【うつけ】 織田信長総合スレ 【妻は春華似】

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1日本@名無史さん
賛否両論ありますがやはり信長は戦国の英雄。
戦国時代を語る上でこの人はなくてはならない存在でしょう(*・ヮ・*)
信長ネタなんでもござれ!
2海舟問屋:2006/07/30(日) 03:32:37
初めて2げと!
まじめな話も、己の力のみでやってきているような信長。
だけど、二回ほど、大幅に人が変わっている時期が。
一回目は、「美濃の蝮」斎藤道三に会ってから。
ここで、天下人たる薫陶を受ける。
信長、初めて人から積極的にモノを教わる。

二回目は、木下藤吉郎を配下にした時。
藤吉郎の美濃攻めのやり方を見て、明らかに力攻めだけではなくなった。
信長にとっても、秀吉はなくてはならない存在であった。
3日本@名無史さん:2006/07/30(日) 04:35:02
アリの巣コロリってあるじゃん。
蟻の行列にポンと置くと、一瞬ビックリして列が乱れる。
邪魔だなと言わんばかりに迂回する列が出来る。
そのうち好奇心旺盛な一匹がアリの巣コロリに入る。
そいつをマネして何匹も入る。
毒とも知らずにツブツブを運び出す。
一匹が一粒づつ。
いつのまにか行列列はアリの巣コロリが折り返し地点になる。
黄色い粒と黒い蟻が作り出す模様は綺麗で見てて楽しい。
一匹が一粒づつ、丁寧にせっせと毒の粒を運ぶ。
せっせと、せっせと、せっせと、せっせと。
蟻さんって働き者だなと思う。
俺も頑張らなきゃなと思う。
次の日、あれほど沢山いて俺を困困らせた蟻が一匹もいない。
ほんとにいない。
探してもいない。
泣きたくなった。



このレスを見た人は4日後にあなたの大切な人がいなくなるでしょう・・・・
それが嫌ならこのレスを5つの板にコピペしてください。
信じるか信じないかはあなた次第です。
4日本@名無史さん:2006/07/30(日) 18:24:12
>>1
5日本@名無史さん:2006/08/05(土) 00:51:29
>>2
墨俣の話は創作のようだけどね
6海舟問屋:2006/08/08(火) 10:17:37
>>5
う〜〜ん。
一夜城が創作なのであって、
黒俣砦を作ったのは本当なのでは?
じゃないと後の話が繋がらない。

とにかくサルげっちゅ!したのは大きかったと思う。
7日本@名無史さん:2006/08/08(火) 10:40:21
春華似がイパーイ
8日本@名無史さん:2006/08/08(火) 12:38:45
信長の近親者、親族で
秀吉に臣従した人たちって
どんな気持ちだったんだろう。
9日本@名無史さん:2006/08/08(火) 13:27:01
>>6
墨俣砦
@数日かけて林の中で設営
A完成後一晩(夜やったのかは知らんが)で周辺の木を切り倒す
…みたいな感じでさも一晩で砦が現れたように見せたんでしょ
10日本@名無史さん:2006/08/08(火) 14:15:40
>>8
下克上の時代だから、さほど気にも留めてないでしょ。
織田信雄など、徳川時代のほうが北国の小藩に追いやられて悲惨な状態。
秀吉存命の頃に悲哀があったら、徳川時代には立つ瀬も無いw
11日本@名無史さん:2006/08/08(火) 16:14:58
っていうか信長関連のスレッド異様に多くないか?
同じようなのを立てすぎ
12日本@名無史さん:2006/08/19(土) 23:22:42
===================私はプラムです===============
毎日朝からレスしています。馬鹿スレばっかり作っています。自作自演でしか自己主張できません。
人の話は読み取れません。質問されても返事できません。議論はいつでも負けますが、相手が勝手に逃げてくれます?!
頭は悪いけど負けず嫌いです。約束や自分で書いた事が守れません。東広島に住んでいますが長州気取りです。

【プラムコテ】 PU=プラム=安曇連=がいやまん =太国=ヒッキー=サガミハラ=本田=定ちゃん=彼都

【プラム動向】 罵倒=あほレス=注目浴びたいレス=

【自作自演スレ】 時空移動スレ=薩長会津スレ=一行リレー=南部スレ=邪馬台国畿内スレ=

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151161164/l50
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151055171/l50
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危険ですので初心者の方は気をつけて下さい。プラムに付ける薬はありません。ひたすら馬鹿にしましょう!

13日本@名無史さん:2006/08/21(月) 22:19:12
===================私はプラムです===============
毎日朝からレスしています。馬鹿スレばっかり作っています。自作自演でしか自己主張できません。
人の話は読み取れません。質問されても返事できません。議論はいつでも負けますが、相手が勝手に逃げてくれます?!
頭は悪いけど負けず嫌いです。約束や自分で書いた事が守れません。東広島に住んでいますが長州気取りです。

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14日本@名無史さん:2006/08/22(火) 22:24:34
===================私はプラムです===============
毎日朝からレスしています。馬鹿スレばっかり作っています。自作自演でしか自己主張できません。
人の話は読み取れません。質問されても返事できません。議論はいつでも負けますが、相手が勝手に逃げてくれます?!
頭は悪いけど負けず嫌いです。約束や自分で書いた事が守れません。東広島に住んでいますが長州気取りです。

【プラムコテ】 PU=プラム=安曇連=がいやまん =太国=ヒッキー=サガミハラ=本田=定ちゃん=彼都

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15日本@名無史さん:2006/09/22(金) 22:13:54
信長と坂本龍馬が人気を2分するっていうけど、
信長と龍馬じゃタイガースとPLくらいの差があるでしょ

16名無しの権兵衛:2006/09/23(土) 01:03:07
信長の子孫でスケーターの
織田信成って顔が信長っぽくないか?
肖像画みるかぎりでは。こないだ
明智光秀の子孫の女が信成と対面
してた番組あったぞ。
うさんくさかったが・・・。
17日本@名無史さん:2006/09/23(土) 01:12:57
↑こういう奴に限って最も胡散臭い
18名無しの権兵衛:2006/09/23(土) 02:07:51
↑その通り!否定はせんよ。
へ〜うさんくさいっていう漢字
はそう書くんや。勉強になった。
ありがとう。
19日本@名無史さん:2006/09/23(土) 03:03:18
>>16
>明智光秀の子孫の女が信成と対面
明智嫡流は滅んだし、津田も柴田に攻められ滅んだ、
筒井は存在自体が疑わしいが滅んだ。
男系は死亡
すると細川系だけだし、それをもって光秀の子孫ってのはどうかと思うぞ


20名無しの権兵衛:2006/09/23(土) 03:14:08
↑その通り。まったく今のマスコミは適当すぎて困る。
明智がつけば,そこに無理矢理結び付けようとする姿勢が
見え見え。へ〜て鼻ほじりながら見てた。うん
21日本@名無史さん:2006/09/23(土) 03:20:39
↑さぞかし立派な鼻くそが掘れたでしょうなぁ あっはっは
22日本@名無史さん:2006/09/30(土) 09:37:44
のぉ〜
23日本@名無史さん:2006/09/30(土) 11:24:18
ガラシャの子孫は途中で養子を取ったような…
血は途絶えたけど家系は続いてるからまぁ子孫でもいいのではないかい
織田の方は本物だ
24日本@名無史さん:2006/10/14(土) 08:18:34
信長は本能寺の奥の部屋に行って
扉をしめて、その中で切腹した、とか書いてあるけど
誰か切腹の現場を見てたの?

本能寺にいた家来はみんな焼け死んだんだよね?

信長のことだから、こっそり逃げたりしてないのかな。
でも無理か。
有名すぎてて、逃げられないね。
25日本@名無史さん:2006/10/14(土) 13:25:25
その後天海上人になった。
だから光秀=天海説は大嘘。
26日本@名無史さん:2006/10/15(日) 10:28:19
>>8
家臣より妾になった娘の気持ちが気になる。
が、猿死去後さっさと再婚してるのはやっぱり・・・

>>23
藩主は養子で妾腹の支藩から養子をもらったけど、廃嫡された長男の子孫である
評論家の隆元の家系はガラシャの子孫。
27日本@名無史さん:2006/10/16(月) 00:44:31
織田信長ってなんで第六天魔王なんて呼ばれてんの?
28日本@名無史さん:2006/10/18(水) 02:26:36
>>27
比叡山を焼き討ちしたから
29日本@名無史さん:2006/10/18(水) 12:23:00
>>27
信玄から比叡山焼き討ちの件で抗議されたことに対しての返書で
第六天魔王 信長と署名してあるから。
自らもそう言っていたという話もある。
30日本@名無史さん:2006/10/19(木) 18:32:08
信長が韓国人なことについて(これって日本では言っちゃだめなんだっけ?)
31日本@名無史さん:2006/10/19(木) 21:12:46
だから信長厨は秀吉を嫌うんですね?
32日本@名無史さん:2006/10/20(金) 04:05:56
放尿をすませた信長は、竿を振ってしずくを飛ばしながら濃姫に再度促す。
「ほれ、できぬことなどあるまい。さあ」
「だからたわけ殿と申すのです!お、女子が…それも武家の女子が、このような場所で
できるはずがございません!!」
濃姫は涙をうかべて叫んだ。

「だから城へ戻るというか。たわけはそなたじゃ。
たかが小便のために往復でどれほど時間を無駄にすることか。」
信長が無駄を嫌うのは昔からだ。
「それに考えてもみよ、城までこらえることを思えば、ここで済ます方がお濃も
どれほど楽であるか。」
濃姫は、絶句した。
(ひょっとして、私は本当にとんでもないたわけの妻になったのかもしれない)
濃姫は、信長の無作法が気にならないわけではなかったが、
商人あがりの下剋上の梟雄のもとで育っただけに、無駄なしきたりを無視する
信長のことが他人よりは理解できると思っていた。
(城主の若殿の御台にむかって、夫の殿が、こんな場所で小便をしろなんて!)

そんな思いもよそに、尿意の波は次から次に押し寄せてくる。
山国の美濃育ちで、本物の海をまだ見たことのない濃姫は、
父道三の紋でもある二頭波頭と、今で二度目の信長の放水とを脳裏で重ね合わせて、
二本の、のたうつ蛇のような水流の間で揉まれ打ちのめされる自分を想像しながら、意識が遠くなった。
33日本@名無史さん:2006/10/20(金) 14:54:49
これって本物なんですか?!!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
http://hrtr555.seesaa.net/
34日本@名無史さん:2006/10/21(土) 00:39:01
閉鎖していて見れないんだがどういう内容?
35日本@名無史さん:2006/11/03(金) 05:02:40
(´・ω・`)?
36日本@名無史さん:2006/11/03(金) 13:45:33
戦前はあんま評価されてなかったって本当ですか?
37日本@名無史さん:2006/11/03(金) 20:29:42
今評価されすぎなんだよ
38日本@名無史さん:2006/11/06(月) 00:16:03
>>24
信長は本能寺の変で死んだかどうか確かにわからん。
死骸がみつかっとらんのは事実やからな。
ただ信長の時代は終ったことは事実。

信長はなぜ本能寺の変を迎えんといかんかったか、
そこにいたる明智の心境とその背後を知りたいが。
39日本@名無史さん :2006/11/06(月) 05:24:19
つまり信長は結局そこまでの人物だったということだ
40日本@名無史さん:2006/11/06(月) 06:03:40
信長をやったのはプロテスタント。カソリックの
手引きで本能寺を逃れスペインに行って、その後南米総督となり
一向一揆鎮圧方式でインカ帝国を攻め滅ぼした。
41日本@名無史さん:2006/11/06(月) 07:41:06
昔は秀吉の方が評価が高かったよ。
信長は近畿地方を中心とする地域を
制圧しただけで、秀吉は全国統一を
したという評価だったと思う。

ちなみに、家康はもっと評価が低かった。
つーか、評価が悪かった。
42日本@名無史さん :2006/11/06(月) 13:11:43
>>40
精神病院に通報しました
43日本@名無史さん:2006/11/06(月) 13:30:55
>>41
戦前と戦後で評価が変わったのは何故だろうか?
秀吉が江戸時代に評価を下げられるのはわかる(前政権のボスを悪くするのは良くあること)。
家康が明治以降に評価を下げれれるのもわかる(秀吉と同じ理由)。
信長の場合は明智政権が出来た時にしか評価を下げられる理由はないと思うのだけど。
また、信長がここまで人気が有るのも理解出来ない。
日本人て人情の深い人物が好かれるような気がするんだが・・・
44日本@名無史さん:2006/11/06(月) 13:52:06
現代は人情とか通じなくなったから
45日本@名無史さん :2006/11/06(月) 14:21:30
帝国主義の名残
46日本@名無史さん:2006/11/06(月) 15:06:13
信長の時代に傑出した武将はやはり信長だけである。
47日本@名無史さん :2006/11/06(月) 16:09:38
と、秀吉や家康の天下統一を信長の手柄にしないと気がすまないカルト信者が申しています。
48日本@名無史さん:2006/11/06(月) 21:56:27
>>43
天下布武のパイオニアとしての魅力
弱小豪族から天下人にまで登り詰めたサクセスストーリー
中世と戦乱を終了させた革命家
目標達成の寸前で倒れた、桜が散るような儚さ・・・・
すべてがドラマッチク!

>>47
まさか、秀吉・家康が、独力で天下統一したとは言わんだろうな。
彼らがやったのは、前の天下人の成果を受け継いでやったこと。
49日本@名無史さん:2006/11/06(月) 22:48:40
昔は三傑の主役はいつも秀吉だった。
有名な、信長のわらじを秀吉が懐で温めた話が定番だったよ。

秀吉細大の幸運は、信長という主君に仕えたという事と言われてた。
まあ、実際そうなんだけど、秀吉という部下を持てた信長の方がずっ
と幸運だったと思うんだよね。
墨俣城攻略とかって、全部秀吉の功績だもんね。

浅井・朝倉に挟撃された時や武田攻略した時は、徳川のおかげ
で上手くいってるし。

信長の急成長って、秀吉によってなされてる割合が、実はすっごい
高いと思う。
50日本@名無史さん:2006/11/06(月) 23:00:34
信長が有能な武将なのは認めるんだけど秀吉と家康よりも一人傑出した存在とも思えない。
重臣からテロられたり結構、穴があるし。
ここまで人気が高いのは漫画やドラマで信長だけ格好良く演出されるのも原因の一つだろう。
そういや某ゲームでも主役扱いだしw
51日本@名無史さん:2006/11/06(月) 23:09:40
そうだね。
猿の秀吉、狸の家康に比べると、信長は美男子で
ヒーロータイプだしね。

信長じゃ時代を切り開いた英傑なのに、最後は大勢
に囲まれて自害して果てるなんて、義経みたいだしね。
52日本@名無史さん:2006/11/06(月) 23:14:45
>>51
実際に信長の顔見たことあんのかよw
まさかコーエーのゲームの顔が実際の顔だとか思ってないだろうな?
あんた史実とか、どうでも良くて信長の印象を良くしたいだけなんだな
勝手にどうぞ
53日本@名無史さん:2006/11/06(月) 23:51:29
肖像画じゃないの?
ポルトガルの
54日本@名無史さん:2006/11/07(火) 00:01:33
信長の印象は良いだろう。どんだけ人登用してると思ってるんだよ。
秀吉、滝川一益、堀久太郎、etc……
信長以降は出来すぎると首が飛ぶから鼻毛を伸ばしたりしないといけなかったんだぞ。
信長は自分の味方についてくれた人をさっくり暗殺とか絶対しない。
謀反されるまでほってる。バカといえばバカだけど、それだけお人よしなんじゃん。
後、身内疑ったり、身内を害そうとしない。信長の娘婿でもある自分の息子を殺そうとする家康とは大違い。
(しかも信長に罪おっかぶせてるし。実際は娘婿殺しても良いですかってお伺い立てただけなのに)
謀反企てた弟の遺児を側近に取り立てるような男だ。度量の広さに憧れるよ。
55日本@名無史さん:2006/11/07(火) 00:07:31
ルイス・フロイスも信長の事を美男子だと言ってるし、
いくつも残っている信長の肖像は、例外なく美男子だよ。

56日本@名無史さん:2006/11/07(火) 00:18:33
信長は天才であると同時に、精神異常者だったというのは
定説だよ。

まっとうな人間は、自らを神と言わない。
相撲大会開いて優勝者に商品として焼き栗1個あげたとか、
異常者ぶりは枚挙にいとまがない。
57日本@名無史さん:2006/11/07(火) 00:47:11
>>56
いや当時の武将は自分の神格化は多少はやってた。
しかも自分を神とした訳でもなく、総見寺の功徳を触れ書いた文を宣教師が
ごっちゃにして伝えただけ。
(それと城の拝観料と、かな。己の要塞を只で見せろというのかと思ってしまうが)
で、そのお触書というのが要約すると

1 総見寺に参ると、お金持ちになれるよ! 子宝授かって長生きできるよ!
2 80才まで生きれちゃうもんね! しかも病気はたちまちなおっちゃう!
3 信長の誕生日を聖日として、その日は総見寺に参ってね!

という、微笑ましいことここに極まれりな内容だ。多分お誕生日祝いしてもらえる
西洋人がとっても羨ましかったんだろう。
どこをどうこれを読んで自ら神と証したなんて伝えられるのか、宣教師は狂人だな。
58日本@名無史さん:2006/11/07(火) 00:53:53
蛇足だが、信長の場合触書いた以上、総見寺に参ってる人を見かけると
「平均寿命80超えるような治世にしないとー(゚∀゚) 」とか
「こいつらの所得上げるべく頑張っちゃうもんね」とか思ってくれそうで
普通の寺より参る甲斐がありそうな気がする。
59日本@名無史さん:2006/11/07(火) 00:56:48
>>49
わらじと墨俣城は、甫庵太閤記の捏造

姉川での徳川軍の活躍は、徳川史観の捏造

秀吉・家康は信長の役に立ってないとは言わないが、実はたいしたことはない。
60日本@名無史さん:2006/11/07(火) 01:44:04
ルイスさんの本は面白い?
61日本@名無史さん:2006/11/07(火) 02:23:07
>>49
信長の
秀吉の才能を、身分によらず取り立て、使うという功績は大きいだろう

信長の真価は
価値感の過渡期にその先駆となるだけの理想と行動力を持ってたことだろう
その土台あってこその秀吉。
62日本@名無史さん:2006/11/07(火) 02:26:04
当時の欧州は宗教紛争の真っ只中だったから。
オランダ、イギリスとスペイン、ポルトガルが微妙に
からんでいたってことはあるかもしれない。
63日本@名無史さん:2006/11/07(火) 02:53:11
起 訴 状
左記被告事件につき公訴を提起する。
天正十年十月九日
名古屋地方検察庁
検察官 検事 山田×男
名古屋地方裁判所殿

本籍 愛知県清須市朝日城屋敷1番地1
住居 滋賀県蒲生郡安土町安土城内天守閣
職業 戦国大名
勾留中 織田信長 天文3年5月12日生

起 訴 状
公訴事実
被告人は、清洲城城主として、天文二十年より家督を相続し、戦国大名として職務を行っていたものであるが、
その大名としての施政を行うにあたり、臣下の兵士と共謀し、多くの政敵を謀殺。
また非戦闘員及び捕虜を殺害した上、敵の首を取ると称して被害者の遺体を損壊した。

罪名及び罰条
死体損壊 刑法百九十条
殺人 刑法百九十九条
特別公務員暴行陵虐致死同致傷 刑法百九十五条
64日本@名無史さん:2006/11/07(火) 05:18:45
信長の評価で言えば、最大宗派の浄土真宗の門徒さんはどうなんでしょ?
今でも手厳しいのかな?

因みに家は曹洞宗。
65日本@名無史さん :2006/11/07(火) 13:32:20
秀吉が信長あってであることは確実だが、
逆に信長が秀吉の出自だったら何も出来ないでしょ。
「信長のおかげ」だけで秀吉を信長より下位にするのは、
スタート地点を無視した不公平な評価だと思う。
信長だって評価が高いのは、信長軍団の秀吉や家康が天下を取ったからで、
もしその後戦国がまた続き関係ない奴が天下とってたら、
信長は家臣に殺された残酷で少々マヌケな親分くらいにしか評価されなかっただろう。
66日本@名無史さん:2006/11/07(火) 13:39:50
>>59
いや、それを捏造とする根拠は特にないわけだろ?
胡散臭いのは確かだけどさ。
67日本@名無史さん:2006/11/07(火) 21:22:18
49>>65

おお、同志!
そうなんだよ。

信長と秀吉の出自の違いによるハンデを考慮すれば、
秀吉の実力と貢献度って、やはり信長を上回ると思う。

俺の場合、信長と松永久秀って重なるんだよね。
卑劣で、狡猾で、裏切りと策謀に満ちた非人道的な成り上がり
者って感じ。

義昭を奉ったとか、傍系とはいえ出自が良かったとか、
信玄の急死等の幸運に見舞われなければ、単独ならば
松永と信長っていい勝負だと思う。

稀代の梟友だよね、信長と久秀って。
68日本@名無史さん:2006/11/08(水) 01:29:36
>>65
スタート地点含めて、何を為したか。

置き換えにあまり意味はないんだよね
同じベクトルで比べられる物じゃないんだから。

多分、持ってる価値観・価値判断基準の幅が狭いと思う。
69日本@名無史さん:2006/11/08(水) 02:21:29
出自の違いを言うなら、織田家は桶狭間までの不可抗力の戦がぐしゃぐしゃだから
秀吉だろうと家康だろうとあのバトロワ状態の家で生き残れたかどうかは知らない
信長安土城の石垣に親父の墓石使ったらしいし
親父のことわざわざ悪く言わないだけでなんかあったんじゃないか
70日本@名無史さん :2006/11/08(水) 12:46:47
>>68
>スタート地点含めて、何を為したか。

信長=中途半端な天下人
秀吉=天下を統一
家康=天下泰平の基礎

信長は2人に比べ劣るわけだが。
71織田信安:2006/11/08(水) 17:05:53
信長以前には天下統一の動きというのは
見られなかった訳だから、
天下統一も天下泰平の基礎も含めて
信長の功績というべきでは?(全部とは言わないが・・)
72世界@名無史さん :2006/11/08(水) 17:11:26
秀吉や家康がいなかったら基礎もへったくれもないじゃん。
むしろ基礎を築いたということになっているのは二人のおかげということになる。
73日本@名無史さん:2006/11/08(水) 21:34:50
>>72
ん〜それ言っちゃうと、
信長が居なかったら、
家康は三河の土豪から成長出来たとも思えないし、
秀吉に至っては、秀吉と言う名前を含めて全く世に出ないで終わりそうだし。


それはそうと、山室恭子氏の評価って現在ではどうなんでしょうか?
「中世の中から生まれた近世」は面白かったのですが。
74日本@名無史さん:2006/11/09(木) 05:50:48
>>70>>72
結果しか見てないな
過程を考慮してない
75日本@名無史さん :2006/11/09(木) 13:22:59
>>74
だったら信長軍団の誰でも天下人に成れたと言うのかよ。
秀吉だから出来たんであって他人には無理。

また信長が秀吉のような足軽だったら秀吉のような出世は無理。
信長の出自が小なりといえ守護代だったのと同様に、
秀吉には信長という存在が近くにいた。そういう環境だったということ。
与えられた環境の中でどれだけの仕事をしたかが問題だったら、
秀吉は信長よりやったことが大きかったということ。

