進歩主義ってのは進歩する事に固執して伝統や環境の破壊に躊躇がない事ね。
その辺ふまえてよ
そりゃ、理性に基づく論理的帰結とやらの理想形を確信するんだから、伝統とか慣習に
拘泥しないだろうし、だから、保守主義と対立するんだろうけど、環境云々はよくわからない。
>>615 >「よりよい・望ましい ほう 」という向きがあるとしか思えない
何も先が見えないまま「よりよい・望ましいほう」だという判断を下せるのだろうね。
君のいう「ほう」という判断は向きではなく状態の比較でしか出来なかろうに。
>>615 >おれには「よりよい・望ましい ほう 」という向きがあるとしか思えないが…。w
まだ思い込みたいのかい?
いいかい、君がどんなにそう思おうとも、「ほう」という言葉は「向きがある」にはとらわれないんだよ。
「科学技術の進歩」以前(過去)との比較において、「より悪い・のぞましくない ほう」ではなく、「よりよい・望ましい
ほう」に進んでいくこと
これに方向性はないということには同意するかい?
大辞泉より
[用法]発達・発展――「最近急速に発達(発展)した都市」「文化の発達(発展)」など、規模が大きくなったり、高い程度に進
んだりする意では相通じて用いられる。
◇「発達」は成長してより完成した状態に近づく意。「心身の発達」「嗅覚(きゅうかく)の発達した犬」「発達した低気圧」など
、生物の身体や器官の機能、自然現象については「発達」を使う。
◇「発展」は物事の勢いや力などが増し広がっていく意。「会社の発展に尽力する」「御発展を祈ります」「事件は意外な方向に
発展した」などでは「発展」を使う。
◇類似の語「進歩」は、すぐれた段階、状態になること。「学業に進歩の跡がある」「めざましい科学の進歩」のように質に重点
があり、「進歩発展する」と重ねて使うこともある。
「進歩」に方向性があるのなら「発達」にも方向性があるよね。「発達」は成長してより完成した状態に近づく意だから。
「発展」に方向性がないのなら「進歩」にも方向性はないよね。じゃないと「進歩発展する」と重ねて使うことはありえないよね。
まとめよう
良き方向に進んでいる→進歩・進化
悪しき方向に進んでいる→後退・退化
進んでいない→停滞
進んではいるが方向についての良し悪しの判断を内包しない→発展・発達
こっちからするとなぜ「れの脳内オリジナル言語」にあわせなきゃならないのかの説明がききたいね。
だからさぁ、発達する…方向性はある…と俺は言っているわけだろうよ、間抜け。
そのに、よいか悪いかなどの判断を内包しないのが、発達なり発展という表現だといっている。
そこにも書いてあるだろうよ、
類似の語「進歩」は、『すぐれた段階、状態になること。』と・・・。すぐれた状態・段階とは
良き価値判断を内包しているだろうよ、お前本当にばかだなぁ。
しかもスレ違いだし・・・これが最後。もうレスしないぞ、スレ違いの投稿には…。www
>>621 >だからさぁ、発達する…方向性はある…と俺は言っているわけだろうよ、間抜け。
もう言ってることが滅茶苦茶。方向性があったら「進歩」と何が違うというのかい?
進んではいるが方向についての良し悪し(=方向性)の判断を内包しない→発展・発達
きみは発達に方向は認めている。しかし方向性は認めていないのである。なぜきみの言説を解説せにゃならないのか。
きみは方向と方向性の区別すらついていないのかい?
>そのに、よいか悪いかなどの判断を内包しないのが、発達なり発展という表現だといっている。
◇「発達」は成長してより完成した状態に近づく意。「完成した状態」とは、よいか悪いかなどの判断を内包しないのかい?
