日本史の古代っていつのこと?

このエントリーをはてなブックマークに追加
1日本@名無史さん
弥生時代や古墳時代も古代?
中世との境目は?
2山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/05/27(土) 18:22:08
スレッドを立てる前に質問を
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1141491511/
3日本@名無史さん:2006/05/27(土) 19:08:02
欧州の古代を念頭において、
律令から院政または武家政権の成立までを古代という伝統がある。
しかし、実際にはそれとは全然違う使われ方をしている。

弥生時代や古墳時代も全部古代。それより前も全部古代。それが普通の言葉遣い。
4日本@名無史さん:2006/05/27(土) 21:40:35
律令成立以降を中世というべきであって、古代は律令より前の時代とするべきである。
律令時代(=中世)は明治維新まで続く。
5日本@名無史さん:2006/05/27(土) 22:31:10
古代は飛鳥・奈良・平安時代。
飛鳥より前は歴史時代ではなく原始時代。
6日本@名無史さん:2006/05/28(日) 16:14:59
飛鳥より前を原始時代とするのは、本来の歴史区分としての意味によるものではなく、
研究可能な文献の有無による区分にづぎないのではないでしょうか。
7日本@名無史さん:2006/05/28(日) 16:47:08
>>5
飛鳥時代は古代だろ。ちなみに平安時代でも、清盛が政権執ってた時代はすでに中世に入ってると思うが。

8日本@名無史さん:2006/05/28(日) 16:50:04
要するに

古墳〜摂関・・・古代
院政期〜戦国・・・中世
安土・桃山〜江戸・・・近世
9日本@名無史さん:2006/05/28(日) 17:27:54
領主・宗教勢力の時代=中世、とするなら

領主権に注目すれば最初の領主権=荘園制度が確立するころが中世の始まりか。
墾田永年私財法成立が中世の萌芽かな。

宗教勢力が武力を備えるようになったのはいつの頃かな。
最初から比叡山が僧兵を備えてたわけでもないと無いと思うし。
10日本@名無史さん:2006/05/28(日) 18:29:37
>墾田永年私財法成立が中世の萌芽かな。
初期庄園と中世庄園は違う。荘園制の確立が院政期であることは、学界の共通理解。
ただし漏れはそれがイコール中世とは思わない。摂関期も入れるべきだと思う。

>宗教勢力が武力を備えるようになったのはいつの頃かな。
権門体制論だね。
11日本@名無史さん:2006/05/28(日) 19:44:29
中世の終わりは
荘園体制にとどめをさした太閤検地か
武装宗教勢力にとどめをさした本願寺合戦の頃と見ていいかな。
12日本@名無史さん:2006/05/29(月) 00:32:42
日本統一で太閤検地によって中世が終わったことと、
日本統一で律令制によって口分田が施行されたことは相似している。

律令の前後で大きな時代区分が必要だ。
13日本@名無史さん:2006/05/29(月) 00:40:04
>>11
現在は、織田政権から近世とするのが普通。
14日本@名無史さん:2006/05/31(水) 23:49:04
普通といってみてもつまらん。ご自分の考えを述べられよ。
15竜之介 ◆87xY9YGmUQ :2006/05/31(水) 23:50:20
中世は平安時代から始まる。
それ以前は古代
16日本@名無史さん:2006/05/31(水) 23:55:15
中世というのは西洋史の概念なので
本来日本史にはあてはまらない。
しいていえば律令制に風穴を開けた武家政権の始まりによって
二重政体になった鎌倉時代から中世である。
17日本@名無史さん:2006/06/01(木) 22:10:12
日本の時代区分は、戦国時代以降と、その前の2つで大きく分けるのが正しいと思う。
18日本@名無史さん:2006/06/01(木) 22:14:38
武家権門
19日本@名無史さん:2006/06/01(木) 23:19:21
平安時代からが中世
20日本@名無史さん:2006/06/03(土) 22:48:04
日本の歴史を大きく分けるとすれば、その画期は7つあるな。

1.太平洋戦争の敗戦
2.明治維新
3.戦国時代突入
4.院政の開始
5.律令制の採用
6.天皇家による日本統一
7.弥生人の台頭

だから、時代区分は8つ。時代区分の名前は何でもよいが、
古代というと、律令制の開始以前という感じだな。
21日本@名無史さん:2006/06/03(土) 23:10:04
天皇が実権を持っていたのが古代で象徴になったのが中世ではないか?とすると
桓武天皇あたりまでが古代か?

22日本@名無史さん:2006/06/03(土) 23:22:03
>>21
まあ、それも悪くはないが、日本の歴史は結構長いので、それを幾つに分けて、
その中のどれに「古代」という名前を与えるのが相応しいかという問題な訳だよね。
天皇が実権を持つようになるより前の時代も非常に長い訳で、それを古代と呼びたいね。
23竜之介 ◆87xY9YGmUQ :2006/06/04(日) 09:17:37
竜之介様が日本史板を制覇するぞ!!!

これまでの業績(すべて日本史板)

上杉謙信が上野(群馬)を支配していたことに萌える
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1148197411/l50
日本史の本質について語るぞ!!!
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1149082009/l50
日本史のタイムリーな記事を集めるぞ!!!
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1149379345/
24日本@名無史さん:2006/06/04(日) 18:37:56
先カンブリア:〜江戸
狩猟・採集:明治維新〜敗戦
石器:敗戦〜高度成長
現代:高度成長〜
25日本@名無史さん:2006/06/04(日) 18:44:18
ぶっちゃけさ、紀元前660年は本州、九州、四国、の全土を統一してたんじゃね?
26日本@名無史さん:2006/06/11(日) 12:59:55
本州の北の方や九州の南の方は無理だろ。
四国はあんまり話題にならないが、土佐の方は無理じゃねえかな。
27日本@名無史さん:2006/06/14(水) 23:22:33
古代とはヨーロッパ史における概念である。

ヨーロッパにおけるローマ帝国の存在はあまりにも大きく、
しかもアルプス以北の諸民族の歴史は、ローマ帝国の後に始まったといっても
過言ではない。よって、彼らはローマ帝国を基準に古代を定義する。