秀吉ばかり「信長のおかげ」を強調し、
信長の出自を問わないのは比較する上で甚だしく不公平である。
76日本@名無史さん:2006/11/09(木) 14:57:41
俺は日本の偉人の人気ランキングで、毎回1、2位を争う織田信長と坂本竜馬は、
キムタクが毎回、男優人気ランキング1位をとるような政治的な力が働いていると思っている。
77日本@名無史さん:2006/11/09(木) 17:34:09
>>76
そういう君の好きな偉人と有名人は?
78日本@名無史さん:2006/11/09(木) 18:53:04
ベクトルw
79織田信安:2006/11/09(木) 20:38:06
今日、仕事中に安土城跡に行ってきました。

ホントに墓石を石段に使ってあるのを見ましたが
自分はその石段を踏む事は出来なかった・・・

当時であればもっと神仏の畏れがあっただろうから
合理的主義もここまで徹底すれば、やはりすごいなぁと思った次第。
80日本@名無史さん:2006/11/09(木) 20:59:02
>>75
信長程度の土豪なら全国何処にでもいたからな〜
大きくなっていく組織に属して出世するのと、
小さな組織をでかくするのでは難しさも違うと思うぞ。
81日本@名無史さん:2006/11/09(木) 21:04:18
>>80
どっちが難しいとも、いちがいには言えないよな〜
82日本@名無史さん:2006/11/09(木) 21:58:12
>>75
>与えられた環境の中でどれだけの仕事をしたかが問題だったら、

守護代ではない。
尾張の1/8程度を支配する弱小勢力から、日本全土の1/3を支配する圧倒的大勢力に成長した。
誰も天下統一など考えない時期に現れて、戦国のカオスを食い止め、統一の機運を作った。
約800万石で、全土の1/3だが、その傘下には、
日本の人口、富、生産力、鉄砲、兵隊の数の大半が集中している。
毛利・上杉などの地方覇者はおおむね100万石程度だから、降伏するか戦って滅亡するしか道はない。
したがって、信長の傘下以外から、次の天下人が出てくる可能性はなかった。

信長の遺産を受け継いで天下統一を完成した秀吉よりも、
弱小勢力から、すべてを作り上げた信長の仕事のほうがずっと大きい。

秀吉がいなかったら、家康が光秀を討った可能性が大。(実際に尾張まで出兵)
秀吉も家康もいなかったら、
光秀はもう少し長生きしただろうが、結局、旧織田家部将の連合軍に滅ぼされただろう。
83日本@名無史さん:2006/11/09(木) 22:08:45
しかし、秀吉は戦下手だよね。
小牧長久手では、家康の絶妙な野戦に敗北してるし。
秀吉って、大兵動員しないと全うな戦できないじゃん。

徳川が豊臣を破ったのは関が原に非ず、小牧長久手である
というのは言いえて妙だよ。
関が原には秀吉はいなかったんだから。

家康は小牧長久手で秀吉に勝ったときに、こいつはいける!と
思ったんじゃないかな。
84日本@名無史さん:2006/11/09(木) 22:21:23
83>>82

いや、だからその信長の覇権は秀吉になされた部分が、
非常に大きいと思えるんだよね。

実際、秀吉、家康がいなかったら、織田は姉川で大敗して
滅んでいたのは間違いないでしょう。

家康が三方が原で信玄と野戦をしなければ、信玄はもう少し
長生きして信長を壊滅させたかもしれないし、天下布武驀進
中の織田軍の北部方面柴田・秀吉部隊は謙信の寡兵に撃破され、
秀吉は敵前逃亡して逃げ帰ってるし。

秀吉なんて、武人としては大兵動員するしかない、淫乱猿の
へたれじゃん。
信長は生涯の前半で幸運使い切って、最後は悲運だった感じがする。
85日本@名無史さん:2006/11/09(木) 22:34:41
>>84
仮にも天下人をヘタレって・・・・
君に会ってみたいよw
86日本@名無史さん:2006/11/09(木) 22:42:38
小牧長久手の戦いは、戦術的には家康の勝ち。
戦略的には秀吉の勝ち。

川中島の戦いと同じ。
87日本@名無史さん:2006/11/10(金) 01:02:44
>>84
姉川なんかは太閤記の記述は割り引いて考えないと。
日露戦争の奉天会戦で、ある大隊や師団が活躍したからと言って、
その会戦を師団長や大隊長クラスの活躍に全て帰するのはナンセンス。
それに実際は後詰の美濃勢の存在の方が大きくないかい?
何にしても詳細不明の戦いに、太閤記やらのマンセー記述を持ち出してもな。
88日本@名無史さん:2006/11/10(金) 02:35:39
なんか秀吉厨とでも呼ぶべき人が存在しているな
89日本@名無史さん:2006/11/10(金) 11:52:28
レッテル厨は帰れ。
理屈で語れ。
90日本@名無史さん :2006/11/10(金) 12:45:47
信長は創業者として優秀だけど、経営者として失格だった。
それだけのことでは。
家康が信長の立場にあったところで信長のような大事業は無理。
逆に信長が家康の立場にいたら天下は戦国に逆戻り。
秀吉が信長の立場だったら天下統一は早かったかもしれないが、
家康のような太平の世実現は難しいと思う。
91日本@名無史さん:2006/11/10(金) 14:23:51
信長は、経営者として失敗してはいないが?
尾張の弱小勢力を天下取りの軍団に育て上げた手腕は、誰にも負けてない。

最後、わずかな手勢で京都へ行ったことだけが失敗。しかも嫡男とともに。

秀吉が信長の立場でも、天下統一はありえないな。
弱小勢力の段階で、降伏すすめたって、誰も従うわけがないし。
秀吉が天下取れたのは、すべて信長の遺産を土台にしたからこそ。
92日本@名無史さん:2006/11/10(金) 14:30:59
>>90
どういう理由を元にそんな事を言ってるのか説明が足らんな。
93日本@名無史さん:2006/11/10(金) 14:57:43
>>92
君は自分の意見を認めさせたいだけに見える
94日本@名無史さん:2006/11/10(金) 15:06:44
>>93
うん、俺はまだ、これといった意見を表明してないんだけどね。
意見も明かさず批判だけして申し訳ないが。
95日本@名無史さん:2006/11/10(金) 18:08:38
>>84
三方ヶ原では二俣城の後詰に出た家康は、鎧袖一触で大敗しているから、
信玄の死とは関係ないでしょ。
裏付けがあるかどうかは知らないが、信長にも浜松に篭っているよう言われていたらしいし。

姉川の戦いを一武将の秀吉や友軍の徳川よると言う論で考えるなら、
信玄上洛を防いだのは、二俣城の中根正照や、
野田城の菅沼定盈の勇戦によるもので、
信長の覇権は、中根正照と菅沼定盈によるものとなるのではあるまいか。
96日本@名無史さん:2006/11/10(金) 20:40:20
>>94
性格の悪さとモテなさそうなのが伝わってくるレスですね
97日本@名無史さん:2006/11/10(金) 21:16:10
>>90
>信長が家康の立場にいたら天下は戦国に逆戻り。

アリエナス。
氏真と和睦・同盟して、ひたすら西を目指すだろう。
岡崎→清洲→岐阜→
ちょっと遠回りになるが、展開は同じ。

>秀吉が信長の立場だったら天下統一は早かったかもしれない

アリエナス。
清洲の織田信友、岩倉の織田信安に降伏を呼びかけて、
鼻で笑われるだけだろう。
98日本@名無史さん :2006/11/10(金) 21:25:32
信長が天下を取れなかったという事実すら認めたがらない馬鹿がいるなw
9984:2006/11/10(金) 21:33:19
批判的とはいえ、レスありがとうございます。

私も現実的に言えば、三方ケ原と信玄の死は無関係だと思いますよ。
でも病人の大戦での疲労度を考慮したり、或いは戦績としての三方ヶ原
の武田の大勝利って、信玄の最後のろうそくの煌きとも思えるんです。


信玄ほどの巨星が、大戦の前に行軍中に死んだのではあまりにも虚無的過ぎ。
やはり後の天下人となる織徳軍を撃破したところで、信玄も名誉を上げて力尽
きた印象があるんです。

これは手取川で織田軍を撃破した後に、次の大戦前に死した謙信も同様です。

信玄、謙信といった最強の戦国大名達が、両者共に後の天下人信長、秀吉、家康
軍に大勝してから逝ったというのは、永遠の語り草となってるじゃないですか。

100日本@名無史さん:2006/11/10(金) 23:34:05
>>99の話にちょっとリンクするところがあるが、俺はねー、信玄があのタイミングで死んだのは何て言うか、運命のようなものを感じてならないんだよね。
信玄は軍略家としては優れた部分があったけど、天下を取る器じゃなかった。
信長のように天下人になった後、この国をどうするかという明確なビジョンがなかった。
だから上洛をあのまま進めて信長を討っちゃならん存在だったと思うんだよね。
しかし、そんな信玄も希有な軍略家として、やらねばならん最後の仕事があった。
それは後の天下人となる家康に軍略のレッスンをしてやる事。
あれを境に家康は格段に強くなったんだから。
そういった天命を全うした瞬間、役目を終えた信玄はお役御免という事になった…なんていう風に思えてならないんだよね。
いや、分かってるよ。
こんな事を書くと非現実的だとか笑う奴が出て来るのは分かってる。
でも、俺は日本史を勉強すればする程、そういう部分もあるような気がしてならんのです。
そんな訳で、さあ、笑え。
101日本@名無史さん:2006/11/10(金) 23:43:47
>>100
確かにちょっと刹那的な考えだけど、信長見てるとそういうの感じる事はあるな。
奇襲じゃなくガチンコだったらしい桶狭間で義元の首を取れた幸運。
信玄の突然の死(病気だったらしいから,信長は情報を持ってたかもしれんが)、
謙信の突然の死。
要所要所で、とてつもなく運命に味方されてるね。
そして、天下人目前での、信長自身の死亡。
天下を取れる目前まで道を敷く事が天命で、それ以降は駄目と
運命に言われたんじゃないかと思ってしまう。
そして信長を討った人間が次の天下取り候補No.1になっておかしくないはずなのに、
それが出来なかった光秀。
やはり、信長にしても、秀吉、家康、おそらく光秀でさえ、
歴史に選ばれたんじゃないかと思う事がある。
もちろん、偶然だけで天下が取れる訳じゃないけど、時々運命が意識して動いてしまう事は
あるんじゃないかなぁと思うかな。
10299:2006/11/10(金) 23:52:11
>>100

人が歴史を作るのではなく、歴史が人を作る。
日本が乱世を終えて、近代国家として歩むには
信長、秀吉の覇権が絶対必要だった。

だから信玄の死は、天の采配とも言うべき印象がある。
しかし、信玄が家康に軍事レッスンをしてしまったのは
反対。
家康が幸運で信玄の戦略を学べたというのは賛成。

信長、秀吉のビジョンとは、逆の方向に日本を持っていっ
たのが家康だから。
10399:2006/11/10(金) 23:56:34
近代では、東条英機の暴走も運命的な印象があるんです。
日本が民主国家として生まれ変わるには、軍部を大敗させ
る必要があった。

それには、一度日本軍よりも絶対強い相手に噛み付かせな
いとならないからね。
104100:2006/11/11(土) 01:00:30
>>101
そう、信長も光秀も秀吉も家康も、それぞれが個性に富んだキャラクターをしていたから、彼らが存在した意義と、その行動の結果に歴史の必然性のような物はやはりあったように思えてならない。
例えば生真面目で善人だったが、守旧派でもあった光秀が秀吉に討たれたのは、これからは時代が変わるんだという事を示した象徴のようなものだったと俺は思う。

何故、歴史がそう動いたのか――それは単に偶然の積み重ね――そんな風にばかり考えてたら、歴史を勉強する事で得られるせっかくの、もっと大きな意義を見逃してるような気がしてならない。


>>102
いや、家康が強くなる事は必要だった。
何故なら、もし家康が存在せず、秀吉が死んだあと、遺されたのが加藤清正や石田三成たちしかいなかったら、時代はまた戦国乱世に逆戻りしてた可能性が高い。
家康が信長や秀吉とは違った方向に時代を動かした部分はあったかも知れない。
しかし、その後260年もの長い間、民が平和な時代に生きるためには、可哀想だけど信玄仕込みの家康の軍略で三成には死んでもらうしかなかった。
105日本@名無史さん:2006/11/11(土) 01:24:34
本能寺の変の黒幕は

正親町天皇と近衛前久
106日本@名無史さん:2006/11/11(土) 01:28:24
日本史板にしては珍しく有意義な会話だ。凄い!
107日本@名無史さん:2006/11/11(土) 02:40:35
天皇黒幕説は無い、天皇自ら命を下すのは勅命にあたる分けで
その様な命が下されたと言う史実はないからそれは無いな。ただ
譲位と暦の変更を迫ったプレッシャーに快く思わなかっただろうから動機はあるけど
実行したのは天正十年夏記にある通り、近衛前久、勧修寺晴豊、明智光秀に
斎藤利光らによる談合によって起きたのが正しいんじゃないのかな
10899:2006/11/11(土) 08:12:31
本能寺の変の黒幕は、将軍足利義明という証拠の文書が
発見されたでしょ。
数年前にNHKの、その時歴史〜、で放送されました。

言うまでも無く、光秀のかつての主君は義明。
光秀が自分が左遷されたと感じて焦っているところへ、
かつての主君の義明から信長討つべしとの下命があった。
109OPS:2006/11/11(土) 18:53:54
>>108
その事詳しく教えてくれくれませんか。
110804:2006/11/11(土) 20:36:51
>>109

黒澤は後期に入るとダイナミズムが薄れ、様式美に
とらわれた作品が多くなった。
影武者はその典型で、黒澤特有の様式美はあるのだが、
演出がテレビドラマみたいに安易で、内容は佳作でしか
なかった。
111日本@名無史さん:2006/11/11(土) 21:51:28
ひどい自演厨がいるな。
11299:2006/11/12(日) 19:42:12
>>109

本能寺の変の黒幕なんですが、NHKの番組の検証では
光秀が誰かの要請を受けて寝返った文書が発見されたんです。

ただ、最初はその要請を誰が発したがが定かではなかったので、
天皇、本願寺?、その他を順に検証していき、最後に消去法で義景
が残ったんだと記憶してます。

その後に、もったいぶった様に、義景が下命した文書があったような、
なかったような?、そこは良く覚えていないですけど、義景の下命説は
非常に説得力がありました。

うーん、書いてて思い出したけど、それから光秀が主君の命によりみた
いな文章を言っていた記憶があります。

それで、光秀が主君と呼ぶに値するのは、信長、天皇、義景と順に検証
していった番組でした。
その時、歴史〜で検索したらヒットしないかな?


113日本@名無史さん:2006/11/15(水) 03:30:05
>>108堤? >>112朝倉?
人名くらいちゃんと書けよ(´・ω・`)


足利家と幕府を見限った惟任日向守が、今更将軍の命令をきくかな?
114日本@名無史さん:2006/11/15(水) 03:38:57
前田慶次が最強
11599:2006/11/15(水) 07:52:11
足利 義昭
だった。
116日本@名無史さん:2006/11/20(月) 00:47:39
117織田信長@案内人:2006/11/21(火) 12:49:32
          ____
        /_ノ  ヽ、_\
 ミ ミ ミ  o゚((●)) ((●))゚o      ミ ミ ミ    おれいずれ削除人になるからよろしくだぜ皆の衆
/⌒)⌒)⌒. ::::::⌒(__人__)⌒:::\   /⌒)⌒)⌒)   イェ〜イ
| / / /     |r┬-|    | (⌒)/ / / //
| :::::::::::(⌒)    | |  |   /  ゝ  :::::::::::/    
|     ノ     | |  |   \  /  )  /   バン
ヽ    /     `ー'´      ヽ /    / バン
 |    |
118日本@名無史さん:2006/11/22(水) 00:53:00
トリップは?
119織田信長@案内人:2006/11/22(水) 01:46:26
めんどくさい
120日本@名無史さん:2006/11/22(水) 05:43:30
光秀は土民に殺されたので仕方ないとしても
斉藤利三を処刑する前に動機を聞き出せばよかったのに。
おかげで変の真相、光秀の動機が永遠の謎になってしまった。
あるいは聞き出したが記録に残ってないとかか?
121日本@名無史さん:2006/11/22(水) 11:29:44
>>120
どうせ首斬られる利三が、しゃべるわけがない。

黒幕なんていなかった。ただ明智が天下を取りたかっただけ
122日本@名無史さん:2006/11/23(木) 19:40:20
信長ってホモだろ
123日本@名無史さん:2006/11/23(木) 22:37:21
ホモじゃなかった戦国武将は、百姓生まれの秀吉だけ
124日本@名無史さん:2006/11/24(金) 01:10:26
啼かぬなら
殺してしまえ
ホヌヌギヌ
125織田信長@案内人:2006/11/24(金) 04:18:00
上げぬなら
殺してしまえ
削ジェンヌ
126日本@名無史さん:2006/12/05(火) 05:48:41
うつけって言われてたらしいけど、具体的にはどんなうつけをやってたんだ?
(特に若い時期)
抹香投げたくらいしかわかんね。
127日本@名無史さん:2006/12/05(火) 12:53:12
>>126
・町中を歩く時、人目をはばからず栗・柿・瓜をかぶり食い
・町中で立ちながら餅をほおばる
・人に寄りかかり、人の肩にぶら下がって歩く
「世間公道なる折節にて候あいだ、大うつけとより他に申さず候」(信長公記)

ほんとにちょっとお行儀が悪かった程度
128日本@名無史さん:2006/12/05(火) 14:12:17
御曹司のやるようなことではないな
129日本@名無史さん:2006/12/05(火) 16:31:32
大蛇を探しに池に潜ったり、祈祷に失敗した坊さんに弓ひいた話しのほうが好きだな
130日本@名無史さん:2006/12/05(火) 17:52:21
戦国最大の謎の一つ「本能寺の変」。織田信長の遺体が発見されなかったことを筆頭に、
光秀嫉妬説、秀吉黒幕説、千利休黒幕説、はたまた足利義昭陰謀説など…諸説入り乱れ
定説がない。それは、明智光秀がたとえ信長を打ち倒したとしても、当時の状況からし
て秀吉、家康など信長配下の軍事力に屈することが目に見えていたはずだからである。
この謎を究明していた所、奇妙な事が判明した。光秀が信長を討った後の行動には不信
な点があったのだ!なんと何かを察知した光秀が、城から持ち出した財宝を逃走中どこ
かに隠したというのだ!今回この他にも取材陣は光秀の子孫とされる人物に接触!財宝
の在りかを示すとも取れる“先祖代々伝わってきたという歌”の情報を入手!!しかし
、その歌は祟りがあると恐れられていた・・・果たしてこのミステリーは解明できるの
か!?
■テレビ東京 : 新説!?みのもんたの日本ミステリー!〜失われた真実に迫る〜
2006年12月6日夜9時00分〜10時48分
http://www.tv-tokyo.co.jp/nihonmystery/
131日本@名無史さん:2006/12/05(火) 18:05:10
光秀も天下様になりたかっただけよ。ただ畿内の大名が恭順して来なかったのと大返しが誤算だった。
個人的には機密を保持したまま本能寺まで辿り着けた事が一番凄いと思う。
132日本@名無史さん:2006/12/05(火) 21:49:47
>>127
戦国時代の尾張の人々は、一般的に人前で果物を食べないほどお行儀がよかったんだろうか?
町中で、立って餅を食うことは、そんなに非難されるような無作法なことだったんだろうか?
「人の肩にぶら下がって歩く」って、かえって腕が疲れるし、
平均より身長高い信長どうしてそれをやるのか考えると、
楽しようってのと違う、何かわざとやってる感じがするな。
133日本@名無史さん:2006/12/05(火) 22:13:20
うつけ時代の信長って、いまでいうヤンキーみたいなもんだろな。
134日本@名無史さん:2006/12/05(火) 22:13:53
その通りだろ
当時は、中央の勢力が下がってきていたのに、何故か尾張の辺りでは
花の御所を模した館に住んで、室町全盛期の如く礼儀作法に煩い暮らしをしていた。
尾張の国人の理想の領主の有り方は今川義元や蹴鞠坊ちゃんみたいな感じだったらしい。

先進的な国では急峻な山に城を建ててる時代に、そんな調子だったんで
信長は家臣らの時勢の読めなさににキレてたみたいだ。
135日本@名無史さん:2006/12/05(火) 22:16:10
秀吉が子沢山だったら歴史はもっと面白かったのにね…
136日本@名無史さん:2006/12/05(火) 22:22:12
秀吉は子沢山だったが、彼の遺伝子を継いだせいで
畸形児ばかりだったため、ほぼすべて間引かれてしまった。
137126:2006/12/06(水) 00:50:23
>>127 134
レスthxです。やはりそんな感じでしたか。
「うつけ」という言われ方からは、粗暴さとかあまりに常軌を逸した奇行みたいな
印象は受けなかったので疑問が晴れました。
wikiなどで読む限りでは、信長は現代の合理的な感性にかなり近いものを
持っていたのではないかと思えてならないんですが。
むしろ間違っていたのは周囲を取り巻く当時の乱れた世の中であり、
正しい行いでさえ血筋だとか家柄で横槍いれて潰してしまうような
世間のあり方だったように思います。
138日本@名無史さん :2006/12/06(水) 08:32:59
瀬戸内で役立たずの採算の合わない巨大戦艦造るのが合理的か。
139日本@名無史さん:2006/12/07(木) 11:29:21
採算ってなにを利益に置き換えて言ってるんだ?
大阪が手に入り本願寺が降伏し村上水軍に打撃与えて十分なリターンだろう
140日本@名無史さん :2006/12/07(木) 13:34:17
あの戦艦で勝利が確定したわけではないことくらい少し勉強したら誰でもわかる。
141日本@名無史さん :2006/12/07(木) 13:54:49
本願寺戦争にしか使えない巨大戦艦が合理的だって?アホか。

でも信長は確かに現代の子供に見られる傾向もっているよ。
すぐキレるもんw
142日本@名無史さん:2006/12/07(木) 16:47:19
信長ってむしろ切れないタイプってイメージがあるな。
普通なら切腹になる様な裏切りとか失策でも、
許してる事の方が多いし、攻め込む場合でも何度も使者をやってから
攻め込んでいる事の方が多いじゃないか?
143日本@名無史さん:2006/12/07(木) 20:20:12
桶狭間の時点でバンザイ特攻しないで決戦の場所まで引き込み待ってたわけで
キレる香具師ってのはイメージ戦略じゃないの?
144日本@名無史さん:2006/12/07(木) 20:59:19
>>136
畸形児ばかりでもさすがに男児だったら世継にするのでは?
145日本@名無史さん:2006/12/08(金) 00:19:01
>>141
10年続いた合戦で、あの海戦が補給を断つと言う意味で決定打だったのだから、
大安宅船も効果はあったということでしょ。

大安宅船をそれ以外の海戦にも利用しようとしていて、
全く他で運用出来ずに終わったのなら兎も角、
大安宅船は木津川口で毛利方の水軍を本願寺に接近させない目的に造られて、
その前の木津川口合戦には負けていたが、結果勝ったんだから。
てか木津川口でこれ以外の合理的な戦術ってなんじゃらほい。

ようするに木津川口での勝利と言う目的も持って造られ、目的を達成した。
なんで他の目的に運用できない事が責められるんだ?

どこぞの国で信じられている、
時間を超越した能力を持つ万能亀船みたいのが望み?