>そこにも書いてあるだろうよ、
>類似の語「進歩」は、『すぐれた段階、状態になること。』と・・・。すぐれた状態・段階とは
>良き価値判断を内包しているだろうよ、お前本当にばかだなぁ。
だから? 「進歩」は良き価値判断を内包しているよ。
科学技術が進歩する
といった場合、過去と比較して現在の科学技術のほうがしだいによりよいほうや望ましいほうへ進んでいくことであり、科学技
術の進歩に方向性はない。(
>>612)
>しかもスレ違いだし・・・これが最後。もうレスしないぞ、スレ違いの投稿には…。www
れは他人が何を言っているかがわからないか、他人の言葉が一般的にどう受け取られているかがわからないかのどっちかだろう。
頓珍漢はどっちなのかい? このままではきみが頓珍漢だよ。
>れは他人が何を言っているかがわからないか、他人の言葉が一般的にどう受け取られているかがわからないかのどっちかだろう。
>頓珍漢はどっちなのかい? このままではきみが頓珍漢だよ。
とレレレの電波にレスをつけられるきみも目糞鼻糞ってワカリる?
>>623 とレレレの電波にレスをつけられるきみも目糞鼻糞ってワカリる?
わかってるよ。れが亀田だとしたら、私は内藤か。きみは第三者面している視
聴者かその視聴者の代弁者を自称する芸能レポーターか。
最も唾棄すべき存在は誰なのかね。
例えが不適切だなw
私はただの通りすがり。
きみは路傍の石を気にして歩くのかい?
私はたまたま目にした石ころ二つがデンパに見えた感想を述べただけ。
ワカリる?
>>625 と嘘つき政党の石ころ電波にレスをつけられるきみも目糞鼻糞ってワカリる?
627 :
右や左の名無し様:2007/11/04(日) 18:10:41 ID:EugNeruI
お前ら見苦しい
進歩『主義』ってのは進歩する事に固執して伝統や環境の破壊に躊躇がない事ね。
人間は自らの能力ですべてを克服出来ると信じて躊躇なく闇雲に開発を進めるのが
進歩『主義』。
『主義』って言葉が入ると言葉の意味が違ってくる。
例えば伝統『主義』も闇雲に昔から続いていたものを正しいとする姿勢をさす言葉で
伝統を重んじるとは違う意味になる。
>>628 >進歩『主義』ってのは進歩する事に固執して伝統や環境の破壊に躊躇がない事ね。
伝統や環境の破壊に躊躇がないのは進歩主義『者』の一部だろう。
伝統主義『者』(或いは保守主義『者』)だけが伝統や環境を墨守するものでもない。
現在の世の中を昔と比べ伝統や環境が破壊されていると言い
また現在まで世の中を取り仕切って来たのが伝統主義『者』(或いは保守主義『者』)
とするなら躊躇無く伝統や環境を破壊して来たのは伝統主義『者』(或いは保守主義『者』)
自身ではないのかね。
伝統主義者の極致原理主義者に到っては現在を破壊することそのものが
目的のようにしか見えないのだがね。
伝統や環境の破壊は伝統主義(者)(或いは保守主義(者))ではなく
専ら進歩主義(者)が行ったもので伝統主義(者)(或いは保守主義(者))の
与り知らないことというなら、伝統主義(或いは保守主義)は伝統や環境の
保護・維持に対し無力で無意味なものということだな。
日本は日本以外と比べると古来より仲睦まじく皆の話し合いで事を進めるという
独特の手法を取って来た特異な存在なのだと吹聴する輩もいるようだが
皆の話し合いというものも伝統や環境の破壊には無力だと言えるな。
賢愚併せ持ち事の良否を判断できない者共が小田原評定を重ねたところで
結局は山に船を登らせることにしかならない。
人の欲望のままに行動して来た結果が現在であり、未来もまた時々の
欲望に従って招来されるという事実だけが存在し得るということだな。
小沢さんの辞意表明・・・まぁ、言いたいことはよくわかるという印象である。
一歩も政治が動かないわけで、それは実は大変なことだという現状把握の温度差をして
民主党に実務能力がないといっているのだと思う。(外交も内政も・・・)
まぁ、それはともあれ、米国なり、イギリスなり、まぁ、西欧諸国との比較として、「任期」というもの
