■  昔から疑ってかかっていた日本史の通説  ■

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1日本@名無史さん
例えば、武田信玄の上洛作戦での織田信長絶体絶命説とか、
考えてみると、思い当たることいろいろあるだろ。
2日本@名無史さん:2006/04/19(水) 15:18:51
秀吉に男色の気がないこと
3日本@名無史さん:2006/04/19(水) 16:30:17
家康腹黒説かな
権謀術数を使ったと解釈できるようなの晩年に少々だし、配下が集まってからだから。
集まるまでは戦以外では真っ向勝負というか定石ばかり行ってる感じだし
4日本@名無史さん:2006/04/19(水) 17:26:08
武田騎馬隊の存在

豪族よせあつめの武田家でそんな編制は無理。
5日本@名無史さん:2006/04/19(水) 18:49:46
そりゃ明智光秀だろ。
三日天下でソッコー秀吉に敗北、
そんなに馬鹿じゃないっつうの。
桔梗紋は生き続けてた
6日本@名無史さん:2006/04/19(水) 20:48:41
戦国時代の幕府・朝廷無力説
有名無実とか言われてるけど近畿以外の地域ではまだ利用されてるし。
関東なんて古河公方が付いた方が人が集まったり、士気が上がったという話もある。
7日本@名無史さん:2006/04/20(木) 13:02:28
今川義元無能説
8日本@名無史さん:2006/04/20(木) 13:09:43
>>1-7まで戦国時代の話題しかないことから
この板のレベルが低くなりつつあることがわかる
9日本@名無史さん:2006/04/20(木) 14:39:06
>>8 20ぐらいまでついてから判断すればいいじゃん。
連鎖的に出てくるのは当たり前なんだしさ。で、おたくは疑う通説だせないの?

倭の五王が大和朝廷に繋がっているという説
ばらばらな気がするし、単に中国伝説の帝を真似ているように思えるので
10日本@名無史さん:2006/04/20(木) 15:45:22
小説やドラマでよく源義経が軍神のように扱われているが、
明らかにただのばくち打ちです。
11日本@名無史さん:2006/04/20(木) 16:16:59
藤原不比等は本当に中臣鎌足の子供なのか?
鎌足は本当に大化の改新の立役者なのか?そもそも実在したのか?
中大兄皇子はほんとうに皇太子なのか?
大海部などは本当に皇族なのか?
道教は悪い野心家で巨根だったのか?
12日本@名無史さん:2006/04/20(木) 17:08:39
>>7
今川は有能だけどデブ
13日本@名無史さん:2006/04/20(木) 17:33:35
>>8
>>1-7はどう見てもひとりの人間が書いたものだろ。
日本史板のような過疎板では、スレを軌道に乗せるために
しはしば用いられるテクニックだ。
14日本@名無史さん:2006/04/20(木) 18:11:09
>>13 >>6は俺。他は違うよ。これで、少なくても二人だね。
そもそも一人でやったとしても日本史板では例示ってことで別に認められてることなんだが・・・

聖徳太子の有能説、主導改革説
蘇我氏の力と影響力を考慮し、また当時の朝廷の構造を考えるとほぼ不可能と思われるから
15日本@名無史さん:2006/04/20(木) 18:24:29
>3は俺
>>14
日本史初心者がどう思おうが勝手にさせとけ。意見すら言えないんだから。
平将門の乱の主犯が将門であること
朝廷の対応が攻勢的だったり、朝廷内部に主犯が居て隠そうとしたように思うので
増して将門の都での働きとか調べると勝手にあんな大事起こせそうに無いから
16日本@名無史さん:2006/04/20(木) 18:33:48
天皇が万世一系な分けがない。
藤原氏などの権勢を誇った勢力が天皇の実父なんてあたり前にあったろう。
新生児すり替えや皇后を天皇以外が妊娠させる程度はやっていなければおかしい。
権力欲があるのにそのぐらいの事も思いつかないほど日本人は馬鹿じゃない。
17日本@名無史さん:2006/04/20(木) 19:10:49
俺の無能説。

そんなわけがあるわけない。
18日本@名無史さん:2006/04/20(木) 21:31:01
>>17
いや、お前は無能説意外聞いたことがない
のだが。
19日本@名無史さん:2006/04/20(木) 22:07:54
天皇家が明治までは仏教徒だったってこと
2ちゃんで気づかされたが言われてみれば仏・法・僧を尊び大仏に国の安全を託し寺を建てて仏に仕えてる。
法王は寺で政務をとり頭を丸めてる。
明治になるまでは仏教は一向宗などの巨大な勢力を築いたが神道(古神道)では自然信仰の習俗でしかなく小さな勢力にもならない。
みんな明治からできた国家神道が日本古来のものと勘違いしてるし神道は本来、山や動物などの自然の中に神が宿るもので昔話に残るその土地での神。
天照なんて中央集権的な存在は日本の歴史と人々が明治までは受け入れなかったのだという事。
20日本人:2006/04/21(金) 06:02:16
キリシタン禁令という「定」はキリスト教を禁止することにより外人の流入防止を
はかり、外来伝染病の進入を防いだ。そして長崎出島検疫居留地を建設し、検疫の
強化をはかった。
21日本@名無史さん:2006/04/21(金) 07:24:06
万世一系
22邪馬台国侍 ◆G5PYesuXOc :2006/04/21(金) 08:01:17
江戸時代の農民は天皇の存在を認識していなかった、というデマ。
23邪馬台国侍 ◆G5PYesuXOc :2006/04/21(金) 08:07:40
戦前には国家神道なる不思議な宗教が存在したというデマ。
権力による神社の管理監督は太古から続いているし、
諸外国でも最大勢力の宗教は国家の統制下にあるものだが、
そんな本来、精緻な審議比較の必要なトピックについて、
国家神道なる造語で解った気になってる思考停止君が多い。
24日本@名無史さん:2006/04/21(金) 10:10:49
当時は国家神道は宗教ではないという建前になってたんだよな。
25日本@名無史さん:2006/04/21(金) 10:44:16

教えてください
聖徳太子不存在説と伝太子画は馬子説という疑いのこと

日本史くわしい先生おねがいします
26日本@名無史さん:2006/04/21(金) 23:44:59
>>14
権力構造のバランス感覚に優れていて、有能であった推古天皇が聖徳太子の
後見人でなかったら、聖徳太子の改革は不可能だったと思う。
27日本@名無史さん:2006/04/21(金) 23:52:21
>電波侍◆G5PYesuXOc
つ神仏習合
28日本@名無史さん:2006/04/21(金) 23:57:13
増健は学生横綱だった
29日本@名無史さん:2006/04/22(土) 00:02:40
江戸時代の神社ってのは原則的に寺の附属だろ?
30日本@名無史さん:2006/04/22(土) 01:49:30
ともかく、天皇の神道専修回帰は明治維新後。
ただし、大教宣布が行われた明治天皇の時代でも
天皇の仏寺行幸とか頻繁に行われており、まだ仏教とは切れていません。
昭和天皇の話では大正天皇は漢籍に強く、
仏典の一節なども諳んじていたとのことなので、
実際に神道純粋培養の天皇は今の代からとも言えますね。
31日本@名無史さん:2006/04/22(土) 03:10:38
>>26 当時の朝廷の構造を考えると推古天皇が後見人として働いていたかも疑わしい。
大豪族の蘇我氏が聖徳太子を引き立て改革を断行したと。
その際に推古天皇は蘇我氏の賛同者で名分的に協力した程度に思われるので
32日本@名無史さん:2006/04/22(土) 13:50:39
>>15
>朝廷内部に主犯が居て隠そうとしたように

これは新説だね。
主犯って例えば誰?
33日本@名無史さん:2006/04/22(土) 17:24:32
>>32ここの主旨と違うぞ。突っ込む前に自分の書くかせめてsageろよ。
>>15かなり前に話題に出てた奴か?藤原忠平陰謀説とかの。

真田幸村名将説
父や兄の逸話は残っているが、幸村については皆無。
後世の物語でしか語られていないから、
34日本@名無史さん:2006/04/22(土) 19:40:06
ミカドが大事にされてきたと言われるが
歴史を勉強するとミカドも公家もほったらかされてボロ小屋で乞食暮らし、庶民の子供が遊び場として上がりこむ
病気でも無視され死んでも野ざらし  大事にされてないじゃんとわかる
現代でも名前を出して寄付行為をするような売名感覚で豪族達も天皇に寄付とかしてたんだろうか
3532:2006/04/22(土) 20:04:35
今川義元上洛説

織田信長、武田信玄のように、大義名分たる将軍からの上洛要請がない。
今川家の出陣関係資料にも上洛に関する文言が見当たらない。
3632:2006/04/22(土) 20:11:54
今、思い出したけど、足利一族内では、
「足利が倒れた時は、吉良が立て、吉良が倒れた時は、今川が立て。」
と言われていた。当時、将軍家、吉良家も没落していたことも、
今川義元上洛説の根拠になったのかも。
37日本@名無史さん:2006/04/23(日) 22:01:50
足利将軍家に次いで家格が高かったのは斯波氏。
斯波氏は鎌倉時代は本家の代理も務めていたしな
38日本@名無史さん:2006/04/24(月) 01:47:44
蘇我蝦夷とか入鹿とか、なんで見るからに悪そうな名前なんだ?
39日本@名無史さん:2006/04/24(月) 01:56:10
小野妹子=男 説
名前に子がつくことから明らかに女の子
40日本@名無史さん:2006/04/24(月) 02:06:33
違うよ
妹の子供って意味だ
近親相姦のタブーを犯したってことだ
萌え〜
41日本@名無史さん:2006/04/24(月) 10:25:06
>>37
理由はわからないが、室町時代に足利一門内で、家格順位が逆転
したんじゃないかな。斯波は管領家になる時、「そんな仕事は、家臣
である細川や畠山の仕事だ。」って、愚痴をこぼしたって本で読んだけどな。
42日本@名無史さん:2006/04/24(月) 19:05:13
オマーンという国があるが、あれは実はオマンと発音するのが正しい。
なぜオマーンになったかというとオマン国際空港をニュースなどで報道しなければならない時困るからだ。
43日本@名無史さん:2006/04/24(月) 19:40:16
じゃあ【朕】は「チン」じゃなくて「てぃん」?
44日本@名無史さん:2006/04/24(月) 20:08:54
楽市楽座など、信長の政策。
鶴の一声でがらっと世の中変わるほど簡単じゃない。
45日本@名無史さん:2006/04/24(月) 21:47:14
>>38
そうかな?ワロス
46日本@名無史さん:2006/04/24(月) 21:54:18
645年までは蘇我氏が大王だったかもしれないらしいね。
改新の方法(騙し討ち)も権威や権力、軍事力全てを持たない者の手段。
47日本@名無史さん:2006/04/24(月) 22:03:25
通説が疑わしいとか言う前に
大化の改新と乙巳の変の違いくらい認識して欲しいものだ。
48日本@名無史さん:2006/04/24(月) 22:06:43
それは教科書を作った人に言ってやれ
49日本@名無史さん:2006/04/24(月) 23:09:28
乙巳の変の主役が中大兄皇子
50日本@名無史さん:2006/04/25(火) 13:12:37
51日本@名無史さん:2006/04/25(火) 14:00:27
被差別部落形成の歴史。どう考えても平安時代には既に形成されてる地区が存在する。
52日本@名無史さん:2006/04/25(火) 14:02:33
しかも糾弾闘争系運動をして同和地区と呼ばれるのは本願寺門徒のみだ。
53日本@名無史さん:2006/04/25(火) 14:05:00
明治維新以降の政治経済活動の真実を戦後国民に教育を通して洗脳したと思う。
54日本@名無史さん:2006/04/25(火) 14:24:40
豊臣秀吉の存在。
複数の人間が、相まって豊臣秀吉になってしまったのでは
ないか? と今でも疑っている。
学生時代に真剣に調べ初めて早20年・・・
確証が掴めない。
55日本@名無史さん:2006/04/25(火) 17:41:16
それよか石田三成の軍師島左近の存在の方が疑わしいわな。
三成って意外にも戦闘能力は優れていたほうだったというけど、
その理由に島左近がいたことに江戸幕府が捏造したんじゃないか。
だから左近の出自も名前もその後も全く不明になっている。
56日本@名無史さん:2006/04/25(火) 19:30:25
>>55
左近の出自?
筒井家臣の大和平群谷の島家だろ?違うのか?
57日本@名無史さん:2006/04/25(火) 21:21:34
源平時代の戦作法
戦前に名乗りを上げるくらいならともかく、矢戦をしといて一騎打ちで決めるなんてあり得ん
恩賞の報告システム上、武将クラスに戦功を集めるための形式としか思えない
58日本@名無史さん:2006/04/25(火) 22:30:15
>>51
どうしてわかるの?
59世界@名無史さん:2006/04/26(水) 12:46:11
>>56
ごめん「経歴」だった
本によっては筒井以外の家臣になり活躍した話が出てきたような気がするんで
60日本@名無史さん:2006/04/28(金) 23:09:52
>>50
そんなもの恥ずかしげもなく貼り付けてるから
便所の落書きとかいわれるのですよ (´・ω・`)
61日本@名無史さん:2006/04/29(土) 19:40:18
ポチッとなとテレビをつける。
「私が歴史の真実です。私の一族は平安期より国内の出来事をまるでその場に居たかのように見聞し
記憶に焼きつけそれを代々口承してきました。平安時代の真実を皆さんに語りましょう。」
そんな人が現れても信じないのが普通じゃないのか?
712年に1000年前からの口承を形に変えた太安万侶。
神武の傍にいて見聞したのか?いつの時代も権勢の中に身を置いたのか?稗田阿礼とその一族。
この連中の差し出す記述よりも邪馬台国の存在の方を信じる。
62日本@名無史さん:2006/04/30(日) 00:11:17
崇徳上皇と平清盛が実は兄弟。
63平民バカ:2006/04/30(日) 00:45:01
日本が近代に至るまで中国より遅れていたという説。
俺は菅公の頃ぐらいになるとチャイニーズを見下してすらいたと思う。
64平民バカ:2006/04/30(日) 00:48:11
邪馬台国の存在
魏志東夷伝はファンタジー小説。
65日本@名無史さん:2006/04/30(日) 01:27:40
王朝交替説
66日本@名無史さん:2006/04/30(日) 02:00:03
聖徳太子の存在
67日本@名無史さん:2006/04/30(日) 02:12:48
日本の存在
68日本@名無史さん:2006/04/30(日) 02:45:52
大和が沖縄へ片道燃料で行ったとかタンクに半分しか燃料が入ってなかった。という与太話。
タンクに半分あれば布哇迄行けるし、経済航行と戦闘航行では燃費が全く違う。

69日本@名無史さん:2006/04/30(日) 04:12:56
100%打ち落とされるのがわかっているわけだからどうなんだろうね
70日本@名無史さん:2006/04/30(日) 12:14:00
特攻隊美談
曽祖父が特攻隊員だったけど
出撃後みんなと打ち合わせて不時着して米軍に投降した。
見送り機というのがついて来るんだけど不時着しても見てみぬふり。
特攻隊の生き残りって実は案外多い。出撃したが無念の不時着と言うが大半は自発的投降みたいだ
でも曽祖父がそこで【生】を選んでくれなかったら俺の今は無いわけだから正しい決断。
一億玉砕していたら今の日本が無いのと同じ。
71日本@名無史さん:2006/04/30(日) 12:18:26
お国のため、主君のためにしんでっいったというのは真っ赤な嘘だね
皆誰しも死にたくないものさ

殉死とかも後半はいやいやだったんだろうな
72日本@名無史さん:2006/04/30(日) 12:36:38
現代を生きる日本人はみな

  玉砕しなかった非国民の先祖のおかげで生きている
73日本@名無史さん:2006/04/30(日) 12:49:08
>>71
殉死したのは新しい主君のもとでは居場所が無い側近だけがする。重臣はしないよ。
74日本@名無史さん:2006/04/30(日) 12:56:48
幕末の物価上昇。外国へ日本の産品を輸出して国内品薄で物価上昇したっていうけど、
じゃーその輸出景気は?
実際は出超でそ?
経済混乱で庶民が困窮したことは否定しないんだけど、あれは内外の金銀換算比率
の調整過程で引き起こされたものだろ。
75平民バカ:2006/04/30(日) 13:42:47
>>70のジイさんみたいなのが特攻崩れ、残りの人生お釣り、と称して戦友の名を汚して回ったのは有名な話だ。
彼らが特別、卑劣な人間とは思わない。むしろ普通はそうだよ。
けど、それでも、行った人たちがいるんだからな。
裏のない美談などないけど、この国のピンチの時に、少なからず特別な人たちがいたことは事実なんだよ。
76日本@名無史さん:2006/04/30(日) 13:45:44
>>73

とりあえずお前は、徳川幕府の初期の将軍たちに誰が殉死してるかよく調べろ
77日本@名無史さん:2006/04/30(日) 13:55:52
>>75
貴方の主張している 70さんの曽祖父が戦友の名を汚して回った事実を教えて下さい
70さんの曽祖父が戦友の名誉損壊したと断言されてますので自信があるのでしょうから
78日本@名無史さん:2006/04/30(日) 14:03:27
戦争美談といえば
ラッパ手の木口小平の話

銃弾を受けて即死してもラッパを口から放さずというのは、医学的ありえないと結論が出ていたらしいね
木口小平自身も実はラッパ手でなかったという分析もでている
79日本@名無史さん:2006/04/30(日) 14:05:26
ついでに弁慶の立ち往生も医学的にありえん
80日本@名無史さん:2006/04/30(日) 14:28:09
>>75 
 特攻隊なんて別に「美談」じゃないだろう。
 所詮「生き残り」連中の懐古談。
 正に疑ってかかるべき「通説」だね。
 別に特攻の事実を否定するつもりも
 参加して亡くなった方たちの命を賤しめるつもりないですけど。
81日本@名無史さん:2006/04/30(日) 14:36:42
富士山は死火山

死火山とは向こう五千年噴火していない火山
富士山は250年前に噴火したばかりなので立派な活火山
82日本@名無史さん:2006/04/30(日) 15:53:43
>富士山は死火山

それ外国人がネタにした話だろ?
日本人は富士山を神聖視しているから数百年噴火していない山を活火山だと言い張る。とかなんとか・・・
単なる無知の産物。反日厨が食い付きそうなネタ振りはヤメレ
83日本@名無史さん:2006/04/30(日) 16:01:49
>富士山は死火山

その説じたいを聞いた事無い。
84日本@名無史さん:2006/04/30(日) 16:10:02
我々が日本史の通説と思っていることのほとんど歴史小説から引用されている件
85日本@名無史さん:2006/04/30(日) 16:50:26
>83
ソースは忘れたけど確か米の(日本でも名が知られた)新聞か雑誌。
地震だか火山だかの報道のついでに日本人はこの種の事に過敏だと言っていた。
まぁ日本史板とは何の関係も無い話ではあるが・・・
86日本@名無史さん:2006/04/30(日) 22:18:51
87日本@名無史さん:2006/04/30(日) 22:19:29
>>79 弁慶の立ち往生については医学的に証明されたのだが
大暴れした時に死後硬直を促進させり物質が出るからとかって
古本屋で数年前の歴史物か科学の雑誌で特集あったし、テレビでもやってた
88日本@名無史さん:2006/05/01(月) 00:16:05
ここに書き込む奴らは、少しくらい調べて書けよ
89日本@名無史さん:2006/05/01(月) 02:48:35
お前もスレタイ嫁よ
まだガキンチョのころに疑っていた通説なんだから
個人的見解を素のままにカキコする趣旨だろ
90日本@名無史さん:2006/05/01(月) 22:19:13
>>76
側近で取りたてられて大名になったのばかりじゃん
91日本@名無史さん:2006/05/02(火) 13:51:38
>>89 根拠あるように言ってるから突っ込まれてるだけだよ。
あからさまに出鱈目な理由を掲示して出すのはまずいでしょ。
それも子供の頃とか限定無いわけだしさ。スレタイ的にもそれはまずいぞ

赤穂浪士での吉良悪人説
業績や他での評判見るととても信じられん。
92日本@名無史さん:2006/05/05(金) 00:35:07
>>78-79

只の「死後硬直」でしょ。
93日本@名無史さん:2006/05/05(金) 01:25:22
赤穂浪士の討ち入りを昔から怪しいと思っていました。
どう考えても義士などでなく、老人へのリンチにしか思えなかった。
94日本@名無史さん:2006/05/05(金) 14:11:14
木口小兵太の美談については俺も疑っている
そこらへんの生存兵が
死後硬直した死体に転がっていたラッパをつけて美談にしたてたとか
あるいは、そもそも話し自体が美談なのか。
ラッパ手自体がはっきりしていないし、二転三転もするから疑わしいんだよね
95日本@名無史さん:2006/05/05(金) 14:12:14
あるいは、そもそも話し自体が美談なのか。
>話し自体が創作なのか。
96日本@名無史さん:2006/05/05(金) 14:17:13
戦争中にプロパガンダしない国はないだろう。
戦後は勝者も敗者も自分を美化するのは人間的であり当然。
97日本@名無史さん:2006/05/05(金) 14:40:07
五公五民

計算が合わん。

武士は農民の8倍くらい飯を食わないといけない。成人病になる。
98日本@名無史さん:2006/05/05(金) 14:43:43
>>97
米の生産者とそれ以外(武士・商人・僧侶・漁業・林業)
なら五公五民でもあうだろう
99日本@名無史さん:2006/05/05(金) 21:24:13
>>91
一応マジレスすると
吉良の業績も結構捏造が多い
特に、この人、江戸に単身赴任している時期が多くて
地元の政治には殆ど関わってないので、地元では良政だったとかそういった話は同情的な作り話とみていいかも
10091:2006/05/05(金) 22:07:36
>>99 そういうこともあるのか・・・・
もうちょい範囲広げて調べてみますわ。
レスありがとう!
101日本@名無史さん:2006/05/05(金) 22:29:44
戦場では部外者には理解できない様様な事例が報告されている。
顔面を吹き飛ばされた兵が敵陣に走りこんで、驚愕した敵兵が逃げだす背後に銃撃を加えた後息絶えた兵とか
狙撃兵に急所を打ち抜かれた指揮官が即死せずに、部下に指揮権委譲した後絶命するとか

畳の上で常識を振りかざして否定することは容易だが、世の中には常人に理解できない事が起こりえるということを
我我は明記すべきではないだろうか・・・












と、消防の頃。人命の神秘を手塚のブラックジャックに教えてもらった漏れが来ましたよ。
102日本@名無史さん:2006/05/06(土) 01:26:41
>>97
武士は徴収した米を全部食ってるわけでなく金に替えて生活費等にしてるわけだが
103日本@名無史さん:2006/05/10(水) 22:55:34
現在のサラリーマンの税率も実質「五公五民」くらいなのでは?
104日本@名無史さん:2006/05/10(水) 22:57:58
公が自分自身なので全然意味合いが違うがな
105日本@名無史さん:2006/05/11(木) 04:30:34
赤穂浪士はどう見ても、集団でか弱い老人を虐殺した凶悪犯だろ。
106日本@名無史さん:2006/05/22(月) 01:46:57
聖徳太子と十七条の憲法
107日本@名無史さん:2006/05/30(火) 15:53:08
教育テレビの高校日本史で武士の誕生が荘園などを守るために生まれたわけではなく、近衛府などの武芸に秀でた貴族から武士が生まれていったと言っている。
いつの間に変わった?
アシスタントの女性と漏れは同じ世代みたいだけど。
108日本@名無史さん:2006/05/30(火) 16:16:25
>>87
促進させる物質じゃなく、疲労による筋肉硬直と死後硬直は
どちらも筋肉に乳酸が蓄積することで起こる同じ現象。

だから筋肉が酸素不足になれば死ななくても硬直してしまう。
血流が悪くなると肩こりになったりするのはコレ。

109日本@名無史さん:2006/05/30(火) 18:25:39
死後硬直は分るが
それでも起ったまま死ねるの?
バランスは大丈夫なの?
110日本@名無史さん:2006/05/30(火) 18:34:32
死んでからは矢は刺さらなかったのかな?軽くデコピンされてもバランスは崩れるし
111日本@名無史さん:2006/05/30(火) 23:07:48
あれって持仏堂の入り口を塞ぐように立ってたんだろ。
手には薙刀を持ってたんだし、立ってても不思議は無いんじゃないか?
112日本@名無史さん:2006/05/31(水) 09:10:57
《これが日本人の先祖の国??1900年頃の朝鮮半島の写真》
http://photo.jijisama.org/OldKorea.html

朝鮮人は遊牧民族。
日本人は農耕民族。
この写真を見る限り、全く違う民族だと思うな。
113日本@名無史さん:2006/05/31(水) 17:56:13
>81
活火山・休火山・死火山という用語は過去のもの。
現在の地学では使われなくなってますよ^^
114日本@名無史さん:2006/05/31(水) 18:55:45
>>107

>武士の誕生が荘園などを守るために生まれたわけではなく、
>近衛府などの武芸に秀でた貴族から武士が生まれていったと言っている。
>いつの間に変わった?

気になるから、もっと具体的に教えて。
武芸に秀でた貴族がどうやって武士に変わっていったのか?
それは一部の身分の高い武士であって、
ほとんどの武士は(特に下級武士は)武装農民というのが事実だろう。

115日本@名無史さん:2006/06/01(木) 01:33:58
>>114
自分も気になります。昔は歴史の教科書では農民が武装した結果、武士が発生
したという在地領主論的なものが通説でしたが、武士の武芸という視点に着目
した職能論が、教育テレビの高校日本史で放送したのだと思います。確かに
鋤や鍬を持っていた農民が、いきなり弓射や打物も優れていたと考えるのは
早計とも思えます(何となく弱そうですし・・・笑)承平/天慶の乱の頃の
武士(兵、ツワモノと言った方が適切か)の主従的関係は、極めて打算的かつ
流動的で、そう言った従類・伴類のような手下の兵等は、その頃に跋扈していた
群党を坂東に下向した軍事貴族達が従えて組織していったものと思われます。
つまり、在地領主論と職能論はどちらも否定できるものでは無く、融合的に
捉えて考察するものだと思います。
116日本@名無史さん:2006/06/01(木) 01:34:58
>>114
自分も気になります。昔は歴史の教科書では農民が武装した結果、武士が発生
したという在地領主論的なものが通説でしたが、武士の武芸という視点に着目
した職能論が、教育テレビの高校日本史で放送したのだと思います。確かに
鋤や鍬を持っていた農民が、いきなり弓射や打物も優れていたと考えるのは
早計とも思えます(何となく弱そうですし・・・笑)承平/天慶の乱の頃の
武士(兵、ツワモノと言った方が適切か)の主従的関係は、極めて打算的かつ
流動的で、そう言った従類・伴類のような手下の兵等は、その頃に跋扈していた
群党を坂東に下向した軍事貴族達が従えて組織していったものと思われます。
つまり、在地領主論と職能論はどちらも否定できるものでは無く、融合的に
捉えて考察するものだと思います。
117日本@名無史さん:2006/06/01(木) 12:51:15
職能論では、武士とは鎌倉御家人クラスの者を指します。それ以下の郎党クラスは含みません。
118日本@名無史さん:2006/06/01(木) 13:20:54
>>116
ほとんど同じ意見です。
武家という『身分』の発祥は貴族(もしくは貴族に連なる高貴な血筋)、ということでしょう。
その高貴な血筋が源氏であり、平家であり。
各地の荘園領主や土豪などは、武家に土地を寄進し保護を求め、自らも武装していったと(当然武芸も磨く)。
だから、武家の発祥は貴族であり、武士の母体は農民ということになるのだと思います。

そのうえ、南北朝以降になると出自不明の武士はワンサカ出てくるので、
ますます武士と農民の境目は怪しくなるわけですが・・。
119日本@名無史さん:2006/06/01(木) 14:07:28
万世一系
120日本@名無史さん:2006/06/01(木) 15:07:16
>>118

そうですね。
桓武天皇以降は日本は段階的に軍隊を廃止していき、平安時代の日本には軍隊はなかった。
京都に検非違使(警察機能)が置かれているだけで、地方には警察すらなかった。
日本各地に軍隊も警察もない状態では、盗賊などに襲われても頼るものがない。
従って、自分達で武装するしかなかった。

平将門の乱や藤原純友の乱が起きた時も、朝廷は軍隊を派遣していません。
この乱を鎮めたのは、朝廷に命じられた地方の有力者です。
地方の有力者が農民を組織して乱を静めました。
この時代に専業兵士は存在していません。
ましてこの時代に専業兵士を雇えるほどの経済力が日本にはありませんでした。
普段は農業をしていて生産力となり、いざ有事となると武装して戦場に行っていました。
普段は農業をしないと、日本の経済が成り立たないという実情もあったのです。
江戸時代でさえ、人口の10%が武士だったので、農民は貧乏な生活をしていました。

日本史の鉄則として、時代がさかのぼる程、職業としての農民と武士の区別はなくなっていきます。
制度としての専業武士が成立したのは、秀吉の刀狩り以降だといえるでしょう。
121日本@名無史さん:2006/06/01(木) 15:08:26
>>116
>鋤や鍬を持っていた農民が、いきなり弓射や打物も優れていたと考えるのは早計とも思えます

戦国時代でも半農半兵で、普段は農業をしていた農民が、合戦になると武器を持って戦に出ていた。
専業兵士を雇ったのは織田信長であり、重商主義により経済力があったから可能だったのでしょう。
武田信玄は重農主義で、兵農分離はできず、普段は農業をしていた農民を合戦に出すしかなかった。
従って、戦国時代でも鋤や鍬を持っていた農民が、いきなり弓射や打物を持って戦場に出て行ったのが事実のようですね。

>何となく弱そうですし
あなたは弱そうと言っていますが、実際は織田軍の専業兵士よりも、武田の半農半兵の方が強かったらしいですよ。

122日本@名無史さん:2006/06/01(木) 15:22:34

鎌倉幕府に活躍した北条氏。
先祖は近畿地方から流れてきた素性のしれない者。
桓武平氏高望流の平直方を祖とすると称するが、ウソだろう。
その流れ者が伊豆地方の農民を組織して、沼地や森林を開拓していった。
土地を開発し、経済力も蓄え、だんだんと大きくなっていった。
そこに転がってきたのが、源氏の貴種「源頼朝」。
北条時政はこの「源頼朝」という駒をどう利用するか考えた。
この「頼朝」という駒を使って関東を支配できるのかと考えた。
時政が頼朝に協力したのは、優れた先見性があったからであると言われている。

123日本@名無史さん:2006/06/01(木) 17:15:38
>>120
>>121
単純に分けすぎというか「言葉」に引きずられているんじゃないかな。

「平安時代に軍隊はない」というのは厳密には嘘。
国家が維持する「軍団」が、各地で志願制の「健児」に変わり、
さらに末期には地方領主に委ねられた。
言ってみれば軍隊の「官から民へ」の移動が起こったにすぎない。

実際、古代ヤマト政権の時代から国造家が軍事、警察を担当していて
律令制に移行した後も、国造家の子弟が舎人となって担当した。
地方でも健児制が導入されると郡司(国造家の流れを汲む地方豪族)が
子弟を健児にしていった。

そういう意味で、「武士」の本体は変わってないとも言える。
124日本@名無史さん:2006/06/01(木) 17:32:45
続き
>>121
当時から「傭兵」というのは多数居て、戦争前に雇っていた。
信長は、それを「主力」とした点が新しいだけの話。

織田家の基盤である津島が商業都市なので、主力部隊である
「津島衆」が元々傭兵集団だったとも言われている。

ただ、「傭兵」と言ってもプロもいればフリーターもいるわけだし、
プロは既にどこかの国に雇われている可能性が高いんだから
どうしてもニート、フリーター率が高くなる。
そういう連中が強いわけが無いし、実際、すぐに逃亡してしまって戦線が崩壊してる。

唯一のメリットが「好きな時に戦えて、農業生産に悪影響が無い」ということ。
125日本@名無史さん:2006/06/01(木) 22:56:55
>>119
ほぼ万世1系、または万世1系と法螺ふけるくらいの約1系くらいでも凄い、
でいいじゃないか。他の国には無いんだし。
ヨーロッパとか見てみろよひでーもんだ。
126日本@名無史さん:2006/06/01(木) 23:34:33
>>123

>国家が維持する「軍団」が、各地で志願制の「健児」に変わり

「健児について」

健児の人数は国の代償により異なり“20〜300人”であって、年間に60日間、交替で国府の警備にあたった。
健児の人数は国は“20〜300人”。
“20〜300人”で国を守るのは不可能。
健児が“20〜300人”で何をしていたかと言うと、主に国境などの守備。
つまり、警備員みたいなもの。
第一、“20〜300人”で戦争ができるわけがない。
たまに健児が軍隊だと言う人がいるが、それは勉強不足。



127日本@名無史さん:2006/06/01(木) 23:38:14
>>123


>軍隊の「官から民へ」の移動が起こった
「官から民へ」移動した軍隊が果たして軍隊と言えるのか?
それは私兵だろう。
平安時代の朝廷が軍隊を持っていたなかったので、北面の武士や西面の武士などの私兵を組織した天皇もいた。
その私兵に利用されたのが、源氏や平氏だ。

例えば、「官から民へ」移動した軍隊があったと過程する。
「官」の正親町天皇が軍隊を廃止して、「民」の織田信長は軍隊を作ったとする。
果たして、これは日本国軍か?
答えは“NO”ですね。
織田信長の私兵です。

「官」の正親町天皇が軍隊を廃止して、「民」の織田信長は軍隊を作ったとする。
この軍隊は正親町天皇の指揮の元で動くか?
答えは“NO”ですね。
信長の私兵ですので、信長の指揮で動きます。

平将門の乱や藤原純友の乱が起きた時も、朝廷は軍隊を派遣していません。
乱を鎮めたのは健児でもありません。
平国香などの私兵です。

従って、「官から民へ」移動した軍隊は私兵であり、“20〜300人”の健児は警備員だとということです。
128日本@名無史さん:2006/06/01(木) 23:50:31
>>124

>当時から「傭兵」というのは多数居て、戦争前に雇っていた
>信長は、それを「主力」とした点が新しいだけの話

「傭兵」を多数雇う経済力があり、 それを「主力」としたため長期遠征ができるよになった。
例えば、武田軍VS上杉軍で有名な川中島の戦いは秋〜冬に行われている。
どうして、秋〜冬に行ったこというと、半農半兵だったので稲の刈り入れが終わった秋〜冬にしか戦争ができなかった。
上杉謙信が北条の小田原城を包囲したのにもかかわらず撤退したのも、農業を始めなければいけないからだ。

「傭兵」を多数雇う経済力がある織田軍は一年中戦争ができる。
また、武田や上杉が織田のマネをして、「傭兵」を多数雇おうと思っても、それは不可能。
その理由は、重農主義の武田・上杉には、そこまでの経済力がない。

あなたは信長は傭兵を「主力」とした点が新しいだけの話というが、
それすらできなかった武田信玄・上杉謙信は志半ばに倒れた。
129日本@名無史さん:2006/06/02(金) 02:30:45
>>126-128
何か熱くなってるのはわかるんだが、浅い知識を自慢げに語られても困る。
まずあなたの言う「戦争」ってのは「乱」なのか「役」なのか「寇」なのかはっきりさせてくれ。
(そもそも武士の起こりの話で「国軍」なんて言ってる時点で曖昧なのがバレバレだが)

それとあなたの言う「警備員」ってのは日本の警備員のことを言ってるのか?
それともイラクで死んだ斎藤昭彦さんがやてったような「警備員」なのか?