146日本@名無史さん :2006/12/09(土) 13:35:46
本願寺側で補給はさほど困っていなかったらしいよ。
もちろん心理的に巨大戦艦を目の当たりにしたら効果はあるだろうが。
しかし信長はやたらと味方を敵に回して戦力を自ら削いだり、
降伏してきた長島本願寺の奴らを殺して反発を食い反撃され損害出すなど、
あまり合理的ではないという気がする。
むしろやることは合理性というよりも一流のパフォーマンスだが、
結果をしっかりと残した秀吉のほうが合理的だろう。
信長に掃除させておいしいところをもらうところなんか、まさに。
家康は見かけ殺風景だが合理性は抜群かもしれない。
147日本@名無史さん:2006/12/09(土) 13:53:47
うつけ。
148日本@名無史さん:2006/12/09(土) 14:06:38
>>142
中に僧が大勢いるのに寺を焼き討ちにしたり、
ブチ切れ行為と思われてもしょうがない。
当時の人はそりゃ恐ろしかったろう
優秀なんだろうけど、怒ったら歯止めの効かない暴走機関車になると
庶民から側近まで誰もが思ったろう
殺されてもしょうがない人物だな
149日本@名無史さん:2006/12/09(土) 19:18:15
>>148
そうか?
比叡山の焼き討ちなんて、信長が最初じゃないし。
信長は攻め込む前に何度も警告もしてるし。
比叡山の焼き討ちについて、ちゃんと調べたらいかがか?

一揆衆を大量に殺害したのも、非戦闘員という概念はなくて、
女子供でも戦闘員だったという事実を、無視しすぎてると思うけどね。
現代風にいえば、カルト集団+ゲリラ集団だぞ。
150日本@名無史さん:2006/12/09(土) 21:05:28
女子供でも戦闘員だったけ?
延暦寺は天台宗だが浄土真宗は妻帯可能だけど。

151日本@名無史さん:2006/12/09(土) 21:25:45
後世の今の時代となっては
信長はゲーム化までされてファンも多い
擁護するのはいくらでも結構。
人生の最後が優秀な家臣に焼き討ちにあって殺される
これが全てを物語ってる
152日本@名無史さん:2006/12/09(土) 21:36:38
>>148
現代のヒューマニズム的な価値観を別にして考えれば、
ゲリラに退治に根切りは合理的だったりする。
某国も傍目も気にせずルール無用で作戦行動が出来るのなら、

戦力差が圧倒的なだけに今現在の混乱状態はなかったろう。
(逆にそれが出来ないなら手を出すべきではなかったと言う事)

それと、不合理とは特定宗派や宗教を信じて、
他宗派や異教徒を無意味に攻撃弾圧したりする事だろうが、
織田領内での浄土真宗の信仰自体を禁じたわけではないしね。
聖徳寺の例もあるし。
あくまでも武装した集団への戦闘だから(荘園の多くを失っている叡山も含)。

>>150
例えば、願証寺の呼びかけに応じて篭城に参加したら、戦闘員と看做されるでしょ。
実際に戦闘したかどうかは兎も角。
金沢柵の篭城戦(後三年の役)なんてのも女子供巻き込まれているし。

>>151
史上の人物をゲームの数値と同じように、「徳」云々の儒教的な価値観、
現在の人権等の価値観で評価すると言うのに違和感がある。
153日本@名無史さん:2006/12/10(日) 23:31:35
明智光秀を対毛利に向けてれば、もしかしたら天下統一してたかな?
154日本@名無史さん:2006/12/11(月) 02:07:30
うつけ行為もできないこんな世の中じゃ
155日本@名無史さん :2006/12/11(月) 05:57:45
>>153
明智と毛利連合軍が攻めてきました
156日本@名無史さん:2006/12/11(月) 19:11:52
端から見てる分にはいいが、
信長の部下にだけは絶対なりたくないな。光秀の感覚は間違ってない
157日本@名無史さん:2006/12/11(月) 21:48:37
そうかい?
軍功上げたら「お前の父ちゃんも勇猛だったしお前が出来る子だって知ってたよ!」とか
べた褒めしてくれるぞ? 信長は口が上手いから。

ただ、人んちに略奪しに入ったりしたら、殺されるけどな。信長潔癖症だから。
158日本@名無史さん:2006/12/12(火) 01:04:21
まるで見てきたように語るとこが信長ファンは凄いな。
それはさておき、そりゃいいとこだけ見れば
どんな悪人でもどこかいいとこ持ってるもんだよ笑
トータルでみれば100%信長の部下はやめときますはい
落ちついて考えればこういう結論になりました
159日本@名無史さん:2006/12/12(火) 02:26:53
確かに信長さんの部下はつらいわね…
160日本@名無史さん:2006/12/13(水) 23:55:30
で、あるか!
161日本@名無史さん:2006/12/14(木) 00:03:31
石鹸を使った最初の日本人が信長なんだってね
162日本@名無史さん:2006/12/14(木) 00:09:01
ラーメンを食べた最初の日本人が水戸黄門なんだってね
163日本@名無史さん:2006/12/15(金) 03:40:48
先駆け前進!敵は本能寺にあり!
164日本@名無史さん:2006/12/15(金) 03:48:24
各国から英雄を一名ずつ挙げてランク分けするスレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1165590944/
165日本@名無史さん:2006/12/17(日) 00:48:06
漫画とかゲームの信長ってヨーロッパのナイトみたいなカッチュウ(何故か変換出来ない)着てマントしててチョンマゲしてないけど実際はどうだったんですか?
歴史の本の肖像画だと普通にチョンマゲしてるし普通の武士って感じだが
166日本@名無史さん:2006/12/17(日) 22:20:45
何年もビロードの帽子をかぶりつづけていたらしいしな
167日本@名無史さん:2006/12/21(木) 11:36:08
具足を持てい!
168日本@名無史さん:2006/12/21(木) 15:12:29
比叡山延暦寺の焼き討ちって、発掘作業で「大規模なもんじゃなかった」って結果でてんだろ?
169日本@名無史さん:2006/12/21(木) 18:41:53
比叡山の僧は堕落しきっていたってよく聞くけど、本当の話なの?
170日本@名無史さん:2006/12/21(木) 19:03:57
うむ。
当時の本願寺は莫大な資金と軍隊を持っていたからな。
意図的に一揆を起こし加賀藩を略奪し最強の要塞を築いた。
信長と家康の連合軍でさえ加賀藩の一揆を平定出来なかったし
171日本@名無史さん:2006/12/21(木) 19:06:14
>>170
堕落してたなら、織田徳川と張り合えないだろ
172日本@名無史さん:2006/12/21(木) 19:19:10
女人禁制といいながら、遊女やその子供達が一杯いたからな。
173日本@名無史さん:2006/12/21(木) 21:29:04
やっぱ今でも本願寺のトップはすげー金持ちで私利私欲を貪ってんのかな?
京都の有名な神社とかも全国の沢山の小さい分家の神社から数千億〜数億の上納金が集まってくるんだろ?
まさに坊主丸儲けだな
174日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:02:04
本願寺は檀家の墓一基毎に数千円の上納金を課しております。
フランチャイズ方式みたいなんです。
175日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:12:55
あれだな、宗教者としては堕落してるんだけど、戦う組織としてはビシッとしているのだろうw
案外、それこそが人間の生きる道かもよ?
176日本@名無史さん:2006/12/21(木) 23:22:07
>>173
お東さんは明治以来法主がDQN続き
今は4兄弟がそれぞれ分かれて争ってる
東本願寺そのものは左翼に乗っ取られた
177日本@名無史さん:2006/12/22(金) 00:00:24
先進国の中で日本が無神論者多いのが理解出来る。
寺や神社の中身は金金金で腐ってるからな。
でも初詣はどこもごった返しなのはミーハーな国民性か。
俺も行くけど賽銭箱に5円しか入れないぜ!
178日本@名無史さん:2006/12/22(金) 00:05:39
>>177
賽銭箱に金を投下してる時点でダメだろWWW
179日本@名無史さん:2006/12/23(土) 18:19:29
なんてゆ〜か信長にしても秀吉も家康も幼少期が恵まれてないんだよな〜
田中角栄みたいな名を残す政治家もヤクザの大親分もそういう人は多いよな
なんかあるんだろうか?
180日本@名無史さん:2006/12/23(土) 19:19:09
織田信長ってドラマの世界だけだろ?
フィクションなんだよ。作り物。
181日本@名無史さん:2006/12/24(日) 21:34:04
安土桃山城ってほんとにあんなかっこいい城だったの?
先端が細長い感じの。
あと城の近くに凱旋門みたいな建物は本当にあったの?
182日本@名無史さん:2006/12/25(月) 00:31:01
小田原城は難攻不落のイゼルローン要塞のイメージがW
183日本@名無史さん:2006/12/25(月) 00:38:04
駿○予備校の東大コースの日本史の先生が講義で
「信長が比叡山焼き討ちした、と言うのは嘘」
って言ってたそうですが、詳しい方いらっしゃいます?
どうも信長を悪いやつだったことにしないといけない者が
でたらめな話を作ったようで、焼き討ちのような大ごとなら
発掘すれば必ずあるはずの物的証拠がまったくない、
現在研究者の間では比叡山焼き討ちはなかったというのが定説。
って感じの話だったらしいんですが。
私東大コースとは縁がなくて講義聴けないんです…。
184日本@名無史さん:2006/12/25(月) 00:47:07
大規模な焼き討ちにあった形跡はなかったらしいね。
185日本@名無史さん :2006/12/25(月) 06:55:11
比叡山焼き討ちが悪いことなのか知らないけど、
少なくとも信長オタはこの行為そのものすら正義の鉄槌だと主張しているw
186天ノ川 創:2006/12/25(月) 07:20:22
アマテラス降臨!
187日本@名無史さん:2006/12/25(月) 19:12:01
>>185
>少なくとも信長オタはこの行為そのものすら正義の鉄槌だと主張しているw
ふむ、正義なんて言葉を使う信長オタなんて見たことがありませんね。
それとも自己紹介をしているのですか?
188日本@名無史さん:2006/12/25(月) 20:14:25
宗教に対して正義なんて言えるのは、むしろ信長の影響が強い証拠だよな。
ヨーロッパなんて見ると正義の根拠はことごとく宗教だし。中世に政教分離を
思いついた信長、それが個人的な欲求だとしても異質であることは確か。
189日本@名無史さん:2006/12/26(火) 05:03:11

190日本@名無史さん:2006/12/26(火) 10:11:34
191日本@名無史さん:2006/12/26(火) 19:29:08
世はこの国の王である!
192にゃんこ:2006/12/27(水) 21:58:26
一般には知られていないが、中学校の歴史教科書にも載った定説
「日本人は、山麓や丘陵地に水田を作って暮らしていたが、戦国時代から
平野部に水田を作り、移り住んだ。」
ついでに、
1,関東平野は、戦国時代には、ほとんど水田は作られていない。戦国時代は
  濃尾平野が最良の地になりつつある時代。
2,平野部には一向一揆が発生しやすい。
3,だから、濃尾平野の一向一揆に勝ちさえすれば、天下統一の先頭ランナー。

そゆこと。



193日本@名無史さん:2006/12/28(木) 00:00:16
普通に考えて、
平野部から先に開墾、水田が作られたはずだ。
丘陵部に水田が作られるようになったのは、人口が増えて技術が進歩してから後。
194日本@名無史さん:2006/12/28(木) 07:03:24
丘陵部で稲作していたのは水田じゃなく陸稲の畑作だよ。
195日本@名無史さん:2006/12/30(土) 02:14:54
パワ〜(ガック
196日本@名無史さん:2006/12/31(日) 21:36:25
猿!!
197日本@名無史さん:2007/01/01(月) 23:36:56
犬!!
198日本@名無史さん:2007/01/02(火) 08:57:19
イヌ→利家
サル→秀吉
キジ→?
199日本@名無史さん:2007/01/03(水) 22:20:59
織田信長の次男織田信雄が建てた東区の徳源禅寺は良い寺じゃのお(^o^)
200日本@名無史さん:2007/01/05(金) 10:48:42
きのう放送してた明智光秀は内容がメチャクチャでしたな…
下戸の明智光秀が酒を飲んでたり、光秀が秀吉に火縄銃で打たれて絶命したりとか脚色すごすぎw
201日本@名無史さん:2007/01/05(金) 14:57:35
わしは新世界の神になる
202日本@名無史さん:2007/01/05(金) 16:24:03
下戸とかどうでもいいことでも一々つっかからにゃ気が済まんのか。
歴史オタって難儀だな。
203日本@名無史さん:2007/01/05(金) 16:30:26
>>200
信長だって、下戸で甘党だけど、ドラマや小説では、
結構酒を飲むシーンて出てくるし、
あんまり気にするなよ。
204日本@名無史さん:2007/01/06(土) 04:07:28
というかあくびしながら蚊叩くほうが気になったが・・・。
殺陣はうまかったがな
205日本@名無史さん:2007/01/06(土) 13:37:59
唐沢=前田利家のイメージがやはり強いな…
206日本@名無史さん:2007/01/06(土) 19:07:51
信長に関する著作の多い谷口克広の新刊を読んだ。
信長の自己神格化を否定してるが
すると總見寺とはどういう寺だったというのだろうか?
207日本@名無史さん:2007/01/07(日) 11:53:19
なぜ信長は皇族を潰さなかったんだろうか?
208日本@名無史さん:2007/01/07(日) 13:34:50
>>206
それ読んでないが、自分の誕生日に賽銭求めたのは普通の寺ではないだろう
それに安土城の機関みたいなようだし、ただの寺ではないはず。フロイスが
神発言とか国王発言を混同して記録していたとしても・・

>>207
皇族への信仰心を弱くしたとしても、皇族がいたことに変わりないし
平氏を名乗って右大臣であったわけだし、一応は臣下であったわけでそれに
刃を向ければ謀反になる。巨悪の根源であったはずの義昭を殺さずに耐えたのも
同じ理由でいかに有名無実の権威であろうとも後世の評として謀反人のようになるのを拒んだんだろう。
評だけでなく、義昭を殺したりすればいずれそれを理由に反乱起こされるかもしれない。
家康の場合は秀頼国松二人で済むし、禍根を抹消できる。足利は遡れば源氏、豊臣氏と血流の太さが違う。
信長は源平交替思想を重視してたのは藤原→平氏に変えたことで推測されてるし。
209日本@名無史さん:2007/01/10(水) 23:06:44
明智光秀が謀反さえ起こさなければ、かなり日本の未来は変わっていただろうね。
210日本@名無史さん:2007/01/11(木) 00:00:55
漫画「センゴク」で信長に興味を持ち

「信長の天下布武への道」

を読みました。他に何かお勧めの本がありましたら教えてください。
211日本@名無史さん:2007/01/11(木) 00:03:14
質問です。
「信長の天下布武への道」を読んだのですが
信長は結構、負け戦があるんですね。
一方、武田信玄は勝率は9割5分。

それでも領土の拡大は、織田信長>武田信玄
となったのはなぜでしょうか?
212日本@名無史さん:2007/01/11(木) 00:29:53
>>211
信玄は負けない戦を心掛けていたらしいから、博打的な戦を避けてるから領土拡大に時間が掛かったのでは?
あくまで私感だけど武田信玄が桶狭間の状況になっていれば、配下の豪族達に寝返られて武田信玄は今川義元の首なんか取れなかっただろうね。
213日本@名無史さん:2007/01/11(木) 00:38:14
>>211
武田家は豪族達の連合集団であって決して主従関係でないから、信玄が勝ち続けなければその結束関係が危うくなる。
214日本@名無史さん:2007/01/11(木) 00:43:01
>>212-213

お返事を下さり、ありがとうございます。

>武田家は豪族達の連合集団であって決して主従関係でないから

武田24将も豪族集団と考えて良いのでしょうか?
また信長が主従関係を作れた要因は何でしょうか?
215日本@名無史さん:2007/01/11(木) 13:01:11
織田のは新領地
216日本@名無史さん:2007/01/11(木) 13:20:49
もうひとつ考えると、武田は(ほとんどの武将は)拠点の同心円状に領土を広げた。
つまり新領土を得ても拠点の甲府に帰る。
次の出兵はまた甲府からだから遠征先まで時間がかかるということ。
信長は岐阜を得たらそこを次の拠点にしていたから、出兵先もすぐ隣。
だからすばやく軍事行動に移ったのだと思う。
ただ京都を中心に同心円状の領土をつくった矢先に内部崩壊してるのは皮肉だな。
信長は常に最前線に立って戦うのが似合っていた。
217日本@名無史さん:2007/01/11(木) 20:59:14
織田信長は天下統一する前に光秀にやられているので天下人ではないのでは?
218日本@名無史さん:2007/01/11(木) 21:24:19
>>214
つ 「中世のなかに生まれた近世」 山室恭子著
219にゃんこ:2007/01/11(木) 22:03:10
193>
194>

繰り返すが、水田が山麓・丘陵地から戦国時代に、平野部に降りてきた
というのは、検定に合格した中学校の歴史教科書に図示してあった。
だから、定説だろうよ。
実際に、奈良の古代遺跡は、明日香・天理・御所など、盆地周辺部に
多い。明日香は丘陵地だし、御所の葛城なんてのは、信州のスキー場
の初心者ゲレンデのような地形だ。(標高はそんなに高くないが。)

織田信長を、日本史上、最初の平野部の勢力からの覇者と捉えれば、
若くして天下取りを本気で目指した理由もわかるよね。
信長の受け継いだ遺産は、かなり大きな将来性抜群の領地だったんだな。
220にゃんこ:2007/01/11(木) 22:08:35
この戦国期の人口移動(定説)を知れば、平野部の平城の意義も分かるね。
新興産業地域の中心に、政庁を置いたということさ。

221にゃんこ:2007/01/11(木) 22:25:47
昔の技術では、排水が困難だったらしい。長岡京も藤原京もそれで、うまく
いかなかったらしいし。
御所の葛城は、山麓の冷たい湧水が豊富で、これが現代も米の品質を高く
している。よく似た地形の平群も同じだろうね。
戦国時代以降、技術の進歩とともに、人夫を大量動員したり、土地権利を
力ずくで整理できるようになって、平野部の排水や埋め立てが可能になった
んだな。
平野部の開発と、武士勢力の権力増大は、鶏と卵の関係だな。
222日本@名無史さん:2007/01/12(金) 14:37:38
>>217
右大臣、死後太政大臣、三職任官要請、前将軍追放、年号改正、あたりを見れば
室町時代とは一線を画した権力者であったのは客観的にみて天下人じゃないか。
そもそも秀吉家康の意味での天下統一をした人間はそれ以前にいない。単位統一とか。
223日本@名無史さん:2007/01/12(金) 22:08:03
>>217
鈴木真哉著「天下人史観を疑う」を読むべし。
鈴木は2chでは余り評判が良くないが。
224日本@名無史さん:2007/01/14(日) 16:33:41
安土城が廃城となったわけが知りたいです。
秀吉以降も残っていたのでしょう?
信長の夢を受け継いだなら
再建して、そこを拠点とすべきなのでは?
225日本@名無史さん:2007/01/14(日) 19:24:43
>>224
江戸幕府が9年ほどかな、長い期間かけてわざわざ秀吉時代と全然違う大阪城
作ったのも同じ理由だと思う。つまり前時代を消すの狙いだったと思う。
でも一番の理由は、それも関係するけど目の前に近江八幡城を作った点じゃないか。
安土の商人町人を移り住まわせて秀次にある程度完成させた城下町を与えた。
そっちに集中したから安土が復活しなかった。
226日本@名無史さん:2007/01/14(日) 21:41:12
信長自身が天下統一後は摂津辺りに城を築くつもり
だったのではないかと言われてるからな。
秀吉はそれを継承したのでは。
227日本@名無史さん:2007/01/15(月) 20:14:32
大阪って名前じゃなくなる?
228日本@名無史さん:2007/01/17(水) 08:44:36
当時まだ幕府の官職(守護とか)が権威をもっていた時代、副将軍の地位を拒否したあたり既存の幕府体制の限界を見ていたんだろうな
元々、義輝存命時には信秀と二代に渡ってわざわざ上洛するほどだったんだけど、その時に何か思いついたのかもと妄想
229日本@名無史さん:2007/01/17(水) 10:23:43
信長の人材登用は異質だね
日本の歴史上、血縁優遇は当然で現代の政治家官僚すら、表向きは選挙試験を出しながら実質血縁継承が続くよう臆面も無くやっている
信長は重臣層に他国者の浪人、果ては下層民出身の秀吉すら加えている
比較的他国の武士を登用していた甲斐武田家でさえ足軽大将クラスにするのがせいぜいだった
230日本@名無史さん:2007/01/17(水) 19:04:58
>>228
尾張統一後、桶狭間前だったかな、あの時点で京堺に行くのは親父の知恵も
あったんだろうなぁ。信長を孤立?させて育てるとか信秀も随分興味深いけど
そこまで詳しくは残ってないんだよな
231日本@名無史さん:2007/01/19(金) 11:27:56
やはり親子仲が悪い武将ほど、戦国の世では大成するのかね…
232日本@名無史さん:2007/01/19(金) 23:50:50
戦国の世も大変だな
233日本@名無史さん:2007/01/21(日) 17:14:10
信長と信秀は仲悪くないだろう
234日本@名無史さん:2007/01/23(火) 14:02:50
大須にノーパソ買いにいった帰りに信長伝説の地・万松寺にお参りいってきました!
235日本@名無史さん:2007/01/24(水) 12:53:20
信長と利家は子供の頃から歌舞伎モノのマブダチだったってのは真実なんでしょうか?
236日本@名無史さん:2007/01/24(水) 22:41:08
すいません。
よくドラマや小説で、信長が天皇家の廃絶を考えていたために、保守的な
明智光秀が謀反を起こしたという話がありますが、これは史料的な根拠は
あるのですか?

実際のところ、信長が皇室廃絶を考えた痕跡というものはあるのでしょうか?
237日本@名無史さん:2007/01/25(木) 12:05:39
>>236
無い
信長は晩年に官位を返上して朝廷とは無縁の政治を行おうとした、とか言われるけど
実際には右大臣の職は返しても階位である正二位は持ってるし息子を引き立ててくれ、と公家に頼んでいるくらい
だいたい明智光秀は保守的ではなく、信長の改革を最も忠実に遂行した武将の一人
238日本@名無史さん:2007/01/25(木) 15:48:51
>>237
ありがとうございます。

天皇家を廃する気がないということは、信長は天下を統一した暁には、
家康のように、天皇家から将軍職をもらう形で、幕府を開こうと思って
いたんでしょうか?