ついての位置づけが日本は極めて低いという印象が強い。
米国の大統領は任期を満了するのが基本である。よっぽどの失政やスキャンダルがなければ
任期を満了する。無論制度的な理由があるが、その制度を是としているマインドには、「契約」に
おける「期間」というものの位置づけの違いがあるのだろう。
そしてそれは「人々の同意に関する位置づけの違い」に帰結するのである。
私たち日本人の感覚としては「人々が話し合い、投票した結果」としてその地位に就いたという
以上はないのだから、人々の信認を失えばその職を辞することは当然であると考える。
ところが、最近米国人・フランス人など5人と子のことについて話したところ、そういう感覚がおかしい
と指摘された。
人々が議論し討論し投票した結果は、理性に基づく正しいこと、真理や正義にかなうこと
であると彼らは(まぁ少数の人の言葉しか聞いていないが)把握するようだ。
従って、人々が2年間なりの期限を定めて選択した以上、それは正しいこととして維持されること
が望ましいというわけだ。
世界中に話し合いはあるが、話し合いの結果であることに重きを置くのは日本人で、欧米の人は
そのことに正義や真理などを見出し、それに重きを置くという構図だろうか…。
正しさとか正義という要素よりも話し合いの結果に重きを置く日本人と、話し合いの結果だろうが
闘争の結果だろうが、正しいとされることに重きを置く欧米人という構図…と言ったほうがわかり
やすいかもしれない。
つづき
欧米の人(もう少しはっきりいえばキリスト教徒たち)は、人々の理性に信頼を置く人々である。
どのような信頼かといえば、正義や真理にかなう結論を見いだせるであろう信頼である。
その部分の違いというものを意識できない人には、なかなか日本のユニークさが理解できに
くいのかもしれない.。
日本人は、妥協し譲歩し合意が得られることを優先し、合意が得られないと怨念が生じ
よからぬ結果を生じせしめると考えてきたのである。
一方キリスト教徒たちは、理性的であれば、相手を徹底的に論理で打ち負かすさまを人々に
見てもらい、そこから生じる理性的判断に「正義や真実」を見出し、正義や真実にかなうことは
良き結果を生じせしめると考えてきたわけだ。
だから欧米の議会では徹底した「討論(話し合いではなく)」とか「矛盾を徹底的に指摘すること」が、さ
ほどに忌避されないどころか推奨されている。日本は最終的には「妥協譲歩に基づく話し合い」に
今回も落ち着こうとした。原理原則を重視し徹底的な討論をするのではなく、妥協譲歩に基づく
合意を模索するのである。
これは当然至極で、原理原則の根源的な部分(人間観や世界観の根源)で一致しているキリスト教徒と、
多元的で重層的な宗教発展をし、原理原則が特にない日本人との違いであり、事実、国連という場
のようにさまざまな宗教や原理原則を認めあうような場所では、やはり妥協譲歩による話し合いでしか
解決していない。この違いは大きいのだよ。
632 :
右や左の名無し様:2007/11/05(月) 16:45:35 ID:X2guQ+fZ
>>631 欧米の政治思想にはコンセンサスという言葉がある。
話し合いによって譲歩、妥協できる処を見い出そうという意味だ。
又、プロテスタントの思想は神の意思は人間には到底理解不可能で
「正義や真実」を確信するなんて不可能という予定説である。
近代民主主義の原点となったジョンロックは「真理」は確信できても
他人に伝える事は出来ないと言っている。
「真理」の確信は個人の経験から確信されるものであって
どんなに徹底的に討論をおこなってもそこで得られるのは
個人的な確信の口伝であって確信そのものではないという事である。
633 :
右や左の名無し様:2007/11/05(月) 17:08:16 ID:NNJrFu8O
いかにも、れ氏の説明は合理的である。
成長の後がうかがえるな。
れベンダサンと命名することにしよう。
>>632 コンセンサスというのは妥協譲歩によって生じるの?それが神の教えに背いたものでも
コンセンサスになる?