それとあなたの知識の中には「民間委託」という言葉はないのか?
あなたにとって「駐車監視員」は私的な取り締まり員なのか?

ついでに言えば「武士」には「私兵」は含まれないんだって知ってるのか?
130日本@名無史さん:2006/06/02(金) 02:55:33
>>128
そんな「学研の日本の歴史〜戦国時代」に載ってそうな話をされても…
だから何?としか言いようがない。

信長は長期遠征を行うために兵農分離(これも後世に作った概念だが)を
行ったわけじゃないし、兵農分離を進めた「から」強かったわけでもない。
自分のところの戦力の利点欠点を把握した上で、欠点を補いつつ利点を
最大限に生かしたから(多少の運もあるけれども)天下取りができた。

それと武田、上杉が「重農主義」?
用語も古臭いが知識も何十年か前のまま止まってるようだね。
131日本@名無史さん:2006/06/02(金) 10:40:22
確かに>>128は浅いが>>129、130が上から見下したような言い方するのはキモい
だからキモオタって言われるんだよ・・・
132日本@名無史さん:2006/06/02(金) 20:51:20
>>123
>>129

>国家が維持する「軍団」が、各地で志願制の「健児」に変わり、

「健児について」
健児の人数は国の代償により異なり“20〜300人”であって、年間に60日間、交替で国府の警備にあたった。

では質問するが、「平将門の乱」を静めたのは誰だ?
あなたの言う、健児が「平将門の乱」を鎮めたのか?
「乱」を鎮めることのできない、“20〜300人”の健児が軍隊なのか?
あなたの言う軍隊を定義してほしいね。
その定義に、“20〜300人”の健児が入るならば、健児は軍隊なんじゃないかな。

俺は、“20〜300人”の健児は軍隊とは思えない。
あなたは、“20〜300人”の健児は軍隊だと思っていればよいと思うよ。
133日本@名無史さん:2006/06/02(金) 20:56:38
>>130

>信長は兵農分離を進めた「から」強かったわけでもない
信長が天下を取れた要因の一つに「兵農分離」はなかったのか?
織田軍が兵農分離をしていなかったならば、信長は天下を取れていたか?
俺は不可能だと思うが、あなたの意見は?

>自分のところの戦力の利点欠点を把握した上で、欠点を補いつつ利点を最大限に生かしたから天下取りができた。
その欠点と利点って何?
具体的に説明して。
134日本@名無史さん:2006/06/02(金) 22:10:04
「西郷隆盛イモ喰って死んだ」説。ロシア云々よりは現実的だけど・・・
135日本@名無史さん:2006/06/02(金) 22:21:38
昔の日本人はナンバ歩きしていた説
近代になって西洋式軍隊行進するようになってから今のように歩けるようになったって説だが
軍隊式行進なんて習っていない赤ちゃんでもハイハイする時に右左交互にしているから絶対に嘘だろ
136日本@名無史さん:2006/06/02(金) 22:24:06
>>135

知ってる!!
江戸時代の日本人はナンバ歩きで、走る時は両手を挙げていたんだろ!!
137日本@名無史さん:2006/06/02(金) 22:28:03
>>136
歩くときに右腕と右足が前に出て、次に左腕と左足を前に出すという歩き方らしいけどね
そんな器用な事できるかよw?
走る時は聞いてなかった
138日本@名無史さん:2006/06/02(金) 22:44:59
>>137

日本人の陸上ハードル選手がナンバ走りを取り入れて、世界新記録を出したらしいね。

意外と効率的な歩き方らしい。

ナンバ歩きだからこそ、東海道中膝栗毛を歩けたとかいう説を聞いたことがるよ。

現代人が東京から京都まで歩くのは厳しい。

139日本@名無史さん:2006/06/02(金) 23:06:04
ここは馬鹿ばっかりやん
140日本@名無史さん:2006/06/02(金) 23:14:13
>>138
競技を間違えてると思うんだが・・・・・・・・・・。
141日本@名無史さん:2006/06/02(金) 23:24:22
>>140

陸上の末次がナンバ歩きを取り入れているのは、NHKのトップランナーでやっていた。
たぶん、陸上のハードルであっているだろう。
142日本@名無史さん:2006/06/02(金) 23:30:23
>>107
あの番組は説明不足。

>>118
武士の語源が中央で生まれたという事であって、
『兵』は地方から成長して来る。
まずは地方において、貴種の種付けからw
母親の地盤を基に成長した子供からが、武に堪能な戦士=『兵』ともいえる。

開発領主=農民という事ではない。

>>120
むちゃくちゃ。


健児は地方郡司子弟の騎兵とされる。
143日本@名無史さん:2006/06/02(金) 23:41:05
>>142

>健児は地方郡司子弟の騎兵とされる

日本史に騎兵は存在しない。
武田騎馬隊も江戸時代に作られた逸話。
勉強不足だな。
144日本@名無史さん:2006/06/02(金) 23:41:30
天草は豊臣秀吉の孫嘘ですか?
145日本@名無史さん:2006/06/02(金) 23:42:36
>>143
おいおいw
146日本@名無史さん:2006/06/02(金) 23:46:22
>>145

なんだ?
武田騎馬隊を信じているのか?
日本に騎兵は存在したと思うか?
147日本@名無史さん:2006/06/02(金) 23:54:48
>>146
自コピペでよろしいか。


小野春風様
ご注文の羊革甲(よろい)

騎兵用としてお使いください。
Madein陸奥
148日本@名無史さん:2006/06/02(金) 23:58:36
>>147

はァ???
自コピペ???
小野春風???

オマエ、バカか?
何か勘違いしてるだろ。
もういいよ。
オマエは帰ってヨシ!!!
さっさと逝け〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
149日本@名無史さん:2006/06/03(土) 00:01:15
ホロン部に釣られたかorz
150日本@名無史さん:2006/06/03(土) 00:05:02
>>147
>>149

自コピペとか言っているけど、本当に知らないよ。
147は何のこと?
151日本@名無史さん:2006/06/03(土) 01:06:07
オレもついこないだ授業で、
『実は武田騎馬隊なんていなかったんだけどねw』って教授がいっててビックラした
なんか日本史くわしくなると色々積み上げてきたものが壊れてく感じするよなw
152日本@名無史さん:2006/06/03(土) 01:20:18
とみせかけて、武田騎馬隊は復活します。

騎馬隊は存在しない、日本刀は使われていないという説の発信者とその根拠を自分て見てみるといい。

意外にいい加減な根拠だったりする。
153日本@名無史さん:2006/06/03(土) 01:25:25
>>143
なかなかユニークな考えですね。「昔から疑ってかかっていた日本史の通説」なら
そういう考えも良いのでは?十人十色、とも言いますし・・・。

>>147
「羊革甲」が、どのような鎧であったか知りたいですね。絵図などが残っていれば
良かったと思います(後の大鎧の原形的な物か?)小野氏の系譜も好古や「三蹟」
の小野道風など、武人や文人など様々な人々が出ましたが、結局は武門の家系には
ならなかったですね。坂上氏も世襲的な武門の系譜には至らなかったですね。
154日本@名無史さん:2006/06/03(土) 02:12:44
農民→武士
155日本@名無史さん:2006/06/03(土) 02:20:04
>>135
着物(和服)だとナンバ歩きのほうが歩きやすいからじゃなかったっけ?
156日本@名無史さん:2006/06/03(土) 08:38:21
>>134
>「西郷隆盛イモ喰って死んだ」説
(・∀・)イイ!!
157日本@名無史さん:2006/06/03(土) 10:51:22
>>143
武田騎馬軍団というのは存在していないというのは聞いたことがあるが
騎兵は存在しているだろw
つまり、騎馬軍団=騎兵だけで組織された大規模な軍団
騎兵=騎馬武者
騎馬武者が日本の歴史上存在しなかったか?
よく考えて書き込めよ、知ったかぶりは恥ずかしいぞw
158日本@名無史さん:2006/06/03(土) 11:09:32
>>157
じゃぁオイラんとこの教授はウソ言ってたのかいな?
159日本@名無史さん:2006/06/03(土) 11:14:02
>>158
教授に疑問ぶつけてみろ。


教授「おまいって椰子はwww単純杉www」
2ちゃんねらーの教授に言われる事疑いなし。
160日本@名無史さん:2006/06/03(土) 12:40:28
たんに聞き間違いだろ、そんなん指摘したら単位貰えんくなるぞw
161日本@名無史さん:2006/06/03(土) 17:33:43
>>158

その教授は正しいよ。
武田騎馬軍団なんてものは江戸時代の創作。

騎馬軍団=騎兵だけで組織された大規模な軍団は日本史上は存在しなかった。
そして、森林・山地が多い日本に地形は騎兵だけで組織された大規模な軍団を動すのに向いていなかった。

「武田騎馬軍団は存在しなかった」はすでに常識だ。
まだ信じているやつがいるとはな。
162日本@名無史さん:2006/06/03(土) 17:35:47
最近、武田騎馬隊は存在しないというのは常識です。
武田騎馬隊どころか、日本史上に純粋な騎馬隊は存在しなかったと言われています。

調べてみたところ

1、武田軍は騎馬隊の内訳は山県昌景300騎、馬場信春500騎など、主だった武将の騎兵数を合わせても約4000騎、
出来うる限り多く見積もっても約6000騎であり、武田軍1万3千人のうち半分ないし2/3は歩兵であると思われる。
従って、中国において元を建国したモンゴル軍のように、騎兵のみで部隊を構成したという事実はない。
また、武田軍には騎兵の最大の特徴である「機動力」を生かした作戦が見受けられない。
つまり、武田騎馬隊は実質的には騎兵・歩兵混成部隊であると言える。

2、イエズズ会のルイス=フロイスがヨーロッパに書いた『日本覚書』によると、
「われらにおいては、馬(上)で戦う。日本人は戦わねばならぬときには馬から下りる。
われらの馬は非常に美しい。日本のはそれよりずっと劣っている。」 とあります。

3、『甲陽軍鑑』によると
「武田家の大将や役人は、一備え(千名ほど)の中に、7人か8人が馬に乗り、 残りはみな、馬を後に曳かせ、槍をとって攻撃した。(巻6品14)」 とあります。
163日本@名無史さん:2006/06/03(土) 17:38:57
>>162

実は、戦国時代を扱った、江戸時代前期までくらいに書かれたエンターテインメントとしての戦記物、
例えば、武田家のことを書いた「甲陽軍艦」には「武田軍は騎馬軍団であった」なんてことは書いてありません。

武田軍が、19世紀の西洋の騎兵のような騎馬軍団であったとか、戦国時代の合戦が
* 両軍の接触、鉄砲と弓による戦闘
* 長い槍を持った足軽同士による戦闘
* 刀や槍を持った騎馬隊による戦闘
と推移する、といったことは、明治時代以降に言われるようになったことのようです。

その出典は、明治時代以降に陸軍の参謀本部が戦史を各種編纂した際に、上記のようなことが「歴史常識」として定着したようです。

例えば、戦国時代から大阪の陣までの合戦を描いた屏風がたくさん残っています。いずれも、「指揮官が馬に乗り、他の者は徒歩で戦う」様子が描かれています。

多数の騎馬武者が密集して敵に突撃する、なんていう合戦屏風は見たことがないですし、軍記ものの記述でも見たことがありません。
164日本@名無史さん:2006/06/03(土) 17:42:14
>>158

いつの時代でも馬を常備するのはかなり大変な負担です。
それにモンゴルや近代騎兵部隊のイメージから想像しがちですが、そのような「騎馬隊は戦国時代存在しなかった」と見るのが妥当だとおもいます。
馬は高価で相当な身分でないと常備できないし、部隊編成上その数も限られていました。

武田家では乗馬歩兵として機動力を利用するシステムは存在していたのではないかと思います。
上杉氏との戦いで敵の侵攻を狼煙により伝達し動員令を待たずに直ちに北に向かい集結するシステムなどは
当時の軍編成に時間がかかった事を思えば画期的だったと思います。
165日本@名無史さん:2006/06/03(土) 17:44:22
>>162

モンゴル兵の場合は、各人数頭の乗り換え馬を従え、馬糧の豊富な草原を移動するし、生まれたときから乗馬に鍛錬していたのと、
馬上戦が得意でしたから高速で移動し攻撃できましたが都市や城塞を攻撃する場合は歩兵として戦いました。
また征服した土地の住民を歩兵として使用したのです。

騎兵の主任務は敵の側背を急襲、包囲するか敵陣を乱すものでそれにより勝利を誘引する事で、主戦力は歩兵にあります。
日本の戦国時代このような用兵は見あたりません。


>>164
日本馬は体格も貧弱で積載重量も少ないので機動戦には不向きでした。
騎兵突撃の衝撃力を期待出来ず、馬の防具も考えていませんでしたから、敵が長槍で防御陣を作れば乗馬突撃は自殺行為でした。
有名な伊達の騎馬鉄砲隊も敵前で停止、銃撃すると後退するもので突撃はしなかったのです。
166日本@名無史さん:2006/06/03(土) 17:46:51
日本史上に騎馬隊は存在しなかったとは戦史を研究する立場の人にすれば常識だったのですが
騎馬隊という言葉のイメージが先行した結果、騎乗兵だけの部隊という誤解が生じたわけです。

中世の軍隊はどこの国でもたいていそうですが、領地と領民の支配体制と軍事編成は密接な関連があります。
だから騎馬兵が上級武士なわけですから
下級の農民足軽が徒歩になるのは当然です。
それを変えるには常備軍化が必要で近代的な軍隊でないと、騎兵は登場しないわけです。
167日本@名無史さん:2006/06/03(土) 17:48:19
武田軍がどうだったのかとは少々ずれますが。

素朴な疑問なのですが、騎兵ばかりの軍団て強いのですかね?
歩兵にとって騎兵の突撃は脅威ですが、同時に騎兵には馬が弱点となることもあります。
突撃の速度が鈍ったときには歩兵に取り囲まれる諸刃の剣でしょう。
むしろ騎兵(騎馬武者)の周囲に歩兵(徒歩)が取り巻いて1セット、
それが大きな集団を形成するほうが、騎馬の弱点を補い合理的なのではないかなと。

というわけで、近代以来現代でも固定観念化している、『騎兵集団が強い』という通説に疑問を提示します。
168日本@名無史さん:2006/06/03(土) 17:49:10
>>158

武田の騎馬隊というイメージで創造されるのはモンゴル兵や近代の騎兵ですが、
これに相当するようなものは武田家に限らず戦国時代には存在しませんでした。
騎馬隊であれば、兵士まで含めた一隊全部が馬に乗っているべきですが、
武田軍の中で馬に乗っているのはせいぜい1/10〜1/5の幹部クラスだけで、あとはみな徒歩でした。
これでは到底騎馬隊といいうるものではありません。
また、馬に乗っているものたちも戦闘時には馬から下りて戦いました
だいたい、載っているのが日本馬ですから、馬体も小さく体力もないので長くは駆けられませんでした。
これもモンゴル兵や近代の騎兵と違います。
こういうことから言いますと、武田軍に騎馬隊は存在しなかったし、
騎馬隊としての戦闘もなかったというのが最近の有力説になっています。
169日本@名無史さん:2006/06/03(土) 17:54:05
>>157

結論からいってしまえば、はじめからみんな騎馬に乗って突っ込む「騎馬軍団」は存在しない。
だから「武田騎馬軍団」などはなかった。
「武田騎馬軍団」を例に説明しよう。

まず、これが第一の理由として、馬という生物面から見てみる。
日本の馬は、時代劇に使われるサラブレッドではなく「木曽馬」などで馬格は貧弱、背丈は1m20cm〜1m40cmほどである。
おまけにわずかな障害物も飛び越えられず、火炎と轟音にすぐ驚く。
これでは障害物が多い戦場では役に立たない。
170日本@名無史さん:2006/06/03(土) 17:55:30
>>165
>騎兵の主任務は敵の側背を急襲、包囲するか敵陣を乱すものでそれにより勝利を誘引する事で、主戦力は歩兵にあります。
>日本の戦国時代このような用兵は見あたりません。
蒙古も草原の場合はそうなのですが、蒙古から見た場合の辺境、つまりベトナム、インド、日本あたりまでくると
騎兵の機動力が活用できなくなり、苦戦していますね。
蒙古の騎兵による機動力の活用は草原という環境と密接なのかと思います。

>日本馬は体格も貧弱で積載重量も少ないので機動戦には不向きでした。

蒙古馬と日本馬は馬格はほとんど同じなのですよね。
蒙古馬はサラブレッドを見慣れた現代日本人からすると小さいです。
馬の大小はあまり関係ないのではないかと。

171日本@名無史さん:2006/06/03(土) 17:56:02
>>157

あと三つ、決定的な騎馬隊否定の理由がある。
一つ目は軍役帳からいえることである。
これは『長雲寺文書』にあるのだが、それによると、軍役の総人数において310人中、乗馬の者は23人と10%以内である、といっている。

次は、『甲陽軍鑑』の以下の記事である。
武田家の大将や役人は、一備え(千名ほど)の中に、7人か8人が馬に乗り、 残りはみな、馬を後に曳かせ、槍をとって攻撃した。(巻6品14) とある。

最後はイエズズ会の先駆者ルイス=フロイスという宣教師が残した書物による。
フロイスは日本で布教し、織田信長の下で保護された宣教師である。
彼が日本の様子を知らせるために、ヨーロッパに書いた『日本覚書』によると、

 われらにおいては、馬(上)で戦う。日本人は戦わねばならぬときには馬から下りる。(第7章、37)
 われらの馬は非常に美しい。日本のはそれよりずっと劣っている。(第8章、1)

とある。

この事から、馬に乗ったままみんなでワーー!と攻め込まず、日本人は騎乗し たまま戦わない習慣があった事は、明らかである。

172日本@名無史さん:2006/06/03(土) 17:59:10
>>日本の馬は、時代劇に使われるサラブレッドではなく「木曽馬」などで馬格は貧弱、背丈は1m20cm〜1m40cmほどである。
>おまけにわずかな障害物も飛び越えられず、火炎と轟音にすぐ驚く。
>これでは障害物が多い戦場では役に立たない。

サラブレッドは近代になってから品種改良で生まれたいわば『スポーツカー』なので、
むしろ悪路には向かないかと。
上でも述べましたが、日本馬と蒙古馬は基本的に同じ系統の馬で、大きさもほぼ同じです。
轟音で驚く云々については、そもそも訓練しない馬はそんなものですよ。
173日本@名無史さん:2006/06/03(土) 17:59:13
>>157

それから『甲陽軍鑑』の記事によれば、騎乗するかどうかはその者の地位や身分によって決まっていたことが確認される。
だから、ちまたにいわれているような「騎馬隊」は存在しなかった。
ただここで、騎馬武者がいて、それが各隊の根幹をなしていれば、「騎馬隊」だと思うかもしれない。
だがそれは当時の編成(身分のある者だけが馬に乗り、のこりは徒歩)からして、徳川軍で織田軍でも北条軍でも同じである。
だから、そういう仮定をすると、「織田騎馬隊」、「徳川騎馬軍団」も存在することになる。

また、長篠の合戦では、連合軍が堀、柵、土塁の三点セットの陣をつくっていたから、普通に考えてもそこへみんなで騎乗して突撃、なんてことは考えられない。
また、『甲陽軍鑑』には長篠での騎馬軍団突撃説は織田方が宣伝したもので、現地の地形からしてもそれはなかったと主張している。
おまけに合戦当日は、雨で田がぬかるんでいてとても馬が走れるような状況でなかった。

騎馬隊の存在を主張する論拠としてよく登場するのが、『龍城文書』というものがあって、「敵は馬一筋に攻撃しくるぞ」と書いてある。
だが、これは書式・内容からいって後世つくられた偽文書の可能性が高く、騎馬隊の存在を立証する史料とはならない。
またこれは偽文書ではないとしても、当時の慣行から追撃戦での騎馬突撃を意識したものだと思われる。
174日本@名無史さん:2006/06/03(土) 18:00:58
>>157

では、日本では馬は何に使われてのだろうか。

それは「追撃戦」である。
歩兵中心の部隊(と数人の騎馬武者)が両軍入り交じって戦う。
そろそろ山が見えたというときに騎馬兵で突撃をかける(実際は歩兵も混じっていたらしい)。というのが実態だったらしい。
『三州長篠合戦記』*5によれば武田勢は馬上の達者、戦いなかばに馬を入れ、敵陣を馳せて破ると聞いているので・・・・ とある。
上の「馬を入れ」というのは馬を突撃させることである。
「戦いなかば」というのは戦いの途中で、の意である。
以上より、馬は敵を追撃するときにつかわれたと考えられる。

ちなみに我が国で近代的な「騎兵隊」がはじめて編成されたのが1862年頃である。

175日本@名無史さん:2006/06/03(土) 18:02:21
騎馬隊神話の定着

ではなぜ「武田騎馬隊」意識が定着してしまったのであろう。
これも『甫庵信長記』にそれをほのめかすような事が書いてあり、それを参謀本部が書いた『日本戦史・長篠役』が装飾したことによる。(「其ノ兵ハ騎戦ヲ好ム」)
これは騎兵が銃手が待ちかまえる敵軍に突撃してはいけない、という題材にしたのかもしれないが、それよりも一方的な思いこみであると思う。
武田の領地である木曽は木曽馬の産地である。
であるからして多分騎兵が多いのであろう、という勝手な思いこみから来ていると考えられる。
それをまた、軍部の意向には逆らえず、大衆小説などに入れられ一般化した。
戦前の歴史学者の権威であった田中義成氏は騎馬隊について存在を認める立場をとっていない。
戦後になってもその傾向は変わらずに、小説やコーエー系ゲームにとりいれられ、「騎馬隊意識」は今でも国民に定着している。

176日本@名無史さん:2006/06/03(土) 18:03:47
日本で騎兵集団がなかった理由の一つに、日本はもともと急峻な地形で平原がすくないうえに、
戦場となるのは多くは山城などの攻防であり、騎兵集団の武器である突入速度を発揮することが難しいのではなかったかと
思います。
であるならば、騎馬武者の周囲を徒歩武者で固め、進軍するほうが合理的ではないかと推測します。

177日本@名無史さん:2006/06/03(土) 18:10:47
>>170

骨格から推定すると、蒙古馬の方が日本馬よりも約10cm大きいらしいですね。
だから、馬体はほとんど同じすね。
私も馬の大小はあまり関係ないと思います。


>>172
一般的な「武田騎馬隊」イメージ的は、黒沢明監督の『影武者』のラストシーンのように、サラブレッドに乗った武士が広い平原馬に乗ったままみんなでワーー!と攻め込んでいるのでしょうね。
軍馬は轟音を耳元で鳴らす訓練をするらしいですね。
178日本@名無史さん:2006/06/03(土) 18:14:19
>>161
よく読め
騎馬軍団は無いという説はあるが騎兵はいるだろって突っ込みだよ
アホ
179日本@名無史さん:2006/06/03(土) 18:15:54
否定する日本史の通説

長篠の戦いとは大まかに言って織田軍と徳川軍の連合軍の鉄砲隊が3000挺の鉄砲で三段打ちを行い、勇猛で知られる甲斐(山梨県)の武田軍の騎馬隊を壊滅させた戦いといわれている。

しかし、「鉄砲で三段打ち」も「武田騎馬隊」も存在しなかったというのは通説らしいですが、どうでしょうか?
180日本@名無史さん:2006/06/03(土) 18:19:09
>>179

長篠の戦いでの武田軍の敗因は

1、勝頼は父親の信玄からも軽率だと評されるように、一勇の将ではあったが、全軍を指揮すると共に大局を見渡す事が必要な大将の器量はなかった。
2、信玄が謀反の疑いありとして長男の義信を殺してしまったのが敗北のそもそもの原因かもしれない。
181日本@名無史さん:2006/06/03(土) 18:22:53
>>177

武田の騎馬隊は存在しないよ。

黒沢明監督は『影武者』のラストシーンと撮るために、長篠に行ったが山地だったのでビックリしたらしい。
日本で『影武者』のラストシーンを撮影する場所を探したが、日本にそんな場所はなかった。
だから、モンゴルまで行って撮影したらしいね。
182日本@名無史さん:2006/06/03(土) 18:30:15
>>181

私は武田騎馬隊はなかった。という説を支持しているのですが。

ただ、蒙古馬と日本馬を比較すると、蒙古馬の方が日本馬よりも約10cm大きいらしいです。
従って、武田騎馬隊の一般的なイメージとしては黒沢明監督の『影武者』のラストシーンのようなサラブレッドを想像しますが
馬の大小は関係ないということを主張したかったのです。

183日本@名無史さん:2006/06/03(土) 18:49:25
おいおい必死になって長文ごくろうさん。
オレは日本には騎兵は存在しないっていう事に
騎兵=騎馬武者は存在したと言っただけだぞ
その際に武田騎馬軍団という騎馬武者だけの大規模な軍団は存在しなかったという説はあると紹介してあるぞ
何を勘違いしたのか知らんが、偉いきばって騎馬軍団否定レスを書き込んでいるのだ?
オレのレスがお前の脳の変なスイッチ入れてしまったのか?w
184日本@名無史さん:2006/06/03(土) 18:51:28
誰がどの文か分かりません。。
185日本@名無史さん:2006/06/03(土) 18:55:50
なんか変なスイッチ入った人がいるのは確かだけど
186日本@名無史さん:2006/06/03(土) 18:58:23
関連書も結構出てるよ。
しかも田舎の図書館にもあるから。お勉強しよーな!
187日本@名無史さん:2006/06/03(土) 18:59:29
157 :日本@名無史さん :2006/06/03(土) 10:51:22
>>143
武田騎馬軍団というのは存在していないというのは聞いたことがあるが
騎兵は存在しているだろw
つまり、騎馬軍団=騎兵だけで組織された大規模な軍団
騎兵=騎馬武者
騎馬武者が日本の歴史上存在しなかったか?
よく考えて書き込めよ、知ったかぶりは恥ずかしいぞw



158 :日本@名無史さん :2006/06/03(土) 11:09:32
>>157
じゃぁオイラんとこの教授はウソ言ってたのかいな?



188日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:00:02


159 :日本@名無史さん :2006/06/03(土) 11:14:02
>>158
教授に疑問ぶつけてみろ。


教授「おまいって椰子はwww単純杉www」
2ちゃんねらーの教授に言われる事疑いなし。


160 :日本@名無史さん :2006/06/03(土) 12:40:28
たんに聞き間違いだろ、そんなん指摘したら単位貰えんくなるぞw


161 :日本@名無史さん :2006/06/03(土) 17:33:43
>>158

その教授は正しいよ。
武田騎馬軍団なんてものは江戸時代の創作。

騎馬軍団=騎兵だけで組織された大規模な軍団は日本史上は存在しなかった。
そして、森林・山地が多い日本に地形は騎兵だけで組織された大規模な軍団を動すのに向いていなかった。

「武田騎馬軍団は存在しなかった」はすでに常識だ。
まだ信じているやつがいるとはな。
189日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:02:13
次々と通説を打ち砕く 鈴木デムパ真哉・藤本正行 について
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1109562623/l50
190日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:02:47
>>187-188
この流れから騎馬軍団を信じている奴いるのかな?
    ↓
騎馬軍団否定スレの長文だぞ

痛過ぎるだろw
191日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:12:55
スイッチ入れちゃったらみたいだろ?
納得したか?>>184-185
192日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:17:35
>>179

まず鉄砲三千なのだが、これは現在では一千丁程度だったのではないかというのが定説になっている。
鉄砲の数を三千と記しているのは小瀬補安が江戸時代に書いた『信長記』だけである。
信頼に足る資料には鉄砲衆一千がかき集められたと書かれているのである。
つまり鉄砲衆は諸国の大名からかき集められた混成部隊であり、交代で射撃するなどという戦法の訓練を受けられたはずがないのである。

そして長篠の戦いが実は八時間に及ぶ激闘だった事も重要なポイントである。
例えば、八時間の戦いの内の半分の四時間射撃をしていたとして弾丸の数と火薬の量はいったいどれほどになるのだろう。
1分で一発発射したとして四時間で240発。
火薬の量も半端ではないだろう。
それだけの弾丸を鉄砲足軽ひとりひとりが持っていたとは考えづらいのではないだろうか。
しかも銃身そのものも、当時の鉄砲の銃身がそれだけの長時間射撃に耐えられたとは思えない。
そう考えると鉄砲はピンポイントで使用されただけであって、戦いそのものはオーソドックスな白兵戦が行われていたのではないだろうか。
つまり戦いの経緯は『長篠合戦図屏風』で描かれている通り、槍兵が馬防柵の前で武田軍と一定の戦いを行い柵の近くに誘い込んだ後鉄砲隊が射撃を行い武田軍が退却、
というのが延々と八時間繰り返されたのではないだろうか。
193日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:21:25
3段撃ちってNHKの「そのとき歴史が動いた」で実際
シミュレートしてやってみてたけど、とってもしんどいらしいね。
しかも長篠では雨だったので視界も悪るいし、雨でぬかるみはできるしで、
とても鉄砲撃つには不向きだったとか。
194日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:21:34
そういえば一斉射撃は意味が無いというのも聞いたことがある
一斉射撃にすると準備の一番遅い射撃手に合わせる必要があるので非合理的だというのだ
195日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:23:41
でも映画だと弓矢でも鉄砲でも篭城している守備側は一斉射撃しているな
なんでだろうか?
196日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:27:19
>>195
一番最初に撃つ射撃は必然的に一斉になるでしょ
197日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:27:53
長篠の戦いで勝敗を決したのは、戦術面では鉄砲より野戦築城が大きいと思います。
織田・徳川軍が野戦築城したため、防御力が上がったのです。

ちなみに、このことを学習したのは、豊臣秀吉と徳川家康です。
後の小牧・長久手の戦いでは、双方とも野戦築城したため、正面決戦ができなくなりました。
(しびれを切らした秀吉が陣地を出て迂回攻撃に出ますが、それを見破った徳川家康に、あっけなく撃破されています)

あと作戦面では、鳶ノ巣砦の攻略が大きかったと思われます。
198日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:33:26
>>197

長篠の戦い(本来の場所は設楽原らしい)の騎馬隊や鉄砲の三段撃ちは良質の資料には記載がなく、後世の講談まがいの軍記にあるだけです。
この時代、騎馬専門の部隊などどの戦国大名にも存在せず、武士が騎兵(騎馬弓兵)であったのは、せいぜい鎌倉時代までで、
それも馬で突撃すねようなことはなく、弓を射あうだけで、兵力もせいぜい数十から数百人程度でした。
その後、戦闘の規模が大きくなると徒歩兵が増え、馬に乗るのは士官クラスだけとなり、それは武田軍も同様でした。
鉄砲については織田方の鉄砲も千丁ていどでしかも信長直属の鉄砲隊ではなく統一した訓練がされているわけではなく三段撃ちなど危険でできませんでした。
武田軍の敗因は本来の兵力差からいえば武田軍はこのさい撤退するべきであるのにどういうわけか戦いに出てしまったということが最大で、
兵力は多くしかも野戦築城までして準備している織田・徳川連合軍が勝つのは当然でした。
199日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:39:44
>>197
>>198

野戦築城って何?
200日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:43:21
>>199
野戦場に城のような堀とか柵を巡らせた防衛陣地作ることだろう?
201日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:49:50
>>199
山梨県の野戦築市にあるお城のことだよ。
202日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:53:20
>>194

弾幕射撃(一斉射撃)というのは確かに効果的で世界史的にみても長城の戦いの15年後にオランダで使用されそれなりに効果があったらしいですが、
但し実用化するにはまず大量の鉄砲、そして統一的な訓練が必要なわけで、オランダの例はそれらを行えるだけの資金的・時間的な余裕があったからです。

一方信長の場合は、鉄砲それ自体は早くから注目していたようで(但しこれはどの戦国大名も同じ)資金も豊富ですから数も多く所有していたようですが、
当時の信長にはそちらにまわせるだけの余裕はなかったと言われており
最近の定説では1000挺ぐらいとされています。
実際の使われ方については、鉄砲の上手い兵士に従者を何人かつけて、撃つ人、弾込める人、火薬詰める人と役割を分けることで少しでも効率を良くしようとしていたようではありますが、
これは雑賀衆など従来から行われていた方法です。
203日本@名無史さん:2006/06/03(土) 20:01:40
武田騎馬隊や鉄砲の三段撃ちは良質の資料には記載がなく、後世の講談まがいの軍記にあるだけです。
でなぜそんな定説が事実として教科書にまで載るようになったかについては、元ネタは歴史書というか日記風の軍事詳報的な大田牛一の「信長公記」を元にした小瀬甫庵の歴史書というよりも小説「信長記」(江戸初期のベストセラー)に出てくる逸話で、
このエピソードを明治の日本陸軍が採用したためらしいです。
ちなみに「信長公記」では鉄砲は1000挺ですが、版によっては小さく3の字が追加されていたりして、「信長記」では完全に3000挺になっています。
なぜ陸軍が採用したかについては単に戦訓を載せる際に、具体例があった方が分かりやすいからというぐらいの単純な理由で、大事なのは史実ではなく戦訓(ex.鉄砲の前に騎馬が突撃すべきでない)ですから脚色が入っていてもかまわなかったのでしょう。
204日本@名無史さん:2006/06/03(土) 20:07:48
>>199

毎日新聞社「長篠の戦」

上 武田の騎馬隊はなかった
中 ありえない「鉄砲三段撃ち」
下 武田軍の敵は「城」だった
http://www.mainichi.co.jp/hanbai/nie/nazo_nihon4.html

205日本@名無史さん:2006/06/03(土) 20:11:11
鈴木真哉かよw
206日本@名無史さん:2006/06/03(土) 20:14:57
なあ、ずっと疑問なんだが、長篠はほんとに鉄砲だけで勝ったといえるの?
前衛は鉄砲の火力に任せていたとして、後ろに控える本隊以下数万の兵士は只突っ立ってただけなのか?
どうも合点がいかんよ。
第一な、鉄砲揃えて待ってて、会戦後に飛び込んできた敵に銃弾浴びせるだけで勝てるような自信があって、なぜあげに動員するか分からん。
兵力は半数か同等でもいけたんじゃないのか?と。

鉄砲隊以外の兵力(鳶の巣除く)が接敵、小競り合いでもやったというような資料はないの?
207日本@名無史さん:2006/06/03(土) 20:20:08
「信長公記から考察する長篠合戦」

「武田四郎鳶の巣山へ取り上り、居陣候はば、何れともなすべからざる候」
つまり武田勢が鳶の巣山に居座ったならば、どうにもならなかったろうと太田が指摘しているように、わざわざ武田勢は設楽原に出てきている。
なぜ出てきたか、それについて触れられていないことは残念なことである。
真に太田は単なる秘書に過ぎず、武田勢を誘引する作戦計画の秘密など知る由もなかったのであろう。
この空白を埋めるために、武田勢の部将たちが将来を悲観して自滅攻撃を繰り返したという珍説が生まれ、今も通説として罷り通っている。
208日本@名無史さん:2006/06/03(土) 20:23:08
>>199

「信長公記から考察する長篠合戦」

「志多羅の郷は、一段地形くぼき所に候。敵がたへ見へざる様に、段々に御人数三万ばかり立て置かる」
と太田牛一が記しているように設楽原は山間を流れる川が谷を削り河岸段丘を形成している。
そこへ信長は隠蔽した陣地を段状に構築したのである。
信長の軍勢は三万、戦場は南北三十町(三キロ強)にも満たないとされており、概算で一メートルあたり十人が存在したことになる。
これだけの数がいれば、かなり大規模な陣地の構築が可能であったろう。
時間的にも余裕はあった。着陣した十八日は休息するとしても、決戦当日の二十一日までには中二日がある。
空堀を掘り、土を積み、柵を張るくらいは、造作もない。

「身がくしとして、鉄炮にて待ち請け、うたせられ候」
という具合に、遮蔽物に身を潜めた鉄炮足軽が、武田勢を銃撃したことは間違いない。
ただ「身がくし」というものが、土を積んだ胸壁なのか、楯や竹束を並べたものなのか、この記述を見ただけでは何とも言い難い。
確実に言えることは、「敵がたへ見へざる」陣地を構築した織田勢が武田勢を銃撃したということである。
武田勢からすれば、敵状不明のまま攻撃を開始し、敵陣に突入すると隠蔽陣地から不意に銃撃されたわけである。
この場合、一番に攻めた山県隊は強行偵察部隊と考えるべきで、損害を覚悟したうえで敵陣に突入したのは当然と言わねばならない。

209日本@名無史さん:2006/06/03(土) 20:25:52
>>206

このスレを読んでみると>>197 >>198 などが正しいんじゃないか?

