません。それがハッキリしたの
なら、しかも現実的になるほどという意味に解されたなら、そういう論の
方向に持って行くことが可能でありましょうが、これは時期尚早では
ありませんか? それがしも天孫降臨とは現実的に何のことなのか、
具体的説明は十分にはできませんよ。
478サガミハラハラ:2010/01/31(日) 23:42:46
天孫降臨の字句はかなり後世の作出であるとみています。飛鳥時代ではないでしょうか。
事実は天神の一斉降臨であったとみます。その中で、現天皇家につながるニニギノ命が孫であったから天孫降臨となづけられたのです。
479唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/01/31(日) 23:54:31
>>472
その辺の話は、暦で民を治める話です。
暦が無くて、天(太陽)の動きが解らない民に、農事暦と共に種貸しをする。
暦が無くては天(あめ)に暗い(太陽を読めない)。
480日本@名無史さん:2010/02/01(月) 14:10:21
正確な暦がなくとも農作業は行えますよ。
481太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/02/01(月) 14:25:44
唐松山は出来ることを、抽象的説明で出来ないに鞍替えする妄想男。

ロクスッポ調べないで、当否を調べて言うのではなく、自説に不利な内容
は出来るものでも出来ないに置き換える常習男。ww 出来ない事由は
1行の文にも足りずに言い訳して出来ないを糊塗するいい加減な野郎だ。w
482日本@名無史さん:2010/02/10(水) 00:06:34
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
483日本@名無史さん:2010/02/10(水) 02:06:14
妄想と推論の違い。

妄想→「だ」「である」
推論→「と考えられる」「の可能性が…」

少し謙虚になれな、みんな。
484日本@名無史さん:2010/02/11(木) 20:50:45
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■


@まず日本人のふりをしながら組織で劇団型工作で朝鮮煙幕を炊き付け、
それを自ら叩いて自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)

Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)

Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。

Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。
485日本@名無史さん:2010/03/12(金) 12:55:52
愛国
486サガミハラハラ:2010/04/04(日) 12:45:58
日本書紀に記されている太歳について。
講談社学術文庫には次のような説明がある。
 木星の異名、木星は十二年の周期で巡航することから、十二支とむすびつけて太歳干支を記すことがおこなわれた、
古代中国の暦法から生じ、百済本紀にもちいられていた。
 しかしほかに、次のようにもかんがえられる。
 太は太郎次郎三郎の太、すなわち本家とか嫡流とかの、中心という意味をもつ。
すなわち、天皇は国の中心であるから、天皇にかんしての年代については、太という字をつけたのである。
 もうひとつは、
 古代においては、複数の暦法がつかわれていた、中国の万国共通の暦、そして倍暦である。
倍暦とは1年2倍年暦(1年2歳暦や春秋暦ともいう)とか3倍暦とか4倍暦とかいう歴訪であり、2倍年暦には
表と裏の2種あることがしられている。
 かような日本独特の暦に対し、本来の暦であるとして太の字をつけたとみられる。
以上3つあるが、最初のはなりたたないであろう。
 したの2つの考えの内どれであろうか。
487太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/04/08(木) 17:51:45
>最初のはなりたたない
どれが成り立たないらしいんですか? 複数の暦法は全地域ではないで
しょうが、使われてた可能性はあることは確かです。古代マヤでも複数
での並行暦法でして、古代日本も通常暦法に並行して複数暦の行使は
堅いようですし、妄想の唐松山も古代日本が二重暦だという珍語を出し始
めて肯定しているようです。
488サガミハラハラ:2010/04/10(土) 22:04:14
最初とは、木星の異名云々です。
489太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/04/10(土) 22:44:30
あぁ、そうですか。
490日本@名無史さん:2010/04/16(金) 13:59:27
大和朝廷って朝鮮からの渡来人が多くいて朝鮮からの入植地みたいだったのではないのか?
朝鮮の一国を経営してた。なんであんな関係が深いんだ。
遣唐使なんて命がけの航海だったというし、なぜ海を渡ってまで行くか?