政治思想は結局価値の序列を語ることなんだよね。
つまり、まぁ、別に譲歩妥協の結果としてのコンセンサスがあっても、それは序列的に
真理や正義というものとかい離・り反しない限りにおいて成立するわけで、序列を
語る場において、真理や正義といったものが介在しない「妥協譲歩に基づくコンセンサス」
を提示しても、あまり意味がないような…。
真理は確信できても人に伝えられない中で、その心理の確信に基づく理性的な振る舞いに
信頼を置くのだろうし、その理性的ふるまいから、自然法などが「普遍の理念」的な、論理的
帰結として生じたことは間違いがないと思うんだけどねぇ。
正義論などという代物が提示されていることをしめさなくとも、正義や真理というものに
欧米人が敏感でで極めて強い関心を示すことは周知の事実だが…。
要は日本人と欧米人の価値の序列に関する傾向の比較をしているのであって、人類としての共通点は
当然にある中で、ユニークさは実際にあるじゃない。それを混ぜ返したって、あるものはあるとしか
言いようがないわな。
>>630 >私たち日本人の感覚としては「人々が話し合い、投票した結果」としてその地位に就いたという
>以上はないのだから、人々の信認を失えばその職を辞することは当然であると考える。日本には大統領なんていないけど。「人々」ってどんな?まさか国民とか言うなよ。
首相(で、いいのかな)は国民が選んだものではない。
衆議院の過半数を占める勢力が選択したその主勢力の頭領が納まるのである。
理論的には衆議員総数の1/6を越える賛成で選出されることもあり得る。
それはさておき、歴代の首相選出の話し合いが個々の衆議院議員自身の
国民代表としての真摯な話し合いの結果であるなんて聞いた事ないがね。
概、日本古来の伝統である院政と本膳式行動によることが多かろうて。
どうもマクロ(傾向的比較)をすると、各論においてまぜっかえす人は出てくるんだけど、
各論において(場面場所、時代や個々の思想家において)それ(傾向的比較)と乖離する
場合があるからと言って、傾向に関する比較が否定できるものでもないわけだが…。
そr茶キリスト教徒たちの「論理的帰結」に神の介在を排除する動きが生じ、そのように
論理だてられていることは知っているけれども、それは根源的な部分において、キリスト教徒
たちの人間観や世界観とかい離しない範囲において論理だてられているわけだ。
なぜなら、単純化した前提も、直観的な命題も、そしてそれを検証する感覚も、一歩も
当該検討者たちの人間観や世界観を出ることがないからだよ。
ある振る舞いを是とするか非とするかは、結局、視点と立脚点と視野と射程をすり合わせなければ
できるわけがないのだが、それらは常に、人間観と世界観に左右されてすり合わせられるわけだろうよ。
それを人類普遍の真理・原理などとありがたがっている異民族は、日本人ぐらいだぜ。
>>635 話し合い決定した人々のことなんだから、首相については国会議員のことに決まっているだろうよ。
というか小沢を選んだのは民主t6王の議員だろうし…。
一般論としてそのようにいう場合、選んだ人々のことだと、文面通りに受け取ってほしいなぁ。
無論傾向として、国民もそれに(つまり任期を区切ってまかしたことに)さほど拘泥しない
わけだから、日本人的な傾向であることは言えると、俺は思うが…。
638 :
右や左の名無し様:2007/11/06(火) 22:07:15 ID:P0UWyu0I
>>627 やりすぎだったかも。
>>628 同意。れはこれがわかっていない。これで保守主義を自認するのだからお粗末というかw
>>629 伝統主義と保守主義を別個に考えてみる。私には両者が違うように思うからだ。例えば、親米保守(主義)。親米であることと
伝統を保守することはどう考えても共通性が見えない。保守主義というのはただただ現状を保守することなのではないか、という
気さえする。このことが前提で、
伝統や環境の破壊に「躊躇がない」のは一部だとしても、伝統や環境を軽んじ結果的に伝統や環境の破壊に繋がっても合理を求