210日本@名無史さん:2006/06/03(土) 20:32:57
ふーん、ありがとう。

しばらくこのスレ読んどくよ。
211日本@名無史さん:2006/06/03(土) 20:37:51
>>206

これは信用できる史料を引用している。

http://www3.ocn.ne.jp/~zeon/sengoku/nagasino.htm
212199:2006/06/03(土) 20:46:10
>>208

サンクス!
なんか長篠の戦いのイメージが変わりましたね。
馬防柵はなかったんですね。

「織田軍は空堀を掘り、土を積み、柵を張り、土を積んだ胸壁や楯や竹束を並べた遮蔽物に身を潜めた鉄炮足軽が、武田勢を銃撃」したのか。
それが野戦築城ですね。

なんで武田勝頼はそのように野戦築城した場所を攻めたんでしょうか?
圧倒的に不利ですよね?
攻守交替している感じがありますよね。
213206:2006/06/03(土) 20:58:44
>>211
さんくす!
今までの疑問に応えるものだよ。
214日本@名無史さん:2006/06/03(土) 21:02:40
武田勝頼は無謀にも野戦築城した場所を攻めたのか?
215日本@名無史さん:2006/06/03(土) 21:13:23
野戦築城が完成する前に武田軍は織田軍に攻撃できなかったのか?
216日本@名無史さん:2006/06/03(土) 21:28:30
なんか、ヒトラー命令でロシアの防御陣地を攻めた、クルスク機甲戦みたいだな。
217日本@名無史さん:2006/06/03(土) 21:35:07
>>212
大河ドラマで見るような所謂「馬防柵」は無かったと思うが、それぞれの陣では防御用の柵はあったと思われる。
218日本@名無史さん:2006/06/03(土) 22:18:26
日本史上での大衆に人気のある2大人物
織田信長、坂本竜馬
219日本@名無史さん:2006/06/03(土) 22:21:40
ttp://www2.ttcn.ne.jp/~history/collaborate/nagashino/07.htm

一番、山県三郎兵衛、推太鼓を打つて懸り来り供鉄炮を以て散々に打立てられ引退

二番に正用軒、入替、かゝればのき、退ば引付、御下知のごとく鉄炮にて過半人数うたれては其時引入るなり。

三番に西上野小幡一党、赤武者にて入替り懸り来る。
関東衆馬上の功者にて、是又馬入るべき行にて、推太鼓を打つて懸り来る。
人数を備へ候身がくしをして、鉄炮にて待請けうたせられ候へば、過半打倒され無人になつて引退く。

四番に典厩一党黒武者にて懸り来り候。
かくのごとく、御敵入替へ侯へども、御人数一首も御出しなく、鉄炮ばかりを相加へ、
足軽にて会釈、ねり倒され、人数をうたせ引入るなり。

五番に馬場美濃守、推太鼓推にてかゝり来り、人数を備へ、右同前に勢衆うたれ引退く。
220日本@名無史さん:2006/06/03(土) 22:36:28
>>219
太田牛一『信長公記』、長篠(設楽原)合戦部分。

騎馬武者の記述があるのは三番のみ。
一番と二番と四番と五番に騎馬は出てこない。
221日本@名無史さん:2006/06/03(土) 23:00:38
なんか馬鹿が一人沸いただけでスレの雰囲気が変わったなw
222日本@名無史さん:2006/06/03(土) 23:20:46
と一番の馬鹿が申しております
223日本@名無史さん:2006/06/03(土) 23:55:42
楽しいね
224日本@名無史さん:2006/06/04(日) 00:01:00
つーかコピペはコピペと断り書きをして欲しい罠>211
真面目に反論しようとした漏れの長文が無駄になっちまったじゃねぃか・・・




日本史の通説つか三戦厨の通説↓
伊達家の騎馬鉄砲隊は信憑性の無い講談・軍記にしか登場しない
225日本@名無史さん:2006/06/04(日) 00:04:24
>>221
確実に複数人が書き込んでいるだろう。
一人で自作自演できる量じゃない。
226日本@名無史さん:2006/06/04(日) 00:17:05
>>225
いやいや、健児が軍隊かどうかとか騎兵は居ないとか言ってた楽しい輩のこと。
>>120近辺を境にスレの雰囲気が全く変わってる。
227日本@名無史さん:2006/06/04(日) 09:42:48
そういや、武田信玄のスレがなくなったよね。
もう、みんな武田騎馬隊を信じていない証拠だね。

誰かネタスレで
戦国最強!!信玄公が率いた武田騎馬隊!!
みたいなスレを立ててよ。
228竜之介 ◆87xY9YGmUQ :2006/06/04(日) 10:35:00
竜之介様が日本史板を制覇するぞ!!!

これまでの業績(すべて日本史板)

上杉謙信が上野(群馬)を支配していたことに萌える
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1148197411/l50
日本史の本質について語るぞ!!!
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1149082009/l50
日本史のタイムリーな記事を集めるぞ!!!
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1149379345/
229日本@名無史さん:2006/06/04(日) 21:34:40
戦国最強!!信玄公が率いた武田騎馬隊!

どうして武田騎馬隊とか言われているのに、
上杉騎馬隊・真田騎馬隊は言われないんだ?

真田も信州だよ。
230日本@名無史さん:2006/06/04(日) 22:05:15
最強じゃなかったからでしょ
231日本@名無史さん:2006/06/05(月) 00:07:57
>>226

あんたって、あちこちで珍説披露してる人?
某スレの161とか。
(http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1145427487/l50)
何か似てるよ。
232日本@名無史さん:2006/06/05(月) 01:47:10
武田騎馬隊とかなかったからでしょ
江戸時代の空想話でしょ
233日本@名無史さん:2006/06/05(月) 02:03:42
武田ヲタ隔離にはちょうど良かった場所なのにな
234日本@名無史さん:2006/06/05(月) 03:30:29
武田ヲタは根強いね。
まだ武田騎馬隊は戦国最強!!とか言ってるの?
武田騎馬隊は江戸時代に作られた講談だよ。
235日本@名無史さん:2006/06/05(月) 03:43:40
★戦国最強 武田騎馬隊の存続はこのスレにあり★

かつては“戦国最強!!”と謳われた「武田騎馬隊」も、今や存在すらなかったという声が聞こえるこの頃。

しかし、そんな声を吹き飛ばし、風林火山の旗の下にひれ伏そうではないか!!

信玄公が率いた戦国最強の武田騎馬隊を絶賛するスレが誕生したのだ!!


みたいな新スレが出てきそうな予感。。。。
236日本@名無史さん:2006/06/07(水) 00:00:07
武田騎馬軍団というのは存在していないというのは聞いたことがあるが
騎兵は存在しているだろw
つまり、騎馬軍団=騎兵だけで組織された大規模な軍団
騎兵=騎馬武者
騎馬武者が日本の歴史上存在しなかったか?
だから、武田騎馬隊は存在したんだよ
よく考えて書き込めよ、知ったかぶりは恥ずかしいぞw
237日本@名無史さん:2006/06/07(水) 00:01:56
武田バカは生きてて恥ずかしくないのか?w
238日本@名無史さん:2006/06/07(水) 00:09:48
>>231
ここにコピペしてどーすんだよw
つか>>120
239日本@名無史さん:2006/06/07(水) 10:21:40
>>236
結局概念の問題で、「部隊の中に何%騎馬が居たら騎馬隊と呼ぶ」
というような基準があるわけじゃないから論争の種になるんだよ。

騎馬軍団の元ネタと言われる甲陽軍監ですら「騎馬は武将の移動用」だと
言ってるわけだから、武田に関しては「騎馬部隊」というものすらも無かった
可能性があると思うぞ。

馬に鎧を着せていたり、馬に蹴られて負傷するって話があるんだから
戦国時代の全ての国、勢力で騎馬隊が無かったってことは無いだろうけど。
240日本@名無史さん:2006/06/07(水) 14:51:07
吉川弘文館「中世日本の諸相上」所収の「古代末期の傭兵と傭兵隊長」福田豊彦著
健児の国別定員
      (延暦11年6月14日官符)                    (延喜式)
324人                                       陸奥
200人  陸奥・近江                              常陸・近江
150人  下総                                   武蔵・下総
105人  武蔵
100人  伊勢・相模・上総・美濃・信濃・上野・下野・越前        伊勢・相模・上総・美濃・信濃・上野・下野・越前
       越後・出雲・播磨                           越後・出雲・播磨・讃岐
60人   遠江                                   遠江・紀伊
50人   尾張・駿河・能登・越中・丹波・但馬・因幡・伯耆        尾張・三河・駿河・甲斐・加賀・能登・越中・丹波・但馬
      美作・備前・備中・備後・長門・讃岐・伊予             因幡・伯耆・美作・備前・備中・備後・周防・長門・伊予
40人                                        山城・安芸
30人  大和・河内・摂津・山城・伊賀・三河・伊豆・甲斐         河内・摂津・伊賀・志摩・伊豆・安房・飛騨・若狭・佐渡
      安房・若狭・丹後・石見・隠岐・安芸・周防・紀伊        丹後・石見・隠岐・淡路・阿波・土佐
      淡路・阿波・土佐
25人  和泉
20人                                         和泉
      51国3155人                              57国3964人

241日本@名無史さん:2006/06/07(水) 14:52:51
ここは日本史板だぞ、おい。
なにが武田騎馬軍団だボケ。
そんなもん否定している人間はゴマンといるだろ。
242日本@名無史さん:2006/06/07(水) 19:13:25
信玄上洛の、信長絶体絶命は微妙なところ。焦土戦術を使えば、兵農分離していない
武田軍は確実に潰れるが、信長の天下取りが3〜4年は遅れたのは確かだと思う。
本拠地が京から遠く、兵農分離していなく、本願寺と結んでしまった信玄が天下をとるのは難しいだろうが、
朝倉、本願寺と連携すれば、信長を討つだけならできたかとも思う。
243日本@名無史さん:2006/06/07(水) 20:14:51
http://news20.2ch.net/test/read.cgi/news/1149675570/l50
縄文・弥生時代にありそうなスレ
244日本@名無史さん:2006/06/07(水) 20:21:43
そもそも隊でなく、自身の知行地から軍役衆率いただけだからね
その集団を隊と呼ぶのかと言えば・・・
245日本@名無史さん:2006/06/07(水) 23:21:07
>>120

平安時代にまともな軍隊は日本になかったのは本当らしい。

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1103855145/l50
246日本@名無史さん:2006/06/07(水) 23:27:12
というか平安時代にまともな日本は無かった。
地方政権未収束。
坂上ジローがアテルイ倒して完了なんて超嘘
247日本@名無史さん:2006/06/08(木) 01:02:58
戦国最強なのは信玄公が率いた武田騎馬隊に決定!!!!
248日本@名無史さん:2006/06/08(木) 01:15:48
>>245
朝鮮人発見!
249日本@名無史さん:2006/06/08(木) 09:46:42
武田の騎馬隊を未だに信じている人間がいるとは驚き。
250日本@名無史さん:2006/06/08(木) 10:14:40
秀吉の誕生日が元旦。
251日本@名無史さん:2006/06/08(木) 10:17:37
武田の騎馬隊は存在していたよ。
ソース:信長の野望
252日本@名無史さん:2006/06/08(木) 10:22:45
>>251
反騎馬隊の方々は、牛と馬とも見分けられん。捨て置け。
253日本@名無史さん:2006/06/08(木) 12:53:36
武田の騎馬隊は最強で、信玄が生きてたら天下は彼のものだったよ。
ソース:信長の野望
254日本@名無史さん:2006/06/08(木) 18:43:08
武田といえば騎馬軍団と誰かが呼んでいれば、それは騎馬軍団なんだよ
わかる?
別に騎馬武者100パーセントの編成が騎馬軍団と定義されているわけじゃないでしょう?
255日本@名無史さん:2006/06/08(木) 19:06:02
ただちょっと歩兵より騎馬の割合が高いから騎馬軍団
256日本@名無史さん:2006/06/08(木) 19:18:25
圧倒的に歩兵の方が割合高いっつーの
257日本@名無史さん:2006/06/08(木) 19:44:38
単一民族!
容姿の差が激しすぎる!
258日本@名無史さん:2006/06/08(木) 19:50:18
>>254

>武田といえば騎馬軍団と誰かが呼んでいれば、それは騎馬軍団なんだよ

もうムチャクチャの理論。
これだから武田ヲタはキモイ。
キモさではモー娘ヲタと同等にキモい。
259日本@名無史さん:2006/06/08(木) 20:03:23
武田といえば騎馬軍団だ!と武田ヲタが呼んでいれば、それはすでにキモイんだよ
武田騎馬軍団は武田ヲタの脳内妄想なんだよ
わかる?
別に武田ヲタが100パーセントのキモイと定義されているわけじゃないでしょう?


260日本@名無史さん:2006/06/08(木) 20:13:37
武田騎馬隊を信じているヤツは三戦版に行け。
ここは日本史版だ。
もっとレベルの高い話をしようぜ。
261日本@名無史さん:2006/06/08(木) 20:28:36
信じてない奴が三戦板行くべき。
妄想よりたちが悪い。
262日本@名無史さん:2006/06/08(木) 20:42:19
信じないやつは

  /          \
    /  //// | | |ヽ \
   /  ノ /   \ヽ |
   / ノ ,-─、 |,─-、| |
   |  |  ∪   |  ̄ | | 
   |ゝ||    、,、_)    | |  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   ヽ |ヽ /    ヽ  |ノ < つまみ出せ♪
     | ヽヽ二二ノ' |   |  つまみ出せ♪
     \   ー   /    \________
      \__ソ/
       ┏||┛
       ┏━━┛
263日本@名無史さん:2006/06/08(木) 21:03:44
なんだ、このスレは???
なんて低レベルな争いだ。
264日本@名無史さん:2006/06/08(木) 21:12:27
アホ発見!!
武田ヲタが暴れています。
265日本@名無史さん:2006/06/08(木) 21:14:42
昔から疑ってかかっていた日本史の通説

平安時代にまともな軍隊はなかった

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1103855145/l50
266日本@名無史さん:2006/06/08(木) 21:19:38
武田ヲタは根強いな。
世界が終わるまで騎馬隊を信じ続けるんだろう。

武田ヲタは無視しとけ。
スレは荒れる。
267日本@名無史さん:2006/06/08(木) 21:37:40
信玄公をバカにするな!!
武田騎馬隊は世界最強なんだよ!!
268日本@名無史さん:2006/06/08(木) 23:09:23
武田騎馬隊は世界最強って・・・
それって本気で言ってんの?
武田ヲタは狂っているな。
信玄は世界に出ていないだろ。
269日本@名無史さん:2006/06/08(木) 23:35:57
>>263-268までがage厨による世界最強の自演だということはわかった。
270日本@名無史さん:2006/06/08(木) 23:55:39
このスレで騎兵に関する考察されてるyo。

日本の戦国時代 合戦の虚像と真実2
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1147453486/

271日本@名無史さん:2006/06/09(金) 00:14:33
どうやら武田ヲタの騎馬隊の定義は
騎兵がいる軍団はすべて騎馬隊ということらしい。
だったらそう思えばいい。

これで満足か?


272日本@名無史さん:2006/06/09(金) 00:18:03
>武田騎馬軍団というのは存在していないというのは聞いたことがあるが
>騎兵は存在しているだろw
>つまり、騎馬軍団=騎兵だけで組織された大規模な軍団
>騎兵=騎馬武者
>騎馬武者が日本の歴史上存在しなかったか?
>だから、武田騎馬隊は存在したんだよ
>よく考えて書き込めよ、反論もできないくせに井沢ヲタの知ったかぶりは恥ずかしいぞw




(゚听) シネヨ


273日本@名無史さん:2006/06/09(金) 00:20:29
>>263


>>118
>>120
>>143
>>146
>>騎馬隊厨
274日本@名無史さん:2006/06/09(金) 00:24:32
つか、大元は

>>143
> 日本史に騎兵は存在しない。

から始まったのに、なぜか騎馬「軍団」の存在云々に話が変わっている。
議論するなら「騎馬武者」というのが居たのかどうかじゃないのか?
(俺は騎馬は移動用で、通常戦闘の際には下馬して戦っていたと思っているが)
275日本@名無史さん:2006/06/09(金) 00:27:33
>>242
無理無理。刈入れ時になったら兵を引いて終わるオチ
276日本@名無史さん:2006/06/09(金) 00:34:20
>>254

武田といえば騎馬軍団ではないと誰かが呼んでいれば、それは騎馬軍団でない
でOK?w
277日本@名無史さん:2006/06/09(金) 00:37:46
有名な「長篠合戦図屏風」を見ても
騎馬武者は徒歩兵を従えた単位となっていて、騎馬隊(騎馬兵だけの集団)は
どこにも描かれていないんだがな

「長篠合戦図屏風」
http://www.tokugawa-art-museum.jp/special/2002/sengoku/images/obj04.jpg
278日本@名無史さん:2006/06/09(金) 00:40:53
昔の馬は、足が短く、ポニーのような馬であったことを忘れずに…
下りなくても戦えるかもよ。
279日本@名無史さん:2006/06/09(金) 00:42:29
煽って面白がってるだけだろ。
280日本@名無史さん:2006/06/09(金) 01:06:42
武田の騎馬隊とか、まだ信じている人いるの?
281日本@名無史さん:2006/06/09(金) 01:29:48
     ∩_
           〈〈〈 ヽ
          〈⊃  }
   ∩___∩  |   |
   | ノ      ヽ !   !
  /  ●   ● |  /
  |    ( _●_)  ミ/ <こいつただの馬鹿じゃん
 彡、   |∪|  /
/ __  ヽノ /
(___)   /

282日本@名無史さん:2006/06/09(金) 02:37:43
驚愕の新事実

武田騎馬軍団はポニーに乗っていた!!!!
283日本@名無史さん:2006/06/09(金) 02:40:09
小幡の領有していたあたりは馬なんか大量に飼えるような土地じゃない。

http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E138.55.7.1N36.13.37.3&ZM=7
284日本@名無史さん:2006/06/09(金) 02:47:22
映画やドラマの中では、武田騎馬軍団は確かに存在する(藁)イチオシは
角川映画「天と地と」あたりか?壮大、と言うよりもマスゲームを連想
させられる。史実はどうだろうか。騎馬は人が乗るだけでなく、様々な
物資の輸送にも必要不可欠だ。騎馬武者とて一頭の馬に乗っているどころか
乗り換え馬が数頭は揃えていたのが常識(高位の武士の場合)よって「軍団」
と言える規模の騎馬隊が組織されていたかは疑問ながら、存在は否定出来ない。
但し、戦国時代に平安時代の様な騎射戦術が、大規模な形で存続していたかは
疑問であろう。五百年以上の時の隔たりを考えれば・・・。
285日本@名無史さん:2006/06/09(金) 03:04:31
小笠原に大敗してるからね、弱かったみたい。
286日本@名無史さん:2006/06/09(金) 04:28:10
小栗はドバイ直輸入の馬に乗っていた。曲渕なんかとの登城の際、
普通に乗っていても六馬身はちぎって到達してたそうだ。
287日本@名無史さん:2006/06/09(金) 04:56:20
>>283
ぐぐったら簡単に出てくる。



甘楽町の歴史をたどる
ttp://www.town.kanra.gunma.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&Cc=7d43090a21041a5

平安時代の『延喜式』には上野国の御牧の一つである「新屋の牧」
が開設されたとあり、当町の新屋地区内であると想定されている。
288日本@名無史さん:2006/06/09(金) 05:18:37

勉強になったよ。でも当時の人口と合戦の規模考えたらさ、
騎馬1000もいりゃあ既に騎馬隊もしくは騎馬部隊と呼べる
と思わない?まして総動員して5000程度つったら、当時と
しては騎馬率画期的に他より多かったんでないの?何千騎以上
いれば日本史で騎馬隊成立すると考えてるの?定義は?
モンゴル引き合いに出すのもなんかちがくない?
289日本@名無史さん:2006/06/09(金) 16:57:53
昔から疑っていた通説が、武田騎馬隊とは・・・。
武田騎馬隊も鉄砲3段撃ちもなかったなんて常識だろう。
本気で信じているの?
290日本@名無史さん:2006/06/10(土) 07:20:47
事実です。
ソース:信長の野望の付録についていた歴史資料。
291日本@名無史さん:2006/06/10(土) 09:31:08
>>289
常識?
馬鹿だな、現在主流に傾いてきている説っていうだけだ
時代が変れば主流になる説は変っていくだけの話
それも分からずに一つの説を「真実」と思い込むほうが厨なんだよ、ワカル?
292日本@名無史さん:2006/06/10(土) 09:50:01
「無敵の武田騎馬軍団」という評価は長篠になって突然出てきた表現で
それまでの武田の戦で騎馬軍団のおかげで勝てたとされる戦はない
そもそも武田は長篠城を落とすために攻め込んできたのであって
何千もの騎馬軍団を持ってきたところで城攻めには無用の代物だろう
293日本@名無史さん:2006/06/10(土) 10:40:58
武田は雷のような嘶きを発する鉄騎馬軍団を持っていたって、
私の調べた資料には載っていましたよ。
294日本@名無史さん:2006/06/10(土) 13:56:25
武田騎馬軍団を真実だと思い込むレベルの低いスレ
295日本@名無史さん:2006/06/10(土) 14:04:57
>>293

その文献の名前は?
「武田は雷のような嘶きを発する鉄騎馬軍団」なんて書いてあるのならば、どうせ悪書でしょうな。
296日本@名無史さん:2006/06/10(土) 14:21:13
久しぶりに見てみたが武田騎馬軍団を信じているバカが一人いるな。
一人自作自演おつかれさん。
297日本@名無史さん:2006/06/10(土) 14:27:39
>>295
ごめん、脳内文書・・・
298日本@名無史さん:2006/06/10(土) 15:18:33
武田ヲタは、無視するに限る
299日本@名無史さん:2006/06/10(土) 23:04:01
     ∩_
           〈〈〈 ヽ
          〈⊃  }
   ∩___∩  |   |
   | ノ      ヽ !   !
  /  ●   ● |  /
  |    ( _●_)  ミ/ <武田騎馬軍団は世界最強だったんだよ!
 彡、   |∪|  /
/ __  ヽノ /
(___)   /
300日本@名無史さん:2006/06/11(日) 02:12:03
カルトでしか見えない何かと戦う武田ヲタw
キモイ
301日本@名無史さん:2006/06/11(日) 03:13:37
武田信玄ってカルト宗教だったの?
302日本@名無史さん:2006/06/11(日) 04:38:11
武田ヲタの気狂い・気違いぶりは、宗教に近いものがあるだろう。
本当に気持ち悪いやつらだ。

こいつなんか特に武田騎馬隊宗教に狂っている。
>>254
>武田といえば騎馬軍団と誰かが呼んでいれば、それは騎馬軍団なんだよ
>わかる?
>別に騎馬武者100パーセントの編成が騎馬軍団と定義されているわけじゃないでしょう?


誰かが武田騎馬隊と呼べば、武田騎馬隊が成立するらしい。
では、誰かが武田鉄砲隊と呼べば、武田鉄砲隊は成立するのか?
そんなバカな話はない。

武田騎馬隊宗教に狂っている>>254の妄想の中では、武田騎馬隊は大活躍しているんだろうね。
303日本@名無史さん:2006/06/11(日) 08:02:41
とりあえず来年の信玄公祭から行進は徒歩だな
304日本@名無史さん:2006/06/11(日) 10:46:06
武田の騎馬軍団は存在していた!
ソース:武田の騎馬軍団で検索
305日本@名無史さん:2006/06/11(日) 15:09:26
>>303
移動には馬を使っていたのだからおK。
306254:2006/06/11(日) 15:26:07
俺は254だが、オマエラ適当なことばっか言ってんじゃねーぞ!!
武田騎馬軍団はいたんだよ!
武田といえば騎馬軍団と誰かが呼んでいれば、それは騎馬軍団が存在した証拠なんだよ!!
わかる?
俺が武田騎馬軍団は存在したっと思ってんだから、戦国時代のも存在したんだよ!1
わかる?
ねえ、わかる?
ワカル?
307日本@名無史さん:2006/06/11(日) 17:15:18
「白馬は馬ではない」ですか?
308日本@名無史さん:2006/06/11(日) 20:29:52
騎馬軍団なんてないよ。
日本の地形に騎馬軍団は不利。
検索したら「騎馬隊はなかった」って詳しい史料がすぐに出て来たよ。

http://www2.ttcn.ne.jp/~history/collaborate/nagashino/03.htm
309日本@名無史さん:2006/06/11(日) 21:32:42
馬は食料だろ。
310日本@名無史さん:2006/06/11(日) 21:44:38
>>306

どうやら武田ヲタの騎馬隊の定義は
騎兵が1頭でもいる軍団はすべて騎馬隊ということらしい。
だったらそう思えばいい。

これで満足か?


311日本@名無史さん:2006/06/11(日) 21:59:16
たぶん釣れて満足だろ
312日本@名無史さん:2006/06/11(日) 22:32:37
>>310
お前バカか?
1頭は違うでしょ。
騎馬軍団は2頭から!
313日本@名無史さん:2006/06/12(月) 00:08:51
でも、信玄って馬の乗っているイメージなくね?
314日本@名無史さん:2006/06/12(月) 00:27:18
どっしり鎮座してるイメージ大
315日本@名無史さん:2006/06/12(月) 03:24:17
あと、
ものすごい勢いで侵略してるイメージと、
しーんと静かにしてるイメージと、
めちゃめちゃ素早く動いてそうなイメージも大
316日本@名無史さん:2006/06/12(月) 03:25:44
武田騎馬軍団は月面に着陸した
317日本@名無史さん:2006/06/12(月) 10:33:22
>>308
武田騎馬軍団云々はともかく、そのサイトの理屈にもかなりおかしなところがあるぞ。

日本の馬ってモンゴル軍の使っていた馬とほぼ同じくらいの馬格だべ。
木曽馬などの馬格が貧弱だから戦場では役に立たないとか言い出したら、モンゴル軍の馬
だって戦場では役に立たないだろ。

あと、「馬の実態」の章で、日本では騎馬兵を戦いの途中で突入させ、主に「追撃戦」で
使用したってことを、いかにも本来の騎兵の使用法から外れるみたいに書いてるけどさ、
それって世界の戦史でも歩兵隊と騎兵隊を併用する際の最も一般的な戦い方だから。
318日本@名無史さん:2006/06/12(月) 11:45:46
ポニーのような馬で中国大返しできるのかね?
予め準備してなきゃ不可能だと思うが
319日本@名無史さん:2006/06/12(月) 12:46:49
>>318
一応信長の勢力圏なんで、途中の武家から馬を徴発して、
疲れきった馬は交換して戻ったと考えられる。
事前に連絡して根回し・準備までは、出来たかどうか。

秀吉お得意の金を与える&免状作戦も使っただろう。
320日本@名無史さん:2006/06/12(月) 16:58:18
事実は知らんが
みんなが集まる席で 「武田騎馬軍団はうそだ。」
と言い切ったなら、可哀想な目で見られるかもね。
321日本@名無史さん:2006/06/12(月) 23:45:05
なんで武田スレになっちゃってんの
・゜・(ノД`)・゜・。
322日本@名無史さん:2006/06/12(月) 23:57:28
騎馬軍団を認めない厨が常駐しているしな。
323日本@名無史さん:2006/06/13(火) 00:15:27
>>322

武田騎馬軍団を信じているバカが一人いるな。
一人自作自演おつかれさん。
324日本@名無史さん:2006/06/13(火) 00:21:04
>>323
よくわかったな。
お前頭もいいし、なかなか筋が良い。
325日本@名無史さん:2006/06/13(火) 00:32:27
そんな事くらいジーコでも解るわw
326日本@名無史さん:2006/06/13(火) 16:55:35
武田の騎馬隊というイメージで創造されるのはモンゴル兵や近代の騎兵ですが、これに相当するようなものは武田に限らず戦国には存在しませんでした。
騎馬隊であれば、兵士まで含めた一隊全部が馬に乗っているべきですが、武田軍の中で馬に乗っているのはせいぜい1/10〜1/5の幹部クラスだけで、あとはみな徒歩でした。
これでは到底騎馬隊といいうるものではありません。
また、馬に乗っているものたちも戦闘時には馬から下りて戦いました
だいたい、載っているのが日本馬ですから、馬体も小さく体力もないので長くは駆けられませんでした。
これもモンゴル兵や近代の騎兵と違います。
こういうことから言いますと、武田軍に騎馬隊は存在しなかったし、騎馬隊としての戦闘もなかったというのが最近の有力説になっています。
327日本@名無史さん:2006/06/13(火) 17:21:48
↑その通り。騎馬に乗った武者は居た。しかしそれを大々的に組織した軍団は幻。戦場では必ず下馬。蹄鉄の技術無しで馬を使い回すのも無理。因みに木曽馬なども明治に品種改良されているから戦国時代とは違う。
328日本@名無史さん:2006/06/13(火) 17:30:41
身長が150ぐらいが普通だった時代だし
現代でいえば小学生ぐらいのチビだったら
当時の馬でも人の足よか早く
せめて自転車ぐらいの速度はだせたんじゃ

あと舗装されてないような平地や山が多いから
馬が駆けれないよね?
なんで戦の伝令なんかは馬使ってたん?
329日本@名無史さん:2006/06/13(火) 17:55:37
そこに道があるから
330日本@名無史さん:2006/06/13(火) 18:30:06
>>324

俺は323ですが、325の発言は俺ではありません。
331日本@名無史さん:2006/06/13(火) 22:31:49
>>308
> これも馬という生物面から見てみると、日本の馬は、時代劇に使われるサラブレッド、
>ではなく木曽馬などで馬格は貧弱、背丈は1m20cm〜1m40cmほどである。おまけにわずかな障害物も飛び越えられず、火炎と轟音にすぐ驚く。
>これでは障害物が多い戦場では役に立たない。これが第一の理由である。

そこのサイトで気に食わない箇所はここ。
サラブレッドは近代に品種改良によってうまれたスポーツカー。
悪路をこれで走ればすぐに骨折する。細い足はガラスの足。

日本馬の大きさを理由にして、日本馬が戦で使われない理由にすることは当たらない。
なぜなら草原の覇者となった蒙古軍が乗る蒙古馬は日本馬と同じ系列の馬で小型。
同じ馬格なのに、一方は草原の覇者扱いで一方はわずかな障害も飛べない駄馬扱い。
これは矛盾というもの。
サラブレッドでも訓練していなければ、甲冑武者乗せて走ったら30分だかしか持たない。
「天と地と」のカナダロケでもそんな話があった。
最後に、「火炎と轟音にすぐ驚く」というもの。「障害を飛べない云々」もそうだが、
訓練しない馬はそんなものだ。
これは偏見以上の何者でもない。

この作者の念頭では、現代のサラブレッドと何の訓練もしていない木曽馬を比較しているのだろう。
結構、こういう人が多いけど、日本馬を馬鹿にしすぎ。
戦場で一番大事な馬は、粗食で丈夫な馬。
332日本@名無史さん:2006/06/13(火) 23:30:22
信頼度が高いとされている太田牛一の書いた信長公記では、長篠合戦について

「関東衆(武田軍)馬上の巧者にて、是又馬入るべき行にて、推太鼓を打って
懸り来る。人数を備へ候身がくしをして、鉄砲にて待請けうたせられ候へば、
過半打倒され無人になって引退く」

と記述しているのだが、それについてはどうなのさ?
333日本@名無史さん:2006/06/14(水) 01:43:48
まあ太田牛一の書くことだからな〜
334日本@名無史さん:2006/06/14(水) 06:39:08
とのたまう>>333が信を置いているのが「甫庵信長記」と「武功夜話」だからな〜
335日本@名無史さん:2006/06/15(木) 18:28:05
>>332
卑怯な奴だな。
その文の前後をあえて書かず、恣意的な解釈でミスリードを誘っている。

それは小幡隊の事だ、カス。
336日本@名無史さん:2006/06/15(木) 19:03:16
いくらなんでもカスは酷すぎじゃね?
一応「どうなのさ?」って意見を求めてるわけだし・・・。
337日本@名無史さん:2006/06/15(木) 19:14:58
いや、カス以下の下郎。
338日本@名無史さん:2006/06/15(木) 19:24:27
関東衆馬上の巧者にて、是又馬入るべき行にて、推太鼓を打って懸り来る。

武田軍【不正解】



関東衆馬上の巧者にて、是又馬入るべき行にて、推太鼓を打って懸り来る。

西上野小幡一党【正解】
339日本@名無史さん:2006/06/15(木) 19:42:38
>>336
>「関東衆( 武 田 軍 )馬上の巧者にて
と言ってるからな。