わが国の歴史にローマ帝国に相当する存在は存在しない。
よって、わが国において古代を語ることは無意味である。
28日本@名無史さん:2006/06/22(木) 23:26:23
>27
勝手な想像、先入観、固定観念、思いこみ、などはやめたほうがいいよ。
古代日本をなめすぎてると思うんですけど。
29日本@名無史さん:2006/06/22(木) 23:33:41
世界にある島国で2000年以上の歴史を有し、
他国に支配さられたことがない(米軍を除く)
国は日本くらいだろ。
30日本@名無史さん:2006/06/22(木) 23:36:33
日本は世界で最も優れた歴史を有していると思う。
31日本@名無史さん:2006/06/22(木) 23:40:55
俺のイメージとしては広い意味での古代ってのは卑弥呼から菅原道真位までの気がする。
狭い意味では聖徳太子から桓武天皇くらいまでだが。
32日本@名無史さん :2006/06/24(土) 19:32:47
古代のユーラシア大陸の歴史を調べると
日本人の最初は約3万数年前に出現したみたいですけど
(諸説、数十万説あり)アジア人のDNAを調べれば
誰が一番古くから日本に住んでるか わかりますね、
日本先住民はもっと権利を持つべきでしょう
天皇家より数万年早く住んでるのに。国民的議論希望


33日本@名無史さん:2006/07/01(土) 20:04:55
妄想乙
34日本@名無史さん:2006/07/01(土) 20:13:20
>若光の故国高句麗は、紀元前1世紀ころ朱蒙(しゅもう)によって建国されたといわれています。
>最盛期は5世紀の広開土王(こうかいどおう)長寿王(ちょうじゅおう)の100年で、
>中華人民共和国吉林省集安県にある広開土王碑からはそのころの高句麗の強勢ぶりをうかがうことが
>できます。
>若光が渡来した年代についての社伝はありませんが『日本書紀』天智天皇称制5年(666)年10月、
>高句麗から派遣された使節の中に「二位玄武若光」の名があります。

高麗神社:公式HP
http://www4.ocn.ne.jp/~fkoma/

どうも、高麗神社は若光のことを高句麗人だと誤解しているようだ。
若光は狛人(コマ人)であり、高句麗人(フヨ人)ではないのだが・・。
高麗神社という神社名が誤解の元か。
ならば、楽浪神社と改称したほうが良いな。
「楽浪神社」と書いて「コマ神社」と読む。良いアイデアだと思うが。

35日本@名無史さん:2006/07/03(月) 23:09:35
>>34
高麗神社へ行ったことがありますか?
神社の正面の額には「高句麗神社」と書いてあります。
ただし、「句」の文字は非常に小さく書いてあって、よく見ないと分かりにくいです。

これが誤解に基づくものなのかどうかは知りませんが、どうも、神社自身は、
本当は「高句麗神社」と思っているようだよ。
36日本@名無史さん:2006/07/04(火) 22:26:25
武蔵国には、高麗郡の他にも新羅郡というのがあった。
半島と関係の深い地域だったのだろうね。

新羅郡は後に新座郡と呼ばれ、現在は新座市となっている。
37日本@名無史さん:2006/07/04(火) 22:41:19
本当かよ?
38日本@名無史さん:2006/07/04(火) 22:44:08
やっぱ645年を境にするべきだろ。
39日本@名無史さん:2006/07/04(火) 22:52:43
>>38
645年が古代と中世の画期かい?
40日本@名無史さん:2006/07/11(火) 22:37:12
>>37
本当なんだなこれが。
41日本@名無史さん:2006/07/11(火) 22:44:28
>>36
新羅や百済って、九州と同じぐらいかそれよりも面積が狭かったって、
知ってた?
42日本@名無史さん:2006/07/22(土) 22:20:05
古代・・・くぬ国が漢王朝から金印を授けられから遣唐使廃止まで
中世・・・遣唐使廃止から江戸幕府成立まで
近世・・・江戸幕府成立から日露戦争終戦まで
現代・・・日露戦争終戦以降
43日本@名無史さん:2006/08/17(木) 20:16:38
古代:第二次世界大戦まで
中世:バブル崩壊まで
近世:平成不況まで
現代:平成不況脱出以降
44日本@名無史さん:2006/08/17(木) 20:35:39
>スサノオは、黄泉国に行く前に、姉のアマテラスに別れの挨拶をしようと天上に昇る。
>スサノオが天に昇るとき、海は轟きわたり、山も鳴りひびいた。このあまりの猛々しい登場ぶりに、
>アマテラスは、スサノオが国を奪いに来たのかと男の姿で武装してのぞむ。

★日本神話におけるアマテラスとスサノオの関係★
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/1067010993/148-150

古代日本の二大勢力、日向族と出雲族の戦争が、神話に投影されている。

>スサノオの行いがひどかった。
>アマテラスが機殿で神衣を織っているところに、屋根に穴を開けて皮を剥いだ馬を投げ入れるという
>スサノオの暴挙に対し、それまで我慢していたアマテラスもとうとう怒る。
>アマテラスは天の岩屋戸に閉じこもり、世界は暗闇につつまれてしまう。

スサノオが日本神話の中で、アマテラス(日向族の神)を困らせる悪神にされているのは、
この神話を書いた日向族が、ツクヨミのエピソードを、スサノオのエピソードに書き変えた
せいでもあるが、戦勝部族である日向族が、敗戦部族である出雲族の神=スサノオを、
神話の中で意図的に悪役として描いたためである。
アメリカ軍占領下の日本で、日本人を悪者扱いする<歴史教育>が行われたのと同じことである。
45日本@名無史さん:2006/08/17(木) 21:02:34
古代とか中世というふうに時代を区切るのは西洋史の慣例。
だから日本史に無理矢理当て嵌める意味は希薄。
便宜上平安時代以降戦国時代までを中世として扱い、
それ以前を古代とするのが通常だけどね。
46日本@名無史さん:2006/08/17(木) 22:18:27
現在、世界中で古代史がある国はわずかだよ。
欧米だって古代史があるのはイタリアとギリシャだけだし、
そこの軍隊が強いというのも聞いたことがない。
しかし、日本には古代史があるうえに軍隊はものすごく強い。
47疑似長州プラム:2006/08/17(木) 22:20:01
========= 改め PUについてかたるスレ ===========
このスレはPUが作った乱発スレの一つですが、それを逆手にとりPU対策スレとしています
※PUは1人で自作自演して、他の人がせっかく入れた意見を、消し去ります。しかも結論も無い妄想や暴言で!何とかしてください!
PU=プラム=安曇連=がいやまん =太国=ヒッキー=サガミハラ=本田=定ちゃん=彼都
♪探して♪探して♪ 更新望む