もともとアイヌ人が原住民で北方へ追いやられた。アイヌや沖縄は南方系の人の顔立ち。
蝦夷のアテルイはアイヌか?民族が違うのが顔立ちだけで判断できたか?
いろいろ想像はふくらむ。
491サガミハラハラ:2010/04/20(火) 20:59:46
倭の五王に何故履中ははいっていないのか・
倭の五王は讃が仁徳、珍が反正、済が允恭、興が安康、武が雄略とほぼかたまっているが、
履中がいない。その理由は、従来は、治世が短く貢献する間もないまま没してしまった。
記録にないだけである、とかあるが、ここで私見をのべてみたい。
宋にばかり関心がむいているが、中国は当時南北朝の時代であり、北部には北魏という国があった。
そうなると、天皇によっては、南朝ばかりではなく北朝の北魏に貢献した天皇もいたとかんがえられる。
となると、履中は北魏に貢献したのだとみていいであろう。
履中の他に北魏に貢献したとみられる天皇は、応神天皇、雄略天皇の初期であろう。
492天皇陵を掘った男:2010/04/22(木) 22:33:13
私は天皇陵を掘ったのかもしれない。
場所は奈良県御所市玉手山である。
宮内庁が孝安陵とする場所の約300m南の尾根である。

次のブログのタイトル写真でNo2とする場所である。
http://yamatai.sblo.jp/category/790493-1.html

ここから古墳時代初め頃まで遡るであろう土器片を発掘した。
493天之御名無主:2010/04/23(金) 13:04:42
>>492
卑弥呼に夫はいた・・・?
確かに魏の使者が来たときには死んでいた可能性もあるが、
夫がいたのなら邪馬台国の役人が説明しないか?

卑弥呼が天足彦の夫なら、トヨは?
494天之御名無主:2010/04/23(金) 13:37:56
495日本@名無史さん:2010/05/12(水) 20:05:58
ふと思ったんだが。

九州北部の狭い地域で細々と数百年ばかり続いていた「早期弥生」稲作文化から、
西日本の広い範囲へと稲作が拡大して弥生時代前期に移行したのが二千六百年余り前。
って、この時代は、いわゆる神武東征神話の時期に近接してるよな。

ひょっとして神武東征神話の本来のモチーフって、これだったんじゃないか?

東征の前に居た「日向」というのは、後の日向国じゃなく、九州のどこかの地域、って程度の話だったのでは?
496唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/14(金) 21:13:57
西暦42年 神武即位
ホ30036 ヲヲモノヌシは アワウミの ヲヲクニミヤを つくりかえ コシネのクニも
サホコみな タミをおさめて しつかなり いまアマキミの クラヒなる
コシネ=北陸、サホコ=出雲
神武の即位した時を同じく、大物主は近江に入る。この時代の大王は大物主。
崇神5年 ホ33047 ヰトシゑやみす ナカバかる ムトシタミちる
ホ33051 フタミヤを さらにつくらせ ムトセアキ ヲヲクニタマノ カミうつし 
ナツキソムカヨ アスのヨハ アマテルカミの ミヤうつし
ホ33120 このミキは わがミキならず ヤマトなる ヲホモノヌシの カミのミキ
神武東征時、大和に入った神武の後を追って大物主も合流。大物主は、ウマシマジの元上司である。
大物主の下に入ることを嫌った神武は、単独で橿原に移る。大物主は、ウマシマジの飛鳥から
近江に移り、そこに移り祀りを執る。
近江伊瀬遺跡の衰退は2世紀末で、時を同じくして纒向遺跡の興隆。
纒向石塚古墳の築造は、周濠から出た檜板が177年、プラスアルファが18年。
つまり177年から195年が目安となる。
 もしこれが、崇神紀の箸墓と同時期なら、新羅192年=崇神5年と見れば、
崇神12年=192+7=199年。プラスアルファをさらに5年上乗せすれば合う。

497唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/15(土) 20:48:09
魏は、初め倭国の王として、女王卑弥呼を承認した。
しかし魏は女王卑弥呼の軍事的実力を無能と判断する。
そこで魏は景初3年の朝貢の帰途に使いを同伴させる。そして大和へ着くが、そこの王
伊支馬=イクメ=垂仁の崩御を知る。
 魏使は、景行に大倭国統一をうながす、その為の後方支援として、政治手法(屯倉の導入)から軍の編成
軍備までを伝授することを約束する。
景行は奴国王と語らい、魏の要請を受け入れる。
倭女王卑弥呼と難升(斗)米=難(奴)戸畔=ナトベはセット。
倭王←タリヒコ =景行と伊聲耆掖邪狗=伊勢のベテランイワカ=磐鹿六雁はセットになる。

難升(斗)米と伊聲耆掖邪狗が魏から同じ位を叙勲されたことが、別の王朝であることを表す。
伊聲耆掖邪狗の叙勲は、景行が応諾したしるしであり、これ以降倭王と表記される。

大倭国統一は日本武尊の関東平定で終止符を打つ。

この時の軍事力はその後も継続し、神功渡海、百済に領土を割譲と続く。
498日本@名無史さん:2010/05/16(日) 11:59:52
最近、日本海海戦は英国武官の指導化で行われたという説を出しているやつがいるが、
何となく、それを思い出した。
499日本@名無史さん:2010/05/16(日) 12:39:34
新鋭艦の供与(といっても商取引の規制を解除する便宜だけだが)と、
ロシアの同盟国がロシアに協力するのを阻止したことと、
日本優勢の報道キャンペーンでロシア劣勢を世界にアピールした(一部は印象操作もある)のと、
講和を斡旋して日本に優位な講和になるようにしたことぐらいで、
武官の派遣ってのは戦術や戦略の指導じゃなくて戦況の監察・記録だけだよな?