めるのが進歩主義。それに対し、伝統や環境を重んじて伝統や環境の維持を求めるのが伝統主義。
それに対して、ただただ現状維持を求めるのが保守主義。伝統や環境には無頓着。現状が伝統や環境の維持に合致していれば結
果的に伝統主義=保守主義になるし、現状が伝統や環境の維持と合致していなければ結果的に伝統や環境の破壊に繋がる。
私は単純に、合理を求めるのが進歩主義、非合理を求めるのが伝統主義で、不合理のままでよいとするのが保守主義、と捉えて
いる。いつの時代でも現状は不合理である。その不合理を合理(科学とか理性とか)で解決しようとするのが進歩主義で、非合理
(神とか超自然的な存在という人間の及ばないもの)で解消するのが伝統主義。不合理なままで現状維持するのが保守主義。
日本の現状を考察すると、敗戦後、米軍進駐から安保体制の確立にいたって、親米が現状(保守すべきもの)となった。正確に
は、財界その他の日本の有力者が米国と近づくことで利権を拡大したからであるが。当然、伝統や環境の多くは親米と相対する。
だからその多くは破壊(というより排除だろうか)されてきた。ところが、本来は伝統そのものであるはずのものが寝返った、と
いうか見事に変わり身を遂げたものがある。天皇制である。
天皇制の存続については高度に政治的な問題として真相は藪の中であるが、この変わり身には日本側にも米国側にも明確かつ確
固たる意図はなかったように思う。国体護持(天皇制維持)が唯一の条件だった日本側と、それを条件に他の軍事、政治、経済な
ど権限ほぼすべてを掌握した米国側との思惑が一致したともいえるし、米国側にはそもそも天皇制を存続させる意図はなく日本統
治のために暫定的に残しただけかもしれない。ただ、結論としては天皇制の存続が規定路線になった。
しかし、これが見事という以上に大成功する。天皇制が残ったことで戦後日本を統治した米国に追従する親米勢力が保守本流と
なるまでに日本を支配し、一方では天皇制が残ったことで伝統主義勢力もそれを黙認した(敗戦によって勢力が後退し、黙認どこ
ろか天皇制の存続が御の字だったのかもしれない)。進歩主義勢力は天皇制廃止をプロパガンダに外野で叫ぶが、ジリ貧。
親米と言えば恰好がついているが、要は米国の忠実なるポチである。腰巾着、太鼓持ちである。不合理極まりない。明治の言葉
に和魂洋才というのがあるが、今の日本は米魂洋才である。ちょっと美味しそうだがw。その魂を真っ先に売ったのが天皇である。
かなり脱線したが、大体答えられていると思う。伝統や環境を墨守するのは伝統主義。結果的に伝統や環境を破壊しているのが
保守主義。進歩主義も伝統主義も保守主義も相対的なものでありいずれも極致原理主義は現状を破壊する。
保守主義は伝統や環境の保護・維持に対し無力で無意味なものだが(無頓着だから)、伝統主義は違うと思う。
「吹聴する輩」は思い込みで語ってるから論外。当然出てくる疑問だが、かれは自覚がないから
反論待ってるよ。疑問やおかしいところがあったら言ってほしい。
ただの反米バカか
小林よしのりでも読んでろ
>>634 >政治思想は結局価値の序列を語ることなんだよね。
その通り。
結局は『価値の序列=経済』を語る事になる。
>つまり、まぁ、別に譲歩妥協の結果としてのコンセンサスがあっても、それは序列的に
>真理や正義というものとかい離・り反しない限りにおいて成立するわけで、
その通り。
プロテスタントでは利潤が救われる予兆としてあらわれるらしいとしている。
結局、もうけた方が儲からなかった方を駆逐する。
いかに、効率よく儲けるかが自然法という論理的帰結が
「普遍の理念」として生じこらが国家誕生のプロセスと一致したことは間違いがない。
>>641 レッテルを貼るだけか。親米をポチと言ったらコバヤシになるのか。れ以上に浅いよ
新米をポチというのはレッテル貼りじゃないのかねw
>ただただ現状維持を求めるのが保守主義。
これは全く違うと思うぞ。
悪しき慣習・因習の存在を認めないわけにはいかないだろう。