信長の天下統一後、日本をどのように統治するかというような体制的な
ビジョンを示すような史料はさすがに残っていないですか?
239日本@名無史さん:2007/01/25(木) 19:13:28
何故、比叡山を焼き払った無神論者の信長が死ぬ時に本能寺に泊まってたんですか?
240日本@名無史さん:2007/01/25(木) 21:32:37
信長は無神論者なのでしょうか?安土山には寺もありますし、確か旗には八幡代菩薩と書いていたと思うのです。
241日本@名無史さん:2007/01/25(木) 22:33:58
町ずくりの基本で寺は作るだろ。
信長は無神論者でも民にまで無神論を押しつけるほどの恐怖政治するわけないし。
信長はフセインみたいなタイプだ。フセインは悪の権化と思われてるけど女性の仕事する権利を認めたり中東で酒やタバコやポルノを解禁してたのはイラクだけだったし
242日本@名無史さん:2007/01/25(木) 23:16:42
信長って、本能寺がなかったら
征夷大将軍になっていたの?
243日本@名無史さん:2007/01/26(金) 08:34:44
信長は無神論者、というのはフロイスの日本史から
だけど実際には桶狭間や長篠といった重要合戦前には熱田神宮にわざわざ戦勝祈願を依頼しているし
守役の平手政秀の菩提寺に政秀寺を立てたりと無神論者とは言い難い行動を行っている
一方で信じきっていなかったのも事実。二条城建築の際に多数の仏像を石垣代わりに使ったことは発掘で確認されているし
奇跡を売り物にした僧侶なんかは自身が詰問した上死刑にしている
信長の特徴としては、例えば他の長尾氏や島津氏がやったような対一向衆禁令とかは出さず本願寺と殺し合いしてた時すら家中領民の信仰には干渉しなかった点
「それはそれ、これはこれ」という政教分離の姿勢を持っていて、一宗教の特別扱い(逆に排斥)は絶対しなかった
安土宗論でさえ、負けた側に「他宗に喧嘩吹っかけるな」とか約束させた程度
244日本@名無史さん:2007/01/26(金) 09:11:24
>>242
一般的には成らないと成れないと推察。
1、右大臣を返上しており、朝廷の足かせを嫌っていた、もしくは別の次元で政治をしようとしていた。
2、将軍=源氏の慣習がある。織田は平氏と名乗っていた。
245日本@名無史さん:2007/01/26(金) 09:30:34
源氏将軍説が確定するのは、江戸時代からじゃないの?
それまでは鎌倉幕府政権で宮様将軍が当たり前
源氏や平氏と無関係な時代からあった官位だし
246日本@名無史さん:2007/01/26(金) 14:33:54
戦勝祈願はポーズだったり熱心な仏教徒の武将のためにやってただけだろ。
信長は願掛けなんかに頼るわけないし。アホ臭いけど周りに対してのポーズでやってただけだと思う
247日本@名無史さん:2007/01/26(金) 17:30:09
まあ、16世紀に現代的な意味での無神論者、唯物論者なんていないだろうしな。
248日本@名無史さん:2007/01/26(金) 20:29:43
比叡山を焼くときに祟りはないかとかきいてなかったっけ?
実は信心深い?
249日本@名無史さん:2007/01/26(金) 20:52:11
>>239
京都に自身の宿舎がなかったから。
寺以外に側近家臣団込みで泊まれる所となると、公家の邸となるだろうが、
戦国時代の公家の邸では規模としても防御施設としても適さなかったんだろう。
当時の京都の町衆に支えられた法華宗の本願寺は規模も大きかったらしいし。
二条城はあるが誠仁親王の二条新御所になってしまっているし。

それと本願寺は法華宗で比叡山は天台宗。
法華宗も信長裁定の宗論では浄土宗に敗れているし、
側近の日乗(法華宗)も追放されたりしてはいるが。
250日本@名無史さん:2007/01/26(金) 22:16:01
>>248
比叡山焼き討ちは最近の調査で無かった説が有力になりつつある。
あれだげ殺戮をされながら、比叡山近辺から人骨の出土数が少な過ぎるらしいよ。
251日本@名無史さん:2007/01/27(土) 09:32:19
謙信は自分を毘沙門天の化身とまで言った
信玄も天台宗座主の地位を手に入れて、自分は不動明王の化身と言った
フロイスの日本史にしか根拠がないが、信長は自分を神だと晩年言ったそうだ
(信長がキリスト教を認めつつも、決して特別扱いしないことがわかってからの、宣教師の報告書内での態度の変化は面白いほど露骨だからどこまで信じて良いか疑問だが)
旗印に仏教神道関係のものを用いた武将は枚挙にいとまがないほど
一種の宗教戦争の観があるな
252日本@名無史さん:2007/01/27(土) 11:31:02
>>43
>日本人て人情の深い人物が好かれるような気がするんだが・・・

信長って実は人情に厚いみたいね
ttp://plaza.rakuten.co.jp/ryukyuneko/diary/200610030000/

他にも秀吉とねねの夫婦喧嘩の仲裁をしたり
黒田孝高が救出されたとき拷問で傷ついた姿を見涙を流したみたいだし
253日本@名無史さん:2007/01/28(日) 16:38:48
小説とかじゃ信長は悪役か威厳の権化
だからちょっといい話的なものは流布しにくい
実はいい人な信長の小説とかあったら面白いとは思うけどさw
254日本@名無史さん:2007/01/28(日) 17:51:57
>>249
あボケてる。
本願寺じゃなくて本能寺ね。
255日本@名無史さん:2007/01/28(日) 19:58:11
>>253
実はいい人って言ったって
比叡山焼き討ち、一向一揆なで斬り、
外出した侍女の斬殺、荒木村重の妻子一族の虐殺などの
残虐行為をやったんだからなあ。
難しい。
256日本@名無史さん:2007/01/28(日) 20:06:47
本当にいい人だったら、武将になんてならないだろうしな。
農民か僧侶になってるだろう。

戦国武将なんて程度の差はあれ、みな残酷だよ。
257日本@名無史さん:2007/01/28(日) 21:38:40
明日、TBSで、

>歴史ミステリー特別企画“バチカンに眠る織田信長の夢”暗殺の黒幕はあの男
>…残された暗号を解読せよ

っていう番組があるらしいぞ。
ちなみに暗殺の黒幕は誰だと思う?
258日本@名無史さん:2007/01/29(月) 11:42:51
司会が・・・
何でそんなの使うかなぁ
259日本@名無史さん:2007/01/29(月) 12:04:50
黒幕も何も明智光秀自身の野望のためだと思う
光秀は旧主筋の義昭も朝倉氏も裏切って栄達した男
信長相手にも同じ事して今度は自分が天下を、と考えても不思議とは思わない
260日本@名無史さん:2007/01/29(月) 12:08:30
>>250
焼討はあっても虐殺はなかった説もある。
更に先に火をつけたのは浅井朝倉で、それで脅された延暦寺が信長の要求を拒絶せざるをえなかったという説もある。
261日本@名無史さん:2007/01/29(月) 12:23:55
虐殺が酷い、というのは後世の倫理観じゃないの
前田利家は臨終の際にお経書いた服を着て成仏できるように、と懇願された時に
「オレは沢山人を殺したが、理由の無い殺しはしていない。それで地獄に落ちるようなら新だ部下集めて閻魔と一戦してやる」と答えた
謙信や信玄、政宗も規模の大小はあれ女子供まで根切りにした
理由が皆殺しを正当化する時代だったんだよ
262日本@名無史さん:2007/01/29(月) 16:52:07
http://homepage2.nifty.com/musou-ann/kowai1/kowai65.htm

これって誰だかわかりませんか?
263日本@名無史さん:2007/01/29(月) 17:00:55
>>262
ぜんぜん成り立たない夢物語ですwww

>丹後の国のある村
>「織田信長の子孫」を名乗る者
> 彼は水軍を率いており
>海賊行為にあけくれました。
264日本@名無史さん:2007/01/29(月) 17:06:01
>>262

こりゃただの、山椒太夫だろw

265日本@名無史さん:2007/01/29(月) 18:25:58
八切止夫が、信長爆発暗殺説を出して無かったか。
新型火薬の力で爆発炎上させ、
本能寺毎燃え尽きてしまったとか。
南蛮寺のバテレンや家康が関わっていたとか。
今日の番組は、それと似てるのか?
266日本@名無史さん:2007/01/29(月) 20:18:11
安土城の詳細が書かれている屏風絵や資料がバチカンの国王の宝物庫に眠っている可能性がある。現在調査中
267日本@名無史さん:2007/01/29(月) 20:21:10
バチカン宝物庫だけでなく当時のゆかり人達の家の宝物庫なども調査するらしいからもしかすると信長の死後の資料なども見つかるかもしれない
268日本@名無史さん:2007/01/29(月) 20:37:53
ttp://www.tbs.co.jp/nobunaga-code/
間に合わないかな。
269日本@名無史さん:2007/01/29(月) 21:15:27
>>255
比叡山を焼いたのがなんで悪いのかわからん。
武装勢力じゃんよ。
270日本@名無史さん:2007/01/29(月) 21:16:51
>>256
僧侶も農民も武装した残酷な連中でしたが?
271日本@名無史さん:2007/01/29(月) 22:44:42
平和に暮らしていた朝鮮とは雲泥の差ですね
秀吉が攻めてくるまで地上の楽園でした
272日本@名無史さん:2007/01/29(月) 22:46:30
そもそも国家のていをなしてない糞尿臭い乞食半島だろw
273日本@名無史さん:2007/01/29(月) 22:58:46
>>269
それどころか先に火を付けたのは浅井・朝倉と言う説もある。
274日本@名無史さん:2007/01/29(月) 23:08:38
はいはいwikiからの引用厨乙
説だけとなえるならおれにも出来るぜ
信長は魔人に取り付かれ魂まで食らわれ、
李座主王国から来た乱崇なる異人が
信長を討ち魔人ザビエルを倒したとね
275日本@名無史さん:2007/01/29(月) 23:15:29
秀吉の進行に
「解放軍だ」と大喜びで支援した半島の最悪搾取王朝の民の末裔が何か言ってるね。
276日本@名無史さん:2007/01/29(月) 23:17:41
近衛前久が黒幕だと言う説に従ったものでした。
細川藤孝もぐるだったと言ってました。
277日本@名無史さん:2007/01/29(月) 23:49:31
新説と捏造ギリギリ紙一重。
278U-名無しさん:2007/01/30(火) 00:04:01
そもそも今のテレビ局は史学者に完全にそっぽむかれてるだろ。
だから作家しか出てくれない。

とはいえ、小説話をさらに脚色して無茶話にしてる最近の
状況からすれば、案外おもろかった。
279日本@名無史さん:2007/01/30(火) 00:27:01
>278
うん
年末年始に、細木数子が歴史番組やってたくらいだからなw
芸能人に催眠術かける番組とか
「あなたの前世はヨーロッパ中世の貴族でした」と
言われて感激する番組とか
「毎日納豆4パック食べればヤセる」とか言った番組とか
そういう延長線じゃないか
雑誌「ムー」のTVバージョンと思えばイイかもな
280日本@名無史さん:2007/01/30(火) 03:01:03
>>278
>だから作家しか出てくれない。
テレ東のとんでも歴史番組専属の加来耕三とかねw
281日本@名無史さん:2007/01/30(火) 03:13:25
当時の比叡山の僧達は武装集団であり、僧でありながら女を抱き男食もするカルト集団でしょ?
282日本@名無史さん:2007/01/30(火) 04:22:01
一向宗どもども、宗教同士でバンバン殺し合いしてたしな。
しかも勝手に道を塞いで「通るなら金出せ」ってあちこちでやらかしてた暴力団でもある。
もう信長様様だよ。キリスト教やイスラム教みたくいつまでも宗教戦争で虐殺三昧の連中を、
日本から早々と一掃してくれた。
283日本@名無史さん:2007/01/30(火) 08:35:47
信長って一昔前は、「信長尊敬してます」なんて言ったら
こいつ頭大丈夫か?みたいに思われかねないような人物って感じだったが
時代も変わったな。
284日本@名無史さん:2007/01/30(火) 10:32:06
昔から日本史屈指の改革者として人気だったじゃないか
一部の地域の話じゃないの?
285日本@名無史さん:2007/01/31(水) 04:27:10
>>283
一昔前は(今もかもしれんが)、尊敬する歴史上の人物アンケートで
坂本竜馬などと並んでコンスタントに上位だったと思うが。
知名度の問題もあるだろうけど
286日本@名無史さん:2007/01/31(水) 09:02:09
尊敬や人気とは別に、歴史を動かした人物の評価として
信長は上位に入ってくるとは思う
287日本@名無史さん:2007/01/31(水) 09:06:21
フロイスによると、信長は「戦運が自分に背いても意気闊達」で忍耐強かった人物だそうだ
残虐と寛容、激昂しやすさと忍耐強さが両立し得るという稀有な人格
288日本@名無史さん:2007/01/31(水) 09:23:27
イエズス会の皆様の記録は参考になりますが、
全面採用しないように致しましょう。
289日本@名無史さん:2007/01/31(水) 09:31:27
信長公記から覗える信長の人格も似たようなもの
大大名の身で乞食や足軽・人足に気軽に接したり情けをかけたりする一面と、苛烈な支配者の貌双方が見受けられる
実際に信長が足軽の足が血だらけなのを気の毒に思って自分の履物を与えた際の実物は今でも名古屋の歴史館に残っている
290○「本能寺の変、425年目の真実」:2007/01/31(水) 10:08:13
○おいおい人大杉で他のスレはなかなか見れんぞ。
ここに実名出されて迷惑の大庭博氏について書かれている中傷、誹謗は、
全て出鱈目だからな。
言っておくが名誉毀損になったら莫大な損害賠償が発生するぞ。
○事実でも人を社会的に貶め、中傷の意図が感じられる。
○プライバシーの侵害である。
○公共のもの以上の個人的中傷である。
○社会的信用を失わせる行為である。
以上はインターネットで莫大な損害賠償金が発生する可能性があるから
気をつけるように。
291○「本能寺の変、425年目の真実」:2007/01/31(水) 10:23:41

○織田信長は今にして思えば、少し若いところがあった。
西洋の優れた文明、芸術を取り込むところは、先見性があったが、
そればかりを追い求める姿勢は、保守層にはなかなか理解できなかっただろう。
彼の行動は、部下に説明不足、不審を招いたと思う。

292日本@名無史さん:2007/01/31(水) 10:50:16
>>287
信長はまるで曹操みたいな人物ですな
293日本@名無史さん:2007/01/31(水) 11:26:13
信長はキリスト教を認めても自身がキリシタンになったりとかの特別扱いはしなかった
大友氏や有馬氏領内で起こったキリスト教の強制や寺社破壊などとも無縁
キリスト教絶対主義者から見れば許しがたい悪だとわかってからは宣教師の書き方もボロクソになってる
294日本@名無史さん:2007/02/01(木) 14:38:13
信長は最初から苛烈だったわけじゃない
弟・信勝(信行)を殺したのは二度目の謀反を企んだからだし
柴田勝家ら謀反人も一度は許している
信長の一度目の上洛作戦を和睦破りで潰し、信長の面目を丸つぶれにした斎藤龍興すら追放に留めた
よく言われるように、義弟の浅井長政の裏切りに端を発する信長包囲網を境に容赦がなくなっていく
295日本@名無史さん:2007/02/01(木) 14:47:39
比叡山焼き討ちは浅井に裏切られる前だろ。
あの時代に聖地比叡山を焼き払うなんて狂気の沙汰だ。
296日本@名無史さん:2007/02/01(木) 14:55:18
>>295
まてい。どう見ても裏切り後だろうがw
「織田と浅井朝倉の戦争で相手につかないでくれ。それが駄目なら中立を」と交渉したら露骨に浅井朝倉方に合力した結果
霊山どころか自分から敵対した相手だろう
足利義政はじめ、宗教権威を嵩に世俗介入した宗教組織を攻撃した例は以前にもあるし
297日本@名無史さん:2007/02/01(木) 17:12:24
>>295
顔洗って出直してこい!
298日本@名無史さん:2007/02/01(木) 20:03:21
そもそも信長は比叡山を焼き討ちしたといえるのか?
最近の発掘調査では伽藍ちょこっと焼いた程度w
299日本@名無史さん:2007/02/02(金) 10:44:31
天下万民のために乱れた戦国を平定しよう!でも謀反人でも敵手でも無闇に殺さないぜ!
と蒼天の志を抱いていた天才児が
義弟の無理解等の壁にぶち当たり、それを砕いていく過程で
フハハハハ!ワレコソハマオウナリー!
となっていくわけだな
300織田信長:2007/02/02(金) 11:02:39
何か俺に文句ある奴いる?
301日本@名無史さん:2007/02/02(金) 11:11:29
今更だが宗教勢力を激しく攻撃したのは足利義教だろう
あと細川政元が延暦寺を信長より先に焼いている。原因は朝倉氏に呼応して将軍推戴争いに参加してきたから
……って朝倉+延暦寺って災難呼び寄せるコンボだなw
302日本@名無史さん:2007/02/02(金) 13:19:39
信長は虫歯に苦しんでいて、歯痛からあの短気さがきている。と、面白い事を書いていた怪しげな教授がいたな…
303日本@名無史さん:2007/02/03(土) 06:37:20
歯医者が居ないこんな戦国時代じゃ…
304日本@名無史さん:2007/02/03(土) 08:08:13
【織田信長アッー!の由来】

戦国武将に扮した織田信長らが敵陣に突入
 ↓
「四つん這いになるでござる」「なれば領地を渡すのでござるな」
などの会話を経て全裸に。
 ↓
指で菊門をほじくられ、「汚い穴でござるなぁ」などと罵られる
 ↓
森蘭丸の尺八で「アッー アッー!」と悶える
 ↓
前田利家に局部を見せながら堀秀政に尻の穴を見せる。「気持ちいいでござる!」と
悶えながら男性自身を勃起させる。このあと、森蘭丸がコンドーム「鉄兜」をつけ、
信長に背後から挿入。「アッ、アッ、アッ、アッ!」と織田信長は勃起させながら声をあげる。
 ↓
ルイス・フロイスも加わり4Pが始まる。ヤラれるばかりだった織田信長が一転、
攻勢に出て、フロイスを下にして犯し始める。小刻みに腰を振りながら、
「アッー、アッー、イクでござる!」と叫んで、信長もフロイスの腹に勢い良く射精。
あとモヒカン頭の明智光秀の超巨根を挿入されて出血死したらしい。
305日本@名無史さん:2007/02/03(土) 09:42:06
信長が甘い物が好きで酒はあまり飲まなかったからってあんまりだろw
306日本@名無史さん:2007/02/04(日) 03:36:18
信長は宗教を弾圧したことは一度も無いよ。
武装勢力を弾圧しただけ。
宗教勢力が武装解除したら信仰布教の自由は認めてるしね。
弟二人殺されたにもかかわらず・・・。
つくづく宗教には寛大な人だよ。
307日本@名無史さん:2007/02/04(日) 10:08:08
蘭丸!保守致す!!
308日本@名無史さん:2007/02/05(月) 14:11:09
稲生原合戦の時、信長は700しか兵が無くて1700揃えた弟・信勝派の柴田・林勢に押されまくり
しかし本陣まで敵兵が来たら信長は立ち上がって大喝、自身が突撃すると敵兵ビビって戦況逆転
さらに左腕を切られた部下を助けて敵の大将の一人林美作守を自ら討ち取る
一人で七騎の敵武者をぶった斬った佐竹義重並の剛勇
309日本@名無史さん:2007/02/05(月) 15:55:34
>>308
その童話だけど、逆じゃない?
信長近習が美作の左腕を落として、うずくまる美作の首をお取りなされよと信長に申したんじゃなかった?
何かの小説で読んだ記憶があるんだが・・・
310日本@名無史さん:2007/02/05(月) 17:22:44
>>309
信長は南へ向て、林美作口へかゝり給ふ処に、黒田半平と林美作数尅切合ひ、
半平左の手を打落とされ、互いに息を継ぎ居り申候処へ、
上総介信長、美作にかゝり合い給ふ。
其時、織田勝左衛門御小人のぐちう杉若、働きよく候に依て、後に杉左衛門尉になされ候。
信長、美作をつき臥せ、頸をとらせられ、御無念を散ぜられ、両共以て追崩し、
去て手ん手に馬を引き寄せ/\打乗て、追付/\頸を取り来り、
其日(八月廿四日)清洲へ御帰陣。
311日本@名無史さん:2007/02/06(火) 08:18:12
童話どころか実話ってところが恐ろしい
横槍をつけたってあたりがリアルだな
312○「本能寺の変、425年目の真実」:2007/02/06(火) 10:39:12

○そろそろ人大杉、人多すぎ状態をなんとかしてくれ。
自由に書き込めないぞ。
○信長は剣術とか、兵法を誰に習ったのか?
313日本@名無史さん:2007/02/06(火) 15:10:41
信長がなぜ本能寺であのような最後を遂げたのかどうしても不可解。
相当念入りで組織的な計画でなければ
信長が気を許すわけがない。
314日本@名無史さん:2007/02/06(火) 19:05:49
>.>313
明確な根拠もなく、妄想乙。

京都・安土周辺は、安全地帯と見てたんじゃないの。
少数のお供を連れただけで、移動していたのは本能寺のときだけじゃない。
京都で信忠その他馬廻りと合流して、西へ向かうつもりだったんだろう。


315日本@名無史さん:2007/02/06(火) 19:23:34
>>312
市川大介に弓、橋本一巴に鉄砲、平田三位に兵法を学び、鷹狩を好んだ。(信長公記)
平田三位から学んだのは戦争の方法としての「兵法」じゃなく、いわゆる剣術だと思う。
316日本@名無史さん:2007/02/07(水) 06:13:10
>>313
富士山裾を小姓だけ従えて馬で駆け回って遊んだり、
元々子人数でいることに警戒するヤツではなかったんだろう。
317日本@名無史さん:2007/02/07(水) 08:43:54
元々信長は廻りを固めるタイプじゃないからな
逸話であるように足軽やら人足やらとも気軽に交わるし
斎藤氏の刺客団に襲われかけた時には、自分からそっちにいって凄んで追い払ってる
二条城工事のときでも三好の刺客が出かねないのに平気で諸人の礼不要で現場に出ているし
信長の警護役ってすげーストレスだったと思う
318日本@名無史さん:2007/02/07(水) 09:59:44
信長はイエズス会の手先にすぎない。
天下統一の仕方、度量衡や通貨の統一、街道整備、鉄砲を使った効果的な戦い方、すべてイエズス会のアイディアを実行に移しただけ。
豊富な資金もすべてイエズス会が用意して信長に与えていた。
よって盆山崇拝で信長がイエズス会を裏切ったため、本能寺で殺した。

319○「本能寺の変、425年目の真実」:2007/02/07(水) 10:31:55
○早く人大杉状態を何とかするべし。自由に書き込めないぞ。
>>315○有難う。
>>313○光秀の突然の思いつきだけでは無理とされる点。

京都は夜盗、火事などを警戒し、夜回り、盗賊よけの木戸があった。
大きな音を出す大軍の移動が全く気づかれていない。
織田信忠が逃げられていない。二条城に篭城している。
安土城が無傷で財宝と共に光秀の手に入っている。
大阪の四国渡海軍が四散し、無力化した。
美濃で安藤氏の乱がすぐに起こった。
○イエズス会が背景にいた?
羽柴秀吉の軍師黒田官兵衛はキリシタンだぞ。

320日本@名無史さん:2007/02/07(水) 11:13:23
○さまは、ちゃんと専用スレがあるんだからそちらでお話くださるようお願いいたします。
321日本@名無史さん:2007/02/07(水) 23:11:10
信玄公が史実より後五年生存してれば、武田家の天下統一は無いにしろ、織田信長→豊臣秀吉→徳川家康の流れは無かったろうな…
322日本@名無史さん:2007/02/08(木) 10:47:23
勝頼があと半年いきのびても家康への流れはなかったよ。
勝頼の遺領を戦後処理で駿河もらい、さらに本能寺後の北条との抗争で
甲斐、信濃を事実上領国化し、計5カ国の身上となり秀吉に対抗できるように
なったんだから。
323日本@名無史さん:2007/02/08(木) 19:54:27
日光東照宮には家康と秀吉と頼朝が祀られているが、信長が祀られていない。
微妙だな〜wやっぱ天下取らないといけないのかしら。
家康にとって偉大な主君だったはずなのだけど。
324日本@名無史さん:2007/02/08(木) 21:33:02
>>319
そもそも突然の思いつきが、どの時点からの事かが分からないが、

>京都は夜盗、火事などを警戒し、夜回り、盗賊よけの木戸があった。
木戸があったから事前の準備なしでは無理だったということ?
何が言いたいのかが良く分からないが、光秀以下、京都に始めた入ったわけでもなし。

斉藤利三は京都を前に、「指物を付けて木戸の潜り戸を通り抜けようとしても、
ひっかかるので木戸を押し開けて進むよう、分かれて思い思いの道を進み、
本能寺の森、さいかちの木、竹薮を目当てに確かめて目標をたがえぬように」
と訓示している(川角太閤記)。
別に事前の準備を窺わせる訓示だとも思えないが・・・。


>大きな音を出す大軍の移動が全く気づかれていない。
大きな音を出す軍が通過しても怪しまれないように、街道上の集落やに金でもばら撒いて工作していたと言う事?
どれだけ事前に工作したと考えているのか分からないが、
それだと光秀が軍を動かす前に、密告一発で露見するリスクの方が遙に高いし、
それ以上に街道沿いの集落、京の町方までに工作するのは物理的にも不可能でしょ。
やっていたとしたら光秀は馬鹿になるのでは?