知らない奴が見たら誤解しかねない、質の悪い論法だよ。
340日本@名無史さん:2006/06/15(木) 22:07:19
旗本八万騎

騎兵が八万も居るなら、武田騎馬何とかなど敵ではない。
341日本@名無史さん:2006/06/15(木) 23:08:34
>>335
ニュートンプレス出版の『<原本現代訳>信長公記』では「関東衆(武田軍)」って書いてあるよ。
342日本@名無史さん:2006/06/15(木) 23:53:45
織田信長革命家説
織田信長優秀説

ただ運の良い癇癪持ちで、組織作りがまるでダメな凡将だと思う
343日本@名無史さん:2006/06/16(金) 12:29:58
>>341
219を見ればわかるが、この場合の関東衆は小幡にかかる。

なぜならば
>関東衆馬上の功者にて、是又馬入るべき行にて、推太鼓を打つて懸り来る。
時に攻撃を担当していたのが
>三番に西上野小幡一党、
だから。

もし、関東衆=武田軍ならば、山県や馬場は武田軍ではない事になる。
確かに>>332だけみれば関東衆=武田軍と取れないこともないが、
前後の文意を取れば、関東衆=武田軍は成り立たない。
344日本@名無史さん:2006/06/16(金) 12:43:02
小幡一党は武田軍じゃん。
武田軍の中に騎馬兵を主力とした部隊があったかどうかが問題なんだろ。
345日本@名無史さん:2006/06/16(金) 20:50:07
確かに小幡は武田軍なのは事実だ。
ただ小幡隊∈武田軍であって、小幡隊=武田軍ではない。

波状攻撃の一手を任されていること、貫高や小幡自身が国人であることを考えれば、
小幡隊は一備え(或いはそれ以上)、小幡隊単独である程度のまとまりのある軍事組織。
騎馬武者を初め、槍・弓・鉄砲や近習といった戦闘要員から、旗持ちや小荷駄とかも含む一個の戦闘集団。
騎馬武者含有率が後北条のように高かった事は疑いないし、
騎馬戦術に優れているだろうことも推測できるが、
そもそも騎馬戦術は相手の虚を突く戦術。
後北条だって決して槍や弓・鉄砲を疎かにしていた訳ではない。

備えである以上、戦闘の基本である槍や弓・鉄砲ほど主眼が置かれたかどうかは疑わしい。
346日本@名無史さん:2006/06/16(金) 22:33:45
>>325
あほな中田はわからない
347日本@名無史さん:2006/06/17(土) 03:58:43
>>343
その場合、
> 関東衆馬上の功者にて、是又馬入るべき行にて、推太鼓を打つて懸り来る。

の「是又」はどこに掛かるんだ?
348日本@名無史さん:2006/06/17(土) 04:00:18
>>345
長々と書いているけど、結局、
> そもそも騎馬戦術は相手の虚を突く戦術。

これしか根拠(というか主観のバックグラウンドでしかないが)になってない。
349日本@名無史さん:2006/06/17(土) 14:32:19
そういう時は、「武功夜話」に準拠しておけばだいたい間違いはない。
350日本@名無史さん:2006/06/20(火) 16:14:07
武功夜話は偽書だ。
疑わしき書物だな。
351日本@名無史さん:2006/06/20(火) 16:16:02
武功夜話の問題性と偽書説
しかしながら、前野家文書の史料性については、疑問が提示されている。
例えば、昭和29年の町村合併で初めてできた合成地名のような、明治以前には存在しなかった地名が散見されるなど、
用語・固有名詞や記述などに時代を超越した言葉が現れること、
当事者である前野一族の覚書をもとにしているにも関わらず、他の同時代に書かれた複数の根本的な史料と致命的な食い違いがみられることなどの矛盾点がある。

また、前野家文書は非公開とされ、原文はおろか、その写真さえ公開されず、発見以来40年以上経過しているにもかかわらず専門家による検証がなされておらず、
現在ではほぼ偽書と断定されている。

学会からは完全に無視されており、学術論文等に使用することは避けるべきである。

352日本@名無史さん:2006/06/20(火) 19:29:09
じゃあ前野家文書ってだれがもっているの?
なんで公開しないんだろう
353日本@名無史さん:2006/06/20(火) 21:34:41
354日本@名無史さん:2006/06/20(火) 22:38:16
>>350
鈴木さん、乙。往生際悪いよ。
355日本@名無史さん:2006/06/21(水) 18:29:10
           / . : : : ::::::::::::::::::::::::::::::::::ミヽ::::ゞ、
          i ; ; ;;;;;;;;;::::::::::::::::::::::::::::::::::::lリゞ;;:::ゞ
          /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノイ,/;;;;/::;;〃i/いリ;;;;;;:::::`、
            /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノノ,/;;;;/ノ;;/;ノノハノハw;;;:::::';
            !;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノ,ノノイノハノノノイノヽ、ノハ;;;::::!
           l;;;;;;;;r'ヽ;;;;!  -─ノノ-ノ '´─-ヽ;;:;:;:::/ カイザー・ラインハルトと同じく
          ハ;;;;;!リ〉リ'   r-rェァ'`  ,rェッ  !;;;;:ソ 嫁さんが筆おろしだった。
          ,リ;;;;;;),  ヽ           l    /;:ノ ミラクル・ヤンが、童貞元帥だったなんて
          ,/)ぃ,l:リ  l        ,_」   / 後世の歴史家は、なんて言うだろうか?
      _,.、-‐!  ヾ:!、Y       ___   /`ー -、_
_,.、-‐' ̄''ー- 、 l    \  ヽ     ー   /`ー-、_ i`ヽ、_
``ヽ、_,.、-ー-‐'ヾ 〔《l \ \     / \     `ー-,l ';
   ヽ、      ヽ      r'、  `ー‐',i ,r-‐'゙}        l! !
    .ヽ、     `、   /.、 \   / 〉\/          / ,}
      ヽ ゙l、  ヽ/、;:;:;:゙:、 \_/_,.r'             / / ク
`''‐-:、,_  ^:、 !       `ー、;;ヽ、,.ィ':;/          i / イr'゙ \
    ``''‐-:゙i ,|           `!;:;:;:;:〉     ___{_/ィレ'゙ _,.、‐':
ー─- 、___ミi、           ,}:;:;:/,-‐'" ̄ヽ、ヽ  ヽ、 ̄ヽ、   \
         `ヽ、   _,,..、-一''"         ゙i `l    `ヽ,.ー-ヽ、
         _,.、-‐'"                |  | ,ノー-、,    ヽ
      _,、-'"/                     |  イ'r
30過ぎまで童貞だった私が、新スレを立てたので、挨拶にやってまいりました。
【自衛隊のヤン・ウェンリー】
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/jsdf/1150468063/
356日本@名無史さん:2006/06/21(水) 18:29:54
    ,iリ'     /  ,r'',; ,;i' ,/ソノク、 f | ,| `゙'<ミi    ヽ、
   ,r'    `ー<二ノ'ノ,,r'ノ/∠;;ニム<リ ! ,!     | ;i ハ   ト、,,_
  ,/  /     二-'';彡'" ̄ー--、,_`ヽ、     ゙い,i | ゙i l  `:r"
  / 〃   _,,   ""|´      、,_ヽ、>、_      |゙ソリ | | i l,i
 i' //   _,-'二ニ、-;イ         ( ・)ヾ'-ミ;ッ   _,{ ,ノ,ノ リ
 | 〃,i'  ,r'",ヘ、゙!-ヲ         `''ー ''ヾ'  ,rくご三-'゙ッ''-"
 ゙V ,i' 〃| ( _,) l'"|                 ヽ(・)ヽ,r"
  i' .| //ヘ. ヽヽ、゙''"               ;;   ゙ヾ" i'
  | y ;' ゙ヽ、                 、 r-~''ーソ ,|   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ゙Y  ,,   /''-r:ヘ                _ -''"   |   | 俺も、女房だけだ!!
  |  ,i' ;i ,/  i, :i,          /二二_`ー、    l  .ノヘ、___________
  ゙i | | ,|,il!   i, ゙i,           ̄`''ー--、フ'   /
   `!、i |ヾ    'l,  ゝ,          =ー-    /
    ,べ     'l   `''-、             ,r'
  ,r┴--::、、,,,_  |     `'-、_         ,/
  }二'''''ー--::、 ̄``'''ー-:、,,,_   `''-:、,,_    /
  f---:、ヽ、    ̄,、~`フ=ー-ニ`'''-、_  ``i''''''"
 ,i' /   ヽヽ、   ゙i,`(´,r─-:、 `i '|゙`ニー'、

ヤン・ウェンリーと同じく女房で筆おろし&女房オンリーのミッターマイヤーです。
艦隊運動同様あっちの早さも疾風な私が新スレ立てました。
【自衛隊のヤン・ウェンリー】
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/jsdf/1150468063/
357日本@名無史さん:2006/06/25(日) 19:58:59
武功夜話は昭和になって書かれたことが最近わかってきている。
358日本@名無史さん:2006/06/25(日) 21:50:23
劇的なのは大概デタラメ!当たり前だよな^^
359日本@名無史さん:2006/06/26(月) 02:04:47
武士は平安時代後半に誕生した当時から馬に乗る存在でした。
平安末期や鎌倉時代の戦いで軍勢を表現する場合、「100騎」とか書かれますが、これは、確かに騎乗の武士100人という意味でしょう。
しかし、室町時代半ば以降、足軽という徒歩の兵種が出現し、合戦の人数が何万人にも上る時代となってからは、騎乗の武士の数は、軍勢のうちの何%かになりました。
馬を1頭養うには大きな経済的な負担がかかり、馬を保有できる人間は、領地をもつなど領主か、その特定の家来に限られます。
近代の軍隊で言うなら、指揮官か士官クラスのものしか騎乗できないのが常でした。
当然ながら、何万もの軍勢の多数派は、徒歩の兵隊ということになります。

そして、その特別の存在の騎乗の武士は、鎌倉時代なら、「やあやあ我こそは・・」と名乗りあって戦った、家名を重んじ個人戦を基本とする存在です。
戦国時代の戦いは、さすがにもはや、名乗り合うことはありませんでしたが、
それでも、個々の有力な武士はやはり一族郎党を引き連れて、有力者とその家来単位で戦うのが常です。
彼らを集めて全体の統率のとれた「騎馬軍団」に仕立て上げるというのは、戦国時代の武士の存在を無視することになります。
つまり、後世の発想からはできても、現実には、そう言う軍団の編成はあり得ないのです。
19世紀以降の近代的な騎馬隊、たとえば、インディアンと戦ったアメリカ合衆国の騎兵隊のような
一人一人の騎馬兵が、単に部隊の一構成員として参加し、部隊長とか中隊長・小隊長の下で統制されて戦うというのは、戦国時代にも江戸にもありえませんでした。

このことを伝える証拠の一つに、ルイス・フロイスの「証言」があります。
『ヨーロッパ文化と日本文化』といって、そのものズバリ、文化の比較を行ったものです。
その本に次のように書かれています。
「われわれの間には、曹長、小隊長、十人組隊長、百人組隊長などがある。
日本人はいっさいこのようなことを気にかけない。」

http://miraikoro.3.pro.tok2.com/study/mekarauroko/jyuhou_to_rekishi02-03.htm
360日本@名無史さん:2006/06/26(月) 02:06:44
「それなら」と、あくまで騎馬軍団に固執される方は思われるかもしれません。
「武田軍は、有力武士が率いる一族郎党の中に馬に乗ることができる家来の数が他の戦国大名よりも多く、結果的に、多数の騎馬兵をもった、騎馬軍団である。」

しかし、これも、事実ではありません。
たしかに、武田氏の本国甲斐(現在の山梨県)には、古代律令制の時代から、「牧」(東国には、律令時代には馬を育てる官営の牧場があり、牧と呼ばれた)が多く、
他の地域よりは馬の供給量は多かったかも知れません。
しかし、現在残っている資料を見る限り、武田軍の騎馬兵の数は他の大名と比較して、そう多くはありませんでした。

所属 戦闘員総数 騎馬兵の数 騎馬兵の割合 資料の出典
武田軍 237 23 9.7% 永禄・天正期の甲斐・信濃の軍役状
上杉軍 5514 566 10.3% 天正3年の軍役帳

武田軍上杉軍とも、騎馬兵の割合は、同じく全体の10%程でした。
361日本@名無史さん:2006/06/26(月) 22:32:25
>>360
隣国と比較してもしょうがない。
362日本@名無史さん:2006/06/27(火) 19:23:34
ログ読んで思ったが、>>61には誰もつっこまないのか。
363日本@名無史さん:2006/07/02(日) 00:19:13
誰もいねえ
364日本@名無史さん:2006/07/02(日) 00:32:51
>>362
君がつっこんだからOK
365日本@名無史さん:2006/07/02(日) 03:37:26
>>61
まったく同感だ
366日本@名無史さん:2006/07/02(日) 03:48:10
>>61
文字がない時代の口承は非常に保存状態が良い。常識だろ?
あと記紀の元ネタは口承じゃない。

素人はROMっててね。
367日本@名無史さん:2006/07/02(日) 07:36:22
>>357
それは、すべて藤本さんの思い込みです。
368日本@名無史さん:2006/07/02(日) 10:27:14
>>366
常識じゃないよ。
1000年間何人もの人間が代々伝えてオリジナルが伝わると思う?
伝わると思うならその考えが非常識。
369日本@名無史さん:2006/07/02(日) 11:03:56
>>367
昭和ってことはないだろうねぇ。
だが、偽書である事は間違いない事だろうねぇ。
370日本@名無史さん:2006/07/02(日) 11:10:14
>>367
あ、それと、藤本さんは昭和なんていってないよ。
小和田さんが「明治40年以降成立はあり得ない」って藤本さんに対していってる程度。
ちなみに、藤本さんは明治40年以降成立ともいっていない。
小和田さんが、よく読みもしないで、藤本さんが「明治40年以降成立」と言っていると
どこかで誤った話を聞いてきたんだろうね。
藤本さんは武功夜話内の各記述と他の一次資料の記述の比較と、後年作られた読み物などの記述から、
「偽書だろう」と言っているだけだよ。
江戸時代などに作られた創作読み物に出てくる逸話が登場したり、江戸時代以降の国割りが
そのまま書かれていたり、文章の言い回しや、書状の体裁が、戦国期のものではないっていってるだけさ。
371日本@名無史さん:2006/07/02(日) 11:11:38
そのとき歴史が動いたで知ったんだが
聖武天皇は暴君だったが仏教を知り行基に弟子入りして善政を敷けるようになった。
東大寺の大仏を造り自分は下級僧侶として仏に仕えて一生を過ごした。
天皇は神道のイメージだが実際には坊さんの格好をしたり寺や仏像ばかり造ったり崇めたり
寺に篭って法王と名乗ったり戒名をもらって仏の下に旅立ったり、、、、
天皇は仏教徒なんだな。京の都も奈良も天皇の周囲は寺と坊さんばかりだし。
372日本@名無史さん:2006/07/02(日) 18:08:07
>>368
文字の発達していない民族の口承(伝承)とか聞いたことないの?
びっくりするくらい実際の歴史事象と重なってるよ。
どこの何族かは忘れたけど。

言葉の力と文字の力を侮りすぎだよ。
後世に伝えるのにとても便利な文字が発達してしまうと
言葉の力はなくなっていくもんだ。

現在の常識で考えすぎだよあんた。
373日本@名無史さん:2006/07/02(日) 18:56:07
>>370
鈴木さん乙。互いに庇いあって美しい友情ですね。でも、真実はそんな甘っちょろいものではありませんよ。
374日本@名無史さん :2006/07/02(日) 19:12:29
>>372
368が言ってるのは現代の常識じゃなくて、口承の限界じゃないの?
どうせ記述に比べて情報量圧倒的に少ないのでは。わかっても大枠
だけでしょ?どの辺の詳細まで口承できるものなのか示してみてよ。
あと期間も。普通に考えて千年は持たなそう。
375日本@名無史さん:2006/07/02(日) 20:54:17
口承の限界を現代の常識で考えすぎてるっていってんのw

アイヌの口承だったと思うんだけどなぁ。
専門家ではないし示せって言われてもw
376日本@名無史さん:2006/07/02(日) 21:09:00
記紀の神話なんか、ギリシャ神話からのパクリだらけじゃないか。
日本神話の口承ではない。
377日本@名無史さん:2006/07/02(日) 22:26:42
>>374
まず「口承」ってものを勘違いして無いか?
毎日毎日、同じ言葉を復唱し続けて、自分の人生を語るのと同じレベルの
「記憶」を刷り込まされるんだよ。ただの「暗記」だと思ったら大間違い。

そして一人が覚えるのではなく、「家」単位でその記憶を共有する。
その中で最も正確に記憶できている人間が、次の記憶を伝承していく。

宮大工の西岡常一の本なんかを読むと、理由のわからない口伝も大量にあって、
でも法隆寺などの復興工事の際には、その口伝が「失われた技術」を伝えていた。
千年以上昔の技術(しかもノウハウは失われている)も口伝で伝えることは可能だということだ。


だけど、それを以って記紀の口伝が正確かどうかの判断基準にはならない。
歴史はケースバイケースのあつまりで、法則として当てはめることができないから。

同様に歴史を「普通に考えて」判断するというのも全く無意味。
「普通に考え」られるレベルの人間が口承なんてしているわけがないだろ。
378日本@名無史さん:2006/07/02(日) 23:54:31
>>373
自分は鈴木さんじゃないけど、じゃぁ、あなたの言う真実とは?
まさか、武功夜話が偽書じゃなく一次資料とか馬鹿な事言わないよね?
379日本@名無史さん:2006/07/03(月) 12:50:39
>>378
もうそう決め付けるところが鈴木臭ぷんぷんなのだが。
380日本@名無史さん:2006/07/03(月) 13:12:17
まともな史学者は武功夜話は扱わないよ
やはり史料としての信憑性に欠けるから
原本が確認できないんじゃそういう扱いになるのは当然
381日本@名無史さん:2006/07/03(月) 13:30:44
>>373、379
教えてほしい、武功夜話をどう思ってる?
自分のスタンスをはっきりさせてほしいな?
武功夜話を一次資料と思っているなら、あなた(達)のカキコはわかる。
だが、思っていないとしたら、煽りではないのか?
そして、当たり前の事だが、史学者が武功夜話を一次資料として扱わない事への
あなた(達)の考えはどうなんだろう?
そして、小和田氏が、明治40年以降成立とは思えないと藤本氏に対していったのは事実だ。
だが、明治40年以降成立と藤本氏が書いている事実はない。
あなた(達)のスタンスはどこにありますか?
382日本@名無史さん:2006/07/03(月) 17:11:33
武功夜話を書き留めたのが原本でしょ
383日本@名無史さん:2006/07/03(月) 17:44:22
>>381
まず、あなたのその高圧的な物言いを改めるところから始めるのが良いのではないでしょうか。
そのような態度では、誰もあなたに対してちゃんとした応対をしようとは思わないですよ。
384日本@名無史さん:2006/07/03(月) 18:10:46
ぷっ、態度の問題かよ。程度が低いねー。
385日本@名無史さん:2006/07/03(月) 18:28:35
日本史板で、自著の宣伝するなよ>>>鈴木or藤本
ときどき見るが、さもしいというか、浅ましい
386日本@名無史さん:2006/07/03(月) 18:37:14
武功夜話を否定されて怒ってる人達って、武功厨っていう人達?
387日本@名無史さん:2006/07/03(月) 18:41:39
てか、図書館長は引っ込みがつかないんだろ。
専門外に手を広げ、ロクに調べもしないうちに飛びついた史料を
一次史料のような扱いで著書を出版、大河でも考証を担当し
戦国といえばこの人とまで称されるようにもなった。

ところが、その史料の問題点を指摘する人が現れ、某はお濃の墓と
思われるものを突き止め、某が唱えているお濃は江戸時代まで
生きていたという説の方が支持され初めている上に、最近では
お濃と思われる信長御台出産記述も発見される始末。
もし、これらを含めお濃が信長御台として君臨し続けていたことが
証明されれば、生駒と信長のことをさも真実のように書いてきた館長に
してみれば自分の面子も掛かってくるのは必然。
そりゃ、必死になっていろいろ突っついてくるだろうよ。
388日本@名無史さん:2006/07/03(月) 22:33:50
偽書にホイホイと引っかかるなんて恥ずかしいよなw
389日本@名無史さん:2006/07/03(月) 22:36:47
いいのかいホイホイ付いて来ちまって
俺はノンケでも平気で喰っちまう男だぜ
こんなセリフのある本があったが何だっけ?
390日本@名無史さん:2006/07/04(火) 02:25:29
そういった意味では、古事記・日本書紀も偽書だよにゃあ(笑
391日本@名無史さん:2006/07/04(火) 02:47:08
現代の歴史学では、実証主義は史料を狭く解釈しすぎていると批判されている。
心性史や社会史は上記のような史料批判で残った史料を用いるだけでは、
ほとんど捉えられないであろう。
例えば実証主義の立場から見ると、うわさや伝説は「真実でない」として
一蹴されてしまうが、そうしたうわさや伝説を受け入れ、
伝えていった民衆の心性をテーマに捉えることによって、
歴史のある側面が浮き彫りにされることもある。

wikiから抜粋。ここテストにでるから。

392日本@名無史さん:2006/07/04(火) 07:55:11
武功夜話の昭和成立説を言ってるのは勝村氏の著書ですけど。

>>391
そういう理由で武功夜話を批判している人は少ないと思うな。
あれを一次資料としては使えない、そういう意味で偽書と言っているんだと思うけど。
一部は信用おけるかも知れないが、全てが信用おける訳じゃない、ということでしょ?
(個人的には、どの部分が信用をおけるものか、武功夜話を読んでも自分には信用おける
箇所を見いだせなかったけど)
その辺の逸話集と同程度の扱いだったら問題になっていないと思うよ。
全てが信用のおける一次資料だと、お墨付きを与えた人達が問題だという、論調だと思う。
逸話というものの価値は、逸話として認められているのは間違いない。
だが、その範疇を大きく越えてしまったからね。
393日本@名無史さん:2006/07/04(火) 09:53:23
>>392
場合によっては一次資料として使える、そういう意味だと思うけど。
そして、歴史学としての現在の考え方は実証主義に固執するような
考え方に陥りやすいってことを言っているんだし、このスレもその例外ではないでしょ。
394日本@名無史さん:2006/07/04(火) 10:48:00
>>393
一部は使えるものもあるよね、各種文献には。
「甲陽軍鑑」なんかもそうだよね。

で、「武功夜話」にはそういう部分があるかないかって話になると、
最初に作られたと言う21巻本(それ以前のモノもあるという話だけど)の中を
調べるしかないけど、持ち主は拒否しているよね。
確か、小和田氏も、ざっと表面的に見ただけだったと思う。
筆跡を比べたりとか、訳本と内容が合っているかも、きちんと調べられていない。
紙質に関しては、江戸時代の紙は現代でも手に入るくらいだから、参考にするのは難しい。
当然墨に関してなんて調べられてもいない。
そうなると、今出回っている「武功夜話」としての内容で考えるしかない訳だけど、
他の一次資料と比べてみて、ほとんどに齟齬がある。
「武功夜話」にしか書かれていない部分は比べ様がないと言うけれど、前後に起きた
事件等と照らし合わせてみて、どうもおかしいという部分が多分にある。
逸話として、その中に含まれているメッセージ性を読み取るのはいいと思うよ。
でも、信用のおける一次資料というものでは、それはないと思う。
「武功夜話」で一番の問題になっているのは、信用のおける一次資料だと、世に蔓延した
間違った認識だと思う。
一部が使えるとか、逸話としてのメッセージ性を……などと言うのは、専門家なら
分かっているだろうけどね。
実証主義だけに傾倒していくのはよくないかも知れない。
けれど、まったく事実と違うと思われるような逸話が一人歩きしているから、「武功夜話」が
問題になっているんだと思う。
他の文献の話じゃなく、「武功夜話」に限って言えばね(他の文献でも同じような事は
あるモノもあるけど)
そして、それを蔓延させる為のお墨付きを与えた、一部歴史学者やマスコミが、
問題視されているんだと思うけど?
395日本@名無史さん:2006/07/04(火) 11:16:03
>>387
岡田正人を某と指してるのって、何か意味でもあんの?
かえっていやらしいな。

あと、信長御台の出産記述の本「近江何たら」のことを
自慢げに書き込む奴多いけど、普及キャンペーンでもしてるのかw
396日本@名無史さん:2006/07/04(火) 11:34:39
>>395
吉乃よりになった信長周辺の女関係を正室よりに戻したいとかかな。
武功夜話よりは、近江國輿地志は信用できる部分もあるから、仕方がないね。
ただ、その部分がその信用できる部分かどうかはしらね。
397日本@名無史さん:2006/07/04(火) 12:29:02
もし、濃姫が勝長を産んだとしたら、何歳の時ですか?
398日本@名無史さん:2006/07/04(火) 14:32:53
永禄11年ってことだから、数えで34歳かな?
実年齢だと、32か33。
399日本@名無史さん:2006/07/04(火) 16:20:10
>>395
武功の普及キャンペーンに比べれば実にかわいいもんだ。
御台出産について話題になるのは当たり前だろ。
長いこと信長御台には子供はいなかったと信じられてきたのだから
それが覆るかもしれないある意味大発見なのだから。

そして、信忠のまわりや信長側近、公家の日記等で考えればお濃を
遠ざけたとか返したなんてまずはあり得ないことを、そんなことは
おかまいなしで武功に沿った形で信長奥事情が語られてきた反動が
今きているともいえる。
姫スレでも書かれていたことだが、お鍋の件含めある意味短絡的な
風潮が今の歴史研究者やマスゴミにはある。
いろんな意味で、色眼鏡を外して信長奥関係は一度リセットして
再検証してみる必要があるのは確かだと思われ。

これは、お濃に限らず築山殿や淀にも言えることなんだがな。
400日本@名無史さん:2006/07/04(火) 18:02:10
>>399
武功夜話も、武功夜話拾遺を見ても、吉乃が御台になったなんて記事はないんだけどね。
だから、どうして濃姫を返されただの死んだだの言いたかったのか、その理由が
よくわからないと思わないか?

武功夜話には吉乃の座敷に関して「久庵様の新居御座敷も御普請なされ」だから、
吉乃の座敷も御台御殿の中に用意したってだけ。
武功夜話拾遺にいたっては、
「小牧御殿へ御移りになり御側室に成られ増る、この吉野女三子の母久庵殿の事なり。
先に清須に御移りは申四月日、小牧新御殿小牧殿の事。 」
ってなってる。
吉乃は小牧御殿に移って側室になった。
つまり今まで側室じゃない非公式の愛妾だったって言う事と、
清洲に吉乃より先に移ったのは、小牧御殿の主である小牧殿だって事が書いてある。
申四月ってのは、永禄3年4月ってことかな?
御台御殿の主である小牧殿は、永禄3年には清洲に移ってるってことだよね。
小牧城完成が永禄6年、御台御殿が出来たのがおそらく永禄8年の事。
小牧殿って言うのは便宜上の呼び名だから、土地の名前で呼ばれるのは正室の事だ。
御台御殿ってくらいだから、正室は御台って呼ばれていたんだろうな。
おそらくそれは、濃姫の事で、これのどこをどう訳したら、吉乃が御台になったとか、
濃姫が返されたってことになるのか、そっちの方が不思議なんだよな。

要するに、濃姫が死んだとか返されて、吉乃が御台になったって事にした方が
センセーショナルで耳目を集めやすかったからってことなんだろうか?
401日本@名無史さん:2006/07/04(火) 20:30:18
>>398
サンクス。
32か33なら出産は可能だね。
402日本@名無史さん:2006/07/05(水) 03:09:33
ごめん、400
概要はわかるんだけど、細かな文意が通りにくい・・・
403日本@名無史さん:2006/07/05(水) 08:52:08
>>402
「武功夜話」自体にも吉乃が御台になった事が書かれていないのを、「武功夜話」の記述を引用して
説明しているんでしょ?
その上で、「御台になったと言って回った人達は、なんでそんな事を言ったのかな?」という
>>400の疑問じゃないの?
吉乃が御台になったことにした方が、センセーショナルだから、言った人自身に注目が集まるからか?
それを狙ってやったのか?というような意味だと解釈したが。

自分は、吉乃が御台になっていないのに、なったという事に現代の某研究者達がしたのか
ということも気になるけど、
それよりも、「武功夜話」の原作者は、なんで永禄8年になってから信長が吉乃をわざわざ
引き取ったことにしたのかの方が気になる。
徳姫誕生が2年で、その産褥で病気になったのに、何年もそれを知らなかった事を書いている訳でしょ?
404日本@名無史さん:2006/07/06(木) 10:25:31
戦国史への興味、しかも信長の妻妾に著しく興味をもつ人間なんて少数でしょう。
センセーショナルというほど、
世間の興味は向いていないので、みなさん安心して下さい。
405日本@名無史さん:2006/07/06(木) 12:56:46
発表された当時、新聞で大々的に特集組んでたのは見た事ある。
朝日新聞だったか、日経だったかで。
おじさん達がその頃よくその事話題にしてたなぁ。

功名が辻の放送が始まってから、そのときのおじさんの一人が
「本当は、吉乃が御台になって、濃姫は美濃に返されちゃったんだよ」
なんて、得意げに言ったと思ったら、同調してるおじさんが何人かいた。
思わず、それ間違ってるって言っちゃったよ。
そしたら、新聞に書いてあったんだぞNHKでもやってたぞって反論されたなぁ。
マスゴミをそのまま信じるなよって思ったよ。
今じゃ、自分もおじさんだが。
406日本@名無史さん:2006/07/06(木) 23:06:47
自分の周囲にはそういうドラマ設定を本気にする人はいないな。
407日本@名無史さん:2006/07/06(木) 23:22:33
ドラマ設定じゃなく、武功夜話の吉乃が御台になった説が発表されたときの特集の事でしょ?
408日本@名無史さん:2006/07/06(木) 23:23:31
もう20年くらい前の話だけどね。<吉乃が御台になった説特集
確か朝日の夕刊の1面使っての特集だったね
409日本@名無史さん:2006/07/07(金) 11:33:17
信長、信玄
正室厨と側室厨の戦いw
410日本@名無史さん:2006/07/07(金) 12:03:16
>>405
「旧石器捏造事件も発覚するまでは新聞やNHKでやってたでしょ。」

って反論してやればよかったのに。
411日本@名無史さん:2006/07/07(金) 12:19:12
なんだか、微妙の論点をずらしている人間がいるな。

信長の妻妾の事など興味ない人間の方が多いが、
最近の御台長命説を知らない人でも吉乃御台説は知っている人も意外といる。
新聞やNHKで大々的に新しい説として発表されたから、印象に残っている。
武功普及キャンペーンはある意味その当時の事を知っている人間には成功している。

と、いう事でしょ?
ちなみに、最近功名が辻関連でブログを回ってると、吉乃御台説を真実のように
書いてあるブログはとっても多いから(年代的に若いと思われるブログ主でも)、
その説は引き継がれている感じはする。
たまに、御台長命説を書いてあるブログに噛み付いている人もいたりする。
412日本@名無史さん:2006/07/09(日) 00:38:10
からかうつもりは無いけどさ
つまりは濃姫厨と吉乃厨の争い・・・って程度に思えるよ。
どっちもどっちって感じでね。
413日本@名無史さん:2006/07/09(日) 21:49:15
ここも工作員率が高いからな。
本国に不利なカキコは、否定するのが奴らの仕事だから。
414日本@名無史さん:2006/07/11(火) 01:07:35
高視聴率取った大河ドラマ「秀吉」が吉乃マンセーだったから
自称歴史好きのおじさんおばさんは吉乃御台説を信じてたりするよ。
NHKの影響力恐るべし。
415日本@名無史さん:2006/07/11(火) 16:30:05
そういえば大河ドラマ「秀吉」では信雄は信孝よりも数ヶ月後に生まれたけど
吉乃の子だから次男として扱われたってあったけど本当なの?
416日本@名無史さん:2006/07/11(火) 17:29:45
>>415

信孝は確かに先に生まれているが、熱田で生まれているので報告が遅くなったため
先に報告を受けた信雄が次男になった。
417日本@名無史さん:2006/07/11(火) 17:33:55
>>415
数ヶ月ってこともない、確か40日弱だった筈
418日本@名無史さん:2006/07/11(火) 18:14:09
信忠が嫡男になれたのは吉乃の子だったから
織田姓を名乗れたのは吉乃の子の信忠と信雄だけ
なんて意見もブログでは結構見受けられるなw
419日本@名無史さん:2006/07/11(火) 18:51:38
信雄って神戸じゃなかたか?
420日本@名無史さん:2006/07/11(火) 18:55:36
信雄は北畠
421日本@名無史さん:2006/07/11(火) 19:00:33
>>418
信忠が嫡男になったのって、濃姫の養子になったからじゃなかったっけ?
吉乃って馬借の娘でしょ?
馬借の娘が生んだからって嫡男にするメリットないじゃん。
422日本@名無史さん:2006/07/11(火) 20:29:48
あーそか。
北畠信雄と神戸信孝か。

恥ずかしorz
423日本@名無史さん:2006/07/11(火) 20:30:59
>>418
最愛の吉乃の産んだ子だから嫡男になったと思い込んでる人もいるようだよw
424日本@名無史さん:2006/07/11(火) 21:17:20
>>421
逆。
信忠を嫡男指定したから、さらにその立場を強化するために、正室の養子にした。
425日本@名無史さん:2006/07/11(火) 21:35:43
信孝が先に生まれてたら、信孝が養子になってたんだろうか。
426日本@名無史さん:2006/07/11(火) 22:59:30
>>424
あれ? そんな資料残ってたっけ?
勢州軍記には
「彼ノ信長公ノ之御台斎藤山城入道ノ之息女ノ腹ニ無若君也、
嫡子信忠卿モ亦妾人ノ腹也、弘治三年丁巳誕生、是御台ノ之御養子也」
是という字は、よい事、正しい事として定めるという意味だから、
御台の養子として定めた事によって、本来御台の実子が嫡子となるところを
御台に男子が生まれなかったので、妾腹でも嫡子になったと解釈していたが?
427日本@名無史さん:2006/07/12(水) 00:50:19
>>426
すまぬ。俺の推測だす。
正室の長男が、一応自動的に嫡男になるが、正室に子がなければ、側室の子でも嫡男になれる。
信長は早めに後継者を決めておこうと、側室が生んだ、長男〜4男あたりまでを比較して、
信忠が一番優秀と判断して、これを嫡男と定め、
自分が同腹の弟と家督争いの戦争の末、弟を殺さざるを得なかったことの反省から、
信忠のみを正室の養子として、さらにその立場を補強した。
(これによって他の兄弟は信忠の競争者になる余地がなくなった)
以上が、勢州軍記のその文章からの俺の推測だす。

さらに、長男は尾張の小城に飼い殺し状態。
3男以下は他家に養子に出す。
一方、嫡男・信忠は手元において、折りに触れて後継者として教育。
同じ息子でもえらく差別的な扱いだす。

吉乃(?)が死んだ時、その遺児として信忠・信雄・五徳が残されたが、
他の子をそのままにして信忠のみを正室の養子とした点に、
養子縁組よりも嫡男決定が先と、これも推測だす。
428日本@名無史さん:2006/07/12(水) 01:22:58
>>427
なるほど。
でも、吉乃が正式に側室になった時点では、既に信忠は吉乃の手元にはおらず、
先に小牧に引き取られていたようですので、私は、養子と嫡男になったのが
同時と考えています。
御台の子供になったから、嫡男たる資格を得た。
これで家中からの異論がおさまるからです。
また、信忠を先に嫡男にすると、生駒家が力を持ちかねません。
日本は伝統的に、跡取りを生んだ女の家が栄えるという風潮があります。
摂関政治などはこの最たるものですね。
しかしながら、信長は、生駒家を大きく取り立てた歴史的な事実はありませんので、
生駒家が力を持つのを避けたと考えられます。
むしろ、往還状をだして馬借としての地位を保証しただけに終わっているともいえます。
とすれば、生駒家が勘違いしないように、養子を先にする方が、妥当かと思います。
あと、おそらく、子供達を比べて誰が優秀かなどと判断するよりも、もっと幼い時期に、
養子になっていると思いますよ。
信雄は勢州軍記からも、生駒の腹である事は広く知られていたようですが、
信忠に関しては、どこの側室の腹かはそう知られていなかった節があります。
とすると、やはり、話が広まるよりも先に養子になっていたと考えれると思いますので
かなり幼い時期にそうなったと考えるのがいいのではないでしょうか?
429日本@名無史さん:2006/07/12(水) 01:27:01
信忠は赤ちゃんの時に養子になったような気がする。
生まれた時から区別して育ててないと、後々揉めそうだし。
まぁ全くの推測だけどw
430日本@名無史さん:2006/07/12(水) 03:57:16
>>428
なるほど、サンクスだす。
ただ、そうすると、なぜ信忠が選ばれたのかが、新たに疑問になってくる。
なぜ、長男・信正ではいけなかったのか?
吉乃の子を嫡男にしたかったのか?
信正のあつかいは、ひどいよ。
431日本@名無史さん:2006/07/12(水) 07:47:53
>>430
信正は本当に信長の子供かどうか判然としないという説がある。
だから、信長の血を引いていない可能性がある子供を嫡男に出来ない。
けれど、血を引いている可能性もあるから、一族の婿養子にしたという感じかな。
432日本@名無史さん:2006/07/12(水) 09:01:34
>>428
吉乃の喪主も信雄で信忠じゃなかったね。
吉乃生前から、信忠は養子に出てたと考えた方がしっくりくるね。
433日本@名無史さん:2006/07/12(水) 12:02:55
史板の人の考える「昔から疑ってかかっていた日本史の通説」は
織田信長の閨閥だけ・・・なんだね。

スケール小さw
434日本@名無史さん:2006/07/12(水) 12:23:32
今現在の話題を「だけ」って…
435日本@名無史さん:2006/07/12(水) 12:30:36
>>433
それはスケールの大きくするネタを振ってみてから言うセリフだよな
436日本@名無史さん:2006/07/12(水) 13:38:30
鈴木眞哉先生の本を読んでいたら「本願寺を巡る戦いでの織田信長軍の鉄船
の存在も怪しい」と書いてありますがどうですか?