伝統や慣習や・・・つまり世代を超えて維持されてきたものに「一定の価値」を見出すのが
保守主義であり、
「理性(とやらw)に基づく論理的帰結」 に基づく 「急進的・実験的」な 「改革」 に対して
その世代を超えて維持された実績の価値を「節度と抑制」の根拠とするのが、保守主義の
基本です。
「伝統を維持」というのは、そもそも伝統とは何か・・・という話になります。
習慣・慣習が振る舞いに関する言語だとして、伝統は精神の問題であるということが
理解できる人ならば、多少は理解できるかも…。
で、政治的に親米というのは「安全保障上の利害」と「経済的利得」の問題でしょうよ。
つまり「国の用」・・・国としての動きに関する可知判断。
天皇制はまさに「国の体」・・・言い方を変えれば「国家機軸」「国柄」の問題です。
我が国が我が国として一つの国を作り、一つの単位として国際社会において存在し、また
内部的には同じ秩序体系で人々が社会生活を送る・・・つまり一つの体として機能する
ことに関する議論です。
そういう分別ができないうちは、まぁ、天皇性(皇室制度)に関する的確な評価は
難しいかもしれませんねぇ。1000年間維持された伝統の意味ですよ、つまりは…。
つまり保守主義とは、「何を保守しようとするのか」を考慮しないで「なんでも保守する」と
考えちゃっているのが、そもそも「一般的」ではないわけだが、
うぃきwより ・・・思想の特徴
保守主義の基本的な考えは、人間の思考に期待しすぎず、人は過ちを犯すし完全な者ではないという
前提に立ち、謙虚な振るまいをし、伝統的価値観(慣習、宗教、美徳、道徳、政治体制など)を尊重する
ことである。
なぜなら、先祖達が試行錯誤しながら獲得してきた知恵が、これらの中に凝縮されていると考えるからである。
また、国家は祖先からの相続財産で、現在、生きている国民は、相続した国家を大切に維持し、
子孫に相続させる義務があると考える。
だから、過去・現在・未来の歴史的結びつきを重視するのである。
単なる懐古趣味とは全く異なり、未来志向の要素もある。
また、未来を着実に進む為には、歴史から学ばなければならないと考える。なぜなら、歴史は、先人たちが
試行錯誤して来た失敗の積み重ねの宝庫だからである。
・・・引用ここまで
結局のところ、先人と、現代のわれわれと、未来の人々(つまるところわれわれの子孫)に「一定の一致」
を見出すかどうかということでもある。そして未来の人々に、社会をより良き状態にして引き渡すという
子孫に対する寄与が、われわれに可能なのか・・・という問題でもある。
子孫との「価値観に関する一定の一致の確信」がないならば、未来の人々に寄与しようとする社会改革は
不可能である。一定の一致を確信するならば、その理由は、先人との一定の価値観の一致の存在を
肯定する。
改革することを知らないのは保守ではない
みたいなことバークも言ってたな
>>645 >悪しき慣習・因習の存在を認めないわけにはいかない
悪しき慣習・因習も世代を超えて維持されてきたのだから
「一定の価値」を見出すのが保守主義ってことだな。
確かに、悪しき慣習・因習も全ての人にとって悪しきものではなく
誰かにとっては、誠に麗しく素晴らしいものであろうな。
結局貴方が意義有るとするものは貴方や貴方の同類だけにとっての
ものでしかないと悟れよな。
>>639 伝統と環境を別個に考えてみよう。
環境を軽んじ結果的に環境の破壊に繋がっても合理を求めるのが進歩主義。
環境というのは多分『自然』環境だろうと推し量っての上でだが
人も環境の一部であり、環境によって生かされている。
環境を破壊すれば人の存立は危うい。人の存立脅かすことこそが君が考える
合理であるということになるのだが。
あの山の木を無制限に切り出せば自分達の存立が危うくなるとして切り出しを
禁じる、制限するいうのは立派な合理だと考えられる、多分君は合理とは考えないのだろう。
一部の者の利益や興味のために合理を掲げ環境を無視・破壊しそれを進歩だと