それと、いざ軍勢の音がしたとして、集落や京のの人間が、織田上層の枢機に通じていて、
「こんな時間に軍勢がここを通るのはおかしい。右府様が狙われている」などと考えるとは思えない。
そして織田家の家臣でもない者が、命を懸けて明智の軍勢に気付かれないように追い抜き、
本能寺の信長に御注進もないでしょ。
325日本@名無史さん:2007/02/08(木) 21:36:09
>織田信忠が逃げられていない。二条城に篭城している。
突然の思いつきでないとする理由が、これと何の関係があるのか分からないが、
これは逃げられなかったと言うより逃げなかったが正しいのでは?
妙覚寺に宿泊していた信忠は、「信長と御一手に御なり候はんと」
本能寺に向かおうとするが、村井貞勝父子に本能寺は焼け落ちたと知らされ、
二条新御所に入るよう薦められ、御所にいた親王と若宮を禁裏に移し、ここに篭る。
この後の詮議で信忠に「退かれ候」と進言する者も居たが、
「雑兵にかゝり候ては御無念なり」で、二条御所で戦っての切腹を決断。
上は信長公記だけど、
http://www.sky.sannet.ne.jp/kyoshio/furuya/nazo/nazo05.html
なのもある。

>安土城が無傷で財宝と共に光秀の手に入っている。
2日朝に本能寺の変、報せは同日中に安土に届いたとは思うが、大混乱だったと言う。
で、3日午後に留守居の蒲生秀賢が、安土に詰めている兵では、
安土での防戦は無理だと判断、信長の妻子を連れて、自身の居城である日野に篭る。
什宝類などを持ち出す暇もなかったと思うが。
出かけに火を付けるだけで安土城ほどの城が簡単に燃え崩れるわけでもないし、
燃え崩すために、それなりの準備も必要だが、それをする時間も無い。
それ以前に、後の反抗を考えて、光秀が安土を拠点とする事を阻止するために、
主君の城安土を焼き崩すと言うのも、この時点では秀賢の頭にはないでしょう。
篭城し信長の妻子を守る事だけで手一杯。
それと長浜城も似た状況だが、別に城を壊して退去していない。
てか、賢秀が光秀と内通していたと疑っているのなら、賢秀が日野に篭る理由が説明付かない。
326日本@名無史さん:2007/02/08(木) 21:38:34
>大阪の四国渡海軍が四散し、無力化した。
これも光秀が事前に工作していたと言う事?
これまた露見する確率の方が高いし、
露見する可能性大の信孝や丹羽の新規に与力となった武将に工作するくらいなら、
明智の下にある与力にこそ、事前に工作しとけよという話になる。
丹羽や信孝の直臣兵卒は山崎合戦で秀吉に合流している。

>美濃で安藤氏の乱がすぐに起こった。
天正七年に追放されていた守就が信長の死を聞いて6月8日(だよね?)に蜂起した事に何の怪しさがあるのだろう。
準備不足の上、所詮過去の人だから簡単に追討されているが・・・。
光秀が守就と事前に諮っているのなら、光秀は相手を間違えているとしか言いようがない。


>>323
家康は太閤秀吉の家臣だけど、信長の家臣であった事はないよ。
形骸化しているにしろ同盟者。
327日本@名無史さん:2007/02/09(金) 03:23:02
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B4%B2%E5%90%8C%E7%9B%9F

家康には駿河一国だけしか与えられなかった。しかもそれは、家康が安土城に
いる信長のもとに赴いて、信長から賜るという形で与えられている。この頃になる
と、家康はもはや完全に信長の臣下のような状況にあったのだ。


形の上では同盟だけど、武田戦後処理をみてもこの仕置は
内外に徳川氏の被官化の地ならしだったろうな
328日本@名無史さん:2007/02/09(金) 11:47:11
北条が信長の新たな有力同盟者の地位に上がったら、徳川氏は完全に宙に浮くからなぁ
勢力図を見れば分かる通り袋小路に
それまでと違って信長側から見ても利用価値が暴落しかねない状況
329日本@名無史さん:2007/02/09(金) 12:55:23
>>322
勝頼が史実より半年長く生存で徳川幕府の設立は厳しいか…
今現在の歴史は絶妙なバランスで成り立っているんですな。
もし勝頼が半年延命してたら、豊臣秀吉が天下統一前に他界して最後は若い伊達政宗あたりが、天下統一をして伊達幕府が出来てたもね。
330日本@名無史さん:2007/02/09(金) 14:11:50
>>329
武田氏討伐がならないまま史実道理に中国遠征の援軍目的で信長が横死したかどうかは
ともかく、本能寺がおこってもわずか2カ国では家康は何も出来ないし、
むしろ勝頼が盛り返して、徳川は偉いことになっていたかも。
331日本@名無史さん:2007/02/10(土) 11:17:29
信長はいろいろ独創したり、他の大名が行っていた政策をより大規模に利用したりしていたけど
ブレーンとか師匠とか軍師にあたる人物って見当たらないよね
小説とかだと岐阜の名前出した坊さんがそれだ、とかいうのがあるけれども
一人の頭で全部ひねり出したのなら普通に凄いわ
332日本@名無史さん:2007/02/10(土) 13:06:11
信長はおとっつぁんが頑張って成り上がった家から出てきた苦労
知らずの二代目ボンボン。独創性なんてないから、全部「アレ欲しい」で
他人のものをパクっていただけ。今でいう東大出の人間みたいなもの。
↓戦国板からコピペ。

●鉄砲隊の組織化=一向宗徒(雑賀・根来衆)に学ぶ。つか、長篠後も一向宗の鉄砲隊に苦戦。
●楽市=六角、今川などが先行。つか、当時は一般的に行なわれてる。
●兵農分離=公記にある弓衆の強制移住なら、一般的な旗本軍制にすぎん。
     軍役衆という意味なら普通の戦国大名。
●選銭令=平安末期から行なわれている。むしろ、独自の貨幣を作れなかった後進性がみられる。
※武田信玄は甲州金貨を畿内にまで流通させ、上杉謙信も独自の金貨を領内に流通させていた。
※選銭令を完全に実行できていたのは北条氏領内のみ。
●宗門焼き討ち=平清盛、足利義教、松永久秀らが先に実行。
●畿内貿易港の掌握=平清盛、足利政権の真似。滅び方も似ているが。
●サディスティックな大量虐殺や嬲り殺し=これが意外とオリジナルかもな。      
333日本@名無史さん:2007/02/10(土) 14:26:05
浅井長政が信長を裏切らずにいたら、本能寺の変後はもしかしたらポスト徳川家康の位置にいたのかしら?
334日本@名無史さん:2007/02/10(土) 16:21:04
>>332
戦国板に留まっていてもらいたいような質の低いコピペだな。
独創性云々ってなんじゃらほい。
朝鮮人の起源認定みたいw
335日本@名無史さん:2007/02/10(土) 16:24:48
時系列的に明らかにおかしいのもあるし
織田軍の旗本鉄砲五百は既に正徳寺会見の時点で組織されてるから雑賀衆との接触前だし
流石に鉄甲船とかについては牽強付会もできないようだw
336日本@名無史さん:2007/02/10(土) 23:34:55
やはり人の数だけ諸説があるのね。
337日本@名無史さん:2007/02/11(日) 03:56:02
実は本能寺が興っていない別の世界では、日本統一後、唐、朝鮮を平らげ、
ゆくゆくは世界を揺るがす大帝国として成長し、第1次世界大戦でヨーロッパの
大半を勢力下に収め、二次大戦でソ連とアメリカを悉く滅ぼして天下統一したました。

しかし、日本の事を快くおもっていない朝鮮人がタイムマシンで過去の世界-1582年の
世界に現れ、光秀に電波を送って信長を暗殺するように仕向けたんです。

ですから、事前に察知はできませんでしたし、信忠も逃げなかった理由は「ここにとどまる
ニダ」と朝鮮人が命令したからです。

そして時は流れ、慶長、文禄の役後の和睦を関が原後の家康が朝鮮と国交を結びなおした
事でもわかるように挑戦に有利な内容となっています。

つまり、信長暗殺の犯人は朝鮮人による陰謀です。
338日本@名無史さん:2007/02/11(日) 06:36:42
>>337心底くだらない
おもしろくもないし
339日本@名無史さん:2007/02/11(日) 07:20:15
早速もみ消し工作ですか
必死ですね
340日本@名無史さん:2007/02/11(日) 22:24:24
信長は独創の塊だよ。
341日本@名無史さん:2007/02/12(月) 01:39:39
率直な感想だが信長の部下より秀吉の部下になりたい。
342日本@名無史さん:2007/02/12(月) 02:23:01
で、豊臣恩顧の藩とは江戸幕府から改易されちゃう末路たどるわけね
343日本@名無史さん:2007/02/12(月) 02:48:52
関白殿はそのような御方ではない!
344日本@名無史さん:2007/02/13(火) 10:44:11
信長の父も祖父も下克上の人
異端は織田の血筋かもしれん
本能寺以降、急速に劣化するが
345日本@名無史さん:2007/02/13(火) 22:31:08
足利幕府があんな状態だから、当然下克上の世になるざんすよ。
346日本@名無史さん:2007/02/13(火) 23:31:38
悪いのはまろではない
信長のやつでおじゃるぅ〜
347日本@名無史さん:2007/02/14(水) 10:23:32
義昭なのか義元なのかどっちだ?w>>346

義昭ならなおタチ悪い。全国の大名が義昭を見捨て、義栄が将軍に既に就任するという悪条件で自分を拾ってくれた信長に逆らうんだから
領土の一片すら信長から貰ったものなのに
348○「本能寺の変、425年目の真実」:2007/02/14(水) 10:45:40
○人大杉状態を何とかするべし。自由に書き込めないぞ。

○しかし、足利義昭は最初、信長を父とも慕っていたんだろう。
それを憎み始めるんだから、余程のことがあったとしか思えない。
349日本@名無史さん:2007/02/14(水) 10:49:06
○しかし義昭は細川藤孝にまで見捨てられてるんだから
余程のうつけであったとしか思えない。
350日本@名無史さん:2007/02/14(水) 11:40:20
○しかし、足利義昭は信長に担がれた神輿として満足していればよいものを、
実力ないくせに権力を振るおうとしたんだから、余程のアフォであったとしか思えない。
351日本@名無史さん:2007/02/15(木) 07:29:40
〇しかし義昭は、信長のおかげで神輿に乗れたのに京を追い出された後も懲りずに信長討伐令…
3歩ほど歩けばみんな忘れる愉快な人だったのであろう
352日本@名無史さん:2007/02/15(木) 09:12:34
一休さんに出てくる将軍さまを見れば、足利幕府は滅んで当然ですな。
353○「本能寺の変、425年目の真実」:2007/02/15(木) 10:54:59
○人大杉状態をなんとかするべし。自由に書き込めないぞ。

○そうか?、この後の織田信長包囲網はたいしたものだったし、、、
信長に副将軍就任を頼むほど期待していたし、、、、
親衛隊を持ちたいといった姿勢に間違いは無いし、、、
無能ではなかったと思うな、、、
354日本@名無史さん:2007/02/15(木) 11:38:12
〇さあ〜。
信長副将軍の話は前に否定されて、それに対する反論も無かったっしょ?
喰い散らかした挙句に話をループさせるなら専用スレに行きなされ
355日本@名無史さん:2007/02/15(木) 16:56:16
織田信長の戦略・戦術・外交・軍備を語るスレ
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1171182342/
356日本@名無史さん:2007/02/16(金) 22:57:57
下戸の光秀めに酒を強要せねば、今頃は天下様の世だったのにな…
357日本@名無史さん:2007/02/17(土) 08:08:26
海洋国家日本を作り上げて、
世界中の海岸線の拠点を押さえてそのあがりで今頃はホクホクだったのにな。
358日本@名無史さん:2007/02/17(土) 15:29:05
敵ぎゃ〜!!
359日本@名無史さん:2007/02/17(土) 23:08:10
伊庭義明殿が信玄を倒してなければ、日本の首都は長野県になっていたかもしれませんな…
360日本@名無史さん:2007/02/18(日) 08:16:35
長野が首都の宗教国家か。
中東みたく未だに宗教信者同士でテロやりあってるのな。
361日本@名無史さん:2007/02/19(月) 15:25:28
脱脱ダム宣言
362日本@名無史さん:2007/02/22(木) 21:35:50
戦国自衛隊の原作小説は、最も信長を高く評価してる作品なのかもな。
正確には道三まで込みなんだけど、あの時代に信長が生まれなかったら
あれだけのテコ入れを行わないと天下統一は成し遂げられないってんだから。
363日本@名無史さん:2007/02/27(火) 09:53:20
延暦寺の大虐殺はイエズス会の命令だと聞いたけど
侍女は殺してないし 
364日本@名無史さん:2007/03/02(金) 13:17:34
イエズス会凄いな
365日本@名無史さん:2007/03/31(土) 15:49:28
>>216
遅レスだけど信長って京都に住んだ事ないんじゃかったっけ?
366日本@名無史さん:2007/03/31(土) 16:56:17
伴天連の植民地だったかも
大量の奴隷を火薬の代わりに売り飛ばしていたし
367日本@名無史さん:2007/03/31(土) 17:57:32
日本テレビ「世界1受けたい授業」で信長が秀吉を「サル」ではなく、
なんと呼んでいたか?という問題があるけど、正解は「はげねずみ」?
368日本@名無史さん:2007/03/31(土) 18:14:01
6本指だから「6つめ」もあるか
369日本@名無史さん:2007/03/31(土) 18:47:24
「6つめ」って「ろくつめ」?「むつめ」?
つめが6つってこと?
370日本@名無史さん:2007/03/31(土) 19:49:05
>>367
>>368
「はげねずみ」じゃないの?信長自身が書いた手紙に出てくる表現だから。
6つめは、伝聞史料しかないよね?
それに一応奇形に関することだからTVでは差別につながるとかで避けそうな気がする。

>つめが6つってこと?
秀吉が6本指ってのは、当時の史料にいくつか出てくる。(前田利家の言行を記録したものとか、イエズス会の記録)
6本指自体は、そこまで珍しいことではないらしい(1000人に1,2人レベル)が、
現代でそういう人を見かけるのが少ないのは、小さいうちに整形手術で5本指に整形することが多いから。
371日本@名無史さん:2007/03/31(土) 20:39:12
んな事よりあんな小さい馬だったってマジ?
372日本@名無史さん:2007/03/31(土) 20:47:54
日本馬は小さいよ
日本人の体格自体が小さかったしね
373日本@名無史さん:2007/04/01(日) 04:15:10
>>371
ttp://photoimg.enjoyjapan.naver.com/view/enjoybbs/viewphoto/phistory/74000/20061125116446483564717600.jpg
左は自称騎馬民族のポニー並だから置いといて、右が幕末の頃の軍用馬。
アラブ種等と比べれば小さいだろうが、蒙古馬とかわらんでしょ。
平安時代から鎌倉時代には大鎧を着て騎乗し戦っていたのだから、
さして問題にはならないでしょ。
374368:2007/04/01(日) 07:10:49
>>370 Thanks.

>>371
これは時代劇スレにもでてて、時代劇をリアルに再現すると迫力がなくなるという結論
それ以前に合戦シーンはグロすぎるだろうけど。

375日本@名無史さん:2007/04/16(月) 00:25:19
あげ
376日本@名無史さん:2007/04/22(日) 22:46:26
素人な質問で申し訳ないですが、
どうして織田信長は他国よりも多くの兵士を動員できたのでしょうか?
上洛時の武田信玄でも2万5千が最大なのに。

それと織田信長の兵士は弱かった
と本に書いてあったのですが、本当でしょうか?
(その本では織田信長は兵士が弱い分、数でカバーしたと書いてありました)

377日本@名無史さん:2007/04/22(日) 23:58:25
>どうして織田信長は他国よりも多くの兵士を動員できたのでしょうか?
>上洛時の武田信玄でも2万5千が最大なのに。
武田よりお金持ち(取れる米が多く、経済活動も盛んな地域を領地にしていたから)
当時の国別の石高などは多分判らない(国毎に米を計る枡が違ったりするので)でしょうが
江戸初期のデータを見れば、傾向は判ると思います。

>それと織田信長の兵士は弱かった
>と本に書いてあったのですが、本当でしょうか?
>(その本では織田信長は兵士が弱い分、数でカバーしたと書いてありました)
尾張兵3人と三河兵1人が同じくらいとか? 
江戸時代に徳川家が宣伝しまくったからだと思います。姉川で勝ったのは、少数の徳川家の活躍だったとか。
一般的に、貧乏な田舎育ちの兵士のほうが、豊かな都会の兵士より強いとはいつの時代も言われますけど。

当時は、指揮官の能力とかカリスマ性、戦闘の状況で軍隊の強さが変動する幅が大きいと思います。
織田家は、当時強いと評価されていた武田や上杉を破った実績もあるわけで。
「信玄・謙信死後だけど)
378376:2007/04/25(水) 00:57:58
>>377さん、お返事ありがとうございます。

織田信長辞典を読んでいます。
そこには

「信長が鉄砲隊を更新させて美濃道三の度肝を抜いたころ、
上杉謙信、武田信玄は、鉄砲は単なる臆病者の飛び道具として軽視していた」

と書いてありますが、本当でしょうか?
379日本@名無史さん:2007/04/25(水) 17:34:35
信長は女装癖があったって本当なの?!
380日本@名無史さん:2007/04/25(水) 19:44:18
>>378
軽視してたら武田・上杉に鉄砲隊なんて存在しないはず。
色んな資料読んだほうがいいよ。

>>379
女物の着物着て女踊りとかしてただけだろ。
381日本@名無史さん:2007/04/26(木) 10:41:30
信長の女装って津島の祭りに家臣と一緒に出かけて庶民と踊った時ぐらいの記録しか見たことないぞ
テレビ番組は「嘘じゃないけど本当でもない」話で煽るのが仕事だからなぁw
382日本@名無史さん:2007/04/26(木) 18:58:16
民放の歴史バラエティは話半分というかネタ番組として見るべきだよな。
383日本@名無史さん:2007/04/26(木) 21:08:56
>>379
信長が斉藤道三と対面したときは尾張一国も支配していない状態なのに、
高価な鉄砲を数多くそろえていることに驚いたんじゃないかな。
つまり、信長の経済力が道三の想像より上だった。
384日本@名無史さん:2007/04/27(金) 08:54:50
>>379
緒形直人が女装して女踊りしたシーンがある。
385日本@名無史さん:2007/04/27(金) 21:03:37
>>374
合戦シーン本物のほうが迫力あると思う。
槍も長いし、人数も遥かに多い。
馬にしても、ここで言われてるほど小さくは無い。
386日本@名無史さん:2007/04/30(月) 14:29:12
どの有名人と似ているかが分かるサービスが開始
http://news.ameba.jp/2007/04/4461.php
387日本@名無史さん:2007/04/30(月) 16:35:11
>>9
今頃だが・・・・それは小田原征伐の時の話。
誰も突っ込みいれないなんてorz
388日本@名無史さん:2007/05/01(火) 02:29:34 BE:952375878-2BP(1)
言うほどストレンジって感じがしないよな。
むしろわりとまじめな印象のほうが強い。
389日本@名無史さん:2007/05/01(火) 15:35:34
みなさんの話はためになります。
民方は半信半疑で見ることにします。
ありがとうございますた!!
390日本@名無史さん:2007/05/06(日) 08:41:19
信長の文書は多く残っているけど藤原を名乗っているのは最初の1回だけ。
送った相手が加藤氏だったので後になってマズイと思ったのだろうね。
391376:2007/05/07(月) 00:05:38
戦国時代のことを色々調べています。
当時の日本は、世界各国と比べ多くの書物が残っている
と思ったのですが、どうなのでしょうか?

同時代の出来事(戦争など)に対し
具体的な日付まで分かるのは
凄いと思うのですが。

これは日本以外でも同じでしょうか?
392日本@名無史さん:2007/05/07(月) 00:44:36
>>391
別に世界と比べて特に多いというわけではないと思うけど。

滅んじゃった大名家関係の記録は失われていて、系図とか家臣の詳しい構成なんかは判らない場合もある。
あと下克上で成立した家もそう。
江戸時代あたりに、先祖の宣伝のためいろいろ書いていても、裏付けがあるのかというと・・・。
信長だって、爺さんあたりまではなんとか名前程度はわかるけど、それ以前のことなんてほとんど判らない。

393日本@名無史さん:2007/05/08(火) 07:29:05
>>392
世界のどの地域かとか、纏められた「書物」でとなるとだが、
同時代であれば、当時の書簡とかは結構残っている方じゃない?
織田、豊臣、徳川はもとより、後北条氏の現存する書簡ほど、
同時代の明代の書簡が現存しているようにも思えないし。
394日本@名無史さん:2007/05/08(火) 21:23:23
>>393
残っている書物は、その地域で何が重要だったかによると思う。

日本だと、土地関係や、戦功に関する文書は結構残っていると思うけど
裁判で代々自分の家が所有しているって証拠になったり、家の格を表すものだから

貴族でもないと系図はあいまいだったりするでしょ。
徳川も織田も家康や信長以前に遡って信頼性がある系図はない。
Aの系図とBの系図で内容が違ったり。
北条氏もそうですね、氏政の兄弟と言われていた氏光とか氏尭あたりは違うという説もある。
つまり大名の身近な一族でも、はっきりした記録を残していない。

中国なんかだと、直系子孫でなくても、孔子以来の系図とか持ってたりするわけで。

江戸時代になると、識字率が高くなって、地方の庄屋あたりでも記録が残ってたりするので
他国とくらべると残っている史料が多くなるかもしれない。
395日本@名無史さん:2007/05/27(日) 23:38:29
安土城が灰燼に帰したのはつくづく惜しいね
396日本@名無史さん:2007/06/04(月) 16:44:35
>>394
>>394
儒教圏の系図も怪しい物だと思うが。
王朝交代のある中国で、歴世保護された存在としての孔家は、
日本で言えば、宗教と言う支えのある出雲国造家とか、
それこそ天皇家とかの範疇に入る物だろうし。
諸葛亮の子孫村(wが発見されたりしてるが、中国において系図も含めて、
日本より「こうあれかし」で作成され、総意が了だと異論が挟めなくなる国である。
朝鮮はもっと酷いが。
>徳川も織田も家康や信長以前に遡って信頼性がある系図
これとて朱元璋や呉三桂以前に朱家や呉家を遡ってとなると比べてどう思う?
それと後北条家に中国史で対応するとなれば、明の大官クラスや封建された王で比べるべきかと。
弱小の大名と対応させるならこれは山西省の歴代太守あたりか?