鉄船のことが書いてある史料は多門院英俊の日記に「鉄ノ船ナリ」とただこの
一言だけらしいです しかも伝聞

これは鈴木嫌いの人でも「鉄船の存在は怪しい」と思ってしまうんじゃない
ですか?
この前のNHKそのとき歴史が動いたでも大々的にCGを作成して喧伝してまし
たけどね
437436:2006/07/12(水) 13:46:11
追記
直接織田水軍を見たであろう太田もオルガンチノも鉄船の記録はしておらず、
織田水軍を担った九鬼家の記録にも「鉄船」の記述は一切ないとのこと
火砲の威力にのみ触れているらしいです

巨大鉄船は存在しなかったのでは?
438日本@名無史さん:2006/07/12(水) 14:16:19
存在しない、という仮定に立つと、どうやって村上水軍の
焙烙、火矢などの火計攻撃に対処したのかが謎になるな。

巨大船だったのは間違いない(多数記録がある)。
火計攻撃に耐えうる「何か」の策を講じていたのは確か。
有る資料には「鉄ノ船」と書かれている。

これから鉄甲船(鉄船だと意味が違うぞ)という解釈は変ではないと思う。
439日本@名無史さん:2006/07/12(水) 14:30:39
蒸気機関の船があったんだよ!
440日本@名無史さん:2006/07/12(水) 15:29:25
ナ,ナンd
441日本@名無史さん:2006/07/12(水) 16:23:17
鉄甲船と鉄船を間違えてる人が多い?
おそらく普通の木造船に鉄板をいくらか張ったものというのが
信長の「鉄ノ船」に関する解釈だったと思うが……。
当時の製鉄技術を考えても、そう大掛かりな鉄板を製造するのは難しかっただろうから、
火矢などが刺さらない程度の工夫だったと思う。
442日本@名無史さん:2006/07/12(水) 20:46:00
ネタニマジレスカコイイ!
443日本@名無史さん:2006/07/12(水) 20:49:06
ここはマジレス専用スレです
444日本@名無史さん:2006/07/12(水) 22:54:31
>>42

じゃあ沖縄のあの湖は「マーン湖」でよいのだな。
445日本@名無史さん:2006/07/12(水) 23:12:57
それが正しいかどうかはまた別です
446日本@名無史さん:2006/07/22(土) 15:00:42
( ・∀・)∩ ウンコビーム クラワスゾー   εε=ヽ(;´Д`)ノ ヤメテー
    ⊃



( ・∀・)∩ ニヤニヤ               Σ(;´Д`) ヒイィィィッ!!             ∩(・∀・ ) フッフッフ
    ⊃                                              ⊂


                      \人人人人人/
                      .<    人   >
      /VVVVVVVVVVVVVVVV<  (__)  >VVVVVVVVVVVVVVVヽ
( ・∀・)∩ ウンコビ━━━━━━ム <\(__)/> ム━━━━━ビコンウ ∩(・∀・ )
    ⊃ VVVVVVVVVVVVVVVVV< ( ・∀・ ) >VVVVVVVVVVVVVVVV  ⊂
                       /Y^Y^Y^Y^Y\
                        ウンコー!!
447日本@名無史さん:2006/07/22(土) 22:29:08
448日本@名無史さん:2006/08/05(土) 01:40:45
>>441
NHKのその時で詳しくやってたな。
449日本@名無史さん:2006/08/20(日) 15:32:39
age
450日本@名無史さん:2006/08/20(日) 21:19:34
バヌアツのエロマンガ島も有りだよな?
451日本@名無史さん:2006/08/20(日) 22:24:44
昔からではないが、ふと、清正とか浅野幸長とかあの辺は全員暗殺じゃないの?と思った。
歴史上、病死ということになってる暗殺毒殺のケースって一体どれくらいあるんだろうな。
452日本@名無史さん:2006/08/20(日) 22:34:09
早乙女貢参上
453日本@名無史さん:2006/09/13(水) 16:14:04
なぁ、「トンデモと言われてるけど実は事実なんじゃないのと思っている説」みたなスレある?
なかったら誰か立てたいんだけども。
454日本@名無史さん:2006/09/14(木) 00:09:54
昔から疑っていた・・・
は見たことあるな。
455453:2006/09/14(木) 00:23:16
っていうか文章メタメタだなw
雰囲気で察してくれ。
456日本@名無史さん:2006/09/14(木) 03:11:40
そういう説がたくさんあるのか?
457日本@名無史さん:2006/10/22(日) 11:44:16
ここはアホのスレだな
458日本@名無史さん:2006/10/22(日) 13:11:33
信玄は毒殺だし光秀と秀吉は組んで信長を暗殺をしたし

関ヶ原の家康はたぶん三人目
459日本@名無史さん:2006/10/22(日) 13:42:47
>>453
徳川家康は5人いた
460日本@名無史さん:2006/10/26(木) 13:29:40
>>459
伊達政宗は三人(儀山政宗、愛姫政宗、貞山政宗)いた
461日本@名無史さん:2006/10/26(木) 22:31:38
『家康は今川の人質時代いじめられてばかりだった』は本当ですか?
462OPS:2006/10/26(木) 22:46:42
>>461
話では今川氏真にいじられたような。
まあ数年経ったら立場が逆転するんだけどね。
ちなみに家康は今川家から独立後氏真を攻めている。
463日本@名無史さん:2006/10/27(金) 02:23:00
雪斎にはかわいがられていたんじゃないの?
464日本@名無史さん:2006/10/27(金) 03:19:16
>>461
実際は義元と縁戚の築山殿をもらったりして結構優遇されていたようだ。
但し、かつての主君の氏真から独立し攻めたりしている(謀反)ので、
その正当性を主張するためそういう話にした。
465日本@名無史さん:2006/10/27(金) 17:16:13
ヒミコなんて居たの?
466日本@名無史さん:2006/10/31(火) 21:51:08
>>462
氏真がいじめてたってのは山岡荘八の創作だろうね
本当にいじめてたら孕石主水と同じように処分されてただろうし
467日本@名無史さん:2006/11/03(金) 07:57:25
氏真は家康のことなんか眼中になかったんじゃないか?
468日本@名無史さん:2006/11/04(土) 15:15:50
山岡の創作というか、、徳川政権があとで悪く見られないように捏造したんでしょ。
徳川は武田と組んで今側領を犯してるから、そのことで悪く見られないように、
氏真が蹴鞠ばっかやっててボンクラでその上家康に酷い扱いをしたという風に作り上げたんだな。
469日本@名無史さん:2006/11/07(火) 05:23:30
>468
>徳川政権があとで悪く見られないように捏造したんでしょ。
具体的な史料なり根拠なりを示してくれないと、
その意見自体がおまいの「捏造」ってことになりかねんぞ。
470日本@名無史さん:2006/11/07(火) 05:33:20
ゴッドハンド藤村新一の偉大な業績を教えてください。
471日本@名無史さん:2006/11/07(火) 06:47:07
>>469
じゃー手っ取り早く。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4022568437/sr=8-3/qid=1162848885/ref=sr_1_3/249-9998545-4655505?ie=UTF8&s=books
これ読んで。
徳川政権が自分達の事をどう正当化してきたか、三河物語を中心に、
他の記録や文書を絡めて描いて見せている。他に北条や武田や毛利のプロパガンダなんかもある。
読み物としても面白いから買って損はない。
472日本@名無史さん:2006/11/07(火) 09:12:28
>>471
面白そう・・・と思ったけど朝日新聞社かぁ・・・
一気に説得力なくした
473日本@名無史さん:2006/11/07(火) 12:38:50
>>472
たしかに朝日だけど、著作の中まで思想的に介入するわけない。
確かにある思想に傾向のある書籍を出したりはしてるけども。
出版社はともかく、山室恭子は実証的な歴史研究では異才といっていい。
面白いかもと思ったら是非読む事をお勧めする。
1ランク上の戦国観を知りたいあなたに(´ω`)
474日本@名無史さん:2006/11/08(水) 18:07:46
>>471
朝日だからって何でもかんでも捏造するって発想はよくないぞ。
中には真性もいるだろうが、朝日もあくまでも商売でああいう言論やってるんだから。
それにこういう分野はそういう思想とはまた別。
何にしても先入観で食わず嫌いはよくない。
とにかくまずは自分で読んだ上で判断なされよ。

475日本@名無史さん :2006/11/08(水) 20:25:10
朝日を敵視する井沢元彦なんて捏造ばかりじゃないかw
476日本@名無史さん:2006/11/08(水) 22:28:06
では真実の語り部、扶桑社の
『紀元前に実在した津軽古代王国の謎』
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4594006213/sr=1-85/qid=1162991861/ref=sr_1_85/249-9956622-7630765?ie=UTF8&s=books

『北条家の英知-日本最強の一族』
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4594030815/sr=1-101/qid=1162992073/ref=sr_1_101/249-9956622-7630765?ie=UTF8&s=books

でも読んで真実に触れるといい
477日本@名無史さん:2006/11/09(木) 18:53:11
>>476
後北条家かと思って凄い勢いでクリックした
478日本@名無史さん:2006/11/18(土) 04:01:16
秀頼が秀吉の息子
479日本@名無史さん:2006/11/18(土) 10:28:12
>>476
さすが腐掻社w
480日本@名無史さん:2006/11/18(土) 18:03:26
>475

井沢の何処が捏造で?
481日本@名無史さん:2006/11/18(土) 18:54:15
一番の被害者は吉良上野介でしょう
毎年この時期になると憎まれるからな
482日本@名無史さん :2006/11/18(土) 21:00:37
>475
小学校で歴史勉強しなおして来い
483日本@名無史:2006/11/18(土) 22:13:57
養老院で復習する
484日本@名無史さん:2006/11/19(日) 02:11:27
ヨーロッパ基準で日本でまともな新聞は赤旗だけだからなー
485日本@名無史さん:2006/12/10(日) 21:11:05
あげ
486日本@名無史さん:2006/12/10(日) 21:35:59
田沼意次

田沼恋しき

って有名な狂歌が残ってるのに
一昔前までは汚職侍の代名詞


なんだかね
487日本@名無史さん :2006/12/11(月) 06:00:03
もとの濁りの田沼

濁っていたんだから汚職だろ
488日本@名無史さん:2006/12/11(月) 06:08:21
そうとは限らんだろ
白河によるレッテルを引用符つきで引いただけ
という解釈も十分ありうる
489日本@名無史さん:2006/12/11(月) 06:09:22
俺が引用符を忘れたなw
「白河」側によるレッテル貼り、だ
490日本@名無史さん :2006/12/11(月) 11:24:17
一般庶民の狂歌なんだから、どっちの側ってこともないと思いますが
491日本@名無史さん:2006/12/11(月) 11:36:00
>>487
田沼=汚職政治家ってのは松平定信が田沼一派を失脚させる際に
プロパガンダとして流布させたもので、一般庶民もそう思ってたってこと。

それを元に、辻善之助が田沼に批判的な論文を書いたことでイメージが定着した。
492日本@名無史さん:2006/12/11(月) 14:19:47
要するに一般庶民の生活的には田沼治世のが気楽に暮らせたってこったろ

それが全てとは思わないがさ
493日本@名無史さん:2006/12/11(月) 16:12:03
>>490
>>489はまさにそう言ってるんだよ
494日本@名無史さん:2006/12/25(月) 00:30:36
あげ
495日本@名無史さん:2006/12/25(月) 11:59:44
当時は市場経済の勃興期で、経済学の概念も稚拙だったので、
「物価が上がり過ぎて生活が苦しいのも、国庫がピンチなのも田沼が悪い」
と言われれば、妄信しても仕方がないよね。

で、その後に行われた財政改革は、超緊縮財政で、急激なデフレが
起こり、どんな身分にあっても不況に苦しんだことは想像に難くないが、
庶民が 「白川の治世より、田沼時代の方がマシだったなあ」 と思うのは
これまたムリもない話。

ただ、後世、我々がこれらの事件を評価すれば、「幕府の財政を立て直せなかった
田沼は失脚して然るべきだったし、白川の緊縮財政は、急すぎて社会が不安定化
させただろうが、他の誰も、別の方法を持っていなかっただろう。」 となると思う。
496日本@名無史さん:2006/12/29(金) 00:59:03
財政は改善の方向に向かったはずだが?
497日本@名無史さん:2007/01/14(日) 13:54:46
田沼は親子そろって大ばか者です。
498日本@名無史さん:2007/01/14(日) 21:33:15
>>496
今のマスゴミが「景気は回復傾向」と報道しているのと同じw
499日本@名無史さん:2007/02/05(月) 00:20:02
蘇我入鹿
500日本@名無史さん:2007/02/05(月) 16:22:58
徳川吉宗の統制的な重農主義経済が完全に破綻して、家重が代わって
浮上させたのが経済に明るい田沼ら若手官僚が開発していた商業経済を
盛んにして市民を富ませて税収で幕府を潤わせる重商主義経済。

田沼は無駄の削減と不正の摘発を行いつつ通貨改革、貿易格差の是正、
税収の組織化を行ったので幕府開闢以来最高の利益・備蓄をもたらした。
このまま田沼時代が続いていれば日本の経済はもっと進化し、幕府の
近代化もスムーズに進行したはずなのだが、家柄第一の守旧派がクーデター
を起こして改革派は一時追放され、松平定信の「寛政の改革」が始まる。

ところが商業経済を全く理解できない農業第一の定信らがやった事は、
出稼ぎ農民の強制送還や副業の禁止による流通の破壊、会計監査の廃止、
通貨改悪による支出の莫大な増、それに伴う国防の縮小、歳入なき福祉
政策などで田沼時代のたくわえをほとんど使い潰して国家経済を事実上
再起不能にした。「田沼時代以後に幕府の経済政策なし」という学者まで
いる有様。
はっきり言って幕府の崩壊は、定信と彼を利用した一橋将軍家の無能
無定見によるもの。歴史教育はいつも暫定的な結論でしか無い見本だ。
501日本@名無史さん:2007/02/05(月) 20:00:01
あ、それと田沼は庶民に禁令をあまり出さなかったことで有名。
結構有名だけど、逆恨みで殺された息子のことを誹謗中傷する
町人の落首や出版物も統制しようとしなかった。だから当時の
民衆はこの最高権力者を思う存分笑い飛ばし罵る物を残している。

一方の松平定信は徹底した思想弾圧を行い、出版はもとより蔵書や
持ち物まで検閲するすさまじさで、批判を一切許さなかった。例の
「かほどうるさきものはなし」の歌を詠んだと疑われた幕臣は、
潔白をほぼ証明したにもかかわらず、その疑いがあったというだけで
左遷されている。

権力と周囲に合わせたがる日本では、権力者の都合による歪曲は結構
簡単に実行されて定着しちゃうもの。
502日本@名無史さん:2007/02/05(月) 22:27:56
批判ばっかの出版物が並んでいるから、その時代が暗黒的だった、
という解釈ではなく、批判したものでも出版することができたから開明的だった、という見方な。
503日本@名無史さん:2007/02/12(月) 19:55:38
大河ドラマ「風林火山」を見ていると、武田信虎が、重臣に意見を
はかることもなく、何でもかんでも一人で決めているが、
あんなことあるわけない。
504日本@名無史さん:2007/02/12(月) 19:57:52
「毛利元就」で、元就の親父が、やけに重臣に気を使っていたが、
あれの方がまだリアル。
 ただし、ドラマを史実に忠実に再現してやるようになったら、
面白くないので、俺は全然見ないと思う。
505日本@名無史さん:2007/02/18(日) 19:43:34
日本史の通説って「○○物語」や軍記物、講談
といった「お話」が元になっているものが多いよね。
つまり、かなりのものが嘘八百w
506日本@名無史さん:2007/02/19(月) 02:18:05
一体どこで物語を根拠にした通説が流れてるのかと小一時間(ry

そういうのはな、
俗 説 っていうんだバカ。
507日本@名無史さん:2007/02/21(水) 01:37:15
あげ
508日本@名無史さん:2007/02/25(日) 15:08:22
>>503
領主がワンマンで、国人領主の心が離れてクーデターが起きた事は
戦国時代には日常茶飯事。
信虎だけじゃなく、信濃国守護の小笠原長時・豊後の大友宗麟・近江の六角義賢も、
国人領主の信用をすっかり失っていたのに無理な戦をやって自滅。
やはり室町幕府に守護として任命された大名家の領主は、プライドばかり高くて、
国人領主の神経を逆なですることをやっちゃうのが多かった。
509日本@名無史さん:2007/02/25(日) 21:48:50
大河ドラマ「風林火山」でやってた海ノ口の戦いって、
実際にはなかったんじゃないの?
510日本@名無史さん:2007/02/25(日) 23:21:20
>>505
日本書紀、古事記が嘘八百の元祖
511日本@名無史さん:2007/02/26(月) 00:55:57
>>510
なんらかの意図で事実が歪曲されてるんだよ。
ってか全てが全てそうじゃないんだが。
記紀の信憑性は逆に高まってきている。
だからといって全部事実とはいえないが。
512日本@名無史さん:2007/02/26(月) 01:10:05
神武天皇なんておそらく嘘八百だろう
513日本@名無史さん:2007/02/26(月) 01:15:58
神武は崇神との同体説とかあってほぼ実在しないとされてるな
514日本@名無史さん:2007/02/26(月) 01:22:53
大昔の貴人は空を飛んだ
515日本@名無史さん:2007/02/26(月) 09:58:22
>>510-512
それを言ったら、世界中の神話や旧約聖書は全て嘘っぱちになってしまう。
記紀なんてお約束と思わないと歴史なんて読んでられない。
516日本@名無史さん:2007/02/27(火) 21:47:14
神話以外も適度なでっち上げだし
517日本@名無史さん:2007/02/28(水) 18:10:42
>>516
ソースは?ソースじゃなくてもあんたの意見を言え。

適当なでっちあげ

言うだけなら誰でもできるw
518日本@名無史さん:2007/02/28(水) 18:56:02
まあ、昔の事でよく解らなくなってしまっていた話を、一生懸命繋げたんだとは思うよ。
519九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/03/03(土) 22:20:31

神武の日下へ侵入敗退と南方から脱出は事実に基づいたもの。
神武に該当する人物は実在した。
520日本@名無史さん:2007/03/04(日) 03:15:35
>>519
古代史で断定表現使うやつはたいてい電波
521九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/03/04(日) 19:43:01
>>520

>神武の日下へ侵入敗退と南方から脱出は事実に基づいたもの。
上記をよく読め。
下記の意味だ。
記紀に書かれている神武の「日下へ侵入敗退と南方から脱出」の話は事実に基づいたもの。
だから、神武に該当する人物は実在した。

日本書紀では盗作や転載と思われる記述が多いので、
その人物は後世に神武と呼ばれた人物かどうかは断定できないが。
522日本@名無史さん:2007/03/05(月) 00:21:41
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
523日本@名無史さん:2007/03/29(木) 18:13:03
長篠の合戦での織田の鉄砲三段撃ちが 武田騎馬隊を破ったとかいう通説を
高卒くらいまで信じてた
524源氏物語の作者は三島由紀夫である。:2007/03/29(木) 20:32:30
509 名前:源氏物語の作者は三島由紀夫である。 :2007/03/28(水) 20:32:16
byはるか高み  
三島由紀夫のスレで詳しく述べている。
525日本@名無史さん:2007/04/20(金) 11:27:02
>523
俺は今でも信じている
526日本@名無史さん:2007/04/20(金) 21:12:33
ジンギスカン=義経 説
527日本@名無史さん:2007/04/20(金) 23:09:07
睦仁が孝明天皇の子供
528日本@名無史さん:2007/04/20(金) 23:31:18
529日本@名無史さん:2007/04/21(土) 01:27:59
通説と俗説を一緒くたにするのやめれ
530日本@名無史さん:2007/04/21(土) 01:58:18
不敬ですが大正帝は基地外だと思ってました。
531日本@名無史さん:2007/04/23(月) 13:04:21
神風
532日本@名無史さん:2007/04/23(月) 14:43:21
孝明天皇って毒殺でしょ?
533日本@名無史さん:2007/05/16(水) 23:03:00
保守
534日本@名無史さん:2007/05/17(木) 17:01:16
俺は槍で刺殺だと考えてる
535日本@名無史さん:2007/05/17(木) 19:21:12
五一五事件で犬養首相はなぜ狙われたのか
政党政治への不信だけか
536日本@名無史さん:2007/05/17(木) 20:44:31
右翼と左翼◆その奇妙な関係について
http://cgi.members.interq.or.jp/asia/showashi/cgi-bin/trees.cgi?log=&v=1543&e=res&lp=1543&st=0

 皆さんは、右翼と左翼が『敵対関係』にあると信じてはいませんか?
それは、間違いなのです。右翼と左翼は仲間であり、両者は裏でつながっているのです。
つまり、グルです。
 その証拠に、右翼が左翼(革マル派や中核派、赤軍派など)のアジトに対し、武力攻撃を行ったことは
一度もありません。逆に、左翼が右翼(愛国○○塾とか、憂国○○会、大日本○○連合など)の事務所に
対してテロを行ったという話も聞いたことがないでしょう。
 実は、右翼も左翼も日本人ではないのです。彼らの正体は半島から来た異民族。朝鮮人なのです。
彼らの攻撃目標は、日本人と日本国家です。右翼も左翼も、私たち日本人を狙っているのです。
537日本@名無史さん:2007/05/20(日) 21:48:15
かぐや姫ってさ〜・・・ 家具屋の看板娘だったんじゃないか?
538日本@名無史さん:2007/05/21(月) 16:53:18
じゃあ本屋姫とか酒屋姫とか葬儀屋姫なんかもいたのか?
539日本@名無史さん:2007/05/21(月) 19:25:48
この花咲くや姫なら隣の花屋さんに居るよ。
540日本@名無史さん:2007/05/21(月) 19:59:28
じゃ、いわなが姫は何屋の看板娘?
イワナ‥‥そうか、魚屋かw
541日本@名無史さん:2007/06/22(金) 00:44:44
ほしゅ
542日本@名無史さん:2007/06/22(金) 01:45:10
オオゲツ姫というのは、もっともらしい当て字を書いてあるが、尻のでかい
姫だったのではないか?
543日本@名無史さん:2007/07/18(水) 19:46:01
あげ
544日本@名無史さん:2007/08/13(月) 04:28:28
戦国時代のクイズの本買ったら、未だに、信長の鉄砲三段打ちや
武田騎馬隊とか書いてあった。買って損した。山本間輔も武田の
軍師になっているし、甲陽軍鑑が全て真実と言う前提の本だった。
545日本@名無史さん:2007/09/05(水) 20:58:37
hosu
546日本@名無史さん:2007/09/05(水) 23:25:34
大化の改新。
真実は日本版ノルマン・コンクエストでは?
547日本@名無史さん:2007/09/06(木) 00:13:11
明治天皇が孝明天皇の実の息子だという珍説。
548日本@名無史さん:2007/09/06(木) 01:10:27
>>546
いやノルマンコンクエストは壬申の乱だろ
549日本@名無史さん:2007/09/06(木) 01:14:19
いや、弥生農耕だろ
550日本@名無史さん:2007/09/06(木) 01:20:17
妄想の類を信じてるやつが通説を「疑う」スレなのなw
551日本@名無史さん:2007/09/06(木) 08:09:07
>>548
平安遷都は意趣返しか?
552日本@名無史さん:2007/09/06(木) 19:18:37
>>536
没交渉だから、どこに潜んでるかお互いシラネなだけ。
553日本@名無史さん:2007/09/07(金) 04:30:31
佐賀藩製造のアームストロング砲。
554日本@名無史さん:2007/09/07(金) 05:12:34
乙巳の変
555日本@名無史さん:2007/09/08(土) 04:46:24
士農工商だな。
豪商が百姓に分類されていたりする。
556日本@名無史さん:2007/09/08(土) 06:32:40
>>514
役小角のことか?
557日本@名無史さん:2007/09/08(土) 11:40:41
>>555
ここでいう百姓ってのは農民のこと?
農民が豪商でも特に不思議は感じないが
558日本@名無史さん:2007/09/08(土) 14:31:07
>>557
全然農業をしない豪商の身分が「百姓」になっていた例があるから、
士農工商制度って実は無かったのではないかと
559日本@名無史さん:2007/09/08(土) 16:38:50
幕府や藩という呼称や 士農工商制度は 明治になってから徳川時代の
呼称や制度を指して言うようになったと聞いたことがある。
560日本@名無史さん:2007/09/08(土) 17:07:34
江戸時代の百姓の意味はどうだったんだろ?
農民という意味だったんか?
561日本@名無史さん:2007/09/08(土) 18:14:13
村方三役などは 農民というよりは農業及び手工業経営者と
いったところか。
武士は騎乗を許された者で 苗字・帯刀者が必ずしも武士とは
言えない。
562日本@名無史さん:2007/09/08(土) 18:30:21
御徒士も武士
563日本@名無史さん:2007/09/08(土) 19:05:57
>>562
残念ながら武士ではない。
御徒士御家人は徳川家直属の足軽。
564日本@名無史さん:2007/09/08(土) 19:21:40
武士とは 主君より格式を与えられた家の出仕を許された者で
騎乗し、厳格に供の者の規定が有った。
勝手に武士道に生きようとした者は武士とは言えない。
ドラマや映画の悪影響で侍=武士とは情けない。
武士道は明治時代に捏造されただけ。
565日本@名無史さん:2007/09/08(土) 19:57:16
自殺にも格式が有って 切腹and介錯は公が認めた者だけ。
566日本@名無史さん:2007/09/08(土) 19:57:42
戦国時代の戦
俺が兵士ならビビって逃げる
よって戦なんてしてない
567日本@名無史さん:2007/09/08(土) 20:36:49
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568日本@名無史さん:2007/09/08(土) 22:10:02
頼朝の奥州攻め二十万騎。
569日本@名無史さん:2007/09/08(土) 23:53:29
>>563
どの史料から?
570日本@名無史さん:2007/09/09(日) 01:44:42
士農工商は便宜的な話であって絶対的な制度ではないだろ
今更疑うようなもんでもないけどね
571日本@名無史さん:2007/09/09(日) 09:25:59
「日本」という国名。これは7世紀末から使われたことば。
それまで「日本」はなかったのだから、
7世紀以前の古代社会を(縄文、弥生時代なども含め)「日本」と呼ぶべきではない、と。
「日本」と、「日本」以前の混沌とした世界は、異質なものである。
572日本@名無史さん:2007/09/09(日) 10:33:12
↑これって誰かの持論だったと思うけど、
「日本」てそもそも「ヤマト」の当て字から始まったかもしれんのだろ?
「飛ぶ鳥のアスカ」や「春日(はるひ)のカスガ」のように「日の本のヤマト」
言い替えれば「日本」と書いてそもそも「ヤマト」
573日本@名無史さん:2007/09/09(日) 18:08:20
冨本銭は通用していたのか?
574日本@名無史さん:2007/09/09(日) 18:44:00
>>570が言うように士農工商は便宜上付けた身分上の区別。士以外は身分上差はなかったようだし。
大ざっぱに言うと
士は武士。
工は都市部に住む職人。
商は都市部に住む商人。
農は農村に住む士(藩や幕府の役人など)以外の人。
当然だけど農=農民ではない。漁師や林業を生業をしている人たちも当然いたわけだ。今も農家は兼業農家が多いけど、昔だって農業専業でやってるところは少ない。特に富農は資産を運用して商もやってるところが多い。
575日本@名無史さん:2007/09/10(月) 01:22:55
村 住職・神主(非百姓)
村 商人(百姓)
576日本@名無史さん:2007/09/10(月) 21:09:03
明治になって出された 混浴禁止令。
577日本@名無史さん:2007/09/16(日) 23:57:23
武田騎馬隊は存在しない
578日本@名無史さん:2007/09/17(月) 00:07:27
>>574
そう。兵農分離というか、士を区別しただけ。
「士農工商」は、朱子学の中に出てくる言葉だ。

いつの間にか、士農工商が制度みたいに思われたのは、商人の台頭に対する武士の反感もあったかも知れない。
「鎖国」が開国要求時に、いつの間にか「祖法」と言われたのと同様だ。
579日本@名無史さん:2007/09/17(月) 15:41:28
大判が十両
580日本@名無史さん:2007/10/09(火) 22:47:55
ほりおこしあげ
581日本@名無史さん:2007/10/17(水) 20:33:15
反日本親朝鮮の記事捏造アサヒる新聞は日本から出て行け。
582日本@名無史さん:2007/10/18(木) 06:46:28
>>563
へー、幕府の御徒って武士じゃないんだ。
草履も履けない、袴も着けられない、両刀も許されない足軽や郷士と同じなんだ?
70俵5人扶持で、従者一人つけて登城する足軽ねえ。
御徒と与力、他藩の藩士の家は通婚が許されているのに武士じゃないんだ?
役羽織無紋袴を着て、礼服で継裃が許されてても、武士じゃないんだ?
御家人全部足軽って言ってるね。
ってことは与力も足軽か。
騎乗・役裃・200石(現米80石、200俵)で足軽っていえるのかよ。

普通は同心か、それ以下が足軽じゃねえのか?

583日本@名無史さん:2007/10/18(木) 12:27:30
一ヶ月以上も前のレスにw
584日本@名無史さん:2007/10/18(木) 12:30:59
>>581
お前 ここにもいたのか。
センズリこいて寝ろwww
585日本@名無史さん:2007/10/18(木) 12:41:38
近世の武士は広義で武士階層であり
武士とは「兵の家」の流れを汲む者のみをいう。
586日本@名無史さん:2007/10/18(木) 13:31:12
>>585
えっそれ間違いなのか?
本当の事だと思い込んでいたorz
587日本@名無史さん:2007/10/18(木) 18:54:46
士分と武士「もののふ」を混同してはいけない。
「もののふ」とは軍事をもって朝廷に仕えた貴族・官人で
その家を「兵の家」と言った。
近世の武士とは便宜的に士分以上の者を指し 当然、古代・中世以来の「兵の家」
の者も含まれる。
御徒士は士分の身分を与えられた者であり武士とは言えない。
騎乗を許された者は藩であれば上士であり 幕府であれば旗本及び一部の御家人上位者。
彼らは仕官するときに自家の由緒書を提出した。
588日本@名無史さん:2007/10/18(木) 19:06:15
兵の家は平安時代
御徒士は侍、武士
589日本@名無史さん:2007/10/18(木) 19:12:04
>>582
君は足軽を誤解しているようだ。
足利幕府奉公衆足軽の名簿に明智光秀の明智の名前が出ている。
時代劇や映画の悪影響で足軽=農民兵・雑兵と思い込んでいる者が多すぎる。
590日本@名無史さん:2007/10/18(木) 19:27:48
>>588
侍とは六位の身分の「もののふ」を指す。
時代劇で二本差しを「お侍様」と町人が言っているのは 現代で言えば飲み屋で
客のことを「社長さん」というのと本質的には変わらない。
591日本@名無史さん:2007/10/18(木) 19:29:56
戦国時代の侍は歩兵を指す場合もある
592日本@名無史さん:2007/10/18(木) 19:36:27
>>591
どの文献・史料に出ているのかね?
593日本@名無史さん:2007/10/18(木) 20:49:14
>>592
後北条氏の着到定書(戦国遺文、神奈川県史 他)
594日本@名無史さん:2007/10/18(木) 21:34:52
>>593
原文には「寄子」と書かれているな。
着到定の箇条書には「歩侍」の文字が見えるが「侍」ではないな。
士分扱いの歩兵の意。
595日本@名無史さん:2007/10/18(木) 21:41:48
▽相模国、池田孫左衛門尉の着到=計56人
大小旗持2
指物持1
歩弓侍5
歩鉄砲侍3
鑓22
馬上20
歩者3
596日本@名無史さん:2007/10/18(木) 21:51:41
小十人=御目見え以上(旗本)の歩行の役
597日本@名無史さん:2007/10/18(木) 23:35:33
将軍家だって歩くことあるだろ。
598日本@名無史さん:2007/10/18(木) 23:46:12
律令における官位・官職の行政機能は中世中後期には喪失したが
身分を示す機能は明治初年まで有効であったことは言うまでも無い。
いつ勅命で律令を廃止したと言うんだ??
599日本@名無史さん:2007/10/19(金) 00:00:42
法的に言えば 明治初年まで正丁は祖・庸・調と雑庸と軍役の義務は
有ったわけで 軍役に関しては健児さらには国衙による武士の動員に
変わっただけでしかない。
600日本@名無史さん:2007/10/19(金) 00:07:27
さらに言えば征夷大将軍の権限で徴税・裁判・行政・軍事動員をしていたに過ぎない。
だから大政奉還→王政復古の大号令は法的根拠が有る。
601日本@名無史さん:2007/10/19(金) 00:23:49
旗本の布衣は正真正銘の武士になったことの証だ。
602日本@名無史さん:2007/10/19(金) 00:32:08
新渡戸稲造みたいなキ○ガイの武士論は精神論であって
武士の身分は官位と家の制度によって厳格に担保されている。
603日本@名無史さん:2007/10/19(金) 00:57:32
遠山の金さんが 従五位下左衛門尉布衣に成れたのは
摂津源氏土岐氏流美濃明智支流遠山氏を名乗っている他でもない。
604日本@名無史さん:2007/10/19(金) 01:00:39
>>602
新渡戸稲造のは、四民平等の日本で
「日本男子は侍たれ」と教育されてた時代の武士道論だから
それはそれで有りじゃない?
605日本@名無史さん:2007/10/19(金) 01:20:20
明治の元勲の公家以外で本姓を持っていた奴がいったい何人いる?
606日本@名無史さん:2007/10/19(金) 01:33:23
>>605
幕府の御徒の子孫だけど、墓には本姓が記されているよ。だれでも持ってたんじゃない?