言う者は、唯の欲張り、脳足リンと言うだけだがや。
伝統は生活習慣的な社会環境と言っても良いかな。
飯を炊くのは竈でマキを焚く、暖房も暖炉で薪を燃やす、
生芥は庭に埋める、他の方法は認めないとしたら、伝統が護れるかもな。
結果、東京等の大都市の環境は・・・・・!?。
人が都市に移り住むからいけないので、人の移住は厳禁、伝統に従って
田舎で野垂れ死にし続ければ多分社会環境が護れるだろう。
結局、電気・ガスの使用、都市内道路・上下水道・集団住宅の建設のような
進歩が諸悪の根源ってことだわ。
人口が増大する一方で問題が発展する一方なのは、知識の拡大と技術の進歩による
食料の増産及び疾病死の減少に拠る訳だから、雨乞いや呪い治療で
伝統を護れるかもね。イャァ伝統を護ると素敵な生活ができそうだわ。
世代を超えて継承されてきたものに「一定の」価値を認めるとおれは言っている。
一定の価値を認める≠全部肯定するわけではない・・・この程度の読み取りさえ
できないばかは、まぁ、アレだな。www
あ、一定の価値を認める=全部肯定するわけではない でした。訂正
>>646 >子孫との「価値観に関する一定の一致の確信」がないならば、未来の人々に寄与しようとする社会改革は
>不可能である。一定の一致を確信するならば、その理由は、先人との一定の価値観の一致の存在を
>肯定する。
「価値観に関する一定の一致の確信」なんて惚けた年寄りの勝手な思い込みさ。
大体なんで『一定の』なんて限定をつけるのかね。自分達自身が一致し得ない
価値観を押し付けられたと自覚しているからでないのかい。
既に四千年程も昔から「近頃の若い者は・・・」なんて相対している
子孫との価値観の不一致を爺がボヤイテいるのだがね。
マッ、君が未来の人々に寄与しようという社会改革に励んだところで
未来の人々からは勝手に押し付ける小さな親切大きなお世話ってことにしかなるまいよ。
私のコノ価値観は先人と一致するものであると君が思い主張するのは勝手ではあるのだが
先人とか言う方々がそれを知ったら、柳眉を逆立て歯噛みして怒髪天を突くかもねw。
あれも先人、これも先人ってばかりで自分自身ってものはないのかねぇ。
自己確立が出来ていない子供には何を言っても無意味かハーット。
>>650-651 >一定の価値を認める=全部肯定するわけではない・・・この程度の読み取りさえ
>できないばか
そんなばかこの辺りに居る様にも見えないけど。
ダーカーラー、全部肯定するわけではないって『限定する』理由は?って訊いてるのよね。
いくら童年でもその位は解らないとねェ。
国語(日本語のことよ)もっとシッカリお勉強しましょうねー。
・・・まだムリかなぁ?無理なんだろなぁ?キットそうなんだよなぁ・・・
ある統計では
まともな学校をでてない奴に限って、長文を投稿しまくるらしいw
しかし、ここって長文デンパが多く湧くねw
655 :
右や左の名無し様:2007/11/08(木) 21:58:41 ID:2Mv/afye
>まだムリかなぁ?無理なんだろなぁ?キットそうなんだよなぁ・・・
そんなの解りきったことだろ
656 :
右や左の名無し様:2007/11/08(木) 22:19:34 ID:cu4iiO2o
>>654 れれれのおじさんが同類を引き寄せるんだよ。
しかもれれれのおじさんの長文は、自分はこんな難しいことを書けるんだぞ
と言いたいだけのオナニー目的だし、それに引き寄せられるやつも
こいつよりはマシだと思いたいだけのオナニー目的。
放置しておくとみんなでオナニーやりまくるおぞましい光景になる。
そんで有志でここにれれれのおじさんを隔離した上で時々突っ込んで抑制している。
>>646 > 保守主義の基本的な考えは、人間の思考に期待しすぎず、人は過ちを犯すし完全な者ではないという
>前提に立ち、謙虚な振るまいをし、伝統的価値観(慣習、宗教、美徳、道徳、政治体制など)を尊重する
>ことである。
つまり、人間の思考による『話し合い』なんてものに期待しすぎず