それと戦国時代では印判が使われて文書の発給量が増えると、
安堵状、感状(印判が使われた後も書判=花押が多い)だけでなく、
郷村や町方に対しての禁制(制礼)、軍役などの様々な役を課した書状、
逆に役を免した書状、武士への給付通知なんかの行政書が結構現存していると記憶している。
これは当然、当時の統治の状況等を知るのに役立つ一次資料。

確か、織田政権から発給され現存している書状は、上記のような郷村宛の行政書簡だけでなく、
ねねへの手紙や起請文みたいなのも含めて、900通を超えていたと思う。
後北条も五代で千通を超える書状が現存していた筈。
印判状が普及しなかった西国や弱小大名では苦しいが。
397日本@名無史さん:2007/06/08(金) 03:29:10
【織田信長は悪人扱いされすぎ】
あの時代の坊主(主に一揆)って武装して大名に媚を売り平気でレイプやら殺人 略奪を繰り返した
わけで!むしろ罪もない平和な外国に侵略して国を戦争カオス状態にし3万から10万人を鼻そぎし虐殺し内戦を引き起こた
秀吉のが悪人
ブッシュ並みの悪人だ!
俺は最近の秀吉がまるで善人みたいに描かれているのが気に食わん!
秀吉の大河うざい!
後徳川家康も凄い悪人だ!250年も部落身分固定して何十万人も苦しめたり日本の歴史の中で一番重い刑罰を市民に科した悪人
大体信長はこの2人程悪人ではない
ただ戦争でほかの大名より多く
の悪い僧を殺しただけなのだ
398日本@名無史さん:2007/06/13(水) 19:08:06
企画展 城からのぞむ 尾張の戦国時代
http://www.museum.city.nagoya.jp/tenji0616.html

有名な信長画像が名古屋市博物館において 6月16日(土)→6月24日(日)まで展示予定されるようです。
(6月27日(水)→7月16日(月・祝)は複製を展示)

本日の中日新聞朝刊 市民版に詳細が掲載されてました。
この信長画像、門外不出で滅多にお目にかかれるものではないらしいです。
399日本@名無史さん:2007/06/15(金) 22:59:49
>>394
【中韓】韓国の孔子の子孫3万4000人、「孔子家譜」に収録[06/15]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1181897965/l50

元ソース
聯合ニュース http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2007/06/15/0200000000AJP20070615002600882.HTML

( ´o`)y-~~
400日本@名無史さん:2007/06/23(土) 08:56:41
現代の織田信長は石原慎太郎。
国家の織田信長は小泉純一郎。
昭和の織田信長は濱口雄幸。
アメリカの織田信長はブッシュJr。
イギリスの織田信長はブレア。
フランスの織田信長はサルコジ。
信濃の織田信長は田中康夫。
福島の織田信長は佐藤栄佐久。
宮崎の織田信長は安藤ただひろ。
政治で織田信長をした人はたくさんいる。むしろ俳優より似合っている。

俳優では、渡哲也が最高。史事に近いのは緒形直人。
帰蝶は田中真紀子か、片山さつきか、高市早苗が合う。
竹中や井上準之介は何が合う?
401日本@名無史さん:2007/07/04(水) 17:27:58
コピペ乙
402日本@名無史さん:2007/07/28(土) 06:50:17
>>400の誰かも末裔とともに逮捕され、竹中も逮捕なら祭りだったのに。まさしく現代の本能寺の変に。
403日本@名無史さん:2007/07/28(土) 21:51:30
織田信長の子孫が書類送検
404日本@名無史さん:2007/07/29(日) 00:04:11
あのひと、ほんとに子孫なの?
405日本@名無史さん:2007/07/29(日) 00:07:43
>>404
信長の子孫というよりも、信雄の子孫ジャマイカ?wwww
406日本@名無史さん:2007/07/29(日) 00:24:38
有楽の流れよりかは美しき流れ
407名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 01:31:49
信雄の子孫じゃないよ。
確か信吉の傍流。
408名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 05:26:40
信高の家系だけど途絶えるから信雄のところから養子もらって…って感じじゃなかったっけ
本当のところは信憑性危ういらしいけど
409日本@名無史さん:2007/08/02(木) 20:33:47
十河存保も信長に降ったから、阿波や讃岐まで織田の勢力下ということになるな
410日本@名無史さん:2007/08/07(火) 15:37:42

本能寺に強固な石垣あった…「信長無防備説」覆す発見続々

戦国武将、織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」(1582年)
で焼けたとみられる大量の瓦や、寺の堀跡、石垣などが京都市中京区の旧本能寺跡で見つかった。
本能寺の変を巡る遺物、遺構が発見されたのは初めてで、
発掘した民間調査機関「関西文化財調査会」は「史実を裏付ける貴重な発見」としている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070807-00000505-yom-soci
411日本@名無史さん:2007/08/07(火) 21:17:05
>>410
織田信長の骨、発見されたら面白いことになる!
412日本@名無史さん:2007/08/07(火) 21:52:13
>>411
仮に骨が発見されたとしても、信長と判明するようなものってないんじゃない?
413日本@名無史さん:2007/08/07(火) 22:05:33
本能寺の瓦、ヤフオクに出たらどのくらいするかな
414日本@名無史さん:2007/08/08(水) 08:04:09
織田信長に寵愛された小姓・万見仙千代と
信忠の寵童だった美少年・万見仙千代とは
どういう関係なのでしょうか?
415日本@名無史さん:2007/08/09(木) 00:39:48
>>412
織田信成くんのDNAと照合する
416日本@名無史さん:2007/08/12(日) 06:30:45
>>413
ある意味、本能寺の瓦は明智光秀の子孫の細川元総理にやるべき。

司馬遼太郎原作物で石原慎太郎の信長を見てみたい。
現実の政治でも日本人で一番ふさわしいし。
417日本@名無史さん:2007/08/12(日) 10:00:06
>>416
あー、、確かに細川さんは明智光秀の子孫だねw
418日本@名無史さん:2007/09/18(火) 09:57:57
今日のテレビで信長には黒人の家臣がいた。ってやるみたいだけどマジすか?
詳しいかた教えてくだせい
419日本@名無史さん:2007/09/18(火) 18:56:41
>>418
弥助は有名だろ
420日本@名無史さん:2007/09/19(水) 06:19:25
弥助って宣教師だったか?奴隷だと思ったんだけどな。

当時、黒人の宣教師なんかいたのかな。
421日本@名無史さん:2007/09/19(水) 06:26:14
イエズス会のヴァリニャーノからの献上品です。
422日本@名無史さん:2007/09/19(水) 06:37:03
信長の死後に生け捕りにされたが、
光秀に「人に非ず」という理由で縄を解かれて放置プレー。
その後の消息は不明。
たぶん宣教師に引き取られて奴隷に戻ったと思われるw
423日本@名無史さん:2007/09/19(水) 07:50:24
弥助が元宣教師って説はこれまでにもあった?
俺が知らなかっただけなんだろうか。
424日本@名無史さん:2007/09/19(水) 10:24:42
>>423
ないな。
宣教師のつれてた奴隷だろ。
同じ宣教師を「献上」はしないよ。
425日本@名無史さん:2007/09/20(木) 14:15:54
光秀に捕らえられてからインドだかに送られたんじゃなかったっけ?
426日本@名無史さん:2007/09/20(木) 17:54:01
>>425
本能寺の変のときに光秀軍につかまったが、
光秀が見逃して、海外へ追放したというのが正しいかな。
427日本@名無史さん:2007/09/22(土) 01:02:53
>>426
わざわざ海外追放しなくても、京都にいた宣教師に返還すれば、それでお終い

あるいは、自分で宣教師の元へ帰ったか
428日本@名無史さん:2007/09/22(土) 18:58:35
奴隷扱いされるんだから戻らないだろ。
ところでさ、信長って人種差別しなかったんだな。光秀はしたんだな。
信長は極悪人だけど、このてんだけは認める。
429日本@名無史さん:2007/09/22(土) 19:21:34
>>428
それ以前に歴史を善悪で捉えるところが、儒教バリバリ朝鮮風味。
430日本@名無史さん:2007/09/22(土) 20:24:08
と、朝鮮の将軍そっくりな信長を崇拝する馬鹿が熱弁されております
431日本@名無史さん:2007/09/22(土) 21:15:36
>>429
そうか、拉致問題も既に「歴史」としてとらえ、
善悪で語るなというのが信長厨の思想だったのか。
432日本@名無史さん:2007/09/22(土) 21:56:02
信長の長男とされる信正って史実では存在しないんだよね?
433日本@名無史さん:2007/09/22(土) 23:35:16
>>431
ここまで酷い知能しか持たない人間がいたのか。
16世紀の事柄と、現在進行形の政治問題がいっしょかい。
マジでもう一度、学校に行きなおせ。
434日本@名無史さん:2007/09/23(日) 21:59:09
歴史は断絶することなく続いているんだから、
信長もジョンイルも五十歩百歩だな。
435日本@名無史さん:2007/09/24(月) 01:05:07
>>432
信正はいたらしいぞ。
尾張のどこかの小さな城の城主をやってて、本能寺後、出家。
436日本@名無史さん:2007/09/24(月) 01:57:11
信正は江戸末期に創作された人物
信正のことが書かれた資料は系図纂要、好古類纂であるが
これらは江戸末期、明治に書かれたもので信頼性はかなり低い

それ以前に書かれた資料に信正は一切登場しない
膨大な数の書物があるにも関わらず
437日本@名無史さん:2007/09/24(月) 16:34:26
>>436
原田直政の妹の子で、織田信広の娘を娶った、、とどこかのスレで見た

ちなみに、信長にも実在か怪しまれる長兄・信常がいる

当主が正式に結婚する前に生まれた子は日陰者扱いというような風習があったんじゃないの?

結婚後に側室から生まれた子は、庶子として認知とか
438日本@名無史さん:2007/09/24(月) 17:20:58
>>437
一応、信正は正室を娶ってからの子供だから。
439438:2007/09/24(月) 17:23:20
しまった途中で送信してしまった。

信正が正室を娶る前だから日陰者になったって訳じゃなく、
正室を娶った後に生まれたとされているのに、記録がない事を見ても、
信長の子供というのは創作だろうということ。

墓もあるし、それなりに織田家周辺の出生の可能性はあるかもしれないがな。
信長の庶長子というのは、江戸末期の創作だろう。
440日本@名無史さん:2007/09/24(月) 22:14:52
安土桃山、江戸前期の書物には織田信正の名は一切出てこないのよね
織田家の公式の資料にもでてこないし
信長の子どころか織田弾正忠家とは別系統の織田家の可能性が高い

織田信広の娘を娶り婿養子となり古渡城主になったことから
それなりに優遇されてたのは確かだが
もしかしたら織田氏でもなく信広の婿養子になった事で織田信正と名乗ったのかもしれない
441日本@名無史さん:2007/09/25(火) 21:14:13
へえ、なるほどね、サンクスです。
信長の長男にしては扱いが小さすぎるなとは思ってた。
墓があって、実在は間違いないんだね。

以前、どこかのスレで信正が話題になったときは、信長の子かどうか疑惑があったから、
武将として取り立てられなかったみたいな意見が出てた。

もうひとつ質問していいかな?
織田家には、『織田』のほかに『津田』という裏姓があって、
おい・信澄などは津田信澄と改名させられたみたいだけど、
子ではない信正が織田姓を許されたのは、なぜかな?
442日本@名無史さん:2007/09/25(火) 22:58:35
>>441
横レスだけど、織田信長の近親者だけに織田姓を限定して、残りの織田一族が津田姓(徳川家の徳川と松平姓の関係のような)という
かたちじゃないと思う。

信長の家と別の家系(元々守護代家の三人の重臣の家柄として同格だった)の出身と思われる、織田信張って人物が
ちょうど本能寺の変のときに雑賀攻めの指揮官をやっている。
織田家中の序列としては、津田信澄より下だろうけど織田姓を使っている。

だから織田信正という名前だけで織田家でそれなりの地位にいたとはいえないと思う。
>>440のいうように、もし織田信広の家を継いだのなら織田一族の出身じゃなくても織田姓を名乗るのは自然だし。


443日本@名無史さん:2007/09/26(水) 18:53:40
>>442
サンクスです。
一応、納得したよ。
444日本@名無史さん:2007/09/27(木) 00:45:38
ウグイスが鳴くまで
殴るのをやめない
445日本@名無史さん:2007/09/27(木) 01:14:33
俺、信長って、心はオニャノコだったと思うんだぜ。
446日本@名無史さん:2007/10/10(水) 10:31:14
447日本@名無史さん:2007/10/10(水) 11:47:13
【政治】政府、"お金をつくる"造幣局や印刷局など独立法人20以上を民営化へ−機密性の保持も絡み様々な意見も★


http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1191932873/

【民営化】造幣局・印刷局など、独立行政法人20以上を民営化へ:政府方針 [07/10/07]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1191727281/


政府は6日、現在進めている独立行政法人(独法)の整理合理化に関連し、
101ある独法のうち、予算に占める国からの財政支出の割合(財政依存度)が低い
20法人以上の民営化を目指す方針を固めた。

2007年末に整理合理化計画を策定し、閣議決定する予定だ。
民営化の対象には、造幣局や国立印刷局、日本万国博覧会記念機構などがあがっている。
今後、独法の民営化推進を目指す渡辺行政改革相らの方針に対し、
事業の公共性の高さなどを主張する関係省庁の巻き返しが本格化しそうだ。

貨幣や紙幣を造る造幣局や国立印刷局については、機密性の保持なども絡み、
是非をめぐって様々な意見が出そうだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071007-00000002-yom-pol
448日本@名無史さん:2007/10/17(水) 20:48:57
反日本親朝鮮の記事捏造アサヒる新聞は日本から出て行け。
449日本@名無史さん:2007/10/29(月) 18:36:22
信長に勝てば無限RUSH
450日本@名無史さん:2007/11/07(水) 23:04:29
オカルト板に織田信長時代の生まれ変わりの人が、前世の話をしてるよ
すごいひそかに歴御多様涎垂の良スレ

ヒント:オカ板
検索ワード:415
451日本@名無史さん:2007/11/08(木) 01:37:45
↑そういうのはスレタイやURLぐらい貼れ
452日本@名無史さん:2007/11/08(木) 06:28:20
だな
453日本@名無史さん:2007/11/08(木) 17:42:36
>>450
すげーおもしろい
一気に読んだ
小出しなんで早く続きを書けと思うんだが。
とりあえずお前ら、目の前の箱は何のためにある
ぐぐる価値はある
454日本@名無史さん:2007/11/09(金) 10:53:22
前世の記憶が蘇った男が語る本能寺の変の真実

【夢】>>415の話をまったり待つスレ【前世】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/occult/1186729847/
455日本@名無史さん:2007/11/12(月) 12:18:02
信長の当初の政権構想とはどのようなものだったのでしょうか?
「傀儡とする足利将軍の名の下、婚姻関係を結ぶ徳川家、浅井家を両腕として諸国を平定する」という説を聞いたことがあります。
ですがこれでは室町幕府のリニューアルぐらいにしか思えず、それほどの革新性は見受けられません。

それとも、「信長は当初から壮大な企図のもと、近世的な絶対王政を構想していた」というのは最近の小説やゲームで植えつけられたイメージで、当初はもっと保守的な考えだったのでしょうか?
456日本@名無史さん:2007/11/12(月) 16:54:33
足利義昭は京都を追放されている、
信長は義昭の副将軍就任も断って
天皇から直接右大臣に任じられているから、
天皇を傀儡とする政権の下ではあっても
足利将軍を戴く気はさらさらなかったのでしょう。
徳川、浅井は姻戚ですが、それほど重視したとも思えません。
信長の姻戚には武田家や前田家もありますが、
特に直臣の部下より姻戚を重んじたと言うこともなさそうです。
457日本@名無史さん:2007/11/12(月) 20:50:43
構想なんてない。ただ自分の勢力圏を広げたかっただけ。
458日本@名無史さん:2007/11/16(金) 19:17:17
信忠公が本能寺で健在だったら秀吉はどうなった?
459_:2007/11/17(土) 19:56:54
最近はやりの日本人=ヘブライ人だとすると、
信長の行動は単なるうつけではないことになりますね。

熱田神宮で草薙の剣に舞を奉納して今川義元を討伐。
偶像崇拝をことごとく嫌い、お地蔵さんを建物の基礎に使う。
仏教徒と激しく対立し、延暦寺を焼いたが、神社を焼いた記録が無い。

織田家は藤原氏、忌部氏につらなり熱田神宮とも深い関係だったとすると。
天皇を倒してっていう発想は生まれないはず。
460日本@名無史さん:2007/11/18(日) 01:46:08
そういえば織田家は勤皇の家柄だと聞いた事があったが、国家神道に対して寛容なのも天皇の即位式費用を全額負担したりするのもそういう理由かw
461日本@名無史さん:2007/11/20(火) 14:35:03
信長は明智に惟任姓、丹羽に惟住姓、簗田に別喜姓、塙に原田姓と九州の名族の姓を家臣に与えたけど、東北や関東の名族を姓を与えたことってあります?
462日本@名無史さん:2007/11/28(水) 22:55:51
ないんじゃないの。
あれば、滝川一益あたりが姓を変えている可能性がある。
ただ、上杉家や結城家、宇都宮家がまだ残っているので、なんともいえないが。
北日本だと、伊達家がいるから難しいのでは。
伊達家以外にも相馬家や佐竹家、大崎家が残っているのでなんともいえません。
あやしいのは、清原家、安倍家、坂田家など、昔の武勇伝が残る家ばかり。


463日本@名無史さん:2007/11/29(木) 01:37:58
最初は親朝廷だったろうけど、途中からは違うのじゃないかな。
馬そろえあたりの今の解釈はどうなってるの?
どうみても軍事パレ〜ドなんだけど、天皇を喜ばすため、なんて全然逆の解釈を唱える人もいるところが
面白い。
オ〜ギマチさんの退位をせまったり変の直前はかなりの緊張状態にあったんだろうな。

そこから朝廷黒幕説みたいなのが出て来てるのだろうけど、実際際どいタイミングで変が起きたもんだ。

東北ってのは名族ってイメージがないな、あんまり。
信長の支配もほとんど及んでなかったろうし。
464日本@名無史さん:2007/12/01(土) 12:56:55
ああ、やっぱりないですか。
よくものの本に「九州討伐を視野に入れていたので、九州の名族の姓を与えた」というようなことが書かれているが、じゃあ東北地方はどうなの?という疑問があったものですから。
精々、信忠の秋田城介くらいかな?
465日本@名無史さん:2007/12/11(火) 18:25:35
信長って自閉症という話があるよね。
爺の平手政秀の葬式の時に灰を投げつけただとか、
奇行が多かっただとか・・・
466日本@名無史さん:2007/12/12(水) 17:22:05
爺じゃなくて自分の親の葬儀の時と伝えられてるけどね。
今の病理の感覚で昔の人を判断するのはあまり良いこととは思わないな。
467日本@名無史さん:2007/12/17(月) 04:06:14
父の葬式での一件は、跡取りがうつけでもうだめだ…
って言う家臣達に対するある種の示威だったんじゃないかな?

楽市楽座
関所の廃止
政教分離(ヨーロッパより100年早い)
長篠の戦(あの時代であれ程の規模で鉄砲を駆使した戦は世界史上でもない)

経済観念とかも含め、彼の先見性はすごい。
468日本@名無史さん:2007/12/20(木) 00:16:11
研究が進んでそういうイメージの信長ではなかった、というようになってるけどね。
特にナガシノの3段打ちなんて否定されてるし、信長の経済政策なんてほとんどないようなものだものね。
469日本@名無史さん:2007/12/22(土) 02:48:40
どんだけ
470日本@名無史さん:2007/12/22(土) 07:00:47
>>468
大部分は親父や道三の経済政策を受け継いだだけだからね。
471日本@名無史さん:2007/12/22(土) 08:53:27
>>470
親父と道三の経済政策って学問的に解明されているのか?
特に道三。
信長の経済政策がある程度判明しているのは、織田家から発給された文書が相当残っているからでしょ?

それと、三段撃ちは、個人的には三段に分ける意味はないわなあとは思うが、
それを「懐疑」でなく「否定」する場合には、同時代の文献が必要なんでは?
信長が出した指令書(口頭で済むからそんなものはないだろうが)、
織田方の将の日記かなにか、武田方の記録とかが発見され、
史料批判を経てでなければ、問答無用で「否定」は出来ないような。
472日本@名無史さん:2007/12/22(土) 10:46:59
>>471
名和さんの実地検証なんかが最近の根拠なんでしょ。
それに後ろで待ってる人の暴発とかのリスク考えたら、やっぱり机上の理論ではあったと思う。
あと、騎馬隊もいなかった、というのが定説になってきてるから3段うちの必要もない、とかね。

信長の経済政策ってのはまだ領土拡大中だから完成された統治国に対する観点から
判断すべきではないよね。
いかに既存の勢力の利益をそぐか、そういう面から考慮しないと、中途半端、政策というべきものではない
とかおかしな方にいってしまう。
473にゃんこ:2007/12/24(月) 22:56:11
信長は、革命児はないし、歴史を変えたのではなくて、歴史に乗った人。勝ち残る
ための工夫や下々からの陳情に応えていたら、結果的に歴史の流れに乗った。

正しくは、「戦国大名総集編が信長。近世大名は秀吉から。」

政教分離も△。一向一揆が「政府」にどんな口出しをした?
これも、土地利権を巡る争い。他の大名との争いとの違いは、制度の違い。
放っておいたら、一向一揆は、一種の荘園制度を築いてしまう。これでは、
武士階級の利益と必然的にぶつかる。戦略的な事情から一時的な和睦はあり得ても
長期的には、戦う必要がある。本願寺が「荘園」を放棄するまでは。

474日本@名無史さん:2007/12/25(火) 00:07:04
>>473
戦国大名の集大成みたいな形で、日本が統一できたら、相当面白かったんじゃないかと思うんだ。
後出しだから「秀吉が近世」とか言われるけど、体制については必ずしも、後から出来たものが
優れているとは限らないよ。
475日本@名無史さん:2007/12/25(火) 01:17:01
>>474
もちろん信長が優れてたわけでもないけどね
476日本@名無史さん:2007/12/25(火) 07:15:07
>>473
山室恭子氏の説ってどうなんだろう。
自分的には納得できる物だったが。
東日本、特に後北条で始まったと思われる大名権力の集権化の流れが、
信長によって加速したと言うもの。
477にゃんこ:2007/12/25(火) 21:01:11
474>

にゃんこは、秀吉と信長の政策の新旧を論じていますが、優劣など論じて
いませんよ。
そもそも政策の優劣なんて、先に「誰にとってか」「短期的か長期的か」等、
先に明示しないと無意味ですよ。
478日本@名無史さん:2007/12/26(水) 12:34:30
秀吉がなぜ天下を取ったかって意外と不思議に思わない人多い ?
 男子たくさんいたのにって私は思っていた 三男は無念腹で死んだんだぁ

 成〜 はお父さんの仕事の関係か知らないけど、なんで織田家を滅ぼした秀吉の本拠の
大坂に住んでんだろってふと思った  なぜか一位になれないのはもしかしてぇ〜  \(゜ロ\)(/ロ゜)/
479日本@名無史さん:2007/12/26(水) 12:42:41
続き というか、子孫がいるというのもびっくりしたけど・・・

 徳川、伊達 の子孫さんも健在なんだね  豊臣は勝手なわたいの想像だけど、自分の血のつながった身うち
みんな自分の功名に使っちゃったから、結局子孫が途絶えちゃっつたのかな ?
わかんないけど でも自分の祖先のことも全然知らないもんなぁ
480日本@名無史さん:2007/12/26(水) 14:34:23
豊臣氏は江戸時代にも残っていたよ。
とはいっても、秀吉の正室ねねの兄の家系だけどね。
秀吉の直系は残らなかったが、
一番近いところでは秀吉の姉の家系があるのみか。
もっとも女系だけどね。
秀吉の甥の娘が摂関家の九条家に嫁にいって
女系のみが残っている。
481日本@名無史さん:2007/12/26(水) 15:39:23
信成はいつ出所すんの?
482日本@名無史さん:2007/12/27(木) 11:29:14
信成は 高槻くらいの(行ったことないけど) 駅ならタクシーいてるでしょー