>>587-9
で、御徒は武士なんですか、ちがうんですか?由緒書なら幕府に出してます。
607日本@名無史さん:2007/10/19(金) 01:43:57
>>606
本姓とそれに連なる系図を持っていれば立派な方。
御徒士は武士ではない 士分の歩兵。
608日本@名無史さん:2007/10/19(金) 20:25:35
>>607
お答えいただいたのに恐縮なんですが、
素人なもので、士分と武士の定義がわかりません。

大概順でいうとどこからが武士で、
どこからが士分になるのか教えていただけませんか。
609日本@名無史さん:2007/10/20(土) 00:25:43
>>608
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB
「武士の身分」の項を参考に。

要するに、本来の武士身分とは非常に限られた存在だったんだけど、武士社会成立以降、従卒と呼ばれていた徒の戦闘員や武装富裕農民である地侍も広い意味で野武士身分に包括されたと言うことだよ。
さらに戦国時代を通して、本来の武士身分の者が没落して、地侍層が出世して大名や大身の武士に取りたてられたりしているから、江戸時代の「武士」が本来の武士かどうかを論ずるのは意味がないと俺は思うよ。
610日本@名無史さん:2007/10/20(土) 09:56:34
>>606
武士
611日本@名無史さん:2007/10/20(土) 12:05:58
>>610
理由と根拠は?
612日本@名無史さん:2007/11/30(金) 21:05:52
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613日本@名無史さん:2007/12/01(土) 04:15:47
御徒士が武士じゃないとか言っちゃってるのはどこのだーれかなー
徳川家直属の足軽でも
士分があれば武士

なぜなら士分の定義は武士の身分だから本末転倒ですよ。

徳川の足軽は他領の者より一段身分が高かったととらえるのが正解なんですねー
614日本@名無史さん:2007/12/01(土) 09:47:06
>>613
タコか?騎馬が許されぬ者が武士なわけねーだろw

六位以上の布衣旗本であれば立派な武士だがなww
615日本@名無史さん:2007/12/01(土) 09:51:18
もう一つ言っておくぞ。
士分扱いで士分じゃねぇーぞw
616日本@名無史さん:2007/12/01(土) 11:34:23
オノレの定義を他人に押し付けるな
617日本@名無史さん:2008/01/09(水) 17:00:45
手取川の戦い
618日本@名無史さん:2008/01/09(水) 18:00:16
聖徳太子の存在自体が疑問
小学生の頃からずっと疑ってた
619日本@名無史さん:2008/01/09(水) 18:40:51
俺の存在自体が疑問。
生まれたときからずっと思ってた。
620日本@名無史さん:2008/01/10(木) 07:59:10
伊達の騎馬鉄砲隊
621日本@名無史さん:2008/01/10(木) 21:48:32
       √ ̄ヽ--ヘ
      /    ☆ ヽ
      0く━=ニニ二>
     //(●)  (●) \
    / ヘ  (__人__)    |   ■■ 自宅警備員へお知らせ! ■■
   /ヽノ彡,,..  .|∪|   /
  /  丿,,  /\ヽノ/ゝ 丶    2008年1月11日午前6時(日本時間)より
 (       ̄jヽ,/_l   ヽ   「2ちゃんねる」が12時間にわたって停止
  \     ____ ̄{。 _____ }   します。自宅警備を強化し待機せよ。
   ヽ、,,_,  {---} }。 {---} j   http://www.maido3.com/server/

622日本@名無史さん:2008/01/12(土) 00:53:09
元寇で武士が言葉の通じない蒙古に「やあやあ我こそは・・・」とか長々名乗りをあげながら
一騎打ちを挑もうとしてフルボッコにされたとかいう説。
そんな馬鹿な話が本当にあるわけねーぞw
623日本@名無史さん:2008/01/14(月) 08:46:32
長篠の三段撃ちだな〜。
624日本@名無史さん:2008/01/20(日) 06:09:50
>>614
無学だなあ。それでは番士が武士ではないことになるが…。
625日本@名無史さん:2008/01/20(日) 13:43:55
あのあまりに卑怯な「大化の改新」
626日本@名無史さん:2008/01/20(日) 15:35:03
>>624
馬鹿ですから
627日本@名無史さん:2008/01/20(日) 18:57:14
天皇韓国系説
628日本@名無史さん:2008/02/09(土) 16:10:45
保守
629日本@名無史さん:2008/02/09(土) 19:56:16
>>625
人望も権威もない人が暗殺ってテロに奔るんだろうね。
世間に同調する人が多ければテロは必要ない。
テロの後も「韓人がテロった!」と非難されているし。
その後国家を傾けてまで百済の救援に向かう事からも「韓人」は異常。
最期は行方不明ってのも国家の独裁者としては情けない。
630日本@名無史さん:2008/02/13(水) 09:55:56
古事記には「暗殺ってテロに奔る」奴がw
631日本@名無史さん:2008/02/13(水) 22:12:52
>>630
『韓人がテロった』と古人さんが言ってましたなw
632日本@名無史さん:2008/02/21(木) 20:06:34
あげ
633日本@名無史さん:2008/03/08(土) 08:09:33
保守
634日本@名無史さん:2008/03/13(木) 21:16:41
鎖国はうそで長崎出島の開港となるみたい。今日のニュー速板に
あったよ。
635日本@名無史さん:2008/03/14(金) 03:25:48

伊達正宗が早く生まれてたら天下を取れてたは嘘

伊達正宗が一度も大きな戦いで勝ってない件。
東北は作物の凶作の年が多く西日本に攻め込むほどの余裕はない。
西日本と違って武器が旧式。
正宗は戦況の判断が遅い。小田原が落ちるなんてほとんどの武士が分かってたのに
死に装束で遅れて参上。
636日本@名無史さん:2008/03/14(金) 03:32:18
そんな話は通説ではない
637日本@名無史さん:2008/03/14(金) 03:41:27
とりあえず名前ぐらい正しく覚えてから語れ
638日本@名無史さん:2008/03/14(金) 05:12:37
伊達政宗
菊正宗
639日本@名無史さん:2008/03/14(金) 19:01:54
>>635
それは井沢元彦の妄想。
640日本@名無史さん:2008/03/17(月) 10:47:35
関東人=縄文人

江戸東京ものがたり・歴史篇(1)
http://www.ippusai.com/hp_home/edo_tokyo/edo011.htm

●渡来人による武蔵野開拓

6世紀から7世紀にかけ、この地から遠く離れた朝鮮半島で起きた動乱が、
武蔵野にも影響をもたらすことになった。朝鮮半島では、新羅が大きな力を
もつようになり、やがて百済・高句麗が滅ぼされることとなった。その結果、
これらの国から多くの渡来人が、集団で日本にやってきたのである。
壬申の乱( 672年)後の朝廷は、技術の進んだ彼ら渡来人を、武蔵野開拓に
投入する。
たとえば、当初、駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野にやってきた、
高麗(高句麗)からの渡来人1799人を、武蔵国に新設した高麗郡(現在の埼玉県
日高市)に入植させた(霊亀2(716)年)。天平宝字2(758)年)には、新羅郡を
新設、74人の渡来人に未開の地を与えた(後に新座郡と改称。現在の埼玉県
新座市)。記録には残っていないが、狛江(=高麗江。現在の三鷹市・武蔵野
市・調布市・狛江市・川崎市にまたがる広い地域の郷名)の地に渡来人がやって
きたのも、同時期のことであろう。
彼らの農業技術(「火田法(かでんほう)」=原野に火をつけ、その後を放牧地や
農地とする方法。火は計画的に着けられ、「野火止(のびどめ)」という火の
終末予定地に土手を築いた)によって、武蔵野の原野は、泉や湧水などの水に
恵まれた地域を中心として、徐々に放牧地や農地と変わっていった。
641日本@名無史さん:2008/03/28(金) 13:12:15
>>639
井沢なんかより前に坂口安吾が喝破している
642日本@名無史さん:2008/03/29(土) 00:56:23
小説家w
643日本@名無史さん:2008/04/20(日) 09:48:43
ほしゅ
644九鳳院紫:2008/05/01(木) 15:31:23




                    _____
                   . .::'"´::.::.::.::.::.: ̄`::.::...、
             ,. :'´::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.\
             /::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.:ヽ、::.::.ヽ
          /::.::.::.::.::./::.::.::.::./::.::.::.::.::.、::.::.::.::.',ヽ::.::.:`、
          ,'::.::.::.::.::.:i::.::.::.::.//.::'::.::.::.::.:ぃ::.::.::i:i ';:.i::.::.',
            i::.::.::.::.::.::!::.::.::.::'イ:i.::|::.::.::.::.::.!|i::.::.:| レ1:!:_j::}
.           l::.::.::.::.::.::!::.::.::.::i{:|::!::!::.::.::.::.::jム!_;;ノ´,ィヘ'i´ヾ′
         |::.::.::.::.::.:l::.::.::.::.:|::い;ゝ‐ァ冖k.´   ヘり |::.い
          |::.::.::.::.::.:|.::.::.::.i::.::.:´::.l 〈ヘt'_ク    、" ;::|i:i
           l::.::.::.::.::.:{:.::.::.::.!::.::.::.:i:|   ‐ '´   .丿 }:l !|
.         |::.::.::.::.::.::い::.::.:';:.::.::.:ぃ         _,  /」 !
        l::.::.::.::.::.::.:ヽ廴__ゝー-`        '´.  /
          l::.::.::.::.::.::.::::::__j::::| 丶、        /
        ,::.::.::.::.::.::.:::广¨!::.厂_ ‐ 、   ァ¬::T´
        .′/.::.::.:::::/_,/::/  `丶、\ バ';:::::..|
       /::.::/::.::_;;.:-‐'´_/        \`| ! ;:::::.l、
     /::.::〃/´ -‐ "´   \       \.| 、:::.',ヽ
    /::.:;.:'/:/        \        ゙!  \:V、
   /::/::/〈 ァ…‐- ..._      \     |    iヘ }

645日本@名無史さん:2008/06/06(金) 03:02:56
戦国大名はみんな天下取りを狙っていたってのは通説?
646日本@名無史さん:2008/06/06(金) 03:29:28
天下取りw

馬鹿か?
647日本@名無史さん:2008/06/06(金) 04:25:08
一円支配の安堵だろ
一から勉強し直せw
648名無史さん:2008/06/06(金) 08:59:09
>>646-647
せっかく日本史に興味があって来たのにそんな言い方せんでも・・・・・・・・
649名無史さん:2008/06/06(金) 09:02:00
信長と言えば足利将軍を押し立てて京都に上洛、その後、将軍の権威を利用
して天下に号令、逆らう大名を次々に打ち倒して天下統一への道を驀進した

・・・・・となってるけど疑問がある?

そもそも京都に上洛し足利将軍の権威を利用して何が出来たのか?
そもそも戦国時代は将軍の権威が失墜し誰も将軍の言う事を聞かなくなった

からこそ戦国なのだ。いまさら将軍を押し立てても誰も言う事を聞かないと
思う。実際、信長の言う事を聞いたのは信長の武力が及ぶ範囲の信長より弱

い大名だけ、むしろ『この若造が偉そうに』と敵を増やすことの方が多かっ
た。思うに信長の狙いは京都そのものではないだろうか?当時京都は日本最

大の商業都市だった。しかし当時の大名はこの【商業都市】の価値を知らな
かった。いやほとんどの者は知らなかったろう。なぜなら戦国時代はまだま
650名無史さん:2008/06/06(金) 09:06:13
>>649 の追加

だ物々交換の時代だったからだ。当時【金持ち】と言う言葉はなかった。あ
ったのは【物持ち】だ。つまり田んぼを持っている。畑をもっている。鉱山

を持っている。蔵には米がある。麦がある。塩がある。と言うのが物持ちで
ある。さすがに金銀銭の価値は知っていたが、商業の価値は知らない。『商

業都市? そこは米が取れるのか? 魚が取れるのか? 物を売ったり買った
りするところ? そんなもの何の役にもたたん』と言うわけだ。しかし信長は

商業の価値を知っていた。商業都市を抑え物資の流通経路を抑え、商業を保護
し流通経路の治安を守ればその地は爆発的に繁栄する。繁栄すれば結果として

税収も増える。信長の領地は税率が低い割に税収が多かったのはよく知られて
いることだがこれは京都とそこから伸びる流通経路を抑えたからではないだろ

うか。結果として莫大な軍事費を手に入れ当時高価だった鉄砲を大量に仕入れ
鉄砲隊を作れた。やはり高価だった火薬も弾丸も大量に買い込み鉄砲を打つ訓

練を何度もやるというぜいたくも出来た。
651名無史さん:2008/06/06(金) 09:09:31
信長と言えば足利将軍を押し立てて京都に上洛、その後、将軍の権威を利用
して天下に号令、逆らう大名を次々に打ち倒して天下統一への道を驀進した

・・・・・となってるけど疑問がある?

>>649-650
652日本@名無史さん:2008/06/06(金) 19:26:06
頼朝が死んだのは政子に殺されたという説
畠山重忠ってかこいいよねって言った政子に頼朝がOH嫉妬!して
畠山に化けて政子に夜這いかけたら想像以上に政子がびびって
手近にあった武器で頼朝殺しちゃったというあれ
個人的には信ぴょう性5割ぐらいだと思う
653日本@名無史さん:2008/06/06(金) 19:31:58
>>649-650
・・・・・釣りだよね?

654日本@名無史さん:2008/06/06(金) 20:02:44
>>652
そもそも通説じゃねえw
655日本@名無史さん:2008/06/06(金) 20:26:56
>>652
初耳w
656名無史さん:2008/06/06(金) 20:52:17
>>653 >・・・・・釣りだよね?

釣りってなに?
657日本@名無史さん:2008/06/20(金) 09:41:07
>>622
>元寇で武士が言葉の通じない蒙古に「やあやあ我こそは・・・」とか長々名乗りをあげながら
一騎打ちを挑もうとしてフルボッコにされたとかいう説。
そんな馬鹿な話が本当にあるわけねーぞw

いや、まちがいなく「やあやあ我こそは・・・」とか言って一騎打ちを挑んだろう
なぜなら、それ以外の戦い方を知らなかったから、満州のような多民族地帯や
公家のような知識階級ならともかく、当時の武士は武士同士の戦い方しか知らず
また、まともに読み書きが出来ないのが普通だった。当然、外国軍は言葉も
戦い方も違うなど知らなかったろう。
658日本@名無史さん:2008/06/20(金) 09:47:22
武士が名乗りを上げるのは味方の者に手柄を承認してもらうための行為
659日本@名無史さん:2008/06/20(金) 10:09:06
>>657
中世合戦の文献では武士はみんな普通に集団戦法で戦ってるんだよ。
それに、実際に元軍と戦った武士が作成した「蒙古襲来絵詞」には集団戦法で元軍を圧倒する武士団が描かれてるし。
反対に武士が元軍に名乗りを挙げて一騎打ちを挑んだなんてトンデモ説を証明できる史料は皆無。
それからね、元寇で日本軍を指揮していた少弐氏は、元使との外交交渉も担当してたんだけど。
660日本@名無史さん:2008/06/20(金) 10:16:35
一騎打ちはないけど>>658がいうように味方に知らしめるために名乗りはあげるだろ
竹崎末長も名乗ってから先駆けしてるし

661日本@名無史さん:2008/06/20(金) 10:23:09
竹崎は嘘の所属を名乗って船に乗せてもらったりもしてるけどねw
662日本@名無史さん:2008/06/20(金) 10:23:55
>>660
竹崎季長が味方と名乗り合ったのは戦闘に支障のない状態でだろ。
一般に言われてる「長々と名乗ってる間にフルボッコにされた」なんてのと全く違うじゃん。
663日本@名無史さん:2008/06/20(金) 10:31:01
>>662
そんなの当たり前だよ
長々と名乗ってフルボッコにされたなんて一般的に信じられていない
664日本@名無史さん:2008/06/20(金) 10:39:58
>>657は信じてるんじゃないのか?
665日本@名無史さん:2008/06/20(金) 10:48:49
通説ではないよな
666日本@名無史さん:2008/06/20(金) 12:43:25
普通に学校の図書室の歴史漫画に載ってたけど
ひきょう者めとか頭に矢が刺さって叫んでたよ
今は違うのか
667日本@名無史さん:2008/06/20(金) 12:55:11
>>666
歴史漫画を読んだことないから分からない
668日本@名無史さん:2008/06/20(金) 14:18:27
小弐資時(経資の子息)が鏑矢をうったところ、元軍はそれを理解せず
どっと笑ったという話を聞いたことがあるが、これは出展は何だっけ?

戦法の相違による苦戦って『八幡愚童記』に出てくる話ではなかったっけ?
669日本@名無史さん:2008/06/20(金) 17:40:59
『八幡愚童訓』ってのは長い歳月の間改編を重ねてきた文献で、多くの異本が
現存してるのね。
通常『八幡愚童訓』として使われてるのは、その中の『菊大路本』っていう
バージョンなんだけど、これは花園天皇治世中(1308-1318)に成立した文献で、
正応二年(1289)成立の『八幡ノ蒙古記』という文献をもとに作成されたわけ。

で、『八幡ノ蒙古記』→『菊大路本』改編の過程で、何箇所か誤植が生じてるんだけど、
元寇で武士が蒙古に一騎打ちを挑もうとしたという有名な逸話の根拠とされてる箇所も
その一つ。

『八幡ノ蒙古記』
「高名せすんは、一命かきり勝負とおもふ処に」

『菊大路本』
「高名不覚ハ一人宛ノ勝負ト思フ処」

戦後の歴史教育は、「武士が集団戦法で元軍を圧倒する様子」を描いた『蒙古襲来絵詞』の、
集団で陣形組んで突撃する武士団や、敗走する元兵が描かれた部分を隠し、まったく正反対の
「元軍の集団戦法に苦戦する武士の絵」だと偽って教科書などに載せた挙句、その根拠は
改編された文献の単なる書き間違い・・・

やってることが全部インチキ。
670日本@名無史さん:2008/06/20(金) 20:18:56
還る者三人っていうのは通説?
671日本@名無史さん:2008/06/22(日) 10:59:37
>>657
ゲームで歴史覚えるのやめろ
672日本@名無史さん:2008/06/22(日) 18:31:41
毛利の3本の矢の話
673日本@名無史さん:2008/06/22(日) 19:16:28
元就がケツに矢を刺してしまい
一本刺さってもこんなにいたいのに
三本刺さったらどんだけ痛いかというとこで
3人仲良くしんさいとうのが本当らしい
でも元就は中国のネタ本をもていましたので計算ボケです
674日本@名無史さん:2008/08/29(金) 16:42:36
ほしゅ
675日本@名無史さん:2008/08/29(金) 19:43:17
末期
676日本@名無史さん:2008/11/22(土) 10:38:26
677日本@名無史さん:2008/11/22(土) 17:12:08
鳥羽伏見の戦いで、錦の御旗で、薩長軍が勝利したと言うのは大嘘。
そんなもの幕府軍は歯牙にもかけなかったはず。
678日本@名無史さん:2008/11/22(土) 17:41:37
そういうことになると、会津・桑名・新選組諸君を有した旧幕府軍が、どこまでも惰弱であったことになる。
679日本@名無史さん:2008/11/22(土) 19:29:45
邪馬台国は九州にあった
680日本@名無史さん:2008/11/23(日) 20:40:16
幕府の家臣は千石以上が旗本、千石未満が御家人。

言い出しっぺは誰だ?事典とか中学の教科書・参考書にまで載ってだぞ(今は知らん)。
お陰で五百石取りの旗本とか???だったぞ!
681日本@名無史さん:2009/01/31(土) 18:57:21
682日本@名無史さん:2009/03/07(土) 19:38:31
日本国憲法は日本国民が作った
683日本@名無史さん:2009/03/07(土) 23:03:24
作ったのは「日本国民」というわけではないが
(つまり、国民的議論という経過を経て作られたわけではない)
原案作成者は日本人だ。それをGHQに売り込んで、そこから政府に押しつけられた。
(が、当時の日本政府とて無能じゃなく、様々な形で微修正をし、できる限り日本のことを考えて改善しようとはした。)
684日本@名無史さん:2009/03/07(土) 23:31:51
大日本帝国憲法は日本人が作った

長州朝鮮人、尹博文が作った
685日本@名無史さん:2009/03/08(日) 10:11:57
>>683
>原案作成者は日本人だ。
原案はアメリカ人の女性がたった9日間で作成したんじゃなかったっけ。
686日本@名無史さん:2009/03/08(日) 17:47:51
>685
と、以前はいわれてたが、日本の民間の憲法草案(明治憲法の成立直前頃)の流れをくむ、零細な集団から出てるらしいぞ。内容的にも、直結するらしい。
687日本@名無史さん:2009/03/08(日) 17:51:00
>>686
日本国憲法はスターリン憲法を翻訳しただけということはもはや常識だよ
688日本@名無史さん:2009/03/08(日) 21:31:47
>687
似ても似つかないシロモノまで持ち出して、ネガキャン乙だな。
ネット右翼はもはや支持されなくなったのに、しぶとく頑張ってんだな。
689日本@名無史さん:2009/03/08(日) 22:31:49
万世一系
690日本@名無史さん:2009/03/09(月) 20:21:37
>>686
参考くらいにはしただろうけどね。
691日本@名無史さん:2009/03/09(月) 21:46:31
>>688
コミンテルン工作員おつかれさん。
八木秀次先生や中西輝政先生なんかが証明してるだろwwww
汚挫輪逮捕まで秒読みで、涙目で破壊工作ですか?
692日本@名無史さん:2009/03/10(火) 05:50:13
やれやれ。
学問と思想の区別も付かない信徒は、度し難いな。

反共集団であるGHQがスターリン憲法を利用するわけがないということもワカランと見える。
GHQが反共だったことさえ知らないのかな?

対日占領が始まったころはまだ、世界情勢を考えて、ソ連に対して妥協する姿勢を見せもしたが、
すぐに反共を隠さず、実行するようになったという歴史的事実すら知らないんだな。

八木秀次って、小説家の先生サマだろ。史実と空想を区別しない作品ばっかし書き殴ってたじゃん。
693日本@名無史さん:2009/03/10(火) 21:07:40
どうでもいいけど

日本に来たニューディーラーの大半がサヨというのは常識の範疇なのだが
694日本@名無史さん:2009/03/11(水) 00:54:56
>693
アメリカ国内で左派だったことは間違いないな。
だが、反共的な権力者の元で台頭する程度の範疇に属するタイプ、
マルクス主義じゃなくケインズの学派の方だろ。

その程度でサヨだったら、ナチスだって戦中の日本の軍部の「若手将校」だって、
みんなサヨだよな。2・26事件だって5.15事件だってサヨ将校らによるクーデター事件ということになってしまう。

あの時代には、「社会主義的ではあるが反共」という、現在からは考えがたい微妙な立場の勢力が台頭してたんだよ、世界的にな。
日本でもアメリカでもヨーロッパ諸国でも。
そして、そういう勢力の多くが反共を叫んでたんだ。
695日本@名無史さん:2009/03/11(水) 03:09:03
>>692>>694
GHQ=反共集団 なんて
一面しか見てない浅薄な認識でしかないわ。

GHQと一口に言っても、マッカーサーの下には
ウィロビー率いるG2と、ホイットニー率いる民生局の二派があって
占領前期に深く関わった民生局のニューディーラー連中は本物の左翼だぞ。
GHQ=反共集団 ってのは占領後期の話。

だいたい、GHQのみならず
米国内においても、ルーズベルト政権発足時から共産主義のスパイが暗躍してて
財務省、国務省、大統領補佐官まで含めて
200とも300とも言われるほどのスパイが居たわけだしな。
696日本@名無史さん:2009/03/12(木) 18:10:43
>>684
安重根は同胞を殺したのか?
697日本@名無史さん:2009/03/12(木) 23:22:04
信長殺しは光秀ではない
698日本@名無史さん:2009/03/13(金) 04:13:34
藤吉郎の一夜城
699日本@名無史さん:2009/03/13(金) 06:59:39
天狗が牛若丸に武芸を稽古した
700日本@名無史さん:2009/03/13(金) 07:38:57
日本人は猿の子孫

共産主義者の妄想に過ぎないダーウィンの「進化論」など信じているのは反日ブサヨだけ。
701日本@名無史さん:2009/03/13(金) 14:37:14
>700
ジョージ・W・ブッシュ乙
702日本@名無史さん:2009/03/13(金) 19:38:00
全人類はピカイアの子孫だよ
703日本@名無史さん:2009/03/14(土) 20:46:18
邪馬台国=大和説、両者の繋がりを示すものが何も無いのに何時のまにか定説にされてる。
704日本@名無史さん:2009/03/14(土) 20:53:11
>>703
隋書
705703:2009/03/14(土) 21:07:23
>>704
間違った
邪馬台国=大和朝廷説
ですた
706日本@名無史さん:2009/03/15(日) 22:22:17
まさか邪馬台国=九州王朝と言いたいんじゃないだろうなw
707日本@名無史さん:2009/03/16(月) 11:12:08
水田しかない農村風景。
708日本@名無史さん:2009/03/16(月) 11:29:26
みんな一生懸命議論してるけど、日本史なんてほとんどがただの言い伝えでしょ。
江戸時代にまとめられた講談や歴史小説が元になってる。

一生懸命史料批判して、自分の説の真実性を主張してるけど、その史料そのものが
本物かどうかもう証明できないし、改竄されてる可能性だってある。

大まかなことならともかく、どうせ細かい事象の真実なんてわかんないんだから、
史料云々言っても意味ないような気がするけどな。武田の騎馬隊がどうたらとか。

ビートたけしが冗談で、恐竜学者に「もっともらしく語ってるけど、お前は見たのか?」と
言ってたけど、この批判はほとんどの歴史学者に当てはまるよ。

「お前は見たのか!? あるいは見たという生き証人を連れて来い!」
で、歴史学は簡単に論破できる。
709日本@名無史さん:2009/03/16(月) 20:00:58
>>708
どうやら今の君には、歴史学はなくてもいいもののようだ。自分の主張が子供じみていると
気付くまでは、歴史学とは距離を置いていたらいいんじゃないだろうか。
710日本@名無史さん:2009/03/16(月) 23:27:49
>708
某斜め上の国のように、近隣国の史書とは食い違う事を自国の伝承のみが正しいと強弁し過去史を捏造したのち
参考にしたと称する書物や都合の悪い書物を全て焚書したため、現在では正しいのかどうか検証できないという恥かしい国もあるが、
日本では寺社や公家等に大量の文章が現存するため、相当の確度で検証可能なんだよ。
711日本@名無史さん:2009/03/17(火) 03:06:13
>>710
ほんまかいな?
それじゃ、武田の騎馬隊に関する当時の史料が何冊残ってるって言うのよ?
信長公記と甲陽軍鑑ぐらいしか出てないじゃない。だいたい甲陽軍艦は後世の創作らしいし。

だいたい、歴史学なんて、つい最近まで真田信繁を幸村と呼んだり、聖徳太子や尊氏の肖像画
を間違ってたり、長篠の三段打ちを真実のように書いてたり、ぼろぼろ修正点が出てきてる。

こんなことが今まで俗説としてまかり通ってたんだから、どれだけ歴史学が脆弱か分かるんじゃないの?

みんなだって、当時の史料よりも、江戸時代の講談や、水戸の大日本史が現代の日本史のイメージに
大きな影響を与えていることを認めるでしょ?
この科学の発達した時代、まだまだ俗説が平気な顔してまかり通ってるのが歴史学なんだよ。
712日本@名無史さん:2009/03/17(火) 06:22:19
絶えず修正がかかるようでないと学問じゃないよ。
まるで自然科学が修正のない磐石であるかのような妄想を抱いているのかね?
713日本@名無史さん:2009/03/17(火) 08:30:39
素人の歴史知識の勘違いを歴史学の精度と混同している点もナンセンス。
そんなものは素人の医学知識の勘違いとかと同レベルじゃん。
714日本@名無史さん:2009/03/17(火) 11:12:43
>>713
おいおい、史学を語るに医学を引き合いに出すのはよせ
博士はあっても史学者の国家資格はないだろう
715日本@名無史さん:2009/03/17(火) 11:21:06
708=711は、かまって欲しいだけのレス乞食なんじゃねぃ?
相手にするだけ無駄
誰か暇な奴は相手をしてやれ、間違いなくこいつは話をループさせて終わらせないようにするぞ
716日本@名無史さん:2009/03/17(火) 11:27:41
日本史じゃないけど現在の日本円にして
モールアルトが年収3000万で
ベートーベンが遺産2億って言うのに驚いたな
717日本@名無史さん:2009/03/17(火) 12:15:47
モーツアルトって晩年は王宮音楽を解雇されるかして大衆音楽で
日銭稼いでたんじゃなかったっけ。
梅毒うつされて薬として水銀製剤飲んでたせいで体がボロボロ
だったとか。
718日本@名無史さん:2009/03/17(火) 12:21:34
>>714
素人が鉄砲三段撃ちとか言ってるのは、歴史趣味ではあっても歴史学ではなかろ。

国家資格云々に関しては、むしろ国家資格持ってる医者でも書籍やテレビで
研究者から見れば噴飯物の珍説を平然と広めて回っていたりする。医者は医学
研究者とイコールではないし、医学博士号を持っていてさえ研鑽を怠ればDQN
医者にまで落ちぶれる。

権威は人でなく学問ないし学界に帰属するものだ。
719日本@名無史さん:2009/03/17(火) 12:24:18
馬鹿あいてにしても無駄だよ
720日本@名無史さん:2009/03/17(火) 12:36:40
>>718
そんな回りくどく書くなよ。
医者の名刺貰ってみろ。インターンとか若いのはダメだ。まだ見習いだからな。

話はそれからだ。

数えたことはないが学会の数は史学や他の学問と変わらないのではないかな。
何百年か何千年前に死んだ人でなく、生きてる今の人と向き合って研究治療してるんだよな。

史学で医学を例えに使うことが処方ミスと指摘しただけだ。
721日本@名無史さん:2009/03/17(火) 12:51:41
>>720
医者なら知り合いに医学部教授が何人かいるよ。名刺をやりとりするほど
よそよそしい仲でもないし。少なくともこの人たちは本物の医者であり
研究者でもある。弁護士なら名刺を何枚か持ってるけど。

学のない人間は学問というものを正しくイメージすることができないのだろう。
近頃、○○学士だから○○学の専門家だなどと勘違いしているやつが三流
私大卒とかでたまに見かけたりするな。
722日本@名無史さん:2009/03/17(火) 12:57:11
>>721
大学教授は博士でなくてもなれる

桂文珍やアグネス・チャンでもなれる
723日本@名無史さん:2009/03/17(火) 13:03:15
>>722
博士号を持たない医学部教授の名を挙げてみたまえ。
724日本@名無史さん:2009/03/17(火) 13:09:16
>>721
幼いな
725日本@名無史さん:2009/03/17(火) 13:11:10
>>724
( ´,_ゝ`)プッ
726日本@名無史さん:2009/03/17(火) 13:27:54
>>723
ジョセフ・マーフィー
727日本@名無史さん:2009/03/17(火) 13:29:57
歴史学の面倒なところは、史実が、小説やドラマも結びつきやすいことだよな。
どうしても時代劇、歴史小説のほうが広まりやすいんだよな。

桶狭間だって奇襲説のほうがドラマチックじゃん。

だから、いつまでたっても俗説がまかり通る。
まあ、気にしなきゃいいんだけど。

しかし、一番痛いところが、体制史ならともかく、ミクロ的な史実を解明したからと言って
あまり意味がないというところだ。
実用性がなきゃ、おもしろい説のほうがいいじゃんということになる。
728日本@名無史さん:2009/03/17(火) 13:30:06
ジェイムズ・モリアーティ教授
729日本@名無史さん:2009/03/17(火) 19:10:58
>722
いや、医学部の教授だけは、ドクターの学位持ってなきゃなれないだろう。
そのすべてが医学博士の学位とは限らんけども。
実際、理学博士の医学部教授だっているし。

>720
研究畑じゃ、治療(臨床研究も含む)は、理系の学問っていうより文系的だって言われてるけどな。
唯一事例だって少なくないし、そういう特殊なヤツでは再現性がない。

その意味では、逆に歴史学と似てるとさえ言える。
藪医者が実在するというのも似てる点と言えなくはないか。
730日本@名無史さん:2009/03/17(火) 19:35:39
ハイハイ


ここまで読みました
731日本@名無史さん:2009/03/17(火) 19:54:50
単なる歴史マニアは、医学で言えば健康食品マニアとか健康器具マニアとかそんなレベルだろ。
732日本@名無史さん:2009/03/17(火) 20:06:15
日本古代史=朝廷の陰謀説と感ずる。

1)記紀は天皇家に伝わる歴史ということ 。またそれ以前の文献は皆無というがそんなに日本は文化程度が低かったのか。
2)日本の文字が紀元後しかなかったのだろうか。日本人(あえて)は魏志和人伝では海を渡る船を造り、航海術も駆使している。また漢王朝を訪問して、なぜ古代?中国語が話せた民族なのになぜ。
  縄文時代とか弥生時代とかおおざっぱな歴史なの。
3)大和朝廷以前の文献や遺物はほとんど隠滅、封殺されたのではないだろうか。金印なんか隠滅しろと命じたが、持ち帰ってしまったが失くしたとか。
4)今も、調査や触れてはならない三種の神器、古墳、神社の多いこと。

考古学者で名を成すには、海外しかないのだろうか。自由に発掘や調査させてくれない日本じゃ推測の考古学。紀元後というのに、考古学者でない推理作家も参加できる歴史感おかしくないかい。
もっと、かきたいけど、作られた日本の歴史をどう暴くかの議論とか法改正から、邪馬台国の謎が、いともたやすく解けるようかもと思うのは、僕だけだろうか。
僕だけだろうか。
733日本@名無史さん:2009/03/17(火) 21:51:06
>記紀は天皇家に伝わる歴史ということ 。またそれ以前の文献は皆無

文献なら法華義疏や正倉院文書がありますが陰謀論者はこういうものは無視なんですね分かります。
734日本@名無史さん:2009/03/18(水) 04:25:47
>>708
>>「お前は見たのか!? あるいは見たという生き証人を連れて来い!」
>>で、歴史学は簡単に論破できる。

生き証人を連れてこれる現代史はどうなんだ。生き証人がいることによって、なんの疑いも無い全世界公認の歴史が出来上がっているのか?
そうじゃないことは、2chを見てればわかるよね。
735日本@名無史さん:2009/03/18(水) 08:49:57
この手の輩を追い詰めていくと、「俺様に理解させられない限りすべての学問は虚構」
というところにまで行き着くよ。
736日本@名無史さん:2009/03/18(水) 10:12:31
で、お前たちは長篠の戦いをみたのか?
武田の騎馬隊を見たのか?
737日本@名無史さん:2009/03/18(水) 10:44:43
>>736
見てないよ。今もってる知識も不完全なものしかないよ。
だから、調べてるんだよ。見ることが出来ないから、調べて考えてるんだよ。

>>735の言ってることが正解かも知れない。疑い始めたらきりがないことに気づきな。
738日本@名無史さん:2009/03/18(水) 10:53:41
連レス。
>>736の言ってることは歴史というより歴史哲学だよ。
「歴史とは何か」っていう有名な本があるから、それを読んで味噌。
もし、既に読んでるならどう思ったか書いてみて。
739日本@名無史さん:2009/03/18(水) 12:01:57
歴史学の決定的な欠陥として追試ができないことなんだよなぁ。

普通の科学は時間がたてば、観測精度が上がるけど、歴史学はどんどん貴重な史料や
生き証人が失われて、あやふやになっていく。

近現代史はまだ生き証人もいるし、写真や映像、蓄音機もあるから、ある程度科学として
取り扱えられるけど。(原爆投下がフィクションと言う人はいないでしょ)
近世以降はなぁ、どこまで信じていいものか。
権力者に書き換えられた可能性だってあるだろうし。

あと、検証する上で重要なのはその観察対象の公開性だよな。
密室で目撃者が1人か、屋外で目撃者が100人かじゃ、信用性が段違い。

長篠の合戦の目撃者は何人いて、何人が手紙なり日記なりでメモを残したんだ?
長篠の合戦レベルなら、数千人単位の目撃者はいるし、かなりの分量メモも残ってるだろう。
けして確定できない事象じゃないと思う。
740日本@名無史さん:2009/03/18(水) 15:25:36
江戸期以降の信玄ブームで偽書の類が溢れてしまい、史料批判だけで日が暮れる状況。
DQNが学問・文化を破壊するのは今も昔も同じ。
741日本@名無史さん:2009/03/18(水) 20:48:15
>昔から疑ってかかっていた日本史の通説
本能寺の変には黒幕が存在する
龍馬暗殺は薩摩の陰謀
東洲斎写楽は他の有名絵師の変名

このあたりは疑わしいな
742日本@名無史さん:2009/03/18(水) 20:56:30
松尾芭蕉は忍者
743日本@名無史さん:2009/03/19(木) 00:29:59
>歴史学の決定的な欠陥として追試ができないことなんだよなぁ。

最初から全否定ありきのレス乞食なんだろうが何故こいつはコノ板にいるんだろうか・・・

ナイフとフォークで炒飯は食い難いから炒飯は食べるに値しないと言っているようなモノ。
スンタンスが全く異なるモノだからアプローチが異なるのは当たり前と考えるのが大学生の思考。
歴史が嫌いな高校生か?
744日本@名無史さん:2009/03/19(木) 11:46:24
偉そうに言ってるけど、どうあがいたって、古代史なんて、決定的に確認しようがないでしょ。
残ってる史料が絶対的に少なすぎるし、それがゆえに改竄があっても、比較検証すらできない。

文献だけじゃなくって、動画、写真も音声も残ってるし、生き証人もいる近現代史は科学といえても、
古代・中世史は科学とは呼べないね!