【PU作成HPワクワクするね必見だよ!】
http://www1.ocn.ne.jp/~gengoman/MyPage/album_show8.html?page=7
このアドレスよその窓に、貼り付けてみてください。この窓からは重いかも
PUのマニアックな生態が窺い知れます。

お仕置きしちゃだめ

    %%%%%%%%% 
    6| -σ-σ | 
     |   ゝ  |  <チョンコまるだしだから
     \ ∀ / 
    │|  │ 
     U ♂ )
     │|│|
     ⊂つつ

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151161164/l50
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151055171/l50
【大ヒット書き込み中】先行ぷスレ 今は座談会になってます。 【大ヒット書き込み中】

48日本@名無史さん:2006/08/18(金) 22:13:42
>>45
意味はなくても、延々と時代区分の議論をして生きている人がいるらしい。
意味がないだけに、議論に終わりもない。これは幸せ。
49日本@名無史さん:2006/08/18(金) 22:43:04
〜維新 … 原始
維新〜大正政変 … 近代
大正政変〜60年安保 … 原始
60年安保〜 … 現代
50日本@名無史さん:2006/08/18(金) 22:58:10
教科書的な区分だと

縄文・弥生・古墳・・・原始
飛鳥・奈良・平安・・・古代
鎌倉・室町・戦国・・・中世
安土桃山・江戸・・・近世
幕末以降・・・近代
51日本@名無史さん:2006/08/19(土) 00:09:11
古墳を原始と見ていいのかな?
52日本@名無史さん:2006/08/19(土) 00:13:19
その辺の区切りは文献史料がメインか考古学がメインかでの線引きかな。
53日本@名無史さん:2006/08/24(木) 13:31:50
教科書なら平安は中世だろ。
それとも最近は古代扱いにシフトしたのかな?
54日本@名無史さん:2006/08/24(木) 14:19:04
教科書上、平安は古代だろ。
国文学なら中古という扱いだが。
55日本@名無史さん:2006/08/24(木) 14:30:33
山川出版社の教科書なら、

摂関政治までが古代
院政期〜戦国が中世
信長〜天保改革が近世
開国以降が近代
56日本@名無史さん:2006/08/24(木) 14:48:54
先史→原始→古代→中世→近世→近代
57日本@名無史さん:2006/09/17(日) 20:04:47
律令制施行までが古代。
58日本@名無史さん:2006/09/23(土) 11:52:35
prehistry→histry
59日本@名無史さん:2006/09/23(土) 14:13:45
古世、中代も入れればいい。
60日本@名無史さん:2006/09/26(火) 00:06:09
先史時代: 列島に人間が不在
原始時代: 縄文時代・弥生時代
古代:   古墳時代から律令制まで
中世:   律令制導入から大日本帝国憲法発布まで
近代:   大日本帝国憲法発布から太平洋戦争敗戦まで
現代:   太平洋戦争敗戦以降
61日本@名無史さん:2006/09/28(木) 21:36:01
ひとりぼっちなのか 
62日本@名無史さん:2006/09/30(土) 00:33:18
>>61
ちゅっ
63日本@名無史さん:2006/10/24(火) 00:08:21
hoshu
64日本@名無史さん:2006/11/26(日) 01:00:59
おまえらの勝手な理屈はどうでもいい。

一応、文部科学省検定の山川の日本史教科書では、
古代は摂関政治まで。中世は院政〜戦国。近世は信長〜天保期だ。
65日本@名無史さん :2006/11/26(日) 13:42:18
信長までが古代
江戸時代が中世
明治〜終戦が近世
高度成長期が近代
66日本@名無史さん:2006/11/26(日) 14:49:37
ろくに歴史を知らぬ馬の骨が決めた山川での定義などどうでもよい。

古代に確立した君主制が健在である今、この瞬間の日本が古代なのだ。
皇紀が2666年を数え、現存する世界最古の国家でありながら、
太陽系で最も優れた古代文明が今も太陽系の精華として栄え続ける古代帝国が日本なのだよ。
67日本@名無史さん :2006/11/27(月) 08:54:31
ウルトラマンによく出てくる「古代怪獣」ってのは、
いつ頃生息した生き物のことを指すのだろうか。
68日本@名無史さん:2006/11/27(月) 09:09:14
今、この瞬間が古代なのだからあらゆる怪獣が古代怪獣なのだよ
69日本@名無史さん:2006/11/28(火) 00:35:56
古代 黄河文明から三国時代まで
中世 邪馬台国から応仁の乱まで
近世 戦国時代から寛政の改革まで
近代 幕末からWWTまで
現代 関東大震災から安部政権まで
70日本@名無史さん:2006/11/28(火) 00:46:43
古代 養老律令発布まで
中世 養老律令発布から大本帝国憲法発布まで
近代 大日本帝国憲法発布からバブル崩壊まで
現代 バブル崩壊から
71日本@名無史さん:2006/11/28(火) 08:00:20
おまえらの妄想定義はどうでもいい。
72日本@名無史さん :2006/11/28(火) 12:53:47
>>72
ではこのスレを見る必要はないな。去りなさい。
73日本@名無史さん:2006/11/28(火) 13:11:17
古代だっつーの
74日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:19:52
>>69
各時代が不連続ですなあ。
例えば、近代の終わりのWWIから現代の始まりの関東大震災までの間は、
一体何なのさ?
75日本@名無史さん:2006/12/22(金) 03:10:25
>>10に大筋同意。
中世荘園の成立において院政期がターニングポイントなのは事実だが、摂関期も
中世というのに同意。
俺は口分田の支給が行われなくなった10世紀以降を中世だと考えたい。
鎌倉以降まで繋がる荘園が現れ始めるのも、多くは早くて10世紀くらいから。