 ケチらんとタク 使っていたら、運転手さんにも利益になるし、また、こんな目にもあっていなかったろーに

 やゃゃゃ やっぱー  \(゜ロ\)(/ロ゜)/  †〓 ★ 〜 !!!
483日本@名無史さん:2007/12/27(木) 12:33:18
484日本@名無史さん:2007/12/27(木) 19:29:44
★★小泉純一郎と安倍晋三は朝鮮人★★
コピペして各板に貼り付けよう 知人にも話そう
小泉純一郎 
・戦前大臣を務めた祖父小泉又次郎は純粋な日本人とされる。だが、純一郎の帰化朝鮮人である父が鮫島姓を買い取り
 又次郎の娘をたぶらかして婿として小泉家に入る そこで小泉家は帰化朝鮮人である純一郎の父に乗っ取られた
 参照http://    上下くっつけて
  ja.wikipedia.org
  /wiki/%E5%B0%8F
  %E6%B3%89%E7%B4
  %94%E4%B9%9F
・父親の純也は、鹿児島東加世田の朝鮮部落の出身者といわれる 日大卒業名簿には、純也の日本名はなく、
 見知らぬ朝鮮名が書かれているという  
 純也は朝鮮人の帰国事業、地上の楽園計画の初代会長であった
・結婚後、子供をもうけ即離婚した宮本佳代子は在日企業エスエス製薬創業者の孫
・小泉の元秘書官の名前は飯島勲←注目 帰化朝鮮人
・派閥のドン森喜朗も生粋の朝鮮人 ←森も帰化人がよく使う通名
・小泉は、横須賀のヤクザ、稲川会と関係が深い
安倍晋三
・岸家 毛利元就が陶晴賢と厳島沖で戦い大勝を収めた際、寝返って毛利方についた船の
 調達人が「ガン」と称する帰化人であったという 毛利はその功績によって「ガン」を
 田布施周辺の代官に召したてた このガンを岸家の先祖とする説がある
・祖父岸信介が文鮮明と共に 反共団体 国際勝共連合(統一教会)を設立
・官房長官時代統一教会「合同結婚式」に祝電を送り、話題に
・安倍のスポンサーは、下関の朝鮮人パチンコ業者である
・グリコ森永事件時、明らかになった帰化朝鮮人企業森永のご令嬢と結婚
・そのわが国のファーストレディーは電通(会長成田豊、半島生まれの帰化人)勤務という分かりやすい
 経歴の持ち主の朝鮮の血筋
・韓国、中国の留学生に日本の企業に入ってもらうために住居費分、学費免除分、生活費など月計20万〜30万円相当の支給
 日本人のワーキングプア層を全く省みない また帰化系在日系朝鮮人が日本の企業で技術を盗み、半島の現代などの企業に
 伝授していることが深刻な問題になっている 
・多くの朝鮮人が差別を主張し、警察、原発、自衛隊で職を得ている
485日本@名無史さん:2008/01/05(土) 12:43:04
>>454
本能寺の変の真実…の更に真実

霊感霊媒体質霊魂@王様の耳はロバの耳.co.jp
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/occult/1196592612/
486日本@名無史さん:2008/01/13(日) 22:26:53
>>485
戦国時代の武将「小野木重勝」として生きた記憶を夢に見た415が、
2chオカ板の前世スレで、細々と自分の夢を語る所から、物語は始まった・・・

【戦国・前世】415・お市総合【日月・ひふみ】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/occult/1200010173/

なにがガチでどれがネタなのか?
おまいらにはこの世界に渦巻く嘘と真実を見抜くことができるか!
487日本@名無史さん:2008/01/14(月) 16:23:08
>>486
こんなの本気にしてる人がいるのかよ。
ネタとしては面白いけど。
488日本@名無史さん:2008/01/19(土) 15:09:08
面白いのに恥ずかしいキャッチコピーつけるからこういうことになる
489現代に顕われた織田信長の霊:2008/02/02(土) 12:15:23
http://www14.atwiki.jp/415mattari/
篩いの目は日毎、確実に大きくなっている。私から民衆に知らせられるのも、この形が精一杯。
今の世界に蔓延する仕掛けをあらゆる論争の中に仕込んだ。皆々御苦労であった。全て保存しなさい。
小さな一言にも意味がこもっている。各自で読み解いてもらうしかない。
私はミノオワリの魂。ミノオワリは美濃尾張ではない。
言霊を読み解きなさい。一人でも多く。この者はイチリンの仕組。

皆よく聞きなさい。この星は自浄作用に動き出し始めている。
風邪もひき始めならば軽い養生で治せるが、病状が進むとどうなるか考えてみなさい。
発熱や悪寒はなぜ出るのか考えてみなさい。
無駄に恐れおののいている場合ではない。もう目を覚ましなさい。次元上昇などと寝ぼけたことを言っている場合ではない。
人が思っているような神など存在しない。よく現実に目を向けて、人間としてできる事をいますぐ実行しなさい。
祝詞だ祈りだ瞑想だと非現実的な事ばかりに目を向けるのはもう止めなさい。

現実に今を生きて動いて、とにかく有効手段として自然環境を蘇らせるしか道が無い事に気付きなさい。
人間が自然にしたことが人間に返ってくるだけなのだから、天変地異などと呼んで自分ばかり生き残りたがっている場合ではないぞ。
人間が人間の為だけにした事によって、人間以外の獣、草木、虫達、みんな道連れになるのだぞ。

不思議ぶったまやかしの霊的世界から離れなさい。
神はお前達が思っているような霊的存在ではない。神と呼ぶものは生命の摂理、自然や宇宙の法則そのものを指す。
人が思っているような神は霊、それも大半はまともではない霊だ。今降りている神示も殆どまやかし。マコトは一部だぞ。
火水、艮はマコト。だが艮の器はおかげをおとしたぞ。ハナサクモノは偽物だぞ。日月地は鏡だぞ。片方は虚、うつし間違えるなよ。
私は神霊の一人。クニトコタチ、スサナルの直下、アマカケルタケイサオ。人であった最後の名は織田信長。
人が幻想を抱いてきた、無い神も無い霊も本当に無くなる時がやってきた。
490日本@名無史さん:2008/02/03(日) 03:30:09
藤原利仁流じゃなく忌部氏流。
491日本@名無史さん:2008/03/03(月) 17:58:24
「本能寺の変」舞台で新説 信長の宿泊場所、実は小規模御殿
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/e20080303002.html
旧本能寺遺構確認 無防備信長、深まる謎 圧倒的兵力差、すぐ決着
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/e20080303008.html
492日本@名無史さん:2008/03/03(月) 21:39:55 BE:920668984-2BP(0)
この人って本能寺で森蘭丸とホモってる隙を突かれて明智光秀に焼かれたんでしょ
493日本@名無史さん:2008/03/04(火) 05:14:17
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B9%E3%82%B1
ヤスケ(やすけ、彌介、生没年不詳、16世紀後半)は、織田信長の家臣の一人で、
現在のモザンビークあたりを出身とする黒色人種の男性であったと言われている。モザンビークの王子であったとする説もある。
元々は宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノに仕える奴隷であったと言われている。天正9年(1581年)、
ヴァリニャーノが信長に謁見した際に連れられていたのが信長の目にとまった。
信長は最初、肌の黒さが信じられず、彼が身体に何か塗っているのかと思い、2月の寒空の下でたらいに入れて
家来に体を念入りに洗わせた。しかし、肌が黒いままなので、肌の色の黒い人種がいることを理解した。
信長は興味を持ちヴァリニャーノへ要望して献上させ、そのまま直臣になったと伝えられている。
年齢は26・7歳、身長は6尺2分(約182.4cm)であったという。一説によれば、ヤスケは宣教師の奴隷のときには
人間扱いされていなかったが、信長は彼を「ヤスケ」と名づけ、武士の身分を与えて家臣とし衣食住不自由がないように取り計らわれた。
ヤスケはこの信長の対応に大いに感謝し、忠実に仕えたと言われる。
本能寺の変では、明智光秀の兵と戦い多くの敵を倒したとしている。最終的に陥落直前に信長から脱出するよう命じられたと言われる。
また、織田信忠が二条御所で奮戦した際、ヤスケも戦ったという。
その後、明智の手勢に捕まったが、光秀はヤスケを「人間ではない」として殺さず、「インドのバテレンのもとに送れ」と命じ、
そのまま放逐したという。その後の消息は不明である。
494日本@名無史さん:2008/04/01(火) 09:08:29
死ぬ前に辞めること試して下さい。
人によってはいきなり死ぬからねぇ
495ショーケン:2008/04/03(木) 16:30:41
明智光秀が謀反を起こしたのは、@武田攻めでの御折檻A徳川様接待不首尾のお叱りB近江坂本、丹波領地を召し上げ、出雲・石見を切り取れとの冷たきご沙汰!C丹波で、足の不自由な母を見殺しにした罪!など、語り尽くせぬ恨みあれども!
496日本@名無史さん:2008/04/03(木) 16:52:46
信長が森蘭丸を掘っている現場を偶然目撃してしまい、
そこを信長に気づかれて、思いっきり睨まれたので
もう殺らなければこっちが殺されると思ったんだろ。
497日本@名無史さん:2008/04/04(金) 17:00:33
これは!決して私心にあらず!天下国家のため!織田!信長を討ち取ることこそ!天の道!




デアルカ光秀ぇ!



そうじゃ!“貴様”の首じゃあああ!
498日本@名無史さん:2008/04/22(火) 23:23:27
地下家伝を買って眺めていたら、織田信長子孫を称する家が有った。
院雑色を務めた橘姓原田家の祖平重勝に織田平信長公男と註釈が有。
天文廿三年生まれで正保四年没となっており、これは信長庶長子と
される織田信正とまったく同じ。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E6%AD%A3
wikiの記載を信じるなら、誕生日も同じ、諱も同じで平重勝は村井姓
も名のっており、経歴は全く違うけれども同一人物ではないでしょうか。
或いは原田家の祖先伝承を基に創作されたのが織田信正なのかも。
499日本@名無史さん:2008/05/01(木) 17:07:29
桶狭間の戦いでは「小国の織田家」対「大国の今川家」という構図が
通説だと思いますが、実際は石高を見ると織田家50万石、今川家80万石で、
織田家は言われているほどの劣勢ではなかった、という話を
どこかの本で読んだのですが、実際はどうだったのでしょうか?

織田家は劣勢でなかった、とすると今川は2〜3万の軍勢で
織田家と戦おうとした理由が分かる気がします。
500日本@名無史さん:2008/05/04(日) 13:26:11
☆★☆415・お市騒動(゚Д゚)関連スレ・サイト☆★☆

【戦国・前世】415・お市総合【日月・ひふみ】パート6
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/occult/1209352329/l50
 ミノムシと蟲一家・懐疑派・アンチ派によるお市バッシングスレ(ミノムシ曰く「検証スレ」)
 「415=お市。お市は怒りと恨みに取り付かれた多重人格障害者 妄想癖有」

【戦国前世】建勲&お市肯定・中立派【織田信長】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/occult/1209292928/l50
 肯定派・中立派によるお市考察と関連話題のマターリ雑談スレ(自然生活や思いやりetc)
 「お市は建くんとスレ住人に育成される発展途上の巫女」

【信者擁護】建勲&お市批判・アンチ【出入禁止】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/occult/1209293726/l50
 中立派・史実派によるマターリ史実究明スレ(主に信長活動期の戦国時代)
 「オカルト的な現象を元に、真実の歴史を考察する」

まとめサイト
415の話をまったり待っていたスレで起こったこと
http://www14.atwiki.jp/415mattari/

ミノムシの発言集
415の話をまったり待っていたスレで起こったこと・蟲
http://www40.atwiki.jp/minomushi/

お市サイト
ソラノトリ
http://soratori.com/000.html
501日本@名無史さん:2008/05/31(土) 14:33:15
501
502日本@名無史さん:2008/06/18(水) 22:45:35
>>498
その末裔の原田です。地下家伝と同じようなものが本家にあります。
地下家伝記載とは少し違う所もありますが・・・

京都浄土宗寺院文書 (同朋社出版)には
嫡子信衡、慶長年中に院雑色に補され姓を橘と改姓し、原田重次と名乗る。
以降信盛の嫡孫が惣領を継ぐ。とあります。

副住職によると見性寺の信正のお墓には今でも奈良にお住まいの織田さんが
参っているそうです。

元亀3年(1572)年3月7日、人質のため、織田某に村井貞勝・塙直政を添えて
上洛させたとある(細川家文書)。村井貞勝と塙直政が付き添いとなれば
織田某とは信正だろうかと想像しています。
http://www.bekkoame.ne.jp/~h.ishi/history/nobunen3.txt

また花洛名勝図会・拾遺都名所の見性寺にも記載があります。
国際日本文化研究センター 花洛名勝図会データベース 
http://www.nichibun.ac.jp/meisyozue/karaku/c-pg4.html
503日本@名無史さん:2008/08/06(水) 10:48:51
>>231
信長と信秀の親子仲はどっちかというと良いと思うんだが

信長は信秀が死んだとき祈祷をした僧を撃ち殺したくらいだし
信秀の葬儀での一件は父親ではなく仏教や旧文化に対する反感だろう
504日本@名無史さん:2008/08/06(水) 11:26:16
単純に早死した親父への怒り
505日本@名無史さん:2008/09/08(月) 20:48:03
>>499
尾張50万石って、尾張国内の今川・第三者勢力無視されてない?
当時の信長は尾張全体を支配していたわけではないから、せいぜい30〜40万石ぐらいじゃないかと。

うろ覚えだから間違ってたら誰かよろ。
506日本@名無史さん:2008/09/08(月) 21:15:06
>>503
親父が死んだとき信長は丁度反抗期だったんだろ
30歳や40歳になった信長が親父の位牌に灰を投げたならともかく
信秀は死んだとき20歳を超えてた
反抗期を終え親父とやっと話ができるようになっただけだろ
507雛先輩:2008/09/08(月) 21:27:13
信長を今に当てはめる

馬の乗りこなし方→クラウン系おやじ車改造シャコタンヤンキー車乗り

カブキ系服装→ギャル男ファッション
髪型→金髪ギャル男風
所持品→ナイフ携帯
数々の素行→今なら家庭内暴力、喧嘩上等、コンビニ前で群がる、即ギレ、おやじ狩り、美人局【意味調べてみろ】、
人殺し、通り魔、放火、生き埋め、チンこ好き、強姦、略奪、親族殺し、妹とペッティング、


要は模範的典型的ただのDQN少年の年少あがり厨


508鼠先輩:2008/09/10(水) 19:48:56
やべ〜 四チャンで八時からやる信長伝 まさにタイトルが俺と同じ
天才だなおれ
509日本@名無史さん:2008/09/11(木) 00:09:34
このスレつまんね。
>>507
勝手に妄想してろよw
自分の妄想をここにかくんじゃねーよ。

>>508
意味和漢ね。
510日本@名無史さん:2008/09/11(木) 00:25:22
>>505
尾張河内郡(その一部だけだったとも)は服部右京亮の影響力が強く、織田とは敵対し、桶狭間まで今川勢に協力。
知多は在地勢力で今川方に寝返った山口親子が義元に疑われて殺された後も、その大部分が今川勢が支配。
所謂、尾張上四郡の岩倉織田家が滅びたのが1559年だから、上四郡の領国化も完全ではなかったろうしね。
511日本@名無史さん:2008/09/14(日) 20:13:22
>>507
妹とペッティング--→これお市様のこと?
512日本@名無史さん:2008/09/16(火) 10:44:20
有意義なスレ復活希望だ
513日本@名無史さん:2008/09/16(火) 15:30:52
これ信長の刀www
http://www.nobunagaou.com/hidari/siro/7a/5.htm

なぜか俺のうつけ時代の尻尾のキーホルダーやチンチラシートとかしてた単車を思い出して
ちょっと恥ずかしい気分になるwww
514日本@名無史さん:2008/09/16(火) 17:33:49
「古事記はモンゴル語で書かれている」東大教授が新説発表
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/kobun/1221500761/
515:2008/09/17(水) 10:46:00
>>513
チンチラシートWWWWWW
おまえもろヤンキーのドキュン野郎だなWWWWWW
ヤンキーしかしらないチンチラ三段シートやらWWW
中卒か?WWW
516日本@名無史さん:2008/09/20(土) 05:05:44
織田信長役が似合う人似合わない人Vol.2
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/kin/1115539845/l50
1000取り合戦開始!
517日本@名無史さん:2008/09/23(火) 23:18:19
堺屋太一の信長評もたまには面白い。
桶狭間では今川のほうで山などを動く信長たちの姿はよく見えていたらしい。
それに今川義元は頭はいいし、当たり前に自分の左右にはたくさん兵士を置いていた。
問題は当時豪族の話し合いで次の行動を決めていたとか。だから信長が見えて近づいてきても、
まだしばらく時間がかかるだろうと思っていたのに、信長は専制君主的な感じで命令がすぐ実行された。
そんな説もある。

でも太一さんも唯物史観だよなあ。誰か英雄史観と唯物史観を合体させてくれる人はいないかな。もう本格的にさ。
518日本@名無史さん:2008/09/23(火) 23:29:24
「奇蝶と信長」


 信長は十六歳で、美濃の国主で蝮といわれた斎藤道三の娘、奇蝶(お濃の方)と結婚した。政略結婚なのはいうまでもない。
 結婚して一年ばかりしてからのこと、信長は毎夜、奇蝶の眠るのを待って寝床を抜けだし、明け方にならないと帰らなかった。
それがひと月ばかりつづいたので、若い奇蝶は、「お好きな女のもとへお通いなのはわかっております。しかし、それならそれとはっきりおっしゃってくださいませ。わたしにも考えがありますから」
 と嫉妬の目を怒らせた。
 信長はにやにや笑いながらなにも答えず、やはり、夜毎に出かけて行った。
 奇蝶は自分の言葉が無視され、その行為があまり長くつづくものだから、
 「夫婦は敵味方や親子を超えた一体のものなので、かくしごとをしないでいただきとうございます。
 それとも、やはりわたしが蝮の娘なのが気に入りませぬか」
 と泣き、口説いた。
519日本@名無史さん:2008/09/23(火) 23:30:48
 信長は、お前がほんとうにわしの妻なら、かくす必要もないといって、
 「じつはお前の父、道三殿の家老二人がわしに内通していて道三殿を討ち果したなら、国境で狼火をあげることになっている。
 わしは美濃に討ち入る準備もひそかにしているゆえ、その狼火を見に行くのじゃ」
 とうちあけた。しかし、夫婦は一体だといっても、やはり親子だからと、道三への音信を固く禁じた。
 その後も信長は毎夜出かけたが、しばらく経つと、奇蝶を信用したらしく、時候伺いの手紙くらいは出してもよいだろうといった。
 奇蝶は早速、信長から聞いたことをみな手紙に書いて父のもとへおくった。
 道三は美濃へひそませている間者(諜報者)の報告とも一致するので、容赦なく家老二人を上意討ちにしてしまった。
 信長は間者もてだてを用いて、たばかったのだった。
 これで道三は二人の股肱を失い、にわかにその勢力が衰えた。

520日本@名無史さん:2008/09/24(水) 01:14:22
521日本@名無史さん:2008/09/27(土) 14:39:54
信長は今川降伏する、に上洛の挨拶に来た、応援するから会って欲しいって言って、
従うふりして、隙を見て今川の首をとったんだろw
522日本@名無史さん:2008/09/27(土) 15:07:19
まじめに言え
ふざけたのならつまらない。
523日本@名無史さん:2008/10/10(金) 18:19:23
カリスマが戦国武将ナンバー1は信長で認めよう

しかし一番凄い人は豊臣秀吉
524日本@名無史さん:2008/10/10(金) 18:24:06
秀吉は信長が創った新しい社会(近世と呼ばれているが実のところ僕も良く知らない)
を踏襲しただけ。出世物語は凄いけど。物凄いねそれは。
525日本@名無史さん:2008/10/10(金) 18:25:49
信長厨が何を言おうと史上初の全国制覇は秀吉

秀吉こそ史上初の全日本の帝王に君臨した人

526日本@名無史さん:2008/10/10(金) 18:27:01
信長の役割は統一の土台を作るだけにすぎんな
天下を統一する器は秀吉しかいなかった
527日本@名無史さん:2008/10/10(金) 18:30:18
秀吉>>>>>>永遠に超えられない天下統一の壁>>>>>>信長≧家康
528日本@名無史さん:2008/10/11(土) 09:07:29
その土台がすごい。いや土台どころかそのまま生きていれば天下統一じゃんか。

日本で男性的な文化が栄えたのは安土時代だけだよ。
529日本@名無史さん:2008/10/11(土) 09:08:02
ちゅう、だの何だの変な言葉使うな作るな。
530日本@名無史さん:2008/10/11(土) 20:15:32
確かに天才ではあるな
531日本@名無史さん:2008/10/11(土) 20:18:34
信長は先見性がありすぎて誰もついていけなかったんだろう
532日本@名無史さん:2008/10/13(月) 20:09:59
革命児
533日本@名無史さん :2008/10/15(水) 01:45:27
age
534日本@名無史さん:2008/10/19(日) 19:17:14
日本に現れたのカリスマ
535日本@名無史さん:2008/10/21(火) 19:18:18
こういう人物は500年に1人の存在だな
536アンチじゃないよ:2008/11/23(日) 22:52:56
類似スレで暴れまくっていたお前ら信長厨の代表者の爆笑レスをコピペしとくよ。
もう見れないのはもったいないからね。

その1 戦国時代の信長の領土は今の日本より安全
538 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 15:56:03
>>536
>現代社会のVIP警護と戦国時代の武将のセキュリティ意識を混同しているアッホw
混同してないぜ。今の方が安全だから過去はなおさら、といっているんだろう。
頼むから日本語勉強してくれよ。
まさか信長の領内は現代日本より安全とでも思っているのか?
>信長や家康は誰かさんと違って馬鹿ではないのだから、危険な所に丸腰で出向く愚行は犯さない。
>やたらと信長暗殺を引き合いに出すが、それは歴史の結果を知る後世の人間の後知恵にすぎん。
>当時誰が信長があんな形で暗殺されると想像できたよ。
ソレまでにも例があるから充分予想できるし、トップたるもの常に考えておかなきゃいけないだろうが。
543 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 16:06:34
>>538
>信長の領内は現代日本より安全とでも思っているのか?
安全だから信長も家康も少数で畿内を移動してたんだろ。
予測不能の軍隊によるクーデターと日常的な治安とを混同するな。
>ソレまでにも例があるから充分予想できるし、トップたるもの常に考えておかなきゃいけない
過去の謀反は自領内の城で叛意を表明する手法であり、信長の個人的行動を把握しての急襲など一件もない。
なぜなら信長の個人的スケジュールの把握など不可能だったからだ。
後世の後知恵で光秀の謀反の特殊性を無視するな。
537アンチじゃないよ:2008/11/23(日) 22:53:52
その2 戦国時代の日本は一年を12ヶ月に分けていなかった
871 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 12:35:32
>>867
>「農繁期」「農閑期」が何月何月かをそれぞれ述べてから書き込むべき
戦国時代、今日のように一年を十二分割していなかったのだから、そんな区分じたい無意味だと気づかない大間抜け。
>「殆ど農閑期」と「農繁期にも出兵」とは矛盾しません
矛盾するだろ。農閑期に集中してるんだから。

そしてラスト
読んでいなくても気に喰わなければ罵詈雑言
915 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 15:31:18
>>906
著者名と著作名だけあげて珍説呼ばわりするなら誰でもできる。
しかし特定個人を馬鹿にする以上、当然その著作は読んだだろうな?
どの点が珍説なのか、具体的に書け。
読んでないのなら無責任な批判をするな
918 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 15:38:01
>>915
読んでねえよ。
お前が己の愚論の論拠としたから批判しただけ。
それとも本の記述内容にお前の愚論を裏付ける箇所は皆無で、
ただ他人の本のタイトルを借用しただけの詐術か?
どうなんだ?おい

このスレでもコイツが着たら要注意ですぞ
538日本@名無史さん:2008/11/23(日) 22:57:50
すまぬ。少し抜けてた
織田信長は過大評価されすぎ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1220921566/