実際、古代・中世史の史実を確定しても何の実用性もないし。ただの趣味だな。
近現代史は直接的に政治、経済に影響を与えているから、実用性は高いけど。
745日本@名無史さん:2009/03/19(木) 15:02:09
むしろ考古学のような科学に最も近い領域ですら、まともな検証もなされずに
全世界の失笑を買った。過去を学ぶ人間が、ちゃんと過去の汚点を反省して
糧にできるかどうかも怪しいものだな。

まさか、日本の土器は世界最古という話まで捏造ではないだろうね。本音は
「俺たち文系だから科学的調査に基づく検証なんてできるわけないじゃん」
だったりしてな。
746日本@名無史さん:2009/03/19(木) 23:28:02
タイムマシンが実用化されるまで歴史を語ってはならないとする発想は非常に興味深い(苦笑
この電波がどこまで暴走するのか生温く見守っていたいのだが、歴史学の門外漢もこのスレを
みている可能性はあるので745を除く諸兄へは一応回答しておく。

実際のところ>738が既に指摘しているように、この電波のコダワリの核心は歴史学には常に付き纏う。
それゆえ歴史学の概論書には、学徒としてこの問題に如何に向き合うかというスタンスが必ず明示してある。
回答を願う諸兄はカーやコリングウッドなどの概論書に目を通してもらいたい。
歴史学者がこの問題とどう向き合っているのかが数十頁に渡って書かれてあるから。
747日本@名無史さん:2009/03/20(金) 01:08:12
っていうか
何を思って、こいつはこんなスレに来たんだろ。
ただのレス乞食なら、もっと良い反応
返ってくるスレなり板なりに行くと思うんだが。
748日本@名無史さん:2009/03/20(金) 01:22:52
>>747
春休みの大学生に話題を提供するため。ありがとう>>745
749日本@名無史さん:2009/03/20(金) 01:28:31
私は中川酒のもうろう会見は本人の不注意という通説を疑っています。
750日本@名無史さん:2009/03/20(金) 01:36:40
>>749
現在はゴックンしたという説が一般的。
751日本@名無史さん:2009/03/20(金) 12:51:39
>>749
いえ、コミンテルンの工作員が中川のふりをして記者会見に出たというのが真相
752日本@名無史さん:2009/03/21(土) 02:49:06
左翼はみんな裏でつながってる
(みんなソ連のスパイだった)

実のところ、国家社会主義ドイツ労働党の政権が反共を主導して日独伊防共協定なんてのを作り出した事例からも分かるように、
かつては様々な左翼運動の間で激しい反目があった。
戦後になっても、左翼運動の内ゲバが、かなり激しかっただろ?
753日本@名無史さん:2009/03/21(土) 22:32:44
昭和天皇はコミンテルンの工作員。
今上天皇は隠れ共産党員。
754日本@名無史さん:2009/03/22(日) 16:28:21
>>739
> 取り扱えられるけど。(原爆投下がフィクションと言う人はいないでしょ)

多分南京事件のパロディでネタスレだと思うけど、そういうスレッド見たことあるぞ。
スレ主がマジで立ててるとしたら個人的には彼の見識を疑うが、ネタスレという前提でいくつかネタレス投下してきた記憶がある。
755日本@名無史さん:2009/03/23(月) 06:23:46
>>754
う〜ん、結局なにを真実とすべきか、突き詰めたら哲学的な問題になっちゃうんだよな。
まあ、個人レベルの認識論的な絶対的懐疑論(今目の前にあるリンゴは本当にあるのか?みたいな)
ものは反駁できないけど、社会常識としての真実はある程度多数決によって決定できると思う。

一人の証言よりも、1000人の一致した証言のほうが信用できる。

史料実証主義の歴史学の手法は、近代裁判の事実関係の検証に近いものがあると思うんだけど
(伝聞を排するとか、物証重視とか)、ただ、裁判にあって、歴史学にない決定的なものがある。

それは偽証罪だ。
どんな証言でも、偽証罪に問われるこのとない、リスクのない証言は信用できない。
いくら嘘をついても許されるのだから。
偽証罪のプレッシャーがあって初めて、法廷での証言は重みを持つんだ。

偽証罪の有無という、近代裁判と歴史学の差をいかに埋めるべきか。
偽証罪がないことは、永遠に近代歴史学の欠陥になると思うよ。
756日本@名無史さん:2009/04/13(月) 18:09:15
信長殺しは光圀でない
757日本@名無史さん:2009/04/13(月) 21:17:11
>>756
そりゃそうだろ。「織田信長は徳川光圀にころされた」などという珍説の中の珍説なぞ聞いたことがない。
本人どころか、親父の影も形も無かったのにどうやって暗殺なぞしたのか。
758日本@名無史さん:2009/04/13(月) 23:44:31
織田信長は天海僧正だった
759日本@名無史さん:2009/04/13(月) 23:52:57
わっしょい→韓国語 ワッソ
どっこいしょ→韓国語
よっこいしょ→韓国語
せーの→韓国語
そーれ→韓国語
おーえす→フランス語 Oh, hisse
ぐっすり→英語 good sleep
760日本@名無史さん:2009/04/14(火) 17:07:56
元寇は鎌倉武士の圧勝
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_02.html
住吉鳥居を通り過ぎて赤坂に向かう途中の小松が原で季長は菊池二郎武房の一行と出会う。
総勢百余騎。
武房はすでに敵と戦い、たくさんの首をぶら下げて引き上げてくる途中であった。 (てのものふんどりあまたなり)
それを見た季長はいっそう奮い立ち蒙古軍に向かって駆け出すのであった。

菊池武房に破れた敵の本隊は,麁原へ退却した。
別の一隊は別府の塚原へと退却。
塚原から鳥飼の干潟へ進み本隊と合流せんとする蒙古軍を討ち取ろうとした季長は馬が干潟に脚を取られ逃がしてしまった。

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_04.html
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/kotoba_03.html
敵軍は麁原に陣を構えて鐘を打ち鳴らしてひしめきあっていた。
季長の合戦は、麁原から鳥飼潟の塩屋の松原が舞台となった。
旗指が馬を射られて跳ね落とされたがそのままおきあがって走り出す。
季長以下3名も馬を失い痛手も被り、あわや一巻の終わりかとみえたところに、
肥前国御家人白石六郎通泰が後方より援軍を率いて攻め立てる。
たまらず敵は退却を始めた。
武士団に馬上から次々と矢を射かけられ逃げ惑う蒙古軍。

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_03.html
さらに敵を追って攻め入る三井三郎資長と退却する蒙古軍。

※蒙古襲来絵詞…竹崎季長が、元寇時の御恩奉行であった安達泰盛への鎮魂と報謝のために作った絵詞。

761日本@名無史さん:2009/04/14(火) 17:58:44
>>757
光秀のつもりだったんじゃないのw
762日本@名無史さん:2009/04/20(月) 02:24:02
>>759
そんなの通説じゃないだろ
助平→scabbyと同レベル
763日本@名無史さん:2009/04/20(月) 12:14:25



御徒士が武家であるというトンデモ説








764日本@名無史さん:2009/05/17(日) 17:07:22
北政所は西軍で反家康派だった
765日本@名無史さん:2009/05/17(日) 17:22:23
>>763
大坂町奉行所の与力は町奉行付きの徒士や鉄砲足軽が制度として定着したもので、
すなわち御家人の一部は徒士。
766日本@名無史さん:2009/05/17(日) 17:39:11
在日は親日で反韓国派だった
767日本@名無史さん:2009/06/06(土) 20:23:00
金正男は天才だった
768日本@名無史さん:2009/06/13(土) 16:00:26
金正雲は日本人だった
769日本@名無史さん:2009/06/13(土) 16:08:53
>>11
藤原不比等は天智の子供!

770日本@名無史さん:2009/06/13(土) 16:11:39
>>14
聖徳太子や推古は、蘇我氏そのものだろ!
771日本@名無史さん:2009/06/13(土) 16:17:53
>>38
馬(子と入)鹿!

772日本@名無史さん:2009/06/13(土) 16:21:01
>>72
言えてるな
773日本@名無史さん:2009/06/13(土) 18:04:31
>>772
言えてないっつの。国民が全員玉砕しちまったら、一体誰が天皇陛下をお守りするんだ?

陛下自身、「堪え難きを堪え、忍び難きを忍」べと国民に呼び掛けただろ。
それに応えて、占領の屈辱を乗り越え見事に戦後の復興を果たした、これもまた一つの愛国だろうが。
774日本@名無史さん:2009/06/13(土) 18:12:28
>>771
また「馬鹿」信者が現れたか。後から後から絶えないねえ。
つーか三年前の書き込みに今さらレスすんなよw
775日本@名無史さん:2009/06/13(土) 21:05:09
昔々朝鮮から来て居着いてのさばっちゃってる“屁以下”ご一統なんざ早く断種スロ。
日本民族浄化しナマポと893の供給源の半島人は屁以下と一緒に強制送還だ。
776日本@名無史さん:2009/06/14(日) 00:03:17
>>775のように今時騎馬民族征服説を根拠に皇室をチョン認定する説
777日本@名無史さん:2009/06/17(水) 17:28:59

足利義昭無能説

信玄が健在であれば、信長を追い詰めることができたと思うし、
あの戦国の世に、天寿を真っ当しているのだから、ドラマで
描かれているほど無能ではないだろ。
778日本@名無史さん:2009/06/18(木) 05:27:10
日本人はみな朝鮮人だった
在日や半島の連中はよそ者の侵略者
779日本@名無史さん:2009/06/18(木) 05:30:15
>>777
二万石の小大名に転落した織田より
十万石格で尾張大納言並みの価格の足利五所川原
780日本@名無史さん:2009/06/18(木) 10:05:25
>>777
いや別に第一次設永包囲網は義昭が規格ししたものではなく、
基本的には反設永で利害の一致した連中が集まっただけ。
義昭は無節操に手紙を書きまくっただけで家康にまで手紙を出したという。
あと天寿を真っ当したのも彼が有能だったというより、
周りが遠慮しただけだが。兄の義輝が殺されて松永に悪評が出た点が反面教師になってる。
というか義昭が無能だと判断したから周りもわざわざ殺す必要ないと判断したんだが。
781日本@名無史さん:2009/06/20(土) 12:06:55
北政所西軍説は昔から言われてる
孝蔵主(甥っ子が上杉家臣)はじめ
反徳川の関係者が多い
782日本@名無史さん:2009/06/21(日) 16:34:29
源氏(征夷大将軍)が武家の棟梁なんて後付け。

鎌倉幕府の実権者は北条氏(執権)。
源家はただの一時的朝廷官吏官。
実際の先例は足利氏以降。
783日本@名無史さん:2009/06/21(日) 16:58:26
朝鮮出兵が秀吉の単独暴走?

当時は圧倒的な権力過渡期。
九州大名は大和よりも東シナ海勢力との繋がりの方が強かった。
東シナ海勢力最右翼=イスパニア(キリシタン)
イスパニアから対明共同戦線を要望されていた秀吉。

日本の戦国もイスパニア渡来も明の柵封体制崩壊による権力混乱の一環。
朝鮮出兵は明末期の対明下克上のひとつ。
ヒデヨシは及ばずレースを制したのはヌルハチ。
784日本@名無史さん:2009/06/21(日) 17:20:45
水戸黄門は漫遊しなかった

助さんは剣術の達人、格さんは柔術の達人とは分担が出来すぎ。
八兵衛なる無意味な家来は有り得ない(ある種の御伽衆としては可能か。初期はスリの達人だった)
弥七なる風車の殺傷能力の疑問。
お銀なる奉公人の役割と肌年齢。
785日本@名無史さん:2009/06/21(日) 17:30:48
御老公の漫遊の事実の是非と、取り巻きの考証の厳密性との間には何の関係もないじゃないか。

アレンジされすぎた時代劇はすべて素材そのものがフィクションだというつもりかね。
786日本@名無史さん:2009/06/21(日) 17:34:41
ある

佐々木助三郎が後年の光圀になってしまったという事実だ。
これはなんとも許しがたい。まだ松平長七郎までは許せた。
787日本@名無史さん:2009/06/21(日) 19:36:04
水戸光圀は米俵に腰掛けたせいで地元の老人にフルボッコされたという実話があるが、
助さん格さんはその主君の大ピンチの際に何をやってたんだろうな。いくら漫遊しなかったとはいえ、
2人は家臣だったというのに。

実は光圀に嫌われていて、あまり傍に寄らせてもらえなかったのではあるまいか。
788日本@名無史さん:2009/06/21(日) 21:12:26
>>778
大学の教授が言ってたが、遺伝(染色体)的には日本人は大体、縄文系が1/4、朝鮮系が1/4、大陸(中国)系が1/4、その他1/4とかなりの混血らしいな
789日本@名無史さん:2009/06/21(日) 21:17:01
>>788
なんだそのデタラメw
790日本@名無史さん:2009/06/21(日) 21:46:17
助さん(現黄門さま)に衝撃の事実
かつて懲役判決を受けていた!

助さんこと現光圀公は本名は佐野さんといい、
なんと先々代黄門さま佐野浅夫さんと親戚だということがわかった。
かつて数十年前拳銃の密輸で懲役8ヵ月(猶予付き)を受けているという。
御年72歳
791日本@名無史さん:2009/06/21(日) 23:41:57
>782
同意。
それと、征夷大将軍には源氏しかなれない、と定まったのは事実上は江戸時代からだよな?

鎌倉時代後半から建武(後醍醐)政権初期までは、征夷大将軍は「親王将軍」だったし、
(臣籍降下していない皇族だった)、戦国末期には平氏(と称していた時期)の信長が将軍に就任しうる状況にあった模様だし。
792日本@名無史さん:2009/06/22(月) 00:16:01
金印の漢倭奴国王は
「かんのわのなのこくおう」ではなく
「漢の倭奴国の王」と読む。

奴国なんて奴隷丸出し名の地方国があるわけもなく、
"奴"の字は匈奴(hungnu)と同じで蛮族を表す接尾字。
倭奴(weinu)。
793日本@名無史さん:2009/06/22(月) 03:34:06
>>791
そりゃそうだ、征夷大将軍を授ける朝廷に、んな決め事はないからな。鎌倉以前に普通に源氏以外のそれはたくさんいる。
794日本@名無史さん:2009/06/22(月) 07:46:02
本当に江戸時代には将軍は源氏のみなどと定められたのか。
江戸時代の価値観なら、源氏のみじゃなくて徳川宗家に近い者のみが候補だったろうし、
下馬将軍は親王将軍の擁立を企んでいただろ。
795日本@名無史さん:2009/06/22(月) 08:22:06
じっさいの字は

     漢委奴国王

で、「漢は奴国王に委ねる」なんだけどな
796日本@名無史さん:2009/06/22(月) 10:21:52
>>795
後漢書にも奴国ではなく倭奴国と書かれているね。
金印を貰った後はこれが倭国王となっている。

797日本@名無史さん:2009/06/22(月) 10:54:44
>>795
漢が何を奴国王に委ねるのかが言及されていないため、その解釈は明らかな間違いだ。

「漢(おとこ)は奴(やつ)に国王を委ねる」が正しい。

「奴」はすべての漢が国王の補佐を委ねるほど偉大な政治家だったのだろう。
798日本@名無史さん:2009/06/22(月) 13:03:23
>795
確かに後漢書には倭とかいてるのは知っていた

しかしこれは勝手に後漢書がそう解釈したのだと思う
799日本@名無史さん:2009/06/22(月) 14:19:09
日本が対米戦に敗戦したとかいわれていること。
あれは一時的な休戦に過ぎない。

800日本@名無史さん:2009/06/22(月) 15:42:13
>>799
何でも異を唱えればいいというものではない
801日本@名無史さん:2009/06/22(月) 16:23:59
アジアを植民地支配から解放したのは、日本でもアメリカでもない。
大韓民国臨時政府と義兵達だ。








と、ガチで主張してるチョンをこないだ見た
802日本@名無史さん:2009/06/22(月) 19:31:47
亡命政府が各地で解放戦をやっていたのは事実だから
全然間違いではない
803日本@名無史さん:2009/06/22(月) 19:35:52
>>795
偽造に決まってるだろ!
金の印鑑だけが出てくる筈はあり得ねよ!
804日本@名無史さん:2009/06/22(月) 22:05:08
>>803
「漢委奴国王」は書体や形状から江戸時代の日本の知識では偽造は不可能で
本物であることは確定している。
ただ出土した場所や経緯については疑問がある。

805日本@名無史さん:2009/06/22(月) 22:08:48
神の国である日本が、エテ公の一種であるシナ人から王に任命されるなどということがあるはずがない。
あれは反日コミンテルンの陰謀に決まっている。
806日本@名無史さん:2009/06/22(月) 22:11:57
明治維新を日本が独自で成し遂げたってのは嘘だろW 中国や朝鮮の影響がなければ。
807日本@名無史さん:2009/06/22(月) 22:12:17
>>802
大ボラ吹くなよw
808大爆笑!:2009/06/22(月) 23:35:20
韓国人の中には、「秀吉は、明に日本国王の称号を断られて、慶長の役を行った」
という奴が増えています。
多分、このアホなドラマのせいでしょう。

http://www.kjclub.com/jp/exchange/theme/read.php?uid=25348&fid=25348&thread=1000000&idx=1&page=1&tname=exc_board_58&number=21275
809日本@名無史さん:2009/06/23(火) 01:54:19
>802 >807
解放ゲリラが活動したのは北朝鮮側で、韓国は解放戦線の影響下にはなかっただろ

あー、ひょっとして南北朝鮮の分断の起源って、ここ?

やっぱし日本軍の活動がなかったら大韓民国じゃなく、半島全域が「北」だったかもしれんのか。
810日本@名無史さん:2009/06/23(火) 05:32:39
>>809
アメリカが、戦線に一向に影響を与えなかった共産ゲリラに譲歩するとも思えんが。
811日本@名無史さん:2009/06/23(火) 06:43:09
朝鮮では、ただの海賊や山賊や
テロリストや基地外が民族の英雄になるのがデフォ
812日本@名無史さん:2009/06/23(火) 19:19:07
伊藤博文なんて併合反対だったのにな
もしかしたら反対だったから殺されたのかもしれん
813日本@名無史さん:2009/06/23(火) 21:18:44
>>807,809
違う違う。
韓国政府も朝鮮政府も朝鮮半島にいなかった。
まだ戦時中の話。

国外諸地域に散ってて現地人と戦闘になったりした。
あくまで"自称亡命政府"だから。
名前もそんな名前じゃなくて、アメリカ支援派のグループと
そうじゃないグループ(ソ連?)とかがあって、
双方めちゃくちゃ仲が悪かった。
しまいにゃ他所の土地なのにグループ同士で殺し合いになったりまでした。
それが後の韓国政府と朝鮮政府の前身。
でも本当に連続性があるかは不明。
814日本@名無史さん:2009/06/30(火) 22:42:10
天智天皇が最期は拉致られた、という俗説を拙は疑っております。
815日本@名無史さん:2009/07/10(金) 14:11:06
8月15日が終戦だと思っていたら、9月4日が本当の終戦の日。
816日本@名無史さん:2009/07/10(金) 17:19:48
真珠湾攻撃は宣戦布告前だったという通説。

真珠湾の外で日本の特殊潜航艇がアメリカの掃海艇に撃沈されていた。
アメリカが先に攻撃したんだろ?
817日本@名無史さん:2009/07/10(金) 22:16:26
>>816
掃海艇に潜水艦が撃沈された?
どうやって掃海艇が潜水艦を撃沈するのかしらないが
領海侵犯し軍港に迫ってる不明艦船を撃沈するのは当然だ。
宣戦布告問題と関係ない。
818日本@名無史さん:2009/07/10(金) 23:48:09
オット、領海内を潜水したまま航行する中国海軍に攻撃も抗議もしない現代の日本政府を批判するのはそこまでだ
819日本@名無史さん:2009/07/11(土) 00:29:50
>818
横レスでスマンが、

俺はウヨク嫌いだが、その点に関して日本政府の行動は論外だ。

様々な論点でサヨクのほうに賛同する傾向がある俺でも、領海侵犯の船籍不明艦船にマトモな対処をしないことは問題だと思う。

ただ追跡してるだけじゃ領海は守れんぞ。
820日本@名無史さん:2009/07/11(土) 01:23:28
人類の祖先は猿ではなく
アメーバである
821日本@名無史さん:2009/07/11(土) 02:06:12
領海なんて概念は最近決まった欧米ウンコと中国が決めたことで、
その決め方自体に不服のある我が国は、
率先した国際法立脚がかなわないのはやむを得ないこと。

本来海洋国家である日本船は他国の陸地ギリギリまで漁で自由航行していたのが、
二段階の制約(領海・排他的経済水域)によって追放された。

自分を追放したルールをそんなに踏み台に出来ないのは
しょうがねえだろ。

ネウヨだかブサヨだか知らねえが、
エセ愛国主義者の存在が日本を逆に追い詰める
822日本@名無史さん:2009/07/11(土) 05:55:45
謙信が生涯無敗
823日本@名無史さん:2009/07/11(土) 07:57:22
>>822
負けたような記録が2つばかりあるんだろ。
信憑性がどこまであるか知らんが。
それと、「天地人」ではその記録を完全無視なのは、
言うまでもないこと。
824日本@名無史さん:2009/07/11(土) 09:06:06
武田信玄が戦国最強説


その辺を武田厨と織田厨が戦国スレで他を巻き込んでエキサイトしてるけど…
825日本@名無史さん:2009/07/11(土) 09:23:51
>>817
>どうやって掃海艇が潜水艦を撃沈するのかしらないが

潜水艦じゃないだろ。
一人か二人しか乗れない特殊潜航艇というやつだ。
機雷を爆破する程度の感覚で撃沈できる。
領海外で撃沈したら先制攻撃したのはアメリカと言う事になる。

まあ、暗号解読に手間取って宣戦布告通達を出すのが送れたと言うのもうそ臭い。
その頓馬な外交官は戦後責任を取らされる事も無かった。
よしんば暗号解読が遅れたとしても、アメリカの方が先に暗号解読していただろ?
日本の情報は暗号も含めて筒抜けになっていたんだから。
826日本@名無史さん:2009/07/11(土) 10:25:16
潜水艦が他国の領海で浮上航行していない場合
戦争行為とみなされて無条件で攻撃できる権利が領海法で認められている

コレ生活に役立つ豆知識ネ
827日本@名無史さん:2009/07/11(土) 17:58:30
>>825
>まあ、暗号解読に手間取って宣戦布告通達を出すのが・・・・
だーかーらー、日本はアメリカに宣戦布告する予定なんて、
初めから無かったと何度言えばいいのやら。

日本政府が野村や来栖に伝えていたのは、日米交渉打切りに
ついての外交通牒だけだから。
828日本@名無史さん:2009/07/11(土) 18:43:02
>>11
>道教は悪い野心家で巨根だったのか?
粗チンだがテクニシャンだった。

>>19
>天照なんて中央集権的な存在は日本の歴史と人々が明治までは受け入れなかったのだという事。
江戸時代の人はお伊勢参りなんかしなかった訳だ。

>>825
>日本の情報は暗号も含めて筒抜けになっていたんだから。
筒抜けになってた上で、ルーズベルトが握りつぶしたんだろ?
829日本@名無史さん:2009/07/12(日) 02:15:22
>828
いくつもの暗号が使われていた中で、有用な通信を多く扱ってる暗号が筒抜けになってたぐらいのようだ。

で、その暗号解読済み通信からは、「対米攻撃案が却下される」という内容しか得られず、
他の情報源からの危険信号をスルーしてしまう結果となった、ということ。

握りつぶした云々は、陰謀史観のDQN(もしくはその源流)たちが、そのように信じ込んでいただけらしい。
830日本@名無史さん:2009/07/12(日) 11:52:53
暗号筒抜け論は、自己顕示欲の強い者が言う『想定の範囲内です』ってのと同じで、
相手をいかに手の平に転がしていたかをアピールする為のある種の軽ハッタリだろ。
これが敗者に対してはよく効く。コロっと引っかかる。
逆らっちゃいけない相手だと盲信するようになる。
これは(性差別でないが)やはり女性に多い。あるいは女性的性格の男性に。
831日本@名無史さん:2009/07/12(日) 12:12:28
ミッドウェー海戦の件はどう思うのよ?
「想定の範囲内です」がハッタリなのはその通りだと思う。
832日本@名無史さん:2009/07/12(日) 13:40:27
南雲無能説
833日本@名無史さん:2009/07/12(日) 14:00:04

南雲の場合、南雲個人と言うより、海軍の人事システムに問題がある。
初めから、小沢にしておけばいいのに。
834日本@名無史さん:2009/07/12(日) 14:01:28
小沢名将説も疑問
835日本@名無史さん:2009/07/12(日) 14:12:38
>>831
さあ
あくまで一般人である俺は誰かの記述情報で知ることしか出来ないが、
その種の看破は『解読した技術』よりも『判断したこと』に手腕があるんじゃないの?

例えば川中島で謙信は武田軍の炊飯の煙が増えたのを見て、
移動が始まると読んで先手行動した。

いくら情報戦略に長けた技術があっても、その入手情報は曖昧でかつ複数ある。
例えば
「今日」・・・信憑率:60%
「敵船」・・・信憑率:70%
「防戦」・・・信憑率:50%
「攻撃」・・・信憑率:40%
「今週」・・・信憑率:35%
「はやい」・・・信憑率:60%
「ハワイ」・・・信憑率:50%
こんな感じのキーワードが引っかかったとする。(ミッドウェイならハワイじゃねえけどw)
それを何の作戦と読み解いて、かつ実行するのは、
解読能力では無く判断能力(つまりギャンブル)の強弱に過ぎない。

あとは後付けで理を付けて相手の畏怖を誘うだけ。
836日本@名無史さん:2009/07/12(日) 14:25:50
ただ米国が暗号解読に際して言いたいことがあるのは確かで、

ひとつは
・多民族包有での言語力アピールとその多様性順応力
もうひとつは
・単なる科学技術ではなく情報の取り扱いそのものに長けている(つまり賢い)こと

アメリカは暗号解読の為に相手方民族の率先登用をやったが、
多種排除をやるのではなく上手く利用して取り込むのが一番賢い、とのアピール。

そして情報という物の危険性認識に一日の長があることのアピール。
ライアーゲームの覇者であること。(ちなみに今でも米にはよくやられているw)

こんなところ。
837日本@名無史さん:2009/07/12(日) 15:16:52
>>835
>その種の看破は『解読した技術』よりも『判断したこと』に手腕があるんじゃないの?
つまり情報分析ってことだろ。暗号を解読したものは只の「情報」、それを分析して初
めて価値が出る。それは当たり前だろ。
ミッドウェイのときは「多分ミッドウェイだろう」と判断した上で偽情報を流して確認した
と言われている。ギャンブルではない。

宣戦布告の件も実際は「交渉打ち切り」だけど「開戦」と判断した。(その上で握りつ
ぶした。)当時の情勢からすればアメリカが日本を挑発してるのは明らか。米世論は
戦争に消極的なので日本に先に手を出させるようにしむけてる。
あれ?暗号筒抜けの必要ないし、むしろ筒抜けでない方がアメリカの良いように踊らさ
れてる感じだな。
838日本@名無史さん:2009/07/12(日) 16:02:17
>>837
そうだけど判断に身を委ねるってのは結構大変なことなわけよ。
偽情報を流しても相手にキャッチする能力が逆になければ確認取れないわけで。
100%の分析って存在しないから。
また極端な話、情報分析に極めて長けていれば暗号を傍受解読する必要も無いわけで。

宣戦布告についてだが、
まず「最後通牒」の定義は"答えがNOなら宣戦布告と同意義になる通告"という国際法があるので
交渉打ち切りは宣戦布告になる。
それを「キャッチしていた・知らないフリした」と振り回されること自体が情報戦の負け。
知らないフリしたのが事実なら
自国兵士を見殺しにしたというトンデモない大罪が先に付くだろ。

ただその『情報分析力』に長けている米国を
『暗号解読という通信技術』と見紛ってしまうのが日本の弱点。
確かに完璧な傍受が出来れば分析イラネだけどね。
839日本@名無史さん:2009/07/12(日) 16:38:10
>>838
>偽情報を流しても相手にキャッチする能力が逆になければ確認取れないわけで。
お前の中での日米の能力はそんなに違うのか?
アメリカは通信を傍受して暗号を解読、分析するレベル。
日本は通信の傍受すら満足に出来ないレベル?