戦術面、軍事技術面で世界中の注目が集まっていたとかいう話だから、
同盟国という利を活用して特等席で観察する機会は逃さなかったって事だろ?
500日本@名無史さん:2010/05/21(金) 11:53:51
>>495
俺もその考えをしたよ。
新聞に「稲作のルート判明!?」みたいな記事が載ってからね。
 時代的・道のり的には大体あってるから
「やべぇ俺歴史的な大発見しちゃった??」とか思ってたな。
今思えば米のイケメソ武将化だったんだね。
501サガミハラハラ:2010/08/27(金) 16:37:30
上にいきまーす。
502日本@名無史さん:2010/09/04(土) 06:40:07
>>495
神武天皇は南九州から来たんだよ。
北九州から来たのではない。
503日本@名無史さん:2010/09/04(土) 15:09:10
>502
名称を見る限り、神武天皇はイワレ地域出身、
つまりヤマト(当時の中心地域だった大倭の付近)には、西ではなく北から侵入したと考えられそうだ。

後の時代に、外来者という点以外の部分が変更されて「西から来た」に変わったんじゃないの。
504日本@名無史さん:2010/09/04(土) 15:22:42
>>503
そういうふうに解釈したら、なんでもありだな。
いくらでも、新しい説を作り上げられる。

記紀伝承にかぎらず、神社の分布でも
ワカミケヌは日向出身で、神武東征戦争では
大阪湾から上陸戦をこころみるも、大敗し、
命からがら、和歌山方面から上陸し、
運よく、ナガスネヒコを倒したことになっている。

で、このワカミケヌ(神武天皇)の奇跡的な勝利をもたらしたのは、
彼を近畿に煽動した現地の豪族たちの存在が確認できる。
そして、その多くが、ワカミケヌ(神武天皇)の親戚だったことが確認でき
また、ワカミケヌ(神武天皇)が、自分の出自は、
この地域(近畿南部)の出身だと告白している。
505日本@名無史さん:2010/09/04(土) 15:22:47
>>503
それだとハヤトとの対決は冷酷非道で良いんだがな朝廷側の記述に
何か勇ましい記録でもあるのか?
506504:2010/09/04(土) 15:28:58
また、現在の奈良県御所市高天、このあたり一帯は葛城といわれた地域だが
この高天こそ、高天の原の伝承とされている。
ニニギは、この地(御所市)から、九州南部の高千穂に
降臨したことになっている。(高天彦神社の伝承によると)

つまり、近畿王権(首都は高天原=葛城周辺)が出雲を倒した後
ニニギという王族が、この地から、九州南部に派遣される。
そこで、ニニギ一族は3代知事をまかされ、
その後、ニニギの曾孫のワカミケヌ(神武天皇)の代に
再び近畿に移り住んだことになっている。
507日本@名無史さん:2010/09/04(土) 15:31:29
やっぱ、文字だけで記しても、みんな、
あんまり、のみこみがよくないなw
図だとか、系図だとか、参考文献とか分りやすく記さないとな。
508日本@名無史さん:2010/09/04(土) 15:34:57
おそらく、天皇家は、ある事実を隠したかったんだろうけどw
(おれは、なんとなしにわかるが)
それを隠したせいで、後世の人間たちが
トンデモ説を連発して、天皇家の歴史が崩壊しているのが、なんとも
因果応報というかw

やはり、ずるをしたら、報いを受けるんだなw
509日本@名無史さん
ヤマト王権の建国は、神武東征からではないんだがな。
中国の歴史書でも、その王朝の正統性をとくのに、
いかにして、自分達の王朝が、前王朝から
天下を引き継いだのかということを重視する。
日本書紀や古事記も、このことを凄く重視しているのだが
それは、神武東征ではなくて、それより3代前の出雲国譲りからなんだがな。
ヤマト王権は、出雲王朝をたおして、天下を統一したんだがな。
それは、ニニギの代におこっている。
神武天皇が近畿へ東征する大義名分も、彼の曾祖父のニニギの時代に起こった
出雲国譲りが影響しており、私はもともとは、
この地(葛城地方=高天地方)の出自だと宣言しているわけだがな。