もっとも『大日本史料』の区分では、鎌倉までが古代で、南北朝以降が中世に
なっているが。


>13
織田政権の扱いは微妙だと思うぞ。
中世荘園制の重層的な支配関係を最終的に精算&整理して、近世的な知行制度に
移行させたという点では、太閤検地が日本社会に与えた意味は大きい。

あと各地の自治体史がどこを中世と近世の境界と見ているかを調べてみると、
中央に近い地域の自治体史のなかには確かに織田政権からを近世としている例も
あるけど、多くは豊臣政権からを近世としている傾向があるように思う。
特に初期豊臣政権の版図には含まれていなかった九州や関東の場合、それぞれの
地域に豊臣政権の支配が及んだ1587年(九州の場合)や1590年(関東の場合)を
中世と近世の境界にしている自治体史が多い。

さらについでにいうと、史料論の立場からは17世紀まで中世という意見も
あるらしい。
76日本@名無史さん:2006/12/23(土) 22:09:55
>>56>>60
「先史時代」というのは「原史時代」「歴史時代」に対応した概念。
先史時代・・・文献からの歴史の復元が不可能で、文献史学の研究対象とは
       なり得ない時代。
    →日本史においては縄文時代以前に相当。
原史時代・・・文献からの歴史の復元が断片的には可能であるが、考古学の
       成果と照合せずに全体の流れを考察するのは困難な時代。
    →日本史においては弥生〜古墳時代に相当。
歴史時代・・・文献による歴史の復元が十分に可能で、考古学は文献史学の
       補助的な位置付けになる時代。
    →日本史においては飛鳥時代以降に相当。

なお原史時代・歴史時代の開始点は、当然ながら国や地域によって異なるが、
一般的に古代文明が栄えた場所の周辺部に該当する地域は、原史時代が長くなる
傾向がある(自ら記録をつけ始めるかなり前から、隣接した先進文明地域の
文献に断片的に登場するため)。
一方で、特に新大陸などには、原史時代を殆ど経ずに先史時代からいきなり
歴史時代に移行しているケースも結構ある。

あと「原史」と「原始」は全く別の概念ですので。念のため。
77日本@名無史さん:2006/12/23(土) 22:26:14
古神道その他いろいろ2 他山の石  より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。

822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
                 
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/
186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。

824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822
神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。

QQQQQQQQQQQQ この人明らかに馬鹿だと思いませんか? QQQQQQQQQQQQQ


78日本@名無史さん:2007/01/17(水) 00:28:09
「日本の古代」である以上、「日本」が始まる670年あたり以前には遡らないな。
79日本@名無史さん:2007/01/28(日) 20:31:09
>>78
まあ、そういうことだね。
80日本@名無史さん:2007/01/28(日) 20:50:24
大和のごときは事実上漢人の国、山城は事実上秦人の国と言われましたが
継体天皇はなで摂津の国の樟葉の宮で即位したのでしょうか
81日本@名無史さん:2007/02/06(火) 00:23:21
列島を統一して律令を制定して、まあまあ律令制が維持できた時代が古代。
82日本@名無史さん:2007/02/06(火) 00:49:44
おまいらの勝手な時代区分はどうでもいい。

以前の教科書や百科事典や歴史の本では平安末期までが古代だったが、
現在の教科書では摂関政治までが古代で院政期以降が中世になってる。
83日本@名無史さん:2007/02/06(火) 22:35:20
平安時代というのは、すごく大雑把な時代区分だよね。
84日本@名無史さん:2007/02/06(火) 22:58:43
>82

教科書を信じて疑わずにいられる君は、本当に幸せだねwww
85日本@名無史さん:2007/02/06(火) 23:11:17
少なくとも、ネット上のわけのわからん名無しよりはマシだろw
86日本@名無史さん:2007/02/06(火) 23:39:27
>85

君はネット上のわけわからん名無しすら、
真剣に信じることを検討しちゃったわけね。
幸せな奴だなあwww
87日本@名無史さん:2007/02/07(水) 00:37:01
意味不明。
名無しのタワゴトなど、どうでもいい。
88日本@名無史さん:2007/02/07(水) 00:49:42
なんでそんなに必死なのか。
>>82 >>85 >>87
89日本@名無史さん:2007/02/07(水) 01:22:11
このスレ自体を否定しようとしているアホが、
懸命にレスつけてるから、からかってるわけ。
90日本@名無史さん:2007/02/08(木) 21:54:16
ずい穴信仰
ってどう読むんでしょうね?
91日本@名無史さん:2007/03/25(日) 17:00:05
縄文時代
92日本@名無史さん:2007/04/02(月) 18:08:20
ムー大陸
93日本@名無史さん:2007/04/30(月) 22:03:24
人類が定住するより前の時代
94日本@名無史さん:2007/04/30(月) 23:55:02
飛鳥時代からが古代。
それ以前は原始。
95日本@名無史さん:2007/05/01(火) 07:17:50
明日からは未来
96日本@名無史さん:2007/05/02(水) 14:58:08
俺からすると平安から中世だな
理由は武士が出てきたから
古代は飛鳥、奈良あたり
97日本@名無史さん:2007/05/29(火) 21:55:15
恐竜が出現するより前の時代
98日本@名無史さん:2007/06/03(日) 01:37:55
マジレスすると、「奴隷がいた時代までが古代」という説を見たことがある。
私は不勉強だが、それによると平安時代あたりまでが古代らしい。
99日本@名無史さん:2007/06/07(木) 21:51:49
>>98
なるほど。
アメリカではつい最近まで古代だった訳だね。
100日本@名無史さん:2007/06/09(土) 10:38:57
新詳日本史(浜島書店)には中世は院政が始まってからって書いてある
101日本@名無史さん:2007/07/17(火) 21:52:23
延喜年間から中世ってのが現在の通説では?
102日本@名無史さん:2007/07/25(水) 23:32:15
頼朝が地頭を置いた頃から中世だよ。
103日本@名無史さん:2007/07/25(水) 23:49:07
では日本史における前近代史の構造についてはどう思う?
104日本@名無史さん:2007/07/26(木) 00:03:49
平安後期も中世だったという説もある。
105日本@名無史さん:2007/08/12(日) 17:02:54
>>104
>>101参照。
106日本@名無史さん:2007/08/15(水) 22:28:09
原始=原住民世界=先土器・縄文(〜−500頃)
古代=国家形成史=弥生・古墳・飛鳥(−500頃〜701)
中世=国内政権攻防史=飛鳥末期〜幕末(701〜1868)
近現代=欧米先導型社会=明治以降(1868〜)
107日本@名無史さん:2007/09/22(土) 00:56:46
>106 大体そんな感じと思うよ。