>また極端な話、情報分析に極めて長けていれば暗号を傍受解読する必要も無いわけで。
分析するための情報は多い方が良い。それこそ「100%の分析は存在しない」んだから。

>自国兵士を見殺しにしたというトンデモない大罪が先に付くだろ。
だから未だに隠してるんだろう。陰謀説が主張するのは「アメリカすごい」じゃなくて「アメリカ
政府人でなし」だ。

>確かに完璧な傍受が出来れば分析イラネだけどね。
いや、完璧に傍受、解読しても嘘の可能性もあるから分析は必要。
840日本@名無史さん:2009/07/12(日) 16:56:23
>>839
相手がどの能力を有しているのか知ること自体が情報戦。
日本から見れば、相手が暗号解読出来る能力がある、ってことを知ってたら
米国に遅れを取らずにすむ。使わなきゃいいだけなんだから。嘘流してもいいし。

傍受は一末端技術に過ぎない。出来なきゃそれでいいわけよ。"相手の出来ること"が読めてさえすれば。
ここの概念がわからないと事の本質には至らない。ここがアメと日本の差。

>情報が多い方がよい
これも間違い。
複数の情報が増えれば選別が不能になる。
これは近年アメリカがやらかしたネット情報戦ミス。
毎日のようにテロ予告情報をキャッチし過ぎて本物がどれかわからなくなった。

>いや、完璧に傍受、解読しても嘘の可能性もあるから分析は必要。
まあ、『嘘をつけ』という連絡もキャッチすれば完璧だろ?
有り得ないことへの逆説証明だからツッコむとこじゃない(笑

アメは「自国人を見殺しにしてでも情報戦を取る」という畏怖をまた煽ってるね。
最近も。まあ実際やりかねない方々だが。
でもそんな尻尾捕まれかねないことはしないでしょ。
841日本@名無史さん:2009/07/12(日) 17:15:10
>837
>当時の情勢からすればアメリカが日本を挑発してるのは明らか。米世論は
戦争に消極的なので日本に先に手を出させるようにしむけてる。

それも事実誤認だよ。
アメリカには二本憎しなんて感情など無く、日本を叩きたいという動機は皆無。

ただ、中国、蒋介石との間の外交戦で負けて、アメリカ世論を中国への同情へ持って行かれてしまっただけ。
外交能力で 中国>>日本 という状況だったから反日的世論が形成される土壌ができた。

まあ、一部のデムパ人たちは、
「世界中の国々(と言うか欧米諸国全部)が共謀して日本を滅ぼそうとした」なんて言ったりもするが、
日本への注目度はそこまで高くはない。
日本を滅ぼしたいなどという情熱を持つ人間は、欧米諸国全体を見渡しても1桁か2桁ぐらいですら、いたかどうか不明、
その程度のレベルだろう。
842日本@名無史さん:2009/07/12(日) 17:48:06
一応ひとつ断っておくが蒋介石は元は日本派の秘蔵っ子なわけだからな。
彼は日本の軍事学校の生徒だった。
一体どこのバカが歯車を狂わせたのか。
ちなみに左派教育でも蒋介石なんて敵だから、
この辺の事情は浮き上がって来ない。
一体当時なにがあったんだ
843日本@名無史さん:2009/07/12(日) 19:34:10
>>842
>一体どこのバカが歯車を狂わせたのか。

中国人を相手にして丸め込めると勘違いした日本人全員じゃね?
シンパにはできても、日本の都合だけのために動くと考えるバカは日本人だけだっただろうよ。
844日本@名無史さん:2009/07/12(日) 20:07:17
石原莞爾
845日本@名無史さん:2009/07/12(日) 20:27:15
>>843
まあそういってしまうと元も子もないが。
そんな総括論はいらない。
日本は中国を丸め込もうという意志はなく、
蒋介石とは満州分離で折り合いが付いていた。

日帝擁護として反発されるとヤなので、
あえて利己的理由を付けるなら
日本の目はツラン民族圏構想などユーラシア中北部に向いており、
中国征服の発想は本来なかった。

だがそこでアヘン戦争以降衰退しきった中国との
パワーバランスの変化が日本に欲をかかせたのかも知れない。

現在の目線でしか物見ないのはウヨもサヨも同じで、
日中戦争前夜の日中差は歴史上類を見ないほど肉迫していた。
常に十倍差ある人口差が、満州含め1.8億vs3億強 と射程圏内に入っていた。
こういったことが視点を変えた一因にあるのかも
846日本@名無史さん:2009/07/12(日) 22:02:24
日支事変と日中戦争とどーちがうの?と思って研究していた。
事変の時は将校は危険手当をけっこうもらってた。戦争になるともらえなかった。
そして最後は負けて軍人恩給になった。
 苦しんだのは二等兵だけで将校は良い思いしてた。
847日本@名無史さん:2009/08/02(日) 19:13:13
保守
848日本@名無史さん:2009/08/04(火) 23:37:01
・福田首相は中国講演で歴史認識について村山談話をかみくだいて語った。
・だがそれは、日本人に向かって言ったのでも、日本人が聞いていたわけでもない。
・こういう大事なことは、日本に向かってこそ語りかけるべきだ。
849日本@名無史さん:2009/09/12(土) 18:57:33
hoshu
850日本@名無史さん:2009/09/13(日) 15:20:49
実は、直江状は実在しなかった。
851日本@名無史さん:2009/09/14(月) 01:51:47
gjffufippy970y08uf86tr7ft97みたいに全くのねつ造というのはどうかね?
原本は無くても、写本類は多数流布しているんだから、それのネタになった書状はあったんだろ。
gjffufippy970y08uf86tr7ft97は写本しかないから吾妻鏡はねつ造と主張するのだろうか?
852日本@名無史さん:2009/10/10(土) 19:35:00
保守
853日本@名無史さん:2009/11/15(日) 19:43:06
革新
854日本@名無史さん:2009/12/11(金) 23:34:54
ここまで読んだ
どっかで聞いたことあるようなのばっかりじゃん
855日本@名無史さん:2009/12/12(土) 00:57:18
じゃあ初ネタを
楠木正成は黒人だった。
856日本@名無史さん:2009/12/12(土) 15:16:47
桶狭間
857日本@名無史さん:2009/12/12(土) 22:06:05
万世一系
858日本@名無史さん:2009/12/12(土) 22:33:40
源義仲による火牛の計。
平家軍が谷に落ちていくのに、牛のその後は書いていないから。
859日本@名無史さん:2009/12/12(土) 22:54:28
1 出世ウホφ ★ 2009/12/12(土) 22:20:13 ID:???0
【ソウル共同】韓国を訪問している民主党の小沢一郎幹事長は12日午前、
ソウルの国民大学で日韓関係をテーマに講演し、
日本の植民地支配について「現代史の中で不幸な時代があった。日本国と国民として、
謝罪しなければならない歴史的事実だ」と表明した。

同時に「そのことのみを思い続けていたのでは両国の将来に良い結果をもたらさない」と指摘。
「過去のいろいろな問題を乗り越え、友好・親善関係、連帯が必要だ」と強調した。

午後は趣味の囲碁で、韓国の有名棋士と公開対局。
夕方から李明博大統領と青瓦台(大統領官邸)で非公式夕食会に臨み、13日に帰国する。

小沢氏は10日、党国会議員約140人などからなる訪中団を率い北京で胡錦濤国家主席と会談。
11日に訪中団と別行動で韓国入りした。

西日本新聞
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/140345
前スレ:★1の時刻 2009/12/12(土) 12:03:10
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1260616054/l50
860日本@名無史さん:2009/12/12(土) 23:44:30
>858
牛も一緒に落ちたんじゃねえの?
牛に関しては、落ちて死のうがどうでもイイ。と考えた人が記述したのではなかろうか。

それよりだな、その作戦の内容も地名も、ハンニバルのアレに酷似してないか?
カルタゴのハンニバル将軍がローマ軍と戦ったときに使った奇策の一つだろ。
作戦地「カリクラ峠」が、義仲の作戦地「倶利伽羅峠」と酷似した名前で驚愕する。

しかし、カリクラ峠の件はwikipediaには載っていない。ひょっとしてフィクションの中だけに存在する話だったのか?
861日本@名無史さん:2009/12/13(日) 01:42:07
本来の「平家物語」には牛のことは出ていない。同様に義経の壇ノ浦漕ぎ手狙い戦術も。
いずれも「源平盛衰記」以降の創作。
しかしこれをまじめに論じていた井沢元彦には失笑を禁じえない。
862日本@名無史さん:2009/12/13(日) 22:06:14
平家物語と源平盛衰記の関係は・・・
863日本@名無史さん:2009/12/14(月) 01:45:12
>>858
スタッフがきちんと
864日本@名無史さん:2009/12/14(月) 12:37:20
美味しくいただきました!?
865日本@名無史さん:2010/02/18(木) 20:31:04
hoshu
866日本@名無史さん:2010/02/18(木) 21:29:32
神武の東征、源平合戦
足利尊氏の上洛
戦国時代のあちこちの戦闘

電車や自動車のない時代にそんなに日本地図上をあちこち動き回れるだろうか

おそらくアスファルト舗装道路や鉄道が開通したあとの後世の日本人が
自分たちの時代の交通事情の感覚で創作したにすぎない偽史

関東八州支配とか携帯電話もネットもない時代は無理だろ

エアコンない時代に奥州藤原氏とか冬にいたら凍死だし
867日本@名無史さん:2010/02/18(木) 23:17:45
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
868日本@名無史さん:2010/02/22(月) 02:53:45
>>866
よっ、都会っ子。
お前の知ってる世界がすべてじゃねんだよ
869日本@名無史さん:2010/02/22(月) 16:24:30
>関東八州支配とか携帯電話もネットもない時代は無理だろ
昔の人は動物的感性が研ぎ澄まされているから、テレパシーが使えたんだよ。

>エアコンない時代に奥州藤原氏とか冬にいたら凍死だし
昔の人は10代半ばで結婚して、毎晩セックスしてしのいでたんだよ。
870日本@名無史さん:2010/02/24(水) 16:43:11
>>854
当たり前だろ
「通説」のスレなんだから
871日本@名無史さん:2010/03/09(火) 04:21:11

歴史に詳しいであろう日本史板住人は、
『龍馬伝』で剣術指導してる,杉並の「玄武館」をどう思ってるの?
偽物疑惑で、かなりスレが荒れてるんだけど。

http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/budou/1262952934/l50

http://www.unkar.org/read/schiphol.2ch.net/budou/1174623112

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E8%BE%B0%E4%B8%80%E5%88%80%E6%B5%81#.E6.9D.B1.E4.BA.AC.E7.8E.84.E6.AD.A6.E9.A4.A8
872日本@名無史さん:2010/03/22(月) 14:41:15
林邦史朗が指導してんじゃないの?
873日本@名無史さん:2010/03/22(月) 22:50:57
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■


@まず日本人のふりをしながら朝鮮煙幕を炊き付け、それを自ら叩いて
自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)

Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)

Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。

Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。
874日本@名無史さん:2010/03/27(土) 03:55:24
ソウル大李栄薫教授が強制連行は嘘であると発表〜正しい言論が封殺される思想統制国家の中で〜

『慰安婦は公娼制』の発言で論難のあった教授 :韓国日報(韓国語)

ソウル大の李栄薫(イ・ヨンフン)教授は
「盧武鉉大統領はすでに大衆の感情で利得を得る盲目的な反日主義を、政治的な手段として利用している」と主張した。
29日にニューライト・ドットコムの主催で、世宗文化会館で開かれる
『解放戦後史の再認識−著者との出会い・特別講演』に講師として出るこの教授は、
あらかじめ発表された資料を通じてこのように明らかにして、 「我々は1970年代、国定教科書体制として切り替えながら、『仮想の歴史』を作って来た」とし、
「一社会が歴史的に、偽善が抜けて知性を抑圧すれば、後の苦しみは手に負えない」と語った。
これと関連してこの教授は、「旧韓国末期に対する歴史歪曲も深刻で、日本の帝国主義時代の歪曲も厳重だ」とし、
「例えば日帝が650万人を強制動員して戦争に連れて行ったと言うが、実際日本へ行った人々は募集と徴用などにより70万人位と見るのが定説だ」と語った。
彼は、「軍人と軍属を合わせて30万〜100万人で、残りの500万人は勤労保国、すなわち労働奉仕人員」としながら、
「このような事を強制連行という言葉で誤魔化して、650万または、850万という『神話』を作り上げてこれらをまた、何らの検証無しで教科書に書いているのだ。これはあきらかな反知性だ」と語った。
それと共にこの教授は、「盲目的な反日主義は、すでに大衆の感情として落ち着いた、盧武鉉大統領によって政治的手段として動員される事に至った」と語った。(以下省略)

要約すると、、、
・「650万人の強制動員などなく、実際は募集と徴用による70万人程度というのが定説」
・「強制動員という神話を作り上げ、検証もなしに国定教科書に載せるのは反知性的」
・「我々は国定教科書を作り上げることで仮想の歴史を作り上げてきた」
・「大衆の感情による盲目的反日主義は盧武鉉大統領により政治的に利用されている」
朝鮮日報の記事より

875日本@名無史さん:2010/04/02(金) 21:36:20

長州が攘夷派と言うのは嘘。

攘夷と言うのは長州が、幕政改革での発言力を
高めるための方便にすぎない。
876日本@名無史さん:2010/04/02(金) 22:06:47
春日局の駿河行き

そもそも、春日局とお江が激しく争ったかどうかも怪しい。
最近では、史料から考えて、春日局の思い込みとまで言われているらしいし。
877日本@名無史さん:2010/04/12(月) 17:57:07
楠木正成の最後の言葉。


誰が聞いてたんだ?
878日本@名無史さん:2010/04/24(土) 19:06:40
外出かもだが
征夷大将軍には源氏しかなれないので、秀吉は将軍ではなく関白になった」っていう話。
ガキの頃はそう信じていたが、今になって思えば全く意味不明。

秀吉の権勢があれば将軍になりたければ幾らでもなれただろうし、
養子にしてくれる足利氏支族なんて幾らでもいたはず。
そもそも「源氏しか将軍になれない」なんていう事実はないし、
源氏以外は将軍になれないのに藤原氏以外でも関白になれると考えるのも
全く意味不明。
879日本@名無史さん:2010/04/24(土) 19:37:14

皇族で将軍になったのは、いくらでもいる。
880日本@名無史さん:2010/04/25(日) 03:21:01
確かに
「征夷大将軍には源氏しかなれないので、秀吉は将軍ではなく関白になった」って
一般的によく言われてた気がするけど

誰が言い始めたんだろう?
881日本@名無史さん:2010/04/25(日) 04:48:33
源平交替説が、室町後期頃には(通説として)流布されていたというのは事実?
882日本@名無史さん:2010/04/25(日) 06:03:40
Q:秀吉は何故将軍になれなかったのか?

A:秀吉は源氏の血筋じゃないからなれなかった。
  ちなみに非血縁の養子はNG。
  信長も将軍にはなれなかったがそれは平氏だから。

以上
883日本@名無史さん:2010/04/25(日) 06:26:07
昔読んだある辞典には、
承久の変の時の宮方の大将・藤原秀康は、征夷大将軍と記述されてたんだよね、たしか。
あと、戊辰役の時の奥羽列藩盟主の伊達慶邦の肩書きも征夷大将軍となっている。

最後に、それを倒した新政府の島津久光も、
それでいつ島津幕府を開いてくれるんだ?とか側近(大久保あたり?)に言っていたと言うし。

前2者は藤原氏、
後者は秦氏で、いずれも源氏ではないんだよな。
884日本@名無史さん:2010/04/25(日) 10:53:47
つーか鎌倉幕府第四代将軍は普通に藤原氏だし
885日本@名無史さん:2010/04/25(日) 10:56:30
武士・侍が立派だったってのは怪しい。
ものすごく傲慢でけち臭い連中だったんじゃないか?
後農民を人間とおもってなかったんじゃないか?と
886日本@名無史さん:2010/04/25(日) 10:57:21
>>885
意味わからんw
侍だって町人だって、立派な人とそうでないのと両方いただろw
887日本@名無史さん:2010/04/25(日) 12:04:33
「日本史の通説」と「素人の思い込み」を混同しちゃいけない。
888日本@名無史さん:2010/04/25(日) 12:09:44
宣教師 ニエッキ・ソルド・オルガンティーノ

日本人は全世界で最も賢明な国民に属しており、
彼らは喜んで理性に従うので、我ら一同よりはるかに優っている。
我らの主デウスが人類に何を伝えたもうたかを見たいと思う者は日本へ来さえすればよい。

彼らは不必要なことを外面の表情に表すことはなく、
甚だ忍耐強く、大度ある国民で、悔悛は真摯にして信心深く、
儀礼に大いに気をつかい、交際においては丁重である。
              
我々ヨーロッパ人は、互いの間では賢く写るが、
日本人に比べるとはなはだ、野蛮であると思う。
私は毎日、日本人から教えられることを告白しなければならない。
私は世界の中で、これほどまで天から才能を与えられた民族はないと思う。

京都は、ヨーロッパならローマにあたるが、
科学、見識、文明はローマよりはるかに高尚である。
信仰さえ別にすれば、我々は日本人よりもあきらかに劣っている。
私は日本語がわかるようになってからは、
世界にかくも聡明で明敏な人々はいないと考えるに至った。

889日本@名無史さん:2010/04/26(月) 23:44:48
>源平交替説が、室町後期頃には(通説として)流布されていたというのは事実?

前近代にもそういうことを言っていた人はいたが人口に膾炙したのは
明治時代に日本史が専門ではない帝大の教授が言い出してからと昔読んだ本に書いてあった
890日本@名無史さん:2010/04/27(火) 06:41:09
>>883
島津は自称源頼朝の子孫だから問題は無い、徳川さん家の自称新田と同じ理由でいける
891日本@名無史さん:2010/04/27(火) 10:26:43
・我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略した
・我が国にいわゆる「三国人」と呼ばれる人がいるのは、ほぼすべてが強制連行によるもの
・朝鮮半島に歴史的建造物が少ないのは、ほぼすべて日本軍が破壊したため

厨房の頃、日本史の先生が教えてくれました。自分も当時は事実なんだと思ってました。
刷り込み教育って恐ろしいっすなぁ
892日本@名無史さん:2010/04/29(木) 16:35:10
>880
江戸幕府、徳川将軍を持ち上げるために江戸初期ごろからいわれた、のでは?

>891
>・我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略した

侵略じゃダメなの?
侵略って、強い国が弱い国に攻め込んで占領したり領土の一部を奪ったりすることでしょ。
「昔は日本は強い国だった。そして、中国は弱小国だった。」って、中国も公認したって意味じゃないの?

朝鮮に関しては、国際連盟のできた頃の時点で、
「自力で自国の独立を維持することすらできない弱小国が独立しようなどとは、片腹痛いわ」
なんて感じで、日本の横暴を訴えにいったにもかかわらず、欧米列強に相手にされなかったんでしょ。
893日本@名無史さん:2010/05/04(火) 09:52:51
孝謙女帝のおめこがガバガバで満足できる
相方が居ず、一物をば「そりゃ、膝かえ?」と
感ちがいなされた道鏡の巨根に驚喜して重用するよう
になった、という道鏡巨根説は信用できるのかい?
894日本@名無史さん:2010/05/04(火) 13:04:54
>>893
さは→それは→そりゃ

と、音韻上の変遷を経るのは
孝謙女帝の御代よりも1000年くらい後の話だから、
「そりゃ、膝かえ?」とは言わなかっただろう。
895日本@名無史さん:2010/05/04(火) 18:38:03
>>893
マジレスすると、幸謙女帝と道鏡が恋愛関係(極秘結婚?)にあった可能性は強いが、
道鏡のナニがでかかったか否かは不明。

幸謙女帝は私情で日本の皇室制度はもとより、天皇家までめちゃくちゃにしようとした人物だから、
「あの女とんでもないアマでして〜」
と語り継ぐために、始皇帝の母親あたりのエビを当てはめてみたのが真相らしい。
896日本@名無史さん:2010/05/04(火) 22:21:46
本当によっぽどのカバマンでなければ
女にとっては巨根なんて痛いだけでありがたくもないらしいしな
それどころか巨根に限って大きい事だけに優越感持っているんで
テクや思いやりがおなざりで女性間では評判悪いことが多いらしい
897日本@名無史さん:2010/05/14(金) 18:27:06
世界遺産のガイドブックを眺めていて、韓国のところで疑問に思ったので
質問させてください。
そのガイドブックには、「日本による植民地時代」みたいなことが歴史の部分に書いてあったんです。
けれど、本来日本が行ったことは併合だと聞きました。
不思議に思って他の大体そこらへんの時代を扱った本を見ても、「植民地」と記されてました。
私自身、日本が当時行ったのは併合だと思うのですが、どうしてこのような違いが起こったのでしょう?
見た本の中で結構古いモノもあったので、質問させていただきました。
898日本@名無史さん:2010/05/14(金) 19:56:16
併合という名の植民地だから
899日本@名無史さん:2010/05/15(土) 21:58:03
>>896
小さい人は必ずこう言うけど何でも程度の問題。
900日本@名無史さん:2010/05/15(土) 23:27:09
「併合」と「植民地」では、実態上何が違うんだろう?
901日本@名無史さん:2010/05/16(日) 11:21:07
足利義満と一休さんは仲良し
902日本@名無史さん:2010/05/16(日) 12:42:35
>900
そういや、そうだな。

たしか、併合後は旧・韓国の王族を日本の皇族と同等の格式で扱ったという話ではあるが、
インドを植民地にしたイギリスでは国王はムガール皇帝を兼任し続けてるしな。
903日本@名無史さん:2010/05/16(日) 21:48:12
厳密にいえば、植民地は曲がりなりにも地元政府を残し、現地人には本国の国籍を認めない。
併合は地元政府を解体し、本国の一部に組み込むこと。建て前では本国人と対等であるが、実質には差別がある。
904日本@名無史さん:2010/05/17(月) 01:03:50
いちおう政策的には、日本本土と韓半島は、
多くの面で平等に取り扱われてはいたんじゃなかったっけ。
併合以前の経済格差を是正しようとか、そういう政策が皆無だったから、
自動的に韓国の農民は没落して土地を失って小作人になり、日本人が土地を買い占めて地主になったり
工場とか商社とかをつくって人を雇うのがもっぱら日本人だったりしただけで...

そもそも日本列島の中でも自作農や小規模地主はすっかり没落して小作人になってた時代だから、
列島内で金を持ってる人が半島に手を広げるだけで自動的に韓国の農民が小作人になってしまう状況だったって事。
905pi:2010/05/19(水) 01:00:13
また、江戸の道がどれほど汚かったか?ということについては更に

「不潔の府都」
道路に小便溜りの黄金水流れ出し小河を作れるは珍しからず。
横町の銭湯の前などは義経八艘飛びより今一層余分に飛越しの煩いあり、まつすぐ歩行くことはできません。
府下一流の町でも路地に入れば、掃溜めに塵芥(ちりあくた)山をなし、猫や鼠の死体芥とともに推積し、夏季などは臭気甚だしく総雪隠(せついん・せっちん)は列をなし・・・

義経八艘飛びでも足りないって、どれだけの小便河なんだよーーー!! ヽ(`Д´)ノ
っと思わずツッコミを入れたくなるような描写ですね。(笑)
想像以上に汚れていたということだったようです。
http://takenosuke.net/Contents/Hanjyou/Dokuji/Mono/Hanjyou_Dokuji_Mono_ukiyoburo002.aspx


906日本@名無史さん:2010/05/19(水) 02:58:17
>905
だが、それでも当時の欧米諸国よりもマシ。
なんせ、江戸の町では糞尿を買い集めて近郊農家に売却する職業が成立していたために
(売る方としては二束三文かもしれないが)小銭の元になる糞尿を道ばたに垂れ流すなんてもったいない、
どうせなら少しでも集めておいて売る方がいい。

と考える庶民が多かったから、糞尿の大半は溜め込まれ回収されてたわけ。
まあ、輸送中にこぼれたヤツが悪臭を放つことも多かっただろうが、そりゃどうしようもない。

対するに、欧米では自室のトイレの汚物を部屋の窓から道路にぶちまけたりするのが常識で、
町中を走る排水溝が下水の通り道だった。
どうやら糞尿を買い集めて肥料として転売するシステムが成立していなかったらしく、
すべての糞尿が下水溝(道路の側溝)をとおっていたわけで。

こりゃ伝染病が流行したらひとたまりもないわ、と納得できる町並みだったのさ。
907日本@名無史さん:2010/05/22(土) 15:24:46
邪馬台国畿内説(笑)
908日本@名無史さん:2010/05/22(土) 16:21:54
邪馬台国九州説(笑)
909日本@名無史さん:2010/05/22(土) 17:13:22


               、....,,_
           、-‐'"  __ ヽー- 、}ヽ
           ,/´/ /  , _,.  _/ ノ レi
        _,// /  /{  i    ー' ノ
          / // / /  .i  l  l! ー<
        / /  //!/    ヽ ヾ l  〉ヾ,
         !/!  イ  ‐::::::;;;;;;;八;;;;;;;::‐ヾ、  }
          |」l !  。ー-- ;; :; --−。 l  /
        f r| !| ゚ o  ´ ノ ::、 `   o | l/    
          .l ヾハ o /( ,=、_,=、)ヽ,  l/l!   織田信成、高家旗本織田家の末裔説!
          \ _j   /_,, -―-ー-、_ l  l /      
            l l  | トエエエエエエイ l ./´
          `ト、 l Vェェェェェェェソ //┐
            l \`ー‐---‐‐' / 」、 _ ,,.
          「ヾ、_ヽ、___ノ_/  r―-- `ゝ
             l        イ   /  ̄ ̄  ヽ
              !_ _,..   i |  /          ヽ
          /           !.| ,/




織田信成が織田信長の子孫って本当?【2代目】
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1271421161/

910日本@名無史さん:2010/05/22(土) 22:44:34
◇和種馬の体力
和種馬はその小柄な体型から甲冑武者を乗せるとよたよたとしか走れない、と誤解されていますが、
約3.5kmをノンストップで速歩、駈歩で問題なく走り続けられることを確めました。
機会があれば何処まで走り続けられるか確認してみたいと思います。

ttp://www.marvellouswings.com/Kattyuu/Reviw/Review.html
911日本@名無史さん:2010/05/23(日) 17:34:01
>>907
どっちも通説じゃないし
912日本@名無史さん:2010/05/23(日) 20:39:48
三角縁神獣鏡が出土する度に新聞が卑弥呼の鏡と書くのは、
それが魏鏡だと信じちゃってる奴がマスコミや学会の多数を占めてるってことなのか?
913金吾秀秋:2010/05/30(日) 00:43:35
実は、名将なんだぜ(´・ω・`)
914日本@名無史さん:2010/06/02(水) 13:50:52
隠岐から逃げた後醍醐は神戸の福厳寺に入ったために頭痛に悩まされます。
なぜ頭痛に悩まされたのでしょうか?その後近くの薬仙寺の井戸水がご利益
があり、それを飲む事で頭痛は完治します。なぜ福厳寺の井戸水を帝は飲ま
なかったのか?それは福厳寺は鎌倉幕府ゆかりの鎌倉の巨福山建長寺の直系の親幕府
派だったのです。巨亀山 福厳寺は山号と寺号の頭文字を合わせると巨福となり、
鎌倉建長寺を表しています。帝は毒殺もしくは、毒を盛られたことを警戒したに違いあ
りません。

神戸市兵庫区門口町の福厳寺は後醍醐天皇の史跡として有名です。
また神戸の歴史においても重要な地位をしめます。兵庫城、兵庫津を取り囲む都賀堤の中心で、
兵庫の町を守る軍事拠点になってました。
境内には
塔頭二ヶ寺、起雲庵、常牧庵がありましたが、明治後合併廃寺さ
れましたが、名目的に方丈〔内殿〕は起雲庵と言う事になりまし
た。また和田〔和田岬〕にあった尼寺、円通寺〔円通庵〕も現在
は福厳寺に合併されています。


915日本@名無史さん:2010/06/02(水) 22:46:28
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
916日本@名無史さん:2010/06/03(木) 00:36:02
昔から、モレは縄文土器に疑問があったぞ。
それは、土器の表面の模様だ。当然縄の模様があったんだろうけど。
モレが小さい頃の縄は稲のワラで作っていたからだ。
だから縄文時代にも稲作はあったんじゃないか?と思っていた。

それともうひとつ
何で遣唐使があったのか?
だって日本は唐、新羅連合と白村江で大戦争をやらかした相手だぞ?
なんでそんな国の使節団を唐が受け入れるんだ?

917日本@名無史さん:2010/06/03(木) 01:41:27
>>916
稲藁が無いとロープが作れないとしたらヨーロッパの人はどうしてたんだ?マヤのキープはどうすんだ?
メソポタミアやメキシコには稲は無いが葦でロープ作ってるぞ。

>なんでそんな国の使節団を唐が受け入れるんだ?
アメリカだって日本だって北朝鮮とそれなりに外交してるだろ。
918日本@名無史さん:2010/06/03(木) 23:33:09
>916
遣唐使ってのは、(少なくとも建前上・形式上は)朝貢使だぞ。
戦って負けたお詫びに貢ぎ物を捧げに行く、という形式だから問題はない。

僻遠の地だから10年に一回で良いよ、という約束になっていたようだ。
(約十年一貢、という記述は、およそ十年で一回、と言う意味ではなくて、
十年に一回という約束を交わしたという意味だよ。)
冊封関係は作られなかったとはいえ、あくまでも「貢ぎ物を捧げに行く」形式を作らされたことは間違いない。
919日本@名無史さん:2010/07/22(木) 18:31:03

千葉さなが生涯独身を貫いた。
920日本@名無史さん:2010/08/21(土) 15:20:26
hoshu
921日本@名無史さん:2010/08/25(水) 21:55:59
>>878
征夷大将軍と言ったって一族が盤石じゃないと
源氏みたいに滅亡するのは非を見るより明らかだろ
関白なら天皇の後ろ盾が有るので簡単に潰す事は出来ないだろ
922日本@名無史さん:2010/08/25(水) 22:11:29
>>921
源氏の将軍は三代だが豊臣の関白は一代限り。どっちがより簡単に潰れたろうか?
923日本@名無史さん:2010/08/25(水) 23:00:19
関白は秀吉、秀次の2代じゃね?
まあ源氏将軍より短いけど

でもこればっかりは当時の状況次第だしな
924日本@名無史さん:2010/08/25(水) 23:36:48
>>923
秀次忘れてたよ。状況次第ってのはまぁその通りで、秀頼が生まれて来なければ・・・。
925日本@名無史さん:2010/08/26(木) 18:29:02
>>878
鎌倉時代でも、いくらでも宮将軍がいたわけであるが。
926日本@名無史さん:2010/08/26(木) 21:42:00
>>878
Q1、秀吉は足利義昭に将軍を断られたんだよね?
A1、秀吉が将軍を断念したソースは林羅山の「豐臣秀吉譜」のみなので今のところ否定も肯定も出来ない
Q2、秀吉は農民だから将軍になれなかったんじゃないの?
A2、秀吉は平姓として筑前守になり藤原姓として関白になり豊臣姓として太政大臣になってる
     どれも立派な姓であり、秀吉の出自が官位就任に影響をおよぼしたことはない
Q3、源氏しか政権担当者としての将軍にはなれないんだよ。おまえ馬鹿?
A3、「天正十年夏記」によると勧修寺晴豊は信長が将軍になるだろうと感想を洩らし
     誠仁親王も信長をどのような官にでも推挙すべしと言っている
     そして信長は平姓。もうわかったね?
Q4、はあ?意味不明
A4、だから信長が平姓で将軍になることに問題はないから
     平姓秀吉も将軍になることに問題はないと考えられるの
Q5、だったら将軍になればいいじゃん。ならなかったのはやっぱ秀吉じゃ無理なんだよ
A5、小牧・長久手合戦の直後に権大納言や内大臣つまり将軍が兼任した官位を獲得したが
     すぐに関白になっているため秀吉は将軍職を望んでなかったようだ
     小牧・長久手の敗戦により将軍職を諦めたという論説もあるが
     秀吉が将軍職獲得のために運動した形跡はないため憶測にすぎない。
Q6、だから何?
A6、つまりこのスレの結論は「将軍職に興味を示した資料は無いが、秀吉はなろうと思えば将軍にも関白にもなれた」
     「むしろ朝廷をも支配出来る関白になるほうが都合が良かった」ということ
927日本@名無史さん:2010/08/27(金) 01:14:40
>926
1: あれ?将軍の地位じゃなくて足利氏への養子入りでは?
猶子にしてっていって断られたんだったような気が...

3〜4:ほかに、藤氏将軍の前例だってあった。鎌倉時代だが。
928日本@名無史さん:2010/08/27(金) 01:19:10
そういや
>921
鎌倉幕府の源氏三代は、三代目が将軍就任の当日にヌッコロされたんだっけ

>912-923
豊臣関白家は、あと1年もがんばれたら、秀頼が三代目の関白になることはできただろうにな。
もっとも、朝廷と幕府に並ぶ第三権力としての関白でしかなく、秀吉時代とは大違いの状況ではあっただろうけども。
全国政権としては秀吉死去で、ほぼ終了してた。
(形式上の話でならば、関ヶ原の戦いは豊臣政権内の派閥争いに過ぎなくて、関ヶ原以後もいちおう豊臣政権の時代と言えなくはないが。)
929日本@名無史さん:2010/08/27(金) 04:40:35
>>927
>>926は他スレのアホレスのコピペだから
相手するだけ無駄
930日本@名無史さん:2010/09/01(水) 21:09:37
桶狭間での信長軍の奇襲攻撃



あり得ないから
どう見ても談合の密約を破り騙し撃ちしただけだから

931日本@名無史さん:2010/09/06(月) 19:38:05
壬申の乱

大海人皇子が天皇の弟というのは、万世一系の地位を正当化するための後付けとしか思えないのだが
尾張辺りで挙兵して朝廷軍を破った男が実在するとして、そいつが天智天皇の弟である可能性は限りなく低い
932日本@名無史さん:2010/09/06(月) 19:57:27
するってえと、奈良時代の皇室は少なくとも2氏以上で構成されていたってわけですね?
933日本@名無史さん:2010/09/06(月) 20:23:05
そうですね、歴史書は時の権力者が都合良く書き換えるに決まってますからね

その後藤原百川が擁立して来た男が本当に天智天皇の子孫かどうかも怪しいと思いますよ
934日本@名無史さん:2010/09/06(月) 20:41:52
足利義昭、愚将説。
実は相当の切れ者
935日本@名無史さん:2010/09/06(月) 20:45:16
その「藤原百川が擁立して来た男」ってえのは光仁帝=白壁王のことだろうが、
白壁王はそれ以前から(聖武天皇の時代から)史料に出て来まっせ。
聖武〜称徳朝に出て来る白壁王は本来皇室出身者ではなく、
あるいはその存在自体が後世の捏造だった可能性もあるってわけですかな?
まあとりあえず、あなた自身が、「あなたに都合の良い歴史」に作り換えてないかどうか、注意してね。
936日本@名無史さん:2010/09/06(月) 20:56:54
その「聖武天皇の時代に出来た資料」の内容が本当に当時から変わっていないんですか?
その後の権力者が自分を正当化するために書き換えていない証拠はあるんですか?

明治以前の歴史は全て闇に包まれていると思います
教科書に書いてあれば真実の歴史だというわけではありませんよ
937日本@名無史さん:2010/09/06(月) 21:10:50
それはある意味悪魔の証明で、それを言っちゃおしまいなんですわ。
足利義教だってその辺にいた坊主を見つけてきたのかもしれないし、
徳川吉宗だって反主流派が適当に擁立した徳川に縁もゆかりもない人物だったかもしれない。
938日本@名無史さん:2010/09/06(月) 21:15:28
そうですね
明治天皇が実は大室だったというのと同じく、そういう事もあったかもしれない
何しろ現代では確かめようが無いのですから
939日本@名無史さん:2010/09/06(月) 22:12:24
現代だってそのうち歴史になりますからな。
「自民党政権を倒した鳩山由紀夫が自民党をつくった鳩山一郎の孫であるわけがない。
日本政府の正統な後継者としての地位を担保するための捏造だ!」
などと、何百年か後の「歴史好事家」が主張してる姿が目に浮かびますw
940日本@名無史さん:2010/09/06(月) 22:18:32
941日本@名無史さん:2010/09/06(月) 23:20:02
>>939
100年後には小沢の暗躍とか民主党と自由党の合流とかは応仁の乱の時と同列に扱われそうだな
陣営が入れ替わりすぎだし裏切りの連続
942日本@名無史さん
>>930
確かに密約はあったよ
但し、信長と義元ではない
信長と家康