906 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 14:56:13
天下統一と朝鮮侵略 / 池亨
こんな奴の愚論に簡単に飛びつき、無批判に信じ込む浅はかさは愚劣の一言!!!
低能首相麻生と同様、定見もなければ知性もない証しだ。
他の優れた著作には一切触れず、わざわざ愚作を己の愚論の論拠にする愚行は愚民共通の愚考だw
915 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 15:31:18
>>906
著者名と著作名だけあげて珍説呼ばわりするなら誰でもできる。
しかし特定個人を馬鹿にする以上、当然その著作は読んだだろうな?
どの点が珍説なのか、具体的に書け。
読んでないのなら無責任な批判をするな
918 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 15:38:01
>>915
読んでねえよ。
お前が己の愚論の論拠としたから批判しただけ。
それとも本の記述内容にお前の愚論を裏付ける箇所は皆無で、
ただ他人の本のタイトルを借用しただけの詐術か?
どうなんだ?おい

信長厨のレベルなんてこんなもんです。はい。
539日本@名無史さん:2008/11/23(日) 23:04:38
日本史上最高傑作の逸材
540日本@名無史さん:2008/11/23(日) 23:07:56
>>539
いや、確かに笑わせてくれるけど、そこまで言うほど面白くはないぞ、劣化井沢は。
面白い部分の十数倍はむかつく書き込みが続いてるんだよね。
日本史上最高は言いすぎじゃないかい?
541日本@名無史さん:2008/12/13(土) 22:24:01
>低能首相麻生と同様

麻生、やっぱアホなのか……

ttp://www.aso-taro.jp/lecture/kama/2005_6.html
「また織田信長と武田信玄の姉川の合戦で武田の騎馬軍団が織田の鉄砲隊に負けた歴史も知っていたと想像されます。」
「胸を張って誇れる歴史を持った国に生まれたことに、我々は祖先に感謝するべきです。」


542日本@名無史さん:2009/02/05(木) 17:34:20
 
543日本@名無史さん:2009/02/05(木) 23:11:44
信長が御殿ではなく天守に住んでたという話は本当?
544日本@名無史さん:2009/02/06(金) 01:56:27
一応住めるようになってたらしい。
しかし、天主以外にも御殿が有る。
気分次第であっちこち移動してたんじや?
545日本@名無史さん:2009/02/08(日) 21:20:37
http://page6.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/f76841113
こんな本を見つけたんだが・・・道三殺し???
546日本@名無史さん:2009/02/08(日) 22:16:40
巨大鉄船で毛利軍を木津川で破った事は何故かあまり語られないんだが、不思議だよね。
いつもテレビ番組で信長特集というと転機になった桶狭間と上洛戦と室町政府打倒と長篠と本能寺が取り上げられて他はスルーだし。
>>544
天守に住んでたのは後にも先にも信長くらいだよね。
547日本@名無史さん:2009/02/08(日) 23:26:08
>>546

前にその時で信長の鉄張り船の回あったよ
548日本@名無史さん:2009/02/09(月) 13:40:53
>>547
あ、そうか・・・その時で巨大鉄船の回があったね。それが唯一かも。
何故か知らないが、知ってるつもりとか大河ドラマ等の歴史を取り扱った番組はそういう第二次木津川口の戦いを全くといっていいほど取り上げてない。
549日本@名無史さん:2009/04/10(金) 22:10:29
信長ねえー 古里の名古屋大須の有名人で 織田庄の藤原に平清盛子孫が養子にくる 
550日本@名無史さん:2009/04/10(金) 23:08:14
>>549
織田家は越前織田庄剣神社の神官の家系だよ。
守護の斯波氏に仕え、斯波氏が守護を兼任していた尾張に赴任してきた。
名古屋の在来種じゃないから。
551日本@名無史さん:2009/04/11(土) 01:08:57
>>527
なぜ?家康だって天下統一しただろ?自分に逆らう奴を潰して。
何もしないでトップの座を譲られたわけじゃないんだし。
552日本@名無史さん:2009/04/12(日) 00:13:01
>>550
伊勢神宮から 地方公務員になる 織田庄や
大谷庄の地方神職治めに 国家公務員の
南朝皇統の白太夫が赴任 今も子孫が
もんじゅの近く定住してますよ
最近 剣神社に伊勢神宮にいた 神職見たよ
553日本@名無史さん:2009/04/15(水) 22:29:01
武陽陰士の文学板でのあだ名は「芋姉ちゃん」です。
554日本@名無史さん:2009/04/17(金) 09:24:52
伊勢の山本慶光院の実家が、近江山本山城にあり、となりの浅井とは親戚。山本の父は藤堂影虎と
山本山城では同僚。織田の3姫と伊勢山本慶光院は浅井通じ親戚で>>552の同じ南朝皇統が山本慶光院の
スポンサーになる。
 
555日本@名無史さん:2009/04/21(火) 14:13:27
第六天魔王って、仏教の第六天、他化自在天に済む天人様の事だろ?
他化自在天の天人は、他人に自在に快楽を与えて、それで他人が喜ぶのを見て楽しむという
最大の仏敵だったが、御釈迦様が涅槃へ渡るの折に仏道を守護する事を誓った
仏道を妨げる自分の天力は、仏道を正しく導き、誤った悟りを開かせないために使うと御釈迦様に誓ったそうな

同時に、天皇の先祖の神様より先に日本を支配していて、天皇の先祖の神様は第六天魔王に、仏教を信奉しないのを条件に日本を譲られたとか

そういうのと、当時の坊主の乱行ぶり、富国を進めて民衆に慕われていた事を考えれば、第六天魔王と名乗ったのは単なる洒落とかではないんだろうなぁ
556日本@名無史さん:2009/04/24(金) 04:50:06
信長様素敵〜
557日本@名無史さん:2009/04/24(金) 10:22:28
555さん556さん怨念残す天皇だと六道から超越した仏の配下属さない 天狗道で表記されます 大天狗後白河とか ところで公見る末が信なり君ではね 君には吉本が待っているよ〜
558日本@名無史さん:2009/04/28(火) 20:56:22
こいつをどうにかして下さい。
論破してやって下さい。

今までの流れ

織田信長はクリスチャン。洗礼名は「ジェロニモ」
(日本人に間違いを指摘されたんでチキって非公開にしやがった動画)
ttp://www.youtube.com/watch?v=1B9ULBIPXGs
↑に対して日本勢の見事なカウンターパンチ
ttp://www.youtube.com/watch?v=P49tmU_ehAM
ttp://www.youtube.com/watch?v=9cTVNfOvzxQ
↑に対して全く訂正せず、反省せず、謝罪せず。
私は嘘吐きではありません
ttp://www.youtube.com/watch?v=H8gTH9pjGJw&feature=channel_page
これがソースだ!大量のURLをアナウンス
ttp://www.youtube.com/watch?v=z7js6gthkPA
559日本@名無史さん:2009/04/28(火) 21:02:21
因みにこいつの略歴
<朝鮮忍者一覧>
朝鮮忍者がアジアの歴史を欧米人に教えます(字幕版)
ttp://www.youtube.com/watch?v=zmVN0APY7tM
朝鮮忍者の歴史(字幕版)
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm4799094
朝鮮忍者の自作自演(字幕版)
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm6539802
国号「日本」は朝鮮起源by朝鮮忍者(字幕無し)
ttp://www.youtube.com/watch?v=5Ocdh-gndnQ

概要 (日本語)
ttp://www.youtube.com/watch?v=6VBm0Hnz5Io
賢者現わる(途中から日本語:日本語文→動画の説明)
ttp://www.youtube.com/watch?v=QFJFf9OogJU

参考(必読)
ttp://blog.livedoor.jp/tonchamon/archives/51690584.html
まとめwiki
ttp://www14.atwiki.jp/choson666
560日本@名無史さん:2009/06/05(金) 20:48:23
信長が切り取らせた蘭奢待ってどこかに現存してる?
そう簡単に遺失するものとも思えないんだが、無いとすれば
安土城あたりに保管していて、城もろとも焼失したとかそんな感じなのかな。
561人間七七四年:2009/06/05(金) 22:00:07
>>560
いや惜しげもなく様々な人に分け与えて無くなったと何かに記録があったよ
562560:2009/06/05(金) 22:16:13
>>561
そうだったのか…。何とも信長らしいw
当然、大事に保管して家宝扱いしたんだろうと思ってた自分が甘かったわ。
563日本@名無史さん:2009/06/18(木) 00:32:55
>506
葬儀の喪主をやれなかった(?)信長が、喪主である信行/信勝に挑戦状を突きつけたのでは、みたいな解釈もあるな。
少なくとも、喪主と想定しうるのは信長ではなさげだ。

それに。信秀が死んだあと、信秀の近臣たちは信行の部下になってて、
信長の部下になってる様子がない。

信秀在世中の信長の地位は、信広や信光らと同様な支城主だったのではなかろうか。

>521
明石散人氏の説か?

>525-526
本能寺の変が起きた段階で、すでに関東・東北の武士たちの大半は織田に従属する状況になっていたようだな。
関東管領(に相当する新しい役職、名称はたぶん従来通り)になった滝川が、
関東東半部の武士たちを統率・編成する体制がすでに始まっていたらしい。
北条も、織田と同盟する前の段階では上杉と武田の攻撃でジリ貧に陥っていて、
織田・徳川の支援でかろうじて持ちこたえている状況だったようで、すでに織田に対抗しうる実力はなかった。
のちの、関東の大半を統合する大勢力は、本能寺の変後の混乱の隙を突いての急成長によるものであって、
信長在世中にはもっと零細だった。

東国は上杉以外に戦う相手はなくなっていたし、上杉もすでに秒読み段階だった。

西も、毛利と九州の一部大名、それに四国の長宗我部が対抗しているとはいえ、
すでに秒読み段階に入ろうとしていた情勢で、本能寺の変がなかったら1〜2年のうちには全国統一になってただろうな。
とはいえ、信長による全国統一が実現していたとしたら、秀吉政権よりも緩やかな統一だったかもしれないし、
どういう未来が待っていたかは未知数だわな。
564日本@名無史さん:2009/06/18(木) 00:38:58
>555
当時、「誰もが知る」といえるほどに普及していた太平記で、
死んだあとの後醍醐天皇が第六天魔王になって、北朝(というか、足利氏の幕府)を転覆させるための陰謀を巡らした、
という描写があるから、「後醍醐天皇の生まれ変わり」みたいな意味かもしれないよ。

>560-562
切り取らせた欠片のサイズがさほど大きいものではないだろうし
(一回で使い切る程度のサイズだと思う)
誰かに与えたか、何らかのイベントの際に使ったかどちらかじゃないかなあ。
仮に大切に保存していたとしたら、安土城の中だろうから、安土の炎上の際に焼失しただろうな。

いやでも、各種の名物茶器などと同様、部下か公家衆あたりに対して褒美として与えちゃったんじゃないかって気はする。
565521:2009/06/20(土) 19:24:49
>>563

ちがうよ〜!
前世の記憶w


電波でスマソ
566日本@名無史さん:2009/06/20(土) 19:34:06
>>563

明石散人でぐぐりましたっ!
本買ってみま〜す♪
567日本@名無史さん:2009/06/20(土) 23:52:44
>>563
>信長による全国統一が実現していたとしたら、秀吉政権よりも緩やかな統一だったかもしれないし
それはないだろ。
信長は秀吉のように、政権の圧迫になりかねない大大名を乱立させる愚策は犯さない。
豊臣政権は隣国の外様大名同士を相互に牽制させ、そのバランスの上に乗っかっていた政権にすぎない。
信長が全国統一した暁には、
豊臣政権で重用されていた外様大名は信長に滅ぼされて存在せず、日本本土の大部分は織田家の直轄地。
そんな強大な政権が「秀吉政権よりも緩やかな統一」な筈ないだろって話だ。


568日本@名無史さん:2009/06/21(日) 00:18:58
>>567
イフの話だから結局各人がどう思うかによるけど
信長政権は土豪や寺社、貴族の既得権をかなり認めていた。
信長が独裁的なんてのは織田家中だけのこと。
信長という人はドラマや小説のイメージとは異なり、柔軟で臆病(褒め言葉)だった
また豊臣政権は君がイメージしてるようなものじゃないよ。
信長より秀吉の方がずっと独裁的だ。権力基盤も比較にならない。
569568:2009/06/21(日) 00:54:11
もし>>563氏の言うように信長が生きてる間に統一をするならば、
今迄と同じく、従属する者達には既得権保護をしてゆくだろう。
一つ一つ潰して直轄地を増やすなら信長一代で終わらないだろうよ。
家康ができたのは、関ヶ原があったから。戦後処理にじょうじて上手くできたんだね。
それでも豊臣本宗家を滅ぼすのに十五年かけたし、徳川家が外様大名に遠慮しなくなったのは家光から。

まあイフの話なんで、いろんな解釈がある、
こういう見方もある、くらいで留めてちょ。
570日本@名無史さん:2009/07/28(火) 21:57:57
>>568
国人地侍への安堵状、座への禁制(織田政権が介入しない)ってのは時系列考慮しないといけないんじゃない?
信長の上洛戦の時には、三好六角に加担しない国人地侍や寺社勢力に安堵状などをばら撒いていたみたいだが、
これは経過により後に叩き潰されたものが多い。
例えば、上洛時には叡山に坂本などの利権も保障しただろうが、中立違反で叡山が潰されてしまえば坂本の利権はもちろん消滅、
同じように本願寺系寺内町も今井のように軍事的な威圧で降伏している。
京都の座の幾つかも、上京焼き討ち後も、そのままって事はないでしょう。

国人地侍層も上洛戦後も義昭蜂起に呼応した山城の地侍は潰されているし、似たようなことは伊勢、近江、摂津、河内、播磨、丹波、越前、越中で起こり淘汰されている。
秀吉政権下の肥後国一揆みたいな事を終始していたと思えばいいんじゃないかな。
で、あらかた始末が終わったところに成立したのが秀吉の政権で、旧織田領以外の大大名の投降を許して残っているから、
この部分(地侍層の解体)での反乱は限られていると見た方が自然でないかな。
571日本@名無史さん:2009/07/30(木) 00:37:05
>>570
別人だけど
>>例えば、上洛時には叡山に坂本などの利権も保障しただろうが、中立違反で叡山が潰されてしまえば坂本の利権はもちろん消滅
もともと比叡山が持っていた領土を奪ったのが織田。
これで比叡山に敵対された。志賀の陣で窮したとき信長はこれを返すから味方してと頼んでる。

信長はむしろ荒廃した土地で座を保護したり復興させたりしてる。
当時は座を破壊したら流通に支障がきたす。
>>たようなことは伊勢、近江、摂津、河内、播磨、丹波、越前、越中で起こり淘汰されている。
これは単に相手が一向宗一揆だったり敵対勢力だったりしてるからじゃ。
実際滅ぼされたはずの甲斐武田家の地侍とかが悲惨な落武者狩りにあった後なのに
普通に本能寺あとに暴発してるのを見れば反乱鎮圧で地侍が全滅するもんでない事は
わかりそう。
572日本@名無史さん:2009/07/30(木) 05:16:18
>>571
>志賀の陣で窮したとき信長はこれを返すから味方してと頼んでる。
これは美濃での叡山の荘園でしょ。
坂本は叡山の坊さんの居住区(里坊)であったわけだし、
これには不入の禁制(織田家臣が勝手に介入することを禁じると承認した書状)を与えていたんじゃないかなあ・・と。
まあ、叡山滅亡時に灰塵となっているだろうから書状での確認は無理だろうけど、
この点で叡山と揉めているというのもなかったような。

>これは単に相手が一向宗一揆だったり敵対勢力だったりしてるからじゃ。
その前の段階で出した安堵状(禁制や免役も含む)が、1582年当時まで有効だったかという話ね。
上洛戦だけでなしに、播磨侵攻時(大は別所氏)、丹波侵攻時(大は波多野氏)など地元勢力に安堵状をばら撒いて味方にしている。
これが反乱離反したなら、その前に配られていた安堵状の類は無効になり、現存している書状でも1582年までには無効になっているでしょう。

甲斐信濃は、武田からの離反者に安堵状を配っている。
旧武田領に入った織田家の武将の被官化から漏れた地侍の類や、
織田家のルールに馴染めない地侍が反乱起こしても、越中での一揆(神保氏を滅ぼすも、勝家らに殲滅される)に似た経過をたどったのかなあと。
まあ、何事もなく被官化〜帰農が進んで収まっていたかもしれないけどね。
信長が特別、地侍の整理を意図したわけではないだろうが、結果として1582年の時点では整理されていたと思うよ。

>信長はむしろ荒廃した土地で座を保護したり復興させたりしてる。
これも1568年〜1582年での変化を見とかないと言う事ね。
例えば1568年に保障された旧来の利権保障の書状が残っていても、上京の焼き討ち等の事件を通して、
それがそのまま1582年まで有効な既得権として全て残っているとは考えにくいという事。
573569:2009/07/30(木) 07:41:22
>>572
信長の発給文書をまとめた『織田信長文書の研究』を見ても「楽市楽座令と座の保証安堵」(『戦
国期の権力と社会』)を見ても、君の考えるような
「安堵した座を廃した」例は一つもない。史料の散逸を考慮に入れても、一つもないのならそうした事があったと考えるの
は強引な気がする。


時系列で考えてもそう。
信長の京での覇権が揺るぎないものになった天正年間になっても座の安堵は続いている。
(例えば死の前年の天正九年には祗園社大宮駕輿丁、摂津今宮神人座、近江粟津座、四府駕輿丁釘座を安堵)
この時期はもし信長に座の全面撤廃の意思があるとすれば貫徹できるはず。
しかしそうしてないことは、信長が既存の座や豪商を新興商人の台頭の中で安堵し、彼らを財源と
して利用しようとしたということ。きわめて現実的で優れた姿勢だと思う。
574日本@名無史さん:2009/07/30(木) 22:24:42
>>573
なんか勘違いしていない?
信長が全ての座を潰した、破棄させた等とは言っていないのだが。
信長以外でも、天正以降、信長の家臣がそれぞれの領地で座の保護もしている。
てか、座自体は江戸時代にも残っているのがあるわけだし。

>信長政権は土豪や寺社、貴族の既得権をかなり認めていた。
と言うのに対し、例えば永禄元亀の安堵状は、その時の政治判断で出されたものが、
(何度も言っているが)1582年までの信長一代を通じてそのままであったとはいえないと言う事。
例えば、叡山が滅べば、叡山を本所とする座も、座としては存続しても中世荘園制のままの形態である事はないでしょ。
近江堅田も1569年に諸権利を安堵されているが、堅田が織田に敵対した後は、降った地侍系堅田衆は被官化が進み、門徒の堅田衆は攻撃されている。
この後も堅田衆の特権は認められているが、1569年の状態=中世的な自治の状態の「そのままって事はないでしょう」って事。
575日本@名無史さん:2009/07/31(金) 11:18:23
>>574
中世的な自治ってのがどんな状態か
って事もあるんじゃ
堅田の例でいうなら単に信長が庇護するか他が庇護するかの違いでしか
ないといえるし
576日本@名無史さん:2009/08/10(月) 01:31:42
>>575
それが近世と中世の境目でしょ。
公権力(公儀)の介入度合。
もっとも、公権力が作った座(銀座や金座など)も含めて、代官が管理者としてあるもの、
中世に近い自治があったもの(山崎)まで、近世であってもグレーゾーンがあるが、
室町以前の公儀が本所に守護不入の権利を与えただけというものからの変化。
577日本@名無史さん:2009/09/14(月) 21:15:28
age
578日本@名無史さん:2009/09/23(水) 20:56:29
『逆説の日本史』では「信長ぎらい」の人たちの説が論破されてて
「信長の残虐性」が相対化されるような内容だったんだけど
逆に、「井沢信長説」と対立するような信長論を書いてて
信用できる人や著作があれば、教えてもらえないでしょうか?
579日本@名無史さん:2009/11/29(日) 05:43:46
>>52 織田家は美形一族だろ。妹のお市は戦国一の美女として有名だし、他の姉妹も美女だったらしい。
580日本@名無史さん:2009/12/10(木) 00:11:06
ゲームの信長の野望やっててさ、過半数の国を押さえて対抗勢力がなくなるとモチベーションが
低くなってゲーム投げ出すみたいな感じだったんじゃないかな、本能寺の変って。
581日本@名無史さん:2010/01/10(日) 03:00:46
信長公記を読み始めたんだが面白いな
今、家臣を引き連れて舞台劇を上演して
見物に来た農家のじっちゃんに上機嫌でお茶を振舞ってるところ

こいつうつけが抜けてねえ
582日本@名無史さん:2010/03/09(火) 10:14:20
ほう
583日本@名無史さん:2010/04/14(水) 08:50:55
織田信長はなんで暗殺されたの?
もし信長が殺されてなかったら日本は今と大きく違ってたの?
584日本@名無史さん:2010/04/14(水) 11:56:12
信成君オメ
585日本@名無史さん:2010/04/14(水) 12:24:46
ゴムに穴でも空いてたんですか?
586日本@名無史さん:2010/04/14(水) 12:41:07
>>583
ポルポト政権みたいになる
587日本@名無史さん:2010/04/14(水) 19:13:58

■■織田信成が織田信長の子孫って本当?■■

1 :氷上の名無しさん@実況厳禁:2009/08/29(土) 17:48:08 ID:Du7ELlvd0
めちゃくちゃ胡散臭いんだけど
だいたい何百年も前の人間の子孫だってどうやって証明するんだよ
家系図もいくらでも捏造できるし、織田という苗字だっていくらでもいるし
その苗字も後で名乗ったものかもしれないしな
天皇家や徳川家なら時代が近い分まだ信用できるけどな
織田家なんてちゃんと存続してるかどうかも怪しいってのに

あと親戚中『信〜』って名前をつけるとか
いやらしいにもほどがあるw
本人達もことあるごとに『織田の子孫』って自慢するし
どんだけ面の皮が厚いんだか
俺には詐欺師にしか見えない
皇族の名をかたる詐欺師によく似てるわ

http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1251535688/l50
588日本@名無史さん:2010/04/17(土) 21:59:52
安土城を燃やした信長の次男は氏ね。
589日本@名無史さん:2010/04/17(土) 22:09:44
安土城なんてそこまでのものでしかなかったってことだ
590日本@名無史さん:2010/05/16(日) 22:44:04
ねねに書いた有名なハゲネズミの手紙だが、
信長は家来夫婦の痴話喧嘩の仲裁というシチュエーションを、純粋にネタとして楽しんで書いていたのか、
包囲網対策でクソ忙しい所に大迷惑だったが、秀吉が喧嘩をこじらせて率いている浅井戦線に影響がでたら困る上、
女で家来でもないねねをいつもの調子で叱りつけても周りに引かれるので、
仕方なくニヤニヤしながらあしらうフリをしていたのか。

この人の場合、どっちとも取れるからなあ…。
591日本@名無史さん:2010/07/08(木) 02:26:01
浅い信長好きですが、下のTシャツの前身頃の印鑑みたいな
模様は、なんと描いて有るか分る方、いらっしゃいますか?

模様の元ネタになったものなど思いつく物がありましたら
どうかご教示下さい。お願いします。

ttp://www.twt-japan.co.jp/SHOP/M-T004.html
592日本@名無史さん:2010/08/10(火) 16:27:26
>>591
天下布武
593日本@名無史さん

お〜い、自称末裔様よ、貴公のコスチュームさぁ、永楽通「寶」が、永楽通「貨」になってるぞw

http://twitpic.com/2c0qzf
http://twitpic.com/2c0nbd
http://www.flickr.com/photos/janetliz/4867652992/in/set-72157624544630937/

【織田信長・永楽通寶】
http://www.1059do.com/opf-101.html