中世≒律令時代

という感じと思うよ。
108日本@名無史さん:2007/09/28(金) 10:45:30
飛鳥末期が中世? 律令国家が中世? アフォか
109日本@名無史さん:2007/09/29(土) 20:41:55
律令時代=中世
これで決まり。
110日本@名無史さん:2007/09/29(土) 20:57:08
現行の日本史教科書では、以下の通り

原始=縄文・弥生・古墳
古代=飛鳥・奈良・平安
中世=院政期・鎌倉・南北朝・室町・戦国
近世=安土桃山・江戸
近代=幕末・明治以降

院政期が中世になってるのには、ちと驚いた。
111日本@名無史さん:2007/09/29(土) 21:04:46
教科書の時代区分は変だな。
古墳時代が原始時代な訳ないし。
112日本@名無史さん:2007/09/30(日) 08:58:19
40年前の中公旧版「日本の歴史」の井上光貞の説明では、
記紀のような文献がある程度利用できる推古朝からようやく歴史時代なんだと。

古墳時代は文献による歴史の再現が厳しく、基本的には考古学の範疇ということ。
113日本@名無史さん:2007/09/30(日) 09:30:58
多少幅を持たせて考えると、
7世紀前半の継体大王擁立〜仏教公伝のあたりからが飛鳥前史であり、
古代のはじまりだろうな。
114日本@名無史さん:2007/09/30(日) 10:41:10
歴史区分は歴史的発展段階自身の区分によるべきだね。
学者の間では、文献資料の有無と研究手段によって区分しているようだが、
そんなのは可笑しなことだよ。それは歴史区分じゃなくて、学際区分だよね。
115日本@名無史さん:2007/09/30(日) 12:59:44
古事記、日本書紀に出ている辺りが古代。
それ以前は人は住んでいなかったということになっている。
116日本@名無史さん:2007/09/30(日) 16:13:33
>>111
「原始」ではなく「原史」なら悪くもない。
「原史時代」とは「先史時代」や「歴史時代」に対応した用語で、自らに
残された文献史料からは、断片的な情報しか分からないが、外国の文献や
考古学の成果などを総合すればある程度の歴史の復元が可能な時代。
日本史に当てはめるなら、
先史時代・・・縄文以前
原史時代・・・弥生・古墳
歴史時代・・・飛鳥以後
となる。
117日本@名無史さん:2007/09/30(日) 20:45:44
それってやっぱり研究手段の区分だよね。
研究対象自体の区分とは関係ないよね。
118日本@名無史さん:2007/09/30(日) 21:34:24
研究対象自体の性格が違うから、研究のアプローチの仕方が変わって来るんだろ。
119日本@名無史さん:2007/09/30(日) 23:09:56
それはどうかな。
文字の有無が時代区分の画期というべきかどうかがまず論じられる必要があるな。
120日本@名無史さん:2007/10/01(月) 01:08:11
文字の有無ではなく史料の残存状況の善し悪しだろ。歴史研究で重要になるのは。
121日本@名無史さん:2007/10/01(月) 21:23:23
だから、それは研究手段の区分であって、
研究対象自体の時代区分じゃないよね。
122日本@名無史さん:2007/10/13(土) 23:38:20
文字史料がほとんどない=国家として未発達の状態

実際、木簡とかのマトモな文字史料がまとまって出土するのは7世紀以降で、
銅鏡とか剣の銘文くらいしかない、それ以前とは雲泥の差だからな。
123日本@名無史さん:2007/10/14(日) 01:50:28
>>99
日本基準ならそうだと思う。
西洋は元々野蛮な国の集合だし。

日本は奴隷なんて、戦国以前に消えてる。
124日本@名無史さん:2007/10/15(月) 03:42:48
まあ、庶民の殆どが奴隷みたいなもんだから。
文字の有無と国家の発達度は無関係。
125日本@名無史さん:2007/10/15(月) 17:18:04
文字の有無は歴史の発展のひとつの要素ではあるけど、それ以上のものではないよね。
そんなものを歴史の大区分とするのは可笑しな話だよね。
126日本@名無史さん:2007/11/04(日) 10:10:22
701年の大宝律令から1889年の大日本帝国憲法発布までが律令時代。
それ以前が古代。
それ以降が憲法時代。
127日本@名無史さん:2007/11/04(日) 11:44:23
701年に過去の大王にも天皇名が新規に付与されたんだよね
128日本@名無史さん:2007/11/05(月) 15:11:55
鯨と海豚は名前が違うけど、実際は種族は同じで、身体の大きさで分けられているだけとのこと。