人は過ちを犯すし完全な者ではないという前提に立つ訳だな。
容量オーバーなのか?次スレたっているけど・・・
>>653 >全部肯定するわけではないって『限定する』理由は?って訊いてるのよね。
先人の残したもの(世代を超えて引き継がれたもの)に一定の価値を認める」という意味が
わかっていないようだね。
ある振る舞いが「因習・あしき慣習」であるかどうかを検討するにあたって、盛大を超えて
維持されているそれについては「悪いから、即改善しよう」と軽率に結論を下さないで
それだけの長きにわたって継承されているのだから、何か重要な意味や機能があるのか
もしれないと、慎重に検討をする・・・それだけでも十分に「世代を超えて継承されてきたこと」
を尊重し、そのことをして「節度・抑制の根拠」となすことになるんだよ。
馬鹿は「価値を認める=必ず維持する などと思うようだが、
「世代を超え的維持された事実」が、改変に関する「新調査や、抑制・節度の根拠」になると
言っているわけだが…。こういう質問が「馬鹿な証拠」なんだが、自覚がないから気の毒ではある。
まぁ、よりよくして次の世代に引き渡そうとする動機がなければ、政治思想など語る意味がおれに
はわからないし
、時差台によりよくして渡そうとするその前提は、よりよくなる余地があるということだろう。
引き渡されたものによりよくなる余地があるのだから、悪しき慣習などが存在するということは
政治思想を語るという場においては前提に決まっているし…。
長々継続されてきたもの
袖の下
を尊重すると、電波さんは言いたいようですなーwww
>>660 またいつものあんたのストーカーが
あんたの悪口書いたテンプレ載せたくて早めに立てたんでしょ
ほんとキモいよなぁ
>>663 まぁ推測は推測として、容量は確認できるんだから、いくらなんでも600台で次スレは
ガイドラインの重複スレに当たりますから、ここを使い切ってから利用しましょう。
で、別に次スレなど使い切って必要なら立てればよいとおれは思っているし、事実そうやってきて
継続に支障がなかったわけだから、そういう「伝統w」は大切にしてもらいたいと思わなくもないがw
だからと言って削除依頼するほどの不都合もないし、そういうことでいいんじゃないかと思います。
>>661 >「因習・あしき慣習」であるかどうかを検討するにあたって
因襲と悪習は違うような。
没問題なら慣習の良し悪しを検討する意味なんてないんじゃネ。
>「悪いから、即改善しよう」と軽率に結論を下さない。
意味なんか無くても暇にまかせて皆で話し合ったら、何か悪いことみたいって
ことになっちまったってことで良いかな?
で、悪習だよな、ってことで話がまとまっても悪習は止めないで更に話し合いを続けるんだ!?
>長きにわたって継承されているのだから、何か重要な意味や機能があるのか
>もしれないと、慎重に検討をする
悪習かどうかって話し合ってる時点で既に提示され話し合うだろフツウの人達は。
長きにわたって継承され、それなりに意味や機能はあった(昔のある時点では)ことを
織り込んだ上で『(最早今の時点となっては)ワ・ル・イ・コ・ト・ダ・ヨ・ネ』って
筈だよね。
今も尚、それなりに意味や機能があるとしたなら悪いなんて結論は付けないだろ。
それとも何カイ。悪いかどうか決めるのは、イイ!ワルイ!って花弁でも毟って
アッ、ワルイダッ!なんてやり方で先に決めておいたりするってこと?
遙か昔から皆で集まり、酒食を共にし、腹を割って話し合うことが行われており、
大層効果のある素晴らしい慣習だ。
話し合いが終われば皆、牛車や馬上で帰宅の途についたものだ。
酒食を共にし皆で話し合うことは今尚意味を持つ。
話し合いが終わってから、時流に合った(こんなところだけは安易に合わせちゃうな)
鉄馬や馬無馬車で帰宅するのに何の憚りがあろう。
酒食を共にし皆で話し合う慣習は子々孫々引き継ぐべき素晴らしき慣習だ!
何てことになるのだろうな、君の場合。
どれほど悪いか分かっても止められない:こういう症状を世間一般では依存症と言います。