つまり、大した差はない。
129日本@名無史さん:2007/12/09(日) 22:36:02
日本国の歴史は701年に始まった。
それ以前には日本史はない。もちろん大和民族の歴史はもっと古いけど。
130日本@名無史さん:2007/12/10(月) 00:33:13
>>121
歴史学に限らず、学問の学問としての領域の区分は、研究者がそれに
アプローチするに当たっての研究手法の違いによってなされるものだぞ、普通。
同じアプローチでは研究できない=学問分野が違うっていうのが普通の発想。
131日本@名無史さん:2007/12/10(月) 00:33:58
>>121は基地外
132日本@名無史さん:2007/12/10(月) 21:34:19
時代区分は学問領域の区分じゃないよね。
動物の種の分類と同じで、分類自体が学問領域なんだよ。
まあ中には時代区分なんて意味ない、という人もいるようだけどね。
文字の有無が時代区分にとって重要なポイントだというのであれば、
それはそれで重要な論点だけどね。
133日本@名無史さん:2007/12/10(月) 23:13:42
ageるな、基地外
134日本@名無史さん:2007/12/11(火) 22:06:35
時代区分の画期は歴史学の普通に重要な論点だろ。
135日本@名無史さん:2008/01/06(日) 18:07:18
古代というのはヨーロッパ史のローマ時代のことだよ。
日本史でもヨーロッパ史になぞらえて、古い時代に広域で明確な支配があった
時代として律令制がしっかりしていた時代を古代と呼ぶことがあるね。
でも、これはヨーロッパ史のアナロジーに過ぎなくて可笑しな感じだよね。
136日本@名無史さん:2008/01/13(日) 01:19:41
【朴炳植】「ニッポン」の語源は「イルボン」。日本は韓半島の古代部族国家ウガヤが建てた国 [01/10]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1200153934/l50

Σ(゚Д゚)ガーン
137日本@名無史さん:2008/01/14(月) 13:50:00
確かにこれを見ると、古墳文化も銅鏡も朝鮮半島のこの辺りを経由して
日本に持ち込まれた可能性は高いと感じますね。
しかし、このあたりに住んでいたのは、今の朝鮮族ではなくて、北から
移り住んだツングース語族の一つだと思われます。


ttp://www.nishida-s.com/main/categ2/korea-2/korea-2.htm
138日本@名無史さん:2008/01/14(月) 14:03:20
一般向けの本や教科書では、古墳時代以前の有史以前の時代が原始で、
6世紀の継体朝以降、飛鳥・奈良・平安までが古代になっている。
ただ、最近の教科書だと、平安でも院政期以降は中世になっている。
139日本@名無史さん:2008/01/14(月) 14:21:27
継体朝からってのはなんか変だな。
140日本@名無史さん:2008/01/14(月) 14:31:29
継体以前は考古学がベースで外国史料や金石史料で補っている。
継体以降は国内の文献史料がベースで、天皇も実在の人物として扱われている。
141日本@名無史さん:2008/01/14(月) 14:33:58
>>140
それはどうかな。
倭の五王時代の国内文献研究も盛んだし、
考古学は近世や近代にも有効。
大宝律令施行まで「国」や「郡」がなかったことは
考古学調査で出てきた木管でわかったことだしね。
142日本@名無史さん:2008/01/14(月) 14:45:45
古墳時代の「後期」は雄略朝以降の5世紀末が画期だし、
飛鳥・奈良朝に繋がる政治的・文化的変化は、仏教伝来や遣隋使があってからだろうし、
継体朝はちょうどその間で、今城塚のハニワ祭祀の様子なんか見ると、
138さんが紹介したものでいうところの「古代」よりは、「原始」に近いな。
143日本@名無史さん:2008/01/19(土) 19:12:19
中公旧版の第1巻「神話から歴史へ」(井上光貞)では、欽明朝まで扱ってる。
井上サンは推古朝以降が歴史時代みたいなこと言ってるね。
第2巻「古代国家の成立」(直木幸次郎)も欽明朝前後から書きはじめてるけど、
まあその辺が原始と古代の境目だろうか。

継体朝〜推古天皇即位までの時期が原始から古代の過渡期と考えるべきか。
144日本@名無史さん:2008/01/20(日) 10:45:26
権力の構造が、変化し始めて実質的な〔天皇制の確立〕と文化的思想的意味あいを持つ〔仏教の導入〕をみると、継体(507〜欽明朝〜571)あたりが、古代国家の形成期かなとも思える。ちなみに聖徳太子は574に生まれている。
145日本@名無史さん:2008/01/25(金) 23:38:29
つい昨日まででしたよ。
今日からは日本も近代国家です。
146日本@名無史さん:2008/01/26(土) 08:39:25
古代の次は中世だろ
147日本@名無史さん:2008/04/13(日) 18:32:00
時代区分を研究手法で分けるのは邪道だよね。
時代区分は時代の中身でやらなきゃ駄目だよ。
148五月雨:2008/06/02(月) 20:56:22
私、新スレがたてられないということなので、このスレに書き込みをいたします。


かつて、斬新な視点方法から古代をといなおし、一時は古代史学界在野に強烈な衝撃をもたらし一世を風靡しながら、
現在はすっかり零落した姿をさらしている人物がいます。
かれの業績については、全否定をするものと、一部取り上げられるべきところはあるとするものがいるようである。、
彼の著書を一つひとつよみかえしながら、かれの功績を今一度問うてみたいとおもうものである。

「邪馬台国」はなかった。
序章 わたしの方法
・それまでの研究結果や是認されていることに改めて疑問をといかけるということである。
(問題はない)

149日本@名無史さん:2008/06/05(木) 10:32:16
>>114
まさに発展段階論で学者は区分してたんだよ。何言ってんだか。
歴史は発展すると思ってたんだよ、昔の学者は。
今では、古代・中世とかいう名称自体が批判対象になっている。
歴史が発展するもんだとは、もう誰も思っていない。
150五月雨:2008/06/27(金) 22:27:32
第一章
ここでは壱(旧字)とダイ(旧字)の探求である。
現在は邪馬台国と描かれるが、この台は、本来の字ではない。元はダイ(旧字)である。ダイは旧字でそれと同じ意味と思われる台の字を現在はつかっている。
しかし、一本では、邪馬壱(旧字)国とかかれているものがある。
そしてこの壱はダイ(旧字9の間違いであるとされっている。
古田はこのだれもが疑いもしなかった常識に挑戦した。
そして中国の古典の中の壱(旧字)とダイ(旧字)の字を摘出し、それに間違いがあるかを調べたのである。
その結果
「壱(旧字)とダイ(旧字)は字形が似ているからあやまったのであろう」・・・このような「推定」が、全くの
根拠なき憶測にすぎぬことが判明したのである。(朝日新聞社「邪馬台国はなかった」p50
との結論にたっしたのである。
おどろくべきことに従来の研究者は確かめもせずに憶測でもって論じていたのである。
大学者や著名な大学の先生方がこのようであったから、ほかの方々の邪馬台国論が憶測とロマンに
みちあふれていることは容易に想像できるであろう。
まさにこれは斯界の学者への挑戦でもあった。
151サガミハラハラ:2008/07/02(水) 17:25:51
次に氏は後漢書と魏志の対比である。
p65「ハンヨウが陳寿の文に対するに、意外にもあまりに無造作にして粗放な態度で相対していることがはっきりする。」として
「このようにしてみると「三国志」と「後漢書」の記述が異るとき、五世紀のハンヨウの文意を根拠にして、三世紀の陳寿の文章を改定することの、いかに危険であるかがわかるだろう。
したおあるのをがって「後漢書」に「邪馬台国」(台は旧字)とあるのを根拠に「三国志」の「邪馬一国」(一は旧字)をあやまりとして訂正することはまちがっている。
二文献の資料性格を比較するかぎりそれは到底できない。」とある。

この件についてはもう少し話が進展してから論評したい。
152サガミハラハラ:2008/07/03(木) 22:36:10
次いで、ハイショウシとハンヨウについて延べ、(p66)当時は邪馬台国とした本は存在しなかった。とした。
更に台(旧字)の字は天使のシンボルとして尊重され、蛮国の名前につかわれることはないとした。

ただしこの台の字の使用については、否定的な見解もある。
153日本@名無史さん:2008/07/04(金) 00:21:06
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
154サガミハラハラ:2008/07/10(木) 21:35:50
その後、歴代の学者たちが台字をとるに至った事由を述べている。
中国資料のおける、後漢書の記述をうけ三国志を改定しているとし「後漢書」優先主義が、すでに中国の唐・宋時代にはじまっていることがわかる。
あるいは、資料性格上依拠すべからざる後代の唐・宋代史書にもとづいて、本文改定を行ってあやしまなかったことが確認されるのである。と結んでいる。

*つまり、台の字は最初はなかったといっているのである。ここでは。
155サガミハラハラ:2008/07/13(日) 15:35:43
第二章 いわゆる「共同改定」批判
会稽東冶について、これは会稽東治(ショウキ本)のままが正しく東冶は誤った改定であるとしている。
その根拠の一つは、古の聖人(ウや太伯)が中原の東の会稽でその地をおさめたことに由来するということをあらわしているという。
よって東治でよいというのである。

*確かに一理ある。東冶では地理的に苦しい。私も東治のままでよいと思う。
156日本@名無史さん:2008/07/13(日) 15:49:43






157日本@名無史さん:2008/07/13(日) 15:50:36
110 :日本@名無史さん:2007/09/29(土) 20:57:08
現行の日本史教科書では、以下の通り

原始=縄文・弥生・古墳
古代=飛鳥・奈良・平安
中世=院政期・鎌倉・南北朝・室町・戦国
近世=安土桃山・江戸
近代=幕末・明治以降

院政期が中世になってるのには、ちと驚いた。

111 :日本@名無史さん:2007/09/29(土) 21:04:46
教科書の時代区分は変だな。
古墳時代が原始時代な訳ないし。

112 :日本@名無史さん:2007/09/30(日) 08:58:19
40年前の中公旧版「日本の歴史」の井上光貞の説明では、
記紀のような文献がある程度利用できる推古朝からようやく歴史時代なんだと。

古墳時代は文献による歴史の再現が厳しく、基本的には考古学の範疇ということ。

113 :日本@名無史さん:2007/09/30(日) 09:30:58
多少幅を持たせて考えると、
7世紀前半の継体大王擁立〜仏教公伝のあたりからが飛鳥前史であり、
古代のはじまりだろうな。
158日本@名無史さん:2008/07/13(日) 15:54:37
122 :日本@名無史さん:2007/10/13(土) 23:38:20
文字史料がほとんどない=国家として未発達の状態

実際、木簡とかのマトモな文字史料がまとまって出土するのは7世紀以降で、
銅鏡とか剣の銘文くらいしかない、それ以前とは雲泥の差だからな。

143 :日本@名無史さん:2008/01/19(土) 19:12:19
中公旧版の第1巻「神話から歴史へ」(井上光貞)では、欽明朝まで扱ってる。
井上サンは推古朝以降が歴史時代みたいなこと言ってるね。
第2巻「古代国家の成立」(直木幸次郎)も欽明朝前後から書きはじめてるけど、
まあその辺が原始と古代の境目だろうか。

継体朝〜推古天皇即位までの時期が原始から古代の過渡期と考えるべきか。

144 :日本@名無史さん:2008/01/20(日) 10:45:26
権力の構造が、変化し始めて実質的な〔天皇制の確立〕と文化的思想的意味あいを持つ〔仏教の導入〕をみると、継体(507〜欽明朝〜571)あたりが、古代国家の形成期かなとも思える。ちなみに聖徳太子は574に生まれている。
159サガミハラハラ:2008/07/20(日) 21:43:40
次は景初2年の問題である。
これは景初3年の間違いであるといいうのが定説である。2年ではまだ公孫氏討伐の真っ最中であるからである。
しかし、半島は海路すでに魏によって制圧されていたので倭国の朝貢は十分考えられるとしている。
戦中遣使であったという説である。

*2年のままでよい、は私も賛成である。第一、明帝は3年の1月一日に死んでいるのである。
160サガミハラハラ:2008/07/27(日) 22:42:57
紹熙本と紹興本のどちらを用いるべきかという問題であるが、紹熙本のほうが北宋咸平本の系統をひいているので、こちらのほうが良本であるという。

*私もそう思う。

海峡上の国名島名であるが、
大陸側の名称か、倭国側の名称かということになり、対馬は馬韓にたいする島の意味であり、対会国は中国側qの呼び名、一大国も中国側の呼び名とある。

*確かに国境に近い場合、それぞれのが倭の名称をもつことはある。
しかし、対島は私が長らく主張してきたように、馬はマであり倭語の間(住居の居間、土間、客間の間と同じ意味)のことであり、対(紀田島と南島はほぼおなじ形大きさでついとなっている)の間
ということで対馬である。対海国は対馬の南島にある国のことでカイは南のような意味を持っているのかもしれない。南風をハエと読む)
一大国は、壱岐の石田説があります。よって対海国も一大国も倭側の国名であるとみます。
161日本@名無史さん:2008/07/27(日) 22:51:56





  ス レ ジ ャ ッ ク は や め れ 。






162日本@名無史さん:2008/07/27(日) 22:53:22






ここは特定のコテハンの自説発表のスレではない。スレの私物化、乗っ取りはやめなさい。




163サガミハラハラ:2008/07/28(月) 10:21:51
新スレをたてるよりも、もう使われなくなったスレを使用したほうがいいと思いますけど。
164日本@名無史さん:2008/07/28(月) 12:07:03
古墳時代って原始扱いなの?
俺の持ってる教科書では原始・古代は一緒くたにされてるけど
165 サガミハラハラ :2008/07/31(木) 18:45:45
次は「各個改定」の番だとし、
p148後代の論者は、軽々しく改定の手を加えてはならなう。−これが原則だとし、五つのルール(これまでの改定箇所批判)を決めた。
*これについては私も同意である。
p150そして「二大各個改定」についても、その基盤は意外にもろいとした。
「南」は「東」に「陸行1月」は「陸行1日」に改定すべしという論について批判している。
そしてその改定せざるを得ない理由として次のように述べる。
「その答えはハッキリしている、と私にはおもわれる。つまり、我が国の論者が自分の到達しようとする「予定地」にいたるためには、そのように原文を
直さないとたどりつけない、ということなのである。言い換えれば“二つのヤマト(大和か山門)”にいたるために、それが必要だからなのである。
これをさらに煮詰めていえば、”目的地がすでにきまっている”から、この「改定」が必要なのである。
*これについても激しく同意します。そもそも邪馬台国比定地問題は語呂合わせからはじまったといってもよい。
しかし、古代の地名がすべてのこっていると考えたのが混迷のはじまりであった。
その結果、ヤマタイに似た音の大和と山門をあてたわけである。
166 サガミハラハラ :2008/08/01(金) 20:31:41
p152「南→東」の改定の批判の中で、混一疆理歴代国都之図についてふれ、「後代の史書(後漢書)を妄信した後代の学者の錯覚に属していたのであるとし、
陳寿の頭の中に書かれていた地理像は、けっして明代の「混一図」と同じではなく、逆に、日本列島の緯度えをほぼ正確にとらえていた。ここには、なんらの地理的錯覚も存在しないのである。
とのべているが、この混一図については、紙のスペースの関係で日本を90度まげてかいたのではという説がある。現に、東西を正しく書いている同時代の似た地図がある。
安本先生主宰「邪馬台国の会ホームページ」の歴史解説の解説をクリックすると混一図についての説明があります。

*陳寿の地理像についての古田氏の見解はかいかぶりすぎである。
 陳寿はそれほど正確に倭をとらえていたとはおもわれない。
167日本@名無史さん:2008/10/04(土) 07:47:07
>>1
1167年に平氏政権が誕生するまで。

個人的分類による日本古代文明
・第一期縄文文明(B.C.14500〜B.C.6000)
・第二期縄文文明(B.C.6000〜B.C.1000)
・弥生文明(B.C.1000〜271)
・第一期古墳文明(271〜367)
・第二期古墳文明(367〜646)
・天皇貴族文明(646〜1167)
以後中世

各文明の年代推定の根拠
・縄文文明第一期と第二期の境目…農耕の有無による。
・弥生文明の終末…数学者橋田慶造の雄略天皇以前平均在位年代16年説と王朝交替史観と吉備東遷説による。
・古墳文明第一期と第二期の境目…騎馬民族征服王朝説と上の根拠による。
・第二期古墳文明と天皇貴族文明の境目…改新の詔による天皇中心政治の開始による。
・天皇帰属文明の終末…平氏武家政権の開始による。
168日本@名無史さん:2008/10/04(土) 10:54:45
>>136 【朴炳植】「ニッポン」の語源は「イルボン」。日本は韓半島の古代部族国家ウガヤが建てた国 [01/10]

・・・そのオッサンは言語学者でもなんでもない政治屋で、日本語と朝鮮語との語呂合わせの達人のようだ。

 ニッポンは朝鮮語イルボンでなくて日本古来の呉音であることも知らないのか
故意にすりかえているものだろう。

 朝鮮半島にあったウガヤというのも存在していたとしても倭人国家であり
朝鮮とは関係のない話だ。

169日本@名無史さん:2008/10/04(土) 13:27:06
原始=縄文・弥生・古墳
古代=飛鳥・奈良・平安
中世=院政期・鎌倉・南北朝・室町・戦国
近世=安土桃山・江戸
近代=幕末・明治以降
170日本@名無史さん:2008/10/05(日) 06:29:15
>>168
朝鮮半島にウガヤ国があったというのも根拠の無い話だし、
その根拠の無い国が倭人国家だというのも根拠の無い話。
171日本@名無史さん:2008/12/27(土) 13:24:51
いいれす
172日本@名無史さん:2009/01/07(水) 01:57:34
神話時代的な古墳時代こそ古代かな
飛鳥時代は、豪族に仏教がはやりだしただけで一般人には受け入れてない
奈良時代あたりから中世だろうか
日本に古代はないっていう説もあるね
173日本@名無史さん:2009/01/07(水) 03:21:27
ロシアの研究者が調べた結果では、奈良時代からを中世として大学で教えていた。
しかし、ソ連崩壊後は日本の学問を尊重して平安中期から中世と変えた
174日本@名無史さん:2009/03/15(日) 08:15:41
あげ
175明日の風:2009/03/16(月) 23:34:11
飛鳥以前は上古ということではいかがでしょ。それ以前の弥生時代全部含みます。
176日本@名無史さん:2009/03/17(火) 21:00:00
>>175
いいね
青銅器作成から上古と呼べるんじゃない
古典古代という言葉があるから
当てはめるなら飛鳥時代がそうかも
177日本@名無史さん
人によって色々じゃない。
奈良時代まで・嵯峨天皇の時代辺りまで・遣唐使廃止辺りまで・摂関政治まで・鎌倉幕府成立以前までと
古代の区分の概念は人によって様々な気がする。